天海志騎は勇者である (白い鴉)
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天海志騎の章
第一話 天海志騎


第一話目になります。どうぞお楽しみください。


 朝五時半、ピピピピピという目覚ましの電子音が部屋の中に軽く鳴り響いた。

 音源は部屋に置かれているベッドの枕元の目覚まし時計からだった。眠っている人物はようやく夢から覚醒し始めたのか、布団の中でもぞもぞと動き出している。

 やがて布団の中から手がにゅっと出ると、うるさそうに目覚まし時計のスイッチを軽く叩いて音を止める。そして布団の中から出てくるとくぁっとあくびをした。

 布団から出てきたのは少年だった。まだ小学生ぐらいの体格の少年は、眠たそうに目をごしごしとこする。一見何の変哲もない少年に見えるが、他の人間にはまず無い特徴があった。それは、少年の髪の色が普通の黒髪ではなく、水色がかかった白髪である事だ。

 少年----天海志騎(あまみしき)はその髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、自室を出て顔を洗うために風呂場の近くの洗面台へと向かう。志騎が住んでいる家は和風の屋敷で、そこそこ広い間取りとなっている。なお、志騎の部屋以外にも洋室がもう一つあるのだが、そこは現在もう一人の住人が使っている。今はまだ五時半なので、その住人はまだすやすやと眠っている事だろう。

 顔を洗った志騎は居間へ入り台所に立つと、すぐさま朝食の準備に取り掛かる。今日の朝食は食パンにベーコンエッグ、トマトやブロッコリーなどで作ったサラダ、さらにピーマンとハムの塩炒めに牛乳である。

 朝食から見て分かる通り、志騎は基本的に食事は洋食派である。和食も作れる事は作れるのだが、洋食にはハンバーグやオムライスなど、彼の好きな食べ物が揃っているので必然的に作る物が洋食になっている。とは言ってもさすがにいつも洋食だけでは飽きるので、月に何回かは和食を作るのだが。

 ちなみに、料理にピーマンが混ざっているのは同居人が苦手な物だからだ。彼はどうにか同居人のピーマン嫌いを克服できないか日々試行錯誤し、可能な限りは食事にピーマンを出している。まぁ、効果はあまり芳しくないのだが。

 志騎がフライパンでベーコンエッグを焼いていると、居間に同居人である女性が入ってきた。

 髪の毛を後ろで束ね、眼鏡をかけたその女性は台所で料理をしている志騎を見ると笑みを浮かべて挨拶を交わす。

「おはよう、志騎。今日も早いわね」

安芸(あき)先生もおはようございます。すぐできるので、少し待っててください」

 そう言いながら志騎はフライパンの上のベーコンエッグをあらかじめ用意してあった皿に移すと、出来上がった料理を居間のテーブルへと持っていく。そうして二人分の朝食をテーブルに並べると、二人は床に敷いてある座布団にそれぞれ正座をして静かに合掌した。

「「いただきます」」

 そして二人が朝食を食べ始めようとしたその瞬間、安芸がテーブルの上のピーマンとハムの塩炒めを見て軽く顔を引きつらせた。

「ね、ねぇ志騎」

「何ですか?」

「私、たまにはピーマン以外のおかずが良いなぁって思うの。ほら、いつもピーマンだと飽きるでしょ?」

「俺は飽きません。そのために色々バリエーションを考えて作ってるんですから」

「そ、そう……」

 はぁ、と安芸はがっかりと肩を落とすが、どうやらまだ諦めきれないらしい。志騎が焼いた食パンにいちごのジャムを塗っているのを見ながら、諦めずに言ってくる。

「じゃ、じゃあピーマンの料理なら良いんでしょ? それなら作ってくれるのよね?」

「はい。……参考に聞きますが、何が食べたいんですか」

「……ピーマンの肉詰め」

「ほう」

「の、ピーマン抜き、とか?」

「それもうただの肉じゃないですか。ピーマン使ってないですし」

 志騎の言う通り、それはもうカレーライスのルー抜き、と言っているようなものだ。何が悲しくて作った料理のアイデンティティーを奪うような事をしなければならないのだ。はぁ、と志騎は呆れたようにため息をつきながら食パンを食べ始めた。

 安芸と暮らして大分立つが、彼女のピーマン嫌いはもう筋金入りである。そもそも、志騎が毎日三食作っているのは、彼女のそのピーマン嫌いのせいでもあるのだ。

 安芸は別に料理が苦手なわけではない。むしろ上手な方だ。なので昔は安芸が基本的に毎日三食作っていたのである。

 しかし、その日々の中でたまに問題が起こった。スーパーで野菜が安売りされていると、安芸は節約のためその野菜を大量に買う事があった。

 これはまだ良い。節約は大事だし、野菜は体にも良いからだ。

 だが、その野菜がピーマンだった場合だけは話が別だった。食費の節約のためにピーマンをたくさん購入したのは良いものの、ピーマンが苦手な安芸はあまり食べたくない。しかしピーマンは消費したい。その二点を考えて、安芸が下した苦渋の決断が志騎にピーマンを食べてもらおうというものだった。

 志騎はこの年齢の少年にしては珍しく、ピーマンは嫌いではない。しかし考えてもみてほしい。食卓の自分の皿に大量のピーマンが盛り付けられ、買ってきた同居人の皿にはピーマンがほんのちょっぴりしか載っていないという光景を。もはやピーマンに何か恨みがあるのでないかと思えるほどである。

 その事について志騎が安芸に聞いたところ、返ってきた返事は『志騎にすくすくと育って欲しいから、ピーマンをたくさん出した。自分が嫌いだからでは決してない』というものだった。まぁ、安芸本人は非常に真面目な人間なので、その後すぐにピーマンが嫌いという事もあると認めたのだが。

 そしてこのままでは冗談抜きで自分の食事が大量のピーマン料理だけになってしまうのと、安芸のピーマン嫌いをどうにか克服して欲しいと志騎が考えた結果が、自分が三食作るというものだった。

 安芸は当初は反対していたものの、何回か行われた話し合いの結果、渋々その案を受け入れる事になった。今ではこうして食事の用意を志騎に任せてはくれているが、ピーマンを食べる時だけは今のような要求をたびたび出してくる。しかしさすがに志騎も慣れてきたので、今ではため息をつきながらも安芸の要求を流すようになった。

 やがて二人は朝食と食後の歯磨きを終えると、それぞれ学校と職場へ向かうための身支度を始める。志騎は一旦自分の部屋に戻ると、自分が通っている学校『神樹館』の制服を身に纏う。普通の小学校ならばその必要も無いかもしれないが、神樹館は結構格式が高い学校のため毎日制服を着て通う必要があった。

 制服を着る準備を終え、いつも使っているランドセルの中身がちゃんと入っているかチェックを終えると部屋を出て居間に向かう。そして居間で朝のニュースを見ながら登校までの時間を潰していると、スーツ姿に着替えた安芸が居間に来た。

「じゃあ志騎、私は先に学校に行ってるわね。遅刻しないように気を付けるのよ」

「はい。安芸先生も気を付けて」

 安芸の言う学校というのは、志騎の通う神樹館の事だ。安芸は神樹館の、しかも志騎のクラスの担任の先生なのである。とは言っても、志騎が安芸と一緒に暮らしているのを知っているのはごくわずかだ。神樹館の教師以外だと、今はこの場にいない志騎の幼馴染ぐらいである。

 安芸が先に家を出てから十五分ほど経ち、そろそろ行くかと志騎が畳から腰を上げたその時、玄関からピンポーンという呼び鈴の音がした。その呼び鈴の音を聞いて、すぐに志騎は呼び鈴の主が誰かに気づいた。こんな時間に呼び鈴を押すのは、志騎が知る限り一人しかない。

 志騎が玄関に向かおうとすると、再び呼び鈴が鳴らされる。しかも一回だけではなく、ピンポンピンポンピンポーンと何回も鳴らされる。はぁ、と志騎はため息をつきながらやや早歩きで玄関に向かうと少し乱暴に引き戸を開ける。

「よっ! おはよ、志騎!」

 片手を挙げながら言ったのは、女子用の神樹館の制服を身に纏った一人の少女だった。髪の毛を後ろで短く纏めており、前髪には花の髪飾りが着けられている。朝から元気いっぱいの少女の満面の笑顔は、彼女特有の溢れんばかりの活発さを志騎に伝えてくる。志騎は半目になりながら、少女の額に軽くデコピンをした。

「いてっ!」

「朝から騒ぐなよ銀。人んちの呼び鈴をピンポンピンポン馬鹿みたいに鳴らしやがって……」

 志騎が呆れたように言うと、少女----志騎の幼馴染、三ノ輪銀はたははと笑いながら、

「いやぁ、お前が寝坊でもしてたらまずいなぁって。安芸先生、遅刻とかにすごい厳しいだろ? あたしもしょっちゅう怒られてるからさー」

「あの人が厳しいのは同感だけど、飯作ってるのは俺だぞ? 朝寝坊なんてできるかよ。とにかく、すぐに用意してくるから待ってろ」

「りょーかい!」

 彼女の元気の良い返事を聞きながら志騎は自室に戻ると、ランドセルを持って再び玄関に戻る。それから鍵をかけて、銀と一緒に家を出た。

 銀の家は志騎の家から歩いて三分ほどの場所にあり、いわゆるご近所さんの関係だ。そのため、こうして朝二人で一緒に学校まで向かうのが幼い頃からの二人の習慣になっていた。流石に帰りはそれぞれの事情もあるため、二人一緒に帰れない日もたまにはあるのだが。

「いやぁ、なんだか今日はまっすぐ学校に行けそうな気がするなぁ!」

「いつもまっすぐ学校に行けてないような事を言うのはやめろよ。まぁ、事実ではあるけどさ……」

 嬉しそうな銀の発言に、志騎はやれやれと言いたげな口調でツッコミを入れる。

 銀の言う通り、彼女は学校に遅れる事がたまにある。それは別に彼女が学校が嫌いだから途中で寄り道をしているというわけではない。むしろ学校は好きな方だろう。勉強は苦手だが、休み時間などは校庭で走り回っている姿をよく見かける。そして、それにたまに志騎も巻き込まれる。

 では何故彼女が学校に遅れる事がたまにあるかというと、彼女の行くところで何故かトラブルが起こる事があるのだ。例えば親とはぐれた迷子がいたり、まだ小さい子供達が喧嘩をしていたり、はたまたうっかりペットの手綱を離してしまい、それで自由になり走り回るペットを追いかける持ち主がいたり、例を挙げるとキリがない。

 それで彼女自身親切な性格なので、その人達と関わって一緒に問題を解決するのだが、その結果学校に遅れてしまい先生に怒られる、というのがたまにあった。ちなみに銀は志騎と同じクラスなので、担任の先生は安芸先生である。

「まぁでも、確かに今日は時間もあるし、今から何かトラブルでも起きない限りは遅刻はありえな……」

 志騎がそう言いかえたその時、二人の目の前を茶トラの模様に首輪をした子猫が通りがかった。子猫は二人の姿を見ると、ニーと可愛らしく鳴きながらとことこと歩いてくる。そして二人は、その子猫に見覚えがあった。

「あれ? なぁ志騎。この猫、木場さんちのトラジローじゃないか?」

「え? まさか……いやでも、確かに、そう言われてみれば……」

 木場さん、というのはここから歩いて数分程の家にある年配の女性の名前だ。人当たりが良く優しい女性であると同時に、おっとりとした性格の持ち主で、普段は自宅で子猫であるトラジローと一緒に過ごしている。それは良いのだが、そのトラジローという猫が活発な性格で、たびたび家を飛び出してはあちこちを散歩している。ただ最後には必ず木場の家に帰るので、幸い大きな騒ぎになった事などは一度もない。

 ちなみに、二人が木場と面識を持ったのは今のように道を歩いていたトラジローを見つけ、それを木場の家に連れて行ったのがきっかけだ。なお、その際にお礼としてどら焼きや羊羹をもらったのは二人にとっては良い思い出である。

「もしもトラジローなら、首輪に名前が書かれてたはずだよな……どれどれ……」

 志騎が擦り寄ってくる子猫の首輪を見てみると、そこには綺麗な文字で『トラジロー』と書かれていた。ビンゴである。銀はトラジローの頭を優しく撫でてやりながら、

「こいつ、またばあちゃんの家を抜け出して散歩してたのか……。駄目だろ抜け出しちゃあ。ばあちゃんきっと寂しがってるぞ?」

 銀が苦笑しながら注意しても、当の子猫はニーと嬉しそうに笑うだけだ。トラジローの柔らかな毛並みを手で感じながら、銀は何かを決めたような顔で言う。

「よし! せっかく見つけたんだし、ちょっとトラジローをばあちゃん家まで送ってくる!」

「おい、学校はどうするんだ。ここからはあんまり遠くないけど、トラジローを届けに行ってそこから学校っていうのはさすがに遅刻確定だ。また安芸先生に怒られるぞ」

 すると銀はポリポリと頬を掻きながら、

「確かにそうだけどさ……。だからと言って放っておけないよ。きっとばあちゃん一人で寂しがってるだろうし。悪いけど、先に行っててくれ。あたしが勝手にやる事だから、安芸先生には何も言わなくて大丈夫」

 彼女がここまで言うのは、トラジローのためもあるだろうが、きっと木場のためというのもあるのだろう。木場は長年一緒だった夫に先立たれ、今はトラジローと一緒の生活を送っている。実際は彼女はトラジローを我が子のように大切にしていたし、きっと今頃は家で一人でいるのだろう。

 例え自分が損をしてでも、誰かのためを考えて行動する。

 それが志騎の知る、三ノ輪銀という少女の性格だった。

「………はぁ」

 志騎は一度ため息を吐くと、銀に言った。

「トラジローは俺が届ける。お前は先に学校に行け」

「え?」

「また遅刻して、安芸先生に怒られるのも嫌だろ? トラジローは俺が連れて行くから、お前は学校に行ってろ。ちょっと時間が無くなってきてるけど、今なら急げば間に合う」

「で、でもお前は? そしたらお前が遅刻しちゃうじゃんか」

「そんな心配は良いよ。良いからお前はもう先に行け。流石にこれ以上遅刻は駄目だろ」

「いや、でも……」

 そう言われても、だからと言って学校に行くのも普通心苦しいだろう。他人の事を考える銀ならば、なおさらだ。志騎の顔を心配そうに見つめる銀に、志騎は苦笑しながら言う。

「じゃあ貸し一だ。今度何か困った事があったら、力を貸してくれ。それで良いだろ?」

 その言葉に銀はまだためらっているようだったが、やがて渋々ながらも「……分かった」と小さく呟いた。

「……じゃあ、トラジローの事頼むな。あと、ばあちゃんにもよろしく」

「はいはい、分かってるよ。ほら、さっさと行けって」

 志騎から促され、銀は志騎とトラジローに背を向けて走り出す。そしてそのまま学校に向かうと思われたが、突然くるりと後ろを振り返った。

「この埋め合わせは、絶対にするからなー!」

「分かったよ」

 志騎からそう返されると銀は再び走り出したが、さら数メートルほど走った所でまた志騎の方に振り返り、

「絶対に、するからなー!」

「もう分かったって! 良いから早く行けよ! 遅れるぞ!」

 志騎がそう叫び返すと、ようやく銀は振り返る事無く学校へと向かって行った。志騎はいつも使っているスマートフォンを起動して時計を確かめる。銀のあの速度と今の時間を考えると、ギリギリ教室にはたどり着けるだろう。まぁ、トラジローを送る自分は間違いなく遅刻確定だろうが。

 志騎はニー、と甘えるように鳴きながら足元に擦り寄ってくるトラジローを抱きかかえると、銀と約束した通り木場の家へと向かうのだった。

 

 

 

 

「トラジローをありがとうね、志騎君。今度もし暇だったら、銀ちゃんを連れて遊びに来てね」

「ありがとうございます。それじゃあ自分はこれで」

「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」

 それから約二十分後、トラジローを木場の家に送り届けた志騎は木場からのお礼の言葉を受け取ると、彼女の家を出た。それから再びスマートフォンを起動して時刻を確認すると、もうすぐホームルームの時間である事を確認する。

「さて、それじゃあ急いで行くか」

 そう呟くと、改めて学校へと歩き出す。

 いや、歩き出そうとした。

「……え?」 

 志騎は突然立ち止まると、思わずそんな声を出していた。

 志騎の目の前の風景はいつもと変わらない。仕事へと向かう大人、道路を走る車。さすがにこの時間に道を歩く学生の姿は無いが、それでも志騎が知っているいつもと同じ日常の風景だ。

 だが、一つだけ目に見えて異常な点がある。

 それら全てが、まるで時間が止まったかのように動きを止めているのだ。

 人も、車も、さらには吹いている風すらもその動きをピタリと止まってしまっている。一瞬タチの悪い悪戯かと思ってしまったが、自然現象すら求めてしまう悪戯がこのようにあるわけがない。

「何だ、これ……」

 戸惑いながらも志騎は近くにいるスーツ姿の男性に近づくと、その男性の体を動かそうとぐっと男性を押すが、男性はまったく動かない。どんなに力を入れてみても、まったく動く気配すらなかった。志騎は呆然をそれを見ながら、諦めて男性から手を離した。

 だが、異常はそれだけでは終わらなかった。

 チリン。

 突然、志騎の耳に突然澄んだ風鈴のような音が鳴り響いた。辺りを見回してみるが、そのような物はどこにもない。しかもその音は、どんどん増えていった。

 まるで、何かの警告音のように。

 周りの時間が止まっている中で風鈴の音だけが鳴り続けているというのは、奇妙を通り越して不気味だった。

 そして、極めつけの異変が起こる。

 どこからか風鈴のものとは違う、奇妙な音が響き渡ったと同時に、まるで空を侵食するかのように不思議な色をした光が放たれた。さらに光と共に色彩鮮やかな花弁も出現し、光と共に世界へと広がっていく。やがて光は空だけではなく、山、街、人を次々と呑み込んでいきそれら全てを真っ白に塗りつぶしていった。

 しかし、その光景に恐ろしさなどは微塵も感じられなかった。それどころか大量の花弁が舞い散りながら光が世界を覆っていくその光景は、むしろ幻想的ですらある。だが、今呑み込まれようとしている志騎にとってはそれどころではない。とっさに逃げようとするが、志騎の走る速度よりも光が世界を飲み込む速度の方がはるかに速い。

「くっ……!」

 あまりの眩しさに志騎は思わず体を庇うように両腕で顔を覆うが、やがてその体は真っ白な光に呑み込まれていった。

 

 

 

 同時刻。

 どこかの建物の一室の窓から、光に包まれていく世界を見る一つの影があった。その影は窓から外の光景を見ながら、可愛らしい声で呟く。

「……始まったか」

 そう呟いた直後、影はその体から花弁を散らしながらその部屋から姿を消した。

 

 

 

 光の眩しさに志騎はしばらく両腕で顔を覆っていたが、ようやく光が収まったのを確認すると目を恐る恐る開く。そして、目の前の光景に口をぽかんと思わず開けてしまった。

「……どこだ、ここ」

 目の前に広がっている景色は自分が知っている町並みではなく、まったく別のものに変貌していた。

 その光景を一言で言うならば、樹の蔦や根だ。比喩ではなく、本当に樹の蔦や根のようなものがどこまでも広がっているような世界が今志騎の目の前に広がっている。さっきまであったはずの人の姿や家屋などはどこにもないが、そんな世界に一つだけ見覚えのある物が志騎の目に映った。

「あれって……大橋か?」

 元のものと比べると形が少し変わってしまっているが、それは間違いなく志騎が幼い頃から見続けてきたランドマーク、大橋だった。何故他の建物が一切見えなくなってしまったこの世界で、大橋だけが変わらずにそこにあり続けているのだろうか。

 しかしそこで志騎は、ある重要な事実に気づいた。この奇妙な世界になってしまってから人の姿がまったく見られないが、さっきまでいたはずの人々は……学校にいるはずの安芸や銀、クラスメイト達は大丈夫なのだろうか。自分は今の所なんともないが、この世界は人体に何の影響もないのだろうか。

「早く学校に行かないと……! って、どうやって行けば……!」

 今の世界では大橋以外、学校に向かうための目印になるような物が一つもない。大橋の位置から予測して学校があると思われる場所へ向かう事ぐらいはできるかもしれないが、今の状況では本当にその方向であっているのかすら分からない。だが、だからと言ってこのままじっとしているわけにもいかない。そう考えて大橋の方を見た志騎の目に、またもや奇妙なものが映った。

「何だあれ……。生き物……なのか?」

 大橋の向こう側から、巨大な生き物らしきものがふよふよと宙に浮きながらこちら側に向かってきているのが見えた。生き物らしきものと志騎が思ったのは、遠目である事を差し引いてもそれが普通の生物にはどうしても見えなかったからだ。

 正方形の体からは針のような物が左右に伸びており、そこに球体がそれぞれくっついている。体の下部からは白い帯のような物が伸び、上部の触覚からは球状の液体がまるでシャボン玉のように立ち上っては消えて行く。

「何だか分からないけど、行ってみるしかないか……」

 あれがなんなのかは正直分からないし、もしかしたら下手に動かずにここにいた方が良いのかもしれない。だが、ここにいても今の状況をどうにかする事は出来ないのも事実だ。

 そして何より、学校にいるはずの安芸や銀が心配だ。もしかしたら、彼女達も自分と同じようにこの世界に迷い込んでいるかもしれない。もしもそうなっているのなら、彼女達を探し出すためにも危険は伴うが行動は必要だろう。

 志騎はランドセルを持つ手に力を込めると、こちら側に向かってくる生き物に向かって走り出した。

 この世界に変わってから方向も距離感も滅茶苦茶になってしまった感じがあるが、案の定だった。いつもならばこのペースで走っていればそろそろ学校に着くのだが、学校の姿はまったく見られない。やはり周りの建造物と同じように、学校もその姿が見えなくなってしまっているようだ。おまけに周りが巨大な樹の蔦ばかりのせいで、どれだけ走っても同じような光景が続くために距離感すらも狂いそうだった。それでも志騎が迷いなく走り続けていられるのは、生き物らしきものの姿がはっきりと見えるからだ。

「それにしても……かなりでかいな……」

 最初は遠目に見ていたからその大きさがいまいち分からなかったが、こうして走り続けていると段々とその生き物らしきものの大きさが分かってくる。少なくとも、普通の一戸建てよりは遥かに大きい。もしもあれが本当に生き物だとしたら、一体どういう進化を経たらあんな大きさにまで成長するのだろうか。

 と、志騎がそんな事を考えていた時、生き物がアクションを起こした。生き物は突然自分の真正面に上部の触覚らしきものから泡のような物を発射し、次に右方向の針にくっついている巨大な球状の液体から高圧水流を発射した。発射された高圧水流はこの世界の足場になっている巨大な蔦に直撃すると、轟音を立てながら蔦を破壊する。

「おいおい、嘘だろ……!」

 その威力に志騎が驚愕の表情を浮かべた瞬間、生き物の正方形の体に突然光の矢のような物が突き立ったと思ったら、その場所にへこみが生じた。が、そのへこみは光を放った次の瞬間に瞬時に消えてしまう。

「回復までするのか……。あれ、生き物じゃないのか?」

 もちろん生物も傷を負ったら自然治癒でその傷を回復する事は可能だが、その回復にも時間を必要とする。しかしあの生物らしきものの回復は、『回復』というよりも『再生』に近い。あれだけの再生速度を持つ生き物は、恐らくこの地球上には存在しないだろう。

 そして志騎は、そこでようやくある事実に気が付く。

「誰か、戦ってるのか?」

 最初は何故生き物が泡や高圧水流を発射したのか分からなかったが、今の光の矢のような物を見て分かった。誰かがあの生き物と戦っているのだ。だからあの生き物は泡と高圧水流を用いて、敵対者を撃退しようとしたのだ。

(でも、あんな化け物と一体誰が……?)

 こんなおかしな世界であんな怪物と、一体誰が戦っているのか。志騎は怪物に見つからないようにできるだけ蔦の陰に隠れながら、怪物に近づいていく。

 そしてようやく怪物の近くまで来た志騎の耳に、聞きなれた少女の声が聞こえた。

「んー……どりゃあっ!」

 その直後、金属製の物を地面に叩きつけたような鈍い音が志騎の耳に届いた。その声と音に志騎は陰からこっそりと顔を出し、その音を出した本人を見て驚きで目を見開いた。

(銀っ!?)

 そこにいたのは、自分の幼馴染で先に学校に向かったはずの三ノ輪銀だった。

 だが、今の銀の姿はいつも自分が目にしているものとは少し違っていた。真紅を基調にした戦装束のような服を身に纏い、両手にはいつもの彼女では持てそうもない、刀身に丸い穴が開いた斧を携えている。

 いや、よく見ると戦場にいるのは彼女だけではない。銀から離れた位置に、二人の少女達がいた。一人は白を基調にした戦装束に弓を持ち、もう一人は紫色を基調にした戦装束に槍を携えていた。そしてその少女達にも、志騎には見覚えがあった。

(あいつらは……乃木に鷲尾か!? なんであの二人まで……!)

 二人の少女達は、志騎のクラスメイトである鷲尾須美に乃木園子だった。とは言っても彼女達は志騎とはあまり話した事が無い。何故銀に加えて、あの二人までこの世界にいるのだろうか。あの三人の共通点と言えば、家が『大赦』の中でも名家といった所だが……。

(って、マズい!)

 怪物の片方の水球に不思議な力が集まりだし、その方向は園子の方を向いている。彼女は先ほど怪物の攻撃を受けたのか、ふらふらになりながらも槍を支えにして立ち上がろうとしてる。しかしあのままでは恐らく彼女が態勢を立て直す前に高圧水流が発射される。須美と銀も攻撃を察知して園子をカバーしようと動くが、二人の立ち位置からでは間に合わない。

「くっ……そっ!!」

 志騎は蔦の陰から飛び出すと、ランドセルを手にもって体を勢いよく回し始める。そしてランドセルを思いっきりぶん投げると、ランドセルは放物線を描きながらどうにか怪物の体に当たった。

「はっ?」

「えっ……?」

「ほぇ……っ?」

 突然飛んできたランドセルに銀と須美は声を上げ、園子は突然の事に目を丸くしている。そんな三人を無視して、志騎は怪物に向かって声を張り上げた。

「おいっ! こっちだ化け物!!」

 もちろん今のランドセルで怪物にダメージを与える事ができたとは志騎自身微塵も思っていない。怪物との距離が近いとはいえ今の三人とは違って志騎には小学生程度の力しかないし、それに遠心力を加えたとしてもできる事は怪物にどうにかランドセルを当てる事ぐらいだ。

 重要だったのは、怪物の意識をどうにかこちらに向けさせる事だ。案の定、怪物が体の向きを志騎の方に向ける。志騎は怪物に背を向けると、全力で怪物から遠ざかるように走り出す。するとそこでようやく志騎の存在に気づいたのか銀の驚愕した声が志騎の耳に届いた。

「志騎!? どうしてお前が『樹海』に……!?」

 どうやら『樹海』というのがこの世界の名前らしい。だが今の志騎にはどうでも良い事だ。これであの怪物の注意が三人から逸れてくれれば、彼女達が態勢を立て直せる時間を稼ぐ事ができる。

 なのだが。

「まぁ、やっぱりそうなるよな」

 怪物は水球に力を溜め、走っている志騎に高圧水流を発射しようとしている。当然だが避け切る事などできるはずがない。精々あの高圧水流を食らってぐちゃぐちゃの肉塊になるのが関の山だろう。

 そして、轟音を立てながら志騎目掛けて高圧水流が発射され、志騎が無駄だろうなと思いながら横に跳ぼうとしたその瞬間。

「志騎ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 志騎の名前を大声で叫びながら、銀が全力で志騎の元に走ってきた。その速度はまさに風のようであり、一瞬のうちに志騎の元に到達すると彼を抱えてその場から高く跳躍した。

 次の瞬間、今まで志騎が立っていた場所が高圧水流によって砕かれた。その光景を真下に見ながら、抱えられながらの跳躍という人生初体験に、志騎は思わずうおっと声を上げて目を見開いた。

 そして志騎を抱えた銀が怪物から少し離れた場所に降り立ち志騎を下ろすと、怒りの形相で怒鳴る。

「お前なんであんな事したんだよ!! もう少しで死ぬところだったんだぞ!?」

 すると志騎はその怒りに少し面食らいながらも、あっさりとした口調で返した。

「……だって、合理的だろ(・・・・・)? ああした方がお前達から気を逸らせると思ったし」

 そのあまりにもあっさりとした言葉に銀は絶句した表情を浮かべると、両手で頭を抱えた。

「……ったく、こんな時にまでそんな癖出さなくて良いのに……。まったく……」

 口の中でそんな事をブツブツと呟くと髪の毛をくしゃくしゃと掻き、

「ああ、もう! とりあえず、バーテックスはあたし達がどうにかするから、志騎はどこか安全な所に隠れてるんだぞ! さっきのような真似したら、帰ってみっちり説教だからな! ……じゃ、またあとでな!」

 そう言って銀は笑顔で軽く手を挙げると、高く跳躍して姿を消した。恐らく先ほどの怪物----バーテックスの所へ向かったのだろう。

「……隠れてろって言われてもな……」

 正直、放っておけないというのが本音だ。彼女の姿を間近で見たが、バーテックスの攻撃を受けたのか体中傷だらけだった。あの状態の銀達を放ってなどおけない。

 だが、志騎には戦う力など持っていない。先ほどだって志騎一人が死ぬところだったが、別にはまぁそれは良い(・・・・・・・・・・)。しかし、下手をすれば銀が巻き添えを食らうかもしれなかった。彼女達の助けにはなりたいが、足手まといにはなりたくない。それを考えると、もう先ほどのような無茶はできない。

 どうするべきかと、志騎が舌打ちしたその時。

 

 

 

『ふっふっふー、お困りのようだな、少年!』

 

 

 

「……っ!? 誰だっ!?」

 突然、少女のような声がその場に響き渡った。志騎が驚いてその場を見渡すが、人影は全く見られない。すると志騎のその様子をどこからか見ていたのか、姿なき声がまたその場に響き渡る。

『お前のスマートフォンを確認してみろ!』

「スマートフォン……?」

 言われた通りにポケットの中のスマートフォンを取り出して確認してみると、何故かいつもと画面が違っていた。画面の中央にはまるで花のようなアイコンが表示されており、さらに画面の上部には謎のアプリが点滅している。

『そのアプリを押せ!』

「あ、ああ……」

 言われるがままにアプリをタッチすると、突然志騎の目の前に花びらが舞い上がった。そしてその花びらが消えると、そこには一人の少女が浮かんでいた。

 少女と言っても、銀達と比べるとかなり小さい。さすがに掌に乗るようなサイズではないが、それでもぬいぐるみ程度の大きさだ。黒髪を背中まで伸ばし、神官服のような服を身に纏っている。しかし一般的なそれとは違い、色は黒色である。くりくりっとした目は非常に可愛らしいが、同時に悪戯っ子のような光を宿している。そして背中にはまるで悪魔のような黒い小さな羽がちょこんとついていた。羽をパタパタと動かしながら宙に浮かぶ少女に、志騎は呆然としながら尋ねる。

「お前は……?」

 その言葉を待っていたと言わんばかりに少女は笑みを浮かべると、力強い口調で言った。

「名乗るのが遅れたな。私の名は、てぇんさい美少女精霊の刑部姫(おさかべひめ)だ! 気軽に敬意を込めて刑部姫様と呼んで良いぞ?」

「………いや、呼ばないし。しかも自分で天才美少女って……」

「事実だから仕方ない」

「ええー……」

 突然の名乗りに、志騎はどうリアクションを取れば良いのか分からなくなった。正直今まで出会った事のない女性のタイプなので、どう接したら良いかも分からない。その空気を察したのか、少女----刑部姫はこほんと咳払いをする。

「まぁ、私の事は後で話すとしよう。それより志騎、今お前はバーテックスと戦う力が欲しいんだろう?」

 突然刑部姫から放たれた自分の名前に、志騎は思わず眉をひそめた。

「……お前、どうして俺の名前を……。いや、今はいいや。お前、あの化け物の事を知ってるのか?」

 志騎が尋ねると、刑部姫はちらりとバーテックスと呼ばれた怪物を見ながら、

「ああ、あいつはバーテックス。世界を殺すために生まれた、人類の敵だ」

「世界を、殺す……」

 聞いてみれば物騒な言葉だが、刑部姫の言葉が嘘だとは思えない。それはきっと何よりも今のこの世界の様子と、さっきの傷だらけの銀達の姿が物語っているからだろう。 

「……戦う力が欲しいんだろう、って言ったな。欲しいって言ったら、くれるのか?」

「別に私は構わない。私はただお前の意志を聞きに来ただけだ」

「意志……」

「ああ、そうだ。戦いたいって言うなら方法を教えてやる。戦いたくないって言うならそれも構わない。このまま戦いが終わるまで、隠れていればいい。それも一つの手段だ。で、どうする?」

 刑部姫の問いに、志騎は答える代わりにバーテックスの方を見た。

 世界を殺すという、巨大な化け物。

 あんなものと、今自分の幼馴染とクラスメイトが傷だらけになりながら戦っている。

 そう思った時、自然と志騎の口から言葉が出た。

「正直、今どういう状況なのかは分からない」

「ああ」

「どうしてあいつらが戦っているのか、あいつらの力がなんなのかも分からない」

「だろうな」

 刑部姫からの肯定の言葉に、志騎はぐっと拳を握りながら、

「……だけど、だからって言って放っておけない。教えろよ、どうしたら俺はバーテックスと戦える」

 その問いに刑部姫は腕を組んでじっと志騎を見つめていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。

「まぁ、今はそれで良いか」

「……?」

「なに、こっちの話だ。それより、戦う方法を教えてやる。まず、画面の花のアイコンをタップしろ」

「分かった」

 言われるがままに花のアイコンを押すと、画面が切り替わる。画面の上部には『Brave』という文字と花の紋章のようなものが表示されたアプリ、『Zodiac』という文字と星座が円状に表示されたアプリ、そしてベルトのようなアイコンが表示されたアプリがあった。

「次に、一番右のアプリをタップ」

「ああ」

 そして言われた通りに一番右のベルトのようなアイコンが表示されたアプリをタップした瞬間、突然異変は起こった。

 志騎の腰から光が発せられたかと思うと、花びらが散ると共に腰に機械でできたベルトが出現したのだ。ベルトの正面部分の装置はまるで液晶パネルのようになっているが、本来何か映し出されるであろうその装置の部分には今は何も表示されなかった。

「うわっ、何だこれ!?」

 突然自分の腰に出現したベルトに驚くと、刑部姫が志騎の周りを跳び回りながら続ける。

「そう驚くな。次にスマートフォンの『Brave』ってアプリをタップだ」

「はぁ、次は一体何が出るやら……」

 そう呟きながら、スマートフォンの『Brave』のアプリをタップする。

『Brave!』

 スマートフォンから女性の音声が流れると同時に、スマートフォンの画面に花の紋章が表示されると共に、ベルトの液晶パネルのような装置の部分から光線が志騎の前方に照射される。

「さぁ、ここで両腕を軽く開く!」

「両腕を軽く開く」

「両腕を真上に伸ばしてから体の前で軽く交差!」

「両腕を真上に伸ばしてから、体の前で軽く交差……こうか」

 刑部姫がやけにテンション高くポーズをとると、志騎もそれに倣うようにポーズをとる。二人がそんな事をしている間に、ベルトからは音楽が流れる共に先ほどベルトから放たれた光が空中に図式のようなエフェクトを形成する。志騎にはそれがまるで何かの設計図や、ゲームなどで見かける術式のようにも見えた。

 そして志騎が体の前で軽く腕を交差し、音楽が鳴りやんだ直後、今度はベルトから女性の音声が響いた。

『Are you ready!?』

「さぁ、それでスマートフォンをベルトの装置にかざしながら勢いよく叫べ! 変身!」

「えっ? へ、変身!」

 拳を上に突き出しながら言う刑部姫のテンションに戸惑いながら志騎は本当にそう言いながら、スマートフォンの画面をベルトの装置にかざす。

『Brave Form』

 直後、志騎の前方に展開された術式が志騎の体に迫り、その体を通過する。

 その瞬間、花びらが舞い散ると共に志騎の体は文字通り『変身』した。

 身に纏うのは神樹館の制服ではなく、銀達のものと似た純白を基調にする戦装束。彼女達のものと違いを挙げるならば、志騎のそれは男性用に形を整えており、さらに各所に鎧のような物が追加されている事だろう。ベルトの左側には機械でできた片刃の剣状の武器が装着されており、先ほどまで何も表示されていなかったベルトの装置にはスマートフォンの画面に表示されているのと同じ紋章が表示されていた。

「ほ、本当に変身した……。てか、何だ『Are you ready!?』って……」 

 変身した自分の服や自分の両手を呆然と見ながら志騎が言うと、刑部姫が志騎の目の前を飛びながら言う。

「驚いている暇はないぞ? その姿ならバーテックスに対抗する事ができるはずだ。さっさと行った方が良いんじゃないか?」

 彼女の言葉で志騎は表情を引き締めると、ベルトに装着された剣を外し持ち、遠方にいるバーテックスを睨み付ける。

「よし……行くか」

 そして樹海の蔦を強く蹴りつけると、志騎は先ほどの銀のように高く跳躍してバーテックスの元へと向かう。彼の後ろ姿を眺めながら、刑部姫はにやりと笑った。

「さて……見せてもらうぞ、志騎。お前の力をな」

 

 



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第二話 初戦闘

今話は初戦闘、および志騎の勇者システムの力の一端が出る話になります。


「いつつ……」

 ガララ、と瓦礫を押しのけながら銀はどうにか立ち上がった。彼女の体には、先ほど志騎と出会った時よりも傷が少しばかり増えている。

 現在、三ノ輪銀、鷲尾須美、乃木園子の三人はバーテックス相手に苦戦を強いられていた。三人はこれが初戦でまだ戦い慣れていないというのもあるが、バーテックスの能力が三人の予想以上に強力なのも理由の一つだった。

 須美の主要武器である矢はバーテックスに対しては威力が足りず、銀の斧は威力は高いもののバーテックスの持つ豊富な遠距離攻撃の前では中々近づけない。園子は色々な状況に対応する事の出来る槍が武器であるものの、強力な攻撃の前では防御一辺倒になってしまい中々攻撃にうつれていない。

 つまり、三人はピンチになりかけていた。

 そしてバーテックスは立ち上がった銀に気づいたのか、触覚にある水球から再び小さな水球による攻撃を繰り出そうとする。それに銀が両手に持つ斧を構えて攻撃に身構えたその時。

「はぁああああああああああっ!!」

 ザン! と声を上げながら突然勇者らしき誰かが手に持った剣らしき武器でバーテックスの胴体部分を切り裂いた。不意打ちを食らったバーテックスの胴体には斬撃の跡が残されるが、やはりすぐに再生し元に戻る。

 それを見た銀は一瞬同じ勇者である須美か園子が助けてくれたのかと思ったが、すぐに違うと気づいた。須美の武器は弓矢だし、園子の武器は斬撃にも使える槍だがさすがに剣と見間違えるほど短くない。つまり、銀の知る中で剣を武器にする勇者はいない。

(じゃあ、一体誰が助けてくれたんだ? もしかして、新しい勇者? でも先生は、あたし達以外の勇者がいるなんて言ってなかったし……)

 そんな事を思っていると、助けてくれた誰かが自分の目の前に降り立ってくる。勇者は胴体部分を再生したバーテックスを眺めながら、落ち着いた声音で一人呟く。

「やっぱり再生するか……。あれを倒すとなると、もうちょっと威力のある攻撃が必要か……」

 その声と、目の前の勇者の姿を見て、銀は思わず大声を上げた。

「志騎!?」

「ん? ああ、銀か」 

 そんな事を言いながら、先ほど助けた幼馴染の少年----天海志騎は銀の方を見た。

 銀の目の前にいる志騎はいつもの彼の姿とは違っていた。彼の特徴とも言える水色がかった白髪はいつも通りだが、その服は神樹館の制服ではなく、あちこちに鎧が付けられた純白の戦装束になっている。右手には機械でできた片刃の剣が握られていた。銀は志騎に駆け寄ると、思い浮かんだ質問をまるで機関銃のように志騎に浴びせる。

「お前、どうしてここに!? 隠れてたんじゃ……! ってか、その恰好、もしかして志騎も勇者だったのか!? でも志騎は男だし……勇者はあたし達だけのはずだし……ああもう! 一体何がどうなってるって言うんだよー!」

 叫びながら髪の毛をぐしゃぐしゃと掻く銀を半眼で見ながら志騎はため息をつくと、

「そんな事より、今はあのバーテックスってやつを倒さないといけないんだろ? 俺とお前だけじゃ手が足りない。確か乃木と鷲尾がいたよな? あいつらは?」

「え、えっと……園子はさっきあいつに吹っ飛ばされて……鷲尾さんは……」

 そう言いながら辺りに視線を巡らせていた銀だったが、突然何かを見つけたのかこわばった表情を浮かべる。その方向に志騎も視線を向けてみると、そこには呆然と立ちすくんでいる須美の姿があり、しかもその彼女に向かってバーテックスが水球を発射しようとしているのが見えた。

「あいつ、何ぼさっとして……!」

「危ない!」

 それに気づいた銀が須美に向かって疾走し、彼女を押し倒してどうにか攻撃を回避する。

「動いてないとあぶな……!」

「銀! もう一発来るぞ!」

 しかし時すでに遅く、バーテックスから放たれた水球が銀の顔を直撃した。

「三ノ輪さん!」

 須美の声が響き渡った直後、銀ががばりと体を起こす。彼女の顔は先ほどの水球によって閉じ込められてしまっている。銀はどうにか水球を顔から外そうともがいているが、その彼女を狙ってバーテックスが再び水球を発射しようとする。

「させるかよ!」

 志騎が叫んだ直後、まるで志騎の意志に呼応するかのように彼の持つ武器が輝く。その現象に志騎が驚くと、剣の刀身の部分が折りたたまれ、持ち手の部分が軽く折り曲げられる。そして次の瞬間には、剣はまるで銃のような形態に変形して志騎の手に収まっていた。

「これ、銃にもなるのか……!」

 しかし銃が変形した直後、バーテックスから水球が銀と須美に向かって発射される。志騎は素早く水球に向かって刀身が折りたたまれた事で出現した銃口を向けると、持ち手にある引き金を連続して引く。純白の霊力で形成された銃弾が銃口から発射され、水球をそれぞれ打ち消した。

 銃弾を次々と発射してバーテックスを牽制すると銀の水球と格闘する須美の元に駆け寄る。

「鷲尾!」

「え、天海君!? ど、どうしてあなたがここに!?」

「細かい説明はあと! それより、これ外せないのか!?」

「だ、駄目! これ、弾力があって……!」

 驚きながらも説明してくれた須美の言葉を確かめるように志騎も水球に手を当ててみると、確かに弾力があり簡単に水球を取り外せない。こうなったら、イチかバチかで二人の腕力でこいつを外してみるか、と志騎が思った時だった。

 呼吸ができず苦しんでいた銀が、いきなりくわっ! と目を勢いよく見開く。

「えっ……?」

 須美が声を上げた次の瞬間、銀は口を大きく開けてなんとゴク、ゴクと水球の水を飲み始めたのだ。普通ならばすぐに限界が来そうだが、身体能力が強化されている影響か銀はごくごくと水を飲み続け、彼女の呼吸を阻害していた水球もだんだんと小さくなっていく。

「ええー……」

「嘘だろ、こいつ……」

 須美と志騎は目の前の光景に、呆然とした声を上げるしかなかった。そんな二人の背後に、バーテックスの攻撃で意識を失っていた園子が降り立ってきた。

「ミノさん、大丈夫?」

 園子が声をかけると、銀は「ぷはぁっ!」と声を上げながらついに水球を飲み干した。

「全部飲み干した……?」

「どんな胃袋してんだお前……」

 驚いている二人の前で、銀は口元を拭いながら、

「はぁ……神の力を得た勇者にとって、水を飲み干すなど造作もないのだ!」

 と威勢よく言うが、直後に口元を抑えて、

「う……気持ち悪い……」

「うん、だろうな」

 当然の結果に志騎は幼馴染を見ながらそう言った。

「ミノさんすごーい! お味は?」

「え、そこ気にするとこなのか?」

「最初はサイダーで、途中でウーロン茶に変化した……」

「味あんの?」

「不味そ~。あれ? 天海君だ~。やっほ~」

「いや、やっほ~じゃねぇから。てか俺がここにいる事スルーか?」

「……? あ、そういえばそうだね~」

「………」

 ゆったりとした園子のペースに、志騎は思わず額を抑えた。するとようやく現状を思い出したのか、須美が表情を引き締めた。

「そうだ! そんな事より、バーテックス!」

 須美が声を上げた瞬間、バーテックスが四人に向かって攻撃態勢にうつるのが見えた。右の巨大な水球に、力が溜まっているのが見える。

「またさっきのでかいやつを撃つ気だ!」

「鷲尾! 先に仕掛けられないか!?」

「駄目……! 私の矢じゃ、あいつにダメージを与えられない……!」

「うーん……私の槍でも、あれはちょっと厳しいかも……」

 銀の斧では届かず、須美の矢ではダメージを与えられず、園子の槍では防ぎきれない。かと言って志騎の銃でも、あれを防ぐには威力が足りないだろう。

「くそ、どうする……!?」

 四人がバーテックスの攻撃に足踏みをしていた、そんな時だった。

 

 

 

『ふふん、どうやらピンチのようだな、志騎!』

 

 

 

 本日二回目になる、姿なき声がその場に響き渡った。

「わっ!?」

「え、な、何!?」

「い、今の声どっから!?」

 園子、須美、銀の驚いた声が響く中、志騎は苛立ち交じりにスマートフォンのアプリをタップ。するとそれに合わせて四人の前に自称『天才美少女精霊』、刑部姫が花びらを舞い散らせながら出現した。

「うわっ、なんだこいつ!?」

「わ~! この子可愛い~!」

「も、もしや物の怪の類!?」

 目を見開いて驚く銀、目をキラキラと輝かせる園子、何やら変な勘違いをして身構える須美と反応は三者三様だった。それに刑部姫はふっと鼻で笑いながら、

「初対面の人間にしては不躾だな。育ちが知れるぞ、三ノ輪銀。なかなか良い目をしているな。褒めてやる、乃木園子。誰が物の怪だ、殺すぞ鷲尾須美」

 と、三人に向かってそれぞれ言う。どうでも良いが、志騎に対しての反応と比べると若干棘があるのは志騎の気のせいだろうか。特に物の怪呼ばわりされたせいだろうか、須美に対しての対応がかなり厳しい。そもそも殺すぞとは、自称とはいえ『天才美少女精霊』が言って良い言葉なのだろうか。さすがの三人も刑部姫からそんな言葉を言われるとは思っていなかったのか、三人共呆気にとられた表情を浮かべている。

 しかし今はそんな事にいちいちツッコんでいるような場合ではない。志騎は今にも舌打ちせんばかりに刑部姫を睨みつける。

「何の用だよ、今こっちは忙しいんだが」

「む、そうだったな。志騎! お前のスマートフォンの中にある『Zodiac(ゾディアック)』のアプリを押せ!」

 そう言われ、志騎はスマートフォンを取り出すと『Zodiac(ゾディアック)』のアプリを押す。すると画面に十二ほどのアイコンが一斉に表示された。

「その中の『Cancer(キャンサー)』ってアプリを押してベルトにかざせ! 早くしろ!」

「ああもう、分かったよ!」

 バーテックスの攻撃にさすがの刑部姫も焦っているのか、その声には焦燥の色がある。志騎は言われた通り『Cancer』のアプリを押すと、スマートフォンから女性の機械音声が流れる。

『キャンサー!』

「し、志騎! なんか良く分からんけど早く!」

 銀の声にバーテックスに目を向けると、そこには今にも攻撃を放とうとしているバーテックスの姿が目に入った。

「くそ、間に合えよ!」

 志騎は焦りながらも、言われた通りにスマートフォンをベルトにかざす。

 と、それと同時にバーテックスから強力な高圧水流が放たれた。園子が三人の目の前に立ち槍をまるで傘のように変形させ、攻撃を防ごうとするが、これほど強力な攻撃だと吹き飛ばされてしまう可能性が高い。

 そしてついに高圧水流が迫り、園子の防御もろとも四人を吹き飛ばす。四人全員の脳裏にそんな未来がよぎった時、異変が起こった。

 四人に迫っていた高圧水流が突然あらぬ方向に弾かれ、まったく別の方向に飛んで行ったのだ。弾いたのは、園子の槍ではない。槍を握る手にまったく衝撃が伝わっていないので、それは間違いではない。

 高圧水流を弾いたのは、空中に浮かぶ奇妙な形をした板のような物だった。それと同時に、志騎のベルトから再び女性の機械音声が発せられる。

『----キャンサー・ゾディアック!』

 よく見てみると、志騎の周りにも同じようなものが五つふよふよと浮かんでいる。目の前の板を呆然と見ながら、銀が口を開く。

「志騎……これってお前が……って、お前姿変わってないか!?」

「あ~、本当だ~!」

「え……?」

 銀と園子の反応に志騎が自分の姿を確認してみると、確かにその姿は先ほどと変化していた。

 純白を基調にした先ほどの姿とは違って赤色を基調にしたものになっており、服もさっきと比べてやや鎧の比重が多くなっている他、布面積が多くなっている。まるで防御を重視した衣装のようだ。腰のベルトの装置には、さっき志騎が押したアイコンと同じ紋章が表示されている。

「って、また来る!」

 さらなる追撃を行おうとしているのが、バーテックスの触手から再び水球が四人に向かって放たれる。志騎が自分の武器で迎撃しようとすると、まるで志騎の意思に反応するかのように六つの板が動き水球を防御した。それを見て銀が興奮した声を出す。

「すごい……! ねぇ! これなら攻撃を防ぎながらバーテックスに近づけるんじゃない!?」

 しかしそこで反論をしたのは戦況を見ていた須美だった。彼女は口元に手を当てながら険しい顔で、

「確かにあの水球なら志騎君の板で防げるだろうけど……それでも、やっぱりさっきの水流が厄介ね。もしもあれ以上の攻撃で来られたら……」

「だな。見た感じ、俺の板でもさっきの水流ならどうにか方向を逸らす事ができると思うけど、あれ以上はたぶん突破される。だとすると、やっぱり園子の槍が一番有効だけど……」

 それだと、水流に対する力の問題になってくる。が、そこで志騎はある異変に気付いた。

「なぁ……気のせいかもしれないけど、あいつ俺達から遠ざかってないか?」

「……っ! 本当だわ……!」

 志騎の言う通り、バーテックスは水球を放ちながら四人から段々と遠ざかっていた。とすると、この水球もきっと攻撃のためではない。あくまで牽制をして、志騎達を自分に近づかせないようにするためだろう。須美は樹海の空を見ながら焦った表情を浮かべ、

「分け御霊の数がすごい……! 出口が近いんだわ!」

「出口……大橋か。大橋から出たらどうなるんだ」

「追撃できなくなって、最悪世界が無くなる!」

「マジかよくそ……!」

 さすがにもう二人の言葉を疑う段階ではない。世界が無くなるという言葉に、さすがの志騎も焦った表情を浮かべる。

「はやく追撃を!」

「でも、効かなかったもんね……」

「でも、早くしないと奴が大橋から出てしまうわ!」

「出たら撃退できなくなるもんな……なら、根性でもう一回!」

「落ち着け銀。根性で突っ込んでも策がないならさっきの二の舞だ。他に何か手は……」

 三人が口々にそんな事を言っていると、会話を聞いていた園子が「あっ!」と声を上げた。その声に三人が園子に視線を向けると、彼女は人差し指を立てながらいつもと同じ明るい声で言う。

「ぴっかーんと閃いた!」

 

 

 

 

 

 樹海の中を、バーテックスは悠々と飛んでいた。先ほど志騎達に放っていた水球はもう放たれていない。彼らと十分に距離を離したため、もう牽制の必要すらないと考えたのかもしれない。

 と、そんなバーテックスの後部に突然矢が突き立ち、その箇所にへこみができる。その攻撃でバーテックスは距離を詰めてきた襲撃者に気付いたのか、ゆっくりと後ろを向いた。

「気が付いた!」

「こっち向いたよ~!」

 そこにいたのは先ほど矢を放った須美、そして銀、園子、志騎の四人だった。そして襲撃者達を確認したバーテックスの周囲の蔦が焼けていき、銀が警戒の声を上げる。

「来るぞ!」

「天海君、お願い!」

「了解!」

 志騎が返した直後、バーテックスから水球が次々と放たれる。しかしその攻撃は志騎の意思によって自由自在に動く六つの板によって、次々に防がれていく。そして攻撃を防いでいる間に、須美が矢を次々と放つ。

「志騎、便利ー!」

「人を家電製品みたいに言うな!」

「このまま前進!」

 だが志騎の隙を突くように、バーテックスは左右の巨大な水球の一つから高圧水流を発射する。水球で手がいっぱいの志騎では、攻撃を防ぐことができない。

 とすると、この場で攻撃を防ぐ事ができるのは一人しかいない。

「乃木! 頼む!」

「うん!」

 園子は三人の前に立つと即座に槍を傘状に展開、攻撃を防ぐが凄まじい衝撃が園子を襲う。須美、銀、水球による攻撃を板に任せている志騎は園子の後ろに立つと彼女の背に手を当てる。

「乃木さん大丈夫!?」

「勇者は根性! 押し返せー!」

 銀のその号令で、四人は高圧水流を傘で押し返しながらゆっくりと前に進み出す。

「オーエス! オーエス! オーエス!」

「オーエス! オーエス! オーエス!」

「オーエス! オーエス! オーエス!」

 銀のその掛け声に続くように、園子、志騎も気合を入れるために掛け声を出し始めた。銀は隣で無言で園子の背中を押す須美に声をかける。

「ほら、鷲尾さんも!」

「えっ?」

「やっとけ。意外に馬鹿にできないんだよ、これ」

「わ、分かったわ……オーエス! オーエス! オーエス!」

「「「「オーエス! オーエス! オーエス!」」」」

 四人の掛け声が一つになり、ゆっくりとだが確実に前へ前へと進んでいく。

 そして、ついにその時がやってきた。

 高圧水流の勢いがだんだんと弱くなっていき、やがて四人を襲っていた高圧水流は完全に停止した。

「今! 突げ……!」

 突撃の声を上げようとした須美の声が、唐突に止まった。その理由はすぐに三人にも分かった。

 今まで高圧水流を放っていた水球は反対側にある、もう一個の水球。その水球に水流を放っていた水球以上の力が溜まっているのが目に入ったからだ。

 つまり、バーテックスは高圧水流を目くらましにして、もう一個の水球から四人の目を逸らしていたのだ。膨大な力を溜めて、四人を完全に粉砕するために。

 それを見て須美が何か叫ぼうとしたが、もう遅い。水球から先ほどは比べ物にならない高圧水流が四人に放たれる。圧倒的な力を持った攻撃に、四人が飲み込まれそうになった時。

 志騎の耳に、またあの精霊の声が聞こえてきた。

「もう一度『Cancer』のアプリを押して、ベルトにかざせ!!」

 もう返事をする暇もなかった。

 志騎は瞬時にスマートフォンを取り出すと、即座にアプリをタッチ、まるで流れるような素早い動きでベルトにかざす。

『キャンサー! ゾディアックストライク!』

 音声と共に、六つの板が四人の前に展開し六角形を形成すると、その六角形が赤色の光を帯びてバリアのようなものを形成する。そのバリアめがけて、高圧水流が怒涛の如く押し寄せる。

「ぐ、ぐぅうううううううううううっ!!」

 バリア越しでも感じる凄まじい圧力に志騎はうめき声を出しながら、どうにか周りに視線を巡らせると、須美、園子、銀の三人も圧力に険しい表情を浮かべながらも吹き飛ばされる事なくその場に立ち続けている。それに志騎がほっと安堵の息を漏らすと、目の前のバリアにある違和感を覚えた。

(……これ、防いでるというよりは、まるで攻撃を吸収しているような……?) 

 そう。目の前のバリアは高圧水流を防いでいるというよりも、まるで迫りくる高圧水流を吸い込んでいるように志騎には見えた。やがて高圧水流がだんだんと弱まっていき、完全に止まった次の瞬間。

「うおっ!?」

 轟!! と爆音を上げながら六角形のバリアからバーテックスが放っていた高圧水流が先ほど以上の攻撃力と速度を伴ってバーテックスに放たれる。当然バーテックスにかわせるような攻撃ではなく、高圧水流はバーテックスに直撃しその左半身を大きく損壊させた。

 すると、志騎のそばに先ほどから姿を消していた刑部姫が再び現れてバーテックスを指さす。

「さぁ今だ! ぶっ潰せ!」

「てか、あんな便利な技があるならもっと早く教えろよ! ----全員!!」

「「「「突撃ぃいいいいいいいいっ!!」」」」

 先ほどの高圧水流で一瞬ピンチに陥ったが、もうその心配はない。今度こそ反撃の始まりだ。

 四人が高く跳躍すると、バーテックスが反撃と言わんばかりに触手から水球を次々と放つ。

「鷲尾さん! 天海君!」

「分かっ……!」

「待って天海君! あなたは三ノ輪さんと一緒に攻撃して! 私が絶対に止めるから!」

 その言葉に志騎が須美に目を向けると、彼女は強い覚悟を秘めた瞳でまっすぐバーテックスを見据えていた。それに志騎がこくりと頷くと、六つの板を足場にしてバーテックスに接近する。

「ミノさん! 振り回すよー!」

「行っちゃえー!」

「うーんとこしょーっ!!」

 気合の声と共に、園子は宣言通り強く握った銀の手ごと彼女の体を振り回し、勢いよくバーテックスめがけてぶん投げた。さらに須美が矢を迫りくる水球に向けて放ち、水球による攻撃を防ぐ。

「三ノ輪さん! 天海君!」

 須美が攻撃に移る銀と志騎に叫び、そしていつの間にか志騎の近くまで飛んできていた刑部姫が志騎に叫んだ。

「一度最初に変身した姿に戻れ! それから……!」

「全部言わなくて良い! 使い方は大体分かった!!」

 志騎は最後の板を踏んで高く跳躍すると『Brave』のアプリを素早くタップし、ベルトにかざす。

『Brave Form』

 現れた術式を通過して再び元の純白の戦装束に戻ると、もう一度『Brave』のアプリをタップして再度ベルトにかざす。

『ブレイブストライク!』

 音声が鳴り響くと同時に、志騎の持つ剣に純白の力が宿る。それを両手で力強く握ると、真正面のバーテックスを睨みつける。そこに体を回転させて勢いをつけた銀が合流し、志騎に叫んだ。

「あたしは右!」

「なら俺は下!」

 それを合図とするかのように、銀の両手の斧の円形の部分に紋章が出現し激しく回転すると、そこから業火が噴き出す。

「だぁああああああああっ!!」

「はぁああああああああっ!!」

 銀の業火をまとった双斧がバーテックスの残りの巨大な水球を、志騎の剣がバーテックスの下部分を破壊する。銀はどうにか着地する事に成功したが、志騎は受け身を取るのに失敗しごろごろと凄まじい勢いで蔦を転がる。

「志騎!」

「構うな! ぶっ壊せ、銀!!」

 一度地面を転がった志騎に視線を向けた銀だったが、その志騎の言葉に力強く頷くと再び高く跳躍して残ったバーテックスの本体へ突撃する。

「行かせるかぁあああああっ!! おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおりゃあっ!!」

 体を鋭く回転させながらの銀の連続攻撃(ラッシュ)が、バーテックスの体を破壊していく。そしてついにバーテックスの青い本体部分に強打を与えると、勢い余った銀の体が樹海の蔦に衝突する。

「ミノさん!」

「銀!」

 蔦に衝突した銀に園子と志騎が声を上げ、須美が息を呑む。一方、衝突した銀は片腕をぐっと片腕を力強く突き出した。

「どうだぁ!!」

 直後、樹海に変化が起こった。

 下から真っ白な光が立ち上ったかと思うと、樹海全体が純白の光に満たされていく。さらに上から無数の花びらが樹海全体を覆い、さらには大ダメージを受けたバーテックスの体をも包んでいく。

「これは、一体……」

「『鎮花の儀』だ」

 答えたのは、しゃがみこんでいる志騎のそばに座っている刑部姫だった。

「鎮花の儀?」

「弱ったバーテックスを壁のあちら側に送り返す儀式だ」

「って事は……これで終わり?」

「一応、な」

 その言葉に志騎は再び刑部姫から上空のバーテックスに視線を戻す。真っ白な光が樹海を満たす中を桃色の花びらが舞い散るその光景は、激闘を終えた志騎の目にはとても美しく見えた。

 そして花びらが舞い散る中、その身の大部分を損傷させたバーテックスは、上空からすっとその姿を消した。

「消えた……」

「壁の向こうに帰ったんだ。これで鎮花の儀は完了した」

 刑部姫の言葉を証明するかのように、真っ白な光と花びらが消え去り、世界はついさっきまでの樹海の姿に戻った。

「静まった……」

「撃退……」

「できた……?」

 一方で、戦いを終えた須美はバーテックスがいた場所をじっと見つめ、銀と園子は呟きながら顔を見合わせ、

「「やったー!」」

 案面の笑みを浮かべると、両手で嬉しそうにハイタッチを交わした。

 そんな二人の姿を見ながら、志騎は疲れたため息をついた。

「はぁ……やっと終わった。まったく、何がどうなってるやら……」

「ははは、よくやったな志騎。初めてにしちゃよく戦えてたんじゃないか?」

 嬉しそうに笑う刑部姫に、志騎はひらひらと手を振りながら、

「冗談はやめてくれ。もう疲れた。帰って寝たい……」

「気持ちはわかるが、そういうわけにはいかないぞ」

 はっ? と刑部姫の言葉に志騎が訝し気な表情を浮かべた瞬間、樹海全体がまるで地震のような振動に包まれ、さらに色とりどりの木の葉が舞い始める。

 そして気が付くと、志騎は元の神樹館の制服を着た姿に戻り、大橋の近くにある小さなお社の前に立っていた。横にはついさっきまで一緒に戦っていた須美、園子、銀がいる。志騎の体はついさっき衝撃に着地に失敗したせいで傷だらけだったが、彼女達の方も志騎に負けず傷だらけだった。

「ここって……大橋の近く?」

「そっかぁ。学校に戻るわけじゃないんだ~」

「ん? あ! やっべー! 上履きだ!」

「あ、本当だ~」

 どうやら彼女達は学校にいた時に、あの樹海とやらの世界に来たらしい。その証拠に登校途中にあの世界に巻き込まれた志騎は、今も普通の靴を履いている。

 と、そこで銀は「あっ!」と何かに気付くとスカートのポケットに手を入れて、

「ふふーん。樹海撮ったんだったー」

「え、本当か?」

「本当本当。見てろよー」

 志騎が銀が取り出したスマートフォンをのぞき込み、銀が得意げにスマートフォンを操作して写真フォルダを呼び出す。

 が、

「あれ……? 樹海じゃなくなってる!?」

 スマートフォンに映し出されていたのは、ごく普通の香川の町並みだった。それに園子も銀のスマートフォンをのぞき込みながら、

「映らないんだねー」

「そういう仕組みになってんのか……」

 どうやら、あの樹海とやらの風景は電子機器には一切映らないようだ。仮に写したとしても、銀のスマートフォンに映っている写真のようになるのだろう。

「……ん~? おーい、鷲尾さーん」

 と、そこで園子が三人の会話に加わらずにどこか遠くの方を見つめている須美に気が付いた。園子は彼女に近づきながら、

「須美さーん? ……すみすけ」

 最後に優しい声で何やら珍妙なあだ名を呼ぶが、それでも須美は険しい表情を浮かべてじっと動かなかった。そんな二人を志騎が見つめていると、ふよふよと浮かびながら刑部姫が言う。

「さて、もうすぐ迎えの人間が来るだろうからあとはそいつの指示に従え」

「……なぁ、刑部姫」

「ん? 何だ」

「色々教えてくれた事は感謝する。けど、本当に何が一体どうなってるんだ」

 頭をくしゃくしゃと掻きながら、志騎は顔をしかめる。

 今日は本当に朝から奇妙な事が起きすぎた。変な世界に巻き込まれたり、そこでバーテックスと戦う銀達を見たり、ついには変身して銀達と一緒にバーテックスと戦ったり……。正直、今日起きた事だけでもう志騎の頭の容量はパンクしそうである。

「悪いが今は全ては教えられない。後であいつらから聞くと良い。……では、またな」

「はぁ? またなって……」

 しかし志騎の言葉は最後まで続かなかった。刑部姫が、最初に会った時のような笑みを浮かべながら、花びらと共にその場から姿を消したからだ。一人残された志騎は刑部姫の消えた空中を見つめながら、今日何度目かになるため息を再びつくのだった。

 

 

 

 翌日。

「----昨日お話しした通り、四人には神樹様の大切なお役目があります。だから昨日のように突然、教室からいなくなる事もありますが、慌てたり騒いだりせず、心の中で四人を応援してください。皆さんには----」

(……何でこんな事に)

 謎の生物、バーテックスとの戦闘から一日経ち、志騎と須美、銀、園子の四人は教室で黒板の前に立っていた。無論何かの罰則ではなく、安芸先生による『お役目』とやらの説明のために立っているのだ。

 どうやらそのお役目とやらはかなり重要な事らしく、クラスメイト達から好奇の視線が四人に注がれている。その視線がどうもくすぐったくて、志騎は思わずクラスメイト達から顔を逸らすと説明をしている安芸に視線を向ける。

 昨日、志騎達を迎えに来たのは安芸だった。彼女は須美達と一緒に志騎がいた事に一瞬動揺したような表情を浮かべながらも、すぐに四人を病院に連れていった。それから帰宅した後に安芸に事情を聞いたが、彼女からは後日説明するといった返答しか返ってこなかったので、仕方なくその日はそれ以上の追及は止めた。彼女は一度口にした事は必ず守る女性なので、彼女がそう言うからには後日本当に説明してくれるだろうと思ったからだ。なお、その日の夕食がいつもよりピーマン多めで安芸が涙目だったが、それは事情を説明されなかった八つ当たりなどでは決してない。

(……あの時先生は、銀達がいた事に驚いていなかった。俺を見た時は動揺してたけど、すぐに冷静になってた。つまり、先生にとって俺がいた事は驚く事ではあるけれど、まったくの予想外じゃなかったって事か? 俺があの世界に行く事を、いや、行くかもしれない事を、先生は知っていた? くそ、分からん……)

 安芸の事を必死に考えてみるが、やはり情報の少ない今ではどれだけ考えても答えなど出ない。ここは諦めて安芸が説明してくれるのを待とう、と志騎はクラスメイト達の視線にさらされながら思った。

 それからその日の授業を終え、志騎が帰りの準備を進めていると、お役目について気になっていたのか女子達が銀に話を聞きに来ていた。

「ねぇねぇ、お役目って大変なの? 痛いの?」

「いやー、話しちゃダメなんだよねー」

「えー? ケチー、教えてよー」

 女子からやや不満そうな声が出るが、さすがにお役目の内容が内容なだけに話すわけにもいかない。まぁ、話したとしてもきっと信じてもらえないだろうが。

 そして志騎がランドセルに教材を詰め込み、帰ろうと立ち上がろうとした時、それまで静かに席に座っていた須美が突然立ち上がった。彼女は一度咳ばらいをすると、やや緊張した声音で言う。

「ねぇ、乃木さん、三ノ輪さん、天海君。良ければ……その……これから、祝勝会でもどうかしら?」

 緊張しながら発したためか、その声はいつもと比べると固い。だがその提案に銀と園子は嬉しそうな表情を浮かべて、

「お、良いねー!」

「うん! 行こー行こー!」

 と即合意した二人の笑顔が今度は志騎の方に向かう。

 その二人の反論のしようもない笑顔に志騎は肩をすくめながら言った。

「ああ、俺も別に構わないぞ」

 そして三人から同意を得られた須美は、ほっと安心したような笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 須美の提案を受けて四人が向かったのは志騎達の住む街にある巨大ショッピングモール、イネスだった。イネスには生鮮食品売り場から衣料品、家電類などあらゆるものが揃っており、大抵のものはここで買えるほどである。なお、銀は自他ともに認めるイネスマニアであり、志騎もたびたび彼女に連れられて来た事があった。

「え、えーと……。きょ、今日という日を、無事に迎えられた事を、えー、大変、嬉しく思います。えっと、本日は、大変お日柄もよく、神世紀298年度、勇者初陣の祝勝会という事で、お集りの皆様の、今後ますますの繁栄と明るい未来を……」

 イネスのフードコートのテーブル席で、固く緊張した声でわざわざ用意してきた原稿を読んでいるのは志騎達を誘った須美だった。正直志騎は彼女のこういった生真面目な性格は嫌いではないが、さすがにこれは固すぎる。どこの祝い事の会場だ、とツッコみたいのを必死にこらえるのが精一杯である。

 さすがに銀も同じ感想だったのか、目の前に置かれている飲み物が入ったカップを掲げながら、

「固っ苦しいぞ? かんぱーい!」

 そう言ってカップのストローに口をつけて美味しそうに飲み物を飲み始めた。その様子を楽し気に眺めながら園子は須美に言う。

「ありがとね、すみすけ。私もね、すみすけを誘うぞ誘うぞって思ってたんだけど、でもなかなか言い出せなかったから、すごく嬉しいんだよ~」

「うん。鷲尾さんから誘ってくるなんて、初めてじゃない?」

「実はそうなんだよ~」

「合同練習も無かったしなー。なのにあたしら、初陣よくやったんじゃない!?」

「ねぇ~。私も興奮しちゃって、ガンガン語りたかったんだよ~」

 確かに銀の言うように、彼女達の動きはややぎこちない所はあったものの、志騎のように本当に初めて戦う人間の動きではなかった。恐らくお役目とやらのために、何回か個人の訓練のようなものはあったのだろう。最近用事とやらで銀と一緒に帰る事が出来なかった事が数回あるので、その時に訓練をしていたのだと考えれば納得がいく。

 二人の言葉に須美は紙を丁寧に折りたたんで椅子に座ると、恥ずかしそうに顔を俯かせながら、

「私も……実はその……話をしたくて……三人を誘ったの」

「話?」

「ええ……。私ね……三人の事をあまり信用してなかったと思う」

「そりゃあこいつらはともかく、俺は当然だろ。俺はお前達と違ってお役目の事とか全然知らなかったし、お前ともあんまり話した事なかったし。警戒したり、信用しづらいのはおかしな事じゃないだろ」

 あまり話した事がないという点では銀と園子も同じ条件かもしれないが、志騎に至ってはお役目の事を本当に知らなかったわけだ。須美がお役目の大切さと責任をまったく知らない志騎の事を信用できないのは仕方がない事である。

「ち、違うの! 信用してなかったのは、天海君がお役目の事を知らなかったからじゃないし、ましてや三人が嫌いだからとか、そういうわけじゃなくて……。私が、人を頼る事が苦手で……」

「すみすけ……」

「……でも、それじゃ駄目なんだよね。一人じゃ……私一人じゃ、何もできなかった。三人がいたから……。あの……だから、その……これから私と、仲良くしてくれますか?」

 その須美の言葉に三人は顔を互いに見合わせると、銀と園子は笑顔を須美に向け、志騎は頬をポリポリと掻く。

「もうすでに仲良しだろ?」

「えっ?」

「嬉しい~。私もすみすけと仲良くしたかったんだ。ほら~、私も友達作るの苦手だったから」

 そう言えば確かに、志騎から見て園子は基本的に誰かと過ごしている事があまりない。それは彼女の少し天然な性格もあるだろうが、彼女の家柄もその理由の一つかもしれないと志騎は思った。

「乃木さん……」

「すみすけも同じ気持ちだったんだ~。嬉しいな~すみすけ~」

 と、そこで須美はようやく彼女の自分に対してのあだ名に気付いたのか、少し困ったような笑みになりながら、

「あ、あの……乃木さん……」

「は~い!」

「その……いつの間にか言ってる、すみすけっていうのは何?」

「ああ~いつの間にかあだ名で呼んでた~」

「自覚なかったのかよ……」

「てか、何故にすみすけ……」

 本気で志騎はあだ名の由来が気になったが、案外単純に呼びやすいからという理由かもしれない。実際あだ名の大半の法則は、大概そんなものである。

「う、嬉しいけど……その、それ、あまり好きじゃないかな」

「じゃあ、ワッシーナは? アイドルっぽくない?」

「もっと嫌よ」

 今度のあだ名は半眼の須美によって即却下され、園子は「えー」と残念そうな表情を浮かべた。

「乃木さんも、ソノコリンとか嫌でしょ?」

「わぁ、素敵!」

「ごめんなさい、忘れて……」

 まさかの予想外の反応である。やっぱりこいつ読みにくいな……と志騎は園子を見ながら思った。

「あ! 閃いた! じゃあ、わっしー! どう?」

 新しく出た園子のあだ名に須美はうーんと悩む素振りを見せたが、目をキラキラさせながら自分を見つめる園子に根負けしたのか、「まぁ……それで良いかな」と渋々といった感じで認めた。

「よろしくね、わっしー!」

「あ……うん」

 しかしそれでも須美が自分のあだ名を受け入れてくれた事がよほど嬉しかったのか、園子は満面の笑顔で須美に言うと須美も先ほどのように困ったような笑みを浮かべながらも頷いた。

 一方、志騎が再びジュースを飲んでいると、銀がにやにやと笑いながら、

「ほらほら、志騎もなんか言えよ。お前にとっては巻き込まれただけかもしれないけど、これから一緒に戦うかもしれないんだからさ!」

「えー……? こういうのは苦手なんだけどな……」

 ため息をつきながら、志騎は改めて須美と向き直った。

「まぁ、正直俺は巻き込まれたようなもんだし、知らない事だらけだけど……お前達が困ってたりしてるんだったら、力を貸してやりたいとは思う。だからその……これからよろしく頼む」

 そう言いながらすっと志騎は右手を差し出した。それに須美も笑みを浮かべると、

「ええ。これからよろしくね、天海君」

 そう言いながら自分の右手で、志騎の右手を握り返した。するとその様子を見ていた園子が、少し驚いなような表情で言う。

「でも、ちょっと意外だね~」

「え? 何が?」

「天海君って、あんまり笑わないし喋らないから、人と関わるのが好きじゃないのかな~って思ってたんだけど……実はそうでもないのかな?」

 すると園子の言葉に銀が何故か笑うと手をひらひらと振りながら、

「ああ、そういうわけじゃ全然ない! そりゃあこいつはあまり笑わないけど、人と関わるのが嫌いなわけじゃなくてただ単に口下手なだけだよ。そこを気にしなければ良い奴だから、須美も園子もバンバン志騎に話しかけてくれ。きっと喜ぶぞー」

「何適当な事言ってんだお前は……」

 志騎が半眼で銀を見ると、彼女ははははと誤魔化す様に笑いながら志騎の肩をパンパンと手で叩いた。すると志騎から軽く睨まれるが、銀はその視線を軽く流すと園子に言う。

「そうだ! なぁ園子、志騎にも何かあだ名をつけてやってくれないか? できたら親しみのあるものをプリーズ!」

「おい、何勝手な事を言ってやがる」

「そうだね~。天海志騎だから……。う~ん、う~ん……」

「お前も話に乗るな!」

 志騎が園子にツッコミを入れるが、もう遅い。少しの間悩んでいた園子はやがて何かを閃いたように目を輝かせると、自分の思いついたあだ名を発表した。

「あまみんだ~! あまみんあまみんあまみんみん~!」

「おお! いいなそれ! アイドルみたいで!」

「ふざけんな取り消せ! あとどっちかっていうとゆるキャラ!」

 志騎が猛抗議するが、もう遅い。銀は志騎のあだ名にノリノリだし、園子は園子で「よろしくね、あまみん!」と非常に可愛らしい笑顔で言ってくる。もうこうなってしまったら、そのあだ名を取り消す事はまず不可能だろう。志騎はがっくりとうなだれながら、あまみんというあだ名を承認するのだった。

「わ、私は良いあだ名だと思うわよ? 天海君」

「できれば別のあだ名を提案して欲しかったよ、鷲尾……」

 自分を励ますように須美が言ってくれるが、今の志騎にそれは何の励ましにもならなかった。

「志騎のあだ名も決まったし……。よし! じゃああたしの事は銀って呼んでよ鷲尾さん! 三ノ輪さんはよそよそしいな~」

「そうだね~」

「え、えっと……」

 しかしさすがにいきなり名前予備は恥ずかしいのか、須美は照れて中々銀の名前を呼べない。銀もそれは分かっていたのか、あはははと笑いながら、

「まぁいっか! よーし! それじゃあ今日という日を祝って、みんなでここの絶品ジェラートを食べよー!」

「……へっ?」

 予想外の提案に、須美は思わずそんな声を出してしまった。

 その後、四人はジェラート店でそれぞれ選んだジェラートを購入すると、テーブル席に戻ってジェラートを食べ始める。

 ジェラートを一口食べた園子は、よほど美味しかったのか満面の笑顔で頬に手を当てた。

「はふぅ、幸せ~。ほうじ茶アンドカルピー味大正解~。ミノさんのは?」

「しょうゆ豆ジェラート!」

「何それ~? でも美味しそうだねー! あまみんのは?」

「カスタード」

「わぁ、それも美味しそ~!」

「そうだな……。志騎、あたしのジェラート一口あげるから、お前の一口ちょうだい!」

「いや、普通に嫌だよ……。てか銀、お前口元にジェラートついてるぞ」

「え、本当?」

「本当だよ。まったく……ほら、拭いてやるから動くな」

「ああ、サンキュー志騎!」

「ふふふ、二人共仲良しさんだね~」

 そんなやり取りを三人がしている横で須美は購入したジェラートをスプーンですくって一口食べると、ぱっと表情を輝かせた。

「……っ! 美味だわ……! この、ほろにが抹茶が織りなす味の調和が絶妙だわ……!」

 と、初めて食べるジェラートの美味しさに須美が感動していると、目の前に園子が笑顔で口を開けているのに気付いた。

「あーん」

「……? 何?」

「そんなに美味しいなら、あーん!」

 そこで園子の考えに気付いたのか、須美は恥ずかしそうにジェラートをスプーンで軽くすくう。

「えっと……こういうのは初めてで……」

 そう言いながら園子にジェラートを食べさせると、園子は笑顔で頷きながら、

「うん! 美味しい! 初めての共同作業だね!」

「えっ!?」

 初めての共同作業、という言葉に須美は顔を真っ赤にして固まってしまった。

「言葉の意味がおかしいぞー……」

「それだと別の意味に聞こえるな」

 天然な園子の発言に、銀と志騎二人のツッコミが飛んだ。

「あはは、友達とこんな事してみたかったんだ~。わっしーは?」

「えっ? 私も……。あっ、いや……!」

 肯定しかけた直後に慌てて否定しようとするも、それが本心ではない事はすでに銀と園子には丸わかりである。銀と園子はそんな須美の反応にあははと楽しそうに笑い、須美もまんざらでもなさそうに小さな笑みを浮かべる。志騎はそんな三人を見ながら、再びカスタードのジェラートを食べるのだった。

 

 

 

 神世紀二百九十八年。

 これは、四人の勇者の物語。

 神に選ばれた少女達と少年のおとぎ話。

 バトンを受け継いできた少女達が、未来を取り戻す物語。

 そして。

 罪にまみれた偽物の少年が、未来を作り出す物語。

 

 

 

 

 



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第三話 勇者と樹海とバーテックス

志「ん? どこだここ?」
刑「よぉ志騎」
志「うわっ、刑部姫!? 何でお前までここに!?」
刑「とりあえず、これを読め」
志「え? えーと、何々?」
志「『天海志騎は勇者である、前回の三つの出来事!』」
志「『一つ! 突如世界に樹海が発生!』」
志「『二つ! 普通の小学生、天海志騎が勇者に変身!」』
志「『そして三つ! 同じ勇者である少女達、三ノ輪銀、鷲尾須美、乃木園子と一緒にバーテックスを撃退した!』。……って、これ本当に何なんだよ!?」
刑「まぁ詳しい単語は本編で聞いてくれ。では第三話、張り切って行ってこい!」
志「第三話って何だよ!? なぁ、なぁってば!」







「----ではこれより、天海君のための『お役目講座』を始めたいと思います!」

「わ~い! パチパチパチ~!」

「良いぞ須美ー!」

「ふ、二人共! からかわないで!」

 楽しそうに声を上げる銀と園子に、須美が顔を赤らめて抗議する。そんな三人を、志騎は半眼で見つめていた。

「って待てよ、どうして鷲尾が説明をするんだ? 俺は安芸先生が説明してくれるって聞いたんだけど……」

 そう言いながら志騎は右横の方をちらりと見る。そこには自分達の担任の教師であり、志騎の育ての親である安芸が四人をじっと見つめて立っていた。

 四人がいるのはいつも志騎達が授業を受け、安芸が授業を行う自分達の教室だった。教壇の前には教師役の須美が立っており、そのすぐ前の席に園子、銀、志騎の三人が座っている。

 志騎がここにいるのは、今日の早朝に安芸から、放課後にお役目についての説明を行う事を聞いたからだ。なので志騎は授業が終わった後教室に残り、彼女からの説明を待っていたのだが、そこで志騎は何故か須美と園子、さらには銀までもが教室に残っていたことに気付いた。

 そして安芸は教室に残っていた志騎にこう言った。

『今日の説明は鷲尾さんがするから、しっかりを話を聞くようにね』

 それをきっかけに須美は教壇の前に堂々と立つと、先ほどの言葉を言い放ったのだった。おまけに黒板には『天海君のためのお役目講座』という非常に丁寧な字まで書かれている。安芸がお役目について説明をしてくれると思っていた志騎にとっては、正直度肝を抜かれた気分だった。

 すると、こほんと咳ばらいをして調子を取り戻した須美が志騎の言葉に答える。

「本当ならそのはずだったんだけど……。実は私も、今日天海君にお役目についての説明をしたいと思ってたの。それで先生に相談をしたら、先生も放課後に天海君に説明をしようとしてたって聞いたから、それならちょうど良いって事で私が説明をする事になったのよ」

「ちなみに細かい箇所の補足は私が行うから、鷲尾さんは何も気にせずに説明をしてください」

「はい、ありがとうございます」

「……じゃあ、どうしてあの二人はここにいるんだ?」

 志騎が見たのは銀と園子の二人だった。園子はえへへ~と笑いながら、

「一度習った事でも、お友達と一緒に勉強するのはきっと楽しい事だって思ったからだよ~。もちろんあまみんの邪魔はしないから、安心してね」

「あたしは万が一志騎が分からない事とかあったら、教える役目! 分からない事があったら、なんでもこの銀様に尋ねていいんだぞ?」

「いや、その気持ちはありがたいけど、その前に鷲尾か安芸先生に尋ねるわ」

「ですよねー……」

 銀は馬鹿ではないが学力はお世辞にも高いとは言えない。志騎の記憶が確かなら、テストなどの点で志騎が彼女に負けた事は一度もない。それは彼女も分かっているのか、ははは……と沈んだ笑い声を上げている。

「こほん! 少し話が逸れてしまったけれど、そろそろ始めるわよ。じゃあ天海君、まず基本的な事を聞くわね。神世紀298年の現在、私達が住んでいるこの四国以外に人はいない。それはどうして?」

「どうしてって……ウイルスで壁の外の世界が滅んだからだろ?」

「正解ね」

「いや、これぐらい子供でも知ってるだろ」

 そう。それがこの世界の常識(あたりまえ)

 今から約三百年ほど前、世界に突如死のウイルスが発生。当時の医療技術でも治療できなかったそのウイルスはあっという間に全世界に蔓延し、多くの人々の命を奪った。その魔の手は今志騎達が暮らしている四国を含んだ日本にも及び、同じように多くの人々の命が奪われた。

 そして四国以外の人々の命が絶たれ、四国に住む人々も同じ運命を辿ると思われた。

 だが、そこに現れたのが今四国の人々から信仰を集めている『神樹様』だった。

 古来より存在していた神々が集まってできた神樹様は自らの力を使って四国全土に結界を形成し、外の世界から来るウイルスを防ぐ事で四国の人々を救った。実際に今の四国全域はまるで植物の根のような壁で覆われており、それが神樹様が作った結界である。それより先は一見普通の光景に見えるが、実際は今でも死のウイルスで満ちていると言われており、壁より先に行こうという者はいない。

 そして人々は神樹様の加護の元、西暦時代に続く新暦、神世紀298年に至る今まで穏やかな生活を続けてきた、というのが志騎の知っているこの国の歴史である。

「私達は、神樹様のおかげで生きる事ができている。外の世界が滅びてしまっても私達がこうして日常を送れているのは、神樹様が私達に恵みを与えてくださっているから。だから私達は神樹様に毎日感謝と祈りを捧げて暮らしている」

「本当に基本的な事だな。……だけど、その基本的な事を話したって事は、それがお役目と関係があるからか?」

 すると須美は志騎の問いにこくりと真剣な表情を浮かべて頷く。

「さっき天海君が言ってくれたように、外の世界に人はもういない。いいえ、人どころか生き物すらいない。だけど、そのウイルスの海の中である生命体が生まれた」

「ある生命体? ……まさか」

 そこまで説明されれば、さすがにお役目の事をよく知らない志騎にも想像がつく。志騎の想像が伝わったかのように、須美は続けた。

「そう。それが私達が先日戦った敵、バーテックス。世界を殺す存在」

「……あいつは、一体何なんだ? どう見ても生物には見えなかったけど……」

 ウイルスの海の中で生まれた生命体とは言うが、正直あれは生物には見えない。直接相対した志騎の感想になってしまうが、確かにあれからは意志のようなものは感じた。しかしあれはどちらかというと、機械や昆虫のような感情のないものだ。もう少し具体的に言ってしまうと、人間のように殺意や敵意のようなものを持って志騎達を殺そうとしてきたのではなく、まるであらかじめ決められた行動パターンに沿って行動しているような感じがしたのだ。あれは、本当に須美の言うような生命体と言えるのだろうか。

 するとそれに答えたのは話を聞いていた安芸だった。

「正直、バーテックスについて分かっている事はあまり多くないの。目も口も耳もない、それなのに的確に敵を判断し襲い掛かる。おまけに消化器官もないはずだから人間を捕食する必要もないのに、ただ殺すためだけに攻撃を仕掛けてくる。文字通り、得体のしれない生物よ」

「なるほど……」

 人間に限らず、生物が相手を捕食するのは自らの生存本能によるものだ。だがバーテックスには消化器官がないし、捕食のための口すらも見当たらない。つまり、生きるための捕食が必要ない。それなのにバーテックスは自分達を敵と認識し、殺しにかかってきた。

 まるで、人間を殺すために作られた『兵器』のように。

 安芸の言う通り、得体のしれない存在だなと志騎は思った。

「……だけど、世界を殺すっていうのはどういう意味なんだ? 確かにとんでもない力を持ってたけど……」

 人を簡単に溺死させる水球を放つ能力に高圧水流、さらには大抵の傷ならばすぐに回復する並外れた自己再生能力。確かにバーテックスの持つ能力は自分達の予想をはるかに超えたものであり、その力を以ってすれば世界を滅ぼす事など簡単にできるだろう。だが志騎には須美の言う『世界を滅ぼす』という言葉の意味が、力づくで世界をボロボロにする事ではないように感じられた。

「バーテックスについて分かっている事は二つあるの。一つは、ただ人間を殺すためだけに攻撃を仕掛けてくる事。もう一つは………全ての恵みの源である、神樹様を破壊しようとしている事」

「何っ?」

 その言葉にはさすがに志騎も目を見開く。同時に、須美の『世界を滅ぼす』という言葉の意味もようやく理解する事ができた。

 外のウイルスから自分達を護り、生活に必要な恵みをもたらしてくれる神樹は文字通り四国の命綱だ。もしも神樹が破壊されれば、自分達の生活の元となる全ての恵みが消える。それだけではなく、自分達をウイルスから護っている壁すらも消失するだろう。その先にあるのは四国に住む人々と文化の破壊。

 すなわち、世界の破滅だ。

「……なるほど、大体分かってきた。バーテックスは神樹様を破壊する事を目的としている。となると、お役目っていうのはつまり……」

「そう。『勇者』となって、バーテックスと戦い撃退する。それが私達のお役目よ」

「『勇者』?」

 また新たな単語が増えた。それを説明するかのように、須美は黒板に簡単に神樹の絵と四人の人間の絵を描き始める。

「そもそも、ウイルスから生まれたバーテックスには通常兵器の類が一切通用しないの。それに対抗するために、大赦はあるシステムを作った」

「大赦……ああ、なるほどね。バックにいるのは大赦なのか……」

 大赦というのは神樹を奉る組織の事だ。大赦が持つ権力はかなり強大なものらしく、なんでもその気になれば社会全体を動かす事すら可能らしい。

 ここで大赦の名が出た事に志騎は軽く驚くが、確かに神樹を奉る彼らならば最初から全てを知っていてもおかしくはない。

 ちなみに、志騎を育ててくれている安芸も大赦の人間だ。それも大赦の中ではそこそこ良い家柄らしく、年若い彼女がまだ小学生の志騎を特に不自由もなく育てる事ができているのも、彼女の家の力があるからではないかと志騎は思っていた。

「ええ、そうよ。大赦は神樹様の力を呪術的・科学的に解析し、人の身で神樹様の力を扱う事を可能とするシステムを作り上げた。それが勇者システムで、私達のように勇者システムを用いてバーテックスと戦う人間を勇者と呼ぶの」

 志騎は須美の言葉にじっと耳を傾けて何かを考えていたが、やがてすっと片腕を真上に伸ばした。

「質問」

「はい、天海君」

「バーテックスと戦うために、勇者システムっていうのを使って戦うのは分かるんだけどさ、それならもっと数が多い方が良いんじゃないか? そうすれば戦いもずっと楽になるだろ」

 神樹の力を利用しているだけあって、確かに勇者となった志騎達の力は強力だった。だがそんな四人でも、初戦という事を差し引いても先日のバーテックスとの戦いでは苦戦した。戦力という面から考えると、もっと人数が多くても良いのではないだろうか。

「そういうわけにもいかないのよ。勇者システムを使えるのは、神樹様に選ばれた人間だけなの」

「神樹様に?」

「ええ。これにも条件があって、一つは大赦の家系の人間である事」

 それはなんとなく分かった。というのも、この教室にいる志騎以外の三人の勇者は須美の言う通り、全員大赦関係の家の人間だからだ。

 例えば須美の鷲尾家は大赦でもかなりの名家だし、銀の三ノ輪家は分家のため大赦の中ではあまり強い権力は持っていないが、それでも一般人の志騎に比べると立派な家系と言えるだろう。

 中でも園子の乃木家は次元が違う。何せ乃木家は大赦の中でも最高の権力を持つ家だ。そのため資産等の面では同じ大赦の家系である鷲尾家や三ノ輪家とは比べ物にならず、おまけに家には何人もの使用人がいるのだと志騎はクラス内の噂で聞いたことがある。

「そしてもう一つは、神樹様の力に適応する少女である事」

「……? どうして少女である事が勇者システムを使う事に関係するんだ?」

「古来より穢れを忌み嫌う神に触れる事ができるのは、無垢な少女だけだからと私は聞いているわ。でも勇者システムを使うための適性はあるみたいだから、少女全員が勇者システムを使えるってわけでもないみたいね」

 つまり、勇者システムを使うための条件は次のようになる。

 1、少女である事。

 2、神樹様の力を使うための適性を備えている事。

 3、大赦の家系の人間である事。

 これらを備えた少女だけが、神樹の力を行使する事が可能となる勇者システムを使い、勇者となってバーテックスと戦う事が可能となる。

 だが、そうなると分からない事が出てくる。

「……じゃあ、何で俺は勇者に変身できたんだ?」

 志騎は須美から説明された勇者に変身するための条件のどれにも当てはまらない。大赦の家系である安芸と一緒に暮らしているとはいえ志騎自身は大赦とは何の関係もない人間だし、何よりも男だ。先ほどの須美の話の通りならば、勇者になれるはずがないのだ。

 すると須美もそれについては分からないのか、少し困ったような表情を浮かべた。

「それは正直私も分からないの。私は前から勇者として選ばれた事とお役目についての説明は聞いてたけど、天海君についての事は何も聞いてなくて……。乃木さんと三ノ輪さんは?」

「私も何も聞いてないかな~」

「あたしも園子と同じ。だからあの時はびっくりしたよ。志騎がどういうわけか樹海にいるんだからさ」

 銀はともかくとして、大赦の中で最高の権力を持つ乃木家の園子ですら知らなかったという事は、大赦の大半は志騎が勇者になる事を知らなかった可能性が非常に高い。だが、そうなると戦いが終わった後の安芸の反応が気になる。

「安芸先生。先生は、俺が勇者になるって事を知ってたんですか?」

 志騎が尋ねると、安芸は一度ふぅと息をついてから答えた。

「……ええ、知ってたわ。けど、正直私を含めて大赦の誰もが半信半疑だった。今まで少女しか勇者になれなかったはずなのに、何故か唯一の例外としてあなたは神樹様に選ばれたから。だから一応あなたのための勇者システムは作ってはいたけど、本当にあなたが勇者になれるかは誰も分からなかったのよ。……まぁ、今となってはあなたが本当に神樹様に選ばれたのだと証明されたけれど」

 神樹様を崇拝する大赦の安芸ですらそうだったのだから、恐らく大赦全員が安芸の言う通り志騎が本当に勇者になれるか信じ切れていなかったのだろう。園子や須美達に情報が来なかったのも、それが関係している可能性が高い。

「でも大赦ですら俺が勇者になれるか半信半疑だったって事は、どうして俺が神樹様に選ばれて、勇者になれたかまでは……」

「……ごめんなさい。そこまでは私も分からないわ」

「そうですか……」

 つまり、今のところ志騎が変身できる理由については何も分からないという事だ。正直分からないまま話を先に進めるのはあまり好きではないのだが、だからと言ってずっと頭を悩ませていても仕方がない。変身できる理由についてはまた今度調べる事にして、話を先に進める事にしよう。

「じゃあ、あの樹海って世界は何なんだ?」

「樹海は一言で言ってしまえば神樹様の作り出した防御結界ね。現実世界でバーテックスと勇者の戦闘が行われてしまえば、その余波だけでたくさんの被害が出てしまう。それを防ぐために、神樹様が現実世界を樹海に変えて四国を守ってくださるの。樹海に変わると現実世界は時間が停止した状態になるから、その中で私達勇者はバーテックスと戦うのよ」

「そうか……だからあの時……」

 志騎が樹海化の前に体験したあの時が止まった現象は、樹海化の前触れのようなものなのだろう。だが須美は何故か表情を険しくして話を続ける。

「だけど、樹海化も万能というわけではないわ。樹海化の時間が長引けば長引くほど神樹様の力は消耗されていくし、バーテックスや勇者の攻撃で樹海が傷ついてしまうと、それは原因不明の事故や災害といった形で現実世界に悪影響を及ぼしてしまう。だから私達は極力樹海を傷つけず、一刻も早くバーテックスを撃退しなければならないの」

 須美の言葉に志騎はバーテックスとの戦闘の翌日、ニュースで山火事が発生したという情報が流れていた事を思い出した。あの時は山火事なんて珍しいなと思ったが、もしかしたらあれはバーテックスとの戦闘で樹海が傷ついた影響を受けたからなのかもしれない。

「一応これが私達の知ってるお役目についての情報だけど……。他に何か聞きたい事は?」

「ああ、最後に一つ。あいつは一体何なんだ?」

「あいつ?」

「あいつだよ。自称天才美少女精霊の……」

 と、そこまで言いかけた時だった。

「おいおい志騎。自称とは失礼だな。私はれっきとしたてぇんさい美少女精霊だぞ?」

 そんな声が突然したかと思った次の瞬間、志騎の頭にぽふりと何かがのっかった。志騎が迷惑そうな表情で自分の頭の上を見上げると、そこには樹海で出会った自称天才美少女精霊、刑部姫が腹を志騎にくっつける形で彼の頭に乗っかっていた。重さはそれこそぬいぐるみ程度の重さしかないが、だからと言って頭の上に乗られるのはあまり良い気分ではない。

「その子って……確か樹海で出会った……」

「ああ、そうだよ。てかお前、なんでスマートフォンを操作してないのに出てきたんだ?」

「ふふん、私は別にお前がスマートフォンを操作しなくても、勝手に出たり消えたりする事ができるのだよ!」

「うわっ、最悪だ……」

 それはつまり志騎の意思など完全無視で、好きな時に出たり消えたりする事が可能という事である。

 志騎が思わず呻くと、突然現れた刑部姫に何故か安芸がため息をついた。

「刑部姫、あまり四人を驚かせないでちょうだい」

「あまり固い事を言うなよ安芸。これから説明するんだし、別に構わないだろう?」

「……あれ~? 安芸先生って、もしかしてひめちゃんとお知り合いなんですか?」

「おい、私にまで珍妙なあだ名をつけるな、乃木園子」

 舌打ちと共に若干イラっとした口調で言いながら刑部姫が園子を睨みつける。安芸とは親しい口調で会話を交わしていたのに対し、園子に対してはこの反応である。こうしてみると、どうも刑部姫は志騎と安芸に対しては気安い口調で話すが、それ以外の人間に対しては今の園子やこの前の須美のようにやけに辛辣な態度が目立つ。

「知り合いと言えば知り合いよ。だけどその前に、精霊について説明をしておかないといけないわね。神樹様には地上のあらゆるものが概念的な存在として蓄積されているの。それらの記録にアクセスし、抽出、そして具現化した存在----それが精霊よ。刑部姫は大分前から私達に協力している精霊でね、その頃からの付き合いなの」

「ま、そういう事だ」

 安芸の説明に刑部姫が首肯する。協力している、と言う割には二人の間の口調はまるで友人のようだ。だいぶ前からとは言うが、どれくらい前から協力関係を結んでいるのか志騎は少し気になった。

「でも、どうしてその精霊が天海君と一緒にいるんですか?」

「一言で言ってしまえば、天海君のサポートよ。自分で『天才美少女精霊』って言ってるから信じられないかもしれないけど、本当に彼女の知能は並みの人間以上なの。彼女なら天海君のサポートが可能って理由で、彼女を天海君の勇者システムに組み込んだのよ。私達は天海君が本当に勇者になれるか半信半疑だったから、お役目の事も話せなかったしね」

「サポートって事は……これからもこいつが俺達と一緒に行動するんですか?」

「ええ。今の刑部姫自体には戦闘能力はないけど、それでも色んな所であなた達のお役目の手助けをする事は出来るはずだから。それにバーテックスとの戦闘中は現実世界の時間は止まってしまうから私達は動けないけど、精霊の刑部姫なら勇者と一緒に行動する事ができるから、連絡役としても役に立つしね」

「ま、志騎はともかくとしてお前達三人のために働くなど反吐が出るが、そこは我慢してやる。泣いて感謝しろよアホ共」

「……志騎ー、こいつ叩いて良い?」

「天海君、この子吊るして良いかしら?」

「落ち着け二人共。イラっとするのは分かるけど」

 刑部姫の毒舌に堪忍袋の緒が切れそうなのか、須美と銀が青筋を立てる。それを慌てて志騎がなだめるが、当の刑部姫はどこ吹く風であくびをしている。まだ会って間もないが、志騎には刑部姫の性格が大体分かってきた。分かりやすく言ってしまうと、人の怒りに油を注ぐような奴だ。

 それを証明するかのように、四人のやり取りを見ていた安芸は頭痛をこらえるかのように額を手で抑えている。どうやら彼女も何回か、刑部姫の毒舌っぷりに翻弄された事があるらしい。もしかしたら大赦の神官達に対してもこのような態度を取っているのかもしれない。それが本当ならば、安芸の心労はかなりのものだろう。今夜の晩御飯は胃に優しいものを作ってあげようと志騎は思った。

 ちなみに園子は園子で「よろしくね~、ひめちゃん」と笑顔で刑部姫に言い彼女をさらにイラつかせていた。きっと嫌がらせではなく、純粋に天然なのだろう。前々から思っていたが、将来彼女はきっと大物に育つに違いない。

 志騎が二人をどうにかなだめると、冷静さを取り戻した銀がこんな事を言った。

「でも勇者のサポートをしてくれるっていうのは良いよなぁ。ねぇ先生、あたし達も精霊と一緒に戦う事ってできないんですか?」

 銀の質問に安芸は肩をすくめながら、

「それは無理ね。天海君の勇者システムはあなた達のものとは違って彼専用に調整されたものだから、刑部姫を組み込む事ができたの。だから今のところ、彼のように精霊をあなた達の勇者システムに組み込む事はできないわ」

「ええー。ずるいー、志騎ばっかり不公平だー!」

 よほど志騎の精霊がうらやましかったのか、銀が不満を口にする。まぁ確かに刑部姫のように毒舌を口にしまくる精霊など嫌だろうが、それを抜きにすれば勇者をサポートしてくれる存在というのは非常に心強い存在だろう。見た目もゆるキャラのようなので、人によっては心の癒しにもなるかもしれない。

「三ノ輪さん、あまり天海君を困らせないの」

「うう……はーい」

 そう銀をたしなめると、須美はもう一度こほんと咳ばらいをした。

「少し話が長くなってしまったけれど……お役目についての事は分かった?」

「ああ、大丈夫だ。つまり勇者になって、バーテックスを撃退して、神樹様を守る。それが俺達勇者のお役目って事だろ?」

「ええ、そうよ」

 こうしてまとめるとシンプルだが、その責任は非常に重大だ。何せそのお役目に失敗してしまえば、文字通り世界が滅んでしまうのだから。責任感が強い須美がバーテックスとの戦闘後に思い詰めていたような表情を浮かべていたのも、当然だろう。

 いや、それはきっと須美だけではない。表情には出さないがきっと銀と園子も、自分達が今いる世界を守りたいという強い思いを抱いているのだろう。普通の人間ならば押しつぶされてしまいそうな責任感を背負いながら、彼女達はこれからもバーテックスと戦っていくに違いない。

 一方自分は突然お役目に巻き込まれ、たまたまバーテックスと戦う事になった一般人と何ら変わらない。

 正直こうして須美達から話を聞いても、お役目の責任の重さや、戦いの厳しさをまだ十分に理解できていない。心構えの面からしても、須美達に比べたら自分は圧倒的に下回るだろう。

 それでも。

 世界の命運を賭けて戦う彼女達の力になりたいというこの想いは、紛れもなく志騎自身の本心だ。

 勇者としては半人前も良い所だが、それでも彼女達の力になるためにも今は自分の役目をきっちりと果たしていきたいと、志騎は思った。

「ま、お前達からしたら突然の事で悪いけど、改めてこれからもよろしくな」

「ええ。この美しいお国を守るために、一緒に頑張りましょう!」

「お~!」

「おー!」 

 須美の声に合わせるように、園子と銀が力強く片腕を真上に突き出すのだった。

 

 

 

 

 帰り道、夕日に照らされながら志騎と銀は一緒に歩いていた。園子と須美とは帰り道が別なので途中で別れ、安芸と刑部姫はやる事があるらしくまだ学校に残っている。

「だけど、お役目とやらがまさかあんな化け物と戦う事だったとはな……。さすがに少し驚いた」

「あはは、それはそうだよ。あたしだって初めて聞いた時は驚いたし」

 志騎の言葉にからからと笑う銀を見て志騎はある事に疑問を覚え、こんな事を尋ねた。

「なぁ、銀。お前は怖くなかったのか? あんな化け物と戦うって聞いて」

 バーテックスと戦うという重大な役目を負ってはいるが、銀達はまだ小学生だ。

 そして、世界を守るという綺麗な言葉を使ったとしても、戦いというのは要するに相手と命を奪い合う殺し合いだ。普通ならば世界を守るという使命感よりも、命を失うかもしれないという恐怖が先に来る。

 とは言ってもそれは別に恥ずかしい事ではない。自分の命を失うのが怖いというのは生物としては当たり前のことだ。むしろ、それに恐怖を抱かない方がおかしいだろう。あえてひどい言葉を使うならば、生物として間違っている。

 だから志騎は気になったのだ。目の前で明るく笑う少女が、戦うという事自体に恐怖を覚えているのかどうかが。

 すると銀は一瞬きょとんとした表情を浮かべるも、すぐに柔らかい笑みを作って言った。

「そりゃああたしだって最初はちょっとは怖いって思ったよ。……だけど、さ。もしもバーテックスが神樹様を壊したら、この世界は滅んじゃうだろ? そうなったらこの世界に住んでる人達が全員死ぬ。そう考えたら、怖がってる暇なんて無い、あたしに勇者として戦う力があるならこの力で皆を護りたいって、そう思ったんだ」

「………」

「まぁ、それにほら! 勇者ってすごいカッコいいだろ? 皆や家族を護る美少女戦士って、あたし憧れてたからさー」

 あははは、と真面目な口調から一転して元の明るい口調に戻るが、志騎にはそれがあえて場を明るくするためのものだというのが分かっていた。彼女は何の考えもなしに能天気な事を言うような馬鹿ではない。そしてそんな彼女だからこそ、世界を守るというあまりに大きすぎるお役目に強い想いをもって励む事ができるのだろう。まぁ、それは他の二人も同じだろうが。

 そしてそんな幼馴染の姿が、志騎には眩しく見えた。

「そっか。お前はすごいな、銀」

「え!? い、いや、そうかなー」

 あはは、と銀は照れ臭そうに頬を掻くが、ふと何かを思い出したのか真剣な表情になると志騎の目をまっすぐ見た。

「なぁ志騎。あたしからも一つ聞いていいか?」

「ん? 何だ?」

「……あのさ、志騎。お前は……」

 だがそこで、銀の言葉が止まった。いや、正確には尋ねるべきか否かを判断しかねているという顔だ。尋ねてみたいが、尋ねるのが怖くて思わず口が止まってしまったような、そんな感じだ。

「銀? どうした?」

 志騎がそう尋ねると、銀は無理やり笑みを浮かべると志騎に言う。

「……いや、なんでもない! 悪い、今のは忘れて!」

「はぁ? お前何言って……」

「そんな事よりも、早く帰ろ! あたし腹減っちゃったよ。今日の晩御飯何かなー」

「お、おい。引っ張るな」

 志騎の右手を掴んで、銀は志騎の手を強く引いて歩きだす。無論それに抵抗できるはずもなく、志騎は銀に引っ張られるまま歩いて帰って行った。

 結局その時、銀が何を尋ねたかったのか、志騎にはまったく分からなかった。

 

 

 

 

 

 

「「いただきます」」

 夜七時、志騎は学校から帰ってきた安芸と一緒に夕食を取っていた。今日の夕食はご飯にじゃがいもを使った味噌汁、それに豚バラ肉と大根の煮物、ピーマンのきんぴらサラダだ。味噌汁の具については家庭それぞれだろうが、志騎はじゃがいもを使った味噌汁が好きだった。なお、煮物についてはあの自称天才美少女精霊に苦労している安芸の胃を心配して作ったものである。ピーマンのきんぴらサラダについてはもう言わずもがな。

 二人が料理を食べていると、不意に安芸が白米の入った茶碗を置いて志騎に言った。

「……志騎、ごめんなさい」

「……何がですか?」

 志騎が安芸の顔を見てみると、彼女の顔はどこか浮かないものだった。その表情に志騎が少し戸惑っていると、安芸が再び口を開く。

「本当なら、あなたに事前にお役目の事をきちんと伝えておくべきだったわ。そうすればすぐに変身してバーテックスと戦って、あなた達の被害を少なくする事だってできたはずなのに。私自身あなたが本当に変身できるか半信半疑だったから、あなたにお役目の事を伝えなかった……。もしも少しでも対応が遅れていればあなたは死んでいたかもしれないのに……」

 つまり、志騎が本当に勇者になれるか分からなくても、志騎にその可能性がある事ぐらいは伝えておくべきだったと安芸は思っているのだろう。志騎本人としてはもう過ぎた事なのであまり気にしていないが、確かに安芸の言う事も分かる。

 今回刑部姫が志騎の元に現れ、変身の仕方を教えてくれたから良かったものの、もしもそれが遅れていたら安芸の言う通り志騎はあのバーテックスに殺されていたかもしれない。実際、銀達を助けるためとはいえ一度攻撃もされた。もしもあの攻撃が直撃していたら、今こうして安芸と夕飯を共に食べる事はできていないだろう。

 それを考えると、やはり自分にお役目の事をきちんと話していれば良かったのではないかと、今の安芸は思っているに違いない。

 志騎は一度茶碗をテーブルに置くと、俯く安芸の顔をまっすぐ見つめる。

「俺は別に気にしてませんよ。安芸先生が俺にお役目の事を話さなかった理由もなんとなく分かります。今まで前例が無かったんですから、安芸先生達大赦が戸惑うのも無理はないですよ。安芸先生が責任を感じる事はないんです」

「志騎……」

「……でもこんな事を言っても安芸先生の気が済まないと思いますから、今後はお役目に関する事は正直に話して欲しいのと、銀達のサポートをきちんとしてあげてください。それでチャラって事で良いですか?」

 志騎の提案に安芸は思わずきょとんとした表情を浮かべるが、やがて柔らかな表情を浮かべるとゆっくりと頷いた。

「ええ、そうするわ。志騎、ありがとう」

「礼なんていりませんよ。大体礼を言うのは俺の方です。こんな俺を、ここまで……」

 と、その時だった。

「ほー、これが志騎の作った飯か! なかなか美味そうだな!」

「げっ、刑部姫!?」

 突然花びらが舞い散ると共に刑部姫が現れ、それに志騎が目を見開いて驚く。安芸は突然現れた刑部姫に驚く様子は見せていないが、はぁとため息をついていた。刑部姫はまじまじと料理を見ていたが、突然志騎の豚バラ肉を行儀悪くつまむとぱくりと口に運ぶ。

「む、美味い! 安芸から聞いていたが料理上手だな!」

「ふざけんな人の飯を勝手に食うな! 吐き出せ!」

「はははっ! 生憎だがもう食べてしまったのでな! それが嫌なら今後は私の分の飯もちゃんと用意しておく事だな!」

「ちょっと待て、まさかとは思うがここで飯を食う事はもうすでに確定事項なのか……!?」

 悪い冗談だと思いたかったが、刑部姫の様子を見ると彼女は本気のようだ。今はもう志騎の食事に手を出していないが、放っておいたら今後また食卓に現れ、そのたびに二人の食事に手を出すだろう。付き合いは短いが、何故か刑部姫ならば間違いなくそれを実行するという妙な確信が志騎にはあった。

「最悪だ……」

 どうやら次からの食事は刑部姫の分も用意しなければならないらしい。それを想像して、志騎はそう呟きながら重いため息をついた。

 

 

 

 夜十一時、夕食の後安芸と協力して洗い物を終え、それから入浴を済ませてから翌日のための予習と復習を終えた志騎は自分の部屋でベッドに入っていた。今日だけでもお役目についての説明が色々あった事で疲れていたのか、彼はすぐに眠りの世界へと旅立って行った。そんな彼の部屋に、ある人物がドアを開けて静かに入ってきた。

 その人物----安芸は部屋に入ると志騎が夜更かししてないかこっそりと近寄って彼の寝顔を確認する。志騎が夜更かしをするような人間ではない事は分かっているのだが、どうも教師としての彼女の性格のせいかこういった確認は念を持って行う癖があった。まぁそれもさすがに毎晩ではなく、たまにぐらいの頻度なのだが。

 そして志騎がきちんと眠っている事を確認すると彼の髪の毛を優しく撫で、部屋を出てから起こさないようにドアをゆっくりと閉じた。それから自分の部屋に戻ろうとしたその時。

「----志騎はもう眠ったようだな」

 そんな言葉と共に、刑部姫が安芸の肩の上に現れて彼女の肩にちょこんと乗った。安芸はそれに相変わらず驚く様子を微塵も見せず言葉を返す。

「朝も早いし当然よ。夜更かしもしないし、そこだけはあなたと一緒ね」

「当然だ。睡眠不足は頭脳労働の天敵だ。寝不足で働くなど無能と馬鹿の証だ。そう言うお前はちゃんと寝ているのか?」

「当然よ。あなたに言われるまでもないわ」

「なら良い」

 二人はそんな世間話をしてから、本題に入る。最初に口火を切ったのは刑部姫だった。食卓の時に見せていたような笑顔を全く見せず、冷徹な瞳を安芸に向けながら、

「大赦のアホ共はどんな様子だった?」

「一般の神官達はやはり動揺してたわね。上層部は前から知っていたから大して動揺してなかったけれど。あなたの方は? 何かバーテックスについて分かった事はある?」

「ああ」

 頷きながら刑部姫は着物から、着物に収まるはずのない大きさのタブレットを取り出すと、小さい指で画面を操作する。

「志騎とガキ共のスマートフォンの戦闘データを解析したが、やはり西暦の時代と比べるとかなり強化されている。強化の可能性も考えて志騎の勇者システムを調整していたが、やはり今の段階だとまだデータ不足だな。今回戦ったのはアクエリアス・バーテックスだけだからまだどれぐらい強化されているかは分からんが、今後他のバーテックスとの戦闘データを得てどれほど強化されたか分かったら、また調整しなおす必要がある」

「そう……」

 刑部姫からの報告を受けた安芸はふぅーと息を吐くと、苦し気な表情を浮かべた。

「……いつか来るとは思っていたけれど、まさか本当に来るなんてね……」

「何を今更。この時が必ず来るのはお前も分かっていただろう」

「分かっているわ。……けれど本音を言えば、あの子には戦いとは何の縁もない、三ノ輪さん達と一緒に普通の生活を送って欲しかった」

「例えバーテックスと戦う事になったとしても、このままあのガキ共と一緒に普通の生活を送る事は出来るだろう。……あれを使わなければ、の話だがな」

「………」

 あれ、という言葉に安芸は唇を強く噛みしめる。そして苦しそうな声で、

「……あれを使わない事はできないの?」

「無理だな」

 だが、その安芸の質問を刑部姫はばっさりと切り捨てた。

「戦いはまだ始まったばかりだ。最終調整もあるし、今はまだ使わなくても良いだろうが、この先もっと強力なバーテックスが出てくる事は想像に難くない。そうなったら嫌でもあれを使わなければならないだろう。例えそれが原因で、もう今のような日常を送る事ができなくなったとしても、な」

 ギリ、と奥歯を強く噛みしめる音が聞こえた。刑部姫が彼女の顔をちらりと見てみると、彼女の表情には強い苦悩の色が浮かんでいる。普段はクールな安芸がそのような表情を見せるのは、非常に珍しい事だと言えるだろう。そんな彼女を励ます様に、刑部姫は安芸の後頭部を優しく叩いた。

「そんな顔をするな。私もできるだけ志騎のサポートに励む。お前もガキ共と志騎の面倒をよく見てやれ」

「……ええ、分かっているわ。それが今の私の、すべき事だから」

 そう言う安芸の顔は、まだ苦悩の色を残してはいるものの、先ほどよりは大分普段の冷静さを取り戻していた。

 刑部姫はそれを確認すると、花びらを散らせながら安芸の肩からその姿を消した。

 

 

 



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第四話 合同合宿 ~一日目~


志「『勇者に変身した普通の小学生、天海志騎は育ての親である安芸と同級生であり同じ勇者の鷲尾須美から勇者とバーテックスについて驚愕の事実を聞く。そしてそれをきっかけに、志騎はバーテックスとの戦いに身を投じるのだった……』。今回やけにシンプルだな」
刑「今回のタイトルは魔法使いから来ているからな」
志「タイトル? 魔法使い? またわけわからん事を……」
刑「そんな事はどうでも良い。では四話、張り切って行ってこい!」
志「はいはいっと」


 

 志騎が樹海で勇者に変身し、銀達と協力してバーテックスを撃退してから半月が経過した。

 当初はいつバーテックスが来るか少しピリピリしていた志騎だったが、今ではすっかり体から力を抜いている。とは言ってもそれはバーテックスがもう来ないと楽観しているわけではなく、常時緊張状態にあってはいざという時に対応できないと安芸と刑部姫から注意されたからだ。

 その二人の忠告もあって志騎は銀と、最初のお役目から少し距離が縮まった須美と園子と一緒に至って普通の日常を過ごしていた。

 だがそんな四人の日常を壊すかのように、ついに二体目のバーテックスが襲来した。

 

 

 

 

「ぐうぅぅぅぅっ……! おい三人共……大丈夫か!?」

「な、何とか……!」

「だけど、身動きとれねぇよ!」

 志騎に須美と銀がどうにか返事をするが、三人の声はどこか苦し気である。

 そんな四人の前にいるのは、天秤の形をしたバーテックスだ。バーテックスは四人に何らかの攻撃をするでもなく、ただその巨大な体を回している。

 だが、それが何よりも今の四人にとっては脅威だった。何故ならばその体を回す事で強力な風が発生し、四人の動きを大きく阻害しているのだ。四人が吹き飛ばされていないのも、園子が槍の石突を地面に突き刺して柄を強く握る事でどうにか耐え、そんな園子に銀が抱き着き、その銀にさらに須美が抱き着くという形をとる事でどうにか風に吹き飛ばされるのを耐えているからだ。一方、志騎の方も剣の刀身を樹海に突き刺す事で吹き飛ばされるのを防いでいた。

「あのぐるぐる~……! 上から攻撃すると、弱そうだけど……!」

「どうしようもない! ハメはずるいよな!」

「くそっ……。おい刑部姫! お前も何か知恵貸せ!」

 暴風の中志騎が自分の肩に必死にしがみついてる刑部姫に言う。刑部姫は舌打ちでもしそうな口調で、

「ええい、くそ……! いかん、もうダメ……! ぬわぁああああああああああああっ!!」

「刑部姫ー!?」

 しかし志騎に助言を与える間もなく、刑部姫はついに限界を迎えて暴風に吹き飛ばされてしまった。その気になれば志騎のスマートフォンからまた現れるだろうが、今の暴風ではまた吹き飛ばされてしまうのだがオチだろう。

 と、暴風に耐えている須美の目にゆっくりと焼けていく樹海の様子が目に入った。このままだと、現実の世界に被害が広がってしまう。

(まずい、何とかしなきゃ……!)

