戦艦<武蔵>艦長 知名もえか(High School Fleet & Red Sun Black Cross) (キルロイさん)
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第一章 <蒼龍>撤退援護戦
第一話


「最も偉大な将軍は過失のもっとも少ない者だ。」
          -----ナポレオン・ボナパルト



キューバ島東岸沖六八浬、キューバ島近海、カリブ海

一九五〇年四月二一日 午前九時

 

 

 

 彼女(もえか)が見上げる青空は、横須賀を出港する時に見上げた空より遥かに青く澄んでいた。

 

 まるで、染料によって染め上げられた布地のように(むら)がなく、海面との境界が識別出来ないくらい大きく広がっている。

 

 そして、そこに浮かぶ白い雲は風の流れに乗って、ちぎられたり別の雲に取り込まれたりしていた。

 

 その青空へ唐突に現れる黒い点。

 

 突然降りだした雨の(しずく)のような黒点は、ポツリポツリと増えていく。

 

 予期していた光景であったが、待ち望んでいた光景ではない。彼女(もえか)にとって、それは互いの敵意が衝突したストレスによる天空のニキビだ。

 

 間もなく、彼女の耳に左舷側見張員の報告が流れ込む。

 

「艦長、左舷より敵機接近、中型機約五〇機」

 

 彼女(もえか)が操艦する艦艇を含めた艦隊は、艦対空戦闘に有利な輪陣形を組み、敵の航空基地があるキューバ島を左舷側にして航海している。

 

 敵機が航行する艦隊に対して、飛行場から最短距離で接近できる左舷側から攻撃を仕掛けるのは当然のことである。

 

 その艦隊で一番目立つ存在である()()に攻撃を仕掛けてくるのも当然のことであった。

 

 だから、彼女(もえか)は躊躇することなく命令を発した。

 

「全火器使用許可します。対空戦闘、打方始め」

 

 彼女の凛とした声による命令は直ちに艦内全域に伝達され、間もなく艦橋に電子警告音が鳴り響く。

 

 短音三回、長音1回。

 

 時報のように鳴り響く警告音が途切れたその瞬間、時代遅れの遺物とまで酷評される事もあるこの軍艦が、現在でも海上の覇者として君臨する理由を示した。

 

 それは大和型戦艦二番艦として建造された、彼女(むさし)に搭載された四六サンチ艦載砲が発砲した瞬間でもあった。

 

 閃光。砲口から飛び出る黒い影を追うように噴出する砲煙。そして、轟音と振動。

 

 発砲エネルギーは主砲塔だけでは吸収しきれず、僅かながら艦全体を揺らす。それによって、天井にある配管や電路に積もった埃が振り落とされる。

 

 艦長である「知名(ちな)もえか」は双眼鏡を手に取り、初弾の行方を追っていく。

 

 発砲による熱によって輝きながら飛翔する砲弾は、放物線を描きながら一五キロ先にいる敵機の編隊正面に向けて突き進み、焼夷弾子による華を次々に咲かせた。

 

 その数は六輪、三基ある三連装主砲塔のうち左右の砲だけ発砲したからだ。それでも敵機に対して十分な戦果を挙げた。……筈だった。

 

「撃墜は二機だけか……」

 

 双眼鏡を覗きながら呟く彼女(もえか)の表情に落胆が現れた。

 

 枢軸陣営に属する海軍のうち日本海軍のみが制式採用している対空戦闘用焼霰弾は、時限信管によって起爆する三式弾から近接信管によって起爆する七式弾に更新されている。

 

 だが、同時に発砲できる弾数に制約があるため、期待された戦果を挙げていない。

 

 敵機を撃墜するためには砲弾をピンポイントで命中させるか、その弾片によって敵機を損傷させなければならない。だが、残念ながら<武蔵>の主砲弾ではどちらも十分な効果を発揮させられないのだ。

 

 初弾の戦果を確認した砲術長は射角を修正すると第二弾を発砲する。

 

 艦橋最上部にある防空指揮所で任務に就いている将兵は、今度こそと期待を込めるが先程と同じように落胆に変わっていく。初弾の戦果に驚いた敵機編隊が散開してしまい、焼霰弾の威力を無力化してしまったからだ。

 

 主砲による戦果を目撃した者は彼女(もえか)に限らず誰もが同じ感想を抱いたが、戦闘は継続中である。

 

 それに、敵機の突入を阻止する手段はまだ残されている。

 

 <武蔵>に搭載されている一二・七サンチ(センチ)連装両用砲、四〇ミリ機関銃、二十五ミリ機関銃があるからだ。それでも阻止出来ずに敵機の投弾を受けた場合、彼女(もえか)の操艦技術で回避すればいい。

 

 これから起こる事に備えて深呼吸をした知名は、彼女が立つ防空指揮所を見渡す。

 

 海面から三九メートルの高さにある防空指揮所は、彼女の胸元から上側に遮る物が全くない露天の指揮所である。そこでは、彼女以外に数名の見張員が任務に就き、高角双眼鏡で海上や上空の捜索に全神経を集中させていた。

 

 その見張り員たちの背中から、緊張感がひしひしと彼女にも伝わってくる。彼らが異様に緊張するのは仕方が無いことだった。

 

 何しろ、これから<武蔵>が受ける空襲が、過酷になる事が明らかだからだ。その理由は、この戦闘が軍事的常識の一つであり常に過酷な戦闘を強いられる撤退戦だからである。

 

 正直にいえば知名も緊張している。昨日から続く戦闘の最終かつ重要な局面であり、艦長の立場となって久しぶりに経験する大規模な戦闘でもあるからだ。

 

 部下となる将兵に勇気を与え続けるには艦長の表情や態度も重要である。

 

 彼女は艦長職にある者が、不安な表情を晒すだけで将兵に動揺が走り、気遅れした態度を示せば勇気が削がれていく事態を、身をもって経験している。

 

 だから、彼女は自信に満ちた表情をし続け、敵機による掃射を恐れずに防空指揮所で平然とした態度で、戦闘指揮を取り続けなければならない。

 

 とはいえ、彼女にとって荷が重く、正直に言えば艦内の安全な区画まで逃げ出したくなる。

 

 そんな彼女の脳裏に、ふと妙案が浮かんだ。

 

 そうだ、「人人人」と書いて舐めれば緊張が収まるかな。やってみよう。

 

 誰も彼女を見ていない事を確認し、素早く指先で書いてから舌で舐める。結果は妙な塩味を味わえただけだ。

 

 だが、そんな簡単な動作で無意識に不安感も拭い去った彼女は、双眼鏡で敵機を注視ししつつ小声で呟く。

 

「ドイツ軍、あなたたちには負けない」

 

 彼女がそれを終えた瞬間、両用砲が対空射撃を開始する。次いで機関銃が射撃を始め、瞬く間に<武蔵>は発砲による騒音と砲煙に包まれていった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 一九四八年五月一三日、第二次世界大戦の勝者となったドイツ第三帝国は、その支配地域を拡大するために英領カナダと合衆国に侵攻した。第三次世界大戦が勃発したのだ。

 

 その戦争の主役となる筈だった合衆国は開戦一年後の段階で、ドイツ軍の猛攻を受け瀕死の重傷患者のように悶え苦しんでいた。

 

 開戦劈頭に史上初の反応兵器による攻撃を受けてしまい、政府と軍の指揮系統を破壊されてしまったからだ。人体に例えれば神経を切断されたのと同じである。

 

 この攻撃を免れた者たちが全力を尽くし、病魔のように侵攻するドイツ軍主力の大欧州連合軍を阻止しようとした。しかしながら、様々な理由で敗北と退却を続けてしまう。

 

 そして、開戦一年後には東海岸側を始め七割程度の領土をドイツ軍によって奪われていた。

 

 それには経済と金融の中心都市ニューヨーク、ホワイトハウスを始め合衆国政府の中枢が置かれているワシントンDC、五大湖工業地帯の中心都市であり自動車の一大生産地でもあるシカゴが含まれている。

 

 それだけではなく、航空機産業の一大拠点であるウィチタ、ジャズ発祥の地であり合衆国の音楽文化の発信地でもあるニューオリンズ、これらの都市と周辺地域も含まれていた。

 

 更に、西海岸の都市であるサンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴにも止めの一撃として反応兵器を撃ちこまれてしまい、都市機能を破壊されている。

 

 合衆国の運命は誰の目でも明らかであった。

 

 一七七六年七月四日の独立宣言によって世界史に颯爽と登場したこの国は、建国以来初めて亡国の危機に直面し瀕死状態になっていたのだ。

 

 たが、この国に手を差し伸べた国家勢力があった。大日本帝国と大英帝国である。

 

 日英同盟という固い絆で結ばれている両国は、合衆国を支援するために行動を起こし手を差し出したのだ。決して表には出せない思惑を秘めていたが。

 

 その誘いに乗った合衆国は手を繋ぐと日英米枢軸軍を結成し、未だに強大な戦力を持つ連合軍へ戦いを挑んでいる。

 

 彼女がキューバー島沖合でドイツ軍空軍機と戦っているのは、そのような世界情勢によるものであった。

 

 <武蔵>は大分県にある大神海軍工廠で昨年九月に改装工事を完了し、新艦長となった知名もえかの指揮下で慣熟訓練を行なった。そして、昨年一二月に戦場へ復帰しスエズ運河侵攻作戦「モーゼの道」に参加した。

 

 その作戦では、印度洋や紅海でドイツ空軍による空母への猛攻を阻止し、スエズ運河に沿って北上する地上軍の進撃を支援し、運河北端にある市街地ポートサイドへ艦砲射撃を行う戦歴を挙げている。

 

 そして、現在はカリブ海で第一機動部艦隊に参加する一隻の軍艦として、随伴する四隻の駆逐艦と共にドイツ空軍と戦闘していた。

 

 <武蔵>の目的は<蒼龍>の撤退援護だ。

 

 <蒼龍>は昨日の戦闘でドイツ空軍の空襲によって被弾してしまい、最大速力が一二ノットまで低下している。

 

 この速力では空母から艦載機を発艦出来ないので戦場にとどまる意味が無いし、敵機にとって格好の餌食でもある。

 

 キューバ島南部にあるグアンタナモ基地へ向けて避退するには、<蒼龍>と数隻の駆逐艦だけで十分だった。だが、第一機動艦隊司令部は別の思惑があって、それに<武蔵>も参加させている。

 

 知名は<蒼龍>の撤退を援護するため、キューバ島北部にある大都市ハバナへ進路を向けていた。白昼堂々と市街地へ艦砲射撃を掛けるような威嚇行動を取っていたのだ。

 

 当然ながら敵機は損傷した<蒼龍>より、新たな脅威として接近中の<武蔵>へ攻撃を集中する。これが彼女の狙いだった。

 

 彼女にとって気がかりだったのは、敵機の猛攻がいつまで続くか分からないことだ。

 

 もしかしたら、キューバ島だけではなく合衆国に展開する航空兵力まで引き寄せてしまうかもしれない。

 

 それでも敵機の猛攻を凌いでみせるつもりだった。そんな彼女の実力が試される時が始まろうとしている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 優れた艦長の指揮による操艦は一切の無駄が無い。それは、芸術講演会場の舞台で一切の隙が無く華麗に踊り、観客を魅了する踊り子のようだった。

 

 艦艇の回避運動は、敵機が投弾するタイミングさえ見極めれば的確に回避できる。

 

 舞踏も背景音楽に合わせて身体を動かすタイミングが重要だ。異なる点は只一つ、失敗すれば誰かの命が奪われてしまう。

 

 敵機は両用砲や機関銃による弾幕に怖じ気る素振りを見せず、<武蔵>へ接近し続けている。

 

 彼女は彼女はこの敵機がドイツ空軍所属の双発爆撃機であり、急降下爆撃か水平爆撃のどちらかによる攻撃だと予想していた。

 

 海軍機ではないと判断した根拠は、ドイツ海軍の空母を主力として編成した第一航空戦隊の動向を把握しているからだ。

 

 この戦隊は、一昨日の時点で北米大陸東海岸にあるノーフォーク軍港に停泊中だった。これは潜水艦の偵察によって確認している。

 

 この航空戦隊は<戦隊>と呼称されているが、実際には複数の空母、軽巡、駆逐艦を合わせて三〇隻近くの艦艇で編成された艦隊規模の戦隊である。日本海軍の機動艦隊と対等に戦える恐るべき艦隊なのだ。

 

 昨日の黎明時に、第一機動艦隊はフロリダ半島やバハマ諸島へ空襲をした。

 

 その時から現時刻まで、この戦隊が出撃したという情報は届いていない。そのため、距離と時間の関係から海軍機ではないと推測出来た。

 

 さらに、知名は印度洋でドイツ海軍の新鋭戦艦<フリードリヒ・デァ・グロッセ>を、撃沈に追い込む過程を書き記した戦闘詳報を何度も読み返している。

 

 だから、どんな攻撃が<フリードリヒ・デァ・グロッセ>に致命傷を与えたのか、彼女なりに分析していた。

 

 そして、彼女はその分析結果をこの戦闘に生かそうとしている。<フリードリヒ・デァ・グロッセ>と同じ結末になるのは何としても避けたかったからだ。

 

 彼女は接近中の敵機を動揺させるために新たな指示を下す。

 

「航海、特殊蛇行運動のA法」

 

 敵機が接近しているに漫然と直進していれば、敵機にとって良い的でしかない。

 

 しばらく直進が続くが、舵が効きだすと転舵による遠心力によって傾きながら右側へ四五度変針する。

 

 感覚的だが知名が手を伸ばせば左舷側の海面に触れそうな程に傾斜し、四五度まで変針すると直進に戻る。そして、一分後には新たな針路へ変針する。これを繰り返すのだ。

 

 敵機編隊は<武蔵>が変針するタイミングや針路を、把握していないので今後の針路が分からない。そのため、新たな行動を取り始めた。

 

「敵機は八機づつの編隊に分裂、先頭の編隊は艦尾方向から本艦の中心線上に占位しつつあり」

 

「航海、面舵(おもかじ)

 

 どうやら、精強なドイツ空軍といえども艦首側から攻撃を仕掛ける、頭のねじが抜けているような操縦士はいないように見受けられた。

 

 艦首側から爆撃をする場合、敵機と<武蔵>の相対速度によって時間的な余裕が少なくなり、投弾のタイミングが難しくなる。そのため、技量優秀な者でないと務まらない。

 

 それだけではなく、赤く輝く対空砲弾を打ち上げながら接近する<武蔵>の威容を目の当たりにして、平常心を保ち続けるのは強固な気迫が必要だからだ。

 

 もし、それを克服して攻撃しても、戦果は艦尾側から攻撃した場合と同じなのだ。合理的に考えれば、無駄な個人的勇気の発露であり無意味な努力でしかない。

 

 日本人と比較して何事にも合理的に思考して行動するドイツ人が、無駄で無意味な事をする訳が無い。彼女はそのように判断していた。

 

 その敵機が遂に行動を起こした。

 

「敵機、急降下!」

 

「面舵一杯!」

 

 間髪入れずに叫ぶ彼女の指示により<武蔵>は再び傾斜し、今度は駆逐艦並みの反応速度で右変針を始める。

 

 排水量六〇〇〇〇トンを超える巨体であり、洗濯桶と揶揄されるように全長に対して横幅が広い船型では、俊敏な操舵に反応が出来ない。

 

 だが、舵が効き出せば駆逐艦並みの小さな半径で変針できる。大型貨物船では真似出来ない戦艦ならではの性能であった。

 

 <武蔵>の性能を熟知している知名は前もって右側へ変針し易くなるように舵を入れて、敵機が爆弾投下するタイミングを計っていたのだ。

 

 敵機は降下による速度上昇で急激な進路変更が出来ず、変針した<武蔵>が爆撃進路から遠ざかっていく姿を座視することしか出来ない。

 

 敵機は攻撃に失敗した。

 

 敵機が基地に帰還するためには機首を上げなければならないが、急降下中は機体の揚力だけでは機首上げ出来ない。

 

 機体下部に吊るした爆弾を投棄して軽くしなければ海面に激突するのだ。

 

 敵機の操縦士は聞くに堪えない言葉を連発しながら、機体から爆弾を切り離した。そして、投棄された爆弾は海面で爆発し、空しく海水の柱を八本立ち上げる。

 

 <武蔵>の被害は海水の飛沫を浴びただけ。知名が小さな勝利を掴んだ瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先日から公開されているハイスクール・フリート劇場版を作者が視聴したら、いつの間にか「もか」ちゃんの魅力に惚れてしまいました。

そこで踏み止まればよかったのですが、何故か彼女を「レッドサン・ブラッククロス」の世界にぶち込みたくなってしまいました。「混ぜたら危険」な作品です。どうなることやら……。

尚、「レッドサン・ブラッククロス」において、日本海軍がカリブ海で喪失するのは<大和>ですが、本作では原作に合わせて<武蔵>にしています。


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第二話

キューバ島東岸沖六八浬、キューバ島近海、カリブ海

同日 午前九時一二分

 

 

 

 急降下爆撃を回避したとはいえ、それは<武蔵>に接近した敵機の一部である。他の敵機が戦意を失う訳が無く襲撃する機会を伺っていた。

 

「艦長、新たな編隊が左舷側から本艦上空に侵入しつつあり。あっ、たった今、一機撃墜しました」

 

「高度は? 電測、報告して」

 

「高度六五(ろくじゅーご)(六五〇〇メートル)です」

 

「航海、舵中央。砲術、左舷側から接近中の敵機を撃ち落として!」

 

「別の編隊が本艦の中心線上に接近中です」

 

「……。航海、最大戦速即時待機、面舵」

 

 奇妙なことに水平爆撃隊は中途半端な高度で漫然と飛行している。その高度では<武蔵>の両用砲弾が容易に届くので敵機周辺で次々に炸裂していく。

 

 その敵機は回避する素振りを見せず、更に三機が撃ち落とされた。不用意に<武蔵>に接近すれば当然そうなる。

 

 両用砲の砲弾には主砲の七式弾と同様に、標的に命中しなくても設定された近傍範囲内に到達した時点で起爆し、弾片で敵機を破壊する機能を持つ近接信管を組み込んでいるからだ。

 

 敵機は急降下爆撃と同時に水平爆撃を仕掛ける様子だが、知名にとって水平爆撃隊の意図が読めなかった。<武蔵>との距離を計りかねているのだろうかと勘ぐってしまう。

 

 そもそも、水平爆撃は航行中で頻繁に変針できる艦船への命中率が極端に低い。一〇発中一発命中すれば上出来の命中率なのだ。

 

 その水平爆撃隊は遂に行動を起こす。機体下部から白煙をたなびかせて飛翔体を発射した。

 

 ドイツ空軍の主力武装であり、ロケットエンジンで得られた推進力と母機からの無線誘導によって標的に着弾する対艦誘導弾ヘンシェルHs293。

 

 登場してから現在に至るまで改良を重ねてきたこの飛翔体は、枢軸軍艦船を何隻も海底に叩きこんできた厄介な爆弾の一つである。それが<武蔵>を襲ってきたのだ。

 

「艦長、敵機が誘導弾発射! 四発接近します」

 

「後続の敵機編隊が急降下開始!」

 

「最大戦速、面舵五〇(おもかじごじゅう)!」

 

 知名の指示で出力を上げた機関がスクリューの回転数を増し、海水を切り裂く艦首の飛沫を更に大きくする。同時に大角度変針して艦尾を滑らせていく。

 

 知名ができるのはここまで、後は対空火器の奮戦を信じるのみだ。そして、対空火器とその操作員たちは彼女の期待に応えようとした。

 

 誘導弾の最大速度は八〇〇キロ程度であり、ジェット戦闘機よりやや遅い程度だから撃墜自体は可能だ。だが、発射されてから着弾するまでの時間が急降下爆撃より短くなっている。

 

 その短い時間で<武蔵>は一発目を、両用砲弾の直撃によって爆散させた。続いて二発目は、安定翼を破壊して姿勢制御を狂わせることに成功した。

 

 残りは二発。

 

 両用砲は大角度変針による船体傾斜によって照準が定まらなくなっている。機関銃は砲口から火焔を吹き出しながら、次々と砲弾を撃ち上げるが中々命中しない。

 

 誘導弾は母機からの無線操縦によって、変針後の<武蔵>未来針路に向けて飛翔針路を変えていく。その動きに機関銃射撃指揮装置が追従出来ていないからだ。

 

 <武蔵>への被弾が回避出来ないことを悟った時、知名は心の声を叫んだ。

 

 <武蔵>、みんな、ごめんなさい! 

 

 その瞬間、誘導弾が<武蔵>に命中した。

 

 三発目は<武蔵>後方にある第三主砲の砲塔天蓋に命中した。だが、弾頭を砕かれて海面に転げ落ちる。ここに使用している二七〇ミリVH表面硬化鋼への貫通能力が不足していたからだ。

 

 四発目は<武蔵>前方の第一主砲の前方左舷側に命中、直径二メートル程度の穴を開けて火災を発生させた。

 

 いずれも<武蔵>の戦闘能力に影響無し。水平爆撃隊の戦果はこれだけだった。

 

 そして、Hs293との同時攻撃による相乗効果を期待して突入した急降下爆撃隊は、再び海水の柱を立ち上げるだけで終わる。

 

 何本も立ち上がる海水柱は<武蔵>の前檣楼より高く立ち上がり、重力に逆らえなくなると<武蔵>に向けて崩れていく。

 

 敵機の戦果は<武蔵>だけではなく、憎たらしい<武蔵>艦長の知名もえかを海水でずぶ濡れにしただけだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ドイツ空軍による第一波は、被弾すれども致命傷を受けずに凌いだ。

 

 平然と航行を続ける<武蔵>を忌々しげに見下ろしながら敵機が去っていくと、彼女は「打方止め」を指示し漸く安堵の溜息をついた。

 

 防空指揮所では、防空戦によって燃え上がった興奮が冷めない見張員が口々に感想を話している。彼女はそんな見張員達へ声を掛けると、一層下の階にある第一艦橋へ降りるべく指揮所後方へ向かう。

 

 そして、垂直梯子に申し訳程度の傾斜をつけた階段に足を掛けた瞬間、本来の彼女が姿を現した。

 

 足元から脊髄に向けて一気に駆け上がる悪寒、脳細胞まで氷結しそうな感覚になると頼りない手摺を掴んだまましゃがみ込む。

 

 彼女の脳細胞は氷結を回避すべく高熱を発生する演算処理を繰り返し、繰り返し……、そして平常に戻った。

 

 私、撃ち殺される寸前だった……。

 

 敵機が急降下爆撃後に<武蔵>に最接近した際に、数機が<武蔵>へ銃撃を加えた。その時、彼女はある敵機の爆撃手と視線が合ってしまい、敵機の銃口が向けられてしまう。

 

 彼女は数秒後に撃たれる筈だった。偶然にも発生した機関銃の玉詰まりさえ無ければ。

 

 一瞬だが死の深淵を覗き込んだ彼女の脳裏では、厳重に鍵を掛けた筈だった心の宝箱から様々な記憶を引き出される。彼女が幼い頃に亡くなった母親、二度と顔を合わせたくない父親、そして、彼女にとってかけがえのない存在である幼馴染(ミケ)

 

 私、ミケちゃんみたいに上手に出来ない。やっぱり、艦長なんて向いていないよ……。

 

 ほんの数秒だけ彼女だけの世界に浸るが、我に返って立ち上がる。階段下端で心配そうに見上げる乗組員の視線に気づいたからだ。

 

 何の問題も無いと言うかのように身振りで説明すると、第一艦橋に降り立ち小さな椅子に腰を掛ける。間もなく、<武蔵>損傷の応急処置を担当する内務長が、第一艦橋に昇ってきて彼女に被害状況を報告した。

 

 被弾による火災は鎮火、戦死者無し、負傷者一四名か……。そうだ、艦内全員に知らせよう。

 

 彼女は艦内放送用送受話器を手に取ると、内務長からの報告を伝えていく。

 

「艦長より総員に伝達です。先程の攻撃では敵機を八機撃墜しました。本艦は二発被弾、戦闘能力異常無し、戦死者は無し。最高の成績です。これは、全乗組員が一丸となって日夜訓練に励んできた結果です。私は日本海軍最高技量を持つ<武蔵>乗組員と共に戦えることに感謝し、感激しています」

 

 ここで話を一旦区切り、第一艦橋に居る見張員や各職長の反応を横目で見ながら話を続ける。海軍士官らしかぬ彼女らしい丸みを帯びた言葉は、次第に各員に浸み込んでいく。

 

 そろそろ本題に入る好機だと判断し、彼女は話を続ける。

 

「今朝放送にて伝達しましたが、寝ぼけ眼で話を聞き流した乗組員のために改めて本艦の任務を伝えます。本艦の任務は大破して高速航行出来ない<蒼龍>を援護することです。<蒼龍>は敵空襲圏内から逃れつつありますが、完全に我が方の制空圏内に入るまでには時間が掛かります。それまでの間、<蒼龍>撃沈に向かう敵航空兵力を本艦と四隻の駆逐艦で誘引しなければなりません」

 

 再び話を一旦区切り、彼女の話を真剣に聴くために静まり返った第一艦橋の様子を見回しながら、次に話すべき内容を整理する。

 

 第一機動艦隊司令部が彼女に約束したことと、現状が大きく乖離していることを話そうとした。だが、乗員が混乱するだけだと考え直しバッサリと省略する。

 

 そもそも、<武蔵>上空には戦闘機による直衛がある筈だったが、未だに姿を見せずに迷惑千万な敵機ばかり接近する。どうなっているのやら。

 

 彼女は邪念を払い、伝達の締めを話し始めた。

 

「<蒼龍>がグアンタナモへ入港できるか否かは本艦の奮戦次第です。だからこそ、改めて告げます。<武蔵>乗組員は日本海軍最高技量を持つ乗組員だから、何度も訓練してきたことを実践してください。それだけ、それだけです。片時も忘れないように。以上」

 

 彼女が伝達を終えた途端に彼女の背中で咳払いが聞こえる。振り向くと、そこには砲術長が立っていた。

 

 彼は戦闘配置中は主砲射撃指揮所で砲戦指揮を執っているが、いつの間にか第一艦橋まで降りていたのだ。その彼は彼女の階級には敬意を示すが、彼女自身には敬意を払う素振りを見せずに話し始める。

 

「艦長、そういう時は『各員の奮励努力(ふんれいどりょく)に期待する』とか『奮戦(ふんせん)に期待する』とか言わないと。兵士達に舐められます」

 

「そんな堅苦しい言葉を使わなくて、誰もが十分に理解出来ます」

 

「ここは軍隊です。娑婆の世界とやらの常識を持ち込まないで下さい」

 

「この戦争が勃発してから招集された予備士官の人数はお忘れですか。娑婆の空気をたっぷり吸った、砲術長が苦手な予備士官ですよ」

 

 未だに開戦前における海軍の気質を守り抜こうとするが、艦長に反論できずに憮然とする砲術長を見て、内務長は笑いを堪えきれなくなる。

 

 航海長はあらぬ方向を見つめ、砲術長と共に第一艦橋に降りてきた高射長は二人の会話を聞き流している。年齢差が大きい二人は、傍目から見れば叔父と姪の口喧嘩にしか見えず、<武蔵>艦内で()()()()()()()()ことだったからだ。

 

 だからといってこのまま二人の喧嘩を放置する訳にはいかない。何しろ生死を掛けた戦闘中なのである。これを打ち切らせるべく内務長がおずおずと会話に割り込む。

 

「ところで、艦長。報告し忘れていたことがあります。負傷者の一四名の内訳ですが、殆どは弾片による切傷か打撲です。面白いことに一名だけは擦傷でした。それもケツ……、ではなく臀部です。その理由はお判りですか」

 

「えっと、階段から落ちたのかしら」

 

「違います。その兵が負傷した場所は厠、被弾した時に運悪く用を足していたため衝撃によって臀部を強打したそうです。ですが、打撲ではなく擦傷で済んだ理由について軍医が尋ねたところ、彼は自信満々に答えたそうだ。『日頃から他の兵よりケツを叩かれているから主砲防盾並みに硬くなっている』だと」

 

 内務長の狙い通り、第一艦橋のあちらこちらで笑い声が広がる。もちろん、これは彼による即席の冗談だ。

 

 知名が指揮する<武蔵>では私的制裁を禁止している。それには「海軍精神注入」と称して臀部を手加減せずに棍棒で叩くことも含まれる。

 

 本来であれば新兵への教育として行う愛のムチなのだが、実態は曹長試験に落ちて昇進出来ない無能な古参兵や若手士官の憂さ晴らしに利用されていた。

 

 叩かれた者は臀部が腫れあがり、仰向けに寝ることが出来なってしまう酷い暴力だ。知名が<武蔵>艦長に就任すると、私的制裁すべてを禁止させたのだ。

 

 制裁したくなったら訓練をさせなさい。必ず直属の下士官あるいは分隊士(少尉)を参加させること。既に日本海軍はあなたたちに私的制裁を許す余裕はありません。

 

 一九四九年一〇月、大分県の大神工廠艤装岸壁に接岸していた<武蔵>の第一砲塔上で、艦長として就任した彼女が出した最初の通達がこれであった。

 

 だからといって誰もが素直に従った訳ではない。古参兵は新兵を物陰に連れ込んで制裁を続け、その上官達は見て見ぬふりを続けていた。むしろ、彼女に見つからないように制裁を続けていたというべき状況だった。

 

 これが変化したのは彼女が夜な夜な艦内を巡回する粘り強い努力と、同年一二月に起きた広島・長崎への反応弾攻撃による乗組員への心理的衝撃だった。

 

 その通達が徹底されていくに従い、何度も棍棒で臀部を叩かれるのは素行不良な乗員だけになる。その乗員が悪びれもせずに堂々と答えるから、誰もが笑ってしまったのだ。ただ単に愚か者に対する失笑かもしれないが。

 

 くだらない口喧嘩を続けていたことに気づいた二人は口を(つぐ)み、砲術長は彼女に背を向けると主砲射撃指揮所に登っていく。

 

 戦闘継続中だからという理由だけではなく、彼は未だに彼女の方針に納得していなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(幕間)とある月刊雑誌の編集局長による随筆(1)

 わたしは予言する。本誌を手に取り嬉々と読み始めたあなた方が、この頁まで読み進めると表情を変えるだろうと。

 

 読書による興奮が掻き消されて不機嫌になるだろう。いや、口を無一文に結び古代から語り継がれる神話の真実を探り当てようとするかもしれない。

 

 もしかしたら、現実世界で否応が無く経験する「愛想と本心」に明確な区別をつけるべく、方程式を編み出そうとするだろう。

 

 特に最後の方程式は重要だ。何しろ本誌は掲載している作品の構成上、殆どが男性読者だ。大多数の男性読者にとって、愛想を振りまく女性の本心を理解できるのは棺桶に足を入れた時だけなのだ。

 

 特に三月一四日の()()()()()()で本命チョコを貰えたと信じ、心躍らせていたが現実は義理チョコであったこと。そして、あなた方が選び抜いた返礼品を喜んで受け取って貰えたかと思いきや、屑物入れに直行するという残酷な現実を目の当たりにした時、誰もが心の奥底から思うだろう。

 

 三次元のオンナは面倒くさいと。

 

 ある読者は打ちのめされて頭を抱え、別の読者は「二次元の嫁」に逃避してしまうのが容易に想像できる。

 

 いずれも漢字で書けば不満と困惑と衝撃という熟語で説明がつく。

 

 ……どうやら、話の本筋から外れてしまったようだ。元に戻そう。

 

 そして、あなた方は表紙や裏表紙を見て、この雑誌が愛読している月刊誌である事を確認すると、それを持って本屋の会計で客待ちしている売子へ持っていく。

 

 そして、あなた方はこう言うだろう。

 

「これ、乱丁本です。きちんとした本を取り寄せてください」

 

 ちょっと待ってほしい。雑誌に綴じられている広告はしっかり目を通して欲しい。弊社の営業担当者が必死に仕事した成果なのですから。

 

 いや、そうではなくこの月刊誌は、あなた方がいつも読んでいる月刊雑誌です。そして、これから始まる短編小説は本誌に寄稿された特別な小説なのです。

 

 現在、本誌はサイエンス・フィクション(もしくはサイエンス・ファンタジー)の専門誌(本誌では仮想戦記小説をSFに分類している)として市場に認識されているが、以前は実録戦記小説も連載していた。

 

 この連載を取り止めた理由は、時代と共に読者が求めるジャンルが変化していったからである。実録戦記小説の主な読者層であり「北米世代」と呼ばれる世代は、定年引退し鬼籍名簿に名前を書き込んでいく人数が日々増加している。

 

 だから、実録戦記小説というジャンルは読者層の減少と共に廃れ、今では同業他社一社だけ(流星社発刊の月刊戦記雑誌「旭」)が細々を続けている。

 

 この小説を本誌が掲載する事になったのは、鬼籍に載ったとある作者の遺族から提供していただいたからである。

 

 その作者はSF小説を専門に書いており本誌で幾度か連載させていただいた。わたしが以前担当させていただいた作者でもある。

 

 だが、この作者は誰もが個性的である作者の中で一、二を争うほど個性的で扱いづらく、人間としてどこかおかしい作者でもあった。

 

 正直に書くと彼の鼻にマジックペンをぶち込んで、夜光虫が光る暗い海面でもはっきり読めるように、脳味噌に書き込んでやろうかと思った事が何度もある。

 

 その文章は、「黙れ! つべこべ言わずに締め切りまでに原稿仕上げろ!! このエロゲ豚!!!」だ。

 

 だが、彼が書き上げた小説は読者の心を撃った。訴えるのではない。鷲掴みするのではない。文字通り撃ち抜いたのだ。

 

 説得力ある世界設定、一癖も二癖もある登場人物たちの諧謔(かいぎゃく)ある会話、そして、リアリティーあふれる戦闘描写。すべてが、従来の小説とは一線を成す小説だったのだ。

 

 そして、わたしも彼の愛読者となった。

 

 そうでなければ、彼の担当編集者として長年お世話する事は出来なかった。噂で言われるように出版社の人員不足で、わたしと交代できる編集者がいなかったからではない。

 

 その彼が実録戦記小説を執筆していたとは聞いたことがなかった。そもそも、彼には従軍経験が無い。

 

 わたしは遺族から渡された原稿を手に取ると、活版印刷で活用していた活字を一文字づつ拾い集めるかのように読み始め、読み進めるうちにすべてを理解した。これはSF小説風の実録戦記小説だと。

 

 この小説は彼が書く文章の特徴が随所に散りばめられて、一見すると彼のオリジナル小説だと思える。しかし、彼では書けない(想像出来ない)描写もあり本当の作者は別人物だと推測出来たからだ。

 

 小説と一緒に手渡された資料を読んで、それは確信に変わった。

 

 彼は元海軍士官二名への取材、最近になって公開された公式記録、その他関係者への取材を基にしている。それを、彼が磨き上げた文体で小説化したのだった。

 

 遺族である彼の姉に質問すると、彼の遺品を整理していた時に見つけた物だと言う。小説を書いた経緯は知らないそうだ。当然ながら、作中に登場する二名の元海軍士官も面識がなかった。

 

 ここに届けに来たのは生前世話になった弟の良き理解者だったので、この小説と資料を預けても大丈夫だと思ったからだという。

 

 彼女の懸念は出版業界の問題の一つを正確に突いていた。

 

 事実、いい加減な編集者は作家からお預かりした原稿に珈琲をこぼしたり、紛失してしまったりする事を繰り返してしまい、その都度編集長であるわたしが作者に謝罪せざるを得ない状況を作り上げてしまう。

 

 これは非常に心労に負担が掛かり、作者と編集長の双方が寿命を縮めてしまう状況になる。絶対に再発防止しなければならない案件である。

 

 とはいえ、誰もがわたしの懸念を理解できる訳ではない。

 

 件の編集者は被害者である作者の前で「僕は悪くないもん! ゴミと間違えるような原稿を書く作者が悪いんだ」というような事を言ってしまう。そのため、わたしと作者の寿命は更に縮んでいく。

 

 件の編集者を七式散布爆雷投射機に押し込み、北太平洋の冷たい海に向けて発射したくなる衝動を何度も抑えたことか! 

 

 ……また、話の本筋から外れてしまったようだ。進むべき航路に復帰しよう。

 

 作家としての彼が、わたしを信頼していた事実に心の底から嬉しく思った。例え、それが職務上の立場だったとしてもだ。

 

 わたしは彼女からそれを受け取ると、取材対象者である二名の元海軍士官へ連絡を取った。刊行許可をいただこうとしたからだ。

 

 その二名は高齢ながら健在であり、わたしの説明を聞くと快諾していただいた。ここまで来ればわたしの努力次第だ。

 

 通常業務の合間を縫って編集し、こうして本誌に掲載することになりました。

 

 

 

 

 

 さて、ここから小説の()()の解説を始める。

 

 

 

 

 

 誰もが学校で学んでいる歴史だが、復習のために第二次世界大戦前の時点まで遡ってから始めたい。

 

 欧州の歴史では比較的新しい強国であるドイツは、第一次世界大戦で敗北した。

 

 敗戦後、政治的混乱が続く最中に頭角を現した政党が、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義労働者党(NASDP)である。

 

 我が国では「ナチ党」もしくは「ナチス」と呼ばれているが、この政党によって「ワイマール共和国」は皇帝が存在しない「ドイツ第三帝国」へ国名を変えた。

 

 そして、当時としては斬新な政策を実施していった。

 

 ドイツ全土に張り巡らさる高速道路の建設、福祉や失業対策、教育改革、その他である。国内の失業者対策と治安回復、その他の改革だけなら優れた政策として、長年に渡り評価されただろう。

 

 だが、この国は第一次世界大戦で失った領土であるラインライトへ進駐し、ヴェルサイユ条約の破棄を宣言してしまったのだ。

 

 これを契機にしてドイツ第三帝国は、ドイツ人が多数居住している周辺国に侵攻して、ドイツ領に併合する政策を実行していく。

 

 これに危機感を抱いたイギリスとフランスは、様々な対策を講じ外交交渉で阻止しようとした。だが、ドイツは両国の説得を理解出来なかった。

 

 そして、ドイツが新たな領土とすべくポーランドに侵攻した時、遂にイギリスとフランスは宣戦布告した。

 

 第二次世界大戦の勃発だった。

 

 この戦争の結果、イギリスは本土を失った。フランスは本国領土の半分を割譲され、残り半分は強制的にドイツの同盟国となる。

 

 更に、漁夫の利を得ようとしてドイツ領に侵攻したソビエト連邦は、逆襲されてモスクワを奪取された。

 

 欧州における覇者がドイツになった事は一目瞭然であった。

 

 少年誌の連載漫画ならば、次のような展開になる。

 

 読者が反感を覚えるような大口(ビックマウス)を叩く、経験豊かな老人のようなイギリスとフランス。人間を無慈悲に殺害する狡猾な野蛮人のようなソビエト連邦。

 

 この国が若き勇者であるドイツを倒すべく、戦いに挑み無様に敗れたのだ。

 

 滑稽というしかない。これでは連載漫画における王道展開と一緒である。

 

 さて、この時の欧州から視野を全世界に広げると二つの強国が見えてくる。一つ目の国は米独不干渉協定を盾にして、戦火に包まれる欧州を眺めながらポップコーンを食べていた米国だ。

 

 二つ目の国は約半世紀続く日英同盟条約による成約を果たすべく、イギリス本土へのドイツ軍上陸を阻止しようとして必死になっていた日本だ。

 

 残念ながら日本による救援は間に合わずに、イギリスは本土を失陥してしまった。そのため、本国政府はカナダのトロントへ遷都(せんと)している。

 

 一方、ドイツは欧州の覇者になっただけでは物足らず、大西洋の先にある新天地へ手を伸ばす機会を伺うようになる。

 

 その企ては間もなく実行された。

 

 詳細は省くがドイツは大西洋にある島々だけではなく、カナダ領ケベック州にも進駐を果たした。そして、ようやく危機感を覚え始めた合衆国を横目に見つつ、ドイツは一方的に第二次世界大戦の休戦を宣言したのだ。

 

 誰もが戦争休止を喜んだ。

 

 だが、それは仮初(かりそめ)の平和でしかなかった。

 

 日本とドイツは確信していた。次の戦場は北米大陸だと。それも数年以内に勃発するであろうと。

 

 そして、ドイツ軍の攻撃によって全世界に戦火が広がった。第三次世界大戦が勃発したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三話

キューバ島東岸沖三二浬、キューバ島近海、カリブ海

同日 午後四時一三分

 

 

 

 天空で白く輝いていた太陽が赤みを増して西の空へ向かう頃、<武蔵>は針路一四〇度(南南東)でキューバ島と西インド諸島のグレートイナグア島の間にある海峡に向かっている。

 

 このまま速力十二ノットで航行すれば、日没後に海峡を通過し翌朝にはグアンタナモに入港できる予定だ。

 

 防空指揮所にいる知名は、<武蔵>の右舷側に広がる島影をぼんやりと眺めていた。枢軸軍と連合軍が激戦を繰り広げているキューバ島だ。

 

 この島は西端のサン・アントニオ岬から東端のマイシ岬までの直線距離が一二二五キロある細長い島であり、その長さは東京から奄美大島までの直線距離に匹敵する。

 

 両陣営がこの島の支配権を巡って戦っている理由は単純で明瞭だ。

 

 枢軸軍は太平洋にある拠点からパナマ運河を経由して、大西洋北部にあるアイスランド島レイキャビク基地まで続く海上交通路(シーレーン)を維持するためだ。

 

 それに対して、連合軍はその遮断と占領地域である合衆国南部への脅威を除去するためだ。

 

 だから、<武蔵>はこの海に来た。

 

 連日連夜の砲爆撃に耐えつつ不衛生きまわりない劣悪な環境で、少しでも戦線を北上させようとする友軍地上部隊を支援するために。

 

 島影を見飽きた彼女が何気なく艦尾を振り向くと、彼女の操艦技術でも回避出来なかった無残な被弾痕が視界に入ってくる。

 

 回転翼機の離発着艦用に整備された飛行甲板は、中央に大穴が開いている。幾つもの機関銃座は、敵機から発射された多数の噴進弾の直撃を受けて鉄屑と化していた。

 

 大きな煙突の側面にあり探照灯同士の間に立つ機銃射撃装置は、基部にある兵員待機所に複数の噴進弾を被弾してしまい傾いている。ここにいた将兵たちは衝撃で失神してしまったので、次々に治療室に運び込まれていた。

 

 さらに、舷側から海上へ張り出している機関銃座スポンソンのうち、一基は至近弾による海水柱によってもぎ取られ跡形も無くなっていた。機関銃座一基につき九名の操作員と機関銃弾補充員が配置されているが、彼らは一人残らず大海原に流されてしまった。

 

 それ以外にも至近弾の弾片による損傷が至る所に生じており、内務科がその対策に追われて駆け回っている。

 

 これまでに<武蔵>が受けた被害は被弾八発、至近弾を含めて回避した爆弾五九発、雷装した敵機が現れなかったので被雷無し。総合的損傷判定は小破、戦闘航海支障無し。

 

 これまでに<武蔵>は空襲を第五波まで受けている。ドイツ空軍の敵失やグアンタナモ基地から駆け付けた戦闘機隊の援護によって被弾を免れたこともあったが、一時間程前に受けた第五波の空襲では多数被弾してしまった。

 

 元々、キューバ島に展開しているドイツ空軍航空隊は、地上目標への爆撃を得意としている。そのため、対空火器で十分に武装した艦船攻撃に慣れていない。

 

 だが、第一波の残余で編成された第五波は<武蔵>への攻撃手段を十分に練り上げた。彼らは気づいたのだ。枢軸軍航空基地へ爆撃する戦術を<武蔵>に当てはめればいいのだと。

 

 最初に誘導弾を機関銃座へ叩きこみ沈黙させる。次に、防空網に空いた穴から<武蔵>上空に接近して急降下爆撃して致命傷を与える。そんな戦術だ。

 

 その戦術は効果的だった。<武蔵>の防空火力は一気に減少し、敵機を易々と上空に侵入させてしまったからだ。四隻の防空駆逐艦による対空射撃と、知名による操艦が無ければ<武蔵>は更に被弾していた筈だった。

 

 彼女の卓越した操艦技術があったからこそ、この程度の損害で空襲を切り抜けられた。だが、彼女は全く異なる見方をしていた。

 

 <武蔵>、許して。皆さん、ごめんなさい。私も後から追いかけます……。

 

 彼女は「努力に勝る天才無し」の言葉を胸に刻み、常にその言葉どおりに行動しようとしていた。その反面、一度でも自分自身の努力不足だと思い込むと益々自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 だが、そんな心境では戦闘指揮なんて出来ない。何しろ、彼女がいる世界は常に多少の()()が許容される世界なのだから。

 

 彼女は思考を切り変えるために水筒を取り出すと、唇を湿らせる程度の量を口にする。お腹に溜まるほど飲んではいけない。何度も実戦を経験するとそのような飲み方になっていく。

 

 艦首方向に体を向けると、お椀のような形状をした船が前方左舷側の海面を進んでいた。<武蔵>が退却を援護している<蒼龍>だった。

 

 <蒼龍>を中心に配置して<武蔵>と六隻の駆逐艦で輪陣形を組んでいる。その上空はグアンタナモ基地から飛来した八機の戦闘機隊が警戒していた。

 

 この空母の外観からは大破している様子を伺えないが、その艦内は深刻な被害を受けていたのだ。

 

 そもそも、この空母は大改装によって設計上五〇〇キロ爆弾の直撃にも耐えられる、強靭な飛行甲板に換装されていた。それでも大破したのは、それらが設計段階での想定を超えてしまったからである。

 

 爆撃機の高速化による爆弾落下速度の上昇、誘導弾のように重力以外のエネルギーで加速する爆弾の衝撃応力が、鋼板の許容応力を上回ってしまったからだった。

 

 この空母は飛行甲板への被弾以外に、煙突へ誘導弾を被弾していた。この誘導弾内部に収められていた一〇〇キロの炸薬によって、煙突と艦橋構造物の一部が吹き飛ばされていたのだ。

 

 さらに、誘導弾後部に残っていた固体ロケット燃料の欠片が煙路に落ちてしまい、ボイラーを炎上させてしまった。

 

 ボイラーは緊急消火して損傷を最小限に食い止めたが、焼け爛れた部品を交換しなければ運転出来ない。そのため、<蒼龍>は生き残ったボイラーの蒸気エネルギーだけで航行せざるを得なかったのである。

 

 天候が変わりつつあるのか、海風は午前中より強くなっていた。

 

 その風は、彼女が着用している白地の第二種軍装に染み込んだ潮と硝煙の匂いを、むしり取るかのように彼女の体にぶつかっていく。

 

 空襲は第五波以降受けていない。<武蔵>は既に友軍基地航空隊が制圧している海域に進入している。敵機が日没前に基地へ帰還できる時間を考慮すれば、先程の空襲が最後だと思われた。

 

 知名がそろそろ第一艦橋に降りようかと考え始めた時、不意に伝声管から彼女を呼び求める声が聞こえてくる。

 

 何となく嫌な予感がしたが、それを心の隅に押し退けて応答した。

 

「艦長です。どうしましたか」

 

「敵機を探知しました。敵味方識別信号に応答しないので間違いありません。方位三四〇度、約五〇機、本艦に接近中です」

 

「方位三四〇度? 間違えていない?」

 

「間違いなく方位三四〇度です。電探の反応からみて小型機だと思われます」

 

「了解」

 

 現在の<武蔵>から見て、方位三四〇度はバハマ諸島東側沖合の方向になる。

 

 敵機はキューバ島ではなく、バハマ諸島かフロリダ半島から飛来してきたのか? しかし、そこに点在している敵航空基地は、第一機動艦隊が昨日の黎明時に奇襲して大損害を与えた。

 

 では、ドイツ空軍の基地復旧能力は枢軸軍の想定以上だったのか? 

 

 ドイツ空軍の大型爆撃機であるMe264V18ならフロリダ半島から飛来できる。だが、この機体は戦略爆撃に適した機体であり急降下爆撃能力は無い。そもそも、この機体は大型機であって電探が捉えた情報と合致しない。

 

 そこまで考えれば答えは一つしかない。第一機動艦隊の最大攻撃目標であり、<蒼龍>や<武蔵>を囮にしておびき寄せていた対象が食いついて来たのだ。

 

 だが、彼女にとってグアンタナモ港に入港するまで遭遇したくない対象である。

 

 彼女は通信室を呼び出すと、電文を伝えていく。

 

「宛、第一機動艦隊司令部。本文、我レ、敵海軍航空戦隊ノ空襲ヲ受ケツツ有リ、此レヨリ()()()()()ヲ遂行セントス。位置、時間、以上」

 

 遂にノーフォーク港で停泊していたドイツ海軍第一航空戦隊が、第一機動艦隊の相次ぐ航空攻撃に痺れを切らして出撃したのだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 <武蔵>から発信した電文を読んだ第一機動艦隊司令部は、大雑把に分けて二つの反応を示した。

 

 第一航空戦隊の殲滅に執念の炎を上げていた参謀は、この戦隊をノーフォーク港から引きずり出せたことに歓喜の声を上げた。

 

 だが、現状を冷静に分析できる参謀は疑問に思った。なぜ、この時間帯に攻撃を仕掛けてきたのかと。何故なら、この攻撃隊が母艦に着艦するのは日没後になるからだ。

 

 操縦士を大量に育成している日本海軍でさえ、空母に夜間着艦できる技量を持つ熟練操縦士は極めて少ない。そんな操縦をこなせるドイツ海軍の操縦士は何人いるのだろうか。

 

 もしかしたら、<武蔵>攻撃後は空母ではなくキューバ島かバハマ諸島に着陸するのだろうか。

 

 どちらにせよ基地航空隊より対艦攻撃が得意なので、<武蔵>が苦戦するのは免れない。<蒼龍>撃沈も避けられないかもしれない。

 

 参謀の懸念は全般的視点では重要だが、これから空襲を受ける<武蔵>にとっては他に優先すべき事が幾つもある。そもそも、敵情分析は彼女たちの仕事ではない。

 

 <武蔵>からの警報によって、<蒼龍>と各駆逐艦は戦闘体制を整えていく。

 

 高速航行出来ない<蒼龍>にとって、発艦に必要な自然風力があれば艦内に残されてる戦闘機が発艦できる。だが、現在の風力では不十分だ。

 

 上空を周回していた戦闘機隊は、接近中の敵機に機首を向けると<武蔵>から遠ざかっていく。グアンタナモ基地では、第一機動艦隊司令部の要請により戦闘機が次々に離陸していた。

 

 だが、この戦闘機隊は<武蔵>が空襲を受けるまでに間に合いそうもない。

 

 上空にいる戦闘機隊の迎撃が不完全だった場合、第一波と同様に<武蔵><蒼龍>と各駆逐艦の対空火器だけで迎え撃つしかなかった。

 

 彼女は再び水筒で唇を湿らせて平常心を取り戻すと、為すべき事を始める。

 

「通信、<蒼龍>、第三と第四一駆逐隊に発信。『我レ、此レヨリ<蒼龍>後方ヲ防衛セントス』、以上」

 

「復唱、『我レ、此レヨリ<蒼龍>後方ヲ防衛セントス」

 

「航海、取舵一杯、変針後は舵中央、宜候」

 

「復唱、取舵一杯、変針後に直進します」

 

「砲術、高射、対空戦闘用意、左舷砲戦」

 

 <武蔵>の任務は<蒼龍>の直衛なので、敵機と<蒼龍>との間に<武蔵>を割り込ませていく。

 

 対空戦闘は<蒼龍>の援護を最優先しなければならない。そのため、彼女は近接信管採用後に改訂された対空戦闘要領に基づいて、左舷側を敵機に向けた。

 

 第一波空襲時のように自由自在に回避したら、網目が粗い防空網の隙を突いて敵機が<蒼龍>に接近してしまう。また、敵機を効率的に多数撃墜するためには、<武蔵>両舷に配置している各射撃指揮装置の測距を邪魔すべきではない。

 

 もし、<武蔵>上空に海鳥が飛んでいたら、手際良く対空戦闘態勢を整えていく姿を思う存分に観察出来たであろう。

 

 何しろ、大神工廠で改装された<武蔵>は、日英米の各海軍の最新技術を贅沢に取り入れた艦艇になったから、そうする価値は十分にある。

 

 既に、前檣楼後部に増設された七式一号二型電探が、四角い網のような形状した送受信機を敵機を指向している。

 

 その電測情報に基づいて、主砲射撃指揮所の頂部に突き出ている潜望鏡が旋回する。さらに、巨人が両手を水平に伸ばしたような形状をした一五メートル測距儀も旋回していく。

 

 そして、その装置に管制されて四五口径四六サンチ三連装主砲塔三基が、会話が困難になる大きな動作音を立てながら旋回していった。

 

 同様の動作は両用砲以下の火器も実行していく。

 

 左舷側にある二基の高射装置は、最新鋭の<妙風>型駆逐艦から搭載され始めた五式六〇口径一二・七サンチ連装両用砲のうち、左舷側六基を管制している。一基の高射装置で三基の両用砲を管制するのだ。

 

 左舷側の機銃射撃装置も二十基以上もある五式四〇ミリ機関銃座や、三十基以上もある九六式二十五ミリ機関銃座のうち、左舷側の火器を管制していく。これらは機銃射撃装置一基につき二基ないし三基の砲座や銃座を管制するのだ。

 

 各火器は、動作確認を兼ねて敵機に向けて旋回したり、砲口を上空に向けたりしていく。

 

 その射撃距離は<武蔵>独自で設定しており、敵機が二〇キロから十〇キロ圏内に接近した時に主砲が射撃開始をするようになっている。

 

 一〇キロから六キロ圏内になれば両用砲が、六キロから三キロ圏内であれば四〇ミリ機関銃が、三キロ圏内以下であれば二五ミリ機関銃がそれぞれ射撃開始をする。

 

 <武蔵>が射撃態勢を整える間にも、彼女の元へ様々な情報が届く。

 

「電測室より艦長、友軍直衛機隊が敵戦闘機と交戦開始。敵機編隊の半数が分割して本艦へ接近中です」

 

「砲術より艦長、友軍直衛機が邪魔で主砲が撃てません。主砲は七式弾を装填して待機、両用砲以下で迎撃します」

 

「航海より艦長、針路、宜候」

 

「艦長、敵機発見。左舷から接近中」

 

 知名は大きく息を吸い込むと、凛とした声で命令した。

 

「対空戦闘、打方始め」

 

 その直後、<武蔵>は天空に向けて砲弾を赤く輝かせながら撃ち上げる。ドイツ海軍第一航空戦隊と対決した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四話

キューバ島東岸沖三二浬、キューバ島近海、カリブ海

同日 午後四時二六分

 

 

 

 黄昏色に染まりつつある空に、咲き競い合うかのように咲く幾つもの黒い華。

 

 次々と開く華は、蜜を求めて群がる蜂の眼前で花弁を広げ、それを包むかのように萎むと海面へ散っていく。

 

蜂のように空を飛び交う敵機を道連れにして。

 

 <武蔵>上空で繰り広げられている戦闘は、第一波と同様に敵機の撃墜から始まった。

 

 前檣楼基部の司令室にあるPPI式モニタの前では、電測員が敵機の動向を見逃さないように真剣に睨んでいる。その電測員が新たな報告を上げる。

 

「接近中の敵機は二隊に分離。本艦と<蒼龍>に向かっていきますが、電波欺瞞紙(チャフ)を撒かれたので正確な機数が確認出来ません」

 

 電測員の報告を聞くと、彼女はすかさず指示を下す。

 

「砲術、光学照準の準備をしてください。面舵一杯、<蒼龍>との距離を縮めます」

 

 敵機編隊は複数の中隊規模に分裂し、それぞれの方向から襲撃しようとしている。

 

 だが、敵機の指揮統制が不十分なのか、<武蔵>の艦尾方向に回ろうとする敵機が多い。両用砲はその方向に射撃を集中し、彼女が瞬きする僅かな時間で三機も撃墜していた。

 

 主翼が折れた敵機は紅蓮色の炎を噴き出し、機首を海面に向けて一気に降下していく。機体後部をもぎ取られた敵機は、ひらひらと舞う竹とんぼのように回転しながら高度を落としていく。

 

 <武蔵>の対空火器がその能力を全力発揮出来れば、敵機が簡単に近づく事は出来ないという事実を戦果で証明していた。

 

 発砲の轟音で空気が震えるが、彼女の心は臆して震える事なく敵機が飛び交う空を見上げていた。敵機を次々に撃ち落とすと反比例するように、彼女に精神的な余裕が生まれていく。

 

 そんな彼女は、自分自身に確認するかのように心の声で呟き始める。

 

 この様子ならば第五波のような被害は避けられそう。だって、あの空襲では誘導弾を三方向から同時に発射されたのだもの。あんな飽和攻撃で全弾撃墜なんて無理よ。

 

 でも、何かがおかしい。メキシコ湾海戦で空母や重巡を何隻も屠ったドイツ海軍第一航空戦隊が、航空戦に無知な私が楽観してしまうような攻撃をする訳が無い。絶対に何かおかしい! 

 

 何か違和感を持った彼女が新たな指示をしようとした時、左舷側の見張員が声を張り上げた。

 

「左舷から敵機が接近中」

 

「航海、面舵」

 

 彼女は反射的に転舵を指示して左舷側へ顔を向ける。そこには、白く輝く通常弾や焼夷弾だけではなく、赤、黄、緑に輝く曳光弾が次々に飛翔する空域に、臆することなく小型機が接近していた。

 

 その小型機は、メキシコ湾海戦で第一機動艦隊に甚大な被害を与えた、ドイツ海軍の主力戦闘爆撃機であるMe462だ。世界で最初に量産された実用型ジェット戦闘機Me262の艦載型である。

 

 それらが四機、横一列に並んだ横隊を組んで接近している。その翼下には幾つかの噴進弾が吊り下げられていた。

 

 ドイツ人たちは、日本海軍によって<フリードリヒ・デァ・グロッセ>が航行不能に追い込まれた状況を、彼らの手によって再現しようとしていたのだ。

 

 だから、彼らは射点に到達すると<フリードリヒ・デァ・グロッセ>の仇を取るかの如く、次々に噴進弾を発射した。その目標は<武蔵>左舷側の対空火器である。

 

「敵機先頭集団、噴進弾発射しました!」

 

「航海、面舵一杯!」

 

 白煙を盛大に吹かしながら急接近する噴進弾は、声を張り上げながら報告する見張員だけではなく、知名の瞳にもはっきり映り込む。

 

 彼女が危惧したとおり、艦尾方向からの攻撃は囮だった。

 

 噴進弾を撃墜するために両用砲が旋回するが、電測測距が間に合わず光学照準で射撃を始める。だが、それでは測距精度が甘いので砲弾は噴進弾に掠りさえしない。

 

 機関銃も全力で射撃するが、それは敵機より小さく高速なので中々命中しなかった。

 

 被弾が避けられなくなった時、彼女は声を張り上げた。

 

「耐衝撃防御!」

 

 彼女の命令が艦内全域に伝達される前に、それが着弾する。

 

 <武蔵>左舷側で次々に爆発と火災が発生する。被弾による船体の揺れは僅かだ。

 

 彼女は被害状況を確認するために防空指揮所から見下ろすが、惨状を見て思わず呻いてしまった。左舷側対空火器の半数近くが被弾してしまったのだ。

 

 幾つかの機関銃は銃座ごと甲板から引き剥がされたり、銃架と操作員が一緒に四散したりしている。

 

 機関銃射撃指揮所のうち一基が被弾して沈黙し、両用砲一基も被弾による誘爆で炎上していく。それだけではなく、至る所で火災が発生し黒煙をたなびかせていた。

 

 <武蔵>の防空網を強引に破った敵機は、すかさずその穴から戦果を拡大しようとする。

 

「本艦左舷側に新たな敵機が接近、水平爆撃だと思われます」

 

「面舵一八〇。変針後、舵中央、宜候(ヨウソロ)

 

 左舷側の防空網が壊滅的な被害を受けた以上、健在な対空火器が多数残っている艦尾側と右舷側で迎撃するしかない。

 

 それまで射界制限で対空戦闘に出来なかった右舷側両用砲は、<武蔵>が変針すると左舷側両用砲と共に猛烈な射撃を始める。

 

 急激に多数の砲弾に晒されるようになった敵機は、翼やエンジンを撃ち抜かれ次々に海面に飛び込んでいく。だが、幸運にも被弾しなかった敵機は標的を<武蔵>に定めて接近し、その機体から爆弾を切り離しす。

 

 弧を描くように投下された爆弾は<武蔵>目掛けて落下したが、爆発したのは海面だった。敵機操縦員は変針中の<武蔵>未来針路を読み切れず、至近弾となったからだ。

 

 爆撃を終えた敵機が<武蔵>から全速で避退していくと、いつの間にか上空から敵機の姿が消えていた。防戦に成功したのだ。

 

 知名は安堵の溜息をつくと護衛対象である<蒼龍>の方向に体を向け直す。

 

 だがその瞬間、声にならない悲鳴を上げた。

 

 <蒼龍>の飛行甲板に爆発の閃光が現れる。急降下爆撃機による爆弾を連続して二発被弾してしまったのだ。

 

 被弾による黒煙を吹き出しつつも速力一二ノットで航行している。致命傷は受けていないようだが、その上空には新たな編隊が急降下爆撃を仕掛けようとしていた。

 

 そして、<蒼龍>はそれに気づいていないのか直進を続けている。

 

 <蒼龍>、回避して! 

 

 彼女は大声で叫びたくなるが、<蒼龍>とは三キロ以上も離れている。その爆撃機編隊は急降下を始めた。そして、<蒼龍>は未だに変針していない。被弾するのは避けられなかった。

 

 もう駄目だ。間に合わない! 

 

 知名は伝声管を強く握りしめて覚悟を決めた時、被弾とは異なる轟音が(とどろ)き足元が揺らぐ。急展開する状況に追いつけない彼女の目の前で、赤く輝く砲弾が飛翔していく。

 

 その砲弾は急降下中の敵機に三〇〇〇度で燃焼する焼夷弾子と弾片の洗礼を与える。そして、黒煙が風によって散る頃には敵機の姿は消えていた。

 

 七式焼霰弾一発あたりの危害半径は約二五〇メートル、信管起爆後に拡散される九九六個の焼夷弾子と弾片を受けても、飛行し続ける機体は存在しない。

 

 <武蔵>砲術長が知名より先に敵機に気づき、装填済みだった七式弾の起爆設定を手動変更して射撃したのだ。

 

 彼女は再び安堵の溜息をつき、防空指揮所の伝声管を使って率直な気持ちを言葉にした。

 

「砲術長、お見事です」

 

 伝声管特有のくぐもり声で返って来た言葉は「仕事だからな」だった。砲術長らしい返事である。 

 

 彼女は戦況を確認するために周囲を見渡す。洋上には相次ぐ被弾によって行き脚を止めた<蒼龍>や、小火を起こしながら航行している駆逐艦、未だに上空へ射撃している駆逐艦がいた。

 

 未だに敵機は攻撃を諦めるつもりは無いらしい。では、その敵機はどこにいるのか? 

 

 その疑問に見張員が答える。彼女は反射的に空を見上げ、その顔を一瞬で凍り付かせた。

 

 通常爆弾を搭載した四機の敵機編隊が<武蔵>へ急降下爆撃を仕掛けようとしていたのだ。彼女が()()()()()と判断していた艦首方向から。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 彼女はすぐに伝声管へ声を注ぎ込む。

 

「面舵一杯。右舷後進全速。艦首上空から接近する敵機に射撃集中!」

 

 その指示は的確だが、直進している<武蔵>はすぐに変針出来ない。遅すぎたのだ。

 

 主砲と両用砲は射程圏内以下のため電測測距出来ないし、光学測距で射撃しても近接信管が有効に作動しない。

 

 残存数少ない機関銃による防御射撃だけが頼みの綱であった。しかし、機関銃指揮装置による管制を受けていても、中々撃墜出来ない。

 

 誰もが敵機撃墜に集中するあまり肝心な事を忘れていたからだ。一日中射撃して酷使した機関銃の銃身が、加熱によって歪んでしまい集弾性が悪化している事実を。

 

 敵機は対空砲火に構うことなく接近し、絶好の爆撃開始点で機体を捻ると降下態勢に移行した。後続の列機も次々に機体を捻り先頭機の後に続く。

 

 そして、敵先頭機は一気に降下して投下高度に達すると、機体から爆弾を投下した。

 

 高速で飛行する敵機から運動エネルギーを十分に受け取った爆弾は、重力による加速力も活用して<武蔵>に落下する。その爆弾は優秀な敵先頭機操縦士の計算どおり、<武蔵>の中心線上に命中した。

 

 完璧な爆撃だった。

 

 だが、操縦士が考慮していなかったことがあった。命中点は最上甲板の面積を大きく占める<武蔵>第一主砲天蓋であり、通常爆弾では二七〇ミリVH表面硬化鋼への貫通能力が不足していることを。

 

 主砲塔からはじかれた爆弾は、海面に落下し海水柱を立ち上げる。敵先頭機の爆撃はこうして終了した。

 

 先頭機に続けて二番機、三番機も投下する。二番機の爆弾は左舷側錨鎖装置の付近に命中、中甲板で炸裂して大きな錨を鎖ごと海底に沈めた。三番機の爆弾は前檣楼の左舷側にある機関銃を直撃し、鉄屑にしてしまった。

 

 そして、最後尾である四番機は三番機よりやや遅れて降下態勢に入る。

 

 この戦闘において四番機は常に幸運であった。他の敵機が次々に撃ち落とされる状況においても、日本統合航空軍の戦闘機による迎撃や艦艇からの対空砲火を受けていない。

 

 その幸運は現在も続いている。

 

 砲口から火焔を噴き出しながら撃ち上げる機関銃弾は、赤く輝く光跡を残しながら四番機の上下左右を通過していくだけだ。そして、先頭機から三番機の爆撃結果を考慮して爆撃点を修正できる幸運も掴んだ。

 

 四番機の操縦士は、二、三番機の爆弾が<武蔵>左舷側に命中した理由に気づいた。<武蔵>の右舷側から左舷側へ吹く風が爆弾の進路に影響を与えたのだと。

 

 ならば、爆撃点を<武蔵>の中心線上ではなく右舷側にすればいい。そうすれば風に流されても必ず何処かに命中する。可能ならば<武蔵>の中央にそびえ立つ前檣楼に命中させたい。

 

 操縦士は瞬時に方針をまとめると、<武蔵>への降下針路を僅かに変更する。風防から見える<武蔵>は次第に大きくなり、特徴ある前檣楼の輪郭がはっきり見えるようになる。

 

 その時に前檣楼頂部の指揮所にいる一人の士官に気づいた。面白い事に双眼鏡を使わず肉眼で操縦士を睨んでいたのだ。

 

 その士官の勇気に()()()()()ため、士官に目掛けて翼内機銃で射撃した。間違いなく、その士官は血まみれの肉片になり果てる。

 

 操縦士席後方で爆撃照準器を覗いていた爆撃員が「投下!」と叫んだ瞬間まで、四番機が挙げた最高の戦果に成る筈だと信じていた。

 

 だが、四番機の幸運は潰えた。血まみれの肉片になったのは操縦士たちであった。

 

 その四番機の最期は知名が見ていた。急降下して爆弾を投下した瞬間に別の物体が衝突し、敵機もろとも空中で砕け散ったからだ。

 

 彼女は一瞬だったが、その正体に気づいた。四散した尾翼に描かれている鮮明な日の丸を。

 

 敵戦闘機と格闘していたグアンタナモ基地航空隊の戦闘機が、<武蔵>を守るために敵爆撃機に体当たりしたのだ。

 

 四番機から投下された爆弾は<武蔵>前檣楼に直撃する進路だったが、体当たりによる衝撃波を受けて微妙に進路を変更してしまう。そして、誰にも補正されないまま海面に着弾し海水柱を立ち上げた。

 

 前檣楼より高く立ち上がる海水柱が、嫌味をぶつけるかのように知名に降りかかると、ドイツ海軍第一航空戦隊による攻撃は終了した。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 敵機が避退して知名が「戦闘止め」を指示すると、先程まで散発的に続いていた射撃の轟音がピタリと消える。

 

 彼女は大きく息を吸っては吐き出し、耳鳴りのような違和感を振り払うかのように頭を振る。そして、被害報告の集計と応急処置を指示すると、日没が迫り闇に包まれつつある洋上を見回した。

 

 洋上には六隻の駆逐艦の姿が確認出来た。沈没するような被害は回避出来たが、第四一駆逐隊の<若月>には火災が発生している。

 

 そして、肝心の<蒼龍>は相次ぐ被弾によって炎上し、完全に行き脚を止めていた。格納庫では天井から泡沫消火剤が撒かれ、乗組員が必死に消火作業に取り組んでいる筈だ。

 

 いずれは鎮火し誘爆は防げるだそう。その理由は、先日の空襲による被弾後に航空用爆弾庫へ注水したり、格納庫にある機体から銃弾を取り外したりしていたからだ。

 

 この状況であれば<蒼龍>を海没処分して、残存艦だけでグアンタナモに向かうことも考えられる。だが、知名は火災鎮火後に<武蔵>で<蒼龍>を曳航するつもりだった。

 

 グアンタナモ基地の近くまで必死に戦闘しながら帰ってきたのに、ここで<蒼龍>を処分するのは納得出来なかったからだ。例え、この作戦において<蒼龍>損失が許容範囲内だったとしてもだ。

 

 そもそも、メキシコ湾海戦や「剣」号作戦で深刻な痛手を受けた日本海軍第一機動艦隊が、この海域に再進出を果たした本当の目的がある。

 

 それは、枢軸軍の海上交通路(シーレーン)の保護ではなく、ドイツ海軍第一航空戦隊を壊滅させることだった。そのためには多少の損害が発生するのは想定していたのだ。

 

 第一機動艦隊の作戦計画は、以下のように策定されていた。

 

 (1)連合軍の合衆国本土からキューバ島へ続く海上交通路(シーレーン)を遮断するため、フロリダ半島やバハマ諸島を空襲する。

 

 各基地への空襲は基本的に一回だけと決めていた。そして、帰還した航空隊を収容後は敵機の空襲を回避するため、速やかに中部大西洋まで退避する。

 

 (2)状況が許す限り同基地へ反復攻撃をするか、攻撃目標をメキシコ湾、合衆国東海岸にある軍港や航空基地に向ける。

 

 (3)空襲による被害続出に痺れを切らしたドイツ海軍第一航空戦隊を、ノーフォーク港から引き摺り出して洋上で決戦を挑む。

 

 現時点では第一機動艦隊司令部の想定どおりに進展している。

 

 明日以降にドイツ海軍第一航空戦隊が何処に向かうか不明だが、この戦隊が第一機動艦隊との決戦を回避するのであれば、(2)の計画通りに連合軍の陸上基地を空襲する計画だ。

 

 もし、(3)計画通りに決戦を挑んでくるのであれば、両手を広げて歓迎するつもりだ。<大鳳>級と<飛鷹>級が主力の空母一〇隻と他の艦艇で、宴の準備を整えている。

 

 敵機がいそいそとやって来たら、洋上で舞いながら歓迎のラッパを吹く。敵機はこの宴に酔いしれ、半数以上が血が沸騰するような情熱を心に秘めて()()()()()。その行先は言うまでもない。

 

 その後、母艦航空隊が消耗した第一航空戦隊を追跡し、更なる舞踊を披露するだけだ。水上砲戦という伝統的武術で。

 

 第一機動艦隊の方針は彼女も十分に理解している。ここでの問題は現時点の<蒼龍>を、空母と捉えるか漂流する巨大な鋼鉄の箱と捉えるかの違いだ。

 

 これから成すべき事を整理するために考え込んでいた彼女は、何人かの見張員が彼女を見つめている事に気づいた。

 

 理由が分からず怪訝な表情をする彼女に向けて、見張員が口を開こうとした。その時、主砲射撃指揮所から降りてきた砲術長が、見張員と同じような事を口にする。

 

「おい! 艦長、大丈夫か!」

 

 彼女に対して「おい!」と声を掛けるのは砲術長らしいが、その彼が彼女を見た途端に目を丸くした。

 

「よく生き残ったなあ。怪我はないのか?」

 

 益々困惑する彼女を見て見張員が彼女の背後を指を差し、その方向へ彼女は振り向く。そこで、ようやく理解した。彼女の背後にある鋼板に幾つもの弾痕があったのだ。

 

 <武蔵>へ最後の爆撃を仕掛けようとした爆撃機が射撃した弾痕であり、彼女の頭部の高さに何発も撃ち込まれていた。少しでも左右にズレれば彼女の愛嬌ある顔は粉砕されていただろう。

 

 主砲射撃指揮所にいた砲術長が銃撃に気づいたのは、その金属音がその室内に響き渡ったからである。

 

 この時の知名艦長を目撃した見張員は、居酒屋で戦場での経験談を聞かれる度に次のように語った。

 

 彼女は弾痕が残る鋼板をじっくり見ながら微笑み、振り返ると笑顔で「これが戦争なのです。砲術長」と言った。普段から威圧的な態度をする砲術長も流石に絶句していた。あれは女に変装した戦争狂そのものだと。

 

 彼女にとっては心外な評価である。

 

 笑顔にしたのは急にこみ上げた恐怖に耐えるためである。砲術長に話しかけたのは何か言葉を出したかっただけであり、特に意味は無い。

 

 防空指揮所に漂った微妙な空気は夕闇で隠され、この日の対空戦闘は完全に終了する。<蒼龍>は未だに炎上し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二章 グアンタナモ
第五話


グアンタナモ湾沖一一浬、キューバ島近海、カリブ海

一九五〇年四月二二日 午前五時

 

 

 

 木製の棍棒が風を切る音を立てるたびに、わたしは悲鳴を上げて泣いた。身体は金縛りになったかのように身動き出来ず、棍棒で幾度も打ち叩かれた。

 

 わたしを叩く男は煙草を咥え、酒で赤らめた顔をニヤつかせつつ見下ろしていた。彼は煙草を旨そうに吸い、一息すると再び棍棒を振り下ろす。

 

 わたしはそれを避けようとして身を捩らせるうちに、何かにぶつかる。そして、漸く気付いた。

 

 これは夢であったと。

 

 何であの男の夢を見なければならないのかとウンザリしつつ、ポケットに入れた懐中時計の蓋を開いた。蛍光塗料が塗布された針が薄暗い部屋でも光り、正確に時間を示している。

 

 どうやら、三時間以上の仮眠を取れたようだ。

 

 ベッドから起き上がると、常夜灯代わりの赤色灯に明かりを灯す。そして、アルマイト製水筒に入っている飲料水で、手拭いを湿らせる。それで、顔や身体に浮き出た汗を拭き取っていく。

 

 歯を磨いて口を漱ぎたい。出来れば、熱い湯で満たした湯船に身体を浸したい。

 

 でも、今は警戒航行中だ。艦内は戦闘配備から哨戒配備に移行したとはいえ、グアンタナモ湾に入泊するまでは気を抜けない。それまでは我慢しよう。

 

 その時、先程まで見ていた夢を思い出してしまった。

 

 わたしは、部屋の壁に括り付けられたステンレス製の鏡の前に立ち、肌着を捲って地味な色合いをしている乳押さえを外した。

 

 すると、わたしが女であることを明確に示す、形よく整った双丘が鏡に映し出された。手で揉むと実感できる弾力を持つ乳房には、四個の黒い点が刻印されたかのように黒々と残っている。

 

 この黒点を刻印したのはあの男だ。そして、あの男はわたしの父だった……。

 

 幼いわたしが信じていた夢溢れる素敵な世界は、現実という大きな海図台に載せられた宝探しの地図のようだった。欲望という手垢によって薄汚れた、幻想の落書きでしかなかったからだ。

 

 それを実感したのは、あの日のことだった。今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしが幼かった頃の父はとても優しかった。わたしが駄々を捏ねればおぶってくれたし、一緒にお風呂に入ってくれた。

 

 寝る前には絵本を読んでくれたり、子守歌まで歌ったりしてくれた。下手だったけれど。その父の性格が一変しまったのは、わたしの母が亡くなってからだった。

 

 母がこの世界から旅立ってしまったのは、幼いわたしにも十分に理解出来た。父も寂しかったと思う。

 

 だけど、父が寂しさから逃れるために、酒と女に溺れていったのは間違いだった思う。

 

 父が新しい女を家に連れてきた時、そのお腹は大きかった。わたしの新しいお母さんとお腹にいる赤ちゃんだと紹介されたが、わたしは挨拶すらしたくなかった。

 

 上手く説明出来ないけれど、亡くなった母と顔や体格だけではなく雰囲気が全然違うからだ。

 

 間もなく赤ちゃんが生まれてわたしに妹が出来た。でも、わたしはまったく喜べなかった。わたしと父が醸し出す雰囲気が妹から嗅ぎ取れず、他人としか思えなかったからだ。

 

 そんなわたしの態度が気にくわない女は、赤ちゃんだけしか見ていなかった。一日一度だけ食事を用意する時以外は、わたしの存在を忘れている様子だった。

 

 父も赤ちゃんばかり抱いて、わたしが近づくと追い払うようになる。それだけではなく、お酒を飲むとわたしを叩いたり、つねったりするようになっていった。

 

 わたしはこの家で誰からも相手にされず、独りぼっちになったのだ。

 

 父は日を追うごとにわたしへの体罰を厳しくしていく。ある日は何時間も押入れに押し込まれ、ある日は食事を抜かされた。既にわたしの頬やお尻を叩く体罰は日常的になり、翌日にも跡が残る痣は増えていった。

 

 女に懐けなかったわたしが悪いのかもしれない。父に構って欲しいのに幼いから表現力が乏しくて、単に我儘だとしか受け取って貰えないわたしが悪いのかもしれない。

 

 そして、あの出来事が起きた。それは、みぞれ交じりの雪が降る日の夜のことだった。

 

 雨戸はピタリと閉じているが、隙間風が流れ込むので室内で吐く息は白くなる。

 

 幼いわたしは暖房器具である火鉢に火をつけられないので、室内で布団にくるまって寒さに耐えていた。

 

 その日、仕事を終えた父は何処で寄り道したらしい。だから、父は煙草を咥え酒臭い息を吐きながら帰宅してきた。

 

 その時に女と妹はいなかった。数日前に父と喧嘩して女の実家に帰っていたからだ。だから、わたしは大好きな父がわたしだけのものになった嬉しさで、父に抱きついたのだ。

 

 だけど、父はわたしを突き飛ばすと壁に押し付けて、わたしの頬を思いっきり引っ叩いた。わたしは呆然と立ち竦むことしか出来ず、それを見た父は上着を捲って煙草の火を押し付けてきたのだ。

 

 熱い! 嫌だ! 止めて! お父さん、痛い! 

 

 そんな悲鳴をあげたと思う。ようやく父が煙草を離した途端、わたしは全身の力が抜けて冷たい床に座り込む。

 

 信じられなかった。わたしには優しい筈だった父がこんな事をするなんて。

 

 煙草の火が消えてしまうと、父は部屋の隅から野良犬撃退用の棍棒を持ち出し、喚きながらわたしを叩いていく。

 

「おまえが悪いんだ。おまえがいい子にならないから、お母さんが帰っちゃったんだ! だから、お前を一から叩き直してやる!」

 

 棍棒が風を切る音を立てるたびに、わたしはお腹や背中、お尻を容赦なく叩かれた。顔を叩かれなかったのは、父に残っていた僅かな良心だと信じたい。

 

 父は気が済むまで叩くと、ポケットからオイルライターを取り出して煙草に火をつける。

 

 わたしはそれを見ていることしか出来なかった。あまりにもの激痛で身動き出来ないからではなく、精神的な衝撃で父から逃げる事を忘れていたからだ。

 

 父は煙草に火をつけて一服すると顔をニヤつかせ、血走った目でわたしを見ながら思いっきり蹴飛ばした。それは小川の対岸まで小石を蹴飛ばせそうな威力があり、わたしは部屋の隅まで転がっていく。

 

 その衝撃は内臓まで圧迫し口許から胃液を逆流してしまう。このままでは間違いなく死ぬ。幼いわたしが死の深淵に立ったと自覚したのは、この時が最初だった。

 

 わたしはむせび泣き、父に向けて様々な言葉を放った。具体的に何を言ったのかは覚えていない。お父さん、止めて! だったと思う。

 

 涙で目がかすむと、朧気ながら母の顔が浮かんでくる。いつもと同じように優しような笑顔で、わたしを抱きしめようとしていた。

 

 もちろん、それが幻覚だと理解してた。わたしの前には優しい母も父もいない。

 

 でも、わたしは誰かに抱きしめられたかった。それが現実世界から解き放たれる結果になったとしても。

 

 そんなわたしが目を見開くと、目の前に父の足が見えた。もう一度、一度だけでいいからわたしに優しくして! そんな思いを胸にして、わたしは力を振り絞って父の足に抱きつく。

 

 父はその時、火が消えてしまった煙草にオイルライターで、火をつけようとしていた。どうやら、わたしの思わぬ行動を予期していなかったようだ。

 

 わたしが抱きついた途端に父は倒れ、煙草とオイルライターが転がっていく。その煙草は先程までわたしが包まっていた布団まで飛んでいき、それに燃え移るとメラメラと炎をあげた。

 

 父は慌てて風呂場に行くと蛇口を捻りバケツに水を汲み始める。その最中に父の大声が聞こえてきた。

 

「お前、許さねえ! 絶対に殺してやる! 火が消えるまでそこで待ってろ! いいな!」

 

 この言葉を聞いた時、優しかった頃の父の姿は心の宝箱に収納すべきだと判断した。過去と現在の父は別物だ。これ以上、父と一緒に暮らすのは無理だった。

 

 わたしは靴を履くため玄関に向けて駆け出す。

 

 その途中で炎を上げたまま転がっているオイルライターが、襖を燃やし始めていることに気づいた。だけど、そのままにして靴を履き玄関から走って逃げた。

 

 目から溢れる涙とみぞれ交じりの雪で、顔を濡らしながら走り続けた。手足を動かすたびに体が痛くなるけれど、それでも走り続けた。消防車のサイレンが聴こえたが、それでも走り続けた。

 

 それ以降は色々ありすぎるので省く。わたしは生まれ育った長野県松本市から広島県呉市に移り、そこの孤児院で育てられていく。

 

 そこで出会えた幼馴染(ミケ)を始め、様々な方によってわたしは育てられ、<武蔵>艦長となった。

 

 そんなわたしの胸には、父が押し付けた煙草の痕が刻印されたように残っている。

 

 幼馴染と一緒にお風呂に入った時、その痕を見られたことがあった。けれど、彼女は「凄い。まるで南十字星だね」と言ってくれた。彼女らしい表現だ。

 

 父とは顔を合わせていない。というより、生きているのかさえ分からない。もし、生きていたとしても会うつもりは無い。

 

 そんな回想から現実に立ち返ると、予備の上着を取り出して袖を通した。昨日の戦闘で潮と硝煙がしみ込んだ軍服は乾いていないからだ。

 

 当たり前の事だが、下着と肌着はベッドに横たわる前に着替えている。

 

 艦長休憩室から出ると赤色灯が灯る通路を歩き、幾つかのハッチを潜り抜けていく。そして、前檣楼内部を通る昇降機に乗り込んだ。

 

 軍艦らしく乗組員を砲弾のように扱う四人乗りの昇降機は、急加速すると急停止して司令室への入口がある階に到着する。ここから降りる時には大半の者が気分悪くなるような乗り心地だ。

 

 司令室の室内は赤色灯で照らされ、そこにいる数名の見張員と当直士官がわたしに向けて素早く敬礼する。それを答礼で返すと彼らは各自の任務に専念していく。

 

 司令室は前檣楼基部にあり、その内部は上下二層に仕切られた構造になっている。

 

 この室内の上層階には、どんな艦船にも必ずある舵輪、<武蔵>の被害状況が一目で分かる表示板、前部の主砲塔のみ管制できる簡易的な主砲射撃指揮所が配置されている。

 

 そして、下層階には海図台、電探情報を映し出するPPI式モニタ、戦闘状況を手書きで書き込む戦況表示板が配置されている。

 

 なお、<武蔵>の進行方向を指す従羅針儀と、艦内の主要区画へ連絡できる有線電話機は両方にある。

 

 一つ確実に言えることは、防空戦はここで指揮するのが最適だったということだ。

 

 少なくとも艦首方向からの爆撃は回避出来た筈だ。何しろ、昨日の防空戦は自己反省の連続であり、就寝前に反省文を記入したら筆記帳を数頁も埋めてしまった。

 

 次回の対空戦はここで指揮を執ることにしよう。そう心に決めた。

 

 わたしは電測員の頭越しにPPI式モニタを覗いて各艦の位置関係を把握する。<武蔵>と六隻の駆逐艦は第一警戒航行序列でグアンタナモに向かっていた。

 

 その陣形は傘の形に似ており、傘の骨は第六一駆逐隊、柄は<武蔵>と第三駆逐隊二小隊が担当する。そして、わたしはこの小さな艦隊の司令官でもあった。

 

 この小さな艦隊に<蒼龍>はいない。グアンタナモで船団護衛のために出撃準備中だった<長門>が、急遽曳航を担当することになったからだ。

 

 だから、深夜に<長門>及び二隻の駆逐艦と合流して、<蒼龍>と<長門>が牽引索で連結されたことを確認すると、<武蔵>と駆逐艦は一八ノットで一足先にグアンタナモに向かった。

 

 <武蔵>は中破相当の損傷を受けているし、各駆逐艦も小破もしくは中破している。航行は可能だけど、速やかに安全な水域で応急修理をしたかったからだ。

 

 壁に掛かる時計を見ると間もなく日の出の時間を指していたが、念のためにもう一度見る。

 

 日本標準時間とキューバ現地標準時間を指している時計が別々にあるから、見間違えてしまったのか不安になったからだ。

 

 司令室上層階の壁際に向かうと、そこにある小窓から外界の様子を伺う。この部屋は就役時には司令塔と呼ばれていた部屋である。

 

 被弾して第一及び第二艦橋が使用不可になっても、戦闘航海を継続するために用意された部屋だ。最後の砦とも言える。

 

 三八〇ミリから五〇〇ミリも厚みがあるVH鋼板で、側面を囲われている。見通しは悪いが天候程度なら十分に確認できる。

 

 夜明け前の暗い海原と次第に明るくなる空、どんよりと曇に覆われて天候は小雨だった。

 

 普段は快晴が嬉しいが、今日は雨のほうがいい。足元は滑りやすくなるが、戦闘の汚れが洗い落とされる。

 

 それだけではなく、命を落とした将兵が埋葬地で安らかに眠るために流す、天空の涙でもあったからだ。

 

 黎明時の空で下で、キューバ島の輪郭とグアンタナモ湾への入口にあたる岬が見えてくる頃、わたしは当直士官を呼ぶと指示を伝える。

 

「通信、三駆二小隊と六一駆に発信。『対潜警戒厳ト成セ。我ラ<陸奥>ヲ忘レルベカラズ』、以上」

 

「了解しました。通信室へ伝達します」

 

 わたしは同じ指示を第二艦橋と水聴(水中聴音)室にもする。

 

 何しろ、はるばる太平洋を横断した勇敢なドイツ海軍潜水艦が、広島と長崎へ反応弾を撃ち込んで蒸発させた時、帰路についた潜水艦が旧式戦艦<陸奥>へ雷撃している。

 

 戦艦は簡単に沈まない筈だったが、たった一本の魚雷で<陸奥>は沈没してしまったのだ。

 

 沈没した原因は<陸奥>の水密隔壁が腐食していたので、水圧に負けてあっけなく破れてしまったそうだ。それだけではなく、乗組員の手際の悪さで浸水を拡大してしまったと聞いている。

 

 四か月前の出来事を忘れている者は多いだろが、その記憶を思い出させる必要がある。現実問題として、入港前と出航後に雷撃される事が非常に多いからだ。

 

 しばらくすると、対潜哨戒任務に就いている駆潜艇とすれ違う。湾内からは水先案内役の曳船が現れて各駆逐隊と<武蔵>を先導し始めた。

 

 泊地で錨を入れるまで残り僅かであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六話

グアンタナモ泊地、キューバ島、カリブ海

同日 午後二時

 

 

 

 早朝に入港したのに自分の足で上陸するまで、あっという間に時間が過ぎ去るとは思っていなかった。

 

 今まで何をやっていたのかと振り返ってみれば、<武蔵>各科の職長との会合、第三と第四一駆逐隊の艦長達との会合、白布や旭日旗に包まわれて<武蔵>から下艦する戦友達への送別をしていたからだ。

 

 さらに、被害損傷個所の目視確認、戦闘航海中に目を通せなかった書類への捺印、その他様々な用事を片付けていた。

 

 何しろ、<武蔵>にはわたしの補佐であり、代理艦長にもなる副長がいない。

 

 母港の横須賀を出航した時には乗艦していたが、航行中に原因不明の熱病に罹ってしまったからだ。艦内の医務官では手の施しようがなかったので、仕方なく合衆国太平洋岸の港町であるサンディエゴで降ろして病院に送ってしまったのだ。

 

 <武蔵>において、副長の代理は内務長、砲術長、航海長、機関長の順に定められている。

 

 だが、内務長以下の誰もが<武蔵>の戦闘能力を少しでも早く回復させようとして、必死になって修理や点検作業に取り組んでいる。本当に誰も余裕が無い。

 

 当然ながら、代理の副長がパナマやグアンタナモに居る訳が無く、完治した副長がここに来るまでわたしが面倒事を全部引き受けなければならない。

 

 さて、わたしは何件か案件を抱えている。そのうち最優先で対処すべき案件は、少しでも早く第一機動艦隊に合流して空母の護衛任務に復帰することだ。第一機動部隊司令部からそのように命令されているからだ。

 

 そのためには燃料や資材が必要だ。だが、昨晩にグアンタナモ基地へ連絡しているが、昼前になっても基地側から何の動きも無い。基地にある信号所へ催促の信号を送るが、返信は「シバラク待テ」だ。

 

 わたしたちが欲しいのは戦闘中に消費した燃料、真水、両用砲や機関銃の弾薬だ。

 

 可能であれば摩耗した機関銃の交換用銃身、艦艇に開いた穴を塞ぐ鋼板や木材といった補修用資材も欲しい。それらは艦内に備蓄しているが、それだけでは不足するからだ。更に、欲を言えば工作艦による修理作業も受けたかった。

 

 状況が不明なので主計長自ら他の駆逐隊の主計士官を引き連れて上陸したが、今度は彼らが行方不明になっている。一体どこに向かったのか……。

 

 別の案件もある。ここは日本本土から遠く離れた異国の地だが、日本海軍と日本人特有の暗黙の了解という常識が支配している地域ということだ。

 

 国家公務員である官僚組織と軍隊の常識、出身地が異なる余所者だからという理由だけで排除しようとする村社会のような日本人社会の常識、そして、鉄錆のように自然発生して簡単に削り落とせない暗黙の了解だ。

 

 国外に滞在する日本人の集団に自ら参加しようとする時に、どこでも経験することである。

 

 そもそも、暗黙の了解とは年長者や実力者が自分勝手な固定概念や常識を、他者に押し付けて成立する事がほとんどである。だから、理屈が通用しない。

 

 おまけに、これらの者が神様の気まぐれによる転生実験の試験体に選ばれても、後継者が新たな暗黙の了解を制定する。船底にへばりつく富士壺のように非常に厄介だ。

 

 とはいえ、軍隊特有の超閉鎖的な組織への対処法は幾らでもある。

 

 その一つは意外に簡単な事だが、担当士官へ挨拶して短時間で済む簡単な会話をすることだ。これだけで相手の心証が良くなり、組織へ入り込めるきっかけができる。

 

 もし、今回の作戦が第一機動艦隊の勝利で終了したとしても、すぐに日本本土へ帰れるとは思えなかった。もしかしたら、戦争終結を迎えるまでグアンタナモを拠点にして作戦行動を続けるだろう。

 

 ならば、今のうちに司令部勤務の士官と仲良くなっておくべきだ。

 

 だから、わたしは副官を引き連れて<武蔵>艦尾に向かうと格納庫から内火艇(ないかてい)を降ろしてもらい、グアンタナモ湾を北上して西岸にあるカイマレナ港に向かうことにした。

 

 この港の岸壁に隣接する建物に基地の派出所が置かれているからだ。

 

 その行動は実に奇妙な現実を示すものでもある。電報や無線が発達して情報伝達が容易になっている筈なのに、相手の表情を見ながら会話したほうが多量の情報を正確に伝達できるのだ。

 

 別の見方をすれば科学技術は日進月歩進化しているのに、日本人を含めた人類が進化していない事実を裏付けているのかもしれない。

 

 内火艇から見渡すグアンタナモ湾を海上から見渡せば、様々な艦艇が停泊している様子が伺える。

 

 各艦の艦尾には旭日旗(ライジング・サン)英国海軍旗(ホワイト・エンサイン)星条旗(スター・スパングルド・バナー)のいずれかが掲げられているが、殆どの艦艇は誇らしげに海洋を航行する光景が想像出来ない姿に変わり果てていた。

 

 魚雷によって艦首や艦尾を切断された駆逐艦。

 

 被弾によって浸水が発生したのか、舷側にフロートを括り付けた重巡。

 

 鉈で薙ぎ払われたかのように艦橋やマストが消失している防空巡。

 

 他にも様々な艦艇が工作艦に横付けして修理を受けていたり、その周囲に停泊して修理を受ける順番を待っていたりしている。

 

 どの艦艇も大破と判定せざるを得ない損傷ばかりだ。おまけに明日の朝になれば、<加賀>に曳航された<蒼龍>が要修理艦艇の順番待ちに加わる。

 

 この状況では<武蔵>や各駆逐艦の修理は後回しにされるのは仕方が無い。

 

 <武蔵>は中破、各駆逐艦は小破から中破の被害で、これらの艦艇が受けた被害と比較すれば軽微なのだから。

 

 損傷艦ばかり目に付くのは健在な艦艇の殆どが出撃しているからだ。

 

 数日前まで<武蔵>もグアンタナモ湾に仮泊していたが、その時は多数の艦艇がこの湾に集結していた。

 

 第一機動艦隊に所属する一〇隻の空母だけではなく、第一機動艦隊の支援任務に就く英海軍や合衆国海軍の空母も仮泊していた。

 

 当然ながら、それを護衛する戦艦、重巡、防空巡、駆逐艦も含まれる。

 

 軍艦マニアであれば小躍りするような迫力ある光景であり、私物のカメラを持ち込んでいる乗組員たちが盛んにシャッターを切っていたのを思い出す。

 

 その一人がわたしの隣にいる。

 

「艦長、見てください。艦橋とマストが無くなった防空巡がいますが、あれが石狩級三番艦の<網走>です」

 

「へえぇ、艦橋が無いのに識別できるの? 凄いわね」

 

「砲塔と舷側電路の配置を見れば誰でも識別出来ます」

 

「誰でも識別できるなんて無理よ。だって、わたしは未だに<大和>と<武蔵>が識別出来ないのよ」

 

「それは艦橋後部にあるラッタルの形状で区別出来ます。途中に踊り場があるのが<大和>、それが無いのが<武蔵>です。初心者向けの識別点ですよ」

 

「それは分かっているけれど……」

 

 わたしの副官であり、軍艦マニアと航空機マニアとカメラを趣味とする彼の名は伊東という。

 

 正直に言うと女性からの視線は常に蔑視に近いのだが、彼はそれを気にする素振りは全く無い。

 

 副官を務めている中尉であり器量良く優秀なのだが、時折わたしを放置して彼の趣味に突き進んでしまうという欠点を持つ男でもある。

 

 趣味を持つ者は大抵そのような行動を取るそうだ。それを、わたしは気にしていない。

 

 彼は任務に忠実であるし、彼の知識を活用する時があるからだ。おまけに、わたしを女として見ていないから気楽に過ごせた。

 

 間もなく内火艇はグアンタナモ湾の隘路ともいえる、小島や岩礁の間を通り抜けていく。ここを過ぎると目の前にカイマレナ港が現れた。わたしたちの目的地だ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 元々は富豪の別荘なのか小さなホテルなのか不明だが、カイマレナ港周辺で目立つ大きな黄色い建物にグアンタナモ基地の出張所が置かれている。

 

 その建物の前に立つ旗竿には旭日旗と英国海軍旗が翻り、キューバ島南部の支配者が誰であるかを無言で告げていた。

 

 わたしたちは衛兵に答礼して建物に入ると、そこでは何人かの将兵が真剣に算盤で計算したり帳簿同士を照らし合わせたりしている。

 

 彼らには声を掛け辛かったが、たまたま別の士官が通りかかったので呼び止めて幾つか質問をしてみた。

 

 すると、その士官は担当士官の所に案内してくれた。担当士官はわたしたちに色々と説明してくれたが、わたしたちが何者なのか誤解しているらしい。

 

 この担当士官が最初に説明してくれたのは、わたしが求める情報ではなくグアンタナモ湾の概要だった。

 

 

 


 

 

 

 <武蔵>や駆逐艦が停泊しているグアンタナモ湾はキューバ南東部に位置し、カリブ海のウィンドワード海峡に向かって開けている湾です。

 

 湾の入口の幅は約二キロ半、湾口から湾の奥深くまで約二〇キロもあります。

 

 学校の教科書や海外旅行の案内書では、湾の奥深くまで大型船舶が進入できると紹介されています。

 

 それは間違っていないのですが、殆どの者が多数の艦艇や船舶が余裕で停泊できる大きな湾だと誤解されています。

 

 <武蔵>は横須賀鎮守府所属ですので東京湾を例にしますが、観音崎と富津岬を結ぶ線状にある海峡は約七キロあります。

 

 この湾にも同じ様に物凄く狭い地点がありますが、これが文字通りボトルネックになっています。

 

 何しろ小島同士の間隔が三〇〇メートル強しかなく、荷物を満載した大型貨物船が航行可能な航路は、海峡の水深と船舶の喫水の関係で一〇〇メートル以下と非常に狭いのです。

 

 おまけにZ字のように屈曲しており、岩礁や暗礁も多いので慎重な操船が必要です。

 

 ちなみに、日本の本州と九州の間にある関門海峡でさえ、航路として使える海面の幅が最狭部で約五〇〇メートルもあるので、この海峡の狭さは際立っています。

 

 ちなみに、<武蔵>は関門海峡を通過出来ません。

 

 このため、我々にとっては使い勝手が悪い湾なのです。このため、緊急時は速やかに出撃しなければならない艦艇は湾口に、その他の船舶は湾の奥深くで錨を降ろしています。

 

 太平洋からパナマ運河経由でレイキャビクに向かう輸送船団は、この湾もしくは八〇キロ西にあるマエストラ湾で補給してから、大西洋を北上していきます。

 

 マエストラ湾にはキューバ第二位の都市であるサンティアーゴ・デ・クーバがあるので、ここより賑やかです。

 

 出航まで港で待機する船乗りたちは、ここよりマエストラ湾で待機したいと言っているそうですよ。

 

 

 


 

 

 

 この担当士官はこれまでに同じことを何度も説明してきたらしく、流暢に説明してくれた。

 

 時間を割いて説明してくれたのは有難いのだが、わたしが欲しい情報ではない。

 

 改めて必要な情報を聞き出そうとしたが、この話に興味を持った伊東が次々に質問し始める。

 

 どうやら、彼のような者たちが鍛えてきた独特の嗅覚で、同好の士だと認識したようだ。そして、自分の知識を披露したくて、喋り足らなそうだった担当士官も喜んで応じる。

 

 まるで、じゃれあう子犬たちを見ているようだ。彼らのお尻には激しく振る尻尾まで見えてくる。どうやら、わたしは疲れているらしい。

 

 結局、彼らの話が終わるまで十分以上も掛かった。手回し式コーヒーミルで挽いた珈琲豆に、熱湯を注いで抽出されるまでの時間とほぼ同じで呆れてしまう。

 

 あなたたちは熱を注ぐ場所が間違っていると思うよ。そんな言葉を口にしたくなった。

 

 やっと、わたしが質問できる状況になり、何点か尋ねると担当士官が自ら答えた。

 

「司令部からの命令を受けているので、真水、弾薬、補修用資材は明日以降に各艦に搬入する予定です。工作艦による修理は損傷の大きな艦艇から順番に進めているので、<武蔵>や他の駆逐艦の修理は後回しになってしまいます。この点はご理解いただきたいのです」

 

「燃料はどうなっているのですか?」

 

「燃料については命令を受けていません。その理由を艦長には特別に話せますが」

 

 この担当士官の会話を聞いていた伊東は、わたしたちから距離を開ける。自分の任務を理解していることを証明していた。その様子を見ていた担当士官が口を開く。

 

「実はグアンタナモには船舶用の燃料がありません」

 

「どうして? 」

 

「第一機動艦隊が主力となる作戦に、貯蔵していた燃料のほとんどを使ってしまったからです」

 

「『ほとんど』ということは、少し残っているのでは?」

 

「燃料は一部残っていますが、既に割り当て先が決まっています。そこの窓の向こうに沢山の貨物船が見えますよね」

 

「ええ、見えるわ」

 

「あれが、レイキャビクに向けて出港する船団です。第一機動艦隊の戦闘を邪魔しないように出航を延期していましたが、明日の朝に出航することになりました」

 

 確かに出張所の窓の外に広がるグアンタナモ湾最奥部には、数隻の駆逐艦と三〇隻近くの貨物船が停泊している。

 

 どの貨物船も喫水を深々と沈めているので、限度一杯まで貨物を満載しているのが明確だった。その担当士官は話を続ける。

 

「燃料はあの船団や湾口の哨戒任務、ねずみ輸送任務に就く艦艇にしか割り当てしていません。実はあの輸送船団の護衛任務には重巡、軽空母、駆逐艦以外に<長門>も就く予定でした。それを取り消して現在は<蒼龍>を曳航しています。ここには明日の朝に到着するので、<蒼龍>を切り離した後にあの船団を追いかける予定です」

 

「でも、あそこには貨物船以外に油槽船も停泊しているわ」

 

「あれはレイキャビク基地向けの航空燃料かグアンタナモに帰ってくる輸送船団に必要な燃料が積まれています。ですから、グアンタナモ基地で自由に使える燃料ではありません」

 

「その燃料を分けて貰うためにはどうすればいいのかしら」

 

「司令部の主計科と交渉してください。ここでは、何も判断出来ませんので。数時間前に来た主計士官にも同じことを説明しています」

 

 ここまで言われてしまえば引き下がるしかない。主計長たちの行方は掴めたが、この話を最初にして欲しかったなと思う。

 

 懐中時計は午後三時過ぎの時刻を指していた。

 

 折角、ここまで来たから司令部に顔を出して挨拶だけでもしようかと考え、グアンタナモ旧市街地にある司令部への行き方を尋ねる。

 

 担当士官は鉄道、バス、公用車のどれでも好きに選べるが、一番早く着くのは公用車だという。他の公共交通機関は次の便までの間隔が開いているからだそうだ。

 

 民間タクシーも使えるが、遠回りして過剰請求(ぼったくり)されたり、金品を奪われて殺害されたりする可能性がある。

 

 だから、土地勘が無くてスペイン語が話せない者には勧めていないという。

 

 公用車は自分で捕まえてくれと言われたので、担当士官に礼を言って建物の外に出る。すると、偶然にも派出所の裏手で自動貨車(トラック)が荷積みをしていた。

 

 それに便乗させてもらい目的地に向かうことにした。グアンタナモ旧市街地にある枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七話

カイマレナ港、キューバ島、カリブ海

同日 午後三時一〇分

 

 

 

 トラックの車種に詳しくないので形式名は分からないが、わたしが乗ったのは積載量二トン半の小さなトラックであり「ジミー」という愛称で呼ばれているそうだ。

 

 合衆国陸軍の車両らしく、オリーブドラブ一色に塗装された車体に大きな白い星(ホワイトスター)が描かれている。当然ながら運転兵も合衆国陸軍兵の男だ。おまけに黒人だ。

 

 国土の大半を奪われた合衆国軍は相次ぐ敗戦や反応弾による攻撃によって、開戦前からいる現役将兵が急速に減少している。その欠員を補充するために黒人や有色人種の志願兵を採用しているので、事実上白人優遇制度を放棄していた。

 

 有色人種が次々に入隊し有能な者は相次いで士官に登用されているので、ここに黒人の陸軍兵がいるのは不思議なことでは無い。

 

 だが、日本人だけで構成された組織である日本海軍の一員としては、慣れていないので驚いてしまう。

 

 わたしは彼が日本語の会話が出来ないと思えたので、簡単な英語で会話する。

 

「Does this car go to the Guantanamo center? (この車はグアンタナモ中心街に行きますか?)」

 

「Oh.Yes」

 

「Please pick me up.Go to command of Japanese navy.(わたしたちを乗せて日本海軍の司令部へ行ってください)」

 

「OK. マカセロヨ、ネーチャン」

 

 どうやら、片言だけど日本語を話せるらしい。

 

 わたしたち以外にも便乗者がいたので、幌で覆われた荷台へ一緒に乗ろうとした。なのに、何故かわたしだけ腕を掴まれ、助手席に座らされる。

 

 このトラックは二人乗りだから、この運転兵と濃厚なひと時を過ごせる訳だよね……。

 

 おまけに伊東中尉が羨ましそうな眼差しで、わたしを見るから余計に困惑する。彼にとって助手席は特等席だからだ。そんな目で見るのならわたしと代わって欲しいと本気で思う。

 

 車は走り出すとグアンタナモ湾を背にして西に向かう。先程まで雨が降っていたので、路面には所々に水溜まりがある。

 

 路面には補修された痕もあり、爆撃による大穴を埋め戻しているようだ。

 

 この道路は鉄道線と並行しているので、偶然にも蒸気機関車が牽引する貨物列車とすれ違った。

 

 機関車の前面には「C56 44」と掘られた真鍮板が取り付けられている。日本滞在中に見た、鉄道省の機関車と同型らしい。

 

 トラックは貨物列車が通過中の踏切がある交差点に到達すると、北に変針してグアンタナモ湾の西岸を進んでいく。しばらく走ると右手にグアンタナモ湾の最奥部が見えてきた。

 

 そこには明朝にレイキャビクに向けて出港する、数隻の駆逐艦と三〇隻近くの貨物船が停泊している。貨物船に隠れて見えないが湾の東岸にはボケロン港があり、カリブ地方最大規模の兵站補給廠がそこにある。

 

 さらに、その北側にある飛行場から統合航空軍の航空機が離着陸している。

 

 ここには、カリブ地方の戦線を維持する一大拠点が点在していた。

 

 路面の凹凸によって車は左右に揺れ続け、不用意に口を開くと舌を噛みそうだ。そんな車内だけど、慣れている運転兵は不慣れな日本語で色々と話しかけてきた。

 

 それが意外にもそれが面白い。本人には申し訳ないけれど本当に面白いのだ。

 

 彼が話したのは食事に関する事だった。

 

「ボクネ、タベタヨ。チンピラマゴ、サバク、ホシイダケ、マゼマゼシタ、ウマイ、デモ、マズイ」

 

 えっ、あなたはチンピラの孫を食べたの? チンピラは人間だよ。その孫を食べちゃったの? 

