もしも八幡と雪乃が幼馴染だったら。 (ヒロ9673)
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一巻分
比企谷八幡は、奉仕部へ行く。


『青春とは、既に決められているものである。最初のクラスの挨拶で失敗すれば、三年間のボッチが確約される。幼馴染と小さい頃に結婚しよう!なんて約束をすれば、きっと幸せな未来が待っているであろう。つまり、青春とは押し付けなのである。何者かに決定づけられた未来を歩むことが青春なのである。いや青春って何ですか(心理)?因みに俺は勝ち組みたいなもんなので第一志望通り将来は専業主夫になりまーす!』

 

 

職員室は慌ただしい。沢山の教師が思い思いに行動に移しているので、尚更だ。

そんな中、現国教師である平塚先生は、ある一人の可哀想な男子生徒の作文を額に青筋を浮かべながら大声で高らかに読み上げた。

自分でもなかなかいい感じに書けたのではないかと思っていたのだが、なぜか平塚先生は後ろにスタンドでもいるのではないかと言うくらいの強烈な覇気を出しながら、引きつった笑みを見せる。

俺ーーー比企谷八幡は、恐らく傍から見ればとんでもない量の冷や汗を出しているであろう。

 

……怖い。総武高校女性教師美人ランキングでは間違いなくトップに位置するであろう平塚先生。その美貌に加えてスタイルも良い。更には生徒からはカッコイイ!なんて声がたくさん挙がっている。

実際、女を見る目がある俺が見てもカッコイイとは思う。もし俺が不動のボッチを貫いていて、もう少し年の差が無かったら心底惚れていたと思われる。十歳差はさすがに、ね。

 

だが、今はそんなことはどうでもいいのだ。今俺が心配するべきなのは、自分の身の安全。この先生、さっきから指の関節をパキパキ鳴らしてんだけど。怖すぎないかしら?

 

「……比企谷。私が課した課題は何だったかな?」

「『高校生活を振り返って』でしたよね」

「とりあえず一発殴らせてもらおうか」

「横暴な!俺は事実を書いただけなのに!」

「私は青春について書けとは言っていない!」

 

いや高校生活は青春の二文字でほとんどの奴らが片付けるだろ!だから俺は何一つ間違っていない。間違っているのは不条理な世の中だ。

 

「君が書いたこの作文、訳の分からん事が書いてあるが、全部説明してもらおうか。それで私が納得できれば評定を上げてやろう」

「評定が上がるのはいいけどなんか腑に落ちねぇ……」

「そうだな、まずは勝ち組とはどういう事だ?」

「そのまんまの意味ですよ。ボッチの中のボッチである俺はリア充どもと違って心に余裕があるんです。だから誰がなんと言おうと俺は勝ち組なんです」

 

そう言うと平塚先生はもうダメだこいつ、みたいなため息を吐く。

 

「……比企谷、君は友達とかはいるか?」

「失礼な。確かに学校内ではボッチですけど、ちゃんといますよ。幼馴染は二人いるし、中学時代の、まあ、悪友みたいなやつもいます」

「嘘だ……」

「いや、そこでそんな顔をしないでくださいよ」

 

なぜか本気で驚いた顔になる平塚先生。俺の事なんだと思ってるんだ。

いや、その実俺のことを心配してくれているのだろう。一応一年生の頃から色々あって面識はある。なんとなくだが、それくらいは分かる。

 

「……では、彼女とか、いるのか?」

 

とかってなんだよとかって。俺が彼氏いるとか言ったらどうすんだよ。

 

「今は、いないですけど」

 

将来的なことを考えて“今は“を強調する。

ふむ、と平塚先生は考え込み、白衣のポケットから煙草を取り出し、火をつけて吸いだす。生徒の前で吸うのはどうなん?

何事か思案した後、ため息混じりに煙を吐き出した。

 

「まあいい。とりあえずレポートは書き直せ。ついでにその腐った性根を矯正しよう。君に奉仕活動を命じる」

「横暴な!そんなんだから彼氏できな」

 

いんじゃないんですか!と言おうとした瞬間、風が吹いた。

グーだ。ノーモーションで繰り出されるグー。俺の右頬を平塚先生の左こぶしが掠めた。

教師が暴力って恐ろしすぎるだろ。俺は暴力反対です。

 

「次は当てる」

「す、すみません…」

「…君の心無い言葉や態度が私の心を傷つけた。そんな君にピッタリの部活がある。ついてきたまえ」

 

煙草を灰皿に押し付けながらそう言う先生はニタァと非常に嫌な笑みを浮かべた。怖ぇ……。

見てくれは美人なんだから早く誰か貰ってやれよ……。

 

 

 

 

 

この千葉市立総武高校は、他の高校と比べて些か歪な構図になっている。

カタカナのロの形をしており、道路側に教室棟、向かい側に特別棟、その間に挟まれる形で中庭がある。

俺が先生に連れられて向かっているのは特別棟。教室棟の二階から渡り廊下で結ばれている。

平塚先生がリノリウムの床をかつかつ鳴らしながら辿り着いたのは、何の変哲もない教室。

プレートには何も書かれておらず、不思議に思って眺めていると、先生はノックもなしに扉を開けた。

中は至って普通の教室。

けれど、そこがあまりにも異質に感じられたのは、一人の少女が斜陽の中で本を読みながらそこにいたからだろう。

その少女は来訪者に気づくと本に栞を挟み、こちらを見やる。

だが俺の顔を見た瞬間、目を見開き、心底驚いたような顔をして見せ、文庫本をパタっと落とした。

 

「……平塚先生、入る時はノックをしてくださいとお願いしてたはずですが」

「ノックをしても君は反応しないだろう」

 

俺はこの少女を知っている。

二年J組、雪ノ下雪乃。

顔と名前を知っているだけの関係ではない。

むしろ、他人が知りえない深いところまで互いに知り尽くしている、所謂幼馴染というやつだ。

ノックをせずに入ったことを彼女は咎めるが、視線はずっとこちらに釘付け。無論、俺も驚いていた。

 

「こいつは入部希望者だ。私の心を傷つけた罰として、ここに置いてやって欲しい。名前は」

「比企谷八幡」

「なんだ、知っていたのか?」

「幼馴染ですから。ねぇ、八幡?」

「ああ、まあ、そうだな…」

 

相変わらずこいつの笑顔は癒される。

だが、平塚先生はそんな俺たちを見て明らかに気を落としていた。え、何で。

 

「幼馴染か……。いいなあ、青春っていいなあ……」

「先生……」

「っ、と、とにかく、こいつの世話は頼むぞ。期限は好きに決めてもらって構わない」

「分かりました。平塚先生のお願いですし、無下にはできませんね」

「では、頑張れよ」

 

そう言い、平塚先生は教室から出ていった。去り際に『リア充爆発しろ…』と言っていた気がするが気にしない。俺はリア充ではない。

 

とりあえず突っ立ってるのもアレなので積んであった椅子を適当な位置に置き座る。しっかし何も無い部屋だな。あるのは積んである椅子と机だけ。後は俺と隣にピッタリくっついている雪乃の前にある長机くらいか。

……………。

 

「ちょっと近くない?」

「別にいいでしょう?」

 

いや、別にいいよ?むしろウェルカムだしバッチコイなんだけど、いかんせんサボンのいい匂いが俺の鼻腔を刺激するんですよ。やっぱ綺麗な黒髪だなぁなんて考えることすら憚られる。

ちょこんと俺の肩に頭を乗せるし何この可愛い生物。

いかんいかん、こんな煩悩は振り払おう。落ち着け、落ち着くんだ比企谷八幡。

 

「…んで、ここはどんな部活なんだ?奉仕活動が何たらって平塚先生は言ってたけど」

「ええ。この部活は生徒自らの変革を促す部活。分かりやすくいえば、魚を捕るのではなく、魚の捕り方を教える部活ということよ」

「あー、要は依頼を解決するんじゃなく、解決へ導く…って事か?」

「さすがは八幡。その通りよ」

 

なるほどな。自分で解決するのではなく、どうやって解決するか、その道筋を教える部活というわけか。

世界を変えるなんてどデカい夢を持っている雪乃の事だ。この程度はなんて事ないのだろう。

 

「どうして会いに来てくれなかったの?」

「バカ言え、国際教養科なんてほぼ女子高みたいなもんだ。恐ろしくてとても行けねえよ」

 

雪乃は俺と違い、偏差値が2、3ほど高い国際教養科に身を置いている。

帰国子女や留学志望の生徒が通う学科であり、何故かクラスの九割が女子である。そんな所にこのぬぼーっとした俺が雪乃目的で近づこうものなら、百パーセント敵として認識されてしまう。

そもそも雪乃はその美貌と頭の良さから、この総武高校のほとんどの生徒に名を知られている。そこで隣に俺がいればスキャンダルものだ。確実に評判が悪くなる。

だから基本的に極力学校内では会わず、外で会うようにしていた。まあ、屋上だったり誰もいないところで一緒に飯を食うことはあったが。

 

まあそんなこんなで話に花を咲かせ、気づくと下校時刻が差し迫っていた。

雪乃は片付けを始める。それに合わせて俺は一足先に部室の外に出て、雪乃が出てくるのを待つ。

鍵を職員室に返し、下駄箱で靴に履き替えて駐輪場に行く。

 

「私の家まで」

「……仰せのままに、お嬢様」

 

タクシー代わりに俺を指名し、当たり前のように自転車の後ろに乗る雪乃さん。道交法はどうしたとか、そんな突っ込みは受け付けない。

 

しばらくギコギコとペダルを漕いでいると、雪乃は体重を俺にかけてきた。危ない、ドキリとして転倒してしまうところだった。そうなったら雪乃になんて謝ればいいのやら。

 

「懐かしいわね」

「なんだよ、藪からスティックに。……まあ、四年は経ってるもんな」

「…そうね。また一緒にどこか行きましょうか」

「……そのうち連絡くれ」

 

昔話に思いを馳せて、俺はゆっくり自転車を漕ぎ、やがて雪ノ下家に到着した。

 

「また明日ね」

「ん、また明日な」

 

まるで昔に戻った気分だ。夏にでもなったらアイツを誘って海にでも行くか?

そんな思いを胸に抱いて、俺は家へと自転車を走らせた。

 

 

 

 

 

 

翌日、ぬぼーっとしながら授業を終え、放課後。

俺が教室を出ようとすると、扉の前に平塚先生が立ち塞がった。

 

「比企谷、部活の時間だ」

「いや分かってますよ。これから行こうとしたんです」

「意外だな、雪ノ下がいようがいまいがお構い無しに帰るのではと思ったのだが」

 

あんた俺をなんだと思ってるんだ。

確かに俺はやらなくていい事は極力やらない面倒くさがり屋だ。しかし愛する妹と雪乃に関することなら俺の意思なぞ関係ない。

……愛する妹と、雪乃だ。か、勘違いしないでよね!……キモイか、キモイな。

 

 

 

 

 

部室に入ると、雪乃は屈託のない笑顔で出迎えてくれた。可愛い。不覚にも惚れちまいそう。…いや既に惚れてるわ。

 

「まあ、部活だからな」

「そう。紅茶、飲む?」

「ああ、頼む」

 

そういやこいつって昔から紅茶が好きだったんだよな。

一応俺はコーヒー派(特にマッカン。あれを嫌う奴は人間じゃない)ではあるが、雪乃の影響で割と紅茶もよく飲む。

 

「はい、どうぞ」

「サンキュ」

 

そんな過去の回想をしながらティーカップを口元へ運ぶ。

うん、美味い。やはり雪乃の淹れた紅茶は格別だな。

 

「美味いな」

「そう、良かった」

 

女神でも舞い降りたのか。雪乃の微笑みが眩しすぎて見えん!照れくさくなりサッと目を逸らしつつも、向こうは俺を笑顔でガン見してくる。ふえぇ…。

 

「そ、そういやこの部活、依頼がない時はどうするんだ?」

「好きなことをしてもらって構わないわ。本を読むのも良し、ゲームをするのも良し、私の淹れる紅茶の香りを楽しむのも良し。私との会話に花を咲かせるのも良し。基本的に自由よ」

 

お、おう…。割と、いや結構フリーダムなんだな。

読書しながら雪乃とのお喋りか………。な、なんか長年寄り添った夫婦みたい。ヤバい、そんな事を考えたらうっかり告っちゃって振られて一生立ち直れなくなっちゃう。…いや振られるのかよ。なんなら死ぬまであるぞ。

いかんいかん、そんなネガティブ思考は排除せねば。

とりあえず平塚先生、この部活に入れてくれて感謝です!



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由比ヶ浜結衣は、依頼をする。

前回より少し短め。
誤字脱字はお許しください。


「君はあれか、調理実習にでもトラウマがあるのか?」

 

調理実習をバックれ、代わりに補習のレポートを提出したら、現国の教師であるはずの平塚先生に呼び出された。何故。

 

「なんで平塚先生が……」

「私は生徒指導の主任でもある。鶴見先生から丸投げされてな」

 

平塚先生が視線を動かしたので俺もその後を追う。

紫がかった髪をもつ鶴見先生は、職員室の隅で観葉植物に水やりをしている。いいのかそれで。

 

「…さて、まずは何故調理実習をサボったか理由を聞かせてもらおうか。アレか?そんなに班を組むのが辛かったのか?」

「よく分かってるじゃないですか。班決めで結局最後まで残って、最終的に余った所に入ると「あ、えと…よろしく」みたいな苦い反応を受けるんですよ。まるでお通夜ムード。だから皆の迷惑になるくらいならこうした方がいいかと思いまして」

「そ、そうか…。君も大変なんだな……」

「まあそれ以外にも、というよりそっちがメインなんですけど」

「なんだ?」

「昔、火で髪を焼かれたことがありましてね。余り他の奴と料理するってのが……」

いつだったか。雪乃の肩代わりとしてそんな事をされた覚えがある。おかげで暫くは台所に近づきたくもなかった。

 

「…すまない。本当にトラウマがあるとは」

「別に気にしてませんよ。知らなかったんですし」

 

今はもうトラウマという程でもない。普通に家事はこなせるしな。

小町からは『まだまだだねお兄ちゃん。小学六年生レベルだよ』とか言われたりするが。結構凹む。

 

「……それでも悪いが、きちんと調理実習を受けてもらわないと困る。分かるか?君のために言っているんだ」

「そんな事言われましても。ぶっちゃけ料理は一人で大抵のものはこなせますし、わざわざ仲良くもない人を集めてやらせるのもどうかと…」

 

そう言うと平塚先生は少し感心したような表情をする。

 

「ほう。君は料理ができるのか」

「ええ、まあ一応。昔から雪乃と頻繁に料理を作ってましたし、中学時代の悪友とも偶に作って…作らされてましたから。今やそこら辺の女子よりは上手い自信はありますよ」

「大した自信だな。では、何か作って私に振舞ってもらおうか。そうすれば今回の件は不問にしてやる」

「ええ……。マジでやるんですか?気乗りしないんですけど……」

「雪ノ下と一緒ならどうだ?君が来る前に説明したら喜んで一緒にやると言っていたが」

「先生何してるんですか早く部活に行かせてください!」

 

雪ノ下という名前を聞いた途端躍起になった俺を若干引いた目で見てくる先生。

だがこれ以上は何を言っても無駄だと分かったのか、呆れた様子ながらも行ってこい、と手を振った。

俺が職員室を出る直前、平塚先生が一言。

 

「比企谷、今日は依頼人が来るぞ」

 

 

 

 

 

 

 

依頼人か。部活に入って一週間程度だが、初めて部活らしい活動をすることになるのか。

それにしても、雪乃と料理か。また小学生の頃を思い出すな。俺の家に泊まりに来た時に一緒に作ってたりしたっけ。思えばあの時からめちゃくちゃ料理が上手かった。今だったら店出せば儲かるんじゃないか?

 

「うーす」

「あら八幡、先生の説教は終わったの?」

「説教て…。まあ終わったよ。……あー、その、先生から聞いただろ?」

「ええ、何を作るかは決められていないから、依頼人が来た時にでも決めましょうか」

「そうだな」

 

よし、そう考えると久々に雪乃の手料理が食いたくなってきた。

この前雪乃の家で久々にご馳走になった時は、雪乃のお母さんが作ってくれた料理だったからな。たらふく食わされた記憶がある。いや、絶品だったが。その後の帰宅がヤバいくらいは食わされた。

 

そんな思いを馳せていると、ドアが二回ノックされた。ちなみにノックを二回するのはトイレに入る時だ。こういった場合は四回が正しい。

 

「し、失礼しまーす…」

 

さて、この教室をトイレと間違えた奴は誰かな?

入ってきたのは今時の女子高生らしい……つまるところギャルのような容貌の女子。短めのスカートに、ボタンが三つほど開けられたブラウス、覗いた胸元に光るネックレス、ハートのチャーム、明るめに脱色された茶髪、そのどれもが校則を完全に無視した出で立ちだった。

確かうちのクラスの上位カースト(俺調べ)に属するやつだった気がする。名前は知らん。

女子は部屋を見回し、俺と目が合うと、ヒッ!と小さな悲鳴をあげた。

……俺、そこまで女子に嫌われるようなことしたっけ。軽く泣きそう。

 

「な、なんでヒッキーがここにいるの!?」

「なんでって……俺ここの部員だし」

 

あれ、今自然に会話したけどヒッキーって俺の事?誰が引きこもりだ、誰が。確かに将来的に専業主夫となって養ってもらうという人生設計は持ち合わせているが、引きこもりになる気はさらさらないぞ。

 

「F組の由比ヶ浜結衣さんね?とりあえず座って」

「え?あ、うん、ありがと…。雪ノ下さん、あたしの事知ってるんだ…」

 

名前を呼ばれてパッと表情を明るくする由比ヶ浜結衣。

雪乃に知られているのは一種のステータスみたいなものなのだろうか。

 

「お前、小学生の時みたいに全校生徒の名前覚えてんのか?」

「流石に全校生徒は覚えてないわ。由比ヶ浜さんのことは平塚先生から聞いたの」

 

ああ、さっきの依頼人どうこうってやつね。ということはこの由比ヶ浜が初の依頼人という事になる。

その由比ヶ浜は、「えと…その…」みたいな感じでオロオロしていたが、やがて決心したのか口を開いた。

 

「…あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?」

「少し違うわね。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。例えば何かを欲しいという依頼の場合、その何かを直接与えるのではなく、手に入れる方法を教え、それからどうするかは依頼人次第。簡単に言えば、自立を促す、ということよ」

「…な、なんかすごいね!」

 

……この子ホントに分かってらっしゃる?目からウロコみたいな感じでキラキラした視線を雪乃に送っている訳だが、たぶん理解しきれてないんだろうなぁ。こういうアホの子は将来宗教勧誘とか詐欺に簡単に引っかかると思う。今のうちに矯正しといてほしい。

 

「それで、依頼というのは?」

「あ、うん、えっとね…」

 

由比ヶ浜は何か口ごもりながら俺の方をチラチラと見てくる。……あれか、女子同士で話したいって事か?となると男の俺は邪魔になるな。

 

「じゃ、マッカン買ってくるわ。話し終わったら連絡くれ」

「分かったわ。あ、野菜生活もお願いね」

 

ナチュラルに人をパシらせる雪乃さん。ま、これくらいは別にいいか。

 

 

 

 

 

特別棟の三階にある奉仕部の部室。そこから一階にある自動販売機までは往復で十分もかからない。それくらいあれば話も纏まるだろうし、ダラダラ歩くのもいいかもしれない。

ウォンウォン鳴る不気味な自販機に小銭を投入する。我が愛するマッカンのボタンを押し、雪乃の分の野菜生活のボタンも押す。ガタガタと落下してきた二つの飲み物を手にし、一考。

そういや由比ヶ浜もいるんだよな。二人だけ飲み物があるのも申し訳ないし、何か買っておこう。

好みは全く分からんが、とりあえず無難にカフェオレにしておくか。

しめて三百円。俺の所持金の半分が失われた。俺金持ってなさすぎだろ。

 

 

 

 

 

 

「ほれ、野菜生活」

「ありがとう、八幡」

「あとこれ、カフェオレな。金は要らん」

 

そういって由比ヶ浜に差し出すと、手を上げてブンブンと首を横に振った。

…もしかしてカフェオレ飲めない奴だったか。失敗したか。と思ったがどうやら違うようで。

 

「い、いや、流石にお金は…」

「いいよ別に、このくらい」

「……ありがと」

 

小さな声でお礼をするとえへへー、と由比ヶ浜ははにかんだ。…クソ、無駄に可愛いな。

 

「で、何すんの?」

「クッキー……。クッキーを焼くの」

 

なるほど、クッキーか。聞くところによると、由比ヶ浜は昔とあることでお世話になった人にお礼をしたいのだとか。そのお世話になった人が誰なのか気になるところではあるが、あまりプライベートな事を詮索するわけにも行かない。

 

「それ、俺の出る幕無くないか?」

「調理実習の補習もあるでしょう?それに、久しぶりに私の作ったものを食べてみない?」

 

ふむ。確かに、雪乃の手料理(クッキーを料理と言っていいのか分からんが)は絶品である。頂かない訳にはいくまい。

久しぶり、という言葉が引っかかったのか、由比ヶ浜が雪乃に聞いた。

 

「二人って昔からの知り合いなの?」

「ええ。小学生の頃からの、所謂幼馴染よ」

「はえ〜、仲がいいんだね」

「…もういいだろ。早く行こうぜ」

 

これ以上は知られるのは少し気恥しい。

それに、別に知られるのは構わないが、それを広められるのは流石に困る。主に雪乃の名声的に。

後で由比ヶ浜には広めないように釘を刺しておくか。

俺は仲良く話に花を咲かせている女子二人の後を追うように、家庭科室へ向かった。

 

 

……それにしても、化粧してるから分かりづらいが、どっかで見た事ある顔なんだよな。




この話に出てきた昔の話は、いずれするかもです。


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由比ヶ浜結衣は、お礼をする。


原作から大きく外れないと言ったな。あれは嘘だ。
深夜テンションで書いたので変なところがあるかもです。よろしくお願いします。


家庭科室はバニラエッセンスの匂いに包まれていた。

雪乃は勝手知ったる様子で冷蔵庫を開け、卵やら牛乳やらを持ってくる。他にも秤やらボウルを取り出し、俺もよく分からん謎の調理器具をかちゃかちゃと準備を始めた。

手早く準備を終えると、ここからが本番とばかりにエプロンを着けた。

……シュシュで髪を纏めた雪乃が、今目の前にいる。見え隠れするうなじが何とも扇情的である。

そんな下心を必死に隠しつつ、由比ヶ浜の方を見やる。

由比ヶ浜も雪乃と同じようにエプロンを着けるが、着慣れていないのか、結び目が出鱈目だ。

ここから分かるように、由比ヶ浜は料理をほとんどしないのだろう。

こんな所でつまづかれてもしょうがない。

俺はため息を吐きつつ、由比ヶ浜の後ろに回りきちんと結び直してやる。

 

「え!?ち、ちょっと…」

「なんだ、きつかったか?それとも俺に近づかれるのが嫌だったか?」

 

後者だったら軽く凹んで小町に慰めてもらおうそうしよう。

 

「あ、いや、その、ありがと…」

 

単に恥ずかしかっただけのようだ。

(ほぼ)初対面で嫌われたら鋼のメンタルをもつ俺でも引きこもる自信がある。あ、だからヒッキーなのかな?

とりあえずエプロンくらい自分で着けられるようになって欲しい。

どうやらやる気スイッチが入ったようで、ブラウスの袖をまくる。

 

「よーし、やるぞー!」

 

まず卵を割って、かき混ぜる。小麦粉を入れ、さらに砂糖、バター、バニラエッセンスなどの材料も加えていく。

…俺ですらはっきりと分かるくらい、由比ヶ浜の料理の腕前は尋常離れしていた。もちろん悪い方で、だ。

まず溶き卵。殻が入っている。

小麦粉。ダマになっている。

バターは固形のまま。

砂糖は当たり前のように塩にすり変わっているし、計量カップを知らないのか、牛乳を投入する量も適当だ。

ふと雪乃の方を見やると、彼女は青い顔をして額を押さえている。

普段菓子を作らない俺ですら背筋に寒いものが走っているのだ。料理の得意な雪乃にしてみれば戦慄ものだろう。

「さて、と…」

 

そう言って由比ヶ浜はどこからかインスタントコーヒーを取り出した。

 

「コーヒーか。まあ、飲み物があった方が食が進むもんな。気が利くじゃん」

「はぁ?違うんですけど。隠し味だから」

 

ちょっと待て。まずレシピ通りに出来ない奴が隠し味なんか入れても確実に失敗するだろ。

ほら、入れすぎて黒い山が出来上がってるし、調整と言って砂糖もありえん量をドバドバ入れた。

出来上がった黒い山と白い山を溶き卵の大津波が飲み込み、地獄が作り上げられていく。

やがて完成したのは、真っ黒な物体X。

あの雪乃が恐怖している。

 

「どうやったらあれだけのミスを重ねられるのかしら…。……八幡、お願いできるかしら。私も食べるから」

「マジかよ。これただの毒味だろ…。だってこれアレだぞ?ジョイフル本田に売ってる木炭みたいなもんだぞ?」

「そこまで言う!?……毒、うーん、やっぱ毒かなぁ」

 

いや、食べてみないと分からない事だってある。あれだけ酷いことになっておきながら、その実奇跡的相性《マリアージュ》が起きている可能性がある。

というわけで、覚悟を決めて比企谷八幡、いざ!

 

「………」

「………」

「ひ、ヒッキー?雪ノ下さん?」

「ごめんちょっと待って」

 

うん、不味い。

秋刀魚の腸なんて食ってましたっけ?と言えるほどの出来栄えだ。むしろ気絶しなかっただけすごいと思われる。

長期的な目で見て、これを摂取した事により発癌リスクが高まり数年後に発症したとしてもおかしくはない。

隣にいる雪乃なんて俺の飲みかけのマッカンを……っておいいい!?

 

「そ、想像以上ね……」

「おい…おいちょっと待て。勝手に俺のマッカン飲むなよ……。俺も飲みたかったのに」

「ちょ、ちょっと、私の料理どうやったら上手くなるのかちゃんと教えてよね!」

 

そういやそうだった。間接キス云々も忘れてはならないが、元々こいつの依頼という体で俺はここにいる訳だ。調理実習?後で適当にやる。

まあ、この依頼に関する答えは一つしかあるまい。

 

「由比ヶ浜が二度と料理しない」

「八幡、それは最終手段というものよ」

「それは解決とは言わなくない!?」

 

確かに解決とは言わない。問題をなかったことにするわけで解消と言った方が正しい。

だったらどうするか。由比ヶ浜の料理が上手くなる方法………。少しの間熟考していると、由比ヶ浜はポツリと。

 

「あはは、やっぱり私って才能、ないのかな……」

 

……あ。こいつ、雪乃が嫌う言葉を口にしやがった。ほら、めちゃくちゃ厳しい目をしている。それを俺に向けられたことは一度もないが、それでも怖い。

 

「そういうの、やめてもらえるかしら。最低限の努力もせずに才能がある人を羨む資格なんて無いわ。たった一度の失敗で才能うんぬん言うようなら、これ以上は時間の無駄よ」

 

わーお…。鋭すぎる言葉の刃。これには由比ヶ浜も下を向いて黙る他ない。

何分、雪乃の言葉はどこまでも正しいのだ。だからこそこうやってスカートの裾をギュッと握りしめることしか出来ないわけで。

こういった正論を嫌う人もいる。正しさというのは、時に残酷さまで余分に与えてしまうのだから。

由比ヶ浜の場合はどうだろうか。彼女もきっと、この場から逃げ出したいに違いない。

 

「か………」

 

帰る、とでも言うのだろうか。今にも泣き出しそうなか細い声が漏れた。肩が小刻みに震えているせいで、その声もゆらゆらと頼りなげだ。

 

「かっこいい………」

「「は?」」

 

だからこそ、かっこいいという言葉を聞いた瞬間、二人とも素っ頓狂な声しか出ないわけで。思わず二人して顔を見合わせてしまう。

由比ヶ浜は気を落とすどころか、目をキラキラさせながら雪乃の事を見る。

 

「建前とか全然言わないの、かっこいい……」

「は、話を聞いていなかったの?私、これでも結構キツいこと言ったつもりだったのだけれど…」

「うん。正直引いたけど……でも、本音って感じがするの。あたし、人に合わせてばかりだからこういうの初めてで……」

 

由比ヶ浜は、逃げなかった。正論という言葉の刃を受け、それでも尚向き合ったのだ。

そこまで真摯な姿勢を向けられて黙っている雪乃ではない。

 

「ごめん、次からはちゃんとやる!」

「…そう。それじゃあ頑張ってみましょうか」

 

雪ノ下雪乃は、本当に困っている人を見捨てない。突き放すような言葉ではあったが、それでも頼ってきた奴を蔑ろにすることは決してない。

俺は見守ることしか出来ないが、次こそは由比ヶ浜のクッキーが木炭にならない事を祈ろう。

 

 

 

 

由比ヶ浜はきちんと雪乃の教え通りに作り、後は焼き上がるのを待つだけとなった。

その間、特にやることの無い俺は、本を読みながら二人の話を聞いていた。

 

「雪ノ下さんとヒッキーって幼馴染なんだよね」

 

おっと、その話をぶり返すか。まあ、由比ヶ浜の目を見る限り純粋に気になっているだけのようだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。他人の目を伺ってしまう性格だから尚更だ。

若干居た堪れなくなった俺は、一言だけ告げ、逃げるようにトイレへと向かった。普通に尿意も催していたからね!

 

「昔のヒッキーって、どんな感じだったの?教室だと誰とも喋ってないからよく分からないんだよね」

 

廊下に出たところでピタリ、と足が止まった。

由比ヶ浜さん?なぜあなたがそれを気にするのでしょう…?やだ、気づいたら聞き耳たてちゃってる!

家庭科室の扉に耳をつけ、静かに話を聞く。やば、周りから見たらただの不審者じゃん。こんなの見られたら雪乃でさえドン引くだろうな…。

だが、雪乃の俺に対する感情やら気持ちやらが気にならない訳では無い。こういう事をしてしまうのも不可抗力というわけで!

 

「昔も何も、彼は何も変わってないわ。人と必要以上に関わろうとせず、自分の世界を作り上げている。……それでも、八幡は私にとってのヒーローだったわ」

「ヒーロー?」

「ええ。私ってこんな容姿や性格だから、昔は相当女子に恨まれてたの。毎日のように上履きを隠され、罵詈雑言の嵐。親にも相談できず、本当に辛かった。その時よ、彼が助けてくれたのは」

 

…………。

 

「彼は誰もが驚くような方法で私を助けてくれた。小学三年生とは思えない考え方をしていたのよ」

 

……まあ、確かに普通は思いつかんよな、あんなの。俺たちを囲うイジメの集団の仲をこれでもかというほどぶち壊した。

元々学級崩壊しかけていたが、決定打となったのは俺の行動だろうか。

 

「…例え全人類が彼の敵に回ったとしても、私は………、私だけはずっと傍に寄り添ってあげていたい」

「そ、そうなんだ………。あ、愛が重い……」

「ふふ、もし由比ヶ浜さんが恋敵になろうものなら、容赦はしないわよ?」

「な、ならないよ!そっかぁ、クラスじゃ空気なヒッキーの事をこんなに想ってくれてる人がいるなんてねぇ…」

 

なんかバカにされてない?

言っとくけど俺は望んで一人になってるのだ。由比ヶ浜のようにコミュ力がある訳では無い。そもそも必要としない。

結果的に空気となってるだけで。……あれ、なんだろ。目から汗が……。

とりあえずトイレ行こ。遅くなったら怪しまれるだろうし。

 

 

 

トイレから戻ると、まだまだ女子二人のさは楽しくお話をしているようで。

 

「ヒッキーは覚えてないんだろうけど、入学式の日に、車に轢かれそうになったあたしの飼い犬を助けてくれたんだ。……このクッキーも、そのお礼のつもりで」

 

静かな廊下にまで響く声に、俺は思わず耳を疑った。

……あの時の?由比ヶ浜が?