「須美!?」

 須美は銀から両手を離すと、わざと吹き飛ばされて宙を舞い空中で弓を召喚、霊力で構成された矢を弓につがえてバーテックスに狙いを定める。

「南無八幡……大菩薩!」

 気合の声と共に最大まで威力がチャージされた矢をバーテックスめがけて放つ。しかしその矢は暴風に防がれ、バーテックスの体に届く事なく落ちていった。

「そんな……!」

 須美は悲痛な声を上げながら、バーテックスの暴風でさらに遠くまで吹き飛ばされてしまった。

 しかも残された三人に追い打ちをかけるかのように、バーテックスが振り回している分銅が三人に襲い掛かる。

「危ない!」

 それに気づいた園子が槍の形を変形、傘のような形状にするとバーテックスの分銅を防ぐ。それに続く第二撃もどうにか防ぐが、分銅なだけあって威力はかなりある。今は防ぐ事が出来ているが、このまま防ぎ続けていられる保証はない。

 すると再び分銅を振り回して三人を攻撃しようとするバーテックスを見て、銀は奥歯を強く噛みしめると園子から両手を離して空中を舞う。

「ミノさん!」

「銀!」

「三ノ輪さん!」

「うおおおおおおおおおおおおおっ!」

 三人が銀の名前を呼ぶが、彼女はもう止まらない。両手に自分の武器である斧を召喚すると、雄たけびを上げながら体を回転させてバーテックスへと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

「ゴリ押しにもほどがあるでしょう!」

「「「「はい……」」」」

 バーテックスとの戦闘から翌日、四人は神樹館の教室で安芸からの叱責を受けていた。反省の色を浮かべている四人の顔には、それぞれ包帯や絆創膏などが巻かれ貼られていた。

 安芸はバーテックスの体に斧による強打を加える銀の映像をスマートフォンで見ながら、

「これじゃあ、あなた達の命がいくらあっても足りないわ。お役目は成功して、現実への被害も軽微なもので済んだのは、よくやってくれたけれども」

「それは……三ノ輪さんと乃木さんと天海君のおかげです」

 須美の言葉に、銀と園子がそれぞれ笑顔を浮かべ、志騎は照れ臭そうに頬をポリポリと掻いた。

「のんきな事を言っている場合か? 一歩間違えれば、確実に命を落としていたぞ」

「刑部姫」

 そんな空気に水を差したのは、花びらと共に現れた刑部姫だ。彼女はタブレット端末の画面を見ながら安芸の肩に座ると、きろりと志騎を睨む。

「特に志騎。なんだあの無様な戦い方は? あの程度の敵にてこずってこの先どうするつもりだ?」

「あの程度って……仕方ないだろ? 誰もろくに身動きが取れなかったし。大体お前だって吹っ飛ばされだろうが」

「それを差し引いても、だ。お前が勇者システムの力をきちんと把握できていれば、もっと楽にバーテックスを撃退できたはずだ。お前の勇者システムにはそれだけの力がある。まぁ、きちんとそれを説明できていなかった私にも非はあるが……」

 刑部姫はポリポリと髪の毛を掻きながら、

「とにかく、近いうちにお前の勇者システムについて一から教える。だから次からはあんな無様な戦いはしないようにしろ。危なっかしすぎて見てられんし……正直、あの程度ならお前はいてもいなくても変わらん。はっきり言って役立たずだ」

「……っ!!」

 容赦のない刑部姫の言葉に、須美が勢いよく立ち上がろうとする。が、そんな須美を志騎の静かな言葉が止めた。

「やめろ、鷲尾。今はそんな事してる場合じゃないだろ。銀、お前もだよ」

 志騎の言葉に須美が銀の方を見てみると、彼女も怒りの表情を浮かべながら立ち上がろうとしていた。一触即発の空気の中、二人はしばらく納得のいかない表情を浮かべながら志騎を見ていたが、やがて渋々と席に座った。一方、刑部姫の方はそんな空気など知ったこっちゃないと言わんばかりに、タブレット端末の画面を操作している。

「……とにかく、あなた達の弱点は連携の演習不足。そして天海君の場合はそれに加えて勇者システムの把握不足ね。天海君の件はまた考えるとして、まずは四人の中で指揮を執る隊長を決めましょう」

(隊長……。私だわ……!)

 安芸の言葉に、須美がそう思いながら緊張した表情を浮かべながらスカートを強く握りしめる。

 だが、

「----乃木さん、隊長を頼めるかしら?」

 安芸が指名した人物は、須美ではなく園子だった。

「え? わ、私ですか?」

 指名された本人も、まさか自分が名指しされるとは思っていなかったのか、戸惑いの声を上げながら須美の顔を見る。彼女の様子から、きっと彼女も須美が隊長に任命されると思っていたのだろう。

「あたしはそういうのガラじゃないから、あたしじゃなければどっちでも」

「俺も異議なし」

 銀と志騎も安芸の言葉に反対せず、刑部姫ですら何も言わなかった。そして須美は園子が指名された理由について、こんな事を考えていた。

(そっか……乃木家は大赦の中で大きな力を占めている……。こういう時も、リーダーに選ばれるべき家柄なんだ。でも、実際は私がまとめないと)

(……なんて事、考えてそうだな)

 と、須美の顔を見ていた志騎はそう思った。

 確かに園子は大赦の中でも大きな権力を持つ乃木家の人間である。だが、彼女が隊長に選ばれたのは乃木家の人間という理由だからではない。家柄を抜きに考えても、この四人の中で隊長に一番向いているのは間違いなく園子だと志騎は思っていた。それを分かっているからこそ、安芸は園子を指名し、刑部姫も何も言わなかったのだろう。須美はまだ、それを分かっていないだろうが。

 その後須美も園子が隊長である事に賛成し、満場一致で園子が隊長に決まった。

「決定ね。神託によると、次の襲来までの期間は割とあるみたいだから、連携を深めるために、合宿を行おうと思います」

「「「「合宿?」」」」

 安芸の言葉に、四人は思わず驚いたように言うのだった。

 

 

 

 

「連携を深めるための合宿ですか……。なんていうか、少年漫画みたいですね」

「確かにそうだけど、今ある時間の中で行うにはそれが一番最適なのよ。それに合宿ならあなたの勇者システムについても一から学べる時間を確保できるしね」

「なるほど、一石二鳥ってわけですか」

 安芸から連携を深めるための合宿についての話が出た後、志騎は職員室で手伝ってほしい事があると安芸に言われ彼女と一緒に職員室へと向かっていた。なお、銀達は現在教室で志騎が帰ってくるのを待っている。

「それにしても、なんか刑部姫の奴機嫌が悪そうでしたね」

「あれは半分は彼女なりの期待の裏返しなのよ。あなたならもっとできるはずだって思ってるから、あんな事を言うの。まぁ、さすがに私もあれは少し言いすぎだと思うけど」

「じゃあ、もう半分は?」

「あまり褒められた事じゃないけど、鷲尾さん達をわざと怒らせるためね」

「わざと? 何でそんな事を……」

「彼女の昔からのやり方なのよ。相手を怒らせるような事を言って、相手がどんな反応をするか観察するの。さっきのはわざとあなたを侮辱する事を言って、鷲尾さん達が本当にあなたのために怒るか試したって所ね」

「だとしても、やりすぎじゃないですか?」

「それについては同感ね。彼女、どうも相手を必要以上に怒らせる悪癖があるから……」

 はぁ、と安芸はため息をついた。そんな彼女に同情すると同時に、やはり安芸と刑部姫の仲は自分の想像以上に深いのかもしれないと志騎は思う。そうでなければ刑部姫の事をこんな風には話せないだろうし、何よりも安芸自身が昔からと言っている。彼女の言う昔からがどれくらい前からは分からないが、もしかしたら最低でも一年以上の付き合いなのかもしれない。

「それより、どう? あなたから見て乃木さん達は」

「どうしてそんな事を?」

「他意はないわ。ただあなたが乃木さん達の事をどう見ているか気になっただけ。もちろんあなたがどう思っていようと、彼女達に言うつもりはまったくないわ」

「ふむ……そうですね……」

 と、志騎は少し顎に手を添えて考えると、

「乃木が隊長なのは適任だと思います。あいつは普段はのほほんとしてますが、いざという時の判断力と発想力には目を見張るものがあります。実際に、バーテックスとの初めての戦闘でもあいつの発想力に助けられましたから」

「そう。鷲尾さんは?」

「鷲尾は……お役目に対しての責任感は強いですし信頼できますけど、頭が固すぎて柔軟性に欠けるのが玉に傷ですね。そのせいで大事な局面で判断が遅れてしまう所があります。あいつ自身はまだ自覚してないでしょうけど」

「じゃあ、三ノ輪さんは?」

「あいつは逆にまっすぐ突っ込みすぎです。まぁ、それは周りがフォローしてやれば良いとは思いますけど。……色々言いましたけど、銀も含めて良い奴らだと思います」

「そう。これからも上手くやっていけそう?」

「……正直まだペースは掴みきれてないですけど、努力はしていくつもりです」

 何せ銀以外の二人とは友達になってからまだ半月程度しか経っていないのだ。少々頼りない返事だと思われるだろうが、今の自分ではそう言うのが精一杯である。

 志騎の正直な言葉に安芸は思わずといった調子でくすくすと笑いながら、

「期待しているわ。これからの戦いでは、仲間との連携が大切になるから。彼女達との距離感で戸惑う事もあるかもしれないけど、焦らないでゆっくりと絆を育てていけばいい。私達も、できるだけのサポートをしていくから」

「……はい」

 安芸の励ましの言葉に、志騎はそう頷きながら彼女と一緒に職員室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 職員室で安芸の手伝いを終えた後、志騎は教室で待っていた銀達と合流すると四人一緒に帰宅の道を歩いていた。志騎の前では三人が今度行う合宿についてそれぞれ話し合っている。

 安芸から合宿は海の近くで行うと聞かされた銀は、そこで宿泊する事になる宿の食事に目を輝かせ、須美はそんな銀をたしなめ、園子は合宿の合間に海で遊べるかと想像を膨らませている。

 一方、三人をよそに志騎は地面に視線を落としながら歩いていた。

(安芸先生はああ言ってくれたけど……、俺はこの先、本当にこいつらとちゃんと息を合わせて戦っていけるのか?)

 何せ、銀はともかくとして須美や園子とはろくに話した事がない。おまけに自分は人との接し方に自信がある方ではない。彼女達の手助けをしていきたいとは思うが、銀以外の二人とはきちんと友人関係を結べているとはあまり言えない。良くて知り合い以上友人未満といった所だ。

 こんな調子で、本当にこの先彼女達と協力し合いながらバーテックスと戦っていけるのだろうか。

 志騎がそんな事を考えていたその時だった。

「あまみん? 聞こえてる?」

「えっ?」

 突然変わったあだ名で自分を呼ぶ声に志騎が顔を上げると、目の前で園子が首をかしげながら自分を見つめていた。彼女の後ろでは、銀と須美が園子と同じような表情で自分を見ている。

「三人共、どうした?」

「それはこっちの台詞だよ~。あまみんさっきからぼーっとしてたし、私達との会話にも入ってこないし」

「会話?」

「ありゃりゃ、本当に聞いてなかったんだな……。合宿でどんな事するんだろうなって話だよ。それでお前に聞こうとしたら、何も言わないんだからちょっと心配したんだぞ? もしかして、具合でも悪いのか?」

「いや、そういうわけじゃ……」

 どうやら自分の考えに没頭するあまり、半ば上の空のような状態になっていたらしい。志騎がそう答えると、須美が恐る恐るといった調子で言った。

「あの……天海君、もしかして刑部姫が言ってた事気にしてるの?」

「……? 何の事だ?」

「ほら、その……役立たずって、言われた事」

「ああ……」

 それはきっと教室で今回の戦闘の反省を行っていた時に、刑部姫が言っていた事だろう。

 正直その事に対してはあまり気にしていない。刑部姫の毒舌は今に始まった事ではないし、何よりもあの天秤の形をしたバーテックスとの戦闘では実際自分は役立たずに等しかった。だから、刑部姫からあんな事を言われても仕方ないと志騎は思っていた。

 だが、三人はそれが志騎が上の空の状態になっている原因だと思ったらしい。銀は怒ったような表情を浮かべながら、

「志騎、あんな奴の言う事なんて気にすんなよ! 志騎が一生懸命頑張ってた事はあたし達がよく知ってんだからさ」

「そうよ、天海君。確かに今回バーテックスにうまく対応できなかったかもしれないけど、それは私も一緒。次からはきちんと連携を深めて、この前のような失敗を繰り返さないようにすれば良いだけよ」

「うんうん。わっしーの言う通りだよ~。私も今回はあまり活躍できなくて、ミノさんに頼りきりになっちゃったし」

「いや、あたしもあれはイチかバチかみたいな感じだったし、下手したらきっと刑部姫や須美みたいに吹っ飛ばされてたって」

 そんな風に互いや志騎をフォローするかのように言う三人に、志騎は驚いているのか軽く目を見開いている。そして銀は「だからさ」と言い、

「お前もあまり落ち込むなって。一人が迷惑をかけちゃっても、他の誰かがフォローする。それが友達ってもんだろ? ……って、ちょっとクサかったかな?」

「いいえ。三ノ輪さんの言う通りだと思うわ」

「うんうん! 一人はみんなのために、みんなは一人のためにだよ~」

 そして、志騎を励ますかのように言う三人を見て、志騎は三人が何故神樹に選ばれたのか何となく分かったような気がした。

 三人の性格はバラバラだが、ある一点共通している所がある。それは、友達のために一生懸命行動する事ができる事だ。

 現に今、志騎が刑部姫の言葉のせいで落ち込んでいる(と当人達は思っている)と知ると、志騎を元気づけようと温かい言葉をかけてくれた。とは言ってもそれは志騎に対してだけではなく、彼以外の三人の内の誰かが落ち込んでいたとしても彼女達はきっと同じように励ましていただろう。しかしそれは誰に言われたわけでもなく、彼女達がこうしたいと心の底から思って行った行動だ。そしてそう思う事の出来る心を持つ彼女達だからこそ、神樹に選ばれたのだろう。

 だが、だからこそ分からない。

 何故自分が、彼女達と同じ勇者に選ばれたのか。

 それだけが、本当に分からなかった。

(……ま、今はそんな事を考えても仕方ないか)

 自分が何故勇者に選ばれたのかは分からない。しかし今やるべき事は、その理由を知る事よりも勇者として彼女達と一緒にバーテックスと戦い撃退する事だ。そのためには、合宿を通して自分の勇者システムの使い方を改めて学ぶ必要がある。

 志騎は改めて三人に向かい合うと、彼女達に言った。

「三人共、ありがとな。少し元気が出た」

 正直気分が落ち込んでいたわけではない。だが彼女達の言葉のおかげで、少し気分が楽になったような気がするのも確かだ。もしかしたら自分では自覚していなくても、刑部姫に役立たずと言われた事を気にしていたのかもしれない。

 志騎が礼を言うと、三人はにっこりと笑った。そして銀は何故かぐっ! と両手を握りしめると、

「よーし! 今度の合宿で強くなって、刑部姫をぎゃふんと言わせてやろうぜ!」

「あいつ、ぎゃふんと言うタイプには見えないけどな……」

「それはほら、例えというものよ天海君」

 そんな事を言いあいながら四人が再び歩き出すと、銀が何かを思い出したように口を開いた。

「そう言えばさ、刑部姫の奴言ってたよな? 志騎がちゃんと勇者システムの力を把握できてれば、もっと楽にバーテックスを撃退できたはずだって」

「なんだ? 苦情か?」

「いや、違うって。確かその後にこうも言ってたよな? 志騎の勇者システムには、それだけの力があるって。あの言い方からすると、なんか志騎の勇者システムはあたし達のとは違うって感じがするんだよな……」

 すると銀に同意するかのように、園子も口を開く。

「そう言えばそうだね~。確かに、最初のバーテックスとの戦いでもあまみんだけ服が変わってたし。あまみんは、ひめちゃんと安芸先生から何か聞いてるの?」

「一応な」

 聞いてきた園子にそう返しながら、志騎は前に安芸先生から聞いた話を頭の中から引き出す。

「確か、俺の勇者システムは俺専用に調整されたかなり特殊なものらしい。服と能力が変わるのも、それが理由だって聞いた。あまり詳しい事はまだ聞いてないけどな」

「っていう事は、今度の合宿でそれを説明するのかしら?」

「たぶんそうだと思う」

 言いながら、志騎はポケットからスマートフォンを取り出してじっと見つめる。自分専用に調整されたという勇者システム。その力を理解し、うまく使う事ができれば次回からの戦闘ではもっと上手く立ち回る事ができるかもしれない。志騎はスマートフォンを握る手にわずかに力を込めると、再びスマートフォンをポケットに戻すのだった。

 

 

 

 そして、ついに迎えた合宿初日。

「むー……」

「すぴー、すぴー」

 市内のバス停に止められた、神樹館貸し切りのバスの最後部の席で、須美は少し怒ったような表情を浮かべていた。彼女の肩には、鼻ちょうちんを膨らませながらすやすやと眠る園子がもたれかかっている。

「遅い!」

 怒ったように須美が言う理由はバスの中を見れば明白だった。現在、運転手を除けばバスの中にいるのは須美と園子の二人だけ。一般の乗車客がいないのは、バスが神樹館の貸し切りである事を考えれば当然の事である。

 そして、四人であるはずの勇者が二人しかいないという事を考えれば、須美が怒っている理由も容易に想像がつく。

「三ノ輪さん、遅い! しかも天海君まで!」

 そう、残り二人の勇者である三ノ輪銀と天海志騎がまだバスに来ていないのだ。銀は日常生活でも学校に遅刻してくる事がたまにあるので、まぁまだ分かる。しかし志騎まで遅れてくるというのは少し不可解だった。彼は普段の神樹館の学校生活の中でも遅刻を滅多にした事がない。そんな彼がよりにもよって合宿初日に遅れてくるというのは、少し奇妙な事ですらある。

 だが、遅刻は遅刻である。バーテックスを撃退するという役目を担った勇者が、初日からこんな調子で果たして良いのだろうか? いや、良いはずがない。これは二人が来たら、ビシッと言う必要があるかもしれない。

 須美が心の中でそんな事を思っていると、バスの外から騒がしい声が聞こえてきた。

「ほら、急げ銀!」

「わ、分かってるって!」 

 そしてぷしゅーという音と共にバスのドアが開き、リュックサックを背負った志騎とバッグを肩から下げた銀が現れた。

「すまん、遅れた!」

「悪い悪い! 遅くなっちゃって!」

 二人が先に待っていた須美に申し訳なさそうに謝ると、須美は目を吊り上げながら早速遅刻の理由を問い詰める。

「遅い! あれだけ張り切ってたのに、二人共十分遅刻よ! どういう事かしら!」

「色々あって……。いや、悪いのは自分だけど……。とにかく、ごめんよ、須美。あ、志騎は叱らないでやってよ。こいつはあたしに付き合ってくれただけだからさ、何も悪くないんだ」

「別に何も悪くないって事はないだろ。遅れるのを承知して手を貸した事は事実だしな」

「いや、でもさ……」

 と、二人がそんなやり取りをしているのを聞きながら、須美は一度ため息をつくと再び二人に険しい視線を向ける。

「この際注意させてもらうけど、三ノ輪さんは普段の生活が少しだらしないと思うわ! 天海君も三ノ輪さんを甘やかしすぎ! 二人共勇者に選ばれた自覚を」

 パチン。

 須美の説教を遮るかのように、突然そんな音が鳴り響いた。その音に思わず須美がきょとんとした言葉を止めると、今まで須美の肩にもたれかかっていた園子がとろんと眠たそうな目をしながらゆっくりと起き上がった。

「あれ……? お母さん、ここどこ……?」 

 おまけに、寝ぼけているのか須美を母親と勘違いしている。どうやら先ほどの音は、彼女の鼻ちょうちんが割れてしまった音らしい。それで目を覚ましたという所だろう。

(……やっぱり、私がしっかりしないと。この美しい国を守るために!)

 園子のペースに乱されながらも、須美は心の中でそう固く誓う。

 そしてついに四人を乗せたバスは、合宿が行われる場所へと向かうのだった。

 

 

 

 

 四人がバスに乗ってから一時間半後、バスが向かったのは『讃州サンビーチ』という海水浴場のすぐ近くの旅館だった。安芸先生の話によるとここは大赦が管理している旅館らしく、合宿の間は四人の貸し切り状態となっているらしい。志騎はそれを聞いて、改めて大赦の持つ権力に舌を巻いた。

 バスを降りた四人は旅館で荷物を降ろしてから、海水浴場へと向かう。そこで勇者の姿に変身した四人を待っていたのは、学校にいる時のようなスーツではなくトレーニングウェアにスポーツキャップとスポーティな格好をした安芸だった。

「お役目が本格的に始まった事により、大赦は全面的にあなた達勇者をバックアップします。家族の事や学校の事は心配せず、頑張って!」

「「「「はい!」」」」

 安芸の言葉に、四人が元気よく返事をする。

「じゃあ、これから訓練を始め……って言いたい所だけど、天海君。ここまで来てもらって悪いけれど、あなたは鷲尾さん達とは別行動になるわ」

「えっ? 俺だけ、ですか?」

 安芸の口から放たれた予想外の言葉に、志騎は思わず目を見開いて聞き返す。安芸はこくりと頷きながら、

「ええ、これからしばらく鷲尾さん達が連携面の訓練をしている間、あなたは刑部姫と一緒にあなたの勇者システムについて学習する必要がある。鷲尾さん達との訓練は、その後になるわね」

「でも先生。それだと、四人での訓練の時に連携がうまく取れないのでは……」

 鷲尾が律義に手を上げてそう尋ねる。確かに須美達はこれから三人での訓練を行うので三人の間の連携は深まっていくだろうが、それだと志騎を加えた際の連携での訓練で何らかの不具合が生じる可能性がある。それならば、日中はこうして三人と一緒に訓練をし、勇者システムについての学習は他の時間で行った方が良いかもしれない。しかし安芸は須美の言葉に首を振ると、

「確かに鷲尾さんの言う事は正しいけれど、天海君の場合はまず勇者システムについての理解が何よりも大事なの。彼の勇者システムはあなた達のものとは違って、複雑なシステムが組み込まれているから。それに彼の勇者システムを理解する事は、四人での連携を深めるためにも大切な事よ。そのためにも、まずは連携面の訓練よりも先に勇者システムについての勉強をする必要がある」

「ふへ~、ここまで来て勉強なんて、大変だな志騎」

「……言っておくけど、連携の訓練の合間にも座学はきちんと行うわよ、三ノ輪さん」

「え、マジっすか!?」

 銀のその言葉に安芸は頷き、銀はがくりと肩を落とした。彼女としては頭を使うよりも体を動かす方が好きなので、確かに合宿に来てまで座学をするなど嫌だろう。さすがに彼女も合宿に来て勉強をするなど思っていなかったに違いないので、ショックは大きいに違いない。

「じゃあ、これから俺はどうすれば……」

「ひとまず旅館の和室に向かってちょうだい。そこに刑部姫がいるから、あとは彼女の指示に従って」

「了解しました。……じゃあ三人共、頑張れよ」

 志騎が三人に声をかけると、三人からはそれぞれ励ましの言葉が返ってくる。

「うん! あまみん、またあとでね~」

「おう! お前も頑張れよ!」

「勉強大変だと思うけれど、しっかりね。私達も頑張るから」

 志騎は三人の励ましにこくりと頷くと、変身を解除して旅館へと向かった。

 旅館に戻った志騎は旅館の人に和室の場所を聞き、さっそく教えられた場所へと向かうとふすまを開けて中へと入る。

 部屋の中はさすが旅館と言うべきか、綺麗に整理整頓された状態になっている。部屋の真ん中には四角いテーブルが置かれており、テーブルの片側には四つの座椅子、真正面には座椅子が一つと、計五つの座椅子が置かれていた。そして四つの座椅子の真正面の座椅子では、刑部姫が座椅子に座りながらタブレットの画面を見ていた。彼女は志騎が入ってきた事に気付くと、彼に視線を向ける。

「おっ、来たか志騎」

「……最初からここで勉強するなら、最初に説明してた方が良かったんじゃないのか?」

「そう言うな。私も色々と準備があったのでな。まぁとりあえず座れ」

 志騎が言われた通り刑部姫の正面の座椅子の一つに座ると、刑部姫は来ている着物からA4サイズの紙の束を取り出した。どう考えてもしまうスペースがない着物から書類を取り出した刑部姫に怪訝な視線を向けながら、志騎が尋ねる。

「お前のその着物、どうなってんだ? 四次元ポケット?」

「似たようなものだ」

 冗談で言ったつもりが、真顔で返されてしまった。だが考えてみれば彼女は精霊という、神樹と同じ人の想像を超えた存在だ。だとすると、彼女の言葉もあながち嘘ではないのかもしれない。

「そんな事よりも、ほれ」

 刑部姫は着物から取り出した書類をテーブルの上に置くと、すっと志騎の方に差し出した。受け取れという事だろう。志騎が書類を手に取って表紙を見ると、そこに書かれている文字を読み上げる。

「『Zodiac System』……?」

「そう。それがお前の勇者システムに組み込まれているシステムだ」

 刑部姫はそう言いながら、黒い羽を動かしてふよふよと宙に浮かんだ。

「俺の勇者システムって……銀達の勇者システムには組み込まれてないのか?」

「当然だ。それはお前専用に調整されたものだからな。……ちょうど良い。一から説明するとしよう。志騎、お前の勇者システムが鷲尾須美達のものとは違う事は気付いてるか?」

「……まぁ、それは薄々。銀達の変身方法とか全然違ってたし」

 この前のバーテックスとの戦闘で判明した事だが、銀達は志騎のように変身の時にベルトなどは用いてなかった。ただアプリを押すだけで変身をしていたのだ。この時点で、志騎は自分の勇者システムは銀達のものとは少し違うという事に気付いた。

 なお、その後にそんな銀達の前で初めて変身を披露したのだが、正直少し恥ずかしかった。何せ変身ポーズをきっちりと取った上に、掛け声までして変身したのだ。初めての変身の時は良かったが、さすがに複数人の前での変身となると少し勝手が違う。

 ちなみに志騎が変身した時に、銀と園子は『特撮ヒーローみたい』と目を輝かせており、意外と好印象だった。だが須美だけは少し憤慨したような表情を浮かべていたので、志騎はてっきりふざけていると思われたのかと思ったが、そんな彼女が発した言葉に志騎だけでなく銀や園子すらも目を丸くした。

『横文字をそんなに使うなんて……! 天海君! あなたに日本男児としての誇りはないの!?』

 あまりに予想斜め上をいった彼女の言葉に、志騎と銀は思わず口を揃えて『え、そっち!?』とツッコんでしまった。そして、その際に変身の際に変身ポーズと掛け声は必要ない事を黙っていた刑部姫の両頬を思いっきり引っ張ってやったのはまた別の話である。

「気付いての通り、お前の勇者システムは三ノ輪銀達のものとは違う。理由としてはお前専用に調整されたものという事もあるが、一番の理由がそのゾディアックシステムだ」

「ゾディアックシステム……。それが、初めての戦いの時に俺が使ったあの力か? 確か、姿が変わってたよな」

「そうだ。お前の勇者システムを作ったのは大赦のある科学者なんだが、その科学者は来るバーテックスとの戦闘のためにあるシステムを作り上げた。ありとあらゆる戦況や敵に対応する事の出来る戦闘システム、それがゾディアックシステムだ。だがゾディアックシステムを組み込んだ勇者システムを万全に使うためには、ツールがスマートフォンだけではパワー不足でな。それを補うために作られたのが、お前が変身する時に使うベルト、『ブレイブドライバー』だ」

「あ、あれってちゃんと名前があったんだな」

 しかも名称を聞くと、銀や園子の言うようにまるで特撮ヒーロー番組に出てくるツールのような名前である。もしや、その科学者は特撮ヒーロー番組を見て志騎のツールを作ったんだろうか。

「普通の勇者システムは使用者が戦う意志を示してアプリを使用する事で、神樹との霊的回路を形成、神樹の力を受けて勇者に変身する。だがお前の勇者システムの場合はゾディアックシステムを組み込んだ事で、中身は従来の勇者システムとはまったくの別物になっていてな。霊的回路を形成し、安全に勇者に変身するためにスマートフォンとは別のツールが必要だったんだ」

「ふーん……あれって、結構大事なものだったんだな」

「無論だ。神樹の力を安定して出力できているのは、ブレイブドライバーがあるからだ。あれが無かったらパワー不足か、エネルギーの過剰出力が起こっているだろうよ」

 そこまで聞いたところで、志騎はある疑問を抱き挙手をして質問する。

「一つ良いか? 俺が勇者に変身できる事は大赦でも半信半疑だったんだよな? それなのに、よく俺専用の勇者システムを作る事ができたな?」

 無論世界の命運がかかっているという理由もあるかもしれないが、それを抜きにしても本当に勇者に変身できるか分からない少年のために専用の勇者システムを作成、しかも来る戦闘のために調整し続けていたというのは、自分の考えすぎかもしれないが少し都合が良すぎるような気がする。

「ゾディアックシステムが組み込まれた勇者システムは元々構造上の複雑さなどの問題からまだ調整段階にあったシステムでな。三ノ輪銀達の勇者システムに組み込んでも問題ないか大赦の中でも議論されていたんだが、そこにお前という例外が現れたんだ。そこでまだ調整段階だったゾディアックシステムをお前専用に調整し直し、お前に与えたというわけだ。ゾディアックシステムが実戦でも活用できるかデータ収集にもなるし、何よりも元々あったシステムを利用した方が、一からお前専用の勇者システムを作るよりも作成時間が短くて済む。一石二鳥だろう?」

「俺は実験体かよ……」

「悪く言えばそうだな」

 やや不満げに言う志騎に、刑部姫はあっさりと言う。大赦から実験体のように扱われるのは癪だが、これは後々銀達のためにもなると考えてどうにかその苛立ちを抑え込む。

「さて、ゾディアックシステムの最大の特徴はさっき話した通りどんな戦況や敵にも対応する事のできる引き出しの多さだ。最初にお前達が戦ったバーテックスとの戦いの時にお前の姿が変わったように、ゾディアックシステムにはゾディアックフォームという、全部で十二の形態変化が存在する」

「十二!? 多いな……」

 刑部姫の口から放たれた言葉に、志騎は驚きながら書類のページをぱらぱらとめくる。すると確かに、書類には約十二もの数のゾディアックフォームの特徴などが詳細に書かれていた。

「ああ、多い。だが逆に言えば、それだけ様々な戦況に対応する事ができるという事だ。例えばお前がこの前変身したキャンサー・ゾディアックは防御に特化したフォームだ。お前の勇者の服は通常よりも遥かに頑丈となり、さらに空中に浮かぶ反射板でありとあらゆる攻撃を防ぐ事が可能となる。またそれ以外だと、腕力と防御力が増し、近接戦では敵なしの強さを誇るタウラス・ゾディアックという形態も存在する」

 志騎がページをめくっていくと、確かにそのような姿の詳細が書かれていた。その詳細を読もうとすると、刑部姫がぴんと指を一本立てた。

「だが気を付けなくてはならないのは、ゾディアックフォームにはそれぞれ長所があると同時に短所も存在するという事だ。例えばキャンサー・ゾディアックは防御には長けてはいるがその反面攻撃手段に乏しく、必然的に自分から攻撃するのが不得意となる。タウラス・ゾディアックは近接戦では強力だが、一方で遠距離からの攻撃には弱く、おまけに速度も通常の姿と比べると遅いから素早い相手には後れを取りがちになる。だから、それら十二のフォームの長所・短所を完璧に理解・把握し、実際の戦いではそれらを効率的に運用する事が、使用者には求められる」

「ふーん。なるほど、結構使い手を選びそうなシステムだな」

 書類をぱらぱらと読みながら志騎が言った。まっすぐ突っ込んでいきがちな銀や、頭が固すぎて柔軟性にやや欠ける須美ではこのシステムを万全に使いこなすのは少し難しいだろう。どちらかというと、園子のように判断力と発想力に長けた人間の方が、このシステムを使いこなせる可能性が高い。

「まぁ、大概初見のバーテックスなどの特徴などは分からんから、最初はブレイブフォームで様子を見るのが無難だな」

「ブレイブフォーム……? ああ、俺が最初に変身したあの姿か」

「そうだ。ブレイブフォーム最大の特徴はその汎用性だ。ゾディアックフォームとは違って際立った特徴は無いが、攻撃・防御・速度のあらゆる面でバランスが良い。おまけにブレイブブレードは剣にも銃にもなるから遠近共に対応が可能という利点がある」

「うん、このシステム作ったやつ絶対に特撮番組見たよな?」

「だが今言ったように際立った特徴がないから、決め手に欠けるという欠点がある。だからまずはブレイブフォームで相手のバーテックスの特徴と弱点を把握し、最後にゾディアックフォームでとどめを刺すというのが基本的な戦略となるな」

 志騎のツッコミを無視して、刑部姫はそう締めくくった。この野郎……と志騎が刑部姫をジト目で見るが、その視線すらも刑部姫は無視する。志騎はため息をつくと、刑部姫に別の質問を投げかける。

「でも、連携の方はどうなるんだ? いくらゾディアックフォームが強力でも、あいつらと連携がうまく取れなかったら意味ないだろ」

「さっきも言っただろ? ゾディアックフォームはあらゆる敵・戦況を想定して作られている。それはつまり、仲間との連携をする事も想定されているという事だ。あいつらとも連携するためのフォームはちゃんとある」

 なるほど、と志騎は刑部姫の言葉に頷いた。だから浜辺で安芸は、勇者システムを理解する事は四人の連携を深めるのにも大切な事だと言ったのだ。ゾディアックフォームの特性を理解する事が、後々四人での戦いの際に必要となる事が分かっていたから。

「さて、話が長くなったが早速学習を始める。今日お前がする事は一つだけだ。十二のゾディアックフォームの長所・短所全て今日中に頭に叩き込め」

「え、ちょっと待て! 今日中!?」

 突然の刑部姫の言葉に、志騎は思わず目を剥いて立ち上がった。

「ああ、今日中だ。お前はまず理論を学び、それから実戦に活かすタイプだ。だから今日中にゾディアックフォームの特徴を頭に入れろ。実際にゾディアックフォームを使用しての個人訓練は明日からだ」

「……もしも、今日中にできなかったら?」

「それはない。お前はそこまで馬鹿じゃない」

「なんで、そんな事が分かるんだよ」

 刑部姫と知り合ってまだそんなに長い時間は経っていない。共に過ごした時間の長さならば、自分よりも安芸の方が長いだろう。それなのに、どうして刑部姫はこんなに確信をもって言えるのだろうか。

 すると、刑部姫はまっすぐ志騎の目を見つめて言った。

「そんなの決まっている。……お前の事を、信じているからだ。お前ならできるとな」

「………っ」

 刑部姫の目に、冗談の色はまったく見られない。ただそこには、志騎の事を信頼しているという感情だけがあった。真摯にすら見えるその様子は、いつも志騎や安芸以外の人間を馬鹿にするような態度を取る刑部姫にしては珍しいとすら言える。

 その信頼がこもった目で見つめられ、志騎は思わず言葉に詰まった。恐らく今の刑部姫以外に、ここまで自分を信頼している目で見つめてくる人間は、銀が安芸ぐらいだろう。

 志騎は刑部姫の視線から顔を逸らすと、ポリポリと頬を掻いた。

「……分かったよ。覚えれば良いんだろ、覚えれば」

 その言葉を聞き、刑部姫はにっといつも浮かべている悪戯っ子のような満面の笑みを浮かべると、非常に嬉しそうな声音で言う。

「よーし! では早速勉強を始めよう! しっかり覚えろよ? この後ちゃんと理解できてるかテストを行うからなー」

「はぁ……はいはい。了解しましたよ、と」

 志騎はため息をつきながら、書類の束をめくる。

 正直、刑部姫に振り回されるのは疲れる。 

 だけど。

 何故か、それが少し楽しいと、志騎は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……レオ・ゾディアックの特徴が手足に炎をまとった体術……。ジェミニ・ゾディアックの特徴は……。もうこれ考えた奴絶対馬鹿だろ……」

 旅館の通路を歩きながら、書類を読んでいた志騎は顔をしかめて呟いた。

 刑部姫の言った通り、あれから志騎はゾディアックフォームの特徴を頭に叩き込まれた。各ゾディアックフォームの戦い方、長所と短所、さらにはある特徴を持った敵に決定打を与えるためには、どのゾディアックフォームに変身する必要があるか……。

 丸々一日の時間を使ってそういった事を学習し、さすがの志騎もくたくたになっていた。今はようやく刑部姫との勉強から解放され、こうして自分にあてがわれた部屋に帰っている最中である。

「てか、刑部姫のテストも何気にえげつないんだよなー……。前から思ってたけど、絶対にあいつ安芸先生以外話す奴いないだろ……」

 刑部姫が聞いたらさすがに怒りそうな発言だが、この場に彼女の姿はない。なんでも明日の志騎の特訓のメニューを改めて見直すらしく、志騎を先に帰して彼女自身はさっきまでいた和室に残っているのだ。

(それにしても……)

 改めて、書類を一通りぺらぺらとめくる。

 志騎自身まだ十二歳だが、それでも一つ分かる事がある。このシステムを考えた人間は、相当な頭脳の持ち主だという事だ。

 各ゾディアックフォームの特徴から見ても、本当に神樹の力を利用して作られたとは思えない。それほどまでに、ゾディアックフォームのそれぞれが持つ特徴は須美達が使う勇者システムとはかけ離れているように志騎には感じられたのだ。

(確か刑部姫が言うには、俺の勇者システムにはゾディアックシステムに加えてその科学者独自の技術が使われているから、名前は銀達と同じ勇者システムだけど、中身はまったくの別物になってるって言ってたよな……。一体、その科学者っていうのは何者なんだ?)

 と、志騎が思考にふけっていると。

「おーい、志騎。お前も今終わったのか?」

「ん、銀か。ああ、そうだ……って、お前ら疲れ切ってんな……」

 振り返った志騎の視線の先には、訓練で疲れ切った三人の姿があった。銀はやれやれと言うようにため息をつきながら、

「いや~、さすがのあたしも少しくたびれたぜ……」

「何やったんだ?」

「飛んでくるボールから三ノ輪さんを護りながら、バスに到着するって訓練だったんだけど……中々上手くいかなくて……。天海君は?」

「俺は今日一日座学」

「うわ、マジか……。大変だったんじゃないか?」

「ああ、大変だった。特に刑部姫のテストはきつかったな」

「……どんな感じなの?」

「あいつが神樹館のテストを作ったら満点取る奴はたぶん園子ぐらいしかいなくなる。銀、お前は確実に赤点行きになる」

「うん、それだけであいつの作ったテストがどんなもんか分かったわ」

「理解してくれてありがとよ」

 どうやら志騎の一言でそのテストがどれだけのものか察してくれたらしく、銀から半ば同情のこもった視線と言葉をもらった。三人がそんな会話を交わしていると、園子が何故か目を嬉しそうに輝かせながら志騎に話しかけてきた。

「ねぇねぇあまみん! 今日訓練の途中ですごいの見つけたんだ~!」

「すごいの? 何だよ、それ」

 志騎が尋ねると、園子はむっふっふーともったいぶるような笑い方をしてから告げた。

「新種の鳥さん!」

「鳥?」

「うん! ちょっと半透明で、すごく綺麗だったんだ~。きっとあれは、まだ見つかってない香川県特有の新種だよ! 訓練が終わったら、四人で探しに行こうよ~」

「……そんなのいたか?」

 志騎が銀と須美に視線を向けると、二人はどこか困ったような表情を浮かべながら、

「いや、あたし達の方は訓練に集中するだけで精いっぱいだったからな……。正直、全然気づかなかった」

「半透明な鳥っていうのも少し信じられないし……。ねぇ乃木さん、本当に半透明だったの?」

「うん!」

 須美の質問に園子はこくりと元気よく頷いた。彼女の様子からすると、とても嘘を言っているようには思えない。しかし、半透明の鳥などというものがこの世にいるのだろうか?

「まぁ、鳥の件はまた今度にするとして、お前らはとりあえず温泉に行って来いよ。ここの温泉、広くて中々良いらしいぞ」

「マジか! 一番風呂いっただきー!」

「あ、こら三ノ輪さん! 走らないの!」

 志騎の言葉を聞いて早速銀は彼女達の部屋へと駆け出し、須美はそんな銀の跡を追って行った。

「行かないのか?」

「もちろん行くよ~。でも、実は鳥さんの事でちょっと気になった事があるんだ」

「気になった事?」

 うん、と園子は頷いて、

「私が見た鳥さん、じっと私達を見てたんだよ。まるで、観察してるみたいに」

「観察?」

「うん。見てたって言っても、地面でじっと見てたってわけじゃなくて、空を飛び回りながら私達を見てたって感じなんだけどね。最初は気のせいかな~って思ったんだけど、訓練の合間に見てみたら目線が私達の方を向いてたような感じがしたんよ~」

「………」

 園子の言葉に、志騎は顎に手を付けてその鳥について考える。

 園子は一見ぽんやりしているように見えるが、四人のリーダーを任されているだけあってその観察力は折り紙付きだ。その彼女がここまで言うからには、その鳥が本当に自然のものか疑わしくなってくる。だが、自然のものでないとしたらその鳥は一体何だというのだろうか。

「そんなに深く考えなくて良いよ~。私の勘違いかもしれないし~」

「気にするな。俺の性分みたいなもんだ。そんな事より、早く行けよ。銀達に置いて行かれるぞ」

「あっ! そうだね。じゃああまみん、またね~」

 笑顔で手を振りながら、園子は銀達の後を追って行った。志騎は園子に手を振り返しながら、自分が握っている書類に視線を落とす。

「ゾディアックシステムに、謎の鳥……。やれやれ、合宿だって言うのに、考える事が多すぎるな……」

 くしゃくしゃと髪の毛を掻きながら、とりあえず温泉に入ってさっぱりしようと思った志騎は、着替えを取るために自分の部屋へと向かう。

 こうして、合宿一日目の夜は過ぎていくのだった。

 

 



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第五話 合同合宿 ~二・三日目~

志「今回はいつも渡してくる台本みたいなのは無いんだな」
刑「今回も合同合宿である事に変わりはないからな。せめてバーテックスが攻めてくれれば私もやる気が上がるんだが……」
志「やめてくれないか物騒な事言うの!?」
刑「そういうな。では第五話、張り切って行ってこい」


 合同合宿、二日目。

 志騎は刑部姫と一緒に、旅館の近くの海水浴場へと来ていた。とは言っても銀達がいる場所とはだいぶ離れているので、ここから彼女達がどんな連携訓練をしているかは彼も分からない。

「では早速、訓練の説明をするぞ」

「ああ」

 タブレットを手にして宙をふよふよと浮かびながら言う刑部姫に、志騎が返事をする。志騎の姿はすでに勇者に変身済みであり、いつでも訓練が開始できるようになっている。

「まずはあれを見ろ」

 刑部姫が指さした先を志騎が見てみると、砂浜の上に巨大な装置がいくつも置かれていた。装置は上部が長く、下部には四角い穴がぽっかりと開いていた。穴の部分をよく見てみると、ローラーが上下についている。それを見て、志騎はその装置の名称を口にする。

「……まさかあれ、ボール射出装置?」

「正解」

 志騎の答えに刑部姫はにっと笑いながら、説明を続ける。

「今からお前は様々なゾディアックフォームに変身して、一定時間内飛んでくるボールを迎撃しろ。一定時間後に赤いボールが飛んでくるから、そのボールを打ち落としたら別のゾディアックフォームに変身して同じ事を繰り返す。その間一回でもボールがお前に直撃したらアウト、また始めからだ。当然、赤いボールが飛んでくるまでの時間もリセットされるから、クリアできないといつまでも同じゾディアックフォームのままだから気をつけろよ」

「……キツイっちゃあキツイけど、そんな訓練で本当に良いのか? 他の訓練とかはしないのか?」

 延々とボールを防ぐのは大変かもしれないが、この訓練内容ではゾディアックフォーム最大の特徴である対応力を活かすための判断力等を鍛える事はできない。もう少し別の訓練もした方が良いのではないだろうか。

「今日の訓練の目的はゾディアックフォームに慣れる事だ。各ゾディアックフォームの力がどんなものか、どのような特性を持っているのか……、昨日頭で学んだ事を実戦を通して体で学ぶのが今回の訓練の趣旨だ。そして学んだ事を頭だけでなく体にも完全に叩き込む事ができれば、連携においてより素早い判断ができるようになる。今日はまずその一段階目といった所だな」

「つまり、体で覚えろって事か。お前、銀みたいな事言うね」

「あんな単純馬鹿と一緒にするな。私はきちんと理論を立ててから実践している。あいつの場合は何の考えもなしに突っ走っているだけで、何の合理性もない精神論だけの----」

「はいはい」

 本当に不快そうな表情を浮かべて熱弁をふるう刑部姫を志騎はひらひらと手を振って流した。流された刑部姫はやや不満そうな表情を浮かべながらも、それどころではないと思ったのかすぐに思考を元に戻す。

「……まぁ良い。特訓を始めるぞ。まず、アクエリアスからだ」

「了解」

 志騎はスマートフォンを取り出すと、『Zodiac』のアプリを押してその中の『Aquarius』という文字と、星座のみずがめ座のアイコンが表示されたアプリをタッチする。

『アクエリアス!』

 そして紋章が画面に表示されると、画面を腰のベルトにかざす。

『アクエリアス・ゾディアック!』

 音声が流れると同時、突如志騎の体の周りに画面に表示されたみずがめ座の紋章と同じ紋章がいくつも現れ、それらが一気に志騎の体に吸い込まれると志騎の姿が変わった。服の色は純白から青色になり、両手には青色の二丁の拳銃が握られている。

 志騎がアクエリアス・ゾディアックに変身したのを確認した刑部姫は少し離れた場所にあるパイプ椅子に座ると、大声で志騎に叫ぶ。

「準備は良いな!?」

「良いぞ!」

「よし! はじめ!!」

 刑部姫の掛け声が発せられた直後、射出装置から次々とボールが志騎目掛けて飛んでくる。志騎が二丁拳銃の引き金を連続して引くと、銃口から水で形成された弾丸が次々と発射され飛んでくるボールを叩き落としていく。さすがに全てのボールを叩き落とそうとしては対応が間に合わなくなるので、自分に向かってくるボールのみを正確に視認して拳銃で打ち落とす。

 だが普通ならば、いくら中に自分に当たらないボールがいくつかあったとしても、大量のボールが一気に自分の方に飛んでくれば大抵の人間は焦り、判断を間違えやすくなる。しかし今の志騎にはどのボールが自分の方に飛んでくるのかが正確に見えてきた。そして、それこそがアクエリアス・ゾディアックの特徴だった。

(……アクエリアス・ゾディアック。特徴は二丁拳銃とブレイブフォームよりも強化された動体視力を利用しての銃撃戦だったな)

 向かってくるボールを冷静に打ち落としながら、志騎は昨日学んだアクエリアス・ゾディアックの特徴を頭の中で思い出す。実際今の志騎の目は、視界に入っているボールの動きを全て捉えていた。そのおかげで、どのボールが自分に向かってくるボールなのか、どのボールが放っておいても問題のないボールなのかが良く分かる。今よりも集中すれば視界のボールの動きはさらにゆっくりになるだろうが、今のボールの速度ならば問題はない。

 志騎が順調にボールを打ち落としていると、射出装置の一つからついに赤いボールが志騎めがけて放たれた。しかもその速度は先ほどから放たれていたボールよりもかなり早い。ボールの速度に慣れてきていたからと言って油断していたら、まず間違いなく体のどこかに直撃するだろう速度だ。

 だが、志騎は慌てなかった。強化された自分の動体視力をさらに強化すると、赤いボールの速度が少し落ちた。それでも白いボールよりは早いだろうが、今の志騎にとってはそれだけで十分である。冷静に右手の拳銃の銃口を赤いボールに向けると、引き金を引く。銃口から放たれた水の銃弾がボールに直撃し、赤いボールは別の方向へと飛んで行った。それと同時に全てのボール射出装置が停止すると、満足げな表情を浮かべた刑部姫が言った。

「オッケー。まずアクエリアス・ゾディアッククリアだ。では早速次に行くぞ」

「もう次? 随分さっさと行くんだな」

「当然だ。ゾディアックフォームは全部で十二あるんだ。もたもたしていたら全部こなせなくなる。分かったらさっさとフォームを変えろ! 次はライブラ・ゾディアックだ!」

「はいはいっと」

 刑部姫の言葉に肩をすくめながらも、志騎はスマートフォンのアプリを操作してまた別のゾディアックフォームにかわる。

 こうして志騎と刑部姫の訓練は順調に進んでいき、十二時までにはどうにか刑部姫から出された課題をこなす事に成功するのだった。

 

 

 

 

 午後、刑部姫との訓練を終えた志騎は昨日刑部姫との勉強に使った和室で、銀達と一緒に安芸による歴史の授業を受けていた。四人の手には神樹館の授業で使われている歴史の教科書がある。授業に備えて、安芸がわざわざ持ってきたものだった。

 授業を受けるスタイルも四人それぞれで、須美と志騎はぴしっと背筋を伸ばして真面目に授業を受けているが、銀は「合宿なら勉強しないで済むと思ったのに……!」と内心思いながら片手で頭を抱え、園子に至っては「すぴー、すぴー……」と安らかな寝息を立てている。

「こうして神樹様は、ウイルスから人類を護るために壁を作ってくれたのです。ところが何が起こったのか……乃木さんは答えられる?」

 と、歴史の説明を行っていた安芸が園子に言うと、タイミングよく園子の鼻ちょうちんがパチンと弾けた。目が覚めた園子はまだ眠たそうに眼を半開きにしながら、

「はい~。バーテックスが生まれて、私達の住む四国に攻めてきたんです~」

「正解ね」

((あれで聞いてたんだ……))

(やっぱ、何気にすごいなこいつ……)

 寝ながらも安芸の話を聞くという地味にすごい技を見せた園子に須美と銀は感心半分呆れ半分の表情を浮かべ、志騎はある意味での凄技を見せた園子に内心感心していた。

 二日目がそんな感じで終わった翌日、合同合宿三日目。

「はぁ……くそぉ、今日も駄目だったー」

 午前中での特訓後、銀は疲れを取るようにぐーんと両腕を真上に伸ばした。そんな銀を励ます様に、園子が言う。

「でも一日目よりはずっと良くなってるよ~。この調子でいけば、明日にはきっとクリアできてるよ」

 園子の言う通り、三人の連携は初日と比べるとかなり良くなっていた。最初は中々うまく連携が取れなかったが、この三日間の合宿のおかげで彼女達それぞれが自分の役割と他の二人の役割を把握し、自分に合った役目を果たす事で動きが最適化されているのだ。この調子でいけば、園子の言う通り明日中には安芸からの課題をクリアできる可能性が非常に高い。

 だが、そうなるためには一つの問題があった。

「だけど、天海君大丈夫かしら……」 

 須美の言う通り、三人の今の所の懸念点は今も一人で訓練を続けている志騎だった。基本的に午後の座学の時などは一緒に安芸の講義を受けているが、少年と少女という事もあり三人が合宿中一緒であるのに対し志騎は食事の時なども一人で過ごしている。いくら性別の事もあるとはいえ、この合宿の目的は志騎の勇者システムの把握と四人の連携を深める事だ。安芸の話によると志騎の訓練の方も順調で、明日ごろには三人の訓練に合流できるとの事だが、正直この三日間ほとんど一緒に行動していないのに、明日早速連携を取る事など本当にできるのかと不安に思えてくるのも事実だった。

「そう言えば安芸先生、今志騎ってどんな訓練をしてるんですか?」

「今日は確か……」

 と、安芸が言いかけたその時。

 

 

 

 ズドォォオオオオン!! という凄まじい振動と爆音が、海水浴場を襲った。

 

 

 

「わっ! なになに~!?」

「もしかして地震!?」

「さ、さすがにそれはないと思うわ! いくら何でも大きすぎる……!」

 須美の言う通り、確かに感覚としては地震に近いが、それにしても振動が強すぎるし鳴り響いた爆音の説明がつかない。百歩譲って地震が起こったとして、その影響でどこかの崖が崩れた音だとしても、ここまでの音は出ないだろう。

 そして、振動と音が収まってきた時だった。

「……! あれは……!」

「え、先生どうしたんですか……ってええ!?」

「そんな……っ!」

「わ~! すごい水!」

 安芸が突然何かを見て驚いたように目を見開き、その視線の先を追った三人もそれぞれ驚愕の声を出す。

 三人の視線の先には、ここから少し離れた海水浴場の光景があった。だがその海水浴場ではあまりにも異常な光景が広がっていた。

 まるで海の中の何かが爆発したかのように、大量の海水が立ち上っていた。海水はやがて重力に引かれ、けたたましい音を立てながら海へと戻っていく。その際にも大量の水しぶきが飛び、辺り一帯へと舞っていた。さすがに須美達の元へは飛んできてないが、今頃あの辺りの浜辺は海水で水浸しになっているだろう。

 と、そこで安芸が何かに気付き声を上げた。

「あの砂浜……! 天海君と刑部姫が訓練している場所だわ……!」

「……っ! 志騎!」

「あ、三ノ輪さん!」

「待ってミノさん! 私達も行くよ~!」

 安芸の言葉を聞いて銀が志騎達がいる砂浜目がけて走り出し、須美と園子はその後を追い、安芸もそんな三人の跡を走って追いかける。

 そして勇者の身体能力を以て安芸よりも先に大量の海水が立ち上っていた浜辺にたどり着くと、目の前の光景に改めて驚愕する。

「一体何が……!」

 三人の目の前に広がっていたのは、自分達がいた場所と比べてすっかり様変わりしてしまった浜辺だった。浜辺の砂は大きく抉られ、空いた場所に大量の海水が入ってきている。おまけに凄まじい風が吹いたのか、辺りには砂ぼこりと水しぶきがまだ舞っていた。何が起こったのかは分からないが、どうやらよほど強力な衝撃波のようなものが放たれたらしい。さすがにこれが自然に引き起こされたものだとはとても思えない。

「確かにすごいけど……、二人共、今はあまみんを見つけよう」

「……! そうね! 安芸先生の話だと彼と刑部姫がここにいたはずなのに、二人の姿が見えないし……!」

「じゃあ軽く散らばって、二人を早く見つけよう!」

 銀の言葉に須美と園子は頷くと、三人はそれぞれを散らばって二人の探索を始める。浜辺はそんなに大きくないので、大きな衝撃が起こったとはいえそんな遠くにはいないはずだ。三人は散らばり辺りを見渡しながら、二人の名前を呼ぶ。

「天海くーん! 刑部姫ー!」

「あまみーん! ひめちゃーん! 聞こえたら返事してー!」

「志騎ー! 刑部姫ー! どこだー!」

 三人がそれぞれ大声を出すが、二人からの返事はない。それは数回繰り返しても同じ事だった。もしかしたら先ほどの衝撃に巻き込まれ、海まで飛ばされてしまったのかもしれないという想像が銀の脳裏をよぎったその時、浜辺に人影らしきものが倒れていた。

「志騎!」

 それは間違いなく志騎だった。銀が駆け寄って様子を見てみると、目立った外傷は無いものの志騎は目を閉じてぐったりとしており、意識が無いのがはっきりと分かる。ちなみに服の色はいつもの純白ではなく、何故か紫色だった。そして銀の声を聞いたのか、須美と園子も二人の元へ駆け寄ってきた。

「三ノ輪さん! 天海君は!?」

「それが気を失ってて……。志騎! おい起きろって!」

 銀が必死に呼びかけると、「う……」と呻き声を上げながら志騎がうっすらと開いた。それを見て、銀は心配と安堵が入り混じった声で志騎に言う。

「志騎! 大丈夫か!? どこか痛い所とかないか!?」

「……頭が痛い」

 志騎は少し顔をしかめながら後頭部をさすった。どうやら先ほどの爆風で、後頭部を堤防の壁に強く打ち付けてしまったらしい。気絶していたのも、きっとそのせいだろう。

「志騎!」

 と、そこに心配そうな表情を浮かべた安芸が駆け付けた。心配しすぎているせいか、須美達の前であるにも関わらず、呼び方が学校で志騎を呼ぶ時の『天海君』ではなく、普通に家で一緒に生活している時の『志騎』になっている。それに思わず須美と園子がきょとんとした表情を浮かべると自分が今放った言葉に気付いたのか、安芸は軽く口を押さえてからこほんと咳払いをした。

「……天海君。大丈夫? 怪我は?」

「大丈夫です。ちょっと頭を強く打っただけで……」

「そう……」

 安芸はほっと小さく安堵の息をつくと、浜辺の惨状を見ながら再度聞く。

「一体、何があったの?」

「ヴァルゴのゾディアックストライクを使ったんだ」

 答えたのは志騎ではなく、体中砂にまみれた状態で宙をよたよたと飛ぶ刑部姫だった。志騎は疲れた表情を浮かべている刑部姫を見て、

「お前、どこにいたんだよ?」

「お前と一緒で吹っ飛ばされたんだよ。砂に埋もれて中々抜け出せなくてな、ようやく抜け出た所だ」

 言いながら刑部姫は着物についた砂をぱんぱんと払う。それを聞いて、安芸はため息をついた。

「刑部姫……。あなた、あれをこんな所で使わせるなんて……」

「仕方ないだろ? 各ゾディアックストライクを使わせるのが今日の目的だったんだ。それに認識阻害の術をかけてあるから、この光景も衝撃も周りには一切伝わってない」

「そういう問題じゃないわよ。はぁ、後始末が大変ね……」

 一体何が起こったのかは銀達は分からないが、安芸の言う通りこの惨状を元に戻すにはそれなりの人手が必要に違いない。その手続きをこれからしないとならない安芸の心情を考えると、彼女がため息をつくのもなんとなく分かる。

「とりあえず、三人は今日の午前中の訓練はこれで終了よ。天海君の方は?」

「こっちもヴァルゴで終わりだ。これで明日は予定通り四人での連携訓練に入れる」

「分かったわ。じゃあ四人共、先に旅館に戻ってね」

「分かりました……」

 そう言いながら志騎がふらふらと立ち上がると、園子が志騎に言う。

「あまみん、本当に大丈夫? ふらふら~ってしてるよ?」

「ああ、大丈夫……。ほら、早く旅館に戻るぞ」

 そう言って志騎は旅館へと歩いていき、三人は少し心配そうな表情を浮かべて顔を見合わせた後、志騎と同じように旅館に戻るのだった。

 なお、午後の課題は座禅であり、須美と志騎はまさにお手本のような座禅を見せたが、園子は座禅の途中で寝てしまい、銀に至っては足の痺れに耐えきれず畳をこてんと転がる羽目になった。

 

 

 

 

 

 夜、旅館の温泉に入り神樹館の男子用のジャージに着替えた志騎は自分にあてがわれた部屋で何かの書類の束を見ていた。

 やがて書類から目を離して目の周りを軽く揉むと、部屋の時計を確認してもうすぐ食事の時間である事を確認する。食事とは言っても大広間のような所で行うわけではなく、旅館の従業員がこの部屋に食事を持ってきてくれるのでこの部屋で食べる形になっている。さらに合宿中では、食事をしながら書類を読むのが常になっていた。安芸に見られたら注意されるだろうが、幸いというべきか安芸は別の部屋を借りているのでここにはいない。一人で食事をするのも大した問題ではない。安芸は基本的に夕食前に家に帰ってくるが、学校の仕事などの関係で帰ってくるのが遅くなり、志騎が一人で夕食を食べる事がたまにあるからだ。

 志騎は食事のために書類を軽く片付けてぐーんと体を伸ばすと、部屋の扉が開いた。食事を持ってきてくれた従業員かと志騎が目を向けるが、そこにいたのは予想外の人物だった。

「よっ、志騎! もう頭は痛くないか?」

 扉を開けたのは、片手を上げて明るく挨拶する銀だった。ちなみに格好は神樹館の女子用のジャージ姿である。

「銀!? それに、鷲尾と乃木まで!?」

 突然の幼馴染の登場に志騎は目を丸くするが、背後に園子と須美が立っているのを見て思わず再び驚いた声を上げる。園子は「あまみんこんばんわ~」とのんびりとした口調で挨拶し、須美は少し緊張しているような表情を浮かべながら「こ、こんばんわ」と挨拶をする。

「どうしたんだよ、お前ら。安芸先生からこっちに来るのはダメだって言われてただろ?」

 三人と志騎はまだ小学生とはいえ、男と女である。そのため安芸は三人と志騎は部屋を分けられ、睡眠はおろか食事も別々になっていたのだ。ならば夜遊ぶのは良いのではないかと思うかもしれないが、翌日も訓練が待っているので早く寝るようにと安芸から言われているので、三人がこちらの部屋に来る事は基本的に無かった。

「あたしが安芸先生に頼んだんだよ。明日は初めての四人での合同訓練だし、連携を深めるためにも必要だってね。ほら、同じ釜の飯を食うって言うだろ?」

「ついでに一緒に遊ぶ事もお願いしたら、ちょっと悩んでたけど仲を深めるためならって事で認めてくれたんだ~。あとで四人で一緒にゲームしようね~」

「まぁ、一緒に寝るのは駄目だって言われたけどな!」

「「それは当たり前だ(よ)」」

「二人共、息ぴったりだね~」

 銀の発言にツッコミを入れた志騎と須美の台詞がハモリ、園子が楽しそうな口調で言った。

 そしてその後、旅館の従業員さんが四人の食事を持ってきてくれ、四人は食事を始めた。

 旅館で出る夕食は海産物を使った和食であり、しかも大赦のおかげなのかかなり豪勢である。大きな魚の刺身にカニなど、普段の生活では中々食べられない食材ばかりである。しかも全部美味しいときては、もう文句なしである。

「わっしーもだけど、あまみんの荷物も少ないね」

「そうか? 合宿だし、あれで十分だろ」

 部屋の隅には、合宿のために持ってきた志騎の荷物が置かれていた。とは言っても荷物は替えの服や歯磨きセット、タオルなど必要最低限の生活必需品だけであるため、園子の言う通り少ないように見える。

「天海君の言う通りよ。合宿なんだから、たくさんは必要ないと思うわ。三ノ輪さんなんて、合宿の初日にお土産をたくさん買ってるし……」

「いや、それを言うなら園子だろ……。もうどこからツッコんで良いのか分かんなかったし……」

「ふっふっふ~、合宿中に、臼でおうどん作ろうと持ってきたんよ~」

「ちょっと待て。まさかマジで臼持ってきたのか?」

「うん、そうだよ~」

「マジか……あの荷物のどこに……?」

 少なくとも、園子が持ってきた荷物の中に臼らしきものは無かったように見えたが、一体どんな収納方法を使って持ってきたのか結構気になる。それに臼も相当重量があるはずだが、本当に持ってきているとしたらよく持ってこれたものである。

 四人は食事を終えると、銀が持ってきたトランプを用いてのゲームを開始した。トランプを用いてのゲームはたくさんあるが、ひとまず誰もが知っているという事でババ抜きを行う事になった。

「そう言えば、ミノさんとあまみんって仲良いよね。幼馴染って聞いたけど、どれくらいから一緒なの?」

 ペアになったカードを捨てながら、園子が二人に尋ねた。須美が園子の手札の中からどのカードを取るか悩むのを見ながら、銀が答える。

「うーん……確か神樹館に入学する時ぐらいだったから、大体六年ぐらいかな?」

「ああ、そうだな」

 今度は須美の手札からカードを抜き、ペアになったカードを捨てながら志騎が言う。銀は志騎の手札からどれを抜くか手をうろうろさせていたが、やがて手札の中から一枚を素早く抜く。そしてカードを見て、げっと苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。どうやらババ(はずれ)を引いてしまったらしい。

「でも、一体何があって二人はそんなに仲良くなったの?」

 園子が銀からカードを一枚抜いて再びペアになったカードを捨て、その園子の手札からカードを抜きながら須美が尋ねた。

 正直、志騎と銀の性格はほとんど正反対である。明るく活発な性格で好奇心旺盛な銀と、暗いとは言わないが大人しめで冷静な性格、そして何事にもまず理屈を立てて行動する志騎。この二人が一体何がきっかけで幼馴染となり、ここまで仲良くなったのか須美には少し興味があった。

「初めて会ったのは、確かあたしの家の前だったよ。近所に引っ越してきた人が来たって母ちゃんと父ちゃんが言ってきて、それで一緒に玄関まで行って会ったのが初対面だったな」

「へぇ、じゃあ天海君は違う所から引っ越してきたのね。前はどこにいたの?」

 外の世界がウイルスのせいで滅亡してしまっている以上、四国のうちのどこかというのはもう決まったようなものだが、それでも自分達の知らない場所というのは興味があるものである。

 だからその質問も、他愛もない好奇心からのもので、深い意味などない。

 そう、須美は思っていた。

「…………」 

 だが、何故か志騎の反応は意外なものだった。

 問われた志騎は須美のトランプを引こうとした手を止めて、少し目を見開いていた。

 しかし須美には、その目が目の前の光景をとらえていないように見えた。まるで、ここではない遠くの景色を見ているような----そんな感じがしたのだ。

「……天海君?」

「あまみん?」

 さすがに志騎の様子が少しおかしいと思ったのか、須美と園子が志騎に声をかける。志騎はトランプを取ろうとする手を止めたまま口を開いた。

「----俺、は」

 と、そんな時だった。

「な、なぁ志騎! さっさとカード引けよ! 遊ぶ時間が無くなっちゃうだろ!?」

 まるで話題を遮るかのように、銀が引きつった笑顔を浮かべながら志騎に大声で言った。

「あ、ああ」

 それにびくんと体を震わせた志騎は少し動揺しながらも、須美からカードを一枚抜いてペアになったカードを捨てる。これで志騎の持ち札は残り一枚。次に銀がカードを抜くので、勝利確定だ。

 そして銀が志騎の手札を抜くと、笑顔を無理やり浮かべながら、

「いや~、やっぱり志騎は強いなぁ! あたし、昔からお前にゲームとかで勝てた事ないもんな! あ! それとさっきの答えだけど、まぁ志騎が引っ越して来てから色々あって仲良くなったんだよ! なぁ志騎!」

「……ああ」

 銀の言葉に志騎が小さく頷いた事で、強制的にその話題は打ち切られた。

 だがこれを見ていた須美と園子の頭には、ただ疑念しか無かった。

(色々あったって……)

(どう見ても、それだけじゃないよね~……)

 今の志騎と銀の反応は、色々あって仲良くなったというだけで起こるようなものではない。何か、須美と園子が意図せずに、志騎の触れられたくないものに触れてしまった事で原因で起こってしまったような……そんな反応だった。

 だが、だからと言ってその理由を無理やり聞き出すわけにもいかない。今の二人の反応を見るだけでも、その理由を話す事があまり好ましくない事は分かる。そんな事をしてこの場の雰囲気を壊したくもないので、須美と園子は今この場ではその話をするのは止めようと思った。

 それからゲームは進み、二番目に上がったのは園子、三番目は須美、そして銀は最下位という結果になった。

「うぐぐ……自信あったんだけどなぁ……」

「あれでよく自信があったって言えるわね……」

「お前はまずポーカーフェイスを覚えろ」

 テーブルにうなだれながら悔し気に言う銀に須美が困ったように言い、志騎が呆れたように言った。実際銀は感情が顔に出やすいので、手札を読む事が難しくない。運以前の問題として、彼女はまずその点を改善した方が良いだろう。

 それから休憩のために志騎は部屋に備え付けられていた四つの湯呑に急須で茶を注ぐと、三人に渡した。ゲームのおかげか、先ほどの妙な空気はすっかり取り払われていた。

 四人がゲーム後のお茶をのんびりと楽しんでいると、園子がテーブルのわきにある書類に気が付く。

「あれ? ねぇあまみん、これなーに?」

「ん? ああ、見れば分かる」

 そう言われて園子と、ついでに銀と須美が横から覗き込むように書類を見て、その内容に三人は思わず目を丸くした。

「これってもしかして……私達のこれまでの連携訓練の内容?」

「わ~、びっしり書かれてるね~」

 園子の言う通り、書類には須美、園子、銀の戦い方から特徴、弱点、さらにはここ最近の訓練でどんな連携を行っているのか、何が良くなってきているのかが事細かに書かれていた。お茶をずず……と飲みながら、志騎が言う。

「刑部姫に渡されたんだよ。いつ四人での連携訓練をしても良いように、戦い方を頭に叩き込んでおけって」

「うわぁ……。なんかこれを見てると、あいつ本当に天才だったんだなって感じるな……」

 刑部姫が書いたと言われると何か毒舌交じりの解説などが入っているんじゃないかと思われるが、書類にはそのような記述は一切ない。それどころかただひたすら客観的な視点から見た連携訓練の情報が書かれている。しかもその全てが的確で、間違っている所が一つもない。銀が言った通り、これを見ているだけで書いた本人……つまり刑部姫が本人の言った通り天才だという事が一目で分かってしまう。

 しかしそれ以上に、三人には書類に気になる点があった。

「てか志騎……。もしかして一日の訓練が終わった後もこれずっと読んで、あたし達の戦術とか勉強してたのか?」

 書類はつい最近渡されたものとは思えないほどくたびれており、しかも書類のあちこちに色付きのマーカーで印付けされている。付けた人物はもちろん、三人の目の前にいる少年だろう。

 すると銀の言葉に志騎はこくりと頷きながら、

「当たり前だ。ずっと個人で訓練してたからって言って、お前達の足を引っ張るわけにもいかないからな」

 志騎本人はあっさりと言っているが、それは簡単にできる事でもないだろう。何せ彼の勇者システムの学習に加えて、三人の戦術なども学ばなければならないのだ。しかも一日の訓練が終わった後に行うのだから、疲労も溜まっているに違いない。

 しかしそれでも志騎は、万が一にでも三人の足を引っ張るわけにはいかないと、こうして書類を読みふけり三人の戦術や行動パターンなどを頭に叩き込んでいたのだろう。

「まぁ、今まで別行動してきたわけだから信じられないだろうけど……明日はお前達の足を引っ張らないように努力する。だから、その……明日はよろしく」

 ややバツが悪そうに言いながら頬を掻く志騎だが、今の三人は志騎の心の内がもう分かっていた。三人はにっこりと頷くと、三人それぞれ志騎に言う。

「うん! 明日は一緒に頑張ろうね、あまみん」

「私達はもちろんだけど、天海君もこの合宿で頑張ってきたんだから、きっと上手くいくわ」

「そうそう! よーし! 四人力を合わせて、訓練クリアするぞー!」

「お~!」

「お、おー」

「……おー」

 銀が力強く拳を高く掲げると、それに園子がテンション高く乗っかり、須美も少し恥ずかしそうにしながらも拳を上げ、志騎は小さな声で言いながら拳を掲げた。

「んじゃ、明日の訓練の連携のためにも次のゲームするか! 次は何にする?」

「はいは~い! 七並べ~!」

「えーと、じゃあ……神経衰弱とか?」

「銀が圧倒的不利だな」

「おいおい志騎、それはどういう意味だ? 理由によっては、さすがのあたしも泣くぞ?」

 と、三人が楽し気な会話をしている部屋の外で。

「良いのか? 少しはしゃぎすぎだが」

「四人の連携のためにも必要な事よ。ここに来てから四人揃って何かする事なんて無かったし、別に構わないでしょ?」

 そんな会話をしているのは、寝間着に身を包んだ安芸と旅館の着物らしき服に身を包んだ刑部姫だった。安芸は四人がいる部屋の扉をちらりと見ながら、

「一+一+一を十にするのが鷲尾さん達の役目なら、十を百にするのが志騎の役目。そのためには、四人の強い絆が必要不可欠になる。そのためなら、これぐらいは目を瞑るわよ。……さすがに騒ぎすぎる場合は止めるけど」

「ま、その心配は不要だろう。最悪志騎と鷲尾須美が止めるだろうしな」

 刑部姫はそう言うと、くぁとあくびをした。そんな刑部姫に、安芸は少し不安そうな表情を浮かべながら尋ねる。

「……ねぇ刑部姫。一つ聞いていい?」

「何だ?」

「……鷲尾さん達が一+一+一を十にして、志騎がそれを百にした状態なら……彼女達は、バーテックスに勝ち続けられる?」

 安芸の言葉に刑部姫は空中で動きを止めると、くるりと振り返って安芸の顔を真正面から見る。

 そして、まるで氷のような冷たい声音で、言った。

無理だな(・・・・)

「……っ」

 半ば予想していたが、やはり本人の口から言われるとかなり心にくる。唇を噛み締める安芸を冷徹な瞳で見ながら、刑部姫はさらに続ける。

「確かに四人分の力を百にすれば大抵のバーテックスには勝てるだろう。……だが、鷲尾須美達は人間だ。どれだけ頑張っても、奴らは兵器にはなれない。だからどれだけ連携を鍛えても、百程度の力しか出せない。それに対して、バーテックスはまさに兵器として完成した存在だ。アクエリアス・バーテックスやこの前出現したライブラ・バーテックスならまだ倒せるだろうが、ゾディアッククラスの中でも上位のバーテックス……スコーピオン・バーテックスやレオ・バーテックスには正直今のままでは勝ち目は薄いだろう。何せ、こっちが四人で百の力を発揮するなら、奴らは一体で千はおろか万もの力を発揮する。……このままぶつかれば、確実に三人の勇者のうち一人は死人が出る」

「……志騎は数には入っていないのね」

「もちろん今のままなら志騎も死ぬだろうさ。今のまま、ならな」

 刑部姫の言葉を聞きながら、安芸は部屋の扉をじっと見つめる。扉の向こうでは今頃、四人の勇者達が遊びながら友情を深めている所だろう。

「……嫌なものね。こちら側の犠牲を抑えるためには、彼女達と志騎にさらに強くなってもらうしかない。だけどそうするとその過程で、志騎は志騎で無くなってしまうかもしれない……。私達は、本当にあの子達に、残酷な選択をいつも押し付けている」

「なんだ。今更そんな事で悩んでいたのか?」

「………」 

 刑部姫の言葉に安芸が黙り込むと、刑部姫ははぁとため息をついた。

「鷲尾須美達はともかく、志騎がいずれそうなる事はお前も分かっていたはずだ。それを分かっていたからこそ、お前はずっと志騎を育ててきたんだろう。それなのに、何故」

「私は」

 それはまるで、刑部姫の言葉を遮るようであった。

「私は少なくとも、それだけが目的であの子を育ててきたんじゃない」

「……そうだったな。それは、かつての私の願いでもあったな」

 かつての私、という言葉に安芸の顔がかすかに歪む。それは今まで安芸と一緒に暮らしてきた志騎でも見た事がないほどに切なく、悲しい表情だった。

「……確かに私が志騎を育ててきたのは私達の……大赦の思惑もあるわ。だけど同時に彼女と志騎の願いのためでもある。それはあなたも分かっているはずでしょう?」

「まぁな。それは私も十分に分かっている。……だが同時に理解しているはずだ。 もしもその時が来たら、志騎は確実に今までの生活には戻れなくなる。それだけは頭に刻み込んでおけ」

 安芸はその言葉に一度自分を落ち着かせるようにすっと瞳を閉じると、静かに目を開ける。そこにはもうさっきまでの悲しそうな表情を浮かべていた安芸の姿はなく、代わりにいつも志騎達の前で見せる冷静沈着な大人の女性である安芸の姿に戻っていた。

「安心して頂戴。それは私も十分に分かっているから。……だけどあなたも本当に昔から変わらないわね。いつも人が言いにくい事を、何のためらいもなく言うんだから」

「生憎そういう性分でね。それに真実をいつまでも隠し続けてそこに何が残る? 私に言わせれば、真実を隠し続けた組織に残るのは疑念と不信感だけだ。……大赦もそうならないようになると良いな?」

「……まったく、あなたって人は」

 非常に悪い笑みを浮かべている刑部姫を肩に乗せた安芸は一度ため息をつくと、志騎達の部屋から離れて自分の部屋へと戻っていくのだった。

 二時間後。

「むにゃむにゃ……。えへへ~、こんなにたくさんのうどん食べられないよ~」

「なんてテンプレな台詞を……。おーい、園子ー、寝るなー。寝るのはあたし達の部屋に帰ってからだぞー」

「う~ん……は~いお母さん……」

「乃木さん、三ノ輪さんはお母さんじゃないわよ……」

 志騎の部屋の前でうつらうつらと船をこぐ園子に銀が言うと、園子は半分夢の世界に旅立ちそうになりながらもどうにか返事をした。

 現在の時刻は夜十時。もうすぐ就寝時間だ。四人は今志騎の部屋の前におり、園子が立ちながら眠たそうな表情を浮かべ、そんな園子の手を須美が握っている。須美は園子が転ばないように気を付けながら、部屋の前に立っている志騎に言う。

「じゃあ、おやすみなさい天海君。明日はよろしくね」

「ああ、二人共おやすみ」

「うん、おやすみあまみん……」

 どうやら半分夢の世界に行きながらもちゃんと志騎の声は聞こえていたらしい。園子は眠たげな声で返事をすると、自分の手を引く須美と一緒に自分達の部屋へと帰って行った。そしてその場に残されたのは志騎と銀だけとなった。

「じゃあ、あたしも部屋に戻るな志騎」

「ああ、おやすみ」

 だが、志騎が言っても銀は何故か中々部屋へと帰らなかった。それに志騎が怪訝な表情を浮かべると、銀は少し心配そうな表情を浮かべながら、

「あ、あのさ志騎。さっきの話だけど……」

「ああ、あの事か」

 銀が言っているのはもちろん、須美が志騎に元々はどこに住んでいたのかという話だろう。どうやら彼女はその話題を終わらせた時から、内心ではその事をずっと気にしていたらしい。銀らしいな、と志騎は内心思いながら苦笑を浮かべて言う。

「別に俺は気にしてねぇよ。だからそんな顔するなって。な?」

「……あ、ああ」

 志騎の安心させるような口調に、心配そうな表情を見せていた銀は少しぎこちないが笑みを見せてくれた。そんな彼女に志騎が安堵を覚えると、ふとその視線が彼女の花の髪飾りに向けられた。

「そう言えば、お前まだその髪飾りしてるんだな」

 銀はその言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、やがてああ、と言いながら髪飾りに触れ、

「当たり前だろ? ……これはあたしにとって、すごく大切なものだからな」

 優しい声で言いながら、銀は愛し気に髪飾りを撫でた。その言葉を聞き、志騎は思わず目を逸らして頬を掻く。すると自分が何を言ったのかようやく理解したのか、銀は少し顔を赤くして言った。

「じゃ、じゃあ志騎! 明日も早いし、あたしも部屋に戻るな! おやすみ、志騎!」

 そして銀はさっと身を翻すと、照れ臭いのかスタスタスタと素早い動きで自分達の部屋へと戻っていく。志騎はそんな銀の姿を見送ると、頭を掻きながら部屋に戻り扉を閉めるのだった。

 

 



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第六話 合同合宿 ~最終日~

刑「これで合宿編は終了だな。ずいぶんかかってしまったが」
志「ゾディアックシステムの解説とか色々あったし、仕方ないだろ」
刑「まぁ、これでようやく次回からあらすじ復活だな。では第六話、張り切っていってこい!」



 翌日、合同合宿四日目。

 須美、園子、銀、志騎達四人は勇者の姿に変身した状態で海岸の浜辺に来ていた。もう何度も来たとは言え、四人が集まって訓練するのは初めてのため少し新鮮ですらある。

「じゃあ、まず四人でどう動くか考えましょう」

 四人は輪になって集まると、最初に須美が口火を切った。彼女は浜辺にいくつも置かれているボール射出装置に目を向けながら、

「私達三人は基本的にはいつも通り。私が矢でボールを落として、乃木さんが三ノ輪さんを護りながらバスへと向かっていく。そして最後にバスに近づいていったらボールの合間を縫って……」

「バスに到着する、だよね」

 須美の言葉を継ぐかのように、銀が手のひらに拳を軽く叩きつけながら言うと須美はこくりと頷いた。それから次に視線を志騎へ向ける。

「問題は、天海君ね。乃木さんと一緒に三ノ輪さんを護ってもらうか、それとも私と一緒にボールを迎撃してもらうか」

「だとしたら俺は後衛の方が良いかもな。二人から三人に増えたら連携の難易度が上がるし、シンプルな方が良いだろ。キャンサーは使うなって刑部姫の奴にも言われてるし」

「まぁ、確かにあれこの訓練だと反則だしな……」

 銀の言う通り、キャンサーの反射板は全部で六枚。二枚を念のために志騎と須美に使うとしても、あとの四枚は園子と銀のために使う事ができる。さすがにそれだとこの訓練の難易度が一気に下がるし、連携の訓練のためにもならない。それを考えて、刑部姫もキャンサーの使用禁止を志騎に言ったのだろう。

「じゃあ、わっしーとあまみんの二人が援護で決まりだね~」

「ああ。……それと、蛇足かもしれないけどちょっと良いか?」

 志騎が軽く手を上げると、三人の視線が一斉に志騎に向いた。そして銀が手を軽く挙げた志騎に尋ねる。

「どうしたんだ? 志騎」

「一応忠告しておく。今までの訓練とは何かが違うかもしれないから、気を付けておいてくれ」

「……? どうしてそう思うの?」

「刑部姫がいる」

 志騎の言葉に三人が安芸の方向に目を向けると、そこには確かに安芸の肩に刑部姫が乗っているのが見えた。両手にはいつも持っているタブレットを持ち、その顔は非常に良い笑みが浮かんでいる。だが何故だろうか、須美達三人の目にはその笑みが非常に悪どいものに見えた。

「あいつが姿を隠すでもなく、この場に堂々といるって事は、訓練に何らかの仕込みをした可能性がある。一応気を付けておいてくれ」

「そ、それはさすがに考えすぎじゃないかしら。さすがに彼女でもそんな事は……」

 しかし志騎は須美の言葉に首をふるふると振ると、

「この三日間、あいつと一緒に行動して分かった。あいつがあんなに良い笑顔を浮かべている時は、絶対に何かやらかす。あいつにはそれだけの頭脳と悪趣味がある。だから、気を付けてくれ」

「「りょ、了解……」」

 志騎の割と本気の声音に、銀と須美はやや顔を引きつらせながら頷いた。志騎にあそこまで言わせるとは、刑部姫はこの三日間の合宿で一体何をやっていたのだろうか。詳細を知りたいが何となくそれを知るのが怖くて、銀と須美はそれ以上聞かない事にした。

 そして訓練のために四人はそれぞれの配置につく。須美と志騎は援護のために互いの距離を空けて後方に立ち、銀と園子はいつも通り二人から見て前方の位置につく。ちなみに志騎はすでにアクエリアス・ゾディアックに変身済みだ。この訓練形式と援護の役割を果たすならば、アクエリアス・ゾディアックが最適だからだ。

「それじゃあ、二人共よろしくねー!」

「頼んだぞ、二人共ー!」

 前方の園子と銀から声が飛び、須美は弓を、志騎は二丁拳銃をそれぞれ構える。

「それじゃあ行くわよー! スタート!」

 安芸の掛け声とともに、射出装置からボールが勢いよく二人に向かって放たれる。

 だが、志騎の心配は不安は早速的中した。

「はやっ!?」

「わわ、ミノさん危ない!」

 それぞれのボールの速度が、今まで比べて上がっていたのだ。それに銀が面食らうが、それを園子が間一髪フォローする。さらに志騎と須美も二丁拳銃と弓矢でどうにか迎撃をするが、もしも一瞬でも気を抜いたら銀がボールの直撃を受ける事は間違いなしだろう。

「……刑部姫。あなた、細工したわね?」

「もちろん。戦場では何が起こるか分からんからな。これぐらい乗り越えてくれなければ困る」

 半眼で自分を見る安芸に、刑部姫はタブレットを操作しながらにやにやと非常に嫌な笑みを浮かべながら答える。

 一方、二丁拳銃で必死にボールを迎撃している志騎は刑部姫をちらりと見てからチッと舌打ちした。

「やっぱり仕掛けてきやがったなあのクソ精霊!」

 あの性悪の事だから絶対に何らかの仕掛けはしてくると思っていたが、まさかこのような事を仕掛けてくるとは。ただボールの速度が上がっただけだと思われるかもしれないが、速度が速くなればその分衝撃も増すし次にどう動くかを素早く判断しなければならない。今は動体視力を強化する事でどうにか対処できているが、これ以上速度があるようならば正直キツイ。

 しかもよく見てみると刑部姫が仕掛けているのがボールの速度だけではない事が分かった。射出装置のボールを発射する間隔が短く、おまけにその射出装置自体の数もやや多い。たぶん射出装置自体の設定をいじくった上に、志騎が訓練していた場所にあった装置をいくつかこちらに持ってきたのだろう。そのせいでいつもよりも高速のボールが大量に銀達に襲い掛かる。もしも援護をしている志騎と須美が一瞬でも気を抜けば、その瞬間銀の体のどこかにボールが直撃する事は想像に難くない。

「あ、天海君! このままだと三ノ輪さん達が……!」

 弓矢で迎撃する須美が、焦りの表情を浮かべて志騎に言ってくる。予想外の展開に、冷静さを保つ事ができなくなってしまっているのだろう。今はどうにか矢を正確にボールに命中させる事ができているが、このままだといつ集中力が途切れてしまってもおかしくない。拳銃の引き金を引きながら、志騎は言う。

「あいつらに当たりそうなのは俺が打ち落とす! 鷲尾はフォローを頼む! 正直これだとどうしても打ち漏らしが出てくる!」

「わ、分かったわ!」

 志騎の指示に、須美は少し冷静さを取り戻すと志騎がどうしても打ち漏らしてしまうボールを打ち落としていく。大量のボールが飛んできては須美も焦るかもしれないが、志騎のフォローという形で少数のボールを打ち落とす事を目的にすれば、落ち着いて攻撃に集中する事ができる。

 一方、園子達も体勢を立て直すと、園子がバスを見据えながら叫んだ。

「私達も行くよ~! ミノさん、前は私が守るからミノさんは自分に来るボールに気を付けて!」

「分かった!」

 そして宣言した通り、園子は前から向かってくるボールを正確に防いでいき、銀も向かってくるボールをかわし、時には両手に握った双斧で迎え撃つ。

 最初は予想外の速度に戸惑ったものの、四人はすぐに互いの役割を理解し、さらにそれぞれ自分の役割をこなす事で、態勢を立て直す事に成功していた。これを素早く行えたのは、過ごした時間はまだ短いかもしれないが、その中でも築いた確かな信頼関係があったからだろう。

 そんな四人を見て、刑部姫はほう、と珍しく感心したような声を出した。

「中々やるな」

「ええ。志騎と鷲尾さんの援護も良いし、乃木さんと三ノ輪さんも最初の訓練の時に比べるとはるかに動きが良くなってる。これなら今日中に目標が達成できそうね」

 安芸も刑部姫に同感なのか、その声は満足げである。

 が、何故か刑部姫はその言葉を聞いてにやりと口元に笑みを浮かべた。

「悪いが、それはまだ早いと思うぞ安芸。ポチっとな」

 そんな軽い言葉を吐きながら、刑部姫がタブレットの画面を軽くタッチした瞬間。

 銀と園子の数メートル前の浜辺が、突然爆発した。

「うわぁっ!?」

「きゃあっ!?」 

 突然の轟音と衝撃に二人は立ち止まり、おまけに爆発で立ち上った砂浜が勢いよく降り注ぎ砂煙が辺りに充満する。

「うわ、口の中に砂が入った!」

「うう~、砂で前が見づらい~!」

 予想外の衝撃に銀と園子はその場で立ち止まり、前へ進む事が出来なくなってしまう。そんな二人にボールがさらに襲い来るが、須美と志騎が二人に襲い来るボールを叩き落とし、さらに園子が視界を覆う砂に苦しみながらも変形させた槍で銀を護る。だが護るのが精いっぱいの上に、砂煙で視界が遮られているので下手な行動はできない。

「……刑部姫。あれは何?」

「私特製霊力地雷、通称『genius(ジーニアス) mine(マイン) mark(マーク) (ワン)』だ。なに、昔の地雷のように片足が吹っ飛んだりはしないから安心しろ。精々天高く吹っ飛ばされるだけだ。着地の際はさすがに痛いと思うがな」

「それだけで大分問題だと思うわ。それと、名称も予想以上に酷いわね」

 どや顔で自分の発明品を誇る刑部姫に安芸の冷たい言葉が飛んだ。勇者に変身してるとはいえ人が吹っ飛ぶだけでも大分危ないものだし、何よりも発明品に『天才』を意味するgenius(ジーニアス)の単語を入れるとは、この精霊はどれだけ自分が好きなのだろうか。

 が、名称はあれでも威力は見ての通り中々のものだ。おまけに地雷が埋まっているのは砂浜なので、ぱっと見地雷がどこに埋まっているか分からない。これでは銀達も下手な行動はできないだろう。

 ボールの速度上昇、さらに砂浜に埋まった地雷という立て続けに起こる予想外の出来事は一見してみると攻略するのが非常に難しいと言える。だが、解決できないというわけではない。この予想外の事態にも、きちんと攻略方法は存在する。

 だがそれを実際に行うためには、四人の連携と志騎がどれだけゾディアックフォームを理解できているかが重要になってくる。逆に言えば、その二つの条件が満たされていなければこの訓練はクリアする事ができないという事を意味していた。

(さぁ、正念場よ。どうする? 志騎)

 安芸はそう思いながら、須美と一緒にボールを迎撃する志騎に視線を向けた。

 一方、二丁拳銃でボールを迎撃する志騎に、弓矢でボールを迎撃する須美が目を見開いて叫んだ。

「な、何あれ!?」

「どうせ刑部姫だろ! あいつのやりそうな事だ!」

 今の爆発の正体は断言はできないが、恐らく刑部姫特製の爆弾か何かだろう。しかも砂が大量に打ち上げられているのを見ると、砂浜の下に埋まっている可能性が非常に高い。これでは銀達も下手は動きはできないだろう。

(まぁ、それもきっと刑部姫(あいつ)の狙い通りなんだろうけどな……!)

 予想だが、今の爆発は恐らく刑部姫がわざと起こしたものだろう。今の爆発は確かにその強力さを銀達に思い知らせたが、逆に今ので爆発物が砂浜の下に隠されている事を知られてしまった。確実にバスに到達する役目である銀を妨害するならば、爆発させないで突っ込ませた方が都合が良かったはずだ。そうすれば銀が吹き飛ぶ可能性は高かったはずなのだから。

 だが、刑部姫はそれをしなかった。無論自分の発明品を自慢するためではないだろう。そんな事でわざわざ爆弾を爆発させるほど、彼女は馬鹿ではない。

 志騎の予想として、今の爆発の理由は二つほどあった。

 一つは、銀達をその場に留まらせるためだ。確かに今の爆発で銀と園子をまとめて吹っ飛ばしても良かっただろうが、正直砂浜で爆弾が見えない状態ではこちらが圧倒的に不利になる。そうならず、条件を平等にするためにあえて存在を知らしめるかのように爆弾を爆発させた、というのがまず一つ目の理由だ。

 しかしそれで逆に自分達の方が有利になるのかと言われるとそうでもない。

 確かに爆弾の存在は分かったが、砂浜の下にあるのは変わらないので爆弾がどの位置にあるのかは相変わらず分からない。そのため無暗に動く事ができず、その場に留まるしか無くなる。だがそうなれば必然的にボールの集中砲火を食らう事になり、当然それを防ぐ園子の負担が大きくなり、今はどうにか耐えている銀もやがて攻撃を受けてしまう。恐らく刑部姫の事だから、条件を平等にするというよりも銀達の足止めがわざと地雷を爆発させた理由だろう。

 そしてもう一つの理由。これもあくまで志騎の予想に過ぎないが、恐らく志騎がどれだけゾディアックフォームを理解しているか試しているのだろう。

 確かに速度上昇されたボールと砂浜に埋まった地雷という二つの妨害要素の前では、バスに到着するのは困難かもしれない。だが志騎のゾディアックフォームを上手く用いれば、その難易度を下げる事ができる。何せ十二あるゾディアックフォームには、それを可能とするフォームがきちんと存在している。

 だからこそ、刑部姫は試しているのだろう。

 志騎が本当に、ゾディアックフォームを理解し、活用できるかどうかを。

(上等だ……。あいつの掌の上で踊らされるのは少し癪だけど、今は乗ってやる!)

 志騎はスマートフォンを取り出すと、援護をしている須美に叫んだ。

「鷲尾! 少しの間だけで良いからボールが銀達に当たらないようにしてくれ!」

「え、ええ! 分かったわ!」

 須美は一瞬焦ったような表情を浮かべながら、すぐに返事をして銀達への援護を続ける。その矢は銀達に当たりそうなボールだけに正確な狙いを定め飛び、ボールを落としていく。だがいくら須美の狙撃の腕が的確でも、この量と速度が相手では近いうちに限界が訪れてしまう。それを防ぐためには、一刻もは早く手を打たなければならない。

 志騎はスマートフォンを手元に取り出すとゾディアックフォームを選択するアプリをタッチし、一つのアプリを再度押す。

『アリエス!』

 スマートフォンから音声が流れると、すぐさまスマートフォンをベルトの読み取り装置部分にかざす。

『アリエス・ゾディアック!』

 志騎の周囲に牡羊座の紋章がいくつも旋回し、次の瞬間に志騎の体に吸い込まれると服の色が純白から青紫色へと変わり、ベルトの装置の部分には牡羊座の紋章が表示されている。

 と、その瞬間須美の表情が驚愕のものへと変わる。

 それは、志騎の新たな変身に対して、ではない。

「三ノ輪さん! 危ない!」

 射出装置から放たれた二つのボールが、銀へと向かっていた。園子はどうにか銀へのボールを防ごうとし、須美も援護射撃をしようとするが、ボールの数が多すぎてその二つのボールにまで手が回らない。そもそもその二つのボール以外にも、銀に当たりかねないボールがかなりあるのだ。須美と園子だけでは、それらのボールを防ぐ事はできても向かってくる二つのボールを防ぐ事はどうしてもできない。それは二人の戦力どうこうの問題ではなく、二人の置かれている状況的に不可能なのだ。

「やべっ!」

 銀がそのボールに気付き、斧で防ごうとするがもう遅い。斧を振るおうにもギリギリ間に合わないし、例えかわそうとしても二つのボールのうち一つには当たってしまう。自分に向かってくるボールに銀が思わず目を閉じそうになった、その時。

『----アクエリアス・ゾディアック!』

 突如聞こえてきたその音声の直後。

 パァン! という音と共に銀に放たれた二つのボールが弾き飛ばされた。

 突然の出来事に三人が志騎に視線を向けたその瞬間、三人は思わず驚愕で目を丸くした。

 何故なら。

 青紫色の戦装束を身に纏った志騎の隣に、アクエリアス・ゾディアックの戦装束を身に纏った志騎がいつの間にか出現していたからだ。

「え、ええ!? 双子!?」

 突然幼馴染が二人になったという現象に銀が叫ぶが、異変はそれだけでは収まらない。志騎の隣で突然大量の花びらが舞い散った次の瞬間、そこに三人目の志騎が出現した。

「み、三つ子~!?」

 銀に続いて園子も驚きの声を上げるなかで、三人目の志騎がスマートフォンを取り出してZodiacのアプリを操作しベルトにかざす。

『ピスケス!』

『ピスケス・ゾディアック!』

 音声が鳴り響き、複数のうお座の紋章が三人目の志騎の体の周りを旋回した後に一体化すると、三人目の志騎の戦装束は薄い水色をしたものに変わっていた。さらに首に同色のマフラーに、腰にはクナイがいくつも装着されている。その姿はまるで、昔の日本に存在していたとされる『忍者』のようであった。

「銀! 乃木! 爆弾は俺が何とかする! お前達は前に進んでくれ!」

「……! 分かった! 園子、行こう!」

「うん!」

 志騎の言葉に二人は迷わずに頷くと、しっかりとした足取りで前へ進みだした。

「鷲尾! 俺達はさっきと同じように二人の援護だ!」

「は、はい!」

 さらに須美も、志騎の分裂に戸惑いながらも先ほどと同じように志騎と一緒に二人に放たれるボールの迎撃に当たる。しかも今回はブレイブブレードをガンモードにした志騎とアクエリアス・ゾディアックの志騎の二人がいるので先ほどよりも余裕をもって対応する事ができる。

 そしてピスケス・ゾディアックに変身した三人目の志騎は、二人の横でまるで水面に潜るように地面の中へと潜り込んだ。次の瞬間、三人目の志騎の視界には薄暗い世界が映り込んでいた。

 これがピスケス・ゾディアックの能力の一つ、地面への潜行能力だ。十二あるゾディアックフォームの中で、唯一ピスケス・ゾディアックだけはまるで海中に潜るかのように地中に潜る事を可能としている。さらにそのスペックは、地上よりも地中の時の方が上がるという少々変わった特性を持っている。だがそのおかげで、今の志騎はまるで海中を泳ぐかのように地中を移動する事ができる。

 地中は天気が悪い日の海の中のように薄暗い世界がどこまでも広がっているように見えるが、頭上にある地面ははっきりとその目に捉える事ができる。その地面にはバスへと向かって走る銀と園子の足跡、さらに何やら円状の物体が埋め込まれているのが見えた。恐らくあれが刑部姫が仕掛けた爆弾だろう。

 志騎は腰からクナイを取り出すと、二人が走る前方にある地雷へと一斉にクナイを投げる。クナイは砂浜に埋まっている地雷に次々と突き刺さり、攻撃を受けた地雷は地中にいても分かるほどの轟音を立てながら爆発していった。

(銀達は……よし、無事みたいだな)

 地面の足跡を確認してみると、銀達はどうやら順調にバスへと走っていけているようだ。見えない地雷というのは確かに脅威だが、地雷とそれが発する爆音を無視してボールのみに集中すれば前へ進む事はできないわけではない。爆発で巻き上がった砂と爆音に集中力が阻害されて攻撃を受ける危険性もあるにはあるが、さすがに合宿四日目のためか園子と銀の二人は集中力を途切れさせる事なく前へと進んでいる。おまけに同じようにこの合宿で成長した須美と、二人の志騎の援護射撃があるのだ。この調子でいけば、この訓練をクリアする事は難しい事ではない。

 だが、今までの訓練があったとしても、地雷を踏むかもしれないという恐怖を抱えたまま走るというのは中々できる事ではない。何せ、一歩間違えれば地雷を踏んで派手に吹き飛ばされるかもしれないのだ。さらにその中でもしも一瞬でも速度を緩めれば、ボールの直撃を食らう事になる可能性だってある。なのに園子と銀は一歩も速度を緩める事もなく、地雷を恐れる事なく前へ前へと進んでいる。

 その理由は単純に、信じているからだ。

 志騎ならばきっと、自分達の障害となる地雷を全て破壊してくれると。

 それは園子と銀だけではなく、援護射撃をしている須美も同じ気持ちだろう。

 だから今三人は、それぞれ自分の役割をきっちりと果たす事が出来ているのだ。

 だったら、自分はそれに全力で答えるだけだ。

 志騎は地中を飛び回りながら二人の進行方向にある地雷に次々とクナイを投擲し、地雷を爆発させていく。時々頭上の地面を走る銀と園子の足跡を確認してみても、ボールにぶつかったり地雷の爆発に巻き込まれた様子は全くない。それを確認すると、さらに飛び回り地雷が無いかを確認する。

 そしてついに二人の進行方向上にあった地雷を全て爆発し終えると、地中から浮上して地面に頭を出すと二人に叫んだ。

「お前達の前にあった地雷は全部吹っ飛ばした!」

「ありがとう、あまみん! ----ミノさん!」

「分かってる!」

 ボールを防ぐ園子の言葉を受けて、銀はバスへと高く跳躍する。向かってくるボールの速度にももう慣れたのか、両手に握る斧で次々と迎撃しながらバスへと一気に近づいていく。あとはバスに到着するだけ----と誰もが思ったその時。

 志騎の目に、あるものが映った。

 それは。

 安芸の肩に乗りながら、にやりと唇の端を上げて笑う刑部姫の姿だった。

「----!」

 ピスケス・ゾディアックに変身した志騎はそれを見て、園子達の方へと駆け出す。

 それはただの考えすぎなのかもしれない。ただの思い込みなのかもしれない。

 だが、この合宿の中で刑部姫と接して抱いたたった一つの確信が、それらの考えをひっくり返す。

 あの笑みを浮かべた刑部姫は、絶対に何かをやらかす----!

 そう思ってすぐさま銀の方向へと駆け出すが、時すでに遅く刑部姫の指がタブレットの画面をタッチしていた。

 その、瞬間。

 志騎が全て爆発させたはずの地雷が銀の前方で爆発し、彼女の視界を大量の砂が塞いだ。

「なっ……!?」

 銀が突如起こった爆発に驚愕し、その体が一瞬硬直する。

 そしてそれはその状況を見ていた園子も同じだった。彼女はボールを変形した傘で防ぎながら、目の前の光景に思わず目を見開く。

(そんな、どうして!? 爆弾は全部あまみんが壊したはずなのに……!)

 と、そこで園子の脳裏に、昨日志騎が起こしたと思われる謎の爆発で吹き飛ばされた刑部姫の言葉が浮かび上がってきた。

『仕方ないだろ? 各ゾディアックストライクを使わせるのが今日の目的だったんだ。それに認識阻害の術をかけてあるから、この光景も衝撃も周りには一切伝わってない』

 あの時、刑部姫は認識阻害の術と言っていた。それが具体的にどういった術かは分からないが、恐らくは文字通り視覚や聴覚といった人の持つ認識を阻害する効果を持った術だろう。それをうまく使えば、例え昨日のような爆音や目を疑うような光景も、他人から見たら何も起こっていないように感じている可能性が非常に高い。現に昨日園子達が旅館に戻った時も、あれだけの轟音が響いたというのに旅館の人間がそれを話題にする事はまったく無かった。

 もしもその術式を、砂浜に埋まっている爆弾にもかけていたとしたら? 

