村娘に転生したけどお前のヒロインにはならないからなっ! ~俺をヒロインにしたい勇者VSモブキャラを貫きたい俺~ (二本目海老天マン)
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01.さよなら山田太郎 ☆挿絵あります。

 

 

 

 俺の名前は山田太郎30歳。

 

 ブラックでもホワイトでも無いふつーな会社に勤める極々平凡なサラリーマンだ。

 いい歳をして恋人もいなければ、熱中するような趣味や、自慢出来る特技も持っていない。休日はゲームやネットで曖昧に消化するような、何をするにも半端なオタクである。

 通勤電車のつり革を掴みながらぼんやりと「俺は死ぬまでこんな感じで無意味に日々を生きていくんだろうなー」等と思いながら、会社と家を往復するだけの無味乾燥な毎日を過ごしていた。

 

 

 

 さて、ここまで俺の1mmも愉快な点が無い、虚無な個人情報を見てくれた皆に朗報だ。

 

 

 

 ここまでの俺の設定に関する話は全部忘れてくれていい。

 だって、俺死んじゃったもん。

 

 

 

 

 

 通勤中に暴走トラックに跳ね飛ばされたのである。

 いやー、青信号だからって歩きスマホしながら道路を渡っちゃいけないね。

 

 全身を駆け抜けたあの衝撃! 

 骨は砕け、内臓は水風船のように破裂し、腕はもげ、薄情者の目玉と脳は我先にと俺を見捨てて頭部から脱出していった。

 痛みらしい痛みを自覚せずに即死出来たのは、不幸中の幸いという奴だろう。

 

 

 

 

 

 さて、何で俺が自分のえっぐい死に様を正確に把握しているのかというと、現在あの世的な場所で神様的な存在と面談中だからである。

 

 

 

 

 

「……さて、君の最期はこんな感じだったのだが、理解出来たかね?」

「はあ」

 

 俺は空中に浮かんだ映像で挽肉一歩手前の自分の肉体を見せつけられながら、気のない返事をする。

 

「俺が死んだのは分かりました。それで、俺はこれからどうなるんですか?」

「うむ」

 

 神様がうじゅるうじゅると触手をうねらせながら返事をする。

 

 神様の見た目は一言で言えばエメラルドグリーンの巨大なタコである。

 

 付け加えるなら全身にビッチリと描かれた不気味な紋様が秒単位で体表を蠢いており、控えめに言って邪悪な存在にしか見えない。

 

「佐藤くん」

「山田です」

「佐藤くんにはこれから前世とは異なる世界に転生して、新たな人生を送ってもらうことになる。前世の記憶の引継ぎに加えて、望むなら特殊な才能等の初期ボーナスも付けてあげよう」

「俺は山田ですが、異世界に転生……ですか…………」

「おや、不満かね。大抵の人間は異世界に転生すると知ると喜ぶのだが」

 

 俺が顔をしかめると神様は不思議そうな顔をした。

 もっとも俺はタコ博士では無いのでタコっぽい生物の感情表現など知らないからそう見えただけなのだが。

 

 異世界転生…………生前に見ていたアニメや漫画の1ジャンルとしてはド定番の内容である。

 

 

 

 正直なところ、もう一回人生をやれと聞いた時に俺が抱いた感想はこうだ。

 

 

 

 

 

 うぅっわ、めんどうくせェ~~~。

 

 

 

 

 

 自ら死を選ぶほど、生きることに絶望していた訳ではないが、もう一回人生をやり直せと言われてはしゃげるほど生きることに希望を持てないのである。

 

 ぶっちゃけた話、せっかく大して苦痛も感じずに死ねたので、このまま俺という存在の自然消滅とかで人生というクソゲーをクリアさせて欲しいという気持ちすら有る。

 

 俺はこの正直な気持ちをタコさんに伝えてみたが、タコさんの反応はよろしくなかった。

 

「残念ながら、君の異世界転生は決定事項だ」

「どうしてでしょうか」

「私は死後の人間の魂を捕食して存在を維持しているのだが、魂の質というものは、生前の肉体、精神、人生経験の豊富さ等で決まる。生前の君は…………まるで植物か無機物のような、感動も何もない無味乾燥で、無意味な生き方をしていたから、魂が常人の半分程度にしか磨かれていない。ハッキリ言って君の魂は不味くて食えたものじゃないんだ。申し訳ない」

 

 

 

 …………唐突に自分の生き方についてディスられた上に、何か邪悪な設定を聞かされた気がする。

 やっぱり、このタコさんは神は神でも頭に「邪」とか「狂」が付く方の神様だったようだ。

 

 

 

「君のように無意味で無価値な人生を生きてしまった人間には、こうして私が二度目の人生を斡旋しているのだ。優れた才能や恵まれた環境を手にする事で、転生者には新たな人生を全力で謳歌してもらう。その後は、波乱万丈な一生を駆け抜けた良質な魂となって私の胃袋に入ってもらうというシステムになっているのだ。人間で言うところのwin-winという奴だな」

「あははそっすね」

 

 俺は深く考えることを止めた。

 この推定邪神様を相手に逆らってもロクな目に遭わないと、前世で培った事なかれ主義センサーが警報を鳴らしていたからだ。

 

 

 

「えーと、神様。さっきの話だと転生先の条件はある程度選べるんですよね?」

「うむ。希望があれば考慮しよう」

 

 どうやら俺の異世界送りは避けようが無さそうなので、それならば、せめて少しでも平穏に第二の人生を過ごせる道を探した方が良さそうだ。

 

「前世とは異なる世界って話でしたけど、転生先は日本じゃないんですか?」

「うむ。君の新たな人生の舞台は、剣と魔法が幅を利かせる中世ヨーロッパ風世界だ。日頃から、そういった創作物に触れている日本人には分かりやすくていいだろう」

 

 パッと頭に思い浮かんだのは、国民的RPGのあの世界だった。ちなみに俺はクリスタルが出ない方の信者である。

 治安悪そうで嫌だなあ。どうせならSF的な未来世界とかが良かったよ。

 

「転生先の条件だが……ふむ、こんなのはどうだ?」

 

 タコさんが触手を伸ばして、一枚の紙を俺に手渡してきた。

 転生先の情報が書かれているようだ。どれどれ…………

 

 

 

 

 

 ◆伝説の勇者の血を引く男

 

 遥か昔に世界を滅ぼそうとした魔神を封印した勇者の子孫。

 剣術、魔術共に優れた才能を持ち、容姿端麗頭脳明晰。

 魔神の封印を解き、人類の滅亡を目論む魔王軍を打倒する為、賢者(美少女)と大神官(美少女)と竜族の戦士(美少女)を引き連れて運命の旅路へと挑む―――

 

 

 

 

 却下だ却下! 何でそんな少人数で人類の命運を左右する戦いに挑まなきゃならんのだ! 

 俺は波風立てずに穏やかに平穏に暮らしたいのだ。こんな理想とは真逆の物件など死んでもごめんだ。もう死んでるが。

 

 俺はタコさんにやんわりと別の物件を希望した。

 

「ふむ、勇者系は転生先で一番人気が有るのだがな……それでは、これはどうだ?」

 

 俺はタコさんの触手から新たな物件情報を受け取った。

 

 

 

 

 

 ◆ゆりかごから墓場まで贅沢三昧。超名門貴族の息子

 

 人類圏の半分以上を統治している王国の首都に居を構え、長年の伝統を持つ名門貴族の次男。

 国王にすら影響力を持つ家柄を武器にして、毎晩美女をとっかえひっかえ、気に入らない奴は冤罪で牢獄送り。

 傍若無人にゴージャスに一生を送りましょう。

 

 

 

 

 

 …………なんか違うんだよなあ。俺、転生先でそんな小悪党ムーブしないといけないの? 

 絶対に最後はさっきの勇者とか正義側に裁かれる奴じゃんこいつ。

 仮に真面目に生きるとしても、ここまで世界権力の上層に食い込んじゃうと、政争やら陰謀やらで気苦労が絶えないだろうし、極々平凡な一般市民しかジョブマスタリーが無い俺には無理だよ無理無理。

 

 俺はタコさんにやんわりと別の物件を希望した。

 

「勇者も富豪も嫌とは、特殊な嗜好をしているな鈴木くんは」

「山田です」

「それならば、これはどうだろうか。勇者系、富豪系に次いで人気のあるポジションだ」

 

 俺はタコさんの触手から新たな物件情報を受け取った。

 

 

 

 

 

 ◆お前を倒すのはこの俺だ! エリート魔族、暁に死す

 

 魔王軍最高幹部の一人。

 強大な力と高潔な精神を兼ね備えた武人である。

 勇者との戦いで負傷した彼は、とある人里で傷の手当をしてくれた人間の娘と恋に落ちる。

 やがて訪れる魔王軍と勇者の決戦の時。

 勇者との再戦に敗れた彼は、勇者の実力を認め、愛する者が生きる人間世界の未来を彼に託して、静かに息を引き取るのだった―――

 

 

 

 

 

 死んでるじゃん! 

 いや、不老不死になりたい訳では無いけど、転生先の墓場までのルートをネタバレするなよ! 

 

 駄目だ。このタコさんに任せていたら、俺は少年漫画の登場人物みたいな波乱万丈な転生先を掴まされてしまう。

 

 俺は紹介された物件情報をそっと横に置いた。

 

「すいません。どれもいまいちピンと来なかったので、俺から希望条件を出してもいいですか」

「ライバルキャラも駄目か…………まあ、無理強いはしない。君はどんな転生先を望むのかね」

 

 

 

 …………さて、どうしたものか。

 

 俺の望みは、とにかく平穏に穏やかに一生を終えることだ。

 世界の命運をかけた超次元バトルとか、陰謀渦巻く政治ドラマとかはやりたい奴がやればいいのだ。

 

 となると、超人的な戦闘能力とか、特別な才能、常人離れした美貌なんかは揉め事の種なので不要だ。

 経済力だって、大富豪とかじゃなくて、食うに困らない平民程度で十分。

 後は、ここまでの話から察するに人間とモンスターが戦争しているような世界観らしいので、戦火に巻き込まれないような平和な場所で暮らしたい。

 人類の勢力圏の中心地からある程度離れた田舎などが理想的かな。首都はラストバトル前に攻められたりしがちだからね。

 

 俺はこれらの要望をタコさんに伝えた。

 

「ふーむ…………」

 

 タコさんの深宇宙を思わせるガラス玉みたいな眼がじっと俺を見つめる。

 

 …………駄目か? 

 どうも、このタコさんはバトル漫画の主人公みたいな壮絶な人生を経験した魂を所望している節がある。

 

 俺の希望するぬるま湯のような人生は却下されて、強制的にクリスタルに選ばれた戦士とかにされる可能性だって十分ある。

 

 長い沈黙が続く。

 嫌な緊張感に俺はじわじわと冷や汗が出てくるのを感じながら、タコさんの裁決を待った。

 

 

 

 

 

「…………まあ、いいだろう。なるべく君の希望に沿った転生先を用意しよう」

 

 通った…………! 

 俺は静かに拳を握りしめ、小さくガッツポーズをした。

 

 

 ズズズズズ…………

 

 

 タコさんの背後にあった巨大な石造りの扉が重厚な音を響かせながら開いていく。

 

 

 

 

 

 ゲラゲラゲラゲラゲラ!! 

 

 

 

 

 扉の向こうでは、空間いっぱいのヘドロのような粘液の中に、無数の眼球や人間の口っぽいものがゲラゲラと笑い声を上げながら浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 俺は捨てられた子犬のような瞳でタコさんを見つめた。

 

「これは聖天の門。この扉の先で新たな人生が君を待っている」

 

 俺はクゥーンと切なげな声で鳴きながらタコさんをじっと見つめた。

 

「恐れることはない。次の人生で君の魂はより高みへと昇っていくのだ」

 

 いや、恐れるよ。どう見ても通ったら発狂するタイプの扉じゃん。

 やだなやだなー。行きたくないなー。

 

 いつまでも近寄ってこない獲物に業を煮やしたのか、扉の向こうのヘドロがシュバッと伸びて俺を雁字搦めにした。

 

「やめろー! 離せーーー!! クソッ! 凄い力だ! 全く抵抗出来ない!!」

 

 俺の無様な抵抗を嘲笑うように、絡みついたヘドロがズルズルと俺を扉の向こうへ引き寄せていく。

 

「行くがよい、転生者田中よ。次に会う時は、君は私のディナーの皿の上だろう」

「山田だって言ってんだろうが! テメエこのタコ野郎! わざとやってんだろ!? 糞が! 糞がーーー!! ひゃあんっ。ヘドロの中、すごく生暖かいナリィ…………」

 

 

 ヘドロが俺を完全に取り込むと、石造りの扉は再び重厚な音を響かせて閉じていった。

 ゲラゲラという笑い声が全方位から鳴り響く中で、俺は猛烈な眠気に襲われて、ヘドロの中で眠りにつくのだった。スヤァ…………

 

 

 

 

 

 こうして、山田太郎の一周目の人生は終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 紆余曲折は有ったが、平穏な人生を送れる転生先という希望は一応通ったようなので、過ぎ去った前世に思いを馳せるよりも、新しい人生を楽しもうじゃないか。

 生きることに希望を持てないなんて中二病みたいな事も言ったが、やはりこうして異世界で第二の人生が始まると思うと、少しだけワクワクしている自分が居るのだった。

 そして、数行前の内容を早速否定するのは非常に心苦しいのだが、平穏な人生を送れる転生先という俺の希望は完全に無視されていたようである。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 

「えっ…………」

 

 少女の前に立ちふさがっていた巨大なオーク。

 王国の精鋭兵でも10人はいないと戦いにならない暴力の化身。

 それが一撃のもとに両断されていた。

 

「アリエッタ……」

 

 オークを屠ったのは、少女の傍らに立つ、少女と同年代の少年だった。

 オークの返り血を浴びた凄惨な姿なのに、10歳程度の少年の立ち姿はまるで宗教画のような神々しさを讃えているように見えた。

 

 少年は腰を抜かして地面に座り込んでいた少女に手を差し伸べた。

 

「声が聞こえたんだ。大事なものを守れって。…………僕の大事なものは一つだけだから、迷わなかった。アリエッタ、僕は君を守りたい。きっと、僕はその為に生まれてきたんだ」

 

 少年の名はエクス。

 かつて、世界を滅ぼそうとした魔神を封印した伝説の勇者の末裔である。

 少年の中の眠れる力が目覚めたこの瞬間、新たな伝説が始まるのだった―――

 

 

 

 

 

 そんな感じのナレーションが脳内で再生されるのを感じながら、俺は全力でこいつのヒロインルートを回避する為に脳みそをフル回転させていた。

 

 やめろやめろ。俺を何やら壮大なサーガの登場人物に仕立て上げようとするんじゃない。俺は故郷の田舎村で死ぬまで平穏に過ごしたいだけなのだ。

 

 少年の傍らで情けなく腰を抜かして座り込んでる少女……アリエッタこそが、俺こと山田太郎の転生先だったのだ。

 

 そして、目の前で俺に手を差し伸べている血まみれのショタキャラは、俺ことアリエッタの幼馴染にして、この平穏なのんびりライフを破壊しようとする悪鬼。勇者エクスだったのだ。

 

 

 

 

 

 この瞬間から、俺を物語のヒロインにしようとするエクスと、死ぬまでモブキャラを貫きたい俺の熾烈な戦いが始まるのだった…………! 

 

 

 




※2020/05/31

主人公のアリエッタのファンアートを貰ったので自慢させてください!

画・枯れガジュマル様

【挿絵表示】


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02.さよならモブキャラ生活

 さて、それでは状況を整理しようか。

 

 話は俺がオークの返り血でスプラッタになったエクスに手を差し伸べられた日の朝まで遡ることになる。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 早朝、小鳥の鳴き声で目を覚ますというベタな形でその一日は始まった。

 

 

 

 鏡に映っている少女の名前はアリエッタ(12歳)。

 

 つまり、俺こと山田太郎(享年30歳)である。

 

 特殊な能力も持っていなければ、ステータス画面の閲覧等も出来ない、360度どこから見ても極々平凡な一般村娘である。

 

 初期ボーナスと言えば、前世である現代日本での記憶がまるっと残っている点ぐらいか。

 まあ、余計なスキルは揉め事の種なので要らんとタコさんに言ったのは俺なので、そこは別に構わない。

 

 前世とは性別が変わっているが……まあ、もう一回男をやる事になるかは50%の確率だった訳だし、そういう事も有るだろう。

 

 

 

 

 顔の造りは、まあ悪くない。

 というか美少女である。

 前世の現代日本だったなら、アイドルとかやっていても何もおかしくない程度には高レベルな顔面偏差値だろう。

 

 だからといって、俺が周囲から蝶よ花よと愛でられたり、男からの求愛が絶えないとか、そういった事は一切ない。

 何故なら、俺が転生したこの異世界は基本的に美男美女しか存在しない、外見の平均レベルが異様に高い世界だからだ。

 村を歩いていてすれ違う一般人ですら、前世の世界でいうアイドルに勝るとも劣らないルックスを持っているのだ。

 ベテラン俳優みたいな激シブなおっさんが田んぼの世話をしているのを見た時は、ちょっと笑ってしまった。

 

 この世界基準での美形となると、おそらく常に背景に華が咲き乱れてたり、後光が差してたりするのだろう。

 俺程度の外見は普通に十人並である。

 

 強いて俺の外見的な特徴を挙げるとしたら、その髪だろうか。

 金髪や栗毛の人間が多い中で、俺は燃えるような赤毛を肩まで伸ばしていた。

 まあ、どピンクとかよりはマシだろうと思う程度で大して気にはしていない。

 幸いにも、それを理由に迫害してくるような人間も周囲に居なかったしな。

 

 寝起きで腑抜けた顔と寝ぐせを冷水でパパっと整えたら、俺は今世の母親から弁当を受け取った。

 

「はい、お弁当よ。中にクッキーも入っているから、おやつにエクス君と分けて食べなさいね」

「おう、サンキュー母さん。エクスの奴も喜ぶよ」

「アリエッタ…………貴方も今年で12歳なんだから、その男の子みたいな口の利き方は……」

「分かってるって。そんじゃ、いってきまーす」

 

 母親の小言が長くなりそうな雰囲気を察して、俺は逃げるように家を出発した。

 少女として、この世界に転生してから10年以上の年月が経過したが、立ち振る舞いやらを女性らしくするのは、やはり抵抗感があった。

 四半世紀以上も男として生きた記憶がハッキリと頭に残っているのだから、仕方ない部分もあるだろう。

 性的な嗜好だって、未だに普通に女が好きだしな。

 

 すれ違う村人達に適当に朝の挨拶をしながら歩いていると、10分程度で目的地である教会に到着した。

 

 人類の勢力圏の中心地から少し離れた、所謂田舎である俺の故郷では学校などの施設が無い代わりに、教会で子供に読み書きやらを教えているのだ。

 この世界では、当然ながら日本語でも英語でもない不思議言語が一般的だったので、数学的な勉学等はともかく、こちらの方は一から勉強し直しである。

 

「おはようアリエッタ」

「おはようございます神父様」

 

 教会の中に入ると既に何人かの子供が椅子に座っていた。

 俺は最前列の定位置。あいつの横の席にカバンを置いた。

 

「よっ、エクス」

「お、おはよう。アリエッタ…………」

 

 内気そうな少年が俯いて小さな返事をする。

 触り心地の良さそうなサラサラの金髪に、吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳を持つ美少年。

 彼の名前はエクス。俺のお隣さんで今世の幼馴染である。

 

「こんにゃろ。挨拶する時は相手の顔を見るもんだろーが」

「あわわ、や、やめてよアリエッタ……!」

 

 俺はエクスの両頬をホールドすると、無理やり顔をこちらに向けさせた。

 

 少年の顔は林檎のように真っ赤になっていた。

 

 言っておくが、これはいじめの現場ではない。

 俺とエクスの関係は極めて良好だ。生まれつき内気で引っ込み思案だったエクスを、俺は何かにつけて遊びに誘ったり、買い物に連れ出したりしたものだ。

 

 多分、これは父性というものなのだろう。

 前世の俺は三十路のサラリーマン。エクスぐらいの年齢の子供が居てもおかしくは無かったのだ。

 

 では、良好な関係を築けているエクスが何故、俺にこのような態度をとるのかというと、理由は明白だ。

 

 

 

 

 

 この少年は昨日、俺にプロポーズをしてきたのだ。

 

 

 

 **********

 

 

 

 いつも通り、エクスを買い物に連れ出した帰り道。

 奴は俺に髪飾りをプレゼントしてきた。

 ちゃちな細工の玩具みたいな物ではあったが、決して多くはないであろう小遣いをやりくりして俺に買ってくれたのだ。

 俺は泣いた。もちろん嬉し泣きだ。

 ああ、息子が父の日にプレゼントを用意してくれた時の父親の気持ちはきっと、こんな感じなのだろうなあ…………

 

 突然、泣き出した俺に慌てふためくエクスに、俺は涙をぬぐって精一杯の笑顔を作って感謝の言葉を告げた。

 

「ありがとうエクス……これ、一生大事にするから…………」

 

 俺は息子からプレゼントされたネクタイを身に着けるように、万感の思いを込めて、白い小さな花を象った髪飾りを装着した。

 

「どう? 似合うかな?」

 

 俺はエクス…………いや、精神的には息子のコメントを待った。

 すると我が息子はガッと俺の両肩を掴んできた。

 そして、真剣な眼差しでこう言ってきたのだ。

 

 

 

「ア……アリエッタ……! 僕と結婚してください…………!」

 

 

 

 んん~~~? 何かおかしなことになってきたぞ? 

 

 

 

 これは何かの冗談か? いや、エクスはそういうキャラじゃない。

 ということはガチの奴かこれ。

 

 うーむ。参ったな…………

 確かにエクスは良い奴だ。見た目だって悪くない。

 きっとショタキャラが好きなお姉さまかホモだったら星五つのレビューは間違いなしだろう。

 だが俺はお姉さまでも無ければ、ホモでもない。

 何より俺にとってのエクスは愛すべき息子キャラなのだ。

 俺の息子を、見た目は女だが中身が三十路のオッサンというキワモノ(俺)にくれてやる訳にはいかんのだ。

 

 しかし、ここでバッサリと断ってしまっても良いのだろうか? 

 

 恐らくは、これがエクスの人生で初めての告白だろう。

 それを大失敗で終わらせては、今後の長い人生での消えないトラウマになりかねない。

 

 ならば、俺が息子の為にしてやれること…………

 そう! 曖昧な感じで返事を先延ばしにしてうやむやに自然消滅を狙うことだ!! 

 

「ていっ」

「あたっ! ア、アリエッタ…………?」

 

 俺はエクスにデコピンを喰らわせた。

 

「エクスは先走り過ぎ。俺もお前もまだ12歳なんだぞ? 結婚なんて早すぎるっての」

「うう…………」

「…………だから、五年後」

「えっ?」

「五年後にエクスの身長が俺よりも大きくなってたら、さっきの話考えてあげる」

「そ、それって…………」

 

 俺の言葉をどう解釈していいのか混乱しているエクスに、もう一発デコピンを喰らわせると、俺はエクスの前を歩き出す。

 

「さあ、早く帰ろうぜ? あんまり遅いと母さんにエクスに迷惑かけんなって叱られるからな」

「う、うん…………」

 

 

 

 必殺、五年殺し…………! 

 

 子供の恋心なんてものは移ろいやすいもの。

 明確に返事をすることは避けて長期間、間を空けることで、いい感じにうやむやにしてしまう奥義である…………! 

 

 

 

 5年も経つ頃には、エクスもきっと今の約束なんて忘れて彼女でも作っていることだろう。

 お互い爺と婆になった時にでも縁側で思い出して、笑い話の一つにでもすればいいさ。

 

 

 

 **********

 

 

 

 …………とまあ、こんな感じの出来事が有ったのである。回想終わり。

 

 俺は何も気にしてはいないが、純情少年であるエクスとしては、愛の告白の返答がふわふわしている状態の俺に対して、どう接していいか分からなくて混乱しているのだろう。

 

「…………あっ、アリエッタ。その髪飾り…………」

「ん? どうだ、イカしてるだろ?」

 

 俺は昨日、愛すべき息子からプレゼントされた髪飾りを自慢げに見せつけた。

 もう毎日身に着けるし、ボロボロになってしまったら装飾職人に修理の依頼をするつもりである。

 

「アリエッタ。その……昨日のことは…………」

「はい、ストップ。五年後って言っただろ? それまで、その話はしない事。オッケー?」

 

 俺はエクスの言葉を封殺すると同時に授業が始まる時間となった。

 エクスはまだ何か言いたそうだったが、神父様が話し始めると、大人しく授業を受けるのだった。

 

 すまんエクス…………だが、パパはお前ならもっと素敵な女性を見つけられるって信じてるからな…………! 

 

 

 

 

 

 そして、教会での授業が終わった帰り道。

 俺とエクスは帰ったら、何をして遊ぼうか等と話しながら歩いていた。

 

「……ん?」

「どうしたの、アリエッタ?」

「泣き声、聞こえなかったか?」

 

 俺は微かに聞こえた子供の泣き声の発生源を探す。

 すると、古びた小屋の裏手で幼女がうずくまって泣いていた。

 広くない村なので、大抵の人間は顔見知りだ。

 この幼女の名前は確かミラちゃん。

 村で唯一の本屋を経営している一家の娘さんだ。

 

「ミラちゃん。どうしたんだい?」

 

 俺はしゃがみ込んで、幼女と目線の高さを合わせて話しかける。

 

「うえっ……ぐすっ……ペスが……ペスがいないの…………」

「ペス?」

 

 泣きじゃくる幼女から何とか話を聞き出すと、小屋で世話をしていた子犬がここ数日間に渡り、幼女の前に姿を見せていないとのことだった。

 

「分かった分かった。お姉ちゃんがペスを探してきてやるから。な?」

 

 俺が安請け合いをすると、エクスが慌てた様子で割って入る。

 

「ちょ、ちょっとアリエッタ。大丈夫なの?」

「仕方ないだろ。ギャン泣きしてる幼女から無理やり話を聞いといて、そのまま無視して帰る訳にはいかないだろ」

「でも、探すって言ったって……」

「多分、村の中にはいないだろうな。となると…………あっちだろ」

 

 俺は小屋の裏手にある森林を指差した。

 

「大丈夫だって。この辺りは俺の庭みたいなもんだし、少し探してみて、手に負えないと思ったら戻って大人に相談するから。エクスはここでミラちゃんと待ってて…………」

「アリエッタに何かあったらどうするつもりなんだ! どうしても行くって言うなら僕も一緒に行くからね!」

「お、おう…………わ、分かった。それじゃあエクスも付いてきてくれ」

 

 突然、怒鳴るように声をぶつけられた俺は、エクスの同行に思わず頷いてしまった。

 うーん、本当に一人で大丈夫なんだがな…………仲間外れみたいで嫌だったのか? 

 

 俺たちはミラちゃんにすぐ戻るから待っているように告げると、森の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 森とはいっても、真っすぐ歩いていれば30分もせずに反対側に抜けてしまうような小さな奴だ。

 間違っても遭難なんてしないし、子犬が見つからなくても日暮れ前には撤退するつもりだったので、俺は何の心配もしていなかった。

 

 

 

 

 

 その認識がどれほど甘かったのか。

 俺はすぐに知ることになる。

 ここは前世の日本とは違うということを本当の意味では理解していなかったのだと。

 

 

 

 **********

 

 

 

 子犬を探し始めてから一時間程度が経った頃だろうか。

 

 嫌な臭いを感じた。前世では嗅いだことの無い臭いだった。

 

「アリエッタ……?」

「エクス、静かにしろ。嫌な感じがする…………」

 

 視線の先にある大岩の影。臭いの元は恐らくそこだ。

 耳をすませば、ピチャピチャと水っぽい音も聞こえる。

 

「エクス…………ゆっくりでいい。村に戻るぞ。絶対に音を立てるな」

「う、うん…………」

 

 何かを見た訳では無いが、確信がある。

 あそこにいる"何か"に俺達の存在を感づかれれば命は無いと。

 

 俺達は細心の注意を払って、ゆっくりと大岩から離れていく。

 

 

 

 

 

 この期に及んで、俺の認識は未だに甘かったのだ。

 今なら、まだ逃げられると本気で思っていたのだから。

 

 

 

 

 轟音。

 大地を揺らす振動と、突風が目の前を駆け抜けたかと思うような衝撃。

 気が付くと、俺達の退路を塞ぐようにして"それ"は立ち塞がっていた。

 奴はとっくの昔に俺達の存在に気づいていたのだ。

 

 

 

 5m以上はある見上げるほどの巨躯。

 悪意をもって改造された豚のような醜悪な外見。

 吐き気を催すような臭気。

 

 一目見ただけで分かる。これは人類の敵だ。

 これが、魔物か。

 

 

 

 奴の口の端に何かぶら下がっているのが見える。

 それは、子犬の―――

 

 

 

 俺は腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。

 本能が察してしまったのだ。もう助からないと。

 

「エ、エク……エクス…………に、逃げ…………逃げろ…………」

 

 辛うじて動く口は、意味をなさない音しか発せなかった。

 

 俺は救いようのない大馬鹿だ。

 

 この世界と安全な現代日本の違いを理解せず、挙句の果てに何の罪もない少年まで巻き添えで死なせようとしている。

 

 魔物が腕を振り上げる。

 筋肉で膨れ上がって、丸太のようになったそれは、子供二人の命など簡単に踏みにじれるであろう暴力の権化だ。

 

 

 

 

 

 死の恐怖に震える俺をエクスが抱きしめてくれた。

 

 馬鹿野郎、さっさと逃げろよ。俺は実質30+12歳のオッサンだけど、お前はまだ子供じゃねえか。俺なんかと一緒に死んでいい訳無いだろ。

 

 本当にお前ときたら、呆れ返るぐらい良い奴だよ。エクス。

 

 

 

 

 

 ああ、こんなことならタコさんから戦闘能力ぐらいは貰っておくべきだっただろうか。

 

 何の特殊能力も持たない村娘を選んで死ぬのは俺の責任だが、それでエクスが死ぬのは耐え難かった。

 

 風切り音と共に魔物の腕が振り下ろされる。

 

 死の間際、懺悔するように俺は一言だけ呟いた。

 

 

 

 

 

「エクス……死なないで…………」

 

 

 

 

 

 目を閉じて最期の瞬間を待った。

 

 

 

 だが、いつまで経っても、その瞬間は訪れなかった。

 

 俺は恐る恐る目を開けた。

 

「えっ…………」

 

 目の前には正中線に沿って、右半身と左半身が綺麗に切り分けられた魔物の死骸。

 そして、その返り血で血まみれになっているエクスが立っていた。

 

「アリエッタ……」

 

 エクスは腰を抜かして地面に座り込んでいる俺に手を差し伸べた。

 

「声が聞こえたんだ。大事なものを守れって。

 …………僕の大事なものは一つだけだから、迷わなかった。

 アリエッタ。僕は君を守りたい。

 きっと、僕はその為に生まれてきたんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしよう。息子が毒電波を受信してしまったようだ。

 

 

 

 

 

 待て待て待て。冷静になれ俺。

 まずは、この状況を分析するんだ。

 

 

 

 

 

 1.平凡な少年が絶体絶命のピンチに怪しげな力を覚醒させた。

 2.少年には何やら胡散臭い天の声が聞こえるらしい。

 3.少年は覚醒した力で好いている女性(俺)を守ると宣言した。

 

 

 

 

 

 あっ、やばい。こいつ多分、勇者ポジションの存在だ。

 

 そして、あろうことかエクスは俺をヒロインに仕立て上げようとしてやがるぞ。

 一生モブキャラとして平穏に暮らそうとしているこの俺を…………!! 

 

 俺はこれまでの自分の行動を、脳内のスクロールバーを上に動かして振り返ってみた。

 

 

 

 

 

 うーん、これはヒロインですね。間違いありません。

 

 

 

 

 

 アホか! 知らなかったとは言え何をやってるんだ俺は!? 

 勇者のヒロインなんて平穏から一番遠いポジションの一つだわ! 

 俺の灰色の脳細胞がフル回転して、今後予想される展開の一部を垣間見せた。

 

 

 ◆パターンA

 勇者への人質として敵に囚われる。最悪、変な生き物に改造されたりする。

 

 ◆パターンB

 パーティーメンバーに組み込まれて激戦区に駆り出される。最悪、途中で死ぬ。

 

 ◆パターンC

 勇者への見せしめとして村ごと敵に滅ぼされる。死ぬ。

 

 

 

 駄目っ…………! 

 一つも無い…………! 平穏に暮らせる可能性…………! 

 

 

 

 エクスにヒロインとして扱われる=俺の平和な日常が崩れ去るという図式はほぼ間違いないだろう。

 ならば、解決策は一つ…………

 

 

 

 エクスのヒロイン対象から俺が外れること…………! それが勝利条件…………! 

 

 

 

 

 

 残念だよ。エクス…………

 俺は、お前のことを本当の息子のように思っていたのに、こんなことになるなんて…………

 

 だが、俺は俺の目的に為に、お前と対峙することを厭うつもりは無い。

 俺は何が何でもモブキャラを貫き通して見せる……! 

 そして、お前には俺以外のヒロインを見つけて添い遂げてもらうぞ…………! 

 

 

 

 俺はエクスに見えないように俯きながら、ニチャアと邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 この瞬間から、俺を物語のヒロインにしようとするエクスと、死ぬまでモブキャラを貫きたい俺の熾烈な戦いが始まるのだった…………! 

 

 

 

 

 

 あっ、すいません。

 それはそうと腰が抜けて立てないので、おんぶして貰ってもいいですか? 

 

 

 



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03.ある少年の日々

「よっ、俺の名前はアリエッタ。お前は?」

 

 

 

 俯いていた僕の顔が柔らかな手によって持ち上げられる。

 この国では珍しい、燃え上がる炎のような赤髪と、澄んだ青空を思わせる碧眼。

 そして、女の子らしくないと言ったら彼女は怒るかもしれないが、飾り気のない自然な笑顔。

 

 

 

 太陽みたいな女の子だというのが僕―――エクスのアリエッタという少女に対する第一印象だった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 生まれ故郷の村が魔王軍によって滅ぼされた僕達一家は、親戚の伝手を辿って、なんとか新しい住処を見つけることが出来た。

 

 恵まれている方だという自覚はある。

 村が一つ滅びたというのに、両親も僕も大した怪我も無く、一家全員で新たな生活を始められるのだから。

 

 それでも、短くない時間を過ごした故郷が戦火に消えたという事実は、僕の中に重く消えない暗闇として残っていた。

 

 そして、もう一つ。

 僕の心を苛む"呪い"があった。

 

 

 

『■■■■■■■■』

 

 

 

 故郷が滅ぼされたあの日から時折、頭の中に響く正体不明の音。

 何の意味もなさないその音は少なくとも毎日一回、酷い時には周囲の音が聞こえなくなる程に頭の中で鳴り響いた。

 

 お医者様に診てもらったこともあるが、僕だけに聞こえるらしいその音の正体は分からなかった。

 強いショックが原因の精神的な病という、何の解決にもならない曖昧な診断結果は僕の心を一層、憂鬱にするだけだった。

 

 

 

「ごめんなさいエクス……辛い思いをさせて…………」

 

 

 

 母さんが泣いている。

 自分も辛いのに、僕のために。

 

 

 

「心配するなエクス。新しい家でゆっくり休めば、きっと良くなるから」

 

 

 

 父さんが笑っている。

 自分も不安なのに、僕を勇気づけるために。

 

 

 

 僕だけが、自分自身の為に嘆いている。

 自分が可哀想で、理不尽が辛くて、そんな利己的な自分が嫌で。

 

 気が付けば、僕は常に俯いて過ごすようになっていた。

 両親の顔を見るのが怖いのだ。自分の醜さを見せつけられるようで。

 空を見上げるのが怖いのだ。また、あの"音"が鳴り響く気がして。

 

 

 

 

 

 そう長くない放浪の先で、僕達は新しい住処を見つけることが出来た。

 新居の整理をしながら、両親は僕を元気づけるように、必要以上に明るく振舞っていた。

 そんな両親に報いるように、僕は無理やり笑顔を浮かべた。

 きっと、酷く歪でぎこちない笑顔だったと思う。

 それでも、久しぶりに笑顔を見せた僕に、両親はとても喜んでくれたように見えた。

 

 

 

 

 

「すいません。隣の者ですが、ご挨拶に伺いました」

 

 質素な扉がノックされた。両親と僕は隣人を出迎える為に表へ出る。

 

「お忙しいところ、すいません」

「いえいえ、こちらこそ御挨拶が遅くなりまして……」

 

 両親と隣人の一家が軽い挨拶をした。

 向こうも僕達と同じで3人家族のようだ。

 僕と同年代の女の子が親同士の会話をつまらなそうに眺めている。

 

「―――ほら、エクス。お前も挨拶をなさい」

 

 父に促されて、僕は慌てて一歩前に出る。

 人付き合いはあまり得意ではないけれど、お隣さんに変に思われないように、僕は出来るだけ自然な笑顔を浮かべて挨拶を―――

 

 

 

 

 

 

『■リ■■タ■■■』

 

 

 

 

 

「…………ッ!!」

 

 まただ。また、あの音だ。

 僕は思わず、頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「エクス!」

 

 母が悲鳴を上げた。

 

 ああ、駄目だ。母さんに心配をかけちゃいけない。

 お隣さんに変な一家だと思われてはいけない。

 僕は立ち上がって何でもないような顔をしないと―――

 

 

 

『僕■■■■■ッタ』

『■■間■■う■■』

『■■■■逃■■■』

『声■聞■■な■■』

『■う■■死■■■』

『■■■■今■こそ』

『ア■■ッ■■■■』

『■■■■■■■■』

 

 

 

 頭の中で音が鳴り響く。

 間の悪いことに、ここ最近でも特に酷い奴が来てしまった。

 

 両親が心配そうに駆け寄って、声をかけてくれたが、その言葉は"音"にかき消されてしまい、僕の耳に届くことは無かった。

 

 頭痛と情けなさで涙が溢れてきてしまう。

 

 

 

 もう嫌だ。

 何で僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 僕が何をしたっていうんだ。

 誰も僕の辛さを分かってくれない。

 どいつもこいつも、気の毒そうな顔をするだけで何もしてくれない。

 僕を可哀想なものを見る目で見るんじゃない。

 僕を恥ずかしいものを見る目で見るんじゃない。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ!! 

 

 

 

 

 

 ―――何より、こんな自分勝手な事しか考えられない自分自身が本当に嫌だ。

 

 

 

 

 

 そっと、頬に柔らかい手の感触を感じた。

 

 母親のそれではない、小さく、温かな感触。

 

 それは、うずくまっていた僕の顔を優しく上に向けた。

 

 

 

 

 

「よっ、俺の名前はアリエッタ。お前は?」

 

 

 

 

 

 まるで、何でもないことを聞くように彼女は笑顔を浮かべて僕に尋ねた。

 

 そこには憐憫も、同情も、侮蔑も無かった。

 ただ、自然に僕と向かい合ってくれる眼差しだけがあった。

 

 

 

「…………エクス。僕の名前はエクスです」

「そっか。よろしくなエクス」

 

 

 

 気が付けば、嵐のような"音"は止んでいた。

 

 

 

 

 

 旅の疲れが出てしまったのだろうと、アリエッタの両親は思ったらしく、挨拶もそこそこに僕達は解散することになった。

 

「あ、あの……アリエッタ…………」

「どうした、エクス?」

 

 別れ際に僕は彼女を呼び止めると、彼女は首を傾けて、ぶっきらぼうに返事をした。

 

 …………さっきまでは気づかなかったけど、彼女の振舞いは何だかまるで男の子みたいだなんて失礼なことを思ってしまう。

 

「そ、その……変だと思わないの……? 僕のこと…………」

 

 我ながらおかしなことを聞いていると思う。

 こんなことを聞いても、向こうに気を遣わせてしまうだけじゃないか。

 でも、僕は彼女から感じた、あの眼差しの理由を知りたかったのだ。

 

 

 

 

 

「あー…………まあ、気にするな。俺も14歳ぐらいの頃にはお前と似たような感じだったから。お前の気持ちはよく分かるぜ」

 

「…………え?」

 

 彼女はよく分からないことを言っていた。

 

「おっと、今の俺はまだ8歳だったか。悪い、こっちの話だから気にしないでくれ」

「う、うん…………」

「やっぱり、どこの世界でも男の子はかかっちまうんだなー、中二病。なんだかホッとするぜ」

 

 けらけらと笑う彼女に肩をバシバシと叩かれる。痛い。

 彼女の話はよく分からなかったが、僕に対して偽りのない親愛の情が向けられているのは子供ながらにも理解できた。

 

 

 

 

 

 それは、両親以外から初めて感じた温かなものだった。

 

 

 

 

 

「あ、あの! アリエッタ!」

「んー?」

「ぼ、僕と友達になってくれませんか!」

 

 

 

 こんな事を口に出すのは正直恥ずかしかったが、それでも僕は彼女と少しでも一緒に居たいという気持ちが抑えられなかった。

 

 

 

「何言ってんだよ。俺とお前は既に中二病という重い鎖で繋がれたフレンズだっての」

「え、えーと…………」

 

「要するにとっくに友達だってことだよ」

 

 

 

 これが、僕とアリエッタの出会いだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 それからの僕の日々は、いつも隣にアリエッタがいた。

 

 僕の何処を気に入ってくれたのかは分からないが、彼女は何かにつけて僕を遊びや買い物に連れ出してくれた。

 

 

 

 

 

「エクス…………一回、俺のことをパパって呼んでみてくれないか?」

「頭大丈夫? アリエッタ?」

 

 

 

 

 

 たまに変な事を言い出したりもするけど…………

 まるで同性と接しているような、彼女の気安さのせいなのか。

 ともすれば、両親よりも彼女と一緒に長い時間を過ごすことを、気が付けば当たり前の事として受け止めるようになっていた。

 

 あの"音"も、アリエッタと出会ったあの日から聞こえる事は無かった。

 まるで、彼女がそれを取り除いてくれたように―――

 

 

 

「うるァーーー!!」

「馬鹿アリエッター! 声だけで球にかすりもしてねーぞ!」

「引っ込めー!」

 

 

 

 そんな物思いに耽っていたが、周囲に響き渡る罵声の嵐が僕を現実に引き戻した。

 

 ブーイングの嵐の矛先となっているアリエッタは、罵声の主達に笑顔で親指を下に向けて応じていた。

 教会での授業が終わると、僕は彼女が考案した『ヤキュー』という遊びに参加していた。

 

 アリエッタは、その活発な性格からか男友達が非常に多い。

 他の同年代の女の子達がお洒落や色恋に興味を向け始める中で、奇声を上げながら木の棒を振り回す彼女はかなり異質だ。

 その奇行にアリエッタの母親が『あれでは嫁の貰い手が見つからない』と、僕をチラチラ見ながら嘆いている姿をよく見かける程だ。

 

 かといって、彼女が周囲から爪はじきにされているという事は無い。

 そのサッパリとした気質が良い方向に受け止められているのか、女子男子問わずに不思議な人望を発揮していた。

 

 特に男子達は、口ではアリエッタのことを小馬鹿にしていても、彼女が男子達の遊びに混ざろうとすると、一言二言嫌がる素ぶりを見せるだけで、実際に彼女の参加を拒絶した場面は見た事がない。

 

 彼女の誕生日にこっそりとプレゼントを渡している男子が、一人や二人じゃないのを僕は知っている(アリエッタから自慢された)。

 

 

 

 …………そんな事を考えていると、何だか胸がモヤモヤしてくるのを感じた。

 

 

 

「うるァーーー!!」

 

 ガキィンッ!! 

 

「嘘だろ!? 全力でスイングするしか能の無いアリエッタが当てやがったぞ!」

「エクスー! そっち行ったぞーーー!」

「…………えっ?」

 

 次の瞬間、額に打球の直撃を受けた僕は地面に仰向けに倒れていた。

 

「エ、エクスーーー!?」

「アリエッタの奴! 遂にやりやがったぞ!」

「鬼! 悪魔! お前の赤髪からは血の匂いがするよ!」

「アホな事言ってないで、濡らした布とか持ってこい! すまんエクス! 大丈夫か!?」

 

 大丈夫、と返事をしたかったが、その前にアリエッタに肩を前後に揺さぶられることで、僕は完全に意識を手放してしまうのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

『―――れ』

 

 声が聞こえる。

 あの"音"とは違う。男の人の声だ。

 

『―――守れ』

 

 ……守る? 

 何を? 何から? 

 

『大事なものを守れ』

 

 その声に、命令のような響きは無かった。

 絶望した人間が、藁にも縋る気持ちで哀願するような。

 そんな切実な声だった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「…………うっ…………」

「おっ、起きたかエクス」

 

 目を覚ますと、僕はアリエッタに膝枕をされていた。

 

「あわわわっ!」

「おらっ、暴れんな」

 

 後頭部に感じる彼女の肌の温もりが無性に気恥ずかしくなってしまい、慌てて飛び起きようとするが、彼女に頭を押さえつけられて膝枕を維持させられてしまった。

 

「血は出てないし大丈夫だとは思うんだが、吐き気とかそういうのは無いか?」

「う、うん…………大丈夫…………」

 

 額に感じる鈍い痛みよりも、アリエッタに至近距離で見つめられている今の状況の方が僕にとっては非常事態である。

 

「なら良いけど、何か有ったらすぐに医者に診てもらえよ。頭は怖いからな」

「大げさだよアリエッタ。…………もう起きてもいい?」

「ああ、ゆっくりな」

 

 ようやく、僕はアリエッタの膝枕から解放された。

 …………少しだけ名残惜しい気持ちも有ったが。

 

「ごめんな、エクス」

「気にしてないよ。ボーっとしてた僕が悪い」

「そうか…………すまん」

「だから、気にしてないってば」

「いや、そうじゃないんだ…………」

 

 そういって座り込んだ姿勢のまま、アリエッタが僕を見上げた。

 

 その瞳は僅かに潤んでいて、切なげな声に僕はドキッとして―――

 

 

 

 

 

「膝枕なんて初めてやったから…………足が痺れて立てないんだ…………」

 

 

 

 

 

 その後、足の痺れが治まってから帰宅したアリエッタは、既に事情を聴いていた彼女の母親からこっぴどく説教を受け、教会での授業以外の外出を数日間禁じられるのだった。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 図らずも、数日間アリエッタと距離を置くことになった僕は、以前から考えていた計画を実行に移すことにした。

 

 村の広場の小さな露店で、僕は目当ての商品を見つける。

 白い小さな花を象った髪飾りである。

 以前にアリエッタに連れられて買い物に出かけた時に見かけた物で、彼女に似合いそうだと思っていたのだ。

 

 小遣いをやりくりすれば、何とか買えない金額では無かったが、アリエッタの目の前で買う訳にもいかず、かといって日頃からアリエッタと一緒に行動することが常となっていた僕が急に一人になりたい等と言えば、変な所で勘の鋭いアリエッタに妙に思われてしまう。

 

 だから、アリエッタには気の毒だが、彼女の外出禁止令は僕にとっては好都合だった。

 後は、彼女の懲罰明けにでもプレゼントすればいいだろう。

 

「坊主、頑張れよ」

 

 意味ありげな笑顔を浮かべた店主から商品を受け取ると、僕はそれを懐へ大事に仕舞った。

 アリエッタは喜んでくれるだろうか…………

 期待と不安が入り混じった奇妙な高揚感で、その日は寝つきが悪かった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「はぁ~~~…………久しぶりの自由だ…………」

「お疲れ様、アリエッタ」

 

 外出禁止令が解かれたアリエッタは、早速僕を連れて商店街へと繰り出した。

 とは言っても、遊び目的ではなく夕食の材料買い出しが目的である。

 

「エクスも冷たいじゃんかよー。授業が終わったら家に遊びに来てくれればいいのに」

「ごめんね。僕が遊びに行くと、罰にならないからって、アリエッタのお母さんから距離を置くようにお願いされてたからね」

 

 僕とアリエッタは他愛の無い会話をしながら、夕暮れの道を歩いていく。

 

 

 

 

 

「…………アリエッタ、その、これ…………」

 

 僕は意を決して、髪飾りの入った包装をアリエッタに手渡した。

 

「何だ、これ?」

「えーっと……外出許可のお祝いというか、日頃のお礼というか…………」

 

 

 

 後付けの理由なんていくらでも思いつくが、僕は飾らない正直な気持ちを言うことにした。

 

 

 

「…………アリエッタに似合うと思ったんだ。気に入ってくれるといいんだけど」

 

 アリエッタが包装から髪飾りを取り出した。

 

 

 

「…………っ!」

 

 

 

 次の瞬間、アリエッタの瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。

 

「ア、アリエッタ!? ご、ごめん。何か不味かったかな…………」

 

 彼女の涙の理由が分からず、僕はパニックに陥ってしまった。

 何か僕はとんでもないことをしてしまったのだろうか? 

 やっぱり髪飾りなんて渡すべきでは無かったのか? 

 

 あたふたと慌てふためく僕に、アリエッタが嗚咽混じりに話しかける。

 

「うっ……ちが…………違うんだ…………俺、嬉しくて…………っ」

 

 アリエッタは涙をぬぐうと、初めて出会ったあの日のような飾らない笑顔を浮かべた。

 

「ありがとうエクス……これ、一生大事にするから…………」

 

 彼女はそう言うと、まるで宝石を扱うように繊細な手つきで、その髪飾りを身に着けた。

 

「どう? 似合うかな?」

 

 夕日に照らされて、より一層鮮やかに輝く彼女の赤髪に、白い花を象った髪飾りが煌いて見えた。

 

 

 

 

 

 ―――綺麗だった。愛おしいと思った。

 

 

 

 

 

 気が付けば、僕はアリエッタの肩を握りしめていた。

 

 

 

「ア……アリエッタ……! 僕と結婚してください…………!」

 

 

 

 まるで、いっぱいになったコップの水が溢れ出るように、想いが心から溢れ出してしまった。

 

 

 



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04.ある少年の覚醒

 振られた…………のかな? 

 

 

 

 (エクス)は夕食も食べずにベッドに横たわって天井を見つめていた。

 

 

 

 

 

『五年後にエクスの身長が俺よりも大きくなってたら、さっきの話考えてあげる』

 

 

 

 

 

 そう言って、夕焼けの中で微笑むアリエッタの顔が瞳に焼き付いて消えない。

 

 嫌われては…………いないと思う。

 でも、あの感じは僕を恋愛対象として見てくれていない雰囲気だった。

 それなら、もっとハッキリと断ってくれても…………

 いや、もしかしたら本当に5年後に…………? 

 

 

 

 

 

「分からない…………女の子って、全然分からない…………」

 

 虚ろな目で何の味も感じないスープを機械的に口に運ぶ僕を、両親が不思議な生き物を見る目で見ている。

 

「なあ、母さん……エクスの奴はどうしたんだ?」

「それが、お隣のアリエッタちゃんとお出かけから帰ってきてから、ずっとあんな調子で……」

「ああ…………エクスもそういう年ごろか…………」

「エクスったら、一体何をやっちゃったのかしら…………二人とも、まだ12歳なのに…………」

 

 両親が何やらヒソヒソと話しているが、僕の頭には1mmも内容が入ってこなかった。

 

 …………とりあえず、明日はアリエッタよりも先に教会に行こう。

 まともに彼女の顔を見れる自信が無いし、向こうも気まずいだろうから。

 

 

 

 **********

 

 

 

「こんにゃろ。挨拶する時は相手の顔を見るもんだろーが」

「あわわ、や、やめてよアリエッタ……!」

 

 気まずいと思っていたのは僕だけだったようである。

 いつも以上にいつも通りのアリエッタに対して、少しぐらい照れたりしてくれても…………と、理不尽な事を思ってしまうのも仕方ないだろう。

 

 

 

 …………やっぱり、アリエッタは僕の事なんてどうでもいいと思っているのだろうか。

 

 

 

 そんな暗い思考がめぐり始めた時、彼女の赤髪に白い花が輝くのが見えた。

 

「…………あっ、アリエッタ。その髪飾り…………」

「ん? どうだ、イカしてるだろ?」

 

 まるで、宝物を自慢する少年のような無邪気な笑顔に、僕はまた見惚れてしまっていた。

 

 

 

 

 *********

 

 

 

「分からない…………女の子って、本当に全然分からない…………」

「どうした、エクス? 顔色悪いぞ」

 

 教会での授業が終わった帰り道。

 僕の気も知らずに、アリエッタは帰ったら何をして遊ぼうか等と話しながら隣を歩いている。

 

「勘弁してよ……僕は、君の顔もまともに見れないのに…………」

 

 ぶつぶつと小声で文句を言っていると、アリエッタが不意に歩みを止めた。

 

「どうしたの、アリエッタ?」

「泣き声、聞こえなかったか?」

 

 

 

 **********

 

 

 

「大丈夫だって。この辺りは俺の庭みたいなもんだし、少し探してみて、手に負えないと思ったら戻って大人に相談するから。エクスはここでミラちゃんと待ってて…………」

 

 アリエッタが突然、森の中に一人で子犬を探しに行くと言い出した時、僕はこれまでの積もり積もったアレコレが遂に爆発してしまった。

 

「アリエッタに何かあったらどうするつもりなんだ! どうしても行くって言うなら僕も一緒に行くからね!」

「お、おう…………わ、分かった。それじゃあエクスも付いてきてくれ」

 

 宙ぶらりんにされてしまった恋愛感情に対する不満やら、自分が女の子だという事を忘れているんじゃないかと思うような危機感の欠如に、僕は苛立ち混じりに大声を上げてしまった。

 

 半ば八つ当たりだった自覚はあった為、罪悪感を感じたが、間違ったことはしていないと思う。

 この村で暮らし始めてから魔物を見る事は無かったが、野生の獣や不審者が居ないとは限らないのだから。

 

 

 

 

 

 しかし、危機感が欠如していたのはアリエッタだけではなく、僕も同じだったようだ。

 

 僕はこの時、何が何でもアリエッタを引き留めて、子犬の捜索は大人を頼るべきだったのだ。

 

 

 

 **********

 

 

 

「エ、エク……エクス…………に、逃げ…………逃げろ…………」

 

 座り込んでしまったアリエッタの前に、"それ"は立ち塞がった。

 

 人類の敵、魔物。

 

 僕は何故、こいつらの存在を忘れてしまっていたんだ。

 故郷を焼かれた恐怖を。

 見知った人間が物言わぬ肉の塊になる瞬間を。

 僕は、見ていた筈なのに。

 こんな状況になることを防げた筈なのに。

 

 アリエッタを抱えて逃げられるか? 

 無理だ。何も持たない大人でも、アレからは逃げられない。

 背中を向けた瞬間に、原形をとどめない肉の塊が出来上がることが子供でも分かる。

 

 なら、僕に出来る事は? 

 

 

 

 

 

 アリエッタと一緒に死ぬことだけだ。

 

 

 

 

 

 自分の無力さに対する怒りで、頭の血管が切れそうになる。

 

 アリエッタが、恐怖に震えた瞳をこちらに向ける。

 きっと呪っているのだろう。どうしようもない役立たずの僕を。

 せめて、その恐怖を少しでも和らげることが出来たらと、僕は彼女を抱きしめた。

 

 

 

 ごめんなさい、アリエッタ。

 

 あの日、君と初めて出会った時。

 僕は君に救われたのに。

 

 僕は君に何もしてあげられない。

 

 

 

 風切り音と共に魔物の腕が僕達に振り下ろされる。

 せめて、僕は恐怖に負けなかったと。

 自分に言い聞かせるように最期の瞬間まで目を閉じずに魔物を睨み続けた。

 

 

 

 

 

 胸の中に抱きしめたアリエッタが小さく呟いた。

 

 

 

 

 

「エクス……死なないで…………」

 

 

 

 

 

 

 ああ、僕は本当に大馬鹿だ。

 

 

 

『…………やっぱり、アリエッタは僕の事なんてどうでもいいと思っているのだろうか。』

 

 

 

 彼女の、あの慈愛に満ちた眼差しを知っているのにどうしてそんな事を考えていたのだ。

 

 

 

『きっと呪っているのだろう。どうしようもない役立たずの僕を。』

 

 

 

 彼女の優しさを知っているのに、どうしてそんな馬鹿げた憶測をしたのだ。

 

 

 

 

 

 守りたい。何に変えても彼女だけは―――

 

 

 

 

『大事なものを守れ』

 

 声が、聞こえた。

 

 絶望した男の、それでも諦めきれないという想いが籠った声が。

 

『僕には、無理だった』

 

『守ることが出来なかった』

 

『頼む。お前だけは』

 

『今度こそは』

 

 

 

 

『大事なものを、守れ―――!』

 

 

 

 

 

 気が付けば、僕は魔物に向かって駆け出していた。

 

 突然、自分に向かって駆け出してきた小さな生き物にほんの一瞬、魔物の動きが止まる。

 その僅かな時間すら、今の僕には無限に思えた。

 

 身体が軽い。魔物の巨躯を僕はまるで坂を駆け上がるように登り詰める。

 

「あああああああ!!」

 

 僕は全身全霊の力を込めて、手刀を魔物の頭部へと叩きつけた。

 

 次の瞬間、魔物は断末魔の叫びを上げることすらなく、

 泥で作った山を崩すかのように身体を両断されていた。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「アリエッタ……」

 

 僕は地面に座り込んでいる彼女に手を差し伸べた。

 

「声が聞こえたんだ。大事なものを守れって。

 …………僕の大事なものは一つだけだから、迷わなかった。

 アリエッタ。僕は君を守りたい。

 きっと、僕はその為に生まれてきたんだ」

 

 

 

 確信があった。

 僕が今、ここに居る理由。

 あの"声"も。

 この力も。

 

 

 

 全ては彼女を守る為のものなんだと。

 

 

 

 

 

 しばらくは、放心した様子で僕を見つめていたアリエッタだったが、やがて、滝のように大量の冷や汗をかきはじめた。

 そして、俯いて物凄い勢いで何やらブツブツと呟いている。

 

 

 

 

 

「ヒロインは嫌だヒロインは嫌だヒロインは嫌だヒロインは嫌だヒロインは嫌だ…………」

 

 

 

 

 

 言っている内容はよく分からなかったが、きっと混乱しているのだろう。

 無理もないと思う。僕だって自分に何が起こったのか正確に理解した訳ではないのだ。

 だから、彼女が落ち着くまで傍に居よう。

 僕が辛かった時に、彼女がそうしてくれたように…………

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 僕は腰が抜けて立てなくなったアリエッタをおんぶして、村へと引き返していた。

 

 これから、どうしようか…………

 

 普段だったら、背中に感じるアリエッタの体温にドギマギしている所だが、流石に今はそれどころではない。

 

 魔物の返り血で、全身血まみれになっている僕が村に戻れば、大人達は詳しい事情を根掘り葉掘り聞こうとするだろう。

 しかし、僕が本当の事を話したとしても、信じてくれるとは到底思えない。

 いっそのこと、アリエッタに協力してもらって誤魔化そうか? 

 僕の家から着替えを持ってきてもらって、川で血を洗い落として…………

 いや、そもそも村の近くにあんな魔物が居た事を隠すわけにはいかない。

 他にもあんな魔物が複数、村の近くに潜んでいるなら今すぐにでも対策を取らなければ。

 大人達に上手く事情を話して―――

 

 

 

「なあ、エクス。あれ何だ?」

 

 答えの出ない思考の沼に溺れていた僕は、背負ったアリエッタの声に正気に戻る。

 気が付けば村の近くまで来てしまっていたようだ。

 

「随分立派な馬車だな。こんな田舎に貴族って奴でも来たのか?」

 

 遠くに見える広場に、この村には似つかわしくない豪奢な装いの馬車が見えた。

 

 

 

 …………何か嫌な予感がする。

 アリエッタには悪いが、村に戻る前に少し様子を…………

 

 

 

 

 

「お待ちしておりました。勇者エクス」

 

「うおわっ!?」

 唐突に背後に現れた女性に、僕の背中でアリエッタが悲鳴を上げた。

 

 

 

「王命により、貴方をお迎えに上がりました。

 "星詠みの賢者"フィロメラでございます。どうぞお見知りおきを」

 

 

 

 目の前の女性は、そう名乗ると優雅に一礼をした。

 

 

 

 

 

 …………片手を犬に思いっきり噛みつかれてるけど、大丈夫なのかな。この人。

 

 

 

「あ~っ! ペス! 無事だったのね!」

 

 僕達の帰りを待っていたミラちゃんが、フィロメラと名乗る女性(に齧りついている子犬)に駆け寄る。

 

「えっ、ペスってこれが? 

 …………じゃあ、森で見たアレは、ただの野良犬だったのかよ…………」

 

 僕の背中でアリエッタが拍子抜けしたような声を漏らした。

 

 

 

 ミラちゃんはフィロメラの片手に齧りついた子犬を力任せに引き剥がすと、嬉し涙を流しながら感動の再会シーンを繰り広げていた。

 

 

 

 噛みつかれていた犬を強引に引き剥がされたフィロメラの片手からは、それはもう夥しい量の出血が。

 

 

 

「立ち話も何ですし、何処か落ち着ける場所でお話しましょうか。エクスくん?」

 

「その前に傷の手当をしませんか。出血量がやばいですよフィロメラさん」

 

 

 

 

 

 この後、嫌な予感というものは往々にして的中するという事を僕は思い知ることになる。

 

 

 

 

 



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05.別れ

 

 (アリエッタ)はエクスにおんぶされながら、新キャラの出オチ女を観察していた。

 

 

「いやあ、私は動物に好かれやすい体質みたいでして。こういう生傷が絶えないのです」

 

 そういうと、フィロメラとかいう女は鮮血が迸る片手を掲げて、何やら奇妙な呪文を呟いた。

 次の瞬間、彼女の手が眩く発光し、瞬く間に傷が塞がっていく。

 

「おお…………」

 

 傷を癒す治癒魔法という奴だろう。

 この世界に転生してから、何回か目にする機会は有ったが、ここまで見事な奴は初めて見たかもしれん。

 数秒後には、彼女の手には傷跡一つ残っていなかった。

 俺は思わず感嘆の声を上げてしまう。

 

 

 

 しかし、『星詠みの賢者』だと…………

 知らず知らずに俺は眼光鋭くなってしまう。

 

 

 

 二つ名持ち…………! オタク心にギュンギュン来ちゃう奴…………! 

 

 いや、そうではない。そんな事より重要な事がある。

 俺はフィロメラを注意深く観察した。

 

 年齢は多分、17歳前後。

 俺の赤髪ほどでは無いが、この国では珍しい艶やかな黒髪を腰まで伸ばしている。

 藍色のゆったりとしたローブを着こなして、常に穏やかな笑みを浮かべている姿は強キャラ感が半端ねえ。

 

 そして、さっきから奴が俺の目を釘付けにして離さないもの…………

 

 

 

「野郎…………なんて、おっぱいしてやがる…………!」

 

「…………アリエッタ?」

 

 思わず口に出してしまったが、奴の驚異的な胸囲の前には些細な事だろう。

 ゆったりとした服装なのに、自己主張が激しすぎるフィロメラの胸部に俺は戦慄していた。

 何だかシリアスな話が始まりそうなのに、俺の目と心はフィロメラのおっぱいに夢中で、今は何を話されても全く頭に入ってきそうにない。クソッ! 悪いおっぱいめ! 

 

 

 

 エクスは俺の心から溢れ出た真言を無視して、シリアスパートを再開した。

 

「話……とは、何でしょうか? この場では話せないような内容なんですか?」

 

 おお、珍しくエクスが警戒心むき出しにしている。

 おっぱい(フィロメラ)は、そんなエクスの様子を微笑ましげに見つめている。

 

「そんなに怖がらなくてもいいですよ? 

 とりあえず、お近づきの印として一つ教えて差し上げます」

 

「何を…………」

 

「この村の近くに居たオークはあの一匹だけです。

 人類軍と魔王軍の最前線から逃げ出した"はぐれ"ですから、とりあえずはこの村に危険は無いので安心してください」

 

「なっ…………」

 

 エクスが驚愕に声を失う。

 おいおい、情報が早すぎだろ。何でそんな事知ってんだこのおっぱい。

 

「私の"星詠み"は未来を見通す力…………と言っても、そこまで万能な訳ではありませんが、今日、貴方が"勇者"としての力に目覚める事は予め知っておりました。

 どうか、王都へのご同行を。我が王が貴方をお待ちです」

 

 なるほどね。二つ名から何となく予想はしてたが、このおっぱいは予知能力持ちのおっぱいだったのか。

 

 フィロメラがエクスの前に恭しく跪く。

 

 おお…………! 

 片膝を立てたポーズで、柔らかく形を崩したフィロメラのおっぱいが俺の精神をネクストステージへと導いた。

 しかし、エクスはそんなおっぱいがお気に召さない様子。

 

「貴方は……今日、僕達が魔物に襲われると知っていて、何もしなかったって言うんですか…………!」

 

「…………"星詠み"で貴方達の無事は分かっていました。

 全ては勇者の力の覚醒を促す為だったのです。どうか、ご理解を」

 

 

 

 

 

 う~ん…………ひょっとして、俺そろそろエクスから降りた方がいいのかな? 

 何かシリアスパート入ってるのに、片方が女の子おんぶしっぱなしって画が締まらなくない? 大丈夫? 

 しかし、そんな俺の心配をよそにシリアスパートは白熱していく。

 

 

 

「僕の事はいい…………! でも、アリエッタを巻き込む必要は…………!」

 

「必要だったのです。星詠みの予測で貴方と彼女が一緒に居た以上、その前提を崩す訳にはいきませんでした」

 

「ふざけるな! 誰が貴方なんかに付いて行くものか!」

 

「…………言いたくはありませんが、これは王命なのです。子供といえど、その意味はお分かりですね?」

 

 

 

 …………要するに拒否権は無いってことか。子供相手に酷い真似しやがるぜこのおっぱいめ。

 いくら、俺をヒロインにしようとする困ったちゃんでも、エクスは俺の愛すべき息子キャラだ。

 酷いことをしようとする奴はパパが出ていってやっつけてやる。

 

 俺はエクスのおんぶから降りると、おっぱいに噛みついた。おっぱいには噛みついてないが。

 

「おうおうおう、黙って聞いてれば勝手な事言いやがって、この悪いおっぱいめ。

 エクスを連れ出したいっていうなら、まずはこのパパに話を通してもらおうかァ~~~?」

 

 

 

「申し訳ありませんが、今はエクスくんとお話をしているのです。少し待っていてもらえますか?」

「アリエッタ。ちょっと今は大事な話をしているから静かにしてて?」

 

 俺は十字砲火を受けて敢え無く討死した。しゅん。

 仕方ないので二人の話が終わるまで、俺はミラちゃんと一緒に子犬と戯れて時間を潰した。

 

 

 

 **********

 

 

 

「それでは、一週間後。再び貴方をお迎えに上がります。

 御友人の方たちに、お別れの挨拶をされるのが良いかと」

「…………僕は王都へ行くとは言ってませんよ」

「ふふ、では失礼」

 

 おっぱいは広場に停まっていた馬車に乗って去っていった。

 シリアスパートが終わったようなので俺はミラちゃんとペスにバイバイしてエクスに駆け寄る。

 

「エクス、大丈夫か?」

「うん…………ごめん、アリエッタ。少し独りにしてくれるかな…………」

 

 俺の返事を待たずに、エクスはこちらに背を向けて歩き出す。

 本当ならエクスの言う通り、そっとしておきたい場面なのだが、俺は奴の好感度を程よく下げておきたいので逃がすつもりは無い。

 俺はエクスの肩に腕を回して、体重をかけるようにもたれかかった。

 

「アリエッタ……?」

「そんな血まみれで帰ったら家の人がびっくりするだろ。俺も一緒に事情を話してやるよ」

「…………うん、ありがと」

 

 あれ? エクスは思いの外、素直だった。

 ここは俺の事を冷たく振り払ったりして気まずい感じになるシーンかと思ったんだが。

 

「あー……そういえば、まだちゃんと礼を言ってなかったな。さっきはありがとな」

「え?」

「森で腰抜かしてビビってる俺を抱きしめてくれただろ? 

 逃げろって言ってんのにお前って奴は…………まあ、嬉しかったけどさ」

「……ははっ、そうだっけ? 無我夢中だったから、よく覚えてないや」

 

 俺の言葉をエクスは照れたように笑って誤魔化した。

 多分、俺に気を遣わせまいとしているのだろう。本当に良い奴だ。

 

「……なあ、さっきの話だけどよ…………嫌なら逃げちまえよ。

 それで世の中が何か大変な事になっちまっても、子供にそんな責任背負わせようとした奴らの自業自得だろ。

 何が起こっても、少なくとも俺は怒らないぜ」

 

 俺は無責任なことを言った。

 無論、エクスの好感度を下げる為である。本音でもあるが。

 

「はは、悪い子だね。アリエッタは」

「そうさ、俺は悪い奴なんだよエクス。お前と違ってな」

「…………そうだね。ちょっと、僕なりに色々考えてみるよ」

 

 

 

 

 

 そうだよ。お前は俺と違って良い奴だから。

 多分、もう答えは決めてるんだろうな。

 

 そんな事を考えたら、胸の内に苛立ちのような痛みをチクリと感じた。

 

 

 

 

 

 そんな話をしている内に、俺達はエクスの家まで戻ってきていた。

 エクスの家に入ると、奴の両親と何故か俺の両親も一緒だった。

 俺とエクスは今日の出来事を説明しようとしたが、既に大まかな事情はフィロメラの奴から聞いていたようである。

 

 エクスの両親は血まみれの息子を抱きしめると、俺と俺の両親に深く謝罪をした。

 別に彼らは何も悪い事をしていないのだ。俺も両親も気にしていない事を伝えると、エクスの家を後にした。

 

 

 

 その後、自宅に戻った俺は母親からの平手ぐらいは覚悟していたのだが、エクスがそうされたように、両親は俺の無事を涙ながらに喜んで抱きしめてくれた。

 両親に心配をかけてしまった罪悪感と、先立つ不孝をやらかしてしまった前世の両親の事を思い出して、俺はちょっぴり泣いてしまった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 そして、それから六日後の夜。

 俺とエクスはこっそりと家を抜け出して、夜の村を歩いていた。

 

 

 

「……で、お前は明日から王都に行くんだな」

「うん。結局の所、王様の命令なら僕に拒否権なんて無いからね。

 むしろ、こうして時間をくれただけ、あのフィロメラって人は実は気を遣ってくれたのかもって今は思ってるよ」

 

 そうかなあ? 初登場で犬に噛まれてた奴だぞ。

 

「一家全員で向こうで暮らすんだろ? まあ、それぐらいは国に面倒見てもらっても罰は当たらないよな。なんてったって勇者様だからな」

「うん」

「俺が8歳の時にエクスは村に越して来たから、一緒に過ごして四年か。そう考えると、俺達ってまだ結構短い付き合いなんだな」

「うん」

「あーあ、もう一回ぐらい、お前と野球がしたかったなー。最近やっと球に当てられるようになってきたのにさ」

「うん…………」

 

 

 

 夜の村は静かで、人の気配をまるで感じない。

 世界の流れから、俺とエクスだけ取り残されてしまったような錯覚すら感じる。

 

 切り出すタイミングが掴めなくて、実の無い雑談で引き延ばしていたが、そろそろエクスを連れ出した目的を果たすとするか。

 

「よっ……と」

「アリエッタ?」

 

 

 

 ……俺は先日、エクスからプレゼントされた髪飾りを外すと、それを彼の手に握らせた。

 

 

 

「ア……リ、エッタ…………?」

 

 

 

 …………エクスの顔が絶望に染まる。

 

 そうだ。俺がエクスを連れ出したのは、『プロポーズと共に渡されたアクセサリー』なんていう超ド級の地雷アイテムを彼に突き返す為だった。

 

 エクスは王都へ行き、そこで様々な勇者的イベントをこなすのだろう。

 新規ヒロインだって大量に追加されるはずだ。

 プロローグでちょっぴり描写された程度の田舎へ戻ることなど、もう無いだろう。

 

 …………しかし、こんな如何にも重要アイテムを持っていては、いつヒロインレースに復帰させられるかと気が気ではない。

 だから、俺はこの髪飾りをエクスに突き返すことで、完全にヒロインフラグを叩き折ることにしたのだ。

 

 

 

「ア、アリエッタ…………僕は…………」

 

 見ろ。あのエクスの顔を。

 あんなに傷ついたエクスの顔を見るのは初めてだ。

 これで、俺とエクスの繋がりは断たれた。

 これこそが俺の取るべきルートなんだ。だから、罪悪感なんて…………

 

 

 

 

 

「勘違いすんなよ、エクス」

 

 

 

 待て、俺は何を言おうとしている。

 

 

 

「それは……今、俺が持っている物の中で一番価値のある一品だ。

 …………少しの間だけ、お前に貸してやる」

 

 

 

 ああ、クソッ! 

 

 …………結局、俺はエクスに心底から嫌われるのが怖いんだ。この半端者め。

 

 

 

「アリエッタ……?」

「だから! やること全部終わったら俺に返しに来い! 持ち逃げするんじゃねえぞ? いいな!」

 

 

 

 後半、訳が分からなくなってきた俺は叫ぶように早口で捲し立てると、エクスを置き去りにしてダッシュで自室へと逃げ帰った。

 

 

 

 ……まあ、当初の予定とは少し違ってしまったが、髪飾りをエクスに渡すという最低限の目的は果たしたのだ。

 結果オーライということで良しとしよう。

 俺はミッションコンプリートの達成感と、夜更かしした眠気により、ベッドへ倒れこむように眠るのだった。スヤァ…………

 

 

 

 **********

 

 

 

 翌朝、村に一台の馬車がやって来た。

 中から出てきたのは、やはりあのおっぱいだった。

 

「御約束通り、お迎えに上がりました。その様子だと、王都へ来ていただけると思ってよろしいのでしょうか?」

「……僕がどうするかは、貴方の"星詠み"とやらで既に分かっているんじゃないですか?」

 

 ファーストコンタクトが最悪だったからか、エクスはおっぱいに辛辣だ。

 当のおっぱいは大して気にしてはいなそうだが。

 むしろ思春期の子供を見守るような、微笑ましい気配すら感じる。

 エクスは俺の息子ポジションだというのに不逞なおっぱいだ。

 

「そのお言葉で十分です。それでは、ご家族の方もこちらへ」

 

 フィロメラに促されて、エクスの両親が馬車へ乗り込む。

 

「少しだけ待っててください」

「はい、どうぞ」

 

 エクスはフィロメラに一声かけると、見送りに来ていた俺の前にやってきた。

 

「アリエッタ……行ってくるね」

「おう」

 

 俺は心配など何もしていないと、不敵に笑ってエクスの前に握りこぶしを突き出した。

 エクスは苦笑しながら、俺の拳に自分の拳をコツンと突き合わせる。

 

「もうちょっと女の子らしい別れ方をしてもいいんじゃないかな」

「こっちの方が気合入るだろ? …………じゃあな、エクス」

「…………うん、アリエッタも。元気でね」

 

 別れの挨拶を済ませると、俺はエクスに背を向けて歩き出した。

 未練は、少し残るぐらいでちょうどいい。

 

「行きましょう。フィロメラさん」

「はい、エクスくん。…………彼女と引き離してしまうこと、少しだけ申し訳なく思っています」

「…………大丈夫です。別れは、ちゃんと済ませましたから」

 

 

 

 そういうの、俺に聞こえない所でやってくんねえかなあ。

 

 背中で意味深な会話を聞きながら、俺はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 …………さて、何はともあれ無事にエクスとの別れも済ませた。

 呪いのアイテムも手放したし、ヒロインレースからも無事に棄権出来た事だろう。

 

 後は俺の役目と言ったら精々、最終決戦で苦戦するエクス御一行に、地上から祈りを届けるモブキャラの中に紛れ込む事ぐらいだろう。

 

 もしかしたら、エクスがラスボスを倒した後に、今まで訪れた街を凱旋して回るかもしれんな。

 その時にチラッと一目ぐらいエクスに会うかもしれん。

 

 

 

 

 

 まあ、要するに俺とエクスの関係性は、ほぼ終わったということだ。

 

 そうさ、俺は平穏な生活を望んでいたんだ。これで良かったんだよ。

 あいつの、勇者のヒロインになるなんて冗談じゃない。清々した。

 今日からは枕を高くして眠れるというものだ。

 

 

 

 

 

 だから、これは嬉し涙だ。

 

 寂しさとか、悲しさとか。断じてそういうものではない。

 

 

 

 家に帰ると、母さんが俺を出迎えてくれた。

 

「アリエッタ…………今日は教会での授業は休みなさい」

「な、何言ってるんだよ母さん。俺、別にどこも悪くなんか…………」

「そんな顔して何言ってるの。行っても勉強にならないわよ。

 ……母さんは昼ぐらいまで出てくるから、しばらく休んでなさい」

 

 そう言うと、母さんは家を出て俺を一人にしてくれた。

 ……気を遣わせてしまったな。ありがとう、母さん。

 

 

 

「…………くっ、あ…………ああっ…………う…………っ」

 

 俺はベッドに倒れこむと、枕に顔を押し当てて慟哭した。

 前世でも、ここまで感情が揺れ動いたことは無かった。

 何なのだ、この胸の痛みは。

 

 そっと頭に手をやる。

 昨日まで髪飾りが付いていた場所に。

 

 そこに何も無いことが、何故だか死ぬほど辛くてしょうがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、エクスが村を出てから5年の月日が流れた。

 

 

 



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06.もう一度

 (エクス)が村を出てから5年の月日が流れた。

 

 

 

 

 

「ぬうう…………!」

 

 目の前で、氷で造られた巨大なゴーレムが崩れ去っていく。

 間違いなく、これまで戦ってきた魔王軍の中で最も手ごわい相手だった。

 僕達が一人も欠けずに勝利出来たのは奇跡というしかないだろう。

 

「見事だ……勇者エクスよ…………魔王軍八大幹部の一人、"氷獄"である我を打ち破るとは…………! 

 魔王様、お許しください……転移の秘術…………守り切る事……か……な……わず…………」

 

 最期の瞬間まで、魔王への忠誠心を示した氷のゴーレムは完全に塵となった。

 

 

 

 

「お疲れさまでした。エクスくん」

「いえ、皆の方こそ僕の無茶な戦い方に付いてきてくれてありがとう。ここにいる誰一人欠けていても、勝てない戦いでした」

 

 僕はフィロメラさんと、その後ろで勝利の喜びに浸っている仲間達に声をかけた。

 

「……さて、これでエクスくんは魔王軍によって封印されていた転移の秘術が使えるようになった筈です。どうでしょうか? 何か感覚は掴めそうですか?」

 

 フィロメラさんに促されて、僕は自分の内側に精神を集中する。

 脳裏に、これまで訪れた場所のイメージが鮮明に浮かび上がる。

 後は、ここに僕の魔力を乗せれば……

 

「……多分、行けます。とりあえず、僕と僕の周囲に居る人間なら、これまで訪れたことがある場所に一瞬で移動出来るはずです」

 

 僕の言葉を聞いて、仲間達が喝采を上げた。

 

「いやあ、古文書で存在は知っていましたが、反則級に便利な術ですね。

 エクスくんにしか使えないというのは難点ですが……今後の冒険で間違いなく重要な役割を担うはずですよ」

 

「とりあえず、王都へ移動しようと思います。皆、僕の近くへ」

 

 仲間達が僕の周囲を囲む。

 

「……フィロメラさん。そこまで近づかなくても大丈夫です」

「え~? 万が一にもこんな所で独りぼっちにされたら嫌ですしー?」

 

 フィロメラさんが、僕の腕に自分の匂いを擦り付けるように、全身を押し付けてくる。

 ……彼女の柔らかい部分が気になって集中が乱されるので、本当に止めてほしい。

 僕が困っているのを察して、仲間達がフィロメラさんを引き剥がしてくれた。

 

「…………よし。それじゃあ、飛びます……!」

 

 

 

 **********

 

 

 

 次の瞬間、僕達は王都の入口に立っていた。

 

 

 

 

 

「…………おおっ! 見てください、王都ですよ! 本当に一瞬でしたね。時間的な誤差は、ほぼゼロですよ」

 

 フィロメラさんが時計を確認しながら、はしゃいでいる。

 僕より五つ年上なのに、まるで子供みたいだ。

 

 ……しかし、本当に凄い術だ。

 集中を要するので、発動までに時間はかかるが、これほどの大魔術にしては魔力的な消耗はかなり軽い。

 僕達の旅路の負担を大幅に軽減してくれることは間違いないだろう。

 

 

 

「……フィロメラさん。その、申し訳ないんだけど……王城への報告、任せてもいいですか?」

 

 

 

 王都から遠く離れた"あの場所"。

 

 これまでは、勇者としての責務から機会を作ることが出来なかったが、今の僕なら…………

 

 

 

 

 

 今まで、出来るだけ"彼女"のことは考えないようにしていた。

 

 彼女のことを思い出すだけで、胸の奥が軋むように痛んでしまうから。

 

 でも、手を伸ばせば届く場所に彼女がいる。

 

 一度、そう思ってしまったら気持ちを抑えることが出来なかった。

 

 

 

 

 

「はいはい、私達のパーティーで一番頑張ったのはエクスくんですし、それぐらいはやってあげますよ。

 でも、明日の朝には帰ってきてくださいね? 流石に私達の中核である貴方が一回も王城へ顔を出さない訳にはいきませんから」

 

「ありがとうございます!」

 

 僕はすぐさま転移術を発動させた。

 

 5年前のあの日から、一度も訪れることは無かったが、"あの場所"なら、術の補助が無くても、いつだって鮮明に思い出せる。

 

 

 

「…………やれやれ。5年ですよ? それだけ経ってても一途に想われてるなんて、ちょっとだけ妬けちゃいますね」

 

 

 

 フィロメラさんが何か呟くのと同時に、僕の身体はその場から掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

 エクスが村を出てから5年の月日が流れた。

 

 

 

 現在、俺ことアリエッタ(17歳)は家業である道具屋の手伝いをしていた。

 両親は、将来的にこの店を俺に任せてくれるつもりらしい。俺としては食い扶持に困らずに済むので歓迎することである。

 

 この世界独自の商取引のノウハウ等、覚えることは多少有ったが、前世での数学教育と経理事務の経験のおかげで俺の計算能力は、この世界では高い部類に当たるらしい。

 商売をやっていく上でそれなりに役に立ちそうなスキルだ。

 前世でそろばん教室に通わせてくれた両親に感謝しておこう。

 

 

 

 ……あの日から5年間、俺は退屈だが平穏な日々を過ごしていた。

 

 

 

 その間、世界はまあまあ騒がしかったと言える。

 魔王軍に四天王とかいう強力な力を持った奴らが現れて、人類軍が一時期劣勢になったり。

 それを王都で勇者としての修行を終えたエクスが片っ端からぶち殺して回ったり。

 先日、エクス一行は四天王最後の一人にして最強の魔族を撃破したらしいが、今度は四天王よりも更に上の存在である八大幹部とやらが現れたらしい。少年漫画みたいなインフレしやがって。

 今は、この田舎村から遠く離れた北の大陸で、その八大幹部の一人と戦っているようだ。

 

 

 

 まあ、俺には関係ないことだがな。

 

 俺が暮らすこの田舎村は戦火にさらされることもなく、極めて平穏な日々が続いていた。

 戦争の話は、こうして新聞に書いてある内容で知る程度で、前世の時と同じく遠い世界での出来事だった。

 

 一通り読み終わった新聞を端に寄せると、俺は退屈な店番を再開した。

 

 

 

「お、お姉ちゃん! 大変だよ!」

「んー?」

 

 

 

 居眠りしてしまいそうな静寂を破ったのは、店内に駆け込んできたミラちゃんだった。

 5年前のあの事件を切っ掛けに、彼女は俺に懐いてくれたのだ。

 俺は仕事終わりに、すっかり巨大化したペスの散歩に付き合ったりもしている。

 

「どした、ミラちゃん? ペスが彼女でも連れてきたのか?」

「それどころじゃないよ! ほら、こっち来て! 早く逃げないと!」

 

 ミラちゃんがカウンターのこちら側へ回り込んできて、ぐいぐいと俺の手を引っ張る。

 今、店番してるんだけどなー。まあ客も居ないし、いいか。緊急事態みたいだし。

 

 俺がのろのろと立ち上がると、焦れたようにミラちゃんが俺の背中をぐいぐいと押してくる。

 必死な姿が可愛くて、俺はつい意地悪で彼女に体重をかけてしまう。

 

「おっ、重っ! お、お姉ちゃん! 自分で歩いて!」

「あァ~ミラちゃんは可愛いなァ~~~。大きくなったら、お姉ちゃんと結婚してくれない?」

「ふえっ!? な、何言ってるの! 馬鹿っ!」

「おわっ!」

 

 俺のアホなジョークを真に受けたのか、動揺したミラちゃんに俺は背中から突き飛ばされた。

 ミラちゃんに体重を預けていたからか、バランスを崩した俺は、そのまま店の入口にダイブしてしまう。

 

 

 

「…………えっ? うわっ!?」

「ぐへぇっ!?」

 

 

 

 間の悪いことに、店に入ろうとしていた客にタックルしてしまった俺は、そのまま相手に対してマウントポジションを取ってしまった。

 やべっ、とにかく謝らないと…………

 

 

 

 

 

 俺は相手の顔を見つめて、固まってしまった。

 

 触り心地の良さそうなサラサラの金髪に、吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳。

 

 気弱そうな印象を与えつつも、それ以上に親しみを感じさせる柔和で端正な顔立ち。

 

 絶対、ここに居るはずが無い"アイツ"を連想させるその男は、俺を見つめて照れ臭そうに微笑んだ。

 

 

 

「えーと、ただいま。アリエッタ…………」

 

「エ、エクスぅっ!? 嘘だろ、だってお前、今は北の大陸に…………!」

 

「うん、そうなんだけど……そこで新しい術を手に入れて…………

 あー、ごめん。積もる話は有るんだけど…………とりあえず、僕の上から降りてもらってもいいかな?」

 

 

 

 気が付けば、往来の真ん中で男を押し倒して大騒ぎしている女(俺)を、周囲の人間が生温かい眼差しで見つめているという、なんとも言えない状況になっていたのだった。

 

 

 

「お姉ちゃん…………不潔…………」

 

 

 

 おませになったなー、ミラちゃん。

 俺は現実逃避するように、少女の呟きに脳内でツッコミを入れていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ、流石に2回連続は少し疲れるな……」

 

 (エクス)は二度目の転移術に、少しの眩暈を感じながら、目の前の光景を見つめた。

 

「……変わってないなあ」

 

 少し色あせた看板。

 修理して、一部だけ色が変わっている塀。

 今の時期に咲く花の香り。

 

 

 

 5年前のあの日から変わっていない村の景色に、思わず笑みがこぼれる。

 

 

 

 僕は村の中へと歩き出した。

 今でも心の奥底に焼き付いて離れない、あの赤髪の彼女に会うために。

 

 

 

 

 

 

 そして、それは村の入口から10歩歩いた所で頓挫していた。

 

「いやいやいや、おかしいでしょ僕。今まで、何の音沙汰も無かった男が5年ぶりに急に会いに来たとか向こうも反応に困るでしょ」

 

 塀に頭を押し付けてブツブツ呟いている僕を、子供たちが不思議な生き物を見るような瞳で興味深そうに観察している。

 

「八大幹部を倒したのと、転移術を覚えたので変なテンションになってたのかな…………これなら、今すぐアリエッタに会いに行けるって…………いや、でも王城への報告すらすっぽかして突撃するって、どう考えてもおかしいでしょ……どういうことなの僕…………」

 

 自分の短慮な行動が信じられなくて、僕は塀に頭をガンガンとぶつける。

 子供たちは僕を指差しながらケラケラと笑っていた。

 

「……それに……」

 

 僕が一方的に彼女に執着しているだけで、向こうは僕の事なんてもう忘れているかもしれない。

 もし…………もしも、彼女の隣に誰か知らない男が居て、彼女がその男に愛を囁いていたら…………

 僕は、その光景を受け止める事が出来るのだろうか。

 

 その場面を想像しただけで、僕は膝から崩れ落ちてしまった。

 子供たちは棒で僕をつついて遊んでいる。

 

「…………今からでも、王都に戻って王城へ報告に…………いや、ここまで来たんだ。アリエッタに会わずに帰ることなんて出来ない! 