 

 耳を疑うような言葉だが、彼の身振りは違う事を語っていた。

 

 だから、知名流翻訳では「僕ね、(お寿司を)食べたことがある。金糸卵、鯖(の水煮の缶詰)、干し椎茸を混ぜた料理だ。美味い。でも不味い」になる。

 

 彼が食べたのは、わたしが育った広島県で<ばら寿司>と呼んでいる料理だと思われる。関東では<ちらし寿司>と呼ばれており、艦内にある材料を使って簡単に作れる料理だ。

 

 とはいえ、広島県で育ったわたしにとって、アナゴが入っていないのは<ばら寿司>と呼んで欲しくない。

 

 それはさておき、運転兵から美味いと不味いという正反対の言葉が続くのは理解出来ない。

 

 やっぱり、チンピラの孫を食べたのかな? でも、チンピラは大抵若い人だから孫ではなく子供なのかな? 

 

 でも、美味しいからといって手軽に食べてはいけないよね。山賊や妖怪が生息している中国奥地ならあり得るけど、ここはキューバ島だし。

 

 結局、幾ら考えても分からないので英語で聞いてみたが、「Delicious(美味い)」という返事が帰ってきた。もしかしたら、彼の味覚に合わなかっただけのかな? 

 

 その話は終わりにして、次は何を話そうかと考えるために何気無く窓の外を見る。

 

 わたしの視界に入ったのは、船団護衛用に雷装を降ろして対空火器を増設した<吹雪>級駆逐艦だった。

 

 対空戦闘の訓練中なのか両用砲や機関銃を上空に向けている。

 

 日頃から訓練して緊張感を持続させないと、水兵の技量が低下してしまう。だから、あの駆逐艦は訓練に熱心な艦長が指揮しているのだろう。

 

 だけど、隣に停泊している貨物船も同様にしている。もしかしたら、合同訓練中なのかなと想像しているうちに、駆逐艦が射撃を開始した。

 

 続けて他の貨物船も射撃を始め、波紋が広がるかのように泊地全体の船舶が射撃を始める。

 

 訓練にしては盛大だ……。いや、違う。敵機が空襲を仕掛けてきたのだ! 

 

 だから、わたしは思わず運転兵に向けてきつい言葉で指示をしてしまう。

 

「Enemy plane approaches are. This track is stop! (敵機接近中です。トラックを止めなさい!)」

 

 咄嗟に脳裏に浮かんだのは、グアンタナモ湾に沿って走るこの車に向けて敵機が射撃をしてくる予感だった。昨日<武蔵>で幾度も銃撃された恐怖を思い出してしまう。

 

 だが、運転兵は首を傾げると速度を上げた。わたしは困惑するが運転兵はさらりと口にする。

 

「Non problem.(問題無いよ)」

 

 あのぉぉぉ、敵機が接近しているですけど。船団が作った対空砲火の傘から抜け出そうとしたら駄目だって……。

 

 わたしの指示はあっさり無視された。

 

 車は水溜まりに溜まった水を盛大に巻き上げ、周囲に遮る物が無い一本道を驀進する。

 

 すでにグアンタナモ湾の対岸から幾筋もの黒煙が立ち上っている。あれは兵站補給廠なのか、それとも飛行場なのか。

 

 どうか、敵機に見つからないように。母の死と父の虐待を受けてから神様の存在を疑っていたが、この時ばかりは真剣にお祈りする。

 

 日本に帰ったら大宮の氷川神社へお参りしますから、何でもしますから。普段から神様の存在を疑っている罰当たりな女ですが、たまにはわたしのお願いを聞いてください! 

 

 でも、罰当たりなわたしに対する神様の仕打ちは非情で冷酷だった。棍棒で殴られたほうがマシかもしれない。

 

 一機の敵機がこちらに近づいてきたのだ。基地周辺にある対空砲座を、制圧するために噴進弾を発射し終えた戦闘爆撃機らしい。

 

 わたしは運転兵に向けて叫んだ。

 

「Enemy plane approaches are it from the right.(敵機が右方向から接近中です)」

 

「How many? (何機?)」

 

「Only One.(一機だけ)」

 

「Ok. You must observe an enemy plane.(はい、艦長は敵機を観測してください)」

 

「Ok.(任せて)」

 

 基地へ帰る前に獲物を一匹でも多く狩るつもりなのか、敵機はこの車に狙いを定めている。おまけにジェットエンジンを搭載しているから速い。

 

 わたしは覚悟を決めると、助手席の窓から身を乗り出して扉に腰掛ける。この車の屋根が邪魔で敵機が見えないからだが、これではチンピラ珍走団の首謀者そっくりだ。

 

 車はグアンタナモ湾の西岸から、果樹園やさとうきび*1畑が広がる内陸に入っている。どの植物も背丈が低いから遮蔽物としては不十分である。

 

 その敵機は船団の対空砲火網を迂回しつつ、右前方から接近してきた。

 

 ここから先は<武蔵>の操艦技術の応用だ。敵機の投弾か射撃のタイミングさえ掴めば回避できる。わたしは敵機を睨みつけ、少しでも変化を見逃さないようにした。

 

 そして、敵機の機首がこちらを向く寸前、間髪入れずわたしは叫んだ。

 

「Evade! (回避!)」

 

 その直後、両翼に閃光が輝く。

 

 運転兵はブレーキとハンドル操作で車を横滑りさせた。わたしは振り落とされないように必死にサイドミラーや屋根を掴む。

 

 その直後、先程まで車が走行していた路面へ機関銃弾が突き刺さっていく。

 

 雨上がりの地面には水溜まりが点在しているので、横滑りに適していたらしく回避に成功した。

 

 敵機はわたしに威圧感を与えるかのように、ターボジェットエンジン特有の轟音を轟かせながら上空を航過した。

 

 そして、車の後方で大きな弧を描きながら変針していく。誰がどう見ても、二度目の攻撃意欲が十分な機動だった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしたちが乗るトラックの攻撃に失敗した敵機は、高速で疾走する車の紫煙と跳ね上げる泥の向こうから接近してくる。

 

 漠然だけど敵機が射撃するタイミングを掴めたので、それを見越して叫んだ。

 

「Brake! (ブレーキ!)」

 

 敵機は前方につんのめるように停止する車へ目掛けて射撃するが、車の急制動による未来位置の補正が出来なかった。

 

 大半の銃弾は再び路面に突き刺さるが、一部の銃弾はトラックを貫く。銃弾は荷台の幌を貫通しただけではなく運転室の屋根や窓も貫通していた。

 

 わたしの身体を掠めて飛び去った銃弾もある。室内を覗き込むと、運転兵が大げさな身振りをしつつ肩をすくめていた。「参ったよ」と言っているかのようだ。

 

 敵機は未だに攻撃を諦めておらず大きく旋回中だ。敵機が優位な状況は変わらず、それを逆転させるのは次第に難しくなっている。

 

 車はただちに発進しようとエンジンを唸らせ、盛大に紫煙を吹き出す。しかし、何故か動き出さない。

 

 わたしは室内を覗き込むと、先程まで陽気だった運転兵が目を血走らせて答えた。

 

「Oh No! Skid!(駄目だ、スリップしやがる)」 

 

 何でこんな時に泥に嵌まってしまうのよ! これじゃあ敵機にとって格好の餌食だよ。

 

 わたしは頭を抱える暇も無いまま急いで車内に戻り、運転兵を蹴飛ばして車外へ突き落とす。そして、すぐに荷台にいる伊東中尉たちを降ろして、路外に避難しようとした。

 

 ところが、トラックの後部に回り込んだ途端に予期しないことが起きる。

 

 腕を掴まれると強引に押し倒され、ぬかるんだ路面に顔を押し付けられたのだ。泥水が鼻や口から流れ込んでくる。信じられない事に誰かが後頭部を押さえつけているのだ。

 

 このままでは息が出来ず死んでしまう。必死に頭を動かそうとするが聞き覚えのある声がわたしを叱責した。

 

「顔を焼かれたくなければ、伏せたまま動かないで下さい」

 

 伊東中尉、そんなことを言われても困る。このままだと、わたしが窒息死するよ! 海で溺死するのは覚悟しているけれど、泥で窒息するのは嫌だ! 

 

 思いっきり声を出そうとして口を開けた途端、泥水が一気に入ってしまう。もう駄目かも……。

 

 間もなく敵機から発射された機関銃弾がトラックを次々に貫き、車のあらゆる個所から金属の悲鳴が上がる。

 

 それが次第に近づいて、わたしの頭の近くにもそれが突き刺さる音がした。その時、伊東中尉とは違う男の声が聞こえた。

 

「Fire! (ファイヤー)」

 

 わたしは聞き慣れない声に困惑し、髪の毛を揺らすような風圧を受けて益々困惑する。そして、上空から爆発音が聞こえる。

 

 いつの間にか後頭部への圧力が消えており、首を動かして爆発音が聴こえた方向へ顔を向ける。そこには、わたしの頭上を航過した敵機の後ろ姿が見えた。

 

 ここから離脱しようとしているのか機首は上空を向いていた。だが、後部にあるジェットエンジンの排気口から部品が次々と剥がれ落ちている。

 

 間もなく、敵機は重力に引き寄せられるように機首を下に向けると、さとうきび畑に急降下して爆発音と共に炎上した。

 

 一機撃墜だ。先程までわたしたちを弄んでいた敵機を撃墜したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
当時は<甘蔗(かんしょ)>と呼ばれていましたが、現在では聞き慣れない名称なので<さとうきび>にしています。



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第八話

カイマレナ港北方、キューバ島、カリブ海

同日 午後三時五七分

 

 

 

 敵機を撃墜したのは、わたしたちと一緒にトラックに便乗した合衆国陸軍の男たちだ。その男たちの射撃を邪魔しようとしたのがわたしだったのだ。

 

 偶然とはいえ、敵機を撃墜した兵器の射線上へ不用意に侵入しようとしていたからだ。わたしが押し倒されていなければ、わたしは大火傷を負っていただろう。

 

 間違いなくわたしのミスだから素直に礼を言った。

 

「伊東中尉、ありがとう」

 

「はっ、ありがとうごうざいます。僭越ながら意見具申しても宜しいでしょか」

 

「どうぞ」

 

「どう見ても蓮根(れんこん)か、牛蒡(ごぼう)のお化けにしか……、プワッ、ハッハッハッハッハッ」

 

 どうやら、顔一面が泥だらけになったわたしの姿は、彼の笑いのツボを刺激してしまったらしい。わたし以外の誰もが爽快な気分になる笑い声を上げていた。

 

 おまけに、わたしが蹴り落した運転兵や他の兵士も笑い出す。そんなに笑わなくてもいいじゃないと文句を言いたくなるが、それを話した途端に更に惨めな気分になりそうだ。

 

 仕方ないので深く考えるのは止め、顔に付いた泥を拭き取ってから敵機を撃墜した兵器へ目を向ける。

 

 そこには、運転兵以外の合衆国陸軍将兵が三人いる。そのうち一人が、彼らの背丈に近い長さの鋼管を肩に載せていた。より正確に言うと、その鋼管は三脚で支えられており後部だけを肩に載せていた。

 

 彼らに尋ねると、これは歩兵用携帯式対空兵器の試作品だそうだ。

 

 最新技術である赤外線追尾機能を装備した誘導弾と、外観からは水道管にしか見えない専用の照準器付発射管を組み合わせた兵器だという。

 

 照準を敵機後方にある排気口に向けて射手が発射すると、誘導弾が発射管から発射されて安定翼を展開する。そして、ロケットエンジンで加速すると自動追尾機能によって、熱源に向けて自動的に針路を変更していく。

 

 敵機のジェットエンジン排気口は高熱を放射するので熱源探知し易い。というより、それしか探知出来ないそうだ。そして、排気口に命中すると内部に収められた炸薬が爆発する。

 

 そして、ジェットエンジンを破壊された敵機は、失速して墜落する運命から逃れられない。将来的には歩兵が常時携帯し、敵機を撃墜できる画期的な兵器になるという。

 

 何故、彼らがこの兵器を持参しているのかと聞けば、これは開戦前から合衆国で研究していた新兵器の一つだそうだ。

 

 その製作方法は開発チームの一員である彼らが自作した部品と、統合航空軍が供給している誘導弾を分解して取り出した部品を組み合わせたという。

 

 残っている誘導弾を見せてもらうと、<武蔵>に搭載している砲弾のように椎の実(どんぐり)の姿に似たスマートな形状ではなく、空学的に無駄な形状をした不格好な形状をしていた。

 

 胴体はほっそりしているが先端の弾頭が異常に太い。その外見はドイツ軍の陸戦兵器である<パンツァーファウスト>によく似ている。

 

 飛翔し続けるにはあまりにもバランスが悪い姿になった理由は、航空機から発射される誘導弾の弾頭を、そのまま使用しているからだそうだという。

 

 彼らは自ら開発した兵器の個性を、把握しているから命中させられた。しかし、他の兵が命中させるのは到底不可能だ。

 

 兵器開発の常識として、(1)武人の蛮用にも耐えられる、(2)常に安定した能力を発揮し確実に作動できるものが求められる。

 

 だが、これは両方とも満たしておらず兵器の正式採用審査で却下されても仕方が無い。

 

 彼らの話によると、歩兵が携帯できる大きさにするためには真空管の小型化が欠かせないという。それが難航しているので、仕方なく貨物自動車で搬送しているそうだ。

 

 電池の小型化にも課題があるので、発電機から随時給電するか潜水艦に搭載している大型の蓄電池を携帯しないと、照準器が使用出来ないそうだ。

 

 それ以外にも、先程の戦闘で解決すべき問題が次々に発覚したので、実戦投入されるのはかなり先になるという。

 

 わたしにとって一番驚いたのは彼らがこの島に来た理由だ。

 

 「取り敢えず試作兵器で敵機を撃ち落としてみようぜ」という、遠足に出かけるような気分(ノリ)気分で来たことだ。

 

 あまりにも可哀そうである。彼らはここに来る途中で好奇心より大切な物を、海に落とした事に気づいていないのだ。もしかしたら、合衆国軍は誰もが頭がおか……、いや、何でもない。

 

 その時、わたしたちの行先であるグアンタナモ中心街の方向から、何台かの公用車が連なって近づいてくる。その窓から誰かが身を乗り出して手を振っていた。

 

 その人物をよく見たら、司令部から帰ってきた<武蔵>主計長だった。

 

 彼は泥で汚れたわたしを頭のてっぺんからつま先までじっくり眺め、呆れた表情を隠すことも無くわたしに聞いてきた。

 

「艦長自ら陸戦隊の一員として蛸壷を掘ろうとしたのですか? スコップを使えば早く掘れますよ」

 

「そんな事は小学校で勉強しました」

 

「そうだ、明日までに対戦車用の地雷を用意しておきます。日頃からストレスが溜まっているでしょうから、思いっきり敵さんにぶつけて下さい」

 

「有難く受け取ります。折角なので、そのうち一個は主計長の部屋の入口に仕掛けておきます。わたしは植物の球根と地雷を埋めるのが得意なので、楽しみにしてくださいね」

 

 主計長の冗談に合わせて適当に返したつもりだったが、何故か彼の顔は引きつっている。

 

 わたしってそんな事をする女だと思われていたのか。地味にショックだよ。

 

 でもね、その話を持ち出したのは主計長ですよ。

 

 そんなどうでもいい話題を道路脇に放り投げると、肝心な事を聞き出すために本題に入った。

 

「まあ、冗談は程々にして何か成果がありましたか?」

 

「えっと、真水、弾薬、補修用資材は明日以降に各艦に搬入されます」

 

「肝心の燃料は?」

 

「燃料の供給は断られました。第一機動艦隊や作戦に参加する艦艇に供給したので、ここには作戦行動で自由に使える燃料が残っていないそうです」

 

「でも、ここには定期的に船団が来ている筈です」

 

「どうやら、その船団の到着が一週間以上遅れているそうです」

 

「理由は?」

 

「それは聞きませんでした」

 

 船団の到着が遅れている理由は何だろうか。色々と理由は考えられるが、一番可能性があるのは単純に長距離を航行しているからだろう。

 

 船舶にとって時間厳守で航行するのは鉄道連絡船くらいであり、一般的に遅れるのが常識なのだ。何しろ、燃料はインドネシアのボルネオ島バリクパパンやスマトラ島パレンバンの油田で精製されて、ここまで運ばれてくる。

 

 それは、パナマ運河経由でも南アフリカ最南端にある喜望峰(きぼうほう)経由でも、二〇〇〇〇キロ以上の航路になる。悪天候海域や敵潜水艦浮遊海域を迂回して航行距離が長くなれば、それだけ到着が遅れてしまう。

 

 インドネシアより中東の産油地域のほうが近いが、石油精製施設は一部だけ操業再開している段階だ。枢軸軍が求める生産量に達していない。

 

 それ以外にも油田はあるが、ここから一番近い合衆国のテキサス油田は連合軍の支配地域にある。

 

 南米大陸にも産油国があるが、ベネズエラ以外は連合国寄り中立国なのだ。そこから石油を入手するのは不可能に近い。

 

 南米大陸北部にある産油国ベネズエラだけは、中立を宣言しつつ自由貿易を継続している。両陣営に石油を販売しているが、その量は少ない。

 

 これは産出する原油量によるものではなく、ベネズエラの政治的方針によって意図的に供給量を制限しているそうだ。

 

 このような状況なので、安定して大量の燃料を供給するには遠方から輸送するしかない。

 

 グアンタナモ基地の燃料状況は把握出来たが、これからどうしようかと考えてしまう。その時、妙案を思いついた。

 

「第一機動艦隊を洋上で支援する補給船団から燃料を分けて貰えないかしら」

 

「その船団はパナマ運河を通過すると、グアンタナモに寄らず機動艦隊との洋上合流点へ直行しています。むしろ、こちらからその船団に向かう事が出来ますが」

 

「そうか……。提案してくれたのは有難いのですが、修理が完了していないから当分は動けません」

 

「司令部から伝えられたのは、燃料や糧食の補充を受けたければ連日のように開かれている会議に出席しろとのことです。今は殆どの艦艇が出払っていますが、第一機動艦隊がここに帰ってきたら間違いなく物資の争奪戦になります。今のうちに手に入る物はどんどん確保するようにします」

 

「頼みます。主計長に手腕に期待しています」

 

「はい。ご期待に応えてみせます。艦長は司令部に行かれるのですか?」

 

「はい、そうです。<武蔵>に戻るのは遅くなりそうだから、何かあったら宜しくね」

 

「顔くらいは洗ってください。初めて対面する相手への第一印象は顔ですよ。お気をつけて」

 

 幸いにも、わたしたちが乗っているトラックは機銃掃射を受けたが、走行可能だ。燃料槽にも穴が開いていなかった。誰かが手放さない幸運によるものなのだろう。

 

 わたしたちは南に向かう主計長たちを見送ると、北に向けて進んでいく。

 

 その道中で運転兵に、これからどこに行くのかと聞いたら前線にいる合衆国陸軍大隊に合流するのだと言う。彼は試作兵器で敵機を、何機も撃ち落としてやると息巻いていた。

 

 その話を聞くと何故か彼が哀れに思えてきた。この運転兵や開発チームではなく大隊の指揮官に。

 

 得体のしれない兵器を持参した能天気な彼らを見て、その指揮官は彼らに聴こえないように小声で悪態をつくだろう。余計な仕事を増やしやがってと。

 

 何しろ戦争は遠足ではないのだ。

 

 お家に帰れば楽しい思い出と共に眠れるのが遠足、お家に帰れば|戦場に行く勇気が無い脳内お花畑状態の扇動者たち《マスコミ》から批判され、悔し涙で枕を濡らしながら眠るのが戦争だ。

 

 もちろん、五体満足で帰ってくるのが前提条件だが。

 

 いつの間にかトラックの車窓は、一面に広がる果樹園やさとうきび畑から綺麗な街並みに変わっている。市街地に入ったのだ。

 

 道端や家屋の庭には南国特有の花々が咲き誇り、ここが戦場であることを忘れさせる。特に赤紫色の花を咲かせたブーゲンビリアは、道路の両側で多く見かけた。

 

 この花は中南米原産であり、<情熱><魅力>を花言葉にしている。わたしにとってこの花は、この地域に一番ふさわしい花だと言えた。

 

 しばらくすると、トラックはガジュマロの街路樹と見覚えがある旗がはためく大通りに入る。

 

 旭日旗(ライジング・サン)英国海軍旗(ホワイト・エンサイン)星条旗(スター・スパングルド・バナー)を掲げた旗竿が林立し、大通りに彩りを与えていた。

 

 そして、トラックはホテル・マチャドの前に到着した。ここを接収して枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部が置かれているからだ。

 

 わたしたちは運転兵や便乗者たちへ、敬礼ではなく手を振って別れを告げる。

 

 わたしは手を振りながら、偶然にも例の言葉の謎が解けた嬉しさを言葉にしたくて口を開いた。

 

「ねえ、伊東中尉は<チンピラマゴ>ってどんな料理か分かるかしら? あの運転兵は不味いって言ったのよ」

 

「そうですね……、金平牛蒡(きんぴらごぼう)でしょうか」

 

「さっき分かったのよ。<金平牛蒡(きんぴらごぼう)の卵閉じ>だって」

 

「残り物で作ったおかずですか」

 

「そうよ。彼らが不味いという理由も分かった」

 

「何故ですか」

 

「だって、仕方無いのよ。合衆国人は牛蒡と木の根っこが区別出来ないから」

 

 絶句した伊東中尉を横目で見つつ、わたしは手を振り続けた。

 

 トラックは交差点を曲がると建物の影に隠れていく。彼らは本気で前線に向かおうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第九話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後四時二〇分

 

 

 

 わたしが面会しようとしていた相手は航海学校の先輩である航海参謀だった。

 

 枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部は、その名のとおりに非常に広い海域を管轄する司令部だ。

 

 更にキューバー島やカリブ地方の各諸島に展開している、陸軍や統合航空軍も指揮下に置いている。つまり、東京にある統合軍令本部を小型化して、この方面に特化した司令部なのだ。

 

 ここは日々変化する戦況に対処するため、大勢の将兵が日夜業務に取り組んでいる多忙な司令部である。

 

 <武蔵>艦長という肩書を背負わされているわたしでさえ、相手にしてもらえるのか微妙なのだ。

 

 だから、術科学校の一つである航海学校の伝手を使おうとしていた。もちろん、相手はわたしのことを知らないだろうが、遠方から来た後輩を邪見に扱うような先輩は少ない。

 

 面会の申し入れをしていないので、突然の訪問に戸惑うかもしれない。だけど、短時間で簡単な挨拶だけしたいと伝えれば、大抵の者は時間を割いてくれる。

 

 それでも面会出来ない場合は、会議中で席を外せないとか別件で取り込み中だとか様々な理由があるから、別の日に出直すべきだ。

 

 中には偏屈な性格なので面会拒絶するような者もいるが、そのような者のうち実力ある技術者や諸葛孔明のような軍師以外は相手にする必要が無い。時間と労力の無駄でしかない。

 

 さて、司令部に到着したわたしには二つの問題が発生した。一つ目はこの参謀が会議に出席しているので、しばらく待たなければならない事だ。二つ目は伊東中尉の発言から始まった。

 

 彼はわたしたちを襲撃してきた敵機が新型機だと言い張るのだ。

 

 どこが違うのかと聞けば胴体の断面形状や尾翼の位置が、ドイツ軍の主力戦闘爆撃機であるMe262とは全く異なるという。そこまで言うので彼にスケッチを描かせてみたら、小さな手帳へ器用に描き上げた。

 

 彼はそのスケッチを見せながらわたしへ熱弁を振う。

 

 その話を要約すると、Me262では胴体中央部の断面が三角形に近いなのに、そこが楕円形になり尾翼の形状も変化しているという。敵機の後部を見上げただけなので、その他の変化は分からないそうだが。

 

 わたしとしてはこの情報がどれくらい重要なのか判断つかなかったが、時間が余っているので専門部署に足を向けた。行き先は航空参謀の補佐官室だ。餅は餅屋ということわざのように、ここであれば敵機の情報に興味を示すと思えたからだ。

 

 元がホテルなので、観光客であれば心をときめかす意匠が通路や広間に施されている。そして、窓硝子は綺麗に掃除されていた。

 

 殆どの軍人たちはそのような物に関心を示さないだろう。それでも軍属として雇われているホテルの従業員たちは、サービスを提供する意欲を失っていなかった。

 

 補佐官室は客室一部屋を使っていた。防音性が高そうな扉の前に立ち、何度かノックするが応答が無い。扉に耳を当ててみると、室内では熱い議論が交わされているようだ。

 

 仕方が無いので扉を開けて静々と室内に入っていく。予想していたが三人の補佐官たちが議論していた。そのうち一人は統合航空軍の軍服を着ている。

 

 陸海軍の地上航空戦力を統合して誕生した統合航空軍は、創設されてから数年しか経っていない。海軍出身者も多く在籍しているから、双方が打ち合わせする事は珍しいことでは無い。

 

 どうやら熱い議論をしている最中に、邪魔してしまったようだ。彼らはわたしたちを相手にする素振りを見せず、言葉をぶつけあっていた。

 

「だって、グアンタナモが空襲を受けなくなったのは、陸軍がシエンフエーゴスとサンタ・クララを結ぶ線まで進出したからじゃないか」

 

「そうだよ。前線はグアンタナモから約六〇〇キロ離れている。その線からグアンタナモ側の飛行場はすべて我が軍が制圧したから、敵さんのジェット戦闘機はこっちに飛んでこれない筈なんだけどなあ」

 

「でも、飛行場や補給処からはレシプロ爆撃機とジェット戦闘機が襲ってきたって言っているんだぜ。それも数か所からだ。一か所だけなら見間違いの可能性もあるけれど、これほどの目撃情報が上がってくれば間違いなくジェット機だと認めるしかない」

 

 そのうち、わたしの存在に気づいた一人の補佐官が、明らかに喧嘩を売るような視線をぶつけている。

 

「おい、ここへ何を……。失礼しました、何の要件でしょうか」

 

「皆さんの打ち合わせを邪魔してしまい、ごめんなさい。どうしてもわたしの副官の話を聞いて欲しいです。敵の新型機らしいのですが」

 

 わたしの話に興味を示した補佐官の一人が伊東中尉のスケッチを見るが、その表情は次第に変化していく。そして、真剣な表情で伊東中尉に尋ねた。

 

「中尉、これは本当のことだろうな」

 

「間違いありません。自分がこの目で目撃しました。艦長も一緒におられましたので嘘はついておりません」

 

「間違いなくジェット機だったのか? 機首ではなく尾部にプロペラがついていたのではないか?」

 

「間違いなくジェット機でした。信じていただけないのであれば、その敵機を撃ち落としていますので補佐官ご自身で実機を確認してください」

 

「疑ってすまなかった。中尉、その位置を教えてくれ」

 

 彼らの話を聞いていた別の副官が地図を広げていく。補佐官たちの表情から読み取るだけでも、伊東中尉の目撃情報は重要なものだったらしい。

 

 その時だった。部屋が軋むくらいに大きな音を立てて扉が開くと、顔を真っ赤にした士官が無遠慮に入ってきた。

 

 軍服の前部から肩にかけて吊るされて飾り紐が、参謀職に就いている士官である事を示している。

 

 間違いなくこの男が航空参謀だった。そしてわたしたちに気づくと、興奮状態が冷めないままわたしに向けて荒々しく声をぶつけた。

 

「部外者は出ていけ。今すぐにだ!」

 

「しかし、わたしは要件があって」

 

「あん? 貴様は俺に指図するのか」

 

「そういう訳では」

 

 喧嘩腰の航空参謀とわたしの間に伊東中尉が割って入る。そして、彼は自ら描いたスケッチを航空参謀に見せながら、わたしに説明した時と同じように説明を始めた。

 

 だが、その後に航空参謀が取った行動を見て、思わず我が目を疑った。彼は伊東中尉の手帳からスケッチが描かれた頁を破り取ると、細かく破いて屑入れに投げ捨てたのだ。

 

 信じられなかった。補佐官たちが重要だと認識してくれた情報を捨ててしまうとは。

 

 それだけで飽き足らないのか、この男は極めつけの言葉を吐き出した。

 

「思い出したよ。統合軍令本部にいる真田少将に身体を売って、出世した淫売女が居ると聞いたことがあった。貴様のことだったのか」

 

「えっ!」

 

「戦争は女子供の遊びじゃねえんだよ。いいから早く出ていけ。今頃こんな情報を持ち込んでくるな!」

 

 そして、彼は補佐官たちを見渡すとわたしたちが話した事をすべて聞き流すようにと指示したのだ。

 

 何だ、この男は! 腹立たしくなり部屋を出ていくと速足で歩き始めた。

 

 東京の繁華街で友達とお喋りしながら買い物を楽しんでいる若い女に、男性的な印象を与える軍服を着せた見栄えだけは立派な海軍士官。

 

 慰問の舞台で「軍艦行進曲」や「酋長の娘」を歌う筈だったのに、人事手続きが間違えられたので<武蔵>艦長になった小娘。

 

 幾ら<武蔵>艦長の肩書を振り回しても日本海軍では程度の扱いなのだ。何よりも腹が立つのは、そのような評価を認めざるを得ないからだ。

 

 確実に否定できるのは淫売女だけ。わたしは未だに父親以外の男の前で自ら進んで服を脱いだことは無い。嫌々ながら脱がされたことはあるが、そんなことは思い出したくない。

 

 憤然たる表情をしている伊東中尉と共に一気に航海参謀室まで進むと、息を落ち着かせて身なりを整えてから扉をノックする。

 

 すぐに返事があり扉を開けると目的の人物が座っていた。それは航海参謀だった。

 

 先程訪問した時に航海参謀が留守だったので、わたしは隣の部屋にいる航海参謀補佐官に氏名と目的を伝えていた。彼は補佐官からその件を聞いている筈なので、簡単な挨拶と航海学校で学んだからこそ話せる雑談をするつもりだった。

 

 だが、航海参謀はわたしの顔を見るなり一言だけ言った。

 

「顔を洗ってこい」

 

「まだ汚れが残っていましたか?」

 

「涙を流した痕が残っているぞ。いいから早く洗ってこい。話はその後だ」

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 顔を洗い改めて入室すると、航海参謀はおどけながらわたしたちを向かえてくれた。

 

「ようこそ、グアンタナモへ。『ポートサイドのヴァルキューレ』が来てくれるとは嬉しいね」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

「<武蔵>艦長の噂話は色々と聞いているよ。紅海では敵機の空襲を被弾無しで切り抜けたり、スエズ運河を突破してポートサイドを砲撃したり、かなり暴れまわったそうだね」

 

 こんな所でわたしの渾名を呼ばれるとは予想していなかったので慌ててしまう。

 

 正直に言って、その渾名では呼ばれて欲しくない。

 

 海軍士官として中身が伴っていないわたしにはふさわしくないし、何より恥ずかしいからだ。だが、航海参謀はわたしの事をかなり高評価しているらしい。

 

 この奇妙な渾名は昨年一一月末に決行された「モーゼの道」作戦で、そこそこの戦果を挙げたわたしにつけられたものだ。<武蔵>艦長としての初陣でもあった。

 

 その作戦目的は幾つかあった。

 

 (1)中東の支配権を枢軸軍が奪回すること。

 

 (2)スエズ運河とエジプト領にある港湾都市ポートサイドを奪取して、インド洋から地中海までの海上交通路を自由に使えるようにすること。

 

 (3)長距離陸上攻撃機<富嶽>が離着陸する飛行場を建設して、ドイツ第三帝国へ戦略爆撃をする拠点を建設すること。

 

 この作戦ではいずれも成功し、(3)を実行できる準備が着々と進んでいるそうだ。

 

 さて、私の綽名であり日本では聞き慣れない「ヴァルキューレ」という名前は、北欧神話に登場する女性戦士たちを指す言葉だ。

 

 戦争が勃発すると戦場に駆けつけて、戦闘中の戦士たちの運命を定めていく神様である。その選定基準は適当であり、ダイス(サイコロ)を転がすほうがマシだと思えるくらい不公平だ。

 

 そもそも、運命の女神さまだって浮気者だから、「ヴァルキューレ」たちを責めるのは道理に合わない。誰もが目を背けている真実だが、女という生き物は浮気者だから仕方が無いのだ。

 

 そして、戦士たちが勇敢に戦って戦死した時には、「エインヘリャル」と呼ばれる魂を「ヴァルハラ」と呼ばれる館に案内する。そこに招かれる事が戦士たちにとって最高の栄誉なのだ。

 

 そこでは盛大な宴を催して戦死者の栄光を称えられる。

 

 ここから先が北欧神話独特の世界観になる。その日に戦死して「ヴァルハラ」で宴を楽しんだ戦士たちは、夕方になると皆が生き返っていく。そして、翌朝には戦場へ向かっていくのだ。

 

 死と再生までの時間が他の地域で伝わる神話と比較して非常に短い。トラック転生並みの速さである。

 

 だから、北欧の海賊として悪名高きヴァイキングはその神話を信じ、戦士としての最高の栄誉と翌朝の復活を賭けて勇敢に戦った。単純に戦死したら「ヴァルハラ」に招かれない。だから、勇敢に戦わなければならなかったのだ。

 

 そんな渾名を名付けたのが誰なのか、わたしは知らない。

 

 人づてに聞いた話だが、当初は日本の戦国時代に活躍した女性武将の名前を当てはめようとしたそうだ。だが、様々な理由で断念したという。

 

 確かに、日本でも戦国時代に女性の武士や城主は何人も登場している。木曽義仲の愛人だった「巴御前」や岩村城主の「おつやの方」は、その名が日本中に知れ渡っている女武将だ。

 

 だけど、彼女たちが参加した戦闘の殆どが負け戦で終わっており、縁起が悪そうなので却下したという。

 

 もう一つ理由がある。東洋の島国で地味な活躍しかしていない女性武将を、海外に紹介する方法が大変だからだ。

 

 もし日本史を知らない外国人に彼女たちを説明した時、こんな感想が帰ってくるかもしれない。

 

 巴御前? 木曽義仲の愛人? 源平合戦? 何それ、美味しいの? おつやの方? ああ、世界三大美女の一人と言われるクレオパトラと同じように、身内を裏切って侵略者に身体を売った卑怯な女じゃないか。

 

 これでは悪女のイメージ宣伝になってしまう。

 

 広告代理店の担当者ならば、左遷間違いなしの広告戦略失敗案件だ。ワニでワニワニしていれば終わる話ではない。一度植え付けられたイメージを世間は簡単には忘れないのだぞ。

 

 そのイメージを覆すためには、彼女たちが活躍した時代の歴史背景から説明しなければならない。しかしながら、時間をかけて説明する機会があったとしても、殆どの者は退屈して居眠りしてしまうだろう。

 

 そんな労力を掛けるのであれば、神話とはいえ海外で知れ渡っている北欧の女性戦士の名前を当てはめたほうが早い。

 

 そこまで苦心して選び抜かれた渾名が、「ポートサイドのヴァルキューレ」だ。

 

 その渾名は、大欧州連合軍の後方支援任務に就いている軍人や欧州の居住者に向けて、厭戦気分を高まらせる宣伝活動に使用されている。

 

 つまり、わたしは日独両政府の、宣伝と称する誹謗中傷合戦で主役(ヒロイン)として祭り上げられたのである。

 

 はっきり言えば大迷惑だ。それだけではなく、とても恥ずかしい。

 

 そんなわたしの心境にはお構いなく、航海参謀の話は続いた。

 

「それにしても、あの運河を<武蔵>が通るのは大変だったのではないか」

 

「運河通過中は<武蔵>が座礁してしまうのかとヒヤヒヤしていました。運河の岸辺が崩れていたり、浚渫されずに水深が浅くなっていたりしていたからです。運河を通過するために一二時間以上掛かりましたが、その間は一歩も艦橋から動けませんでした」

 

「あの運河の水深は一一メートルで底部の幅が四〇メートルしか無いと記憶していたが、<武蔵>ではギリギリではないか」

 

「ドイツが<フォン・モルトケ>級を通過できるように掘り下げていたので、<武蔵>でも何とか通過出来ました」

 

「成程な。その甲斐があってポートサイドに辿り着けたのか」

 

「はい、おかげで有難迷惑な渾名を戴いてしまいましたが」

 

 事実、わたしは<武蔵>艦長として何人もの連合軍将兵を、「ヴァルハラ」に送り込んだ。それだけではなく、ポートサイドの沖合から市街地へ艦砲砲撃もした。

 

 その標的は、ドイツ第三帝国によって建てられた建造物だった。

 

 地中海に面しスエズ運河の北端にあるこの都市は、欧州と亜細亜の結束点であるトルコのイスタンブールに代わる新たな結束点として、ドイツによって整備されつつあった。

 

 欧州と印度を結ぶ海上交通路の最短経路として、スエズ運河は重要である。その欧州側起点にあるポートサイドは、欧州への南玄関口に相当するからだ。

 

 一般的に都市の発展には、近隣の住人を呼び寄せる建築物を増やすことが欠かせない。

 

 それなのに、何故かドイツは占領地へ記念碑(トーテンビュルゲン)高射砲塔(フラックトゥルム)といった、意図不明な建築物ばかり建てていた。

 

 それが邪魔なので、短期間で解体するために<武蔵>の四六サンチ砲で協力してあげた。

 

 それだけだ。それが宣伝工作のネタとして使われるなんて……。

 

 わたしと航海参謀はこの話題以外に幾つか雑談を続けたが、ふと思い立って新型機だと言い張る伊東中尉の証言と航空参謀から受けた暴言の話を持ち出した。

 

 すると、航海参謀は「だから、あの男は信用出来ねえんだよ」と内心から吹き上がる怒りを抑えるような声で言った。

 

 わたしはその言葉の真意が気になって尋ねると、航海参謀は言葉を選びながら説明をしてくれた。

 

 それは、誰がどう評価しても成功とは言い難い「剣」作戦によって、大きく揺さぶられた司令部の内情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一〇話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後四時四五分

 

 

 

 わたしは航海参謀から「剣」号作戦という名称が出てきた時、闇が深そうな話だと予感したので事前に確認する。

 

「あの、わたしがその話を聞いても宜しいのでしょうか」

 

「軍機ではない。俺の愚痴だと思って聞けばいい。但し、俺が許可するまで誰にも言うな」

 

「その時点で軍機です」

 

「戦争が終わるまでに誰にも話さなければいいのさ。戦争が終われば誰もが知っている噂話程度になっている筈だからな」

 

 その後に続く話を聞いていくうちに、その予感が正しい事に気づき耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。それは、立案段階から杜撰を極めた作戦だったからだ。

 

 「剣」号作戦とは一九四九年九月後半に、合衆国領のメキシコ湾に面しているルイジアナ州に上陸して、枢軸軍と対峙している連合軍の側面へ攻勢を掛ける作戦だった。

 

 この作戦は連合軍にとって柔らかい脇腹に相当するメキシコ湾岸へ、剣のように陸上兵力を突き刺していく作戦だった。

 

 成功すれば合衆国領の北米戦線に新たな戦線を構築できる。そして、現行の戦線を圧迫し続ける兵力を、新たな戦線に配置転換せざるを得ない状況に強いる事ができる。

 

 もし、我が軍の思惑通りに状況が展開すれば、現行の戦線に綻びが生じて突破するチャンスが現れる。もちろん、新たな戦線から内陸部へ侵攻する事も出来た。

 

 何度も言うが成功すればの話だ。そして、我が軍は失敗した。

 

 その結末はあまりにも悲惨であり、言葉にするのを躊躇う程のものだった。

 

 さて、「剣」号作戦の失敗は、枢軸軍の隅々にまで衝撃を与えた。

 

 その中で<武蔵>の四六サンチ徹甲弾の直撃を受けたかのような衝撃を受けたのが、わたしが訪れている枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部だった。

 

 その理由は当然とも言える。この作戦を立案して東京にある軍令部へ上申したのが、この司令部だったからだ。

 

 だが、航海参謀の話では司令部だけでは対処出来ない問題もあったという。

 

 一つ目は枢軸軍という名前だけは立派な軍隊だが内情は足並み揃わず、日英米各国の思惑によって戦略方針が揺れに揺れまくっていたという。

 

 二つ目は様々な戦術的誤判断を積み重ねてしまい、航空偵察による情報を生かしきれなかったことだ。致命的なのが上陸海岸から二〇キロ内陸に、再編成中の親衛隊装甲師団がいる事に気づかなかったことである。

 

 特に、作戦前日に戦略偵察機<景雲改>が再編成中の親衛装甲師団を、高々度上空から撮影していたのに作戦司令部では重要視しなかった。そのため、作戦中止する機会を自ら握りつぶしてしまった。

 

 三つ目は、上陸支援として<翔鶴><瑞鶴>の二隻の空母で編成した小規模な機動艦隊が、その任務を十分に果たす事が出来なかったことだ。

 

 上陸支援程度でジェット機を運用できる空母を投入するのは、過剰だとの意見もあった。

 

 だが、既にジェット戦闘爆撃機が頻繁に飛び交っている北米戦線では、レシプロ戦闘機は七面鳥と同然でしかない。だから、この艦隊を投入したのだ。

 

 この機動艦隊は上陸開始日に合わせて行動を開始した。だが<瑞鶴>は海図に描かれていない暗礁に接触してしまい、艦底を損傷したので引き返してしまった。

 

 <翔鶴>は予定どおり上陸部隊への支援任務に就いたが、この空母は撃沈されてしまった。海底に張り付く様に潜んでいた潜水艦から雷撃を受けたのだ。

 

 撃沈した理由は魚雷命中による浸水拡大ではなく、気化ガスの爆発による火災炎上だった。

 

 魚雷命中による爆発によって航空機用燃料タンクに(ひび)が入り、漏れ出した燃料の気化ガスが引火したのである。

 

 この<翔鶴>損失という苦い経験をした日本海軍は、同様の被害が再発しないように他の空母の燃料タンクを保護していく。

 

 燃料タンク外周の空所へ鉄筋を組み、コンクリートを流し込んでそれを強靭化していった。また、同時に格納庫の通風装置も強化された。

 

 <武蔵>が護衛していた<蒼龍>が相次ぐ被弾によっても沈まなかったのは、これらの対策が功を奏していたといえる。

 

 空母の燃料タンク強靭化はすんなりと実施出来たが、作戦失敗によって日本海軍という戦闘組織に生じた亀裂は簡単に修復出来なかった。

 

 作戦失敗の責任は誰かが負わなければならない。そのため、作戦に関わった長官や多数の参謀が更迭されたのだ。

 

 そのうち、作戦の骨格を作り上げた海軍中佐は駆逐艦の艦長に転任し、北大西洋で戦死している。彼は自らの命によって責任を取った。

 

 さて、亀裂が入った装甲板を取り換えるように司令部の人員を交代したが、これが新たな亀裂を生む原因になった。

 

 何故かといえば、空席になった司令長官や多数の参謀のポストに、新たな者を任命しなければならない。この時に日本海軍らしい一悶着が起きたからである。

 

 人事発動権は海軍省人事局の所轄だ。そして、人事局は慣例に基づいて兵学校の卒業年次の古い順に、その時点で重職に就いていない士官を割り当てていった。

 

 士官たちの考課表も考慮されているが、基本的には年功序列だ。

 

 これに異を唱えたのが山口多聞大将が長官を務める連合艦隊(GF)司令部だった。

 

 GF司令部の主張は、普段から揚げ足を取るかのように批判する者たちでさえ、反論する余地が無いものだった。

 

 敵情を分析する能力すらない無能な士官を、年功序列という理由で空席のポストに配置してしまうから作戦が失敗してしまう。そう主張したのだ。

 

 それだけで留まらず挑戦的な「要望」もした。()()()()()()()()()()()()が推薦した士官を参謀職に就かせて欲しいと。

 

 GF司令部は戦時中だからこそ世間の注目を集めている、実戦部隊の最高司令部だ。

 

 だが、海軍の組織上では戦争終結後に解散される臨時司令部であり下位組織でしかない。その司令部が「要請」してきたのだ。

 

 おまけに、海軍省や軍令部で勤務している士官連中を「無能で実戦経験が無い愚か者たち」だと断言している。

 

 周囲の予想通り、海軍省はそれを突っぱねようとした。しかし、その試みは不発に終わった。統合軍令本部総長の井上政成美大将からも同様に「要請」されたのだ。

 

 統合軍令本部から連なる指揮命令系統から外れているとはいえ、さすがにこの要請を無視出来なかったのだ。裏で「天下無双の戦狂人(ウォー・モンガー)」と呼ばれる真田忠道少将が動いたらしい。

 

 そのGF司令部が推薦した士官が、参謀長と航空参謀だった。年功序列ではなく実力重視による抜擢らしい。

 

 特に航空参謀は敵情分析と航空作戦の指導が非常に優秀だそうだ。だが、その優れた能力を対人関係の構築に生かす事が全く出来ない。

 

 そもそも、着任した時から部下に対して横柄な態度を取ったり、暴力を振るったりするような性格だという。それは益々エスカレートしており、今日の空襲で一気に沸点まで達してしまったらしい。

 

 つまり、わたしは航空参謀の八つ当たりを受けたという事だ。

 

 そして、航海参謀は心の奥底から航空参謀を嫌悪していることを、言葉の端々に漏らしている。どのように捉えてもこの司令部の人間関係は良好では無く、水漏れしてしまうような亀裂が入っているのは確実だ。

 

 それにしても、東京にある統合軍令本部や布哇にあるGF司令部が、この司令部との意思疎通が不十分なことに驚いた。

 

 「剣」号作戦が失敗した原因を聞いていくうちに、この司令部だけでは解決出来ない問題に気づく。

 

 特に一つ目の問題は、統合軍令本部で各国の利害関係を調整すべき案件だ。だが、実際にはこの司令部に丸投げしていたようだ。これでは、作戦失敗の責任を現地司令部に押し付けられたとしか思えない。

 

 横須賀を出航する前には「グアンタナモに戦争は任せられない」という発言を幾度も聞いていた。でも、無責任なのは東京だといえる。

 

 もちろん、航海参謀の話がすべて真実だという前提であるが。

 

 そんな話をしている最中に、うやむやになってしまった話題を再び持ち出した。

 

 伊東中尉が目撃した新型ジェット機の話だ。

 

 スケッチは破り捨てられてしまったので、伊東中尉が説明してくれた情報をわたしなりに口頭だけで説明した。

 

 すると、航海参謀は何かを考え始め押し黙ってしまう。やっと開いた口から零れた言葉は、わたしにとって意外な言葉だった。

 

「そんな莫迦な……」

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしにとって航海参謀の言葉が理解出来なかった。

 

 既に第三次世界大戦が勃発した時から活躍してきたレシプロ戦闘機は、海軍にとってメキシコ湾海戦を境に過去のものになっている。

 

 統合航空軍の主力戦闘機も昨年の夏頃から、レシプロ機である五式戦闘爆撃機からジェット機である八式戦闘爆撃機へ少しずつ交代していった。

 

 既に制空権はジェット機でしか奪い取れない状況になっているのだ。

 

 だから、グアンタナモ基地を空襲した敵機編隊に、ジェット戦闘爆撃機が参加しても不思議ではない。わたしはそのような認識だが航海参謀は違うようだ。

 

「知名、この情報の裏は取れたのか?」

 

「裏と言いますと具体的に何でしょうか」

 

「この機体が本当に新型機かどうかという情報だ」

 

 それを言われても困る。わたしは<武蔵>艦長だが、陸上でできる事は限られている。

 

 敵機が落ちた位置は記憶しているので、その位置を説明することはできる。後は司令部からそこに向けて捜索隊を出してもらい、墜落機を回収して検分すべき案件だ。

 

 それをやんわりと説明すると航海参謀は素直に肯定し、そのまま話を続けた。

 

「俺が問題にしているのはジェット機の行動半径だ。ドイツ空軍の主力戦闘爆撃機は開戦以来Me262だが、その行動半径は知っているか?」

 

「はい、分かりません」

 

「通常飛行で五〇〇キロ強だ。空戦機動で大量に燃料を消費することを考慮すれば三〇〇キロが妥当だろう。それに対してグアンタナモからハバナまでの距離は八〇〇キロ以上もある。だから、Me262はバハマから飛び上がっても、ここまでたどり着けない。分かるか?」

 

「はい、何となく分かりました」

 

 ジェット機が実用的な戦闘機として、天空を自由自在に飛ぶようになったのは僅か五年前のことだ。

 

 これらの機体はいずれも行動半径が短いので運用面で問題があるが、八五〇キロ以上の速度で飛行する高速能力は大変魅力的だった。

 

 だから、主要参戦国はレシプロ機より短くなった行動半径に目をつぶってでも、ジェット機を次々に実戦投入している。

 

 ちなみに、我が海軍にとって最後のレシプロ戦闘機と言われている、<烈風改II>の行動半径は八五〇キロある。

 

 同じく最新鋭ジェット戦闘機である<旋風一一型>は六七〇キロしかない。

 

 空戦による燃料消費を考慮すれば二〇〇キロ分をマイナスすべきだが、それでもジェット機のほうが行動半径が短いのだ。

 

「ジェット機の行動半径の問題は統合航空軍も同じだ。<震電改><迅雷>も、Me262より少し遠くまで飛べる程度だ。そうなると、どんな問題が発生するか分かるか?」

 

「そうですね……。我が海軍のレシプロ艦攻機<流星改II>の行動半径は九五〇キロですので、余裕ありませんがグアンタナモとハバナを往復出来ます。ですが、ジェット戦闘機では往復出来ません。爆撃機は戦闘機の護衛無しで飛行しなければならず、爆撃目標に到達する前に敵戦闘機によって次々に撃墜されるでしょう」

 

「そのとおりだ。ついでに対策を思いつけるか?」

 

「グアンタナモとハバナの中間地点に戦闘機用の飛行場を建設して、そこから戦闘機を飛ばせば爆撃機を護衛出来ます」

 

「正解だ。キューバ島で展開されている地上戦は、点在する野戦飛行場の争奪戦なのさ。これらの飛行場を我々が手に入れるか使用不能に追い込めば、ハバナにいるドイツ軍を海に突き落とせる」

 

 ここまでくれば航海参謀が伝えたいことが分かってきた。そして、航空参謀の補佐官たちが議論していた話題に繋がっている事にも気づく。

 

 キューバ島の市街地であるシエンフエーゴスとサンタ・クララを結ぶ線が、連合軍と対峙している戦線だ。

 

 この戦線はグアンタナモから約六〇〇キロ離れた所にあり、それよりグアンタナモ側は枢軸軍が制圧していた。この距離は横須賀から尾道までの直線距離に相当する。

 

 当然ながら、この戦線からグアンタナモ側には連合軍の飛行場は無いので、ドイツ空軍ジェット戦闘機がグアンタナモまで飛行出来ないのだ。

 

 いや、出来ない筈だった。

 

 片道飛行ならともかく、爆撃後に帰還する前提であればあり得ないのだ。

 

 そうなると、伊東中尉が主張する新型機の存在が真実味を帯びてきた。Me262より行動半径が大幅に広がった戦闘機が実戦投入されたのだ。

 

 もし、ハバナから飛び立ったのであれば、我が海軍の最新鋭ジェット戦闘機<旋風一一型>よりも長距離飛行できる機体になる。

 

 そんなジョット戦闘機が登場すれば第一機動艦隊の戦闘計画に影響するのは避けられない。

 

 わたしはあまりにも重要な情報を聞いて身が竦むような気分になる。対称的に航海参謀は顔を綻ばせ、溢れる喜びを抑えきれない声でわたしに話していく。

 

「知名、確認するが航空参謀はこの情報に興味を持ったのか?」

 

「はい、航空参謀は『今頃、こんな情報を持ち込んでくるな!』と言われましたので、全く興味が無いと思います」

 

「あの男なら、そう言うだろうな。それで、敵機の墜落地点は説明したのか」

 

「はい、副官が説明しようとしましたが航空参謀が邪魔したので、正確な位置は説明出来ませんでした」

 

「この案件は俺が貰うぞ。俺の権限で陸戦隊を出動させる。これから現地に向かわせるから知名の副官を貸してくれ」

 

「間もなく日が暮れますが、それでも出動させるのですか」

 

「もちろんだ」

 

 航海参謀は何処かへ電話を掛けている最中に、わたしは補佐官室で待機中だった伊東中尉へ陸戦隊を現地へ案内するように指示した。

 

 間もなく陸戦隊の士官が兵曹長を連れて航海参謀室に現れる。航海参謀は敵機の墜落位置を記した地図と伊藤中尉が再スケッチした図を渡し、彼らと伊東中尉を送り出した。

 

 数時間後には撃墜した敵機の正体が判明する筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一一話

サルガッソー海、中部大西洋、大西洋

一九五〇年四月二二日 午後八時

 

 

 

 人類がこの世界に誕生した時から、生命の源として海を親しみ、気候によって豹変する海を恐れ、流木をヒントにした筏や丸木舟を漕いで海と共に生きてきた。

 

 人類は子供を産んでは育ててその数を増やし、経験を蓄積したり哺乳類史上稀にみる優秀な頭脳を駆使したりして科学技術を飛躍させていく。

 

 そして、様々な災難や悲劇に直面しても諦めることなく、大海原を自由自在に航行できる夢を実現しようとした。

 

 その努力は次第に花を咲かせて実を結び、その種子が人類の飛躍に繋がる新たな技術を開花させていく。

 

 陸地の沿岸に沿って航行する技術しかなかった人類は、時代を得るごとに東シナ海や地中海を横断できる技術を身につけた。更に、欧州から北アフリカへ航行したり日本列島から台湾やベトナムへ航行したりする技術を磨いていった。

 

 そして、遂に人類はそれまでの技術を駆使して、大西洋横断に挑戦した。

 

 一四九二年八月三日、クリストファー・コロンブスを団長とする調査船団は、帆船サンタ・マリア号以下三隻でスペイン帝国領のパロス港を出航した。

 

 そして、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上のカナリア諸島で整備を済ませると、進路を西に向けて出帆し広大な大西洋を進みだしたのだ。

 

 この船団には約九〇名(一説には一二〇名とも伝えられる)の水夫たちが乗船していた。

 

 彼らは出航当初こそ意気揚々だったものの、当初の計画以上に長期間の航海になるにつれ水夫たちが不安に駆られていく。そして、彼らにとって未知の海域に到達した頃になると、小規模な暴動が起こり水夫たちの不満は頂点に達してしまった。

 

 その時、コロンブスは「あと三日で陸地が見つからなかったら引き返す」と約束した。更に、海面に漂う流木を見つけると近くに陸地があると言って船員を説得した。

 

 そして一〇月一一日の日付が変わろうとする頃に、船団の一隻であるピンタ号の水夫が陸地を発見した。

 

 翌朝、コロンブスはその島に上陸し、ここを占領してサン・サルバドル島と名づける。欧州にとって新大陸である北米大陸が発見された日として、歴史に記録された瞬間であった。

 

 だが、実際にはコロンブスの到着以前に北欧州のヴァイキングが上陸していた。残念なことに、彼らの主張は千鳥足で歩く酔っ払いが偶然にも見た、地球外生命体の目撃情報並みに聞き流された。

 

 当時の南欧州における世間の一般常識では、ヴァイキング≒海賊≒キリスト教(カトリック派)ではない邪教の狂信的武装集団である。彼らの証言は信ぴょう性に疑いが掛けられているのは仕方が無いことだからだ。

 

 もし、自ら海賊だと自称する麦わら帽子を被った少年が、コロンブス上陸前に仲間が北米大陸に上陸した事実を語ったとしたら、その方面に教養ある者たちが彼の言葉に耳を傾けるだろう。

 

 だが、弾力あるゴムのように両手を伸ばしたり、仲間として二本足で歩くトナカイが登場したりした時点で、奇人変人としか表現できない彼らは逮捕される運命に遭う。

 

 既にこの時代では魔女狩りが盛んに行われている。彼らは悪魔と契約して人類社会の破壊を企む「魔女(性別は男だが)」として捕らえられ、処刑しなければならない存在だからだ。

 

 何しろ、彼らは悪魔の実を食べており、身体の中で悪魔と共存しているのだから言い逃れは出来ない。彼らが選べるのは素直に処刑されるか、常人では真似出来ない身体能力で捕縛者をなぎ倒して逃走するかのどちらかだ。

 

 結局、北米大陸に到達した栄誉はコロンブスしか掴めないのである。

 

 さて、船乗りは一航海ごとに航海日誌へ記録する。その内容は詳細であり乗員の健康状態、積み込んだ貨物の種類や重さ、毎日変化する天候や海面の状況、航海用六分儀で測定した船の現在位置、それ以外にも当日に起きた出来事を記録している。

 

 コロンブスもこの航海を日誌に記録している。

 

 カナリア諸島を九月一日に出帆してからしばらくの間、順調に航海を続けていたが九月一六日になると海藻が多く浮遊する海域に入ってしまう。

 

 この海域は凪が多いので帆船では進まなくなってしまったのだ。どうやら、この頃に水夫たちの暴動が起きたらしい。

 

 しかし、無風状態が続いた訳ではなく船団は徐々に南南西に進んでおり、一〇月四日には海藻がなく風が吹く海域に到達している。

 

 この海藻が多く浮遊する海域は現在もあり「サルガッソー海」と呼ばれている。

 

 海流によって囲まれた海域であり、貿易風と偏西風の狭間にある海域でもある。帆船の航行に適した良風が吹きにくい海域なので、当時の船乗りにとって忌避すべき海域であった。

 

 だが、人類が操る船は帆船から蒸気機関を搭載した船に進化し、現在は何万トンもある鋼鉄の船を推進できるようになっている。だから、「サルガッソー海」という航海の難所は過去のものになっていた。

 

 その海域に、フロリダ半島やバハマ諸島にあるドイツ基地を空襲した枢軸海軍第一機動艦隊が浮遊していた。

 

 この艦隊の主力艦は九九九艦隊建造計画に基づいて建造や改装が行われており、日本海軍にとって最新の技術を投入した艦艇でもあった。

 

 この艦隊建造計画は、一九三三年にアドルフ・ヒトラー党首の国家社会主義労働者党(NASDP)がドイツの政権を掌握し、ヴェルサイユ条約の破棄を宣言した時まで遡る。

 

 同党は、第一次世界大戦の敗北によって足枷のように嵌められたヴェルサイユ条約の破棄を宣言すると、西欧諸国の警戒を無視しつつ再軍備に着手したのだ。

 

 この欧州における政治的環境の変化に対応すべく、日本は英国の了承を得た上で海軍増強の検討作業に着手した。

 

 これが発展して日本が立案した唯一の艦隊計画(同時に戦時建艦計画でもある)となった、九九九艦隊計画として国会で承認されたのだ。

 

 この計画は旧式戦艦九隻の改装、新戦艦九隻の建造、新空母や就役済み空母九隻の建造や改装、その他護衛空母や護衛駆逐艦、油槽船の建造が予定されていた。

 

 この計画によって建造された艦艇が第一機動艦隊の主力として組み込まれ、連合軍へ攻撃する機会を伺っていた。

 

 日本海軍は、この艦隊に一〇隻の空母と数隻の戦艦を投入している。

 

 ○第一部隊

  ・第一航空戦隊 <飛鷹><雲鷹>

   (いずれも<飛鷹>級(改大鳳級))

  ・第二航空戦隊 <大鷹><翔鳳>

   (<飛鷹>級と<大鳳>級)

 

 ○第二部隊

  ・第三航空戦隊 <大鳳><海鳳>

   (いずれも<大鳳>級)

  ・第四航空戦隊 <瑞鶴><蒼龍>

   (<翔鶴>級と<飛竜>級)

   (但し<蒼龍>はグアンタナモへ避退中である)

  ・第二戦隊 <武蔵><信濃><甲斐>

   (但し、<武蔵>は<蒼龍>護衛任務のためグアンタナモへ寄港している)

 

 ○第三部隊

  ・第五航空戦隊 <天城><赤城>

   (いずれも<天城級>、レシプロ機のみ運用)

  ・第四戦隊 <加賀>

 

 これ以外にも、英海軍は<イラストリアス>(レシプロ機のみ運用可能)、合衆国海軍は<レキシントン><サラトガ>(レシプロ機のみ運用可能)を参加させてる。

 

 空母以外にも戦艦<信濃><甲斐><加賀><プリンス・オブ・ウェールズ><ノースカロライナ><ワシントン>や超甲巡、重巡、防空巡、駆逐艦を合わせて五〇隻以上が参加している。

 

 この機動艦隊に参加していない空母に<飛鷹>級の<隼鷹>があるが、日本近海で慣熟航海中のため実戦参加は出来なかった。他に<飛龍>級の<飛竜>は<祥鳳>級軽空母や<キング・ジョージV>と共に印度洋や紅海で作戦行動に就いている。

 

 この艦隊の旗艦は<飛鷹>である。一九四〇年九月に決行された英本土からの撤退作戦「ダンケルク」において、<翔鶴>の初代艦長として英軍の撤退を支援した戦歴を持つ城島高次大将が、艦隊司令長官として乗艦していた。

 

 彼は日本海軍にとって、当時の最新鋭航空母艦の艦長として北大西洋で戦い、ドイツ軍急降下爆撃機の洗礼を受けつつも空母の運用実績を築き上げ、そして生還した貴重な人材である。

 

 そんな彼が昇進してこの艦隊を指揮するようになったのは、ごく自然の流れであった。

 

 その本人は司令長官室で机に広げた海図を睨んでいた。

 

 深夜に近づきつつあるこの時間は、戦闘中とはいえ幾らか落ち着いている時間帯である。それを活用して明日以降の戦闘方針を模索中だったのだ。

 

 その時、誰かが彼の居室の扉を叩く。

 

 彼の応答を聞いて扉を開いたのは参謀長であり、その手は電文が書かれた用紙を何枚か掴んでいた。城島は参謀長の姿を見るなり即座に言葉を放つ。

 

「参謀長、前もって教えてくれ。良い話と良くない話のどちらだ」

 

「両方あります。明日の朝に気持ちよく目覚める順で話しましょうか」

 

 ドイツ海軍第一航空戦隊を発見出来ずに意気消沈していた参謀長が、妙に気分を昂らせながら尋ねてきた。

 

 喜怒哀楽が非常に分かりやすい彼が、報告しに来たということは吉報があるのだろう。それに期待して城島は参謀長に促した。

 

「それでいい。頼む」

 

「では、一枚目は洋上補給するために後退した第二部隊からです。『我、補給作業終了。今夜中ニ艦隊ヘ復帰セントス』です」

 

 第二部隊は空母<大鳳><海鳳><瑞鶴>、戦艦<信濃><甲斐>を擁する艦隊だ。

 

 この艦隊は第一機動艦隊にとって一番槍を務めることになっていた。だから、常に第一部隊を基準にして敵の襲撃方向に配置されている。

 

 これを敵側から見れば最も近い位置にいる部隊になるので、敵機や敵艦隊はこの部隊に攻撃を集中する事が予想された。それを考慮して飛行甲板を装甲化した空母や四六サンチ砲戦艦が数隻組み込まれている。

 

 別の見方をすれば敵機の空襲や敵艦隊の砲撃を引き寄せることで、第一部隊や他の部隊への被害を極限させる役割を与えられている。この電文はその部隊が復帰する報告だった。

 

「参謀長、明日以降の戦闘は期待できそうだな。それで、次は明日の目覚めが良くなる電文だろうな?」

 

「当事者にとっては胃が痛くなるよう電文です」

 

 彼は不安を誘うような参謀長の予告を聞くと胃腸薬の瓶を思い浮かべる。

 

 何しろ、メキシコ湾海戦後に三川軍一大将と交代した彼にとって、この戦闘が日本海軍空母機動艦隊の将来を賭けた海戦になるだろうと予想していた。

 

 もし、これから起こるであろう海戦で引き分け以下の決着になれば、空母を中心に編成した大艦隊は縮小されると危惧していたからだ。

 

 だが、参謀長の報告は彼にとって予想外の話だった。

 

「軍令部からの問い合わせです。グアンタナモに向かった艦艇八隻の指揮権を、第一機動艦隊(いっきかん)から枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部(カリブ艦隊)へ移管したいが、問題無いかというものです」

 

 とある艦隊から数隻の艦艇を引き抜いて、別の艦隊に編入することは頻繁にある。

 

 しかし、作戦行動中の艦隊から引き抜くのは極めて異例だ。だから、軍令部は命令ではなく、第一機動艦隊側の意見を求めたくて問い合わせしてきたらしい。

 

 城島は軍令部へどのように返信するか考えるため、参謀長へ質問していく。

 

「<蒼龍>以外にそこへ向かったのはどの艦だ?」

 

「第二戦隊の<武蔵>、第三駆逐隊第二小隊(さんくにしょうたい)の<榧><槇>、第四一駆逐隊(よんじゅういっく)の<涼月><冬月><若月><初月>です」

 

「損傷艦ばかりか。おまけに大飯食らいの<武蔵>まで……。確かにカリブ艦隊の連中にとって胃が痛くなる話だな。では、軍令部へ返信してくれ。艦艇だけなら委譲に問題無し、母艦航空隊と搭乗員は断るとな」

 

「はい。そのように返信します」

 

 城島にとって四六サンチ砲戦艦一隻が戦列から離れた程度では、痛くも痒くもない。それより<蒼龍>が被弾して、グアンタナモに向かわざるを得なくなったほうが辛かった。

 

 カリブ艦隊が<武蔵>をどのように使うのか予想出来たが、彼がとやかく言う立場ではない。そもそも第一機動艦隊自体が、幾つかの艦隊から艦艇を借り入れて編成した臨時編成の艦隊なのである。

 

 <武蔵>の運用方法について意見が言えるのは、柱島泊地で錨泊中の<尾張>に将旗を掲げた第一艦隊司令部だけだ。

 

 参謀長が次の電文を取り出すと、城島は念のために確認する。

 

「参謀長、今度こそ明日の目覚めが良くなる電文だろうな?」

 

「長官を尊敬する女性からの熱い電文です。小官はこの電文を読んだ途端に思わず鼻息を荒くしてしまいました」

 

「おい、そこまで言われると気になって眠れないぞ。早く読んでくれ」

 

「はい。カリブ艦隊司令部からです。『本日一五五〇(ひとごーごーまる)時ぐあんたなも空襲ヲ受ケリ。来襲シタ敵機ハ新型機ヲ含ム』です」

 

「ふむ、グアンタナモが空襲を受けるなんて久しぶりだな」

 

 枢軸軍地上部隊が連合軍と対峙する戦線を、シエンフエゴスとサンタ・クララを結ぶ線まで押し込んだのは、一か月以上前の出来事だった。

 

 何度かドイツ軍機甲師団の猛攻を受けて戦線が破れかけた事もあったが、現在に至るまで何とか維持し続けている。この戦線が維持されているからこそ、グアンタナモは空襲を受けなくなったのだ。

 

 作戦前に第一機動艦隊が安全に集結する地点として、グアンタナモ湾が選ばれたのもそのような戦況によるものだった。

 

 もし、グアンタナモ湾が安全に使用出来なかったならば、パナマ運河の大西洋側出入口にあるコロン湾が集結地として選ばれただろう。

 

 城島がキューバ島の戦況について思い巡らしているうちに、参謀長は新たな報告を始める。

 

「実はカリブ艦隊以外に、<武蔵>艦長個人名義でも届いています。その電報には追伸があり『新型機は空母艦載機ト思ワレル。敵機動艦隊ハ、めきしこ湾モシクハみししっぴ川ニ潜伏中ト推測スル』です」

 

「空母艦載機?」

 

「はい、空母艦載機だそうです。<武蔵>から受信した電文のみ具体的に書かれているのです」

 

「ふむ、<武蔵>艦長は誰だ?」

 

「知名もえか、長官を尊敬する綺麗な女性ですよ」

 

「確かに俺の血が滾るような熱い電文だな。やはり、敵機動艦隊はそこに潜んでいるようだな……」

 

 グアンタナモを空襲したのが敵機動艦隊であれば、この艦隊が連合軍の浴場ともいえるメキシコ湾にいるのが確実だからだ。もしかしたら、母艦航空隊だけを地上に降ろして艦艇はミシシッピ川に係留しているのかもしれない。

 

 外洋航行能力を持つ船舶がミシシッピ川の河口からニューオリンズ市街を通過して、更に河上へ遡上を続けると南ルイジアナ港に到着する。

 

 この港は川岸に大型貨物船が接岸できる岸壁があるので、敵艦隊もこの周辺にいる可能性があった。ここへ第一機動艦隊が空襲を仕掛けるのは無謀でしかない。

 

 そもそも、第一機動艦隊にとってドイツ軍第一航空戦隊が予想外の行動を取ったので、今後の展開に悩んでいたのだ。

 

 以前にも掲載したが、改めて第一機動艦隊の作戦計画をここに記す。

 

 (1)連合軍の合衆国本土からキューバ島へ続く海上交通路(シーレーン)を遮断するため、フロリダ半島やバハマ諸島を空襲する。

 

 各基地への空襲は基本的に一回だけと決めていた。そして、帰還した航空隊を収容後は敵機の空襲を回避するため、速やかに中部大西洋まで退避する。

 

 (2)状況が許す限り同基地へ反復攻撃をするか、攻撃目標をメキシコ湾、合衆国東海岸にある軍港や航空基地に向ける。

 

 (3)空襲による被害続出に痺れを切らしたドイツ海軍第一航空戦隊を、ノーフォーク港から引き摺り出して洋上で決戦を挑む。

 

 城島たち第一機動艦隊司令部は、ノーフォーク港から出撃したドイツ海軍第一航空戦隊が決戦を挑んでくると想定していた。

 

 脅威となる敵艦隊に危機感を抱いた海軍は、どれほど無謀に思えても敵艦隊を叩こうとする。それが万国共通の海軍における常識だ。

 

 いや、常識だった筈だと書くべきかもしれない。

 

 第一機動艦隊司令部にとって想定外の事態が起きてしまったからだ。

 

 ドイツ海軍第一航空戦隊は、<武蔵><蒼龍>に一撃加えただけで大西洋から姿を消し、何処かに隠れてしまったのである。

 

 まるで「モーゼの道」作戦でアデン港から脱兎のごとく逃走した、イタリア海軍東洋艦隊を参考にしたような手際の良さだった。

 

 これが原因で、第一機動艦隊司令部の方針が二転三転するようになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一二話

サルガッソー海、中部大西洋、大西洋

同日 同時刻

 

 

 

 ふと、城島は苦渋の表情を浮かべた同期の顔を思い出した。

 

 そういえば、アイツは「母艦航空隊搭乗員は大切に扱え。艦艇と航空機は幾らでも増やせるが、搭乗員だけは簡単には増やせない。だから、無駄死させるな。一人でも多く回収して敵地に残すな」と、渋柿を齧ったような顔で話していたな。

 

 アイツが第二航空戦隊の司令官や第一機動艦隊の司令長官をしていた頃は、事故死寸前の過酷な訓練を母艦航空隊の将兵に課していた。

 

 それなのに、今では母艦航空隊の将兵の安否を気遣うようになったのか。

 

 母艦航空隊の将兵から「人殺し多聞丸」やら「気〇い多聞丸」やら、散々に陰口を叩かれたアイツがねえ。

 

 まあ、航空機搭乗員が不足しているので、それしか言えないのだろうな。アイツの性格が丸くなったと言うべきか。

 

 いや、違うな。過酷な訓練を手加減してもいいとは一言も言わなかった。

 

 つまり、何も変わっていないのか。うん。

 

 城島が回想したのは兵学校の同期であり布哇諸島のオアフ島にいる、聯合艦隊(GF)司令長官兼枢軸海軍部隊総司令部司令官である山口多聞(やまぐち たもん)海軍大将との打ち合わせの光景だった。

 

 彼はカリブ海に向かう途中で、そこに立ち寄って打ち合わせをした。真珠湾を見下ろす小高い丘にある庁舎の中で、山口は城島に何度も強調していたのが母艦航空隊搭乗員の重要性だった。

 

 そこまで山口が強調した理由は、日本海軍における空中勤務者が戦前の想定以上に消耗している現実と、早期育成計画が破綻しつつある問題に直面していたからだ。

 

 日本海軍は戦争が始まる数年前から、図上演習で明らかになってきた航空機搭乗員の消耗率に不安を抱き、大量の搭乗員を確保するために選抜基準を緩めた。同時に合衆国の搭乗員運用制度を参考にして二直制も導入している。

 

 二直制とは、仮に一〇〇機の艦載機が搭載可能な空母があった場合に、予備戦力として更に一〇〇機分の機体と操縦員を用意しておく運用制度だ。

 

 この運用制度が与える時間的余裕により、日本海軍の搭乗員が部隊配備されるまでの平均訓練時間は三〇〇時間を超えるほどになっている。これはアジア太平洋地域の資源を何の妨害もなく使用できる環境も好条件をもたらした。

 

 では、何が原因で母艦航空隊搭乗員の早期育成計画が破綻しつつあるのかというと、日本海軍が身内のことしか考えていなかったことが挙げられる。

 

 具体的には空中勤務適正者を、統合航空軍と奪い合う事態を想定していなかったのだ。

 

 誰もが操縦士や航法士になれる訳ではない。高所恐怖症は航空機に乗れない。畑で農作物と会話しながら育ってきた者は、航空機以前に機械部品を理解出来なかった。

 

 メキシコ湾海戦と「剣」号作戦で消耗した母艦航空隊が、再建するために半年近くも掛かってしまった理由はそのような事情があった。

 

 誰もがこの時になって空母機動艦隊という戦力を、戦場へ気軽に投入できる戦力では無いのだと思い知ったのだ。

 

 この問題を解決するためには、空中勤務適正者を統合航空軍ではなく海軍へ、集中投入すれば済む。しかし、それは海軍が判断することではなく、この戦争全般を作戦指導する統合軍令本部が判断する案件だ。

 

 そして、統合軍令本部はその人材を海軍ではなく、統合航空軍へ優先して提供することにしていた。

 

 ここの最高責任者である総長の井上成美大将は海軍出身であり、彼は空母機動艦隊の実力を十分に理解している。それでも、部下たちが提案した方針を承諾せざるを得なかった。

 

 この年の秋から始動する計画で進められている、大ドイツ帝国の中核都市を標的とした戦略爆撃のために必要だったからだ。

 

 そして、山口は大ドイツ帝国への戦略爆撃計画が進捗していることを知らない。統合軍令本部で進められている機密事項なので、海軍大将といえども容易に知ることは出来なかった。

 

 他にも統合軍令本部にとって頭痛の種となるような問題もあるが、そうした事情で母艦航空隊搭乗員の補充が難航している。

 

 城島は脳裏に浮かんだ山口の顔を消し去ると、机に広げた海図に視線を向ける。

 

 ドイツ海軍第一航空戦隊はメキシコ湾に居座り続けるだろう。そうであれば、作戦は振り出しに戻ったと考えるべきだ。

 

 今度はノーフォーク港からではなく、メキシコ湾から引っ張り出す方法を考えなければならない。

 

 それ以前に確認しなければならないのは、<武蔵>というより彼女の推測が真実なのかという点だ。それを確認したく城島は参謀長に質問した。

 

「参謀長、この電文はどう判断する?」

 

「小官としては、現状を正確に捉えていると判断しております」

 

「「剣」号作戦と同じような失敗をしたくないから、敢えて聞くぞ。その根拠は?」

 

 第一機動艦隊の作戦目的は、ドイツ海軍第一航空戦隊を撃破することである。彼らはそれを達成するまで何度でも攻撃するつもりだった。

 

 そのために、GF司令部はこの機動艦隊だけではなく燃料、弾薬、航空機、糧食等を補給する専用の補給船団まで送り出している。

 

 誰もが戦果無しで帰港するなんて考えていない。だから、何としても敵艦隊に一撃だけでも攻撃しなければならなかった。

 

 そのためには敵艦隊を探さなければならないが、どこにいるのか突き止められないのだ。

 

 仮に第一機動艦隊がメキシコ湾へ進入したとしても、メキシコ湾の隅々まで捜索するのは困難である。偵察任務に使用できる機体数は有限であり、そもそも敵の制空権内で第一機動艦隊が行動するのは危険すぎる。

 

 メキシコ湾を安全に航行するためには、制空権を奪取するのが絶対条件だった。

 

 そのためにキューバ島ハバナに展開する敵航空隊以外に、合衆国から離反した南部諸州に展開している敵航空隊も撃滅しなければならない。

 

 もし、これらを個別に攻撃して撃破成功したとしても、その時点で過去の実績から残存航空戦力が二割から三割しか残存しないと予想出来た。

 

 この激減した航空戦力では、ドイツ海軍第一航空戦隊を撃破できることは不可能である。

 

 補給船団から機体や操縦士の補充を受けたとしても、完全な戦力の回復は出来ない。よって敵艦隊を撃破出来ず、むしろ第一機動艦隊に被害が続出してしまうだろう。

 

 城島はそこまで考えていたので、敢えて質問したのだ。参謀長は城島の質問を受けると真面目な表情になり、彼が求めている的確な答えをした。

 

「欧州の海軍は英国を除き現存艦隊主義(フリート・イン・ビーイング)が主流です。我々がキューバ島に上陸した頃、ドイツ人たちはカリブ海の制海権を奪回するために積極的に攻撃してきました。ですが、最近はそれも大人しくなっています。このことから、ドイツ海軍の戦略方針が元々の方針に戻ったのだと推測出来ます。そして、この電文はそのような推測を補強する材料だと判断しました」

 

 参謀長の返答は城島の結論とほぼ同じだった。そうでなければドイツ海軍の行動が説明出来ない。これで方針は固まった。

 

「参謀長、ドイツ海軍第一航空戦隊はメキシコ湾に引きこもっている。だから、我々はそれが出て来るまで自由気ままに暴れまわることにしよう。次はどこを空襲すべきだと思うか?」

 

「ハリファックスです。事前に定めた目標のうち最北端にある港町です。ワシントンDCやニューヨークに比べれば防備が薄いので、戦果は期待出来そうです」

 

「その方向で進めよう。遅い時間だが参謀たちを招集してくれ。一五分後に会議を始める」

 

「了解しました」

 

 参謀長が退出すると、城島は自分の思考を整理し始める。

 

 母艦航空隊搭乗員は揃っている。補給船団も随伴しているので、兵員の疲労を考慮しても洋上で一か月間の継戦能力がある。戦力は十分だ。

 

 だが、この作戦が戦果不十分であれば次が無い。更に母艦航空隊がメキシコ湾海戦の時と同程度の損害を受けてしまえば、その戦力を再建するのに一年近く掛かるかもしれない。

 

 果たして戦況がそんな悠長なことを許してくれるだろうか。いや、そんな問い掛け自体が無意味だ。明らかに答えが決まっていることを自問自答するのは、自分の考えを正当化したい時だけだ。そこまで俺は追い詰められていない。

 

 酷な話であるが、第一機動艦隊はそのような戦果を求められている。だから、やらなければならない。だから、第一機動艦隊は新たな針路に向かおうとしているのだ。

 

 人間とは不思議な生き物であり、あれこれ悩むより無理を承知で物事を進めたほうが吉となる場合がある。敵艦隊の動向把握に悩んでいた城島や参謀長にとって、<武蔵>の電文は吉報であった。

 

 少なくとも今夜だけは、彼らは悩むことなく熟睡出来そうだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 新鋭空母と優秀な戦闘能力を有する艦艇で編成された日本海軍第一機動艦隊は、日本が持つシーパワーの中核を成す存在である。

 

 この艦隊は枢軸軍にとって最強の艦隊であると自信を持って言える艦隊であったが、その戦歴は戦前に予想されたような華々しいものではない。

 

 一九四九年六月に生起した、史上初の空母機動艦隊同士による海戦として有名な「メキシコ湾海戦」では、勝敗がつかず引き分けに終わった。

 

 この海戦で枢軸軍が勝利出来なかった理由として、日本と合衆国との連携が悪かったからだと解説される事が多い。

 

 だが、それを突き詰めていくと、戦前から研究していた運用や戦術の幾つかが実戦では役に立たなかった事が、浮き彫りになっていく。

 

 一例として、敵機が断続的に空襲してくる状況下では、攻撃隊の発艦準備に時間を要することを想定していなかったことだ。

 

 急降下爆撃機を回避する度に空母が大きく傾斜するので、爆撃機に爆弾を括り付ける作業を中断せざるを得なかったのである。

 

 また、機体整備員たちは他の兵科の応援任務も兼ねているので、空襲を受けると空母が被弾した場合に備えて消火用放水筒を抱えたり、機銃弾の装填補助に回ったりしなければならない。

 

 こんな事を続けていれば、攻撃隊の発艦準備が益々遅れてしまう。

 

 平時の訓練では発覚しなかった問題点がこの段階で明らかになり、艦隊司令部の作戦計画に綻びが生じるのは避けられなかった。

 

 この時は第二次攻撃隊の準備をしていた。

 

 すべての爆撃機に爆弾や魚雷を取り付けようとしたので時間が掛かり、一時的であるが二五番(二五〇キロ爆弾)を取りつけたのに発艦出来ない機体が格納庫に溢れてしまったのだ。

 

 ようやく発艦準備が整い母艦航空隊が次々に発艦する頃、偶然にもドイツ海軍母艦航空隊が空襲を仕掛けてきた。

 

 そして、日本海軍が恐れている急降下爆撃機が、発艦作業中の空母に目掛けて次々に爆弾を投下していったのだ。

 

 艦隊上空を守るはずだった直衛隊はドイツ海軍戦闘機隊との戦闘だけで精一杯になり、爆撃機を阻止する有効な攻撃が出来なかった。

 

 また、艦艇の防空火器は敵機を次々に撃墜したが、それでも急降下爆撃を阻止しきれなかった。

 

 爆撃を受けたのは<天竜><雲竜>だった。この二隻は改装工事の対象艦だったが、工廠の作業工程都合によって飛行甲板の装甲化が間に合わず、就役時の姿のままで実戦に参加していたのだ。

 

 <天竜>には二発、<雲竜>は三発命中し、いずれも重装甲化されていない飛行甲板を貫通して格納庫で爆発した。

 

 格納庫には発艦前で爆弾や燃料を搭載した戦闘機や爆撃機が、所狭しと並べられていたのである。

 

 これらが爆弾の爆発によって誘爆が始まってしまうと格納庫は炎上し、炎が艦艇内部に塗られた塗料に燃え移ると延焼範囲を拡大していく。

 

 そして、遂に機関室の吸気口から機関室へ延焼してしまい、機関を停止せざるを得ない状況になってしまった。

 

 そうなると消火用放水筒から勢いよく放たれていた海水も途絶えてしまい、延焼を阻止する手段を失った各空母では総員退艦が下令された。

 

 この海戦では、二隻の空母以外に巡洋艦一隻と駆逐艦三隻も失っている。他に数隻の空母が大破し、防空任務に就いていた多数の艦艇も被害を受けていた。

 

 恐るべきことに被害は艦艇より母艦航空隊のほうが深刻だった。母艦航空隊の稼働機は戦闘終了時点で三〇パーセント程度まで低下しており、その残存機は殆どが戦闘機だった。

 

 つまり、空母だけではなく母艦航空隊も攻撃能力を喪失したのだ。

 

 海戦後に第一機動艦隊は、稼働可能な空母だけに母艦航空隊の補充を受けて小規模な機動部隊を編成する。

 

 この機動艦隊が、「剣」号作戦の上陸支援艦隊として作戦に参加することになる。だが、この時にも甚大な被害を受けた。「翔鶴」が雷撃を受けて撃沈してしまったからだ。

 

 唯一生き残った<瑞鶴>は作戦行動中に艦底を損傷してしまい、上陸開始前に帰港していたので戦局に寄与出来なかった。

 

 相次ぐ戦闘で深い傷を負った空母機動艦隊は、その傷を癒すべく日本本土へ帰港する。そして修理や母艦航空隊搭乗員の補充を受けて再編成されると、継続した訓練によって戦力を回復させていく。

 

 城島が指揮する日本海軍第一機動艦隊は、そのような試練を乗り越えてきた。そして、再びドイツ海軍と対決するために大西洋に進出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三章 豹の狩人
第一三話


シエンフエーゴス市南方、シエンフエーゴス州、キューバ島

一九五〇年四月二四日 午前八時

 

 

 

 俺にとって理想の朝は、焚火で沸かした淹れたて珈琲の香りが漂う空間を独り占めにして、夜明けの空を満喫できる朝だ。

 

 そんな朝を迎えるために準備すべきことがある。前日の日暮れまでに人里離れた草原にテントを張って、星空の下で晩酌を楽しんで自然の息吹を子守歌代わりに寝袋に潜り込んで寝るのさ。

 

 眼が覚めた時には澄み渡った空の下で日の出を眺めることができるか、雨に降られて散々な目に遭うかは時の運だ。だが、それもキャンピングの醍醐味だ。

 

 軍隊の野営訓練でも同じような事をするが、あれとは違う。上手く説明出来ないが、何かが違うのさ。

 

 まあ、騙されたと思いながら一度でも朝焼けの空を見るがいい。眼が眩むくらい圧倒的な光量で山影から現れ、鮮やかなオレンジ色に輝く朝日だ。一度でも見たら誰もが心を奪われるぜ。

 

 大切なことだからもう一度言うぜ。眩いばかりに輝く朝日は、それを見たすべての人間の心を掴み、くだらねえ悩みなんかを奪っていくんだぜ。

 

 そんな朝日の光を浴びながら飲む珈琲は格別の味だ。目覚めた小鳥のさえずりが聞こえれば、更に素敵な朝になる。可愛い女の子が隣に座っていれば、もっと幸せな気分になるだろう。

 

 だけど、ワタリガラスの鳴き声だけは駄目だ。気が滅入る。あの鳴き声が聞こえたら、俺はためらわずに銃を握るだろう。あの鳥は英国王室の象徴だと耳に蛸ができるくらい指導を受けていたが、それでも撃ち殺したくなる。

 

 砲弾の爆発音はもっと駄目だ。静かな朝をぶち壊す。戦車のエンジン音も許せねえ。もう、我慢出来ない。

 

 

 

 だから、俺は決めたぜ。

 

 奴らを撃つ! ドイツ人(キャベツ野郎)、くたばりやがれ! 

 

 

 

 俺の視線の先には戦車が一両だけで走行している。それは、俺が所属している分隊が守備配置についていた塹壕を超えて進んでいた。

 

 他の戦車や戦闘車両の姿が見えないが、何らかの理由で遅れているらしい。

 

 それは絶好のチャンスだった。俺は肩に乗せていた対戦車噴進弾発射機(M20スーパーバズーカ)の照準を、その敵戦車の側面へ合わせると躊躇いなく引金を引いた。

 

 発射機の後方から爆風が吹き出し、大地に還ろうとしている木の葉や土を舞い上げる。そして、前方からは敵戦車の車体側面に食い破る威力がある口径三・五インチ(八九ミリ)のロケット弾が飛んでいく。

 

 そのロケット弾の針路は敵戦車の車体側面の後方、エンジン区画だ。

 

 俺は思わず叫んだ。

 

 

 

 当たれ! 俺は一目散に逃げるが当たってくれ! 

 

 

 

 発射機から吹き出した爆風で色んな物が舞い上がるので、俺が隠れている位置が敵兵に気づかれてしまうからだ。

 

 だから、一目散に逃げないと撃たれてしまう。こんな小さな島で死ぬのは御免だからな。

 

 俺は足場の悪い林の奥に向かって走る。たまたま視界に入った老木の裏側に隠れてから、敵戦車の方向を覗いた。敵戦車は俺が狙いを定めた所で停止している。

 

 俺の渾身の一撃が、敵戦車の駆動系に損害を与えた。間違いなかった。

 

 だが、霞んでいない俺の目には戦車の砲口が真円に見える。主砲を俺に向けているのは間違いない。どうやら、俺の人生のカウントダウンがスタートしてしまったらしい。

 

 ついでに言うと、敵戦車の砲口が俺に向いているということは、敵戦車の車内から幾つもの眼差しを浴びていることでもある。

 

 光栄だね。タンザニア自治領名物のキリマンジャロ山の麓で生まれ育ってきた俺が、キャベツ野郎の注目を浴びる存在になるとは嬉しいぜ。

 

 ならば、俺の雄姿をしっかりと眼に焼き付けさせようじゃないか。

 

 

 

 Ⅴ号中戦車H型パンテルⅡの車長と砲手よ、今回は俺の負けだ。

 だが、俺の仲間たちが貴様を煉獄に送り込んでやる。

 それまで精々足掻いてみせろ。畜生め! 