あの時は足の痛みでそれどころではなく、朧気にしか飼い主の顔を覚えていなかった。

だが、何となく合点がいく。化粧しているとはいえ、顔というのは中々変わらない。見た事がある気がしたのも、そういうことなら納得がいく。

まあ、由比ヶ浜にはある意味感謝するべきか。学校が同じとはいえ、雪乃と再会する足がかりとなってくれたわけだしな。

……でも、とりあえず一つだけ言いたいことがある。

 

「一年越しの感謝なんて反応に困るんだが」

「どわあっ!?ヒ、ヒッキー!?い、いつから!?」

「ついさっき。お前があの時の犬の飼い主だったってところから」

 

それ以前の話も聞いていたとはいえ、それをわざわざ話す必要も無い。

てんわやんわと慌てる由比ヶ浜に対して、既に出来上がっていたクッキーを口に含み、今の思いをそのまま言葉にした。

 

「まあでも、謝意は受け取っとく。あの時はバカ飼い主が、とか思っていたが、今こうやって木炭じゃないクッキーを食えてるんだ。そこら辺はまあ、俺も感謝してる」

「なんかバカにされた気が……」

「ふふ、素直じゃないわね」

「うっせ」

 

俺が素直になるなんてただただ薄ら寒いだけだ。

素直になれるのは、少なくとも今は二人だけ。二人きりの時だけだ。

素直な感情は、時に誤解を招く。残酷さを与える。

小学生や中学生の頃、一体どれだけ誤解を与えてしまったのだろうか。自ら人と関わりを持たなかった俺には、よく分からない。

 

 

 

 

 

由比ヶ浜の依頼を終え、その翌日。

今日も奉仕部は平常運転である。つまり人が来ない、という事だ。

そもそも悩みを相談するというのは、自分のコンプレックス、人に知られたくないことを晒すという事だ。

思春期真っ只中の俺たち高校生にとって、それを同年代の同じ学校の生徒に話すのはとてもハードルが高い。

あの由比ヶ浜でさえ平塚先生の紹介が無ければ、俺のようにそもそも奉仕部の存在なんて知らなかっただろうし、依頼を終えた今はわざわざここへ足を運ぶ理由も必要性もない。

昨日の喧騒は止み、部室は静寂に包まれている。

そんな静かな空間ならば、廊下を走る音も、扉を二回ノックする音もよく響き、耳に残るわけで。

 

「やっはろー!」

 

頭の悪そうな気の抜けた挨拶と共に入ってきたのは、昨日の依頼主である由比ヶ浜結衣。

こいつはまたここをトイレと間違えたのか。

雪乃はため息を吐き、由比ヶ浜を見やる。

 

「……何か?」

「え、なに。あんまり歓迎されてない……?もしかして雪ノ下さんってあたしのこと……嫌い?」

「…ちょっと苦手、かしら」

「それ嫌いと同義語だからね!?」

 

あたふたする由比ヶ浜を見てフッと笑みがこぼれる。さすがに嫌われるのだけは嫌なようだ。

こいつ見た目はギャルなのに、中身は普通の女の子なんだよな。

 

「で、何か用かしら」

「や、あたし最近料理ハマってるじゃん?」

「初耳なのだけれど」

「で、昨日のお礼ってーの?クッキー作ってきたからどうかなーって」

 

さぁーっと雪乃の血の気が引いた。多分俺も。

由比ヶ浜の料理といえば、あの見るも無惨なジョイフル本田の木炭だ。あれをクッキーと呼んででいいのか分からないが。俺もアレを思い出しただけで喉と心が乾いてくる。

 

「あ、あまり食欲が湧かないから結構よ。気持ちだけ頂いておくわ」

 

遠回しに固辞する雪乃をよそに、由比ヶ浜は鼻歌交じりで鞄からセロハンの包みを取り出す。見え隠れするのはやはり黒々としたクッキーもどき。

 

「いやーやってみると楽しいよねー。今度はお弁当作っちゃおうかなー、とか。あ、でさ、ゆきのんっていつもどこでお昼食べてるの?一緒に食べない?」

「部室で八幡と食べてるけど……。というか、ゆきのんって何?」

「雪ノ下だからゆきのん!…ダメ?」

「別にそういう訳じゃ…」

「あ、それでさ、あたし放課後とか暇だし、部活手伝うね!ヒッキーと二人きりだと色々心配だし!」

 

由比ヶ浜の怒涛のマシンガン攻撃に雪乃は明らかに戸惑いながら、俺の方を救いを求めるかののような目で見てくる。どうにかして、という事らしい。

……無理だな。

 

「ご愁傷さま、ゆきのん」

「あ、あなたって人は…!」

 

涙目になりながらプルプル震えてこちらを睨みつけるゆきのん。逆に可愛いし癒される。

 

まあ、いいんじゃねえの?

初めて雪乃に友達らしい友達ができたんだ。このくらいは許容範囲だ。許してやってやれ。




八雪に優しい世界。結衣は二人の気の許せる友人枠になります。恋心は抱きません、多分。
あと話には関係ないのですが、見やすさのために改行ごとに1マス空けたいのに空けられません。なぜ……。


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雪ノ下雪乃は、叱責する。


また短め。
早めに次話も投稿しようと思います。


四限の終了を知らせるチャイムが鳴り、昼休みが始まった。

ある者は購買にダッシュで行き、またある者はグループを作って机をガタガタと動かして弁当を広げ、またある者はゲームを始める。

そして、リア充たちは群れを成して騒ぎ始める。

……奴らはただただ集まってウェーーイ!みたいな事をしていれば満足なのだろう。現にこのクラスにいる複数のリア充グループは一様に騒ぎ立てている。

今日は生憎の雨。ジメジメとした湿気によって俺の気分も右肩下がりだ。

普段飯を食うベストプレイスも雨によって向かうことが出来ず、一人で少し考え事をしていた。

考え事、と言っても、教室の後ろで現在進行形で一際大きな騒ぎを立てている、葉山隼人率いるリア充グループについてだ。

あのグループはいわゆるトップカーストに位置する。なんたってあの隼人が中心だからな。

隼人は雪乃と同じ、俺の幼馴染だ。俺の良き理解者であり、良い奴なのだがリア充だ。憎きリア充なのだ!

 

「ねえ隼人、帰りサーティワン寄らなーい?今日ダブル安いんよ」

 

後ろから聞こえてくる声の主は、このクラスの女王と言ってもいい存在、三浦優美子。

なんと言っても特徴は由比ヶ浜以上に着崩した制服に金髪の縦ロール。

……ぶっちゃけもし仮に俺なんかが話しかけられたら、キョドることしかできないと思う。

はい、めちゃくちゃ怖いです。特にあの目付き。

 

「そうだな…、部活終わりでいいなら」

「あーしチョコとショコラのダブルが食べたーい」

「それどっちもチョコだし!」

 

あいつは……なんだっけか。確かとから始まる名前だった気がする。他の男子数人と眼鏡掛けた女子は知らん。ちなみに由比ヶ浜もこのグループに属している。

……そろそろ時間か。今日は雪乃がわざわざ弁当を作ってくれたらしい。よって部室に行くことになる。

別にコンビニ弁当でも良かったのだが、栄養が偏ると良くないからとか言って聞かなかった。お前はいい嫁さんになるよ、きっと。

 

「あ、あたしちょっと出かけてくるね」

 

そう言ったのは由比ヶ浜。あいつも一緒に部室で昼食をとるらしい。

 

「じゃあ帰りレモンティー買ってきてくんない?あーし飲み物忘れちゃってさー」

「あーごめん、あたし五限までまるまる居ないの」

「はあ?ユイさー、最近付き合い悪くない?この前もバックれたじゃん」

 

途端に三浦は目つきを鋭くし、由比ヶ浜を睨みつける。

この前、というのは家庭科室でクッキーを作った時の事だろう。

 

「えっと、それには止むに止まれぬ事情があるといいますか……」

 

由比ヶ浜の煮え切らない態度にイライラしてきたのか、三浦はカツカツと爪で机を叩き始める。そのイライラが伝染したのか、クラス内はだんだん静かになり、俺の机の前で遊んでいた奴らもゲーム機の音を消している。

 

「あのさー、言いたいことがあるならハッキリ言ってくんない?隠し事は良くないでしょ。あーしら友達じゃん?」

「……ごめん」

「だからさ、言いたいことがあるならハッキリ言えって言ってんの。ごめんじゃなくてさ」

 

みるみるうちに由比ヶ浜の目が潤んできている。こりゃまずいな。

友達。傍から見て、あの二人は本当にそういった関係に見えるのだろうか。

一方がただただ強い口調でがなりたて、もう片方はそれを黙って聞く。

少なくとも、俺はそんな関係が友達だとは到底思えない。

友達だからって何言っても許されるわけじゃない。本当に友達だというのならこの程度、許容すべきことなのだ。

相手の気持ちを思いやり、対等な言い合いを不快感なくできる関係。俺はそんな関係を友達だと思う。

少し付き合いが悪い、ハッキリしない態度。そんなんでいちいちキレる関係なんて、所詮ただの仮初だ。欺瞞だ。

由比ヶ浜も疲れた生き方をしてるなぁ、ホントに。

 

「ユイのために言うけどさ、そういうハッキリしない態度、結構イラッとくるんだよね」

 

由比ヶ浜のため?最終的に自分の感情を言っているだけ。一文の中で既に矛盾している。

……仕方ない、伝家の宝刀、葉山隼人を召喚するか。女王三浦には、イケメン王子が必要だろうしな。

ガタッと音を出して立つ。

隼人に目を合わせようとした刹那、聞き慣れた声が教室に響く。

 

「謝る相手が違うわよ、由比ヶ浜さん」

 

聞き慣れた声。毎日のように聞いている声のはずなのに、言葉の隅々には有無を言わせぬトゲが混じっている。

いつも俺に見せてくる優しげな笑顔とは違う。冷徹な表情で、雪ノ下雪乃は教室の入り口に佇んでいた。

そんな顔でも美しいと感じてしまうので、俺はもうダメだと思います。

 

「由比ヶ浜さん、今日は部室で一緒にお昼を食べる約束だったでしょう?連絡のひとつでも寄越したらどうかしら」

「あ、ご、ごめんねゆきのん。あたし、まだ連絡先知らないから……」

「……そうだったわね。後でLINE交換でもしましょう。さ、行きましょうか」

 

やはりというかなんというか。雪乃には周囲を近づかせないオーラみたいなものでも漂っているのだろうか。あの三浦ですらポカーンとしている。

だがハッと我に返ったようで、三浦は雪乃に突っかかる。

 

「ち、ちょっと!あーしまだユイと話してるんだけど!」

 

三浦の声を聞いた途端、雪乃は目を鋭くする。

…ああ、見れば分かる。これ怒ってらっしゃるわ。

 

「話す?がなりたてるの間違いじゃなくて?あなた、あれが会話のつもりだったのね。気づかなくてごめんなさい、あなた達の生態系に詳しくないものだから、ついつい類人猿の威嚇と同じものにカテゴライズしてしまったわ」

 

ふえぇ…。ゆきのん怖いよぅ…。まさに氷の女王だ。

流石の炎の女王も、氷の女王の前では炎すら凍ってしまうようだ。三浦はただ苦々しい表情を続けている。

 

「お山の大将気取りで虚勢を張るのは結構だけど、自分の縄張りの中だけにしなさい。あなたの今のメイク同様、すぐに剥がれるわよ」

「ーーっ!意味わかんないし」

 

完全に敗者となった三浦は倒れ込むように椅子に座り、縦ロールをぴょんぴょん弄りながらイライラとスマホをいじり始める。

……あの隼人ですらあたふたしてるな。こりゃ相当だ。

雪乃は舌刀を納め、由比ヶ浜に向き直る。

 

「先に行ってるわね」

「私も…」

「……部室で待ってるわ」

「う、うん!」

 

雪乃が教室から出ていった後、周囲のクラスメイトも居心地の悪さからここぞとばかりに教室を出ていく。

俺も乗るしかない、このビッグウェーブに!

これ以上この場にいると呼吸できん。怖い。

教室を出る直前、由比ヶ浜の横を通り過ぎる。その時、ぽそっと小さな声が聞こえた。

 

「…ありがと、さっき立ち上がってくれて」

 

 

 

教室を出てすぐの所で、雪乃は壁にもたれかかっていた。その雰囲気がえらく冷たいせいか、周りには誰もいない。とても静かだった。

だが、これが優しさからきている冷たさなのは、付き合いの長い俺だからこそ分かる。由比ヶ浜と三浦の関係を、雪乃なりに案じているのだろう。

 

『……あの、ごめんね。あたしさ、人に合わせないと不安ってゆーか……、こういう性格だから、時々イライラさせちゃうこと、あった、かも』

 

教室の中から由比ヶ浜の声が聞こえてくる。

嗚咽が混じり、途切れ途切れながらも言いたいことを伝えようとしているのが分かる。

 

『昔からそうなんだよねー。おジャ魔女ごっこしてても、ほんとはどれみちゃんとかやりたいんだけど、他にやりたい子がいるから葉月にしちゃうとか……。団地育ちのせいかもだけど、周りにいつも人がいてそれが当たり前で……』

『何言いたいか全然分かんないんだけど?』

『その、さ。ヒッキーとゆきのん見てたら、今まで必死に人に合わせようとしてたの、間違ってるみたいで……、だってさ、ヒッキーとかぶっちゃけマジでヒッキーじゃん。休み時間とか一人で本読んで笑ってるのとか超キモいし』

 

キモいって……。流石に酷くない?俺泣いちゃうよ?雪乃の前でわんわん泣いちゃうよ?

その雪乃なんてなんかプルプル肩を震わせて笑っている。何笑ってんだ。

 

「酷い言われようね……ふふっ」

「もう学校でラノベ見るの止めようかな…」

 

『だからね、これからはもっと適当に生きようかなー、とか、そんな感じ。べつに優美子のことが嫌ってわけじゃないから。だから、これからも仲良く、できる、かな?』

『……ふーん、そ。まぁ、いいんじゃない?』

 

それきり中での会話はなくなり、パタパタと由比ヶ浜が上履きを鳴らして歩く音が聞こえる。その音を合図にしたように雪乃は寄りかかっていた壁から身体を離した。

 

「さ、行きましょうか。早くお弁当、食べちゃいましょう」

「だな」

 

ここで盗み聞きしていたのがバレるのは何となく困る。あいつのことだから顔を真っ赤にして直接的に罵倒してくるだろうし。

ま、とりあえずこれで一件落着かね。



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材木座義輝は、依頼をする。


材木座登場。


翌日の事である。図書館へ向かった後、部室へ向かうと珍しいことに、雪乃と由比ヶ浜が扉の前で立ち尽くしていた。

何してるんだと思って見ていると、どうやら扉をちょっとだけ開けて中を覗いていた。

 

「…何してんの」

「ひゃうっ!」

 

可愛らしい悲鳴とともに、びくびく!と二人の身体が跳ねる。

 

「うひゃあ!!…ってなんだヒッキーか。脅かさないでよ……」

 

恨みがましくこちらを睨む由比ヶ浜。いや、確かにいきなり声をかけた俺が悪いかもしれないけど。

 

「悪かったよ。で、何してんの」

「不審者がいてね……。コートを着て、穴あきグローブを着けた太った男子生徒が」

 

不審者なのに男子生徒とはこれ一体。

だが雪乃の言った変質者の特徴と、俺の記憶に嫌々ながらいる男の特徴とが一致したため、遠慮なく扉を開ける。

俺たちの目の前にいたのは、夏直前のくせに厚いコートを着てダラダラと汗を垂れ流しにし、眼鏡をかけた男。

あまりの不審者っぷりにあの雪乃ですら恐怖を抱くらしく、ギュッと力強く俺のブレザーの裾を握ってくる。いいぞもっとやれ。

 

「ク、クク、クハハハハ!!ようやく来たか、我が相棒、比企谷八幡よ!!」

「帰れ。お前のおかげでうちの女子二人がリアルに恐怖を覚えてるんだぞ。警察のお世話になりたくなければすぐさま立ち去れ」

「そこまで言わないで……グスン」

 

相変わらずというか何と言うか、メンタルカスすぎんだろこいつ。

 

「ったく……で、何か用か、材木座」

「ク、クク、我が魂に刻まれた真名を読んだな?そう!我が名は剣豪将軍、材木座義輝なりぃぃ!!!」

 

バサッとコートを靡かせてクックックと笑う材木座。剣豪将軍という設定にかなり入り込んでるらしい。

…おい、雪乃と由比ヶ浜は既にスマホを取り出しているぞ。お前を危険人物と判断して通報する気だぞ、こいつら。

 

「ね、ねぇ、アレなんなの…?」

由比ヶ浜からは既にアレ扱いされてるな。二人とも冷ややかな視線を送っている。

まあこいつに限って人と扱わなくてもバチは当たるまい。

 

「中二病だよ」

「ちゅうにびょう?」

 

……今のイントネーション、絶対ひらがなだ。スマホがあるのにそういった知識は知らんのな、こいつ。

雪乃は首を傾げて俺を見た。クソ、可愛い!

 

「病気なの?」

「マジな病気ってわけじゃない。なんというか、スラングみたいなもんだと思ってくれればいい。自分は神に選ばれし者だ、とか、世界は俺を必要としている、みたいな感じ」

「意味わかんない……」

 

中二病の何たるかを手短に説明するが、雪乃はすぐに理解したらしい。頭の回転が早くて助かる。

逆に由比ヶ浜はうえっと嫌悪感を顕にしている。まあ、今の説明じゃ普通分からんよな。

 

「つまり、自分で作った設定に基づいてお芝居をしているようなものなのね」

「そういう事だ。あいつの場合、室町幕府の第十三代将軍、足利義輝を下敷きにしているみたいだな。名前が一緒だからベースにしやすかったんだろ」

「あなたを相棒と呼んでいるのはなんで?」

「八幡っつー名前から八幡大菩薩を引っ張ってきてるんじゃないか。清和源氏が武神として厚く信奉してたんだ。鶴岡八幡宮とか知ってるだろ」

「なるほど……」

 

雪乃は納得したようだが、由比ヶ浜はまだ頭にハテナを浮かべている。

仕方ないのでスマホを取り出し、中二病 例で検索し、由比ヶ浜に投げ渡す。数十秒すると、心底気持ち悪いというような顔になった。

そりゃあ健全な奴から見たらただただ頭おかしい連中みたいなもんだからな。 というか、目の前にいる材木座がその代表みたいなもんだし。

とりあえず各々座り、嫌々ながらも話を聞く姿勢にはいる。

 

「……で、ここに来たということは、依頼ということかしら」

 

何とか落ち着きを取り戻した雪乃がスマホを仕舞いながら問う。いやそれでも俺の傍からずっと離れようとしないな。というか腕をガッチリホールドされてるし。……あの、控えめな二つ丘が当たってるから。悪い気はしないけどちょっと八幡のはちまんがやっはろーしちゃうから。

そんな苦闘を心の中でしていると、材木座がおもむろに紙の束を取り出し俺に渡してきた。

 

「これは………ラノベの原稿か?それもこんなに」

「うむ。我、実は作家を目指していてな。新人賞に応募しようと思うのだが、まずはその前に感想を聞かせてほしいのだ。我、友達いないから中々そういった機会が無くてな。読んでくれ」

「依頼する理由が悲しすぎる!?」

 

材木座のような中二病がラノベ作家を目指すのは当然の帰結とも言える。自分の憧れを形にしたいと思うのは当たり前の感情だし、何一つおかしなことはない。加えて言うなら、好きなことをして食っていけるならそれは幸せなことだろう。ユーチューバーだったりもそれと似たような感じだ。

だが不思議なのは、わざわざ俺たちに見せてこようとすることだ。

「……今の時代、なろうとか5chとかに載せれば誰かしら評価してくれるだろ、多分」

「いや、奴らはなりふり構わず酷評するだけだからなぁ……。また泣いちゃうぞ、我」

 

またって…。

投稿したことあるんですね…。酷評されて泣いたことあるんですね………。

 

「要するに、私たちはこの作品を評価すれば良いのかしら」

「左様。新人賞に応募しようにも、評価が帰ってくるのは数ヶ月後なのでな」

 

なるほど、まずは俺たちに評価をしてもらい、その後応募する、ということかね。

……でも大丈夫かなあ、材木座。

俺はため息混じりにチラッと横を見た。

すぐ隣にいる雪乃と目を合わせると、キョトンとしている。

多分、ネットに載せるより酷い結果になるだろうなからなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッキリ言おう。材木座の小説は全くと言っていいほどつまらなかった。

無駄に長いし、意味の分からん話の内容だ。フラグも回収しきらずに完結もしていないし、何故数行にも渡ってヒロインが服を脱ぐのだろうか。必要性の感じない話が多すぎる。

お陰で徹夜してしまい、読み終えた頃には空が白く霞んでいた。今日の午前は睡眠学習ですね。

 

「やっはろー!」

 

昇降口で後ろから声がかけられた。この声は由比ヶ浜だ。やけに元気だな……。

 

「ああ、おはよう。……なんでそんなに元気なん?あれ読んだら寝れないだろ…」

「え!?あ、い、いや、眠いから!私超眠いよ!」

 

こいつ絶対読んでないな。

とはいえ、今回の依頼は俺たちの出番はほぼないだろう。何故なら雪乃がいるからだ。

あいつ、ルビの振り方とか、改行の仕方とか、そういうのに一切妥協を許さないからな。

多分、ネットに晒すよりも酷い結果になるだろうな。その時の材木座の顔を見るのが楽しみ。

 

放課後、部室へ向かう。午前中は平塚先生の授業以外は寝て過ごしたものだが、未だに眠気はとれない。

平塚先生、俺が寝てたら平気でとんでもないことをするからなあ。恐怖政治かって。

盛大に欠伸をしながら部室のドアを開けた。

 

「うす」

 

いつもなら返事をくれるところだが、今日に限って何も反応がない。

妙だと思って雪乃がいる方へ視線を向けると。

 

「…………」

 

正に女神様と言っても過言ではない雪乃の姿が。

雪乃は静かな寝息を立てて寝ていた。絵画の一部分だと言われても信じてしまうくらい、神々しい姿だった。

待て待て落ち着け。昔はよく一緒に寝て寝顔だってよく見たものだ。今更見たところで動揺は……、動揺、は………。

俺の心の中でよく分からん葛藤と戦っていると、いつの間にか雪乃は目を覚ましていた。

 

「…どうやら寝てしまったみたいね」

「お、おう。やっぱり寝不足か」

「ええ。八幡も?」

「まあな」

 

小言を交わし、定位置の椅子に座る。いつ材木座が来て意気消沈するのかワクワクしていると、部室の扉が勢い良く開かれた。

 

「やっはろー!」

「え、ええ。こんにちは、由比ヶ浜さん。その、扉を思い切り開けるのはやめてもらえるかしら…」

「あ、ごめんごめん!」

 

こいつバンって音が鳴った瞬間、ビクッと肩を震わせたからな。完璧超人に見える雪ノ下雪乃にも怖いものはあるという証拠だな。

昔もお化け屋敷とか行った時泣きじゃくっていたことを思い出す。……懐かし。

そんな昔の記憶に思いを馳せていたのだが……。

 

「さて、感想を聞かせてもらおうか!」

 

来ちゃったよ。俺と雪乃が寝不足である要因。おかげで少しイライラしていたが、雪乃の寝顔が見れたことだけは心の中で感謝しておく。

 

「そうね、私こういうのはよく分からないのだけど…」

「構わぬ!」

「そう。……まず、絶望的につまらなかったわ。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」

「ゲフッ!!」

 

わーお。いきなりどストレートできたな。気持ち悪い叫び声を上げて椅子から転がり落ちやがった。

 

「文法がむちゃくちゃ。『てにをは』の使い方、小学校で習わなかったのかしら。誤字脱字も多い。酷すぎるわ」

 

由比ヶ浜はおろか俺ですら軽く引くような事をバンバン言い出した雪乃。ルビの振り方、ヒロインが脱ぐシーンの必要性。すかさず材木座がファンサービスだと主張すれば、

 

「ファンの一人もいない状況でサービスなんて片腹痛いわ。文章力の前に先ずは常識というものを学びなさい」

 

と、完全論破。材木座は既に過呼吸に陥っている。

一人目でこれなのだ。…多分、死ぬんじゃない?

 

「次、由比ヶ浜さん」

「え!?え、えーっと……」

 

いそいそと鞄の中に入っていた原稿をパラパラと読む。やっぱり読んでねえじゃねえか。

 

「えっと、難しい言葉沢山知ってるね!」

「ヒデブッ!!」

 

わーお…。考え方によっちゃ雪乃よりも酷い一言だぞ。悪意がないから余計にタチが悪い。

難しい言葉を知っている=他に評価するところがないって事だからな。とんでもない大ダメージを受けたことだろう。

 

「は、八幡……お、お前なら、分かってくれるよな?我の相棒なら、これの良さに気づいてくれるよな…?」

 

誰が相棒だ、誰が。

でもま、ここまで期待されてんなら応えない訳にもいかないだろ。

大丈夫だ、材木座。お前に対して何を言えばいいか、俺も充分に理解している。

材木座の肩にそっと手を置き、縋るような目で見てくるこいつに一言。

 

「で、あれなんのパクリ?」

「………」

 

あ、こいつ泡吹いて気絶しやがった。と思ったらピギャーーみたいな気持ち悪い奇声を上げて壁に激突し、消沈。

……芸人になったら意外と売れるんじゃないだろうか。

 

「私よりもキツい一撃じゃない……」

「ヒッキー……」

 

おい、引くなよ。お前ら二人も同じような事言ったんだから。

まあ、ただ少し言いすぎたか。

 

「ま、ラノベなんて大切なのはイラストだ。中身なんて気にすんな」

 

 

 

「……また、読んでくれるか?」

 

思わず耳を疑った。

材木座は熱い眼差しを俺たち三人に向けてくる。お前……。

 

「ドMなの?」

 

さすがの由比ヶ浜も蔑んだ目で材木座を見下してるな、ただただ死ねみたいな……。あのね由比ヶ浜、材木座がめちゃくちゃビビってるからやめたげて?

いや、そうじゃない。

 

「あれだけ言われてまだ懲りないのかよ…」

「無論だ。確かに酷い言われようだった。もう死んじゃおっかなーどうせ生きててもモテないし、と思った。むしろ、我以外みんなくたばれと思った。……だが、だがそれでも嬉しかったのだ。自分の書いたものを誰かに読んでもらえて、感想を言ってもらえるということは!」

 

そう言って材木座は笑った。剣豪将軍なんてふざけたものじゃなく、材木座義輝の笑顔。

ーーなるほど、こいつは立派な作家病だ。

 

「また新作が書けたら持ってこよう。さらばだ!」

 

そうして材木座は去っていった。たとえ酷評されようとも、自分の作品を読んで感想を貰えるのは嬉しいもの。そう材木座は言った。

だったら俺が出来ることはただ一つ。

……次は徹夜しない程度のやつがいいなあ。

 

「……なんか、すごかったね。ヒッキーの友達」

「友達言うな。知り合いだ知り合い。知り合いにすらなりたくないけどな」

 

あいつが友達なんて拷問にしかならないからな。

 



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比企谷八幡は、依頼を聞く。


天使登場。
少し雑になってしまいました。


昼休み。

恐らく一日の学校生活の中で一番幸福と言っても過言ではないこの時間。

いつもは雪乃が作ってくれた弁当を部室で食べるのだが、雪乃は超がつくほど珍しく寝坊をしてしまったらしく、用意できなかったそうな。

メールで画面越しにでも伝わる罪悪感よ。むしろこっちが申し訳なくなる。いつも作ってくれてありがとうございます。

そんでもって、俺はベストプレイスでコンビニパンを貪っていた。

俺の座っているベンチの前方から聞こえてくるテニス部と思われる生徒の声。

よくもまあ、昼飯を食う時間を割いて一生懸命練習できるもんだ。好きな事に熱心に打ち込めるという点に関しては、尊敬できる。

奉仕部に入って一月が経過した。その間、俺たちの元に舞い込んできた依頼は、由比ヶ浜のクッキー作りと、材木座の小説の感想の二つ。材木座はあれから何度もプロットを見せてきたり、イラストのデザイン案を見せてきたりしてくる。まずは小説を完成させろよ。おかげで女子二人は俺に全部丸投げしてるんだぞ。

そんな材木座に対する愚痴を心の中でしていると、ぴゅうっと風が吹いた。

風向きが変わったのだ。

その日の天候にもよるが、臨海部に位置するこの総武高校はお昼を境に風の方向が変わる。

この風を肌で感じながら一人で過ごす時間が俺は嫌いじゃない。

 

「あれ?ヒッキーじゃん」

「あん?」

 

聞き覚えのある声がした。振り返ると、風のせいかスカートを押さえた由比ヶ浜が立っていた。

 

「なんでこんなとこいんの?」

「一年の頃からいつもここで食ってたんだよ」

「部室で食べれば良くない?」

「今日は雪乃が弁当作れなかったらしくてな。それに女子二人だけで話したい事とかあるだろ?俺なりの配慮だ。…それよか、お前はなんでここに?」

「いやー、ゆきのんとのゲームでジャン負けしてー、罰ゲームってやつ?」

「俺と話すことか?」

 

何それひどすぎる。雪乃に嫌われちゃった?

 

「ち、違う違う!負けた人がジュース買ってくるだけだよ。それにゆきのんだったらそれはご褒美でしょ?」

「…まあ、そうなんかね」

 

知らない内に嫌われてたなんて事は無かった。

ほっと胸を撫で下ろすと、由比ヶ浜は隣に座ってきた。

そういや、こいつと二人きりで話すのって案外初めてなんじゃ?

 

「ゆきのん、最初は『自分の糧くらいは自分で手に入れるわ』って言って渋ってたんだけどね」

 

なぜか由比ヶ浜がモノマネをしながら言う。死ぬほど似てねぇ。ちなみに俺は本人と間違われるくらいめちゃくちゃモノマネ似てる。あいつの姉ちゃんのお墨付き。

 

「まあ、あいつらしいな」

「うん、けど『自信ないんだ?』って言ったら乗ってきた」

「……あいつらしいな」

 

雪乃は昔から負けず嫌いだったからな。どんな些細なことでも負けたくない性分だった。でも、確か今はそれほどでもなかった気がする。それこそ姉ちゃんを超えたいなんて事は言わなくなっていたな。よく分からんけど。

しみじみとそんな事を考えていると、由比ヶ浜は少し神妙そうな顔をして聞いてきた。

 

「ヒッキーはさ、ゆきのんのこと、好きなの?」

「急だな。まぁ……どうだろうな。なに、好きだって言ったらお前はどうすんの?」

「そりゃあ応援するよ!ゆきのんは大事な友達だし、ヒッキーは…まあ、恩人?でもあるし」

 

そこはてなマークなのかよ。いや、犬庇ったから犬の恩人と捉えられるけども。それは恩犬か?知らんけど。何言ってんだ俺。

 

「ほら、二人って結構お似合いじゃん?幼馴染だし、傍から見てもめちゃくちゃ仲良さげだし、それに」

「………本当に、そう思うか?」

 

えっ、と由比ヶ浜は声を詰まらせる。

初夏と言っても差し支えないこの月。吹き付ける風は暖かいはずなのに、俺と由比ヶ浜のいるこの場所だけは、何だか心なしか冷たく感じる。

 

「ヒ、ヒッキー……?」

「なんでもねえ。この話、あいつにはすんなよ」

「あ、う、うん……」

 

若干不機嫌になってしまった俺はテニスコートを見た。…別に由比ヶ浜は何も悪くない。悪いのは、俺だ。

ふと見ると、先ほどから練習をしていたと思われる女テニの子が汗を拭いながらこちらへやってくるところだった。

 

「おーい!さいちゃーん!」

 

気まずさを誤魔化すように由比ヶ浜が手を振って声をかける。どうやら知り合いらしい。

その子は由比ヶ浜に気づくと、とててっとこちらに走り寄ってくる。

ん?同じクラスの子か。

 

「やっはろー、練習?」

「うん。うちの部、すっごい弱いからお昼も練習しないと……。お昼も使わせてくださいってずっとお願いしてたらやっとOK出たんだ。由比ヶ浜さんと比企谷くんは何を?」

「やー、ちょっと世間話をしてた的な?」

 

そう言って由比ヶ浜は、だよね?と俺に振り返る。ホント、周りの空気に合わせるのが上手いよな、こいつ。こちらとしても助かるが。

というかこいつはお使いの途中だろ。鳥なの?多分雪乃怒るぞ?

 

「さいちゃん、授業でもテニスやってるのに昼練もしてるんだ。大変だねー」

「ううん、好きでやってる事だし。あ、そういえば比企谷くん、テニスうまいよね」

「え?あ、まあ、昔やってたからな」

 

急に話題を振られ慌ててしまう。女子なのに知ってるのか?体育違うはずだが。

 

「…ヒッキー、もしかしてあたしの時みたいに名前覚えてないんじゃ?」

 

由比ヶ浜にジト目で見られる。図星なだけに何も言えねぇ。

 

「……すまん、あまり女子と関わろうとしなかったから、つい、こうね、ね」

「一年の時も同じクラスだったんだけどな…。戸塚彩加です、よろしくね。……あと、僕は男だよ」

「え」

 

ぴたっと俺の動きと思考が停止した。え、嘘でしょ?こんな女子よりも女子してる可愛らしい子が?

マジで?と視線で由比ヶ浜に問うと、うんうんと頷く。

 

「あー…その、悪い。知らなかったとはいえ、やな思いさせて」

 

俺がそう言うと、戸塚は瞳にたまっていた涙をぶんぶんと振り払ってからにっこりと笑う。

 

「ううん、大丈夫」

「それにしても戸塚、よく俺の名前知ってたな」

「え、あ、うん。だって比企谷くん、目立つもん」

 

目立つ?この俺が?