 …………もし、アリエッタに大切な人が出来ていたなら喜ばしい事じゃないか。

 ぼぼぼぼ僕は笑顔で彼女を祝福すすすすすればいいいいい」

 

 その状況を想像して、僕の脳は誤作動を起こした。

 

 …………とにかく、僕は生まれたての小鹿のように震える足を鞭打って、アリエッタの家へと歩き出した。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「…………アリエッタ…………」

 

 僕は彼女の家が営んでいた道具屋の窓から店内を覗き見た。

 カウンターで退屈そうに店番をしている赤髪の女性から、僕は目が離せなかった。

 アリエッタだ。間違いない。

 

 綺麗になった。贔屓目なしにそう思う。

 

 勇者として、世界各地を旅して美しい女性には沢山出会ったと思う。

 パーティーの仲間達だって、フィロメラさんをはじめとして、綺麗な女性が多い。

 

 だが、やはりアリエッタは僕の中で特別な存在だった。彼女を見ているだけで、嬉しいような、切ないような感覚に胸が苦しくなり、呼吸が荒くなる。

 そして、それが不快では無かった。

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 

 

 このまま一日中だって、窓の外から彼女を眺めていられそうだ。

 

 

 

 …………ふと、今の自分の状況について疑問を感じたが深く考えないことにした。

 僕は深く考えすぎるのが悪い癖だとフィロメラさんに言われたことがあるからだ。

 

 

 

 

「あ、あの…………こちらの店に何か御用でしょうか……?」

 

 僕はうっとりとしながら、窓からアリエッタを見つめていると、不意に見知らぬ少女から話しかけられた。

 

 …………その目は完全に変質者に怯えた目だった。

 

 

 

「信じられないかもしれないが聞いて欲しい。僕は怪しい者じゃない」

 

 僕は少女の肩を掴んで釈明に入った。冤罪だからだ。

 

「で、でも……ママは怪しい人は皆そう言うって…………」

「うん。君のママは正しい。でも、僕は違うんだ」

 

 下手に言い訳をしては、少女をより警戒させてしまう。

 僕は正直に事情を話すことにした。曇りの無い瞳で、少女をしっかりと見つめて。

 

 

 

 

 

 

 

「僕はただ、そこの窓から一日中アリエッタを見つめていたいと思ってただけなんだ」

 

「お姉ちゃん逃げてーーー!!」

 

 少女はバッと僕の手を振り払うと、アリエッタのいる店内へと駆け込んだ。

 クソッ! 何故だ! 僕は何を間違えたんだ……! 

 

「待ってくれ! 本当なんだ! 僕は一日どころか三日だってアリエッタを窓から見つめていられるんだ! 信じてくれ!」

「こ、怖い! なんでこの人そんな綺麗な瞳でド変態宣言が出来るの!?」

 

 少女が店内へと消えてしまった。僕は後を追うべきか迷ってしまう。

 本当なら、もう少し心の準備をしてからアリエッタと向き合うつもりだったからだ。

 

 

 

 店の入口の前で固まってしまった僕が、意を決して一歩を踏み出した瞬間だった。

 

 

 

「…………えっ? うわっ!?」

「ぐへぇっ!?」

 

 

 

 入口から飛び出して来た"彼女"が僕の胸に飛び込んできた。

 

 突然の衝撃に、僕は思わず後ろに倒れこんでしまう。

 

 

 

 僕の顔を見つめた彼女が固まる。

 

 陽の光を浴びて、鮮やかに煌く赤髪は、5年前のあの日と変わらない美しさで。

 

 そんな彼女に見惚れてしまった事が照れくさくて、誤魔化すように僕は困ったような笑顔を浮かべた。

 

 

 

「えーと、ただいま。アリエッタ…………」

 

 

 

 

 

 こうして、僕は再びアリエッタと出会った。

 

 

 



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07.夕暮れに君と

「は~、転移術ねえ……それはまた凄いものを覚えてきたな」

「まあ、移動出来るのはハッキリとイメージ出来る場所だけだから、町とかお城とか印象的な場所じゃないと難しいし、そこまで万能でも無いけどね」

「いや、十分凄いって。こいつはでかいシノギの匂いがするぜ…………」

 

 

 

 (アリエッタ)は少し見ない間にファストトラベルというチートスキルを習得していたエクスと喫茶店で向かい合っていた。

 まだ店番を切り上げるには早い時間だったのだが、騒ぎを聞きつけた母さんに『お店の事はもういいから、エクスくんとお茶でも飲んできなさい』と追い出されたのだ。

 どうも、母さんには『久しぶりの再会に感極まった俺がエクスを押し倒した』という風に認識されたらしい。誤解である。

 

「しかし、でかくなったなあ、お前。5年前はまだ俺の方が身長勝ってたのに」

 

 久しぶりに再会したエクスは、俺より頭一個分巨大化していた。

 全体的に筋肉も付いていて体格も立派になっている。息子の目覚ましい成長にパパ感激である。

 

「そりゃあ男なんだから、5年も経てば女の子の君よりは大きくなるさ。

 ……えーっと、その、アリエッタは…………綺麗になったね」

「ははは、ありがとよ。お前も中々の男前になったぜ。

 昔はカワイイ系だったが、今は正統派の白馬の王子様って感じだ」

 

 エクスの奴め、下手糞なお世辞を言いやがって。

 俺もそういうのは、あんまり得意じゃないが、エクスは普通に美男子に育ったので気を遣わなくて済む。

 

 あっ、エクスの奴。俺が直球で褒めたから照れてやがるな。愛い奴め。

 

 

 

 

 

 さて、5年前はあれだけこいつのヒロインルート入りを警戒していた俺が、その当人と和やかに歓談中な事には勿論理由がある。

 

 

 

 見ての通り、エクスは美形だ。

 この外見の平均レベルが異様に高い異世界においても、(おれ)の贔屓目なしに、間違いなくハイレベルなルックスを持っている。

 

 そして、再会してからこれまでの俺に対する態度から察するに、5年前と変わらず礼儀正しく紳士的な男である。

 

 オマケにこいつは人類の希望。救世の英雄である勇者様だ。

 子供がチラシの裏に描いたラクガキみたいな『僕の考えた最強の主人公』を地で行く存在である。

 

 

 

 そんな超優良物件を世の女達が放っておくか? 否である。

 

 この5年間でエクスは間違いなく恋人を作っている。

 何なら、その相手はパーティーの仲間達の誰かかもしれない。

 

 俺が直接面識があるのは、悪いおっぱいことフィロメラだけだが、他の勇者一行の仲間達も美男美女揃いであるらしい。新聞に書いてあった。

 こんな最強主人公と長い時間を一緒に過ごしているのだ。さぞや好感度が上昇するイベントも盛り沢山だったことだろう。

 やはりヒロインはパーティーメンバーの中から選ぶのが王道である。

 

 

 

 つまり、俺はもうエクスのヒロイン対象外であるということだ。

 

 唯一、俺が再びヒロイン化させられる可能性といえば、こいつが出会った女を全て食い散らかすハーレム野郎だった場合だが、まあそれは無いだろう。

 

 エクスは誠実な奴だ。複数のヒロインの間で優柔不断に揺れ動くラブコメ野郎じゃないことは、幼い頃から後方父親面をしてきた俺には分かる。

 

 自分が愛すべき人間を決めたら脇目も振らずに、その一人にだけ愛を注ぐはずだ。

 

 

 

 

 

 自分で言ってて、俺はこいつのヒロインに選ばれかけたことに恐怖した。

 こんなん一回乗ったらエンディングか死まで途中下車出来ないジェットコースターじゃねえか。

 

 

 

 ……まあ、今の俺には関係ない話である。

 俺は元々、エクスの事を嫌って距離を置こうとしていた訳ではない。

 こいつの勇者とかいう主人公特性が、俺が望むモブキャラライフと致命的に相性が悪かったから、止むを得ず対処していただけなのだ。

 ヒロインフラグが完全に折れた今は、パパとして勇者という超ブラックな職業に就いてしまった息子を思う存分甘やかす所存である。

 5年間もの間、エクス不在で行き場を失っていた俺の父性は爆発寸前だった。

 

 

 

「それで、どれくらいこっちに居られるんだ? 転移術とやらで移動時間はかからないんだし、ゆっくりしていけるんだろ?」

「いや、それが明日の朝には帰らないといけないんだ」

「おいおい、もう夕方だぞ? ハードスケジュール過ぎないか?」

 

 久しぶりの再会だというのに、俺とエクスが一緒に過ごせる残り時間は半日も無かった。

 これでは積もる話は積もりっぱなしだ。俺が不満げに唇を尖らせると、エクスは困ったように苦笑した。

 

「ごめんねアリエッタ。でも、今日も本当だったら王城へ冒険の報告をしに行かなきゃいけなかったんだけど、仲間に丸投げして村に来ちゃったんだ」

「そうなのか? まあ、お前も立場が有るだろうから無理にとは言えないが……」

 

 考えてみれば、平民出の英雄なんて、こんな中世ファンタジー世界では貴族だの政治家だのに最も嫌われる存在じゃないか。

 俺が引き留めることで、王都でのエクスの立場が悪くなってしまったら大変だ。今回は大人しく引き下がることにしよう。

 

 

 

 …………ん? 俺は妙な事に気づいた。

 

 

 

「お前、そんだけ忙しいのに、今日はどうして村に来たんだ?」

 

 考えてみれば妙な話である。

 この村に家族や恋人が居るならともかく、エクスの一家は今は全員王都で暮らしているし、恋人だって向こうに居るはずだ。

 それが、何で急に5年ぶりにこの村を訪ねて来たんだ? 

 

「うっ……いや、その…………それは…………」

 

 俺の当然の疑問に、エクスは言葉を詰まらせた。

 しかし、数秒の間の後に何かを決心したような真剣な眼差しで俺を見つめる。

 

 そのただならぬ雰囲気に、俺は居住まいを正した。

 

 

 

「…………アリエッタに逢いたかった。それだけじゃ、理由にならないかな?」

 

 

 

 

 

 何言ってんだこいつ。

 

 突然、意味不明なことを言い出したエクスに、俺は胡乱な目をしてしまう。

 

 

 

 …………あっ。俺は全てを悟った。

 

「……察しが悪くてすまん、エクス。もっと早く気づいてやるべきだったな」

「アリエッタ……」

 

 俺は椅子から立ち上がると、テーブルの向かいに座っていたエクスの隣に立った。

 

「アリエッタ……?」

 

 椅子に座っていることで、ちょうどいい高さにあったエクスの頭を俺は胸に抱きいれた。

 

「わぷっ! ア……アリエッタ!?」

「大丈夫だ。パパは全部分かっているからな……!」

 

 突然のスキンシップに慌てるエクスを、俺は赤子をあやすように優しく背中をトントンしてやる。

 

 

 

 俺がエクスという父性の発散先に飢えていたように、エクスもまた俺という父性に飢えていたのだ。

 

 俺より体がでかくなったとはいえ、エクスはまだ17歳。

 前世分の人生経験が有る俺から見れば、まだまだお子様である。

 そんな子供が世界の命運をかけて、日夜命がけの戦いをしているのだ。

 精神的な重圧から、俺という第二の父に愛情を求めてしまうのも仕方ないというものだろう。

 

「よーしよしよしよし」

 

 久しぶりの親子の触れ合いにテンションが上がってしまった俺は、ワシャワシャとエクスの頭を撫でくり回した。

 

「ア……アリエッタ! これ違う! 君は絶対に何か勘違いしてる!」

 

 流石に照れくさいのだろう。エクスはパパの愛情を素直に受け取ってくれない。

 だが、俺は知っている。エクスが本当に嫌だったら、貧弱なモブ村娘の俺の抱擁など簡単に引き剥がせることを。

 つまり、この拒絶はポーズだ。ククク、口では嫌がっていても身体は正直だなァ~? 

 俺のスキンシップは更に白熱していく。

 

「ア、アリエッタ! 人っ! 人が見てるから……! やめっ…………やめろォーーー!!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「出てけ」

 

 俺とエクスはひとしきり馬鹿騒ぎをした後に、喫茶店の店主に追い出された。

 ついでに俺はエクスからも説教をされてしまった。しゅん。

 

「全く…………まさかとは思うけど、アリエッタは誰に対してもあんな感じなの?」

「そんな訳あるか。あんな事するのはエクスだけに決まってるだろうが」

 

 俺はエクスのパパではあるが聖人ではない。

 見ず知らずの他人にまで愛情を注ぐつもりは無いのだ。

 

「そ、そっか。僕だけか。ふーん」

「なあ、それよりも何処に向かって歩いてるんだ?」

 

 店を追い出されてから、流れでエクスの隣を歩いていたが、こいつは今どこに向かってるんだ? 

 

「ああ、帰るのは明日の朝だから宿で部屋を取らないと」

「ちょっと待て。お前、宿に泊まるの?」

「まあ、転移術を使えばすぐに王都には帰れるけど、折角だから明日の朝まで村に居ようかと思って……」

「そうじゃなくて、うちに泊まってけよ。さっきは店を開けてたからゆっくり話せなかったけど、母さんもエクスの話を聞ければ喜ぶからさ」

「ア、アリエッタの家に……? いや、急だったし……おばさんも迷惑じゃないかな……」

 

 何を遠慮してるんだこいつは。

 昔はよくお互いの家にお泊りしたというのに。

 

「迷惑なんかじゃ無いって。ちょうど今、父さんは仕入れで村に居ないからベッドも空いてるし。

 …………それとも、嫌だったか?」

「うっ…………」

 

 俺は情に訴えることにした。

 エクスは昔からパパ想いなので、俺がちょっと悲しそうな顔をするとすぐに折れるのだ。

 

「……分かったよ。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

「よっしゃ。それじゃあ、帰りがてら夕食の材料も買ってくから、商店街寄ってくぞ」

「……アリエッタって料理出来たっけ?」

「母さんに『立ち振る舞いはもう諦めたけど、女なんだからせめて料理ぐらい出来るようになれ』って、無理やり修行させられたよ。食えない物は出さないから安心しろ」

 

 そういえば、この世界の飯は文明レベルに合った感じの比較的質素な食事なのだが、特に味に不満を感じたことは無かったな。

 転生した際に味覚も現地人ナイズされたのだろうか。

 

 

 

 

 

 夕暮れの道をエクスと二人で歩いていく。

 何だか5年前に戻ったようで、俺は懐かしさと同時に、隣を歩くエクスの成長にほんの少しの寂しさを感じていた。

 

 

 

「あっ…………」

 

 俺は見覚えのある光景に、思わず足を止めてしまった。

 

 そうだ。ここは5年前にエクスが俺に白い花の髪飾りをプレゼントしてくれた場所だ。

 

 

 

「5年後に俺よりも身長が大きくなってたら、か…………」

 

 幼かった頃の、他愛もない約束の記憶。

 多分、エクスはもう忘れているだろう。

 

 不意に立ち止まった俺に、エクスが振り返る。

 

「……アリエッタ? どうしたの?」

「…………いーや、なんでもねえよ」

 

 俺は再び、エクスの隣を並んで歩いた。

 5年前は俺がエクスの顔を見下ろしていた筈なのに、今は見上げないとエクスの横顔が見えなかった。

 

 

 

「…………身長、抜かれちまったな」

 

 

 

 呟くような言葉に、どんな感情が込められていたのか。

 

 それは俺自身にも分からなかった。

 

 

 



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08.お泊りと約束と

 

 

 エクスを連れて家に帰ると、母さんは大喜びで(アリエッタ)とエクスを出迎えてくれた。

 

「な? 迷惑なんかじゃ無かっただろ」

「……うん、そうだね。お世話になります、おばさん」

 

 外はすっかり日が暮れてしまった。急いで夕食を作らなければ。

 

 

 

 **********

 

 

 

「ごちそうさまでした。美味しかったよアリエッタ」

「お粗末様でした。俺の料理の腕も捨てたもんじゃないだろ?」

 

 それなりに張り切って作ったつもりだったが、王都で美味い飯なんて食い飽きてるだろうエクスの口に合うか、少しだけ心配だった俺は胸をなでおろした。

 

「お茶でも淹れましょうか。ちょっと待っててね」

「あっ、俺がやるよ。母さんは座ってて」

「いいから、アリエッタはエクス君と話でもして待ってなさい」

 

 母さんは俺の返事を待たずに台所の奥へと消えてしまった。

 母さんだって、エクスから色々聞きたい話も有るだろうに。

 

「おばさんも元気そうで良かったよ。おじさんの顔を見れなかったのは残念だけど」

「伝えとくよ。エクスが残念がってたって」

 

 父さんもエクスを家族のように可愛がっていたから、自分が不在の間にエクスが訪ねてきてくれたと知ったら、羨ましがるだろうな。

 そんな事を考えていると、母さんが台所から茶葉の良い香りと一緒に戻ってきた。

 

 俺達は5年間の空白を埋めるように、しばらく会話を楽しんだ。

 

 

 

 

 

「それにしても、立派になったわねぇエクス君。アリエッタにも見習わせたいわ」

「いえ、そんな……それに、アリエッタも綺麗になったと思いますよ」

「外見はちょっと大人っぽくなったけど、中身は昔とあんまり変わってないから困ってるのよ。

 いい歳して、恋人の一人も連れてこないんだから」

「そういうの本人の前で話すのってどうなの母さん?」

 

 前世でも味わった『さっさと恋人作れ』攻撃である。

 転生先でも味わうことになるとは思わなかったが、こっちの俺はまだ17歳なんだし、そんなに急かさないでほしい。

 

 ……というか、俺は未だ男を恋愛対象として見ることにかなり抵抗感が有るからね。言わないけど。

 

「……えーと、アリエッタは、その……そういう人は居ないの?」

 

 おおっと、エクスはパパの恋愛事情に興味津々らしい。

 

「あー……まあ、今はそういうのにあんまり興味を持てないっていうか……」

「この間、告白してきた子はどうしたのよ。母さん知ってるんだから」

 

 

 

 

 

 ピシリ、とエクスが持っていたカップから嫌な音が聞こえた気がする。

 エクスの瞳が感情が全て抜け落ちたガラス玉みたいな目ん玉になってるように見えたが、まあ気のせいだろう。

 それよりも今は母さんだ。

 

 

 

 

 

「……何で知ってんのさ、母さん」

「田舎の情報網を甘く見ない方がいいわよアリエッタ。何なら相手が青果店のフリオ君だってことも知ってるんだから」

「何それ怖い。本当にどこまで知ってんの」

 

 

 

 俺はふと、寒気を感じて横を見るとエクスがビスクドールみてえな無表情で俺を見つめていた。

 

 なにその顔。どういう心境の顔なのそれ。

 

 怖いので、俺は母さんに視線を集中することにした。

 

「どうしたも何も……普通に断って終わりだよ」

「あら、勿体ない。仕事熱心だし良い子じゃないフリオ君」

「別にあいつが嫌いとかじゃなくて、そういう風には見れなかったから断っただけだよ」

「まっ、わがままな子ね」

 

 

 

 ……まあ、いつかは俺も男と結婚しなきゃいけない日が来るとは頭では分かっている。

 異世界とはいえ、倫理観は前世と大して変わらないらしく、同性婚とかの話は聞いたこと無いしな。

 

 でも、それならせめて『男だけど、こいつならまあ良いか』と思えるような相手と結婚したいものだ。

 

 

 

「というか、母さん。エクスの前でそういう話はマジで止めて。恥ずかしいだろうが」

「そう思ってるなら、言われないように早く私を安心させてちょうだい」

 

 ごもっともである。

 

「さて、そろそろお開きにしましょうか。エクス君は明日早いしね」

「そうだな。俺と母さんは後片付けがあるから、エクスは先に休んでていいぞ。奥のベッドが空いてるから」

「……」

「エクス?」

「……あ、う、うん。ありがとうアリエッタ。それじゃあ、先に休ませてもらうよ。おやすみ」

 

 俺の恋愛事情の話になってから、終始沈黙していたエクスが、マシーンが再起動するようにぎこちなく動き出す。旅の疲れが出たのだろうか。

 

「あっ、エクス君。ちょっと待って」

 

 母さんがエクスの傍に近寄る。何だろう。

 

 

 

 

 

「エクス君、うちの子はあんなだから、積極的に行かないと伝わらないわよ?」

 

 

 

 

 母さんがエクスの耳元で何かボソリと呟いたが、内容まではよく聞こえなかった。

 しかし、何か変な事を吹き込んだのだろうか。エクスは電池が切れた玩具のように硬直してしまった。

 

 

 

「母さん、エクスは疲れてるんだから早く休ませてやりなよ」

「ええ、そうね。おやすみなさいエクス君」

 

 

 

 硬直したエクスが再起動するまでには、数秒の時間が必要だった。

 本当に何を言ったんだ母さんは…………

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 翌朝、俺は村の外までエクスを見送りに来ていた。

 

「ここまででいいよ、アリエッタ。

 少し離れてて。転移術の範囲に入っていると君まで王都に飛んでしまうかもしれないから」

「分かった。範囲内に居ると無差別に飛ばしちまうのは、ちょっと不便だな」

 

 俺はエクスから数歩距離を置いた。

 

 

 

 こいつは、また命がけの戦いに戻るのだ。

 

 もう一度会えるという保証は何処にもない。

 

 そう思うと、俺は何でもいいからエクスと一言でも多く言葉を交わしたくなってしまった。

 

 

 

「えーっと…………エクス、久しぶりに会えて嬉しかった。色々話せて良かった」

 

「僕もだよ、アリエッタ」

 

「…………また、会えるよな?」

 

「それは……」

 

 エクスが明確な言葉を口にしなかった。

 彼も分かっているのだ。

 これが最後にならない保証なんて無いということを。

 

 

 

 

 だったら、俺が言うべき言葉はこうじゃない。

 

 

 

「また来いよ、エクス。待ってるからな」

 

 俺達に必要なのは強い言葉だ。不安に怯えて希望に縋る言葉ではない。

 輝かしい未来は既に決まっているのだと、傲慢に振舞うのだ。

 

 俺はエクスに向かって握りこぶしを突き出した。

 あの日の様に不敵に笑って。

 

「……うん。必ず」

 

 エクスも俺に握りこぶしを向ける。

 距離が離れていたから、ぶつけ合うことは出来なかったが、それでも俺達には十分だった。

 

 

 

 

 

 そして、次の瞬間にエクスは俺の目の前から消えていた。

 

「……さて、次に会えるのは何時になるのやら。

 一か月後か、一年後か……あるいはそれ以上か……」

 

 俺はそんな未来のことをぼやくと、エクスが消えた草原に背を向けた。

 未練は、少し残るぐらいでちょうどいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

 王都に戻った(エクス)は、フィロメラさんと合流すると国王に謁見する為に、王城へ来ていた。

 他の仲間達は堅苦しい雰囲気の王城へ何回も行きたくないらしく、僕とフィロメラさんの二人だけである。

 

「報告をすっぽかした僕が言うのも何だけど、自由な人が多いよねウチのパーティー……」

「まあ、腕が立つなら人格は二の次という感じの人達ですからね。

 王様もその辺りは分かっていますから、細かい事は言いませんよ。

 それに、私達って王様は別として、偉い人達からは嫌われてますから。

 こういう場所にあまり来たくない気持ちは正直分かります」

 

 彼女の言う通り、衛兵の人達はともかく、すれ違う貴族や大臣の人達がこちらに向ける視線は冷たい。

 平民出の人間が王に重用されている状態が面白くないのだろう。

 

 そんな事を考えているうちに、僕達は玉座の間へと通された。

 主な報告は既にフィロメラさんが行っていたので、今回の謁見は国王への僕の顔見せという意味合いが強い。

 

「よくぞ戻ったな勇者エクスよ。此度の冒険も、非常に実りあるものだったとフィロメラから聞いている」

「はっ、お目通りが遅れてしまい申し訳ありません」

「よいよい。魔王軍八大幹部の撃破と、古代呪文である転移術の解放で、謁見もままならない程に疲労困憊だったのであろう。貴君は国の宝、身体は大事にせねばな」

 

 そういうことになっていたらしい。フィロメラさんがこちらにパチンと目配せする。

 

「さて、帰還早々ですまないが、再び魔王軍が妙な動きを見せておる。

 一週間の準備期間の後に、貴君達には西の砦へ向かってもらう。詳細はフィロメラに伝えてあるゆえ、彼女から話を聞くように」

「承知いたしました」

「うむ、下がってよい。吉報を期待しておるぞ」

 

 

 

 

 

「前から思ってましたけど、フィロメラさんって随分と王に信頼されているんですね」

 

 王城の出口へ向かいながら、僕は以前からの疑問をフィロメラさんにぶつけてみた。

 

「ええ、先代の賢者……私の父が、王と親しい間柄でして。

 その関係で、私も王には子供の頃からお世話になっているのです」

「へえ、そうだったんですね」

 

 

 

「それよりも、どうでしたか? 久しぶりの故郷は」

「……僕、フィロメラさんに行先は伝えてないと思うんですけど」

「エクスくんとは、パーティーの中で一番長い付き合いですから。

 王への報告をすっぽかして行く所ぐらい見当がつきますよ」

「……まあ、その通りです。すいません、面倒事を押し付けてしまって……」

「それは別に良いんですよ。行く時も言ったじゃないですか、私達のパーティーで一番頑張ってるのはエクスくんだって。たまにはわがままを言っても、怒る人なんてパーティーの中には居ませんよ」

 

 フィロメラさんが優しい微笑みを浮かべながら、少し背伸びをして僕の頭を撫でてくる。

 子ども扱いされているようで少し嫌だったが、頼み事をした手前、振り払うことも出来ずにされるがままになってしまう。

 

 母ともアリエッタとも違う優しさ。姉というものが居たらこんな感じなのだろうか。

 

 

 

 

 

「それで、アリエッタさんとはどこまで進みましたか?」

 

 僕はフィロメラの手を振り払った。どこまで知ってんだこの女。

 警戒心を剥き出しにしている僕に、フィロメラが妖艶な笑みを浮かべる。

 

「怖い怖い、そんな顔しなくてもいいじゃないですか。お姉さん傷ついちゃうな~」

「……一体どこまで知ってるんですか貴方は…………まさか、"星詠み"……?」

「そんな覗き見みたいな事が出来る能力じゃないですよ。これは単純に私の女の勘…………

 かまをかけてみたんですけど、その様子だとやっぱり里帰りのお目当ては彼女だったみたいですね~」

 

 フィロメラはニヤニヤと楽しそうにこちらの様子を伺っている。

 

 ……この人、基本的に優しい人なんだけど、たまにドブみたいな性格がチラチラ見えるんだよな……

 

「それでそれで? アリエッタさんとの再会はどんな感じだったんですか? 5年ぶりなんですよね? 

 キスぐらいしましたか? ちょっとだけ。ちょっとだけでいいからお姉さんに教えて欲しいなァ~~~?」

 

 クッソうぜぇ…………

 

 少しでも話したら最後、巧みに話題を誘導されて洗いざらい話してしまった挙句、顛末をパーティーメンバーに酒の肴としてベラベラと話すフィロメラの姿が容易に想像出来る。

 僕は全ての感情を凍結して沈黙した。

 

 さっさと城を出よう。そして、この女を撒こう。

 

「あれれ~? どうしちゃったんですかエクスくん~? 

 ……ハッ! ひょっとしてアリエッタさんに何もしてないとか…………? 

 ご、ごめんなさい…………まさか、勇者ともあろう方がそんなヘタレだったなんて……私、知らなくて…………ブフッ」

 

 はっはっは、絶好調だなこの女。今すぐ斬り捨ててしまいたい。

 

 僕はこめかみに血管が浮かび上がるのを感じながら、早足で王城を後にするのだった。

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 そして、そんなエクス達を冷ややかに見つめる影が一つ。

 

「……チッ、あの平民。また手柄を立ててきたのか。気に食わん……!」

 

 エクスとそう変わらない年齢の神経質そうな男が爪を噛む。

 

「腕っぷしだけのゴロツキが……貴族である俺達と同じような……いや、それ以上の扱いを受けているなんて、王は一体何を考えてるんだ。クソッ」

 

 男も内心では、エクスの活躍によって国が大いに救われている事が分かっている為、こそこそと陰口を叩く事しか出来ないこの状況が、なおのこと腹立たしいのだ。

 

「何か無いのか……奴に屈辱を……鼻を明かす方法……」

 

 エクスは国の英雄だ。貴族達はともかく、市井の人気と王からの信頼は凄まじい。

 下手な事をすれば、それこそ命取りになってしまう。

 

「…………そういえば、アリエッタとか言っていたか。さっきの話の内容から、故郷に置いてきた奴の女らしいが」

 

 男はエクス達の会話から聞こえてきた内容を反芻する。

 

「…………ふむ、そうだな」

 

 男が下卑た笑みを浮かべる。

 思いついたのだ。エクスに屈辱を与える方法を。

 

「おい」

 男が背後に声をかけると、影から音もなく一人の男が現れた。

 

「エクスの故郷と、そこに居るアリエッタという名の女について調べろ。今すぐだ」

「承知しました」

 

 影から現れた男は、短く答えると再び影の中へと溶け込んで消えた。

 その様子を見て、男は満足そうに笑みを浮かべる。

 

 

 

「ククク……勇者の女を寝取る、か…………悪くないじゃないか」

 

 

 

 



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09.蝕む病魔

 

「退けぇー! 敵の先鋒は八大幹部だ! 俺達では止められん!!」

 

 

 

 "東の"砦に突如現れた魔王軍。

 その先頭で人類軍の兵卒達を蹴散らすのは、返り血で禍々しく染まった三叉槍を振り回す巨大なリザードマン……魔王軍八大幹部の一人"魔槍"であった。

 

 事前の工作も万全。人類軍の主力は陽動に騙されて西の砦に集結している筈。

 奇襲としては完璧なタイミングだったはずなのだが…………

 

「ぬぅんっ!」

 

 裂帛の気合と共にリザードマンが三叉槍を中空に向けて振るった。

 激しい金属音が鳴り響き、弾かれた何者かが八大幹部の眼前に降り立つ。

 

「……なるほど。貴様が勇者エクスか」

「…………」

 

 リザードマンの目の前に幽鬼のような眼をした男が、ゆらりと立ちはだかった。

 人類軍最大戦力、救世の英雄、勇者エクスである。

 貧弱な人族とは思えないプレッシャーにリザードマンは槍を構え直す。

 

「……人類軍の対応が早すぎる。内通者か? 事前にこちらの作戦が漏れていたとしか思えん」

「…………」

「ふん、敵と語る舌は持たんか。まあ、いいだろう」

 

 リザードマンの全身の筋肉が膨れ上がる。

 溢れんばかりの殺気は、常人であればそれだけで気絶しかねない程だ。

 

「北の大陸では我が友"氷獄"を打ち破ったと聞いた。その剣の冴え、俺の槍とどちらが上か確かめさせてもらおうか」

 

 

 

「…………タ…………」

「何…………?」

 

 何やら小声でブツブツと呟いているエクスに、リザードマンは怪訝な顔をする。

 

 

 

 

 

「アリエッタ……会いたい……アリエッタ……アリエッタ……会いたい……アリエッタアリエッタアリエッタ…………」

 

 

 

 

 

「呪文……いや、自己催眠か? 奇妙な技を使う戦士だ…………面白い!」

 

 リザードマンが大地を蹴って駆け出す。

 雷の如き一突きを、エクスは剣で難なく受け止める。

 そして、リザードマンは目前の男の瞳を見つめて戦慄した。

 

「この男……全ての感情を凍てつかせたような虚無の瞳……! 

 一体どれほどの死線を越えれば、このような目になるというのだ…………!」

「アリエッタ……? …………お前はアリエッタじゃない…………アリエッタは鱗なんて生えてない…………何でお前はアリエッタじゃないのに僕の前に居るんだ?」

「……ッ!!」

 

 リザードマンが、その強靭な下半身の力でエクスから遥か後方に跳躍する。

 

「……ば、馬鹿な……この俺が…………八大幹部である"魔槍"の俺が人族如きに恐怖して後退しただと……!?」

「アリエッタは何処だ……? 隠してるんだろ…………なあ、早くアリエッタを出せよ…………」

 

 リザードマンは驚愕と屈辱に全身を震わせた。

 

「認めん! 認めんぞ! 俺が畏怖するのは、この世で魔王様ただ一人!」

「あっ! 今、聞こえた! アリエッタの声が! なあ、お前にも聞こえただろ!」

 

 魔王軍の勝利の為に、何より己の誇りの為に、この男は何としても殺さねばならない。

 リザードマンの決意と共に、三叉槍が炎に包まれる。

 

「この槍の真の姿を見せるのは魔王様以外では貴様が初めてだ…………! 

 覚悟せよ、人族の戦士よ! その首を貰い受ける!」

「そうか、分かったぞ! お前を怖がってアリエッタが出てこないんだな! すぐにこいつ殺すから待っててねアリエッタ! ヒャッハァァァーーー!」

 

 

 

 八大幹部と勇者の二度目の激戦が始まる―――! 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 そして、その光景をドン引きしながら見つめている者達が居た。勇者エクスの仲間達である。

 

「……なあ、フィロメラ。あいつ一体どうなってんの?」

「私に聞かれましても……正直、ここまで重症なのは想定外でして……」

 

 人類軍最大の戦力にして、この戦場で最も重篤な病人(エクス)を見つめるのは二人の美女だった。

 

 一人は"星詠みの賢者"フィロメラ。

 もう一人は、人族よりも強靭な肉体と長大な寿命を持った竜族の戦士レビィである。

 

「レビィ、エクスくんの援護に行かなくていいの?」

「さり気なく私に病人を押し付けようとするな。それに要らないだろ。あいつ今なんかアホみたいに強くなってるし」

 

 レビィの言う通り、本気を出した"魔槍"を相手に、エクスは終始優位に立ちまわっていた。

 半端な援護はかえってエクスの邪魔になるだけだろう。

 会話をしながらもフィロメラは魔術で、レビィは巨大な斧で周囲の魔族を屠っていく。

 

「この間の里帰りから戻ってきてからだろ。エクスの様子がおかしくなったの。何か知らないのかフィロメラ」

「他人様の恋愛事情をペラペラ話すのは気が引けますねー」

「ほぼ答え言ってるじゃん。なに、エクスの奴フラれたの?」

「いえ、それ以前の話というか。半端にアプローチをかけたせいで恋しさが暴走してしまったというか」

「なんだよ、告白してもいねえのかアイツ。勇者のくせにヘタレかよ」

「勇者のくせにヘタレなんですよね~」

 

 和やかに話しながらも、二人はエクスの戦いに横槍を入れようとする魔族を的確に排除していく。

 エクスと比べると数段落ちるが、彼女達の戦闘能力も一般兵とは隔絶しているのだ。

 

「……とりあえず、この戦いが終わったらエクスくんは里帰りさせてあげないと駄目ですね。

 戦闘能力が強化されていても、この状態は不健全です。他の仲間達も怖がってますし」

「賛成。私もこえーよ今のエクス。でも、いいのか?」

「まあ、王城への報告は私がやりますよ。今のエクスくんを王に謁見させる訳にはいかないですし」

「いや、そうじゃなくて」

 

 

 

「このままじゃ、そのアリエッタとかいう奴にエクスを取られちまうんじゃねえの?」

 

 

 

「…………はぁ、レビィが何を言っているのかよく分かりませんね」

「素直じゃねえな。私はお前とエクス結構お似合いだと思うんだけどな。まあ、好きにすればいいさ」

「何を言っているのかよく分かりませんが、エクスくんに余計な事を言わない方が身のためですよ?」

「はいはい、人族の恋愛って奴はよく分かんねえなあ」

 

 

 

 エクスの居る方角で人類軍の歓声が上がる。

 どうやらエクスが八大幹部を討ち取ったようだ。

 

 あとは大将が破れて撤退する魔王軍を追撃するだけの消化試合である。

 

 

「おっ、勝ったみてえだな。やっぱ強いわアイツ」

「…………あの、レビィ」

「なんだ?」

「…………私、そんなに分かりやすい感じでしたか?」

「さてな、少なくともエクスの奴は気づいてないだろうが…………私にはバレバレだったぞ」

「う……うぅぅ~~~…………」

 

 

 

 フィロメラは顔を赤くして、その場に座り込んでしまう。

 その様子をレビィは微笑ましげに見つめていた。

 

「やっぱり人間ってのは、かわいい生き物だなあ」

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

「こんにちわー。お姉ちゃん」

「おっ、いらっしゃい。ミラちゃん」

 

 今日も今日とて店番である。

 (アリエッタ)はカウンターで帳簿を確認していると、ミラちゃんがやってきた。

 

「安心してね、お姉ちゃん。今日は窓の外に不審者(エクス)は居なかったよ」

「お、おう。そうなの?」

 

 随分とピンポイントな報告をした後に、ミラちゃんは陳列棚から茶葉の入った袋を持ってくる。

 この店は『道具屋』という何を取り扱っているのかイマイチ分からない、極めてフワッとした業種だが、要はこの村の専門店がカバーしていないもの全般を取り扱う雑貨屋である。

 

「はい、まいどあり~」

「ありがとう、お姉ちゃん。…………あの、お姉ちゃん。今度の休日って何か用事ある?」

「ん? いや、特に予定は無いけど…………」

「そ、それじゃあ…………今度の休日、私と一緒に遊びに行きませんかっ」

 

 おおっと、ミラちゃんからデートのお誘いだ。

 ミラちゃんは一人っ子だからか、俺のことを姉のように慕ってくれているので、たまにこうして俺をデートに誘ってくれるのだ。

 

「いいね。それじゃあ、一緒に遊ぼうか」

「やたっ! 約束ね!」

 

 ミラちゃんは嬉しそうに小さく飛び跳ねた。ほっこり。

 ミラちゃんは目鼻立ちも整ってるし、あと数年もすればきっと美人になるだろう。

 今世の俺が男だったら、是非とも将来を見据えたお付き合いをしたいところである。残念ながら現在の俺は女なので御縁が無かったが。

 

「……でも、ミラちゃん。俺は嬉しいけど、どうせなら男の子とかを誘った方がいいんじゃないかな。気になる子とかいないの?」

「わ、私はそういう人いないし……お姉ちゃんと一緒の方が楽しいもん…………」

 

 ミラちゃんは頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。思春期という奴だろうか。

 異性との距離感が上手く掴めないから、気心の知れている同性との付き合いの方が居心地が良いのだろう。

 

 

 

「ぼやぼやしてたら、あの変質者(エクス)にお姉ちゃんを取られちゃう……もっと積極的に行かないと…………」

 

 

 

 何やら難しい顔でミラちゃんが呟いている。

 内容はよく聞き取れなかったが、あの顔は何か悩みごとがあるのかもしれないな。

 今度のデートの時にそれとなく聞いてみるか。

 

 

 

 そんな事を考えていると、突然店の扉が乱暴に開けられた。

 

 

 

「いらっしゃいませ」

「……ふん、しけた店だな」

 

 おおっと、厄介事の気配。

 俺と同い年ぐらいの身なりの良い男が、商品に目もくれずに、ずかずかと俺の前まで歩いてきた。

 この村の人間じゃねえな、こいつ。

 

 

「お前がアリエッタだな?」

「そうですが……何かお探しでしょうか?」

「いや、探し物なら目の前にある」

 

 男は手を伸ばすと、指で俺の顎を持ち上げて、無理やり自分に俺の目線を向けさせた。

 

 顎クイである。

 

(元)男が男にこんな少女漫画ムーブをさせられた嫌悪感で全身に鳥肌が立つ。

 辛うじて、目の前の男を突き飛ばさずに済んだのは、客商売としての最後の一線がギリギリ理性を保ってくれたからだ。

 

「ふーむ……顔はまあまあ。勇者の女というから、もっと絶世の美女を想像していたが……」

 

 あっ、俺まあまあレベルなんだ。

 周囲が馬鹿みたいに美形しかいないから、美的感覚の調節がもう全然分からないんだよな。

 

 

 

 …………勇者の女? 

 勇者って、エクスの事だよな…………? 

 

 

 

「だが、その髪はいいな。この国で赤髪の女を見るのは初めてだ。こういう変わり種が一人ぐらいハーレムに居てもいいだろう」

「はあ、そりゃどうも。…………ハーレム?」

 

 俺は目の前の男が何を言っているのか分からず、怪訝な顔をしてしまう。

 あとそろそろ顎クイを止めて欲しい。

 

「そうさ、俺の名はエイビス=クベイラ。

 こんなド田舎の人間でも、"クベイラ"の名ぐらいは知っているだろう?」

「…………どちら様ですか?」

「…………えっ、知らないの? クベイラ家だよ? あのクベイラ家」

 

 全く知らん。

 俺が頭上に巨大なはてなマークを浮かべていると、エイビスと名乗る男は一瞬しゅんとした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直した。

 

「…………まあいい、知らないなら教えてやる。俺はエイビス=クベイラ。王都に居を構え、国王にすら影響力を持つクベイラ家の息子だ。

 わざわざ王都から、こんな辺境までお前を迎えに来てやったのだ。感謝するがいい」

 

「すいません。何を言っているのか、全く理解出来ないのですが」

 

「理解する必要など無い。お前はこれから俺の愛人として王都で暮らす。これは決定事項だ。

 安心しろ。貴様に贅沢な暮らしはさせてやるし、貴様の両親にも、この店を畳んでも暮らしていける程の大金をくれてやる」

 

 

 

 あっ、こいつ客じゃねえな。ただの人攫いだ。

 俺は接客モードをオフにした。

 しつこく顎クイを継続していたエイビスの手をバシッと振り払う。

 

「生憎、俺は売り物じゃないんでね。いくら積まれてもアンタのハーレムとやらに納品されるつもりはねえぞ」

「ふっ、中々面白い女だ」

「その少女漫画ムーブをやめろォ! さっきから鳥肌が凄いんじゃ~!」

 

 俺はおぞましさに身震いをして自分の身を抱いてしまう。

 だが、目の前の男はこちらの話など全く聞こえていないようだ。

 

「ククク、良いぞ。従順な女には飽きていたんだ。エクスの女を奪うというのも実に小気味が良い! 

 前線から帰ってきたあの男が、俺の隣に居るお前を見た時の反応が実に楽しみだ!」

 

 

 

 …………さっきから気になっていたが、こいつ根本的な所を勘違いしていないか? 

 

 

 

「なあ、エクスの女って誰のこと言ってんだ?」

「貴様に決まっているだろうアリエッタ。その赤髪、間違えようがない」

 

 どうやら俺はエクスの女だったらしい。人違いである。

 

「いや、俺はエクスの幼馴染だけど、別に恋人でも何でも無いんだが……」

「ふん、誤魔化そうとしても無駄だ。エクスの周辺の人間関係は密偵が調査済みだ。貴様という恋人のこともな」

 

 その密偵クビにした方がいいぞ。

 

「さて、お喋りはこれぐらいにしておこうか。続きは王都でな。おい、連れていけ」

 

 エイビスが店の外に声をかけると、ごつい男がぞろぞろとやってきて俺を取り囲んだ。

 やべっ、ガチの奴じゃんこれ。

 

 折角、エクスのヒロインルートを回避したと思ったら、馬鹿っぽい貴族の愛人ルートとか聞いてないよ~。とほほ~。

 

「お、お姉ちゃんを何処に連れてくつもり! お姉ちゃんを離して!」

 

 おっと、ミラちゃんが馬鹿っぽい貴族に噛みついたぞ。

 気持ちは嬉しいけど、この馬鹿っぽい貴族は、下手に刺激すると何をやらかすか分からんから、ミラちゃんには大人しくしててもらおう。

 

「ミラちゃん、お姉ちゃんは大丈夫だから」

「で、でも……」

「すぐに戻ってくるよ。それよりも、父さんと母さんが戻ってきたら事情を説明しておいてくれるかな?」

「わ、分かった……お姉ちゃんが馬鹿っぽい貴族に性奴隷にされるために連れていかれたって伝えればいいのね?」

「うん……もうちょっとマイルドに伝えてくれるとお姉ちゃん嬉しいな…………あと、何処でそんな言葉を覚えたのか今度教えてね…………」

 

 

 

「手荒な真似はしたくありません。どうか、こちらへ」

「分かってるよ。俺以外の人間に手を出すなよ」

 

 俺は意外と紳士的なごついおじさんに抵抗せずに付いて行く。

 店を出るとTHE・成金趣味と言った感じの悪趣味な馬車が俺を待ち構えていた。

 

 

 

「さあ、行こうかアリエッタ。王都へ」

 

 俺はエイビスが差し出した手を無視して馬車に乗り込む。

 多分、ここで抵抗しても両親や村に迷惑をかけるだけだ。

 こいつが本当にやばいレベルの権力の持ち主だったら、抵抗すれば一家全員が処罰されるかもしれない。

 

 

 

 俺はこの状況を脱する為の手段を考えながら、馬車に揺られて故郷を後にした。

 

 

 

 



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10.溢れ出す狂気

 

 

 

「…………はっ! 僕は一体何を…………?」

 

 気が付けば(エクス)は仲間達と共に王都の入口に立っていた。

 

「よっ、エクス。正気に戻ったか? 私が誰だか分かるか?」

 

 状況が分からず、呆然としている僕の前でレビィさんが話しかけてくる。

 

「レビィさん……どうなっているんですか? 

 僕達は確か、フィロメラさんの"星詠み"で敵の陽動に気づいて……

 それから東の砦に急行して八大幹部と……あれ? 鱗の生えたアリエッタの偽物が……あれ? 

 そいつを殺せばアリエッタが…………」

 

「やばいやばい! フィロメラ! エクスの頭に治癒魔法!」

 

 レビィさんが慌てた様子で僕の背後に立っていたフィロメラさんに声をかける。

 フィロメラさんは何故か僕の頭に治癒魔法を唱えていた。

 

「……えーっと、すいません。よく覚えてないんですが……僕、戦闘で負傷でもしたんですか?」

 

 僕の治療? が終わったフィロメラさんが僕の正面に立つ。

 

「詳細は落ち着いてから話しますが、東の砦に現れた八大幹部はエクスくんが撃破しました。

 "星詠み"でも確認しましたが、幹部を立て続けに二人失った魔王軍はしばらく大人しくしている筈です」

 

「えっ、なにそれ。全然記憶にないんだけど」

 

 ……というか、フィロメラさん何か機嫌悪い? 

 

「そして、これからエクスくんには里帰りをしてもらいます。

 向こうで一週間ぐらいゆっくりしてきてください。

 念の為、エクスくんの病状が悪化した時の為に私も同行しますが、アリエッタさんとの逢瀬を邪魔するつもりはありませんのでご心配なく」

 

「はあ!? い、いや待ってくださいフィロメラさん! 

 ちゃんと順を追って説明してください! 話が全く理解出来ないです!」

 

「王城への報告はエクスくんがパーになってる間に代理の方を立てましたので心配は無用です。

 さあ、さっさと転移術を起動してください」

 

「いや、だから……!」

 

「あーーーもう! うるさいっ! エクスくんがこの先もあんな調子じゃ勇者パーティーは解散の危機なんです! 

 対策は後で考えますから、とにかく今はアリエッタさんとデートの一つでもして病状を安定させてください! 分かったらさっさと転移術を起動する! 返事は!?」

 

「は、はいっ!」

 

 フィロメラさんが珍しく声を荒らげている様子に気圧されてしまい、僕は思わず返事をしてしまう。

 

「エクスー、フィロメラもお前の事を心配して言ってるんだ。大人しく言う事聞いてやんな」

「は、はあ……分かりました……」

 

 レビィさんに後押しされて、僕は転移術を起動させる。

 いつもニコニコしているフィロメラさんにしては、珍しく不機嫌な顔をしながら僕の傍に立った。

 

「……それじゃあ、レビィ。後はお願いね」

「おう、そっちも仲良くやんなよ」

 

 僕は精神を集中させて、故郷のイメージを脳内に思い描いた。

 

「行きますよ、フィロメラさん」

「いつでもどうぞ」

 

 余所余所しい態度のフィロメラさんに居心地の悪さを感じつつも、僕は転移術の発動に集中する。

 

 

 

 次の瞬間、僕とフィロメラさんは光の粒子となって、王都から僕の故郷へと跳躍した。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

「フィロメラも物好きだねえ。好きな男が別の女といちゃつく所を見物に行くなんてさ」

 

 エクスとフィロメラを見送ると、レビィは素直になれない友人の様子に溜息を吐いた。

 

「まあ、外野がどうこう言うのも野暮か。さてと、これからどうするか…………うげっ」

 

 レビィが端正な顔を苦々しく歪める。

 王都へ向かう馬車の一群に、見覚えのある悪趣味な馬車を見つけたからだ。

 

「クベイラ家の馬鹿息子の馬車じゃん……

 あいつ会うたびにエクスに嫌味言うし、私やフィロメラに粉かけてくるしうざったいんだよなあ……」

 

 レビィは隠れようかとも思ったが、既に馬車はかなり近い距離に居る。

 露骨に避けている態度を見せるのも面倒な事になりそうだと思い、敢えて馬車が近づいて来るのを気にしないことにした。

 

「…………あれ?」

 

 馬車はこちらを無視して、そのまま王都の中へと入っていった。

 

「珍しいこともあるもんだ。てっきり馬鹿の一つ覚えみたいに嫌味でも言ってくるかと思ったが……」

 

 レビィは面倒事が通り過ぎていくのを、拍子抜けした様子で見送った。

 

「……それにしても、珍しいものを見たな」

 

 馬車が通り過ぎる瞬間に見えた中の様子をレビィは反芻する。

 

 

 

「赤髪か…………最後に見たのはいつだったかな…………」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「まさか、こんなに早くもう一度来ることになるとは思わなかったな…………」

 

 僕は二週間ぶりに再び故郷へと戻ってきていた。

 

「さあ、行きますよエクスくん。アリエッタさんは5年前と同じ道具屋に居るんですよね?」

 

 フィロメラさんが僕を置いて、さっさと歩き出した。僕は慌てて彼女を追いかける。

 

「え、ええ。そうですけど……というか、何処までついてくる気なんですか」

「ご心配なく。エクスくんの病状が悪化せずにアリエッタさんの所まで行けたら、私は適当に消えますから」

「さっきから病気病気って言ってますけど、一体なんの話なんですか。そろそろ説明してくださいよ」

 

 フィロメラさんは足を止めると、深い深い溜息を吐いた後に晴々とした笑顔で僕に振り返った。

 

「はい、エクスくんは病気です。アリエッタさんに半月会えなかっただけで、幻覚、幻聴、妄想等が極限まで肥大化してしまうのです。

 おかげで私達はエクスくんとの意思疎通に非常に苦労しました。

 戦闘能力だけは平時よりも強化されるので、心底厄介でしたよ?」

 

 フィロメラさんは意味不明な事を言っていた。

 

「すいません、今の話どこが笑うポイントですか?」

「全部ですかね」

 

 フィロメラさんの笑顔が凄く怖い。

 

「真面目に話してくださいよフィロメラさん。

 それじゃあ、僕がまるで恋人でもない女の子に2週間会えなかっただけで発狂して暴走するド変態か重病人みたいじゃないですか」

「理解が早くて助かります」

 

 フィロメラさんの顔から一切の感情が消えた。凄く凄く怖い。

 

「フィロメラさん、いい加減にしないと僕も怒りますよ? 

 そんな馬鹿げた話を誰が信じるって言うんですか。アリエッタもそう思うでしょ?」

 

 僕は道端に立っている木で出来たアリエッタに話しかけた。

 

「ヒーリング!!」

 

 僕はフィロメラさんの治癒魔法が付与された杖で頭を強打された。

 

「はっ! 僕は何でカカシに話しかけていたんだ…………?」

「もはや一刻の猶予もありません。さっさと行きますよエクスくん」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 フィロメラさんに先導されて、僕はアリエッタの居る道具屋の前に到着した。

 

「さあ、行ってきてください。これで少し様子を見て、エクスくんの病気が悪化しないようなら私は王都に帰るんで、後はお二人で好きなだけいちゃついてください」

「べ、別に僕とアリエッタはそういう関係じゃ…………」

「いっそ、そういう関係になって王都にでも連れてくればいいじゃないですか。

 それかこっぴどくフラれて未練を断ち切ってください。…………その時は私が慰めてあげます」

「……はい、ありがとうございます」

「皮肉です。真面目に受け取らないでください」

 

 フィロメラさんは拗ねたようにそっぽを向いてしまった。

 ……何だか今日はフィロメラさんの意外な一面を沢山見てしまった気がする。

 

「意外と子供っぽいところあるんですね。何だか新鮮です」

「年下の癖に生意気ですよ。早く行かないと、もう一回治癒魔法付与した杖で殴りますよ」

 

 杖を突きつけてきたフィロメラさんに苦笑しつつ、僕は一度深呼吸をすると店の扉に手をかけようとする。

 

 

 

「…………あっ」

 

 

 

 しかし、僕が扉を開けるよりも中から一人の少女が出てくる方が先だった。

 僕は少しかがんで目線の高さを少女に合わせる。

 

「こんにちは、ミラちゃん。アリエッタは中に居るのかな?」

 

 彼女が5年前にアリエッタと一緒に探した子犬の飼い主であるということは、先日アリエッタから聞いていた。

 

「……変質者のお兄ちゃん」

「誤解だ。話を聞いてくれミラちゃん」

 

 しかし、ミラちゃんは僕の話を聞いてくれなかった。

 彼女は僕の服をギュッと握りしめて続けた。

 

「お願い……お兄ちゃんは凄く強い人なんでしょ……? アリエッタお姉ちゃんを助けて…………!」

 

 少女の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。

 そのただならぬ様子に、僕はアリエッタに何か大変な事が起きたのだと悟る。

 

「ミラちゃん、落ち着いて。アリエッタに何か有ったのかい?」

 

 僕は少女を落ち着かせるように、出来るだけ優しく彼女に先を促した。

 

「こ、この間……エイビスとかいう馬鹿っぽい貴族がお姉ちゃんのお店にやってきて…………」

「エイビス……?」

 

 ミラちゃんから出てきた意外な名前に僕は驚く。

 僕達の事をよく思わない貴族達の中でも、クベイラ家の彼は特に酷かった。

 少し前までは大小問わず、様々な嫌がらせを受けたものだが、魔王軍四天王を撃破した辺りから、王からの信頼が厚くなった僕達に対して、あまり表立ったことはしてこなくなったのだが……

 彼が何故、こんな辺境に……? 

 

 

 

「……その馬鹿っぽい貴族が、お姉ちゃんを性奴隷にする為に、無理やりお姉ちゃんを王都に連れて行ったの…………」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、僕はフィロメラさんの手を引いて、村の入口へと早足で戻った。

 その場で転移術を起動してミラちゃんを巻き込んだり、フィロメラさんを置き去りにして一人で王都へ帰らなかったのは、我ながら大したものだと思う。

 

「エ、エクスくん! 落ち着いて! 一旦、冷静に……!」

「僕は冷静です。転移術を起動するので離れないでください」

 

 僕からして見れば、取り乱しているのはフィロメラさんの方だ。

 彼女が暴れて転移術が失敗しないように、僕は彼女を抱きしめた。

 

「な、な……なっ……!」

「飛びますよ、フィロメラさん」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 僕達は僅か数時間で再び、王都へと戻ってきていた。

 連続で発動した転移術の影響か、多少の眩暈を感じるが今は気にしてはいられない。

 

「それじゃあ、フィロメラさん。僕はちょっと用事が有るのでこれで」

「エ、エクスくん! 待っ…………」

 

 フィロメラさんを腕から解放すると、僕は全速力で駆け出した。

 通行人と接触すると大事故になりかねないので、建造物の屋根を飛び移っていくことにしよう。

 うん、やっぱり僕は冷静だ。

 これなら幾らでもスピードを出せる。

 

「えーっと、確か彼の屋敷はこっちだったかな?」

 

 以前、一度屋敷へ招待された時の記憶を辿って、見覚えのある建物を探す。

 走りながら僕は腰に下げた剣を確かめた。

 

「うーん、室内ならナイフとかの方がいいかな?」

 

 想定される状況を考えて、武器の適性を考慮する。

 やはり僕は冷静だ。

 

 僕は舌なめずりをしながらエイビスの屋敷へと急ぐのだった。

 

 

 



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11.惨劇の館

 

 

 

「…………んむぅ……おっ、王都に着いたのか」

「……俺が言うのも何だが、この状況でよく寝れるなお前」

 

 エイビスの突っ込みを無視しつつ、(アリエッタ)は居眠りから目覚めると、窓から見える景色がいつの間にか、街道から大都市のそれに変わっているのを確認して、軽く伸びをした。

 

 馬車の旅は思いの外、快適であった。

 この異世界ぐらいの文明レベルだと、馬車での長旅は地獄のような環境だと、前世での聞きかじりの知識が有ったのだが、金の力なのか魔法の力なのか、車内は大した揺れもなく、乗り心地は前世の自動車や新幹線と大して変わらないレベルであった。

 

 おまけに目の前の誘拐クソ野郎と会話が弾む訳もなく、ぼんやりと窓の外を見ているだけでは眠くなるのも仕方ないというものだろう。

 

「あとどれくらいで目的地に着くんだ?」

 

 俺は御者をしている意外と紳士的なごついおじさんに声をかけた。

 

「あと10分程です。アリエッタ様」

「様とか止めてくれよ。俺ただの平民だぞ?」

「エイビス様の妾とあらば、並の貴族よりも強い権力をお持ちになられるかと」

「……とりあえず"様"は止めてくれ。呼び捨てが無理なら、せめて"さん"とかで」

「申し訳ありませんが、出来かねますな」

「融通が利かないおじさんだなー」

 

 だが、職務に忠実そうな感じで俺的に好印象である。渋い軍人キャラみたいだ。

 そして、そんな俺とおじさんの会話を恨めしそうに見つめる馬鹿貴族が一人。

 

「……なんで、俺よりそいつの方と仲良さげなんだ」

「俺は年上趣味なんだ」

 

 俺は適当なことを言った。

 こいつとまともに会話する気など無いからだ。

 目の前の馬鹿貴族に、直接的に手を出すことが出来ないので、腹いせとばかりに俺はおじさんといちゃつくことにした。

 

「なあなあ、おじさん。名前教えてよ名前」

「私の名前など、お聞かせする程のものでは」

「こっちは名前知られてんのに、俺はおじさんの名前知らないとか不公平だろー。なーなー教えてくれよー」

「もうすぐエイビス様のお屋敷です。お座りくださいアリエッタ様」

「なーおじさん、こっち向いてよー。なー」

 

 俺はもう名前も知らないおじさんにメロメロである。

 だが、そんな俺とおじさんの楽しいおしゃべりの時間は終わりのようだ。

 馬車がアホみたいにデカイ屋敷の前で止まった。どうやら目的地に到着してしまったようだ。

 

「さあ、来いアリエッタ。今日からここがお前の暮らす場所だ」

 

 先に馬車から降りたエイビスが、俺に手を差し出す。

 当然のように俺はそれをスルーして馬車から一人で降りる。

 

「き……貴様…………自分の立場というものを…………」

「おお……」

 

 俺は目の前の屋敷の壮観に思わず声を上げてしまう。

 映画やゲームでしか見た事ないような豪奢なお屋敷だ。

 ツボとかタンスを漁ったらきっとレアアイテムが出てくるだろう。

 

 屋敷の外観に見惚れている俺に、エイビスが自慢げに語りかけてきた。

 

「ふふん、どうだ。これがこのエイビス=クベイラの屋敷だ。

 外観の優美さでは、父上の屋敷にも劣らぬと思っている。中々のものだろう?」

「ああ、すげえな」

 

 俺は素直に認めた。良いものは良いのだ。

 すると、エイビスが意外そうな顔をした。

 

「……なんだ、そういう素直な態度も取れるんじゃないか」

「俺を何だと思ってるんだ。それよりも、ここに住んでるのってお前だけなのか? 家族は?」

「…………父上と兄上は別の屋敷で暮らしている。ここに住んでいるクベイラ家は俺だけだ」

 

 

 

 ……あっ。こいつ多分、家から見捨てられてるな? 

 見るからに才覚とか無さそうだもんな。

 

 俺は急に、こいつに少しだけ優しくなれそうな気がした。

 まあ、俺を拉致した事実は変わらないので、許すつもりはないが。

 

「ついてこいアリエッタ。お前の部屋へ案内しよう」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「それでは、アリエッタ様。何か有ればいつでもお声掛けくださいませ」

 

 俺は本格派のメイドさんで目の保養を済ませると、広々とした個室に一人取り残された。

 

「……さて、どうしたものかな」

 

 多分、警備はそこまで厳重ではない。逃げようと思えば不可能では無いが……

 

「逃げた後に何処へ行くのかって話だよなあ……」

 

 こんな屋敷を持っているんだ。エイビスがとんでもない権力を持っているというのは多分本当だろう。

 ここを逃げ出して何とか故郷に帰れたとしても、すぐに連れ戻されてしまうだろう。

 

 故郷ではない何処かへ逃げたとしても、俺に逃げられた腹いせに両親が何をされるかなんて想像したくもない。

 

 

 

 ……薄々分かっていたが、目を付けられた時点で俺は詰んでいたのだ。

 

 

 

「……こんなことになるんだったら……」

 

 よく知らない好きでもない男の愛人にされるぐらいなら、エクスの好意を素直に受け入れておくべきだったのだろうか。

 

 

 

 夕焼けの中で見上げた、逞しく成長したエクスの横顔が脳裏をよぎった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は全力で頭を壁に打ち付けた。

 

「違う違う違う! 俺はノーマルだ! そもそも男に貞操を奪われるという時点でありえねェーーー!!」

 

 精神が肉体に引っ張られている現状に俺は恐怖した。

 前世の半分程度しか生きてないのに思考回路がメスに塗りつぶされていくのは屈辱的である。

 

 

 

「うるさいぞ! 一体何をやっている!」

 

 俺の慟哭を聞きつけたのかエイビスが部屋にやってきた。ノックぐらいしろ。

 そして、奴は俺の姿を見て固まった。あんだよ。

 

「…………いいじゃないか」

 

 エイビスの視線が俺を爪先から頭まで舐めまわした。おぞましい。俺は鳥肌が立った。

 

「女というのは恐ろしい。少し手を加えるだけでここまで変わるのだからな」

 

 ……ああ、今の俺の格好の事を言っているのか。

 

 屋敷に通された俺は本格派のメイドさん達の手によって、改造手術を受けたのだ。

 化粧にヘアメイク、THE・モブキャラといった風情の村娘服は剥ぎ取られて、肩がガバッてなってるドレスなんぞを着せられてしまったのだ。動きづれぇ。

 

「……ふむ、夜まで待つつもりだったが……気が変わった」

 

 エイビスが部屋のドアを閉めた。

 

 やめろやめろ、後ろ手で鍵をかけるんじゃない。

 奴は俺に近づくと、腰に手を回して抱き寄せてきた。

 

 

 

「まだ外は明るいが、その方がお前の顔と髪を楽しめるというものだ」

「ひぃぃ~~~鳥肌がァーーー」

 

 

 

 臭いセリフと男の顔が至近距離にある状況が嫌すぎて俺は涙目になる。

 しかし、エイビスはそんな俺を大層お気に召したご様子で、俺のことをヒョイと抱えるとベッドへとリリースした。

 

 

 

「待て待て待て! 夜にしよう! 夜がいい!」

 

 俺はベッドの上をズリズリと後退しながら、引き延ばし工作を謀った。駄目だった。

 

「無駄な抵抗はよせ。初めてというわけでもあるまい、エクスよりも楽しませてやるから安心して…………」

「アホかー! こんなこと初めてに決まってんだろうがァーーー!」

 

 

 

 俺の初めて宣言にエイビスが固まった。おや、効果アリ? 

 

「……初めてなのか? エクスと一夜を共にしたことはまだ無いと?」

「有る訳ねえだろ! エクスどころか他の誰とも…………その…………アレだ…………とにかく何もしたことはねえよ!」

 

 

 

 しばしの間、エイビスは固まっていたが、やがてその顔に深い笑みが刻まれる。

 

 

 

「最高じゃないか! エクスの女の初めてを俺が奪うんだ。あの勇者よりも先に! この俺が!」

「お前もうそこまで行ったらホモだよ! 屈折したホモだよ!」

 

 

 

 俺は目の前のホモに悲鳴を上げるが、テンションマックスになったホモは止まらない。

 

 ベッドの端に追い詰められて逃げ場を失った俺にエイビスが唇を近づけてくる。

 

 俺は現実とホモから目を背ける為にギュッと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

「…………エクスッ…………!」

 

 

 

 俺が小さく呟いたその時、部屋の扉が激しく叩かれた。

 えっ。もしかして、本当にエクスが……? 

 

 

 

「エイビス様! 緊急事態です!」

 

 知らないおじさんだった。

 ……まあ、知らないおじさんでもいいか。

 知らないおじさんの妨害にエイビスは露骨に苛立った声を上げる。

 

「取り込み中だ! 後にしろ!」

「侵入者です! 何者か分かりませんが、警備の者達が次々と襲われています!」

「なに……」

 

 何やら物騒な事になっているようだ。

 流石にエイビスも冷静になって、一旦俺の上から退いてくれた。

 

「どういうことだ。賊か? それとも魔王軍か?」

「詳細は掴めておりませんが、とりあえず死傷者は出ておりません。皆、一撃で気絶させられたようで……相当な手練れです」

「ただの強盗では無さそうだな……」

「とりあえずエイビス様とアリエッタ様は、部屋に鍵をかけて外に出ないように…………な、何っ!? 貴様は…………!」

 

 おおっと、扉の外で何やらイベントが発生したようだぞ。

 

 

 

「ぐわあああーーー!」

 

 し、知らないおじさーーーん! 

 扉の外で人間が倒れたような音がした。多分、人間が倒れたんだろう。

 

「ど、どうした! 何があった!?」

 

 焦った様子で、エイビスが扉の外にいたおじさんに声をかけるが、返事は無い。

 

 

 

 ……つまり、扉の外におじさんを倒した侵入者が居るということだ。

 

 

 

 ごくり、とエイビスが生唾を飲む音が静かな室内に響く。

 

「……だ、誰だ……?」

 

 エイビスが扉の向こうに居る侵入者に声をかけた。

 

 

 

 

 

 バガンッ!! 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、頑丈そうな扉の板が剣によって引き裂かれた。

 

 

 

「エイビスくぅ~~~ん…………」

 

 扉に出来た裂け目から、にゅっ、と一人の男が顔を出してきた。

 

 

 

「お客様だよ!!」

「ぎゃーーー! シャイニング!?」

 

 俺とエイビスは恐怖のあまりお互いに抱きついてしまった。

 

 

 

 ……っていうかエクスじゃん! 何やってんのこいつ!? 

 

 はっ、エクスがこっちに気づいたぞ。

 

「ア、アリエッタ…………」

「お、おう。俺だ…………」

「…………綺麗だ…………」

 

 いや、今はそういうのいいから。

 エクスは扉の裂け目からじっとこちらを見つめてくる。怖い。

 

「ざ、残念だったなエクス! アリエッタは俺のものになったんだ! もうお前の出る幕は……」

 

 おおっと、止めときゃいいのに馬鹿が突っ込んでいったぞ。

 ヒュッと馬鹿の横を何かが通り抜けた。

 多分、馬鹿の背後に突き立ったナイフがその正体だろう。

 

「僕は今アリエッタと話しているんだ。どうして邪魔をするんだ? どうすれば君は静かにしてくれるんだ? 僕はナイフをあまり使わないから手持ちが少ないんだ。出来れば全部使い切る前に静かにしてくれると助かるんだけど出来るかな? 出来るよね? ああ、返事はしなくていいよ。ただ黙っていてくれればそれでいいんだ。お喋りな君にはちょっと難しいかもしれないけど頑張ってみてほしい。君なら出来る」

 

 

 エイビスは完全に沈黙した。

 

 

 

 ……さて、俺はこの怪物(エクス)とどう向き合えばいいのだろうか? 

 

 

 あの目はどう見ても正気じゃない。

 混乱とかそういう系の状態異常にでもかかっているのだろうか? 

 だとしたら俺には打つ手なしだ。モブ村娘の俺には治癒魔法のスキルなんて無いからな。

 

 

 

 緊張感溢れる対峙が続く。

 どうする…………どうすれば、俺は生き残れる…………? 

 

 

 

 おや、エクスの様子が…………? 

 

 ゆっくりと瞼を閉じて…………? 

 

「…………ぐぅ」

 

 眠った…………? 

 

 

 

 ええぇ~…………この状況で寝るのぉ? 

 

 エクスは扉の裂け目に顔を挟んだまま、器用に眠っていた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……な、なんとか間に合いましたね…………」

 

 誰かがエクスの顔面を扉からベリッと引き剥がした。

 エクスがぶち開けた穴から女の細い手が伸びてきて、扉の鍵を開錠する。

 

「あれ、お前は確か…………」

 

 開いた扉の向こうには見覚えのあるおっぱいが立っていた。

 

「フィロメラ……だっけ?」

 

「お久しぶりです、アリエッタさん。

 ああ、エクスくんは睡眠の魔法が入ってるので、当分は目覚めないからご心配なく」

 

 

 

 どうやら、当面の危機は去ったようである。

 俺は生還の喜びに打ち震えるのだった。

 

 

 

 



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12.脱出!エイビス邸

 

 

 

「……フィ、フィロメラ! これはどういう事だ!?」

 

 エクスの狂気を浴びてフリーズしていたエイビスが再起動した。

 エイビスはフィロメラと面識があったらしく、床で爆睡しているエクスを指差しながら彼女に向かって叫んでいる。

 

「申し訳ありませんエイビス様。ご無事で何よりです」

「無事!? 無事だと! 一体どこに目を付けているんだ! この俺にこんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」

 

 キャンキャンと騒ぎ立てているエイビスに向かって、フィロメラがまあまあと両手を前に突き出して宥めすかす。

 

「お怒りはごもっともです。ですが、今回の件は無かったことにするのがよろしいかと」

「はあ!? ふざけるなよ! 貴様ら全員、牢屋にぶち込んで……」

「私や仲間達はともかくとして、暴走したエクスを……人類軍最大戦力を止められる人間がこの国に居るとでも?」

「うぐっ…………」

「それに、魔王軍と戦争中の状況下でドヴァリ卿……エイビス様の御父上が、人類軍と勇者の対立を望んでいると思いますか?」

 

 フィロメラの言葉にエイビスがハッとした顔をする。

 

「き、貴様……既に父上に根回しを…………?」

「……さあ、どうでしょうか? ご自身とクベイラ家との関係を悪化させてまで、エクスと対立してもエイビス様が損をされるばかりかと」

「…………そ、それは…………」

「ドヴァリ卿がエイビス様とエクス、どちらを選ぶか気になるのでしたら、この場で我々を捕らえていただいても構いませんよ?」

「…………」

 

 あっ、父親の名前を出されたら、露骨に静かになったぞこいつ。

 何やら複雑な家庭環境を感じさせるが、そう言う伏線っぽい話は俺と関係ないところでやってほしい。

 

「そもそも、今回の一件はそこの彼女……アリエッタさんを無理やり連れ去ったことが原因だということはお分かりでしょう?」

 

 えっ、そうなの? 何で俺がエイビスに拉致られたら、エクスが冬のホテル管理人みたいになるんだ? 

 突然、話題を振られて俺は困惑してしまう。

 

「エクスへの嫌がらせのつもりだったのでしょうが……逆鱗に触れてしまいましたね」

「…………くそっ!」

「アリエッタさんは私達が連れて帰ります。ここに残しておくと、本当にエイビス様の命が危ういですから。命が惜しければ、今後は彼女に関わらないことをお勧めします」

 

 俺、なんか呪いのアイテムみたいな扱いになってない? 

 

 

 

「おーい、フィロメラ。話は終わったか?」

「ええ、そっちはどうでしたかレビィ?」

 

 おっと、奥から新キャラが出てきたぞ。

 動きやすさを重視したような軽装鎧を身に着けた、金髪ポニーテールのスレンダーな美女だ。へそやら太ももやら肌色部分が多くて実に良い。

 隣に立っている露出少な目な黒髪巨乳のフィロメラとは要素が対照的で、二人とも俺の目を楽しませてくれる。眼福である。

 

「問題無し。ぶっ倒れてるのは全員気絶しているだけだったから、1時間もすれば目を覚ますよ」

「それは良かった。流石に死者が出ていたら不味かったですからね」

「……おっ、あんたがアリエッタ? 私はレビィって言うんだ。フィロメラと同じエクスのパーティーメンバー。よろしくな」

 

 片手を上げてこちらに挨拶してきた彼女に、俺はぺこりと軽くお辞儀をする。

 どうやら彼女もエクスの仲間のようだ。

 

 ……この野郎、本当に美女に囲まれてやがるな。羨ましい奴だ。

 俺は床で爆睡しているエクスを、軽く嫉妬を込めて睨み付けた。

 そんな俺の様子を見て、レビィが意味ありげにニヤニヤと笑った。

 

「あー、心配しなくていいよ。私とエクスは変な関係じゃないから。フィロメラはどうか知らないけど……」

「レビィッ!」

 

 …………何の話だ? 

 意図が読めない会話に、俺がでかいはてなマークを浮かべていると、フィロメラは咳払いをして場を仕切り直した。

 

「さあ、行きましょうかアリエッタさん。とりあえずは私達が拠点としている屋敷へご案内します。それからの事は落ち着いてからで」

「あ、ああ。分かった」

「レビィはエクスくんをお願いします」

「あいよ」

 

 レビィが爆睡しているエクスを、ひょいっと荷物を担ぐように肩に乗せた。

 ……流石、勇者様御一行の一員だ。細身の見た目からは想像出来ない筋力である。

 

「…………あっ」

「どうしましたか、アリエッタさん」

「俺、この格好で行かないといけないの?」

 

 俺の服装は未だにエイビスの屋敷のメイドさん達によって着せられたヒラヒラのドレスである。

 出来れば、いつもの着慣れたモブキャラ服に着替えたいのだが……

 

「…………そんな物くれてやる。いいから、さっさと出ていけ」

 

 床に座り込んで項垂れているエイビスからドレスを贈呈されてしまった。

 いや、要らんから俺の服を返してくれ。

 

「エイビス様もこう言ってくれていることですし、そのままで行きましょうかアリエッタさん」

「ええ~…………」

 

 嫌そうな顔をする俺に、フィロメラがそっと耳打ちをしてきた。

 

「…………さっきエイビス様に言ったこと、殆どハッタリなんです。彼が冷静になる前に早くここを出ましょう」

「ええ~…………」

 

 俺は仕方なく心底動き辛いヒラヒラのドレスのまま、エイビスの屋敷を後にすることになった。

 さらば馬鹿貴族よ。もう会うことはないでしょう。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 エイビスの屋敷を出てから数十分後、俺はエクス達が拠点としている屋敷に到着した。

 

「へえ、ここがエクス達のアジトか」

 

 エイビスの屋敷と比べると流石に見劣りするが、それでも十分立派なお屋敷である。

 

「私達以外にも何人かの仲間達とここで一緒に暮らしてるんだけど、今は出払っててね。他に誰も居ないから楽にしてちょうだい」

 

 レビィがアジト事情を伝えながら屋敷の扉を開ける。

 彼女が扉に手を触れただけで、扉の鍵が開錠される音が聞こえた。

 おおう、ハイテク……じゃなくて魔法すげえ。

 

「それじゃあ、私はエクスを部屋に放り投げてくるからフィロメラはアリエッタをお願いね」

 

 レビィはそう告げると、エクスを抱えたまま屋敷の奥へと消えていった。

 取り残されてしまった俺とフィロメラがお互いに見つめ合う。

 

「……さて、アリエッタさんには何から話せばいいものか…………」

「ああ、俺も何から聞けばいいのか全然分からん」

 

 お互いに似たような発言が重なってしまい、苦笑を浮かべあってしまう。

 

「とりあえず、お茶でも淹れましょうか?」

「ああ、それはありがたいな。今日一日で色々有り過ぎてヘトヘトなんだ」

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 (フィロメラ)は台所でお湯を沸かすと、茶葉を入れたポットにお湯を注いだ。

 

「はぁ、どうしたものでしょうね…………」

 

 私の彼女に対する感情は複雑だった。

 

 私達が守るべき無辜の民であり、エクスくんと関わりが有った為にエイビスに目を付けられてしまった被害者であり、私の…………恋敵でもある。

 

 今回の一件や、エクスくんの彼女恋しさによる精神面の問題など、私はどれくらい話してもいいものなのだろうか。

 

 デリケートな問題なだけに、当事者以外が口を出すのは躊躇いがある。

 

「とりあえず、エクスくんと直接話してもらうのが一番なんですかね……」

 

 私は結論を先送りにすると、カップとポットを持って彼女の元へと戻った。

 

 

 

 

「アリエッタさん、お待たせしま…………」

「しぃー…………」

 

 居間へ戻った私に、レビィが人差し指を口に当てて沈黙を促した。

 レビィがソファに身を預けて眠っているアリエッタさんを指差す。

 

「色々有って疲れてたんだろうな。寝かせてあげな」

「そうですね……空いてる客間まで彼女を運んでもらってもいいですか?」

「あいよ」

 

 レビィは彼女をそっと抱きあげると、二階の客間へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『アリエッタさんへ

 お疲れの様子だったので、話は翌朝にしましょう。

 今日はゆっくりとやすんでください。

 ―――フィロメラ』

 

 目につく場所に書置きを残して、アリエッタさんを客間のベッドへ寝かせると、私とレビィはリビングで少しぬるくなったお茶で喉を潤した。

 

「お話はエクスくんとアリエッタさんが起きてからですね」

「どう説明するつもりなんだ?」

「……色々考えましたが、結局は当人同士で話し合ってもらうのが一番かと」

「要はエクスに告白させるってことか」

「……まあ、そうなるかもしれませんね」

 

 というか、それが一番なのだ。

 エクスくんと彼女が恋人関係になるにせよ、ハッキリと脈が無いとフラれるにせよ、恐らくは今の中途半端な状態がエクスくんには一番良くないのだと思う。

 

「それ、大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。恋人関係になるならそれは構いませんし、玉砕したとしても、その程度で駄目になってしまうような弱い子じゃありませんよ。エクスくんは」

「私が言ってるのは、フィロメラはそれで大丈夫なのかって話」

 

 ……レビィはどうも私贔屓な考え方をしてしまう所があるようだ。

 

「……この間、好きにすればいいと言ったのはレビィでしょう」

「そんな事言ったっけ? …………ああ、言ってたわ。でも、気が変わった。フィロメラは本当にそれでいいのか? 私にはやせ我慢してるようにしか見えねえぞ」

「…………嫌ですねえ、竜族というのは。無駄に長生きしてるから、20年ちょっとしか生きてない私が子供に見えて、お節介を焼きたくなってしまうんでしょうか?」

 

 彼女の余計なお世話に苛立ってしまった私は、見た目ほど若くない彼女に憎まれ口を叩いてしまう。

 しかし、そんな私の態度を彼女は微笑みを浮かべて見つめていた。

 

「そうだよ、私から見たらエクスもお前も子供さ。私の半分も生きてないんだから。なのに、お前ときたらエクスの前では"大人"をやりたがる。背伸びしてる子供みたいで、可愛らしくて放っておけないんだよ」

「…………それはどうも、ご心配をおかけしましたね」

 

 口では勝てそうにないことを悟った私は、ため息交じりにカップに残ったお茶を飲みほした。

 

「……負い目があるんですよ。私はエクスくんに」

 

 私は5年前のあの日を思い出す。

 彼を故郷から半ば無理やりに王都へ連れて行ったあの日を。

 

 …………アリエッタさんと彼を引き離した日を。

 

「仕方の無かったことだとは思っています。事実、エクスくんがいなければ、どうにもならない場面はいくらでもありました。私達だけでは八大幹部どころか四天王だって倒せていなかった」

「長生きしか取り柄が無くてすまんね」

「……茶化さないで。だから、人類の為にもエクスくんを勇者に仕立て上げた事は後悔していません。…………でも、それならせめて、私がどうにか出来る範囲では彼に幸せになってほしい。そうじゃなければ、私が納得出来ない」

 

 少年時代を犠牲にして、命がけの戦いに身を捧げた人間が報われないなんて認められないし、認めてはいけない。

 

 結局は私のちっぽけな自己満足なのだ。

 

 

 

「難儀な性格してるよ、お前」

「ええ、でも嫌じゃないのよ? この性格」

 

 お互いに苦笑を浮かべてしまう。

 

 気づけば、ポットに入っていたお茶はすっかり冷めてしまっていた。

 

「冷めちゃったわね。新しいのを淹れてくるわ」

「私はお茶よりも酒の方がいいな」

「駄目。アリエッタさんにベロベロの二日酔いになってるレビィを見せるわけにはいかないもの」

 

 

 

 不服そうに唇を尖らせるレビィを見て、私は少しだけ先ほどの仕返しが出来たことに、小さく笑みを浮かべるのだった。

 

 

 



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13.第一歩

 

 

「…………んあっ…………?」

 

 (アリエッタ)は不意に意識を取り戻した。

 見慣れない天井と、着慣れないドレスに最初は困惑したが、徐々に記憶が蘇っていく。

 

「ああ、ソファで寝ちまったのか…………で、誰かが運んでくれたのかな?」

 

 ベッドサイドの小さなテーブルにフィロメラの書置きを見つけると、俺は現状を把握した。

 

「とりあえずは明日の朝、か…………」

 

 窓から外を見ると、静まり返った街並みを月が照らしていた。夜明けはまだ遠いようだ。

 俺は再びベッドに潜り込むが…………

 

「…………眠れん」

 

 一度覚醒してしまった脳が、再びおやすみモードに移行するには時間がかかりそうだった。

 

 ……というか、このエイビスから進呈されたドレスをいい加減脱ぎたい。

 良質な素材で出来ているのか、着たままベッドで寝ていた割には酷い型崩れはしていないが、こんなもん着てたら寝れたものではない。

 

 …………いっそ脱いじまうか? 