 

 

 

 俺は覚悟を決めると木陰から飛び出した。撃たれるのであれば堂々と撃たれるべきだと考えたからだ。

 

 だけど、次の瞬間に俺が隠れていた老木の根本が砕けて弾けた。敵戦車の砲弾が直撃したのだ。

 

 間一髪で逃げる格好になった俺の背中やケツを、老木の破片がチクリと刺してくるが俺の心は傷一つ無し。

 

 

 

 これは愉快だ。

 ならば、予定を変更して逃げ切ってみせようじゃないか。

 

 

 

 俺は無造作に樹木が林立する林で、右へ左へとジグザグに走りながら敵戦車から逃げていく。

 

 六キロ以上の重さがある発射機を、抱えながら走るのでスピードが出ない。だが、俺の武器はこれしかないから、大切に扱わないといけない。

 

 足場が悪く薄暗い林の中で必死に走った甲斐があり、俺の遁走は成功した。遂に敵戦車は俺を殺し損ねたのだ。

 

 もし、戦車の主砲だけではなく車体前面にある機銃が撃っていたら、俺の身体に幾つもの大穴が開いた筈だ。だが、何故か撃たれなかった。偶然にも故障したらしい。

 

 俺は機嫌が良くなったので発射機を肩に載せて、駆け足で林の中を進んでいく。

 

 目指す先は先程の小道の隣にあるもう一本の小道だ。そこにも塹壕が掘られていて、俺が所属する小隊のうち別の分隊が守備配置についている。

 

 それが木立の隙間から見えるくらいまで近づいた時、俺は我が目を疑ってしまう。

 

 俺が目指していた別の小道を、何両もの戦車や兵員輸送車が走っていた。その車両の側面には鉄十字がマーキングされている。どう見てもキャベツ野郎の軍隊だ。

 

 

 

 マジ、ヤバい。ホントにマジにヤバいって。

 俺、敵中に取り残されちゃったよ。

 

 

 

 慌てて引き返そうとしたが、さっきまで俺がいた塹壕に戻るだけだと気づいたので立ち止まる。俺が守るべき塹壕は無残な姿になっているからだ。

 

 こうなったら、キャベツ野郎が通り過ぎるまで待つしかない。その後は考えよう。

 

 俺は地面に倒れている丸太のうちベッドに最適な太さの丸太を見つけると、そこに横たわる。そして、いつの間にか睡魔が襲ってきて眠ってしまった。

 

 

 

          ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ほんの少しの時間だけ寝たつもりだったが、時計の針は正午前の時間を指している。俺は小道に敵影が無い事を確認すると、薄暗い林から日差しがさんさんと降り続く小道に出た。

 

 友軍陣地がある方向は幾つもの黒煙が立ち上り、戦場音楽も聞こえてくる。上空では戦闘機が空中格闘戦(ドッグファイト)を繰り広げてられていた。

 

 偶然にもドッグファイトをしている二機の戦闘機が俺の頭上を通過するが、その光景を見て顔をしかめた。

 

 友軍のジェット戦闘機がキャベツ野郎のジェット戦闘機に追われていたからだ。

 

 悔しいが、このあたりの制空権は奪われつつある様子だ。

 

 だが、俺はやるべきことを済ませなければならない。敵機や敵兵に見つからないようにするため、足元が悪く薄暗い林の中に戻って歩き出す。

 

 その行き先は俺が守備配置についていた塹壕だ。気が滅入る作業だが、仲間たちの首に吊り下げた個人識別札(ドッグタグ)を回収しなければならないからだ。

 

 俺が居た塹壕は砂糖きび畑にある。そこを接収して射界を確保するために砂糖きびを刈り取り、敵の戦闘車両が容易にグアンタナモに進めないように小道の両脇に塹壕を掘り抜いていた。

 

 その塹壕へ敵が襲撃してきたのは、偶然にも俺が塹壕から離れて後方の林にある仮設トイレにいる最中だった。それは教本どおりの完璧な奇襲攻撃だった。

 

 予告無く迫撃砲弾が撃ち込まれると、仲間たちはその破片を避けるために塹壕の底に身を伏せてしまう。だから、キャベツ野郎の擲弾兵(てきだんへい)が接近していることに気づけず、あっという間に制圧されてしまった。

 

 その間、俺は奴らによる殺戮を見続ける事しか出来ず、俺自身が招いた無様な状況を嘆く事しか出来なかった。何故なら「クソッタレ!」と言葉を喚きながら、糞を垂らし続けるだけで精一杯だったからだ。

 

 そして、その塹壕は俺と一緒に戦っていた仲間たちの墓地となった。だから、仲間たちが勇敢に戦った証拠として、ドッグタグを回収しなければならなかったのさ。

 

 道中で俺が狙った戦車を見かけたが、それは黒焦げになり焦げた匂いが漂っている。面白い事に、その周囲には戦車兵だけではなく擲弾兵も倒れていた。

 

 戦車を修理中に友軍機の爆撃を受けて炎上したらしい。それを見て、俺は呟いた。

 

 

 

 ざまあみろ。

 もし、俺が天国で貴様らと会えたなら、キャベツをぶつけてやるから覚悟しとけよ。

 まあ、天国に行ける可能性は万でも億でも那由他(なゆた)の彼方でも、あり得ないだろうがな。

 俺も貴様もだ。

 

 

 

 俺はそんな言葉を吐き捨てて、先へ進んでいく。

 

 間もなく俺は塹壕に辿りついたが、人影に気づき木立の影に隠れる。制圧された塹壕に誰かがいると想像していなかったからだ。

 

 そこでは数人の兵が怪しげな行動をしていた。俺は腰に下げている小型ナイフで刺し殺そうと思ったが、それは早とちりだった。彼らは仲間たちのドックタグを回収したり、祈りを捧げながら遺体を埋葬したりしていたのだ。

 

 俺は彼らが銃を向けたりしないように、身振りや大声を出しながら林から現れた。だが、怪しげな連中の姿を見た途端にどのような応対をすべきか困ってしまった。

 

 俺が袖を通している英連邦陸軍将兵の軍服ではなく、合衆国陸軍の軍服を着ているので友軍だと判別できる。

 

 詳しく見ていくと、出世に縁が無さそうな風貌をした肥満体で眼鏡を掛けた白人が一名と、その助手らしい背の高い白人が二名いる。

 

 更に人生に辛いことなんて無いと信じているような黒人が一名いる。正直に言うと得体のしれない連中だ。

 

 とりあえず自己紹介から始めるかと考え直し、国王ジョージ六世の閲兵を受けているかのように姿勢を正すと、敬礼して話し始める。

 

「始めまして。英連邦陸軍、王立アフリカ小銃隊師団(KAR)、第1タンザニヤ歩兵連隊、第1中隊、第2小隊、第2分隊、コンド軍曹であります。ここを見ればお判りでしょうが、既に第2分隊は書類にしか存在しません」

 

「激戦を生き抜いた勇者に会えて嬉しいよ。一昨日にこの島へ上陸したばかりなので、色々分からないことだらけなんだ。技術系の士官だから戦闘は苦手なのさ。助かるよ」

 

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 

「ああ、忘れてた。合衆国陸軍武器科連隊、シアトル隊、某兵器開発班のマックス少佐だ。他の三人はわたしの部下だ。こちらこそ宜しく」

 

「シアトルから南の島へようこそ。もしかして小官が近寄ってはいけない兵器の試験をされていたのでありますか?」

 

「別に隠している訳ではないさ。使い物にならない兵器を見せても時間の無駄だよ」

 

「はあ、そうで……、敵です! 塹壕に飛び込んで死んだふりをしてください!」

 

 俺は接近する土埃に気づき、すぐに塹壕に飛び込んで死体の真似をする。

 

 俺の行動を見た合衆国軍人も真似ると、間もなくキャベツ野郎の戦車隊から後方に向けてトラックが何両も通過していった。友軍陣地を攻撃するキャベツ野郎が、銃弾や燃料を後方の補給所へ受け取りにいく輸送隊のようだ。

 

 キャベツ野郎に一撃でも加えたいがあまりにも条件が悪い。仕方が無いが今は我慢する時だ。その時、少佐が口を開いた。

 

「軍曹。もしかして、わたしたちは敵中に取り残されてしまったのか?」

 

「その認識は正しいです。常夏の島で繰り広げられている熱い戦場へようこそ」

 

「ホントかよ。こんな事になるなんて想像していなかったぜ」

 

「ここは戦場なので、何が起きても不思議ではありません。少佐殿」

 

「それはそうだが……」

 

「ご存知かと思いますが、紀元前一三世紀に苦役から逃げ出した浮浪者集団が、荒野で食い物が無い、水が無いと文句を言いながら彷徨っていました。それなのに、数十年後にはナイル川を越えて約束の地へ侵攻したのです。古今東西、戦争に関わる予想なんて常に覆されるものですよ」

 

「ほほう、世界最古の書籍(せいしょ)に詳しいとは。キリスト教徒に正面から論争を挑むつもりかね?」

 

「こう見えても、キリスト教徒なんです」

 

 俺は首にぶら下げている十字架(ロザリオ)を見せた。このアクセサリーは敬虔なキリスト教徒が多くいる地域では身分証明代わりにもなると聞いていた。少佐は納得してくれたが、余計な事を言い出した。

 

「君が見せてくれたのが鉄十字だったら、わたしはドイツ式敬礼をして『ジーク・ハイル』と挨拶してあげるよ」

 

「その時はキャベツ野郎が世界を支配しているのですから、戦争自体起きないと思います。わたしのような黒人は、家畜として動物農場に囲われている筈ですからね。もしかしたら屠殺場に直行しているかもしれませんが」

 

「ドイツ人が、ビールとソーセージをこよなく愛する理由が分かった気がする」

 

「口にしてもいい冗談を区別出来ない男は、この世界の半分を占める女さえ制することが出来ませんよ。ラジオ放送によると合衆国陸軍の士官は、そのような下品な冗談を言わないそうですが」

 

「……そうだね」

 

 俺の嫌味を聞いて渋々立ち上がった少佐は、俺に命令するように言葉を放った。

 

「まず、君の仲間たちを安らかに眠らそう。それから俺たちを友軍陣地まで道案内してくれ」

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 再びキャベツ野郎が通り掛かるのか分からないので、簡易的だが仲間たちの遺体を塹壕の片隅に積み上げて土を被せる。

 

 これで、彼らの無残な亡骸を見たキャベツ野郎が、嘲笑するような屈辱は避けられそうだ。

 

 同時に使えそうな武器として小銃とその銃弾も回収する。この塹壕には軽機関銃も配備されていたが、軽機分隊と一緒に行方不明になっていた。

 

 それが終わると少佐は、部下たちと俺を引き連れて林に入っていく。

 

 はっきり言うと、俺は英連邦陸軍の兵士だから合衆国陸軍の士官の命令や指示に従う責務は無い。

 

 だが、友軍陣地まで同行する程度ならば、この士官の命令を受け入れた方が得策だから、素直に従っている。

 

 俺たちは相変わらず薄暗い林の奥へ進んでいくと、目の前に一両のトラックが現れた。その荷台に乗り込み回収した武器も載せると、俺は少佐に尋ねる。

 

「少佐殿、これからどこへ行けば宜しいのでしょうか」

 

「友軍陣地に向かおう。コンド軍曹、道案内を宜しく。ゴメス上等兵が運転するから彼に指示してくれ」

 

「少佐殿? キャベツ野郎、いやドイツ軍の先頭集団が何処にいるのかご存じですよね」

 

「君なら戦線を突破できる抜け道を知っているだろう? 難しく考えては駄目だよ。発想の転換をしなきゃ」

 

 敵味方が銃弾を飛び交わせている戦線を、こんな小さなトラックで突破しろだと?

 

 そんな発想自体が狂気の沙汰だ。本気で突破しようとしたら敵味方関係なく撃たれて蜂の巣になるだけだ。それに抜け道を知っていれば苦労しないぜ。

 

 俺はこの技術将校が不気味に思えてくる。何処か人生で大切な常識が欠け落ちているとしか思えない。

 

 技術将校とはこんな奴らばかりなのだろうか。それとも、俺が少佐の常識が通用する世界に辿り着けていないだけなのか。

 

 いろいろ考えても時間の無駄なので現実的な意見を伝えてみた。

 

「少佐殿、意見をしたいのですが宜しいでしょうか」

 

「いいよ」

 

「このトラックで進める所まで行きます。キャベツ野郎と遭遇する可能性があるので、射界を確保するために荷台の幌は外してください。また、少佐殿も含めて全員がいつでも銃を撃てるように荷台で射撃態勢を取ってください」

 

「ああ、わたしもそれを考えていたところだった。すぐに始めよう」

 

 俺たちは作業を終えると銃器を手にした。少佐たちはリー・エンフィールドNo.4小銃を手に取る。そして、俺はM20スーパーバズーカーに砲弾を装填した。

 

 英連邦の俺が合衆国の武器を持ち、合衆国の少佐たちが英連邦の武器を操作するのは妙に面白い光景だ。俺は肌が黒いゴメス上等兵に指示すると、トラックは自然に還る寸前のような林道を走り出した。

 

 目的地はグアンタナモの方向にある友軍陣地だ。辿り着けるか自信は無かったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、ここで作者から読者の皆様へお願いです。

作者は「パシフィック・ストーム」を既読済みですが、現在所持していません。

この第二巻か第三巻でテニアン島に爆撃する日本軍重爆指揮官が、合衆国軍へ無線妨害をするために何かの曲を流していたような記憶があります。

執筆するための参考として、その曲名(作曲者や歌詞も)をご存じの方がおられましたら、ご教示いただけるでしょうか。

今後も随時更新していきますので、どうぞ宜しくお願いいたします。


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第一四話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後二時

 

 

 

 連合軍の反攻による戦線後退によって、司令部は慌ただしくなっていた。それは、廊下を駆け足で走る士官が増えていることからも十分に把握出来た。

 

 グアンタナモ湾を囲む丘陵の頂上には、開戦前に合衆国が建設した大型無線塔がある。

 

 ここで受信した電文は電気信号に変換されて、無線塔に隣接する通信指揮所の一部屋に伝送されていく。そこには、専用の通信機材が複数台も配置され、暗号帳を扱える権限がある通信員が二四時間体制で席についていた。

 

 彼らは通信機材を用いて、長音と短音の符号だらけの電文を筆記用紙に記録していく。そして、その電文を彼らの上官たちが読解できる言語に変換し、指定された用紙に書き記す。

 

 その用紙は隣の部屋に送られていく。すると、隣の部屋にいる当直員は地下に埋設された専用電話回線を使用して、司令部が置かれたホテルの当直員に口頭で伝達していく。

 

 それを受けたホテル側の当直員は、指定された用紙に書き記すと復唱する。聞き間違えていないことを確認すると、それを別の部屋へ持ち込んでいった。

 

 その部屋は、結婚披露宴や大会議を開催できる大広間を改装した、司令部の作戦指揮所だった。

 

 室内には短辺が大人の身長以上の長さがある、大きな地図が幾つか広げられている。そこには、大西洋全域が描かれた地図や、北米大陸全域が描かれた地図があった。

 

 それ以外にもあるが現時点で大勢の司令部職員が群がっているのは、キューバ島全域が描かれた地上戦指揮用の地図だ。その地図上にはチェスの駒のような形状をした、赤色と青色の駒が幾つも置かれている。

 

 シエンフエーゴスとサンタ・クララを結ぶ、複雑な形状をした戦線に沿って青色の駒が並べられている。その駒のグアンタナモ側には赤色の駒が幾つか置かれていた。

 

 赤色は連合軍、青色は枢軸軍を表しているので、赤色の駒を見れば連合軍がどこまで侵攻したのか一目瞭然だ。

 

 その地図上にある駒を動かしている士官の元へ、電文用紙を持った通信員が駆け寄る。電信員はその士官の前でそれを読み上げると、士官は赤色の駒を一つ摘まんでグアンタナモ側に動かした。

 

 その駒を見て、陸軍司令部の参謀たちは打ち合わせを始めたり、副官を呼び寄せて指示をしたりしている。そして、陸軍司令官は腕を組んだまま黙って地図を見下ろしていた。

 

 そんな彼らから二歩下がった位置に立ち、直接戦闘に関わらない任務を担当する陸軍の後方・兵站参謀は、彼の隣に立つ海軍の航海参謀へぼやいた。

 

「畜生、今朝からの攻勢を威力偵察と誤解しなければなあ。キャベツ野郎たちがこんな深くまで侵攻しないように対処出来た筈なんだけどなあ」

 

「今更悔やんでも仕方が無い。今は成すべきことをする時だ」

 

「オタクに言われても、こっちが虚しくなるだけだ」

 

「そうかい。アンタが現実を直視していると分かったから俺は嬉しいよ。いつもは居眠りを楽しんでいる時間だから、てっきり夢物語の世界に浸っているかと思ってたぜ」

 

「失礼な! 俺は眼をつぶって戦争の行く末を見通そうとしているんだ。いつも真っ暗で視界不良だけどな」

 

 海軍参謀は自信満々に答える陸軍参謀に呆れたが、これが彼の個性的な魅力でもあった。このくらい図太い精神力を持たないと、この島では生き残れない。

 

 何しろ、着任してから半年しか経過していない海軍参謀と違い、彼はパナマ地峡と運河を奪取する「贖罪」作戦が始まってから、この地方で戦争を続けている古強者だからだ。

 

 そんな陸軍参謀の突っ込み待ちに応えるため、海軍参謀は軽口で返していく。

 

「陸軍の後方・兵站参謀が闇夜の灯火を求めているようじゃ、この戦争はお先真っ暗だな。海軍から夜戦見張能力が高い見張員を派遣しようか? 最近は電探に頼りすぎているので腕は鈍っているが、それでも一〇〇〇〇メートルで軍艦のマストを発見できる凄腕の連中さ。どうする?」

 

「断る。俺たちは女の裸体を識別できる視力があれば十分だからな」

 

「さすが、眼の付け所が違いますなあ。まあ、うちの後輩がそんなことを聞いたら裸になる前に、微笑みながら無言であんたの眼を潰すよ。海軍では見敵必戦(けんてきひっせん)を教え込んでいるのでね」

 

「怖いねえ。男は魅惑的な二つの丘さえ、落ち着いて偵察も出来ないのか」

 

「それ以上は止めとけ。本気で艦砲射撃を受けるぞ。話の方向を戻すが、陸軍は予備戦力を投入すると聞いている。どうなっている?」

 

「我が陸軍の戦車第四旅団の主力は移動中、現地到着は日没後になってしまう予定だ。だから、我が軍の第二師団に付属している増強戦車隊から、戦車一個中隊を引き抜いて敵さんにぶつける。間もなく戦闘が始まるだろう」

 

 現在の戦況は日本語特有のオブラートで包んだ言葉を用いても、極めて劣勢だとしか表現出来なかった。

 

 カリブ地方に展開する陸軍部隊の指揮権を握り、枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部の指揮下にある枢軸陸軍第一七軍司令部は、今朝から始まった連合軍による攻勢の意図を読み違えていたのだ。

 

 昼過ぎに戦況判断が誤っていたことを認めるまで、昨日まで活発に行われていた威力偵察だと判断していたからだ。

 

 一般的に偵察とは相手に探知されないように注意を払いながら、敵情把握する隠密任務を指す。それに対して威力偵察とは、敢えて小規模の攻撃を仕掛けて敵側の反応を把握する方法だ。

 

 例えば、敵軍が支配する戦域の状況を把握をしたい時には、無線傍受や偵察機による上空からの偵察、更に少人数の偵察隊が敵地に侵入して偵察することで敵情を把握することができる。

 

 その結果、この戦域に戦車が配置されていないことが把握できるが、その精度を高めるために実際に攻撃してみるのだ。

 

 一例として中隊規模の戦車だけで敵地に侵攻する。この時に敵戦車が反撃してくれば、今までの偵察で判明しなかった敵戦車の存在が明らかになる訳だ。

 

 この威力偵察にも偵察側と被偵察側の駆け引きがあり、これが各級指揮官の腕の見せどころでもあった。

 

 威力偵察隊に過剰反応して全力で反撃してしまうと、被偵察側は戦線を維持する余力が無くなっている事実を見破られてしまう。弾薬や燃料の残量がひっ迫していたり、精神的に余裕がなくなったりしていると、不安に駆られた兵士が過剰に反応して攻撃してしまうからだ。

 

 逆に、被偵察側が威力偵察隊へ反撃せずに戦線の奥深くまで誘導する方法もある。このようにされると、偵察隊は何の情報も得られないまま帰っていくしかない。

 

 他にも十両配置されている戦車のうち一両だけで反撃することで、被偵察側の戦力を過小評価させることも出来た。

 

 さて、ここ最近の連合軍は如何なる理由か分らぬが、本格的に攻撃せず威力偵察程度しかしていない。その程度で枢軸軍の手の内を明かすのは愚かな対応なのだ。

 

 更に、枢軸軍側も兵力に余裕が無いので、これ幸いとばかりに積極的な反撃を控えるようになっていた。

 

 それを逆手に取られてしまい、今朝から始まった攻勢を威力偵察と誤認識してしまったので戦線での侵攻阻止に失敗したのだ。

 

 連合軍は日英米がそれぞれ担当している防衛戦を、随所で破ろうとしていた。

 

 戦線中央部の担当で、サンタ・クララ市の正面に展開する日本陸軍第二師団は、主要街道と鉄道線を抑えている。だから、連合軍主力の猛攻を受けていた。

 

 戦線を構築する塹壕線を突破されている箇所もあるが、全般的には辛うじて戦線を維持しているといえる。

 

 だからといって、このままでは戦線が崩壊するのは避けられない。弾薬が恐ろしい勢いで消費されていくし、塹壕に籠る将兵が次々に傷ついて戦闘不能になっていくからだ。

 

 それと比較して、東海岸側の戦線を担当する合衆国陸軍第23歩兵師団は、僻地を守備していることもあって難なく維持し続けている。

 

 一番酷い状況なのは、英連邦陸軍が担当している西海岸側戦線だ。

 

 この戦線は王立アフリカ小銃隊師団のうち、タンザニア人のみで編成した連隊が担当していた。だが、戦線を破られてしまい、西岸の海岸線に沿って続く街道の封鎖にも失敗してしまった。

 

 その結果、ドイツ軍装甲大隊は南東方向にあるトリニダーに向けて、快進撃を続けている。

 

 このままでは、戦線の中央を担当している日本陸軍の後方を遮断されかねなかった。更に、東岸側の戦線を担当している合衆国陸軍の側面にも圧力を与えてしまう。そうなると、シエンフエーゴスとサンタ・クララを結ぶ戦線を大きく後退せざるを得なくなる。

 

 戦線後退は合理的判断なのだが、この戦線は枢軸軍将兵が流した血と引き換えに築いた戦線である。

 

 だから、簡単に放棄する訳にはいかない。これが司令部勤務員たちの共通認識だった。

 

 この進撃を阻止するためには重砲による射撃や航空機による空襲以外に、陸上機動戦力による攻撃が使える。残念ながら、枢軸軍にはすぐに使える戦力が無かった。

 

 戦場に一番近い機動戦力である合衆国陸軍第201独立機甲旅団は、破れかけている戦線を維持するだけで精一杯だった。

 

 この旅団はM4中戦車や、日本製の一式中戦車を再改良した八式中戦車で編成されている。

 

 だが、ドイツ軍のⅤ号中戦車H型パンテルⅡとの戦闘では防御面で難点があり、正面から戦えば戦果を得る事なく撃破されてしまう。そのため、戦車壕に籠ったり障害物の影に隠れたりしてしながら要撃していた。

 

 他にも機動戦力があり、司令部直轄の予備機動戦力として後方に待機している日本陸軍の戦車第四旅団がある。この旅団は七式中戦車改で編成されている。この島に展開している連合軍が保有しているV号中戦車H型パンテルIIに十分に対抗できる戦力だ。

 

 だが、待機地点がグアンタナモ近郊なので、出撃命令が下ってから六〇〇キロ先にある戦線に到着まで半日以上掛かる。

 

 また、戦車は車両の特性により航続距離が短いので、現地に到着までに最低二回は給油しなければならない。日没後に到着するだろうと言った陸軍参謀の発言は、すべてが順調に進んだ前提での計算だ。

 

 移動中に戦車への燃料補給用トラック隊が敵機の空襲を受けたり、道路が破壊されて走行不可能になったりしたら更に遅くなるだろう。

 

 だから、戦車第四旅団から抽出して第二師団に付属した増強戦車隊の一部をドイツ軍装甲大隊にぶつける方が早いのだ。この中隊も七式中戦車改を装備している。その戦力だけでドイツ軍の進撃を阻止できるかは微妙だが。

 

 更なる問題は、ドイツ軍の進撃を阻止する態勢が整う前に、それが接近してしまうことだ。

 

 雑談しながら戦況の変化を待つことしか出来ない二人の前で、地図上の駒を動かしている士官の手が動く。その手に掴まれた赤色の駒がトリダニー市街の北方にある交差点の近くに置かれた。交差点の近くには青色の駒も置かれている。

 

「なあ、森口航海参謀。あの駒が置かれた状況が分かるかい?」

 

「分かるよ。両軍の交戦が始まるのだろ?」

 

「ああ、そうだ。そして戦車隊は間に合わなかった」

 

 確かに、その交差点から北方に伸びる道路上には、青色の駒がもう一つ置かれている。それが急行中の戦車隊を指していた。つまり、七式中戦車改の戦車隊は戦場に到着していないのだ。

 

「先にドイツ軍が到着しちゃったのか」

 

「そうさ。この交差点を守備しているのは、英連邦王立アフリカ小銃隊師団第1タンザニア連隊の残余兵力だ。数両だけだが対戦車自走砲車が到着している。とはいえ、この戦力だけで迎撃せにゃならん。おまけに、本国軍の士官が指揮しているとはいえ、植民地兵の戦意は本国兵より劣る。トリニダー市街への進撃を阻止するのは難しそうだな」

 

「市街地に入られると、どうなるのか?」

 

「市街地自体が敵の抵抗拠点になってしまう。多くの建物が遮蔽物として活用したり、建物自体を特火点(トーチカ)の代わりにできる。日本の城郭にある城下町と同じように、防御戦闘に適した施設と同じになるのさ。そんな所に戦車を突入させたら、死角から一方的に撃たれるだけだ。そうなると、街を奪回するために多数の銃弾や幾人もの兵士の命が必要になる。だから、奴らをトリニダーに入れたくないのさ」

 

「戦争資源の無駄な浪費を防ぎたい訳か」

 

「そうだ」

 

 陸軍参謀は個人的理想というより、陸軍としての戦術規範が実現出来ない事態を悔やんでいた。兵員の流血を最小限に抑えながら最大限の戦果を獲得する事が、各級指揮官に求められているからだ。

 

 闇雲に兵力をぶつければ戦果が得られる場合もあるが、そのような戦術を取る指揮官は何も考えずに場当たり的に済ましていく只の無能者でしかない。

 

 だが、すべてが後手に回っている現状では理想的手段が使えない。彼らは現地の将兵の奮戦に期待することしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一五話

トリニダー市北方、サンクティ・スピリトゥス州、キューバ島

同日 午後二時五分

 

 

 

 キューバ島西海岸線沿いに続いている街道は、内陸に向けて大きな曲線を描くと小さな平野の奥深くまで進んでいく。

 

 すると、コロニアル様式(スペイン植民地風)の建物が数多く残り、砂糖取引と奴隷の売買で繁栄したトリニダー市街に入っていく。

 

 ここは、クリストファー・コロンブス率いる調査船団に乗船していた経験を持ち、スペイン帝国に任命された初代キューバ総督ディエゴ・デ・ベラスケスによって、建設された街である。

 

 彼はスペインが世界中に覇権を広げていく目的の一つである、貴金属の鉱脈を探索するためにこの地に立ち寄った。その時、風光明媚な風景が気に入ったので市街地を建設したと伝えられている。

 

 そんな彼はこの街以外にも、バハマを始め市街地を幾つも建設していた。だが、それらの市街地は次々に戦禍に巻き込まれ、スペイン植民地時代の面影を失っている。

 

 そんな状況にもかかわらずトリダニーだけは、昔ながらの市街地が現存していた。その理由は偶然にも、この街で市街戦が起きなかったからだ。

 

 枢軸軍はトリダニーの北方にあるシエンフエーゴス近郊に、大胆不敵にも日本海軍第一聯合陸戦隊のうち一個大隊規模の兵力を敵前上陸させた。奇襲上陸で連合軍の側面を突いたのだ。

 

 それを予期していなかった連合軍は、トリダニーを守備していた部隊が分断されることに気づき速やかに後退させた。その結果、枢軸軍はこの街を無傷で手に入れたのである。

 

 その街の北側入口にあたる交差点付近でドイツ軍を待ち構えていたのは、アフリカ大陸からやってきたアフリカ黒人兵士(アスカリ)たちだった。接近するドイツ軍を迎撃するため、数両だけだが自走砲車も駆け付けている。

 

 もし、彼らがドイツ軍装甲大隊の進撃阻止に失敗すれば、トリダニーは易々と占領されてしまうだろう。トリダニーに直進せず、その北側にある交差点で曲がれば、日本陸軍第二師団の後方が脅かされる。

 

 どちらにしても、ここを守備する歩兵部隊を指揮するトマス中尉は、攻撃側と比較して少ない兵力で敵兵力を撃退する難問に挑まなければならなかった。

 

 彼が防御陣地を構築している地点から、正面を見ると小さな集落がある。そして、その奥には小川の河口が広がっている。そこにはドイツ軍がキューバ島全域を支配していた時に架けられた、戦車が通過できる頑丈な仮設橋があった。

 

 この地点から後方を振り返れば、トリダニーまでの間にも小さな集落が幾つかある。そこには質素な作りをした民家が建ち並んでいる。

 

 そして、彼の周囲には葉タバコの畑や、雑草や灌木が葉を広げる平原が広がる。いずれも、戦車が植物を踏みつぶしながら走行出来た。

 

 彼にとって、ドイツ軍を撃退するためにこの地形と障害物を利用するのは、当然のことである。そして、それを適切に利用する手段を見出そうとしていた。

 

 彼はもう一つの難問を抱えている。アスカリの逃亡による兵力減少が続いていることだった。初年兵の段階から軍人教育を受けて伍長や軍曹に昇進した者は、軍人としての責務を忘れることなく彼の命令へ素直に従っている。

 

 だが、戦争勃発によって徴兵された一般兵は、元から戦意が不足しているので逃亡が相次いでいる。それを制止するのは伍長や軍曹たちの役目だが、彼らもすべてを把握出来ている訳では無い。

 

 幾つかの難問を抱えて苦悩しているトマス中尉の頭上を、一群の航空機が通過していく。翼には英国空軍の国籍標識であり、中心から赤色、白色、青色に塗られた蛇の目(ラウンデル)マークが描かれていた。

 

 この機体は英国空軍が日本から譲渡を受けた四機の<流星>である。接近するドイツ軍に向けて翼下に吊るしたロケット弾と爆弾で攻撃を仕掛けようとしていたのだ。

 

 彼はドイツ軍戦車隊を迎撃するために待機している対戦車自走砲車隊に、注意を促すために無線で呼びかけた。

 

「ボウラー01、ウィケットキーパー、友軍機が四機編隊で接近中だ。間違って撃つなよ」

 

 彼らは英連邦で盛んに行われているスポーツであるクリケット用語を、無線符牒にして無線通信で会話をする。

 

 ちなみに、ボウラ―(投手)は自走砲車隊の、ウィケットキーパー(捕手)はトマス中尉が指揮するアスカリ部隊を指している。

 

「ボウラー01、了解。少しは爆撃機の連中に遠慮してやろう。俺たちでは獲物を食いきれないからな。それで、そっちの準備はどうかね?」

 

「腰を屈めれば身体を隠せる程度の蛸壷は掘った。数が少ないけれど対戦車地雷の埋設も終わった。だけど、キャベツ野郎たちを捕虜として収容する大きな穴は、掘る時間が足らないぜ」

 

「それは仕方ないな。それより、アスカリたちは仕事しているかい?」

 

「ああ、しっかりと仕事している。蛸壷を掘るのは本国兵の俺より上手いし早い」

 

「ならば、射撃の腕も期待できそうだな。おっと、爆撃機が爆撃降下を始めたようだ」

 

「了解。上の連中が唖然とするくらい、俺たちでキャベツ野郎を叩きのめしてやろうじゃないか。終わり」

 

「そうだな。お互いにラム酒で乾杯できるくらいに戦果を挙げようぜ。終わり」

 

 お互いに余裕ぶった会話をしているが、二人とも冷静に両軍の戦力差を比較すれば厳しい展開になるだろうと自覚している。

 

 何しろ、これから彼らが戦闘する相手は、大ドイツ帝国陸軍の一個装甲大隊なのだ。世界最強の陸軍という呼称は伊達ではない。

 

 トマス中尉からは丘陵地帯によって視界が遮られてしまうが、爆撃機はドイツ軍の装甲大隊に被害を与えたらしい。爆撃位置から推測すると、ドイツ軍はかなり近づいている様子だった。

 

 爆撃機はドイツ軍へ容易く攻撃出来た様に見えるが、決して鼻歌混じりで射的を楽しむかのように攻撃出来た訳ではない。

 

 ドイツ軍も擲弾兵が携帯できる対空火器や、戦車を改造した対空砲車を実戦投入しているからだ。それを裏付けるかのようにロケット弾を発射し終えた爆撃機が、海岸線沿いの丘陵から姿を見せた時には二機に減少している。

 

 更に、爆撃を許してしまった敵戦闘機が、爆撃機との距離を急速に詰めていく。残酷なことだが、友軍戦闘機は他の敵戦闘機と交戦中らしく爆撃機を護衛していない。

 

 トマス中尉は爆撃機が基地に生還することを祈りつつ、大声で指揮下の兵士達に命令を下した。

 

「敵戦車が来るぞ。蛸壷掘りは中止、戦闘配置に就け」

 

 彼の声が届かない遠方の蛸壷の兵士には、トマス大尉自ら無線兵を引き連れて駆け足で伝えていく。

 

 不意に前方の集落の方向から射撃音が聞こえてくると、すかさず彼は生い茂った葉タバコの陰に隠した。すぐに、トマス中尉に付き従う無線兵が、彼に無線の送受話器を渡す。相手は当然ながら自走砲車隊の隊長だ。

 

「ウィケットキーパー、どうぞ」

 

「ボウラー01。キャベツ野郎のお出ましだぜ。橋の対岸にはパンテルⅡが一〇両以上、こちらの都合に構う事無く好き勝手に撃ってきやがる。後続車両もあるが樹木の影に隠れて確認出来ない。擲弾兵は仮設橋に爆薬が仕掛けられていないか確認中のようだ。まあ、爆薬なんて仕掛けていないから、間もなくキャベツ野郎が渡ってくる。先頭車両が仮設橋を通過後に射撃開始する。終わり」

 

 ドイツ軍装甲大隊指揮官は橋の最寄りにある集落に、英軍が対戦車兵器を携えて潜んでいると予想していた。だから、橋を渡る前にそれを潰そうとしていたのだ。

 

 大隊指揮官が慎重になる理由は、橋を渡る最中に攻撃を受けると先頭の戦車が擱座してしまう可能性があるからだ。そうなると、後続車両が通過出来なくなってしまうし、この大隊の目的である日本陸軍第二師団の後方遮断が達成出来なくなってしまう。

 

 実際のところ、この装甲大隊指揮官の予想は的中していた。

 

 英連邦の一員であるオーストラリアが設計、製作した対戦車自走砲車<アンブッシュ>が、ドイツ軍戦車隊の砲撃を受けつつも迎撃態勢を崩していなかったからだ。

 

 パンテルⅡの射撃音が連続するようになった頃、前方の集落から破壊音が轟き土煙が立ち登っていく。砲撃によって柱を折られた民家が崩れたのだ。

 

 その時、新たな砲声が聞こえてきた。

 

 パンテルⅡによる砲撃の嵐に耐えて、反撃する機会を今かと待ち構えていたアンブッシュが射撃開始した瞬間だった。それは、パンテルⅡの先頭車が橋を渡り終えた瞬間でもあった。

 

 英軍とドイツ軍による戦場音楽が連続して奏でられるようになると、数発射撃したアンブッシュ4号車が、陣地を変更するために民家の影から姿を現した。

 

 狙撃兵(スナイパー)と同じように移動せずに射撃を継続すれば、発砲炎によって位置を特定されてしまう。それを防ぐためには、二発か三発を射撃後に射撃位置を変更をして、新たな位置で射撃を再開すればいい。

 

 そうすれば敵を翻弄させられるので、自らの被害を抑えつつ敵へ攻撃を与えることができるからだ。

 

 そのアンブッシュは別の民家の壁に体当たりして、それに大穴を開けると室内に車両ごと入っていく。既に何軒かの民家が砲撃で破壊されているので、その車両の操縦手は躊躇う事なく壁を壊した。

 

 既に誰もが戦場心理に飲み込まれている。自分の生命を守るために他人の財産を傷つけたり壊したりすることを躊躇うような、人間としての矜持を失っていた。

 

 両軍の砲声が区別つかなくなると、トマス中尉は無線兵と共に彼らが隠れる蛸壷に引き返していく。後方の民家に向かうことも考えたが、パンテルⅡが民家を狙い撃ちしそうなので止めた。

 

 何度か陣地変更をしたアンブッシュは、パンテルⅡへ攻撃を続行する。しかし、その進撃を押し留めることは出来ず、次第に火力で圧倒されていく。

 

 先程、民家の壁に大穴を開けて侵入したアンブッシュは、再び表に現れたが車両後方から炎が上がっている。

 

 敵戦車の砲弾が掠った衝撃で燃料管が破損してしまい、燃料が加熱したエンジンによって引火してしまったからだ。

 

 そのアンブッシュ4号車は民家から完全に姿を現した所で、砲身を敵側に向けたまま黒煙を吹き出して停止してしまう。乗員が脱出して一目散に走り出す頃には完全に炎上していた。

 

 この島に対戦車自走砲車アンブッシュが配備され、強敵であるドイツ軍装甲大隊と交戦している理由は英国の内部事情によるものである。

 

 英国は昨年末に奪還した中東地方の長期持久戦態勢を維持しつつ、英本土奪還のために戦力を蓄積していかなければならない。そのため、キューバ島には精鋭とは言い難い歩兵部隊や二線級の急造兵器を配備していた。

 

 かつて、太陽が沈まぬ国と呼ばれ英国の平和(パックス・ブリタニカ)を大いに享受(きょうじゅ)した英国は、世界中で展開されている戦闘地域へ精鋭部隊や最新鋭の兵器を、無尽蔵に供給する体力を失っているからだ。

 

 英語で迎撃(Ambush)を意味するこの砲車は、英本土失陥による政治的衝撃と長年に渡る日英同盟の強固な絆によって生まれた。

 

 何故かと言うと、英本土失陥をきっかけにオーストラリア自治政府が独力で設計、量産した初めての戦車である<センチネル巡航戦車AC I>の車体と、日本が譲渡した<六式一〇〇ミリ戦車砲>を組み合わせたからだ。

 

 この自走砲車の母体となる戦車の名称は、英語で番兵、歩哨(Sentinel)を意味する。その名の由来は、オーストラリアに迫ってくる脅威に備えるためであった。

 

 何しろ、英連邦オーストラリア自治政府は、英本土失陥から始まり、地中海、北アフリカ、中東が、ドイツに次々と奪われていく過程を直視している。

 

 そんな状況では、次は印度、その次は豪州に攻めてくると予想できる。だから、誰もが冷静さを失って戦車の製作に邁進したのだ。

 

 とはいえ、オーストラリアにとって初めて製作する戦車なのに、試作と先行量産の過程を飛ばして一気に量産したのは強引すぎた。

 

 まず、戦車を製作するためのノウハウが無いので、エンジニアが勉強するところから始めなければならなかったのだ。また、当時のオーストラリアの鋼板生産能力で製作できる構造にしなければならないという制約もあった。

 

 さらに、当時の戦車砲に相応しい口径五七ミリの<オードナンス QF 6ポンド砲>は、在庫が払拭してしまい製作工場も稼働していなかった。

 

 そのため、代わりに口径四〇ミリの<オードナンス QF 2ポンド砲>を搭載したが、既にこの砲では敵戦車に対して火力不足なのが明らかだった。

 

 つまり、オーストラリア人は訓練用にしか使えない戦車を量産してしまったのだ。それだけ、ドイツ軍の快進撃に恐怖を抱いていたとも言える。

 

 そして、そんな戦車を自走砲車に改造した理由はただ一つ。合衆国を崩壊させたドイツ軍に恐怖を抱いているからだ。

 

 アンブッシュは急造兵器特有の精錬されていない外観であり、砲室の天井が無い典型的な自走砲車である。

 

 だが、他の自走砲車にはない特異的外観をしている。それは戦車砲を()()()()に配置している点なのだ。

 

 重心バランスの都合や母体となる戦車の車体を、最小限の改造で済ませたいという意図があって、このような構造になった。

 

 面白い事だがこの車両を見た者たちは口を揃えて、後ろ向きに配置されている戦車砲が運用上の問題を引き起こすと指摘した。だが、実際に運用してみると、敵戦車へ射撃後に車体の向きを変えずに新たな射撃位置へ、迅速に移動できることが判明したのだ。

 

 これは自走砲車ならではの長所であり、全高を低く抑えたい車体形状と相まって優れた迎撃兵器として活躍することになったのだ。

 

 そのような経緯で誕生したアンブッシュが、トマス中尉たちの正面で戦っている。その数は既に炎上しているのを除くと四両だ。

 

 それに対して、ドイツ軍装甲大隊は戦車定数四五両のうち、被弾や故障を免れて健在な三九両のパンテルIIが残っている。

 

 そして、戦車だけではなくその他の支援車両と共に、トマス中尉たちが守る防衛線を突き破ろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一六話

トリニダー市北方、サンクティ・スピリトゥス州、キューバ島

同日 午後二時二八分

 

 

 

 ドイツ陸軍における兵器分類番号Pak45/1、一般的呼称では七五口径八八ミリ砲と呼ばれる長砲身砲は、Ⅴ号中戦車H型パンテルⅡの主砲として搭載されている。

 

 ドイツの工業技術を研鑽して製作されたこの主砲は、砲戦距離一〇〇〇メートルで垂直に立てられた二〇〇ミリの鋼板を貫く威力があった。

 

 その砲から発射された対戦車用徹甲弾は、砲口から射出された段階で音速を超えている。そして、人間の動体視力でも見分けることが難しい速度で飛翔し、目標に衝突すると衝撃力によって破壊していく。

 

 目標内部に強固な部品があれば、固いゆえに衝撃に弱いので床に落とした陶器のように砕く。軟弱な部品があれば、原型をとどめないくらいに変形させる。

 

 さらに、弾薬庫に収納されている砲弾内部の炸薬を加熱することも出来た。それがどのような結果を生むのか、砲弾と炸薬の知識を持つ者なら誰もが知っている結果となった。

 

 砲弾は誘爆を引き起こしたのだ。こうして、対戦車自走砲車アンブッシュ2号車は最期を迎えた。

 

 その炎は車外へ激しく噴き出し、冥界への道しるべとなる燈火台を彷彿させた。

 

 このアンブッシュは集落ではなく、灌木の影に隠れて射撃していた。だが、発砲炎に気づかれてしまい、射撃位置を変更する前に被弾してしまったのだ。

 

 アンブッシュ隊はパンテルⅡの猛攻によって、車両を相次いで損失していく。

 

 とうとう、アンブッシュの隊長は迎撃態勢を立て直すために後退を決断した。彼は歩兵大隊の残余兵力を指揮するトマス中尉を呼び出す。

 

「ウィケットキーパー、ボウラー01、応答せよ」

 

「ウィケットキーパー、どうぞ」

 

「待たせたな。君たちの出番が来たようだ。これよりボウラーは、君たちを後方から援護するために移動する」

 

「了解。あまりにも待ちくたびれたので居眠りしてしまったぜ。注意して欲しいことが一つ、こちらが仕掛けた地雷に気をつけろ」

 

「暇を持て余したようで済まぬ。こちらからも一言だけ言わせてくれ。キャベツ野郎と間違って撃たないで欲しい。君たちでは俺のハートを撃ち抜けないのでね。終わり」

 

 それまで、巧みにドイツ軍装甲大隊を牽制していたアンブッシュが、一斉に後退を始めた。いや、主砲が後方を向いているので前進していると言うべきかもしれない。

 

 土煙を盛大に巻き上げながら街道を疾走する車両や、雑草を踏み潰して青草の匂いを盛大に拡散させながら走行する車両が、トマス中尉がこもる蛸壷に接近して来る。

 

 その蛸壷では、アスカリたちがドイツ軍を迎撃する態勢を整えていた。

 

 アスカリたちのうち三名一組が大きな塹壕に入り、携帯式対戦車噴進砲もしくは迫撃砲で攻撃する。さらに、大きな塹壕を援護できるように周辺に小さな塹壕を掘り、そこから他の兵士が機関銃もしくは小銃で接近する擲弾兵を撃つ。

 

 残る問題は、彼らが降り注ぐ鉄の雨にどこまで耐えられるかである。

 

 そもそも、英連邦陸軍が彼らの様なアフリカ黒人兵士(アスカリ)を、キューバ島に配置したのは枢軸軍の内部事情による。

 

 英国としては、キューバ島の地上戦には積極的に関与したくないのだ。

 

 英国にとって、この島が連合軍に占領されたのは合衆国に原因があり、合衆国が責任を持って地上戦を行うべきだと主張している。

 

 だから、英国がこの島にアンブッシュを配備したり、精鋭部隊とは言い難いアスカリたちを配備した。

 

 一方、合衆国にとってメキシコ湾岸から領土を奪還するための拠点として、この島を必要としていた。

 

 「剣」号作戦に失敗したとはいえ戦略上観点からでは、その作戦は間違っていない。だから、その作戦を再実行するためにはこの島が必要であり、何としてでもこの島からドイツ軍を蹴落とさなければならなかった。

 

 合衆国はそれを声高に主張するだけではなく、実行に移している。

 

 彼らは北米戦線に送り込む予定だった歩兵師団をこの島に配備した。また、戦力を消耗させた戦車隊を苦心して再建し、第201独立機甲旅団としてこの島に送り込んでいる。

 

 合衆国の本気度と比較すれば、英国は明らかに低い。そのような事情をドイツ軍に付け込まれてしまい、戦線突破に繋がってしまったとも言えた。

 

 トマス中尉たちが改めて武装の確認をする最中にも、アンブッシュは近づいてくる。

 

 街道をアンブッシュ3号車が疾走している。その遥か後方にはドイツ軍装甲大隊の、パンテルⅡ戦車隊先頭集団が路上で停止していた。アンブッシュを照準器に捉えようとしていたのだ。

 

 そのパンテルⅡから閃光が次々に瞬く。遠距離で撃ち出された徹甲弾は、アンブッシュの未来位置へ目指して飛翔する。

 

 そして、パンテルⅡの砲手たちが計算したとおりに、徹甲弾が命中する。

 

 いや、する筈だった。

 

 アンブッシュは被弾する直前に路上で急制動を掛けたのだ。着弾点に向けて飛翔する砲弾はアンブッシュの上空を通過してしまい、間一髪だったが全弾回避に成功した。

 

 あり得ない回避に驚愕したパンテルⅡは次弾を発砲していく。しかし、それを見越したアンブッシュは急激に車体を変針させて、再び全弾回避してしまう。

 

 アンブッシュはそのまま路外へ進むと雑草が生い茂る平野に分け入り、家畜が逃げ去った畜舎の影に隠れた。そして、パンテルⅡへの砲撃を再開する。

 

 パンテルⅡにとって、このアンブッシュは目障りな存在になった。

 

 これに攻撃を続け、完全に沈黙するまで手を抜くつもりは無い。だが、畜舎自体が障害物なので砲撃するには邪魔が多すぎる。

 

 現状の位置で射撃すれば遠距離射撃になり、着弾点がばらつき目標に命中しづらい。

 

 飛翔する際の空気との摩擦、肉眼では測定出来ない砲弾のゆがみ、砲塔旋回盤(ターレットリング)の機械的裕度、その他の様々な要因によって命中精度が低下しているからである。

 

 そのため、戦車隊は射撃精度を高めるために前進していく。障害物ではなく自走砲車だけに命中させるためには、砲戦距離を詰めて射撃精度を高めるべきだからだ。

 

 英軍との戦闘で半壊した集落を通過していく。そして、あたり一面に広がる葉タバコ畑へ小刀で割いたかのように、一直線に続く街道を地響きを立てながら驀進していく。

 

 それはドイツ軍が油断した瞬間でもあった。

 

 突然、パンテルⅡ先頭車の車体側面へ、徹甲弾命中による大穴が開いた。そして、弾薬庫の砲弾が誘爆して、ハッチだけではなくターレットリングからも炎を噴き出していく。

 

 間もなく、その戦車は焼け焦げた鉄屑と化した。

 

 ドイツ軍は半壊した集落に、アンブッシュ1号車が残っていることに気づいていなかった。だから、戦車の弱点である側面を不用意に晒してしまい、攻撃されたのだ。

 

 そのアンブッシュは後続戦車に照準を合わせると射撃する。その照準は正確で戦車の砲塔側面に命中する。

 

 しかし、虚しく弾かれてしまった。命中角度とパンテルⅡ砲塔側面の装甲厚との関係で、徹甲弾が貫通出来なかったからだ。

 

 アンブッシュに狙われていることを悟ったパンテルⅡは、すぐに砲塔を旋回させて発砲する。そのアンブッシュは発砲直前に前進しており、難なく徹甲弾を回避できた。

 

 ドイツ軍としてはアンブッシュが一両だけとはいえ、そのまま逃がす訳にはいかなかった。これ以上、戦力を削がれる訳にはいかないからだ。

 

 だから、戦車隊の車列からパンテルⅡが何両も飛び出し、アンブッシュを照準に収めようとする。

 

 そのような展開もアンブッシュ隊は予想していた。

 

 畜舎の影に隠れていたアンブッシュが、逃走中のアンブッシュを援護するために追撃中のパンテルⅡへ射撃する。

 

 砲戦距離二六〇〇メートル、この距離ならば徹甲弾でパンテルⅡの車体側面を貫通できる。

 

 アンブッシュの主砲は日本海軍の高角砲として、Ju87(シュトゥーカ)を撃墜した実績を持つ砲を改造したものだ。もちろん、照準器も精度が高い部品が搭載されている。

 

 そのような能力を持つアンブッシュにとって、パンテルⅡの運命は確定していた。

 

 音速を超える速度で飛翔した徹甲弾は、パンテルⅡの車体側面に命中するとエンジンを炎上させる。

 

 アンブッシュ隊は再びパンテルⅡを一両屠った。

 

 だが、アンブッシュ隊の善戦はここまでであった。アンブッシュ三両に対してパンテルⅡは三七両も健在だからである。

 

 この戦闘に参加している車両数だけで比較しても圧倒的劣勢であり、それを逆転させることは厳しかったのだ。

 

 最後に集落から脱出したアンブッシュは、街道ではなく葉タバコ畑を走行していく。その行き先は、蛸壷で待機しているトマス中尉たちの後方にある集落である。

 

 それはトマス中尉も視認したが、アンブッシュの針路に違和感を覚えた。事前の打ち合わせと異なる針路を進んでいることに気づいたのだ。

 

 急いで無線機を操作すると、アンブッシュ隊の隊長を呼び出そうとする。

 

「ボウラー01、ウィケットキーパー、後退中の一両が針路を間違えている。旗竿の右側を進め」

 

 アンブッシュ隊が後退する針路の目印として、葉タバコ畑に赤い布を括り付けた旗竿を幾つか立てている。その右側を走行するべきなのに、左側を走行していたからだ。

 

 だが、その警告は間に合わなかった。

 

 アンブッシュが旗竿の左側を通過した途端、爆音とともに履帯が引き千切られた。

 

 埋設した地雷を踏みつけてしまったのだ。

 

 トマス中尉はアンブッシュ隊の失態に困惑しつつ、その隊長へ応答を求めた。

 

「ボウラー01、ウィケットキーパー。部下たちの状況を把握しているか? 一両が地雷を踏んでしまったぞ」

 

「ウィケットキーパー、済まぬ。地雷を踏んだのは01だ。小隊長車だ」

 

「何!? すぐに脱出しろ。敵戦車が追って来ているぞ」

 

「地雷原からどうやって脱出しろと」

 

「地面にある履帯の跡を踏んでいけばいいのさ。早く!」

 

「キャベツ野郎が来る方向だぜ。おまけに、奴ら俺たちを逃がすつもりはないようだ」

 

「おい、話を聞け! 今なら」

 

「ボウラー01から全車へ告ぐ。我に代わり、指揮継承順に従って指揮を取れ。ウィケットキーパー、勝利の祝杯はお預けだ。英国と貴隊に栄光あれ。さらば」

 

 擱座したアンブッシュは無線を切ると、砲身の角度と仰角を修正する。そして、アンブッシュへ狙い定めているパンテルⅡに向けて射撃した。

 

 即座にパンテルⅡも射撃し、それぞれの徹甲弾は同時に目標へ命中する。

 

 パンテルⅡは砲塔前盾を貫通され、乗員が死傷して沈黙した。

 

 アンブッシュは車体後部に被弾してエンジンを破壊され、対戦車自走砲としての機能を失った。

 

 さらに、小癪なアンブッシュを撃破するために、他のパンテルⅡが射撃に加わる。

 

 被弾するたびに車体に大穴が開き、砲身はへし折られ、転輪や駆動輪は砕かれていく。その様子を、トマス中尉は見続けることしか出来なかった。

 

 そして、遂に搭載されている砲弾が誘爆した時、トマス中尉は悲鳴を挙げるかのように言葉を発した。

 

「格好つける余裕があれば、何故さっさと脱出しないんだ!」

 

 彼の目の前にあった対戦車自走砲車アンブッシュは、元の姿が想像出来ないくらいに変形した鉄屑に成り果てていた。

 

 こうして、アンブッシュ隊は一両と有能な小隊長を失った。

 

 

 

       ◇◆◇◆◇

 

 

 

 圧倒的な火力をぶつけてくるドイツ軍装甲大隊に対して、アンブッシュは短時間で何両も失った。

 

 それを考慮すると、歩兵大隊による防御戦闘は熾烈という言葉すら生ぬるいものになるだろうと計算出来てしまう。

 

 彼は臆病風に吹かれた訳ではないが、冷静に計算すればそのような解答が求められるからである。そして、ここから逃げることは許されなかった。

 

 なぜなら、彼らは英連邦政府と英国国王に忠誠を誓ったからだ。

 

 例え、それが強制的だったとしても、状況に合わせて自分の発言を都合よく変える人物は誰にも信用されない。

 

 信用とは、人間社会で生き抜くには必要な素質だからだ。

 

 そんな彼はドイツ軍の砲声に負けぬ声で、自らを鼓舞するかのように指揮下の兵士たちに指示を告げていく。

 

「諸君、待たせたな。タンザニア歩兵連隊の出番が来たぞ。戦車を一両でも多く屠れ。ついでに擲弾兵も倒せ」

 

 ドイツ軍はパンテルⅡを街道から歯タバコ畑に逸れて、横一列に戦車を並べていく。その横隊が組み上がると、トマス中尉たちの後方にある集落へ射撃を始めた。

 

 それは事前に火点を潰すためである。ドイツ軍としては不注意による兵力の損失を避けたいからだ。

 

 ここではアンブッシュ5号車が迎撃戦闘をしていたが、相次ぐ砲撃によって崩れた民家の瓦礫に埋もれてしまう。射撃も移動も出来なくなってしまったのだ。

 

 そして、畜舎を遮蔽物として射撃していたアンブッシュ3号車は、後方へ避退しつつ反撃する機会を伺っていた。二両のパンテルⅡによる執念深い追撃を受けており、後方に追いやられていたからだ。

 

 アンブッシュ隊による反撃が潰えたことを把握すると、ドイツ軍は射撃を停止する。そして、数両のパンテルⅡが挺身隊として前進を始め、躊躇せずに地雷原に進んでいく。

 

 それだけではなく、擲弾兵たちが前進中のパンテルⅡの後方に駆け寄り、それを盾にしながら追いかけていった。

 

 既にドイツ軍機甲大隊の目標はアンブッシュ隊ではなく、トマス中尉率いるアスカリ隊になっているのだ。

 

 そのパンテルⅡの車体前面からは、土煙がもうもうと立ち上がる。それは、一見すると奇妙な状況である。エンジンの紫煙は車体後面にある排気管から噴き出されるし、前進走行による土煙や泥のはね上げも車体後方からだ。

 

 このパンテルⅡを観察すれば、車体前面に何かの装置が装備されていることに気づく。実は、その装置が金属製の鎖を地面へ何度も叩きつけていたのだ。

 

 それは、ドイツ軍が合衆国軍の遺棄兵器を参考にして製作した、地雷原開削兵器である<パイチェ>だった。

 

 日本語で「鞭」と訳されるこの兵器は、埋設地雷の信管を誤作動させるために金属製の鎖を、鞭のように何度も地面に叩きつける兵器である。機甲大隊はこれを数両のパンテルⅡに装備していたのだ。

 

 なお、この装置が作動すると土煙が凄いので、それが砲身に侵入しないように予め手法を後方に回している。

 

 第一次世界大戦の敗戦まで存続した、ドイツ帝国の鉄血宰相(ビスマルク)による有名な政策に、飴と鞭(あめとむち)(独: Zuckerbrot und Peitsche)がある。それくらい、鞭はドイツ人にとって馴染みがある道具だったのだ

 

 だから、この兵器を見た者が鞭を連想するのは、ごく自然なことだったのである。

 

 パイチェが鎖を叩きつけると、対人地雷だけではなく対戦車地雷も爆発していく。

 

 トマス中尉としては、数少ない地雷を埋設した地雷原が開削されていくのを、座視する訳にはいかなかった。だから、命令を下す。

 

「あの車両を攻撃しろ」

 

 ただちに、機関銃が唸りをあげて銃弾を発射していく。それは次々と戦車に命中するが厚い装甲を貫通出来ず、火花を散らしながら弾き返されていく。

 

 バズーカー砲を構えた一人のアスカリも攻撃に加わる。蛸壷から狙いを定めて発射したが、距離の目測を間違えていたのでパンテルⅡの遥か前方に着弾した。バズーカー砲の射程では届かない距離だったからだ。

 

 トマス中尉と共に塹壕に籠る無線兵も、小銃でパンテルⅡへ撃ち始めた。

 

 戦車のキューポラにある視察口に命中すれば、車内から外部を覗いている車長を殺傷できるかもしれない。ターレットリングに命中すれば、砲塔が旋回出来なくなるかもしれない。いずれも命中困難な部位だが、それに賭けようとしたのだ。

 

 パンテルⅡは、それらに臆することなく地雷原を進んでいく。そして、啓開に成功すると、その後方から擲弾兵が続々と姿を現わしていく。

 

 トマス中尉たちにとって残された手段は、アスカリたちの携帯兵器による防御戦闘だけだ。

 

 彼は腕時計を見ると午後三時過ぎを指している。英独両軍にとっての決定的瞬間が刻一刻と近づいていたのだ。

 

 何分持ちこたえられるかな? 五分? 一〇分? それとも三〇分? その時間だけでも十分だ。英連邦陸軍の意地をキャベツ野郎に見せつけてやろうじゃないか。

 

 彼は塹壕の淵から様子を伺うと、擲弾兵が腰を屈めながら接近していた。そして、その上空では両軍の戦闘機が激しい空中戦を展開している。

 

 どちらが勝者になるのか、誰にも判断つかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、ここでアンケートを取らせてください。

実は本作では明記しておらず今後披露する予定でしたが、もかちゃんの年齢を三〇歳過ぎと設定していました。

ミリオタの皆様なら周知の事実ですが、大型艦の艦長職に就く大日本帝国海軍士官の年齢は、五〇歳代前半なのが一般的です。

つまり、元から無理がある設定なのです。

本作では、その点に触れないように書いてきました。しかしながら、このまま書き記進めていくと、そこを明確にしないといけません。

この後、もかちゃんが面倒事に巻き込まれるのですが、五〇過ぎのオバサンでは年齢に相応しくなく痛々しい展開になってしまうからです。

このため、もかちゃんの年齢についてアンケートを取らさせてください。よろしくお願いします。






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第一七話

【祝 RSBC復刊決定】\(^o^)/



何と、中央公論新社様の公式Twitterにて、'20/6/25に「レッドサンブラッククロス」の再販が告知されました。

https://twitter.com/chuko_bungei/status/1276049545273569280

現在はオークションサイトか図書館でしか読めない仮想戦記小説の金字塔が、再び手に入れることが出来るのですよ(゚∀゚)

この機会を逃す訳にはいきません! バスに乗り遅れてはいけないのであります! と言う訳で興味がある方は是非どうぞ。












シエンフエーゴス市南方、シエンフエーゴス州、キューバ島

同日 午後二時

 

 

 

 トリニダー市北方にある交差点で戦闘が始まる前まで遡る。

 

 シエンフエーゴス市南方で敵中に取り残されたアスカリのコンド軍曹と、奇怪な兵器を実地試験するためにキューバ島にやってきた少佐たちの一行は、トリニダーにいる友軍へ合流しようとしていた。

 

 彼らは少佐たちが用意したトラックに乗り込み、自然に還る寸前のような林道、コンゴ軍曹たちが守備していた小道という順で走り、街道に合流した。

 

 その街道を南方に進めば友軍に合流できる。

 

 街道は砂糖きび畑や林の中を突き進んでいくと小川を超える。ここまで平野だった地形はこの川を境に大きく変化し、丘陵地帯が西側の海岸線まで迫るようになる。街道はこの丘陵に押し出されたかのように海岸線に沿って南下していき、トリダニー市街に到着する。

 

 その街の北方にある交差点では、コンゴ軍曹が所属する英連邦陸軍の部隊が即席の防衛線を築いている。そして、ドイツ軍機甲大隊はそれを突破するために、その準備と補給作業を行っていた。

 

 攻撃開始点からここまでの走行距離が短いのに、その準備と補給作業に時間を割くのは無意味な行動と捉えるかもしれない。だが、ドイツ装甲大隊の指揮官は防衛線の突破だけではなく、それを救援しようとする枢軸軍の戦車隊に備えて、万全な体制を整えようとしていた。

 

 この指揮官は北米戦線で、それを怠ったことで手痛い被害を経験していたからだ。

 

 さて、キューバ島での激戦を生き抜いてきたコンゴ軍曹は、軍人としての直感でその先で待ち受けているであろう脅威を予想していた。だからといって、それが街道を走り出した途端に出現すると、敬虔なキリスト教徒であるけれど神を罵倒したくなる。

 

 そこにドイツ軍が居たからだ。

 

 この街道が小川を超えるところには橋が架けられている。その橋の手前に、何故かドイツ軍がいるのだ。だから、コンゴ軍曹は、ただちにトラックを後退させる。

 

 幸いながら、彼らはドイツ軍に発見されずに生い茂る灌木の影へ、トラックを隠すことに成功した。

 

 問題なのは、その後の行動をどうするかである。

 

 敵がいる以上、敵情把握は欠かせない。そのため、コンゴ軍曹はゴメス上等兵を連れて、ドイツ人が何をしているのか偵察することにしたのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 俺は双眼鏡でキャベツ野郎の様子を伺ったが、俺とは別の視点からの意見が聞きたかった。

 

 だから、俺は双眼鏡をゴメス上等兵へ渡して意見を聞いた。

 

「ゴメス上等兵、あれは何をしているか分かるか?」

 

「擲弾兵が見当たりまっせん。戦車の乗員だけでっす。壊れた戦車の修理を待っているか、戦車回収車が来るのを待っているみたいでっす」

 

 ゴメス上等兵の推測は俺のと同じだった。パンテルⅡはエンジンの点検用ハッチが開いている。そのパンテルⅡをキャベツ野郎が取り囲んで、何かを待っている様子だった。

 

 どうやら、()()()()()()に戦車が壊れたらしい。

 

 軍人でも誤解している者が多くいる。特に戦車に触れたことが無い者なら、殆どの者が誤解している。それは、戦車は走れば壊れるものだという事実だ。

 

 戦車は民用のトラックやバスと異なり、主砲や分厚い装甲板といった大質量の部品を搭載している。これらは車両の走行能力の向上に関係なく、むしろ走行装置に大きな負担を与えるものばかりなのだ。

 

 そんな車両で舗装されていない悪路や斜面を走行するから、整備員が丹念に整備しても操縦員が無理な運転をしなくても故障しやすい。

 

 だから、俺たちのような陸軍兵にとって、戦車が故障して立ち往生するのは日常的なものだ。

 

 この機会を利用しない手は無い。問題はどのように攻撃すべきかだ。それを俺たちは相談していく。

 

「軍曹、キャベツ野郎が車外に出ているから、片っ端から小銃で狙撃しちゃいまっしょう」

 

「うーん……。目測で一キロ弱だから小銃ならぎりぎり届きそうだな。けれど、この銃には狙撃用の光学照準器が取り付けられていないからなあ。撃っても当たらないぞ」

 

「じゃあ、バズーカ砲で撃っちゃいまっしょう」

 

「駄目だ。あの砲の射程距離は最大でも二〇〇メートル程度しかない。だから、匍匐前進で射程距離まで近づかなければならない。そもそも、あの砲は伏せた態勢で撃ってはいけない」

 

 俺にとってバズーカー砲は身体を伏せた態勢で撃つものではない。

 

 今まで使用していた英軍の対戦車兵器ピアットならば、バネの反発力で砲弾を撃ち出すので伏せたの姿勢でも射撃可能だ。

 

 それに対して、バズーカー砲ではロケット弾発射時の噴流によって火傷し易くなる。さらに、発射機の後部が地面にぶつかるので必要な射角が取れない。

 

 それ以前の問題としてロケット弾の射出が完了するまで、射角を維持し続けなければならない。これが簡単そうで意外に難しい。

 

 その理由としてロケット弾は初速が遅いのだ。そして、ロケット弾が点火して発射機を進んでいくと、重心が筒先に寄っていく。この時に発射機の保持方法に問題があると筒先が地面を向いてしまう。

 

 そうなると、目標の遥か前方に着弾することになる。ロケット弾を無駄に消費するだけで終わってしまう。俺はバズーカ砲の訓練を受けて経験を積んできたが、そのような展開になるのは避けたかった。

 

 バズーカ砲より長射程で、戦車を撃破できる火力。俺はその条件に合致する火器を求めていた。

 

 面白いことに、そのような兵器が偶然にも俺の近くにある。これを使わない手は無い。

 

「上等兵。少佐殿ご自慢の試作兵器で戦車を撃破出来そうか?」

 

「出来まっす。あの兵器は戦車だろうがジェット機だろうが、確実に撃破できる万能な兵器でっす」

 

「じゃあ、それを使わせてもらおう。携帯無線機を貸してくれ」

 

「軍曹、通信回線(チャンネル)は二番でお願いしまっす」

 

 俺は少佐を呼び出すと、状況を説明して試作兵器の使用を願い求める。俺の予想通りに少佐は快諾してくれた。

 

 俺は携帯無線機を返すと、ゴメス上等兵に敵情監視を依頼して少佐たちの元に向かう。そして、トラックに戻った時に俺は思わず目を丸くした。

 

 正面と側面のドアに描かれた白い星(ホワイトスター)は、鉄十字(アイアンクロス)が描かれた旗で隠されていた。おまけに、その旗は新品ではなく使い込んだ汚れまである。

 

 さらに、ナンバープレートまでドイツ軍制式車両の表記になっている。ドイツ軍が遺棄された合衆国のトラックを、再使用しているように偽装していたのだ。

 

 それだけではなく、トラックの荷台に乗っている少佐だけがキャベツ野郎の将校用軍服に着替えていた。

 

 何故、着替えたのか理由は知らん。だが、その姿は良く似合っていた。だから、俺は反射的に身体を動かしてしまった。

 

 そうさ、俺は少佐の眉間に向けて銃を向けて、引金を引いたのさ。

 

 俺の暴走を止める奴はいなかった。出掛かった小便は止められん。暴走自動車を赤信号如きで止められたら苦労しねえ。可愛い女の子から往復ビンタを受けても、キスしてベッドに押し倒そうとする俺を止めるなんて一〇年早いぜ! 

 

 だから、数秒後には少佐の後頭部に穴が開く……筈だった。

 

 俺を最後の一線で止めたのは銃の安全装置だった。俺は人間特有の論理(ロジック)が通用しない、機械的な冷静さに制止されたのだ。

 

 

 

 ふんっ、少佐殿、アンタは幸運だな。だがな、紛らわしい行動したら次は間違いなく撃つ! 

 

 

 

 俺は言葉にしないで宣言するとトラックの周囲を見渡した。少佐は一人でトラックの荷台から部品を降ろし、何かを組み立てている。例の試作兵器だろう。

 

 不思議なことに、研究者の助手のような風貌をした二名の白人のうち一人が見当たらない。そんな俺の表情に気づいたのか、少佐が答えた。

 

「スミス中尉は地雷を埋めに行った。三個しかないから、もうすぐ戻ってくる」

 

「何のためにですか?」

 

「塹壕で隠れていた時にドイツ軍のトラック隊が、後方の補給処に物資を取りに行ったじゃないか。そろそろ戻ってくる時間だと気づいてな。奴らに心がこもった贈り物を渡してやろうかと思ったのさ」

 

「ああ、そういうことでしたか。ところで、もう一人は何をしているのでありますか?」

 

「<バッグス・バニー>を走らせる準備をしている。ミッチェル中尉、準備は終わったか?」

 

 ミッチェル中尉は返答すると、バッグス・バニーのスタータースイッチを捻った。すると、内部のエンジンが起動して勢いよく紫煙を噴き出していく。

 

 その兵器は全体的にゴツゴツとした印象を与え、名前のようにウサギをイメージ出来ない超小型の装甲車であった。ウサギ一羽を搭乗員として想定しているような大きさだ。

 

 車両の中央部を占める箱型構造体の側面には、左右一対のラバー製履帯が装備されている。

 

 前面には光学照準器のような筒型の部品が埋め込まれており、後部にはガソリンエンジンが収められている。さらに、その後ろには電線ドラムが装備されていた。

 

 上面には合衆国陸軍の制式兵器であるM2 60ミリ迫撃砲が固定されている。

 

 少佐が俺へ簡単に説明してくれたが、元々はドイツ軍の無限軌道式自走地雷<ゴリアテ>を合衆国陸軍が鹵獲して、改造した兵器だそうだ。

 

 主な改造点は履帯をラバー製にしたり、炸薬を取り除いて撮像管(イメージオルシコン)を装備したりしたという。

 

 ここまで観察させてもらったが、この試作兵器はどう使うつもりなのか見当がつかない。それを、ミッチェル中尉が実演で教えてくれた。

 

 中尉はエンジンが温まった頃を見計らうと、肩紐で吊り下げたジョイスティック型のコントローラを前後左右に倒す。そのようにして、それを自由自在に操作していた。

 

 そのコントローラは四本の信号用電線でバックス・バニーに接続しており、余長電線は車体後部の電線ドラムに巻き取られている。

 

 どうやら、遠隔操作が可能なこの兵器で敵戦車へ体当たり攻撃しようとしているらしい。

 

 しかし、どう好意的に捉えてもこの兵器に積める爆薬は少ない。これでは、パンテルⅡの転輪を吹き飛ばすのが精一杯だろう。それでは、現状と変わらない。

 

 だからといって、少佐たちがやろうとしている事を尋ねてみたら、面倒なことになりそうだ。だから、深く考えないことにする。

 

 それより、名称が気になったので質問してみた。

 

「バッグス・バニーとは何ですか?」

 

「一〇年前から合衆国のテレビジョン放送で放映されている、アニメーションの有名なキャラクターだ。そいつは二本足で歩く賢いウサギで、動物だろうが人間だろうが敵対する者には容赦しない」

 

「面白いウサギですね」

 

「だろぉ? だがな、かなりの方向音痴なので誘導してやらなきゃならん。その兵器の名前にピッタリだと思わんかね?」

 

「はぁ、そのとおりだと思います」

 

 俺は感情が籠っていない声で答えたが、それはバッグス・バニーをまったく知らないからだ。俺にとって二本足で歩くウサギはピーターラビットだけであり、ウサギパイとなって人間に食べられる運命にある野ウサギでしかない。

 

 一体全体、どうしたもんだろ? 

 

 何気なく呟いてしまうが、特に答えを求めている訳ではない。

 

 動作確認を終えたミッチェル中尉は、試作兵器の組立が終わって動作確認を始めた少佐に声を掛けた。

 

「少佐、動作確認と暖気運転が完了しました。出撃可能です」

 

「よし、コンゴ軍曹はバッグス・バニーを誘導してくれ」

 

「誘導ですか? どのように?」

 

「軍曹はゴメスの所へ案内してくれるだけでいい。そこから先はミッチェルが誘導する」

 

「はい、分かりました」

 

 バッグス・バニーのコントローラは、ミッチェル中尉からタイミングよく戻ってきたスミス中尉に引き渡される。そして、コントローラが荷台にある小さな箱に結線されると、ミッチェル中尉は俺に声を掛けた。

 

「軍曹、敵はどっちの方向だい?」

 

「あっちです。キャベツ野郎に見つからないように、頭を下げてください」

 

「おう、気を付けるよ」

 

 そして、俺と中尉はバックスバニーに追いかけられるように走り出した。バッグス・バニーは時速一〇キロ以上で走れるので、ジョギング並みの速さで走らないと追いつかれてしまう。

 

 俺らは砂糖きび畑を走り、木立の中を駆け抜けていく。そして、ドイツ軍に見つからないように腰を屈めながら、雑草だらけで未開墾の平地を走りゴメス上等兵の元に到着した。

 

「上等兵、パンテルⅡの状況は?」

 

「変化なしでっす」

 

「ミッチェル中尉、これからどうされますか?」

 

「うーんとねぇ、少佐からの信号(シグナル)を受けてから、僕のバニーちゃんを走らせるよ」

 

 へっ? バニーちゃん? 妙な名前で呼ぶなあと思っていたら、中尉はスイッチを操作して待機(アイドリング)状態にした。そして、携帯無線機で状況報告しながらバッグス・バニーを丹念に掃除し始めた。

 

 短い距離を走行しただけなのに、至る所に履帯が巻き上げた泥が付着している。それを軍手で払い落としていた。それだけならまだしも、中尉は掃除を終えると携帯無線機を俺に渡してから、それに頬を擦りつけたのだ。

 

 その姿は、モテないお兄さんが小さな女の子へ、何度も頬ずりする様子にそっくりだった。

 

 この兵器に愛着がある技術士官だと感心するべきか、超えてはいけない一線を越えてしまった哀れな男と捉えるべきか……。

 

 はてさて、どうしたもんだろ? 

 

 誰に対して尋ねているのか俺も分からないが、思わず口にしてしまう。

 

 そんな事をしているうちに、携帯無線機から雑音混じりの指示が聞こえてきた。これが攻撃開始の合図だった。

 

「ミッチェル中尉、攻撃開始の合図です。お別れの挨拶をお済ませください」

 

「うん、そうだね……」

 

 俺の軽い冗談を真に受けたのか、ミッチェル中尉は別れを惜しむかのように撫でる。

 

 そして、意を決してスイッチを操作した途端、バッグス・バニーは一気に駆け出していったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一八話

シエンフエーゴス市南方、シエンフエーゴス州、キューバ島

同日 午後二時二三分

 

 

 

 元々はドイツ陸軍が実戦投入した無限軌道式自走地雷<ゴリアテ>。それを、少佐たちが改造した<バッグス・バニー>は快調に走行していた。

 

 目標であるパンテルⅡへ、凹凸ある大地を物ともせず、生い茂る雑草を踏み倒し、パンテルⅡへ目掛けて進んでいく。時折立ち止まると警戒するかのように周囲を見回して、その先へ進んでいく。

 

 その姿は、野ウサギの如くだった。長い耳で周囲を探る能力があれば、もっと野ウサギらしくなるだろう。

 

 ミッチェル中尉は無線機を片手にして誘導指示をしている。バッグス・バニーの前面に装備された撮像管(イメージオルシコン)による画像情報だけでは、状況把握が難しいからだ。

 

 この場で何もしていないのは俺一人だけ。ゴメス上等兵は少佐に呼び出されてトラックに向かった。つまり、俺は暇だったのだ。

 

 それが理由なのか知らないが、俺はいつの間にかあの小さな兵器が頼もしく思えるようになっている。気づいた時には拳を強く握り、あの兵器に心の声で声援を送っていた。

 

 どうやら、この中尉の傍にいると俺までおかしくなるらしい。さすがに、このままではいけないので、軍人としての責務を思い出すために中尉に質問した。

 

「中尉、そろそろ教えていただけませんか。少佐たちがやろうとしていることです」

 

「あれ、少佐から聞いていなかったのか。じゃあ、最初から説明しよう。まず、最初にバニーちゃんをパンテルⅡの一五〇メートル前まで近づけて、迫撃砲を撃つのさ」

 

「はい」

 

「迫撃砲に装填されている砲弾は俺たちが特別に製作した砲弾で、ゲル化した油脂を詰めている。この砲弾が命中した時に信管が燃焼して油脂も燃え上がる。粘り気がある油脂だから簡単には消火できないので戦車の装甲も熱くなる。ここまでがバニーちゃんの任務だ。質問あるかい?」

 

「はい、ありません」

 

「次にトラックに残った少佐が<ダフィー・ダック>を発射する。諸元を地上目標にある熱源に設定して飛翔距離を調整すれば、ロケット弾が自動的に熱源を探知してくれる。だから、ロケット弾は必ず戦車に命中する」

 

「なるほど、光学照準しなくても遠距離から攻撃できるのですね」

 

「どーよ、凄いでしょ」

 

 もし、実戦投入されたならば敵性勢力に気づかれない地点から、先制攻撃できる素晴らしい兵器になるだろう。間違いなく俺たちの負担が大幅に減る。

 

 だが、誘導方法には改善の余地が幾らでもあった。

 

 今回の攻撃対象は停車中の敵戦車一両だけなので、誘導準備に時間を掛けられる。

 

 これが、敵味方入り乱れて交戦中の状況だと、それが出来ないので使い物にならない。どんな兵器でも、撃つのは簡単に出来だが命中させるのは難しい。

 

 ところで、中尉の説明で気になったことがあったので質問してみた。

 

「あの、ダフィー・ダックとは、アニメーションのキャラクターでしょうか」

 

「そうだよ。バニーちゃんより人気があると思い込んでいる、頭がイカれた黒ガモなのさ。だから、ロケット弾に相応しい名前だろ? ほんの一瞬だけど、バニーちゃんより空高く飛んで行けるからね」

 

「はぁ、そのとおりだと思います」

 

 俺は感情が籠っていない声で答えた。バッグス・バニーを知らないから、ダフィー・ダックなんて知る訳が無い。

 

 お前ってサイテー! 

 

 そんな言葉をぶつけたくなる。誰に対してとは言わないが。

 

 そんな俺たちがどうでもいい会話をしている間にも、バッグス・バニーはパンテルⅡへ接近していく。

 

 それはパンテルⅡの外で待機している戦車の搭乗員に、発見され易くなることでもある。射程距離を一五〇メートルに設定しているが、それまで気づかれずに接近しなければならない。

 

 バッグス・バニー自体に気づかなくても、不自然に揺れる雑草に気づかれたらお終いだ。

 

 だから、俺は祈った。

 

 

 

 頼みます。キャベツ野郎の皆様方が、永遠にあっちを向くようにしてください。代わりに、少佐の笑顔を差し出します。

 

 

 

 その祈りが通じたのか、遂にパンテルⅡを射程距離まで接近した。キャベツ野郎は、雑草の影にバッグス・バニーが隠れていることに気づいていないのだ。

 

 中尉は無線機で連絡を取り合い、それを終えると自信満々に無線機で指示した。

 

「ファイヤ!」

 

 迫撃砲弾は勢いよく発射され、上空で弾道経路を湾曲させながら一気に降下する。そして、戦車に命中した……。

 

 間違いなく砲弾は砲塔天蓋に命中した。それだけだった。

 

 砲弾は天蓋を転がり、パンテルⅡの側面に落ちてしまったのだ。

 

 不発だったのか、命中角が悪かったのか、砲塔天蓋に弾かれたのか、理由は分からない。戦果は乗員に精神的衝撃を与えただけ。以上。

 

 ここまで見ていただけとはいえ、必死に心の声で声援を送っていた。なのに、こんな無様な結果だとは……。

 

 俺は呆れ果ててしまう。そして、中尉は頭を抱えていた。

 

「あれぇぇぇ、おっかしいなぁ。ちゃんと狙ったのに」

 

「中尉、砲塔天蓋じゃなくてエンジンの吸気ルーバーか排気管を狙わないと……」

 

「そんな小さな的は狙えな……。大変だ、バニーちゃんが危ない!」

 

 キャベツ野郎は戦車に乗り込み、主砲で迫撃砲弾の発射位置へ狙い定めていた。その動きは歴戦のキャベツ野郎らしく素早かった。

 

 発砲、そして、爆煙。

 

 照準が正確ならば、榴弾はバッグス・バニーを切り刻んだであろう。そして、キャベツ野郎の戦車搭乗員は至近距離への照準をミスするような、初歩的間違いなんてしない。

 

 すぐに携帯無線機が鳴ったので、中尉に代わって俺は応答する。

 

「おい、バッグス・バニーからの信号が途絶えたぞ。どうなっている!」

 

「迫撃砲による攻撃は失敗、パンテルⅡは燃えていません。バッグス・バニーは撃破された模様です。ミッチェル中尉は頭を抱えています」

 

「了解、ミッチェルに伝えておけ。頭を冷やして戻ってこいと」

 

「もう、手遅れです。ただいま、小官の隣で立ち上がり罵声を飛ばし始めました」

 

「あっちゃー、やっちまったか。軍曹、ミッチェルをトラックまで連れ戻してくれ」

 

 ミッチェル中尉は俺が報告したとおりに、立ち上がって罵声を飛ばしていた。

 

 これじゃあ、確実にキャベツ野郎に見つかってしまう。困惑と諦観が混在している感情を抑えつつ、俺は軍人たる口調で相手に伝えた。

 

「小官は英連邦陸軍の軍曹であり、合衆国陸軍ではありません」

 

「それは分かっているけれど、頼む! 何とか連れ帰ってきてくれ」

 

 そう言われても困る。

 

 パンテルⅡの主砲は俺たちに向きつつある。それが見えないのか、ミッチェル中尉は激昂したまま親指を下に向け、下劣な言葉を吐き出し続けていた。

 

 俺にとって、現在の彼は囮として申し分ない存在である。俺が傷一つなく逃げるには、今が最善の機会なのだ。

 

 そこまで俺は瞬時に計算するとミッチェル中尉の脇に立つ。そして、未だに何かを喚いている彼の胸倉を掴むと、拳で殴り倒した。

 

 軍曹が中尉を殴るなんて軍法会議ものだ。判決次第では俺は激戦地帯に送り込まれ続けるだろう。だからといって、最短時間で彼を大人しくさせるにはこれしか思いつかなかった。

 

 結局、俺は人間でしかない。人種や血統の繋がりが無くても、共に戦う仲間を見捨てることなんて出来ないのさ。

 

 だが、それが唯一の正解だった。

 

 俺たちが倒れ込んだ途端に、何かが高速で頭上を通過していく。そして、地表に衝突すると周囲に鉄片をばらまいていった。

 

 タイミング良くパンテルⅡが榴弾を射撃したのだ。

 

 榴弾の破片は樹木を切り刻み、地表に露出した岩石を打ち砕いでいく。たが、俺たちは切り刻まれない。

 

 奇跡的にも榴弾の破片が飛んでこなかったのだ。 

 

 心に余裕を取り戻した俺は、殴られたショックと榴弾の弾着で呆然としたミッチェル中尉に向けて、言い放った。

 

「おい、合衆国人(ヤンキー)。動くな、じっとしていろ!」

 

「お、おう、分かった」

 

 パンテルⅡは俺たちが榴弾の破片によって切り刻まれた、無残な死体だと誤解してくれたのだろうか? 

 

 その時、遠方から爆発音が聞こえてくる。その音の正体は、あれしか思いつかなかった。

 

「中尉、キャベツ野郎のトラック隊が地雷に引っ掛かったようです。正面のパンテルⅡに動きがあるまで、じっとしていてください」

 

「軍曹、済まなかった」

 

「私も非礼をお詫びします。しかしながら、五体満足で祖国に帰りたければ私の指示に従ってください」

 

「ああ、軍曹の指示に従うよ。必ずだ」

 

 中尉が納得してくれた様子で一安心する。なので、これからパンテルⅡがどのように行動するか予想してみた。

 

 トラック隊を攻撃した何者かが街道を南下してくると予想すれば、主砲を街道に向けるだろう。そうなれば、俺たちが逃げ出す隙が生まれる。そして、夜になってから再びパンテルⅡに忍び寄って攻撃すればいい。

 

 俺たちを警戒し続けるのであれば、トラックの荷台に試作兵器を載せた少佐たちが忍び寄り、光学照準でロケット弾を撃つだろう。どちらにせよ、パンテルⅡの運命は俺たちが握っているのも同然だった。

 

 だが、俺の予想は大甘だった。それは、可愛い女の子に思いきって告白したのに、彼氏がいることに気づかなかったのと同じくらい、衝撃的な事実だった。

 

 なんと、パンテルⅡが動き出したのだ。それまで、敵戦車は俺たちに車体後部を向けていたのに、低速で前進したまま方向転換して正面を向けてきた。

 

 

 

 畜生。パンテルⅡは動けないのではなく、変速出来ないだけだったのか。騙された! 

 

 

 

 いや、違う。勝手に思い込んでいたのは俺たちだ。

 

 パンテルⅡは街道に入ると爆発音がした方向へ、人間の歩く速度並みの速さで走っていく。地雷で被害を受けたキャベツ野郎を救援するために。

 

 俺たちは戦車が視界から消え去ると、ただちに起き上がる。そして、徒歩だからこそ可能な最短経路で、少佐たちの元に駆け戻っていった。

 

 俺たちは木立の中を駆け抜けて砂糖きび畑を走り、トラックが見える所まで戻ってきた。その時、俺たちはその先にある異様な光景を見て立ち止まってしまう。

 

 トラックの脇に少佐とゴメス上等兵が立っているが、何故か上等兵が少佐に刃物を突き付けていた。

 

「おい、ゴメス。何やってんだよ……」

 

 ミッチェル中尉が悲鳴のような声を出すが、俺は彼らの雰囲気から違和感を感じた。上等兵と少佐の視線が、とある一点に揃って向けられていたからだ。

 

 だから、俺はひとまず様子を伺うために中尉へ()()をした。

 

「中尉、身を隠してください。絶対に、敵に捕まらないようにしてください」

 

「うんっ? ああ、分かった」

 

 俺はミッチェル中尉を、硬い茎が生え並ぶ砂糖きび畑へ押し込む。そして、俺だけで少佐たちの後方に忍び寄っていくが、状況が把握していくにつれて困惑してしまった。

 

 ゴメス上等兵は片腕で少佐の首を巻き取るように抱え、もう一方の手で少佐の頬に小刀を突きつけている。それだけなら少佐の自業自得なので、俺が二人の間に割り込むのは無粋である。

 

 だが、二人は足並みを揃えるようにじりじりと後退している。その正面には、何とキャベツ野郎が二人もいるのだ。

 

 軍装だけは見慣れない防暑服だが、ドイツ陸軍の制式装備である鉄兜(シュタールヘルム)を被っている。それだけではなく、ドイツ軍が開発した歩兵携帯兵器で最高傑作であるMP47突撃銃を構えている。

 

 どっからどう見てもキャベツ野郎だった。

 

 そのキャベツ野郎は、奇妙なことに何故か射撃しない。小銃は少佐たちに向けられているし、有効射程距離内でもある。

 

 それは、奴らの行動を見ているうちに謎が解けた。

 

 奴らは少佐をドイツ軍の捕虜だと誤解しているのだ。そして、ゴメス上等兵が人質として少佐を捕まえ、彼を盾にしつつ小刀を突きつけているだと思っているらしい。

 

 どうやら、奴らは地雷で被害を受けたトラック隊に乗ってきたらしい。新たな地雷が埋まっていないか探索機で探しているうちに、偶然にも少佐たちを発見したのだろう。

 

 

 

 本気でどうしたもんだろ? 

 

 

 

 仮に、この位置からキャベツ野郎へ撃ったとしても、流れ弾が少佐や上等兵に命中する可能性が高い。さらに、スミス中尉の姿が見えないので、少佐たちの救出に成功したしても彼が危険になる可能性もあった。

 

 俺も手を出しあぐねる状態だ。そんな状況なのに俺の大嫌いなパンテルⅡが低速で接近中なのだ。そうなったら、終わりだ。

 

 だが、俺の脳内に生息しているもう一人の俺が、人類史上初めての女性(エヴァ)を誑かせた(サタン)のような笑みを浮かべながら囁きかけた。

 

 

 

 さっさと逃げちまえ。

 

 お前は黒人だが、有能で歴戦を重ねてきた勇敢な英連邦陸軍の軍曹だ。

 戦争を道楽の如く楽しんでいる奴らを助けても、お前が得になることはない。

 

 神の子と自称する大工の息子(イエス・キリスト)が日頃から唱えたように、隣人愛なんて銃後の世界にしか通用しない。何しろ、ここは戦場だ。

 

 戦場で生き残るには理屈なんて必要ない。

 必要なのは冷酷な現実を受け入れる心の用意と、幸運を掴み取る勇気だけだ。

 

 さあ、速く行動しろ。少佐たちが敵を引き付けているうちに早く逃げろ。

 

 ドイツ軍の戦線を突破するのは非常に難しい。

 だが、トリダニーまで南下すれば何とかなる。

 

 そこから、陸路ではなく小舟を使って珊瑚礁沿いに進んでいけばいい。

 キャベツ野郎の妨害を受けずに友軍と合流できる筈だ。

 

 さあ、急げ! 

 

 

 

 俺は脳内にいる、もう一人の俺の襟首を掴むと隅に放り投げた。

 

 それは選挙における得票数稼ぎのために、空虚な選挙演説のような戯言を言っているからだ。もう一人の俺の主張は理解すれども、受け入れることは出来ない。

 

 だって、前提条件を忘れているからだ。

 

 信仰心は誰もが逆境においても信じられるものだから信仰と成り得る。本人の気分次第でコロコロと変えるのならば、それは信仰ではない。

 

 そして、俺はキリスト教徒だ。神に代わって世界を支配しようとするナチスドイツを認める訳にはいかないのだ! 

 

 俺は頭を振って邪念を振り落とし、キャベツ野郎の将校用軍服を着ている少佐の背中に目を向けた。その少佐は背中に手を回し、何かを握りしめている。そして、等間隔ではなく妙な間隔で振っていた。

 

 それが日光を受けて反射すると、俺は少佐が伝えたいことが読み取れる。

 

 それはモールス信号だった。長音と短音を反射光の間隔で表現していたのだ。

 

 その符号は"・- …… ──”。

 

 アルファベットに変換すれば"a・i・m"である。文字どおり「狙え」だ。ここまで()()されれば躊躇う理由なんて存在しない。

 

 

 

 少佐殿。ご存知ないでしょうが、俺は少佐殿が紛らわしい行動したら銃を向けることにしていました。

 

 だから、撃ってやるよ。アンタのお望みどおり撃つぜ! 

 

 

 

 俺は覚悟を決めると、キャベツ野郎が十分に聞き取れるくらいに大声を挙げる。

 

「死ね! ナチの豚野郎!」

 

 そして、俺は躊躇うことなく小銃の引金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第一九話

シエンフエーゴス市南方、シエンフエーゴス州、キューバ島

同日 午後二時三七分

 

 

 

 俺の罵声は遠方まで届いた。

 

 その罵声を浴びた二人のキャベツ野郎は、俺の方向へ顔を向ける。その途端に表情を引きつらせた。

 

 ほぼ同時に少佐は行動を起こした。上等兵が握っている小型ナイフを、奪おうとするかのように押し倒す。すると、奴らへの射界が十分に開けた。

 

 偶然ではなく少佐が強引にこじ開けたのだ。

 

 奴らの小銃は俺へ向いていない。奴らにとってあり得ない展開に身体が反応出来ていないからだ。

 

 間違いなく、この瞬間に俺は勝利を確信する。

 

 それを確固たる物にするため、俺は小銃の引金を引いた。

 

 カナダのアルバータ州にある州都カルガリー近郊に移転した、王立小火器工廠製リー・エンフィールドNo.4小銃は、乾いた破裂音と共に.303ブリティッシュ弾(七・七ミリ径の実弾)を次々に撃ち出していく。

 

 それは、俺の的確な照準によってキャベツ野郎へ命中した。

 

 一人目には三発命中。致命傷を与えた一発は心臓を貫き、目標は虹を描くかのように鮮血を噴き出しながら倒れていく。

 

 二人目には、腹部へ一発だけ命中。目標は弾着による衝撃と激痛によって腰を折り、地面に崩れ落ちていく。

 

 そして、座り込んだ瞬間を見計らい、その額へ撃つと目標は沈黙する。

 

 その時、俺は歓喜の声を挙げようとした。

 

 

 

 俺はキャベツ野郎に勝ったのだ!

 

 

 

 だが、それは束の間の勝利でもあった。突然、俺の背後から乾いた破裂音が連続したからだ。

 

 俺の腕や脛には、炎で真っ赤になるまで炙られたフォークを刺されたような激痛が、身体中を走り回った。俺はあまりにもの痛さで立ち続けることが出来ず、地面に倒れ込んでしまう。

 

 その時になって俺に迫っていた脅威に気づいた。俺の背後にパンテルⅡが接近していたことに。

 

 俺は射撃に集中していたので気づかなかったが、この戦車は街道から逸れて砂糖きびを踏みつぶしながら接近していた。そして、車体前面にある機銃で俺に射撃したのだ。

 

 

 

 畜生!