自分で言うと悲しくなるが、俺は万年ぼっちである。人と関わるのを自分から絶っている身としては、どういった面で目立つのか皆目見当もつかない。そもそも聞く相手がいない。悲しっ。

 

「だって、あの雪ノ下さんと仲良く話してるところを見れば、嫌でも目立つよ。仲の良い女子の友達はみんな二人が付き合ってるんじゃないかって話をしてるし」

「えー……」

 

とても反応に困る。

え、なに?見られてるの?バレてるの?そんな話題になってるの?やっぱ女子って恋バナ好きですね。いや戸塚は男じゃん…。

一番嫌…というか、恐れているのは、それが侮蔑や嘲笑から来る話題だってときだ。それは小学生の頃に嫌という程経験している。二の舞にはしたくない。

もう雪乃に嫌な思いはさせたくない。

よほど暗い表情になっていたのだろう。そんな俺を見て、戸塚はあわあわしながら説明を付け足す。

 

「あ、も、もちろんネガティブな話じゃないよ?比企谷くんって誰とも喋らないからどんな人なんだろうって」

 

ああ、そういうこと。

一応俺の懸念する事はなかった訳か。ふぃー、なんかスカッとした気分。

たまに感じる視線はそれだったか。

そんな事を考えているうちに、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。昼休みも終わり、午後の授業が始まる。

 

「戻ろっか」

 

戸塚が言って、由比ヶ浜も後に続く。

俺も後を追おうとして、立ち止まる。

 

「ヒッキー?なにしてんのー?」

 

振り返った由比ヶ浜は怪訝な顔をしている。戸塚も立ち止まってこちらを向いた。

言おうか言わまいか迷ったが、後々の事を考えると……。

 

「お前、罰ゲームのパシリは?」

「……あっ」

 

うっかりさんめ。

 

 

 

 

 

 

教室に戻っているとき、ふと戸塚が話しかけてきた。

 

「ちょっと比企谷くんに相談があるんだけど……」

 

妙に真剣な様子だったので茶化すわけにもいかない。

なるほどね、秘密の相談なら近くないといけないもんね。真剣だもんね?だから近いんだよね?

 

「うちのテニス部のことなんだけど、すっごく弱いでしょ?それに人数も少ないんだ。今度の大会で三年生が抜けたら、もっと弱くなると思う。一年生は高校から始めた人が多くてあまり慣れてなくて…。それにぼくらが弱いせいでモチベーションが上がらないみたいなんだ。人が少ないと自然とレギュラーだし」

「なるほど」

 

もっともな話だ。弱小の部活にはよくあることだと思う。俺部活入ったことないから知らんけど。

 

「それで……比企谷くんさえよければテニス部に入ってくれないかな?」

「……は?」

「ほぇ?」

 

なぜそうなる……。

俺も由比ヶ浜もこぞって間抜けな声を出してしまった?

確かに俺は他のやつよりはテニスができる方だと思う。昔からあいつに振り回されて色々な事をやってきた。その中でも一番長くやったのがテニスというだけで、恐らく戸塚が思っているような、『ぽっと出の比企谷八幡が入部し活躍すれば、皆のモチベーションもきっと上がる』みたいな事は起こらないだろう。

そもそも俺は集団行動ができない。何それ、一番ダメじゃん。やっぱぼっち最高。

そんなことはさておき、そもそも無理な理由がある。

 

「あー、悪い戸塚。俺、他の部活に所属してるんだ。併部もするつもりはない」

「そっかぁ……」

 

戸塚は本当に残念そうな声を出した。流石に罪悪感が込み上げてくる。

すると、由比ヶ浜は一つ提案をしてきた。

 

「あ、だったらさ、奉仕部に依頼をすればいんじゃない?強くしてほしい、みたいな」

「…まあ、それもありだな。後で雪乃に聞いてみる。戸塚もそれでいいか?」

「うん、大丈夫だよ」

 

交渉成立。

部長である雪乃の許可を貰うとするか。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、テニス部を強く……」

 

放課後。

いつもの席に座った俺は、今日の昼にあった出来事を全て雪乃に話した。

ふむ、と雪乃は考え込む。

 

「別に全員ってわけじゃない。依頼人である戸塚が強くなりたいって話だ。どうにかできないかね?」

「そうね…。死ぬまで走って死ぬまで筋トレ、死ぬまで素振り、かしら」

「相変わらずえげつねぇ……」

 

ちょっと微笑み交じりなのが怖さを誘う。こいつ案外Sっ気あるんじゃないか?

俺が若干引いていると、ガラッと部室の戸が開いた。

 

「やっはろー!」

 

戸塚を引き連れた由比ヶ浜がやってきた。

やはり雪乃はビクッと肩を震わせる。ノックもなしに入ってくる人なんて由比ヶ浜か平塚先生くらいだ。

 

「し、失礼します……」

 

昼休みの約束通り、戸塚は依頼をしに来たのだろう。

 

「ほら、あたしも奉仕部の一員じゃん?だから、ちょっとは働こうと思って連れてきたの」

「由比ヶ浜さん」

「あ、ゆきのん、お礼とは全然いいから。部員として当たり前のことしただけだから」

「由比ヶ浜さん、あなたは部員ではないのだけれど」

「違うんだ!?」

 

違うんだ!?びっくりした…。毎日入り浸っているから普通に部員かと思ってた。

 

「別に入部届をもらっていないし、顧問の承認もないから部員ではないわね」

「書くよ!入部届くらい何枚でも書くよ!」

 

あれ?そんな事言ったら俺も入部届出てないから部員ではなくないか?いや、退部したいとかは全く考えてないしむしろいたいけど。

由比ヶ浜は涙目になりながら鞄から取り出したルーズリーフに『にゅうぶとどけ』と可愛らしい字で書き始めた。そのくらい漢字で書けよ……。

 

「で、戸塚彩加くんね。依頼の件はどうしましょうか」

「戸塚は昼に練習してんだし、それの手伝いでいいんじゃねえの」

 

本格的に練習をする放課後に部外者がやってきても怪訝な目で見られること間違いなし。

そもそも依頼は戸塚を強くすることだし、昼休みの練習だけでもいいだろう。

そう提案すると、雪乃も戸塚も頷いた。

 

「そうね。八幡の言う通り、昼休みの練習に付き合うとしましょう。ただし……私は甘くないわよ?」

「よ、よろしくお願いします……」

 

ふえぇ…。本気の目だ。流石に死にはしないだろうけど、とんでもないことになりそう。……戸塚、ファイト!



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比企谷八幡は、応える。

サブタイ日本語おかしいかも。


次の日。

早速戸塚の練習に付き合うことになり、早めに飯を食ってジャージに着替える。

戸塚も準備出来たところで、一緒にテニスコートへ向かった。

道中、何も話さない俺といるのが気まずかったのか、戸塚がおずおずと話しかけてきた。

 

「比企谷くん。その、怒ってる…?」

「え?なんで?」

「ほら、昨日のことでさ……」

 

昨日のこと、と言えば、俺と雪乃についてだろうか。むしろ不機嫌に見える要因はそれしかない。

だが、俺は別に怒っているつもりはない。むしろ、嘲笑や変な噂が立ってなくてホッとしているまである。

 

「別に気にしてねえよ。俺はガンジーよりも心が広い男だと自負している。というか怒ってすらない」

「そ、そうなんだ…」

 

戸塚が若干引いた目で見てくる。

あ、この視線いいかも。可愛らしい顔で蔑むような視線。……いかんいかん、新たな世界の扉を開けてしまうところだった。

 

「でも、比企谷くんと雪ノ下さんって本当に仲良さげだよね。昨日の部室でも下の名前で呼びあってたし」

「ああ、まあ、幼馴染だからな」

 

言われてみれば、いつの間にか下の名前で呼ぶようになったんだよな。

 

「やっぱり雪ノ下さんのこと、好きなの?」

「……さてな。他人の色恋沙汰とか、話のネタになるような事は話さないようにしてる。ホント、女子って恋バナ好きだからな……」

「そ、そうなんだ……。僕は男だけど」

 

おっと、一瞬勘違いしてしまった。

でも男でその顔は反則だと思うんですよ。

それ以外にも、腕も腰も脚も細く、肌は透き通るように白い。

由比ヶ浜が言っていたが、戸塚は女子の間で「王子」と呼ばれているらしいが、その理由が分かる気がする。

 

そこからは当たり障りの無い話をし、やがてテニスコートに着いた。

既に雪乃と由比ヶ浜は待機しており、俺たちの到着を待っていたようだ。

 

「皆集まったわね。それじゃ始めましょうか。戸塚くん、準備は良い?」

「よ、よろしくお願いします!」

 

さて、雪乃先生によるレッスンが開始した。

最初は当人である戸塚だけやって俺たちはエールだったりなんなりをすればいいと思っていたのに、雪乃先生は俺にも参加を強制させた。「できるでしょ?」って首をコテンと傾げられたら、うんとしか言えないじゃん。チョロすぎィ!

まずは体づくりから始めることになり、腕立て、腹筋、背筋、スクワットなどの基礎トレを数日間、体の限界までやらされた。もちろんその間はラケットに触らず。

……キツい。毎日家に帰ると筋肉痛で体を捩らせていたもん。

元々やる気だった戸塚や、基礎代謝を上げれば痩せる!と意気揚々に一緒に始めて早々にダウンした由比ヶ浜はいい。いやダウンするの早ぇよ。

でもホント、何故俺までやらされるのだろう…。

休憩のためにベンチに座っていると、雪乃が冷たいスポドリを持って隣に座ってきた。

 

「お疲れ様」

「おう。…な、なあ、これ俺やる必要ある?」

「かっこいい八幡を見たいという私の自己満足よ。ダメだったかしら?」

 

そんなこと上目遣いで言われたらやる気いっぱい!筋肉痛なんかクソ喰らえ!

 

 

 

********

 

 

 

まさに鬼だろ、雪乃さん。

由比ヶ浜にコートの端に投げるように指示し、戸塚はそれを打ち返し、雪乃はフォームや打ち方を徹底的に指導する。

やっていることは普通なのだが、とにかく雪乃が厳しい。まるでテニスの経験者かのようにプロみたいな指導を行うのだ。

いや、実際経験者ではある。

昔一緒にテニスをやった時、三日でコーチに勝っちまったから直ぐに辞めたんだっけか……。

元々どんな事であれ三日もあれば大抵の事は覚えられる雪乃の事だ。この数日で自身の経験だけでなく、プロの試合の動画を見たりして、ある一定のレベルまでの最適解を導き出しているに違いない。

…自分で言っといてハテナだが、とりあえず言えることはゆきのんはしゅごい!マジで尊敬するわ。

 

「ゆきのん、すごいね……」

 

由比ヶ浜は恐ろしいものでも見るかのような目で雪乃の事を見ていた。まあ、普通の人からすれば当たり前の反応だな。この場合の「すごい」は、恐らく純粋な意味でのすごいではなく、怖い、といった意味を持っていると思われる。

俺が過去に振り回されすぎたことでこれが普通みたいな感覚に陥っているが、傍観者である由比ヶ浜でさえこんな心情だ。恐らく当事者の戸塚はもっと辛いだろう。

だがそうまでして雪乃に付き合ってもらってるのは、自分の自己満足ではなく、他の部員のため、テニス部のためだ。他人のために努力するなんて最早アッパレとしか言いようがないな。

 

「あいつはやると決めたことはとことんやるからな。妥協なんて一切しない。おかげで昔は俺もヒーヒー言ってたよ」

「はぇー、やっぱ詳しいね」

「そりゃあ、俺が一番一緒にいる時間が長いのは、妹を除けばあいつだからな」

 

俺のプライベートな時間はほとんど雪乃と一緒にいた。学校のある日はもちろん、休日だってそうだ。

大抵はどちらかの家に行き、日が暮れるまで遊び尽くす。今考えると、よく話題が尽きなかったとつくづく思う。

いや、それだけ雪乃といる時間が楽しかったのだろう。それだけ雪乃といるのが当たり前になっていたのだ。

………それだけ、引き離される苦しみも大きいのだ。

もう離れたくない、これからも一緒にいたい。そう思うのは、烏滸がましい事なのだろうか。

 

「………ヒッキー?」

 

……またいつものように深く考え事をしてしまった。

 

「ああ、いや、何でもねえ。ほら、そろそろ雪乃と交代してやれ」

 

ボールを投げるのも疲れるしな、と乾いた笑みを浮かべながら付け加えると、由比ヶ浜は若干不満げな顔をしながら雪乃の元へ歩いていった。

と、そこに。

 

「あれ、テニスしてんじゃーん」

 

声の主は、俺と由比ヶ浜、戸塚が所属する我が二年F組の女王、三浦優美子。

よく見ると三浦の後ろには、隼人やいつもつるんでいるリア充グループもいる。

めんどくせぇ時に来たもんだな。

 

「ねえ戸塚、あーしらも遊んでいい?」

「み、三浦さん、僕は遊んでるわけじゃ……」

「え、何?聞こえないんですけどー」

 

聞こえないんじゃない。聞こうとしないんだろ、お前の場合。由比ヶ浜の時も似たような感じだったしな。

女王らしく威圧するその態度は、戸塚を縮こませるには充分な威力があった。

 

「ユイたちもいるし、別に男テニとして使ってるわけじゃないんでしょ?だったらいいじゃん、あーしらも混ぜてよ」

 

それはごもっとも。ごもっともなんだがちょっとこう、違うんだよな……。何が違うのかはよく分からんが。

 

「優美子、今は戸塚くんたちが使ってるんだから、また今度にしないか?テニスはいつでもできるだろ?」

「えー?あーしは今したいんだけど……。そうだ!だったらあーしと試合しようよ。あーしが勝ったらここで遊ぶけど、どちらにせよ練習の成果も発揮できるでしょ?あーし、テニスちょー得意だからさ」

 

おっと、こちらが勝った時のことは考えないのですね。これはさすがの隼人も苦笑い。

こいつは由比ヶ浜とは違ったベクトルのアホだな。目先のことしか考えないから、後がどうなるか知ったこっちゃないみたいな。

結局は三浦の自己満足なんだろう。ただ遊ぶにしても、試合をするにしても、三浦の『テニスがしたい』という欲求は満たされる。面倒くさ……。

そもそも三浦たちはこのテニスコートを使う資格を持っていない。テニスコートを利用するには教師の許可が必要だ。

今は当然、俺たち奉仕部が利用許可を貰っている。

あ、よくよく考えればそれが違和感の原因か。まったくごもっともじゃないじゃん。

そして、三浦の言葉に思うところがあったのか、雪乃はしばし考え、やがて口を開く。

 

「いいわ、その勝負、受けましょう。ダブルスで構わないかしら」

「へー、雪ノ下さんてテニスできるんだ。言っとくけどあーし、結構強いよ?」

「それが何か?」

 

あっけからんとした態度の雪乃に対し、三浦は見るからに怒りをふつふつとさせている。ホント、雪乃の煽りスキルは高いよな。たった一言二言でこうも相手を怒らせるのだから。

……仕方ないな、戸塚は練習で疲れてるだろうし。向こうは隼人と三浦の男女でペアを組むのだから、こちらも男女でやるしかあるまい。当然俺と雪乃のペアとなるわけである。

雪乃と三浦がテニスウェアに着替えに行ってる間、俺は手招きして隼人を呼び寄せる。

隼人は、申し訳なさそうに俺を見る。

 

「悪いな、優美子が我儘言って」

「別にそれはいいんだけどよ……、分かってるよな?」

「ああ。適度にやって、ギリギリで負けたと演出すれば良いのかな?」

「そんな感じで頼むぞ。ここで負けたら戸塚に申し訳ないしな」

「分かったよ」

 

そうこうしてるうちに隼人目当てに観客がぞろぞろと現れ始める。どこから嗅ぎつけやがったんだ、こいつら。

多分優に二百人は超えている。二年生が主だが、なかには一年生も交じっており、ちらほらと三年生の姿も見える。

……やっぱすげえや、こいつの人望。

そんなこんなで二人はテニスウェアを着て戻ってくる。どうやら三浦は校舎へ向かったことから恐らくトイレかどこかで、雪乃はテニス部の部室横で着替えたらしく、別々にやってきた。

 

「HA・YA・TO!フゥ!HA・YA・TO!フゥ!」

「雪ノ下さん、頑張ってー!」

 

やはりほとんどが隼人と雪乃を応援している。中には「ヒキタニくんも頑張ってー」なんて声が聞こえてくる。誰だよヒキタニって。仮に、本当に仮に俺の事を言っているのだとしたら、名前間違えんな。ヒキガヤだ、ヒキガヤ!

 

俺が前衛にたち、雪乃が後衛。隼人側は隼人が後衛、三浦が前衛にたつ。

あとは察してくれるであろう雪乃が、隼人の方にバカスカ打ち込みまくってやればいい。三浦が打ったとしても、俺が打ち返してやればいい。

例え三浦が超強かったとしても、こっちには超超強い雪乃がいる。何の問題もなければ、無事に勝てるだろう。……あ、やべフラグだ。

 

 

 

********

 

 

 

案の定だった。

途中までは順調にいっていたのだ。雪乃のサーブを隼人が打ち返す。三浦が打ってくる時は俺がなんとかカバーする。

おかげで得点は俺たちが二点リードし、後一点で勝利できるところまでは持っていけたのだ。

 

「こんのっ!」

 

三浦が不機嫌さを隠すことなく、勢いに任せてラケットを振る。

いつも通りなら難なく打ち返す雪乃だったが、今回は違う。雪乃はボールに反応することなく、その場にへたりこんでしまった。……マジかよ。

流石に心配になり、駆け寄って手を差し出す。雪乃は俺の手を取り、申し訳なさそうに俺の顔を見る。

……今なんかキャー!って聞こえたのは幻聴だと信じたい。

 

「おい、大丈夫か?」

「……ごめんなさい、八幡。私、体力は致命的に欠けているの」

 

知ってるよ。昔から運動自体は得意なのに体力が無いからどれも続かなかったしな。流石にテニスの一試合もたないのは予想外だったが。

しかしまずいな。1対2となると流石に不利だ。さすがの隼人もどうするか決めあぐねているようだが、手を抜きすぎると三浦やワーワー騒いでる観客に怪しまれてしまう。

それに。

 

「へぇ………」

 

三浦が勝ち誇ったような顔でこちらを見ている。ふえぇ…、その視線は萎縮しちゃうよぉ…。

などとふざけてる場合ではない。県大会出場もしている三浦と、ただ単に運動神経が少しいいだけの俺。その差は歴然だ。このままでは九十九パーセント負ける。ではどうするか。

 

「…………貸し、一つだからな」

 

雪乃にだけ聞こえるような、そんな小さな声で言った。

一瞬だけキョトンとした雪乃だったが、俺の言った意味をスグに理解したらしく、微笑みながらコクリと頷いた。

 

「由比ヶ浜、ベンチに運んでやってくれ」

「う、うん、分かった…」

 

少し戸惑いながらも雪乃に肩を貸す由比ヶ浜。そんな由比ヶ浜は、不安げな眼差しを俺に向けてくる。

ごもっともである。

だが、この世に絶対なんて存在しない。どれだけ強い相手でも、必ず勝機を見いだせるものだ。

 

「そいっ!」

 

投げ上げたボールにラケットを打ちつける。さして速くもない速度のボールを、あの三浦が取れないはずはない。

 

「っしゃあ!」

 

それを狙ったのだ。

俺は一年間、ここのすぐ近くでよく昼飯を食っていた。おかげで、どうでもいい事だって覚えてしまった。

三浦、お前は知らない。

ここ総武高校は、臨海部に位置する。

昼下がりのこの時間帯のみ、発生する特殊な潮風のことを、お前は知らない。

その風の影響で、打球は三浦が走っていった予想落下地点を大幅にズレる。

他の誰でもない、俺だけが打てる魔球。

誰もが口をつぐみ、静かにそれを見守っていた。

だが、静寂はやがて歓声に変わる。

 

「そ、そういえば聞いたことがある……!風を意のままに操る伝説の技、その名も風精悪戯《オイレン・シルフィード》!!」

 

空気を読まない材木座だけが大声を張り上げた。

勝手に名前つけんな。恥ずかしい。

 

「ありえないし……」

 

三浦が驚愕のあまり呟く。

ギャラリーの皆様も「風精悪戯……?」「風精悪戯…!」なんて声を上げ始めた。いや受け入れるな。そんなんじゃないから。

 

「……驚いた。まさに『魔球』だな」

「だろ?」

 

実際は賭けでもあった。全て上手くいくとは思わなかったし。それでもまあ、戸塚と、奉仕部のメンツは保たれた。

落ち込み気味だった三浦を隼人がそっと励ますと、直ぐに元気になり一緒に校舎へ入っていった。……恋する乙女ってやつか。

目的の隼人がいなくなったことでギャラリーもぞろぞろと皆一様に帰っていく。残ったのは俺と戸塚、由比ヶ浜の三人。……雪乃はテニスの部室の方でも行ったのか?

 

「比企谷くん、さっきのすごかったね!」

「確かに!あの優美子によく勝てたね」

「あ、ああ、まあな」

 

純粋な尊敬の眼差しを受けるのは慣れていない。美少女二人間違えた美少女と美少年を見るのが何だか気恥ずかしくなり、雪乃がいるであろう場所へ。

 

「おい雪乃、だいじょ……あっ」

 

思いっきり着替え中だった。

ブラウスの前ははだけ、まさかの黒い下着が強い主張を俺へ向けている。

白い肌は美しく、下着とも美しくマッチしている。

……と、こんなに分析するには数秒のスパンは必要なわけで。

雪乃はまじまじと見る俺の視線に気が付き、みるみる顔を紅潮させ、一言。

 

「………えっち」

 

変態ではなくえっちと言われました。

これで貸し借りは無しかな!




これにて一巻分は終わり!


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二巻分
イケメンリア充でも、依頼をする。



少し遅れました。
小説書くのって本当に難しい…。


梅雨が差し掛かるこの季節。六月に入ってから、ジメジメした熱気が俺の気力を削いでいる。

今日も今日とて部活に行って熱気が吹き飛ぶほど癒されようと思った矢先。

今俺がいるのはどこでしょう?

 

「職場見学は雪ノ下建設を希望する、か……」

 

正解は職員室にあるパーテーションで区切られた一室。

そこのソファに座って俺の職場見学希望調査票を読み上げた平塚先生は、心底意外そうな顔をしていた。

 

「一体どういった風の吹き回しだ?専業主夫などという心底ふざけた進路を希望する君だったら、職場見学も『自宅』とかにするものだとばかり思っていたのだが」

「いや普通に書いて呼び出されるってどういうことすか……」

 

そうなの!僕至って普通の見学場所を希望したのに、それが原因で呼び出されたの!意味不明!

雪ノ下建設には、何回かお邪魔させてもらったことがある。簡単に言えば、精神的に楽にしたいってことだ。

ちなみに最初は自宅を希望しようとしたのは内緒。マジで殴られるから。ホントこの人怖い。主に拳が。

 

「ま、希望といっても、最終的に決めるのはグループ決めの後ですよね。だったらグループで決めたところに行きますよ。面倒事は御免なんで」

「君は本当に卑屈だな。もう少し自分に自信を持てないのか?君にだって意見を言う権利はあるというのに」

「だからこそですよ。自分の意見を通すより、誰かの後ろをついて行く方が楽ですし。……それに、いい思い出もないんで」

 

小学生の時にどれだけ失敗を繰り返したことか。俺は雪乃との一件以来、自分から進んで何かをすることをやめた。人について行くのは楽でいいしな。

 

「……そうか。ならこの話は終わりだ。最後に一つ、人生の先輩からアドバイスをしておいてやろう。偶には自分の意志を貫き通すことも大事だ。本気で君が望むことがあるのなら、尚更な」

 

そう言って人生の先輩とやらは一呼吸置く。

 

「たまには自分の意志を最後まで貫き通すことも必要だ。特に、君がどうしても望むものなら、ね。周りに流されないことは重要な事だよ」

 

 

 

********

 

 

 

特別棟の四階にある部室へ向かう途中、俺は頭の中でさっき平塚先生が言っていた言葉が反芻していた。

 

『周りに流されないことは重要な事だよ』

 

……分かってる。それは苦いほど理解しているのだ。自分が楽したいからって人の波に呑まれれば、いつか必ず取り返しのつかない事になる。

いつまで同じことを繰り返すのだろう。どうして一歩踏み出せないのだろう。

理由は単純だ。

比企谷八幡という誰にも認知されないような人間が、雪ノ下雪乃という誰もが知る有名人と付き合うなんて、誰が認めてくれようか。

周りから怪訝な目で見られ続けることを、雪乃は許せるだろうか。

気にしないと言ってくれるかもしれない。けれど、内心どう思うのか、快く思わないのではないか、そういった考えが常に頭によぎる。

………ああ、結局流されてしまう。いつかは、答えを出さなければいけないのに。ケジメをつけなければならないのに。

そんな事を深く考えていると、いつの間にか部室の前まで来ていた。中からは二人の楽しそうな声が聞こえてくる。

…こういった閉鎖空間なら気兼ねなく自分の主張もできるのに。

こんな何も出来ない自分に、心底嫌気がさした。

 

 

 

********

 

 

 

部室に入り、いつものように雪乃が淹れてくれた紅茶の香りを楽しみながら、妹から借りた少女マンガを読む。

少女マンガって意外と名作が多いんだよな。画風が受け入れられないって人が多いと思うが、それに目を瞑ればストーリーやら何やらは基本的に悪くない。

だが俺は別に好きという訳では無い。さっきのも受け売りだし。

俺をこの渦に巻き込んだのは、何を隠そう雪乃の姉、雪ノ下陽乃さんである。あの人、純真無垢だったあの頃の俺にほぼエロ本と言っていいものをバンバン見せてきたからな。あの人も小学生とか中学生だったのに。幸か不幸か、雪乃はそういったマンガを嗜まない。そのまま純粋なままでいてくれ。知識は保健体育で学ぶことだけでいい!

少女マンガを借りたのは、別に自分から望んだわけではなく、小町が「これで女心でも知って!」と半ば強制的に持たされたのだ。

俺は結構理解している方だぞ。ホントに理解してたら小町からごみいちゃんなんて言われないけどね!…ぐすん。

大体、こういうのって由比ヶ浜みたいなタイプの女子が見るもんではないのか。

そう思いながら由比ヶ浜の方をちらっと見ると、スマホを見ながらうへぇ…、といった苦い表情を浮かべてため息をついていた。

 

「どうしたの?」

 

気づいたのは俺だけではないようで、雪乃も顔を顰めていた由比ヶ浜の事を見ていた。

 

「あ、うん。ちょっとね。クラスに回ってるメールが……あ、ごめんねヒッキー」

「待て。なんで謝られた。俺だってクラスの一員だぞ」

 

どうも誰にも名前を覚えられない二年F組比企谷八幡です。

いや最近だとヒキタニくんとか呼ばれたのを聞いてるし。マジで誰だよヒキタニくん。

それにしても、クラスに出回ってこんな表情をするような内容のメールか。思い当たるのは一つ。

 

「チェーンメールか」

「うん。最近こういうの多いんだ」

 

あまり気分のいいものでもないのか、スっとスマホを胸ポケットに仕舞う。

そういや俺がクラスで連絡先交換してるのって隼人と由比ヶ浜くらいなんだよなー。いや、別に他の奴らのメアドを欲しい訳じゃないが、おかげで情報統制されている。マジでクラスに関する話は入ってこない。

 

「チェーンメール、ね。昔もそんなのがあったわね」

「ああ、あれか……」

「え、なになに?」

 

少しだけ身を乗り出して聞いてくる由比ヶ浜。興味があるようだ。当たり前ながら、もちろん知らないだろう。俺たちが小学生の時の話だし。

 

「俺の誹謗中傷を嫌というほど書き連ねたメールがクラス内で出回ってたんだよ。クズとか、卑怯者とか、小学生らしいものだけどな。持ったばかりの携帯で何かしたかったんだろ」

 

それを聞いた由比ヶ浜は流石にいたたまれなくなったのか、申し訳なさそうな顔をしながらも問いかける。

 

「ど、どうしてそんな酷いことされたの…?」

 

そこら辺はプライベートに近い話だが、由比ヶ浜はそれを笑い話にしない性格だというのは二月近い付き合いでよく分かっている。なにより当事者である俺と雪乃がいる部活だ。由比ヶ浜だけ知らないのは隠し事をしているみたいであまり気分は良くない。

 

「別に、ある児童が受けていたイジメの証拠を写真にとって教育委員会に働きかけただけだ。おかげでうちの学校は一際有名になったな。教師がイジメを黙認する素晴らしい学校だって。実際、俺が先生に言ってもマトモに取り合おうとはしなかったしな。だから大人ってのは本当に気に入らない」

 

平塚先生のように、生徒の相談に親身にのってくれる先生は別だ。あの人は大雑把そうに見えて、とてもよく生徒のことを見ている。でなければ、由比ヶ浜や材木座のように奉仕部を訪ねてくるような奴はいないだろう。

そういった良い先生もいれば、クズみたいな野郎もいる。俺の担任がそのクズ代表みたいなものだったから、当時は大人に失望したのをよく覚えている。

シンと静まり返った部室は由比ヶ浜にとっても心地悪いものだろう。

 

「……な、なんかごめんね?」

「いや、気にすんな。チェーンメールだっていつの間にか雪乃と隼人が鎮めてたみたいだし」

 

マジでビビった。出回ったことを知ったのは鎮まった後だし。意地でも俺の耳に入れさせず、チェーンメールを回し始めた奴を特定したとか、マジでプロファイリングの専門家にでもなるんじゃないかって思ったね、当時は。

 

「でも、すごいね。たった一人のためにそんな事ができるなんて」

「ええ、八幡はすごいわ。私だって何度も助けられたし、由比ヶ浜さんの犬もそうだったんじゃなかったのかしら?」

「うん、入学式の時ね」

んー、恥ずかしいなあ。内臓をこよりでチョチョチョとされてる気分。

そんな恥ずかしさを誤魔化すように手を横に振る。

 

「気にすんな。俺がやりたくてやった事だし」

「でも、本当にあの時はありがとうね、ヒッキー」

 

そんな笑顔を向けられては流石に照れる。プイっと視線を外すと、少し不機嫌顔の雪乃が。

 

「……え、何。怖いよ?」

「…いえ、別に。照れるのね」

 

え、え?嫉妬してるの?やだこの子可愛い!

なんて事は口には出さないが、残念ながら長い付き合いの雪乃には考えてることがお見通しなようで。

 

「やっぱり八幡も普通の男の子ね」

 

そう言ってフッと微笑んだ。

やめて!そんな優しげな顔を俺に向けないで!

あと由比ヶ浜さん?そんなニヤニヤした顔で見ないで?余計に恥ずかしくなっちゃうから!誰か助けて!

 

そんな願いが届いたのか、部室の扉がノックされる。

雪乃のどうぞという声を聞いて入ってきたのは、意外な人物だった。

雪乃に次ぐ俺の幼馴染であり、頭が上がらない人物でもある葉山隼人。スクールカーストブッチギリに一位のイケメンである。

部活終わりなのか、少し汗をかいている。それすらも様になってるのだから、本当にイケメンだ。チクショウ!