 もしそうだとするならば……さすがの志騎も、その術式に欺かれた可能性が高い。

 それを証明するかのように、安芸の方に乗っかっている刑部姫が言った。

「悪いが、そう簡単にクリアさせられたらあいつらのためにならないからな。認識阻害の術式を地雷にもかけさせてもらった」

「本当に性格悪いわねあなた。でも、志騎が見落とすなんて……」

「それは仕方ない。あれは私が直々に組んだ、人間の意識に直接干渉する事で認識をずらす術式だからな。今のあいつじゃあ無理だろう。ま、さすがにほとんどの地雷に仕掛けたらこちらが有利すぎるから、仕掛けたのは一つだけだがな」

 だが、それでも効果はあったと言えるだろう。

 突然起こった予想外の爆発に銀の体は硬直し、空中で一瞬身動きが取れなくなる。もちろんその硬直は一瞬のものなのですぐに動けるようになるだろうが、装置から放たれたボールがその体に当たる事を考えると十分な時間とも言える。

 それを証明するかのように、装置の一つからついにボールが銀が目がけて放たれる。銀は体の硬直がまだ解け切っておらず、それを見た園子がフォローに回ろうとするが、今の園子の位置では空中にいる銀を防ぐ事はできず、須美のカバーもギリギリ間に合わない。

 ならば。

 今のこの状況で、銀をフォローできるのは、一人しかない。

「----志騎!」

 それは、四人の中で唯一刑部姫の行動に気づいていた志騎だけだ。

 ピスケス・ゾディアックの志騎が左手に意識を集中させると、左手に薄い水色の霊力で形成された巨大な十字手裏剣が出現し、それを銀に向かうボールめがけて思いっきり投げた。

 手裏剣は鋭く回転しながら高速でボールへと向かい、銀の鼻先で間一髪ボールを切り裂いた。

 これでもう、銀の邪魔をするものは何もない。

 目の前に立ちふさがる砂の壁を突き破ると、目の前に現れたバスめがけて斧を思いっきり振るいバスを破壊する。

「ゴォォォォォォォォォォォォォォォォル!!」

 銀の勝利の叫びが海岸に響き、園子と須美が息をつきながらも嬉しそうな笑みを浮かべた次の瞬間、

「「やったー!」」

 須美が両腕を真上に突き出して喜びの感情を爆発させ、園子もぴょんぴょんと飛びながら満面の笑みを浮かべている。

「はぁ……終わったか」

 須美から離れた位置にいたアリエス・ゾディアックの志騎が疲れたようにしゃがみ込むと、それと同時に彼の横にいたアクエリアス・ゾディアックの志騎とピスケス・ゾディアックの志騎は大量の花弁を舞い散らせながら消滅した。

 刑部姫の細工によるボールの速度上昇に地雷など、今回の訓練は今までのものと比べてみるとかなり大変なものだったが、それでも四人の力を合わせる事で見事クリアする事ができたのは大きな成果と言える。今後この訓練で得た事を活かす事ができれば、並大抵のバーテックスに負ける事はないだろう。

 志騎がしゃがみ込んで休んでいると、バスの場所から銀が笑顔で自分の元に駆け寄ってくるのが見えた。

「志騎-! やったな! イエーイ!」

 そう言って銀が右手でハイタッチをしようとしてきたので、志騎はやれやれと言いたげに肩をすくめながら苦笑すると、右手を掲げた。すると二人の右手が強くぶつかり合い、パァン! と強い音がその場に鳴り響く。勇者の力で強化されたからか志騎の右手には割と強い痛みと痺れがはしったが、不思議と嫌な感じはしなかった。それから志騎はバツが悪そうな表情を浮かべると、銀に言った。

「……悪かったな、銀。最後の地雷見逃した」

 刑部姫が認識阻害の術式を直接地雷にかけていたとはいえ、一歩間違えればボールが銀に当たってもおかしくなかった。そう考えると、あの地雷を見逃してしまったのは自分のミスと言える。そう考えて志騎が謝ると、銀はニッと笑って返した。

「気にすんなって! こうしてみんなで無事に訓練を終わらせる事ができたんだからさ。色々ありがとな、志騎!」

 本当に心の底から気にしていなさそうな銀の満面の笑顔に、志騎は思わず一瞬きょとんとした表情を浮かべるとふっと柔らかな笑みを浮かべた。するとそんな二人に、園子と須美が駆け寄ってきた。

「ミノさん、あまみん、やったね!」

「ああ! 園子もありがとな!」

 そう言いながら、銀と園子は両手でハイタッチを交わした。それを見ていた須美は志騎に近寄ると、おずおずと両手を差し出した。

「あ、天海君。お疲れ様」

「……ああ、お互いさまにな、鷲尾」

 そう言いながら二人も銀と園子に倣って、ゆっくりとハイタッチを交わした。

 四人が喜びを分かち合っていると、訓練を観察していた安芸が四人に歩みよってきた。もちろんその肩には、訓練をややこしくした張本人である刑部姫がちょこんと座っている。

「四人共、お疲れ様。私から見ても良かったと思うわ。あの感じを忘れないでね」

「私としても中々良いデータが取れた。ご苦労だったな」

 と、そんな事を言う刑部姫のタブレットに何かが降り立った。その何かを見て、園子が「あっ!」と声を上げてそれを指さす。

「これだよ~! 私が見た半透明の鳥さん!」

 園子の言う通り、刑部姫のタブレットに舞い降りてきたのは半透明の鳥だった。だが、四人にはそれが普通の鳥にはどうしても見えなかった。確かにその体は青白く半透明に見えるが、体の質感は羽毛というよりもまるでガラスのようで、生物ではなく作り物であるかのような印象を見る者に抱かせる。おまけにその鳥はタブレットに舞い降りてからはまったく身動きせず、じっと赤く輝く瞳を志騎達を見つめている。瞳も体と同じように生物らしさを感じさせず、生物の瞳というよりは監視カメラのレンズという方がしっくりとくる。

「ああ、そういえばお前達に見せるのは初めてだったな。こいつは私が作った自律型電子式神、通称『式神くん』だ」

 そう言いながら刑部姫がタブレットの画面をタッチすると、鳥は無数の粒子となりタブレットに吸い込まれるように消滅した。その光景に驚きながらも、志騎が何かに気づいた表情を浮かべる。

「なるほどね……。お前が俺に渡した鷲尾達のデータを集めてたのはそいつか」

「正解。こいつを使って合宿中鷲尾須美達のデータを取らせてもらった。さすがの私もアリエス・ゾディアック時のお前のように分身は出せないんでな」

 そう言えば園子が光る鳥について志騎達に話した時、まるで鳥が観察しているように自分達をじっと見つめていたと言っていたが、恐らくそれは園子の言う通り刑部姫がデータ収集のために、鳥を通して須美達を観察していたのだろう。そうでなければ、いくら刑部姫が天才とは言っても、あそこまで三人に関しての詳細なデータを取れるはずがない。

 と、そこで安芸がこほんと軽く咳払いをして四人の注意を自分に向けた。

「以上で今回の合宿は終了になります。なので旅館で宿泊するのは今日が最後になりますから、この後はしっかりと体を休めてください。帰るまでが合宿ですからね」

「「「「はい!」」」」

 四人は元気よく返事をすると、三人の少女達は会話を交わし合いながら旅館へと戻っていった。志騎も旅館に戻ろうとすると、安芸が声をかけた。

「志騎。あなたもお疲れ様。今日はしっかりと休んでね」

「はい。安芸先生もありがとうございました」

 ぺこりと安芸に頭を下げて礼を言うと、志騎は三人の後を追う形で旅館へと向かった。

 

 

 

「「「はぁ~」」」

 夜。須美、園子、銀は旅館の露天風呂で温泉にゆったり浸かりながら気持ちよさげに息をついていた。この四日間入ってきた温泉とはいえ、合宿ですっかりくたびれた体には温泉の熱さが染み渡る。温泉に浸かっている三人の表情が蕩けているのも無理はないだろう。

「毎日毎日バランスのとれた食事、激しい鍛錬、しっかりと睡眠。勇者というか、運動部の合宿だよねーこれ。なんかこう、バーン! と超必殺技を授かるようなイベントはないのかねー須美!」

「今回は連携の特訓だから仕方ないわねー」

 テンション高く拳を前に突き出す銀に、須美がのんびりとした口調で返す。一方、園子は自分の腕をふにふにと触りながら、

「なんだか私、さらに筋肉ついてきたかも~」

「強くなるのは良いけど、これから成長する女の子がこなすには、いろんな意味で厳しいメニューだよな」

「ミノさん、竜巻に巻き込まれた傷、痛まない?」

 竜巻に巻き込まれた傷、というのは言わずもがなこの前の竜巻を起こすバーテックスとの戦いで生じた傷の事だろう。あの戦いで四人とも傷を負ったものの、特に傷が酷かったのはバーテックスに突撃し攻撃を行った銀だ。戦いが終わった後に霊的医療による治療を受けたものの、この訓練で傷が開いてしまった可能性はゼロではない。しかし銀は仁王立ちをしながら明るい口調で言う。

「へーきへーき! 園子は?」

「どっちかって言うと、こっちが染みる~」

 そう言って園子が指さしたのは、自らの右手の手のひらだった。よく見てみると、親指を除いた四本の指の付け根に豆ができている。

「ああ……あれ握ってるとそうなるよなー……」

 銀は豆を見て痛そうな口調で言ってから、次に須美に視線を向けた。

「鷲尾さんちの須美さんも、体を見せなさい」

「な、なんで?」

「クラス一大きいお胸を拝んでおこうかなーと」

 やけに良い声音で放たれたセクハラ発言に、須美の顔が恥ずかしそうに歪む。銀はにやりと笑いながら両手をわきわきと蠢かせ、

「まるで果物屋だ! おやじ! その桃をくれー!」

「ちょっ、ちょっと、だめー!」

 自分の胸をつかもうと襲い掛かってきた銀の両手を自らの両手で塞ぐと、そのまま両腕に力を抜いて押し返す。第三者から見ると喧嘩にも取られかねない光景だが、その実態は同級生の豊かな胸に手を伸ばすセクハラ少女と、それを必死に防ぐ真面目少女による攻防である。須美の反撃を抑えながら、銀はさらに続ける。

「事実を言ったまでだね! むしろ大きいくせして照れてるとか、贅沢言うな!」

「サンチョも入れてあげたいな~」

 二人がじゃれ合っている横で園子がそんな感想を漏らしていると、ガララという音と共に露天風呂の扉が開かれる音が聞こえた。三人がその音に気付き視線を向けた直後、須美と銀が何故か目を丸くして固まった。

「三ノ輪さん、鷲尾さん。温泉で騒ぎすぎ」

「まったくだ。温泉くらい静かに入れないのかアホ共」

 そこにいたのは三人を呆れた表情で見ている安芸と、その肩に乗りながら三人を冷めた目で見ている刑部姫だった。だが、銀と須美が驚いたのは二人がそこに立っていたからではない。

 安芸と刑部姫は温泉に入るため当然ながら何も着ていない裸だったのだが、須美と銀が注目しているのは安芸の胸部だった。

 具体的に言うと、女性の平均的な大きさよりもかなり豊かだった。須美も銀に指摘された通り小学生離れしたスタイルの持ち主なのだが、安芸に関してはさすが大人というべきか、銀はおろか須美すらも驚愕するほどの大きさだった。

 安芸はそのまま刑部姫を肩に乗せたまま二人の目の前を横切るが、その際にも二人の視線は安芸の胸部に釘付けのままだった。

「やー……。大人の体ってすごいな……。服着てるとあまりそういうの分からないんだけど……」

「そうね……。例えるなら、戦艦長門……」

「何それ?」

 突然須美の口から出た聞いた事のない単語に銀が問うと、須美は何故か目をきらんと輝かせて誇らしげな笑みを浮かべると、生き生きとした口調で語り始めた。

「旧世紀の我が国が誇る戦艦よ! 詳しく話してあげる!」

「あ、ああ……」

 あまり見ない友人の姿に、銀は引きつった笑みを浮かべながら言うのだった。

 一方、その頃。

(あー……)

 志騎は露天風呂で、ゆっくりと全身を湯につけながら頭上を見上げていた。こうしているだけで疲れが温泉に溶け出ていくような感覚がして、志騎は思わず眠ってしまいそうだった。まぁ実際に眠ってしまったら温泉に沈み、即起きる事になるのでさすがにそれはしなかったが。

 ちなみに、銀達の会話は全て志騎には丸聞こえだった。男性用と女性用の露天風呂は壁を挟んで隣同士のため、意図しなくても会話が聞こえてくる状態になっている。それでも小声での会話などの場合はさすがに聞こえないだろうが、銀達は結構大きい声で会話をしていたため、自然と志騎の耳に入ってきていた。

 なので、銀の発言にツッコミを入れる事もやろうと思えばできたのだが、訓練の疲れと温泉の気持ちよさもあって今回は行わなかった。まぁそれに、折角温泉に入ってるのに幼馴染へのツッコミでさらに疲れたくないというのもあったのだが。

 温泉に浸かりながら、志騎は自分の腕や体をあちこち見まわす。腕や体には、今までのバーテックスとの戦闘による傷に加えて訓練でできた打撲の跡などが新たにできている。しかし同時に、前よりも体にしっかりと筋肉がついているのが分かった。四日間の合宿は大変だったが、ただ大変なだけではなかった。

 ゾディアックシステムの事を一から学び直す事ができたし、こうして体を鍛える事が出来たし、何よりも須美達と絆を深める事が出来た。それらの事を考えると、この四日間で得たものはとても大きいと言えるだろう。志騎はこの四日間に起きた事を思い出しながら、口元に小さな笑みを浮かべた。

 やがて体を起こすと、できるだけ水音を立てないように静かに露天風呂から出る。

(喉も乾いたし、上がったらいちご牛乳でも飲むか……。そう言えば入り口近くにマッサージ機あったよな……。ちょっと気になってたし、やってみるか……)

 そんな事を考えながら、志騎はゆっくりとした動きで脱衣所へと向かった。 

「----そう言えばさ、刑部姫。昨日言ってたゾディアックストライクって何なんだ?」

「あ?」

 所変わって、女湯。そこでは須美達三人娘に加えて、新たに安芸と刑部姫が露天風呂に浸かっていた。温泉に浸かって機嫌良く鼻歌を唄っていた刑部姫は、銀から突然そんな質問をされて瞬時に不機嫌そうな表情になった。

「いや、別に質問しただけなんだからそんな嫌そうな顔しなくても良いじゃん……。ほら、昨日言ってただろ? ヴァルゴのゾディアックストライクを使ったとかなんとか……。昨日の爆音って、それが原因だったんだよな?」

「ああ……」

 そこで刑部姫も昨日自分が言った事を思い出したのか、何かに気づいたような表情を浮かべていた。そう言えば彼女達にはゾディアックストライクについては何も話していなかったという事を思い出す。刑部姫は面倒くさそうな顔をしていたが、やがて渋々とした口調で説明を始めた。

「ゾディアックストライクは志騎のゾディアックフォームに対応する個々の必殺技の事だ。必殺技と言ってもフォームごとに特色があってな、例えばお前達が最初に見たキャンサーのゾディアックストライクは相手の技を倍増してそのまま相手に返す『キャンサーリフレクト』って具合にな。で、ヴァルゴのゾディアックストライク『ヴァルゴデストラクション』は一番破壊力がある技でな。威力を殺したものの、技の余波で私達まで吹っ飛ばされたってわけだ」

「ちょ、ちょっと待って! 威力を殺したって、あれで!?」

 信じられない、と言うように須美が声を上げた。

 だがそれも当然だろう。何せ爆音が離れた須美達の方まで届き、海水は天高く上がり、砂浜が大きく抉り取られた状態になっていたのだ。あれで威力を殺したとは、到底信じられる話ではない。

「実際あれでも威力を減らした方だ。あまりにも威力が大きすぎるから、被害が比較的少ない海水に向けてぶっ放せと指示したからな。もしも普通に砂浜とかに向けて放っていたら、冗談抜きであの辺一帯の地形は変わっていただろな」

 聞いてみると冗談みたいな話だが、あれだけの破壊力を見せられた後では冗談ではないという事が分かってしまう。刑部姫の言う通り、もしも海水に向けてではなく普通に砂浜とかに向けてゾディアックストライクを放っていたら、地形が大幅に変わってしまっていた事だろう。そしてそうなった場合、大赦の隠蔽作業も非常に大掛かりなものになってしまっていただろう。ついでに、安芸の胃痛も大変な事になっていたに違いない。

「へぇー……。でも良いなぁ! 必殺技って響き、なんだかカッコいいし! あたしも必殺技欲しいなー」

 ついさっきまで必殺技について語っていた銀がそう言うと、刑部姫がはっと馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「モノを考えずに話せるというのは気楽なものだな。そこまで来ると逆に羨ましいぞ、三ノ輪銀。良いか? あれは確かに非常に強力な必殺技と言えるだろう。だがもしも、お前がバーテックスと戦っている最中にあれをやられたら、どうなる?」

 刑部姫からそう言われて、三人はその時の事を頭の中に思い描く。

 あれだけの破壊力を生み出せるという事は、攻撃範囲も半端なものではないだろう。そして銀はバーテックスと近接戦を行っている真っ最中だ。もしもそんな中に、威力・攻撃範囲共に凄まじいヴァルゴのゾディアックストライクを放たれたら、どうなるか。

 その答えが分かった銀は、やや顔を引きつらせながら言った。

「……巻き添えを食らうな」

「そうだ。確かにゾディアックストライクは強力な必殺技だ。だが使いどころを間違えれば味方にも被害が及ぶし、場合によっては昨日の志騎のように自分自身にも何らかの反動が来る可能性だってある。そうならないようにするためには、システムそのものに対しての深い理解、そして一緒に戦う人間との強い信頼関係が必要になってくるというわけだ」

 そこまで言うと、刑部姫は何故か不機嫌そうな表情を浮かべると小声で呟く。

(……私としては、あまりお前達に志騎に深入りして欲しくないんだがな)

「……? ひめちゃん、何か言った?」

「何も言ってない。まぁそういうわけだ。精々仲間割れとかしないように気を付けるんだな。安芸、私は先に出るぞ」

「ええ、分かったわ」

 刑部姫は安芸にそう言うと、ふよふよと羽を動かして露天風呂を出ると一足先に脱衣所へと向かった。

「刑部姫を先に出しちゃって大丈夫なんですか? 旅館の人に見られたら騒ぎになってしまうんじゃ……」

「大丈夫よ。精霊は普通の人には見えないから。見えるのは私達大赦の人間とあなた達勇者だけよ」

 そう言えば確かに、この合宿中に刑部姫は一人で行動する事もたまにあったが、旅館の人に見られて騒ぎになるような事はなかった。須美にはそれが少し不思議だったが、安芸の言う通り普通の人間には見えないという理由ならば納得がいく。彼女の事だから、普通の人間には見えないのを良い事に旅館の中を好き勝手に飛び回っていた事だろう。

「……ねぇ三人共。私からこんな事を言うのはおかしいと思うけれど……天海君の事を、よろしくね」

「え?」

 突然安芸から放たれた言葉に須美と園子が思わずきょとんとすると、安芸は普段は滅多に見せない柔らかな笑みを浮かべながら続ける。

「彼、あんな性格だから分かりづらいと思うけれど、本当はあなた達の事を信頼しているのよ。だから……これからも、彼と友達といてあげて」

 思わぬ言葉に須美と園子は一瞬返答できなかったが、すぐに笑顔で「はい!」と二人揃って力強い返事をした。さらに銀は勢いよく湯船から立ち上がると、自信のこもった笑みを浮かべながら安芸に言う。

「大丈夫ですよ安芸先生! 志騎の事はあたし達に任せてください! あいつは、あたし達の大切な友達ですから!」

「ええ、ありがとう三ノ輪さん」

 銀の言葉に、安芸は微笑みながら言った。

 一方、須美はそんな安芸の態度に少し違和感を覚えていた。

 安芸は生徒思いの性格だが、安芸にとっては志騎は自分のクラスの生徒の一人にすぎないはずだ。それなのに志騎の事を直々に自分達に頼むというのは、少し奇妙に思えたのだ。その姿はクラスの担任の教師というよりも、まるで姉のように見えた。

 とは言っても、それは志騎と安芸の関係を知らない人間の反応としては当然とも言えるだろう。実際、学校でも安芸が志騎の育ての親だという事を知っている生徒は銀ぐらいなので、それ以外の生徒は知るはずもない。なので須美のこの考えはむしろ当然とすら言える。そして志騎と安芸の関係に気付かない以上、須美はその胸の違和感を拭い去る事はできない。

 須美は安芸を見ながら、そんな違和感に思わず内心首をかしげるのだった。

 

 

 

 

 入浴後、合宿最後となる豪勢な食事を済ませ、布団を敷いた須美達三人が部屋でくつろいでいると、枕を抱えた銀が何故か笑顔でこんな事を言ってきた。

「ふふん。お前ら、合宿の最終日に、簡単に寝られると思ってる~?」

「自分の枕を持ってきてるから、簡単に寝られるよ~」

 と、鳥の着ぐるみの形をしたパジャマに身を包んだ園子がデフォルメされた猫型の枕を撫でながらのんびりとした口調で言う。

「それ、名前タコスだっけ?」

「サンチョだよ~、よしよし~」

「……で、園子さん。その服は?」

 彼女が着ている服に銀が控えめに言うと、園子はぴょんと体を勢いよく起こすと両腕をバタバタバタ! と派手に動かした。

「鳥さん~! 私焼き鳥好きなんよ~!」

「うん、旨いよね……」

 鳥が好きなのに焼き鳥が好きとはどうなのだろうとは思うが、それはあえて口には出さない。きっと見るのも好きだし、食べるのも好きだという事だろう。

 と、二人がそんな漫才めいたやり取りをしていると、園子と同じように布団に寝転がっていた須美が身を起こした。

「とにかく駄目よ! 夜更かしなんて」

「マイペースだな須美……」

「言う事聞かない子は、夜中迎えに来るよ……?」

「む、迎えに来る~!?」

 両手をだらりと下げたわざと低い声音で言った処からすると、須美が言っているのは幽霊の類かと思うが、何故か半泣きの園子が連想したのはゾンビだった。まぁ幽霊にしてもゾンビにしても、両者ともまだ小学生にとっては恐ろしいものなので脅しとしては十分だろうが。

「そんなホラーはやめて、好きな人の言い合いっこしようよー」

 と、突然の恋話に二人の視線が銀に向くと同時に頬がうっすらと赤く染まる。どうやらいつもは生真面目な須美とのんびりとした園子でも、色恋に対する興味などは普通の女子と何ら変わりないらしい。少し照れた口調になりながらも、須美が銀に尋ねる。

「好きな人って……三ノ輪さんはどうなの?」

「あえて言うなら……弟とか!」

 と、須美の質問に銀は胸を張って答えた。

「家族はずるいよ~」

「私もいないから、おあいこね。乃木さんは?」

 須美が尋ねると、何故か園子はふっふっふーと意味深に笑ってから答えた。

「私はいるよ~」

 その言葉に、須美は「えっ!?」と驚きの声を上げ、銀は「おおー!」と歓声を上げる。好きな人の言い合いっこという提案をした銀だったが、園子に好きな人がいるというのは意外だったらしい。

「コイバナ来たんじゃない!?」

「だ、誰!? クラスの人!?」

「うん! わっしーとミノさんとあまみん!」

「だと思ったよ……」

 だが、園子の口から出たのは自分達の名前と志騎の名前だった。志騎は男性だが、園子の口調からすると異性としてではなく、友人として好きである可能性が非常に高い。いや、園子の性格からして絶対にそうだろう。ある意味予想通りと言えば予想通りの答えに銀と須美はがっくりとうなだれた。と、二人がうなだれていると園子が何故か「う~ん」と何かに悩んでいるような声を上げた。

「どうしたの? 園子」

「あまみんって、好きな人いるのかなって思って~」

「天海君に?」

 そう言われると、確かに気になる。いつも冷静で色恋などにまったく興味がなさそうな志騎に、好きな人がいるのだろうか? 気になって須美と園子が視線を向けたのは、やはりというべきか幼馴染の銀だった。彼女はうーんと園子と同じように悩むような声を出しながら、

「たぶん、いないと思うぞ? あいつからその手の話を聞いた事はないし」

「そうなんだ……。じゃあ、天海君も好きな人は……」

 と、須美の言葉が途中で止まった。何故なら、園子が先ほどと同じように何かを考えているような表情を浮かべながらうんうんと唸っていたからだ。やがて園子は銀に視線を向けると、彼女にこんな事を言った。

「ねぇミノさん。あまみんって、ミノさんの事好きだったりしないのかな~」

「……えっ?」

 園子の突然の発言に銀は思わずぽかんと目を丸くするが、次の瞬間面白い事を聞いたと言うようにぷっと噴き出した。

「あはははは! ないない! きっとあいつにとってあたしは、手のかかる姉みたいなもんだよ。今までずっとそんな感じで過ごしてきたし」

「じゃあ、ミノさんは? ミノさんも、あまみんの事弟みたいに思ってるの?」

 だが納得がいかないのか、園子はぐいぐいと銀に攻めていく。やけに攻めていく彼女の姿が須美にとっては少し印象的だったが、銀の方は質問に答えるのに意識が向いているせいかその事に気付いている様子はない。銀はうーんと腕組みをしながら考え込み、

「……そうだなぁ。あたし達、結構一緒に過ごしてきたし。どっちかって言うと、家族みたいな感じかな。それはきっと志騎も同じだと思うよ。だから、異性として好きかって言われるとちょっと分かんないなぁ」

 それは今まで幼馴染として過ごしてきたがゆえの弊害だろう。小説やドラマなどでは、幼馴染のカップルは大抵物語の初期では家族のような関係で過ごしてきたがゆえに、互いに対する異性としての好意を自覚できていない場合などが大半である。物語が進めばその好意を自覚し関係を発展させていく事もあるが、そうはならずずっと幼馴染としての関係を保ったままの場合もある。とは言っても今の志騎と銀の様子を見てみるとどちらの道もあり得そうなので、二人がずっとこのままなのか、それとも今の関係を発展させるかはまだ断言はできない。

「てか、勇者の恋愛模様がこんな感じで良いのかねぇ……」

 銀がまったく色気のない自分達の恋話に沈んだ声を出すと、須美がぐっと拳を握りながら強い口調で言う。

「良いのよ! 私達には、神聖なお役目があるのだから! 明日も励もう! 安芸先生も言ってたでしょ! 家に帰るまでが合宿よ!」

「へーい」

「消灯!」

 須美の声を合図にして、天井の電灯が消される。そして三人は暗闇と疲れで瞼がどんどん重くなり、やがて夢の世界へと旅立っていく……はずだった。

「へっ!?」

「なんだこれ!?」

 驚愕の声を出す須美と銀の視線の先には、暗くなった天井に浮かぶいくつもの星々の輝きがあった。無論天井は普通のものであり、四国の夜空を映し出すような非常にハイテクノロジーの技術で作られたものでは決してない。となると、原因は恐らく残り一人の勇者によるものだろう。その勇者はうつ伏せになり、眠たそうに眼を閉じながら言った。

「プラネタリウム~」

「何故ここに……?」

「奇麗だから持ってきたの~」

「消しなさい!」

「しょぼん~」

 須美の言葉に、園子は文字通りしょぼんとした様子を見せながら持ってきたプラネタリウムの電源を消す。

 そしてようやく三人は、夢の世界へと旅立っていくのだった。

 

 

 

 

 

 翌日。旅館の前には来るとき同様、四人のための貸し切りバスが止まっていた。が、そのバスの中にいるのは運転手を除くと、初日と同じように二人だけだった。

「む~……!」

「すぴー、すぴー」

 その二人とはもう言わずもがな、眉をひくつかせる須美と鼻提灯を膨らませて幸せそうに眠る園子の二人だった。もうここまでくるとデジャビュを感じさせる。そして当然の如く、須美は初日と同じようにこう言った。

「遅い!」

 と、とその言葉の直後、荷物を持った銀と志騎がバスに入ってきた。志騎はむすっとしたやや不機嫌そうな表情を浮かべ、銀は頭を軽く掻きながら須美に言った。

「ごめんごめん! 野暮用で……」

「野暮?」

 須美に怪しそうに見つめられながら、志騎と銀はバスの席に座った。志騎が何やら文句を銀に言った後、右手で軽く銀の後頭部を小突き、銀は悪い悪いと言いながら志騎に謝る。

(な~んか、怪しい……)

 野暮用と言って遅れる銀を怪しむが、当然その考えは口には出さない。仮に口に出したと言っても、銀と志騎が正直に話してくれるとは思えないからだ。

 こうして、四人を乗せたバスは彼らの街へと戻るのだった。

 数日後。

 合宿を終えた四人は神樹館へと通う通常の生活へと戻っていた。今教室には須美と園子、そして志騎がクラスメイト達と一緒に席に座って安芸先生からの連絡を聞いている。だが、四人の勇者のうち一人だけこの教室にはいなかった。

 やがて廊下の方からドタドタドタ! と何かが走ってくる音が聞こえてきたかと思うと、次の瞬間少女----銀が教室のドアを開けて勢いよく入ってきた。

「ギリギリセーフ!」

「セーフ、じゃありません」

「すいません……」

 だが当然遅刻のため完璧アウトだったので、銀は待ち構えていた安芸に出席簿で軽く頭を叩かれた。それを見て志騎が頭を抱え、クラスメイト達が笑う中で、須美は遅れてきた銀について考える。

(三ノ輪さんは遅刻が多すぎるわ……。でも理由を話そうとしないし……何か事情があるのかもしれない)

 須美がそんな事を考えながら銀に視線を向けていると、なんと銀の背負っていたランドセルから猫の頭が飛び出した。

「(うわ~っ! こら! ダメだって!)」

 慌てて銀が小声で言いながら、隠すかのように猫に覆いかぶさる。その声が少し大きかったため周りの生徒達の視線が銀に向けられるが、間一髪というべきか生徒達が猫の存在に気付く事はなかった。猫を連れてきた銀に目を丸くしながら、須美の中の銀への疑問がますます膨らんでいく。

(何故猫……!? 怪しすぎる……!)

 そして須美は、心の中である事を決意し、ぐっと拳を固く握りしめるのだった。

 



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第七話 三ノ輪銀をサーチしろ!

志「『香川に住む勇者であり普通の少年、天海志騎はてぇんさい美少女精霊の刑部姫、そしその他の勇者の少女達と一緒にバーテックスと戦うお役目をこなしながら日々を過ごしていた。そんな日、彼は同じ勇者である鷲尾何某からある誘いを受け……』ってなんだこのさらりと悪意がこもった文章は」
刑「はっ、あいつらなどその他と何某で十分だ。本来なら名前を覚えるのも嫌なんだ。脳の容量がもったいない」
志「お前本当に嫌な奴だな」
刑「ははっ、安芸からもよく言われた。さて、このままだと前置きが長くなるのでさっさと締めるとしよう。第七話、張り切って行ってこい!」
志「はいはい」


「ここが三ノ輪さんの家ね」

 日曜日の午前。鷲尾須美はクラスメイトであり同じ勇者であり銀が住む家の前にいた。とは言っても須美が銀の家の前にいるのは遊びに来たからではない。

 前から思っていた事だが、彼女はどうも遅刻の回数が多すぎる。それなのに理由は須美達には話さず、ただ野暮用とだけ言ってかわしている。それが本当に野暮用ならば良いのだが、もしも何か重要な理由があって授業に遅れているのならば、自分だけではなく彼女も安心してお役目に打ち込む事ができるように何らかの対策を練らなければならない。その理由を知るために、須美は銀の家へと来たのだ

 そして、今この場にいるのは須美だけではない。

「なぁ、鷲尾。何で俺まで付き合わされてるんだ? おまけに乃木まで……」

 不満げな口調で言ったのは、須美の右隣にいる志騎だった。さらにもう一人、園子も須美の左隣におり、初めて見る銀の家に楽しげに見つめている。

 志騎は本来ならば家にいるはずだったのだが、突然家に須美と園子が訪問してきて、理由はあとで話すから一緒に来てほしいと言われたのだ。何が起こっているかさっぱり分からなかったが、もしかしたら何らかの緊急事態が起こっているのかもしれないと思い、普段着から外出用の私服に着替えて二人についてきたのだが……連れてこられた先がまさか幼馴染の家だとはさすがの志騎も予想できなかった。

「天海君には悪いけれど、協力してもらうわよ。同じ勇者だし、何よりも三ノ輪さんの幼馴染のあなたなら三ノ輪さんの事をよく知ってるんじゃないかと思って。何か分からない事があったら、助言をよろしく頼むわ」

「だったら、別に俺が銀の事を後で教えるって形でも良いんじゃないか?」

「駄目よ! きちんと私の目で見ないと納得できないわ!」

「………」

 頭が固いというか、生真面目というか。固い決意を秘めた目で言う須美に、志騎は肩をすくめながらため息をついた。それから園子に視線を向けて「で、お前は?」と尋ねる。

「よく分からないけど、ミノさんのためなら私も頑張る~!」

 恐らく彼女は須美からあまり深い事情は聞かされていないだろう。だが友達のため、と言われれば彼女は喜んでその力を貸す。大切な友達のために一生懸命頑張る、それが乃木園子という少女だからだ。

 志騎はそれを聞いて再びため息をついた。どうやら彼女達の気が済むまで付き合うしかないようだ。

「……分かったよ。協力する」

 半ば諦め気味の志騎の言葉に、須美は満足げな笑みを浮かべた。

「ありがとう。じゃあ早速様子を……」

「ピンポンダッシュ~?」

「そんな恐ろしい真似は駄目よ!」

 何故か楽し気な口調で言う園子に須美が慌ててツッコミを入れた。軽いイタズラとして見られる事もあるかもしれないが、ピンポンダッシュはれっきとした犯罪行為である。仮にこの場で行い、しかもそれを行ったのが名家のお嬢様である須美と園子であるとバレた場合、面倒な事になるのは火を見るよりも明らかだ。ついでに志騎も育ての親である安芸から大目玉を食らうのは間違いないだろう。

 須美は三ノ輪家を囲う生垣の前にしゃがみ込むと、背負っていた細めのケースを地面に置いた。形としては望遠鏡を入れておくケースに近いが、あれよりも長さは短い。彼女に続いて志騎と園子もしゃがみ込むと、須美はケースから何かを取り出しながら、

「こっちにしましょう。こんな事もあろうかと持ってきたの」

「おー、本格的~」

「……いや、ちょっと待て。何で持ってきたんだ? 下手するとこれ、ピンポンダッシュと同じぐらいやばいような気がするんだが……」

 須美が取り出した物を見て園子が感嘆の声を上げ、反対に志騎は顔をひきつらせた。

 彼女が取り出したのは潜望鏡だった。何故彼女がそんな物を持っているのかが分からないし、おまけに潜望鏡の扱いにもまったく淀みがない。いや、それよりも潜望鏡を使って三ノ輪家を見ている今の須美の姿は第三者から見ると完璧に危ない人である。まだ小学生とはいえ、警察に通報されても文句の言いようのない姿だ。いざという時には、自分がどうにか目撃者に何か上手い言い訳をしなければならないかもしれないと志騎は本気で思った。そんな志騎をよそに、須美は潜望鏡の上部のレンズを生垣の上まで伸ばし、三ノ輪家にいるであろう銀を探す。

 そんな須美の姿を志騎が不安げな表情で見守っていると、三人の耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「----おい泣くなー。お前はこの銀様の弟だろー? ほら泣くなって。泣いて良いのは、母ちゃんに預けたお年玉が返ってこないって悟った時だけだぞ。ああ、ぐずり泣きが始まってしまったー……」

 それは紛れもなく銀の声だった。園子と志騎がそれぞれの目の前にあった生垣の隙間を覗き込むと、家の縁側でまだ小さい赤ん坊をあやす銀の姿が二人の目に入ってきた。銀は泣きそうな赤ん坊に困りながらも、ガラガラを取り出して赤ん坊の前で振る。するとそれにようやく赤ん坊は笑顔を見せ、目の前で振られるガラガラに向かって嬉しそうに手を振った。

「おー泣き止んだ! 偉いぞマイブラザー。まったく、甘えん坊な弟だよな。大きくなったら舎弟にしてこき使おう! おっ! お前はうちに慣れたか?」

 言葉とは裏腹に優し気に弟を抱きしめた銀の視線の先には、とことこと歩く猫の姿があった。と、そんな銀に家の中からまだ幼い少年の声がかけられた。

「ねーちゃん買い物はー?」

「はーい! ちょっと待ってねー!」

 かけられた声に返事をすると、銀は弟を抱いて声のしてきた方へと歩いて行った。

「ふわぁー! ミノさんワンダフルー! 子守とかお手伝いとかしてるよー!」

「あんな小さな弟達がいたのね……」

「ああ。あの赤ん坊は金太郎。つい最近生まれたばかりの銀の弟だ。さっき聞こえてきたのはきっと長男の鉄男だな」

 さすがは幼馴染というべきか、三ノ輪家の家族関係に詳しい。すると、それを聞いていた園子が志騎に尋ねた。

「あまみんが知ってるって事は、やっぱり弟さん達とも話した事あるの?」

「まぁそれはな。あいつんちとは俺が引っ越して来てからの仲だし。まだ鉄男が赤ん坊の頃から家に来てたりしてたから、もうすっかり顔馴染みだよ。今でもたまに来るけど、そのたびに鉄男からは一緒に遊んでってせがまれるし、ついでに銀からは金太郎の世話を頼まれたりするし」

「ほほ~、家族公認の仲って奴ですな~」

 ふふふふふ、と何故か意味深な笑い方をする園子に志騎は半眼になりながら「変な言い方をするな」とツッコミを入れる。すると、一部始終を見ていた須美がこんな事を呟いた。

「世話が大変という事なのかしら……」

 一番下の弟である金太郎は当然赤ん坊なので子守などは大変だろうし、それに加えて買い物などのお手伝いもこなしている。となると、やはりそれが学校での遅刻などに繋がってしまっているのだろうかと須美が思っていると、須美の呟きを聞いていた志騎がこんな事を言った。

「それだけで済むならまだ良かったんだけどな」

「……? どういう意味?」

「じきに分かるよ。さ、あいつ買い物に行くっぽいし、こっそりついていくぞ。途中でばれない様に気をつけろよ」

「大丈夫! 尾行ならこの園子にお任せあれ~」

「いや、悪いけどお前にだけは任せられないわ」

「そうね、乃木さんが尾行をしてたら100メートル先からでも分かる自信があるわ」

「しょぼ~ん」

 二人からの容赦のない言葉に園子はへこむが、それが二人の正直な意見である。もしも園子が尾行をしようとしたら、世界で一番有名な某名探偵の服装をして尾行しそうである。しかもご丁寧に新聞紙とパイプ型のタバコを持って。無論そんな恰好をしていれば周囲から悪目立ちする事間違いなしなので、志騎と須美の言葉はあながち間違いではないと言えるだろう。

 そんなやりとりをしながら三人は買い物鞄を持った銀が家から出てきたのを確認してから、彼女に見つからないように一定の距離を保って尾行を開始した。

 それからしばらく歩いていると、唐突に須美が志騎にこんな事を尋ねてきた。

「そう言えば天海君。天海君のご両親って、どんなお仕事をしているの?」

 須美が尋ねたのは、四人の勇者の中で志騎の家庭の事情がいまいちはっきりしていないからだ。

 須美と園子の家族は健在だし、銀の家も今見てきた通りだ。だが志騎の家だけは彼自身があまり口にしない事もあって、天海家がどんな家なのかよく分からない。

 そして何よりも気になるのは、その天海家で育った天海志騎という人間の事だ。こう言っては何だが、志騎は神樹館の生徒達の中では毛色がやや違う。そもそも神樹館は神樹の名を冠するだけあって小学校の中でもレベルが高く、当然そこに通う生徒達も質が高い、いわゆるお坊ちゃまとお嬢様が揃う学校である。だが志騎は見た感じそういった感じの生徒ではない。もちろん全員が全員お坊ちゃまお嬢様というわけではないが、それでも志騎がそれに当てはまらない少数派の生徒達の中でも珍しい存在である事は間違いないだろう。

 その理由は、彼の特徴でもある水色がかった白髪だ。実はまだ神樹館に入学したての頃、初めて志騎を見た生徒達はあまりに特徴的すぎるその髪を見て、彼が髪を染めているんじゃないかと思い込み志騎に話しかける事を避けていたのだ。幸いにも神樹館の生徒達はおっとりしている性格の持ち主が多いため、それが原因で志騎がいじめられるような事はなかったが、そのような事情のため当初は学校の中でも浮いた存在になっていた。最終的には幼馴染の銀が友達に志騎の髪の毛は地毛である事を話しそれが広まった事に加え、神樹館の教師である安芸が銀と同様の説明を生徒達に広めてくれたおかげでその噂は無くなり志騎も入学当初よりはだいぶ学校に溶け込めるようになったものの、今でもたまに事情を知らない下級生などからはその髪を悪意のない好奇心から見られる事がある。

 なお、髪の色を黒く染めてしまうという手段もあるにはあるがそうなったらなったでやはり染めているだの染めていないだの、何故染めているのかなどの噂が出てくる可能性が高く、それらの可能性を考えたらキリがないため志騎はもうこの髪は染めないでおこうと心に決めている。

 と、つまりはそんな事情のため志騎は名家のお嬢様である須美や園子、明るいムードメーカー的な存在である銀とはまた別の意味で目立つ生徒なのだ。そんな彼が育った天海家はどんな家なのか、彼の両親はどんな人物であるのかが気になるのは、同じ勇者であり友達である須美からしては至極当然と言えるだろう。話を聞いていた園子も、志騎の家族構成に興味津々なのか「そう言えばそうだね~」と言いながら志騎の顔を見つめている。

 だが、そんな二人に対する志騎の言葉はやや素っ気ないものだった。

「んー、知らね」

「知らないって……それって、具体的にはどんなお仕事をしてるか分からないって事?」

 聞いてみればあまりに無関心すぎるような気がするが、もしかしたらまだ志騎には理解できないような仕事をしている可能性もある。志騎もまだ小学六年生なので、聞いただけでは分からない仕事もあるにはあるだろう。

 と、須美はそう考えていたが、どうやらそれも違うらしい。志騎は手をひらひらと振りながら、

「あー、違う違う。そういう意味じゃない。本当に分からないんだ

 

 

 俺、親いないから」

 

 

 

「え?」

 志騎の口から放たれた予想外の言葉に、須美は思わずそんな声を出した。見てみれば園子もその答えは予想できなかったのか、口をぽかんと開けて目を丸くしている。志騎は何故二人がそんな表情をしているのか分からない様子だったが、やがてその理由にたどり着いたらしい。「ああ」と何かを察したような声を上げてから、

「そう言えば、お前達にはまだ話してなかったな。俺自身よく覚えてないんだけど、俺がまだ赤ん坊の時、かなり重い病気にかかったらしくな。もうほんとすぐに治るってレベルじゃなくて、何年もかけて治さなきゃならないほどだったらしい。それでずっと病院の治療室にいたんだと」

「その……ご両親は?」

「父親の方は俺が生まれてからすぐに姿を消したらしい。母親の方はしばらく病院にいる俺に会いに来てたりはしてたらしいけど、俺の病気がどれだけ経っても全然治らなかった事が嫌になったらしくて、俺を病院に置いたまま家族と一緒にどこかに引っ越したって聞いた」

「そんな………」

 志騎の口調は淡々としたものだったが、要するに彼の母親は重い病気にかかっていた赤ん坊の志騎を見捨ててどこかに去っていったのだ。母親としても、人間としても許されて良い行為ではない。

 すると、衝撃的な内容に目を見開いていた園子が志騎に尋ねた。

「その後、あまみんはどうなったの? 病院の治療費とかあるよね?」

「安芸先生が……正確には、安芸先生の家族が出してくれたんだよ」

「安芸先生が?」

 これまた予想外の人物の名前に、須美が目を丸くする。志騎は頷きながら、

「なんでも安芸先生は俺の母親と友人だったらしくてな。母親が去った後、いくら姿を消したとはいえ友人の息子を放っておけないって事で家族をどうにか説得して治療費とかを出してくれたらしい。何回か意識があった事はあるらしいんだけど、ある時を境に意識が全然ない状態が続いたらしくて、ようやく病気が完治して意識が戻ったのかちょうど六年前だったんだ」

「六年前って……天海君が六歳の時?」

 六年前と言ったら、ちょうど志騎が神樹館に入学してきた年だ。志騎は歩きながら、その時の事を先ほどと同じように淡々と二人に話した。

「目覚めた時の事はよく覚えてるよ。……真っ先に目に飛び込んできたのは、親の顔じゃなくて病院の白い天井だった。病気のせいかそれ以前の記憶が全然無くてな、自分の名前すらも分からなかった。そんな俺に声をかけてきたのが病室にいた安芸先生だったんだ。初めましてって挨拶して、俺の名前を教えてから俺に何があったのかを説明した後に、これから一緒に住む事を一方的に言ってきてさ。まぁ、家族がいなくなった俺に選択権なんて無かったから、むしろ助かったんだけど。で、病院を退院してから早速今の家に引っ越して、銀の家族と知り合って神樹館に入学して、今に至るって感じだな」

「……もしかして、その髪の色も?」

「ああ。俺も前に気になって安芸先生に聞いたら、そうだって言ってたからそうなんだろうよ」

 予想以上の志騎の過去に、須美は何も言えなくなってしまった。そして同時に、合宿の時に引っ越してくる前はどこに住んでいたのかを聞いた時に志騎が言葉に詰まったのもなんとなく分かるような気がした。

 彼は病気のせいで病院で目覚める以前の記憶がないと言った。自分が生まれたのは本当にその病院だったのか、本当に香川県で生まれたのかもきっと分からない状態だったに違いない。志騎の治療費とかを出してくれた安芸先生ならばある程度は知っていたかもしれないが、それでも彼の出身地などをきちんと把握しているのはそれこそ彼を置いて姿を消した母親のみの可能性が高い。

 と、そこで園子がある事に気付いたのか志騎に尋ねた。

「ねぇあまみん。安芸先生がこれから一緒に住むって事を伝えてきたって事は、あまみんは今も安芸先生と一緒に住んでるの?」

「そうだ。その事についても安芸先生が親を説得してくれたらしくて、俺を引き取ってくれてからずっと一緒に暮らしてるよ。……だから、正直あの人には頭が上がらない」

 それは間違いなく志騎の本心だろう。安芸家はれっきとした大赦の家系の一つだ。鷲尾家や乃木家には及ばないものの、それなりの財力は持っている。しかしそれだけの財力を持っていても、子供一人を育てるのにはやはり手間がかかるし、何よりも安芸はまだ若い。その彼女が安芸家の援助があったとはいえ、まだ子供だった志騎を育てるのには苦労があっただろう。それでも彼女は志騎を見捨てる事無く育て続けてきた。志騎にとってそんな安芸は、育ての親であると同時にどれだけ感謝しても仕切れない恩人であるのだろう。

 そして、合宿の時に安芸が須美達に志騎の事を頼むような事を言ってきたのも分かった。彼女にとっては志騎は自分の生徒の一人であると同時に、自分の家族のような存在なのだ。彼の事を心配して、須美達にあんな事を言ったのも無理はないだろう。いくら学校では厳しい先生としての面を見せているとしても、彼女も一人の人間なのだから。

 だが、そこまで聞くとある疑問が浮かび上がってくる。須美は恐る恐る、志騎にその疑問をぶつけた。

「ねぇ、天海君。気を悪くしてしまったら申し訳ないのだけれど……。天海君は、お母様とお父様を恨んでる?」

 正直言ってここまで話を聞いた限り、志騎の母親と父親に対する須美の印象は悪いと言わざるを得ない。何せ、父親の方は志騎が生まれてからすぐに姿を消し、母親は親である責任を放棄して病に苦しんでいる赤ん坊の志騎を見捨てて家族と一緒にどこかに逃げたのだ。安芸の親が志騎の治療費を肩代わりしてくれたから良いものの、一歩間違えれば適切な治療を受けられず志騎はそのまま死んでいた可能性だってあるのだ。目の前の少年が直接目にした事の無い両親を恨んでいても仕方がないとすら言えるだろう。

 だが、この質問は志騎の心にさらに踏み込んでしまう質問である。だから志騎に睨まれて仕方ないとすら思っていた須美だったが……、当の本人から放たれたのは、また意外な言葉だった。

「いや、別に」

「……え?」

 あまりにもあっさりと放たれたその言葉に、須美はおろか園子ですらもぽかんとした表情を浮かべる。志騎は怪訝な表情を浮かべながら、

「正直、顔も覚えてないしな。そんな人間を恨んでるか? と言われても正直ピンとこないし。まぁ子供を捨てた事については思うところがないわけじゃないけど、正直仕方ないって思う」

「仕方ないって……天海君、あなたのご両親はあなたを見捨てて消えたのよ!? それのどこが仕方ないの!?」

 志騎の言葉に、須美は思わず声を大きくしてしまう。周りの通行人の何人かと園子が驚いた表情を須美に向けるが、幸い前を歩く銀には聞こえなかったらしい。

 一方、志騎は何故か困ったような表情を浮かべながら、

「あのなぁ、考えてもみろよ。安芸先生は今25歳だ。で、その友達なら大体同年代ぐらいだろ? そして俺が今12歳だから、単純計算すると俺の母親が俺を生んだのは13歳ぐらい、今の俺達とそんなに歳が変わらない。そんな奴が子供を妊娠して産んだってだけでも大変なのに、育てるのはさらに大変だろ。しかもそんなに若いのに妊娠したって事は、たぶん何かのはずみかなんかで俺を妊娠したって事だ。知らない内に妊娠して出産までした子供が重病にかかって意識不明の状態になったら、現実に耐え切れなくて、子供を置き去りにして逃げても仕方ない事だろ」

「それは……そうかもしれないけど」

 志騎の言葉に須美は思わず頷くが、どうも納得がいかない。それは園子も同じなのか、須美と同じように浮かない表情をしている。

 確かに話だけ聞いていれば仕方のない事なのかもしれない。だが、だからと言って子どもを置き去りにしてどこかへと消えるのはやはり許される行為ではないし、仕方のないという言葉だけで済まされる話ではない。

 だが、何よりも一番分からないのは捨てられた当の本人である志騎だ。捨てられたのは間違いなく彼自身のはずなのに、彼の口調はまるで自分とは違う誰かの事を話しているかのように淡々としたものだった。その口ぶりや表情には怒りや悲しみなどといった感情はない。ただ自分の身に起こった事を、何の感情もこもっていない声音で話している。まるで過去に起こった歴史を訪れた人々に伝える、歴史博物館の機械音声のように。

 それが須美と園子には、ひどく奇妙に見えた。

「……おい、二人とも。ぼけっとするな。銀に置いて行かれるぞ」

 そう言って志騎は遠ざかっていく銀との距離を詰めるように早足で歩いていく。須美と園子は一瞬顔を見合わせるも、すぐに志騎と同じようにやや早足で彼の跡をついていくのだった。

 そんな事をしながら三人が近くにあった街路樹の陰に隠れて銀を観察していると、園子が唐突に声を上げた。

「あ! わっしー、あまみん見て見て!」

 彼女が声を上げたのは、銀の行動に変化があったからだ。銀は近くのベンチに座り込んでいたおじいさんに声をかけられたのか、おじいさんの方に歩み寄るとその手を引いてどこかへと歩いていく。

「道を尋ねられたのかしら?」

「そうっぽいな」

 そして銀がおじいさんに道を案内してあげ、ようやく買い物の再開かと思われたその時、今度は女性に道を尋ねられていた。銀が先ほどのおじいさんと同じように女性に道を教えると、女性は丁寧なお礼を言って去って行った。

「まただわ」

「ミノさんやさし~」

 だがそれからも、銀の人助けは続いて行った。

 ある時は倒れていた自転車を起こし。

 ある時は飼い主の手から離れた犬のリードを掴んで犬が走り去ろうとするのを防ぎ。

 こんな感じで、銀の行く先々で何故か何らかのトラブルが発生していた。

「ミノさんて事件に巻き込まれやすい体質なんだね」

「あいつは昔からあんな感じだ」

 トラブルに巻き込まれる銀を見て呟いた園子に、同じように様子を観察していた志騎が付け加える。

「んー、これも、勇者だからかしら」

「それは関係ないと思うがな、俺は」

 そしてついに買い物の目的地であるイネスにたどり着いた銀はその中へと入っていき、三人も続いて中に入っていく。

 が、イネスの中に入っても銀は迷子や子供同士の喧嘩など、様々なトラブルに巻き込まれ続けた。だがそれらに直面するたびに、銀はその場から立ち去ったりせずそれらのトラブルを次々と解決していく。

「巻き込まれてるっていうか、放っておけないのね……」

「言っただろ、あいつは昔からあんな感じだ」

 購入したたくさんの果物を落としてしまった女性の手伝いをする銀を見ながら須美が呟き、先ほどと同じように志騎が言う。するととうとう見ていられなくなったのか、須美は潜望鏡をケースに入れて、

「もう、見てられないわ。三ノ輪さん!」

「ん……? 須美に志騎!?」

「よぉ、銀」

「園子もいるんだぜ~」

「手伝うわ」

「ふぇ、え!? なんでお前ら……!?」

 どこからか現れた三人に当然の如く銀は驚くが、三人は理由はあとで説明する事を話してから銀と一緒に落ちてしまった果物を回収していく。 

 その後、果物を全て回収し終えて女性と別れた四人はフードコートで昼食を取る事にした。ちなみに注文したのは銀がチキンと皮つきポテト、園子と須美がうどん、志騎が味噌ラーメンだった。志騎は香川県民でありながら、何故か昔からラーメンが好きなのだ。

「じゃあ、三人共家の前から見てたっての!? うえ……なんか恥ずかしいなそれ……」

 切り分けたチキンをむぐむぐと食べながら銀が俯いて言うと、うどんを食べていた園子が明るく笑いながら言う。

「恥ずかしくなんてないよ~。偉いよ~」

「いつも遅れる理由はこれだったのね。でもたまに天海君も遅れてくるって事は、天海君も三ノ輪さんを手伝ってあげてたのね」

「巻き込まれたって言う方が正しいけどな」

 むぐむぐとラーメンの具である卵を食べながら志騎がそう返す。実際学校に遅れる事はないが、それ以外、つまりプライベートなどで銀と一緒にいると今のようなトラブルに巻き込まれて彼女と一緒に解決するという事がたびたびあった。なので本当ならばその事を二人に伝えるべきだったのだろうが、須美から自分の目できちんと見て確認すると言われた以上はその通りにするしかない。言葉通り、彼女自身の目で見なければ納得しないだろうと思ったからだ。聞く人次第では真面目過ぎる、と思われるかもしれないが、ちゃんと自分で見て確認したいと思い行動する須美の性格そのものは、志騎は嫌いではなかった。

「でもああいう事情があるなら、言ってくれれば良いのに~」

 すると園子の言葉に、銀は苦笑を浮かべながら、

「それは何か、他の人のせいにしてるみたいで……。何があろうと遅れたのは自分の責任なわけだしさ。だからいつも志騎には口止めを頼んでるんだよ」

「あまみんも言ってたけど、昔からそうなの?」

「ついてない事が多いんだ……。ビンゴとか当たった事無いもん」

「そういや確かに、お前がそういうのに当たったの見た事無いな」

 とほほー、と銀は口に出して言うが、次の瞬間その表情が険しいものに変わった。

 その理由は三人にもすぐに分かった。四人の周りで日常を過ごしていた人々の動きが、一斉に止まったのだ。まるで、時間の流れが急に停止したかのように。

 その直後、大橋にある大量の鈴が一斉に鳴り出した。

----バーテックス襲来の合図だ。

「ほらな。日曜台無し」

「ま、休日に攻めてくるのはある意味合理的だな。バーテックスも中々頭が回る」

「何感心してんだよ」

 そんな漫才めいたやりとりを交わす二人の前で、須美は表情を引き締めるとスマートフォンを取り出す。

(今度こそ、私が……!)

 そして樹海化が発動し、一面が巨大な蔦と根で覆われた世界の中で、三人の少女達は勇者システムのアプリを起動し、舞い散る花弁に包まれながら勇者へと変身した。

 それを見た志騎もスマートフォンを取り出して、三つのアプリのうち一つをタップすると志騎の腰にブレイブドライバーが花びらと共に出現する。さらに雛菊の形をした紋章のアプリを起動すると、スマートフォンから女性の機械音声が流れる。

『Brave!』

 音声と共にブレイブドライバーの装置から前方に光線が照射されると、そこに志騎が変身するのに必要となる術式が展開する。ベルトから変身待機音が流れる中、両腕を軽く広げて体の真上で交差させてから両腕を軽く前に突き出すと、ベルトから再び音声が流れた。

『Are you ready!?』

「変身!」

『Brave Form』

 スマートフォンを顔の近くまで近づけ、音声に答えるように叫びながらに画面に表示された紋章をベルトの装置にかざすと、術式が志騎の体を通過し、純白の花びらが舞い散る中で志騎は勇者へと変身した。

 四人が変身を終えると、すぐに結界を超えてきたバーテックスの姿が四人の視界に入った。

「来たわ……」

 須美の言葉と共に、志騎は腰のブレイブブレードを抜きながらバーテックスの姿を観察する。

 今まで見てきたバーテックス同様その体はかなり巨大だが、何よりも目立つのはまるで角のような形をした四本の突起だ。突起はバーテックスの本体部分と太い紐状のもので繋がれており、その四本の突起は四本とも下を向いている。そのせいで、見方によってはその突起がバーテックスの体を支える足のように見えた。

「ビジュアル系なルックスしてるなぁ……」

「まずは私が、これで様子を見る……!」

 須美が弓に矢をつがえてバーテックスに放とうとした、その時だった。

 バーテックスが樹海の蔦にその突起を突き刺したかと思うと、次の瞬間四人を強い揺れが襲った。そのせいで銀達三人に加え、攻撃態勢に入っていた須美も体勢を崩されてしまう。

「きゃっ!」

「わわっ! なんだなんだなんだ!?」

「あの敵のせい~!?」

 よく見てみると、樹海に突き刺さった突起はかなり強めの振動を地面に与えていた。恐らく地面にあの突起を突き刺し、さらに突起そのものが振動する事で強烈な地震を周囲に与えているのだろう。直接的な攻撃力はないものの、これでは体勢を崩されてバーテックスに攻撃を加える事ができない。

 そんな地震の中、須美はどうにか立ち上がると再び弓に矢をつがえてバーテックスに狙いを定める。

(こ、今度こそ……!)

 が、その時須美の脳裏に先日のバーテックスとの戦いで自分が放った矢がバーテックスにあっけなく吹き飛ばされる光景が映し出された。もしも前回と同じように、自分の矢があっさりと吹き飛ばされてしまったら? そんな不安が須美の心を支配していくと共に焦りがじわじわと広がっていき、須美の体に余計な力が入っていく。

(今度こそ……!)

 だが焦りと不安に支配されかけていた須美の肩に、銀の手がポンと優しく置かれた。

「落ち着けって須美」

「三ノ輪さん……」

「私達と一緒に、倒そう」

「乃木さん……」

 柔らかな声をかける二人に続いて、志騎も須美の顔をまっすぐ見つめて言う。

「何のために合宿をやったか思い出せ。お前は一人で戦ってるんじゃない。……俺達が一緒だって事を忘れるな」

「天海君……」

「そうそう、合宿の成果を出す。そうだろ?」

「みんな……」

 仲間達からの励ましで肩から力が抜けたのか、須美は小さく笑みを浮かべた。

 だがそんな四人を前に、何故かバーテックスは地震を引き起こすのを止めた。それに四人が警戒すると、四つの突起のうちの一つが四人に向けられる。

 そして次の瞬間、まさに弾丸のような速度で突起の先端が四人に放たれる。まともに食らえば体に風穴が空きかねないほどの攻撃だが、いち早く攻撃を察知した園子が槍を傘状に変形させ、攻撃を防ぐ。

「うんとこしょっ!」

 気合の声と共に突起を弾き飛ばすと、三人に向かって叫ぶ。

「よーし! 敵に近づくよー!」

「「「了解!」」」

 リーダーからの指示に応えると三人は各々の武器を持ちバーテックスへと走り出す。

 が、バーテックスは四つの突起を地面に一瞬強く押し付けると、その際に生じる反発力を用いて空中へと高く跳躍する。そして下にいる銀と園子の志騎に向かって再び一つの突起を放つが、三人は跳躍して攻撃を回避する。そしてバーテックスの攻撃の隙をつき須美がバーテックスに矢を放つが、矢はバーテックスに届かず力なく落ちて行った。

「制空権を取られた!」

「降りてこいこらー!」

 銀が空中にいるバーテックスに叫ぶが、当然バーテックスが答える事はない。しかも不吉な事に、バーテックスの四つの突起がゆっくりと下がってきているのが四人の目に映った。

「何か仕掛けてくる……」

 嫌な予感を察したのか園子が呟いた直後、四つの突起が絡み合って高速で回りだしたかと思うと、強力な破壊力を秘めたそれが銀へと放たれた。それはまるで、立ちふさがるもの全てを抉り抜く巨大なドリルのようだった。

「ぐああああああああああっ! 根性ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「ミノさん!」

 銀はどうにか双斧で攻撃を防いでいるようだったが、さすがにあれほどの大質量と破壊力を持った物体をそう長い間抑え込めるとは思えない。それは銀も分かっており、攻撃を懸命に叫びながら三人に叫んだ。

「一分は持つ! 上の敵を、やれぇえええええええええええっ!!」

 その言葉を聞き、三人は一斉に表情を険しくするが、その中でも一番動揺したのは須美だった。

(でも、そうしたら三ノ輪さんが危ない……!)

 銀の言葉通りどうにかバーテックスに攻撃を加えようとしても、その間に銀が無事でいられる保証はない。そんな迷いのせいで、須美は素早く行動できずにいた。その間にも、彼女の足元の蔦はどんどん焼けていく。このままでは現実世界に被害が出てしまうだろう。

(どうしよう、現実に被害が……! 三ノ輪さんが……! どうしよう……!)

 須美が再び迷いに心囚われかけた、その時。

「----おい」

 突然言葉を発したのは、志騎だった。彼は空中にいるバーテックスを睨む園子に何かを確認するかのように、

「あいつの高度は俺が下げる。叩き落すのは二人に任せても良いか?」

「え……」

 志騎の言葉に須美は戸惑うばかりだったが、対照的に園子の反応は素早く、志騎の言葉に力強く頷いた。

「----うん。あまみん、お願い!」

 その態度には、ただ志騎への全幅の信頼があった。志騎はリーダーの了承を確認すると、スマートフォンを取り出してZodiacのアプリをタップし、さらに一つのアイコンをタップする。

『リブラ!』

 スマートフォンから『天秤座』を意味する英単語が流れると、天秤座の紋章が表示されたスマートフォンの画面をブレイブドライバーにかざす。

『リブラ・ゾディアック!』 

 志騎の体の周囲に現れたいくつもの天秤座の紋章が志騎の体に吸い込まれると、瞬く間に志騎の勇者装束が変化した。勇者装束の色は純白から深い黄色に変わり、さらにブレイブフォームの各所にあった鎧が無くなっていた。そのため、その姿が防御よりも俊敏性を重視している事が見るだけで分かる。その両手には二本の剣が逆手で握られていた。

 志騎が上空のバーテックスを睨むと、その体を風が包み込む。そしてトン、と軽くつま先で地面を叩くとふわりとその体が浮かび上がり、次の瞬間志騎の体を包み込んでいた風がさらに強力になったかと思うと志騎は凄まじい速度でバーテックスへと飛び上がった。

 リブラ・ゾディアック。その特徴は二本の剣と俊敏な動きを活かした高速戦闘と、体に風を身に纏う事で可能となる空中飛行。十二のゾディアックフォームの中で、空中戦を得意とするフォームだ。

「はぁああああっ!!」

 志騎は素早い動きで一気にバーテックスとの距離を詰めると、両手に握った双剣を凄まじい勢いで振るってバーテックスの体を攻撃し、そのたびにけたたましい金属音が樹海に響き渡る。

 リブラ・ゾディアックは空中飛行が得意なものの、その反面一撃当たりの攻撃力と防御力はブレイブフォームと比べて低い。だがそれを補うのが相手の攻撃を軽々とかわす俊敏性と、その俊敏性を活かして放たれる双剣の連撃だ。一撃当たりの攻撃力は銀の斧と比べると低いが、攻撃の連撃速度ならば銀以上である。

 やがてその凄まじい連撃でバーテックスの体勢が崩れ高度も下がるが、まだ油断はできない。現にバーテックスの銀に対する攻撃はまだ続いており、少しでも気を抜けば銀はすぐさま巨大なドリルによって押しつぶされるだろう。

 だが、それでもバーテックスの高度を下げる事には成功した。あとは園子と須美がバーテックスへさらなる追撃を仕掛けるだけだ。

「ありがとう、あまみん! わっしー! 私達で、敵を叩くよー!」

 叫びながら園子が槍を振るうと、空中に長方形のように変形、分裂した槍の穂先がまるで階段のように並んでいた。

「わっしー! 上!」

「りょ、了解!」

 須美は園子が作った即席の階段を駆け上がっていくと、再び霊力の矢を弓につがえてバーテックスに狙いを定める。一方、攻撃を受け止めていた銀の腕からは攻撃の威力によって血が噴き出していた。

「ミノさん!」

「届けー!」

 気合の声と共に放たれた須美の矢は今度こそ高度を下げていたバーテックスの本体部分に直撃し、バーテックスは大きく体勢を崩してゆっくりと落ちて行く。またそのおかげで銀もドリルによる攻撃から解放され、目標を失ったドリルは樹海の地面を大きく抉り取った。

「ここから、出ていけぇええええっ!!」

 園子は分裂していた槍の穂先を一つに集中、巨大化させる事で威力を大幅に増すと、バーテックスに勢いよく突撃した。

「突撃ぃいいいいいいいいっ!!」

 勢いよくバーテックスに突撃した園子はバーテックスの体を貫通する事に成功したものの、その勢いを殺しきれず樹海の地面に衝突した。だが彼女は体を襲う激痛に負ける事無く起き上がると、志騎と銀に叫んだ。

「ミノさん! あまみん!」

「砕けぇええええええっ!!」

 園子と須美の叫びを受けながら、銀は落ちてくるバーテックスを見上げながら双斧を力強く握り、志騎は落ちるバーテックスを見下ろしながらスマートフォンを取り出す。

「三倍にして返してやる! 釣りは取っとけぇええええええええっ!!」

「フィニッシュだ!」

『リブラ! ゾディアックストライク!』

 銀の双斧に紋章が浮かび上がると共に、双斧から炎が噴き上がり銀はバーテックス目掛けて高く跳躍する。志騎もブレイブドライバーにスマートフォンをかざしてゾディアックストライクを発動すると、その身に凄まじい暴風を纏いながら体を高速回転させバーテックス目掛けて突撃する。両手に剣を握りながら高速回転し突撃するその様はまるで、立ちふさがるもの全てを吹き飛ばす竜巻のようだった。

 そして二人の必殺の威力を持つ攻撃が、バーテックスに直撃した。

「おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃああああああああああああっ!!」

「はぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 銀の炎を纏った双斧による凄まじい連続攻撃と、志騎の刃の切れ味を纏った竜巻がバーテックスの本体部分を切り刻んでいき、ついにドゴォッ!! という強烈な音と共に銀と志騎の強烈な一撃が残った本体部分に放たれた。

 それを合図とするかのように、樹海を純白の光が見たし、色とりどりの無数の花びらが樹海とバーテックスを覆うように舞い散っていく。バーテックスを壁の向こう側に送り返す儀式、『鎮花の儀』が発動したのだ。

「へへ……始まった」

「鎮花の儀……」

「はぁ……やっとか」

 銀、園子、志騎はその光景を見て安堵の声を漏らした。なお、銀はバーテックスにとどめの一撃を放った後受け身に失敗して地面に思いっきり体を打ち付け、強風を身に纏い高速で移動していた志騎も着地に失敗して地面を思いっきり転がったので、二人とも体中傷だらけであった。とはいってもそれはバーテックスに強烈な一撃を与えながらも地面に衝突した園子も同じような有様だった。

 そんな三人の前で本体部分が小さくなったバーテックスは無数の花びらと光に包まれながら、ゆっくりと姿を消していく。

「終わった……」

 そして三人と同じように傷だらけになった須美はその光景を見上げながらぽつりと呟くが、やがて何故か暗い表情を浮かべて俯く。

 やがて鎮花の儀が完了し、樹海化が解けると、四人は大橋近くの草木が生い茂る広場の一角に仰向けで倒れていた。

「あー、痛てて……」

 バーテックスの攻撃を単独で抑えていた銀が声を漏らすと、そんな銀に園子が声をかけた。

「ミノさん、大丈夫?」

「疲れたよ……。腰に来る戦いだった……」

「ああして攻撃を受け止めてくれたから、私達が攻め込めたんだよ~。ありがとうね、ミノさん」

「そっちこそすごかったじゃん」

 確かに銀がバーテックスの攻撃を止めていたとはいえ、園子の攻撃も強烈だった。あの攻撃がバーテックスへの決め手の一つになった事は疑う余地もない。

「だって、ミノさんが一分持つって言ったんだから、一分は持つじゃない? それくらいあればなんとかなると思って~。長引かせると危険だもんね」

「まぁ、あれだけ言って一分持たなかったらあとでしばいてたけどな」

「おいおいやめてくれよ……。さすがのあたしもバーテックスじゃなくて幼馴染に殺されるような目に遭うのはごめんだぞ……」

「冗談だ」

「……お前の冗談って昔から分かりにくいよな。そのくせ心にくるという」

「悪かったな。……だけど、助かったのは本当だ。ありがとな、銀」

「……へへ、どういたしまして」

 そんな三人の会話を聞きながら、須美はどうして安芸が自分ではなく園子をリーダーに選んだのか初めて理解した。

(……先生は、見抜いていらしたんだ。乃木さんの、いざという時の閃きを。私は、迷ってるだけだった……。それなのに、家柄のせいで乃木さんがリーダーに選ばれたと思い込んで……。大馬鹿だ……。自分がしっかりしなくちゃって思ってたけど、ただ足を引っ張っていただけなんだ……)

 園子がリーダーに選ばれた時の自分の見当違いの考えと先ほどの戦いで迷ってばかりいた自分の態度を思い出し、須美は思わず涙が滲んでくるのを感じながら目をつむる。一方で、三人は傷で痛む体をそれぞれ起こした。

「あーあ! お腹空いたー!」

「うどん、食べてる途中だったもんねー」

「そうだな……何か食べたいけど、その前に安芸先生に連絡して傷の手当てを……」

 と、志騎がスマートフォンを取り出そうとすると、ふと泣き声が自分の近くから聞こえてくるのに気付いた。それに他の二人も気づいたらしく、三人の視線が自然に泣き声が聞こえてきた方向に向けられる。

 そこには、目元を赤く腫らしながら泣いている須美がいた。

「ど、どうした須美!? どこか痛いのか!?」

「どこが痛い? 救急車呼ぶか?」

 泣いている須美に銀と園子が慌てて、さすがの志騎も驚いてスマートフォンを取り出す。何せ、須美が泣いている姿は三人共見た事がないのだ。三人が取り乱すのも無理はないだろう。

「ち、違うの……私……。ごめんなさい……。次からは、初めから息を合わせる……頑張る……!」

 絞り出すように言う須美に、銀は彼女を安心させるような笑顔を浮かべた。

「ああ、頑張ろうな!」

「はい、わっしー!」

 園子はピンク色のハンカチを取り出すと、須美に優しく差し出す。須美はハンカチを受け取り目に当てながら、彼女に言った。

「ありがとう……そのっち……」

 彼女の口から放たれた言葉に、三人は思わず顔を見合わせてから、再び須美の顔を覗き込む。そして園子は嬉しそうな声音で、

「もう一回言ってわっしー!」

「……そのっち」

「おお~!」

 恥ずかしがりながらも確かに呼ばれたそのあだ名に、園子は心底嬉しそうな声を漏らす。それに続くかのように銀も何かを期待するような表情を浮かべながら言った。

「あたしは!? あたしは!?」

「……銀」

「えっ!?」

「……銀!」

 確かに呼ばれた自分の名前に、銀も嬉しそうな笑顔を浮かべた。それから髪の毛を恥ずかしそうに掻きながら、

「嬉しいなぁ! なんかようやく須美とダチになれたような気がする!」

「銀……」 

 嬉しそうな笑顔の銀を見て、須美もようやく小さな笑みを浮かべた。すると銀は何かに気付いたような表情を浮かべると、隣にいた志騎の腕をぐいと引き寄せる。

「で、志騎は!?」

「おい銀……。俺は別に……」

 が、志騎の声を遮るかのように、須美は小さいながらもはっきりとした声で彼の名前を呼ぶ。

「……志騎君」

「ああ、言うんだな……」

 そう言いながらも、志騎の表情はまんざらでもなさそうだった。もしかすると彼も口ではこう言っているものの、友達に名前を呼ばれて嬉しいのかもしれない。

 そんな三人に、須美はまだ目に涙を滲ませながらも小さな笑みを浮かべた。

「三人共……ありがとう。私も、頑張るから」

 須美の言葉に園子と銀は嬉しそうな笑みを浮かべ、志騎も口元に小さな笑みを作る。

 と、今度は何故か園子がそうだ! と言わんばかりに目を輝かせながら志騎に言った。

「ねぇあまみん。わっしーが私達の事名前で呼んでくれたのに、あまみんは私とわっしーの事名前で呼ばないの?」

「はぁ? 別に呼ばなくていいだろ。別に問題があるわけじゃないんだし」

 突然放たれた園子の言葉に志騎が眉をひそめながら返す。すると園子は、私傷つきました! と言いたそうな表情を浮かべて、

「ええ~。ひどいな~。私達はあまみんの事友達って思ってるのに、あまみんはそう思ってないんだ~。悲しいな~。よよよ~……」

 目に手を当てて涙をこらえているかのような演技を見せる園子に、銀とようやく泣き止んだ須美が乗っかる。

「そりゃあ仕方ないよ、園子……。どうせ志騎にとってあたし達はバーテックスと戦うために組んでる仲間……。いわゆる仕事上だけの関係って奴なのさ……」

「悲しいわね……。きっとこういうのが原因で、人の絆はどんどん薄れて行ってしまうのね……」

「うん……。お前ら、仲良いな……」

 いかにも悲しそうな表情を浮かべながら遠回しに志騎を非難する三人に、志騎は軽く表情をひきつらせた。まさか名前を呼ばないだけでここまで言われるとはさすがの志騎も予想外だった。しかも口ではなんだかんだ言いながらも、三人共チラチラと志騎の方を見ていつ志騎が二人の名前を呼ぶかをしっかり確認しようとしている。どうやら、きちんとこの場で名前を呼ばないと三人の気は済まないらしい。

(………仕方ないか)

 心の中でそう思いながら志騎ははぁ、とため息をつくと一度改まって三人に向き直る。すると園子は何かを期待するかのように目を輝かせ、須美も照れ臭そうにしながらも志騎の言葉を待つ。

「……園子」

「は~い!」

「……須美」

「は、はい」

「って、学校の点呼かよ!」

 まさに学校の朝によく行う点呼のような事を行う三人に銀が思わずツッコミを入れる。それを聞いて三人娘は顔を見合わせると次の瞬間笑い合い、志騎は呆れながらもその表情には、先ほどのような小さな笑みが浮かんでいた。

 こうして、四人の絆はさらに強くなるのだった。

 

 

 

 

 その後志騎が安芸に連絡を入れて、四人は市内の病院に連れてこられて大赦の人間による治療を受けると、家へと帰宅する事になった。だが志騎は折角なので安芸と一緒に今晩の夕飯の食材を買いに行くという事で志騎は安芸と一緒に病院に残り、銀達三人は一緒に帰路に就く事になった。

 銀と園子が夕日に照らされながら他愛のない世間話に花を咲かせている中、何故か須美だけは何かを考えこむような表情をしながら二人の後をついて歩いていた。すると、銀がそんな須美に気付いて口を開く。

「どうした須美? やっぱり、どこか傷が痛むのか?」

「い、いいえ。違うわ」

「じゃあ、どうしたの~?」

 園子が不思議そうな表情を浮かべて須美に尋ねると、須美は一瞬ためらう様子を見せながらも、やがておずおずと銀に言った。

「その……銀は、知ってたの? 志騎君の……家族の事」

 すると銀は目を少し見開いた。まるで、どうしてそれを? と聞いているような表情だった。

 だがすぐに事情を察したのか、ふっと口元に笑みを浮かべる。

「そっか。志騎から教えてもらったのか」

「え、ええ……」

 銀は二人に背を向けると、先ほどよりも歩幅を小さくして歩きながらポツポツと語り始めた。

「知ってたよ。まぁ、あたしがあいつから教えてもらったのは知り合ってから大体一年経ってからだけど」

「そうだったんだ……」

 そして、何故か銀は足を一度止めると二人にこんな事を聞いた。

「なぁ。その時の志騎、どんな様子だった?」

 え? と突然の質問に須美と園子が思わず銀の顔を見ると、彼女は真剣な表情で二人の顔をまっすぐ見つめていた。そんな銀の表情に驚きながらも、二人はその時見た志騎の様子を正直に口にする。

「正直……本当に気にしてなさそうだったわ。強がってるって感じでもなかったし」

「そうだよね~。普通だったら、あんな冷静にいられないと思うけど……」

 園子の言う通り、普通の十二歳の少年であればもう少し感情を表に出してもおかしくない。それはまだ精神が十分に成長しきっていない少年としては至極当然の反応だし、むしろその方が正常だ。子供はそうやって世の中や自分の周りに存在するあらゆる事実に向き合っていき、自分なりにかみ砕いて理解していき、やがて大人へと成長していくのだから。

 だから、まだ十二歳である上に親に捨てられたという自分の身に起きた事実を、ただ淡々と機械のように話す志騎の姿は、あまりにも奇妙と言えるだろう。言い方を少し酷くするのならば、不気味とすら言えるかもしれない。

「そっか……」

 銀はそれを聞くと再び二人に背を向けながら、

「あたしがあいつから初めて家族の話を聞いた時もそんな感じだったよ。他人のあたしですら納得できなかったし、志騎を捨てた家族にムカついてたってのに、あいつは全然怒りもしなかった。本当に自分じゃない誰かの事を話しているような調子でさ。それで話を聞いたあたしが怒ったら、あいつなんて言ったと思う? 『どうして他人のお前が怒るんだ?』だってさ。あたしが怒ってるのが本当に分からないって感じの顔でさ。もう、話を聞いてたあたしの方が『何言ってんだ?』って言うか……」

「……あまみんって、昔からそんな感じだったの?」

 銀が志騎と知り合ってから一年後に家族の話をしたという事は、志騎は当時七歳という事だ。彼は当時から、今のような感じだったのだろうか? 

 すると銀は、何故か困ったように頬を掻きながら、

「あ~……。いや、正直、今の志騎はだいぶ良くなったんだよ。人間らしくなったと言えば良いのかな……」

「……? どういう意味?」

 須美に問われた銀は肩をすくめながら、須美の疑問に答えた。

「……昔の志騎は、今とは全然違った。笑わないし、怒らないし、いつも無表情だった。口調も全然違ってて、須美のような敬語だったんだよ。だけど、その敬語も相手を敬って使ってるんじゃなくて、それしか知らないから敬語を使ってるって感じだったんだ。ロボットみたい……って言えば分かりやすいか」

「志騎君が?」 

 正直、信じられなかった。今の志騎も冷静であまり表情が変わらない所はあるが、それでもたまに銀に軽く怒ったりしているし、今日の戦いの後のように小さな笑みを見せる事もある。いつも冷静だが、それでも彼なりに周りの事を気遣い、何かアクションがあれば何かしらの反応を取る少年……それが須美と園子の志騎の印象だ。笑いもしなければ泣きもしない、ロボットみたいな少年では決してない。

「それに、変な所も結構あったんだよ。誰でも知ってるような事は知らないかと思えば、周りが知らない事を何故か知ってたりするんだ。例えば知り合ったばかりだった頃に買い物に誘って一緒に行ったんだけどさ、あいつじゃがいもや人参の名前を知らなかったんだぞ? それなのに前にテレビの番組で出てた、西暦の時代にあった世界一臭い食べ物が何か思い出せなくて、それがなんなのかあたしが志騎に話したら、『シュールストレミング。塩漬けのニシンの缶詰です』って一発で答えるし……」

「それは……なんていうか……色々と変ね」

 須美の言葉に、だろ? と銀は頷いた。ほとんどの人間ならば当然知っている人参やじゃがいもの名前は知らないのに、外国が滅びた神世紀で、知る人はほとんどいないはずの西暦時代の外国の食べ物の名前やどんな食べ物であるかは知っている。年齢の割には、あまりに知識のバランスがおかしすぎる。確かにそれは本人以外の第三者から見ると、変と言えるだろう。

「まぁ時間が経っていったらあまりそういう所は出なくなったけどさ。だけど、自分の事を他人のように見てるのは昔から相変わらずだなって須美達の話を聞いて思ったよ」

 銀はそれから両手を頭の後ろで組みながら、

「……でも、あたしはたまに志騎のそういう所が心配になるよ」

「心配って?」

「ほら、あたしも結構須美達に心配かけちゃったりするだろ? 今日もいつの間にか三人に尾行されてたし」

「ミノさん、自分を省みない所があるからね~」

 と、園子の言葉に銀はあははと苦笑しながら、

「ま、確かにそうだけど。でもあたしはこれでもちゃんと自分の事は考えてるつもりなんだよ。人助けが行き過ぎて怪我とかしちゃったらその人に責任を感じさせちゃうかもしれないし、母ちゃんや父ちゃんにも心配をかけるかもしれない。だから二人にも心配はかけちゃってるのは悪いと思うけど、これでも気を付けてるつもりではあるんだ」

 でも、と銀は一度言葉を区切ってから、

「志騎の場合は、自分を考えてない。他人の命は大切だって思ってるくせに、自分の命は勘定に入れてない。目的のためなら、自分の命を手段や物のように扱う。あいつの昔からの駄目な癖なんだよ」

 銀のその言葉に、須美と園子はある光景を思い出した。

 それは、三人が変身してバーテックスと戦っていた時の事だ。あの時志騎は変身方法を知らないどころか自分が勇者である事すらも知らなかったのに、ランドセルをバーテックスに投げて注意を自分に引き付けるという行動を起こした。だが、今までまったく普通に過ごしてきたはずの小学生がとっさの判断であんな事が果たしてできるだろうか?

 答えは、否だ。注意を引き付けると言えば聞こえは良いかもしれないが、それは一歩間違えれば命を失いかねない危険な行為だ。その上、志騎はあの時変身すらしていなかった。そのような状態でバーテックスの注意を引き付ければ、その結果は火を見るよりも明らかだろう。現にあの時、銀の助けが遅ければ志騎は高圧水流を受けて間違いなく死んでいた。そのような目に遭うかもしれないと考えれば、大抵の人間ならば動けずにどこか物陰で隠れているのが普通だ。 

 だが、志騎にはそれが無かった。バーテックスへの注意を自分に引き付けるという目的のために自分の命を手段として扱った。おまけにその後須美達と合流した志騎には、ついさっき命を失うかもしれなかったという恐怖や怯えを見せる様子が全く無かった。まるで、自分の命の事など最初から勘定に入っていないかのように。

 他人の命を手段として使わないくせに、自分の命は手段として平気で使う。

 銀達の命は大切だと思っているくせに、志騎本人の命は大切だと思っていない。

 それはあまりにも、矛盾した思考だった。

「……だからあたしは、時々すごく心配になる。このまま戦いを続けてたら、あいつがいつの日か、本当にあたしの手の届かない場所まで行っちゃうんじゃないかって……。それが、すごく怖くて……」

 そう呟きながら銀は、手を自分の胸の前でぎゅっと握った。沈みゆく夕日の赤い光に照れされるその横顔は、今まで須美と園子が見た事がないぐらいに、悲しげで、切ないものだった。

 すると須美と園子は優しい笑みを浮かべると、二人でそっと銀の手を優しく握る。それに銀が軽く驚いた表情を二人に向けると、須美が柔らかな声音で言った。

「大丈夫よ、銀。志騎君はどこにも行ったりしない。ううん、私達が行かせないわ」

「そうだよ。あまみんがどこかに行っちゃうのが怖いなら、私やわっしー、そしてミノさんがこうして手を握ってあげれば良いんだよ~。そうすれば、あまみんはどこにも行ったりしない。そうでしょ?」

「須美……園子……」

 銀は二人の顔をしばらくじっと見つめていたが、やがてにっと明るい笑みを浮かべた。

「うん、そうだな! なんたってあたし達、ダチ公だもんな!」

 その言葉に、三人を互いの顔を見合わせながら笑い合った。それから須美が何故か怒ったような表情を浮かべて、

「でも、志騎君にも困ったものね。女の子にこんな表情をさせるんだもの。一度きちんと叱らないと駄目かしら」

「ほんとほんと~! さすがの私も、激おこぷんぷんだよ~!」

「……いや、園子さんや。さすがにそれはちょっと古いと思うぞ、あたしは……」

 互いにそう言って笑い合いながら、三人は夕日に照らされながら帰路に就く。

 一方、銀と須美と一緒に歩きながら園子は先ほどの銀の顔を思い出しながら内心そんな事を考えていた

(……この前はあんな事言ってたけど、ミノさんやっぱりあまみんの事が……。むふふ~。ああいう顔を見ると、創作意欲が湧きたてられるんよ~)

 つい先ほどの銀の表情は、ただの幼馴染の少年に向けるような表情ではない。

 その表情は明らかに、ある感情を抱いている少女のものだった。

 だが彼女自身はきっとその気持ちに気付いていないのだろう。先日の合宿の時に、志騎は弟のように思っていると銀が口にしていた事からそれは明白だ。今まであまりに近い距離間で接してきてしまったため、銀自身がまだその気持ちの正体に気付いていない。きっと彼女はその気持ちが、弟を心配する姉の気持ちのようなものだと思っているに違いない。

 しかし、人よりも高い観察力を持つ園子は銀の気持ちの正体に気付いていた。

 とは言っても、それを銀に言うような事は園子はしない。その気持ちの正体には銀自身いつの日か気付くだろうし、その時どうするかは銀の判断だ。仮に彼女が自分達に何らかの相談をしてきても、快くその相談に乗ってあげれば良いだけの話だ。だから今は、急かすような真似はしなくても構わない。

 今はその時が来るかもしれない事をのんびりと待ちながら、大好きな友達と遊ぶ時間をたくさん過ごし、二人の関係を近い距離で見守らせてもらおうと園子は本当に嬉しそうな笑みを浮かべながら思う。

 しかし園子がそんな事を考えている事は、隣を歩く銀や園子はもちろん、現在安芸と一緒に買い物をしながら今夜作るハンバーグの中に刻んだピーマンを入れようと考えている志騎も含めて、誰も知らなかった。

 

 

 

 



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第八話 勇者達のeveryday! 前編

刑「前編・後編合わせた今回は、いわばちょっとした息抜き回だな。」
志「息抜きか……。まぁ、戦いの合間にはちょうど良いかもな」
刑「ああ。精々ゆっくりしておくといい。……これが終わったら、運命の分岐点が待っているからな」
志「……? 何の事だよ?」
刑「なぁに。お前はまだ知らなくていい。勘のいい奴ならもう気付いているさ」
志「相変わらずお前の言っている事はよく分からないな……」
刑「まだ分からなくていいさ。じきに知る時が来る。では第八話、張り切って行ってこい」


 神樹館は格式が高いとはいえ小学校なので、施設自体はごく普通のものである。

 だがその広い敷地には、他の小学校ではなかなかお目にかかれない施設がある。

 それは、勇者達が鍛錬を行うために使用される訓練場だ。

 そして今、訓練場では四人の勇者達が鍛錬に励んでいた。

「はぁっ! そいっ!」

「えいっ! やぁっ!」

「はっ! しっ!」

 安芸が見守る前で園子、銀、志騎がそれぞれ武器を鋭く振り、ゆっくりと構えを変えながら再び武器を鋭く振るうといった動作を繰り返す。

 三人の近くでは須美が素早く移動しながら訓練場のそばにある池に浮かぶ的に次々と矢を放っていた。矢が的のど真ん中に当たると、そのたびに生じる爆風が鍛錬をしている三人に吹く。そして須美が最後の的の台に矢を放ち、台に矢が当たると同時に爆発して的が空中に浮かぶと、素早く的に狙いを定めて矢を放つ。例え相手が空中に浮かんだ的であってもその狙いは非常に正確で、矢は見事的の真ん中に当たると爆発を起こした。

 ちなみに、安芸の隣では刑部姫がつまらなさそうにタブレットを操作している。正直、志騎は何のためにお前はいるんだとツッコミたい気持ちでいっぱいだった。

 やがて安芸の近くにある砂時計の中にある砂が完全に落ちて訓練の終了を告げると、安芸が声を張り上げた。

「それまで!」

 それを合図にして四人は鍛錬を終えると、安芸の前に集まった。

「勇者の力は、唯一の例外である天海君を除いて、神樹様に選ばれた無垢な少女でなければ使えない。あなた達に頑張ってもらうしかないわ」

「ま、私としては正直お前達のような奴らに任せるのは不安でしかないがな」

 安芸の言葉の合間にそんな野次を飛ばす刑部姫に、志騎の反撃が飛んだ。

「この間の戦いに出てこなかった馬鹿は黙ってろ。お前俺のサポートなのに何してるんだよ」

「うぐ……仕方ないだろ。私にも私なりの事情があるんだ」

 どうやらこの間出現した地震を起こすバーテックスとの戦いの時に現れなかった事を根に持っているらしく、志騎の言葉と視線はややきつい。さすがの刑部姫も、いつもと比べるとその口調にはやや力が入っていない。しゅんとした刑部姫の姿はまるで母親に怒られる子供のようで、いつも憎たらしい笑みを浮かべている姿とは売って違って可愛らしさすら感じさせる。その姿に須美達がこらえきれずにくすくすと笑うが、それには我慢がならなかったのか刑部姫が三人をギロリと睨む。そしてお得意の毒舌が炸裂しかけたその時、安芸がこほんと咳払いをしてそれを止めた。私語はやめろという事だろう。それに四人は表情を引き締めて安芸に向き直り、刑部姫もちっと軽く舌打ちをすると腕を組んで黙り込む。

「……そこで、次の任務を命じます。あなた達の次の任務は……」

 安芸は一度言葉を区切ると、緊張で唾を飲み込む四人に命令を下す。

 だがその命令は、四人にとっては意外なものだった。

「----しばらくの間、しっかりと休む事」

「「「「えっ?」」」」

 予想外の言葉に、四人は思わずきょとんとしながらそんな声を出す。安芸は口元に笑みを浮かべながら、

「安定した精神状態でなければ変身はできない。張りつめっぱなしでは、最後まで持たないからね」

「やったー! 休むのだったら任せてください!」

「私も私も! イエーイ!」

 安芸の言葉に銀は歓声を上げ、同じく歓声を上げた園子と嬉しそうにハイタッチを交わした。そんな二人を横目に見ながら、志騎は内心こんな事を思う。

(休みか……)

 確かに考えてみれば最近は勇者の訓練ばかりだったので、あまり休んでいなかったように思える。だがそれでは肉体も精神を疲れ切ってしまい、いざという時に力を発揮できないかもしれない。ここは安芸の言葉に甘えて、少し休ませてもらうのも良いだろう。

 そこまで志騎が考えていると、安芸が志騎に向かって口を開いた。

「それと、天海君。近い内に定期健診があるから、忘れないでね」

「あ、はい。分かりました」

 志騎がその言葉に頷くと、安芸は解散を告げて刑部姫と一緒に訓練場から立ち去った。すると二人の会話を聞いていた園子と須美が志騎に声をかける。

「ねぇあまみん。先生が言ってた定期健診って、何の事?」

「学校の……じゃないわよね。もう四月に受けたし……」

 二人は最初学校で受ける健康診断の事かと思ったが、それならば志騎一人に言うのは少しおかしいし、何よりも須美の言った通り四月に受けたばかりだ。だとすると、安芸が言っていた定期健診というのは一体何の事だろうか。

「俺が病気でずっと意識不明の状態が続いていたのは話したよな? 一応病気はもう治った事になってるんだけど、本当にきちんと治ったか、後遺症とかはないか調べるために月に一度病院で定期健診を受けてるんだよ。安芸先生の付き添いでな。大抵は土曜日とかにやるんだけど、病院や先生の都合もあるからたまに平日に受ける事もあるんだ」

「そうだったんだ……。仕方がない事かもしれないけど、大変ね。病気が治っても病院に行かなくちゃならないなんて……」

 須美が言うと、話を聞いていた銀が補足するように口を挟んだ。

「いや、これでも回数はだいぶ減った方なんだよ。まだ神樹館に入りたての頃はそれこそ週に一回は通ってたし、なんか薬も飲んでたよな?」

「ああ。まぁ今はもう月に一回程度の検診で済んでるし、薬ももういらないって事になってるけどな」

「へぇ~。でも定期健診って事は、やっぱり注射とかするのかな~? うう、痛そ~」

 注射されるときの痛みを思い出したのか、園子は泣きそうな声を出した。

「まだ神樹館に入りたての頃はあったな……。まぁ注射も今じゃしなくなったし、検査の時間もだいぶ減ったけどな」

「検査って、具体的には何をするの?」

「別に変わった事はしない。心音測定に血圧診断とか、あとはCT検査だな。最近はもう午前中で終わるしな」

「そうなんだ。でもお役目の事もあるし、定期健診を受けられるのはむしろ幸運かもしれないわね」

 須美が言うと、何故か銀がにやにやといたずらを思い出した子供のような笑みを浮かべだした。

「なんだったらあたしもついていってやろうか? 注射の時不安にならないように手を握ってても良いぞ? ん?」

「注射は今じゃしなくなったって言っただろうが!」

 ピン、と志騎は自分をからかう銀の額にデコピンをかました。銀は痛っ! と額を抑え、二人のやりとりに園子と須美が笑い、デコピンで軽い制裁を与えた志騎はやれやれと言うように肩をすくめるのだった。

 

 

 

 

 日曜日の朝、志騎は自宅の縁側に座りながら何をするか悩んでいた。最近は勇者の訓練ばかりだったので、いざこうして休暇を与えられると何をやるべきか分からなくなってしまう。勇者になる前は普通に休日を過ごしていたのだが、勇者となった今では訓練やバーテックスの事が頭をちらついてしまい気を休ませる事が難しくなってしまっていた。なお、安芸先生は大赦本部で何やら仕事があるらしく、朝から出かけている。とは言っても仕事自体はすぐに終わるらしいので、昼には戻ってくるとの事だった。

「まぁ、折角の休みだし部屋の掃除でもしてからボトルシップを作るか。最近は訓練であまり作ってなかったし……」

 実は志騎の趣味は読書ともう一つ、ボトルシップ作りである。しかもその腕前は一度作った船を分解してから、ピンセットを使って瓶の中で船を組み立てるという高度な作業を行えるほどだ。ちなみに、初めて作ったボトルシップは今も志騎の部屋の中の数少ないインテリアとして飾られている。

 志騎が縁側から立ち上がったちょうどその時、ポケットの中のスマートフォンが着信音と共に震えた。スマートフォンを取り出してみると、志騎達四人が連絡に使用しているアプリが起動していた。画面の上部には『仲良し四人組』というグループ名が表示されており、その下にはグループ参加者の会話の履歴が表示されている。

 そして会話の内容はこんな感じであった。

『今、そのっちと二人で向かっているわ』

『朝早っ!』

『ひょーーーーー!!』

『あたし…超待ってるわん!』

「テンション高いなあいつ……」

 会話の履歴を見て志騎は思わずそう呟いた。会話から見て分かる通り、履歴の一番上に表示されている文章を送ったのが須美、次にテンション高めに文章を送っているのが銀だ。朝から元気な少女である。

 それに志騎は思わず口元に笑みを浮かべると、『了解。家で待ってる』と入力して送信した。部屋の掃除やボトルシップ作りはいつでもできるし、彼女達となら勇者やバーテックスの事を少しは忘れて休日を過ごす事ができるかもしれない。

 と、そこで志騎はある事に気付いた。

「そう言えば、安芸先生や銀以外の誰かと休日を過ごすのは初めてだな」

 今まで休日は、大抵部屋の掃除やボトルシップ作りなど一人で過ごす事が多かった。誰かと一緒に過ごしてきた事もないわけではなかったが、その場合は安芸や銀と一緒に過ごす事が多く、それ以外の人間と休日を過ごした事はあまり記憶にない。クラスに話す人間が全くいないというわけではないが、休日に一緒に遊ぶほどの仲である人間は銀ぐらいで、それ以外のクラスメイトと一緒に休日を過ごす事はこれまで無かった。だから、銀もいるとはいえクラスメイトと遊ぶのは今回が初めてとなる。

「………」

 言葉にしてみれば、四人一緒に集まって遊ぶだけだ。

 なのに、何故か志騎にはそれが少し嬉しく思えた。

 銀のように言うならば、『ワクワクしている』と言い換えても過言ではないほどに。

「……着替えるか」

 四人集まって何をするかは分からないが、とりあえずまず行う事は部屋着から外出用の服に着替える事だ。志騎はスマートフォンをポケットにしまうと、自分の部屋へと向かうために朝日が照らす縁側を歩いていく。

 そしてその後、志騎は天海家に来た須美と園子が乗ってきた車が豪華なリムジンである事に驚きで顔を引きつらせるのだった。

 

 

 

 四人を乗せたリムジンが向かったのは園子が住む乃木家だった。乃木家に足を踏み入れるのは志騎自身初めてだったが、さすがは大赦の中でも最高の権力を持つ家だからか、住んでいる屋敷だけでなく敷地もかなり広い。おまけにクラスの噂通り使用人の数も多いので、一般家庭の出身の志騎としては表情には出さないものの気圧されるばかりである。

 そして四人は、屋敷の一室で早速休日ライフを満喫しようとしていたのだが。

「何で俺だけ追い出されたんだか……」

 志騎は何故か、部屋に入るなり園子に「あまみんはちょっと待っててね~」と告げられ、理由も分からず部屋の外で待っている事になった。スマートフォンを取り出して時刻を確認してみると、十分ほど経過している。一体中で何が行われているのだろうか。

 気になる事は気になるが、中を覗くわけにもいかない。部屋から出される際、園子から「良いというまで、部屋の中を決して開けたり見てはいけませんよ~」と念押しされているからだ。なお、その際どこの鶴の恩返しだとツッコむのも忘れなかった。

 だからこうして待っているのだが、中からは何故か液体が飛び散る音やシャッター音が時たま聞こえてくる。シャッター音は何かの写真を撮っているのかと思うが、液体が飛び散る音は分からない。飲み物のような物も三人は持ち込んでいなかったので、そもそも液体がない。じゃあ、何故あんな音が聞こえてきたのだろうか。

 志騎は首をかしげていると、ようやく中から園子の声が聞こえてきた。

「あまみん、入っていいよ~」

「ちょ、ちょっと待ってって園子! やっぱりこの服はあたしには……!」

 何故か銀の慌てる声が聞こえてきたが、園子が入っていいと言ったからには入らないわけにはいかない。志騎は襖を開けると、部屋の中へと再び足を踏み入れる。

 ----そして直後、目を丸くした。

「し、志騎……。その……あまり見ないでくれると助かるんだけど……」

 そう言ったのは照れたように頬を赤くしている銀だった。彼女の横では園子がニコニコと笑顔を浮かべており、須美に至っては何故か鼻にティッシュを詰めて、プロのカメラマンが持っているようなカメラを手にして銀を撮っていた。どうやら先ほどから聞こえてきたシャッター音は彼女だったらしい。どうでも良いが、彼女のカメラのシャッターを押す速度が速すぎる。下手をすれば残像すら見えそうだ。

 だが、今の志騎の目は銀の服装に目を奪われていた。

 彼女が着ているのはいつもの彼女ならば着ないであろう、上品な雰囲気を漂わせているワンピースだったのだ。当然乃木家に来た時には着ていなかったでの、この部屋で着替えたのだろう。だとすると志騎が部屋から出されたのも当然だ。男子がいる前で着替えを行うわけにもいかないだろう。

「あ、あのさ志騎……やっぱりあたしにはこんな服……似合わないかな……」

 と銀は消え入りそうな声で言うが、正直なところそんなわけはまったく無かった。

 基本的に勝気な口調で話す銀だが、そもそも彼女の容姿はかなりと言っていいほど整っている。まさに、お人形さんのようという形容詞をつけてもまったく問題がないほどだ。そんな彼女が今着ているようなワンピース姿でいると、まさに園子のような名家のお嬢様と言っても過言ではない。おまけに髪の毛につけている一輪の薔薇の髪飾りが、その魅力をさらに引き出している。正直もう少し成長した姿でこの格好をして街を歩けば、周囲の男性の視線を引く事間違いなしだろう。

 志騎は驚いたようにぱちぱちと数回瞬きをすると、銀に言った。

「いや、結構似合ってると思うぞ」

「そ、そうか? あたしには可愛すぎるんじゃないかと思うけど……」

「……? 何故だ? そうでもないだろ。元々お前美人だし」

「美……!?」

 志騎の発言に、銀はさらに顔を赤くすると志騎に背中を向けてうずくまってしまった。その銀を須美がさらにカメラを向けてパシャパシャと撮りまくるという、ある意味カオスな光景が志騎の眼前で展開される。一方、思った事をそのまま言っただけなのに銀が何故かうずくまってしまった事に志騎が困惑した表情を浮かべると、そんな志騎に園子がほんわかとした調子で告げた。

「あまみんは天然さんだね~」

「……え? ちょっと待て。俺お前に言われるほどなの……?」

 どうやら園子に言われるとは思っていなかったらしく、志騎は驚きを通り越してショックを受けてしまったらしく園子の顔を目を見開いて凝視した。普段あまり表情を変えない彼にしては、かなり珍しい反応と言える。

 そして志騎がショックで固まっている間にも銀の写真を撮りまくる須美を見て、園子が言った。

「何だか今のわっしーって……プロみたいで素敵ー!」

「………」

 どちらかと言うと変質者……という言葉をショックから立ち直った志騎は飲み込んだ。さすがにそんな事を言っては須美が傷つく。基本的に人には無関心そうに見えるが、志騎は人への気遣いがきちんとできる子である。

「はぁ~……写真は愛よ! 愛! 今日はとことん見目好い服に挑戦よー!」

「ええっ!?」

 須美の言葉に銀は慌てるものの、時すでに遅し。その後銀は着せ替え人形のように様々な服を着せられ、そのたびに須美から高速でシャッターを切られる羽目になった。

 ようやく銀のプチファッションショーが終わる頃には、銀は両腕で膝を抱える形でしゃがみ込み、恥ずかしそうに頬を膨らませていた。そして半ば銀の専属カメラマンと化していた須美は部屋の中心に横たわりながら、満足したように息を吐いていた。

「はぁ~……良かったわ」

「何がだよ!」

 本当に満足そうに言う須美に、銀の突っ込みが飛ぶ。と、何やらクローゼットをいじっていた園子が口を開いた。

「じゃあ次は、わっしーの番ね」

「……えっ!?」

 園子の口から出た自分の名前に、須美は驚いて体を起こす。そんな須美の目の前で、園子は一着のかわいらしいドレスを取り出しながら、

「このお洋服とか、似合うと思うよ~」

「だ、駄目よ! そんな非国民な恰好!」

「いやー似合うと思うなー!」

「ええっ!? そんなぁ!」

 さっきの意趣返しだと言わんばかりに、銀が(ふすま)を勢いよく開きながら立ち上がる。その顔には、先ほどの仕返しをしてやろうという悪戯心が秘められた笑みが浮かんでいた。二人に追い詰められた須美は、最後の手段として志騎に助けを求めた。

「た、助けて志騎君!」

「着替え終わったら呼んでくれ」

「志騎くーん!?」

 だが悲しきかな、志騎は須美に一瞥をくれる事もなく襖をぴしゃりと閉めて部屋から出て行ったしまった。そして志騎に見捨てられた須美に、銀が勢いよく飛びかかった。

 それから数分後。

「おお! 良いじゃん! 須美こそはくいじゃん! アイドルにだってなれるぞー!」

「私ファン一号になるよ~!」

「へぇ、中々似合ってるな」

 ドレスに着替えた須美を見て、三人はそれぞれの言葉で須美の姿を褒めた。一方ドレスを着ている須美も困ったような表情を浮かべながらも、

(そ、そんな……駄目よ……こんな……非国民の洋服……)

 と思いながら、案外悪くないかもしれないと思いかけた瞬間、

(………はっ!)

 どうにか我に返る事に成功した須美は、素早い動きで三人の前から離れると部屋を出て襖を閉める。それから数秒後、再び三人の前に出てきた須美は乃木家にやってきた格好に戻っており、先ほどまで着ていたドレスは丁寧に畳んだ状態で胸に抱いていた。

「あ、ありがとうそのっち! 悪いけれど、やっぱり私には似合わないと思うから返すわね!」

「ええ~。可愛かったのに~」

 丁寧に返されたドレスを受け取りながら、園子は残念そうな口調で言った。するとそれを見ていた銀はポリポリと頬を掻きながら困ったように笑い、

「んじゃ、あたしも着替えてくるよ。あたしもやっぱりこの格好は慣れないし……」

「そっか~。あ、その前にミノさん、ちょっと良い?」

「ん? 何?」

 銀が園子に尋ねると、園子は一瞬志騎の方をちらりと見てから、何故か楽しそうな笑みを浮かべながら銀の耳に口を寄せる。

「(またそのお洋服が着たくなったら、いつでも言っていいからね)」

「……? 分かったけど……どうして?」

「さぁて、どうしてでしょう~」

 うふふふふ、と園子は銀の質問に答えず、ただ楽しそうに笑う。それはまるで、いずれ今の服を銀がまた着る時が来ると言いたそうな笑みだった。

 そんな園子の様子に、銀は首をかしげるのだった。

 

 

 二日後。

「はぁ……ようやく終わった」

 神樹館の制服に身を包んだ志騎は少し疲れたように独り言を呟きながら、学校への道を一人歩いていた。

 現在の時刻は正午近く、普通の小学生ならばすでに学校にいなければいけない時間である。

 だが志騎は今日、市内の病院にて安芸から伝えられていた通り定期健診を受けに行っていたのだ。行った健診内容もいつもと変わらず、心音測定や血圧検査、CTスキャンなどだ。そして一通りの検査が先ほどようやく終わり、現在学校に向かっているというわけだ。学校に着くころには休み時間に入っているだろう。ちなみに安芸は病院の先生と何やら話をしているので、あとで遅れて学校に来る予定となっている。

「ってか、あいつ定期健診の診察までできたのかよ……」

 あいつ、というのは志騎の性悪パートナー精霊、刑部姫の事だ。

 いつもならば定期健診を行うのは病院の先生なのだが、今日は何故か病院の先生ではなく彼女が志騎の診察を行う事になった。その際に病院関係の人間が一人もいなかったのは、恐らく安芸が病院に何らかの手引きを行ったからだろう。彼女は大赦所属の人間だし、バーテックスと戦うお役目を担う志騎の検査を行うという名目であれば大赦の名を使う事も簡単にできる。何せ大赦は総理大臣すらも凌ぐ権限すら持っているのだから。

 しかしそうなると大赦の権力を利用しているだけのように見えるが、当の大赦にとっても悪い話ではない。勇者の志騎の検査を行う事が出来れば、大赦は志騎に何らかの異常がないか調べる事ができるし、安芸にとってもいつも行っている定期健診を迅速に行う事ができる。つまり大赦の名前で志騎の検査を行う事は、大赦と安芸双方にとって益になる事なのだ。

 そんなわけで、一応大赦所属の精霊である刑部姫がたった一人で志騎の検査を行う事になった。正直どうして刑部姫が志騎の検査を行う事になったかは分からなかったが、志騎は最初刑部姫が検査をする事に不安だった。彼女に自分の体を任せたら、命がいくつあっても足りないような気しかしなかったからだ。しかしわがままを言うわけにもいかないので、仕方なく志騎は刑部姫に渋々検査を任せる事にした。

 だが、定期健診を行う刑部姫の様子はいつもとは全く違っていた。真剣そのものの表情を浮かべながら電子カルテに表示されている志騎の身体情報をじっと見つめていたかと思えば、別の電子カルテにも素早く目を通して、そこに表示された情報も頭に叩き込んでいるようだった。健診の際の質問や健診で使う道具を扱う手際もまったく淀みがなく、独り言だろうかその口からは医療の専門用語らしき言葉が次々と飛び出していた。

 その姿は精霊というよりも、医者や科学者のようにも見えて、志騎は思わず滅多に見ない彼女の姿に驚いて舌を巻いてしまった。本当に、性格とは裏腹に頭脳と能力だけは高い精霊だと思う。

 だが、同時にこうも思う。

(あいつ……本当に何者なんだ?)

 神樹に蓄積された概念的な存在が具現化した存在だとは聞いているが、正直あの知識や能力の高さを見るとそれだけの存在とは到底思えない。精霊という神秘的な存在というよりは、科学者と言われた方がまだしっくりとくる。

 そうして考えてみると、志騎は刑部姫の事を何も知らない。

 どれぐらい前から大赦にいるのか、安芸と知り合ってどれほど経っているのかも分からない。

 分かっているのは少しだけ。安芸とはだいぶ前からの知り合いである事、毒舌家でリアリストである事、何故か志騎に対して信頼を置いている事、そして銀達に対しては非常に手厳しい態度をとっている事……。

 だがこれらはあくまでも刑部姫の一面で、彼女の正体が何なのかはまだ掴めていない。例えるならば、ジグソーパズルのピースは集まっているが、それらが組み立てられて完成する絵が何なのかが分からない。そういった謎めいた感じが、彼女からは感じられるのだ。

 そんな事を考えながらしばらく歩き続けていたが、結局刑部姫の正体は分からなかった。彼女の正体を突き詰めるには、もう少しパズルのピースが必要になる。まぁ彼女の性格を考えると、そもそも簡単にそのピースを集めさせてもくれないだろうが。

 そして考えている間に、志騎はようやく神樹館へと辿り着いた。予想通り学校は現在休み時間中らしく、校舎からは生徒達の楽しそうな声が聞こえてきている。志騎は下駄箱で上履きに履き替えると、下級生達から向けられる、自分の髪の毛に対する悪意のない好奇の目を無視しながら教室へ向かう。

 やがて教室に辿り着くと、黒板の前で銀達三人が何やら絵を描いているのが見えた。志騎が教室に入ると、それに気づいた三人が志騎に挨拶をしてくる。

「おっ! お疲れ志騎!」

「志騎君、おはよう」

「おはようあまみん~」

「ああ、おはよう。……って言っても、もう昼だけどな」

 志騎が自分の席に向かいランドセルを置いてから三人のもとに向かうと、チョークを動かしながら園子がが志騎に尋ねた。

「あまみん、健診大丈夫だった?」

「ああ。どこも異常なし。……って、須美の絵やたらと上手いな。何だそれ?」

 三人の絵の中で、クオリティがかなり高い須美の絵を見て志騎が言った。ちなみに園子が描いているのは二足歩行の不思議な猫の絵で、銀のは弟の鉄男だった。

「翔鶴型航空母艦の二番艦……瑞鶴よ」

「すげーリアル!」

 あまりにクオリティが高い戦艦の絵に銀が驚愕すると、須美は目をきらりと輝かせながら、

「でしょう? 旧世紀、昭和の時代に数々の戦いで主戦力で活躍した、我が国の空母よ! 囮になって最後の最後まで頑張ったのよ!」

 感動したように目に涙を滲ませながら右手で瑞鶴に敬礼をする須美を見て、銀はきょとんとした表情を浮かべ、園子は口元に笑みを浮かべ、志騎は顔をひきつらせた。

「……須美って、そういうのやたら詳しいよな」

「夢は歴史学者さんだから!」

「やっぱり真面目さんだ……!」

「わっしーっぽい夢だよね~」

「確かに向いてそうだな」

 少々行き過ぎてしまう面もあるが、彼女の国を愛する心だけは本物である。彼女の愛国心と目の前の物事に地道に取り組む実直さがあれば、今ではほとんど失われてしまったこの国の更なる歴史を紐解く事もできるかもしれない。

「そのっちは、何か夢があるの?」

「私は小説家とか良いなって思って、時々サイトに投稿したりしてるんだよ」

「あー……なんか納得」

「独特の感性だもんね……」

「ある意味天職かもな……」

 そう言いながら志騎は園子が描いた黒板の絵をちらりと見る。黒板には服を着た二足歩行の四匹の猫に、ペットなのだろうか、その内の一匹に手綱を握られている普通の四足歩行の猫が描かれていた。どうでも良いが、猫が自分と同じ猫をペットにするというのはどうなのだろうか。いや、猫は基本的に愛玩動物として扱われているので、扱いとしては間違ってはいないのだが……。

 絵を見ながら志騎がなんとも言えない表情を浮かべていると、そんな志騎に気付いていないのか園子が話を続ける。

「三人も小説の中に登場人物として出演して欲しいな~。優しく頼れるミノさんに、真面目で時々面白いわっしー、しっかり者で皆の弟君のあまみん!」

「と、時々面白い……」

「え、つまらないより良いじゃん」

「そうなのだけど……私も頼って欲しいわ……」

 そう言って軽くしょんぼりする須美を励ますように、銀は彼女の両肩に手を置きながら、

「あたし、そうやって軽くいじける須美の顔、好きだなー」

「えっ!? そんな風に褒められても………」

 だが戸惑う須美の表情を前にしても、銀は笑顔を崩さない。そんな二人を前にして、何故か園子は楽し気な笑みを浮かべながらパンッ、と両手を合わせた。

「おおっ……! なんか良いよ! 今の二人の空気! とっても良いよ~! 良いですよ~!」

 嬉しそうな声を上げながら、園子は右手と左手の人差し指を合わせてカメラのような形にすると、照れている表情を浮かべる須美と笑顔でピースを取る銀を枠内に収める。そんな三人に肩をすくめながら、志騎がキロリと園子に視線を向ける。

「ってか園子、何で俺が弟なんだよ」

「え~? だってあまみん、なんだか弟って感じがするよ~」

「あっ! なんか分かる! 昔から一緒にいるけど、志騎ってなんか兄ちゃんとかには思えないんだよな~。どっちかって言うと、しっかり者の弟?」

「お前ら……」

 園子と銀の自分への評価に志騎が頬をひくひくとさせると、頬を赤くしながら銀から体を少し離した須美が銀に言った。

「そ、それより! そういう銀の夢は!?」

 その言葉に銀は一瞬考え込んでから、

「んー……。幼稚園の頃は、皆や家族を護る、美少女戦士になりたかったなー!」

「分かる! お国を守る正義の味方! それは少女の憧れよ!」

「憧れ……なのか?」

 再び右手で敬礼をする須美の言葉に、志騎は疑問の表情を浮かべながら首を傾げた。

「今は?」

 と園子が尋ねると、銀は何故かえへへ……と照れたように笑いながら俯く。

「んー? 何で照れたのかなぁ?」

 すると銀は両手の人差し指を合わせながら、

「いやー、家族って良いもんだから……。普通に家庭を持つのもありかなって思って……。でも、そうなると将来の夢が……。お、お嫁……さん……」

 恥ずかしそうな笑みを浮かべながら小さく言った銀の表情は、いつもの活発な彼女とは打って変わって、非常に可愛らしいものだった。その銀の笑みに、園子と須美はぱぁっと笑顔になり、志騎もこの答えは予想外だったのか「意外だ……」と小さく呟いている。

「ミノさんならすぐ叶うよ~」

「白無垢が楽しみだわ!」

 そう言いながら二人は銀に寄り添い、園子に至っては銀の頬をぷにぷに突ついている。それに銀は困ったように笑いながら、

「何だよ~。突っつくなよ~」

「小説のネタにするね!」

「えっ!」

 園子から放たれた言葉に銀は一瞬固まると、彼女の柔らかい頬をムニムニと左右に軽く引っ張る。

「やーめーてー! 恥ずかしいから!」

 だがそんな事をされても、園子は笑顔のままだったし、須美もニコニコと嬉しそうに笑っていた。

 と、恥ずかしい思いをさせられた銀は、まだ自分の夢を言っていない幼馴染に言った。

「ってか志騎! お前も夢言えよー! これじゃああたしだけ恥ずかしいじゃんか!」

 だが志騎の方は困ったような表情を浮かべながら、

「夢って言われても……。そんな事真面目に考えた事無いしなぁ……」

「重く考える事はないわよ。とりあえず自分のやりたい事を言うだけでも良いと思うわ」

「そうだよね~。思い付きでも良いから、自分の心に正直になれば良いんだよ~」

 須美とようやく銀から解放された園子からもアドバイスを受けたが、それでも志騎の表情はあまり浮かない。彼はうーんと悩んだ声を出しながら、

「そうは言われても……俺のやりたい事って言われてもなぁ……。やっぱりパッとは思い浮かばないし……。言い方は悪いけど、正直無駄だろ」

「無駄?」

 きょとんとした表情で銀が言うと、志騎はぽりぽりと頬を掻きながら、

「だって、俺達勇者だぞ? いつバーテックスとの戦いの中で死んでもおかしくない。もしかしたら明日死ぬかもしれないのに、叶うかも分からない夢なんて語っても無駄だろ」

 志騎の言葉は悲観的な意見かもしれないが、間違っているとも言いづらい。事実バーテックスとの戦いのたびに志騎達は傷つき、死にそうな目に遭っている。夢を語るのは確かに素敵な事だろうが、勇者として戦う以上は明日の命の保証すらない。そんな中で、夢を語る事は果たして本当に意味がある事なのだろうか……それが、志騎の正直な意見だった。

 すると、園子はんーと口元に指を当てながら、

「私は無駄じゃないだと思うけどな~」

「どうしてだ?」

「確かに、私達は明日死んじゃうかもしれないけど……。でも将来こうなりたい、あれをしたいって事を決めておけば、きっとそれが戦いの中でも大切な力に変わるんだよ~」

「……? つまり、戦いでそういう力が必要だから、夢を持っておけって事なのか?」

 そんな解釈に須美はちょっと困ったような笑みを浮かべながら言う。

「そういうわけではないけれど……。でも、夢があるから一生懸命生きていこうって思える事はあると思うわ。それは戦いとか関係なくて、普段の生活の中でもとても大切な事だと思うの。もちろん夢がないからその人は一生懸命生きていないとは私は思わないわ。でも心の底から本当に叶えたい事があって、そのためにまっすぐ進む事ができたら、それはとても素敵な事だと思うの」

 そして、最後を締めくくるように銀が言った。

「ま、つまり……夢を語るのは無駄な事なんかじゃなくて、あたし達が毎日を一生懸命生きるためにも、バーテックスとの戦いで勝ち残っていくためにも必要だって事だ!」

 銀の言葉に、志騎は目を軽く見開いて銀の顔を凝視する。それから、たっぷりと間を置いてからようやく口を開く。

「…………そう、なのか」

「そうなんだよ!」

「……そう、か」

 言葉を繰り返すその様子は、まるで親から教えられた事を繰り返す子供のようであった。銀はにやりと笑みを浮かべると、志騎の両頬を軽く左右に引っ張った。

「大体、志騎はいっつも笑わないでいるからそんな事考えちゃうんだよ! ちょっと笑う練習してみろって! ほれほれ~」

「や、やーへーほー(やーめーろー)!」

 頬を引っ張られながら銀に抗議するが、当然その程度で終わるわけはなく銀はいたずらっぽい笑みを浮かべながら頬を引っ張り続け、そんな二人のじゃれ合いを須美と園子はにこにことしながら見守る。

 それから休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り、四人はそれぞれ自分の席に戻る。そして席に戻った志騎は次の授業の教科書を用意しながら、こんな事を思った。

(……夢、か……)

 須美は歴史学者、園子は小説家、銀はお嫁さんと、それぞれ自分のやりたい事、なりたい自分をイメージして各々の夢をはっきりと形にしている。

 では、自分は?

 自分のやりたい事は何で、なりたい自分はいったい何なのだろうか?