 

 

 

 そんな言葉しか思い浮かばない。完全に俺の油断だった。

 

 そんな俺の悪態が聞こえたのか、パンテルⅡは倒れた俺に向けて前進してくる。トドメを刺すために踏みつぶそうとしているようだ。

 

 どうやら、今度こそ本当に俺の人生最期のカウントダウンが、スタートしてしまったらしい。

 

 俺は接近しているパンテルⅡと、砲塔から顔を出している車長を睨みつける。

 

 茎が固い砂糖きびが折れていく小気味いい音と、履帯とエンジンの駆動音が次第に近づいていた。変速機が不調なのでエンジンが高回転しても速度が上がらない。

 

 このままでは、オーバーヒートしてしまうだろう。最期の瞬間を待つことしか出来ない俺には関係無い事だが。

 

 

 

 Ⅴ号中戦車H型パンテルⅡの車長よ、今度こそ俺の負けだ……。

 

 

 

 俺は無念の感情を込めながら、最期の言葉を呟く。

  

 その時だった。トラックの方角から誰かが声を挙げた。

 

「ファイヤ!」

 

 それは少佐の大声だ。空耳かと誤解してしまったが、それは間違いなく少佐による命令だった。

 

 俺は少佐たちのトラックがある方向へ首を振ると、そこではロケット弾が盛大に白煙を噴き出しながら天空高く飛翔していく。

 

 少佐の自信作である試作兵器<ダフィー・ダック>だ。

 

 それは天空の高みまで到達すると、重力とロケットの推進力によって一気に降下してくる。

 

 俺を轢き殺そうとしているパンテルⅡを目掛けて。

 

 変速機が不調でオーバーヒート寸前のエンジンは、砂糖きび畑では非常に目立つ熱源である。弾頭に熱源自動追尾機能があるロケット弾は、それを目標にしていた。

 

 己の立場が劇的に変化したことに気づいたパンテルⅡは、ただちに回避行動を取ろうとする。

 

 だが、変速機が不調では増速も後進も出来ない。左右のどちらかに変針しようとするが、その動作は鈍重だ。

 

 こうして、パンテルⅡの命運は確定した。ダフィー・ダックは車体上面にある換気口ルーバに着弾したのだ。

 

 ルーバーを突き破るとエンジンを破壊して、エンジンや燃料管に残っている燃料を車内へ撒き散らす。その数秒後に、時限信管によってロケット弾は起爆した。

 

 爆発によって撒き散らされた燃料は引火し、戦車の車内には爆風が吹き荒れる。

 

 通常であればエンジン区画に装備されている自動消火装置が作動するが、ロケット弾はこの装置も破壊していたのだ。この戦車は火災を消火する術を失っていた。

 

 ロケット弾は車内の隔壁も破り、荒れ狂う炎が乗員室にも侵入する。そして、弾薬庫に収められた砲弾の炸薬を加熱し、砲弾は次々に誘爆していく。

 

 炎を伴った爆風はハッチを吹き飛ばし、車体前面にある機銃口から炎を迸らせる。さらに、ターレットリングからも炎を噴き出した。

 

 そして、遂に重量ある砲塔を宙に舞い上げた。パンテルⅡを完全撃破したのだ。

 

 俺は歓喜の声を挙げたくなるが、それよりも四つん這いになって必死に逃げ出すことを優先する。周囲には戦車だった得体の知れない物が次々に降り注ぐし、油脂の匂いが混じった黒煙に絡まれると窒息しそうだからだ。

 

 そうしているうちに、誰かが俺を身体を引き起こし肩を支えてくれた。それは頬から鮮血を流している少佐だった。俺は少佐の肩を借りて、片足で地面を蹴りながら必死に避難する。

 

 やっとの思いで安全圏まで避難したら、途端に二人とも力が抜けてしまい地面に座り込む。

 

 そして、笑い出した。久しぶりに腹の底から笑った。

 

 どちらが先だったのか分からないくらい、ほぼ同じタイミングだ。

 

 笑い出したら、それは簡単には止まらない。呼吸が続かなくなるくらい、笑った。(はらわた)(よじ)れてしまうくらい、笑った。

 

 俺が大嫌いなパンテルⅡ。俺に牙を向けたパンテルⅡを撃破したのだ。これを笑わずにしてどうしろと言うのか。

 

 そして、笑い疲れて正気に戻ると、俺たちは軍人らしい会話を始めた。

 

「少佐、やりましたね」

 

「ああ、皆よくやってくれたよ。小さな橋を渡ろうとしただけで、ここまで危ない橋を渡るとは思わなかったな」

 

 少佐はそう言うと手を差し出した。

 

「実戦経験乏しい我々に協力してくれたことに感謝する。合衆国陸軍少佐ではなく、わたし個人としてだ」

 

「ありがとうございます」

 

 俺は素直に少佐の手を握り、固く握手した。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 俺たちを乗せたトラックは南下を再開する。当然ながら全員揃っている。

 

 先程の戦闘で姿が見えなかったスミス中尉は、トラックの荷台に積まれている木箱の影に隠れていたという。だから、素早くダフィー・ダックを発射出来たのだ。

 

 気がかりだったのは、地雷を踏んで立ち往生したドイツ軍のトラック隊の存在だ。

 

 そのため、ゴメス上等兵が偵察へ向かった。だが、損傷したトラック以外に何も残っていなかった報告してきたのだ。

 

 推測だが、パンテルⅡの爆発音によってドイツ軍側の形勢不利を悟り、避退するために補給処へ向かったらしい。

 

 トラックは俺たちが通過するために悪戦苦闘した橋を、あっさりと通過して海岸線沿いを走っている。俺は久しぶりに潮風を頬に受けて、ご機嫌になっていく。

 

 トラックの荷台で小銃を構え、周囲を警戒しているのはミッチェル中尉とスミス中尉だ。俺は負傷したので、止血処理を施されて荷台に座っている。

 

 パンテルⅡが撃った銃弾は俺の身体を抉っただけだった。貫通して動静脈に命中していたら、俺は生きていない。

 

 俺は止血処置を施されたとはいえ、傷口はジクジクと痛む。それを紛らわすため、少佐と雑談していた。それは、色々と面白くて興味をそそる話だった。

 

 ダフィー・ダックの原型は合衆国に存在した、某軍需メーカの開発チームが考案した新兵器だという。

 

 その兵器は面白いことに、擲弾兵が携帯可能な対戦車用の迫撃砲というコプセントだったそうだ。対戦車砲とバズーカー砲の利点を合成させようとしたらしい。

 

 対戦車砲は長射程なので、ドイツ軍のパンテルⅡや新型重戦車(レーヴェ)を遠距離で撃破できる。だが、構造上の問題により重量がある。

 

 だから、自動車で牽引するか、分解して一個小隊規模の擲弾兵で運ばなければならない。配置するのも移動するのも面倒なのだ。

 

 それに対して、バズーカー砲は軽量なので簡単に持ち運びできる。しかし、射程は二〇〇メートルもない。これでは、ロケット弾発射前に敵戦車の機銃掃射に晒されてしまう。

 

 だから、開発チームは対戦車砲なみの射程と威力を持ち、擲弾兵が簡単に運搬できる兵器を作ろうとした。合衆国陸軍が興味を示さなくてもだ。

 

 当時、合衆国は対独宥和政策を実施していたので、ドイツを刺激しないように軍事関係の予算を抑制していたからだ。それでも、その軍需メーカは未来の戦争に必要な兵器になると確信していた。

 

 これは、どのメーカでも行われている将来への先行投資というものだ。

 

 何しろ、戦争は世界中で行われている。第三次世界大戦勃発前の段階で、大ドイツ帝国はウラル戦線でロシアと小競り合いを続けている。

 

 アジア大陸の東端にあり、世界四大文明の一つである黄河文明発祥の地である大陸国家では、国民党軍と共産党軍が内戦継続中だ。

 

 現時点でこの兵器の販売先は無くても、時間が経過すれば兵器の販売先は次々に開拓されていく。人類が家畜ではなく人類として存続する限り、戦争は世界のどこかで勃発するからだ。

 

 人類が誕生してから幾世紀も経過しているが、未だに親子や夫婦の喧嘩さえ抑止出来ていない。そんな人類が戦争を阻止できるなんて笑止千万だ。

 

 さて、ダフィーダックの開発が中断した理由は、誰もが想像できるとおり第三次世界大戦が勃発したからである。

 

 大ドイツ帝国軍を主力とする連合軍が合衆国へ侵攻してくると、この軍需メーカは行動を起こした。最新鋭の兵器や兵器開発技術が、ドイツ軍に奪取されるのを防ぐために移送したのだ。

 

 それらの移送先は合衆国西海岸側にあり、カナダとの国境に近い大都市シアトルだった。

 

 この地には、航空機メーカであるボーイング社が拠点としていた。

 

 それだけが理由ではないが、磁石に引き寄せられるように、東海岸や内陸地帯にある他の軍需メーカが次々とこの都市に疎開する。

 

 そして、いつの間にかシアトルは合衆国に残された軍事技術の最後の拠点となった。

 

 この地では、合衆国陸海空軍の手によって各メーカの技術を掛け合わせた新兵器が、幾つか誕生して実戦投入されている。

 

 ダフィー・ダックも同じように、某軍需メーカの開発試作品に他メーカの地対空ミサイル開発技術を合成して完成させたのだ。その作業を指揮したのが少佐だった。

 

 その少佐は、この兵器を改良の余地ありと判断した。目標へ誘導する方法に課題が多く、それを再検討しなければならなかったからである。

 

  ここまで少佐の話を黙って聞いていたが、俺にはどれほど重要なのかさっぱり分からない。だけど、この後に続く話が俺にとって重要であった。

 

 少佐にとってダフィーダックの開発スケジュールは、新兵器開発としては非常にタイトだという。そして、それは上層部から厳守するように命令されているそうだ。

 

 それを少佐自ら語った。

 

「この兵器は今年の六月か七月に実戦投入しなければならない計画だ。はっきり言って達成困難な計画だ」

 

「そんなに急いでいたのですか」

 

「そうだ。四月末までに実地試験して、五月末までに改良と先行量産する計画だった」

 

「そんなに急いでいるのであれば、この島ではなく合衆国の北米戦線で試した方が早かったのではありませんか?」

 

「合衆国の北米戦線はロッキー山脈東側の麓だ。この時期は寒暖の差が激しいので、寒ければ畜電池が眠ってしまう。だから、常夏のキューバ島に来なければならなかったのさ」

 

「もしかして、例の作戦に実戦投入する予定だったのでありますか?」

 

「例の作戦? 何のことかね?」

 

「噂話ですが、近々に北米戦線で総反攻作戦を始めるとか延期したとか」

 

 少佐はニヤリとしたが、とうとう答えなかった。

 

 噂話だが、合衆国のロッキー山脈東側の麓にある前線を攻撃発起点として、ミシシッピー川に向けての大規模な反攻作戦が準備中らしい。

 

 少佐の話から推測すれば、それは今年の六月以降に決行するのだろう。一つだけ確実なのは、俺が知るべきでは無い話だということだ。

 

 トラックは海岸線に沿って右へ左へと曲がり、入り江に架かる小さな橋を渡って走っている。

 

 俺は何気なく腕時計を眺めた。半日近くが経過したような疲労を感じていたが、時計の針は午後三時過ぎを指している。

 

 意外なことだが、パンテルⅡの発見から一時間少々しか経過していなかったのだ。

 

 俺は目を背けたくなるような過酷な現実を見せつけられ、たまらずに空を見上げる。その時、俺の耳に砲声が聞こえてきた。

 

 空耳ではない。間違いなく重々しい砲声だ。それが連続して轟いている。

 

 俺が逃れることが出来ない現実は、満潮のように俺へ迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここで、作者オリジナルのキャラクター紹介です。

シアトルからやってきた技術少佐たちと黒人運転兵のグループは、映画「ゴーストバスターズ(1984年版及び1989年版)のキャラクターたちを元にしています。

マックス少佐はヴェンクマン博士、ミッチェル中尉はマシュマロで有名なスタンツ博士、スミス中尉は丸眼鏡をかけたスペングラー博士、ゴメス上等兵は体つきは立派なのに臆病な性格であるゼドモアです。

なお、ヴェンクマン博士は、口八丁で常に女性を口説こうとする軽薄で冷淡な性格ですが、マックス少佐は任務に対して熱心に取り組んでいます。女好きなのは一緒ですが。

それに対して、コンゴ軍曹は元となるキャラクターがいません。

読者の皆様方にて、精強なるアフリカ系黒人兵士を脳内に思い浮かべていただければ幸いです。

今後も投稿していきますので、宜しくどうぞ。






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第二〇話

トリニダー市北方、サンクティ・スピリトゥス州、キューバ島

同日 午後三時

 

 

 

 爆発音。悲鳴。そして、ドイツ軍擲弾兵が駆ける軍靴の足音。

 

 あらゆる騒音が随所から聞こえる小さな戦場に、トマス中尉の喉を潰しそうな大声と銃声が加わった。

 

 ブレン軽機関銃が、地面を舐めるように射撃を始める。すぐに、ドイツ軍擲弾兵は地面にへばりつくかのように伏せて、無慈悲な銃弾を避けていく。

 

 攻撃を受けたドイツ軍も前進中の擲弾兵を援護するために、英軍将兵から「ヒトラーの電動のこぎり」との渾名がついたMG42機関銃で援護射撃を始めた。

 

 擲弾兵の頭上では英独両軍の銃弾が飛び交っていくが、それに臆することなく匍匐前進を続けていく。

 

 その状況を待ち望んでいたのは、迫撃砲を任された歩兵たちである。彼らは密集して匍匐前進を続けているドイツ軍擲弾兵へ、狙いを定めるとML 3インチ迫撃砲を発射した。

 

 サイダーの栓を抜いた時のような音と共に榴弾が撃ち出された。それは、大きく湾曲した曲射弾道を描きながら、ドイツ軍擲弾兵の背中に目掛けて降下する。

 

 そして、着弾すると榴弾の破片によって彼らを殺傷していく。

 

 常に戦意不足や技量未熟といった批評に晒されているアスカリたちにとって、この初弾命中は名誉挽回となる戦果だった。

 

 だが、それに賛同する者は少ない。他のアスカリたちにとっては当然の戦果であり、命中させなければならない状況だからだ。

 

 そして、ドイツ軍にとっては制圧すべき火点だからである。

 

 砲塔を旋回したパンテルⅡが榴弾を射撃。迫撃砲操作員が籠る蛸壷の外縁に命中し、弾片と土砂で操作員たちを埋めてしまった。

 

 さらに、パンテルⅡは機銃操作員が籠る蛸壷も制圧すべく主砲を向ける。

 

 その瞬間だった。パンテルⅡの砲塔に何かが高速で激突したのだ。

 

 それは砲塔側面を貫通すると車内の乗員が驚く余裕もなく、砲塔内部にある照準器や主砲の尾栓を破壊していく。そして、乗員も負傷してしまい、パンテルⅡは射撃不可能になってしまった。

 

 パンテルⅡに起きた異変は、蛸壷で指揮を取るトマス中尉も目撃していた。天空から降り注いだ砲弾が、吸い寄せられるようにパンテルⅡの砲塔に命中していったのだ。

 

 その後に聞こえてくるレシプロエンジン特有の駆動音で、その正体を理解した。

 

 この戦域において、戦車の砲塔を貫通可能な三〇ミリ以上の機銃を搭載したレシプロ機といえば、あの航空機しかない。

 

 それは、日本統合航空軍が運用している、地上襲撃機<火竜>である。

 

 統合航空軍が発足する前に日本陸軍が計画した軍用機だった。

 

 これは、対ソ戦に備えて開発した九九式襲撃機の後継であり、日本海軍が運用している<流星>を襲撃機として改造した。

 

 翼内に二〇ミリ機銃を二門されている。さらに、本機の特徴である五七ミリ機銃一門を、航空魚雷を吊り下げるように装備していた。

 

 五七ミリ機銃は、砲弾でプロペラを損傷させそうな位置に装備されているので、プロペラ同調装置も装備されている。この装置によって、砲弾はプロペラ同士の隙間を通過していく。だから、プロペラが損傷するようなことは無い。 

 

 この襲撃機は、カリブ海で活動するドイツ海軍の<Sボート>や<Uボート(潜水艦)>を襲撃するために投入された。これが、パンテルⅡの戦車を掃射していたのだ。

 

 面白いことに、陸軍航空隊から九九式襲撃機を引き継いだ統合航空軍は、この機種に興味を示さず退役させようとした。だが、陸軍からの強い要望によって、襲撃機という分類を維持することになったのだ。

 

 陸軍だけは、この機種の重要性を痛感している。何故なら、英軍がエジプトからの撤退を援護をするために中東地方に展開した時、ドイツ空軍による襲撃によって手痛い被害を受けていたからだ。

 

 ドイツ軍も襲撃機に撃たれ続けるつもりはない。パンテルⅡの後方で待機していた対空戦車<オストヴィント>が反撃開始した。

 

 パンテルⅡの量産によって二線級の兵器となったⅣ号戦車の車体を転用し、口径三七ミリの3.7 cm FlaK 43を一門だけ搭載した対空戦闘専門の戦車だ。

 

 パンテルⅡと比較して砲塔は大きいのに主砲は小さいので、外観からは貧相な戦車としか見えない。だが、この主砲は対空戦闘に適した主砲である。

 

 それらを軽量にして素早く旋回や仰角を取れなければ、俊敏に飛翔する敵機の機動に追従出来ないからだ。

 

 オストヴェントの餌食になったのは、二機編隊で飛行する火竜の二番機だった。パンテルⅡへの襲撃を終えて上昇中だったが、突然エンジンから火を噴いてしまう。

 

 エンジンに被弾してしまったからだ。二番機は飛行姿勢を崩すと、珊瑚礁が繁殖する海上へ落水する。

 

 列機が撃墜された一番機は遁走することなく反転して、ドイツ軍機甲大隊への襲撃を継続しようとしていた。

 

 オストヴィントも一番機に向けて砲塔を旋回する。そして、火竜が有効射程範囲に侵入すると、一分間で一五〇発以上の砲弾を撃ち上げられる主砲で射撃を始めた。

 

 この対空戦闘は電探による管制が無いことを除けば、オストヴェントの乗員たちにとって理想的な条件による戦闘である。だから、火竜一番機の撃墜は確実であった。

 

 その砲弾は一気に火竜へ迫っていく。その時、異変が生じた。

 

 それまで、曳光弾が混ざる砲弾は火竜の前方に軌跡を残していた。だが、それらが突然のように敵機前方から遠ざかってしまったのだ。

 

 それを目視していたオストヴェントの車長は、対空砲の射撃を継続させつつ照準を修正させた。そして、彼は砲弾の軌跡が逸れていった原因が突き止めるため、双眼鏡で敵機を注視する。

 

 その時になって気づき、呻くように言葉を発した。

 

「日本人め、フラップを全開にして速度を落としやがった!」

 

 それは、彼にとって常識外れの回避方法だった。

 

 航空機のような移動目標への射撃は、目標の未来位置を予測して行わなければならない。それには二つの要素が必要だ。目標が未来位置に到達するまでの距離と速度、銃弾や砲弾がその位置に到達する時間だ。

 

 それらを考慮して適宜修正しなければ、単に無駄弾をばら撒くだけになる。

 

 そして、予測される未来位置は目標の速度が一定であるとの仮定で算出される。大雑把に言うと、あの速度で進んでいるから、ちょい前を撃てば当たるだろうという思考だ。

 

 火竜一番機はその思考を逆手に取った。フラップを操作して減速することで、ドイツ兵たちが予想した未来位置を狂わせたのだ。

 

 これでは、火竜の「ちょい前」ではなく「だいぶん前」である。火竜一番機は文字通り無駄弾をばら撒かせたのだ。

 

 ただちにオストヴェントは照準を修正するが、今度は敵機の後方に砲弾の軌跡が残ってしまう。火竜一番機はフラップを全開にしたままではなく、すぐに引き上げて増速したからだ。

 

 彼らは火竜一番機に翻弄されている。そして、遂に爆撃を受けた。

 

 Uボート攻撃用に用意された三〇キロ爆弾が四発投下され、そのうち一発が砲室に直撃したのだ。砲身はへし折られ、爆風と共に戦車の部品か乗員か区別出来ない物が四散していく。

 

 こうして、対空戦車オストヴェントは永遠の沈黙を迎えた。

 

 そして、火竜一番機も戦闘を打ち切らざるを得ない状況になった。他の擲弾兵が携帯用対空ロケット砲であるフリーガーファウストを撃ち上げ、それによって方向舵を損傷してしまったからだ。

 

 この航空機は友軍支配地域に機首を向けたが、野戦飛行場に到達出来ずに不時着することになる。

 

 こうして、地上襲撃機<火竜>による戦闘も終了した。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 一方、トマス中尉にとって戦況は悪化する一方だった。ドイツ軍擲弾兵は匍匐前進して接近していたからだ。

 

 それを迎撃するためにアスカリたちは、小銃だけではなく使用可能なすべての火器でドイツ軍を迎え撃つ。

 

 しかし、その迎撃は不完全であり、徐々に被害が拡大していく。接近中の擲弾兵を殺傷する前に、パンテルⅡが撃った榴弾の直撃を受けたり、車載機銃の掃射を受けてしまうからだ。

 

 戦車からの攻撃を受けても、生存し続ける歩兵はいない。

 

 既に携帯式対戦車噴進砲、迫撃砲、機関銃といった火器は、破壊されるか操作員が死傷して使用不可になっている。もし、火器と操作員の両方が健在だったとしても、パンテルⅡが居座っている現状では迎撃戦闘が不可能だ。

 

 トマス中尉たちにとって残された火器はリー・エンフィールドNo.4小銃と、トマス中尉だけが腰に差すエンフィールド・リボルバー拳銃しかない。

 

 トマス中尉は、今更ながらドイツ軍擲弾兵が囮だったのではと訝しむが、それは後の祭りであった。

 

 擲弾兵の指揮官が挙げた「ウェアフェン!」という大声。その号令を受けた擲弾兵は、腰にぶら下げたM39卵型手榴弾を手に取ると、蛸壷へ次々に投げ込んでいく。

 

 いつの間にか、彼らは蛸壷から三〇メートル前後の位置まで接近していたのだ。

 

 彼らは伏せた姿勢のままなので、彼らの視点からでは蛸壷の正確な位置を把握していない。なので、大半は蛸壷から外れる。しかし、一部は蛸壷に落ちて炸裂した。

 

 運悪く手榴弾によって傷ついたアスカリたちの悲鳴が上がると、その指揮官は突撃命令を下す。

 

「アタッケ!」

 

 その号令で擲弾兵が一斉に立ち上がり、小銃で乱射しながら突撃を始める。

 

 それに呼応するかのように、トマス中尉は命令を下した。

 

「ファイヤ!」

 

 遂にアスカリたちは、その命令によって一斉に小銃で射撃する。そして、小さな戦場は乾いた破裂音だけしか聞こえなくなった。

 

 アスカリたちは無骨な小銃で、擲弾兵を倒していく。

 

 ある擲弾兵は肩を撃たれ、身体を半回転させながら倒れ込む。別の兵は胸部や腹部を撃たれ、前のめりに倒れていく。さらに、別の兵は脛を撃たれ、悲鳴を挙げながら地面を転がっていった。

 

 アスカリたちの奮戦は目覚ましいものであったが、次第にドイツ軍擲弾兵の火力に圧倒されていく。もちろん、アスカリたちも撃ち負けるつもりはない。

 

 しかし、ホースで水を掛けられるかのように腰だめ式に撃つ、突撃銃の銃弾に敵わなかった。

 

 英軍のリー・エンフィールドNo.4小銃はボルトアクションライフルであり、一発撃つたびに手動で排莢しなければならない。それを機関銃並みの速さで繰り返せるのは、熟練した歩兵だけである。

 

 それに対して、ドイツ軍のMP47突撃銃はアサルトライフルである。短機関銃と小銃を兼用できるコプセントで開発され、命中精度より速射性能を重視した新世代の銃なのだ。

 

 単発と連発を押しボタンで切り替えられるこの銃は、連発設定で一分間に五〇〇発以上の銃弾を射撃する性能がある。

 

 実際には一度に装弾できる弾数が最大三〇発に限られているし、連射すれば銃身が過熱して手で掴めなくなるので、そのような連射は出来ない。

 

 とはいえ、機関銃並みの速射能力があり擲弾兵が一人で携帯できるMP47は、英連邦将兵にとっては十分に脅威的だ。

 

 もし、両軍の擲弾兵にどちらの銃が欲しいかと質問すれば、誰もが同じ解答をするであろう。それだけ、MP47は擲弾兵にとって理想的な銃なのだ。

 

 擲弾兵は蛸壷に接近すると再び伏せ、手榴弾を投げ込でいく。

 

 彼らは立ち上がったおかげで、視野が広がり蛸壷の位置を把握している。だから、殆どの手榴弾が蛸壷に落ちていく。

 

 そのうち、一部のアスカリたちは蛸壷に落ちた手榴弾を掴むと投げ返す。そして、炸裂した。

 

 蛸壷で、空中で、擲弾兵の正面で。

 

 意外にも双方の死傷者は少ない。

 

 アスカリたちが掘った蛸壷には、手榴弾を放り込む穴を開けていたからである。弾片混じりの爆風を浴びなければ、負傷を避けられるからだ。

 

 同様に擲弾兵の正面で炸裂しても、顔や手といった重要な部位さえ守れば致命傷は避けられる。蛸壷と異なって爆風が拡散してしまうし、その殺傷有効半径は一〇メートル程度しかない。

 

 手榴弾の炸裂が落ち着くと、トマス中尉と無線兵が射撃を再開する。その目標は立ち上がって突撃しようとしている擲弾兵だ。信じられないことに、その距離は二〇メートルもなかった。拳銃ですら確実に命中する距離だ。

 

 擲弾兵には銃弾が次々に命中していく。肩へ、腹へ、太腿へ。

 

 だが、擲弾兵は突撃を続ける。

 

 致命傷を受けていないからなのか、死の世界へ一人でも多く道連れにしようと執念を燃やしているか、理由は分からない。

 

 確実に言えることはただ一つ。

 

 擲弾兵はゾンビではなく、軍人としての責務を最期まで果たそうとしているのだ。

 

 その擲弾兵は塹壕の淵に辿り着くと、鈍く光る銃剣を無線兵へ振り下ろした。同時に無線兵も銃剣を突き上げる。それは、双方の兵にとって致命傷となる一撃になった。

 

 擲弾兵は腹から鮮血を流しながら、ぐらりと揺れて倒れていく。無線兵は肺を切り裂かれ、口から唾液と血液が混じる体液をこぼしていく。

 

 この有様では無線兵を助ける術は無い。無線兵は激痛に耐えながら失血し続けるしかなかった。

 

 だから、トマス中尉は拳銃を構えて無線兵に語った。

 

「許せ」

 

 その一言だけを伝えると引金を引いた。苦悩を表情に浮かべながら。

 

 彼は無線兵の戦死による衝撃から立ち直ると、奮戦するアスカリたちを鼓舞するために蛸壷から顔を出す。だが、それを見た途端に彼は表情を引きつらせてしまう。

 

 ある蛸壷には、擲弾兵が銃で掃射している。ある蛸壷からアスカリが退避しようとしたが、その背中に向けて擲弾兵が銃を撃っていた。

 

 それだけではなく、英軍将兵にとって忌まわしきパンテルⅡまで前進しているのだ。

 

 あるアスカリは、その戦車に向けて果敢にもバズーカー砲を発射した。だが、ロケット弾は砲塔の周囲に巻かれた金網に絡まり、推進剤を燃焼し尽くすと大地に落下してしまう。

 

 その反撃をするかのように、パンテルⅡは車体前面に装備している機銃で蛸壷を掃射していく。運悪く蛸壷から顔を出していたアスカリは、顔を粉砕されてしまう。

 

 その惨状を見て蛸壷に身を潜めたアスカリは、蛸壷の直上で履帯を空転させたパンテルⅡによって、生き埋めにされてしまった。

 

 この戦闘を俯瞰的に眺められる者がいれば、誰もが同様の判定を下すであろう。

 

 英連邦王立アフリカ小銃隊師団第1タンザニア連隊は、防衛戦闘に失敗した。そこで戦う将兵は、書類上にしか存在しない運命から逃れられないだろうと。

 

 当然ながらトマス中尉にとって、そのような運命に好んで巻き込まれるつもりはない。

 

 だから、彼は奮戦する。拳銃で擲弾兵の脇腹を抉り、蛸壷に投げ込まれた手榴弾を投げ返していく。

 

 ちょうどその時、無線機が彼を呼び出した。

 

「ウィケットキーパー、こちらはボウラー03だ。応答せよ」

 

「ウィケットキーパーだ。こちらは戦闘中の真っ最中だ。手短に頼む」

 

「日本陸軍の増援戦車隊と合流した。残念だが、すぐには戦闘に参加出来ない」

 

「何故だ? 冗談ではなく、これ以上は持ちこたえられない。至急、戦闘加入を要請する」

 

 普段であれば士官らしく、劣勢な戦況でも余裕しゃくしゃくな態度で会話する。それが、兵士たちに求められる士官の姿だからだ。

 

 しかしながら、このような戦況では士官としての演技する余裕すら失っていた。だから、切羽詰まった状況を隠さずに説明して救援を求めたのだ。

 

 だが、彼にとってアンブッシュ3号車の返答は意外なものだった。

 

「落ち着け。これから、『女神(ベリサマ)の業火』が降ってくるそうだ」

 

「何?」

 

「ベリサマの業火だ」

 

「……意味が分からない」

 

「とにかく、絶対に蛸壷から頭を出すな。いいな。終わり」

 

 通信が切られるとトマス中尉は困惑する。まったく意味が分からないからだ。

 

 彼にとって、ベリサマという名前は聞いたことがある。現在は連合軍に支配されている北部イングランド地方で、伝承に登場する神である。

 

 それは、湖、川、炎や工芸品を司る女神だ。「夏の輝き」という名前であり、炎を司る神としてふさわしい名前である。

 

 だが、その名前を無線で伝える意図が掴めないのだ。そもそも、ベリサマなんて無線符牒は設定していない。

 

 一体、何を伝えたいのだ? 何が起きようとしているのだ? 

 

 トマス中尉は、戦争勃発前までに在籍していた大学の講義室で、真剣に学んでいた時のように脳細胞を活性化させていく。

 

 だが、それに集中するあまり周囲への警戒が疎かになってしまう。結果として、新たな擲弾兵が蛸壷の淵に現れたのに、気付くのが遅れてしまった。

 

 不意に現れたので、中尉は拳銃ではなく無線機の送受話器を握っている。対して、擲弾兵は銃口を中尉に向けていた。

 

 咄嗟に中尉は行動を起こすが、それより素早く擲弾兵は小銃を撃つ。

 

 銃弾は何発も撃たれ、無線機だけではなく中尉の身体を突き抜ける。それは、暖炉で熱せられた火掻き棒を刺されたかのような激痛だった。彼は、それに耐えられずに蛸壷の底へ座り込んでしまう。

 

 偶然にも重要な臓器や血管には命中しなかったが、中尉が圧倒的劣勢である事実は覆せそうもない。

 

 終わったな……。

 

 中尉は言葉にしなかったが敗北を受け入れた。

 

 彼は、英軍が正式採用している洗面器を被せたような鉄兜(ブロディヘルメット)を脱ぐと、額を指す。最期を迎える時まで、英軍士官としての誇りを保ちたかったからだ。

 

 それに応えた擲弾兵は、銃を構え直すと銃口を向ける。

 

 

 

 その瞬間、空気が震えた。

 

 

 

 そこでは、これまで彼が見たことが無い大きな火柱が立ち昇る。それだけではなく、爆発音によって大地は震え、爆風が吹き荒れた。

 

 中尉を狙っていた擲弾兵はなぎ倒され、パンテルⅡが横転してしまう。それだけではなく、装甲兵員輸送車は炎上し、埋設地雷は誘爆していった。

 

 まるで、英独両軍が戦闘した痕跡を消し去ろうとするかのように空気や大地は騒ぎ、激しく炎上していく。

 

 それは、女神が与えた業火そのものだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

一九五〇年四月二四日 午後三時

 

 

 

 その電文を作戦指揮所で読み上げた通信員にとって、その時の様子は強く印象に残るものだった。

 

 彼が電文内容を報告した瞬間、指揮所にいる将兵たちが一斉にどよめいたからである。それだけではなく、誰もがまったく同じ感情を発露したからだ。

 

 悲嘆したり批判したりする者はいない。相手に感情を読まれないように冷静さを保つ者もいない。そこには、歓声を叫ぶ者や身振りで歓喜を表す者、控え目に安堵の息をつく者だけで溢れかえった。

 

 何故なら、その電文には戦況の行方を決定的にする一文が書かれていたからだ。

 

 ─― 我、コレヨリ目標ヘ砲撃セントス。我ラ、豹ノ獲物デ有ラズ。狩人ナリ。─―

 

 発信元は臨時編成された第六三四戦隊の旗艦<武蔵>だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二一話

キューバ島西岸沖五浬、キューバ島近海、カリブ海

同日 午後三時

 

 

 

 英独両軍の交戦地域に火柱を立ち昇らせ、パンテルⅡを横転させるような爆風を吹かせたのは、トリダニー沖合を浮遊する戦艦<武蔵>による艦砲射撃だった。

 

 海岸線からの<武蔵>の現在位置は五浬(九〇〇〇メートル強)、この地点から目標までの砲戦距離は一一五〇〇メートルだ。

 

 この条件で零式弾(時限信管付榴弾)と七式弾(対空用近接信管付焼霰弾)を交互に射撃している。

 

 この一方的ともいえる対地砲撃は、<武蔵>において大所帯である砲術科の頂点に立つ砲術長が指揮を執っている。

 

 彼は、前檣楼頂部にある主砲射撃指揮所で、それを実行していた。<武蔵>の主砲射撃指揮所は前檣楼頂部にある円筒形の構造物のうち上層段にあたる。

 

 なお、下層段は巨人(ゴリアテ)の槍を串刺しにしたような、独特な形状をした主砲測距測的所だ。槍のような部品の実態は一五メートル測距儀であり、当時の光学技術を結集した光学照準装置である。

 

 直径六〇サンチもある円筒には、同一性能である三本の測距儀が収められ、外見上は一本の測距儀に見える。これで<武蔵>から水平線彼方に見え隠れする、敵艦船の距離を測定していく。

 

 これらの測距儀に多数のレンズが組み込まれていて、四〇〇〇メートルから五〇〇〇〇メートルまで測定できた。

 

 この装置は測距データ三つを同時に測定できるので、回収したデータの平均値で射撃距離を設定していくのだ。ただし、電探射撃を実施するときは光学照準より、電探照準による測距データを優先して活用する。

 

 その測距儀によって割り出された射撃距離データとは別に、各主砲塔の旋回角や俯仰角の数値を指示するデータが必要である。これが無ければ、四六サンチ砲は目標を指向出来ない。

 

 このための装置が、主砲射撃指揮所に配置されている九八式方位盤照準装置である。砲術長たちは、これを操作していたのだ。

 

 大雑把に説明すれば、測距儀は目標までの正確な距離を測るだけである。それに対して、方位盤照準装置はそれ以外のデータを回収していく。

 

 それは、<武蔵>から目標への方向角、<武蔵>の針路と速力、<武蔵>から測定した目標の未来針路と速力、<武蔵>の左右動揺(ローリング)と上下動揺(ピッチング)だ。

 

 それらのデータは、主砲射撃指揮所の頂部に突き出ている潜望鏡で回収していく。

 

 なお、実際に射撃する場合には、気温、気圧、風速、風向、砲身の使用回数(砲齢)、砲弾や炸薬の種類、さらに<武蔵>がいる地域の地球自転速度といったデータまで必要である。

 

 それらのデータは、第一砲塔と第二砲塔の間にある第一発令所に収められた、アナログ式計算機である九八式射撃盤改一に集約される。この計算機によって射撃データが生成されるのだ。

 

 そして、海面から各砲塔の距離や方位盤射撃装置からの距離による係数を計算したデータが、電気信号によって各砲塔に伝達されていく。

 

 こうして、主砲射撃指揮所から管制された射撃が実現するのであった。

 

 今回の対地砲撃では光学照準による測距データ以外に、観測機による弾着観測報告も活用していた。その任務のために<火竜>が交戦地域の上空を飛行し、弾着結果を<武蔵>に報告してくる。

 

「観測機より入電。第五射、遠近良し。苗頭(びょうとう)を右へ二つ寄せられたし」

 

「おし、ご注文通りに射弾修正しますよ。遠近は変更無し、苗頭(びょうとう)は右へ二ミル。修正後、撃て」

 

 主砲射撃指揮所の担当員たちは、砲術長の独り言と指示が混ざった言葉から必要な情報のみ拾い上げ、操作していく。

 

 砲術長でさえ一目置く存在である方位盤射手は、各主砲塔が方位盤照準装置に同調していることを示すランプが点灯していることを素早く確認する。それから、発射前の警告ブザーを鳴らした。

 

 短音三回と長音一回の警告音が終わる頃、彼は拳銃のような形状をしている金属製発射稈の引金を引く。

 

 その操作によって、轟音と共に四六サンチ三連装主砲のうち中央の主砲が火を噴き、零式弾が発射された。

 

 発砲と同時に<武蔵>も僅かに傾くが、それはすぐに水平に復帰する。さすが、四六サンチ艦載砲のプラットホームとして建造されただけのことがある、抜群の安定感だ。

 

 この時は、数日前にドイツ空軍による空襲を迎撃した時と同じように、左右砲と中央砲を交互に射撃する「交互打方」を実施していた。

 

 なお、各砲塔の三門を同時に射撃する際には「一斉打方」と指示する。

 

 ただし、一斉打方は主砲塔のバーベットリングに大きな負担が掛かるので、水上砲戦以外の局面では発令しないようにしている。それだけ、四六サンチ砲弾発砲時のエネルギーは強大なのだ。

 

 間もなく、観測機から弾着結果が届く。

 

「観測機より入電。第六射、目標撃破。新たな目標を指定。下げ五。苗頭(びょうとう)、左へ七つ」

 

「えらく細かい指示だなあ。まあ、俺たちの手に掛かれば屁の河童だ。下げ五。苗頭(びょうとう)を左へ七ミル」

 

 砲術長は知らなかったが<火竜>の後部座席には、普段は様々な理由で搭乗しない航空隊司令官が乗り込み、弾着観測を行っていた。

 

 彼は海軍在籍時代に、<穂高><高千穂>で弾着観測任務に就いた経験がある。キューバ島に展開する統合航空軍には、飛行隊長以外に弾着観測任務に就いた搭乗員が居ない。そのため、彼が率先して乗り込んだのだ。

 

「砲術長、照準完了。撃ち方宜しいでしょうか」

 

「宜しい。ジャンジャン撃てぃ」

 

 その砲術長の許可を受けた方位盤射手は、先程と同様の手順を素早く済ませると、七式弾を射撃する。弾着と同時に燃焼する焼夷弾子が周囲に拡散し、火柱を立ち昇らせたかのように火焔を上げていく。

 

 その攻撃に、大ドイツ帝国陸軍の主力戦車であるパンテルⅡも巻き込まれている。零式弾による爆風で横転したパンテルⅡは燃料を漏らし、七式弾の焼夷弾子によって炎上していったのだ。

 

 この日の砲術長は機嫌が良かった。指示とは関係ない独り言がポロポロ零れていくことから分かる。何しろ、<武蔵>は攻撃されることなく砲撃に専念できるからだ。

 

 そこには笑顔は無いが、砲術士官たちにとって理想的な職場環境であった。

 

 その職場環境に水を挿すかのように鳴る高声電話機。砲術長は口許をへの字に曲げると受話器を掴む。砲撃中の電話は碌な要件ではないからだ。

 

 当然ながら、通話の相手は司令室で指揮を執る知名艦長である。

 

「主砲射撃指揮所、砲術長。現在、順調に砲撃中です。何でしょうか」

 

「トリニダーへの砲撃は残り四射で打ち切り、残弾数を報告してください」

 

 彼は無意識に舌打ちしそうになるが、それを思い留める。

 

 誰しも上官への反感を抱くことがあるが、彼があからさまに態度で示すのは許されない。もちろん、気心を掴めていない部下の前では、言語道断だ。

 

 それは、長年に渡り海軍士官として奉職してきた彼にとって、海軍という戦闘組織に挑戦することと同等である。

 

 軍隊という組織では、個人の感情より上官の命令が絶対的優先権を持つ。それだけではなく、無能な者が上官であったとしても常に敬意を示さなければならない。砲術長はそれを忘れていなかったからだ。

 

 とはいえ、理想の職場環境が失われそうなのは事実である。せめて残弾を撃ち尽くすまで砲撃を続けたかったので、艦長に尋ねた。

 

 なお、世間一般では彼の行動を悪あがきという。

 

「まだ日は高いので、砲撃を続けられます。敵に背中を見せて帰ろうとするなんて艦長らしくありませんな」

 

「帰るのではありません。この後にシエンフエーゴス近郊にある野戦飛行場を砲撃します」

 

 それは、砲術長にとって予想していなかった返答だった。現状で敵支配地域にある野戦飛行場へ砲撃するのは、野心的な作戦だからだ。

 

 何しろ、夕刻が近づいている時間帯とはいえ、<武蔵>上空では未だに友軍機と敵機が上空で空戦を繰り広げている。制空権が敵味方の間で揺れ動いている証拠だ。

 

 そんな状況で敵地に向けて航行すれば、空襲を受けるのは必至である。先日の空襲で対空火器の火力が大幅に減少しているので、<武蔵>は撃沈されてしまうかもしれない。

 

「そいつは凄いですな。敵さんに盛大な打ち上げ花火を見せようとするなんて。艦隊司令部からの指示ですか?」

 

「花火大会の実行委員長は大変ですよ。花火師を送り届ける航路が危険だらけですから。ああ、私の判断です。今なら、敵機が飛行場から出払っているので、<武蔵>で行けるかなって」

 

「では、ただちに残弾数を計算します。それより、気になっていることが一つあります」

 

「何でしょうか?」

 

「<武蔵>は直進していますかな?」

 

 彼の質問は、今朝になって艦橋で発覚した問題についてだった。それは、<武蔵>が正常に直進出来なくなったという事実である。

 

 <武蔵>は前衛を務める駆逐艦の航跡を、なぞるように直進で航行していた。なのに、それから徐々に逸れてしまうのだ。

 

 その原因を追及しようとして、航海科の将兵たちが議論していく。すると、右舷側にある錨が、悪影響を与えているのではないかという推測が現れてきた。

 

 先日の空襲で<武蔵>は左舷側の錨を海中に落としているので、現在は右舷側しかない。

 

 そのため、一基で一五トンもある錨によって、艦首が右舷側に捻られているのではないか。だから、艦橋側では直進しているつもりでも、実際には大きな弧を描きながら左舷側に旋回しているのではないか。そのような推測である。

 

 それを補正するために注排水装置を作動させたが、却って直進性が鈍ってしまう。そのため、直進中は当て舵として、面舵を入れるようにしていた。

 

 砲術長は、それが適切に行われているか確認したかったのだ。

 

 <武蔵>が直進していなければ、目標へ正確に弾着出来ない。それは、彼にとって見過ごせない状況だからである。

 

 だが、彼は忘れていた。相手は彼に対して時折嫌味や皮肉をぶつける女性士官であったことを。

 

「誰かさんのようにへそ曲がりではないので、<武蔵>は直進しています。ご心配なく」

 

「ほお。その誰かさんとは俺のことですかな?」

 

「お隣さんが回覧板を持ってきたので電話を切りま~す」

 

 そして、彼女が宣言したとおりに電話は切られてしまう。

 

 呆れた砲術長は気を取り直し、熟練した砲術士官らしく砲撃再開とその他の指示を伝えていった。

 

 心の奥底で、冗談が通じない女は面倒くせえと悪態をつきながら。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

トリニダー市北方、サンクティ・スピリトゥス州、キューバ島

一九五〇年四月二四日 午後三時

 

 

 

 キューバ葉巻の原材料となるタバコ畑で生い茂る、瑞々しい緑の葉。その葉のうち大半が赤や黒に変色している。

 

 英独両軍の将兵から迸った鮮血や火災の煤によって、汚染されたからだ。それは、降雨によって洗い流せる程度の汚れであり、いずれ接近するであろう雨雲を待ち続ければいい。

 

 しかし、それを洗い流せる機会は永遠に来なかった。タバコの葉は爆風によって毟られ、炎によって焼き焦がされていく。その範囲は赤や黒に変色した範囲より拡大していった。

 

 先程まで英軍を殲滅しようとしていたドイツ軍機甲大隊は、<武蔵>による艦砲射撃を境にして立場が逆転し、急速に被害を増やしていく。

 

 避退行動中のパンテルⅡの至近で爆発が起きると、天地を反転させて大地に転がる。車両質量が四六トンもあるのに、軽々と横転させたのだ。

 

 火柱や爆発はパンテルⅡだけではなく、他の車両にも被害を与えていく。オストヴェントは原型をとどめない鉄屑と化した。装甲兵員輸送車は燃料タンクに穴が空き、漏れたガソリンが引火して炎上している。

 

 擲弾兵たちは、さらに悲惨な状況に遭遇している。女神の気まぐれのように降り注ぐ火柱や爆発によって、空中に吹き飛ばされたり炎上したりしていくからだ。

 

 間もなく火柱や爆発が収まり誰もが安堵の溜息をつく。それは、新たな脅威が接近するまでの僅かなひと時であった。

 

 饅頭のような丸みを帯びた鋳造性の砲塔を載せた、日本陸軍の七式中戦車改が攻撃してきたからだ。

 

 その戦車戦では、零距離射撃をするくらいに両軍の戦車が入り乱れていく。その結果、七式中戦車改は十両近くを失う代わりに、残存していたパンテルⅡ全車両を行動不能に追い込んだ。

 

 こうして、戦闘能力を失ったドイツ陸軍の機甲大隊は、殿軍として擱座した一両のパンテルⅡと擲弾兵小隊を残し、それ以外の兵力は攻撃発起点へ帰ることを決断する。

 

 それは、事実上の敗走だった。

 

 残余兵力は仮設橋に向かうが、それは砲撃によってへし折られている。これでは、車両の通行は不可能だ。

 

 橋を渡ることが出来なければ泳いて渡るしかない。小舟を用意していないからだ。

 

 彼らは身軽になるために鉄兜や背嚢といった個人装備を放棄する。そして、蟻の行列のように連なると、折れた橋を伝って対岸に渡っていく。海中に沈みこんでいる所は泳いで渡った。

 

 そのようにして対岸に到達すると、誰もが脚に力が入らなくなるくらいに疲労を感じて座り込んでしまう。緊張を強いる戦闘から解放されて気楽になり、身体が正直に悲鳴を上げたからだ。

 

 だが、ここで座り続ける訳にはいかなかった。彼らは仲間同士で鼓舞しあうと街道を北上していく。友軍がいる攻撃発起点に向けて。

 

 しかし、彼らは街道を歩いていくうちに、あり得ない状況に遭遇して絶望感を抱くことになる。

 

 彼らの目の前には一両のトラックが、道を塞ぐように停止していたからだ。どこから来たのか分からないが、それには合衆国軍の識別マークがくっきりと描かれた。

 

 それだけではなく、英米の将兵がトラックを盾にして小銃を構えたり、大口径のロケット砲の筒先を向けていたりしていた。

 

 彼らが救いの手を求めるように海上に目を向けると、そこには一隻の駆逐艦に先導された一隻の戦艦が低速で航行していた。西日に照らされた戦艦のマストには軍艦旗がはためき、三基ある三連装の砲塔を彼らに向けている。

 

 その光景を見たドイツ軍将兵は、たかが数名の枢軸軍将兵が築いた防衛線を突破する気概を失ってしまった。

 

 この時点で、彼らがドイツ陸軍としての名誉を保ちつつ生存するために選択できるのは一つしかない。

 

 こうして、ドイツ軍機甲大隊の残余兵力は降伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二二話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後五時

 

 

 

 数時間前の司令部作戦室は、悲観的な空気が漂っていた。

 

 それは、室内に漂う煙草の紫煙臭が不快感を与えるように、危機的状況でも気丈に振る舞おうとする士官さえ陰鬱な気分にさせてしまう。

 

 ところが、現時刻ではそのような空気が一掃され、作戦室にいる将兵たちの表情も明るくなっていた。

 

 何故なら、連合軍の攻勢を阻止しているからだ。それは、作戦室に広げられた地図と、そこに置かれた駒によって把握できる。

 

 キューバー島東海岸側の戦線を担当する合衆国陸軍は、相変わらず大きな変化は無し。中央部の戦線を担当している日本陸軍は、戦線の一部を後退させたとはいえ

大規模な突破を許していない。

 

 それに対して、西海岸側の戦線はドイツ軍機甲大隊によって突破されていた。

 

 だが、この機甲大隊は消滅し、残余兵力は降伏している。この大隊へ、日英航空隊による爆撃、英連邦陸軍による防御戦闘、その他による打撃を与えたからである。

 

 なお、致命的な打撃は、<武蔵>による艦砲射撃だった。

 

 司令部作戦室に入室を許された士官たちは、このまま戦況が枢軸軍に有利な状況が続けば、連合軍の突破を阻止できるだろうと判断していた。

 

 さらに、グアンタナモ近郊から日本陸軍の戦車第四旅団が応援に駆け付けている。計画より遅れているが、幸運にも敵機による妨害を受けずに走行していた。

 

 この戦車隊がこのまま走行出来れば、明日から戦闘に参加できるだろう。そうなれば、近日中に連合軍を戦線まで押し返すことが出来ので、枢軸軍の優位は確固たるものになる。

 

 とはいえ、この部屋には楽観的気分になれない将兵もいる。その一人が、この戦闘で<武蔵>を地上砲撃に充てることを進言した森口航海参謀だ。

 

 彼が浮かぬ顔をして「勝ったのか?」と自問自答しつつ、作戦用地図を見下ろしていた。

 

 彼が気にしているのは、キューバー島における地上戦の展開ではない。<武蔵>が対地砲撃に参加するきっかけとなった電文と、グアンタナモに備蓄している艦艇用燃料の残量に関してである。

 

 実は二四日の未明に、哨戒中の駆潜艇から緊急電を入電していたのだ。

 

 その駆潜艇は、キューバ島とケイマン諸島の間に広がるケイマン海峡のうち、もっともキューバ島に近い海域を哨戒していた。

 

 緊急電を入電したのは〇〇一七、電文は「我、敵艦ノ砲撃ヲ受ケク」である。

 

 電文を受信したカリブ艦隊司令部は、この駆潜艇へ詳細報告を求めるが返信が無い。そのため、司令部は敵艦隊が襲撃してくると予測して、在泊艦艇のうち戦闘可能な艦艇に出撃命令を下したのだ。

 

 この命令によって<武蔵>と松級駆逐艦<榧><槇>が、日が明けない時間帯である〇三三〇に出撃した。途中で他の任務に就いていた三隻の駆逐艦と合流し、陽炎型駆逐艦<晴風>の先導によって一路西進していく。

 

 この時、この艦艇だけで臨時に戦隊を編成している。戦隊番号は、<武蔵>の秘匿名称「三四分の六(分子から分母へと読めばムサシとなる)」を元にした六三四戦隊だ。

 

 この戦隊の指揮官となった知名艦長は、寝ぼけ眼をこすりながら敵艦隊と対決すべく全速で急行していく。駆潜艇が砲撃を受けた時刻と敵艦隊の速力を元に計算すると、早ければ〇四三〇過ぎにサンティアーゴ・デ・クーバが砲撃される可能性があったからだ。

 

 だが、カリブ艦隊司令部の予想は大きく外れた。

 

 臨時六三四戦隊は朝日に照らされたカリブ海を航行して、キューバ島南岸の最西端にあるカボ・クルス沖合に到達する。しかし、ここまで来ても敵影を捉えなかった。敵艦隊の迎撃は空振りに終わったのである。

 

 丁度その時に連合軍の地上部隊が反攻作戦を開始した。これを好機を捉えた司令部はこの戦隊をグアンタナモに帰さず、地上部隊へ加勢させるために北上を命令したのだ。

 

 このような状況があったから、<武蔵>は対地砲撃に参加できたのである。もし、地上部隊の攻勢後に出撃したならば日没前までに到達出来ず、トリダニー市街への侵入を許していただろう。

 

 臨時六三四戦隊の出撃が無駄ではなかったという戦果(いいわけ)は出来たが、未明に駆潜艇が()()を受けた状況が不明のまま残っている。

 

 一般的に隠密作戦に適した艦艇は、Sボート(魚雷艇)やUボート(潜水艦)である。これらの艦艇には主砲が搭載されておらず、魚雷による攻撃能力しかない。だが、駆潜艇は「砲撃ヲ受ケク」と報告してきた。

 

 では、砲撃したのはどんな水上艦艇なのか? その隻数は? なぜ、隠密作戦に向いていない水上艦艇で行動しているのか? 目的は? 彼にはこれが解き明かせなかったのだ。

 

 いや、考えすぎかもしれないと彼は考え直す。

 

 敵艦はグアンタナモかサンティアーゴ・デ・クーバを砲撃する計画だったが、駆潜艇に見つかったので作戦を中止したのかもしれない。

 

 考えれば考えるほど、真相は夏場の海面に漂う霧で隠された暗礁のように、有形無形の判別さえつかなくなっていく。そうであれば、現時点で拾える情報だけで報告書を作るべきだ。

 

 どのみち、そのような情報を盛り込んだ報告書を明日の会議で提出しても、参謀長から貶されるだろう。もしかしたら、報告書を突き返されるかもしれない。そんな展開が予測できた。その参謀長の隣に座る航空参謀が、ニタニタしていることも含めてだ。

 

 何しろ、参謀長と航空参謀の間柄は、錨鎖のように固くて簡単に断ち切れない。

 

 おまけに、この司令部における海軍作戦の実質的な最高指揮官は参謀長だ。彼は憶測でまとめた報告を認めない主義であり、今後の敵情の予測や作戦計画さえ提案できないのは無能な参謀と考えている。

 

 そして、森口は順調に出世して将官になることを目指していた。そのためには、常に足元をすくわれないように注意しなければならない。

 

 だから、彼は決めた。

 

 曖昧で明確に答えられない情報は伏せるべきだと。

 

 未明に哨戒艇が消息不明になっている事実は、会議の場では触れないことにしよう。参謀長か司令長官から質問された時だけ答えよう。

 

 そのように彼は考えていた。本気で考えていた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 森口にとって、もう一つの問題がある。それは、艦艇用燃料の残量についてだ。

 

 今回、<武蔵>を含めた臨時第六三四戦隊が行動している燃料は、連合軍艦艇の襲撃に備えて計上していた燃料を充てていたからだ。このため、グアンタナモに備蓄している艦艇用燃料は枯渇寸前まで減少している。

 

 泊地哨戒用の燃料は確保しているし、最悪の場合は発電用燃料を転用するので数日間は凌げる。だが、早急に燃料を補給しなければ危機的状況になるだろう。

 

 こうなった原因はグアンタナモ向けの輸送船団が、第一機動艦隊の出撃までに到着しなかったからだ。彼としては無意味だと承知しているが、輸送船団を管轄している海上護衛総隊に文句を言いたくなる気分である。

 

 だが、東京に司令部を置いている海上護衛総隊司令部にとって、森口から愚痴をぶつけられても困惑するだけである。むしろ、彼らは反論するだろう。

 

 お前たちがパナマ運河の管理を怠っているから、輸送船団をホーン岬まで迂回させているのだ。だから、一週間以上遅れるのは当然だと。

 

 事実、パナマ運河は一週間以上通行不可能になっている。そして、戦時中におけるパナマ運河の管理は、カリブ艦隊司令部の管轄だった。

 

 原因はこの運河の弱点であるクレブラ・カットで、崖崩れが起きて運河を埋めてしまったからだ。この区間は、太平洋と大西洋の分水嶺にあたり、地質がもろいために崖崩れが起きやすかった。

 

 だから、運河の建設時は最も難工事となった区間であり、完成後に幾度も崖崩れを起こしている。そのため、第三次世界大戦前に合衆国がコンクリートで補強していた。

 

 だが、前年一月に実行されたパナマ侵攻を目的とする「贖罪」作戦によって、この運河は戦禍に巻き込まれている。その戦闘中、この区間へ砲弾が着弾したのだ。枢軸軍の誤射によって。

 

 その砲弾は、ガトゥン湖にいたドイツ海軍のモニター艦<メッテルニヒ>他二隻を撃沈するために、発射された徹甲弾だった。この敵艦が、日本海軍第1聯合陸戦師団の戦車隊と交戦しており、戦車隊側が劣勢に立たされていたのだ。

 

 目標から盛大に外れて着弾した理由は、目標への弾道経路に存在する分水嶺を考慮していなかったからである。

 

 その徹甲弾は、戦闘時の混乱によって誰もがその存在を忘れていた。だが、今頃になってから爆発してしまい、崖崩れを起こして運河を埋めてしまったのである。

 

 水深の浅くなった運河は喫水の浅い砲艦やモニター艦しか通過出来なくなった。当然ながら、貨物を満載して喫水を深くしている貨物船は通過不可能である。

 

 だから、インドネシアの油田から各種燃料を運んできた輸送船団は、ホーン岬まで迂回せざるを得なかった。

 

 枢軸軍にとって幸運なことだが、崖崩れが発生したのは第一機動艦隊の通過後だったことである。なので、この艦隊に参加出来なかった艦艇はいない。

 

 さて、グアンタナモの燃料事情は危ういが、海上護衛総隊に頼らずにカリブ艦隊だけで燃料を調達する方法があった。そのためには鍵を握る男を取り戻さなければならない。

 

 そんなことを考えているうちに、陸軍の後方・兵站参謀がニンマリしながら近づいてくる。彼は森口が待ち望んでいた結果を伝えた。

 

「俺から司令官に話を通した。アイツを返すので今夜から使ってもいいぞ。後で構わんから要請書を出してくれ」

 

「恩に着るよ」

 

「礼はいらん。むしろ、陸軍としては海軍の協力に感謝すべき立場だからな」

 

「では、有り難く平田を使わせてもらうよ」

 

 森口は上官である春崎艦隊司令長官の署名で要請書を発行する前に、陸軍の後方・兵站参謀へ下相談をしたのだ。

 

 彼らは軍人であり、命令による無茶振りにも器用に対処していかなければならない。だからといって、印籠に描かれた葵の御紋を予告なく振りかざすかのよう、書類を突きつければ発行すれば相手は嫌悪する場合がある。

 

 下手すると命令に対して警戒し、通常の事務手続き以上の速さで対応をしてもらえなくなる可能性もある。

 

 例え、菊の紋章の透かしが入った用紙を持ち出しても同じだ。むしろ、皇室の威光を盾にするのは、相手から蔑まれるだけだ。

 

 そのため、森口は事前に話をつけようとしたのだ。

 

 森口と彼とは、一九四三年に英軍がエジプトから撤退する作戦で出会った。それ以降、森口は陸軍の情報源として彼と付き合うようになったのだ。だから、彼との関係を拗れさせないために先手を打ったのである。

 

 もちろん、相手も海軍側の情報源として森口を利用している。双方にとって利益が得られる関係であった。

 

 そんな森口が連れ戻そうとしたのは、司令部付の短期現役主計科大尉なのに佐官のような態度をしている扱いづらい男だ。

 

 その正体は外務省から出向している外務官僚であり、司令長官の親戚なので軍人の扱いにも慣れている男である。そんな彼の力を借りようとしていた。

 

 その目的は、南米大陸北部にある産油国ベネズエラから燃料を購入することである。

 

 この国は中立を宣言しているが、戦時中でも自由貿易を継続している。そのため、枢軸軍と連合軍の双方へ石油資源を販売していた。

 

 だが、この国の油田は両陣営にとって使い勝手が悪かった。

 

 その理由として、この油田から採掘される油種の都合で重油しか精製できないのだ。両陣営にとって一番欲しい航空機用燃料(ケロシン)は、精製設備の能力や添加物の原料入手難によって精製できなかった。

 

 さらに、毎月の供給量が制限されているし、その都度に交渉しなければならない。おまけに、代金は世界で通用する日本円、合衆国ドル、英ポンド、独マルクのいずれかを現地で決済することになる。戦争当事国ではないので軍票は通用しない。

 

 このため、連合軍側は主にテキサスやカンサスの油田で精製した燃料を使用していた。枢軸軍が防備するグアンタナモを迂回して引き取りに行くより、危険が少なく面倒も無いからだ。

 

 枢軸軍側としても供給量が制限されているので、魅力が少ない。

 

 それでも、この国から定期的に重油を購入しているのは、ベネズエラが中立政策を捨てて連合国側に立つのを防ぐためである。

 

 中南米諸国にとって、敵の敵は味方ではない。敵なのだ。

 

 だから、自国の利益にならないと、硬貨を指先でひっくり返すかのように簡単に外交方針を変更してしまう。本当に実施するかは不明だが。

 

 そんなベネズエラから石油を購入するのは、カリブ艦隊司令部にとって最後の手段でもあった。それほど、燃料事情がひっ迫していたのだ。

 

 この国へ艦艇用燃料を引き取りにいく二隻の油槽船<雄鳳丸><八紘丸>は、今日の午前中にサンティアーゴ・デ・クーバから出港した。燃費が最適になる巡航速力で航行するので、二日後である二六日の夕方頃に到着予定となる。

 

 これを、<武蔵>と共にカリブ艦隊に移籍した<涼月><冬月><若月><初月>が護衛している。この油槽船団は海上護衛総隊でも実現できない、非常に手厚い護衛を受けていたのだ。

 

 森口は少年野球団の後輩にあたる平田の顔を思い出しながら、声に出さずに呟いた。

 

 

 

 後は平田に任せよう。奴をこき使ってでも、交渉を済ませなければならないからな。まあ、外務省から苦情が届かない程度にすればいい。文句を言い出したら、いつもどおり()()()()()を与えるか。

 

 

 

 森口としては、明日までに交渉が成立するように急がせるつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四章 戦争を利用する男、戦争と踊る女
第二三話


キューバ島西岸沖二六浬、カリブ海

一九五〇年四月二四日 午後九時

 

 

 

 わたしは戦場にいる。

 

 そこは、常に危険と死を背中合わせにしている場所。油断すれば、不意に死の世界に引き込む荒波にさらわれてしまう場所だ。

 

 どのような波が襲ってくるのか、私にも想像つかない。何しろ、戦場での死に方は八百万通りもあるからだ。

 

 これは、第一艦隊の藤堂参謀長の言葉だ。

 

 それを聞いた時、歴史上の偉人や賢人の言葉だと思ったので尋ねたが、彼は笑っただけで答えなかった。あの参謀長は真剣な顔つきのまま冗談を言う人だから、「八百万の神」か「嘘八〇〇」をもじっただけだろう。

 

 だから、わたしは大雑把に三つへ分類している。

 天災、本人の油断、そして、他人による殺意だ。

 

 間違えてはいけないが、殺意に基づいて実行するのは人間である。

 神の使いでも邪神の化身でもない。人間の意思だ。

 

 誰もが実感していることだが、人間は衝動的に殺意を芽生えさせる。平和で安定している銃後の世界であれば、それを世間的体裁や法律といった様々な理由で抑えられる。

 

 しかしながら、戦場ではそのような抑止策が無い。さらに、敵愾心まで煽られる。こうして、殺意という花が開花していく。

 

 それは、どす黒い色をした花びらと、友軍や敵軍の将兵が流した鮮血を求める()()()がある花だ。その花から漂う香りによって、手から血を滴らせつつも、新たな血を求める者が引き寄せられていく。そんな花でもある。

 

 わたしでさえ目を背けたくなるような花。誰も開花を喜ばない花。しかし、人類が抱える諸問題を解決するために必要悪な花だ。

 

 その花は、鮮血を浴びると萎れ、怨念と敵意を含んだ種を大地に蒔いていく。その後、種は発芽し、花を開き、種を増やし……。その繰り返しである。

 

 そして、人類には増殖する種を根絶やしする手段を持たない。

 

 その理由は明確だ。人類最初の夫婦(アダムとイブ)が、子供たち同士による殺人事件を防げなかったからだ。

 

 人類の祖先による過ちは、忌むべき遺伝情報のように人類史に刻まれ、永遠に繰り返されるだろう。わたしの胸に刻印された南十字星のように。

 

 そんな花が次々に開花していく凄惨な戦場は、世界中に広がっていく。この地球上で戦場の対義語であり、銃弾が飛び交わずに心が落ち着く銃後は、どこにもなかった。

 

 勘違いしてはいけない。現時点では安全な場所がある。

 だが、そこは将来の戦場に過ぎない。

 

 わたしは、それを身をもって実感している。

 

 朧気ながら理解したのは、大神工廠を襲撃してきたドイツ軍特殊任務隊と交戦した時だ。そして、わたしを女学校に進学させてくれた養父と養母が、反応弾によって広島市街と一緒に蒸発した時に、それを確信した。

 

 この世界に、わたしが心安らかに生きていける場所は無くなったのだと。

 だから、わたしは常に戦場に居なければならなかった。

 

 だけど、わたしは一人の人間でしかない。

 女神になれず、堕天使にもなれない、ただの人間だ。

 

 邪神のように災厄を起こすことは出来ない。瀕死の重傷を負った友軍や敵軍の将兵を目撃しても、涙を流すだけで何も出来ない無力な人間だ。

 

 そして、彼らの身体に一生治らない傷跡を残し、身体のどこかを失ってしまう命令を下すのはわたしだ。それだけではなく、彼らが名誉の戦死に至る命令を下すのもわたしだ。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 わたしは、自分自身を普通の女だと信じていた。

 

 東京の繁華街で買い物を楽しみ、友達とお喋りしながら散歩する女。宴会の席で歌謡曲や「酋長の娘」を歌い、参加者を喜ばせる女。仕事である任務には積極的に取り組む女。

 

 自分で言うのもどうかと思うが、顔立ちは童顔なので可愛く見られる女。おっちょこちょいな面もあるが、人間としての芯を保ち続ける女。鋭くなっている眼つき以外は、ごく普通の大和撫子だ。

 

 そう、ごく普通だ……。普通だと思うよ。うん。

 そんなわたしが、戦艦<武蔵>の艦長として戦場で指揮を執っている。

 

 事情を知らない者ならば、誰もが嘲り笑うだろう。

 なぜ、貴様がそこにいるのだと。

 

 わたしも笑いたくなる。ついでに自分自身で莫迦にするだろう。

 なぜ、こんな所にいるのだと。

 

 なぜなら、日本海軍に奉職してからも、精神面では未だに弱き女のままだからだ。肉体面では海と共に生きる男たちに勝てない。そんな女だ。

 

 だからといって、わたしが普通の女として振る舞うことは出来ない。

 ここでは、士官として、艦長としての演技を続けなければならないからだ。

 

 戦争という史劇に幕が下りるまで。

 

 艦長職にある者が不安な表情を晒すだけで、指揮下にいる将兵たちの勇気が削がれていく。「ダンケルク」作戦の最終段階で北太平洋に沈んだ<三隈>の艦橋で、その時の雰囲気の変化を身をもって経験しているからだ。

 

 はっきり言えば、逃げたい。全てを捨てて逃げたい。<武蔵>からではなく戦場そのものから。だけど、そんなことをすれば、わたしは一生孤独に生きることになる。

 

 それだけは絶対に嫌だ。

 一人きりは寂しい。悲しい。そして、辛い。

 

 父親を見殺しにしたからこそ、それが実感できる。わたしの過ちによって、母親を()()()()()()()からこそ、嫌というくらい実感している。

 

 あの時から、わたしの周りに広がる世界が、わたしの敵になった。

 こんな経験は二度としたくない。

 

 普通の女としてのわたし。

 <武蔵>艦長としてのわたし。

 そして、犯罪者としてのわたし。

 

 それぞれが相反するのに、全てが知名もえかという一人の女に集約されている。それは、矛盾でしかない。

 

 真剣に考えれば考えるほど、わたしという存在が分からなくなる。それを、夜な夜な悩むが答えを求められず、次第に精神が蝕まれていく。

 

 どうすれば悩まないようになるのか? 

 酒に溺れれば忘れるのか? 

 薬物を大量に注射すれば消えるのか? 

 

 悲しいことに、わたしの知能指数は平均値より優れているらしい。だから、真剣に悩み抜くより楽になれる方法を考えついてしまう。

 

 それは、事実を忘れるために任務に専念すること。具体的には、敵軍の将兵を一人でも多く傷つけたり殺したりすることである。

 

 つまり、ごく普通の女は、最低な極悪人である女に成り下がったのだ。

 

 それでも、戦闘を終えると再び悩んでしまう。

 逃げる方法は無い。

 

 だが、それを和らげる方法を知っている。

 問題の先送りとも言えるが、それを実行する。

 

 わたしは司令室にいる当直士官へ、移動先を連絡した。それから、艦長休憩室を抜け出して階段を昇り、第一艦橋に到着する。

 

 <武蔵>はシエンフエーゴス近郊にある野戦飛行場を砲撃し、グアンタナモ泊地へ航行中だ。艦内は戦闘配置から哨戒配置に移行しているので、各部署は当直員のみ配置に就いている。

 

 そして、艦橋要員は夜戦用の第二艦橋で任務に就いていた。だから、ここは無人なのだ。

 

 わたしは左舷側前方にある、わたし専用の丸椅子に座った。

 

 空は晴れ渡り、西方の海面に沈もうとしている上弦の半月。月光を浴びて伝声管や従羅針儀が淡く輝いている艦橋で、わたしは大きく息を吸う。

 

 そして、あの歌を歌い始めた。

 

 ハリファックスで、セイロン島のコロンボで、参列した英軍将兵と一緒に歌った歌である。

 

 曲名は"I vow to thee, my country"(我は汝に誓う、我が祖国よ)。

 

 英国の外交官が作詞し、管弦楽「木星」の旋律を組み合わせた聖歌。

 未だに神を信じられないわたしが、懺悔と赦しを求めるために歌う歌。

 

 北大西洋で、紅海で、印度洋で、カリブ海で。散華した戦友と、命を奪った敵軍将兵を思い浮かべながら。

 

 歌詞一番を歌い、二番を歌うにつれ、自然に涙が溢れてくる。

 艦長の立場である以上、部下たちへ見せることが出来ない涙。

 だけど、人間として、一人の女としての感情によって溢れる涙。

 

 次第に、視界が涙によって霞んでいく。

 歌声にも嗚咽が混じっていく。

 

 決して赦されないわたし。

 だけど、誰かに赦しを求めるわたし。

 

 もう、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 それでも、必死になって三番を歌い始める。

 

 

 

 And there's another country, I've heard of long ago,

(そしてもう一つの祖国があると、はるか昔に伝え聞かされた)

 

 Most dear to them that love her, most great to them that know;

(かの国を愛する者には最も愛しく、かの国を知るものには最も偉大であり)

 

 We may not count her armies, we may not see her King;

(かの国には軍隊が無く、王も存在せず)

 

 Her fortress is a faithful heart, her pride is …….

(人々の敬虔な心が砦となり、誇りと ……)

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 駄目だ。最後まで歌えない。

 

 わたしは、いつの間にか涙を流し、顔を覆う両手から涙を零している。

 わたしは、誰もいない第一艦橋で、嗚咽を漏らしていく。

 

 淡い月光の下で、わたしは一人で泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 以前に「侵攻作戦 パシフィック・ストーム」で、無線妨害に使用された曲名を質問させていただきました。

 図書館まで行って調べていただいた読者様、誠にありがとうございました。

 実は、この小説で登場した"Amazing Grace"(アメイジング・グレイス)を本作で使おうと考えていたのです。ところが、この追悼曲は合衆国で盛んに歌われており、英国では一般的ではないようです。

 代わりに、英国の戦没者追悼式で歌われる"I vow to thee, my country"(我は汝に誓う、我が祖国よ)を本作で採用しました。

 RSBCにおいて、日英同盟の歴史は長いですが、合衆国との同盟条約締結はごく最近のことです。このため、日本海軍の士官は合衆国より、英国の聖歌に慣れ親しんでいることにして、もかちゃんに歌ってもらいました。



 今後も本作で楽しんでいただければ幸いです。よろしくどうぞ。





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第二四話

グアンタナモ泊地、キューバ島

一九五〇年四月二五日 午前一一時

 

 

 

 戦場には平日と休日の区別が無い。だけど、我々には休養が必要だ。

 

 しかしながら、風の噂で「死んでから休めばいい」と仰せられるお爺様がいるらしい。

 

 そんな人物に会った時、わたしは躊躇わずに言うだろう。「お爺ちゃん、それは枕に頭を置いてから呟く言葉ですよ。だから、早く寝ましょうね」と。

 

 お年を召されると睡眠時間が少なくて済むそうですが、歩きながらの寝言はいけません。機会があれば、可愛い兎を抱えながら耳元で囁こうかなと、わたしは思っています。

 

 さて、トリダニーとシエンフエーゴスを対地砲撃した臨時第六三四戦隊は、今朝の〇六二〇に帰港している。昨日の〇三三〇に出航し、二箇所の地点を砲撃してから帰ってきた。

 

 この戦隊への被害は皆無だったとはいえ、乗員は疲れ切っている。第一機動艦隊の一隻としてグアンタナモを出航してから、今までの期間で休養する時間が無かったからだ。

 

 緊張状態を強いられると、体力の消耗は異様に早くなる。だから、彼らに休養を取らせてあげたいし、わたしも取りたい。

 

 しかし、昨日の夕方に届いた一本の電文で、わたしの疲労はさらに濃くなってしまう。それには、<武蔵>がグアンタナモ泊地に錨泊後に、カリブ艦隊司令長官が視察に来るという内容だ。

 

 その目的まで書かれていないので、指導なのか慰労の言葉をいただけるのか分からない。どちらにせよ、わたしたちの仕事が増えたも同然である。

 

 何しろ、<武蔵>の対空火器は大きな被害を残したままだ。左舷側に限ると、両用砲六基のうち一基が弾薬の誘爆によって消失している。機関銃座は四〇パーセント程度しか稼働していない。

 

 それ以外に、高射装置や機銃射撃装置も被弾している。管制出来なくなっていたり、電探が壊れて光学照準しか出来なくなっていたりしている。

 

 そんな状況を見て、小言なことを言われたら面倒になるだけだ。特に、部下の不手際や不始末を指摘するのが使命だと信じている上官なら、最悪に面倒でしかない。

 

 問題はそれだけではない。長官たちと打ち合わせする部屋が無いからだ。それは、長官たちの訪艦を聞いた伊東中尉の反応で、十分に分かるだろう。

 

 彼は小さな悲鳴をあげると、すぐに問題点を指摘した。

 

「長官たちを案内する部屋がありません。司令長官の個室は被弾によって埃まみれになっていますし、司令部用会議室は臨時の倉庫になっています」

 

「じゃあ、参謀たちの個室に案内しましょうか」

 

「あの部屋は先日の空襲で、天井に穴が開いています」

 

 困ったことに、<武蔵>に乗艦されても打ち合わせに使える部屋が無い。他にも部屋があるが、乗員たちの生活に必要な部屋ばかりだ。長官たちに長居されると、乗員たちの行動に支障が出る。それだけは避けたい。

 

 残りは士官たちの部屋しかなかったが、それを言葉にすると伊藤中尉は提案してきた。

 

「第二士官次室はいかがでしょうか」

 

 すかさず、隣にいた内務長が指摘する。

 

「おい、普通はおまえたちが率先して第一士官次室(ガンルーム)を差し出すんだよ!」

 

「ガンルームは我々の聖域です。酒保で買い占めた羊羹や酒を置いているので、部外者は入室をお断りしています」

 

「おっ、いい事を思いついた。羊羹はおまえたちの胃に隠せ。酒は俺が預からせてもらう。これでどうだ?」

 

「それは困ります!」

 

「あのね……。困っているのは、わたしなんだけど」

 

 ここで不毛な議論をしても時間の無駄なので、結論を出す。長官室に比べて狭い艦長室に案内することにしたのだ。

 

 この時に忘れてはならないことがある。わたしが大事にしている自家製梅酒と黒砂糖を、隠さなければならないことだ。

 

 大事なことなので繰り返す。梅酒と黒砂糖はお前たちに渡さん。

 

 その艦長室は、朝早くから数名の従兵に掃除してもらったので、長官たちを招くのにふさわしい部屋になった。これなら長官たちも不満を抱かないだろう。

 

 わたしは、この部屋で戦闘航行中に処理できなかった書類業務に没頭するが、長官たちの到着予定時間が近づくと適当に切り上げる。そして、書類を寝室に隠すと、彼らの到着を迎えるために飛行甲板に向かう。

 

 <武蔵>後部にある飛行甲板には、既に艦内の手空き乗員が整列している。さすが、大戦艦らしく軍紀が末端の水兵まで染みわたっている光景だ。

 

 そんな彼らが立つ飛行甲板は、かつて水上偵察機の発艦設備があった。これは、大神工廠で改修工事を受けた時に関連装備が撤去されている。

 

 水上砲戦時の被弾によって航空機用燃料が炎上する危険性の排除、対空火器の能力向上による偵察機の被弾率上昇、電探の普及と性能改善といった理由だ。

 

 回転翼機用の飛行甲板は、応急的に大穴を塞いでいるので着艦可能である。この機体による荷重に耐えられるように、強固にしているからだ。

 

 到着予定時間前になると、回転翼機の翼が空気を切る音が近づいてくる。そして、予定時間の五分前には扉が開き、三人の海軍士官が降りてきた。

 

 三日前に司令部でわたしが挨拶した春崎艦隊司令長官、<武蔵>と六隻の駆逐艦をカリブ艦隊に編入させた張本人である森口航海参謀、そして、副官らしい大尉が一名だ。

 

 わたしたちの敬礼に対して、彼らは答礼で返してくれた。そして、挨拶をする。

 

「正式な着任挨拶をしていませんでしたので、この場で改めまして挨拶させていただきます」

 

 一旦、話を区切る。そして、海軍士官の理想的な姿を体現するかのように姿勢を正し、挨拶を続けていく。

 

「<武蔵>艦長、知名もえか大佐以下乗員二九五八名は、四月二三日付でカリブ艦隊の指揮下に入りました。わたしたちにとってカリブ海は不慣れな決戦海域ですので、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」

 

「こちらも上官として挨拶させてもらうぞ。春崎だ。枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部の司令長官であるぞ。トリダニーでの活躍は航海参謀から聞いている。海軍として誇らしい戦果だ。今後も期待しとるぞ」

 

「ありがとうございます。後ほど、乗員に長官からのお言葉として伝達いたします」

 

「そこまで硬くならなくてもいいぞ。早速だが、<武蔵>を軽く案内してくれ。戦艦に乗るのは久しぶりなんだぞ」

 

 この司令長官のご所望により<武蔵>の最上甲板を案内していく。特に、<武蔵>の第三主砲塔を興味深く眺められた。

 

 かつては、四六サンチ艦載砲自体が軍機に指定されていたので、GF司令長官さえ近づけなかったそうだ。現在ではこれが解除されているので、誰もが容易に近づいたり触れたりできる。

 

 次いで、被弾の痕が生々しく残る左舷側を歩き、残骸と化したが手つかずの機銃座や被弾の痕が生々しく残る両用砲を見ながら進んでいく。血痕は洗い流しているが、火災による焦げ跡は鮮明なままだった。

 

 誰がどう解釈しても、被弾したのは艦長である自分の失態である。だから、それを見せるのは複雑な気分だ。そんな心境を察してくれたのか、彼らは何も言わなかった。

 

 その後、艦内の右舷側中甲板にある艦長室に案内する。

 

 この艦は、何隻も大型客船を建造している三菱重工業株式会社長崎造船所が、総力を尽くして建造した。この造船所は、豊富な内装技術さえ惜しみなく注いだので、この部屋の内装は客船の一等船室並みに豪華らしい。

 

 その部屋に置かれた四人掛けの机に座っていただくと、すぐに従兵が湯呑を置いていく。

 

 湯呑の縁まで並々と注がれた液体に気づいた長官は、顔を綻ばせて一口すすった。

 

「ほうじ茶か。美味いな、久しぶりに飲んだぞ」

 

「はい、お茶を美味しく飲んでいただくために、烹炊員に番茶を焙じてもらいました。新茶を用意したかったのですが、八十八夜には少し早いので」

 

「そうか、日本ではそろそろ新茶の季節か。ここにいると季節感を忘れてしまうぞ」

 

 グアンタナモは北緯二〇度の緯線にあり、同一緯線上には中国沿岸にある海南島やハワイ諸島のハワイ島がある。だから、ここは寒暖の差があるとはいえ、常に夏日和なのだ。

 

 予想以上に、ほうじ茶が効果的だったらしく長官は上機嫌になった。そんな彼は話を始めるが、ほとんどが大した内容ではない。

 

 だから、わたしは生返事するようになってしまう。本当は上官への無礼な応対なのだが、疲労で集中力が切れてしまったのだ。

 

 欠伸しなかっただけでも、自分で自分を褒めてあげたい気分だ。

 

 だが、それは罠だった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 春崎長官は唐突に表情を変えると、油断していたわたしへ詰問するように話を切り出す。

 

「知名君、君は第一機動艦隊に電文を送ったそうだね。ドイツ海軍の航空艦隊がメキシコ湾かミシシッピ川に潜伏中だと」

 

「はい。おっしゃる通りです」

 

「それが問題なのだ。その電文で第一機動艦隊は北大西洋に行ってしまったのだぞ」

 

「えっ? わ、わたし、北大西洋に行くべきだなんて言っていません」

 

「しかしな、第一機動艦隊はドイツ艦隊がメキシコ湾から当分の間、出てこないと判断したらしい。それで、北大西洋にある戦略拠点を攻撃するそうだぞ」

 

 そんな話は初めて聞いた。城島大将はわたしが遣欧艦隊司令部付の、新品少尉の時にお会いしている。その時は、彼や第五航空戦隊の原司令官の通訳として働いていた。その時の印象だと、やる時には果敢に攻める人だと思っていた。

 

 だからといって、北大西洋に行ってしまうとは……。

 

 積極的に敵軍の勢力圏内に切り込んでいくことは、逆襲を受けて大被害を被る可能性もある。わたしなら、そんな危険は冒したくない。というより、出来ない。

 

 それより、文句は第一機動艦隊に言って欲しいと思う。それを、角を立てないように話していくが、長官の表情は苦いお茶を飲んだかのように渋くなっていく。

 

 どうやら、彼にとって痛い所を突いてしまったらしい。代わりに航海参謀が説明してくれた。

 

「知名、しっかりと聞け。第一機動艦隊はGFの指揮下、我々は軍令部の指揮下だ。だから、我々から第一機動艦隊には、命令ではなく要請しか出来ない。それは分かるか?」

 

「はい」

 

「我々はカリブ海北部とメキシコ湾の制海権確保を目指している。我々はこの制海権を掴み取るために、軍令部に何度も第一機動艦隊の投入を懇願してきた。半年近くもだ。この努力を理解してくれるか?」

 

「わ、分かります」

 

「思い出して欲しいが、統合航空軍は制空権さえ自力で維持できない。だから、我が海軍や同盟国海軍は水上砲戦艦隊を投入している。聞いているか?」

 

「……聞いています」

 

「我が海軍は世界最強の海軍だった筈だ。それなのに、連合軍の艦隊とチャンバラしても勝てない。あわよくば、引き分けになるだけだ。当然ながら被害は続出している。駆逐艦だけではなく、重巡や防空巡が何隻も沈められている。戦艦を投入しても、大破するだけで勝利に繋がらない」

 

「はい……」

 

「一年近く戦い続けても、この有様なんだよ。だから、第一機動艦隊による強烈な一撃が欲しかった。だが、第一機動艦隊は北大西洋に行ってしまった。つまり、我々の努力は水の泡になったのさ」

 

「そ、そんな、そんなつもりでは……。ごめんなさい、本当に申し訳ございません」

 

 航海参謀、顔が怖いです。わたし、目が潤んじゃいました。決して、カリブ艦隊司令部を陥れるつもりではありません。ですから、許してください! 

 

 わたしはそんな思いを込めて、頭を下げて全力で謝る。それなのに、航海参謀はわたしを海に蹴り落とすように追い打ちを掛けていく。

 

「実は、知名を軍法会議に掛けるべきだと言う奴らがいてな。どうしようかと議論しているのさ」

 

「軍法会議!?」

 

 電報一本でそこまで大事になるの?

 ……うん、なるよね。

 

 知名もえか、弁解の余地無し。完全終了です。

 

 わたしは、あまりにものショックで涙を流してしまうが、それを見た長官が声を掛けられた。

 

「知名君。顔を上げなさい。わたしとしては、これ以上説教するつもりはない。まあ、ほうじ茶が美味かったから、これまでのことは帳消しにするぞ」

 

「……は、はい。ありがとうございました」

 

 ちょうどその時に扉がノックされ、伊東中尉が従兵を連れて艦長室に入ってきた。涙目になっているわたしに顔を向けると、何か思うところがあるのか恭しく話し出した。

 

「艦長、昼食の時間ですので注文を伺いに参りました。皆様は如何されますか。本日のおすすめは『武蔵定食』です」

 

 <武蔵>艦長になってから一年も経っていないとはいえ、そんな定食は初めて聞いた。その言葉に興味を持った長官が尋ねると、中尉は自信満々に答える。

 

「本艦の艦長が好きな料理を定食にしたものです」

 

 誰もが無言のまま、わたしを見る。気のせいだが、その視線は日光が肌を焼くようにチクチクと痛みを伴っていた。

 

 確実なのは、それから逃げたり隠れたりする余地は無いということ。それを悟ると、素直に答える。

 

「あの、ハヤシライスが大好物でして……」

 

 その後は、笑って誤魔化した。背中に冷や汗を流しながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二五話

日増しに秋の気配が近づいてくる今日この頃。皆様は健やかにお過ごしでしょうか。

作者は、本作主人公である「もかちゃん」を忠実に表現出来ているのか、頭を抱えており、日増しに髪の毛へのダメージが増えています。

どうやら、広葉樹が冬支度を始める頃、作者の頭部は既に冬を迎えているでしょう。

冗談はともかく(いや、切実な問題ですが)、もかちゃんについて「何かイメージが違う」とか「こういうのでいいんだよ」といった感想をいただけると幸いです。





余談ですが、もかちゃんを文字だけで表現するのが、こんなに難しいとは思っていませんでしたよ。

だって、彼女の台詞は「ミケちゃん♪」か「打ち~方始め!」しかないでしょ。

他の戦艦の艦長である上級生たちを、危険な面倒事に巻き込む天性の人誑しだし。

それだけではなく、躊躇いなく校長室を盗聴するし、スーちゃんを<晴風>に移乗させるのに、艦を横付けせずにワイヤーで滑らせています。これでは小包同然の扱いです。

論理観が一般人と異なるので、人間としてどうかと思いますよ。ホントに。

能力もチート気味だし、苦手科目が無い優等生です。
そんな、一般人の枠に収まらない彼女を、作者の力量で表現できるのでしょうか?




なお、<晴風>の針路を指示するために徹甲弾を撃つのは、常人は考えつかない戦術ですが合理的で最適な戦術です。……ですよね?







グアンタナモ泊地、キューバ島

同日 午前一二時

 

 

 

 興味が無い人にはどうでもいい話だが、ハヤシライスの蘊蓄ならわたしの右に出る人物はいないと思う。

 

 諸説あるこの料理の発祥に関する話ではない。料理そのものの蘊蓄である。

 

 ハヤシライスの特徴と言えば、深みのある赤色のルゥ、それに含まれている具材だ。

 

 炒められて香ばしさを増し、煮込まれて余分な脂を落とした薄切り牛肉、飴色になるまで火が通って甘みを増した玉ねぎ、マッシュルームやその他の具材からの旨味がルゥに溶け込んでいる。

 

 ルゥに溶け込んでいるのは、それらの具材の旨味だけではない。トマトソースとドミグラスソースも加えられている。いずれも、欧州で一般的な料理用ソースだ。

 

 旨味だけではなく香りも素晴らしい。温められたルゥから湯気と一緒に、トマトの芳醇な香りが漂って鼻孔をくすぐる。

 

 もぎたての瑞々しいトマト特有の青臭さが残る香りではない。トマトを煮詰めて仕上げたトマトソースならばこそ、濃縮されたトマトの香りが楽しめるのだ。それに、コクがあるドミグラスソースが合わされば、もう無敵だ。

 

 辛いだけのカレーライスなんて、ハヤシライスの足元にも及ばない。

 

 それだけではない。カレーライスのように具材のバリエーションも豊富であり、豚肉や季節の野菜も使えるのだ。ハヤシライスの万能性を侮ってはいけないのだ。

 

 それを熱々のご飯と一緒にスプーンで掬って、口に含めば……。

 

 それ以上、語るのは止めよう。同席者の誰もが、わたしを見て笑っている。ハヤシライスが机に置かれた時に素直に目を輝かせてしまい、彼らの笑いを誘ってしまったからだ。

 

 わたしの前にはハヤシライスと野菜サラダが置かれている。ハヤシライスはルゥーを掛けられたご飯以外に、ふわっとろのスクランブルエッグと、縁起を担いで奇数個乗せられたグリーンピースが添えられている。

 

 そんな同席者たちの前にもハヤシライスが置かれている。これなら、わたしも堂々と食べられる訳だね。

 

 中尉、どうもありがとう。

 長官たち、わたしに合わせていただき、ありがとうございます。

 

 それを食べながら打ち合わせを続けていく。というより、長官の話を一方的に聞いていた。すると、彼はわたしにとって意外な指示を下した。

 

「知名君。二六日の舞踏会と二八日の前夜祭に、参加して欲しい」

 

「舞踏会ですか? 給仕のお手伝いは出来ますが、梅酒のどぶろく割りしか作れません」

 

「違う、そうじゃない。この島の有力者たちと話したり、踊ったりして欲しいのだぞ」

 

 これも戦争の一環なのだろうか? こんなタイミングで舞踏会に参加するとは思っていなかった。約六〇〇キロ先にある戦線では、泥まみれで血みどろの戦闘を続けているのに、ここでは上流階級に属する人たちが舞踏会を楽しむのだ。

 

 日本列島で例えれば尾道市街で戦闘しているのに、横須賀では芸者たちが酒席で芸を披露するようなものである。余談だが、大半の客はその夜に芸者と怪しいことをするそうだ。詳しくは知らんが。

 

 話は逸れたが、舞踏会は誰もが着飾って純粋に踊りを楽しむための場では無い。それは参加者の誰もが理解している。実態は、政治な駆け引きの場になるのだ。

 

 その会場では権力、金、色事、将来の利益に繋がる情報が溢れている。それを参加者が自らの能力を駆使して手に入れようとしていく。

 

 交渉と称して相手の相手の腹を探ろうとしたり、欲望の果てに情事に持ち込もうとしたりするだろう。そんな魂胆を持つ魑魅魍魎(ちみもうりょう)な輩が多数参加する。

 

 そんな舞踏会を開催する理由は明確だ。日本軍を始め、枢軸軍が戦争による利益を獲得するためである。そんな場所に行かなければならないとは……。

 

 忘れてはならないことだが、わたしにとって命令を拒否する権限はない。上下関係に厳しい陸軍と比較すれば、海軍は上官への意見が許される風潮である。だけど、そうするつもりは無い。

 

 正直に言うと、面白そうだからだ。軍政を敷いた占領地で行なうお祭り。わたしの人生で体験したことが無いお祭りだ。是非参加してみたい。

 

 だけど、一つの問題がある。わたしはイブニングドレスを用意していないのだ。それを長官に伝えると、予想していたが少々残念な答えが返ってくる。

 

「第二種軍装で構わん。今では礼装の代わりになっているし、白い服は見栄えがいいぞ」

 

 それは潮風と太陽で焼けて肌が赤黒くなった男の人だけです。女は黒か赤が似合うことをお忘れではありませんか? そんなことを口走りそうになるが、わたしも第二種軍装を勝負服としているので口を噤む。

 

 普段は青みが強い青褐色の第三種軍装を着ているが、重要な局面では自らに気合を入れるために白色の第二種軍装を着用していたからだ。

 

 衣装は納得したが、別の疑問が解かれていない。だから、それを聞いてみた。

 

「衣装は分かりましたが、二八日の前夜祭とは何のお祭りでしょうか?」

 

「天長節だ。今上天皇の誕生日を忘れた訳ではあるまいな」

 

「四月二九日、ちゃんと覚えています。誕生日を覚え直すのは大変なので、陛下には長生きしていただきたいですわ」

 

「戦災に心を痛めずに長生きしていただきたいと願うぞ。それでな、グアンタナモでも天長節を祝うことにした。二八日に、その前夜祭をするのだぞ」

 

 これは本当に面白そうだった。

 

 そんなわたしの魂胆を見抜いているかのように、長官の後を継いだ航海参謀が説明していく。

 

「実は、英軍や合衆国軍は『なぜ、こんな時期にやるのか?』と聞いてきたんだ。だから、『お前らがイエス・キリストの聖誕祭を祝うから、俺たちは天皇陛下の誕生祭をやるのさ』と答えたら、何も言わなくなった。どうだ、面白いだろ?」

 

 英軍や合衆国軍も肯定しているのであれば、断る理由なんてない。

 

「面白そうですね。わたしで良ければ、是非参加します」

 

 わたしは微笑みながら答えたが、その時に長官でも航海参謀でもない、もう一人の士官が口を開いた。

 

「あの、知名さん。というか知名大佐。君は何をしなければならないのか、分かっているのかい? これは遊びじゃないよ」

 

 彼とは、長官と一緒に<武蔵>の降り立った時に挨拶している。長官たちの副官だと思っていたが、その時から参謀付士官のように尊大な態度をしていた。

 

 それだけなら、彼を個性的な士官として見なし、相応の態度で応対すればいいだけだ。何しろ、彼の上官は長官たちであり、下手に指導したら長官たちの面目を潰しかねないからだ。

 

 しかしながら先程の言葉遣いは、わたしの肩に括り付けている階級章を理解していない、非常識な海軍士官であることを自ら説明している。

 

 わたしは<武蔵>艦長在職中に限り大佐になっているが、それを解かれば元の階級である少佐に戻る。それでも、大尉である彼より、わたしのほうが上官だ。

 

 軍隊は年齢より階級によって上下関係が決まる。これは絶対的なものだ。

 

 普段のわたしならば、階級差を無視するような相手と出会った時に、ごく一部を除いて叱ることはしない。砲術長を例にすると、彼の経歴や訓練によって磨いてきた砲戦技術に敬意を示しているからだ。

 

 しかしながら、この大尉のふてぶてしい態度と言動には、温厚なわたしでさえ納得出来なかった。長官たちの前とはいえ本気で叱りたくなってしまう。

 

 というより、柔らかく叱った。

 

「大尉、あなたは何様ですか!」

 

 思わず怒声混じりの声で詰問するが、彼はどこ吹く風と受け流した。それだけではなく、余裕に満ちた表情で彼は話し始める。

 

「失礼、自己紹介を済ませていませんでした。ある時は売れない画家、またある時は日本海軍の予備役大尉。だが、その正体は! ……なんだと思うかい?」

 

「知りません。興味ありません。そんな自己紹介が面白いと思えるような、心の余裕がありまっせん!」

 

「ったく、冷たい態度だねえ。いいだろう。僕から教えてあげよう。名前は平田だ。外務省の大臣直属機関である対中南米工作班の班長を勤めている。今回の舞踏会と陛下の誕生会では、僕のパートナーとなってもらうよ。宜しく」

 

 そう言うと、彼はわたしと握手するために手を伸ばした。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 しかしながら、わたしはこの男と握手する気になれない。

 

 むしろ、その手を引っ叩きたかった。その代わりに精一杯の皮肉をぶつける。

 

「面白い方ですね。職業は売れない画家で、暇なときは在外日本大使館で事務仕事をしていると。独学で日本語を覚えた現地採用の方とお見受けしますが、礼儀作法が下手ですわ。それが学べる学校を紹介しましょうか?」

 

「君も中々な人だねえ。僕は、東京の外務省から来た弁務官だよ。現地採用の事務員とは格が違う」

 

「あら、そうでしたの。弁務官特有の気品が感じられなかったので、うっかり口を滑らしてしまいました。東京の下町で生活している、売れない画家のような風貌をされているので」

 

「外務省はともかく、僕への侮蔑と受け取るぜ。ついでに画家を莫迦にして欲しくない。画家は常人では理解出来ない、独特の世界観を持っているのさ。まあ、君には分からないと思うがね」

 

「へえぇぇぇ、絵が売れなくて挫折したオーストリア人の伍長のように、ビヤホールで酔っ払いたちを扇動したいと? あのちょび髭総統は常人では理解出来ない独特の世界観をお持ちですよねぇ」

 

「おい、ヒトラーと一緒にしないでくれ」

 

「まあ、日本では居酒屋で騒いでも共産系過激派と一緒くたにされるだけですもの。中国の西方か東北に行かれるのなら、英雄になるチャンスがあるかもしれませんよ。トウモロコシを握りながら演説すれば、野ネズミたちが話を聞いてくれるでしょう」

 

 それまで雄弁だった大尉は、とうとう沈黙した。わたしの皮肉交じりの言葉に反論できなくなったらしい。なにせ、わたしの言葉は両用砲のように次々に繰り出せないが、主砲のように相手の心を打ち砕く威力がある。

 

 わたしは、嫌いな相手には容赦しないのだ。決定的な場面で、言葉の使い方を間違えてしまう欠点があるのは自覚しているが。

 

 件の大尉は、身体を静かに震わしている。内心は憤怒の嵐が吹き荒れているだろう。いや、爆沈寸前の戦艦のように、外見だけはまともな姿を保っているとも言える。どちらにせよ、わたしにとっては当然の結末だ。

 

 そんな彼に変化が現れる。何かの言葉を呟き始めたのだ。それは笑い声になり、しまいには身体を大きく揺すりながら高笑いしていった。

 

 それを見ているわたしは、彼の変化についていけずに黙ってしまう。

 

 そんな大尉は笑い疲れて大人しくなると、わたしに顔を向ける。すると、呆れてしまうような言葉を放った。

 

「知名大佐。あなた、合格です」

 

「えっ!?」

 

「あなたには試験を受けてもらいました。予告したら試験になりませんから。改めて申し入れます。外務省が主催する天長節には、あなたのような人物が必要なのです。どうか、協力していただけないでしょうか」

 

「お断りします」

 

 即答すると相手は困惑の表情を浮かべる。それでも、わたしの決断は揺るがない。こんな男と一緒に舞踏会に参加するなんて冗談じゃない。

 

 この大尉とチンパンジーのどちらかを選べと問われれば、チンパンジーを選ぶ。いや、吸血鬼でもいい。絶対に選んでやるから! 