 そんな寒い時期じゃないし、下着で寝ても風邪を引くような事は無いだろう。

 ドレスは朝になったら、また着ればいい。

 

 そうと決まれば、さっさと脱いじまおう。脱げなかった。

 

「……俺はこれをどうやって着せられたんだっけ?」

 

 エイビス邸のメイドさん達によって着せられた高級ドレスは、俺には脱ぎ方がさっぱり分からなかった。

 ファスナーやら結び目やらを探して、俺は不思議な踊りを踊った。

 あっ、そういえば着せられた時にメイドさんに背中のファスナーを上げられたような気がする。

 俺は背中に手を伸ばすが、それらしい物に手が届かなかった。

 

 これ多分、一人で脱げる仕組みしてねえな? 

 

 

 

 俺が不思議な踊りを継続していると、ドアが控えめにノックされた。

 

「えーっと…………アリエッタ、起きてる……かな?」

「おお、エクスか。ちょうど良かった。少し手伝ってくれないか?」

 

 俺に促されて、エクスが恐る恐ると言った感じで部屋に入ってくる。

 

「ご、ごめんね。こんな夜中に…………ところで、手伝ってほしいって?」

「ああ、ドレスの背中にファスナーが有ると思うんだけど、ちょっと下ろしてくれないか?」

 

 

 

 

 

 ちょっと待て。俺は今、何を言った? 

 

 

 

 

 

 俺は恐る恐る振り返ると、ぶっ倒れるんじゃないかと思うぐらい顔を真っ赤にしたエクスが立っていた。

 

「ア、アアアリエッタ…………! 下の階にはフィロメラさん達も居るし…………じゃなくて! 

 その、そういうのは…………僕も、その……男だから…………」

「す、すまん! 少し寝ぼけてたみたいだ! 今のは忘れてくれ!」

 

 痴女か俺は!? 

 

 いくら俺が精神的にはエクスのパパでも、外面は同い年の女なんだから、恋人でもない男にドレスを脱がさせるとかありえねえだろ!? 

 こんなことで俺がエクスに気持ち悪がられたらどうしてくれるんだ。

 やはり寝起きで少し脳みそが働いていないみたいだ。

 それもこれも、こんなドレスを着せたエイビスが悪い。エイビスめ~~~! 

 

 俺は気を取り直して、エクスに椅子を勧めると、自分もベッドに腰かける。

 

「あ~…………それで、エクスはこんな夜中にどうしたんだ?」

「用事って訳じゃないんだけど……まだ、ちゃんと話せてなかったから。

 もし起きてたら、声だけでも聞けたらなって…………その、大丈夫だった? 彼……エイビスに何か怖い事はされなかった?」

 

 どちらかと言えば怖かったのはエイビス邸を強襲してきたお前だったんだが、まあ黙っておこう。

 

「何もされなかったから安心しろ。その前にお前が来てくれたからな。

 …………5年前と同じだな。また、お前に助けられちまった」

「うん。アリエッタに何かあれば、僕はいつだって駆け付けるよ」

 

 なんてパパ想いな息子なんだ。嬉しい反面、(おれ)離れが出来ていないようで少しだけ心配になってしまう。

 

「そういえば、何で俺がエイビスの屋敷に居るって知ってたんだ?」

「ああ、ミラちゃんに教えてもらったんだ。アリエッタがエイビスに連れ去られたから助けてほしいって」

「なるほど。ミラちゃんが…………って、ちょっと待て。お前、また村に行ってたの? お前がそんな頻度で来るような何かがウチの村にあるの?」

 

 村の地下に封印された邪神とか。

 もし、その手のメインシナリオに関わりそうなものが実家周辺に存在しているのなら引越しも検討せねばなるまい。

 

「うっ…………そ、それは…………その…………」

 

 エクスは苦し気に顔を歪ませて、口を開いたり閉じたりしている。

 こいつは子供の頃から言いづらい事が有るとこんな感じになってたっけ。

 

 

 

 はぁ~~~…………仕方ねえなあ。

 

「アリエッタ…………僕は…………」

「エクス、無理すんな。話したくないなら話さなくてもいいよ」

 

 

 

 俺の言葉にエクスが驚いた顔をする。

 

「えっ……い、いや……それは……」

「いいんだよ。話せる時が来たら話してくれれば、それでいい」

 

 勇者なんて呼ばれてはいるが、大きな括りで言えばエクスも軍人のようなものだ。

 機密上、一般人の俺には話したくても話せないこともあるだろう。

 

 それは、もしかしたら村や俺にとって何か不都合なことなのかもしれない。

 

 でも、大丈夫だ。

 

 

 

「俺はエクスを信じてる。だから、大丈夫だ」

 

 エクスが決めたことなら大丈夫だ。

 息子のことを信じてやれなくて、なにがパパだ。俺はエクスを信じる。

 

「…………でも、アリエッタ…………」

 

 隠し事をしている後ろめたさからだろうか。

 エクスは子供の頃によくしていた不安そうな顔をしている。

 もう一押し必要か? 体は大きくなった癖にしょうがない奴だ。

 

 俺はエクスの胸にコツンと握りこぶしを当てた。

 

「前にも言っただろ? お前が決めたことなら、それで何が起こっても俺は怒らないって。

 俺はエクスを信じてる。だから、お前も俺を信じろ。

 俺はお前の味方だよ。これからも、ずっとな」

 

 

 俺はニッと不敵に笑った。

 

 決め台詞を言うヒーローの様に、精一杯カッコつけて。

 エクスが誇れる俺であるように。エクスの内側から不安が消し飛ぶように。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「俺はお前の味方だよ。これからも、ずっとな」

 

 (エクス)の胸に当てられた彼女の拳から、熱を感じる。

 静かな、でも鉄を溶かすような熱さを。

 

 ずっと、不安だった。

 

 故郷に、彼女に別れを告げたあの日から、僕は出来るだけアリエッタの事を考えないようにしていた。

 彼女の優しさを、温かさを、楽しかった日々を。

 思い出してしまったら、きっと耐えられなくなると思っていたから。

 

 そして、それが事実だった事が分かってしまった。

 

 5年という月日をかけて封をした彼女への想いは、一目彼女を見ただけで再び溢れ出してしまった。

 それは同時に、僕の心に大きな恐怖を呼び寄せた。

 

 

 

 

 

 次に彼女に会える日まで、僕は生きているのだろうか? 

 

 

 

 次に彼女に会った時、彼女の隣には僕ではない誰かが立っているのだろうか? 

 

 

 

 次に彼女に会う時まで、彼女は僕のことを覚えていてくれるのだろうか? 

 

 

 

 そんな"もしも"に囚われてしまったら、堕ちるのはあっという間だった。

 彼女に会えない夜を迎える度に、僕は胸を掻き毟るような不安と焦燥感に襲われた。

 

 

 

 

 

 僕は胸に当てられた、彼女の手を握りしめた。

 

 

 

「エクス……?」

 

 彼女がきょとんとした顔で僕を見つめる。

 

 結局、僕は彼女の事を信じ切れていなかったんだ。

 彼女に拒絶された時、自分が傷つくことが怖くて。

 

 

 

「アリエッタ……聞いて欲しい話があるんだ」

 

 

 

 でも、彼女はこんな弱くて臆病者の僕を、何も聞かずに信じると言ってくれた。

 

 だったら、僕も彼女を信じよう。信じてもらえる僕になろう。

 

 これは、その第一歩だ。

 

 

 

 

 

 僕は懐から、"それ"を取り出した。

 

 こんな物を肌身離さず持ち歩いている癖に『出来るだけ考えないようにする』なんて矛盾もいいところだ。

 自分の女々しさと、馬鹿さ加減に苦笑してしまう。

 

 僕の手のひらに乗った"それ"を見て、アリエッタが目を丸くした。

 

「お前…………それは…………」

 

「アリエッタ。僕は必ず、"これ"を君に返しに行くよ。

 …………それまで、僕のことを待っていてくれるかい?」

 

 

 

 僕の手のひらに乗っているのは、白い小さな花を模した髪飾りだった。

 

 

 

「…………呆れた。ひょっとして、お前いつも"それ"持ち歩いてるのか?」

「うん。僕が持っている物の中で一番価値のある物だからね」

 

 僕はわざと5年前のあの日の彼女を真似た。

 すると、アリエッタはバツが悪そうに頭をかいた。

 

「…………あんまり、待たせるんじゃねえぞ」

 

 彼女は短く告げると、僕から顔を逸らしてそっぽを向いてしまった。

 その横顔が少し嬉しそうに見えたのは、僕の自惚れだろうか。

 

「めいっぱい急ぐよ。信じて、アリエッタ」

 

 

 

 

 

 こうして、僕はもう一度彼女と約束をした。

 遠く離れていても、彼女のことを想い続けると。

 

 

 

 **********

 

 

 

「…………あんまり、待たせるんじゃねえぞ」

 

 (アリエッタ)はエクスの視線に耐えられずに、そっぽを向いてしまった。

 

 

 

 

 

 …………どうしよう。嬉しい。顔がにやつきそうだ。

 

 俺は気を抜くと、へにゃっとしそうな顔を唇を噛んで誤魔化した。

 

 

 

 正直なところ、悪い気はしない。

 

 こいつは5年前の俺が言った馬鹿みたいな言葉をちゃんと覚えていてくれたのだ。

 エクスの手のひらに乗った髪飾りを見た時、ちょっとだけ泣きそうになってしまった。

 

 

 

 

 

 …………しかし。しかしだ。

 

 

 いくら何でもこいつ、ちょっと(パパ)に対する愛が重すぎやしないか? 

 これまで散々自分をエクスの第二の父だの精神的パパだのと言ってきたが、よくよく考えてみるとエクスにとって俺はただの幼馴染の筈。

 俺がエクスに愛情を注ぐのはともかく、エクスから俺に向けられる愛情がちょっとデカすぎることに疑問を覚えてしまう。

 

 

 

 ……まあ、それはそれとして、エクスが(おれ)離れが出来ていないという俺の心配は見事に的中してしまったようだな。

 

 12歳からこれまでの5年間という、前世で言うところの思春期を(パパ)と離れ離れで過ごしてしまったことが不味かったようだ。

 

 一応、俺の外面はエクスと同い年の女性なのだ。

 そんな奴がエクスとベタベタしていては、エクスの恋人もきっと良い気はしないだろう。俺はパパとして息子(エクス)恋人(ヒロイン)とも仲良くやっていきたいのである。

 パパとして、息子(エクス)の為を思えばこそ、少しは冷たくしておくべきなのだろうか。

 

 

 

 …………だが、まあ、今日ぐらいはいいだろう。

 

「……なんか、眠気がどっか行っちまったな」

 

 俺はベッドに腰かけながら、軽く伸びをする。

 

「お茶でも淹れてこようか?」

「いや、それよりも何か話でもしようぜ。この間はバタバタしてたし、あの程度じゃ喋り足りないからさ。

 もっと色々と、会えなかった間のエクスの話でも聞かせてくれよ」

「僕の話か…………アリエッタが面白がるような話を出来る自信が無いんだけどな」

「何だっていいんだよ。くだらない話でも、つまらない話でも。エクスの話が聞きたいんだ」

「……はいはい、それじゃあ君が眠くなるまでは付き合ってあげるよ」

 

 

 

 そうして、エクスは記憶を手繰り寄せるようにポツポツと、彼が経験した冒険の話を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「アリエッタさん、起きていますか?」

 

 日の出から数時間が経った頃、フィロメラはアリエッタを寝かせた部屋を訪れた。

 軽くドアをノックしたが、中から反応が無かったので彼女は扉を開けた。

 

「アリエッタさん。少し早いですが、そろそろ起きて…………」

 

 フィロメラはベッドで眠るアリエッタと、その横で椅子に座りながら眠っているエクスを見て、呆れたように軽く笑みを浮かべた。

 

 

 

「何これ、どういう状況?」

 フィロメラの肩越しに、レビィが室内の様子を見て困惑した表情を浮かべた。

 

「さあ? でも、まあ…………何か良い事でもあったんじゃないですかね」

 

 フィロメラはエクスとアリエッタの穏やかな寝顔を見ながら、そう告げるのだった。

 

 

 



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14.ただいま故郷

 

 

「―――という訳だったんですよ」

「ふーん。エクス達も色々苦労してるんだなあ」

 

 

 

 エイビス邸から脱出した翌朝、(アリエッタ)は豪奢なドレスから、貸してもらったモブキャラ服に着替えると、エクス達の拠点のリビングでフィロメラから今回の騒動の経緯を説明された。

 

 あの馬鹿貴族(エイビス)は、平民出でありながら魔王軍との戦いによる功績で、国内での影響力を増しつつあったエクス達のことを以前から良く思っていなかったらしく、嫌がらせとしてエクスと親しい人間であった俺が目を付けられたという事らしい。

 

 …………なんで俺? 

 まあ、他の勇者パーティーの一員に手を出すのは難しかったから、適当なところで妥協したのだろう。

 

 そして、それを知ったエクスが暴走して、エイビス邸の惨劇を引き起こしたというのが事の顛末らしい。

 

 うーむ、拗らせてるなエクス。

 パパへの行き過ぎた愛情にファザコンを越えて、若干のヤンデレを感じるぜ。

 

「とりあえず、エイビス様がアリエッタさんに手を出すことはもう無いと思われますので、安心してください」

「まあ、あんな目に遭ったらな。これでまだ俺にちょっかい出してくるなら、ただの自殺志願者だろ」

「…………それから、エクスくんのことなんですが…………」

 

 フィロメラが言いにくそうに言葉を濁した。

 

 その様子を見て、俺は手のひらを突き出してフィロメラの言葉を遮った。

 

「あー、その話はいいんだ」

「どういうことですか?」

「言いにくいことなら無理に聞き出そうとは思わないよ。昨日エクスとも、そうやって話し合ったからさ」

「……そういうことでしたか。お二人がそれで構わないというなら私からは何も…………」

 

 

 

 そうして、俺とフィロメラは横で居心地悪そうに体を小さくしているエクスに目をやった。

 

「しかしですね、エクスくん。深夜に就寝中の女性の部屋に押しかけて、あまつさえアリエッタさんが眠った後も退室せずに一緒の部屋で夜を明かすというのは勇者として……いえ、紳士として如何なものかと」

「はい…………」

「そうだぞエクス。椅子なんかで寝て風邪でもひいたらどうするんだ」

「アリエッタさん、少し問題点がズレてます」

 

 俺とフィロメラから十字砲火を受けて、エクスはますます小さくなっていく。

 

 

「まあまあ、二人ともそれぐらいにしてやりなよ」

 その様子をニヤニヤと楽し気に見つめていたレビィだったが、満足したのかエクスに助け船を出してきた。

 

「それよりも、アリエッタはエイビスに無理やりこっちに連れてこられたんだろ? 親御さんも心配してるだろうし、早く顔を見せてやらないと」

「あっ! それもそうだな…………その、頼みにくいんだけど、転移術で俺を村まで送ってもらえないかな……?」

 

 勇者様をタクシー代わりに使うのは非常に心苦しかったのだが、王都から故郷までの移動時間を考えると、少しでも早く両親を安心させてやりたかった。

 そもそも、着の身着のままでエイビスに連れ去られた俺は無一文である。馬車に乗ろうにも金が無い。

 

「ええ、それは構いませんよ。というよりも初めからそのつもりでしたので」

「本当か? ありがとうフィロメラ。でも、大丈夫なのか? エクスがそんな簡単に王都を離れても……」

「移動だけなら転移術で一瞬ですし、しばらくは魔王軍も大きな動きを見せない筈ですから心配しないでください」

 

 そう言って、フィロメラは俺を安心させるようにニコッと微笑んだ。

 うーむ。5年前の第一印象はあまり良くなかったが、こうしてちゃんと話してみると中々良いおっぱいじゃないか。

 エクスは結構ぽややんとしている所が有るので、こういうしっかりした娘がエクスの隣に居てくれるとパパとしても安心である。

 俺はフィロメラの手をガッと握った。

 

息子(エクス)をよろしくお願いします……!」

「えっ? は、はあ…………お任せください…………?」

「あまり気にしないでくださいフィロメラさん。アリエッタはたまにちょっとアレになるんです」

 

 俺はエクスにぐいっとフィロメラから引き剥がされた。

 

「それじゃあ僕はアリエッタを送ってきますね」

「フィロメラもレビィも元気でな。縁が有ったらまた会おうぜ」

 

 俺は二人に軽く別れの挨拶を済ませると、エクス達の屋敷を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「中々面白そうな奴だったじゃん。時間が有れば、もう少し色々と話したかったんだけどな」

 

 エクスくんとアリエッタさんを見送ると、レビィが(フィロメラ)にそんな風に話しかけてきた。

 

「……しかし、あの感じだと二人の仲は大して進展してなさそうだな。一晩一緒に居たっていうのにエクスの奴、本当にヘタレだな」

「ええ、本当にそうね」

 

 レビィのあんまりな物言いに、私は思わず失笑してしまう。

 

「あんな調子で大丈夫なのかねえ。また遠征中に心を病んだエクスの妄想に付き合うとか勘弁してほしいんだけど」

「それは……多分、大丈夫じゃないかしら」

 

 私は今朝の二人の様子を思い出していた。

 エクスくんとアリエッタさんの、二人にしか分からない何かを感じさせるその空気に、ほんの少し胸の痛みを感じながら。

 

「二人とも、何か吹っ切れたようなスッキリした顔をしていたもの」

「えっ、マジで? 私の部屋、客間の下だけど別に何も聞こえなかったんだけどなあ」

「下品」

 

 品の無い事を言うレビィの頭を、私は杖で軽く小突いた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「えーっと、ただいまー……」

 

 お通夜ムードの我が家への帰宅である。

 (アリエッタ)の顔を見るなり、沈み込んでいた両親が駆け寄ってきた。

 

「ア、アリエッタ! 無事だったのね!」

「この馬鹿娘が! し、心配したんだぞ~~~…………!」

「ご、ごめんって。でも今回のは不可抗力でしょ」

 

 

 

 

 

 父と母に一通り揉みくちゃにされた後、俺とエクスは事情を説明した。

 

「おじさん、おばさん。本当に申し訳ありませんでした。僕のせいでアリエッタが…………」

「いや、エクスは悪くないだろ。俺も何もされなかったんだし気にするなって」

「アリエッタの言う通りだ。むしろ君は娘を助けてくれたんだろう? 君にアリエッタを助けてもらったのは、これで二度目だ。本当にありがとうエクス君…………」

 

 話の分かる両親で助かる。

 ここでエクスを責め立てるような人達じゃなくて本当に良かった。

 転生先の人間関係に恵まれていることだけは、あのタコさんに感謝しておこう。

 

 

 

 

「…………でも、そうなるとこれはどうしようかしら?」

 

 母さんが何やら重そうな箱を持ってきた。やたらと金ぴかで趣味の悪い箱だ。

 

「母さん、この箱は?」

「貴方が王都に連れ出されてから、男の人が持ってきたのよ。結納金……ってことになるのかしら」

 

 母さんが箱を開けると、中には大量の金貨が詰まっていた。

 おおう、この店の売上の何十年分相当になるのだろうか…………

 

「もちろん中身に手は付けていないわ。娘をお金で売ったつもりなんてないもの」

「ああ、こんなもの突き返してお前を返してもらうつもりだったからな」

 

 びっくりするぐらいモラル高いなウチの両親。

 ちょっと目が『¥』マークになりかけてた自分が恥ずかしいぜ。

 

「まあ、こうして俺は無事に帰ってきたわけだし、これを受け取る訳にはいかないよな」

「それなら、僕が彼に返しておこうか?」

「いや、流石に人任せにする訳にはいかないだろ。俺がアイツに直接返すのが筋なんじゃないのか?」

「アリエッタが……? だ、大丈夫なのかい? また、彼に何か酷いことをされたら…………」

 

 エクスが不安そうな顔をして俺を見つめる。

 パパのことを心配してくれているのだろう。気持ちはすごく嬉しい。

 

 

 

 …………しかし、俺はそれよりもエイビスの話になってから、腰に下げた剣を握りしめているエクスの方がよっぽど不安である。

 

 こいつは一体何をやらかす気なんだ。

 少なくともエイビスに関する事はこいつに任せるとヤバイ気がする。

 

「大丈夫だって。あんな目に遭った後に俺をどうこうしようとする程、向こうも馬鹿じゃないってフィロメラも言ってただろ?」

「アリエッタがそう言うなら…………」

 

 エクスは不承不承といった感じで俺の提案を飲み込んでくれた。

 俺は箱を抱えて、両親に向き直る。

 

「それじゃあ、俺はちょっとこの金を向こうに返してくるよ。エクス、何回も悪いけど王都に戻るなら俺も連れて行ってくれないか?」

「王都か…………アリエッタ。ちょっと待ちなさい」

 

 父さんが俺を引き留めた。やっぱりあんな事が有った後だから心配しているのかな? 違った。

 

「以前、父さんが話したことは覚えているか?」

「範囲指定がふわっとし過ぎだよ父さん。どの話?」

「王都で父さんの知り合いが店を構えているから、そこで商人として少し修行をしてきなさいと前に言っただろう?」

「あぁ~~~……そんな話してたっけ…………」

 

 俺はぼんやりと記憶を掘り返していた。確かエクスが村に帰ってくる以前にそんなことを言われたような気がする。

 

「…………その様子だと、いつ向こうに行くかも忘れているようだな」

「いやあ、最近色々有ったからさ。それで、いつなんだっけ?」

「明日だ」

「おおう…………」

 

 俺は両手で顔を覆った。

 

「……こんな状況だったし、先方にはもちろん断りの手紙とか送ってくれたんだよな?」

「娘が攫われたのに、俺がそんな冷静に状況判断出来るわけないだろう?」

「んいいぃ~~~…………」

 

 俺は両手で顔を覆った。

 

「まあ、そういう訳だ。王都に行くならちょうどいいから、ついでに向こうで修行してきなさい」

「ファイトよ、アリエッタ」

「アンタ達切り替え早くない? 一日ぐらい感動の再会シーンやっておこうよ」

 

 

 

 …………まあ、そういう訳で、俺は再び王都へとんぼ返りする事になったのだった。

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

「すまん、エクス。急いで準備したんだが待たせちまったか?」

「大丈夫だよ。それよりも忘れ物が無いかちゃんと確認した?」

 

 俺は大慌てで着替えやら何やらを鞄に詰め込んで旅支度を済ませた。

 

「それじゃあ、行ってくるよ。店は任せたよ父さん」

「生意気な。お前こそ向こうで迷惑かけるんじゃないぞ」

「エクスくんにも迷惑かけちゃ駄目よ?」

 

 俺は両親に別れを告げて、家を後にした。

 

 …………あっ、俺は一つだけ大事な事を思い出してしまった。

 

 

 

「あー…………すまん、エクス。少しだけ寄り道してもいいか?」

「それは構わないけど、何処に行くんだい?」

 

 

 

 *********

 

 

「お姉ちゃ~~~ん!!」

「ミラちゃん、ごめんな。デートの約束すっぽかしちゃって……」

「ううん、お姉ちゃんが戻ってきてくれたなら、それだけでいいのっ」

 

 俺はミラちゃんの家に寄り道していた。

 彼女には心配をかけてしまったし、エクスを俺の元へ呼んでくれた恩人でもある。

 

 

 …………それだけに、再び別れを告げなければいけないのは、少し気が重い。

 

 

「ミラちゃん…………実は、お姉ちゃんはまたすぐに王都に行かないといけないんだ」

「えっ……そうなの…………?」

「うん……向こうで、お仕事の勉強をしに行かなきゃいけないんだ」

 

 ミラちゃんの大きな瞳が悲しげに揺れる。ううっ、胸が痛い。

 

「……いつ、帰ってこれるの?」

「半年後ぐらいかな…………大丈夫だよ。きっと、あっという間だから」

「うぅ…………分かった。私、我慢する…………」

「そっか、偉いぞ~」

 

 俺が今にも泣きそうなミラちゃんの頭を撫でていると、横からにゅっとエクスが出てきた。

 

 

 

「大丈夫だよミラちゃん。アリエッタにはお兄ちゃんも付いているから安心して」

 

「…………は?」

 

 

 

 んん~~~? 

 エクスの言葉を聞いた瞬間、ミラちゃんの顔から全ての感情が消え失せたぞ。

 こんな氷の様な冷たい瞳をする子だったっけ? 

 

「…………お兄ちゃんも一緒なの? お姉ちゃんと?」

「ああ、お兄ちゃんは王都に住んでるんだ。だからアリエッタの事はお兄ちゃんに任せて……」

 

 ミラちゃんがぐいっとエクスの服を引っ張って、自分の口元にエクスの耳を寄せた。

 

 

 

「お姉ちゃんに何かしたらコロス」

 

 

 

 ミラちゃんが何やらエクスにボソッと呟いた。

 内容はよく聞き取れなかったが、エクスの冷や汗がやばい。何を言われたのだろうか。

 

「お姉ちゃん、お仕事頑張ってね! 私、お姉ちゃんが帰ってくるの待ってるから!」

 

 ミラちゃんはこちらに向き直ると、にぱっと向日葵の様な笑顔を見せてくれた。

 …………うん、さっきのは何かの見間違いだな。俺は先ほどのミラちゃんから感じた凍てつくようなプレッシャーを無かったことにした。

 

 

 

 

 

 俺とエクスはミラちゃんに別れを告げると、転移術を発動する為に開けた場所へと移動を始めた。

 

「なあ、さっきミラちゃんに何を言われたんだ?」

「えーっと…………アリエッタには言えないこと、かな…………」

 

 むむっ、ひょっとして愛の告白か? 

 確かにエクス程の美男子だったら、ミラちゃんが一目惚れしてしまう可能性は十分にある。

 さっきの冷や汗の理由はそれかー。俺は納得した。

 

「言っておくが、ミラちゃんは駄目だぞ。児ポだからな。児ポ。どうしてもって言うなら、あと五年は待てよ?」

「…………ジポって何? それよりも、転移術を起動するから僕の近くに来てくれるかい?」

「はいよ」

 

 俺はエクスの隣に立って、奴の腰に手を回した。

 

「よっしゃ来い」

「……ア、アリエッタ……来るときも言ったけど、そんなに近くなくても大丈夫だってば…………」

「離れてるよりは近い方が確実だろ? ほら、早く行こうぜ」

「うう…………集中、集中…………っ」

 

 

 

 

 転移術が発動したのは、それから10分後だった。

 

 …………前に見た時はもっと簡単に発動していた気がするんだが、そのことをエクスに聞いてみても曖昧な返事ではぐらかされてしまうのだった。

 

 

 



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15.こんにちは王都

 

 

 

「うおっ……ととっ……」

「おっと。大丈夫、アリエッタ?」

 

 転移術による移動直後は、一瞬だが平衡感覚がおかしくなってしまうようだ。

 フラフラとすっ転びそうになった(アリエッタ)をエクスが抱き留めた。

 

「ああ、助かったよエクス。…………ただ、手の位置がちょっとやばいぞ?」

 

 わざとでは無いのだろうが、俺を抱き留めたエクスの手のひらが、俺の貧しくも豊かでもない平均的なサイズの胸部をガッシリとホールドしていた。

 

「えっ…………うわあっ!? ご、ごめん! そんなつもりじゃ…………!」

 

 エクスが俺の体から慌てて離れるが、俺は気にしていないと笑って自分の胸元に親指を向けた。

 

「大丈夫だよ。お前だったら胸揉まれる程度、別に気にしないから」

「…………そこは、少しは気にしてほしいんだけどな」

 

 …………一応は女なのだから少しは慎みを持てという意味だろうか? 今更な話である。

 

 しかし、まるでラブコメの主人公みたいなラッキースケベイベントだったな。

 こいつのメインヒロインは苦労してそうだぜ。

 

 …………そういえば、気になっていたのだが、結局エクスのメインヒロインは誰がやっているのだろうか? 

 

 もちろん、俺が全く知らない人間という可能性は十分あるが、やはり本命はパーティーメンバーの誰かだろう。

 フィロメラか、それとも新キャラのレビィか…………

 パパとしては、しっかり者な感じのフィロメラが一押しである。あのおっぱいならエクスの足りない部分を陰になり日向になり支えてくれそうだ。

 

 もちろん、エクスが選んだ娘なら誰であろうと俺は二人を全力で応援するつもりである。

 

 

 

 …………それとなく探りを入れてみるか…………

 

「なあ、エクス。一つ聞いてもいいか?」

「ん、何だいアリエッタ?」

「お前の恋人ってフィロメラとレビィのどっちなんだ?」

「…………はあっ!?」

 

 あ、しまった。遠まわしに聞くつもりがド直球で聞いてしまった。

 

「な、ななな…………何を言ってるのアリエッタ!?」

 

 エクスが目をグルグルとさせながら取り乱している。

 まあ、聞いてしまったものは仕方ない。このままストレートに問い詰めるか。

 

「まあまあ、落ち着けって。お前はあんな美女達と四六時中一緒に居るんだろ。俺も女だからそういう誰かの恋愛話には興味津々なんだよ」

 

 嘘である。俺が興味津々なのはエクスのお嫁さん候補の事だけだ。

 

 おおっと、エクスの奴が片手で顔を抑えながら、ふらふらとよろめいたぞ。

 

「う、嘘でしょ…………昨日の夜、あんな話したのに何も分かってないのこの人…………? どんだけ鈍感なの…………?」

 

 エクスが俺を信じられない生き物を見る目で見ながら、何やらボソボソ言っている。

 顔色が凄いことになっているが、転移術の連発による疲労だろうか? 

 やっぱり勇者様をタクシー代わりにするのは不味かったかなー。俺は不安になってエクスの顔を覗き込んだ。

 

「エクス、大丈夫か? 顔色が凄いことになってるぞ?」

「ははは……いや、いいんだよ……アリエッタがそうなのは、今に始まったことじゃないから…………」

 

 エクスが乾いた笑いを浮かべながら遠くを見つめた。

 うーむ、よく分からんが何やら地雷を踏んでしまった気がするぞ。

 エクスのお嫁さん候補については、とりあえず保留しておくことにしよう。

 俺は咳払いをして、場を仕切り直した。

 

「……さてと、それじゃあ俺はそろそろ行くよ。落ち着いたら、今回のお礼は改めてさせてもらうから、フィロメラ達によろしく言っといてくれ」

「う、うん。それはいいんだけど、アリエッタはこれからどうするの?」

「父さんの知り合いの所でお世話になるのは明日からだから…………とりあえずは今日の宿を探して、それからエイビスの所に金を返しに行くかな」

「本当に一人で大丈夫かい? やっぱり僕も一緒に…………」

「大丈夫だって。お前だって暇じゃないだろ? ただでさえ、今回の件では世話になりっぱなしなんだから、これ以上お前を借りてたらフィロメラ達にも悪いよ」

 

 俺がそう言うと、エクスは渋々といった感じで納得してくれた。

 

「……うん、分かった。でも、何か有ったらすぐに僕を呼んでね。どこでも駆け付けるから」

「過保護すぎだって。(パパ)の心配するなんざ百年早いっての。お前こそ何か有ったら俺を呼べよ。何にも出来ないけど一緒に悩むぐらいはしてやるからさ」

 

 別れ際に、俺はエクスの厚い胸板に軽く拳をぶつけた。

 

「それじゃあな。元気でやれよ」

「…………うん、アリエッタも」

 

 エクスに背を向けると、後は振り返らずに片手をひらひらとさせて、俺はその場を立ち去った。

 少しばかりカッコつけすぎな気もするが、息子の前でぐらい見栄を張っておかないとな。

 

 未練は少し残るぐらいでちょうどいいのだ。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 迷った。

 

「何処ここ」

 

 俺は路地裏でしょんぼりとして小さくなっていた。

 なんだこの糞マップ。新宿駅かよ。

 俺は予想以上に性根の曲がった構造の王都マップに立ち往生していた。

 人を捕まえて道を尋ねようにも、気が付けば通行人すらいない寂しい路地に迷い込んでいたので、どうしようもねえ。

 見るからに浮浪者やらゴロツキがたむろしているような治安の悪い場所に迷い込まなかったのは不幸中の幸いか。

 

「はぁ~~~…………どうすっかねえ…………」

 

 俺は弁当代わりに持ってきていたパンをボソボソと食べながら遠い目をしていた。

 こんなことなら、エクスに宿の場所ぐらい聞いておけば良かった。

 

 

 

 

 

「は、離してください……っ」

「おいおい、俺に逆らう気か? いいから、少し話を聞かせろと言っているんだ」

 

 

 

 むむっ、近くで人の声が聞こえたぞォ~。

 俺は数時間ぶりに感じた人の温もりに惹かれるように、路地裏をスイスイと進んだ。

 周囲に都会の喧騒を一切感じないので、数分で声の発信源まで迷わずに辿り着く事が出来た。

 

 

 

「わ、私は何も知りません……本部での修行を終えて、一年ぶりに王都に戻ってきたばかりなんです」

「何も知らないなら、何故そんな怯えた顔をしている? 隠し事をしているからじゃないのか?」

 

 少し開けた小さな広場のような場所で、小柄な可愛らしい少女が馬鹿っぽい貴族に絡まれていた。

 

 というか馬鹿っぽい方はエイビスだった。

 

「どーんっ」

「おわっ!?」

 

 俺はエイビスの背後に忍び寄ると、奴を軽く突き飛ばしてやった。

 つんのめったエイビスが、顔を赤くしてこちらに向き直る。

 

「誰だっ! この俺にふざけた真似をす……る…………奴は…………」

 

 俺の顔を確認すると、見る見るうちにエイビスの顔がドブ色になった。

 

「ぎゃあーーー!! エクスの地雷女ーーー!?」

「誰が地雷女だ。それはそうと、この間はドレスありがとうございました。エクスのアジトに置いてきちゃったけど」

 

 俺は一応ぺこりと頭を下げてドレスのお礼を言うと、エイビスに絡まれて怯えていた少女を守護るように、奴の前に立ち塞がった。

 

「というか、お前暇なの? こんな昼間から女の子に恐喝まがいのナンパとか。顔は悪くないんだから、せめて普通にナンパしろよ」

「う、うるさい! お前には関係ないだろ。引っ込んでろ!」

「まあ、確かに関係は無いんだが…………目の前でまた誘拐みたいなことやろうとしてる男をスルーは出来ないでしょ」

 

 クイクイと背後の少女に服を引っ張られたので振り返ると、少女が不安そうな顔で俺を見上げていた。

 

「あ、あの……私は大丈夫ですから、早く逃げてください…………その方はクベイラ家の人なんです。抵抗すれば貴方まで巻き添えに…………」

「大丈夫。任せといて」

 俺は不安げな少女に、ニッと笑顔でサムズアップを返すとエイビスに向き直る。

 

 先日の惨劇の館事件が尾を引いているのか、エイビスは俺に対して弱腰だ。

 ジャイアンの後ろで威張ってるスネ夫みたいで非常にカッコ悪いが、ここはエクスの存在を利用させてもらおう。

 

 …………はっ、騒ぎを聞きつけたのか、エイビスの部下の知らないおじさんがやってきた。

 知らないおじさーん! 

 俺は知らないおじさんにメロメロなので、人懐っこいチワワの様におじさんに駆け寄った。

 

「アリエッタ様。お元気そうで何よりです」

「いや、もうエイビスの愛人でも何でも無いんだし"様"は要らないってば。それよりも、昨日のエクスの件で怪我とかしてない? 大丈夫?」

「お気遣いいただきありがとうございます。流石は勇者エクスです。一撃で私を気絶させつつも、後遺症が残るような傷は負わせませんでした。彼の力量には只々圧倒されてしまうばかりです」

「…………だから! 何でお前らそんなに仲が良いんだよ!?」

 

 ちっ、うるせえなァ~。俺と知らないおじさんの楽しいおしゃべりはエイビスの横槍で中断させられてしまった。

 

「エイビス様。アリエッタ様と問題を起こすのはよろしくないかと。再びエクス殿に襲撃された場合、私達は貴方をお守り出来る自信がありません」

「…………くそっ! つまらん! 俺は帰るぞ!」

 

 おう、帰れ帰れ。いや待て帰るな。俺はエイビスを呼び止めて、結納金が入った箱を押し付けた。

 

「何だこれは…………ああ、貴様の両親にくれてやった端金か…………」

 

 …………それ、うちの店の売上の数十年分相当なんだけどな。金持ちってすごい。

 

「…………黙って受け取ってしまえばいいものを。そもそも、あんな目に遭わせた張本人に金を返しに来るなんて、どういう神経をしてるんだ貴様は?」

「ふん、知るかよ。経緯はどうあれ、それは俺と引き換えに渡したつもりの金なんだろ? だったら俺がお前の所から出ていったなら返すのが筋ってもんだろうが」

 

 俺の物言いに、エイビスはきょとんとした後で苦笑を浮かべた。あんだよ。

 

「…………変な女だ。エクスの奴も女を見る目が無いな」

「最初から言ってるけど、そもそも俺はエクスの女じゃねえからな?」

「…………おまけに鈍感と来ている。まったく、女などいくらでも選べる立場だというのに趣味の悪い男だよアイツは」

 

 何やら意味不明な事を言いながら、勝手に何かを納得した様子でエイビスは去っていった。

 俺はブンブンと知らないおじさんの背に全力で手を振って別れを惜しんでいると、エイビスに絡まれていた女の子がおずおずと声をかけてきた。

 

「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました」

「ああ、いいのいいの。気にしないで」

 

 俺は振り返って、改めて少女の姿を確認する。

 年齢は俺より一つか二つ年下だろうか。白を基調としたローブを纏い、ふんわりとした柔らかそうな栗毛を肩の辺りまで伸ばした、内気そうな雰囲気の守ってあげたい系美少女である。

 

 

 控えめに言って俺の嗜好にドストライクだった。お近づきになりてェ~。

 

 

「…………すごいですね。あのクベイラ家のエイビス様と正面から言い合えるなんて…………」

「そうか? 家柄は知らないけど、あいつ自身は別にちょっと抜けてる普通の人間だろ」

 

 俺の物言いがツボにはまったのか、目の前の少女は小さく噴き出していた。

 

「おっ、やっと笑った。うーん……さっきまでの憂い顔も良かったけど、笑った顔も滅茶苦茶可愛いな…………」

「え、ええっ!? あ、あの……ありがとう、ございます…………」

 

 歯の浮くような台詞がスイと出てしまった。

 前世だったら変質者として通報されてもおかしくない所業だが、現在の俺は女だし同性にちょろっと気障な軽口を言う程度はセーフだろう。

 

「……あ~、それで実は君にちょっとお願いがあるんだけど……俺、実は道に迷っちゃって。

 人通りの有る所まで案内して貰えると助かるんだけど」

「あっ、はいっ。その程度でしたらお安い御用です」

「助かるよ。王都には慣れてなくてさ」

 

 少女は俺の頼みを快く引き受けてくれた。女の子とのファーストコンタクトとしては上々である。かませ犬になってくれたエイビスにちょっとだけ感謝しておこう。

 

「あ、あの…………お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「おっと、そういえば自己紹介がまだだっけ。俺はアリエッタ、肩書は商人見習いってところかな」

「アリエッタ…………? どこかで聞いたことが有るような…………」

 

 少女は俺の名前を聞いて、小首をかしげた。

 まあ、この世界ではよくある感じの名前らしいし、そういうこともあるだろう。

 

「それじゃあ、君の名前も教えてもらっていいかな」

「あっ、はいっ。名乗るのが遅れてしまってごめんなさい」

 

 少女は背筋をピンと伸ばすと、俺に向かって恭しく一礼をした。

 

「リアクタといいます。よろしくお願いしますね、アリエッタさん」

 

 

 

 リアクタ…………? 

 

 俺も彼女の名前に引っかかるものを感じていた。どこかで聞いたことがあるような…………

 

「アリエッタさん? どうかされましたか?」

「…………いや、俺もリアクタちゃんの名前をどこかで聞いたことが有るような気がして…………」

 

 俺がそう言うと、リアクタは少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。

 

「ふふ、二人で同じ事を思ったなんて、何だか少しロマンチックですね。

 …………それと、私のことは呼び捨てで結構ですよ。アリエッタさん」

「あ、ああ。分かったよリアクタ。それじゃあ俺の事もアリエッタでお願い」

「はいっ。それじゃあ大通りまでご案内しますね、アリエッタ」

 

 お互いの自己紹介が終わると、リアクタは嬉しそうに道案内を再開した。

 

 俺はリアクタの後ろを歩きながら、首をかしげる。

 

 

 

「う~~~ん…………リアクタ、リアクタ…………絶対に、どこかで聞いた名前なんだよな。何だっけ…………」

 

 

 

 



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16.エクスとリアクタ

 

 

 

「おお~。大通りまでこんな近かったのか」

「さっきまでアリエッタが居た辺りは、王都でも特に複雑な路地でしたから。迷ってしまうのも仕方ないですよ」

 

 (アリエッタ)はリアクタの案内で、無事に迷宮じみた路地裏から脱出することに成功していた。

 あのまま王都遭難編を始めずに済んで、ほっとした俺は改めてリアクタにお礼を言った。

 

「本当に助かったよ。ありがとな、リアクタ」

「いえ、お礼を言われるほどのことは何も。アリエッタはこれからどうされるんですか?」

「ああ、明日から父親の知り合いがやってる店で修行をさせてもらうんだけど、急遽こっちに来ることになったから、今晩の宿を確保しないといけないんだ。ちなみに宿屋とかってどこら辺に有るのかな?」

 

 俺の言葉を聞くと、リアクタが少しだけ困ったような顔を浮かべた。

 

「うーん…………これから、宿を探すのは少し難しいかもしれませんよ?」

「えっ、そうなの?」

 

 俺が驚いた顔をすると、リアクタが申し訳なさそうに事情を説明してくれた。

 

「先日、王都の近くの砦に魔王軍の大規模な侵攻が有ったんです。魔王軍自体は撃退出来たのですが、その戦闘の影響で王都と外の都市を繋いでいる街道の一つが塞がってしまいまして…………その街道を使っている旅人や商人の人達が王都で立ち往生してしまっているんです」

「あ~…………そういう人達で、王都の宿はみんな埋まってるってことか」

「そういう訳なんです。何か知り合いの伝手でも有れば話は別なんでしょうけど…………」

 

 もちろんそんなものは無かった。

 俺が王都を訪れたのは、先日エイビスに拉致られた時が初めてなのだから、まあ当然である。

 

「……まあ、急だったし仕方ないか。いざとなったら、そこら辺の路地裏で野宿でも……」

「そ、そんなの駄目ですっ! アリエッタは女の子なんですよ!?」

 

 軽い冗談のつもりだったのだが、リアクタは本気にしたらしく俺にぷんすかと注意をしてきた。

 うわ~、怒ってるのに全然迫力が無い。むしろ可愛い。

 俺は思わず微笑みが零れそうになるのを、キュッと唇を引き締めてこらえていると、リアクタがパァッと名案を思い付いたといった感じの表情を浮かべた。

 

「あのっ、アリエッタが良ければ今晩は私が住んでいるお屋敷へ来ませんか? 確か、空いている部屋が有ったと思うので、今から宿を探すよりは良いと思うんです」

「それは……有難い話だけど、会ったばかりの君にそこまで世話になるのは…………」

「気にしないでください、私がそうしたいんです。それとも、ご迷惑でしたでしょうか……?」

 

 リアクタが俺に悲しそうな瞳を向けてきた。

 こ、これは……俺が前にエクスにやったやつ…………! 相手の罪悪感を煽って退路を断つやつだ…………! 

 美少女にこんな顔をされては、男として断る選択肢など選べる訳が無い。俺はリアクタの提案を受け入れた。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな。ありがとう、リアクタ」

「お礼なんていいですよ。さあ、行きましょうか。少しだけ歩きますよ」

 

 リアクタに先導されて、俺は大通りを歩き出した。

 

「ところで、お屋敷に住んでるって言ってたけど……ひょっとして、リアクタってお嬢様だったりするの?」

 

 俺の質問にリアクタが笑いながら顔の前で手を振って否定した。

 

「あはは、そんなじゃないですよ。ただ、ちょっと事情が有って譲っていただいたお屋敷に友人達と一緒に暮らしてるんです」

 

 …………ん? 何か、つい最近どこかで聞いたような設定だな…………

 

「あっ、心配しないでくださいね。皆さん、とても良い人達ですから。きっとアリエッタのことを歓迎してくれると思います」

「ん? ああ、そこは心配してないんだけど……」

 

 俺が首をかしげていると、リアクタはまだ見ぬ同居人に対して、俺が不安に思っていると勘違いしたのか、慌てて説明を付け加えた。

 まあ、この子の友達なら大丈夫だろう。それに一晩部屋を借りるだけなのだ。そんな大きなトラブルなんて起きることは無いだろう。

 

 そんなことを呑気に考えながら、俺はリアクタとのお喋りと街歩きを楽しむのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「アリエッタ、ここが私と仲間達が暮らしているお屋敷です」

 

 そういって、リアクタは背後の立派なお屋敷を指し示した。

 

 うーん、立派なお屋敷だけど不思議と親しみを感じさせるなあ。初めて見た気がしないぜ。

 まあ、今朝までお世話になっていたエクスのアジトなのだから当たり前である。

 

 

 

 …………うん、まあ、途中から薄々そんな気はしてたよ? 

 数時間前にエクスと歩いた道を逆走していれば、いくら察しの悪い俺でも気づく。

 ついでに、リアクタの名前に覚えがある理由も分かった。

 エクス達の活躍が書かれた新聞に、勇者一行の一員として彼女の名前も載っていたのだ。

 この異世界において最大の宗教集団である『聖天教』。

 その聖天教で天才的な神聖魔法の才能を持ち、史上最年少にして名誉ある"大神官"の位に就いた少女がリアクタだったのだ。

 

「皆さーん、リアクタです。ただいま戻りましたー」

 

 俺がそんな物思いにふけっていると、リアクタが入口の扉を開けて邸内に声をかける。

 彼女の声を聞きつけて、奥からフィロメラが姿を見せた。

 

「お帰りなさいリアクタさん。聖天教本部での修行、お疲れさまでした…………あら? どうしてアリエッタさんが…………?」

 

 あっ、ども。

 俺は若干、気まずいものを感じながらフィロメラに軽く挨拶をした。

 

「…………んん?」

 

 そんな微妙な空気を醸し出している俺とフィロメラを、リアクタがきょとんとした顔で見つめていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「ええっ。アリエッタは皆さんとお知り合いだったんですか!?」

「まあ、そうだな。というかエイビスと絡んでる時にエクスの名前を何回か出してたじゃん俺」

「それはそうなんですけど……でも、そんな偶然が有るとは思わないじゃないですかぁ」

 

 俺とフィロメラとリアクタの3人はリビングでお茶を飲みながら、情報交換をしていた。

 リアクタは勇者一行の中では実力が劣っていた自分を鍛え直す為に、一度パーティーを離脱して聖天教の本部で修行を積んでいたらしい。

 そして修行を終えて、一年ぶりに王都に戻ってきた所をエイビスに捕まって絡まれていたようだ。やっぱり暇なのかアイツ? 

 ちなみに、エクスとレビィは魔王軍の動きが沈静化している間の任務として、人類軍の兵士達を王宮の訓練所で指南役としてシゴいているので不在とのことだ。

 

「……という訳で、今晩はアリエッタをお屋敷に泊めてあげたいのですが……」

「ええ、構いませんよ。それでしたらアリエッタさんは昨日と同じ客間でいいでしょうか?」

「ああ、すまない。本当に助かるよフィロメラ」

 

 うーむ、ここ数日でフィロメラ達には世話になりっぱなしだ。

 何か恩返しの一つでも出来ればいいのだが…………

 

「さて、今晩の夕食は賑やかになりそうですね。エクスくん達が戻る前に準備を始めないと……」

「それだっ!」

「えっ? どれですか?」

「フィロメラ達が良ければ、食事の支度は俺にやらせてくれないか? ここ最近で世話になりっぱなしだから、俺にも何かさせてほしいんだよ」

 

 俺の頼みにフィロメラとリアクタが困ったような顔を浮かべる。まあ、いきなりこんな事言われたらそうなるか。しかし、このままではフィロメラ達への借りが雪だるま式である。何とか返せるチャンスを掴み取っていかなければ。

 

「味なら心配しないでくれ。一流シェフとまでは行かないけど、普段から料理はしてるしエクスに食ってもらった事も有るからさ。変な物は出さないから、なっ?」

 

 俺が頼み込むと、フィロメラは苦笑を浮かべつつも、俺の提案を受け入れてくれた。

 

「……はぁ、分かりました。本当はお客様にさせることでは無いのですが……お願いしてもいいですか?」

「ああ、宿代の代わりって訳じゃないけど、気合入れて作らせてもらうよ」

「材料は置いてあるものを好きに使ってください。今日の夕食で使う予定のものだったので遠慮しなくていいですよ」

 

 俺が立ち上がると、リアクタが元気よく挙手してきた。

 

「アリエッタ、私も何かお手伝いします!」

「いや、リアクタは帰ってきたばかりなんだろ。こっちは俺に任せてくれよ」

「そ、それじゃあキッチンの案内をさせてください。食器とか調味料の場所とか教えますから」

「ああ、それはお願いしたいな。頼むよリアクタ」

 

 俺はリアクタと一緒にキッチンへ向かおうとしたが、その前にフィロメラの方へ向き直る。

 

「えーっと、用意するのはエクスとフィロメラ、レビィにリアクタと俺の5人分でいいのかな?」

「はい。よろしくお願いしますね」

 

 フィロメラの返事にリアクタが怪訝な顔をした。

 

「あれ? フィロメラさん、"彼"は…………」

「…………あの人はいつもの夜遊びで、今日は戻らないだろうからいいのよ」

「ああ……変わってないですね、あの人…………」

 

 フィロメラとリアクタが遠い目をしている。

 どうやら勇者パーティーの内部事情の話のようだが、部外者の俺には何の話かさっぱり分からなかった。

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「…………んっ、まあこんなもんだろ」

 

 俺はテーブルに並べた料理の出来栄えを確認した。エクス達が帰ってくる前に間に合って一安心である。

 俺の様子を見に来たリアクタが並べられた料理を見てはしゃいでいる。

 

「美味しそう! アリエッタは料理がお上手なんですね」

「ただの家庭料理だから、あんまハードル上げないでくれよリアクタ。そういえば、エクス達って王都に居る間の食事はどうしてたんだ?」

「厳密に決めていた訳ではないんですけど、週ごとに当番制で…………」

 

 話の途中で玄関の扉が開いた音が聞こえる。エクスとレビィが帰ってきたのだろう。

 

「全員揃ったみたいだしスープの用意でもするか。すぐ出来るから、リアクタはダイニングに皆を集めといてくれるか?」

「はい、皆で食事をするのは久しぶりなんで楽しみですっ」

 

 リアクタが玄関の方へ向かったのを確認すると、俺はキッチンに戻って鍋を火にかける。

 

「レビィさん、エクスさん。おかえりなさい!」

「おー、リアクタじゃん。元気にしてた?」

「ただいま、リアクタちゃん。一年で何だか大人っぽくなったね」

 

 玄関の方から再会を喜ぶ声が聞こえる。微笑ましい空気に頬を僅かに緩めつつ、人数分の皿にスープをよそっていく。

 

「おっ、美味そう。今日の料理当番はフィロメラだっけ?」

「そうだったんだけど、今日は別の人に作ってもらってるのよ」

「それじゃあリアクタが? 料理の腕前上げたね~」

「えーと、ごめんなさい。私でも無いんです」

「……えっ、まさか"アイツ"か? あの槍馬鹿、料理なんて出来たのか?」

「それもハズレです。うふふ、きっとエクスさん驚きますよ?」

「えっ? 僕?」

 

 

 …………なんかサプライズゲストみたいな扱いになっているぞ俺。こんな思わせぶりな前振りでモブキャラが出てきても、向こうも反応に困るだろうから止めてほしい。

 

「あっ! エクスさん、つまみ食いなんてお行儀が悪いですよっ」

「…………この香り。味付け。そして食器の並べ方……法則性が彼女と79%以上一致している……いや、まさか……」

 

 怖い怖い怖い。勝手に人の料理でプロファイリングを始めるんじゃねえよ。

 新たな境地へと踏み出そうとしているエクスを止めるべく、俺はスープ皿を持ってダイニングへと躍り出た。

 

「はいどーも俺デェース! 思わせぶりな前振りだったのに、出てきたのがモブキャラでゴメンネー!」

「ア、アリエッタ!?」

「アリエッタじゃん。何となく予想はしてたけど、まさかこんなに早く再会するとは思わなかったわ」

 

 半ばヤケクソ気味なハイテンションで俺登場である。エクスとレビィの反応は対照的であった。

 

「という訳で、本日の夕食はアリエッタに作っていただきました! エクスさんの幼馴染なんですよね? すっごい偶然!」

 

 リアクタが俺の登場を盛り上げてくれた。ありがとね。

 俺がスープ皿を並べていると、リアクタがエクスとレビィに事情を説明していた。

 

「カッコよかったんですよ、エイビス様から私を助けてくれた時のアリエッタ! 皆さんにも見せてあげたかったですっ」

「はぁ……アリエッタ? 君はまた危なっかしいことをして…………」

 

 リアクタから俺の武勇伝を聞かされたエクスが深い溜息をつきながら小言を言ってくる。

 俺はメンゴと軽く舌を出して誤魔化した。

 

「初めてアリエッタに名前を教えてもらった時に、何処かで聞いた名前だな~とは思ってたんですよ。まさかエクスさんがたまに話していた幼馴染の…………もがっ」

「リ、リアクタちゃんストップ! 僕、君に何を話してたか思い出すからちょっと待って……!」

 

 エクスが唐突にリアクタの口を手で塞いだ。仲良しさんだな~。

 エクスとリアクタの年齢は近そうだし、見た感じだとフィロメラやレビィよりも、二人は気安い関係なのかもしれない。

 

 

 

 …………はっ。俺は唐突に気づいてしまった。

 スススと音もなく俺はフィロメラの横に立つ。

 

「……なあ、フィロメラ。ちょっと聞きたいことが有るんだけど……」

「なんですか? アリエッタさん」

「フィロメラはエクスの恋人って誰か知ってる?」

 

 俺の質問にフィロメラが信じられない生き物を見るような目で俺を見つめた。

 

「えっ……あ~……恋人というか……好いている子なら誰か知ってますよ」

 

 んん? 何か引っかかる言い方だな……まあ、いいか。俺は質問を続けた。

 

「そいつって、ひょっとしてつい最近まで(修行で)エクスの傍には居なかった?」

「ええ、エクスくんとその子が再会したのは最近ですね……ついでに言えばその人は今、目の前に居ますよ」

 

 そういってフィロメラは呆れたような視線を俺に…………いや、恐らくは俺の背後に立つリアクタに向けていた…………! 

 

 

 

 なんてことだ…………エクスのメインヒロインはリアクタだったのか! 

 

 

 

 先日のエイビス邸襲撃事件時のエクスが不安定な精神状態だったのも『恋人であるリアクタと離れ離れだったから』という事なら説明がつく。

 

「そうか……そういうことだったのか……!」

「あの……アリエッタさん、今まで気づいてなかったんですか?」

「まあな、お恥ずかしながら」

 

 だが、そうと分かれば俺のやるべき事は決まったな。

 エクスとリアクタの関係を全力でサポートすること……それがパパとしての俺の役目! 

 

 

 

「別に隠すことないじゃないですか。エクスさん、あんまりお話してくれませんでしたけど、アリエッタの事を話す時はいつも凄く嬉しそうで……」

「リアクタちゃん……いや、リアクタさん……お願いだからちょっと黙って…………!」

 

 

 

 まあ、俺のサポートなんて必要ないかもしれんがな。

 仲睦まじい様子のエクスとリアクタを俺は微笑ましく…………

 

 

 

「…………あれ?」

 

 俺は無意識に何かに耐えるように片手で胸を押さえていた。

 

 何だろう……胸が、むかむかする…………? 

 

 

 

「アリエッタ? どうかしたんですか?」

「どこか体調でも悪いのかい?」

 

 エクスとリアクタが心配そうな顔でこちらを見ている。

 いかんいかん。リアクタが一年ぶりに王都に帰ってきた目出度い席なのだ。

 部外者の俺が辛気臭い顔をして、水を差してはいけない。

 

「ん、なんでもないよ。それより全員座った座った。アリエッタちゃんが気合入れて作ったんだから冷める前に食ってくれよな」

 

 俺は二人の気のせいだと主張するように、殊更明るく笑ってエクスとリアクタの言葉を否定した。

 

 

 胸は、まだ微かに疼いていた。

 

 

 

 

 



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17.アリエッタちゃん猫かぶりフォーム

 

 

 

「…………ふあ、もう朝か…………」

 

 (アリエッタ)はエクス達のアジトの客間で二度目の朝を迎えた。

 ベッドの上で軽く伸びをしてから時計を確認する。

 今日からお世話になる修行先へ顔を出すまで、まだ大分余裕があった。

 

「……とりあえず、顔でも洗うか」

 

 俺は客間を出ると、昨日案内してもらった記憶を頼りに洗面所へと足を運んだ。

 

 

 

「おっ、すげえ。本当にお湯が出るよ」

 

 俺は洗面台に付けられた二種類の蛇口を調整しながらひねると、温かいお湯が出てきた。

 仕組みは謎だが、まあ魔法を上手いこと使ってるんだろうな。

 

 この世界は、妙に魔法技術が発達・普及しているせいか変な所で歪な進化を遂げているものが多い。

 火を使いたければ、薪を使うよりも発火の魔術が組み込まれた『魔石』と呼ばれる物を炉に放り込んだ方が早いし、何なら薪を買うよりも安かったりする。

 水に関しても同様で、少量の水なら井戸や川から取ってくる事もあるが、大量に使うなら魔石に頼った方が手っ取り早い。

 この手の魔法の産物が上流階級に独占されている訳でも無く、俺が暮らしていた田舎みたいな庶民の間でも普通に利用されているのは、この手の異世界では中々異質な社会だと思う。

 まあ、そのおかげで特別裕福でもない俺の実家でも、毎日温かい風呂に入れたし軟弱な(元)現代日本人にはありがたいことである。

 

 俺がそんなどうでもいい異世界知識をモノローグしながら、顔を洗ったり寝ぐせを整えたりしていると、不意に洗面台の隣にある浴室の扉が開いた。

 

 うえぇっ!? だ、誰か朝風呂にでも入ってたのか!? 

 使用中のフダとか何も無かったよな!? 

 

 俺は動揺すると同時に、これから起こるであろうラッキースケベイベントに胸をときめかせた。

 

 

 

 屋敷に居るのは、俺を除けばエクス、フィロメラ、レビィ、リアクタの4人…………

 つまりエクス以外の3人なら大当たりのビッグボーナス確定である。

 確率は75%…………! 大丈夫、俺なら引ける。SSR湯上りガチャを…………! 

 

 

 激アツリーチ演出のように、モクモクと妙に濃い湯気に俺は目を凝らした。

 誰だ…………誰が来る…………!? 

 

 

 湯気はやがて薄くなっていき、俺の目の前には湯上りで仄かに赤みを帯びた艶やかな肌の…………

 

 

 

「…………あぁ? 誰だお前?」

 

 

 

 筋骨隆々の知らない全裸の男が立っていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「ね……眠い…………」

 

 (エクス)は朝日に寝不足の瞳を焼かれながら、フラフラと廊下を歩いていた。

 

 アリエッタの手料理を食べて、アリエッタと同じ屋根の下で眠って、目覚めてもアリエッタが近くに居るという状況に精神が異常な動作を起こしてしまい、昨晩は中々寝付けなかったのだ。

 

「シャンとしろよエクス。今日も訓練所で指南役なんだからな」

 

 隣を歩いているレビィさんに肩をバンバンと叩かれる。

 彼女の言う通りだ。訓練とはいえ油断すれば大怪我をするし、逆に相手に大怪我をさせてしまうかもしれない。

 

「それじゃあ、私はフィロメラを起こしてくるわ」

 

 レビィさんはそう言うと、僕と別れてフィロメラさんの私室の方へと歩いていった。

 

 顔でも洗って気持ちを切り替えるか…………

 そう思い、洗面所の前まで歩いていくと、中からアリエッタの声が聞こえてきた。

 

「えーっと……にゅ、入浴中とかじゃないよね…………?」

 

 僕は扉に使用中のフダが掛けられていないことを確認しつつ、恐る恐る扉を開けた。

 

 

 

「おーそうかそうか。お前が噂のアリエッタか。エイビスの所でやらかしたとんでもない女って話は聞いてるぜ」

「やらかしたのは俺じゃないっての。俺もアンタのことは新聞で見たから知ってるぜ。無双の槍使い。神域の槍術。えーっと名前は…………」

 

 

 

「ヴィラ…………何してるの…………?」

 

 扉を開けると、僕達の仲間……ヴィラが全裸でアリエッタと和やかに歓談していた。

 

「そうそう。ヴィラ、だったな」

 

 僕の震える言葉にアリエッタがパチンと指を鳴らした。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「おっ、エクス。おはよー」

 

 (アリエッタ)は入口で呆然としているエクスに朝の挨拶をした。

 

「すぐに朝飯作るからちょっと待っててくれな。ヴィラも食ってくよな?」

「ん~……俺様、普段は朝は抜いてるんだが…………たまにはいいか」

「ちゃんと食わないと、そのでかい体を維持出来ないぞ? しっかり食ってけよな」

 

 俺はそう言って、ヴィラの胸板を軽く小突いた。

 

 という訳で勇者パーティー最後の一人、槍使いヴィラの登場である。

 勇者パーティーではエクス以外の唯一の男性であり、エクスとはまた違った方向性の男前だ。

 エクスは線の細いスマートな感じの男前だが、ヴィラは筋骨隆々でコナン・ザ・グレートな「雄!!」って感じの男前だった。

 

「というか、そろそろパンツぐらい履けよ。風邪ひくぞ」

「おっと、昨日の夜はパンツを履いてる暇がないぐらい忙しくてな。俺様ウッカリしてたぜ」

 

 そして、相当な女好きのようだ。昨晩も歓楽街で夜通しいかがわしい店で遊んでいたらしい。

 前世であれば、間違いなく交流が無いタイプの人間だが、話してみると中々面白い男で、ついつい会話が弾んでしまい、俺は奴にパンツを履かせることも忘れて話し込んでしまった。奴の股間に付いているアレを見るのも久しぶりだったので、何だか懐かしい気持ちになって、和んでしまったのは胸に秘めておこう。

 

「それじゃ、また後でな」

「おう、パンツ履いたらすぐ行くわ」

 

 俺はヴィラに軽く手を振ると、朝食の献立を考えながら洗面所を後にした。

 

 

 

「よお、エクス。お前の幼馴染だってなアイツ。顔と胸は普通だが…………ケツがいいな。安産型で俺様好みだ。…………ん、どうしたエクス。何か目が据わってるぞ? そんなに俺様の股間が気になるのか?」

「…………ヴィラ。良かったら今日の王宮での訓練、僕と模擬戦をしないかい?」

「あぁ? 嫌だよ。お前手数がアホみたいに多いから疲れるし、俺様徹夜で眠いし」

「うん。兵士の人達にも良い刺激になると思うんだ。僕も久しぶりにヴィラと手合わせがしてみたいし、ちょうどいいね」

「…………うん? 会話が繋がってねえぞエクス」

「それじゃあ、服を着たら一緒に朝ごはんでも食べようか。いやあ模擬戦楽しみだなあハハハハハ」

「もしもーし。どうしよう俺様の言葉がエクスに届いてない。俺様怖い」

「ハハハハハハハハハハ」

 

 

 

 背後からエクスとヴィラの和やかな会話が聞こえてくる。

 男同士という気安さからか、エクスの声はいつもよりもご機嫌に聞こえた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「んん~。昨日の夕食でも思ったけど、アリエッタって料理上手だよね」

「そんな大したもの作ってないから、あんまり褒められると照れ臭いけど……気に入ってくれたなら嬉しいよ。沢山食ってくれよな」

 

 俺はレビィからの誉め言葉に、若干の気恥ずかしさを感じつつも悪い気はしていなかった。

 筋肉を見せびらかすように妙にピチピチな服を着たヴィラも、気持ちのいい食べっぷりを見せてくれている。

 

「美味い美味い。たまには朝飯をしっかり食うのも悪くねえな」

「ヴィラさん。口に物を入れたまま喋らないでください」

「む、んぐっ。堅いこと言うなよフィロメラ。朝から俺様の顔が見れるなんて中々レアな状況なんだぜ? もっと俺様とコミュニケーションをあばばばばばば」

 

 流れるようにフィロメラの背後に立ってセクハラをしようとしたヴィラが、フィロメラの魔法で感電している。骨が透けて見えてるけど大丈夫なのかアレ。

 

「大丈夫ですよアリエッタ。ヴィラさんのセクハラ未遂はこのお屋敷の日常風景ですから。それよりもアリエッタは時間とか大丈夫なんですか?」

 

 俺の隣に座っているリアクタにとって、感電しているヴィラの安否よりも俺のスケジュール管理の方が優先度が高いらしい。俺は壁に掛けられた時計を確認して、時間にはまだ余裕があることをリアクタに伝えた。

 

「でも、慣れない街を歩く訳ですから、ご飯を食べたら早めに出発した方がいいですよ。後片付けは私がやっておきますから」

 

 まあ、リアクタの言うことは尤もだ。昨日の時点で早速迷子になっていた訳だしな。ここはお言葉に甘えさせてもらおう。俺はリアクタに礼を言った。

 

「悪いな。助かるよリアクタ」

「気にしないでください。アリエッタもお仕事頑張ってくださいね。……そういえば、アリエッタが働くお店って何処なのか聞いても大丈夫ですか?」

「えーと、三番通りの銀猫亭っていう雑貨屋だな。知ってる?」

 

 俺が修行先の店名を伝えると、リアクタではなく感電から復帰したヴィラの方が反応した。

 

「おお、あそこか。何回か前を通ったことがあるぜ。何なら俺様が道案内してやろうかアリエッタ」

 

 そう言うと、ヴィラは自然な動作で俺の腰に手を回して来た。

 エクスの方からシュッと飛んできたフォークをヴィラが首を軽く傾けて回避する。壁に突き立ったフォークを見て、エクスが苦笑しながらヴィラに謝罪した。

 

「ごめんヴィラ。外しちゃった」

「せめて手が滑った事を謝ってくれ。俺様の額にフォークがぶっ刺さってたら謝らないのかお前は」

 

 勇者パーティーの朝食はバイオレンスだな。それとも、周囲の女性比率が高い環境で過ごしていると、気心が知れた男同士の絡みはエクスも普段よりおバカな感じにテンションが上がってしまうのだろうか。男同士で馬鹿をやりたくなる気持ちは分からなくはないが、お行儀が悪いので俺はエクスに「めっ」てした。エクスはしゅんとした。

 

「地図も有るし、そっちも忙しいだろうから道案内は気持ちだけ受け取っておくよ。みんな色々とありがとうな。お世話になりました」

 

 俺はエクス達に改めて感謝を伝えて、ぺこりとお辞儀をした。そんな俺にフィロメラが優しく微笑みかける。

 

「こちらこそ美味しいご飯をありがとうございましたアリエッタさん。しばらくは私達も王都に居ると思うので、何かあれば訪ねてきてくださいね」

 

 フィロメラの言葉に続いて、リアクタが俺の手をキュッと握って笑顔を浮かべる。

 

「もちろん、ただ遊びに来てくれるだけでも大歓迎ですよ。アリエッタ!」

「お、おう。機会が有れば、そうさせてもらうよ」

 

 きょ、距離が近い……! 

 

 美少女に至近距離で顔面を見つめられるという前世でも今世でも初めてのレア体験に、俺は思わず顔を赤くしてしまう。

 この距離感ガバガバな感じは男を勘違いさせるタイプの女の子だぞリアクタ……! 

 エクスもきっとこんな感じで落とされてしまったに違いない。ホモサピの雄はみんな距離感が近い笑顔が素敵な美少女を無条件で好きになってしまう呪いにかかっているのだ。

 

 

 だから、エクスがリアクタを好きになるのも仕方ないことなのだ。

 

 

 ……まただ。胸が痛むような、締め付けられるような奇妙な感覚に襲われる。

 リアクタを不安にさせてはいけないと、俺は痛みを顔に出さないように意識して笑顔を作る。

 

「……リアクタも、エクスのことをよろしく頼むな」

「えっ? エクスさんですか?」

「ああ、ちょっと鈍い所もあるかもしれないけど本当に良い奴だからさ。支えてやってくれると助かる」

「はぁ……分かりました……?」

 

 

 

 俺は、エクスとリアクタを全力で応援する。

 

 二人が、エクスが幸せになってくれるように。

 

 だって俺はエクスのパパだから。

 パパは息子の幸せを願うものだから、俺がエクスの幸せを願っても何もおかしいことは無い。

 

 

 

 俺は真っ当な女の子じゃないから。

 

 不幸ぶるつもりは無いけど、きっと普通の幸せとは少しだけ遠い人間だから。

 

 俺の分までエクスには普通の女の子と、ちゃんと幸せになってほしいんだ。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 よっしゃ~! 切り替えていこう! 

 

 柄にもなくシリアスパートをやってしまった気がするが、切り替えの速さは俺の数少ない長所の一つである。エクス達と別れてから10分もする頃には平常運転に戻っていた俺は、修行先である銀猫亭のマスターに挨拶をしていた。

 

「アリエッタと言います。今日からお世話になります!」

「がははは、そんな堅くならなくてもいいぞアリエッタ。お前の親父さんから話は聞いている。中々優秀らしいじゃないか」

 

 銀猫亭のマスターが豪快に笑う。可愛らしい店名とは裏腹に、その主の容姿は見事なヒゲを蓄えた鋭い眼光の親父だった。商人というよりも戦士と言われた方がしっくりくる見た目である。

 

「いえ、"私"なんてまだまだです。マスターの足を引っ張らないように頑張ります」

「おう、あんまり気張り過ぎるなよ。しかし、アイツにこんな美人な娘が居たとはな! 店の中が華やかになるってもんだ!」

「あはは、ありがとうございます。大したことない顔ですけど、お店の売上に貢献出来れば幸いです」

 

 そういって俺はにっこりとお淑やかに微笑んだ。

 

 

 

 さて、アリエッタちゃん猫かぶりフォームである。

 なんと俺はTPOを弁えることが出来る人間だったのだ。プライベートや親しい人間の前ならばともかく、初対面の、それも住み込みで働かせてもらう相手の前では猫の2、3枚ぐらい被ることも出来るのだ。

 

「とりあえず、部屋に荷物を置いたら今日の所は雑用でもやりながら仕事の流れを覚えてくれ。テイム! アリエッタを部屋まで案内してやんな!」

 

 マスターに呼ばれたテイムという少年がこちらにやってきた。俺より二つか三つ年下だろうか。身長は俺より高いが、顔つきに幼さを感じる。

 

「俺の息子だ。当面はこいつにくっ付いて仕事を覚えてくれ。テイムも人にモノを教えるっていうのは良い勉強になる。ちゃんとアリエッタの面倒を見るんだぞ」

「アリエッタです。よろしくお願いしますテイムさん」

 

 ぺこりと頭を下げた俺を、テイムは仏頂面で値踏みするように睨み付ける。

 

「……ふん、女が商人ごっこかよ。お料理教室じゃねえんだぞ」

 

 おおっと、こいつは面倒くさい奴だな? 

 まあ、突然仕事しながら見ず知らずの女の面倒を見ろと言われれば、多少は機嫌が悪くなるのも分からなくはないが。あっ、テイムがマスターにげんこつを貰った。

 

「いってぇな! 女の商人なんざ、どうせ長続きしねえから面倒見るだけ無駄だって何度も言ってるだろうが!」

「その女の商人の股から産まれてきた奴が何を偉そうな口利いてんだよ半人前が」

「お袋は関係ねえだろ。どうせこいつだって、ひと月もしごかれれば泣き言言って逃げ出すに決まってる!」

 

 聞く耳を持たない様子のテイムにマスターが深い溜息をついて、俺に謝罪をしてくる。

 

「はぁ……すまんなアリエッタ。客商売だってのに口が悪くて俺も困ってんだ」

「いえ、テイムさんの言う事も分かりますので。女に商人が務まるかどうかについては、私の仕事ぶりでテイムさんに判断してもらおうと思います」

 

 軽く微笑んでテイムの辛辣な言葉を受け流す。俺は見た目通りの小娘では無いので、この程度の挑発にいちいち乗っかったりしないのだ。

 

 

 

 ……だが、俺だってそれなりに真剣に商人を目指しているつもりだ。さっきの物言いはちょっぴりむかついたので少しだけ反撃しておこう。

 俺はテイムに近づくと、奴の顔を下から覗き込んでにっこりと満面の笑みを浮かべた。

 

「な、なんだよ……」

「でも、そんな事言うんですから、お仕事ではテイムさんのカッコイイ所を私に見せてくださいね?」

 

 ビシッとテイムを指差して軽く嫌味を言ったら気が済んだので、俺はぴょんと跳ねて奴から距離を取った。

 

「…………」

 

 おや、テイムの奴固まっちまったぞ。…………そこまで酷い事言ってないよな俺? 

 テイムにじっと見つめられて俺は急激に不安になってくる。

 見かねたマスターが溜息混じりにテイムに声をかける。

 

「おい、ボケっとしてないでアリエッタを部屋に案内しろ。もうすぐ店を開ける時間だぞ」

「わ、分かってるよ。ついて来いアリエッタ」

 

 マスターの言葉でようやく動き出したテイムの後に俺はついていく。

 建物の二階がマスター達の生活スペースになっているらしく、俺の部屋もそこに用意されているようだ。階段を上ろうとするテイムにマスターが声をかける。

 

「……テイム。一応言っておくが、預かりものに手を出すんじゃねえぞ?」

「だ、出さねえよ!? くだらない事言ってんじゃねえぞ糞親父!」

 

 何の話だ? 

 …………まあ、半年間働かせてもらうとはいえ、ここでは俺は基本的に部外者なのだ。店の内部事情に首を突っ込むのはあまり品の良い行動とは言えないな。俺は二人の会話を敢えて聞き流すことにした。

 

 

 

「ここがお前の部屋だ。一応軽く掃除はしてあるが、何か有れば俺か親父に言え」

 

 俺は案内された室内を見渡す。まあ広いとは言えないが、寝泊りするには必要十分だろう。

 

 

「それじゃあ、改めてよろしくお願いしますね。テイムさん」

 

 俺が片手を差し出して握手を求めると、テイムはぶっきらぼうに俺の手を握り返した。

 

「…………おう。精々コキ使ってやるから覚悟しとけよ。アリエッタ」

 

 

 

 こうして、王都での俺の修行生活が始まるのだった。

 

 

 

 

 



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18.負けられない戦い……!

 

 (アリエッタ)が銀猫亭で働き始めてから、ひと月が経った。

 

 

「一ヶ月間お疲れさんアリエッタ。生活費の分を差し引いているからあまり多くはないかもしれんが、受け取ってくれ」

「ありがとうございますマスター。こちらで勉強させてもらっている立場なのに何かすいません」

 

 

 

 という訳で楽しい給料日である。俺はマスターから恭しくお賃金を頂いた。

 

「なあに気にすんな。親父さんから仕込まれてるだけあって筋は良いし、看板娘がお目当ての客も増えたしな」

「あははは。私なんかが看板娘だなんて恐れ多いですよ」

「いやいや、仕入先でもアリエッタは評判いいぞ? 快活で話してて気持ちいいってさ」

「またまたぁ。恥ずかしくなるんで、あんまり持ち上げないでくださいよ」

 

 父さん仕込みの商売術はともかくして、看板娘は流石に大げさだ。こんな美形だらけの異世界で俺程度の顔面で客が増えるなら苦労はしない。俺はマスターの冗談を笑って受け流した。

 

「…………まあ、看板娘云々はともかくとして、女にしてはまあまあやれてるんじゃねえの」

 

 ツンデレみたいな事を言いながら倉庫で在庫確認をしていたテイムが戻ってきた。

 

「お疲れ様ですテイムさん。…………でも、その女にしてはっていうの止めてもらえますか? これでも、そこら辺の男よりは戦力になれてるつもりですよ?」

 

 俺は腰に手を当ててムンッと胸を張って言い返すと、テイムはばつが悪そうに頭を掻いた。

 

「あ~……すまん、今のは俺が悪かった。お前が頑張ってるのは分かってるつもりだ。…………この一ヶ月間よく頑張ったなアリエッタ」

 

 

 

 ちょ……ちょろすぎる…………ッ! 

 

 何でたったひと月で完オチしてるんだよこいつ。初登場時はもっとギラついた奴だったじゃんお前。俺は気持ち悪がった。

 

「ど、どうしたんですかテイムさん…………ちょっと気持ち悪いですよ?」

「人が真面目に褒めてやってんのにてめえは……っ!」

 

 俺が牙を抜かれちまったテイムを哀しげな瞳で見つめていると、マスターが俺とテイムを見て笑った。

 

「まあそう言うなアリエッタ。テイムは仲間が出来て嬉しいんだよ」

「仲間?」

「お前も知っての通り、テイムは仕事には真面目かもしれんが口が悪けりゃ手も早い。適当な仕事してる奴とは取っ組み合いになることも少なくなかった」

「そうそう! 私の知ってるテイムさんはそういうキャラですよ!」

「はったおすぞアリエッタ!」

 

 俺は吼えるテイムを無視して、マスターに話の続きを促した。

 

「だから、同年代で真面目に商人やろうとしてるアリエッタが来てくれて嬉しいんだろ。同志って奴だな」

「私、普通に仕事してただけなんですけど……」

「謙遜しなくてもいいって。あんだけ熱心に仕事やる奴は中々見ねえよ」

 

 いや、本当に普通に働いてただけなんだが……

 確かに仕事中にサボったりはしていないし、少しばかりサービス残業したりはしていたが、特別な事をしていたつもりは本当に無かった。もしや俺の感覚がおかしいだけで、この世界基準だと前世である日本人の一般的な労働に対する感覚は異常なのだろうか? 

 俺が珍しく異世界転生ものっぽい感覚を味わっていると、マスターがニヤリと意地の悪そうな笑みをテイムに向けた

 

「まあ、こいつがアリエッタを気に入ってる理由はそれだけじゃないかもしれんがな」

「糞親父。長生きしたけりゃ適当な事言うんじゃねえぞ?」

「がははは! さて、アリエッタがうちに来てから今日で一ヶ月だ。ちょっとばかし遅くなっちまったが、ここらで一つ歓迎会でもやっておくか! もちろん俺の奢りだ」

 

 おおっと、飲みニケーションイベントが発生したぞ。

 そういえば、こっちの世界に来てから未だ一度も酒を飲んでいなかったな。前世ではそれなりに呑む方だったので、こちらの世界の酒がどんなものなのか興味が無いわけではない。だが、その前に一つ確認しておかなくては。

 

「テイムさん。この国ってお酒は何歳から飲んでもいいんですか?」

「はあ? 何言ってんだお前。アリエッタの故郷じゃあ何かそういう決まりでもあるのか? ……法律って訳じゃないが、まあ普通は子供相手だったら店が酒を出さない。保護者が同伴していれば、子供にも弱めの酒を出す店もあるが……そこら辺は店主の気分次第って感じだ。要するに適当なんだよ」

 

 どうやら特に決まりは無いようだった。まあ異世界で前世の法律を持ち出すのも野暮というものだ。遠慮なくマスターの財布で酒を飲ませてもらおう。

 俺が異世界アルコールに思いを馳せていると、不意に店のドアが開かれた。

 

「親父さーん。まだ居るかい?」

「あれ、薬師さん。どうされたんですか?」

「こんばんはアリエッタちゃん。店じまいをしている所に悪いんだが、親父さんはまだ居るかい?」

 

 やって来たのは銀猫亭に薬などを卸している薬師のおじさんだった。

 出かける準備をしていたマスターが薬師に声をかける。

 

「おう、こんな時間にどうしたんだい薬師の」

「この間、話していた訓練所に卸すポーションの話なんだが……」

「ああ、その件か。別に急いでる訳じゃないぞ?」

「たまたま銀猫亭の近くに用事が有ったから、そのついでさ」

 

 仕事の話か? 俺は二人分のお茶の用意をしようとしたが薬師さんに遠慮されてしまった。

 

「ああ、お構いなく。そんなに長くはならないから」

「そういうことだ。テイムとアリエッタは五番通りの荒鷲屋で先に始めててくれ。俺もすぐに行く」

 

 ううむ。マスターもこう言ってるし、少しばかり気が引けるが先に行って席を確保しておくか。俺はテイムと一緒にこの辺りでは評判の酒場へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

「いらっしゃい! おお、テイムじゃないか。美人さん連れてるけど逢引かい? それならもっとムードのある所に行けよな」

「アホな事言ってんじゃねえよ。こいつはウチの見習いのアリエッタだ。後から親父も来るから3人分座れる席を頼む」

「なんだ、つまんねーの。ちょうど奥のテーブルが空いてるから、そっちに行ってくれ」

 

 俺とテイムは店員が指差したテーブル席に向かい合う形で座った。夕方の混雑する時間帯なのか騒がしい程に活気に溢れた店内を見回しながら、俺はテイムに尋ねる。

 

「さっきの店員さんは知り合いですか?」

「まあ、そんな所だ。俺も親父も常連だから顔を覚えられてるんだよ。とりあえず、親父が来るまで軽く何かつまんで待ってるか。何にする?」

「んー、喉も乾いたし何か軽いお酒でも貰おうかな。何がいいかな……」

 

 俺は店内の壁に飾られたお品書きを眺めた。料理はともかく酒に関しては名前を見てもどういう酒なのか見当もつかなかった。俺が悩んでいると勝手に俺の隣の席に座ったエクスが酒の解説をしてくれた。

 

「この店は果実酒の種類が豊富なんだよアリエッタ。りんごにレモンにイチゴにアンズ……変わり種だと桃と唐辛子のお酒なんていうのも有ってね」

「おい、どこから湧いてきた変質者。当然のように他所のテーブルに潜り込んでんじゃねえぞ。アリエッタも普通に受け入れてるんじゃねえ」

 

 ノーモーションで現れたエクスにテイムが敵意を剥き出しにするが、エクスはそれをにっこりと微笑んで受け流した。

 

「やあ、テイム。銀猫亭に寄ったら二人はこの店だって聞いてね。マスターに『少し遅くなりそうだけど気にするな』って伝言を頼まれたんだよ」

「そうかい。そいつはご苦労さん。もう帰っていいぞエクス。これから"ウチの"アリエッタの歓迎会なんだ」

「うん。マスターから聞いたから知ってるよ。"僕の"アリエッタの歓迎会をやるってね」

 

 うーむ。知り合って間もないのに随分と仲良くなったものだ。俺はぐりぐりとお互いの額をぶつけて睨み合っているエクスとテイムを微笑ましく見守っていた。

 

 俺が銀猫亭で働き始めてから、エクスは客としてちょくちょく店に俺の様子を見に来てくれているのだ。

 魔王軍に大きな動きが見えず、比較的平穏な状況下とはいえ勇者としての職務の合間を縫って態々会いに来てくれているエクスにパパは感激だ。

 

 …………とはいえ週7のペースでやって来るのは些かやり過ぎである。来る度に薬草をダースで買っているが、一体何に使っているんだこいつは。食ってるの? 