 

「やあ、平塚先生から相談するならここに、って言われたんだけど、大丈夫かい?」

「おう、お前が相談なんて珍しいな」

「なに、今回はそうしない訳にもいかないからね。それで依頼なんだけど……」

 

チラッと雪乃を見ると、静かに頷いた。どうやらオッケーっぽい。ジェスチャーだけで相手の意志を読み取れるって凄いよな、俺。

隼人はスマホを取り出し、シュッシュと操作して俺たちに画面を見せてきた。メールボックスには、いくつかのメールが届いている。

 

「あ、これ……」

「由比ヶ浜にも届いたやつか」

 

そこに書かれていたのは、主に三人についてだ。

 

『戸部は稲毛のカラーギャングの仲間でゲーセンで西高狩りをしていた』

『大和は三股かけている最低の屑野郎』

『大岡は練習試合で相手校のエースを潰すためにラフプレーをした』

 

とかなんとか。

戸部、大岡、大和と、確か隼人といつもいる奴らの名前が連なっている。

どれも根も葉もない、確固たる証拠のない物ばかりで、何を目的としてこんな事をしているのかサッパリだった。

チェーンメールの対策としては普通は先生に対処してもらうのが手っ取り早い。だが、平塚先生が奉仕部を勧めたという事は、これは俺たちが解決すべき課題だと遠回しに言っているという事なのだろう。

 

「依頼というのは、犯人を突き止めるという事でいいのかしら」

「ああ。だけど、出来れば何故こんな事をしたのかという理由まで調べて欲しい。一度止めただけじゃ根本的な解決にはならない。だろ?」

「そうね……」

 

俺のことか。俺の誹謗中傷なんて別にほっといても良かったのに、この二人は良しとしなかった。何度もチェーンメールが出回る度に二人は解決してきた。本当に、頭が上がらない。僕の周りはすごい人ばかり。

 

「チェーンメールが出回り始めたのはいつからかしら?」

「確か先週末だったはずだ。なあ、結衣?」

「うん、確かにそのくらいだった」

 

ああ、分かった。分かってしまった。

 

「ああ、なるほど…」

 

思わず口に出てしまった。三人は俺の方を向き、どういうことだ?と目で訴えてくる。

 

「先週末と言ったら、職場見学の調査をした日だ。それに加えて、見学するのは三人一組。確証は無いし、そんな良い話でも無いが、多分、犯人はそこに書いてある三人のうち一人だな。隼人と組みたいが故に誰かをハブこうとしてるんだと思う」

 

四人の中から一人だけ仲間外れができる。それは、いつも仲良くしてる奴にとってはかなりきついことなのだと思う。俺は経験ないからよく分からんけど。

簡単に推理してみたが、これが一番納得がいく。ホントにくだらない動機だ。

隼人は少し表情を暗くしたが、やがて頷き、口を開く。

 

「そうか、理由は分かったけど……、あの三人がそんな事をするとは思えないな……」

「確証は無いって言ったろ?確かめる方法を一つ考えてるが、聞くか?」

 

隼人は、頼む、と言ったふうに首を縦に振った。



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同じ目には遭わせたくないから


今回から○○は○○する。以外のサブタイにもしていこうと思います。


翌日の昼休み。

俺はいつものベストプレイスや部室には行かず、教室で飯を食っていた。

隼人とつるんでいる三人の内、誰があのチェーンメールの犯人なのか確かめる方法は、少なくとも俺以外にはできない。

ぼっち故に俺はクラスの連中に聞きまわるのは無理だ。だが、だからこそ分かることもある。それは当たり前だが由比ヶ浜や隼人には実行不可能だ。

では何をするか。

単純である。ただひたすら見るのだ。会話ができないなら、いや会話ができないからこそそれ以外のところから情報を集める。

元来、人間のコミュニケーションは言語によって行われているのは三割程度だという。残りの七割は目の動きやちょっとした仕草から情報を集めているのだ。ということは雪乃とのコミュニケーションは完璧ということである。やったね。

俺の長年培ってきたスキル、『人間観察』を披露しよう。

人間観察の手順はごくごく単純だ。

イヤホンを耳に突っ込むも音楽は聞かず、ひたすら会話に耳を澄ませる。そして件のグループの面々の表情をじっと観察。以上。

今隼人と一緒にいる奴らを観察してみる。

戸部がウェイウェイ騒ぎ、大岡や大和はそのノリに合わせたりしている。普通に見れば、仲良さげなグループとしか思わないだろう。

だが、彼らを見ているとさまざまなことに気づく。

あ、あいつ今、見えないように小さく舌打ちしたな。

あいつは隣の奴が会話を始めると急に黙るな…。

つまらなそうにスマホをいじっている。あんまりこの話題に入り込んでないな。

ちょっと下ネタになると曖昧な笑顔を浮かべる。あいつは童貞だな。間違いない。

ふむ、若干の違和感だが、あいつらの関係性が読めてきたな。

だが、決定打に欠ける。あと一歩な気がするんだが……。

 

「悪い、ちょっとごめん」

 

そう言って隼人は席を立ち、俺の方へ向かってくる。そして小声で問うてきた。

 

「八幡、何か分かったかい?」

「いいや……」

 

どちらにせよ犯人に繋がるような事はまだ分からない。そう思いつつ三人の方を見ると、ちょっと意外な光景が広がっていた。

三人とも携帯をいじり、つまらなそうにしていた。そして、時折隼人のほうをちらっと見る。

 

「ほーん……」

「閃いた、みたいな顔だな」

「……ああ。謎は、全て解けた!」

 

 

 

********

 

 

 

放課後、隼人も含めて部室に集まり、俺の推理を披露することにした。

 

「まず最初に言うが、犯人が分かったわけじゃない」

 

そう言うと由比ヶ浜、隼人は共に『はあ?』みたいな表情になる。いや、うん。そんな顔になるのは分かるけどさ。

雪乃は特に表情を変えることはせず、俺に一つ質問を投げかけてきた。

 

「何がわかったの?」

「あのグループは、隼人のグループという事だ」

「は?」

 

由比ヶ浜は『こいつ何言ってんの?』みたいな

心底バカにしたような目で見てくる。顔が引き攣りそうになるのを必死に抑え、俺はなんとか言葉を継ぎ足す。

 

「隼人、お前はお前がいない時のあの三人を見たことあるか?」

「いや、ないな」

「まあ当たり前だわな。つまり、隼人は気づいていないだけだ。部外者の俺から見れば、四人でいるときはめちゃくちゃ仲良い雰囲気を醸し出してるが、三人きりのときは全然違う。簡単に言えば、あいつらにとって隼人は『友達』で、それ以外の奴は『友達の友達』なんだよ」

 

まず間違いなく、あのチェーンメールを回しだしたのは確実に三人のうち誰かだろう。職場見学の三人グループでハブられたくないから、疑われないように自分自身も含んだ三人の評価を下げる。よく良く考えればとてもくだらない事だが、うまく考えたもんだ。

ここまで来たら隼人も俺が言いたいことが分かったようだ。

 

「…なるほど、つまり根本的に解決するには、あの三人の仲を取り持つ必要があるわけか」

「そういうことだ。お前が望むなら解決することはできる。犯人を探す必要もなく、これ以上揉めることもなく、あいつらが仲良くなれるかもしれない方法がな」

 

 

 

********

 

 

 

隼人が俺の出した提案に頷き、自らの運命を決定づけた翌日。

教室の黒板には、クラスメイトの名前が羅列されていた。それらは職場見学のグループを表している。

俺は誰に声をかけるでもなく、ぼーっとその様子を眺めていた。

もしこのクラスに雪乃がいたら、迷うことなく二人は決まっていたのだが。

雪乃で思い出したが、昔からこういったグループ決めの時はいつも二人でなっていたな。俺の思い当たる理由は幾つかある。

まず、雪乃はいじめられていたから。これが一番の理由であろう。少なくとも女子は近づこうとはしなかった。

では男子はどうだったかと言えば、それは二つ目の理由に直結する。

元々雪乃がいじめられるようになった原因は、いろんな男子に何度も告白を受けたからだ。自分の好きな人が雪ノ下に告白してる、だからあいつは嫌い!みたいなしょーもない理由でいじめを受けていたわけである。

なら是が非でも近づこうと男子は寄ってくるわけだが、そこに立ちはだかるのが俺。

当時、俺は小学校全体を巻き込むとんでも騒動を起こした張本人として避けられていた。というか嫌われていた。

男子に告白を受ける雪乃は女子のヘイトを買い、俺は雪乃と一緒にいることで男子の嫉妬という名のヘイトを買う。故にふたりぼっちの状態が出来上がっていた、という訳だ。

よくあんな酷い状態で正気を保てたものだと自画自賛したい。

……いや、多分俺一人では到底耐えられなかっただろう。やはり、俺という自己を形成する根幹には、雪ノ下雪乃がいる。

あの日話しかけたから、今の俺がいる。そう考えれば感慨深いものだ。

そんな事を考えていると、ふと声がかけられた。

 

「八幡」

 

俺を下の名前で呼ぶ人は限られている。雪乃か隼人か、それとも、この間のテニスの件で親しくなり、俺を名前呼びするようになった戸塚か。

その声の主は、予想通り大天使・トツカエルだった。

やはり男子とは思えない可愛さ。雪乃がいなければ告白して振られちゃうね。振られちゃうのかよ。いや男だから当たり前か。そもそも告るのが意味不明だな。

 

「よう、どうかしたか?」

「グループ分けなんだけどさ、よかったら一緒に組まない?」

 

なんだと?他に誰でも組む相手がいそうな戸塚がこの俺と?万々歳じゃないか!天使万歳!神々万歳!!

 

「ああ、いいぞ」

「本当?ありがとう!」

 

うん、可愛い(心理)。

そんな可愛い戸塚がふと黒板を見る。それにつられて俺も視線を動かすと、今まさに見覚えのある名前を書き連ねている三人組の姿が目に入った。

 

「戸部」

「大岡」

「大和」

 

三人は名前を書いた後、互いの顔を見つめてちょっと照れくさそうに笑った。

上手くいったようだな。そう思っていると、不意に声をかけられた。

 

「八幡」

 

俺を下の名前で呼ぶ人は限られている。特に男では一人しかいない。あ、戸塚もいた。やっぱり性別は男・女・戸塚の三種類にすべきだと思う。

声の主である隼人は俺の横の席に座る。いきなり現れた思わぬ来訪者に戸塚は「え、えっと……」と呟いておろおろと俺を見る。可愛い。

 

「おかげで上手くいったよ。ありがとうな」

「俺は何もしてねえよ。決めたのはお前だし」

「…いや、八幡は俺にできないやり方をいつも提示してくれる。やっぱり凄いよ」

 

そんな素直に褒められると少し照れくさい。

彼らが揉めている原因は、そもそも『隼人と一緒のグループになりたいから』というものだ。なら、その原因を排除すればいい。

隼人がグループに入らないことを述べれば、必然的にあの三人が組むことになる。そうすれば多少なりとも仲良くなるだろう。そう踏んで俺は提案したのだが、事なきを得て正直ホッとしている。

と、そこで黙っていた戸塚が口を開く。

 

「もしかして、八幡と葉山くんって…」

「ああ、幼馴染だよ。昔から世話になってる」

「いや俺がお世話されてる」

 

お世話されてるってなんだ。自分で言っておいてわけ分からなくなり、二人も笑いだす。

ひとしきり笑って一段落したところで、隼人が切り出した。

 

「そうだ、俺、まだグループ決まってないんだけど、一緒にどう?」

「あん?いいけど、戸塚は?」

「僕も大丈夫だよ」

「じゃあ、名前を書きにいこう。場所はどうする?」

「任せる」

 

俺が言うと、戸塚もうんと頷いた。

そして、隼人が黒板に名前を書き、続いて、「行きたい職場」を書き始める。すると。

 

「あ、あーし、隼人と同じとこにするわ」

「うそ、葉山くんそこいくの?うちも変える帰るぅ!」

「あたしもそこにしようかなー」

「隼人ぱないわ。超隼人ぱないわ」

 

クラスの連中が一斉に隼人の周りに集まる。そしてあっという間に皆が隼人と同じ職場を選び、黒板の名前の場所を書き換え出した。

いつの間にか俺の名前が消え失せ、それに合わせて俺の存在感も気薄になっていく。

そんな様子を見て俺が思ったのは一つだけ。

リア充ってすげえや。

 

 

 

********

 

 

 

放課後の部室。由比ヶ浜は用事があると言って帰宅し、今日は俺と雪乃だけとなっている。

特に何かを話すこともなく、静かに時間は流れていく。

俺はこの静かな空間が好きだ。由比ヶ浜もいて騒がしいのも嫌いではないが、元来の性格的に、今のような静寂の方が心に安らぎを与えてくれる。

それが雪乃と一緒にいれば尚更のこと。

 

「チェーンメール、ね………」

 

そんな静寂を破ったのは、雪乃だった。

その言葉が耳に入り、顔を上げる。意外と近くに顔がありドキッとする。しかし、雪乃は少し苦しそうな表情を見せ、それが与太話ではないことはすぐに理解出来た。

俺はこの表情の雪乃を見た事がある。小学生の頃に、『なぜ私を助けるの?』と言ったときと同じだ。俺に対し、思うことがあるのか。

 

「あなたがチェーンメールの被害に遭っていた時、私はとても心苦しかった。私と関わってしまったばっかりに、必要のない被害を被るあなたといて、ずっと申し訳ない気持ちでいっぱいだったわ」

「いつの話だよ。そんな昔のこと…」

「でも、傷ついてしまったのは事実でしょう?」

 

……確かに、俺はあの頃のトラウマによって、人を信じることが出来なくなってしまった。見えない悪意によって陥れられ、失意のどん底に落ちた俺は、もう家族や極々近しい人しか頼ることが出来ずにいた。

 

「でも、私にはあなたしかいなかった。あなたしか信頼できる人がいなかった。私の身勝手な考えに、あなたを巻き込んでしまった」

 

そしてそれは雪乃とて同じ。俺は雪乃に依存し、雪乃は俺に依存する。共依存と言われても仕方のない関係を続けていた。

そんな関係を、雪乃は俺が我慢していると思っていた。自らが傷つくのを耐えて接していると思っていた。

だが、それは違う。俺はそれを否定する。そんな薄っぺらい関係は、欺瞞だ。偽物だ。反吐が出る。

 

「……身勝手なのはお互い様だ。俺はお前の人生に足を突っ込み、関わりを持った。それこそお前が本来持つ必要のなかった関係だ。俺が関わりたいっていう身勝手な考えでお前と接してるんだ。嫌なら拒絶したって構わない」

「そんなこと……!」

「だったらこの話はやめだ。いいか、過去がどうあれ、俺はお前と出会って後悔したことはない。それは未来永劫変わることはない」

 

雪乃と出会い、かけがえのないものをたくさん手に入れた。生涯の宝になるであろう物。それには、ある感情だって含まれる。

外見だけじゃない。中身も全て知り、雪ノ下雪乃がどういった存在なのかを理解し尽くした上で見つけた、たった一つの感情。

 

「もう遠慮なんてすんな。俺はお前を知った上で関わってんだ。何しようが気にしねえよ」

 

俺は遠慮するけどな。

俺だって、雪乃が傷つくのは見てられない。耐えられない。

小学三年生の時、初めて出会った時の虚ろな眼。あんな目をもう一度見るなんてことしたくない。絶対にあの目にはさせたくない。

だからこそなのだ。

俺のチェーンメールの件は既に終わり、終息した事だが、雪乃に関しては現在進行形。故に、俺は一歩引かなければならない。それが俺にとって安心出来る距離感であり、俺たち二人の関係性。

 

「…そうね。ごめんなさい、八幡。それと、ありがとう。お陰で吹っ切れたわ」

「そりゃよかった」

 

でもいつか、周りの目という壁が排除された時は、想いを告げてみようか。

そう考えれば、俺はいつになく笑うことができる気がする。




ちょくちょく登場する過去の話。どこかのタイミングで過去編として投稿しようと思います。


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やはり雪ノ下雪乃は可愛い


すっげえ遅れました。次話は今日中に出します。


中間試験が目前まで迫っていた。

高校生の勉強する場所といえばファミレスか図書館だったりする場合が多いが、高校生は夜十一時以降は補導されかねない。

なので、夜の勉強は家でやることになる。ちなみに「夜のプロレス」的な意味での夜ではない。

時計の針が十二時近くを指していた。俺は軽く伸びをし、隣を見やる。そこには、本来この時間帯にここにいるべきではない異質な存在がいる。

雪ノ下雪乃。我が幼馴染にして、なぜか俺の家で勉強をして寝泊まりをすると言って聞かない可愛い奴である。

おかげで勉強は捗るのだが、いかんせん数時間隣からいい匂いがし続け、精神的にヤバいものがあった。もちろん悪い意味ではない。

女子の髪の匂いってなんで皆いい匂いなのだろうか。嗅いだことあるの雪乃と小町くらいだけど。

 

「俺はコーヒー飲みにいくけど、雪乃は寝とくか?」

「……ううん、私も行くわ」

 

随分と眠たそうだ。そりゃ普段規則正しい生活を送っている雪乃は、この時間帯まで起きることはまずない。寝させた方がいいとは思うが、本人の希望なら仕方ない。

というか、眠気でいつも学校出見せているクールな雰囲気が微塵も感じられない。普段は「ううん」なんて可愛らしい言葉は使わない。

やはりそういった眠気覚ましに有効なのはコーヒーである。それに勉強のように脳を酷使する場合は糖分の補給が必要不可欠だ。すなわち、MAXコーヒーの出番なのだ。

それにしても、カフェインが入っていて、しかもミルクたっぷりで甘いとかMAXコーヒーは擬人化したらさぞエロかろう。まず間違いなく巨乳だ。「今夜は寝かせないゾ☆」とか言い出しそう。……なんだろ、もの凄い寒気が背後からしたような。

そんなMAXコーヒーのあれこれを考えながら、雪乃と共にリビングへ向かうと、妹の小町がソファでぐーすか寝ていた。

……こいつもそろそろ中間試験のはずなのだが。相変わらず肝の太い妹だ。

 

「逞しいわね」

「そーだな」

 

雪乃を座らせ、適当に相槌を打ちながら買い置きのMAXコーヒーをごそごそと捜す。しかし、ついこの間ひと箱空けてしまったのを思い出し、俺は仕方なくお湯を沸かす。

湯沸かしポットに水をぶち込み、そのまま後ろのスイッチをカチリと押し上げた。湯が沸くまでの手持ち無沙汰な時間、雪乃の隣に座って小町を見る。

小町は大胆にも腹を出して寝ていた。

こいつ、勝手に俺のTシャツを着てやがる。しかも小町が丸まってるせいで気づかなかったが、なんでこいつ下着姿なんだ。風邪引くぞ。

これにはさすがの雪乃も苦笑い。こんなだらしない妹でごめんなさい。俺もだらしないからおあいこだ。

そうこうしているうちに、こぽこぽと音を立ててお湯が沸き始め、カチッと湯沸かし完了を告げた。

二人分のマグカップにインスタントコーヒーをぶち込み、そこにお湯を注ぎ込む。片方には濃いめのコーヒーに牛乳と砂糖をたっぷり加え、ティースプーンで四回ほど回す。俺好みの甘々コーヒーの出来上がりだ。もう片方は牛乳、砂糖は控えめで、雪乃好みの少し苦めのコーヒーへと様変わりした。

すると、小町がすんすんと匂いを嗅ぎつけたのか、ガバッと跳ね起きた。

まず、俺を見て二秒停止。次にシャッターとカーテンを開け三秒停止。そして、目を見開いて時計を見て五秒停止。十秒かけて現状を把握したようだ。

それからすうっと大きく息を吸うと、

 

「しまったぁ!寝すぎ……」

 

勢いに任せて叫ぶことはなかった。

小町は雪乃を見て十秒停止。その目には驚愕の感情が見て取れる。

 

「!!!???ななななんで雪乃さんが!?」

「こんばんは小町さん。今日は八幡と一緒に勉強していたの」

「夜の!?」

「なにとんでもないこと言い出してんだこのバカ!」

 

繰り返し言うが、決して「夜のプロレス」的な意味での勉強ではない。そもそも雪乃はそういったものは知らない。はず。そう信じたい。

 

「試験勉強だよ。今は休憩に下りてきたんだ」

 

俺が答えると、小町はへぇと驚く。

 

「休憩ってことはまだやるつもりなんだ。……お兄ちゃんさ、あれだよ、働き始めたら絶対ビジネスライクな人間になるよ」

「おい、ビジネスライクって仕事好きって意味じゃねえぞ。お前英語苦手すぎだろ」

「やだなー、お兄ちゃん。小町英語超得意だから。天才だから。アイ・アム・テンサイ」

 

とても天才とは思えない英語力。ジーニアスっつう単語も知らんのか、こいつは。

チーンとレンジが音を立てた。小町はマグカップを両手で持ち、ふぅふぅと冷ましながらこちらへ歩いてくる。

 

「じゃさ、皆で一緒に勉強しようよ。どうせやることは同じだし」

「あん?別に俺はいいけど……」

 

その時、ぱふんと膝に軽い衝撃を覚える。

何事かと下を見ると、雪乃がすぅすぅ可愛い寝息を立てて寝始めていた。やはり睡魔には耐えられなかったか。

 

「……こういうわけだから、コーヒー飲んだら寝るわ。お前も早めに寝とけよ」

「了解であります!お兄ちゃんも雪乃さんが寝てるからって襲わないでね?」

 

こんのガキ…。

 

「俺がそういうのが嫌いってのはお前が一番知ってるだろ。ったく……」

「ごめんごめん、お兄ちゃんって変に真面目だからね。それじゃ、おやすみー」

「あいよ、おやすみ」

 

身体的、精神的双方で雪乃が傷つくのは俺がこの世で最も嫌う。それは、十五年も俺の妹をしている小町が一番理解している。まあさっきのはただ茶化してるだけだったから別にいいんだけどな。

とりあえず俺のベッドまで連れていき、布団をかぶせてやる。すやすやと幸せそうな寝顔を見ていると、こっちの頬も緩んでしまう。

昔はよく一緒に寝たものだが、流石にこの歳ではそれは憚られる。そこら辺の床で寝るか。

 

「おやすみ、雪乃」

 

そう言った俺の表情は、いつになく穏やかだったと思う。

 

 

 

********

 

 

 

翌日。

やはり床で寝るというのは身体に負担がかかる。腰やらなんやらに痛みが走るし、それに寝不足ぎみだ。

雪乃は謝っていたが、もちろん彼女のせいではない。むしろベッドに入ろうとしなかった俺がヘタレなのがいけなかったわけで。

一限の現国は危なかった。多分平塚先生じゃなかったら間違いなく夢の国へレッツゴーしていた。

そんなわけで休み時間にうつらうつらしていると、ガラッと教室前方の扉が開かれた。その音に俺は思わずビクッとなってそちらを凝視してしまう。

 

「おや、重役出勤かね?川崎沙希」

 

見れば、青みがかった黒髪をポニーテールに纏め、由比ヶ浜や三浦とはまた違った雰囲気を醸し出す女子が入ってきた。

苦笑いしながら問いかけた平塚先生に川崎はぺこりと頭を下げ、そのまま自分の机に向かっていく。

印象的なのは遠くを見つめるような覇気のない瞳だ。

その少女はどこかで見覚えがあった。同じクラスだから見覚えくらいあって当たり前だが。

よーく考えると、ついこの間の出来事が思い出される。ああ、あの時の女子か。同じクラスだったとは。

たまには部室やベストプレイスとは違う場所で飯を食おうと思って屋上に行った時、この川崎がいたのだ。

俺の持っていた職場見学希望調査票が風で飛ばされそうになった時、取って渡してくれたんだっけ。

ふむ、今絶賛『話しかけんなオーラ』を醸し出しているものの、悪い奴ではないのだろう。

まあ、俺には関係ないか。

 

 

 

********

 

 

 

複合商業施設マリンピア。そこのカフェで奉仕部の俺たちは勉強会を開いている。

カフェに行く前に書店に寄ろうと思い、二人には先に行くように言っておく。

棚を眺め、本を一冊購入。千円札が消え失せ、財布の中には小銭がちゃりちゃりしている。

雪乃と由比ヶ浜はどこにいるかとキョロキョロしていると、見知った顔を見つけた。

ジャージ姿の戸塚がショーケースのケーキとにらめっこしている。ちなみにうちの学校は制服とジャージ、どちらで登校してもよい。

 

「じゃあ次はゆきのんが問題出す番ね」

 

雪乃と由比ヶ浜はレジに並んでいる待ち時間も無駄にせず、試験勉強に励んでいた。

 

「では国語から出題。次の慣用句の続きを述べよ。『風が吹けば』」

「……京葉線が止まる?」

 

ただの千葉県横断ウルトラクイズだった。しかも由比ヶ浜、答え間違ってるし。『風が吹けば桶屋が儲かる』が正しい。

この間違いはさすがの雪乃も顔を曇らせる。

 

「不正解……。では、次の問題。地理より出題。『千葉県の名産を二つ答えよ』」

 

由比ヶ浜は真剣な表情でごくりと息を飲み、

 

「みそピーと、……ゆでピー?」

「落花生しかねぇのかこの県は」

「うわぁ!…なんだ、ヒッキーか。びっくりした……」

 

しまった。俺の千葉県への愛ゆえに思わず突っ込んでしまった。

由比ヶ浜の大袈裟なリアクションで戸塚がこちらに振り向いた。そして晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。

 

「八幡っ!八幡も来てたんだね!」

「おう、戸塚も勉強か」

 

まさか戸塚までいるとは思わなかった。そのお陰でクソ長いレジに並んでしまったが気分は上々。テンアゲ!

 

「それにしてもさっきのはサービス問題だろ。お前は試験勉強の前に千葉県について勉強し直せ」

「サービス問題って…。じゃあヒッキー答えてよ」

 

由比ヶ浜は挑発するように問うてきた。いや、お前が自慢気にされても困るんですけど…。

 

「正解は『千葉の名物、祭りと踊り』だ」

「『千葉音頭』なんて誰も知らないでしょう……」

 

流石に雪乃は知っていたか。昔から一緒に祭りに行ってたわけだし、そりゃ覚えてしまう。

そうこうしているうちにレジの順番は巡り、次が俺たちの番だ。

 

「ヒッキー、奢ってー♪」

「ああ?別にいいけど……。何飲む?ガムシロ?」

「あたしはカブトムシかっ!」

 

芸人ばりのツッコミだった。というか俺が由比ヶ浜に奢る理由がない。俺たちのやりとりをみて、雪乃は俺に一つ聞いてきた。

 

「八幡、お金は持ってるの?さっき書店に行ってたけど…」

「あん?そりゃあ……」

 

財布の中をまさぐる。無い。札は一枚もないし、小銭はどの商品も買えるほど入っていなかった。

 

「由比ヶ浜、奢ってくれ」

「……屑」

 

心底蔑まれた目で見られながらポツリと言われた。うわ、結構心にきた。

 

「ヒッキーはガムシロでも飲めば?」

 

ひでぇ。注文してから金が無いことに気づいたならまだしも。や、俺も似たようなことやったからどっこいどっこいですね。本当に心の底からごめんなさい。

 

「私が代わりに注文するわ。何飲みたい?」

「女神様っ!ありがとうございますっ!」

 

やはり雪乃は女神だった。こんな俺に嫌な顔一つせず奢ると言ってくれたんだぞ?神様以外になんて言えばいい?

もちろん罪悪感もあるので今日帰ったらちゃんとお金は返します。

四人ともトレーを持ち、空いてる席はないか探す。

ちょうど四人席が空いたので、そこに滑り込んだ。

早速始めようかと勉強道具を机に出そうとしたところで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「あ、お兄ちゃんだ。おーい、お兄ちゃーん!」

 

その声の主は俺の妹、比企谷小町だった。




そろそろ八雪要素を増やしたい。けれど文章力が……。


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雪ノ下雪乃の怒る理由。


遅れました本当にごめんなさいもう少し努力します


「お前、ここで何してんの?」

「や、大志君から相談を受けてて」

 

小町はそう言って隣を見る。そこには学ラン姿の中学生男子が立っていた。そいつは俺たちにぺこりと一礼する。

 

「八幡の妹さん?初めまして、クラスメイトの戸塚彩加です」

「あ、これはご丁寧にどうもー。うはー可愛い人ですねー、ね、お兄ちゃん?」

「ん?ああ、男だけどな」

「ははー、またまた御冗談を。何言ってんのこの愚兄」

「あ、うん。ぼく、男の子、です……」

 

そう言って戸塚は恥じらうように頬を染めて顔を背ける。……あれ、本当に男だっけ、こいつ?

 

「え……ほんとに?」

「ちょっと自信なくなってきたが、多分男だ」

「そ、そうなんだ……」

 

小町は半信半疑の表情で戸塚の顔をじろじろと眺める。「まつ毛長ーい、肌きれーい」とか言う度に戸塚は視線から逃れようと真っ赤な顔で身じろぎした。

戸塚の「た、助けて……」というアイコンタクトを受け取って小町を引き離す。

 

「もうその辺でいいだろ。それと、こいつが由比ヶ浜。あの時の犬の飼い主……って、会ったことあるか」

「あの時の………あっ、お菓子の人!」

 

そのお菓子の人はいつも通り「やっはろー!」と挨拶をする。

ていうか名前じゃなくてそんな代名詞で覚えられていたんだな、由比ヶ浜。ちょっと不憫に思える。

俺が入院した時に菓子折を持ってウチに来たらしいが……その菓子、俺食べてないんだけど?小町さん?

ジト目で小町のことを見ると、サッと視線を逸らされ、コホンと咳払いをする。

 

「そうそう、お兄ちゃん奉仕部なんでしょ?よかったら相談乗ってよ」

「ああ?なんで俺が……」

「まあまあ、とりあえず話だけでもさ」

 

いや、確かに面倒って意味もあるが、一応この大志君への配慮でもある。知り合いが小町しかいないこの状況では滅茶苦茶居づらいだろう。いや、ホント知り合いの知り合いとかそういう立ち位置で変なところへ連れていかれるとホント困る。中学時代のあの悪友、俺がそういうの苦手なのを知りながらバンバン連れていったからな。あいつは将来絶対悪女になる。

そんなさり気ない気配りも虚しく、大志はおずおずと話し始める。何とか話しかけようと頑張った大志はなかなかコミュ力が高い。将来有望な男だと言っていいだろう。

 

「あの、川崎大志っす。姉ちゃんが総武高の二年で……、あ、姉ちゃんの名前、川崎沙希っていうんすけど。姉ちゃんが不良っていうか、悪くなったっていうか……」

 

ごく最近その名前を聞いた覚えがある。

……そうだ、確か今日の一限の休み時間に遅刻してきた奴だ。

 

「うちのクラスの川崎沙希か」

「あー。川崎さんでしょ?ちょっと不良っぽいっていうか少し怖い系っていうか」

 

雪乃は知らないようだが、流石に由比ヶ浜は同じクラスなだけあって認知はしているようだった。

 

「川崎さんが誰かと仲良くしているところって見たことないなぁ……いつもぼーっと外見てる気がする」

「……ああ、確かにそうだな」

 

今日の川崎の姿が思い出される。あの瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。少なくとも、その視線は教室には注がれていなかった。

 

「お姉さんが不良化したのはいつぐらいかしら」

「は、はいっ!」

 

出し抜けに雪乃に話しかけられ大志はビクッと反応する。そりゃ俺の知る限り一番の美少女である雪乃に話しかけられれば緊張する。歳上なら尚更だ。今の俺だから慣れてはいるが、中学生男子はこれが普通だろう。

 

「え、えっと、姉ちゃん、中学の時はすげえ真面目だったんです。それに、わりと優しかったし、よく飯とか作ってくれたんす。高一ん時も、そんなに変わんなくて……。変わったのは最近なんすよ。家族会議をしようにも、両親とも共働きで、下に弟と妹もいるから、中々難しいというか……」

 

つまり、家族…内部から川崎沙希の素行を直すのはほぼほぼ不可能というわけだ。小町に相談を持ちかけたことからもそれが窺える。

外部から理由を問いただそうにも親しい人はいない。八方塞がりと言っていいかもしれない。

 

「この前も、『エンジェルなんたら』ってところから家に電話がかかってきて……」

「そういえば、遅くに帰ってくるって、どのくらいの時間帯なの?あたしも遅くに帰ってきてママに怒られることあるけど」

「五時くらいっす」

「朝じゃん……」

 

エンジェルなんたらから電話がかかってきて、五時くらいに帰ってくる。……うん。

 

「年齢を詐称してバイトをしている可能性が高いわね」

「だな。だが、理由が分からん」

 

そもそも、大志が言っていたとおり、総武高に入学できるという事はそこそこ真面目だというわけだ。つまり、遊びたいからという理由でバイトをしているとは思えない。それに、遊ぶだけならわざわざ年齢を詐称して夜遅くまでバイトをする必要性もない。

少しずつ絞り込んでいけ。こういう人の心理に関しては俺の得意分野のハズだ。

まず大志の塾代。それは今通えているのだから問題は無い。だったら何が……。

…いや、違う。総武高校は進学校だ。専業主夫になるという夢を持つ俺も含め、大半の生徒が進学を希望している。それは恐らく、川崎も例外でない。

学費だ。高校受験を控えた中学三年である大志と、来年の大学受験までまだ時間がある川崎沙希。どちらに金を使わせるか、それを考えれば漠然とだが答えは見えてくる。

進学をするならば、当然塾に行くだろう。でもその学費も大志のために使ってほしいと。せめて自分の予備校代は自分で賄う為に年齢を詐称してまで金を稼いでいる。もしかしたら、その後の事まで見越しているのかもしれない。

となると、やはり千葉の兄弟愛は素晴らしい。俺は自他共に認めるシスコンだと自分で思っているが、川崎沙希も相当なブラコンだろう。もちろん、確証は無いが。

 

「……とまあ、ここまでが俺の推理なわけだが」

 

思わず、この場にいる誰もが感嘆の息を漏らす。

 

「す、すごいね八幡…」

「想像だったりは得意だからな。だが川崎の事を詳しく知らない以上、この推理があっていたとしてもそこからどうすればいいのかは知らん。やめさせたところで、だ」

「あー、確かに。やめさせるだけだと、今度は違う店で働き始めるかも」

「でもまずはその店の特定が必要ね」

 

ぶっちゃけテスト期間だしあまりやりたくないのが本音なのだが、「お兄ちゃん?」と小町のニコニコ顔を見せつけられれば、逆らうことが出来なくなってしまう。くそ、こんな俺が恨めしい!