 

 しかし、舞踏会には個人的事情で参加可否すべきではない。それは重々承知しているので、わたしなりに言葉を選んで話していく。

 

「ご安心ください。舞踏会や陛下の誕生祭には参加しますわ。外務省や平田大尉の要請ではなく、カリブ艦隊司令部からの命令ですので」

 

 わたしは満面の笑みを浮かべつつ、慇懃無礼な態度で大尉に答えた。

 

 幼馴染(ミケ)から見れば、倍返しを企んでいる危険な笑顔だそうだが。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 昼食を召し上がり、わたしとの打ち合わせを終えられた長官たちは、司令部庁舎であるホテルへ帰ろうとする。

 

 そのために回転翼機を呼び寄せるが、到着するまでの間に長官の要望で第三砲塔にお連れする。彼は砲塔の内部に入り、主砲弾装填訓練の実演を見学されていた。

 

 砲術科畑なのに戦艦は<土佐>しか乗艦しておらず、その後は軍政系の仕事ばかりしていたそうだ。だから、四六サンチ艦載砲に触れるのは初めてだという。

 

 これが<武蔵>に来た目的の一つでもあったらしい。

 

 忘れてはならないが、<土佐>は海軍休日期間中にGF旗艦を務めた戦艦だ。その艦に配属された砲術科将校ということは、わたしなんて足元にも及ばない存在なのだ。

 

 この時は第三砲台長が張りきり、弾薬庫から引き上げた砲弾や炸薬を主砲に装填したり、旋回や仰角を掛けて目標を捉えたりして、実戦さながらの訓練を披露していく。

 

 それだけでは飽き足らないのか、長官自ら旋回ハンドルを回そうとしたり、測距儀を覗いたりしていた。その姿は砲術技術の研究に熱心な士官というより、玩具で遊ぶ幼児のように楽しんでおられた。

 

 その間、わたしたちは砲塔操作の邪魔になるので、甲板で待機している。この機会を利用して、わたしは森口航海参謀に相談した。

 

「あの、特別半舷上陸の許可を願います。連日の戦闘で将兵たちが疲れ切っていますし、大和魂の発散が何とやらなので」

 

「ふむ。長官が砲塔から出て来るまで、待っていろ」

 

 しばらくすると、十分に堪能された長官は第三砲塔から降りてこられる。その足で、将官級士官と特別な任務を帯びた司令部職員以外は搭乗出来ない、回転翼機に向かわれる。

 

 その時に航海参謀は長官に相談する。その返事は、わたしや乗員にとって待ち望んだ内容だった。

 

「知名、長官から艦長の判断で半舷上陸しても宜しいとの許可をいただいた。帰艦時間も好きなように設定して構わんとのことだ。君の指揮下にある駆逐艦にも、長官からの指示として伝えてくれ」

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 そして、長官たちは回転翼機で帰って行かれた。

 

 機体が小指の爪まで小さくなった頃、乗員たちに解散を伝える。すると、乗員たちは艦内に入ったり、被弾箇所の修理作業に戻ったりしていく。

 

 だけど、わたしは最上甲板に残っていた。今日はもう一人の来客予定があるからだ。

 

 グアンタナモ泊地に錨泊中の駆逐艦からの発光信号。航海科出身のわたしであれば読み取れる。両腕を大きく振って手旗信号を送ると、駆逐艦の艦上に動きが現れた。

 

 相手はわたしを高角双眼鏡で覗いていたのだろう。まあ、着替え中を覗かれている訳ではないから、気にしない。気にしない。

 

 駆逐艦から降ろされた短艇は、波静かな湾内に真一文字のような航跡を描きながら<武蔵>に近づいてくる。

 

 駆逐艦の艦名は<晴風>。もう一人の来客とは<晴風>駆逐艦長であり、わたしの同期であり、わたしの幼馴染でもあるミケちゃんだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二六話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

一九五〇年四月二六日 午後三時三〇分

 

 

 

 わたしは、<武蔵>まで迎えに来た回転翼機に乗り、ホテルの中庭に降り立つ。

 

 副官は連れてこなかった。<武蔵>に帰るのは明日の朝になるだろう。それまでの間、控室で彼を待たしていくのは可哀そうだからだ。

 

 <武蔵>の指揮は内務長が引き継いでいる。艦長室への入室も許可しているから、何かあったら対応してくれる筈だ。砲術長や航海長といった幹部は特別半舷上陸に入っているので、少ない人数だが適切に対処してくれるだろう。

 

 どのみち、<武蔵>は燃料切れ寸前なので、狭い泊地を低速で航行することしか出来ない。そんな状況で、<武蔵>が沈むような事態ならば何もかも諦めるしかない。グアンタナモもお終いだからだ。

 

 連合軍は広島や長崎と同様に、この街に反応弾を撃ち込んでくる可能性を否定できないからである。

 

 わたしは、件の大尉の部屋に直行せずに航海参謀が執務する部屋に向かう。先日の戦闘状況を書き記した戦闘詳報を渡すためだ。

 

 わたしにとって、これが日本海軍が続ける奇妙な業務の一つだが、これを正確に書いても誰も読まないのだ。参謀たちは詳報ではなく本人からの報告で戦況を把握するし、詳報と報告が食い違っても誰も気づかない。

 

 ならば、詳報を書く意味が無いと思うが、今度は任務を放棄していないことを証明するものとして必要だという。各戦隊の司令部どころか人事局さえ読み返さないのに。

 

 おまけに、詳報には戦訓に繋がる重要な記述もあるが、それらは顧みられることなく主計課の倉庫に積まれていく。帳簿や補給物資の在庫記録と一緒である。

 

 その状況に憂慮しているごく一部の艦長たちは、自らの経験や人脈を駆使して情報を収集している。それを教材とした戦術講義を新米艦長たちに向けて開いていた。それに対して、軍令部は何の動きもない。

 

 このような現状を見ると、戦闘詳報とは何だろうかと首をかしげてしまう。そんな事を考えても業務として定められている以上、正確に書かなければならない。

 

 巡り合わせの縁だが、わたしに代わって詳報をまとめる主計科中尉が優秀なので、わたしは手が掛からなくて助かっている。

 

 航海参謀は電話で誰かと話していたが、受話器を置くと戦闘詳報を受け取る。そして、わたしの姿を頭からつま先まで眺めると、意味深な笑みを浮かべながら話し掛けてきた。

 

「第一機動艦隊の奮戦は知っているかね?」

 

「はい、今朝からハリファックスへ攻撃を始めたそうですね。戦果は聞いていませんが」

 

「ああ、かなりの打撃を与えたらしい。第三次攻撃隊まで出撃したから、敵機や敵飛行場だけではなく、欧州から到着したばかりの輸送船団や港湾周辺の倉庫まで爆撃しているそうだ。第一機動艦隊は、本気で一九一七年の大爆発事件を再現するつもりかもな」

 

「中々の戦果を挙げていますね」

 

「第一機動艦隊の一員として一緒に行きたかったかい?」

 

「わたしはカリブ艦隊の一員ですよ。そんな事を考えたことすら、ありません」

 

「典型的な模範解答例を聞いているようだ。面白味が無い」

 

 命令とあらば、何処にでも行く。ただ、それだけだ。

 

 第一機動艦隊の一隻として北大西洋に向かっていたら、<蒼龍><瑞鶴>の直衛艦として敵機と戦っていただろう。それについて、何の感想も浮かばない。

 

 だから、本心によって素直に答えた。

 しかし、それが不満だとおっしゃるのであれば、ご期待に応えましょう。

 

 そんな思いを込めて、わたしなりに捻った答え方をしていく。

 

「わたしは、こう見えても日本海軍の士官であり、軍隊のあるべき姿を学んできました。国民に対して威圧感を与えなければ存在価値を失うと信じていたり、問題発生の責任回避方法を熟知しなければ、生き残れなかったりするという点も含めてです」

 

「ほほう、貴様が反軍的な発言をするとは思わんかった」

 

「海軍は所詮、官僚機構の一つですよ」

 

「海軍をそんな冷めた目で見ているとはねえ。入隊した時に宣誓した言葉を忘れていないだろうな」

 

「しっかりと覚えています。『念願の制服が着れて嬉しいです』って言いました」

 

「へっ?」

 

「学生時代はセーラー服だったので、詰襟の士官服を着てみたかったのです。だって、かっこいいじゃないですか」

 

「おい、いつまで学生気分が抜けないのだ?」

 

「素敵な衣服を着るチャンスを逃してしまうと、女は人生の敗者へまっしぐらですよ。まあ、わたしにとって一番難易度が高い素敵な服はウエディングドレスですが、縁が無さそうですわ。つまり、敗者決定ですね……。泣いていいですか?」

 

「泣くな。自虐するな。お前には彼氏の一人や二人が、いるんじゃなかったのか?」

 

 また、この方面の話かと思うとげんなりする。実際に彼氏がいないことではなく、わたしの交際情報を誰もが知り得るから状況に関してだ。

 

 軍隊や警察では、借金の有無と交際状況を自己申告しなければならない。敵対国の情報機関が接近してくるのを防ぐためだ。

 

 情報機関は、これらの人物を探し当てるのが上手であり、その不安定な心理に付け込むのも巧みだ。借金の額が高ければ、借金の返済を立て替える代わりに戦闘部隊の最新情報を要求するだろう。

 

 交際相手がおらずに寂しい思いをしている人物ならば、男女の仲まで発展して後戻り出来なくなった頃に終わりが始まる。司令部に勤務する士官たちの名簿や、司令長官室へ盗聴器を設置することを求めるかもしれない。

 

 いずれにせよ、軍隊としては憂慮すべき事態につながる。

 だから、自己申告を求めるのだ。

 

 この時に正確な状況を報告せずに怪しい行動をするならば、疑われても仕方が無い。例え、交際相手が怖い上官の愛娘であり、父親から交際を反対されているから、隠れて本気の恋愛をしている間柄だとしてもだ。

 

 その自己申告情報は海軍省の人事局が管理している、各自の考課表に記録される。当然ながら、わたしの書類にも記録され、赤裸々な情報が正確に書かれていた。

 

 借金や賭博の記入欄は空白だ。胸を張って言える。

 

 しかしながら、交際欄だけは文字がぎっしりと書き込まれている。それだけで済まず、記入欄が不足したので別紙にも書かれている始末だ。

 

 後で知ったことだが一緒に食事や映画を、二回か三回楽しんだだけの付き合いで申告したのは、過剰だったらしい。結果として、男性遍歴の凄まじさだけが記録として残ってしまった。

 

 遊女、売女、浮気癖がある女、近寄ってくる男たちから最適の男を選ぼうとしているうちに、絶好の機会を失った喪女。そんな誹謗中傷を受けるが、どれも当てはまる。

 

 そして、悲しいことに人間の記憶は薄れていくが、ペンで力強く書かれた記述は薄れない。

 

 航海参謀の質問は、わたしにとって心の日記帳を読まれている様なものであり、気分が非常に宜しくない。だからと言って、誤魔化そうとしても印象が悪化するだけなので、素直に答える。

 

「そうです。いました。そして、みぃ~んな振られました!」

 

 嘘は言っていない。

 

 振られた理由は、ある事実を打ち明けたからだ。二人の仲が深くなった頃を見計らって話したのだが、彼らはそれを聞くと交際終了を通告してきた。

 

 わたしが彼らににとって理想の妻どころか、愛人さえ成れないことを悟ったからである。結果として、心だけは百戦錬磨な恋愛経験をしてきた大人なのに、身体は……。まあ、そういうことだ。

 

 こんな話をしているうちに、先方との待ち合わせ時間が近づいてきたので、要件を済ませて退室する。

 

 そして、外務省の大臣直属機関のなんちゃら班の班長だと自称する、妙に態度がでかい外務省の役人がいる執務室に向けて、歩き始めたのだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 絨毯が敷き詰められた廊下を歩く、わたしの足取りは重かった。

 

 はっきり言って、あの男は苦手だ。外交官とはこんな連中ばかりなのだろうかと疑ってしまいたくなる。何しろ、外務省のトップに立つ吉田外相は個性的な性格だと聞くからだ。あの男も個性的だし。

 

 そもそも、カリブ艦隊司令部が外務省に協力する事情も摩訶不思議だ。東京であれば省庁の利害関係がぶつかり合うので、共闘するのは稀だからだ。いや、奇跡的だ。

 

 一方は自尊心だけは立派だが、理不尽を先頭にして行軍すれば無理が通ると信じている職業軍人。もう一方は、条約や協定さえ結べば相手も順守すると信じている外務省の外交官。水と油のように思考ロジックが異なるのだ。

 

 それは、脳筋莫迦の男子学生と初恋に心をときめかす女子生徒が、下校中にデートすることに例えられるだろう。

 

 共通点はただ一つ。その結末は黒く塗りつぶしたくなるが、思い出話だけは鮮やかに彩られていくことだ。

 

 わたしは、以前に夏服と呼ばれた白色の第二種軍装で身を整えている。白色で仕立てられた士官用の被服は、官給品ではなく士官が棒給で調達する物なので、わたしなりの意匠を盛り込んでいた。

 

 腰部に帯を巻いて腰回しを絞り、背中にプリーツを設けている。それだけではなく、胸の双丘を収めるために膨らみを設けていた。

 

 年配の士官から「軍服を勝手に改造するのはけしからん。軍靴に足を合わせるように、被服に身体を合わせろ」という声も頂くが、聞き流すしかない。

 

 未だに女性用軍装が制式登録されていないし、男性用の体型で縫製された軍装では女性の体形に合わないからだ。だから、現状では各自が好き勝手に改造しており、それが黙認されている。

 

 軍装は被服だけではなく、他にもアイテムがある。軍帽は濃紺の第一種軍装の軍帽に、白色の日覆いを被せた物を被っている。靴は汚れやすいので滅多に履かない、白革の靴を選んだ。

 

 さらに、腰には短刀を吊り下げて、胸にリボン型の勲章を括り付けば、海軍士官として威厳ある姿になる。

 

 最後に、時計を忘れずに持ち歩くことだ。これは、軍人と言うより大人としての常識です。

 

 何しろ、わたしの愛用懐中時計には、蓋の裏側にミケちゃんと一緒に撮った写真を貼り付けている。わたしにとって絶対に無くしてはいけない大切なアイテムだ。

 

 これらのアイテムで海軍士官としての箔は付いたが、他にもイヤリングやブローチといったアクセサリーを身に付けたかった。

 

 これは、女としての箔を付けるためだ。だが、同時に戦闘によって壊れたり失ったりする華奢なアイテムでもある。これでは、軍装としてふさわしくないので諦めた。

 

 しかしながら、女性用の小道具である手鏡や化粧品は外出時の必須品であり、これを私物の小さなショルダーバッグに詰めている。これだけが、女性らしさを表現していた。男どもには分からないと思うが。

 

 間もなく、例の男の執務室に到着しようとする頃、タイミングよく一人の東洋人の男が部屋から出てきて廊下ですれ違う。

 

 軍服だらけの司令部には珍しい背広姿だ。わたしと視線が合った途端に、相手が微笑みながら会釈する。あの男の部下とは思えないくらい爽やかな笑顔なので、思わず頬をほんのりと赤く染めてしまう。

 

 だが、その程度で心を浮つかせるような初心な女ではない。百戦錬磨とは言わないが、悪い奴らに何度も騙されかけた経験だけは、両手の指を折っても足りないからだ。

 

 それだけではない。この男からは発散する独特の空気を嗅いでしまうと、すべてが胡散臭い存在になってしまう。どうやら、この男はそれに気づいていないらしい。

 

 その男は、わたしの視線に気づいて怪訝な表情をする。その視線から逃れられそうにも無いので、素直に白状した。

 

「歩き方に特徴があるので、つい……」

 

「ほう、どんな特徴ですか?」

 

「軍人特有の歩き方ですわ。背筋をきちんと伸ばし、一定の歩幅で歩く。それだけですが、綺麗に整い過ぎています。その様子では数日前まで軍服を着ていた士官が、背広に着替えて歩いているとしか受け取れません」

 

「なるほど。ご忠告ありがとうございます、大佐殿」

 

「情報工作機関の方が、ここにいるとは驚きましたわ。統合軍令本部ですか? それとも陸軍独自で動いているのかしら?」

 

「機密事項です。というより、本官にも分かりかねます。後ほど、会場で会いましょう。では失礼」

 

 そう言うと、わたしに背中を見せて去っていく。

 

 その背中に向けて、わたしは心の悲鳴をぶつけた。冗談じゃない。こんな場所で、あなたたちと争うのは御免だと。

 

 わたしにとって、この街で情報工作機関が活動していることに驚いた。この機関員が活動するのは後方地域や敵支配地域であり、こんな前線に近い戦域では活動しないと思っていたからだ。

 

 統合軍令本部にある情報工作機関は、陸海空から選ばれた精鋭たちで編成されていると聞く。陸軍にも少人数ながら独自の機関を持っているらしい。

 

 彼がどこから来たのか、彼以外にも来たのか分からないが、どちらにせよ厄介な相手なのは変わらない。

 

 日本人特有のジャパニーズスマイルの裏側には、彼らの本当の素顔が隠れている。それは、日本人であるわたしでさえ易々と判別出来ないからだ。

 

 そんな不安を心に押し込んで、わたしは例の男の執務室の前に立つ。扉をノックすると、あの男はわたしを室内に迎え入れた。

 

 情報機関員と外交官の間で、どのような話をしたのか知らない。しかしながら、お互いの主張がまとまらなかったのは明らかである。

 

 彼は日本人特有の掴みどころが無い微笑みをしているが、不愉快感を隠しきれていないからだ。先程の話し合いが円満に終わっていれば、彼がそんな表情をする訳が無い。

 

 舞踏会という小さな海で、お互いの高波が衝突して発生した三角波。その波に、わたしという小舟が翻弄されるのは避けられそうにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二七話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後四時

 

 

 

 この男が不愉快な表情をしていた理由を聞いた時、わたしは愚か者であることを悟った。

 

 新品少尉時代に遣欧艦隊司令部付になった頃から、「ダンケルク」作戦を初陣として幾多の戦果を潜り抜けている。それ以降、国家間の戦争、陸海空の各軍における主導権争い、司令部内部や各艦における人間関係、その他にも色々と目撃したり経験したりしてきた。

 

 この世界は常にどこかで戦争が行われている。だから、この島でも何かと戦うするのが当たり前だと考えていた。だが、わたしは先入観に囚われていたらしい。

 

 この男の話を聞いた時、痩せた老馬に跨って風車に突撃した男に代わり、わたし自ら突撃したくなった。わたしの固い頭を風車の羽根で引っ叩き、固定概念を砕こうかと考えたからである。そのくらいの衝撃だった。

 

 この男は本人にとって重要だが、他人からは見過ごされる問題に直面していたのだ。それはあまりにも日常的であり、顧みられることが無いものでもある。

 

 それを、この男は簡潔に説明した。

 

「僕は昼飯を食べずに仕事をしていたので腹ペコなんだ。デブは一食でも抜くと餓死するのさ」と。

 

 改めてこの男の外見を頭からつま先まで眺めるが、控え目に言っても太り気味だ。通称デブと区分される体型であり、標準的な日本人と相撲力士の中間に位置する体形となる。

 

 間違いなくデブであり、眼鏡を掛けて知的な雰囲気を醸し出そうとしているが、外見で台無しにしている男だ。

 

 重ねて言うが、この男はデブ以上もデブ以下もない貧弱なデブである。

 

 そんな男に連れられて、わたしは一緒に軽食を摂っていた。グアンタナモの旧市街地にある、地元住民が集まる小さな食堂で。

 

 ここは、軍港都市や地方の港町に必ずある立ち飲み屋と同じように、カウンターと厨房しかない。この食堂に限らず旧市街の小さな食堂は似た造りになっているそうだ。だから、わたしたちは立ったまま食事をしている。

 

 今は夕食には早い時間帯なので店内は空いている。混雑する時間帯だと他の客に煽られるように口へ詰め込むだけになり、味わいながら食事することすら出来ないだろう。そんなお店だ。

 

 噂だが、デブには独特の嗅覚があるらしい。料理が美味しい飲食店を探し出す能力が優れていると聞く。だから、この店の料理はわたしにとって美味しかった。

 

 わたしの隣にいる男は、アロス・コングリと言うキューバ風の赤飯を選んだ。

 

 一枚の大皿にそれが盛られ、マサ・フリータという豚肉の角切りのフライ、フライドポテト、キュウリを添えられている。これとは別にサラダや果物が盛られた小皿もあり、この店の定食だという。

 

 フライされた料理ばかりなので、適度に運動しないとすぐに太りそうだ。この男がデブになった理由が分かる気がする。

 

 そして、わたしの料理はこの男が選んでくれた。それは、アヒアコと呼ばれるキューバ風のシチューだ。別名で余った食材のごった煮と言うらしく、豚肉と季節の野菜を煮込んでスパイスで味を調えた料理である。

 

 これが具材と一緒に深皿に注がれて、わたしの前に置かれる。これをスプーンで掬って食べるそうだ。この店は日本のスープカレーに似た味わいであり、小腹をすかせたわたしにとっては十分な量だった。そして、本当に美味しいのだ。

 

 ついでに、店員がアロス・コン・レチェと紹介してくれた料理を、食後のデザートとして頂く。米を牛乳で煮た甘いお粥で、シナモンが振りかかっている料理だ。

 

 一般的に南国の料理は、食材の痛みを誤魔化すために味付けを濃くしている。だから、そのデザートの甘さは<間宮>や<伊良湖>特製の羊羹よりも甘く、わたしの脳髄が痺れてしまうくらいに甘かった。

 

 キューバ料理は初めて食べたが、ほかにも種類があると言う。機会があれば、空いている時間帯を狙って食べてみたい。

 

 わたしの言葉をこの男が通訳してくれると、店員たちは笑みを浮かべる。

 

「美味しかった。また、食べに来たい」という言葉は料理人への最高の賛辞なのだ。

 

 わたしたちは食事を終えると、司令部が置かれているホテルへ歩いていく。その時に湧いた疑問を聞いてみたのだ。

 

 この食堂は料金が前払い制であり、わたしは軍票で支払おうとした。だが、店員たちはそれを見た途端に表情を曇らせる。

 

 代わりにこの男が支払ってくれたが、腑に落ちない。貨幣価値は同じなのに。

 

 その理由は、軍票では高額にならないと換金出来ず手間が掛かるからだそうだ。すぐに使えない紙幣を渡されたら困るのは当然だろう。そんな事をわたしが呟くのはおかしいのだが。

 

 ちなみに、彼の通訳が必要な理由は、この島がスペイン語の言語圏だからだ。

 

 わたしは、英軍将兵と打ち合わせできるくらいにイギリス英語は話せる。仏語と独語は学校で習ったので、日常会話程度なら何とかできる筈だ。しかし、スペイン語は作戦開始前に一夜漬け程度の勉強をしただけなので、日常会話さえ怪しい。

 

 わたしは、この時間を活用して舞踏会の役回りについて聞くことにした。

 

 <武蔵>の艦長室では、この男と一緒に参加しないと息巻いている。とはいえ、任務の性質上不可能だ。この男も、そんな事を忘れたかのように、わたしに()()していく。

 

「今回の調略対象はキューバ島南部の地元事業者たちと、ハバナから逃げてきた政治家たちだ。戦争に巻き込まれてから溜まりに溜まった不満を、舞踏会場でガス抜きさせる。そして、奴らを懐柔させつつ、こちらの要求を飲ませる。それが目的だ。手段と目的を取り違えないで欲しい」

 

「わたしは相手とダンスしたり、愛想よくお話すればいいのでしょ。相手が何か提案してきたら平田大尉に紹介するわ。取り違えていないから大丈夫よ」

 

「まあ、それだけは忘れんでくれ」

 

「政治家との人脈はキューバ島の統治に欠かせないけれど、そこに参加する地元事業者とは何者なの」

 

「戦前に合衆国へ砂糖や柑橘類、ラム酒、キューバ葉巻、ニッケル鉱石を輸出していた経営者たちだ。彼らは、産出物が売れなくて困っているそうだ。

 

「お金持ちが貧乏人になっちゃったのね。同情するわ。地元の実業家たちに」

 

「連中に同情するのは止めて欲しいな。奴ら、国家国民の一員としての認識が薄すぎるから、目の前に大金を積まれたら敵味方関係なく商品を売り捌く。我が軍の配備情報を、少年誌の付録のような感覚で出荷しかねないぞ」

 

「それを防ぐために、我が軍や枢軸軍で買い取れないのかしら」

 

「ここの司令部で必要な量は買い取っているが、連中が求める量はそれより遥かに多い。特に開戦前までに一大消費地である合衆国東部へ送っていた農産物は、余るくらい採れたから連中の要求には応えきれない」

 

「でも、平田大尉なら別の方法を考えていたのでは」

 

「日本行きの輸送船は空船なので農産物を積むことも考えた。しかし、砂糖きびは沖縄産とフィリピン産だけで十分だし、柑橘類は長期間の航海中に痛んでしまう。葉巻は元から大した量ではない」

 

「我が海軍も輸送船に民生品を積んで、合衆国東海岸へ送るようなお人好しではありませんから、仕方ないわね。だとしても、彼らは地元の政治家に任せておけないの?」

 

「政治家連中は我々とドイツを天秤に掛けている。だから、戦争の勝敗が明確にならないと動かない。嫌々ながらでも肩入れした陣営が負けた時、非国民として糾弾されたくないからな。下手すれば国外へ亡命しなければならないかも」

 

 これも戦争の一面なのかと改めて考えさせられる。兵学校では戦って勝利することしか教えていない。それに対して、この男はそれ以外の面倒事に関わっている。

 

 この島では、わたしの知らない戦争が行われていた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしたちが進む道路では、子供の手を引く母親や、荷物を満載したリヤカーを引く馬と騎手、学校帰りの生徒たちが行き来している。

 

 戦争の渦中に巻き込まれているキューバ島だが、この街は空襲の危険に晒されつつも平穏な日常を取り戻していた。それだけではなく、誰もが浮足立った足取りで歩いている様子である。

 

 この男の説明によると、軍司令部がグアンタナモ市に施行している、遊興産業営業停止命令を一部解除する初日という。この市内とその周辺地域で生活する現地住人にとって、この日は待ちに待った日なのだ。

 

 制限解除時間は午後五時。

 

 その時間を過ぎると酒場は堂々と営業を始め、幾つかの道路は封鎖されて現地住人が集う広場に様変わりする。そこでは、数組の楽団がキューバ音楽を奏で、その曲に合わせて踊る空間となるだろう。

 

 南国特有の陽気な性格だが日本人と比較して忍耐力が弱い現地住人が、この日までに辛抱してくれたのは奇跡だという。実際には枢軸軍憲兵隊の眼に付かないところで、密かに楽しんでいただろうが。

 

 灯火管制と夜間の外出禁止令は継続されている。だから、陽が沈めば外は暗闇に包まれるし、司令部の許可書が無いのに夜に外出すると拘束されてしまう。

 

 だが、厚地のカーテンを捲って室内に入れば、明るい照明の下で老若男女がキューバ音楽に耳を傾けながら談笑して食事をする。そのような光景が、市内の至る所で見受けられるだろう。

 

 軍司令部がこれらの産業の営業停止命令を下したのは、連合軍の破壊工作活動による現地住人の保護と、その工作員を炙り出すことである。

 

 それ以外の目的もあった。空襲警報が発令された時、千鳥足で避難されたら通行の妨げになる。酒臭い息を吐きながら防空壕に入ったら、他の避難民まで酔ってしまう。

 

 それだけではなく、吞兵衛がたむろする大衆酒場で、反乱の決起集会をされたら大迷惑だ。反乱分子を逮捕しなければならないが、客や店員との区別できないので全員を拘束しなければならないからだという。

 

 しかし、現在は連合軍と対峙する戦線が約六〇〇キロも離れた地点で固定化し、不完全ながらグアンタナモ市の安全が確保している。だから、この解除が実現できたのだ。

 

 天皇陛下の誕生日に近いこの日に解除するのは、意図的にしたという。こうすれば、現地住人が天皇陛下の誕生日である天元節を覚えるだろうという計算だそうだ。

 

 ここまで、この男の話を聞いていたが軍司令部の裏事情を、すらすらと説明するのが奇妙に思えてくる。外務省の役人なのに、情報を知り過ぎているそうな気がしたからだ。

 

 それについて、この男は素直に答えた。

 

「僕らの『対中南米工作班』は、春崎司令長官直属の『軍政監部』の一員として活動している。だから、軍事機密以外は僕も触れることができるのさ」

 

「外務省だけ?」

 

「外務省からは僕以外にも何名か来ている。外務省以外には、鉄道省、逓信省、商工省、農林省、厚生省、他からも出向者が来ているぜ。ここに居ないのは内務省だけ。後方治安は陸軍憲兵隊が担当しているし、土木工事は工兵隊が担当している。存在自体が邪魔だから呼んでいない」

 

「その軍政監部の役割と目的は?」

 

「この島だけではなく、カリブ地方にある島々の統治と戦災復興のためさ」

 

「あら、治安維持と風紀の乱れを指導する担当かと思っていたわ」

 

「おいおい、それは陸軍憲兵隊の所轄だよ。僕らの仕事は、大きく分けて三つある。一つ目が、各部署から届いた情報や自分の足で歩いて掴んだ情報を元にして、計画を策定する。二つ目は、現地住人の扱いについて枢軸軍の将兵たちへの教育を行う。最後に、この島とカリブ地方を豊かにしていく。そんなところかな」

 

 この男が仕事をしていることに感心した。仕事をさぼっていないからという意味では無い。昨日の言動と態度からは想像出来ない、裏方の仕事へ積極的に関わっているからだ。

 

 この男にとって失礼なことだが、それまで外務省の出世街道から外れた甲斐性のない男だと、勝手に思い込んでいたのだ。

 

 事実、この男がこの島に来た経緯は、わたしの想像とは全く異なる。

 

 この男はくじ引きで選ばれたのではなく、自ら志願したそうだ。それだけではなく春崎司令長官の親戚なので、将官級の軍人の扱いにも慣れているといった理由で選ばれたという。

 

 それは軍政監部における立場にも影響を与えた。この部員たちのうち、この男が司令長官からの信頼が厚いので、副部長という肩書もあるのだとか。

 

 その副部長の言葉によると、春崎司令長官が司令部に着任した時に三本の矢を放ったそうだ。

 

 一本目がカリブ海とメキシコ湾における船舶の安全な自由航行の実現、二本目がキューバ島奪還、三本目がキューバ島とカリブ地方の親日地域化だ。

 

 この男は三本目の矢を担当している。つまり、軍事作戦以外によるキューバ島統治計画は、この男が握っているようなものだ。意外と偉い立場だったのである。

 

 道理で太々しいというか……。まあ、これは立場によって形作られたものではなく、元からの性格なのだろう。

 

 そんな男から様々な話を聞かされるが、わたしにとって重要ではない内容も含まれていた。次第に、相槌を打ちながら聞き流してしまうが、ふと聞き捨てならない言葉が耳に残った。

 

 この男の話が一区切りついた時、その言葉が気になっていたので尋ねる。

 

「さっき、この戦争の将来について何か言いませんでしたか?」

 

「ああ、言ったよ。日本は戦争の主導権を失いつつあると」

 

「ドイツ軍に勝てないから?」

 

 以前に艦隊参謀がぼやいたように、未だに我が海軍を含めた枢軸海軍は大欧州連合軍から決定的勝利を奪えていない。海戦で引き分けになるのが関の山、僅差で勝利すれば御の字と言えるような戦況なのだ。

 

 だから、不甲斐ない我が海軍の惨めな戦闘結果を嘆いていると思った。

 

 だが、この男はわたしの予想を大きく裏切る言葉を放つ。

 

「違うよ。合衆国だ。日本は戦争の主導権を合衆国に奪われようとしている。これは事実だ」

 

 そのように言い切る男の眼には、大通りの旗竿に翻る星条旗(スター・スパングルド・バナー)が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二八話

舞踏会会場、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後六時三〇分

 

 

 

 舞踏会の会場はホテル・マチャドの近くにある、大型大衆酒場を接収した士官専用の慰安施設だ。

 

 忘れてはならないが、ホテル・マチャドは枢軸軍にとって機密の保管庫になっている。気易く部外者を立ち入らせる訳にはいかないので、ホテルでは開催出来ないのだ。

 

 開会間近になった頃の会場内には、鬼ごっこして遊ぶような年頃の子供たち以上の年齢がある老若男女が集まり、思い思いに談笑している。既に酒が入っているのか、異様に盛り上がっている集団もいた。

 

 そんな会場内を見渡せば、少々気が滅入る光景が目に映る。

 

 軍服、軍服、軍服。一部が背広。そして、軍服。

 華やかなイブニングドレスで身を装った女性たちが目に眩しい。

 

 天気予報に例えると、本日は一日中曇り、ところにより薄日が差すような天候だ。

 

 何しろ、軍服は戦場で目立たないように地味な色合いをしている。だから、温かみがある白熱灯に照らされたとしても、どんよりとした雰囲気になってしまうのだ。

 

 当然ながら、わたしは雨雲を構成している一員だ。白地の服を着ているとはいえ、軍服を着ている事実は揺るがない。

 

 そんな、雨雲に浮かぶ色鮮やかな風船のように、華麗なドレスで着飾った女性たちが何名かいた。その殆どが、地元の政治家や実業家たちの同伴者だ。永遠の伴侶となる婦人なのか、愛娘なのか、何人目の愛人なのかは分からないが。

 

 舞踏会の開催時間になると、司会者の紹介で春崎海軍大将が演台に立つ。現地人特有の曖昧な時間感覚ではなく、予定時間ぴったりに登壇したのは秒刻みで時間に正確な、軍隊らしい行動だ。

 

 そんな春崎長官は、堂々と日本語で演説を始めた。

 

 枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部の司令長官と、キューバ・カリブ地方の統合軍最高司令長官を兼任している重厚な肩書きに相応しく、胸に幾つもの勲章を吊り下げている。

 

 演台の脇には英語とスペイン語が話せる二人の翻訳者が立ち、長官の演説を各言語で翻訳していく。英語の担当者はわたしが知らない浅黒の男性士官だが、スペイン語の担当者はわたしやミケちゃんが知る人物だ。

 

 その人物の名前は宗谷(むねたに)真白。わたしたちの同期であり、「シロちゃん」と呼んでいる女性士官である。

 

 日本海軍だけではなく、政界にも影響力を持つ名門宗谷家の三女であり、ミケちゃんやわたしと一緒に兵学校の門をくぐった同期たちの一人だ。その家柄を考慮すれば、彼女は最前線であるこの島で任務に就くのは異例なこととだと言える。

 

 日本海軍では有能な海軍士官が払拭しており、その補欠要員を女性士官で補っている結果なのか。家柄に関係なく優秀な人材ならば、女性士官でも積極的に登用する決意の証しなのか。

 

 それを受け取る者にとって評価が左右されるだろう。

 もちろん、わたしは後者だと信じている。

 

 長官は演説を終えると片手にグラスを掴んで高々と上げ、乾杯の掛け声と共に舞踏会の開会を宣言した。

 

 会場の参加者たちも各国の言語で乾杯の声を上げると、司令部に随伴する音楽隊が演奏を始めていく。最初の曲は主催幹事である日本海軍が、行進曲として作曲した「軍艦」だ。二曲目以降も軽快な曲が流れ、次第に会場内は盛り上がっていく。

 

 式典は会食を兼ねた懇願会と舞踏会を交互に行い、二時間後に閉会する。音楽隊が数曲の演奏を終えて休憩に入った頃、わたしたちは外交工作に没頭していた。

 

 その相手とは、キューバ島南部にあるグアンタナモ州を始め、幾つかの州から来た知事たち、同じく実業家たちだ。さらに、ハバナから逃げてきた政治家たちもいる。

 

 各州から来た知事たちの顔ぶれを見れば、各州における枢軸軍への協力具合が把握できるから興味深い。

 

 知事が自ら参加したのは、軍司令部があるグアンタナモ州とニッケル鉱石の再操業を目論んでいるオルギン州だけだ。他の州は知事の代理として、序列二番目か三番目の人物が参加している。

 

 どの州も木っ端役人を送り込んでいないのは、素直に枢軸軍へ期待しているからだろう。キューバ島を奪回できる唯一の戦力として。

 

 驚いたことに、先日わたしが砲撃したトリダニーを擁するサンクティ・スピリトゥス州からも、副知事が駆け付けてくれたのだ。

 

 そんな彼らから放たれる言葉は玉石混交の如く、わたしたちにぶつけられる。枢軸軍への労いならありがたい。しかしながら、殆どが枢軸軍への要望や意見だ。

 

 辛辣な意見もあり、中には罵倒寸前の批判さえ放つ者さえいた。そのうち、一人が英語を話せるので、わたしが率先して話を聞いてみる。

 

 その内容とは泥と硝煙で薄汚れた日本陸軍兵のうち一人の兵士が、一〇代後半になった自分の愛娘と、仲良くおしゃべりしていたからだとか。その兵士はあどけなさが残っていたという。

 

 当然ながら、地方自治には一切関係が無い。大変に微笑ましい話である。そして、この男がわたしと戦う一人目となった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしとしては、枢軸軍の一員として頭を下げることは出来ない。

 

 戦闘に命を賭けている兵士が、つるっぱげ親父に幼女愛好家(ロリコン)だと批判されるなんて、とんでもない話だ。

 

 もし、それが事実だったとしても、一度でも謝れば日本軍が非を認めたことになる。そうすると、慰謝料の請求とやらで無理難題な要求を突きつけられてしまう。だから、日本以外での地域では、むやみに謝ってはいけないのだ。

 

 だから、批判の矛先を変えるため、とある提案を持ち出してみた。

 

「そんな時に備えて、日本の女性は東洋の秘術である護身術を学んでいます。もし、娘さんを日本海軍の女性士官に預けていただければ、一年後に相手を木の葉のように投げ飛ばせられますよ」

 

「ホントかい?」

 

 彼への説明に足りていないが、当然ながら個人差はある。

 

 就学中の女子が鍛えられた兵士を投げ飛ばせるのは、幼女が敵戦車を撃破するくらい有り得ないことだ。だが、今さら補足すれば小莫迦にされるだけなので、新たな話題で取り繕っていく。

 

 この時に忘れてはいけないことだが、嘘を言ってはいけないことだ。軍人教育では間違いを隠さずに報告し、隠したり嘘をついたりしてはいけないと徹底的に教育している。

 

 だから、わたしも()()()()()に話を続けていく。

 

 但し、事実は幾らでも大きく誇張していいそうだ。精強なる軍隊の実態を糊塗するためには、何事も大袈裟に話さなければならないと学んだからだ。

 

 それを誰かがことわざにした。「法螺と喇叭は大きく吹け」と。

 

 だから、わたしは()()()()()()()()をしていく。

 

「はい。本当のことです。日本の女性は護身術も学んでいますし、男性も震えるくらいに戦闘的な武術も会得しています」

 

「ほほう、どんな戦闘が得意なのだ? まさか、ベットでの寝技じゃあるまいね?」

 

「いえいえ、それは忍術です。忍者という特殊任務部隊が生み出した武術ですが、ご存知でしょうか?」

 

「聞いたことはある。詳しくは知らん」

 

「忍者とは中世の時代に、敵の軍隊の動向を偵察したり軍の司令官を暗殺したりする、軍の特殊任務部隊です」

 

「ほうほう」

 

「実は、忍者には女性も加わっており『くノ一』と呼ばれています。彼女たちは人里離れた山奥で生活し、いつでも任務へ遂行できるように日夜訓練を続けてきました。それは、子孫にも受け継がれ、いまでも活躍しているそうです。得意技は暗殺。標的がぐっすりと寝ている時に忍び寄り、首をスパっと切るのです。まあ、寝技の変形版ですね」

 

「そんな話は初めて聞いたよ」

 

「わたしで良ければ今夜再現しましょうか? 短刀も研いできたので準備万端ですわ。添い寝と睡魔を呼び寄せる魔女の子守歌はオプションですけれど」

 

 わたしは短刀を引き抜いて、彼の喉元をスパッと切るようなジェスチャーをした。

 

 その短刀は私物のショルダーバッグと一緒に、手荷物預かり所に預けている。腰にぶら下げていないので、すべてジェスチャーだけで表現しなけれだならない。

 

 それだけではなく、彼からの返事に期待するかのように、胸を弾ませるような仕草で誘いを待つ。ご希望とあらば決行するつもりだった。

 

 だが、彼は目を白黒させながら、わたしを気落ちさせるような言葉で返してきた。

 

「……いや、その必要はない」

 

「あら、残念ですわ。お試しできる絶好の機会ですのに」

 

「まだ、天国から呼び出されていないのに、自らノコノコと出向く訳にはいかないのさ」

 

「分かりました。余談ですが、男性士官は女性忍者に寝首をかかれないように、寝る時もネクタイを締めたり詰襟の軍服を着たりしています。初めて聞いたでしょ?」

 

「本当かよ!」

 

 くノ一の説明は事実に基づくことだから、嘘はついていない。

 幾らか誇張しているが。

 

 ネクタイの話は……。

 まあ、いいか。噓も方便ということわざもあるし。

 

 オプション云々は……。

 ノリと勢いで話してしまい、恥ずかしくて身悶えしそうだ。

 ()(この)んでヤッタことは、一度も無いのに!

 

 わたしとしても少々過激な話題を連発したが、初対面でこのくらいの冗談を言わないと相手の記憶に残らない。特に、舞踏会では多数の参加者たちが集うので、他者によってわたしの印象がどんどん薄れてしまう。

 

 だから、今は深く考えずに適当に話して、相手の興味を惹きつける段階だった。

 

 どのみち、他者との会話による記憶は会話全体の二割程度しかできない。そして、濃く記憶されるのは会話の後半とオチだからだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 しかしながら、わたしより話上手な人物は幾らでもいる。わたしの隣にいる例の外務省弁務官は、初対面の実業家と自動車論議で盛り上がっているのだ。

 

 この実業家は自動車の輸入販売業を営んでおり、趣味が実益と兼ねたような自動車コレクターだという。だから、このメーカーの車はこの点が素晴らしいとか、この島に自動車を搬入する方法が面倒だとかいう内容を熱く語っている。

 

 対して、例の男は相槌を打ちながら合衆国における大衆向け自動車の販売数と、新生児出生率の関連性を語っていく。それは、学会で論文を説明するように流暢な話し方だった。

 

 この男による考察は次のとおりだ。

 1)一九一〇年代の後半から、運転席と後部座席が鋼板で囲われ屋根が被せられている、クローズドボディーの自動車が販売される。

 2)スタイリッシュな外観と素敵なカラーデザインされた自動車は、二〇代前半の男たちの心を掴んだ。

 3)男はその車で女の子たちを誘い、ドライブに出かけてデートを楽しもうとする。欲望の発散も兼ねてだ。

 4)若い男は金が無い。車は分割払いで買ったがモーテルで泊まるお金さえ用意出来ない。

 5)そんな男が名案を思いつく。それは彼が買った車でアレをするのだ。欲望を果たすだけならば、風雨を凌げる密閉された車内は最適な空間だった。

 6)こうして、狭い車内にいる二人は力尽きるまで愛情行為を繰り返していく。

 7)そして、可愛い赤ちゃんが生まれる。こうして、一九一八年から一九二九年にかけて合衆国の出生率が急上昇していった。

 

 この男は男女間にそびえる垣根を、自動車が踏みつぶしていったのだと結論づけて話を終える。

 

 それを、わたしは黙って聞いていた。そして、素直に拍手したくなる気分になる。それは、強引だが妙に納得できるような関連性でもあったからだ。

 

 それだけではなく、この弁務官は確実に実業家の懐に飛び込んで、その心を鷲掴みしたのだ。だから、この男は勢いに乗って本来の目的である、我が国で生産した大衆自動車を売り込もうとしていく。

 

 「日本も素晴らしい性能がある小型車を作っているです。日産、トヨタ、いすゞ。聞いたことがあるでしょ」

 

 「いすゞのトラックなら見たことがある。薄汚れているのは仕方ないとしても、あちこちがへこんでいるし、路肩で故障しているのを頻繁に見かける。あんたが勧める小型車は、ここからハバナまで故障せずに走り切れるのか?」

 

 途端に例の男は言葉を詰まらせる。それが分からないのではなく、故障せずに走り切る自信が無いのだろう。 

 

 黙るな! 何か喋れよ!

 

 わたしは心の声で叫ぶが、例の男は話すべき言葉を見つけられないらしい。だから、わたしは会話を途切れさせないために、割り込むことを決意した。

 

 「大丈夫ですよ。わたしが日本にいた時に、小型車に乗って山を越えました。だから、性能は抜群です。その山は富士山(マウント・フジ)っていうのですよ」

 

 小型車で、富士山を峠越え出来たっけ?

 そんなことはどうでもいい。

 

 どのみち、外国人がイメージしている日本は、芸者、ハラキリ、フジヤマだ。彼らが知っている言葉で関連性を繋げれば、勝手にイメージを膨らませてくれる。

 

 間違っても、わたしの嘘を信じた愚か者だと言ってはいけない。

 

 しかしながら、この実業家はわたしの嘘に騙されなかった。聞いていなかったというべきか。

 

 彼はわたしの正体を尋ねてきたのだ。

 

 わたしは、簡単に自己紹介を済ますが、<武蔵>の艦名は話さずに軍艦の艦長とだけ伝える。下手に艦名を教えてしまえば、それだけで艦隊の動向がばれてしまうからだ。

 

 それに乗っかるように、例の弁務官が口を挟んできた。

 

「艦砲射撃でドイツ軍の機甲部隊を壊滅させた凄腕の艦長です。これが大和撫子なのです。どうです? 彼女が欲しいでしょ? 狭い車内で彼女と一晩過ごすのは、乙なものですよ」

 

 途端に実業家は鼻息を荒くして、ゴクリと喉を鳴らす。

 そして、わたしは背筋を震わす。

 

 冗談じゃない。あなたの都合で、わたしを巻き込まないで!

 

 そんな悲鳴が口許から漏れそうになるが、その前に弁務官は信じられない言葉を放った。

 

「でもね、彼女は渡せません。僕と『ケッコンカッコカリ』した仲なので」

 

 そんな言葉をどっから持ってきたんですか!

 というより、そんな事実はありません!

 

 しかしながら、そんなことを部外者の前で言う訳にもいかず、わたしは引きつった笑顔で誤魔化す。この実業家が冗談だと受け取ってくれたのかは微妙だが。

 

 まったく……。

 わたし、外務省にチクリますよ。

 この男の話は嘘ばかりなので、相手(わたし)との信頼関係を壊しています。即刻、東京に連れ戻してくださいって!

 

 その時、休憩から戻ってきた音楽隊がテンポの良い曲を演奏していく。舞踏会の時間になったのだ。

 

 最初にわたしを誘ったのは、オルギン州の知事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

さて、大サトー学会運営本部より、第八回の学会テーマを「レッドサンブラッククロス」にするとの告知が発表されました。

恐らく、決戦海域における両軍喪失艦艇の考察や、開戦時における合衆国海軍の在籍艦艇の研究結果が発表されるかと思われます。

しかしながら、学会の開催時期だと本小説の変更が効かない段階に入りますので、作者の独自考察で進めます。

あしからずご了承ください。






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第二九話

舞踏会会場、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後七時一〇分

 

 

 

 オルギン州知事は年配だが、かっこいい男だ。銀髪と口ひげだけでなく、彼の人生そのものが渋い顔を形作っている。例の外務省弁務官とは大違いだ。

 

 わたしたちはお互いに自己紹介すると、会場の中央に広がる舞踏場へ歩いていく。

 

 舞踏会とはいっても、ここは欧州の格式高い会場ではなく南国の広い居酒屋だ。だから、誰もが適当に踊っていた。

 

 酒で出来上がった日本陸軍の中佐が、両手に日の丸を描いたうちわを握って盆踊りしている。その隣で貴婦人が、美形な合衆国海軍の男性士官を捕まえて本格的なワルツを踊っていた。

 

 それを、アフリカ産ギネスビールを小瓶から直接飲んでいる、英連邦空軍の士官たちが談笑しながら眺めている。

 

 控え目にいってもカオスと呼べるような状況だ。

 

 さすがに、数人が軽快に足並みを揃えて踊るのが特徴的な、アイリッシュダンスを披露する猛者たちはいなかった。このダンスが誕生した経緯を知れば、こんな所で踊る勇気なんて湧かない。

 

 さて、わたしは上流階級の出身ではないので、ダンスは女学校の授業で学んだだけだ。その後は英海軍との公式晩さん会で踊った程度の経験しかない。

 

 だから、未だに相手の動きに合わせて踊るのが精一杯である。姿勢をまっすぐに、右手を水平に伸ばし、左手を知事の左肩に沿える。首を傾けて態勢を整えば、その後は成行き任せだ。

 

 だが、相手はわたしより遥かに上手であり、わたしを誘導するのように踊っていく。いや、わたしは操り人形のように踊らされていたのだ。

 

「本当にお上手ですね。どこで覚えられたのですか?」

 

「ニューヨークだ。儂のカミさんはキューバの富裕層の娘でな、その関係でニューヨークにあるキューバ出身者たちの会合に顔を出している。そこで、練習も兼ねて何度か踊るうちに人並みに踊れるようになったのさ」

 

「キューバ人はルンバしか踊らないと聞いておりましたが」

 

「それは偏見だ。キューバ人は合衆国の経済界だけではなく、欧州の経済界にも人脈があるのだ。だから、そいつらから莫迦にされないようにダンスにも手を抜けないのさ」

 

「ここまでお上手なら、合衆国の社交界にも顔が広いのでしょうね」

 

「残念ながら、それも人並みだ。何しろ、合衆国は建国してから二〇〇年も経っていない、移民と成金たちの寄せ集め国家だ。奴らは自慢できる伝統的文化さえ持っていないから、誇れるのは資金力だけなのさ。そんな国では、儂らはアマガエルと同じような価値しかない」

 

 アマガエルか……。うん、気持ち悪いもんね。特に卵が。

 

 そういう事ではなく、合衆国の経済界からは下等生物のように扱われていたことを嘆いているのだろう。でも、やっぱり気持ち悪いよね。アマガエルって。

 

 そもそも、彼らのような白人たちは第三次世界大戦の勃発によって、その地位が大きく揺らされた者たちである。

 

 それまで、白人以外の人種にとって、白人はガラスの天井の上に立つ者たちだった。しかし、日本軍が上陸したことでガラスの天井が砕かれ、白人たちは有色人種たちが立つ硬い床まで引きずり降ろされてしまう。

 

 それは、大航海時代から受け継がれてきた白人としての誇り(プライド)まで、砕かれた瞬間でもあった。

 

 そんな白人たちは、各々で自分の人生を選んでいく。

 

 ある白人たちは、決死の覚悟で潜水艦や艦艇が浮遊するメキシコ湾を突破し、白人優越政策を行なう合衆国の南部諸州に亡命する。別の白人たちは、この島で有色人種と共存する決意を固めた。

 

 そして、舞踏会の会場でわたしと踊ったオルギン州知事は、それ以外の方法を模索している者だった。

 

 具体的には、この島で生き抜く覚悟を固めているが白人としての地位を守るために、有色人種や日本軍とは距離を取ろうとする者だ。

 

 孤高の白人たちと言うべきなのだろうか。何だか、かっこいいなと思える。交渉相手としては手ごわい相手でもあるが。

 

 そんな事を考えているうちに、知事は本題を持ち出した。

 

「さて、儂もそんな世界で生きてきたから金の話には敏感なのさ。儂は実業家の一員として、この島を発展に貢献してきた。そして、オルギン州の知事になり、ここに来た。だから、あなたに聞く」

 

「何でしょうか?」

 

「日本政府はニッケル鉱山を、再操業させる気はあるのかい?」

 

 とうとう、本題が来ました! 

 

 思わず、そんな声を上げたくなる。これを説明するのが、わたしの役目の一つだからだ。

 

 彼が話しているニッケル鉱山とは、グアンタナモから北へ九〇キロ離れたニカロという町にある。

 

 一九四三年に操業を始めたそうだが、設備に問題があって十分に稼働していなかったそうだ。それだけではなく、枢軸軍がキューバ島に上陸した時に、連合軍は設備を徹底的に破壊してしまったという。

 

 こうなると、設備一式を再建するところから始めなければならない。地元の事業者や労働者たちは、この鉱山の操業再開を求めている。そして、知事は経済界から政界に入ったので、事業者寄りの政策を取ろうとしていた。

 

 その話題になっているニッケル鉱石は、戦略物資の一つである。この合金は艦艇の装甲や各種火器の銃身に必要不可欠な鋼材だ。だから、知事は枢軸軍が視線を逸らせられない点を突いてきたのだ。

 

 だが、わたしは、この質問に備えて予習を受けている。

 

 それを思い出していくが、益々脳内で混乱していく。

 答えようにも答えられないからだ。

 

 軍政監部の一員であり商工省から出向してきた弁務官は、「適宜に対処してください。適切な時に的確な解答を。相手に隙を与えず、我々の要求を押し付けずに飲ませてください。飲めなければ時間をかけても構いません。これを少しでも守らないと、知名大佐に責任を被ってもらいます。以上」と説明した。

 

 これだけで、どう答えろと? 

 

 ていうより、そんな曖昧な指示で仕事ができるか! わたしが知りたいのは、日本政府としての方針だよ! 

 

 それを聞いていた例の男が、呆れた表情を隠さずに解説してくれた。

 

 それによると、キューバ島のニッケル鉱山再操業は議論中だそうだ。むしろ、関心が薄いらしい。

 

 事実、枢軸陣営はニッケル鉱石を合衆国領フィリピン諸島や、南太平洋に浮かぶニューカレドニア島から調達している。現時点で不足気味とはいえ、安定供給されているという。

 

 だから、東京から見て地球の裏側に位置するこの島に、多額の投資をして採掘すべきかの結論が出ていない。

 

 なお、ニューカレドニア島は仏領だが、この島のニッケル鉱山は荒業で確保した。一九四九年二月に決行された「FS」作戦によって、我が軍が奪取したからだ。

 

 ここまでの経緯は思い出せたが、どう答えればよいのか誰も教えてくれなかった。

 

 仕方ないので、わたしなりに適当に答える。

 

「日本政府としては、鉱石運搬船が駆逐艦の護衛を受けずにカリブ海を航行できるようになるまで、再操業へ支援出来ないそうです」

 

「それは、あなた個人の意見かね?」

 

「いえ、非公式ですが日本政府の方針だそうです」

 

 わたしは話の締めくくりに、こんな言葉で彼の好意を引き出す。

 

「わたしは数日前にキューバに来たばかりです。だから、わたしが知らないキューバを色々と教えていただけませんか?」

 

 この言葉に気を悪くする男はいない。これは、男にとっての優越感を叶えるために最適な言葉なのだ。

 

 博識ある男は、その知識を披露する機会と相手を求めている。そんな男心をくすぐるような言葉で話せば、勝手にわたしを味方と思い込んでべらべらと喋っていく。

 

 こうして、わたしはキューバ人とキューバ島における、光と闇の話を存分に聞くことになった。当然ながら、それは楽しくて面白い話ばかりではない。耳だけではなく心まで痛む話も聞かされた。

 

 そんな話を最後まで聞いたのは、個人的な興味によるものではない。大日本帝国の利益に繋がる話題を探し求めるためにだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 オルギン州知事との会話は色々な意味で参考になった。

 

 ここで得た情報が軍司令部の占領政策に役立つのかは微妙だが。それはともかく、彼に溜まっていた不満をガス抜きさせただけでも、評価に値する成果だと自画自賛したい。

 

 喉が渇いたのでカクテルグラスを傾けると、誰かが話しかけてくる。どこかで聞いた男の声だと思い、顔を向けると見覚えがある顔があった。

 

 それは、グアンタナモ行きのトラックに便乗した時に出会った少佐だった。彼の顔には疲れの色が現れているが、それ以外には何も変わっていない。

 

 そんな少佐は、わたしにとって暇つぶしの良き相手になる。だから、冗談半分で彼に話し掛けていく。

 

「あらっ、お久しぶりです。キューバ戦線への旅行は楽しめましたか?」

 

「十分に楽しんできたよ。キャベツたちの銃撃を受けたり、パンテルⅡから逃げたりしたさ。二度と経験出来ないことばかりだ。いや、したくたいことばかりだな」

 

 少佐たちは宣言通り、前線に行って戦ってきたらしい。試作兵器の実用試験にしては過酷な環境だが、成果はあったようだ。そんな少佐に対して、わたしは話を掘り下げていく。

 

「つまり、少佐は新聞やラジオでは伝えられない戦場の実態を、十分に堪能されたのですね。銃後への土産話になりますわ」

 

「土産話が多すぎて選ぶのに悩みそうだ。勇敢な黒人兵士に出会えたり、わたしの試作兵器でパンテルⅡを撃破したり、色々ある。実は、帰りの船が来るまで一週間ばかり留まるつもりなのさ。グアンタナモでの土産話は増えるかもな」

 

「では、現在の一押し土産話は何ですか?」

 

「そうだな……。戦艦からの砲撃に巻き込まれそうになったことだ」

 

「戦艦ですか?」

 

「そうだ、戦艦だ。その戦艦はトリダニーとシエンフエーゴスの敵飛行場へ、艦砲射撃を行ったそうだ。わたしたちがトリダニーに着く前に砲撃が始まったが、タイミングを間違えれば巻き込まれていただろう」

 

「そうですよ。戦艦が積んでいる主砲弾のうち半数を地上目標へ射撃したら、五個師団分に相当する破壊力を与えるそうです。戦艦の主砲弾の威力を甘く見てはいけません。だから、戦艦に砲撃されそうになったら一目散に逃げてください」

 

「ほう、良く知っているな」

 

「まあ、こう見えても海軍の一員ですので」

 

「なるほど。ところで、お嬢さんの名前を教えてもらえないか? それとも『ポートサイドのヴァルキューレ』と呼ぶべきかね?」

 

「ひぎっ!?」

 

 ここで、あの忌まわしき別名が出て来るとは予想しておらず、カエルが轢かれた時のような声を漏らしてしまった。

 

 動揺してしまい慌ててカクテルを流し込むが、むせて涙を浮かべてしまう。わたし自身が別名の持ち主だと説明しているような状態だ。

 

 ようやく、深呼吸ができるようになると素直に認めた。ついでに、誰かさんがわたしに名付けた、不愉快きまわりない別名ですと付け加えたが。

 

「噂で聞いていた英雄が、お嬢さんだとは思わなかった」

 

「その別名も、お嬢さんも、止めて欲しいです。せめて、お姉さんでお願いします」

 

 年齢的にはオバさんだが、絶対にその言葉だけは言わせないぞ! 

 

 そんな気迫を感じたのか、少佐は理解を示してくれる。

 

「それで、お姉さんの名前は?」

 

「モエカ・チナです」

 

「モエカ・チナか。いい名前だ。しっかりと覚えたよ」

 

 少佐は微笑みながら、わたしの名前を噛み締めるように小声で繰り返していく。そして、「ああ、そういう理由か」を小声で呟くと、納得したかのように一人で頷いた。

 

「あの、わたしの名前が面白いのでしょうか? 確かに、日本人でも珍しい苗字ですが」

 

「いや、気を悪くしないでくれ。わたしがシアトルを出発する前に聞いた、妙な話を思い出したのでな」

 

「はあ、そうですか」

 

 少佐が聞いたという妙な話が気になったが、それより<武蔵>の艦砲射撃による戦果を聞きたくて、色々と尋ねてみる。

 

 それは、<武蔵>艦長であるわたしさえ、鳥肌が立つ惨状を引き起こしていた。

 

 パンテルⅡという重たい戦車が至近弾の爆風でひっくり返ったとか、対空戦車が破裂したかのように四散したとか、様々な被害を与えていたのだ。

 

 忘れてならないが、多くのドイツ軍将兵たちも大地に還っていた。わたしは彼らの名前さえ知らないが、勇敢な戦士たちであったと確信している。

 

 それを大地に還らせたのは、わたしの殺意だ。これは、見知らぬ誰かに問い詰められても絶対に否定しない。

 

 その後は和やかに雑談していくが、少佐は何気なく腕時計を見て退室時間が来たのを告げる。

 

「時間なので、わたしは失礼する。今日は、知名大佐に会えて本当に嬉しかった」

 

「わたしも、マックス技術少佐とお話出来て楽しかったです。少佐の試作兵器が実戦投入されることを期待していますわ」

 

「ありがとう。今日は特別にわたしからプレゼントをあげよう。大佐なら意味が分かる筈だ」

 

「はい……」

 

 少佐はポケットから二つ折りにされたメモ用紙を取り出した。わたしがそれを受け取ったことを見届けると、彼はわたしに背を向けて出口に向かっていく。

 

 そして、振り向きざまに別れの挨拶をした。

 

「ごきげんよう、ヴァルキューレ」

 

 わたしは真意を掴めないまま、彼が会場から出ていくのを見届けた。

 

 そして、平田大尉の執務室の前ですれ違った情報機関員らしき男が、少佐を追いかけていく様子に困惑してしまったのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 いつの間にか、舞踏会が終わる時間が近づいてきた。

 

 最後に誰と踊ろうかと考えていた時、誰かがわたしに声を掛けてきた。男の声だったので愛想よく返事したが、顔を見た途端に思いっきり後悔した。例の男だったからだ。

 

「せっかくの機会だから、僕と踊らないか?」

 

「じゃあ、一回だけですよ」

 

 わざわざ一回だけと強調しなくても、これが最後に踊る機会となる。だが、釘を指すように言わないと、わたしの絶対領域にズケズケと踏み込んできそうだからだ。既に手遅れのような気もするが。

 

 差し伸べた男の手を握って会場の中央に歩いていくが、踊ろうとするのはわたしたち以外に数組しかいない。

 

 会場に居る参加者たちの殆どが、壁際に置かれた椅子に座ってお喋りに夢中になっていた。この時間まで立ち続けるのは、さすがに疲れてしまうからだろう。

 

 皆の視線が集まるので少々恥ずかしい。だが、曲に合わせて踊り始めれば、そんなことも忘れてしまう。

 

 なぜなら、この男のリードが上手いのだ。オルギン州知事より上手いかもしれない。そんな男から、わたしは質問を受ける。

 

「キューバの要人たちと話した感想は?」

 

「そうですね……。同床異夢かな。爽快に目覚めた後に見る悪夢、辛くて悲して儚い現実だわ」

 

「面白い表現だ。どうやら、あなたも真実の一端を掴んだようだね」

 

「皆が好き勝手に言っている。モデルニスモ文学の影響を受けている者。経済的な事情で合衆国との関係を強固にしたい者。明日の生活のことしか考えていない者。さまざまな思想がぶつかりあっている。だけど、彼らに共通しているのは『この島は僕たちの島だ』と言っていることだわ」

 

「では、日本がこの島を統治するために必要なことを答えて欲しい」

 

「答えなければ?」

 

「あなたの手を離さない」

 

 それは困る。本気だったら本当に困る。

 

 だけど、冗談っぽい言い方なので、わたしも冗談で答えることにした。

 

「実は、わたしは一緒に踊るべき相手がいます」

 

「僕じゃないの?」

 

「違います。その人はガリラヤ湖の水面を、歩いたりダンスしたりできる男の人です」

 

「へえぇ、稀代の扇動者を選ぶなんて、独特なセンスを持っているようだね。手を繋いでゴルゴダの丘を登りたいという女性を初めて見たよ。それとも、一緒に十字架を背負いたいのかい」

 

「いいえ、彼と付き合えば、彼の父親を紹介してくれるかなって思ったので。彼の父親に大事な事を話したいのです」

 

「どんな話かい?」

 

「なんで、わたしのお母さんを連れて行ったんだ! 今すぐに還せ! そんな言葉をぶつけるためです。わたしの母は、わたしが四歳の時に亡くなっているので」

 

「あなたは悲しい経験をしてきたのか……。同情するよ。一点忠告してあげよう。男を説得する時には、身体を使って衝撃を与えることが必要だ。言葉による説得だけなら聞き流される」

 

「ご忠告ありがとうございます。心の手帳にしっかりと書き記しますわ」

 

 わたしの返事に満足したのか、弁務官であり軍政監部副部長でもある男は微笑む。そのお礼をするかのように、興味を引く話を切り出した。

 

「じゃあ、僕からも面白い情報を教えてあげよう。先程届いたホットな情報だ」

 

「どんな情報ですか?」

 

「考えてみな。ヒントをあげよう。世界中に暮らす人類にとって、一度でも名前を聞いたことがある男だ」

 

 アルコールで頭脳が侵されて思考能力が低下しているが、それでも真剣に考える。だが、世界的な超有名人というキーワードが漠然し過ぎているので、選びきれない。

 

 映画界なら喜劇王チャールズ・チャップリンかな?

 スポーツ選手なら誰だろう?

 いろんな競技があるから分からない。

 馬術ならバロン西で一択なんだけど。

 

 あれこれ考えたが答えが分からず、遂に降参のポーズを取った。

 

 勝ち誇った表情になる男を見ると屈辱感が湧いてくるが、同時に答えを知りたい好奇心も混じる。そんな複雑な心境のまま正解を求める。

 

 すると、男はわたしの耳元に顔を近づけて、声を潜めながら驚くべき事実を打ち明けたのだ。

 

「君も僕も大嫌いな男だよ。いや、地球上にいる人類の半数が嫌っている男だ。大ドイツ帝国の総統アドルフ・ヒトラーが、新大陸にやって来たのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三〇話

枢軸海軍部隊総司令部、オアフ島、布哇諸島

同日 午後五時五分

 

 

 

 キューバ地方を基準にした各地の時差は、ニューヨークでは同時刻だが太平洋に浮かぶ布哇諸島は五時間遅れになる。

 

 アドルフ・ヒトラーがニューヨークに到着した件は、ニューヨーク現地時間の夕方になると一斉に報道された。それによると、北米戦線で奮戦する将兵たちを慰労したり、占領地の軍需品生産施設を視察したりするために来たのだという。

 

 大方の予想では、一進一退の激戦が続くキューバ島には来ないと考えていた。

 

 そんな危険な地域ではなく、小安状態になっている北米戦線の何処かと、五大湖周辺にある工業地帯を視察するだろう。ついでに、ニューヨークの高層建築物を見学するのだろうと考えていた。

 

 何故なら、建築デザインに独特のセンスがある彼にとって、ニューヨークの高層建築物は大いに関心を示す筈だからだ。そのように判断されていた。

 

 この都市の中心街であるマンハッタン島には、合衆国独立一〇〇周年を記念して建設された自由の女神像が建っている。それ以外に「世界一高いビル」の称号を誇る、エンパイア・ステート・ビルディングを始め、ニューヨークの摩天楼を象徴する高層建築物が建ち並んでいる。

 

 いずれも、ドイツの首都であるグロス・ベルリンには存在しない建築物ばかりだ。

 

 これらの建築物が戦禍を免れた理由は、ニューヨーク市がドイツ軍による攻撃を受ける前に自由都市宣言を行ったからだ。この宣言によってドイツ軍は無血で市内に入り、ニューヨーク市の建築物は無傷で守られたのだ。

 

 しかしながら、市民の心は深く傷ついてしまった。新たな支配者となったドイツになびく親ドイツ派と、合衆国に慣れ親しんだ旧守派が触発寸前で対立をしているからだ。

 

 そんなニューヨークの内部事情は山口GF長官や兄部GF参謀長にとって、興味を示すべき対象ではない。

 

 何故なら、戦争は終わる兆しを見せず、さらに激しくなる一方だからである。戦争に勝利するために全力集中している彼らにとって、一都市の事情に一喜一憂する余裕なんて無いからだ。

 

 むしろ、彼らが興味を示したのは、ヒトラーがニューヨークに訪問した手段だった。

 

 ただでさえアドルフ・ヒトラー氏は国家運営に多忙であり、戦争指導にも日夜精力的に務めている。そんな彼が二週間近くも、北米大陸に滞在するのは異例なことだ。

 

 そのような事情を考慮すると、短時間で大西洋を横断できる手段を用いたのだと考えられた。具体的には、ドイツ空軍の大型爆撃機であるMe264の輸送機型に搭乗したのだと。

 

 しかし、ニューヨークから発信されたラジオ電波は、GF司令部要員たちが困惑してしまう事実を伝えてきたのだ。

 

 司令部の会議室内では各幕僚たちが様々な反応をする。その一人である兄部は冗談を交えた言葉で、中島GF通信兼情報参謀に尋ねた。

 

「なあ、情報参謀。()()が初めて大西洋を渡ってきたことを日本語で説明したら、『処女航海』と『初陣』のどちらが適切だと思うか?」

 

「そうですねえ……。むしろ『輿入れ』が適切かと思われます。就役後はバルト海から外洋に出ておらず『箱入り娘』状態でしたから」

 

「君は面白い奴だな。いつも素直に答えてくれない。いつから、ひねくれ者になったのだ?」

 

「情報参謀になった時からです。相手の情報を素直に受け取ったら、寝首を掻かれますので」

 

「では、情報参謀としての見解を聞きたい。ニューヨークに現れた戦艦は<フォン・ヒンデンブルグ>で間違いないか」

 

「間違いありません。報道ではドイツ海軍の新鋭戦艦としか紹介していませんが、他の戦艦の動向から推測すると、<フォン・モルトケ>級でも<フリードリヒ・デァ・グロッセ>級でもありません。正真正銘で世界最強でもある戦艦<フォン・ヒンデンブルグ>です」

 

 その戦艦は、ドイツ海軍の拡充計画であるZ計画によって誕生した戦艦だ。

 

 英国の情報機関が掴んだ情報によれば、全長三五〇メートル、基準排水量一四万八〇〇〇トンに達するという。そして、四基八門ある四九口径五三センチ連装砲塔、両舷合計一八基の一五センチ連装砲、三〇基に達する一〇・五センチ高角砲という兵装を装備している。

 

 そのような武装を搭載して最大速力二八ノットで海上を疾走できる戦艦は、正真正銘の怪物と言える存在だ。そんな戦艦に対抗可能な戦艦は世界を見渡しても存在しない。唯一対抗出来そうな戦艦は、九州にある大神工廠で艤装中だからだ。

 

 そんな戦艦に乗ってヒトラーが北米大陸にやって来たのは、GF司令部要員たちにとって迷惑千万でしかない。攻撃目標が増えてしまったからである。

 

 既に大西洋では、第一機動艦隊が暴風雨のように暴れ回っていた。

 

 この艦隊は、今朝から北米大陸の北側にあるハリファックスへ、日没までに第三次攻撃隊まで送り出している。その海鷲たちは、欧州から到着したばかりの輸送船を多数撃沈したり、港湾周辺の揚重機や倉庫を破壊したのだ。

 

 さすがに、第一次世界大戦中の一九一七年に起きた、貨物船同士の衝突事故による大爆発事件のような被害は与えられなかった。

 

 この原因は一隻の貨物船に積まれていた多量の火薬が爆発したからだ。その爆発力はTNT火薬に換算して2.9キロトンに等しく、優美な市街地を阿鼻叫喚の地獄に様変わりさせている。

 

 それに比べると、第一機動艦隊が与えた被害は遥かに少ない。

 

 だが、連合軍へ戦争継続能力に痛手を与えたのは間違いなかった。だから、第一機動艦隊は明日以降も連合軍の急所に攻撃を加えつつ、ドイツ海軍航空戦隊を誘き出す作戦を続ける予定だったのだ。

 

 そんな時にヒトラーが北米大陸へ訪れた。

 

 <ヒンデンブルグ>を総統専用艦として。

 

 日夜暗殺を恐れているヒトラーにとって、安全に移動できる乗り物として戦艦は最適だった。艦内では海軍の将兵が警備しているので暗殺の恐れは無いし、潜水艦の雷撃や敵機の襲撃を受けても簡単には沈まないからだ。

 

 そんなヒトラーが北米大陸に上陸する様子は、映画の脚本のようにすべてが段取りされていた。それは、ドイツ宣伝省が総力を尽くして準備した脚本でもある。

 

 彼はニューヨーク沖合に到達すると通船に乗り移る。<ヒンデンブルグ>の喫水が深いため、マンハッタン島にある客船専用桟橋に接岸出来ないからだ。

 

 彼は通船に乗り移ると船内に入らず、暗殺を恐れないかのように堂々と船首に立った。そして、ハドソン川の両岸にいる市民たちに手を振りながら、川を遡上していく。

 

 川の両岸では大小の鍵十字(ハーケンクロイツ)の旗が振られ、新たな統治者であるヒトラーを迎えていた。そのような歓声で満たされた空間を通船は進む。

 

 そして、彼は桟橋に到着すると大勢の市民の歓迎を受けつつ、念願の上陸を果たしたのだ。

 

 この情景を撮れば、大ドイツ帝国の国威発揮になる映像になる。これだけでも十分だが、宣伝合戦に手抜きをしないドイツ宣伝省は他の情景も用意している。

 

 それは、戦艦<ヒンデンブルグ>の威容だ。

 

 日本の天守閣のような優美さがある<武蔵>と異なり、<ヒンデンブルグ>は質実剛健なドイツの城郭を彷彿させる。そんな戦艦が、自由の女神像やマンハッタンの摩天楼を背景にして停泊しているのだ。

 

 その光景は、世界の覇者がドイツになったことを決定づける映像になるだろう。

 

 GF参謀長の職を拝命している兄部でさえ、そのような映像を見たら敵国海軍の戦艦とはいえ心を躍らせてしまう恐れがあった。それくらい、海軍の将兵に強烈な印象を与える映像に仕上がるのだ。

 

 だからこそ、彼は迷っていた。

 

 彼の隣に座っている山口も迷っている。

 

 今なら、第一機動艦隊の戦力を総動員してニューヨークを強襲し、停泊中の<ヒンデンブルグ>を攻撃できる。停泊中の艦船にとって、潜水艦と航空機による攻撃は脅威だからだ。

 

 当然ながら、ドイツ軍も第一機動艦隊の空襲を許す訳が無い。ニューヨーク近郊に建設された空軍基地から、多数の戦闘機が離陸するだろう。

 

 残念なことに第一機動艦隊の航空戦力では、その迎撃戦闘機を制圧する力が足りない。対空火器も十分に配置している筈だ。だから、その攻撃は失敗し、第一機動艦隊は航空戦力を消耗してしまうのは確実である。

 

 そんな結末は誰も望んでいない。

 

 誰も口にしないが、はっきり言って無謀な攻撃だ。

 

 ここで、第三者視線で状況を俯瞰できる者ならば一つの疑問が浮かぶ。

 

 そこまでして沈めなければならない目標なのか? 

 

 たかが一隻の戦艦ではないのか? 

 

 そんな疑問に、兄部や山口はこう答えるだろう。貴様は海軍を理解していないと。

 

 彼らは面食らった相手に向けて、さらに言葉による矢玉を浴びせるだろう。海軍士官たる者は見敵必戦(けんてきひっせん)の精神を忘れてはいけないのだと。

 

 しかしながら、彼らは勇敢と無謀を履き違えるような無能ではない。特に育成に時間が掛かる航空機搭乗員は、大切に扱わなければならないことを心得ている。

 

 だからといって、<ヒンデンブルグ>への攻撃を諦めるのは早計だ。

 

 ニューヨークへの強襲以外にも方法がある。

 

 それを実行すべきか否か……。

 

 兄部の脳内では<ヒンデンブルグ>撃沈への作戦計画が組み上げられていく。

 

 短時間で組み上げたので概略案になるが、その状態で決裁を受けるために長官へ伺う。

 

「長官、ヒトラーがベルリンに帰る時を狙い、大西洋上で<ヒンデンブルグ>を攻撃するのはいかがでしょうか」

 

「戦力は?」

 

「第一機動艦隊の戦力を充てます。数隻の空母を抽出して大西洋上で待ち伏せし、帰路についた<ヒンデンブルグ>へ空襲を仕掛けます」

 

「よし、いいだろう。『箱入り娘』に教育してやれ。戦争を、国土を失い荒らされている友軍の怒りを、そして、我が海軍の本気をだ」

 

「はっ、ただちに詳細な作戦計画を作成します」

 

 山口の決断は下された。

 

 それから幾つかの連絡事項が伝えられて緊急会議は閉会される。出席者が次々に会議室から退室していくが、一人の士官が兄部に近づく。それは、航空参謀だった。

 

「参謀長、宜しいでしょうか」

 

「なんだ?」

 

「<ヒンデンブルグ>への攻撃案をまとめる件です」

 

「ああ、君に任せようと考えていたところだ」

 

「はい、これより立案に着手します。その件で質問ですが、ヒトラーがベルリンに帰る時に<ヒンデンブルグ>に乗るのは確実なのでしょうか?」

 

「どういう意味だ?」

 

「はい。ヒトラーは『大攻』で帰るのだと思ったからです。<ヒンデンブルグ>は北米艦隊所属になり、北米に留まるのではないでしょうか」

 

 この参謀は統合航空軍の呼称である「戦略爆撃機」を、かつて陸上攻撃機が海軍に所属していた時代に用いていた「長距離大陸上攻撃機」、略して「大攻」と呼んでいる。

 

 いずれにせよ、この参謀はヒトラーがベルリンへ帰る時に、大西洋を横断できる爆撃機か輸送機に乗るのだと予想している。だから、大西洋の真ん中で第一機動艦隊が網を張っても、無駄だと指摘しているのだ。

 

 兄部にとって、この指摘は盲点を突いたものである。

 

 往路と復路で移動手段を変える発想が無かったからだ。

 

 しかしながら、今さら長官から決裁を受けた方針を変更するのは、兄部にとって避けたかった。

 

 ただでさえ武闘派である山口GF長官は、海軍のエリートコースに乗って順当に昇進して来た兄部と反りが合わない。特に、山口は東京都出身であるにもかかわらず、内面で妙な論理規定がある。それを頑なに守ろうとするところがあるのだ。

 

 大佐か少将の頃に都電に乗車した際、座席に座っていた中学生に「おぃ、そこの学生。立て!」と怒鳴りつけて、空いた席に彼が座るというようなことをしている。

 

 この時の中学生の態度が不明とはいえ、大人げないと言うべき行動だった。中学生に社会の厳しさを教育したかったのだという見解もあるが、そのような逸話を持つ性格なのだ。

 

 そんな長官へ、<ヒンデンブルグ>への攻撃計画を取り下げたらどうなるか……。

 

 誤解してはいけないが、海軍内部において彼は部下を丁寧に扱う男である。特に階級差があればあるほど、それが増す傾向だ。

 

 とはいえ、山口は大将であり兄部は中将である。そして、常にGF参謀長としての役割を求められていた。山口の恩情を期待すべきではない。

 

 そのため、長官の機嫌が良い時を狙って別の提案をするのが望ましい。しかし、現時点では決済を受けた計画を下敷きにして、速やかに立案しなければならない段階だ。

 

 兄部がそのように議事を誘導してしまったのが原因だが。

 

 だから、兄部はこの参謀が納得できるように説明した。

 

「どんな事情があっても準備は怠ってはならない。もし、ヒトラーが<ヒンデンブルグ>に乗って帰らなかったとしてもだ。もし、君の予想が外れたなら、それこそ絶好のチャンスを失ったことになる。そんな時、君はどう思うかい?」

 

「失礼しました。ただちに着手します」

 

 そう言うと参謀は兄部に敬礼する。

 

 彼が足早に会議室から出て行くと、中学校の図書館並みに広い部屋には兄部だけが残った。そんな彼は、一息つくと壁に貼られた大西洋の海図を眺めながら思い巡らしていく。

 

 この時、彼にとって<ヒンデンブルグ>への攻撃作戦は、第一機動艦隊が遂行中の作戦より重要度が低い作戦だと認識していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









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第三一話

枢軸海軍部隊総司令部、オアフ島、布哇諸島

同日 午後八時三五分

 

 

 

 航空参謀は三時間少々という僅かな時間で、兄部の概略案を作戦案として書類にまとめた。彼にとってお椀に盛られたご飯に、溶いた生卵を掛けるくらいに簡単な仕事だったからである。

 

 兄部はそれを受け取ると、山口に説明するためにGF司令長官室に向かう。どのように話を切り出すか考えながら。

 

 なぜなら、この作戦案には重大な欠陥があるからだ。その事実を、航空参謀は困惑した表情と言葉で説明した。

 

 内容のお粗末さでは無い。

 大きな間違いがある訳でも無い。

 だが、根本的に何かがおかしい作戦案なのである。

 

 そんな欠陥があるのを承知したうえで、兄部は山口へ渡そうとしていた。だから、彼の心中は穏やかでは無い。

 

 兄部の上官である山口大将は、こんな時間でも執務室にいた。彼は便せんに何かを書き込んでいた。

 

 この執務室は大型艦艇の艦長室と同様に、長官専用の風呂や寝室へ通じる扉がある部屋である。つまり、部屋から一歩も外に出なくても、一日中快適に過ごせる部屋なのだ。

 

 山口や兄部にとっては監獄同然だが。

 

 なぜなら、彼らはこの部屋にいる以上、公私の区別が無い一日を過ごすことになるからだ。

 

 忘れてはならないことだが、山口はGF司令長官を拝命している。彼は戦況に異変があれば、適切に判断して命令しなければならない立場なのだ。たとえ、それが入浴中だろうが睡眠時間中だろうが関係無い。

 

 戦争は世界中で起きている。そして、ドイツ軍を主力とする大欧州連合軍は侮れない強敵だからだ。

 

 そんな山口を補佐するのが、GF参謀長を拝命した兄部である。この二人が任務を果たせなくなれば、枢軸軍の軍事行動に影響してしまう。それぐらい、重要な立場なのだ。

 

 さて、山口はペンを机に置くと書類を受け取り、彼の説明に耳を傾けながら目を通していく。それを読み終えた時、山口は困惑した表情を隠そうとせずに兄部へ尋ねた。

 

「参謀長、計算が間違っていないか? 第一機動艦隊から艦攻を四七〇機飛ばしても、大破させるのが精一杯で撃沈困難。艦攻の半数以上が未帰還。これでは、第一機動艦隊の航空戦力が全滅するぞ」

 

「航空戦力の消耗率は推定なので何ともいえません。ですが、<ヒンデンブルグ>を大破させるために必要な打撃力は、ほぼ正確だと考えています」

 

「そもそも、<ヒンデンブルグ>を大破させるためには、五〇番が三五発以上も必要なのか? この根拠を教えてくれ」

 

「数日前に<武蔵>が、ドイツ空軍と交戦した時の戦闘詳報を元にしました」

 

「その詳報は数値を盛っていないか? いい加減な艦長が責任を免れるために、でたらめな報告していたら根拠が無価値になるぞ」

 

「武蔵屋旅館の女将が報告しているので、信憑性は高いです。そもそも、無能な士官は戦艦の艦長を任せられません」

 

「……そうだな」

 

 <武蔵>艦長にとって、戦闘詳報はチリ紙交換にも出せない紙を作り出す仕事だと思っていた。だが、彼女の知らぬところで大いに活用されていたのだ。カリブ艦隊司令部の某参謀の仕業だが。

 

 この戦闘詳報による<武蔵>の最終被害は、通常爆弾と対艦誘導弾ヘンシェルHs293の合計被弾数が一二発、小型ロケット弾の被弾数が三〇発以上だ。至近弾を含めて回避した爆弾は六八発になる。

 

 これほどの爆弾を受けているにもかかわらず、<武蔵>の被害は中破で済んでいた。

 

 中破とは沈没以外の状態における艦艇の損傷具合を指し、戦闘能力を「ほぼ」失っているが、自力で航行できる状態と定義されている。

 

 <武蔵>の場合、水上砲戦能力は無傷に近い。しかし、至近弾被弾による浸水によって最大戦速は出せなくなっているし、対空戦闘能力は左舷側に限りほぼ壊滅しているからだ。

 

 未だに戦えるが、大規模な空襲を受ければ撃沈されるのは免れない状況である。このような損傷だと中破と判定される。

 

 これより損傷が酷くなる場合には、大破と判定されるのだ。消火や艦内の排水だけで精一杯になり、海上に漂う鋼鉄製の箱のようになった<蒼龍>が、それに該当した。

 

 <武蔵>が大破を免れたのは、煙突や主舵室といった艦艇の重要区画が被弾していないからだ。それだけではなく、航空魚雷による被雷すら受けていなかった。

 

 この対空戦では、<武蔵><蒼龍>および随伴する駆逐艦六隻へ、延べ二二〇機前後の敵攻撃機が襲来していた。この攻撃隊に戦闘機は含まれていない。

 

 基地で補給を受けて何度も飛び立った機体も含まれるから、実際の稼働機数は少なくなる。確実に言えるのは、ドイツ空軍はキューバ島に展開する航空兵力の総力を、<武蔵>や<蒼龍>にぶつけてきたのだ。

 

 そのうち、<武蔵>隊へ攻撃してきたのは一六〇機前後だという。他の敵機は<蒼龍>への攻撃に向かったり、統合航空軍による迎撃が間に合ったりしたからである。

 

 それらの敵機のうち、<武蔵>は四隻の駆逐艦と共同で八一機を撃墜している。来襲した敵機のうち五一パーセントを撃墜しているのは中々の戦果だ。

 

 さて、<武蔵>の戦績を元にして<ヒンデンブルグ>への攻撃を検討していく。最初に手を付けるべきことは、この戦艦を大破させるために何発の爆弾が必要かという計算だ。

 

 <武蔵>は爆弾を一二発も被弾したが中破で済んでいる。この条件を元にして基準排水量の比だけで簡易的に計算すると、<ヒンデンブルグ>を中破させるために二五発以上を命中させなければならない。<武蔵>より二・三倍も大きいからだ。

 

 大破させるには、命中数を増やすか、煙突・艦橋・機関室・操舵機室といった艦艇の重要区画を破壊しなければならない。

 

 では、<ヒンデンブルグ>に爆弾を三五発命中させれば大破させられると仮定して、この攻撃に必要な攻撃機の機数を求めていく。これも<武蔵>隊の戦況報告による来襲した敵機数と、その戦果から計算するのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 簡易的な計算式で求められた結果は、作戦案を策定した航空参謀を絶句させた。彼は何度も計算をやり直したが答えは一緒である。

 

 そして、その計算結果を見た山口や兄部も、目を疑ってしまうくらい衝撃を受けてしまった。

 

 何と四七〇機も必要なのだ。これは、戦闘機や他用途の機体を除いた攻撃機の機体数である。一隻の戦艦を大破させるために多数の攻撃機を投入するのは、戦果の割に合わない。

 

 このような計算結果になったのは、この時のドイツ空軍による爆撃命中率を採用したからである。ロケット弾を除いたドイツ空軍の爆撃命中率が七・五パーセントだったからだ。

 

 あまりにも爆撃命中率が低いように思えるが、日本海軍第一機動艦隊だって僅かに優れている程度である。事実、メキシコ湾海戦では一二パーセントだった。なお、雷撃命中率は一・五パーセント、雷撃任務に就いた艦攻隊は全機未帰還になっている。

 

 かつて、第一機動艦隊の爆撃命中率は九〇パーセント、雷撃命中率が三五パーセントを記録した時期もあった。実戦ではなく演習で達成したとはいえ、好成績を叩き出したのは事実である。

 

 それを達成するために、航空艦隊司令部は各搭乗員を猛訓練で技量向上させ、裂帛の気合を持たせた。そうすれば、対空火器が編み上げた弾幕を突破して敵艦艇に打撃を与えられる。そんな、戦術思想で成り立っていた。

 

 しかし、それが通用したのは僅かな期間だけだった。いや、そんな期間も幻想だったのかもしれない。

 

 なぜなら、被攻撃側の戦闘機による迎撃戦が進化したり、艦艇の対空火器が強化されたりしていったからだ。だから、現在では爆撃位置や雷撃位置まで到達すら出来ない攻撃機が続出している。

 

 なお、開戦前に空母艦載機が対艦攻撃した時の戦果が検証されたことがある。その時は攻撃機の九五パーセントが目標上空に到達する前に撃墜されてしまい、その攻撃に成果が無いだろうと予想されていたのだ。

 

 空母艦載機による攻撃が無力であれば、それに代わって敵艦艇を攻撃する兵器を用意しなければならない。だから、<武蔵>を始めとする戦艦が戦闘海域で活躍している。

 

 一時期は戦艦不要論によって廃艦リストに書かれた艦艇が、空母艦載機に代わる攻撃力として期待されているのは皮肉でもある。

 

 ちなみに、第一機動艦隊の爆撃及び雷撃命中率が最高値まで達したのは、山口が第二航空戦隊の司令官や第一機動艦隊の長官を務めた時期でもあった。母艦航空隊の将兵から「人殺し多聞丸」や「気〇い多聞丸」と、陰口を叩かれた時期と重なる。

 

 山口は、そんな経歴を積んでからGF司令長官に着任している。だからこそ、山口は第一機動艦隊の攻撃力に期待していたのだのだ。言葉にはしないが、兄部より航空戦に詳しいと自負さえしていた。

 

 それに対して、兄部は魚雷や機雷を扱う水雷畑出身である。日本海軍では雷装廃止によって肩身が狭くなる兵科だが、その立場だからこそ第一機動艦隊の実力を冷静に掴んでいるつもりである。山口でさえ第一機動艦隊の実力を過大評価していると捉えていた。

 

 だから、兄部は山口との現状認識と方向性の違いを、荒波立てずに合わせていく必要がある。最終的に、どの方向に流れていくのか彼でさえ分からないが。

 

 しばらく続いた沈黙の時間を打ち切るかのように、山口は言葉を発した。

 

「なあ、兄部君。この作戦案によると、通常の五〇番(対艦攻撃用の五〇〇キロ爆弾)しか使わないようだが、他の爆弾や魚雷は考えていないのか?」

 

「空対艦無線噴進弾は炸薬量が二五番以下なので省いています。航空魚雷も考慮していません。九一式航空魚雷では目標に一キロまで近づかないと命中しませんし、音響追尾式の五式航空魚雷でも四キロまで迫る必要があります。いずれも、両方砲の射程内なので、敵が間抜けでない限り撃墜されてしまうからです」

 

 彼の熱弁に痛い所を突かれたのか、山口は黙って聞いている。だが、不敵に微笑むと隠し持っていた最強のカードを突きつけるのように、第一機動艦隊の切り札を言葉にした。

 

「第一機動艦隊には最新型の魚雷が積んである。これならドイツ海軍の両用砲射程外から発射しても命中する」

 

「どこからの情報ですか?」

 

「城島がここに立ち寄った時に教えてくれた」

 

 山口は手帳を開き、城島第一機動艦隊長官と打ち合わせした時のメモを兄部に見せた。

 

 この時、第一機動艦隊には城島司令長官直率の第一航空戦隊に、試作兵器の実機試験を兼ねて最新型の魚雷が積まれていた。

 

 この魚雷は、後に正式採用されて一〇式航空魚雷と呼ばれるようになる。大きな特徴は魚雷後部にある推進器の、さらに後部にロケット・ブースターが装着されていることだ。

 

 目標への雷撃方法は以前に比べて楽になっている。攻撃機は目標の二〇キロ前まで近づいてから、その方向へ発射するだけだ。

 

 後は、ロケット・ブースターが目標の近くまで魚雷を運んでくれる。燃料が尽きれば魚雷は海中に投下され、その頭部に収められた音響追尾装置が目標を捜索し、追尾して攻撃するのだ。

 

 兄部にとって、そのような魚雷が実戦投入されていたことは初耳だった。艦艇に大穴を開けて海水を流し込む魚雷は、対艦攻撃に最適な兵器である。

 

 それが、両用砲の有効射程である一〇キロ圏内の外側から発射出来れば、非常に魅力ある兵器となるのだ。これなら、対空火器による火網に捕らわれないように、海面すれすれで低空飛行して目標に肉薄しなくてもよいのである。

 

 兄部は、山口の手帳を読むうちに目に留まったことが何点かあるが、そのうちの一点を質問した。

 

「これくらい複雑な機構だと、命中率は低そうですが」

 

「発射さえ出来れば、命中率は五〇パーセント以上になるそうだ」

 

「それだけの命中率があれば、期待出来そうですね」

 

 この後に生起した海戦における使用実績により、命中率は三〇パーセント以下まで下方修正される。たが、この時点では誰もが期待する試作兵器だった。

 

 それでも、兄部は腑に落ちなかった。雷撃命中率がカタログ値どおりなら、四〇〇機の艦上攻撃機で大破させられるだろう。撃沈さえ可能かもしれない。だが……。

 

 彼は、とうとう疑問を言葉にした。

 

「長官、第一機動艦隊の攻撃目標は敵航空戦隊です。それを中止して<ヒンデンブルグ>を攻撃すべきでしょうか? ご判断願います(ネヤス)

 

 思い返せば、<ヒンデンブルグ>への攻撃を進言したのは兄部である。山口ではない。だから、山口が却下すれば作戦案はゴミ箱に放り込まれるだけだ。

 

 思案する山口と、決断を待つ兄部。

 

 二人の男は身動きすら忘れたかのように微動しなくなる。いつの間にか、GF司令長官室で聞こえる音は時計の秒針音だけになった。

 

 何秒経過したのか、二人とも把握していない。三〇秒経ったのか、一分過ぎたのか、二人にとっては大したことではない。

 

 秒針は正確に刻み続け、時間だけが海流のように流れていく。

 

 そして、遂に沈黙を破るように山口は決断した。

 

「第一目標は<ヒンデンブルグ>だ。第二目標を第一航空戦隊にするぞ」

 

「分かりました。出来れば理由をお聞かせいただけますか」

 

「空母より戦艦のほうが、沈め甲斐がある。それだけの理由だ」

 

 山口はあっさりと答えた。

 言葉に詰まる兄部に向けて、彼はさらに言葉を放つ。

 

「参謀長、敵の空母航空戦隊はメキシコ湾に引きこもったままだ。下手したら、戦争が終わるまで出てこないかもしれない。だったら、<ヒンデンブルグ>を攻撃すべきだと考えたのさ。今後の方針に悩むくらいなら突撃すべきだよ。ネルソンもそんなことを言っていたらしい」

 

 この発言を聞いて、兄部は思い出した。目の前のいる上官は、「超突猛進」という四字熟語が人間に化けているような男だと。

 

 山口に対する評価が面白いのは、実戦経験が殆ど無いのに有能な軍人と見なされてることだ。

 

 そもそも、彼の戦歴は第一次世界大戦で英軍の輸送船団護衛任務と、戦利品のUボート回航任務に就いた程度だ。第二次世界大戦でも、第一機動艦隊の長官として合衆国を牽制するために、太平洋から動いていない。

 

 それでも、この男が高評価されてGF司令長官に任命されたのは、文章や写真では伝わらない独特な雰囲気を醸し出しているからだ。それは、自己鍛錬して築き上げた武人としての威圧感だ。

 

 学業の成績も優秀で、兵学校から卒業した一四四人の生徒のうち次席の成績で卒業している。多数の海軍士官と比べて頭一つ抜き出ているような実力を持つ男は中々いない。

 

 だからこそ、彼はGF司令長官に選ばれた。そんな男が下した決断に、兄部は素直に従い電文を作成していく。

 

 第一機動艦隊(1AF)司令部への電文は、彼らの立場を尊重しつつも聯合艦隊(GF)司令長官の強い意思を反映した文章に仕上げた。

 

 山口たちは第一機動艦隊長官が布哇に来た時に、攻撃すべき第一目標はドイツ海軍の空母だと念押ししていた。それを撤回するのだから、反発されることが予想されたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三二話

枢軸海軍部隊総司令部、オアフ島、布哇諸島

同日 午後九時一三分

 

 

 

 山口が電文用紙に署名すると、従兵が受け取って電信室に持ち込む。同時に、要件が済んだ兄部は退室すると、一人で廊下を歩いていく。

 

 彼は自室へ向かわず、司令部庁舎の中庭に向かった。数分前に見たことが網膜に焼き付いたかのように、どうしても消えないからだ。

 

 中庭に出ると、南国の樹木の代名詞とも言える椰子の木が彼を出迎えた。特徴的な形をした葉は、海風に吹かれて静かに揺れている。

 

 激戦地であるカリブ海やパナマ、北米戦線から遥かに離れた布哇諸島は、戦場特有の喧騒が想像できないくらいに静かな時間が流れていた。

 

 周囲に誰もいないことを確認すると、ポケットから取り出した煙草で一服して呟いく。

 

「あのメモは、どういう意味なんだ?」

 

 彼は記憶が鮮明なうちに、それを蘇らせていく。山口の手帳に書かれたメモのことだ。

 

 山口が見せてくれたのは日程管理(スケジュール)の頁ではなく、本人にとって重要なことだけを書き記している頁だった。

 

 その内容は「孝子への手紙、一ヶ月に二通」という、個人的な用件も書かれていた。これは彼の奥方への手紙(ラブレター)を書くことを、忘れないようにするためだろう。

 

 それより、気になったのは「山本大臣より、合衆国に警戒せよ」という一文だった。

 

 日付は昨年一〇月、この島で首脳会談が行われた時に記したらしい。

 

 この時、英国のウィンストン・チャーチル首相、合衆国のトーマス・デューイ大統領、そして日本の米内光政総理大臣が一堂に会したのだ。その目的は、第三次世界大戦の戦略方針を協議するためである。

 

 この会談では、九月に実行された「剣」号の失敗が影響してしまい、各国の思惑がぶつかることになってしまう。そのため、枢軸軍としての共同声明が発表されるまで難航した会談でもあった。

 

 この時、随員として山本五十六海軍大臣も来島している。彼は各国の要人たちとの会合する合間に、山口と話す機会を設けたのだろう。

 

 さて、忘れてはならないことだが、この会談でキーマンとなるのは米内総理大臣である。そして、彼は航空機で長時間移動した経験が無く、高齢でもあった。移動中に体調悪化したら首脳会談を開催する意味が無くなってしまう。

 

 このため、海路で一週間以上掛けて移動することになったが、彼らを乗せて太平洋を横断したのが<武蔵>だった。

 

 <武蔵>は九月に改装工事を終えて、大神工廠から出渠したばかりである。この改装では、客船の一等船室並みの内装を残したまま、最新鋭電探の搭載から寝具の交換まで徹底的にされていた。だから、総理大臣たちの輸送兼護衛任務に最適だったのだ。

 

 兄部にとって、<武蔵>が初めて真珠湾軍港に入港した時のことは、今でも印象に残っている。

 

 この戦艦が軍港の岸壁に接岸した時、初めて入港するにも関わらずピタリと接岸したのだ。正直に言えば、<利根><長門>の艦長を務めてきた兄部でさえ、感心するような操艦だった。

 

 船乗りではない者たちにとって、それは「誰もが出来て当たり前の操艦」と思われがちだ。しかし、海軍士官でも下手な者は幾らでもいる。

 

 特に、海軍大学校卒業者たちは「勉強はできるが実践が下手」と陰口を言われるくらい、操艦技術が酷い者が多い。例えば、岸壁に接岸する時に目測を誤り、岸壁にぶつけてしまうか、いつまでも接岸できない事実が起きている。

 

 だから、<武蔵>が何事もなく接岸した時、手練れの艦長が操艦を指揮していると思っていた。まさか、艦長が女性士官だったとは予想すらしていなかったのだ。

 

 それだけではなく、彼女から艦長に就任した経緯も聞いて呆れかえってしまう。彼女とそれを上手に利用した黒幕に。

 

 それは、日本海軍における人事制度に融通が無いことが起因していた。

 

 <武蔵>がパナマ侵攻「贖罪」作戦に参加後、改装工事を受けるために大神工廠へ入渠した。この時、<武蔵>は当然ながら動けなくなる。だが、海軍の制度上では予備艦にならない限り、艦長が配属されていなければならない。

 

 別の観点から見ると、ドックから動けない艦艇に艦長を務められる士官を配置するのは、人的資源の無駄でもあった。

 

 艦艇の増加や戦没によって、各艦艇の職長や艦長として必要な大尉から中佐までの士官が、非常に不足しているからだ。ドッグから動けない艦艇のお守りをするくらいなら、竣工した新造艦の艦長に就かせるべきである。

 

 艦長を配置しない方法もある。<武蔵>を予備艦に指定することだ。

 

 この場合、艦長は不要になるが<武蔵>の乗員すべてが転属してしまう。そうなると、改修工事が完了する頃に集められた乗組員が、<武蔵>を扱い方を知らない将兵ばかりになるのは明らかだ。

 

 これでは、全将兵が最初の段階から訓練しなければならず、戦力化までに半年以上も時間が掛かる。以上の事情を考慮すると、ドッグに収まっている<武蔵>にも艦長が必要だが、ボンクラ士官でも十分という結論になるのだ。

 

 だから、彼女が選ばれたらしい。

 これは、ボンクラ士官と自称した彼女による説明だ。

 

 そして、本来であれば<武蔵>の改修工事完了前後に、後任者が着任する筈だった。だが、後任者が戦死したり、「剣」号作戦失敗による混乱で人事移動が凍結されたりしているうちに、彼女がそのまま艦長として残っている。

 

 俄に信じられない話だったが、あり得る話でもあった。

 

 真珠湾軍港には、女性士官が乗艦している艦艇が何隻か出入りしている。さらに、女性艦長と男性乗組員との組み合わせで組織された駆逐艦が、決戦海域で活躍しているからだ。

 

 <武蔵>は一週間に渡る会談終了後、すぐに横須賀へ帰還する。この時点で、彼女は「武蔵屋旅館の女将」と呼ばれるようになっていた。それぐらい、真珠湾で彼女は注目を浴びたのだ。

 

 そうするうちに、兄部は気づいた。何故か手帳のメモではなく、<武蔵>艦長のことを思い出していたからだ。

 

 彼は新しい煙草に火をつけて、それを推理していく。

 

 そもそも、そのメモが書かれた理由は何か?

 それが謎のままだった。

 

 メモが書かれた昨年一〇月の時点で、合衆国が「剣」号作戦の失敗に激怒したのは事実だ。

 

 だが、それから半年以上も経っており戦略環境も変わっている。今さら、それを蒸し返すような者は少なくなった。この作戦で生死を彷徨った者は除くが。

 

 それ以外にも奇妙なことがある。「剣」号作戦と布哇首脳会談は昨年度の出来事だが、その時のメモを今年度の手帳に書き写しているのだ。山口にとって、それぐらい重要な記録なのだ。

 

 夜風に吹かれながら煙草を吸えば、何か気づくかと思って一服してみた。だが、結果は変わらない。

 

 その時、彼は別件で重要な説明を忘れていたことに気づく。

 

 それは、作戦案を立案した航空甲参謀が懸念した、ヒトラー総統がベルリンに帰る手段である。彼が<ヒンデンブルグ>ではなく大攻で帰るのならば、作戦は確実に失敗する。それを、山口に説明し損ねていたのだ。

 

 火がついた煙草を靴底で消し、急いで司令部庁舎に戻る。行き先は電信室だ。

 

 彼にとって久しぶりに駆け足だ。電信室に向かうと、泡を食ったような当直士官に命令して作業を止めさせようとした。従兵が電信用紙を受け取った時からの時間を考えると、暗号文に変換している最中だろう。

 

 だから、間に合う筈である。しかし……。

 

「申し訳ございません。電文は送信し終えました」

 

 当直士官と担当した電信員が、申し訳なさそうに説明する。既に手遅れだったのだ。

 

 送信済みの電文を取り消すためには、発信者の署名が必要だ。そして、その電文には山口が署名している。

 

 今から、山口に事情を説明して電文を取り消すことも考えたが、同時に山口へ異議を唱えるようなものでもある。兄部が独断で取り消すことも可能だが、山口の決断を止めることなんて出来ない。

 

 だから、彼は声に出さずに自分自身へ罵倒する言葉をまくし立てながら、自分の部屋に戻ることしか出来なかった。

 

 こうして、彼が投げたサイコロは止まる術を失い、どこまでも転がり続けていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三三話

第一機動艦隊司令部、サルガッソー海、中部大西洋

一九五〇年四月二七日 午前六時三〇分

 

 

 

 布哇諸島オアフ島にあるGF司令部からの電文は、北米大陸やグアンタナモにある幾つかの通信基地を経由して第一機動艦隊司令部に届く。

 

 電文は最高機密ランクである「軍機」に指定されており、強度が固い暗号に変換されて送信される。司令部からの重要電文なので、到着するまでに要した時間は三時間弱であった。当時の通信技術では高速といえる速度だ。

 

 忘れてはならないが、時差の関係でキューバ島は布哇諸島より五時間進んでいる。

 

 そのため、その電文を受け取るべき人物は起床した直後に受け取った。それに目を通した途端、目覚めたばかりですっきりしない頭脳は、血管が煮えたぎるように一気に熱くなってしまう。それほど、彼にとって信じられない内容だったのだ。

 

「貴様、寝ぼけたことを言ってんじゃねえよ。自ら作戦をぶっ壊そうとしてどうすんだ!」

 

 城島司令長官は思わず声を荒げ、彼の上官であり兵学校の同期でもある男を罵倒した。彼の怒りはそれだけで収まらず、部下である参謀長を呼び出した。数十分後に朝食の席で顔を合わせるにも関わらずである。

 

 参謀長は慌てて身繕いしたらしい。第三種軍装のネクタイが本来の形を成しておらず、帯を首に巻きつけたような姿で城島の前に姿を現わした。

 

「何でしょうか?」

 

「これを読んでくれ」

 

「はい」

 

 電文を掴んだ参謀長は一字一句確認するように読み進めていくが、城島とは対称的に顔色を青くしていく。最後まで読むと最初から読み直し、溜息混じりの言葉で意見を述べた。

 

「いやぁ、参りましたねぇ……。これでは作戦計画を、すべて練り直さなければなりません」

 

「まったくだ。敵の航空艦隊を無視して、<ヒンデンブルグ>を攻撃しろと言ってくるなんて想像すらしなかったさ」

 

「しかし、電文には『第一攻撃目標ヲ<ヒンデンブルグ>ヘ変更サレタシ』と書かれています。『変更セヨ』ではありませんから、命令文ではありません。この戦艦への攻撃可否判断(ボール)は我々が握っているのではないでしょうか」

 

「参謀長、官僚が使う言葉の真意を忘れた訳ではあるまいな。命令ではない曖昧な文末であっても、実質的には命令だ。こちらにとって都合のいい解釈をしたら、足元を掬われるぞ」

 

「長官のお考えは分かりましたが、<ヒンデンブルグ>へ攻撃するために戦力を分散するのは危険です」

 

「このままでは、一塁へ走るランナーを牽制しようとするうちに、三塁ランナーがホームインする状況になるからな。実行中の作戦のうち、どれかを諦めるしかない」

 

 現在、第一機動艦隊を構成する第一から第三の各部隊は、各々に作戦行動していた。そのうち、空母四隻を擁する第二部隊が北部大西洋で作戦行動中である。

 

 この部隊は数か月後に第二機動艦隊として独立するが、その初代司令長官として着任する加来少将が第二部隊の作戦指揮を執っていた。

 

 第二部隊は前日にハリファックスを攻撃し、敵の追尾から逃れるために避退行動中だ。だが、その針路は南ではなく北に向いている。これは敵を欺くためだった。

 

 常識的に考えれば、攻撃を終えた艦隊は燃料や弾薬を補給するために基地に帰る。だから、第二部隊はグアンタナモがある南へ向かう。連合軍側はそのように思い込んでいるので、逆方向に向かえば敵の追撃を避けられるのである。

 

 もう一つ目的がある。

 それは、数日後に再度ハリファックスを攻撃するためだ。

 

 空襲直後のハリファックスは混乱していたが、現在は落ち着きを取り戻して復旧作業を進めている。岸壁に接岸したまま沈んだ貨物船を引き上げたり、壊れた倉庫の残骸を片付けたりしていた。

 

 その頃を見計らって、再度攻撃を仕掛けるのだ。

 

 連合軍が警戒していない北方から攻撃すれば、奇襲同然になり被害は抑えられるだろう。同時に港湾施設を復旧する機会を潰して、それを長引かせることもできる。

 

 例えば、地味だが重要な攻撃目標として起重機(サルベージ)船が挙げられる。

 

 沈んだ船を引き上げるサルベージ船は、航路や港湾の機能回復に必要不可欠な船だ。おまけに、用途が限定されるので僅かな隻数しかない。だから、これを沈めれば他の港からサルベージ船を持ってくるか、新たにサルベージ船を建造しなければならない。

 

 どちらにせよ、港湾機能の復旧に時間が掛かるのは間違いなかった。

 

 また、健在な倉庫や燃料槽、貨物揚重用起重機(クレーン)の破壊も忘れてはならない。貨物船が港に着いても貨物を陸揚げ出来なければ、それを輸送する目的すら果たせないからだ。

 

 第一機動艦隊第二部隊が狙っているのは、そのような状況であった。

 

 それに対して、城島の指揮下に残る第一部隊はサルガッソー海に留まり、メキシコ湾にいるドイツ海軍第一航空戦隊へ狙いを定めている。

 

 四隻の大型空母に搭載しているジェット艦上戦闘機<旋風>、同じく艦上攻撃機<輝星><輝星改>合わせて約四〇〇機が、いつでも発艦できるように整備されていた。

 

 また、連合軍艦艇の防空火器射程外から発射可能な、新型航空魚雷の先行量産型が

<飛鷹><雲鷹>に積まれている。

 

 しかし、城島は積極的に攻撃する意図はない。むしろ、ドイツ軍からの攻撃を待ち続けていた。第一部隊の航空戦力はドイツ軍より劣勢だと想定しているので、迎撃に徹して敵航空戦力を削ごうとしていたからだ。

 

 そんな状況で、<ヒンデンブルグ>攻撃命令が届いた。そして、その任務に相応しい戦力は第一機動艦隊第一部隊しかない。

 

 忘れてはならないが、第一機動艦隊は第三部隊がある。それ以外に、英海軍と合衆国海軍が空母を含む艦隊を展開させている。

 

 これらの艦隊は、大西洋横断中の連合軍輸送船団に次々と攻撃を仕掛けていた。護衛艦艇による対空火器の密度が粗く、陸上機による護衛を受けられないという理由もあって、貨物船は針路を大西洋の対岸ではなく海底に向けていく。

 

 中々の戦果であった。

 搭乗員たちにとって大いに不満なのだが。

 

 では、搭乗員たちの不満を解消させるために、この艦隊で<ヒンデンブルグ>を攻撃すべきか?

 答えは不可である。この艦隊はレシプロ機しか運用出来ないからだ。

 

 <ヒンデンブルグ>が一隻だけで航行することは考えられず、護衛として駆逐艦や空母が同行するのは間違いない。

 

 敵の迎撃機を振り切り、艦隊だからこそ実現できる濃密な対空火網を突破するには、レシプロ機では力不足だ。仮に、この機体で強行攻撃すれば、文字通り全滅するだろう。

 

 だからこそ、第一部隊で攻撃しなければならなかった。問題は、ドイツ海軍第一航空戦隊と<ヒンデンブルグ>の位置関係だ。

 

 現在、第一部隊はサルガッソー海で周回航行を続けている。フロリダ半島とキューバ島の間にあるフロリダ海峡を、交戦予想海域と定めているからだ。そこには、数時間の航行と母艦航空隊の飛行で到達できる距離である。

 

 しかしながら、この海域から<ヒンデンブルグ>へ攻撃するには遠すぎた。ニューヨークを出航したことをリアルタイムで知らされ、全速力を出したとしても追いつけないのだ。何しろ、第一部隊の現在位置とニューヨークは、一〇〇浬(一八〇〇キロ)近くの距離がある。

 

 そのため、第一部隊はサルガッソー海から北上しなければならない。だからといって、ドイツ海軍第一航空戦隊への攻撃を諦める訳にはいかなかった。城島たちは、この艦隊がカリブ海に再進出した最大の目的を忘れていないからだ。

 

 では、どうするか?

 

 参謀長以下司令部幕僚たちは意見を述べられるが、決断するのは城島しか出来ない。『二兎を追う者は一兎をも得ず』ということわざのように、さらに兵力を分散するのは愚の骨頂である。

 

 ほんの数分で、彼は決意の言葉を発した。

 

「参謀長、第一部隊を<ヒンデンブルグ>攻撃に向かわせようと思う。他の参謀たちの意見も聞いて、決断したい」

 

「分かりました。その前に、朝食を食べましょう。従兵も待っていますし」

 

 通路へ繋がる扉から、困った顔をした従兵が覗いていた。食事の時間が過ぎているので城島たちを呼びに来たのだが、何度かノックしたのに気づいてもらえなかったからだ。

 

「もう、こんな時間になっていたか。ああ、参謀長。言い忘れていた事がある。食堂に行く前にネクタイを締め直せ」

 

「長官、わたくしからも言わなければならない事があります。寝間着のまま食堂へ行かれないようにしてください」

 

「分かっておるわい。さっきの話に戻すが、フロリダ海峡をガラ空きにしたくない。何か案があるか?」

 

「そうですね……。第三部隊を配置しませんか? 敵艦隊への牽制になります」

 

「<天城><赤城>では非力だぞ。敵が本気で殴り掛かってきたら大打撃を受ける」

 

「指をしゃぶりながら黙って見ているより、遥かにマシかと」

 

「やれやれ。泣けば飴玉を貰えるように空母が増えたら、こんな事に悩む必要が無いのだがな」

 

 彼は身支度を整えながら愚痴をこぼすが、心の奥底では別のことを考えていた。

 

 

 

 なあ、山口。

 貴様が<ヒンデンブルグ>の攻撃を優先する理由は何だ? 