 

 そんな訳で、自然に常連客であるエクスとテイムも顔見知りになり、気が付けばこのように意気投合する仲となっていたのだ。

 

「何が"僕の"だ。この間アリエッタに『ただの幼馴染』ってバッサリやられてただろうが」

「そういう君は『ただの同僚』らしいね。仕事中ならともかく、プライベートではアリエッタにあまりベタベタしないで欲しいな?」

 

 何やら俺の話で盛り上がってるらしいが、いまいち話の方向性が見えねえな。一体何の話をしてんだこいつら? 今はオフだし、エクスも居るなら猫は脱いでおくか。俺はじゃれあっている二人に割って入った。

 

「はいはい仲が良いのは結構だが、そろそろ店員の視線も痛いし何か注文しようぜ。俺はりんご酒にしておくか。テイムとエクスはどうする?」

 

 猫を脱いだ俺をテイムが不満そうな顔で見つめてくる。あんだよ。

 

「……お前、こいつの前だと随分感じが変わるよな」

「まあ今はオフだし、俺とエクスは長い付き合いだからな。猫被ってる所を見られるのが少し恥ずかしいんだよ」

「……僕はああいうアリエッタも、その、好……んんっ、良いと思うけどな」

「はいはい、ありがとよエクス」

 

 俺がエクスのお世辞を軽く受け流していると、テイムが店員に注文を済ませていた。程なくして三つのグラスがテーブルに置かれる。テイムがその中の一つをエクスの前に差し出した。

 

「……ほらよ。俺の奢りだ」

「えっ。いいのかいテイム?」

「アリエッタの歓迎会って言っただろ。だったら祝う奴は多い方がいいってだけだ」

 

 テイムがまた安いツンデレみたいなムーブをした。エクスは苦笑しながらグラスを手に取る。

 

「ありがとう。そういう事なら頂こうかな」

「ああ、俺のお気に入りの酒だ。味わってくれ」

 

 俺も自分のグラスを手に取って頭上に掲げる。

 

「それじゃあ乾杯しようぜ。俺の前途を祝して!」

「そういうのって自分で言うものか? まあいいか……アリエッタの前途に」

「乾杯!」

 

 俺達3人はグラスをぶつけると、グイッと中身を呷った。エクスが中空に向けて盛大に酒を噴き出した。

 

「ぶふぉあっ!? ごぉっ……がぁっ……! の、喉が……灼け……!?」

 

 エクスがイケメンがしてはいけない顔をしながら咽ている。テイムが自分のグラスを飲み干してニヤリと頬を歪ませた。

 

「俺のお気に入りの酒はどうだ? 言っておくが俺のグラスもお前と同じ酒だぞ?」

 

 おいおい、一体何を飲ませたんだよ。俺はエクスのグラスを拝借して一口味見をしてみた。

 

「あっ、馬鹿! よせアリエッタ!」

 

 テイムが慌てて止めようとするが、その前に液体が俺の喉を通過する。

 うーむ……喉が燃えるような激しい熱と、まるで溶けた飴のような強烈な甘味を感じる。癖は有るが、まあ悪くない味なのだが……

 

「お前、これ火がつく奴だろ? よく一気にいけたな」

「アリエッタも意外と強いんだな…………まあ、そこの優男にはちょっとばかしキツかったか? いやあ悪かったよ」

 

 まったく、テイムの奴め。しょうもない悪戯しやがって…………おや、呼吸を整えたエクスが俺の手からグラスを奪い取ると、残った酒をグイッと一息に飲み干したぞ。ゆらりと感情を捨てた能面のような顔になったエクスが店員を呼び止める。

 

「……すいません。僕と彼に同じものをもう一杯」

 

 程なくして再び可燃性の液体がエクスとテイムの前に鎮座した。

 

「僕の奢りです。遠慮せずにどうぞ」

「ハッ……面白れェ……!」

 

 二人が再びグラスの中身を一息に呷ると、今度はテイムが店員に二人分の酒を注文した。何やら知らんが男の戦いが始まったようである。まあ、こういう馬鹿なことをやれる友達というのは大切にしなくちゃな。俺は勝負を止めるような野暮な真似はせずに、りんご酒をチビチビと飲みながら二人を見守る態勢に入るのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 そこからの二人の戦いは混迷を極めた。

 

 お互いの空けたグラスが十を越えた辺りから周囲にギャラリーが集まり始める。たまたま近くを通りかかったヴィラが飛び入り参戦して勝負は三つ巴に。周囲で誰が最後まで生き残るか賭けを始め出したので、俺は口八丁で賭博の胴元を引き受けて小銭稼ぎを目論む。勝負は更に激化し、酩酊したヴィラが全裸で踊り始める。エクスの帰りが遅いので様子を見にフィロメラとリアクタが来店。フィロメラがフルチンで踊り狂うヴィラの頭部を背後から杖で強打。エクスの見張り役としてリアクタをその場に残すと、フィロメラは昏倒したヴィラを引きずって帰宅。場の雰囲気に流されてリアクタが軽めの酒を注文するが一杯で真っ赤になる。あまりの可愛さに俺がリアクタを膝枕で看病を始めてから一時間が経過した頃に、いよいよ最後の勝利者が決まろうとしていた―――! 

 

 

 

 **********

 

 

 

 テイムが空になったグラスを勢いよくテーブルに叩きつけた。

 

「ま……まだだ……まだ、俺は…………」

 

 闘志は消えていなかったが、肉体は付いて来れなかったようだな。テイムはテーブルに突っ伏して気を失ってしまった。

 

 

 

「えー、という訳で優勝は飛び入り参加のレビィ選手でーす。皆さん拍手ー」

「イェーイ。エクス見てるー?」

 

 という訳で飲み比べ勝負を制したのは、リアクタを心配したフィロメラが送り出したレビィとなったのだった。ちなみにエクスは10分ぐらい前に沈んでいたのだが、もはや何の勝負だったのか完全に見失っていたテイムは何故かレビィとの一騎討ちに臨み、敢え無く散っていったのだった。

 

「いやぁ~楽しかったなー! こんなに飲んだのは久しぶり!」

「ククク……俺も楽しかったよ。小遣い稼ぎも出来たしな……」

 

 配当金を払っても、手元にかなり残った金をジャラジャラと数えながら俺はニチャアと邪悪な笑みを浮かべた。

 途中からやってきて、一緒に飲みながら勝負を観戦していたマスターが俺に呆れ顔を向ける。

 

「やれやれ……アリエッタは逞しい奴だなあ。まあ、酒の席だし堅いことは言わんが変な商売は始めないでくれよ?」

「身銭を切っている方が周りも盛り上がるでしょう? 私は楽しく騒ぎたかっただけですよ」

 

 

 

 俺は膝の上で丸くなっているリアクタの頬をぷにぷにと弄りながら、ドブみてえな顔色になっているエクスとテイムの死体を見つめて優しく微笑むのだった。

 

 

 



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19.矢印乱立

 思い返してみれば、魔の手は随分と前から忍び寄っていたのかもしれない。

 

 (エクス)は目の前の現実から目を背けるように、過去を振り返っていた。

 

 

 

 **********

 

 

 

「よっ。エクス」

「アリエッタ? どうしてこんな所に……」

「どうしてって、そりゃあ仕事に決まってるだろ。ほれ、お前には俺の奢りで一本サービスな」

 

 唐突に王宮の訓練場に現れたアリエッタから液体の入った小瓶を受け取る。

 

「これは?」

「疲労回復のポーションだよ。この間の魔王軍との戦闘で街道が一つ塞がってるだろ? その影響でこの手のポーションの流通が絞られてるからな。仕入れる伝手を持ってるウチとしては稼ぎ時な訳よ」

 

 アリエッタは背後の荷車に積まれたポーションを指差した。

 

「ちょっと前から訓練所で販売させてもらってるんだけど、エクスとここで会うのは初めてかもな。魔王軍の前線基地を潰してたんだって? みんな怪我とかしてないか?」

「うん。小規模な基地だったから大きな負傷とかはしていないよ。アリエッタは最近はいつも訓練所に?」

「ああ、兵隊さん相手の商売なんて、王都でもないと中々出来ないからな。良い経験になるし売り子なら男よりも女の方が映えるってマスターからのお達しだ。最近は店よりもこっちに居る時間の方が長いくらいだよ」

「そうなんだ。実は僕達も明日から指南役でしばらく訓練所での任務なんだ。……その、アリエッタと顔を会わせることも多くなるかもね」

「おう。次からは金取るから売り上げに貢献してくれよな」

 

 そう言って、アリエッタは悪戯っぽく笑った。

 

 ここ数日は遠征で彼女の勤める銀猫亭に顔を出せていなかったので、久しぶりにアリエッタの顔を見ることが出来た嬉しさと、これからの訓練所での任務で思いがけずアリエッタに会う機会が増えたことに対して思わず頬が緩むのを感じる。

 

 

 

「やあ、アリエッタちゃん。ポーションを一つ貰えるかな?」

 

 一人の若い男が、親しげにアリエッタの肩に手を置いた。

 

「あっ、ホースさん。いつもありがとうございます」

 

 アリエッタが僕にいつも見せる無邪気な笑顔とは、また少し違った人に見られることを意識した淑やかな笑顔を浮かべた。

 ホースと呼ばれた男が僕の方に視線を向けると、軽く敬礼をする。

 

「エクス殿。明日からの我らの指南役、よろしくお願いいたします」

「あ、ああ。うん。よろしく」

 

 僕が気もそぞろに返事をすると、男は再びアリエッタに視線を向けた。

 

「アリエッタちゃんがエクス殿と知り合いとは聞いていたけど、本当だったんだね」

「酷いなあ。私のこと疑ってたんですか?」

「はは、ごめんごめん。訓練所でポーションを売り込む為のハッタリかと思ってね」

「それじゃあ、お詫びの印にいつもより少し良いポーションを買ってもらえますか? お値段もちょっぴり上ですけど」

「おっと。こいつは藪蛇だったかな?」

 

 

 

 …………随分とアリエッタに親しげだな。この男。

 

 和やかにアリエッタと歓談している男を見つめる自分の視線が、どんどんと鋭くなっていくのを感じて僕は自制した。

 いやいやいや、ただの世間話じゃないか。いくら何でも、この程度のことで相手を嫉妬するのは度が過ぎている。僕は謂れの無い悪感情を向けてしまった彼に内心で謝罪をした。

 

 

 

「ところで、アリエッタちゃんが良ければ今度の週末に食事でも一緒にどうかな。五番通りに雰囲気の良い店を見つけてね」

「そんな感じで色んな女の子に声をかけてるんでしょう? 騙されませんからね」

「うーん。君と仲良くなりたいっていうのは本当なんだけどなあ」

 

 さて、どうやってこの男を消そうか。

 一瞬で心の温度を氷点下まで落とすと、僕は脳内で完全犯罪の計画を練り始めたが、デートの誘いを軽くあしらったアリエッタに呼びかけられて正気に戻った。

 

「やれやれ。訓練所に出入りするような女が物珍しいからって、その気も無いのに面白半分で声をかけてくるんだから困ったもんだよな?」

 

 ……どうして彼女は自分の魅力に対して、こうも無頓着なのだろうか。

 

 確かに道行く人が皆振り返るような絢爛な美女という訳では無いかもしれないが、彼女の快活で親しみやすい天真爛漫な人柄はとても魅力的だと思うし、それに気づいている男性が僕だけとは到底思えない。

 少し目を離すと、無自覚に自分に向いている矢印を増やしてくるので僕としては気が気ではない。

 

「それじゃ、俺は営業してくるから。また明日なエクス」

「う、うん。また明日…………」

 

 僕は遠ざかっていくアリエッタの背中を不安な面持ちで見送った。

 

 

 

 **********

 

 

 

 後日、僕はヴィラを連れて訓練所へ指南役として訪れたのだが、事態は僕が思っていたより深刻だったようである。

 

 先程まで僕と模擬戦をしていた純朴そうな青年にアリエッタが何やら話しかけている。

 僕はヴィラの槍を捌きながら、全神経を集中して二人の会話に聞き耳を立てていた。

 

 

 

「どうしたんですかヒットさん? 元気無いですよ?」

「アリエッタさん……いえ、自分の弱さに少し情けなくなりまして……」

 

 

 

 槍による突きだけではなく、蹴り技なども組み合わせたヴィラの多彩な攻撃を受け流しつつ、僕はぎょろりと眼球をアリエッタと青年の方へ向ける。青年は沈痛な面持ちでアリエッタにぽつりぽつりと内心を吐露していた。

 

 

 

「勿論、エクス殿に勝てる等とは初めから考えていません。……ですが、改めて実力の差を思い知らされるというのは正直、堪えます。訓練で手加減している彼に全く歯が立たないとは……」

 

 

 

 青年が頭を掻きながら無理やり苦笑いを浮かべた。

 一方で、ヴィラが僕を指差して何やら口上を立てているが全く頭に入ってこない。とりあえず雰囲気で「……ああ!」と力強く頷いておくと、ヴィラの姿が波打つように揺らいだ次の瞬間、彼の姿が3人に分身していた。ヴィラの新技の様だが、僕はそれよりもアリエッタと青年の会話の方が気になって仕方なかった。

 

 

 

「ヒットさんは弱くなんかないですよ。私ちゃんと知ってますから」

「はは、ありがとうございます。……でも、アリエッタさんも見ていたでしょう。先ほどの手合わせでエクス殿に一太刀浴びせることも出来なかった自分を……」

「確かにエクスはヒットさんより強いかもしれませんけど、それだけでヒットさんが弱いなんて馬鹿な事言う人がいたら私がぶん殴ってやりますよ」

「ア、アリエッタさん? 女性がそんな乱暴な言葉遣いは……」

 

 何やらテンションが上がっている様子のアリエッタが青年にグイッと近づいた。

 

 …………アリエッタ。ちょっと彼との距離が近すぎないかい? もう少し離れて。早く。

 

 内心でそんな苦言をこぼしつつ、僕は三方向からのヴィラの槍を受け流す。多少、大げさに回避しつつ不自然にならないように視界には常にアリエッタが映るポジションをキープしておく。

 

 

 

「毎日毎日、朝から晩まで国の為に訓練している人が弱いなんて馬鹿なこと有る訳無いじゃないですか。ヒットさんが頑張ってるの私ちゃんと見てるんですからね。もっと自信を持ってください」

「アリエッタさん…………その、ありがとうございます。貴方にそう言ってもらえるのは、正直嬉しいです……」

「あは、それなら感謝の印にポーション一本買っていってもらえますか? …………あっ、一応言っておきますけど、さっきのはセールストークとかじゃなくて本心ですからね?」

「分かってますよ。貴方はそういう器用な人じゃないでしょうから」

「あっ、酷い。ちょっと馬鹿にしてるでしょう?」

 

 

 

 青年とアリエッタが和やかに談笑している様子を見ていると、僕は心がどんどん冷えていくのを感じた。ヴィラが着ている上着を破り捨てて吼えた。

 

「エクス~! テメェやる気あんのか! さっきから一体どこを見てるんだよ!? 俺様を見ろ! 俺様だけを! この俺様の鍛え上げられた肉体と! 技を! お前の目に焼き付けるんだよォ~~~!」

 

 ホモかな? 

 怪しげな発言をして飛びかかってきたヴィラをボコボコにした後、僕はアリエッタに声をかけようとしたが、すぐさま次の模擬戦希望者が現れてしまった。一応、兵士たちの訓練が任務である以上、断ることも出来ず僕は途切れることなくやってくる猛者たちを相手にすることになった。

 結局、この日はアリエッタとは二言三言しか言葉を交わすことが出来なかったのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 任務とはいえ、勇者にだって休みはある。

 

 訓練からも魔王軍との戦闘からも解放された僕は、軽い足取りでアリエッタの勤める銀猫亭へと向かっていた。彼女の都合さえ合えば、食事にでも誘おうと思っていたのだ。なんなら彼女を僕達の屋敷に招待するのもいいかもしれない。リアクタちゃんもアリエッタに会いたがっていたし、ちょうどいいだろう。

 

 そんなことを考えながら通りを歩いていると、見覚えのある赤髪が僕の目に映った。

 

 

 

 そして、彼女の隣には見知らぬ男が立っていて、それはとても親し気な様子で談笑していた。

 

 誰だあいつは。銀猫亭のテイムでも、ここ数日で訓練所で見かけた兵士達でもない。

 

 僕は近くの壁にスッと身を隠した。いや、別に隠れる必要は無かったのだが身体が勝手に動いてしまったので仕方ない。僕は激しくなる動悸に息を荒くしながら、こそこそとアリエッタと見知らぬ男の様子を伺った。

 

 かなり距離が離れていたので、何を話しているかまでは聞こえなかったが、彼女はにこやかな笑顔を無防備に男に向けているし、男の方も親し気にアリエッタの肩に手を置いたりしている。そんな光景を見ていて、僕は胸を掻き毟りたくなるような衝動に襲われた。

 

 

 

「はぁー……はぁー……はぁー……」

 

 

 

 僕は呼吸を荒らげながら、身を隠している壁をギュッと握りしめる。血走った目を見開いてアリエッタと男を監視していた僕の肩を背後から誰かが叩いた。

 

「おい変質者」

「誤解です。僕は怪しい者ではありません」

 

 僕は反射的に冤罪を主張した。

 背後を振り返ると、そこには僕と同じく休暇中のヴィラが立っていた。

 

「……人類軍の大英雄様が街の往来で一体何をやってるんだよ」

「ヴィラか……ちょうどよかった。実は相談に乗って欲しいことが有るんだ」

「俺様は自首した方がいいと思う」

「僕が犯罪者という前提で話を進めないでくれ。とりあえず落ち着ける場所で話そう」

 

 僕は嫌がるヴィラを連れて近くの酒場へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 思い返してみれば、魔の手は随分と前から忍び寄っていたのかもしれない。

 

 僕は目の前の現実から目を背けるように、過去を振り返っていると、ヴィラが面倒そうな顔をしながらグラスの酒を流し込んだ。

 

「あ~……つまり、なんだ。最近アリエッタの周りに近寄って来る男が多すぎるって話か?」

「うん。アリエッタが魅力的な女性だということは理解していたけど、それにしても最近の彼女の周囲の男性比率の高さは異常だと思うんだ。どうしたらいいと思う?」

「それに俺様は何て答えれば正解なんだよ…………というか、そんなに心配ならさっさとアリエッタをモノにしちまえよ面倒くせえ」

 

 乱暴な結論に至るヴィラに僕は首を横に振った。

 

「それは出来ない」

「何でだよ」

「……僕達の戦いは死と隣り合わせだから。もしも、僕が今すぐ告白してアリエッタと恋人同士になれたとしても、彼女を残して僕が死ぬことだって十分にあり得る。その時に、アリエッタには僕の事を引きずってほしくないから…………だから、僕が彼女に想いを伝えるなら、それは僕達が魔王軍を打倒した時なんだ」

「重い上に面倒くせえ……」

 

 ヴィラは深い溜息を吐くと、店員に酒の追加を注文した。僕が勇気を振り絞ってアリエッタを好いている事を告白してまで相談しているというのに、アルコールを摂取しながら話を聞くなんて誠実さに欠けていると思う。

 

「あんまり眠たいこと言ってると、アリエッタを他の男に取られちまうぞ。お前は知らないかもしれんが、アリエッタは訓練所の兵士達にかなりモテてる」

「そうなのかい?」

「軍隊ってのは基本的に女っけの無い職場だからな。兵士達の間でアリエッタが半分お姫様みたいな扱いになってるの知らないのか?」

「そ、そんな事になってたの……いや、でも訓練所にはフィロメラさんにレビィさん、リアクタちゃんだって魔術関係の指南役として来ているじゃないか。どうしてアリエッタだけそんな扱いに?」

 

 僕がそう言うと、ヴィラはまるで物覚えの悪い子供に勉強を教える教師のように頭を抱えた。

 

「あのな、確かにウチの女性陣は見てくれは良いかもしれんが、あいつらの肩書を考えてみろよ。国王とも個人的に親交がある賢者様。世界の調停者なんて呼ばれている竜族の戦士。世界宗教に片足突っ込んでる聖天教の大神官様。高嶺の花を絵に描いたみたいな連中にどうこうしようなんて考える奴は中々いねえよ」

 

 ……確かに。よくよく考えてみれば凄い顔ぶれである。僕も故郷の村で一般人として過ごしていれば、彼女達の顔を見る事すら無かっただろう。

 

「それに対してアリエッタはどうだ? 確かに絶世の美女って訳じゃあないが、滅茶苦茶な肩書も持ってない普通の一般人で、妙に男との距離感が近い明るくて優しい女の子が、女日照りの兵隊達の前に来てみろ。女慣れしていない若い連中なんかはあっという間にグラッと来るって寸法よ。自分でも手が届きそうって所がポイントだな。遠くの薔薇よりも近くのたんぽぽって奴だよ」

 

 

 なんてことだ…………僕は頭を抱えた。

 アリエッタの魅力が皆に認められているのは悪い気はしない。しかし、このままではアリエッタがどこの馬の骨とも知れない男に…………

 

「まあ、アリエッタのことなら多分、大丈夫だろう」

 

 ヴィラがグラスを呷りながら無責任な事を言った。一体何を根拠に…………

 

 

 

「だって、あいつお前にベタ惚れしてるじゃん。よっぽどの事が無ければ他の男になびいたりはしねえだろ」

 

 

 

 …………? 

 

 アリエッタが、僕を? 

 ヴィラが意味不明なことを言っている。

 

「大丈夫ヴィラ? 飲み過ぎた?」

「お前、マジで気づいてないのか? アリエッタの顔見てれば分かるだろ?」

 

 アリエッタの顔? 

 

 僕はここ数日の彼女が近くに居た時の事を思い返してみたが、特におかしな所は無かったと思う。

 

 強いて言えばお互いの視線が合うことが妙に多かったのと、僕がそれに気づくとアリエッタが慌てて僕から視線を逸らしていたように見えた事ぐらいだが、それは子供の頃からの事だったし何も特別なことではなかった。やはりヴィラの勘違いである。

 

 

「……あ~やだやだ。何でこんな遠回しな惚気話を聞かされなきゃならないんだか……」

「…………???」

 

 

 

 結局、僕はヴィラの言葉の意味を理解出来ないままに、その日の夜が更けていくのだった。

 

 

 

 

 




今回出てきた男達は皆モブなので名前とか覚えなくていいです。


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20.やべえ奴一名追加

 

 

 

「う~む…………」

 

 (アリエッタ)は銀猫亭の自室で白紙の便箋に向かって唸っていた。

 

「……書く事が無い。流石に『元気でやってます』だけって訳にはいかないよなあ……」

 

 実は俺は故郷を離れる際に、ミラちゃんから『月に一通でいいから手紙を送って欲しい』というお願いをされていたのだ。勿論、両親にも手紙は送っているが、そっちは別に気を遣う必要も無いので業務連絡の様な味気の無い手紙なのだが、ミラちゃん相手にはそういう訳にもいくまい。俺は何とか脳みそをギュッ! として書く内容を捻りだそうと苦心しているというのがここまでの経緯である。

 

「先月は、まだ一通目だったから書く内容も有ったけど……そんなに毎月書くようなことなんて無いよなあ……」

 

 一方でミラちゃんからの手紙は大体週一ペースでこちらに届いている。内容は日々の他愛もない出来事の報告なのだが、それをこれだけ書く事が出来るなんて女の子って凄い。あっ、俺も今は女だったわ。

 

「しゃーなし。日記みたいになっちまうけど、最近あった事を羅列してくか。えーっと、エクスとテイムと飲み会をやって、訓練所で兵隊さんと仲良くなって、薬師のおじさんの所の見習い少年に懐かれて…………」

 

 

 

 **********

 

 

 

「…………うん。まあ、こんなもんだろ」

 

 俺はそれなりの文字数になった便箋を満足げに眺めた。何だか内容が俺の話というより、俺の周囲の野郎どもの話になってしまった気もするが、まあ良しとしておこう。

 くぁ…………。気が付けば、いつもの就寝時間よりも少し遅くなってしまったようだ。明日は少し早起きして、仕事を始める前に手紙を出してしまおう。

 

「ミラちゃん、喜んでくれるといいなあ」

 

 俺は自分のことを姉の様に慕ってくれている可愛らしい少女のことを思いながら眠りにつくのだった。スヤァ…………

 

 

 

 **********

 

 

 

 王都から遠く離れた辺境の田舎村。そこが(ミラ)の暮らす場所だった。

 

 

 

 日課であるペスの散歩から帰宅すると、母が一通の手紙を私に差し出してきた。

 

「はい、王都のアリエッタちゃんからよ」

 

 母から告げられた名前と、手紙に書かれた差出人を確認して、私の心臓がドクンと大きく跳ね上がった。

 

「あ、ありがとうお母さん!」

 

 私は半ば奪い取るように母から手紙を受け取ると、中身を確認する為にいそいそと自室へ駆け込むのだった。

 

「あらあら、嬉しそうな顔しちゃって。ミラは本当にアリエッタちゃんのことが好きなのね」

 

 微笑ましげな母の声を背中に受けつつ、私は部屋の扉を閉めると受け取った手紙を胸に抱きしめる。

 

「お姉ちゃん…………」

 

 私はお姉ちゃんのことが好きだ。多分、母が思っている好意とは違う意味で。

 

「早く帰ってこないかな…………」

 

 私は手紙を抱きしめたままベッドに倒れこむと、恋しさを紛らわせるように瞳を閉じて彼女との思い出を振り返る。

 

 あれは変質者(エクス)がお姉ちゃんの前にやってくる数日前の出来事だっただろうか…………

 

 

 

 **********

 

 

 

「お姉ちゃん、おはよー」

「おう、おはよう。ミラちゃんもペスも朝から元気だなー」

 

 ペスを連れて早朝の散歩をしていた私は、道具屋の前で箒を握っていたお姉ちゃんに朝の挨拶をした。

 

「お姉ちゃんっ。教会のお勉強が終わったら、この間のお話の続きを聞きに行ってもいい?」

「ははっ、随分と気に入ってくれたみたいだな。俺の休憩時間か、お客さんが居ない時で良ければ構わないよ」

「やたっ。約束ねっ」

 

 私の家は、この村で唯一の書物を取り扱うお店を営んでいた。その為、幼い頃から物語に触れる機会は多かったのだが、お姉ちゃんが話してくれる物語はそんな私でも聞いたことのない不思議で独創的な物語ばかりで、私は一瞬で虜にされてしまったのだ。

 

 

 海の向こうにあるという遠い島国のお話。

 鉄で出来た巨人達の戦争のお話。

 遠い空の向こうにあるお星様で暮らす人達のお話。

 

 

 お姉ちゃんが話す物語は、全て彼女がずっと昔に読んだ本に書いてあった物語らしい。どんな本なのか尋ねてみたことがあるが、随分と前のことだから覚えていないそうだ。

 

「うーむ。俺に文才か画才が有れば、あっちのオタク文化を色々と輸入出来るんだけどなあ」

 

 ぼそりと何かを呟いた後、お姉ちゃんは何かを懐かしむような、少し寂しそうな目をしていたのをよく覚えている。

 

 そんな訳で、気が付けば私はお姉ちゃんにべったりと甘えるようになっていた。約束を取り付けた私は意気揚々とペスの散歩を再開しようとすると、一人の青年とすれ違った。

 

「フリオさん、おはようございます」

「ああ、おはようミラちゃん。ペスもおはよう」

 

 青年がしゃがみ込んでペスの頭を軽く撫でた。青果店のフリオさんだ。小さな村なので住人の大半は知り合いである。そして小さな村だから探ろうとしなくても彼らの人間関係は何となく伝わってくる。彼は立ち上がると、私の後ろにいるお姉ちゃんに軽く手を振った。

 

 

「や、やあ。おはようアリエッタ」

「おう、おはようフリオ。こんな朝早くにこっちの方に来るなんて珍しいな。何か有ったのか?」

「えーっと……今、少し時間いいかな?」

「ん? ああ、別にいいけど……」

 

 

 ……お姉ちゃんのあの様子だと脈は無さそうである。私は内心でフリオさんの肩をポンと叩いて慰めておいた。

 

 

 

 フリオさんに限らず、お姉ちゃんは男の子に結構モテる。

 それは彼女の明朗快活な人柄であったり、性別を感じさせない気安さが一因かもしれないが、私がお姉ちゃんに惹かれる一番の理由は、彼女の危うさなのかもしれない。

 

 

 上手く説明出来ないのだが、お姉ちゃんは何というか、私の目には酷く不安定な女の子に見えるのだ。

 

 

 時折、まるで大人のように達観した仕草を見せたかと思えば、今度は何も知らない無垢な子供のように振舞ったり、普段はまるで男の子みたいに活発なのに、たまに内気な少女のように臆病になったり、心と体がチグハグな様子はふとした瞬間に壊れてしまう繊細な硝子細工のようで…………

 

 余計なお世話かもしれないけど、傍で守ってあげたくなってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 そんな想いを胸に秘めながら、過ごしていたある日のことだった。

 

 母から頼まれた買い物の帰り道、夕暮れに赤く染まる坂道を歩いていると、私は視界の片隅に見慣れた赤髪が映りこんでいることに気づいた。

 

「お姉ちゃん? 何してるんだろう…………」

 

 私は踏み固められた道を外れて、彼女に近づいていく。

 遠くからだと分からなかったが、お姉ちゃんは草原の隅っこで膝を抱えて小さく丸まって座り込んでいた。忍び寄るつもりは無かったのだが、話しかけにくい雰囲気に私は思わず息を潜めてしまう。

 

「はぁ…………エクス…………」

 

 お姉ちゃんは誰かの名前を呟いて小さくため息をつくと、額を膝に押し当ててますます小さく丸まってしまった。そして、その姿勢のまま小さく呟く。

 

「寂しいなあ。会いたいなあ」

 

 そのまま体を小さく左右に揺らしながら、誰に聞かせるでもない呟きが続く。

 

「今頃何してるのかなあ。怪我とか病気とかしてないかなあ。声が聞きたいなあ」

 

 …………ひょっとして、これは聞いていたら不味い奴なのだろうか。私は何も見なかったことにして、こっそりとお姉ちゃんから離れることを検討し始めたのだが…………

 

 

 

「…………ぐすっ」

 

 

 

 彼女が洟をすする音が聞こえた時、私は居ても立ってもいられずにお姉ちゃんを背中から抱きしめてしまった。

 

「ヴァーーーッ!? ミ、ミミミミラちゃんっ!?」

 

 突然、背後から現れた私にお姉ちゃんが真っ赤になった目を見開いて慌てふためいていたが、私は気にせずにお姉ちゃんを抱きしめる力を強くした。

 

「ち、違う! 誤解だっ! 今のは……そう、遠く離れた場所へ出稼ぎに出ている息子を心配している父親の気持ちというか…………決して恋愛感情とかそういうクソ面倒くせえ奴では無くてだな…………!」

 

 

 ぎゅ~~~っ

 

 

「えーっと…………ミラちゃん?」

 

 お姉ちゃんが落ち着いたところで、私は抱きしめる力を少し弱くしてお姉ちゃんの顔を見つめた。

 

 

 

「寂しいの、大丈夫になった?」

 

 

 

 私が訪ねると、お姉ちゃんは一瞬きょとんとした表情を浮かべた後に小さく笑った。

 うん。やっぱりお姉ちゃんは笑っている方が素敵だ。

 

「…………そうだね。少し楽になったよ。ありがとうミラちゃん」

 

 お姉ちゃんの柔らかい手が私の頭を軽く撫でてくれた。私はそれが嬉しくて抱きしめる力を強くする。

 

「また寂しくなったら言ってね。私がぎゅってしてあげるから」

「あはは、流石にそれはちょっとカッコ悪いから遠慮しておこうかな」

「いいよ。お姉ちゃんならカッコ悪くても」

「おおう、ミラちゃんは男を駄目にするタイプのロリっ娘だったのか…………」

 

 

 

 

 

 その後、落ち着いたお姉ちゃんと手を繋いで一緒に帰り道を歩いたのだが、先ほどの事が余程恥ずかしかったのか、ブツブツと何かを呟きながら身もだえしていた。

 

「ぐわ~。アラサーのおっさんが12歳の少女にバブみを感じてオギャるとか…………我ながらキツすぎる…………ッ」

 

 言っている事はよく分からなかったけど、恥ずかしがっていることは伝わってきた。私は気にしないのに…………

 むしろ、お姉ちゃんが私にだけ弱みを見せてくれたという優越感すら有ったかもしれない。

 

 ただ、一つだけ気になっていることはあった。

 

 

 

「…………エクスって誰なんだろう…………?」

 

 お姉ちゃんの大切な人らしいが、それを彼女の口から直接聞いてしまうことが何だか怖くて、その時の私は何も聞けずにお姉ちゃんの隣を歩くのだった。

 

 

 

 

 

 私が窓に張り付いて、呼吸を荒くしながらお姉ちゃんを凝視する変質者(エクス)と出会うのは、その数日後のことであった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 思い出に浸っていた私はゆっくりと目を開けた。

 お姉ちゃんへの恋しさを紛らわせるつもりが、なんだか余計に彼女に会いたくなってしまった。

 

「あと4ヶ月かあ…………長いなあ…………」

 

 私は沈み込んでしまいそうな気持ちを切り替えるように軽く頭を振ると、胸に抱いていた手紙の封を切ることにした。

 

「わっ、お姉ちゃんこんなに書いてくれたんだ。嬉しいなあ。大事に読まないと…………」

 

 私は起き上がってベッドの縁に座ると、愛しい人からの手紙をゆっくりと読み始めるのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 手紙を読み終わる頃、私の手元の便箋は破れる寸前までグシャグシャになっていた。

 

「おおおおお姉ちゃんの周りにゴゴゴゴミが、お姉ちゃんを狙うゴミが増えている…………!!」

 

 手紙にはお姉ちゃんの王都での生活が事細かく書かれていた。何だか日記を読んでいるみたいだったが、それはまあいい。

 だが、許せないのはお姉ちゃんの周囲の男性比率の高さだ。お姉ちゃんは気づいていない様子だが、あの変質者(エクス)以外にもテイムとかいう男や訓練所の兵士達など、お姉ちゃんを狙っているゴミが増えている。

 怒りと焦りで視界が揺れる。一体誰の許可を得て私のお姉ちゃんに、私のアリエッタに手を出そうとしているのだ。こちらはただでさえ半年間も離れ離れで気が気でないのに、遠く離れた王都でアリエッタという灯に誘われる毒蛾が勝手に増えているのだ。何とかしなければ。しかしどうやって? 答えの出ない問いに気ばかり焦ってしまう。

 

 

 

 そんな悶々とした気持ちを抱えながら、味のしない夕食を機械的に口に運んでいると、唐突に道は拓かれた。

 

 

 

「ミラ、お父さんは明日から本の買い付けに王都へ行くんだが、お土産は何がいいかな?」

 

 

 

 ―――これだ。天が私にお姉ちゃんを守護れと告げる声が聞こえた気がした。

 

 

 

「お父さんっ! 私も一緒に連れて行って!」

 

 

 

 私の突然の宣言に、両親は当然の様に難色を示したが、将来的に仕事を継ぐ気なら良い勉強になるだろうということで何とか王都への同行を許可してもらうことが出来たのだった。

 

 

 

 待っててね、お姉ちゃん。

 

 お姉ちゃんを狙うゴミどもから私が守ってあげるから。

 

 

 



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21.アリエッタちゃんツインテフォーム ☆挿絵あります。

 

 

「おっ、美味いなこれ。食べた事ない味だ」

「私のお気に入りなんですよ。アリエッタが気に入ってくれて良かったです」

 

 

 

 (アリエッタ)は小さな喫茶店でリアクタと向かい合って座っていた。

 訓練所へポーションの出張販売に出向いていた際に、同じく魔術関係の指南役として訓練所へ来ていた彼女と話す機会はよく有ったのだが、たまたま俺の休みとリアクタの休みが重なったので、彼女からデートに誘われたのだ。

 仕事ばかりで未だ王都に不慣れであろう俺を色々と案内してくれるらしい。美少女からのお誘いとあらば断る訳にはいくまい。

 ウキウキ気分でリアクタとのデートにやってきた俺は、まずは軽く腹ごしらえということで彼女の行きつけの喫茶店にやってきたのだ。

 モッチモッチと異世界のよく分からんスイーツを頬張っていると、リアクタが次の行き先を提案してきた。

 

「この後なんですけど、お洋服を買いに行きませんか?」

「おっ、いいねえ。リアクタのファッションショーなら見応えがありそうだ」

 

 前世どころか現世でも中々お目にかかれないような美少女であるリアクタの洋服選びなら、ファッションへの興味が皆無な俺でも楽しめそうだ。しかし、リアクタは俺の発言に首を横に振った。

 

「いえいえ、私じゃなくてアリエッタのお洋服ですよ」

「えっ。俺の?」

「はい。その、失礼かもしれないですけど、アリエッタっていつも同じ様なお洋服を着ているので……私、アリエッタに色々お洒落をしてみてほしいんですっ」

 

 言われてみて、俺は自分の服装を確認した。

 清潔感はあるが、装飾が胸元のリボンのみで華やかさが欠片も無い露出ゼロの長袖ブラウスに、足を見せる気が全くないロングスカートにブーツの組み合わせ。まあソシャゲだったら最低レアリティ間違い無しのストロングスタイルなモブキャラファッションである。

 

 Perfect.

 

 俺は内心で自分の完璧なファッションをネイティブな発音で褒め讃えた。間違っても世界のメインシナリオに絡むことがない完璧なモブキャラのファッションセンスである。更に上を目指すなら上下芋ジャージにしても良いかもしれない。

 しかしリアクタはそんな俺のモブファッションがお気に召さなかった御様子。

 

「いけませんっ。せっかく女の子に生まれたんですから、もっと着飾らないと!」

 

 えぇ~。でもなぁ~~~。

 防御力も属性耐性も無い服とか、一体何を基準に選べばいいのか全く分からんしなあ。

 前世でも平日はスーツ、休日はジャージというクソみてえなファッションで過ごしてきた俺にいきなり服を選べと言われても困ってしまう。

 俺がそんな感じのことをこぼすと、リアクタが逃げ道を塞いできた。

 

「安心してくださいっ。アリエッタに似合いそうなお洋服は既に調査済です。全部私に任せてくださいっ」

 

 どうしよう。リアクタの愛が重い。そして顔が近い。テーブルに身を乗り出してキラキラした視線を向けてくるリアクタに俺は照れくさくて顔を逸らしてしまう。

 ……仕方ない。ここまでお膳立てしてもらっているのに頑なに拒絶するのも彼女に失礼だろう。俺はリアクタのデートプランに乗っかることにした。

 

「それじゃあ、お願いしようかな。でも俺そこまで金持ってないから、あんま高いのは勘弁な」

「そこは安心してください。私もよく使ってる大衆向けなお店ですから」

 

 という訳で俺とリアクタは異世界しまむらに行くことになったのだ。

 

 

 

 **********

 

 

 

 その後、俺とリアクタが軽くお茶と雑談を楽しんでから喫茶店を出た時のことだった。

 

「お姉ちゃ~~~んっ!」

 

 うげふっ。俺は背後から腰にタックルを喰らって呻き声を上げた。

 背後を振り返り、下手人の顔を確認しようとすると、そこには故郷で俺の帰りを待っている筈の少女が俺の腰にスリスリと顔を擦りつけていた。

 

「ええっ、ミラちゃん? なんで王都に…………?」

「お姉ちゃんにどうしても会いたくて…………お父さんに無理を言って連れてきてもらったのっ」

「そうなのか? それなら言ってくれれば出迎えたのに」

「ううん。急だったし、お姉ちゃんもお仕事してるんだから、迷惑をかけたくなかったから……」

「ミラちゃんに会えるのに迷惑だなんて思うわけ無いじゃないか。久しぶりに顔が見れて嬉しいよ」

「お姉ちゃん…………」

 

 俺は腰に抱き付いているミラちゃんの頭を撫でる。可愛らしい少女にそこまで想われているというのは悪い気はしないな。

 

「でも、よく俺がここに居るって分かったな。テイムやマスターにも行先までは伝えてなかったのに」

「お姉ちゃんが今日はお休みなのは事前の調査で知ってたから、朝からこっそりと後をつけてたの」

「……うん? あ、ああ、そうなんだ……」

 

 何だろう。俺の聞き間違いじゃなければ、俺は12歳の少女にストーキングされていたらしいぞ。

 …………まあ、きっと俺が何か勘違いしているんだろう。追及するのが怖いので俺はミラちゃんの発言をスルーすることにした。

 

「もしも、お姉ちゃんがゴミ……んんっ、都会で悪い男の人に騙されていたら、私が出て行って助けるつもりだったんだけど、綺麗なお姉さんとお茶をしてるだけだったから、安心したら隠れてるのが我慢出来なくなっちゃって……」

「そっかそっか。今日ってめっちゃ天気良いよね。お日様サイコー」

 

 俺はミラちゃんからチラチラ見えてる闇を直視したくなくて、話題を変えようとした。

 だが、俺が話題を変えるよりも先にリアクタがおずおずと発言の許可を求めるように挙手をする。

 

「えっと、アリエッタ。その子は……?」

「ああ、紹介が遅れてごめん。この子は俺の故郷の友達でミラちゃん。ミラちゃん、この人はリアクタ。王都で出来た俺の友達な」

 

 俺が双方にお互いの紹介をすると、リアクタが軽く屈んでミラちゃんに目線の高さを合わせた。

 

「初めましてミラちゃん。アリエッタのお友達のリアクタです。よろしくね」

「ミ、ミラです。よろしくお願いします」

 

 リアクタがにっこりと微笑むと、ミラちゃんは恥ずかしそうに俺の後ろに隠れてしまった。

 ミラちゃんは元々ちょっと人見知りな所があるし、リアクタみたいな美少女に見つめられて照れ臭くなってしまったのだろう。

 リアクタはそんなミラちゃんを見て微笑むと、名案を思い付いたといった感じで、ポンと両手を合わせた。

 

「ミラちゃん。もし良ければ、私と一緒にアリエッタのお洋服を買いに行きませんか?」

「えっ。私も付いて行っていいんですか?」

 

 確かに、せっかく俺に会いに来てくれたミラちゃんとこのまま別れるのも忍びないし、リアクタとミラちゃんさえ良ければ一緒に行動するのはやぶさかではないのだが…………

 

「でも、俺の服を選ぶだけなんて……ミラちゃん退屈じゃないかな?」

「分かってませんねえアリエッタ。女の子は自分を着飾るのも好きですけど、誰かにお洒落をさせるのも大好きなんですよ?」

 

 そういうものなの? ミラちゃんがリアクタの言葉にコクコクと首を縦に振っているので、そういうものらしかった。

 

「それじゃ、行こうかミラちゃん」

「うん!」

 

 俺はミラちゃんに手を差し出すと、彼女の小さくて柔らかい手が俺の手のひらをギュッと握った。

 

「あっ、いいなミラちゃん。それじゃあ私もっ」

 

 その様子を見て、リアクタが反対側の空いている俺の手をギュッと握りしめた。

 

「さあ、行きましょうアリエッタ!」

「そこはミラちゃんの手を握るところだと思うんだけど……まあ、いいか」

 

 両手に花という奴である。リアクタの手から伝わる体温にちょっぴりドキドキしながら、俺は歩き出そうとしたのだが、ミラちゃんの様子がおかしい。

 

「……リアクタさんからも危険な匂いがする……お姉ちゃんも何だかデレデレしてるし……」

 

 何やらブツブツと呟きながら虚ろな目をしているミラちゃんがとっても怖かったので、俺は何も見なかったことにした。

 

 

 

 **********

 

 

 

「思った通り! 凄く似合ってますよアリエッタ! ミラちゃんもそう思うよね?」

「お、お姉ちゃん……かわいい……!」

 

 異世界しまむらに連行された俺はリアクタとミラちゃんによって羞恥プレイを強要されていた。

 俺は試着室で口をむにゃむにゃさせながら、ファッションコーディネーターのリアクタとミラちゃんに抗議した。

 

「う、うぅ~~~……リ、リアクタ……このスカート短すぎないか? 太ももが見えるスカートとか初めて履いたぞ俺」

「そこが良いんですよ。生足を出せるのは10代の特権ですよ?」

「ブラウスも何か肩丸出しだし…………ミラちゃん、露出がもうちょい控え目な上着を……」

「お姉ちゃんはお肌が綺麗なんだから、もっと見せないと勿体ないよっ」

 

 クソがっ! 二人して俺の反対意見を悉く潰してきやがる。おやおや? ミラちゃん、その手に持ったフリフリの黒リボンはどちらから? あっちのアクセサリコーナーから? うんうん、ミラちゃんによく似合うと思うよ? えっ、違う? 

 

「リアクタさん! 私、お姉ちゃんをツインテールにしてみたいですっ!」

「名案ですミラちゃん!」

 

 やめろォーーー! 前世の年齢を考慮しなくても、俺もう17歳だぞ!? この歳でツインテとか二次元美少女以外やっちゃ駄目な奴! 

 俺は全力で抵抗しようとしたがリアクタにガッチリと両腕を拘束されてしまった。

 すごい力だ! 全く抵抗出来ない! 

 細い見た目をしてるのに流石は勇者パーティーの一員である。抵抗が無駄であることを悟った俺は全てを諦めて死んだ目でミラちゃんにツインテをセットされるのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 その後、数時間にわたって二人に着せ替え人形として弄ばれた俺は、二人のセレクションの中から出来るだけ露出が控えめな服を選んで購入し、異世界しまむらを後にした。

 

「うぐぐ、足がめっちゃスースーする……」

「お姉ちゃんって村では足が見えるスカート全然履かなかったもんね。すごく似合ってるよっ」

「あんまり恥ずかしがってると、逆に目立っちゃいますよアリエッタ?」

 

 膝上丈スカートの防御力に不安を感じている俺の頭の両サイドでピョコピョコと尻尾みてえなものが跳ねる。ツインテ継続中である。

 こんな頭で街歩きなんて死んでもしたくなかったのだが、ツインテを解こうとするとミラちゃんがとても悲しげな瞳を向けてくるので、俺は我が身を犠牲にすることにしたのだ。

 

「今日はとっても楽しかったです! また一緒に遊びましょうねアリエッタ!」

「ああ、次はリアクタの服を見に行こうな…………」

 

 気が付けば夕暮れが街を赤く染め始めていた。俺はリアクタと次回のデートの約束をしつつ別れを告げる。

 次回のデートでは、今回の報復としてリアクタに絶対ドスケベな服を着せる。俺は心に固く誓った。

 

「……さて、それじゃあ俺達も帰ろうか。ミラちゃんはどこの宿に泊まってるの? 送っていくよ」

「ありがとうお姉ちゃん。……でも、その前に一個だけお願いがあるの……」

「ん、なんだい?」

「……その、少しでいいから、お……お姉ちゃんの部屋に行ってみたい……」

 

 なんだそんなことか。俺はもちろん快諾した。

 マスターから借りている部屋ではあるが、少し見せるぐらいなら別に構わないだろう。もしかしたら、ミラちゃんは王都に住んでみたいのかもしれないな。

 

「構わないけど、もう遅いし少しだけだよ?」

「う、うんっ。ありがとうお姉ちゃん!」

 

 

 

 **********

 

 

 

「ただいまー」

 

 ミラちゃんを連れて銀猫亭に戻ると、テイムが閉店の準備をしているところだった。

 

「おう。おかえりアリ……エッ……タ……?」

 

 テイムがぎょっとした顔で俺の全身を爪先から頭まで確認する。

 

「……アリエッタだよな?」

「……深い事情があるんだよ。そっとしておいてくれ。あと足を見すぎだ」

「見、見てねえよっ!」

 

 いや、見てただろ。

 男だった時は分からなかったが、女になってから他者の視線に妙に敏感になった気がする。

 まあ別に何とも思っていない相手でも、ふとももやおっぱいが目の前にあれば見てしまうのはホモサピのオスにデフォルトで付与されている呪いだ。

 元男として気持ちはよく分かっているのでこれ以上は突っ込まないが。

 テイムがあらぬ方向に目線を逸らしながら話題を変える。

 

「あー、そ、それよりもだ。アリエッタの隣の小さいのは誰だ?」

「ああ、この子はミラちゃん。俺の故郷の友達なんだけど、たまたま王都に来ていてな。俺の部屋が見たいって言うから連れてきたんだけど構わないか? 暗くなる前には宿に帰すからさ」

「それは別に構わないが……さっきから、そいつが凄いジッと俺を見てくるんだが……」

 

 ……ミラちゃんがテイムを無表情でガン見していた。完全に瞳孔が開いてやがる。

 何だか分からんが嫌な予感がしたので俺はミラちゃんの手を引いて、さっさと部屋へと案内することにした。

 

 

 

 **********

 

 

 

「ここが俺が使わせてもらってる部屋だよ。何も無くてミラちゃんが見ても面白くもないだろうけど」

「お、お邪魔します……」

 

 ミラちゃんがおずおずと室内に足を踏み入れる。俺の部屋は殆ど寝る場所といった感じなので、飾り気のない殺風景な部屋だったのだが、それでもミラちゃんは興味深そうに室内を見回していた。一つしかない椅子をミラちゃんに勧めると、俺はベッドの端に座った。

 

「……ありがとうお姉ちゃん。今日は本当に、とっても楽しかった」

「どういたしまして。俺も久しぶりにミラちゃんと遊べて楽しかったよ」

「そのお洋服、ちゃんと着てね? いつもの飾らないお姉ちゃんも素敵だけど、せっかく可愛いんだからもっとお洒落しないと」

「うっ……ま、まあ、埃が被らないように気を付けるよ……」

 

 俺はスカートの端を摘まんで苦笑した。正直タンスの肥やしになりそうだけど、折角リアクタとミラちゃんが選んでくれたのだ。気が向いた時には着てみるのもいいだろう。

 

 

 

 …………おっと、忘れるところだった。

 

 

 

「ミラちゃん。ちょっと目を閉じてくれる?」

「えっ、えぇっ? ど、どうして……?」

「いいから」

「……は、はい……」

 

 ミラちゃんがギュッと目を閉じた。俺が彼女を抱きしめるように腕を背後に回すと、ミラちゃんはビクッと肩を震わせる。

 

「はい、出来た。目を開けてもいいよ」

「……えっ? あっ……これ……」

 

 ミラちゃんの胸元に細い鎖で繋がれた小さな細工が輝いていた。

 

「お姉ちゃん、このネックレスは……」

「今日のお礼。俺の服を選んでもらってる時に見つけたんだ。ミラちゃんもそろそろ大人っぽいアクセサリが欲しいかなと思って」

 

 うん、よく似合っている。俺の見立ても捨てたもんじゃないな。俺は満足げにミラちゃんに微笑んだ。

 

 

 

「よく似合ってる。凄く綺麗だよ、ミラちゃん」

「…………お姉ちゃんっ!」

 

 

 

 次の瞬間、ミラちゃんが飛びつくように俺に抱き着いてきた。ぐへぇっ。貧弱なモヤシ娘である俺はミラちゃんの質量を支えきれずに背後に倒れこむ。……必然的にミラちゃんにベッドに押し倒されるような形になってしまった。

 

「あはは、そんなに喜んでくれるなら、俺もプレゼントした甲斐があったよ」

「お姉ちゃん……私、お姉ちゃんのことが好き。大好き」

「お、おう。俺もミラちゃんのこと好きだよ」

 

 ミラちゃんからのストレートな好意に、俺は照れ臭くなって顔が少し赤くなるのを感じた。

 

「…………違うの」

「ふぇっ?」

 

 ミラちゃんが潤んだ瞳でジッと俺を見つめた。

 

 

 

「私の"好き"は…………こういう"好き"なの…………」

 

 

 

 次の瞬間、ミラちゃんの小さな唇が俺の唇に重ねられた。

 

 

 

 

 




※2020/05/31

主人公のアリエッタ(ツインテフォームver)のファンアートを貰ったので自慢させてください!

画・枯れガジュマル様

【挿絵表示】


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22."好き"と"好き"

 

 

「んむっ…………!?」

 

 

 

 (アリエッタ)は突然の事態に抵抗するのも忘れて、ミラちゃんにされるがままになっていた。

 数秒の後にミラちゃんの唇が、名残惜しそうに俺の唇から離れる。

 親愛を示すそれとは明らかに違う、少女の劣情を感じさせる湿り気を帯びた口づけに、俺は目を白黒させた。

 

「……ぷぁっ! ミ、ミラちゃん…………!?」

「お姉ちゃん……ううん、アリエッタ。アリエッタは私のこと好き?」

 

 ミラちゃんが熱に浮かされたような顔で俺に問いかける。初めて見る少女の意外な一面に俺は気圧されてしまい、ミラちゃんに組み伏せられた態勢から動けなかった。

 

「す、好きだよ。ミラちゃんのことは好きだ。でも、それはこういうのじゃなくてだな……」

「私はこういう"好き"なの。アリエッタもそうじゃなきゃ、嫌」

 

 クソッ、こっちの話を聞く気が欠片も無い。

 ミラちゃんが俺の心を探るように、瞳孔が開いた瞳で俺の瞳を覗き込んでくる。滅茶苦茶怖い。

 まさか自分がミラちゃんから性的な目で見られているなんて夢にも思わなかったが、前途有る若者を非生産的な爛れたエロス沼に堕とす訳にはいかない。俺はミラちゃんに押し倒された態勢のまま、ペラペラと口を回してミラちゃんの説得を試みた。

 

「…………ミラちゃん。気持ちは嬉しいけど、ミラちゃんは女の子で俺も女なんだ。同性同士でそういう関係になるっていうのは、あまり歓迎されることじゃないっていうのは分かるよね? そうだ、こうしよう。今日あったことは二人だけの秘密にしよう。俺は誰にも話さないし、墓場まで持っていくから安心してくれ。きっとあと何年かすればミラちゃんにも素敵なボーイフレンドが出来て、今の気持ちなんて忘れてしまうさ。その時に俺が少しだけ今日のことを蒸し返してミラちゃんをからかうんだ。きっとミラちゃんは照れながら俺のことを軽く小突いたりするんだろうなあ。どうだ、楽しそうだろ? みんなでハッピーな未来を創っていこうじゃないか」

 

「…………私、お姉ちゃんが女の子をいやらしい目で見てること知ってるんだから」

 

 言い方ァ!! 

 おおお俺の性的指向に関しては今関係ないでしょォーーー!? 

 

「今日だって、リアクタさんが前かがみになったりしてる時にお姉ちゃんがリアクタさんの、その、お、おっぱいを見てたの私、気づいてるんだからねっ」

 

 やめたげてよぉっ! 

 隠していたつもりのスケベ心を12歳の少女に完全に見透かされていた事実に俺のライフはもうゼロである。先程、俺の足をガン見していたテイムを笑えない。だって、リアクタってば俺が同性ということを加味してもめっちゃガードが緩いんだもん。スキンシップ過多だからちょいちょいおっぱいを押し付けてくるし、胸元から結構な頻度でブラチラしているのだ。そりゃあ見るだろう。むしろ見ない奴はホモである。そして俺はホモではない。だから俺は悪くない……ッ! 誰も弁護してくれないので、俺は自分で自分を弁護していると、ミラちゃんが俺の耳元で甘く囁いた。

 

「私だったら、お姉ちゃんのしたいこと全部してあげるよ? おっぱいだって、まだ小っちゃいけどこれから大きくなるし、本で勉強したからお姉ちゃんのこといっぱい気持ちよくしてあげられるもんっ」

 

 アッーーー!! 

 ミラちゃんが俺の服に手をかけようとする。あかんあかん、このままじゃミラちゃんエンド一直線だ。

 クソッ、モブキャラとして日々を慎ましく生きている筈なのに、どうしてこう厄介なイベントがひっきりなしに転がり込んでくるのだ。いくらミラちゃんから求めてきているとはいえ、相手は12歳で俺は17歳。オマケに俺の中身はアラサーのおっさんだ。このまま状況に流されようものならロリコン罪で一発レッドカードである。

 俺の脳みその処理能力では手に負えない状況に視線をあっちへふらふら、こっちへふらふらしていると、"それ"が視界に映った。

 

「…………っ」

 

 ミラちゃんの手は震えていた。

 きっと俺の気が動転していたから気づかなかっただけで、この状況になってからミラちゃんはずっと震えていたのだろう。

 

 それはきっと怖かったからだ。

 

 彼女が何に怯えていたかなんて、察しが悪い俺でも分かる。

 

 

 

 それは、俺に拒絶されることだ。

 

 

 

 同性に対する恋愛感情を告白することが、どれほど勇気の要ることだったのか。

 理解出来るなんてとても言えないが、生半可な気持ちで出来ることでは無いのは想像に難くない。

 それでも、彼女は俺に恋心を打ち明けたのだ。これまでの関係が全て壊れてしまうかもしれない恐怖に震えた体で、俺を抱きしめたのだ。

 

 …………なら、俺も勇気を出さなければ。

 このままミラちゃんにだけ体を張らせるなんて、年上としてカッコ悪すぎる。

 誤魔化しや嘘を無しにして、彼女の気持ちに真剣に向き合おう。

 

 

 

 たとえその結果、俺がミラちゃんから嫌われたとしても、だ。

 

 

 

「えっ、お姉ちゃん……?」

 

 俺はミラちゃんを強すぎない程度に抱きしめた。

 優しく、彼女の頭を撫でながら続ける。

 

「俺にとってミラちゃんは、友達で、家族で、大切な妹の様に思ってる」

 

「…………うん」

 

「俺はミラちゃんが好きだよ。本当に心の底からそう思ってる。……でも、やっぱりそれはミラちゃんが望んでいる"好き"とは違うものなんだ」

 

「…………」

 

 ミラちゃんは黙って俺の言葉に耳を傾けてくれている。

 

 

 

 ……俺は自分を慕ってくれている少女に、残酷で、致命的な言葉を告げた。

 

 

 

「俺はミラちゃんの想いに釣り合う程の気持ちを持つことが出来ない。だから、君の気持ちには応えられない。…………ごめんな」

 

「…………そっかぁ」

 

「本当に、ごめん……」

 

「……いいよ。謝らないで、アリエッタ……」

 

 

 正直、ミラちゃんを泣かせてしまうかと思ったが、彼女はただ静かに俺の言葉を受け止めてくれた。

 どれくらいの時間が経っただろうか。ミラちゃんが俺の手を解くと、ゆっくりと起き上がって俺の上から離れた。

 

「……ありがとう、お姉ちゃん。私とちゃんと向き合ってくれて。私が欲しかった答えじゃなかったけど、好きって言ってくれて嬉しかった」

「……ん、お礼を言うのは俺の方かもな。誰かに愛されるってやっぱり凄く嬉しいことだからさ」

 

 何となく湿っぽくなりそうな空気を変えようと、俺は軽く肩をすくめておどけた仕草をする。

 

「それに、ファーストキスの相手がミラちゃんっていうのは中々悪くないしな」

「…………えっ?」

「ん、どうしたミラちゃん?」

「わ、私がファーストキスの相手なの? お姉ちゃんの?」

「そうだけど……何か変かな?」

「いや、その……エクスお兄ちゃんとは、してないの?」

「……はぁ?」

 

 ミラちゃんから突然出てきた名前に俺は怪訝な顔をした。

 

「い、いやいやいや。俺とエクスはそういうのじゃないからっ」

「……ふーん。あのですね、お姉ちゃん」

 

 はい、なんでしょうか。

 ミラちゃんが急に改まった感じになったので、俺もつられてベッドの上で正座をした。

 

「今日のところは退くけど、私はお姉ちゃんのことを完全に諦めたわけじゃないんだからね? あんまりモタモタしてると、お兄ちゃんから無理やりお姉ちゃんを奪っちゃうんだから」

「いや、だから誤解だってば。俺はエクスにそういう気持ちは…………そもそも、エクスには他に好きな奴がいるし……」

 

 エクスとリアクタの仲睦まじい様子が脳裏を過る。しかし、ミラちゃんは俺の言葉を即座に否定してきた。

 

「それは無い」

「即答!?」

「お兄ちゃんの気持ち悪い行動を見てれば、お兄ちゃんがお姉ちゃんにぞっこんだって誰でも分かるもんっ。お姉ちゃんの馬鹿っ! にぶちんっ!」

 

 ぷんぷんと怒ったミラちゃんにぽかぽかと殴られる。……どうしよう。少し興奮してきた。

 俺は新しい性的嗜好を開拓する前にミラちゃんを宥めすかすと、ミラちゃんとミラちゃんパパが宿泊している宿にまで彼女を送り届けた。

 まあ、紆余曲折は有ったがミラちゃんと気まずい関係にならずに済んだのは我ながら上出来だと思う。

 パーフェクトコミュニケーション! 

 

 

 

 **********

 

 

 

 それから数日後、ミラちゃん達が故郷に帰るというので俺は馬車の停留所へ彼女の見送りに来ていた。

 

「わあっ。お姉ちゃん、そのお洋服着てくれたんだねっ」

「まあ、折角ミラちゃんが選んでくれたんだし、たまには着てやらないとな。髪はツインテじゃないけど勘弁な。結ったり編んだりするのは苦手なんだわ」

 

 ミラちゃんとはまたしばらく会えなくなるのだ。俺はちょっとしたサービスのつもりで羞恥心を抑え込んで、リアクタとミラちゃんが選んでくれた洋服を着て見送りに来ていたのだ。

 俺は抱き付いてきたミラちゃんの頭を優しく撫でた。

 

「母さんや父さんにも元気でやってたって伝えといてくれるかい? まあ、あと3ヶ月もすれば帰るんだけどさ」

「うんっ。……その、お姉ちゃん。本当はこんなこと絶対に言いたくなかったんだけど、自分の気持ちに正直になってね?」

「……もしかして、エクスのこと?」

「……気持ちを隠すことの辛さ、私よく知ってるから」

 

 やがて、馬車が出発する時刻が近づくと、ミラちゃんは名残惜しそうに俺から離れた。

 

 

 

「俺の気持ち、か…………」

 

 

 

 ミラちゃんが乗った馬車が見えなくなってから、俺はぽつりと呟いた。

 

 ……俺の気持ちなんて考えるまでもない。

 俺はエクスのことは好きだが、それはあくまで親愛や友愛としての好意だ。

 好きだから、あいつに幸せになって欲しいから、エクスとリアクタの二人を応援すると決めたじゃないか。

 

 ……そのことを考えれば考えるほどに、胸が軋むような感覚に襲われる。

 俺は気持ちを切り替えるように軽く頭を振ると、銀猫亭に戻ることにした。無理を言って仕事中にミラちゃんの見送りに来させてもらったのだ。早く戻らなければ。

 

 

 

 **********

 

 

 

「…………えっ、これから訓練所にですか?」

「ああ、急で悪いんだが行ってくれるか? テイムも今は手が離せなくてな」

 

 ミラちゃんの見送りから戻ってくると、早速マスターからの緊急イベントが俺を待っていた。

 別の業者が訓練所へ届けるはずだった資材がトラブルで遅れてしまっているようで、たまたま必要な資材を持っていたマスターが泣きつかれてしまったらしい。テイムも他の対応で店を離れることが出来ないので、俺に訓練所まで資材を届けてほしいそうだ。

 

「分かりました。すぐに向かいますね」

「ああ、資材は既に表に用意してあるから頼むぞ。アリエッタは今日は店でのシフトだったのにすまんな」

「いえ、任せてください。それじゃあ行ってきまーす」

 

 

 

 行きたくねェ~~~。

 

 扉を閉めて表に出ると、俺はゲッソリとした顔を浮かべた。

 理由は俺の服装だ。今日は店内での勤務の筈だったので、それならギリギリ我慢出来るとミラちゃんのためにミニスカを履いたのだが、まさか訓練所へ行くことになるとは。

 いつものモブキャラ服に着替えてから行きたかったが、マスターの様子からして緊急の仕事らしいのでそういう訳にもいくまい。

 

「うぅ……訓練所の兵士さん達に冷やかされそうだなぁ……」

 

 前世での苦い記憶が蘇る。学生時代に高校デビューを目論んで、クソみたいなセンスを弁えずにお洒落に手を出して、周囲からドン引きされた苦い記憶が……! 

 

 普段は壁と同化するようなクソ地味なモブキャラファッションの女が急に色気づいては向こうも反応に困るだろう。兵士さん達の腫物に触るような対応が目に浮かんで更に気が重くなる。

 

 俺は慣れないスカートで、通行人の皆様に見苦しいものを見せないように四苦八苦しながら、資材が積まれた荷馬車の御者席に乗り込むのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

「おっ、アリエッタちゃん。今日は随分お洒落だね。よく似合ってるよ」

「あっ、はい。すんません。お見苦しいものをお見せして本当に申し訳ないです」

 

 

 

「ア、アリエッタさん。その、今日はまた一段と、可愛らしい装いですね……」

「ごめんなさい。ごめんなさい。私なんかが色気づいて本当にすんません勘弁してください」

 

 

 

 通りがかった兵士さん達に何やら言われているが、1mmも頭に入ってこねえ。いつものモブキャラ服だったら何てことないのに、肌を露出していると俺の精神防御力はここまで落ちてしまうのか。嫌な発見をしてしまった。

 

「資材を届けたら、さっさと銀猫亭に帰ろう……」

 

 とぼとぼと重い足取りで訓練所内を歩いていると、奥から見慣れた顔がやってくるのが見えた。

 

「エ、エクスぅ~~~」

 

 ふらふらと俺は癒しを求めて息子(エクス)に近づいた。

 しかし、今日のエクスは何だかいつもと様子が違っていた。なんというか、少し殺気だっているというか、ピリピリとしているような…………

 

「エクス……?」

「……ん、ああ、アリエッタ。ごめん、ちょっと急いでいるんだ。大事な用じゃ無ければ、また今度でもいいかな?」

「お、おう。別に用事が有るわけじゃないんだ。悪いな……」

 

 俺の返事を聞くと、エクスはそのまま早足で訓練所から王城に続く道へと消えて、通路には俺一人がポツンと取り残された。

 

 

 

「……なんだよぉ。俺に目もくれないでサッサと行っちまいやがって……」

 

 ……エクスのことだから、きっと何か重大な案件が有ったのだろう。理由も無く素っ気ない態度を取るような奴じゃないことは分かっているが、それでも俺は理不尽な我儘を口にしてしまう。

 

 着慣れないスカートの端を指で軽くつまむと、俺は溜息混じりに愚痴をこぼした。

 

 

 

 

 

「……こんな格好してるんだから、一言ぐらい可愛いとか言ってくれてもいいじゃんかぁ……」

 

 

 

 …………は? 

 

 ちょ、ちょっと待て。俺は今、何を言った? 

 

 

 

 自分が無意識にこぼした発言の意味が、ジワジワと脳内に染み入ってくると同時に顔面から火が噴き出しそうになる。

 

 

 

「な、なななな……! 何を言ってるんだ俺はァーーー!?」

 

 

 

 訓練所の通路に俺の絶叫が響き渡った。

 

 

 

 **********

 

 

 

 月明りすら無い夜のような暗闇の中に、その城は存在していた。

 

 広すぎる城内に対して生命の気配は驚くほど少なく、その僅かな気配も城内の一室に集中していた。

 

「…………」

 

 円卓の下に集った五人の魔族は、一言も言葉を交わさずに沈黙を貫いていた。

 彼らがこの場に集ってから、どれほどの時間が過ぎただろうか。

 耳の痛くなるような静寂を、新たに暗闇から現れた六人目の魔族が破った。

 

「八大幹部"幻影"ただいま参上しました。……おや、僕が最後か。待たせてしまったかな?」

「構わん。……それよりも、それぞれの持ち場を放棄させてまで我ら八大幹部の総勢を呼びつけたのだ。そろそろ要件を話してくれないか。総司令殿」

 

 

 

 その言葉に呼応するように、仮面で素顔を隠した男が中空に現れた。

 

 

 

 八大幹部達の鋭い視線が男に集中する。常人であれば、それだけで気を失いかねないプレッシャーを意に介さずに、男は言葉を発さずに魔力で八大幹部達に指令を与えた。

 

 

 

「…………本気ですか? そこまでする必要があるとは思えませんが……」

「いや、遅すぎたくらいだ。我らの中で最も戦闘能力に優れた"氷獄"が破れた時点でこうするべきだった」

「"魔槍"も破れ、我ら八大幹部も残り六人。今代の人族の勇者は少々手強い。妥当な作戦でしょう」

 

 総司令と呼ばれる男から与えられた指令に、八大幹部の反応はそれぞれ異なったが、最終的には六名の意見は一致した。

 

 

 

「我ら八大幹部、残存六名。総がかりで王都を堕とす。これで人族との戦いを終わらせるぞ」

 

 

 



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23.王都決戦

 

 

 

 

「近々、魔王軍に大きな動きがあります。戦場はここ……王都になるでしょう」

 

 

 

 フィロメラさんの言葉に、王城の会議室に集った面々に動揺が走る。

 (エクス)は事前にフィロメラさんから事の次第は聞いていたが、事態の重さに改めて渋面を作った。

 

「王都が戦場になるだと? それはつまり砦の防衛が破られるということか? それが分かっているなら今すぐに各地の砦の守りを強化するべきだ。ここが戦場になるなど論外だ」

 

 将軍の一人の発言にフィロメラさんが首を横に振って否定する。

 

「"星詠み"で調べたのですが、各地の砦に大きな変化はありませんでした。……つまり、魔王軍は何らかの方法で砦の警戒網にかからずに、突然王都周辺に現れるということです」

 

 彼女の"星詠み"がどのような能力なのか、以前に尋ねたことがあるが感覚的な要素が非常に大きいようで、言葉にして説明するのは難しいらしい。

 強いて例えるなら"世界"を水面に見立てて、そこに広がる波紋の大きさや様子から未来を予測するようなものらしい。

 

「馬鹿な……そんなことが出来るなら、何故これまで奴らはその手を使わなかった。大軍を転移させる術を持っているなら、初めから使っていればもっと戦況を有利に展開出来ただろう」

「そこまでは私にも分かりません。今になってやっと部隊を転移させる準備が整ったのか、それともこの手を極力使いたくなかったのか……どちらにせよ、王都での決戦が避けられない以上、私達は少しでも民間人の被害を減らす方法を考えるべきです」

 

 そう言うと、フィロメラさんは会議テーブルに広げられた王都周辺の地図に魔王軍を示す駒を配置していく。

 

「敵軍は三方向からほぼ同時に攻めてきます。軍団の規模から考えて恐らくそれぞれ八大幹部が指揮を執っている筈です」

「八大幹部が三人か……幹部を二人倒されて、魔王軍もいよいよ本気ということか」

 

 フィロメラさんと将軍達の会話を聞いていた国王が将軍の一人に問いただした。

 

「どう見る将軍。防ぎきれそうか?」

「……難しいですな。数が多すぎます。敵軍の幾らかが王都に侵入することは防げないかと」

「ふむ……。ならば魔王軍の襲撃が始まり次第、民は王城へ避難させよう。城内には魔物に対する結界も張られている。市街に居るよりは幾らかマシな筈だ」

 

 国王の発言に、傍に控えていた大臣が苦言を呈した。

 

「陛下、それでは城内の警備が……。それに機に乗じて陛下に狼藉を働く不届き者が出てくる可能性も……」

「仕方なかろう、民の安全が最優先だ。我々の敵は魔王軍であって人族の同胞ではないぞ」

「……陛下がそう仰るならば、私からは何も」

「うむ。フィロメラ、魔王軍の襲撃がいつになるか具体的な日時は"星詠み"で探れたか?」

 

 国王の質問にフィロメラさんは申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「申し訳ありません。襲撃の時期に関しては、遅くとも今から一か月以内ということしか調べることが出来ませんでした」

「ふむ……。ならば、民には本件については伏せておくように。いつ来るか分からない襲撃の情報を与えても市井を混乱させるだけだ。その隙を突いて魔王軍に攻められては勝てる戦も勝てなくなる。皆もよいな?」

 

 

 

 ……国王の方針は妥当だ。不確定な情報でいたずらに市民を恐慌状態にするよりも、こちらで秘密裏に市民の避難準備を整えておいたほうが、結果的には被害は抑えられるかもしれない。

 

 

 

 だが、王都に危険が迫っていることを、彼女(アリエッタ)にも隠さなければいけないのか? 

 

 アリエッタを説得して……いや、無理やりになったとしても、彼女を転移術で安全な故郷に送り帰すべきじゃないのか? 

 

 ……違う。問題の本質はそこじゃない。

 

 僕は……アリエッタだけを助けて、王都で暮らす他の人々の危機には見て見ぬふりをするつもりなのか? 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「……エクスくん」

「……フィロメラさん? どうしましたか?」

 

 会議からの帰り道、フィロメラさんが密談するように小さな声で僕に話しかけてきた。

 

「アリエッタさんを転移術で故郷へ帰しましょう。エクスくんは彼女を説得してください」

「フィロメラさん……でも、それは……」

「本当なら、私の方で馬車と護衛を用意して彼女を送り出したいところですが、私が動けば陛下に勘付かれます。それに魔王軍襲撃のタイミングが掴めない以上、アリエッタさんを送り出したタイミングで敵の攻撃が始まってしまったら最悪です。エクスくんの転移術が一番確実で安全です」

「……ありがとうございます。でも、僕だけが……僕だけが、自分の大切な人を……他の人を見捨てて……」

 

 

 僕が最後まで喋る前に、フィロメラさんが僕の胸倉を掴んだ。

 

 

「そんなこと言っている場合ですか……! 分かってるんですか? 彼女に何か有ってからでは遅いんですよ。これは貴方の為でもあるんです」

「フィロメラさん……」

「……気持ちは分かります。でも、いいじゃないですか。エクスくんはこれまで散々頑張ったじゃないですか…………一人ぐらい、自分の大切な人を贔屓したって誰も責めたりしませんよ。それで文句を言う人は頭がおかしいんですよ……」

 

 

 ……僕は震えるフィロメラさんの拳を優しく解いた。

 

「……少しだけ、考えさせてください」

「……時間はあまり残されていませんよ。それだけは忘れないでください」

 

 

 

 **********

 

 

 

 魔王軍の大規模侵攻に備えて、軍との連携の調整と会議が連日続いた。

 訓練所と王城を繋ぐ通路を早足で歩いていると、ここしばらく顔を合わせていなかった赤髪の彼女がふらふらとこちらに近づいて来るのが見えた。

 

「エ、エクスぅ~~~」

 

 ……僕は、先日から抱いていた葛藤に未だに答えを出せずにいた。

 次の戦いは、間違いなくこれまでで最も過酷なものになるだろう。

 

 人類軍が破れたら。

 僕が倒れたら。

 王都が攻め落とされたら。

 アリエッタはどうなる。

 

 今、この瞬間にも魔王軍襲撃の報せが来てもおかしくないのだ。

 やはり今すぐ、無理やりにでもアリエッタを故郷へ送り返すべきではないのか。

 

「エクス……?」

 

 知らず知らずのうちに険しい表情になっていた僕を、アリエッタが怪訝そうな顔をして見つめていた。僕は慌てて何事も無かったかのように取り繕う。

 

「……ん、ああ、アリエッタ。ごめん、ちょっと急いでいるんだ。大事な用じゃ無ければ、また今度でもいいかな?」

「お、おう。別に用事が有るわけじゃないんだ。悪いな……」

 

 アリエッタの返事を聞くと、僕は足早にその場から立ち去った。会議の時刻が迫っているというのもあったが、彼女の顔を見ていると不安と焦燥感で自分が制御出来なくなりそうだったからだ。

 

 

 

 

 

 …………王城へと続く通路を歩きながら、僕は心を決めた。

 

「……アリエッタ。他の何を犠牲にしても、君だけは……」

 

 

 

 **********

 

 

 

「んん? おいおい、閉店時間はとっくに過ぎてるぞエクス」

「……テイム、夜遅くにすまない。アリエッタを呼んでもらえないか」

 

 月が顔を見せるような時間に、いきなり銀猫亭にやって来た僕をテイムが怪訝な顔で見つめる。

 

「……何か有ったのか? ひでえ顔してるぞ。……アリエッタだな。ちょっと待ってろ」

 

 テイムが階段を上ってアリエッタを呼びに行く。

 

 ……彼のことだって、僕は友人だと思っている。本当なら彼とマスターも今すぐに王都を離れて安全な場所への避難を促したい。

 

 だが、彼らにだって大切に想っている人達が居る筈だ。彼らにその人達は見捨てて自分達だけで逃げ出せと、僕は言えるのか? 

 

 

 

 

 

「……エクス? どうしたんだ、こんな時間に」

 

 

 

 程なくして、アリエッタが階段から降りてきた。不思議そうに僕を見つめる彼女の顔を見て、僕は覚悟を決める。

 

 アリエッタだけを、王都(ここ)から逃がす。

 

 例え周囲の人間から、彼女(アリエッタ)から、卑怯者だと、外道だと罵られたとしてもだ。

 

 

 

「アリエッタ、大事な話がある。少し外で話せないか?」

 

 僕の言葉にアリエッタが固まった。

 ……勘付かれたか? 子供の頃から、妙な所で勘の鋭かった彼女のことだ。僕の様子から何か感じ取ったのかもしれない。

 

「ふぇっ。え、えっと……そ、それってここじゃ話せないことなのか……?」

「ああ、君と二人きりで話がしたいんだ。今すぐに」

「……は、はい。分かり、ました…………」

「少し歩こう。人気のない場所がいい」

 

 僕が歩き出すと、彼女は少し俯きながら僕の後ろについて歩く。

 ……彼女の顔が少し赤い気がするが、体調が良くないのだろうか。本当なら話は後日にして彼女を休ませてあげたいところだが、状況が状況だけにそうも言っていられない。通りから少し離れた寂れた広場で僕は足を止めた。夜ということもあって周囲に人気は感じられない。ここなら誰かに話を聞かれる心配もないだろう。僕は振り返ってアリエッタを見つめた。

 

「アリエッタ」

「は、はいっ」

 

 僕は両手を彼女の肩に置いた。僕の話に彼女が動揺した時に落ち着かせる為だ。

 

「……ッ」

 

 彼女がビクッと身体を震わせる。僕のただならぬ様子に警戒しているのだろう。

 

「アリエッタ、落ち着いて聞いて欲しい」

「……や、やっぱり駄目だ! お、お前にはリアクタが……!」

「リアクタちゃん? いや、彼女は関係……」

 

 アリエッタから突然出てきた名前に、彼女は関係無いと言いかけて僕はハッとした。

 アリエッタが王都に迫っている危機に勘づいているなら、友人であるリアクタを置いて逃げることに後ろめたさを感じているのかもしれない。

 ……だが、リアクタちゃんだってアリエッタが危険に晒されることを望んではいない筈だ。

 

 

「大丈夫。リアクタちゃんなら話せば分かってくれるよ」

「リアクタに何を話すつもりなのお前!?」

「リアクタちゃんだって、アリエッタの事を大切に思っている。僕の意見に賛成してくれる筈だ」

「狂ってんのか!?」

 

 

 取り乱すアリエッタを宥めるように、僕は彼女の肩に置いた手に軽く力を入れると、彼女に顔を寄せた。

 

「……アリエッタ」

「うっ、や……やだ……ちょっと待って……」

 

 彼女は怯えるようにギュッと瞳を閉じる。

 僕も自分を落ち着かせるように静かに深呼吸をした後に、彼女に告げた。

 

「アリエッタ。何も聞かずに故郷に戻って欲しい。今すぐに」

「…………はぁ?」

 

 閉じていた彼女の瞳がパチッと見開かれて、僕を見つめた。

 

「……大事な話って、それ?」

「ああ、突然こんな事を言われても困るかもしれないけど……アリエッタ?」

「あ、あ、ああァァ~~~…………」

 

 彼女は両手で自分の顔を覆い隠すと、その場に座り込んでしまった。……何か、想定していた反応と大分違うな。

 

「だ、大丈夫アリエッタ? どこか身体の具合でも……」

「…………いや、自分の桃色脳味噌にショックを受けているだけだ。気にしないでくれ……ちょっと立ち直るまで待ってて……」

 

 

 

 **********

 

 

 

 数分後、座り込んでいた彼女が立ち上がった。

 

「ふゥ~~~……よし。もう大丈夫。俺は冷静だ」

「う、うん。それならいいんだけど……」

 

 アリエッタが気合を入れるように、自らの頬を軽く叩くと僕に向き直る。

 

「それで、俺に故郷に戻れって? それも今すぐに?」

「ああ、今すぐに最低限の荷物をまとめて準備してほしい。転移術で僕が送り届ける」

 

 僕の滅茶苦茶な話に、彼女は当然のように難色を示した。

 

「いやいや、そういう訳にはいかないだろう。マスターやテイムにも話をつけないと……」

「……彼らには後で僕から話しておく」

「……せめて理由を聞かせてくれよ。こっちも遊びや観光で王都に来てる訳じゃないんだ。訳も分からずに全部放り投げて帰るなんて……」

「……いいから、僕の言う通りにしてくれっ!」

 

 僕は思わず声を荒げて近くの壁を殴りつけてしまった。

 

「エクス……?」

「……頼むから、ここから逃げてくれ。アリエッタ……お願いだ……」

 

 ああ、駄目だ。声が情けなく震えてしまう。

 魔王軍に滅ぼされた生まれ故郷の情景が脳裏をよぎる。

 それは、まるで王都の未来の姿のようで。

 

 

 

 彼女を失ってしまうかもしれないことが怖い。

 

 彼女を残して倒れてしまうことが怖い。

 

 そして、そんな自分の弱さが怖い。

 

 

 

 アリエッタが壁を殴りつけた僕の拳をそっと両手で包み込んだ。

 

「エクス。お前が本当に望んでいるなら、俺は何も聞かずに故郷に帰るよ。マスターやテイムに不義理を働くことになったとしてもだ」

「アリエッタ……」

「でもな、多分これは違う。ここで俺が何も聞かずに王都から立ち去ることが、お前が本当に望んでいることだとは思えない」

 

 アリエッタはそこで一度、言葉を切ると真剣な眼差しで僕を見つめた。

 

「話してくれエクス。……前にも言っただろ? 何かあったら、一緒に悩むぐらいはしてやるってさ」

 

 

 ……クソッ。

 どうして、僕はこんなに弱いんだ。

 覚悟したつもりだった。

 理解されなくてもいい。彼女に余計なものは背負わせたくないと。

 だから真実を告げずに、彼女を王都から引き離すつもりだったのに、彼女の言葉一つで心が揺らいでしまう。

 彼女の優しさに、甘えてしまう。

 

 

 

「……もうすぐ、少なくとも一ヶ月以内に魔王軍の大規模な侵攻が始まる。……恐らく、王都が戦場になる」

 

 気が付けば、僕はそうなる事を望んでいたかのように彼女に内心を吐露してしまっていた。

 

 

 

 **********

 

 

 

「……なるほどな。道理で最近、街中で兵隊さんをよく見ると思ってたんだ。この間の訓練所に運んだ資材もそれ関係か……」

 

 アリエッタは僕の言葉に思い当たる節があったようで、得心がいったように頷いていた。

 

「軍事機密だろうし、街の人達に情報が伝わっていないのは分かるが……まさか、軍は民間人を見捨てるつもりなのか?」

「いや、秘密裏に避難の準備は進めている。魔王軍の襲撃が始まり次第、市民を王城へ避難させる手筈になってる。あそこなら魔物に対する結界が張られているし、市街地より安全な筈だから」

「なんだ、それなら……」

「でも、万全とは言えない」

 

 一瞬、安心したような表情を浮かべたアリエッタに僕は告げた。

 

「普通の魔物ならともかく、幹部クラスの力なら結界を破ることは難しくない。勿論そんなことにならないように全力は尽くすけど、保障は出来ない。だから……」

「俺だけこっそり逃げ出せって?」

 

 僕は黙って頷くと、アリエッタが深い溜息を吐いた。

 

「……ありがとな。心配してくれるのは凄く嬉しいよ」

「だったら……」

「でも、俺はここに残るよ」

 

 彼女の言っていることがよく分からなかった。

「どうして」と僕が理由を問う前に彼女は続けた。

 

「だってさ、エクスも本当は嫌なんだろ?」

 

 ……何を言っているんだ彼女は。僕は思わず声を荒げてしまう。

 

「……そんな訳無いじゃないか!? アリエッタに何かあったら、僕は……!」

「違うよ。そうじゃない」

 

 まるで子供をあやす母親の様な優しい微笑みを浮かべながら彼女は告げた。

 

 

 

「嫌なんだろ? 助ける人間と、助けない人間を選ぶことが」

 

 

 

 ……本当に、彼女はどうして妙な所で察しが良いのだ。僕の気持ちには全く気付かないくせに。

 核心をつかれて押し黙ってしまった僕を見て、アリエッタが苦笑する。

 

「銀猫亭の前にさ、パン屋があるだろ?」

「……え?」

「あそこで売ってるジャムが好きでさ。しょっちゅう買いに行ってたら店長に顔覚えられて仲良くなったんだよ」

 

 突然の話題転換に困惑する僕を他所に彼女は世間話を続けた。

 

「あと、この間リアクタと一緒に行った喫茶店のデザートも美味かったな。店の内装も落ち着いた感じで好みだったから、また行こうと思ってるんだ。それと三番通りの洋服屋な、この間は俺が着せ替え人形にされたから、今度はリアクタに滅茶苦茶エロイ服を着せようと思ってる」

 

 彼女は指折り数えながら、王都で出会った人達や今後の予定について語った。

 

「俺だけ故郷に逃げ出してさ、次に王都に来た時にそういう誰かだったり、店だったりが無くなってたら凄い嫌な気持ちになると思うんだよな。『あの人達を見捨てて俺だけ逃げた』ってさ。一生引きずるかも。…………まあ、つまり何が言いたいかと言うとだな」

 

 自分の中から言葉を探すように頭をカシカシと掻いた後に、偉そうな感じで腕を組んで彼女は僕に言い放った。

 

 

 

「俺が嫌な気持ちにならないように頑張れ。俺も街の人も全部ひっくるめて救ってみせろ」

 

 

 

 ……彼女のあんまりな物言いに、僕は思わず吹き出してしまった。

 

「なんだよ、それ。僕に全部丸投げするの?」

「うるせェ~。一般村娘に何しろってんだよォ~。切った張ったでカッコつけんのはお前の役目なんだよォ~」

 

 アリエッタの傍若無人な振舞いを見て肩の力が抜けたのか、僕は久しぶりに普通に笑った気がした。

 

「そもそも、そんな話聞かされて俺がお前を置いて逃げ出すと思ってるのか?」

「はあ、聞き出したのは君だろう? ……でも、おかげで覚悟が決まったよ」

 

 

 恐怖は消えない。

 

 でも、僕には仲間がいる。僕達の勝利を信じて疑わない彼女(アリエッタ)がいる。

 

 だったら精いっぱいカッコつけることにしよう。彼女が不安にならないように。

 

 僕は彼女の手を取ると、彼女の澄んだ青空を思わせる碧眼を真っ直ぐに見つめながら告げた。

 

 

「誓うよ。君が望むのなら、君の為に総てを護ってみせる」

「お、お前さあ……女に向かって真顔でそういう台詞を軽々しく言うんじゃないよ。俺だから良かったけど、普通の女なら絶対勘違いするからな?」

 

 

 

 **********

 

 

 

「……しかし、本当に来るのかねえ。フィロメラを疑うわけじゃないが、まるで予兆が無いじゃねえか」

「ヴィラ、今までフィロメラさんの"星詠み"が外れたことは無かっただろ? もうすぐ一ヶ月だ。油断しない方がいい」

 

 気を紛らわせる為にと、ヴィラと訓練所で軽く手合わせをした帰り道で、独り言のように呟く彼を僕は戒める。

 

「分かってるよ。大規模侵攻を一般人に伝えなかったのは正解だったな。確実に来るけど、いつ来るか分からない敵っていうのは予想以上に堪えるわ。おかげで落ち着いていかがわしい店にも行けねえよ」

 

 軽い口調とは裏腹に、彼の戦意がかつてない程に高まっているのは模擬戦での槍術の冴えでよく分かっていた。先程の発言も、暗に僕も油断しないように促していたのだろう。

 

 

 

 そんなことを考えながら、ヴィラと通りを歩いている時のことだった。

 

 人混みの中でもよく目立つ、真っ赤な髪の女性がこちらにやって来た。

 ヴィラが片手を上げて声をかける。

 

「よう、アリエッタ。今日は非番か?」

「まあそんな所。エクス、ちょっと話が有るんだけどいいかな?」

 

 

 

 僕は迷わず剣を抜いて彼女に突きつけた。

 

「えっ……エクス……?」

「エクス!? 何やってんだお前!?」

 

 

 怯える彼女と取り乱すヴィラを尻目に、僕は遂に"その時"が来た事を悟った。

 

 

「見るに堪えない猿真似は止めろ。ヴィラ、そいつはアリエッタじゃない」

「なっ……マジかよ。俺にはアリエッタにしか見えないぞ? どうして偽物だって言い切れるんだ?」

「喋る時の抑揚が違う。歩き方の重心が違う。匂いが違う。僕と目が合った時に前髪を整える癖が無い。他にも細かい点は多々有るけど、とにかく僕には彼女がアリエッタには見えない」

「深刻に気持ち悪いなお前!?」

 

 僕の目は誤魔化せないことを悟ったのか、アリエッタに似た何かがニチャリと崩れた笑みを浮かべる。

 

「クク……ただの余興のつもりだったが、こうも早く見破られるとはな。人族の観察眼も中々侮れんな」

 

 次の瞬間、溶けた蝋のようにアリエッタの形を崩した"それ"は、辛うじて人型を保った泥人形のような存在へと変貌した。

 

 

 

「八大幹部"幻影"だ。―――さあ、決戦の時だ人族よ!」

 

 

 

 "幻影"はそう宣誓すると、ボコボコと沼から泡が沸き立つように自らの肉体を膨張させて巨大な竜へと変貌した。

 分厚い城壁すら易々と砕けそうな巨大な鉤爪が僕に襲い掛かる―――! 