 

「すんません、よろしくお願いします!」

 

大志は高速でお辞儀をした。

 

 

 

********

 

 

 

時刻は午後八時二十分。

俺は待ち合わせ場所である海浜幕張駅前の尖ったモニュメント、「通称・変な尖ったやつ」に寄りかかる。

これから向かうのは千葉有数の高級ホテル、ロイヤルオークラ。そしてその最上階に位置するバー、『エンジェルラダー天使の階』。

深夜まで営業し、尚且つエンジェルと名前がつく店はここと、メイド喫茶しかない。

なんというか、あの川崎がメイド喫茶で「萌え萌えキュン!」みたいな事をするとは到底思えないので、こっちから調査しようと思ったわけだが。

雪乃調べによると、そこはどうもドレスコードがなければ入れない場所らしく、生憎だが由比ヶ浜はそれらしき服を持ち合わせていなかった。

なので、俺と雪乃二人で調査することに。由比ヶ浜が楽しんできてねーと言ったのは、高級バーを楽しむという意味だと願いたい。

俺は親父のスーツを借りて、髪の毛やらなんやら色々をセットしてもらっていた。コーディネート・バイ・コマチヒキガヤ。

取り敢えずそれっぽい雰囲気を醸し出せる感じにセットしてもらった訳だが、まあ割と様になってるのではなかろうか。

ついでに、「メガネかければその腐った目も多少はマシに見えるよ!」と言われてかけた伊達メガネ。あの、笑顔で腐ってるって言われたらちょっと凹む……。

 

「お待たせ、八幡」

 

小町に嫌われることしたのかな…とナイーブな気持ちになっていると、ふと透き通るような綺麗な声がかけられた。

振り向いた瞬間、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る。

白く美しい肌を引き立てる漆黒のドレスに、膝丈よりも上のフレアスカートは脚の長さを存分に見せつけてくる。

髪を纏めているシュシュは、この前の誕生日にプレゼントしたものだ。

ただただ美しい。その一言に限る。薄く化粧をしているのか、いつもより更に大人びた雰囲気を見せる彼女は、俺のハートに良い意味でダメージを与えるに充分な要素だった。

 

「……やっぱなんでも似合うな、お前」

「八幡も充分に素敵よ。にデキる大人みたいね」

 

そんな微笑みを向けられましても。

素直に褒められたのが妙に小っ恥ずかしくなり、プイっと顔を背ける。

 

「照れてるの?ふふっ……」

「うっせ。と、とにかく行こうぜ」

 

この場でこれ以上いるのは俺の心臓が持たない。それに、なんというか………、この雪乃の姿を、あまり他の奴らに見られたくもない。

二人でいるのは心地いいが、今回はあくまで仕事のため。理性の化け物には引っ込んでもらおう。

 

「タクシーを呼んであるから、それで行きましょう」

「あ、ああ」

 

タクシーに揺られること十数分。あっという間に目的地のホテルへ到着したわけだが。

 

「でけぇ…」

 

建物を照らす淡い光まで高級感を漂わせている。明らかに一介の高校生が立ち入っていい場所ではない。

それでも雪乃に連れられながら中に入ると、足元の感触がもう違う。モフモフ。

客の中にはちらほらと外国人も見受けられる。やべえ、幕張都会すぎる。

 

「さあ、行きましょう」

 

雪乃がエレベーターのボタンを押し、扉が音もなく開かれる。

エレベーターはガラス張りで、東京湾が見渡せるようになっている。

すげえなあ、今見えてる光は全部社畜の光かぁ…、とこの先の人生に半ば絶望していると、そっと手が温もりに包まれる。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。あなたはあなたらしく居ればいいから」

「………ああ」

 

安心するな、この手の温もり。今回の件以外にも、今まで感じていた焦燥感やら何やらが和らぐ気がする。

俺らしく、か。ま、一応大人っぽい仕草くらいは演じてみてもいいかもしれない。

 

あっという間に最上階につき、エレベーターが開かれる。

そこに広がっていたのは、やはりこのホテルと同じく、俺ごときが普段立ち入っていい場所ではない高級感あふれるバー。

そしてその奥に見える一人のバーテンダー。青みがかった黒髪が特徴の女子。川崎沙希だ。

 

「よう、川崎」

 

そのバーテンダーの名前を呼ぶと、彼女は驚いた表情を見せた。

 

「……雪ノ下雪乃」

 

あっれぇー?俺が話しかけたのに?なんで無視するのぉ!?もしかして、名前覚えられてない?同じクラスなのに?いや、俺も覚えてなかったから同じか、うん。

まあ、こんな目の腐った俺よりも有名人である雪乃の方がパッと見の印象には残るか。仕方ないな、うん。

 

「ここはあんたらが来るような場所じゃないんだけど。もしかして、そんなのとデートしてるの?」

 

声には必要以上の敵意、そして幾何かの嘲笑が混じっている。言うなれば、侮辱。

流石にそんなの呼ばわりされてカチンとは来たものの、ここは大人の対応をしなければなるまい。ここで騒ぎを起こせば、面倒なことになるのは目に見えてる。

だが、雪乃は違った。俺を除け者扱いした事が頭にきたらしい。

 

「……川崎さん。口にしていい事と悪い事があるの、知らないのかしら?八幡の事を何も知らないのに、それ以上侮辱するのならーー」

 

ーー潰す。そう言葉にこそしなかったが、明らかに雪乃は川崎の事を敵視した。いや、最早殺意を込めていると言っていい。

かつての三浦に向けた目と同じ目だ。流石の川崎もそれに気圧され、たじろぐ。

 

「………ご注文は」

 

とはいえ、今は客とバーテンダーの関係。それを川崎も弁えている。

 

「私にはペリエで」

「ああ…じゃあ、俺はジンジャーエールで」

「かしこまりました」

 

そう言ってサッとドリンクを準備する。その間、俺たちは終始無言のままだった。

ちなみにジンジャーエールは誰しもが知っているだろうが、ペリエとはヨーロッパでポピュラーな炭酸水のことである。とても人気らしい(雪乃談)。

 

「それで、あたしに一体なんの用?」

 

二人分のグラスを置き、川崎が問いかける。どうやら、話を聞く姿勢にはなったようだ。

 

「単刀直入に言うわ。あなたの弟である川崎大志くんから依頼があったの。帰りが遅くて心配だ、とね」

「……まさか、そのためだけにここまで来たの?」

「ええ。ついでに、年齢を詐称してまでアルバイトをする理由もね」

 

少し声を大きくして雪乃は言った。他の人にも聞こえるように言ったのは、恐らく言質を取るため。バイトを辞めさせやすくするためか。

 

「どうして夜遅くまで、いや朝方までバイトをしているのか、理由を推察してきたんだが、聞くか?」

「…………」

 

無言は肯定の意として、俺は話し始める。

高校受験を控えた中学三年生と、高校二年生。どちらを優先すべきか。

大志の塾代はクリアしているが、川崎自身の学費の問題がある。

大学へ行くための予備校代や、その後の大学費。それを稼ぐためにバイトをしているのではないかと。少しでも親の負担を減らそうとしているのではないかと、そう説明した。

掻い摘んで話したが、川崎の反応からして俺の予想は合っていたと言えよう。

本来、他人の家族の問題にとやかく言うのは気が引けるが、これだけは言っておかなくてはなるまい。

 

「だからと言って法律を破ってまでする必要はない。どの道親に迷惑かけてんのは分かるだろ?何も説明しないのが常に正しいわけじゃない」

「……ホント、よくそこまで頭が回るね。あんた、頭いいの?」

「こんな身なりでも学年二位だ。ちなみに一位は隣の雪乃」

 

川崎はふーん、と興味無さげに相槌を打つ。いや自分から聞いといて。

 

「二年生になるまでは真面目だったと聞いていたのだけれど、塾のスカラシップを狙おうとは思わなかったの?総武高に入学できるくらいの学力はあるんでしょう?」

「………スカラシップ?」

 

え、この反応ってもしかしてスカラシップの事知らなかったの?うそーん、そりゃ金を稼ごうと思うわけだ。

と言っても、前面に出してスカラシップを推奨しているところは少ないし、知らない奴は知らないだろうな。因みに俺も知ったのがついさっきだったりする。だから人のことは言えない。

 

「簡単に言えば奨学金。成績優秀者は予備校などの入学金や授業料を免除できる制度のことよ」

「……知らなかった」

 

俺たちは川崎の行く道を提示した。あとは川崎がそれを選ぶかどうか。ま、考えるまでもないか。

これ以上家庭の事情に深く探りを入れるのは気が引ける。ここはそそくさと退散しよう。

 

「帰りましょ、八幡」

「ああ。じゃあな、川崎」

「………またのお越しを」

 

もうここに来ることはないだろう。俺たちも、そして川崎も。



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三巻分
比企谷八幡は、デートへと洒落込む。



そろそろ八雪成分を濃くしたいところ。
小町は雪乃の事を姉のように慕うので「雪姉」と呼称することにします。


一週間のうちで最強の曜日は土曜日だ。休日でありながら次の日も休みなんて、超サイヤ人のバーゲンセールみたいなもんだ。

試験も終わり、明日はその素晴らしい土曜日がやってくる。ああ、女神様!なぜ毎日が土曜日じゃないのですか!

明日は昼まで惰眠を貪ってやる!そう固く決意したその時、チラシをチェックしていた小町が叫びに近い大きな声を上げた。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん!やばいよお兄ちゃん!!」

「なになにどしたの。お兄ちゃんちょっとテスト明けで疲れてるんだけど」

「そんなのどうでもいいからこれ見て!」

 

いやどうでもいいって……。これでも学年二位なんですよ?雪乃に触発されてそれなりに頑張ってるんだからそんなこと言わないで?

そんな恨み言を心の中で連ねながら、小町が高々と掲げているチラシを手に取る。そこに書かれているのは、『東京わんにゃんショー』が明日開催されるという内容だった。

 

「おお、そういや明日か」

「そうだよ!これはもう行くしかないよ!」

 

東京わんにゃんショーとは、簡単に言えば犬や猫といったペットの展示即売会だ。それ以外にもちょっと珍しい動物の展示もあったりしてなかなか楽しい。

東京と名がついているが、会場は幕張メッセ。つまり千葉である。東京ディステニィーランドもそうだが、なぜ千葉なのに東京なのだろう。なに、皆そんなに千葉嫌いなの?泣くよ?

ちなみにこのイベントには、毎回兄妹二人で行っている。

我が家の飼い猫、カマクラと出会ったのもこの場所。小町が飼いたいと言ったので即決だった。その為だけに休日出勤させられた親父が不憫で仕方ない。

……確か、小町と雪乃が初めて会ったのもここだったか。無類の猫好きである雪乃に誘われ、小町と引き合わせたら見事に意気投合。雪乃は小町のことを妹のように可愛がり、小町は雪乃を姉のように慕うように。いつも二人で何か企んでるのではないかと恐れを抱いてしまう。

 

「まあ、行くけど今年は…」

「雪姉と行くんでしょ?だから別行動ね」

「ねぇなんで知ってるの?さっき約束したばっかなのになんでもう情報漏洩してるの?」

 

久しぶりに一緒に行かないかとつい先程LINEが来たのだが、かの団長よりも速い手腕で『行きます。行かせていただきます』と返信。速すぎて引かれないかと若干ヒヤヒヤしている。

そんなことはどうでもいいのだが、やっぱ二人が裏で繋がってるのだろうか。滅茶苦茶怖いんだけど?

 

「ふふん、お兄ちゃんのことは世界で二番目、雪姉の次に知ってる小町だよ?行動パターンくらい分かって当然なのです!」

「一番目は雪乃かよ…」

 

や、確かに昔から平日休日構わず基本的に一緒だったからな。一番目かどうかはともかく俺のことを熟知しているのは間違いないとは思う。

でも母ちゃんと親父……。小町はともかく雪乃よりも順位低いって相当やばいだろ。あれ?俺愛されてない?

 

「ささ、今日は早く寝て明日に備えて!お金は後で小町がお母さんから貰っとくから」

「あ、ああ」

 

うん?なんでこいつがこんなに躍起になってるんだ?またよからぬ事を企んでるんじゃないだろうな……。

 

 

 

********

 

 

 

マジかよ。小町さんマジかよ。

夜が明け、東京わんにゃんショーの当日。俺がリビングに降り、最初に目にしたのは机の上に置かれた諭吉さん三枚。……どうやったらこんだけの金をぶんどれるの?母ちゃんも母ちゃんで小町に甘すぎない?いつも俺には手厳しいのに!

 

「あ、お兄ちゃんおはよー。ちゃんとお金貰っといたよ」

「お、おお……」

 

俺が唖然としてると、母親が泥人形テイストで寝室から這い出てきた。ボサ髪でずり落ちたメガネ、その下には消えそうにない隈を刻みつけている。……キャリアウーマンって大変だな。

 

「あんた、今日デートに行くんだって?」

「ぶふっ!?」

 

小町さん?あなたお母さんになんて言ったの?俺がキッと小町の方を振り返ると、物凄いニコニコ顔が目に入ってきた。そんな顔すんな。ほっぺグリグリすんぞ。

 

「や、デートっつーか、まぁ、その……」

「これだけ出したんだから、ちゃんと雪乃ちゃんを喜ばせなさいよ?」

「……はい」

 

なんか外堀埋められていってない?気のせい?

まあいいや。小町に言われたとはいえ、こんな大金を出してくれた母ちゃんにマジ感謝。行ってまいります!

 

 

 

 

 

 

家から「東京わんにゃんショー」の会場である幕張メッセまではバスで十五分ほどだ。東京と名がつくからって東京ビッグサイトに行ってはいけない。

バスから降り、待ち合わせ場所に向かう。

初夏の暑さも相まって、既に帰りたい気分満々である。とはいえ、流石にバイトと違ってバックれるわけには行かない。雪乃との約束を破ったことは一度たりともないのだ。

 

「八幡、こっち」

 

この暑さの中でも透明感のある声が耳に届く。声のした方へ向くと、いつものストレートとは違い、ツインテールの形に髪を結わえた雪乃が小走りでやってきた。

軽く羽織った四分丈程度のクリーム色したカーディガン、ふんわりとした清楚なワンピースは胸よりやや下あたりがリボンで絞られ、学校とは違って柔らかな印象を与える。

 

「よう」

「おはよう。さ、行きましょ」

 

雪乃は早く猫を見たいのか、いつもよりテンションが高い。目も若干キラキラしている気がするし、こんな彼女を見るのはかなり久しぶりだ。可愛い。

会場内は人でごった返ししており、その熱気も相まって外以上に暑苦しい。人混みが得意ではない雪乃にとっては少しきつかろう。

さて、どうするべきか悩んでいた時、スマホのバイブが鳴った。取り出して確認してみると、新着メッセージの欄に小町からのメールが届いていた。

 

『雪姉とイチャイチャしまくってください。あ、雪姉の可愛い写真もちゃんと撮ってね!』

 

何を企んでるのか知らないが、一つだけ言えることは、こいつはとんでもない悪女だ。

小町とくっつく将来の男が心配になってきたぞ。いや、嫁にでるなんてお兄ちゃん許しませんよ!

などと心の中で誓いを立てたものの、一番悲しむのは親父なんだろうなぁ…。

そんなクソどうでもいい考えを頭の中で払拭していると、ふと右手に違和感が。見てみると、雪乃が俺の手を握っていた。ふえぇ……、さりげなく握ってくるし、ひんやりしてて気持ちいい。雪乃は、クスクス笑いながら言う。

 

「初めて二人で言った時は、はぐれてしまったのよね」

「ああ、そういやそうだったな。俺が見つけた時お前、わんわん泣いてたよな」

「そ、そのことは忘れて……」

 

みるみるうちに顔を赤くする雪乃。忘れるわけないんだよなぁ、今でも鮮明に覚えてる。泣いてる姿がめちゃくちゃ可愛かった。これからも忘れないように心のフォルダにロックを掛けておこう。

 

そろそろ猫エリアに差しかかろうとした時、雪乃はビタっと時が止まったかのように動かなくなった。先を歩いていた俺は腕を引っ張られるような形になり、少しバランスを崩した。別に体力が無くなった訳でもなさそうだし……。

 

「お、おお、どした」

「八幡………」

 

雪乃の視線の先を追うと、そこは犬エリア。猫エリアに行くにはここの横を通らなければならないっぽい。

よく見るとめちゃくちゃ怯えてるな。ホント、なんでこんなに犬が嫌いなんだろ?我が家のペットが猫で助かりました。

仕方なく俺が盾となって猫エリアに進む。それほど距離がある訳でもないが、雪乃のSAN値がゴリゴリ削れているのが目に見えて分かる。

時折犬の鳴き声がするたび「ひっ!」と可愛らしい悲鳴を上げるとともに肩を震わせ、俺と繋いでる手をぎゅっと握りしめる。どうやらここは天国のようです。アーメン。

だが猫エリアに着いた途端、ちょっと危なそうな目をしながらフラフラとたくさんいる子猫たちの所へ歩いていく。…大丈夫?危険な薬を使ってるわけじゃないよね?

 

「……にゃー」

 

で、で、出たー!雪乃の必殺技、猫の鳴き真似!この攻撃を受けた者は問答無用で悶え死ぬ!可愛すぎて顔がニヤニヤしちゃう!

そんな顔を見せるわけにもいかないので、さっと口元を隠して周りを見渡す。ホントに猫が多いなと思った矢先、俺の視線の先に、見慣れた顔があった。

「お前たちはどうしてこんなに可愛いんだ?んー?」

 

そう言いながら猫に頬をスリスリしている平塚先生は、だんだんどんよりとした目になっていく。

 

「お前たちを産んでくれた両親も結婚したんだよな。はあ………、羨ましい」

 

ウッソだろ先生。いくら自分が結婚出来ないからって猫を羨むって……。なんかマジで可哀想になってきた。もう誰か貰ってやれよ!結構高スペな先生だよ?魅力的だとは思うから!俺は多分貰うことはできないから!

そんな事を思って心の中で泣いていると、バッチリ先生と目が合ってしまう。やべ、退散しようと思ったがそうは問屋が卸さなかった。

 

「おお比企谷!お前も一人か?」

「え、えっと……」

「そうかそうか!なあ比企谷、良かったら昼飯にでも行かないか?良いラーメン屋を見つけて……」

 

ん?先生の目から生気が失われていくように見えるぞ?あれ真顔じゃん。え、どしたの。

 

「……平塚先生?」

「ハ、ハハ……、すまん、デートに横槍を刺すのは無粋だったな……」

 

振り返れば奴がいた。子猫を腕に抱え、キョトンとした表情の雪乃。だがデートと言われた瞬間、一瞬で顔を赤くした。

 

「え、えっと……、別にデートとかじゃ…」

「いや、いいんだ。私の男を見る目がないんだな……」

 

そう呟きながら平塚先生は猫エリアから立ち去っていった。

……すげえ罪悪感に心が潰されそうになる。でもごめんなさい、先生!この年齢差じゃ先生を異性として見るのは難しそう!

先生、男勝りな所もあるけど結構いい人だと思うんだけどな。多分、十年早く生まれて、十年早く出会っていたら、心底惚れていたんじゃないかと思う。もちろん、雪乃と出会わない前提だが。

 

「……私、悪いことしたのかしら」

「いや、何もしてない。あれが結婚できない女性の闇ってやつだろうな、知らんけど」

 

その後しばらくは猫エリアに留まり、雪乃は猫と戯れる。俺は可愛い瞬間を見逃すまいと適宜カメラのシャッターを切る。

そろそろ切り上げ時にさしかかろうとした時、猫エリアなのに何故か犬の鳴き声が。

 

「わんっ!」

「きゃっ!」

 

めちゃめちゃ可愛らしい悲鳴を上げ、パッと俺にしがみつく雪乃。あーもう可愛い!

 

「い、犬…!」

 

ちょいちょい待って待って怖いのは分かるいや分からんけど半分抱きついてない?サボンの香りとかシャンプーのいい匂いが鼻をくすぐるし腕に控えめとはいえ確かな柔らかい感触が二つほど。ヤバい。

……ん?この犬、よく見たらリードが壊れてるな。

 

「おーどしたどした。飼い主はどこいったんだー?」

 

頭をワシャワシャ撫でてやると、犬もそれに負けじと俺の手先や顔を舐めてくる。くすぐったい。なんかめちゃくちゃ懐かれてるな。それにこの犬、どこかで見たことあるような……。

 

「すみませーん!うちのサブレがご迷惑を……ってあれ?ヒッキーとゆきのん?」

「あら、由比ヶ浜さん」

 

飼い主は由比ヶ浜だった。あー、つまりこの犬はあの時助けた犬か。なるほど、どうりで見覚えあるし懐かれるわけだ。一年近く経ってもこんな俺のことを覚えていてくれるなんて、お前は良い奴だな。

 

「よお、お前も来てたのか」

「うん、毎年来てるんだー。いつもトリミングしてもらってるの。……で、二人は何してるの?デート?」

「違うけど……」

 

やめて!ゆきのんそんなシュンとしないで!なんか素直に認めると恥ずかしいからこう言っちゃっただけなの!

アハハーと苦笑いする由比ヶ浜だが、ふと時計を見ると慌て始める。

 

「やば!もうこんな時間!ごめんね二人とも、もう行くね!」

「お、おう」

「さ、さようなら、由比ヶ浜さん」

 

来た時も去る時も元気な奴だ。

サブレを抱えて走っていく由比ヶ浜を見ていると、悩んでいたことが少しだけバカらしくなった気もする。

 

「……ねえ八幡。八幡にとっては、これはデートじゃなかったの?」

「え?あ、いや……」

 

雪乃が悲しげな表情で見てくる。

そんな顔をしないでくれ。こちとら平塚先生の分も合わせてマジで罪悪感がヤバいから。

 

「わ、悪かったよ。じゃあ、この後どっか行こうぜ。ららぽとかさ」

「……っ、そ、そうね。一緒に行きましょうか」

 

露骨に嬉しそうな顔するのやめて?昔からそうだけど、どうしてこの子はこうも俺の心を鷲掴みにするのかなぁ。でもまあ、こうなったら男らしくエスコートするか。母ちゃんからもらったお金があって助かりました!

 

……とりあえずあの人とエンカウントしないことを祈ろう。



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雪ノ下雪乃の、初めての友達

はるのん登場。この世界線でははるのんもははのんもいい人という設定。理由は後述(多分)。


ショッピングモールへ向かう途中、雪乃は思い出したかのように話を切り出した。

 

「そういえば八幡、六月十八日、なんの日か知ってる?」

 

雪乃は試すように、俺の顔を覗き込む。びっくりして半歩下がってしまった。

 

「……まあ、祝日じゃないのは確かだな」

 

俺が分からないと見えると、雪乃は少し自慢げに胸を反らして答えを発表する。

 

「由比ヶ浜さんの誕生日よ。だからプレゼントを買いに行こうと思うの」

「なるほどな」

 

嫉妬の炎に晒され孤立し、友達と言える存在が今までいなかったと言っていい雪乃にとって、由比ヶ浜は初めての友達に違いない。昔から見ていたからこそ分かることだが、こいつは彼女のことを大切に思っている。きちんと感謝を伝えたいという意味で、誕生日プレゼントはうってつけと言える。

 

「といっても今まで女の子にプレゼントを贈った事ないから、勝手がわからないのよね…」

 

裏を返せば、男子には贈った事があるということである。相手はもちろん俺です。

 

「まあ、色々見るついでに考えようぜ」

「そうね」

 

ちょうど話し終えたところで目的地に辿り着く。

構内の案内板を見ながら雪乃は考えるように腕を組んだ。

 

「かなり広いわね……」

「はぐれたら面倒だし、先にどこ行くか決めるか」

「そうしましょうか。……この辺りとかはどう?」

 

雪乃が案内板の下に置いてあるパンフレットを取り出して指さした場所は一階の奥の方、「ジャッシーン」だの「リサリサ」だのといった、這いよったり波紋教えてくれそうな名前が並んでいるところ。確か小町が言っていたが、そこら辺は若い女の子向けの商品を扱っているショップが集まってるとかなんとか。要するに、雪乃に対しても何か買えという小町からのプレッシャーというわけだ。言わなくても買うけどね!

 

「じゃあ、そこ行くか」

 

俺がそう言うと、雪乃はこくりと頷いた。

では、とりあえず出発。

 

目的地に行く前に、雪乃は歩を止める。じっと見ているのは、ディスティニーのショップ。夢の国の出張バージョンである。出張までして金を稼ぐとは夢も希望もありゃしない。

誰もが知る人気スポット、東京ディステニィーランド。千葉の誇りであると同時に、千葉にあるのに東京を名乗らねばならないという屈辱を味わわせてくるなかなかにファンキーな存在だ。こいつは舞浜にあるのだが、この舞浜の由来となったのがなんでもマイアミビーチに似てるからなんだとか。以上、本日の千葉県講座でした。

どうやらここに来たのは個人的な理由らしく、完全にパンダのパンさんに釘付けである。

 

「な、なあ雪乃…」

「どうしたのー?」

 

目がとろんとしてやがる。それどころか顔が平素より遥かに幼く見え、こっちの心臓も釘付けである。いやホントにパンさん好きすぎでしょ。おかげで俺も少しハマったしさ。

雪乃はとにかくたくさんのパンさん人形を手に取っては棚に置きを繰り返し、とにかくどれを買うか迷っているらしかった。

やがて二つのストラップ、そして小さめの人形を手に取りレジへ向かう。その間、俺は店の外のベンチへ行き、雪乃を待つことにした。

 

「お待たせ」

「気にすんな。お目当てのものは買えたか?」

「ええ。……はい、これ」

「ん?」

 

はいと差し出されたのは、先ほど手に持っていたストラップ。二つも買うなんてやっぱブルジョアだなぁと思っていたのだが。

 

「いいのか?」

「ええ、これはあなた用よ」

 

あなた用。その言葉が嬉しくて、ついつい笑ってしまった。急に笑った俺をキョトンとした顔で見てきた雪乃だが、俺がストラップを受け取ると嬉しそうに微笑んだ。

 

「お揃いね」

「あー、まあそうだな」

 

ここまで来るともはや手玉に取られている気がする。由比ヶ浜の誕プレを買いに来たはずなのだが、俺へのプレゼントを買うとはこの子やっぱり天使。マイエンジェル。

 

次なる店を目指す。

雪乃はこの間も何を買うのか考えていたらしく、キッチン雑貨のお店へと向かった。それに倣い、俺も店へ入る。

キッチン雑貨店にはフライパンや鍋といった基本的な調理器具の他、パペットマペットみたいな鍋つかみとかマトリョーシカを模した食器セットのようなファンシー系アイテムが取り揃えられている。

 

「由比ヶ浜さん、あれから料理の練習を続けているそうなのよ」

「………それを食うのは多分両親なんだろうけど、大丈夫かね」

「えっと………」

 

さすがの雪乃も答えに詰まる。それはつまり、大丈夫ではないし、少し由比ヶ浜の両親に同情してしまう、という事である。また俺が毒味させられなきゃ良いのだが…。

 

「まあ、努力するのは悪いことじゃないからな。プレゼントはそっち関係か」

「そうね、エプロンだったりが丁度いいかしら」

 

いくつかエプロンが置かれている棚から、雪乃は一つ取り出す。

その黒い生地は色合いとは裏腹に薄手で、雪乃が羽織ると涼しげですらあった。

そのまま俺の方へ振り向くと、雪乃は首を傾げた。

 

「どう?」

 

……………。

 

「毎日味噌汁作って欲しい……」

「うぇっ!?」

「あー、いや、すまん……」

 

あまりにも似合いすぎて、一瞬走馬灯が見えたぞ。

このエプロンを着て『おかえりなさい、あなた』とか言われる姿を想像してしまった。いやこれ走馬灯じゃねえや。

完全に放心してたから素直に口に出してしまった。

やっべ、もしここに陽乃さんとかいたらいじられまくってた。危ねぇ!

雪乃も突然そう言われて焦ったのか、とにかく顔を赤くしている。多分俺も。

 

「ま、まあ由比ヶ浜はあれだ、もっとポワポワしてアホみたいなやつの方がいいと思う、うん」

「そ、そう…。酷い言われようだけど的確だから反応に困るわね……」

 

なんとか冷静を保ちつつそんな話をする。

最終的に雪乃が選んだのは薄いピンクを基調とした装飾の少なめなエプロンだった。確かにこれなら由比ヶ浜にお似合いな気がする。

そのエプロンと、ついさっき俺がやらかした際のエプロンを手に取ってレジへ向かう。おっと、そのエプロンも買う気ですか。俺を悶え殺すおつもり?

 

「八幡は何買うか決めた?」

「あー、そうだな……。首輪かな。あいつの犬、首輪壊れてたし」

 

 

 

********

 

 

 

店を出て少ししたところにあるベンチで俺たちは休憩している。

しばらく歩いたので、若干疲れの様相が見えてきた雪乃を休憩させている、というのが正しいが。

俺は目的の首輪を無事買うことができた訳だが、それにしても今日は随分と動いた。

しばらくは静かに休んでいようと思っていた矢先、奴は現れた!

 

「あれ?雪乃ちゃんに八幡じゃーん!」

 

雪乃によく似た声が耳に届く。

……なんとなく予感はしてたんだよなぁ。一応この人とも長い付き合いではある訳だし、どんな行動原理をするのかはある程度察せる。今日みたいな休日はこういった場所で友達とたむろしているのがこの人、雪ノ下陽乃である。

ぶっちゃけ二人で会うのは別にいい。この人にはなんだかんだ昔からお世話になってるし。雪乃に関する相談事だって乗ってもらっている、いい人である事は分かるのだ。

だが、俺と雪乃がセットになっていればそれをまあイジるのがこの人である。デートは?甥は?姪は?ととにかくそういう方面で弄り倒す。そういった面でははっきり言って死ぬほど会いたくねぇ……。

でもまあ、姉妹仲は悪い訳では無いし、愛嬌だと思って諦めるしかないか……。

 

「姉さん?」

「やっほー!二人で何してるの?デート?デート中!?」

 

うぜぇ……。愛嬌でもやっぱ諦めたくねぇ……。

……ん?待てよ?そういや、ららぽに来たのは俺がデートに誘ったからだよな。……あれ?

 

「そうよ、八幡とデート中だから」

「…えマジで?」

 

陽乃さんがすっげぇ間抜けな顔をした。まあそりゃそう思うわな。自他共に認めるヘタレな俺が、二人で遊びに行くのをデートだとは今まで認めなかったからな。その事を知ってる陽乃さんは、うっそー!と何故か自分のようにはしゃいでいる。

 

「じゃあ邪魔しちゃダメだね。それじゃ楽しんでね!………あ、そうだ八幡」

「え?なんすか?」

 

いや近い近い。雪乃とは別のいい匂いがするんだよ。気兼ねなく近づくのやめよ?耳元に口が近づくにつれてものすごくこそばゆくなるんだって。恥ずかしい。

それを知ってか知らずか、陽乃さんはクスッと笑い囁く。

 

「そろそろ覚悟決めた?」

「…どうでしょうね。秘密です」

「つれないなあ。ま、それが八幡らしいね。それじゃ、二人ともまたねー!」

 

やっぱ二人の時は会いたくねぇなあ……。

 

 

 

********

 

 

 

「由比ヶ浜さん、誕生日おめでとう」

「おめっとさん」

 

月曜日の放課後。

いつものように奉仕部の部室に集まった俺たちは、由比ヶ浜の誕生日を盛大に祝うことにした。といっても、祝うのは二人だが。

 

「わー!二人ともありがとー!」

 

俺が選んだ首輪とリード、そして雪乃が選んだエプロンは、どうやら気に入ってもらえたようだ。嬉しそうにエプロンを見たりしている姿を見て、やっぱこいつも女の子だなぁ、とやや達観する。

 

「小町や戸塚とかもプレゼント用意してるらしいけど、どっか行くか?カラオケとか」

「え?ヒッキー歌えるの?」

 

おい待て。そんな素で驚いたような目を向けるな。なんで俺が歌えないと思ってるんだ、こいつ。こちとらプリキュアのOPやEDなら胸を張って歌えるぞ。女子相手には少し引かれるけど、うん。

 

「だったら早めに行きましょうか。部屋も取らないといけないし」

「うん、そだね。ゆきのんって何歌うの?」

「え?えーっと………」

 

雪乃は普段カラオケに行くことなんてないし、話を振られたらそりゃ戸惑う。

 

 

 

仲睦まじく話をしている二人を見て、ふと思うことがある。

友達という存在が初めてできた雪乃。きっとこの関係を大切にしたいに違いない。

由比ヶ浜が友達で良かった。素直にそう思う。

彼女はいい意味で単純だ。裏表のない性格をしている。無駄に相手を勘ぐろうとせず、誰に対しても平等に扱う。

今までの女子と違う点は、そこだ。

小学生のガキのように、気に食わないというだけでいじめなんてしない。なんなら気に食わないなんて思いもしない。

ありのまま接し、友達でいられる。雪乃が求めていたものと言っていい。

今まで排他的だった俺ですら、彼女がいるから助かった事だっていくつもある。友達と呼べるのかは分からないが、雪乃とは違うベクトルで大切な存在であるのは間違いない。

だからこそ、裏切りを恐れる。決してありえないと分かっていても、経験から身構えてしまう。

 

「ヒッキー」

「んあ?」

 

いつものように深く考えていたからか、ひどく間抜けな返事をしてしまった。少し恥ずかしい。

 

「ヒッキーの誕生日はいつなの?」

「え、俺?俺は八月八日だな。夏休み中だから祝われることが少なくてな……」

 

自分で言って泣きそうになる。マジで雪乃以外から直接祝われたことはない。あの隼人にですらメールでおめでとうと言われ、プレゼントなるものは夏休み明けに貰う。や、貰えるだけいいんだけど。嬉しいけど。

 

「だ、大丈夫だよ!これからはあたし達は祝うから!ねぇゆきのん?」

「そうね。ちゃんとしたパーティーでも開きましょうか」

 

さっきまで考えていたことがバカらしくなる。

やっぱこいつはアホで、良い奴だ。こんな良い奴を疑うなんて、逆に失礼だろう。

 

「さ、早く行こ!」

「ええ」

「あいよ」

 

三人揃って部室を出る。

あーもう、鞄につけたお揃いのストラップ、気づいて欲しかったな!やっぱ良い奴だけどアホだ!