 

 

 

 戦後になって兵学校の同期会で山口から真相を聞いた時、彼は開いた口を塞ぐことすら忘れたかのように呆然とすることになる。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

グアンタナモ市、キューバ島

一九五〇年四月二七日 午前〇時一二分

 

 

 

 第一機動艦隊が<ヒンデンブルグ>への攻撃を決断した時刻から数時間前、グアンタナモ市内では殺人事件が起きていた。

 

 被害者は公務中に殺されたので殉職死なのだが、戦死と呼べるか微妙であった。だが、事故死ではないのは明らかである。その理由は、喉が鋭利な刃物で切り裂かれていたからだ。

 

 この人物が被虐性欲(マゾヒズム)嗜好だったとしても、それを一人だけで楽しむことはあり得ないことだ。その性癖は本人の身体を痛めつけるものであり、精神を底なし沼のように引き込むか、上昇気流に乗って舞い上がらせるようなものでもある。

 

 非常に厄介なものなのだが、地平線に連れ戻す相手がいるからこそ、それを快感として実感できるからだ。経験者にしか分からないことだが。

 

 遺体は、青いセロファンを貼られたトラックの前照灯によって、夜闇から姿を現わしている。それを見下ろしながら、二人の男が会話している。

 

「少佐、憲兵隊に報告しましょうか」

 

「いや、必要ない。すぐに立ち去るぞ」

 

「しかし、何もしないと我々が疑われます」

 

「こんな時間に移動していれば、誰にだって怪しまれる」

 

 マックス少佐とゴメス上等兵の会話に割り込むように、スミス中尉が話し始める。いつの間にか遺体のポケットから手帳を引き抜き、身分証明書を兼ねた手帳をめくっていた。

 

「少佐を追いかけていた男は、日本陸軍の中佐だそうです」

 

 彼は被害者である男の行動履歴や重要なメモを読み取ろうとしたが、それを諦めてポケットに戻す。彼は日本語が読めなかったからである。それ以前に、情報工作官であれば重要な情報を手帳に記さず、本人の頭脳に記憶させるからだ。

 

 そんな彼は、市内で少佐と別れた後に調べてきたことを報告した。

 

「噂は本当のようですね。合衆国陸軍の司令部がある建物は、空っぽでした」

 

「わたしも呼ばれていないのに、堂々と舞踏会の会場に入って聞き回ってみた。二日前、いや三日前の攻撃で破れかけた前線を補強するために、軍司令部自体がカマグエイまで前進したそうだ。資材や兵員はグアンタナモから運ばなければならないし、口だけ達者な司令部が前進しても邪魔なんだけどなぁ」

 

 合衆国陸軍キューバ派遣軍は、東海岸側の戦線を担当する合衆国陸軍第23歩兵師団、後方治安と離島の防備を担当する第24歩兵師団、機動戦力である合衆国陸軍第201独立機甲旅団で構成されている。

 

 先日の戦闘で第23歩兵師団はほとんど被害を受けていない。それにも関わらず、合衆国陸軍は軍司令部を前進させた。後方治安と予備兵力と兼ねた第24歩兵師団を引き連れて。

 

 大被害を受けた英連邦軍の代わりに、第24歩兵師団を配置するためだという。その理由だけなら納得できるのだが、彼らが聞いている噂話を下敷きにしてみれば別の思惑が透けて見える。

 

 雲に覆われて月の光さえ届かない夜空の下で、何気なくミッチェル中尉が呟いた。

 

「我らの上官たちは本気なんですな」

 

「そのようだな」

 

「少佐はどこまで噂話を聞いていらっしゃるのですか」

 

「物まねが上手だが戦争は下手な黄色いサルと、本国を失ったのにプライドだけは高い紅茶野郎に戦争を任せたら、何年たっても奪われた領土を取り戻せない。だから、合衆国が戦争の主導権を握るべきだ。しかし、奴らは理由をつけて手放さないから、奪い取るしかない。そんな噂だった。陸軍の佐官連中が同じような事を話していたから、こりゃ本気だと思った」

 

「しかし、まあ、何というべきか……。合衆国がキャベツと手を組んで、日本人と英国人を蹴散らそうするなんて、凄いことを考えますね」

 

「それも違う。合衆国軍はドイツ軍による大規模軍事攻勢が引き起こす、混乱を利用するだけだ。情報機関に二重スパイがいる可能性は否定出来んがな」

 

 スミス中尉は、何か情報が残っていないか調べていたが、手帳以外に価値あるものを見つけらない。彼は手を止めると上官へ提案した。

 

「遺体を隠しましょう。そこにあるドブ川に落とせば、我々の痕跡も消えます」

 

「えらく詳しいな」

 

「軍に志願する前は、医学生の研修として検視の手伝いをしていたのです」

 

「何で医学生が携帯式誘導弾の開発チームにいるのだ?」

 

「あなたが引き込んだですよ。マックス少佐」

 

 マックス少佐が尾行に気づいたのは、舞踏会の会場を出てからしばらく経った時だった。最初は物乞いだと思って気にしていなかったが、いつまでも距離を保ったまま後を追ってくる。この時、尾行だと気づいたのだ。

 

 このままでは、別行動を取っているミッチェル中尉たちと合流できない。別に怪しいことをしている訳ではないが、試作兵器に関する余計な事を話してしまいそうだったからだ。

 

 仕方ないので、灯火管制で真っ暗なグアンタナモ市街地を、ぶらぶらと一時間近く歩きまわることにする。そうすると、尾行者が消えていた。

 

 尾行を諦めたらしいと思っていたが、合流後にスミス中尉から受けた報告に驚いた。尾行者が殺されていたからだ。

 

 当然ながら、彼は殺していない。

 

 ミッチェル中尉とスミス中尉は、それぞれアリバイまで主張している。面白いことに、体つきは立派なのに臆病な性格であるゴメス上等兵まで、真剣な眼差しで主張していた。だから、マックス少佐は彼らの話を信じることにしたのだ。

 

 さらに、スミス中尉の検視では、被害者は背後から襲われて一瞬で喉を切られたという。どうやら、暗殺のプロフェッショナルに襲われたのだろう。そして、この開発チームにそのような特技を持つ者はいない。

 

 スミス中尉とゴメス上等兵が遺体を運び出すと、その場に残ったミッチェル中尉は地面に残った痕跡を消していく。その作業を続けながら、彼は呟いた。

 

「合衆国は、どこへ向かっているのでしょうか?」

 

 その言葉に、マックス少佐は答えられなかった。

 なぜなら、彼も呟きたかったからだ。

 

 全ては、ルイジアナの上陸作戦の失敗が発端だった。合衆国軍が熱望していた北米大陸南部からの逆上陸作戦が、日本軍の偵察軽視と僅かな兵力しか捻出しない英軍の冷淡さによって失敗した。

 

 真相はどうであれ、合衆国陸軍はそのように判断した。

 

 だから、日英軍の評価を一気に下げたのは理解できる。信頼していたのに裏切られたら、誰だってそのような反応をするだろう。

 

 合衆国軍が日英軍の実力を過大評価していたとしてもだ。

 

 そして、日英軍から枢軸軍の作戦指揮権を引き継いで、失地回復を目指そうと発想するのも仕方ないことだった。しかしながら、その指揮権を掴むために日英軍を窮地に追い込もうとするのは、あまりにも危険だ。

 

 ことわざで説明すれば「諸刃の剣」となる。

 

 彼は、スミス中尉たちが戻ってきたことに気づかないまま、小言を呟く。

 

「作戦名が悪かったのさ。剣号作戦(オペレーション・ソード)。あらゆるものを貫き通す剣は、硬い装甲で守られたドイツの心臓ではなく、合衆国の過去や未来、信頼や人間の絆まで切り離そうとしている。畜生め。どうしてこうなったのさ……」

 

 腹立たしい気分を吐き捨てるために、彼は空を見上げる。枢軸軍における相互の不信感を表したかのように、空には雲が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五章 スーザン・レジェス
第三四話


お国のためにとは言いながら
人の嫌がる軍隊に
志願で出て来る莫迦もいる
可愛いスーチャンと泣き別れ



「可愛いスーチャン」第一番より

作詞者、作曲者は共に不明





枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

一九五〇年四月二七日 午前六時三〇分

 

 

 

 部屋のカーテンは大きく開かれていた。雲の切れ目から見え隠れする朝日が、室内に射し込んでいる。

 

 その部屋にいるのは、バスローブと呼ばれる西洋式寝間着で身を包んだわたし。そして、あの男。その男の眼は、一点を凝視していた。わたしの顔ではなく、バスローブがはだけて露わになったわたしの胸を。

 

 目覚めたばかりで状況が掴めないわたしは、身動きすることすら忘れている。男がゴクリと喉を鳴らす音を聞いて、慌てて胸を隠したが十二分に遅すぎた。

 

「き、きれいで、柔らかそうな胸だね。揉みごたえがありそうだ……」

 

 朝一番から露骨にエロい言葉を言うな! 

 

 そんなことを平気で言える心理が理解出来ないし許せない。そんな、わたしの気持ちを理解してくれず、男は余計な言葉を放っていく。

 

「南十字星みたいな痣も、似合っているよ。うん」

 

 貴様ぁ、わたしが隠していたことをじっくり見るな! 

 許さん! 成敗してやる! 

 

 わたしは躊躇わずに、枕元に置いた短刀を鞘から抜き出した。

 

「きれいだわ。この輝きにうっとりしちゃいそう」

 

 思わず言葉を零してしまうくらい、刀身は朝日を受けて妖しく輝いていた。そして、あの男を睨みつける。

 

 だが、男は状況を飲み込めていないようで、怪訝な表情のまま聞いてきた。

 

「何をしているの? そこに置いているバナナの皮は、手で剥けるよ」

 

「わたしはね、本気になったら手加減しないのよ。剥くのは、貴様の分厚い面の皮だ!」

 

 そう言うと、わたしはベッドから立ち上がり一歩ずつ男に歩いていく。

 

 ようやく、わたしが怒っていることに気づいたらしい。男は慌てふためきながら制止するが、その程度で許す甘い女ではない。しばらくすると、攻撃目標が悲鳴混じりの声を上げる。

 

「待った、何で怒っているんだ?」

 

「この際だから言わせてもらいますが、女が男のアレを見て感想を言いますか? 言わないでしょ! それなのに、わたしの胸のことを言う無神経さが理解できないのよ」

 

「す、素直に褒めたのに、何がダメなのさ?」

 

「黙れ! わたしを誰だと心得ている! 恥を知れ!」

 

 わたしは深呼吸すると短刀を構え、必殺技を繰り出す前の決め言葉を告げた。

 

「全集中。阿吽(あうん)の呼吸。肆ノ型(しのかた)淫鬼殲滅(きめつ)!」

 

 思いついた順に術式名を唱えていくが、本当に剣士になった気分になる。

 

 これなら、桃から生まれた剣士に頼らなくても、鬼を殲滅できそうだ。いや、緑と黒の市松模様の羽織を着た着た少年かな?

 

 そんなことは、どうでもいい。わたしは、腰を抜かして床に座り込んだ男に向けて、キラリと光る刃先を構える。

 

 そして、掛け声と共に一気に突いた。

 

「チェストォォォォォ!」

 

 

 

 ………………………………

 

 ……………………

 

 …………

 

 

 

 短刀は男の身体ではなく、逸れて壁に突き刺さる。

 これは計算どおりだった。

 

 だが、計算どおりに進まないこともある。わたしによる殺人未遂が、司令部庁舎全体に瞬く間に伝わってしまったのだ。

 

 偶然にもこの部屋の前を通った者が、わたしたちの声を聞いて憲兵隊を呼んでしまったのだ。それだけではなく、この男と痴話喧嘩したとか朝からプレイをしていたとか、事実無根の噂まで広まってしまう。

 

 つまり、わたしは自滅したのだ。

 自滅の刃。何て、わたしに相応しい言葉だろうか。とほほ……。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 昨夜の舞踏会から今朝までの出来事を思い返すと、わたしがこの男と朝を迎えたのは避けられないことだった。

 

 舞踏会終了後に会場に残った軍政監部のメンバーたちと、反省会を兼ねた慰労会に加わっていた。

 

 今だから冷静に振り返られるが、この時は少々浮かれていた。何しろ、キューバ島の政府要人たちと気軽に話せたので、成果を上げた自分自身に酔ってしまったのだ。

 

 だから、警戒心も緩んでしまい避けるべき人物に会ってしまった。数日前に司令部内でわたしを罵倒した航空参謀に。

 

 タイミングが悪く、わたしが一人でアルコールを注文していた時だ。軍政監部のメンバーたちは、わたしに気づかずに話を続けている。だから、たった一人で数分間に嫌味や皮肉をたっぷり浴びてしまった。

 

 彼にとって、わたしが撃墜した敵機について意見を述べたこと自体が気にくわないらしい。どうやら、航空戦だけではなく彼の領分に口を出すのが許せないようだ。

 

 それだけではなく、実力不足なのに真田少将の力で<武蔵>になったと思い込んでいる。それも、わたしが女だから可能な肉体的技能を発揮したからだとか。

 

 それは、事実と推測を混ぜた妄想でしかない。

 

 わたしや伊東中尉が撃墜した敵機を、新型ジェット機だと主張したのは正しかった。その敵機を調べていくと、着艦フックまで装備されていたので空母艦載機だと判定されている。

 

 その後の分析によると驚くべきことに、ドイツ海軍第一航空戦隊の空母から飛び立ったのだと判定された。メキシコ湾に入ってユカタン海峡を越え、キューバ島の西海岸側から攻撃してきたのだ。

 

 その航空戦隊は、一度だけ攻撃するとメキシコ湾かミシシッピ川に隠れている。結果として、わたしの推測は半分だけ正解だった。そして、間違っていた点だけ注目すれば、春風長官が怒るのも道理なのだ。

 

 もう一つの批判である、わたしが夜伽したから<武蔵>艦長になったのも事実ではない。

 

 わたしが<武蔵>艦長に着任する前に、統合軍令本部で仕事をしていたのは事実だ。コロンボから帰ってきて兵学校で教官を務めていた時に、真田少将によって引き抜かれたからだ。

 

 真田少将とは、紅海で英軍撤退戦の任務に就いていた時にお会いしている。わたしが乗った駆逐艦が彼の指揮下に入った時だ。

 

 この士官と出会った時、いろんな意味で衝撃を受けた。

 はっきり言って頭がおかしいのだ。

 

 なぜなら、彼はこの駆逐艦に乗るために紅海を泳いできたからである。それも、真夜中に。

 

 彼は、水雷戦隊の旗艦である軽巡で作戦指揮を執っていたが、水中に潜む潜水艦から雷撃を受けてしまったのだ。

 

 通常ならば軽巡は減速して沈没しないように努めつつ、指揮権を後続の駆逐艦に譲る。だけど、彼は通常の枠に収まらない男だったらしい。軽巡は増速して、浮上退避中の潜水艦に体当たりしたのだ。

 

 潜水艦は沈み、さらに損傷が大きくなった軽巡は浅瀬に乗り上げた。それだけではなく、水雷戦隊司令部の幕僚たちは軽巡から降りて、暗い海を泳いでいく。わたしがいる駆逐艦に乗るために。

 

 そんな彼らが全身ずぶ濡れ状態で乗り込んだ時、わたしは心の声で「深海棲人が来たぁ!」と悲鳴を上げてしまった。

 

 だって、真夜中でしょ! 

 重油臭いでしょ! 

 だれもが驚くでしょ! 

 

 どうみても異様な姿をした男は、艦橋に入って艦橋要員たちを一通り見回すと大声で問いかけた。

 

「戦争が嫌いな奴は居ねぇが?」

 

 その気迫で誰も答えられない。下手に答えたら、なまはげのように鎌で首を刈られそうだ。

 

 沈黙を肯定と捉えた男は、高らかに宣言する。

 

「これよりドイツ艦隊に夜襲を掛ける。貴様ら、戦争を存分にやり尽くせ!」

 

 後に、「戦争狂」と呼ばれる彼の真価が発露した瞬間だった。

 

 その後、いろんなことがあったので、彼はわたしのことを覚えてくれたらしい。だから、彼が海軍大学校で対ドイツ戦の図上演習を研究する時に、助手として呼ばれたのだ。

 

 さらに、彼の異動に合わせて統合軍令本部で仕事をするようになり、将来の展望についての幾つかのレポートを作成した。そして、現在に至るという訳である。

 

 <武蔵>艦長に就いた理由は、今でも不思議だが。それ以前に、真田少将がわたしを評価していただいた理由も不明のままだ。

 

 とにかく、わたしは女だけが使える特技で彼を墜とした訳ではない。だから、わたしの目の前に立つ航空参謀から、あれこれ言われる筋合いはないのだ。

 

 忘れてはならないが、人間を殺害するためには幾つかの方法がある。

 

 短刀があれば心臓に突き刺して失血させればいい。

 銃があれば眉間を撃ち抜いて脳の活動を停止させればいい。

 

 外側ではなく内側から、即ち精神面から殺めるのであれば、人格を否定する言葉を連続して聞かせれば十分だ。

 

 そして、航空参謀はわたしという人間を全否定してきた。

 

 このままでは、黙ってやり過ごす訳にいかない。

 とうとう、我慢の限界を超えたわたしは、反撃を決意した。

 

「肝っ玉が小さい人ですね」

 

「あん? 今、何て言った?」

 

「肝っ玉が小さい奴って言ったんです。そんなに、わたしが卑怯な手を使ったとおっしゃるのであれば、ご自身でやれば如何ですか? そもそも、航空参謀は山口GF司令長官による抜擢人事でカリブ(CBF)艦隊司令部に着任されたそうですね。さぞかし、汚い手を使われたのでしょう。言わなくても分かりますわ」

 

「貴様ぁ!」

 

「他人を批判する人は、ご自身で同じような手段を考えているか実際にやってみた人ばかりなので。それとも、裸の王様なのに賢人ソロモン王のように、立派に見せなきゃいけないからですか? 大変ですね。その苦労はまったく分かりませんが」

 

「黙れ!」 

 

 酒を飲んでいる航空参謀は拳を振り上げた。

 その拳を、わたしに向けて一気に振り下ろす。

 

 酒の勢いを借りて暴力を振る男がいるが、航空参謀もそれに当てはまる男らしい。

 

 別の観点から見れば、わたしは相変わらず男を見る目が無いという事実を、彼の拳によって突きつけられたようなものだった。

 

 だって、本当に殴るなんて思わなかったんだもん! 

 

 わたしは、顔に痣が残ることを覚悟したが、拳は振り下ろされず新たな男の声が聞こえてきた。それは、平田大尉の声だった。

 

「航空参謀、上官としてのモラルが問われる行動です」

 

「手を放せ。これは上官を冒涜する奴への教育だ」

 

「航空参謀は支那の軍事顧問団とタラント空襲の勝ち戦しか、戦闘に参加していないと伺っております。お間違いありませんね? しかしながら、こう見えても彼女は北大西洋や紅海の撤退戦で戦い、生還した歴戦の士官です」

 

「なぜ、この女のことに詳しいのだ」

 

「彼女のことを調べたからです。彼女の別名の提案者なので。ついでに、失礼を承知のうえでお伝えしますが、航空参謀は彼女と比べる以前の段階ですぜ」

 

「黙れ! 文官如きが軍人に余計な口出しするな! 

 

 そう言うと、航空参謀は強引に振りほどき、わたしを救援しようとしてくれた男に拳をぶつけて立ち去る。残されたのは、わたしと流れ弾を受けた例の男だ。

 

 その後は気まずかった。

 

 わたしは、氷水を入れた袋で腫れた男の頬を冷やしてあげる。すると、軍政監部のメンバーたちは何故か会場から出ていってしまう。「上手くやれよ」と言い残して。

 

 その意味が分からないが、しばらくはこの男に付き合わなければならなかった。さすがに、身体を張って航空参謀の暴力を止めようとした男を、この場に置いていくような冷淡な女ではない。

 

 せっかくの機会なので、この男のことを聞き出してみた。何県の生まれで、どこそこの大学を卒業したとか、外務省の何局でどんな業務を担当してきたのか、そのような個人的な事情は一切興味が無い。

 

 この島で何を企んでいるか、それだけだ。

 

 そんな質問を投げかけた時、この男は待ってましたとばかりに、顔を綻ばせて答えた。

 

「カリブ海の海賊になるためさ」

 

「えっ?」

 

「カリブ海の海賊だよ。ドクロマークを描いた旗をマストに掲げて、カリブ海を縦横無尽に進み、金銀の財宝が眠る宝島を見つける。これこそ、男のロマンなのさ」

 

「わたし、外務省に連絡しますよ。『平田大尉の首に縄を掛けて日本に引き戻してください』って。それとも、『憲兵さん、この人です』と名指ししましょうか?」

 

「憲兵には捕まんないさ。こう見えても、少年時代は盗塁王と呼ばれるくらいに逃げ足だけは速いからね。冗談は程々にして、子供の頃に『宝島』を読んで海賊になりたいと思ったのは事実だ。だから、学生時代にこの地方を研究し、卒業論文として提出するまで浸るようになった。それぐらい、カリブ海と周辺諸国は僕にとって憧れの世界なのさ」

 

 そんな事を語る男の瞳には、子供のように純粋な輝きがあった。母性本能溢れる女性ならば、それをくすぐられる様な輝きだ。

 

 あいにく、わたしはそんな仕草で騙されるような女ではない。とはいえ、この男の内面にある何かに、引き寄せられそうなのは否定できない。

 

 だから、今後はこの男に親しみを込めて、彼と呼んであげようじゃないか。そう、決めた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ここまで振り返ってみたが、昨夜だけで色々な出来事があったのだ。

 

 しかしながら、その程度の理由で彼と同じ部屋で一晩過ごす必要はない。わたしが泊まるべき部屋は用意されているからである。

 

 実は、もう一つの出来事があった。彼がまともに歩けなくなってしまったからだ。

 

 泥酔状態になるまで飲んでいたからではない。彼も体内にアルコールを流し込んでいるとはいえ、仕事中の付き合いとして飲んでいるだけだ。それなのに、ふらふらと歩くようになってしまったのだ。

 

 こうなった理由は分からない。わたしが別の士官と話しているときに、私が飲もうとした水を彼が奪うように飲み干したことが原因らしい。

 

 仕方ないので、彼の執務室がある司令部まで案内してあげた。その道中に彼の嘔吐まで浴びてしまうが、何とか部屋に着いて彼をベッドに寝かしつける。

 

 ついでに、部屋のシャワーを借りて軍服についた汚れを洗い流した。胃液が下着まで浸み込んでいたので、わたしの身体と一緒にきれいに洗う。もちろん、代わりの服なんて用意していないから、部屋にあるバスローブを着て乾くのを待つことにした。

 

 そうしたら、いつの間にか眠ってしまい朝を迎えていたのだ。

 

 こんな騒ぎになるなら、彼を介護しなきゃ良かったなぁと思う。

 

 いや、騒ぎを起こしたのはわたしだっけ? だよね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三五話

グアンタナモ市郊外、キューバ島

一九五〇年四月二七日 午前八時七分

 

 

 

 <武蔵>へ帰る手段は、平田大尉が運転する四輪駆動車(ジープ)にする。彼がわたしをカイマレナ港まで送ってくれるのだ。せっかくの好意なので喜んで乗った。

 

 合衆国軍が開発した軍用自動車なので、当然ながら合衆国将兵の体格に合わせて座席が作られている。だから、日本人であるわたしにとって、座り心地は良いけれど座面が少々高い。

 

 路面状態は相変わらずなので、お尻だけではなく身体も揺れる。しっかり摑まっていないと座席から振り落とされそうだ。それは、隣の席で運転する平田大尉も同じらしい。

 

 大地に流れる風は妙に湿っぽく、午後から雨が降りそうだ。黙って流れていく風景を見ているのもいいけれど、昨夜のことが気になったので聞いてみた。

 

「なぜ、急に歩けなくなったか覚えている?」

 

「あなたの前に置かれていた飲み水を飲んでから、急に身体がおかしくなった。だから、あのコップには薬が入っていたんだろう」

 

「薬を盛ったのは誰だと思う?」

 

「……見当がつかない」

 

「嘘だ。誰か予想ついているでしょ」

 

「何で分かるの?」

 

「顔に書いてある」

 

「まったく、あなたは恐ろしい人だよ……。誰にも言わない条件を飲んでくれるなら話すけどね」

 

「分かりました。職業柄なので口は堅いですわ」

 

「参謀長の飲み友達だよ。合衆国海軍のマックス少佐だ」

 

 平田大尉の頬を冷やしていた時に近づいてきたのは、カリブ艦隊司令部の参謀長と一人の合衆国海軍士官だった。彼は、マックス少佐と名乗った。面白いことに、昨夜はマックスという苗字の士官と立て続けに出会えたのである。

 

 彼の目的はわたしの身体だろう。どこかに連れ込むために薬で酔わせ、目的を果たすつもりだったのかもしれない。軍役に就いている高官がそのようなことを企むなんて、油断も隙もあったもんじゃない。今までの経験を思い出せば、あり得ないことでは無いが。

 

 間違えてはいけないが、このマックス少佐が薬を混ぜた瞬間は見ていない。あくまでも推測だ。もし、彼がそのようなことをしていないのなら、わたしたちが誹謗中傷していることになる。

 

 もちろん、信頼が置けるミケちゃんでさえ話してはならない内容だ。

 

 だから、「まったく、昨日のわたしは油断や隙だらけだわ」と言うだけに留める。それは、自分への反省を込めたつもりだった。しかし、相手はわたしの予想すらしない言葉で返してきたのだ。

 

「いや、ターゲットは僕だったかもしれない」

 

「な、なんで?」

 

 驚くべきことに、わたしは男が男の身体を求めようとする一部終始を見ていたのだ。

 

 違う、邪魔してしまったのだ。

 いや、邪魔しなきゃいけない状況だよね? 

 

 あれ、分かんなくなってきた。

 どっちが矛で、どっちが盾なのかな? 

 違う、そうじゃない。

 

 でもね、ベッドであんな事やこんな事をするんでしょ。それで、最後にちくわの穴へ、皮付きのきゅうりを挿しこむようなことをするんでしょ? 

 

 これはミケちゃんに、前後関係も含めて話さないと! 

 

 車が大きく揺れたので我に返るが、顔が火照って鼻息まで荒くなっている。

 

 これでは、学生時代に毛布に包まりながら恋愛小説を読んで、変な気分に浸っていた知名もえかだ。

 

 <武蔵>艦長の知名もえかよ。

 仕事しろ! 

 

 それを心の声で叫んでしまうくらい、本来の自分を見失ってしまう。そんな無様なわたしに気づかないフリをしてくれたのか、彼は車の針路を見つめたまま順々に教えてくれた。

 

 疑惑人物であるマックス少佐は、合衆国の海軍士官でありグアンタナモ補給基地で勤務しているという。グアンタナモ湾を囲む丘陵の頂上には大型無線塔があり、その付近にある通信指揮所で働いている通信科の将校だ。

 

 そんな所で働いているマックス少佐が、どのような経緯で参謀長の飲み友達になったかというと、航空参謀が紹介したからである。航空参謀にとってマックス少佐は、重要な情報源を拾い上げてくる人物なのだ。だから、上官である参謀長に引き合わせたという。

 

 彼は暗号通信の送受信以外に、連合軍の通信傍受や暗号解読まで担当している。それだけではなく、キューバ島や北米大陸に展開する連合軍の動向を予測するようなことまで関わっていた。驚くべきことに、それが次々に的中しているのだ。

 

 特に、キューバ島に展開する連合軍の航空兵力の分析は、精度が高いらしい。ある時は、敵機の出撃機数や攻撃目標まで予測したそうだ。それに基づいて統合航空軍が待ち構えていたら、本当に敵機がやって来た。

 

 そのおかげで、防空戦は日本軍の圧勝だった。実態は、敵機が日本軍の迎撃機に気づいた途端、爆弾を捨てて全速力で逃げてしまったそうだが。それでも、敵機による爆撃を阻止したのだから、防空戦が成功した事実は揺るがない。

 

 それに比べ、平田大尉がいる軍政監部対中南米工作班とは相性が悪いという。

 

 マックス少佐は、現地の情報提供者とのパイプも握っている。だから、平田大尉たちはキューバ島の治安維持活動のために、それを使わせて欲しいと要望したそうだ。

 

 しかしながら、軍事機密が漏洩する可能性があるとの理由で断られた。さらに、日本陸軍も同じようなことを計画していたが、同様に断られたという。つまり、文官か軍人という線引きではなく、一律に合衆国軍以外には公開しない方針なのだ。

 

 そのため、平田大尉たちは独自で情報提供者を見つけ出そうとしていく。それを続けていたら、いつの間にか少佐のテリトリーを荒らすようになってしまったらしい。

 

 そのような経緯から導き出される動機は、工作班の中心人物である彼への警告もしくは妨害となる。これが、平田大尉の推測だった。

 

 しかしながら、頼りないとはいえ同盟関係を結んでいる両軍の担当者が、相手の身体に危害を与えるような手段を取るとは思えなかった。本当の理由は別にありそうな気がするけれど……。

 

 最後に、彼はわたしに注意を促すように会話を締めた。

 

「最初に言ったけれど、あくまで推測だよ。あの水を持ってきたバーテンダーかもしれないし、参謀長かもしれない」

 

 わたしは、その言葉に返事をせずに後方へ流れていく景色を眺めることにする。うわさ話や推測だけを元にして他人の弱点を話し続けるのは、苦手だからだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ジープはグアンタナモ湾の西岸に沿って南下していく。グアンタナモ湾の最奥部には貨物船や駆逐艦の姿がない。未だにパナマかホーン岬を経由した輸送船団が到着していないらしい。

 

 代わりに、地元の漁師が小さな漁船に乗って漁をしていた。

 

 そんな、のどかな光景を眺めていると春崎長官から教えていただいた話を思い出す。数日前に<武蔵>で長官と会食した時の話題だ。

 

 その話題とは、新鮮な魚貝類を手に入れる方法だった。

 

 日本人は魚介類を好む民族だが、この島の現地住人は一部を除いて魚を食べる習慣が無い。その理由は熱帯地方なので食材の痛みが早く進み、釣った魚をすぐに処理しないと食べられなくなってしまうからだという。

 

 日本人は干物や乾物、なれ寿司という加工方法で魚貝類を日持ちできるようにした。しかし、キューバ人は魚介類に対して日本人のように執着しなかった。代わりに鶏や豚を飼育して、卵や肉を食べている。

 

 だから、日本軍が最初に現地人へ教えたことは、日本語ではなく魚の釣り方と血抜きの方法だったそうだ。それぐらい、日本人は魚貝類が大好きなのだ。

 

 そんな日本軍の士気に繋がる大問題に、現地に到着してから間もない担当者たちは挑んでいく。それを見た英米将兵たちは好き勝手に言っていたが、この担当者たちが作ったフィッシュアンドチップスを口にした途端に、手のひらを返した。

 

「素晴らしい。君たちはいい仕事をしているね」と賞賛の言葉まで添えて。

 

 これを聞いたのが、春崎長官の料理を作っている女性主計兵だった。

 

 彼女も現地人へ魚の捌き方を教えていたが、反応に困ってしまったという。彼らに認められたことを素直に喜ぶべきなのか。それとも、好き勝手に言われたことへ怒るべきなのか。そんなことを悩んでいたそうだ。

 

 この担当者の気持ちは同情できる。もし、わたしに相談されたら、こう答えるだろう。

 

 適当なことばかり言う連中の鼻に、ワサビの茎をねじ込みましょう。もちろん、微笑みは絶やさずに、最後の一人までやり遂げるのですと。

 

 そんな強烈な手段で訴える前に、彼らが白身フライを食べられないようにするだけで、十分な反撃になるのだが。

 

 そんな事を考えながら風景を眺めていた時、ふと思い出した事がある。あの時の大尉の証言だ。

 

「ねえ、舞踏会で『わたしの別名の提案者だ』って言っていたわよね。あれ、どういう意味なのよ」

 

「そのままのとおりさ。僕が考えて統合軍令本部にいる知人に提案した。採用された経緯は知らないけれど、他に案が無かったからじゃないかな」

 

「恥ずかしいから、別名を付けるのは他の人にしてよ」

 

「いいじゃないか。『ポートサイドのヴァルキューレ』って渾名は似合っているよ」

 

「だけど……」

 

「忘れちゃいけないが、あなたはドイツ政府から公共建築物破壊罪で指名手配されている。ヒトラーの自信作を砲撃して壊したから、そうなるのは必然さ。面白いことに、その手配書には別名と嘘の変名が書かれているそうだ。この意味が分かるかい?」

 

「はい。分かりません」

 

「あなたの本名がバレたら、ヒトラーの刺客に狙われるってことさ。日本でも数少ない特徴的な苗字だから探しやすい。それとも、殺されてみたいかい?」

 

「そんなの、嫌だぁ」

 

「だったら、文句は言わない。いいね」

 

「はい……」

 

 彼の理路整然とした説明に反論できず、素直に別名だけではなく変名を受け入れることしか出来なかった。だからといって、怒りたくなるような気分にもならない。

 

 初めて出会った時は太々しい態度だったから毛嫌いしていたけれど、色々な方面から考え抜かれていることに驚いている。

 

 そもそも、日露戦争後の日本人男子にとって憧れの職業は、海軍士官か外交官だった。だから、成績優秀な学生が殺到するので狭き門になっている。彼は、それを潜り抜けてきたから、頭脳明晰なのだ。

 

 彼は時々、その能力の使い方を間違えているが、それはわたしも同じだ。案外、似た者同士かもしれない。

 

 それにしても、少し前の会話で出てきた嘘の変名が気になる。わたしは知らなかったけれど連合軍向け無線放送では、わたしの氏名を勝手に変えて放送していたのだ。

 

 そこまでやるのかと呆れてしまうが、理由はわたしの苗字だった。

 

「僕はあなたが日本人だと信じている。だけど、世界中にいる人間は中国人だと誤解する。間違いなく誤解する。だから、苗字を変えたのさ」

 

「確かに、知名をローマ字に変換したら'China'になるし、それを英語に翻訳したら中国になるけれど……。そこまでする必要があるの?」

 

「ある。北米大陸でドイツ人と戦っているのは、中国人だと思い込んでいる奴らがいる。中国人やアフリカ人じゃない。合衆国の国民がだ。だから、中国を連想させる苗字ではダメだ。なので、新たな苗字を選ばせてもらった」

 

「その苗字は?」

 

「'Reis'(ライス)だ。ライス・モエカ。いい名前でしょ。'Reis'はお米という意味だから日本人を連想させる。ついでに、ドイツ軍にいる有名な女性ヘリコプター操縦士の名前にも似せてみた。彼女の名前はハンナ・ライチュ、単語の綴りは'Hanna Reitsch'だ。だから、苗字はRから始まるようにしたのさ。どお?」

 

「……もうちょっと、可愛い苗字がいいなぁ。ネーミングセンスが絶望的に足りていませんね」

 

「'Ratte'(ラッテ)か'Reich'(ライヒ)が良かったかい? 大型ねずみと帝国って意味だけど」

 

「ライスって素敵な苗字だよね!」

 

 わたしの手のひら返しも上手でしょ! 

 

 勢いで、余計な一言まで話してしまいそうだった。危ない。危ない。

 

 これでは、ワサビの茎を鼻に挿し込まれても文句は言えない。

 

 それはともかく、彼の説明を聞き終えると昨夜の舞踏会の出来事を思い出した。

 

 わたしを「モエカ・ライス」と呼んだ人物がいたのだ。

 

 日本海軍ではわたしのことを、階級である大佐(だいさ)か、<武蔵>艦長と呼んでいる。苗字で呼んでくれるのはごく僅かだ。それに対して、英米海軍やキューバ人はわたしの苗字で呼ぶ。

 

 なお、あの忌まわしき別名で呼んだのはマックス少佐だけだ。そして、本当の名前は知らなかった。

 

 問題は、その変名を呼んだのは誰かということである。それが思い出せないのだ。

 

 しばらく走ると、カイマレナ港の桟橋が見えてきた。

 

 港の桟橋から続く道は、<武蔵>から上がってきた乗組員たちで混み合っている。昨日から許可した特別半舷上陸は、今日も続けるからだ。ちなみに、昨日は左舷側、今日は右舷側だ。

 

 誰もが嬉々満々しているのに、わたしに気づいた途端に生真面目に敬礼していく。それが頼もしく思えるし、妙にきまりが悪い。彼らは、通常の挨拶程度にしか思っていないだろうが。

 

 司令部を出発してから一時間弱走り続けたジープは、ブレーキ音を立てながら目的地である桟橋前に到着した。ここから先は通船に乗り換えなければならない。

 

 わたしは、ここまで運転してくれた礼を伝えるために彼へ顔を向ける。その時、相手は何か言いたげな表情をしていた。気になったので何だろうと思いながら待っていたが、それは答え方に悩む質問だった。

 

「今度会えるのは、いつになりますか?」

 

「はい!?」

 

「いつ会えるのかと聞いたのです。あなたと一緒に話していると楽しいから、仕事以外の時以外にも会いたいと思ったので」

 

 おい、照れながら言うんじゃない。

 これはどう解釈しても口説き文句じゃないか! 

 ついでに、場所を弁えろ。

 <武蔵>(うち)の乗組員たちが聞き耳を立てているんだぞ! 

 

 食事ぐらいならいいけれど、周りにいる乗組員たちが変な噂を立てそうだ。だから、誰もが誤解しないように言葉を選びながら話していく。

 

「ごめんなさい。わたしは軍服を着ている時に誘われても、私的な用事はすべてお断りしています。平民服を着ている時なら考えますけど」

 

「じゃあ、司令部に用がある時にグアンタナモを案内しますよ」

 

「そうですね。その時はお願いします」

 

 穏便に会話を終わらせたつもりだが、その言葉を話すだけで精一杯だった。わたしも焦っていたし、頬が熱くなっていたし……。

 

 0900時に出港する通船に乗り、わたしは一路<武蔵>へ向かう。桟橋では彼が手を振って見送ってくれた。

 

 彼には言わなかったが、<武蔵>がグアンタナモ泊地にいる期間は長くない。

 

 近いうちに、レイキャビクから帰って来た輸送船団と一緒に日本へ帰る予定だからだ。何しろ、<武蔵>は中破しているので、今後も戦い続けるには危ない状態だからだ。

 

 再び彼に会う機会は無いだろう。もしかしたら、司令部に顔さえ出さずにひっそりと泊地から出ていくかもしれない。そして、再びグアンタナモに行くのか未定だ。

 

 わたしは、文字通りに一期一会を体験中である。

 

 だけど、何かしらの理由で彼と会わなければいけないとも予感していた。いや、確実に会わなければならないとさえ思っていた。

 

 その時、ふと気づく。

 

 彼と会いたい気分になるのは何でだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




二〇二〇年三月から書き始め、ようやく二〇万文字を超えるまで書けました。

世間一般基準では遅筆ですが、ここまで書けたのは各話を投稿するたびに読んでくださる読者様のおかげです。また、お気に入り登録や感想までしていただき、ありがとうございます。

小説は起承転結のうち、承の段階に入ってます。次章から転の段階に入りますので、今後もお楽しみいただければ幸いです。

また、一点だけ注意していただきたいことがあります。

もかちゃんの性格や内面について、公式プロフィールに書かれてないことは本小説だけの設定です。また、BLを題材にした小説を愛読書としていた訳ではありません。何となく手に取って読んだだけです。本当に偶然なのです。

最後ですが、本年はお世話になりました。
来年もご愛読を宜しくお願い致します。






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(幕間)とある月刊雑誌の編集局長による随筆(2)

 わたしが受け継いだ戦記小説を刊行するにあたり、取材対象となった二人の元女性海軍士官に会わなければならないと考えていた。

 

 そのため、わたしが刊行許可と取材を兼ねた訪問を申し込んだ。そうして一人の女性の自宅に、もう一人の女性とわたしが集まることに決まった。

 

 これは、わたしにとってありがたいことである。二人が高齢であることを考慮して、各々の自宅に訪問するつもりだったからだ。

 

 当日、わたしを出迎えてくれたのは三浦明乃氏だった。旧姓は岬だそうだが、結婚して苗字を変えている。

 

 彼女の説明によると、かつては栗色の髪だったそうだが、今はすっかり色が抜け落ちてしまったという。それでも、大らかな性格は変わっていないそうだ。

 

 わたしが到着して間もなくすると、もう一人の人物が到着した。それは、五分前集合という海軍の伝統を守り抜いている淑女というべき姿だった。それは、宗谷ましろ氏である。

 

 現内閣で大臣を務め、次期総理大臣候補と期待される国会議員の妻であった。彼女の苗字が変わっていないのは、夫が婿養子として宗谷家に籍を入れたからだそうだ。

 

 彼女も美しく年齢を重ねている。縁のある眼鏡から彼女の知性を、串で梳いた長い黒髪から彼女の気品を感じ取れた。

 

 この後に取材していくが、彼女は生真面目だが融通はあまり利かない性格のようだった。これは明乃氏も指摘したので、間違いないだろう。

 

 その後、わたしは簡単に挨拶を済ませると、訪問した主旨と取材を進めていった。

 

 これより先は、彼女たちの取材状況を文章で再現したものである。

 

 また、文章内における氏名は、一般的な小説における女性名の作法に合わせて、苗字ではなく名前で書かせていただく。

 

 なお、取材内容が何十年前の出来事なので、彼女たちの記憶が誤っていたり脳内で改ざんされたりしている場合がある。また、わたしの実力不足で彼女たちの意図を十分に汲み取れず、謝った解釈で文章化している場合もある。

 

 その点を、あらかじめご承知おきいただきたい。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 今回の取材目的は一九五〇年四月三〇日に生起した、ウィンドワード海峡海戦における彼女たちの行動だ。あの時にどこで何が起きたのか。誰がどのように判断したのか。どうやって解決したかを記録したいのである。

 

 これは、この戦記小説を書きあげた作家が行なったことだが、改めてわたしも実行する。もしかしたら、前回は話し忘れたことを証言してくれるかもしれないからだ。

 

 早速、彼女たちには自己紹介と、この海戦の時における配属先の説明を求めた。

 

「えっと、三浦明乃です。もかちゃ……、知名から『ミケちゃん』と呼ばれていました。わたしは彼女を『もかちゃん』と呼んでいます。ウィンドワード海峡海戦の時は駆逐艦<晴風>の駆逐艦長です。階級は少佐でした。この海戦のあと、反乱者として駆逐艦から降ろされてしまいましたが……。まあ、色々とありました」

 

「わたしは、宗谷ましろと申します。苗字は北海道最北端にある岬と同じ漢字ですが、読み方は『むねたに』です。だけど、『そうや』と間違われることが多いです。これは、わたしの夫も同じですわ。あの海戦の時は、グアンタナモ基地通信隊で勤務していました。階級は大尉、肩書は司令部付の通信科でした。業務は本来の通信以外に、カリブ艦隊司令部の長官や参謀たちの翻訳をしたり、いろんな雑務をさせられたりしていました。だから、通信以外の裏事情に詳しかったのです。あと、知名からは『しろちゃん』と呼んでいただきました」

 

 ここで、ウィンドワード海峡を簡単に説明したい。この海峡はカリブ海と大西洋と繋ぐ航路の一つであり、グアンタナモ湾の湾口にも接続している。この海峡では大航海時代から、交戦国の命運を賭けた海戦が幾度も生起していた。

 

 つまり、ここは文字通りの決戦海峡なのである。

 

 そして、今回取材するウィンドワード海峡海戦も、キューバ島の支配権を決定づける海戦だった。

 

 面白いことに、統合軍令本部戦史研究所が編集した第三次世界大戦叢書では、この海戦に関する記述は少ない。それとは対照的に、フロリダ沖海戦には何頁も割いて詳細に記録されている。

 

 両海戦も、第二次キューバ沖海戦を構成している海戦の一つなのだが、これほど扱いに差があるのは興味深い。

 

 この理由について、取材前には辛勝と完勝の違いだと考えていた。敗北戦と誤解してしまうような損害を出した海戦を、注目させないようにしたいからだと邪推さえしていたのだ。

 

 だが、取材を進めていくと、その認識が大きく間違っていたことに気づく。

 

 彼女たちからの爆弾発言が無ければ、永遠に気づかなかっただろう。それくらいに衝撃的な証言は、後ほど紹介する。

 

 ちなみに、フロリダ沖海戦は世間の一般人でさえ耳にしたことがある海戦だ。

 

 詳細は読者諸氏が詳しいので省くが、日本海軍第一機動艦隊とドイツ海軍第一航空戦隊がメキシコ湾以来の航空戦を繰り広げた海戦だ。この時に日本海軍はドイツ海軍の航空母艦を幾隻も撃沈し、航空戦で念願の勝利を掴んだのだ。

 

 次に聞いたことは、<武蔵>艦長だった知名もえか氏のことだ。彼女の人柄、彼女との関係や親交を答えられる範囲で話してもらう。偶然だが、二人とも海軍兵学校で彼女と一緒に学んだ同期生だった。

 

 最初に証言したのは明乃だった。

 

「もかちゃんは本当に凄い人だった。勉強も出来るし、優秀でリーダーシップがあった。わたしが落ち込んだ時には、いつも励ましてくれた。わたしにとって友達以上の存在でした。それだけではなく、ウィンドワード海峡海戦は彼女がいたからこそ、辛うじて勝てた海戦だと思っています。彼女がいなければ、あの海峡でわたしは命を落としていた筈です。グアンタナモ基地も連合軍に奪われていたでしょう」

 

 続いて証言したのは、ましろだった。

 

「わたしは勉強できるけれど不器用だと自覚しています。でも、彼女は勉強できたし器用でもあった。だから、相手が気づかないように手のひらで転がしてしまうことさえ、何食わぬ顔でやっていました。だから、わたしには真似できないくらい、実力差は大きかったのです」

 

 ここまで聞いてから、少々意地悪な質問をしてみる。

 

「もえかさんとお二方を比べた時、もえかさんより優れていた点は何ですか?」

 

 二人は記憶を辿りながら思い出し、それが間違っていないか相談していく。その結果、運動能力と動体視力は明乃が優れ、兵学校を卒業した時の成績順では、ましろが優れていたという。

 

 しかしながら、もえかは数値では示せない実力があったそうだ。二人が口を揃えて話すので間違いないだろう。ちなみに、兵学校女性クラスの卒業成績順では、ましろは主席、もえかは三番目、明乃は一四番目だったという。

 

 このクラスは三〇人でスタートしたが、授業についていけずに辞めたり病気で身体を壊したりして、徐々に減っている。最終的に一八名しか卒業できなかったそうだ。

 

 もえかの人柄について、もう少し掘り下げてみることにした。

 

「もえかさんは、お二人しかいない時だけ雰囲気が違いましたか?」

 

 二人は揃って頷いた。

 

「つまり、腹黒い性格だったのですね?」

 

 その質問にも二人は頷いた。それだけではなく、明乃が裏話を語る。

 

「う~ん。腹黒いというより、公的と私的の区別をきちんとしていたわ。わたしたちだけで集まった時は、素の彼女を見せてくれたと思う。わたしは幼い時から、もかちゃんと一緒に遊んだり勉強したりした仲だから、彼女も本来の人懐っこさを隠そうとしなかった。普段から落ち着いた性格だし冗談も言えるから、一緒にいると楽しいのよ」

 

「なぜ、そんな性格になったのでしょうか?」

 

「艦長になれば、嫌でもそんな性格になるわ。特に、もかゃちゃんは努力を惜しまない性格だから、戦艦の艦長として相応しい人格を演じていたのだと思う。だけど、ストレスはかなり溜まったようね。グアンタナモで集まった時に彼女の愚痴を聞いてあげたら、物騒な言葉が連発したので怖くなっちゃったわ」

 

「その物騒な言葉について、印象に残ったのはどんな言葉ですか」

 

「それまで言うの? まあ、いいけれど……。確か『焼き鳥を作るのって楽しいよね。遠慮なくお肉に串を挿せるし、炙れるし』とか『包丁を握るとワクワクするよ』とか言ってた。もう一つ、『ちくわの穴に、皮付ききゅうりを挿し込めたっけ?』って話していたわね。だから、何があったのか考えたくないでしょ?」

 

「ただの感想や質問にしか聞こえませんが」

 

「目つきが怖かったのよ!」

 

 どうやら明乃にとって、もえかの心の闇が見えた瞬間だったのだろう。

 

 それにしても、焼き鳥や包丁は何の暗喩なのか想像できる。それに対して、ちくわの穴に皮付きゅうりは何の暗喩なのか分からなかった。

 

 それとも、わたしが触れるべきではない言葉なのだろうか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(幕間)とある月刊雑誌の編集局長による随筆(3)

 明乃は、わたしの目の前に一枚の大判写真を置く。

 

 それには、二十人近くの児童と教員が整列した姿が写っていた。どこかの建物の前で撮影した集合写真らしい。明乃は、その児童たちのうち一人を女児を指した。

 

「この子が、もかちゃん。その右にいるのがわたし。六歳の時に撮った写真よ」

 

 それには、子供の頃のもえかと明乃が写っている。明乃本人と見比べると、彼女の顔には子供の頃の輪郭が残っていた。これが本人なのは間違いなさそうだ。そして、写真に残るもえかは屈託のない笑顔だった。

 

 彼女の説明によると、背後の建物は孤児院だという。もえかは明乃と一緒に女学校に入学するまで、ここで育ったそうだ。

 

 さて、知名もえかという女性は、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい人物である。当時、彼女と一緒に任務に就いた者たちだけではなく、戦時中の日本海軍を研究する好事家たちでさえ評価が真っ二つに分かれるのだ。

 

 批判者は、ウィンドワード海峡海戦における被撃沈隻数や戦闘指揮の問題を指摘する。それだけではなく、連合軍との停戦時期を誤らせたという主張までしていた。

 

 彼らの主張は、停戦時期を二か月遅くすればロンドンだけではなく、英本土からドイツ軍をドーバー海峡に蹴り落とすことが出来た筈だ。それなのに、彼女が真田中将(戦時中に昇進している)や井上大将へ余計なことを説明したから、ロンドンを奪回できなかったのだというものだ。

 

 肯定的意見を述べる者は、当然ながら批判者とは逆の主張をする。

 

 このように両者の意見がぶつかっているが、彼女の容姿だけは評価が一致している。男性であれば、彼女を妻や愛人にしたくなるような美貌だという点だ。

 

 そんな彼女の写真は何枚か残されている。そして、<武蔵>艦長の時にも撮られていた。

 

 有名な写真は、一九四九年一〇月に開催された布哇会談から横須賀軍港へ帰港した時に撮られた写真だ。それは、下艦前に米内総理大臣や山本海軍大臣、さらに<武蔵>の職長たちが集合していた。

 

 大神工廠を出渠してから二か月近く経っており、乗組員たちは巨大兵器である戦艦の操作に慣れた頃でもある。それだけではなく、無事に長距離航海を終えて母港に入港した時でもあるので、誰もが安堵した表情になっていた。

 

 この写真以外にも、元GF司令長官を務めた米内と山本に挟まれたように、三人だけで撮られた写真も残っている。いずれも共通しているのが、日本人らしい微笑を浮かべていることだ。

 

 これらの写真を見た時、知名に対して失礼ながら一つの感想が浮かんでしまう。それは、宝塚歌劇団の女優が軍服を着て撮影に臨んだ、舞台公演の宣伝用写真に見えてしまったのだ。つまり、彼女の容貌と第一種軍装が吊り合っていないように思えたのだ。

 

 違和感の正体は、彼女の顔立ちが童顔だからだと思える。これを可愛いと受け取れるか、頼りないと思えるか、その人物の立場によって様々な意見が出て来るだろう。

 

 明乃はもう一枚の写真を取り出す。今後は小判の大きさだ。室内で撮られたらしく、長机と椅子が何脚も置かれている。

 

 彼女の説明によると、ボケロン港の近くにある食堂で撮ったそうだ。その港は、カイマネラ港の対岸に位置する港である。写真にはもえか、明乃、ましろ、小太りの女性、小学校中学年に相当する女児が写っている。

 

 他にも水兵服を着た男たちが何人か写っているが、いずれも背景の一部となっている。混み合った店内で撮ったらしい。

 

 これが、本当の彼女の姿なのだろう。そこに写っているもえかは、子供の頃を思い出せるような笑顔だった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 さて、あの海戦で彼女たちが何をしたのかを聞く前に、確かめたいことがある。それは、彼女たちがあの島にいた理由だ。

 

 世界中に展開している日本海軍の将兵ならば、誰もが人事局のさじ加減だけで派遣先へ飛んでいく。それは、昔も今も変わらない。

 

 偶然の結果かもしれないが、彼女たちがキューバ島に集まった理由が知りたかったのだ。

 

 それを尋ねると、二人揃って困惑してしまう。その色合いは明乃のほうが濃く、彼女自身が答えを求めているような様子だった。

 

 ましろの説明によると、彼女たちは帝国海軍婦人部隊(WINS)の士官であり、厳密には大日本帝国海軍の士官でないという。英海軍の王立婦人海軍(WRNS)を参考にして設立された部隊だが、実際には正規の兵科将校と同じように扱われていたのだ。

 

 なお、WINSは婦人のW、大日本帝国海軍の各単語の頭文字であるI(J)N、補助員のSを組み合わせた和製英語であり、「ウィンズ」と発音する。日本中央競馬会の場外馬券売り場とは、まったく関係ないのでお間違いなく。

 

 この部隊は、女性将兵が事務や給養員だけではなく、無線、気象予報、工廠の工作作業補助、鎮守府や国外の海軍基地の警備を担当するために設立された。

 

 WINSがWRNSより大きく進歩している点は、駆逐艦までの小艦艇限定とはいえ艦長に成れる点である。兵学校女性士官科と航海科を卒業することが条件だが、艦長まで昇進できるのは画期的だった。

 

 艦長となった女性士官たちは、特務艦に乗って日本沿岸を周航したり、対潜装備を強化した旧式駆逐艦に乗って、日本沿岸の沖合を一〇日程度哨戒して帰港する任務に就く計画だったのだ。

 

 この女性士官制度が有効に機能していれば、彼女たちの任務は海軍内で限定されていた筈だった。しかしながら、切羽詰まった戦況によって制度は拡大解釈されていく。

 

 泊地哨戒任務は国内に限定されていないという無理筋な解釈によって、<晴風>はグアンタナモで作戦行動に就いた。また、工廠に入渠中の艦艇には、誰が艦長になっても構わないという強引な解釈で、もえかが<武蔵>艦長に着任したのだ。

 

 同様の事例は戦争末期になるに従って多くなり、駆逐艦や巡洋艦で女性士官を見かけるようになっていく。

 

 なお、日本海軍は可能な範囲で彼女たちの待遇に配慮している。艦艇に乗艦できるのは士官限定にしていたのだ。

 

 下士官以下の兵員は、軍港で兵器等を整備する時に限って乗艦が許された。なぜなら、航海中に兵員たちの大部屋で、女性兵が男性兵に混じって寝るのはあまりにも危険だからだ。

 

 日本海軍とは対象的に、合衆国海軍は女性水兵を積極的に乗艦させた。相次ぐ敗退で男性兵員の絶対数が不足している状況では、男女の区別なく水兵を採用せざるを得なかったからだ。

 

 男女混合によるトラブル防止のための処置は、日本海軍に比べると極めて簡素だ。例えば、日本政府から貸与された<松>級駆逐艦の兵員用大部屋を、カーテンだけで区切っただけで終わらせた。その程度で兵員たちを男女に分けて乗り込ませたのだ。

 

 では、<春風>がグアンタナモ泊地を拠点にしてどんな作戦任務に就いていたか、駆逐艦長だった明乃に証言してもらうことにする。彼女はノートを開き、グアンタナモ泊地に到着した時のことを話してくれた。

 

「<春風>がグアンタナモに進出したのは一九四九年七月、第一次ユカタン海峡海戦の翌日でした。泊地に到着した途端、第九艦隊司令部(後に、枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、略称カリブ艦隊司令部と改称)から来た参謀が乗り込んできて、命令を下したのです。その海戦で傷ついた艦艇をパナマまで護衛しろと。到着したばかりでカリブ海域のことを把握していないのに、いきなり重大な命令が下されたのです。その時は、戦場とはこんな所なんだなと思いましたわ」

 

 彼女の証言で出てきた第一次ユカタン海峡海戦では、<土佐><キング・ジョージⅤ><ワシントン><剣><アラスカ>といった大型艦が中破以上の損傷を受けている。

 

 これらの損傷を修理するために日本もしくは豪州にある造船所か、北米大陸西海岸にあるサンディエゴ工廠へ向かわなければならない。そのため、損傷した艦艇を潜水艦の襲撃から守りつつパナマまで護衛する任務が必要になったので、<晴風>に割り当てられたのだ。

 

 なお、合衆国海軍太平洋艦隊の基地でもあるサンディエゴ工廠は、一九四八年一二月に反応弾攻撃を受けているが機能は回復しつつあった。工廠施設のうち爆心地に近い区画は放棄され、新たに船台を増築する荒業で対処しようとしていたのだ。

 

 その後、彼女はグアンタナモ泊地を拠点して様々な任務を果たしていく。主な任務は泊地周辺海域や海峡の哨戒、ねずみ輸送だったそうだ。それらの任務について、彼女は詳しく説明してくれた。

 

「まず、哨戒任務は敵潜水艦による偵察や、攻撃を阻止するためでした。防備対象がグアンタナモ泊地の場合、湾の入口から沖合の海域を低速航行で何度も往復します。そうすれば、駆逐艦の聴音機でUボート(潜水艦)のプロペラ音を探知できるのです。目標が見つからなければ、ひたすら低速で航行し続けるだけです。ですが、Uボートを探知すれば爆雷を投下しました」

 

「執念深く潜水艦を追い詰めた訳ですね」

 

「むしろ、<晴風>が追い詰められていたような状況ばかりでした。任務を続けるうちに、なぜかUボートを引き寄せる(デコイ)のような存在になっていたのです。音響追尾魚雷は追いかけてくるし、水中発射型多連装対艦ロケット弾(ディープ・マウシェン)の攻撃も何度か受けたし、散々な目に遭ったのです」

 

「よく躱しましたね。そうすると、潜水艦への攻撃はどのようにされたのですか?」

 

「僚艦か対潜専門の海軍航空隊が仕留めました。魚雷の雷跡を辿ればUボートの位置が割り出せるので、攻撃されると見つけやすいのです。そんなことが続いたので<晴風>が任務に就くと、僚艦や航空隊から『今日も景気よく潜水艦を誘ってね! モテる女は羨ましいよ』と冗談まで言われてしまいましたわ」

 

「戦果はどうでしたか?」

 

「浮上降伏させたのが一隻、それだけです。<晴風>の攻撃で損傷して浮上してきたので拿捕しました」

 

「哨戒任務はどの海域を担当されましたか?」

 

「最初はグアンタナモ湾とマエストラ湾だけでした。キューバ戦線が北上していくと、ウィンドワード海峡とケイマン海峡も哨戒するようになりました。海峡については一時的に友軍潜水艦が担当した時期もありますが、航空隊がUボートと間違えて攻撃してしまう事件があったので、駆逐艦の担当に戻っています」

 

 彼女はさらに説明を続けたが、通常では二隻で小隊を組んで担当海域を哨戒していたそうだ。僚艦は決まっておらず、その都度に編成したという。

 

 その理由は、他の艦艇が緊急で他の任務に就いたり戦没したりしてしまい、固定した小隊編成が組めなかったからだという。

 

 だから、僚艦が駆逐艦ではなく哨戒艇だった時もあるし、一隻だけで哨戒せざるを得なかった時もあったそうだ。

 

 今回の海戦が起きた頃の重点的哨戒ポイントは二つの海峡であり、<春風>は数日間哨戒すると泊地に戻って補給を済ませた。その後に新たな哨戒ポイントに向かうことを繰り返している。

 

 一方、それぞれの湾口に対する哨戒は、艦艇や輸送船団が入出港する直前しか実施していない。通常の哨戒は、対潜哨戒機だけで十分だと判断していたようだ。

 

 明乃は続いて、ねずみ輸送作戦の実情を語ってくれる。ねずみ輸送とは聞き慣れない作戦名だが、これはカリブ地方の複雑な歴史的背景が要因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(幕間)とある月刊雑誌の編集局長による随筆(4)

 ねずみ輸送とは、日没前にグアンタナモ泊地を出撃し、夜間に目的地で物資の荷揚げや兵員を上陸させる作戦だ。

 

 彼女の証言によると、敵に見つからないように夜間だけ積極的に行動する様子が、夜行性の小動物であるねずみに似ているからだという。

 

 この作戦における主な目的地はキューバ島ではなく、カリブ海に点在する島々だった。その理由について、彼女の次のように語った。

 

「カリブ海に浮かぶ島々は、複数のデザイナーが相談せずに織り上げてしまった一枚のタペストリーのように、国籍や言語がバラバラなのです。ある島が英国領だったとして、隣の島は合衆国領になります。その隣は仏国領で、さらに隣は独立国ですが英連邦諸国の一国でもあるような状態です。そして、わたしたちは枢軸陣営の一員である英国領や英連邦諸国、合衆国領の島々へ民需物資を届けなければならなかったのです」

 

 カリブ地方の政治的情勢に詳しい日本人は非常に少なく、わたしも正確に説明出来ない。だから、どの島が枢軸陣営だったのかという説明を省かせていただく。

 

 北米大陸を南下していくドイツ軍はカリブ海にも進出し、一九四八年六月にパナマへ、同年七月にキューバ島やバハマ諸島を占領した。

 

 だが、他にも点在する英領や合衆国領の島々には上陸しなかった。戦略的価値が低いと見なされていたのか、戦力に余裕がなかったからだと思われる。

 

 さて、ドイツ軍に見向きもされなかった島々に暮らす住人は、戦乱の緊張下にありながらも日常的な暮らしを営んでいた。だが、島々の統治者たちや駐屯している軍の指揮官たちは次第に苦悩していく。

 

 ドイツ軍はカリブ海でも、無差別潜水艦戦を実施することを宣言したからだ。こうして、民需物資しか載せていない貨物船でさえ、Uボートの餌食になってしまう。そして、海上交通路が寸断されていったのだ。

 

 彼らは予想していた。このままでは軍の防備態勢を強化する以前に、民間人の生活物資が欠乏してしまうと。

 

 その予感は的中し、その影響は次第に濃くなっていく。燃料が欠乏して自動車は動けなくなり、漁船も沖合へ出漁できなくなる。そして、洗剤や医薬品まで底をついてしまう。

 

 この状況を受けて、島々の統治者たちはドイツ軍へ降伏することを申し入れた。しかし、ドイツ軍は降伏さえも拒否した。

 

 戦後に亡命してきたドイツ軍高官の証言によると、戦略的価値が無い島々に暮らす住人は二級国民以下の存在だったからだという。現在でも人種差別政策を取る大ドイツ帝国にとって、それらの面倒まで抱え込みたくなかったのだろう。

 

 カリブ海の島々に起きた苦境はさらに厳しくなり、遂には食料さえ不足してしまう。民間人たちが必要とした食料の総量は、島で採れる穀物や海産物だけでは足らないからだ。

 

 こうなると、民間人から餓死者が発生するのは時間の問題となった。

 

 食糧難に陥った住民の一部は、難民になって近隣の島に避難していく。しかし、その島でも食糧難が続いているので、難民と住人は対立してしまう。それが、血しぶきを上げるような殺し合いに発展し……。

 

 道端の随所で色鮮やかに咲き誇る花々は、被害者から飛び散った鮮血を涙のように滴り落としていく。そして、美しいカリブブルーに囲まれた島々は餓島(がとう)と化していた。

 

 その窮状を見兼ねた日英同盟寄り中立国が、人道支援を名目として支援物資を運びこむことを決意する。貨物船の船尾に国籍旗を堂々と掲げて、ドイツ占領下にあるパナマ運河を超えてカリブ海に進入したのだ。

 

 ドイツ軍はこれらの貨物船が通行することを許可した。パナマ運河通過前に貨物船を臨検し、積載物に軍需物資が無いことを確認しているからだ。

 

 なお、中立国の船舶なので攻撃を受けないという理屈は、相手側が国際法を守っている前提での理屈だ。実際には国籍を確認せずに発射された魚雷に被雷してしまい、あえなく沈んだ貨物船もある。

 

 だから、中立国が人道支援のために貨物船を派遣したのは英断なのだ。

 

 そのような中立国の努力によって民間人の飢饉は凌いでいたが、明くる年である一九四九年四月になると一気に変化する。枢軸軍がグアンタナモを奪回したからだ。

 

 この時から平穏なカリブ海域は戦闘海域に一変し、中立国の船舶が航行するには危険な海域になる。それだけではなく、連合軍は全世界に点在する中立国へ通告した。

 

 中立国が一方の陣営に肩入れし続ければ、敵国として見なすと。

 

 このような経緯で、枢軸軍の新たな作戦としてカリブ海各諸島への民需物資輸送が加わった。カリブ海に点在する島々で飢えに喘ぐ住人を、宗主国は助ける責務がある。それを、英国や合衆国は忘れていなかったのだ。

 

 これを受けて、軍令部は民需物資の輸送計画を立案していく。

 

 最初の計画では、太平洋を横断してパナマに到着した貨物船団から、数隻の貨物船を分離させてカリブ海の島々へ直航させようとした。だが、すぐに問題に直面してしまう。

 

 しかし、殆どの島々の港湾設備が貧弱だったのである。太平洋航路を横断する積載量一万トン級貨物船では喫水が深すぎてしまい、目的地の岸壁や桟橋に接岸出来ないのだ。

 

 艀を使って貨物船から降ろした貨物を桟橋に移す手段もあるが、現実的ではない。キューバ島やジャマイカ島のような大きな島ならば、天然の防波堤や防潜網となる半島によって貨物船を隠せられる。だから、揚陸作業に時間が掛かっても許される。

 

 しかし、ケイマン諸島やカイゴス諸島の場合、桟橋が外洋に面していた。その沖合に停泊して揚陸作業を続ければ、Uボートの餌食になるのは確実である。無防備な姿を晒す貨物船を見逃すような愚か者では、Uボート艦長に成れないのだ。

 

 つまり、カリブ海域の島から島への輸送に適した貨物船は、瀬戸内海で活躍しているような積載量一五〇トン級貨物船だったのである。そして、それらの貨物船は、Uボートによって波間に姿を消していた。

 

 では、積載量一五〇トン級の貨物船をどうやって調達するか? 

 

 この問題を短時間で解決するためには、瀬戸内海で活躍している貨物船を二〇隻徴発してカリブ海に送ればいい。海軍大臣の朱印が捺された書類一枚で済むため、とても簡単だ。

 

 そして、その提案は統合軍令本部によって即時却下された。

 

 ただでさえ、これらの貨物船は阪神工業地帯へ原材料を運んだり、完成品を運び出すために日夜休むこと無く航海し続けていたのである。それを徴発されたら、軍需品の生産工程が大きく狂ってしまうし、前線へ軍需物資が届けられなくなる。

 

 銃身の工作機械は鋼材が無いと線条痕さえ刻めない。それを、作戦計画の立案者は理解していなかったのだ。

 

 対策案として、一五〇トン級の貨物船を速やかに建造する案が持ち上がったが、これも現実的に不可能なので却下されてしまう。

 

 当時、日本、豪州、合衆国西岸にある造船所では、<松>級駆逐艦や戦時標準船を量産中であり、この積載量の貨物船を建造する余裕が無かったのだ。

 

 中立国である(タイ)王国から中古の貨物船を調達する案も生まれたが、数隻しか購入出来なかった。この国は中立国の立場だが、国内の余剰船舶を使って枢軸国への貨物輸送に協力していたのである。

 

 このように、民需物資輸送作戦では様々な問題に直面していた。

 

 だが、軍令部は作戦を成功させるために、あらゆる手を尽くした。あちらこちらから戦力や機材をかき集め、GF指揮下の第九艦隊に配属させたのだ。

 

 さらに、グアンタナモに将旗を掲げていた第九艦隊も、指揮下の艦艇に新たな任務を与えた。こうして、民需物資輸送作戦が、<晴風>にとって哨戒任務と並ぶ重要な任務になったのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 明乃は彼女自身が経験した、ねずみ輸送の実情を語ってくれた。

 

「民需物資を満載した貨物船は、グアンタナモ泊地に着くと荷下ろしをします。その貨物は港や倉庫で仕分けしてから、戦車揚陸艦に乗せました。これらは艦首が浜辺に向かって開き、車両が直接乗り降りできる艦艇です。<晴風>はこれらの艦艇の旗艦として目的地に向かいました。目的地はジャマイカ島、ケイマン諸島、カイゴス諸島です」

 

 彼女の説明に出てきた戦車揚陸艦は、船内の車両や貨物を浜辺で揚陸させられる艦艇である。本来の用途は敵地への上陸作戦用なので、銃砲撃を浴びるような過酷な環境で使用される艦艇だ。それを、この作戦に投入していた。

 

 彼女は何十年前の出来事であるにも関わらず、昨日の出来事のように話していく。

 

「民需物資輸送作戦の時は、空が明るいうちにグアンタナモを出撃しました。大抵の場合、陣形は<晴風>ともう一隻の駆逐艦を先頭したY字形、基本的に速力は一二ノットです。後に続く戦車揚陸艦は、目的地にいる住人の人数によって参加隻数を変えました」

 

「積み荷について教えてください」

 

「自動車や漁船の燃料、軍の携帯食料、水タンク、赤ちゃんの粉ミルク、土木用の資材、医薬品。どれも生活に必要なものばかりです。現地に駐屯している部隊向けに銃火器も載せました」

 

「輸送作戦の決行日について教えてください」

 

「ねずみ輸送は新月前後で、天候が安定した時に決行しました。天候に左右される理由は、戦車揚陸艇が独特の構造をしているからでした。艦首が車両の傾斜路を兼ねているので、平らな面が大きく波を切りにくいのです。航洋性は<松>級駆逐艦よりも劣っていたので、悪天候に航行すると、艦首が損傷して沈んでしまう恐れがあったのです」

 

「天候が悪い時はどうするのですか?」

 

「現地から苦情を言われますが、一か月先まで延期します。だからとはいえ、ナチスによる攻撃を受けた時には、緊急で物資を送らなければならない時もありました。その時は<晴風>以下数隻の艦艇に、救援物資を詰めたドラム缶を三〇本くらい積んで届けに行った時もあります。ドラム缶は空てい部隊で使用しているロープで、数珠つなぎにしていました。そのロープの端を目的地で待機している小舟に結んでから引っ張らせると、ドラム缶が次々に海中に落下する仕組みです。こうすることで、揚陸作業が短時間で行えました」

 

「連合軍からの攻撃を受けましたか?」

 

「はい。ほとんどがUボートからの攻撃でした。航海中や揚陸作業中に関係なく、魚雷を撃ってきました。敵機からの爆撃は、揚陸作業中に二回だけ受けています」

 

「Uボートを探知したら、どのように戦いましたか」

 

「航海中であれば<晴風>か僚艦一隻だけでUボートの動きを封じ、その隙に揚陸艦を通過させました。それだけではなく付近で哨戒任務に就いている僚艦や、対潜航空機に応援を頼んだこともあります。不思議なことに、殆どのUボートは揚陸艦に見向きもせず<晴風>ばかり狙ってきました。戦車揚陸艦より全長が長いので、Uボートから見ると大物に見えたのかもしれませんね」

 

 この彼女の証言を裏付けるように、当時のUボート艦長も戦車揚陸艦への雷撃は難しかったと証言している。

 

 それによると、戦車揚陸艦の喫水が駆逐艦より浅いので雷撃深度の設定に悩んだという。

 

 通常ならば小型艦艇への雷撃深度を三メートルから四メートルに設定するが、この深度では戦車揚陸艦の艦底をすり抜けてしまうのだ。

 

 深度を浅く設定すれば波頭に持ち上げられて、海面に飛び出してしまう。こうなると、魚雷の針路が狂ってしまい見当違いの方向に進んでいくのだ。

 

 ここで、第三次世界大戦で両陣営が使用した魚雷に詳しい読者ならば、Uボート艦長の証言が奇妙なことに気づくだろう。それは、魚雷に装備された複数の信管のうち、磁気信管に一切期待していないような証言をしているという点だ。

 

 当時のUボートで使用していた各種魚雷には触発信管と磁気信管という、二種類の起爆装置が組み付けられていた。触発式は艦腹にぶつかった衝撃で起爆し、磁気式は鋼鉄製艦船の磁気に反応して起爆する。

 

 磁気信管が有効に機能していれば、戦車揚陸艦の艦底をすり抜ける瞬間に目標の磁気を感知して起爆するのだ。だが、それが起爆しないことが当然のようにが証言していることから、磁気信管の信頼性は低かったのだと思われる。

 

 このような技術的情報は未だにドイツ政府が公開していないので、この真偽は今後明らかになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 あのミケちゃんがUボート狩りや水上砲戦で、血に飢えた様に戦う姿が想像できませんでした。そのため、ねずみ輸送という地味な民需物資輸送作戦を設定し、これを確実に成功させる裏方のエキスパートになってもらいました。

 また、ねずみ輸送を海上護衛総隊(EF)ではなく第九艦隊が担当しているのは、EFが戦車揚陸艦を持っていないという設定だからです。

 なお、シロちゃんは原作では砲雷科所属ですが、本作では通信科所属にしています。ご注意あれ。






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(幕間)とある月刊雑誌の編集局長による随筆(5)

 彼女が証言するねずみ輸送作戦は、目的地で貨物を揚陸する段階に入っていく。

 

「揚陸作業に入る前に幾つか注意したことがあります。一つ目は目的地へ荷下ろしする時刻を、満潮時刻を過ぎてから始めるようにしたことです。戦車揚陸艦は艇首を開くと前進できなくなります。潮が満ちていく最中に開くと波打ち際がどんどん遠ざかってしまいますし、水深が深くなるので軍属の人夫たちが溺れてしまうからです。最初の頃は、すべて人夫が手で抱えて貨物を運んでいたので、そのような事まで考慮しなければなりませんでした」

 

 彼女の証言のうち、軍属の人夫だけで貨物を運んでいたという証言を聞いた時、わたしは「おやっ?」と思った。

 

 日本海軍は敵前強襲上陸作戦のために、聯合陸戦師団を二個も編成しているからだ。この師団には水陸両用のトラックがあるし、軍用トラックもある。それを使わなかった理由が気になったのだ。

 

 その点を質問すると、彼女はすぐに答えてくれた。

 

「それらの車両は聯合陸戦師団の専用機材でしたし、戦況が厳しいので貸してくれる余裕が無かったからですわ。それが使えれば荷下ろしが楽になったのですが……。まあ、年が明けた頃からトラックで、貨物を降ろせるようになったので楽になりました」

 

 つまり、日本海軍の内部事情によるものだったのだ。

 

 事実、この年の九月後半に「剣」号作戦が決行されていた。その作戦のために機材を温存し、撤退戦によって失った機材を揃えるには時間が掛かる。

 

 その期間中、ねずみ輸送隊は軍属となった地元住人たちの力を借りなければ、民需物資さえ思い通りに運べなかったのだ。

 

 明乃は小首を傾げつつ、証言を続けていく。彼女は脳内に蓄積された記憶を引き出しながら話していた。

 

「二つ目は、どの貨物を最優先で降ろすかということです。ナチスの艦隊が接近してきたら、揚陸作業を中断して一目散に逃げなければなりません。そうなっても島の住人が一ヶ月間生活できるように、最低限の貨物を降ろしておきたかったのです」

 

「それを揚陸直前に指示したのですか?」

 

「最初に説明すれば良かったですね。もちろん、それが出来るようにグアンタナモでは貨物の積み方まで指示しました。ちゃんと、船の左右バランスが崩れないように貨物の重さまで計算しています。面白いことに兵学校を卒業した将校たちは、わたしの計算を誰一人理解出来ませんでした。しかし、商船学校を卒業した予備士官たちは、わたしがやろうとしていることを一瞬で理解してくれました」

 

「わたしは船を動かす人たちの世界に詳しくありませんが、優秀な成績を持つ兵科将校たちが理解できないという事実が理解できないのです」

 

「わたしの主観ですが艦艇の乗組員は、銃火器を最良の条件で撃てるようにすることを重視しています。それに対して貨物船や貨客船の乗組員は、前後左右のバランスが取れるように貨物を積むことと、燃費を最小に抑えることを最優先で考えています。ちなみに、国鉄の鉄道連絡船乗組員は、猛吹雪の津軽海峡でも定刻通りに到着することに人生を賭けています。はっきり言って、あの人たちは頭がおかしいです。良い意味ですけどね」

 

「なぜ、あなたは貨物船の乗員が扱う計算式を扱えたのですか?」

 

「わたし、もかちゃんと一緒に兵学校を卒業したのに、数年で予備役になっちゃったのです。再就職先が瀬戸内海で貨客船を運行する船会社だったので、そこで貨物の扱い方に関するイロハを学びました」

 

 その時、わたしは取材前に調べた明乃の経歴を思い出した。彼女はもえかと一緒に兵学校を卒業してから数年後、病気療養のために予備役になっているのだ。

 

 その後、瀬戸内海や日本海で貨客船を運行する海運会社に就職し、ここで高速旅客船や貨客船の航海士を務めている。戦争が勃発すると、彼女は予備役招集を受けて海軍に復帰していた。

 

 だから、彼女は海軍の艦艇と民間の貨物船では、重視すべきポイントが異なることを理解しているのだ。それにしても、彼女が予備役になった事情が気になったので尋ねてみた。

 

「少々脱線しますが、予備役になった時の病気は治ったのですか?」

 

「そうねえ、一生治らない病気だわ。だって、女心を患っちゃったんだもの」

 

「はい?」

 

「女であれば誰もが一度は体験したくなる本能的な病気かも。詳しく知りたい?」

 

「ええ、お願いします」

 

「子供が出来たからよ」

 

「えっ? いま、何と言われましたか?」

 

「こ・ど・も。今は『出来ちゃった結婚』って言うそうね。わたしも驚いちゃった。だって、結婚前に旦那と一緒に海辺を歩いた時に、岩陰で初めて」

 

「ミケちゃん! 今日はいつものお茶会じゃない!」

 

 間髪入れずましろが遮ろうとする。

 

 しかし、明乃の艶やかな唇は閉じることなく、ましろを赤面させるような言葉まで呟いていく。

 

「皆から順番が逆だって言われたよね。シロちゃんにも怒られたし……。でもね、シロちゃんがわたしの出産に立ち会ってくれた時は、本当に嬉しかったな。凄く心強かったもん」

 

「だ、だって、わたしだって、ミケちゃんの赤ちゃんを見てみたかったし……」

 

 それまで生真面目な表情を保っていた彼女は、明乃の言葉を聞いた途端にそれを崩して顔を赤らめる。予期せぬ言葉を受けて、しどろもどろに答えるのが妙に面白い。

 

 この二人の仲は同期生の絆より深いようだ。

 

 このまま放置すれば、明乃の証言が明後日の方向に進んでしまい、本誌へ記載できない話題になってしまうだろう。それはそれで、面白い読み物になるが。

 

 それにしても、彼女の出産と予備役編入が繋がらない。それを質問すると、明乃は簡潔に語ってくれた。

 

「当時の日本海軍には、産前産後休業や育児休業の制度が無かったの。だから、わたしには子育てするために、病気療養という理由で予備役になるしか出来なかったのよ」

 

 当時は国家公務員だけではなく民営企業でも、女性従業員が結婚したら寿退社して育児に専念する時代だ。その思想は現在でも色濃く残っているが、当時は絶対的な思想だった。

 

 だから、明乃は海軍の現役士官として残ることが出来ず、泣く泣く予備役に編入されたのだという。

 

 一方、ましろも明乃に続いて結婚と出産を経験しているが、名家の出身なので子育ては乳母に任せられた。だから、彼女は早々と復帰できたので現役将校のままだった。

 

 だが、ましろの心境は複雑だったようだ。

 

 彼女は自虐するように呟いた。

 わたしは、母親失格だと。

 

 それを耳にした時、わたしたちは言葉に詰まり微妙な空気が漂ってしまう。

 

 そんな空気を押し出すように、明乃へねずみ輸送作戦の続きを語ってくれた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 明乃は本題に戻り、目的地で揚陸作業中における注意点を語っていった。

 

「絶対に忘れてはならない点は、夜明けまでに目的地から離脱しなければならなかったことです。ケイマン諸島やカイゴス諸島では入り江や湾が無いので、外洋からまっすぐに浜辺に向かい揚陸作業を始めました。これはUボートにとって絶好の機会です。Uボートは海中で待ち伏せしていますし、作業中の戦車揚陸艦が陸地や珊瑚礁に遮られずに丸見えになっています。その気になれば、海中のどこからでも魚雷を撃たれる状況でした」

 

「夜明けを待ってから離岸したほうが安全ではありませんか?」

 

「Uボート艦長の立場になって説明しますが、夜間は島影に揚陸艦が溶け込むので目視で位置を掴めません。ですが、日が昇れば島影と揚陸艦の区別がつくので、目測で雷撃し易くなるのです。だから、わたしたちは夜明け前までに離岸しなければなりませんでした」

 

「航海中と揚陸作業中では、どちらが危険でしたか」

 

「揚陸作業中が一番危険でした。航行中に通過するUボートの潜伏ポイントには哨戒中の艦艇や対潜哨戒機が助けてくれますが、揚陸作業中は<晴風>と随伴した僚艦だけで守らなければならなかったのです」

 

 彼女はUボートの雷撃を避けるために、考えられる限りの手を打っていた。

 

 ケイマン諸島を例にすると、ねずみ輸送隊はグアンタナモから最短距離となる東側ではなく、南側や西側から接近した。東側にはUボートが海中に潜んでいるだろうと予測していたのだ。

 

 さらに、西からグランドケイマン島、ケイマンブラック島、リトルケイマン島と三つ並ぶ島のうち、どの島に着岸するかを到着直前まで現地住人に教えなかったそうだ。情報が漏れるのを防ぐ目的だという。

 

 それだけではなく、Uボートを欺く手段も考え抜かれたものである。

 

 ある時は、囮として一隻の戦車揚陸艦を空荷のままで出撃させたことがある。その揚陸艦は駆逐艦一隻の護衛を受けながら、最東端にあるリトルケイマン島に到着した。

 

 当然ながら、その付近で潜伏中のUボートは揚陸作業中だと認識し、この揚陸艦に雷撃するために忍び寄っていく。

 

 その結果、Uボートは元々の潜伏位置から移動するので、Uボートによる哨戒網に穴が空く。彼女は、その穴を突くように輸送隊本隊を突入させ、最西端にあるグランドケイマン島へ到着したのだ。

 

 そして、速やかに揚陸作業を進め、夜明け前に島から離脱した。結果として、リトルケイマン島にいる戦車揚陸艦は雷撃を受けて大破着底したが、乗組員は全員退避しており人的損害は無し。ねずみ輸送作戦は成功したのである。

 

 それ以外にも、彼女の気まぐれで考えた作戦があったようだが、結果としてUボートを翻弄させている。

 

 しかしながら、すべてのUボートを思いのままに操れた訳ではない。揚陸作業中にUボートを接近させてしまった時もあったという。

 

 その時は、明乃が指揮する<晴風>が本領を発揮する瞬間でもある。

 

 度重なる死線を潜り抜けてきた異端の甲型駆逐艦は、その使命を果たすために深海の猟犬と戦ったのだ。

 

「戦車揚陸艦が揚陸作業中、<晴風>は沖合を周回しながら半速(九ノット)で警戒していました。これより速く走ってしまうと、水中聴音機へ航走音が入ってしまうからです。一方、<晴風>のマストはUボートの艦橋より高い位置にあります。だから、Uボートより探索範囲が広いのです。こんな有利な状況を生かすため、<晴風>は常に電探や赤外線探知機を作動させていました。逆探も作動させています。だから、Uボートが少しでも動いたり電探を作動させたりすれば、すぐに探知出来ました」

 

「そこまで万全なら、Uボートの雷撃を受けずに済みそうですが?」

 

「探知と雷撃阻止は別物です。事前に探知しても、雷撃される前にUボートを制圧するのは難しかったのです」

 

 明乃はそのように語るが、実際に被雷したのは片手で数えられる回数しかない。

 

 その理由は単純である。人間が作り上げた物体は、人間によって壊したり無力化したりすることが可能だからだ。

 

 当時、Uボートが使用していた魚雷は何種類かあるが、<晴風>への雷撃には通常魚雷と対艦攻撃用の音響追尾式魚雷が使われたという。

 

 音響追尾式魚雷とは、騒音の発生源に向けて自動的に変針する魚雷だ。その音源とは、艦艇を推進させるプロペラの駆動音である。これが艦艇にとって最も騒々しい音になる。

 

 ドイツ海軍がこの魚雷を戦場に投入した時、日英海軍は恐慌状態に陥った。駆逐艦を含めた艦艇が魚雷を振り切れずに追尾され続け、被雷するのを覚悟することしかできなかったからだ。

 

 だが、日英同盟は知恵を絞り、魚雷の対抗手段を生み出したのだ。具体的には船舶の騒音源より大音量で、プロペラ音に似せた欺瞞音を発生させる欺瞞装置を開発したのである。

 

 音響追尾式魚雷は、この装置から流される音源の真偽が区別出来ない。そのため、プロペラ音より大音量を出す欺瞞装置へ針路を逸らされてしまったのだ。

 

 <晴風>も、この装置を曳航音響体(ドルフィン)として装備している。目的地の沖合を警戒しながら航行している時には、それを艦尾から降ろして曳いていたという。

 

 なお、音響追尾式魚雷について戦時中に起きた逸話がある。

 

 あるUボートが発射した音響追尾式魚雷が、Uボートのプロペラ音を敵駆逐艦として探知してしまったのだ。その魚雷は音響を探知すると大きく旋回し、Uボートの艦尾に向けて海中を突き進んで命中した。

 

 Uボートは自ら発射した魚雷で自らを破壊してしまったのである。

 

 それくらい、音響追尾式魚雷の音源識別能力は精度が低かった。磁気信管と同様に、一〇〇パーセント確実に機能するものでは無かったのだ。

 

 <晴風>はそれらの魚雷以外にも、自走式機雷やUボートから発射する対艦多連装ロケット弾(ディープ・マウシェン)による攻撃を受けている。だが、ことごとく回避に成功していたのだ。

 

 Uボートによる先制攻撃を受けた後は、<晴風>や僚艦による反撃が始まる。

 

 その対潜戦闘で活躍するのは七式散布爆雷投射機という。対潜迫撃砲を二四発も同時に発射出来る兵装だ。戦果が乏しい対潜攻撃を効果的にさせた、革命的な兵装でもある。

 

 従来の九一式爆雷は設定深度に達すると、自動的に爆発する仕組みになっていた。これでは、爆発前にUボートが深度を変えてしまうと、それがいない深度で爆発するので目標に被害を与えられないのだ。

 

 それだけではなく、構造上の都合により艦尾に装備しなければならない。だから、Uボートの針路を予測しながら艦艇の針路を、随時修正しなければならなかった。

 

 当然ながら、Uボートが変針したり予想針路を誤ったりすれば、絶対に目標へ命中しない。

 

 それに比べて、七式散布爆雷はUボートに直撃した時だけ爆発するので、戦果確認が容易なのだ。さらに、艦艇の前方海面へ多数の砲弾を撃ち出せるので、Uボートの予想針路へばら撒くように発射できる。

 

 こうして、ねずみ輸送隊はUボートへ果敢に反撃していったのだ。

 

 明乃はそこまで証言すると一呼吸した。そして、力を籠めるように話をまとめる。

 

「揚陸作業中にUボートの雷撃を受けましたし、敵機の爆撃も受けています。それでも、ねずみ輸送隊はUボートが音を上げるまで粘り強く、確実に民需物資を送り届けました。それが成功した理由は一つだけ、ナチスが<晴風>を敵に回したからです」

 

 そのように語る明乃の表情は、かつて<晴風>の艦橋で対潜戦闘を指揮した彼女を彷彿させた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ここで明乃への取材は一旦休憩し、隣で座っていたましろへ取材しようとする。

 

 それまで彼女は、わたしたちの話に耳を傾けつつ明乃が用意した写真を見ていた。そして、わたしが彼女に顔を向けた丁度その時、ましろは静々と話し始めたのだ。

 

「ミケちゃんの子供の話で思い出したけれど、もかちゃんが暴走気味になったのは、この子に出会ってからだったよね」

 

「どの子? そうそう、この子だった。この子の名前は……、えーと、スーちゃんと呼んでいたのは覚えているけれど、本名は忘れちゃった」

 

「確か、スーザン・レジェスだったと思う」

 

「そうよ。スーザン・レジェスだわ」

 

 わたしは二人の会話に戸惑いながら聞き続けるが、ましろが気を利かせて、写真を見せてくれた。

 

 それは、先程見せてもらった例の食堂の写真だ。彼女は、そこに写る人物のうち一人の子供を指さした。

 

「この子がスーザン・レジェス。もかちゃんが本気になるトリガーを引いた子だったのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 RSBCの愛読者ならば既にお気づきかと思われますが、作中の編集長は菅沼卓三氏をイメージして書きました。

 本当は小説本文に彼の名前を書きたいのですが、ここである問題にぶつかります。

 実は肖像権に抵触しそうなのです。

 RSBCでは実在の政治家や官僚だけではなく、佐藤御大の身近にいる実在人物をそのまま小説の登場させているからです。

 その人物たちのうち日本海軍の将兵として登場するのは、作者が把握している限りで清水中尉、加藤中尉、森井中尉、大島中佐、下村少尉、高梨法務大佐、そして菅沼中尉です。

 さて、本小説はRSBCの二次創作なので、ここの登場人物をそのまま登場させたいのです。しかしながら、解釈によっては実在人物を無許可で登場させることにもなります。

 WEB小説投稿サイト「ハーメルン」の利用規約では、「芸能人などの実在する人物が登場する作品の投稿」を禁止しているので、規約に基づいて氏名を書かないようにするか、苗字を変えなければなりません。

 小説の作中人物だと言い切ってしまうことも出来ますが、どうしましょう?

 それとも、大サトー学会に参加する(かもしれない)ご本人にお会いして、了承を頂いてからにしましょうか?

 だって、ご本人から作者へ直接メッセージが届くような奇跡は、有り得ませんからねえ。

 そういう訳で、様々な面から検討中です(;一_一)

 なお、カリブ艦隊司令長官の春崎大将は、フィリップ・K・ディック著の「高い城の男」に登場する春沢提督と手崎将軍を組み合わせており、本作のオリキャラです。

 平田大尉もオリキャラです。そして、名前を伏せますが現役の漫画家がモデルです。

 正直に言うと、今でもヒヤヒヤしています。Twitterから、どんなお叱りの言葉が飛んでくるのか想像つかないので……。

 しかしながら、RSBSが連載し続けていれば佐藤御大による遊び心によって、しれっと作中に登場したと思われます。実際のところ、「学園○○○」にサブキャラとして登場していますし。

 そもそも、本作は未完となったRSBCにおける「贖罪作戦以後の世界」を、作者なりに再現しようとしています。そのため、小説の再現性を高めるために、この人物も登場させました。

 念のために書きますが、本人に敬意を示すために雑魚キャラではなく、サブキャラにしていますよ! 

 大事な事なので繰り返しますが、サブキャラにしていますからね!



 さて、次回投稿は2/14(日)になりますので、宜しくお願い致します。
 





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第三六話

ボケロン港、グアンタナモ市郊外、キューバ島

一九五〇年四月二七日 午後二時二三分

 

 

 

 グアンタナモ泊地では、泊地に錨泊する艦船を陸地を行き来できる通船が巡回している。

 

 この船はカイマネラ港から出港すると、泊地に錨泊している艦船を廻ってからボケロン港へ向かい、カイマネラ港まで帰るのだ。

 

 <武蔵>から特別半舷上陸休暇を取って上陸した水兵たちは、当然ながらこの通船を利用している。しかしながら、この通船に全員が乗り切れる筈ではないので、<武蔵>からも内火艇を降ろして運んでいた。

 

 そして、わたしはこの通船に乗って再び上陸した。今回の上陸地はボケロン港だ。

 

 グアンタナモ泊地の西岸側にあるカイマネラ港は日英が管理しているから、東岸側にあるボケロン港が合衆国が管理している。だから、仮設桟橋に立つと風にはためく星条旗がわたしを迎えて……、くれた筈だった。

 

 残念なことに雨が降っているので国旗はしょんぼりと垂れていたのだ。午後五時に旗を降ろすまで少々みっともないが、このまま吊るされ続けるのだろう。

 

 通船から降り立ったのは、わたし以外にもいる。そのうち、一人の中尉は重たい木箱を肩に乗せてわたしの後ろへ付いてくる。それは、わたしの副官である伊東中尉だ。

 

「中尉、木箱の中にはガラス瓶が入っているから気を付けてね」

 

 わたしが声を掛けると「大丈夫です」と返事が来るが、彼にとって少々重い荷物だったようだ。

 

 士官(オフィサー)は作戦を立案して水兵(セーラー)たちに戦争させるのが仕事である。だから、水兵たちの日課である肉体労働は得意ではない。

 

 何しろ、水兵たちは食糧庫から漬物をぎっちり詰めた樽や米袋を、肩に載せてラッタルを昇り降りしている。それだけではなく、重い機銃弾を弾薬庫から素早く運んでくる訓練を毎日行っているのだ。

 

 並の筋力しかない士官は、彼らのような筋力に勝てない。これは事実である。

 

 それを承知の上で中尉に荷物を運ばせている理由は、目的地で彼にご褒美をあげようと考えていたからだ。

 

 わたしたちが仮設桟橋を歩いていくと、それが接続する岸壁へ接岸中の駆逐艦に視線が向かう。

 

 その駆逐艦は、岸壁に設置された小型起重機で次々に物資を積み込んでいる。わたしが通りかかった時には、艦首にある発射機の前に揚重用のバスケットが置かれていた。

 

 そのバスケットに駆逐艦の乗組員が群がり、次々に砲弾を降ろしている。あの発射機は七式散布爆雷投射機なので、降ろしているのは対潜迫撃砲弾のようだ。

 

 開戦前に駆逐艦の側面にカタカナ文字で大きく書かれている艦名は、戦時中の防諜対策で塗りつぶされている。だが、その艦名をわたしは知っている。

 

 その名は<晴風>だ。

 

 特型の<吹雪>級駆逐艦の後継として建造された、甲型の<陽炎>級駆逐艦の一隻であり、カリブ海だけではなく紅海や印度洋で戦ってきた歴戦の駆逐艦だ。そして、わたしにとっても思い出深い駆逐艦である。

 

 この駆逐艦に乗っていた時に真田提督と出会い、夜間にドイツ海軍と砲火を交えたのだ。それだけではなく、その以上に過酷な経験もしてきた。

 

 ペルシャ湾でJu87(スツーカ)による急降下爆撃を受けてしまい、至近弾の破片を浴びて艦長以下多数が戦死したからである。その時、わたしは生き残った最先任士官であり、代理艦長にならざるを得なかった。

 

 そして、穴だらけになった駆逐艦で荒天海域を突破してコロンボまで航行する、冒険紀行のような任務までやり遂げたのだ。

 

 その時の状況は今でも鮮明に思い出せる。

 

 絶望的という言葉すら生易しいと思えた。

 

 被弾して穴だらけになった天井や硝子板が砕け散った窓から、容赦なくわたしを叩きつける風雨。羅針盤は根本から折れ、海図は雨水でふやけて使い物にならない。六分儀で艦位を測定しようとしても、荒天では測りようがない。

 

 無線で救援を頼もうとしても、無線機は被弾によって破損している。空中線は海水を被っているので使い物にならない。艦は押し寄せる波によって揺さぶられ、操舵機や伝声管を掴んでいないと転がりそうになるくらい酷い揺れだ。

 

 その時、わたしは波浪によって駆逐艦が浸水しないか、それ以前に<晴風>はどこにいるのか、確実にコロンボへ向かっているのか、そんな事をしか考えていなかった。

 

 そして、艦橋の死傷者の代わりに配置についた水兵たちを、励ましつつ任務に専念させることも考えなければならない。それが一昼夜続いたのだ。

 

 わたしが出来たのは、波頭が迫ってくる方向に向けて艦首を向けたこと。プロペラの回転数を調整して、駆逐艦の揺れを最小限に抑えようとしたことだ。

 

 艦内には被弾による負傷者が多数いる。彼らを安静に治療させるためには、それが最善の選択だからだ。

 

 なお、荒天海域を突破した後は六分儀による天測情報と海図だけで艦位を測定し、何とかコロンボ港が見えるところまで辿り着いたのだ。

 

 偶然なのか、コロンボ港の沖合に潜伏していた潜水艦に襲撃されたが、爆雷で反撃に成功している。

 

 そして、入港して錨を下ろした時から、わたしの記憶は無くなった。

 

 その後、目に映ったのはコロンボにある病室の天井だったのだ。後で聞いたところ、わたしは即席露天艦橋のような艦橋で崩れるように倒れたのだとか。

 

 そもそも、遣印艦隊(IF)司令部付の中尉だったのに<晴風>に乗ったのは、司令部に勤務している中佐からの報復人事だった。身体の関係を迫られた時に拒絶したからだ。

 

 この時に中佐が期待していたのは、わたしが泣き詫びながら頭を下げることだったと思う。これは、わたしの推測であり中佐から聞いた訳ではない。だから、わたしは素直に<晴風>へ乗り込んだ。中佐の欲望を受け入れたくなかったからだ。

 

 そして、退院して遣印艦隊司令部へ任務への復帰を報告した時に、その中佐へ礼を言った。

 

「中佐のおかげで、わたしは身体に潮気を染み込ませてきましたし、大人の階段も一段昇れたようです。このことは一生忘れません。誠にありがとうございます」

 

 わたしの嫌味が効いたのか、中佐は何も答えずに目を泳がせているだけだった。

 

 もし、「俺と一緒にもう一段登ってみないか?」と言い出したら、本気で平手打ちするつもりだったが。

 

 その後、その中佐と顔を会わせる機会は無かった。彼は所用で一式陸攻に便乗した時に、機体と一緒に消息を絶っていたからである。

 

 実は、この一件で驚いたことがある。英海軍がわたしを称賛し、武功十字章(ミリタリークロス)という勲章まで用意してくれたのだ。こうなると、わたしに関心が薄い日本海軍も渋々ながら動き、感状を手渡してくれた。

 

 その時から日本海軍における、わたしのような女性士官たちの立場が変化したのだと思う。短現予備士官(スペアオフィサー)以下の女性士官(セカンドスペア)から、短現予備士官と肩を並べる本物の女性士官(ウーオフィサー)へ。

 

 今ではいい経験になったと思う。だけど、損傷駆逐艦で荒天海域を突破するのは二度と御免だ。

 

 そんな風に感慨深げに<晴風>を見上げていたが、中尉に声を掛けられて我に返る。

 

 わたしの目の前には燃料(ジェリー)缶が積まれているのに、それに気づかないまま突っ込もうとしていた。つまり、わたしは灯台に突き進む合衆国海軍水雷戦隊と、同じヘマをしでかす寸前だったのである。

 

 思い込みとは恐ろしいものだ。それより、灯台側からの再三にわたる警告を無視して突進するのは頭がおかしいとしか……。そんな事は、どうでもいい。

 

 わたしは進路を変えると、港の敷地から市街地に続く門に向かって歩いていく。その門の両隣りから有刺鉄線で仕切られた柵が延々と続いている。つまり、この門が唯一の出入口となる。

 

 門の市街地側では、雨に濡れるも関わらず子供たちが十人以上も立っており、門を通る将兵たちに向けて口々に声を掛けていた。それを聞くと、極寒の氷原や密林の奥深くで暮らしていても、子供は愛らしくて素直な生き物なのだと実感させられる。

 

 この子たちは、「アメダマ、チョーダイ」とか「ギブ、ミー、チョコレート」と叫んでいたのだ。

 

 そんな可愛い歓迎を受けて、わたしは油紙で包んだ黒砂糖を配っていく。先日にミケちゃんから教わっていたので、前もって用意してきた。

 

 だが、この子たちが黒砂糖を口に含めた途端に不思議そうな顔つきになる。それだけならまだしも、一人の男の子は吐き捨ててしまったのだ。

 

 なんでだろう? 