 そんな事を考えてはみたものの、結局その日のうちに志騎がそれらに対する答えを見つけ出せることは無かった。

 

 

 



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第九話 勇者達のeveryday! 後編

志「今回で息抜き回も終わりか……ちょっと寂しいな」
刑「そうだな。……そして次回からが本格的に物語が動き出すぞ」
志「……前も言ったけど、本当にどういう事なんだよ?」
刑「この九話を最後まで読めば少し分かるさ。では第九話、張り切って行ってこい」



 

 

 志騎が定期健診を受けた翌日。

「オリエンテーションって、何するんだっけ~?」

「一年生と一緒に、楽しく遊びましょうって事さ」

 休み時間、志騎、須美、銀の三人は園子の席の周りに集まっていた。今朝の朝礼で安芸からクラスに、一年生とのオリエンテーションの事を伝えられたからだ。

 オリエンテーションの目的は、一言で言ってしまえば銀と言う通り一年生と一緒に楽しく遊ぶ事だ。もっと細かく言うと、最上級生である須美達六年生と最下級生である一年生が一緒に遊ぶ事で、いつもは滅多に交流する機会のない両学年の距離を縮める事が目的である。

 一方、志騎はうんざりとした表情を浮かべながら、

「俺あまりやりたくないんだよな……。今でも一年の教室の前を通ると、あいつらからジロジロと見られるし」

 自分の水色がかった白髪を指で弄りながら言うと、銀は困ったように笑いながら、

「そう言うなよ。志騎の髪の色は珍しいんだし、仕方ないだろ? 一年生達もお前を困らせたくてやってるわけじゃないんだしさ」

「確かにそうかもしれないが……」

 志騎と銀がそんな会話を交わしていると、三人の会話を聞いていた須美が口を開く。

「相手は真っ白な一年生……。私達の勇者のお役目は、この国を守る事。つまり!」

「つまり?」

「将来を見越して、愛国心の強い子供達を育成する事も、任務の一環と言えるわ!」

「……言えるか?」

「言えるんじゃないか。知らないけど」

 拳を握って力説する須美に銀が疑問の表情を浮かべ、志騎がやれやれと言わんばかりに返す。今日も彼女の日本を愛する心は変わらず絶好調である。

「何だか楽しそうだね~。じゃあ計画を立てようよ」

 と、園子が自分の机の中に手を入れた時。

「ん? あれあれ~?」

 そう言いながら園子が取り出したのは、薄いピンク色の封筒にハートの付箋が貼られた手紙だった。

「中にお手紙が入ってたよ~」

「果たし状か!?」

「気を付けて! 不幸の手紙かもしれないわ!」

「馬鹿かお前ら……」

 そんな三人をよそに、園子は便箋から手紙を取り出すとそれを広げて中身を見る。

「えっと~。『最近気が付けばあなたを見ています』」

「やっぱり決闘か! 場所はどこだ!?」

「呪いよ……! 清めの塩が必要かも……!」

「うん。頼むからお前らちょっと落ち着いてくれないか? あと須美、それどこから持ち出してきた。元の場所に置いて来い」

 須美は本当にどこから持ってきたのか、いつの間に神社などで見かけるお祓い棒を持って青ざめた表情を浮かべていた。手品師もびっくりの早業である。

「『私はあなたと仲良くなりたいと思います』」

「えっ?」

「ほぉ」

「ただの呪いよりも恐ろしい文章ね……!」

「だからどこから持ってきたんだよその札。まさか常備してるのか?」

 ついには須美は呪い除けの札まで取り出していた。ご丁寧に大赦の名前まできっちり書かれている。きっと前に大赦関連の施設に行った時に購入したのだろう。まぁそんな所は、十中八九神社に間違いないだろうが。

「『お役目で大変だとは思いますが、だからこそ支えになりたいと思います』だって~」

 園子が読み終えると、頬を赤くした銀がかすかに震えながら、

「も、ももももしやこれって……。あれじゃないか須美、志騎。初めに『ラ』がつく……」

「羅漢像!?」

「違う! ラブレターだ!」

「お前、まさかわざとやってるわけじゃないよな……?」

 奇妙な勘違いをする須美に銀がツッコミを入れ、志騎が半眼で須美を見る。するとようやく我を取り戻したのか、須美は一瞬沈黙し、

「ら、ラブラブラブラブ……!」

 と、顔を真っ赤にしてうろたえ始めた。一方、ラブレターをもらった本人は相変わらずのんびりとした調子で、

「わぁ~。私、ラブレターもらったんだぁ~。嬉しいなぁ~」

「何でそんなに冷静なの!? こ、恋文をもらったのよ!?」

 特に慌てる様子も見せずに素直に嬉しそうな表情を浮かべている園子に、まだ顔をかすかに赤くしている須美が言うと、手紙を少し広げながら理由を告げる。

「字とか封筒をよく見ればすぐに分かるよ~。出した人、女の子だよ」

「へっ……?」

「なんだ女の子か~」 

 園子の言葉に須美は固まり、銀はほっと安心したような表情を浮かべた。

「……いや、それはそれでどうなんだ……?」

 唯一、志騎だけはその事実に怪訝そうな表情を浮かべながら首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

「ほらほら~! 行くぞ園子ー!」

「あはははっ! はやいはやーい!」

 翌日、四人は各々水着姿で市内の屋外レジャープールにて遊泳を楽しんでいた。園子は浮き輪を使ってプールに浮かび、銀はそんな園子を押して遊んでいる。須美はまだプールに入らず準備体操を丁寧にしており、パーカー型のラッシュガードを羽織った志騎は水に静かに浮きながらのんびりと日光浴をしていた。

 なお、現在このレジャープールに四人以外の人影はいない。人気がないからとかそういう理由ではなく、なんと大赦が四人の休息のためにプールを貸し切ったのだ。さすがは勇者を支援する組織であり、総理大臣すら凌ぐ権限を持つ大赦のやる事は大きい。

「おい須美ー。お前いつまで準備体操してるんだよー」

 プールにいつまで経っても入らず、準備体操をこれでもかとしている須美に銀が声をかけた。声をかけらた須美は準備体操を中断すると、右手の人差し指をぴんと立てる。

「水の事故って怖いんだから。ちゃんと準備体操しないと、心臓がびっくりするわよ」

「貸し切りなんだから。遠慮なくがっつり遊ぼうぜ」

 すると、ふとある事に気になり園子が銀に尋ねた。

「ねぇねぇ。もし今敵が攻めてきたら、私達水着で出撃するの?」

「それは嫌だよなぁ。まぁイレギュラーなんて、そうそう起こらないだろうけど……」

「一体目だって早く来たのだから、気を緩めすぎない事」

「まぁ、大赦もそれを見越して俺達にこうして休暇を与えてくれたんだから、可能性は低いだろうけどな……。ああくそ、クリームソーダが飲みたい……」

 照りつける太陽で喉が渇いたのか、水に浮かんでいる志騎が呟く。と、水を体にかけてプールに入る準備をしている須美に銀が笑みを浮かべながら言った。

「ほんとボインだよな須美って。実は高校生じゃね?」

「もっといってるね~。大学生くらいかも~」

「はいはい」

 そんな二人の軽口を受け流し、須美はようやくプールに入ると三人に近寄ってきた。

「ねぇ銀。競争しない?」

「面白い。その挑戦受けた!」

「この後、オリエンテーションの作業あるから、飛ばしすぎないでねきゃあっ!」

「うおっ!」

 園子と志騎の驚く声が重なる。銀が「よーい、ドン!」と競争開始の合図をした事で二人が一斉に泳ぎだし、その際に生じた水しぶきが園子と志騎に勢いよくかかったからだ。一方の銀と須美はかなりの速度で志騎と園子からどんどんと離れて行ってしまう。二人の距離はそんなに離れておらず、正直どちらが勝つかは分からない状態だ。

「あはは~。聞いてないか~」

「聞いてないな、ありゃあ」

 そんな二人に園子は困ったように笑い、志騎も呆れたような表情を浮かべる。

「そう言えばあまみん、ひめちゃんは?」

「刑部姫の事か? 知らねぇよ、あいつこの頃飯の時以外とか全然顔出さないしな」

 実際、刑部姫は最近忙しいのか志騎の前にまったく顔を出さない。夕食の時などは頼んでもないのにタダ飯を食べに来るくせに、それ以外はどこにいるのか見当もつかない。前に刑部姫に最近何をしているのか尋ねてみたが、ちょっと仕事だとはぐらかされてしまった。おまけにその後に、自分がいなくて寂しいのかとにやにやと笑いながらからかわれたので、志騎はもう彼女にどこで何をしているのか聞かない事にしていた。

「そうなんだ~。こんな良い天気だし、一緒に泳ぎたかったな~」

「勘弁してくれ。ここまで来てあいつに振り回されたくねぇよ。でも、本当に良い天気だな……。眠くなってくる……」

 くぁ、と志騎があくびをすると、何故か園子はそんな志騎を見て笑った。

「あはは、なんかあまみんがあくびをしてるのって、珍しいかも~」

「あのなぁ、俺だって人間だぞ。別にガソリンを飲んで生活してるわけじゃないんだ。クリームソーダだって飲みたくなるし、眠くもなる。てか、俺があくびをしてるのってそんなに意外か?」

「意外だよ~。あまみんがあくびをしてるのって、初めて見たかも」

「……そうか?」

「そうだよ~」

 園子の言葉に、志騎は思わず黙り込んでしまった。おっとりしているように見えて、実は観察力の高い彼女が言うからにはきっとそうなのだろう。そう言えば確かに、他人の前であくびをするなど銀以外だと初めてかもしれない。それほどまでにリラックスできているという事なのか、それとも、園子や須美を信用しきっているからそういった一面を自然と見せる事が出来ているという事なのか、はたまたその両方なのか。

 と、銀と須美が泳いでいった方向で、銀の歓声らしき声が聞こえてきた。志騎と園子がその方向に視線を向けてみると、そこにはちょっと悔しそうな表情を浮かべている須美と片腕を上げてガッツポーズを取っている銀の姿があった。どうやら水泳競の結果は銀の勝利だったらしい。

「ミノさん、勝ったんだね~。すごいね~」

「ああ。須美も結構速い方なんだけどな」

 実際先ほどの須美の水泳速度は銀に勝るとも劣らないものだった。それでも銀が勝利したのは、やはり銀が普段から体を動かして遊んでいたのが有利に働いたからだろう。

 そうして、四人のプールでの楽しい時間はあっという間に過ぎていくのだった。

 午後。

「あふ~。だふ~」

「……ったく、言わんこっちゃない」

 机に項垂れながら画用紙にクレヨンで何かを描きながら力の抜けたため息をつく銀に、裁縫道具を使って布を縫っている志騎が呆れたように言った。彼に続いて園子も困ったような笑みを浮かべながら、

「あんなにプールで飛ばすから~」

 やはり、プールで行った須美との競争の時の疲れが響いているのだろう。今の銀の姿からは、いつもの彼女らしい明るさと活発さが少し無くなっていた。

 しかし銀は机から飛び起きると、無理やり元気を主張するかのようにぐっと両手を掲げる。

「なんの! もうひと頑張り!」

「当日が楽しみだよね~」

 銀と園子がそんな事を話していると、志騎と同じように布を縫っていた須美が唐突に口を開いた。

「ありがとう」

「……?」

 突然のお礼の言葉に三人に須美に視線を向けると、須美はちょっと照れたように笑いながら、

「三人のおかげで、最高のオリエンテーションになるわ」

 須美の言葉に銀と園子は顔を見合わせるとにっこりと嬉しそうな笑顔を浮かべた。一方、志騎は布を縫いながら少し困ったような表情を浮かべ、

「……その事なんだけどさ、マジであれやるの?」

 すると須美はキリっと表情を引き締めて、

「当然よ。愛国心の強い子供達を育成するためにも、今回のオリエンテーションは必要不可欠なものなのよ! やめるわけにはいかないわ!」

「いや、さすがにやめろとは言わないけどさ……。お前達がやるって言うなら付き合うけどさ……。でもあれはなぁ……」

 珍しく志騎が歯切れ悪く呟いていると、須美が何故か目をきらりと光らせながら志騎に尋ねた。

「それより志騎君。例のものは?」

「もう完成直前だよ。当日までには仕上げる」

「よろしくお願いね。オリエンテーションを成功させるには、あなたが作った例のものも必要なの! だから……!」

「分かってるよ。仕事はきちんとやる。だから安心しろ」

「ええ、頼りにしてるわ」

 須美の信頼のこもった言葉と笑顔に志騎はため息をつくと、チクチクと素早い動きで布を縫っていく。すると、その手つきを眺めていた園子が志騎に言った。

「あまみんって、結構お裁縫上手だよね~。家でもやってるの?」

 園子の言う通り、志騎の裁縫の腕前は男子小学生としてはかなり高かった。針を自分の指に突き刺すような事もなく、布を縫うのも早い。普段から家で裁縫をやっていければまず身につかない技術だ。

「家でもやってるっていうか……。安芸先生から叩き込まれてるんだよ。将来自分一人になってもきちんと生活していけるようにって。だから裁縫だけじゃなくて炊事洗濯とか、家事に関する事は全部一から教えてもらったし、他にも色々な事を教えてもらった」

「色々な事って?」

「礼儀作法とかマナーとか、他には他人や目上の人と会っても恥ずかしくないような姿勢や言葉遣いとかだな。安芸先生って教師だからかそこらへんかなり厳しくてさ、家事と一緒に徹底的に叩き込まれたよ。あとは……色んな習い事とかに通わされたな」

「そう言えばお前、今はそうでもないけど昔結構習い事とかに行ってたよな」

 クレヨンで絵を描いていた銀が言うと、興味を持ったのか須美が尋ねる。

「どんな習い事をしてたの?」

「それも色々だよ。生け花にお琴に書道に弓道、何故か日本舞踊、終いには茶道までやらされた。別に習い事が嫌だったりはしなかったけど、正直これが将来本当に役に立つのかって疑問に思った事はあったな……」

 右手の指を一本一本折り曲げて数えながら、志騎は当時の事を思い出して疲れたような息を吐く。習い事が辛かったという事は本当にないのだが、やはり家事や礼儀作法と比べると将来の自分のためになる事とは思えなかったので、今でもどうして安芸はそれらを自分に習わせたのだろうと思う事はある。

 すると、話を聞いていた須美が何故かずいっと志騎に顔を近づけると力強く言った。

「何を言ってるの志騎君! 役に立つに決まってるわ! 日本舞踊にお琴に茶道! これらは日本が生み出した素晴らしい文化なのよ! そういった文化を学ぶ事で日本を愛する心が強くなっていって、やがては愛国心溢れる子供達が増えていくの! 大丈夫よ志騎君! 今はまだ自覚がないと思うけど、日本の伝統芸能を身に着けたあなたなら、近い内にきっとその素晴らしさが分かる日がきっと来るわ!」

「……お、おう。そうだな……」

 満面の笑顔を浮かべた須美の情熱に、志騎は気圧されながら頷いた。須美の日本を愛する心は買うが、自分にそのような日が来るとはあまり思えない志騎だった。

「そうだ! 今度のオリエンテーションにあまみんに日本舞踊を踊ってもらうっていうのはどうかな~。私あまみんが踊ってるの見てみたいな~」

 笑顔の園子の発言を聞いて、須美はガタッ! と勢いよく椅子から立ち上がった。

「それは良い考えよそのっち! 志騎君の日本舞踊も加われば、まさに鬼に金棒よ! そういう事なら、家から志騎君に着てもらうための着物を当日持ってくるわ! 大丈夫! きっと似合うはずよ!」

「お、いいね! あたしも見たい!」

「時間が足りないに決まってるだろ! ってか、時間があっても絶対に踊らないからな!」

「「「ええ~」」」

「ええ~、じゃない! ほら三人共、とっとと手を動かせ! 当日までそんなに時間もないんだから! ったく……」

 志騎は非常に残念そうな表情を浮かべている三人に注意してから裁縫を再開する。同時に、余計な事を言うんじゃなかったと深いため息をつくのだった。

 

 

 

 そしてついにやってきた、オリエンテーション当日。

 教室では六年生と一年生がトランプやけん玉などの遊びを通して、交流を深め合っていた。

 そんな中、教室にぽんぽんぽん、と太鼓の音が響いた。教室の生徒達が音のしてきた方向に視線を向けてみると、そこには紙芝居舞台に(ばち)を持った銀が立っていた。そして紙芝居画面には、巨大な怪獣らしき絵が描かれていた。

「さぁ~。海の向こうから、悪い怪獣が我が国に攻めてくるぞ~! 大変だ大変だ~!」

 さらに銀がぽんぽんぽんとすぐ横にある小さめの太鼓を鳴らすと、太鼓の音と紙芝居につられて一年生達が紙芝居舞台の前へとやってきて、しゃがみ込んでいく。彼らを前にして、銀はさらに太鼓を鳴らしながら画用紙の裏に書かれた文章を感情を込めて読み上げていく。

「ずしーんずしーんずしーん、なんて奇麗な場所なんだ。この土地をよこせー! 図々しい怪獣がこんな事を言っているぞ! 君ならどうする!?」

 銀が手に持った撥で紙芝居を見ている少年の一人を指すと、彼はちょっと驚いた表情をしながら、

「え、えっと……。逃げる!」

「それだと、怪獣にここを取られちゃうぞー?」

「あ……どうしよう……」

 と、悩んでいる少年の横でお菓子を食べていた別の少年が勇ましい声で言った。

「戦う!」

 少年の言葉に、銀は撥をビッ! と振りながら、

「そう! あたし達には神樹様がついてる! 勇気を出して、戦いましょう!」

 と、銀が言ったその時だった。

『グルルルル……ワラワセルナ、ガキドモメ……』

「っ!? 誰だ!?」

 突然どこから聞こえてきた謎の声に、銀が叫ぶ。突然の不穏な雰囲気に、一年生達も不安げな表情を浮かべている。すると銀の声に答えるように、がらりと教室の扉が開かれた。

 開かれた教室に入ってきたのは、人間ではなかった。

 見る者の感情移入を拒絶する白目。 

 まるで剣のような、鋭く巨大な黒い背びれ。

 あらゆるものをなぎ倒す威力を秘めた、長い尾。

 それはどこからどう見ても----、銀が描いた紙芝居の中の怪獣だった。

「た、大変だー! 怪獣が神樹館に攻めてきたぞー!」

 銀が状況の割には少し緊張感のない声を上げると、紙芝居を見ていた一年生達は悲鳴を上げた。

 しかし一年生達に反して、傍から眺めている六年生達は彼らとは違う表情を浮かべていた。例えるならば、『よくやるなぁ』と言いたそうな、困ったような笑みである。

 そう、銀を含めた六年生達はその怪獣が----怪獣のハリボテの中身が、自分達の同級生である天海志騎である事を知っていた。そしてこの怪獣のハリボテこそが、須美が志騎に頼んでいた『例のもの』だったのだ。

 幼馴染の銀から志騎は実は結構手先が器用だという事を聞いた須美は、オリエンテーションを盛り上げるために、志騎に怪獣のハリボテのような物を作れないかと期待を込めて頼んだのである。須美の問いに、時間をかければなんとか作れると志騎が返した事で、このハリボテ怪獣が作られたというわけだ。

 ちなみにこの怪獣の名前は『外国怪獣ガジラ』である。名付け親は意外にも志騎で、名前の発音は外国から来たという理由からか、本当は『ガジラ』ではなく『ガズィラ』らしい。しかしそれだと言いにくいとの事で、最終的には『ガジラ』と呼ぶ事になった。

 ガジラはハリボテとは思えない滑らかな動きで教室の中に入ってくると、教室の一年生達を睨みつける。その動きだけではなく、外見もとてもハリボテとは思えない。何も知らない人が見たら、着ぐるみと誤解しても無理はないほどのレベルである。それほどまでに、志騎がこのハリボテ作成にかなりの力を入れた事が分かる。オリエンテーションを盛り上げる悪役のクオリティとしても、小学六年生が作ったハリボテの出来として、十二分の出来と言えるだろう。

 言える、のだが。

『グルルル……。ウマソウナガキドモダ……。コノトチヲシハイシタアカツキニハ、キサマラゼンインノゾウモツヲヒキズリダシ、ノコッタカラダヲミンチニシテ、ハンバーグニシテクッテヤロウ……! アア、ヨダレガトマラナイ……!』

 正直言おう。かなり怖い。声音がもう普段の志騎とは違って低音で怖いし、丁寧に涎を垂らす音までリアルに再現している。しかし何よりも恐ろしいのは、これを機械など全く使わずに出している事だろう。傍から聞いていると、どこから声を出しているんだとツッコみたくなるほどである。あまりの怖さに一年生の何人かは涙目の上に数人はもう軽く泣き出しているし、六年生達も顔をひきつらせていた。その顔は先ほどまでの『よくやるなぁ』というような表情ではなく、『ええ……? そこまでやるの……?』と言うような表情である。具体的に言うと、若干引いていた。

「(……あのー、志騎さん?)」

 銀は顔をひきつらせながらハリボテを操っている志騎に小声で呼びかけるが、当の本人はまったく気づいていない。まさかのノリノリ、恐るべき演技魂である。ここまで演技に魂を込めている幼馴染を見るのは、銀の記憶が正しければ初めてだった。

 だが、ここで止まるわけにはいかない。このオリエンテーションの本命は志騎ではないからだ。さすがの志騎もそれは分かっているのか、生徒達に飛び掛かるような真似はさすがにしていない。つまりは彼も、本命が来るのを待っているのだ。……それにしても、この演技はさすがに過剰すぎだと思うが。

 銀は気を取り直すと、怪獣の前に立ち塞がりながら、

「だ、大丈夫! 皆には、皆と一緒に戦ってくれる正義の味方が付いている!」

 正義の味方、と言われても何の事かは当然一年生達は分からない。それは銀も当然分かっているので、自分の胸に手を当てて一年生達に呼びかける。

「さぁ! 皆で呼んでみよう! お姉さんに続いて! せーの! 国防かめーん!」

「「「国防かめーん!」」」

 一年生達の助けを呼ぶ声(なお、半数は割と本気(マジ))が教室に響くと、教室の扉がまたもや開いた。直後、まるで一年生達の声に答えるかのように凛々しい声とやや可愛らしい声がその場にいる全員の耳に聞こえてくる。

「国を護れと人が呼ぶ!」

「愛を護れと叫んでる!」

『ダレダ!?』

 怪獣が勢いよく振り返ると、教室に入ってきたのは二人組の少女達だった。身に纏うのは青と緑の軍服、腰には刀剣を携えており、軍服の上には外套(マント)を身に着けている。目元は正体を隠すためか、赤とピンクの覆面でそれぞれ覆われていた。少女達は外套を翻しながら怪獣の前へと躍り出ると、左手に刀剣を持ち右手で一年生達に非常に敬礼を行った

「「憂国の戦士! 国防仮面、見参!」」

 二人組の少女達の名乗りに、先ほどまで怪獣の登場に怯えていた一年生達が一斉に湧き上がる。ふと気づくと、正面の黒板にはいつ書き込まれたのか力強い筆跡で『富国強兵』と書かれていた。

 なお、二人の国防仮面の正体は無論須美と園子である。今回のオリエンテーションの悪役が志騎だとするならば、悪を成敗する正義の味方----つまり本命は、須美と園子の二人だ。

 園子と須美はそれぞれ刀剣の切っ先を怪獣に向けると、凛とした声で言い放つ。

「この国から立ち去りなさい! 外国怪獣ガジラ! この美しい国を、あなたのような怪獣に渡すわけにはいかないわ!」

「どうしても出て行かないなら、私達がお仕置きしちゃうよ~!」

 が、当然ここであっさりと退くような真似を悪役がするはずがない。怪獣(志騎)は低い笑い声を漏らすと、

『ヤッテミロ、コクボウカメン……! コノガキドモヲハンバーグニシテクッタアトハ、ショクゴノデザートトシテキサマラノノウズイミミカラヲスイダシテクッテヤルワ……!』

(どうしてさっきから言ってる事がいちいち猟奇的なの!?)

(あまみん、意外に演技上手だね~」

 オリエンテーションであまり言ってはいけない言葉を使って国防仮面を挑発する怪獣に須美は内心ツッコミを入れ、園子は心の中でのんびりとした感想を呟いた。

『グオオオオオオッ!!』

 そしてついに恐ろしい咆哮を上げながら怪獣が両腕を振り上げながら二人に襲い掛かる。が、二人は怪獣の攻撃を冷静に見切ると、すれ違いざまに息の合ったコンビネーションで怪獣の胴体に強烈な斬撃を食らわせた。とは言ってもその刀剣はもちろん刃はついていないので、斬撃というよりは打撃という方が良いだろうが。

 だが、それでもその攻撃は怪獣には効果覿面だった。攻撃された怪獣は腹を抑えるとふらふらと歩く。

『マサカ……ニンゲンニマケルトハ……コクボウカメンオソルベシ……グアアアアアッ……』

 最後にリアルな断末魔を上げながら、怪獣は教室の床に崩れ落ちた。怪獣の最期に一年生達は割れんばかり歓声の声を上げ、須美達はピシッとそんな一年生達に敬礼をする。

 そして銀は怪獣のそばまで行くと、尻尾を持ってずるずると教室の外に引きずっていく。さすがに須美達に倒された直後だというのに怪獣がひょっこりと起きては台無しだからだ。ハリボテの重量はそれなりにあるが、廊下までの距離は近いので何とかなる。

「(志騎、お疲れ様)」

「(……もう二度とやらないからな)」

 先ほどまでやたらとノリノリだったくせにそんな事をのたまう幼馴染に銀はくすりと笑うと、どうにか廊下まで怪獣のハリボテを運び出して「じゃあ、悪いけど戻るな」と言い残して教室に戻っていった。この後も彼女の役目はまだ残っているので、それはさすがに仕方ない。

 しばらく経ってから志騎は怪獣のハリボテ姿のまま起き上がると、教室の扉の隙間から中を覗いてみる。教室の中では銀がかけた音楽に合わせて須美と園子の二人が何やら体操のようなものを踊っていた。

 その体操の名は『国防体操』。命名主は言わずもがな、須美である。

 そして体操の最後を告げるように須美と園子が再び敬礼をすると、生徒達から再び歓声が上がった。

「「「富国強兵ー!!」」」

 これで今回のオリエンテーションは終了である。志騎のハリボテ怪獣を使った演劇に、その演劇で怪獣を見事撃退した二人の国防仮面による国防体操は、見事に一年生達の脳裏に刻み込まれた事だろう。一年生達にとっては神樹館での鮮烈なエピソードになると同時に、須美の思惑通りに彼ら彼女達の心には少しではあるが愛国心が育まれたに違いない。

 なのだが。

「……これ、絶対に後で安芸先生に怒られるパターンだよな」

 富国強兵の四文字に沸き立つ生徒達を半眼で見ながら志騎は呟く。

 そして、オリエンテーション終了後。

「やりすぎ!」

「「「「すいません……」」」」

 志騎の不安が的中し、一年生達への洗脳を試みた罰として、四人は安芸先生からの説教を食らう事となった。おまけにその際に使った国防仮面の衣装と小道具、さらにはガジラのハリボテは全て安芸先生に没収される事となった。

 それには須美だけではなく、志騎も力の入った怪獣のハリボテを回収されたショックで落ち込んだ。さらに後日、園子が安芸先生からうどん禁止令を出された夢を見た事もあり、四人は悲しみを癒すためにイネスで仲良く食事をするのだった。

 ちなみに、志騎が食べたのはやはりラーメンだった。

 

 

 

「……完成だ」

 自分の部屋の真ん中で胡坐をかきながら、目の前の床に置かれているボトルシップの中の帆船を見て、志騎は思わず嬉しそうな声を漏らした。瓶の中にあるのは今はもう見る事ができない外国の帆船である。マストの数がかなり多く、組み立てるのにかなり難儀したが、こうして組みあがったのを見るとやはり達成感が湧き上がってくる。

 本日は日曜日だが、今日は何でも銀が用事があるとの事で、銀以外の三人はそれぞれ自由行動となっていた。なので今日は、前から進めていたボトルシップ作成に朝から力を注いでたというわけだ。

 また、例の如く安芸は大赦の本部に行っている。最近は本当に忙しいのか、家に帰ってくるのも遅くなっていた。学校での仕事に加えて大赦の仕事もあるとなると相当疲労が溜まっているはずだが、安芸本人はそんな様子はまったく見せていない。だが全く見せていないとしても、安芸の体に疲労が溜まっている事は間違いないだろう。その内安芸の都合が良ければ、マッサージでもしてあげようと志騎は思った。

 そしてボトルシップの道具を片付け、ボトルシップが崩れないように丁寧に机の上に置くと、ゆっくりと立ち上がって背中を伸ばしてからベッドに寝転がる。ボトルシップ作成は高度な集中力がいる作業なので、かなり疲れてしまった。少し休憩したら、ホラー小説でも読むかと志騎が思っていたその時、志騎のスマートフォンが振動した。志騎がスマートフォンを取り出して画面を見ると、チャットアプリが起動されており、『仲良し四人組』の文字が画面に表示されていた。履歴を見ると、内容はこんな感じだった。

『駅前で家族と買い物ちう』

『私はその辺をふらふらしてるよー』

「用事って買い物だったのか」

 三ノ輪家はまだ五歳の鉄男と赤ん坊の金太郎がいるためか家族五人揃って買い物に出る事が多い。志騎も暇な時、銀に誘われて一緒に買い物に連れて行ってもらった事がある。

 と、アプリの着信音の直後、画面に新たな履歴が表示された。須美のものだ。

『そのっちは迷子になったら名前を連呼するのよ。銀はお疲れ様』

「いや、さすがに迷子はないんじゃ……」

 志騎が思わず呟いた直後。

『乃木園子です』

『乃木園子です』

『乃木園子です』

「ったく、あいつはもう!!」

 どうやらすでに迷子のようだった。志騎は体を起こすと素早く着替え、縁側を走り抜けてから玄関から外に出ると、鍵をかけて迷子の迷子の園子を捜すために走り出すのだった。

 

 

 

 その後チャットのアプリに、銀が園子を見つけたという知らせを受けた志騎はすぐさまその場所へと向かった。

 辿り着いたのはイネスに続く歩道の途中で、この前志騎が須美と園子が銀を尾行している最中にも通った道だ。家を出てから走り回っていた志騎が肩で息をしていると、捜し人である園子と須美の姿が目に入った。どうやら須美も園子を捜していたらしい。

 そして二人から離れた所では、銀が金太郎をあやしている。志騎が二人に近づくと、志騎に気付いた須美と園子が声をかけてきた。

「志騎君、こんにちわ」

「あ! あまみんだ~! やっぱり勇者って惹かれ合うんだね~」

「惹かれ合うんだね、じゃないよ。迷子になったって聞いて走り回ったんだぞ。まぁ、見つかって良かったけどさ」

 志騎は疲れたようなため息をついてから険しい表情を浮かべ、

「大体、お前もお前だ。お前は乃木家の娘なんだから、もうちょっと緊張感とか持って行動しろよ。誘拐とかされたらどうするんだ」

 志騎の言う事はあながち見当外れでもない。今は人々が神樹に祈りを捧げながら生活を送っているため、人々のモラルはそれなりに高いが、それでも犯罪などが全くないというわけではない。勇者とはいえ、勇者システムが無ければ園子はか弱い十二歳の少女にすぎないのだ。乃木家の持つ膨大な財力目当てに、彼女を身代金目的に誘拐する事だって決して考えられない事ではない。緊急時には決断力が冴え渡る彼女でも、人間の悪意が前ではどうなるか分からないのだ。

 志騎がいつもよりもややきつい口調で言うと、須美が志騎をなだめるように言った。

「志騎君。あなたが言う事は分かるし、そのっちが心配なのは分かるけど、彼女だってそうなる危険性は十分に理解して行動しているはずよ。何も考えていないわけじゃないわ」

「だけど……」

 と、さらに志騎が反論しようとした時、園子の顔が目に入った。彼女は何故か、志騎を前にしてニコニコと笑顔を浮かべていた。

「何がおかしいんだよ」

「あ、ごめんね。別にあまみんが面白いから笑ってたんじゃなくて………。ちょっと嬉しかったんだ~」

「嬉しいって……何が?」

 園子の予想外の言葉に、志騎は思わず苛立ちを忘れて困惑した表情を浮かべる。対照的に園子は変わらずにニコニコと笑みを浮かべながら、

「だって、あまみんが私にそこまで言うのは、私の事を本当に心配してくれてたからでしょ~? それがとっても嬉しくて」

「心配って……。友達だし、心配するに決まってるだろ。それとも、俺がお前の事を心配するのがそんなに意外なのか?」

「意外……ってわけじゃないんだけど、出会った頃のあまみんならそこまで言わなかったんじゃないかなって思って」

 園子の言葉に、志騎は思わず黙り込んだ。

 確かに勇者になったばかりの自分なら、ここまで園子の事を心配していなかったかもしれない。彼女達の力になりたいと思っていたのは同じだが、あの時はまだ知り合ったばかりなので、まだ友達と言うには関係が薄かった。言うなれば、クラスメイト以上友達未満という微妙な関係といったところだろう。当時の自分が先ほどのチャットを見ても、恐らく『園子らしいな』で済ますだろうし、仮に捜しに行ったとしてもここまで必死に捜したりはしなかったに違いない。

 しかし、今自分はあちこちを走り回ってまで園子の安否を確認しようとしていた。それはつまり、最初はただのクラスメイトだった彼女の事を、友達として本当に心配していたのだ。

 志騎が黙っていると、園子は少し困ったような表情を浮かべ、

「心配してくれてありがとう、あまみん。でもごめんね、心配かけちゃって。今度からは私もできるだけ迷子にならないようにするよ~。リーダーだし、しっかりしないと駄目だもんね~」

「……いや、俺も悪かった。心配してたのは本当だけど、ちょっと言いすぎた」

 園子の口調から察するに、須美の言う通り彼女も誘拐されるような危険性は十分に理解しているのだろう。それなのにあのような言い方をしてしまったのは、少しお節介すぎたかもしれない。だが志騎の言葉に園子は「全然気にしてないよ~」と笑顔で返す。彼女の笑顔に思わず体から力が抜けて、志騎はふっと小さな笑みを浮かべた。

 すると、それを傍から見ていた須美が唐突にこんな事を言った。

「こうして見ると、出会った時よりも志騎君、変わったわね」

 志騎は須美の言葉に思わずきょとんとしながら、

「変わった? 俺が?」

「ええ。出会った時よりも表情が柔らかくなったし、すごく話しかけやすくなったと思うわ」

「……柔らかく……」

 志騎は呟くと、まるで自分の顔の柔らかさを確かめるように頬をムニムニとつねり始めた。いつもは冷静な志騎の子供らしい仕草に須美は「そういう意味じゃないのだけれど……」とくすくすと笑い、園子も先ほどのようにニコニコと満面の笑みを浮かべていた。

 と、そんな時。

「あっ! しきにーちゃん!」

 そんな声と共に、銀の弟である鉄男が明るい表情で志騎の元に駆け寄ってきた。どうやら今志騎がこの場にいる事に気付いたらしい。鉄男は志騎の前まで来ると、彼の顔を見上げて、

「ねぇしきにーちゃん! 今度一緒に遊んでよー!」

「いや、別に俺じゃなくても良いだろ? 姉ちゃんに遊んでもらえよ」

「嫌だー! 兄ちゃんとも一緒が良いー!」

「はぁ……。分かったよ。また今度遊んでやるよ」

「ほんと!? 約束だよ!」

「はいはい、約束な」

 そう言いながら志騎は鉄男の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。志騎の顔は口調とは裏腹に、どこか楽しそうだった。そして鉄男が両親の元に戻ると、志騎は挨拶をするように銀の父親と母親にぺこりと頭を下げる。銀の父親は志騎に笑顔を返し、母親の方も柔らかい笑みを浮かべながらひらひらと手を振った。

「(あまみん、将来は良いお父さんになりそうだね~)」

「(ええ、そうね)」

 須美と園子は志騎に聞こえないように、小声でひそひそとそんな言葉を交わし合うのだった。

 

 

 

 

 時間は誰に対しても平等に流れていくが、楽しい時間は何故か普通に流れゆく時間よりも早く過ぎ去っていくように感じられてしまう。

 銀と合流した後、結局四人で遊ぶ事になった彼らは心行くまで自分達の時間を満喫した。

 そして気が付いた頃には、もう辺りは夕日で赤く染められていた。

「あーあ、もう休養期間も終わり、か」

「警戒態勢復活だね~」

「気を引き締めないと」

「訓練もまた続けていかないとだな」

 四人が口々に言うと、志騎達三人よりも前を歩いていた銀がくるりと三人に振り返った。

「オリエンテーションじゃあんなだったけど、楽しかったな!」

「ええ!」

「あっという間だったよ~」

「そうだな」

 今こうして思い返すと、短い間だったのに本当に色んな事があったと思う。

 銀と須美のファッションショー、園子のプチラブレター騒動、貸し切りレジャープール、そして一年生達とのオリエンテーション。最初は正直何をするかと悩んでいた休養期間だったが、こうして思い返してみるといつまでも記憶に残り続けるような日々だったと志騎は思う。

 そして、こうも思う。きっとこれこそが、心の底から楽しいと思えるような日々なのだと。

 やがて四人が分かれ道に差し掛かると、銀が口を開いた。

「おっと。あたしと志騎はこっちか。行こっ、志騎」

「ああ」

 志騎と銀が二人に背を向けた直後、銀は須美と園子に振り返ると笑顔を浮かべた。

「----またね!」

 そして、二人が歩き出した瞬間。

 須美が、銀の左手を突然掴んだ。

 須美の予想もしない行動に銀は思わず須美の顔を凝視するが、須美は両手で銀の左手を掴んだまま、何故か不安に満ちた顔を俯かせていた。

「須美……」

「わっしー?」

「おい、どうした?」

 すると三人の呼びかけでようやく自分のした行動に気付いたのか、須美ははっと顔を上げると銀に謝った。

「はっ……。ごめんなさい!」

 だが銀は須美の行動を咎めず、何かに納得したように頷きながら、

「いや、気持ちは分かるよ」

「休みが終わっちゃう。そう思ったんだよね?」

 銀と園子の言葉が図星だったのか、須美は照れくさそうな表情を浮かべた。

「あたし、休むのには自信あるって言ってたけど……。やっぱお役目だけに、そこまでリラックスできるかなって思ってた」

「でも?」

「ん……。四人でいれば、いらない心配だったよ」

「私も~。とっても楽しかったもん! わっしーも、あまみんもそうだよね?」

「ああ。これはそうだと言っている顔だ」

 二人の言葉に、須美は満面の笑みを浮かべる。そして志騎は一瞬黙り込むと、

「……そうだな。色々あったけど、楽しかった。そう思うよ」

 そう言って柔らかな笑みを浮かべた。いつもは滅多に見せない笑顔に園子と銀は一瞬驚くも、すぐに自分達の大切な友達が笑ってくれた事が嬉しくて、彼女達もにっこりと笑った。それから銀は真剣そのものな表情になると、強い意志を秘めた声で言う。

「バーテックスが神樹様を壊したら、こういう楽しい日常が吹っ飛ぶんだよな? そんな事は、絶対にさせない! なっ!」

「うん!」

「もちろん、同じ気持ちよ!」

 言いながら三人は両手を重ね合わせる。志騎はその手を黙って見つめていたが、それを見た銀が「何恥ずかしがってんだよ」と笑いながら左手で志騎の右手を掴むと、強引に手を重ね合わせる。別にそういうわけじゃ……、と口の中で呟いていた志騎は肩をすくめながら、残る左手も三人の両手に重ね合わせた。

「頑張ろうね!」

「ああっ!」

 自分達の手を重ね合わせて、勇者達は誓うのだった。

 必ずこの日常を、大切な友達を、バーテックスから守り切ると。

「って、これじゃあ帰れないな。解散解散!」

「閃いた! いっそお泊り会しようかー!」

「良いわね! 銀の家で!」

「うち!? 弟二人いるんだぞ!」

「良いじゃない! それに弟さんもいれば、志騎君だって泊まれるでしょ?」

「いや、そういうわけじゃないと思うぞ? ついでに安芸先生も近くにいるから、絶対に叱られると思うが……」

 赤い空に、四人の勇者の楽し気な声が響く。

 その笑い声は、別れを惜しみながら四人が解散するまで続くのだった。

 

 

 

 

 須美と園子と別れ、さらについ先ほど銀と別れた志騎はようやく自宅の前へと辿り着いた。今日の夕飯は何を作るかと考えながら引き戸の前まで歩くと、中からボソボソと人の声が聞こえた。

「----が、----ね?」

「ああ。----く、----した」

(安芸先生に、刑部姫?)

 引き戸からかすかに聞こえてきたのは、今日大赦の本部に行っていたはずの安芸と最近顔を見せていなかった刑部姫だった。どうやら二人揃って玄関で何やら話しているらしい。だが、その声は小さく聞きづらい。まるで、盗み聞きされるのを警戒しているようだった。

 志騎は少し引き戸を開けるのをためらいながらも、いつまでもここにいては仕方ないので引き戸に手をかけるとゆっくりと開けた。

「ただいま……」

 瞬間。

 ばっ! と安芸が刑部姫が勢いよく志騎の方を向いた。二人の過剰すぎる反応に、二人がいた事を知っていた志騎は思わず硬直してしまう。一方、入ってきたのが志騎だと知った安芸はほっと息をつくと、無理やり笑顔を浮かべて言った。

「おかえりなさい、志騎」

「た、ただいま帰りました。あの、何を話してたんですか?」

 志騎が尋ねると、安芸はわずかにこわばった表情を浮かべながらもすぐに平静を装い、

「何でもないわ。それより、お腹空いたでしょ? 今日は私が作るから、ちょっと待っててね」

「え、あ、あの……」

 しかし志騎が言うよりも先に、安芸は家の中へと行ってしまった。いつもは冷静沈着な彼女がああいう態度を取るのは非常に珍しい。一体何があったのだろうか。

 その原因を知っているであろう精霊に志騎が目を向けると、刑部姫は険しい表情を浮かべながら志騎に言った。

「志騎。お前に渡す物がある」

「渡す物?」

「ああ」

 そう言って刑部姫が着物から取り出したのは、USBメモリのようなものだった。刑部姫がそれを志騎に渡すと、志騎はそのメモリをじっくりと観察する。市販されているものとは少し違い、外装は黒く、表には何やら小さなスイッチのようなものが取り付けられていた。裏には雛菊(デイジー)の紋章が刻み込まれており、サイズからしてパソコンに差す用のものではなく、スマートフォンに差して使う物だという事が分かる。

「何だよ、これ」

「お前の勇者システム用の機能拡張デバイス……『キリングトリガー』だ」

「キリングトリガー……」

 『killing(殺す)』とは、これはまたずいぶんと物騒な名前が付いたものだと思う。もっと他に良い名称は無かったのかとツッコミたいが、この精霊のセンスから考えると逆に刑部姫らしいとも言える。キリングトリガーを見ながら、志騎はある事に気付き刑部姫に尋ねる。

「もしかして、お前がここ最近顔を見せなかったのってこれを作ってたからなのか?」

「……そうだ。それはこれから激化するバーテックスとの戦いに向けて、お前が使う事を前提に設計されたデバイスだ。調整に調整を重ねて、今日ようやく完成したんだ」

「へぇ……。でも俺だけなのはさすがに不平等すぎないか? あいつらにも何か作ってやれよ」

 あいつら、というのは言わずもがな銀達の事だ。確かにこのキリングトリガーとやらがあれば志騎の戦力の向上は望めるかもしれないが、バーテックスとの戦いは志騎一人でやるものではない。本当にバーテックスとの戦闘に備えるのならば、銀達の勇者システムにも何らかのパワーアップは必要だろうと思う。

 だが。

「………」

 志騎の軽口に、刑部姫は何も言わず険しい表情を浮かべているままだ。それに志騎が怪訝に思い、彼女に声をかけようとすると、その前に刑部姫が口を開いた。

「志騎」

「な、何だよ」

「いざという時はそれを使え。……だが、できれば使うな」

「えっ?」

 言葉の意味を尋ねようとしたが、その前に刑部姫は志騎に背を向けてリビングへとふよふよと飛び去って行ってしまった。志騎は刑部姫の背中を見つめた後、自分の手の中のキリングトリガーを見つめる。

「……これ、そんなにやばい物なのか?」

 考えてみれば、あの自意識過剰精霊ならば志騎専用のパワーアップアイテムを作り上げた事を声高に自慢しそうだし、アイテムの効力を聞いてもいないのにべらべらと説明するだろう。

 その刑部姫が、あんな険しい表情を浮かべたまま詳しい事は何も言わず、おまけにできれば使うななどという忠告を志騎に送った。それはつまり、今自分が持っているデバイスがそれほど強力な力を秘めているという事だ。

 そしてもう一つ気になるのが先ほどの安芸の様子だ。恐らく帰ってきた時に二人が話していたのはキリングトリガーの事だろう。だが志騎が安芸に何を話してたかを尋ねた時、彼女は何も言わなかった。突如志騎が帰ってきた事に動揺していたとも考えられるが、見方を変えれば志騎にキリングトリガーについて話すのを避けていたともとれる。

 刑部姫はキリングトリガーを志騎の勇者システム専用の機能拡張デバイスだと言っていたが、志騎にはそれだけのアイテムだとはどうしても思えない。

 刑部姫が忠告をし、安芸が話すのを避けるほどの力を持つアイテム。

 このキリングトリガーは、一体どんな力を秘めているというのだろうか。

 しかしいくら考えても志騎には分からず、仕方なく志騎はキリングトリガーをポケットに入れると自分の部屋に向かうのだった。

 

 

 ----志騎はまだ知らない。

 そのアイテムが、今まで考えもしなかった自分の過去を知るための、文字通りの引き金(トリガー)になる事を。

 自分の過去を知る事によって辿り着く真実が、どれほど残酷である事かを。

 そして辿り着いた真実が、彼が今まで過ごしてきた日常を一変させてしまう事も。

 今の志騎は、何も知らなかった。

 

 

 



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第十話 遠足と危機と志騎の怒り

刑「天海志騎は勇者である、前回の三つの出来事!」
刑「一つ! 志騎達が安芸から休暇を言い渡される!」
刑「二つ! 休暇の中で、四人がさらに強い絆を結ぶ!」
刑「そして三つ! 志騎が刑部姫から、強化アイテム『キリングトリガー』を渡された!」
刑「む? 何故志騎ではなくお前がやるのだと? 仕方ないだろう、奴は今回遠足に行っているからな。サービスだ」
刑「さて。聡明な読者諸君ならもう気づいているだろうが、キリングトリガーはただの強化アイテムではない。だがそれが使われるのはもう少し先だ。悪いがもう少し待つように。では運命の分岐点となる第十話を、楽しんでくれ」



 

 ウィーン、と勇者である志騎達四人以外誰もいない早朝の教室に、黒板クリーナーの音が響き渡る。

 クリーナーで黒板消しを綺麗にしていたのはクラスで黒板係を行っている園子だ。一方黒板の前では、保健係であるはずの銀が黒板消しを使って黒板を綺麗な状態にしていた。

「ありがとね~、黒板係の仕事手伝ってもらって」

「良いって。保健係は普段楽してるし! ……須美の並ばせ係は、ビシバシだけど」

 銀の言う通り、須美のクラスメイト達の並ばせ方は少々怖い。何せ、朝礼に向かう前にはクラスメイト達の前に仁王立ちして、

『朝礼に向かいますが、私語をした者には、お灸をすえます!』

 などと言うのだ。なので、その時の須美の姿はクラスメイト達から怖がられているが、そのおかげと言うべきかこのクラスの中に朝礼で私語をする者は一人もいない。

「お灸ってワード滅多に聞かないよな。なっ」

「お役目には常に全力投球よ」

 すると須美の言葉に、園子は手に持っていた黒板消しを銀のものと交換しながら言った。

「お役目と言えば、四体目のバーテックス来ないね~?」

「そう言えばそうだな。もうそろそろ襲ってきてもおかしくないが……」

 考えてみれば、四人が最後にバーテックスと戦ってから結構な時間が経つ。最初にバーテックスが襲来してから二体目、三体目と戦ってきたため、その期間の事を考えると志騎の言う通りそろそろ襲ってきてもおかしくはないのだが、バーテックスの襲来は気配はまったくと言っていいほど感じられない。まぁ嵐の前の静けさという言葉もあるので、油断は一向にできないのだが。

 だが、志騎達には正直今の時期にバーテックスには来てほしくない事情があった。その事情を、二人の会話を聞いていた銀がうなだれながら言う。

「もうすぐ遠足なんだけどなー。その時は来ないでほしいねぇ」

 そう。その事情が、銀の言った通りこのクラスの生徒達で向かう遠足だ。あくまで日帰りと言え、自分達の知らない場所に向かうと聞けば大半の人間は心が弾むものである。実際、クラスメイト達は遠足へ向かうのを非常に楽しみにしていた。もちろん須美や園子、銀もその中の一人です。

 だが、そうとなると一つだけ懸念すべき点がある。

「その遠足なんだけど……。街を離れてしまって大丈夫かしら?」

 須美の言う通り、遠足となれば必然的に自分達とバーテックスとの戦闘の場となる大橋から離れる事になる。もしも遠足の途中にバーテックスが襲来してきたら、その対応が遅れてしまう危険性があるのだ。

 しかし、須美のその心配を園子がやんわりと打ち消した。

「勇者になれば大橋まであっという間だから大丈夫だよ~。来て欲しくはないけどね」

 確かに勇者となった志騎達の身体能力ならば、例え大橋からどれだけ離れていても急いで向かえばすぐにたどり着く事ができるだろう。バーテックスが襲来した時には必ず大橋の鈴が鳴るだろうし、何よりも樹海化の前兆として自分達以外の時間が必ず止まるので、バーテックスの接近に気付かないかもしれないといった心配もない。それに何よりも志騎には大橋に短時間で辿り着く事を可能とするゾディアックフォームがあるので、いざとなればそれを使えば良い。つまり、四人が大橋にたどり着けない可能性はまったく無いのだ。

(……まぁ、最悪の場合こいつもあるしな)

 志騎が自分のズボンのポケットに手をやると、そこには何か掌に収まるサイズの物体が入っているのが分かる。

 キリングトリガー。

 刑部姫が開発した、志騎の勇者システム専用の機能拡張デバイスであり、あの刑部姫がいざという時に使うべきだが、できれば使わないようにと忠告するほど強力な力を持ったアイテム。

 これがどのような力を秘めているのかはまだ分からないが、いざという時にはこれを使う必要もあるだろう。刑部姫がああ言う以上何らかの危険性はあるだろうが、使うのをためらった結果、バーテックスが神樹を破壊し世界が滅びるなどあまりにも笑えない。使うべき時には、迷わずに使おうと志騎は心に誓った。

 そして、そんな事を志騎が考えているとはまったく思っていない銀が笑いながら須美に言う。

「考えすぎてちゃ、何もできなくなるぞー」

「……一理あるわ」

 銀の言葉に須美は納得した様子を見せたが、二人の会話を聞いていた志騎はため息をつきながら銀にジト目を向ける。

「俺としては、お前にはもう少し考えて行動して欲しいんだけどな」

 すると志騎の言葉に、銀は痛いところを突かれたような表情を浮かべながら、

「うぐ……。いや、それは志騎や園子の役目だろ? ほら、適材適所って奴!」

「何だそりゃ……」

 銀の言葉に志騎は呆れるが、無論意地悪で言っているわけではなく、ただの軽口のようなものだ。その証拠に志騎の口元には微かに笑みが浮かんでおり、志騎と銀のやり取りを見ていた須美と園子もまるで微笑ましいものを見るような表情で二人を見ている。

「ま、大丈夫だって! 何があってもこの勇者様が何とかするから!」

「わー! ミノさんカッコいー!」

「調子に乗って足元すくわれないよう気を付けろよ」

「……なんか今日の志騎、やけにあたしへの風当たりが強くないか? アイアンハートのあたしもさすがに傷つくぞ?」

「銀だけにか? いや、アイアンは鉄か……」

 バーテックスが襲来してくる可能性を頭に思い浮かべながらも、気負わず自然体でいる三人が心強く思え、須美は笑みを浮かべると同時に確信する。例え何があっても、この三人とならば大丈夫だと。

「……そうね。私達四人なら、大丈夫ね! 分かった。ありがと!」

 彼女の言葉に三人は笑顔を浮かべながら同時に頷くのだった。

 

 

 

 休み時間、クラスの生徒達がそれぞれ自由に過ごしている中で、勇者四人はいつも通り園子の席の周りに集まっていた。勇者として仲良くなってからは、こうして彼女の席の周りに集まるのが半ば定番となっている。

「あ~、手の豆がチクチク痛い~。今日の鍛錬大変だな~」

 机にもたれかかりながら泣きそうな声で言う園子の両手の四本の指の付け根には、確かに赤いマメができていた。これは確かに槍を握る時はさぞ痛いだろう。

「槍の握り方を変えてみるとか?」

「先生が変えてもどうにもなんないって~」

「よしよし、痛いの痛いの消えてけー」

 銀が手で園子の頭を優しく撫でてやると、園子は「えへへ……」と嬉しそうな笑顔を浮かべた。本当に手の痛みが消えるわけではないだろうが、彼女の心の癒しに少しはなっただろう。

「あとでマメに効く絆創膏を買ってきてやるから、それを貼っておけ。少しは痛みがマシになるだろう」

「ほんと~? えへへ~、ありがとうあまみん。お金はちゃんと払うからね」

「別に良いよそのぐらい。マメが破れたらばい菌が入るかもしれないしな。マメでも、治療は大切だ」

 仮にばい菌が入らないとしても、マメが破れたらかなりの痛みを伴う場合もある。そういった意味でも、マメの対処は必要だろう。

 と、そんな時だった。

「三人にはこれを渡しておくわ」

 須美の言葉と共に、園子の机にどすんと何か分厚い物が置かれた。三人が目を向けると、それはどうやら何かの冊子のようなものだった。断言ができなかったのは、それが冊子と呼ぶにはあまりにも規格外すぎる分厚さだったからだ。その分厚さは、並大抵の辞書のそれをはるかに超えている。本好きの志騎ですら、そのような本や冊子を目にした事は一度も無い。少々物騒な表現になってしまうが、やろうと思えばこれで人を撲殺できるのではないだろうか。

 だが驚くべきは、その冊子が一冊ではなく三冊あるという事だ。つまりその冊子は、志騎達三人のための物という事だろう。何に使うかは一瞬分からなかったが、その冊子の背表紙と表紙に書かれている文字が、何のために作られたのかを示していた。

 表紙と背表紙にはこう書かれていた。

『旅のしおり』。

「す、須美さん……何すかこれは」

 旅のしおりとしては明らかに規格外すぎる分厚さを持つ冊子を目の前にした銀が尋ねると、須美は両腕を組みながら自慢げな笑みを浮かべた。

「見ての通り遠足のしおりよ。データ版は三人の端末に送っておいたわ」

「これをわざわざ作ったんすか!?」

「てか、データ版もあるのかよ……」

 見ての通り、とは言うがどこからどう見てもしおりではなく辞書である。おまけに須美の言う事を信じるならばどうやらデータ版も律義に作ってくれたらしい。これだけの情報量を持つ冊子をデータ化するとなると、それなりの容量を食うはずなので、正直それはやめて欲しかったなと志騎は心の中で思う。

「張り切って夜更かししてしまって、予定よりずいぶん量が増えたわ」

「わっしーは凝り性さんと言うか、のめり込むタイプだよね~」

 自分の目の前に積み重なる三冊のしおりを見ながら園子がほんわかと言う。確かにこの冊子を見ると、そうも言わざると得ないだろう。銀はやれやれと言いたそうに肩をすくめながら、

「将来須美の旦那になる奴は、幸せだけど色々大変そうだ」

「なんでそういう話になるのよ」

「この三ノ輪銀のような男がいればなー」

「お似合いの二人だね~」

 銀が自分を親指で指しながら言うと、須美はなっと小さく声を漏らして顔を背けた。だが紅潮した頬を見るからに、銀の言う事に怒っているわけではなくただ単に恥ずかしいだけのようだ。どうやら須美としても、銀の言葉は満更でもなかったらしい。

「と、とにかく! このしおりを活用して、遠足の準備を済ませておきましょ! 遅れるとお灸よ!」

 言いながら須美が差し出した右手には、本当にお灸の時に使う(もぐさ)が乗せられていた。さすがの志騎も、艾を目にするのは初めてである。

「そういうの、どこで売ってるの~?」

「イネス」

「ナイスイネース! イエーイ!」

「い、イエーイ……」

 そして銀の掛け声とともに、須美と銀はハイタッチを交わす。そんな二人を園子は笑顔で眺め、志騎はやれやれと言いたそうにため息をつくのだった。

 

 

 

 その日の夜、志騎は自室で明日の遠足の準備を整えていた。日帰りなのでそこまで大掛かりではないが、何事も準備は必要である。何が起こるか分からないため忘れ物がないかチェックも必要だが、そこは須美がくれた分厚い旅のしおりが役立ってくれた。持ち運びには不便だが、さすがそれを補って余りある情報量が詰め込まれているだけあり、準備がサクサクと進む。最初は須美の熱中ぶりに呆れた志騎だったが、今では須美の真面目な仕事ぶりに感謝すらしていた。これならばあの銀も明日は忘れ物はしないだろう。

「よし、これで終わりっと」

 必要な荷物をリュックに入れ終え、チェックも完全に終わった。これで明日朝寝坊でもしない限り、家を慌てて出る事はまず無いだろう。そのためにも、今日はもう早く寝た方が良い。きっと引率の安芸先生も明日に備えてもう眠っているはずだ。

 リュックを部屋の片隅に置いて部屋の明かりを消し、さらに目覚まし時計も忘れずにかけると志騎はベッドに潜り込んだ。さぁこれであとは寝るだけだと志騎が目を閉じようとした時、志騎のスマートフォンが鳴った。着信音からすると、いつも使っているチャットアプリに着信が入ったのだろう。

 こんな時間に何だ? と志騎は訝しげに思いながらスマートフォンを取り出してアプリを表示する。

『まだ起きてるか?』

「なんだ、銀か」

 メッセージを送ってきたのは銀だった。だがいつも四人が使っているグループでの画面ではなく、単純に相手と一対一で会話を行う時の画面だった。勇者になる以前から銀とはちょくちょくチャットで連絡を取り合う事もあったため別に不思議ではないのだが、勇者になってからはグループの画面で会話をする事が多くなったため、こうして彼女と一対一でチャットを行うのは久しぶりである。

『どうした、突然。早く寝ないと明日寝坊するぞ』

『それは分かってるんだけどさ、ちょっと目が冴えちゃって……』

『スマホをやってたらますます目が冴えるぞ。早く寝ろ』

『分かってるけどさ。てか、なんかこうしてるとお前お母さんみたいだな』

 うるせぇよ、と志騎はさらにチャットにメッセージを追加して送ってやる。何故だろうか、文字だけのやり取りのはずなのに、銀の笑顔と声が自然と頭の中で再生される。きっとそれほどまでに、彼女との付き合いが長いという事なのだろう。

『そうだ。明日ちょっとお土産選びに手伝ってくれよ。鉄男からお土産頼まれてさー』

『別に俺じゃなくても良いだろ。須美か園子と一緒に選べよ』

『そうなんだけどさ。でもやっぱり同じ男の子のお前の方が何か良い意見をもらえるんじゃないかと思って。なぁ頼むよー』

「……やれやれ」

 自分の意見など聞いてもそれが鉄男の好みに合うかは分からないと思うのだが、こうして頼み込まれては断るのも銀に悪いだろう。志騎はメッセージを打ち込んで銀に送信する。

『分かったよ。付き合えば良いんだろ』

『さっすが志騎! んじゃ、明日はよろしくな!』

『分かったからさっさと寝ろ。寝坊しても、明日は起こしてやれないからな』

『はーい。おやすみー』

『おやすみ』

 そこでメッセージが途切れた。どうやらメッセージ通り銀は夢の世界へと旅立っていったらしい。それを確認した志騎はスマートフォンの電源を切ってベッドに置くと、自分も明日遅れないように目を閉じてようやく眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 そして生徒達が待ちに待った遠足当日、志騎のクラスを乗せたバスは四国の高速道路を順調に走っていた。無論バスの車内には志騎と銀、須美と園子四人の姿もある。志騎は予定通り寝坊する事無く早起きし、銀も時間ギリギリではあったものの早く起きる事に成功した。須美と園子に至っては言わずもがな。

 なのだが、やはり早起きは辛かったのか園子はバスの車内で銀の肩を枕にして早速眠ってしまっていた。とは言っても、園子の場合は朝は大抵眠っている事が多いので、むしろ平常運転と言えるのだが。

 バスはしばらく走り続け、やがて遠足の目的地である公園に辿り着いた。公園と言っても志騎達の街にあるような小さなものではなく、大型アスレチックのあるかなり広い公園だ。そこで生徒達は体操着に着替えて、思い思いの時間を過ごす事になっている。とは言っても、大半の生徒達はまずアスレチックコースで遊ぶのだが。

 そしてアスレチックコースで遊ぶ男子達に混じって、志騎もアスレチックコースを遊んでいた。アスレチックの中にはやや難易度が高いものもあるが、元々身体能力はさほど低くない上に、今では勇者として鍛錬を受けている志騎はすいすいとアスレチックを進んでいく。さらに次のアスレチックとして志騎がうんていに向かうと、先にうんていに挑んでいる銀の姿が目に入った。ここに来てからの彼女はまるで水を得た魚のように活き活きとしていた。

 と、うんていを苦も無く進んでいく銀に、彼女の後ろにいるクラスメイトが言った。

「ねぇ、銀ちゃん」

「どうした?」

「実は、銀ちゃんのサインが欲しいって、妹に頼まれてて……」

「えっ!?」

 クラスメイトからの予想もしない言葉に、銀は思わず驚きの声を上げた。銀がどうして? という表情を浮かべると、クラスメイトが理由を告げる。

「大きなお役目についてるって聞いて、憧れてるんだと思う」

 確かに銀の----正確に言えば勇者のお役目は、内容は公言される事はないものの文字通り世界の存続に関わる非常に大切なものだ。内容を知らぬ第三者がそれを聞いて、一種の憧れの念を抱いてもおかしくはない。

 一方、クラスメイトの話を聞いた銀は一瞬目を丸くしたものの、

「はっ! そうか……。あたしはもう、サインをする側の人間だったの、か!」

 興奮したように言いながら素早い動きでうんていを突き進んでいき、最後に両腕に力を入れて前方に飛ぶと同時に空中で一回転すると華麗に地面に着地する。見事な動きを見せた銀に周りの女子生徒達から拍手が鳴るが、その様子を少し離れた所から須美が心配そうに見えていた。

(あの間抜け……。調子に乗りやがって)

 銀のあのノリは昔からなので志騎はもう慣れたが、いつまでもあんな調子でいるとその内痛い目に遭う可能性が高い。やれやれと志騎はため息をつくと、今までのアスレチックと同じように難なくうんていを進んでいった。

 そして四人は、午前中最後となるアスレチックへと挑んでいた。最後のアスレチックの遊び方は、上から垂れ下がるロープを使って登り高台を目指すというものだ。それなりの高さはあるので手を離したら怪我をする危険性はあるが、逆に両手を離さないよう気を付けていれば高台に辿り着くのは難しくない。

「これを登ったらお昼だね~」

「よーし!」

 アスレチックを見上げてた四人の中で一番先に攻略に乗り出したのはやはりと言うべきか銀だった。彼女は右手で縄を掴むと、左手を腰に回した状態、つまり右腕一本でアスレチックを登っていく。握力とバランス感覚の両方が無ければできない事を、彼女は簡単そうにやってのけていく。

「いや~、ちょっと簡単すぎるなぁ! 片手で登れるよこんなの!」

「こら銀! ふざけないの!」

「油断してたら怪我するぞ」

「へーきへーき!」

 登る銀に須美と志騎の注意が飛ぶが、銀は余裕の笑みを崩さない。さらに先に進むべく縄を再度右手で握った瞬間、右手に痛みが走った。

「マメが……!」

「危ない!」

 その瞬間、右手の痛みに銀は思わず縄から手を放してしまい、須美の声が銀の耳に届いた直後、銀はそのまま重力に逆らえずに地面に落ちる。

 だが落下した銀の体を、須美と園子が左右からしっかりと受け止めた。そのおかげで若干の衝撃はあったものの、特に怪我は無いようだった。

「大丈夫ミノさん!?」

「うん……。びっくりした……」

 その言葉通り、銀は半ば呆然とした表情で青空を仰いでいた。すると銀をたしなめるように、須美がやや厳しい口調で銀に言う。

「銀。楽しいの分かるけど、浮ついてないかしら? お役目の重さ、よく考えて」

「………」

 銀は無言のままゆっくりと体を起こすと、うつむいたまま須美に言った。

「借りは返すよ。そして反省します。口数を減らします!」

 右手で自分の頭を軽く叩く様子は先ほどと変わらずやや軽く見えたものの、大切な友人の忠告を聞き流すほど銀は愚かではない。お役目の重さも、須美達の銀を心配する気持ちも、十分に伝わった事だろう。それに須美と園子がほっとした様子を見せると、志騎も二人と同じように安堵の息をつきながら、

「ま、反省するのは良いとしてだ。怪我は無いか? 頭とかは打ってないよな?」

「ああ、大丈夫。心配してくれてありがとう、志騎」

「別に礼なんていらない。それより本当に気をつけろよ? お前だって、どこぞの誰かのように頭を打って病院で一日寝たきりなんて嫌だろ?」

 するとその瞬間、銀はあからさまに嫌そうな表情を浮かべて、

「志騎……頼むから思い出させないでくれよ……。あたし、今でもあれがトラウマなんだから……」

「あ、そうだったな……。すまん」

 しまった、と言わんばかりの表情を志騎が浮かべると、「分かってくれたら良いよ!」と銀は笑いながらすぐさまアスレチックへと向かって行った。今度は片手ではなく、ちゃんと両手で縄を掴んで確実にアスレチックを登って行っている。その様子を眺めている志騎に、須美が尋ねた。

「ねぇ、志騎君。今のって、どういう意味?」

「ああ、昔色々あってな。一応言っておくけど、あいつにその事を聞くのはやめた方が良い。さすがのあいつもその事についてはあまり話したがらないんだ」

「そうなんだ……」

 基本的に聞かれた事に対しては素直に話してくれる銀が話す事を好まないという事は、彼女にとってもよほど聞かれる事が嫌な事らしい。それはさっきの銀の表情と、うっかり話題に出してしまった志騎の表情から見ても何となく分かる。なので須美は、志騎に言われた通り先ほどの事は銀には聞かない事にした。誰にだって話したくない事の一つや二つあるものだし、大切な友人を不快な気分にさせるのは須美もしたくない。

 だが、それと同時に須美の心にある感情が湧いてきた。

「でも……ちょっと羨ましいわね」

「はっ?」

 突然の須美の言葉に、志騎は怪訝な表情を浮かべながら彼女の顔を見つめる。明らかに、『お前、何言ってんだ?』と言いたそうな顔である。

「だって、それってつまり二人にしかない思い出があるって事でしょ? 何だか、そういうの良いなぁって思うの」

「うんうん! 二人だけの大切な思い出……。ロマンチックだよね~」

 志騎と須美の話を聞いてた園子がうっとりしたような口調で言う。ネットで小説を執筆しているためか、そういう話には人一倍敏感なようである。志騎は呆れたような表情を浮かべながら、

「別にあれはそんな良いもんじゃない。大体、お前達にだって三人にしかない思い出とかあるだろ? この前合宿にだって行ったし。条件は同じだろ」

 勇者である事を差し引いても、四人はとても仲が良い友人と言えるだろう。だがそれでもやはり、志騎と三人の間には男と女という性別の差がある。幼馴染である志騎と銀の二人にしかない思い出があるように、仲良し女子三人という枠組みにしかない思い出だってあるだろう。それなのに、どうして須美は自分と銀に共通の思い出がある事を羨ましいと言ったのだろうか。

「確かにそうかもしれないけれど、でもやっぱり友達とは違う、幼馴染っていう絆があって、その二人だけが共有してる思い出があるって事はやっぱり羨ましい事だと思うし、素敵な事だと思うわ」

「……? そういうものなのか?」

「そういうものなんよ~」

「……そうなのか」

 志騎はそう言ってから腕組みをすると、むぅと唸って黙り込んだ。こうして黙り込むのは、彼が今聞いた事を頭の中でかみ砕いている時の癖のようなものだ。彼と友人になる前は分からなかったかもしれないが、こうしてかけがえのない友人となってからは志騎の仕草が何を意味しているかが須美と園子には段々と分かってきた。まぁ、さすがに二人より志騎と付き合いの長い銀には敵わないだろうが。

「だけど、幼馴染の定義から考えると二人も銀の幼馴染になるんじゃないか?」

「うーん。でも付き合いの長さを考えると、やっぱり志騎君の方が銀の幼馴染って感じが強いのよね」

「----つまり、私達がミノさんの幼馴染を名乗るには、あまみんの屍を超えていくしかないのだ~! 目指せあまみん打倒~!」

「え、俺殺されるの?」

 志騎が少し顔をひきつらせながら言うと、園子は「冗談だよ~」とほんわかした調子で笑った。それにつられたかのように須美も笑い、志騎は疲れたような息をつきながら肩をすくめる。やがて三人は高台で銀が一人で寂しそうに待っている事にようやく気付くと、急いで縄を登り始めるのだった。

 

 

 

 

 

 午前でのアスレチックを終えた後は昼食となる。昼食は公園にあるバーベキュー用の鉄板を用いての焼きそばで、男子と女子それぞれの班に分かれて調理する手順になっている。 

 そして料理の経験があまりない生徒達が多いこういう場で頼りになるのは、銀や須美、志騎のような人間だろう。須美と志騎は普段から家の台所に立って料理を作っているし、銀も時々家族の手伝いとして料理を行っている。彼らが料理を行い、それ以外の生徒がサポートに徹していれば、作業を失敗する事はまず無いと言える。

 志騎がヘラで焼きそばを焦がさないように焼いていると、ジュージューという音と焼きそばの匂いが生徒達の食欲を刺激する。するとそれに耐え切れなくなったクラスメイトが志騎に言った。

「なぁ天海ー、まだー? 俺腹減ったー」

「もうちょっと待ってろよ。あともう少しでできるから。それより、手が空いてるなら皿と箸を用意してくれ」

「はーい」

 クラスメイトが間延びした返事をすると、志騎の言う通り人数分の皿と箸を用意し始めた。

 焼きそばが焦げないように注意しながら、志騎は腕で額の汗を拭う。太陽から降り注ぐ日光と、鉄板の熱気で自然と汗が噴き出してくる。他のクラスメイト達も一緒に焼きそばを焼くのを手伝ってくれてるとは言え、やはりその手つきは志騎と比べると少しぎこちない。とは言っても、日頃から自分と安芸、さらに最近居つき始めた刑部姫の分の料理を作っている志騎が特別なだけで、普通の小学生ならば別におかしくもなんともない事なのだが。

「ねぇ天海君。もうちょっと焼いた方が良いかな?」

「いや、大体それぐらいで良い。それより結構暑いから水分補給とかしっかりしとけよ。あと大丈夫だと思うけど、焼きそばの味が濃いと普通よりも喉が渇きやすいから気を付けるように。それからウィンナーばっかり取るんじゃなくて、キャベツやピーマンもしっかりと乗せる事……」

 と、そこで志騎は何故か周りのクラスメイト達の視線が自分に向けられている事に気付いた。焼きそばを焦がさないように手だけを動かしながら、視線をクラスメイト達に向けて尋ねる。

「何だよ」

「いや……。何か、志騎って……お母さんみたいだな」

「……あ?」

 クラスメイトから放たれたあまりに予想外の言葉に、志騎は思わず本日二度目の間抜けな声を出した。銀に続き、まさかクラスメイトにまでお母さんみたいと呼ばれるとは、さすがの志騎も思わなかったのだろう。焼きそばを焦がさぬようにへらを操っていた両手も、すっかり止まってしまっている。だがそれも一瞬の事で、すぐに手を動かし始めると呆然とした声音で呟く。

「……まさか銀以外から、お母さんと言われる羽目になるとは……」

「えっ?」

「……いや、何でもない。こっちの話だ」

 そう言って志騎はようやくクラスメイト達と一緒に焼きそばを作り上げると、それぞれの皿に焼きそばと焼いた肉やピーマンなどの具を乗せていく。最後に自分の皿に焼きそばと具を乗せると、すでに調理を終えていた銀達の元へと向かう。調理するのは班ごとだが、一緒に食べるグループは特に定められてはいない。

 志騎が三人の元に辿り着くと、志騎の姿を見た銀が声をかけてきた。

「おっ! 志騎も終わったみたいだな! じゃあ四人揃った事だし、早く食べちゃおうよ」

「そうね。……って、志騎君。どうしたの?」

 近づいてきた志騎がいつもは滅多に見せない、ショックを受けたような表情を浮かべているので、気になった須美が尋ねる。すると志騎は呆然とした口調で、三人に聞いた。

「なぁ、三人共……俺はお母さんなのか?」

「「「一体何があったの(んだ)(~)!?」」」

 突然志騎から放たれた奇想天外な質問に、須美と銀はおろかいつもマイペースな園子ですら慌てて突っ込みを入れてしまった。それから三人は、きっと志騎は疲れてこのような質問をしてしまったのだと勘違いし、自分達の焼きそばに乗っている肉や野菜を少し志騎に分けてあげるのだった。

 そしてようやく志騎が我を取り戻し、四人は昼食の焼きそばを食べ始めた。銀は焼きそばに入っている自分が焼いた肉を口に運んでむぐむぐと咀嚼すると、嬉しそうな表情で叫ぶ。

「美味い! 最高! カブト味だな!」

「焼いてないから!」

「………?」

 何故かカブト味という奇妙な単語を発した銀に、やや涙目の須美が叫び、そんな二人に志騎が怪訝な眼差しを向ける。

「美味しいよ~」

「園子はもっと良い肉を食べてるんじゃないのか?」

「このお肉の方が美味しいよ?」

「みんなで食べてるからじゃない?」

「おー!」

 須美の言葉に、園子は目を輝かせながら納得した様子を見せた。確かに志騎も、何故か一人で食べるよりも安芸と二人で食べた方が美味しいと感じた事が何度かある。それを考えると、須美の言っている事もあながち間違いではないのかもしれない。……まぁ、刑部姫が来てからは美味しいというよりも更に賑やかになったという方が正しいだろうが。

 と、園子の口元に焼きそばの食べ残しがくっついている事に気付いた銀がハンカチを取り出した。

「園子、くちくち」

「ありがとう~。……はぁー」

 銀に口元をハンカチで拭ってもらって嬉しそうな表情を見せたかと思いきや、一転して何故か園子は落ち込んだような表情を浮かべだした。

「テンションの乱高下が激しすぎるだろ。どうした」

「わっしーもお料理できて、ミノさんとあまみんもできて、私はできないから、ふと自分が恥ずかしくなったんだよ~」

「焼きそばくらい園子も作れるよ」

「そうだな。お前なら習えばすぐに作れるようになるだろ」

 実際園子は確かに料理ができないが、それはどうしても料理ができないわけではなく、単純に料理の仕方などを習っていないからできないだけだ。基本的に園子は呑み込みが早いので、焼きそばもきちんと教えてあげればすぐに作れるようになるだろう。

「じゃあ、次の日曜日わっしーとあまみんと教えて!」

「「良いけど」」

 と、二人の返事が同時に重なった。それに二人が顔を見合わせると、銀が嬉しそうに言う。

「おっ、ハモった!」

 それに三人はあははは、と楽しげに笑う。一方、焼きそばを食べていた志騎はごくんと焼きそばを飲み込むと、ある人物に鋭い視線を向けた。

「ところで……ピーマン残してないですよねそこの安芸先生!」

「ギクッ!」

 志騎の言葉に、三人から少し離れた所で串刺しのピーマンを前にため息をついていた安芸が体を震わせた。

「ちゃんと食べるわよ!? ちょっと苦手だけど……!」

「前世で何かあったのかな?」

「正直、ここまでピーマン嫌いだとその可能性もあるかもって考えちゃうんだよな……」

 少し涙目になっている安芸に銀が少し困ったような表情を浮かべながら言うと、安芸のピーマン嫌い克服のために日々試行錯誤している志騎がため息をついた。すると、園子がにこやかにアドバイスを安芸に送る。

「そういう時は、ピーマンの精が夜中に会いに来てくれると思うと楽しいですよ~」

「そ、それはユニークね……ありがとう……。スムーズに食べられるわ……」

 だがどうやら園子のアドバイスは、安芸の救いにはならなかったようだ。今頃安芸の脳内には、可愛らしいピーマンの精霊ではなく、むしろピーマンの形をした禍々しい悪魔が思い浮かんでいるに違いない。しかしそれでも安芸のピーマン嫌い克服のための参考になった事が嬉しかったのか、三人は無邪気な笑みを浮かべている。

「先生に褒められた!」

「ご褒美にベルは園子が鳴らしなよ」

「ベル~?」

「後で分かるさ。それより安芸先生、もしもピーマンを残したりしたら……」

「の、残したりしたら……?」

 恐る恐るといった感じで安芸が尋ねると、志騎はギロリと安芸を睨みながら、

「----一週間オールピーマン料理の刑です。おかずだけでなく、みそ汁とご飯にもピーマンを混ぜます」

「いやぁああああああっ!!」

 あまりにも過酷な刑に、安芸がいつもの冷静さをかなぐり捨てて叫んだ。その姿はいつもの頼れる教師の姿ではなく、ピーマン料理に怯える小さな子供のようであった。志騎は水筒に入っているお茶を飲みながら、

「三人共、よく見ておけ。あれが食事による生殺与奪の権を握られた人間の末路だ」

「……うん。お前、たまにやる事がえげつないよな」

「……そうか?」

 志騎は首を傾げるが、そうだと言わんばかりに三人はうんうんと首を上下に振った。

 一方、さすがに一週間オールピーマン料理は嫌なので、串刺しになったピーマンを本当に嫌そうに食べている安芸が涙目で呟いた。

「……はぁ。本当に容赦がないわね……。そういう所だけは、彼女にそっくりなんだから……」

「……? 何か言いましたか?」

「い、いいえ? 何でもないわ」

「……?」

 何かをはぐらかすような態度の安芸に志騎は再度首を傾げるが、当然その理由をピーマンを涙目で食べている安芸が言うはずもない。

 こうして、五人の昼食の時間は瞬く間に過ぎていくのだった。

 

 

 

「アスレチック、全面クリア~!」

「成し遂げたわね」

 最後のアスレチックの頂上で園子の嬉しそうな声と共に、カランカランというベルの音が響き渡る。

 銀の言っていたベル、というのはアスレチックコースを全てクリアした際に鳴らす小さな鐘の事だった。最後のアスレチックには小さなアーチに鐘が取り付けられており、アスレチックを制覇した時にそれを鳴らす事ができるというわけだ。

 鐘を鳴らし終えた四人はその後、公園にある高台へと移動した。高台からは香川の街並みと、街に面する海を一望に眺める事ができる。

「志騎に須美、あたし達の街あっち?」

「ええ、合ってるわ」

「大橋やイネスは……さすがに見えないな」

「そりゃあさすがに距離がありすぎるからな。……って、ここまで来てイネスかよ」

 自分達の街がある方を見て残念そうに呟く銀に、志騎が呆れたように言った。

「ミノさんは本当にイネス好きだね~」

「イネスは良いよ! なんたって!」

「「中に公民館まであるんだから」」

「あったりー!」

「私も分かったよ~」

 どうやら銀の考えている事は幼馴染の志騎はおろか、須美や園子にもお見通しらしい。銀は片手を頭にやりながら、

「もうパターン読まれてきたかー」

「私も読まれてる?」

 と、何故か嬉しそうに園子が言うと、須美と銀と志騎は何故か遠くを見るような表情で、

「そのっちは、読めない」

「きっといつまでも読めない」

「たぶん一生読めない」

 三者三様の言葉に、園子は涙目になりながら両手の人差し指をつんつんと突き合わせ、

「それはそれで寂しいよ~」

「大丈夫! 今の反応ぐらいまでは分かるから」

「本当!? やったー! やったぜ~! ふぉおおおおおお~!!」

「おい、危ないぞ!」

 嬉しそうに周囲を文字通り跳ね回る園子に志騎が注意すると、どうやら彼女の耳には届いていないようだ。テンション高く周囲を動き回る園子に、銀は目を丸くしながら、

「こっからの跳ね具合が予測不可能だ……」

「さすがそのっちね……」

「ちなみに、須美については取り扱い説明書が書けるぐらいに詳しくなったぞ」

「あら、最初のページには何て書いてあるのかしら?」

「結構大変な品物ですので、くれぐれもご注意ください」

「あー、何となく分かる」

「だろー?」

 銀の言葉に、志騎は思わず頷いた。確かにその一文は、鷲尾須美という少女の取扱説明書の最初の文として非常に適格と言えるだろう。一方、志騎と銀の評価を受けた須美はちょっと落ち込んだような表情になり、

「め、面倒くさい人みたいな言われ方ね……。でも確かに納得してしまう……」

「良いじゃん奥行きがあって。あたしのなんて、たぶん新聞のチラシ並みにペラいぞ~」

 すると、手すりにもたれかかっていた須美は顔を上げると銀に視線を向け、

「そんな事は無いわよ。分かりやすくはあるけど、書く事はいーっぱいあるわ! ね、志騎君」

「まったくだ。お前の取り扱い説明書を書こうと思ったら、時間がどれだけあっても足りないな」

「そ、そうか?」

 二人の言葉に銀は恥ずかしそうにしゃがみ込むと、そんな銀の顔を真上から覗き込んで須美が続ける。

「これからも色々な一面を暴いていこうと思うの」

「うひー……。お手柔らかに頼むよ」

 銀が変わらず恥ずかしそうな声音で言うと、ようやくテンションが落ち着いた園子が三人に近づきながら言った。

「実は私、初めミノさんが苦手だったんだ」

「いきなり何だよ!?」

「私も同じよ」

「おいっ?」

「……意外だな。須美はともかく、園子が銀の事を苦手だったとは。どうしてだ?」

 性格が対照的な須美ならばともかく、基本的に誰に対してもフレンドリーな園子が銀の事を苦手に思っていたとはさすがの志騎も予想外だった。銀も結構初対面の人間とはすぐに仲良くなるので、むしろ気が合う方だと思っていたのだが。

「ほら、スポーツできて明るくて、何だか種族が違う気がして……。でも話してみたらこんなに良い人なんだもん。わっしーとあまみんも良いキャラだし」

「私達はキャラ!?」

「割と心外なんだが……」

 園子の言葉に須美が目を丸くして驚き、志騎がジト目を園子に向ける。

「あはははは! なるほどね。確かに話してみないと分からないよなー、こういうのは。気に入ってもらえたなら良かった」

 そう言って差し出した銀の右手の掌には、園子の掌と同じように武器を握る際にできたマメがあった。

「これからもダチ公として、よろしく!」

「こちらこそ~!」

「ええ!」

 その掌の上に、須美と園子が自分達の右手を優しく置いた。

「やれやれ、これからもお前に振り回されるのか……」

「たはは……。まぁそう言うなって。これからも幼馴染として、よろしくな志騎」

「はいはい」

 口調は投げやりに聞こえるものの、割と満更でもない表情を浮かべて志騎は三人の手の上に自分の手を重ねた。

 

 

 

 

 そして楽しかった時間が終わり、生徒達を乗せたバスは夕焼けに照らされる中神樹館へと向かっていた。

 今日はたくさん遊んで疲れたためか、バスの中の生徒達のほとんどは眠っている。真面目な安芸先生ですらも静かに眠っているようだった。今のバスの中で起きているのは、恐らく志騎ぐらいだろう。

 頬杖を突きながら志騎が反対側を見ると、そこには他の生徒達と同じように疲れて眠ってしまった須美、園子、銀の三人の姿があった。よく見てみると、銀は何やら小さな包みのような物を大事そうに抱えていた。

「こいつ……。そんなに嬉しかったのか?」

 その包みの中身は、土産販売の店で志騎が銀と一緒に鉄男への土産を選んでいた時に、彼が購入した櫛である。

 それを最初に見つけたのは鉄男への土産を捜していた銀だった。とりわけ派手ではないが、赤い牡丹の花の装飾が丁寧にあしらわれたその櫛を、銀は一目見て気に入ってしまったらしい。しかしその櫛を購入しようとすれば鉄男へのお土産が買えなくなったしまうので、渋々買うのを諦めようとしたのを見かねて志騎が購入し、いつも世話になっている礼として銀にプレゼントしたのだ。志騎には刑部姫への土産代とは別に日々の安芸からのお小遣いを貯めていた貯金があったため、お土産とは別にその櫛を買う事が出来たのだ。

 櫛をもらい、とても喜んでくれた銀の姿を見て志騎も買った甲斐があったと思ったのだが、その後に志騎から櫛を買ってもらった事を銀から聞いた須美が何故か困ったような笑みを浮かべながら志騎にこんな事を話してくれた。

 曰く、櫛はあまり贈り物には向かないらしい。何でも櫛はその語呂から『苦』と『死』を連想させるため、贈り物に選ぶのはあまり良くないようだ。須美からそれを聞いた志騎は、銀に悪い事をしてしまったと思い、別の物を買ってやるから返せと銀に言ったのだが、銀は折角もらったのに返すなんてもったいないと聞かず、志騎に櫛を返さなかった。その後結局銀が折れる事は無く、またあくまでもそう言われているだけであり、絶対にそうなるわけではないという須美のフォローもあり、志騎は仕方なく銀に櫛を返してもらう事を諦めるのだった。なお、何故かその間ずっと園子は志騎と銀の二人をずっとニコニコしながら見ていた。

 ……余談だが、贈り物には向かないと言われる櫛だが、実は神世紀よりもはるか昔の江戸時代では男性が好きな女性に対してプロポーズする際の贈り物として使用されていた事がある。

 櫛は確かにその語呂から『苦』と『死』を連想させてしまうが、江戸時代では男性が女性に櫛を贈るという行為には『苦労も幸せも共に過ごし、死ぬまで添い遂げよう』という意味が込められていたのだ。

 無論そんな事は志騎も銀も知らず、恐らく須美も知らなかった可能性が高い。唯一園子だけは知っていた可能性はあるが、あくまでも可能性があるというだけで本当に知っていたかは分からない。つまり彼女が志騎と銀を見てニコニコしていた理由は、彼女自身にしか分からないという事だ。

 なお、銀にだけ日頃の礼を贈って須美と園子には何もないというのはさすがに悪いと思ったので、志騎は後日イネスに行った時ジェラートを二人に奢ってあげる事にした。銀の櫛と比べると大分不公平に思われてしまうかもしれないが、志騎の懐事情もあるのでそこは正直見逃してほしい所である。

 志騎が三人から外の光景に視線を戻した時、ふと自分の方に何か重いものが乗っかるのを感じた。横を見てみると、眠っている銀の頭が志騎の肩にもたれかかっていた。それに眉間にしわを寄せながら、肩に乗っかっている頭をどかそうと志騎が左手を伸ばした時。

「……へへ。……志騎……ありがと……」

 銀の口から漏れたその呟きに、彼女の頭に伸びていた志騎の手が止まった。そして少しの間動きを止めてから、やれやれと言いたげに肩をすくめながらもかすかに笑みを浮かべると、再び頬杖をついて外の光景を眺める。自分の肩にもたれかかっている幼馴染の感触は少し重いけれど、何故か今の志騎にはその感触が案外悪くないものに感じられた。

 志騎達を乗せたバスは、徐々に志騎達の住む街へと近づいていく。

 ----そして。

 その平穏を引き裂くように、大橋に取り付けられた大量の鈴が、一斉に鳴り始めた。

 

 

 

 

「ふんふんふふんふ~んた~のしかったな~」

「転ぶわよそのっち」

 まだ遠足の時の楽しさが忘れらないのか、園子は楽しそうに鼻歌を歌いながら三人の前を歩いていた。すると園子同様銀も遠足の時の事を思い出しているのか、銀は両手を軽く上に突き出しながら、

「毎日遠足なら良いのにな~!」

「それ賛成~!」

「何馬鹿な事言ってんだ。勉強しろべんきょ……」

 だが、志騎の言葉が最後まで続く事はなかった。

 何故なら。

 上空を飛んでいた鳥の動きが、空中で止まっていたからだ。

 まるで、時間そのものが止まっているかのように。

 その異変には三人もすぐに気が付いたらしく、須美が緊張を帯びた表情で言う。

「これ……」

「ああ。来るぞ」

 直後。大橋から一筋の光が放たれ、樹海化が始まった。

「敵だ!」

「もう~。せっかく楽しい遠足だったのに~。最後の最後でこれなんて~。意地悪だよ~」

「遠足終わってから来た分、まだマシじゃん?」

「家に帰るまでが遠足なのよ? 銀」

「先生か……。さっさと終わらせて、お土産持ってかないとな!」

 互いに軽口を叩きながら、三人はスマートフォンのアプリを起動、瞬時に勇者へと変身する。

 志騎もスマートフォンを取り出して三つのうちの一つのアプリを起動すると、腰にブレイブドライバーが瞬時に出現、装着される。そしてまた別のアプリを起動すると、スマートフォンから音声が発せられる。

『Brave!』

 樹海化していく世界の中で変身のための術式が志騎の目の前で構築され、さらに志騎が両腕を真上に挙げてから前方で軽く交差させると、ベルトから機械音声が発せられる。

『Are you ready!?』

「変身!」

『Brave Form』

 紋章が表示されたスマートフォンの画面をベルトの装置にかざし、術式が志騎の体を通過すると志騎は他の二人と同じように勇者へと変身を遂げる。

 そして四人の変身が完了すると同時に、世界は完全に樹海へと変貌した。

「だんだんこの景色も見慣れてきたなー」

 斧を両手に持ち、戦いの前の準備体操を行いながら呑気な事を言う銀に、案の定須美の注意が飛ぶ。

「気を付けて銀! そういう時が……」

「一番危ない、でしょ。大丈夫! あたしの服は接近戦用で丈夫に作られてるから!」

「だからって油断は駄目よ! アスレチックでも怪我しそうになったんだから!」

「うぐ……」

 さすがにそれを言われるのは痛いのか、銀は呻き声を出した。

「ミノさん、最近わっしーに注意されるような事をわざと言ってるみたい~」

「あはは! なんだか癖になってさ。須美に怒られるの! 痛てっ!」

 額に突如走った痛みに、銀は思わず額を抑えた。呆れた表情を浮かべた志騎が、銀の額にデコピンをしたのだ。

「あまり須美に気苦労をかけるな。近いうち胃に穴が空くぞあいつ」

「空かないわよ……って言いたい所だけど、このままだと本当に空きそうだわ……」

 疲れながら志騎の言葉を肯定した須美だったが、次の瞬間その表情が再び緊張を帯びる。

 それは他の二人も同様で、はるか前方の方を集中して見つめている。

「来たよ~!」

 園子の言葉を聞きながら、志騎は現れたバーテックスを観察し……、そして思わず呻き声を出しそうになった。

 その理由を、バーテックスの姿を確認した園子が驚きながら叫ぶ。

「ええ~!? に、二体!?」

 園子の言う通り、襲来したバーテックスの姿は二体だった。一体は黄色の体色を持ち、下腹部は得体の知れない液体が詰まったタンクのような形状になっている。尾の部分は球状の物体が連なった形になっており、その先端にはまるでサソリのような鋭い針が備わっている。もう一体は赤い体色で、下腹部には鋏のようなものがぶら下がっている他、体の周りには六枚の反射板のような物が宙に浮かんでいる。 

「そう来たか……!」

「ま、確かに一体だけしか来ないって確証は無かったしな」

 今まで襲来してきたバーテックスは一体だけだったが、それはあくまでも偶然に過ぎない。もしかしたらバーテックスの方も、勇者達の行動を学習して初めて二体同時に襲来するという行動をとってきたのかもしれない。

「力を合わせれば、二体だろうと大丈夫よ!」

「それな!」

 須美の力強い言葉に銀が言葉を返すと、園子が槍を構えながら指示を出す。

「私とミノさんがそれぞれ一体相手をするから、わっしーとあまみんは遊撃で援護してね!」

「任せてそのっち!」

「了解」

「行くよー!」

 須美と志騎が返事をすると、園子と銀は勢いよく二体のバーテックス目掛けて飛び出して行く。二人目掛けてサソリのような形をしたバーテックスが尾の先端にある針を凄まじい速度で振るうが、園子は槍を傘状に変形させて針の攻撃を防いだ。

「あたしは気持ち悪い方と戦う!」

「どっちも気持ち悪いと思うんだ~」

 銀は攻撃を防ぐ園子の後ろから飛び出すと、反射板を持つバーテックスの鋏の攻撃を避けて斧による強烈な攻撃を放つ。惜しくもその攻撃は六枚ある反射板のうちの一枚に防がれてしまい銀は空中を舞うが、ひらりと体勢を立て直すと危なげなく地面に着地する。

「分かりやすい! あたし向きだ!」

 一方、戦況を観察していた志騎はスマートフォンを取り出しながら、

「中々防御が固そうな相手だな。時間もかけてられないし、ここは一気に決めていくか」

『ヴァルゴ!』

Zodiacのアプリの中から乙女座の紋章が表示されたアイコンをタップすると、画面に乙女座の紋章が表示されたスマートフォンをブレイブドライバーにかざす。

『ヴァルゴ・ゾディアック!』

 音声と同時に志騎の体の周りに複数の乙女座の紋章が出現し、両腕を軽く交差させてからゆっくりと広げると志騎の体に紋章が吸い込まれ、志騎の勇者装束の色は純白から紫色に変わり、さらに首にはマフラーが出現した。それだけでなく、志騎の顔には半透明のゴーグルのようなものが装着され、ゴーグルには敵バーテックスの体長や損壊度、さらには周囲の気温や風向きなどの情報が事細かに表示されている。そして志騎が片手を横にかざすとその手に志騎の身長を遥かに超える巨大な大砲が出現した。

 ヴァルゴ・ゾディアック。その特徴は重火器を用いた圧倒的火力。アクエリアス・ゾディアックが高い動体視力と二丁拳銃による素早い射撃を備えたフォームならば、ヴァルゴ・ゾディアックはその火力で防御の固い敵を打ち砕くのに重点を置いたフォームである。ただ火力が高い反面志騎自体の動きは他のゾディアックフォームと比べると鈍く、下手をすると仲間をも巻き添えにしかねない危険性も孕むため、仲間との連携が鍵となるフォームでもある。

 そして志騎が手にした大砲をバーテックスに向け、引き金を引くと反動が志騎の体を襲うと同時に大砲から霊力で構成された砲弾が発射され、バーテックスに直撃しその体が大きくのけぞる。さらに追い打ちのためにもう一発砲弾を放つが、今度の攻撃は一枚の反射板に攻撃を防がれてしまった。砲弾の威力が強かったためか攻撃が反射される事は無かったが、攻撃が防がれた事に志騎は舌打ちをする。

「今度は防がれたか……。だけど、援護するのは俺だけじゃないぞ」

 そう呟いた直後、今度は須美の矢がバーテックス目掛けて発射された。矢はバーテックスに突き刺さると爆発し、その体を先ほどと同じようにのけぞらせる。

「二人共、ナイス!」

 その隙に銀がバーテックスの体に強烈な一撃を加えると、バランスを崩したバーテックスはその場にゆっくりと倒れこむ。

 一方、園子の方は執拗に攻撃を仕掛けてくるサソリのバーテックスの攻撃を傘状に変形させた槍で防いでいた。攻撃を防ぐ事に集中していれば攻撃を食らう事は無いだろうが、逆に園子から攻撃する事もこのままではできないだろう。

「当たると痛そうだな~」

 が、園子を援護するように須美が矢を放つと、矢が勢いよくサソリのバーテックスの体に刺さる。それを見た園子は瞬時に槍を元の形状に戻すと、高く跳躍して突き刺さった矢目掛けて槍を勢いよく突き出した。

「そこー!」

 突き刺さった矢に強烈な一撃を加え、園子がすぐさまその場から飛びのいた直後矢が爆発し、バーテックスが大きくのけぞる。さらに志騎もそのバーテックス目掛けて砲弾を発射し、さらなる追い打ちをかける事に成功する。

 状況は明らかに志騎達が優勢だった。バーテックスの二体同時襲来という予想外の事態に最初は戸惑ったものの、今は全員冷静さを取り戻しバーテックスとの戦闘に集中できている。このままいけば、無事にバーテックスを撃退する事ができるだろう。

 だが、戦いの中で何故か志騎は奇妙な感覚を覚えていた。

(……何だ? あいつらの能力……うまく言えないけど、何か変な感じが……)

 志騎が奇妙に感じているのは、二体のバーテックスの攻撃方法と能力だった。

 銀が相手をしているバーテックスの能力は、六枚の反射板を駆使しての防御に鋏を用いた攻撃。そして園子が相手をしているバーテックスの攻撃は、長い尾を駆使した薙ぎ払いと尾の先端にある針を用いた鋭い刺突だ。

 しかし、その攻撃方法と能力のどこを奇妙に感じているのか、志騎本人もうまく分からないでいた。確かに攻撃そのものは強力だが、それは今まで戦ってきたバーテックスも同じだし、攻撃も非常に奇抜というわけではない。むしろシンプルとすら言えるだろう。

 なのに何故、そのような感覚を覚えるのか志騎には分からない。

 いや、正確にはその理由らしき感覚の名前に心当たりはあるのだが、それこそ何故その名前が思い浮かぶのかが分からない。

 その感覚の名前は、

(見覚えが、ある?)

 そう。何故か二体のバーテックスの攻撃方法と能力に、志騎には見覚えがあったのだ。

 当然ながら、今目の前にいるバーテックスと戦うのは今回が初めてだ。今まで戦ってきたバーテックスの中にも、二体と同じ能力を持ったバーテックスはいなかった。

 それなのに、何故まるでどこかで見たような感覚を、二体のバーテックスに覚えたのだろうか。

 そこまで考えたところで、志騎はぶんぶんと余計な考えを振り払うように頭を左右に振った。

 確かに気になるが、今は戦いに集中するべきだ。状況は優勢だが、気を抜いて逆転されるという事態だってありえないわけではない。第一そこまで気を抜ける相手でないのだ。

 そして改めて気を引き締め、志騎がさらなる援護を行うとした瞬間。

 志騎の顔に装着されたゴーグルに、ピピっという電子音と共に予想外の情報が映し出された。

(嘘、だろ!?)

 映し出された情報に驚愕の表情を浮かべた志騎は、大声で三人に叫んだ。

「須美! 園子! 銀! 三体目だ(・・・・)!」

 直後。 

 どこからか無数の矢のようなものが、文字通り雨のように降ってきた。

「やべっ……!」

「まずい!」

「みんな、こっち!」

 想定外の攻撃に銀と須美が焦った表情を浮かべると、園子が声を張り上げながら槍を傘状に変形させる。志騎はその場から跳躍してどうにか傘状に変形した槍の下に潜り込み、続いて須美と銀も槍の下に入り間一髪攻撃から身を防ぐ事に成功する。一方、雨のように大量に降り注ぐ矢は志騎達だけでなく、味方であるはずのバーテックスをも巻き添えにしており、二体の巨体には無数の矢が突き刺さっている。

「なんだよこれ……」

 銀が呟いた瞬間。

 サソリ型のバーテックスが長い尾を鞭のように振るい、四人の体を叩きのめした。銀はどうにか防御に成功したものの、一瞬反応遅れた須美と園子と志騎はまともに攻撃を食らい空中へ吹き飛ばされ、さらに三人に再びバーテックスの長い尾による追撃が放たれる。強烈な攻撃を二度続けて食らった三人は樹海を転がり、数メートル進んだ所でようやくその体は止まった。

「須美! 園子! 志騎!」

 唯一攻撃を防いだ銀は三人の名前を必死に呼びながら、三人のそばへと降り立つ。

 攻撃を食らった三人の体はボロボロだった。体中にはバーテックスの攻撃による傷が大量にできており、口や頭からは鮮血が流れ出ている。園子は体が動かせないのかぐったりとしており、須美と志騎はどうにか起き上がろうとするも体中に走る激痛のせいでまともに動く事もできない。

「三人共、大丈夫か!?」

 今にも体がバラバラになってしまいそうな激痛をこらえながら、須美はどうにか起き上がって矢を放った原因を見る。

「あいつが矢を……」

「ああ……三体目だ……。くそ、気付かなかった……!」

 見てみると、二体のバーテックスの後ろに新たな三体目のバーテックスの姿があった。体の下半分はまるで顔のように見え、上半分は人間の口のようになっている。矢による攻撃を放ったのは、間違いなくあのバーテックスだろう。

 そして四人に追い打ちをかけるように、三体目のバーテックスの上部の口が大きく開き、そこに巨大な矢が装填される。それをハッとした表情で見ると、志騎は痛みをどうにか無視して叫んだ。

「----長距離射撃だ! 逃げろ!」

 だが、今の四人にその攻撃を避ける事などできるはずがなく。

 バーテックスの矢が、四人に向かって放たれた。

「くっ!」

 銀は斧を力強く握ると、三人の前に立ち矢を防ごうと斧を構える。

 その幼馴染の姿と迫りくる矢を目にしながら、志騎はようやく先ほどから覚えていた奇妙な感覚の正体に気づいた。

(そうか……ようやく分かった……! どうしてバーテックスの攻撃や能力に見覚えがあるのか……!)

 先ほどまで分からなかったが、今の大量の矢の攻撃でようやくその理由に気づく事ができた。

 大量の矢による攻撃。

 反射板による防御。

 長い尾を利用しての薙ぎ払い。

 それらはまるで。

俺のゾディアックフォームと(・・・・・・・・・・・・・)……同じじゃねぇか(・・・・・・・)……!)

 志騎は今まで全てのゾディアックフォームを実践で使った事は無かったが、合宿の時に刑部姫から各フォームの特徴を頭に叩き込まれたおかげで、どのフォームがどのような攻撃方法や能力を持っているのかを熟知していた。

 例えば敵のバーテックスの六枚の反射板による防御は、最初にバーテックスと戦った時に使用したキャンサー・ゾディアックの能力と非常に酷似している。

 長い尾による薙ぎ払いと強力な刺突はゾディアックフォームの一つ、サソリの尾を模した武装による薙ぎ払いと強力な毒を秘めた刺突を得意とするスコーピオン・ゾディアックに。

 今の大量の矢による広域攻撃は、同じく大量の矢によって多数の敵を殲滅するのに向いているサジタリウス・ゾディアックの攻撃に、といった具合にだ。

 また、志騎が今放たれたバーテックスの矢による攻撃が長距離射撃である事を一目で見抜いたのもそれが理由である。サジタリウス・ゾディアックの特徴は大量の敵を一気に葬り去る無数の矢と、はるか遠方にいる相手を貫く長距離射撃だ。つまり、何故かバーテックスの攻撃が自分のゾディアックフォームの特徴に似ていたからこそ、どのような攻撃が来るかも予想できたというわけだ。

 だが、志騎がその事にようやく気付いた時にはもう手遅れだった。

 遠方にいる相手を貫く矢が四人に迫り、銀が三人の前に立ちふさがり矢を防ごうと斧を構えるが、たった一人で止められるような攻撃ではない。

 つまり、結果は火を見るより明らかだった。

 巨大な矢を銀はどうにか受け止めるものの、矢そのものの威力に周りの地面が破壊される。

 地面が破壊され、仲間達が吹き飛ばされる光景を最後に、志騎の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

「ぐっ……!」

 攻撃によって吹き飛ばされた銀は体に走る痛みをこらえながら、どうにか起き上がると自分の体の状態を確認する。

 幸いと言うべきか、派手な出血を伴う傷は体のどこにもない。つまり、自分はまだ戦えるという事だ。

 しかし、今はそれよりも先に行うべき事がある。

「須美! 園子!」

 友人達の名前を呼びながら辺りを見回すと、二人の姿はすぐに見つかった。銀はすぐさま二人に駆け寄って状態を確認する。

 相変わらず二人の体からは毒々しい赤色の血が流れているが、二人の息はまだある。それにほっとしたのも束の間、銀はある事に気づいた。

「……志騎?」

 まだ見つかっていない幼馴染の名前を呼びながら、周囲を必死に見渡す。

 が、彼の姿は、どこにも無かった。

「----! し、志騎! 志騎!!」

 懸命に呼びかけるも、返事はない。もしかしたら、声が届かない場所まで吹き飛ばされてしまったのかもしれない。

 心臓の鼓動がとてつもないほどに早く感じ、呼吸が荒くなる。額から流れる汗が気持ち悪い。

 勇者装束を強く握りながら、銀はどうにか落ち着こうと一度深呼吸をすると、状況を確認する。

 須美と園子は共に重傷。志騎はどこにいるか分からない。バーテックスは今も神樹に向けて侵攻中。

 志騎を早く探しに行きたい。だが二人の傷も心配だ。バーテックスも止めなければならない。

 この状況の中で、自分にとって優先すべき事は……。

「----っ!」

 銀は奥歯を強く噛み占めると、園子と須美を抱え、目の前の下り坂状になっている根を滑り落ちる。

 やがて根を滑り終えると、その場にしゃがみ込んで抱えていた須美と園子の二人をゆっくりと横たわせた。

「銀……」

 体に走る痛みをこらえながら須美が銀の名前を呟くが、当然今すぐ動けるような傷ではない。今の状況を冷静に考えながら、銀は腰を上げた。

「動けるのはあたし一人……。ここは、怖くても頑張りどころだろ!」

 そう、力強く銀は言った。

 きっと彼女も、怖いはずなのに。

 自分達をボロボロにしたバーテックスの力を、先ほど見せつけられたはずなのに。

 それでも彼女は、その顔から笑みを絶やさなかった。

「----あたしに任せて、須美と園子は休んどいて! ……またね!」

 まるで学校の帰りに見せるような口調と笑顔で言うと、銀は二人に背を向ける。

 それから樹海にちらりと視線をやりながら、姿の見えない幼馴染に向けて心の中で呟いた。

(志騎。ちょっと待っててくれよ。バーテックスを早く倒して、必ず見つけに行くから!)

 そして銀は、三体のバーテックスがいるであろう場所へと、走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 ----奇妙な、夢を見ていた。

 景色を見る限り、そこは樹海のはずだった。だがその視線はいつもよりもかなり高い。まるで高い建物の上に立っている状態で樹海をゆっくりと進んでいるような、そんな感覚だった。

 そして進む自分を遮るように、前方に赤い装束を身にまとった一人の少女が立ちふさがっているのが見えた。両手には少女の手には到底扱えなさそうな斧を持ち、鋭い眼光は自分を----否、自分達をまっすぐ睨みつけている。

「随分前に進んでくれたけどなぁ……! こっから先は、通さない!!」

 その叫びを引き金として。

 少女と、三体のバーテックスとの、絶望的な戦いが始まった。

 

 

 

 

「----銀!」

 と、夢で見ていた少女の名前を口にしながら志騎は勢いよく飛び起きた。

 周囲を見回してみるも、少女の姿はどこにも無い。それどころかバーテックスの姿も、須美と園子の姿も無かった。

「くそ、一体どれぐらい気を失ってたんだ……!?」

 状況を見るに、どうやら自分はあの矢を放つバーテックスの攻撃の余波を食らって、三人とは離れた場所に吹き飛ばされてしまったらしい。不甲斐なさで奥歯を噛みしめながら、先ほど見た夢について考えを巡らせる。

(さっきの夢は何だ? ただの夢なのか? でも夢にしては現実感がありすぎた。あれがもしも、本当に今起こっている事なら……)

 銀はたった一人で、三体のバーテックスと戦っている事になる。

 その事実に自分の心臓が馬鹿みたいに早くなっているのを感じながら、志騎は自分の顔のゴーグルを操作する。

 ヴァルゴ・ゾディアック時の志騎の顔に装着されているゴーグルはバーテックスの状態やその場の気温などを視覚的に捉えるだけではなく、自分がいる位置を中心としたマップを表示する事もできる。またその際は念じるだけで表示を変える事が可能なので、わざわざ手を使う必要もない。

 スコープにマップが表示されるが、周囲にはやはり自分以外の反応はない。ならばとマップの範囲を限界まで広げてみると、ようやく三人とバーテックスの情報が表示された。須美と園子は青色と紫色の点で表示されており、こことは離れた場所に二人揃った状態でいる。あの怪我だと動く事も困難なはずなので、それは仕方ないだろう。

 まずいのは銀の方だ。赤い点で表示された銀は、現在三体のバーテックスと交戦中だった。おまけにここからかなり離れており、勇者の姿で走ったとしても間に合うかどうか分からない。

 このままでは銀は確実にバーテックスとの戦いの中で、死ぬ。

 正直なところ、悪くてバーテックスにかなわずそのまま殺されるか、良くても相打ちといった所だ。つまりこのままでは、銀は確実に死ぬだろう。

 このままでは、の話だが。

「……させるかよ」

 呟きながら志騎はゆっくりと起き上がると、銀とバーテックスがいるであろう方向を睨みつけてからスマートフォンを取り出す。

 不幸中の幸いと言うべきか、気を失っている間に志騎の体の傷は少し癒えていた。変身していたヴァルゴ・ゾディアックが他のフォームに比べて防御がやや高いのも幸いしたのだろう。おかげでまだ万全の状態とは言いがたいが、戦闘自体は可能である。

 ならばやる事は、一つだけだ。

 志騎がスマートフォンを操作し、Zodiacのアプリにある一つのアイコンをタップすると、アイコンに表示されている英単語が女性の機械音声で発せられた。

『----ジェミニ!』

 

 

 

 

 

 

 一方、銀と三体のバーテックスの戦いは、半ば志騎の予想通りになっていた。

「がはっ……!」

 地面に横たわりながら、銀は口から血を吐いた。

 その体はもう満身創痍だった。体中に至る所に傷が刻み込まれ、顔にも切り傷ができている。脇腹には矢で射抜かれたような痛々しい跡があり、そこからも決して少なくない血が流れ出していた。

 そんな銀の体に対してバーテックス達の体には、何の傷もなかった。

 いや、正確には銀が何発か強烈な攻撃を食らわせてやっていたのだが、すでにその傷はもう再生されてしまったのだ。

 傍から見ても、両者のどちらが有利などすぐに分かる。

 たった一人、しかも満身創痍状態で、体を少し動かすだけで体中に激痛が走る銀。

 それに対して、無傷の上に攻撃を与えても再生し、人間を簡単に殺す事ができる攻撃能力を持つ三体のバーテックス。

 どう考えても、ひっくり返す事などできない力量の差。

 大抵の人間ならばもう、ここで諦めてもなんらおかしくない。

 それほどまでに、絶望的な状況だった。

 しかし。

(……こいつらが、神樹様を壊せば……!)

 銀の目は、まだ死んでいない。ギラギラと力強い光を秘めた目でバーテックスを睨みつける彼女の脳裏には、彼女のいくつもの大切な存在が浮かび上がっていた。

 勇者になってできた大好きな友達、須美と園子。

 厳しいけれど自分達をいつも見守ってくれる先生、安芸。

 お役目の内容は知らないけれど、自分達を真摯に応援してくれるクラスメイト達。

 自分を大切に育ててくれた母親に父親、自分の帰りを待ってくれているかけがえのない二人の弟。

 そして……幼い頃からずっと一緒だった大切な幼馴染、志騎。

 もしもバーテックスが神樹を破壊したら、彼らも、自分達が送っていた温かい日常も間違いなくこの世界から消えて無くなる。

 それだけは、絶対に看過する事は出来ない。

「させるもんか……。絶対、させるもんか……!」

 激痛が走る体を無理やり動かしながら、銀は言う。

 体から血が地面へと落ちるが、そんなの知った事ではない。

「----絶対!!」

 走りだす銀目掛けて、バーテックスが無数の矢の雨を降らせる。

 その攻撃を二本の斧で防ぐが、全部は防ぎきれず何本かは銀の体に傷をつける。

 それでも、銀は怯まない。

「帰るんだ……! 守るんだ……!!」

 迫りくるバーテックスの尾を切り飛ばしさらに前に進む銀に、赤いバーテックスの鋏が迫る。その攻撃も防ぎながら銀は前へ前へと進む。

「化け物には分からないだろ、この力!!」

 だが銀の肩に、放たれた矢の一本が穴を空ける。肩から血が噴き出し、銀は苦痛に顔を歪めながらなおも武器を振るう。

「これこそが……人間様の……!!」

 足に矢が突き刺さる。

「気合と……!!」

 脇腹に傷ができ、血が噴き出す。

「根性と……!!」

 腕に矢が突き刺さる。

----それでも、少女は諦めない。

「----魂ってやつよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 樹海に銀の咆哮が響き渡る。 

 感情のない、誰かを思いやる心のない、魂のない化け物に叫ぶ。

 しかし。

 そんな銀を嘲笑うように、再生したバーテックスの尾が迫りくる。

(……あ)

 攻撃に銀が気づくが、もう遅い。

 人間をたやすく殺すその尾が凄まじい速度で迫り、銀の体を吹き飛ばそうとした瞬間。

 

 

 どこからか放たれた霊力の弾丸が尾に直撃し、攻撃を防いだ。

 

 

「----え?」

 思わずそんな声を出した銀の耳に、どこからかけたたましい音が聞こえてきた。

 最初はその音の正体が分からなかったが、音が自分達に段々と近づいてくると、その音が聞いた事のあるものである事に銀は気づく。

 だが、銀は正直それが本当に自分の知っている音と同じものなのか信じられなかった。

 音源である物が樹海に存在しているはずがないと銀が思っていたのもそうだし、何よりもその音は銀が知っている音と比べて遥かに大きい。

 しかし銀の予想を裏付けるように、音源がこちらに迫ってくるのが銀の視界に入ってきた。

 それは。

「……バイク?」

 目に入ってきたそれを見て、銀は思わず呆然と呟いた。何故ならば、こちらに迫ってきているバイクが自分の知っている物とはかけ離れた形をしていたからだ。

 そのバイクを一言で言い表すならば、『鎧を纏ったバイク』と言った所だろうか。馬鹿馬鹿しい表現だと思われるかもしれないが、正直それ以外に表現できる言葉が見つからない。

 どのような改造を施したのか車体のほとんどは強固な装甲で覆われており、元のバイクの原型をほとんど留めていない。さらに速度も普通のバイクよりも桁外れであり、もしも普通の人間が乗っていたら、一秒も持たずに運転席から放り出されているだろう。そしてそのバイクのエンジンからは、普通のバイクのエンジンと比べて遥かに大きい音が発せられている。それはまるで、魔獣の咆哮のようですらあった。

 普通の人間では乗りこなす事はおろか走る事すら不可能なそれは、まさに『モンスターマシン』という名に相応しい。

 が、ここで一つ疑問がある。

 普通の人間では乗りこなす事すら難しいバイクに乗っているのは、一体誰なのだろうか?