 

「ぐぅっ……!」

「エクスッ!」

 

 咄嗟に振るった剣で爪の直撃を何とか防いだが、"幻影"はそのまま前足で僕を拘束すると上空に飛び立った。

 ヴィラがすぐさま槍を構えて僕の援護に回ろうとする。

 

「エクスッ! 待ってろ、すぐに助ける!」

「ヴィラ! こっちは僕だけで何とかする! それよりも、このタイミングでの八大幹部の奇襲……()()()()()()()!!」

 

 

 

 市街に鐘の音が鳴り響く。

 

 王都外縁で魔王軍の出現が確認された時の合図である。

 

 

 

 鳴り響く鐘の音に苦々しく顔を歪めるヴィラに向かって、僕は"幻影"の拘束を力任せにこじ開けながら叫んだ。

 

「僕は大丈夫だ! それよりも早くフィロメラさん達と合流して人類軍の援護に回ってくれ!」

「このタイミングで……! 外の軍勢にも八大幹部がいるなら俺様達抜きじゃ抑えきれないか……! クソッ! 死ぬんじゃねえぞエクス!」

 

 ヴィラは戦局を見極めると、王都の外縁部へと向かって駆け出した。

 "幻影"はそれを追撃せずに見送る。……初めから狙いは僕一人か。

 

「ぐぅっ……! うおおおっ!」

 

 何とか片腕を動かせる程度に"幻影"の拘束を破ると、僕は剣で奴の前足を切り刻んだ。

 僕を拘束していた奴の前足がバラバラの肉片になると、上空に運ばれていた僕の身体は自然と重力に任せた自由落下を始める。

 

「人が居ない場所は……あそこか!」

 

 人類軍による避難誘導は迅速に行われているようで、王城周辺以外には殆ど人影が見当たらなかった。おかげで僕は周囲への被害を気にせずに戦える場所を容易に見つけることが出来た。

 手のひらから魔力を放出して落下の軌道を修正すると、僕は無人の広場に降り立った。僕の後を追うように"幻影"が竜の姿から崩れた泥人形の姿に戻って広場へと着地する。

 

 ……変身能力は厄介だが、"氷獄"や"魔槍"ほどのプレッシャーは感じない。僕一人でも戦える筈だ。

 僕は"幻影"に剣を向けて告げた。

 

「悪いが、外で仲間達が待っている。早めにケリをつけさせてもらうぞ"幻影"」

「クク、なるほど。"氷獄"と"魔槍"を倒しただけのことはある。私だけでは分が悪そうだ」

「……何?」

 

 

 

「―――砕けろ、人族の英雄」

「!?」

 

 背後からの殺気に、僕は回転するように剣を背後に振るう。鈍い金属音と共に伝わってきた衝撃を殺す為に僕は敢えて背後へと吹き飛ばされる。

 

 僕を吹き飛ばしたのは全身を異常な量の筋肉で構成した魔族の男だった。己の肉体こそが至高の武具だと言わんばかりに武器を持たずに拳法のような構えで拳を僕に向ける。

 

「八大幹部"煉武"。出来れば貴様とは一対一で手合わせしたかったが、魔王様の為ならば已む無し」

 

 二人目の八大幹部だと……! 

 

 僕は体勢を立て直しながら内心で呻く。少しでも早く、外で戦っているフィロメラさん達に合流したい状況だというのに……! 

 僕は"煉武"と"幻影"の二人が視界に入る立ち位置へ移動しながら、八大幹部の二人を相手取る戦術を組み立てる時間を稼ぐために言葉を投げかけた。

 

「……僕一人を相手にするのに、八大幹部を二人もぶつけるなんてね。魔王軍は随分と僕を評価してくれているらしい」

「……」

「クク、そう謙遜することは無いよ? 勇者エクス」

 

 "煉武"はこちらと会話する気が無いようだが、"幻影"は僕の挑発めいた言葉に乗ってきた。

 

「既に"氷獄"と"魔槍"がお前たちに敗れているんだ。これは君という戦力に対する妥当な判断だよ。……そして、僕達は過少評価もしなければ、過大評価もしない。君さえ倒れれば、残りの人類軍は烏合の衆だ。簡単に飲み干せる。……それと、もう一つ」

 

 

 "幻影"が人差し指を立てて僕に告げた。

 

 

 

「僕達が二人だけだと、いつ言った?」

「―――ッ!? ああああっ!!」

 

 

 僕が直感に任せて、前方に向けて全力で剣を振り下ろした次の瞬間、僕の目の前で見えない"何か"が爆音と共に弾け飛んだ。

 視認出来ない無色透明の魔力弾……!? 

 "幻影"は僕が謎の攻撃を防ぐのを見ると、手を叩いて大はしゃぎしていた。

 

「凄い凄い! あの一撃を防ぐなんて!」

「……喋り過ぎだ"幻影"。貴様が余計な事を言わなければ、今の一撃で殺せはせずとも手傷を負わせることが出来た筈だ」

「いいじゃないか"煉武"。"彼"だけ仲間外れにしては可哀想だろう? さて、距離が離れすぎてて君には見えないかもしれないから彼に代わって僕が紹介しよう。君を狙う3人目の八大幹部"魔弾"だ。王都の外から君を狙撃するから十分に注意してほしい」

 

 

 3人目だと……!? こいつらは僕一人に何人の八大幹部をぶつけるつもりなんだ!? 

 

 

 王都の外から攻めてくる敵にばかり集中していたから完全に油断していた。こいつらは軍勢を率いずに単独で行動しているからフィロメラさんの"星詠み"でも予測することが出来なかったのか。外から攻めてきている3つの軍勢を指揮する八大幹部と、この場で僕を狙っている3人の八大幹部で総勢6人、既に敗れた"氷獄"と"魔槍"を除いた八大幹部が総がかりで攻めてくるなんて……! 

 

 "幻影"の姿が再び崩れて、今度は人間を簡単に丸呑み出来るような巨大な蛇へと姿を変える。

 大蛇は悪辣な笑みを浮かべながら、謳うように僕に宣言した。

 

 

 

「さあ、行くぞ勇者よ。我ら八大幹部三名、全力で相手をしてやろう」

 

 

 

 

 



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24."勇者"の条件

 

 

「ク…………」

 

 

 

 "幻影"の口から抑えきれない声が漏れる。

 

 肉体を竜に変化させた"幻影"が飛翔して、上空から炎のブレスでエクスを狙い撃つ。

 鉄すら溶かす灼熱の息吹がエクスの退路を断つように地を舐めた。

 

 その攻撃に合わせて"煉武"が凄まじい速度でエクスの至近距離に踏み込み、拳を連続で叩きこむ。

 拳撃の一つ一つが大砲に匹敵する破壊力で、貧弱な人族の肉体を砕こうと襲い掛かる。

 

 

「クク…………」

 

 

 "幻影"と"煉武"の隙をカバーするように、王都から遠く離れた丘から"魔弾"の援護射撃が届く。

 視認不可能な無色透明の魔力弾が、怒涛の如く連射されて戦場を撃ち貫いていく。

 

 

「ククッ…………」

 

 

 "魔弾"の援護射撃によって、もうもうと舞い上がった土煙が破壊の激しさを表していた。

 

 戦場において、単独で人類軍の一個旅団すら殲滅し得る八大幹部達の猛攻を、単身で叩きこまれた人族は恐らくエクスが史上初となるだろう。

 

 

 土煙が収まり、戦場となった広場が再び姿を現した。

 

 

 

「ク、クク…………クソォッ! どうなってる、3対1だぞ!? 何故、奴はまだ死んでいないんだ!?」

 

 

 

 "幻影"が目の前の悪夢のような光景に激昂して叫び声を上げる。

 八大幹部が3人がかりで傷一つ負わせることが出来ない本物の"怪物(エクス)"が、そこには立っていた。

 

 

 

 **********

 

 

 

 クソッ、(エクス)は内心で現状に対する悪態をついた。

 

 3人目の八大幹部が現れてから、()()3()0()()()()()()()()()()、未だに一人も敵を倒せていない。

 こちらもダメージは負っていないが、敵は外にも居るのだ。一刻も早くフィロメラさん達の下へ駆け付けなければ状況は刻一刻と悪化していくばかりだ。

 傲慢な様だが、僕抜きで外の八大幹部達を倒すのは恐らくかなり厳しいだろう。

 このまま膠着状態が続けば、恐らく人類軍の損害は取り返しがつかないことになる。

 

 

 

 …………他に手は無い。僕はある決断をした。

 

 

 

「……何故、僕が"勇者"と呼ばれていると思う?」

 

 "この手"は発動までに時間がかかる。時間を稼ぐために僕は八大幹部達に言葉を投げかけた。

 向こうも決め手を欠いた状況に戸惑っているのだろう。僕の突然の行動に警戒して、すぐに襲い掛からずに様子を見ている。僕は口を回しながら、奴らに悟られないように精神を集中していく。

 

「人格? 血筋? 戦闘能力? …………どれも違う。"勇者"という肩書はそんな些細な事が判断基準にはならない」

 

 僕は首にかけたペンダントに繋がれている三つの細工の中から、一つをちぎり取って握りしめた。

 

「"聖剣"に選ばれること。勇者の条件はその一つだけだ」

 

 僕は握りしめた手に力を込めると、水晶のようなもので造られた細工が粉々に砕け散った。

 

 

 

 

「―――聖剣展開」

 

 

 

 

 次の瞬間、砕け散った水晶の破片が僕の周囲を取り囲む。

 粉々になった筈の水晶がこぶし大の大きさに膨れ上がり、僕の体に向かって突き刺さった。

 

「……ッ!」

 

 皮膚を食い破られる痛みに、噛み締めた奥歯から火花が散るような錯覚を覚える。

 やがて水晶の破片は僕の全身を覆いつくす甲冑のような姿となった。

 

 

「な、なんだ……? 何が起きている……貴様のその姿は……?」

 

 

 上空を飛ぶ"幻影"の問い掛けを無視して、僕は"煉武"に一足で距離を詰めて剣を振るった。

 "煉武"は僕の突然の豹変にも動揺せずに、これまで幾合も僕の剣を防いだ時と同じように、拳で斬撃を弾こうとする。

 

 

「受けるな"煉武"! 避けろッ!」

 

 

 "幻影"が叫ぶが遅い。

 

 僕の剣が奴の拳と接触した次の瞬間、"煉武"の上半身が消し飛んでいた。

 

 

 

 半身を失い、バランスを崩した"煉武"の下半身がどうと地面に倒れる。

 

「き、貴様ァーーー!!」

 

 "幻影"が上空から僕に向けてブレスを放つ。

 僕は後方へ跳んでそれを回避しつつ、投擲用のナイフを取り出した。

 

強化付与(エンチャント)倍化(ダブル)

 

 僕は魔力を付与したナイフを前方へ向けて投擲した。空気が破裂するような音と衝撃を発して放たれたナイフを"幻影"は翼を羽ばたかせて回避する。

 

「ハッ! どこを狙っている!」

「いや、ちゃんと命中しているよ」

「何を言って…………」

 

 王都外縁の遥か向こう側で、地響きのような轟音と共に小さな山のような丘が崩れ落ちていた。

 それが何を意味するか理解した"幻影"が驚愕に目を見開いた。

 

「"魔弾"! 聞こえているか、返事をしろ! 僕ごとでいい! 早く奴を撃つんだ!」

「無駄だよ。残っているのは君だけだ、"幻影"」

 

 僕は上空を羽ばたく"幻影"に剣を向けて告げた。

 

「あ、ありえない……そんな力があるなら、何故今まで使おうとしなかった?」

「君が知る必要は無い。時間が無いんだ。さようなら"幻影"」

 

 僕は剣に魔力を込めると、上空に向けて振り上げる。

 轟音と共に剣から放たれた極大の光芒が飛翔する竜を灼き尽くし、雲を貫いた。

 

 

 

「ば、化物めェェェーーー…………!!」

 

 

 

 光が霧散すると、そこに"幻影"の姿は塵一つ残っていなかった。

 

 

 

「……ぐぅっ!」

 

 敵の消滅を確認して気が緩んだのか、全身を襲う疲労感に僕は膝をついてしまった。それと同時に全身を覆っていた水晶がボロボロと剥がれ落ちて塵となっていく。

 

 

 

 ―――これが、聖剣の力か。

 

 

 

 話だけは聞いていたが、ここまで凄まじいものとは思わなかった。

 あの八大幹部達をまるで寄せ付けないほどの絶大な魔力強化。

 "勇者"と呼ばれる適応者にしか使用出来ない強力な魔術兵装、それが"聖剣"である。

 

「……残り二つか」

 

 僕は首にかけたペンダントに繋がれた水晶細工の数を確認して呻く。

 この力を、こうも追い詰められるまで使わなかったことには勿論理由がある。

 

 それは強烈な回数制限。

 

 聖剣は一度使用すれば、塵となって消えてしまう。そして、この世界に現存する聖剣は僕の持つ残り二本だけだ。

 

 来るべき魔王との決戦を考えれば、実質的に使えるのは残り一本だけだろう。

 

 本来であれば、国王の許可なく使用することは禁じられていたのだが、それについて悔やむのはこの局面を乗り切ってからだ。

 僕は聖剣展開の反動で悲鳴を上げている肉体を、気力で無理やり奮い立たせると王都外縁部へと駆け出した。未だ王都内部に戦火が及んでいないのは、仲間達と人類軍が決死の覚悟で戦ってくれているからだ。

 

 

「アリエッタと約束したんだ。総て護ってみせるって……!」

 

 

 不思議だ。彼女のことを想うだけで、身体の奥底から力が湧いてくる。

 

 こんな状況なのに口の端に笑みが浮かんでしまう。

 

 向かう先は更なる戦場。それでも僕は何一つ絶望などしていない。

 

 

 

 彼女(アリエッタ)の為なら、僕は誰にも負けない―――! 

 

 

 

 **********

 

 

 

「ふんっ、この程度か人族! やはり"勇者"を除けば烏合の衆だったようだな!」

「ぐうっ! まだまだァ!!」

 

 

 (ヴィラ)の槍が巨大な人狼――八大幹部"獣王"の胸を貫く。

 普通の魔物であれば、間違いなく致命傷だ。しかし、"獣王"は胸を貫く槍を何事も無かったように力任せに引き抜いた。

 

「無駄だァ! 剣だろうと魔術だろうと、俺の肉体の"超再生"を破ることなど不可能よ!」

 

 "獣王"の言葉を裏付けるように、胸に空いた穴が恐ろしい勢いで再生していく。

 

「クソッ! 情けねえ……エクスが来るまで時間稼ぎをするしかねえのかよ……!」

 

 俺は肩で息をしながら悪態をついた。フィロメラ達は他の場所で八大幹部達の侵攻を抑えている。"獣王"の相手を出来るのは俺だけだ。

 しかし、俺の言葉に"獣王"がニタリと狂暴な笑みを浮かべた。

 

「ククク……残念だが、勇者がここに来ることは無い。奴なら今頃、王都で八大幹部3人を相手にしているからなぁ」

「なっ……!?」

 

 "獣王"の言葉に俺は目を見開いた。

 エクスを狙っていたのは"幻影"だけじゃなかったのか……!? 

 いくらエクスといえど、一人で八大幹部3人を相手にして無事でいられる筈が無い。

 

 

 

 あの時、人類軍の援護よりもエクスを助けることを優先していれば……! 

 

 

 

 絶望と後悔が胸中に広がる。

 

 だが、それでも諦める訳にはいかない。

 

 たとえ、この命が尽きようとも。最後まで足掻いてみせる……! 

 

 

 

「ククク、無駄なことを…………んんっ?」

「おい、何処を見てやが…………んんっ?」

 

 俺が再び槍を構えたその時だった。

 "獣王"が何か察知したのか上空を見上げた。俺も釣られて上空を見上げると、何かが物凄い勢いで"獣王"に向けて突っ込んできた。

 

「うおおおおっ!?」

 

 "獣王"が突っ込んでくる何かに向けて、手に持った斧を振るった。

 激しい金属音が鳴り響き、弾かれた何かが"獣王"の眼前に降り立つ。

 

「ば、馬鹿な……貴様は……!?」

「エ、エクスッ! ……ったく。お前、来るのが遅いんだよっ!」

 

 俺と"獣王"の間に、王都で八大幹部達を相手にしている筈のエクスが立ちはだかった。

 救世の英雄にして人類軍最大戦力の加勢に、周囲の兵卒達も歓声を上げてエクスを迎える。

 

「何故だ!? "幻影"、"煉武"、"魔弾"の3人を相手にどうやって……!?」

「…………」

 

 狼狽える"獣王"を前にエクスは黙して語らず、ただ幽鬼のような眼をしてゆらりと"獣王"に剣を向けた。

 

 

 

 

 

 ……あれ、こいつ何か様子が変じゃね? 

 

 

 

 

 

 戦いのそれとはまた違う、嫌な予感が俺の胸中を満たしていくのを感じる。

 

 突然のエクスの登場に動揺していた"獣王"だったが、落ち着きを取り戻すと手に持った斧をエクスに突きつけた。

 

「……ハッ! 大方、何とか"幻影"達の隙を突いて命からがら逃げ出してきたといったところだろう。"勇者"がそんな臆病者だったとはなァ」

「…………」

「ふん、敵と語る舌は持たんか。まあ、いいだろう」

 

 "獣王"の全身の筋肉が膨れ上がる。

 溢れんばかりの殺気は、常人であればそれだけで気絶しかねない程だ。

 

「人類軍最大戦力とやらの力。どれほどのものか俺が確かめてやろう! さあ、かかってこい!」

 

 

 

「…………タ…………」

「何…………?」

 

 

 

 何やら小声でブツブツと呟いているエクスに、"獣王"は怪訝な顔をする。

 

 

 

「うん……うん……そうだね、アリエッタ。君が応援してくれるなら、僕はどんな奴だってぶち殺してみせるからね……フフッ、本当さ……君の為なら、僕は誰にも負けないよ……」

「ぎゃあーーー! またバーサクモードに入ってやがるーーー!?」

 

 俺は目の前の悍ましい光景に悲鳴を上げた。

 俺の絶叫に"獣王"がビクッとしてこっちをチラ見した瞬間に、エクスが気持ち悪い速度で"獣王"に斬りかかった。

 エクスの斬撃をギリギリで防いだ"獣王"がエクスの瞳を見つめて戦慄している。

 

「この男……全ての感情を凍てつかせたような虚無の瞳……! 一体どれほどの死線を越えれば、このような眼になるというのだ…………!」

「ウフフ、分かってるよアリエッタ……僕が傍に居なくて寂しいんだろう? こいつらを片付けたら、すぐに帰るから待っててね……」

「な……何なんだこいつは! 一体何を言っているんだ!?」

 

 

 "獣王"を圧倒するエクスの威圧感(キモさ)に周囲で魔王軍と戦闘していた兵卒達が歓声を上げる。

 

「見ろ! エクス殿が八大幹部を圧しているぞ!」

「なんて強さだ……! 勝てる! 俺達は勝てるぞ!」

「俺達もエクス殿に続け! 人族の底力を魔王軍に見せてやるんだ!」

 

 エクスの参戦で人類軍の挫けかけた戦意が再び燃え上がる。しかし、俺はそれどころじゃないとエクスに必死で呼びかける。

 

「やめろォーーー! みんな見るんじゃなーーーい! エクスッ! 正気に戻れ! 人類軍の大半は、お前を最強無敵のカッコイイ英雄として幻想を抱いちゃってる奴らなんだぞ! あいつ等の夢を壊さないように、今すぐにその気持ち悪い独り言と悍ましいニヤケ面を止めるんだァーーー!!」

「ウフフ! アリエッタ! ウフフフッ!!」

「つ、強いっ! なんだこのプレッシャーは!? まさか、"幻影"達は既にお前に敗れたとでもいうのか!?」

「フィロメラッ! フィロメラーーー! エクスの頭に治癒魔法をかけてくれーーー!!」

 

 

 

 俺の絶叫とエクスの狂笑と"獣王"の悲鳴が響き渡る。

 

 戦場は男達のあらゆる業を飲み込み、膨れ上がりながら混迷を極めていくのだった―――

 

 

 



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25.知りたくなかった隠し要素

 

 

 

 エクスと八大幹部達が激戦を繰り広げた王都のとある広場。

 

 

 

 聖剣を使用したエクスに敗れ、骸を晒していた"煉武"の半身に変化が起きていた。

 

 蝋が溶けるように肉体が粘り気のある液体に変化していき、やがて"煉武"の名残が完全に消え去ると、液体は崩れた泥人形のような形へと姿を変えていった。

 

 

「ハァ……ハァ……すまんな"煉武"。身体を使わせてもらうぞ……」

 

 

 八大幹部"幻影"が王都に再び顕現していた。

 エクスの攻撃によって消し飛ばされる寸前に、自身の本体ともいえる身体の一部を切り離すことに成功していた"幻影"は、"煉武"の死骸を取り込む事で九死に一生を得ていたのだ。

 

 しかし、"幻影"の状態は万全とは程遠いものだった。

 

 人型を維持できず、片腕が肩から腐り落ちるのを見て"幻影"は悪態をついた。

 

「本来の二割程度しか力が戻っていないか……これでは、外の戦いに合流しても意味は無いな……。いや、それ以前にこの戦い、恐らく八大幹部は全滅するな……」

 

 本来の作戦では、"幻影"を含む八大幹部が3人がかりでエクスを撃破した後に、内と外から人類軍を挟撃する筈だったのだが、"幻影"達は敗れ、想定よりも遥かに強大な力を持っていたエクスが人類軍と合流してしまった。外にはまだ3人の八大幹部が健在とはいえ、現状で魔王軍の勝ちの目は限りなく薄いだろう。

 

 

「僕も長くはないな……だが、ただでは死なんぞ」

 

 

 "幻影"は自身の変身能力を捨てて、形態を巨大な竜のそれに完全に固定する。戦況に合わせた変身を行うには力を消耗し過ぎたからだ。

 

 

「……あそこが人族の王の居城か」

 

 

 "幻影"は翼を羽ばたいて飛翔すると、王城へと向かって移動を始めるのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

「うおおおーーー!? 死ぬ死ぬ死ぬーーー!? エイビス、もっと早く走れ! 追い付かれるぞ!」

「クソォーーー! アリエッタ! お前に関わってから俺はロクな目に遭ってないぞ! この疫病神!!」

「知るかよォォーーー!!」

 

 

 (アリエッタ)とエイビスは王城の通路を全力でダッシュしていた。

 

 

 魔王軍の襲撃が始まり、マスターやテイムと一緒に王城へ避難したのはいいのだが、人混みに飲まれて二人とはぐれてしまい、何とか彼らと合流しようと城内を彷徨っていたところ、いきなり城壁を突き破ってクソみたいにでかいドラゴンが目の前に現れたのだ。

 

 当然、その場からダッシュで逃げ出した俺だったが、避難民が密集している場所へこんな奴を引っ張って来る訳にもいかず、人が少ない方へ少ない方へと逃げている内に、何故か馬鹿貴族(エイビス)と合流してしまい、こうして仲良く駆けっこをしているのだった。回想終わり。

 

 

 もしも、ここが何もない荒野だったのなら、5分と経たずに奴の胃袋に入っていたであろう俺達だったが、王城の通路は奴には狭すぎたらしく、壁やら柱やらに激突しながらの行軍になっているおかげで、俺達は危ない所でドラゴンに追いつかれずに済んでいた。

 

「というか何で俺を追いかけてくるのアイツ!? それとも偶々進行方向が一緒なの!? そもそもエイビス! 知らないおじさんとか護衛の皆さんは何処に置いてきたの!?」

「ふん、このエイビス=クベイラの護衛をそんじょそこらのゴロツキと一緒にするなよ? 奴らは人類軍の近衛兵上がりの優秀な元軍人達だ。この人族と魔族の一大決戦でそんな貴重な戦力を俺の護衛なんぞで遊ばせておく訳が無いだろう? 全員前線に回して人類軍の援護をさせとるわ!」

「もうっ! お馬鹿っ!!」

 

 俺とエイビスはぎゃいぎゃいと口喧嘩をしつつも駆ける足は止めない。

 これだけの馬鹿騒ぎをしていれば、当然城内の兵士達も駆けつけてドラゴンを攻撃するのだが、如何せん人類軍と魔王軍の主戦場は王都外縁だ。王城の警護に残っている兵士だけでは、あのドラゴンを撃退するには数が足りていない。槍と矢に身体を貫かれつつもドラゴンは兵士達を蹴散らして進撃を続けた。

 

「……おい、アリエッタ。よく考えたら、なんで俺はお前と一緒に逃げてるんだ? よし、この先の通路で二手に別れて逃げよう。どっちが喰われても恨みっこ無しということで」

「つれない事言うなよエイビス。俺を拉致監禁凌辱しようとした仲だろ?」

「言い方ぁっ! 事実だけどもっ! 頼むからそういうのエクスの前では言うなよ!? お願いしますねホント」

「お前変な所で素直だよな。どちらにせよ、あっちは確か避難所方向だから逃げるのは無しだ。こんなの連れてったら収拾がつかなくなるぞ。パニックになって皆まとめて喰われるだけだ」

「クソッ! 言っておくがお前に何かあっても俺は容赦無く見捨てるからな!」

 

 俺はエイビスを先導するように速度を上げて二手に分かれた通路を曲がる。しかし、既に結構な距離を走っているのに意外なほど体力が続いているな。これが若さか…………駅の階段の上り下りで息切れしていた前世のクソみたいな中年の肉体を思い出してちょっと感激してしまう。

 

 

 

「…………んっ? んんっ? …………アァーーーッ!? 不味い不味い不味い! アリエッタ! そっちは駄目ぇ! 戻ってぇ!?」

「はぁ!? 戻れってどこに……へぶっ!?」

 

 

 

 エイビスの切羽詰まった声に振り返った俺は、前方不注意で何かに正面衝突してひっくり返ってしまう。

 

 

「……何だお前は? この先は民間人は立ち入り禁止だ。道に迷ったのなら……おや、エイビス様?」

 

 

 俺とぶつかったのは煌びやかな装飾の甲冑を身に着けた兵隊さんだった。

 訓練所でよく見かける兵士の人達とは一味違った厳かな雰囲気の兵士が俺を睨み付けた後、背後のエイビスに目をやった。

 

 

「エイビス様、この先は玉座の間です。貴方と言えども許可なくお通しする訳には……」

 

 

 兵士の言葉は最後まで続かなかった。

 

 通路の壁を砕きながら現れた巨大なドラゴンに、兵士がギョッと目を見開く。

 

「なっ……! ドラゴンだと!? 王城の結界を破ったというのか!?」

 

 騒ぎを聞きつけて、煌びやかな甲冑を身に着けた兵士達がわらわらと現れると、ドラゴンの前で陣形を組む。

 

「エイビス様! あと、そこの娘も我々の後ろへ! 魔力障壁を張るぞ! ここから先へは一歩たりとも……」

 

 目の前に何重にも張られた光の障壁を、目障りだと言うかのようにドラゴンは前足で薙ぎ払う。

 魔力障壁とやらは、まるで砂糖菓子のように簡単にパリパリと割られてしまい、兵隊さん達も吹っ飛ばされてしまった。悲しいかな、彼らも俺と同じでこの世界のモブキャラだったようである。

 

「あうあうあー!」

 

 ドラゴンが前足を振るった風圧で、俺とエイビスはコロコロと通路を転がされる。

 生物としての格の違いを見せつけられて、いよいよ逃げる気が失せてきた俺は、半ば自暴自棄になって地面に大の字になって寝っ転がった。

 アァ~~~。いよいよ俺、食われちゃうのかなァ~~~。

 遅れて俺の隣にコロコロと転がってきたエイビスも俺と似たような心境らしく、自暴自棄一歩手前の穏やかな笑みを浮かべて地面に大の字になっていた。

 しかし、ドラゴンはそんな俺達に見向きもせず、のっしのっしと通路の奥にある部屋へと進んでいく。あれ、俺達を狙っていたわけじゃないの? 

 

 

 

「……貴様が人族の王か?」

 

 

 

 えぇ、お前喋れるタイプのドラゴンだったの? 

 俺はむくりと起き上がって、ドラゴンの方へ視線を向けると、そこには重厚で華美な外套を纏った老人が、煌びやかな椅子に腰かけてドラゴンと対峙していた。

 

 

 

 

 

「如何にも。余こそが人族を統べる者、レギウス王である」

「八大幹部"幻影"だ。その首を貰い受ける。お覚悟を」

 

 

 

 

 

 ヒィィ~~~! 俺、もしかして王様の前までヤバイ奴連れてきちゃった!? 

 

 

 

 い、いや、でも、こいつは俺を狙ってた訳じゃなくて、初めから王様を狙ってたっぽいし、むしろ俺は巻き添えを食った被害者の筈……! そうだよね、エイビス君! 

 

 俺は助けを求めるように、隣に転がってるエイビスに視線を向けたが、エイビスはガチガチと歯を鳴らしてある一点を見つめていた。

 一体何を見ているんだ? エイビスの視線の先を追うと、どうやら王の傍に控えていたおじさんを見つめているようだった。

 何が気に食わないのか、彫刻刀で刻まれたような深い深い眉間のシワと、この世の全てを憎悪しているような鋭い眼つきが印象的なおじさんだ。

 おじさんが床に座り込んでいるエイビスを見つけると、ただでさえ鋭いその眼光が更に鋭くなった。

 

「……エイビス、貴様はこんな所で何をしている」

「ち、父上……! お、俺……いや、私は、その……」

 

 えぇ? あのおじさんがお前の父親なの? ビックリするぐらい似てねえな。

 

「……もういい。エイビスとそこの娘、ここは玉座の間だ。一般人がおいそれと足を踏み入れて良い場所ではない。早々に立ち去れ」

 

 しどろもどろになっているエイビスに一瞬で興味を無くしたおじさんが王様と"幻影"と名乗るドラゴンの間に割って入る。

 

「レギウス陛下もお下がりください。応援の兵が来るまでは私が」

「下がるのはお主だ、ドヴァリ卿。奴は余に用があるらしい」

「しかし、陛下……」

「"下がれ"と言った筈だが?」

「…………ハッ」

 

 レギウス王の言葉に従ってドヴァリおじさんが玉座の横へと下がると、王様は"幻影"に語り掛けた。

 

 

 

「"幻影"よ。一つ聞いてもいいだろうか?」

「時間稼ぎのつもりなら無駄だ。たとえ勇者が今この瞬間にこの場へ転移してこようとも、勇者が僕を殺す前に僕はお前を殺せる」

 

 

 

 "幻影"と王様が会話パートに入ったので、俺は邪魔にならないようにコッソリと玉座の間から逃げだそうとしたが、ドヴァリおじさんにビビって床に座り込んでしまったエイビスが、何故か俺のブラウスの裾をしっかりと握って離さないし、こいつを見捨てて逃げるのもちょっとだけ寝覚めが悪くなりそうなので、俺は諦めてエイビスの隣に座って会話パートを見学することにした。

 

 おおう、ドヴァリおじさんの俺達を睨み付ける視線がやべえ。正直、"幻影"と追いかけっこをしていた時よりも命の危険を感じる。

 

 でも、この状況で下手に動くと"幻影"にエイビスとまとめてぶっ殺されそうだしなあ。すみっこで壁と同化して大人しくしてた方が生存率が高そうなんだよな。

 俺達が極限まで存在感を消している間にも王様と"幻影"の会話パートは続く。

 

 

 

「なに、時間は取らせんよ。これは純粋な興味から聞くのだが、お前達の中で最も強い者は魔王なのか?」

「ハッ、何を当たり前のことを……魔王様は我らの頂点に立つお方。我らを統べる者が我らよりも弱い筈がないだろう」

「ふむ、なるほど。上に立つ者が下より劣っている筈が無いと」

 

 レギウス王が玉座からゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

「何故、人族はそうでは無いと言い切れるのかね?」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、レギウス王の姿が玉座の前から掻き消え、"幻影"の懐に潜り込んでいた。

 

「なっ…………」

「フッ!」

 

 レギウス王の拳が"幻影"の腹部を下から撃ち貫く。空気が破裂するような音と共にドラゴンの巨躯が空中へ打ち上げられた。

 

「ごあっ!? がっ……!?」

 

 予想外のダメージと想定外の事態に"幻影"が苦悶の声を上げるが、すぐに体勢を立て直し、レギウス王に向かって前足を振り下ろす。しかし……

 

 

「何なのだ……僕は、悪い夢でも見ているのか……?」

 

 

 レギウス王は苦も無く、"幻影"の攻撃を受け止めていた。

 

「お前達は些か人族を甘く見過ぎている。そんな事だから何百年も戦争を続けてるのに我々に勝てないのだ。何故、身を潜めて好機を待たなかった。何故、軍勢を連れずに単身で王城へ攻め入った。全て自分達が人族よりも優れているという驕りからだ」

 

 レギウス王が"幻影"の前足を掴んでいる腕に力を込めると、無造作に"幻影"を上空に放り投げた。

 王城の天井をぶち抜いて吹っ飛ばされていく"幻影"をレギウス王が跳躍して追撃する。

 

「お、おのれェ! 僕は栄光ある魔王軍八大幹部だぞ! 嘗めるなァ!!」

 

 上空で体勢を整えた"幻影"が巨大な鉤爪を振るうが、レギウス王はそれを難なく回避すると"幻影"の側面で拳を構えた。

 

「まあ、今回の戦は"聖剣"を使ってしまった我々と、八大幹部が全滅した魔王軍とで痛み分けといった所だろう。さらばだ"幻影"よ」

「ク……クソォォォーーー!!」

 

 レギウス王の拳が"幻影"の横腹を撃ち貫く。衝撃を吸収しきれなかった"幻影"の巨躯は、そのまま王都外縁部へと吹き飛んでいった。

 

 

 

 **********

 

 

 

「やれやれ、結界で保護された王城の敷地内でしか力を使えない上に全盛期とは程遠い。"幻影"の前ではついつい見栄を張ってしまったが、やはり今の人族最強はエクスだな」

「陛下……あまり無茶をされては困ります。戦いは兵士達の役目です。御身に何かあれば……」

「そう言うなドヴァリ卿。余もたまには身体を動かしたい時もある。それに奴は随分と弱っていたようだったからな。もしも奴が万全の状態だったなら余とて退却していた」

「心にもないことを……」

 

 天井に開いた穴から王様が軽やかな足取りで戻って来るのを(アリエッタ)は唖然としながら見つめていた。

 このおじいちゃん、戦えるタイプの王様だったのかよ…………

 またメインストーリーに絡みそうな秘密情報を知りたくもないのに知ってしまった。

 

 

 ヒエッ! 王様が俺とエイビスを見つめている! 

 

 

 まさか"幻影"をここまで引っ張ってきちゃった大罪人として豚箱にぶち込まれる!? まあ、そりゃそうだよね。俺が王様だったら即処刑だよこんなやらかしする奴。

 でも、本当に俺が悪いのかなあ? 初めから"幻影"は玉座に向かって突き進んでて、俺は偶々進行方向に居ただけって可能性は無いかなぁ? 

 

 

「……陛下、あの者達はどうされますか?」

 

 

 ひぃっ。ドヴァリおじさんが俺とエイビスを今にも殺しにかかりそうな視線で睨んでくる! 

 エイビス! お前何とかしろよ! お前のパパなんだろうが! しかし、ドヴァリおじさんに睨まれたエイビスは完全にバイブ機能がぶっ壊れたスマホみたいになっててまともに会話が出来る状態では無かった。

 

「ふむ。ドヴァリ卿はどうすれば良いと思う?」

「……少なくとも魔族との内通者では無いかと。そもそも奴らに人族と手を組むような考えがあるとは思えませんし、状況が場当たり的過ぎる。奴が玉座の間に辿り着いた時の状況から考えて、あの者達は運悪く"幻影"の侵攻に巻き込まれただけかと。ならば、陛下の"力"のことを口止めして追い払いましょう。こんな些細な案件に時間を割くほど我々は暇ではありません」

「うむ。ではそうするとしよう」

 

 

 

 ……あれ? ひょっとして実質的に無罪放免? 

 俺が困惑した表情を浮かべていると、レギウス王が俺とエイビスの前に立って悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

 

 

「そういうことだ。ここで見た事、聞いた事については他言無用。破るようなら余はお前達を厳しく罰せねばならん。良いな?」

 

 

 

 俺は一も二も無く全力で首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 やったぁ。また望んでもいねえのにメインストーリーに絡んじまった気がするぞぉ。

 

 俺はヤケクソになっていた。

 

 

 

 



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26."撃滅将"アズラーン

 

 

「弓兵隊、前へ! 撃てぇーーー!」

 

 

 将軍の号令と共に、人類軍の一団が魔王軍へ向けて一斉に矢を放つ。

 

 

 

 

「ふん、これで何度目だ? 飽きもせずによくやる」

 

 

 

 

 全身を包帯で包んだ大男―――魔王軍八大幹部"腐毒"がつまらなそうに腕を振るうと、放たれた矢は魔王軍の前衛へ届くことなく、全てが中途で腐り落ちて塵となった。

 

 無人の野を行くが如く、"腐毒"は自らの周囲の草木を腐食しながら人類軍へと距離を詰めていく。

 

 

 魔王軍八大幹部の中で、最も人類に被害を与えた者は誰かと問われれば、大抵の人類軍はこの"腐毒"の名を真っ先に挙げるだろう。

 そこに居るだけで大地を蝕み、触れたものは人でも何でも腐らせる。八大幹部の中でも傑出した殲滅能力を誇る恐ろしき魔人だ。

 

 

 

「しょ、将軍……」

「怯むな、撃ち続けろ! あんな大技を連発していれば、多少なりとも体力を消耗させられる筈だ!」

 

 

 

 再び、人類軍が矢を構えたのを確認すると"腐毒"が深い溜息を吐いた。

 

 

「面倒だ。全員腐り果てろ」

 

 

 "腐毒"が前方に向けて手を突き出すと、幾条もの包帯が意志を持つ触手の様に人類軍へ向けて飛び出した。

 腐食の魔力が籠った包帯は、触れただけで人間一人を腐らせる接触致死の悪意だ。

 目前に迫った死の気配に、何人かの兵士の口から悲鳴が漏れる。

 

 

 

「ひっ……!」

「くそっ……ここまでか……!」

 

 

 

 将軍が拳を握りしめ、口惜しそうに呟く。

 

 伸びる包帯が凄まじい速度で人類軍を取り囲み、腐肉の塊を造る為に襲い掛かる次の瞬間だった。

 

 

 

「させませんっ! "広域浄化"!」

 

 

 

 凛とした少女の声が響いた次の瞬間、戦場が眩い光で包まれる。

 光に焼かれるように、人類軍を囲んでいた"腐毒"の包帯が塵となっていく。

 

「これは……?」

 

 目の前の光景に唖然としている将軍の下へ、白いローブを纏った少女が駆け付ける。

 

 

「駆け付けるのが遅れてすいませんっ! 聖天教"大神官"リアクタです。これより貴官の部隊を援護します!」

「おお、貴女はエクス殿の御仲間の……これは心強い!」

 

 

 人類軍最大戦力の一角の加勢に、人類軍の士気が高まる様子を見て"腐毒"は面倒そうに頭を掻いた。

 

 

「神聖魔法か……それも、恐ろしい程に広範囲の。この程度なら俺にダメージは入らんが、これでは多勢に腐食を飛ばせない。……あの女から潰すか」

「おっと、やらせないわよ?」

 

 

 リアクタに襲い掛かろうと構えた"腐毒"を背後から巨大な斧が襲う。

 "腐毒"が腕を覆う包帯に魔力を込めて斬撃を防ぐと、女は軽く口笛を吹いて相手を称賛した。

 

 

「わお、流石八大幹部。一撃で決めるつもりだったんだけどな」

「死ね」

 

 

 "腐毒"は斧を押し返すと、そのまま女に向けて拳を突き出す。

 リアクタの神聖魔法で包帯による遠距離への腐食は封じられたが、直接接触による腐食能力は依然健在だ。

 

 しかし、"腐毒"の腕が女の身体に触れる前に、横から突き出した槍が"腐毒"の腕を貫く。

 

 

「ありがと、ヴィラ」

「おう。フィロメラに"あの"エクスを押し付けちまったからな。さっさとこいつを片付けて詫びの準備でもしとこうぜ、レビィ」

 

 

 槍を払って"腐毒"を弾き飛ばすと、ヴィラが人類軍に向けて叫んだ。

 

 

「あんた達! こいつは俺とレビィが相手をするからリアクタの守りは任せたぞ! 嬢ちゃんの神聖魔法が潰されたら一気に押し込まれるからな!」

「ああ、任せておけ! 周囲の雑魚は我々が相手をするから、君達は"腐毒"に専念してくれ!」

 

 

 将軍の返事を聞くと、ヴィラは"腐毒"に槍を構えて獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

「……そんじゃ、始めるとしようか! 合わせろよレビィ!」

「あいよ。エクス以外にも戦える奴は居るって魔王軍に教えてやりましょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

「ば、馬鹿な……勇者ならばまだしも、貴様らのような雑兵に……」

 

 

 

 目の前で(ヴィラ)とレビィの連撃を受け続けた八大幹部"腐毒"が崩れ落ちた。

 周囲で人類軍の兵士達が歓声を上げるが、俺は激しい疲労感から槍を地面に突き立てて倒れこんでしまう。

 

 

「……ったく、どいつもこいつも人のことをエクスのオマケみたいに言いやがって。俺様を見くびった事をあの世で反省しやがれ」

「まあ、リアクタと人類軍に援護してもらって、2人がかりでやっとだから偉そうなことは言えないけどね~」

 

 レビィが地面に大の字になって寝ている俺の腹に腰を下ろした。なにをナチュラルに人の上に座ってんだ。ケツ揉むぞ。

 

「というか、こんな所で油売ってていいのかよ? 動けるならエクスとフィロメラの援護に行って来いっての。俺様はもう動けねえけどな」

 

 最後の力を振り絞って目の前のケツを揉もうとした俺の手を、レビィはひょいと躱すと、エクスとフィロメラが戦っている戦場の方角を指差した。

 

「あっちなら問題無いよ。ちょうど今、エクスが最後の八大幹部の首を跳ね飛ばしたから」

「……すげえな竜族の視力。俺様には何も見えんぞ」

 

 ……まあ、何はともあれ、これで魔王軍八大幹部は全滅だ。

 王都に侵入出来た魔王軍は結局、エクスと交戦した八大幹部だけだった様で、王都にも人類軍にも目立った被害は出ていないように思える。

 

 人族と魔族の一大決戦だったが、終わってみれば人類軍の完勝だったと言えるだろう。

 

 

 

 ……だが、そんな大勝利の筈なのに俺の心は晴れなかった。

 

「……なーんか、スッキリしねえんだよなあ」

「なにさ。これだけの快勝なのに何が不満なの?」

 

 レビィの尻を眺めながら俺は胸中のモヤモヤを彼女に吐き出す。

 

「展開が四天王の時と同じパターンなんだよ。確かに魔王軍の幹部クラスは倒したかもしれないが、手応えってもんが無い。奴らに損害を与えたぞっていう手応えがな。人類軍は未だに魔王軍の本拠地が何処に有るのかも分かってねえんだぞ? 本当に魔王軍にダメージが入ってるのか分かったもんじゃねえよ」

 

 

 世界各地で人族に対して侵略行為を行う魔王軍と呼ばれる存在。

 

 奴らと人族の戦いは、小康状態を挟みながら数百年以上続いているとされている。

 

 しかし、それだけの長い年月を経ているというのに、人族は未だに魔王軍の本拠地が分かっていないのだ。捕虜を捕らえて尋問しようにも、魔王軍を構成する大半の魔物は野生動物と同程度の知能しか持っていないし、言語を解する四天王や八大幹部の様な存在が現れるのは決まって激戦区だ。そんな場所で強大な戦闘能力を持った存在を殺さずに捕らえるというのは些か以上に無理がある。

 

 そんな諸々の事情が重なった結果、人族の魔王軍に関する情報は驚くほどに乏しいのが現状である。

 

 俺達は魔王軍の中核をなす幹部を倒したつもりだが、実際のところはどうなのだ? 

 四天王を撃破した時と同じで、奴らにとってはこの程度の戦いは様子見の前哨戦に過ぎないのではないのか? 

 そんな不安感や焦燥感が頭の中から消えないのだ。

 

 俺がそんな内心を吐露すると、レビィが驚いたような顔で俺を見つめていた。

 

 

 

「…………ヴィラって、戦いとスケベなことしか考えてない奴かと思ってたけど、意外と色々考えてたんだね」

「馬鹿にしてんのか貧乳ドラゴン。ケツ揉むぞオラッ」

 

 

 レビィの踵が俺の額に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 王都外縁部のとある森林地帯。

 

 人族と魔族の最前線から僅かに離れた場所で、蠢く影があった。

 

 

 

「ぐ……クソッ……こ、こんな筈では……」

 

 竜の姿すら保てなくなり、元より崩れていた人型を更に崩しながら"幻影"が息も絶え絶えに這いずりながら呟く。

 

 

 

 

「……せめて、魔王城に戻り、勇者と王の"力"について総司令に伝えなければ……」

「ああ、それなら報告は不要だ」

 

 

 

 

 背後から"幻影"の胸を何者かの腕が貫いていた。

 

 

 

「あ…………?」

「ご苦労だったな"幻影"。八大幹部の仕事はこれで終わりだ。そろそろ休むといい」

「総司令……何故……?」

 

 仮面で素顔を隠した男――魔王軍総司令の姿を確認して、"幻影"は驚愕に固まった。

 

「君達が全滅することで、その魔力が魔王城に還元されて新たな幹部が生まれる。半端に生き残られても困るんだよ。まあ、放っておいても君は長くはなかっただろうが、僕が自ら手を下す理由は―――」

 

 

 

 総司令が"幻影"を貫いた腕に魔力を籠めると、今度こそ"幻影"は完全にこの世から消滅した。

 

 

 

 

 

「…………そうだな。"私情"という奴だ」

 

 塵となった"幻影"に向けた言葉には僅かだが"憎悪"の色があった。

 

 

 

 

 

「…………さて、今回は挨拶だけだ。分かっているな"撃滅将"、お前の力は殺し過ぎる。……王都には"彼女"がいるんだ。万が一が有っては困るからな」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「…………はっ! 僕は一体何を…………?」

 

 気が付けば(エクス)はフィロメラさんと一緒に戦場のど真ん中に立っていた。

 何故か周囲の人類軍の兵士達が僕達に向けて歓声を上げている。

 

「……正気に戻りましたか、エクスくん?」

 

 

 

 フィロメラさんが溜息を吐きながら、僕の頭に治癒魔法を唱えていた。……あー、これは例のパターンだ。

 

 

 

「えーっと……フィロメラさん。八大幹部はどうなりましたか?」

「王都外縁部に侵攻してきた八大幹部なら、"腐毒"はヴィラさんとレビィとリアクタさんの3人が撃破しました。残りの二人はエクスくんがパーになってる間に二枚抜きしてますので、これで魔王軍八大幹部は全滅です」

 

 フィロメラさんが地面を指差すと、そこには八大幹部と思わしき魔族の生首が転がっていた。うーん、全く記憶に無い。

 

「……ごめんなさい、エクスくん」

「えっ。どうしてフィロメラさんが謝るんですか? むしろ謝るのは僕の方な気が……」

 

 先程までの記憶は残っていないが、暴走していた僕がフィロメラさん達に迷惑をかけたのは想像に難くない。しかし、フィロメラさんは僕の言葉に首を横に振って続けた。

 

「……人類軍の勝利の為とはいえ、またエクスくんの気持ちを利用するような戦い方をしてしまいました。……許してほしいとは言いません。でも、せめて謝らせてください」

 

 そう言うとフィロメラさんは深々と僕に頭を下げた。僕は慌てて彼女に顔を上げさせる。

 

「うわわっ! や、やめてください! フィロメラさん! 僕は気にしてませんからっ!」

「ですが…………」

「…………その、僕がどんな感じだったかは知らないですけど、何をしてでも皆を守りたいと思っていたのは本当ですから。むしろ、僕を上手くコントロールしてくれたフィロメラさんには感謝しているというか……だから、フィロメラさんは何も悪くなくて……」

 

 僕が慌てふためく様子が余程おかしかったのか、フィロメラさんは苦笑を浮かべた。

 

「…………ありがとうございます、エクスくん。それでは、お詫びという訳ではありませんが、余計なお世話を一つ。その優しさはエクスくんの良い所ですが、誰彼構わず……特に女性にあまり優しくするのは考えものですよ? アリエッタさんの気持ちも考えてあげてくださいね?」

「えっ……ええっ!? そ、それはどういう…………」

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、お前が勇者エクスか?」

 

 

 

 

 

 

 

「―――!?」

 

 突如、僕とフィロメラさんの背後に現れた男に、僕達は武器を構えた。

 

 …………八大幹部を殲滅した直後で気が緩んでいたとはいえ、全く気配を感じ取ることが出来なかった。何なんだ、この男は。

 

「そう怖がってくれるな。数百年ぶりの人界で初めて言葉を交わす相手にそんな態度を取られては、少しばかり傷ついてしまうではないか」

 

 まるで舞台役者のような大仰な仕草で男は悲しみを表現する。

 

 僕を越える長身に腰まで伸ばした輝く金髪。そして血の様に、或いは宝石の様に紅い瞳。

 "美"という概念の一つの頂点を形にしたような美丈夫から発せられる威圧感に、フィロメラさんの杖を握る手が僅かに震えていた。

 

「まずは八大幹部の殲滅、実に見事だった。まさかこうまで一方的に奴らが敗れるとは思わなかったぞ。決して八大幹部が弱かった訳ではない。お前達が想定以上に強かったのだ。今代の人族の戦士達は粒ぞろいのようだな。おかげで魔王城で眠り続けていた俺の出番がやって来たという訳だ。実に結構!」

 

 

 金色の美丈夫が楽しそうに僕達に喋りかけてくる。

 

 

 

 …………不味いぞ。彼は恐らく魔王軍の幹部クラス。それも八大幹部よりも遥かに格上の存在だ。

 

 

 

 敵意を向けられている訳ではない。むしろ僕達に対する好意すら感じるのに、彼からは抑えきれない暴力的な力の波動を感じる。もし、この場で仕掛けられたなら、八大幹部との戦いで疲弊している僕達では勝負にならない。

 

 そんな僕の不安を悟ったかのように、金色の美丈夫は優しげに僕達に語り掛けてくる。

 

「そんなに不安そうな顔をするな。今回はお前達に挨拶に来ただけだ。勇者の顔を直接見てみたいと、総司令に我儘を言ってな。戦闘はするなと釘を刺されている」

 

 

 "総司令"……? 

 

 魔王軍は魔王自らが軍勢を率いている訳ではないのか? 

 

 僕の頭に僅かに過った疑問をかき消すように、彼が僕達に向けて恭しくお辞儀をした。

 

 

 

 

 

「魔王軍十六神将"撃滅将"アズラーン。お互いに良き闘いが出来ることを期待している。…………そして」

 

 

 

 

 

 アズラーンと名乗る魔人の姿が掻き消えた次の瞬間、奴は僕の腕を取っていた。

 

 

 

「なっ……!?」

 

 

 

 何て速さだ…………! 全く動きが見えなかった…………! 

 

 

 

「フッ…………」

 

 

 

 驚愕に目を見開く僕の顔を見てアズラーンは薄く微笑むと、何故か彼は僕の手を取ったまま片膝をついて跪いた。

 

 

 

 

 

 

 

「勇者エクス。人族の強く、そして美しき戦士よ。どうか誓って欲しい。この闘いで俺が君を打ち倒したのならば、我が花婿となってくれ」

 

 

 

 

 

 

 そう言うと、彼は騎士が誓いを立てるように僕の手の甲に口づけをしてきた。

 

 

 

 僕の背筋に、戦いで感じるそれとは違う悍ましい寒気が走った。

 

 

 

 

 




ストックが尽きましたので、今後は不定期更新になります。
概ね週一ペースで月曜朝に更新出来るように頑張りますので、温かく見守って貰えると嬉しいです。
エタらないように頑張ります。


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27.そうして世界は回っていく

 

 

 

 さて、良いニュースと悪いニュースが(アリエッタ)の下へ届いたぞ。

 まずは良いニュースから。

 

 

 

 エクス達と人類軍の活躍により、魔王軍八大幹部が全滅したそうである。

 やったぁ。

 

 

 

 悪いニュースである。

 

 八大幹部の更に上の存在である魔王軍十六神将とやらが現れたそうである。

 やだー! 

 

 まったく、少年漫画みてえなインフレしやがって。

 この感じだと多分、次は三十二業魔とかが出てくるぞ。

 

 

 

 しかし、それでも勝利は勝利である。

 八大幹部が総出で攻めてきたにも関わらず、人類軍には目立った損害は出ていないそうだ。更なる強敵が現れたとはいえ、この快勝に街はお祭りムードである。

 

 一先ずは王都周辺の安全が確認されたので、俺はテイムとマスターと一緒に王城から銀猫亭への帰り道を歩いていた。

 

 通りでは商魂逞しい人間達が早速、戦勝祝いと称して怪しげな屋台を開いていたり、活気にあてられて、とりあえず騒ぎたいだけの駄目なタイプの人間達が酒場や路上で酒盛りを開始していた。

 そんな通りの様子を見て、俺は嘆かわしいといった表情を浮かべた。

 

 

 

「やれやれ、呑気というか逞しいというか……危機感が足りてないんじゃねえの? そう思うだろテイム?」

「……危機感を欠片も感じねえ格好で言われてもなあ」

 

 

 

 テイムが隣を歩く俺の恰好を見ながらツッコミを入れてくる。現在の俺は戦勝祝いと何の関係が有るのか意味不明なキツネのお面を横向きにして頭に被り、これまた因果関係を欠片も感じない"食べて応援勇者飴"なるリンゴを溶かした砂糖でコーティングした……ああ、もういいや。何の変哲もないリンゴ飴を片手にペロペロしている一部の隙も無い浮かれポンチコーデをキメていた。いや、何かお祭りみたいでテンション上がっちゃって…………

 テイムに白い目を向けられている俺をマスターがフォローする。

 

「まあ、軍人さん達が死ぬ気でもぎ取ってきた勝利なんだ。それを出迎える俺達が暗い顔をしてちゃあ台無しだろう? 魔王軍の奴らも、とりあえずは王都周辺から退却したって話だし、少しぐらい浮かれたって罰は当たらないだろうさ」

「……まあ、どうでもいいけどよ。それより、これからどうする? とりあえず店は無事だったし、一応開けるか親父?」

「この感じだと今日は酒場以外は仕事になんねえよ。適当に何かでっち上げて、通りで屋台をやってもいいが……まあ、今日のところは臨時休業だ。俺はちょっと知り合いの所を回って来るから、お前達も好きにしていいぞ」

 

 マスターはそう告げると、どんちゃん騒ぎの通りへと消えていった。

 

「……あー、どうするアリエッタ? する事もねえし、飲みにでも行くか?」

「ん、それも悪くないんだけど…………いや、俺はちょっと行きたい所が有るから別行動にしとこうぜ。夜には帰るから、また後でな」

 

 俺は残ったリンゴ飴をバリバリと噛み砕いて胃に収めると、テイムに別れを告げる。

 

 

 

「おう。…………それじゃあ、エクスの野郎に会えたらよろしく伝えといてくれ」

 

 ギシッ、と俺の歩みが止まった。

 

「……別に何処に行くとは言ってないんだが?」

「違うのか?」

「……違わないけど」

 

 こんな小童に行動を見透かされていたことが照れくさくて、俺はぶっきらぼうに対応してしまう。

 

「一応言っとくが、多分会えないんじゃねえのか? あいつは今回の戦いの功労者で、今後の戦いの鍵を握る重要人物だぞ。パーティーか会議か分からんが今頃は王城で缶詰になってるだろ」

「別に会えないなら、それでもいいんだよ。気持ちの問題なの」

「そうかよ。それなら、まあ、好きにしな」

「うん、好きにする」

 

 

 

 テイムがお祭り騒ぎになっている通りへ向かったのを確認して、俺も歩き出す。

 訓練所に向かおうかとも思ったが、今は王城には多分入れないだろうし、それなら俺が行ける所はあそこだけだろう。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「もしかして、とは思ったけど……まあ、帰ってるわけ無いか……」

 

 俺は灯の消えているエクス達の屋敷(アジト)を確認して、軽く溜息を吐いた。

 

「何やってんだか…………あんな戦いの後ですぐに会えるわけ無いんだし、別に明日以降でも良かったじゃねえか」

 

 

 

 

 

 

 

『誓うよ。君が望むのなら、君の為に総てを護ってみせる』

 

 

 

 

 

 

 

「…………クソッ」

 

 あの夜の、エクスの顔が、声が、頭から離れてくれない。

 胸を締め付けられるような感覚に、俺は忌々しげに顔を歪める。

 

 

 

 これは違う。この気持ちは、胸の痛みは、決してそういうものではない。

 

 

 

 だって、俺は違うから。

 

 俺は普通の女じゃないんだから、エクスにそんなものを抱く筈が無い。

 

 "何か"から逃げるように、俺は自分でもよく分かっていない"それ"を必死に否定する。

 

 

 

 だって、"それ"を認めてしまったら、俺はきっとエクスの傍に居られない。居ちゃいけない。

 

 

 

 

 

 こんな悍ましい気持ち(もの)を抱えている人間が、あいつの隣に居ていい訳が無いんだ。

 

 

 

 

 認めなければ、あいつの傍に居られる。

 いつか誰かと幸せになったあいつを笑顔で祝福してあげられる。

 

 

 

「大切な人には幸せになってほしい。それが俺の正直な気持ちだよ、ミラちゃん」

 

 

 

 俺はここには居ない少女に向けて小さく呟くと、灯の消えた屋敷を後にした。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「…………んで、何で俺はこんな目に遭ってんだ?」

 

 

 エクス達の屋敷からの帰り道、軽く何か腹に入れてこうかと怪しげな屋台がひしめく通りに向かったのが運の尽き。俺はベロンベロンに酔っぱらった馬鹿貴族(エイビス)に絡まれていた。

 

 

「ウハハハハ! どうしたぁアリエッタ~? お、俺の酒が飲めないってのかぁ? 無能な役立たずがうつるって? ……そ、そこまで言わなくてもいいだろぉ。うわーん」

「ああ、もう面倒くせえ! 一瞬で笑い上戸から泣き上戸に移行するんじゃねえよ気色悪い!」

 

 半ば無理やりに、酒場の席に座らされた俺は鼻水を垂らしながらひっついてくるエイビスの顔面にアイアンクローをキメる。

 

「というか、お前それなりな金持ちなんだろ。護衛も連れずにこんな場所で飲んだくれるなんて不用心じゃねえの。知らないおじさん達はどこに置いてきた」

「知らないよぉ。どうせ俺に愛想尽かして父上の所にでも帰ったんだろぉ。あいつら父上の命令で嫌々俺に仕えてただけだしさぁ」

 

 よっぽどエイビスを置き去りにして銀猫亭に帰りたかったが、それをするには少しばかりエイビスの気まずい親子関係を俺は王城で見過ぎていた。

 俺は奴に奢らされた果実酒をチビリとやりながら、王様激ツヨ問題のその後の光景を反芻していた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「そういうことだ。ここで見た事、聞いた事については他言無用。破るようなら余はお前達を厳しく罰せねばならん。良いな?」

 

 

 

 レギウス王の言葉に、俺は一も二も無く全力で首を縦に振った。

 それを確認したレギウス王は満足そうに微笑むと、再び玉座に腰かける。

 

 

「では下がってよいぞ。避難所までの道が分からないなら誰かに案内させるが?」

「い、いえ、大丈夫です。お気遣いいただきありがとうございましゅ。ほら、行くぞエイビスっ」

 

 

 若干噛みながら、俺は隣に座り込んでいたエイビスを立たせて、さっさと玉座の間を後にしようとする。

 

 

「待て。エイビス」

 

 

 しかし、レギウス王の横に控えていたドヴァリおじさんは、未だに俺のブラウスの裾を掴んで離さないエイビスに用が有るようだ。

 

「貴様、護衛の者達はどうした」

「は、はい。奴らは優秀な軍人です。此度の決戦で人類軍の力になればと、前線で支援を……」

「それは知っている。私が聞きたいのは"何故、その様な事をしたのか"だ」

「あ、う……そ、それは、私も僅かながらでも父上と兄上のお力になれればと……」

「余計な事をするな」

 

 エイビスの言葉をドヴァリおじさんがピシャリと断ち切った。

 静かな声だったが、エイビスを黙らせるにはそれだけで十分だった。

 

「大方、何か手柄を上げれば私に認められるとでも思ったのだろう。無意味な事をするな。貴様は兄とは違う。クベイラが司っている軍事の才は貴様には無い」

「あ、あ……も、申し訳、ありません……」

「才無き者が分不相応な志を持っても、周囲を不幸にするだけだ。クベイラの役割は私と貴様の兄が果たす。お前はお前自身の道を探せ」

 

 

 もう話すことは無いと、ドヴァリおじさんはエイビスから視線を切ると、レギウス王に向き直って何やら話を始めた。

 

 

「……行くぞ、エイビス」

「…………」

 

 

 ボロ雑巾みたいになっちまったエイビスをほっぽり出すことも出来ず、俺は奴の手を引いて玉座の間を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 まあ、そんな感じの事があった訳だ。

 色々と思う所が無い訳でも無いが、他所様の家庭の事情に、部外者である俺があーだこーだ口を出すのも変な話だろう。俺は別にこいつの友達でも恋人でもないしな。

 

「というか、もう飲むの止めとけ。顔色やべえぞ」

 

 顔が赤色を越えて紫色になってきたエイビスから、俺はグラスをひったくった。

 

「かえせよー。俺のグラスちゃんかえせよー」

「自分の限界も知らんのかお前は。すいませーん、お会計お願いしまーす」

 

 ゾンビのように緩慢な動きで俺からグラスを取り返そうとするエイビスを無視して、俺は会計を済ませた。無論エイビスの財布で。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「うぶっ……気持ち悪い……」

「あんなアホな飲み方してるからだ。ほら、吐いた方が楽になるぞ」

 

 王都内を流れている小川のほとりで、土下座っぽい姿勢になっているエイビスの背中をさすっている。

 

 というか、何でこんな甲斐甲斐しくこいつの面倒を見てるんだ俺は。

 ……まあ、知らない仲じゃないし、路上にこいつを放置した結果、強盗に襲われてたりしたら流石に寝覚めが悪い。帰宅するぐらいまでは面倒を見てやるか。

 

 とりあえず、肩を貸してる最中に吐かれたりしたら最悪なので、ここで先に胃の中身を吐かせておきたいのだが、さっきからえずくばかりで一向に吐瀉る気配がない。吐き方も知らんのかこいつは。ベイビーか。

 

「仕方ねえなぁ。おい、口開けろ。噛むんじゃねえぞ」

「あ……何を……?」

「そぉい!」

「おぶっ……!?」

 

 半開きになったエイビスの口に、俺は指を突っ込んだ。外部からの突然の刺激に、エイビスは小川に盛大に胃の中身をぶっぱする。

 

「ぐ……うぇっ……はぁ……はぁ……」

「少しは楽になったろ? 口の周りを軽く洗ったら行くぞ」

 

 

 

 エイビスが背中をさすっていた俺の手を乱暴に振り払った。

 

 

 

「うぅっ……クソッ、クソッ。みんなして俺を馬鹿にしやがって……! どうせ、お前も内心では俺のことを馬鹿にしてるんだろう!」

「内心も何も普通に馬鹿だと思ってるんだが?」

「うわーん! ちくしょーーー!」

 

 

 エイビスが半泣きで俺に覆いかぶさってきた。やめろよ酒くせえ。

 

 

「クソッ! 良い機会だ……ここで、あの日の続きをしてやってもいいんだぞ!」

「ていっ」

「痛いっ!」

 

 俺が軽くグーパンしてやると、酒でヘロヘロになっていたエイビスはアッサリとひっくり返った。

 

「その気も無いのに粉かけてくるんじゃねえよ面倒くせえ。アルコール抜けたなら少しは落ち着けって」

 

 俺はひっくり返ったエイビスの隣に座ると、奴が落ち着くまで少し会話をすることにした。

 こいつの場合はアルコールの他にも吐き出しておかなければいけない物がありそうだ。

 

 

 

 

「そんなにショックだったのか? 親父さんに言われたこと」

「…………」

 

 赤の他人に知った風なことを言われて激昂するかと、多少身構えたがエイビスは思いの外冷静だった。俺の言葉を受けてポツリポツリと呟くように奴は語りだした。

 

「……分かってるんだよ。俺にクベイラの人間に相応しい才能が無いってことぐらい。オマケに才能が無い事を分かっている癖に、それを補おうと人一倍努力することすらしなかった。父上が俺を見捨てるのも当然だ」

 

 へらりと自虐的な笑みを浮かべてエイビスは続けた。

 

「今回の護衛のことだってそうだ。人類軍の支援? そんなことなんて欠片も考えちゃいなかった。何かしら手柄を上げれば、もしかしたら、父上と兄上が褒めてくれるかもしれないって思っただけ。理想も信念も何もない、馬鹿な子供の薄っぺらい思いつきさ」

 

 エイビスは一通り捲し立てると、寝転がって俺の顔を見上げながら崩れた笑みを浮かべた。

 

「ああ、お前の言う通りだよ。俺はどうしようもない馬鹿で、救いようの無いクズだ」

 

 

 

 

 

 

 

「……まっ、そうかもな」

「…………」

 

 俺は否定しない。こいつは馬鹿でクズかもしれない。少なくとも清廉潔白な善人ではない。

 

 

 

 

 

「でも、別にいいんじゃねえの? 馬鹿でクズでも」

「……はあ?」

 

 俺の言葉にエイビスが怪訝そうな顔をした。

 

「世界中の人間全てが、どいつもこいつも崇高な理想やら誇り高い信念やらを持って行動してたら息苦しくて窒息しちまうよ」

 

 俺もごろんと寝転がってエイビスと視線の高さを合わせた。

 

「俺やお前みたいな適当な人間が居た方が、世の中色々上手く回るんだよ。多分な」

 

 

 

 

 

 現に、俺はこいつの馬鹿みたいな行動に付き合ったおかげで、エクス達の屋敷の前で感じた胸の痛みを、少しだけ忘れる事が出来た。

 

 

 

「お前が馬鹿だから、救われてる奴も居るんだよ」

 

「…………ふん、適当なことを言う女だ……」

 

「だから、言ってるだろ。俺もお前も適当な人間だってな。理想とか信念とか、そういう真面目な奴はお前の親父さんやエクス達に任せて、俺達は俺達に出来ることを探してこうぜ」

 

 

 

 

 俺は勢いをつけて立ち上がると、多少はマシな顔になった馬鹿を見下ろして、ニィッとシニカルな笑みを向けた。

 

 

「そうやって、俺達は誰かと一緒に世界を回していくんだよ」

 

 

 

 

 



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28.これは恋ではない

 

 

 

「そうやって、俺達は誰かと一緒に世界を回していくんだよ」

 

 

 

 目の前の女が(エイビス)に向けてニィッと品の無い笑みを浮かべた。

 

「……ふん、訳の分からないことを」

 

 俺は不貞腐れるように身体を横に向けて、女から目線を逸らした。

 

 

 

 

 

 俺は、この女―――アリエッタが苦手だ。

 

 

 

 粗野な振舞いに、育ちも容姿も平凡。

 エクスの女じゃなければ、俺が気にも留めないような人間だった。

 

 

 

『生憎、俺は売り物じゃないんでね。いくら積まれてもアンタのハーレムとやらに納品されるつもりはねえぞ』

 

 

 

 思い返してみれば、初めて会った時から気に食わない女だった。

 

 "クベイラ"の名を出せば、どいつもこいつも俺の機嫌を取ろうと媚びてくるのに、こいつはそんな素振りすら見せなかった。

 

 まあ、俺の様な貴族が無条件で気に入らないという庶民も居ない訳ではない。この女もそういった類なのだろうと思っていた。

 しかし、エクスに助け出されて俺の屋敷から去っていった翌日に、悪びれもせずに再び目の前にこの女が現れた時は半ば呆れてしまったものだ。

 何なんだこの女は? 

 あんな目に遭わせた張本人に何故、そんな何ともないような顔で前に出てこれるのだ? 

 いつしか、王宮の訓練場をうろつくようになったあの女が、たまたま通りがかった俺に話しかけてくることもあった。

 その内容も何の意味も無い雑談で、俺のことを貴族とも"クベイラ"とも思っていないような、まるで友人に話しかけるような態度に、俺は心底苛ついていた。

 

 

 

 それだけではない。

 

 

 

 こいつを連れ去った屋敷で。

 

 八大幹部に追われた王城で。

 

 そして、父上との事を忘れようと酒に溺れたこの夜で。

 

 

 

 

 俺はこの女に醜態をさらし続けてきた。本当に気に食わない。

 

 

 

 

『でも、別にいいんじゃねえの? 馬鹿でクズでも』

 

 月明りで、唯一平凡とは少しだけ離れているアリエッタの赤髪が幻想的に輝いて見えた。

 

『お前が馬鹿だから、救われてる奴も居るんだよ』

 

 

 

 ああ、気に食わない。腹立たしい。

 この女はもしや、これで慰めているつもりなのか? 

 自分自身を卑下している男を、否定するでも奮い立たせる訳でもなく、ただ肯定するなんて。

 馬鹿馬鹿しい。不愉快だ。

 

 

 

 ―――だが、何より気に食わないのは、この女の何の根拠も無い適当な言葉に、少しだけ心が軽くなっている自分自身が心底不愉快だった。

 

 

 

「いつまで寝てんだよ。まだ酒が抜けてないのか?」

 

 アリエッタが俺に手を貸そうとするが、俺はそれを軽く払うと一人で起き上がった。

 

「ふん、馬鹿にするな。あの程度の酒ならもう抜けたわ」

「口に指突っ込まれて吐いてた男が何を偉そうに……」

「うぐっ……そ、それよりもだ! 俺はもう平気だから放っておけ! お前も何処かしら行く所があるんじゃないのか?」

 

 先程の醜態を誤魔化すように、俺は無理やり話題を変えようとすると、アリエッタは少し寂しげに苦笑を浮かべた。

 

「あー……俺の事は別に気にしなくていいんだよ。適当に飯食って帰るだけだったから行く所なんて無いよ」

「…………ふん」

 

 俺はアリエッタの手を掴むと、彼女を引っ張るようにズンズンと勢いよく通りを歩き出した。

 

「おっ、おいっ! いきなり何すんだよ馬鹿っ!」

「馬鹿はお前だ。そんな如何にも"落ち込んでます"という顔をして"気にするな"なんて、絵に描いたような面倒臭い女じゃないか」

「だっ、誰が面倒臭い女かっ! 俺ぐらいサッパリしている奴は中々いないぞ!」

「俺の経験上、そういう事を自分で言う女がサッパリしていた事なんて一度も無いな。いいから黙ってついて来い」

 

 

 

 

 ああ、本当に気に食わない。この女が何を望んでいるのか、分かってしまう自分が心底嫌だ。

 

 

 

「お前に余計な借りは作らん。今すぐに返してやる」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「おや、エイビス様。王城に何か御用ですか?」

「エクスの客だ。通してやれ」

 

 俺は王城の前で番をしていた衛兵にアリエッタを押し付けた。

 

「は? しかし、エクス殿達は会議中でして……」

「だったら、会議が終わるまで応接室にでも通しておけ。もう会議が始まってから数時間は経っているだろう。そろそろ終わってもおかしくない筈だ」

「い、いえ。ですが無関係の民間人を今の城内に入れるのは…………」

「こいつはエクスの関係者だ。もしも何か有れば俺の責任にすればいい。それとも、お前がここで衛兵じゃなくなる理由を作った方が早いか?」

「い、いえ! 承知致しました!」

 

 俺と衛兵のやり取りを、アリエッタが白い目で見つめていた。

 

「うわー……絵に描いたような嫌な貴族だな、お前」

「放っておけ。俺が無能だと影で笑われているのは百も承知だ。今更、悪評の一つや二つ増えたところで気にするか」

 

 

 

 そして、それは少し前までの自分だったら、受け入れることが出来なかった"傷"かもしれない。

 

 

 

 結局、これが"今"の俺なんだ。

 

 馬鹿で、見栄っ張りで、家の名前が無ければ何の力も持っていない子供。

 

 未来のことは分からないが、今の自分については多少は認めてやることにしよう。

 

 もしかしたら、一人ぐらいはこんな俺だからこそ救えている"誰か"が居るかもしれないしな。

 

 

 

「っていうか、さっきから何なんだよ! 俺、別にエクスの所に連れていってくれなんて一言も……」

「あーはいはい。そういうのいいから。おい、このうるさい女をさっさと連れて行ってくれ」

「はっ、それでは、えーっと……そこのお嬢さん? 応接室へご案内するので、こちらへ」

「ほら、衛兵に迷惑をかけるな。さっさと行ってこい」

「うぅ……覚えてろよエイビス……」

「忘れるものか。これで看病の借りは返したからな、アリエッタ」

 

 

 

 衛兵に連れられて、渋々と城内へ消えていくアリエッタを見送ると、俺は苦々しい顔を浮かべた。

 

「……ふん、嬉しそうな顔をしやがって」

 

 これでも、今まで相手にしてきた女の数は両手足の指では足りない程度に嗜んでいる。あの女の表情を読み取ることなんて造作も無い。

 表向きは嫌そうな顔をしていたが、もしも奴に尻尾が生えていたなら千切れんばかりに振り回していたことだろう。本人に自覚が有るかまでは分からないがな。

 

 

 そんなことを考えながら、俺は小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 あいつ(アリエッタ)が悲しそうなのが嫌だ。

 

 あいつ(アリエッタ)が苦しそうだと腹が立つ。

 

 あいつ(アリエッタ)が嬉しそうだと……まあ、悪くない気分になる。

 

 

 

 これは、恋ではない。

 

 既に焦がれる程に愛する男が居る女に、そんなものを抱くほど馬鹿ではないつもりだ。

 

 なら、これはきっと"友情"と呼ぶものなのかもしれない。

 

 それぐらいなら、エクスの奴も大目に見てくれるだろう。

 

 

 

 

 

「エイビス様ーーー!」

 

 王城から去ろうとしていた俺に、戦場へ向かわせていた護衛の者達が駆け寄ってきた。

 

「エイビス様! 一体どちらへ行かれていたのですか!? 我らが戻るまで城内でお待ちくださいとあれ程申しましたのに!」

「お前達……父上の所へ帰ったんじゃなかったのか?」

「……はあ、一体何を仰っているのですか?」

「お前達は……父上の命令で俺に仕えていたんだろう。俺の思いつきで前線に送らされて、いよいよ愛想を尽かしたんじゃなかったのか?」

 

 俺の言葉に、護衛の者達は一様にキョトンとした顔を浮かべた。

 

「もしや、新手の嫌味ですか? 確かにエイビス様の下へ戻るのが遅くなってしまいましたが……」

「此度の戦で前線へ向かったのは我ら自身の意思です。不服であれば命がけの戦いに身を投じることなど出来ませんよ」

「それに、確かにドヴァリ様からエイビス様の護衛に当たるように命令はされましたが、ここに居る者達は皆、自らの意思でエイビス様に仕えているのですよ。首輪で繋がれている訳でもあるまいし、嫌ならとうに護衛を辞めていますよ」

 

 

 今更何を言っているのだと、不思議そうな顔を並べる護衛の者達を見て、俺はばつが悪そうに頭を掻いた。

 

 

「…………やれやれ、本当に俺は救いようの無い馬鹿だな。こんな近くに居る人間のことさえ分かっていなかったとは」

「エイビス様?」

「何でもない。……お前達! 今日はご苦労だった。流石はこのエイビス=クベイラの護衛だ! 誰一人欠けずに俺の下へ戻ってきたこと、誇らしく思うぞ!」

 

 

 

 

 

 あの赤髪の女に言われたことを思い出す。

 

 

 俺達は俺達に出来ることを……か。

 

 

 なら、とりあえずは……こんな馬鹿についてきてくれるこいつ等を労うことから始めるとしよう。

 

 

 

 

 

「とりあえずは祝勝会だ。通りの馬鹿騒ぎに俺達も混ぜてもらうとしようか。金なら俺がいくらでも出してやるぞ!」

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「はぁ、なんで、こんな事になったんだ……」

 

 衛兵さんに案内された応接室で、(アリエッタ)は机に突っ伏して溶けていた。

 だだっ広い応接室で如何にも高そうな調度品に囲まれながら、一人ぽつんと座っていると、何とも言えない居心地の悪さに胃が痛くなってきそうだ。

 

「ちくしょうエイビスの奴め。俺に何の恨みがあって……いや、恨みは色々ありそうだったわ」

 

 ここに居ない馬鹿貴族に愚痴をこぼしながら、する事も無いので窓から通りを眺めた。

 既に結構遅い時間だったが、未だに街はお祭り騒ぎを続けていた。

 

 

 

 それは、エクス達が命がけで守った温かい光景で。

 俺はまるで自分のことのように誇らしかった。

 

 

 

 

「アリエッタっ!」

「うひゃいっ!?」

 

 

 

 突如、部屋の扉が荒々しく開かれた。

 

 男の叫び声と物音に驚いた俺が、音の方に目を向けると、応接室へやって来たエクスがズカズカと早足でこちらに向かってきていた。

 

 

 

「よ、よう、エクス。急に押しかけて来ちまって悪かっ…………」

 

 

 

 俺の言葉は、駆け寄ってきたエクスに抱きしめられたことで最後まで続かなかった。

 

 

「エ、エクス!?」

「……よ、よかった……無事で、本当に……よかった……」

 

 

 抱きしめられたことで奴の顔を確認することは出来ないが、その涙声からエクスが酷い顔をしていることは想像に難くなかった。

 

 俺は苦笑を浮かべながら、落ち着かせるように奴の背中を軽くポンポンと叩いた。

 

 

「大袈裟だっての。お前達が頑張ったおかげで俺は何ともねえよ。……だから泣くなって」

「……うん、ごめん。カッコ悪いところを見せちゃって」

「馬鹿野郎。お前がカッコ悪かったことなんて、今までに一度だってねえよ。それよりも、お前も他の皆も大怪我とかしてないのか?」

「うん、無傷とはいかないけど、フィロメラさんやリアクタちゃんの治癒魔法で治せる範囲の怪我だったから、僕達は全員無事だよ」

「そっか。安心した」

 

 皆の無事を聞いて、ホッとした俺はエクスの腕の中で丸く…………

 

 

 

 

 

 なってる場合じゃねえ!? 

 

 

 

「な、何やってんのお前っ!?」

「うわわっ!?」

 

 俺は耳まで赤くなるのを感じながら、エクスを突き飛ばした。

 エクスが困惑した顔を浮かべて俺を見つめてくる。

 

「ア、アリエッタ? 急にどうしたの?」

「"どうしたの? "じゃねえよ! いくらお前にその気が無かったとしても、こんな所をリアクタに見られたら、どう言い訳するつもりなんだよ!?」

「……えーっと、前から気になってたんだけど、何でアリエッタはそんなに僕とリアクタちゃんの事を気にしてるの?」

「い、いや……だって、お前とリアクタって、その、恋人同士なんだろ?」

 

 

 

「…………はぁ?」

「…………あれぇ?」

 

 

 

 

 

 俺とエクスが間抜けな顔を向けあっていると、応接室の入口の方に居たリアクタがおずおずと挙手をしていた。

 

 

 

「えーっと、アリエッタ。私とエクスさんは別にそういう関係じゃないですよ?」

 

 

 

 あっ、そうなの? 

 

 

 

 …………んんっ? 

 待って待って、なんでリアクタがここに居るの? 