 

 この子たちへ理由を聞きたいのだが、残念ながらスペイン語が話せない。わたしは、納得できないまま立ち去る事しか出来ないようだ。

 

 わたしは気を取り直すと周囲を見回し、ミケちゃんかシロちゃんを探そうとする。

 

 門の市街地側で待っている筈なんだけどと、記憶を思い出しながら首を回していく。その時に意外な者を見つけた。

 

 甘い物に群がる子供たちとは離れた商店の軒下で、雨宿りするように女の子が一人でポツンと立っている。その女の子が大きな紙を掲げていたのだ。

 

 その紙には幼さが溢れる日本語で大きく書いてあった。「ちなもえか」と。

 

 わたしは女の子の前に立つと、英語で本人だと名乗ろうとしたが一瞬遅かった。その前に女の子が、眼を見開きながら問いかけてきたのだ。「ママ?」と。

 

 わたしは、この女の子の母親では無いし、それ以前に子供を産んだ経験さえ無い。落ち着いた声で「違う」と告げてから名乗ると、女の子はしょんぼりしてしまう。

 

 だが、その子は気を取り直すとわたしの手を掴み、先導するように歩いていく。

 

「行こう。シロ、待っている。ミケ、後から来る。だから、あたし、連れてったげる」

 

 その娘は、わたしの同期たちが待つ場所へ案内してくれるようだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 わたしが案内されたのは、ボケロン港から徒歩で数分の距離にある飲食店だった。

 

 最近になって建てられた建物のようだが、雨音が店内に反響するので安っぽい造りのようだ。そして、店内の備品は中古品をかき集めてきたらしく、どれも古めかしく見える。

 

 そんな店内には店主と思わしき、年配で肥満体型な女性が客席に座っていた。どこから手に入れたのか「祭」と大きく書かれたうちわで涼んでいる。

 

 調理室から物音がするので覗いてみると、一人の女性が包丁で食材を手際良く捌いていた。

 

「お久しぶり。今、着いたよ」

 

「ようこそ、常夏のグアンタナモ食堂へ」

 

 彼女はわたしの同期の一人であり、同期のうち主席で卒業した宗谷(むねたに)ましろだった。わたしたちはこの店の暇な時間帯に貸し切って、三人だけでささやかな同期会を催そうとしていたのだ。

 

 わたしは伊東中尉と一緒に、木箱からガラス瓶を取り出していく。透明なガラス瓶にはドロリとした褐色の液体が入っているので、中尉は得体の知れない生物を見たような表情で聞いてきた。

 

「何ですか、これは?」

 

「ソースだよ。ウスターソース」

 

「ソース? それを運ばされたのですか?」

 

「そのソースは濃厚な味付けなのよ。まあ、騙されたと思いながら待ってて」

 

 そんな、わたしたちの会話に気づいたのか、シロちゃんが近寄ってくる。彼女は瓶の王冠を開けると小皿に注ぎ、匂いを嗅いだり味を確かめたりすると満足気な表情になった。

 

 このソースは、シロちゃんが求めていたウスターソースだったのだ。

 

「これよ、これ。こんなウスターソースが欲しかったのよ」

 

「浅草から持ってきた甲斐があったわ」

 

「中尉、重たい荷物を持って来てくれてありがとう。お礼に、もかちゃんの隠し事をたっぷりと教えてあげるわ」

 

「それだけは、止めて!」

 

 シロちゃんならともかく、ミケちゃんまで加わると話が大袈裟になるし止まらなくなるからだ。先日の舞踏会で適当なことばかり話して得意になっていたのに、自分に関わる話では正反対のことを言い出すとは……。

 

 我ながら都合の良い女だと自己嫌悪してしまう。でもね、このままだと威厳ある艦長として形作ってきた、わたしの人物像が崩れてしまうでしょ!

 

「ところで、ミケちゃんは? あと、あの娘は?」

 

「ミケちゃんは遅れて来るそうよ。昼前に緊急輸送が決まったから、急いで出港準備をしているって。この娘はスーちゃんって言うのよ」

 

 そういえば、桟橋に接岸中の<晴風>は物資の揚重作業中だった。

 

 こんな状況ならば同期会の日時を改めるべきだが、わたしが近いうちに日本に帰るので次の日時が決められない。また、わたしたちのうち誰がが、明日戦死することもあり得る。

 ならば、僅かな時間しか取れなくても同期会をやるべきなのだ。

 

 さて、わたしをここまで案内してくれた女の子が気になった。その娘の目線に合わせるようにしゃがむと、微笑みながら話しかけた。

 

「へえぇ、スーちゃんって言うんだ。いい名前だね」

 

「うん、ありがと」

 

「日本語が上手だね?」

 

「うん、ママに教わった」

 

「そうなんだ。教えて、何でわたしを『ママ』って言ったの?」

 

「だって、ママに見えた……」

 

 それを話してくれた途端に、スーちゃんのつぶらな瞳から涙が溢れてくる。聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。

 

 その子をなだめようとするが、その時に聞き覚えある声が降ってきた。

 

「あ~あ、また女の子を泣かせちゃった。女泣かせの中尉が大佐になっても泣かせるなんて、今までどんな教育を受けてきたのかしら?」

 

「ミケちゃんと同じだよ!」

 

 顔を上げると見覚えある顔が目に映る。

 

 数日ぶりの再会した、<晴風>駆逐艦長のミケちゃんだ。

 

 この日の彼女は機嫌が良く、彼女の冗舌は勢いに乗っていた。そのせいで、伊東中尉へ一言余計な事実を吹き込んでしまう。

 

「もかちゃんは女癖が悪い奴なのよ。今までに年下の女学生たちを何人も泣かせたり、蕩けさせたりしてきたんだけど、知ってた?」

 

「はうっ? あ、いや、何となく予想していましたが、具体的に聞いたのは初めてです。それで、うちの艦長は何人ヤッて……。いや、泣かせてきたですか?」

 

「中尉、いい質問よ。女学生たちを、ひい、ふう、みい」

 

「スト────―ップ!」

 

 これ以上、ミケちゃんに喋らせると大変だ。

 

 そんなミケちゃんの漫談は、シロちゃんが両手を叩いて強制終了させる。同時に、ささやかな同期会の開催を告げたのだ。

 

 シロちゃんは食材を刻む作業に戻り、ミケちゃんはここに持ち込んだ食材で料理を始める。こうなると、わたしはシロちゃんが加工した食材を焼く係になる。

 

 だから、わたしは調理室にあるフライパンを掴んでみた。それは、長年に渡って使い込まれてきた形跡があるが、握り手はがっちりしている。これなら、少々乱暴に振っても問題なさそうだ。

 

 わたしがそれを握った時、興味津々な顔で中尉が話し掛けてきた。

 

「艦長、<晴風>艦長の話はどこまで本当なんですか?」

 

 わたしは、大きく溜息をついてしまう。

 

 そもそも、わたしが女学生たちを泣かせるようになったのは、紅海から荒天海域を突破して生還した事実を、どこかの新聞社が掲載した時から始まった。

 

 それを読んだ女学生たちは、手紙を書いてわたし宛に送ってくれたのだ。全国各地から届いた手紙は熱狂的共感文(ファンレター)である。決して恋文(ラブレター)では無い。

 

 業務の合間に時間を作って一通ずつ返信したおかげで、数年後になると日本海軍に志願する女学生が増えたと聞く。

 

 だが、今でも自問自答している。果たして、わたしは彼女たちの人生にとって最善の進路を示したのだろうかと。 なぜなら、わたしが直接泣かせた訳ではないが、彼女たちは幾度も泣いてきたからだ。

 

 教練の厳しさで泣いて、上官たちの叱責で泣き、大海原で心細くなって涙を流してきた。いまでも、戦場のどこかで泣いている筈だ

 

 わたしは、そのような経緯を中尉に説明していくが、彼は意外そうな顔になっていく。いつもは、そんな表情をしないので不思議だ。

 

 その理由を聞いてみると、予想していない答えが返ってきた。

 

「艦長は女にしか興味が無いって噂を、耳にタコができるくらい聞いています。だから、女学生に手を出してもおかしくないかと」

 

「貴様が妄想しているような、変な事はしとらんぞ!」

 

「大丈夫です。口が堅いのが自慢ですので、誰にも言いません」

 

 どうやら、中尉は何か大きく勘違いしているらしい。

 

 そもそも、わたしが女学生たちを蕩けさせたのは、純真無垢な心だけだ。

 

 彼女たちの腰回りには指一本触れていない!

 

 いや、彼女たちのお尻を引っ叩いたことはあるけれど、それは教育の一環だ。胸を触ったこともあるが、減るもんじゃない。まったく問題無い。

 

 だが、それを説明する前に中尉が喋っていく。困ったことに、彼は誤解したまま余計な一言を言い出したのだ。

 

「それで、艦長は矛と盾のどっちが得意なんですか?」

 

 まったく、どうして男って奴は、そっち方面への妄想力が強いんだ?

 

 これ以上は許さん。

 エロい煩悩に塗れた貴様を修正する!

 

 わたしが使い込まれたフライパンを握り直し、中尉のお尻に愛情込めて根性注入を遂行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三七話

ボケロン港、グアンタナモ市郊外、キューバ島

同日 午後三時七分

 

 

 

 包丁を握るのは久しぶりだが、食材を刻んでいくにつれて勘を取り戻していく。普段から調理に専念している主計課に比べれば包丁捌きは遅いが、女学生時代に授業で学んだことは未だに身体が覚えていたので助かる。

 

 食材を切り終えた頃にはフライパンも十分に温まっており、残りは焼き上げる作業だけになる。ボールに入れた小麦粉を水で溶いて、千切りにした玉ねぎや薄切りにした豚バラ肉を加えていく。それを油を引いたフライパンに注ぎ、じっくり焼いていくのだ。

 

 本当は生地に具材を混ぜず生地の上に具材を乗せて焼くそうだが、それを上手にひっくり返すのは職人級の技術が必要である。だから、今回は素人が美味しく作れる方法にした。

 

 わたしが焼いているのは、「洋食焼き」や「お好み焼き」とか呼ばれている料理だ。正式名は知らない。というより、定まっていないらしい。

 

 この料理はわたしが国民学校を卒業後、孤児院から養父母に引き取られた後に養母が作ってくれた料理だ。それまで、朝昼晩の三食を白米ご飯ばかり食べていたので、これが主食として食卓に並べられた時は本当に驚いた。

 

 だけど、一口食べたら美味しくて感動してしまい、この料理が好きになってしまったのだ。それ以降に養母から何を食べたいかと聞かれる度に、この料理を希望したものである。

 

 同期会でこの料理を作った理由は、グアンタナモに長く居る二人がこの料理に飢えている頃だと思ったからだ。これは、遣印艦隊司令部で三年近くも勤務した経験からである。

 

 なぜなら、わたしだけではなく彼女たちも、この料理が好きなのだ。江田島で勉学中に彼女たちを連れて、広島中心街の紙屋町まで遊びに行ったことがある。その時に、この料理を食べてもらったのだ。それ以来、彼女たちもこの料理がお気に入りになった。

 

 そんな料理だが、日本国外で勤務している時には食べられない。基本的に海軍の司厨員たちが作った食事を食べるか、現地人が経営する食堂に通うしか選択肢が無いからだ。そして、現地人が作る食事の味付けは絶望的に合わない。

 

 日本海軍に限らず各国軍の司厨員は、海外で任務に就いている将兵へ母国の料理を供給しようと努力している。その努力は素晴らしいのだが物足りなさもある。

 

 その理由として、一度に大量の食材を食中毒が起きないように調理するため、調理方法に制約が生じてしまうからだ。

 

 大量に調理するのに適した料理法は、茹でる、煮る(炊く)、蒸す、揚げるである。それに対して、炒める、焼くは簡単に見えるようで難しい。中華鍋やフライパンを大きくすると掴めなくなるから、一度に作れる量に限界があるのだ。

 

 <武蔵>で例えると、三千人以上の乗員に満遍なくほぼ同時に料理を提供しなければならない。食堂に入った最初の乗員が食べ終わるのに、最後の乗員が食事にありつけないのは大問題だ。

 

 さらに火加減が難しい。表面を焦がすくらいならまだしも、内部が生焼け状態に気づかなければ食中毒の危険がある。特に豚肉のように寄生虫がいる食材は、確実に火を通さなければならない。

 

 そのため、日本海軍では炒めたり焼いたりする料理が少ないのだ。当然ながら、粉物料理は焼かないと美味しくないので、将兵の食事には不適当になる。

 

 さて、フライパンで焼かれている生地は、いい塩梅でキツネ色になっていた。仕上げの段階が来たようだ。

 

 わたしは、はるばる浅草の専門店から運んできたガラス瓶を傾けて、特製ソースを垂らしていく。

 

 特製ソースが熱い鉄板に触れると、水蒸気の音に合わせて踊るように跳ね上がる。味噌や醤油(ソイソース)と異なる特製ソースの香りが、熱気に煽られるように店内に広がっていく。

 

 この香りを嗅いだ途端に、わたしの腹の虫が騒ぎ出す。この時に備えてお昼を食べてこなかったからだ。

 

 特製ソースが焦げ付く前に平皿に移して食卓に置く。そして、湯気が立ち昇るうちに人数分へ切り分けると、すかさず各々が摘まんで食べていった。

 

「ああ、これを食べたかったのよ! 嬉しい」

 

「ああ、幸せ! もかちゃん、グッド・ジョブ」

 

「へえ、これが艦長たちが子供の頃に食べていた料理ですか。これは美味いです」

 

「美味しい!」

 

「ふんふん」

 

「お昼を我慢して良かったぁ」

 

 皆が口々に感嘆の声を上げていく。発言順は、シロちゃん、ミケちゃん、伊東中尉、スーちゃん、女店主、わたしとなる。

 

 ミケちゃんやシロちゃんが喜んでくれれば、わたしも嬉しくなる。しかしながら、この食材では食感が物足りないし甘すぎる気がした。

 

 養母はキャベツを使っていたが、南国では手に入らないので玉ねぎを使ってみたのだ。これをもやしにすれば、もっと美味しくなりそうな気がする。機会があれば試してみたい。

 

 その後、わたしたちは料理担当を交代しつつ、わたしたち三人だけにしか理解できない話で盛り上がっていく。伊東中尉は一枚ペロリと平らげると、溜まった業務を片付けるために<武蔵>に戻った。

 

 面白いことに小母さんがこの料理に興味を持ち、わたしたちと一緒に料理を始めたのだ。

 

 ちなみに、この小母さんの名前はオリビアという。スペイン系の血筋を受け継いでいるそうだ。すべて、スペイン語が話せるシロちゃんが居たからこそ聞き出せたことである。

 

 シロちゃんは枢軸軍がグアンタナモを奪回した直後から、この地で任務に就いていた。彼女が選ばれた理由は、スペイン語で会話できる数少ない通信科士官だからだそうだ。

 

 意外なことに、彼女は赤道に近い南国の島で通信任務に携わることを喜んでいない。むしろ、こんな展開になるなら学ぶべき外国語をスペイン語ではなく、フランス語にすれば良かったと嘆いている。

 

 そして、その後に続く決め台詞は、いつもどおり「ついてない」だ。

 

 開戦前の日本は、第三次世界大戦の主戦場を中東地方や北アフリカ地方と想定していた。だから、この地方でほとんど使われないスペイン語を学べば、前線に行く事無く終戦まで日本国内に居られるだろう。彼女はそのような思惑でスペイン語を学んだのだ。

 

 しかし、世の中は予想どおりに動かないものである。

 

 圧倒的な生産量を誇る工業力を持ち多数の国民が居住する合衆国が、ドイツ軍の奇襲攻撃によって崩壊してしまう展開は誰も予想していなかったからだ。

 

 このため、主戦場はカリブ海と大西洋に変わり、スペイン語を話せる通信士官が必要になる。そして、この言語に強い彼女へスポットライトが浴びせられた。脇役中の脇役が主役として舞台の中央に立った瞬間だ。

 

 これを「ついてない」と言っていいのだろうか? まあ、彼女は自宅に近い通信基地か鎮守府で任務に就いて休日に子供と会うことを望んでいるから、そんな風に考えているらしいが。

 

 それとも、わたしが母親としての心境を理解していないだけなのだろうか? 

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 特製ソースの香ばしい匂いは日本人の胃袋を刺激するようだ。だから、招かれざる客も来店してしまう。

 

 彼らは店内に入ると開口一番に「貴様ら、ここで何をやってんだ。軍の営業許可書を見せろ」と言い出した。その客は威圧感だけですべてを支配しようとする、典型的な軍人である二人の憲兵だったのだ。

 

 貴様と呼ばれたのは久しぶりだが、そんな些細な事より路上で軍靴についた泥を落とさずに、ドカドカと店内に入ってくるのは閉口してしまう。

 

 雨が降り続いて道路はぬかるんでいるから仕方ないのだが、少しは気を利かせて欲しい。貴様たちは国民学校の無邪気な児童なのかと問い質したくなる。

 

 それが日本陸軍なのだと強面の彼らが言い切られると、それまでなのだが……。

 

 憲兵たちは店内を見渡すと食卓に置かれた皿に気づく。そして、わたしたちが制止する間も無く手を伸ばし、お好み焼きを一切れ食べてしまったのだ。

 

 そのタイミングで、調理室にいたミケちゃんが意地悪そうに声を掛ける。

 

「ねえ、憲兵さん。これでも営業許可書が必要かしら? 許可書を持ってきてくれるのなら、もう一枚焼いてあげるけど。どうする?」

 

 憲兵たちは顔を見合わせると何かを小言で相談していたが、呆れたことに堂々と席に座ってしまう。それだけではなく、厚顔無恥であることを宣言するかのように、碌でも無いことを言い出したのだ。

 

「例外的に許可書が無くても、営業を認める場合がある。そのためには、もう一枚試食して安全性を確認しなければならないのだ」

 

 完全にタダ飯を狙っている魂胆がミエミエだから情けない。日本陸軍はこんな奴らばかりなのかと疑いたくなる。

 

 わたしも手伝おうとして調理室に入るが、お好み焼きはシロちゃんが一人で焼いていた。意外なことに、ミケちゃんは鶏肉の串焼きを作っていたのだ。

 

 わたしは乗り気なミケちゃんに納得できず、不満を隠さずに意見するが彼女は平然と答えた。

 

「まあ、いいじゃない。ギブアンドテイクだよ」

 

「だけど、相手を選ぶべきだよ。一度でも許すと、わたしたちが居ないときタカリに来るよ」

 

「その時は、ナディアに『ワタシ、日本語ワカンナイ』って言わせればいいのよ。憲兵隊は話が通じない相手に強く出れないし、本気でゴリ押ししてきたら不味い飯を食わせればいいのさ」

 

「うげっ、本気で言っているの?」

 

「本気だよ。奴らがわたしたちを敵に回したらどうなるか、思い知らせてあげようじゃん」

 

 それを聞くと、わたしは憲兵隊が可哀そうに思えてくる。ミケちゃんが本気になると、わたしでさえ止められなくなるからだ。

 

 ミケちゃんからすれば、わたしのほうが危ないそうだが。

 

 そんな事を考えている時に新たな男が姿を見せた。店の入り口にある扉を開けっ放しにしているので、誰もが容易に入れるからだ。しかし、部外者が続々と来てしまうと、わたしたちの同期会が成り立たなってしまう。

 

 その男が遠慮なく店内に入ってくると、客席に座っていた二人の憲兵は飛び上がるように立つ。

 

 客の開襟背広型の防暑衣に縫い付けられた襟章は、この男が陸軍中佐であることを無言で告げていた。それだけではなく、要職である参謀にだけ許される飾緒(モール)まで吊り下げている。只の陸軍士官では無いのだ。

 

 彼も憲兵たちと同様に店内を見回すと、たまたま目が合ったわたしへ話し掛けてきた。

 

「おい、女給。美味そうな匂いがするが、何を作ってんだ」

 

「えっ、はい。『洋食焼き』とか『お好み焼き』と呼ぶ料理を作っています」

 

「よし、それを一人前持ってきてくれ。ビールも一本だ」

 

「あの、今日は営業していないのですが」

 

「憲兵には食わせられるのに、俺には用意できないとはどういうことかね? 金は払うから、作ってくれ」

 

 そこまで言われると断りづらい。

 

 調理室にいるミケちゃんとシロちゃんに相談すると、彼女たちは笑いを堪えながら料理を作り始めた。彼らが、わたしを女給と誤解しているのが面白いらしい。

 

 事実、わたしは第三種軍装の上着を脱いでいるし、腕まくりもしているので階級を表す襟章を身に着けていない。更に、特製ソースが跳ねても汚れないように割烹着も着ている。

 

 だから、女給に見えないことも無いけれど……、まあ、いいか。

 

 わたしは「はい、用意します」と答えると、注文どおりに常温のビールを用意したり、焼き上げたお好み焼きを食卓に置いたりして、給仕の仕事をそつなくこなしていく。

 

 女学生の頃に養父の仕事を手伝っていたから、手慣れたものだ。

 

 わたしを引き取った養父は貿易商社の経営者であり、広島の中心街にあるカフェも経営している。そこで、わたしは休日限定で働いていた。

 

 養父は世間の流行に敏感であり、商才も優れていた。そのおかげで貿易商社は、中国大陸における国民党軍と共産党軍の内戦で稼いでいた。その利益を元に、東京の銀座で流行り始めたカフェ店を開いたのだ。

 

 この店は珈琲だけではなくビールや洋酒を純粋に味わうための店であり、女給の性的接待をしない純喫茶だ。

 

 ここで働いていた時、たまに勘違いした客に堂々とお尻を撫でられたり、胸を揉まれたこともあった。それを除けば快適な職場である。

 

 もちろん、お客は珈琲を味わいながら静かなひと時を過ごしていた。

 

 この店の特徴として防音対策をした個室が用意されており、数人が談笑しながら珈琲を飲むことができたのだ。その個室が、知らないうちに謀議にも使われていたのだが。

 

 この件で、わたしは実の父親に暴力を振るわれた時より、酷い目にあったからだ。それだけではなく、間違いなく殺されていた筈だった。

 

 わたしの記憶にだけ生き続ける、あの人が助けてくれなければ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 さて、今回は調理方法のうち、炒める事と焼く調理方が、食中毒防止の観点から避けられていることに触れました。

 これは作者のうろ覚えな記憶に基づいています。専門的な文献を読んでいないので、事実と違うのであればお詫びいたします。

 この記憶は、カイワレ大根O-157騒動の時にテレビニュースで紹介されていた事でした。この時、O-157は七五度以上に加熱すれば殺菌できるのですが、炒めるのと焼くのでは不十分なのだそうです。

 その理由としては、炒めると焼くでは食材の片面しか焼けないし、表面が焦げても内部まで火が通っていない事が多いからだとか。

 それに対して茹でるや煮るだと、食材の表面積すべてから熱が伝わっていくので内部まで火が通りやすいそうです。だから、小学校の給食では炒めたり焼いたりする料理を採用していないのだと覚えています。

 これ以外にも諸説ある、お好み焼きの歴史に触れてみましたが、事実と異なる点がありそうです。それに気づかれた方は指摘していただけると助かります。

 なお、この小説でお好み焼きを登場させた理由は、スーちゃんの公式設定のうち好きな食べ物が粉物全般だからです。しかし、この設定をグアンタナモで実現させるのが大変でした。

 ところで、鈴木先生は何でスーちゃんをこんな面倒な設定にしたのでしょう? この設定を生かすために、すっごく頭を捻ったんですけど。

 いろいろと書き連ねましたが、今後も投稿していきますので宜しくお願い致します。






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第三八話

ボケロン港、グアンタナモ市郊外、キューバ島

同日 午後三時五二分

 

 

 

 同期会を楽しんでいるのか女給の仕事をしているのか、わたし自身が判別出来なくなってきた頃、どっちつかずの状況は強制的に終了させられる。

 

 悲しいことに、強制終了させられたのは同期会だった。第三種軍装の襟章が真新しい海軍少尉が店内に駆け込んできたからだ。

 

「艦長、迎えに来ました。出撃の時間ですよ」

 

 わたしも艦長(ケップ)だから、この少尉がどの艦長を呼んだのか分からず戸惑ってしまう。だが、わたしが問い掛ける前に調理室にいるミケちゃんが返事をした。

 

 つまり、この少尉は<晴風>の乗員だったのである。

 

 桟橋からここまで走ってきたらしく、妙に息が荒い。わたしは、その様子を見て「ご苦労様」と声を掛けてみたが、彼はキョトンとした顔でわたしを見つめる。そして、彼もわたしの正体を誤解したまま話し始めた。

 

「あの、小母さん。昔からここで仕事しているの?」

 

「今日、来たばかりよ」

 

「へえぇ、日本語上手な人が現地人の小料理屋(スモールレス)で働こうとするなんて思わなかった。小母さん、すげえよ」

 

「なんで、そう思うの?」

 

「だって、日本の商人女たちは料亭(レス)遊郭(ピーハウ)でしか見たことがないので」

 

「へえ、そうなんだ」

 

 つまり、彼もわたしのことを娑婆の商人だと誤解しているのだ。

 

 第三種軍装の上着を脱いで割烹着を着ているので、そう見えても仕方が無い。厳めしい軍装という箔が無ければ、わたしは単なるひ弱な女だという事実を突きつけられたようなものだ。

 

 そんな事を考えているうちに調理室の隣にある小部屋で、身支度を整えたミケちゃんが姿を現わす。

 

 この飲食店に来た時と同じように青褐色の第三種軍装を着ており、襟には少佐の襟章が括り付けられている。同色の艦内帽も被っているので、誰がどう見ても立派な海軍少佐だ。腰に短刀を吊り下げず、ネクタイの代わりに同色のスカーフを巻いているのが、彼女らしいと言えるが。

 

 ミケちゃんはわたしと少尉を会話を聞いていたらしい。彼女は少尉へ説教を始めたのだ。

 

「戸田、貴様が話している相手は誰か分かっているの?」

 

「この店の女給です」

 

「彼女はね、武蔵屋旅館の女将だよ」

 

「そうだったのですか。グアンタナモに日本旅館が建ったのは知りませんでした」

 

「違う、そうじゃない。武蔵屋旅館は、戦艦<武蔵>の隠語だ。貴様が舐めた口を利かせている相手は、その艦長(ケップ)だ!」

 

 その言葉を聞くと、少尉はポカンとした顔をしたまま凍り付いてしまう。彼にとって衝撃的な事実だったようだ。

 

 彼は我に返ると姿勢を正して敬礼するが、その動作が妙にぎこちない。

 

 そして、席に座って黙々を食べている憲兵たちも「マジ、ヤバい」と語っているかのような表情になっている。

 

 そんな彼らからの視線は、もの凄く苦手だ。

 

 唯一、この場でわたしに無関心だったのは、黙々と食べている陸軍中佐だけだった。階級の上下関係に厳しい陸軍には珍しく、何の反応も示さないのが面白い。

 

 恐らくだが、わたし自身が階級章を括り付けた上着を脱いでいるので、大佐だと気づいていないのだろう。いや、わたしが大佐だと主張しても信じ無いような雰囲気だったが。

 

 さて、ミケちゃんは調理室に残っているシロちゃんに挨拶すると、わたしにも挨拶してくれる。

 

「今日は短い時間だったけれど、楽しかった。機会があれば、どこかで会おう」

 

「そうだね。三人で一緒に集まろう。そう言えば、緊急出撃の行き先ってどこ?」

 

 わたしの質問に対して、彼女は小声で教えてくれた。

 

「サンティアーゴ・デ・クーバの沖合に行ってくる。グアンタナモの西にある、キューバ島で二番目に大きい港町だよ」

 

「なんで、そんな所に行くの?」

 

「哨戒中の<朝霜>に機関トラブルが起きたから、代わりに店番へ入ることになったのよ。明日の朝にレイキャビクから帰ってきた輸送船団が港に入るから、それまでにUボートを追い払って安全にしなきゃいけない。ホント、Uボートってムカつくくらい面倒な敵だよ。でもね、わたしは負けないよ」

 

「大変だけど、頑張ってね」

 

「ありがと。行ってくるよ」

 

 彼女はわたしに背を向けると、店の出入口に向かっていく。その途中、憲兵たちの前に立つと、彼らに向けて彼女らしい嫌味をぶつけた。

 

「ねえ、憲兵さん。この店は営業許可書が必要だったかしら?」

 

「……どうやら、この店は営業許可書が対象外だったようだ。十分に堪能……。いや、確認できた」

 

「そう、良かったわ。それより、どうしてもアンタたちに言いたいことがあるのよ」

 

「な、なんでしょう?」

 

「今後、同じような事を言い出したら」

 

「……『したら』?」

 

「只では済まないからね!」

 

「お、覚えておこう」

 

「じゃあ、これで話はお終い。あ、そうだ。アンタたちが食べた料理の代金はいらないけれど、代わりにオートバイを借りるわ。港に置いておくから取りに来てね」

 

 ミケちゃんは一気に喋ると、オートバイの座席に跨ってエンジンを掛ける。サイドカーに少尉を乗せるとアクセルを吹かし、あっという間にオートバイは加速していった。

 

 残されたのは不愉快そうな憲兵たちと紫煙、そして、言葉を失ったわたしたちだ。

 

 調理室から出てきたシロちゃんが、わたしの隣に立つと何気なく呟いた。

 

「ミケちゃんがこんな大胆に行動するなんて……。本気で怒っていたんだね」

 

 シロちゃんが呟くように、ミケちゃんがこんな思い切った行動をするなんて想像すらしていなかった。

 

 表情では分からなかったけれど、本気で怒っていたのは間違いなさそうだ。その時、ミケちゃんが学生時代に話したことを思い出した。

 

「ねえ、ミケちゃんは学生の頃に『船のお父さんになりたい』って言っていたよね」

 

「そうだっけ?」

 

「さっきのミケちゃん、船のお父さんみたいだったよね」

 

「そうかな? あれじゃ、海賊だよ」

 

「そうだね……」

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 憲兵たちはブツクサ文句を言いながら店を出ていくと、店内には陸軍中佐だけが残る。彼は黙々とお好み焼きを口に運び、ビールで胃に流し込んでいた。

 

 わたしは彼の前に座り、手酌で彼のコップにビールを注ぐと美味そうに飲み干してくれる。いい飲みっぷりだ。

 

 そんな彼は、素直に料理の感想を伝えてくれた。

 

「おう、これは美味い。ビールが進むな」

 

「どういたしまして。しかしながら、昼からビールを飲まれるのは如何なものかと思いますが」

 

「戦争には昼も夜も関係ない。それは前線だろうが後方の司令部だろうが一緒だ。戦う時に戦い、休める時に休めばいいのさ」

 

「左様ですか。それとも、左様でありますかと答えるべきでしょうか」

 

「どっちでも構わん。それにしても、今日は海軍さんだけで貸し切っていたのか。割り込んでしまって済まんな」

 

「こちらこそ助かりました。中佐が来ていただいたおかげで、憲兵たちが大人しくなりました」

 

「俺は座って飯を食っただけだぜ。話を変えるが、アンタの本名は何て言うのさ? カリブ艦隊司令部にいる森口(航海参謀)からは、別名しか聞いていないのでね。確か、『ポーキサイトで割るリキュール』だって聞いたような」

 

「知名もえかです。それと、別名は『ポートサイドのヴァルキューレ』です。数文字しか合っていませんし、そんなお酒飲んだら胃袋が超合金になりますよ」

 

「清濁飲み込まにゃならん奴に、相応しい酒だと思わんかね?」

 

 茶目っ気溢れる声で返されるが、どう答えればいいのか分からずに曖昧な返事をしてしまう。

 

 この参謀をどのように捉えればいいのか分からなかったからだ。上手い冗談を言おうとして滑ったのか、元から天然なのか。

 

 少なくとも参謀職についているので、底抜けの愚か者では無いのだろう。

 

 彼は鈴木と名乗り、枢軸陸軍第一七軍司令部の後方・兵站参謀だと教えてくれた。彼の説明によると枢軸軍の陸海空による区別なく、各種物資や燃料を管理する仕事をしているという。

 

 つまり、グアンタナモ泊地に在泊する艦艇の燃料も彼が掌握しているのだ。

 

 彼がここに来た理由は、カイマネラ港やボケロン港の周辺にある倉庫を視察するためだという。軍需品の備蓄状況を抜き打ちで視察することで、備品の横流しを防ぎたいからだそうだ。

 

 だから、わたしは海軍が自由に使える燃料事情を尋ねてみた。数日前に対岸のカイマネラ港にある出張所で聞いた時から、状況が進展していると思ったからである。

 

 しかし、燃料事情は相変わらずであり、むしろ備蓄量は益々減っている。第一航空艦隊に燃料を供給した後、油槽に補充する燃料が到着していないからだ。それだけではなく、この参謀は深刻な事実を話してくれた。

 

「ああ、ベネズエラから重油を調達する件はダメになった」

 

「えっ? 油槽船に駆逐艦の護衛までつけて取りに行ったのですよ」

 

「今日の午前中にベネズエラから連絡が届いたそうだが、油を送れないって言ってきたそうだ。外務省から来た奴が説明してた」

 

「その外務省から人物とは、平田大尉ですか」

 

「そう、その男だよ。今までに色々と悪い事をしているから、こっちも面倒事に巻き込まれる。本当にいい迷惑さ」

 

 そこで話し終えると、彼は最後の一切れを口に入れた。

 

 じっくり味わうように噛み締めていく最中、わたしは心の中で毒づいていた。「平田大尉、何やってんのよ!」と。

 

 あの男に好感を持ってしまった自分が阿呆だと思えてくる。

 

 その時、ふと大切なことを思い出す。それは、日本陸軍でしか通用しない独特な報告方法のことだ。

 

 例えば、街道沿いにトーチカを構築すると仮定する。

 

 上官から進捗状況を求められた場合、海軍の設営隊ならば「現在二〇パーセントまで作業完了。作業完了まで三日掛かると見込まれます」と答えるだろう。

 

 だが、陸軍の工兵隊は違う。彼らは「トーチカの建築は完了しました」と答えるのだ。

 

 さらに、上官が掘り下げるように質問していくと、ようやく「残工事は八〇パーセント残っています」と返答するのだ。工兵隊は嘘を言っていないし事実を隠した訳でもない。上官から聞かれなかったから報告しなかっただけである。

 

 困ったことに、これが工兵隊特有ではなく日本陸軍における報告方法だそうだ。未だに陸軍内部に蔓延る員数主義の残渣らしい。

 

 それは、表面上は立派な装甲を備えているが、内部は腐食した鋼板だらけの戦車に例えられる。高速走行すると、車体が平行四辺形のようにひしゃげる戦車だ。

 

 外見と虚栄心だけで満足してしまい、中身が伴っていない時代の日本陸軍に実在した悪しき慣習の一つだった。そして、当時から世代交代が進んでいるとはいえ、今でも残っていると聞く。

 

 そんな事実を思い出したので、わたしは目の前にいる鈴木中佐へ聞き出していく。

 

「その平田大尉は、今までにどんな悪い事をやってきたのですか」

 

「今朝の話だが、司令部の外務省執務室へ女を連れ込んで一戦交えたそうだ。軍事や外交の機密情報があちこちに積まれている司令部に、他所から女を連れて来るなんて非常識なことだぞ。こういう事をやらかすから、面倒な男なんだよ。まったく……。女遊びは待合でやれって」

 

「さ、左様であります」

 

 そっちの話かよ!

 

 この場を上手く切り抜けようとするが、知らないうちに顔が熱くなっていく。誰がどう見ても当事者だと自白しているようなものだ。

 

 そもそも、カクカクジカジカあって、わたしは被害に遭った側なんです。だから、あの男と夜の一戦を交えていませんって! 

 

 そんな事実を打ち明けそうになるが、ぐっと堪える。中佐は、そんなわたしの様子に気づかなかったらしく、別の事実を打ち明けてくれた。

 

「ベネズエラの件は送油装置が故障したからだと言っていた。あんなに青ざめた顔をした平田を見たのは初めてだ」

 

「そんな事情があったのですか。日本側では、どうにもならない事ですね」

 

「オタクはどう思っているか知らんが、俺はあの男を信用しておらん」

 

「なぜですか」

 

「あの男の兄貴は、櫻会事件を仕掛けようとした首謀者たちの一人だからさ。あの男も学生の頃に関わっていたらしいぞ」

 

 その話を聞いた途端に、わたしは顔から血の気が引いていく。

 

 櫻会事件、海軍ではトライアングル・アロウ事件と呼んでいるクーデター未遂事件だ。そして、この事件に巻き込まれて殺されかけた。

 

 そのせいで、今でもトライアングル・アロウ事件と聞いただけで身の毛がよだつ。

 

 どうやら、あの男は手首や足首を縄で縛ってから荷札を括り付け、日本へ送り返すべき人物だったらしい。それよりも、首に縄を巻いたほうが似合うかも。

 

 わたしの脳内では、悪徳令嬢が微笑みながら実行する残忍な手段を想像をしてしまうくらい、平田大尉への好感度は落ちていく。そして、わたしの身体から力が抜けてしまうくらい、衝撃的な証言だった。

 

 鈴木中佐は立ち上がるとオリビアに軍票を渡す。そして、わたしに向けて「味方につける相手を選べ。これは俺からの忠告だ」と言い残すと店から出ていった。

 

 彼を追うようにヨロヨロとした足取りで店の外に出ると、泥を跳ね上げながら走り去る公用車の後ろ姿が視界に入る。彼は、その後部座席に座っていた。

 

 今の話は、どこまで真実なんだろうか。わたし自身が分からなくなってきた。

 

 平田大尉は何かを企てているのだろうか? 

 

 それとも、鈴木中佐の妄言なのだろうか? 

 

 何気なく見上げたグアンタナモの空は、未だに雲で覆われているが雨は止んでいる。

 

 だが、再び雨が振り出すのは時間の問題のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 最近学んだのですが、名古屋にも名古屋風お好み焼きがあるそうです。片手で食べられるように半折りにするのが特徴だそうで。

 お好み焼きって、地方バージョンが豊富なんですねえ。

 というより、本家ってドコなんでしょ?


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第三九話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 午後四時二七分

 

 

 

 枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部が置かれている、ホテル・マチャドの一室には大日本帝国外務省が間借りした執務室がある。

 

 執務室といっても、一人掛けの机と椅子が各三脚、六人座れば満席になる応接用の長椅子(ソファー)しかない。

 

 そして、この部屋は客間だった頃の内装をそのまま使用している。そのため、国家の威光を背に受けて諸外国と交渉する、外務省としては素っ気ない室内だった。

 

 事情通と自称する一部の者は、この部屋の内装では欧州を制覇した新興国家(ドイツ)に対抗できる実力を持つ、日の出づる国(日本)の威厳が保てないと指摘する。

 

 それに対して、部屋の主は馬耳東風とばかりに聞き流していた。その指摘を実現しようとしても、労力の無駄でしかないと考えていたからだ。

 

 なぜなら、数年後にはこのホテルから引き払うことが明確だからだ。戦争の勝者として新庁舎に転居するか、敗者として逃げ去るのかは不明だが。

 

 日没が近づき空が次第に明るさを失っていく頃、この部屋には外務省対中南米工作班に所属する外務省の書記官だけがいる。班長である平田ともう一人の来客は、執務室に隣接する寝室にいたからだ。

 

 この部屋は、執務室の主と不意の来客に備えた寝床がある部屋であり、打ち合わせに適した部屋ではない。だが、この書記官の耳に触れさせられない情報を扱っているので、仕方なくこの部屋を使用していた。

 

 寝室の隅で煙草の煙を立ち昇らせていたのは、少年野球団に参加していた時代に先輩だった森口航海参謀である。それに対して、平田はベッドに深々と腰を掛けていた。

 

 そんな室内で森口はゆっくりと口を開き、抑えきれない怒気を含めた言葉で話し始める。

 

「はっきり言えば、腹が立っている。貴様じゃない。ベネズエラ政府にだ」

 

 彼はそう言ったが、本心は異なる。ベネズエラに振り回されたまま対抗策を打てない平田にも、若干の不満を抱いていた。

 

 そして、平田は森口が醸し出す険悪な空気を察知しているので、いつもの大口(ビックマウス)は封印していた。

 

「自分の力不足を実感しています」

 

 彼は素直に答える。ある意味で事実だからだ。

 

 彼にとって森口は、少年野球団の時と同じように敬意を示すべき先輩として認識していた。

 

 ただでさえ、外交工作という軍人に理解できない業務を行うためには、森口の後ろ盾が必要だったからだ。彼や叔父の春崎長官がいなければ、平田は成果を挙げることなく孤立してしまう。それを十分に理解していた。

 

 彼らの話題は、ベネズエラまで重油を受け取りに向かった二隻の油槽船のことだ。

 

 今朝の時点で部下からの報告を受けた時、平田は顔全体から血の気が引いてしまった。大問題になると予感したからだ。

 

 しかし、夕方になる頃には問題視すらされなくなった。別の手段による燃料調達の目途がついたからだ。

 

 だから、平田が自分自身でこの件を蒸し返してもメリットがない。それにも関わらず森口をこの部屋に呼んだのは、彼が知り得た情報を伝えたいためだった。

 

 平田は確信を込めた言葉で森口に話していく。

 

「ベネズエラの動きが怪しいのです。絶対、何か裏で動いている」

 

「なぜ、そう言い切れる」

 

「ベネズエラに着いた<八紘丸>に僕の部下が乗っています。彼からの報告電文によると、ベネズエラ側の責任者が妙なことを口走ったのです」

 

「その前に、外交暗号を使うな。外務省は未だに暗号書を更新しないから、とっくの昔にドイツが解読しているぞ」

 

「大丈夫です。海軍の輸送船団用暗号で発信させました」

 

「それは分かったが、どこが怪しいのだ」

 

「送油は政府の命令で止めたのだと」

 

「なんだと?」

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 <雄鳳丸><八紘丸>の油槽船二隻だけで編成された船団は、駆逐艦の護衛を受けてベネズエラに向かっていた。そして、昨日の日没後にマラカイボ港に到着している。

 

 日本側としては、到着後すぐに石油積み出し作業を始めて欲しかったが、ベネズエラ側の都合で翌朝に回されてしまう。作業員が帰宅した後の時間帯だったからだ。

 

 仕事より自分自身と家族を大事にする、カリブ海地方の現地住人らしい行動である。日本人には、まったく理解できない価値観でもあるが。

 

 そのため、<八紘丸>に同乗している海軍士官は憤慨してしまい、平田の部下へ「奴らを連れ戻して油を積み込ませろ」と詰め寄る始末であった。

 

 不満をぶつけられた彼としても、何も対処できない事態である。だが、この時に平身低頭してしまえば外務省側の非を認めることになってしまう。

 

 だから、彼が疲れて抗議を諦めるまで、丁寧に説明するくらいしか出来なかった。

 

 今朝になると<雄鳳丸><八紘丸>へ現地の水先案内人が乗り込み、石油積み出し用の岸壁に接岸する。そして、準備を整えた<八紘丸>からの合図によって、ベネズエラの地上に建つ貯油タンクのバルブが開かれる。

 

 こうして、艦艇用燃料として消費される重油が流し込まれていった。

 

 平田の部下は、<八紘丸>の船員から荷役作業が完了するまでの時間を聞くと、思わず安堵の息をついた。夕方にはグアンタナモに向けて出航出来そうだったからだ。

 

 しかし、その計算の前提条件が覆される事態が発生してしまう。

 

 異変に気づいた人物は、<八紘丸>の甲板で重油の荷受け作業を指揮していた、一等航海士だった。

 

 彼が何気なくグアンタナモの貯油タンクを眺めていると、一台の自動車がバルブ操作室の前に止まったことに気づく。そして、間もなくすると送油管に流れていた重油が途絶えてしまったのだ。

 

 その報告が<八紘丸>の操舵室に届くと、平田の部下が動き始めた。

 

 この時点で、彼はいつもの金銭に絡む話かと思っていた。頭金を払わなければ油を止めるとか、市場価格より割高の金額を吹っ掛けて来るとか、そんな話だ。

 

 何しろ、ベネズエラにとって重油は戦略物資である。

 

 これは、外交や経済の切り札なのだ。太平洋の彼方から来た列強諸国の一員だからといって、信頼関係が結ばれていない国家を相手に便宜を図る理由が無い。

 

 平田の部下は、そんな事情を把握しているからこそ、即時行動を起こす。<八紘丸>に乗り込んでいる海軍士官と幾人かの乗組員たちを借りて、ベネズエラ側の責任者の元に向かったのだ。

 

 彼は、軍人特有の威圧感を利用して送油を再開するさせようと、迫るつもりだったからである。

 

 それは、外交官でもある彼が抱く職務上の論理感では、あり得ない行動だった。粘り強く折衝して相手側の理解を得るべきであり、軍人を利用した強圧的な手段は避けるべきだと考えていたからだ。

 

 だが、彼が一人だけで折衝したら相手側が舐めた態度を取るだろうし、状況を打開するまでに時間が掛かってしまう。

 

 カリヴ艦隊やレイキャビクから帰ってくる船団のために、一刻も早く重油を運ばなければならない状況では、強圧的な手段を取らざるを得なかった。

 

 彼は、自覚しないうちに垢ぬけた外交官ではなく、泥臭くても目的を達成させる貿易商社の現地駐在員のように剛腕を振っていたのだ。

 

 しかしながら、その後の展開は彼の予想と大きく異なっていく。

 

 彼らの前に現れたベネズエラの貯油タンク基地責任者が、送油設備の故障だと説明したからである。そして、修理に一日ないし二日掛かるとも。

 

 すぐに直せと催促しても、ベネズエラ側は曖昧な返事しかしない。こんな様子では、恫喝まがいの言葉を使っても状況が好転しそうにもなかった。

 

 だから、平田の部下たちは真剣に対策を協議し始める。

 

 貯油タンクからバケツリレーで船へ油を注ごうとか、他の中立国に行って燃料を調達しようとか、パナマにある燃料基地から重油を分けてもらおうか、そのような意見が次々に披露される。

 

 そうした意見を出し尽くす前に、彼らはこのまま待機することを決めた。タイミング良く、カリブ艦隊司令部からの命令を受け取ったからだ。

 

 平田や彼の部下たちは知らなかったが、カリブ艦隊司令部は今朝の段階で方針を転換していたからである。

 

 実は、パナマ運河は昨日の午後から船舶の通行を再開していた。航路に流れ込んだ土砂堆積物の除去が完了したからだ。

 

 この運河には、レイキャビクに向かう貨物船が続々と通過していた。それにはグアンタナモが待望していた油槽船も含まれている。

 

 数隻ある油槽船は艦艇用や民間発電所用の重油、ジェット航空機用ケロシン、レシプロ航空機用ガソリン、自動車用ガソリンやディーゼル、それらの油種のどれかを積んでいた。

 

 カリブ艦隊司令部はこの油槽船に注目した。そして、レイキャビクではなくグアンタナモで積み荷を下ろすことを、東京にある軍令部(赤レンガ)に要望したのだ。

 

 グアンタナモ時間を基準とすると、東京は一四時間進んでいる。

 

 だから、電文を夕方に発信すれば、幾つかの無線送信所を経由する時間を考慮しても、東京時間の午前中に着電するのだ。

 

 その電文は赤レンガで勤務する担当官が受け取り、ただちに精査されていく。だが、補給物資の扱いは軍令部で判断出来ず統合軍令本部へ上げられた。

 

 そして、統合軍令本部内の関係部署で協議した結果、幾つかの条件付きでカリブ艦隊司令部の要望が認めれたのだ。

 

 その条件とは、ベネズエラにいる二隻の油槽船をレイキャビク行き輸送船団に組み込むことと、二隻の駆逐艦を一時的に海上護衛総隊(EF)に貸し出すことだった。

 

 海上護衛総隊は、パナマ運河の大西洋側にあるコロン港に到着した貨物船のうち、油槽船と特務艦だけで小規模の船団を編成した。この護衛に二隻の駆逐艦を担当させようとしていたのだ。

 

 この船団は、コロン港周辺の哨戒を中断した駆逐艦の護衛を受けて、夕方に出港している。パナマから護衛してきた駆逐艦はカリブ海の洋上で、ベネズエラから駆け付けた駆逐艦と交代する予定だ。

 

 このように、燃料補給の目途は立っている。船団が一二浬で走れば明後日の早朝にグアンタナモに到着するので、燃料が枯渇する危機は回避出来そうだったのだ。

 

 しかし、平田はある事実が気になっていた。

 

 それは、平田の部下からの報告である。

 

 平田の部下は、貯油タンク基地の責任者以外にも送油が止まった事情を尋ね回っていたのだ。その結果、意外な事実が発覚した。

 

 この基地で仕事していた労働者たちは、口を揃えたかのように「政府が送油を止めろと言ってきた」と証言したのだ。それも、一人でなく複数人がである。

 

 どちらの話が事実なのか不明だが、幹部ではなく一般労働者が嘘をつく理由が思いつかない。だから、平田の部下はベネズエラ政府が送油を止めたのだと報告した。

 

 その報告を受けた平田も、部下の報告を真実だと判断して森口に打ち明けたのだ。

 

 それに対して、森口は報告の真偽に判断がつかなかった。

 

「平田。今の話が本当ならば、ベネズエラは我々と決別するつもりなのか?」

 

「今の時点では軍事行動を起こさないと思います。ですが、それ以外の方法で我々に何かを仕掛けてきそうです」

 

「軍事行動を起こさない理由は?」

 

「カリブ海の覇者が確定していないからです。今の段階でどちらかの陣営に加われば、もう一方の陣営から攻撃を受けるでしょう。マラカイボの沖合に機雷を撒かれただけで、彼らにとって致命傷になります。だから、そのようなリスクを取りたくない筈です」

 

「それを承知したうえで、宣戦布告するのでは?」

 

「戦争中なのに自由貿易を続けながら中立政策を執るのは、薄氷が張った湖を歩き続けるようなものです。一歩でも足を踏み外せば命を落としてしまいますから、並大抵の感覚では続けられません。ですが、彼らはそれを実現してしまうくらい、バランス感覚に優れています。そんな彼らが愚かな判断をするでしょうか」

 

「今は戦争中だ。何が起きてもおかしくない」

 

「そうです。戦争中です。だからこそ、夢物語だとか希望的観測だとかで戯言を語るような愚か者は生き残れません。そして、彼らは愚か者ではない」

 

 平田は一気に話すと口を閉ざす。

 

 そんな彼の冷静な頭脳は、自らが矛盾した言葉を放ったことに気づいている。彼自身が希望的観測に基づいて語っていることに。

 

 それは、曇った眼鏡を掛けて真実を見た時のような状態だ。その輪郭さえ識別できないまま憶測で真実を語れば、その時点で希望的観測と同じになる。

 

 そして、平田はベネズエラを始めとするカリブ海諸国を、色眼鏡で見ている。当然ながら、彼の眼には彼の色に染められた真実しか見えていない。

 

 そうなる理由は、彼がこの地方に親近感を抱いているからだ。

 

 なにしろ、学生の頃にカリブ海の海賊になるのを夢見ていたくらい、カリブ海は憧れの地域だったからである。そして、外務省で働くことを選んだのは、自分の懐を傷めずに外国へ行けるからだ。それくらい、この地方に行くことを熱望していた。

 

 彼が外務省に入省後、得意分野を駆使して仕事に専念していく。帝大を卒業していないため外務省のエリートコースに乗れなかったが、中米地方とカリブ海地方に強い手練れの外交官として、その名が知れ渡るようになる。幾度も外交交渉を成立させてきたからだ。

 

 そのような実績を持つ平田が、ベネズエラの動きを懸念していた。クーデターによって国家を掌握した軍事政権は、国民の不満を外部に発散させるために外交政策を過激化させる傾向にあるからだ。

 

 彼らは軍事行動は起こさないだろう。だが、欧州連合に接近して軍事行動を支援する可能性を否定できない。

 

 そうなると、グアンタナモが孤立してしまう。連合軍が北米方向だけではなく、カリブ海の南方から攻撃してきたら対処しようが無い。平田はそのような展開を予想していたのだ。

 

 しかしながら、森口にとってそのような展開予想は、雲を掴むようなものだった。

 

 彼としては外交官特有の直感を侮るつもりは無かった。しかし、これだけで業務多忙な参謀長や司令長官に説明するには、あまりにも少な過ぎる情報だからだ。

 

 そのため、彼は冷徹にも聞こえる言葉を突きつけざるを得なかった。

 

「ベネズエラが何かを企んでいるのは理解した。だが、その理由がお前の直感だけでは参謀長に説明できない。軍事行動を起こす兆候のような、具体的な情報を持ってきてくれ」

 

 そう言うと森口は退室しようとする。その背中に向けて平田は言葉を放った。

 

「情報の真偽判定は、宙に舞うコインを素手で掴むようなものです。握り締めているままでは分かりません。そして、手を開いて真偽が明らかになった段階では、その対処さえ手遅れになることもあり得ます。思い出していただきたいのですが、開いた手を握り直すことは出来ません。それは黙殺や隠蔽と言います」

 

 しかし、平田の期待も虚しく、森口は無言のまま部屋から出ていった。

 

 彼は気を取り直すため、寝室に置かれている小さな机手を伸ばす。

 

 そこには、額縁に収められた彼の家族の写真が置かれていた。中等学校の学生服を着た彼以外に、両親と姉、そして海軍士官服で身を装った兄が写っている。

 

 彼は傍目には精神面に異常をきたしたかのような面持ちで、写真にしか姿を残していない兄へ話し掛けた。

 

 「兄さん、僕は兄さんみたいに上手にできないよ。兄さんはどうやって、トライアングル・アロウに関わった奴らを纏めたんだい?」

 

 彼は何気なく寝室の窓を眺めると、ガラス板に水滴が次々と増えていく。雨が降り出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六章 ヴェネスエラ・ラウンド
第四〇話


カラカス中心街、首都カラカス、ヴェネスエラ連邦

一九五〇年四月二六日 午後六時一九分

 

 

 

 日時は一日前まで遡る。

 

 グアンタナモで天元節の予行練習を兼ねた、舞踏会が開かれている頃だ。

 

 この時刻にヴェネスエラ連邦の首都カラカスの道路を、数両の自動車が走り抜けていく。

 

 興味深いことに、ヴェネスエラの小さな国旗が各車両の前方に掲げられていた。この車列が高官を乗せた政府専用車の一団なのは明らかである。

 

 各車両に掲げられている国旗を見て、国名を言い当てられる日本人は極めて少ない。そもそも、ヴェネスエラという国は、ほとんどの日本人にとって見知らぬ国家の一つともいえる。

 

 後年、「エル・システマ」の発案国として音楽教育関係者が注目するようになる。だが、それでも日本人全体のごく一部だ。だからこそ、当時は外務省の職員や海運業関係者しか耳にしたことが無い国名だった。

 

 当然ながら、第三次世界大戦が勃発するまで日本陸海空軍の士官たちも、興味を示していない。主戦場は中東地方だと想定しており、カリブ海で連合軍と激戦を繰り広げる事態なんて、予想すらしていなかったからだ。

 

 そんなヴェネスエラは、今日も平穏な日常が続いていく。

 

 主戦場であるキューバ島から一四〇〇キロも離れているからだ。だから、カラカスでさえ灯火管制をしておらず、家屋から漏れる明かりが路上に零れていた。

 

 酒場から活気に溢れた笑い声が聞こえ、くだを巻く酔っ払いが外壁に背中を預けるながら路上へ座り込んでいる。そして、道路を挟んだ商店の庇にいる猫が、そんな泥酔者を呆れた様子で見下ろしていた。

 

 さすがにこの時間帯になると、路上を歩く者は少なくなる。この国が戦禍に巻き込まれていないとはいえ、夜間の治安は悪いからだ。夜間に若い女性が一人で歩けるくらい、治安が保たれている地域は非常に少ない。

 

 そんな街路を、政府専用車が走っていく。この車列のうち、前後の警護車に守られながら走るリムジンの後部座席に、二人の高官が深々と座席に腰掛けていた。

 

 面白いことに、路上の喧騒が別世界と思えるくらい、リムジンの車内は静かである。二人とも押し黙っているのは、これから話し合う相手への対策を十分に打ち合わせしているからだ。

 

 間もなく車列は、経過した年月によって渋みを増したレストランの前に停車する。店内には蝶ネクタイを締めた給仕が待機しており、重厚な扉を開けると店内へ高官たちを招き入れた。

 

 この日のレストランは、彼らの会談のために貸し切られている。

 

 だから、室内には高官たちと給仕、さらに目的人物である一人の男しかいなかった。調理室にはコックたちがいるが、調理に専念しているので姿は見えない。

 

 高官たちの目的である人物は待合室におり、テーブルの前に置かれたソファーに座っていた。

 

 彼は高官たちが店内に入ったことに気づくが、顔を上げることなく手を動かし続ける。トランプカードをシャッフルしていたのだ。

 

 その様子を見て、国防大臣のヒメネスは怒りを覚えた。彼が世界有数の強大国の威容を背負っているとしても、この態度は非礼を越している。ヒメネス個人だけではなく、ヴェネスエラ政府を見下しているとも言えるからだ。

 

 だが、ヒメネスに同行しているもう一人の高官は微笑を浮かべつつ、目的人物に向かい合うように別のソファーに座る。彼は招待者の尊大な態度より、彼の要件に興味があるからだ。というより、それしか興味が無い。

 

 そんな高官に倣って、ヒメネスは腹立ちを抑えながら隣に腰掛ける。ヒメネスが不満を漏らさなかったのは、もう一人の高官が彼の上司だからだ。

 

 彼らが着席すると、それまで口を閉ざしていた招待者が言葉を発した。

 

「待ちくたびれましたよ。カルボー大統領」

 

「そうかね? 予定時刻より少々早く着いた筈だが」

 

「我が国が貴国を、世界を舞台にしたゲームへ招待しているのです。なのに、中々参加していただけないからです」

 

「ドイツ語で書かれたルールブックを、辞書を片手に読んでいたから時間が掛かってしまったのさ。わたしは、英語とフランス語しか読めないのでね」

 

「ご相談いただけたら、わたしが口頭で説明しました。それ以前にドイツ語を読めなければ、ルールブックだけではなく世界情勢さえ読み通せません」

 

「君のようなドイツ人に教えたいことがある。フランス語の辞書には『不可能』という文字は無いのだ」

 

 招待者はカルボーの嫌味に肩をすくませ、その場を誤魔化すためにトランプカードを配り始める。

 

 カルボーはヴェネスエラで生まれたフランス系移民の子孫であり、その血筋に誇りを持っていることを忘れていたからだ。そして、フランス人がドイツ人に対して、尊敬とは対極的な感情を抱いていることも。

 

 その理由は、彼らが大ドイツ帝国の二級国民として扱われているからだ。

 

 かつて、フランス人はナポレオン・ボナパルトという男によって、欧州を制覇した実績がある。それは過去の栄光なのだが、それ故にドイツ人の足元にひざまずくのは屈辱的とさえ思っている。

 

 だから、フランス人がドイツ人へ反感をぶつけるのは、日常的とも言えた。もちろん、双方の力関係を理解しているので露骨に態度で示すことは稀であるが。

 

 忘れてならない事だが、フランス人とドイツ人の仲が良好だった時は一度も無い。

 

 さて、招待者はカルボーたちの前に、裏返したカードを五枚並べると手順を説明する。

 

 最初に、ガルボ―たちが招待者から見えない様に、トランプの絵柄を読み取る。その後、五枚すべてをトランプカードの山に戻す単純な作業だ。招待者はトランプマジックを披露しようとしていた。

 

 二人は言われたとおりにカードの山に戻す。すると、彼は慣れた手裁きで十分にシャッフルし、一枚を取り出した。

 

「大統領が選ばれたのは、このトランプですね」

 

 そのトランプには奇妙なことに、騎士(ジャック)(キング)といった絵柄が描かれていない。ゲームプレイヤーたちに僥倖や災厄をもたらす道化師(ジョーカー)でもない。

 

 ある動物が描かれていたのだ。淡黄褐色の背中に花柄のような斑点を纏う、獰猛な肉食獣が。

 

 それを見た途端に高官たちは表情を変えるが、二人の反応は対称的だった。ヒメネスは破顔し、ガルボ―は懐疑の眼差しを向けたのだ。

 

 さっそく、ヒメネスは好感を込めた口ぶりで話し始める。

 

(パンテル)戦車を、我々に提示するとは……。君たちは本気なのだな」

 

「大欧州連合軍の一員となっていただければ、すぐにお渡しできます」

 

「どのくらいの時間で?」

 

「一日あれば十分です。カラカスの外港である、ラ・グアイラ港に中立国籍の旗を上げた貨物船を泊めています。だから、短時間で陸揚げできます」

 

「ほほう、素晴らしいではないか。こんな戦車が我々の」

 

 ヒメネスは微笑みながら話していくが、それを遮るようにガルボ―は会話へ割り込んでいく。

 

 彼が招待者の術中に嵌まりかけているからだ。

 

「用意周到だな。交渉が成立しなかった場合、その戦車や陸軍部隊を夜闇に紛れて上陸させるのか?」

 

「そのまま帰るだけです。良からぬことは考えていません」

 

「そもそも、君たちの狙いは何だ? 原油はルーマニアのプロイェシュティやロシアのバクーで採れるし、合衆国のメキシコ湾岸でも採れる。我が国も輸出しているし、十分な量を供給している筈だ。原油以外の理由で我が国に近づいてくる理由が分からない」

 

「石油は幾らあっても足りません。戦場へ到着するまでに失ったり、後方で軍需物資を生産したりするのに必要だからです」

 

「本当に足りないのは原油なのか? 正確に言えば、ガソリンや灯油ではないのか? 今日はお互いに腹を割って話そうじゃないか。リッベントロップ外相」

 

 その言葉を聞いた途端に、大ドイツ帝国外務大臣は言葉を詰まらせる。

 

 ガルボ―の指摘は、大ドイツ帝国が抱える問題点を突く言葉だったからだ。

 

 

 

       ◇◆◇◆◇

 

 

 

 原油から精製されたガソリンや軽油は、第一次世界大戦を境にして重要な戦略物資として位置づけられるようになった。そして、現在では、産油地と輸送手段の両方を守り切った陣営が、戦争に勝利すると言われている。

 

 当然ながら、ドイツもこの戦略物資を重要視している。

 

 そのため、将兵たちの血肉と引き換えるようにして、ルーマニアのプロイェシュティ油田や旧ソ連のバクー油田を獲得したのだ。

 

 第三次世界大戦も同様に、支配地域で産出する石油資源を獲得する計画だった。ところが、開戦前の予想が成立しない事態に直面しているのだ。

 

 なぜならば、北米大陸の産油地域は大陸全体のうち、一部の地域に集中しているからである。

 

 北米大陸の主な産油地域であるメキシコ湾岸では、日英米枢軸軍と大欧州連合軍が激戦を繰り広げている。砲撃や爆撃等で破壊された石油採掘機器を修理しても、新たな攻撃を受けてしまうので放置状態にせざるを得なかった。

 

 また、合衆国のカルフォルニア州とカナダ中部にも産油地域があるが、いずれも日英同盟軍の支配地域にある。強固な防衛線で囲まれているので、ドイツ軍機甲部隊ですら容易に近づけない。

 

 このような状況なので、原油や各種石油製品は欧州や親独寄り中立国である南米諸国から、調達せざるを得なかった。なお、膨大な量の原油が埋蔵されている中東地方は、昨年末に枢軸軍に奪取されている。

 

 そして、この問題に伴って、別の重大な問題が燻りつつあった。

 

 それは、原油から各種石油製品を生産する石油精製工場である。

 

 そもそも、地中の奥深くに埋蔵されている原油は、採掘された直後の状態では焚火にくべる燃料としか使えない。船舶や車両を動かすための燃料、冬季の生活に欠かせない暖房器具、石油化学素材を使用する部品を製品するためには、原油を精製しなければならないのだ。

 

 だから、石油精製工場が必要になる。この工場で原油を精製することで、重油、ガソリン、灯油といった各種の石油製品が生み出されていく。

 

 問題なのは、合衆国にある殆どの石油精製工場が戦禍によって損傷しており、再稼働していないのだ。

 

 そのような状況なのに、戦場ではガソリンや灯油が湯水のように消費されている。

 

 このため、合衆国で生産した銃火器や戦闘車両が燃料不足のために、前線に届けられない事態が発生しつつあったのだ。

 

 石油精製工場を修理して再稼働させるには、非常に時間が掛かる。

 

 その理由は幾らでも挙げられた。

 

 最初に挙げられるのは、合衆国陸軍による破壊工作だ。彼らが西海岸に退却していく際に、これらの工場を破壊したのである。

 

 事実、精製作業にとって重要な蒸留塔には穴が開いているし、配電盤や電線は黒く焦げていた。ドイツ人技術者たちが調査した際に、小手先の修理では再稼働できないと悟ったのだ。

 

 次に挙げられるのは、工具や部品の規格の問題だ。ヤード・ポンド法で建設された機器を修理するためには、メートル法を採用しているドイツ規格の工具や部品は使えない。

 

 だから、ドイツ人技術者たちはヤード・ポンド法に基づいた部品を、合衆国で製作することを考えたのだ。だが、この手段も諦めざるを得なかった。

 

 合衆国にある機械工場は、他の部品を作る余力が無いくらいに軍需品や民需品を生産している。現時点では、石油精製機器の部品製作さえ割り込ませられないのだ。

 

 それだけではなく、省庁間の対立も災いしていた。北米大陸を支配しているドイツ北米総軍の権限が強すぎて、軍需省の管轄である石油精製機器は後回しにされていたのである。

 

 そのため、彼らは新たな方法を考えた。欧州で石油精製機器一式を製作し、合衆国に輸送して据え付けようとしていたのだ。

 

 しかしながら、この方法は非常に時間が掛かる。半数以上の工場が再稼働できるのは、冬季を迎える頃だと予想されていた。

 

 これが、ドイツにとってアキレス腱になりつつある問題だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読者様はお気づきかと思われますが、今回は「ベネズエラ」という国名を「ヴェネスエラ」で書きました。

前者は日本国外務省による公式呼称、後者は現地語の発音に近い名称です。

また、本作では史実どおりにガルボ―が大領領として登場しています。しかし、「パナマ侵攻」では、ガルボ―から数えて二代後に就任するヒメネスが大統領になっています。

このあたりの歴史改変事情が読み解けなかったので、史実のままとしました。




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第四一話

カラカス中心街、首都カラカス、ヴェネスエラ

同日 午後六時二八分

 

 

 

 ガルボ―たちが会場と定めたレストランは、第二次世界大戦前にフランスから移住してきた家族が開いた店だった。

 

 ヴェネスエラで本格的なフランス料理が味わえる、カラカスにある名店として人気がある料理店でもある。

 

 ガルボ―がこの店を選んだのは、彼がフランス系移民の息子だからという理由だけではない。カラカス市内ではこの店の他に、まともな欧州料理が食べられる店が少ないからだ。

 

 会談の出席者たちが揃ったので、給仕は彼らを食堂に案内していく。そして、彼らが着席すると食前酒を注いだグラスを食卓に置いた。

 

 室内の白熱灯によって磨かれたワイングラスは照り輝き、レストランが吟味した食前酒も淡く輝いている。それを、ガルボーは手に取ってリッベントロップに語り掛けた。

 

「今日の会談が貴国と我が国の双方にとって、実りある結果を生む出すことを期待しましょう」

 

「わたしも、それを期待しています」

 

 そう言うと、彼らはグラスを傾けていく。

 

 皮を剥いた葡萄だけで仕込まれた果実酒は芳醇な香りを鼻孔に充満させ、一口飲むと舌を躍らせていく。食前酒が吟味されているのであれば、この後に続く料理も期待できるだろう。

 

 前菜はヴェネスエラで採れた食材を調理した一品だった。さすがに、自然豊かなヴェネスエラでも育たないトリュフは、他の食材で代用しているが。

 

 二番目の皿はフランス料理の定番とも言えるエスカルゴだ。それを見て、リッベントロップは目を丸くした。

 

「ほう、こんな南国でエスカルゴが出て来るとは」

 

「意外か? カタツムリはフランスの植民地に必ず生息している」

 

「カタツムリなら何でも食べられる訳ではない筈ですが」

 

「わたしの父から聞いた話だが、フランス人が食用に適したカタツムリを植民地にばら撒いたからだそうだ」

 

「なるほど。未だにドイツ人がフランス人に勝てないのは、料理への情熱と女の口説き方ですからな」

 

「欧州の覇者にしては謙虚な言葉だな」

 

「なあに、覇者の余裕です。偉大なるヒトラー総統と精強な帝国軍ならば、いずれ枢軸軍をカリヴ海に蹴り落とせるのですから。そのために、総統はニューヨークで反攻作戦を指揮されるのです」

 

「何だと!?」

 

 今日の午後に、ヒトラーが最新鋭超々々弩級戦艦(フォン・ヒンデンブルグ)に乗ってニューヨークに着いた情報は、ガルボ―たちも部下から聞いている。

 

 しかし、その理由までは知らなかった。

 

 意外な事実を聴いた二人は、お互いに顔を見合わせてしまう。彼らや部下たちは、ヒトラーの目的が将兵たちの慰労や視察だろうと予想していたからだ。

 

 困惑する二人を交互に眺めつつ、リッベントロップはワインを一口だけ飲む。それから、一気に雄弁になると言葉の矢を放っていく。

 

 誰がどう見ても、ドイツ側に好機が訪れた瞬間だった。交渉相手に遠慮する必要は無い。

 

 だから、彼は相手に考えさせる隙を与えずに自らの思惑を押し通そうとしていった。それは、シャンパン輸入会社の社長時代に辣腕を振るった、阿漕な商人らしい言動と言える。

 

 リッペンドロップの要求は二点だった。

 

 一点目は日英米枢軸陣営への石油供給停止。二点目はヴェネスエラが大欧州連合陣営に参加することだ。その対価として、ドイツは北米戦線で運用している兵器をヴェネスエラに提供するという。

 

 その提案はヴェネスエラにとって魅力的であるが、劇薬でもあった。日英米枢軸陣営を敵に回しかねないからだ。

 

 現時点では戦争の勝敗が明確になっていないので、一方の陣営に固く結びつくのは危険だった。外交の舵取りを誤れば、国土を戦渦に巻き込むことにも繋がりかねない。

 

 そんなリッベントロップの要求に受けて立つのは、ヒメネスの担当だ。ガルボ―から交代した彼は、相手の煽りに乗せられつつも的確に発言していく。

 

「順番が違う。まず、あなたたちが枢軸軍をパナマまで押し返すことが先だ」

 

「わたしも同じことを言わせていただきます。順番をよく考えてください。連合軍が枢軸軍を撃退した後に、同盟を申し込まれても遅すぎます。このまま戦争が終結すれば、我が国(ドイツ)はブラジルやアルゼンチンを優遇します。これらの国は中立を維持しながらも、我が国の戦争遂行に協力しているからです」

 

「優遇とはどういう意味かね?」

 

「合衆国東海岸の石油市場に、ブラジルやアルゼンチンを優先的に開放するという意味です。貴国(ヴェネスエラ)は農産物や畜産物だけ合衆国へ輸出できることになるでしょう」

 

「我が国(ヴェネスエラ)も原油を連合軍に供給しているし、油槽船でカリヴ海を超えて合衆国東海岸まで運んでいる。それを忘れては困る。今月も中立国の油槽船が攻撃を受けているのだ。中華民国とペルーが一隻づつだ。そもそも、無差別潜水艦戦の宣言してカリヴ海を危険な海域にしたのは、どこのドイツかね?」

 

「お言葉ですが、貴国(ヴェネスエラ)は原油を高値で売りつけているだけです。それに対し、かの国々(ブラジルとアルゼンチン)は我が国(ドイツ)に協力的です。だから、戦争終結後に合衆国の石油市場で優遇するのは、ブラジルとアルゼンチンだけになるでしょう。そのように総統が申されています」

 

「我が国(ヴェネスエラ)が日英米からの圧力を防ぎながら、貴国(ドイツ)へ尽力している事実を無視すると言うのか?」

 

「総統の方針ですから。しかしながら、貴国(ヴェネスエラ)は別の方法で我が国(ドイツ)に貢献することができます」

 

 貢献だと! 幾ら国力に圧倒的な差があるとしても、その言い方は常識的に有り得ない。

 

 日本の平田という外交官も失礼な奴だが、目の前に座っているリッペンドロップはそれより遥かに無礼だ。平田は、食後のデザートを一人で全部食べてしまった程度だ。

 

 ヒメネスはそんな事を考えつつ、リッペンドロップの話を聞き続けていく。

 

「貴国(ヴェネスエラ)には合衆国から譲り受けた、石油精製機器の開発技術があると聞いております。それを我が国(ドイツ)に公開していただきたいのです。我が国(ドイツ)と共同で石油精製工場を建てる案も用意しています」

 

「……貴国(ドイツ)の提案は受けられない。断る」

 

「良くお考え下さい。貴国(ヴェネスエラ)には原油蒸留塔を製造できる重工業施設がありますか?」

 

「これから作るのさ。原油を売り上げた利益で、蒸留塔を製造する施設を建設する」

 

「原油を汲み上げられたとしても、相手先が受け取らなければ利益になりません」

 

「原油を売る相手は幾らでもいる」

 

「日英米枢軸陣営がカリヴ海から追い払われたとしても、同じことが言えますか?」

 

 今度はヒメネスが言葉を詰まらせてしまう。そして、ガルボ―も答えられなかった。

 

 これが、ヴェネスエラがドイツに握られている弱点だったのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ドイツがヴェネスエラに求めている事項は幾つかあるが、最大目的は各種石油製品を増量させることである。そして、ヴェネズエラが維持したいのは合衆国東部の石油市場だ。

 

 すなわち、需要側であるドイツと供給側のヴェネスエラによる、利害衝突とも言える。

 

 だが、ドイツ側の要求事項がリッベントロップという男を経由すると、なぜか意味合いどころか目的まで変化してしまう。

 

 彼の口から出てきた要求は、日英米枢軸陣営への石油供給停止と、大欧州連合陣営への参加だ。さらに、石油精製工場の共同建設案まで付け足されている。

 

 リッベンドロップが適当な事ばかり言っているのではない。彼にとって最良のプランを提示しているつもりなのだ。

 

 彼にとって大欧州連合への加盟は、ドイツの平民が貴族階級に仲間入りするのと同等の価値があった。また、ヴェネズエラが石油製品を増産するのを様々な面から支援するために、石油精製工場を提案したのである。

 

 だが、ヴェネズエラにとって大欧州連合陣営への加盟は、断固拒否しなければならなかった。両陣営が石油資源を戦略物資として認識している以上、一方の陣営に加われば対抗陣営から攻撃されるのは自明の理である。

 

 そして、石油精製工場の技術公開や共同建設案は、受け入れられない提案であった。

 

 もし、ドイツの提案を受け入れた場合、「設計技術者」や「建築責任者」といった肩書を持つ怪しげな者たちが、次々に上陸しそうだからだ。彼らは、ドイツがどのようにオーストリアやチェコスロヴァキアを併合していったか、十分に学んでいた。

 

 そもそも、ヴェネズエラが中立を保ちつつ自由貿易を続けているには、国家戦略が確固たるものだからである。

 

 かつては、輸出できる農産物が珈琲豆とカカオ豆しかない貧しい農業国。一九一四年にマラカイボ湖で世界最大級の油田が発見されてから急速に発展してきた石油輸出国。そして、将来は中南米の周辺国家を従える覇者になるべき強国。そのような国家を目指していた。

 

 そこまで強気になれるのは、国民の気質によるものだけではない。

 

 この国は第三次世界大戦の勃発前まで、産油国として合衆国に次ぐ世界第二位の座にあったからだ。そして、合衆国や中東が戦乱によって原油の輸出ができなくなった現在、この国は世界最大の産油国になっている。

 

 そんな歴史を歩んできた国家が合衆国東部の石油市場から締め出され、以前のように貧しい農業国に戻る訳にはいかなかった。好んで貧乏人になるような者はごく僅かだからだ。

 

 そんな成長過程を一歩ずつ踏み上がっていくヴェネズエラへ、合衆国東部を支配したドイツが急接近してきた。ヴェネスエラを組み易し相手と判断して。

 

 だから、外交的儀礼であれば外務大臣が出席するべき会談に、この国の実権を握るガルボ―大統領とヒメネス国防大臣が出席している。すべては、ドイツの外交的圧力に立ち向かうためだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 会食会を兼ねた会談は、進行と休憩を繰り返して三時間以上も経過している。その出席者たちは双方ともに、妥結してでも今日中に交渉を成立させるつもりだった。

 

 だが、現状では圧倒的にドイツ側が有利であった。

 

 国力の大きな違いによるものではなく、単純にガルボ―とヒメネスの交渉が下手なのだ。そもそも、彼らは軍部出身なので適確な命令は下せても、相手を意図を覆すような交渉術を持ち合わせていない。

 

 それに対して、シャンパン輸入業者の社長から転身したリッペンドロップは、ドイツの上流階級に認められた巧みな話術を駆使していく。ヒトラーから成果を期待されていない男であったが、ガルボ―たちにとって手強い相手であったのだ。

 

 だから、二人は追い詰められる一方である。このまま交渉を続けると、ガルボ―たちの思惑はすべて抑えられるのは明らかだった。

 

 最終的には、「はい」か「後日に引き延ばす」のどちらかしか選択できなくなるだろう。

 

 このため、ガルボ―は交渉戦術を練り直すために休憩を提案し、待合室でヒメネスと打ち合わせしていた。

 

「ヒメネス、軍はどうなっている?」

 

「既に全部隊へ警戒命令を出しています。ラ・グアイラ港に何隻か貨物船が泊まっていますが、すべての貨物船に魚雷艇を張り付かせました。不審な行動を始めたら即時に雷撃します。陸軍も迎撃戦を準備しています」

 

「いや、それだけでは足らない。ヴェネスエラにいる外国船籍の貨物船すべてを、現時点で出港禁止にして一隻残らず臨検させろ。荷役中ならば一時的に止めても構わん」

 

「はい、明朝から臨検を始めるようにします」

 

 ヒメネスが待機中の部下へ指示していく間に、ガルボ―は巻き煙草を取り出して一服を始める。紫煙がゆっくりと立ち昇る様子を眺めながら、リッベントロップへの対抗手段を模索していく。

 

 虚言なのか真実なのか分からないが、リッベントロップは中立国に偽装した貨物船で戦車を運んできたと伝えている。それだけではなく、ヒトラーがニューヨークで反攻作戦を指揮するとまで語ったのだ。

 

 それを言葉にしたのは、ヴェネスエラを舐めているのか? それとも、ドイツの石油事情が危うい証拠なのか? いずれにせよリッベントロップは、ガルボ―たちの予想以上に踏み込んできている。

 

 もちろん、ヴェネスエラにとって都合の良いことばかり並べる訳にはいかない。交渉の妥結点を設けなければならなかった。

 

 ガルボ―とヒメネスの意見が一致したのは、日英米枢軸陣営への石油製品供給停止と、その割り当て分を連合陣営に回すことだ。枢軸側が事情を申し立てた時には「荷役設備の故障」といって誤魔化す予定だ。

 

 また、この程度で枢軸陣営がヴェネズエラへ、武力行使をする可能性は少ないと判断している。むしろ、連合陣営への供給を増やすと外貨収入が増えるだ。

 

 ヴェネスエラは、両陣営へ石油製品を輸出する条件を幾つか定めている。その一つに、外貨による直接決済しか認めていなかった。

 

 その条件によるものか、枢軸陣営はヴェネスエラの石油製品を大量に買い求めてこない。

 

 それに対して、連合陣営へは多量であるにも関わらず、常に外貨紙幣で即日決済していたのだ。ヴェネスエラ側からすれと、連合陣営(というよりドイツ)が多額の外貨を抱えている事実に驚くくらいだ。

 

 しかしながら、これはヴェネスエラ側が知らない事実があった。

 

 ドイツは()()()()()()()()()()を印刷しており、これで決済していたのだ。もし、ヴェネスエラが金銭的価値の裏付けが無い紙幣だと見破ったとしても、ドイツ人は気にしていない。

 

 今は戦争中であり、法律や秩序は狂った者が作る。誰かがそのように歌っているそうだが、ドイツはそれを文字通りに実践していた。

 

 ここまでカルボーたちの意見は一致するが、石油精製工場については意見が割れてしまう。ヒメネスは明確に反対したのだ。

 

「わたしは反対します。工場の共同建築だけではなく技術公開も含めてです」

 

「石油精製技術は公開しようと考えていたが」

 

「ドイツ人相手に大盤振る舞いするのは……」

 

 彼らが話題にしている石油精製工場技術は、ヴェネスエラ独自のものではなく合衆国が育ててきたものである。それを、戦時中の混乱を利用して手に入れたのだ。

 

 合衆国南岸に逃げてきた石油技術者たちを、難民として受け入れてヴェネスエラに連れてきた。同時に、石油技術者たちを石油精製関連の技術を持ち出させたり、製作中の機器を運び出させるようなことまでしたのだ。

 

 平時であれば、国際法に違反する悪辣な手段として裁かれるのは確実な行動である。

 

 だが、ヴェネズエラはそれを無視したまま、マラカイボ湖の湖畔に石油精製工場を建設してしまう。そして、試行錯誤しながら石油製品の増産を達成してしまったのだ。

 

 そんな技術をドイツは求めていたのだ。だから、ガルボ―は公開するつもりだったのだ。

 

「石油会社からの報告では、あの技術資料は近い将来に落書き帳程度の価値しか無くなるそうだ。だから、完全に価値が無くなる前に、奴らへの切り札として使おうと考えていた」

 

「連中は合衆国東部に幾つもの石油精製工場を持っていますし、欧州にもあります。だから、石油精製技術は握っているのです。それなのに、我々にその技術を求めるのは裏がある筈です」

 

 ヒメネスの疑問は、石油事情に詳しい者なら当然の疑問だった。

 

 原油を精製する段階について、産油国で精製されて石油製品として輸出される場合と、原油のまま輸出されて消費国で精製される場合がある。そして、圧倒的に後者が多い。

 

 各地で求められる石油製品の成分や添加物の分量が微妙に異なるからだ。日本を例に挙げると国内向けガソリンや軽油は、九州の暖地向けと北海道の寒冷地向けで異なる。

 

 そのようなニーズに産油国側では応じきれないので、消費地側で精製するのだ。

 

 そして、これらの工場は合衆国だけではなく欧州にも点在している。つまり、連合陣営も石油精製工場を建設できる技術を持っていた。それにも関わらず、リッベントロップが執拗に要求する理由が分からなかったのだ。

 

 この時点でガルボ―たちは、合衆国における石油精製工場の実情を把握していない。

 

 世界中に点在する石油精製工場のうち、合衆国にある工場の割合は1/4も占めている。その殆どが、稼働出来ない状態だったことに。

 

 だから、彼は少々的外れな推測をしていた。

 

「我々が握る資料の価値を過大評価しているのだろう」

 

「大統領のご決断に、わたしは従います」

 

 ガルボ―の方針を聞くと、ヒメネスは素直に従った。

 

 彼が腕時計を覗くと午後十時を過ぎようとしている。日付が変わる前に交渉をまとめる決意で、ガルボ―たちは食堂に戻っていく。

 

 これが、彼らにとっての戦争だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四二話

エンパイア・ステート・ビルディング、ニューヨーク市、合衆国

同日 午後七時一九分

 

 

 

 大ドイツ帝国の総裁という職業は、一般的常識を持つ人間では理解しにくい職業である。

 

 なぜなら、総統としての仕事が務まる者は僅かしかいないからだ。別の表現にすると、一般的教養しか持っていない凡人には、不向きな職業なのである。

 

 そんな職業へ好んで就いた酔狂な奇人は、ニューヨーク市に到着してからも多忙な日程をこなしていく。

 

 彼はこの地に滞在中の限られた時間で、政界や財界が主催する歓迎会への出席、欧州連合北米総軍の将官たちが居並ぶ会場での演説をしなければならないからだ。さらに、北米戦線の視察や、極秘の目的も果たさなければならない。

 

 そんな日程を組んでいる大ドイツ帝国総統は、彼のために企画された演説会で熱弁を振るっていた。

 

 演説会には、ドイツ北米総軍の将官たち、在米ドイツ人の代表者や合衆国の政治・経済界の重鎮、そしてヒトラーと共に大西洋を渡って来た者たちがいる。

 

 そのうちの一人に、ドイツ軍需相を務めるシュペーアがいた。

 

 彼は聴衆席の高官専用席に座り、ヒトラー総統の演説を聞いていたのだ。

 

 彼の演説は、始まってから一時間近く経過していた。高音域にある男声と演説技術で聴衆たちの心理を、恍惚(こうこつ)状態に誘い込んでいる。そろそろ、感動的な終幕(クライマックス)にするために、聴衆たちの心理を最高潮に押し上げていく時間帯だ。

 

 だが、ナチス政権の高官たちにとって、それは定期的に聴かされる演説と変わらない。姿勢を正して真剣に聴き続けようとするが、集中力が切れてしまうのは避けられなかった。

 

 それは、彼の隣に座る国家宣伝相のゲッペルスも同感だったらしい。とうとう、シュペーアに向けて無駄話を始めたのだ。

 

「なあ、シュペーア。このビルに案内された時、何を考えた?」

 

「僕は背筋が凍ったよ。総統がベルリンに帰るって言い出さないかヒヤヒヤした」

 

「それは無いんじゃないか? 次の予定があるし。俺は、このビルを今すぐに爆破しろと言い出さないかって、ハラハラしてたんぜ」

 

「合衆国人は本当に知らなかったそうだ。総統が鉄筋コンクリートで造った巨大建築物が大嫌いだってことに」

 

「なぜ、そんな事情を知っている?」

 

「講演前に合衆国側の主催者を呼んで聞き出した。彼は総統へ嫌味や皮肉をぶつける意図は無く、純粋に歓迎するつもりだったそうだ。嘘は言ってなさそうだった」

 

 彼らがいる場所はニューヨーク市の中心街にあるマンハッタン島、その島に建てられた世界一の高さを誇るエンパイア・ステート・ビルディングの大広間である。

 

 そして、ヒトラーはこれらの高層建築物を「醜悪な建築物」と捉えており、非常に嫌悪していたからだ。だから、シュペーアたちは、ヒトラーが怒り出さないか心配していたのだ。

 

 ヒトラーが高層建築物を嫌う理由を、シュペーアならば次のように説明するだろう。

 

 すなわち、「ドイツ人が建てる建築物は千年経過して廃墟になったとしても、ドイツ民族と帝国の繁栄を後世に語り継ぐ、美学的に優れた建築物にしなければならないのだ」と。

 

 これは、「廃墟価値理論」と呼ばれるものである。

 

 シュペアーは、ベルリン官庁街を大規模改造する計画(ゲルマニア・プロイエクト)を立案している。現在では、後任のヴェルヘルム・クライスに交代しているが、だからこそ計画の概要を説明できるのだ。

 

 ヒトラーが念頭に置いた建築物は、ギリシャ時代の神殿やローマ時代の競技場であった。それらの重厚な建築物は二千年経過しても、かつての超帝国の繁栄を物語っている。それを、世界の覇者に成らんとする大ドイツ帝国で再現しようとしていたのだ。

 

 建築関係に携わる者なら、彼がそのような発想に至った理由も理解できるだろう。

 

 鉄筋コンクリートで作られた建物は五〇年程度の寿命しか無いし、老朽化で内部の鉄筋が錆色を浮き出していく。それは、治ることが無い皮膚病に襲われた患者を彷彿させる。

 

 だから、ゲルマニア・プロイエクトに基づく建築物の多くが、新バロック様式の外観を持つ巨大石造建築物になっているのだ。

 

 しかしながら、合衆国人は高層建築物に対して、ヒトラーとまったく異なる見方をしている。彼らは、新世紀を迎えた新大陸に相応しい、新たな経済戦争に勝利するための城砦だと認識していた。

 

 だから、合衆国人はヒトラー氏を精一杯に歓待するために、「醜悪な建築物」の代表格であるエンパイア・ステート・ビルディングで、演説会と歓迎会を企画したのである。

 

 シュペアーから事実を聞かされると、ゲッペルスは呆れた口調で会話を続けた。

 

「何だ、知らなかっただけか。こんな形で嫌味をぶつけてくるなんて、合衆国人も度胸が据わっているなと思ってたんだが」

 

皮肉と嫌味の効果的活用(ブリティッシュユーモア)は英国人の得意技だ。合衆国人は英国人のように、心が病んでいない(ひねくれていない)

 

「まあ、ある意味で合衆国人は単純だからな。小細工せずに正面からぶつかってくる。こちらとすれば、連中の次の手が分かりやすいから、宣伝する甲斐があるぜ」

 

「それにしても、今回の件で純粋と無知は、壁紙の裏表のようなものだと実感したよ」

 

「おっ? 詩人の言葉が出たな。それで、誰の言葉だ?」

 

 この質問を受けると、建築家である父の子息は微笑みながら答えた。

 

「僕の親父だ」

 

 二人が雑談を続けるうちに、ヒトラー総統の演説は熱を帯び始めていく。講演の終幕段階に入ったのだ。

 

 すると、聴衆席から「ジーク・ハイル」とか「ハイル・ヒトラー」の声が聞こえ始めた。聴衆の一人が自発的に席を立つと、波紋が広がるように他の聴衆たちも立ち上がっていく。

 

 その様子を見て、ゲッベルスは微笑みながら頷く。

 

 ヒトラーが実戦している聴衆扇動術は、国家宣伝相が研鑽して昇華させたプロパガンダ技術の一つでもある。それが見事に成果を現わしたのだから、微笑みを漏らさずにいられなかったのだ。

 

 違う立場の者から見れば、悪徳を企む微笑と表現するだろうが。

 

 シュペーアも講演会場に立ち込める空気に合わせて立ち上がり、右腕を前へ伸ばすナチス式敬礼でヒトラーを称え始めていく。

 

 彼にとって、ナチス政権への忠誠を唱えているつもりはない。未知朦朧の生物が生息する政治の世界で権力を掴み続けられるのは、ヒトラーの後ろ盾があるからだと自覚している。

 

 だから、彼は個人的信念でヒトラー個人を称えていたのだ。それについて、他者からの批判に耳を傾けるつもりは無かった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 講演会が拍手万雷で終わると、続いて懇談会が始まった。

 

 ヒトラー総統に会場に入ると、たちまち彼の周りに人だかりが出来ていく。

 

 彼に挨拶したり、記念として一緒に写真に収まりたいと考える者たちが集まっていくからだ。それには、自己利益に繋がる思惑を果たそうとする者たちも混じっているが、ヒトラー総統は分け隔てなく応じていった。

 

 意外に思えるかもしれないが、ヒトラーは懇談会に参加したくなかったのだ。 ベルリンから快適な船旅で移動してきたとはいえ、長旅による疲れは残っている。また、講演会での熱弁で体力を消耗していたので、疲労はピークに達していた。彼の本心としては、ホテルの自室でベッドに寝伏したかったのだ。

 

 それでも、彼が懇談会に姿を現わしたのは、合衆国における彼の存在を明確にするためである。

 

 何しろ、この戦争によって大ドイツ帝国の版図はあまりにも急膨張しており、総統の姿を写真や動画でしか見たことがない者が続出しているからだ。そのような者たちにとって、いつまでもヒトラーへの忠誠を誓うのは難しい。逆境に遭うと反抗的になるのは歴史が証明していた。

 

 そして、シュペーアにも自然に人が集まってくる。

 

 軍需相という肩書が持つ権勢もあるが、彼は少々訛りがある流暢な英語を話せるからでもある。つまり、合衆国人にとってヒトラーより面倒事を気軽に打ち明けられるのだ。

 

 それは、合衆国の実情を肌感覚で掴める絶好の機会なのか、面倒事を次々に抱え込まされるだけなのか、判断しかねる状況でもある。それが延々と続いていく。

 

 そもそも、彼はこの視察に動向する必要は無かった。

 

 彼はこれまでに何度か訪米しており、この年の一月にも視察に訪れていたのだ。

 

 その目的は、いつもどおりに合衆国各地にある工業地帯の軍需物資や民需物資の生産状況と、前線で不足している物資を把握することだった。特に、五大湖沿岸にある工業地帯は重点的に実施している。

 

 だから、今回はベルリンで留守を預かってもよかったのだ。だが、ヒトラーに例の男が同行すると聞いた時、即座に彼も同行することを決意した。

 

 その男とは「総統の拡声器」と陰口で嘲られる男、国民宣伝相のゲッベルスだ。

 

 シュペーアにとって人格的に反りが合わないが、仕事(プロパガンダ)に対する熱意や天才的才能には一目置いている人物でもある。友人には成れないが敵に回したくない男だった。

 

 事実、彼の宣伝技術は超一流であり、敵対勢力へ有効な一撃に値する威力を持っている。

 

 問題なのは彼自身が、敵対勢力だけではなく共闘すべき仲間にも一撃を与えていることが、多々生じていることだ。それが、無自覚なので余計に面倒なのである。

 

 総統と同行中に余計な事を吹き込んだり、些細な問題に脚色つけて重大な問題に仕立て上げたりしてしまう。そのような騒ぎを何度もしているので、シュペーアは用心していたのだ。

 

 彼にはそんな事情があったが、合衆国人とって関係無いことである。 だから、シュペーアに対して遠慮なく愚痴や文句をぶつけていく。だから、彼は遂に耐えかねてしまい、理由をつけて会場から逃げてしまった。

 

 しばらく会場に戻らないつもりで通路を歩いていくと、偶然にも見知った顔に出くわす。その人物は、ヒトラーの個人副官を務めるギュンシェだった。

 

 シュペーアは、すかさず話し掛けていく。

 

「やあ、ギュンシェ君。ニューヨークの夜を楽しんでいるかい?」

 

「今日はそんな余裕が無いです。仕事じゃない時にじっくり楽しみたいですよ」

 

「そうだな。その時にはニューヨークの面白い所を案内してあげよう。ところで、一つ聞いていいかい?」

 

「何でしょうか?」

 

「総統宛に電文が届いていないか?」

 

 それを聴くと、ギュンシェは表情を渋らせる。だが、すぐに返事しなかったのは職務に対する忠誠と、彼自身の思惑がせめぎ合っていたからだ。

 

 ほんの数秒で考えを巡らすと、彼は答えた。

 

「他の方々に、自分から聞いたと言わなければ」

 

「分かった。約束しよう」

 

「二件届いています。一件目はリッペンドロップ外相からです。内容は『ヴェネスエラとの交渉開始。出席者は大統領と国防長官』です」

 

 この件はシュペーアも知っているが、彼は外務省による成果を期待していなかった。

 

 これまでに、ことごとく外交交渉に失敗してきた外務省が、漁夫之利(ぎょふのり)を狙っているようにしか見えなかったのだ。

 

 合衆国の工場を兵器生産に専念させたい北米総軍と、軍需品や民需品をバランスよく生産させたい軍需省による対立。その機会を利用する、()()()()()()()()()()()()()()外務省。

 

 大ドイツ帝国は一党独裁の政治体制であり、党首兼総統であるヒトラーしか国家の全体像を把握していない。それは、権力者や省庁間に生じる利害の調停権限を、彼しか握っていないことを意味している。

 

 だから、常に権力者同士や省庁間による不必要な対立が生じてしまうのだ。そして、それらの問題を解決できる、ヒトラー個人への従属体制が強化されていったのだ。

 

 当然ながら、シュペーアもその一人だった。ヒトラーがいなければ軍需品や民需品の生産計画は簡単に破綻する。軍や親衛隊が横槍を入れてくるのは目に見えているからだ。

 

 しかし、彼にとって石油精製に関する諸問題を短期間で解決するために、ヒトラーが北米総軍ではなく外務省へ外交交渉を命じたのは意外である。

 

 シュペーアには見えない事実が、ヒトラーに見えているのだろう。それしか考えられない命令だったのだ。

 

 シュペアーは一瞬だけリッペンドロップの顔を思い浮かべると、ギュンシェから話の続きを聞き出そうとしていく。

 

「二件目を教えてくれ」

 

「軍事情報なのでお伝えできません」

 

「分かった、ありがとう」

 

「いや、ここで構わんから報告したまえ」

 

 シュペーアの発言を覆すように別の声が被さると、ギュンシェだけではなくシュペーアも背筋を冷やしてしまう。

 

 いつの間にか、彼らの総統(マイン・フューラー)がいたのだ。

 

「ギュンシェ、便所(トイレッテ)はどこだ?」

 

「あ、あの角を曲がって右側にあります」

 

「ついでに、電文について報告しろ」

 

「はい、一件目は」

 

「リッペンドロップからではないか?」

 

「は、はい。そうです」

 

「報告は省いてよい。儂は外務省に期待していない」

 

「えっ!?」

 

 それを聞いた二人は、驚きの声を漏らしてしまった。

 

 二人の脳内で幾つもの疑問符がぐるぐる廻っていくが、ヒトラーはそれに構わずに話し続けていく。

 

「二件目を報告してくれ」

 

「はい、北米艦隊司令部(NAF)からの報告です。『作戦開始に向けて艦隊行動中』」

 

 ヒトラーは笑みを浮かべながら頷き、シュペーアに顔を向けると話し始めた。

 

「シュペーア、儂が考えた作戦計画の一部を特別に教えてやろう。リッペンドロップをヴェネスエラに送ったのは欺瞞作戦でしかない。数日以内に戦況を一気に好転させる作戦を始めるためだ。目標への攻撃開始は払暁(ふつぎょう)とした。奴らは朝食を食べる余裕さえ無いまま、大打撃を受けて戦意を失うだろう。お前に話せるのは、ここまでだ」

 

「分かりました」

 

「ついでに、もう一つ教えてやろう。作戦名だ」

 

「是非、教えてください」

 

 ヒトラーは、無邪気な子供が宝物を見せびらかすように、眼を輝かせながら作戦名を明かした。

 

射手座の矢(サジタリウス)だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四三話

ハバナ港、ハバナ市、キューバ島

一九五〇年四月二六日 午後九時四五分

 

 

 

 キューバ共和国の首都であったハバナは、戦前と変わることなく島内の最大都市として活気に満ちていた。

 

 市街地に面しているハバナ港は、合衆国東海岸や欧州から伸びてきた海路の終着点であり、起点ともなる港である。そして、陸路との結束点でもあり、戦前から貨物や乗客の往来が活発だったのだ。

 

 戦時中である現在では、その内容がガラリと変化している。貨物が砂糖キビやハバナ葉巻から軍需物資に変わり、乗客が合衆国からの用務客や観光客から連合軍将兵に変わった。その程度の変化だ。

 

 これは、ハバナの商人にとって大きな違いでは無い。

 

 キューバ島の商人たちにとって、枢軸軍や連合軍の軍人たちも商売の対象と見なしているからだ。

 

 ハバナ港の貨物取り扱い量増加は、港湾労働者たちの利益に繋がる。さらに、貨物船や艦艇の乗員を相手にしている商売は、それらの寄港回数が増加すれば繁盛していくからだ。

 

 それだけではない。古今東西、各級将兵たちは金払いが良いし値切らない。誰が言い出したのか知らないが。

 

 そもそも、軍隊には見栄を張るために金を掛ける士官と、金の使い方が下手な兵士がいる。そんな者たちを上手に(おだ)てると、財布の紐が緩くなるから面白い。

 

 だから、上客である軍人相手の商売を始めるために、周辺の農村地帯から人々が集まってくる。そんな素人商人たちを相手にする商売も生まれ、ハバナは益々活況が広がっていった。

 

 そのような、金や欲に眼が眩んだ商人たちとは対照的に、ドイツ軍や欧州連合軍を冷めた目で見つめる者たちもいる。ハバナで長らく暮らしている住人たちだ。

 

 ハバナ市内を縦横に走る街路には、鉄十字旗と欧州連合に参加する各国の軍旗が掲げられている。また、戦争による傷病人を頻繁に見かけるようになってきた。

 

 それだけではない。市街地上空を通過していく枢軸軍の大型爆撃機を、見上げる機会が増えてきた。その爆撃機は、市街地近郊にある軍関連施設を空襲する途上か帰航中なので、市街地に爆弾の雨を振らすことは少ない。

 

 海岸線に押し寄せる波のように戦禍が近づいてくるのは、誰もが皮膚感覚で把握できる。それは、住人だけではない。この島で戦っている連合軍将兵たちもだ。

 

 枢軸軍の空襲が活発になったのは、数か月前に戦線をシエンフエゴスとサンタ・クララを結ぶ線まで後退させたからだ。この結果、枢軸軍は爆撃機にジェット戦闘機の護衛がつけられるようになり、戦略爆撃を活発化したのである。

 

 しかしながら、連合軍士官たちに悲壮感は漂っていない。

 

 彼らにとって戦線を後退させたのはミスであり、戦況判断を誤ったからだと認識している。だが、その失点は再度の攻勢で打ち消せると考えていたからだ。

 

 士官たちがそのような認識なので、戦況を見渡せない兵士たちも戦況を好転させられると信じていた。

 