遊戯部は飛ばします。次回か次次回にちょいオリジナル挟みます。


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オリジナル
比企谷八幡は恐怖する。



過去編。


誰かが言った。友達はいなくてもいいが、人との関わりまで断てば人は生きていけないと。

一人で生きることは出来ないと。

果たして本当にそうだろうか、と常に俺は考えていた。

俺は、学校では常に一人ぼっち。友達はおろか、普段話す相手だっていない。何故なら、俺自身がそれを望んでいるから。必要性を感じないから。

俺のクラス……特に女子を見てればよく分かる。誰かをハブいて、また仲良くなって、またハブく。たかが一時の感情に流され、すぐに壊れてしまう、そんな薄っぺらい関係を保ちたいなんて愚の骨頂だと。そう思う。

上辺だけの付き合いなんていらない。俺が求めるのは、真に寄り添える存在だ。

良い所も悪い所も、全て理解し合える。そんな人がいればいい。まあ、そんなことありえないから一人ぼっちになった訳だが、それはご愛嬌。

だが一人ぼっちっていうのは良い事だ。何者にも邪魔されないから逆に色々なことができる。勉強も捗るし、本だって静かに読むことが出来る。

 

今日もまた、小学生が読むようなものでは無い本を読み終えた。

ふと時計を見ると、既に帰りの会から一時間が経過していた。これ以上帰るのが遅くなると小町に泣かれてしまう。

本をしまい、帰る準備をする。その時、人の気配がしたので振り向く。

俺の席の左斜め後方。そこに座っていたのは、一人の女の子。

ここからでも見える、まるで全てを諦めたかのような、生気の宿っていないその目。その視線の先にある彼女の机を見た時、俺は絶句した。

 

『クズ』『死ね』『消えればいいのに』

 

反対向きでも簡単に読めてしまうほど大きな文字で書かれた言葉の数々。それは明らかに、彼女を歓迎しているものではない。

やはり俺には理解できない。同じ人間に対して、俺ですら酷いと思えるほどのことをできる奴らの神経が。そんな奴らの仲をどうやって保てるのかどうか。

人は共通の敵を作り出すことで一致団結することがあるという。その敵というのが恐らく…いや、間違いなくこの女の子。

排除するための努力をするだけで、それが自身の向上につながることは決してない。そんな無駄なことに時間を割けるなんて、よほど頭の中がハッピーセットなんだろう。

薄汚れた上履き、傷がついたランドセル。それらを注意深く見て、罵詈雑言だけに留まっていないのは容易に分かる。

だが、彼女は救いを求めていない。いや、求められる相手がいない。だからこそ諦めている。俺が彼女というわけでもないのに、なぜかそう思えてしまって。確信を得てしまって。

 

「消さないのか?」

 

気づいた時には、話しかけていた。人と関わろうとしない俺が、自ら関わろうとしたのだ。

その子は驚いたように顔を上げる。

小学三年生らしからぬ端正な顔立ち、絹のようにきめ細やかな濡れ羽色の髪。不覚にも、ドキッとしてしまった。

 

「ええ。証拠としてとっておくの。事実さえあれば、きっと先生は動くから」

「……どうかな」

 

それはすなわち、証拠がないうちに相談したということ。それで動いてはくれなかったのだろう。

曖昧な返事をした俺を、女の子は睨んでくる。

 

「どういうこと?」

「先生なんて生き物は、自己保身を第一に考えてやがる。その様子を見るに、色んな女子からやられてるんだろ?そこで無闇に解決しようとすれば、学級崩壊の可能性だってある」

 

俺の説明を、女の子は黙って聞いている。

 

「一対多数なら多数に分がある。それはいじめでも同じだ。……人っ子一人救えない奴に、教師になる資格なんてない。それにあの担任、キモいし」

 

女子を見る目が明らかに危ない目をしている。一ヶ月足らずで、ロリコン疑惑が上がるほどに。

それを聞いた女の子は、一瞬笑いながらも、すぐに陰りのある暗い表情に戻ってしまう。

 

「……誰からも排除され、誰にも助けを求められない。私は、どうしたらいいのかしらね」

「そんなもん、決まってる」

 

カシャリ。

女の子は、それがデジカメのシャッター音だと気づくのに、若干のタイムラグがあった。

数秒した後、彼女は何をしているの?と目で問うてくる。

 

「迷惑じゃないなら、俺に任せてくれよ。俺は一人が好きだけど、だからといっていじめられてる子を無視するほど薄情な奴じゃないと自負してる」

「私と関わったら、あなたまで……」

「俺は元々一人だ。気にしない」

「……ありがとう。あなたはあの低脳どもと違うのね」

 

低脳ども?いじめてる奴らのことか?

と、ここまできて思い出す。そうだ、この子はよく男子に告白されていた。ことある事に「好きです、付き合ってください」なんてバカげた告白を受けていたな。

俺にはそれが酷く滑稽なことだと思えた。好きだと言ったのは、大方顔だ。

可愛いから。ただそれだけの理由で告白され、断る。その男子を好きだった女子に、信じられないといったふうに思われ、いじめへ発展する。そんなところか。

薄ら寒い。バカげている。そんなもの、俺が一番嫌っている上辺だけの付き合い。一時の感情に流され、相手のことをよく知ろうとせずに彼女ができたと喜び、舞い上がる。

そこまで考えて、俺はふつふつと怒りが湧き上がってきた。たったそれだけの理由で、一人の女の子が酷いいじめに遭っている。

別に彼女と深い関係がある訳では無い。なんなら、話したのは今日が初めてだ。でも、どうにかしてあげたい。なぜかそう思えた。

 

「俺は比企谷八幡。君は?」

「……雪ノ下雪乃」

 

そういって雪ノ下は微笑んでくる。正直グッときた。

 

「そっか。雪ノ下、一緒に帰ろうぜ」

「うん、分かった」

 

今までは俺を理解してくれる存在が欲しかった。だが、俺が理解することも。理解し合うことも大切なのだと、たった数分の会話で知った。

……俺は、雪ノ下雪乃のことを知りたくなった。

 

 

 

********

 

 

 

「お父さん、お母さん」

 

その日、珍しく夕方に帰宅していた両親に放課後の出来事、そしていじめの現状を説明した。

俺が家族以外にどうにかしてあげようと思ったことは一度もない。ぼっちだから当たり前だが。

説明を受けた両親は、気難しい顔をする。

 

「先生に相談するのは?」

「一度相談したらしい。でも、まともに取り合ってくれなかったとか」

 

やはり自分の身が一番可愛い。だからこそ、必要以上に児童に干渉しない。たとえ、それで一人の女の子が傷ついていても。そう考える度、イライラしてくる。

 

「……どうするか。こういったことは今までなかったからな……」

「教育委員会とかは?よく知らないけど、そういうことも対処してくれるんじゃない?」

 

教育委員会。

名前だけは知ってるが、結局どういったところなのかはよく分かっていない。ましてや、いじめに関して対処してくれるのかなんてもちろん分からない。

 

「一応聞いてみるか」

 

早速電話をかけるお父さん。わざわざ俺なんかのためにここまでしてくれるのはありがたい。

 

さて、どうするか。写真は加工技術なんてものがあり、はっきり言って正確性に欠ける。それだけで動いてくれるとは思わない。

ならばあれを持っていくか。ぶっちゃけ校則違反だし、バレたらまずいのだが、そもそもデジカメを持ってきてる時点でもう気にしないことに決めている。

雪ノ下にはこれ以上苦しんでほしくないし、その為なら俺が……。

自己犠牲。

その言葉がふとよぎる。それはつまり、いじめの対象を俺に向けるということ。

荒療治だが、雪ノ下へのいじめは無くなるかもしれない。だが、根本的解決には至らない。そもそも二人してやられたら元も子もない。

まずい、他人と関わらなかったからこういった場合の正しいやり方が分からない。誰か教えて!

 

 

 

********

 

 

 

雪ノ下と一緒にいると、一人の時とは違った安心感を得られる。それがなんなのかはよく分からない。

あれからしばらく経った。

その間に思ったことは、やはり女子っていうのはバカばっかということだ。

俺が雪ノ下と一緒にいる所を見ると、その後一丸となって俺を罵詈雑言の嵐に巻き込んでくる。

 

『うわ、あいつと一緒にいるなんてありえない!』

『菌どうし惹かれ合うんじゃない?』

『比企谷菌ってこと?』

『何それ受ける!』

 

キャハハハと気持ち悪い笑いをしながらただただ内容のない罵倒を繰り返す。

……こいつらには学習能力ってもんがないのか?何度繰り返せば無駄だということに気がつくのか。

俺も頻繁に上履きを隠されるようになったし、皆で俺を指さしてクスクス笑ったりしてくる。

別に元々ぼっちだから何とも思わないが、だとしてもやはり居心地は悪くなるもんだ。

……それに、俺がただ黙って聞いてるだけだと思うか?ここに校則違反のボイスレコーダーというものがあってだな、これで全部録音済み。あとは提出のみ。やったね!

お父さんによると、どうやら教育委員会はいじめに関する相談は受けつけてくれるらしい。俺が撮った写真、そしてボイスレコーダー。ここまで明確な証拠があれば、雪ノ下を助けることが出来るはずだ。

 

 

 

 

 

********

 

 

 

 

 

俺が雪乃のことを下の名前で呼び出したのはいつからだろう。何年も経った今、それを思い出すことはできない。

でも、あの時のいじめが。あの女子共の賎しい視線が。俺をトラウマの海へ突き落とす。今なお思い出す度に震えが止まらない。

 

あの後、正式にいじめの件が受理され、学年集会を開くこととなった。児童はおろか、担任すら内容を聞かされていない集会だったようだ。

俺が約百人の前に立った時、全員が静かになったのを覚えている。

ところどころについた切り傷、火を使ったいじめによって若干チリチリになった髪の毛。そして、誰の目から見ても明らかな打撲痕。

それらを見て、全員が息を飲んだ。

俺は雪乃とは違い、男子だ。女子からの菌だのなんだのといったいじめだけでなく、今まで空気のような存在だった俺が雪乃といるのを気に食わない男子までもがいじめに加わった。精神的に追い込む女子とは違い、肉体的な暴力で。

雪乃はもう自分に関わらなくていいと言った。それで俺が傷つくのは見てられないと。涙ながらに訴えかけてきた。

でも違う。俺が望んでいるから。雪乃と一緒にいたいから。これまで一人だった俺に、大切な存在と言っていい人と関われたから。

大切な人のためにどうにかしたいと思うのは、当然のことだ。だからこそ耐え忍び、この日を待った。

ボイスレコーダーを再生し、クソ野郎共の悪行をすべて陽の光に晒す。

そこからは俺の独壇場。集会場所である体育館は阿鼻叫喚の嵐。

さすがの担任たちもまずいと思ったのか、止めに入ろうとする。しかし、その場に来ていたお偉いさんに一喝され、やむなしに俺の話を黙って聞く。

レコーダーの声の主や、俺が名指しした人物。そいつらは全員体育館の外へ連れ出されていく。それはかえって、この話の真実味を帯びさせる。

 

「ーーーこれが僕のクラスの日常です。担任はいじめを黙認し、相手の立場になって考える、そんな当たり前のことができない低脳どもの集まりです。正直言って怒りを堪えられません。これが正しいと思ってるのなら……一度痛い目に遭ってください。人の気持ちを知ってください」

 

俺の正論に楯突く奴は誰もおらず。

その後、俺は精神的ショックと肉体的疲労により倒れ、入院することになった。

毎日俺の部屋へ訪れ、謝ってくる雪乃。

 

「ごめんなさい八幡、私のせいでっ……!」

「雪乃のせいじゃない。雪乃は何も悪くない。気に病まないでくれ」

「でも……!」

「俺がやりたくてやったこと。全責任は俺にある」

 

結局は自己犠牲なのかもしれない。

それでも、大切な人を守れたのだ。だから、不思議と気は晴れている。

 

「……私のためでも、こんなことをするのはもうやめて。八幡が傷つくのは嫌だからっ!」

「……ごめん」

 

傷ついてほしくないから自分が傷つくのは間違っている。雪乃はそう言った。

その言葉は俺の心に深く刺さる。

結局雪乃を傷つけることになってしまったのか。なら、もっと他の考え方を学ばないといけない。もっと深く彼女のことを知らないとならない。

俺のその資格はあるのだろうか。……いや、資格云々じゃない。もう少し自分の気持ちに正直にならないとな。

 

雪乃の両親も訪れ、ひどく感謝された。いい友達を持ったと雪乃のお父さんは涙ぐんでいたな。親子愛ってすげー。

その後、『いじめを黙認する素晴らしい学校』というレッテルを貼られ、新聞に載るほど俺の小学校が有名になったことを知るのは、退院後のことだ。

 

 

 

 

 

********

 

 

 

 

 

心の傷というのは、一生残る。その痛みを忘れることはない。それは俺だけでない。きっと雪乃も同様に。

それ故に恐れるのだ。これ以上傷つくのを。傷つけてしまうのを。

俺は雪ノ下雪乃と関わるのが、怖いんだ。だからだろうか、俺は……自分の気持ちを分かっているのに、理解しているのに、涙が止まらない。




文が下手ですみません。ざっくり言えば、
「告白だったりは八幡のトラウマから、また雪乃を傷つけてしまうのではという恐れからできない。自分が雪乃に劣っている、故に周りの壁を意識してしまうこともあり、さらにそれに拍車をかける」という感じです。
分かりにくくて本当にすみません。


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人知れず、彼は涙を見せる。


流れはほぼほぼ九巻に則ってます。
あと深夜テンションで書いてます。


結局俺は何をしたいのだろう。何を求めているのだろう。

体裁を必要とせず、理解し合える存在がいるのに。なぜその差し伸べられた手を取ろうとしないのだろうか。

…いや、取れないのだ。その手は握り潰せそうなくらいか細く、華奢で。俺ごときが触れてはいけない、そんなガラスのようなもの。一歩間違えればこれまで築き上げたものが一気に崩れ落ちる、そんな気がして。

逃げてしまう。こんな事を考えてしまう自分から。

結局ヘタレなだけなのかもしれない。でも、それはあまりにも大きな障害。ヘタレという一枠に収められないのだ。

なんの取り柄もない、目の腐った高校生。それに対し、雪ノ下雪乃は容姿端麗で、俺にはないものをたくさん持っている。

そんな俺が彼女の隣にいていいはずがない。許されるはずがない。

一対多数は多数に分がある。集団心理の沼に落とし込まれれば、そこから抜け出すことは出来ない。

かつて誰かが言った。『あいつらは釣り合わない』と。『凹凸夫婦』と。不名誉なあだ名だ。

誰もが許してくれない。……これはきっと、俺に対する贖罪だ。

 

 

 

********

 

 

 

海浜幕張界隈は結構な賑やかさを誇る。夕方の帰宅ラッシュも伴い、かなりの人混みが確認できる。

夏休みの目標は極力家から出ないこと。暑さから身を守るためなのだから、至極当然だ。はいそこ、リアルヒッキーとか言わない。

そんな目標を掲げる俺がわざわざ外に出てるのには理由がある。それは人と出会わないこと。人と言っても知り合いに、という意味で、それには小町も含まれる。

最近、なぜか連日のように夢に見る小学生の頃のトラウマ。それによって若干ナイーブな気分になっている俺は、少しでも一人の時間が欲しくて今ここにいる。

壁によりかかり、想起する。

結局俺の望むことはなにか。

やはり分からない。俺の幸福か、雪乃の幸福か。どちらにせよ、今の俺では何が正しいのか、何をすべきなのか分からない。

この約八年間でここまで悩んだのは初めてだと言っていい。それほどまで、俺は自分自身に対して何も自信を持てなくなっていた。

自分の意義すら自分で決められない。そんな俺が余りにも醜悪に思える。冷静さに欠けるこの思考に嫌気がさした。

 

 

……帰るか。

もう一時間近くここにいる。日は沈みかけており、ようやく涼しげな風が吹いてきた。

騒がしい周囲の声が耳に入ってくることはない。ただ、自分の吐き出したため息がやけに大きく感じた。

結局答えは出せずじまい。こうやって一人でいても、家にいても、どちらにせよ変わらなかったのか。とんだ無駄足と言っていい。

歩道をゆっくりと歩く。暑さと涼しさの緩急にやられたのか、いつもより疲れを感じさせる。

脇の車道を走る車のヘッドライトの光が目に刺さる。まだ真っ暗というわけでもないのにハイビームは堪える。

そんなことを思っていると、一台の車がクラクションを鳴らした。こんな街中で鳴らすなよ……と、視線を向けてしまう。

その視線の先には、ここいらではあまり見かけないフロントが面長な印象を受ける黒いスポーツタイプの車だ。その車はゆっくりと俺の横につけ、左側の窓を開ける。

 

「やあ比企谷、こんなところで何してるんだ?」

 

その窓から顔を出したのは平塚先生だった。まさか鉢合わせるとは意外だ。

 

「や、今から帰ろうとしたんですけど……。先生こそ、どうしたんですか」

「少し気分転換がてら、ドライブにね。どうだ比企谷、良かったら乗ってかないか?」

 

ふと後方を見ると、車がやってきている。他の人の迷惑にもなるかもしれないし、せっかくなので乗せてもらうことにした。

乗り込んで、シートに座る。シートベルトをしつつ、中を見ると、シートやダッシュボードは上質そうなレザー、メーターや操作まわりはアルミ仕上げでメタリックに輝いている。なんだこれ、かっけぇ。

 

「どうだ、この車は。かっこいいだろう?私の愛車なんだよ」

 

そう言いながら、平塚先生は嬉しそうにハンドルを拳でぽんと叩く。その誇らしげな様が男前すぎた。

それにしても、独身女性が高そうなスポーツカー……。こういうところも結婚できない要因の一つなのだろうか。

その平塚先生の愛車が低い駆動音を立てて走り出す。

 

「どうかね、調子は」

 

しばらく走っていると、おもむろに先生が問うてきた。

 

「調子って言われても。まあ、元気ですよ」

「それは何よりだ。ちゃんと課題は進めているか?」

「夏休みが始まる前に全部終わらせました。ずっと惰眠を貪りたいので」

「そ、そうか…」

 

課題を終わらせたことに対する感嘆の返事なのか、俺のだらしない夏休み計画に苦言を呈したのか。よく分からないが、多分両方だろう。

夏休み中は奉仕部の活動はない。なので適度に勉強しつつ、ゲームしたり本を読んだり涼しい部屋で一日中寝たりを繰り返そうと思ったわけだ。

 

「とりあえず安心したよ。ちゃんとやることはやってるようだしな」

 

そう言いながら平塚先生は微笑む。

俺はシートにもたりかかりながら、窓枠に頬杖をつく。外とは対称的な、クーラーによる涼しさ。それが心地よくて、自然と瞼が閉じてしまう。

行き先を決めていない夜のドライブ。

うとうとしていると、やがて車はゆっくりと止まった。なんてことのない、普通の道路。

 

「着いたぞ」

 

平塚先生はそう言って、車を降りる。着いたって、どこに……。思いながら、俺も車を降りる。

ふと潮の香りが鼻をつく。前にある新都心の明かりを見て場所を察する。すぐそこは東京湾で、ここは河口にある橋の上だ。

昼とはまた違った海の美しさに、俺は感嘆の息が漏れる。

じっと海面を見つめていると、平塚先生が声をかけてくる。

 

「どうかね、調子は」

 

それは、車の中でしたのと同じ質問。真意を測りかね、訝しげな視線を向けると、平塚先生はニヒルな笑みを浮かべる。

 

「家に引きこもりたいと思っている奴が、どうしてあんな場所で道草を食っていたんだ?買い物というわけでもないだろう?」

「それは……」

 

答えることが出来なかった。それを言えば、また思考の渦に飲み込まれる。そう思ったから。解決の糸口を掴めない、そもそも答えがあるかすら分からない俺の問い。それを平塚先生に話すのは、些か気が引ける。

 

「……そうだな、君は何か悩み事があるんだろう?」

「……ええ、まあ」

「だが、見る限り一人で解決することはできない悩みなのだろう。君は一人でとことん悩む癖がある。他人に頼るということを知らない」

 

それは、俺にとって当たり前と言っていいことだった。俺が頼ることが出来る人なんて、雪乃か小町くらいしかいなかった。それに関わらず俺自身の悩みは俺自身がどうにかするしかない。それが普通なのではないのだろうか。

だが、何かと一年生の頃から交流がある平塚先生には違うらしい。

 

「私でよければ、聞かせてもらえないか?」

「まあ、じゃあ……」

 

他人に相談する事なのかどうか決めあぐねたが、ここまできて断るのも気が引ける。それに、平塚先生が笑い話にすることは決してないはずだ。その信頼をもって、俺が考えていたことを正直に全て話した。

雪乃に対する想い。傷つけたくないから、何も行動に移せないでいること。俺が何をしたいのか自問自答を繰り返していること。俺が本当にするべきことが俺自身分からないこと。

俺の心情とともに、全てをぶちまけた。いかに平塚先生といえ、俺の悩みをキレイさっぱり解決してくれるとは思わない。それどころか、結局自分で考えろと突っぱねられる可能性だってある。そうだとしても、やはり幾分か気分が楽にはなった。人に相談するのはいい事なのだろう。

 

「……なるほど」

 

平塚先生は終始黙って聞いてくれたが、俺が話し終えると、ふむと難しそうな表情で頷いた。

 

「そうだな、君は人の心理を読むのに長けている。雪ノ下から聞いたが、川崎沙希の件も君が解決したのだろう?」

 

あれを解決と呼べるのかは分からない。俺は手段の一つを提示したに過ぎないのだから。そう言おうとすると、平塚先生はすっと人差し指を立てて、それを制す。そして、俺の目を見つめ、ゆっくりと言葉を継ぐ。

 

「だが、感情を理解していない」

 

息が詰まった。声も、言葉も、ため息だって出てこない。それほどまでに、核心を突かれたと感じた。

 

「比企谷、心理と感情はイコールじゃないんだよ。よく考えてみたまえ。言葉から察するに、君は雪ノ下に対し劣等感を抱いているのは事実だ。だが、それと同時に好意を抱いているのもまた事実」

 

突然のことで顔が紅くなるのを感じる。さらっとそんなことを言われ、動揺しないわけがない。

 

「この場合、劣等感は心理。好意は感情だ。君は本当の意味での好意というものに気づいていない」

「本当の意味での好意……」

 

平塚先生は、まるで俺へ手綱を渡さないように。俺の出番は無いのだと主張するように。優しい口調とは裏腹に、なおも淡々と言葉を繋ぐ。

 

「誰かに好意を寄せる、誰かを好きになる、守りたい存在ができた。それに理由付けは必要ないんだよ。劣等感を感じるから遠ざかる?それはかえって相手を傷つけてしまうよ」

 

それは平塚先生が俺と関わりの深い大人だからか。他の有象無象の言葉よりも、大きな説得力があった。

きっと、平塚先生も似たような経験があったのだろう、俺の胸に深く突き刺さるような気がして、思わず目を逸らしそうになる。

だが平塚先生はそれを良しとしない。俺の目を見つめ、この場から逃がそうとはしない。

そして、ふっと微笑む。その笑みはこれまで見てきた中で最も柔らかなものだった。

 

「君と雪ノ下の深い関係は私には分からない。馴れ初めだって話から想像することしか出来ない。けれど、共感と馴れ合いと好奇心と尊敬と嫉妬と、それ以上の感情を一人の女の子に抱けているのは分かるよ。それはきっと、誰にも邪魔はできない、してはいけない素晴らしいものだ」

 

すっと気分が晴れていく。平塚先生が、俺の感じていることを理解してくれて、俺のことを知ってくれて。だんだん、言いようのない思いが胸にこみ上げてくる。

 

「二人の関係を邪魔できる者はきっともういないよ。その上で聞こう。君は……君が求めるものはなんだ?」

「俺が、求めるものは……」

 

言いかけた言葉の先を探して、視線をさまよわせる。

ここまで教えてくれたのに、お膳立てしてくれたのに、言葉が出てこない。視界に入ってくるのは、はっきりと俺の目を見据える平塚先生の瞳。

その真剣な眼差しを受け、不意に視界がぼやけた。

 

「俺は……」

 

言い直しても、先の言葉は見つからない。

どうしても過去がよぎる。雪乃が傷つくかもしれないという恐怖が浮き立つ。俺如きが、という自意識がこれでもかと俺の思考の邪魔をしてくる。

平塚先生の言葉で救われるかもしれないのに。俺なりの答えが出るかもしれないのに。

そんな思いが、嗚咽となって出てくる。声も言葉も切れ切れに出てきてしまう。

知りたい。知って安心したい。隣にいたい。安らぎを得たい。

例え幼馴染でも、全てを理解し合うことなんて出来ないのは分かっている。そんなの、ただの傲慢な願いだ。俺の高望みした願いが、結果俺の首を絞めて苦しめているのだ。

けれど、全てじゃなくていい。その願いだけでも理解し合えたなら。理想を語り合えたなら。その結果、傲慢さを許容してくれる関係性に繋がるのなら。

俺がそれを望んでいいのなら。

 

「俺は、本物が欲しい」

 

目頭が熱い。視界が霞んで見える。自分の吐く息の音がやけに大きく聞こえる。

こんなの、とてもじゃないが男子高校生が他人に見せる姿ではない。こんな無様に、情けなく、それでいて曖昧な答えしか出せないなんて。

言ってることが支離滅裂なのは自分が一番よく分かっている。他人が理解出来る答えでないのは充分に知っている。それでも、これが俺なりの、精一杯の答えだった。

気づいた時には、女性特有のいい匂いが俺の鼻を擽る。平塚先生が俺の腰に手を回し、優しく抱き寄せていたのだと気づくのに、少しの間があった。

 

「ちょ……」

「百点満点には程遠いが、正解だ。その本物とやらは自分で探せ。考えてもがいて、無理矢理にでも手に掴め。きっとその先にあるのが、君の望む本物だ」

 

そう締め括ると、平塚先生は俺から離れ、ガシガシとアイアンクロー気味に俺の頭を撫でてくる。頭蓋にぎりぎりとした痛みを感じ、俺が喘いでいると、その力がふっと抜けた。

 

「いい気分転換になったんじゃないか?どうだ比企谷、ラーメンでも食いに行くか。今なら私が奢ってやるぞ」

「随分と気前がいいですね…。まあ、ありがたくご相伴に預からせてもらいますよ」

 

そんな軽口を言う俺の目にはもう涙は溜まっていない。代わりに出てくるのは、俺を見てくれた平塚先生への感謝だ。

 

「ありがとうございます。本当に、色々と」

「らしくないな、君が感謝するなんて。ま、謝意はちゃんと受け取っておこう」

 

そう言いながら平塚先生は車へ乗り込む。それに倣い、俺も助手席へ乗り込んだ。

窓から空を見上げる。夏の大三角がハッキリ見えるほど綺麗な星々は、俺の心に確かな安らぎを与えてくれた。




この物語の設定では平塚先生とは八幡が一年生の頃から交流があります。なので八幡に与える影響力がでかいです。
このままいけば原作のように平塚先生を『恩師』と見なすことができなくなると思ったので、あえて今この話を入れました。


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四巻分
比企谷八幡のある一日。


ターニングポイント。


「お兄ちゃん、これはないよ……」

 

がたがたと扇風機が音を立てて首を降っている。

日に焼け、色褪せた原稿用紙を見ながら、小町はその扇風機と同じ速度で首を振った。

小学生や中学生が、夏休みの宿題で必ずぶち当たるであろう、読書感想文。

我が妹の小町は、俺の読書感想文を参考にしてパパっと終わらせようと思ったらしい。だが、よくよく考えれば、今の捻くれた性格になった要因でもある中学生の時に書いた作文なんて、今見ればただただ黒歴史でしかない。なんだよこれ、ソースは夏目漱石って。本の内容を要約するのに中身のセリフ抜き取っちゃダメでしょ。

うんうん唸っている小町を眺めながら、俺はキンキンに冷えたMAXコーヒーを飲んだ。やはりこの甘みがなければやってられない。MAXコーヒー最高。

 

「なあ、普通の作文じゃダメなのか?」

「えー?」

 

テーブルの上に広げられている幾多のテキスト類。その中に埋もれていた「中学三年生夏休みの課題」と印字されたプリントを手にした。

 

「読書感想文か『税についての作文』って書いてあるし」

 

読書感想文が苦手な子は本を読むのが苦手だ。普段から本を読まないし、メール以外では文章を書くことはほとんどない。

そういう小町からしてみれば、普通の作文のほうがいくらかハードルは低いはずだ。

 

「いやー、税っていわれても小町わかんないし……」

「ちょい待ち。確か俺も書いた覚えが……」

 

と、そこで立ち止まる。同じ中学時代の作文だから結局似たような作風になっている気がする。多分『リア充累進課税制度を導入すべき』とか余りにもふざけた事書いていたんじゃなかろうか。

今あいつに見られたら「マジウケるー!」とか言われそう。いや絶対言われる。万が一の為に

、作文も読書感想文も奥深くに閉まっておこう。

小町はどちらの作文も当てにならないことが分かり、ため息をつく。

 

「はぁ……、受験勉強もあるのに……。これじゃ休み明けの模試に間に合わないよっ!」

「そういうのは普段からの積み重ねだからなぁ」

 

こんな小町だが、受験生なのである。

確認するまでもなく、俺の妹は馬鹿だ。とびきりエッセンシャルにスパークリング馬鹿だ。そんな小町が受けようとしている高校は、今俺たちが通っている総武高校だ。

 

「しかし、えらく高望みしたもんだな。成績だって百位前後うろちょろしてるんだろ?」

「だって、お兄ちゃんと同じ高校行きたいもん。腐ったお兄ちゃんと小町を比較して、相対的に小町の評価を高くする算段!」

「……あそう」

 

うるっと来ると思ったのに、志望動機が最低だった。

六月のイベントの時も思ったが、マジでこいつは悪女なんじゃなかろうか。それでも可愛いけど!小町は宇宙一の妹!

仕方ない、こんな妹のために「こころ」を持ってくるか。

俺は本棚へ向かうと、「こころ」を探す。確か新装版になった時、有名な漫画家が表紙を描くだけで売り上げが良くなったらしい。ホントにラノベは見た目が九割。

とりあえず「こころ」を手に取り、小町へ差し出した。

 

「ほれ、一応読んでから書け」

 

そう言って渡すと、小町はむーっと唸りながら読み始めた。それを確認して俺は外出の準備をする。

この前みたいに意味もなく外に行く訳では無い。小町の自由研究に使えそうな書籍を探しに行き、ついでに頑張ったご褒美としてスイーツくらいは買っていってやろうという、俺なりの優しさだ。

だから頑張れ、小町。

 

 

 

********

 

 

 

やはり真夏は暑い。アスファルトから陽炎が立ち上っているくらいは暑い。

それにしても、海浜幕張は人が多い。

家族で団欒と歩いているのは別にいい。そんなのは当たり前のことだし、いちいち突っかかるつもりもない。

だが恋人と連れ立って歩いてるのは許せん!リア充っぷりを見せつけるのも、足がやけに遅いのもイライラを加速させる!

貴様らに足りないもの、それは速さだ!