 

 何ならフィロメラにレビィにヴィラも居るぞ。全員じゃねえか。

 

 

「えーっと、リアクタ」

「なんですか、アリエッタ?」

「どこら辺からそこに居た?」

「"馬鹿野郎。お前がカッコ悪かったことなんて、今までに一度だってねえよ"って辺りから……」

「ほぼ最初からじゃねえか!?」

 

 

 

 ビックリするほどクオリティの低い俺のモノマネをしているリアクタを見て、俺は羞恥心で死んだ。

 

 

 

 

 

 



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29.アズラーン激進

 

 

 

 

「グガァッ……!」

 

 

 

 王都から離れた山岳地帯に位置する都市。

 そこを占領していた魔王軍の中で、恐らく集団のトップであろう突出した戦闘能力を持っていた個体が崩れ落ちた。

 

 (エクス)は手にした剣を軽く振り払い、刀身に付着した血液を飛ばす。

 

 

 

「ふぅ……これで市街に残った魔王軍は掃討出来たかな?」

「お疲れ様ですエクスくん。怪我はありませんか?」

「ええ、大丈夫ですよフィロメラさん。統率する八大幹部が居なくなって、敵も混乱していたみたいですね」

「とりあえずは、この街はもう大丈夫でしょう。……十六神将に動きが見えないのが不気味ですが」

「……そうですね」

 

 

 

 

 

 王都での決戦を終えた僕達は、転移術で各地へ移動しつつ、八大幹部の軍勢が支配していた地域を現地の人類軍と協力して解放して周っていた。

 

 強大な戦闘能力を持ち、高度な知能で軍勢を指揮していた統率者を失った魔王軍は驚くほどに脆く、人類軍は各地で連勝を重ねていた。

 

 

 

 ……しかし、その間に王都での戦いで姿を現した"魔王軍十六神将"なる存在が、何の動きも見せていない状況に、僕は不気味なものを感じていた。

 

 

 別行動をしていたヴィラ達と合流すると、彼らは僕が感じていた不気味な違和感に同意した。

 

 

「ハッキリ言って、手を抜かれてるとしか思えねえな。何で十六神将は動かねえんだ? 八大幹部より上の存在だって言うなら、いくらでも戦況をひっくり返せるだろ」

「ヴィラに同感。あのアズラーンとかいう奴、多分私達全員でかかっても勝てるか怪しいわよ」

 

 

 僕達が直接、目にした十六神将は"撃滅将"と名乗るアズラーンという魔族の男だけだが、彼と同格の存在が他にも15人居るとしたら…………人類軍と魔王軍の戦力差は絶望的と言わざるを得ないだろう。

 

 僕は戦場で対峙した、彼から発せられる威圧感を思い出して、僅かに身を震わせた。

 

 

 

 

 

『勇者エクス。人族の強く、そして美しき戦士よ。どうか誓って欲しい。この闘いで俺が君を打ち倒したのならば、我が花婿となってくれ』

 

 

 

 

 

 …………手の甲に、彼の唇の感触が蘇るような錯覚を覚えた僕は肌が粟立つのを感じた。

 これは強大な敵を前にして感じる類のそれとは何か違う気がするのは僕の気のせいだろうか。

 

 ヴィラが僕の青ざめた顔を見ると、深刻そうな表情を浮かべて僕の肩に手を置いた。

 

 

「……分かるぜエクス。もしも負けたら野郎にケツを差し出さなければいけないなんて、俺様だったら想像しただけで舌を噛んで自害しかねない。いや、もしかしたらお前は刺す側なのかもしれないが……」

「……ヴィラ、実はちょっと楽しんでないかい?」

 

 

 僕が剣呑な空気をヴィラに向けていると、話の内容をよく分かっていないリアクタちゃんが僕に質問をしてきた。

 

「えーっと、私はそのアズラーンという人を見ていないのですけれど、"聖剣"……でしたっけ? それを使ったエクスさんでも敵わないほど強いんですか?」

 

 僕達が一緒に旅を始めてから、"聖剣"を使用したのは先日の王都での戦いが初めてのことだった。

 聖剣の力を直接目にしてはいないが、複数の八大幹部を僕一人で撃破したという話を聞けば、リアクタちゃんが疑問に思うのは当然の事だろう。

 

「……いや、多分"聖剣"を使った僕なら十六神将も倒せると思う」

「ですが、それは最後の手段です」

 

 僕の言葉を遮るようにフィロメラさんが続けた。

 

「現存する聖剣の数は残り二つ。魔王との決戦を考えたら、最低でも一つ…………出来る事なら、残りの聖剣は全て最後の決戦まで残しておきたいぐらいです」

「うん、僕もフィロメラさんと同じ考えだよ。十六神将が全てアズラーンと同じレベルの力を持っているのかは分からないけれど、少なくとも同格とされる存在が他にも15人は居るんだ。その全てに聖剣を使うわけにはいかない以上、僕達自身の力で彼らを打倒出来なければ、どの道先は無いよ」

 

 改めて事態の深刻さに僕が険しい表情を浮かべていると、ヴィラが乱暴に僕の肩に腕を回して野性的な笑みを浮かべた。

 

「勝ち戦の後だってのに、なにを渋い面してんだよ。俺様達はあの八大幹部だって全員倒す事が出来たんだ。今度だって何とかなるさ」

「……勿論、そのつもりだよ。頼りにしてるからね、ヴィラ」

 

 ヴィラにつられて僕も笑みを浮かべると、コツンと彼と軽く拳を突き合わせた。

 

 

 

「エクス様! お怪我はございませんか!」

 

 不意に女性の声が僕の名前を呼んだのが聞こえると、人類軍の護衛を引き連れて一人の女性が僕の前にやって来た。

 この街を治めていた領主の娘で、魔王軍に街を奪われ、王都に亡命してきた彼女とは何度か話をしたことがあった。僕は剣を納めると、彼女にお辞儀をする。

 

「お久しぶりです、エメラルダ様。……ようやく、貴方達に故郷をお返しすることが出来ます。遅くなってしまい申し訳ありませんでした」

「いいえ、エクス様達には王都や他にも護らなければいけないものが有ったのですから、気になさらないでください。……こうして、私達の街を取り戻してくれただけでも、エクス様には感謝してもしきれません」

 

 そう言うと、彼女は僕の手を取って潤んだ瞳を僕に向けてきた。

 ……血まみれという訳では無いが、戦いでそれなりに汚れていた僕としては、彼女の高そうな服を汚してしまわないかと冷や冷やしてしまうので、出来ればあまり近づかないでほしいのだが……

 しかし、彼女はそんな僕の内心など気にもせずに、更に身を寄せてきた。

 

「その、エクス様。此度の勝利を祝うために、ささやかながら宴を用意しているのですが……もし、よろしければエクス様もご一緒にいかがでしょうか? お父様も是非、貴方に感謝をお伝えしたいと……」

「ありがとうございます、エメラルダ様。……ですが、申し訳ありません。僕達はすぐにでも王都に戻らなければなりません。先日のように魔王軍が王都に奇襲を仕掛けてくるかもしれませんので」

「そ、そうですよね……ごめんなさい。エクス様の事情も考えずにはしゃいでしまって……」

 

 僕の言葉を聞くと、彼女は露骨に表情を翳らせてしまった。その様子を見て、罪悪感を感じてしまった僕は慌てて言葉を付け加えた。

 

「……ですので、感謝の宴は魔王討伐の折に招いていただければと。エメラルダ様がよろしければ、ですが」

 

 場を和ませるように、軽口を交えたジョークに乗せて僕は彼女に微笑みかけると、彼女も僕に合わせてくれた。

 

「は、はいっ! もちろんです! その時は街を挙げてエクス様を歓迎させていただきますね!」

「ええ、楽しみにしています。それでは、僕達はこれで」

 

 あまり、こういった会話に慣れていないのだろうか。随分と力強く返事をしてくれた彼女に僕は微笑ましいものを感じた。別れ際にもう一度、彼女にお辞儀をすると僕は転移術を使用する場所を探して移動を始める。

 

 

 ……おや、ヴィラとフィロメラさんが白い目で僕を見つめているぞ? 

 

 

「お前さあ……そうやって手当たり次第、現地妻を作るのは止めとけって。いつか刺されるぞマジで」

「無駄ですよヴィラさん。エクスくんのアレは無自覚ですから。…………他の女性に対してはあんなプレイボーイみたいな事が出来るのに、どうしてアリエッタさんに対してはあんな変質者みたいになっちゃうんでしょうか…………そもそも早く王都に帰りたいのだって、アリエッタさんに会いたいからですよ多分」

「そ、そんなことありませんよ! 僕は王都が心配だから、早く戻りたいだけで……」

「そうですね。"アリエッタさんの居る"王都が心配なんですよね。……まあ、魔王軍の襲撃を警戒しないといけないのは事実ですから、早めに戻るとしましょうか。行きますよエクスくん」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「やあ、お帰り。お邪魔しているよ、我が愛よ」

「―――ッ!?」

 

 

 

 転移術で王都の屋敷へ帰ってきた僕達を、金色の美丈夫―――魔王軍十六神将"撃滅将"アズラーンがリビングで出迎えてきた。

 

 僕達は驚愕しながらも、素早く武器を構えて臨戦態勢を整える。

 

 

「"撃滅将"……!?」

「他人行儀な呼び方は傷つくな。"アズラーン"と、そう呼んではくれまいか? 俺も君のことはエクスと呼ばせてもらうよ」

 

 武器を構えている僕達に優しい眼差しを向けながら、彼は優雅にティーカップを傾けた。

 

 ……よく見ると、テーブルには僕達5人分のカップも用意されていた。

 

「ターレス、彼らにも紅茶を」

「はい、アズラーン様」

 

 アズラーンが声をかけると、キッチンからメイド服に身を包んだ女性がティーポットを持って現れた。一見すると人間に見えるが、額から生えている角が、彼女が人族とは異なる存在だと主張していた。

 彼女は人数分のカップにお茶を注ぐと、僕達に小さく会釈をして、再びキッチンへと姿を消した。

 

「俺の分のカップと茶葉はここへ来る途中の商店街で買ったんだ。戦勝祝いセールとやらで半額だった。カップに描かれた猫の絵がとても可愛らしい一品だ。実に良い買い物をしたとは思わないかね?」

「……もう何から突っ込めばいいのか分からねえな、これ……」

 

 槍を構えたヴィラがげんなりとした顔で呟くのを、僕は無言で首を縦に振って同意していた。

 

「ああ、俺がここに居ることに対して、門番や街を巡回している衛兵達を責めないでやってほしい。俺程の使い手が認識阻害の魔術を使えば、並大抵の人族では俺の正体を見破ることなど不可能なのだからな。……ところで、いつまでそうやって立っているつもりかね? 座りたまえよ。ターレスの淹れたお茶が冷めてしまう」

 

 僕達の殺気を欠片も気に留めないアズラーンに対して、フィロメラさんが杖を下ろして慎重に話しかけた。

 

「……とりあえず、交戦の意思は無いと考えていいんでしょうか? アズラーン卿」

「呼び捨てで構わないよレディ。俺は貴族という訳では無いしね。君達がどうしてもというなら、この場で戦っても構わないが……それは君達も困るだろう? 俺は力の加減が下手でね。戦いを始めれば、うっかり王都一帯を吹き飛ばしてしまいかねない」

 

 そう告げると、アズラーンは指先に小さな漆黒の球体を創り出した。

 

 ……小指の先ほどの大きさの"それ"に、少なくともこの屋敷を消し飛ばす程の魔力が籠められているのは、皮膚に纏わりつく威圧感で察する事が出来た。

 

「……皆さん、武器を下ろしてください。ここでの戦闘は悪手です。どれほどの被害が出るか分かりません」

 

 僕達はフィロメラさんの言葉に従って武器を下ろすと、アズラーンはニッコリと微笑んで指先の黒球を掻き消した。

 

「分かってもらえて嬉しいよ。さあ座って座って。皆でお茶でも飲んでお喋りしようじゃないか」

「……お前の目的は何だ? エクスが狙いなら、俺達は邪魔なんじゃないのか?」

 

 槍は構えていないが、鋭さは一層増しているヴィラの眼光がアズラーンを貫いた。

 

 

 

 

 

「フッ…………」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、アズラーンはヴィラの背後に回っていた。

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

「妬いているのかい?」

 

 

 背後から覆いかぶさるようにヴィラを抱きしめたアズラーンが、ヴィラの逞しい胸板をツーッと指先で優しくなぞっていた。吐きそうな光景だった。

 

 

「うぎゃあああっ!?」

 

 ヴィラが反射的にアズラーンの頭部に槍を突き入れる。

 

 しかし、気が付けばアズラーンは再びヴィラの背後から姿を消すと、椅子に腰かけて紅茶を楽しんでいた。

 

 ヴィラはガチガチと震えながらアズラーンに口角泡を飛ばす勢いで叫んだ。

 

「おおおおお前はエクス狙いじゃなかったのかよ!?」

「俺は強く、美しいものを等しく愛さずにはいられない性分なのだ。……ヴィラ、と言ったか。戦いの後には君も我が花婿に迎え入れよう」

「ただの男に見境の無いクズじゃねえか!?」

 

 

 ヴィラの言葉に、アズラーンが心外だと言わんばかりに眉間に皺を寄せた。

 

 

 

 

 

「勘違いしないでほしいのだが、愛するに相応しい存在であれば、俺は性別には拘らないつもりだ」

「ただの見境の無いクズじゃねえか!?」

 

 

 

 

 

 



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30.本当の始まり

 

 

 

「……それで、君は一体何をしに来たんだ?」

 

 

 

 (エクス)はアズラーンの対面に座ると、単刀直入に切り出した。

 

 交戦の意思が無い魔王軍幹部との対談……考えようによっては、これは大きなチャンスだ。

 未だにその実態を把握しきれていない魔王軍の情報を彼から聞き出す事が出来れば、人類軍にとって大きな前進に繋がる筈だ。

 僕の言葉に、彼は手にしたカップを置いて物憂げな瞳を僕に向けた。

 

 

「愛しい人に会いに行くのに、何か理由が必要かね?」

 

 

 早速挫けそうになった僕は助けを求めるようにヴィラへ視線を向けるが、彼は沈痛な面持ちで目を伏せるばかりだった。先程の恐怖体験がヴィラの精神に深いダメージを与えてしまったようである。

 

 

「何をしに来たかと問われれば、『君と話がしたかった』以上の答えは持ち合わせていないな。相互理解は愛を育む第一歩だからね」

「……相互理解というのなら、僕の質問にも答えてもらえるということかな?」

「ああ、勿論だとも。何でも聞いてくれたまえ、我が愛よ」

 

 

 僕はアズラーンの言葉から都合の良い部分だけピックアップした。

 

 

「なら、教えて欲しい。魔王軍の目的は一体何なんだ? 人族の殲滅というのなら、君達は余りに僕達との戦いに手を抜きすぎている」

「ん、そこからか? 俺達の目的は魔王様の復活だ。人族との戦争はその為の手段に過ぎない」

「魔王の復活……? それと人族との戦争に何の関係が……いや、そもそも"復活"とはどういう事だ? 魔王が君達を指揮しているのではないのか?」

 

 

 矢継ぎ早に質問を重ねる僕を、アズラーンは片手を上げて制した。

 

 

「相互理解と言っただろう? 君の質問に答えたのだから、今度は俺の番だ」

「む……わ、分かった……」

 

 

 確かに道理である。それに、ここで貴重な情報源である彼の機嫌を損ねるのは悪手だ。人類軍の弱点を晒すような質問には答えられないが……一体、彼は何を聞いてくるつもりなんだ……? 

 

 

 

「エクスはどんな(ひと)が好みなのか教えてくれないか?」

「…………僕は、元気で明るくて笑顔が素敵な女性(ひと)が好きです」

「ふむ、なるほど……笑顔が素敵な(ひと)か……」

 

 

 

 ……何か言葉のニュアンスに重大な齟齬が発生している気がしたが、僕は深く考えないことにした。

 

 

「……次は僕の番だ。"復活"とはどういうことだ?」

「言葉通りの意味だよ。魔王様は数百年前の……ん、千年だったか? まあ、とにかく過去の戦いで深手を負ってね。今は御休みになられているのだよ。新婚旅行に行くなら何処がいいかな?」

「……海辺の街、かな。アリエッタは内陸の育ちだから……って僕は何を妄想してるんだ」

 

 

 砂浜を歩くアリエッタの妄想を振り払うと、僕は質問を続けた。

 

 

「人族との戦争は魔王復活の手段だと言っていたな。この二つに一体何の関係性があるんだ?」

「魔王様の復活には、闘争のエネルギーとでも言うべきものが必要でね。最初は魔物同士で争わせていたのだが、どうも同族同士の戦いでは駄目らしい。だから俺達は人族に戦いを仕掛けている。君は最初に俺達が手を抜いていると言ったな? ああ、その通りだ。人族を滅ぼしてしまっては、魔王様復活のエネルギーを集める手段を失ってしまう。魔王軍と人類軍、そのどちらに天秤が傾いても駄目なんだ。両者が激しい戦いをする為にね」

 

 その言葉を聞いて、レビィさんが殺気立った視線をアズラーンに向けた。

 

「随分と嘗めてくれたものね。この間、私達に八大幹部を全滅させられたのを忘れたのかしら?」

「ああ、その件に関しては実に見事だったよレディ。これまでなら八大幹部か四天王が人族をある程度損耗させた所で魔王軍は退いて、人族が勢力を回復するのを待つのが通例だった。十六神将(おれたち)が前線に出るなんて本当に数百年ぶりのことだ。その強さ、誇るといい」

 

 アズラーンの挑発めいた言葉に、ギリッと歯を噛み締めるレビイさんをフィロメラさんが宥めた。

 

 

「さて、エクス。子供は何人欲しい?」

「男の子と女の子が一人ずつ。……魔王軍と人類軍の戦いが均衡を保つのが狙いだと言ったな。だが、ここ最近の人類軍は魔王軍に対して連戦連勝だ。バランスを保つというのなら、何故君は動かない?」

「ふむ、俺は強者との戦いは好きだが、雑兵の掃除にはあまり興味がない。そして、俺を満足させてくれる強者は君達だけと見た。エネルギー回収の戦いに関しては他の神将に任せるよ」

「……僕達は君以外の十六神将をまだ見ていない。彼らは今、何をしているんだ?」

 

 

 

 

 

「…………ほう、それを聞くか…………」

 

 

 

 僕の質問に、アズラーンは初めて僅かに"怒り"の感情を覗かせた。

 

 ……何か、不味い質問をしてしまったか? 

 彼から感じる威圧感に、僅かに身体が強張る。万が一の状況に備えて、僕はいつでも剣を抜き打ち出来るように身構えた。

 

 

 

「今、君の目の前に居るのは俺だというのに、他の男の話をするなんて……些かデリカシーに欠けるのではないかね?」

「……駄目だ。さっきから会話の温度差が酷くて、風邪を引きそうだよ俺様」

 

 

 アズラーンの言葉に、ヴィラが死んだ魚の様な目をして呟いた。

 

 ……とりあえず、他の神将が男性だという、あまり必要の無い情報を入手することは出来た。しかし、これ以上十六神将の情報について彼から探ろうとするのは危険だろう。僕は次の質問を考えて―――

 

 

 

 

 

「アズラーン様、お客様です」

 

 ターレスと呼ばれていたアズラーンの侍女が一人の女性をリビングに案内していた。

 

 

「えーっと、エクス? アポ無しで急に来ちまってごめんな。……それと、このメイドさん誰? 何か角生えてるけど……」

 

 

 燃えるような赤髪を揺らしながら現れた彼女(アリエッタ)に、僕とアズラーンは目を見開いてしまった。

 

 

 

 

 

 …………んっ? 僕はともかく、何で彼まで? 

 

 

 

「…………美しい…………」

「…………はぁ?」

 

 アズラーンの言葉にアリエッタが怪訝な顔を浮かべたが、彼は意に介さずにアリエッタの前まで歩くと、彼女に跪いた。

 

 

 

 

 

「貴女に恋をした。赤髪の君よ。俺の名はアズラーン。どうか、我が花嫁となってくれ」

 

 

 

 僕は剣を抜いてアズラーンの背後に飛びかかった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「はぁぁぁ~~~…………」

 

 (アリエッタ)は通りを歩きながら、深い溜息を吐いていた。

 折角の休日だからと、気分転換に街歩きをしていたが気分は一向に晴れない。

 

 

「このままじゃ、いけないよなぁ……やっぱり……」

 

 

 それもこれも、先日の王城での一件が原因だった。

 

 

 

 

 

『えーっと、アリエッタ。私とエクスさんは別にそういう関係じゃないですよ?』

 

 

 

 

 

 リアクタはエクスの恋人では無かった。

 まあ、そのこと自体は俺の勘違いだっただけだから別に構わない。

 

 

 

 …………なら、エクスの想い人というのは誰なんだ? 

 

 

 

 リアクタと初めて出会った日に、エクス達の屋敷で聞いたフィロメラの言葉が脳裏に蘇る。

 

 

 

 

 

『えっ……あ~……恋人というか……好いている子なら誰か知ってますよ』

 

『ええ、エクスくんとその子が再会したのは最近ですね……ついでに言えばその人は今、目の前に居ますよ』

 

 

 

 

 

 …………これ、どう考えても俺のことだよな? 

 

 

「い、いやいやいやっ。フィロメラの勘違いって可能性だって有る訳だし決めつけるのは……」

 

 

 ブツブツと独り言を呟きながら身悶えしている俺を、道行く人が不思議な顔で見つめているが、今はそれを気にしている余裕が俺には無かった。

 

 

「……か、仮にエクスが俺の事をす、好きだったとして……俺は…………」

 

 

 

 俺自身はエクスのことを、一体どう思っているのだ? 

 

 

 

 俺はエクスのことが好きだ。

 

 それは自信をもって断言出来る。

 

 

 

 ……だが、その"好き"はどういう"好き"なんだ? 

 

 

 

 友人としての好意? 父親としての好意? それとも…………

 

 

 

 

 

 ―――"女"が"男"に抱く好意? 

 

 

 

 

 

 ああ、馬鹿馬鹿しい。気持ち悪い。

 

 

 

 頭の中の、酷く冷たい部分が俺に語り掛けてくる。

 

 女が男に抱く好意? 何を馬鹿なことを言っているんだ。"混ざり物"の分際で。

 

 

 

「…………分かってる。分かってるんだよ。そんなことは…………」

 

 

 

 エクスだって、真実を知れば拒絶するに決まっている。

 

 ……いや、彼が拒絶しなかったとしても。

 

 エクスが好きなら、彼の幸せを望むなら、彼の隣を歩くのはこんな悍ましい化物ではない筈だ。

 

 

 

「…………分かってる。分かってるってばぁ…………」

 

 

 

 嵐が過ぎるのを待つように、壁にもたれ掛かって、こみ上げてくるものを必死に抑え込む。

 

 どれぐらい、そうしていただろうか。

 やっと心が落ち着いたのを確認すると、俺は再び溜息を吐いた。

 

「……よしっ。俺は大丈夫。エクスは大事な親友。俺の息子ポジション。…………だから」

 

 いつまでもギクシャクしたままではいられない。

 先日の一件以来、俺は何となくエクスを避けてしまっていたのだが、そんなことをしていては彼を意識していると言っているようなものだ。何とも思っていないのなら、彼が大事な友達だと言うのなら今まで通りに接さなければ。

 

 そんなことを考えながら、俺はエクス達の屋敷の前まで来ていた。アポ無しだったし、空振りに終わるかもとは思っていたが、何やら賑やかな気配を感じるので中には居るようである。

 

 

 

「いらっしゃいませ」

「うおわっ!?」

 

 

 ドアの呼び鈴を鳴らす直前に、先読みするように開かれた扉に、俺は間抜けな声を上げてしまう。

 中から出てきたのは見覚えの無いメイドさんだった。

 

「えーっと……角、生えてる?」

「エクス様のお客様でしょうか?」

「えっ、あー、はい。そ、そうです……」

「畏まりました。こちらへどうぞ」

 

 そのまま、角の生えたメイドさんに案内されて、俺はおずおずと屋敷に足を踏み入れた。

 ……この世界に来てから結構経つけど、角の生えてる人は初めて見たな。そういう種族なんだろうか。

 

 

 

「アズラーン様、お客様です」

 

 そんな事を考えていると、俺は何やら賑やかな様子のリビングへと案内された。

 …………んっ? アズラーン? 誰だそいつ。

 

 リビングに入ると、いつもの面子と見覚えのないクッソイケメンがエクス達とお茶をしていた。こいつがアズラーンとやらか? 王都の貴族か何かだろうか。

 

「えーっと、エクス? アポ無しで急に来ちまってごめんな。……それと、このメイドさん誰? 何か角生えてるけど……」

 

 とりあえず、俺はエクスにメイドさんの紹介を求めたのだが、何やらクッソイケメンが俺のことをすんごい見つめてくる。何? 怖い怖い。

 

 

 

「…………美しい…………」

「…………はぁ?」

 

 突然、真顔で何やら言い出したクッソイケメンに俺は怪訝な顔をしてしまう。

 しかし、クッソイケメンは俺の警戒心マックスな顔芸を一切気にせずに、俺の前まで歩いてくると、いきなり跪いてきた。

 

 

 

「貴女に恋をした。赤髪の君よ。俺の名はアズラーン。どうか、我が花嫁となってくれ」

 

 

 エクスが剣を抜いてアズラーンと名乗るクッソイケメンに飛びかかった。

 

 

 アズラーンは振り返りもせずに、二本の指でエクスの剣を受け止める。

 

「ふっ……情熱的だな。先程までのすまし顔をした君よりも、今の君の方が魅力的だよエクス」

「エ、エクス!? いきなり何してんだお前っ!?」

 

 ギリギリと剣に体重を乗せているエクスに俺は思わず叫んでしまうが、エクスは酷く落ち着いた声で俺に語り掛けた。

 

「アリエッタ。危ないから少し離れてて。すぐ終わるから」

「ほう、アリエッタと言うのか。その鮮血で彩られた臓腑の如き艶やかな髪…………ふっ、一目惚れだよ」

「人の頭のことをモツに例える奴初めて見たわ」

 

 

 アズラーンがエクスの剣を抑えている二本の指を軽く払うと、弾かれたようにエクスが部屋の端まで吹き飛ばされた。中空でくるりと回転して綺麗に着地をしたエクスが剣を構えながらアズラーンに敵意を向ける。

 

 

「……君の狙いは僕なんだろう。彼女には手を出すな」

「言った筈だ。俺は美しいものを愛さずにはいられない性分だと。そして、性別には拘っていないとな。心配しなくとも、君にも彼女にも俺は平等に愛を注ごう」

 

 

 ええ…………。いきなり両刀宣言をするクッソイケメンに俺は思考停止寸前の虚無の顔をした。

 エクス邸にログインした途端にこんな性のジェットコースターに乗せられて、俺はもう完全に状況に置いてけぼりにされていた。誰か説明してくれよォッ! しかし誰も説明してくれなかったので、俺はエクスとアズラーンの会話パートは注釈無しで見るしかないようだった。

 

 

「俺は悲しい……どうして、エクスは俺の愛を受け入れてくれないのだ? 俺はただ、美しいものは男でも女でも手を出さずにはいられないというだけなのに……」

 

 アズラーンがまるで名画を切り取った様な物憂げな顔をしながら最低なことを言っていた。

 

「……ハッキリ言っておく。僕はノーマルだ」

「心配するな。最初は皆そう言うんだ」

「ア゛ーーーッ! 何なのこの人っ!?」

 

 無敵キャラみたいになっているアズラーンにいよいよエクスが頭をガリガリと掻き毟って激昂した。俺の方をチラリと見てからエクスはアズラーンに向けて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「僕は普通の女の子(・・・・・・)が好きなんだよっ!」

 

 

 

 

 

 その言葉に、頭を強く殴られたような錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 ―――"女"が"男"に抱く好意? ―――

 

 

 ―――"混ざり物"の分際で。―――

 

 

 ―――悍ましい化物。―――

 

 

 ―――エクスだって、真実を知れば拒絶する。―――

 

 

 

 脳裏にいくつもの言葉が過る。

 それは、どうしようもなく溢れ出してきて、止められなくて。

 

 

 

「アリエッタ……?」

 

 

 

 気が付けば、瞳から溢れ出す涙を止められなかった。

 

 

「……あっ、あー、その……俺、ちょっと急用を思い出したから、帰るなっ」

 

 

 慌てて顔を隠すと、俺は上ずった声で苦しい言い訳をしながらエクスの前から逃げだした。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「……あっ、あー、その……俺、ちょっと急用を思い出したから、帰るなっ」

 

 

 

 突然、瞳から大粒の涙を零しながら駆け出した彼女(アリエッタ)を見て、(エクス)は呆然と立ち尽くしてしまった。

 

「ア、アリエッタ……? 一体、何が……」

 

 

 

 

 

「…………エクス、君は一体何をしているんだ?」

「―――ッ!」

 

 アズラーンの怒気を含んだ声に、我に返った僕は彼に剣を向ける。

 

 そんな僕を見て、彼はその端正な顔に増々怒りの色を濃くして叫んだ。

 

 

 

 

 

「そんな事をしている場合かっ! 早く彼女を追いかけるんだ! 今、追いかけなければ一生後悔するぞ!」

「ええっ!? 君、そのポジションに立っちゃうの!?」

 

 

 

 

 



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31.君が好きです

 

 

 

 

 

 

「ぐすっ……クソ、なんで泣いてんだよ俺……」

 

 

 

 エクス達の屋敷から咄嗟に逃げ出してしまった(アリエッタ)は、人混みを避けるように裏路地を独り歩いていた。

 

 

 

 

 

『僕は普通の女の子(・・・・・・)が好きなんだよっ!』

 

 

 

 

 

 ああ、考えるまでも無く分かっていたことじゃないか。

 エクスが好きなのは、あくまで『普通の女の子』である『アリエッタ』なんだ。

 

 

 そして、"普通の女の子(それ)"は俺という人間の本質から最も遠い存在だった。

 

 

 純粋な女でも無ければ、男でも無い。

 

 こんな中途半端な"混ざり物"が、薄気味悪い存在が、どうしてエクスに愛されていると勘違いしてしまったのだ。

 

 

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。みんなと違ってて、気持ち悪くて、ごめんなさい」

 

 

 

 人気の無い路地の隅に蹲って、誰に聞かせるでもない謝罪を呟く。

 

 

 

 ―――大事な親友? 

 

 ―――愛すべき息子? 

 

 

 

 全部、醜い誤魔化しだ。

 

 

 

 そうやって言い訳しなければ。

 

 この気持ちを自覚してしまったら。

 

 自己嫌悪に耐えられないと分かっていたから。

 

 "(おれ)"が"(エクス)"に好意を向けるなんて、そんな悍ましいことをエクスにしていたなんて、知りたくなかったし、知られたくなかったから。

 

 

 

「ふっ……うぐっ……うえぇ……」

 

 

 

 真っ当な女ではないことへの劣等感。

 情けなさと自己嫌悪でこみ上げてくる涙が止められない。

 

 

 きっと涙と鼻水で酷い顔になっている。

 テイムとマスターに余計な心配をかけないように、少し落ち着くまでここで泣いていこう。

 幸い、周囲に人の気配は感じなかった。大声で泣き喚くでも無ければ、人目を気にせずに涙を零せるだろう。

 

 

 

 

 

「アリエッタ!」

 

 

 

 

 

 しかし、勇者様の手にかかれば、俺のゴミのような探知能力を掻い潜ることなど朝飯前だったようである。

 

 息を切らした様子で、今一番会いたくない(エクス)が俺の前へと駆けてきた。

 

 

 

「よ、よう、エクス。さっきは急に帰っちまってごめんな。ちょっと、その、マスターからの頼まれ事を思い出してさ」

 

 

 

 俺は慌てて立ち上がると、到底誤魔化すことなど出来ない酷い顔を何とか取り繕って、エクスに何でもない風に声を掛けた。

 

 

「……アリエッタ。僕の事を馬鹿にしてるのかい? 自分が察しの良い方だとは思っていないけど、そんな見え見えな嘘に騙される程、節穴ではないつもりだよ」

 

 

 ……流石に厳しかったか。エクスが真剣な眼差しで俺を見つめるが、俺はその視線に耐えられずに俯いてしまう。

 

「いや、その……ちょっと心配かけちまったかもしれないけど、これはお前には関係ないことだから……」

「アリエッタ」

 

 

 

 逃げるように、一歩後ずさった俺をエクスが力強く抱きしめてきた。

 

 

 

「……好きな女の子に、そんな顔をさせたくないんだ。僕には関係無いなんて、そんな寂しい事を言わないでくれ……」

 

 

 

 

 

 

「やめろっ!!」

 

 

 俺は全力でエクスを突き飛ばした。

 

 奴からすれば、俺の貧弱な腕力による抵抗なんて問題にならない筈だろうに、俺が拒絶していることを尊重するかのようにエクスは抱擁を解いた。

 

 その気遣いに、益々精神を搔き乱された俺はグチャグチャになった心をエクスにぶつける様に吐き出した。

 

 

 

「違うんだよ。俺は、お前が思っているような奴じゃない。…………普通の女の子なんかじゃ、無いんだよ」

 

「……分からないよ、アリエッタ。君が何をそんなに悲しんでいるのかとか。どうして、そんなに自分の事を嫌っているのかとか……だから、まずは一緒に話そうよ。僕はちゃんと君の話を聞くから」

 

「だから……お前には、関係無いって……」

「アリエッタ」

 

 

 エクスの手が、涙で濡れた俺の頬を優しく撫でた。

 

「僕は察しが悪いし、口下手だし、それで君を苛つかせたことだって数えきれないかもしれない。…………でも、話す前から諦めて、独りで泣くなんてしないでよ。僕ってそんなに頼りないかな?」

 

 

 お前には関係無いと、放っておけと言っているのに。

 

 だって、これは俺の生まれの問題で。どうしようも出来ないことなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――気が付けば、俺はこの物分かりの悪い(エクス)に、どうしようもなく腹が立っていた。

 

 

 

 胸の内にどろどろとした昏い炎が灯る。

 

 もう、どうでもいい。

 

 こいつ(エクス)に関わって、触れられて、優しくされて。

 

 こんなに辛い思いをするぐらいなら、いっそ全部滅茶苦茶に壊してしまえ。

 

 そうすれば、多少はスッキリするだろう? 

 

 

 

 

 

 

「俺さあ、実は男なんだよね」

 

 へらりと、情緒の崩れた軽薄な笑みを浮かべて俺はエクスに告げていた。

 

 

「アリエッタ……?」

 

 

 突然の俺の告白に、怪訝な顔をしているエクスを無視して俺は早口に続けた。

 

 

「見ての通り、身体は女かもしれないけど……(ここ)の中身がさ、男なんだよ」

 

 

 自分の頭を指差しながら、俺は愉しくて堪らないといった笑みを浮かべる。

 高く積み上げた積み木を崩すような、奇妙な快感が俺を満たしていた。

 

 

「何言ってるか分からないだろ? でもさ、記憶が残ってるんだよ。『アリエッタ』として生まれる前の人生の記憶が。俺って前世では男だったんだぜ。つまり、俺は普通の女でも無ければ、真っ当な男でも無い中途半端な"混ざり物"って訳だ。気持ち悪すぎて笑えるだろ?」

 

 

 ああ、イイ気分だ。

 

 胸の内に溜め込んでいた泥を全て吐き出しているような、爽やかな気分だった。

 

 

 

「―――つまり、お前が好きな"普通の女の子"のアリエッタなんて奴は、この世の何処にも存在しないんだよ。残念だったな」

 

 

 

 言いたいことを一通り言った俺は、下衆な笑みを浮かべながらエクスの返事を待った。

 

 

 

 ずっと自分の本性を隠していた俺に怒るだろうか。

 

 それとも頭のイカれた狂人の戯言だと、憐れみを向けるだろうか。

 

 

 

 ―――或いは、悍ましい化物を見るような目を、俺に向けるのだろうか。

 

 

 

 ……もう、どうでもいい。

 

 早く、俺を拒絶してくれ。

 

 俺を否定してくれ。

 

 

 俺を……楽にしてくれ……

 

 

 

 

 

「……アリエッタ、ごめん」

 

 

 

 …………? 

 

 それは、何に対する謝罪なんだ? 

 

 

 

「君が何を言っているのか、何に苦しんでいるのか。僕は多分、半分も分かっていないと思う。でも、僕の言葉が君を傷つけたことだけは分かるよ。……だから、もう一度だけチャンスが欲しい。僕の気持ちを、君に伝えさせて欲しい」

 

 

 エクスは俺の手を取ると、真剣な眼差しで俺を見つめて告げた。

 

 

「君が好きだ、アリエッタ。普通の女の子じゃないとか、前世がどうとか、そんな事は関係無いんだ。僕は今ここに居るアリエッタが好きなんだ」

 

 

 

 ―――なんなんだ、こいつは。人の話を聞いていないのか

 

 

 

「だ、から……俺は、お前が思っているような、奴じゃ……」

「君こそ、僕のことを何だと思っているんだい? ちょっと隠し事をされていた程度で君のことを嫌うような男だと思われてたなら、少しショックだな」

 

 

 

 やめてくれ。

 

 そんな顔で微笑まないでくれ。

 

 もう苦しみたくないのに、拒絶してほしいのに。

 

 そんな風に優しくされたら、夢見てしまうではないか。

 

 

 

 彼を愛してもいいのかと。

 

 彼に愛されてもいいのかと。

 

 

 

 

 

「―――違う! 違う違う違うっ! 分かってないんだ! お、俺は……お前はっ!」

 

 

 

 自暴自棄になった子供のように、感情を制御出来なくなった俺はエクスに最低な言葉をぶつけていた。

 

 

 

「綺麗事並べてるだけだ! ……結局、お前は"女"の俺とヤりたいだけだろうがっ!!」

「…………っ!」

 

 

 

 ―――ああ、俺は本当に最低だ。

 

 エクスがそんな奴じゃないって事ぐらい分かっている筈なのに。

 

 彼はただ、俺の事が好きで、俺の隣にいたいって純粋に思ってくれているだけなのに。

 

 

 

 

 

 俺の最低な暴言に、エクスは目を吊り上げて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きな子とエッチなことをしたいと思って何が悪いんだっ!!」

 

「…………はああっ!?」

 

 

 

 

 

 エクスからの予想外の返答に、俺は間抜けな声を上げていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「好きな子とエッチなことをしたいと思って何が悪いんだっ!!」

 

「…………はああっ!?」

 

 

 

 (エクス)の叫びに、アリエッタが面食らった顔を浮かべていた。

 

 

 正直、さっきから僕は彼女に頭にきていた。

 

 

 僕は、こんなにもアリエッタの事を愛しているというのに、彼女は自分が普通の女の子じゃないからとか、前世は男だったからとか、そんな些細な理由(・・・・・)でのらりくらりと僕の好意を躱そうとするからだ。

 

 他に好きな人が居るとか、僕の事が嫌いというのなら、まだ諦めもつく。

 

 しかし、彼女が話すのは、さっきから"理由"ばかりで彼女自身の"気持ち"については一言も語ってくれていない。それで、自分のことを諦めろなんて言われても、納得出来る筈がないということが彼女には分からないのだろうか? 

 

 

 

 

 ならば、僕の気持ちを全て曝け出して、彼女が逃げられない程に追い詰めるまでだ。

 

 

 

 

「お、おおおおお前……な、なな何を言って……!」

「聞いて、アリエッタ」

 

 

 動揺しているアリエッタの隙を突くように、僕は彼女への想いを全力で言葉にしてぶつけた。

 

 

 

「僕は君が好きだ! ずっと前から、初めて会った時から、ずっとずっと君だけを愛しているんだ! 君のことは全て知りたいんだ! 許されるなら、君を一日中抱きしめていたい! 朝も昼も夜も、僕は君の隣に居たいんだ! 僕は君とヤりたいだけだって? 全然分かっていない! 生憎と僕はそんなに慎み深い人間じゃないんだ。君の身体だけを手に入れたって、僕は全然満足出来ない。君の身体も、心も、君の全部を僕一人だけのものにしなければ気が済まないんだ! 愛しているんだ! 君が好きなんだ! 君の瞳を、視線を、僕は独り占めしたいんだ! 君の瞳が他の男を映していると苦しくて堪らない。他の男が君の身体に触れているのを想像するだけで、怒りで全身の血液が沸騰しそうになる! テイムにも、エイビスにも、アズラーンにだって君を渡さない! 魔王だろうと神だろうと、君への愛を邪魔をするなら全員叩きのめして、僕は君を勝ち取ってみせる! 僕の全ては君の為だけにあるんだ。だから君の全てを僕にくれないか! それが出来ないと言うのなら、今すぐにこの場で僕の命を絶ってくれ! 君に愛されない人生なんて僕には何の価値も無い! それぐらい君の事が好きなんだ! 好きだ好きだ好きだ! 大好きだ! 愛しているんだぁぁぁーーー! アリエッタァァァーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと黙れこの大馬鹿野郎がァァァーーーッ!?」

 

 

 

 その赤髪と見分けがつかない程に顔を赤くしたアリエッタが、何処から拾ってきたのか木の棒を僕の頭に向けて全力で振り下ろしてきた。

 

 僕は体を軽く傾けて難なくそれを回避すると、木の棒を振りぬいた勢いで体勢を崩したアリエッタを力強く抱きしめた。

 

 

「は、離せぇ~! 恥ずかしい青春菌がうつるだろうがァ~~~!」

「はぁ、はぁ…………アリエッタ、僕の気持ちは全部伝えたよ。次は君の番だ」

 

 

 

 僕は彼女の澄んだ青空を思わせる碧眼を見つめて、静かに告げた。

 

 

 

 

 

「聞かせて欲しいんだ。前世とか、普通じゃないとか、そういう"理由"じゃなくて、君自身の"気持ち"を」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「聞かせて欲しいんだ。前世とか、普通じゃないとか、そういう"理由"じゃなくて、君自身の"気持ち"を」

 

 

 

 エクスに見つめられて、(アリエッタ)は言葉を詰まらせてしまう。

 

 

 

 駄目だ。流されるんじゃない。

 

 ずっと前から、それこそ子供の頃から決めてた事じゃないか。

 

 たとえ、エクスが俺のことを好きだとしても、俺は彼に相応しくない。

 

 エクスにはもっと相応しい素敵な女性がいる筈だって。

 

 

 

「……アリエッタ」

 

 

 

 言うんだ。

 

 お前が嫌いだと。

 

 彼の為に、俺の為に、拒絶するんだ。

 

 震える唇で、俺はゆっくりと告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――好き」

 

 

 

 あっ。駄目だ。

 

 

 

「好き。好きです。エクスが、好き」

 

 

 

 駄目。止まって。

 

 

 

「好き……大好き、です……」

 

 

 

 一度、溢れ出した言葉は、気持ちは止められなかった。

 

 言葉と共に、涙が瞳から零れ落ちる。

 

 

 

「ごめんなさい。駄目なのに、好きになっちゃいけないのに。でも、エクスが好き。大好き……」

「……うん、ありがとう。アリエッタ」

「ふっ……ぐぅ……うえぇ~~~……」

 

 

 

 エクスの手が俺の頭を優しく撫でる。安らぎと罪悪感がごちゃ混ぜになった心境に、俺はただ泣きじゃくるばかりだった。

 

 

 

「ごめん。ごめんね。普通の女の子じゃなくて。嫌だよね。でも、好きになっちゃったんだ。本当に、ごめんね」

「謝らないで、大丈夫だから。……僕も好きだよ、アリエッタ」

「…………うん。ありがとう、エクス。好きになってくれて。…………その、これからも、好きでいてね?」

「ああ、任せといて。もしも君が不安になったら、いつでもさっきの告白を繰り返してあげるから」

「うっ……それは、ちょっと恥ずかしいから嫌だな……」

 

 

 

 

 涙と鼻水で酷い顔になっていたかもしれないが、俺は久しぶりにエクスに向かって普通に笑えた気がした。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 そして、そんな二人を上空から見守る影が二つ。

 

 

 

「やれやれ、手のかかる愛し子達だ」

 

 

 金色の美丈夫(アズラーン)が、抱き合う二人を優しい眼差しで見つめていた。

 

「よろしかったのですか。アズラーン様」

「む、何がだね? ターレス」

 

 意図の読めない問いに、アズラーンは怪訝な顔を傍に控える侍女(ターレス)へ向けた。

 

「アズラーン様は、あの二人を好いていらっしゃる様でしたので。これでは恋敵に手を貸したようなものでは?」

「ふむ、ターレスにはまだ難しかったかな。このレベルの話は」

「はあ」

 

 アズラーンの白くしなやかな指が、ターレスの造り物めいた美貌を優しく撫でた。

 

 

 

 

 

「全ての生命は、愛する者に幸せでいて欲しいと願わずにはいられない。それは魔王様であろうと、神であろうと覆せないこの世の真理だよ」

「愛する者が自分を向いていなくても、ですか?」

「それもまた興奮するだろう?」

「なるほど。倒錯的ですね」

 

 

 

 

 




次回、下ネタ回(予定)


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32.下ネタ回

 

 

 

 

 

 

 まあ、そんなこんなでアレコレが有った結果、(アリエッタ)とエクスは恋人同士ということになった。

 

 

 

 ……正直なところ、想いを伝えあったとはいえ、自分の性自認やら何やらで、俺にはまだ割り切れていない所は幾らかある。

 

 しかし、お互いに好き合っている以上、俺だけ変に意地を張っても仕方あるまい。そういうモヤモヤもエクスと二人で乗り越えていけばいいのだ。

 

 

 

 ……さて、今まで十年弱に渡って、エクスからの好き好きムーブに対して鈍感系難聴ヒロインを気取ってきた俺だったが、冷静になって振り返ってみれば色々と無理が有ったのを再確認している。ごめんねエクス。

 

 しかし、あれだけ俺のクソみてえな鈍感ラブコメ主人公ムーブに振り回されておいて、よくもまあ途中でフィロメラやリアクタにルート変更しなかったものだ。普通、脈が無いと思って別の女に行くだろう。アイツどんだけ俺のことが好きなの? 

 

 

 

 ……自分で言っててちょっと恥ずかしくなってきた。

 

 まあ、そんな両片想いペアが両想いカップルに進化した以上、さぞや性の乱れたバカップルになるかと思っている奴もいることだろう。しかし現実はその真逆を突き進んでいたのである。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「や、やあ。アリエッタ。……その、元気?」

「う、うん。めっちゃ元気。エクスは元気?」

「僕も元気だよ。……あー、今日は良い天気だね」

「ああ、めっちゃ良い天気だな。青空、大好き」

 

 

 

 銀猫亭のカウンターを挟んで、馬鹿の英会話教室みたいになっている俺とエクスを、テイムが怪訝な眼差しで見つめていた。

 

 

 

 要するに、俺とエクスはお互いを意識し過ぎるあまりに、滅茶苦茶ぎこちなくなっていたのである。

 

 前世では、所構わずイチャつくバカップル達を見ては爆発系呪文を唱えていた俺だったが、今となっては彼らを尊敬してしまう。恋人とイチャつくって一体どうやるんだ? 何でアイツら平気で腕組んだり人前で抱き合ったり出来るの? 前世では恋人が居なかったし、そもそも今世では性別が逆になっているから、俺にはもう何も分からなかった。

 

 お互いに気まずい苦笑いを浮かべながら固まっていた俺とエクスに、とうとう痺れを切らしたテイムが横から突っ込んできた。

 

「おい、そこの馬鹿二人。一応今は営業時間ってのを忘れてねえか。アリエッタはさっさと仕事に戻れ。エクスは冷やかしなら出ていけ」

「んあっ!? お、おう。悪い、テイム……」

「ひ、冷やかしという訳では……えーっと、解毒ポーションと疲労回復ポーションを10個ずつ貰えるかな、アリエッタ」

 

 エクスからの注文に、陳列棚から慌ただしくポーションを用意する俺を見ながら、テイムが深い溜息を吐いた。

 

 

 

「……お前らさあ、ガキじゃないんだから、付き合ってるならもっと堂々としてろよな」

「んなっ……!?」

 

 

 

 テイムの発言に動揺して、俺の手からすっぽ抜けたポーションをエクスが難なくキャッチした。

 

 

「はい、アリエッタ」

「お、おう。悪いなエクス……って、違う! テイム! な、何で知って……」

 

 

 俺は抱えたポーションをエクスに押し付けると、頬が熱くなるのを感じながらテイムに詰め寄った。

 

 

「態度があからさま過ぎて、横で見てれば誰でも分かるっての。…………まあ、良かったんじゃねえの? 二人ともお幸せにな」

「うっ……あ、ありがと……」

 

 

 優しげに笑うテイムに、俺はそれ以上何も言えずに素直に祝福されてしまう。

 すると、エクスが何だか申し訳なさそうな顔をテイムに向けていた。

 

「テイム……その、君もアリエッタのことを……」

「おっと、余計なことは言うなよ。今のお前から何言われても嫌味にしか聞こえねえしな」

「む、そんなことは……」

「……いいんだよ。外野の事なんざ気にすんな。お前はアリエッタのことだけ考えてろ。…………但し、お前がアイツを悲しませるようなら、俺が横から掻っ攫うからな。肝に銘じとけよ?」

「……ああ、それは油断出来ないな」

 

 エクスとテイムが何やら男同士でボソボソと話している。内容までは聞き取れないが、嫌な雰囲気は感じないので、まあ大丈夫だろう。きっと仲の良い男友達に先に彼女が出来てしまった事に内心複雑なのだろう。前世で俺も似たような経験が有るから分かるぜテイム。男同士の話し合いが終わったのか、エクスがこちらに向き直った。

 

「そうだ。前にも言ったけど、明日から僕達は遠征で一週間ぐらい王都を離れるから」

「おう、気を付けてな」

「うん。それと、君のお願いだったから、一応屋敷の鍵は君でも開けられるようにしておいたけど……本当に掃除とかそういうのは別にしなくてもいいんだよ? 僕達が不在の間は定期的に屋敷を維持管理してくれる人が来ることになっているから……」

「大丈夫だって、本職の人達の邪魔にはならないようにするからさ。……それに、エクスに何かしてやりたいんだよ。その、こ、恋人なんだし……」

 

 

 うぅ、普段通りにしようとしても、やっぱりエクスと"そういう関係"だという事を意識してしまうと途端に心と体が動作不良を起こしてしまう。

 

 

 …………げっ。エクスが俺の"恋人"という言葉に反応したのか、めっちゃ真面目な顔で見つめてきやがったぞ。

 

 

 

「アリエッタ…………」

「エ、エクス…………」

 

 

 

 

 

 見つめ合う俺達二人の後頭部をテイムがはたきで引っ叩いてきた。

 

「そこの糞馬鹿二匹。そういうのは営業時間外にやれって言ってんだろうが」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「よっ。待たせたか、エクス?」

「ううん、僕も今来たところだから」

「……ううむ、こんなベタなやりとりを異世界で、しかも女側でやるとは思わなかったなあ……」

 

 

 

 という訳で、エクスと夜の公園での逢瀬である。一応言っておくが、いかがわしい事が目的ではないぞ。俺とエクスはキスもまだの非常に健全な関係だ。

 俺は仕事の関係で、明日はエクス達の見送りには行けないので、今日の内に別れを済ませておくことにしたのだ。

 

「今度は何処へ行くんだっけ?」

「北の大陸での都市解放作戦。八大幹部の残党が占領している地域の攻略だね」

「は~~、転移術様様だな。普通だったら船旅で1か月以上かかる場所だろ?」

「うん、おかげでアリエッタと離れ離れになる時間も短くて済むね」

「……う、うん。そう、だな……」

 

 ……エクスの野郎、全く照れてないということは素で言ってるなこいつ。

 意識して俺を口説こうとしている時は露骨に挙動不審になる癖に、たまに素面でこういう事をサラッと言うのだから恐ろしい。これが無自覚天然たらしという奴か…………

 

 俺は月明りに照らされたエクスの横顔を見上げて呟く。

 

「ちくしょー……やっぱカッコイイな……」

「ん、何か言ったかい?」

「……何でもねえよ」

 

 クソッ、何でも無い顔しやがって。俺ばっかりエクスの事を変に意識しているみたいで非常に気に食わない。

 

 …………俺だって、エクスをドキドキさせたい。

 

 

 

 

 

 

 

『好きな子とエッチなことをしたいと思って何が悪いんだっ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 ……あんな事を叫んでいたのだから、こいつにだって性欲はある筈だし、俺にそういう事をしたいという欲求はある筈なんだ。

 

 

 

 ―――ならば、俺がエロイ感じの誘惑をしたならば、この朴念仁も俺にドキドキするのでは? 

 

 

 

 

 

 

 

「結論がおかしいっ!!」

 

 俺は全力で頭を木に打ち付けた。

 

「突然どうしたのアリエッタ!?」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「お邪魔しまーす……って言っても、誰も居ないんだけどな」

 

 

 

 エクス達が北の大陸へ遠征に出てから数日が経ったある日のこと。

 俺は休日を利用してエクス達の屋敷を掃除しようと訪れていたのだが……

 

「……まあ、そんなに汚れてる訳ねえよなあ。やる事がねえぞ」

 

 エクスから聞いてはいたが、彼らが不在の間に屋敷をメンテしている人間はちゃんと居るらしく、屋敷の状態を見た感じだと素人が掃除をする必要なんて殆ど感じられなかった。

 

 軽く埃を払ったり、窓を開けて空気の入れ替えをする程度で俺の仕事は終わってしまった。

 

「……あっ、そういえば個室はプライベートの関係で管理の手が入ってないって言ってたっけ……」

 

 俺はいつかのエクスとの雑談の内容を反芻すると、トコトコとエクスの部屋へと足を運んだ。扉のドアノブに手をかけると、ガチャリと鍵が外れる音が響く。例の魔術的オートロックという奴だろう。ちなみに他の部屋は入室が許可されていないのか、俺が扉に触れてもうんともすんとも言わなかった。

 

「そういえば、エクスの部屋に入るのって実は初めてか……?」

 

 物珍しさにジロジロと部屋を見回してしまうが、まあ整理整頓されていて何の面白みも無い部屋である。

 

 特に掃除の必要は感じなかったのだが、とりあえず部屋の換気だけでもしておくかと、室内に足を踏み入れた時に目に入ってしまったエクスのベッドに、ちょっとした悪戯心が芽生えてしまう。

 

 

 

「こういうシチュエーションだと、ベッドの下からいやらしいグッズが出てくるのが定番だよな~。まあ、ヴィラとかならともかく、エクスはそういうキャラじゃないけど」

 

 

 

 そんな独り言を呟きながらエクスのベッドの下を覗き込んだ。

 エロ本が有った。

 えぇ…………

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「えっ。お前(エクス)、アリエッタが部屋に入れるようにしたのか?」

「うん。ああ、僕の部屋以外はちゃんとロックが掛かってるから心配しないでいいよ、ヴィラ」

 

 北の大陸での作戦を無事に完了した(エクス)達は、現地の人類軍との戦後処理も終えて、王都の入口へと帰還していた。思ったよりも早く王都へ帰ってこれた僕は、愛しい人(アリエッタ)の顔を思い浮かべながら、弾む足取りで屋敷への帰路を歩いていた。

 

「いや、そこは心配してないんだが……お前、部屋で見られて困るような物とかちゃんと隠したのか?」

「ん? 軍事機密に関わるような物は部屋に置いていないし、特に見られて不味い物は無かった筈だけど……」

 

 僕の返答にヴィラが呆れた顔をしながら、後ろを歩く女性陣達に聞こえないように声のボリュームを落として僕に囁いた。

 

「いや、そういうのじゃなくて。あるだろう? この間、俺がプレゼントしてやった、アリエッタとそういう事(・・・・・)になった時の参考書とかさあ」

 

 ……そういえば、アリエッタと交際を始めてから、何処からか話を聞きつけたヴィラに押し付けられた卑猥な本が有ったことを思い出した。

 

 

「その本なら、正直あまり興味を持てなかったし、今度の休みにこっそり処分しようと……ベッドの……下、に……」

 

 

 自分の言葉が脳に染み入ると同時に、顔から血の気が引いていくのを感じた。ヴィラが両手で顔を覆っている。

 

 

 

「……何でよりにもよって、そんなベタな所に隠すんだよお前……」

「フィロメラさん、すいません! ちょっと先に屋敷に戻ってますね!」

 

 僕は魔力で脚力を強化すると、全力で屋敷へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「うぅむ……異世界のエロ本ってこんな感じなのか……」

 

 (アリエッタ)はエクスのベッドに腰かけて、奴のコレクションを熟読していた。

 当然ながら写真とかが無い世界なので、内容としては前世で言う官能小説が近いのだろうか。

 とりあえず、本の内容から奴にSMとかヤバめの趣味が無くて一安心である。鞭で叩くのも、叩かれるのも御免だからな。

 

「……さて、どうするかね。これ」

 

 一通り内容を改めた後、俺は手元のエロ本をどうするか思案していた。

 

 まあ、普通に見なかったことにして、元の場所へ戻しておくのが武士の情けというものなのだが……

 

 

 

 

 

「…………あいつ、俺には全然手を出さない癖に、エロ本は読むのな…………」

 

 

 

 

 

 俺は目の前のエロ本に嫉妬していた。

 

 

 ……いや、エクスだって男なのだから性欲が有るのは当然だし、それを発散する為にこういった物を所持するのも分かる。俺だって男だったのだから。

 

 

 そして、エクスが俺を大事に想ってくれているからこそ、安易に俺に手を出してこないという事だって分かっている。…………分かっているのだが。

 

 

 それでも暗に『俺の女としての魅力はエロ本以下』と言われているようで、正直かなりムカついている自分が居るのも否定出来ないのだ。

 

 

 

 そんな事を悶々と考えていると、荒々しく玄関の扉が開かれる音が聞こえた。そのままドタドタと廊下を駆ける足音が響いた後に部屋の扉が開かれる。エロ本オーナー(エクス)様のご登場である。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 (エクス)が息を切らしながら扉を開けると、アリエッタが僕のベッドに腰かけながら、ヴィラから押し付けられた卑猥な本を手に持っていた。

 

 

「……おかえり、エクス」

 

 

 彼女の声に、底冷えするような冷たい何かを感じたのは、僕の気のせいであってほしい。

 

 

「た、ただいま、アリエッタ。……その、誤解なんだ。それは、僕のじゃなくて……」

「……別に、隠さなくてもいいじゃん。エクスぐらいの年齢の男なら、こういうの持っててもおかしくないだろ」

 

 

 

 彼女は手に持った本をベッドに放り投げると、何やらモジモジとしながら僕の前に立った。

 

 

 

 

 

「……というか、その、エ、エクスがそういう事したいんだったら、言ってくれれば、別に、嫌じゃないというか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――試されている!? 

 

 

 

 

 

 一瞬、まだ昼間だとか、もうすぐフィロメラさん達が帰ってくるとか、そういった何もかもを放り投げて彼女をベッドに押し倒したいという獣欲が鎌首をもたげたが、僕は我ながら驚異的な精神力でそれを封じ込んだ。

 

 ……これは彼女からのテストに違いない。僕が簡単に性欲に屈してしまうような情けない男かどうかを見極めようとしているのだろう。

 

 そりゃあ、僕だって男だ。

 アリエッタの前でカッコつけてはいるが、常に彼女とエッチなことが出来るチャンスを伺っていないと言えば嘘になる。

 

 

 

 

 

 だけど、それは愛情の先に有るべきものであって、その場の勢いでの情欲で彼女を求めるのは違うと僕は思っている。

 

 僕はそんな性欲処理の道具の様に彼女を扱いたくは無かったのだ。

 

 だから、僕はこの気持ちを隠さずに彼女に伝えることにした。

 

 

 

 

 

 僕は彼女の両肩にそっと手を置いた。

 

 

「アリエッタ。よく聞いて欲しい」

「は、はいっ……」

 

 

 怯える彼女を安心させるように、僕は優しい声色で彼女に告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君じゃヌけないんだ」

「ぶっ殺すぞテメエ!?」

 

 

 

 どうやら言葉の選択を壮絶に間違えたようである。

 

 

 

 



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33.デートをしよう!

 

 

 

 

 

 

「デートをします」

 

 

 

 いつも以上に唐突な彼女(アリエッタ)の発言に、(エクス)は思わず怪訝な顔をしてしまった。

 

「えーっと……誰が、誰と?」

「俺と、お前がです」

「……今してる"これ"はデートじゃないのかな?」

 

 現在、僕とアリエッタは喫茶店でお茶を飲みながら雑談をしている最中だった。

 彼女と恋人同士になってから、二人の時間が空いた時はこうやって彼女と一緒に過ごすのが恒例になっていたのだ。

 僕としては、こうして彼女と"恋人"として何気ない時間を過ごせるだけでも、震える程に幸せで頬が緩んでしまいそうなのだが……

 

「そうじゃなくて、もっと一日を潰すようなガッツリ濃厚な奴をやります」

「は、はぁ……えーっと、ひょっとして、今まで僕と一緒の時って退屈だったのかな……?」

 

 もしや、これまで僕ばかり楽しんでいて、彼女を失望させてしまっていたのではないかと不安になった僕は、思わず彼女に尋ねてしまった。しかし、その点に関してはどうやら杞憂だったようである。アリエッタは僕の言葉に何やらモジモジしながら俯いてしまった。

 

「べ、別にそんなことは無いぞ? 正直、あんまりデートデートした奴よりも、こういう軽めの奴の方が性に合っているというか、エクスと一緒ならそれだけで十分というか……」

 

 

 

 

 

 ―――キスしたら怒るだろうか? 

 

 

 

 

 

 頬を赤く染める彼女の愛らしさに、思わずそんな欲望が脳裏を過るが、僕は歯を食いしばって全力でそれを封じ込めた。

 

「と、とにかくっ! 明日は俺とデート! プランはこっちで練ってあるから、お前は身一つで来ればいいから! 分かったな!」

「う、うん。分かったよ」

 

 彼女の勢いに押されて、僕は思わず頷いてしまう。

 まあ、アリエッタからのお誘いを僕が断るなんてありえないのだが、欲を言えばそういう提案は男である僕の方からしたかったという気持ちはあった。

 その後、待ち合わせ場所や時間について打ち合わせをした僕はアリエッタを銀猫亭まで送っていくと、弾む足取りで帰路についた。

 

 先日は、ちょっとしたすれ違いから彼女を激怒させてしまったのだが、機嫌を直してくれたようで一安心である。

 明日のデートを思うと、頬が緩むのを抑えられない僕を不気味そうに見ているヴィラを尻目に、僕は万が一にも遅刻しないように早めに床に就くのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「あっ、アリエッタ。おはよう」

「……俺、時間間違えてないよな?」

 

 

 

 待ち合わせ場所に予定よりも30分早くやって来たアリエッタが、予定よりも2時間先に来ていた僕を訝しそうに見つめていた。

 

 

 

 

 

 ―――そんなことよりも、僕は彼女の姿に目を奪われていた。

 

 

 

 いつもの肌の露出を極力抑えた清楚なアリエッタも最高だし天使だが、今日の彼女の服装はいつもとはまるで違っていた。

 

 足を大胆に見せている膝上丈のスカートに、ドレスの様に肩を露出したブラウスを纏った彼女を見て、僕は心停止を起こしそうになったが自分の心臓に雷撃の魔術を打ち込むことで事なきを得た。

 

「ふぅんっ!」

「突然どうしたエクスーッ!?」

 

 突如、雷撃の余波で全身を痙攣させた僕にアリエッタが駆け寄るが、僕は片手を上げて何でもないと彼女に伝えた。

 心配そうに僕の顔を覗き込むアリエッタに、僕はこれから始まる激しい戦いを予感せずにはいられなかった。

 

 

 

 か……可愛い……! 

 

 こんな可愛い女の子とデートをして、僕の身体は最後まで立っていられるのか……!? 

 

 

 

 

 

「……そ、それじゃあ行こうぜ」

 

 

 

 普段は手をつなぐことにもあまり積極的ではないアリエッタが、僕の腕を取ると自分の身体を絡ませるように僕に密着してきた。

 

 僕は気を失う前に自分の心臓に雷撃を打ち込んだ。

 

「ふぅんっ!」

「エ、エクスーッ!?」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 話は(アリエッタ)がエクスをデートに誘う数日前に遡る。

 

 

 

 

 

 先日、エクスから「お前じゃシコれねえ」という最低な侮辱を受けた俺は奴に対して完全に頭に来ていた。よりにもよって恋人に言うかそれを!? 

 

 

 

 ―――何が何でもあいつに手を出させてやる。

 

 エクスの頬に平手をカマした帰り道に、俺は固く決心していた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 しかし、奴に手を出させるということは、当然ながらそういう展開(・・・・・・)になるという事でもある。

 

 俺は見たまんまの初心な小娘ではないので、性知識に関しては生き字引レベルではあるが、残念ながら実戦経験は前世でも今世でもゼロという悲しい状況なのが現実である。

 

 銀猫亭のカウンターで接客をしながら、俺はエクスとそういう展開(・・・・・・)になった時のシミュレーションをしていた。

 

 前世のうろ覚えの知識ではあるのだが、確か"アレ"の戦闘時のサイズって15cm前後だったっけ? この世界と前世での"アレ"の平均値が同じかは分からないが、まあどちらの世界でも同じホモサピっぽい種族だし、そこまで大きく違うってことは無いだろう。

 

 

 

 

 

 ふと、目をやった陳列棚に何かの建材なのか、ちょうどいいサイズ感の木の棒があった。

 

 

 

 

 

 ―――何の気なしに手に取った棒を下腹部の辺りに当ててみる。

 

 

 

 

 

 …………えっ、"アレ"ってこんな所まで入るの? 

 

 ほぼヘソまで来てるじゃん? 

 

 いや、怖い怖い怖い。

 

 こんなの刺さったら俺死ぬんじゃないの? 

 

 しかも、1回だけじゃなくて何回も入れたり出したりするんだろう? 

 

 

 

 

 

「ひえぇ~~~っ!?」

「いきなり何を叫びだしてんだアリエッタ!?」

 

 

 

 恐怖のあまり、悲鳴を上げてしまった俺にテイムがギョッとしていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「……という訳で、フィロメラとレビィに相談に乗ってほしいんだ」

「……何で私達なんですか?」

「いや、どう考えてもリアクタは無いだろう。後はこんなこと聞けそうなのが二人しかいなかったんだよォ~。助けておくれよォ~~~」

 

 

 俺は酒場でフィロメラとレビィに泣きついていた。ちなみに俺とエクスが交際しているのは勇者パーティー公認である。

 

 

「というか、エクスの奴まだアリエッタを抱いてなかったの? お互い両想いだったなら、さっさと行く所まで行っちゃえばいいのに」

「レビィ、あんまり品の無いことを言わないでちょうだい」

 

 

 …………これから、滅茶苦茶品の無い相談をするんだけどな。

 

 

「それで、その、初めてってやっぱり痛いのか?」

 

 

 俺は女子中学生みたいなことをフィロメラに質問した。

 

 

「……まあ、個人差はありますが、そうらしいですね」

 

 

 

 

 

 …………ん? 

 何か歯切れの悪い返事だな…………

 

 

 

「……えーっと、"アレ"ってこれぐらいの大きさらしいじゃん? ほぼヘソまで来るけど苦しくないの?」

 

 俺が"アレ"のサイズを手で表現すると、フィロメラがめっちゃ食いついてきた。

 

「ええっ!? お、男の人のってそんなに大きいんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ―――あっ、フィロメラ処女だわ。

 

 

 俺の白けた視線に気づいたのか、フィロメラが逆ギレした。

 

 

「な、なんですかその目はっ! 私、アリエッタさんが相談したいことが有るって言うから来ただけなのに、なんでそんな目で見られなくちゃいけないんですかっ!?」

 

 

 レビィがフィロメラに死体蹴りを始めた。

 

 

「ええ……フィロメラ処女なのに、エクスにあんなお色気お姉さんみたいなポジションに立とうとしてたの……?」

「やめてぇっ! 私の恥ずかしい過去を掘り返さないでぇっ!」

 

 

 耳まで赤くして机に突っ伏してしまった処女(フィロメラ)に、俺は黙祷を捧げた。

 

 ……仕方ない、レビィの方に相談しよう。この反応を見るに普通に経験有りそうだし。

 

 

 

「えーっと、それじゃあレビィに相談に乗ってもらいたいんだけど……」

「別にいいけど、私のは多分あんまり参考にならないよ? 竜族って卵生だし」

「ヘソあるのに!?」

 

 

 なんてこった。相談相手に選んだ二人とも全く参考にならないことが判明してしまった。

 俺が頭を抱えているとアズラーンとターレスさんが空いている席に勝手に座ってきた。

 

「やあ、麗しき赤髪の君よ」

「帰れぇ」

 

 唐突に現れた王都の貴族様(・・・・・・)に俺は素っ気なく対応したが、全く人の話を聞いていないアズラーンはにっこりと俺に微笑みを向けるばかりだった。

 

 

 

 

 

「……ねえ、レビィ。やっぱり王都の貴族で押し通すって無理があるんじゃないかしら?」

「……仕方ないだろ。王都に侵入してくるのを防げないなら、馬鹿正直に正体を説明したら大混乱だぞ」

 

 

 

 

 

 何やらレビィとフィロメラがアズラーンを見ながらヒソヒソと話をしている。

 まあ多分、この貴族様は相当に面倒臭い立場の人なのだろう。大方、どうやって穏便にお引き取り願うか作戦会議中といったところだろうか。

 

 

「さて、話は聞かせてもらったが、エクスの"愛"を受け入れる心構えについて悩んでいるようだね」

「上品な感じの隠語なのかもしれないけど、単語が本質的過ぎて却って下品に聞こえるな」

「確かに、純潔を捧げるという行為は女性にとって期待よりも恐怖の方が大きいのかもしれない」

 

 アズラーンは俺のツッコミを完全に無視して続けた。エイビスもそういう所有ったけど、貴族って人の話を聞くと死ぬの? 

 

「だが、敢えて言おう。アリエッタ、君は何も不安に思う必要など無いんだ」

「……その心は?」

 

 俺はアズラーンに続きを促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「エクスが、君の嫌がることをすると思うのかね?」

「…………」

 

 

 

 ―――なんというか、本質を突かれた気分だった。

 

 

 

「必要なのは、愛して、信じることだよ。アリエッタ」

 

 

 

 結局、痛かったらどうしようとか、上手く出来なかったらどうしようなんて不安は初めから必要無かったのだ。

 

 どんな結果だろうと、エクスと二人で進んだ道なら最後には良い思い出として笑い合える。

 そんな風に根拠も無く信じることが出来る自分が居たのが驚きで、少し誇らしかった。

 

 

 

「……ああ、そうだな。ありがとうアズラーン。何かスッキリした」

「それは良かった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 にっこりと端正な顔を無邪気に綻ばせたアズラーンが指をパチンと鳴らすと、傍に控えていたターレスさんが山の様な資料をテーブルに置いてきた。

 

 

 

「では、これからエクスとアリエッタがロマンチックな初夜を迎えるデートプランについて作戦会議を始めようと思う」

「…………はあ?」

「ターレス」

「はい、アズラーン様」

 

 

 アズラーンに促されたターレスさんが山の様な資料から、いくつかピックアップすると解説を始め出した。

 

 

「まずはデートの日時ですが、明後日がよろしいかと。アリエッタ様はお休みの日ですし、この日は六番通りにて小規模な祭りが開催されるようですので、露店を巡るだけでも御二人の共通の話題の入手や、距離の接近が望めるかと」

「ふむ、本当は演劇なども有れば良かったのだが、まあ仕方あるまい。悪くないチョイスだ、ターレス」

「恐縮です、アズラーン様」

「待って待って待って」

 

 

 勝手に話を進めるアズラーンとターレスさんに俺は待ったをかけた。

 

 

「どうしたのかね、アリエッタ?」

「いや、俺ってそういうのは一人でじっくり考えたいタイプというか、ハッキリ言って有難迷惑というかだな……」

 

 

 

 俺の言葉にアズラーンがテーブルに軽く拳を叩きつけて、上品に声を荒げた。

 

 

「我儘を言うんじゃないっ!」

「ええっ!? 俺が悪いのっ!?」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 その後、アズラーンとターレスさんにみっちりとデートプランを叩きこまれた俺は、以前にミラちゃんとリアクタが選んでくれた洋服に身を包んで、こうしてエクスとのデートに臨んだという訳である。回想終わり。

 

 

 

 まあ、何か紆余曲折というか縦横無尽に議論が飛躍してしまった感はあるが、俺の目的は最初から変わっていない。

 

 

 

 

 

 ―――エクスには何が何でも俺に手を出させてやる! 

 

 

 

 

 

 揺るぎない決意を胸に、俺はエクスの腕に引っ付きながら、俺史上最高に可愛い上目遣いを奴へと向けた。

 

 

 

 

 

「ふぅんっ!」

 

 エクスが突然、何やら電撃を自分の胸にぶち込んでいた。

 

 

 

「エ、エクスーッ!?」

 

 

 

 

 

 



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34.予兆

 

 

 

 

 色々あったので詳細は省くが、結論だけ言うと(アリエッタ)とエクスのデートは、まあ成功だったと言えるだろう。

 

 

 最初は"デート"だということを変に意識していたせいか、お互いにぎこちなかった俺達だったが1時間もすれば、まるで子供の頃に戻ったかのようにお互いに無邪気にはしゃいでいたと思う。

 

 

 

 ―――そういえば、エクスとこうして純粋に遊ぶのは久しぶりだったかもしれない。

 

 

 

 そんなノスタルジーな感傷と祭りの活気にあてられた事もあり、妙なテンションになってしまった俺は、当初の目的(・・・・・)も忘れてエクスとはしゃいでいたのだろう。

 

 

 

 夕焼けに眩しさを感じる時刻に、ようやく当初の目的を思い出した俺は、エクスを人気の無い路地に引っ張っていく。

 

 

 

「アリエッタ、一体何処に行くんだい?」

「……いいから。黙って付いて来い」

 

 怪訝な顔をしているエクスの言葉を無視して、俺はズンズンと路地を突き進むと程なくして目的地へと到着した。

 

 

 

「えーっと、アリエッタ? ここは、その……」

 

 

 人気の無い路地にポツンと存在している質素な宿屋の前で、エクスが照れてるような、困惑しているような何とも言えない顔で俺を見てくる。多分、俺もエクスと似たような顔をしていることだろう。

 

 

 

 ―――逢引宿。まあ、要するにラブホである。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「……アリエッタ。その、ここがどういう所なのか分かってる?」

 

 ダブルサイズのベッドが置かれただけのシンプルな部屋で立ち尽くしている俺に、エクスが子供に「赤ちゃんが何処から来るのか」聞かれた時のような困った顔をしながら聞いてきた。

 

「お前は一体、俺を何歳だと思ってるんだ。……糞エロイことをする場所に決まってるだろうが」

「もうちょっと言い方考えよう?」

「あ゛あ゛ーーー! やかましい! さっさと抱かせろやオラァッ!」

「もうちょっと言い方考えよう!?」

 

 駄々っ子パンチで襲い掛かった俺の頭をエクスが片手であっさりと押さえ付ける。クソッ、リーチの差が残酷すぎる。

 

「ていっ」

「ぎゃばー」

 

 ぺいっと俺をベッドにうっちゃったエクスが、ベッドの縁に腰かけると困ったような顔で俺に語り掛けた。

 

「アリエッタ。何か無理してない? 今日の君は朝から何だか変だよ?」

「はぁー? アリエッタちゃんは別に無理なんてしてませんしぃー?」

「アリエッタ」

「うっ……」

 

 エクスにじぃっと見つめられた俺は、観念するように奴に本心を吐露した。

 

「……だって、お前さあ、俺に全然手を出さないじゃん? 恋人なのに。そういうの、正直不安になる。やっぱりエクスは俺のこと別に好きじゃないんじゃないかって」

 

 俺が自分でも糞面倒臭いことを自覚している弱音を吐くと、エクスは慌てて俺の発言を否定してきた。

 

「い、いや、それは誤解だよアリエッタ。その、僕は君が好きだから、大事にしたいと思ってるだけであって……」

「分かってる。エクスがそういう真面目な奴だってのは分かってるよ。でもさあ、仕方ないじゃん。不安になるんだもん」

 

 俺はむくりと起き上がると、エクスにべたっと引っ付いた。

 

 いやらしい気持ちではなく、純粋に不安になってしまったから。

 

 エクスと少しでも距離を縮めたくて。

 

「……前に言ったじゃん。俺、普通の女とは少し違うって」

「君の"前世"のこと?」

「そう。俺って弱っちいからさ。あれだけエクスに言ってもらっても、すぐに不安になっちゃうんだよ。やっぱり俺の事、嫌になっちゃったんじゃないかって。…………だから、何か繋がりが欲しいんだ。俺はエクスのものだっていう繋がりが」

 

 

 

 

 

 不意に、エクスの唇が俺の唇に重ねられた。

 

 

「―――ん」

 

 

 一瞬、身体が強張ったが、すぐに脱力して彼を受け入れる姿勢を取る。

 

 しかし、俺が望んだ"続き"は訪れなかった。

 エクスの身体が俺から離れると、彼の真剣な眼差しが俺を見つめる。

 

「アリエッタ。僕は、戦いの中でいつ死んでもおかしくないってことは分かるよね?」

「あっ……うん……」

 

 忘れていた訳ではないが、改めてエクス自身の口から聞かされると、想像以上の重みが身体にのしかかるのを感じた。

 

「僕は、君の重荷になりたくない。たとえ僕がいなくなっても、君には幸せになってほしい」

「……やだ。聞きたくない」

「駄目だ。アリエッタ、聞いて」

 

 

 そっぽを向いてしまった俺の顔に、エクスは手を添えるともう一度、軽く口づけをした。

 唇を離すと、彼は照れたような笑顔を浮かべた。

 

 

「隣に居るのが僕じゃなくても、君には幸せになってほしい…………そう思っていたんだ。君と恋人になるまでは」

 

 

 エクスがもう一回キスをしてきた。

 ……こ、こいつ、キスし過ぎじゃね? べ、別に嫌じゃないけど、話が頭に入ってこないので程々にしてほしい。

 

 

「でも、僕は自分で思っていたよりもずっと欲張りだったらしい。僕は君と幸せになりたい。それまでは絶対に死にたくない。腕が飛んでも、胸に穴が開いても、何が何でも僕は君の居る場所へ必ず帰るよ。だから、僕達の戦いにケリがつくまで、こういう事(・・・・・)は待っていてほしいんだ。……駄目、かな?」

 

 

 

 ああ、こいつは本当にずるい奴だ。

 

 

 そんな風に言われたら、俺は頷くしかないじゃないか。

 

 

 

「……はぁ、仕方ねえなあ。待っててやるから、俺が浮気する前に終わらせてこいよ?」

「……うん。ありがとう、アリエッタ。全部終わって、君の所へ戻ったら……」

 

 

 エクスの細身ながらもガッシリとした腕が俺を少し苦しいぐらいに抱擁する。

 僅かに感じる息苦しさが、彼から俺に向けられる"愛"の強さのようで。

 その苦しさに幸福感のようなものを感じながら俺はエクスの言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の所へ戻ったら、朝から晩まで一日中セックスしようね」

「途中まで良かったのにシメが最悪だよ」

 

 一瞬で色々と醒めた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 その後、適当にいちゃついて時間を潰した俺達は逢引宿を後にした。もちろんエロイことはしてねえぞ。

 

 

 まあ、紆余曲折は有ったがエクスの……その……お、俺に対する愛情の深さは理解出来たし、ちゃんと俺に欲情していた事が分かったので、まあ色々と良しとしよう。

 考えてみれば、戦いの前にアレして子供を作ったりするのってもろに死亡フラグっぽいしな。つまり俺は間接的にエクスの死亡フラグをブチ折ったということになる。やったぜ。

 

 

 

 

 

「やあ、我が愛よ。今日は楽しかったかな?」

「それ、どっちに言ってんの?」

 

 もう段々慣れてきたが、今回のデートプランのプロデューサー達(アズラーンとターレス)の唐突な登場である。

 

「まさかとは思うが、俺達の動向を見張ってたりしてねえよな?」

「そんな無粋な事はしないさ。君達から感じる"愛"で大体のことは察せるからね」

「キモイよぉ~」

 

 俺はキモがった。

 しかし、アズラーンはキモがる俺とエクスに悲しそうな眼差しを向ける。

 

「……だが、悲しいよ。楽しい時間というのはいつもあっという間だ。どうやら俺も責務を果たさなければいけない時が来たようだ」

「あん? 何を言って……」

 

 要領を得ないアズラーンの言葉に、何かを察したのかエクスが俺を庇うように前へ踏み出た。

 

「……ここで始めるつもりか?」

「いいや、俺もこの街には愛着が湧いている。無意味に破壊するには忍びないし、そもそも総司令殿に王都での戦闘は固く禁じられている。ターレス」

「はい、アズラーン様」

 

 ターレスさんがエクスに何やら便箋を手渡した。

 エクスがそれを受け取ったのを確認するとアズラーンが続ける。

 

「場所と日時が書いてある。俺は一人で待っているが、君も一人で来いとは言わない。君達の用意出来る最大戦力で来るといい」

「それでは失礼します。エクス様、アリエッタ様」

 

 用事が済んだのか、アズラーンとターレスさんは通りへと消えていった。

 さっぱり意味が分からない俺は間抜けな面をしていたが、対照的にエクスは険しい顔をしていた。

 

「あー、大丈夫か。エクス? 何か不味いことでもあったのか?」

「……いや、大丈夫だよ。僕のやる事は変わらない。何があろうと、君の場所へ帰るだけさ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 常闇の空間に浮かぶ魔王城。

 

 その最深部に、2人の魔族が立っていた。

 

 

 

「やあ、戻ったよ。総司令殿」

「……アズラーン。随分と長い間、人界で遊んでいたようだな」

「そう責めないでくれ。たった今、勇者との決戦の日取りを決めてきたところさ。彼には俺の眷属となってもらうつもりだが、構わないかな?」

「……好きにするといい。勇者を排除出来るならば、仔細は問わない」

 

 仮面で素顔を隠した魔族――総司令の言葉に、金色の美丈夫(アズラーン)は優美な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「……ところで、他の神将はまだ目覚めないのかね?」

 

 アズラーンは魔王城最深部の広間に並んだ、巨大な肉の繭を見つめて総司令に尋ねた。

 

「……ああ、八大幹部が想定よりも早く敗れた影響なのか、魔力が足りていないのかもしれん。何しろ初めての事態だ。原因が分からん」

「まあ、いいさ。いざとなれば俺さえいれば他の神将は不要だろう。彼らが目覚めない原因は後でゆっくりと調べればいい。前回の戦いの時のように俺と総司令殿さえいれば―――」

 

 

 

 

 

 ―――瞬間、アズラーンの思考にノイズが走った。

 

 

 

 

 

「…………ん? おかしいな…………?」

「どうした、アズラーン」

 

 怪訝な顔を浮かべているアズラーンに総司令が声をかけると、アズラーンは申し訳なさそうに総司令に質問をした。

 

 

 

「すまない。気を悪くしないで欲しいのだが……君の名前(・・・・)を教えてもらえないか?」

「…………」

 

 

 

 総司令の沈黙を"怒り"と捉えたのか、アズラーンは照れ臭そうに頬を掻いた。

 

「いやあ、すまない。長く眠っていたせいなのか、どうも記憶が朧気なんだ。総司令殿の名前がどうしても思い出せなくてね」

「……僕の名などどうでもいいことだ。魔王様の繭を確認してくる。お前は勇者との決戦とやらに備えておけ」

「おや、怒らせてしまったかな?」

 

 

 

 足早に去っていく総司令を、アズラーンは困った様な顔で見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……流石は十六神将といったところか。警戒する必要があるな……」

 

 総司令の呟いた言葉は、誰に届くこともなく闇へと消えた。

 

 

 

 

 



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35.死闘

 

 

 

 

 

 故郷を失い、仲間を失い、愛する人を失った果てに得た勝利なのに、僕の心は驚くほどに凪いでいた。

 

 

 

 きっと、彼女を失った瞬間に、僕はただの"世界を救済する"装置となってしまったのだろう。

 

 

 

 僕は折れた剣を放り投げると、魔王の亡骸に腰かけた。

 

 

 ……これからどうしようか。

 

 少し疲れたし、一休みしてから王都に帰ることにしようかな。

 そんな事を考えながら魔王城から撤収する準備をしていると、玉座の後ろに地下へと続く階段があるのを見つけた。

 

 危険な気配は感じなかったし、魔王が倒れた今となっては自分の身体などどうなっても構わないだろう。

 

 そんな自暴自棄な気持ちから、僕は地下へと続く階段を降りると、そこは魔王軍の数千年に渡る魔術研究の成果が蓄えられた書庫だった。

 確かに貴重なものかもしれないが、さして心は動かなかった。

 

 

「フィロメラさんがいたら、きっと興奮していたかもな」

 

 

 かつての仲間の姿が脳裏を過る。

 

 

 ―――何か一つ、ボタンを掛け違えていれば、今ここに居たのは僕一人では無かったのかもしれない。

 

 

 在りえたかもしれない光景を幻視してしまい、口元に皮肉めいた笑みを浮かべてしまう。

 

 そんな自分を誤魔化すように、本棚から適当に一冊の書物を取り出す。

 

 特別、意識してその本を選んだという訳では無かったのだが、書かれている内容には若干の興味を惹かれた。

 

 

「転移術、か」

 

 

 北の大陸で習得して以来、随分と世話になっていた魔術だ。

 この魔術が無ければ、次元の狭間に存在しているこの魔王城にだって辿り着くことは出来なかっただろう。

 

 術の概要が記載されたページをパラパラと捲っていると、飛び込んできた文字に目を奪われた。

 

 

 

「魔術式の応用……並行世界への転移……」

 

 

 

 未だ未完成とされている転移術の応用法。

 

 錆びついていた心が、久しぶりに動く音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「やあ、待ちかねたよ。我が愛よ」

「アズラーン……」

 

 

 王都から遠く離れた荒野で、(エクス)達はアズラーンと対峙していた。

 

 

「……おや、君達だけかね? 遠慮せずに人類軍の兵達を連れてきても構わなかったのだよ?」

 

 

 決戦の場に訪れたのは、僕とフィロメラさん達……所謂"勇者一行"と呼ばれる人員だけだった。

 

 アズラーンの気質からはあまり考えられなかったが、僕達が引きつけられている内に王都を襲われる可能性も皆無では無かったし、彼のような突出した"個"を相手取るのにこちらの数を増やし過ぎるのは、むしろ同士討ちのリスクの方が重いと考えたからだ。

 

 

「では、ターレス。下がっていたまえ」

「はい、アズラーン様。ご武運を」

 

 アズラーンの言葉に静々とターレスが後ろへ下がっていく。

 

彼女(ターレス)のことはすまない。本当は俺一人で君達を待つつもりだったのだが、お供すると言って聞かなくてな。無論、君達に手は出させないから安心したまえ」

 

 これから殺し合いをする相手だというのに、どこまでも僕達を気遣うアズラーンに、僕は胸の内を晒してしまう。

 

「……戦わずに済む方法は無いのか? ……僕は、君のことが嫌いじゃない。出来る事なら、剣を向けたくはない」

 

 ……本心だった。

 確かに彼は魔王軍の幹部だ。人類の怨敵である。

 しかし、ここ数日の間で不本意ながらも彼と過ごした日々の中で、僕は彼を打ち倒すべき敵として憎み切れなくなっていた。

 

 僕の言葉に、アズラーンは柔らかく微笑んだ。

 

「―――甘いな。そして、好ましい甘さだ。……だが、語らいの時は既に終わった。魔族と人間、戦う理由ならばそれだけで十分な筈だ」

 

 

 

 一転、アズラーンの笑みが狂暴なものへと変性した。

 

「―――そもそも、それは勝者の側の台詞だ。戦う前からこの俺に勝つつもりとは、随分と甘く見られたものだ」

 

 最早、戦いを避けるつもりは無いという宣告だった。

 

 アズラーンが軽く大地を踏みしめると、それだけで彼の周囲に大きく地割れが生じた。

 開戦を告げる轟音に、僕と仲間達が武器を構えると、アズラーンはそれを受け入れるように大きく両手を広げた。

 

 

 

「魔王軍十六神将、序列第三位"撃滅将"アズラーン。殺すつもりは無いが、加減をするつもりも無い。全力で来るがいい」

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

「うおらぁっ!!」

 

 先陣を切ったのはヴィラだった。

 彼の姿がさざ波のように揺らぐと、4人に分身したヴィラの槍がアズラーンを四方から貫こうとする。

 

 

「誤解の無いように先に言っておこう」

 

 

 次の瞬間、アズラーンは四方からの槍を全て拳で砕くと、ヴィラの本体に痛烈な蹴りを放った。

 

「がっ……!」

 

 ヴィラは辛うじて槍の柄でアズラーンの蹴りを受けたが、殺しきれなかった衝撃の余波で地面と水平に吹き飛ばされる。

 

「俺は特殊な能力や搦め手は使わない。膨大な魔力量に任せた単純に殴る蹴るが強いタイプだ。分かりやすくていいだろう?」

「リアクタさん! 合わせて!」

「はいっ、フィロメラさん! "広域聖化"!」

 

 戦場を巨大な光の柱が貫く。フィロメラさんの補助魔法で強化されたリアクタちゃんの神聖魔法だ。

 光の柱がアズラーンに肉薄する僕達ごと貫いたが、こちらにダメージは無い。むしろ身体能力の向上すら感じているが、魔族であるアズラーンは別だ。

 

 

「おおっ、これはやられたな。この範囲にこの威力の神聖魔法とは。これは躱す術が無いな」

 

 

 ブスブスとアズラーンの身体から黒煙が上がる。大したダメージは入っていないようだが、無傷という訳では無かった。畳みかけるように僕の剣とレビィさんの斧がアズラーンに襲い掛かる。

 

「はぁっ!」

「ちょいさぁっ!」

 

 アズラーンは両手で僕の剣とレビィさんの斧を受け止めた。その掌には何か防護の魔術がかかっているのか、表皮が斬れた様子すらない。

 

「ふむ、一撃の重さが足りないな。普段は手数で勝負するタイプかね? それでは俺の防護は貫けないぞ」

「御忠告どーも。でもいいの? 両手塞がってるわよ?」

 

 レビィさんの言葉に合わせるように、復帰したヴィラが背後からアズラーンの胸に向けて槍を突き出す。

 

 

「ほう、あの蹴りを受けてもう戦えるのか。純粋な肉体強度ならエクスよりも上かもしれないな」

「……マジかよ」

 

 

 ―――僕とレビィさんを掴んだ武器ごと上空へ放り投げたアズラーンが、ヴィラが突き出した槍の上を歩きながら彼を称賛していた。

 

 

「……エクス、勝てそう?」

「勝つ。勝ちます。そうじゃないと、アリエッタの所へ帰れませんから」

 

 

 上空から落下しながら剣を構えた僕の言葉にレビィさんが苦笑を浮かべた。

 

 

「やれやれ、純情少年め。そんな言葉聞かされたら、お姉さんも張り切るしかないわね」

「はい、力を貸してください。みんなで勝ちましょう!」

 

 

 ヴィラが後方へ退いたのを確認すると、僕とレビィさんは落下の勢いを乗せて、アズラーンに向けて武器を振り下ろす。

 流石に受けきれないと判断したのか、跳躍して僕達の攻撃を躱したアズラーンに、後方からフィロメラさんとリアクタちゃんの放った魔力弾が追撃する。

 

「いいぞいいぞ。人族の力とは"絆"……いや、"愛"の力だ。個が突出し過ぎている我々には真似出来ない代物だ」

 

 並の魔物ならば、一発被弾しただけで致命傷となる魔力弾をアズラーンは苦も無く拳で弾いていく。

 

 

「まだだ、君達はもっと強くなれる。俺に君達の限界を! "愛"を見せてくれ!」

 

 

 愉しくて堪らないといった様子で哄笑するアズラーンに、後方からの魔力弾が途切れたタイミングで僕達は3人がかりで近接戦を仕掛ける。

 

 ……駄目だ。完全に遊ばれている。

 

 スタミナの消耗を考慮しない全力での戦闘で、何とかアズラーンに食らいつけているのが現状だ。

 このままでは僕達の体力が尽きるまで戦ったとしても、アズラーンに致命傷を与えることは出来ないだろう。

 

 

 

 ―――ここで負けてしまえば、その先など無い。ならば、使うべきか……? 