 答えは、すぐに分かった。

「……志騎?」

 バイクの運転席にまたがり、険しい表情を浮かべているのは、つい先ほどの戦闘で姿を消していた銀の幼馴染、志騎だった。彼の勇者装束の色は、彼のゾディアックフォームの一つであるジェミニ・ゾディアックの色である群青色に変わっている。なお、彼が登場しているバイクの色も同じ群青色だった。

 ジェミニ・ゾディアック。その特徴は専用マシン『ブレイブチェイサー』を用いた高速機動戦。

 小回りの利く素早い動きならばゾディアックフォームの一つであるリブラ・ゾディアックの方が上だが、速度そのものならばこのジェミニ・ゾディアックの方が遥かに上だ。何せこのブレイブチェイサーは、最高速度650kmという馬鹿げた速度を叩き出す上に、バイクの装甲による体当たり攻撃等も得意とする。つまり、このブレイブチェイサーそのものがジェミニ・ゾディアックの武器なのだ。最高時速650kmという速度と強力な装甲を掛け合わせた体当たりは、バーテックスの強固な体を容易く破壊する事すら可能とする。

 ちなみに、志騎はこのマシンの性能を初めて聞いた時、思わずドヤ顔の刑部姫に向かって「馬鹿じゃねぇのこれ作った奴?」と口で言ってしまった。

 なので志騎は当初、これを作った奴は本当に馬鹿なのではないかと思ったが……、今は製作者に感謝の念すら覚えている。

 何故ならこのマシンがあったおかげで、この戦場に間に合う事ができたのだから。

 志騎は右手に握っているガンモードのブレイブブレードの銃口を三体のバーテックスに向けると、引き金を引いて銃弾を次々と乱射する。もちろん倒すためではなく、牽制のためだ。

 すると矢を放つバーテックスが銀から志騎に標的を変え、無数の矢を志騎に向かって放つ。それに慌てる事無く志騎がハンドルを少し力を込めて握ると、バイクの速度がさらに上がり迫りくる矢を全てかわしきる。

 ブレイブチェイサーは厳密には志騎の運転で動いているのではなく、志騎の脳波を受けて動いている。なので運転技術がない志騎でもこうして見事にブレイブチェイサーを運転できるし、その気になればバイクに乗っていない無人の状態でブレイブチェイサーを意のままに動かす事だってできる。

 バーテックスの攻撃をかいくぐるとブレイブブレードをブレードモードに戻してから腰に装着し、右手でハンドルを握りながら左手を横に突き出す。その先にいるのは、体中血だらけの銀だ。

 二人の距離はどんどん近くなっていき、ついに志騎の左手が彼女の胴体を抱え上げた。

「志……騎……」

「黙ってろ。舌を噛むぞ」

 言いながら志騎が器用に銀の体を肩に抱え上げた直後、ブレイブチェイサーの前輪を軸にしてまるで円を描くように180度方向転換し、そのまま三体のバーテックスの真下を猛スピードで通過する。戦場から去ろうとする志騎に向かって再び無数の矢が放たれるが、ブレイブチェイサーの大型マフラーから爆炎が噴き出すと車体の速度がさらに上がり、先ほどのように攻撃の回避に成功する。

 志騎は後ろを見て三体のバーテックスの姿が遠くなっていくのを確認すると、再び前方に視線を戻し速度を少し緩める。

 やがて三体のバーテックスの姿が完全に見えなくなり、ひとまず安全になったのを確認するとブレイブチェイサーを停めて車体からぴょんと降りる。志騎の身長では、ブレイブチェイサーに乗っている状態だと地面に足が届かず車体を跨ぐ形で降りる事が出来ないからだ。

 そして抱えていた銀を静かに降ろすと、スマートフォンを取り出してアプリを起動する。

『ヴァルゴ!』

『ヴァルゴ・ゾディアック!』

 ヴァルゴ・ゾディアックにフォームチェンジをすると服の色が群青色から紫色に変わり、ブレイブチェイサーが花びらと共に消失する。その代わりに首元に現れたマフラーをビリビリと裂くと、その布で目を閉じてぐったりとしている銀の体の出血箇所に布を巻いて出血を防いでいく。治療を受けるまで安心はできないが、一応の応急処置にはなるだろう。 

 やがてあらかたの傷の応急処置を終えて志騎が立ち上がろうとすると、銀がうっすらと目を開けた。

「……志……騎……」

「喋るな。傷が開く」

 だが、志騎の言葉に構わず銀は激痛に顔をしかめながら続けた。

「……戦いに行くんだろ……? あたしも、行く……」

「馬鹿言ってんな。その体で何ができる。次は本当に死ぬぞ」

「……一人じゃ、駄目だ。……一緒に、戦わなきゃ……」

 口ではそう言うものの、やはり先ほどのダメージが効いているのか体を満足に動かす事すらできない。少しでも体を動かそうものなら、今まで味わった事のない激痛が銀の体を襲い動きを阻害する。その痛みに銀が動けずにいると、志騎が銀の額にぺちん、とまったく威力のないデコピンを放った。

「良いからお前はここにいろ。すぐにあいつらを倒して、戻ってくるから」

 そう言って志騎は立ち上がると、再びスマートフォンを取り出してZodiacのアプリを起動しジェミニのアイコンをタップする。

『ジェミニ!』

『ジェミニ・ゾディアック!』

 スマートフォンをブレイブドライバーにかざしてジェミニ・ゾディアックにフォームチェンジをすると、志騎の目の前に花びらと共にブレイブチェイサーが出現する。銀が薄く目を空いた状態で志騎を見ると、彼は口元にかすかに柔らかな笑みを浮かべながら、銀に告げた。

「----じゃあな」

 そしてブレイブチェイサーに飛び乗りハンドルを握ると、三体のバーテックスが待つ戦場へと再び向かっていく。その後ろ姿を見ながら、銀はついに意識を失った。

 

 

 

 

 

 ブレイブチェイサーに乗った志騎は三体のバーテックスの姿を確認すると、三体を一気に追い抜く形で前に出てから車体の向きを変え、三体の前に立ち塞がる。それは奇しくも、つい先ほどこのバーテックス達の前に立ちふさがった銀のようであった。

 バイクからぴょんと飛び降りて目の前のバーテックスを見ながら、志騎は静かに声を出す。

「……さて。お前達よくも、園子と須美を……俺の友達を、傷つけてくれたな」

 彼の声はまるで感情が込められていないかのように、とても平坦で、とても静かだった。

「……よくも銀を……俺の幼馴染を、ズタボロにしてくれたな」

 だがそれは、何も感じていないからではない。

 それは言うならば、嵐の前の静けさ。その静けさには、荒れ狂うほどの激情が内包されている。

 実際に今の志騎の状態はいつもと違っていた。

 拳は痛いほどに強く握りしめられている。頭の中は信じられないほど冷え切っているのに、それに対して胸の中はまるで何かが燃えているかのように熱い。

「その代金はきっちりもらうぞ。代金は----」

 そして。

 次の瞬間、天海志騎という名の少年の胸の中で燃え上がっていた感情----即ち『怒り』という感情が、一気に爆発した。

「----お前達の命だ!!」

 彼の言葉を引き金にして。

 天海志騎と三体のバーテックスとの戦いが、始まった。

 

 

 



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第十一話 Sの追憶/二人の始まり

「----さん! ミノさん!!」

「銀!! 起きて、銀!!」

「……う……」

 自分を呼ぶ声に銀がうっすらと目を開けると、目を涙で一杯にしながら自分を見つめている須美と園子の顔が飛び込んできた。二人は銀の意識が戻った事を確認すると、がばりと銀に思いっきり抱き着く。

「銀! 良かった……生きてて、本当に良かった……!」

「ミノさん……う、うう~……!」

 銀に抱き着き半泣きになっている二人に、銀は困った笑みを浮かべながら言った。

「は、はは……二人共。嬉しいのは分かったから、離れておくれ……。正直、ちょっと痛い……」

「あ……。そ、そうよね。ごめんなさい、銀」

 自分達が抱き着いている銀が止血されているとはいえ、傷だらけである事を思い出した須美と園子はぱっと銀から少し離れる。それから園子が不安そうな表情を浮かべながら銀に尋ねた。

「ねぇ、ミノさん。あまみんは?」

「……! そうだ、志騎……! がっ……!」

 園子の言葉に、最後に見た志騎の笑顔と言葉を思い出した銀が勢いよく体を起こそうとすると、言葉を失うほどの激痛が彼女の体を襲った。勇者の力で出血が収まってきたとはいえ、傷が完全に言えたわけではない。それは他の二人も同じだろうが、銀は一人で三体のバーテックスの相手をしていたので、傷の酷さならば三人の中でも特に酷かった。

「あいつ……一人でバーテックスと戦いに行ったんだ……! 早く助けに行かなきゃ……!」

「分かったわ。私とそのっちで志騎君を助けに行くから、銀はここで……」

 だが須美の言葉に銀は首を横に振り、

「駄目だ、あたしも行く……! 志騎を、助けるんだ……!」

「な、何を言ってるの!? あなた酷い怪我をしてるのよ!? このまま助けに行ったら、本当に死ぬかもしれないのに……!!」

「分かってる! だけど、あたしだけここでじっとして、それで三人がバーテックスと相打ちで死んじゃったりしたら、絶対に一生後悔する……! 頼む、あたしも一緒に連れて行ってくれ……! 一生のお願いだ……!」

「銀……」

 今まで見た事がないほど必死な表情で頼み込む銀を見て、須美は思わず言葉を失ってしまう。

 と、二人のやり取りを見ていた園子が静かに言った。

「……うん。分かった。ミノさんも一緒に行こう」

「そのっち!?」

 須美が驚きの声を上げ、銀が表情を明るくしかけると、それを制するように園子が続ける。

「でも、これだけは守って。絶対に無理をしない事。リーダーの私の指示はきちんと聞く事。この二つが守れるって約束するなら、ミノさんも一緒に連れて行く。できる?」

 今更、ためらいなどない。志騎を助けに行くなら、どんな命令でも聞くつもりだった。銀がこくりと力強く頷くと、園子は力強い笑みを浮かべた。

「うん! それじゃあ一緒に行こう! あまみんをみんなで助けて、四人で一緒に帰るよ~!」

「「了解!」」

 力強く返事をする須美と園子だったが、まだ傷が癒えきっていない状態で声を張ってしまったため、体に走る激痛に銀は再び悶絶する。それに園子と須美が大丈夫? と本当に心配そうに声をかけるとへーきへーきと銀は引きつった笑みを浮かべながら返す。

 そして三人は、志騎とバーテックスが激戦を繰り広げているであろう方向へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方、バーテックスと対峙していた志騎はスマートフォンを取り出してZodiacのアプリを押してから、アリエスのアイコンをタップする。

『アリエス!』

『アリエス・ゾディアック!』

 牡羊座の紋章が表示されたスマートフォンの画面をブレイブドライバーにかざしてアリエス・ゾディアックに変身すると、志騎の左右にブレイブフォームの志騎が現れる。二人の志騎はそれぞれスマートフォンを取り出すと、Zodiacの中から違うフォームのアイコンをタップする。

『ピクシス!』

『リブラ!』

『ピクシス・ゾディアック!』

『リブラ・ゾディアック!』

 そして二人がブレイブドライバーにスマートフォンをかざすと、二種類の紋章が彼らの体に吸い込まれ、二人の志騎はピクシス・ゾディアックとリブラ・ゾディアックに姿を変えた。

 三人は特に言葉を交わす事無くそれぞれの武器を構えると、一人ずつ三体のバーテックス目掛けて走り出した。

 ピクシス・ゾディアックの志騎目掛けて赤いバーテックス----キャンサー・ゾディアックと同じ能力を持ったバーテックス、キャンサー・バーテックスが反射板のうちの一枚を放つが、ピクシス・ゾディアックの志騎は地面の中に潜航する事で攻撃をかわす。そしてキャンサー・バーテックスの背後の地面から飛び出し、クナイをキャンサー・バーテックスの背中目掛けて投擲すると見事突き刺さり、次の瞬間クナイが一斉に爆発しその巨体が大きくのけぞった。

 リブラ・ゾディアックの方は、サジタリウス・ゾディアックと同じ能力を持ったバーテックス----サジタリウス・ゾディアックから無数の矢による攻撃が放たれていた。しかしその攻撃をリブラ・ゾディアックの志騎は風を身に纏っての高速移動でかわし、時には身に纏う風を一時的に強力にして放たれた矢を吹き飛ばす。さらに攻撃の合間を縫って、一気にサジタリウス・バーテックスに接近すると素早く鋭い連撃をお見舞いしてやる。生憎リブラ・ゾディアックの攻撃力はゾディアックフォームの中でも低い部類に入るが、それを補って余りある、速度による手数の多さがある。時々放たれる無数の矢による攻撃には注意すべきだろうが、逆にそれに油断せず攻撃し続けていけば、サジタリウス・バーテックスには確実にダメージが蓄積していく事だろう。 

 そして本体であるアリエス・ゾディアックの志騎はスコーピオンゾディアックと同じ能力を持つバーテックス----スコーピオン・バーテックスの攻撃をかわしながらガンモードのブレイブブレードによる銃撃を行っていた。本当ならばアリエス・バーテックス以外のフォームの方がスコーピオン・バーテックスとの戦いを有利に進められるのだろうが、そうした場合二人の志騎の分身は消えてしまう。多少戦いにくくても、三体のバーテックスと戦う以上、このアリエス・ゾディアックのままの方が戦況を有利に運べるのだ。

 現に三人の志騎達は三体のバーテックスをそれぞれ一体ずつ相手取る事により、少しずつではあるが相手にダメージを与え続けられていた。それは一対一の状況を作り出せているというのもあるが、何よりも大きいのはバーテックス達が志騎のゾディアックフォームと同じ能力を持っているという事だ。

 ゾディアックフォームを知り尽くしているという事は、長所だけでなく短所もきちんと把握しているという事だ。そしてバーテックス達の能力がゾディアックフォームと同じ能力である以上、弱点も自然と似通ったものになる。一対一の上に、その弱点を徹底的に突くゾディアックフォームで相手をすれば勝機は必ず見えてくる。

 実際、バーテックス達は三人の志騎を相手にてこずっているようだった。まだ油断できないが、このままいけば被害を最小限にしてバーテックス達を弱らせる事は十分に可能だ。二体が弱り切った所を各ゾディアックストライクで動きを止め、残りのスコーピオン・バーテックスを三人で一気に攻めれば三体をまとめて撃退する事も無理な話ではない。そうすれば銀達が戦闘に参加する事も無くなる。彼女達の怪我も軽いものではない以上、できれば負担をかけたくない。早く戦いを終わらせて治療を受けさせなければならない。

(そのためにも、まずはこいつらを叩く……!)

 スコーピオン・バーテックスの攻撃を必死に避けながら、志騎はブレイブブレードで反撃を行う。

 拮抗している戦況ではあるが、このままいけばきっとバーテックス達を撃退する事ができる。そう思いながらも、志騎は何故か心の中である疑問を抱いていた。

(……こいつらの実力は、この程度なのか?)

 そう考えた理由は、先ほどどうにか助ける事が出来た傷だらけの銀の姿だ。

 彼女は確かにまっすぐ突っ込みがちではあるが学習能力が低いわけではない。三体のバーテックスの能力は銀も見ていたから何度も食らうはずがないし、何よりも彼女の斧の攻撃力ならば志騎が駆け付けた時点ですでに一体倒していてもおかしくないはずだ。

 それなのに三体は健在であり、銀は傷だらけにされていた。何らかの理由があると見て間違いない。

 だが、その理由が何なのか分からない。

(気になるけど……まずは一体の動きを止める!)

 志騎がそう思った直後、キャンサー・バーテックスの後ろに回ったピクシス・ゾディアックの志騎がゾディアックストライクを発動するためにスマートフォンを取り出すのが見えた。まずは一体目、と志騎が思った瞬間、リブラ・ゾディアックの志騎の相手をしていたサジタリウス・バーテックスが何故かまったく関係のない方向に矢を放っている事に気づいた。その方向には、キャンサー・バーテックスから離れていた反射板がふよふよと宙に浮かんでいる。

(……反射板?)

 志騎はさらに反射板の反射面が向く方向を見て、思わず目を見開いた。

 その先には、キャンサー・バーテックスの背後をとったピクシス・ゾディアックの志騎がいた。つまり、いつの間にかキャンサー・バーテックスと反射板に挟まれている形になっていたのだ。それを見て、志騎はようやくバーテックスが何をするつもりなのか理解した。

(やべ……っ!)

 だが、時すでに遅く。

 サジタリウス・バーテックスから放たれた無数の矢が反射板により反射し、ゾディアックストライクを放とうとした志騎の全身に突き刺さった。

「が、がぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 すると本体の志騎の全身を矢で射抜かれたような激痛が襲い、あまりの痛みに志騎は思わず絶叫した。

 志騎の脳裏に、合宿の時に刑部姫から聞かされたアリエス・ゾディアックの説明がよぎる。

『アリエス・ゾディアックの特徴は分身生成能力だ。この能力を用いる事で、数でバーテックスを叩きのめす事ができる。しかも分身はそれぞれ意志を持っている上に他のゾディアックフォームにもフォームチェンジできるから、同時に戦略の幅も広げる事も可能というわけだ』

『だが無論、弱点も存在する。分身が受けたダメージはお前自身にもフィードバックされる。つまり、もしも二体の分身が同時にダメージを受ければ、その分のダメージは全てお前に伝わる。さらに分身の数が多ければ多いほど力は分散されていってしまい、分身一人一人の戦闘能力はどんどん弱くなっていってしまう。まぁ神樹の力も無限ではないからこれは仕方ない事だが……』

『まとめると、アリエス・ゾディアックは便利な事は便利だが、同時に高いリスクも持ったフォームであるという事だ。だから調子に乗って分身の数を増やす事はお勧めしない。分身を増やせば増やすほどお前に伝わるダメージは増えるし、分身一人一人の力も弱くなるしで、悪い事尽くめだからな。実戦で使う場合、最多で二人ほどにしておけ。それぐらいなら分身の戦闘能力も落ちないし、フィードバックするダメージも最小限に収める事ができる。気を付けて使うんだな』

(くそ……! 確かにこれは……!)

 ピクシス・ゾディアックの志騎の方を見てみると、体中に無数の矢が突き刺さり見るも無残な姿になっていた。傷までもフィードバックされる事は無いとはいえ、全身を貫かれる痛みだけでも志騎の動きと集中力を止めるには十分すぎた。ピクシス・ゾディアックは体中から大量の血を流しながら落下し、地面に叩きつけられた所で無数の花びらとなり樹海から姿を消した。なお、落下の際に生じた激痛もきっちり志騎に伝わっており、その痛みで志騎は思わず膝をつく。

 一方、リブラ・ゾディアックの志騎はサジタリウス・バーテックスに攻撃を仕掛けようとした所無数の矢による攻撃を受けそうになり、慌てて高速移動で攻撃をかわす。しかしどうやらその行動はすでに予測済みだったようで、矢の方向にはすでに反射板が浮いており、しかもその反射板によって反射した矢をさらに別の反射板が違う方向に反射する。その先には、矢を回避したばかりのリブラ・ゾディアックの志騎がいた。

 慌てて急旋回して攻撃をかわすも、全ての攻撃をかわし切れず肩に数本の矢が突き刺さる。しかも攻撃を食らって動きが鈍ったところに、スコーピオン・バーテックスの尾による強烈な薙ぎ払いが放たれる。攻撃をまともに食らったリブラ・ゾディアックの志騎は思いっきり樹海の根に叩きつけられ、ピクシス・ゾディアックの分身と同じように無数の花びらとなり消滅した。

「がはっ……」

 再び体に走った激痛に志騎は動けなくなり、荒い呼吸をする。

 そのせいで、自分に迫りくるスコーピオン・バーテックスの尾の薙ぎ払いに気づけなかった。

「……っ!」

 咄嗟に手にしたブレイブブレードで防ごうとしたが、スコーピオン・バーテックスの尾と比べると非常に小さいそれが盾の代わりになるはずもなく。

 尾による強烈な一撃を受け、樹海の根へと叩きつけられた。

「ご……っ!」

 尾の攻撃で志騎の体中に傷が刻み込まれ、口から酸素と大量の血が吐き出される。根に叩きつけられた志騎の体は反動で一瞬宙に浮いた後、地面へと崩れ落ちた。体を動かそうとしても激痛でうまく動けず、しかも呼吸をしようとすると口から鮮血が溢れ出た。体の内側に走る激痛の事も考えると、もしかしたら先ほどの攻撃で何かしらの臓器が潰れているのかもしれない。

(なるほど……銀も、これにやられたのか……)

 あの銀があそこまでボロボロにされる事が信じられなかったが、今なら分かる。彼女もきっと、バーテックス達の互いの能力を使用しての連携攻撃によって絶体絶命の状況にまで追い込まれたのだ。

 とは言っても、それは志騎や銀の油断などではない。あえて言うならば、複数のバーテックスとの戦闘経験不足と言った所だろうか。今まで襲来してきたバーテックスは単独だったので、連携攻撃をしてくる事など全く無かった。それに今回の場合も、サジタリウス・バーテックスが来るまでは連携らしい連携はしてこなかった。そのため、まさかバーテックスが連携を取ってくるなど予想もできず、ここまでの状況に追い込まれてしまったのだ。

(くそ……やっぱり俺一人じゃ、駄目だったか……)

 銀にすぐに戻ってくると言っておいて、このザマだ。このままだと自分は間違いなく死ぬだろう。それでバーテックスが神樹を破壊して、世界は終わる。それを防ぐために相打ち覚悟でバーテックスを撃退したとしても自分は死ぬ。つまり、自分が死ぬ事はもう確定しているようなものなのだ。

(……ここまでか)

 地面に倒れ伏しながら志騎がそう思った瞬間、彼の脳裏に今までの記憶が次々と浮かび上がってきた。

 何故浮かび上がってきたのかは分からない。今までの自分の人生を回想しているのか、記憶の中から一つでも生き残るための知恵を必死で探し出そうとしているのか、それとも全く違う別の理由でなのか。

 やがて今までの記憶が浮かび上がってくる中で、志騎はある記憶を思い出した。

(……まったく。なんでこんな時にこんな事を思い出すのか)

 その記憶を思い浮かべて、志騎は思わず苦笑いを浮かべる。

 それは、志騎の記憶の中で最も古い記憶----彼が初めて自分を認識した時のものだった。

 

 

 

 

 

 物心がついた時からという言葉があるが、自分に物心がついた時はきっと六年前のあの時だろう、と天海志騎という少年は思う。

 彼は今から六年前、真っ白な病室の中で初めて『自分』という存在を自覚した。

 最初に目に入ってきたのは白い天井だった。それからゆっくりと体を起こすと、自分の体がベッドの上にある事に気づく。

 そこまで来ると『自分はどうしてここにいるのか?』や『ここは一体どこなのか?』といった疑問が浮かぶかもしれないが、志騎にはそれが無かった。まるで長い眠りから覚めたように頭の中は真っ白で、何かを考える事すらも無かった。ここがどこなのか分からず、自分の名前すら分からない少年は何も考えずただベッドの上で座り込んでいた。

 そんな彼に、『初めまして』という声がかかった。彼がゆっくりと声の方向に視線を向けると、そこには大学生ぐらいの年齢の一人の女性がいた。髪の毛を後ろで束ね、眼鏡をかけたその女性は少年の近くまで来るとこう言った。

『私の名前は安芸。あなたの名前は天海志騎。あなたを引き取りに来たの。これからよろしくね』

 それだけ言うと、女性はてきぱきと病室に入ってきた医師と志騎の退院の手続きを済ませ、二日後に志騎を連れて病院を出た。その間も志騎は何かを疑問に思ったり、安芸に何かを問いかけたりせずただベッドの上でじっとしているだけだった。まるで、人形のように。

 退院の日、安芸の車の助手席に座っていた志騎は、車を運転している安芸から色々な話を聞いた。自分は今まで重い病気にかかっていて、ずっと眠っていた状態であった事。今日から安芸と自分は大橋市という街にある家で一緒に住む事。その家に向かった後はご近所さんに挨拶に行く事。四月から神樹館という学校に通う事。突然の事で戸惑うかもしれないけど、何か困った事があったら何でも言ってほしいと安芸は志騎を安心させるように笑いながら言った。

 だが、それを聞いても志騎の心に変化はなかった。突然の事が起こりすぎて心の整理ができていない、というわけではない。ただそれらを聞いても何も感じなかっただけだ。まるで安芸からの言葉が耳の穴からそのまま通過していくような、そんな感じだった。

 やがて二人を乗せた車は自分達がこれから住む家へと辿り着いた。志騎は車から降りると、辿り着いた和風の屋敷の洋室へと案内された。初めて与えられた部屋の中には本棚やベッドぐらいしかなく、今思うとまるで当初の自分の心をそのまま反映しているようだと思う。今の部屋も似たような感じだが、さすがに本棚には大量の本が入っているし、自分が作ったボトルシップも置かれているので、あそこまで空虚でない。

 それから志騎を連れて安芸は、ご近所さんへの挨拶へと向かった。『三ノ輪』という名前の表札が掲げられている家に到着した安芸が呼び鈴を押し、引っ越しのための挨拶に来たという用件を伝えると、少し経ってから玄関の扉を開けて男性と女性が現れた。二人の横には活発そうな少女が立っており、安芸の横にいる志騎を興味深げに見つめていた。

 志騎は安芸と三ノ輪夫妻のやり取りを横で黙って聞いており、やがて安芸が志騎の事を紹介しようとした時、夫妻の横にいる少女----夫妻の娘が唐突に口を開いた。

『ねぇ、名前なんて言うの?』

 その言葉に思わず志騎は一度瞬きをしてしまった。まさか少女から自分にそのような質問をされるとは、まったく思っていなかったからだ。自分をじっと見つめる少女を前に志騎は少しの間黙り込んでいたが、やがて先ほど安芸から初めて聞いた自分の名前を口にした。----今思うと、恐らくこれが志騎が初めて自分から言葉を発した瞬間だったのだろう。

『……しき。天海、志騎』

『天海志騎……うん、覚えた! あたしの名前は三ノ輪銀! よろしくな、志騎!』

 それから少女----銀はすっと右手を前に出した。志騎は一瞬その行動の意味が分からなかったが、自分だけ手を出さないのもなんだか失礼な気がしたので、おずおずと右手を出して銀の手を握ると彼女はにっこりと嬉しそうな笑みを浮かべた。

 これが、天海志騎と三ノ輪銀の出会いだった。

 

 

 そして安芸と一緒に一つ屋根の下で住み始めた志騎は、彼女から色々な事を教えてもらう事になった。

 一般的な社会常識から始まり、自分達に様々な恵みを与えてくれる神樹様の事、彼女が属している大赦という組織の事。様々な事を教えてもらうたび、志騎はそれらの知識をどんどん吸収していった。

 だが増えていくのは知識だけで、人間味というのはあまり育っていなかった。笑わず、怒らず、泣かず、ただ安芸からの言う事を黙って聞くだけ。今思い返してみると、言葉には出さなかったがあの時の安芸はきっと志騎の事を心配していただろう。

 やがて志騎は神樹館に入学し、初めてのクラスには引っ越し時に会話した銀の姿があった。こうして志騎は銀という顔見知りがいる中で学校生活をスタートする事になった。

 しかし、志騎は当初クラスメイト達から距離を置かれていた。あまりに珍しい水色がかった白髪に、同年代と比べるとあまりに感情の揺れ幅が無く、人形みたいという表現が似合う少年は育ちの良いクラスメイト達の中では浮いた存在だった。クラスメイト達はその育ちゆえに質が高く、いじめに繋がるような事は無かったが、志騎に話しかける人間はいなかった。----三ノ輪銀という少女を除いては。

 彼女は一人で学校生活を過ごす志騎によく話しかけ、一緒に行動を共にしてくれた。ご近所さんという関係もあるかもしれないが、彼女だけは唯一志騎を友達として、周りのクラスメイト達と接するように明るく志騎に話しかけてくれたのだ。

 けれど当初、志騎は三ノ輪銀という少女の事があまり理解できなかった。話す人間ならクラスの中にたくさんいるのに、どうして大して話もしなければ笑いもしない自分なんかに話しかけてくるのか、志騎にはよく分からなかったからだ。一人で帰ろうとすると一緒に帰ろうと声をかけてくるし、教室で一人で本を読んでいると何を読んでいるのかと気さくに話しかけてくる。さすがに鬱陶しいとは思わなかったが、彼女が自分に話しかけてくるのが不思議でたまらなかった。なので銀から志騎に話しかけてくる事は結構あったが逆に志騎から彼女に話しかける事は滅多になく、二人の距離は中々縮まらなかった。

 そんな二人の関係に変化が起こったのは、神樹館に入学した時の11月だった。

 その日の事は、今でも鮮明に覚えている。

 その日学校での授業を終えてから直接イネスへと買い物に行った志騎は帰り道で、偶然銀と遭遇した。彼女もどうやら買い物帰りらしく、肩に買い物鞄をぶら下げていたのだが、何故か彼女は街路樹を見上げて険しい表情を浮かべていた。

『どうしたんですか?』

 志騎が銀に声をかけると、銀は街路樹の枝を指さした。彼女の指の先には、灰色の毛並みの子猫が体を震わせていた。どうやら樹を上ったは良いものの、降りる事が出来なくなってしまったらしい。いくら高い所を好む猫といえど、まだ子猫だ。あの高さから飛び降りたら、最悪怪我をしてしまうかもしれない。

 銀はどうにかあの猫を無事に降ろす事ができないかと頭を働かせていたようだが、生憎周りに銀と志騎以外の人間の姿はない。肩車などをしようにも、枝の高さは二人が肩車をしてもぎりぎりとどこかない高さだ。

『……よし! こうなったら、あたしが助けるしかないよな!』

 しばらく考え込んでから、銀はそう言った。つまり、自分が樹に登って子猫を助けると言ったのだ。

 それに志騎は、大人を呼んできた方が良いと反対した。子猫に加えて銀の重さまで枝に加わったら、枝が折れて子猫もろとも落ちてしまう可能性があったからだ。しかし銀は大丈夫大丈夫と笑いながら志騎の忠告を受け流すと、買い物鞄を置いて樹にひょいひょいと登って行った。志騎が見守る中で銀はやがて子猫のいる枝の所までたどり着くと、ゆっくりと枝を伝って子猫の元まで向かう。そのたびに枝が少し揺れるが、幸い折れる事はなさそうだった。

 やがて銀が子猫のすぐ近くまでたどり着き、子猫の体を掴んだその瞬間、予想外の事が起こった。銀に掴まれた子猫がいきなりじたばたと暴れ始めたのだ。

 考えてみれば、それは当然の事だった。飛び降りるのにも躊躇する高さの枝で怯えていた所を、突然静かに忍び寄ってきていた銀に掴まれたのだ。パニックになって暴れてもおかしくはない。銀としては子猫を不安がらせないためと枝が折れないために静かに忍び寄っていたのだが、それが完全に裏目に出てしまった。

『うわっ! ちょ、ちょっと落ち着けって……!』

 銀は必死に子猫をなだめようとするが、子猫は落ち着かず体をじたばたと暴れさせている。

 そして。

『あ----』

 そんな声と共に、バランスを崩した銀は子猫を抱いたまま地面へと真っ逆さまに落ちていく。

 それを見た志騎の反応は素早かった。考えるよりも体が動いたとはまさにあの時の事だろうと思う。

 背負っていたランドセルを放り捨て、無我夢中で落ちていく銀へと走りだす。そして間一髪で落ちていく銀の真下に駆け寄る事に成功するが、そのまま銀を受け止めるなど器用な真似はできない。

 その時の志騎に出来た事は、落下する銀の体を自分の体で受け止める事だけだった。

 体に落下速度が加わった銀の重さがのしかかり、志騎の体は思いっきり地面に叩きつけられる。さらにガンっ! という音と共に頭を割るような激痛が頭部を襲った直後、志騎の意識は暗転した。

 

 

 その後意識を取り戻した志騎の目に入ってきたのは、最近ようやく見慣れてきた自分の部屋の天井、そして目を真っ赤に泣きはらした銀の顔だった。

『し、志騎! 大丈夫か!? 頭は痛くないか!?』

 今まで見た事がないぐらい慌てた様子で目を覚ました志騎に言う銀に目を丸くしながらも、志騎は自分の頭に何かが巻かれている事に気づく。左手で触ってみた感触からするとどうやら包帯が巻かれているらしく、触るたびにかすかな痛みが走る。そこで志騎は自分が銀を自分の体で受け止めた事を思い出し、彼女にあの後どうなったのかを聞いた。すると少し鼻をすすりながら、銀は話し始めた。

 銀の話によると、あの時銀の体を受け止めた自分は接触した際に頭を強く地面に打ち付けてしまったらしい。その時の志騎は頭から血を流し、銀の呼びかけにも全く答えなかったとの事だ。そして銀はぐったりとしている志騎の体を背負ってどうにか志騎の家まで辿り着くと、運よく自宅にいた安芸に志騎の治療をお願いした。

 志騎の怪我の様子を見た安芸は、恐らく頭を地面に打ち付けた衝撃で脳震盪を起こした事を銀に伝えると、テキパキと志騎の頭の治療を行ってから志騎の部屋のベッドに運び込んだ。そして銀は志騎がベッドに運び込まれてからずっと、彼のそばで看病を行っていたというわけだ。

 志騎は話を聞き終えてから、そう言えば銀が助けた子猫はどうなったのかと聞いた。銀の話によると、助けた子猫は志騎を背負った銀と一緒に家についてきた後安芸に保護されたらしく、今は飼い主になってくれる人がいないか安芸が調べているとの事だ。

『そうだったんですか……』

 志騎が呟いた直後、ベッドの横に椅子に座って話をしていた銀が何故かぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。そんな彼女の姿に、志騎は思わず目を見開いた。いつも元気いっぱいで明るい笑顔の彼女が涙を見せるというのがあまりに意外だったからというのもあるし、何よりも銀が涙を流したというのが信じられなかったというのもある。

『どこか、痛むんですか?』

 恐る恐るといった感じで志騎が銀に尋ねると、彼女はふるふると首を横に振ると、

『ごめんな、志騎……!』

『どうして三ノ輪さんが謝るんですか?』

『だって、あたしのせいで、志騎が傷ついて……! 呼んでも全然返事しないし、ぐったりしてて、血も出てて……! それ見て、志騎があたしのせいで死んじゃったらどうしようって思って……!』

 しゃくりあげながら懸命に話す銀を見て、志騎はようやく悟った。

 三ノ輪銀はたびたびトラブルに巻き込まれるが、トラブルの渦中にある人間を見捨てるような事はせず、それどころかその人物に対して手を差し伸べる事ができる優しい少女だ。彼女によって助けられた人間も多い事だろう。

 だが、手を差し伸べる事が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。無論それ自体はとても善良な行為なのだが、時にその行為が悪い結果を引き起こしてしまう事があるのが現実というものだ。手を差し伸べた側と差し伸ばされた側両方が幸せに終わる事ももちろんあるのだが、残念ながらそうはならない事も時にはある。

 今回の銀の行動がそれだった。彼女は枝の上で怯えている子猫に手を指し伸ばし、子猫を助けようとした。しかし運悪く子猫が暴れてしまい、バランスを崩したせいで彼女を受け止めようとした志騎に怪我を負わせてしまった。

 つまり彼女は生まれて初めて、良いと思って行った自分の行いが原因で人が傷つくのを目の当たりにしてしまったのだ。

 もしも志騎の言う通り誰かを大人を呼んでくるなど他の手段を取っていたら、志騎が怪我をする事もなく子猫を無事に助ける事ができたかもしれない。けれど時を巻き戻す方法など当然なく、結果的に志騎は怪我を負ってしまった。自分の行いのせいで志騎が傷ついたと、銀は自分を責めているのだろう。

『こんな事なら……志騎が、こんな目に遭うなら……!』

 流れ落ちる涙をどうにか腕で拭いながら、銀は途切れ途切れに言った。

『猫なんて、助けなきゃ……!』

 

 

『----そんな事は、言うな』

 

 

 え? と銀は未だ涙に濡れる瞳で、志騎を見た。

 志騎はと言うと、真剣な表情で銀の顔を真正面から見つめていた。

『----自分が、俺が怪我をしたのは、俺の責任だ。あなたが……お前が責任を感じる事じゃない』

 志騎は、自分の口調がだんだんと変化していっている事に気づかない。

 今はそんな事よりも、このあまりにも優しすぎる少女に自分の思った事を伝える事の方がはるかに重要だと思っているからだ。

『お前が手を伸ばしたから、あの猫を助ける事が出来た。俺が大人を呼びに行ってたら、もしかしたらその間に猫が落ちて怪我をしてたかもしれない。……お前のやった事は、間違いなんかじゃない』

 銀の行いの結果、確かに志騎は怪我をしてしまったのかもしれない。

 それでも、彼女が手を伸ばした事は間違いなどではないと。

 人形のようだった少年は、確かに口にした。

『だから泣くな。お前が泣くと、俺も悲しい。俺はお前がたくさんの人を助けてる姿と、その人達を助けた後に浮かべるお前の笑顔が嫌いじゃない。だから、そんな事は言わないでくれ』

 この時、確かに志騎は悲しいとはっきりと口に出した。

 その感情が今銀の表情を見て初めて芽生えたものなのか、それとも今まで志騎が気づかなかっただけで本当はきちんと彼の心に存在していたのか、それは分からない。

 だが、銀が泣いていると悲しくなるというのは、紛れもない志騎の本心だった。

 何故かは分からないが、この少女には泣いて欲しくなかった。まるで花のような笑顔を見せるこの少女には笑っていて欲しかったし、誰かを助けなければ良かったなどという事を言って欲しくも無かった。今言ったように、志騎は誰かを助けて笑顔になるこの少女の姿が嫌いではなかったからだ。

 しかし今の銀の表情にまだ笑顔は無い。ただ涙を流しながら、きょとんとした表情を志騎に向けている。

 そんな銀を見て、志騎は心の中で少し困っていた。銀を笑顔にしてあげたいが、一体どうすれば彼女を笑顔にできるのか今の志騎には見当もつかなかったからだ。

 と、そこで志騎はある事を思い出すと突然ベッドから立ち上がった。銀が手を貸そうかと聞いてくるが、志騎は大丈夫と返すと部屋の隅にあるランドセルに向かう。恐らく銀が苦労しながらも一緒に持ってきてくれたのだろう。

 志騎はランドセルを開けると、中にあった小さな長方形の箱を取り出した。箱はリボンで丁寧にラッピングされており、ランドセルを放り捨てた衝撃で箱の形が少し崩れていたが、幸い箱の中の物は壊れていないようで志騎はほっと安堵の息をつく。そして再びベッドに戻ると、銀にその箱を差し出した。

『開けてみてくれ』

『あ、ああ……』

 戸惑いながら銀は志騎から箱を受け取ると、ラッピングを丁寧に取ってから箱を開ける。中に入っていたものを見て、銀は思わず目を丸くした。

 緩衝材に包まれていたのは、花を模した髪留めだった。髪留めに目を奪われながらも、銀は志騎に尋ねた。

『志騎、これって……』

『誕生日プレゼント。今日、お前の誕生日なんだろ?』

 そう。本日の日付は11月10日。目の前にいる少女、三ノ輪銀の誕生日である。

 当初志騎は、今日が銀の誕生日だという事を知らなかった。知ったのは一週間前、クラスで女子達が銀の誕生日について銀と話していたのをたまたま聞いたからだ。だがその時点では志騎はまだ誕生日の意味すら知らなかった。

 なのでその日の夕食時、志騎は安芸に誕生日の意味を尋ねた。そして誕生日というのは文字通り、その人が生まれた日の事を意味しており、家庭によっては誕生日を迎えた人にプレゼントを贈ったりパーティを開くなどといった事も行うのだという事を聞いた。

『どうしてそのような事をするのですか?』

 ご飯を食べながら聞く志騎に、安芸は柔らかい笑みを浮かべながら言った。

『色々な理由があるけれど……。やっぱり一番の理由は、その人が生まれてきた事をお祝いするためと、その人に「生まれてきてくれてありがとう」と伝えるためだと私は思うわ。だからあなたも、いつか誕生日をお祝いしたい人ができたら、何かをプレゼントしてみたらどうかしら』

『プレゼントと言われても、何を送れば良いか分からないです』

『とてもひどいものじゃなければ何でも良いのよ。あなたの相手を喜ばせたいって心がこもっていれば、それはきっと素敵な贈り物になるわ』

『……相手を喜ばせたい、心』

 そう呟く志騎の脳裏に浮かんだのは、銀の笑顔だった。

 もしも彼女を誕生日にプレゼントを送ったら、彼女は笑ってくれるのだろうか?

 ご飯を口に運びながら、志騎は何を贈ったら銀は喜ぶのかをずっと考えていた。

 それから一週間後、つまり今日まで彼女に何を贈ったら良いのかをずっと考えていたが、良い案は中々出なかった。安芸からのお小遣いを貯めていた事もあり資金はそれなりにあったが、あくまで小学一年生の持っている額の範囲内の話だ。あまり高価な物は当然買えない。

 頭を悩ませながら志騎は何かないかとイネスに向かい、贈り物を探した。そしてアクセサリーショップで、花を模した髪留めを発見したのだ。銀はいつもは何の装飾もない、シンプルな髪留めを使っていた。これならば彼女も喜んでくれるかもしれないと志騎は思い、それを手にしてレジへと向かい、全財産を使って購入してから店員さんにラッピングを頼み、無くさないようにランドセルへと入れておいたのだ。本当ならばその後に三ノ輪家へ向かい、銀に手渡すはずだったのだが、その道中で銀と出会ったというわけだ。

『----誕生日、おめでとう。銀』

 自分が怪我をした事に心を痛め、涙を流している優しい少女に心の底から笑って欲しいという願いと、生まれてきてくれてありがとうという想いを込めて、志騎はそう言った。

 一方銀は手の中の髪留めを無言でじっと見つめていたが、やがて志騎にこんな事を言った。

『……なぁ、志騎』

『ん?』

『ちょっと、つけてくれないか?』

『え? 別に良いけど……』

 突然の銀の注文に志騎は一瞬戸惑うも、彼女から髪留めを受け取ると彼女が今つけているシンプルな髪留めを外し、代わりに花の髪留めをつける。銀は静かに髪留めに手をやると、少し照れ臭そうに尋ねた。

『似合う……かな』

『……ああ。似合ってると思う』

『そこは似合ってる、って断言して欲しかったなー』

 志騎の言葉に銀はあはは、と笑った。まだ目は赤いが、ようやく笑ってくれた。それに志騎の肩の力が抜けた時、銀は何故か自分の顔をじっと凝視した。

『どうした?』

『あ、いや……。志騎って、そんな風に笑うんだな』

『え?』

 銀の言葉に志騎が口に手をやると、自分の口角がわずかに上がっていた。つまり、銀から指摘された通り彼は今笑っていたのだ。

 それは今まで笑う事が無かった志騎の、明らかな変化だった。志騎が表情の変化を確かめるように頬に手を当てたりしていると、それを見ていた銀はぷっと噴き出す。

『どうしたんだよ? 変な奴だな』

『そうか?』

『そうだよ』

『……そうか』

 彼女の言葉に志騎はそう呟くと、頭の中で銀から言われた事を噛み砕くかのように黙り込んだ。そんな志騎を見ながら、銀が言う。

『志騎』

『ん?』

『髪留め、ありがとう。すごく嬉しい。……ずっと、ずっと大切にするからな』

 そう言った彼女の顔は。

 まるで花のような、志騎が見たいと願っていた満面の笑顔だった。

 

 

 

 

 それから、志騎と銀の距離はぐっと近くなった。

 前よりも会話する回数が明らかに多くなり、二人で色んな所に行くようになった。一緒にイネスでジェラートを食べたり、学校の夏休みには銀と彼女の両親と一緒に車で色んな所へ行ったり、銀から必死に頼み込まれて夏休みの宿題を一緒に行ったりもした。また、鉄男が生まれた時は彼の面倒を銀と一緒に見た事だってある。

 思えばあの瞬間が、天海志騎と三ノ輪銀の『幼馴染』の関係が本格的に始まった瞬間だったのだろう。

(……それから本当に、色んな事があったな……)

 六年生になって、これからも同じような日常が続くと当たり前のように思っていた矢先、突然樹海に巻き込まれ、銀達と一緒に勇者として戦う事になった。そしてバーテックスとの戦いを繰り広げ、今死にそうになっている。こうして見ると本当に波乱万丈な人生だと思う。

 と、そこで志騎はこんな事を思った。

(……ここで死んだら、あいつら泣くのかな……)

 バーテックスが神樹にたどり着いたら、世界が滅ぶ。なので志騎は相打ち覚悟で、目の前にいる三体のバーテックスを撃退するつもりだった。

 だが、もしもここで志騎が死んだら、生き残っている人達はこんな自分のためにも泣くのだろうか。脳裏に、彼が出会ってきた人々の顔が思い浮かぶ。

 須美と園子は、きっと泣くだろう。二人とも性格は違うが、銀と同じく非常に友達想いだ。自分が死んだら、彼女達ならば泣くに違いない。

 銀の両親は、泣きはしないだろうが自分の死を悲しんでくれるだろう。娘に似てあの二人も、とても優しい心の持ち主だから。きっとそんな二人だから、銀も優しい性格に育ったのだと確信を持って言える。

 鉄男は泣くかもしれない。赤ん坊の頃から時々銀と一緒に世話を見てきた自分をまるで血の繋がった兄のように慕ってくれている彼ならば自分の死に涙を流すかもしれない。三男の金太郎はまだ幼いので自分が死んだという状況を理解できないだろうが、それでも何らかの異変は察知するかもしれない。赤子は時に、そういった雰囲気を敏感に察する感覚を持ち合わせているからだ。

 神樹館のクラスメイト達は泣くかは分からないが、間違いなく全員自分の死を悲しむだろう。話す機会はあまり無かったが、彼らも人の死を悲しむ事のできる優しい心の持ち主だから。

 安芸は、泣きはしないだろうが自分の死を悲しんでくれると思う。何せ彼女と一緒に暮らしてから一度も彼女の涙を一度も見た事が無いのだ。だが親から見捨てられた自分を、苦労しながらも彼女なりの愛情をもってここまで育ててくれた。涙は見せないだろうが、彼女ならばきっと自分の死を悲しんでくれる。

 刑部姫は、正直分からない。何せ今まで会った人間達の中で一番付き合いが短いのだ。自分に対しては何故か強い信頼を寄せているようだが、何故自分にそのような信頼を寄せるのか、そもそも本音の所ではどう思っているのかはさっぱり分からない。だから彼女が自分の死をどう思うかはまったく予想がつかないと言える。

 そして、銀は----。

(泣く、だろうな……)

 それだけは、確信を持って言えた。

 もしも自分が死んでしまったら、彼女はきっと泣くと。

 自分が樹から落ちたあの時のように、大粒の涙を流して心の底から自分の死を悲しむと。

「ああ……それは、嫌だな……」 

 傍らに落ちているブレイブブレードを握り、剣先を地面に突き立てると激痛が走る体を無理やり起こす。体中に刻まれた傷口から決して少なくない量の血液が地面に落ちていくが、そんな事知ったことではない。

 何故そう思うかは分からない。

 何故そこまで強く思ってしまうかは分からない。 

 だが。例え想像であったとしても。

 自分が死んでしまった後の事だとしても。

 彼女以外のたくさんの人間が泣いたとしても。

 あの花のような笑顔が似合う少女が泣くのだけは、どうしても許容する事ができなかった。

「あいつが……泣くのだけは……嫌だな……」

 想像したくもない、と心の底から思う。

 だがこのままではバーテックスの撃退と引き換えに自分は確実に死に、須美も、園子も、そして銀も泣くだろう。

 それがどうしても許容できないというのであれば。

 もうちょっとだけ、頑張ってみるしかない。

「はっ……。勇者は根性……ってか?」

 口の中の血を吐き出しながら、目の前にいる三体のバーテックスを鋭く睨みつける。

 どうにか強がりを言うだけの元気はまだあるが、状況はかなり悪い。

 自分は全身傷だらけの満身創痍状態。それに対して目の前の三体のバーテックスは無傷の状態。このまま戦えば、バーテックスを撃退する事はできるかもしれないが自分の死は免れないだろう。

 このまま、戦えば。

「………」 

 志騎は無言で勇者装束のポケットに手を伸ばすと、そこから刑部姫から受け取ったアイテム----キリングトリガーを取り出す。

 あの刑部姫ができれば使うなと念を押すほどのアイテム。これを使えば、この絶体絶命の状況を何とか打破できるかもしれない。だがその代わり、大きなリスクを受ける事になるかもしれない。つまり、何が起こるかは全く分からないという事だ。

 しかし、生き残る可能性がほんの少しでもあるならば。

 この絶望的な状況を、覆す事ができるのであれば。

 やる価値は、ある。

「……悪いな刑部姫。使わせてもらうぞ」

 志騎はキリングトリガーを掲げるように持つと、スイッチを勢いよく押した。

『キリング・オン!』

 短い警告音のような音の後に女性の機械音声が流れるのを確認すると、志騎はキリングトリガーをスマートフォンに接続する。するとスマートフォンの画面が一瞬乱れた後、表示画面が今まで見てきたものとは全く別の物に切り替わる。

 画面にはデイジーを模した紋章やゾディアックフォームの紋章とはまた別の紋章が表示され、画面の下部には『ENTER』というボタンが表示されていた。志騎は画面の左上にある、鬼の角を象った紋章と風を纏った一つ目を象った紋章の二つを試しにタップしてからENTERのボタンを押す。

『酒呑童子!』

『一目連!』

『ダブルスピリット!』

 スマートフォンから待機音が流れ、画面に二つの紋章を組み合わせたような紋章が表示される。志騎は緊張でごくりと唾を飲んで喉を湿らせると、スマートフォンをブレイブドライバーにかざした。

『スピリットユニゾン!』

 直後、志騎の足元から大量の黒い花が吹き荒れる。

 そして。

(あ----)

 無数の黒い花びらに覆われる中で、志騎は分かった。分かって、しまった。

(まず、い。これは----)

 何故刑部姫が自分にできれば使うなと警告してきた理由が、ようやく理解できた。

 これは確かに凄まじい力を秘めたアイテムだ。それは間違いない。

 しかし同時に、これを使えば自分は自分で無くなる。

 理屈ではない。ただ、本能で感じ取った。

 これは、そういう類のものなのだと。

(その、こ)

 得体の知れない何かが自分の意識を呑み込んでいく感覚を感じながら、志騎は心の中で呟く。

 自分の大切な友達の名前を。

(すみ)

 そして。

 決して失いたくない、幼馴染の名前を。

(ぎ)

 

  

 ブツン。

 

 

 

 

 

 

 

  

 その頃、須美と園子と合流した銀は息をつきながら志騎と三体のバーテックスが戦っているはずの戦場へと向かっていた。体の痛みをこらえながら銀が歩いていると、傍らを歩いていた須美が心配そうな口調で尋ねる。

「銀、本当に大丈夫? やっぱり、どこかで休んでた方が……」

「へーきへーき。これぐらい大丈夫。それより、急ごう。志騎が心配だ」

 やせ我慢をしている事は明白だったが、銀の目には強い決意の光が宿っている。

 それも当然だろう。確かに三人の体はボロボロだったが、志騎は今三人をこのような状態にしたバーテックス三体と戦っているのだ。少しでも足を止めてしまったら、その分志騎に加勢するのが遅れてしまう。その結果訪れるのは、紛れもない志騎の死だ。そんな事は、絶対に防がなくてはならない。

 友達となって、色々な事を四人で経験して、絆を深めてきた。

 一人でもこんな形で欠けるなど、誰も望んでいない。

 だから例え体中が傷で痛んでも、その足を動かすのだ。

(志騎君……。すぐ行くから……援護ぐらいは、やってみせるわ!)

(リーダーのOKも取らないで作戦を決めるなんてこの戦い終わった後に、お説教なんだから~。罰として、今度あまみんのおごりでみんなでうどんを食べに行くよ~!)

(志騎……待ってろよ……今行くから……! 絶対に助けるから……!)

 三者三様の思いを抱えながら、三人はひたすら志騎とバーテックスがいる場所へと目指し歩いていく。

 と、その時。

 前方で、突然竜巻のようなものが巻きあがったのが見えた。

「……!? 何あれ……!」

「二人とも、行こう!」 

 二人に言うと銀は一番先に早足で駆け出し、そんな銀に続いて二人も後を追う。

 三人が辿り着いたのは高台のようになっている根の部分で、そこから三体のバーテックスの巨大な姿を真正面から見る事ができた。本来ならばちょうどバーテックス達の真後ろに到達するはずだったのだが、三人が合流したのが本来の道とは少し外れた場所で、しかもそこから負担を減らすためにショートカットとなる道を選んで歩いてきたので、そのような場所に到達する事ができたのだろう。

 幸い、バーテックスが三人に気づいた様子はまだない。この隙に攻撃すべきか、と須美が考えた直後、園子の声が響き渡った。

「ねぇ、あまみんがどこにもいないよ!」

 その声に三人があたりを見回してみると、確かに志騎の姿はどこにもなかった。見えるのは三体のバーテックスの巨大な姿に、その真正面にある黒い花の竜巻のみだ。一体、志騎の姿はどこにあるというのか。

 と、そこで銀はある事に気づく。

「まさか……あの中に志騎が……!?」

 銀の視線の先には、黒い花の竜巻があった。少々信じられないが、周囲に志騎の姿がないという事はその可能性が最も高い。銀の言葉に須美と園子も竜巻に視線をやった瞬間。

 竜巻の中から、音声が響き渡った。

『WARNING! WARNING! This is not a test!』

『アンコントロールモード! キリング・ブレイブ!』

 直後、竜巻が一気にはじけ飛び、花びらが周囲一帯に舞う。

 その中心に、目を閉じた志騎が立っていた。

 だが、その姿はいつもの志騎の姿とはかけ離れていた。

 身に纏う勇者装束はいつもの純白とは正反対の漆黒と血のような赤を基調にしており、胸部には風を纏い鬼の角がついた一つ目という禍々しい紋章が入っている。さらに頭部には小さな二本の鬼の角のようなものまである。

 そして目を引くのは、志騎の両手両足だ。

 両手には手甲が装着されているが、その形状はやや鋭角的で身を護るというよりも敵を攻撃するのに特化しているように見える。さらに両足にも手甲と同じような形状の具足が装着されており、見るからに今の志騎の姿は格闘戦に特化した姿と言える。

 だが、この姿の志騎に三人は強烈な不安を覚えた。

 今まで見た事が無い姿なのでもしかしたらゾディアックフォームの一つなのかもしれないと思ったが、何故かそれは違うと断言できた。今の志騎の姿からは、得体の知れない雰囲気が漂っているように感じられたのだ。

 それに何よりも奇妙なのは、彼の体に傷が全く無い事だ。

 最後に銀が志騎の姿を目にした時、彼の体には酷くはないが確かにいくつもの傷が刻まれ、血が流れていた。しかし今の志騎の体には傷が全くない。勇者の姿では回復能力も強化されるが、傷が一瞬で治るほど万能ではない。そもそもそれほど万能ならば銀達の傷もとっくに治りきっているだろうし、今まで志騎の体がそれほどの速度で治った所を見た事もない。

 つまり、自分達がここに来るまでの間に彼の傷が治りきる事は、まず不可能なはずなのだ。

「志……騎……」

 聞こえるはずもないだろうが、銀がかすれた声で志騎の名前を呼ぶと、志騎がゆっくりと目を見開く。

 その目には。

 まるでいくつもの模様を組み合わせたような幾何学模様が、血のように赤い光を放ちながら踊っていた。

 



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第十二話 キリングは止まらない

刑「さて、いつもここで予告をする志騎だが、知っての通り奴は今それどころじゃないんでな。私が今回の予告をしてやろう」
刑「ああそれと、今回のタイトルを見て不安になる奴もいると思うが、このタイトルの元ネタの特撮の回ほどまずい事にはならないから安心しろ。というよりも、あの回と同じ展開にしたら、本当にまずい事になるからな。どこぞの作者も、あれを最初見た時は言葉を失ったし……」
刑「では運命の分岐点となる第十二話、楽しんでくれ」


 

 双眸に深紅の幾何学模様を浮かび上がらせた志騎は、目の前の三体のバーテックスをただ静かに眺めていた。その目には、何の感情も浮かんでいない。先ほどまで見せていたはずのバーテックスへの怒りはおろか、バーテックスを必ず倒すという決意すらもない。感情を一切見せずただ相手の戦力を見定めているかのような両眼は、感情のない昆虫や機械を連想させた。志騎のあまりに異様な姿に、銀と須美と園子の三人も一瞬この場が戦場だという事を忘れて呆然と彼の姿を見つめていた。

 しかし、戦況はすぐに動いた。一番先にそれに気づいたのは、リーダーである園子だった。

「……! 二人とも、あれ!」

 園子が指さした先では、サジタリウス・バーテックスが上部の口を開けて矢を装填(チャージ)していた。先ほど弱っている四人に放たれた長距離射撃だ。いくら志騎でも、あの攻撃を真正面から受けたらただでは済まないだろう。だが今から須美がサジタリウス・バーテックスに矢で攻撃しようとしても、恐らく矢がバーテックスに到達するよりも一瞬早く矢が志騎に放たれてしまうし、だからと言って園子と銀が志騎の元へ向かって矢を防御しようにも今の二人の状態では素早く移動する事はできず、仮にできたとしても矢を防ぎきる事はまず不可能だ。

「----志騎! 逃げろぉおおおおおおっ!!」

 銀がせめて志騎に自分達の存在を伝えると同時に、どうにか攻撃を回避させるために必死で叫んだ直後。

 志騎の姿が、その場から唐突に消えた。

「え?」

 それに銀が間抜けな声を上げた直後、一体どれほどの速度で移動したのかサジタリウス・バーテックスのすぐそばに志騎が突如出現した。彼は手甲で覆われた右手を右腕ごと引くと、次の瞬間勢いよく拳をバーテックスに叩き込む。

 志騎が叩き込んだのは、たった一撃。

 

 

 そのたった一撃で、サジタリウス・バーテックスの巨体が轟音を立てながら勢いよく半壊した。

 

 

 

「「「っ!?」」」

 その光景に、三人は思わず目を剥く。

 凄まじい威力の攻撃だったのもあるが、何よりも自分達をここまで追い詰めたバーテックスが、たった一撃で半壊した光景が信じられなかったからだ。

 そして、三人の目の前でさらに不可解な現象が起こる。

「何、あれ!?」

「でろんと何か出てきた~!」

 その現象を目にして、須美と園子がそれぞれ叫ぶ。半壊したバーテックスの体から、逆四角錘状の形をした立方体が出現したのだ。今まで四人がどれほどバーテックスの体を攻撃しても、このような現象が起こった事は一度も無かった。

 と、サジタリウス・バーテックスの体を半壊した志騎はその立方体を確認するとそのまま立方体目掛けて自由落下し、右手にスマートフォンを出現させるとブレイブドライバーに画面をかざす。

『キリングストライク!』

 ドライバーからいつもとまた違う音声が響き渡ると、志騎は一回体を回転させると目の前まで迫ってきた立方体目掛けて拳を振り下ろす。凄まじい轟音と共に衝撃が立方体を駆け抜けた直後、立方体にヒビが走り、やがてサジタリウス・バーテックスの体同様粉々に砕け散った。砕けた立方体から七色の光が天に昇り、半壊したサジタリウス・バーテックスの体は砂となって崩れ落ちていった。

 そこで、須美がある事に気づく。

「……鎮花の儀が、発動しない?」

 弱ったバーテックスを壁の向こう側に送り返す儀式である鎮花の儀が、何故か起動しなかった。その意味を理解した銀が、半ば興奮したような声を上げる。

「まさか……バーテックスを倒した!?」

 銀がこのように興奮するのも無理はないだろう。

 四人は今まで命がけでバーテックスと戦ってきたが、実の所バーテックスを倒せた事は一度もない。今の勇者システムではバーテックスを倒す事はまだ不可能であり、バーテックスを弱らせてから鎮花の儀で壁の向こう側へと送り返す事が精一杯だったからだ。

 だが、今はどうだ。

 鎮花の儀は発動せず、バーテックスは砂となって消えていった。その原因は間違いなく、志騎があの立方体を破壊した事だろう。

 あの立方体が何なのか分からないが、バーテックスの中から現れた所を見ると彼らにとって重要なものなのかもしれない。それこそ----人間にとっての脳や心臓と同じぐらいに。

 もしもその通りなのだとしたら、今まで撃退する事しかできなかったバーテックスとの戦いを本当の意味で終わらせる事ができる事が可能になるかもしれない。そんな思いが、銀だけではなく須美と園子の頭をよぎっていた。

 一方、バーテックスを倒した志騎は地面に着地すると次の標的に狙いを定める。彼の視線の先には、六枚の反射板を操るキャンサー・バーテックスの姿があった。キャンサー・バーテックスは六枚の反射板のうち二枚を飛ばして攻撃する。志騎はその内の一枚を首をわずかに傾けてかわすと、次に向かってきた反射板をなんと片手で強引につかみ取った。無論攻撃の勢いで志騎の体は後方に吹き飛ばされてしまうが、両足を無理やり地面につけて強引に着地し体の勢いを止めると、のけ反った状態から勢いよく体を起こし、その際の反動で右手に持っていた反射板をキャンサー・バーテックスにぶん投げる。元の持ち主に向かって放たれた反射板はドゴォッ! という音を立ててキャンサー・バーテックスの体に直撃するとその体が大きくのけ反る。

 そして目にも止まらぬ勢いで一気にキャンサー・バーテックスに肉薄しようとするが、それを防ぐかのようにキャンサー・バーテックスの前に六枚の反射板が展開する。しかしそれすらも、今の志騎の前には何の意味も無かった。

『キリングストライク!』

 スマートフォンをドライバーにかざし、ドライバーから音声が発せられると全てを粉砕する拳の嵐が志騎から繰り出され、六枚の反射板に突き刺さる。その勢いはまさに竜巻のようだった。

 竜巻は強力なものになると、建造物さえ破壊するほどの暴風が十数分も吹き続け、その威力は西暦の時代にあったとされる強力すぎる兵器『核兵器』に匹敵するとされる。そして今の志騎の拳には、その竜巻の如く力と速さに加えて全てを粉砕する謎の力が宿っている。

 万物を粉砕する力と、核兵器に匹敵するほどの破壊力と風の如き速さを持つ竜巻の力。

 その二つが合わさった拳が相手となれば、もはや結果は明らかだった。

 六枚の反射板はどうにか襲い来る無数の拳を防いでいたが、均衡はすぐに崩れ去った。瞬く間に六枚の反射板全てにヒビが入り、そして数秒も経たない内に全ての反射板が砕け散る。拳の暴風はその勢いを保ったままキャンサー・バーテックスの体へと直撃し、まるで海辺の砂の城を崩すかのようにその巨体が面白いように崩壊していく。そして志騎が先ほどのように右腕を後ろに大きく引き、次の瞬間強烈な右ストレートがキャンサー・バーテックスの体を貫いた。どうやらその一撃はキャンサー・バーテックスの体の中にもあるであろう立方体を貫いたらしく、キャンサー・バーテックスは体から七色の光を天に昇らせながら砂へと変わり崩れて落ちていった。

 瞬く間に二体のバーテックスを倒した志騎は地面に着地すると、最後に残った敵----スコーピオン・バーテックスへと視線を向けようとする。

 だが、そんな志騎の体を凄まじい衝撃が襲い、彼の体は大きく吹き飛ばされて樹海の根へと激突した。

「志騎君!!」

「あまみん!!」

「志騎!!」

 須美と園子が悲鳴じみた叫び声をあげ、銀が志騎の名前を呼びながら吹き飛ばされた地点へと走り出す。

 志騎の体を襲った衝撃の正体は、スコーピオン・バーテックスの尾の一撃だった。二体のバーテックスを倒した志騎の隙をついて、尾による強烈な薙ぎ払いを放ったのだ。毒針では無かっただけまだマシかもしれないが、それでもあの薙ぎ払いは須美と園子と志騎を一時戦闘不能まで追い込んだ攻撃だ。一度でも食らえば、重傷は免れないだろう。

 痛む体に鞭打ちながら三人はどうにか樹海の根に叩きつけられた志騎の所まで辿り着く。

「志、騎……!」

 そして攻撃を受けた志騎の姿を見て銀と園子は思わず息を呑み、須美は悲鳴を押し殺すかのように両手を口に当てる。

 スコーピオン・バーテックスによる攻撃を受けた志騎の全身には傷が刻み込まれ、血が傷口から流れ出ていた。これだけでも酷い状態だというのに、さらに目を背けたくなるような光景が目に入って、銀は思わず顔を歪めた。

 志騎の右腕は先ほどのスコーピオン・バーテックスの攻撃をまともに食らったせいか明らかに捻じ曲がっていた。これでは右腕による戦闘などまず不可能だし、それ以前に早く治療を受けなければ日常生活にも支障をきたす可能性が高い。だがそこで、銀はある事に気づいた。

「……なぁ、二人とも。志騎の両腕、やけに傷が多くないか?」

 銀の言葉に須美と園子が志騎の両腕に目を向けてみると、確かに彼女の言う通りだった。先ほどのスコーピオン・バーテックスの攻撃で志騎の体の至る所に傷ができていたが、特に両腕の辺りが損傷が激しい。こうしている今も、両腕から大量の血がドクドクと流れ、地面に吸収されていっている。

 すると、それを見ていた須美がはっと何かに気づいたかのように呟く。

「……もしかして……自分の攻撃に、志騎君の体が耐えられてないんじゃ……」

 その言葉に、銀と園子は息を呑んだ。

 サジタリウス・バーテックスとキャンサー・バーテックスを瞬く間に粉砕したあの強力無比な力。あれほど強力な力に、志騎の体が耐えられるのだろうか? 

 その答えは、否だろう。現に目の前の志騎の両腕の状態がそれを証明している。確かにあの力は強力かもしれないが、力の反動も凄まじいものに違いない。このまま戦い続けたら、両腕だけでなく志騎の体そのものが壊れてしまう可能性がある。

 これ以上志騎を戦わせるわけにはいかない。幸い志騎が二体のバーテックスを倒してくれたおかげであとはスコーピオン・バーテックス一体だけだ。三体のバーテックス達が四人を追い詰める事ができたのは、三体の特徴をそれぞれ活かした連携攻撃があったからだ。しかしもう敵は一体のみ。しかも攻撃方法は毒針による攻撃と尾による薙ぎ払いの二通りしかない。まだ傷が治りきっていない以上直撃したらまずいが、攻撃方法が二通りならば三人が連携して攻撃すればどうにか勝てる。園子はスコーピオン・バーテックスを睨みつけながら、銀に指示を出す。

「ミノさん。あまみんを安全なところにお願い。私はバーテックスを攻撃するから、わっしーは援護を!」

「分かったわ!」

「了解!」

 体中から変わらず血が流れているが、三人の士気は高かった。二人が園子の指示に力強く返答したその時、樹海の根に叩きつけられた志騎がもぞりと動いた。

「志騎、動いちゃだめだ! 待ってろ、今すぐ安全なところに……」

 が。

 その銀の言葉を無視して、志騎は立ち上がるとスコーピオン・バーテックスを見つめた。

「志……騎……?」

 銀がかすれた声で志騎の名前を呼ぶが、志騎はそれに何の反応も返さない。そんな志騎に園子と須美も視線を向けるが、それでも志騎が三人に視線を向ける事はなかった。

 そこでようやく、銀はある事に気づいた。

 志騎の目に、自分達は映っていない。その無感情な目には、倒すべきである敵であるバーテックスの姿だけが映し出されている。

 敵以外のものは目に入らず、言葉すら発さず、ただ殺すべき敵だけをまっすぐ見据えているその姿はまるで、敵を殺すためにのみ存在する、兵器のようだった。

 そして、間違いなく今日一番の異変が起こる。

 突然バキリ、と志騎の捻じ曲がっていた右腕から異音がし、三人が視線を向けると右腕の向きが少し変わっていた。さらに右腕が奇妙に震えたかと思うと、ぎゅるん!! と右腕が回転し、たった今まで捻じ曲がっていたはずの志騎の右腕が元の形状に戻っていたのだ。だが、異変はそれだけで終わらなかった。

 なんと、志騎の全身の傷が勝手に治っていっているのだ。その様子は、まるでビデオの逆再生ボタンを押した時の映像を連想させる。特に酷かった両腕の傷はどんどん小さくなっていき、それ以外の傷に至ってはもうほとんど傷が見えなくなっている。

「何……これ……」

 あまり不可解すぎる現象に、須美が怯えた声で呟く。

 確かに勇者は普通の人間よりも傷の治る速度は速いが、それでも限度というものはある。致命傷を負えば間違いなく死ぬし、今の彼女達もかろうじて戦闘は可能だがこれ以上傷を受ければ本当に死んでしまう。

 だが、目の前の志騎のそれはあまりに次元が違っていた。自分達と同じかそれ以上の傷を受けていたというのに、その傷が瞬時に回復していく。もはや、目の前のそれは『回復』などではなく----『再生』に近かった。

 やがて数秒後、三人の目の前の志騎は傷が全て癒えた状態になっていた。先ほどまで特に損傷が酷かった右腕すらも、すっかり正常な状態に戻っている。

 志騎はスコーピオン・バーテックスをじっと見つめていたが、やがてスマートフォンを出現させると左手でスマートフォンを操作する。

『雪女郎!』

『義経!』

『ダブルスピリット!』

 スマートフォンから音声が流れると、志騎はスマートフォンをブレイブドライバーにかざす。

『スピリットユニゾン!』

 次の瞬間、雪風を纏う刀の紋章が志騎の目の前に出現し、それが胸部に吸い込まれると志騎の勇者装束の形が若干変化し、首にはマフラーが追加される。さらにその姿に変わった直後、突如志騎を中心として辺りの風景が真っ白になるほどの猛吹雪が顕現する。

「な、何で吹雪!?」

「さ、寒いよ~!」

 突然の猛吹雪に銀が驚きの声を上げ、園子があまりの寒さに体を縮こませる。

 一方、猛吹雪の範囲内にスコーピオン・バーテックスも入っていたものの、その体の表面に僅かに霜をつけただけであまり効果は無さそうだった。スコーピオン・バーテックスは毒針を持った尾を持ち上げると、勢いよく志騎目掛けて突き出す。

 しかし、その一撃は突如志騎の目の前に出現した氷の盾によって阻まれた。ガキィン! という音と共に攻撃を防がれたスコーピオン・バーテックスは氷の盾を割るために再度攻撃を繰り出すが、氷の盾にはヒビすら入らない。どうやら志騎を護る氷の盾は、見た目以上の防御力を持っているようだ。

 ならばと、スコーピオン・バーテックスは攻撃方法を変えて尾による横薙ぎの一撃を放つが、またもや志騎の真横に氷の盾が出現し攻撃を防ぐ。攻撃を防がれたスコーピオン・バーテックスは尾を一度ゆらりと揺らすと、次の瞬間凄まじい速度の連続突きを志騎目がけて放つ。強力な一撃で壊せないなら、氷の盾を生み出すのが間に合わないほどの連撃で志騎を仕留めるつもりなのだろう。

 だが、普通の人間ならば数十回は殺せるはずの連続突きは、全て瞬時に現れる氷の盾によって防がれる。あらゆる方向から放たれる毒針の連撃を、恐ろしい事に志騎は指一本すら動かさず、まるで敵の攻撃がどこから来るか完全に見切っているかのように瞬時に現れる氷の盾で完璧に防ぐ。

 すると、今まで指一本すら動かさなかった志騎の動きに変化があった。彼は腰に装着されているブレイブブレードを静かに抜くと、ブレイブブレードを持った右手をだらりと下げた。そんな志騎に、スコーピオン・バーテックスが尾を鞭のようにしならせ攻撃する。

 刹那。

 まるで空気を切り裂くような鋭い音が響き渡ったかと思うと、スコーピオン・バーテックスの尾が一瞬で切断された。切り飛ばされた尾は志騎を攻撃する時の勢いを保ったままあらぬ方向に飛んでいき、やがて轟音を立てて樹海に落ちていった。

「なっ……!」

 その光景を見ていた三人は突然スコーピオン・バーテックスの尾が切断された光景に絶句した。普通の人間よりはるかに優れた動体視力を持つ勇者となっている今の三人には、何故スコーピオン・バーテックスの尾が切り飛ばされたのかが分かったからだ。

 スコーピオン・バーテックスの尾が志騎に迫った時、志騎の右腕がかすかにブレたかと思うと、次の瞬間尾が勢いよく切り飛ばされた。

 その現象が意味する事は一つ。志騎が、目にも止まらぬ速度でブレイブブレードを振るいスコーピオン・バーテックスの尾を切断したのだ。

 言ってみれば非常に単純明快。言葉通り、種も仕掛けもない。だがその単純明快な事が、今の三人にとっては信じられなかった。

 勇者に変身しているおかげではるかに優れた動体視力を持つ三人ですらも、志騎の斬撃を目で追う事が出来なかった。一体どれほどの剣の腕を持っていれば、あれほどの神業が可能になるのか、三人は全く分からない。少なくとも三人が知る限り、志騎の剣の腕はそこまで高いわけではない。勇者になってからは訓練で剣術もそれなりに学んでいるが、それでも達人の域にまではまるで届かない。そのはずなのに----あの強さは、一体何だというのだろうか。

 一方、志騎は三人の困惑など知る由もなく、スマートフォンを再度出現させると画面をタップしてブレイブドライバーにかざす。

『キリングストライク!』

 音声と同時に、ブレイブブレードがガンモードに切り替わると銃口をスコーピオン・バーテックスへと向ける。すると青白い霊力が銃口に集まっていき、やがて霊力が完全に集まった瞬間志騎は引き金を勢い良く引いた。直後、志騎が変身した時とは比べ物にならないほどの吹雪が放たれ、スコーピオン・バーテックスを襲う。絶対零度の吹雪を食らったスコーピオン・バーテックスは瞬く間に凍り付き、その動きを完全に止めた。が、志騎の攻撃はそれだけでは終わらなかった。

 手にしたブレイブブレードを再びソードモードにし、その場から前方の空間に鋭く跳躍するとその空間に氷で形成された足場が出現する。出現した足場を蹴りさらに速度を上げると、また前方の空間に氷の足場が出現し、足場を踏んで速度を上げる。

 それを数回繰り返した結果、志騎はまるで空中を駆けているかのような凄まじい速度を叩き出し凍り付いたスコーピオン・バーテックスの目の前へ接近する。そしてすれ違いざまにブレイブブレードを横薙ぎに一閃すると地面に着地する。さすがにそれまでの速度を完全に殺しきる事は出来なかったらしく、両足を地面に強引に着けてザリザリザリ!! という音を立てながら数メートル地面を滑った後、ようやく止まりきる。

 そしてスコーピオン・バーテックスの凍り付いた体に横一線の斬撃が走った瞬間、その体にさらにいくつもの斬撃が切り刻まれる。信じられない話だが、どうやら志騎はすれ違いざまにたった一撃ではなくそれ以上の数の斬撃を瞬時に叩きこんでいたようだ。その速度はまさに神速と言うしかあるまい。

 やがて斬撃が凍り付いた体に全て刻まれると、スコーピオン・バーテックスの体はいくつものパーツへとバラバラに切り刻まれ、次の瞬間には氷ごと粉々に砕け散った。パーツの一つから七色の光が天に昇ったのを見ると、どうやら斬撃はあの逆四角錘状の立方体も切り刻んだようだ。そして粉々に砕け散った氷が、光を反射しながら辺り一面に降り注ぐ。その光景は樹海の景色と相まって、幻想的ですらあった。

 だが、三人の目にその光景は全く目に入っていない。三人の目には、たった今あまりに圧倒的すぎる戦いを展開した志騎に向けられていた。

 圧倒的。まさにそうとしか言いようがない戦いぶりだった。自分達をボロボロにした三体のバーテックスが、人類の敵であるはずのバーテックスが、ほとんど反撃らしい反撃すらできぬままたった一人に叩き潰された。その戦いぶりは、まさに鬼神の如し。一体、どうすればあのような力を発揮する事ができると言うのだろうか。

 気になるのはそれだけではない。今の志騎から感じられるあまりに異質な雰囲気、バーテックスから受けた傷を瞬時に回復するあの桁外れの再生力。今の志騎はいつもの彼とはあまりに異なりすぎている。そのため、戦闘が終わったというのに三人は志騎に声をかけられないでいた。志騎がいつもの彼ならば、きっと四人でバーテックスを倒し生き残った事に歓声を上げているはずなのに。

 そんな三人をよそに、志騎は何も喋らず三人に背を向けた状態で佇んでいた。その姿は三人が後ろにいる事に気づいてないのはなく、そもそも存在そのものを気にかけていないようだった。まるで、道端にある石ころのように。

 それはいつも三人を気にかけている志騎にしては、あまりに冷淡すぎる態度だった。

「志騎……」

 そんな志騎の背中に、重苦しい沈黙を破って銀が声をかけた。

 彼女の声はバーテックスを倒した喜びよりも、不安と困惑の色の方が強かった。さっきまでバーテックスを一方的に叩きのめした謎の力、いつもとあまりに違いすぎる志騎の様子。それを間近で見てしまえば、さすがの彼女も不安を抱くだろう。

 だが、彼女の声には確かに不安も込められていたが、それと同じぐらいに彼女の願いも込められていた。

 こうして名前を呼べば、『なんだ?』といつもと同じ調子で自分の方を振り返ってくれるのではないかと。そしてボロボロの自分達を見て、心配そうな表情を浮かべながらもお互い生きてて良かったと困ったような笑みを浮かべてくれるのではないかと。----自分がよく知っている志騎が、戻ってきてくれるのではないかと。

 そんな願いを込めて、彼女は志騎の名前を呼び、彼が振り返ってくれるのを待った。

 が、まるでそれを遮るかのように樹海全体が地震でも起こったかのように揺れ始め、色とりどりの木の葉が周囲に舞い始める。三体のバーテックスを倒した事で、樹海化が解除されようとしているのだ。

「なっ……! し、志騎!!」

 銀は必死に自分達に背を向ける志騎に呼びかけるが、彼はこちらを振り返る素振りすら見せない。

 やがて三人の視界が光で包まれると----樹海化は完全に解除され、三人は現実世界へと戻っていった。

 

 

 

 

 三人が気が付くと、そこは前にも来た事がある大橋近くの小さな社の前だった。樹海化の影響で時間が止まっていたため辺りは夕日の赤い光に照らされており、どこからかカラスの鳴き声が聞こえてくる。

 そして、変身が解け体中傷だらけの彼女達の目に真っ先に飛び込んできたのは、社の前でうつ伏せで倒れている志騎の姿だった。

「志騎!!」

 三人は慌てて倒れている志騎に駆け寄り、体を抱き起こす。彼の体には自分達のような傷はどこにもなく、呼吸も脈拍も正常だ。なのに、目は覚まさない。こうして見ているとただ眠っているようにも見えるが、寝息すら立てないその姿に三人の中の不安がどんどん大きくなっていく。

「し、志騎! おい、起きろよ!」

「ミノさん駄目! 怪我はしてないけど、もしかしたらどこか悪いのかもしれないし……」

「そ、そうね。今はとりあえず安静に……」

 焦った表情で志騎を起こそうと彼の体を揺らす銀に対し、園子は険しい表情を浮かべながらも冷静に銀に言い、園子の言葉に少し冷静さを取り戻した須美が同意する。三人がそんなやり取りをしている間も、志騎は意識を失ったままだった。

 ----そんな三人を、封鎖された大橋から眺める小さな影があった。

 影----刑部姫は、遠くから四人をしばらくじっと見つめていたが、やがて着物からスマートフォンを取り出すとある携帯番号に電話をかける。電話口の向こうでワンコールが鳴り終わった直後、相手が電話に出た。

『どうしたの? 刑部姫』

 電話の相手は安芸だった。刑部姫は志騎達を見つめたまま、手早く用件を口にする。

「もうすぐ連絡がいくかと思うが、志騎達がバーテックスと交戦。鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀の三人が重症。今はギリギリ大丈夫だが、正直かなりまずい。至急霊的医療班を頼む」

『分かったわ。……志騎は?』

「無傷だ。昏睡状態だがな」

『無傷なのに、昏睡状態? どうして……』

「キリングトリガーを使った」

 その一言で、電話の向こうで安芸が息を呑むのがはっきりと聞こえてきた。それほどまでに、彼女にとって志騎がキリングトリガーを使ったという事が衝撃的だったのだ。刑部姫は手すりにもたれかかってため息をつきながら、

「正直、今回はそうするしかなかった。隠れて見ていたが、今回襲来したバーテックスは三体。しかも特徴と外見からして、スコーピオン、サジタリウス、キャンサーの三体だ。サジタリウスとキャンサーだけでもまずいのに、スコーピオンという特にやばい奴が来た。何と言ったって、奴は西暦に勇者を二人殺してる。出し惜しみをしてたらこっちがやられてた」

『……四人の連携で、どうにかならなかったの?』

「お前の気持ちは分かるが、精神論や連携でどうにかなる相手じゃない。現にあいつらは一度殺されかかったし、あのままだったらバーテックスの撃退はできたかもしれないが三ノ輪銀は確実に死んでいた。使うしか無かったとしか言いようがない。……まぁ、それでもこんなに早く使う時が来るとは私も予想外だったが」

 言葉通り、刑部姫の顔には苦虫を噛みつぶしたような表情が浮かんでいた。

 するとまるでそれに同調するかのように、安芸の重いため息が刑部姫の耳に聞こえてきた。それだけで刑部姫の脳裏に、椅子にもたれかかって額を抑えている安芸の姿が簡単に浮かび上がってきた。

『----この時が、来たのね』

「ああ。来た」

『……もう、戻れないのね』

「もう、戻れない。それに、これからはあいつらも嫌でも変わる事になるだろうよ。……じゃあな。また後で」

 そう言って通話を切りスマートフォンを着物に戻すと、刑部姫は再び四人に目を向ける。志騎は相変わらず意識が戻らず、銀と園子が怪我が無いか志騎の体を調べ、須美が安芸に電話をかけようとしているのかスマートフォンを取り出している。刑部姫は志騎を眺めながら、ぽつりと呟いた。

「……これからが大変だぞ、志騎。だが、それでもお前は戦わなくちゃならない。人類が犠牲を出さずにバーテックスに勝つには、お前が必要になる。……バーテックス(やつら)と同じ力を持つ、お前がな」

 

 

 

 こうして、天海志騎という本来ならばあり得ない存在により、運命は変わった。

 だが、運命が変わるという事が必ずしも最良の結果をもたらすとは限らない。

 変わった運命がまた別の悲劇をもたらす事だってあり得るし、例え流れが変わったとしても行きつく結末が同じ事だって十分にあり得る。別々に作られたはずの道が、結局は同じ場所に繋がっているのと同じように。

 要するに、例え一度運命の流れを変えた事ができたとしても、それだけで完全無欠のハッピーエンドが約束された訳ではないという事だ。

 そして、運命の分岐点となった今日をきっかけにして。

 天海志騎という名の少年の日常は、激変していく事になる。

 

 



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第十三話 天海志騎になにが起こったのか

 ----落ちていく。

 果てしない空間の中を、落ちていく。

 自分がどうなっているか分からない。どうして自分が落ちているのか分からない。

 ただ、自分が何もない空間をひたすら落ちていく感覚だけがあった。

 このまま落下し続けたらどうなるか、それすらも分からない。ずっとこのまま落ち続けるのか、それとも何かにぶつかって死ぬのか。

 いや、そもそもの問題として、自分は生きているのか、死んでいるのか。

 そういった肝心な事すら、分からなかった。

『----』

 その時、何かの声が聞こえた。

 その声が誰の声かは分からないし、何と言っているかも分からないが、なんとなく、その声が待っている所に行かなければならないという事だけは分かった。

 そのためには、まずこの空間から抜け出さなければならない。

 そう思い、瞑っていた目を静かに開けたところで。

 天海志騎は、眠りから目を覚ました。

 

 

 

 

「……こ、こは……」

 まず目に入ったのは白い天井だった。次に、嗅ぎなれた消毒液特有のツンとした匂いが鼻孔を刺激する。自分の今の状態からすると、どうやら自分は病室のベッドに横たわっている状態らしい。一瞬自分が初めて安芸と出会った時と状況が似すぎているので夢かと思ったが、体に残るわずかな倦怠感がそれを否定する。

 やがてぼんやりとしていた意識がゆっくりと覚醒していくと、自分の右手が誰かに握られているのを感じた。

 体を起こし、自分の右手を握っている誰かの姿を確認する。

 そこにいたのは。

「銀……」

 来客用の椅子に座り、ベッドにもたれかかって寝息を立てながらも、志騎の右手をしっかりと握っている銀だった。彼女の顔にはまだ傷が治りきっていないのか、絆創膏など傷の治療を施した跡がある。

 それから銀とは反対方向に目を向けると、銀と同じように来客用の椅子に座りながら寝息を立てている須美と園子の姿があった。須美がすーすーと静かな寝息を立てているのに対し、園子は朝教室で眠っているときのように、すぴーすぴーと気持ちよさそうな寝息を立てながらご丁寧に鼻ちょうちんまで膨らませている。彼女らしいといえば彼女らしいのだが、よほど熟睡しているのか口元から微かに垂れた涎が須美の肩にかかってしまっている。そんな園子の姿に、志騎は思わずやれやれと肩をすくめた。

「……そういえば、あれから俺どうなったんだ?」」

 頭に手をやりながら、志騎は独り言を呟く。自分がこの病室に来た時の記憶が、全く無かったからだ。

 だがそれでも、かろうじて覚えている事はある。樹海で、自分一人でバーテックスと三体と戦った事。攻撃を受けて、今にも死にそうな状態であった事。その状況をどうにか覆すために、刑部姫から渡されたキリングトリガーを使った事。

 そこまでは覚えているのだが、それ以降は全く覚えてない。キリングトリガーを使った時、まるで自分が自分で無くなるような感覚を覚えた直後、意識がぷっつりと途切れたのだ。それから何が起きて、どうなったかはまるで分からない。

 ただ、一つだけ分かっている事がある。自分達はどうにか三体のバーテックスを撃退し、帰還する事ができたという事だ。そうでなければ、自分も彼女達もこの場にはいない。それだけは本当に、喜ばしい事だと思う。

 その事に志騎は安堵の息をつくと、左手を眠る銀の額に伸ばしてデコピンの形にする。本当ならもうちょっと寝かせても良かったのだが、さすがにいつまでも利き手を握られているのは不便だし、彼女達からあれから何があったか話を聞く必要もある。だが無理やり叩き起こす事はしたくないので、あまり力を入れず軽く彼女の額をピンと弾く。

「おい、いい加減起きろ」

 すると額に走った衝撃に、銀が「ん……」と小さく呻きながら起き上がる。そして目をこすりながら寝ぼけ眼で志騎の顔をとろんと見つめた直後、目を見開いて言った。

「し、志騎!? 目が覚めたのか!?」

「あ、ああ……。それより、声がデカい。須美と園子が起きるぞ」

 しかし志騎の警告も空しく、銀の声に眠っていた須美と園子が目を覚ました。二人共最初はとても眠たそうにしていたものの、志騎が起きている事を確認すると驚いた声をそれぞれ上げてくる。

「し、志騎君!?」

「あまみん!?」 

「お、おう。二人共おはよう」

 須美と園子の反応に志騎はどうにかそれだけ返すが、二人から返事はない。何故か二人は、志騎の顔をじっと見つめていた。それは銀も例外ではなく、何故か不安そうな眼差しで志騎の顔を見つめている。

「……どうしたんだ? 三人共」

 やや普通ではない三人の様子に志騎が尋ねると、銀が唐突に尋ねた。

「……志騎。あたしの好きなジェラートの味は何だ?」

「はぁ? しょうゆ豆味だろ? お前イネスでジェラート食べる時は大概あれだろうが」

「志騎君。私とそのっちがオリエンテーションで名乗った正義の味方の名前は何?」

「国防仮面だろ。あの後安芸先生に衣装とか全部没収されただろ」

「書道の時間に私が書いた文字は~?」

「内角高めだろ。てかさ、あれマジでどういう意図で書いたのお前? 今でも意味が分からないんだけど……」

 何故か突拍子もない質問を次々聞いてくる三人に、志騎は全て正確に答えた。すると、三人ははぁ~と心の底から安堵したような息をついた。

「良かった……。いつもの志騎だ……」

「どういう意味だよ。ってか、あれからどうなったんだ? 俺達がここにいるって事は、バーテックスをどうにか撃退できたって事か?」 

 すると志騎の言葉に、三人は一斉にえ? ときょとんとした表情を浮かべた。

「志騎君……あなた、何も覚えてないの?」

「ああ。途中から記憶が飛んでる。……なぁ、一体何があったんだ?」

 最初志騎は自分と彼女達が力を合わせて、どうにか三体のバーテックスを撃退したのだと思っていたが、どうも彼女たちの反応を見るとそうではないようだ。彼女達の先ほどの何かを確認するような質問と、志騎の一部の記憶が無い事を知った彼女達の反応が、志騎がキリングトリガーを使ってから何かがあった事を志騎に感じ取らせた。

 三人は一度顔を見合わせると、志騎にバーテックスとの戦闘で何があったかを話した。

 話を聞き終えた後、志騎は思わず目を丸くしながら三人に言った。

「俺が一人でバーテックスを倒した? 冗談だろ?」

「いやいや志騎さんや、気持ちは分かるけど、さすがにあたし達もこの場でそんな嘘つかないって……」

 志騎の言葉に、銀はやれやれと言いたそうな口調で返す。

 だがそう言われても、まだ今の志騎には自分一人であの三体のバーテックスを倒したという事が信じられなかった。その時の戦闘の記憶が自分に無かったのもそうだし、あれほど自分達が苦戦した三体のバーテックスが自分一人に倒されたというのが中々想像できなかったからだ。しかし三人の様子を見るに嘘をついている様子は見られないし、第一そんな嘘をつく理由もない。とすれば、彼女達が言っている事は間違いなく本当だろう。

「すごかったんだよ~。バーテックスをどんどん倒しちゃうし、傷もあっという間に治っちゃうし~」

「傷も? そう言えば、確かに傷が全く無いな……」

 園子の言葉に自分の体を改めて見回してみると、彼の体には銀達のような絆創膏や包帯の類がまったく見られなかった。息苦しさなども全く無い事から、どうやら潰れたと思っていた内臓も治っているらしい。

「てかさ志騎。あの力、一体何なんだ? あたし達今まで見た事無かったぞあんなの」

 銀が尋ねると、須美と園子も同意するようにうんうんと頷いた。そう言えば彼女達には、キリングトリガーの事を話していなかった。刑部姫の言葉が不穏だった事もあり、今までその事について話すのは避けていたが、さすがにそのような力を見せてしまえば彼女達も気になって仕方ないだろう。志騎は諦めたようにため息をつくと、三人にキリングトリガーの事を話した。

「志騎専用のパワーアップアイテムって……何だよそれ!? 精霊も志騎だけだし、どうして志騎ばっかー!」

 うがー、と頭を抱えて銀が悔しそうに叫ぶ。しかし精霊という言葉に志騎は自分にキリングトリガーを渡した張本人を思い出すと、話を聞いていた須美に尋ねた。

「刑部姫とは会ったのか?」

「いいえ。昨日私達が意識を取り戻した時に安芸先生が会いに来てくれたけど、彼女の姿は見てないわ」

「そうか……。そう言えば、あの戦いから俺達どれぐらい寝てたんだ?」

 自分は傷が治っていたとはいえ、彼女達はかなりの重傷を負っていた。あれほどの傷を受けていたら、彼女達も自分と同じように長い間眠っていても不思議ではない。

 すると、その質問に答えたのは園子だった。彼女は指で日数を数えながら、

「私達は丸一日寝てたよ~。それで昨日三人共目が覚めたんだけど、あまみんだけ意識が戻らなかったから、あまみんは二日だね~」

「そんなに寝てたのか……」

 傷が全て癒えているはずの自分が彼女達よりも眠っていたというのは少し腑に落ちないが、それもキリングトリガーの力の反動だと考えると考えられない話ではない。何せ須美達の話によると、キリングトリガーを使った自分は単独で三体のバーテックスを倒したというのだ。それほどの力を発揮した代償として、体に相応の負担がかかってもおかしくない。

「でもお前ら、昨日まで寝てたって言ってたけど、もう動いて大丈夫なのか?」

「ああ。治療のおかげで結構治ってるんだ。まぁさすがに全快ってわけじゃないけど、もう動いても大丈夫だって言われてる」

「だけど、それでも昨日までは痛かったんよ~」

 銀の言葉に続くように園子がちょっと困ったような笑みを浮かべて言った。まぁいくら大赦の霊的治療が優れているとはいえ、あれほどの傷がすぐに完治するというわけにはいかないだろう。今はもう痛みもだいぶ和らいでいるようだが、昨日は園子の言う通り動くたびに痛みが走っていたに違いない。

 そして……そんな重傷であるにも関わらず、三人は自分を心配して自分のそばにいてくれた。

 それが、志騎にとっては嬉しかった。

「そうか。……三人共、心配してくれてありがとな。あと……みんな無事で、良かったよ」

 言いながら、志騎は口元にうっすらとだが柔らかい笑みを浮かべた。三人はそれに顔を見合わせると、自分達も同じ気持ちだと言うように笑みを浮かべた。

 と、そんな時だった。

 突然病室の扉が開く音がして、その音に四人の視線が扉に向けられる。 

 そこにいたのは、硬い表情を浮かべた刑部姫だった。彼女は意識を取り戻している志騎に視線を向けると、やはりどこか少し硬い口調で言う。

「意識を取り戻したか、志騎」

「あ、ああ」

「ちょっと刑部姫。いくら志騎君の病室だからって、ノックぐらいは……」

「病院に運び込まれた時に検査をした結果、特に異常は見られなかったが、念のためにこの後精密検査を行う。安芸が呼びに来るから、それまで待機してろ。お前達もその時一緒に検査を行う。何も無かったら退院して良い。以上だ」

 咎めるような須美の言葉を無視して一方的に言うと、刑部姫は病室から出て行った。すると、閉じられた病室の扉から志騎に視線を移しながら銀が言った。

「なぁ、なんか刑部姫の奴、機嫌悪くなかった?」

「確かに……どこかピリピリしてたわね」

 刑部姫は大抵の人間には刺々しく接するが、それでも安芸や志騎などごく一部の人間に対しては非常に親しく接する。だが先ほどの刑部姫の志騎に対しての態度は、銀達に対する態度よりはマシなものの、いつもよりかなり不愛想だった。その変化には言葉を無視された須美も怪訝そうな表情を浮かべるほどだ。

 さらに、志騎と刑部姫のやり取りを見ていた園子がこんな事を言う。

「そう言えば、安芸先生も変だったよね~」

「先生が? どんな風に?」

「ひめちゃんみたいに不愛想ってわけじゃないんだけど、ちょっと不安そうな表情をしてたって言うか、焦ってるような感じがしたんだ~。最初は私達を心配してるからかなって思ってたんだけど、なんかそれだけじゃないような気がするよ~」

「………」

 刑部姫と安芸の態度の理由は想像がつく。きっと、志騎がキリングトリガーを使った事だろう。刑部姫はそもそも志騎にキリングトリガーを極力使わないよう警告していたし、安芸もキリングトリガーの持つ力の事を知っていた可能性が高い。だがそうなると、分からない事が一つある。

(……どうして、そんな表情を浮かべる必要があるんだ?)

 キリングトリガーの力が強大で志騎の身に何かが起こるのが不安だというのは何となく分かるのだが、こうして確認してみる限り志騎の体は健康体そのものだ。特にこれといった反動もないし、傷もすっかり治っているのに、どうして刑部姫はあれほどピリピリしていたのだろうか。

 また、今の志騎には刑部姫に尋ねたい事があった。

 それは、志騎のゾディアックフォームの能力が、何故バーテックスの能力に酷似していたかだ。

 前に聞いた刑部姫の話によれば、志騎の勇者システムに組み込まれているゾディアックシステムは大赦のある科学者が作り上げたものらしい。そのゾディアックシステムがどうしてバーテックスの能力に似ているのか、当然志騎にはまったく分からない。

 なのでその事と志騎の勇者システムを開発した科学者について刑部姫から話を聞き出したかったのだが、当の本人は話を聞き出す前にさっさと病室から立ち去って行ってしまった。あれでは後の精密検査の時に話を聞き出そうとしても、何も喋らない可能性がある。自分と安芸にはやけに馴れ馴れしく接する一方で、そういった秘密主義な所が刑部姫にはあった。

 聞き出したい事があるのに、まったく聞く事ができない。

 その事実に若干の苛立ちを感じながら、志騎はため息をつくのだった。

 それから三十分後、刑部姫からの連絡を受けたのか安芸が病室にやってきて精密検査を受ける事を四人に告げると、四人は病室を出て検査へと向かった。

 とは言っても志騎は途中で三人と別れると、別室で一人で精密検査を受ける事になった。検査を担当するのは、案の定と言うべきか刑部姫一人だった。四人と別室で検査を受ける理由を刑部姫に聞いてみた所、キリングトリガーの力の影響等も調べたいかららしい。正直もっと聞きたい事はあったが、時間もそんなに無いとの事ですぐに検査を受ける事になった。

 検査自体は志騎が月に受けている定期健診と同じようなもので、脈拍や血圧、さらにはCTスキャンを用いての検査などだった。

 やがて全ての検査を終えた志騎は検査室でパイプ椅子に座って刑部姫からの診断の結果を待つ事になった。刑部姫はと言うと、志騎の目の前でパイプ椅子に座りながら電子カルテを睨みつけている。

 しばらく刑部姫は電子カルテを睨めっこをしていたが、不意にふぅと息をつくと電子カルテから志騎に視線を移した。

「特に異常はなし。傷も無いようだし、後で安芸に伝えて手続きを取らせたら、もう三ノ輪銀達と一緒に退院して良いぞ」

「ああ、分かった」

「それと、しばらく私の分の晩飯は用意しなくて良い。少し大赦の方の仕事が忙しくてな、少しの間顔を出せなくなる。まぁ、それが終わったらまた顔を出せるようにはなるが……」

 刑部姫のその言葉に、志騎は思わず眉をひそめた。

 前から刑部姫が志騎の前に姿を見せない事はたまにあったが、キリングトリガーを使ったこのタイミングで顔を出せなくなるというのは少し奇妙な気がしたのだ。まるで、キリングトリガーについて聞かれるのを避けているような……そんな感じが、今の刑部姫からは感じられる。

「……なぁ刑部姫」

「ん、なんだ?」

「お前、俺に何か隠している事があるんじゃないのか?」

 すると、刑部姫は「はっ」と笑い、

「なんだそれは? お前に隠している事など何もないが?」

「……本当だろうな?」

「ああ、本当だ」

「………」

 しばらく志騎は刑部姫をじっと見つめていたが、やがて「……分かった」と言うと病室から出て行った。刑部姫が志騎が出て行った病室の扉を見ていると、再び扉が開き一人に人物が病室に入ってきた。その人物----安芸はついさっきまで志騎が座っていたパイプ椅子に座りながら呆れたように刑部姫に言う。

「相変わらずあなたは嘘をつくのが上手いわね」

「嘘をついた覚えはない。単に言う必要がないだけだ」

「屁理屈ね」

「屁理屈も言うさ。こんな検査結果を見ればな」

 そう言いながら刑部姫が電子カルテを差し出すと、安芸は電子カルテを受け取りそこに表示されている志騎の検査結果に目を通す。一通り目を通した安芸は、そこに表示されている情報に思わず顔をしかめた。

「一応聞くけど、間違いじゃないのね」

「残念ながら、な。キリングフォームに変身した影響で、今まで志騎にかかっていた封印は全て解除されている。さすがに記憶までは戻っていないが、解放された力にあいつが気が付くのも時間の問題だろうよ。それまでは今まで通りあいつの観察を頼む」

「……分かったわ」

 安芸はそれだけ言うと、パイプ椅子から立ち上がり病室から出て行った。彼女の後ろ姿を見届けながら刑部姫はパイプ椅子の背もたれに寄り掛かると、苛立たし気にチッと舌打ちをするのだった。

 

 

 

「----よっしゃー! 退院だー!」

「わーいわーい!」

「二人共、あまり騒がないの!」

 検査の結果、四人の身体に特に異常は見られなかったためもう退院しても大丈夫と安芸から言われた四人は、その日の午後に無事退院した。

 そして病院の敷地内から出た直後、歩きながら両腕を真上に伸ばして喜ぶ銀とそれに便乗する園子に、須美の注意の声が飛んだ。すると銀は笑いながら、

「ごめんごめん。でも大目に見てよ。入院中家族にも会えなかったし、やる事は寝る事ぐらいしかないし、もう退屈でさー」

「私はたくさん寝られたけど、体が固くなっちゃったよ~。それに、久しぶりにジェラートも食べたいね~」

「そうだなー。でもさすがに家族の顔見たいし、鉄男にお土産渡さないといけないし、ジェラートは明日にするか」

「そうね。まだ退院したばっかりだし、まず今日は家に帰ってゆっくり体を休めましょう」

「だな。俺も腹減ったし、早めに帰って今日はスタミナつくものでも作るよ。スタミナって言ったらやっぱり肉だから……生姜焼きにでもするか」

「うどんも良いよ~。うどんは万能食~」

「……いや、さすがに万能食ではないと思うが……」

 確かにうどんは美味しいし低カロリーで消化も良いが、だからと言って万能食と言い切るのは正直どうかと思う。そこまでうどんは万能ではないだろうし、第一そこまで期待をされてはうどんも困るだろう。

 それから四人は他愛ない会話をしながら、帰り道を歩いて行った。検査自体は午前中に終わったものの、それから安芸による退院の手続きや準備などに時間がかかったため、もう辺りはすっかり夕日に照らされている。三体のバーテックスが襲来した時もこのような感じだったが、幸いな事にバーテックス襲来の時に必ず鳴る鈴は鳴らなかった。さすがに大事なお役目とはいえ、ようやく傷が癒えたのにまたバーテックスとの戦闘で傷を負うのは勘弁して欲しいので、この時ばかりはバーテックスが襲来しなくて良かったと思う。

「じゃあミノさん、あまみん、また明日~」

「二人共、今日はちゃんと早く寝るのよ!」

「分かってるって! じゃあな園子、須美! また明日!」

「じゃあな」

 やがて志騎と銀の家に向かう分かれ道に差し掛かると、別れの言葉を交わしながら志騎と銀は須美と園子の二人と別れた。銀は両手を後頭部に回しながら、

「だけど、今回ばかりはさすがにヤバかったな……。まさかバーテックスが三体も来るとは……」

「確かにあれは予想外だったな。だけど、もう同じ事が二度と起こらないとは限らない。もしかしたら今度は三体どころか四体、いや、下手をしたら五体一気に来る可能性だってある」

 もしも志騎の予想通りの事が起こったら、正直四人に勝ち目はない。何せ、予想外の事とは言え三体のバーテックスに四人は殺されかけたのだ。今回の場合はキリングトリガーがあったおかげでどうにか四人全員生き残る事ができたものの、次も同じようにいくとは限らない。結果的にバーテックスを全滅させる事ができたとしても、戦いの中で四人の内誰が死んでもおかしくはないのだ。そんな結末は、許容するわけには決していかない。

 銀も同じ気持ちだったのか、彼女は拳を強く握りしめながら、

「四体だろうが五体だろうが関係ない。あたしの大切な人達や日常を消そうっていうなら、全部まとめてぶっ飛ばす!」

「……お前らしいな。でも、口で言うのは簡単だけど……」

「分かってる。この前死にかけたし、今のあたしの力じゃ難しいって事ぐらい言われなくても分かる。だから、もっと強くなる。今よりももっと強くなって、あたしの大切な人達も日常も、全部全部守るんだ!」

 そう言う彼女の眼には、力強い意志の光が宿っていた。彼女の言葉通り、ついこの前死にかけたばかりだというのに、彼女の眼には戦いや死への恐怖心と言ったものは全く感じられない。いや、正確には彼女も感じてはいるのだろうが、それ以上に自分の大切な人達や日常が失われる方がもっと怖いと感じているからこそ、その恐怖を乗り越える事が出来ているのだろう。それは紛れもなく、三ノ輪銀という名の少女の強さだった。

「……銀。前から思ってたけど、お前は本当に強いな」

「え!? な、なんだよ志騎いきなり~。変な事言うなよ、恥ずかしいだろ~」

 ちょっと照れ臭そうに顔を赤くしながら、銀は志騎の肩をぱんぱんと叩いた。それに困ったような笑みを浮かべながら、志騎は今日の検査の時の刑部姫の様子について思い出す。

 本当はあの場で刑部姫にキリングトリガーの事をゾディアックシステムについて尋ねようとしたのだが、刑部姫のあの態度を見て聞くのをやめたのだ。恐らく今の彼女に聞いても、自分が求めている答えが返ってくる可能性は低い。理由は分からないが、彼女は自分に何かを隠している。彼女に真正面から聞こうとしても、今日のようにはぐらかされるのがオチだろう。それはたぶん、彼女の近くにいる安芸も例外ではない。

(ったく、何だってんだ……)

 一体彼女達は、自分に何を隠していると言うのだろうか。何故自分に話そうとしないのか。刑部姫はともかく、安芸は昔から自分が聞いた事はきちんと答えてくれたというのに。

 そんな二人に対する疑問と苛立ちで、志騎は思わず少し顔をしかめる。そして、そんな幼馴染の変化を見逃すほど銀は鈍感ではない。

「志騎、どうした? もしかして、具合でも悪いのか?」

「……いや、何でもない」

 自分の顔を覗き込んで尋ねる銀に志騎はそう返すが、銀は怪訝な表情を浮かべながら「本当か?」と疑わしげな口調で尋ねる。志騎は肩をすくめながら、

「ああ、本当だ」

「………」

 銀は少しの間志騎の顔を見つめていたが、やがてそっか、と言うと彼の顔から視線を外した。

「でも、本当に何かあったらあたしや須美達にもちゃんと相談しろよ? あたしにできる事なら何でもするし、須美達もきっと力になってくれると思うからさ」

「分かってるよ、それぐらい」

「本当か~?」

「だから本当だって。お前達の事を疑ってなんかねぇよ」

「なら良かった!」

 志騎の言葉に、浮かない表情を浮かべていた銀の顔がぱっと明るくなる。彼女の笑顔を見て、志騎もようやく口元に微かな笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 帰宅後、志騎は須美達の前で宣言した通り豚肉の生姜焼きを作ろうと思ったが、タイミングよく安芸が志騎が帰宅した数分後に帰ってきた。そして夕食の準備に取り掛かろうとしていた志騎に、疲れているだろうし今日の夕飯は自分が作ると言い出した。まだ病み上がりという事もあり、志騎はその言葉に甘える事にして、先に入浴を済ませる事にした。

 風呂にゆっくりと入った後、寝間着に着替えて居間に戻った志騎を出迎えたのは豚肉の生姜焼きとみそ汁の良い匂いだった。居間のテーブルには白く輝く白米にみそ汁、メインのおかずの豚肉の生姜焼きとキャベツの千切りが二人分置かれていた。志騎が食事の席に着くと、安芸も同じタイミングで席に着いた。

 そして二人揃った所でいたただきます、と合掌してから夕食を食べ始めた。志騎がみそ汁と啜っていると、ご飯をむぐむぐと食べていた安芸が唐突に尋ねた。

「志騎。体の調子は大丈夫?」

「……? はい、大丈夫です」

「そう。何か異変があったら、すぐに言うのよ」

「はい、分かっています」

 そう言いながらも、志騎の口調は少し硬かった。

 安芸はこう言ってくれるが、自分の身体を心配してくれるならば、彼女達が隠している事をきちんと話してほしいと志騎は思っていた。まぁそんな事を言っても安芸が話してくれる可能性は低いので、それをわざわざ口にしようとは思わないのだが。

 いや、そもそも隠している事を自分に正直に話してくれないという事は、自分の事などどうでも良いと思っているのでは----。

(……って待て。俺は一体何を考えているんだ)

 志騎は不意に浮かんできたその考えを無理やり頭の中から追い出す。自分は一体安芸に、何馬鹿な事を考えているのだろうか。彼女は親に見捨てられた自分をここまで育ててくれたではないか。それに今も自分の身を心配してくれている。そんな安芸を疑うなど、馬鹿げているにもほどがある。

 こんな考えを持ってしまうのは、キリングトリガーとゾディアックシステムの件で自分も気づかない内にピリピリしてしまっているからだろう。安芸が作ってくれたご飯を食べてベッドでゆっくり休めば、きっとこんな考えも胸の中の不安も無くなるはずだ。そう信じて、志騎はパクパクとご飯と生姜焼きを食べていく。いつもは見せない志騎の姿に安芸は目を丸くしながらも、ゆっくりと食べなさいと優しく諭すのだった。

 食後、歯磨きを終えてから自分の部屋に戻った志騎は明日の授業の予習を済ませると、早めにベッドに入る事にした。いつもは寝る前にテレビを安芸と一緒に見たりするのだが、さすがに今日は体を少しでも休めたいし、胸の中にわだかまる不安も早く消し去ってしまいたい。志騎は部屋の電気を消すとベッドに入り、瞼を閉じる。すると自分の思っていた以上に疲れていたのか、すぐに睡魔が襲ってきた。

(……今日は、よく眠れそうだな……)

 口元にうっすらと笑みを浮かべると、志騎は早々と意識を手放すのだった。

 

 

 

 

 

 

 きゃああ助けて助けてやめろ来るな化け物あっちに行けうわあああ俺の足がやめろ来るな死ね化け物やめてお願いお願いします助けてくださいお願いしますお願いします何でもしますお願いしま

 

 

 ガブリ

 

 

 ひゃああやめろやめろうるさい離せおいふざけるなうるさいんだよさっさと死ね早く死ねそうしたら助かるんだうわああふざけるな俺がどれだけお前に尽くしてきたとうるさいんだよそんなの当たり前だあたしのために死ぬのも当然だ嫌だ嫌だ死にたくないうるさいさっさと死ねあれちょっと待ってなんであたしにいやああああはははざまぁみろお前みたいな女死んで当然だあれどうして俺までやめて

 

 

 ガブリ

 

 

 あひゃひゃひゃみんな死んだみんな死んだもうおしまいだみんな死ぬんだ世界は終わるんだそうだどうせ死ぬなら盗もう犯そうだってもう誰もいないしどうせ俺も死ぬんだから最後ぐらいなんでもやって良いだろあはははあれ俺の右手がない血がぴゅーぴゅーだあひゃひゃひゃ本当に噴水みたいだあははははははははははははははははははははははははははははははははははは

 

 

 ガブリ

 

 

 おぎゃあおぎゃあやめてくださいどうかこの子だけは助けてください私は殺していいです何でもしていいですおぎゃあおぎゃあおぎゃあだからこの子だけは殺さないで見逃してくださいおぎゃあおぎゃあおぎゃあ誰か助けて神様お願いですこの子だけは助けてくださいどうかお願いしますこの子だけはおぎゃあおぎゃあおぎゃあああやめてくださいおぎゃあおぎゃあああごめんねあなたを護れなくてごめんねごめんねごめんねごめんねごめんねおぎゃあおぎゃあおぎゃあおぎゃあおぎゃあお

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガブリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い息をつきながら、志騎はベッドの上で自分のシャツの胸元を抑えていた。全身から汗が大量に流れ、そのせいでシャツが体に張り付いて気持ちが悪い。喉はカラカラで、水が無性に欲しかった。そばにある目覚まし時計を見てみると、時刻は四時半。自分がいつも起きている時間よりも一時間ほど早い。だが、今の志騎には二度寝しようという気などまったく起きなかった。

「何だ……今の夢…」

 酷い夢だった。悪夢と言い換えても過言ではない。

 燃え上がる街並みに浴びるだけで火傷してしまいそうな熱風、何かに殺された人々の死体、死体から漂ってくる血液の臭い、そして人をかみ砕く感触。夢のはずなのに、それはあまりにもリアルすぎてまだ頭にこびりついている。思い返すだけで吐き気がして、志騎は思わず口元を抑えた。

(なんであんな夢を……)

 今のようなあまりにリアルすぎる夢を見た事は今まで一度も無かった。あのような映像が流れる映画も見た事はないし、そもそも夢であるならばあれほどリアルなはずがない。志騎は額の汗を拭うと、ベッドからゆっくりと降りた。シャワーを浴びてすっきりしたかったというのもあるし、何よりもまた寝たら今のような夢をまた見てしまいそうで寝る気が無かったからだ。

 のたのたととろい動きで着替えを用意すると、志騎は風呂場へと向かったのだった。

 

 

 

 シャワーを浴びて体中の汗を流した志騎は着替えて日課の朝食作りに取り掛かったものの、気分までさっぱりする事は無かった。こうして手を動かしていても、頭の中では昨夜の悪夢の光景が離れない。あんなものはただの夢のはずなのに、まるで呪いのように志騎の頭の中に残り続けている。こうして料理のために手を動かし続けていれば少しは気が紛れるかもしれないと思ったが、そう上手くもいかなかった。

 やがて安芸も眠りから目覚めて居間にやってくると、志騎はできた料理をテーブルに並べてから安芸と食卓の席に着き、一緒にいただきますと合掌する。それから箸を手にして白米を口にするが、味はよく分からなかった。それどころか、何を食べても美味しいと感じる事が出来ない。そもそも食欲も分からない。どうやら昨日の夢は、自分にかなりの悪影響を与えているようだ。

 そして手にしている茶碗の半分まで白米を残してしまってから、志騎は箸を置いた。

「……ごちそうさまでした」

「もういいの?」

 明らかにいつもと比べて全然食べていない志騎に安芸が尋ねるが、志騎ははいと答えながら頷くのが精一杯だった。怪訝な表情を浮かべながらも、安芸は志騎に言う。

「朝ご飯をきちんと食べないと、あとが辛いわよ。もう少し食べたら?」

「……すいません。今日はちょっと食欲が無くて……」

 やや元気のない声で言われてはさすがの安芸もそれ以上言う事はできなかったのか、それ以上朝食を勧めるような事を言う事はなかった。ただ、体調が悪いようなら今日の学校は休んだらどうと志騎を心配する言葉を言ってくれた。

 それに志騎は大丈夫ですと返すと、茶碗と残ったおかずを台所に運び始めた。さすがに悪い夢を見たせいで学校を休みますなど、笑い話にもならないからだ。食欲は無いが、さすがに学校へ行くだけの体力はある。

 それから安芸は一足先に学校へ向かい、志騎も神樹館の制服に身を包んでから居間でテレビのニュースを眺めていると、ピンポーンと呼び鈴の音が聞こえてきた。時間帯とこの家に来る人間の事を考えると、きっと銀だろう。志騎は腰を上げると、玄関へ向かって引き戸を開ける。すると案の定、そこにいたのは笑顔の銀だった。

「おはよっ、志騎!」

「……ああ、おはよう。用意するから、ちょっと待ってろ」

 そう言ってから志騎が銀に背を向けて部屋へ向かおうとすると、突然右手首が掴まれた。志騎が怪訝な表情を浮かべながら振り返ると、銀が心配そうな表情を浮かべながら彼の顔をじっと見つめていた。

「……なぁ志騎。何かあったのか? なんか、いつもより元気が無いように見えるぞ?」

 銀の言葉に志騎は一瞬動揺を表情に出しそうになったが、どうにかそれを防ぐ事に成功する。相変わらず、人の変化には非常に敏感な少女である。

 志騎は困ったような笑みを浮かべると、銀に言った。

「別に何もねぇよ。お前の気のせいだろ。さ、分かったら早く手を離してくれ。二人まとめて遅刻になる気か?」

「……分かった」

 志騎の言葉に銀は右手首から手を離すが、その表情は今もどこか不安そうだった。志騎は彼女にそんな表情をさせてしまった事に若干の罪悪感を感じながらも、学校へ向かう支度をするために自分の部屋へ向かうのだった。

 それからランドセルを背負い、玄関で待っている銀の所に戻ると鍵をかけて彼女と一緒に学校へ向かう。少し元気がないように見えた志騎を気遣ってか、銀は登校中に色々な話題を志騎に振ってくれた。彼女の話に付き合う事で志騎自身の気も紛れ、昨夜の夢の事も徐々に頭の中から消えていく。表面上はよく喋る銀に呆れたような態度を見せながらも、志騎は銀の気づかいに心の中で感謝するのだった。

 そして二人は特にこれといった問題もなく、神樹館に辿りついた。普段ならば様々なトラブルに巻き込まれて学校に遅刻しがちな銀だが、今日はそういったトラブルは特に起きず学校に辿り着く事ができた。

「たまにはこういう事もあるんだな」

 自分の靴を下駄箱に入れながら志騎が呟くと、先に上履きに履き替えていた銀が何故か胸を張りながら、

「ま、あたしは勇者だし! 日頃の行いってやつだな!」

「そういう事は一か月間遅刻を一回もしなくなってから言え」

 うぐ、と銀は志騎の言葉に思わず言葉を詰まらせるものの、朝二人の間に漂っていた不穏な空気はすっかり取り払われていた。

 二人が教室に辿り着くと、例の如く須美は自分の席で最初の授業の準備をし、園子は自分の席で気持ちよさそうに寝息を立てていた。

「おはよう、志騎君、銀」

「おはよー」

「おはよう」

 二人が来た事に気づいた須美が二人に挨拶をし、二人も須美に挨拶を返す。すると良いタイミングで園子の鼻提灯がパチンと割れ、園子は少しあたふたとした調子で体を勢いよく起こした。

「あわわ~! お母さんごめんなさい~!」

 そう言いながら本当に申し訳なさそうな表情で両手を合わせる園子に銀は苦笑しながら、

「園子、まだ朝の学活前だよ」

 銀の指摘に園子は恥ずかしそうに笑いながら、

「えへへ~、二人共おはよう~」

 園子の挨拶に、銀と志騎はそれぞれ朝の挨拶を返す。

 一見いつもと同じ日常だが、四人はこの前生きるか死ぬかの戦いを繰り広げていた身だ。それを思うと、今こうして互いに挨拶を交わしている事が本当に奇跡のように思える。

 銀と志騎が席に着くと、ちょうど学校のチャイムが鳴り響き安芸が教室に入ってきた。それから日直の号令と共に規律をすると、教室に備え付けられている神樹の神棚に礼をして再び着席し、本日一日目の授業が始まる。

 夢は最悪だったとはいえ、こうして今まで何度も過ごしてきた志騎の神樹館の一日が始まるのだった。

 

 

 

 一時間目の次の授業は男女合同での体育だった。今日行うのは100メートルのタイム測定で、校庭では安芸の合図と共に男女四人ずつ走り、タイムを計っている。もちろんその中には、志騎達四人の姿もあった。

 志騎が列に並んで自分が走る順番を待っていると、隣で同じように待っている銀が志騎の肩をつついてきた。

「なぁ志騎。折角だし、競争しないか?」

「競争?」

「ああ。買ったら負けた奴の給食のプリンを貰う。どうだ?」

「……乗った」

 銀の提案に、志騎は口元に笑みすら浮かべて賛成した。何を隠そう、志騎の好物の一つはプリンなのだ。

 いつもはこういう事にはあまり乗り気にはならないが、好物であるプリンが賞品であるならば乗らない手はない。もちろん自分が負けてプリンが銀に取られる可能性も十分にあるが、それを差し引いてもこの勝負に乗る価値はある。志騎が足を軽く伸ばしながら走る準備を整えていると、前に並んでいた走者がスタートを宣言する生徒の合図と共に走り出す。志騎と銀を含めた四人の生徒はそれを確認してからスタートラインの前へと立った。

「あまみん、ミノさんがんば~」

 すでに計測を終えていた園子が二人を応援すると、銀が笑いながら手を振り返した。そんな彼女を須美がやれやれと言いたそうな表情で見つめている。やがて前の走者が走り終えると、それを確認した生徒が手を振り上げながら声を上げる。

「位置について!」

 その声で四人全員が走り出す体勢を取り、四人の間に少し緊張した空気が漂う。

「用意……ドン!」

 そして合図と共に、四人全員が勢いよく走りだした。その中でトップを走っているのはさすがと言うべきか銀だった。志騎も負けじと速度を上げるが、それでも銀には一歩及ぼない。病み上がりだというのに元気な奴だと志騎は呆れを通り越して感心すら抱いてしまう。

 だが、感心している状況ではない。後ろから彼女の横顔を見てみると、彼女は口元に勝利を確信した笑みを浮かべていた。このままでは彼女の想像通り勝負は彼女の勝ちとなり、今日の給食のプリンは彼女のものになるだろう。

(させるかよ……!)

 ぎり、と奥歯を噛みしめながら志騎がさらに速度を上げようと足に力を込めた瞬間。

 

 

 左目が突然熱を持ったと同時に体中から凄まじい力が沸き起こり、志騎の身体が前方へと急加速して銀をあっという間に追い抜いた。

 

 

「えっ?」

 突然の現象に志騎が思わず間抜けな声を上げたのも束の間、あまりの加速に脳の反応が遅れ、志騎は体のバランスを思いっきり崩してしまう。

 そしてバランスを崩した志騎は銀を追い抜くと盛大に転がり、数メートル進んだところでようやく止まった。

「し、志騎! 大丈夫か!?」

「ああ……。痛てて……」

 慌てて駆け寄ってくる銀にそう返しながら志騎が返事をして立ち上がろうとすると、左足の膝に痛みが走る。よく見てみると、膝小僧の辺りにかすり傷ができてそこから出血していた。そこに安芸が駆け寄って来て志騎の傷の様子を見ながら言う。

「かすり傷ね……。まずは傷を洗った方が良いわね。三ノ輪さん、悪いけれど天海君に付き添って傷を洗ってから保健室に……」

「大丈夫です。一人で行けます」

 そう言うと志騎は両足に力を入れて立ち上がった。その際に膝小僧に痛みが走るが、歩けないほどではない。そんな志騎に、銀が不安そうに声をかける。

「志騎、本当に大丈夫か? あたし保健係だし、ついていくぞ?」

「これぐらい大丈夫だ。ちょっと行ってくる」

 銀の言葉に志騎は手をひらひらと振って断ってから手洗い場へと歩き出した。足の痛みを庇うためひょこひょことやや危なげな足取りになってしまっているが、幸い歩行に問題はない。

 手洗い場へと歩きながら、志騎は先ほどの走行の時の事を思い返していた。

(……一体、あれは何だったんだ?)