 そして、出港時間の十五分前に夜戦艦橋に登った男も、そのような考えも持っている士官たちの一人だった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 彼が航海艦橋に着くと、既に配置に就いていた副長が報告を始める。

 

「艦長、報告です。艦内異常無し、機関の蒸気圧正常、出港準備良し」

 

「宜しい。出港時間まで待機」

 

「了解」

 

 副長からの報告を受けると、彼は航海艦橋からハバナの街並みを眺めていく。

 

 灯火管制によって、すべての灯りが消えている。実際には室内が明るい筈だが、窓と呼ばれるもの全部に黒いカーテンで堅く閉じているからだ。

 

 それでも、彼には朧気ながらバハマの街並みが眼に映っている。淡い月明かりによって。

 

 夜空に浮かぶ月は、どの建物にも等しく月光を浴びせていたからだ。飢えた老人を救うために自らの身体を食料としたウサギは、今でも人間の飢えている心をを平等に満たしたいらしい。

 

 月光はハバナ市街地の至る所へ届き、旧市街にあるバロック様式のサン クリストバル大聖堂やビエハ広場を照らしていた。さらに、城砦都市ハバナの名に相応しく、幾つのも要塞を照らしていたのだ。

 

 そして、ハバナ港に浮かぶ艦艇も例外ではない。彼の(ふね)も、その一隻だ。

 

 月光に照らされているのは航海艦橋だけではなかった。両舷にある両用砲、航海艦橋の前方にある二基の主砲塔、艦首にある錨鎖まで等しく照らされていた。

 

 彼はハバナ市街地を眺め終えると、航海艦橋にいる面々を確認していく。月の光を浴びている水兵たちは、誰もが真剣な表情を保ったまま出港時間を待っている。

 

 そこでは、軽い冗談でさえ場違いに思えるような張り詰めた空気が漂っていた。

 

 その雰囲気に気づくと、彼は心の中で呟く。

 

 無理も無い。この(ふね)にとって初陣であり、乗組員たちの殆ども初陣なのだと。そして、俺も初めての実戦だ。だから、乗組員たちに肩の力を抜けと言えん。俺でさえ緊張が解けないのに。

 

 そんな航海艦橋にいる面々のうち、副長だけは別格である。艦長は何気なく副長へ話し掛けた。

 

「副長は、久しぶりの実戦だと聞いているが」

 

「はい。ノバスコシア南西沖海戦(枢軸軍呼称:ファンディ湾海戦)以来です」

 

「あの海戦は夜戦だったな。今回も夜戦になると思うが……」

 

「あの時は酷い目に遭いましたが、今回は気楽に勝ちたいです」

 

 副長は軽やかな口ぶりで語るが、その右手から指を何本か失っている。開戦劈頭に生起した、合衆国大西洋艦隊とドイツ北米艦隊による水上砲戦で、彼は負傷していたのだ。

 

 そんな副長に向けて、艦長は艦長職として求められる台詞を並べていった。

 

「そう願いたい。情報では大多数の艦艇が空母機動部隊に加わっているから、グアンタナモに残っている艦艇は僅かだそうだ。隻数では勝っているが、油断は禁物だ」

 

「そういえば、黄色い猿は莫迦なので高度な計算が必要な、遠距離砲撃や航空戦は下手だって言われていました。これも油断ですな。今となっては、そんな噂を誰も信じていません」

 

 カリブ海で一年近く激戦を続けているのに、決定的勝利を掴められない。そんな現実を突きつけられると、枢軸海軍の主力である日本海軍を過小評価するほうが莫迦だ。

 

 それは、副長だけではなく艦長も同意見である。

 

 二人がそのような雑談を続けているうちに、航海員が緊張感が残る声で時刻を告げた。

 

「間もなく、出港予定時刻五分前です」

 

 ほぼ同時に、彼らが乗艦する艦艇より一回り小さな大型艦艇が、発光信号を放つ。それは、彼らにとって大した内容ではなかった。あらかじめ準備を済ましていた事だからだ。

 

「旗艦<ビスマルク>より信号。『出港用意』」

 

 彼は信号員の報告を聞くと、ただちに号令を発する。

 

「出港用意、錨揚げ」

 

 艦首側から鋼鉄同士が擦れる金属音が響き出し、両舷にある錨鎖と錨が巻き上げまれていく。

 

 海底の泥も一緒に巻き上げられてしまうが、錨鎖の脇に立つ乗組員がホースから流れる海水で洗い落としていった。

 

 この艦隊の駆逐艦は一時間前に出撃し、ハバナ港の沖合で対戦掃討中だ。だから、一斉に出港していく艦艇は軽巡以上の大型艦ばかりとなる。

 

 最初にハバナ運河に入ったのは、軽巡<マインツ>だった。コルベルク級二番艦として建造され、カリブ海で縦横無尽(じゅうおうむじん)の活躍をしている殊勲艦(しゅくんかん)である。

 

 続けて運河に入ったのは、歴戦の戦艦<ビスマルク>だ。この艦隊の旗艦であり、第二次世界大戦で英海軍本国艦隊に大打撃を与えた戦績を持つ戦艦でもあった。

 

 <ビスマルク>に続くのは、<フォン・ブロンベルグ>と<フォン・フリッチュ>だ。

 

 いずれも、建造中にドイツに鹵獲された元英海軍の<キング・ジョージV>級戦艦である。就役後には<デゥーク・オブ・ヨーク>と<アンソン>と命名される筈だった艦艇だ。

 

 同型艦は五隻建造する計画だった。一番艦の<キング・ジョージV世>と二番艦の<プリンス・オブ・ウェールズ>は英海軍で活躍中だ。前記のとおり、三番艦と四番艦は建造中に鹵獲され、五番艦<ハウ>は建造が中止されている。

 

 その後に続く戦艦は、ドイツ海軍ではなくフランス海軍の戦艦だった。

 

 リシュリュー級の<リシュリシュー>、改リシュリュー級の<ガスコーニュ>である。小隊を組むべき同級艦が被雷等で修理中のため、臨時に小隊を組んでいたのだ。

 

 性能面で大きな違いが無いので、戦隊が組み易かったという面もある。

 

 この二隻の戦艦が微速前進で運河に向かっていくと、港内に残る大型艦は彼が指揮する戦艦だけになる。最後尾の<ガスコーニュ>が通過していく頃、出撃順を待っていた艦長は命令を下した。

 

「微速前進」

 

 彼が指揮する鋼鉄の艟艨(もうどう)は、艦首に白波を立てつつ前進を始めた。

 

 艦長は港内の障害物に細心の注意を払いながら、バハマ運河へ艦首を向けていく。月夜とはいえ、暗灰色で塗られている艦艇は夜空と区別しづらいからだ。

 

 特に、彼が指揮するのは戦艦なので、すぐに針路変更できないから注意が必要である。何しろ、港内には貨物船も停泊しているから、それに衝突するような事故を起こしてはならない。

 

 それだけではない。この戦艦は就役してから四ヶ月しか経っておらず、この戦艦の操作に慣れていない乗員が多い。艦長の命令に対して乗員たちがもたつく有様なのだ。

 

 艦長にとって訓練不十分なまま出撃するのは不満だったが、彼の機嫌を損ねること無く新鋭戦艦は進んでいく。

 

 月光を浴びた新鋭戦艦の艦首側には主砲塔が二基装備され、艦尾側には主砲塔一基がある。いずれの主砲塔も四五口径一六インチ砲三連装だ。左右舷にはそれぞれ五インチ連装両用砲が四基づつ装備され、機銃も装備されている。

 

 ここで、ドイツ海軍の兵装に詳しい者ならば疑問に思うだろう。メートル法を採用しているドイツ海軍が、ヤード・ポンド法で作られた兵装を装備している理由だ。

 

 それは、この戦艦を建造したのは、東西に分かれて交戦中の合衆国だからである。

 

 書き加えると、この戦艦は合衆国の政治的思惑に翻弄されてきた。それは、一九四〇年の合衆国大統領選挙で、ニュー・ディール政策を推進してきたフランクリン・ルーズベルトが、落選した時から始まった。

 

 第三三代合衆国大統領に就任したウェンデル・L・ウィルキーは、合衆国の孤立政策を推進する一方で、米独不干渉協定を締結する。同時に、ドイツを刺激しないようにするために軍事予算を削減したのだ。

 

 その影響で合衆国海軍の建艦計画は大幅に見直され、この戦艦は建造を中断した。船体はほぼ出来上がっていたので進水したが、艤装工事は省略される。そして、造船所の沖合で赤錆を浮かべたまま、解体予算が付くのを待ち続けていたのだ。

 

 そんな戦艦を、ドイツ軍が見逃す筈がなかった。彼らは艦内すべてを調査して、大きな損傷が無いことを確かめると艤装工事を再開したのだ。

 

 さらに、艤装期間を短縮するために元の図面に手を加えず、合衆国の兵装をそのまま搭載したのだ。さすがに、無線装置や電測射撃装置はドイツ製に変更しているが。

 

 戦艦はハバナ運河の水辺にあるカバーニャ要塞を通過していく。大ドイツ帝国軍キューバ軍団司令部が置かれている要塞だ。

 

 さらに、運河の出入口に位置するプンタ要塞とモロ要塞を通過すると、洋々たるメキシコ湾に躍り出た。

 

 既にハバナ港の沖合では、旗艦<ビスマルク>を中心にした対潜陣形が組まれていく。彼の戦艦も速やかに陣形に加わらなければならない。

 

「速力一五ノット」

 

 戦艦は<ビスマルク>を追うように増速していく。

 

 その時、艦長はふと思った。

 

 ()()は、合衆国ではなく欧州連合の一員として作戦に参加することを嘆いているのか、それとも戦艦として戦えることを喜んでいるのか。

 

 問い掛けても、鋼鉄の艟艨《どうもう》である彼女は答えない。それに答えたとしても、彼女の心境は彼しか理解できないだろう。なぜなら、彼も彼女と同様で、合衆国の政治家たちに翻弄されてきたからだ。

 

 戦艦(かのじょ)の名前は<サウスダコタ>。合衆国建国からの歴史に名を残す大統領たちの胸像が彫られた、ラシュモア山がある州の名称である。

 

 日本海軍の大和級戦艦を撃破するために計画された戦艦は、その目的どおりに大和級戦艦二番艦<武蔵>と対決すべく、速度を増していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四四話

ボケロン港、グアンタナモ市郊外、キューバ島

一九五〇年四月二七日 午後七時三二分

 

 

 

 日時は一日後へ、もえかたちが同期会を楽しんでいた後の時刻へ戻る。

 

 この時間、もえかの同期たちが集まった食堂に、もえかは残っていた。より正確に書くと、次々に来店してくる客のために調理を手伝わされていたのである。

 

 本来であれば、彼女が店に残る必要は無かった。明乃は<晴風>に乗って出港しているし、ましろは夕刻からの当直任務に就くために通信所へ戻っている。

 

 さらに、彼女は特別半舷上陸という休暇中であり、明日の朝食前までに<武蔵>へ戻れば良いことになっている。その気になれば、所用を済ませた後にグアンタナモで遊び回ることもできたのだ。

 

 だが、彼女はこの街を楽しむ気分になれなかった。

 

 グアンタナモという町は官民問わず圧倒的に男性が多い街なので、女性が安全に楽しめるような施設は少ない。それだけではなく、鈴木中佐からの証言によって気力が削がれてしまったからだ。

 

 そんな事情で店に残っていると、彼女が気づかないうちに一般客が増えていく。彼女が持ち込んだお好み焼きソースの香ばしい香りに、興味を惹かれて入ってくる。お好み焼きソースの香りは、空腹な男たちの胃袋を掴む力があったのだ。

 

 そして店内では、ましろからレシピを受け継いだオリビアが、新メニューとしてお好み焼きを作ろうとしている。だが、作り慣れなれていない料理に悪戦苦闘していた。

 

 もえかは、その様子を見ていると少しだけ手伝うつもりで調理室に入った。間もなく、それが間違いだったのことに気づくが、後の祭りだった。

 

 先程よりさらに客が来店したからだ。早番で出勤した軍属たちの勤務明け時間に重なっていたこともあり、ソースの香りに釣られた客たちが続々と入ってくる。そんな事情で、彼女はオリビアが用意していた食材を使い切るまで、お好み焼きをひたすら焼くことになってしまったのだ。

 

 彼女が軟禁状態だった調理室から解き放たれた時、日はとっぷりと暮れていた。

 

 慣れない調理で疲れた身体を休めるため、空いている椅子の背もたれに深々と寄りかかりながら食堂を見渡す。

 

 店内にいる日本人はもえかのみ。その他大勢として現地の軍属や民間人と思わしき白人や黒人、その混血児であるムラートがいた。彼女は区別できなかったが、先住民のインディオや、インディオと黒人の混血児であるサンボもいたのだ。

 

 殆どの客は勤務明けを迎えた現地雇用の軍属だった。彼らは過酷な肉体労働で疲労していたが、それを振り払うように酒を一杯引っ掛けながら食べていたのだ。中には一心不乱に食べ続けている者もいたが。

 

 各国の将兵がいないのは当然だと言えた。下士官や兵士の食事は専用食堂に用意されているからだ。棒給で好きな物を食べられる士官たちは、この店を現地人用食堂と認識しているので近寄らない。

 

 もえかが何気なく店内を眺めていた時、不意に大事な要件を思い出し懐中時計を取り出す。いつの間にか、グアンタナモへ再上陸した目的を果たすための時間になっていた。

 

 彼女がこの店から退店しようと決めた時、それを阻止するかのように彼女を呼ぶ声が聞こえてくる。

 

 声の主は、彼女をボケロン港まで迎えに来てくれたスーザンだった。手には小さなスプーンを握っている。もう一方の手を背中に回し、何かを隠しているつもりらしい。

 

「もえか、いいもん、食べさせたげる。眼、つぶって。口、あーん、して」

 

 スーザンとは今日出会ったばかりなのに、妙にもえかに懐いてくる。そんなスーザンに言われたとおりに口を開くと、もえかの口に中でプルリと震えるものが入った。

 

「美味しい♪」

 

 それは、とびきり甘いプディングだった。思いがけない展開に喜び、久しぶりに弾んだ声を上げてしまう。彼女は自覚していないが、それは広島への反応弾攻撃で両親を失って以来の声色だった。

 

「もっと食べたい?」

 

「うん。お願い」

 

 常日頃、甘い者は別腹だと公言している彼女にとって、スーザンの不意打ちは嬉しいものだ。疲れた身体に染みわたる、心地よい感覚でもある。

 

 スーザンが食べさせていたのは、日本国内で「プリン」と呼ばれる洋菓子のキューバ版だった。現地ではスペイン語の「フラン」と呼ばれている。

 

 日本と大きく異なる点は、材料が生乳ではなく練乳を使い、傷みにくくするために水分を飛ばして固めに仕上げる点だ。電力事情が不安定なので、冷蔵庫が満足に使えないキューバ島ならではの生活の知恵だった。

 

 スーザンはスプーンで何度もすくっては、もえかの口に運んでいく。あっという間に最後の一口まで食べさせると、スーザンは感想を求めた。

 

「美味しかった?」

 

「美味しかった。ありがとう」

 

「まだ、あるよ」

 

「もう、お腹一杯だよ」

 

 そう言うと、彼女はスーザンを引き寄せて抱きしめる。本当はもう一皿食べたかったが、これ以上長居する訳にはいかない。そして、頬を擦りつけながら、感謝と別れの言葉を告げた。

 

「ありがとう。わたし、次の仕事がある。だから、今日は帰る」

 

「分かった。待ってたげる」

 

 スーザンの返事は微妙に間違っていたが、彼女は深く考えなかった。そして、身支度を整えると店を後にしたのだ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 同時刻

 

 

 

 航海参謀の森口にとって、外務省執務室からの帰り際に棘のある台詞をぶつけられた件は、非常に腹立たしいものであった。

 

 学生時代の後輩にあたる平田から、黙殺や隠蔽という言葉を聞かされるとは思っていなかったからだ。

 

 彼にとって平田とは少年時代からの仲であり、慇懃無礼な態度を取りながら暴言寸前の言葉を放つ男だと知っている。

 

 だからとはいえ、物事には限度がある。

 

 あの時は、感情的衝動を理性で抑えられたが、機嫌が悪ければ鉄拳制裁を加えていただろう。

 

 しかしながら、時間が経過すると冷静になり平田の主張を思い返していく。彼は外交官特有の肌感覚で、ヴェネスエラ側の変化を察知していたからだ。

 

 それ以外に、森口には未だに引っ掛かることがあった。今から三日前にあたる二四日未明に、ケイマン海峡を哨戒中の艦艇から発信された緊急電だ。

 

 大型漁船を改造した特設駆潜艇は、キューバ島とケイマン諸島の間に広がるケイマン海峡のうち、もっともキューバ島に近い海域を哨戒していた。その駆潜艇が「我、敵艦ノ砲撃ヲ受ケク」と連絡してきたのだ。

 

 彼にとって謎なのは「砲撃を受けた」という報告だった。一般的に隠密作戦に適した艦艇は、Sボート(魚雷艇)やUボート(潜水艦)である。だが、これらの艦艇には主砲が搭載されておらず、魚雷か機銃しか攻撃手段がない。

 

 では、駆潜艇は「砲撃ヲ受ケク」と報告してきた理由は何か? 

 

 銃撃と砲撃を間違えて報告したのか? それとも、本当に敵艦艇が砲撃してきたのか? そして、欧州連合海軍はグアンタナモかサンティアーゴ・デ・クーバを砲撃する計画だったのか? 

 

 未だに真実は分からない。この駆潜艇は消息不明になっているので、なおさらである。

 

 だから、森口は自問自答していた。俺は何かを見落としているのではないか、参謀長に報告すべき案件なのだろうかと。

 

 森口が参謀長への相談を躊躇(ちゅうちょ)している理由は、昨年九月末に決行された「剣」号作戦が関係している。この作戦が失敗すると、統合軍令本部は長官や殆どの参謀たちを更迭したのだ。

 

 そして、新たに任命された司令部の幕僚たちには共通の問題があった。新体制になってから半年近く経っているのに、業務が円滑に進んでいないからだ。

 

 その原因は、有能だが独善的な航空参謀という個人では無い。相次ぐ海戦でも勝機が見通せない戦況でも無い。彼らにとって、真の原因は統合軍令本部だったのである。

 

 その問題は、枢軸軍が昨年初頭に決行した「贖罪」作戦によって、パナマを奪回した時から燻り始めていた。この運河を自由に通行する支配権を獲得したからである。

 

 そのため、次の攻略目標を決めるために作戦会議が開かれた。日英同盟と合衆国の高級士官たちが一堂に会してである。

 

 出席者の誰もが、決議に持っていくまで難航するだろうと予想していた。そして、殆どの者が予想を的中させてしまったのだ。悪い意味で。

 

 この時の様子は、戦後に統合軍令本部戦史研究所が編纂した「第三次世界大戦叢書」に記されている。

 

 それには、「何度か開かれた会議では幾度も紛糾し、怒声も飛び交う状況まで陥った。常に喧喧囂囂(けんけんごうごう)たる有様だったのだ。本当に作戦案がまとまるのか危ぶまれる状況であり、結成してから日が浅い枢軸軍が崩壊する危険性さえあった」と書かれている始末である。

 

 それぐらい、各国の作戦案は相反していた。

 

 何しろ、その作戦案は純粋な軍事的合理性だけを追及しても、複数の案を一つの案に絞り切れなかった。さらに、日英米各国の政治的思惑が作戦案に投影されるようになってしまい、議論は益々紛糾するようになってしまったのだ。

 

 英国の作戦案はグアンタナモ奪取後、キューバ島南部だけを占領してすることを提案した。彼らは、ウィンワード海峡を通過して大西洋に向かい、カナダの東海岸を奪還することである。

 

 そして、英国は最終的に英本土を奪回することを狙っていた。

 

 それに対して、合衆国はグアンタナモだけではなく、キューバ島を完全に奪回してから前進基地化することを目指していた。その後、合衆国のメキシコ湾岸や東海岸から逆上陸して、欧州連合軍を北米大陸から駆逐することを計画していたのだ。

 

 合衆国は、それを果たすために枢軸軍に参加した。

 

 忘れてならない事だが、合衆国人にとって英国人(こうちゃやろう)へ配慮するつもりは無かったのである。彼らがボストン港を赤く染め上げた時から、英国人との関係を見直しているからだ。

 

 そんな両国の利害を調整しようとしたのが日本である。

 

 統合軍令本部から参加した士官たちは、矢面を立つ覚悟で英国と合衆国による論戦を打ち切らせようとする。しかし、その背中を切りつける者まで登場してしまい、遂に彼らも論戦に巻き込まれてしまったのだ。

 

 下手人は、()()()()()()に、日本の陸海空各軍の高級士官たちであった。

 

 海軍は英国案に積極的に賛成し、陸軍は合衆国案に全面協力しようとしていたからだ。それぞれの軍隊が、主戦力として活躍できる戦場が異なるからだ。

 

 それに比較すると統合航空軍は大人しく、会議の最終日まで態度を保留し続けていた。この時の統合航空軍側出席者たちは一様に精彩が無く、彼らを無責任で卑怯だと非難する者もいたのだ。

 

 だが、これは統合航空軍が創設された時の環境によるものだった。

 

 統合航空軍は、一九四四年の春に創設されてから六年しか経過していない。その佐官や将官クラスの人材は、陸海軍から引き抜かれた者たちで占められている。

 

 だから、彼らが士官として一人前になるまでに育ててきた陸海軍の先輩士官たちに、耳を傾けざるを得なかったのである。日本人的組織の美徳である年功序列が、言葉による圧力に化けてしまったのだ。

 

 もちろん、統合航空軍独自で人材育成を行なっているが、その者たちが統合航空軍を切り盛りしていくには二〇年先の話だ。こうなると、現時点で在籍する高級士官たちで決議しなければならない。

 

 その結果、統合航空軍内部では海軍派と陸軍派に分裂してしまい、方針がまとまらなかったのである。

 

 そして、それらの問題を解決するのは統合軍令本部しかなかった。その上位に当たる者は米内総理大臣と天皇陛下しかいない。彼らにその問題をぶん投げる訳にもいかないし、そんな馬鹿げた事態を井上統合軍連本部長は絶対に許さないからだ。

 

 しかしながら、統合軍令本部の内情も微妙だった。この組織は陸海空の各軍から派遣された将兵たちで運営されている。だから、各軍の主張をそのまま議場に持ち込んだのだ。

 

 これは、国政選挙で当選した議員に例えられる。

 

 この議員が評価されるのは、どちらの政治活動か考えて欲しい。

 1)日本国の未来のために外交へ積極的に関わる。

 2)選挙区にある土建企業に稼がせるため、採算が合わない公共事業を実現させようとして首都を東奔西走する。

 

 一般的には前者が圧倒的に評価されるのだ。

 

 なぜなら、評価する人数が圧倒的に異なるからである。諸外国で重職に就く政治家より、選挙区に生息する凡人クラスの有権者が多いのは明らかだ。

 

 統合軍令本部で業務に勤しんでいる将兵たちも同様である。彼らはいずれ派遣元である各軍に復帰するが、その段階で提案を握り潰した裏切者として恨まれたくないからだ。どんな最善の判断を下したとしてもである。

 

 そのような事情に翻弄されていくと、担当官たちに異変が現れていく。

 

 酒の飲酒量が増加したり、胃腸薬の瓶を手放せなくなったりしたのだ。家庭内での不和が生じて離婚寸前まで悪化した佐官もいたくらいである。

 

 だから、彼らは決断した。英国と合衆国が双方納得する作戦を練り上げて、上層部へ提出してしまおうと。

 

 その時の担当官たちは「総花的だが徒花になる作戦計画とか、玉虫色な作戦計画と批判したければ勝手にほざけ」とさえ愚痴をこぼしていた。彼らの主張は明確であり悲壮的とも言える。

 

 後世から見れば呆れる作戦計画といえる。だが、幾つかの会議で決済されると、この作戦計画が推進されることになったのだ。こうなると、誰にも止められなくなる。

 

 この作戦案は英国案と合衆国案の折衷案となった。最初にグアンタナモ奪取後、ここを前進拠点として整備する。その後に二方面作戦を実施するのだ。

 

 合衆国案は前述のとおり、合衆国領のメキシコ湾岸や東海岸から逆上陸する。

 

 英国案は縮小していた。それは、果実の果肉は植民地人(ヤンキー)に食べられても、種を死守したようなものだった。

 

 カナダ東岸沖にあるニューファンドランド島と、ポルトガル西岸沖約一〇〇〇キロの大西洋上に浮かぶアゾレス諸島を、中堅拠点として奪取するだけとなったのだ。当然ながら、最終目標である英本土奪回は固持している。

 

 一癖も二癖もある英国軍高級士官たちが作戦案の見直しに同意したのは、日本の担当官が英国人たちを説き伏せたからだ。

 

 合衆国は建国してから二〇〇年も経っていない、腕白坊主のような国だ。図体は大きくて腕力もあるが、実力は一二歳の子供同然でしかない。だから、今回は大人であり成熟した英国紳士(ジェントルマン)である貴方(あなた)たちが、合衆国に譲って欲しい。

 

 その担当官は、さらに言葉を続けた。

 

 子供が成長していくと、彼らを畑や工場で働かせられます。当然、農産物の売り上げや賃金を持ち帰ってきますが、それを管理するのは大人である親の特権です。だから、後のことはご自由にどうぞ。

 

 最後に、日本人も安堵した。

 

 同盟から離脱しかねなかった合衆国を連れ戻せたし、英本土奪還までの道筋が見えてきたからだ。胃の痛みが治まったことも理由の一つだ。

 

 だが、日本の担当官たちは甘く考えていた。その作戦案が、彼らの首を真綿で締め上げるようになることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四五話

枢軸海軍部隊カリブ海・大西洋方面総司令部、グアンタナモ市、キューバ島

同日 同時刻

 

 

 俺たちは、いや日本は合衆国の手玉に取られている。だから、「剣」号作戦は失敗した。

 

 そして、作戦失敗の呪縛から逃れられないだろう。合衆国と共に戦う限り、いつまでも……。

 

 森口は執務室の天井を見上げつつ、一人で呟くと冷めた珈琲を啜る。

 

 彼にとって、それが現状に対する的確な分析だと思えた。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 枢軸軍によるカリブ地方奪還作戦は、一九四九年四月上旬に始まった。

 

 この時の攻略目標はジャマイカ島とキューバ島南部にある、サンティアゴ・デ・クーバとグアンタナモである。ジャマイカ島を攻略する目的は、この島がパナマの大西洋側にあるコロン港とキューバ島の中間にあるからだ。

 

 また、ここで名前が挙げられていないケイマン諸島やカイゴス諸島は、グアンタナモを完全に制圧した後に攻略する予定である。

 

 参加する地上兵力も多彩である。日本の第一聯合陸戦師団(一個大隊欠)と合衆国の第2海兵師団が、グアンタナモとサンティアゴ・デ・クーバを目標に定めていた。

 

 また、英連邦軍のオーストラリア第31海兵師団はジャマイカ島の確保を命じられている。

 

 この作戦を決行する前に、陽動作戦も念入りに行なわれている。約二週間前に、中東のアラビア半島南端にあるアデン港へ、数度に渡る空襲を行なったからだ。

 

 ソコトラ島から出撃した統合航空軍の<富嶽>戦略爆撃機二〇〇機によって、数度に渡る空襲を敢行している。さらに、アデン港へ機雷を投下しており、この港湾都市としての機能を停止させてしまったのである。

 

 同時に、この港を拠点として活動していたイタリア東洋艦隊も甚大な被害を受けていた。巡洋艦や戦艦が何隻も大破着底してしまうし、駆逐艦は言わずもがなの惨状だ。

 

 イタリア東洋艦隊は、枢軸海軍に打撃を与えられないまま壊滅したのである。

 

 この攻撃を受けて欧州連合海軍司令部は、枢軸軍の作戦行動が活発化したことを警戒する。

 

 しかしながら、その先に続く想定展開を読み間違えてしまう。彼らは、枢軸軍の主力は印度洋から来るのだと思い込んでしまったのだ。

 

 そのため、連合軍側の偵察機が枢軸海軍の艦隊を発見しても、数隻の艦隊による陽動作戦だと誤解したままだった。偶然とはいえ、偵察機が上陸部隊を乗せた貨物船を発見できなかったことが、その誤解を補強してしまったのだ。

 

 そんな敵失もあって、枢軸軍は上陸目標への無血上陸に成功したのである。

 

 しかし、連合軍はそのような状況を座視し続けるつもりはない。水際での上陸阻止に失敗したとはいえ、すぐに枢軸軍をカリブ海に叩き落とす意気込みだった。

 

 同年四月末、それまで散漫な防御戦闘だけで凌いできた連合軍は、戦備を整えると本格的な反攻に転じた。

 

 ドイツ陸軍は、グアンタナモが枢軸軍の重要拠点だと見抜いていた。この街を奪取するために、カリブ地方の防備を担当しているフランス陸軍と共同で進軍していく。

 

 これが、「グアンタナモ大攻防戦」と呼ばれる地上戦に発展し、三週間に渡って激戦が続いたのだ。

 

 枢軸軍はグアンタナモを囲むように防衛線を築いていたが、連合軍はそれを幾度も食い破っていく。だが、海路で続々と送られる増援部隊を撃破しきれず、幾度も防衛線まで押し返される。

 

 そのような一進一退を続けるが、遂に連合軍はグアンタナモ市内に進入出来なかった。むしろ、彼らの背後を脅かす事態に直面してしまったのだ。

 

 なぜならば、枢軸軍はグアンタナモから約三〇〇キロ北方にあるヌエビタスの海岸線へ、合衆国第一海兵師団を上陸させたからである。これは、ドイツ陸軍の高級士官たちにとって衝撃的な戦術でもあったのだ。

 

 その理由として、ドイツ陸軍は戦車と装甲擲弾兵を組み合わせた機甲師団による、機動戦を得意にしている。

 

 機動戦とは、機動力がある戦闘車両で敵兵力の弱点に向けて迂回し、脆弱な戦線を突破して敵兵力を包囲し、各個撃破していく戦術だ。そして、ドイツ陸軍はその戦術を成功させるために、高速移動能力と大火力を持つ戦闘車両を製作して戦場に送り込んでいた。

 

 だが、彼らはいつの間にか思い込んでいたのだ。その戦術は戦闘車両で無ければ達成できないのだと。

 

 そんな思考を嘲笑うかのように、枢軸軍は海洋国家らしい機動戦を決行したのである。

 

 この時にサンディエゴには、パナマ侵攻「贖罪」作戦による戦力消耗で再編成中だった合衆国第1海兵師団がいた。この師団を、パナマ運河の西側出入口に位置するコロンへ緊急輸送したのだ。

 

 その地で、数隻の戦車揚陸艦と十隻以上の攻撃輸送艦に乗り移らせると、キューバ島の大地に刻み込まれた戦線を易々と迂回していく。そして、連合軍に気づかれること無くヌエビタスに上陸すると、その補給路を寸断するために内陸へ進撃していったのである。

 

 こうなると、連合軍の旗色(きしょく)は一気に劣勢になっていく。

 

 補給路が途絶されると、前線に燃料や弾薬が届かないし糧食(りょうしょく)も尽きてしまう。それだけではなく、枢軸軍を攻めている筈なのに逆包囲されかけていたのだ。

 

 連合軍の反応は早かった。彼らはグアンタナモの再奪還を断念すると、態勢を立て直すために三〇〇キロ北方にある陸路の要所、カマグエイまで一気に後退したのである。

 

 こうして、枢軸軍はキューバ島南部を完全に掌握した。

 

 だが、同時に「剣」号作戦が失敗する火種を生み出してしまうのだった。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 最初の発火点は統合軍令本部だった。当初の計画通りに二方面作戦を発動したのである。

 

 その理由の一つとして、合衆国が再三に渡って作戦継続を求めていたからだ。

 

 相手が辟易するくらいに執拗だったが、その主張も大筋では納得できるものだった。なぜならば、合衆国にとってグアンタナモ攻防戦は、久々に掴んだ勝利だったからである。

 

 北米大陸に延々と伸びる戦線では、連合軍による攻撃を防ぐだけで精一杯だった。それに対して、この島では続々と押し寄せる連合軍機甲師団と正面から対決し、ほぼ独力で撃退したのだ。

 

 さらに、後退するドイツ陸軍機甲師団を追撃し、あと一歩で大打撃を与えるところまで追い詰めたのである。この勝利で士気が上がらないほうが、どうかしているのだ。

 

 そして、その勢いで戦果を拡大したくなるのは、軍人として各国共通の概念である。遺伝子レベルで戦闘本能を持つ、男としての本能とも言えるかもしれない。

 

 そんな合衆国の熱意にほだされたかのように、統合軍令本部は二方面作戦の発動を決断した……。正確に言えば、表に出せない事情により作戦を発動せざるを得なかったのだが。

 

 しかしながら、当初の作戦計画から制圧目標と参加兵力は見直され、その規模は縮小されている。参加兵力の基幹となる、上陸作戦に特化した地上部隊が枯渇してしまったからだ。

 

 前述のとおり、上陸作戦専門の地上兵力はジャマイカ島やキューバ島に展開している。交代できる地上戦力が到着するまで、現地から引き抜けなかった。

 

 仮に、すぐに引き抜けたとしても激戦で戦力が消耗している。それが回復するまで時間が掛かってしまうのだ。

 

 枢軸軍全体を見渡すと英連邦軍には、上陸作戦能力を持つカナダ兵やオーストラリア兵で編成された師団が残っている。だが、英国はそれらの兵力の供出を拒否した。二方面作戦が決まった経緯を思い返せば、固く拒まれるのは当然の成り行きである。

 

 このため、メキシコ湾岸への上陸作戦は中止された。

 

 代わりに、北米大陸の北から南まで延々と伸びる戦線から東に向けて、地上部隊が進撃することになったのだ。作戦目的はニューメキシコ州とテキサス州の奪回、テキサス州に点在する油田を獲得することだ。

 

 作戦開始日に合衆国陸軍は戦線を突破、順調に進撃してニューメキシコ州の奪還を目指していく。同時に合衆国空軍の大型爆撃機(B17)も、ニューメキシコ州やテキサス州へ爆撃を始めた。

 

 さらに、その地上部隊の支援として日米海軍は、空母機動艦隊をメキシコ湾に送り込んでいる。

 

 その艦隊はパナマを襲った時と同規模の航空戦力で、ドイツ空軍をテキサス州の空から一掃してしまったのだ。そして、制空権を掌握すると連合軍の南方軍集団の機甲師団へ爆撃したり、補給物資を輸送する貨物自動車隊に銃撃したりしていく。

 

 何度も書くが、英国は地上兵力だけではなく艦艇を一隻でさえ参加させていない。

 

 この攻撃は、連合軍南方軍集団にとって無視出来ず、被害が積み重なって思うように枢軸軍の進撃を阻止出来なくなった。だから、厄介な存在である日米機動艦隊をメキシコ湾から排除するため、ドイツ海軍第一航空戦隊を出撃させたのである。

 

 こうして、同年六月に史上初の空母機動艦隊同士による「メキシコ湾海戦」が生起した。

 

 この海戦では日米両艦隊のとって初めての合同作戦でもあったので、連携が上手に進まなかった。日本海軍は空母<天竜><雲竜>以外に、巡洋艦一隻と駆逐艦三隻も失っている。

 

 さらに、母艦航空隊の稼働機は海戦前の三〇パーセント程度まで低下していた。その残存機は殆どが戦闘機である。これでは、敵艦隊への攻撃なんて出来やしない。

 

 結果として、「メキシコ湾海戦」は痛み分けとなった。

 

 意外に思われるかもしれないが、枢軸軍はこの海戦を戦術的敗北だが戦略的勝利だと評価している。

 

 合衆国陸軍は順調に進撃してニューメキシコ州の奪還を果たしている。さらに、テキサス州のオースティンまで前進したのだ。連合軍の南方軍集団が自主的に後退したこともあり、想定以下の損害率で済んだからだ。

 

 それを負け惜しみと捉えるか冷静な評価と受け取るかは、各々の立場によって異なるだろう。

 

 さて、日本はここまで辛抱強く合衆国の我儘(わがまま)に付き合い続けた。

 

 そして、不完全ながら作戦目的を達成したので、今度は英国の戦略に基づく作戦に専念することになる……筈だった。

 

 再び、日英米の同盟に亀裂が生じかねない騒動が起きてしまう。

 

 その発生源は、またしても合衆国である。彼らがキューバ島の全島制圧を再主張したからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は6/27に投稿できるかも……。



『6/23追記』
大方の予想通り、間に合いそうにもありません。

気長にお待ちくださいm(__)m




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外伝(1) 噺家(はなしか)が語るTV五八船団始末記
噺家(はなしか)が語るTV五八船団始末記(前編)


Q1:なぜ本編を書かずに外伝を書いたのか。
A1:大サトー学会で同人誌を販売しようと企んでいるから。

Q2:その学会の開催日までに同人誌は仕上がるのか。
A2:さあ?







 ほほう、戦記小説の作家先生ですか。

 

 珍しい物を書かれていますナ。

 

 はあ、あっしがカナダに行った時の話を聞きたいと。

 

 奇遇です。先日も、とある新聞社さんから取材を受けたんですヨ。

 

 あっしはこう見えても落語界にいる噺家(はなしか)のなんで、戦地巡業でカナダやアメリカを回った時の話をしました。同じような話になりますが、それでも宜しいですかネ。

 

 ふむ、取材の目的が違うのですか。では、話しましょ。

 

 あっしがカナダに渡ったのは一九五〇年の二月です。我が国(大日本帝国)がナチスドイツ(大ドイツ帝国)と戦争を始めてから、かれこれ一年と九ヶ月が経っていましたナ。

 

 北米大陸や中東地方で、日英米枢軸軍と独仏伊連合軍が戦っています。特にカリブ海地方での戦闘が激しかった頃です。

 

 東京都内の至るところでは、去年の一二月に攻撃された広島と長崎のことを、話題にしていました。あっしでさえ、路上や寄席で誰かと会うたびに話のネタにしました。

 

 だって、敵の潜水艦(Uボート)から発射された一、二発の反応弾で、広島や長崎の中心街が丸々蒸発してしまったんですから。

 

 だから、次は東京が狙われると噂が飛び交っていました。あっしは暢気(のんき)に構えていましたが、うちの母ァは怯えていましたナ。

 

 買い物へ行くと誰それが疎開したとか、ご近所さんが防空壕を掘っているとかという話題を、魚の干物や豆腐と一緒に持ち帰ってくるんです。

 

 それだけなら、しょうもない奴だと思うだけなんです。だって、根も葉もない噂話は幾らでも聞こえてきますから。だけど、母ァは違いました。あっしにとって、斜め上の方向へ進もうとしていたんです。

 

 ある日、あっしが仕事から帰ってくるなり、母ァが話し掛けてきたんです。

 

「あんた、ピカンドンに効く薬を買ってきたわ。これ、欲しいでしょ?」

 

 その声は、魚市場で仲買人が競り合っている時のように威勢が良かったので、あっしは思わず「よし、買った!」と口走る寸前でしたワイ。

 

 ああ、巷では反応弾を「ピカドン」と呼んでおりました。母ァだけは「ピカンドン」と呼んでいましたが。

 

 話を戻しますが、母ァがあっしに見せたのは醤油瓶でした。瓶にはチャプンチャプンと音を立てながら、なんかの液体が入っています。

 

 それは何だと母ァに聞いたら、驚きました。

 

 「キニーネよ」と答えたんです。

 

 キニーネですよ!

 

 あのマラリア(東南アジアや中米で蔓延している感染症で、蚊に刺されると感染する。発症すれば四〇度近くの高熱と平熱を二日か三日おきに繰り返し、早期に治療しなければ重篤化してしまう)に効く特効薬ですよ。

 

 放射線や火傷には全然効きません。そもそも、液体のキニーネは注射する時に使うので、注射器の使い方が分からなければ扱えません。だから、母ァが持っているのはあり得ないことです

 

 だから、母ァが持っているのはあり得ないことです。どう考えてもおかしいでしょ。

 

 母ァの話だと、反応弾による毒はキニーネを一気飲みすれば中和されるそうですって。大八車(当時の荷物用人力車)を転がしている兄ちゃんから聞いたそうで、その場で買ったそうです。

 

 大事な事なんで繰り返しますが、どう考えてもおかしいでしょ! 

 

 だから、あっしは母ァへ問い詰めます。

 

「お前は騙されているんだ。目を覚ませ」と。

 

 すかさず、母ァが反撃してきます。

 

「あんたが酒ばかり飲んでいるから、酔って現実が見えていないよ。つべこべ言わずに顔を洗って、目を覚ましなさい!」

 

 こうして始まった、いつもの夫婦喧嘩。

 

 母ァは噺家の妻を職業にしてから心臓を鍛えてきたので、この程度では一歩も引きません。あっしも噺家の矜持を持っていますので、簡単には引き下がりません。三味線を引くのは上手いんですがネ。

 

 おっと、引くのではなく弾くのが正しかったですナ。これは失敬。

 

 作家さんも、この話を聞いて実感したでしょ。戦いの火種はあちこちに散らばっています。

 

 だから、戦争はどこかで必ず起きるものなんです。

 

 そんな夫婦喧嘩は、あっけなく終わります。

 

 母ァが例の醤油瓶を落とし、割っちゃったんです。あっしは床に広がった液体を舐めてみましたが、無味無臭でした。恐らく井戸水だったのでしょう。

 

 酒なら舐めただけで、酒造を的中させる自信があったんですがネ。

 

 さて、あっしが戦地へ慰問することを決めたのは、そんな世相の雰囲気が嫌になってきたからです。それ以前にも軍隊から幾度か話がありましたが、今まで断っていました。

 

 あっしより先に太平洋を渡った師匠は、「カナダでは洋酒が幾らでも飲み放題だ」と言っています。それでも、カナダに行くのは気乗りしませんでした。

 

 その気が変わったのは、あっしが育ててきた弟子の一人から手紙が届いたからです。奴は軍隊に徴兵されると、陸軍兵としてカナダに渡っていました。だから、奴の顔を見に行こうかなと考えた訳です。

 

 あっしが電話でカナダ行きを伝えると、次の日には予防接種やら書類手続きが始まります。本当に軍隊というのは早手回しが得意なんですナ。

 

 女というのは心配性なんでしょうか。あっしが着々と準備を進める姿を見て、母ァや娘はオロオロしていました。それを見ると、あっしも複雑な気分になってしまいます。

 

 身辺整理は済ませましたし、家や母ァたちのことは息子(せがれ)に任せたつもりです。それでも、自分の葬式準備を進めていくような気分でしたヨ。

 

 数日後に迎えに来た車に乗ると、あっしは立川の航空基地に連れていかれました。

 

 そこから大型爆撃機(富嶽)で千歳に向かい、さらに車で苫小牧港まで移動します。そこで待っていた船へ乗り移ると、まもなく出港しました。

 

 船名は覚えていません。日本からニューヨークへ向かう航路で活躍していた大型貨物船でした。船の中央には箱形の大きな建物があり、その前側と後ろ側にマストやデリックが立っています。

 

 その船内には多数の兵隊さんが乗っていました。つまり、あっしはカナダでドイツ軍と戦う兵隊さんたちと、一緒に太平洋を渡ったのです。

 

 船が沖合に出ると、大きく揺れ始めました。やはり、北太平洋の波は東京湾の波と違いますナ。

 

 この日の北太平洋は猛烈に時化(しけ)ていたので波が高く、大きな貨物船でさえ大きく揺れます。船首が波間に突っ込んで飛沫(しぶき)を上げると、船尾からプロペラの回転音が聞こえてくるんです。ガラッガラッて重々しい音が。

 

 だから、船内では何かに掴まらないと歩けません。船酔いする兵隊さんたちも多かった。

 

 あちこちに置いている金ダライ(海軍ではオスタップと呼んでいる備品)に、何人も群がってゲロゲロしていました。まるで、夏になると水田で鳴く蛙(かえる)の合唱団でしたヨ。

 

 だって、ゲ~ロゲロゲロゲロパッパって歌っているでしょ。何となく似ているじゃないですか。

 

 学童の頃に蛙が鳴く理由を調べたことがありますが、それは若くて別嬪(べつぴん)な蛙を呼び寄せるためだとか。

 

 それに対して、船内にいる蛙たちは同類を増やしていく一方でした。一人が吐くと、あの独特の匂いにやられて何人も吐いてしまうからです。換気が悪い船内は酷い惨状でした。

 

 あっしですか? 船酔いにはなりませんでしたナ。普段から酒に酔っているせいでしょうか。アハハ。

 

 さて、翌日に甲板に出たら驚きました。周囲に沢山の船がいるんです。いつの間にか輸送船団に加わっていたんです。

 

 あっしは近くを通りかけた船員さんに「こんなに船を集めて何を始めるのか」と聞いたら、船員さんは笑いながら答えてくれました。「いつものことです」って。

 

 カナダで戦っている友軍のために、戦車や大砲、分解した戦闘機や弾薬を運んでいるという話でした。戦争とは予想以上に金が掛かるのだと、妙に感心していました。

 

 そうそう、輸送船団という用語も教えてくれました。

 

 普段は単独行動している船が、集団になって航行することだそうです。護送船団とも呼ぶそうですが、意味は同じです。その集団を数隻の軍艦が囲んでいました。こうすれば、敵の潜水艦や航空機からの攻撃を防げるのです。

 

 北太平洋は敵地から遠くて広いので、敵機からの爆撃や雷撃を受ける恐れは僅かです。しかし、敵潜水艦から雷撃される危険は常にありました。だから、このような船団を組んでいたのです。

 

 これは、あっしが乗っていた船の船長から教わりました。

 

 その説明を聞いてから周囲を見渡すと、確かに船団の外側に軍艦がいます。船団の後ろには小山のような形をした軍艦もいました。ちなみに、この船団はTV五八船団だそうです。

 

 その後、船は順調に東へ進んでいきます。出港した頃は、船長から「師匠、一席お願いします」なんて頼まれるくらい、誰もが余裕を持っていました。

 

 ですが、数日経つと船員さんの目つきが(するど)くなっていきます。敵潜水艦が航路上に潜伏しているとの警報も出ていました。灰色狼との別名を持つ敵潜水艦が待ち構える海域へ、差し掛かろうとしていたのです。

 

 船は北太平洋の荒波によって、前へ後ろへと大きく揺れ続けていました。だから、揺れに耐えながら周囲を見張るだけでも大変なのです。さらに、敵潜水艦の潜望鏡が荒波の谷間に隠れてしまうので、本当に見つけにくくなっていました。

 

 船員たちの心に余裕が無くなるのは当然ですナ。

 

 あっしにとって意外だったのは、この船に乗っていた陸軍の将校たちの様子です。

 

 この船は貨物船ですが、一〇人少々の乗客が乗れるように寝室とサロン室があります。それらの部屋は、陸軍の将校たちの専用室として使われていました。あっしは特別に、その部屋に入ることが許されていました。

 

 昼過ぎの頃だったと記憶しています。あっしは、背もたれが大きくてフカフカしている椅子に腰掛けて、サロン室にいる将校たちの様子を見ていました。

 

 彼らは神妙な顔をして座っていたり、こわばった表情のまま煙草をスパスパ吸っていたりしていました。他にも、船酔いで寝室から出てこない将校もいたらしいです。

 

 街中では随分と威張っているのに、ここでは人間としての本性をさらけ出していました。それが妙に面白かったのです。

 

 しかしながら、あっしも他人のことを言える立場ではございません。

 

 正直に話すと、生きた心地が失せていく気分でした。金玉が縮むどころじゃない。心臓そのものが押し潰されそうな気分になっていくんです。

 

 そもそも、あっしが乗っている船が沈んでしまったら、命が助かる見込みは殆どありません。

 

 敵潜水艦は、魚雷(ぎょらい)という水中を突き進んでいく爆弾を、次々に発射します。これが船に当たると船底に大穴が開いてしまうので、あっしは船と一緒に海底へまっしぐらです。

 

 もし、沈む船から脱出して海上に漂うことが出来たとしても、すぐに助けてもらえないと死にます。

 

 作家さんもご存知でしょうが、冬の北太平洋はホントに冷たい。爪先を浸しただけで背筋が震えるくらいです。そんな海に飛び込んだら、低体温症で死ぬまで三〇分掛からないそうです。

 

 そんな事を考えていた時でした。突然、「ダダーン」という大きな音が聞こえたんです。あっしは何事かと思う間もなく、どえらい声で「魚雷が当たった!」って怒鳴る奴がいる。

 

 その直後に「ガリッ、ガガガッ」という凄まじい音まで聞こえてきた。

 

 サア、大変!

 

 船に乗った時に救命胴衣の使い方を教わったけれど、さっぱり思い出せない。

 

 下の階から大騒ぎする兵隊さんたちの声が聞こえてくるし、サロン室にいる将校たちは泡を食っているのかヘンテコな命令を出しています。

 

 その時、あっしは覚悟を決めました。こりゃ駄目だと。

 

 そう思うと不思議なもので、腹が据わっちまう。それだけではなく、なぜか家族や知り合いの顔が、スッと頭ン中に浮かんでくるんです。母ァや子供たち、師匠や仲間たちの顔が次々と。

 

 人生の末端にある冥途(めいど)の入り口に辿り着くと、未練がましく過去を振り返るもんなんですナ。そんな話は以前から聞いていましたが、自ら体験すると驚きます。

 

 そういえば、ある名言を聞いたことがあります。

 

 人生は驚きに満ちている。母親の産道を潜り抜ける時に最初の驚きを味わい、脳か心臓がその活動を止める時に最後の驚きを体験すると。

 

 誰の言葉か忘れましたがネ。

 

 しかしながら、北太平洋の冷たさに驚くのはまっぴら御免(ごめん)です。

 

 あっしはカバンに入れていた焼酎の小瓶を取り出すと、グイっと飲んで目を(つむ)ります。酔いが回れば、苦しまずに死ねるかもしれませんし。

 

 そして、冥途に着くのを嫌々ながら待ち構えます。

 

 目を瞑って静かに待ちます。

 

 じっと待ちましたヨ。

 

 でもね、様子がおかしい。

 

 あっちこっちから、人間の笑い声が聞こえてくるんですヨ。

 

 冥途の世界とは、活気に溢れる陽気な世界でしたっけ?

 

 あっしは隣にいる人に聞いてみたら「魚雷でもなんでもないです」とか言うんです。

 

 なんでも、甲板に吊しているボートの繋が切れちまって、そいつが船にぶつかった音だったそうで。落ち着いて耳を澄ませてみると、船が右へ左へと大きく揺れるたびに「バターン、バターン」と音を立てていました。

 

 こんな騒ぎになったのは「魚雷が当たった!」って叫んだ奴のせいなんですが、そいつは兵隊さんや将校ではありません。なんと、この貨物船の航海士だったそうです。

 

 なんでも、印度洋で撃沈を食らった経験者だったそうで、その時の音と同じだから咄嗟に叫んだとか。

 

 そんな話を聞くとバカバカしくなり、残っていた焼酎を一気に呑んじゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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噺家(はなしか)が語るTV五八船団始末記(後編)

2021/08/29に開催予定だった大サトー学会が延期になりました。

このため、同人誌を発刊するのは中止します。代わりに、原稿をハーメルンで公開することにしました。

学会主催者も予定通りに開催するか悩まれていた様子ですが、この情勢では難しいですよねえ……。心中お察しします。

ちなみに、学会で販売する予定だった短編小説本の表紙は、こんなイラストです。


【挿絵表示】


頑張れば、DocuWorksでも作れるんですね。

さて、英文字のフォントは再現できましたが、カタカナのフォントは微妙に違うんです。よく見ると「ド」や「ブ」の濁点配置が違うでしょ。

比較のために、文庫本の表紙もアップします。


【挿絵表示】


いろいろと検索してみましたが、条件がピタリと当てはまるフォントが見つからないのです。実際に使ったカタカナのフォント名は何でしょう?







 太陽が沈むと、北太平洋は真っ暗になります。

 

 とある作家先生は「大空に墨を流したような闇」と表現しました。それがピタリと当て嵌まる様子でしたナ。

 

 夜闇の表現は他にもあります。あっしが知っているものを挙げれば「夜の谷底」とか「(うるし)を塗ったような」とか色々な表現があるようです。他にも「目隠しされた状態でスイカではなく、愛犬のフンを拾わざるを得ないような状況」もあるそうで。

 

 あっしなら車庫に泊まっている都電の車内で、酔いから目覚めた時のような雰囲気だと表現しますカナ。

 アハハ。

 

 さて、ここは冬の北太平洋です。空はいつも曇っていて、月どころか星でさえ全然見えません。乗船中に晴れたのは、もう少しで目的地に着く頃だけでした。

 

 甲板に出ると、身体が右舷と左舷のどちらを向いているのか分からなくなります。手のひらさえ見えません。それくらい、真っ暗なんです。

 

 灯りが一寸でも漏れないようにするため、船の窓は厳重に閉じていました。船のマストには航海灯があるのですが、これも消しています。だから、洋上には一切の灯りがありません。これは、敵潜水艦に見つけられないようにするためです。

 

 あっしが海に落ちても、誰も気づかないでしょう。常に兵隊さんが甲板にいるので、あっしが落ちた音に気づく筈ですが。

 

 その兵隊さんとは、甲板にある便所で用を足したり煙草を吸ったりするために、船内から出てきた人ではありません。この船に二基ある高射砲や機関銃を操作する人でした。これらの火器で敵機を追い払うのだそうです。

 

 船は相変わらず右へ左へと揺れながら進んでいきました。

 

 あっしが誤解していたのですが、この揺れは荒波によるものだけでは無かったんです。実は、船が右へ左へと(かじ)を切りながらジグザグと進んでいたのです。まるで、酔っ払いの千鳥足(ちどりあし)そのものですヨ。

 

 さすがに、あっしが酒でベロベロに酔っぱらったとしても、ここまで酷い千鳥足にはなりません。だって、家まで歩くくらいなら都電の線路を枕にして、朝までぐっすり寝てしまいますから。

 

 あの、作家さん。あっしの冗談を信じないでください。

 

 線路を枕にしたことは一度もありません。念のため。

 

 そうそう、船が針路を逐次変えているのは、敵潜水艦からの攻撃を避けるためです。

 

 我が軍がパナマ運河を奪還すると、敵潜水艦が太平洋に入りにくくなりました。だから、それらによる攻撃は著しく減ったそうです。それでも、重要な航路では未だに被害が続いていました。

 

 TV五八船団は、そんな重要な航路を進んでいたのです。

 

 北太平洋を東航する航路は幾つかありました。一般的なのは日本列島の南三陸沖から北米大陸へ向かう航路です。大圏航路(たいけんこうろ)と呼ぶそうです。江戸時代に伊達藩の侍たちが、帆船で欧州に旅立つ時に使った航路でもあります。

 

 この航路は海流の力を借りて航行できるので、風が無くても進んでいくし燃費が良い。おまけに最短時間で到着できるので、現在でも多くの船が利用しています。

 

 TV五八船団は、その航路の南側を進んでいました。冬型低気圧がもたらす波浪を避けるためだそうです。

 

 他にも、布哇(はわい)諸島にあるホノルルを経由する航路。ベーリング海峡の沖合や、アリューシャン列島の沿岸をなぞるような航路もあります。

 

 ですが、これらの航路は大圏航路より時間が掛かるので、積極的に使われていません。むしろ、冬季限定ですが、北米大陸から西航する場合に使っているそうです。

 

 TV五八船団は夜も休むこと無く航行し続けます。そんな船団にとって、夜は危険な時間帯でした。敵潜水艦の潜望鏡が、黒々とした海と闇に溶け込んでしまうからです。

 

 そのような状況なので、敵潜水艦は闇に紛れて活発に攻撃してきます。そのため、我が海軍の駆逐艦が船団の周囲を駆け廻って、散布爆雷という爆弾を海に投げ込んでいくのです。こうすることで敵潜水艦を追い払ったり沈めたりするそうです。

 

 しかし、敵潜水艦を撃退するのは、簡単ではありません。軍艦に積んでいる散布爆雷の数は限りがあるし、音や音波を頼りにして敵潜水艦を探し当てなければならないからです。

 

 そして、夜が更けてきたころです。遂にチャンバラが始まりました。戦争がやってきたのです。

 

 それまで、この航路上に潜む敵潜水艦は、散発的な攻撃しか仕掛けてこなかったそうです。しかし、この日だけは違いました。久しぶりに数隻の敵潜水艦が時間を合わせ、一斉に攻撃してきたんです。

 

 その時、あっしは寝室で寝ていました。遠くから天地を震わせる爆発音を聞いてガバッと起き上がります。

 

 勢いあまって頭をぶつけましたが。

 

 覚悟していたとはいえ、恐ろしいもんです。船は魚雷を躱すためか、右へ左へと幾度も変針していました。こんな状況で甲板に出たら、波にさらわれそうなので寝室で待機します。

 

 救命胴衣を傍らに置くと最後の一杯を味わうために、陸軍の将校から分けてもらった日本酒を呑みます。そのうちに酔いが回ったらしく、いつの間にか寝落ちしていました。その戦闘は朝になる前に終わったようです。

 

 朝になってから、あっしは甲板に出ます。その時に思わず「噓だろ!」って声を出してしまいました。周囲に沢山いた船や軍艦が一隻も見当たらないんです。

 

 あんだけの船や軍艦が全部沈んでしまい、あっしらだけ生き残ったなんて……。

 

 その光景を見た時は、ものすごく心細い気分でした。生き残ったことを素直に喜べません。三途の川を渡し船で渡る時は、こんな心境になるんでしょう。恐ろしくて(ひざ)が震えてきました。

 

 そんなことを考えていたら、偶然にも船員さんが通り掛かります。その船員さんを捕まえて、昨夜の戦闘を聞いてみました。そうしたら、想像すらしなかった事実を教えてくれたのです。

 

「いやあ、Uボートから逃げ回っていたら船団からはぐれちゃったんです」って。

 

 それを聞いた途端、膝がガクッと折れそうでした。

 

 だって、噺家でさえ思いつかないオチなんですから。

 

 なんでも、明け方まで敵潜水艦が暴れ回ったおかげで、船団がチリチリバラバラになってしまったそうです。殆どの船は船団に復帰したけれど、この船だけは一隻で進むことにしたとか。

 

 船長と一緒に朝食を食べている時に、理由を尋ねたらこっそりと教えてくれました。陸軍の一番偉い将校が命じたそうです。

 

 船団に戻らずに目的地まで独航しろと。その理由は、無電を発信したくないからだとか。

 

 TV五八船団に再合流するためには、護衛隊の旗艦へ現在位置を報告しなければなりません。そうすれば、海軍が軍艦で迎えに来てくれます。しかし、そのためには無電を使わなければなりません。

 

 無電は空中へ電波を放つことで、相手先へ電文を送れます。これが問題点でして、友軍だけではなく敵潜水艦でも傍受(ぼうじゆ)されてしまうのです。

 

 電文は暗号文なので解読される恐れは少ないのですが、電文が発信された方向に船がいることがバレてしまう。

 

 つまり、助けを求めると敵潜水艦も呼び寄せてしまいます。

 

 だから、無電を発信せずに目的地へ向かうことにしたそうです。この船は陸軍の傭船なので、船長より陸軍将校の権限が強いのです。だから、そんな無茶が通りました。

 

 実のところ、あっしは無電ではなく別の理由だと想像していました。それは、陸軍の将校たちが海軍に助けを求めると、彼らの面子が潰れるからだと。

 

 現在は知りませんが、当時の陸海軍は非常に仲が悪いと言われていました。政治や軍隊に疎いあっしでさえ知っていることですから、世間一般に広く知られていたのです。

 

 だって、桜会事件を企んだのは……。

 

 ああ、この話は関係ないので止めましょう。

 

 ほほう、あの船に電探(でんたん)が備わっているから、それで周囲を探る方法があるのですか?

 

 いやァ、そんな話は船長から一言も聞かなかったです。無電も電探も電波を発する機器だから、結局は使わなかったと思います。そもそも、そんな機器がマストに載っていたのか分かりません。

 

 他にも、護衛隊がはぐれた商船を連れ戻すために、護衛空母や対潜空母の艦載機を飛ばす方法があるのですか? だから、待っていれば艦載機が迎えに来てくれる筈だと?

 

 うーん、そんな話も聞かなかったです。そもそも、その空母が船団の護衛隊に加わっていたのか、覚えていません。艦載機って二人乗りか三人乗りの小さな航空機ですよね。そんな航空機が飛んでいたかなァ。うーん、記憶にございません。

 

 ともかく、一隻だけで進むとの話でした。

 

 この船は二〇ノット(時速三七キロメートル)の速さを出せる優秀船だそうで、追いかけてくる敵潜水艦を振り切れるそうです。そんな事情も考慮されたのでしょう。

 

 まあ、そんなこんなの事情によって、一隻だけで東進してから三日も経った頃です。

 

 その時、あっしは甲板にいました。明日には港へ到着すると伝えられていたので、上陸したら何をしようかと考えていた時です。

 

 不意に操舵室(ブリッジ)が慌ただしくなり、船員さんの一人が何かを言いながら空を指しています。あっしもその方向へ顔を向けると驚きました。

 

 なんと、ネズミ色の空が裂けて神々しく光が差し込んでいるじゃないですか。そこに光り輝きながら飛んでいるケシ粒。それを船員さんが見つけたのです。

 

 その正体は大型機です。それが遠くの空を飛んでいるので、光り輝くケシ粒に見えました。

 

 大型機は貨物船から遠く離れたまま、曇り空の下を飛び去っていきました。しばらくすると大型機が回れ右をしたのか、あっしたちの船に近づいてきます。(統合航)空軍が、この船を探し回っていたのかと思いながら見上げます。

 

 しかし、どうも様子がおかしい。

 

 あっしを東京から北海道へ運んだ大型爆撃機に似ていますが、何か違和感があるんです。もしかしたら、イギリスかアメリカの大型機かもしれません。興味を持って瞳を凝らした途端、驚いたことに船の高射砲や機関銃が上空へ撃ち始めたのです。

 

 何で撃つんだと思っているうちに、大型機はプロペラ音を立てながら船の頭上を通過していきます。その時になって、やっと気づきました。翼に日の丸ではなく鉄十字が描かれていたのです。

 

 なんと、我が空軍や友軍ではなく、ドイツ軍の大型爆撃機だったのですヨ。

 

 サア、大変!

 そんでもって、マジ、ヤバイ!

 

 敵機は優雅に旋回すると、機体の下部にある蓋を開きます。軍事面では素人なあっしでも、敵機の意図が掴めました。この船を爆撃しようとしていたのです。

 

 港へ到着した後に聞いた話ですが、この時間帯に西海岸の造船所が爆撃されていました。

 

 どうやら、敵機はそこを爆撃する予定だったのでしょう。しかし、航法を間違えたのか計器が故障したのか、詳しくは不明ですが洋上に出てしまったようです。そこで偶然見つけた貨物船を行き掛けの駄賃として、爆撃しようとしたとか。

 

 あっしにとっては、本当にいい迷惑ですヨ。

 

 敵機は爆撃体勢に入りますが、目測を誤ったのか爆撃せずに頭上を駆け抜けます。再び旋回すると、今後こそは本気で爆撃しようと近づいてきました。

 

 貨物船の前後にある二基の高射砲や機関銃は、真っ赤な火焔を噴き出しながら射撃します。

 

 敵機の針路は変更なし。カモメがヤドカリを狙うように、敵機は一気に距離を詰めてくる。

 

 ああ、万事休す。最後の一杯を飲みたかったけれど、瓶の底は透き通るくらい空っぽ。あっしは海底にいる貝のように、なりたくなかった……。

 

 そんなことを考えていた時です。目を疑うようなことが起きました。

 

 突然、敵機の周辺に花開く九つの大きな爆炎。それに敵機が突っ込むと、主翼やエンジンから噴き出すオレンジ色の炎。敵機は空中でよろけながら高度を落として、遂に着水。

 

 あの爆炎が敵機を墜としたんです。大金星ですヨ。

 

 あっしが乗員脱出後に沈んでいく敵機を見ていると、いつの間にか隣に陸軍の一番偉い将校が立っています。その将校は、あっしに気づいていないのか、独り言を呟きました。

 

「どうして、ここまで追いかけてきた……」

 

 その声は驚きや感激ではなく、怒りや不満といった感情が含まれる声でした。その将校は敵機に対して不満をぶつけているかと思いきや、そうでもない。彼は敵機ではなく別の方向を見ていました。

 

 すると、誰かが大声で「おい、あの艦(ふね)が助けに来てくれたぞ!」というじゃないですか。

 その方向を見ると、海上に小山のような一隻の軍艦が、小さな軍艦をお供のように引き連れて近づいてきました。

 

 他の者が、「〈大和(やまと)〉が来てくれた」とか「いや、あれは〈武蔵(むさし)〉だ」と口々に言いますが、あっしには区別できません。確実なのは、学童向けカルタに「〈大和〉と〈武蔵〉は日本の誇り」と書かれている、あの大和級戦艦が助けに来てくれたのでした。

 

 そういえば、TV五八船団の後方に小山のような形をした軍艦がいました。あの軍艦が大和級戦艦だったのでしょう。

 

 その戦艦に守られながら東進すると、前方に陸地が見えてきます。それが北米大陸の西海岸線でした。

 

 苫小牧を出港してから十五日後のことです。それが見えた時、甲板で小躍りしたくなる気分でしたナ。

 

 

 

        ◇◆◇◆◇

 

 

 

 ここから先は、あっしの勝手な推測です。

 

 あっしが乗っていたTV五八船団が、敵潜水艦から執拗に襲われた理由です。

 

 あの時、輸送船団は兵隊さんや大砲弾薬以外に、重要な物を運んでいたのだと思っています。

 

 我が軍がパナマ運河を押さえてから、敵潜水艦の活動は下火になっていました。それなのに、あの晩は何隻もの敵潜水艦が果敢に攻撃してきました。偶然なのかもしれませんが、それが妙に引っかかるのです。

 

 そこで、あっしはピンときました。何か重要な物を運んでいたのではないかと。

 

 金銀財宝や重要人物ではありません。危険な戦場へ運ぶ意味がありませんので。だから、別の価値がある物です。

 

 それは、我が国が生産した反応弾ではないかと。広島と長崎を蒸発させる威力がある、あの反応弾です。その情報がドイツ軍に漏れたので、TV五八船団は執拗に攻撃されたのだと思います。

 

 そして、この船団が反応弾を輸送している事実は、陸軍の一番偉い将校も知っていたのでしょう。彼は反応弾の威力を十分に知っていた。もしかしたら、広島市民の救助に赴いたのかもしれません。彼らは境港から船に乗ったそうですし。

 

 そして、攻撃を受けて反応弾が誘爆してしまったら、彼らだけではなくTV五八船団まで消滅してしまうことも理解していた。だから、船団に再合流するよりは独航しようとしたのでしょう。

 

 あっしとしては、彼の判断を莫迦にするつもりはありません。彼なりに部下たちのことを、真剣に考え抜いた決断なのでしょうから。

 

 この道中は貴重な体験が出来たと、軍に感謝しております。噺のネタへ応用できますし。

 

 そもそも、落語は喜怒哀楽、人情無常に()()()を組み合わせた伝統芸能です。噺のネタは戦争の火種と同じように、至る所に散らばっています。それを拾い集めて噺を作るのが、噺家の仕事ですからネ。

 

 ああ、そうだ。これまでの話にオチはありませんが、代わりにナゾナゾを差し上げましょう。

 

 さて、実際に反応弾を運んでいたのは、どの船だったのでしょうか? 軍艦も含めます。

 

 作家先生は当てられますか? ここまでの話を振り返れば分かる筈です。あっしは、陸軍の一番偉い将校の呟きで、何となく分かりましたナ。

 

おっ、分かりましたか! そう、あの戦艦です。カリブ海で沈んだ、あの戦艦です。

 

 そろそろ、寄席の時間が迫ってきました。あっしの話はこれくらいにして、失礼させていただきます。おあとが宜しいようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

 作中で書けなかった設定を、Q&A形式でまとめました。

Q1
 主人公のモデルは誰か。

A1
 特定のモデルは無し。落語家の師匠で五〇代男性と設定しています。



Q2
 原作が仮想戦記小説なのに、落語家を主人公にする理由は。

A2
 「パナマ侵攻2」一一〇頁から始まる、落語家がカナダへ渡った時の回顧談がベースです。

 これを選んだ理由は、RSBCどころか仮想戦記小説を読んだことが無い読者が、このジャンルに興味を持ってもらうためです。軍隊なんか興味無い読者にとって、庶民は慣れ親しんでいる存在です。

 この庶民(一風変わった人物ですが)を主人公に据えれば、興味を持って仮想戦記に浸りやすくなるかなと考えた次第です。

 間違っても、「沼に誘い込む」と声に出してはいけません。



Q3
 師匠と陸軍将兵の上陸港はどこか。

A3
 合衆国にあるオレゴン州の州都、ポートランドです。

 作者独自の設定ですが、この町の近くには、戦争が始まってから操業を始めた造船所が幾つかあります。戦時標準船や駆逐艦を建造しているので、当然ながら連合軍の爆撃目標になっています。



Q4
 秘録では「ほぼ壊滅状態におちいった北米における我が航空戦力がようやくのことで再建されたのは、昭和二四年(一九四九年)夏のことであった(六四頁)」と書かれている。

 一九五〇年二月の段階だと、再建された航空戦力が連合軍の爆撃を阻止するので、師匠が載った貨物船が爆撃されるのはおかしいのでは。

A4
 航空戦力は再建されたようですが、制空権を掴んだとは書かれていません。

 そのため、作者なりの推測で、当時は連合軍による爆撃を阻止しきれない状況だったと設定しています。



Q5
作家先生のモデルは誰か。

A5
 故人となられた佐藤大輔先生です。関係者へ取材をしていた時は、こんな様子だったのかと想像しながら書いてみました。

 さて、本作における佐藤先生の再現度はどうでしょうか?





参考文献(レッドサンブラッククロス以外、敬称略)

 『なめくじ艦隊』 (古今亭志ん生 一九九一 筑摩書房)

 『びんぼう自慢』 (古今亭志ん生 一九八一 立風書房) 

 『洋上のインテリアⅡ』 (日本郵船歴史博物館 二〇一一 同上)

 『海上護衛戦』 (大井篤 一九八三 朝日ソノラマ)

 『商船戦記』 (大内健二 二〇〇四 光人社)

 『戦時商船隊』 (大内健二 二〇〇五 光人社)

 『駆逐艦キーリング』 (セシル・スコット・フォレスター 二〇二〇 早川書房)











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外伝(2) 提督の調理人
外伝(2)序章


どうも、久しぶりの投稿となります。

本編はいろいろな理由(キューバを勉強していたり、小説の設定を見直したくなったり、その他)で執筆中断しています。

代わりに外伝を書きましたので公開しました。

本作の主役は「はいふり」主計課烹炊員の三人娘である、杵崎ほまれです。

同期兵として美甘と杵崎双子姉妹の妹である、あかねも登場します。

では、彼女たちの活躍(?)をお楽しみください。





 航空基地には師走らしく冷たい潮風が、絶えることなく流れていた。

 

 潮の香りを携えて大海原を渡ってきた潮風は、延々と続く海岸線を越えて内陸に向かう。そして、大地に点在している自然物や人工物を区別することなく、潮風を吹き付けていく。

 

 葉を落とした木立は枝を揺らし、冬の寒さに耐える雑草も風になびいていた。地域の住民たちが暮らす家屋には風が流れていく音が聞こえ、線路を走る汽車の煙を散らしていく。

 

 そして、この地に開設されたばかりの航空基地も例外では無い。

 

 風は滑走路を駆け抜けると、駐機場(エプロン)に駐まっている機体の脇をすり抜けていく。さらに、朝早くから電灯が明るい烹炊所の窓ガラスを叩いていた。

 

 烹炊所には何人かの兵員たちが朝食作りに追われている。そのうちの一人である女性烹炊員は、隣で作業している男性烹炊員に話しかけた。

 

「今日は風が強そうですね」

 

「ああ、まったくだ。だがな、航空機にとって離陸しやすい状況でもある。貴様、その理由を知っているか?」

 

「離陸に必要な揚力が、加速する以外の方法で発生するからです」

 

「なんだ、知っているのか。つまんねえなぁ。誰から教わった?」

 

「あのぉ、知り合いからです……」

 

「知り合いねぇ。それより、今日は久しぶりに朝早くから賑やかだな。日が昇る前なのに、基地のあちこちで兵員たちが動いているぜ」

 

 海軍主計課烹炊員のうち朝食調製担当者たちは、他の兵員たちが寝静まっている時間に起きている。それからこの時刻になるまで、彼らは手を休めることなく調理作業を続けていた。

 

 調理作業は日本海軍による烹炊作業手順によって分単位で定められており、現時刻は添え物となる漬物を刻む作業をしていた。その作業が終わると味噌汁を作る作業に入る。

 

 幾つかある炊飯用の大鍋では基地全員が食べる白米を炊飯中であり、鍋から蒸気が盛んに噴き出している。数分後には加熱を止めて、蒸らす段階に移っていく。

 

 なお、日本海軍の炊飯手順は独特である。一般的には大鍋に水と研いだ白米を一緒に入れてから、火を掛けて炊き上げる。

 

 それに対して、日本海軍では大鍋に張った水を沸騰させてから研いだ米を入れるのだ。沸騰している状態では水加減の調整が難しそうだが、専用の計量器で計りながら水加減を調整していた。

 

 現在の時刻は〇四五六時(午前四時五六分)。基地内の将兵が朝食を摂る〇七〇〇時(午前七時)までに、調理と配膳を終わらせなければならない。彼らが自由に使える時間的余裕は少ないのだ。

 

 烹炊所の外からは、風の音以外に基地内にいる兵員たちへの号令が聞こえてくる。それ以外にもエンジンのアイドリング音が幾つも聞こえていたが、そのエンジン音が変わった。

 

 この基地に、彼女が着任してから数週間しか経っていない。それでも、このエンジン音の変化が意味するものは十分に学んでいる。基地に駐まっていた航空機が離陸しようとしていたのだ。

 

 それと同時に湧き上がっくる感情にまかせるまま、彼女は口を開いた。

 

「あの、外の空気を吸ってきてもいいですか?」

 

 彼女の先輩にあたる上等兵は、新米同然である一等女性兵からの要望に驚く。そのような理由をつけてサボる兵員がいるからだ。だが、彼はあっさりと認めた。

 

「ああ、用が済んだらすぐに戻れ。手と指の消毒を忘れるな」

 

「はい」

 

 彼女はこの基地に着任してから数週間しか経っていないが、他の兵員たちと違って調理に手を抜かない。彼は、そんな彼女の性格を知っているので、そのような判断をしたのである。

 

 つまり、彼女は主計課烹炊員たちからの信頼を勝ち得ていたのだ。

 

 彼女が外に出ると、夜明け前の空の下で幾つもの機体が翼を休めていた。

 

 日本海軍初の空母から発艦できるジェット戦闘機である、艦上戦闘機<旋風>一一型(A9M2)。

 

 最高速度では敵わないが航続距離では活躍できる余地がある、レシプロ艦上戦闘攻撃機の<烈風改>(A7M3-N)や<烈風改II>(A7M4)。

 

 そして、駐機場(エプロン)から滑走路へ移動(タキシング)していく機体もある。

 

 それは、<流星改II>(B7A4)。愛知四式艦上攻撃機<流星>の改良版であり、現在でも艦攻隊の主力として活躍している機体だ。

 

 その<流星改Ⅱ>は機首にあるエンジンを高らかに噴かしながら、羽根が四枚があるプロペラを回していく。同時に、その轟音は基地周辺に暮らす地域住人へ騒音被害を与えていた。

 

 何しろ、現時間は誰もが寝ている時刻である。基地の将兵たちでさえ「総員起し」の号令と同時に起床するのは〇六〇〇時(午前六時)だ。明らかに地域住人たちの安眠を妨害しているのだが、苦情を言う者は極めて少ない。

 

 地球上では、人類史上三度目になる世界大戦が続いているからだ。

 

 世界の覇者に成らんとする大ドイツ帝国に勝つためには、軍隊から理不尽極まりない事をされても仕方ない。そのように受け止めていたからである。当然ながら限度はあるが。

 

 最初の<流星改Ⅱ>が滑走路脇に置かれたカンテラの灯火を頼りに、その中心線へ機首を揃えた。すると、滑走路の先端に小さくて青白い光が現れ、上下に幾度も揺れる。それは、離陸許可の信号だ。

 

 光跡を書きながら揺れ動く姿は、冬に活動できない筈の蛍を想わせる灯りであり幻想的でもあった。

 

 さらにエンジンの回転数を増した<流星改Ⅱ>は加速していく。そして、翼が風を掴むと夜明け前の空へ飛び立った。その<流星改II>の軌跡をなぞるように、後続機が次々に離陸していく。

 

 烹炊所の外に立つ彼女は、その光景を見ていた。

 

 離陸開始地点に向かう<流星改II>は、滑走路だけではなく誘導路の脇にも並べられたカンテラの灯りによって、闇から一瞬だけ浮かび上がる。

 

 残念ながらカンテラの灯りでは光量が足りず、機体上部に座る搭乗員たちは闇と同化したままだった。それでも、機体に描かれた部隊標識と機体番号を一機づつ観察していけば、なんとなく見当がつく。

 

 その予感は当たった。

 

 彼女が記憶した番号が描かれた機体が近づいてきた時である。風防と呼ばれる窓が開き、搭乗員の一人が手を振ったのだ。

 

 彼女はそれに応えるように手を振り返した。

 

 

 

      -○●○──

 

 

 

 航空基地を離陸した<流星改II>は、輝く星々が支配する夜空を横切りながら東の方角へ飛んでいく。

 

 <流星改II>の特徴は、幾つもある。

 

 日本機では珍しい特徴的な逆ガル形状の主翼。

 

 各武装を含めて六トンにもなる機体を推進していくターボプロップエンジンとプロペラ。

 

 作戦行動半径は、神奈川県の横須賀基地から長崎県の大村航空基地までの距離に匹敵する、九五〇キロメートル。

 

 日本海軍が実戦投入した軽量超合金(ジュラルミン)製の荒鷲は、実用化されたジェットエンジン搭載機には最高速度で敵わない。しかし、航続距離の長さと安定した飛行性能では圧倒的優位にある。

 

 だから、未だに主力の座に収まる艦上攻撃機として、師走の冷たい大気を切り裂きながら飛行し続けていたのだ。

 

 <流星改II>が開発された目的は幾つかあるが、最大の目的は標的の艦艇を海底に叩きつけることだ。具体的な方法は、胴体下部に吊り下げられている航空魚雷を命中させることである。

 

 この機首に装備されたターボプロップエンジンは、搭乗員たちに不安を抱かせることなく快調に駆動し続けている。最大出力が三四二〇馬力もあるエンジンから発生する騒音と振動は、基地整備員の腕が優れていることを間接的に証言していた。

 

 同時に、それらは搭乗員たちに眠気を催すものでもある。日頃からの厳しい訓練による疲労や、通常の起床時間より早く寝覚めたからだけではない。機体を包み込む冷気が搭乗員たちを眠りへ誘い込もうとしていたのだ。

 

 例え、彼らが厚地の飛行服を着て、首にマフラーを巻いているとしてもである。熱は走行冷却によって次々に奪われていくからだ。油断したら居眠り操縦に陥るだけではなく、バランスを失って墜落する可能性もあった。

 

 それは、この<流星改II>の搭乗員たちも例外ではない。前方の操縦席に座る中尉は眠気に襲われつつあった。だから、彼はそれを覚ますために後方の偵察員席に飛曹長に命じる。

 

「飛曹長、何か話せ」

 

「そうですね。わたしが飛行兵曹任用試験でトップの成績になった時の話をしましょうか」

 

「それは、前に聞いた」

 

「そうです。いままで五回話しました。六回目を聞きたくありませんか?」

 

「他にしてくれ」

 

「そうだ。烹炊所にいる女性兵に男ができた話をしましょうか

 

「……へえ、そんな話があるのか。教えてくれ」

 

「その娘、結構かわいい顔をしているのです。数週間前に配属された女性兵だそうで。確か、その女性兵の名前は『ほまれ』と聞いた気が……」

 

「何だと?」

 

「ああ、今の話は噓です。目が覚めたでしょ」

 

「畜生、からかいやがって! 俺は中尉だ。覚えてろよ」

 

「はい、覚えてますよ。初めて練習機に乗った時に、いつの間にか小便を漏らしていたことを」

 

「それだけは忘れてくれ!」

 

 一機の<流星改II>には二名の搭乗員が乗っている。前席には機体の操縦に専念する操縦員が、後席には航法と電信だけではなく機銃操作まで担当する偵察員が座っているのだ。

 

 そして、この<流星改II>では操縦席に士官である中尉が、偵察席に飛曹長が座っている。珍しいことに、この機体では士官である中尉が操縦していたのだ。

 

 一人乗りの戦闘機は異なるが、一般的に攻撃機では士官が偵察員席に座る。彼らは戦闘状況を見渡して指揮を執る立場にあるが、操縦席では操縦に専念せざるを得ないからだ。

 

 だが、この<流星改II>だけは幾つかの理由で中尉が操縦桿を握っている。中尉が操縦員として訓練を受けており、飛曹長がヴェテランの偵察員としての道を歩んできたという理由がある。

 

 海軍全体から見れば適切な人材の組み合わせだが、中尉にとって不幸であった。彼が飛行訓練を受けていたときの教官が飛曹長だったからだ。だから、これまでに中尉が犯してきた失態をしっかりと覚えている。

 

 見方を変えれば、中尉の弱点をフォローできる良き飛曹長と言えるだろう。中尉はそれを実感しておらず、面倒で扱いにくい奴だとしか思っていなかったが。

 

 そんな、面倒で扱いにくい年上の飛曹長が声を掛けてきた。

 

「中尉、夜明け時刻まで一〇分切りました。黒めがね(サングラス)、忘れていませんよね」

 

「持ってきているよ。そこまで間抜けじゃない」

 

「安心しました。数日前に八日市場の花街へ、財布を忘れて出かけられたと聞いたもので。ツケが利かないから芸者を捕まえられず、料亭の玄関でショボンとしていたようですな」

 

「三日前の話だぞ。まだ言うのか」

 

「『人の噂も七から一五日』と言いますので」

 

「その程度で忘れて欲しいよ」

 

「でも、本命は烹炊所で働いている、あの子でしょ。手信号で何を送ったのですか」

 

「まずは口を閉じろ。ついでに任務を果たせ。以上」

 

 飛曹長が冗談半分に指摘したのは、彼らが陸上基地を飛び立った時のことだ。

 

 攻撃隊の一機として駐機場(エプロン)から滑走路へ移動中、中尉は風防(ガラス板で囲われた搭乗員用の窓)を開けて手を振ったのだ。

 

 当然ながら、<流星Ⅱ>の内部では蛍光塗料を塗った計器盤以外、搭乗員を含めて闇と同化している。だから、中尉が手を振ったとしても滑走路脇に立つ者は気づかない筈だった。だが、意外にも振り返した者がいたのだ。

 

 それが、烹炊所で勤務している女性の主計兵だった。基地では「ほまれ」と呼ばれている。苗字は知らないが、数週間前に基地へ着任した女性主計兵たちの一人である。料理が上手だから飯が美味いと評判だった。

 

 そんな彼女と操縦席に座る中尉との関係は分からないが、それなりに通じているらしい。

 

 飛曹長にとって、本人たちの関係がどうなるか知ったことでは無いが、殺伐としかねない基地では格好の話題である。酒の席では、仲間内で盛り上がる話題にもなるからだ。

 

 彼にとって女と上官の悪口以外の話題が増えるのは、大変喜ばしいことである。

 

 そんな事を考えながら夜空を見上げたとき、不意に無線機が雑音を流し始めた。飛曹長はただちに中尉へ報告していく。

 

「中尉、これより任務を果たします。逆探が反応しました。発信源は一つ、感(感度)1。現在の速力ならば、電波発信源まで一五分程度です。あっ、たった今、発信源が二つに増えました」

 

 飛曹長が報告するうちに、彼らが目指している東方の夜空では変化が起きていく。一面に広がる雲と空との境界が、白いチョークで引かれたように鮮明になりつつあったからだ。

 

 ここは海岸線から遠く離れた海域であり、南方から流れてくる暖かい海流と北方から流れ込む冷たい空気が接触する地点でもある。雲が発生しやすい条件がそろっていたのだ。

 

 そして、彼らにとって肝心な目標は、雲の下に隠れている筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この機会にご紹介します。

10/23(土)に東京神田で大サトー学会が開催されます。

テーマは、本小説の原作でもある「レッドサンブラッククロス」。

ZOOMによる視聴もできますので、興味ある方は是非どうぞ。





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『設定資料編』貝山地下壕の烹炊所

10/18更新

全天球カメラ(リコー製)の画像を完全な状態で見るためには、専用アプリのダウンロードが必要です。

それを実施するためのアドレスが間違っていました。

正しくは下記アドレスです。

https://support.theta360.com/ja/download/

誤ったアドレスを貼り付けてしまい、申し訳ございませんでした。





 どうも、ご無沙汰しています。

 

 作者のキルロイです。

 

 ここ最近、小説の投稿が間延びしていますが、その理由は単純であり明確でもあります。

 

 そう、それは作者が原因なのです!

 

 

 

 

 ……こんなことを書くと作者のメンタルが削られる気分ですが。

 

 まあ、事実を誤魔化すことはできませんからねぇ。

 

 さて、小説の投稿が間延びしている理由は本業の都合(昨年度に比べて休日出勤が増えた!)だけではなく、原作「レッドサンブラッククロス」の資料を読み漁っているからです。

 

 そのような資料(様々な文献や当事者の回顧録)を読んでいくと、「レッドサンブラッククロス」を書くための考証に驚かされます。よく、こんなエピソードを探して小説に取り入れたなぁと、常に感心しています。

 

 もちろん、本作の執筆に必要なキューバ・カリブ海方面の資料も読み漁っています。原作に劣らぬようにしなければいけませんからね。

 

 なお、ノベルズ版「パナマ侵攻1」14頁に書かれている山口多聞GF長官のエピソードについて、出典元は未だに分かりません。まだ、調べるべき資料があるようです。

 

 こんな理由で、資料を集めている日々を送っています。

 

 ところで、資料収集とは図書館に行って書籍を読んだり、コピーしたりするだけではありません。映画を見たり、現地に足を運んで調べたりすることも含みます。

 

 そんな訳で行ってきましたよ。現地調査へ。

 

 目的地は神奈川県横須賀市にある貝山地下壕。ノベルズ版「パナマ侵攻1」151頁に初登場する、コマンドセンターです。

 

 作中の正式施設名は「横須賀鎮守府司令部構内作戦統制所」らしいのですが……。

 

 とある旅行会社が企画したバスツアーに参加して、その地下壕を見学してきました。今年は11月と12月にも催行するそうですので、興味あれば「貝山地下壕 浦賀造船所」で検索してみてください。

 

 

 

 では、その時に撮影した画像を紹介しましょう。

 

 その前に、下記アプリをダウンロードすることをお勧めします。

 

 https://support.theta360.com/ja/download/

 

 一部の画像は全天球カメラで撮影しました。JPGデータなので殆どのPCで開けますが、壕内の様子を思う存分に見ていただくために、専用のアプリが必要です。

 

 なお、作者は「パソコン用アプリ」の「基本アプリ-RICOH THETA」のfor Windows(R)版をダウンロードして、動作確認をしています。

 

 

 

(1)地下壕出入口前の看板

 

【挿絵表示】

 

 

 貝山地下壕の内部構造に関する説明は省略します。

 

 ネット上に公開している論文で詳しく説明しているので、そちらをお読みください。

 

 http://www.jgskantou.sakura.ne.jp/event/files/AM02.pdf

 

 

 

(2)出入口裏側(全天球カメラで撮影)

 

【挿絵表示】

 

 

 論文には書かれていませんが、この地下壕の所有者は日本海軍→合衆国海軍→自動車会社→横須賀市と代わっています。

 

 この期間に所有者が手を加えている箇所があるため、壕内全体が建設当時を保っている訳ではありません。また、当時の所有者がどこを改修したのかの記録も無いそうです。

 

 

 

(3)次第に朽ちていく扉枠

 

【挿絵表示】

 

 

 原作では「軍艦の水密扉にそっくりのような」と書かれている扉の原型だと思われます。実際は壕内を自然通風で換気しなければならないため、扉で密閉できません。

 

 

 

(4)用途不明の水槽跡(全天球カメラで撮影)

 

【挿絵表示】

 

 

 先ほどの扉をくぐった先にある水槽跡です。ヘッドライトで照らしている小さな区画の左隣にあります。

 

 

 

(5)烹炊所(全天球カメラで撮影)

 

【挿絵表示】

 

 

 今回のツアーに参加したのは、この調理設備を撮りたかったからです。

 

 ヘッドライトで照らしているのが、豆炭レンジです。排煙は煙路で区画の奥に流れていき、外部に排出されていたそうです。壁に延々と続く凹みが煙路用配管の跡です。

 

 外伝で登場させたいと考えていますが、原型のままでは小さすぎますね。お湯を沸かす程度しかできず、煮炊きするのは難しいと思われます。

 

 現在ではキャンプや登山での必需品ともいえる、飯ごうなら何個も並べられたのかもしれませんが。

 

 

 

(6)豆炭レンジ

 

【挿絵表示】

 

 

 調理するための熱源は豆炭です。黒ずんでいるので実際に使われたようです。

 

 

 

(7)烹炊所天井に露出する貝殻

 

【挿絵表示】

 

 

 貝山の由来となった貝殻です。烹炊所の天井が低いので、すぐに見つかります。さすがに、この地下壕で恐竜の骨は見つからないそうです。

 

 

 

 他にも撮影しましたが、小説に関係ない箇所だったりツアー参加者の顔が写っていたりするので、ここには掲載しません。

 

 それにしても「レッドサンブラッククロス」は、世界設定や時代考証だけでは無く作中描写も丹念にしている小説ですよね。

 

 原作の作戦統制所は、貝山地下壕をそのまま書いたのでは思えるくらい、リアリティーある描写をしているのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




10/23(土)に東京神田で大サトー学会が開催されます。

テーマは、本小説の原作でもある「レッドサンブラッククロス」。

ZOOMによる視聴もできますので、興味ある方は是非どうぞ。






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『設定資料編』香取航空基地の遺構

 どうも、ご無沙汰しています。

 

 作者のキルロイです。

 

 多忙な本業から解放されて、ようやく執筆できると思ったら大晦日。

 

 時間の流れって、本当に早いですね……。

 

 さて、未だに資料収集や読み込み作業を続けていますが、その一環として一つの書籍を読みました。それが、「流星戦記」です。

 

【挿絵表示】

 

 

 <流星>艦攻を実戦運用した部隊の苦闘や、搭乗員たちのエピソードが書かれてる一冊です。

 

 これを参考書籍として外伝の執筆に取りかかろうとしましたが、さらに必要な情報を拾い集めるために現地へ取材してきました。今回はこの基地をご紹介したいと思います。

 

 この基地について、作者以外に他の方々がブログなどで詳しく紹介しています。戦跡や遺構の解説については、それらのブログをお読みになることをお勧めします。

 

 それらに対して、作者は別の視点から基地を紹介していきます。また、画像を多数貼り付けていますので、スマホではなくパソコンで読まれることをお勧めします。

 

 

 

(1)基地の概要

 

 正式名称は、海軍香取航空基地です。通称で香取飛行場、干潟飛行場とも呼ばれていたそうです。

 

 敷地はあさひ鎌数工業団地として再開発されていますが、航空基地時代の痕跡は所々に残っています。

 

 太平洋戦争終戦後の一九四八年(昭和二三年)三月二日に合衆国軍が撮影した空中写真(USA-R1069-107)

 

【挿絵表示】

 

 

 その情報を書き加えた地図

 

【挿絵表示】

 

 

 この基地には、南東・北西方向に延びる一四〇〇メートル滑走路と、南西・北東方向に延びる一五〇〇メートル滑走路の二本があります。それらは互いの中央部で十字形に交差していました。

 

 「流星戦記」によると、滑走路以外に間口が三〇メートル、奥行が四〇メートルある格納庫が九棟あり、機体整備用や発動機整備用といった関連施設も多数あります。これは、当時の木更津航空基地よりはるかに広大であり、東関東の海軍航空基地の中核となりえる航空基地でした。

 

 なお、滑走路の長さについて補足すると、当時の陸攻が離発着するためには滑走路の長さが一二〇〇メートル以上必要でした。この基地の滑走路は、それより長く造られています。

 

 しかし、<連山>が離陸するためには一八〇〇メートル程度必要(戦後の米軍による記録)だったそうです。さらに、北海道の東千歳駐屯地に残る海軍千歳第三飛行場(連山滑走路)は二五〇〇メートルもあります。

 

 もし、海軍が<連山><富嶽>といった大型機を運用し続けるのであれば、いずれ滑走路の延長工事が必要になったのでしょう。

 

 

 

(2)干潟駅

 

 取材は二回行ないました。一回目は二〇二一年一二月一八日です。

 

 香取航空基地の近くを通る総武本線は、千葉駅から銚子駅まで続く路線です。

 

 この路線を走る列車は、千葉駅を発車すると房総半島の根元を横断するように進み、成東駅から九十九里浜の海岸線と並行するように進路を変えて、漁港と醤油の町として栄える銚子駅に到着します。

 

 この路線には八日市場駅や旭駅といった特急停車駅がありますが、それらの駅に挟まれるように干潟駅があります。

 

 年季が入った干潟駅舎

 

【挿絵表示】

 

 

 干潟駅前の看板

 

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(3)基地の痕跡① -あさひ鎌数工業団地の案内図看板-

 

 工業団地の案内看板は何カ所かありますが、これは西側にある看板です。

 

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 滑走路が工場の敷地として上手に活用されていました。

 

 

 

(4)基地の痕跡② -公園の慰霊碑とプロペラ機-

 

 小説には関係ないので解説は省きます。

 

 慰霊碑

 

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 源田実による慰霊文

 

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 幸せの黄色いプロペラ機

 

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(5)基地の痕跡③ -匝瑳(そうさ)市椿海(ちんかい)地区に残る二基の掩体壕-

 

 この時の気温は六度しかなく本当に寒い!

 

 おまけに、毎秒一一メートルの風が吹き付けるので、まっすぐに伸びる雑草がなぎ倒されそうでした。

 

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 余談ですが、この日の早朝は鹿島神宮近辺にいました。その時に撮った画像がこれ。

 

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 北浦という波静かな湖が、強風にあおられて白波を立てているのですよ。凄いでしょ!

 

 再び、二基の掩体壕に戻ります。

 

 二基の掩体壕全景

 

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 掩体壕の正面が各々の方向へ向けているのは、どちらかの正面に爆弾が落ちたときの弾片によって、もう一方に隠した機体が傷つくのを防ぐためだとか。

 

 二基のうち倉庫として再利用されている掩体壕

 

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 倉庫として再利用されている掩体壕の後方

 

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 もう一基の掩体壕後方

 

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 掩体壕の説明板

 

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 間口一九・五メートル、奥行一〇・六メートル、高さ六メートル。

 この寸法では、<流星>を収めると機体の前後が約一メートルはみ出します。

 

 

 

(6)基地の痕跡④ -鎌数(かまかず)伊勢大神宮の石-

 

 この地域は、大昔に椿海という湖だったそうです。それを干拓して、江戸時代の一六七二年(寛文一二年)に完成した耕作地(干潟八万石)が、現在の畑や香取航空基地の敷地となりました。

 

 神社を創建するにあたり、遠方の伊勢神宮から分霊を受けた理由は、干拓工事責任者の一人が伊勢国出身だったからだとか。いつの時代でも、責任者の思惑で世の中は動いていくのですね。

 

 なお、干拓前と干拓後の地図は鎌数伊勢大神宮のホームページに詳しく書かれていますので、そちらもどうぞ。

 

 https://kamakazu.com/free/rekishi

 

 この境内には、香取航空基地を建設した際に掘り出された石が安置されています。

 

 石と説明板の全体画像

 

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 石の説明板

 

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 苔に覆われた石の正体は、塩の化石でした。

 

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 説明文の最後には「千葉地方刑務所干潟出張所職員が奉納した」と書かれていますが、これは基地の建設に刑務所の受刑者たちが動員されたことを物語っています。当然ながら、この職員の仕事は受刑者を監視することです。

 

 順番が逆になりましたが、神社の鳥居と表参道がこちら

 

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 参道の奥には本殿が見えます。

 

 創建されてから三五〇年ほど経っている神社にしては、妙に境内の木立が低いことに気づくかと思われます。これは香取航空基地から離発着する航空機にとって邪魔になるため、切り倒されたからです。

 

 

 

(7)基地の痕跡⑤ -旭(あさひ)市鎌数(かまかず)地区に残る大型機用掩体壕-

 

 この掩体壕だけは、二回目となる二〇二一年一二月二九日に訪れました。

 

 最初に、遠方から二枚。

 

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 どうやら、最近になって畑の周囲に松が植えられたようです。 

 

 掩体壕の正面

 

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 内壁とコンクリートが剥がれてむき出しになった鉄筋

 

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 側面から

 

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 掩体壕の説明板

 

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 この掩体壕の寸法は、間口二九メートル、奥行一四メートル、高さ七メートル。

 

 数値だけでは大きさがイメージしづらいので、こんな形で撮ってみました。

 

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 後ろ姿になっているモデルの身長は一・八メートル、両手の指先間距離は一・九メートル。

 

 このモデルと比較すれば、掩体壕の大きさが掴みやすくなるでしょう。

 

 

 

(8)RSBC世界における香取航空基地の今後

 

 この基地は原作に一切登場しないので、すべて作者による考察です。

 

 それを語る前に、ぜひ見ていただきたい画像があります。

 

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 これは総武本線の南側にある畑ですが、他の地域では見られない光景が写っています。

 

 それは、海岸から飛んできた砂です。この砂が畑を覆っているのです。

 

 画像の右側にはタイヤの跡がくっきり残っていますが、これは砂の層です。農作に適した土は、この層の下に隠れています。キャベツやレタスのような葉野菜では、種を蒔いても芽生えることすらできないでしょう。

 

 別の畑で砂を握ってみましたが、海水浴場にいるかと思えるくらいに握れました。

 

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 砂はサラサラとしていますが、厳密にいえば石です。

 

 鉄鋼の錆び落としや表面仕上げをするために「サンドブラスト」という加工方法がありますが、それに使えるくらいに硬いのです。

 

 もし、香取航空基地を運用し続けた場合、どうなったでしょうか。

 

 基地は海岸線から六キロ内陸にありますが、滑走路や駐機場は常に砂で覆われているでしょう。砂は小雨程度では流れず、湿った砂は離陸しようとする航空機のタイヤにこびりついて速力を削ぐかもしれません。

 

 レシプロ機であれば、プロペラの後流によって砂を吹き飛ばせますが、同時に搭乗員や整備員の眼を痛めつけます。さらに機体の表面へ多数の引っかき傷を残していくでしょう。フィルターは目詰まりしやすいので、こまめに掃除しなければなりません。

 

 ジェット機ならどうでしょうか。吸気するときに砂を一緒に吸い込むので、エンジン内部にある圧縮機の羽根まで傷つくでしょう。当時のジェットエンジンは信頼性が低くて頻繁に交換していたので、誰も気にしなかったかもしれませんが。

 

 確実に言えることは、こんな状況が続くと機体の整備に余計な時間が奪われてしまい、次第に稼働率が落ちていくことです。

 

 戦時中であれば整備員たちに無理強いさせても、機体の稼働率を維持させなければなりません。しかし、休戦になれば軍事予算の削減や整備兵の兵員数の減少によって、それが維持できずに低下していくでしょう。

 

 こうなると、機体の整備に手間が掛かる基地を運用し続けるのは、国家予算の浪費になります。だから、いずれは閉鎖されて工業団地として再開発されるのです。

 

 航空関連施設は充実しているのに、立地が悪いので短命に終わる航空基地。

 

 そんな歴史になると考察しましたが、いかがでしょうか?

 

 

 

 最後ですが、取材一回目の夜に撮った写真をどうぞ。

 

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 きれいな満月でした。

 

 あいかわらず風が強いので、少々ぶれてしまいましたが……。

 

 

 

 来年も執筆していきますので、どうぞ宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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