 

 

 

 僕は胸元の水晶細工――"聖剣"を握りしめた。

 

 

「―――ッ!」

 

 

 瞬間、アズラーンの鋭い眼光が僕に突き刺さった。

 

 不味い。勘付かれたか……! 

 

 憤怒の表情を浮かべたアズラーンがレビィさんとヴィラの間を掻い潜り、一瞬で僕へと肉薄する。

 

 

「この愚か者がァッ!!」

「ごァッ……!?」

 

 

 アズラーンの掌底が胸元に食い込む。

 吹き飛ばされた僕は、全身を貫く衝撃に悶絶しながらもアズラーンへと視線を向ける。

 

 

 

 

 

 ―――彼の手には、僕の胸元から奪われた"聖剣"が握られていた。

 

 

 

 しまった……! よりにもよって、このタイミングで切り札を奪われるなんて……! 

 

 

「ターレス!」

 

 

 アズラーンは戦闘の余波が届かない後方へ待機している侍女へ叫ぶと、"聖剣"をそちらへと投げつけた。

 ターレスが"聖剣"を受け取ったのを確認すると、彼は僕へと向き直り怒号を放った。

 

 

「あのような"玩具"に頼って、この先何が成せると言うのか!!」

「……何?」

 

 

 呆ける僕に向かって、アズラーンはその端正な美貌を憤怒に歪めて続けた。

 

 

「エクスッ! 君は自分の力を見限るのが早すぎる。君の限界は……いや、人の限界はこの程度ではない筈だ! あんな借り物の力で可能性を閉ざすな! 君の"愛"の力を、君自身が信じないで誰が信じるというのかッ!!」

「…………」

 

 

 

 ―――何なんだこいつは。言っている事が滅茶苦茶だ。

 

 

 

 だが、ここで"聖剣"に頼るようでは先が無いという点に関しては同意せざるを得ないだろう。

 

 自分でも訳の分からない感情から、口元に僅かに笑みが浮かぶのを止められない。

 

 先程のアズラーンの掌底で悲鳴を上げている身体を無理やり奮い立たせると、僕は再び剣を構えた。

 

 

 

「ああ、それでこそだ。我が愛よ。君は……いや、君達と私は、もっと先へ行けるのだ」

 

 

 

 僕は返事はしなかった。

 

 ただ、全力で。

 

 今の僕の限界とやらが具現化したようなこの男を踏破する為に、真っすぐに飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「アズラーン様……貴方のそんな嬉しそうな顔を見るのはいつ以来でしょうか……」

 

 

 

 エクス達が激戦を繰り広げている様子を、遠く離れた後方からターレスが見守っていた。

 

 その平坦な言葉に、僅かに混じっていたのは羨望か、それとも嫉妬か。

 

 

 

 

 

『ターレス、状況はどうなっている』

 

 

 

 

 

 ターレスの脳内に無粋な声が鳴り響く。総司令からの交信魔術だ。

 

「問題ありません。アズラーン様に敗北はありません。例え誰が相手だったとしても」

 

 それが総司令が相手であったとしても、と言葉には出さずに胸裏で付け加える。

 

『いいだろう。だが、もしもアズラーンが敗北するようならば、すぐに伝えろ』

「了解しました。総司令殿」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 ターレスとの交信を終えた総司令が、腰かけていた椅子から立ち上がった。

 

 

 

「勇者はアズラーンに足止め。ターレスもアズラーンが居る以上、あの場を動くことは無いだろう。"聖剣"が全て失われていない以上、万全とは言えないが……勝負に出るべきか……」

 

 

 

 僅かな逡巡の後に仮面の男は立ち上がると、その姿は闇の中へと掻き消えた。

 

 

 

 

 

 




話の流れ上しばらくシリアスが続きます。


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36.決着と再会

 

 

 

「クソがっ……また、噛ませ犬かよ。すまねえ、エクス……」

 

 

 

 アズラーンの拳を腹にめり込ませたヴィラが槍を手放して崩れ落ちる。

 

 

「そう己を卑下することは無い。君の戦闘能力は間違いなくエクスに次ぐものだった。この戦いが終わった後に、お互いの健闘を称えようじゃないか。……おっと、もう聞こえてはいないか」

 

 

 アズラーンは己の胸を貫くヴィラの槍を引き抜くと、気を失ったヴィラをそっと地面に寝かせた。

 

 

「さて、残りは(エクス)一人だ。我が愛よ」

「……ああ、決着をつけよう。アズラーン」

 

 

 (エクス)は力尽きて気を失っているフィロメラさん達を巻き込まない様に、大きく跳躍して戦場を変える。アズラーンも僕の意図を汲んでそれに追従した。僕の剣とアズラーンの拳が空中で交錯する。

 

 

「良い! 良いぞエクス! ヴィラもレビィもフィロメラもリアクタも! 君達は全員素晴らしかったが、やはり君は特別だ! この戦いの中で、君は既に限界を何度も超越している! 今やこの俺に迫る勢いだ!」

「―――フッ!」

 

 

 僕はアズラーンを無視して剣を振るう。……というよりも、会話をする余裕など無かった。肺は今にも破けそうだし、跳ねまわる心臓は次の瞬間に破裂してもおかしくない程に激しく脈打っていた。

 

 

 

 ―――だが、届かない。

 

 

 

 僕の命を削るような一撃を、アズラーンは容易く弾いていく。

 

 

「ハッハァ! 愉しい! 愉快だ! こんなに心が躍るのは初めてかもしれん!」

「お、アアアァァァ!!」

 

 

 ―――ぶちん、と。

 頭の中でとてつもなく不快な音が鳴り響くのを感じながら、僕はまた一つ"壁"を打ち破る斬撃を放った。

 

 次の瞬間、アズラーンの片腕が宙を舞っていた。

 

 

「―――ッ! す、素晴らしい……!」

 

 

 しかし、アズラーンはそれすら意に介さずに僕に痛烈な蹴りを放つ。

 

「ぶ、ぉご……!?」

 

 ―――直撃。

 筋肉で殺しきれなかった衝撃が骨を砕く音が体内で鳴り響く。

 僕は地を跳ねながら吹き飛ばされたが、却って良かったかもしれない。一先ず距離を取って体勢を立て直さなければ……

 

 

「フンッ!」

 

 

 アズラーンが大地を踏みしめると、轟音と共に砕かれた岩盤が宙に弾き出された。

 

「休んでいる暇はないぞエクス! 躱すんだッ!」

 

 中空に浮かび上がった岩盤を、アズラーンは残された片腕で僕へ向けて殴り飛ばした。

 

「ぐぅっ……!」

 

 受けるには巨大すぎる質量を僕は既の所で回避する。

 しかし、体力の限界故の後先を考えない回避は、アズラーンに致命的な隙を晒してしまった。

 

 僕の回避先で待ち構えるように、アズラーンが拳を構えていた。

 

 

「―――終局だな。殺しはしない。だが、次に君が目覚める時……君と仲間達は俺の眷属となっているだろう。共に永遠を生きよう、我が愛よ」

 

 

 言葉とは裏腹に、何処か寂しさのようなものを感じさせながら、アズラーンの拳が放たれる。

 

 

 

「ク、クソォ……ッ!」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、僕とアズラーンから少し離れた後方に巨大な斧が突き刺さった。

 

 

「むっ……?」

「あれは、レビィさんの……?」

 

 

 アズラーンを狙うにしては、余りにも的外れな場所へ投擲された斧に金色の美丈夫は怪訝な顔を浮かべていた。

 

 

「……悪足掻きか? 無駄なことを……」

 

 

 ―――違う、レビィさんはそんな意味の無いことなんてしない。

 

 

 彼女の意図を完璧に汲めていた訳ではない。

 それでも、僕は大地に突き立った戦斧へと向かって跳躍した。

 

 

「終わりだと言ったはずだ。おやすみ、エクス」

 

 

 戦斧の傍へ移動した僕を、アズラーンがすかさず追撃する。

 

 

「――いや、まだだ。これが僕の、僕達の最後の悪足掻きだ」

「なに……?」

 

 

 次の瞬間、戦斧を中心に僕とアズラーンを光の柱が貫いた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 エクスとアズラーンが対峙している地点へ向けて、フィロメラに支えられながら杖を向けていたリアクタが光の柱を見つめて呟いた。

 

「"極大聖化"……強力ですが、範囲指定もロクに出来ないし、詠唱にも時間がかかるから普通だったら使い物にならない術ですが……言われた通り、レビィさんの斧に向けて発動しましたけど当たりましたかね、フィロメラさん……?」

「分かりません……ですが、やれることはやりました。後はエクスくんを信じましょう。無理をさせてすいません、リアクタさん」

「えへへ……実はこの術、本部での修行中に習得した技なんです。皆さんと離れて修行した甲斐がありました。でも、少し疲れちゃったので、寝させて……くだ……さ……」

「……はい、お疲れ様です。リアクタさん。……エクスくん、勝ちましょう。勝って、アリエッタさんの所へ帰りましょう。私も、手伝いますから……!」

 

 

 フィロメラは魔力と体力の枯渇で、朦朧とする意識と震える足を気力でねじ伏せると、遠方の光の柱へと向けて最後の力を振り絞り、魔力弾を連射した。

 

 

 

 **********

 

 

 

「う、グオオアアアッ!!」

 

 

 

 (エクス)達を貫いた光の柱―――恐らくはリアクタちゃんの神聖魔法に、アズラーンは苦悶の叫び声を上げる。

 アズラーンの全身から噴き上がる黒煙の様子を見るに、開戦時に放った"広域聖化"とは桁違いの威力だ。

 

 

 ―――それでも、アズラーンは止まらない。

 

 

「この程度ォ! 気を緩めるなよエクスッ! 俺はまだ戦えるぞ!!」

 

 

 僕を貫こうと拳を振り上げるアズラーン。

 しかし、それを邪魔するように彼に魔力弾が襲い掛かった。

 

 

「グッ! まだだ! エクスが限界を超えるのならば、俺は、もっと先へ……!」

 

 

 連射される魔力弾を、残された片腕で弾くアズラーン。

 程なくして遠距離からの援護射撃は途絶えたが、僕が体勢を立て直すには十分な時間だった。

 

 

 

「アズラーンッ!!」

「エクスッ!!」

 

 

 

 

 

 振り下ろされた僕の剣と、アズラーンの拳が交差する。

 

 

 

 

 

 彼の拳が僕を貫くよりも速く、僕の剣がアズラーンの身体を深く斬り裂いた。

 

 

 

「がっ…………!!」

 

 

 

 アズラーンは咳き込むように口から血の塊を吐き出すと、己に刻まれた傷の深さに満足したかのように僕に向けて微笑んだ。

 

 

 

 

 

「…………見事だ、エクス。魔王軍十六神将"撃滅将"は君達の手によって討たれた」

 

 

 

 

 

 彼は、最後に慈しむように僕の頬を撫でると、その場に膝を突いた。

 

 

「さあ、俺を殺せ」

「アズラーン…………」

「嗚呼…………良い、戦いだった。俺は幸せ者だ。死力を尽くして競える相手と出会えた。そして、愛する者より先に死ねるのだから」

 

 

 僕は、アズラーンに剣を向けられなかった。

 

 

「……殺すしかないのか? 君は、僕も仲間達も殺そうとはしなかったのに?」

「駄目だよ、エクス。俺が愛したのは"人族の英雄"である君なんだ。敵に、それも中核をなす存在に情けなどかけてはいけない」

 

 

 彼は自ら首を差し出すように項垂れた。

 

 

「―――思えば、俺は君に敗れて良かった。君を眷属にしなくて良かった。そうしていたら、きっと俺は後悔していたと思う。……だから、これで良かったんだよ。エクス」

 

 

 もう話すことは無いと沈黙を貫く彼に、僕は迷いながらも剣を振り上げる。

 

 

「――さようなら、アズラーン」

「ああ、さらばだ。愛しき人よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は彼の首に向けて剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――申し訳ありません。アズラーン様」

 

 そして、その剣はアズラーンの首を断つこと無く空を切った。

 

「なっ…………!?」

 

 突如、目の前から消えたアズラーンを抱きかかえるターレスの出現に、僕は目を見開く。

 

 彼女の存在は完全に意識の外だったとはいえ、ターレスがアズラーンを奪い去る瞬間を全く知覚することが出来なかった。その事実に薄ら寒いものを感じていると、彼女は僕に向けて"聖剣"を放り投げた。

 

「エクス様。誠に勝手ながら、この場は退かせていただきます。"聖剣"はお返し致しますので、どうか御容赦ください」

 

 ターレスに抱きかかえられたアズラーンが苦し気に呻きながら彼女を問い詰める。

 

「ターレス……貴様、手出しは無用と厳命した筈だぞ……」

「……お許しください、アズラーン様。ですが、ここで貴方を失う訳にはいきません。私はまだ貴方に"愛"を教えていただいておりません」

 

 ターレスの言葉にアズラーンはハッとした表情を浮かべた。

 

「この非礼は後程、私の命で償わせていただきます。どうか、今は御容赦を」

「……いや、非は君にこのような無粋をさせてしまった我が弱さにある。許せ、ターレス」

 

 アズラーンはそう告げると、体力の限界だったのか気を失ったようだった。

 

 ……僕はターレスに剣を向ける。彼の命を絶つことに迷いがあったのは事実だが、このまま彼が撤退するのを見逃す訳にはいかない。

 

「……手荒な真似をするつもりはない。君とアズラーン、二人で僕達の捕虜になってはくれないか。扱いに関しては僕の力で最大限に配慮をする」

 

 僕の言葉が聞こえていないのか、ターレスは初めて出会ったその時から一切崩さない無表情で僕を見つめて告げた。

 

「このような無粋をした以上、アズラーン様の名誉の為にも貴方達をこの場で排除するつもりはありません」

 

 

 

 ターレスの細い指先が天を指した。

 

 

 

「ですが、備えねば命はありませんよ」

「何を…………?」

 

 

 

 要領を得ない彼女の言葉に、僕が怪訝な表情を浮かべていると、彼女は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

「―――天墜・貪狼(ドゥーベ)

 

 

 

 

 

 次の瞬間、轟音と共に空から炎を纏った巨大な岩石―――"流星"が僕に向けて堕ちてきた。

 

 

「なっ…………!?」

 

 

 

 目の前の光景に驚愕している僕を余所に、ターレスがメイド服のスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて優雅に挨拶をした。

 

 

 

 

 

「改めて御挨拶させていただきます。魔王軍十六神将、序列第一位"天墜将"ターレスと申します。さあ、剣を構えてください。あの程度の"星"、エクス様ならば斬れる筈です」

 

「くっ……おおおおおおお!!」

 

 

 余計な事を考えている暇はない。僕は身体に残る最後の力を振り絞って、斬撃を流星へと叩きつけた。

 

 

「―――お見事」

 

 

 自分でも驚くほどに、流星は簡単に断ち切ることが出来た。以前の僕ならば"聖剣"の力を使わなければ対処出来ないほどの"圧"を感じる攻撃だったのだが…………アズラーンとの戦いで、彼の言うように僕は"限界"とやらをいくつか超える事が出来たのかもしれない。

 

 叩き斬った流星は二つに分かれると、大地に衝突することなく、そのまま幻の様に姿を消した。本物の"星"ではない……? 何か破壊の"概念"のような物だったのだろうか。

 

 そんなことが一瞬頭を過ったが、それも束の間に僕はターレスへ向けて剣を構える。

 

 しかし、既に彼女の姿は何処にも無かった。

 

 

 

「彼女が、序列第一位―――十六神将の頂点……」

 

 

 

 

「エクスくんっ! 無事ですか!? さっきの流星は……?」

 

 遠くからフィロメラさんの声が近づいて来るのが聞こえる。

 

 瞬間、緊張の糸が切れる音が聞こえた気がした。

 

 体力気力ともに限界をとうに迎えていた僕は、気絶するようにその場に倒れこんでしまうのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「んぅっ……?」

 

 

 唐突な意識の覚醒に、(アリエッタ)はベッドの上で呆然としてしまう。

 

 

「……あれ? ここ、どこだ? ……というか、俺はさっきまで何をしてたんだっけ……?」

 

 

 見覚えのない室内に、俺は寝ぼけ眼を擦りながら頭を回そうとする。

 

 

 

 …………いや、見覚えならあった。家具の位置など微妙な差異は有ったが、ここは―――

 

 

 

「俺の、家……?」

 

 

 

 勿論、俺は実家に帰った覚えなど無かった。

 限界まで記憶を手繰ってみたが、俺は普通に銀猫亭で働いていた筈なんだが……

 そこまで考えた所で、唐突に部屋の扉が開かれた。

 

 

「…………」

 

 

 扉の向こうから現れたのは仮面で素顔を隠した男……男だよな? 

 

 まあ、とりあえず推定変質者だった。

 

 

「え、えーっと……どちら様? というか、俺なんにも状況掴めてないから何か知ってるなら説明が欲しいんだけど……」

 

 

 推定変質者が敵性存在なのか判断がつかなかった俺はとりあえずフレンドリーに接してみた。

 すると、推定変質者は仮面の奥からくぐもった声で優しげに俺に語り掛けてきた。

 

 

 

「アリエッタ……」

「えぇ~~……知り合いなの俺達? 申し訳ないけど俺はあんたの事これっぽっちも見覚えが無いんだけど……」

 

 

 

 こんな不審者を絵に描いたような男だったら一目見ていれば絶対に忘れない筈である。

 

 

 俺の警戒心MAXな表情に気づいたのか、男は軽く肩をすくめると仮面を外した。

 

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

 

 

 仮面の奥から現れた男の顔は、俺の知っている"それ"よりも幾らか年上の様に感じたし、疲れ果てたようにやつれてはいたが、俺が"彼"の顔を見間違える筈など無くて―――

 

 

 

 

 

 

「―――遅くなってごめん。迎えに来たよ、アリエッタ」

 

 

 

 優しげなその声色は、間違いなく俺の愛する人(エクス)の"それ"だった。

 

 

 

 

 

 



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37.旅路の果て

 

 

 

 

 

 

 長い道のりだった。

 

 

 

 魔王城に残された研究資料から、並行世界への転移方法を探る日々は数年間にも渡った。

 

 

 

 魔王を討伐したあの日―――並行世界への転移術の存在を知ってから、僕は魔王城から外へ出ることは無かった。

 

 外の世界がどうなったのか、それほど興味は湧かなかった。

 魔王も、その配下の十六神将も全て僕が殺し尽くしたのだ。恐らく人族の世界は平和になったことだろう。勇者としての役割は果たしたのだから、あとは僕の好きにさせてもらう。

 

 

 

 もう一度、愛する人に会いたい。

 

 僕に残された願望は、その一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 並行世界への転移理論は完成したが、起動に必要な魔力が足りなかった。

 

 仕方ない。魔王の肉(・・・・)を喰らおう。

 

 転移術研究の副産物として発見した他者の魔力を取り込む術式が思わぬところで役に立った。

 

 魔王の屍肉は酷い味だったし、身体に取り込む際に想像を絶するほどの苦痛も味わった。

 

 

 

 数日間、もがき苦しんだ結果、僕は絶大な魔力と引き換えに人間の身体を失っていた。

 

 

 

 なに、些細な事だ。

 

 愛する人を守れなかった人間の身体になんて、何の未練も無い。

 

 

 準備は整った。

 

 

 擦り切れた心の中で唯一、未だ色褪せない鮮やかな赤髪の彼女との思い出を求めるように、僕は自分の生まれた世界から立ち去った。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 転移は成功した。

 

 想定通りに、魔王軍が本格的な侵攻を始めるより前の年代の魔王城へと転移した僕の最初の仕事は、魔王を殺す事だった(・・・・・・・・・)

 

 

 予想通り、未だ肉の繭の中で眠り続けていた魔王の肉体をズタズタに切り裂く。

 

 以前の世界では、地上を破滅寸前まで追い込んだ災厄の化身はあっさりと、その命を散らした。

 

 

 

 次に僕が手を付けたのは、同じく活動開始前の状態だった四天王、八大幹部、十六神将の魔王軍幹部達の洗脳。

 

 "魔王軍総司令"という本来存在しない(・・・・・・・)魔族として僕を認識するように無防備な彼らに洗脳を施す。彼らには僕の手足となってやってもらうことがある。

 

 

 

 

 

 ―――この世界の(・・・・・)エクスの抹殺だ。

 

 

 

 

 

 だって彼が居たら、彼女が僕を見てくれないじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 僕自身が出向いて、この手で彼を殺せば手っ取り早いのだが、この世界にも"聖剣"は存在している筈。迂闊な真似は出来ない。

 

 "聖剣"の力は反則的だ。

 

 因果律すら捻じ曲げて、魔王を粉砕したその力は僕自身が何よりもよく知っている。魔王の魔力を取り込んだ今の僕でも万が一という場合がある。

 

 魔王軍幹部達には捨て駒となって、"聖剣"を消費させてもらう。

 

 全ての"聖剣"が失われたその時に、(エクス)を殺して彼女を迎えにいこう。

 

 これまで何年間も待ったのだ。今更もう少し待つ時間が増えた程度で焦ったりはしない。

 

 

 

「アリエッタ……もう少しだけ待っててね。髪飾り、必ず君に返しに行くから……」

 

 

 

 魔王軍総司令と呼ばれる男の手のひらで、白い花を象った髪飾りが転がる。

 

 

 その濁った瞳には、既に"現実"は映っていなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

『大事なものを守れ』

 

 声が、聞こえた。

 

 絶望した男の、それでも諦めきれないという想いが籠った声が。

 

『僕には、無理だった』

 

『守ることが出来なかった』

 

『頼む。お前だけは』

 

『今度こそは』

 

 

 

 

『大事なものを、守れ―――!』

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「―――総司令、どうされましたか。随分とうなされていた様ですが」

 

 

 四天王の声に、僕は浅い眠りから目を覚ます。

 

 

「……僕は何か言っていたか?」

「確か、何かを守れと。それが何か?」

「……いや、何でもない。下がれ」

 

 

 

 

「守る……? ああ、守ってみせるさ。今度こそ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 長い道のりだった。

 

 

 

 

 

「―――遅くなってごめん。迎えに来たよ、アリエッタ」

 

 

 

 

 

 赤髪の彼女を前にして、震えそうな声を必死に抑え込む。

 

 

「エクス、なのか?」

「ああ、そうだよアリエッタ。僕が、エクスだ」

 

 

 彼女の鈴を転がすような声が僕の名前を呼んでいる。

 

 それだけで、全てが報われたように感じてしまう。

 

 

 

 以前の世界で、彼女を喪ってからも戦い続けた日々が。

 

 10年以上に及ぶ研究の日々も。

 

 人間の身体を棄てたことも。

 

 

 

 

 

 

 

 魔王軍総司令として、この世界の人間の命を踏みにじってきたことも。

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、エクス。ここは何処なんだ? 俺の家に似てるけど何か微妙に違うし、そもそもここに来る直前のことを全く覚えてないし……」

「アリエッタ。後でちゃんと説明するから、しばらくここで暮らしてくれないか? もちろん君に不自由はさせないよ」

「はあ!? い、いや、急にそんな事言われても……」

 

 

 戸惑う様子の彼女の手を、僕は軽く握りしめた。

 

 

「不安なのは分かるよ。でも、僕を信じてアリエッタ」

「うっ、その言い方はずるいだろ……分かったよ。後でちゃんと説明してくれよ?」

 

 

 一先ず、納得してくれた彼女に僕は優しく微笑んだ。

 

 

「僕は少し片づけないといけない用事があるから。申し訳ないけど外は危ないから出入口には鍵を掛けさせてもらうよ」

「オイオイオイ、ちょっと監禁みたいになってるじゃねえか。マジで後で説明しろよ?」

「うん、すぐに戻るから心配しないで。食べ物も水も十分用意してあるから、好きに使ってね」

 

 

 名残惜しいが彼女の部屋を後にしようとする瞬間、ふと僕は先ほどから気になっていたことを彼女に尋ねた。

 

 

 

「そういえば、さっきから気になってたんだけど……何で男の子みたいな喋り方をしてるんだい?」

「……はぁ? おい、一体何を言って―――」

 

 

 

 彼女の言葉は、部屋を激しく揺らす振動と轟音に断ち切られた。

 

 

「な、なんだ!?」

「ごめんアリエッタ。僕は行かないと。ここに居れば安全だから何も心配しないでね」

「お、おいっ。エクス!」

 

 

 僕は強引に会話を打ち切ると、彼女の居室の扉を閉ざした。

 

 

 

 

「揺れと音は……魔王の間からか。どうやら気づいた様だな」

 

 

 

 僕は仮面を被ると、魔王城最深部へとゆったり歩を進めた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「…………む、ここは…………」

「アズラーン様、気づかれましたか」

「ターレス。ここは、魔王城か」

 

 アズラーンは目の前の見慣れた光景と、深く斬り裂かれた胸の傷跡に己が愛する者(エクス)に敗北したことを思い出す。

 

 

 

 

 

 ―――そして、それ以上に重大な真実を激戦のショックで思い出していた。

 

 

 

 

 

「アズラーン様、まだ動かれてはなりません。応急処置はしましたが万全には程遠い筈です」

「確認しなければならないことがある。ついて来いターレス」

 

 

 

 **********

 

 

 

 アズラーンが向かった先は、魔王の間―――魔王が眠る巨大な肉の繭の前だった。

 

 

「アズラーン様、総司令殿の許可無しに魔王様の寝室へ入るのは……」

「―――シッ」

 

 

 アズラーンが手刀を振るうと、生じた衝撃波で魔王の眠る繭が切り裂かれた。

 繭からドロドロとした粘液や肉塊のようなものが床へ流れ出す。

 

 

「アズラーン様!?」

 

 

 突然のアズラーンの凶行に、流石のターレスもその無表情を僅かに崩して声を荒げる。

 

 

「……やはりな。よく見ろターレス、魔王様の肉体は既に再生不可能な程に破壊されている。これでは幾らエネルギーを注いでも……」

「そんな……一体誰が……?」

「俺と君以外でこんな事が出来る者など一人しかいないさ。そうだろう? 仮面の君よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやく気付いたようだな。蛆にも劣る劣等ども」

 

 

 

 背後から現れた仮面の男に、アズラーンとターレスが身構えた。

 

 

「総司令殿……」

「違うぞターレス。魔王軍に総司令などという者は存在しない」

 

 

 アズラーンの言葉に仮面の男は僅かに笑ったかのように肩を震わせた。

 

 

「流石は十六神将といった所か。自力で僕の洗脳を抜け出すとは」

「そうでもないさ。エクスから受けたこの傷が無ければ、今でも君を総司令と呼んでいただろう。……ふっ、愛の力という奴だな」

「愛、だと……?」

 

 

 瞬間、仮面の男からアズラーンに向けて激しい憎悪が噴き上がる。

 

 

「僕から彼女を奪った薄汚い種族の同胞が、愛だと? …………もういい。彼女が僕の下へ戻った以上、貴様らは用済みだ。他の神将の後を追え」

「……やはり、他の神将も既に始末していたか」

 

 

 アズラーンが同胞の末路を悟り、僅かに瞳を悲し気に揺らした。

 重傷を負っているアズラーンを庇うように、ターレスが仮面の男の前に立ちはだかった。

 

 

「アズラーン様。仔細は図りかねますが、この男を我々の敵と認識します。貴方に代わり処理致しますので御下がりを」

「ターレス、魔王軍で一番厄介だったのは君だよ。本来なら十六神将は御しやすいアズラーン以外、目覚めさせるつもりは無かったのだが……どういう訳か君だけは自力で眠りから目覚めてしまった。十六神将筆頭の力というものかな?」

 

 

 ターレスは仮面の男の言葉を無視して、自らの技―――"天墜"を最大威力で高速で組み上げる。

 

 天から星を堕とす彼女独自の技は、破壊力だけで言えば魔王にも匹敵する一撃である。仮面の男がどんな手を使ってこようと、粉砕する自信が彼女には有った。

 

 

 

「―――天墜・破軍(アルカイド)

 

 

 

 

 

 

 

「そんな君を、僕が無警戒に放置しておくと思うかい?」

 

 

 術が発動する瞬間、ターレスの胸で何かが爆破したかのように大穴が開いていた。

 

「ぐ、ぶ…………」

「ターレスッ!!」

 

 口から血の塊を吐き出し、膝から崩れ落ちるターレスをアズラーンが抱きかかえる。

 その様子を仮面の男は何の感情も籠めずに見下ろしていた。

 

 

「魔王軍幹部の身体には全員細工をしてある。僕に逆らおうとすればどうなるか……彼女を見ればよく分かるだろう?」

「貴様……!」

「後は君を消せば終わりだアズラーン。アリエッタが待っているんだ。手早く終わらせてもらうよ」

「……アリエッタ?」

 

 

 不意に仮面の男から出た名前に、アズラーンが怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「今、アリエッタと言ったか? 彼女がこの魔王城に居るのか?」

「おっと、口が滑ったか。まあ君には関係ないことだ。ここで死ぬ君にはね」

「……いや、その失言は致命傷だよ。仮面の君よ」

 

 

 瞬間、アズラーンが後方に跳躍する。

 目くらましのように足場に使った床や壁を踏み砕いていくが、アズラーンの逃走を想定していた仮面の男は構わずに前方へ魔力弾を放とうとした。

 

 

 

「―――天墜・巨門(メラク)

「―――ッ!!」

 

 

 突如、仮面の男へ流星群が迫る。

 仮面の男は魔力弾を放ち、燃え盛る巨岩を迎撃したが、眼前の土煙が晴れる頃にはアズラーンとターレスの姿は何処にも無かった。

 

 

「魔王城の外へ―――人界へ逃げたか。まあいい、魔王城は封鎖する。次元の狭間に閉じこもってしまえば誰であろうと入ってはこれまい。以前の世界での魔王の敗因は人界に城を現出させた点だ。僕はそんな過ちは犯さない」

 

 

 仮面の男はそう呟くと、魔王の間を後にした。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「……う、ここ、は……?」

「エクスくんっ! 皆さん、エクスくんが目を覚ましました!」

 

 

 

 (エクス)は覚醒直後の曖昧な意識でフィロメラさんの叫び声を聞いていた。

 

 周囲を見回すと、僕が寝かされていたのは見慣れた王都の拠点の自室だった。フィロメラさんの声を聞いて室内にヴィラが顔を出す。

 

 

 

「おう、寝坊助のお目覚めか。調子はどうだエクス?」

「ヴィラ……うん、身体は多分問題無いと思う。……僕はアズラーンとの戦いからどれぐらい寝てたの?」

「丸二日ってところだな。とりあえずは水分と栄養だ。今、リアクタがスープ持ってくるから水でも飲んで待ってろ」

 

 

 ヴィラが僕に水筒を投げて渡してきた。受け取ったそれに口を付けると、自分が想像していた以上に身体が乾いていたのか、一息に中身を飲み干してしまう。

 

 

 その後、僕はリアクタちゃんの持ってきてくれたスープを食べながら、僕が気絶してしまった後の経緯を皆から聞くことになった。

 

 

「アズラーンを撃退して、僕が眠っている間に魔王軍に動きは無し、か……」

「ええ、十六神将の一人が破れたのだから、てっきり魔王軍が本腰を入れて侵攻を始めるのかと思っていたのですが……」

「分かりました。ありがとうございますフィロメラさん。……それで、えっと、その、こんな時に言う事じゃないのかもしれませんけど……」

 

 

 僕は少し躊躇いながらも、思い切ってフィロメラさんに話した。

 

 

 

「その、僕が目を覚ましたことをアリエッタに伝えてもらってもいいですか? 彼女、きっとすごく心配していると思うので……」

「…………」

「……フィロメラさん?」

 

 

 

 僕の言葉を聞いて、フィロメラさんが沈痛な面持ちを浮かべた。

 

 

「……エクスくん、落ち着いて聞いてください」

「え、は、はい……」

「……私達がアズラーンとの戦いに向かったあの日、アリエッタさんは行方不明になったそうです」

「…………は?」

 

 

 

 

 

 フィロメラさんが、何を言っているのか理解出来なかった。

 

 

 

 

 

「銀猫亭のマスターとテイムさんにもお話を伺ったのですが、二人とも突然意識を失ってしまい、気が付けばアリエッタさんの姿が何処にも見えなかったそうです……」

「えっ……いや、待って、ください。冗談、ですよね? フィロメラさん……?」

「……"星詠み"で彼女の居場所を探れないかも調べてみました。……ですが、彼女の痕跡がこの世界の何処にも見つけられないんです」

「だから、待って……だって、僕は、彼女の所へ必ず帰るって……約束、したのに……」

 

 

 

 

 世界が急速に歪みだす。

 

 

 視界から色が消えうせていく。

 

 

 僕はフラフラとベッドから立ち上がった。

 

 

 

 

 

「さが、探さないと。ア、アリエッタが、きっと心配してる。僕の帰りが遅いって。急がなきゃ」

 

 

 

 

 

 フィロメラさんが何か僕に向けて叫んでいるが、何も頭に入ってこない。

 

 

 探さなきゃ。アリエッタを。

 

 

 大丈夫、僕なら見つけられる。

 

 

 だって、僕は彼女のことを愛しているし、彼女も僕を愛してくれているのだから。

 

 

 眠り続けていた身体を急に動かした反動だろうか、僕は足をもつれさせて無様に転びそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――落ち着きたまえ。我が愛よ」

 

 

 

 

 

 

 

 床に顔を叩きつけそうになった僕を、金色の美丈夫が抱きかかえていた。

 

 

 

 

 

「アズ、ラーン?」

「赤髪の君の居場所を知っている。彼女を助けたい。力を貸してくれ、エクス」

 

 

 

 

 

 



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38.何も守れなかった男

 

 

 

 

 

「……さて、アズラーンとターレスは排除した。魔王城は封鎖したから外部からの侵入者はありえない」

 

 

 

 残るは最後の仕上げ(・・・・・・)だけだ。

 

 

 そう考えながら、(エクス)は仮面を外すと彼女(アリエッタ)の居室の扉を開けた。

 

 

 

 

 

「ん? おう、おかえり。腹減ったから勝手に飯作らせてもらったんだけど、エクスも食べるか?」

「―――あ、ああ。いただこうかな」

 

 

 

 

 

 瞬間、僕は今の自分が置かれた状況を忘れそうになった。

 

 

 以前の世界での記憶を下に再現した彼女の生家。

 

 

 その台所で鍋から二人分のスープを皿によそってテーブルに並べるアリエッタ。

 

 

 

 

 

「どした? 座りなよ」

「……う、うん」

 

 

 

 

 

 あまりにも平和な光景に、彼女を喪ってから過ごした今までの全てが悪い夢だったのではないかと錯覚しそうになる。

 

 

 

 でも、やっぱり僕がこれまで歩んできた時間は、どうしようもなく"現実"だった。

 

 

 

 口に運んだ彼女の暖かなスープから、何の味も感じない(・・・・・・・・)自分の身体に、僕は思わず涙を零してしまった。

 

 

 

「ど、どうしたエクス!?」

「ふ、ぐっ……つ、辛かった。本当に、辛かったんだよ。アリエッタ」

 

 

 

 心配そうに駆け寄ってきた彼女の細い腰に、僕はみっともなくしがみついてしまった。

 

 

 

「エ、エクス……?」

「本当は嫌だった。逃げ出したかった。君がいなくなったのに、戦い続ける理由なんて何処にも無かったのに」

 

 

 

 困惑する彼女を置いてけぼりにして、僕は今まで堪えていた情けない泣き言を零し続けた。

 

 

 

「フィロメラさんも、レビィさんも、ヴィラも、リアクタちゃんも…………みんな僕を残していってしまった。どうしてみんなして僕を独りにするんだ。何で誰も僕の傍にいてくれないんだ。僕は……こんなに頑張っているのに…………」

「エクス……」

 

 

 

 彼女の手が恐る恐るといった様子で僕の頭を優しく撫でてくれた。

 

 掌から伝わる彼女の温もりが懐かしくて、嬉しくて、涙が増々溢れてきてしまった。

 

 

 

 

 

「お願いだよアリエッタ。もう二度と、僕の前からいなくならないで。僕を残して遠くに行かないで。僕を、独りにしないで…………」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「……落ち着いたか?」

「……うん。ごめんね、取り乱しちゃって」

「それは別にいいけどさ。でも、そろそろちゃんと事情を説明してくれよ? いきなり実家みたいな部屋に放り込まれて放置されたと思ったら、今度は帰ってきたお前に突然泣きつかれるし。俺にはもう何が何だか訳が分からないぞ」

 

 

 

 (アリエッタ)はエクスが泣き止むまで、彼の頭を撫で続けていた。

 

 

 エクスが泣きながら俺に話していた内容については、支離滅裂で正直なところ俺には殆ど内容を理解出来なかったが、彼が酷く傷ついていたことだけは伝わってきた。

 

 ひとしきり泣いてスッキリしたのか、エクスは少しだけ照れ臭そうにしながら俺に向き合う。

 

 

 

「……うん、そうだね。ちゃんと説明するよ」

「おう、頼むわ」

 

 

 

 そう言うと、エクスは指先に何やら光の球を創り出した。

 

 えっ、何されんの俺。

 

 俺がビビッているのを見て、エクスが困ったように小さく笑った。

 

 

「心配しないで。ちょっと事情が複雑だから、口で説明するよりも実際に"観て"もらった方が早いと思って」

「待って待って。何の説明にもなってないぞ。その球を一体どうする気だお前」

「これは僕の"記憶"を相手の精神に見せる魔法だよ。心配しなくても痛みとか自我の混濁とかそういうのは一切無いから」

「怖い前置きすんなよ! 何、普通は痛みとか自我の混濁を懸念するようなアレなの!?」

 

 

 俺がギャーギャー喚くのを無視してエクスが光の球を俺の頭蓋にインしてきた。あふん。

 

 

 奇妙な酩酊感と共にスゥーっと意識が遠のいていくのを感じる。後で覚えてろよてめえ。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「本当に行っちゃうの、エクス?」

 

 

 

 それは、よく似ているが見覚えの無い光景だった。

 

 

 "俺"によく似た赤髪の少女が幼いエクスと向かい合っていた。

 

 

 

「うん。アリエッタと離れるのは嫌だけど……でも、この世界を守ることはアリエッタを守ることでもあるから。僕は行くよ」

「そっかぁ……それじゃあ、おまじない」

 

 

 赤髪の少女が身に着けていた白い花の髪飾りをエクスに手渡した。

 

 

「私の一番大事なもの、エクスに貸してあげる。私は一緒に行けないけど、その髪飾りを私だと思ってね。……なーんて、ちょっと気障過ぎるかな?」

 

 

 白い髪飾りを受け取ったエクスの手を、赤髪の少女がギュッと握りしめる。

 

 

「あっ、でも勘違いしないでね? 貸してあげるだけだから。エクスのやる事がみんな終わったら、私に髪飾りを返しに来てね?」

「……うん、約束する。僕は必ず、君にこの髪飾りを返しに行くよ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「……ごめんなさいエクスくん。この命に代えても、君を最後まで守るつもりだったのに……」

「喋らないで、フィロメラさん。絶対に助けますから。諦めないで」

 

 

 凍てつくような氷の大地で、エクスが腹に大穴を開けたフィロメラを抱きしめていた。

 

 

「……"氷獄"は、どうなりましたか?」

「倒しました。フィロメラさんが僕を庇ってくれたおかげです」

「そう、ですか……少しでも、お役に、立てて……良かった……」

 

 

 フィロメラが安心したように瞼を閉じた。

 

 

「駄目だ。駄目だ! フィロメラさん! もうすぐリアクタちゃんも帰ってくるんですよ! 貴方が居なかったら、彼女が泣いてしまうじゃないですか!」

「エクス、くん……アリエッタさんと、幸せに……」

 

 

 

 

 

 フィロメラがそれ以上、言葉を発することは無かった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「レビィさん!」

「っあ~~…………ごめんエクス。私じゃ八大幹部一人と刺し違えるのがやっとだったわ」

 

 

 巨大な人狼の骸に座り込むレビィ。

 

 

 彼女の腕と足は一本ずつ失われていた。

 

 

「ヴィラの奴がまだ向こうで八大幹部を王都の手前でギリギリ抑え込んでる。早く助けに行ってあげな」

「その前に、レビィさんに治療を……!」

「私はもう手遅れ。フィロメラ並の治癒魔法の使い手でも居なきゃ助からないよ。ほら、無駄な時間を使ってたらヴィラまでやられるよ。早く行きなって」

「……すいません、レビィさん」

 

 

 エクスがレビィの前から立ち去るのを見届けると、彼女はゆっくりと倒れ伏した。

 

 

「ごめんね、フィロメラ。あんたの代わりにエクスを守ってやるつもりだったんだけど……文句はそっちで聞いてやるからさ……」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「アリ、エッタ……?」

 

 

 

 

 

 破壊の痕が痛ましい王都で、エクスが瓦礫の山となった銀猫亭の前で立ち尽くしていた。

 

 

 そこにはテイムとマスター、それに"俺"によく似た赤髪の少女の亡骸が並べられていた。

 

 

 ヴィラが立ち尽くすエクスの肩に手を置く。

 

 

 

「エクス、辛いのは分かる。もし、嫌になって逃げ出したいなら俺様は止めないし責めないぞ」

「…………ヴィラ、大丈夫。八大幹部の王都襲撃で亡くなった人は他にもごまんといるんだ。僕だけが悲しみに溺れる訳にはいかない」

「エクス…………」

「アリエッタ。髪飾り、もう少しの間だけ借りておくね。まだ全部が終わってはいないから」

 

 

 

 少女の亡骸にそう告げると、エクスは能面の様な無表情で立ち上がり、歩き出した。

 

 

 

 

 

「あの蛆にも劣る劣等どもを皆殺しにする。魔王も、それに付き従う(ゴミ)も全員この世から消す」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「は、はは……お前に置いてかれないように必死に突っ張ってきたが、どうやらここまでみたいだな」

「ヴィラ……」

 

 

 ヴィラがニィッと笑いながら焦点の合わない瞳をエクスに向けた。

 

 

「……勝てとは言わねえよ。でも、負けるなよエクス。敵にじゃねえ、自分にだ」

「……ああ、分かった」

「それじゃ、こっちにはゆっくり来いよ。少なくとも50年は来るんじゃねえぞ? あんまり早く来るようなら、レビィの奴と一緒に叩き返してやるからな…………」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「嫌だ、嫌だ。リアクタちゃん、君まで行ってしまうのか? 君が居なくなったら、僕は本当に独りになっちゃうじゃないか……」

「ごめんなさい、エクスさん……でも、無理しなくていいですよ?」

「……無理? 何を言って……」

 

 

 

「本当は、()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

「…………どうして」

「分かりますよ。それなりに長い付き合いですから。……無理させて、ごめんなさい。もうずっと、心が動いていないんですよね?」

「…………違う、違う。僕は、本当に悲しくて」

 

 

 リアクタの血塗れの手が、エクスの頬を撫でた。

 

 

「エクスさんは優しいから、皆に合わせてくれてたんですよね? でも、そんなに無理してたら本当に大事な部分まで壊れてしまいますよ?」

「リアクタちゃん……」

「エクスさんが頑張ってたの、皆知ってます。ヴィラさんも、フィロメラさんも、レビィさんも、もちろん私も。だから自分を責めないでください。これは皆で一生懸命頑張った結果なんです。だから、否定しないでください。皆で掴んだ未来を」

「分かった。分かったよ。だから、もう無理しないで」

 

 

 エクスの懇願するような声にリアクタが弱弱しく微笑んだ。

 

 

「ふぅ……いっぱい喋ったから少し疲れちゃいました。ちょっとだけ、休んでもいいですか?」

「……うん、ここで休んでて。後で、迎えにくるから」

「はい……ありがとう、ござい……ま…………」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「魔術式の応用……並行世界への転移……」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「アリエッタ……もう少しだけ待っててね。髪飾り、必ず君に返しに行くから……」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「―――カッ……は……ぁ……!?」

 

 

 

 急速に自我が覚醒する。

 

 悪夢から目覚めた時のように、(アリエッタ)が荒い呼吸をしていると、背後に立っていた男が宥めるように背中を撫でていた。

 

 

「大丈夫アリエッタ? ゆっくり呼吸をして……」

 

 

 俺は男の手を弱弱しく払うと、よろよろと距離を取った。

 

 

「は……ぁ……お、お前……お前は、誰……だ……?」

 

 

 

 俺の言葉に、目の前の男は怪訝そうな表情を浮かべた。

 

 

 

「誰って……見ただろう? 僕は"エクス"だよ」

「……違う。お前は"エクス"かもしれないが、俺の知っているエクスじゃない」

「些細な事さ。僕は誰よりも――"こっちの"エクスよりも君を愛している。それなら、僕が君の"エクス"でいいじゃないか?」

 

 

 

 

 

 ―――狂っている。

 

 

 

 

 

 彼の――エクスによく似た男の濁った瞳に、俺は得体のしれない恐怖を感じた。

 

 

 こいつは一体、何を見ているんだ? 

 

 

 今見た記憶が真実なら、こいつの居た世界の"アリエッタ"と"俺"は見た目以外は似ても似つかない別人だ。

 

 

 こいつはそんな違いにも気づいていないのか? 

 

 

 

 

 

「……そうか、やはり"彼"が生きていたら駄目か」

 

 

 

 

 

 俺の様子を見て、目の前の男は困ったように小さく笑った。

 

 

 

「まあ、こっちの世界の"(エクス)"が万が一にも僕みたいになってしまったら困る。どの道必要なことだったね」

「なにを、言ってるんだ?」

 

 

 

 エクスに似た"何か"が俺を軽く抱きしめる。

 

 決して強い力が込められていた訳では無いが、得体のしれない恐怖に俺は身動き一つとることが出来なかった。

 

 

 

 

 

「少しだけ待ってて、アリエッタ。僕はちょっとこの世界を平ら(・・)にしてくるよ。君が僕以外の"エクス"に惑わされないようにね」

 

 

 

 

 

 何でもない口ぶりだったが、それが何を意味するのか分からない程に、俺は察しが悪くはなかった。

 

 

 

「お、おい! 待て……!」

「君はここで待ってて。すぐに戻るからね」

 

 

 

 俺が引き留める間もなく、男は部屋から出ていく。

 

 俺は慌てて追いすがるが、既に扉は施錠されていた。

 

 

「クソッ! 開けろッ!」

 

 

 俺は扉に向けて室内にあった椅子をぶつけてみたが、決して頑丈そうには見えない扉はビクともしなかった。

 

 

 

「チィッ! ……って、俺が出ていった所で何が出来るんだ? ……いや、何が出来るか分からんが、ここで何もせずに待っている訳にはいかないだろ……!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ最後の仕上げといこうか」

 

 

 魔王の間で、玉座に腰かけた仮面の男が指揮をするように片手を前へ突き出した。

 

 

 

「―――出ろ、塵芥共。森羅万象を喰い尽くせ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「お、王城へ伝令急げ! 弓兵隊と槍兵隊は前へ! 少しでも時間を稼ぐぞ!」

 

 

 

 王都外縁部の守備隊が慌ただしく動く。

 

 

 

 目の前の光景(・・・・・・)に、恐慌状態に陥っている兵がいないのは愛国心の成せる技か、彼らは目の前の敵に対して素早く迎撃態勢を取る。

 

 

 

「撃てぇーっ!!」

 

 

 

 指揮官の号令と共に大量の矢が前方へ向かって放たれた。

 

 

 普通の魔物の軍勢であれば、これで半数は討ち取れる筈なのだが…………

 

 

 

 

 

「―――――――ッ!!!」

 

 

 

 

 

 周囲に意味を成さない獣の様な絶叫が響き渡る。

 

 

 

 矢は確かに"敵"へ届いていたのだが、彼らはそれを全く意に介さずに王都へと向けて進軍を続けていた。

 

 

 

「く、くそっ……! なんで……っ!!」

 

 

 

 兵士達が悪態を吐きながら、新たに矢をつがえて前方へ狙いを定める。

 

 それが"奴ら"に何の意味も成さないことを知りながら。

 

 逃げ出したい恐怖を誤魔化すように兵士の一人が叫んだ。

 

 

 

 

 

「―――前の戦いで全滅した筈だろう!? なんで八大幹部(・・・・)がまた攻めてくるんだよっ!?」

 

 

 

 

 

 兵士の叫びが耳障りだと言わんばかりに、弓兵隊の上空から巨大なドラゴン―――八大幹部"幻影"が襲い掛かった。

 

 

 上空からの奇襲に連携が乱れた守備隊の隙を突くように地上を進軍していた八大幹部"魔槍"、"煉武"、"獣王"が襲い掛かる。

 

 一方的な虐殺の始まりだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「しょ、将軍! 緊急事態です!」

「何か起きたのは分かっている。魔王軍の襲撃か?」

 

 

 王城で防衛戦の準備を進めていた将軍の下へ伝令役の兵が駆け付けた。

 

 

「は、はい! 敵は王都の四方から同時に攻めてきております!」

「敵は十六神将とやらか?」

「いえ! 敵は先の戦いで全滅した筈の魔王軍八大幹部です!」

「なに? どういう……」

「そ、それだけではなく、八大幹部の総勢が四方にそれぞれ(・・・・・・・)存在している模様!」

 

 

 伝令役の要領を得ない報告に、将軍が怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「一体何を言っている! 報告は正確に分かりやすく伝えろ! その言い方ではまるで……」

「は、八大幹部が"複数"いるのです! 報告があったものだけでも"獣王"、"氷獄"、"煉武"が東西に二人ずつ確認されています!!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 人界の様子を確認しながら、仮面の男はつまらなそうに玉座に肘をついていた。

 

 

「十六神将レベルは無理だが、八大幹部の劣化複製程度なら僕の魔力のゴリ押しでいくらでも作れるんだよ。それなりに消耗するし、数が多すぎると制御が大雑把になるからあまりやりたくは無かったが……アリエッタは既に僕の下にいる。次元封鎖で魔王城の安全も確保されているなら恐れることは何も無い。エクスが"聖剣"を使い果たすまで数で磨り潰してやる」

 

 

 

 

 

 仮面の男が更に八大幹部の複製を追加投入しようと手を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――瞬間、魔王城を激しい轟音と衝撃が襲った。

 

 

 

「なっ……! 何が起きた!?」

 

 

 仮面の男が玉座から立ち上がり、轟音が鳴り響く方向へと駆け出す。

 

 

 

 

 

「―――なんだ、アレは」

 

 

 

 

 常闇の空間を切り裂くように、魔王城の倍はある大きさの燃え盛る巨岩―――"流星"がこちらへと向かってきていた。

 

 

 

 

 

「"天墜"……! ターレスかっ!!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「"天墜・破軍(アルカイド)"はあの時、既に発動していました。恐らく遠隔でも術式を再起動させられる筈です。あの男と言えど、防ぐことは不可能な筈。回避する為に魔王城は人界へ現出する筈です。」

 

 

 アズラーンに支えられながら、ターレスが虚空へ向けて手を伸ばしていた。

 

 (エクス)はアズラーンに再度確認をする。

 

 

「……魔王城に、アリエッタがいるんだな?」

「ああ、確かに俺がこの耳で彼女の名を聞いた。彼女は君の助けを待っている筈だ」

 

 

 アズラーンの言葉に嘘は感じなかった。僕はもう一つの懸念をアズラーンに問いかける。

 

 

「これは明らかに魔王軍に対する反逆行為だろう。君はそれでもいいのかい?」

「……魔王様は既に崩御なされた。今の魔王軍が仮面の君の私物となっているのならば、その在り様を正すのもまた"忠"というものだろう」

「……そうか、すまない」

 

 

 僕の口から自然と零れた謝罪の言葉に、アズラーンは柔らかく微笑んだ。

 

 

「礼も謝罪も不要だ。君達にはターレスの治療をしてもらった。それに俺は君とアリエッタの事が好きだ。この行いは愛する者に幸せになってほしいという俺自身のエゴでもある。何も気にすることはない」

「……ハッ、僕も君の事は嫌いじゃないよ。アズラーン」

 

 

 

 

 

 瞬間、全身に重苦しいプレッシャーを感じると同時に、空に巨大な"歪み"が視えた.

 

 

 

 

「―――来ます。エクス様、ご武運を」

 

 

 

 

 ターレスの言葉が合図となったかのように、王都上空に巨大な城―――魔王城が現出した。

 

 

 

 

 

 



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39.世界で一番愛している人

 

 

 

 

 

 

「オラァッ!!」

 

 

 

 ヴィラの振るった槍が"獣王"の頭部を吹き飛ばす。

 

 首から上を失った"獣王"の身体は蝋が溶けるように、不定形な液体となってその場に崩れ落ちた。

 

 

「……何か弱いぞこいつ等。前に王都で戦った時の3割ぐらいしか力を出せてないんじゃねえのか?」

 

 

 怪訝な表情を浮かべているヴィラの背後でレビィが"煉武"を両断していた。

 

 

 

「理性も無さそうだし、知能は多分そこらの魔物と変わらない。見掛け倒しかもしれないわね。……でも、一般兵の手に負える相手ではないし、この数は厄介ね」

 

 

 

 レビィは斧を構え直しながら、矢継ぎ早に襲ってきた"煉武"と"獣王"を複数(・・)相手取っていた。

 

 

 

 理屈は分からないが、現在王都は突如復活した八大幹部のような魔物(・・・・・・)の軍勢に襲撃を受けていた。

 

 個々の実力こそ八大幹部そのものには及ばないが、厄介なのはその数だ。もう既に10体以上の八大幹部を屠っているが、その波が途切れる様子は見えなかった。

 

 

 人類軍も各所で奮戦してはいるが、やはりエクス一行の人員が居ない方面ではジワジワと戦線が押されてきている。

 

 レビィの背後から襲い掛かった"魔槍"の胸をヴィラの槍が貫くと、彼はレビィに向かって叫んだ。

 

 

「レビィッ! ここは俺様が抑えるから、お前は他の援護に回れ! この程度の相手なら俺様だけでもしばらくは大丈夫だ!」

「りょーかい。ま、私達が踏ん張ってる間にエクスが親玉を叩いてくれるのに期待しましょ」

 

 

 行き掛けの駄賃とばかりにレビィは何体か敵を両断すると、苦戦している人類軍の一団へと向かって駆け出した。

 

 

「…………それにしても」

 

 

 

 戦場を疾風の如く駆けながら、レビィは王都の遥か上空に浮かぶ城―――魔王城を見つめて小さく呟いた。

 

 

 

 

 

「エクスの奴、どうやって(・・・・・)あそこに行くつもりなんだろ?」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「エクス様、ご武運を」

 

 

 

 ターレスの言葉に(エクス)は上空に浮かぶ魔王城を見つめながら頷いた。

 

 

「ああ。…………アズラーン」

「どうした、我が愛よ」

「……僕はどうやって(・・・・・)あそこ(魔王城)へ行くんだ?」

 

 

 

 城の上部は雲にかかるほどの上空に浮遊している魔王城を見つめて、アズラーンは「ふむ」と小さく呟いた。

 

 

 

「飛べばいいではないか?」

「……驚くかもしれないが、人間の大半は空を飛べないんだ」

「そうか…………」

 

 

 

 アズラーンが慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら僕を見つめた。

 

 

 

 ―――まさかのノープランである。

 

 

 

 僕は頭痛に耐える様に、額を指先で押さえながらアズラーンに尋ねた。

 

 

「君達は次元の狭間にあったという魔王城に出入りしていたんだろう? 僕を連れて転移とか出来ないの?」

「魔王城への転移は幹部にしか許されていないし、そもそも仮面の君に追放されてから、俺とターレスの魔王城への転移許可は剥奪されてしまっている。フフフ、どうしようかエクス」

 

 

 

 えぇ…………

 

 手詰まりである。

 アホみたいな状況に僕は思わず両手で顔を覆ってしまう。

 

 

 

「―――むっ」

 

 

 

 アズラーンが遥か上空の魔王城を見つめながら、何やら険しい表情を浮かべていた。

 

 

「エクス、緊急事態だ」

 

 

 アズラーンはそう言うと、唐突に僕をお姫様抱っこした。あまりにも自然な動作に、僕は思わず抵抗するのを忘れていた。

 

 

「えっ、えっ、なに。なんなの?」

「すまないが手段を選んでいる場合ではなくなった。エクス、"彼女"を迎えに行ってあげるんだ」

 

 

 彼はそう言うと数回、赤子をあやすように振り子の動きで僕を揺らした。

 

 

 

「―――ハアァッ!!」

 

「―――えっ? がっ!? ぶっ…………!?」

 

 

 

 アズラーンが裂帛の叫び声を上げた次の瞬間、僕の身体は凄まじい勢いで上空の魔王城へと向けて"投擲"された。

 

 

 

 

 

「―――ッ! ―――ッ!? ―――ッ!!」

 

 

 

 

 

 ―――滅茶苦茶だ。

 

 

 全身に襲い掛かる加速と風圧に、僕は白く染まりそうな意識をギリギリの所で繋ぎとめる。

 

 

 魔王城がグングンと近づいてくるのを、赤く染まりだした視界で確認するが、ロクに姿勢制御も出来ていない状況では城壁に激突して赤い染みを一つ作るだけである。

 

 

 ……馬鹿馬鹿しすぎる状況ではあるが、これが恐らく最後の決戦だ。

 

 ならば出し惜しみをしている場合ではないだろう。

 

 

 

 僕は胸元の水晶細工―――残り二つとなってしまった"聖剣"の一つを握りしめた。

 

 

 

「せっ、せせせ……聖剣、展開―――!」

 

 

 

 僕の意志に応えるように、砕けた水晶が全身を覆う甲冑の姿となった。

 

 急速に冴えわたる感覚と思考。

 

 速度はそのままに、不可視の防壁が張られたように肌に感じる風圧と加速による重圧が凪いでいく。

 

 僕はグルグルと無秩序に回転していた体勢を一筋の矢のように真っすぐに整えると、魔王城を睨み付けて呟いた。

 

 

 

「アリエッタ……待ってて。すぐに君の傍に行くから……!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「うおおっ!? な、なんだ!?」

 

 

 

 

 

 突如、室内を激しく揺らす振動と轟音に(アリエッタ)は体勢を崩すと、入口のドアに顔面から突っ込んでしまった。

 

 

「ほぎゃーっ!?」

 

 

 バタンッと勢いよく開かれた扉に、俺は勢いそのままにコロコロと廊下を転がってしまう。

 

 

 

 …………ん? 廊下? 

 

 

 

 俺は背後を振り返ると、そこには椅子を叩きつけてもビクともしなかった扉が開かれている様子が映っていた。

 

 

「……なんか知らんが、とりあえず出られたからヨシ! ……でも、これからどうする?」

 

 

 軟禁状態から抜け出せたのはいいが、部屋から出た所で俺に何が出来るのかという先送りにしていた問題が再浮上してきた。

 

 

 

 

 仮面の男(別世界のエクス)を探し出して止めるか? 

 

 

 

 

 ……無理だな。

 アイツに見つかったら、もう一回あの部屋に閉じ込められるだけだろう。

 

 

「……なんにせよ、分からないことが多すぎる。とりあえずは外の様子が確認出来る場所を探すか……」

 

 

 先程、見せられたアイツの記憶が真実ならば、ここは恐らく魔王城の中だろう。

 

 ならば、上層の方にバルコニーのようなものが有れば、外の様子を確認出来る筈だ。

 

 俺は周囲を警戒しながら通路を進んでいくが、幸いなことに自分以外の気配は全く感じられなかった。恐らく、今この城の中に居るのは俺と仮面の男だけなのだろう。

 

 

 そう複雑な構造では無かった城内を進んでいくと、程なくして俺は外の様子が一望出来るバルコニーへと辿り着いた。

 

 

 

「あれは……王都、なのか?」

 

 

 

 距離の関係でかなり小さくはなっているが、眼下に広がる見覚えのある風景に、俺は手すりにもたれ掛かって呻いてしまう。

 

 どうやら、現在この城は次元の狭間とやらから俺達の世界へと姿を現しているようだが、かなりの高度を浮遊しているらしい。これでは到底、独力での脱出は不可能だろう。

 

 

 

 

 

「―――アリエッタ!!」

 

 

 

 

 

 彼の―――いや、彼によく似た(・・・・)声が俺の名を叫んだ。

 

 間が悪かったのか、アイツも外の様子を確認している所だったらしく、俺が立っていたバルコニーよりも更に上層から、フワリと重さを感じさせない動きで、仮面の男が俺の前方に降り立った。

 

 

 

 ―――不味い。見つかってしまった……! 

 

 よりにもよって逃げ場のない場所で奴に見つかってしまったことに、背筋に嫌な汗が流れるのを感じる。

 

 

 

 

 

「ア、アリエッタ……ここは危ない。部屋に戻ってくれないか? す、すぐに終わらせて、迎えに行くから…………ね?」

 

 

 

 

 

 ―――追い詰められているのは俺の方の筈なのに、怯えているのはむしろ彼の方だった。

 

 

 彼は僅かに震えながら、ゆっくりと俺に近づいた。

 

 

 

「さ、さあ。こっちへ……」

「…………来るな」

 

 

 

 俺はバルコニーの手すりから外側へと身を移した。

 

 足を滑らせれば確実な死が待っている状態に、胃が縮み上がるのを感じる。

 

 しかし、仮面の男はその状況に俺以上に取り乱していた。

 

 

 

「だ、駄目だ! アリエッタ! こ、こっちへ戻って! 早くっ!!」

「……それ以上近づいたら、俺は飛び降りる」

 

 

 

 今すぐにでも駆け寄ってきそうなアイツに、俺は牽制するように言い放つ。

 

 俺の言葉にアイツは金縛りにあったようにその場で固まると、酷く狼狽した。

 

 

 

「な、なんで…………? いや、ぼ、僕が悪かった。謝るよ。部屋に閉じ込めたのが嫌だったの? それとも急に君をここへ連れ出したことを怒っているのかい? それとも、もっと他のこと? な、何が嫌だったのか言ってくれれば、全部治すよ。約束する。だから、お願いだからこっちへ来て」

 

 

 

 

 

 ―――その様子はまるで、母親に棄てられた子供のようで。

 

 

 あまりの痛々しさに、俺は目を伏せてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――その時、眼下に煌く光を見た。

 

 

 

 

 

 

 

「…………お前も、多分エクスなんだと思う」

「アリエッタ……?」

 

 

 

 要領を得ない俺の言葉に、目の前の彼は仮面越しに怪訝な表情を浮かべた気がした。

 

 

 

 

 

「……でもさ、やっぱり俺が長い時間を一緒に過ごしたのは」

 

 

 

 この世界で生まれ直して、初めて出来た"親友"との日々が脳裏を過る。

 

 

 

「俺が世界で一番愛してるのは」

 

 

 

 彼のことを想うだけで、こんな状況でも胸が温かなもので満たされるのを感じる。

 

 

 

「俺を世界で一番愛してくれるのは」

 

 

 

 俺の全てを知った上で、俺の全てが欲しいと言ってくれた彼の言葉を思い出すだけで、歓喜で涙が零れそうになる。

 

 

 

「俺のヒーローは"この世界の"エクスなんだ。だから…………」

 

 

 

 俺が命を賭けられる(・・・・・・・)程に愛しているのは、"あの"エクスだから。

 

 

 

 

 

 

 だから…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――俺は、お前のアリエッタ(ヒロイン)にはなれないよ。ごめんな」

 

 

 

 

 

 俺は、遥か彼方の地上へと身を投げ出すように飛んだ。

 

 

 

 

 

「アリエッタァァーーーー!!」

 

 

 

 

 

 もう一人のエクスが、追い縋るように手を伸ばすが間に合わない。

 

 

 

 

 

 俺は祈るように目を閉じる。

 

 普通に考えれば、これはただの投身自殺だ。

 

 数分もせずに俺の身体は大地に叩きつけられて、赤い血だまりを作るだろう。

 

 

 

 

 

 ―――だが、目を閉じた俺が次に感じたのは硬い地面の感触ではなく、力強く俺を抱きしめてくれる温もりだった。

 

 

 

 

 

「―――アリエッタ!」

 

 

 

 ああ、この声だ。

 

 よく似ているが、やっぱり違う。

 

 世界でただ一つの、愛する人の声。

 

 

 

 俺はゆっくりと目を開けると、こちらを見つめているエクスに向けて、ニィッと精一杯カッコつけた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「遅いんだよ。もうちょっとで浮気するところだったぞ?」

 

 

 

 

 

 "来てくれて嬉しい"なんて正直に言うのは照れ臭かったから、俺はつい軽口を叩いてしまう。

 

 

 

「うん、遅くなってごめんね。…………愛想尽かしちゃった?」

「そんな訳ないだろ。大好き」

 

 

 

 俺はエクスを軽く力を籠めて抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ところで、とりあえず俺を一回地上に下ろして貰えると助かるんだけど」

 

 

 

 流石に俺を抱えたままじゃ色々と不便だろう。しかし、俺の言葉にエクスは苦笑いを浮かべた。

 

 

「えーっと、ごめん。実は今、僕の意志で空を飛んでるんじゃなくて、地上から魔王城に向けて思いっきりブン投げられただけだから、簡単な方向修正ぐらいしか出来ないんだ」

「ほうほう。…………つまり、どういうこと?」

「脱出してきた所悪いんだけど、このままもう一回魔王城に突っ込みます」

「ヤダーーー!!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「…………何故だ」

 

 

 

 目の前の光景に、仮面の男がポツリと呟いた。

 

 自分と同じ顔をした男が、自分の愛する人を抱きしめている。

 

 

 

 

 

 ―――なんだこれは。

 

 

 ―――僕は悪い夢でも見ているのか。

 

 

 

 

 

 仮面の男は憎悪と怒りで目の前がチカチカと点滅するような錯覚すら覚えた。

 

 

 

「―――何故だ。何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!? 何故だアリエッタッ!! 何故なんだあああああッ!? そいつと僕の何が違うッ!?」

 

 

 

 男はガリガリと頭を掻きむしりながら、血走った瞳をエクスとアリエッタに向けた。

 

 地上から飛翔してきた彼が、魔王城の一角に突入したのを確認すると、男は景色すら歪むような激しい殺気を其方へ向ける。

 

 

 

「許せない許さない逃がさないッ!! "それ(アリエッタ)"は僕のだ! お前みたいな僕の偽物がっ! 気安く触れていいものじゃないんだよッ!!」

 

 

 

 血を吐くような呪詛を叫ぶと、仮面の男は胸元の水晶細工(・・・・)―――以前の世界から持ち込んだ最後の一つの"聖剣"を握りしめた。

 

 

 

 

 

「―――聖剣展開ッ!!」

 

 

 

 

 砕けた水晶は仮面の男を包み込むと、彼の歪んだ精神が形になったかのような、歪で邪悪な甲冑を造り上げた。

 

 

 

 

 

「殺す! 殺す殺す殺す殺すッ!! アリエッタは僕だけのものだ!!」

 

 

 

 

 

 



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40.本当に望んでいたもの

 

 

 

 

「―――ッ!? アリエッタ! 僕の後ろに下がって!!」

 

 

 

 

 

 魔王城の一角に着地した(エクス)を、景色が揺らぐような凄まじい殺気が貫いた。

 すぐさま隣に立つアリエッタを庇うように、殺気を感じた方角へ剣を構える。

 

 

 

 次の瞬間、激しい轟音と共に見るからに堅牢な城壁を粉砕して、悪魔を模したような邪悪な甲冑に身を包んだ男が僕に襲い掛かった。

 

 

 

「死いいいぃぃぃねえええぇぇぇ!!」

「ぐうぅっ!!」

 

 

 

 地獄の底から響くような怨嗟の声と共に、奴から強烈な一撃が放たれる。

 "聖剣"を展開している状態でも、骨に響くような衝撃に僕は驚愕と苦悶の声を上げてしまう。

 攻撃の速度も重さもアズラーン以上……こいつが魔王軍総司令か! 

 

 

 

「エクスゥッ! 貴様さえっ! 貴様さえいなければぁ!!」

「ぐっ……! アリエッタ! ここは危険だ! 出来るだけ遠くへ離れて!」

 

 

 

 聖剣を使っていて尚、純粋な膂力の差で押されている。

 アリエッタを庇いながら戦える相手ではないことを察した僕は、彼女にこの場から避難するように告げた。

 彼女は躊躇いながらも僕の言葉に頷く。

 

 

「あ、ああ。分かっ……」

「逃がすかぁっ!!」

 

 

 総司令の甲冑の背中から、羽のような形をした鉄片がアリエッタに向けて放たれた。

 

 

「うおおっ!?」

「ア、アリエッタッ!?」

 

 

 目にも留まらぬ速さで放たれた鉄片に一瞬血の気が失せるが、放たれた鉄片は彼女を拘束することが目的だったらしく、歪な檻を彼女の周辺に形成していた。

 

 

「そこで見ていろアリエッタ! 君の"エクス"は僕だけなんだ! この偽物が消えれば君も目が覚めるだろう!?」

 

 

 "偽物"……? 

 

 アリエッタに対する異常な執着と言い、一体こいつは何を言っているんだ? 

 

 しかし、そんな疑問をゆっくり考える暇など無く、総司令の凄まじい連撃が僕に襲い掛かる。

 恐ろしい程の手数と速度の攻撃。その一つでも防ぎ損ねれば致命傷になることは想像に難くなかった。

 爆ぜるような金属音を鳴らしながら、防戦一方となっている僕を挑発するように総司令が哄笑する。

 

 

「ハハハハハッ! "聖剣"を使ってこの程度かっ! どうやら僕は必要以上にお前を恐れ過ぎていたようだな!」

「クッ……! うおおおおっ!!」

 

 

 総司令の連撃の僅かな隙間を突いて、僕は反撃の一撃を放つが踏み込みが浅い。

 奴は心底つまらないものを見るような瞳を僕に向けた。

 

 

「―――軽い。遅い。弱い。そんなことだからお前は何も守れない。救えない。無様過ぎて虫唾が走るぞ」

 

 

 浅く切り裂かれた総司令の傷口が瞬く間に塞がっていく。

 

 生半可な攻撃では駄目だ。一撃で奴を両断するような攻撃を。必殺の一撃を放つ機を見極めなければ。

 

 

 

「―――消えろ。消えろ。消えろ! 仲間を守れない勇者なんて。愛する人を守れない戦士に居場所などあるものかっ!!」

 

 

 

 狂気に支配されたかのような憎悪を吐き出しながら、総司令の攻撃が放たれる。

 

 僕は奴から致命の一撃を防ぐだけで精一杯で、到底反撃など出来る状況ではなかった。

 

 

 守っているだけでは駄目だ。

 

 こうしている間にも王都は攻め込まれている。一刻も早く、総司令を倒さなければ。

 

 焦りが剣を、思考を鈍らせるのを感じる。

 

 

 

 "聖剣"を使用して尚この実力差。

 

 アズラーンの時とは違う。こうしたら相手を倒せるという"勝ち筋"が全く見えてこない。

 

 

 

 

 

 ―――身体よりも、心が先に勝負を諦めようとしているのを感じた。

 

 

 

 

 

 

「―――あっ」

 

 

 

 

 ほんの僅かな、油断とも言えないような刹那の気の緩みを断罪するように、総司令の一撃が放たれた。

 

 これは防げない。間に合わない。

 

 次の瞬間、総司令の一撃が僕の首を吹き飛ばすのは疑いようが無かった。

 

 

 

 

 

「負けんなっ! エクスーーーッ!!」

 

 

 

 

 

 響き渡るアリエッタの叫び声。

 

 一瞬、ほんの僅かだが総司令の動きが鈍ったのを僕は見逃さなかった。

 

 死に物狂いで致命の一撃を回避すると、僕は総司令から距離を取って態勢を整える。

 肩で息をしていた僕に向けてアリエッタが叫んだ。

 

 

 

「テメエ! 勝手に諦めてるんじゃねえぞエクスッ! 俺とのイチャラブを邪魔するなら魔王でも神でも叩きのめすって言ってたじゃねえか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『魔王だろうと神だろうと、君への愛を邪魔をするなら全員叩きのめして、僕は君を勝ち取ってみせる!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女のあまりに場違いな台詞に、僕は王都での夜を―――彼女と恋人になった夜を思い出してしまう。

 

 

 

「俺の全部が欲しいんだろっ! だったら、何が何でも勝ってみせろ! ―――俺だって、お前の全部が欲しいんだよっ!!」

 

 

 

 

 ―――身体の奥底から力が湧いて来る。

 

 

 焦りが、恐怖が消えていくのを感じる。

 

 

 我ながら単純だとは思うが、大好きな女の子が応援してくれているのだ。

 

 

 これで奮い立たなければ男じゃない。

 

 

 

「―――任せて、アリエッタ。今の僕は多分最強だ」

 

 

 

 僕は剣を構えた。

 

 自分でも驚くほどに精神が凪いでいるのを感じる。今ならば奴の攻撃も見切れる気がする。

 

 

 

 

「ふっ、これが"愛"の神髄か…………良いものを見せてもらった」

 

 

 

 瞬間、アリエッタを捕らえていた檻が砕かれると、彼女の隣には拳を構えたアズラーンが立っていた。

 

 彼が王都の貴族であると聞かされていたアリエッタは驚愕に目を見開く。

 

 

「ア、アズラーン!? なんでこんな所にいるの!?」

「ふむ、俺もターレスに投げ飛ばしてもらったのだが……どうやら聞きたいのはそういう事では無さそうだな。まあ、その点については後で説明しよう。今は―――」

 

 

 総司令から放たれた鉄片をアズラーンは軽々と蹴り飛ばして防ぐと、総司令は怨嗟の声をアズラーンに向けた。

 

 

「死にぞこないが……まさか勇者と二人がかりなら僕に勝てるとでも思っているのか?」

「いやいや、俺はただ見物に来ただけだよ。愛する男(エクス)の大舞台に横槍を入れるほど無粋ではないつもりだ」

 

 

 アズラーンが優雅に髪をかき上げると、続けて総司令に告げた。

 

 

「そもそも、俺が手を出すまでもない。お前は負けるよ、仮面の君よ」

「…………何だと?」

「なに、簡単な計算だ。お前は一人だが、エクスの後ろにはアリエッタ(愛する人)がいる。二対一だ、勝てる筈が無かろう?」

 

 

 瞬間、総司令の憎悪と殺意が激しく噴き上がるのを感じる。

 アズラーンは見えないプレッシャーからアリエッタを守るように、何やら結界を張っていた。

 

 

「さて、魅せてくれエクス。彼女(アリエッタ)が愛する男の姿を」

「…………アズラーン、僕に万が一の時はアリエッタを―――」

「言った筈だぞエクス。二対一だ、これで負ける方が難しかろう?」

 

 

 アズラーンの言葉に僕は苦笑を浮かべると、総司令に向けて大きく踏み込む。

 

 恐怖は無い。

 

 焦りも無い。

 

 ただ闘志だけが胸の奥で静かに、しかし激しく燃え盛っていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 戦いが始まってどれほどの時間が過ぎただろうか。

 

 

 1日以上戦っている気もするし、1時間も経っていないような気もする。

 

 

 圧倒的に押しているのは(総司令)だ。

 

 

 (エクス)は防御で手一杯。ほんの一瞬でも防ぐタイミングが遅れていれば、そのまま僕から致命傷を喰らって絶命している様な状態だ。奴は僕の攻撃に追いつけていない。

 

 

 このまま続ければ遠からず体力の尽きた奴は必ず敗北する。

 

 

 

 ―――その筈なのに、何だこの焦燥感は。

 

 

 

 アズラーンからの挟撃を無意識に警戒しているのか? 

 

 いや、違う。十六神将といえど、"聖剣"を使った僕の敵ではない。

 

 目の前の(エクス)を消し飛ばした後で、アズラーンを処分するのに5分と掛からないだろう。

 

 

 

 

 

 ―――既に何回もそう考えている筈だ。

 

 何故、まだこいつ(エクス)は僕の前に立っている。

 

 必殺の一撃と確信した攻撃を、既に奴は何度凌いでみせた? 