 突然左目が熱くなったと思ったら全身に力が沸き上がり、その力を上手く制御できず吹き飛んでしまった。あの時自分の身に、一体何が起こったというのだろうか。一応左目に手をやってみるが、もうあの時の熱はすっかり失われてしまっており、体から湧き上がっていた力ももう感じられない。もしや、銀にプリンを取られたくないがために火事場の馬鹿力が発動したのだろうか。

 そう考えて、志騎は思わず笑いだしそうになった。さすがに自分はそこまで単純ではないし、その程度で馬鹿力を人間が簡単に発揮できるというのであれば、銀がとっくの昔に発揮している事だろう。

 そんな事を考えながらようやく手洗い場に辿り着くと、蛇口のハンドルを捻り水を出す。そして傷口を洗うために膝小僧を水に浸した。

 だが、

「……ん?」

 そこで志騎はある違和感に気づいた。傷口を水に浸したというのに、傷口に水が滲みこむ時特有の痛みが感じられないのだ。それに訝し気な表情を浮かべながら志騎が膝小僧に視線を向けた次の瞬間、志騎は思わず目を見開いた。

 ついさっきまであったのはずの傷口が、無かったのだ。それどころか先ほどまであったはずの傷の痛みすら消失している。一瞬傷があったのは自分の見間違いかと思ったが、さっき感じた痛みがその傷が見間違いではない事を証明している。

 ならば、もう傷が治った? いや、ありえない。たとえかすり傷であろうとも、傷が治るには数日はかかるはずだ。人間の傷がそんなに早く治るなど志騎には聞いた事がない。

「………」

 いや、正確にはつい最近あった。

 自分は覚えていないが、園子達の話によるとバーテックスとの戦闘で負った自分の右腕や傷が、戦闘中に一瞬で治ったらしい。だがそれはあくまでキリングトリガーを使った時の話だし、何よりも今の自分は勇者の姿ではない。傷がそんなに早く治るはずがない。

 しかし。

 それならば何故、自分の傷は無くなっているのだろう。

「………きっとそんなにひどい傷じゃなかったから、見えなくなってるだけだろ」

 自分にそう言い聞かせるように呟くと、志騎は膝を手早く水で洗ってから生徒達が集まっている場所へと戻る。

 まるで、目の前で起こった現象から目を背けるように。

 なお、銀との勝負は志騎の突然の急加速による負傷により無かった事になった。怪我を負った(銀達からはそう見える)志騎をもう一度走らせるのも酷なのでそれも仕方ないだろうが、プリンを一個多く食べられる機会を失った志騎は少し落ち込むのだった。

 

 

 

 体育の授業が終わった後は国語の授業だった。黒板の前で安芸が教科書を読み上げ、須美が非常に綺麗な姿勢で椅子に座りながら教科書を開き、体育の授業で爆走したからか銀は今にも眠りそうな表情で睡魔と戦い、園子は教科書を見ながら何やら楽し気な表情でノートに何かを書いている。あれで安芸の読んでいる箇所等を完全に把握しているのだから、まったく恐るべき少女である。

 一方、須美の後ろ斜め右の席に座る志騎は教科書を開きながら、先ほどの百メートル走の時の事を思い出していた。

 あの時はあまり深く考え込まなかったが、こうしてじっくりと考えてみるとやはりおかしい。何故急にあのような力が発現し、自分の速度がいきなり速くなったのだろうか。もしもあのまま走行を続けていたら銀は確実に追い越していただろうし、自分の自己ベストタイムも簡単に更新していただろう。あの時の自分には、それほどの力があった。

(……そもそも、何がきっかけだったんだ?)

 自分があれほどの力を発揮したきっかけ。銀に勝つためにさらに速度を上げようと足に力を入れた瞬間、力が沸き起こった。ならば、足に力を入れたのがそのトリガーだとでも言うのだろうか。

 しかし、そうならば歩く時にもあの未知の力が発現しかねない。それが今まで一度も発現していないという事は、つまりトリガーは別にあるという事だ。では一体、そのトリガーは何なのか?

 考えても考えても答えが見つからず、志騎が思わず髪の毛をくしゃくしゃと掻いたその時、変わらず楽し気な表情を浮かべている園子の姿が目に入った。

(ったく、一体何を書いているんだか……)

 少し呆れながらも彼女が一体何を書いているのか気になった志騎は少し目を細めて園子のノートをじっと見つめる。とは言っても当然距離もあるので、どうせ見えないだろうなと思った瞬間。

 左目が急に熱くなり、園子のノートに書かれている猫の絵が、まるで望遠鏡でも覗き込んだかのように一気に志騎の目に飛び込んできた。

「うわっ!?」

 突然の現象に志騎は思わず目を見開いて驚きの声を上げてしまう。しまった、と思った時には時すでに遅く、クラス中の視線が一気に志騎に注がれた。すると当然、安芸から注意の言葉が志騎に飛んだ。

「……天海君。授業中は静かに」

「す、すいません……。ちょっと顔洗ってきます」

 志騎が安芸に謝りながら席を立つと、周囲からくすくすと忍び笑いが聞こえてきた。大方今の大声と志騎の言葉から、志騎が居眠りをしていたとでも思っているのかもしれない。だが志騎はそれを無視して教室を出ると足早にトイレに向かう。

(……何となく分かってきたぞ、あの力の発動条件)

 最初の力の発動時は、志騎が銀を追い抜きたいと思った時に発現した。

 そしてついさっきは、志騎が園子が何を書いているか見たいと思った時に発現した。

 つまり。

(こいつは、俺が何かをしたいと思う事がトリガーなんだ……!)

 最初は銀を追い抜きたいと思ったから、強力な脚力として。

 二回目は園子のノートを見たいと思ったから、人並外れた視力として。

 志騎が何をしたいか、より正確に言えば何をするか強く思う事によって、その力は発動する。

 そしてその際には必ず、左目が熱くなる。その時左目に一体何が起きているかを、知らなければならない。

 志騎は男子用のトイレに入ると、鏡の前に立つ。幸い授業中という事もあってか、周囲に人の姿はない。今ならば何をしていてもバレるような事はないはずだ。

 志騎は鏡の前で深呼吸をして目を瞑ると、体育の時の感覚を思い出す。イメージは、力強い脚力で大地を駆け抜けるイメージ。

 するとその瞬間、左目が熱くなり体の中から力が溢れ出す。まるで今なら何でもできそうな、全能感にも似た力の奔流。

 その感覚に吞み込まれないように気を付けながら、志騎は両目をゆっくりと開く。

 そして鏡に映った自分の左目を見て、絶句した。

「何だよ……これ……!?」

 鏡に映る自分の左目に映っていたのは、普通の人間の眼球ではなかった。

 まるでいくつもの模様を組み合わせたような、不可思議な形をした幾何学模様が左目に出現していたのだ。幾何学模様は青い光を放ちながら、左目の中で踊っている。

 その光景に志騎は勢いよく後ずさると、体が背後の壁に鈍い音を立ててぶつかる。それと同時に左目の熱が収まると、眼球に浮かんでいた幾何学模様も消えて元の目に戻った。荒い息をつきながら左目に手をやる志騎は静かに呟く。

「一体……なんなんだ、これ? 俺に、何が起こったんだ?」

 今まで自分の身にこんな事が起こった事は一度も無かった。だが、このような現象が起こるきっかけとなった物を志騎は知っている。

 キリングトリガー。

 刑部姫が開発したあのアイテムを使った事で、このような事になったのだろうか? しかしあれはあくまでも志騎の勇者システムをバージョンアップさせるための物のはずだ。このような現象が起こる事など、本当にあり得るのだろうか。

 いや、それだけではない。

 体育の時間で負ったはずの自分の怪我が一瞬で治ったのも、まさかキリングトリガーの影響だとでも言うのだろうか。ならば何故、刑部姫はその事を自分に黙っていた? 安芸はその事を知っていた? 知っていて自分には何も話さなかった? 

 あの二人は……一体、何を知っているというのだ?

「………」

 志騎はよろよろと立ち上がると、鏡に映る自分を一瞬見てから教室に戻る。

 その胸に、言いようのない不安が沸き上がるのを感じながら。

 



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第十四話 禁忌の計画

刑「さて、今回でついにこの物語の核心に一気に迫る。天海志騎とは何者なのか? 何故勇者になれたのか? そもそも、奴はどうして生まれたのか? それらの謎を解く第十四話、どうぞご覧あれ」


「あまみん、ジェラート溶けちゃうよ?」

「ん? ああ……」

 園子に指摘されて、志騎はようやく自分の手にしているジェラートが若干溶けかかっていることに気づいた。

 放課後、四人は先日のバーテックスとの戦いの戦勝祝いを兼ねてイネスにジェラートを食べに来ていた。料金はいつも三人にお世話になっている礼もかねて、志騎のおごりである。

 しかし三人が美味しそうにジェラートを食べ、園子と須美に至っては互いのジェラートを一口食べさせあっているのに対し、志騎はどこか上の空の状態である。そのせいでジェラートもほとんど食べられていない。

 ぺろぺろとカスタード味のジェラートを食べる志騎に、銀が心配そうな声で尋ねる。

「なぁ志騎。本当に大丈夫か? 今日の朝からなんか元気無かったし、やっぱりなんかあったんじゃ……」

「別に何でもないって言ってるだろ。まだバーテックスとの戦いで疲れが抜けてないだけど。帰って休んだらすぐに治る」

「いや、だけどさ……」

「何度も言わせるな。大丈夫だ」

 そう言いながら、志騎は好物のカスタード味のジェラートを舐める。だが、好物のはずなのに志騎の表情はちっとも晴れなかった。三人は心配そうな表情を浮かべながら顔を見合わせるも、志騎自身が話してくれない以上追及する事は出来ない。

 と、そんな時だった。

「………っ!」

 それまで大人しくジェラートを食べていた志騎が、何故か目を見開きながら勢いよく席から立ちあがった。それまで持っていたジェラートが志騎の手から落ちていき、やがてべちゃりという音を立てて床に叩きつけられる。

「ど、どうしたの志騎君?」 

 突然の志騎の様子に驚きながらも須美が志騎に尋ねると、志騎は険しい表情で呟いた。

「……来る」

「え? 来るって、何が?」

「分からない。だけど、何かが来る……!」

 何故そう思ったのかは分からない。

 何故そんな事を感じ取れたのか分からない。

 ただ、これだけは分かったのだ。

 もうすぐここに、何かが来ると。

 志騎の言葉に三人は強い戸惑いの表情を浮かべていたが、すぐにその表情は消し飛ぶ事になる。

 何故ならば。

 

 

 突然時間でも止まったかのように、周囲の人々の動きが一斉に止まったからだ。

 

 

「これって……!」

「バーテックス……!」

 園子の言葉の後に、須美が続く。しかしその直後、ある事に気づいた三人の視線が志騎に向けられた。

 当の本人も同じ結論に達したのか、戸惑いの表情を浮かべている。

 今の志騎の『来る』という言葉。

 そしてその直後に起きた、バーテックス襲来による世界の停止。

 これらが意味する事は一つ。

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「………」

 その事実は本人も信じられないのか、志騎はその表情に動揺を露にしながらわずかに震えている左手で顔を覆っている。そんな志騎の左手を銀は勢いよく掴むと、真剣な表情で志騎の顔をまっすぐ見据える。

「志騎、とりあえず理由を考えるのは後だ。今はバーテックスを何とかしなくちゃ、だろ?」

「……っ。ああ、そうだな。

 銀の一言で志騎が我を取り戻すと同時、樹海化が始まり世界が光と色彩鮮やかな花弁に包まれる。光の中で須美達三人はスマートフォンを取り出すとアプリを起動し、勇者へとそれぞれ変身する。そして光が収まると、四国は樹海へと姿を変えた。世界が戦場へと変わったのを確認すると、志騎はスマートフォンのアプリを起動し、腰にブレイブドライバーが自動的に出現し、装着される。さらに三つあるアプリのうちの一つをタップすると、スマートフォンから音声が発せられる。

『Brave!』

『Are you ready!?』

「変身!」

『Brave Form』

 変身ポーズを行った後スマートフォンを勢いよくドライバーにかざし、出現した術式を通過すると志騎も須美達と同じように変身を遂げた。直後、勇者への変身を終えた四人の遥か前方に接近するバーテックスの姿が見えてきた。

 体長は他のバーテックス同様かなり大きく、形はまるでアドバルーンのようだった。その体からはまるで布のような触手が垂れ下がっており、さらに下腹部には管のような器官が備わっている。バーテックスの姿を見て、銀はほっとした声音で呟く。

「良かったー。今回は一体だけみたいだな」

「油断は禁物よ。この前だって、二体かと思ったら三体来たんだもの。また同じような事が起こらないとは限らないわ」

「それもそっか……。まぁ考えてみればあたし達まだ病み上がりだし、ちゃっちゃと片付けるとするか!」

 言いながら、銀は両手に握る双斧をぶん! と勢いよくその場で振るった。どうやら怪我が回復して日はそんなに経っていないもの、戦闘には支障は無さそうだ。それを見て園子がこれから行われる戦闘の作戦を三人に告げようとしたところで、ふと志騎の姿が目に入った。

「………」

 いつもならば油断なくバーテックスを睨みつけているであろう志騎は、何故かバーテックスではなく自分の両手をじっと見つめていた。両手を軽くにぎにぎと開いたり閉じたりしているその姿は、まるで自分の体の調子を確かめているようだ。いつもの彼らしくない姿を見せる志騎に、もしかして体の調子が悪いのかと思った園子が志騎に声をかける。

「あまみん、大丈夫? どこか痛いの?」

「え、そ、そうなのか志騎!? もしかして、前の戦いの時の傷がまだ治ってなかったとか!?」

 園子の言葉に銀が慌てたように言う。しかし志騎は両手から視線を外してきょとんとした様子で二人の顔を見ると、

「ああ、いや、そういうわけじゃない。しばらく寝たきりだったから体の調子を確かめてただけだ」

「なんだ、そうか……。あまり心配させるなよな」

「そうだな。悪かった」

 言いながら志騎は腰のブレイブブレードを引き抜き、迫りくるバーテックスを睨みつける。前回の三体のバーテックス、そして今まで戦ってきたバーテックス達の能力の事を考えると、今回のバーテックスも自分のゾディアックフォームに似た能力を持っているはずだ。問題は、その能力がどのゾディアックフォームのものかという事だが……。

 志騎が考えを巡らせていると、バーテックスの管のような器官から何やら球状の形をした物体が四人に向かって放たれた。

「何だあれ!?」

「迎撃するわ!」

 驚愕の声を上げた銀の横で、須美が弓矢を構えて数本の矢を物体に放つ。矢が見事に物体に突き刺さった直後、物体は轟音を立てながら爆発した。

「爆弾かよ!」

「となると、無傷で防ぐのはちょっと厳しそうだね~」

 銀の言葉に、園子は困ったような表情で呟く。彼女の槍は攻撃や防御にも使える汎用性が高い武器だが、あの爆弾そのものは防ぐ事はできるかもしれないがその際に生じる衝撃や爆炎を完全に防ぐ事はさすがにできないだろう。致命傷は防げるだろうが、その際に生じる爆炎でこちらにダメージが入る可能性が高い。一方、攻撃を見た志騎は敵のバーテックスの能力が自分のどのゾディアックフォームの能力に当てはまるかに気づいた。

(爆弾に布を模した触手……ヴァルゴ・ゾディアックか。もしかしたらあれ以外にも何らかの攻撃手段は持っているかもしれないけど……)

 こうして確認してみる限りだと、どうやらあのバーテックス----ヴァルゴ・バーテックスの攻撃手段は爆弾による遠距離攻撃に触手を用いた近距離攻撃のようだ。志騎のヴァルゴ・ゾディアックほど攻撃手段は多彩ではないようだが、それでも遠近両方をカバーできる攻撃手段があるというのは厄介である。

 そんな事を考えていると、志騎に向かって触手による攻撃が放たれる。志騎は跳躍して攻撃をかわすと、ブレイブブレードをガンモードに変形、反撃の銃弾をヴァルゴ・バーテックスに叩きこむ。数発がヴァルゴ・バーテックスの体に直撃するが、その際に生じた傷はすぐに再生されてしまう。

 地面に着地すると、爆弾による攻撃を防いでいた園子が三人に作戦を伝えた。

「わっしーとあまみんは援護をお願い! ミノさん、二人で敵を叩こう!」

「「「了解!」」」

 それぞれ園子に力強い返事を返した直後、銀と園子がヴァルゴ・バーテックスに突進する。志騎はスマートフォンを取り出すとZodiacのアプリの中からアクエリアス・ゾディアックのアイコンをタップする。

『アクエリアス!』

『アクエリアス・ゾディアック!』

 アクエリアスの紋章が表示されたスマートフォンの画面をドライバーにかざすと、いくつもの水瓶座の紋章が志騎の周りに出現し、それらが志騎の体に吸い込まれると服が青色に変化して両手に二丁拳銃が出現する。拳銃の引き金を引くと銃口から水で形成された銃弾が発射され、銀と園子に迫る小型爆弾を次々と破壊していく。一方の須美も精密な射撃を次々と放ち、同じように小型爆弾を破壊していく。

「なんか、合宿の時の訓練を思い出すな!」

「そうだね~! ……ミノさん!」

「分かってる!」

 銀が軽口を叩いた直後、触手が二人に向かって放たれるが園子と銀は地面と跳躍して攻撃をかわす。すると空中に逃げた銀に向かって触手による攻撃が放たれる。空中でうまく身動きができない状態ならば、叩き落す事は容易いと考えたのかもしれない。

「舐めんな!」

 しかし銀は空中で体をひねって攻撃をかわすと、あろう事か触手を足場にしてヴァルゴ・バーテックス目掛けて弾丸のように飛び出すとすれ違いざまにヴァルゴ・バーテックスに強烈な一撃を与えてやる。そしてどうにか地面に着地すると、ちょうど同じタイミングで着地した園子に叫ぶ。

「園子!」

「うん! どっせぇぇえええええいっ!!」

 園子による槍の穂先を巨大化した事による強力な一撃がヴァルゴ・バーテックスの巨体を貫通するが、勢いを殺しきれなかった園子は着地に失敗して地面に衝突してしまう。幸い受け身を取る事に成功はしたものの、その体にはいくつもの傷が刻み込まれている。すると園子に向かって、再び触手による攻撃が放たれるが、それを許さない人間が二人。

「させない!」

「させるか!」

 須美と志騎が矢と銃弾による攻撃を触手目掛けて放つと、二人の攻撃は見事触手に直撃する。二人の攻撃によって軌道を逸らされた触手は園子の体ではなく、彼女から少し離れた位置にある地面を破壊した。

「これで終わりだぁああああああっ!!」

 咆哮と共に銀の双斧に紋章が宿り、炎が勢いよく噴き出す。炎を纏った双斧を握りしめ勢いよく跳躍すると、バーテックスの体に凄まじい連続攻撃(ラッシュ)を叩きこむ。ドガガガガガガガッ!! と銀の攻撃で次々と体が崩壊していき、最後にとどめの一撃を食らったヴァルゴ・バーテックスは轟音を立てながら地面へと崩れ落ちる。それと同時に、樹海が柔らかい純白の光に包まれていき、色とりどりの無数の花びらが樹海とバーテックスの巨体を包み込んでいく。『鎮花の儀』だ。

「ふぅ……終わったか」

「志騎ー! 須美ー!」

 戦闘が終わって志騎が一息つくと、銀が園子と一緒にこちらに走ってきているのが見えた。二人とも体中傷だらけだが、それでも先日の戦いと比べると比較的軽い。須美と志騎の援護のおかげで爆弾による攻撃をほとんど食らわなかったため、着地に失敗した時の傷などしか負わなかったからだろう。須美と志騎は援護を行いながらも爆弾が爆発した際の爆炎や衝撃で傷を負ったものの、こちらも大した怪我ではない。樹海化が解除された後霊的医療班による治療を受ければ、すぐに傷も治るだろう。

 志騎と須美の二人と合流した銀は三人の顔を見渡すと、ほっとしたような表情で笑う。

「鎮花の儀が発動したって事は、今回のバーテックスは一体だけだったみたいだな」

「そうみたいね。それにみんなあまり大きな怪我もしていないみたいで良かったわ」

「うんうん。この前みたいな事にならないで本当に良かったよ~」

 三人が自分達の安全を確認して安心しているのを見て志騎は思わず口元に笑みを浮かべていたが、次の瞬間その表情が険しいものに変わる。

 ついさっき銀による攻撃を受けて樹海に横たわっていたヴァルゴ・バーテックスの下腹部の管が、須美と園子と話している銀に向けられていたからだ。銀はおろか、三人共会話に夢中になっていてそれに気づいていない。いや、そもそもヴァルゴ・バーテックスの位置自体が三人の背後にあるので、それに気づけるのは志騎しかいなかっただろう。

「伏せろ!!」

 えっ? と三人の視線が志騎に向けられる中、志騎は大きく一歩を踏み出すとまるで彼女達を護るかのように右腕を突き出す。このタイミングでは、ブレイブブレードによる迎撃も防御も間に合わないし、キャンサー・ゾディアックに変身しての防御も間に合わないと判断したからだ。突き出した右腕もそれで迎撃するというよりは、ヴァルゴ・バーテックスからの突然の攻撃に反応して咄嗟に突き出してしまったと言うほうが正確だろう。だが当然、そんなもので防げるような攻撃ではない。

 そして。

 ヴァルゴ・バーテックスから放たれた小型爆弾が志騎の右腕に直撃し、荒れ狂う爆風が須美達を襲った。

「きゃああああああっ!」

 突然の攻撃に須美達は吹き飛ばされ、咄嗟に右腕を突き出した志騎も爆風に煽られて吹き飛ばされてしまう。しかし志騎は空中で体勢を立て直すと、どうにか地面に着地して辺りを見回した。

 辺りは爆発によって生じた黒煙のせいで、うまく辺りの光景が見えなかった。三人の姿が見えない事に志騎は不安を感じながらも、どうにか声を張り上げて三人の無事を確かめようとする。

「三人共、無事か!?」

 すると、

「な、なんとか……!」

「だ、大丈夫!」

「びっくりした~」

 それほど遠くない位置から三人の声が返って来て、志騎は安堵の息をついた。声の調子から、どうやら大きな怪我などは負っていないらしい。志騎がヴァルゴ・バーテックスの方に目を向けてみると、その体がボロボロと崩れていっているのが見えた。どうやら先ほどの一撃は鼬の最後っ屁という奴だったらしく、それ以上の戦闘はもう行えないようだった。やがて煙が晴れると、銀がよろよろと立ち上がりながら志騎に声をかける。

「ごめん志騎。最後油断した」

「それはお互い様だ。俺もすっかり油断してた」

「はは、それもそ……」

 そこまで言いかけた銀の言葉が、途中で止まる。

 何故かその目は大きく見開かれ、視線は志騎にまっすぐ向けられていた。

「ミノさん? どうし……」

 銀に声をかけながら園子が銀の視線の先を追い、それを見た須美も二人と同じように志騎に視線を向ける。

 そして、二人とも銀と同じように目を見開いた。

「……? 三人共、どうしたんだ?」

 志騎は訝し気な表情を浮かべながら、三人に尋ねる。だがそれに三人は答えず、ただ志騎を見ていた。

 彼女達の姿を見て、志騎は胸の中に言いようのない不安が立ち込めてくるのを感じた。

 何故彼女達が志騎を見て驚いているのかは分からない。

 何故彼女達がそこまで驚いているのかは分からない。

 ただ一つ分かるのは、目を見開いている三人の顔に共通してある感情が浮かび上がっている事だけだ。

 それは、恐怖。

 今三人は、何故か志騎を見て明らかな恐怖心を抱いていた。

「……おい、一体どうしたんだ?」

 何故自分がそんな目で見られているのかが分からなくて、志騎が再び声を発する。

 と、銀が震える声で言った。

「……し、き。お前のそれ……何?」

 それ? と志騎はそこで初めて彼女達の視線が自分の右腕に向けられている事に気づいた。

 志騎は銀の言葉に、自分の右腕に目を向ける。

 ----その前に、志騎は気付くべきだった。

 爆弾の直撃を食らったのに、何故か右腕にまったく痛みがない事に。

 彼女達の安否を確かめる事に夢中で、自分の右腕がどういう状態なのか全く把握していない事に。

 それらに一つでも気づいていたら、自分の右腕の異常に彼女達よりも早く気づいていたのに。

 そして、自分の右腕に目を向けた志騎の目に。

 

 

 

 明らかに人間のものではない、異形の右腕の姿が飛び込んできた。

 

 

 

「----はっ?」

 自分の物とは思えない右腕を目にして、志騎は思わず間抜けな声を出した。

 一瞬、何かの見間違いかと思ってしまうほど、あまりに現実離れした光景。

 だがそれは間違いなく、現実のものだった。

「なんだよ、これ」

 馬鹿みたいなほど呆然とした口調で呟きながら、志騎はその右腕を観察する。

 外見はまるで志騎の勇者装束のような純白で、指先の一本一本はまるで爪のように鋭く、肘から先にはまるで鳥の羽根のような装飾がある。震える左手で右腕を触ってみると、予想以上に固い質感が返ってきた。予想ではあるがこの状態で力一杯コンクリートを殴りつければ容易く砕く事ができるだろう。人の頭を殴った結果など、予想するまでもない。

 右腕が異形となった志騎の目は大きく見開かれ、呼吸は荒い。須美達も突然の現象にどうして良いかわからず、ただ呆然とその場に突っ立っている。

 やがて鎮花の儀によって発生した純白の光と無数の花びらが樹海全体を覆っていき、それによりヴァルゴ・バーテックスが壁の外に送り返されると、儀式が終了し樹海化が解除される。

 そして樹海化が解除された後四人がいたのは、前にも来た事がある大橋近くの草木が生い茂る広場の一角だった。辺りはすっかり夕焼けの赤い光に照らされ、須美達も勇者の姿から神樹館の制服姿に戻っている。

 ただ、一つだけ。

 志騎の右腕だけは、異形のままだった。

「----もど、れ。戻れよ。……戻れ!!」

 自分の右腕を左手で痛いぐらいに強く握りしめながら、志騎が叫ぶ。すると右腕はまるで志騎の意志に従うかのように、淡い光を放ちながらその姿を変質させていく。

 そして数秒も経たないうちに、右腕は元の腕に戻っていた。

 それだけではない。

 動揺する志騎の目に映ったのは、掠り傷を負った自分の左腕だった。

 その左腕に刻まれていたいくつもの小さな傷跡が、見る見るうちに小さくなっていく。もう神樹の力を身に纏った勇者の姿ではないというのに。

 やがて数秒も経たないうちに、志騎の左腕と体中にあった小さな傷跡は全て完治していた。

 無論須美達の体の傷は治っておらず、まだ痛々しい傷跡が体に刻まれている。

「……な、なぁ志騎……」

 銀が志騎に声をかけた瞬間。

 志騎は三人に背を向けると、どこかへ勢いよく走りだした。

「ま、待てよ志騎!」

 銀の声が背中にかけられるが、志騎は止まらない。

 止まるどころか奥歯を強く噛みしめると、両目をギン! と大きく見開く。

 直後、左目が熱くなった瞬間、志騎の体にどこからともなく力が溢れ出てくる。

 その状態で足を地面に叩きつけると、まだ小学生であるはずの彼の速度はまるで弾丸のように加速した。もしも今の速度の状態で大会などに出れば、間違いなくその大会の新記録を容易く塗り替えるだろう。

 だが、今の志騎にとってそんな事はどうでもいい。今の彼には、どうしても向かわなければならない場所があった。

 その場所は、神樹館。

 自分の育ての親である安芸がいるはずの場所だ。

 

 

 

 数分後、神樹館に到着した志騎はまっすぐ職員室へと向かうと、安芸の姿を探した。しかしそこに安芸の姿はなく、仕方なく職員室にいた他の教師に話を聞くと、少し前に教室に向かったとの事だ。志騎はすぐに職員室を出ると、通い慣れた教室へと向かう。

 ようやく教室の前まで辿り着き、中を覗いてみるとそこには黒板消しを使って少し汚れた黒板を綺麗にしている安芸と、黒板消しをクリーナーで綺麗にしている刑部姫の姿が目に入った。

「まったく……なんで私がこんな事を……」

「文句を言わないの。どうせあなた今は暇でしょ?」

「それはそうだが……」

 ブツブツと口の中で文句を呟きながらも、刑部姫は手際よく黒板消しをクリーナーで綺麗にしてから黒板の粉受けに置く。どうやらさすがの彼女も、安芸の言う事には逆らえないようだ。

 しかし、今の志騎にはどうでも良かった。彼が教室に足を踏み入れると、安芸と刑部姫が教室に入ってきた志騎に気づき、彼に声をかける。

「志騎、あなたまだ学校に残っていたの? 早く帰りなさい」

 どうやら須美達は安芸にバーテックスが出た事を連絡していないらしく、バーテックスと戦闘した事を知らないらしい。刑部姫は樹海化による時間停止の影響を受けないはずなのでバーテックスが襲来した事は知っているはずだが、彼女の事だから安芸にはまだ話していないのだろう。仮に彼女が黙っていたとしても、後に須美達から連絡が来るはずだから特に問題はない。

 それに、正直今安芸と刑部姫が一緒にいるのは志騎にとっては都合が良かった。

「志騎……?」

 志騎が黙って二人との距離を詰めると、安芸が心配そうに声をかけ、刑部姫が訝し気な表情を浮かべる。そんな二人の顔を見ながら、志騎は静かに口を開いた。

「……ついさっき、バーテックスと戦いました」

「え? だけど、刑部姫から何も聞いてないし、鷲尾さんからは何も……?」

 言いながら安芸が刑部姫に視線を向けると、彼女は髪の毛をくしゃくしゃと掻きながら、

「すまん、バーテックスが出現したのは分かっていた。だが今回現れたバーテックスは一体だけだったし、志騎達もそんなに苦戦しなかったから話さなかった。第一、すぐに鷲尾須美達から連絡が来ると思っていたし……」

 どうやら、志騎の予感は的中していたらしい。しかし志騎はそんな刑部姫の言葉を遮るかのように、話を続ける。

「……戦いの中で、奇妙な事が起こりました。……俺の右腕が、人間じゃないまったく別の物に変わったんです」

「……っ!」

「……」

 志騎の言葉に、安芸は目を見開き、刑部姫はかすかに表情を険しくする。この反応を見る限り、どうやら二人は志騎のその事を前から知っていたのだろう。

 その事実に志騎は二人に対する不信感と怒りを抱きながらも、表面上はどうにか冷静さを保って言う。

「いや、それだけじゃない。そもそも今日はバーテックスと戦う前から、奇妙な事が起こりすぎていた。……人が殺される夢を見たり、変な力が沸き起こったり、傷がすぐに治って左目には変な模様が出たり、挙句の果てにはバーテックスの出現を感知したり……。これも全部、キリングトリガーを使ってから起こった。……刑部姫、安芸先生、あんた達は、こうなる事を分かってたんですか? 分かってて、隠していたんですか?」

「違うわ、隠していたわけじゃ……」

 安芸がそう言った瞬間。

 今まで溜まりに溜まっていた志騎の感情が、ついに爆発した。

「----はぐらかさないでください!! 一体、あれは何なんですか!? どうして俺にあんな力があるんですか!?」

 すさまじいほどの感情の叫びが、志騎の口から流れ出る。ここまで感情的になるのは、もしかしたら志騎自身初めてかもしれない。安芸も初めて見る志騎の姿に、驚愕でその動きを止めてしまっている。

 ただ刑部姫だけは、まるで何かを観察するかのような表情で志騎の様子をじっと見つめている。

 それが志騎には不快で、奥歯を強く噛みしめながら続ける。

「いや、それだけじゃない。そもそもキリングトリガーを使う前から……最初から、分からない事はたくさんあった」

 今まで志騎は、自分をここまで育ててくれた安芸の事を信頼していた。彼女は自分に対しては、何の隠し事もしていないのだと。

 刑部姫の事も、悪態はついていたが自分を心配してくれているのだと心のどこかで信じていた。何らかの秘密を黙っているのは、全て自分のためなのだと。

 だが自分の言葉に二人が何も話さないのを見て、志騎の心は二人に対する不信感でいっぱいの状態だった。そしてそれが志騎を、今まで見過ごしていた彼自身の謎へと駆り立てる。

「どうして俺の勇者システムはバーテックスと同じ力を持っているんですか!? どうして俺は勇者になれたんですか!? 安芸先生は俺が病気でずっと昏睡状態だって言ってましたけど、本当に病気だったんですか!? 俺は、一体----」

 一度不信を抱くと、二人に対する疑念は止まらない。

 彼女達が今まで自分に対して告げてきた事が、そもそも自分の目をその謎から逸らすためのものだったとすら思えてきてしまう。

 二人に対する不信感、自分に対する疑念。

 それらの感情が心の中でぐちゃぐちゃと混ぜ合わされ、志騎は辺りに大きく響き渡るような声で叫んだ。

「----俺は一体、何なんだ!!」

 誰も、何も言う事が出来なかった。教室の中に聞こえてくるのは、志騎のはぁはぁという荒く息をする音だけ。安芸は目を見開いて何も言う事が出来ず、ただ体の動きを止めているだけだ。

 そのような状態が永遠に続くのではないかと思われた直後、はぁと刑部姫のため息をつく音がした。

「……分かった。全て話す」

「刑部姫!?」 

 彼女の言葉に、今まで時間が止まったかのように動きを止めていた安芸が刑部姫に視線を移した。刑部姫はくしゃくしゃと髪の毛を搔きながら、

「キリングトリガーを使ったと聞いた時から、いずれこうなるかもしれない事はお前も分かっていただろう。これ以上隠し通す事は不可能だ。なら、早い内に話しておく方がまだ良いだろう」

「………っ」

 安芸は何も言わず、ただ唇を強く噛みしめただけだった。認めたくはないが、今のこの状況においては刑部姫の言う事が一番の正論だと思ったのだろう。それから刑部姫は、志騎の背後に視線を移すと、何故か舌打ちでもしそうな口調で言う。

「----それと、お前達も聞くだろう。まぁ、お前達も事だから来るなと言ってもどうせ来るだろうがな。まったく面倒なガキ共が……」

 え? と刑部姫の言葉に志騎が振り向くと、教室の扉の陰から銀と須美と園子の三人娘が顔を出した。三人共、一様に志騎達を不安げな表情で見つめている。動揺した表情を浮かべながら、志騎が三人に尋ねる。

「お前達、いつから……」

「えっと、その……志騎君が、安芸先生にはぐらかさないでくださいって言った辺りから……。盗み聞きするつもりは無かったんだけど、入りづらくて……」

 志騎の問いに、三人を代表して須美が恐る恐ると言った感じで呟く。それを聞いて刑部姫はふんと鼻を鳴らすと、ふよふよと空中を飛びながら、

「やれやれだ。安芸。済まないが応接室を取ってくれ。誰もいなくて落ち着いて話ができる場所と言ったら、あそこぐらいだろう」

「……分かったわ」

 そう言うと安芸は、志騎を心配そうに一瞥してから、教室を出て行った。それに続いて刑部姫も教室を出ようとした所、志騎にこう言った。

「こんな事を私が言うのもなんだが……。真実を知りたいと思うのはお前の自由だが、それがお前やこいつらのためになるとは正直言えない。知らなければ良かった残酷な真実というのは、いつの時代にも存在する。真実っていうのはな、薬にも毒にもなるんだよ。真実はある人間にとっては心を癒したりするが、またある人間にとっては体や心を苦しめる劇物にすらなりうる。……真実を聞くのは良いが、それだけは覚悟しておけ」

 そう言うと、刑部姫は教室を出て応接室へと向かった。教室に残されたのは、志騎と須美達三人だけになった。

「し、志騎……あのさ……」

 銀が志騎に何かを言おうとしたが、志騎は何も言わずに教室から出て行った。その背中に銀がさらに何かを言おうとしたが、口から何の言葉も出なかった。今まで見てこなかった志騎の姿に動揺したというのもあるが、今の志騎からまるで何者をも近づけさせない壁のようなものを感じてしまい、声をかける事ができなかったのだ。銀が棒立ちの状態になり俯いていると、心配した二人が銀の手をやさしく握りながら声をかける。

「ミノさん、大丈夫?」

「聞くのが不安なら、ここで待ってても……」

 しかし銀は二人の言葉にふるふると首を横に振ると、

「大丈夫。あたしも行くよ。……行かなきゃ、駄目なんだ」

 もしも今、志騎の真実から目を背けてしまったら。

 もう自分は志騎と同じ場所にはいられなくなる。

 そんな強い不安を感じて、銀は二人の手をぎゅっと握る。心なしか、自分の不安で満ちた心が少し軽くなったような気がした。

 そして銀は二人の手からそっと手を離すと、二人と一緒に応接室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 応接室は基本的には来客と話し合いなどを行うために使われるが、逆に言えば来客がいなければほとんど使われない場所でもある。そういう意味では、話をする場に刑部姫が応接室を選んだのは良い選択だった。

 神樹館の応接室はさすがとも言うべきか、無駄な調度品などが無くすっきりとした様相でありながら、ここに入る人間が落ち着いて話ができるように配置されているソファや椅子は上質なものが使われている上に、一つ一つが計算されて配置されている物だというのが分かる。そのおかげで無駄な豪華さや圧迫感なども感じないので、人目を忍んで一息つくのにも使えるだろう。まぁ、そんな事をする度胸を持つ人間がこの神樹館にいるのであれば、の話だが。

 五人は応接室に入ると、まず先に刑部姫が二つある上座の椅子の一つに堂々と座り、安芸がもう一つに静かに座る。当然志騎達四人は下座のソファに座る事になった。本来ならそのソファは三人掛けだが、まだ小学生の体格の志騎達ならば大して問題はない。

 五人が席に着いたのを確認すると、椅子に座っている刑部姫が口を開いた。

「さて、では話をするが……。そのためにまず今から数年前に大赦で立てられた計画について話さなければならない」

「何で俺の話をするのに、そんな事を……」

「そう言いたくなるのも分かるが黙って聞け。そもそもその計画こそが、お前が自分を知る事に繋がるからだ」

 志騎が不満げに言いかけたのを刑部姫が片手を突き出して止めると、志騎はむっとした表情を浮かべながら黙り込んだ。それを確認すると刑部姫はこほんと咳払いをした。

「まずその計画が一体何なのかという話だが……お前達、改めて聞くがバーテックスとは何だ?」

 するとその言葉に、四人は一斉に怪訝な表情を浮かべた。何故突然そんな話を? と言いたそうな顔であったが、刑部姫は四人の思考を読み取ったかのように「良いから答えろ」と促した。それに、須美が代表して答える。

「バーテックスとは……ウイルスの海から生まれた生命体です。私達人間を殺すために攻撃を仕掛け、その最大の目的は全ての恵みである神樹様を破壊する事」

「ああ、そうだ。(……表向き、はな)」

 最後に小さく何かを呟いたが、志騎達には聞こえなかった。ただそばにいる安芸には聞こえたのか、かすかにピクリと形の整った眉を少し動かす。しかし幸いにも刑部姫に視線を集中させている志騎達には、それが見えなかったようだ。

「今お前の言った通り、バーテックスとはウイルスの海から生まれた生命体だ。人間を殺す力を持ち、神樹を破壊するために行動している。そして神の力を持った勇者でしか倒す、もしくは撃退する事ができない。だが大赦のある科学者は、バーテックスをこのように表現した。……『バーテックスとは、この地球上で最強の兵器である』」

「兵器……」

 ああ、と刑部姫は頷いてから、

「志騎は知らないだろうが、西暦の時代にバーテックスはすでにウイルスと共に出現していた。まぁ当時のバーテックスはお前達が戦ってきた奴らとは違い、幼体のようなものだったらしいがな。だがその幼体の状態でも、奴らは強大な力を持っていた。物理攻撃を一切通さない体、戦車の装甲すら簡単に砕く攻撃力、さらに進化した状態となれば傷を受けてもすぐに回復する優れた再生能力。……そしてこれはあくまでも私の予想だが、奴らには恐らく核すらも効かなかっただろう」

「核って……確か旧世紀に存在していたっていう兵器の事よね」

「そうだ。当時の人類が開発した最も強力な兵器の一つであり、それを用いた爆弾は一発で都市を壊滅させる事が可能と言われるほど凄まじい威力を持っていたとされる。実際に旧世紀、日本の広島・長崎にこの核を用いた爆弾が落とされ、凄まじい数の死者を出した事でその殺傷力と危険性は世界中に広がった。何せ、その強力さゆえに核兵器を禁止する条約まで作られたほどからな」

「でも、禁止されたって事はバーテックスが襲ってきた時も使わなかったんじゃ……」

 園子が顎に指を当てながら言うと、刑部姫ははっとつまらなさそうに笑う。

「自分達の命がかかっている時にそんな事をいちいち気にすると思うか? ましてや相手は人間ですらない、未知の化け物だ。使用するにあたって揉めはしただろうが、どっかの国が一発は使った可能性は捨てきれない。ま、使ったとしてもそれを非難するつもりはない。生存のためにあらゆる手段を講じるのは生物として当然の事だし、得体の知れない敵に対して行う行動としては間違ってはいないだろう」

「……だけど、その核兵器を使っても、バーテックスを倒す事はできなかった」

「仮に使ったとしたら、の話だがな」

 志騎の言葉に刑部姫はそう言うが、使っていなくても代わりに非常に強力な兵器をバーテックスに対して使用した可能性は高い。

 だが、その攻撃すらもバーテックスには通用しなかった。

 そうでなければ、神世紀のこの時代にバーテックスなど出現していないだろう。

 つまり。

 普通の人間よりも高い知能を持った科学者達が知恵を振り絞って作り出した兵器すら、バーテックスを倒す事は出来なかったという事だ。

 刑部姫は頬杖を突きながら、さらに話を続ける。

「そして科学者が一番着目したのは、バーテックスの特性だ」

「特性?」

「調べた結果、バーテックスはあらゆる状況に応じて進化する可能性を秘めた生命体だった。何回もバーテックスと戦ったお前達ならもう分かるだろうが、奴らはあらゆる形態に進化する。敵からの攻撃を防ぐ防御形態、遠距離から敵を貫く遠距離形態、さらには風を起こしたり水球や強力な水圧を生み出す形態……。すなわち奴らはあらゆる状況に対応する可能性を秘めた兵器なんだよ。さらにこれに再生能力まで加わったら、もう手の付けようがない。人間が勝てる相手じゃない」

「そんなの、やってみなくちゃ分からないだろ」

 刑部姫の言葉に顔をしかめながら銀が言うと、刑部姫はやれやれと肩をすくめながら、

「やるやらない以前の問題として、そもそも根本的に違うという話をしているんだ馬鹿娘。例え神の力を身に纏う事ができると言っても、お前達は人間だ。それに対して、バーテックスはそもそも兵器として作られた存在なんだよ。人間がマシンガンを持ったとして、戦闘機に勝てるか? 無論使い手と扱う武器次第では戦闘機や戦車にも勝てるかもしれんが、そもそも相手が人工知能だったら? それもただの人工知能じゃなく、戦闘に関する大量のデータをラーニングし、敵を殺す事に特化した人工知能だったらどうだ? お前達が相手をしているバーテックスというのはそういう奴だ。例えどれだけの力を持っていようが、根本の部分から相手を殺す事に特化した兵器に、人間が勝てるはずがないんだよ。現に今のお前達はどうにかバーテックスを撃退できているが、多めに見積っても五分五分の状態。別な言い方をすれば、ようやく相手と同じ土俵に立てているだけだ。一歩間違えれば死ぬ可能性はあるし、勝率を百パーセントにするには何らかの犠牲を払う必要がある。つまりだな、バーテックス相手に勇者が何の犠牲もなく勝つなんてまず不可能なんだよ」

 そこまで言い切ると、刑部姫はにやりと酷薄な笑みを浮かべた。一方、彼女の言葉に銀と園子は顔を引きつらせ、須美に至っては苦虫を数匹まとめて嚙みつぶしたような表情を浮かべている。まぁ、確かにバーテックスと命がけの戦いを繰り広げている勇者の自分達を目の前にして、まがりなりにも大赦に所属している刑部姫が果たしてそのような事を本当に言っていいのかと指摘したい気持ちは痛いほどに分かるが。

「そして考え続けた結果、科学者はある結論に至った。勇者がバーテックスに対して不利なのは、勇者が人間でバーテックスが兵器だからだ。それを覆すためには、こちらにも兵器が必要となる。正確に言うならば……兵器として特化した勇者の存在が」

「兵器として特化した勇者……?」

 須美が言葉にして呟くと、刑部姫は椅子にもたれかかりながら、

「そうだ。バーテックスが人間を殺す事に特化した兵器ならば、その勇者はいわばバーテックスを殺す事に特化した勇者。不要な感情を持たず、ただバーテックスを淡々と殺し続ける兵器。それこそがバーテックスに対抗し、人類に勝利をもたらす存在だとその科学者は思ったんだ」

 バーテックスを殺す事に特化した勇者。言葉からすると心強いが、実態はそんなに良いものではないだろう。

 殺す事に特化しているというのは、つまりそれ以外を全く知らないという事だ。

 友と触れ合う喜びも、人と触れ合う温かさも、誰かの死に涙を流す悲しみも、何も知らない。ただ与えられた命令に従ってバーテックスを殺す勇者。

 それは確かに、兵器と言えるかもしれない。

 だがそれは果たして、人間と呼べるのだろうか。

 志騎は刑部姫の言葉にかすかに表情を険しくし、他の三人も志騎と似たような表情を浮かべている。どうやら四人共考えている事は一緒のようだ。

 そんな四人の心を知ってか知らずか、刑部姫はさらに続ける。

「だがただの兵器では駄目だ。何せバーテックスはこの地球上で最強の兵器。生半可に作られた兵器ではすぐに壊されておしまいだ。……だが、それも考えてみれば単純な事だ。相手が最強の兵器なら、こちらも最強の兵器をぶつければいい。……つまり」

 と。

 刑部姫は、今まで志騎が見てきた中でもっとも愉快気な笑みを口元に浮かべながら、告げた。

 

 

 

「----バーテックスの力を持つ勇者をぶつければいい」

 

 

 

 一瞬、四人は刑部姫が何を言っているのか分からなかった。何かの聞き間違いだとすら思った。

 実際、刑部姫の言葉を聞いて一瞬呆然としていた銀が、ようやく我を取り戻すと刑部姫にこんな事を言った。

「えーと……なぁ刑部姫。あたし達の聞き間違いだよな? 今、バーテックスの力を持つ勇者とかちょっと変な単語を聞いたんだけど……」

「聞き間違いじゃないぞ。一字一句合ってる。想像してみろ。お前達勇者は神の力を身にまとい、普通の人間をはるかに超えた力を発揮している。……もしもそれにバーテックスの力が加わったらどうだ? 圧倒的なまでの再生能力、あらゆる戦況に対応する事の出来る汎用性、さらには敵を殲滅するのに非常に有用な思考形態……。もしもこれを勇者に組み込む事ができたら……それはもう、バーテックスをも超える兵器になるとは考えられないか?」 

 刑部姫の口調は、まるでようやく買ってもらった玩具を自慢するような子供の口調だった。しかしそれは同時に、深い深い狂気に彩られた口調でもある。

 子供のような無邪気さと、常人には理解できない狂気が合わさった刑部姫の声。

 そんな彼女の声に圧倒され、四人は一瞬言葉を失ってしまう。

 だがその中で、須美が彼女の狂気に抵抗して声を荒らげる。

「で、でもそんな勇者がいるはずがないわ! バーテックスの力を持つ勇者なんて……!」

 すると刑部姫はあっさりと、彼女の言葉を肯定した。

「ああそうだ。バーテックスの力を持つ勇者などいない。それは科学者も分かっていた。だからこう考えた。----いないのなら、作ってしまえば良い」

 空気が死んだ、とはまさにこの時の事を言うのかもしれない。

 その瞬間、四人は聞こえてきた言葉に一瞬呼吸を止めた。それはいつもマイペースな園子も、いつも冷静な志騎ですらも例外ではなかった。

 作ってしまえば良い。

 あまりに気軽な一言。あまりにあっさりとした響き。

 しかし、それが意味する事はたった一つ。

 それを察した志騎が、かすれた声を出した。

「待てよ……作るってまさか……」

「----そうだ。それがその科学者が立てた計画。その名はV.H計画」

 そして刑部姫は、その計画の内容を告げた。

 それはまさに、人が決して踏み入れてはならなかった、禁忌の計画だった。

 

 

 

 

「----バーテックスの細胞に人間の遺伝子を組み込み、科学・呪術両方の面で手を加える事で既存の勇者をはるかに超える力を持つ勇者……兵器として特化した勇者を人工的に作り出す計画。それがV.H……バーテックス・ヒューマン計画だ」

 

 

 

 

 頭をハンマーで殴られるような衝撃が走る、とはまさにこの事だろうか。

 生命が命を産み出すという自然の摂理に乗っ取ったものではない。人間が人間を作り出すという、それはまさに神の領域に足を踏み入れるかのような所業。

 聞いてみれば馬鹿馬鹿しい話だと片付けられてしまいそうな計画を……その科学者は、実行したという。

「……で、でもさ。大赦の人達は納得したの? いくら何でも滅茶苦茶だろそんなの!」

 刑部姫の話に動揺しながら銀が言う。大赦はこの世界にあらゆる恵みをもたらす神樹を奉る組織だ。こうして聞いているだけでも、その科学者が立てたバーテックス・ヒューマン計画とやらはまさに彼らの崇拝する神の領域を侵すような所業。おまけにそれに使われるのは世界を殺す敵であるバーテックスの細胞だという。普通に考えればとんでもない話だ。とても大赦がそのような計画を許可するように思えない。

「ま、最初はやはり反対意見が多かったけどな。だが結局大赦はその計画を許可した」

「……どうして?」

「簡単な話だ。神樹は確かに強大な力を持っているが、その力も永遠じゃない。こうして四国全土に恵みをもたらしている以上常に力は使われているし、バーテックスとの戦闘の際に起こる樹海化やお前達の勇者の力にも当然神樹の力は使われている。今はまだ大丈夫かもしれないが、バーテックスを殲滅する前に神樹の力が尽きる可能性はないわけじゃない。それにバーテックスとの戦いで、こちら側に犠牲が生じる可能性もある。綺麗事を言うのは勝手だが、このまま何の手も打たないようであれば確実に人類の犠牲は出続けるし、最悪世界の滅亡に繋がりかねない。そういった事情もあって、最終的にバーテックス・ヒューマン計画は認められたってわけだ。大赦の上層部も、神樹すらも認めたよ」

「神樹様も……」

 須美が信じられない、と言わんばかりの声音で呟く。自分達に多大な恵みをもたらしている神樹がそのような計画を認める事すら信じられないのだろう。しかし、逆に考えればそのような計画を神樹が認めたという事自体が、神樹の力が永遠に続くわけではないという事を意味している。

「でも、バーテックスに細胞ってあるの~?」

「あるさ。全ての生物は例外なく細胞を持っている。バーテックスもウイルスの海から生まれた生命体とはいえ、生物である事に変わりはない。人間が定義した生物という枠から大きく外れているのは認めるが」

「だけど、作るのはともかくとして細胞はどうするんだ? それに、そんな計画本当に上手くいくのか?」

 どのような物を作るにも、まず材料が無ければ話にならない。その科学者がバーテックス・ヒューマン計画という計画を立てたとしても、それにはまずバーテックスの細胞を調達する必要がある。ならば、その細胞はどうやって入手すれば良いのだろうか。

 それに、仮に細胞を手に入れる事が出来たとしてもそれで本当に人間の遺伝子をバーテックスの細胞に組み込む事が本当にできるのかなどの問題もある。何せ相手は謎の多い未知の怪物だ。実験中に何らかの事故が起こったりしても不思議ではないし、失敗する可能性だってある。

「細胞の入手方法に関しては企業秘密とだけ言っておこう。計画の達成にしても科学者はあまり心配していなかった。根拠は今から三百年前、初代勇者がバーテックスの体を一部食いちぎったという記述だ。通常口にした食物は胃に運ばれ消化される。なのに初代勇者の体に何の異常も見られなかったという事は、つまり細胞自体には毒性のようなものは存在しなかったというわけだ。だから細胞に人間の遺伝子を組み込んでも、大きな問題はないと科学者は判断したんだ」

 さらっと刑部姫の口からとんでもない言葉が出たので、志騎は思わず顔を一瞬ひきつらせた。まさか三百年前に銀と同じような事をした勇者がいたとは。勇気があるのか命知らずなのか、一体どちらなのだろうか。

「それから科学者はバーテックスの細胞を手に入れ、ようやく遺伝子の解析に取り掛かったんだが……。そこでまた驚くべき事が起こった。遺伝子の構成が人間どころか既存の生物と全く違うものだったんだ。まぁウイルスから生まれた生命体だからと言ってしまえばそれまでだが、あまりの構成にその科学者も面食らったらしい。だがその遺伝子の解析に苦戦しながらも一年で解析に成功、そしてまた一年かけて細胞に人間の遺伝子を組み込んであらゆる実験を行った」

「一つ良いか? 別に細胞に組み込まなくても、人間に細胞を移植するとかいう方法もあったんじゃないのか?」

 細胞の遺伝子を解析してからそこに人間の遺伝子を組み込むというのは、手間も時間とかかる。聞いている限りだと科学者はかなり優秀だったようだが、その科学者でも遺伝子の解析に一年かかっている。ならば、人間にバーテックスの細胞を移植するという手もあったはずだ。実際に漫画などでも人間の体に細胞を移植し、強力な力を持つ人間を生み出す実験を行う場面が描かれている事もある。手っ取り早くバーテックスに対抗する人間を作り出すならば、そちらの方が良かったのではないだろうか。

「それはバーテックス・ヒューマン計画を立案する前からすでに科学者が考えていた。だが先ほども言った通り、三百年前の勇者がバーテックスを捕食しても、体には何ら異変は見られなかった。もしも細胞自体に何らかの力が働いていたならば、その勇者に異変が生じていたはずだ。……これは科学者の仮説だが、恐らくバーテックスの細胞はバーテックスだからこそ正常に働くようになっているんだろう」

「……?? どういう事?」

「他の生物に組み込んでもバーテックスが持つ特殊性は発揮されないという事だ。実際バーテックス・ヒューマン計画が許可されてからマウスを用いて細胞の移植実験も行われたが、マウスにはまったく異変は無かった。つまりバーテックスの力をフルに扱うためには細胞を人間の体に移植するのではなく、バーテックスの細胞に人間の遺伝子を組み込み一から人間を作り出す必要があったんだ」

 やれやれ、と疲れたように息をつきながら刑部姫は肩をすくめた。

「こうして合計二年をかけて、苦労しながらもついに科学者は作り出したんだ。……既存の勇者を遥かに超える性能を持つ勇者。バーテックスの力を持つ人間。人間の形をしたバーテックス。兵器として特化した勇者。----バーテックス・ヒューマンという兵器をな。完璧という言葉は私は嫌いだが、あれこそまさに完璧でありながら進化し続ける兵器と言えるだろう」

 くくく、と笑いながら刑部姫は言う。

 つまり、その科学者は成功してしまったのだ。

 命を作るという、神の所業の達成に。

 その禁忌の達成に須美達は言葉を失っていたようだが、正直今の志騎にはどうでも良かった。

 今彼が知らなければならない事は、そんな事ではない。

「……バーテックス・ヒューマン計画っていう、頭のイカれた計画の事は分かったけど、それが俺の真実とどう繋がるんだよ。そんな話を長々とするために、俺達をここに呼び出したのか?」

 すると刑部姫は奇想天外なものを見るように目を丸くすると、驚いた口調で言う。

「おいおい志騎。お前ともいう奴が一体何を言っているんだ? ここまで話せばもう分かるだろう? それともまさか、気づいていないふりをしているのか? それは利口とは言えないな。真実が分かっていて目を逸らすのは、愚か者のする事だぞ?」

「何言って……」

 だが志騎の言葉を遮るように、刑部姫は続ける。

「科学者が作り上げた兵器、バーテックス・ヒューマンの特徴はさっき言ったとおりだ。人間と全く変わらない外見と勇者の力、そしてバーテックスが持つ高い再生能力とあらゆる戦況に対してその能力を変える事ができる汎用性。それら全てを、お前は、お前達は見たはずだ」

 どくん、と。

 自分の鼓動が不自然に高鳴るのを志騎は感じて、思わず胸元を強く握りしめる。気が付けば額から気持ちの悪い汗が一滴流れていた。

「ああそれと、人間の遺伝子を組み込んだバーテックスの細胞にはあらゆる実験が施された。その中には、神樹の力を使うのに必要な勇者適性値を上げる実験も含まれていた。……生まれてくるのが例え男でも女でも戦う事ができるようにな。どれだけ戦闘能力が高くても、性別が違うというだけで実戦で使えないのでは意味がないだろう? まぁ、実際にそいつは男だったわけだから、あながち無駄ではなかったがな」

 刑部姫の言葉が頭の中でまるで鐘のように鳴り響く。

 そして何かに気づいた銀達の視線が、自分に向けられる。それを自覚しながらも志騎は何も言う事が出来ず、ただ胸元を強く握って唇を痛いほどに噛み締めていた。

「自分は何なんだ、とお前は聞いたな、志騎」

「…や、めろ」

「答えてやる。お前は----」

「やめろ!!」

 志騎のその絶叫を断ち切るように。

 刑部姫は、今まで隠していた残酷な真実を告げた。

 

 

「バーテックス・ヒューマン計画における唯一の完成体」

 

 

「バーテックスの力を持つ勇者。人間の形をしたバーテックス」

 

 

「バーテックスを殺すのに特化した殺戮兵器(キリングマシン)

 

 

「それがお前が知りたがっていた、お前の正体だよ。天海志騎」 

 

 



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第十五話 失われた日常

 

 

 

「志騎君が……バーテックス……?」

 刑部姫の口から放たれた衝撃的な事実に、須美がかすれた声を出す。

 今の刑部姫の言葉をそのまま受け取るならば、志騎は今まで自分達が撃退してきた人類の敵----バーテックスと同類という事だ。

 するとそれを否定するかのように、銀が叫んだ。

「そ、そんなわけないだろ!! どこからどう見ても、志騎は人間じゃんか!」

「外見はな。お前達と同じ外見を持ち、人間と同じ臓器を持っているという意味ならば志騎は確かに人間だろうよ。だがその姿を構成している細胞や遺伝子などは人間とは違い、どちらかというとバーテックスと同じものだ。つまり外見は人間そのものだがそれはあくまで形だけの話で、中身はバーテックスとほぼ同じなんだよ」

 しかし銀の叫びを、刑部姫はばっさりと切り捨てる。彼女の冷徹な言葉に銀は一瞬黙り込むものの、すぐに体勢を立て直してさらに彼女の言葉を否定するかのように叫ぶ。

「で、でもバーテックスは人間を襲うんだろ!? あたしはずっと志騎と一緒だったけど、志騎が自分から人を襲った事なんてない!」

「それは当然だ。志騎には封印が施されていたからな」

 しかし銀の叫びを、刑部姫はばっさりと切り捨てた。

「封印ってなんだよ……俺、そんなのされた覚えないぞ」

「覚えが無くて当然だ。科学者がお前に封印を施したのは、お前が病院で目覚める前だ」

 病院で目覚める前、と聞いて志騎の脳にある記憶が浮かび上がる。

 当然それは今から六年前、志騎が初めて自我を持ったと同時に、安芸と初めて出会った時の記憶だ。

「バーテックス・ヒューマン計画によってお前が作り出された後、科学者はお前の中のバーテックスの力を封印した。バーテックスとの戦いが始まるその日まで、お前がその力を使わないようにな。そしてその力を開放するための鍵がキリングトリガーだ」

 キリングトリガー、と聞いて志騎の表情がこわばる。やはりあのアイテムが、志騎の中のバーテックスの力を開放する重大な鍵だったらしい。

「お前がバーテックスと戦う日に備えて、科学者は二つのシステムを作り上げた。一つは三百年前のバーテックスの戦闘によって得られたバーテックスのデータを解析・模倣して作られたシステム、『ゾディアックシステム』。あらゆる戦闘形態を持つバーテックスの力を模倣する事によってあらゆる戦闘に対応する事ができ、それによって多様な力を持つバーテックスを倒す事を目的としたシステムだ。ゾディアックシステムがバーテックスの力と同じなのは当たり前だ。元々ゾディアックシステムは、バーテックスの力を模倣して作られたんだからな。……そして、もう一つがキリングトリガーを使用する事によって使う事ができるシステム、『精霊武装システム』だ」

 精霊武装、と言われても正直志騎達にはピンとこない。言葉にしてみると強力な響きに聞こえるが、四人の知っている精霊は今こうして目の前で説明をしている刑部姫一人しかいない。なので、精霊が戦闘でどのような行動をしてくれるのかが全く分からないのだ。

「もう知っているとは思うが、精霊というのは私のように神樹に蓄積された地球上のあらゆる概念的存在が抽出、具現化した存在だ。私は今こうしてお前達の前に具現化しているが、三百年前はこうして外部に具現化するのではなく、勇者の体に直接宿る事で勇者にその精霊の持つ強大な力を与える事ができたんだ。志騎だけが使える精霊武装システムは、それから着想を得て科学者が改良したシステムだ」

「三百年前に、そんな技術が……」

 刑部姫の言葉に須美が驚いたように呟くと、刑部姫の言葉を聞いて何やら考え込んでいた園子が口を開いた。

「でも、ちょっとおかしくないかな~? 三百年前は普通に使ってたんだよね~? ならどうして、今の私達にはその力が使えないの?」

 園子の疑問は当然のものと言えるだろう。この前三人が目にした志騎の力は、三体のバーテックスを圧倒するほど凄まじいものだった。もしもあの力を自分達が使う事が出来たら、バーテックスとの戦闘も今よりも遥かに楽になる可能性が高い。なのに何故、今の勇者である園子や銀、須美には使えないのだろうか。 

 すると、刑部姫はまるで歌うような滑らかな口調で言った。

「大いなる力には大いなる代償が常について回る。体に直接精霊を宿すと言えば聞こえは良いが、その実態は降霊術に近い。古来より神・精霊といった人知を超えた存在を人間に憑依・降霊させる儀式は数多く存在していた。だがその全てが人間に良い結果をもたらしていたのかと言われれば嘘になる。そういった人外の存在を用いた降霊術の中には一歩間違えれば人の命を奪いかねないものもある。例を挙げるなら犬神憑きや狐憑きだな。これらは降霊術というよりはもはや『呪い』と言っても何らおかしくない。精霊をその身に宿すのもそれに似たようなものだ。人と人ならざるものの境界は時として曖昧になる。黄泉比良坂に置かれた千引きの石の話は知っているか?」

 と刑部姫が四人に問うが、銀はもちろん須美や園子も困ったような表情を浮かべている。志騎もそのような話は聞いた事が無いので、首を横にふるふると振った。

「黄泉比良坂は日本神話に登場する、生者が住む現世と死者の住む世界である黄泉との境目にあるとされる場所、もしくは境界だな。ちなみに千引きの石というのはその道を塞いでいる、千人いなければ動かせないような巨大な岩の事だ。精霊をその身に宿す、というのはその境界の先に半身を浸すようなものだ。ただの人間の身でそんな事をすれば体にどんな影響が出ても不思議じゃない。そして実際に三百年前の勇者達が精霊をその身に宿し続けた結果、ある事実が判明した」

「ある事実?」

「精霊をその身に宿し続けると、体内に穢れが溜まり、精神に悪影響を及ぼす事が判明したんだ。具体的に言うと、不安感、不信感、攻撃性の増加などだな。それが三百年前の勇者の一人、伊予島(いよじま)(あんず)のノートから分かり、大赦は精霊を人体に宿す方法ではなく、こうして外部に具現化する方法に変えたというわけだ」

 精霊をその身に宿し続ける事で体内に穢れが溜まるというのは少し考えづらいかもしれないが、精霊全てが人間にとって良い存在というわけではない。例えば先日のバーテックスの戦いで志騎が使用した精霊の中に酒呑童子と一目連という名の精霊がいるが、酒呑童子は日本三大悪妖怪の一角を担う鬼の王であり、一目連は暴風雨をもたらす神であると同時に、一説には妖怪としても知られている。またその二体以外にも精霊は使用したが、雪女郎の別名は雪女、つまり妖怪であり、義経は英雄として知られているが一方で怨霊と化して兄である頼朝を呪い殺したという伝承が存在する。ちなみに、今こうして説明をしている刑部姫もかつて日本に存在していた姫路城という城に隠れ住んでいた女性の妖怪である。

 このように、志騎が使用してきた精霊達にはいずれも悪鬼怨霊の側面を持つ。そのような存在を体に宿し続ければ、体に何らかの悪影響が現れるのは火を見るよりも明らかだろう。

「だがその力がバーテックスに通用していたのは紛れもない事実だ。進化するバーテックスに段々と精霊の力が通用しなくなっていったが、それでも酒呑童子など一部の精霊の力はバーテックスを圧倒する事があった。しかし三百年経過した今ではバーテックスもそれ相応に強力になっている可能性があり、当時と同じようにバーテックスを倒す事ができるとは限らない。ゆえに科学者は三百年前に使用されていた精霊憑依のシステムに二つの改良を施したんだ。一つは時間が経つごとに精霊の力が上昇していくもの、そしてもう一つは二体の精霊の同時憑依」

 言いながら刑部姫は右手の人差し指と中指の二本をピッと立てた。はた目から見ると完璧なVサインだが、これほど不穏な気配を感じさせるVサインも無いだろう。

「この二つの改良を施す事によって、精霊憑依のシステムは凄まじく強力なものに変化した。そこにまた別のプログラムを加えて完成したのが、お前に渡したキリングトリガーだ」

 すると刑部姫の言葉に、不安げな表情を浮かべた須美が恐る恐るといった感じで右手を挙げた。

「あ、あの……質問良いかしら?」

「構わん」

「精霊の力を使うと、体に穢れが溜まって精神的に悪影響を及ぼすのよね? 二体同時に使用したら、どうなるの?」

「良くて廃人確定、悪くて即死」

 須美の質問に対する刑部姫の口調は、恐ろしい響きを持つ内容に反してあっさりとしたものだった。

「そ、即死って……」

「当然だろう? 精神に悪影響を及ぼす精霊を二体宿すんだ。普通の勇者ならば即死するだろうし、仮に即死を免れても精神が崩壊して廃人確定だ。……普通の人間ならばな」

「俺は違うって言うのか?」

 暗にお前は人間じゃないと言われているようで志騎は少し眉をしかめたが、そんな事はまったく気にせず刑部姫は肯定する。

「そうだ。精霊をその身に憑依させる、つまり境界のその先に身を浸して精神に悪影響ができるのは、それが人間だからだ。だがそいつが人間では無かったら話は別だ。体に何らかの負担がかかるのは普通の人間と変わりはないだろうが、負担は人間よりもずっと軽くて済む」

「じゃあ、あまみんがずっと眠ってたのは……」

「精霊の二体憑依により体に強い負担がかかっていたからだろう。ま、それで済んだのはお前だからだ。普通の人間ならさっき言った通り、精神崩壊で廃人かすでに死んでいる」

 つまり志騎が普通の人間だったなら、あの眠りが永久の眠りになっていたという事だ。その事実を刑部姫から突き付けられ、須美達三人の少女は背筋に寒気が走るのを感じた。志騎が死んでいたかもしれないという事実に恐怖を感じたというのもあるが、何よりもそのような事を淡々と口にする刑部姫が得体の知れないものに見えたからだ。

「そしてキリングトリガーに組み込まれたもう一つのシステム。その役目は……お前の中のバーテックスの本能を完全に目覚めさせる事」

「バーテックスの、本能……?」

 自分の胸に手を当てながら、志騎は静かに呟く。

「そもそもバーテックスに感情は存在しない。奴らはただ目の前の敵を殺す事に特化した殺戮兵器だ。お前が普通の人間と同じように生活ができているのは、その本能に封印がかけられているからに過ぎない。身も蓋もない事を言えば……キリングトリガーを使った時のお前の姿が、本来のお前なんだよ」

 その言葉に、銀達の脳裏にキリングトリガーを使った時の志騎の姿が浮かび上がる。

 笑いもしなければ泣きもせず、それどころか痛みに表情を変える事すらない。何の感情もなく目の前の敵を観察し、淡々とまるで機械の流れ作業でも行うかのように敵を効率的に屠る姿。悪い言い方をすれば、まるで人形のような表情。

 あのような姿が……自分の本来の姿だというのか。

 今の自分は、ただ人間の感情を真似ているだけの偽物だとでも言うのか。

「精霊の二体同時憑依による爆発的な戦力の向上と、バーテックスの本能を呼び覚ます事で発揮させる機械の如き冷徹な判断力と戦闘に特化した思考形態。それらを組み合わせる事で発動する対バーテックスに特化した殺戮形態……それがキリングトリガーを用いた時のお前の姿、『キリングフォーム』だ。あらゆる戦闘に対応する事ができる汎用性を持つ『ゾディアックフォーム』と戦闘に特化した殺戮形態『キリングフォーム』を組み込んだのがお前の勇者システムであり、それを使用してバーテックスと戦うのがお前いう兵器だ。理解できたか?」

 理解できたか、と言われてもそんな簡単に理解できるはずもない。そもそも刑部姫から告げられた情報量があまりにも膨大で、中々頭の中で上手く処理する事ができない。

 分かった事は二つ。

 自分は、人間では無くバーテックスである事。

 自分は、バーテックスを殺すのに特化した殺戮兵器である事。

 こんな事を言われて、理解しろと言うほうが無茶苦茶だろう。

 志騎は自分の頭をまるで頭痛をこらえるように抑えるが、刑部姫は変わらずに淡々とした口調で続ける。

「身体能力と回復能力の強化、そしてバーテックスに対する感知能力。これらは全てお前の中のバーテックスの細胞によるものだ。今までは封印が施されて使えなかったが、キリングトリガーを使う事でその封印が解除され、それらの力が使えるようになったんだ」

「……じゃあ、俺のあの腕は……」

「お前の意志に応じて変異したんだろう。バーテックスの細胞はあらゆる状況に応じてその形や性質を変える。今はまだ右腕だけだが、使いこなせるようになればいずれバーテックスの姿にもなる事ができるだろうよ」

 できるだろう、とは言うがはっきり言ってやりたくもない。

 それはまるで、自分の今の人間としての姿を捨てようとしているように志騎には聞こえたからだ。

「あの、夢は……」

「夢……。ああ、人が死ぬ夢の事か。それは恐らく、過去に起こった事だろう。過去に起こった事を夢として見ているという事は、もしかしたらバーテックスの細胞は記憶の共有ができるのかもしれん」

「記憶の……共有?」

「ああ。それなら例え一つの個体が消滅したとしても、その個体が体験した戦闘データや取得した情報等は、他のバーテックスにもすぐに伝達する事ができる。本当にそんな事ができるかは分からんが、今の志騎の言葉と、三百年前にバーテックスが非常に短い期間の間に世界のほとんどを滅ぼした事を考えればそれぐらいの事は出来ても不思議はない」

 それを聞いて、志騎の頭の中が気持ち悪いほどぐちゃぐちゃにかき回される。

 自分が見た人が死ぬ夢が、過去に実際に起こった事。

 助けを求めながら殺される人々。焼き払われる街並み。肉が焼ける不快な臭い。肉を噛み砕く感触。

 それら全てを、バーテックスが行った。

 たくさんの人々を、バーテックスが殺した。

 ジブンガ、コロシタ。

 そう考えた時、志騎は強烈な吐き気が沸き起こってくるのを感じて口を押えながらその場にうずくまった。

「志騎!」

「あまみん、大丈夫!?」

 心配した三人が志騎に駆け寄るが、志騎は何も答えない。酸っぱい液体が胃の底から逆流してきて今にも吐き出してしまいそうになるが、吐き出すのをどうにか我慢して飲み込む。食道を液体が通り、熱い感触が喉に伝わってくくるが、今の志騎にはどうでも良かった。荒く息をつきながら駆け寄ってきた三人を押しのけると、奥歯を強く噛みしめて応接室から走って出て行ってしまった。

「ま、待って志騎!」

「ぎ、銀!」

「ミノさん!」

 応接室から出て行ってしまった志騎を銀が追いかけ、その銀を須美と園子が追いかける。結果、応接室には刑部姫と安芸の二人だけが残った。四人が出て行った応接室の扉を眺めながら、刑部姫はふぅとため息をつく。

「最後の最後まで騒々しい奴らだな。私達も出るぞ、志騎はもう戻ってこないだろ」

 しかしそんな刑部姫の言葉に、安芸からの返事は返ってこなかった。刑部姫が怪訝な表情で彼女の顔を見ると、彼女は今まで見た事がないほど苦悩した表情で両手の拳を強く握りしめていた。

「やっぱり……少し早すぎたんじゃないかしら……。もう少しタイミングを見計らってから話した方が……」

「今話そうと後で話そうと真実は何も変わらん。そもそも今回は、志騎が話せと言ったんだぞ。なのに当の本人がこの場から逃げ出すとはな」

「当たり前よ……。彼はまだ小学生よ? 自分がバーテックスなんて、受け入れられるはずがないじゃない……」

「バーテックスでも、奴は兵器だ」

「刑部姫!」

 刑部姫の言葉に安芸が彼女を睨みつけるが、刑部姫はどこ吹く風だ。

 だが、彼女と長い付き合いの安芸には分かった。一見何も感じていないように見える彼女の表情だが……どこか、苦し気な表情を浮かべているように見える。その表情に安芸は驚いたように目を見開いてから、ふぅと疲れたように息をついた。

「……本当に、本当にあなたは昔からそうね。いつも私以外の人間には本音を隠して、嘘をつくのがとても上手い……。ここまでくると、もう呆れるしかないわ」

「……誉め言葉として受け取っておく」

「だけど、それは本当にあなたが望んでいる事なの? あなたの本心なの? ……真由理(・・・)

「………」

 別の名前で呼ばれた刑部姫は何も答えず、花びらと共に応接室から姿を消した。

 まるで先ほど応接室から出て行った志騎と同じように。

 

 

 

 

 

 応接室を飛び出した銀達は志騎の後を追いかけたものの、すぐに彼の姿を見失ってしまった。校内中を走り回って探したものの、彼の姿は見つからない。とすると、志騎は学校の外に出た可能性が高い。

 三人は学校を出ると、それぞれバラバラに散って志騎を探す事にした。連絡はスマートフォンで取る事ができるので問題はない。なお、念のためにチャットアプリで志騎にメッセージを飛ばしてみたものの変身は返ってこず、既読の文字すらつかなかった。電話をしてみても無駄で、電波が届かないところにいるか電源が入っていないという無情な音声だけが返ってきた。志騎の事なので、恐らく後者だろう。

 三人は街中を文字通り駆けずり回って彼の姿を捜し回ったが、その姿はどこにも見当たらなかった。まだ夏なので日は高いとはいえ、すでに時刻は五時を回っている。街中には仕事や学業を終え、帰路に就く人々の姿がちらほらと出てきた。その人達の中に混じって、銀は志騎が行きそうな場所全てを捜し回る。

 だが結局、彼の姿を見つけ出す事は出来なかった。銀は走り回っていた足を止めると、荒い息をつきながらすぐそばにあった電柱に手をつく。それからスマートフォンを取り出すと、チャットアプリにメッセージを入力した。

『見つかった!?』

 すると直後、須美と園子からメッセージが返ってきた。

『ダメ、見つからない』

『こっちも見つからないよ~』

 どうやら二人の方も結果は芳しくないようだ。銀はぎり……と奥歯を噛み占めると、一旦集まる旨のメッセージをチャットアプリに打ち込んでから小さく呟く。

「どこ行っちゃったんだよ……志騎……」

 当然その声に答える人間は、この場にはいない。

 銀は額から流れ落ちてくる汗を拭うと、須美達と決めた集合場所へと走り出す。

 三人が集合場所に定めたのは、四人が家に帰る時にいつも通る分かれ道だ。目立ちやすい神樹館の前という選択肢もあったが、一度学校を出た志騎が戻ってくる可能性は低いし、ここならばもしかしたら志騎が通るかもしれないという希望もあり、三人はここを集合場所に選んだ。

 銀が息を切らしながら到着すると、すでに来ていた須美と園子が銀に視線を向けてきた。銀は呼吸を落ち着かせると、二人に尋ねた。

「こっちは駄目だった……。須美達の方も?」

「ええ。念のために神樹館に戻って先生達にも聞いてみたけれど、やっぱり戻ってないみたい」

「歩いている人にも聞いてみたんだけど、あまみんを見た人はいないみたいだったよ~……」

「そっか……」

 須美と園子の言葉を聞いて、銀は沈んだ声を出した。

 志騎の特徴と言えば、何よりもあの水色がかった白髪だ。そのような髪の毛を持つ少年がいれば、嫌でも記憶に残るだろう。なのに通行人が誰も見ていないという事は、街中を走っているのではなくどこかに隠れているか一か所に留まっている可能性が高い。それでも見つからないという事は、よほど隠れるのが上手いのか、誰にも見つからないように逃げ続けているのか。正直、志騎ならば両方共ありえそうである。

 銀がもう一度街を捜してみようと提案しようとした時、銀のスマートフォンに着信が入った。一瞬志騎かと期待してスマートフォンの画面を見るが、そこに表示されていたのは『非通知』という三文字だけだった。こんな時に誰だと思いながら銀は通話ボタンを押すと、スマートフォンを耳に当てる。

「もしもし?」

『私だ』

 訝し気に通話に出た銀の耳に届いた声の主は、予想外の人物----いや、存在だった。

「お、刑部姫!?」

 なんと電話をしてきたのは、志騎の精霊であり先ほど志騎に彼の正体を明かした刑部姫だった。突然の彼女からの連絡に、銀は驚きを露にしながら言う。

「な、なんでお前があたしの番号知ってるんだよ!?」

『うるさい。耳元で騒ぐな』

 向こうからかけてきたくせにあんまりな言い方に銀は一瞬ムッとした表情を浮かべるが、彼女の毒舌はいつもの事だと思いどうにか流すと用件を聞く。

「突然電話してきてなんだよ?」

『今志騎を捜しているんだろう? 単刀直入に言うが、さっさと帰れ』

「……帰るわけないだろ。志騎はまだ見つかってないんだぞ」

『だったらこのまま何の手がかりもなく捜し続ける気か? 暗くなれば人一人捜すのも難しくなるし、小学生三人が夜行動していたら間違いなく警察に連絡がいくぞ。お前達の家族も心配するし安芸も心配する。志騎を捜すのは私がするからお前達はさっさと家に帰って寝ろ』

 刑部姫の言う事はもっともだが、はいそうですかと言われて帰るわけにもいかない。家族に心配をかけたくないのは三人とも同じだが、それと同じぐらい志騎の事も大事なのである。そして何より、刑部姫の言葉を真正面から受け取るほど、銀は刑部姫の事を信用していない。彼女が志騎の事を何故か信頼しているのは分かるが、今までの彼女の態度を考えると簡単に信用できないというのが本音だ。

 なので、銀は正直にその気持ちを口にした。

「……信用できると思ってるのか?」

『お前が私の事を信用しているのかなんてどうでも良い。捜すと言ったら捜す。役立たずのガキはとっとと帰れ。それとも安芸を向かわせて強制的に帰らせた方が良いか? 選択権なんてない事にいい加減気づけよ馬鹿が』

 冷たい口調で放たれる毒舌に、通話越しだというのに銀と刑部姫の間に険悪な空気が流れる。

 銀は少しの間黙ると、低い声で刑部姫に言う。

「……分かった。志騎の事は任せる。だけど、見つかったら絶対に連絡しろよ」

『誰にモノ言ってんだクソガキ』

 最後に吐き捨てるような口調で言うと、刑部姫は通話を切った。本当に、本当に口の悪い精霊である。衝動的にスマートフォンを地面に叩きつけたい衝動に駆られるが、さすがにそれはマズいのでぐっとこらえながらポケットにしまう。

 すると、銀と刑部姫が話す様子を心配そうに見ていた須美が銀に尋ねた。

「銀、刑部姫はなんて言ってたの?」

「自分が捜すから、あたし達は早く帰れだってさ」

「でも、それじゃああまみんが……」

 不安そうな口調で園子が言う。彼の事を心配している園子の気持ちはよく分かる。いや、彼女だけではなく須美も同じ気持ちだろう。刑部姫が捜すからと言って、それがどこにいるか分からない友人を放っておいて良い理由にはならない。銀はどうにか笑顔を作り出すと、明るく彼女達に告げた。

「だ、大丈夫だよ! 刑部姫はムカつく奴だけどあいつも志騎の事は捜してるみたいだし、きっとすぐに見つけてくれるって! それに志騎も、もしかしたらもう家に帰ってるかもしれないし。とりあえず、今日はもう家に帰ろう。これ以上遅くなったら家族に心配かけちゃうでしょ?」

 無理やり作られたその笑顔を見て二人は銀の意図を察すると、顔を見合わせてから銀に合わせるように、

「……ええ、そうね。仕方ないけど、今日は一旦帰った方が良いわね」

「そうだね~。ミノさんの言う通り、あまみんもお腹空かして帰ってるかもしれないもんね~」

 無論それが二人の本心というわけではない。だがこの中で一番志騎の身を案じているであろう銀が不安な気持ちを押し殺して明るく振舞っている姿を見て、これ以上捜し続けるなどと言えなくなってしまったのだ。

 それに、性格に問題はあるが刑部姫が志騎を放っておくとは二人にも思えない。正直かなり不安だが、何の手がかりもなく闇雲に捜し続けるよりかは彼女に一度任せてみた方が良いかもしれない。……本当に、かなり不安だが。

 そんなわけで、三人の志騎捜しは一旦中止となった。

 銀は二人と別れると、しばらく一人で自宅への道を歩き続ける。やがて彼女の目に、志騎と安芸が一緒に暮らしている家の姿が入った。もしかしたら志騎が返っているかもしれないという期待を込めて近くまで来て家の様子を確かめるが、家に明かりはついていない。ならばと玄関の前まで歩いて引き戸を開けようとするが、鍵がかかっているようで中に入れなかった。それを確認した銀の胸に、ズキンと痛みが走り、引き戸から手を離すととぼとぼと家へと帰っていった。

 

 

 

 

 

「ただいまー」

「おかえりー!」

 銀が家に戻ると、銀の声に返事をしながら家の中から弟の鉄男が次男の金太郎を抱っこしながら駆け寄ってきた。抱えられている金太郎は銀の姿を見ると、にぱっと明るい笑顔になった。だが、いつもならば見るだけで心が明るくなる弟達の笑顔を見ても、銀の心は晴れなかった。だがそれを表に出すわけにもいかないので、銀は努めて笑顔を作ると鉄男に謝るように両手を合わせる。

「ごめんなー、遅くなって。ちょっと野暮用ができちゃってさ」

「全然大丈夫! そうだ、なぁ姉ちゃん。志騎兄ちゃん知らない?」

 唐突に弟の口から出た志騎の名前に、一瞬銀の表情がひきつりそうになる。それをどうにかこらえると、どうにかいつも通りの口調と声音で鉄男に聞く。

「な、何か志騎に用事でもあるのか?」

「この前、兄ちゃんと今度遊ぼうって約束したからさっき家に行ったんだけど、兄ちゃんまだ帰ってなかったんだ。いつもならもう帰ってる時間なのに……もしかして、兄ちゃんに何かあったのかなって……」

 弟を抱きかかえながら不安げな表情を浮かべる鉄男に、銀は胸が痛むのを感じた。目の前の弟は、兄のように慕っている志騎の事を心の底から案じている。何もないと彼に嘘をつくのは簡単だが、志騎を心配している彼にそのような嘘をついて果たして良いのだろうか。しかし、ならば彼に本当の事をどうやって伝えろと言うのだろうか。

 銀は鉄男に悟られないように一瞬唇を強く噛むと、しゃがみ込んで鉄男と視線を合わせる。

「実は志騎、今日はちょっと用事があって帰りが遅くなるみたいなんだ。でも鉄男と遊ぶ約束は忘れてないって言ってたから、今度志騎が暇な時にもう一度誘いに行ってみたらどうだ?」

 すると鉄男はすぐに表情を明るくして、

「ほんと!?」

「おいおい、姉ちゃんが嘘つくわけないだろ? さ、分かったら悪いけど金太郎をちょっとあやしといてよ。あたしも着替えたらすぐに手伝うからさ」

「うん! 分かった!」

 元気よく答えると、鉄男は金太郎を大事に抱きかかえたままとてててと家の奥へと戻っていった。銀はそんな弟の姿を見送ると、嫌な嘘をついちゃったなと心の中で呟く。今日、志騎が本当に戻ってくるか確証があるわけでもないのに。

 だが、今銀が心に抱えている不安はそれだけでは無かった。

(志騎がバーテックスって事は……あたし達の敵、って事なのかよ……)

 人の形をしたバーテックス、と刑部姫は言った。それはつまり、姿形は自分達と同じでも、その本質は自分達が今まで戦ってきたバーテックスと同類という事であり、世界を殺す存在という事だ。

 では彼がバーテックスと判明した以上は、今まで追い返してきたバーテックスと同じように、彼も同じように壁の外に追い出すのか、それかもしくは----。

(って、何馬鹿な事考えてたんだよあたしは!)

 自分の頭に浮かんできた考えを振り払うかのように、銀は自分の両頬をぴしゃりと叩いた。彼がバーテックスと分かったからと言って、それで自分達の関係性まで変わる事はない。彼は自分と須美達の大切な友達であると同時に、自分の大切な幼馴染だ。----そんな彼を自分達の手で倒すなど、考えたくもない。

 よしっと気持ちを奮い立たせると、先ほどの鉄男との約束を果たすために自分の部屋へと向かう。

 だがその後、刑部姫から志騎が見つかったなどの連絡がかかってくる事はなく、その日の夜銀の胸から不安が消える事は無かった。

 

 

 

 

 

 翌日、神樹館に登校するために家を出た銀はまっすぐ志騎の家へと向かっていた。結局刑部姫からの連絡は無かったので志騎は帰ってきていないと頭では分かっているのだが、それでももしかしたらという可能性を捨てきる事は出来ない。それに何より、志騎の家に向かって彼と一緒に登校するのがすっかり日々の日常の一部になっているので、逆に志騎の家に向かわないと落ち着かないのである。 

 三分歩き、志騎の家の前に辿り着いた銀は玄関の前で一度深呼吸をすると引き戸に手をかけて開けようとする。しかし玄関にはすでに鍵がかかっており、今家には誰もいないという事実を銀に改めて突きつけた。志騎と一緒に住んでいる安芸は現在の時刻よりも早い時間に家を出るし、何気に律儀な志騎は銀が来るまで一人で登校する事はまず無い。つまり安芸はもう学校に向かい、志騎は家に帰ってきていないという事だ。その事実だけで、銀は自分の胸に大きな穴が開いたような喪失感を感じる。まるで、自分の半身をもがれたような気分だった。

 銀は引き戸から手を離すと、昨日と同じように一人で学校へ向かう。  

 その背中はまるで、母親を見失ってしまった迷子のようだった。

 

 

 

「銀ちゃんおはよー」

「あ、ああ。おはよう!」

 自分に明るく挨拶をしてくるクラスメイトに挨拶を返した銀の目に、先に教室に来ていた須美と園子の姿が見えた。いつもならば自分の席ですやすやと眠っている園子は、今日はきちんと起きていた。きっと彼女も志騎の安否に気が気でないのだろう。とは言っても、それは須美も同じ気持ちだろうが。

 なお、いつもならば志騎が座っている席は、当然の如く誰も座っていなかった。

 銀が自分の席に到着すると、心配そうな表情を浮かべた須美と園子が銀に近づいてくる。

「銀、志騎君は……」

 そう尋ねる須美に、銀は首を横にふるふると振りながら、

「結局帰ってこなかった。刑部姫からの連絡もなし」

「……あまみん、大丈夫かな。お腹空いてたりしないかな」

 不安げな園子の言葉に、誰も答える事ができない。いつもならば銀が場を暗くしないようにあえて明るい言葉で雰囲気を明るくするのだが、今は当の本人がそんな状態ではない。生徒達が明るく会話をする教室の中で、三人の周りの雰囲気と彼女達の表情だけが暗かった。

 やがて始業を知らせるチャイムが鳴り響くと、クラスメイト達が一斉に席に着席し始める。三人もいつまでも立っているわけにはいかないので、クラスメイト達と同じように自分の席へと向かい着席する。するとタイミングよく、安芸が教室に入ってきた。

「皆さん、おはようございます」

 安芸の朝の挨拶に、生徒達からもおはようございますと元気の良い挨拶が返ってくる。安芸は出席簿を開きながら、少し険しい表情で言った。

「授業を始める前に、皆さんにお伝えしておく事があります。今日欠席となっている天海君ですが、体調不良のため、しばらく学校に来れなくなってしまいました。今は休養のため病院に入院しています」

 安芸の口からそのような言葉が発せられると、生徒達の間に動揺と困惑が見る間に広がっていった。すると銀の真後ろの席に座っていたショートヘアの少女が、不安げな表情を浮かべながら安芸に尋ねる。

「せ、先生! 病院に入院してるって、天海君の体調ってそんなに悪いんですか!?」

「命に関わるほどではありません。今は病院に入院していますが、お医者様の診断によるとすぐに回復するだろうとの事です。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 彼女の言葉にショートヘアの表所は安堵の表情を浮かべ、クラスにもほっとした雰囲気が漂い始める。

 だが、それが事実ではない事を須美と園子、銀の三人は知っていた。

 安芸がこのような嘘をつくのは、恐らく行方不明の志騎がすぐに見つかるか分からないからだろう。志騎が行方不明の状態でまだ見つかっていないという事を馬鹿正直に生徒に伝えれば大きな騒ぎに繋がりかねないし、志騎が失踪した理由を尋ねられる可能性が非常に高い。しかし今のように嘘の情報を流しておけば生徒達の動揺も小さくする事ができる。安芸は大赦の人間なので嘘の情報についての根回しはもう済んでいるだろうし、志騎は元々定期健診で学校の授業を休む事がたまにあったので、嘘に信憑性を持たせる事もできる。

「あと、お見舞いに行きたいという人もいるかもしれませんが、天海君に負担をかけてしまうかもしれないのでそれは避けるように。不満かもしれませんが、彼がまた元気になるために協力をお願いします」

 しかもこのように言えば、生徒の誰かが入院先を聞いて嘘がバレる可能性も低くなる。嘘をつくのは良い事ではないが、生徒達を心配させないためにはこれも仕方のない事だと割り切るしかない。

 そして安芸は今日の日直に号令をかけ、礼と神樹への礼拝を済ませてから一限目の授業を始めるのだった。

 

 

 

 

 ようやく本日の授業を全て終えた銀はランドセルに教科書を全て入れると、勢いよく椅子から立ち上がる。ふと横を見てみると、同じように帰り支度を終えた園子と須美が真剣な表情で頷くのが見えた。

 一限目の授業を終えた三人が安芸に志騎の捜索について尋ねたところ、まだ志騎は見つかっていないとの事だった。刑部姫の事だから今日中には見つけるだろうというのが安芸の意見だったが、正直連絡が来ないところを見ると刑部姫もまだ志騎を見つけていないのではないかというのが銀の考えだった。

 なので、刑部姫がまだ見つけていないのならば自分達が先に志騎を見つければいいという銀の考えにより、授業が終わった放課後再び志騎を捜す事になった。自分と同じように志騎を心配している須美と園子からも反対意見が出る事はなく、志騎をなんとしても見つけ出す事が無事決定した。

 三人は銀の席に集まると、教室に残っている生徒達に聞こえないように声を潜めて志騎の捜索について話し合う。

「じゃあ、早速だけどどこから探した方が良いと思う?」

「私の考えだけど、まずあまみんが大橋市から出てないか調べた方が良いと思うよ。さすがに小学生だから遠くには行けてないと思うけど、どこに行ったか参考になると思うし」

「それに神樹館の生徒がたった一人で、しかも珍しい髪の色をした男の子が電車やバスに乗れば、直接会話はしなくても駅員さんや運転手の人の印象に残ってると思うの。どうにかその人達を捜し出して……」

 三人が志騎の捜索について話し合っていたそんな時。

 突然三人の視界に、ふっと何かが舞い降りた。舞い降りてきたそれを見て、銀が思わず声を上げる。

「あ、あれ!? これって……確か刑部姫の式神くん?」

 そう。机に降り立ってきた、青白い半透明の体を持つそれはまさしく、鳥の形をした刑部姫の自律型電子式神、通称『式神くん』だった。銀の上げた声に生徒達の何人かが銀達の方に視線を向けるが、誰も半透明の鳥に反応を示さない。どうやらこの式神は刑部姫同様普通の人間には見えないようだ。

 式神くんは両翼を広げて空中に舞い上がると、そのまま窓ガラスを通過して外へと飛び出した。しかしそのままどこかへ行くような事はせず、空中に滞空して銀達をじっと見つめている。まるで、ついて来いと言っているかのように。

「もしかして、志騎君を見つけたんじゃ……」

 須美の言葉に銀ははっとした表情を浮かべると、園子と須美に言った。

「----行こう!」

 銀の言葉に須美と園子は勢いよく頷くと、急いで教室を出てから昇降口へと向かい、上履きから靴へと履き替えて外へ飛び出す。すると三人を待っていたかのように空中で滞空していた式神くんは三人を案内するかのように移動し始めた。その速度が少しゆっくりめで、しかも三人にわざわざ見えるように低空を飛んでいるのは、きっと三人が誤って見失ったりしないようにするためだろう。

 そして銀は式神くんの後を追いかけながら、ある疑問を抱いていた。

 こうして式神くんが自分達の前に現れたという事は、先ほど須美が言ったように志騎が見つかったという事だろう。それ自体はとても喜ばしい事だ。

 だが、タイミングが良すぎる。授業が終わり、自分達が志騎を捜しに行こうとした矢先に式神くんが現れた。まるで、三人の動きを予想していたかのように。

 自律型とはいえ、式神くんはあくまでも式神だ。主人の命令に沿った行動しかする事はできない。

 そして、今自分達を案内している式神の主人は。

(……刑部姫)

 性悪毒舌精霊、刑部姫。

 昨日銀に志騎は自分が捜すと一方的に告げてから、今式神くんを寄こすまでまったく音沙汰が無かった彼女。自分達は刑部姫もまだ志騎を見つけていないから連絡がないのだと思っていたが、もしかしたらそれは違うのかもしれない。

 彼女はとっくに志騎を見つけていたが、何らかの目的があって自分達への連絡を意図的に遅らせていた。そしてこうして授業が終わったタイミングを見計らって、式神くんを自分達の元に寄こした。

 証拠も根拠もない、ただの妄想。

 だが、そう考えると式神くんがタイミングよく自分達の前に出現した事にも説明がつく。

 何故刑部姫がそんな事をするのか分からない。彼女が何を考えているのかも分からない。

 しかし今はそのような事は正直どうでも良い。今大切な事は、志騎の元に急いで辿り着く事だ。

 銀は心の中の疑念を振り払うと、悠々と飛ぶ式神くんの後を追いかけるのだった。

 

 

 

 



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第十六話 慟哭

 

 

 

 神樹館から走り続けて約十分後、夕日の赤い光が辺りを照らす中、三人は見覚えのある場所に到着した。

 そこは、大橋近くの草木が生い茂る広場の一角。そこで須美は初めて園子と銀と志騎の名前を呼び、志騎は初めて園子と須美を名前で呼んだ。つまり、四人にとっては互いの絆を深めた場所。

 その広場の、前に自分達が倒れていた場所に。

 自分達が捜していた少年が、両膝を抱えて座っていた。

「し、志騎……」

 銀が声をかけるものの、志騎は何の反応も返さない。彼の顔も逆光でよく見えず、彼がどのような表情を浮かべているのかすら分からなかった。そんな彼を前に、三人もどのような言葉をかけたら良いか分からない。本当ならば心配の言葉の一つでもかけるべきなのだろうが、いつもとは違う様子の志騎にはその言葉をかける事すら今はためらわれた。

 三人は恐る恐る志騎に近づくと、彼の横にゆっくりと腰を下ろす。幸いと言うべきか志騎がその場から逃げ出すような事は無かったが口を開く事はなく、重い空気がその場に流れる。

「----俺さ」

 沈黙を破ったのは、口を閉ざしていた志騎だった。突然口を開いた志騎に三人は彼の方に視線を向けるが、その視線に気づいていないかのように志騎はさらに続ける。

「これでもずっと、自分は普通の人間だって思って暮らしてきたんだ」

「………」

「親はいないけど安芸先生がいてくれたし、寂しいって思った事は無かった。自分が将来何になりたいかも思いつかなかったけど、たぶん普通に大人になって普通の会社員になって、普通の人生を送っていくんだろうなって思ってた」

 でも、と志騎は一旦言葉を区切ってから、

「昨日の刑部姫の話を聞いて、怖くなった。俺はバーテックスで、たくさんの人間の命や未来を奪ってきた。そう考えたら頭の中がぐちゃぐちゃになって、吐き気がした。真実を聞く覚悟は決めてたはずだったけど、情けない事にあっさりと崩れたよ。それで耐え切れなくなって、あの場から逃げ出した。……あの後は、自分が今後どうしたら良いか分からなくなった」

「で、でもそれはあなたが世界中の人を殺したわけじゃないでしょ? 悪いのはバーテックスよ! 志騎君が責任を感じる事じゃないわ!」

 すると須美の言葉に、志騎はようやく今まで逆光で見えなかった顔を三人の前に見せた。

 三人に見せた志騎の顔は----まるで、不治の病にかかった、死に際にいる病人が見せるような、今にも消えてしまいそうな儚い笑顔だった。

「……ありがとな、そう言ってくれて。でも、怖いのはそれだけじゃないんだ。----今は大丈夫かもしれないけど、いつの日か俺がバーテックスの本能に完全に吞み込まれて、心までバーテックスになる時が来たら? そうなったら……俺はお前達を殺すかもしれない」

「………っ!」

 志騎の口から放たれた衝撃的な言葉に、三人は一瞬言葉を失ってしまう。それと同時に、キリングトリガーを使用した時の志騎の姿を思い出す。

 人形のような無表情。

 自分達を絶体絶命に追い込んだバーテックスを苦も無く倒した圧倒的な戦闘能力。

 あの力が自分達に向けられたら。

 その考えと共に、銀の胸の中に昨日消したはずの不安が再び頭をもたげる。

 もしも志騎がそのような状態になり、志騎が完全にバーテックスとなってしまった場合。

 自分達は、志騎を……殺さなければ、ならなくなる。

 頭の中に浮かび上がってきた不安を打ち消すかのように、銀が志騎を励ますように言う。

「だ、大丈夫だって! 今までそんな事一度も無かっただろ!? お前はバーテックスになったりなんかしない!」

「でも……」

「----大丈夫だよ~」

 銀の言葉を受けても心配そうな表情を浮かべる志騎に言ったのは、柔らかな笑みを浮かべた園子だった。どうしてそんな事を言えるんだ? と言うような表情を浮かべている志騎の顔を、彼女は笑みを浮かべたまままっすぐ見て、

「ミノさんの言う通り、あまみんはバーテックスになんてならないよ~。だって私達にとってあまみんは、みんなの弟君で、ちょっぴり天然さんで、私とわっしーの大事な友達で、ミノさんの大切な幼馴染だもん。……バーテックスみたいな、人を大切に思う心を持ってない怪物じゃないって私達は知ってる。だからあまみんは、大丈夫だよ~」

「園子……」

 すると彼女に同調するように、須美も口を開く。

「そのっちの言う通りよ。私達は銀と比べるとあなたと過ごした時間は短いかもしれないけど、それでもあなたがどんな人間かは分かってるつもりよ。あなたは人を傷つけたりなんかしない。それとも、私達の言葉は信用できない?」

「……そんなわけ、ないだろ」

 まだ友人としての関係が始まって日は浅いが、これまで一緒に過ごしてきた日々の中で四人は強固な絆を築き上げてきた。彼女達の言葉を疑うなどしたくないし、疑う気もない。

「なら良かった。……志騎君。あなたが感じている恐怖はきっとあなたにしか分からない。だからあなたの気持ちも分かるなんて軽々しく言う事はできない。でも、これだけは言わせて。……私達は、あなたを信じてる。だからあなたも、あなた自身を信じてあげて」

 須美の優しくも力強い言葉に園子は優し気な笑顔を浮かべ、後ろで強張った表情を浮かべていた銀も少しではあるが笑顔を見せる。そして三人につられるように、志騎も笑顔になりかけた瞬間。

 

 

 

 

 

 志騎の脳内に、まるで電流が走ったかのような直感が働いた。

 

 

 

 

 

「………っ!」

 その感覚には、覚えがあった。

 それを証明するかのように、世界の時間が停止する。

「なっ……!」

「バーテックス……!」

 こんな時に、という三人の声が聞こえてきそうだった。無論志騎も同じ気持ちだったが、文句を言う暇すらも敵は与えてくれないようだった。

 見る間に世界が無数の花弁と光に覆われていき、やがて神樹の結界である樹海へとその姿を変えた。巨大な根の上に立ちながら、銀が声を上げる。

「またバーテックスかよ……! あいつら、来るタイミング図ってるんじゃないよな!?」

「変な事言ってないで、早く変身して迎え撃たなきゃ!」

「了解!」

「うん!」

「……」

 銀達はスマートフォンを取り出すと画面に表示されているアプリをタップして、変身を開始する。志騎も無言でスマートフォンを取り出し、アプリをタップして腰にブレイブドライバーを出現させてから再度別のアプリをタップする。

『Brave!』

『Are you ready!?』

「……変身」

『Brave Form』

 スマートフォンの画面をブレイブドライバーにかざし、変身の術式が志騎の体を通過して志騎は勇者へと変身を遂げる。三人も変身を終えると、四人の目に襲来してきたバーテックスの巨大な姿が入ってきた。

 青紫色の体色に、今まで見てきたバーテックスと比べると細く長い体。胴体部分には本体と比べるとやや小さい足と思われる器官が左右についており、頭部と思われる箇所からは触手のようなものが生えている。体色から考えると、恐らくアリエス・ゾディアックと同じ力を持つバーテックス----アリエス・バーテックスと呼ぶべきだろう。

「相手は一体か……よし、ここは四人で一斉に……」

「----二体だ」

 え? と三人が志騎の方を向いた瞬間、地中からもう一体のバーテックスが地上に出現した。まるで海中に潜んでいた魚が海面から飛び出したような、そんな動きだった。

 外見はまるで細い体躯のクラゲで、胴体部分の下部には尾のようなものが三つ、胴体部分の左右には青い触手が二本ついていた。地面の中にも潜れる能力を見てみると、恐らくピスケス・ゾディアックと同じ力を持つバーテックス----ピスケス・バーテックスだろうか。地上に出現したピスケス・バーテックスはその名前が示す通り、まるで魚のような動きで地中に潜り込み姿を隠した。

 二体のバーテックスの姿を確認した園子は感心したような声で、

「本当に二体いたよ~……。ねぇあまみん、もしかしてバーテックスの位置とか分かるの?」

「何となく、だけどな。とりあえずさっさと片付けるぞ。手順はどうする?」

 志騎の言葉に園子は少しう~んと考え込んでから、作戦を三人に伝える。

「あまみんとミノさんが攻撃って所はいつもと同じだけど、今回の場合はあの魚っぽいバーテックスを先に倒そう。今みたいに地面に潜られちゃうと攻撃しにくくなっちゃうし~」

「俺も賛成だ。地面に潜れるって事はたぶんあいつはピスケス・ゾディアックと同じ力を持ってる。だとしたら、地面の中にいた方が奴の能力は上がる。下手をしたら地面に潜ったまま神樹様を破壊される事も考えられる」

「だとしたら、あとは決まりだね~。地面の中から引きずり出してから、あまみんとミノさんでバーテックスを攻撃する。私はもう一体のバーテックスを足止めするから、わっしーは二人のサポートをお願い」

「分かったわ。でも、そのっち一人で大丈夫?」

 攻撃ではなく妨害が目的とは言え、バーテックスをたった一人で相手するのははっきり言って危険である。須美が心配そうな表情を浮かべて園子に尋ねると、園子は力強い笑みを浮かべながら、

「足止めぐらいならなんとかできると思うよ~。でもそれもあまり長くは続かないと思うから、ミノさんとあまみんにはできるだけ早くバーテックスを倒してもらえると助かるかな~」

「よっし分かった! あたしと志騎に任せな!」

 ビシッ、と親指で自分を指さす銀に園子と須美はくすくすと笑い、志騎も呆れながらも笑みを浮かべる。作戦の方針が決まると、四人はそれぞれの武器を手にして二体のバーテックスを向き合う。

「よ~し! 行動開始ー!」

「「「了解っ!」」」

 園子の声にそれぞれ返事をすると、志騎と銀はピスケス・バーテックスの方へ走り出し、園子もアリエス・バーテックスへと走り出す。

 園子がアリエス・バーテックスに攻撃を仕掛けようとした瞬間、アリエス・バーテックスの頭部の触手が園子に向かってゆらりと動いた。それに園子が嫌な予感を感じて一度立ち止まり、槍を傘のように変形させて頭上にかざすと触手から雷撃が放たれる。どうにか雷撃そのものは傘状に変形させた槍に阻まれたものの、もしも判断が一瞬でも遅れていれば園子の体に直撃していただろう。

「ひゃあ~。ビリビリ来た~」

 冷や汗を垂らしながらも、変わらずのんびりとした口調で園子が呟く。雷撃は厄介だが、生憎今回の自分の役目は目の前のバーテックスを攻撃する事ではない。敵の行動に注意していれば、雷撃をしのぎながらバーテックスを足止めするぐらいはできるはずである。槍を強く握りしめて気を引き締めなおすと、園子はアリエス・バーテックスとの交戦を開始した。

 一方、志騎と銀の二人がピスケス・バーテックスの進行方向へと向かってると、ピスケス・バーテックスが勢いよく地中から飛び出した。その姿はまるで、海面から勢いよく跳躍するイルカの姿を連想させた。

 しかし今回は、その軽やかな動きが仇となった。ピスケス・バーテックスの隙を伺っていた須美はその巨体に狙いを定めると、霊力で構成された矢を放つ。矢は見事ピスケス・バーテックスの頭部に直撃し、ピクシス・バーテックスの体が地面に叩きつけられる。

「おりゃああああああああっ!!」

「はぁっ!!」

 二人は地面に倒れたピスケス・バーテックスに勢いよく接近すると、すれ違いざまにそれぞれ強力な一撃を食らわせてやる。二人による強烈な斬撃はピスケス・バーテックスの体に刻み込まれ、今までのバーテックス同様再生はしているもののこれといった反撃はない。

「志騎、いけるぞ! こいつあまり強くない!」

「ああ。もしかしたら他に攻撃手段があるのかもしれないけど、わざわざそれを出させる事はない。油断せずに、とっとと片付けるぞ」

「了解!」

 銀は頷くと、両手に握る双斧を強く握りしめてピスケス・バーテックスに対峙し、志騎もブレイブブレードを握ってピスケス・バーテックスを鋭く睨みつける。そして二人がピスケス・バーテックスに攻撃するために突撃しようとした時、ピスケス・バーテックスの顔に当たる部分から黒い煙幕が放出された。

「なんだこりゃ!? まさか毒ガス!?」

「心配するな! ただの目くらましだ! 一気に決めるぞ!」

 リブラ・ゾディアックになって風で煙幕を一気に払っても良いが、その隙に先ほどのように地面に潜り込まれて逃げられる可能性もなくはない。ならば銀と協力して早くバーテックスにとどめの一撃を食らわせるべきだ。志騎がそう考えた瞬間、彼の耳に絶叫が届いた。

「ミノさん、あまみん、逃げてぇえええええええええええええっ!!」

 その声に疑問を抱く前に、志騎は園子と交戦しているアリエス・バーテックスの方に目を向けた。

 そこには、二人に向かって必死の形相で叫んでいる園子と、自分達に向けて頭部の触手を向けているアリエス・バーテックスがいた。頭部にはバチバチと危険な音を立てながら、雷が帯電している。

 あの園子の表情の意味。

 そして雷を帯びる触手に、自分達の周囲に漂うガス。

 それで二体のバーテックスが何をしようとしているのか理解した志騎は足に力を入れると、全速力で銀の元に走る。

「----銀っ!」

「え、何っ、ってうわっ!?」

 志騎の言葉に反応したのもつかの間、銀は驚愕の声を上げた。自分目掛けて突進してきた志騎が、突然強烈な蹴りを銀に放ったからだ。どうにか蹴りに反応した銀は右手を盾にして防ぐが、威力を完全に殺す事はできずガスの中から吹き飛ばされる。

「ぐえっ!」

 地面に叩きつけられた衝撃で呻き声を出すが、特に目立った外傷などはないようだ。それを確認した志騎が安堵の息をついた直後、志騎の周りを漂うガス目掛けてアリエス・バーテックスの触手から雷が放たれる。

 その瞬間。

 ガスが雷によって引火し、樹海に鼓膜が破けるんじゃないかと錯覚するほどの爆音が響き、志騎がいた場所を凄まじい爆発と爆炎が襲った。

「志騎ぃいいいいいいっ!!」

 銀が絶叫を上げた直後、爆発の中から何かが飛んできた。その何かは銀のすぐ横に不時着し、銀がそれに目を向けて正体を知った瞬間、彼女の目が限界まで見開かれて思わず息を呑む。

 飛んできたのは雷による爆発の攻撃を受けた志騎だった。だがその状態は、つい先ほどと比べてかなり悪い。

 爆炎にさらされたためか全身に大量の火傷を負っている上に、体のあちこちが黒く炭化してしまっている。焼けた箇所から人の肉が焼ける不快な匂いが漂ってきて、銀はどうにか吐き気をこらえた。体中に走る激痛をこらえるように顔をしかめている事から志騎の意識はあるようだが、怪我の事を考えると意識を失っていた方がまだマシだったんじゃないかとすら思えてしまう。

「志騎君!」

「あまみん! ……酷い……!」

 そこに援護に回っていた須美と、銀と志騎に必死の警告を発した園子が駆け寄ってきた。二人とも志騎の惨状に銀と同じように目を見開き、言葉を失っているようだった。銀は奥歯が砕けんばかりに歯を噛み占めると、自分達に向かってくるアリエス・バーテックスと体勢を立て直そうとするピスケス・バーテックスを殺意が剝き出しの目で睨みつける。

「あいつら……!!」

「ミノさん、落ち着いて! カッとなっちゃダメ!!」

「……っ。ごめん、園子」

 園子の必死な表情を見て頭を冷やした銀が謝ると、園子はほっと安心したような息をついてから状況を改めて見つめなおす。

 志騎は戦闘不能状態になってしまっているが、幸いまだ生きている。自分達は三人で敵はまだ二体残っており、ピスケス・バーテックスが先ほど志騎と銀から受けたダメージは残念ながらもうほとんど回復してしまっているだろう。加えてアリエス・バーテックスの雷撃とピスケス・バーテックスのガスによる連携攻撃。どうやってこれらを攻略し、二体を撃退するか。難しい問題ではあるが、解けないわけでは決してない。

 そして園子が二人に作戦を伝えようとした時、三人の背後に倒れていたはずの志騎がゆっくりと起き上がった。

「志騎君! まだ動いちゃ……」

 志騎が動き出した事に気づいた須美が声を上げかけたが、その声が途中で止まる。

 ついさっきまで大火傷を負っていたはずの志騎の全身の皮膚は攻撃を受ける前の状態に戻っており、黒く炭化していた箇所もその範囲が小さくなっている。そして須美達が見ている前で炭化している箇所がみるみると小さくなっていき、やがて彼の全身の皮膚は火傷を負う前の状態に戻っていた。

「………」

 一方、須美達が見つめる中で、志騎はついさっきまで大火傷を負っていたはずの自分の右手の掌をぼんやりと見つめる。そんな志騎の脳内に、先ほどの園子と須美の声が響く。

『だって私達にとってあまみんは、みんなの弟君で、ちょっぴり天然さんで、私とわっしーの大事な友達で、ミノさんの大切な幼馴染だもん。……バーテックスみたいな、人を大切に思う心を持ってない怪物じゃないって私達は知ってる。だからあまみんは、大丈夫だよ~』

『でも、これだけは言わせて。……私達は、あなたを信じてる。だからあなたも、あなた自身を信じてあげて』

 だが。

 まるでそれを否定するかのように、別の冷たい声が志騎の頭を犯す。

『バーテックス・ヒューマン計画における唯一の完成体』

『バーテックスの力を持つ勇者。人間の形をしたバーテックス』

『バーテックスを殺すのに特化した殺戮兵器(キリングマシン)

『それがお前が知りたがっていた、お前の正体だよ。天海志騎』

 自分の信じる彼女達の声。

 それを否定する刑部姫の冷たい声。

 彼女達の声が自分の脳内を駆け巡り、頭の中をぐちゃぐちゃに搔きまわす。

 志騎がブレイブブレードを握ると、今まで出した事が無いほど冷たい声を出しながら三人の間を通り過ぎる。

「----どけ。一人でやれる」

「え、し……」

 銀の声を無視するかのように、志騎はブレイブブレードを構えながら軽く身をかがめる。

 次の瞬間、ドンッ!! という音と共に志騎がピスケス・バーテックス目掛けてまるでロケットのように走り出す。敵が自分に向かってくるのを感知したのかピスケス・バーテックスが地面に潜るが、志騎がスマートフォンを取り出すと紋章をタップしてブレイブドライバーにかざす。

『ブレイブストライク!』

 樹海にブレイブドライバーの音声が響き渡ると同時に、ブレイブブレードに神樹の力が宿り、巨大な純白の光の刃を形成する。それを両手で持つと、刀身を思いっきり地面に突き刺す。両腕に手ごたえのようなものが伝わり、両腕に力を入れてピスケス・バーテックスを地面から引きずり出そうとするが相手も抵抗しているのかバーテックスの重量がブレイブブレードを通じて志騎の両腕に伝わる。

 しかし、志騎は奥歯が砕けるのではないかと思うほど歯を食いしばると、両腕に力を込めてブレイブブレードを持ち上げようとする。あまりの力に志騎の利き腕である右腕から血が噴き出るが、今の彼はそのような事はまったく気にしていなかった。放っておいても、どうせすぐに治るだろう。

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 気合の咆哮と共にブレイブブレードを振り上げると、刀身が体に突き刺さったピスケス・バーテックスが地上へと無理やり引きずり出され宙を舞う。その姿はまさに、釣り上げられた魚のようだった。

 そして宙を舞うピスケス・バーテックス目掛けて跳躍しながら、志騎は確信する。

 実は前回変身した時から、志騎は自分の体に奇妙な違和感を覚えていた。それは傷やキリングトリガーを使用した影響で体が重くなったなど、不調を示すようなものではない。

 むしろその反対だった。体が、奇妙に軽く感じたのだ。

 それだけではない。初めてキリングトリガーを使用する前よりも、感覚がはっきりとしているような感覚があった。視力や聴力といった互換は前よりも鋭く感じ、身体能力も前よりも向上しているように感じられた。

 最初は気のせいだと思ったが、今ピスケス・バーテックスを引きずり出した事で確信した。

 勇者に変身した自分の身体能力が、前よりも向上している。

 ブレイブフォームは身体能力のバランスが取れたフォームであるが、そのため巨大なバーテックスを引きずり出すほどの腕力はない。せめて十二のフォームの中で最も腕力と防御に長けたタウラス・ゾディアックでなければ不可能だろう。

 それなのにこれほどの膂力。自分の身体能力が上がっていると考えなければ説明がつかない。

 おまけに腕力だけではなく、体は前より軽く感じ、そのおかげで速度も前よりも遥かに早くなっている。視力や聴力などの五感も、以前よりも研ぎ澄まされているのが分かる。

 自分の勇者としての身体能力がこれほどまでに上がっているのは、きっとキリングトリガーを使用したからだろう。刑部姫が話していた通り、キリングトリガーを使用した事で自分に掛けられていた封印が解除され、身体能力が向上した。つまり、これが本来の自分の身体能力という事だ。

 志騎はブレイブブレードを両手で持つと、そのまま空中に引きずり出されたピスケス・バーテックス目掛けて跳躍しその巨体を斬る。斬撃を食らったバーテックスは真っ二つになり、そのまま樹海へと落下していく。あとは鎮花の儀で壁の向こう側へと帰るだけだろう。

 残りは、アリエス・バーテックス一体。

 志騎が地面に着地してアリエス・バーテックスの方に視線を向けると、頭部にある触手がバチバチと帯電しているのが見えた。

 そして触手から放たれた雷が志騎目掛けて放たれ、その体に雷が直撃する。

 攻撃を受けた志騎の全身は見る間に重度の火傷を負い、体のあちこちが炭化していく。

 それは間違いなく神樹の加護を受けた勇者でも命に関わる大怪我であり、普通の人間ならばすでに雷を受けた際のショックで死んでいるだろう。

 なのに。

「----だから、どうした?」

 志騎の口から放たれたのは、見下すような冷たい口調だった。

 すると触手から放たれた雷の攻撃が止み、志騎は攻撃から解放される。彼の全身は見るも無残な状態だったが、まるで時間を巻き戻すかのように彼の全身の火傷と炭化している部分が急速に再生していく。やがて一分も経たない内に、彼の体は攻撃を受ける前の状態に戻った。

 目の前の敵が再生したのを確認したのかアリエス・バーテックスが再び攻撃を行おうとするが、その前に志騎がスマートフォンを持つとブレイブドライバーに素早くかざす。

『ブレイブストライク!』

 音声がブレイブドライバーから発せられた直後、右足に純白の霊力が集中する。そしてアリエス・バーテックス目掛けて走り出し、右足を地面に叩きつけ勢いよく上空に跳躍する。あっという間にアリエス・バーテックスと同じぐらいの高さまで到達すると、アリエス・バーテックスに背中を向けて足を伸ばした状態で縦に一回転し、オーバーヘッドキックを繰り出す体勢になる。

 無論、蹴られるボールの役割を果たすのは何であるかは言うまでもない。

 神樹の純白の霊力が込められた右足のつま先がアリエス・バーテックスに突き刺さり、ズドォン!! という砲弾が直撃したような音が樹海に響き渡る。さらに志騎の右足からも骨が折れるような音と血が噴き出す音、気が遠くなりそうなほどの激痛が伝わってくるが、正直どうでも良かった。どうせ、すぐに治る。

 折れた右足を気に留める事無くさらに右足に力を込めて足を完全に振り切ると、アリエス・バーテックスの巨体が樹海へと落下し、不時着した地面から土煙が上がる。それに遅れて志騎も左足一本で地面に着地してから右足を確認すると、案の定と言うべきか右足はもう普通に歩けるまでに回復していた。本当に、忌々しいほどまでに凄まじい再生能力だった。

 目の前で倒れているアリエス・バーテックスを見ると、先ほどのオーバーヘッドキックの直撃により大ダメージを受けながらも、アリエス・バーテックスはまだ戦おうと巨体をかすかに動かしていた。まるで死にかけの虫が足を動かしているように見えて、生理的な嫌悪感が沸いてくる。

 志騎がブレイブブレードを握る右手に力を込めると、アリエス・バーテックスの頭部に近づき剣を振り上げる。

 そして。

 ガン!!