と、まあそんな益体もないことを心の中で考えながら、俺はアウトレットモール、多様な専門店があるお買い物特化エリアへと足を踏み入れた。

涼しい……。やっぱ室内は外の熱気が遮断されて心地の良い場所だ。これはもう外には出ずにずっと部屋に引きこもってろってことでしょ?そうなんでしょ?

ふらふらと歩いていると、緑がかった蛍光色のジャージが視界に入った。あのジャージは俺が普段、体育の授業で着ているのと同じものだ。

さらさらと流れる綺麗な髪、白い手足。ラケットケースを背負った天使!

 

「とつコポォ」

 

言いかけた言葉がぐっと喉に詰まる。めちゃくちゃ変な声がでて近くにいた家族連れに奇怪な目で見られ、足早に歩き去っていく。

戸塚の後ろから大きく手を振りながら駆け寄ってくる人影。恐らくその男子は同じテニス部なのだろう。

……そうだよな、戸塚は俺と違って友達いるもんな。夏休みだし、部活があって当たり前だよな。

俺だけが仲がいいわけではない。小学校では誰も話しかけようとしなかったし、中学校では折本が親友だのなんだのやたら捲し立ててたけれど、それとこれとは別なわけで。

 

なんとかエスカレーターまで辿り着いて、俺は手すりにもたれかかった。

上っている途中、下ってくるエスカレーターに見知った顔を見つけた。真夏にコートを着る馬鹿は俺の知人では一人しかいない。

どうやら材木座はゲーセン仲間といるらしく、親しげに会話していた。あんな楽しそうなところを邪魔するのは悪いし、俺は材木座に気づかないふりをする。だが、すれ違う瞬間、材木座が目ざとく俺を発見し、一瞬目が合ってしまった。

 

「ぬ?」

「……ふぁ」

 

秘技、欠伸!「今欠伸しててそっちに気づいていませんよー」と遠回しにアピール。欠伸はいいぞ?目を自然に瞑るし、耳も何故かジーンとなって少しの間周りの音が入りにくくなる。

華麗にスルーをし、後ろからはちまーんと聞こえてくるのをまたもや欠伸で聞こえないふりをして無事三階に到着する。そのまま人の流れに沿うように書店へ突入した。

自由研究用の本を買うついでに、赤本を買っておくのもいいかもしれない。学力を計るのでいえば割と理にかなっていると思うしな、赤本。

チラッと覗いてみると、そこには俺の見知った顔があった。

青みがかった黒髪を持つ特徴的な女子。あー……名前なんだっけ。えーと………、あ、そうだ、大志の姉貴の川崎か。川なんとかさんだ。

川なんとかさんは複数の種類の赤本をペラペラとめくっていたのだが、お気に召したのか、その中から一つ選び、既に持っていた他の本と共に持ってレジへと向かった。

ほーん、あの様子からして頑張っているみたいだな、勉強。さしずめ、スカラシップ狙いも兼ねているところか。ここの近くの予備校もそういった制度があるしな。

なんてことを思いながらふと動物系の本のコーナーへ視線を向けると、これまた見知った顔が。

その女の子は最上段にある本を手に取ろうと精一杯背伸びしているが、僅かに届かないらしい。

可愛いなぁ……。

どうにか頑張っている姿を見ているとホッコリするが、この状況で黙って見ているだけなのはよろしくない。主に俺の心臓が。

彼女の背後から、俺の身長ならひょいと取れるその本を手に取った。

 

「これでいいのか?」

「っ!は、八幡?いつから……」

「ついさっき。俺もここに用があってな」

 

彼女が取ろうとした本は可愛らしい猫の写真がたくさん載っている本。ホント、こういうのに目がないよな、雪乃って。

日焼け対策なのか肩にカーディガンを羽織り、スカートの中にはレギンス。そして腕時計やバッグなどの小物類が上品に纏め上げられているのが今日の雪乃の服装。

つい先日平塚先生との会話があっただけに、少々顔を合わせるのが恥ずかしい。

 

「……?顔赤いけど、大丈夫かしら?」

「え?あ、ああ、大丈夫だ。気にしないでくれ」

 

っぶねぇ。何考えてるかバレたらたまったもんじゃないぞ。

雪乃は俺から本を受け取った。キラキラという擬音がつくくらい輝いた目をしている。

 

「本、ありがとう。また今度遊びに行くわね」

「おう、いつでも来いよ」

 

これが雪乃との基本的な外でのやりとり。ちなみに遊びに行くと言われたら必ず一週間以内にはやってくる。律儀だなぁ。

俺に感謝をして雪乃はレジへ向かっていく。それを見送って、俺も理科系の本が置いてある場所へ移動した。

 

 

 

********

 

 

 

建物から出て、俺は再び太陽の光に晒される。日は傾き始めているものの、まだまだ暑い。早く帰って涼しい部屋で布団にくるまりたい。いやマジで布団は凄い。簡単に眠気を誘ってくるし。

 

「あれ、ヒッキー?」

 

そんな妄想にうつつを抜かしていると、背後から声がかけられた。俺をヒッキーなんて呼ぶ奴は知り合いに一人しかいない。簡単に俺の思考に入り込んでくるのだから、よく通る声だと思う。

由比ヶ浜結衣だ。彼女はいつものお団子ヘアに、黒のキャミソール、透かし編みの白カーディガンとホットパンツ、足もとはグラディエーターサンダルとしっかり夏仕様になっている。

 

「おう」

「うん、久しぶりー」

 

なんというか、今日は知り合いによく会うな……。

一緒に遊んでいたのだろうか、由比ヶ浜の後ろから顔を出してきた奴がいる。三浦優美子。俺が心の中で獄炎の女王と呼んでいる、総武高校のほぼ全ての男子が恐れを抱く存在。

 

「んだ、ヒキオじゃん」

 

んー、二文字しか合ってねぇ……。まだヒキタニくんの方が近いぞ。どっちも違うけど。

 

「ユイー。あーし、海老名に電話してるからー」

 

そう言うと、由比ヶ浜の返事を待たずに三浦はその場から数歩離れた日陰のほうへと入る。

三浦が壁にもたれかかって電話を始めると、それを確認したように由比ヶ浜は口を開いた。

 

「どしたの?買い物?」

「まあ、そんなところだ」

 

俺は何冊か本の入った手提げ袋をそっと上に持ち上げる。

 

「そーなんだ、誰かと遊びに行ったりしないの?ゆきのんとか」

「特にこれといって予定は無いな」

「え?なんで?ヒッキーならゆきのんとなら喜んで遊びに行きそうだけど」

 

俺をどんな奴だと思ってるんだこいつ…。俺は誘われない限り相手が誰であろうと外には出ないぞ。……自分で言ってて悲しくなる。

 

「夏休みは休むための休みだ。暑さから身を守るために夏休みはある。本質的な観点から考えて、外に出ない俺はある意味正しい」

「何言ってんの?」

 

心底侮蔑したような目で由比ヶ浜は見てきた。やめて!そんな目で俺を見ないで!

 

「ていうか、ヒッキー夏生まれなのに夏苦手なの?」

 

由比ヶ浜に問われ、俺はそっと口もとに手を当ててやや体勢を引き気味に答える。

 

「……なぜ私が夏生まれだと知っているのかしら。教えた記憶が無いのだけれど」

「なにそれ!?ゆきのんの真似!?すごい似てるし!」

 

由比ヶ浜は思いっきり爆笑しているが、今この場に雪乃がいたらさすがの俺も怒られる気がする。

けど、似てたか。昔から声真似頑張ってたからちょっと嬉しい。

 

「つーか、マジでなんで知ってんだ?」

「いや、こないだ教えてくれたじゃん」

 

こないだ?……ああ、あれか、由比ヶ浜の誕生日の時か。そういえば教えた記憶がある。すっかり忘れてた。

 

「そうだ、今度みんなで遊びに行こうよ。ゆきのんとか小町ちゃんとかさいちゃんとかとさ」

 

あちゃー、材木座さん仕分けられちゃったかー。あいつ、一応奉仕部に来てる数一番多いんだよな。何回もあのレベルの小説を持ってこないでほしい。

でもまあ、そういうわけで仕分けられるのは当然の結果だな。俺もいの一番にそこ切るし。

 

「別にいいけど。まあ、そのうち適当に連絡くれ」

「うん、分かった!」

 

そう言うと由比ヶ浜はきびすを返して、三浦のもとへと駆け寄っていった。退屈そのものという表情の三浦は不機嫌そうだったが、由比ヶ浜が両手を合わせて謝るといくらか持ち直したようだ。冗談めかして由比ヶ浜の頭を軽く突きながら二人して歩き始めた。

俺はそれを見届けてから家路へとつく。

 

小学生の頃の俺に、こうやって遊びに誘ってくれる女の子の友達ができたと言ったら、信じてもらえるだろうか。茜色に染まった入道雲を見て思う。

過去を変えることはできない。でも、未来は変えられる。誰かが、そんな言葉を発していたのを思い出す。

俺も過去ばかりに囚われず、未来を変える時期かもしれない。

涼しい風が吹き始めた。藍色と茜色と入り混じる黄昏時。その境目を見極めるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。



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比企谷八幡が見据えるものは


少し空きました。ちょい短め。


俺は意外と朝が得意だ。ふとした時朝の散歩に行ったり、ニチアサでプリキュアの勇姿に涙することも多々ある。ヒッキーなんて引きこもりみたいなあだ名で呼ばれている俺なわけだが、きちんと規則正しい生活を送っているわけだ。

八月七日。今日も今日とて目が覚めた。いつものように蝉の声を聞いたわけでも、小鳥のさえずりを聞いて朝チュンイベに遭遇したいなんて思ったわけでもなく、ふと右腕に違和感を感じたからだ。

ちょっとした重みと温もりがあったので、カマクラでも入ってきたのかと思いうっすらと目を開ける。

雪乃がいた。

俺はフリーズした。

 

「…………」

 

え、なんで?昨日雪乃はウチに来た?いや来てないよな。え怖い怖い。いくら見知った子でも朝起きて隣に寝てりゃそりゃビビるよ?

とりあえず起こすか?いや、こんな可愛らしい寝顔を見せられて起こせるわけないじゃない!クソ、せめて写真に収めとこう。

というか、いくら俺相手だとしてもそんな抵抗無しでズカズカとベッドに入り込むか、普通?いや、別にいいけど。むしろ大歓迎だけども。でも八幡のはちまんがやっはろーしちゃうから事前に連絡は欲しいかな!

 

「……あ」

 

スマホのシャッター音と共に目を覚ました雪乃と目が合い、互いに顔を赤くしたのは自然の摂理と言えよう。

二人してリビングに向かうと、既に起きていた小町はキキキ、と小悪魔じみた笑いを俺たちに向けてきた。

……こいつの差し金か。

とりあえず、素朴な疑問を雪乃に問いかける。

 

「…んで、何でウチに?」

「平塚先生からの連絡、見てないの?」

 

連絡?ていうか平塚先生と連絡先交換したっけ。

……そういやこの前したな。ラーメン代奢る代わりに無理やり交換させられたのを思い出した。

かといってアマゾンあたりから送られてくる時のような通知はきていない。迷惑メールフォルダにでも入っているのだろうか。

そう思って覗いてみると、そこにはおぞましい程の量のメールが。差出人は全て平塚静。

ぶっちゃけ見たくもないのだが、恐る恐るメールをチェックする。

フォルダの一番上、つまり最新のメールを開く。

 

『差出人:平塚静

題名:

本文:「比企谷くん、夏休み中の部活動について至急連絡をとりたいです。もしかしてまだ寝ていますか (笑) 先程から何度もメールをしています。本当は見てるんじゃないですか?

ねえ、見てるんでしょ?

 

 

 

みろ」』

 

怖い!怖いよ!軽いトラウマだよもう!返信無かっただけでこんだけメールが届くならそりゃ彼氏なんていないわけだ。結婚なんて以ての外だよ!

そんな平塚先生の負の一面を垣間見ると共に、活動って何するのだろうと疑問に思った。

 

「活動って?え、何?休み中も学校行かないといけないの?」

「合宿をするらしいの。二泊三日で、ボランティア活動が主らしいわ」

「この部活で合宿って……。で、いつ?」

「今日よ」

「小町も誘われたから行くよー」

 

…………マジか。

や、メールをスルーしてた俺が悪いんだけどさ、それにしても準備ってもんがあるんですよ……。

ていうかそもそも行きたくねえ…。こんなクソ暑い日に部活動なんてしたくねえ…。

だが、そんな考えは小町にはお見通しのようで。

 

「お兄ちゃん、準備は完了してるであります!」

 

目の前にどんと置かれた大きめの鞄。中を見ると、連泊用の荷物が入っている。

準備万端と喜ぶべきか、外堀を埋められて逃げ場がないと考えるべきか……ハァ。

 

 

 

********

 

 

「さて小僧、連絡に出なかった理由を聞こうじゃないか」

 

集合場所である駅前のロータリー。

三人でそこの一角に停めてあるワンボックスカーの前で仁王立ちしている平塚先生の元へ行くと、明らかに怒ってらっしゃる先生が顔を引き攣らせながらファーストブリットの体勢へと移行する。そういえばこないだのスポーツカーじゃないんですねなんて言えない。怖い。

 

「や、ちょっと待ってください。俺電話帳に登録してない電話は着拒するようにしてますしメールも通知が届かなかったんですよ。よって俺は悪くない!」

「知らんな、お前が悪い」

「そんな横暴な……。ていうか小僧って、だから結婚できな」

 

最後まで言い切る前に、俺の頬を拳が掠めた。冷や汗ダラダラである。この経験は四月以来か。

 

「何か文句でも?」

「ないですごめんなさい」

 

この人に年齢と結婚の話はしてはいけない。でも生徒に対して平気で殴り掛かる人は一生かかってもいい人と巡り会えないと思うよ!

そういえば、由比ヶ浜はどこだ?奉仕部としての合宿なら由比ヶ浜も来ているはずだ。いや、やっぱ合宿ってなんだよ……。

 

「あ、みんなやっはろー!」

 

わけの分からない合宿に苦悶していると、後ろから快活な声が聞こえたので振り返る。

コンビニでも行ってきたのか、大きなコンビニ袋を持った由比ヶ浜と戸塚がやって来た。

…………戸塚?

「ああ、人手が足りなかったのでな。戸塚も参加を申し出てくれたのだよ」

 

俺の疑問を察知したのか、平塚先生はそう言ってきた。

ああ神様、いつもは無神論者の俺だが、今回ばかりは感謝するぜ!後で神社にでも行ったら賽銭入れておくから!五円いれてご縁がありますようにってね!なにそれ、ただの語呂合わせじゃん。

雪乃がいて戸塚がいて……。ちょっとだけ荒んだ心が癒されていくぅ……。この合宿参加(強制)して良かった!

 

「あ、結衣さんやっはろー!」

「やっ…こんにちは、由比ヶ浜さん」

 

由比ヶ浜と小町に釣られてナチュラルにアホみたいな挨拶しようとしたな、こいつ。既のところで踏みとどまったが顔はみるみるうちに紅潮する。

ていうかなんだよそのやっはろーって。流行ってんのか?やっぱアホの子は使うのか?

 

「あ、八幡、やっはろー!」

 

広めようぜ。やっはろーってやっぱいい挨拶だと思うの!古今東西世界共通の素晴らしい挨拶だ。さあみんなご一緒に!やっはろー!

とにかく、これで全員揃ったみたいだ。

 

「さて、では行こうか」

 

平塚先生に言われ、俺たちはワンボックスカーに乗り込もうとする。ドアを開けてみると、7人乗りのようだった。

運転席、助手席、最後部に三席、間に二席。

 

「ゆきのん、お菓子食べようお菓子!」

「そ、それは向こうに着いてから食べるものじゃなかったの?」

 

由比ヶ浜と雪乃は一緒に座るらしい。となると小町もその隣に座るだろうし、俺は戸塚の隣か?いいね、戸塚の隣!最高じゃん!

というわけで乗り込もうとすると、平塚先生に襟首を掴まれた。

 

「比企谷、君は助手席だ」

「えぇ……」

 

雪乃の隣、せめて戸塚の隣が良かった……。

 

「なに、長時間のドライブだ。運転中は退屈しない方がいいだろう?君との会話はそれなりに楽しいのだよ。それに、課題の答え合わせもしないといけないしな」

「はぁ……」

 

そんな柔らかい笑顔をされてしまうと逆らう気力も無くなる。

課題とは、この前の話のことだろうか。よく分からないから曖昧な返事しかできなかった。

大人しく俺が助手席に座ると、平塚先生は満足気に頷いた。

そして全員車に乗り込んだのを確認し、先生はアクセルを踏み、合宿先へと車を走らせた。

 

 

 

********

 

 

 

車が走り出し、高速道路に突入したからしばらく経った。

後ろの女子ーズはガールズトークに花を咲かせ、戸塚と小町も楽しそうに話していた。良かった、仲良さげで。

だがしばらくすればそれも終わる。静かで涼しい車内ということもあり、皆してすぅすぅ寝息を立てはじめた。雪乃なんかも気持ち良さそうに寝てるし。起きているのは俺と小町、平塚先生のみとなった。

 

「おお、山だ」

「山だねー」

「うむ、山だな」

 

視界に山の稜線が飛び込んでくる。

千葉にすむ我々にとって山は珍しい。見えるのは精々富士山くらいのものだ。

 

「比企谷」

 

そんな山の数々を見ていると、不意に声がかけられた。

 

「本物は見つかったかね?」

 

その問いは、つい先日のあの話。平塚先生が教えてくれ、曖昧ながらも自分の答えが見つかった話。だからこそ、苦笑いしてしまう。思い出す度枕に顔を埋めたい衝動に駆られるから。

 

「……そんなすぐに見つかるもんじゃないでしょ」

「ふふ、確かにな。でも、答えは見つかったんだろう?」

 

この人、ホント遠回しに聞いてくるな……。小町をちらっと見てみると、ポカーンとしていた。そりゃそうだ、理解できないと思う。

 

「人は大切な日によく想いを伝えたりしますよね。クリスマスだったり、誕生日だったり」

「まぁ、そうだな。…それは私に対する当てつけか?」

「そうなったら俺の言うこと全部当てつけになりますよ……。そうじゃなくて、そういう事を加味すれば、この合宿はちょうど良かったってことです」

「……?」

「お兄ちゃん、まさか……?」

 

平塚先生はよく意味が分からないといったふうに首を傾げ、小町は若干目をキラキラさせている。

先程とは違う、俺の愛する妹だからこそ分かるこの話。伊達に十五年俺の妹をやってない。

もちろん、それで全部解決するかは分からない。まだトラウマを払拭しきれたわけじゃないのだ、それを前にして浮き足立つ可能性だって充分に有り得る。

だが、ここが一つの通過点なのは間違いないだろう。先生の言った通り、無理矢理手に掴むべきポイントなのだと思う。

俺一人じゃきっと逃げてしまう。だから、今日突然言われた合宿のように、外堀りを埋めてもらわなければならない。それには協力者が必要だ。

小町へ顔を向ける。俺の考えていることが分かっているのか、俺へ向けてサムズアップしてきた。それをミラー越しに見て、「よく分からん…」と口から漏らす平塚先生。

きっと、俺にとって忘れられない日になるだろう、そう思った。





どこかで別視点をいれるかも?


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二人の目に映るものは。


また間が空きました。


車を降りると、濃密な草の匂いがした。心なしか酸素が多そうだ。緑深い森がそう感じさせるのだろう。

やや開けた場所にはバスが数台止まっている。千葉村の駐車場と思われる場所に平塚先生は車を停めた。

 

「んーっ!きっもちいいーっ!」

 

由比ヶ浜は車から降りると、思いっきり伸びをする。

 

「……人の肩を枕にしてあれだけ寝ていればそれは気持ちいいでしょうね」

「ご、ごめんってゆきのーん!」

 

雪乃にちくりと言われ、由比ヶ浜が両手を合わせて謝った。……雪乃自身も寝ていたのによく分かったな。朝の俺みたいな感じか?

 

「わあ…、本当に山だなぁ」

戸塚は一足遅れて山に感動している。やはり千葉人だな。小町もそれなりに楽しんでいるようだ。

全員が車から降りたことを確認して、平塚先生はトランクを開ける。どうやら積んである荷物を下ろすらしく、こいこいと俺に手招きをする。

まあ、今いるこのメンバー唯一の男手だし、あいつら女子に手伝わせる訳にもいかないだろう。……あ、戸塚はノーカン!

各々が持ってきた荷物の他にも、合宿用なのか、たくさん飲み物が入った大きなクーラーボックスだったりがある。それらをせっせと下ろしていると、もう一台のワンボックスカーが俺たちの近くに停止した。

はて、キャンプ場もあるし一般のお客も来るんかね。それとも千葉村の職員の方々かなと思っていると、車は人を降ろすと来た道を引き返していく。どうやらただの送迎らしい。

中から現れたのは、見覚えのある男子。そして後ろには金髪縦ロールだったりテンション高いウェイウェイ野郎だったりメガネかけた女子だったりがぞろぞろと出てきた。

……なんでこいつらがここに?

 

「やあ、八幡」

「お、おう…」

 

こんな時でも忘れない隼人スマイル。ちくしょう、やっぱり様になってやがるぅ!

 

「どーしてここに?バーベキューか?」

「いや、違うよ。バーベキューだったらここまで親に車出してもらわないさ」

 

それもそうか。一人納得していると、ウェイウェイ野郎の戸部が話に割り込んできた。

 

「え、なになに?隼人くんとヒキタニくんって仲良い感じ?」

「ああ、幼馴染だよ。小学生の頃からの付き合いだ」

「……まぁ、腐れ縁とも言うが」

「は、ハヤハチですと!?しかも幼馴染で腐れ縁!!ぐ、ぐ腐腐腐……」

「あーもう、海老名擬態しろし」

 

鼻血を噴き出している海老名さんをまるでおかんのように介抱する三浦。

……とりあえず海老名さんは俺の危険人物リストに加えておこう。ちなみに一位は平塚先生。

あと戸部、名前間違えんな。確かに言いにくいけど。ヒキタニって呼んじゃうのもなんとなく分かるけど。

隼人たちがこの場にいる理由だが、恐らく平塚先生が呼んだのだろう。戸塚が人手が足りないからお声がかかったのだし、なんら不思議ではない。ボランティア活動ということで、元々の部員である三人だけでは手が回らないこともあるのだろう。……めんどくせぇ。

 

「よし、全員揃ったな。君たちには小学生の林間学校サポートスタッフとして働いてもらう。千葉村の職員、及び教師陣、児童のサポート。簡単に言うと雑用ということだな。……端的に言うと奴隷だ」

 

端的に言い過ぎだよこの人。もうちょっとオブラートに包む努力しましょうよ…。これがもし俺たちじゃなかったら先生としての真性を疑うよ?あダメだ、皆苦笑いしてる。

 

「自由時間はちゃんと設けてある。その時は好きに過ごしたまえ。働き次第によっては内申点を加点するのも吝かではない。もちろん、私の独断と偏見での判断だがな」

 

この人絶対加点する気ないだろ。なんというか、ただの働き手の社畜ゲットだぜ!みたいな笑み浮かべてるもん。

 

「では早速行こうか」

 

そう言って平塚先生が先導する。

先生のすぐ後ろに俺と雪乃、その後ろに小町、由比ヶ浜、戸塚と続き、最後にリア充グループ。やはりウェイウェイしてるな、後ろの方。

雪乃がなぜ隼人たちまでいるのか先生に聞いていたが、先程の通り内申点の話や、人手云々の説明をしていた。

というか隼人は普通に内申点高いだろ。別にわざわざ合宿なんてしなくても…。他の奴らは知らんけど。付き添いみたいな感じ?

 

「しっかし、葉山とも幼馴染だったとはな。割と交友関係を持ってるくせに、なんでぼっちを謳ったりそんな捻くれた性格になるんだ?」

「俺はあいつらみたいにつるんで騒ぎたくないんですよ。それに、性格は元々です。なるようになったんです」

「そうかしら?捻くれた性格の持ち主は私と一緒にいるはずないでしょう?」

 

シャラップ雪乃さん!ド直球をぶち込まないで!平塚先生が遠いところ見始めちゃったから!

 

「いいよなぁ比企谷は……。前世でどれだけ徳を積んだらそんな巡り合わせができるのか……。私も幼馴染が欲しかったなぁ……」

「とうとう前世まで呪い始めたよこの人……」

 

もう本当に誰か貰ってあげて!これ以上は心が痛む!

 

 

 

********

 

 

 

本館に荷物を置き、「集いの広場」なる所へ向かう。そこに待ち受けていたのは百人近い小学生の群れ。

みな六年生なのだろうが、体格にもばらつきがあり、雑然としていた。制服姿の高校生やスーツ姿のサラリーマンだあれば大量にいても統一性を見いだせるのだが、みなが思い思いの服装をしている小学生の集団はそのカラフルさも相まってかなり混沌としていた。

きゃいきゃいすっげえうるせえ。恐らく林間学校という行事にはしゃいでいるのは想像に難くない。

こういった行事ではしゃぐのはいつまで経っても同じだ。高校生だろうが大人だろうが変わらない。

……いや、うるさすぎね?よく見るといつもはしゃいでる(個人の感想)あの由比ヶ浜ですらどん引いている。雪乃に至っては何やらおぞましい物を見る目をしている。いやおぞましい物て。

いつまで経っても小学校の教師陣は何も言わず、ただ腕時計をじっと見つめている。

数分経過する頃には児童たちも異変に気づき、喧騒は徐々に止んでいく。

………まさか。

 

「はい、みんなが静かになるまで三分かかりました」

 

で、で、で、でたー!!説教前の決まり文句!まさかこの歳になってもう一度あの伝説の台詞を聞くことができるとは……。

暫く説教をかました後、先生は今日やるオリエンテーションについての説明を始めた。

 

「最後に、今日から三日間皆さんをサポートしてくれるお兄さんお姉さんたちです。挨拶をしましょう。よろしくお願いします」

「よろしくおねがいします」

 

あ、給食だったり号令だったりで言わされる妙に間延びした挨拶だ。「心に残った」「しゅうがくりょこおー」みたいなやつだ。俺も言わされたが、あながち心に残ってるから間違いではない。

小学生たちの好奇の視線が一斉に注がれる。

すると、隼人が一歩前に出た。

 

「三日間、皆さんのお手伝いをします。素敵な思い出をたくさん作りましょう。よろしくお願いします」

 

きゃー!と沸き起こる歓声と拍手。

さすがは隼人。一発で小学生の心を鷲掴みしたな。やっぱ超慣れてるな。俺だったら固まるか頭の中真っ白になってあたふたすると思う。

 

「では、オリエンテーリング。スタート!」

 

あらかじめ班を決めていたらしく、教師のかけ声で児童たちはぞろぞろと五、六人のグループに別れて小学生たちは森の中へ入っていった。

すげえはしゃぎよう。とりあえず俺らは何をすればいいのか分からないので、一箇所に集まっていた。

 

「いやー、小学生マジ若いわー。俺らとかもうおっさんじゃね?」

「ちょ、戸部やめてくんない?あーしがババアみたいじゃん」

「んな事言ってないってー!」

 

戸部うるせぇ…。女王のご機嫌取りも大変だな。あと一瞬平塚先生の視線を感じたが、多分気のせいだろう。気のせいだと信じたい。

と、そこで小町が何やら俺のところへやってくる。

 

「やっぱり小学生って可愛いよね、お兄ちゃん。純粋って感じがして」

「そうか?俺にはただ煩いガキにしか見えんぞ」

「うわー……。それ、雪乃さんとの子供にもそうやって言っちゃうの?」

「ゴハァッ!?」

 

こいつなんて事いいやがる!他の奴らには聞こえていなかったから良かったものの……。気が早すぎんよ。

というか、手持ち無沙汰になった俺たちは何をすれば良いのだろうか。

 

「それじゃ、平塚先生にどうすればいいか聞いてくるよ」

 

そう言って隼人は平塚先生の元へ向かっていった。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん!」

「え、何」

「あのイケメンさんとお兄ちゃんじゃ比べ物にならないよ!お兄ちゃんもあのくらいのイケメンにメタモルフォーゼしないと!」

「うっせ、ほっとけ。俺はこの容姿に誇りを持っている」

「そうよ小町さん、八幡は今のままで充分よ」

 

こいつもこいつで人前で堂々と言うなよ…。その鋼のメンタル、俺も欲しい。

ていうか、うん。三浦がなぜか勝ち誇ったような顔をしてるよ。

 

「へー、雪ノ下さんってそんなのが好きなんだー」

 

はい、そんなのです。別に言われ慣れてるから気にしないんだが……、我らが氷の女王の怒りには触れてしまったようだ。

 

「そんなの、ですって……?」

 

久しぶりに見る、底冷えするような目を三浦へ向ける。敵意を丸出ししているのがよく分かる。好きってところ否定しないのは嬉しいんだけど、怖いです……。

由比ヶ浜とかもオロオロしてるし、これ以上の喧嘩に発展するのもよろしくない。

 

「雪乃、いいから」

「……八幡」

 

不服そうな目で俺を睨んでくる雪乃。や、俺のためにそんなに怒ってくれるのは嬉しいんだけどね?そういうのは後でしてもらいたいの。というかして欲しくないの!二人ともめちゃくちゃ怖いから!