 

 

 

「ぐっ……消えろォォォ!!」

 

 

 

 ジワジワと背後に"何か"が忍び寄るような不快感を誤魔化すように、叫びと共に奴に向けて攻撃を放つ。

 

 

 決して苦し紛れに出した一撃ではない。確実に奴の命を刈り取るタイミングで放った攻撃。しかし、それすら奴はギリギリの所で防ぎ切った。

 

 

 

 

 

 

 

「―――獲ったぞ」

 

 

 

 

 

 

 ―――いや、違う。

 

 

 奴は防御で手一杯だったのではない。

 

 

 ギリギリまで(・・・・・・)僕の攻撃を引き付けて、必殺の反撃を放つタイミングをずっと伺っていたんだ。

 

 

 

「なっ―――!?」

 

 

 

 懐に潜り込んだ奴の姿に、数十年ぶりに迫りくる"死"の気配を感じる。

 

 

 僕の首に向けて奴の剣が振り下ろされる。駄目だ。防御が間に合わない。

 

 

 

 

 

 ―――しかし、奴の剣が僕の首を断つことは無かった。

 

 

 

 

 

「―――ッ」

 

 

 

 

 

 奴が驚愕に目を見開く。

 

 

 "聖剣"の使用限界。

 

 

 奴を護る水晶の甲冑が塵となって砕け散る。

 

 

 "聖剣"による強化が施されていない奴の剣は、僕の首を断つことなく鎧に阻まれ半ばから折れてしまっていた。

 

 

 

「―――ふっ、ククク、残念だったな」

 

 

 

 思わず口から笑みが零れてしまう。

 

 奴の"聖剣"はもう一本残っていたが、再展開などさせない。

 

 "聖剣"は発動してから、使用者を強化する甲冑が装着されるまでには僅かだが時間差がある。その前に僕が奴を殺して終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 剣を捨てた奴の手のひらが、僕の胸に押し当てられた。

 

 

 素手で僕に攻撃が通る筈も無ければ、魔術を発動する様子も無い。

 

 

 一瞬何をするつもりなのかと疑問に思ったが、奴にどんな考えがあるにせよ、その前に僕が殺してしまえばいい。奴の首を吹き飛ばそうと僕は腕を振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 僕の胸と奴の手のひらの間には小さな水晶細工―――"聖剣"が挟みこまれていた。

 

 

 

 

「―――聖剣、展開」

 

 

 

 

 粉々に砕け散った水晶が甲冑を形成しようと、逃げ場のない空間で瞬間的に大きく膨張した(・・・・・・・)

 

 

 

 

「―――ご、ぶっ」

 

 

 

 

 爆発音のようなものが僕の胸元で鳴り響く。

 

 

 甲冑を形成しようとした水晶の塵が爆発的に膨れ上がり、僕の胸に大きな風穴を開けていた。

 

 

 

 

「が、ぶ…………ご…………」

 

 

 

 

 喉の奥からせり上がって来る血の塊で、意味のある言葉を発する事が出来ない。

 

 

 ―――致命傷だ。もう助からない。

 

 

 皮一枚で何とか繋がっているような上半身を見て悟る。

 

 

 足元には"聖剣"の連続使用による反動で、倒れ伏した(エクス)がいた。

 

 

 

 

 

 ―――許せない。

 

 

 

 

 

 その姿に憎悪が噴き上がる。

 

 

 僕は死ぬのに、何でお前が生きている。

 

 

 この先、お前みたいな偽物と生きていかなきゃいけないなんて、アリエッタが可哀想すぎる。

 

 

 道連れだ。僕以外の"エクス"なんて彼女には必要ない。

 

 

 この距離ならばアズラーンも間に合うまい。

 

 

 僕は最後の力を振り絞って、奴に攻撃を放とうとした。

 

 

 

 

 

 

 

「逃げて! エクスーーーッ!!」

 

 

 

 

 

 

 愛する人(アリエッタ)の声が聞こえる。

 

 

 

 死ぬ前に、彼女の姿を目に焼き付けたくて僕は僅かに視線を其方へ向ける。

 

 

 

 ―――不思議だ。彼女は確かに僕の名前を呼んでいる筈なのに。

 

 

 

 その瞳が映しているのは足元に倒れ伏している男の方で。

 

 

 

 彼女は、今にも死にそうな僕のことを欠片も見てくれていなくて。

 

 

 

 僕は唐突に当たり前のことを、ようやく理解してしまった。

 

 

 

 僕は彼女の"エクス"ではないし、彼女は僕の"アリエッタ"ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 ―――理解してしまったら、もう立ち上がることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 攻撃を放つことなく、僕はぐらりと体勢を崩して地面に倒れ込む。

 

 急速に身体から命が失われていくのを感じると、僕の身体は人間の肉体を棄てた罰のように灰となって崩れ始めた。

 

 不思議だ。あれ程に心を満たしていた憎悪が消えている。

 

 胸を満たすのは、どうしようもない程の虚しさと疑問だった。

 

 

 

 

 

 僕は一体何がしたかったんだ。

 

 

 人間であることを棄てて。

 

 

 生まれ育った世界を棄てて。

 

 

 仲間達と掴んだ未来に、想いに唾を吐きかけて。

 

 

 この世界で数えきれない程の命を踏みにじって。

 

 

 

 

 

 

 

 アリエッタを取り戻したかった? 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――違う。僕が本当に取り戻したかったのは。

 

 

 仲間達が居て。

 

 

 アリエッタが居て。

 

 

 笑っている皆の中に僕も居る。

 

 

 そんな日々を、過去を取り戻したかったんだ。

 

 

 

 

 

 自分の本当の願望。

 それが、僕の最期の思考だった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 亡骸すら残さず、灰となった男の身体が風に散っていく。

 

 

 

 灰が全て散った後、その男が生きた証を示すように、冷たい床に小さな白い花の髪飾りが転がっていた。

 

 

 

 

 

 



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41.還る場所

 

 

 

 

 

 何も見えない。

 

 何処だ、ここは。

 

 

 

 気が付くと、僕は一面の暗闇の中に立ち尽くしていた。

 

 

 

 ―――ああ、ここが地獄か。

 

 

 そう察するまでに時間はかからなかった。生前の自分がしてきた事を考えれば、当然の結論だろう。

 

 

 

 

 神でも悪魔でも構わない。頼むから僕を罰してくれ。

 

 身勝手極まりない願望の為に、数えきれない程の命を踏みにじってきたのだ。こんな人間が許されていい筈がない。

 

 灼熱の業火でもいい。

 

 身を貫く百万の槍でもいい。

 

 この救いようの無い愚者にどうか痛みを、苦痛を与えてくれ。

 

 

 

 

 

「―――エクス」

 

 

 

 

 聞こえる筈の無い声が聞こえた。

 

 

 

「ア、リエッタ…………?」

 

 

 

 目の前に、彼女が立っていた。

 "向こうの世界"の彼女ではない。

 僕がよく知る、僕の愛している"アリエッタ"が。

 

 

「ごめんなさい、エクス」

 

 

 彼女の手が僕の頬に触れる。

 

 ああ、どうして僕は"向こう"の彼女とアリエッタを同じ存在だと思い込んでいたのだろう。

 立ち振る舞い一つとっても、こんなにも違っているというのに。

 

 

「……どうして、君が謝るの?」

 

 

 みっともない程に震えた声で僕は彼女に尋ねると、彼女は悲しそうに微笑んだ。

 

 

「私がエクスを置いていってしまったせいで、こんなにも貴方を苦しめてしまった。悲しませてしまった。本当に、ごめんなさい」

 

 

 ―――僕は最低だ。

 

 

 死の間際にまで、こんな自分に都合の良い妄想を。

 

 

「違う。違うんだよ。アリエッタ」

 

 

 彼女にこんな事を言わせている自分が情けなくて、自分の醜さから目を背けたくて僕はその場に蹲ってしまう。

 

 

「君を置いていったのは僕の方なんだ。君はちゃんとあの世界に居たのに。もう目覚めない君と、もう微笑んでくれない君と向き合うことに耐えられなくて逃げ出したのは僕なんだ」

 

 

 そうだ。本当に彼女のことを愛していたなら、僕は逃げ出すべきではなかったんだ。

 

 彼女の眠る世界に寄り添って、どんな辛くても前を向いて生きていかなきゃいけなかったんだ。

 

 そんな当たり前のことから目を逸らし続けてきた自分に対する嫌悪と、アリエッタに対する申し訳なさから僕は蹲ったままボロボロと涙を零してしまう。

 

 

 

「すまない。すまない……っ! 君を守れなかった。逃げ出してごめん。君を置き去りにしてごめん。ごめん、ごめん……っ!」

 

 

 

 みっともなく蹲った僕を、アリエッタが抱きしめる。

 その温もりを感じながら、僕は声にならない声で彼女に詫び続けた。

 

 

 

 

 

「帰ろう、エクス。私が連れて行ってあげるから」

 

 

 

 

 

 愛しい人の言葉と共に、今度こそ僕の意識は瞬いて消えた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「あっ…………」

 

 

 仮面の男―――別世界のエクスの体が灰となって消えた後に残された白い花の髪飾り。

 床に転がっていた"それ"は淡く光ると、この世界から弾かれたかのように、(アリエッタ)の前から光の粒子となって消えていった。

 

 

「―――帰れたのかな。彼の世界へ」

 

 

 彼が魔王軍を操っていたというのなら、その存在はこの世界で生きる人間にとって決して許してはならない大罪人だろう。

 それでも、俺は彼の悲しみに満ちた魂が僅かでも安らいでくれることを願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「み、見てくださいフィロメラさんっ。八大幹部達が……」

 

 

 王都外縁部、水際での防戦を続けていた(フィロメラ)とリアクタさんの目の前で、一斉に八大幹部達の身体が泥のように崩れ落ちた。突然の事態に一瞬警戒を強めたが、すぐにそれが杞憂であったことを悟ると、リアクタさんがへなへなとその場に座り込む。

 

 

「お、終わったんですよね?」

「ええ、きっとエクスくんが上手くやってくれたんでしょう。お疲れさまでした、リアクタさん」

 

 

 各所で勝利を確信した人類軍の歓声が上がる。

 

 先日の八大幹部との王都での決戦以上の激しい戦いだったが、奇跡的に市街地への被害は皆無だった。人類軍の奮闘も勿論だが、それを援護するように八大幹部達に降り注いだ"流星"による支援が大きいだろう。

 

 私は胸の内で、人類軍に助力してくれた魔族の女性(ターレス)に感謝した。

 

 座り込んでしまったリアクタさんを労うように彼女の頭を撫でながら、私は遥か上空に佇む魔王城を見上げた。

 

 

「……まったく、好きな女の子のために世界まで救っちゃうんですから。本当に妬けちゃいますよね」

「フィロメラさん? 何か言いましたか?」

「いーえ、なんにも。それよりもレビィ達と合流しましょうか。私達は負傷者の手当もありますから、まだまだ忙しくなりますよ、リアクタさん」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「―――うっ……」

「おっ、起きたかエクス」

 

 

 

 不意に意識が覚醒する。

 (エクス)はアリエッタの膝の上で目を覚ました。

 

 

「―――ッ!? ア、アリエッタ! 敵は……総司令は……!」

「落ち着けって。……全部、終わったよ。あいつは、もういない」

 

 

 そう答える彼女の瞳は何処か寂し気だった。

 

 確かに戦闘がまだ続いていたのなら、僕がこうして呑気に眠っていられる筈も無いだろう。二度の聖剣展開による全身の疲労感に襲われながらも僕がフラフラと立ち上がると、傍らに立っていたアズラーンが僕を咎めた。

 

 

「無理はよくない。もう少し休んでいてもいいのだぞ? 我が愛よ」

「そうも言っていられなくてね。……アズラーン。総司令が倒れた今、魔王軍のトップは君とターレスだ。……君はこれからどうするつもりなんだ?」

 

 

 僕はアズラーンを問い詰めた。彼の返答によっては、この場でもう一度剣を交えなければならないだろう。しかし、彼は僕のそんな様子を見て薄く微笑んだ。

 

 

「君が許してくれるのならば、魔王軍は俺が率いて人族の生存領域から引き上げさせようと思う。知性を持った魔王軍幹部は最早、俺とターレスしか残っていない。殆どの魔物は上位者である俺の命令に従うだろう」

「……君は、それでいいのか?」

「……魔王様も、ターレス以外の神将(なかま)も皆この世から去ってしまった。俺にはもう人族と戦う理由を見出すことが出来ない。しかし、人族と手を取り合うには我々は血を流し過ぎた。しばらくはお互いに距離を取るのが賢明だろう」

「……ああ、そうだね」

 

 

 アズラーンの言葉に嘘は感じなかった。

 それにこれ以上の戦いを避けたかったのは僕も……いや、人族全体としても同じ気持ちだっただろう。千年以上に渡る長すぎる戦いに、僕達は疲れ切っていた。

 

 

「ターレスもそれで構わないな?」

「はい、アズラーン様の御心のままに」

 

 

 アズラーンの言葉に呼応するように、ターレスが金色の美丈夫の傍らに姿を現した。

 

 

「本来であれば、俺よりも序列が上のお前が魔王軍を統率するべきなのだが……」

「恐れながら、私は組織の上に立つ器ではありません。血筋的にも魔王様の御子息であるアズラーン様こそが我々を率いるのに相応しいかと」

 

 

 ターレスの言葉にアズラーンが苦笑を浮かべながら肩をすくめた。

 

 

「魔王城は人族の生存領域から遠く離れた荒野にでも連れて行こう。仮面の君が亡き今、それに次ぐ上位者である俺とターレスでも城を動かす事が出来そうだ。君達は転移術で王都へ戻るといい。地上での戦いも終わったようだからな」

「ああ、そうさせてもらうよ。……お別れだな、アズラーン」

「フッ、生きていればいつか手を取り合う日も訪れるだろう。ではな、エクス、アリエッタ。その"愛"に惜しみない祝福を」

 

 

 アズラーンは僕達にそう告げると、ターレスを引き連れて魔王城の奥へと消えていった。

 

 

「……行こうか、アリエッタ。転移術を使うから僕の傍へ」

「ああ、分かった」

 

 

 僕の言葉に頷いたアリエッタが、僕を軽く抱きしめた。

 

 

「……アリエッタ、前にも言ったけどそんなにくっ付かなくても……」

「知ってる。……嫌だった?」

「……そんな訳無いだろう。大好きだよ、アリエッタ」

「ふふっ、それも知ってる」

 

 

 さあ、帰ろう。

 皆が待っている場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――この日、人族と魔王軍の千年以上に渡る長い戦いに終止符が打たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 

 

 さて、魔王軍との最終決戦という普通のモブキャラだったら一生縁が無いであろうイベントから半年の月日が流れた。

 現在、(アリエッタ)は故郷の道具屋で相も変わらずに店番をやっていた。

 

 

 その間、まあ色々なイベントがあった。

 その全てを詳細に描写すると日が暮れてしまうので、とりあえず幾つか要点だけピックアップしていこう。

 

 

 魔王軍の討伐……正確に言えばアズラーンが魔王軍の残存勢力を引き連れて僻地に引きこもり、人族との干渉を断ったという形なので討伐とは少し違うのだが、とにかく千年以上ドンパチをやっていた人族と魔王軍の戦争に終止符を打ったエクス達は救世の英雄として、国を挙げて盛大に迎え入れられた。

 

 

 特に"勇者"であるエクスは例の激強王様から爵位を与えられ、人類軍の将軍として迎え入れるという話だったのだが、アイツは前者(爵位)はともかく後者(将軍)は辞退したいと申し出を蹴ったのだ。故郷で愛する人()と静かに暮らしたいとかなんとか言ったらしい。詳しい状況は知らないが、アイツ一体どんな場所でそんなノロケをしたんだ? 怖くて聞けないんだが。王様と個人的に交友を持っているらしいフィロメラさんの口添えもあって、将軍職は辞退することが出来たようだ。

 

 

 そして現在、エクス達は魔王軍討伐の凱旋パレードで各地に引っ張りだこにされている。転移術を使えばあっという間なのだが、流石に国の威信をかけたイベントをRTAみたいにパパッと済ませる訳にもいかず、通常の交通手段で常識的なスピード感で行われているらしい。

 

 

 

 

 

 あっ、そうそう。俺、エクスと結婚することになりました。

 

 

 

 結婚式はまだだけど、新居も既に建ってます。エクスが国から渡された人生数回遊んで暮らせるような報奨金で、故郷に小さな可愛いおうちを建てました。今はその新居から実家の道具屋へと出勤している形である。

 

 あの野郎、何をとち狂ったのか魔王軍との戦いが終わったその日に俺を連れて故郷の実家までやってきて両親に結婚の挨拶をしてきたのだ。スピード感凄くない? いや、俺も別にエクスと結婚することには文句など欠片も無いのだが、もっとこう段階がさあ。

 

 父親との「ウチの娘はやれん」的なイベントが発生するどころか、ウチの両親は「えっ、君達まだヤってなかったの?」みたいな雰囲気すら漂わせていたので非常にスムーズに話が進んだ。なんか腑に落ちねえ。

 

 エクスの両親も、エクスと俺との結婚には乗り気らしく、先日王都を離れて村へと戻って来た。エクスが勇者を辞めて村へ帰るなら、王都に残る理由も特に無いだろうしね。

 

 結婚式に関しては、エクスが凱旋パレードを終えて、本当に"勇者"としての責務から解放されて村に帰ってきたら挙げるつもりだ。あんまり盛大なのは恥ずかしいので、身内だけでのんびりとやりたいと思っている。

 

 

 

 

「―――って感じなんだよ、ミラちゃん」

「うぅ……お、おめでとう。お姉ちゃん」

 

 

 客足が途切れた休憩時間に、俺はミラちゃんにこれまでの経緯を伝えていた。ミラちゃんは俺の話を聞いて、嬉しいような悔やんでいるような何とも言えない味わい深い表情をしながら祝福してくれた。

 

 

「お姉ちゃんが幸せになるのは勿論嬉しいよ? ……うぅ、でも、でもぉ」

「あはは。大丈夫だって、ミラちゃんにもすぐに素敵な恋人が出来るからさ」

 

 

 どうやらミラちゃんの心を射止める素敵な王子様は未だ現れていないようだ。この世界の美醜判定が未だによく分かっていない俺だが、普通に村の男子達はイケメン揃いだと思うんだけどなあ。

 

 そんな感じのことを話していると、母さんが店の奥から俺に声をかけてきた。

 

 

「アリエッタ、そろそろ(・・・・)じゃない?」

 

 

 母さんの言葉に、俺は壁にかけられた時計を確認した。

 

 

「……あー、うん。そだね」

「行ってきなさいな。お店は私が見ておくから」

 

 

 色々と見透かされているようで少し恥ずかしいが、ここは母さんに甘えておこう。俺はエプロンを外すとミラちゃんに声をかけた。

 

 

「ごめんねミラちゃん。ちょっと出てくるわ」

「別に気にしなくていいですよ~だ。ここでお姉ちゃんの邪魔をするほど空気が読めない訳じゃありませんから」

 

 

 ちょっぴり拗ねたように頬を膨らませるミラちゃんの頭を軽く撫でると、俺は店を後にした。

 

 

 

 

 

「……やば、心臓すごいドキドキしてる」

 

 

 

 高鳴る鼓動を抑えるように、胸をギュッと握りしめると俺は村の入口へと向かった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「―――あっ」

 

 

 

 まるで頃合いを見計らっていたかのように、(アリエッタ)が村の入口へたどり着くのと、"(エクス)"が草原に現れたのは全く同じタイミングだった。

 

 

 彼が俺の顔を見ると、少し驚いたような顔をした後で、お互いのあまりのタイミングの良さに少しバツの悪そうな笑顔を浮かべていた。

 

 

「ただいま、アリエッタ」

「おう。おかえり、エクス」

 

 

 俺はニィッと笑って握り拳を前に突き出す。

 それを見ると、エクスは小さく苦笑してからコツンと自分の握り拳を俺の拳にぶつけた。

 

 

「アリエッタ、少し目をつむってくれるかな?」

「えっ、ええっ。いくら半年ぶりとはいえ、いきなり過ぎないか? いや、嫌ってことじゃないんだぞ? そ、それじゃあ…………んーっ」

 

 

 エクスからの突然のお願いに、俺は動揺しながらも瞼を閉じて軽く上を向く。

 

 

 

 

 

 …………? 

 

 いつまで経っても唇に何かが触れる気配がない。

 

 その代わりに側頭部の辺りを何やらゴソゴソと弄られている。ええ、何されてんの俺? 

 

 

「はい、目を開けていいよ。アリエッタ」

「……へっ? あれ、チューは?」

 

 

 エクスに促されて瞼を開けると、俺は何やら奴に弄られた辺りの頭に手を伸ばしてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 そこには小さな白い花の髪飾りが付けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

「約束、ちゃんと守ったよ」

 

 

 そう言って、彼は少し悪戯っぽく笑った。

 

 

 

「…………う」

「う?」

 

 

 

 

 

「うううぅぅぅ~~~っ!」

「ア、アリエッタ? ……むぐっ!?」

 

 

 

 俺はエクスに抱き着いて、強引に彼の唇を奪った。

 

 

 あーもう好き。本当に大好き。

 

 

 抑えきれない好意をぶつけるように、強く強く力の限り彼を強く抱きしめる。

 

 

 

 

 

「好き。大好き。世界で一番愛してる。絶対に幸せにするから、ずーーーっと俺の傍にいてくれ」

「……うん、僕はずっと君の傍にいるよ。愛してるよ、アリエッタ」

 

 

 

 

 

 

 

 お互いの想いの強さを確かめるように、二人は長い抱擁を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、新婚旅行の行先なんだけど海辺の街なんてどうかな?」

「式もまだなのに気が早くね?」

 

 

 

 

 




最終回じゃないです。もうちょっとだけ続きます。


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42.初夜

少しだけ性的な描写があります。
苦手な方はご注意ください。


 

 

 

 

「いいー天気ですねぇ、フィロメラさん」

「ええ、おめでたい日に相応しい晴空ですね、リアクタさん」

 

 

 

 フィロメラとリアクタが空を見上げて微笑む。

 彼女達の隣にはヴィラとレビィ……所謂"勇者エクス一行"の人間達が勢揃いしていた。

 彼女達の恰好は普段の旅装束とは違う、礼服で統一されている。

 

 

 

 

 

 それもその筈。

 彼女達は現在、エクスとアリエッタの結婚式に出席しているからである。

 

 

 

 

 

「おーおー……エクスの奴、緊張し過ぎだろ。ガッチガチじゃねえか」

 

 

 共に歩んだ長い旅路の中でも、数える程しか見たことが無いエクスの緊張ぶりにヴィラが呆れた様な笑みを浮かべた。

 

 

「それに比べてアリエッタは落ち着いてるねえ。やっぱり、こういう時は女の方が肝が据わってるわ」

 

 

 レビィが子供を見守る母親の様な慈愛に満ちた眼差しをエクスとアリッタに向ける。

 一方、リアクタは夢見る少女のような蕩けた視線をアリエッタに注いでいた。

 

 

「はぁ……綺麗ですねぇアリエッタ。花嫁姿、憧れちゃいます」

「あら、それじゃあリアクタさんも良い相手を見つけないとですね」

「うっ……そ、そういうフィロメラさんはどうなんですか? 聞きましたよ、王様からお見合い相手を紹介されたらしいじゃないですか?」

「うぐ、な、なんで知ってるんですかリアクタさん……」

 

 

 先日、レギウス王から『エクスも結婚するんだし、いつまでも失恋引きずってないで早く結婚して余とお前の父を安心させろ』と見合い話を持ってこられた一件がフィロメラの脳裏を過る。友人の娘の将来を心配しているという面も勿論有るのだろうが、あの顔はどちらかと言えば面白がってる顔だった。

 

 

「……まあ、私もそろそろ頭を切り替えないといけませんよね」

 

 

 フィロメラはそう呟くと、幸せそうに笑うエクスとアリエッタを見てほんの少しだけ寂しそうに笑った。

 

 

 

「幸せになってくださいね。エクスくん、アリエッタさん。その為に私は頑張ったんですから」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「いやー、皆忙しいだろうに、わざわざ来てくれてありがとな」

 

 

 

 式の後の披露宴的な宴会の場で、(アリエッタ)は集まってくれたフィロメラ達に改めてお礼を言った。

 

 

「いえいえ、凱旋パレードも終わって事後処理は殆ど済みましたし、御二人の式に出る余裕ぐらいは有ったので気にしないでください」

「そうですよっ。友達なんですから変に気を遣って呼ばれない方がショックです」

 

 

 フィロメラとリアクタはそう言ってくれたが、世界を救った英雄様達をこんな田舎のちっちゃい結婚式に呼ぶのは少しばかり躊躇いがあったのは事実だ。改めて俺は皆に感謝を伝えた。

 

 

「そうだぞアリエッタ。愛する者の晴れの日に立ち会えるのは俺達としても嬉しいことなのだからな。遠慮など不要だ」

「……まあ、呼んだ覚えも無いのに来ている奴もいるがな」

 

 

 俺はいつの間にか披露宴に紛れ込んでいたアズラーンに白けた視線を向けたが、彼は何の気にも留めずに薄く微笑むばかりだった。そんなアズラーンにエクスが少し心配そうな顔を向けた。

 

 

「アズラーン、まあ祝ってくれるのは嬉しいが大丈夫なのかい? 魔族の統治者である君がそんな簡単に領地を離れてしまって……」

「今の魔族は殆ど野生動物の集まりみたいなものさ。反乱の心配などないし、念の為にターレスに魔王城の留守を任せている。心配は無用だ。…………それにしても美しい。(エクス)を独占出来るアリエッタが少しばかり羨ましくなってしまうよ」

 

 

 物憂げな顔をしながら、エクスの頬に手を伸ばそうとしたアズラーンの腕を俺はベシッと叩き落した。

 

 

「オラッ間男。エクスはもう俺のモノなんだから気安く触るんじゃねえぞ」

「フッ、妬かせてくれるじゃないか赤髪の君よ。そんな君も美しい……」

「こいつ無敵か? ……エクスも、目出度い席なんだから殺気出すのを止めろ」

 

 

 俺を口説くアズラーンに絶対零度の視線を向けているエクスを嗜めていると、リアクタがキャーキャー言いながらレビィの肩を叩いていた。

 

 

「聞きました? 聞きました? "エクスはもう俺のモノ"ですって! アリエッタってば大胆!」

「いやー、若いっていいねえ。こっちまでのぼせちゃいそうだわ」

 

 

 …………改めて指摘されると、少しばかり照れてしまうが事実なのでしょうがない。エクスはもう俺のモノだし、俺はもうエクスのモノなのだ。

 

 意識したら少しばかり顔が熱くなってしまったので、熱を冷ますように俺は果実酒に口をつける。

 ふと、ヴィラが思い出したようにエクスに尋ねた。

 

 

「そういえば、お前達の子供はいつ頃になるんだ?」

「ごぶっ!?」

 

 

 危うく吹き出してドレスを汚しそうになるのをギリギリの所で抑え込む。隣ではエクスも同じようにむせていた。

 ヴィラの質問に乗っかるようにアズラーンも畳みかけてくる。

 

 

「確かに。それは俺も気になっていたところだ。出産はいつ頃になる予定かね? こちらにも色々と準備があるから大体でもスケジュールを教えてくれると助かるのだが……」

「何の準備をするつもりだよ! 俺がいつ産んでもお前には何も関係ないだろうがっ!?」

 

 

 何とか息を整えた俺がアズラーンに叫んでしまう。そんな俺にエクスが続いた。

 

 

「そ、そもそも! 僕達はまだそういう事(・・・・・)してないからっ!」

 

 

 

 場が凍り付く音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

「え、あ、あー……そう、なんですか。はい」

 

 

 フィロメラが目を縦横無尽に泳がせながら、そんな曖昧な返事をするのを俺とエクスは顔を真っ赤にしながら聞いていた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「ヴァー、疲れたー……」

「お疲れ様、アリエッタ」

 

 

 

 無事に披露宴も終わり、(アリエッタ)とエクスが新居に戻ってくる頃にはすっかり夜になっていた。

 お風呂から上がってサッパリした俺はエクスの隣でソファーに座ってぐったりとしていた。

 

 

「ん、エクスもお疲れ様。しかし、結婚式ってこんな疲れるものだったんだな……いっぱいお祝いしてもらって嬉しいし、楽しかったけど、身内だけの小さな式でもありえんぐらい疲れたわ……」

 

 

 実は国のお偉いさんから『救世の英雄であるエクスの結婚式なのだから王都で盛大な式を挙げないか』という打診があったのだが、断って正解である。故郷の田舎での気取らない小さな式でこれだけ疲労困憊になっているのだから、王都でパレードみたいな式をやってたら全身がひしゃげて死んでいただろう。

 

 

「三日はお店休んでいいって母さんに言われたし、明日は昼まで寝ちゃいそうだわ」

「僕もしばらくは王都での指南役はお休みさせてもらったよ。一緒にゆっくりしようか」

 

 

 そうそう、エクスは現在、王都の訓練場で兵士達に剣術の指南役をやっているのだ。

 ぶっちゃけ働かなくても暮らしていける程度に金は有り余っているのだが、いくら英雄と言えどニートは体面が悪い。軍部からの要望もあり、エクスは週に何回か転移術で王都に出勤しているのだ。

 

 

「ふぁ……」

「眠くなったかい、アリエッタ?」

「んー、ちょっとね」

 

 

 もぞもぞと体を動かすと、隣で座っていたエクスの膝を枕にする。うーん、硬いしちょっと高いな。でもこれはこれで。

 

 

「……えーっと、その、アリエッタ。君も疲れてると思うし、無理にとは言わないんだけど……」

 

 

 おや、エクスが何やら言い難そうに口をムニャムニャさせているぞ。俺はエクスに手で髪を梳かされながら彼に続きを促した。

 

 

「んー? どしたエクス。俺達もう"夫婦"なんだし、言いたい事があるなら遠慮しなくていいぞ」

 

 

 "夫婦"

 

 ふふふ、自分で言っといてなんだけどニヤけてしまうな。

 

 嬉しいような恥ずかしいような、こそばゆい感覚にニヤニヤしながら俺がエクスの膝の上でウネウネしていると、彼は意を決したように俺の耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

「…………その、初夜だし、したいなって」

 

 

 

 

 

 一瞬で眠気が吹き飛んだ。

 

 

「あ、あー、そうね。初夜だったね、そういえば」

 

 

 エクスと目が合わせられなくて、壁を見ながら手持ち無沙汰にエクスの膝頭を撫でまわしてしまう。

 

 

「も、もちろん無理にとは言わないよ。アリエッタも式で疲れてると思うし」

「い、いや。大丈夫。疲れてはいるけど、それとこれとは別」

 

 

 エクスの膝枕から起き上がった俺は、ソファーの上で正座してエクスと向かい合った。

 

 よくよく考えてみれば、以前に『一日中俺とセックスがしたい』なんてことを言っていた相手に、俺は未だお預けを喰らわせていたのだ。

 

 エクスが村に帰ってきてから、まだ日が浅かったし何かとバタバタしていたから仕方ない面も有ったとは思うが、流石に申し訳ない気持ちが今更ながら湧いてきた。

 

 

 

 

 

 それに、一度意識してしまったら、こっちも完全に"スイッチ"が入ってしまった。

 

 

 

 

 

「そ、その、"私"も、エクスとしたい、です」

 

 

 

 "女性"としての気持ちが強くなったからなのか、自然と一人称が変わってしまう。

 

 こういう時の甘え方なんて分からないので、とりあえず俺はエクスの手を取って自分の胸元に引き寄せてみた。自分の鼓動の激しさが彼に伝わるように。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 あっ、やばい。やりすぎた? 

 

 エクスが無言で俺をジッと見つめてくる。ちょっと怖い。

 

 

「エ、エクス? 何か言ってよ。怖いよ…………ふあっ」

 

 

 ひょいっとエクスが俺を抱き抱えると、そのままスタスタと寝室まで連行されてしまった。あっ、はい。ヤるんですね。まあ俺もその気ですし構わないんだけど。

 

 ぺいっとベッドに転がされた俺の上にエクスが重なってくる。

 

 

「エ、エクスっ。するのはいいんだけど、さっきから黙ってて怖いから何か言ってよぉ」

「―――ハッ! ご、ごめんアリエッタ。ちょっと意識が飛んでた」

「ガチで怖い発言はやめろォ! 誰がお前を操縦してたんだよ!? 余裕無さすぎだろ!」

 

 

 思わずギャーギャー喚いてしまった。なんでこう素直にロマンチックが出来ないかな俺達は。

 

 そんな残念な気持ちが顔に出ていたのかエクスが俺に覆いかぶさると、耳元でそっと囁いてきた。

 

 

「好きだよ。アリエッタ」

「キューン」

 

 

 あっ、駄目だ。ちょろすぎる俺。

 

 こんな短い愛の言葉で、あっさりとまた心にスイッチが入ってしまった。

 

 そんな俺の様子に満足したのか、エクスはごくりと喉を鳴らすと俺の寝巻に手をかけた。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「いたいいたいっ! ばかっ! へたくそっ! …………すまない、言い過ぎたな。だからガチで凹むな。いやいや、お前は頑張ってるって。俺もお前も初めてなんだから多少の失敗は仕方ないって。なっ? 気を取り直して再開しよ?」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「い、いいぃぃ~~~っ、ちょぁああ~~~っ! い、痛くないからっ! キッツイけど、痛くないから大丈夫~~~っ!」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「な、なあ……もう普通に朝だし、そろそろ止めない? いや、休みだから大丈夫とかそういう話じゃなくて。明るいから恥ずかしいし、誰か来たらどうす―――」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「休ませてぇ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「あれ、エクスお兄ちゃん? こんな所で何してるの?」

 

 

 

 愛犬の散歩をしていたミラが、昼下がりの道端で遠い目をしていたエクスに声をかけた。

 

 

 

「ああ、ミラちゃん……いや、ちょっとアリエッタを怒らせて家から追い出されちゃって……」

「新婚生活初日に一体何をしたの……?」

 

 

 

 

 



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43.新婚旅行

前回に引き続き少しだけ性的な描写があります。

苦手な方はご注意ください。


 

 

 

 

「おお~~、海だ~~」

「アリエッタは海を見るのは初めてだよね? 大きくてビックリしたでしょ」

 

 

 

 馬車の小窓から見えた海にはしゃいでいる(アリエッタ)の隣でエクスがドヤ顔で海について解説する。かわいい。

 

 まあ、前世で海を見た事はあるので正確には初めてでは無いのだが、それを言うのは野暮だし、今世で海を見るのは初めてなので細かい事は抜きにして楽しむことにしよう。

 

 

 

 という訳で俺とエクスは新婚旅行に、とある海辺の港町にやってきたのだった。

 

 エクスの転移術を使えば一瞬だけど、ちゃんと普通の交通手段で来たよ。こういうのは風情が大事だからね。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 宿泊する宿に荷物を預けると、俺達は早速街の散策へと繰り出した。

 

 王都も立派なものだったが、流通拠点として発達したこの港町も活気で言えば王都に負けていない。

 多種多様な文化が入り乱れた独特な雰囲気に、俺が興奮気味に視線を右往左往させていると、隣でエクスが小さく微笑んでいた。

 

 

「気に入った? この街には旅の最中に何度か立ち寄ったことがあったんだけど、その時からアリエッタを連れて来たいなって思ってたんだ」

 

 

 ……それっていつ頃の話だ? 

 

 転移術を覚えてからは移動手段として船を使うことなんて無かっただろうから、数年ぶりに故郷に帰ってくるより前の話だよな? 

 そんな昔から俺との新婚旅行の妄想(プラン)を練っていたエクスにちょっとだけ恐怖してしまう。まあ、好きだから許すが。

 

 

「そういえば、旅で何回か立ち寄ったならエクスの顔って割れてるんだろ? 世界を救った英雄様が来てるなんて知れ渡ったら騒がれたりしないのかな」

「そこは認識阻害の術を使ったりしてるから大丈夫だよ。それに大半の人は僕の名前は知っていても顔までは覚えていないさ」

「何でもありだな魔法。その"認識阻害"って奴使ってれば俺達は透明人間みたいになってるってこと?」

「うーん……景色の一部みたいになるというか、"視界には入っているけど僕達を注目出来なくなる"みたいな感じかな」

 

 

 ほうほう。それじゃあ……

 

 

「エクスエクス、ちょっと屈んで」

「ん、こう?」

「もうちょい低く。そうそう、それぐらい」

「アリエッタ? 一体何を……」

「んっ……」

 

 

 俺はエクスの唇に軽く触れる程度にキスをした。

 

 

「むっ……!? ア、アリエッタ!?」

「えへへ、お前上背あるから急にしたくなっても不意打ち出来ないから困るんだよね」

 

 

 エクスが顔を真っ赤にしながら、自分の唇を抑える。キスぐらいでそんなに照れるなんてかわいいが過ぎるぞ。連日、夜には俺にもっと凄い事をしてる癖に。

 

 

「こ、こんな大通りでキスするのはちょっと……いや、嬉しいけど」

「認識阻害とやらで俺達は背景の一部になってるんだろ? まあ、流石に実家周辺じゃこんなの恥ずかしくて出来ないけど、折角旅行に来てるんだからさ。人目を気にせずにイチャついてみたいんだよ。新婚なんだし」

 

 

 そう言うと、俺はエクスの腕に自分の腕を絡める。

 

 

「ほらほら、行こうぜ。まずは飯? それとも砂浜で海水浴?」

「あはは、そんなに急がなくても大丈夫だから落ち着きなよアリエッタ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 さて、王都で売られている服飾等で分かってはいたが、この世界は中世風世界にありがちな"足や肌を出す事"への忌避感が特に無い。ミニスカとかホットパンツとか普通に売ってたしな。

 

 

 

「さ、流石にこれはちょっと恥ずかしいな……」

 

 

 

 という訳で水着も普通にビキニ的なものがあったので、海水浴をするにあたって旅行のテンションでレンタルしたまでは良いのだが、着てみたら想像以上に恥ずかしかった。

 

 もう10年以上この女性の身体と付き合っているのだから、いい加減女性としてのアレコレに慣れてきたつもりだったのだが、どうやらそれとこれとは話が別であったらしい。普段から露出が控えめな服ばかり着ていたので衆目に肌を晒しまくることへの抵抗感が凄い。

 

 しかし、いつまでもエクスを一人で待たせる訳にもいくまい。俺は意を決して更衣室から外へと踏み出した。

 

 

 

 

 

「おにーさん一人なんですかぁ~? 私達と遊びましょうよ~」

「いや、僕は人を待っていて……」

「えぇ~? 見てましたけど、さっきからずーっと一人で待ちぼうけしてたじゃないですかぁ。お連れさんが来るまでの間だけでいいですから~」

 

 

 

 

 

 エクスは何やら派手めな女性二人組に言い寄られていた。

 

 あの野郎、こんな可愛い奥さんを差し置いて何を逆ナンされてやがるんだ。

 

 

 一瞬で羞恥心が何処かへ吹き飛んだ俺はズンズンとエクスの隣まで歩み寄ると、彼の腕にピタリと身体を引っ付けた。

 

 

「すいません。"これ(エクス)"、私のなんで」

 

 

 エクスが既に売約済みだと知ると、逆ナンガールズはそそくさと退却していった。フッ、口ほどにもない。

 

 

「わり、待たせちゃったな」

「ア、アリエッタ。その、あー……よく、似合ってるよ」

 

 

 エクスがマジマジと俺の水着姿を見て、たどたどしくそう言った。

 

 ……うーん、こいつには既にもっと凄い姿を見られているとはいえ、水着なんて普段着てない姿をじっくりと見られるのは何か照れるな。

 

 

「ん、あー、うん。ありがと。……変じゃない?」

「う、うん。その、すごく綺麗だよ」

「……そっか。よかった」

 

 

 ……ああ、俺って本当に単純だな。

 エクスにそう言われるだけで、恥ずかしいけど無理して着て良かったなんて思ってしまうんだから。

 

 

「さっ、早く泳ごうぜ。俺の平泳ぎ3級の泳法を見せてやんよ」

 

 

 俺はそう言うと、エクスを引っ張って波打ち際へ歩き出そうとしたのだが……

 

 

「……すまない、アリエッタ。5分だけ時間が欲しい」

 

 

 エクスは真顔でそう言うと、その場に体育座りをしてしまった。

 

 

 

 ……あ~、アレか。男の子の事情か。

 

 えっ、あの程度のスキンシップで? いや、確かに旅行に備えてここ数日は"夜"を控えてたけど、それにしても過剰反応じゃね? 

 

 男を辞めて20年近く経過してるから、そういう感覚が分かんなくなってんのかな俺。

 

 そんな事を考えながら、俺は真顔で水平線を見つめるエクスの隣で一緒に体育座りをするのだった。

 

 

「……あっ、そうだ。どうせなら座ってる間に日焼け止め塗ってくれない? 背中が上手く塗れなかったんだよね」

「えっ」

 

 

 

 結局エクスが立ちあがるまでに10分以上かかった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「あー、楽しかった」

「うん。僕も楽しかったよ、アリエッタ」

 

 

 宿での夕食と入浴を済ませると、俺とエクスは二人用のベッドで天井を見ながら一日を振り返っていた。

 

 

「夕食のお魚美味しかったな。やっぱり新鮮な奴は違うわ」

「故郷や王都だと、干物か冷凍した奴が多いからね」

 

「海水浴も楽しかった。全力で泳いじゃったから明日、筋肉痛にならないといいけど……」

「そういえば、アリエッタって泳げたんだね。故郷じゃ浅い湖ぐらいしか無いけど、どこで練習したの?」

「まあ色々有ったんだよ。ミステリアスな奥さんもいいだろ?」

「あはは、なにそれ」

 

「明日はどうしよっか?」

「市場に行ってみない? 色んな船が来てるから珍しい物が有って面白いと思うよ」

 

「ねえ、エクス」

「なんだい、アリエッタ」

 

 

 俺は布団の中でモゾモゾと身体を動かすと、きゅっとエクスの手を握った。

 

 

「したいな」

「…………えっ、いや、でも、した次の日は動くの辛いって前に言ってなかった?」

「大分慣れたから大丈夫。その、最近はちょっとよくなってきたし。それに……」

「……それに?」

 

 

 

 

 

 ああ、クソ。

 

 口に出すのは恥ずかしいけど。

 

 でも、大事な事だからちゃんと言おう。

 

 一度、ゆっくりと深呼吸をしてから告げた。

 

 

 

 

 

「それに、早くエクスの赤ちゃん欲しいから」

 

 

 

「……うん、僕も欲しいな。アリエッタとの赤ちゃん」

 

 

 

 

 

 お互いの気持ちを確認すると、エクスが軽くキスをした後で、こちらの服に手をかけた。

 

 

 

「あっ、で、でも一回だけな? 流石にいつもみたいに朝までされると明日キツイから。ちゃんと新婚旅行もしたいし」

「………………好きだよ。アリエッタ」

「待って待って! そこ誤魔化さないで! ちゃんと返事しろ! 一回ねっ!? 一回っ!」

 

 

 

 

 

 二回された。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな新婚旅行から数ヶ月の時が流れた。

 

 

 たまたま近くを通りがかったというレビィが村を訪ねてきてくれた。

 彼女は何やら手のひら程の大きさの虹色に光る円盤を(アリエッタ)に手渡してくる。

 

 

「はい、これお土産。竜の鱗。滋養強壮に良いから、弱ってる時にすりおろして飲んでね」

「……レビィの?」

「いいや、里の長老からこっそり一枚剥いで……まあ、それはともかく大事な時期なんだから栄養付けないとね。いつ頃になるの?」

「半年後ぐらいかな。エクスが毎日難しい顔して名前考えてるよ」

 

 

 レビィにそう伝えると、俺は新しい命(・・・・)が宿っているお腹を軽く撫でた。

 

 

 

 

 

「早く会いたいなあ」

 

 

 

 

 

 まだ見ぬ新しい家族との生活に、胸が高鳴るのを感じる。

 

 男の子かな。女の子かな。

 

 自分とエクスのどっちに似てるかな。

 

 いっぱい遊んであげよう。いっぱいキスをしよう。いっぱい愛してあげよう。

 

 そんな事を考えるのが楽しくて仕方なかった。

 

 

 

 ああ、早く会いたいなあ。

 

 

 

 

 



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44.敬愛と恋愛

 

 

 

 

 朝露が煌く早朝の草原を一人の少年が駆けていた。

 

 母親譲りの燃えるような赤い髪を風に靡かせながら、その小さな手には木で作られた玩具のような剣が握りしめられている。

 

 

 

 "お父さんみたいに強くなりたい? じゃあ取り合えず走り込みだな。足が速ければ大抵の事はどうにかなるもんだ。"

 

 

 

 母親の適当な助言を鵜呑みにした少年は、その日から毎朝の早朝ランニングが日課となった。

 

 右手に握りしめた木剣が走るのに邪魔だが、これも訓練である。

 

 足を速くすることが目的ではないのだ。武器を持ったままでも素早く動けるようにならなければ。

 

 

「はっ! えいっ!」

 

 

 動きに緩急をつけるように、急停止して木剣を振るう。

 

 聞いた話では、父は12歳の頃に"オーク"と呼ばれる魔物を一人で倒したらしい。少年の今の年齢と同じだ。父さんに出来たなら自分にだって出来る筈である。

 

 少年は想像上の"魔物"と呼ばれる存在に向けて剣を振るった。

 実際に魔物を見た事がない少年の曖昧なイメージの怪物が、剣に打ち倒されて地面に倒れ伏したのをイメージすると、少年は再び駆け出す。

 

 

「魔物って、どんな生き物なんだろう……? 昔は村の周辺にも偶に出てきたらしいけど……」

 

 

 教会の授業で教わった"魔物"と呼ばれる存在に思いを馳せる。

 

 10年以上前に、"魔王軍"と呼ばれる魔物の軍勢と人族との一大決戦が王都で行われた後に、魔物は人族の領域から忽然と姿を消したらしい。おかげで少年は生まれてからまだ"魔物"の実物をこの目で見たことが無かった。

 

 少年の父親も魔王軍との戦いに関わっていたらしいが、いくら少年がその時の話をせがんでも父は詳しい事は話してくれなかった。

 

 

 

 "お父さんの昔話はお前がもう少し大きくなったら聞かせてやるよ。お父さんは子供の頃に色々と有ったから、お前には普通の子供として平和に暮らして欲しいんだよ。"

 

 

 

 母親に頭を撫でられながらそう言われた事を思い出す。

 

 詳しいことは知らないが、父は王都で軍の兵士達に剣術の指南をしているらしい。

 

 その剣術の腕前は余程有名なのか、偶に村まで手合わせを申し込みに来る剣客も現れる程だ。普段は物静かで温厚な父だが、母とのイチャイチャを邪魔されて不機嫌な時の剣は凄まじく、一撃のもとに剣豪めいた相手を叩き伏せる父の姿は、子供ながら誇らしい気持ちになったものだ。

 

 

「―――あっ」

 

 

 そんな物思いに耽りながら走っていたのがよくなかったのだろう。少年は地面のちょっとした窪みに足を取られてバランスを崩してしまった。

 

 駆けていた速度はそのままに、地面に頭から勢いよく突っ込みそうになり、少年は思わず目を閉じた。

 

 

 

「おっと、大丈夫かね? 我が愛し子よ」

 

 

 

 ふわりと優しく、しかし力強い腕が少年を抱きしめた。

 

 少年は目を開けると、目の前の金色の美丈夫(アズラーン)と、その後ろに控えている侍従(ターレス)の姿を確認して顔を輝かせた。

 

 

「アズラーンおじさん! ターレスお姉ちゃん!」

「お久しぶりです。イクサ様」

 

 

 ターレスがメイド服のスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて優雅に挨拶をした。両親の古い友人であるという二人に、少年(イクサ)は子供らしい無邪気な笑顔を浮かべる。

 アズラーンは腕に抱えていた少年を地面に下ろすと、その頭を優しく撫でた。

 

 

「ふふふ、また大きくなったかな? 人の成長とは早いものだ。エクスとアリエッタに会いに来たのだが、案内してもらえるかい?」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「やあ、エクス。今日も君は美しいな」

「……こんな朝から何をしに来たんだ君は」

 

 

 息子(イクサ)を教会の授業へ送り出すと、(エクス)は客間で眉間を押さえながらアズラーンと向き合っていた。

 

 

「む、今日が何の日か忘れているのか? 俺が魔族領から出てくる理由などそれしか無いだろう」

「……月一ぐらいで来てるし、割とどうでもいい理由で遊びに来てる気がするけど」

 

 

 しかし、彼にとって今日は何やら特別な日だったらしい。

 頭をひねって、今日が何の日だったか思い出そうとしている僕に、彼は呆れた顔をしながら何処からか巨大な花束を取り出した。

 

 

「やれやれ、君とアリエッタの結婚記念日に決まっているだろう?」

「結婚記念日って人に祝ってもらうものだっけ……まあ、気持ちは受け取っておくよ」

 

 

 僕はアズラーンから花束を受け取る。この辺りでは見ない品種だ。後で居間にでも飾っておこう。

 

 

「魔族領の方はどうなんだい? 最近、レビィさんが竜族の使者として訪問したって聞いたけど」

「別にどうということはない。元々竜族は現世の争いには基本的に不干渉だったからな。彼女(レビィ)を通して竜族と魔族はお互いに不干渉の協定を結んだだけさ」

「そうか……」

 

 

 王都での決戦から10年以上が経過したとはいえ、僕達と魔族が手を取り合える日が来るのは、まだまだ先の話のようだった。

 

 それでも、あの戦い以降は大きな争いもなく平和な世界が続いている。彼らと隣人として過ごせる日もいつかきっと訪れる筈だ。

 

 

「ところで、イクサは今年で何歳になるのかね?」

「ん、ああ、あの子なら今年で12歳になるよ」

 

 

 唐突に息子の話題を振ってきたアズラーンに、僕は何の気なしに答える。

 

 

「ふむ……一人前には程遠いが、そろそろ手のかからなくなってくる頃合いだろう」

「そうだね。親離れが近いみたいで少し寂しいけどね」

 

 

 少し寂し気に笑った僕の手をアズラーンが握りしめた。

 

 

「たまには息抜きに旅行でもどうだろうか? 人の親とは言え休息は必要だ。勿論、俺も付いていこう。君が不在の間は村の守護としてターレスを置いていけばいい。なに、俺と君の仲だ。遠慮は不要だとも」

 

 

 アズラーンが不倫旅行を推奨してきた。

 にっこりと優し気に微笑むアズラーンの後頭部にフライパンが振り下ろされて小気味のいい音が鳴り響く。

 

 

「おい間男。結婚記念日に何を堂々と人の旦那に手を出してんだ」

 

 

 台所からフライパン片手にやってきたアリエッタにアズラーンが微笑んだ。

 

 

「男で無ければ分からないこともある」

「出てけ」

 

 

 気持ちは分かるが、遠路はるばるやって来た相手を即座に送り返すのは流石に気が引ける。僕はアリエッタを宥めすかすと、アズラーンから送られた花束を彼女に手渡した。

 

 

「まあ、祝ってくれるのは嬉しいけどさ。イクサも何かお前とターレスさんに懐いてるし」

「アリエッタ様、よろしければそちらの花を生けさせていただきますが」

「ん、ああ、大丈夫だよ気を遣わなくても。というかターレスさんはお客様なんだから座って座って。今お茶を出すから」

「ふむ、赤髪の君よ。俺とターレスで対応が大分違う気がするのだが?」

 

 

 アズラーンの言葉を完全に無視してアリエッタが僕達の前にティーカップを並べた。

 カップにお茶を注ぎながら、アリエッタがアズラーン達に問いかける。

 

 

「というか、人の結婚記念日を祝う前にアズラーン達もいい加減に身を固めろよ」

「ん? どういう意味かね?」

 

 

 アズラーンがアリエッタの言葉の意図が分からないといったキョトンとした顔をした。

 その様子を見て、アリエッタが溜息を吐いた。

 

 

「だから、お前とターレスさんはいつ結婚するのかってこと」

「ぶふっ」

 

 

 アリエッタの突然の発言に、僕はお茶を噴き出した。

 

 

「げほっ! ごほっ!」

「おわっ、いきなりなんだよエクス。ばっちいな」

「い、いや、いきなりなのは君の方でしょ。アズラーンとターレスはそういう関係じゃ……」

「駄目だこりゃ。……ターレスさんも、いくら魔族の寿命が長いとはいえ、なあなあにしてちゃ一生このまんまだよ。言う事はハッキリ言わないと」

 

 

 アリエッタに水を向けられたターレスに僕達の視線が集中した。彼女はその人形めいた無感情な美貌を一切崩さずに、アリエッタからの問いに答える。

 

 

 

 

 

「アリエッタ様。確かに私はアズラーン様を敬愛しておりますが、それはあくまでも主従としてです。男女のそれではありませんので誤解無きように」

 

 

 

 

 

 ターレスは一切の感情を感じさせない言葉でそう告げると、机に置かれていたティーポットを手に取って、隣に座っていたアズラーンの口にお茶を注ぎ始めた。

 

 

「がぼがぼがぼがぼ」

「ところでアリエッタ様。魔王城へのお土産に前回オススメして頂いたお茶が大変良いものでして私がまだ子供だった頃にアズラーン様に拾っていただいた御恩をお返し出来ればと臣下としての礼をイクサ様をご懐妊した際はどのようなお気持ちだったでしょうか」

「がぼぼぼぼぼぼぼ」

「あー、ごめん。落ち着こ? ターレスさん。アズラーンが溺死しそうになってるから」

 

 

 一切表情には出ていないが、激しく動揺している様子のターレスをアリエッタが宥めすかした。

 

 

「……分かっただろ、アズラーン。俺の言葉でターレスさんがこんだけ動揺してるんだから、その意味が分からない程に朴念仁じゃ無いだろう?」

「ああ、レディにここまで取り乱させてしまうとは、紳士として恥じているとも」

 

 

 お茶でビッチャビチャになった口元を優雅に拭うと、アズラーンがターレスを口説き始めた。

 

 

「君が俺に対して恋慕してくれているのを気付かなかった訳ではない。……だが、俺がそれに応えることを君が望んでいるとは思えなかったから、俺は今日まで君を臣下として扱ってしまった。こんなつまらない男を君は許してくれるかい?」

「アズラーン様……いえ、私が必要以上に臣下として貴方との距離を取ってしまっただけです。貴方はいつだって私の意志を尊重してくれた。もし、許されるならば……これからはアズラーン様の臣下ではなく、伴侶として貴方の隣を歩かせてはくれませんか?」

「ふっ……伴侶ならば、まずはその他人行儀な呼び方を改めて貰わねばな?」

「……ア、アズラーン…………さま」

「フフ、まあ、急には無理だろう。ゆっくりと慣れていけばいいさ」

 

 

 完全に二人の世界に入ってしまったようである。

 

 アリエッタがアズラーンの肩に手を置くと、優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

「イクサの教育に悪いから余所でやれ」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「すまないなエクス。今後の生活について早急にターレスと二人で話し合う必要が出てきた。イクサには遊んでやれず、すまないと伝えておいてくれ」

「アリエッタ様。お世話になりました。子種を授かった際には御二人に名前を決めて頂ければと」

 

 

 

 アズラーンとターレスさんは(アリエッタ)とエクスにそう告げると、足早に村から魔族領へと帰っていった。

 

 ……何やら重い役割をターレスさんから与えられたような気がするが、まあ二人が幸せそうだったので良しとしよう。

 

 

 

「はあ、朝からなんかバタバタしちまったな」

「そうだね。結婚記念日だからお休みを取っておいて良かったよ」

 

 

 俺とエクスがお互いに疲れた様な笑みを浮かべた。

 

 

「しかし、子供の名前ねえ。というか魔族って妊娠出産までどれくらいかかるんだ? 人間と同じなのかな」

「どうだろう。野生動物みたいな下位の魔物はともかく、アズラーンやターレスみたいな人に近いタイプの魔族は分からないことだらけだからね」

 

 

 子供の名前かあ。イクサの時もリアクタ達を巻き込んで散々悩んでたなあ。

 もう10年以上前のことなのに、まるで昨日のことのように思い出せる光景に、俺は口元に笑みを浮かべてしまう。

 

 

 すると、エクスが不意に俺の肩に手を回してきた。

 

 

「……その、僕達もどうかな。二人目」

「おいおい、よせやい。こっちはもう30過ぎのオバサンだぞ」

「今だって君は魅力的だよ。僕は全然イケる。イクサも弟か妹が欲しいって言ってたし……」

「うっ、い、いや、でも正直、出産は一人でもキツかったっていうか、もう一人産むのはちょっとしんどいかな~って」

 

 

 

 アカンアカン。このままだとなし崩しにもう一人孕ませられる。

 

 

 グイグイと押してくるエクスにしどろもどろになりながら、俺は愛する息子(イクサ)が早く帰ってくるのを願わずにはいられなかった。

 

 

 

 




番外編的な話は今回で終わりです。
次回から〆に入ります。


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45.再会

 

 

 

 

 寝室の窓から差す月明りに照らされながら、赤髪の老女―――アリエッタはベッドの上で自らの命が終わりを迎えようとしているのを感じていた。

 

 痛みや苦しみは無く、ただ穏やかに意識が薄れていくのを感じる。寿命が来たのだろう。

 

 

 

 

 

 治癒の魔法のような前世には存在しない技術が有るとは言え、やはりこの世界の人間の平均寿命は現代日本のそれよりも短い。大抵の人間が60歳を迎える前に亡くなる中で、80歳近くまで生きたアリエッタは長寿の部類に入るだろう。

 

 

 夫であるエクスは既に10年前に亡くしたが、息子夫婦に世話を焼かれながら過ごした穏やかな余生だった。

 

 

 先日は曾孫の顔も見る事が出来た。思い残しが全くないとは言わないが、見届けるべきは概ね見届けたであろう。

 

 自分の死後に関する事柄については、既に遺言書を作成して息子(イクサ)に預けてある。後は二度と目覚める事の無い眠りへと落ちるだけだ。

 

 

 

 瞼を閉じて、己の生涯を振り返る。思えば数奇な人生であった。

 

 

 

 前世と今世、二度の人生。

 

 男として生きた。

 

 女として生きた。

 

 愛されて生きた。

 

 愛して生きた。

 

 

 

 曖昧な意識の中で、(エクス)と過ごした一瞬一瞬が瞬いては通り過ぎていく。

 

 

 

 輝かしく愛おしい日々の光景に見送られながら、アリエッタは意識を手放そうとした。

 

 

 

 

 

 

「―――アリエッタ」

 

 

 

 自分を呼びかける声に、薄れかけた意識が急速に覚醒する。

 

 ゆっくりと瞼を開くと、月明りに照らされた金色の美丈夫―――アズラーンと、その侍従のターレスが隣に立っていた。

 

 出会った時から変わる事の無い美貌を悲し気に曇らせているアズラーンに、アリエッタは穏やかに話しかけた。

 

 

「……やあ、エクスの葬式以来かな? (エクス)が亡くなってから、ずっと顔を見せないから心配してたのよ?」

「アリエッタ……」

 

 

 アズラーンが、アリエッタの手を優しく握った。

 

 

 

「……赤髪の君よ。俺の眷属になるつもりは無いか? 一緒に悠久を生きよう。まだ見ぬ世界を、未来を共に見届けないか?」

 

 

 

 

 

 アズラーンの言葉に、アリエッタは微笑みながら首を横に振った。

 

 

 

 

「……そうか。いや、君ならそう答えると思っていたよ」

「フフ……それ、エクスにも言ったんでしょう? 残念。こう見えて彼も私も身持ちが堅いのよ? 私が一緒に生きるのはあの人(エクス)だけなの。ごめんなさいね」

「……やれやれ、お見通しだったか」

 

 

 アズラーンがアリエッタのしわがれた手に軽く口づけをすると、寂し気に微笑んだ。

 

 

「……また、友達が一人減ってしまうな」

「アズラーンにはターレスさんが居るじゃない。寂しくはないでしょう?」

「……君の代わりは誰もいない。エクスの代わりだって世界中の何処を探したっていない。誰かは誰かの代わりにはなれないのさ」

 

 

 アズラーンはそう告げると、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

「魔族とて永遠の存在という訳ではない。俺とターレスにもいつかは終わりが訪れるだろう。その時まで、しばしの別れだな」

「おやすみなさいませ、アリエッタ様。―――良き夢を」

 

 

 

 

 瞬きの合間に、アズラーンとターレスの姿が音もなく消えていた。

 

 

 自分は幸せ者だ。最期の最期まで、別れを惜しんで訪ねてきてくれる友人が居るのだから。

 

 

 

 

 アリエッタは穏やかな気持ちで瞳を閉じた。

 

 

 

 

 ゆっくりと意識が大気の中へ散っていくような感覚を覚える。

 

 

 

 

 その呼吸がゆっくりと弱くなっていき、やがて止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――んむっ?」

 

 

 

 気が付くと、17歳の少女の肉体を取り戻していた(アリエッタ)見覚えのある(・・・・・・)白い空間に突っ立っていた。

 

 

 

 

 

「―――その姿は君の魂の全盛期。最も命が光り輝いていた時期の形を取っている」

 

 

 

 

 

 背後から主観時間で約80年前に聞いた声がする。

 

 

 

 

 

「やあ、久しぶりだね山田くん」

 

「…………アリエッタでお願いします。山田よりもそっちで生きた時間の方が長いんで」

 

 

 

 俺は声の主にそう答えると、うんざりした顔をしながら振り返る。

 

 そこにはエメラルドグリーンの巨大なタコさんが鎮座していた。

 

 

 

「では、アリエッタ。どうだったかね、二度目の人生は?」

 

 

 

 推定邪神様ことタコさんとの約一世紀ぶりの再会であった。

 

 

 

 

 




次回最終回


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46.いつか見た夢

 

 

 

 

「では、アリエッタ。どうだったかね、二度目の人生は?」

 

 

 

 目の前で触手をうじゅるうじゅるとうねらせるエメラルドグリーンのタコさんを前にして、(アリエッタ)は頭をカシカシと掻きながら溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

「…………まあ、そうですね」

 

 

 

 

 

 思い返してみれば、このタコさんとの出会いが全て(アリエッタ)の始まりだった。

 

 平穏に穏やかに。

 

 モブキャラとして一生を終えたいという俺の要望を完全無視して、勇者のヒロインなんていう騒々しい立場に転生させられた日々は―――

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

『アリエッタ。僕は君を守りたい。きっと、僕はその為に生まれてきたんだ』

 

 馬鹿みたいに騒々しくて。

 

 

 

 **********

 

 

 

『俺はお前の味方だよ。これからも、ずっとな』

 

 泣き出したいぐらいに楽しくて。

 

 

 

 **********

 

 

 

『違うんだよ。俺は、お前が思っているような奴じゃない。…………普通の女の子なんかじゃ、無いんだよ』

 

 報われないかもしれない恋心に怯えた。

 

 

 

 **********

 

 

 

『ごめん。ごめんね。普通の女の子じゃなくて。嫌だよね。でも、好きになっちゃったんだ。本当に、ごめんね』

『謝らないで、大丈夫だから。……僕も好きだよ、アリエッタ』

 

 愛されて受け止められる喜びを知った。

 

 

 

 **********

 

 

 

『お願いだよアリエッタ。もう二度と、僕の前からいなくならないで。僕を残して遠くに行かないで。僕を、独りにしないで…………』

 

 救われない悲しみを見た。

 

 

 

 **********

 

 

 

『ア、アリエッタ! イクサが泣き止まないんだけどっ!?』

『あーもう、あやすの下手糞かよ。ほらほらイクサ~、ママですよ~』

 

 自分以上に大切なものがどんどん増えていった。

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 世界も性別も何もかもが無茶苦茶で荒唐無稽で。

 

 

 喜びも悲しみも全部が光り輝いていた。

 

 

 そんな物語を振り返って、俺は神様に答える。

 

 

 

 

 

「―――うん。悪くなかったですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 俺はきっと、奇跡のような恋をしたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「そうか。良い(人生)をしたようだね」

 

 

 

 俺の返事にタコさんが満足げな響きを感じさせる声で応じた。

 

 

 転生させられた当時は色々と思う所もあったが、こうしてアリエッタとしての一生を振り返ってみれば俺はタコさんに感謝こそすれ、文句を言うつもりなど欠片も無かった。

 

 

 まあ、仮に文句があったとしても俺はエクスみたいな勇者ではなく、どこまで行ってもただの村娘なのだ。神殺しの英雄譚なんてものは望むべくもないだろう。

 

 

「あっ、一つ聞きたい事が有るんですけど」

「何かね?」

「俺より10年ぐらい早くエクスって言う男がこっちに来たと思うんですけど、どうなりました?」

 

 

 俺はふと頭を過った疑問をタコさんに尋ねてみた。まあ、どうなったもなにも喰われてるんだろうけど。

 

 ……この"喰われる"という響きがイマイチよろしくないが、まあそこに文句を言っても仕方ないだろう。このタコさんは多分、世界を管理するシステム的な存在だ。その深淵な心理をホモサピの尺度で理解しようとしても頭がおかしくなるだけだろう。

 

 

「さて、どうだっただろうか。私が直接面談するのは、君の様に著しく問題の有る魂だけだからね。覚えていないということは、君の言うエクス君は健全な魂として通常通り処理されたということだろう」

 

 

 喰われたようである。南無。

 

 

 まあ、不健全な魂として変に転生とかさせられてるよりは良い……のか? 

 

 ……駄目だ。俺のような平凡な人間の倫理観では、人の魂の行末の善悪なんて何も分からん。

 

 

 

 

「さて、それではディナーとさせてもらおうか」

「うっ……まあ、今更ジタバタするつもりは無いですけど、これから喰われる宣言されるのってやっぱ辛いですわ。痛かったりします?」

「安心したまえ。私はそのような低次元な存在ではない。君に何かを感じる暇など与えないさ」

 

 

 それはそれでどうなのだろうか? 

 

 俺が首を捻っていると、タコさんの深宇宙を思わせる双眸の間がメリメリと裂けて、第三の眼が出てきた。グロッ! 

 

 俺が嫌そうな顔をしたのも束の間、タコさんの第三の眼に何やら光の粒子がみゅんみゅんと集まっていく。分かりやすく表現するならバスターをチャージしている感じである。

 

 

「すいません。俺は食べられるんですよね? どちらかというと、これから蒸発させられそうな空気を感じてるんですが」

「では、さらばだ。アリエッタ、君の魂は永遠に私の中で輝き続けるだろう」

「聞けやっ! 前もそうだったけど、お前わざと無視してんだろっ!?」

 

 

 しかしタコさんは俺の話を聞いてくれなかった。第三の眼がカッと開かれると、集まっていた光の粒子が極太のレーザー砲みたいになって俺を蒸発させた。おごぉっ……! 

 

 

 

 

 

「デリシャス」

 

 

 

 

 

 意識が途切れる寸前に、タコさんのそんな声が聞こえた気がした。俺やっぱこいつ嫌いだわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「…………あれっ?」

 

 

 

 気が付くと、(アリエッタ)は再び真っ白い空間に突っ立っていた。

 

 

「……俺、レーザー砲で消し炭にされたよな?」

 

 

 直前の記憶を頼りに身体を探ってみるが、特に外傷のようなものは見当たらなかった。

 

 

 

 

 

「―――ようこそ。名も無き魂よ」

「っ!?」

 

 

 

 

 

 背後から響く声に俺は恐る恐る振り返ると、そこには巨大なタコみてえな邪神様が……いや、違う! あの鮮やかなコバルトブルーの体色は別個体だっ! 

 

 俺は恐る恐る邪神様のカラバリに話しかけた。

 

 

「……えーっと、どちら様でしょうか? 俺の知ってるタコっぽい知り合いに凄く似てるんですが」

「事情は把握している。君は並行次元の私に捕食された結果、全ての旨味を削ぎ落されたプレーンな魂として私が管理するこの次元にやってきたのだ」

 

 

 えぇ……なにそのシステム……

 

 

 話を聞いてみると単純な仕組みで、この世界には"並行次元"と呼ばれる世界が無数に存在しており、それぞれその世界を管理しているタコさんが複数存在しているらしい。各々の世界でタコさんに捕食された魂は、彼らが言う"旨味"というものを吸い取られた後に、また違うタコさんが管理している次元へまっさらな魂として送り出されて再び旨味を蓄えるというフローになっているそうだ。

 

 

 まあ、簡単に言えば凄く絵面の悪い輪廻転生といったところだろうか。

 

 

 

 俺がげんなりした顔をしていると、タコさんは慣れているのかテキパキと転生の準備を進めた。

 

 

「―――さて、こちらの次元で転生したら今の君の記憶は全て失われる。アカシックレコードの規格が違うから仕方ないね。諦めてくれ」

「あはは、規格が違うなら仕方ないっすね」

 

 

 規格が違うから仕方ないらしい。既に情報の許容量を超えていた俺は流した。

 まあ、前世の記憶なんて持ってる方がおかしいのだ。惜しむ気持ちはあるが、ここでゴネても仕方あるまい。俺は了承した。

 

 

「よろしい。それでは、願わくば素晴らしい人生を経験して旨味溢れる魂となって私の下へ帰ってきてくれたまえ」

 

 

 

 

 

 ズズズズズ…………

 

 

 

 コバルトブルーのタコさんがそう言うと、彼の背後にあった巨大な石造りの扉が重厚な音を響かせながら開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲラゲラゲラゲラゲラ!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうでは、空間いっぱいのヘドロのような粘液の中で、無数の眼球や人間の口っぽいものがゲラゲラと笑い声を上げながら浮かんでいた。またこれかァ~~~。

 

 

 しかし、こちらの世界のヘドロさんは前世のヘドロさんよりも仕事が早いらしく、俺がタコさんに何かを言う前にシュバッと触手を伸ばして俺を雁字搦めにすると、迅速に扉の向こうへと取り込んだ。

 

 

 

「行くがよい、名も無き魂よ。次に会う時は、君は私のランチの皿の上だろう」

「もがもがもが」

 

 

 口を完全に塞がれている俺は何の意味も無い呻き声をタコさんに漏らすと、石造りの扉は再び重厚な音を響かせて閉じていった。

 

 ゲラゲラという笑い声が全方位から鳴り響く中で、俺は猛烈な眠気に襲われて、ヘドロの中で眠りにつくのだった。スヤァ…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――う……ん~~…………っ」

 

 

 ゆっくりと意識が覚醒していく。

 

 寝汗でびっしょりと濡れたパジャマが肌に貼り付くのを不快に感じながら、"私"は目を覚ました。

 

 

「……何か、凄い変な夢を見た気がする」

 

 

 独り言のように呟いてから時計を確認すると、時刻は午前9時を回ったところだった。普段だったら遅刻確定だが、今は私が通っている高校は夏休みである。そのまま二度寝をしようかとも思ったが、濡れネズミのようになった身体のままで眠る気には到底なれなかった私は、仕方なくベッドから起き上がるとシャワーを浴びることにしたのだった。

 

 

 

 **********

 

 

 

「あら、有恵(ありえ)。珍しいじゃない、こんな時間に起きてるなんて」

「んー……何か目が覚めちゃって」

 

 

 シャワーで汗を流した(有恵)はリビングで母親の言葉に適当に返事をすると、棚から食パンを一枚抜いてジャムもマーガリンも塗らずに素のまま齧りつく。素材の味を確かめていると母親が「女子高生の食事か? これが……」と悲しそうな顔をしていたが無視した。

 

 折角(私にしては)早起きしたのだ。友達でも誘って遊びにでも行こうかと素パンを齧りながらスマートフォンを眺める。

 

 

理亜(りあ)は田舎に帰ってるし、未良(みら)ちゃんは部活で夕方まで空いてないか……恵比寿(えびす)の奴を誘ってゲーセンでも……」

 

 

 

 休日の過ごし方を考えていると、不意に来客を報せるインターホンが鳴った。

 

 

 

「有恵ー。母さんちょっと手が離せないから出てちょうだい」

「へーい」

 

 

 シャツにショートパンツと多少ラフな格好ではあるが、シャワーを浴びた後で見苦しい姿ではないので特に気にせずに玄関へと向かい扉を開ける。

 

 

 

「はーい、どちら様ですかー?」

 

 

 

 

 

 扉の向こうに立っていた男の姿に、私は思わず固まってしまった。

 

 

 

 

 

「―――えっと、こんにちは。今度、隣に引っ越してきたエクスと言います。引っ越しの御挨拶に伺いました」

 

 

 

 

 

 触り心地の良さそうなサラサラの金髪に、吸い込まれるようなエメラルドグリーンの瞳。

 

 

 気弱そうな印象を与えつつも、それ以上に親しみを感じさせる柔和で端正な顔立ち。

 

 

 流暢な日本語を話す私と同じくらいの年齢の外国人の青年がそこに立っていた。

 

 

 

「心ばかりの品ですが、よろしければ―――」

「…………」

「……あの、どうかしましたか?」

 

 

 

 青年の姿に、私は訳の分からない感情に襲われていた。

 

 

 確かに凄い美形ではあるが、その容姿に一目惚れしてしまったとか、そんな単純なものではない。

 

 

 どうしようもなく懐かしいような、切ないような、訳もなく叫び出したくなるような感情が胸に渦巻いてしまって―――

 

 

 

「…………エク、ス?」

「えっ、う、うん。……うわあっ!? な、何で急に泣き出すの!?」

「あ、あれっ? ご、ごめんなさいっ。その、急に涙が……」

 

 

 気が付けば、瞳から溢れ出す涙を止められなかった。

 

 慌てて零れる雫を手で拭うが、堰を切ったように流れ出す涙は止まる気配が無い。一体何をやってるんだ私は。初対面の男の子の前で号泣するなんて完全に変な女だ。

 

 恥ずかしいやら情けないやらで違う意味でも泣けてきた私の肩に、エクスと名乗る青年が恐る恐る手を置いた。

 

 

「……大丈夫だよ。落ち着いて、アリエッタ」

「アリ……? いや、私は有恵(ありえ)ですけど……というか、まだ名乗ってないですし」

「……あれ、そうだよね? ……僕は、何で君をアリエッタなんて呼んだんだ……?」

 

 

 エクスが不思議そうに首を傾げる。

 自分のことを棚に上げておいて何だが、彼も大概変な男の子のようだ。

 

 

 

「…………くっ」

「…………ふっ」

 

 

 

 お互いに似たようなことを思ったのか、気が付けば私達は軽く吹き出していた。

 いつの間にか止まっていた涙の残滓を拭うと、私は改めてエクスに自己紹介をした。

 

 

 

「ごめんなさい、驚かせちゃって。私は田中有恵(たなかありえ)です。よろしくお願いします」

「ううん、気にしないで。こちらこそ、これからよろし―――」

 

 

 

 

 

「―――有恵先輩。先輩を泣かせてるこの男は一体誰ですか…………?」

 

 

 

 エクスの肩が背後からガッと凄まじい力で掴まれる。

 

 全ての感情が消えうせた能面のような無表情を貼り付けながら、私の後輩である未良(みら)ちゃんがエクスの背後に立っていた。

 

 

「み、未良(みら)ちゃん? 部活はどうしたの?」

「今日は学校の空調が故障してしまったので文芸部はお休みになりました。だから有恵先輩と一緒に遊びたいなと思って誘いにきたんですけど…………この男は???」

 

 

 未良(みら)ちゃんの絶対零度の視線に射抜かれたエクスがしどろもどろに弁明する。

 

 

「ご、誤解だっ。僕は有恵ちゃんには何も……っ」

「あっ、有恵でいいですよ。呼び捨てで」

「それって今言うことかなあっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景は、ここではない何処かで。

 

 

 

 

 

 今ではないいつかに見た夢のようで。

 

 

 

 

 

 止まっていた何かが再び動き出すような。

 

 

 

 

 

 そんな予感に、胸が高鳴るのを感じていた。

 

 

 

 

 

 




★あとがき★


これにて『村娘に転生したけどお前のヒロインにはならないからなっ!』は完結となります。

まずは何よりも最初に、ここまで付き合ってくださった読者の皆様に心より御礼申し上げます。
小説を書くのは初めてでしたが、途中で投げ出さずにアリエッタ達の物語を最後まで書き上げる事が出来たのは読者の皆様の応援のおかげです。これほんとに。
途中から返信が出来ていませんでしたが連載中に頂いた感想は全て何回も繰り返し読んでます。半笑いで。読者の方からのレスポンスは何よりも大きい執筆の原動力でした。繰り返しになりますが応援本当にありがとうございました。


次回作に関してはまだ未定ですが、多分またTSものを書くと思います。その時に読者の皆様と再びお会い出来る日が来るのを楽しみにしております。




さて、ここから適当に自分語りとか回収できなかった設定、没設定などを適当に垂れ流していきます。読まなくてもいい奴よ。


そもそも、小説を書き始めた切っ掛けは某匿名掲示板で某サブヒロインTS小説がめちゃプッシュされていて読んでみたら「面白い!僕もこういうの書きたい!」となったのが始まりでした。
勢いだけで書き始めたのでスタートとゴールしか考えておらず、回収しきれなかった設定や、途中から生えてきた設定がかなりあります。

回収出来なかった設定としてはレギウス王周りの話が大きいでしょうか。
レギウス王とドヴァリおじさんとフィロメラの父親(先代賢者)は最終決戦で活躍させる予定でしたが、差し込む隙間が見つけられず流れました。おかげでエイビス周りのエピソードも宙ぶらりんな感じがしますね。

途中で生えてきた設定、キャラとしてはヴィラは突然生えてきました。というか勇者PT人数多すぎですね。レビィとかかなり空気になってましたし、半分ぐらいにしても良かったです。

反省点としてはアリエッタとエクスの恋路を邪魔するライバルキャラが不在だった点が個人的に悔しかったですね。恋愛的なライバルポジとしてはエイビスやテイム、アズラーンが立つ予定でしたがイマイチそっち方面で活躍させることが出来ませんでした。作者の練り込み不足です。無念。

一番好きなキャラはアズラーンです。書いてて楽しいし話を転がすのに非常に便利なキャラでしたね。
逆に嫌いという訳では無いですが、扱いに困ったのがフィロメラさんです。未来予知キャラは「未来予知出来るならこれ防げなきゃ駄目だろ」みたいな話が七兆個出てきてしまいますからね。二度と未来予知キャラは書かないぞ。

実は最終回のオチは2パターン考えていました。
本編ではアリエッタが再び女に転生してエクスと再会する展開でしたが、もう一つの案としてはアリエッタが男に転生して、エクスが女にTS転生する展開を考えていました。かなり直前までどちらのルートで行くか悩みましたが、アリエッタこと山田を男に戻すのはちょっと違うかなと思い、引き続き女をやってもらうことにしました。
最後の転生でアリエッタこと有恵は自意識含めて完全な女の子になってしまった点はTSものとしてどうなの?と我ながら思わなくもないのですが、最終回のオチだけなので大目に見てやってください。



まだまだいくらでもぶっちゃけられますが、キリが無いので一先ずこれぐらいにしておこうと思います。

今のところ考えてはいませんが、いつか番外編的な話も書けたらいいかなとはボンヤリ思っています。まあ、その前に新作を書くと思いますが。



最後になりますが、主人公アリエッタのイラストを描いていただいた枯れガジュマル先生に心からの感謝を捧げさせていただきます。
自分の作品のキャラがイラストになるなんて考えたこともありませんでしたので、初めてイラストを頂戴した時は「小説を書いてて良かった」と泣きそうになりました。今でも定期的に見返しています。半笑いで。


それでは長くなってしまいましたが、ご愛読ありがとうございました。二本目海老天マンの次回作に御期待ください。




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EX01.お正月

あけましておめでとうございます。
お正月なので思いつきで番外編書いてみました。
本編完結後のお話です。時系列はいい感じに脳内補完してください。


 

 

「……んんっ、くぁ……エクス~、起きて起きて~」

 

 

 夜明け前。(アリエッタ)はベッドの隣で眠っているエクスを揺さぶって覚醒を促す。

 

 

「うぅん……アリエッタ? まだ夜中だよ、もう少し寝ようよ……」

「わぷっ」

 

 

 エクスは寝惚けた顔で、肩を揺さぶってくる俺を抱きしめると、そのまま二度寝を決め込もうとする。普段だったら、それでも構わないのだが、今日だけは別である。

 

 

「駄目。寝る前に話しただろ? 一緒に初日の出を見るって」

「ハツヒノデ? ……ん~、そうだっけ……?」

「そうなの。はいはい、起きた起きた」

 

 

 俺は抱きしめてくるエクスの腕を解くと、彼がくるまっているシーツを引っぺがして無理やり起床を促すのだった。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「大丈夫アリエッタ? 寒くない?」

「ん、平気」

 

 

 俺はエクスを連れて、家から少し離れた見晴らしの良い丘に来ていた。

 

 大き目のブランケットで、仲良く一緒に包まれているエクスに、温かいお茶を入れた水筒を渡す。

 

 

「……ふぅ。それで、"ハツヒノデ"だっけ? それも君の前世の知識なの?」

「まあ、そんな所。その年の最初の日の出は縁起が良いから拝んでおこうぜって感じ」

 

 

 エクスから返された水筒に、俺も口を付ける。

 夜明け前の僅かに白んだ丘に人影は無く、世界に二人だけ取り残されてしまったような錯覚すら覚える。

 

 

 

 ―――ああ、この少し浮足立つような高揚感。

 

 前世の大晦日もこんな気持ちだったっけ。

 

 

 

 郷愁が微かに胸を焦がした。

 

 

「……アリエッタ」

 

 

 ふと、エクスが肩に腕を回して俺の身体を抱き寄せる。

 

 

「……ん、どうした。エクス?」

「アリエッタの居る場所はここ(・・)だよ。……君には悪いけど、元の世界に帰りたいって言われても、僕は絶対に君を手放さないからね」

「―――くっ」

 

 

 急に子供みたいな事を言い出したエクスに、俺は思わず吹き出してしまう。

 

 

「アリエッタ! 僕は真剣に……」

「ぷっ、わ、悪い。くふっ……お前さあ、俺のこと好き過ぎだろう?」

 

 

 拗ねたように眉間に皺を寄せる彼が愛しくて、その頬に手を添えると触れる様に唇を重ねた。

 

 

「んむっ……ア、アリエッタ……」

「大丈夫だよ、エクス。確かに前の世界を懐かしむ気持ちはあるけど、今の俺が居たい場所はここ(・・)だからさ」

「……そっか。うん、よかった」

 

 

 エクスがこちらに顔を寄せてきた。

 

 

 ……おいおいおい、何か盛り上がっちゃってるけど、流石に外でアレコレするのは嫌だぞ。クソ寒いし。

 

 

 そんなことを考えながらも、ハッキリと彼を拒絶出来ない、流され体質な自分に複雑なものを感じてしまう。

 

 陽の光の温もりを感じながら、彼の唇を受け入れ―――

 

 

 

「―――日の出見逃しとるがなっ!?」

「……えっ?」

 

 

 

 ゴキンッ!! 

 

 

 

 急に顔を動かした俺の額とエクスの額が、鈍い音を立てて激突した。

 

 

「んがっ……!」

「ア、アリエッタ!? 大丈夫っ!?」

 

 

 流石に鍛えている元勇者様はノーダメージだったようだが、貧弱モブ娘である俺には相当キツイ衝撃だったようで。

 

 頭蓋の裏側で星が瞬くような幻視をしながら、俺は意識を手放すのだった……

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

「―――んぅ……?」

 

 

 暗闇の中で()―――有恵(ありえ)は目を覚ました。

 枕元のスマートフォンを確認すると、時刻は元日の午前3時……随分と半端な時間に目が覚めたものである。

 

 

「……なに、あの初夢。恥ずかしすぎて死にそう」

 

 

 寝惚けた頭で、直前まで見ていた夢の内容を反芻すると、私はベッドで一人悶絶した。

 

 夢らしく細かい部分に関しては覚醒と同時に忘れてしまったが、何やら海外みたいな場所で、最近お隣に越してきたエクス君そっくりの男の子と自分がイチャついていたのは覚えている。

 

 

「ぐあ~~~……ええ? 私そんな風にエクス君の事見てたの? いや、確かに美形だし、良い人だけどさ……」

 

 

 ウネウネと身体をくねらせて羞恥に震えていると、スマホのメッセージアプリに未読のメッセージが届いている事に気が付く。

 

 

「あれ、他のあけおめメッセに埋もれて見逃してたかな?」

 

 

 未読メッセージを確認すると、送り主は今まさに私()性的な目で見ていた疑惑のある(エクス)からだった。

 

 

 

 ――――――――――

 

 あけましておめでとう。

 有恵はこっちに越してから、初めて出来た友達だから、今年も一年仲良くしてくれると嬉しいです。

 

 ――――――――――

 

 

 

「うわっ、完全にスルーしちゃってた。……深夜だけど、返信だけしちゃおっと」

 

 メッセージに既読を付けると、私は少し考えてから彼に返信を送った。

 

 

 

 ――――――――――

 

 あけましておめでとうございます。

 返信遅れてごめんね。こちらこそ今年も仲良くしてくれたら嬉しいです。

 

 ……ところで、急な話でアレなんだけど、もしもエクス君が良ければ一緒に初詣に行きませんか? 

 今日の昼頃に出かけるつもりなので、予定が無ければ付き合ってもらえたら嬉しいです。

 

 ――――――――――

 

 

 

「……いやいやいや、これは変なアレじゃなくて友達としての……そう、友達としての奴だから…………友達は午前3時に男を初詣に誘うのかっ!?」

 

 

 自分で自分の感情がよく分からなくなってきた私が彼にメッセージを送ったのは、それから30分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ、もう返信来た」

 

 エクス君から初詣承諾メッセージがマッハで帰ってきたのは、また別の話である。

 

 

 



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