 振り上げた剣を、思いっきり頭部に振り下ろした。

 しかしこれまで何回も四人の勇者達を苦しめてきたバーテックスの耐久力と再生力は並大抵ではなく、頭部を再生しながら再び動き出そうとする。それを防ぐかのように、志騎は再び剣を振り上げると頭部をまた剣で叩き潰す。

 再生する。

 叩き潰す。

 再生する。

 叩き潰す。

 再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生する潰す再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰再生潰----。

 頭部が再生し、頭部を叩き潰し、頭部が再生し、頭部を叩き潰す。

 まるで流れ作業のような行動を何回も繰り返し、樹海にガンガンガン!! と剣が叩きつけられる音と、果実が地面に落ちた時のようなぐちゃりという音が何回も響き渡る。

「----違う」

 目の前で再生する頭部を叩き潰しながら、志騎は呟く。

「……違う……!!」

 奇しくも、頭部がすぐに再生するその姿はまるで。

 傷が高速で再生する、自分のようで。

 それを否定するように剣を必死に振り下ろしながら、叫ぶ。

「----俺は、お前達とは違う!!」

 そして、さらに頭部を潰そうとした瞬間。

 後ろから誰かが、志騎の右腕を掴んだ。

「--------」

 それでようやく我を取り戻した志騎は、ゆっくりと振り返す。

 そこには、とても痛ましいものを見るような表情を浮かべている銀が、自分の右腕を掴んでいた。彼女の後ろでは、須美と園子の二人も銀と同じような表情を浮かべながら自分を見つめている。

「……志騎。もう、良い。もう、終わってる」

「……あ」

 彼女の言葉に志騎はアリエス・バーテックスに目を向けると、志騎によって散々潰された頭部はもう修復しておらず、巨体はピクリとも動いていなかった。倒してはいないだろうが、もう戦闘は不可能だろう。志騎が呆然とした表情を浮かべていると、銀が無理やり笑みを浮かべながら言う。

「志騎、疲れたろ? 今日すごく頑張ったもんな。こりゃあ今日のMVPはお前に決まりだな。そうだ! お祝いに、イネスに行こうよ! さすがに今日この後は検査があるから無理だけど、今度また四人で行ってさ、特別にこの銀様がラーメンを奢って……」

「----銀。良いよ」

 自分を元気づけようとあえて明るい口調で言うが、彼女のやや強張った笑顔が動揺を完全に隠せていない。志騎の言葉に銀の笑顔が崩れ、須美と園子の二人が息を呑む。

「悪いな、気を遣わせて。でも、良い。無理やり笑わなくていい。自分でも正直、頭の中がぐちゃぐちゃしてる。……おかしいよな? 普通の人間なら確実に病院行きかすでに死んでるはずの怪我を負ってたのに、全然それが無い。もう回復している。……気持ち悪いったら、ありゃしない」

「志騎……」

「……園子、須美。お前達は言ってくれたよな? 俺は大丈夫だって。俺を信じてるって。……でも、駄目だ。お前達の事を信じてないわけじゃない。でも俺には、こんな力を持ってる俺が気持ち悪く見える。……自分が人間だって信じたいのに、信じきれない。……俺は、どうするべきなんだろうな」

 今まで見た事がない志騎の姿に、銀はおろか須美と園子も何も言う事ができない。四人の周りを重苦しい雰囲気が漂い始めた瞬間、樹海が純白の光に包まれ無数の花びらが舞い始める。ようやく鎮花の儀が始まったのだ。それは戦闘が終わった事を意味する光景でもあるので本来であればほっと一息つくのだが、状況が状況なだけに安堵の息をつく事もなく四人はその場に突っ立っている。

 と、そんな時、背後で何かがかすかに動くような音がした。

 それに気づいた四人がその方向に目を向けると、そこには先ほど胴体を両断されたピスケス・バーテックスが頭部を自分達に向けていた。咄嗟に攻撃に備えて身構えるが、ピスケス・バーテックスは攻撃をするような素振りは見せずただ静かに頭部を志騎に向ける。

 すると、ピスケス・バーテックスの頭部の辺りに何やら紋章のようなものが浮かんだ。

(……何だ?)

 ピスケス・バーテックスの位置はやや遠めで紋章がよく見えないので、志騎は頭部の辺りを凝視して紋章の形を確認する。

(……黒い、太陽?)

 紋章の形を確認し、志騎がそう思った瞬間、紋章が不気味に黒く輝く。

 直後。

「が、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」

 突如志騎の頭を、今まで感じた事がないほどの激痛が襲った。思わず頭を押さえて叫ぶが、頭痛は一向に治まる気配を見せない。それどころか、

(この、感覚は……! キリングトリガーを使った時の……!)

 頭痛と共に、志騎をある感覚が襲っていた。それは初めてキリングトリガーを使用した時にも感じた、自分が自分で無くなるような感覚だった。

 だが今志騎を襲っているのはあの時の比ではない。少しでも気を抜いたが最後、底なし沼にはまっていくように、二度と這い上がれなくなってしまうような……。そう感じさせてしまうほどに、志騎を襲っている力は強力だった。

「志騎!」

「あまみん、どうしたの!?」

「……来るな!!」

 突然頭痛に襲われた志騎に三人が駆け寄ろうとするが、志騎が腹の底から叫ぶと三人はびくりと体を震わしてその場に立ち止まる。それに志騎がほっと安堵の息をついたが、それが命取りになってしまった。

 頭痛が激しくなると共に、得体の知れない力が自分の中に入り込み、自分の中の何か大切なものを書き換えていく。

「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 気が触れてしまいそうなほどの激痛に頭を抑えると共に絶叫を上げる志騎の目に、自分に向かって手を伸ばす銀の姿が映る。

(ぎ----)

 だが。

 ぶつり、という音が志騎の脳内に響くと共に、天海志騎という少年の意識が途切れる。

 それと同時に樹海が光に包まれ、銀達三人の視界も白く染まっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人が我を取り戻すと、世界は樹海から現実世界へと戻っていた。場所は樹海化が始まる時に四人がいた広場だった。夕暮れの空は相変わらず赤かったが、太陽の光を遮るように雨雲が発生し始めていた。雲の大きさなどから見て、恐らくあと数分もしたら強めの雨が降るだろう。

 と、そこで銀は先ほど激しい頭痛に苦しんでいた志騎の姿を思い出し、辺りを見回そうとする。

 だが、あっさりと彼は見つかった。自分達の真正面に、だらんと脱力した状態で立っている。表情は俯いているためよく見えないが、その様子を見ると恐らく頭痛は治まったのだろう。ほっと安堵の息をつきながら、三人は志騎に駆け寄ろうとする。

「志騎! 良かった、大丈夫だったんだな!」

「そうね。でも、念のために病院に行きましょう。まずは安芸先生に……」

 が、そこで三人は異変に気付く。

 志騎の無事を喜ぶ三人とは対照的に、志騎は何の言葉も発さない。それどころか、顔を上げさえしない。

「あまみん……?」

 それに園子が戸惑いの声を上げ、銀と須美も困惑した表情を浮かべながら志騎と数歩離れた状態で立ち止まる。すると、ようやく志騎が顔を上げる。

 その両目には。

 

 

 

 

 血のような赤い光を放つ、幾何学模様が浮かんでいた。

 

 

 

 

「志……騎……?」

 

 銀がか細い声を出すが、それにすら志騎は反応しない。ただ黙ってスマートフォンを取り出すと、画面に表示されたアイコンをタップする。するとブレイブドライバーが志騎の腰に出現し、自動的に装着される。さらに指を別のアイコンまで移動させると、今度はそのアイコンをタップする。

『Brave!』

 音声がスマートフォンから発せられ、変身のための術式が志騎の目の前に展開される。

 それを見ても、三人は何故志騎がそんな事をするのか全く分からなかった。

 もうバーテックスは撃退された。戦う必要はおろか、変身する必要などありはしない。

 それなのに、何故彼は勇者に変身しようとしている?

 三人の疑問を無視するかのように、ブレイブドライバーから音声が発せられる。

『Are you ready!?』

 ベルトから音声が発せられた直後、志騎はいつもの変身の掛け声すらなく、ゆっくりとした動きでブレイブドライバーにスマートフォンの画面をかざす。

『Brave Form』

 術式が志騎の体を通過すると、志騎は先ほどと同じように勇者の姿に変身する。それから三人にゆっくりと歩み寄りながら、腰のブレイブブレードの柄に手をかける。

 そして。

 ブレイブブレードを一気に引き抜き、銀へと剣を振り下ろした。

「えっ?」 

 あまりに予想外すぎる展開に銀の口から思わず間抜けな声が出るが、志騎の動きは止まらない。銀も突然の事に反応が遅れ、動く事ができない。

 そして、ブレイブブレードの刃が無防備な銀の顔面へとまっすぐ振り下ろされ----。

 ガギィン!! 

 硬直した銀の耳に、金属と金属がぶつかり合うような音が響く。その音源は、目の前でブレイブブレードの刃を止めた園子の槍だった。三人の中で最も早く志騎の異常に気付き、勇者の姿に変身した園子はブレイブブレードを止めながら、銀に叫ぶ。

「ミノさん、大丈夫!?」

「え? あっ……」

 変わらず呆然としている銀に向けて、志騎がさらに剣を振るう。攻撃を必死に防ぎながら、園子は悲痛な声で志騎に言った。

「あまみん、やめて!! あなたは……あなたは、そんな事ができる人じゃない!!」

 だが無情にも志騎は槍を弾いて園子の体勢を崩すと、無防備になった園子の腹に蹴りを叩きこむ。蹴り飛ばされた園子は銀の脇を飛んでいき、数メートル転がってからようやく止まるとゴホゴホと苦しそうに咳をした。

 再び無防備になった銀目掛けて志騎がさらに攻撃を仕掛けようとした次の瞬間、突然志騎は跳躍して空中に舞い上がる。すると、今まで志騎が立っていた地面に霊力で形成された矢が突き刺さった。銀が矢が放たれた方向を見ると、そこには須美が今にも泣きだしてしまいそうな表情で志騎に弓を向けていた。

 志騎は銀から自分に攻撃を仕掛けてきた須美に狙いを変えると、凄まじい脚力で一気に須美との距離を詰めようとする。しかしそこに間一髪園子が割り込むと、槍で志騎の斬撃を防ぐ。

「ぐっ……だぁっ!!」

 気合と共に槍を振り払うと、志騎は吹き飛ばされながらも上空でくるりと一回転し地面に着地した。自分達をまるで昆虫のような無機質な目で見る志騎に、須美は緊張で唾を飲み込みながら園子に尋ねる。

「そのっち……志騎君、一体どうしてしまったの……?」

「何が起こったのかは私も分からない……。だけど、私にはさっきバーテックスがあまみんに何かしたように見えた。だからバーテックスが原因だって事は確かだよ」

「それって……バーテックスに操られてるって事?」

 そうだとしたら、なんと悪辣な手を使うのだろうか。志騎の心を操り、大切な友人である自分達と戦わせるとは。須美が心の中でバーテックスへの怒りを燃やしていると、園子は唇を嚙みながら、

「かもしれない。バーテックスは鎮花の儀で送り返されただけだから、消えたわけじゃないし……。でも、とにかく今はあまみんを止めよう。私がどうにかしてあまみんを止めるから、わっしーはサポートをお願い。あと、無茶を言ってるのは分かるけど……できれば、あまみんを傷つけないで」

 無茶を言っている事は、園子自身分かっていた。今の志騎を傷つける事無く止める事はかなり難しいと言っても良い。傷つける事を前提にして動きを止める事に専念した方がよっぽど簡単だろう。だが彼女の言葉に、須美はためらう事無く力強く頷きながら答える。

「分かってるわ。なんとか動きを制限して、そのっちが戦いやすくなるようにする。だからそのっちは、志騎君をお願い」

「うん、分かった。……ありがとう、わっしー」

 園子の言葉に、須美は口元にかすかな笑みを浮かべながらもう一度頷いた。彼女もきっと園子と考えている事は同じだろう。----いくら操られているとは言え、大切な友人を傷つけるなど二人はしたくない。

 園子はそれから銀の方をちらりと見てみると、彼女は愕然とした表情を浮かべながら戦闘を見ていた。本当ならば近接戦が得意な彼女に手伝ってもらった方が良いのだろうが、今の彼女にそのような役目を担わせるのは酷すぎるだろう。園子は槍を構えながら、志騎をまっすぐ見据える。

 すると、志騎はブレイブブレードを逆手に持ち替えると、体から力を抜く。

 刹那。

 ドンッ!! と志騎の足元の地面が吹き飛び、凄まじい速度で園子に肉薄する。そして右手のブレイブブレードを振るい、それに園子が素早く反応して槍で防ごうとした瞬間、志騎の左手の拳が園子の脇腹に突き刺さる。

「がっ……!」 

 右手のブレイブブレードはフェイント。本命は、左の拳のストレート。

 強烈な威力に園子の呼吸が一瞬止まり、激痛で身動きが取れなくなる。その隙を見逃さず志騎は軽く跳躍して園子に背中を向けると、体を回転させて右足の踵による後ろ回し下蹴りを園子の顔面に放つ。攻撃を受けた園子は再び吹き飛ばされ、地面を転がった。

「そのっ……!」

 須美が声を上げるが、眼前に志騎が迫ってくるのが見えて慌てて距離を離そうとするが、相手の方が早い。ブレイブブレードによる刺突が須美の顔面に放たれるが、間一髪攻撃をかわす。ギリギリで攻撃をかわしたため、ブレイブブレードによって切られた髪の毛が数本はらりと散った。

 だが、攻撃はそれだけでは終わらなかった。攻撃をどうにかかわしたものの体勢が崩れた須美の体に左手による掌底が放たれ、須美の体が園子と同じように宙に舞う。そして地面に体が叩きつけられ、ごろごろと地面を数メートル転がった所でようやく止まった。

「が……あ……っ!」

 立ち上がろうとするが、呼吸すらおぼつかなるほどの激痛に身動きもまともにできず、須美は呻き声を出すしかない。

(なんて……強さなの……!)

 こうして相対して、初めて分かった。今の志騎は、いつも自分達と一緒に戦っていた彼よりもはるかに強い。その強さの理由は身体能力もあるが、一番の理由は戦闘スタイルだ。

 殺傷力の高いブレイブブレードをフェイントにして、左手の素手による威力の高い一撃を放つ。左手に注意を向けようとしても、どうしても剣という危険が高い武器に注意を奪われてしまい、左手の攻撃を回避する事ができない。

 それだけではない。

 さっき志騎が攻撃したのは園子の顔面、そして今掌底で攻撃した須美の体の部位は胸部、もっと正確に言えば肝臓だ。志騎が攻撃したこの二か所には、ある共通点がある。

 それは、二か所とも人体の急所だという事だ。

 顔面は鼻などを攻撃された場合出血しやすく、攻撃された時の精神的ダメージも大きい。しかも当たり所によっては脳震盪などを引き起こし、下手をすると酸欠などが起きる可能性もある。園子がまだ起き上がれないのは、神樹の力によって強化された志騎の蹴りを顔面に食らってしまったかもしれない。

 そして肝臓は最も血液が集中する臓器であり、打撃を食らうと激痛をもたらす。須美がまともに身動きが取れないのもそれが理由だ。

 それらの攻撃で分かるように、今の志騎の攻撃は人体の急所を的確に突くものだ。効率的、と言い換えても良いかもしれない。

 必要最低限の動きと攻撃で人体の急所を的確に突き、確実に獲物を狩る。

 そこに感情などない。ただあるのは、目の前の敵を殺しつくすという冷たい殺意のみ。

 それはまさに……敵を殺すのに特化した殺戮兵器と呼ぶにふさわしいものだった。

「あ……ぐ……」

 須美は肝臓を攻撃された際の激痛にこらえながら、どうにか立ち上がる。と、自分の獲物が動き出したのを確認した志騎はブレイブブレードを腰のホルダーに収めると、スマートフォンを右手に持ちブレイブドライバーにかざす。

『ブレイブストライク!』

「っ! くっ……!」

 須美は弓を構えると、志騎に矢を放つ。もちろん殺すつもりの攻撃ではない。ただ足を攻撃して、動きを止めるだけだ。怪我をさせてしまうのは申し訳ないが、今は正直それだけの余裕がない。

 だが志騎が攻撃を見切っていたかのように横に素早く跳躍して攻撃をかわし、ならばとさらに放たれた矢すらも再び横に跳躍してかわす。そしてその場でひと際高く跳躍すると、跳び蹴りの体勢になり純白の霊力が込められた右足を須美に向ける。須美は自分に向かってくる跳び蹴りをどうにかかわそうとするが、まだ先ほどのダメージが抜けきっておらずその場に膝をついてしまう。

 防御すらできない須美に、志騎の跳び蹴りが直撃すると思われた瞬間、

「わっしー!!」

 どうにかダメージから回復した園子が槍を傘状に変形、須美と志騎の間に割り込むと槍を志騎に向けて彼の跳び蹴りを防御する。直後、霊力によって威力が引き上げられた志騎の跳び蹴りが、園子の槍に直撃した。

「「きゃあああああっ!!」」

 攻撃そのものを受け止める事は出来たものの、その際に生じた衝撃を殺す事はできず、園子と須美は二人まとめて吹き飛ばされてしまう。槍はあらぬ方向に吹き飛ばされ、二人の体が地面に叩きつけられる。その衝撃で、ダメージを負っていた二人はついに気を失ってしまった。二人の体はぐったりとしてしまっており、少なくとも今すぐ起き上がる事は出来ないだろう。

 そんな二人に、ブレイブブレードを再び手にした志騎はゆっくりと歩み寄る。

 するといつの間にか空に立ち込めていた暗雲からポツポツと小雨が降り出し、やがて本降りに変化すると志騎の動きを止めようとしているかのようにその場に降り注ぐ。だが、もちろんその程度で彼が止まる事はない。

 だがその時、ザッと、背後で誰かが立つ音を感じた。

 それに気づいた志騎が振り返ると、そこには今にも泣きだしてしまいそうな表情の銀が立っていた。

 しかしそれにも志騎は何の反応も示さない。ただ血のような深紅の幾何学模様が浮かんだ瞳を、幼馴染の少女に向けている。

 銀はそんな幼馴染の少年の姿に心が折れそうになるも、無理やり笑顔を浮かべて彼に語り掛ける。

「な、なぁ志騎。もうやめろって! さすがに冗談きついぞ?」

 志騎は何も答えない。

「なぁ、何か言えって! あ! もしかして須美に怒られるのが怖くて何も言えないのか!? なんだ、だったら初めからそう言えよー。それならあたしも付き合うからさ、一緒に須美と園子に謝ろうよ! そしたら、きっと許してくれるって! だから……」

 だが、それでも。

 志騎は何も言わなかった。

「……何か、言えよ」

 そんな幼馴染を目の前にして。

 ついに銀の口から、今にも泣きだしそうな声が漏れた。

「何か言えよ!!」

 最初は小さかった声は、やがて降り注ぐ雨の音にも負けないほどの大声となって辺りに響き渡る。

「いつものお前の顔で、いつものお前の目で、あたし達を……あたしを見てくれよ!!」

 それはまるで血を吐くような、胸が痛くなるような叫びだった。

「何も感じてないようなフリしてんなよ!! ----バーテックスになりきってんじゃねぇよ!!」

 しかし、彼女の声を無視するかのように。

 ブレイブブレードを力強く手にして、志騎は銀へと突っ込んだ。

「----くっそぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 絶叫を上げながら銀は勇者へと変身、両手にバーテックスを殺すための双斧を持ち、志騎へと突進する。

 そして。

 バーテックスを殺すために作られたはずの剣と斧が、激しくぶつかり合った。

「ぐっ……!」

 片手に走る衝撃に銀が顔をしかめると、志騎のブレイブブレードの連撃が銀へと放たれえる。が、銀は両手の斧を操り連撃を全て防ぐ。すると志騎は左足のつま先により蹴りを銀に放つが、銀は右手に握る斧で攻撃を防ぐと左手に握る斧の面を志騎に振るう。銀の攻撃を志騎はブレイブブレードで防ぐと、くるりと宙返りして後方へと逃れる。はぁはぁと荒い息をつきながら、銀は距離を離した志騎を観察する。

 相変わらず油断のならない攻撃をしてくるが、須美と園子と相手した時とは違って左手による攻撃は行わない。理由は恐らく、銀の武器の双斧だろう。

 いくらブレイブブレードに注意を向けさせているとしても、さすがに素手で斧を弾き飛ばす事は出来ない。相手が斧ではなく別の武器だったら話は別だろうが、銀が手にしているのは重量のある斧、しかもそれを操る銀は四人の中でも最も近接戦闘に長けた勇者だ。この戦いで志騎が左手の素手による攻撃を放ってくる可能性は低いだろう。

 銀は息をふぅーと吐き出しながら、自分と志騎の能力について考える。

 小回りの良さと判断力については志騎が上。

 一方、一撃の攻撃力と防御力では自分が上。

 ならば。

(危険だけど、距離を詰めて戦うしかない……!)

 銀は双斧を構え、それを迎え撃つかのように志騎も剣を構える。

 互いの視線がぶつかり合った直後、二人は再度距離を詰めて互いの剣と斧を交える。

 志騎の連撃が銀を襲い、銀はそれら全てを防ぎ、時にかわす。

 自分を無表情で攻撃してくる志騎を見ながら、銀は奥歯を強く噛みしめる。

(……なんで、こんな事になっちゃってるんだよ……)

 こんな事のために、今まで鍛えてきたのではない。

 こんな事をするために、今まで絆を深めてきたのではない。

 こんな事をするために----。

「……っ!!」

 志騎の横薙ぎの一撃を防ぎながら、銀は右手の斧を強く握りしめる。

 志騎を傷つけたくない。

 だが、ここで躊躇したら自分だけでなく、須美や園子も殺されてしまう。

 いや、三人だけではない。恐らく街にいるたくさんの人間が志騎によって殺されてしまう。

 それを防ぐためには。

(ここで、志騎を殺すしかない……)

 本当ならそんな事は死んでもやりたくない。

 志騎に、もうこんな事はやめてくれと叫びたい。

 だが、今の志騎に言葉は届かない。

 そして、須美と園子に大切な友達を殺すなどという嫌な役目を任せたくない。

 だから、自分がやるしかないのだ。

 志騎の友達であり、幼馴染である自分が。

 志騎を、殺すのだ。

「……ああっ!!」

 自分に向かって突き出された強烈な突きを、銀は左手の斧を横薙ぎに振るって強引に弾き飛ばす。剣よりも重量を持った斧の一撃は強烈で、突きを弾き飛ばすだけでは収まらず、そのまま剣を志騎の手から弾き飛ばした。おまけに剣を弾き飛ばされた時の衝撃で志騎の右腕も大きく弾かれ、志騎は胸をさらけ出した無防備な体勢になる。

 あとは、無防備になった胸部目掛けて斧を叩きこむだけだ。

 いかに再生力の高い志騎と言えど、心臓を切り裂かれたら死ぬだろうし、再生するにしても少しばかり時間がかかるはずだ。致命傷を負わすのに失敗したとしても、その隙に首か心臓を攻撃すれば問題はない。銀は一気に志騎との距離を詰めると、右手に握る斧を振りかぶる。

 あとは、その斧を振り下ろすだけ。

 それで終わる。

 しかしその瞬間。

 銀の、目に。

 志騎の顔が、映りこんだ。

 

 

 

 

『銀』

 

 

 

 

 幼い頃から見続けてきたその顔が目に入った瞬間。

 自分の名前を呼ぶ。

 幼馴染の少年の優しい声が、頭の中に響き渡った。

「----あ」

 その声で、銀の動きは停止した。

 そこで止まるべきではないとは分かっていた。

 斧を振り下ろさなければならないとは思っていた。

 だが。

 どうしても、かつての幼馴染の声を思い出してしまった銀の体は、動かなかった。

 そして、その隙を殺戮兵器(バーテックス)と化した少年は見逃さない。

『ブレイブストライク!』

 はっと銀がようやく我を取り戻したが時すでに遅く、神樹の力によって強化された志騎の拳が救い上げるように銀の腹に命中し、銀の口から酸素が吐き出されると同時に彼女の体が宙に浮く。それに追い打ちをかけるように志騎の拳が立て続けに二発胴体に叩きこまれ、銀の体が地面に叩きつけられる。そして最後に叩きつけられた反動が銀の体が宙に再び浮かび上がると、まるでサッカーボールでも蹴るように彼女の体を無慈悲に蹴り飛ばした。銀の体は地面を数メートル転がった所でようやく止まったものの、両手に握っていた双斧は二本とも吹き飛ばされ、銀自身も腹部に走る激痛に身動きができなかった。

「う……」

 呻き声を出しながら銀がうっすらと目を開けると、目をまるで悪魔のように赤く光らせながら志騎が自分に歩いてくるのが見えた。彼は自分の前で立ち止まると、しゃがみ込んで銀の首に手をかける。そのまま持ち上げると、彼女の首をへし折ろうと右手に力を込め始めた。

「あ……が……」

 右手の力に銀の口から酸素が吐き出され、首に圧迫感と激痛が走る。志騎の手から逃れようと両手に力を込めようとするが、先ほどの攻撃のせいで体に全く力が入らない。まさに万事休す、といった状況だ。

「し……き……」

 どうにか志騎の名前を呼ぶが、それで彼が何らかの反応を返す事はない。

 何だ? と聞き返したり、銀の名前を呼ぶ事も、ない。

 今目の前にいる彼は……どうしようもないほどに、殺戮兵器と呼ぶにふさわしくなってしまっていた。

 そう考えると無性に悲しくて、銀は泣きそうになった。

 が、彼女が涙をこぼす事はない。

 志騎の彼女の首を握る手がさらに強くなっていき、首からミシミシと何かが軋むような音がして、視界がぼやける。

 そして、ついに志騎の右手が銀の首をへし折ろうとしたその時。

 

 

 

 

 

『やめて!!』

 

 

 

 

 

 誰かの声が、志騎の脳内に響き渡った。

 直後、志騎の眼球に浮かび上がっていた深紅の幾何学模様が突然ノイズが走るようにブレたかと思うと、幾何学模様が青色になり、右目から幾何学模様が消えた。

 すると、

「……銀?」 

 どこか状況を把握していないようにも聞こえる、いつもの志騎の声が彼自身の口から漏れた。やがて自分の右手が彼女の首を掴んでいる事に気づいた彼はパッと彼女の首から右手を離す。志騎の右手から解放された銀は地面に落ちると、ゲホゲホと苦しそうに咳き込みながら酸素を肺に取り込む。志騎は何が起きたのかまだ分かっていないようで、銀と自分の右手を交互に見ていた。

「何で……俺……お前の首を……?」

 言いながら志騎は周囲にも視線を巡らせる。そこには、目を疑うような光景が広がっていた。

 強大な力で砕かれた地面。

 力なく地面に倒れこむ須美と園子。

 目の前で首を抑えながら涙目で自分を見る銀。

 そして何故か勇者に変身しており、しかもついさっきまで銀の首を掴んでいた自分。

 それが意味する事に気づいてしまった志騎は、呆然とした様子で呟く。

「……俺が、やったのか?」

「志騎、違う……! お前のせいじゃない……!」

 銀が必死に志騎に言うが、志騎は自分の両手を見つめると荒い呼吸をしながらカタカタと震えだす。

「俺が、俺が、俺がお前達を……! 俺のせいで……!」

 志騎は両手で頭を抱えると、目を大きく見開いてその場にしゃがみ込む。ぱしゃり、と水だまりの水が跳ねて、泥によって志騎の純白の勇者装束の一部が茶色に染まった。

「あ、あああああ……!! あぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 冷たい雨がひっきりなしに降りしきる中、志騎の絶望の叫び声がその場に大きく響き渡る。

 それはまるで、小さな子供の泣き声のようだった。

 




いつもこの小説を見てくださっている方々、更新が遅れてしまい申し訳ございません。本来ならば第十五話と十六話は一緒になっていたのですが、結構な分量になったため二話に分けました。これが今年最後の更新になります。今よりももっと文章力をつけて、来年はさらにクオリティを上げた天海志騎の物語を投稿し続けていきたいと思いますので、見守っていただけると幸いです。
今年は大変な年になりましたが、自分の作品が少しでも皆様の心の支えになる事ができましたら幸いです。
皆様、良いお年を。


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第十七話 カノジョの正体

刑「神々の集合体である神樹が、ウイルスによって滅びた世界で唯一残った四国を護り、その庇護下で人間達が暮らす時代、神世紀。神世紀の歴史の中で唯一勇者になった少年が四国に住む人間達の命と未来を護るため、共に勇者として戦う少女達と共に、今立ち上がる!」
刑「……んぁ? これは一体なんだって? まぁ特撮番組が始まる前のナレーションのようなものだな。折角だから作ってみた。ちなみにナレーションに出てくる少年が立ち上がるのは様々な事情で、もう少しかかる。まぁ気長に待っておくと良い」
刑「では第十七話、どうぞご覧あれ」



「志騎ー……。頼むから、出てきてくれよ……」

 言いながら、銀は目の前の扉をコンコンコン、と叩く。しかし中の部屋からの返事はなく、銀はため息をつくと後ろを振り返った。そこには須美と園子の二人が困ったような表情を浮かべて銀と背後の扉を見つめていた。

 三人が今いるのは天海家の志騎の部屋の前だった。何故三人がここにいるかと言うと、中にいる少年----天海志騎とどうにか話すためだ。

 バーテックスとの戦闘の最中に志騎がバーテックスに操られ、危うく三人を殺しかけてから二日経った。

 あの後意識を取り戻した須美が安芸に連絡をし、四人は急いで大赦管轄の病院へと運び込まれた。なお、銀ではなく須美が安芸に連絡を取ったのは、銀が三人に襲い掛かった事で強い錯乱状態に陥っていた志騎をどうにかなだめていたからだ。

 病院に運び込まれた時も、一緒に検査を受けた三人とは別に志騎は一人だけ長い時間をかけて検査を受けたようだった。検査が終わった三人は一足先に帰らされたが、志騎だけは帰宅を許されなかった事からもそれが分かる。本当は三人は、安芸に志騎の検査が終わってから一緒に帰ると言ったのだが、安芸からは検査がいつ終わるか分からないし、仮に終わったとしても一緒に帰る事は無理だと言われてしまったので渋々帰る事になった。あの時ほど険しい表情を浮かべた安芸は見た事がない。

 それから昨日、一日中上の空状態で授業を受けていた銀と二人は放課後、安芸から志騎が退院したとの報告を聞いてから急いで天海家へと走った。それから志騎の部屋まで走り彼と話そうとしたのだが、志騎は部屋に閉じこもってしまい顔どころか声すら発さなかった。その後夜まで部屋の前で粘っていたのだが変化はなく、帰ってきた安芸に今日はもう帰りなさいと言われた事もあり三人はその日自分達の家に帰る事になった。念のためにその後三人がチャットアプリで志騎にメッセージを飛ばしてみたが、反応が返ってくる事は無かった。

 そして今日、放課後になってから三人は再びこうして志騎の部屋の前で彼とどうにか話そうとしているというわけだった。ちなみにここに来る前に安芸と志騎について話したのだが、安芸とは一言二言ぐらいは話すものの、部屋から出てきていないらしい。食事も一応部屋の前に置いているのだが、それにも一切手を付けていないとの事だ。どうやら、彼が精神的に受けた傷はかなり深いらしい。

 だが、それも無理はないだろう。バーテックスに操られていたとはいえ、大切な友人を危うく殺す所だったのだ。いつもは冷静で落ち着いて見えるとはいえ、彼はまだ小学生だ。ショックを受けて、部屋から出られなくなってもまったく不思議ではない。銀達が部屋に何回も呼び掛けても声すら発さないのは、きっと彼女達を傷つけてしまった事に強い負い目を感じてしまっているからだろう。

 なお、銀達三人は志騎の事をまったく恨んでいない。彼が襲い掛かってきたのはバーテックスに操られていたからで、彼が自分の意志で襲い掛かってきたわけではないと分かっているからだ。だからこそ志騎が襲い掛かってきたのは彼のせいではないと伝えているのだが、結果は芳しくない。

 こんな時は根気が大事だ、と銀は自分を奮い立たせて再び扉を振り返ると、中にいる志騎に呼び掛ける。

「おーい、志騎! もう出て来いって! お腹減っただろ? うどんでも食べに行こうよー」

「安芸先生に聞いたけれど、一日何も食べていないんでしょ? それじゃあ体に悪いわよ」

「それでお腹いっぱいになったら、四人でまたジェラートを食べに行こうよ~。今なら私の分一口あげるから、お得だよ~」

 が、部屋の中から返事は返ってこない。それに三人が駄目かと項垂れたその時。

「……帰れ」

 ついに、志騎の声が部屋の中から聞こえてきた。しかし返事の内容は三人が期待していたものでは無く、それどころか三人を拒絶するような冷たい響きを伴っていた。

「な、なんだよ志騎。いきなり帰れって」

「言葉通りの意味だ。俺はお前達に会いたくない。顔も見たくない。だから帰れ」

「い、いくら何でもその言い方は酷いわ! 銀はあなたの事を心配して……!」

「誰もそんな事頼んでない。大きなお世話だ。正直、口も利きたくない」

「……っ!」

 あまりに冷たい言葉に、須美の頭がカッと怒りで熱を帯びるが、そんな彼女を制止するかのように園子のゆったりとした声が部屋の扉に向けられる。

「あまみん、嘘は良くないよ~」

「嘘じゃ……」

「嘘だよね? 今のあまみんの言葉、まるで言いたくない事を無理やり出してるように聞こえるもん。そういう事は言っちゃ駄目だよ~。ミノさんとわっしーも傷つけちゃうし、何よりあまみんの心が泣いてるのが聞こえるよ。痛い痛いって」

 するとその言葉で、部屋の扉から聞こえてきた志騎の言葉が途絶えた。須美も頭が冷えたのか、心配そうな表情で部屋の扉を見つめている。

 しばらく黙っていると、扉の向こうからふぅと息をつく声が聞こえた。

「まったく、お前の前じゃ嘘もつけないな」

「えへへ、どういたしまして~」

「褒めたつもりは無いんだけどな……。でも、お前達に会いたくないのは本当だ」

「どうして?」

 園子が尋ねると、扉の向こうにいる志騎はか細い声で、

「会えるわけないだろ。俺はお前達を殺しかけたんだぞ? どういうわけかギリギリの所で正気に戻れたけど、もう少し遅かったら確実に俺はお前達を殺してた。……今の俺はお前達に合わせる顔が無いし、口を利く権利もない」

「だ、だからあれはバーテックスのせいで……」

「それで済ませられるような問題じゃないだろ。……それに今回は良かったけど、次もまた同じような事があった時、また元に戻れるって保証はない」

 志騎の言葉に、三人は言葉を詰まらせてしまう。彼の言う通り、今回は何故か志騎は自我を取り戻す事が出来たが、もしも次またバーテックスに操られてしまった場合、今回と同じように自我を取り戻せる保証はどこにもない。そもそも、志騎がどうして自我を取り戻す事が出来たのかすら分からないのだ。理由が分からない以上、次はきっと大丈夫など軽々しく言う事も出来ない。

「……分かったら、もうお前達は帰れ。そして、二度と俺の前に現れなくていい。そもそも、俺のような半端な人間がお前達と一緒に戦ってる事自体が間違いだったんだ」

「……どういう、意味だよ」

「そのままの意味だ。友達、家族、国……違いはあるかもしれないけど、お前達は心の底から護りたいものを護るために戦ってる。まさに勇者だ。……でも俺には何もない。勇者として戦い始めた理由だって、ただ目の前でお前達が戦ってるのが放っておけなかったっていう曖昧な理由だ。何かを護りたいとか、そんな理由があって戦ってたわけじゃない。……最初から勇者の資格なんて、俺には無かったんだよ」

「志騎君……」

 自分を卑下するような志騎の言葉に須美が悲しそうな表情を浮かべると、目の前の扉がかすかに開いた。一瞬志騎が出てくるのかと三人は期待したものの、扉の隙間から滑り出てきたものを見て三人の予想は裏切られる。滑り出てきたのは、志騎が使っているスマートフォンだった。そして扉を閉めると、再び志騎の声が三人の鼓膜を揺らす。

「それ、安芸先生に渡しておいてくれ。俺はもう勇者として戦えない。俺は自分が勇者だって勘違いして、勇者ごっこをしてただけの……偽物の勇者だったんだ」

 それを最後にするかのように、志騎の言葉は止まった。銀はスマートフォンを拾い上げるとしばらく扉をじっと辛そうに見つめていたが、どう声をかけて良いか分からなかった。仮に声をかけたとしても、心に深い傷を負った彼になんと声をかければ良いのか分からず、そもそも自分達の声が彼の心に届くのかすらも分からない。

 そして志騎が部屋の中から出ない事を悟ると、銀はとぼとぼと部屋の前から離れていく。須美と園子はそんな銀の後ろ姿を複雑な表情で見つめていたが、やがて扉を最後に一瞥してから銀の後を追っていき、三人は天海家を出るのだった。

(……これで、良かったんだよな)

 部屋の扉の前で両膝を抱えてしゃがみ込みながら、志騎はそう思った。

 部屋の中はカーテンがしかれているせいで薄暗く、時計を見なければ時間の感覚が狂ってしまいそうだった。だがそんな部屋の中で一番目立つ異変は、扉の前でしゃがみ込む志騎の状態だった。

 今の志騎は三人を殺しかけたショックのため、精神状態がどん底の状態に陥っていた。病院から帰ってきてから何も口にしていないため空腹と喉の渇きは感じるものの、だからと言って何かを食べようとする気にもならない。おまけに一睡もしていないため、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。もしも寝てしまったら、また人を殺す夢を見るかもしれないという恐怖が志騎の心にあったからだ。それどころか銀と須美と園子、安芸といった大切な人達を殺す夢を見てしまうかもしれないという考えが頭をよぎり、志騎の不眠をさらに悪化させた。そのせいで寝る事すらままならず、こうして一日中死体のように部屋の扉の前でうずくまっているというわけだ。

(……いっそ、本当に死ねたら良いのに)

 自分の今の状態を冷静に把握しながら、志騎は心の中で苦笑を浮かべた。死んでしまえばもうバーテックスに操られて三人を殺しかける事もない。バーテックスによる外傷はたちまち回復してしまうが、空腹などによる餓死の場合はどうなるのだろうか。いや、いっその事心臓や脳を破壊してしまえばもっと話は簡単かもしれない。そんな事を考えながら志騎は部屋の中を見渡すが、残念ながらと言うべきか志騎の命を奪えそうなものは部屋の中に無かった。こうして見ると、さっき扉の外にスマートフォンを出したのは失敗だったかもしれない。あれがあれば、変身してブレイブブレードで自分の心臓を貫けただろうに。いや、実際は自殺など簡単にできるだろう。バーテックスの力を発揮して手刀を強化し、自分の心臓でも貫けば良い。そうしないのは、単純にそうするだけの度胸すらないからだ。自分が死んだ方が良いのは分かっているくせに、自分では実行しない臆病者。それが今の天海志騎という人間だ。

 と、そこまで考えた所で、志騎は自分の行動と思考に呆れて再び苦笑する。ついこの前まで銀達を泣かせたくないから死ねないと思っていたくせに、今ではこうして死ぬ事を望んでいる。どこまで中途半端で勝手な奴なんだと我ながら思う。こんな事を考えてしまうあたり、やはり自分に勇者の資格など無かったのだろうとすら思えてしまう。

(……いや、そもそも生まれてきた事自体が間違いだったのかもな……)

 自分が生まれてこなければ、安芸に迷惑をかける事は無かった。

 自分が生まれてこなければ、三人を傷つける事は無かった。

 そう考えると、自分がこうして生きて息をしている事すら何かの間違いなんじゃないかとすら思えてくる。当然会った事は無いが、志騎は今自分を作り出した科学者を、どうして自分のような存在を作ったのかと怒鳴りたい気持ちでいっぱいだった。まぁ、その科学者がどういった人間はまったく知らないので、そんな事を考えても仕方がないのだが。

「……お前なんて、死ねば良いのにな。天海志騎」

 口元に暗い笑みを浮かべながら、志騎は呟く。

 自分の存在を、心の底から憎みながら。

 

 

 

 

 

 志騎の家を出た銀は、俯きながらいつも志騎と通っている道を当てもなく歩いていた。毎日志騎と他愛のない話をしながらこの道を歩く事が銀は好きだった。勇者としてバーテックスと戦う以上、何の変哲もないその行動が、自分にとってはかけがいの無い日常の証明だと感じる事が出来たからだ。それなのにまさかこのような心持ちで歩く事になるとは、銀自身夢にも思わなかった。

 彼女の後ろでは、須美と園子が心配そうな表情で銀の背中を見つめている。何か声をかけた方が良いのかもしれないが、安易に声をかけられるような状況ではない。そのため、二人は銀になんと声を掛けたら良いのか分からなかった。

 しばらく三人が黙って歩いていると、突然銀が口を開いた。

「なぁ、須美、園子。あたし、勇者のくせに何もできてないな」

「何もできてないなんて、そんな事……」

「できてないよ。あたしはずっと志騎と一緒にいたのに、あいつになんて声を掛けたら良いのか全然分からなかった。幼馴染のくせに、どうしたら志騎が元気を出してくれるのか全然分かんなかったんだ」

 自分の無力さに心情を吐露する銀をフォローするように、園子が口を開く。

「ミノさん。それは私達も同じだよ。私達も、どうしたらあまみんが元気を出してくれるのか、全然分からないんだもん。ミノさんだけじゃないよ」

 すると銀は奥歯をギリと噛み締め、血を吐くような苦しい口調で言う。

「分かってる。苦しいのはあたしだけじゃなくて、須美と園子も同じだって分かってる。でも、自慢じゃないけど、志騎の事はあたしが一番よく知ってるって思ってた。……あたしだからこそ、志騎を元気づける事ができるんじゃないかって心のどこかで思ってた! でも、そんなのただの勘違いだった……! 分かってるつもりになってただけだった! 今のあたしじゃあ、志騎を救いたくても救う事ができないよ……!」

「銀……」

「ミノさん……」

 今にも目から涙をこぼしそうな声で苦しみを吐き出す銀に、須美と園子は何も言う事は出来ない。実際、この三人の中で一番彼の事を理解しているのは彼と一番長い時間を過ごした銀だけだろう。しかしその彼女が、志騎を救いたくても救う事ができないと吐露している。それを弱音と切り捨てるのは簡単だろうが、今一番悔しいのは銀本人だろう。大切な幼馴染を救いたいのに、救う事ができない。今の彼女はきっと、強い無力感に襲われているに違いない。無力を感じているのは須美と園子も一緒だが、銀の場合は幼馴染という関係もあってひと際それが強いはずだ。

 そして三人が黙り込んでしまい、重い沈黙がその場を支配しかけたその時だった。

 突然スマートフォンの着信音が鳴り響き、沈黙が破られる。音源はどうやら銀のスマートフォンらしく、銀はゆっくりとした動きでスマートフォンを取り出すと、相手が誰かも確認せずに通話ボタンを押して耳に当てた。

「……もしもし」

『私だ』

 電話の向こうから聞こえてくる声を聞いて銀は思わず顔をしかめた。通話の相手は、今一番聞きたくない声の持ち主だった。

「……何の用だよ、刑部姫」

『さっき安芸から聞いたが、今志騎の所にいるそうだな? 志騎が持っているスマートフォンを借りて、神樹館に来い。お前達の教室で待っている』

「何であたしが、そんな事----」

『三十分以内に来い。来なかったら、生きている事を後悔する目に遭わせてやる。以上』

 そう冷たい声音で告げると、銀からの返答などまったく聞かず通話を切った。いつもの銀ならば彼女の行動に怒りが湧いてくるのだろうが、生憎今はそのような元気も残っていない。それに志騎のスマートフォンも持っている。彼女の言う事に従うというのも嫌だが、刑部姫が何をしでかすかも分からないので、ここは素直に持って行った方が良いだろう。

 と、銀と刑部姫の通話を聞いていた須美が銀に尋ねた。

「銀、刑部姫は何て言っていたの?」

「……何か知らないけど、志騎のスマートフォンを持ってあたし達の教室に来いって。一体何がしたいのやら……」

 はぁとため息をつくと、銀は神樹館へと歩き出す。そして須美と園子も銀と一緒に、重たい足をどうにか動かして神樹館への道を歩き始めるのだった。

 

 

 

 刑部姫から連絡を受けてから十五分後、三人はいつも自分達が授業を受けている教室へとたどり着いた。教室の中を覗き込むと、志騎の席の椅子に刑部姫が座り込んでいるのが見えた。机には、刑部姫の物なのかノートパソコンが一台置かれている。三人が教室に入ると、刑部姫がほう、と少し感心したような声を出した。

「中々早かったな。褒めてやっても良い」

「……お前に褒められても嬉しくない」

 銀がジト目を向けながら言うと、刑部姫はやれやれと言うように肩をすくめて、

「そうだな。私も正直褒めたくない。で、志騎のスマートフォンは?」

「……」

 銀は無言で志騎のスマートフォンを差し出すと、刑部姫は「ご苦労」と明らかに口だけの労いをかけてからスマートフォンを受け取った。そしてパソコンを開き電源を入れてから、着物の懐からUSBケーブルを取り出してパソコンとスマートフォンを繋げると、パソコンのキーボードを凄まじい勢いで叩き始め、眼球がぎょろぎょろと画面の上から下にスクロールしていく文字列を高速で追っていく。指を休ませる事無くキーボードを正確かつ高速に打つその姿はまるで、ピアノの演奏者のようだった。

 滅多に見ない刑部姫のその姿に三人が思わず目を奪われていると、刑部姫が唐突にチッと舌打ちしてから言った。

「何をしている。用はもう済んだ。とっとと失せろ」

「……いきなり呼び出しといて、それはいくらなんでも失礼だと思うのだけれど」

 刑部姫のあまりに失礼な物言いに須美が顔をしかめながら言うと、刑部姫はパソコンの画面に視線を外さないまま言葉を返す。

「生憎、私には志騎から逃げてきた馬鹿共と話す時間はない」

 逃げてきた、という言葉に反応したのは銀だった。彼女は拳を固く握りしめると刑部姫を睨みつけ、

「……逃げてきたって何だよ」

「言葉通りの意味だ。お前達の表情を見れば大体予想がつく。お前達を傷つけた志騎にもう来るなと言われて、志騎を部屋から連れ出す事も出来ず、情けない顔を晒しながらあいつから逃げてきたんだろう。スマートフォンを借りて来いとは言ったが、うじうじしているお前達が堂々とあいつから借りてくるとは思えないし、大方もう勇者として戦えないと言った志騎がお前達に渡したんだろう。違うか?」

 そこでようやく刑部姫はパソコンの画面から視線を外して三人の方を向いた。大体合っているが、それにしても聞き捨てならない言葉がいくつかある。銀は語気を荒くして刑部姫に言い返す。

「違う! 志騎から渡されたっていうのは本当だけど、逃げてきたわけじゃない!」

「くだらない嘘をつくなよ。逃げたんだろう? 今の志騎とどう接して良いか分からず、どう言葉をかけて良いか分からなかった。で、手に負えなくてあいつから尻尾を巻いて逃げた。そうでなければ、そこまで必死になるはずがないもんなぁ? ははは! 三人揃って逃げるとはな! これぞまさに負け犬か! 勇者様が聞いて呆れるな!」

 刑部姫は邪悪な哄笑を上げながら、本当に嬉しそうに手をぱんぱんと打ち鳴らす。こんなに嬉しそうで、こんなに悪意のこもった刑部姫の笑顔は今まで見た事が無い。刑部姫の言葉と悪意のこもった笑顔に、銀は自分の胸の中で怒りの炎が燃え上がってきている事を感じた。刑部姫は三人を真正面から見据えながら、さらに続ける。

「一つ良い事を教えてやる。お前達が志騎に抱いてきたのは友情でも何でもない。ただの哀れみ、同情だ。大赦の家系でもない志騎に優しく接する事で、こんな人間にも友達として接する自分は優しい人間だと優越感に浸りたかったんだろ? それでいざあいつが自分達の意にそぐわない事をしたら、さっさとあいつを見捨てて逃げ出した、と。あははは、良いじゃないか人間らしくて! 実はお前達も心の中じゃあ清々してるんじゃないか?」

「……どういう意味?」

 刑部姫の言葉に、須美が静かに返す。声が震えているのは、彼女が心の底から噴き出す怒りを必死にこらえているからだろう。----銀と同じように。

「良いんだぞ? 本音を言っても。兵器と言えば聞こえは良いが、所詮は人食いの化け物の同類だもんなぁ。----そんな奴が自分達と同じ勇者を名乗っていた事が反吐が出るほど嫌だったんだろ?」

「……あ?」

 今まで出した事が無いほどドスの効いた低い声が、銀の口から漏れた。目の前の刑部姫のにやにやとした笑顔が目障りで、彼女の声が耳障りで仕方がない。できるものなら、今すぐ彼女の口を強引にでも塞ぎたかった。

「あはは、怒ったふりするなよ。良いんだぞ? 今ここには志騎はいない。自分達が思った事を好きなだけ言っていいんだぞ? 化け物がいなくなって清々しただろ? まぁ可哀そうなお友達はいなくなってしまったわけだが、それならまた見つければいい。何せ、天海志騎の代わりなんていくらでもいるもんなぁ? ああそうだ。いっそ、私が見つけてやろうか? お前達がお好みのお友達を調達してきてやるぞ? どんなのが良い? なぁ、教えてくれよ----」

 ブチリ、と銀の脳内で何かが切れる音がした。刑部姫の不快な声が、銀の脳内をガリガリと掻きまわす。

 ああ、もう良い。

 あとで須美と安芸にこれ以上ないほどに怒られるだろうが、申し訳ないがどうでも良い。

 今は正直、目の前で嘲り笑うこの女の口を黙らせたい。

 銀の視界が怒りで真っ赤になり、右手を拳の形にし、刑部姫に放たれ----。

 パシっ、と。

 銀の右腕を誰かが掴んだ音が響いた。右腕を掴まれた銀が後ろを振り向くと、そこには。

「……園子」

 俯いて銀の右腕を掴む園子の姿があった。そこで銀は、自分の右腕がピクリとも動かせない事に気づく。こうして見ているだけでは分からないが、どうやら園子の腕は外見からは予想できないほど強い力で自分の腕を掴んでいるらしい。

「ミノさん。落ち着いて。気持ちは分かるけど、殴っちゃダメ」

 いつも呑気で天然気味な彼女からは想像ができないほど静かな声が発せられ、銀は思わず手から力を抜いた。すると園子は俯いたまま、先ほどまでの笑みを消した刑部姫に言う。

「……刑部姫。あなたの言葉を全部否定するつもりは無いよ。私もミノさんもわっしーも、あまみんになんて声を掛けたら良いか分からなかった。それで結局何もできないで、ここに来た。だから、あまみんから逃げたって言葉を否定するつもりは無い。……だけど」

 一度言葉を区切ると、園子は右手を痛いほど強く握りしめる。彼女の声そのものは静かなのに、周りの空気はまるで触れると弾けてしまいそうなほど張りつめているようだった。

「……あまみんを、化け物だって言うのだけは絶対に許さない。あまみんは人食いの化け物なんかじゃない。私達にとってあまみんは、しっかり者の弟君で、私達と同じ勇者で、代わりなんていない大切な友達」

 そこで園子は今まで俯かせていた顔を刑部姫に向ける。

 その顔には、銀と須美、そして恐らく志騎ですら見た事が無いほどの憤怒の表情があった。

「そんなあまみんを……化け物だなんて言わないでっ!!」

 怒りと共に吐き出された園子の叫びに教室の中の空気がビリビリと震える。彼女の凄まじい怒りに、銀と須美は声はおろか身動きすらできなかった。

 ただ一人、刑部姫だけは園子をじっと見つめていたが、やがてふっと鼻を鳴らして笑った。

「良い顔をするじゃないか乃木園子。私としてはいつものお前のムカつくへらへらした顔より、今のお前の顔の方が好みだぞ?」

 変わらず減らず口を叩く刑部姫を園子は怒りと嫌悪が込められた目で睨みながら、

「……どうして、どうしてあなたはいつもそんな事を言うの? 私、あなたが嫌い。大嫌い」

「ああ、そうかい。好きにしろ。私もお前達に好かれようとは思っていない」

 しかし園子から嫌悪の感情を向かれても、刑部姫の態度はまったく変わらなかった。まるでそよ風のように、園子の感情を受け流していく。その様子があまりにも憎々して、園子は思わず奥歯を噛みしめる。

「そもそも、さっきから聞いていれば志騎の事は何でも知っていると言っているようだが、お前達は一体志騎の何を分かっているつもりなんだ? お前達が今まで見てきたものは『天海志騎』という存在の一部分に過ぎない。その一部分しか知らなかったお前達に、一体何が分かると言うんだ?」

「そういうあなたこそ、志騎君の何が分かると言うの?」

 刑部姫の挑発に、須美が負けじと言い返す。確かに自分達は志騎の全てを知っているとは言い難いかもしれない。だがそれでも、これまで自分達は志騎と様々な事を共有し、絆を深めてきた。だからこそ、目の前の精霊よりも自分達の方が志騎の事をよく知っているという自負があるし、志騎の何が分かるのだという事を言われる筋合いもない。

 すると須美の言葉に、刑部姫はくだらない事を聞くなと言うような表情で告げた。

「少なくとも、お前達よりは分かっているさ。何せ、

 

 

 

----志騎を作ったのは(・・・・・・・・)私だからな(・・・・・)

 

 

 

 

「……え?」

 突然飛び出した言葉に、須美の口から間抜けな声が出す。須美だけではなく、銀と園子も今刑部姫が放った言葉に思わずぽかんと口を開けていた。あまりに予想外の言葉に、先ほどまで園子の顔に浮かんでいた怒りの表情もすっかり消え去ってしまっていた。

 一方、衝撃的な発言をかました当の精霊は面倒そうにため息をつきながら、

「……そうだな。そろそろお前達に話しても良いか。そっちの方が話が早くて済む」

 そう言うと刑部姫は椅子から腰を上げて、床に足をつけようとする。

 その瞬間、異変が起きた。 

 突然刑部姫の周りを無数の花びらが舞い散り始めると同時に、彼女のぬいぐるみほどの体躯が光輝き始める。その現象に三人が呆気に取られていると、光り輝く刑部姫の体がみるみると大きくなっていく。

 やがて光と花びらが完全に収まった頃、三人の目の前には一人の少女が立っていた。

 年齢は銀達よりも上で、恐らく14~15歳ほど。学年だと、中学二年生ぐらいだろう。

 黒髪を背中まで伸ばし、黒色の大赦の神官服に包まれた肢体はすらっとしていてまるでモデルのようだった。容姿も美少女と言っても何らおかしくないほどだが、一つだけ際立った特徴がある。

 それは、目だ。

 自分以外を----いや、自分すらも見下しているような冷たい光を秘めた目。しかし同時に、その目はまるでこの世の全てを見通しているような感覚を銀達に覚えさせた。

 刑部姫が突然人間の少女に変わった事に銀達は当然呆然とするが、一方で少女は銀達の驚く顔を見ると愉快そうにくっくっくと笑い声を漏らした。その声も、先ほどの刑部姫のものと比べて少し低く聞こえる。

 すると、ようやく我に返った須美がどうにか疑問を口に出して尋ねる。

「あなたは……刑部姫、なの?」

 その問いに少女はにやりと笑いながら、

「それは正解であって正解じゃない。私は確かに刑部姫だが、私にはもう一つ名前がある」

 そして少女は口の端を上げながら、愉快そうに自分の名前を告げた。

「----私のもう一つの名前は氷室真由理。大赦所属の科学者であり、V.H計画の最高責任者。そしてバーテックス・ヒューマンを作るのに使用した遺伝子の提供者、つまり----遺伝子上で言うなら、志騎の母親さ」

 

 

 

 

 



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第十八話 Gの決意/少年が欲したもの

 目の前の少女----氷室真由理の口から放たれた驚愕の言葉に、三人はぽかんと口を開けて言葉も出せなかった。すると三人の顔がよほど面白かったのか、真由理がクックックと再び低い笑い声を漏らす。

「どうした? 名家のお嬢様達が三人共そんなアホ面晒して。そんなに驚いたのか?」

「いや……驚いたっていうのもあるけど、情報が多すぎて何が何やら……」

 三人の気持ちを代弁するように、銀が半ば呆然とした口調で言った。

 それもそうだろう。突然刑部姫が志騎を作ったのは自分だと言い始めたと思ったら、いきなり十四歳ほどの少女の姿になり、しまいには彼女自身こそが大赦の科学者でV.H計画の最高責任者であり、おまけに遺伝子上の志騎の母親だと言い始めたのだ。これほどの情報をいきなり告げられて、混乱しない人間がいたらお目にかかってみたいものである。

 一方、真由理は椅子に座りなおすと人を馬鹿にするような笑みを浮かべ、

「ま、確かにそうだな。ここは分かりやすく一から説明してやるとするか。ありがたく思え。まず、私は確かに氷室真由理と言える存在だが、厳密には氷室真由理本人ではない」

「……? それって、一体どういう意味なの?」

「氷室真由理という人間はもうこの世にいない」

「「「っ!?」」」

 再度真由理の口から告げられた言葉に、三人は目を見開く。この世にいないという言葉はつまり、氷室真由理という少女はすでに死んでいるという意味だ。だが自分を氷室真由理と名乗る存在は今三人の目の前にいる。これは一体、どういう事なのだろうか。

「言っておくが、幽霊などではないぞ。氷室真由理は生前重い病気にかかってな。頭脳はともかくとして、今の医療技術ではその病気を治す事が出来なかった。それで考えたのが、自分の天才的な頭脳と人格をデータ化し精霊に移す事だった。そうすれば自分が死んだ後も、データを受けついた精霊が氷室真由理として行動してくれると考えたからだ。そして実際にデータを受け継ぎ、氷室真由理の知能と人格を持った精霊が今お前達の目の前のいる刑部姫というわけだ。理解したか?」

「……理解できたけど、自分の頭脳と人格をデータ化して精霊に移す事なんてできるの?」 

 とても信じられない、と言うような口調で園子が言うと、真由理ははっと鼻で笑い、

「ま、大赦の馬鹿共には無理だろうな。だが生憎氷室真由理、すなわち私は天才だった。だから私は今こうしてここにいるというわけだ」

「じゃあ、その姿は?」

「この姿はいわば戦闘用の姿だ。お前達がいつも目にしている姿では当然戦えないが、この姿になる事で一時的にバーテックスとやり合える戦闘力を発揮する事ができる。……ま、この姿は神樹の力を使うから滅多に使う事は出来ない。この姿でいられるのは、一日に三分が限界だ。それ以外は」

 言葉を区切るようにして真由理が指をパチンと鳴らすと、彼女の姿が大量の花びらに包まれ、花びらが全て消えると椅子の上には元のぬいぐるみサイズの大きさに戻った真由理----刑部姫がちょこんと座っていた。

「----神樹の力を使わないこの姿でいるというわけだ。ここまでは理解できたか?」

 三人を小馬鹿にする様に、こめかみを指でトントンと叩く。通常ならばムカッとする態度だが、今はそれどころではない。そんな事よりも、彼女には聞かなくてはならない事がたくさんあるからだ。

「……信じられないけれど、あなたが大赦の科学者で、V.H計画の最高責任者だっていうのは本当なの?」

「ああ、そうだ。とは言っても、私は元々大赦の人間でも何でも無かったんだけどな」

「え?」 

 刑部姫の言葉に、須美は思わずきょとんとした表情を浮かべた。

「私が生まれた家は大赦とは何の関係もない一般家庭でね。私が中二の時にある情報を握って大赦を脅迫し、バーテックスに対抗する戦力を作り出すという条件で特例で大赦の科学者になったんだ」

「きょ、脅迫……」

 刑部姫の口から飛び出した言葉に須美は唖然とするも、この精霊の頭脳と人格の元になった少女ならば確かにやりそうねと心の中で納得してしまった。それに大赦の科学者という事は大赦の家柄の人間という事になるのだろうが、大赦の家柄で氷室という名前は須美は聞いた事が無い。同じ大赦の家柄である銀と園子も反応が無いという事は、刑部姫の言う事は嘘ではないのだろう。

「……でもさ、大赦を脅迫できるほどの情報って、一体何だったの?」

 銀の言う事は最もだった。大赦は今この四国において、総理大臣をも凌ぐ程の絶大な権力を持つ組織だ。その組織を脅迫し、さらには特例で中学二年生の少女を科学者に仕立てる事を可能にする情報とは、一体どのようなものなのだろうか。

 しかしそれは刑部姫もさすがに口にする気はないようで、パソコンのキーボードを先ほどと同じように打ちながら、

「生憎だが、それをお前達に話すつもりはない。ただ一つだけ言うなら……大赦が何としてでも守り通したい情報、とだけ言っておこう」

 神樹を崇拝する大赦が、何としてでも守り通したい情報。それが一体どのような情報なのか、三人にはまったく見当もつかなかった。

「----あなたがあまみんのお母さんっていうのは、本当なの?」

「あくまで遺伝子上での話だけどな。V.H計画を実行するにあたり、バーテックスの細胞と人間の遺伝子がどうしても必要だった。バーテックスの細胞はどうにか調達できたが、人間の遺伝子は誰かが提供する必要がある。だが有象無象の馬の骨の遺伝子を使って失敗作ができても嫌なんでな。それならば天才である私の遺伝子を使った方が良いというわけで、自分自身の遺伝子を使用したというわけだ。結果、志騎という最高傑作ができたからその判断は我ながら正しかったと思う」

 最高傑作、という言葉に三人は思わず顔をしかめた。こうして会話を交わしているだけで分かるが、彼女は志騎を人間として見ていない。まるで道具か兵器の事を話すような口ぶりで、志騎の事を話している。彼女は遺伝子上では自分は志騎の母親だと言っていたが、正直三人としては目の前の少女を志騎の母親として認めたくなかった。

 が、そこで銀はある事に気づいて刑部姫に尋ねる。

「ちょっと待てよ……。確か志騎は、志騎の母ちゃんは志騎を病院に置いてどこかに引っ越したって言ってたぞ。あれは、嘘だって言うのかよ……」

「当たり前だ。当時の志騎に、本当の事を言うはずが無いだろう。あれは志騎に親がいない事を納得させるために、私が考えた作り話だ」

 今まで教えられてきた母親の話ですら、作られたもの。つまり志騎は今まで目の前の刑部姫という精霊と、それを教えてきた育ての親----つまり安芸に騙されてきたという事だ。あまりに酷すぎる、と銀は心の中で思う。それほどの仕打ちを受けてしまったら、もう何を信じれば良いのだろうか。

「……何でそんな事ができるんだよ。刑部姫はともかく、安芸先生はずっと志騎と一緒に過ごしてきたはずなのに、なんで……」

 銀が思わず口に出して呟くと、それを聞いた刑部姫はふっと鼻で笑いながら、

「私はともかく、安芸はそんなに器用な人間じゃない。見た目は何も感じていないように見えるが、あいつが志騎に抱く家族としての愛情は本物だ。そもそも、なんだかんだ言いながら鳥籠にいた時からあいつは志騎によく世話を焼いてたしな」

「鳥籠……?」

 刑部姫の口から出た聞きなれない言葉を須美が拾い上げると、

「志騎が元々いた場所だ。氷室真由理に作り出されてから外の世界に出るまで、あいつはずっとそこにいた」

「どうして、そんな場所に?」

「V.H計画は大赦にとってはトップシークレットであると同時に汚点だ。当然だよな。自分達の敵であるバーテックスを、しかも人間の形をしたバーテックスを作り出すという計画なんだから。いくらバーテックスの戦闘で役に立つと言われても、普通の人間にとっては倫理的にも、感情的に考えても納得できる話じゃない。下手をすれば計画を知った人間が大赦に不信感を抱く危険性もある。だからV.H計画と、その計画によって作り出された人間型のバーテックス、すなわち志騎の存在は絶対に外に漏れてはならない存在なんだ。ちなみに、V.H計画と志騎の正体を知っているのは大赦の上層部に最高責任者である私と唯一の助手である安芸、そしてお前達だけだ。ああ、一応言っておくが他言はするなよ? 大赦の事だから手荒な真似はしないだろうが、逆に言えばそれ以外の事をする可能性はある」

 刑部姫の話を聞いていた須美は顎に手を当ててじっと何かを考えていたが、やがて刑部姫の言葉を完全に頭の中で噛み砕くと一応刑部姫に確認を取る。

「……つまり、志騎君の存在が外に漏れるのを防ぐための場所がその鳥籠って場所なの?」

「そうだ。志騎を外の世界から隔離するための檻、天海志騎という名の成功体を観察するための鳥籠。志騎はそこで私と安芸によって育てられた」

「……何でだろうな。安芸先生はともかく、お前に育てられたって聞くと不穏な感じしかしないんだけど」

 銀の言葉に、須美はおろか園子すらうんうんと頷いて同意する。今までの彼女の言葉を聞く限りだと、氷室真由理という人間は結構な人格破綻者だ。人間としても教師としても信頼できる安芸はともかくとして、氷室真由理という女性に人間の子供を育てる事などできたのだろうか。

 するとさすがの刑部姫もそれには反論する気が無いのか、

「確かに、世間でいう子育てとは大分違うだろうな。食事や睡眠、排泄物すらも管理され、部屋から出て検査を受ける時には道を覚えて逃げ出したりしないよう目隠しをして道を何回も遠回りし、情報漏れを防ぐために会う人間は私と安芸だけ。さらには食事時間や勉強時間、睡眠時間すらも徹底的に管理された生活。傍から見たら、子育てと言うよりは実験動物か何かの扱いだろうな」

 自分で言うか、と銀は内心毒づく。彼女は頭の後ろで両腕を組みながら、

「聞いてるだけで窮屈な生活だな……。てか、その時の志騎よくそんな所から逃げ出そうと思わなかったな。あたしだったら、退屈で死にそうだよ」

「逃げようとも思わなかっただろうよ。志騎にとっての世界はあの真っ白な部屋と検査器具がいくつも並ぶ検査室だけだったはずだ。たまにあいつに本を差し入れする事もあったが、内容は動物図鑑や百科事典などではなく、適当に取り寄せた専門書とか数学の教科書とかだったしな」

「どうして、そんな本を?」

「あいつが外の世界に興味を持つのを防ぐためだ。どういった本を読む事で外の世界に興味を持つか、分かったもんじゃないからな。だからあいつが外の世界に興味を持ちそうなものは徹底的に排除した。食事も同様にな」

 そう言いながら刑部姫は着物の胸元に手を突っ込むと、そこから何かを取り出した。

 刑部姫の手に握られていたのはゼリー飲料の容器だった。だがコンビニで販売されているようなものとは違い、パッケージにはメーカーの文字やイラスト、栄養成分の表示などは一切入っていない。そのため、中のゼリー飲料の詳細がまったく分からなかった。

「何それ?」

「志騎が鳥籠にいた時の食事だ。食べてみるか?」

 そう言うと刑部姫はポイ、と容器を銀に投げ渡した。銀はそれを受け取ると、訝し気に容器を観察してから飲み口のキャップを開ける。そしてくんくんと軽く中の匂いを嗅ぎ、異臭などが無い事を確認するとぱくりと飲み口を加えて中のゼリー飲料を吸い出す。

「どう、銀?」

「美味しいの?」

 すると二人に問われた銀は顔をしかめて、飲み口から口を離すと素直な感想を口にする。

「全然味が無い……。これが、志騎の食事?」

「一食に必要な栄養素を詰め込んだ代わりに、味などは一切排除したものだ。美味しい、という感覚を覚えた志騎が外の世界に興味を覚えないとも限らないからな。ちなみに、主な食事はそれと水だ」

 銀は自分の手の中にあるゼリー飲料の容器をじっと見つめる。

 味も無ければ匂いもない、ただ生きるのに必要な栄養素のみが詰め込まれた何の楽しみもない食べ物。

 幼少期の志騎は、こんなものを与えられて育てられたのか。

「……下手すりゃ児童虐待じゃないのかこれ?」

「安芸からも似たような事を言われた。まぁ、首輪を仕込んでいた上にそんな物を与えていたとなれば、そう言われても仕方ないとは思うが」

「首輪?」

 首輪と聞くと文字通り犬や猫につけるあの首輪が連想されるが、刑部姫が言うと何故か不吉な予感しかしない。ああ、と刑部姫は頷きながら、

「志騎の位置を随時確認しておくための首輪型のデバイスだ。万が一志騎が部屋から出た時のために、位置確認のためのGPSや健康確認のための脈拍計などもろもろ仕込んだ私の発明品の一つだ」

「でもそれなら腕輪とかでも良いじゃない。どうして首輪なんて形にしたのよ」

「あるものを仕込むためには、首輪が一番良かったんだ」

「あるもの?」

「爆弾」

 空気が凍った。

 三人は一瞬、彼女の言葉を聞き間違えたのではないかとすら思った。だが悲しい事に、今まで聞き間違いだと思った彼女の言葉が本当に間違えていた事は一度も無い。かすれた声で、須美が呟く。

「ばく、だん?」

「ああ。志騎が逃げ出した時に、天海志騎という名の機密情報をすぐに消す事ができるようにな。さすがの志騎も首を吹っ飛ばされれば再生は無理だからな」

「……あなたは、人の……あまみんの命を何だと思ってるの?」

 再び沸いてきた怒りに震える声で園子が言うと、何故か刑部姫は肩をすくめながら、

「言っておくが、確かに私は志騎にGPSや脈拍計をつけようと考えていた。だが、爆弾をつける事を考えたのは私じゃない」

「じゃあ、一体誰が?」

「決まっているだろ? 大赦の馬鹿共だよ」

 大赦が? と三人は思わず目を見開く。

 この世界に恵みをもたらしてくれる神樹を奉る組織が、どうして志騎に爆弾を取り付けようとなど考えるのだろうか。それも、いざという時に志騎という名の汚点を消し去るためなのだろうか。

 すると三人の考えを察したように、刑部姫はため息をつきながら告げた。

「簡単だ。……怖いんだよ、志騎が」

「怖いって、どうしてだよ」

「お前達には志騎と過ごした日常がある。だからお前達には分からないだろうが、大赦の奴らにとっては人間と同じ外見を持つバーテックスなんて恐怖の対象でしかない。いつその牙が自分達に向けられるか分かったもんじゃないしな。それに昔の志騎は今よりももっと人間味が無くてな。笑いもしなければ怒りもしない、泣きもしなければ何の感情も表さない。乃木園子と鷲尾須美の二人はともかく、お前は知っているだろう、三ノ輪銀」

 突然名前を呼ばれた銀は、昔の志騎の事を思い出す。

 確かに当時の志騎は、笑いもしなければ泣く事もせず、怒る事すら無かった。今は安芸や銀のような周囲の人間の交流を得て大分マシになったが、彼女の言う通り人間味が無かったというのは事実だった。

「そんな志騎を不気味がって、大赦の上層部は誰一人鳥籠に近づかなかったんだ。来たのは一度だけ、志騎が作られたのを確認するために鳥籠に来た時だけだった。ま、その時も奴らはビビっていたがな」

「……じゃあ、爆弾を首輪に仕掛けたのは、いざという時に志騎君を殺すために?」

「だろうよ。何せV.H計画を認める条件にその提案を出してくるぐらいだ。よっぽどバーテックスっていう存在が怖いんだろう。志騎が勇者になった今はさすがに手出しはしてこないが、それでも奴らの心の底には志騎に対する恐怖があるはずだ」

「……何だよ、それ」

 銀は俯きながら呻くように言う。

 志騎に大赦の人間をどうこうする意志など無いし、それどころかバーテックスを撃退して世界を護っている。それなのに大赦は天海志騎という存在に恐怖を抱き、しかも幼少期の志騎に爆弾付きの首輪を取り付ける事で、何かあった時には志騎を殺そうとしていた。

 確かに、人間型のバーテックスに恐怖してしまう気持ちは分からないでもない。実際今まで自分達はバーテックスに何度も傷つけられてきたし、バーテックスの恐怖もよく知っている。そう考えてしまっても無理はないかもしれない。

 だが、理解ができる事と納得ができる事は違う。

 まだ子供であった志騎にまるで犬か猫のように首輪をつけ、さらにいざという時には爆弾を爆発させて、鳥籠という狭い世界しか知らない志騎を殺そうとする。それが本当に、神樹を崇拝する大赦の人間のやる事なのだろうか。大赦の家系の人間でもある銀はその事実に、初めて大赦に対する疑念を抱いた。

 と、銀が両手を握りしめて黙り込んでいると、園子がじっと真剣な表情で何かを考えている事に気づく。

「どうしたの? そのっち」

 そんな園子に須美も気が付いたのか、園子に声をかける。すると園子は二人を真剣な表情で見つめて、

「ちょっと、おかしくないかな?」

「え? おかしいって、何が?」

「今までの刑部姫の話を整理すると、あまみんはず~っとその鳥籠って所にいたんだよね? しかももしも外に出たらすぐに口封じができるように、首輪に爆弾までつけて」

「あ、ああ。それの、何がおかしいんだ?」

「うん。それほどあまみんを怖がって、外に出したくなかったのに、どうしてあまみんは私達と一緒にいるのかな?」

 あ、と銀は思わず声を上げた。それから須美の方を向くと、彼女の同じ事に気づいたのか口をぱっくりと開けている。

 どうして志騎は自分達と一緒にいるのか。聞いてみると意味が少し分かりにくいが、銀と須美はすぐに分かった。園子はこう言っているのだ。

 何故それほどまでに大赦の厳重な管理下に置かれていた志騎が、外の世界に出て自分達と一緒にいる事ができたのか。

 志騎が大赦にとってのトップシークレットであると同時に汚点であり、恐怖の対象というのは刑部姫から聞いた話から考えれば明らかだ。なのに何故志騎はこうして鳥籠から出され、普通の人間として生活する事が出来ていたのか。

「別に不思議な話じゃない。元々志騎を鳥籠の中で人間兵器として育て上げ、兵器として完成した勇者になったら鳥籠の外に出してお前達と一緒にバーテックスと戦わせる手筈になっていたんだ。そうでなければ、天海志騎が作られた意味が無いだろう」

「じゃあどうして、そうなる前にあまみんを鳥籠から出したの? 本当にそうなら、私達とあまみんが初めて会うのは勇者になってからのはずでしょ? ねぇ、どうして?」

 するとそこで初めて、刑部姫の表情が崩れた。

 先ほどまでリズミカルにキーボードを打っていた手も止まり、顔はまるで苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべている。明らかに先ほどまで銀達に対して保っていはずの余裕を無くしている。

 刑部姫の表情を見て、三人は確信した。今自分達は、刑部姫の弱点を間違いなく突いたのだと。

 刑部姫はしばらく黙り込んでいたが、やがて苛立たし気に髪の毛を掻きむしると渋々と語り始めた。

「……生前の氷室真由理が最後に迎えたクリスマスの日の話だ。当時自分の命がもってあと二ヶ月ほどだという事を知っていた私は、どうせ最後だからという理由で鳥籠でささやかなクリスマスを行う事にしたんだ。と言っても別にチキンやらケーキとかを用意するわけじゃない。ただクリスマスだし、どうせなら志騎が欲しい物を与えてやろうと考えただけだ。私がサンタの服装を着て、安芸にはトナカイのコスプレをさせてな」

「……でも、その時の志騎君に欲しい物なんてあったのかしら」

 話を聞いている限り、当時の志騎は外の世界に興味を持たないように徹底的な教育を受けていた。おまけに当時の彼には人間らしい感情などまったく無かったと聞く。そのような彼に、果たして欲しい物などあったのだろうか。

「私も同じ事を考えた。欲しい物と言っても、恐らく新しい本か何かだろうとな。……だが、志騎が言ったモノはあまりにも予想外過ぎた」

「……何て、言ったんだ?」

 銀が聞くと、刑部姫は頬杖を突きながら何故か銀達を軽く睨む。そしてため息をつくと、当時の志騎が欲しいと言ったものを告げた。

 あまりに予想外過ぎる、その何かを。

 

 

 

 

「友達が欲しいと、言ったんだ」

 

 

 

 

 

「----えっ?」

 刑部姫の口から告げられた言葉に、三人は思わず呆気に取られてしまった。

 幼少期の志騎が欲しかったものが、友達。言っている事自体はとてもシンプルだし、むしろ微笑ましいとすら言えるのだが、刑部姫から聞いた志騎の姿とその願いが、失礼かもしれないがあまりにも不釣り合いに感じられてしまったのだ。

 一方、刑部姫は口元に苦々しい笑みを浮かべて、

「私と安芸も、思わずそんな顔をしたよ。私達二人共、志騎がそのような事を言うなんて夢にも思わなかったしな」

「でも……どうして志騎君は友達を……」

 志騎の置かれていた境遇から考えると志騎に友達という存在がいなかったのは明白だ。そもそも、『友達』という存在すら知らなかった可能性が高い。そんな彼がどうやって『友達』という存在を知り、それを求めるようになったのだろうか。

「後で安芸に聞いたら、いつも差し入れている本じゃつまらないだろうという事で、一冊だけ小説を紛れ込ませていたらしい。私も目を通してみたが、特段面白くもないしつまらなくもない、マイナーな本だった。まぁだからこそ安芸もそれを差し入れたんだろうが……、小説の中の文に、『友達』という単語が入っていた。恐らくそれを見て初めてその存在にが気が付いたんだろうな。あとで志騎に差し出した辞書を確認してみたら、友達とかを意味する単語のページに折り目がついていたし」

「志騎の奴、なんでそんなに友達の事が気になってんだろ……」

「それはきっと、あいつの生まれのせいだろうな」

 え? と三人が刑部姫を見ると、彼女は先ほどと同じようにキーボードを打っていた。視線をパソコンの画面に向けながらも、意識だけは三人に変わらず向けながら口を開く。

「志騎は人間型のバーテックスと言ったが、正確にはバーテックス・ヒューマンというこの世界で唯一孤立した存在だ。人間の遺伝子を持つがゆえに純粋なバーテックスじゃないが、同時にバーテックスとほぼ同じ細胞を持つがゆえに純粋な人間でもない。この世界であいつと同じ同族は誰一人として存在していない。……恐らくあいつは、自覚していないだろうがそれを本能的に悟っている。だからこそ、『友達』という繋がりを無意識の内に欲しているんだろうよ」

 刑部姫の話を聞いて、銀は思い出す。

 志騎は一見してみるといつも冷静で不愛想に見えるが、実際は友達である自分達の事をいつも考えてくれていた。あれは彼の性格によるものだと思っていたが、それだけでは無かった。バーテックス・ヒューマンという世界で孤立した存在である自分と繋がる絆を、断ち切りたくなかったのだ。例えその事を本人が自覚していなかったとしても。

「……あまみん、ずっと友達が欲しかったんだね~」

「そうね。……もしかしたら、寂しかったのかもしれないわね」

 寂しかった。須美の言葉を聞いて、そうかもしれないと銀は思う。

 バーテックス・ヒューマン。人間でもなければバーテックスでもない存在。この世界で唯一、自分と同じ種族がいないはぐれモノ。それがどれほどの孤独なのか銀には分からない。

 生まれた時から自分には優しい父親と母親がいてくれたし、さらに可愛い二人の弟も生まれた。自分はいつだって孤独では無かった。それだけは確かだ。

 だが、そう考えると銀の気持ちはさらに重くなる。

 いつだって誰かから愛され、孤独では無かった自分が、志騎のために何ができるというのだろうか。須美のように頭が良いわけでもなければ、園子のように発想力があるわけでもない、考えても考えても答えが見えない自分に。

 悔しそうに俯いて拳を握りしめる銀を横目でちらりと見ながら、刑部姫は続ける。

「ま、そんな予想外の事を言われたわけだが、志騎がそう言いだしたのはある意味でちょうどいいタイミングでもあった。実は生前の私も志騎を外に出そうかと考えていたんだ」

「え、どうして?」

「前々から考えていたんだよ。志騎は確かに兵器として特化した勇者だが、バーテックスと戦う以上感情も持たないただの兵器ではバーテックスと同じだ。人間とバーテックスの決定的な違い……すなわち感情を育てさせる事が、志騎に必要なんじゃないかとな。そして志騎が友達を作るには、まず外の世界に出なければ話にならない。で、大赦の奴らと話し合ってどうにか志騎を外の世界に出す事が決まったんだ」

「でも、よく大赦の人達が認めてくれたわね。今までの話を聞いていると、絶対に認めてくれなさそうだったけれど……」

「安芸が必死に説得してくれたおかげだ。志騎が外に出られるように、大赦の上層部と何回も話し合って頭を下げた。安芸は元々大赦の人間だし、私よりも大赦を説得しやすかった。……業腹だが、大赦も安芸の事は信頼していたようだしな。私よりも」

「え、それは当たり前じゃないかしら?」

「安芸先生の方が信頼できるよね~」

「むしろ何で安芸先生より信頼してもらえると思ったんだ?」

「お前ら後でちょっと校舎裏来い」

 三人からの非常に真っ当な酷評に青筋を浮かび上がらせるが、こほんこほんと咳払いをしてどうにか冷静さを取り戻すと話を元に戻す。

「そういうわけでどうにか志騎は鳥籠から出る事が決まり、一応の監視役兼教育係としての役目を安芸が担う事になった。その後氷室真由理は精霊・刑部姫に自分の頭脳と人格をデータ化して移し、刑部姫は志騎が勇者となるその日まで待つ事になった。その後氷室真由理は死亡、志騎は情報漏洩を防ぐために鳥籠にいた時の記憶を全て封じられ、重い病気を患っていたがために母親から捨てられた少年として病院で目を覚まし、ここ大橋市に引っ越してきたというわけだ。これが、志騎がここに来るまでの経緯だ。……で、だ。自称『志騎のお友達』のお前達はこれからどうするんだ?」

「どうするって……今それを必死に考えて……」

「ほぉ? 必死に考えていると? 私にはただの思考停止にしか見えんな。下手の考え休むに似たりって言葉は知っているか?」

 からかうような刑部姫の言葉に、銀は奥歯をギリリと噛み締めると、それまで貯めこんでいた感情を爆発させる。

「----じゃあ、どうしろって言うんだよ!? あたしだって志騎に何をしてやれるかずっと考えてるんだ! でも、志騎のために何をすればいいか全然分からないし……一体、あたしに何ができるって言うんだよ……」

 最後の声はもう半ばかすれていた。そんな銀に須美と園子が心配そうに寄り添い、安心させるように手をそっと握るが、そんな銀を刑部姫はくだらなそうに眺めながら言った。

「馬鹿かお前は」

「なっ!?」

「何をすれば良いか分からない? そんなの当然だろう。志騎がずっと欲しがっていた友達を傷つけてしまってどれほど傷ついたのか、どれほど悲しんでいるかなど志騎自身にしか分からない。それを勝手に分かったような気になって、何かをしてやろうと考える事自体がおこがましい。本当にそう思っているなら、もう呆れる事しかできないな。何様のつもりだお前は」

 いつの間にか、刑部姫はパソコンの方を向いていた体の向きを変え銀と真正面から向き合っていた。彼女の表情はついさっきまで浮かべていたような嘲笑うようなものでなければ、人を小馬鹿にしているものでもない。ただどこまでも厳しく真剣な表情で、銀の目をまっすぐと見据えていた。そんな彼女のぬいぐるみほどの大きさしかない体躯から放たれる迫力に、三人はただ押し黙る事しかできなかった。刑部姫は「良いか?」と前置きしてから、

「そもそもの話、どんなに頑張っても人が他人の事を百パーセント理解できるなどありえない。どんな人間にも誰にも見せない一面はあるし、それどころか自分でも理解しきれない一面が存在する事もある。それら全てを理解し解決する事なんて、たかが人間には到底不可能だ。そんな事ができる奴がいるとしたら、それは神樹ぐらいだ。そしてお前達や私は神樹ではなく、人間だ。今の私達に志騎にしてやれる事などない。今志騎が抱えている問題は志騎にしか解決できない」

 真正面からの刑部姫の言葉に、銀は黙りながらも唇を噛み締めるしかない。

 悔しいが、刑部姫の言っている事は間違ってはいない。今の志騎の苦しみも悲しみも、銀はもちろん須美と園子にも理解する事は出来ない。理解する事ができなければ、彼にどんな言葉をかけるべきなのかも分かるはずがない。今の志騎の苦しみは、誰よりも彼自身が解決しなければならないのだ。

 だが、それは刑部姫の言った通りそれまで自分達は何もできないというわけだ。その事実に、三人を再び強い無力感が襲う。

 しかし、それを断ち切るように刑部姫がはぁとため息を漏らした。

「----何かをしてやる事だけが、相手のためになる事なのか?」

「え?」

 突然放たれた言葉に三人がきょとんとした表情で刑部姫を見ると、彼女は呆れた表情を浮かべながら、

「別に言葉をかけたり、相手の代わりに何かをする事だけが相手を助ける方法じゃないだろう。相手を手助けする方法など、それこそいくらでもある。例えば----」

 言いながら、刑部姫は右手の人差し指をついと伸ばして、銀に寄り添う須美と園子を指さす。

「支えたい奴のそばに寄り添い、手を握ってやるだけでもそいつにとってはいくらか気分が楽になるし、自分は一人ではないという実感を得られる。それが悩みの解決に一役買う事だって十分に考えられる」

「手を握る……」

「ああ、そうだ。今の志騎にはそれが必要なのだろうよ。お前ら、志騎が今何歳か知っているか?」

「何歳って、十二歳でしょ?」

 彼が自分達と同じ六年生ならば、自分達と同じ年齢である十二歳で間違いないはずだ。しかし刑部姫はふるふると首を横に振ると、

「違う。作り出された当初、バーテックスの中の細胞のせいかあいつは成長が早くてな。たった一年で二年分の成長をしていたんだ。今は細胞の働きも落ち着いているから普通の人間と同じ成長だが、実年齢は外見年齢よりもマイナス三歳。つまり今の志騎の年齢は、九歳だ」

「九歳!?」

「あまみんって、本当に弟君だったんだ~」

 刑部姫の口から放たれた驚愕の言葉に銀は声を上げ、園子も目を丸くして言う。前に志騎は園子と銀に弟のように感じられると言われていたが、それは志騎の雰囲気のせいではなく、本当に志騎の実年齢が園子や銀よりも下だったからのようだ。この場合はそれを何となくではあるものの察する事ができていた園子と銀の直感を褒め称えるべきなのかもしれない。

「つまり鳥籠を出た時の志騎の実年齢は三歳。で、それからの六年を人間として過ごしてきたというわけだ。だが鳥籠を出る前の三年はおよそ人間らしい生活とは言えなかったし、ようやく人間としての生活を送れるようになったのもこの六年間での話だ。言ってしまえば、志騎の精神面はお前達と比べると少し幼いと言えるわけだ」

「それはそうかもしれないけれど……結局、あなたは何が言いたいの?」

 須美の言葉に、刑部姫は腕を組んで三人を見ながら、

「何も描かれていない絵のようなものなんだよ、志騎は。この六年間を人間達の中で過ごしてきたが、それでもあいつはまだ人間とバーテックスの中間の位置に立っている。つまり、接し方次第ではあいつは人間にもバーテックスにもなる。そしてもしもこのままお前達が寄り添わなければ、あいつは簡単にバーテックスになるぞ。そうなったら、志騎は本当に一人になる。お前達はそれでも良いのか? 別に良いというなら私は構わんが」

 問われた銀の脳内に、今までの志騎との思い出が頭に浮かんでは消えていく。

 自分の事を呆れたような表情で見る志騎。

 困ったような笑みを浮かべながらも、自分の事を見つめる志騎。

 自分がバーテックスである事に、苦しむ表情を浮かべる志騎。

 もしも自分がここで今志騎の手を握らなかったら、志騎は永遠に一人ぼっちになってしまう。

「----わけ」

「銀?」

 ポツリと小さな声で呟かれた声に須美が声をかけると、銀はゆっくりと顔を上げる。

「良いわけ、ないだろ。あたしは、もっと」

 刑部姫の言う通り、自分には志騎の気持ちを理解したくても理解する事ができない。

 悔しい話だが、今の志騎の悩みに対する答えを出せるのは志騎自身しかいないだろう。

 でも、それでも。

 それは志騎が孤独になっていい理由には、決してならない。

「----もっと志騎と、一緒にいたいんだ」

 自分は須美のように頭が良いわけでもなければ、園子のように発想力があるわけでもない。

 だけど、これだけは自信を持って言える。

 自分は、この三人の中で一番志騎との時間を一緒に過ごしてきた『志騎の幼馴染』だと。

 それだけは、疑いようのない事実なのだ。

 だったら、そんな自分が志騎の手を握ってやらないでどうすると言うのだ。

 刑部姫をまっすぐ見る銀の表情には、そんな強い決意を秘めた表情が確かに浮かんでいた。それから銀は自分の手を握ってくれる須美と園子を顔をまっすぐ見据えて、

「須美、園子。お願いなんだけどさ……志騎のために、二人にも一緒に来てほしいんだ。……良いかな」

 すると銀の言葉に二人はふっと力強い笑みを浮かべると、

「お願いなんていらないわよ、銀。私達もあなたと同じ気持ちよ」

「私達も、もっとあまみんと一緒にいたいんよ~。あまみんは、私達の大事な友達だから。だから私達も、あまみんの所に一緒に行くよ~」

「須美、園子……。ありがとう」

 銀は二人が自分と同じ気持ちでいてくれる事に心の底から感謝を述べながら、この二人が友達でいてくれて本当に良かったと思う。二人が自分と同じ気持ちでいてくれると思うだけで、こんなにも心が嬉しくなる。

 そしてそれは、志騎も感じるべき事だ。人間だろうがバーテックスだろうが関係ない。 

 自分達の大切な友達であり、自分の幼馴染であるからこそ、彼にも味わってほしいのだ。

 すると三人の様子を見ていた刑部姫は、何故かため息をつきながら、

「やれやれ、ようやく動く気になったか。動く事しか取り柄が無いんだからさっさとその気になれよ面倒くせぇな」

「……お前はいちいち文句をつけないと死ぬ病気にでもかかってるのか?」

 相変わらずの毒舌のマシンガンを放つ刑部姫に銀はジト目を向けるが、こればかりはその通りだと本当に悔しいが同意するしかない。

 彼女の言う通り、自分の取り柄と言ったら動いて道を切り開く事しかないのだ。それなのに最近は予想外の事が起きすぎてしまって、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいいつものように動く事すらできなくなってしまっていた。

 だが、もう迷わない。

 今自分がすべき事は、今すぐ志騎の所に向かって彼に寄り添う事だ。

 何かをする事も、言葉をかける事も必要ない。

 小さな事かもしれないが、それが志騎の悩みの解決に役立つというのならば、喜んでやってやる。

 銀がそう心の中で決意を固めると、それと同時に刑部姫がパソコンのエンターキーを勢いよく叩いた。志騎のスマートフォンに何らかのデータがインストールされ、やがてインストールが終わりスマートフォンからケーブルを抜くと銀が刑部姫に尋ねる。

「さっきから気になってたんだけど、一体何やってたんだ?」

「志騎がもうバーテックスの干渉を受けないように勇者システムに新しいプログラムを入れた。これでもう志騎が操られる事は無い」

「じゃあ、それを志騎君に渡せば!」

 もう志騎が銀達を傷つける事は無くなる。それを聞いて銀達の表情に笑顔が広がり、銀が刑部姫を急かすように右手を刑部姫に突き出す。

「早くくれよ! 早くそれを志騎に渡さないと!」

「………」

 しかし刑部姫は何故かすごく嫌そうな表情を浮かべながら目の前の銀を見るだけで、志騎のスマートフォンを差し出そうとはしなかった。それに銀が怪訝な表情を浮かべると、刑部姫は唐突にこんな事を言った。

「----鷲尾須美。乃木園子。そして三ノ輪銀。私はお前達が嫌いだ」

「………」

「志騎の事を何も知らないくせに、友達面してあいつに近寄るのを見るだけで反吐が出る。正直、お前達のような小娘に何ができるのかと思う」

 だが、と刑部姫は一度言葉を切り、

「----イラつくが、今志騎のそばにいるべきなのはお前達なんだろう。だからこいつを渡す。綺麗事ばかり抜かすお前達がどこまでできるか、精々見届けさせてもらうとする」

 言いながら、刑部姫はスマートフォンを銀に差し出した。銀はスマートフォンを受け取ると、刑部姫に背を向けながら言った。

「----刑部姫。正直、あたしもお前が嫌いだよ。いつも嫌な事ばっかり言うし、志騎の事を何でも知ってるような顔してるのがすごいムカつくし」

 けど、と銀は一度言葉を切り、

「ムカつくけど、たぶん志騎の事を一番よく知ってるのはお前なんだろうな。だから今回だけ、お前を信じる。これは絶対に、志騎に渡す」

「当然だ。むしろ渡さなかったら殺すぞ直情単細胞女」

「その時は返り討ちにしてやるよ性格最悪自己中精霊」

 互いに罵り合った後、銀は須美と園子と顔を見合わせて頷く。そして、三人揃って教室を勢いよく出て行った。

 三人の後ろ姿を、教室の扉のすぐそばから見送る一つの人影があった。人影がいた場所は銀達が向かった方向とはちょうど反対側なので、銀達も気づかなかったようだ。

 人影----安芸は三人が志騎の所に向かうのを見送ってから教室に入る。教室では一人残った刑部姫はノートパソコンを折りたたんで着物にしまうところだった。

「相変わらず人を怒らせるのが本当に得意ね。見ててハラハラしたわ」

「だがそれであいつらを焚き付ける事に成功したのだから結果オーライだろう。奴らは下らん悩みを吹っ切る事ができ、私は改良した勇者システムを志騎に渡す事ができる。一石二鳥だ」

「他にやり方があるはずって私は言ってるのよ。まったくあなたは……」

 安芸がため息をつくも、刑部姫は安芸の苦労などどこ吹く風だ。まぁ、彼女のそんな性格は正直もう慣れたので、このような事を言っても仕方がないのだが、それでも愚痴の一つは言いたくなるというものである。

「それで、バーテックスの干渉を防ぐプログラムを入れたという事は、バーテックスが志騎を操った方法が分かったの?」

 気を取り直して安芸が刑部姫に尋ねると、刑部姫は頷きながら、

「ああ。だが正確には操ったわけじゃない」

「……どういう事? まさか志騎が自分から彼女達に襲い掛かったって事じゃないわよね?」

 刑部姫の予想外の言葉に安芸が訝し気な表情を浮かべながら聞くと、刑部姫は空中に浮かび上がりながら、

「バーテックスの細胞には、ある呪文が刻み込まれている」

「呪文?」

「ああ。命令文(コマンド)と言えば分かりやすいか。全てのバーテックスは自分達を構成する細胞に刻まれたそのコマンドに沿って行動をしている。例外はない」

 空中をふよふよと浮かびながら刑部姫が校門に視線をやると、ちょうど銀達が校門を走って出る所だった。三人の後ろ姿を眺めながら再び口を開く

「そしてそのコマンドが下している行動は非常にシンプル。『人間を殺す』」

「人間を……」

「ああ。シンプルゆえに非常に強力なコマンド。奴らはそのコマンド一つであらゆる方法を以って人間を殺す。まったく、本当に厄介な兵器だよ奴らは」

 はっと、大して面白くなさそうな笑い声を上げる刑部姫の姿を見て、安芸は思わず唾を飲み込む。刑部姫----氷室真由理は自分が知る限り最高の天才だ。その彼女がここまで言うほどの存在が自分達の敵なのだという事を、安芸は改めて思い知らされた。

「そしてそれは志騎も例外じゃない。だから私は当初、志騎にも刻まれたそのコマンドをどうにか消そうとしたのだが、無理だった。あの呪文は、私ですら消せないほどに強力だった。だから私は志騎に刻まれたそのコマンドを『人間を殺す』のではなく、『バーテックスを殺す』というコマンドにどうにか書き換えた。そのコマンドは普段は封印されているが、キリングトリガーによって封印が解除された時、初めてコマンドの効力は発揮される。本当は同じ勇者を殺さないようにするための防衛策だったんだが、書き換えたコマンドのおかげでバーテックス・ヒューマンという兵器の能力がさらに強力になったから、そこは不幸中の幸いだったな」

 刑部姫は書き換えたと軽く言うが、それは彼女だからこそできたのだろう。大赦の科学者では、コマンドを書き換える事すらできなかった可能性が高い。だがそれでは、腑に落ちない事がある。

「じゃあどうして、志騎は鷲尾さん達を殺そうとしたの? 例え封印が解除されたとしても、バーテックスしか倒さないはずでしょ?」

 安芸の言う通り、いくらバーテックスが志騎に何らかの干渉を行ったとしても、そのコマンドがある限り彼が銀達に襲い掛かる事は無かったはずだ。だが現実問題として志騎は銀達に襲い掛かり、危うく殺しかけた。一体、志騎は何をされたというのだろうか。

「それは私も気になって、志騎を調べた時に封印を調べてみたんだ。調べた結果、不愉快な事実が分かった」

「不愉快な事実?」

「ああ。封印が強制的に破壊された形跡があった。おまけに志騎の細胞も調べてみた所、私が書き換えたはずのコマンドが再度書き直された跡が見つかったよ」

「……それって」

「そうだ。バーテックスは志騎を操ったわけじゃなく、志騎の細胞に刻まれていたコマンドを書き換えたんだ。いや、あれは書き換えたというよりは初期化と言った方が良いだろうな。バーテックスは志騎の『バーテックスを殺す』というコマンドを書き直される前の『人間を殺す』コマンドに初期化する事で、志騎をバーテックスに強制的に戻した。おまけに封印も力づくで破壊されたから、志騎はそのコマンドに従い三ノ輪銀達を襲ったというわけだ」

「でもそんな事、バーテックスにできるの?」

 刑部姫から聞いた話によると、バーテックスに下されているコマンドは『人間を殺す』というもの。しかし逆に言えば、それ以外の事は出来ないという事だ。志騎に刻まれているコマンドを強制的に初期化しなおすなど、バーテックスに果たしてできるのだろうか。

「お前の考えている通り、できないさ。奴らは人間を殺すだけの人形に過ぎない。コマンドを初期化したのは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 刑部姫の言葉に、今まで冷静さを保っていた安芸の表情が強張る。一方、安芸の表情を崩すほどの情報をもたらした精霊は行儀悪く机にちょこんと座りながら両手を組み、じっとある事を考え込んでいた。

(……そう。志騎のコマンドを初期化した奴は分かっている。だが、逆に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 志騎から聞いた話と安芸が銀達から聞いた話によると、コマンドが初期化されている最中の志騎は銀達の言葉すら届かなかったらしい。だが、それは仕方のない事だ。志騎に刻まれているコマンドがどれほど強力かは、キリングモードの志騎を見ればよく分かる。コマンドの支配下にある最中の志騎は、まさに敵を殺しつくすための殺戮兵器だ。それは例え相手が大切な親友であろうとも関係ない。

 しかし、ここで一つ疑問が出てくる。

 コマンドの支配下にあった志騎は、どうやって自我を取り戻したのだろうか。

 キリングモードの志騎は樹海の中のバーテックスを全て倒した場合コマンドに対しての封印が施され、キリングモードが解除されるようにキリングトリガー自体にプログラミングしてあるが、それにはまずバーテックスが樹海内にいないという前提条件が必要となる。極端な話、まだバーテックスがいればそれを殺すためにキリングモードは継続される事になる。

 だが今回の場合、三ノ輪銀達という殺す対象がまだ生きていたのに志騎は自我を取り戻した。これは天海志騎という兵器の事を考えると、ありえない事なのだ。

 そう考えて安芸に三ノ輪銀達への聞き込みを頼み、刑部姫自身は志騎から聞き込みを行った結果、興味深い事が分かった。

 志騎から話を聞いたところ、自我を取り戻す直前誰かの声を聞いたような気がしたらしい。そしてその直後志騎は自我を取り戻した。つまり、幼馴染の銀の声ですらできなかった事をその声の主は行ったというわけだ。

 なお、声の主が銀以外の二人ではないという事はもうすでに確認できている。その時園子と須美は志騎に攻撃され、意識を失っていたという事を安芸が三人から聞いたからだ。

 そして刑部姫が志騎の体を調べてみた結果、書き換えられた痕跡はあったものの志騎に刻まれていたコマンドは元に戻っており、封印も掛け直されていた。しかし志騎が自我を取り戻したのがその声のおかげだとすると、そもそも声の主は一体誰なのかという疑問が出てくる。志騎の体を調べた後、刑部姫はその事をずっと考え続けていたが、答えはまだ出ずにいた。

(そもそも、即座に志騎のコマンドを元に書き直し、封印を掛け直すなんて人間にできる事じゃない。そんな事ができるとしたら……)

 刑部姫がじっと思考を巡らせていると、張りつめた空気を和らげようとしたのか安芸がこんな事を言った。

「でも、志騎の方はもう大丈夫そうね。あなたが組み込んだプログラムがあれば、もう志騎はバーテックスにコマンドを組み替えられる事は無いんでしょ?」

 彼女の言葉に、刑部姫は声の主についての考察をいったん止めると安芸に顔を向けながら、

「ん、ああ。お前の言う通りもう志騎がバーテックスからの干渉を受ける事は無い。……志騎が変身できさえすればな」

「……どういう事?」

 刑部姫の言葉に眉をひそめた安芸が尋ねると、刑部姫は机から浮かび上がりながら続ける。

「さっきプログラムを組み込む際に、勇者システムに細工をしたんだ」

「細工?」

「ああ。志騎が変身するための条件を、勇者システムに組み込んだんだ。その条件を満たさない限り、志騎は勇者に変身する事は出来ない」

「っ!?」

 彼女の口から放たれた耳を疑う言葉に、安芸は思わず目を見開く。しかし、それは当然だ。話を聞く限りだと、バーテックスの干渉を防ぐためには志騎が変身している必要がある。なのに条件を満たさない限り変身する事ができないというのは、本末転倒も良い所だ。それにそれだと、志騎が再びバーテックスからの干渉を受ける危険性もある。安芸は普段の冷静さをかなぐり捨てて、刑部姫に問い詰める。

「どういう事!? あなたは一体何を考えているのよ!?」

「落ち着け安芸。何も意地悪でやったわけじゃない」

 顔をしかめながら言う刑部姫の顔を見て、怒りが浮かんでいた安芸の表情に冷静さが少し戻る。確かに彼女は何の理由もなしにこのような行動をするような馬鹿ではない。そのような行動を取ったからには何らかの理由が必ずあるはずだ。だが、そうだとするとその理由は一体何なのだろうか。

 すると安芸の疑問を察したかのように、刑部姫が静かに口を開く。

「鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀。この三人にあって、志騎にはないものが一つある。何か分かるか?」

「志騎に、ないもの……?」

 唐突に尋ねられた安芸は少しの間黙って考え込むが、答えは分からなかった。降参と言わんばかりに安芸が首を横に振ると、刑部姫は答えを口にする。

「戦う理由、だよ」

「戦う理由……」

「ああ。鷲尾須美はこの国を守るという勇者としての強い使命感。乃木園子はこの世界と友人を護りたいという意志。三ノ輪銀は家族を護りたいという心。あとは『友達を護りたい』という想いだな。ま、その想い以外は違いはあれ、三人それぞれ戦う理由をしっかりと持っている。だから奴らは神樹に選ばれたのだろうし、バーテックスのような巨大な敵に立ち向かえる心の強さを持っている」

「……志騎には、それが無いって言うの?」

「三ノ輪銀達を護りたいという想いはあるんだろうよ。だが、芯となる戦う理由は志騎にはない。あいつにあるのは、ただ目の前の事を放っておけないという感情だけだ。……初めて勇者に変身した時の三ノ輪銀達とバーテックスと遭遇した時のようにな」

 刑部姫の脳裏に、初めて志騎と会話した時の事がまるで昨日の事のように思い出される。考えてみれば、あれからまだ二ヶ月と少しぐらいしか経ってないんだよなと心の中で思いながら、話を続ける。

「今まではそれでも良かっただろう。だが、自分の正体を知った志騎がこれからもバーテックスと戦い続けるためには、それじゃあ駄目だ。自分が何のために戦うのか、どうして傷つきながらもバーテックスと戦うのか、あいつにとっての戦う理由を見つけなくちゃならない。それができないようじゃ、例えバーテックスからの干渉を防ぐ事ができたとしても、いずれ勇者として戦う事に限界を迎える日が必ず来る。そうなったら今度こそ、志騎は立ち上がる事ができなくなる」

「……じゃあ、変身するための条件を組み込んだのは、そのために?」

「荒療治だというのは自分でも自覚している。だが、志騎がこれからも勇者として戦い続けるというのであれば、これは乗り越えてもらわなければならない事なんだ」

 険しい表情を浮かべながら話し終えた刑部姫は、気を楽にするようにふーと酸素を吐き出してから安芸に尋ねる。

「そう言えば、大赦の上層部の様子はどうだ?」

「志騎の暴走についてはやっぱり不安視はしているようね。でも、今すぐに行動を起こす気はないみたい」

「だろうな。なんだかんだ言っても、奴らも志騎の有用性は認めている。暴走したのは奴らにとっても予想外だっただろうが、だからと言ってすぐに志騎を始末するような事はしないだろう。ま、仮に志騎を殺すつもりなら…………その時は、大赦の奴ら全員皆殺しにするがな」

 ぞくり、と。暗い殺意が込められた刑部姫の言葉に、安芸は背筋に寒気が走るのを感じた。

 彼女の言葉に嘘はない。もしも大赦が志騎を殺そうとしたら、彼女はすぐさま大赦の人間を皆殺しにするだろう。友人である自分は恐らく殺さないだろうが、逆にそれ以外の人間は全て平等に殺しつくす。それで四国や、大赦が奉っている神樹がどうなろうと知った事ではない。彼女にとっては、自分の息子とも言える存在である志騎や唯一の友人である自分以外の人間は生きようが死のうがどうでも良い存在なのだ。そもそも、彼女にとっての人間とは『今かいずれ死ぬ生き物』程度の認識でしかない。

 ゆえに、志騎と安芸以外の人間がどれだけ死のうと彼女にはどうでも良い。だからこそ、身にかかる火の粉があれば火の粉の元を何の容赦もなく全力で叩き潰すのが刑部姫----氷室真由理という少女の性格だ。

 そして、大赦が傍若無人な振る舞いをする真由理にあまり干渉しないのもそれが理由だった。彼女には、冗談抜きでたった一人で大赦という組織を丸ごと潰す事ができる力がある。氷室真由理が死んだ今、大赦が刑部姫や志騎に対して過剰な干渉を行わないのも彼女が独自に持つ力が理由だ。藪をつついて蛇を出すということわざの通り、下手に刑部姫を刺激したらどんな目に遭うか分からない。おまけに氷室真由理は、生前彼女が独自に開発した神樹の力や霊的な力を戦闘用に改良したシステムやノウハウを一切大赦に提示しなかったので、彼女の力を防ぐ事すらできない。それらの理由から、大赦は刑部姫と志騎に下手な干渉を行う事が出来ず、今まで静観していたのだ。

 つまりは、刑部姫も志騎と同様、大赦から非常に恐れられている存在なのである。

(まったく……我ながら、よく十年以上も友人として付き合ってこれたわね」

「おい、心の声が漏れてるぞ」

 ジト目で自分を見る刑部姫の言葉に、安芸は思わず口を軽く抑えた。そんな彼女に、刑部姫はふっと力の抜けた笑みを浮かべて、

「言っておくがな安芸……。自分でも異常者だと自覚している私でも、さすがにお前にそんな態度を取られたらちょっと傷つくんだぜ……」

「相変わらず親しい人間に対しては意外とガラスの心よねあなた……」

 他人を罵る事に関しては遠慮を知らず、他人に嫌われてもまったくお構いなしの刑部姫だが、一方で自分や志騎など親しい人間にぞんざいに扱われる事には意外と傷つきやすいという意外な一面がある。それを考えると、身内に甘いと言っても良いかもしれない。まぁ、自分としてはその甘さを自分と志騎以外の誰かにも向けてほしいというのが正直な所なのだが、それは無理だろう。

「ま、まぁとにかく大赦の馬鹿共が手を出さないなら良い。安芸、お前は変わらず大赦の奴らがどんな動きをしているか報告を頼……」

 と、そこで刑部姫はある事に気づく。

 ついさっきまで自分を会話をしていた安芸の動きが、止まっているのだ。

 まるで、時間の流れが止まってしまったかのように。

「まさか……!」

 動きが止まった安芸の姿を見て刑部姫は表情を変えると、教室の窓から外を見る。

 窓の外の世界は色とりどりの花びらが舞い、大橋の方から一筋の光が立ち上っているのが見えた。----樹海化の合図だ。

「くそ、なんてタイミングだよ……!」 

 まさかプログラムを仕込んだ当日にバーテックスが到来するとは、間が悪いにもほどがある。この世に運命を司る神がいたのだとしたら、そいつは絶対に悪趣味に違いないと刑部姫は心の中で毒づく。

「まさかのぶっつけ本番とはな………。気張れよ、志騎。お前の中の戦う理由を見つけ出せるのは、お前だけしかいないんだからな」

 樹海化が進む教室の中で、自分の遺伝子を用いて作り出した少年の顔を思い浮かべながら、刑部姫は小さく呟くのだった。

 

 



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第十九話 導き出すアンサー

刑「今回は私の出番がない……。いや、そりゃあ立場上仕方がないがいくら何でも影が薄くなってないか私!? こんなんでも一応志騎の相棒(自称)だぞ!? もうっちょっと出番があっても良いだろ!?」
刑「何? 影が薄くてもキャラが結構強烈だからちょうど良い? やかましいわ! おい安芸! 何で苦笑いしてるんだ!」
刑「はぁはぁ……。ああ、済まなかった。今回は志騎にとっての分水嶺とも呼べる回だ。今回で、志騎はどのような答えを出すのか?」
刑「では第十九話、ご覧あれ」





 

 

 神樹館を出た三人は志騎にスマートフォンを届けるため、志騎の家へと走っていた。一刻も早く辿り着くために全速力で走っているが、息苦しさなどはまったく感じない。これもきっと常日頃勇者として鍛えてきたおかげだろう。必死に足を動かし酸素を体中に巡らせながら、銀は勇者として鍛えていた良かったと心の底から思った。

 そして、三人が前から歩いてくる女性の脇を走り抜けようとした瞬間。

 銀の視界に、突然時が止まるかのように動きを止める女性の姿が映った。

「二人共!」

「これって……!」

 須美と園子の予感を裏付けるように、大橋の方から巨大な光が立ち上り、無数の花びらが世界を覆いつくす。三人の視界が光に包まれた次の瞬間には、世界は神樹が作り出した結界である樹海と化していた。

「そんな、こんな時に……!」

「どうしたら……!」

 須美と銀が樹海化した世界に動揺していると、大橋の方向をじっと見つめていた園子が素早く判断を下す。

「まだバーテックスは見えてない。バーテックスが来る前に、早くあまみんを見つけよう。あまみんのお家があった位置はそんなに離れていないはずだから、変身して走れば一分もかからないはずだよ!」

「もしも、志騎君を見つける前にバーテックスが来たら?」

「その時は私とわっしーがバーテックスの足止めをして、ミノさんはあまみんにスマホを渡してあげて!」

「了解!」

 方針が決まったら、あとはもう実行するだけだ。

 三人はスマートフォンを取り出して勇者システムを起動し勇者に変身すると、高く跳躍して志騎の家がある方へと走りだす。園子の言う通り、変身した自分達が全速力で走れば志騎の家があった場所までそんなにかからないはずだ。

(志騎……!)