 

 

 

********

 

 

 

隼人が平塚先生から受けた指示は、ゴール地点での飲み物と弁当の配膳。それに加えて、道中小学生たちと交流しながら、小学生よりも早くゴール地点に到着しろ、との事。

さっきあんな事があったので少し空気が悪い。……どうしよ、雪乃さんはまだ怒っていらっしゃる。

小学生たちはチェックポイントを巡りながら駆け回っていた。よく体力持つなあと感心していると、そんな中一つだけ異様な雰囲気の班を見つけた。

五人班のはずが、一人の女子だけが二歩ほど遅れて歩いている。

すらりと健康的に伸びた手足、紫がかったストレートの黒髪、他の子たちに比べて幾分大人びた印象を受ける子だ。フェミニンな服装も周囲より垢抜けている。有り体に言って、十二分に可愛いと呼べる。分かりやすい感じで言えば、今の雪乃をそのまま小さくしたような雰囲気だ。つまり、わりと目立つ。

なのに、誰もその一人が遅れていることなど気にかけていなかった。

ーーいや、気づいてはいるのだ。他の四人は時折その子をチラ見しては、クスクスと笑う。

彼女たちの距離は一メートルも離れていない。傍目には同じグループと映っても不自然ではない。

だが、そこには目に見えない皮膜が、不可視の壁が、れっきとした断絶があった。

その異様と言える光景を見ていると、ズキリと胸が痛む。

あれは………昔の雪乃と同じだ。自分から一人を望んだ俺とは違う、明らかに悪意ある孤立。

他と違うから、気まぐれだから。そんな理由で酷く排他的になる。それを体現したような光景だ。

雪乃もこの異質さに気づいたのか、小さくため息を吐く。

 

「……昔の俺たちみたい、だな」

「……そうね」

 

何が理由でああなってるのかは分からない。だが、少なくとも俺たちが積極的に関わるべきではない。

俺たちの時と同じだ。先生と高校生、立場は違えど、小学生から見れば等しく大人。大人に頼っても、根本的な解決なんてできやしない。それは俺たちの経験則。身をもって学んだことだ。

だから、自ら関わるようなことはしないと決めた。あの子がどうしたいか、仮に俺たちを頼ってきたとして俺たちに何を求めるのか。

そこがはっきりしなければ結局、あの子自身が苦しむことになるのだから。



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鶴見留美の苦悩

 木立の間を抜けていくと、開けた場所に出た。山の中腹に位置するこの地点がゴールらしい。

 広場、なのだろうか。俺たちはこれから児童たちを出迎える準備をしなければならない。

 

「遅かったな。さっそくだが、これを下ろして配膳の準備を頼めるか」

 

 平塚先生が乗っていたワンボックスカーのトランクを開けると、弁当とドリンク類が折り込みコンテナに入って山のように積まれている。

 

「それと、デザートに梨が冷やしてある」

 

 そう言って平塚先生が後方をくいと親指で指し示した。

 小川のせせらぎが聞こえてくる。どうやら流水に浸かっているらしい。

 隼人たちリア充グループが配膳の準備を行い、俺たちは川へと出向き、梨を持ってきて皮をむく。

 

「……お前、配膳のほうじゃなくていいのか?」

 

 由比ヶ浜はほへっ?と間抜けな顔を一瞬した。

 

「えー、なんで?……あ、料理下手って言いたいんでしょ!あたしだって梨むくくらいできるから!」

「や、そういう意味じゃ……」

 

 三浦たちと仲良いし、そっちじゃなくていいのかって意味だったんだが……、まあいい。皮むきは雪乃と由比ヶ浜に任せるか。

 雪乃からナイフを受け取り、嬉嬉として梨をむきはじめる由比ヶ浜。ふんふん♪と鼻歌を歌っていたのだが、それを見ていた雪乃と俺の顔は次第に曇っていく。

 ボトボトと音が鳴り、由比ヶ浜の手に残ったのは、それはそれはもうボン・キュッ・ボンとしたセクシーダイナマイトにグラマラスなスタイルの梨。なんだこの一刀彫りの仏像みたいなのは。

 

「うっそだろお前……」

「由比ヶ浜さん……」

「あ、あれー!?ママがやってるところ見てたのに!」

 

 見てただけかよ。

 ハァとため息を吐いて雪乃は由比ヶ浜に包丁の使い方をレクチャーするのだが、生憎ながら時間があまりない。

 

「お料理教室はまた今度な。とりあえず俺たちに代われ」

「むう……」

 

 由比ヶ浜はとても不服そうな顔をしているが、仕方なしに俺に包丁を手渡す。

 交代する以上、俺もあまり下手なところは見せられない。専業主夫志望の力、見せてやるぜ。

 しゅるしゅると綺麗に皮がむけていく。よしよし、腕は鈍っていないな。働かないためならどんな努力だって惜しまない。

 戸塚が俺の包丁捌きを見て、きらきらした瞳を向けてくる。

 

「八幡すごい!上手だね」

「げ、ほんとだ!ヒッキー意外と上手い…」

「八幡は昔からこういうの、得意だったものね」

 

 あーね。雪乃が寝込んだ時とかに、家行って梨とか林檎とかよくむいてたもんね。懐かしいなぁ。

 ちなみにそんなことを言う雪乃もそそくさと梨のうさぎさんの群れを作っていく。

 梨は皮固いから皮付きじゃない方が絶対食べやすいんだけどな……。

 

「小町ちゃんは受験生よね。では問題。梨の生産量一位の県は?」

「山梨県ですね!」

「おい、バカなのに即答するのやめろ。せめて悩め」

 

 本当に受験生なのだろうか、この子。こんな調子じゃ総武絶対受からないだろ……。

 雪乃は苦笑の混じった微笑みで小町のことを見てから、由比ヶ浜へ顔を向ける。

 

「……由比ヶ浜さん、正解は?」

 

 問われることは予想していたのだろうか、由比ヶ浜が自信満々に答える。

 

「ふふん、……鳥取県!」

「中学からやり直しなさい」

「なんか冷たくない!?」

 

 そりゃ高校生にもなってアホな解答すりゃ誰だってそうなる。俺だってそうする。けど、鳥取は割と惜しい。十年ちょっと前なら一位だったはずだ。今は三位とかそのへん。

 由比ヶ浜の解答を聞いていた小町が急に不穏な笑い声を立てた。

 

「ふっふっふ、小町、今ので答えが分かっちゃいましたよ。鳥取がはずれ、ということは、……つまり、正解は島根県!」

「不正解。つまり、の意味がちょっと分からないわ……」

 

 千葉県民は関東以外の地理に弱いからなぁ。

 

「八幡は、答え分かるの?」

 

 戸塚に問われ、俺は由比ヶ浜以上に自信満々に答える。

 

「千葉県だ。梨をとったら停学って校則の高校があるくらいだからな。ちなみに食べたら退学らしい」

「その千葉知識は受験に絶対出ないわね……」

 

 さすがの雪乃さんも知らなかったらしい。

 どうやら千葉知識統一王座決定戦は俺の勝利で決まりのようだ。

 喋りながらもつったかつったか仕事をしていたおかげで、作業はサクサク終わる。見れば、小学生たちがぞろぞろと到着していた。

 

 

 

 ********

 

 

 

 キャンプといえばカレー。カレーといったらキャンプといっても過言だわ。後半は過言です。

 もちろんだが飯盒炊爨に野外調理。小学生だけでなく俺たちも作る。

 まずは、小学生たちにお手本として火をつけるところから始める。デモンストレーションとして平塚先生が教師たち用の火をつけることになっているらしい。

 

「まずは手本を見せよう。よく見ていたまえ」

 

 平塚先生はそういって炭を積み上げ、着火剤とくしゃくしゃにした新聞紙を置く。

 着火剤に火がつき、新聞紙が燃え上がる。その炎を炭に移そうと団扇でパタパタしていたと思うと、何を思ったのかいきなりサラダ油をぶっかけた。

 たちまち火柱が上がる。良い子の皆さんは決して真似しないでください。本当に危険です。ていうか小学生に見せちゃダメでしょ。怖っ。

 歓声にも悲鳴にも聞こえる声が沸き起こる。だが、平塚先生は動じることなく、それどころか口に煙草をくわえ、ニヒルな笑みを浮かべた。

 

「なんか、随分手馴れてますね」

「なに、大学時代はよくサークルでバーベキューをしたものさ。私が一生懸命火をつけている間、カップルたちはイチャイチャ………。なあ比企谷、私はなんでモテないんだろうな……」

「さ、さあ……」

 

 そんな遠い目で見るなよ。マジで可哀想だから。俺的にはあの脅迫じみたメールを送ってこなければわりとすぐに結婚出来ると思うのですが。……あ、趣味か。平塚先生は確かに美人だけど中身がね。よく顔よりも性格とか言うけど、この人の場合鉄拳制裁が定石だからな。そりゃ無理なわけだ。

 そんなことを口に出すわけにもいかず。次に女子は食材を取りに、男子は火をつけろとの司令が。

 ここで男女別れさせたのは過去の恨みかなんかですか。やっぱ怖いよ。

 

 パタパタと団扇を仰ぐわけだが、結構熱い。そりゃ涼しい山とはいえ夏だし、火の前だから当たり前ではあるが。それにしても汗をかく。

 

「熱そうだね……。あ、何か飲み物持ってくるよ。皆の分も」

 

 戸塚は熱そうな俺を気遣うように声をかけ、その場を離れた。それに便乗して「俺も手伝うわー」といって戸部がついていく。良い奴だな。

 あとは俺と隼人だけが残される。

 

「…………」

 

 パタパタパタパタ

 

「…………」

 

 パタパタパタパタ

 特に話すこともないのでただただ無言で扇ぎ続ける。真っ黒だった炭が徐々に赤みを帯びていくのを見ているとだんだたん楽しい気分になってきた。

 ふと、顔を上げる。すると隼人と目が合った。目が合ったということはつまり俺を見ていたということであり、ここに海老名さんがいたら危なかった。

 

「……どうした?」

「いや、そんな楽しそうな八幡を見るのは久しぶりだと思ってさ」

「そんなに楽しそうに見えるか?」

「理由は察せるけどね」

 

 なんだこいつ、エスパーかよ。俺何も言ってないのに。

 

「……順調かい?」

 

 何が、とは聞かない。聞く必要もない。俺たちの間でする話題はごく限られたものだ。この場合何が言いたいのかは、付き合いの長い俺には分かるのだ。

 ただの幼馴染ならそうはいかない。そんな海老名さんが喜びそうな要素は普通は有り得ないだろう。

 けれど、環境がそうだった。俺たちの関係を深いものへと変えた。それこそ、どんなに引っ張っても壊れない鎖のように。

 

「……まぁ、明日になりゃ分かるだろ」

 

 だからこそ、この程度の会話でも相互に理解出来る。何が順調なのか、明日になれば分かるというのはどういう意味か。

『皆仲良く』を掲げる葉山隼人は、『皆の葉山隼人』であり続けるだろう。これまでも、これからも。

 けれど、それが不可能なのは俺と雪乃を見てきたことで知っている。知っているからこそ、俺に対してだけは、また違った感情を隼人は見せる。小学生の頃のチェーンメールの件からもそれが窺える。

 隼人は平塚先生のようなニヒルな笑みを浮かべる。

 

「楽しみだな」

「おい、笑い話にするのはやめてくれ」

 

 つられて俺も少し笑ってしまう。隼人は若干汗をかきながらも爽やかそうにしている。やっぱり様になってやがるなこんちくしょう!

 

 

 

 ********

 

 

 

 女子たちも戻ってきて、カレーの下ごしらえも米とぎも終えた。これで俺たちの分の準備が整った。

 周囲を見渡せば、炊ぎの煙があたりに散見できる。

 小学生たちにとっては初めての野外炊飯だ。苦戦しているグループもいくつか見受けられる。

 その中には、一人だけ弾かれている、ぽつんと、一人きりで存在を薄くしているあの少女がいる。

 やはり一人でいるのは目立つ。彼女が一人でいるのは小学生たちにとっては日常的な光景なのだろう。だが、やはり外部の人間から見れば気にかかる。

 ぼっちに話しかける時はあくまで秘密裏に、密やかにやるべきだ。例えば隼人のような奴が彼女に話しかければ、孤立を助長してしまう恐れがある。あいつだけ特別扱いされてる、みたいな。

 その隼人といえば、他の小学生たちに混じって和気藹々と話していた。さすがのコミュニケーション能力といえる。俺と雪乃が彼女へ近づいているのを見たのか、聞いた者を引きつけ、自分へと注目を向けさせる明るい声を上げた。

 

「じゃあ、せっかくだし隠し味入れるか、隠し味!何か入れたいものある人ー?」

 

 小学生たちは勢いよく挙手してはコーヒーだの唐辛子だのチョコレートだのといろいろなアイデアを披露する。

 

「はいっ!あたし、フルーツがいい!桃とか!」

 

 ……小学生に混ざってアホなことを抜かす高校生が若干一名いるが、放っておこう。さすがの隼人も表情を強ばらせてるし。

 すぐに穏やかな顔に戻ると、隼人は何事か言う。すると、由比ヶ浜が肩を落としてこちらに向かってとぼとぼ歩いてきた。どうやら邪魔者扱いされたらしい。そりゃそうだ。

 

「あいつ、バカか……」

 

 思わず零れ出た言葉に、そっと囁くような言葉が続いた。

 

「ほんと、バカばっか」

 

 いつの間に来ていたのか、件の女の子が隣に座ってきた。

 

「世の中大概バカばっかだ。早めに気づいてよかったな」

 

 俺が言うと、少女は返事が来るとは思わなかったのか、驚いた目をしている。値踏みでもするかのような視線は少し居心地が悪い。

 

「名前」

「あ?名前がなんだよ」

 

 名前という単語では何を言いたいのか伝わらない。聞き返すと、彼女は若干不機嫌になって言い直す。

 

「名前聞いてんの。普通さっきので伝わるでしょ」

「名前を尋ねる時はまず自分から名乗りなさい」

 

 普段より冷たい声色で話、少女を睨む雪乃。子供相手といえど手心を加えるつもりはないらしい。その雪乃に少し怯えた様子で気まずげに視線を逸らした。

 

「……鶴見留美」

 

 留美か。雰囲気も相まってあだ名はルミルミで決定だな。ナデシコかよ。

 雪乃は留美の名前を聞いてこくっと頷いた。

 

「私は雪ノ下雪乃」

「比企谷八幡だ。で、これが由比ヶ浜結衣な」

「なに?どったの?」

 

 近くまで来ていた由比ヶ浜を指さす。由比ヶ浜は俺たち三人の様子を見て、それとなく察したようだ。

 

「えっと、鶴見、留美ちゃんだよね?よろしくね」

 

 だが留美は由比ヶ浜の声に対して返事をせず、直視すらしない。足元のあたりを見ながら途切れ途切れに口を開く。

 

「なんか、この二人は違う気がする。あの辺の人たちと。私も違うの」

 

 主語がないので分かりづらいが、言いたいことは分かる。

 あの辺、とは隼人たちリア充のことを指しているのだろう。そして俺と雪乃、そして自分自身はそういう奴らとは違うと、そう宣言した。

 

「違うって、何が?」

「周りはみんなガキなんだもん。だから、もう一人でも別にいっかなって」

「で、でも、小学校のときの思い出って結構大事だと思うなぁ」

「別に思い出なんていらない。中学に入れば、余所から来た人と仲良くなればいいし」

 

 すっと顔を上げる。その視線の先にあるのは空だ。

 留美の遠い目はもの悲しかったが、同時に希望も宿っていた。

 鶴見留美はまだ信じている、期待している。環境が変われば楽しくやれると希望を持っている。

 そんな希望なんてないのに。この先にあるのは希望でもなんでもない。何もかもに裏切られるのが世の理だと絶望に打ちひしがれるのだ。

 

「そうはならないわ」

 

 雪乃ははっきりと断言した。

 

「自分が変わらなければ、中学に上がっても同じことが起こるだけよ。今度はその『余所から来た人』と一緒になって」

 

 公立の小学校から公立中学校に上がる場合、それまでの人間関係も継続する形になる。それはつまり、小学校卒業時のマイナスを抱えたままスタートすることになる。

 雪乃は海外へ行ってしまったことで人間関係はリセットされた。俺は卒業と同時に学区が違う場所へ引っ越したので、新しい人間関係を構築することが出来た。

 だが、留美は違う。過去の負債がどこかから必ず入り込む。自分の過去が勝手に共有化され、彼らが彼女らにとっての便利なコミュニケーションとして楽しく活用されて終わりだ。

 

「やっぱり、そうなんだ……。ほんと、バカみたいなことしてた」

 

 諦めたような声が小さく漏れた。

 

「何が、あったの?」

 

 恐る恐る由比ヶ浜が尋ねた。

 

「誰かがハブられるのは何回かあって……。けど、そのうち終わるし、そのあとはまた話したりする、マイブームみたいなもんだったの。それで、仲良くて結構話する子がハブにされてね、私もちょっと距離置いたけど……。けど、いつの間にか私がそうなってた。別に、なにかした訳じゃないのに」

 

 やはり小学生は怖い。

 理由なんてどうでもいい。みんながそうしているから、みんながそう言ってるから、そんな言い訳を自分自身にして、そうしなければならないという妙な義務感に襲われる。

 昨日まで友人だったはずの人間に、次の日には嫌われている。

 それは、雪ノ下雪乃の経験したこと。そして俺が経験したこと。一度自身が経験しているからこそ、その恐ろしさが身に染みるのだ。

 秘密をネタにし、自分を攻撃する要素になる。

 だからこそ、俺と雪乃は相互に依存する関係性になった。信頼できる人がいないから、そうなるのが自然の理だったのだ。

 

 

 ──鋳型に入れたような悪人は、世の中にあるはずがありませんよ。

 平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。

 それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです

 

 ふと、夏目漱石の一節が頭をよぎった。

 自分を含めて、自分が善人であると疑わない。だが、自分の利益が犯されそうな時、人は容易く牙をむく。

 次は自分の番なのではないか、自分が周りに牙をむかれないか。そういった不安に震える。だから、そうなる前に次なる生贄を探すのだ。

 それが連鎖する。終わりなんて存在しないのだ。

 留美は、そんな負の連鎖の渦へと引き込まれた。簡単に引き上げることは難しいだろう。

 

「中学校でも、……こういう風になっちゃうのかなぁ」

 

 嗚咽の入り混じった震える声音。それを皆黙って聞いている。

 そんな中、俺はポツリと呟いた。

 

「……変わりたいか?」

「……え?」

「惨めなのは嫌か?自分だけ嫌われて、誰も救ってくれなくて。……そんな現状を変えたいと思うか?」

「…………うん」

 

 涙を堪えるように空を見上げる留美。

 小学校の教師による食事前の号令を聞き届け、俺は頷く。

 

「また明日にでも話そうぜ。……変われるといいな」

 

 俺に考えがない訳では無い。けれど、もう少し現状確認が必要だ。

 留美が本気で変わりたいと願うのなら、俺は奉仕部の部員として、責務を全うするまでだ。

 俺たちの時の教師とは違う、本当の大人というのを見せてやりたい。

 それに雪乃も由比ヶ浜も異議は無いようだ。

 

 隼人たちがいる所から歓声が響く。たかだか十メートルも離れていないのに、ここからは遥か異郷の出来事のように俺には見えた。




やっと一文字空ける方法分かったー!


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比企谷八幡の覚悟


お待たせしました。またぼちぼち投稿していきます。


 笛付きケトルがカタカタ言い出し、さほど大きいともいえないサイズながらけたたましい警笛を鳴らす。

 小町がすっと立つと、ティーバッグで紅茶を淹れ始めた。

 高原の夜は少し冷えるものだが、小学生たちか撤退を始めて静かになってくると、なお涼しげだ。

 もうじき、小学生たちは就寝時間のはずだ。もちろん、友人たちと過ごす夜を大人しく眠るはずもない。定番の枕投げだったりをして楽しんでいるだろう。

 けれど、一部は早々に眠ってしまう子だっている。友人がいない、その輪に加われない子は少しでも早く寝ようと心がける。他のみんなが自分の存在を気にせず、楽しめるように。

 俺もかつてはそうだったと思う。あの事件以降、俺は誰から見ても浮いている存在になった。みんなが俺に近づかないようにし、俺も気を遣って自ら離れていった。誰もそんなこと気づきはしないけど。

 俺は望んで一人になったが、あの子は違う。

 

「大丈夫、かな……」

 

 由比ヶ浜が少し心配そうな声で俺に聞いてきた。

 何が、と問うまでもない。鶴見留美のことだ。彼女が孤立しているのはここにいる全員が気づいている。あんなもの見た人なら誰もが分かる事だ。

 その言葉に、少し席を離れて紫煙を燻らせていた平塚先生が反応した。

 

「ふむ、何か心配事かね?」

 

 その問いに答えたのは珍しく三浦だった。

 

「なんかー、孤立しちゃってる子がいてー。可哀想だよねー」

 

 三浦は同意を求めるように隼人の方へと顔を向ける。『小学生を心配してる自分いいでしょ!』と主張しているのだろうか。本質を正確に把握していない三浦を思わず鼻で笑ってしまった。

 もちろん、キッと睨みつけられる。

 

「何笑ってるわけ?」

「いんや別に。問題の本質を理解していないと思ってな。孤立すること、一人でいること自体は別にいいんだ。問題なのは、悪意によって孤立させられていることだ」

「はあ?意味分かんないんだけど」

 

 これでも分かりやすく伝えたつもりだったのだが。

 

「好きで一人でいるのと、そうじゃない人がいるってことだ。あの子の場合は後者なんだよ。俺や雪乃は似たような境遇に遭ったことあるからよく分かる」

「……へぇ、似たもの同士ってこと。雪ノ下さん見る目ないかと思ったけど、ふたりぼっちだからそりゃそんなのに惹かれるよね」

 

 ちょっと待て。なんでいきなり俺と雪乃の話にシフトチェンジしたんだ?それに、そんなのとかすごいディスられた気がするんですけど。

 いや、俺は別にいい。何言われようと気にしないようにしてるし、言われ慣れてる。だからまぁ、雪乃さん?その殺気を抑えて?

 だが、これで分かったことがある。結局、他人から見れば俺たちの関係は歪んで見えるのだ。

 だからこそ、今この瞬間、三浦は勝ち誇ったような顔をしているのだ。自分の方がいい思いをしていると。好きになる相手を間違えたなと。

 俺と隼人を比べられては何も言い返せない。勉強は同程度だが、イケメンだし、サッカー部のエースだし。俺なんか材木座から半端イケメンとか残念美少年とか言われるんだぞ。半端と残念は余計だっつーの。

 そんな三浦を見て、由比ヶ浜はおろおろとする。そりゃそうだ、友人二人がバチバチしてたらそうなる。

 さて、どう言い負かそうか……

 

「優美子」

 

 そう考える間もなく、冷たい声が響く。カレーを食べている時は和気藹々とした雰囲気だったのに、今はここら一帯の空気が一気に変わった。

 こんな隼人を見るのは初めてかもしれない。もちろん、三浦も驚きの表情を見せる。

 

「八幡たちの気持ちも考えずに軽率な発言はやめてくれ」

「…………」

「……すまない、空気を悪くしちゃったね」

 

 ……まぁ、そもそも俺と三浦が言い合いを始めた時点でちょっとまずい雰囲気ではあったが。

 それも相まって今最高に居心地が悪い。

 っべー、俺間違ったこと言ってないけど原因俺みたいなもんだよな……。っべー……。

 とりあえずいつもの戸部の真似をして心を落ち着かせよう。

 

「まったく、喧嘩は後にしてくれ。話を戻すぞ。孤立している子がいるんだったか。それで、君たちはどうしたい?」

 

 平塚先生に問われ、みなが一様に黙る。分かっているのだ、誰もがあの子の問題を完璧に解決することなんてできない。そもそもいじめを受けたことのないやつがあの子に寄り添う事なんてできるわけが無い。

 

「……俺は、無理に他の子たちと関係を繋げないほうがいいと思う」

 

 俺と雪乃以外の全員が、隼人の言葉に耳を疑う。

 それが普通の反応だろう。だが、俺のような経験者からすればそれが正しい。何とかする、なんて身も蓋もないことを言えば、それはつまり集団から悪意を持って孤立させられた子を、その悪意の渦へを引きずり落とすということ他ならないのだ。

 皆仲良く。それを掲げていたのだから、普段のグループの奴らから見れば異様なのだと言える。

 本当なら、隼人だって助けたいと思ってるに決まってる。けれど、その方法が分からない、無闇に首を突っ込んではいけない問題だということも理解している。恐らく、今この場で一番葛藤しているのは隼人だ。

 それに対し、平塚先生はふむ、と顎に手をやった。

 

「確かに、友人を作らないのは一つの選択肢だろう。俺はぼっちだと言いながら何人も友人がいる者もいるがね」

 

 そういいながら平塚先生は俺の方へ顔を向ける。

 おっと、俺のことですか?ある意味正しいでしょ?クラスじゃ基本喋らないからさ。

 

「だが、人との関わりを絶つのはいただけないな。人は誰しも、一人では生きていけない。一人じゃどうしようもできない大きな壁にぶち当たった時、頼れる人がいた方がいいだろう?」

 

 それは一理、いや百里くらいあるんじゃなかろうか。

 もし小学生の時、俺が雪乃とも関わらずに一人でい続けたら今頃どうなってただろうか。退廃的な生活を送り、何事にもやる気が出ず、流されるままに生きていただろう。それほど小さい頃の経験は重要なのだ。

 留美はまだやり直せる範囲内だ。きっと何かきっかけがあれば、変われるはずだ。

 惨めなのは嫌だと言った。現状を変えたいと願った。そんな留美を、俺は放っておくつもりは到底ない。

 

「どうすればいいか、あとは自分たちで考えてみたまえ。私は寝る」

 

 ふあ、と欠伸を噛み殺すようにしてから平塚先生は席を立った。

 

 

 

 ********

 

 

 

「……八幡は、どうするべきだと思う?」

 

 隼人の言葉に、全員の視線が俺に集中する。

 なぜ俺に問うたか、それは単純明快。

 隼人は俺に託したのだ。そもそも根底からモットーが違う。今回の件について、『皆仲良く』は絶対に叶わない。だからこそ、俺に答えを求めた。今この場において、問題の本質を完璧に理解し、最適解を導き出せるのは、俺と雪乃くらいだ。

 

「吊り橋効果って知ってるか?」

 

 ものすっごいあほ面。

 まぁ、ちゃんとした答えを期待していれば皆そんな顔になるよな。

 もちろん、ふざけて言ったつもりはない。というか、めちゃくちゃ真面目だ。

 

「一般的には不安や恐怖を感じる場所を異性と渡れば、恋愛感情を抱きやすくなるって理論。厳密に言えば違うかもしれんが、それを留美たちに当てはめるんだ」

「えっと、よく分からないんだけど……」

 

 戸塚が言ってきた。うーん、やっぱ難しいのかなぁ。

 

「あえて留美の周りに不安を抱かせるようなことをして、一体感を図ろうって事だ。さっき先生が言ってたろ?どうしようもできない大きな壁に直面した時、頼れる人がいればいいって。その頼れる人が留美だけになるように仕向ければいい。つまり、留美自身が行動する必要がある」

「うーん、留美ちゃんのためにどうするかじゃなくて、留美ちゃん自身がどうすればいいか、ってこと?」

「お、今回は賢いな、由比ヶ浜」

「今回ってどういうこと!?」

 

 お前は俺の中じゃアホの子だ。ちゃんと俺の言ったことが理解出来たから褒めたんだけどな。

 隼人が考え込み、やがて答えを出したのか頷いた。

 

「この件は八幡たちに任せよう。頼めるか?」

「まぁ、それが仕事だからな」

 

 俺たち奉仕部は、魚を捕ってそれを与えるのではなく、捕り方を教えるのが理念だ。丁度いいっちゃ丁度いい。

 俺たち大人が深く介入する必要は無い。ほんの少し、道筋を教えてやればいい。

 俺や雪乃だって変われたのだ。きっと留美も……。

 

 結局話し合いはそれで落ち着いた。

 俺の目的だってある。後味をよくする為にも、全力で問題に取り掛かろうか。

 

 

 

 ********

 

 

 

 風呂から上がり、バンガローの部屋へと戻る。

 既に入り終えた隼人と戸部は、各々暇を潰していた。

 隼人はタブレット端末を弄り、戸部は何やら携帯ゲームでもしているのか、なんかこう、指をしゃっしゃってしてる。音ゲーか?

 だがそれも飽きたようで、携帯を枕元に置き、隼人のタブレットを覗いた。

 

「ちょちょ、隼人くん何見てんの?エロ動画?」

「いや、参考書だよ。PDFだけど」

「ちょ、なんか今超頭いい単語聞こえたわー」

 

 今の会話で頭のいい単語は皆無だったと思う。

 だが、参考書類をPDFで持ち歩くのは楽でいいな。俺も近いうちにタブレット買おうかな。

 

「隼人くん頭いいのにここでも勉強とかマジパないわー」

「そんなことないよ。上には上がいる。なぁ、八幡?」

「……あぁ」

「え、ヒキタニくんって頭いいの?」

「これでも学年一位と二点差だ」

「パネェ!頭良すぎっしょ!」

 

 うぜぇ……。なんでパリピってパネェとか語尾にっしょとかつけるの?お前のハイテンションっぷりにパネェだよ、ホント。

 

「ふぅ……、お風呂上がったよ」

 

 戻ってきた戸塚が後ろ手でドアを閉めた。まだ少し濡れた髪をタオルで拭きながら俺の傍を通るのだが、え、なんでこんないい匂いするの?マジで戸塚何者?

 これはもう男性・女性・戸塚と性別を三つに分けるべきではないだろうか。

 バッグから取り出したドライヤーで髪を乾かす姿もなんだか扇情的だ。

 最後に確かめるように髪を掻き上げ、戸塚は満足そうにため息を吐いた。

 

「そろそろ寝るか」

 

 隼人がそう言うと、戸部も戸塚もそれぞれ寝る支度を始めた。俺?俺は既にごろごろしていたからすることがない。なんという先見の明。

 布団を敷き終えると、隼人が照明のスイッチに手を伸ばす。パチっと音を立てて、吊るされていた裸電球の灯りが消えた。

 

「ちょ、隼人くん、なんかこれ修学旅行の夜みてぇじゃね」

「ああ。そんな感じだなー」

 

 結構適当な返しだ。案外隼人も眠いのか。

 

「……好きな人の話しようぜ」

「嫌だよ……」

 

 戸部の提案に、隼人ははっきりと拒絶した。

 ……あれ?そういえば隼人の好きな人って誰だ?

 

「あはは……、ちょっと、恥ずかしいよね」

 

 戸塚が困ったように小さく笑う。

 

「いいじゃん、語ろうぜ!俺、実はさ……」

 

 こいつ絶対自分が言いたいから話振ったんだろ……。

 隼人も戸塚も似たような感想らしく、苦笑めいたため息が聞こえた。

 

「海老名さん、ちょっといいなって思ってんだ……」

「……マジで?」

「んだよ、ヒキタニくんもわりとノリノリじゃん!」

「でも意外だね。戸部くんは三浦さんのこと好きなんだと思ってた」

「いやー、優美子は怖いし……」

 

 お前も怖いと思ってたんだな。実はさっきのい言い合いも内心結構ビクビクしてたんだよね、俺。

 

「結衣も結構いいけど、あいつアホじゃん?それに、地味に人気あるから競争率高ぇし」

 

 ……まぁ、そうだろうな。ああいう優しい女子はモテる。顔だっていいしな。勘違いした男子がよく引っかかりそう。

 

「海老名さんは逆に狙い目っつーか?」

 

 確かに海老名さんも顔は可愛い。ただ、あのレベルの趣味ゆえに男子から敬遠されがちだ。けれども、そういった趣味をわざわざ喧伝し、オープンにするのは彼女なりの防衛策なんじゃなかろうか。ちょっと穿った見方かもしれないけど。

 自分だけが喋っていることに気づいたのだろう。戸部が俺たちに問いかけてきた。

 

「お前らどうなんだよー」

「うーん、好きな女の子は特にいないかなぁ」

 

 戸塚に好きな女の子はいない。じゃ、じゃあ好きな男の子は……何考えてんだ俺。

 

「ヒキタニくんは?ヒキタニくんはどうなんよ?雪ノ下さんと仲良いらしいけどさ」

「戸部、その辺に……」

「ああ。雪乃が好きだけど。これでいいか?」

「……マジで?」

 

 戸部が明らかに驚いた声になった。隼人も戸塚も驚きを隠せないでいるようだ。まぁ、別の理由だろうけど。

 

「い、意外だね……。認めた……」

「もう他人の目を伺うのは止めたんだ。吹っ切れた」

 

 その足がかりを作ってくれたのは平塚先生な訳だが。

 

「そっか……」

 

 隼人が安堵したような、そんな声を出す。戸部だけついていけてなかったが、お構い無しに俺は布団に潜り込む。

 ……やっぱ自覚するのめっちゃ恥ずかしい。

 

 

 

 ********

 

 

 

 高原の夜。静謐な涼しさに俺の心も徐々に落ち着いてくる。

 かと思ったが、それどころじゃなく普通に怖い。なんかほーほー言ってるし、ざざざっと葉が鳴っただけでビクッとなってしまう。

 内心ビクビクしながら周囲を見渡す。

 すると、林立する木々の間に長い髪を下ろした女の子が立っていた。

 それこそ、精霊や妖精の類いと幻視するような、どこか現実離れした光景だった。

 彼女は月光を浴びながら小さな、とても小さな声で歌っている。寒気すらする闇の森の中で、囁くような歌声は不思議と耳に心地よかった。

 

「……八幡?」

 

 俺の姿を確認したのか、雪ノ下雪乃は歌うのをやめ、こちらを見た。

 

「星でも見てたのか?」

 

 雪乃の隣に立ち、問う。

 都会に比べ、ここら一帯は星がよく見える。周囲に明かりがないほど星は輝きを放つのだ。

 しかし、雪乃は陰鬱なため息を吐いた。

 

「ちょっと三浦さんが突っかかってきてね……」

 

 雪乃はしゅんと落ち込んだように顔を下に向ける。またなんか言い合いでもしたのだろうか。それにしても珍しいな、こいつが誰かにやり込められるなんて。さすが三浦、炎の女王は伊達じゃない。

 

「八幡や私のことをこれでもかと見下すものだから、三十分ほどかけて完全論破して泣かせてしまったわ、大人げないことをしてしまった……」

 

 いや氷の女王強すぎるだろ。

 

「さすがに気まずくなって出てきたのか」

「ええ。まさか泣いてしまうと思ってなかったから……」

 

 さしもの雪乃も涙には弱い。

 

 夜の森に、弱めの風が吹いた。雪乃は髪を撫でつけると、それを合図にするかのように話を変えた。

 

「明日はあなたの誕生日ね」

「……そうだな」

 

 小学生の頃は、家族以外から祝われることなんて一生ないものだと思っていた。

 けれど、雪乃はそんな俺の誕生日を忘れず、必ずプレゼントをくれる。俺にとっての大切な人から貰うプレゼントほど、嬉しいものはない。

 

「欲しいもの、ある?できる限りなら用意するわ」

 

 気持ちだけでも充分すぎるくらい、こいつからは色々なものを貰った。物として残るプレゼントだけじゃない。形にできない、大切なものだってある。

 ──俺が求めるものは、とっくのとうに決まってる。

 

「ああ。明日、改めてちゃんと言うよ。だから身構えなくていい」

「あまりにも高いのは要相談ね」

 

 ある意味高いのかもしれない。

 けれど、俺が欲しいのは、金じゃ買えない。

 今俺の欲しいものを知ってるのは、俺自身だけだ。

 

「そろそろ戻るわね」

「……あぁ、おやすみ、雪乃」

「ええ、おやすみなさい、八幡」

 

 街灯のない道を雪乃は危なげない足取りで歩く。俺は、次第に闇の中へと消えていく雪乃を見送った。

 一人残された俺はふと、夜空を見上げる。

 本当にこれでいいのか。最終確認かのように提示されたその問いは、答えを得ぬまま夜の風によってかき消される。

 きっと答えなんて必要ない。この問いに答えなんてない。平塚先生の助言が無ければ、今も尚そんな単純なことに悩み続けていたことだろう。

 俺の欲しいものはとっくのとうに決まっていた。いつからか、なんて聞くまでもない。

 過去も未来も、周りの目も、全てを気にせずに突き進む覚悟ができた。あとは、結果を出すだけだ。



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