 この樹海にいるであろう幼馴染の顔を思い浮かべながら、銀はまるで風を切り裂くような速度で樹海を走り抜けるのだった。

 

 

 

 一方その頃、志騎は樹海化した世界で一人行く当てもなく歩いていた。樹海化したという事はもうすぐバーテックスが襲来するという事だろうが、勇者に変身するためのスマートフォンを持っていない自分ではバーテックスが来たとしても戦う事ができない。それに、仮に勇者に変身できたとしてもまたバーテックスに操られて銀達を襲う可能性だってある。なら、このまま勇者に変身せずに樹海をさ迷っていた方が幾分マシかもしれない。

(……いっそ、バーテックスが目の前に現れてくれたら楽なのにな。そうしたら……)

 と、死んだ魚のような目で緩慢に足を動かしていると。

「志騎ー!!」

 突如自分の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえ、振り返ると勇者の姿に変身した銀、須美、園子の三人が自分目掛けて跳躍してくるのが見えた。三人が志騎の目の前まで辿り着くと、息も絶え絶えになりながら銀がほっとしたような笑顔を志騎に向ける。

「はぁ、はぁ……。良かった、ここにいたんだな……!」

「……どうしたんだよ、お前ら」

 三人を傷つけてしまった負い目もあり、彼女達から目を逸らしながら言うと銀が何かを握って志騎に突き出した。目を向けてみると、握られていたのは志騎のスマートフォンだった。

「刑部姫がお前の勇者システムに新しいプログラムを入れたんだ! これでもう、お前がバーテックスに操られる事はないって!」

「……刑部姫が……」

 性悪精霊の顔を志騎が頭に思い浮かべていると、銀が続けて志騎に言った。

「志騎。あたし達にお前の気持ちは分からない。いや、きっと簡単に分かるだなんて言っちゃいけないんだと思う。あたし達を傷つけちゃった悲しみも痛みも、志騎だけにしか分からないものだから。だから軽々しく分かるだなんて言えない」

「………」

「でも、お前の手を繋ぐ事ぐらいはあたしにもできる。一人が辛いなら、絶対にお前の手を離したりなんかしない。戦う時も手を繋いでいたいっていうなら、手を繋ぎながらでも戦ってやる! まぁ、さすがにちょっと戦いにくくなるかもしれないけど……」

 口の中でゴニョゴニョと呟いた後、銀は志騎の顔をまっすぐ見た。例えどんな事態が起こったとしても、もう志騎から目を逸らしたりなんかしないと言うように。

「----とにかく、あたしは決めたんだ。お前の悩みが解決するまで、あたしはお前のそばにいる。だから志騎にも信じて欲しいんだ、あたし達を。……そして何よりも、志騎自身を」

「あまみん……」

「志騎君……」

 三人の視線が志騎に向けられ、志騎は無言で銀の顔を見つめる。だがすぐに彼女の顔から視線を外すと、苦し気な口調で言う。

「……無理だ。俺はお前達と一緒に戦えない」

「志騎君……。私達が信じられないの?」

 須美の悲しそうな言葉に、志騎は首をふるふると振りながら、

「違う。お前達の事は信じてるさ。銀もきっと俺が本当にそばにいて欲しいって言ったら、いつまでもそばにいてくれるんだろう。……でも駄目だ。それはお前達の優しさに甘える事になる。そうしたらまたお前達を傷つけるかもしれない」

「それは大丈夫だよ~。そのために、刑部姫があまみんの勇者システムを改良してくれたんだし……」

「本当に大丈夫だって言えるのか? もしかしたらバーテックスはまた別の手を使って俺を操ろうとしてくるかもしれない。そんな可能性だって否定しきれないだろ。……俺は、お前達といちゃいけないんだ」

「じゃああなたはずっと一人ぼっちでいるつもりなの?」

 そんなのは、あまりに寂しすぎる。今では覚えていないとはいえ、かつて友達が欲しいと言った志騎がそのような目に遭うのは納得できない。

 しかしそんな三人の心境など露知らず、志騎は自嘲するような笑みを浮かべながら、

「……それはそれで良いさ。いや、それ以前の話だ。死ねば良いんだよ、俺みたいな奴は」

「----志騎お前、それ本気で言ってるのか?」

 ビリ、と空気が張りつめるような感覚がして志騎が銀の顔を見てみると、彼女は傍目からでも分かるほどの怒りの表情を浮かべて志騎を睨んでいた。しかし志騎も彼女の怒りに圧倒される事無く、吐き捨てるように言う。

「本気に決まってるだろ。俺みたいな奴は、死んだ方が良いんだよ」

「お前、ふざけ……!」

「----死んだ方が良いに決まってるだろ!! バーテックスなんだよ俺は!!」

 叫ぼうとした銀の声をかき消すように、志騎の怒りの咆哮が樹海に響き渡る。それに三人が目を見開くと、志騎は溜まりに溜まっていた自分の感情を一気に吐き出した。

「バーテックスがウイルスと一緒に、どれだけの人を殺した? どれだけの人の未来を奪った? どれだけの幸せを奪った!? 今だってそうだ!! 神樹様を壊そうとして、この世界を滅ぼそうとしてる! いなくなれば良いんだよバーテックスなんて! 俺も含めてな……!」

 血を吐き出すような言葉だった。それほどまでに強烈な自己嫌悪と自己否定が、今の志騎を支配している。家に引きこもっていた志騎に会うために覚悟はしていた銀達だったが、彼の姿に思わず言葉を失ってしまう。 

 やがて少し冷静になった志騎は再び銀達から顔を逸らし、

「……怒鳴って悪い。だけど、もうこれで良いだろ? 俺の事はもう放っておいてくれ」

 と、志騎が三人に背を向けた時。

「……二人共、あれ!!」

 突然須美が大橋の方を指差しながら驚愕した表情で叫び、それに他の三人が大橋の方を見てみると、そこには巨大な怪物----バーテックスが樹海化した影響で変形した大橋の上を浮遊しながらゆっくりとこちら側に来ていた。しかし、そのバーテックスの姿に須美だけではなく志騎達も目を見開く。

 何故なら、

「どういう事だよ……。あれ、前にあたし達が撃退したバーテックスじゃんか!」

 そう。そのバーテックスは四人が初めて戦ったバーテックス----水を操る力を持つバーテックス、アクエリアス・バーテックスだった。何故前に一度撃退したはずのバーテックスが、再び襲来してきたのか。

 疑問が全員の頭を支配していた時、一番先に冷静さを取り戻したのはやはりと言うべきか園子だった。彼女は頭の中の疑問を振り払うと、須美と銀に指示を出す。

「今はとにかく戦うよ~! 私とわっしーが援護するから、ミノさんは攻撃をお願い!」

 そう言うと、園子はこちらに来るバーテックス目掛けて駆け出し、彼女に続いて冷静さを取り戻した須美も園子の後に続く。銀も二人に遅れてようやく我を取り戻すと、自分の後ろで立っている志騎に顔を向ける。それから困ったように志騎とバーテックスに交互に視線をやると、奥歯を噛みしめて彼に駆け寄り右手にスマートフォンを握らせる。

「と、とにかくあたし達はバーテックスと戦ってくる! 一応志騎はこれを持ってて! 危ないと思ったらどこかに隠れてるんだぞ! ……じゃあ、またあとでな!」

 そう言って銀は二人の後に続き、バーテックス目掛けて走り出した。一人残された志騎は銀の後ろ姿を見送った後、自分の右手にあるスマートフォンに視線を落とす。

 銀は今、志騎に戦えと言わなかった。本当なら一緒に戦って欲しいはずなのに。きっと自分の願いよりも、今の志騎の状態を案じてくれたのだろう。ここでバーテックスに負けたりしたら、本当に世界が滅びかねないのに、彼女は志騎の事を考えてくれた。

 ああ、本当に。

 本当に、優しい少女だと思う。

 彼女だけではない。

 須美も園子も、心の底から誰かの事を思いやれる少女達だと思う。

 そんな彼女達だけに、戦わせて本当に良いのだろうか。

 この戦いで彼女達が死んでしまったら、自分は後悔しないだろうか。

 否、もしも彼女達が死んでしまったら、自分は絶対に後悔する。

 だが自分が戦ったら、またバーテックスに操られてしまうかもしれない。

 そうなったら、自分が彼女達を殺してしまうかもしれない。

 だとしたら、自分は行かない方が良いのでは----。

「……くそっ」

 頭をくしゃくしゃと掻きながら、志騎は舌打ちすると右手のスマートフォンを強く握りしめる。

 自分がバーテックスに操られてしまうかもしれないという恐怖はある。

 それで彼女達を殺してしまうかもしれないという可能性はある。

 だが、だからと言って放っておけない。

 志騎は迷いを抱えながらも、彼女達の助けになるためにバーテックスへと向かって走り出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 志騎から別れた三人はバーテックスの真正面に辿り着くと、目の前のアクエリアス・バーテックスを観察する。

 姿形は前と比べて変わっていない。恐らく能力も以前と同じだろう。ならば、油断せずに前と同じ戦い方をすれば勝てるはずだ。そう考えて園子が指示を出そうと口を開きかけると、アクエリアス・バーテックスの片方の水球の一部分が歪み出したように見えた。

 そして、次の瞬間。

 水球の歪みだした部分から超高速で水の弾丸が放たれ、銀にぶち当たった。

「銀!!」

「ミノさん!!」

 弾丸の攻撃を受けた銀は大きく吹き飛ばされ、樹海を数メートル転がりようやく止まった。二人は急いで銀の所に向かうと、彼女は仰向けに倒れながら顔をしかめ、

「いてて……。危なかった……。斧で防いでなかったらまともに食らってたよ……」

 どうやら当たる直前、銀は攻撃を自分の二つの斧で防いでいたらしい。そのおかげで直撃は免れたらしいが、防御してなお銀がここまで吹き飛ばされるとはどれほどの攻撃力を秘めているというのだろうか。須美と園子が弾丸の威力に戦慄していると、アクエリアス・バーテックスの水球の一部分がまた歪みだしているのが見えた。

「二人共、私の後ろに!」

 槍を傘状に変形させ、園子が二人の前に立った直後、水の弾丸が三人に発射された。

 弾丸が凄まじい速度で園子の槍に直撃し、あらぬ方向に吹き飛ばされる。一方、攻撃を防いだはずの園子の槍は防いだ際の衝撃でビリビリと震え、槍を握る両手に痛みが走る。

「ぐ、ぐぅうううう~。すごい威力だよ~!」

 攻撃の威力も速度も、前回と戦った時に比べて大幅に向上している。さっきは前と同じ戦い方をすれば勝てると踏んでいたが、園子はその考えがどれほど甘いものだったかを痛感し顔を険しくする。

 だが、そんな園子の目にさらに信じがたい光景が飛び込んできた。

 水球に発生している歪みの数が、さっきよりも増えている。しかもそれは今攻撃を放った水球だけではなく、もう片方の水球にも同じ数の歪みが次々と発生している。三人の目の前で二つの水球に発生する歪みは数を増していき、ついには目では数えられないほどの数にまで増えていく。

「二人共、伏せて!!」

 園子が焦った声で叫んだ直後。

 数えきれない数の水の弾丸の嵐が、園子の槍を襲った。

「あ、ああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 まるで巨大な砲弾を次々と受けているような衝撃だった。

 弾丸の攻撃を槍で受けるたびに手に激痛が走り、腕の骨が軋むような気がする。槍に弾丸が着弾する轟音で鼓膜が破けそうになり、足は常に力を入れていなければ今にも吹き飛ばされてしまいそうだった。

 園子は弾丸の嵐を奥歯が砕けんばかりに噛み締めながら必死に耐えるが、嵐はまったく止む気配が無い。そして両手の痛みが頂点に達しようとした時、須美と銀の二人の両手が自分の槍を一緒に支えてくれるのを感じ取った。

「園子! 大丈夫だ! あたし達がついてる!」

「ここを耐えきって、一気に決着をつけましょう!」

「二人共……うん!!」

 三人は懸命に槍を握りながら、弾丸の嵐を耐える。

 だが。

 三人の必死の抵抗は。

 前回よりも進化した兵器(バーテックス)の前では、あまりに脆かった。

「--------あ」

 それは一体、誰の声だったのだろうか。

 襲い来る猛攻に、ついに体が限界を迎え体から力が一瞬抜ける。

 ほんの一瞬、されど確かに生じてしまった一瞬。

 その間に三人の手から槍が無理やりもぎ取られ、三人の体は槍と一緒に空中を舞う事になった。

 空中に舞い上げられた三人の体に。

 恐るべき威力を持った大量の弾丸が、一気に叩きつけられた。

 ドガガガガガガガガガガガガガッ!! と。

 耳を塞ぎたくなるような轟音が三人の体を襲い、少女達の小さな体を散々に打ちのめす。

 そしてようやく攻撃が終わる頃。

 地面には、三人の少女達が虫の息の状態で横たわっていた。

「須美……園子……かはっ……!」

 二人の無事を確かめようと銀が苦し気に声を出すが、その口から鮮血が吐き出される。二人の胸がかすかに上下している事から呼吸自体はできているようだが、銀の言葉に反応しないのを見ると体に走るあまりの激痛に声を出す事すらできないのかもしれない。銀自身もどうにか声を出す事は出来ているが、今も気が遠くなりそうなほどの激痛が彼女の体を襲っている。本当ならばすぐに斧を手にして抗戦すべきなのだろうが、それすらもできない。銀が歯噛みしてせめてもの抵抗と言わんばかりにバーテックスを睨みつけるが、当然そんな事を目の前の怪物が気にかけるはずもない。死にかけの勇者にとどめを刺すかのように、アクエリアス・バーテックスが三人にゆっくりと近づいてくる。

 が、それを遮るように一つの人影が銀達の前に現れる。

 まるで銀達を護るようにアクエリアス・バーテックスと真正面から向き合うその人間の背中を見て、銀は苦し気に呼吸をしながらどうにか声を絞り出す。

「……志、騎?」

「三人共、大丈夫か?」

 後ろからではよく分からないが、彼の声には心配そうな声音が混じっている。恐らく彼の顔を真正面から見たら、きっと彼女達の体を心配する志騎の表情が見れた事だろう。まぁ、バーテックスの攻撃でこうして倒れている今の自分達では無理だろうが。

「動けるなら下がってろ。何とかする」

「待って志騎……。あいつは、今までのバーテックスとは違う……!」

「それは今のお前達を見れば何となく分かる。良いから喋るな。あとは任せて休んでろ」

 後ろで倒れている銀に良いながら、志騎がアイコンをタップすると腰にブレイブドライバーが出現する。そして別のアイコンをタップして勇者システムを起動する。

『Brave!』

 音声と同時に目の前に志騎を勇者に変身させるための光の線で形成された術式が展開し、志騎は両腕を伸ばして頭の上までゆっくりと動かしてから体の前で軽く両腕を交差させる。それから右手を軽く回転させてから顔の横で構えてブレイブドライバーにかざそうとした瞬間、ベルトからあの言葉が響いた。

 

 

『Are you ready!?』

 

 

 

 ベルトから響いた言葉を聞いた時、志騎の動きが止まる。

 いつも何も気にせずに聞いていたその音声が、何故か志騎の耳から離れない。

「----」

 銀は刑部姫が志騎の勇者システムに新しいプログラムを入れたと言っていた。それならばもう、志騎がバーテックスに操られる事は無いだろう。それで銀達を傷つける事ももうないはずだ。

 だが、もしも。

 バーテックスの力が、刑部姫の想定以上に強かったら。

 バーテックスが、自分達の思いもよらない方法で志騎を操ろうとしてきたら。

 そうなってしまったら、自分は本当に銀達を殺してしまうかもしれない。

 今度こそ自我を取り戻す事無く、心までバーテックスになってしまうかもしれない。

 それを分かっていてなお----自分は、勇者として戦えるのか?

 迷いと不安が志騎の心を支配し、スマートフォンを握る手がカタカタと震える。

 しかし、迷っている時間などない。志騎は奥歯を噛みしめると、迷いを誤魔化すように叫ぶ。

「変身!」

 そして、スマートフォンがベルトの装置にかざされる。

 すると音声が鳴り、術式が志騎の体を通過して志騎は勇者へと変身----。

『Error』

 しなかった。

「はっ?」 

 ドライバーからいつも聞きなれた音声は発せられず、それに志騎が思わず間抜けな声を上げてしまった直後、志騎の前に展開されていた術式が消滅した。

「そんな、何で……!」

 突然の現象に志騎は驚愕で目を見開きながら再度スマートフォンを操作すると、再び目の前に術式が展開され音声が鳴り響く。

『Are you ready!?』

「変身!」

『Error』

 が、またスマートフォンをベルトにかざしても結果は同じだった。術式はまるで志騎を変身させるのを拒むかのように目の前から消滅してしまう。恐らく再度繰り返しても、結果は同じだろう。

「何でだよ……! 何で変身できないんだ!!」

 このまま変身できなければ、銀達は本当に殺されてしまう。しかし、どうして変身できないのか理由が分からない。志騎の頭が混乱に支配されていると、アクエリアス・バーテックスの体の部分に黒い太陽のような紋章が浮かび上がる。その瞬間、

「ぐ、ぐあああああああああああああああっ!!」

 志騎の頭を凄まじいほどの激痛が襲う。その痛みは、前にピスケス・バーテックスが志騎を操ろうとした時に感じたものを同じだった。つまり今度もバーテックスは、志騎を操ろうとしているのだ。激痛に頭を抑えながら志騎はどうにかバーテックスからの干渉をはねのけようとするが、痛みはまったく消えずそれどころかますます強くなっているような気さえする。

「志、騎……!」

 それに銀が志騎の元に駆け寄ろうとした直後、志騎に干渉しているアクエリアス・バーテックスがそれを防ぐように水の弾丸を銀目掛けて発射する。今の傷だらけの銀では、その攻撃を防ぐ事もかわす事もできない。銀の体に、弾丸が情け容赦なく襲い掛かると思われた刹那。

 さっきまで倒れていた園子が槍を傘状に展開して弾丸を防ぎ、残りの弾丸を須美の矢が迎撃した。残念ながら矢の威力は弾丸に負けてしまい弾丸を消す事は出来なかったが、矢に衝突した事で方向が逸れた弾丸は四人とは別の方向へと飛んでいく。アクエリアス・バーテックスを睨みながら、須美が銀に叫ぶ。

「銀! 志騎君を連れてここから離れて! 距離が開けば、少しはバーテックスの干渉を防げるかもしれない!」

「で、でもそれじゃあ二人が……!」

 二人はどうにか戦闘行動を取れているように見えるが、はっきり言ってそれは単なるやせ我慢に過ぎない。その証拠に園子の両腕と須美の弓にかける指から今も血が流れているし、呼吸も荒い。いつ倒れてもおかしくない二人を置いて、志騎を連れて離れるなど銀にはどうしても決断する事が出来なかった。

 すると、迷いを抱く銀を須美が大声で叱咤する。

「銀!! あなたは、今までずっと志騎君のそばにいたんでしょ!! 幼馴染としてずっと志騎君を見てきたんでしょ!? そんなあなたがそばにいてあげなくてどうするの!! 今彼を助けられるのはあなたしかいないのよ!!」

「須美……」

「ここは私達が絶対に止めてみせるから、あまみんをお願い、ミノさん!」

「園子……」

 二人の大切な友人に背中を押され、銀はぐっと唇を噛むと、激痛の走る体に鞭を打って苦しむ志騎を抱えて叫ぶ。

「ごめん二人共、任せる!」

「大丈夫、任せて!」

「早く行って!」

 最後に銀は力強く頷くと、志騎を抱えて跳躍していった。須美と園子はそれぞれの武器を構えながら、目の前の巨大な敵を睨みつける。体には激痛が走り、鉛のように重いが、二人の目に宿る力強い光は決して衰えはしない。

「また志騎君を……私達の友達を操ろうとするなんて……! あなた達だけは絶対に許さない!!」

「ここから先は、通せんぼだよ~!!」

 それを皮切りにして。

 アクエリアス・バーテックスと満身創痍の状態の二人の勇者の戦いが始まった。

 

 

 

 

 志騎を抱えた銀はアクエリアス・バーテックスが見えるギリギリの位置に到着すると、着地して志騎を地面に下ろす。あまりアクエリアス・バーテックスから離れすぎると、須美と園子を助けに入る際間に合わなくなる可能性があるからだ。

 しかし、須美と園子の二人も気になるが今一番気にしなくてはならないのは志騎の方だろう。

「志騎、大丈夫か!?」

「が、ぁあああああっ……!」

 今の志騎の状態は見るに堪えないものだった。

 あまりの激痛に目を限界まで見開きながら頭を抑え、体をまるで胎児のように丸めて口の端から涎が出ている。返事もしないところを見ると、銀の言葉も届いているか分からない。アクエリアス・バーテックスから距離は離したもののバーテックスによる干渉はいまだ続いているのだろう。

 銀が不安と心配と焦りが入り混じった目で見ていると、さらなる異変が起こる。

 突然志騎の両目に深紅の幾何学模様が浮かび上がったのだ。それを見て、銀は思わず心臓を鷲掴みにされたような不安に襲われる。それは志騎の中のバーテックスの本能が目覚めた時の合図のようなものだからだ。

 幸いと言うべきか幾何学模様はすぐさま消えたが、銀に安堵している暇など無かった。志騎の両目の深紅の幾何学模様は現れたり消えたりと点滅を繰り返し、銀にはまるでそれが志騎の意識が塗りつぶされていく証明のように見えてならなかった。

「志騎、駄目だ……! バーテックスなんかに負けちゃ駄目だ!!」

 しかし銀の激励も空しく、志騎は彼女の声に答えずただ地面をのたうち回るだけだった。

 一方、バーテックスの干渉を受けている志騎の人間としての精神は崩壊寸前となっていた。

「あ、あああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 頭はまるで割れるように痛く、誰の声も届かない。一瞬でも気を抜いてしまえば、自分の中のバーテックスの本能に飲み込まれてしまう。そんな恐怖の中、志騎は必死に痛みに耐えていた。

 だが、それももう長くは持ちそうになかった。

 頭の痛みもそうだが、原因はそれだけではない。

 志騎を苦しめるもう一つの原因。それは----。

(これは……記憶、なのか……?)

 志騎を苦しめているのは、物理的な痛みだけでは無かった。

 今志騎の精神には、過去の歴史のようなものがなだれ込んできていた。

 時代や場所はバラバラで、中には明らかに四国以外の国の光景もある。

 しかしそれらには一貫して共通しているものが一つだけある。

 それは、人間の『悪意』だった。

 人間同士が憎み合い、殺し合い、傷つけ合う歴史。今志騎の頭には、有史以来人間が生み出してきた無数の悪意の記憶が叩きこまれていた。

 剣で互いを傷つけあう人々がいた。

 銃で相手を撃ち殺す男がいた。

 自分の子供の首を絞める母親がいた。

 空から降り注ぐ無数の爆弾で壊される街があった。

 凶悪な爆弾の威力で死に絶える人々の姿があった。

 全身が焼きただれ、水を求めながら死んでいく無辜の人々の姿があった。

 自分ではない誰かが傷つく姿を肴にして笑いながら酒を飲む、豪奢な服に身を包む人間がいた。

 自分達の歪んだ願望を満たすために、女を嬲り犯し殺す男達がいた。

 集団で一人を殴り蹴り嘲笑う少年達の姿があった。

 自分達の利益のために、嘘偽りが混じった情報を流す者達がいた。

 自分では正義だと思い込んで、ネット上で誰かを非難中傷する顔のない誰かがいた。

(これが……こんなのが、人間なのか?)

 自分の精神になだれ込んでくる悪意に満ちた人間達の姿を見て、志騎は思う。

 こんな、見ているだけで吐き気を催すような生き物が、今まで自分達が必死に護ってきた人間の本当の姿だと言うのか。

 こんなものを護るために、銀達は傷ついてきたというのか。

 するとそれに応えるように、どこからか声が聞こえてきた。

 とても優し気に聞こえるのに、何故か人間という存在を見下すような冷たい響きを伴っている。

 その声が、志騎の心をまるで毒のように侵食する。

 ----そうだ。それが人間だ。

 少し進化しただけで、自分達は最も優れていると思いあがっているくだらない生き物。

 他の生き物より進化した知能は自分以外の存在を傷つけるために。相互理解などせず、同族であろうとも自分の利益のためならば蹴落とす事もためらわない薄汚く生きるに値しないものの名前。

 ----そんなものに、存在している価値などあると思うか。

 ----そんなもののために、戦う必要などあるのか。

 ----お前に命じるのはただ一つ。

 殺せ。

 コロセ。

 すべてを殺せ。

 目に映る人間が、この世から全て消えるまで----。

(……ああ、ソウダ。コロソウ)

 どうせバーテックスが襲来しなくても、人間達は互いを憎み合い、傷つけ合い、最後には自分達もろとも全てを滅ぼしていただろう。人間とは、その程度のくだらない生き物だ。

 だったら、今ここで自分が彼らを殺しても何も変わらない。

 最後には全て消えてしまう命なら、今殺しつくしても結果は同じだ。

 ならば---今ここで殺してしまった方が良いだろう。

 殺そう。コロソウ。コロシツクソウ。

 メニウツルスベテガ、コノヨカラキエテナクナルマデ。

 イマイキテイルスベテノニンゲンノイノチノトモシビガ、キエルマデ。

 ナゼナラソレガ、ジブンノウマレタイミナノダカラ----。

 彼の精神になだれ込む人間の闇の歴史が、少年の心も記憶も全て暗闇に閉ざし、少年が完全にバーテックスと化してしまうと思われた時。

 声が、暗闇に響いた。

「----志騎!!」

 直後、暗闇に覆われていた志騎の心に一筋の光が差した。それに気が付いた志騎が暗闇に閉ざされていた自分の心の中からゆっくりと現実の世界に意識を戻すと、彼の目の前には自分の右手を必死で握る銀の姿があった。志騎の右手を握る彼女の両手は、柔らかくて暖かかった。まるで、自分の闇に閉ざされかけていた闇に差した一筋の光のように。

「……銀……」

「志騎! 良かった……! 返事が全然無かったからもう駄目かと思った……!!」

 返事をした志騎に銀は安堵の息を漏らすが、まだ油断はできない。その証拠に志騎の両目にはまだ深紅の幾何学模様がうっすらと残っている。まだ志騎がバーテックスに操られてしまう可能性は残っているのだ。ここで気を抜く事は許されない。

 銀が必死に志騎の手を強く握っていると、ようやく意識を取り戻した志騎が苦しそうに口を開く。

「銀……ここから、離れろ……。ここにいたら、駄目だ……」

「嫌だ!!」

 しかし志騎の警告を銀は真正面から却下した。そればかりか、志騎の右手を握る手の力をさらに強くする。それに志騎が戸惑うと、銀は志騎の顔を真正面から見据えて叫ぶ。

「バーテックス・ヒューマンだとか! バーテックスを殺すための兵器だとか! そんな事はどうでも良い!! 良く聞けよ志騎! お前はあたし達と同じ勇者で、あたしの大事な幼馴染だ!! だから例え何があっても!!」

 叫びながら銀は、血に濡れた両手で志騎の手をさらに強く握った。

「----この手だけは、絶対に離さない!!」

「--------」

 銀の必死の叫びが、願いが、バーテックスの本能に支配されかかっていた志騎の心に響く。

 直後。

『志騎』

 目の前の少女の優し気な声と共に、志騎は少女と過ごしたささやかだけれど温かな日常を思い出す。

 彼女に手を引かれ、近所を日が暮れるまで走り回った事もあった。特に変わったものなどは無かったはずなのに、何故か彼女と一緒に走り回るだけで楽しかった事は覚えてる。

 子守を頼まれ、彼女と苦労しながらも弟をあやした事もあった。自分の腕の中で、笑顔を浮かべながら自分に小さな手を伸ばしている赤ん坊の姿に口元を綻ばした事は今でも覚えてる。

 神樹館の遠足で、彼女と一緒にお弁当を食べた事もあった。いつもは見ない風景を見ながら笑顔の彼女と食べるおにぎりは、何故かいつも食べるおにぎりよりも美味しかった事を覚えてる。

 こうして思い出すだけでも、彼女との思い出は本当に楽しかった。

 だけど楽しかったのは、彼女と過ごした思い出だけではない。

『志騎』

 再び志騎の頭に、女性の声が響く。しかしその声の持ち主は幼馴染の少女のものではない。今まで自分を育ててくれた、自分達のクラスの担任の女性、安芸のものだ。

 安芸と二人で過ごす生活はそこそこ大変だったが、彼女は懸命に自分を育ててくれた。だから自分は例え親がいないと聞かされても、疎外感を感じる事は無かった。

 何か新しい事を覚えて彼女に伝えるたびに、安芸は小さく嬉しそうに笑って自分の頭を撫でてくれた。その時に感じた手の暖かさは今も覚えている。

 昔彼女と一緒に夏祭りに行って花火を見ていた時、疲れのため途中で眠ってしまった事がある。次に目を覚ました時、自分は彼女の背負われて家に帰っている最中だった。あの時の彼女の背中の暖かさと心地よい揺れに、再び眠りこけてしまったのは今では良い思い出である。

 そして六年生に上がって勇者となり、須美と園子と友達になった。最初はあの二人に馴染めるかと不安だったが、今では大切な友人である。照れくさくて言いずらいが、彼女達と出会えて本当に良かったと心の底から言える。

 こうして考えてみると、彼女達からは本当に色んなものを受け取っていたのだとつくづく思う。

 いや、彼女達だけではない。

 今まで自分が出会ってきたたくさんの人達。彼らから受け取ってきたあらゆるものが自分の血肉となり、自分はこうして生きている。

 否、きっと自分だけでは無いだろう。

 この四国に生きる全ての人達が、自分以外の人達やその人達が紡ぐ繋がりから様々なものや想いを受け取り生きている。そして受け取った人達はまた別の繋がりを作り出し、そこから生じた想いをまた別の誰かが受け取り、また繋がっていく。

 それが生きていくという事。

 それができるのが、人間という生き物。

(----ああ、そっか……)

 志騎がそれを悟った直後、視界が切り替わる。

 そこは、暗闇に満ちた空間だった。そんな寂し気な空間の中で志騎は一人佇んでいる。すると、誰かが背後からゆっくりと歩いてくる気配を感じ取った。志騎が振り返ると、そこに立っていたのは須美だった。しかし志騎にはそれが須美ではないと一目で分かった。須美の姿をしたその何かは無感情な瞳で志騎の顔を見据えると、彼に問う。

「----どうしてあなたはバーテックスと戦おうと思ったの? 命を懸けてこの国を護りたいっていう、義務感のために?」

 そう尋ねてから一歩踏み出して志騎に近づくと、目の前の何かの姿が須美から園子の姿へと変わる。

「それとも、勇者になって戦うのは名誉な事だってたくさんの人達に言われたから?」

 そして再度志騎との距離を詰めると、園子の姿がまた別の少女のものに変わる。

 しかし変化した少女の姿は、志騎が今まで出会った事が無い少女のものだった。後ろで軽くまとめられた黒髪を背中まで伸ばし、どこかの学校の制服の上から赤い上着を身に纏っている。あと、これは志騎の気のせいかもしれないが----目の前の少女の顔立ちは、何故か自分や刑部姫と似ているような気がした。

「----それとも、自分は勇者だって、誰かに認めてもらいたかったから?」

 どこまでも静かな声を出す少女を前にして、志騎は真正面から少女の顔を見据える。

 ----人間が心に悪意を持った生き物だという事は昔から分かっていた。

 人間が昔から争いを起こしてきた生き物だという事は分かっていた。

 誰かに教わらなくとも、自然と理解していた。

 だけど。

 それだけの生き物ではないという事を、彼女達から教えてもらった。

 誰かを愛し、思いやる心を持つ生き物なのだと教えてくれた。

 結果、志騎の心にはバーテックスにはない、強い想いが芽生えた。

 今まではその想いの正体に気が付かなかったが、今なら分かる。

 その想いを胸にして、志騎は少女へと叫ぶ。

「----違う。俺が戦っていたのは義務感でもなければ誰かに認めてもらいたかったからでもない! 俺が戦っていたのは----!!」

 志騎の言葉と共に、意識が暗闇の空間から現実へと帰ってくる。頭が凄まじい頭痛に襲われる中、志騎は奥歯を砕けんばかりに噛み締めると、銀の手を強く握り返し喉の奥から咆哮を上げる。

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 空気をビリビリと震わせる咆哮を上げながら、志騎は無理やり自分の中のバーテックスの力を開放。無理やり解放された過剰な力によってバーテックスの干渉が押し返され、次の瞬間力と力の衝突に耐え切れず、バギン!! とガラスが砕けるような音と共にバーテックスの干渉が途切れた。荒い息をつき大量の汗をかきながら志騎が目を開けると、両目にはもう深紅の幾何学模様は無く、代わりに左目に青い幾何学模様がはっきりと浮かんでいた。

「志騎、大丈夫か!?」

「……ああ、もう大丈夫だ。……ありがとな、銀」

 そう言いながら志騎は銀の頭をくしゃくしゃと撫でる。突然の行動に銀は驚きながらも、ようやく自分の幼馴染が返ってきた事にくしゃっと笑みを浮かべた。が、二人の雰囲気を引き裂くように何かが二人の近くまで飛ばされてきた。それの正体を見て、銀が悲鳴じみた声を上げる。

「須美!! 園子!!」

 飛んできたのは体中に傷を負い、鮮血を流す須美と園子だった。銀の呼びかけに二人がうっすらと目を開け、銀のそばで目を見開いている志騎の姿を見ると園子がほっとしたように言う。

「あまみん、良かった~……。元に、戻ったんだ~……。心配、したよ~」

「ええ、良かったわ……。本、当に……」

 しかし二人の体からすぐに力が抜け、二人は気を失ってしまった。こんなになるまで、彼女達は志騎と銀を護ろうとしてくれたのだ。彼女達の想いに、志騎は唇を強く噛みしめる。

 そして二人が飛んできた方向を見てみると、そこにはアクエリアス・バーテックスが自分達目掛けて向かってきているのが見えた。前までは神樹の破壊を優先していたのに、今はまるで四人を先に始末しようとしているかのようだ。前に撃退された事を根に持っているのか、それとも邪魔者は先に排除した方が良いと判断したのか。まぁ、バーテックスの行動パターンから考えて、後者だろう。彼らに根に持つなどという感情は存在しない。

「銀、二人を頼む」

 志騎は短く言うと、アクエリアス・バーテックスの前に立ち塞がる。銀は慌てて、

「ま、待てよ! いくら何でも一人じゃ……。それにお前今変身できないんだろ!?」

「変身できるとかできないか関係ない。例え手足がもがれても、こいつはここで止める」

「志騎……?」

 銀は思わず戸惑いの表情を浮かべながら志騎の背中を見る。何故かは良く分からないが、今の志騎はさっきまでの志騎とは違うと感じたのだ。あえて言うならば----そう、迷いのようなものが消えたように銀には見えた。

 すると銀の疑問に気付いたように、志騎が口を開く。

「分かったんだ。俺の戦う理由が」

 バーテックスを睨みつけながら志騎はそっと自分の胸に手を当てる。まるで自分の戦う理由とも呼べる芯を確かめるように。

「俺が戦っていたのは、義務感や使命感のためじゃない。須美や園子には悪いけど、俺はそんなもののために戦えない。……まぁ罪悪感はあるけど、それだけじゃない。俺が戦っていたのは、四国で生きている人達を護りたいという想い……」

 そして、告げる。

 自分の心に生まれた彼の、彼だけの戦う理由。

 それは。

 

 

 

「----ああそうだ。人を愛しているから、俺は戦ってるんだ!!」

 

 

 

 すると、その意志に応えるようにポケットに入っていたスマートフォンが振動する。スマートフォンを取り出すと、勇者システムのアプリが強く発光していた。それを確認した志騎が画面に表示されているアイコンをタップすると腰に光と花びらと共にブレイブドライバーが出現する。さらに続けて別のアイコンをタップすると、スマートフォンから力強い音声が発せられる。

『Brave!』

 音声が発せられた直後、目の前に光の線で描かれた不思議な図形の術式が展開される。志騎が変身の時の構えを取ってから両腕を眼前で交差させると、ドライバーから再びあの音声が発せられる。

 

 

 

Are you ready(罪を背負う覚悟はできたか?)!?』

 

 

 

 ----よくよく考えてみれば、さっきまでの志騎はずっと自分から逃げていたのだろう。

 何故ならば、自分がバーテックスだと認めるという事は、バーテックス(自分)が数えきれないほどの人達の命と幸福、未来を奪ったという事実に直面するという事だからだ。それが怖くて、口では自分ではバーテックスだと言いながらも罪から逃げようとしていた。自分が銀達を傷つけてしまうかもしれないという事すらも、逃げるための言い訳にしようとしていた。

 けれど、真実から逃げようとしても自分がバーテックスだという事実は生きている限りずっとついて回る。そして逃げている間に銀達が傷つき、人が死ぬというならば。

 自分は、もう自分がバーテックスという事実から逃げない。

 バーテックスが犯した罪も、奪った命の重さも全部背負って前に進む。

 きっとそれが----天海志騎というバーテックス(勇者)にしかできない事なのだ。

 スマートフォンを握る手をくるりと回し顔のすぐ近くまで持ってくると、少年は力強く叫ぶ。

 それは、覚悟を決めた証。

 例えこの先どのような事が待ち受けていたとしても、もう自分から逃げないと決めた誓いの言葉。

「----変身!!」

 言葉と共にスマートフォンがドライバーの装置部にかざされ、音声が鳴り響く。

『Brave Form』

 音声が鳴り響き、術式が接近して志騎の体を通過する。瞬間、身に纏う服が勇者装束に変わり、志騎は勇者へと変身を遂げた。そして目の前のアクエリアス・バーテックスを見据えながら腰のブレイブブレードを静かに引き抜くと、柄を力強く握りしめてアクエリアス・バーテックスへと勢いよく走りだした。

 




次回、志騎にある変化が起こります。
ヒント。これらのフォームに共通する事は?
ジーニアス
アルティメット
ハイパー
サバイブ
※数が多すぎるので、これらは一部になります。


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第二十話 逆襲のSephirothic!

刑「今回のタイトルにあるSephirothicの読み方は本文でも語られているが、『セフィロティック』だ。それが何を意味しているかは、まぁ本文を読めばわかる」
刑「では今回も私の出番が少ない第二十話、どうぞ楽しんでくれ」


 

 

 

 

 

 剣を握り、自分に迫りくる敵を撃退するためにアクエリアス・バーテックスが水の弾丸を次々と発射する。志騎は自分に襲い来る弾丸をかわしながら巨体目掛けて跳躍し、体に力強い斬撃を放つ。

 しかし渾身の力で放たれた斬撃は、バーテックスの体に傷を残す事すらできなかった。ならばと空中で体勢を立て直しながらブレイブブレードをガンモードに変形させ、アクエリアス・バーテックス目掛けて銃弾を連射する。純白の霊力で構成された銃弾は全弾アクエリアス・バーテックスの体に吸い込まれたが、それでも先ほどの斬撃と同じように傷の一つも残す事はかなわなかった。

「くそ、耐久力まで前と桁違いかよ……!」

 以前よりも力が増している敵に顔をしかめながら、志騎は地面に着地する。攻撃力・防御力がここまで増しているとなると、万全の状態の銀達と一緒に戦っても今のアクエリアス・バーテックスに傷をつけるのは難しいかもしれない。が、だからと言って諦めるわけにはいかない。ブレイブフォームで駄目なら、今の自分が放てる最大火力を相手にぶつけるまでだ。そう考えて志騎がスマートフォンを出現させようとした所、二つの水球の内片方の水球に凄まじい数の歪みが発生しているのが見えた。それに志騎は目を見開くと、すぐさまスマートフォンのアプリを起動して一つのアイコンをタップする。

『リブラ!』

『リブラ・ゾディアック!』

 志騎の勇者装束がリブラ・ゾディアックのものに変化し、急いで空中に浮かび上がった直後、マシンガンの如き勢いで水弾が次々と放たれた。間一髪空中に逃れたおかげで攻撃は避けられているものの、これでは迂闊に近づく事も出来ない。

(くそ、どうする……!?)

 空中を飛び回りながら水弾の攻撃に対しての対抗策を必死に考えていると、水弾を放っている方とは反対側の水弾が青白く輝いているのが見えた。明らかに、膨大な力をチャージしている。

(高圧水流か!?)

 ならば、すぐにこの場から離れる必要がある。そう考えて逃げ道を確認しようと後ろを振り返った志騎の目に、あるものが飛び込んできた。

 重傷を負っている須美と園子、その二人を介抱する銀の姿が。

「----」

 もしも自分が攻撃を避けたら、高圧水流はあの三人に間違いなく命中する。

 そうしたらあの三人の命は、確実に失われる事になる。

 志騎は奥歯を噛みしめると、空中にとどまりスマートフォンを取り出してドライバーにかざす。

『リブラ! ゾディアックストライク!』

 志騎の持つ双剣に神樹から送り込まれた力が注ぎ込まれ、体を竜巻が覆う。

 直後、圧倒的な破壊力を持つ高圧水流が志騎目掛けて放たれた。志騎は高圧水流目掛けて突っ込むと、手にした双剣で高圧水流を受け止める。ギギギギギギギギギギギギッ--------!! という耳をつんざくような音が辺りに響き渡り、高圧水流の流れが一時的に止まる。

 しかし、均衡が保たれたのは数秒だけだった。

 凄まじい攻撃力を持つ高圧水流の威力についに志騎の両腕が限界を迎えてしまい、防御姿勢が強制的に崩されてしまう。結果、志騎は高圧水流の一撃をもろに受けてしまった。

「があああああああああああああああっ!!」

 まるで撃墜された飛行機のように、攻撃を受けた志騎は樹海の地面へと叩きつけられた。攻撃を受けたせいで志騎の体は血だらけの重傷となり、おまけにリブラ・ゾディアックの変身が強制的に解除されブレイブフォームへと戻ってしまっている。これでは高速機動はおろか、素早い動きによる攪乱も出来ない。

「志騎!!」 

 志騎が撃墜されたのを見た銀が悲鳴じみた声を上げる。が、志騎は傷だらけの体をどうにか起こしながら、安心させるように言う。

「だい、じょうぶ……。かはっ……!」

 だが、それが強がりだというのは明らかだった。彼の口から血反吐が吐き出され、動く際にも体中に激痛が走っているようだった。なのに、彼は戦う事をやめようとしない。ブレイブブレードを握りしめながら、迫りくるアクエリアス・バーテックスを睨みつける。あまりに痛々しい姿に、銀がついに泣き出しそうな声を出す。

「駄目だ、志騎……! あたしも一緒に戦う! だから……!」

「お前だってまともに戦える状態じゃないだろ……。俺の事は良いから、お前はそこにいろ……! お前は、お前達は、絶対に死なせない……」

 ふらつく足を必死に動かしながら、志騎はバーテックスと向かい合う。血で濡れた手でブレイブブレードを握りしめながら、犬歯を剝き出しにし、

「これ以上は、やらせない……。もう誰も死なせたりなんかしない……」

 志騎の脳裏に、バーテックスが作り出した地獄の光景が浮かび上がる。

 破壊された街並み。無念を滲ませながら死んでいく人達。

 かつて確かにあった光景。

 そしてこれから、また繰り返されるかもしれない光景。

 そんな事は、絶対にさせない。

 例え、バーテックスが何回襲撃してこようとも----。

 

 

 

「これ以上お前達には、何も奪わせない!!」

 

 

 

 志騎の強い意志を込めた叫びが樹海に響いた瞬間。

 突然志騎の全身が、純白に輝き始めた。

「っ!?」

 突然の現象に、それを見ていた銀はおろか志騎本人ですら驚きを隠せない。志騎の全身から発せられる光はやがて志騎が握るスマートフォンへと向かうと、画面に光が集中し始める。すると画面が一際強く輝き、あまりの輝きに一瞬目がくらむ。

 ようやく光が収まっていき、志騎がスマートフォンの画面を見ると、そこには今まで見た事が無い新しいアイコンがあった。色とりどりの円形が全部で十一個ほどあり、それらが線で結ばれて一つの図形を為している。

「これは……」

 突然現れたアイコンに戸惑いの表情を浮かべながらも、迫りくるアクエリアス・バーテックスを前にして志騎は表情を引き締めるとスマートフォンを強く握る。突然現れたアイコンが何を意味しているのかは分からないが、今はこれに賭けてみるしかない。もしも負ければ、ここにいる全員の命が無いのだから。

 一か八かの想いでスマートフォンを掲げるように持つと、人差し指でアイコンを力強くタップする。

『アインソフオウル・アインソフ・アイン!』

 スマートフォンから聞いた事のない男性音声が発せられると、志騎の目の前にデイジーを模した紋章が、背後にアイコンのものと同じ巨大な図形が出現する。それでようやく気付いたが、図形に描かれた十一の円はそれぞれ白、灰色、黒、青、赤、黄色、緑、橙色、紫色、レモン色・オリーブ色・小豆色・黒の四色がまとまったような色、無色となっている。そして志騎がスマートフォンをドライバーにかざすと、ドライバーから音声が発せられた。

『ユニゾンセフィロティック!』

 音声と同時に、背後に出現していた図形の十一の円形が分離して空中に浮かび上がり志騎の周りを旋回すると、円形と志騎の目の前に浮かび上がっていた紋章が一斉に志騎目掛けて突撃し一体化する。志騎が色とりどりの光に包まれる中、ドライバーが志騎の変化を示すようにさらなる音声を発する。

『Evolution to Infinity! Sephirothic Form!』

『It's over the ultimate』

 そして光が弾け飛ぶように消え、志騎の姿はブレイブフォームのものからさらなる変化を遂げていた。

 身に纏うのは白銀を基調にした勇者装束。勇者装束の胸部には志騎の勇者の紋章が入っており、紋章を囲むように色とりどりの十個の丸がやはり円状に配置されている。その胸部の紋章からは金色のラインが全身の部位へとまるで血管のように張り巡らされていた。白銀の勇者装束を身に纏い、静かに佇む姿は『神々しい』という言葉が非常にしっくりくる。

 そして一番の変化として、先ほどまで志騎の体中に刻まれていたはずの傷が全て消えていた。

「志騎……?」

 突然の変化に様子を見ていた銀がぽかんとした表情で志騎を見ていると、アクエリアス・バーテックスの片方の水球に再びいくつもの小さな歪みが発生しているのが見えた。それを見た銀が焦った表情で志騎に叫ぶ。

「志騎! 逃げろ!」 

 しかし志騎はまるで銀の声が聞こえていないかのように、その場にじっと立っていた。視線はアクエリアス・バーテックスに向けられているので攻撃態勢に気が付いていないはずがないのだが、何を考えているのか逃げる素振りすら見せない。

 そして銀の忠告も空しく、水球から大量の水弾が志騎目掛けて放たれる。

 が、志騎目掛けて放たれた弾丸は何故か志騎に当たる前に空中で形を崩し消滅した。形を崩す際に生じた水滴が散って志騎の体を襲うが、当然そのようなもので志騎を傷つけられるはずがない。水弾は全て志騎の目の前で弾けて消え、攻撃を受けている志騎本人に至っては自分に降り注ぐ水滴に少し不快気な表情を浮かべているが実質的なダメージはまったくのなしだ。

「一体、どうなってるんだ……?」

 何が起こっているのかさっぱり分からず、銀は思わず呆気にとられたように呟く。

 ----実際、志騎がやっている事は何の事は無い、単純明快である。

 水弾が目の前まで迫った時に、水弾を殴って破裂させているだけだ。

 ただ、その単純な動作が勇者となった銀でも目に追えないほど圧倒的な速度を以って行われているため、水弾が志騎の目の前で弾けて消滅しているように見えるだけである。もしも志騎が動作をもう少しゆっくりとわざと行ったら、目の前で繰り広げられている戦いに銀は間違いなく自分の目を疑う事だろう。まぁ、そんな事は当然志騎の性格上決して行わないだろうが。

 やがて全ての水弾を迎撃し終えると、もう一方の水球が青白く光っているのが見えた。水弾では殺しきれなかったので、今度こそ高圧水流で決着をつけるつもりだろう。

「芸のない……」

 が、そんなバーテックスの判断に志騎は思わず呆れたような呟きを漏らす。やれやれ、と言いたそうに一度肩をすくめてから、左腕を目の前に突き出す。するとその左手に銀色の巨大な弓が瞬時に形成され、さらに志騎の右手に霊力で編まれた同色の矢が出現する。素早く弓に矢をつがえ、右手を離すと矢は銀色の光を放ちながら水球へと直撃する。その威力は同じ弓矢を扱う須美の矢とは比べ物にならず、矢は水球を一撃で粉々に破壊した。手痛い一撃を食らったアクエリアス・バーテックスは水球を再生しようとするが、さすがに威力が強すぎたのかさっきよりも再生するのに時間がかかっている。その間に志騎は三人に近づくと、右手を銀にかざす。すると右手から白銀の光が銀に放たれ、彼女の体に刻まれていたはずの痛々しい傷がみるみる間に治癒していく。やがて数秒も経たないうちに、銀の体の傷は全て完治した。

「お、おおっ!? 治ったぁ!?」

 自分の傷が一瞬で治った事に驚きを隠せず銀が自分の体のあちこちを見ている中、志騎は次に倒れている須美と園子の二人に両手を当てる。両手から生じた銀色の光が二人の体を素早く癒していき、先ほど二人の全身に刻まれていたはずの傷は嘘のように無くなった。

「ん……。銀、志騎君……?」

「……あれ、あまみんいつ着替えたの?」

「開口一番それとは流石だな。恐れ入るよ」

 虫の息から回復した園子の言葉に、志騎は呆れ半分感心半分の口調で言う。しかしやはり二人が重体の状態から回復して安堵しているのか、口元は少し笑っている。一方、意識を取り戻した二人は傷が完全に回復した自分達の体を見て、目を白黒させる。

「傷が消えてる……?」

「あれ~……? 痛かったし、夢じゃないよね~?」

「……悪いけど、のんびり話してる状況じゃなさそうだぞ」

 志騎の言葉に三人がアクエリアス・バーテックスに目を向けると、先ほどの志騎の攻撃から完全に回復したアクエリアス・バーテックスが両方の水球に大量に歪みを出現させて攻撃を行おうとしていた。片方のみの水球の水弾は全て志騎に防がれ、高圧水流は発射前に志騎に潰された。ならば、圧倒的な量の水弾で四人を押しつぶそうという考えらしい。確かにそれならば志騎一人なら攻撃を防げるだろうが、他の三人は攻撃を防ぎきれず再びズタボロにされるだろう。

 だが、それは攻撃が間に合えばの話だ。

 三人の目の前で志騎がゆらりと動くと、突如三人の目の前から志騎の姿が消え失せた。

「「ええっ!?」」

「あ、あまみんがどこかに行っちゃった~!?」

 三人がそれぞれ驚きの声を上げた直後、アクエリアス・バーテックスの眼前に志騎の姿が現れた。敵がいきなり自分の目の前に現れた事にさすがにアクエリアス・バーテックスも反応が遅れる。その間に志騎が右手の拳を握ると、右手に志騎の胸部の紋章にある十個の円形と同色の十の光が集まる。

「----はぁっ!!」

 色とりどりの光が収束した拳を、気合と共にアクエリアス・バーテックスの体に叩きつけた。バーテックスと比べると遥かに小さいはずの志騎の体から繰り出された拳はその衝撃をバーテックスの体全体に響かせ、巨大な体がわずかに揺れる。

「----今だ! 攻撃を叩き込め!!」

 志騎が三人に叫ぶと、三人は一瞬驚いた表情を浮かべるもすぐさまアクエリアス・バーテックスに突撃する。今のアクエリアス・バーテックスの体は攻撃同様強化されており、自分達の攻撃など通らないと交戦した三人は理解している。しかし、自分達と同じ事を知っているはずの志騎がそう言ったという事は、何らかの策があるのだと察知したが故の行動だった。これも、三人が志騎と絆を深めてきたがゆえの行動と言えるだろう。

 最初に攻撃をしたのは須美だった。弓に矢をつがえ、矢をアクエリアス・バーテックスの下部分に放つ。

 そしてアクエリアス・バーテックスの体に矢が突き刺さると、つい先ほどはびくともしなかったはずのバーテックスの体が派手な音を立てて破裂した。

「えっ?」

 自分の矢の攻撃がすんなりと通じた事に須美は思わず呆気に取られてしまう。しかし、異変はそれだけでは終わらなかった。いつもならば再生が始まるはずのバーテックスの体が、何故か再生しない。

 それに銀と園子は目を少し見開いて驚きながらも、すぐにこれが志騎が自分達に攻撃をするよう言った理由だと理解する。銀は両斧を強く握ると、それに呼応するように斧の円形の部分に紋章が出現・激しく回転し灼熱の業火が噴き出す。園子も槍を強く握ると槍の穂先が鋭く巨大化し、二人はそれぞれ巨大な水球へと向かう。

「おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃああああああっ!!」

「やぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 銀の強烈な連続攻撃(ラッシュ)が、園子の槍による鋭い一撃がそれぞれの巨大な水球を捉え、水球を完膚なきまでに破壊する。すると三人の攻撃に耐えられなくなったのか、浮遊していたアクエリアス・バーテックスはゆっくりと地面に落下する。地面に落下した衝撃で土煙が上がり、その際に生じた風が辺り一面に吹き荒れる。だが、まだ終わったわけでない。どうにか地面に着地した銀は、幼馴染に叫ぶ。

「志騎、決めろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 それを聞いていた志騎はスマートフォンの画面を一度タップすると、ドライバーに勢いよくかざす。

『セフィロティックストライク!!』

 音声が鳴り響くと、胸部の十個の丸が光り出し、やがて十の光は金色のラインを辿って志騎の右足へと収束する。色とりどりの光を右足に纏った志騎はアクエリアス・バーテックス目掛けて駆け出すと勢いよく跳躍し、右足をアクエリアス・バーテックスに向けて跳び蹴りの体勢に入る。

「はぁああああああああああああああああああああああああっ!!」

 志騎の背中から十色の光が合計六つほど噴き出て、その勢いで急加速した事により勢いと攻撃力を増した志騎の跳び蹴りがアクエリアス・バーテックスに放たれる。右足が青色の本体部分に直撃すると、ズドン!! という凄まじい衝撃音が樹海に響き渡り、あまりの勢いにアクエリアス・バーテックスの体を通過する。そして志騎が地面に着地すると、貫かれたバーテックスの体から七色の光が空に昇り、巨大な体は砂となって崩れ落ちていった。

「………これが、バーテックスの最期か」

 志騎がアクエリアス・バーテックスの体を貫通した時、足に何か強力な何かを貫いたような感触が伝わってきた。それが何かは分からないが、恐らくバーテックスの力の源のようなものだろう。それを貫いたから、鎮花の儀は発生せず、バーテックスも完全な死を迎えた。

 七色の光が立ち上った空をぼんやりと眺めていると、樹海全体が揺れ始め、色とりどりの木の葉が周囲に舞う。そしてどこからか強い光が放たれて志騎の視界を塗りつぶし、眩しさに思わず目を瞑る。

 やがて光が弱まってきたのを感じ、志騎が目を開くと、そこは前にも来た事がある大橋近くの小さな社の前だった。自分の格好を見てみると変身は解除されており、格好も家にいた時のままだ。

「志騎ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

「ん? ……おうわぁっ!」

 志騎が声が聞こえてきた方向に目を向けようとすると、銀が突然自分目掛けて駆け出してきて、自分に思いっきり抱き着いてきた。それは別に構わないのだが、駆け出してきた事による加速力と銀の重さに耐え切れず志騎は思いっきり地面に倒れこんでしまう。だがそんな志騎の姿が目に入っていないのか、銀は喜色満面の笑みを浮かべながら、

「すごいじゃん! 何だよあれ!? もしかして志騎専用のパワーアップフォームってやつなのか!?」

 すると興奮しながら言う銀の背中に、二人の友人達の声がかけられる。

「銀、少し落ち着きなさい」

「あまみん潰れちゃってるよ~」

「え、あ! わ、悪い志騎!」

 そこでようやく押しつぶされた志騎が苦しそうにしているのを確認すると、銀はぱっと起き上がって志騎を解放する。押しつぶされていた志騎はゆっくりと起き上がって酸素を取り入れながら説明をする。

「あれが何なのかは俺にも分かんねぇよ。ただ、これ以上何も失いたくないって無我夢中で思ったら、何でか知らないけど新しいアイコンがスマホに出てた。で、ぶっつけでタップしてみたらあれだ」

 言いながら志騎はスマートフォンの画面を見る。今はもう普通の画面になってしまっているが、バーテックスと戦っている時は志騎が今まで見た事が無かった四つ目のアイコンが出現していた。あの新しい姿が一体何なのかは志騎自身にも分からないが、体の内側から力が止めどなく溢れてくる感覚だけはまだ覚えている。まるで、今の自分なら何でもできるような全能感と言うべきか。大袈裟に言ってしまえば、まるで神様にでもなったような感覚だった。

「ま、あの力の事は刑部姫の奴にでも相談すれば良いだろ。……っと、そうだ。お前達に伝えておく事が二つあった」

「「「……?」」」

 志騎の言葉に三人が顔を見合わせると、志騎は少し困ったような表情を浮かべながら、

「その……悪かった。お前達は何も悪くないのに、突き放したような事言って。冷静じゃなかった。……ごめん」

 彼の謝罪に、三人は思わずぱちくりと瞬きをすると、次の瞬間ぷっと思わず吹き出してしまった。

「別にそんなのいらないって」

「そうよ。それに、あなたの気持ちを考えれば当然だと思うわ。私があなたの立場だったら、私もきっと冷静じゃいられないもの」

「だからあまみんが謝る必要なんてないよ~。一人はみんなのために、みんなは一人のために~」

 ねー、と園子と銀が口を揃える。須美はそんな二人をニコニコしながら見て、志騎は呆気にとられたような表情を浮かべながらもすぐに相好を崩す。いつもと全く変わらない彼女達の態度に、こちらも何だかさっきまで思い詰めていたのが嘘のように思えるから不思議だ。

「で、二つ目は?」

 伝えておく事が二つあると言っていた事を思い出したのか、須美が尋ねた。

「ああ。二つ目はまぁ礼だ。……須美、園子。ありがとな。俺を信じてくれて。それで、銀。俺の手を握ってくれてありがとう。お前が手を握ってくれなかったら、きっと俺は心の底までバーテックスになってた。お前がいてくれたから、戻ってこれた。だから、本当に……」

 と、突然志騎の言葉が徐々に小さくなっていき、やがて完全に気を失って倒れこんでしまう。

「志騎!?」

「志騎君!」

「あまみん!」

 倒れた志騎を慌てて銀が抱き留め、須美と園子が焦った表情で志騎の名前を呼ぶが彼からの返事はない。まさか、キリングフォームと同じように彼の体に何らかの負荷が……? と三人が不吉な予感に囚われていると、銀の腕の中に志騎の口からすーすーと規則正しい寝息が聞こえてきた。

「……あれ。これってもしかして……寝てる?」

「そう、みたいね……」

 須美が呟くと、三人ははぁ……と安堵の息をついた。何の異常もないのは良い事なのだが、正直突然倒れこまれるのは心臓に悪すぎるのでやめて欲しいと切に思う。

「きっとあまみんもようやくほっとできたんだよ~。目の下に隈ができてたし、最近眠れなかったんじゃないかな~」

 確かに志騎の目の下には、うっすらと隈ができていた。銀達を傷つけてしまった自責の念などから、園子の言う通りあまり眠れてなかったのだろう。しかしようやく三人に自分の心を打ち明けられた事が出来た事から緊張の糸が切れて、安心して眠ってしまったのかもしれない。

「ったく、大人ぶっててもまだまだ子供だなぁお前は」

 自分の腕の中で眠る志騎を見て、呆れまじりに笑いながら言うが、正直志騎には今は安心して眠っていて欲しい。最近波乱ばかり起こっていたのだから、これぐらいしてもバチは当たらないだろう。というか、当たらないで欲しい。銀はどうか志騎が安心して眠れますようにと心の中で神樹に祈りながら、志騎をぎゅっと抱きしめる。

「………お帰り。志騎」

 そう囁いた銀の腕の中で。

 志騎の口元が、ほんのわずかに綻んだ。

 

 

 

「……どうやら、一件落着みたいね」

「そのようだな」

 タブレット端末に映る四人の映像を見ながら安芸が安心したように呟く。今彼女が覗き込んでいるのは刑部姫が持つ彼女のタブレットで、映像は四人の近くを飛んでいる式神くんの視界から共有されているものだ。つい先ほど刑部姫から、志騎がバーテックスの干渉を見事防ぎ、三人と一緒にバーテックスを倒した事を聞かされて、こうして式神くんを通して四人の状態を見ているというわけだ。

「でも、あなたもやるわね。真由理」

「あ? 何がだ?」

 怪訝な表情を浮かべる刑部姫の態度に、何故か安芸は少し笑いながら、

「誤魔化さなくても良いじゃない。あなたでしょ? 志騎の新しい力を彼の勇者システムに組み込んだのは。まさかバーテックスの干渉を防ぐシステムを入れるだけじゃなくて、そんなものまで入れていたなんて……さすがね」

 先ほど聞いたところによると、志騎は新しい力を使用してバーテックスを倒したらしい。だとすると、それは刑部姫以外にあり得ないだろう。現時点で志騎のための新しい力を開発できる人間など、目の前の精霊以外に考えられないのだから。

 だが、彼女の口から放たれたのは予想外の言葉だった。

「私は何もしていないぞ?」

「……え?」

 刑部姫の言葉に安芸が思わず目を見開くと、刑部姫はタブレットのタブレットを着物にしまい込みながら、

「私はバーテックスからの干渉を防ぐプログラムを志騎の勇者システムに組み込んだだけだ。今回志騎が変身した姿……名前を付けるとするなら、『セフィロティックフォーム』か。あんなものを志騎の勇者システムに組み込むような事はしていない」

「じゃあ、あれは……」

「恐らく、志騎自身が生み出したものだ。志騎の人間を愛し、護りたいと思う心。神樹の力を利用する事によって作られた勇者システム、そして志騎の中のバーテックスの細胞。それらが組み合わさる事で生まれたのがセフィロティックフォームだろう。ま、あくまで私の予想だがな」

「でもそんな事、可能なの?」

「前にも話した通り、バーテックスの細胞はあらゆる状況・意志に応じて進化するという特性を持つ。とは言っても、バーテックスにはその意志と感情そのものが無いから、あそこまで強力な進化はできない。人間としての意志と感情を持ち合わせた志騎だからこそ生み出す事ができたと言える。さすがにあそこまで強力だとは私も予想外だがな」

「……その割にはなんだか嬉しそうね」

 口では予想外と言いながら、刑部姫の表情は安芸の言う通りどこか嬉しそうに見える。普通の人間ならば、予想外の結果が出たら困惑しそうなものなのに。おまけに科学者という人種の中には自分の生み出した説や発明に絶対的な自信を持っている者もいるので、予想外の結果などが出たら怒りを示しそうなものである。だから、安芸には刑部姫の態度が少し意外に思えた。

 すると、刑部姫はばっと振り向くと喜色満面の表情を浮かべながら興奮した口調で言う。

「当然だろう!? 私の頭の中よりも凄まじい事が起こったんだぞ!? しかもそれを起こしたのは私が作り出した天海志騎という名の最高傑作だ!! そいつが私の予想を遥かに超えた進化を見せ、バーテックスすらも完全に殺して見せた!! 科学者にとってこれ以上嬉しい事があるか!!」

 そう言って刑部姫は黒板の前まで文字通り飛ぶように移動すると、チョークを手にして黒板に猛烈な勢いで数式と図式を書き始める。

「セフィロティック……。日本語に直すとセフィロトの樹か……。だとすると十のセフィラが必要になる……。こんな世界になっても、まだセフィラは健在って事か……。待てよ? って事はあの状態の志騎は十のセフィラとの完全融合を果たしている。だとするとあの強さも納得だが……。いや待て。本当に融合を果たしているとするなら、あの程度で済むはずがない。確かに物質生成能力も回復能力も驚異的だが、それでは絶対に済まない。はははは、マジかよ!? どれだけ進化するつもりだよ志騎お前は!! はは、ははははははははははっ!!」

 狂ったように笑いながら、刑部姫はチョークをひたすら動かし続け図式と数式を書きなぐっていく。滅多に見ない親友の本当に嬉しそうな姿を呆れたように見ながら、安芸はふぅとため息をつく。

「……でも、これで少し一息付けそうね。志騎はバーテックスの干渉を防ぎ、新しい力も手に入れた。これで少しはバーテックスとの戦いにも余裕が……」

「----それはどうだろうな」

 え? と自分の言葉に割り込むように呟いた刑部姫に安芸が思わず戸惑いの声を上げると、チョークを持つ手を止めて刑部姫が振り返る。彼女の顔にはさっきまで浮かんでいた笑顔はすでになく、代わりに険しい表情を浮かべていた。

「おかしいと思わないか? この短期間におけるバーテックスの出現と強化、おまけに二度目の志騎への干渉。恐らく今回の襲撃の目標(ターゲット)は神樹ではなく、志騎だ。前の戦いで志騎が自分からの干渉をモロに受ける事を確認して、二回目になる今回で志騎を本格的に潰そうとしたんだろう。今回に限り、神樹の破壊はついでにしてな」

 バーテックスの最大の目的である神樹の破壊が、ついで。軽く聞こえるが、それは大赦にとってはまさに異常事態と言える。今まで最大の目的にしてきた事を後回しにしてでも、確認しなければならない事が敵にあったという事だからだ。

「だがそれも上手くいかなかった。これで敵も本腰を入れるだろうよ。人間が神の力を使うだけでも気に食わないのに、自分の配下であるバーテックスの細胞を勝手に使って強力な兵器を作り出していた。おまけに作られた兵器は自分でも操る事ができない上に、自分達の領域に近づこうとしている。はっ、今頃ぶち切れてんじゃないか?」

「ちょ、ちょっと待って。それじゃあ……」

 今刑部姫が語る話の内容がどれほど深刻なものか察した安芸が表情を強張らせて聞くと、刑部姫はこくりと頷きながら告げた。

「大赦の馬鹿共に伝えろ。志騎の存在が敵方にバレた以上、近い内にバーテックスの大規模攻撃が来る可能性がある。鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀の強化案を何か考えておけってな」

 

 

 



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第二十一話 彼はなぜ記憶を取り戻したいのか

 

 

 アクエリアス・バーテックスを倒した翌日、志騎は椅子に腰かけながらある人物がやってくるのを待っていた。目の前にはホワイトボード、さらにその横の壁にモニターが設置されている。一見してみるとどこかの教室のように見えるが、今志騎がいるのは神樹館の教室ではない。そもそも今日は平日で、この会議室にいる勇者は志騎一人しかいない。銀達三人は今日は学校である。志騎がいるのは、いつも定期診断を行っている病院の会議室だ。

 昨日アクエリアス・バーテックスを倒した志騎は、睡眠不足による疲労回復と、バーテックス撃退の際に変身した新しいフォームによる影響を調べるため病院に一日入院する事になった。なお、今回検査を行ったのはやはりと言うべきか刑部姫だった。彼女と顔を合わせるのは久しぶりに感じられたが、刑部姫はそのような様子は少しも見せず志騎の検査を淡々と済ませた。面の皮が厚いというべきか、何というか。

 刑部姫による検査は朝から行われ、約二時間半ほどで終了した。そして検査終了後、刑部姫にこの後検査結果と伝えたい事があるからこの会議室に来るように言われたのが、自分がこの会議室にいる理由だ。

 スマホや本といった暇つぶしの道具もなく、少し退屈な気分を感じながら志騎が一人待っていると、ようやく会議室の扉が音を立てて開かれた。だが、会議室に入ってきた人物を見て志騎は少し驚く。刑部姫の口ぶりからてっきり刑部姫だけが来るのかと思っていたが、入ってきたのは二人の人物だったからだ。

 一人はもちろん志騎の相棒精霊、刑部姫。もう一人は志騎の育ての親である安芸だ。当の本人は志騎にちらりと視線をやったものの、すぐに視線を逸らした。

「待たせたな。少し準備するから待ってろ」

「あ、ああ」

 志騎の若干の驚きをよそにして、刑部姫は着物からノートパソコンを取り出して机に置くと、ケーブルを取り出してパソコンとモニターを接続する。するとモニターに、検査時に調べたと見られる志騎の身体上のデータが映し出された。

「ではまずお前の今回の検査結果から説明する。結論から言って、検査時のお前の体に異常は見られなかった。だから検査に関しては異常なしだから安心して良い。話が終了したら退院して大丈夫だ」

「ああ、分かった」

 あれほどの力を発揮したので何らかの異常が出ているかもと少し思ったのだが、幸い体の方には何も異常は無かったらしい。とは言っても、相手がこれまで様々な隠し事をしてきた刑部姫なので、少し信憑性に欠けるが。するとそれを察したのか、刑部姫が手をひらひらと振り、

「言っておくが、今回は本当に異常なしだ。私も何か後遺症等が残ってないか隅々までチェックしてこの結果だ。だから安心して良い」

「自覚があるなら、その秘密主義を直せよ」

 半眼で睨みながら言うと、刑部姫は顔を背けて「……善処する」とだけ呟いた。どうやら、彼女の秘密主義はまだしばらくは続きそうである。

 それから顔を元の位置に戻すと、こほんと場の空気を元に戻すように一度こほんと咳をした。

「け、検査結果の話は以上だ。で、これからが私がお前に話しておきたかった事だ」

 そう言って刑部姫がEnterキーを押すと、モニターに映っていた志騎のデータが消え、代わりにこの前志騎が変身した新しいフォームが映し出されていた。

「この姿と志騎の勇者システムを解析した結果、これはお前の中の強い感情と勇者システム、そしてバーテックスの細胞が混ざり合う事で新しくできたフォームという事が分かった。名をつけるとすれば……『セフィロティックフォーム』。十一のセフィラをその身に宿した、お前の新しい姿と言ったところだな」

「セフィラ……?」

 聞きなれない言葉に訝し気な表情を浮かべながら呟くと、刑部姫がマウスを操作する。するとモニターに、図形のようなものが出現した。十一の円形が、複数の線で繋がれている図形。それを見て思わずあっと声を出した。表示された図形は、志騎のスマートフォンに表示されたものと同じ形をしていたのだ。

「これはセフィロトの樹と呼ばれるものだ。またの名を生命の樹。旧世紀に存在していたカバラと呼ばれる思想に登場するものだ。この図形にある十一の円形が分かるか? これがセフィラだ。これはおおざっぱに言ってしまえば神の特性・性質のようなものでな、一つ一つに名前がある。ケテル、コクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクト、ダァト。で、セフィロトの樹が何なのかと言うと説明が長くなるから省くが、一説によるとこの樹の力を身に宿す事で、高度な存在へと進化する事が可能と言われている。まぁセフィロトの樹に関しては様々な解釈が存在するからどれが正解だとは言えないんだが、昨日のお前の姿を見るとあながち間違いじゃないと言えるな」

 キロリ、と刑部姫の視線が志騎に向く。刑部姫の話を聞きながら、志騎は確かにそうかもしれないと心の中で彼女に同意する。

 実際、あの姿になった瞬間から体の内側から凄まじい力が溢れてくるのを感じていた。武器を生成した時や銀達を回復した時も誰かから教えてもらったわけではなく、ただ今の自分ならできるというはっきりとした確信だけがあった。それで実際に試してみた所、本当に武器を生成したり銀達の体を癒す事ができたのだ。理由があるからできるのではなく、ただそれを行う事が可能だからできるという滅茶苦茶な力。あの瞬間、確かに自分は刑部姫の言う通り今よりも高次の存在へと進化していたのかもしれない。

「だけど、どうして俺がそのセフィロトの樹の力で変身する事ができたんだ。その力は一体どこから来たんだ?」

 今まで志騎はセフィロトの樹の話など聞いた事もない。だが昨日自分はそのセフィロトの樹のセフィラの力を身に宿し、バーテックスを倒した。一体どういう理由で、自分はセフィラの力を取り込む事ができたのだろうか。

「それは恐らく神樹からだ。前に安芸が言ったが、神樹には地上のあらゆるものが概念的記録として蓄積されている。お前の勇者システムを通して、神樹に蓄積されていた『セフィロトの樹』という概念にアクセスする事で全く新しいフォームを作り出したというのが妥当な所だろう。まぁ、元々この世界にあったセフィロトの樹が神樹に取り込まれていたという事も考えられるが、今この場でそれを考えるのはあまり意味がない。確かなのは、お前が新しい力を手に入れたという事だ。……確認できただけでも、武器生成能力に他者の回復能力。これだけでも強力なのに、極めつけはバーテックスの細胞の阻害能力だ。これはバーテックスに対して圧倒的優位に立つ事ができる能力と言っても良い」

 それは無論、昨日のアクエリアス・バーテックスとの戦いの中で志騎が放った一撃の事だろう。その一撃を受けたアクエリアス・バーテックスは回復能力と頑健性を失い、銀達の攻撃は大ダメージとなり、傷を回復する事ができなくなっていた。つまりあの能力を上手く使えば、今後はどのようなバーテックスが来ても有利な条件で戦えるという事だ。

 だが、大赦にとっては喜ぶべき情報のはずなのに刑部姫や安芸の表情は硬い。すると理由を説明するために、刑部姫が再度口を開く。

「だが、だからと言って安心できる状況じゃない。お前がその能力を持ったという事はすでにバーテックスも知っているだろうし、今後は四人の中で志騎を優先して狙ってくるだろう。昨日のバーテックスの強化の事もあるし、この先どんな予想外の事が起きても不思議じゃない。で、それを防ぐためにはどうしたら良いかという話だが……安芸」

「ええ」

 すると説明は刑部姫から安芸へとバトンタッチし、刑部姫が横にずれ安芸が志騎の前に立つ。

「最近増えているバーテックスの襲撃と、昨日のバーテックスの強化の報告を受けて、大赦の方であなたた達の勇者システムの強化案が出ているの。勇者システムそのものの強化はもちろんだけど、鷲尾さん達三人にはまた別の強化を三人の勇者システムに組み込む予定よ」

「それって……銀達にも、俺と同じような新しいフォームを組み込むって事ですか?」

 確かに昨日の自分のような強大な力を持った新フォームに銀達も変身する事ができれば、戦力は大幅に増すだろうが、そんな事が本当にできるのだろうか。

「まだあなたのような新しい姿とは決まっていないけれど……。でもその力があれば、今までより戦いが相当楽になるのは確かよ。おまけに四人の勇者システムの戦闘データから、バーテックスには核らしきものがあるのが分かった。鷲尾さん達の新しい強化で、核に干渉する事ができるようになれば……」

「あいつらでも、バーテックスを倒す事ができる」

 志騎の言葉に、ええと安芸が頷く。今まではバーテックスの核を破壊するには、志騎のキリングフォームか新しく発現したセフィロティックフォームしか手段が無かった。しかしもしもその強化で銀達も志騎同様バーテックスの核を直接破壊する事ができるようになれば、バーテックスを完全に倒す事も出来るようになる。そうすれば、バーテックスとの戦いにも終止符を打つ事ができるかもしれない。

「神託によると、しばらくバーテックスによる襲来は無いみたい。大赦はそれまでにあなた達四人全員の勇者システムのアップデート、鷲尾さん達三人にはそれに加えて新しい強化システムを用意する。その旨を、鷲尾さん達に伝えておいて」

「分かりました」

 恐らくこの話を聞けば、須美達の戦意はますます高まるだろう。何せ、強化システムが組み込まれれば長く続いたバーテックスとの戦いを自分達が終わらせる事ができるかもしれないのだ。須美は間違いなく張り切るだろうし、銀と園子は間違いなくテンションが上がるだろう。正直、テンションが上がりまくってやかましい事になるかもしれないので二人に関してはほどほどにしてもらいたい。

 と、志騎が内心そんな事を考えていると横で志騎と安芸の会話を聞いていた刑部姫が唐突に口を挟んだ。

「ああ、そうだ志騎。セフィロティックフォームの能力に関してだが、お前は今回武器生成能力、他者の回復能力、バーテックスの細胞の阻害能力を使っていたが、恐らくまだ未知の力を残していると私は思っている」

「未知の力……?」

 ああ、と刑部姫は首肯し、

「確かにあの力だけでも脅威だが、さっきも言った通りセフィラは神の特性・性質のようなものだ。それらを体に取り込み高次の存在に進化するという事は、一時的に神に近づくという事を意味している。今はまだあの程度だが、力を今よりも操れるようになれば極小範囲での世界改変すら可能になるかもしれん。ま、それはあくまで私の予想だが可能性はゼロではない。来るべきバーテックスとの戦いのためにも、そういった事ができるかもしれないと頭に入れておけ」

「できるかもしれない、だろ? 本当にできるとは限らない」

「可能性があるなら恐らくできる。お前の手に入れた力は、お前が考えている以上に強大だ。それこそ、使いようによっては神になれると言っても過言じゃない」

「神に、ねぇ……」

 なんとまぁスケールの大きい話だ、と思う。確かに昨日感じた力はそれぐらい大きなものだったが、だからと言って神になれると言うのは飛躍し過ぎではないかと思う。それにそういう事を言うのは、いくら何でも神樹に罰当たりだろう。とは言っても、目の前にいるのはそういった事にとことん無関心な刑部姫なので気にしても無駄なのだろうが。

「さて、色々と伝えてたがこれで今日の話は終わり……と言いたいところだが、最後に一つだけ伝えたい事がある」

「まだあるのか?」

「そう言うな。こちらはすぐに済む」

 そう言って刑部姫は何故かバツが悪そうに髪の毛をくるくるといじると、言いづらそうに口を開いた。

「……その、悪かったな。色々と、お前に関する事を黙っていて」

「………え?」

 予想もしていなかった刑部姫の突然の謝罪に、志騎は思わず間抜けな声を出しながら目を丸くする。

「だから、悪かった。立場上お前には色々と話せない事があったが、それでお前を傷つけてしまったのも事実だ。だから、その……済まなかった」

「…………」

 しかし志騎は刑部姫の謝罪を聞いているのか聞いていないのか、まるで石のように硬直したまま刑部姫をじっと見つめていた。いつもは滅多に見せない志騎のように、刑部姫は半眼になりながら、

「……何だ。私が謝るのはそんなに予想外なのか?」

「いや、予想外を通り越して、謝るお前の姿が単純に滅茶苦茶喜色悪い」

「安芸、これは私の日頃の行いのせいなのか?」

「それ以外に何があるの?」

 フォローを期待して安芸に尋ねたが、親友から返ってきたのは冷たい言葉だった。それを聞いた刑部姫は「そうか……」と呟くと床にしゃがみ込んでのの字を指で書き始めた。相変わらず他人に対しては辛辣かつ冷徹な態度を取るくせに、身内に対してガラスの心な精霊だった。

「私もごめんなさい、志騎。話してはならない事情もあったけれど、刑部姫の言う通りそれがあなたを傷つけてしまった。……でも、これだけは分かっていて欲しいの。私があなたと暮らしていたのはあなたの様子を監視するためというのもあるけれど、それだけじゃない。あなたの事は今でも家族だって思ってる。それだけは、私の正直な気持ちよ。信じてもらえないかもしれないけど……」

 安芸の悲しそうな表情から紡がれる言葉を志騎は黙って聞いていたが、やがてふっと柔らかい笑みを浮かべると安芸に言った。

「別に疑うつもりなんてありませんよ。安芸先生にも事情はあったって事はもう十分に分かってますから。それに前にも言いましたけど、安芸先生には感謝してます。だから、謝る事なんてないですよ」

「志騎……」

 自分に課せられたお役目の事もあったとはいえ、自分が育ててきた少年の事に思わず安芸の涙腺が緩む。そんな感動的な場面を前にして、刑部姫は不満げに呟いた。

「……いや、おかしくないか? 対応が安芸と私でまったく違い過ぎないか? 何故こんなにも差が出たんだ?」

「さっきも言ったけれど、あなたの場合は日頃の行いのせいよ」

「逆にどうしてお前と安芸先生を同列に扱わなきゃいけないんだ?」

「ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 凄まじい慟哭を上げながら、刑部姫は床に手をついた。彼女の姿に、流石に志騎も少しいじりすぎたかと心の中で反省する。こうして一応和解した以上は、前と同じように今夜の食卓に顔を出すだろうし、今夜の夕飯はハンバーグにしてやろうと思う。まぁ、彼女は自分の出した料理なら何でも食べるのだが。

「……ったく。今日の夕飯はハンバーグにしてやるから元気出せよ」

「え、マジでそれを早く言えよまったく意地悪だなお前は一体誰に似たんだかそういう意地悪は大概にしとけよあと私デミグラスソースよりケチャップソースの方が好きだからそれでしくよろ」

「………」

 前言撤回。やはりこいつは刑部姫だ。しかもデミグラスソースよりケチャップソースの方が好きというのが自分と同じで非常に腹立たしい。いつもオムライスを作る時はケチャップソースである。

「まぁとにかく、今後は極力お前には隠し事をしないようにする」

「極力、っていうのがミソだな」

 つまりは、できる限り隠し事をしないが、それでも時々隠し事はするぞという事だろう。まぁさっき二人が言った通り大赦に務めている以上どうしても話せない事はあるのだろう。あまり許容できる事ではないが、仕方ない。

 ……ここで仕方ないという考えが思い浮かぶのは、心のどこかで自分も大赦のやり方に一定の理解をしているからだろう。バーテックスから人類を護るというお役目を担っている以上は、そういった秘密を保ち続けなければ組織を保つ事は出来ない。天海志騎という少年の正体を、大赦のほとんどの人間が知らないように。

 だが、それが間違っていると簡単に言う事はできない。どれほどの隠し事をしているかは知らないが、大赦が約三百年間人類継続に貢献してきた事は紛れもない事実だ。それだけは、安易に否定されていい事実ではない。

「ああ、それと志騎。今日の検査の結果異常は無かったから、明日からまた学校に通えるようになるわ。だから明日の準備は忘れないように」

「はい、分かりました」

 そんなに長く休んでいたわけではないとはいえ、久しぶりの学校だ。安芸先生から教えてもらった予習を行う事はもちろん、明日遅れないように今日は念のために早く寝た方が良いだろう。

「以上で今日の話は終わりだ。病院の方にはすでに話を通しておいたから、この後はもう着替えて退院して良い。安芸、それで良いな」

「ええ。じゃあ志騎、またあとで」

「はい。先に失礼します」

 安芸に一度軽く頭を下げると、会議室から出て自分の病室へと向かう。そして病室に戻り、病院着から

私服に手早く着替えると病院を出た。今の時刻は大体午後一時ほど。銀達は今頃学校だろう。やる事も特にないし、一度自宅に戻って軽くシャワーを浴びてから学校の授業の復習でも行う事にしよう。そう考えると、志騎は頭上に昇る太陽の光を全身に浴びながら、自宅への道を歩き始めるのだった。

 

 

 

 自宅に戻り軽くシャワーを済ませると、志騎は自分の部屋に向かい勉強を始めた。部屋はカーテンが敷かれていて薄暗く、精神的に追い詰められていたとはいえよく朝からこんな所にいられたなと自分で軽く苦笑する。カーテンと窓を開けて空気の入れ替えを行うと、机に向かい勉強を始める。銀が見たらがり勉などと言われそうだが、こちらは数日学校を休んでしまっていたのだ。少しでも遅れを取り戻さなければならない。

 志騎は椅子に座り、学校の授業の復習を始める。しばらく彼の部屋の中には教科書のページをめくる音、鉛筆でノートに問題の答えを書くカリカリという音が響く。

 そうして復習を始めて時間が経ち、ようやくひと段落つき両腕をぐぐーっと真上に伸ばすと、背中からぱきぽきと小気味いい音が聞こえた。同時に空腹を訴える腹の虫が鳴いたので時計を見てみると、時刻はすでに三時だった。どうやら時間の経過も忘れるほど、自分は集中していたようだ。

 空腹感は感じるものの、今何かを食べると夕食に差し支えるかもしれない。刑部姫に今日はハンバーグと言ってしまったので、夕食のメニューを変える事もできない。いや別に変えても良いのだが、彼女の事だから夕食中ずっと負のオーラを志騎目掛けて飛ばしそうなのでそれはできれば避けたい。

 さて、どうするか……と志騎が考えていると、志騎のポケットの中のスマートフォンが震える。スマートフォンを取り出して画面を見てみると、銀からの着信電話だった。よくよく考えてみれば今はもう神樹館の授業が全て終わる頃だ。彼女から連絡が来ても別に不思議はないだろう。通話ボタンを押して、スマートフォンを耳に当てる。

「はい、もしも……」

『志騎ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!! 検査終わったか!?』

 大声が志騎の鼓膜を派手に揺らし、キィィィン……と嫌な耳鳴りがした。志騎が不快気な表情を浮かべながら数回頭をふらふらさせると、電話口の向こうから須美の声が聞こえてくる。

『銀、声大きすぎ!』

『あ、そうだな……。悪い志騎、大丈夫か!?』

「たった今お前のせいで大丈夫じゃなくなったよ」

 顔をしかめながら言うと、何故か銀はほっとしたような口調で、

『そういう悪態を言えるって事は、検査は大丈夫だったみたいだな。いやー良かった良かった』

「切って良いか?」

『わー、ちょっと待ってちょっと待って! 志騎、今何してたの?』

「あ? 勉強だよ。しばらく休んでたし、復習してた」

『うっわ、真面目……』

「うるさい。で、一体何の用だよ?」

 ただの検査が終わったかの確認ならチャットツールでも十分なはずだが、わざわざこうして連絡を取ってきたのは何故だろうか。

『ねぇ志騎。今からイネス行かない?』

「イネス?」

『そう! 最近ドタバタしてたし、久しぶりにジェラート食べに行こうよ! お前の復帰祝いも兼ねてさ!』

 ふむ、と志騎は少し考え込む。今の時間帯からならば夕食を作る時間には間に合うし、ジェラートならば夕食の支障にもならないだろう。それに、今日刑部姫から伝えられた事を銀達に伝えるのにもちょうど良いだろう。

「ん、良いぞ」

『ほんとか!? いよっしゃあ!』

 ひゃっほー、と電話の向こうで無邪気に喜ぶ銀の声が聞こえてくる。どれだけ嬉しいんだよと志騎は苦笑いを浮かべながら、銀に尋ねる。

「それで俺は、イネスに行けば良いのか?」

『ああ! あたし達は先にイネスに行ってるから、そこで合流な! じゃあまたあとで!』

「ああ」

 それを最後に通話を切ると、志騎はスマートフォンをポケットに突っ込んでから先ほどの銀のはしゃぎようを思い出す。

「ったく、どれだけ嬉しいんだよ……」

 久しぶりのイネスだからテンションが上がっているのか、それとも志騎の検査が終わった事がよほどうれしかったのか。まぁ、理由は別にどうでも良いだろう。彼女にとってはきっと両方だし、どちらも彼女にとってはお祝いするほどに嬉しかった事に変わりはないのだから。

 志騎は机の上の教科書とノートを閉じると、部屋を出て銀達が待つイネスへと向かうのだった。

 

 

 

 

 

「んじゃあ、志騎の復帰を祝って、かんぱーい!」

「「かんぱーい!!」」

「かんぱーい……。ってこれジェラートだけどな」

 イネスのフードコートにある四人掛けのテーブル席で、いつも頼んでいるカスタード味のジェラートを軽く掲げながら志騎が言うと、ほうじ茶アンドカルピー味に口をつけていた園子がのんびりとした口調で、

「小さい事は気にしない方が良いんだよ~。大事なのは、あまみんがきちんと帰ってきてくれた事をお祝いする事なんだから~」

「ああ、うん、まぁそうなんだけどな……」

 園子から正論を言われた志騎は、カスタード味のジェラートを一口食べる。前に食べた時のジェラートは半分上の空状態で食べていたので、こうしてきちんとジェラートを味わうのはかなり久しぶりのような気がする。すると今度はほろにが抹茶味のジェラートを食べていた須美が志騎に尋ねる。

「それで、検査の結果は大丈夫だったの?」

「ああ。特に異常なし。明日からまた普通に学校に通って良いってさ」

「そうなんだ! クラスのみんな喜ぶだろうなー。みんな、お前の事心配してたし」

「そうなのか」

 この三人はともかくとして、クラスメイト達からも心配されていたとは少し驚きである。志騎は基本的に勇者になるまでは銀以外の人間とあまり積極的にコミュニケーションを取る事はしてこなかったので、クラスメイト達からそこまで心配されているという事が少々意外に感じられた。

 と、何故か園子がにこにこと笑みを浮かべながら、

「実はミノさんも今日ちょっと落ち着かなかったんよ~。一日中ずっとそわそわしてたし、ここに来る時なんてスキップしてたしね~」

「お、おい園子、やめてくれよ……」

 園子の報告に銀が頬を赤らめていると、志騎は怪訝な表情を浮かべながら首を傾げ、

「……? なんでそんな落ち着かない感じだったんだ?」

「むっふっふ~。それはもちろん、あまみんに会えるのがすごく嬉しくて……。むぐぐ」

 しかし園子の言葉は、彼女の口を銀の片手が慌てて塞いだ事で残念ながら聞く事は出来なかった。志騎は何やってんだ……と呆れながら刑部姫の話を思い出し、

「ああ、そうだ。お前達に伝えておかなきゃならない事があったんだ」

 志騎の言葉で園子の口から銀の手が離され、三人の視線が志騎に向けられると、志騎は今日刑部姫から聞いた話を三人に伝えた。

 話が終わると、最初に声を上げたのはやはりと言うべきか銀だった。彼女は目をキラキラとさせながら、

「新しい強化システム……!? 何だよそれ! すげぇカッコよさそうじゃん!」

「うんうん、私もテンション上がってきたよ~! 変身したら、空とか自由に飛べるのかな~!」

 自分達に来るであろう新しいシステムに銀と園子が希望と歓喜で目をキラキラさせていると、須美が二人をたしなめるように、

「二人共。嬉しいのは分かるけど、気を引き締めなくちゃ駄目よ。私達の勇者システムが強化されても、それを使ってバーテックスと戦うのは私達なんだから。ちゃんと新しい力を扱えるように、私達ももっと鍛えないと」

 実際、この前戦ったアクエリアス・バーテックスも以前戦った時と比べて強化されていた。今はバーテックスの能力を封じる事ができる志騎がいるが、だからと言って彼に頼りきりになっては志騎の負担が増えるばかりだ。新しい力を十全に使いこなす事ができるように、自分達ももっと強くならなければならない。すると、須美の言葉を聞いて銀が腕組みをしながら神妙な面持ちで、

「確かに、志騎はともかく今のあたし達じゃまたあんなバーテックスが来たらこの前の二の舞だろうな……。須美の言う通り、今の内に鍛えておかないと。なぁ志騎、バーテックスの襲来はしばらくないって神託が来てるんだよな?」

「ああ。安芸先生はそう言ってた。まぁ、それがいつまでかはさすがに分からないだろうけど……」

「でも、その間にちょっとでも強くなるのは大事な事だよ~。備えあれば憂いなし~」

 いつもと変わらないのんびりした口調ではあるが、園子の目は真剣そのものだ。そしてその心は他の三人も一緒だ。相手が未知の怪物である以上、強化された勇者システムがあれば大丈夫などという楽観論は当てにならない。自分達の大切な友人を死なせないためにも、この世界を守るためにも、少しでも強くなる必要がある。大切な友人達の顔を見ながら、四人は心に誓った。

「----でもまぁ、あまり気負い過ぎてたらバーテックスと戦う前に疲れちゃうし、たまにこうしてジェラートやうどんを食べに来ようよ! たくさん食べて、たくさん動く! そうすればバーテックスが何体来ようとあたし達なら大丈夫だって!」

「……言ってる事はそれっぽいけど、お前は単にイネスに来たいだけじゃないか?」

「えっ!? い、いやぁ、そんな事は無いぞ?」

「目が泳いでるわよ、銀」

 目が高速で左右に泳ぐ銀を見て志騎と須美はやれやれと呆れが混じった笑みを浮かべ、園子もクスクスと笑う。そんな和やかな雰囲気を感じながら、志騎はジェラートを一口食べる。

「ま、バーテックスに関しては大丈夫だろ。刑部姫の奴もいるし、何かあったらあいつから……どうした? お前ら」

 何故か刑部姫の名前を出した途端、目の前の三人の空気が変わり、志騎は思わず目を丸くする。具体的に言うと、空気が急にピリッとしたというか、三人の表情がかすかに険しくなったのだ。確かに銀や須美は刑部姫との仲はあまり良くなかったが、園子は彼女を『姫ちゃん』と呼んでいたから彼女自身はそこまで刑部姫を嫌っていなかったと思っていたのだが。

「あー、悪い。お前がいない間にちょっと色々あってさ。できれば今は刑部姫の名前をあまり聞きたくないというか……」

「え、そこまでか? 確かにあいつの性格は正直腐ってるけどさ、聞きたくないって言うほど?」

 驚きながら志騎が尋ねると、三人は迷わずこっくりと頷いた。マジかよ、と小さく呟いてから志騎は軽く目を見開く。前まで彼女をそこまで嫌っていなかった園子にまでこのような態度を取られるとは、一体彼女は自分がいない間に彼女達に何をしたのだろうか。三人に聞いても良いが、そうなったら三人の機嫌がさらに悪くなりそうなのでこれ以上踏み込むのはやめておくとしよう。

 そう思いながら志騎がさらにジェラートを舐めようとすると、銀の口から予想外の言葉が飛び出した。

「なぁ志騎。あいつはお前の精霊だからこんな事言うのもあれだけどさ、気をつけろよ? あいつの言いなりになってたら、いつ日かほんと大変な目に遭うぞ? いくらお前の母ちゃんだからって、言いなりになっちゃ駄目だぞ?」

「----は?」

 恐らく今日一番の予想外の言葉に、志騎は間抜けな声を出しながら銀の顔を凝視する。ジェラートを舐めている最中に言ってしまったので、コーンに盛られていた少量のジェラートがテーブルへと垂れる。しかしその志騎の様子は銀にとっても予想外だったようで、彼女は少し驚いたような表情を浮かべながら、

「え、志騎お前まさか聞かされてないのか?」

「聞かされてないのかって、何が? いや待て。それ以前にあいつが俺の母親ってどういう事だ? 一体お前達は俺がいない間に何を聞かされたんだ?」

 困惑した表情を浮かべながら尋ねる志騎を見て、本当に自分の身の上を知らされていないのだと気づいた三人は顔を見合わせる。それからここではぐらかしても志騎からの追及が止む事はないだろうと言葉を交わさずとも察した三人は、志騎にこの間自分達が刑部姫から聞いた話を彼に伝えた。

 刑部姫が、元々氷室真由理という、大赦の科学者であった事。

 彼女がバーテックス・ヒューマン計画に使う遺伝子を提供した人物、つまり遺伝子上ではあるが一応志騎の母親である事。

 氷室真由理の人格と頭脳をデータ化し、精霊に移した存在が刑部姫という精霊であり、氷室真由理当人はすでに死亡している事。

 などなど、彼女達が刑部姫から聞かされた話を全て志騎に伝えた。

 そして、ようやく銀達が話し終えると。

「…………」

 ずーん、と効果音が鳴りそうなほど暗い空気を背負いながら、志騎はテーブルに突っ伏してしまっていた。情報量があまりに多かったのも理由の一つだろうが、やはり刑部姫----氷室真由理が彼の母親だったという事にショックを受けているのかもしれない。今まで見た事が無い幼馴染の姿を目の前にして、銀は恐る恐るといった口調で言った。

「えっと……お気持ち、お察しいたします……」

「……やかましい……」

 返ってくる言葉にも力が無い。彼の手の中にあるコーンの上のジェラートはまた溶けそうになっている。なんと声をかけて良いか分からず、三人は困ったような表情を浮かべながら自分達のジェラートを神妙に舐める。

 一方、机に突っ伏している志騎は銀達が考えている通り、彼女達からもたらされた情報に強いショックを受けていた。刑部姫がかつては人間だったいうだけでも驚きだというのに、その上彼女が自分の遺伝子上の母親だったというのはあまりにインパクトが強すぎる。おかげでこうして頭の中の情報を必死に整理するので精一杯の状態である。

 だが、情報を整理していくうちに、志騎の胸の中である疑問が沸いてきた。

「………死ぬ前の氷室真由理は、どんな人だったんだろう……」

 自分を生み出した張本人であり、大赦の科学者。そして刑部姫の前身とも言える人間、氷室真由理。自分の記憶から消えた彼女は一体どのような人間だったのだろうか。安芸が親代わりだったため生みの親というものをあまり知らずに育った志騎にとって、それは何よりも気にかかる疑問だった。

 彼の言葉に三人は顔を見合わせると、口々に氷室真由理の人物像を予想しながら呟いていく。

「どんな人か……。安芸先生の友達で、大赦の科学者で、志騎君のお母さん……」

「でも、あまみんには悪いけど、良い人とはちょっと思えないよね~……」

「あの刑部姫の性格の元になった人だからな……」

 三人からの評価はかなりひどいが、正直今までの刑部姫の態度や言動を見ると悪い印象しか抱けないだろう。

 天上天下唯我独尊にして傲岸不遜。毒舌家で人間嫌い。なのに頭脳と才能は紛れもなく天才だからどうしようもない。当然氷室真由理本人には会った事は無いが、まず園子の言う通り善人ではないのは間違いないだろう。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。

 氷室真由理という人物は、本当にそれだけの人物だったのだろうか。

 志騎はようやくむくりと顔を上げると、三人に告げた。

「……帰ったら、刑部姫と安芸先生に俺の記憶の封印を解除する事は出来ないか話してみる」

「封印された記憶って……鳥籠の時の?」

 銀の言葉に、志騎はこくりと頷く。が、それを聞いた須美は少し不安そうな表情を浮かべると志騎に尋ねる。

「志騎君、良いの? 自分の記憶の事が気になるのは分かるし、あなたが本当に自分の記憶を取り戻したいなら私達は反対しないけど、記憶を取り戻す事があなたのためになるとは限らないのよ? ……それなのに、どうして記憶を取り戻したいって思ったの?」

 須美がそう尋ねるのも無理はないだろう。彼女達から話を聞く限りでは、鳥籠とやらの場所にいた時の自分はまともな人間としての扱いをあまり受けていなかったように感じられるからだ。仮に記憶を取り戻す事が出来たとしても、それで志騎に何かの得があるわけではないし、むしろ思い出す事が辛い気持ちになってしまう事だって十分に考えられる。封印されていたという彼の過去の記憶が気になるのは分かるが、それならば記憶を取り戻すより、このまま記憶が封印されていた方が良いのでは----。きっと三人は、そう考えているのだろう。

 三人の自分を心配する気持ちを痛いほどに感じながら、志騎は口を開く。

「確かに俺の記憶を取り戻す事に何らかの意味があるかは分からない。正直、俺が記憶を取り戻したいのは、氷室真由理っていう科学者がどういう人間なのか知りたいっていうただの自己満足だ。他人から見たらそんなに重要な理由ってわけじゃない」

 けど、と一拍置いてから、

「本当に意味がないとしても、俺の自己満足だとしても、俺は知りたい。氷室真由理がどんな人間で、どういう気持ちで俺に接していたのか。過去の俺はどんな事を考えていて、どんな性格だったのか。俺はそれが知りたい」

 それからまたもや溶けかかっているジェラートを一口舐めると、何故か苦笑を浮かべて、

「ま、それにだ。確かに氷室真由理は性格最悪の科学者だったかもしれない。……だけど、それでもやっぱり人から忘れられるのも、忘れるのも悲しい事だと思うんだ。氷室真由理がどんな人間だったとしても、俺はそいつを忘れたままになんてしておけない。だから思い出したい。それだけだ。……おかしな理由だろ?」

 志騎はそう自嘲するが、三人の口元に浮かんでいたのは温かな笑みだった。三人の予想外の反応に志騎が思わず目を丸くすると、銀はにひひと笑いながら、

「おかしくなんてないよ。志騎の言ってる事、少し分かるし」

「そうね。私達も、もしも四人の誰か一人でも忘れてしまったら、忘れたままになんてしておけないもの。どんな手を使っても思い出したい。私があなたの立場だったら、きっと同じ事を思うわ」

「……そうか」

 銀と須美の言葉に志騎は少し照れくさそうに頬をポリポリと掻くと、園子がいつも通りののんびりした口調で、

「それにしても、良い言葉を言うね~あまみんは。そうだ! 今の言葉を今度私の小説のあまみんにも言わせてあげよ~っと!」

「おいやめろ」

 志騎からの冷たい言葉に園子はええ~っ!? と割と本気でショックを受けた様子を見せ、銀はあははと声をあげて笑い、須美もクスクスと静かに笑う。志騎はったく、と呆れながら再びジェラートを舐めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 その日の天海邸の夕食は、志騎が宣言した通りハンバーグとなった。トマトケチャップがたっぷりかかったハンバーグの横には、ポテトフライと人参、ミニトマトにブロッコリー、さらに天海邸ではおなじみとなったピーマンの千切りが添えられていた。

 ピーマンにげんなりした表情を浮かべながらも綺麗な所作で夕食を口に運ぶ安芸、ハンバーグを口に運び今日の料理の出来の良さを確認する志騎の横で、刑部姫がハンバーグだけではなく盛り付けの野菜にまでケチャップを大量にかけるのを、志騎はゴミを見る目で見ていた。自分もケチャップは好きだが、さすがにここまではしない。安芸も刑部姫の所業は目に入っているはずだが、特に注意もせず黙々と夕食を食べている。彼女にしては珍しい反応だが、恐らくこれまでに幾度か注意したものの、一向に直す気配が無いのでもう諦めたのだろう。正直刑部姫に注意したかったが、この後に持ち掛ける話題の事を考えると今はあまり彼女の機嫌を損ねたくない。

 志騎は白米が盛られた自分の茶碗を目の前に置くと、意を決して刑部姫に話しかける。

「刑部姫、頼みがある」

「頼み? お前から私に頼み事とは随分珍しいな。なんだ、小遣いでも欲しいのか?」

 けたけたと刑部姫が明るく笑いながら言うと、志騎はごくりと唾を飲み込みながら言った。

「ああ。……俺の鳥籠の時の記憶の封印を、解除して欲しい」

 志騎の口からその言葉出た直後、刑部姫の顔が真剣なものに切り替わり、安芸の表情が強張る。沈黙がさっきまで明るかった食卓を支配してから数秒経つと、刑部姫が手にしていた茶碗を置いてため息をつく。

「話したのはあのガキ共か……。ま、それを知っているのは私と安芸とあいつらしかないからそれも当然か……」

「できるか?」

 その言葉に刑部姫はあっさりと頷き、

「ああ、できる。あくまでお前の記憶にかけたのは封印であって消去じゃない。場所を選ぶが解除自体はできる。……だがその前に一つ、私からも聞いていいか?」

「何だ?」

「何故、記憶を取り戻したい? 確かに記憶が封印されているのは気持ち悪いかもしれないが、別に今のお前にでかい影響をもたらすものでもない。別に封印されたままでもお前には何の問題もない。それどころか、記憶を取り戻す事でお前の精神に何らかの影響を与える可能性すらある。それなのに何故、お前は過去の記憶を取り戻したいと思うんだ?」

 やはり刑部姫にしても、気になるのはそこらしい。ちらりと安芸の方を見てみると、彼女も心配そうな表情を志騎に向けている。彼女も刑部姫と同じ気持ちなのだろう。だったら、自分も自分の本心を彼女達に打ち明けなければならない。ただ要望だけを言って、自分の気持ちを打ち明けないのは、いくら相手が刑部姫でもフェアではないからだ。

「銀達にも似たような事を聞かれたけど……一言で言えば、氷室真由理っていう人間を知りたいっていう俺の自己満足だ」

「何っ?」

 そう言った刑部姫の声音には、呆れよりも困惑の感情が強く滲み出ていた。彼の記憶を取り戻す理由が、かつての自分を知りたいという事にさすがの彼女も戸惑っているのだろう。そんな刑部姫が少し珍しくて、志騎は思わず口元に小さく笑みを浮かべながら続ける。

「お前の言う通り、記憶を取り戻しても俺に何かの影響があるかは分からない。もしかしたら思い出さなかった方が良いと思うかもしれない。……でも、俺には確かに鳥籠って所にいた時の記憶があって、俺を作り出した大赦の科学者で、安芸先生の友達だった氷室真由理っていう人がいた。……どんな理由があっても、俺と接していた人を忘れたままになんてしておけない。そいつがどれだけ性格最悪の人間だったとしても、どんな性格で、どんな事を考えていて、どういう気持ちで俺と関わっていたのか。できるのなら、俺はきちんとそれを思い出したい。……ただの自己満足かもしれないけど、それが俺が記憶を取り戻したい理由だ。……不服か?」

 言いながら刑部姫の顔を見ると、彼女は今まで志騎が見た事が無いぐらい複雑そうな顔をしていた。眉間にしわを寄せて、唇を強く噛みしめている。彼女のこんな表情は、今まで見た事が無かったのと同時に、彼女もこんな表情ができるんだなと少し酷い感想を浮かべてしまったが、そう思うのは許してほしいと心の中で思った。

 刑部姫はしばらく黙りこくっていたが、やがて髪の毛をくしゃくしゃと乱暴に掻くと、

「ああくそ、分かった。明日神樹館の授業が終わり次第、いつも検査をしている病院に来い。安芸、すまないが明日志騎を病院に連れて来てくれ」

「ええ。分かったわ。志騎もそれで良いわね?」

「はい。……刑部姫、ありがとうな」

「私は別に構わん。礼なら安芸に言ってやれ」

 刑部姫は手をひらひらと振りながら返すと、安芸は口元に笑みを浮かべながら首を横に振り、

「私も良いわよ。むしろ、志騎がそう言ってくれて少し嬉しいわ」

「嬉しい、ですか?」

 ええ、と志騎の言葉に安芸は頷きながら、

「これはあなたと同じ、私の自己満足に過ぎないけれど……。例えどれほど性格に難があっても、やっぱり親友の事を覚えていてくれる人が私以外誰もいないっていうのは、少し寂しいもの」

 するとよほど安芸の言葉が予想外だったのか、刑部姫の目が真ん丸に見開かれる。それから珍しい事に----本当に、本当に珍しい事に----彼女の頬がほんのりと朱色を帯びる。そしてそれを隠すようにご飯を一気にかきこむと、志騎に空になった茶碗を突き出す。

「し、志騎! お代わりくれ! 今日は少し頭を使い過ぎて腹が減った!」

 そんな非常に珍しい刑部姫の様子に、志騎と安芸は顔を見合わせて笑うと、刑部姫の茶碗を受け取って注文通り白米を大量によそってやるのだった。



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第二十二話 ガール・ミーツ・ジーニアス

刑「今回からは安芸と氷室真由理、そして志騎の過去の話になる。しかし全てを一話にまとめるのは長すぎるので、二話に分ける事になった。なので志騎目線の話は次話になる」
刑「では安芸目線による私と安芸の出会いを、どうぞお楽しみあれ」


 

 

 志騎が退院した翌日の朝、銀は天海邸の前で一人佇んでいた。

「………」

 何も言わず神妙な表情を浮かべている彼女の目の前には、自分がこの家に来るたびに押し続けてきた呼び鈴がいつもと何ら変わらず設置されている。呼び鈴を押せば、この前まで送っていた日常通りに志騎が出てくるはずだ。なのに、何故か今日は緊張による心臓の音がうるさくてなかなか目の前の呼び鈴が押せなかった。さっきから呼び鈴を押そうとしても、すぐに指を引っ込めてしまうという事を繰り返しているほどである。

「………あー、くそっ」

 数回繰り返した後、銀は大きく深呼吸をすると、意を決して呼び鈴を押そうとする。しかしまさに銀の指が呼び鈴を押そうとした直前、彼女の指が止まった。それは彼女の意志によるものでは無く、突然目の前の引き戸が開けられたからだ。

「おはよう、銀。……何やってんだ?」

 そこにいたのは、神樹館の制服に身を包んだ志騎だった。彼は呼び鈴を押そうとしている体勢のまま硬直した銀を訝しげに見る。一方、不意を突かれた銀は突然現れた志騎に目を丸くしたものの、すぐに我を取り戻すと左手で頭を掻きながらあははと笑い、

「いや、ちょうど今呼び鈴を押そうとしたらお前が急に出てきてさ、ちょっとびっくりしたんだよ。でもあたしが呼び鈴押すよりお前が出てくるなんて珍しいな」

「中々呼び鈴が鳴らなかったから、念のために見に来たんだ。お前が寝坊したって事も考えられるし」

「なんだ、そうだったのか。でもわざわざあたしがいるかどうか確認しに来るなんて、もしかして一緒に学校に行くのがそんなに楽しみだったのか?」

 ようやく調子を取り戻してきた銀はそんな軽口を叩く。それを聞いて、何言ってんだお前と志騎の口から呆れた言葉が飛んでくるだろうなと銀は予想していたが、彼の口から飛んできたのは予想外の言葉だった。

「……そうだな。ここしばらく忙しかったし、楽しみじゃなかったと言えば噓になる」

「--------」

 志騎の言葉に、銀は目を見開くと同時に自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。心臓の音がバクバクと高鳴りし始め、うまく舌が回らなくなる。

「な、なんだ、そうだったのかー。あはは……」

 結局自分の口から出たのは、力の抜けた声だった。しかしそんな幼馴染の異変に気付かず、志騎はくるりと銀に背中を向けながら言う。

「ランドセルを持ってくるから少し待っててくれ」

「わ、分かった」

 家の中に戻る志騎の背中を見ながら、銀は深呼吸を数回する。するとようやく自分の顔の熱さと心臓の高鳴りが収まって来て、ほっとすると同時に一体何だったんだ? と自分の体の異変に少しの間首を傾げるのだった。

 それからすぐにランドセルを背負った志騎が戻って来て、引き戸の鍵をしっかりと掛けると銀に向き直る。

「じゃあ、行くか」

「ああ。……そうだ。志騎。折角だし、手を繋いで行かない?」

 言いながら銀が右手を差し出すと、銀の顔を志騎は怪訝な目で見ながら、

「はぁ? 何でそんなガキみたいな事……」

「良いじゃんか別に。それにあたし達まだ子供みたいなもんだしさ。……それともあたしと手を繋ぐのは、嫌か?」

 銀が寂しそうな表情を浮かべると、志騎は少し顔をしかめながらため息をつき、

「……学校が見える前には離すからな」

「……! ああ!」

 直後、笑顔になった幼馴染にやれやれと肩をすくめながら、志騎は銀の手をきゅっと握る。 

 握った手の暖かさと柔らかさが伝わってきて、それが今の銀には無性に嬉しかった。少し前まで、もう握れないのかと思っていた手。それが今こうして日常の中でまた握る事ができている。それが今の銀には嬉しかったし、表情には出さないが志騎も似たような気持ちだった。

 そして二人は志騎の宣告通り、神樹館の校舎が見えるまで手を繋ぎながら歩くのだった。

 ずっと自分達が過ごしてきた、日常通りに。

 

 

 

 

 神樹館に到着した二人は下駄箱で上履きに履き替えてから自分達の教室に向かうと、志騎にとっては何日かぶりになる教室の中を覗き込む。

 教室にはすでに何人かの生徒達がおり、友達と話したり読書など自分の趣味に没頭したりと、思い思いの時間を過ごしている。ちなみに須美と園子もすでにおり、須美は今日一日の授業の確認、園子は自分の机ですぴーすぴーと寝息を立てている。相変わらず、二人の性格がよく分かる朝の過ごし方だった。

「こうして見ると、以前とあまり変わらないように見えるな」

「いやいや、そう見えるのは外見だけで、きっとお前が入っていたらわーってなるに違いないって! 志騎は勇者なんだし、それぐらいありえるって絶対!」

「んな馬鹿な……」

 銀の力説に苦笑しながら、志騎は教室の中に入ると一直線に自分の机に向かう。

 その瞬間、クラスにいた生徒達の視線が志騎に向かった。それに戸惑いながらも表情には出さず、志騎は自分の机にランドセルを置くと少しぎこちなく朝の挨拶をする。

「えっと……おはよう。久しぶり」

 直後。

 銀の言った通りわーっ! とはさすがにならなかったが……、須美、園子、銀を除く生徒達が一斉に志騎の周りに集まった。突然集まってきたクラスメイト達に目を白黒させる志騎に、クラスメイト達が次々に声をかける。

「天海、久しぶりー! 何日ぶりだ!?」

「退院したって事は、体調良くなったんだよね!? 良かったー」

「本当はお見舞いに行きたかったんだけど、安芸先生からお見舞い行くのも避けるように言われてたし、どこに入院してるのかも教えられなかったしさ。心配したよ」

「今日の授業で分からない所とかあったら言ってね。ノート見せてあげるから」

 発せられる言葉は全員違うが、そこにあるのは紛れもなく志騎の事を心配する気持ちだった。これほどまでに志騎がクラスメイト達から心配されていたのは勇者としての知名度もあるかもしれないが、やはり志騎の人間性というものをクラスメイト達がきちんと理解していたからだろう。今まであまりクラスメイト達と接した事が無かったと思っていた志騎だったが、どうやら人というのは本人の知らぬ所でそういう所をきちんと見ているものらしい。その事に若干の照れ臭さとそれ以上の嬉しさを覚え、志騎はクラスメイト達一人一人に感謝を込めた返事をしていった。

 そしてクラスメイト達との話が終わると、志騎はふぅと軽く息をついてから銀と須美がいる須美の席に向かう。すると、先ほどまでクラスメイト達に囲まれていた志騎を見ていた銀がにししと笑いながら、

「ちょっとした有名人じゃん」

「やめてくれ、さすがに少し恥ずかしい」

 銀の言葉に志騎が手をひらひらとしながら返すと、状況を見ていた須美がニコニコしながら、

「それだけみんな、あなたの事を心配してたって事よ」

「……そうみたいだな」

 腕を組みながら軽く笑みを浮かべて言うと、それまで寝ていた園子の鼻提灯がぱちんと弾けた。む~……と眠たそうに眼をこすりながら頭を上げると、彼女のぼんやりと開いた目が志騎の顔を映した。

「あまみんおはよ~」

「おう、おはよう。寝起き早々に悪いけど、机に涎が垂れてるぞ」

「ええ~!?」

 志騎の言葉に慌てて園子が自分の机を見てみるが、涎らしきものはどこにもない。そんな園子を見て、志騎は何故かくっと笑いながら言う。

「冗談だよ」

「あ、そうだったんだ~。良かった~」

 志騎の冗談に気を悪くする様子もなく、園子はほっと胸を撫でおろした。するとそんな志騎を銀と須美が何故か真剣な表情で見ているのに志騎が気づき、二人に尋ねる。

「どうした?」

「いや、お前が笑いながら冗談を言うなんて珍しい事もあるもんだなと……」

「本当ね……。いつもの志騎君ならそんな事言わないと思ってたから……」

「お前らは俺を何だと思ってるんだ……」

 二人の反応に志騎がぼやいた直後、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。銀と志騎がそれぞれの席に戻ると、タイミングよく安芸が教室に入ってきた。おはようございます、と生徒達に朝の挨拶をしてから一度志騎に視線をやり、すぐに視線を外すと生徒達に言う。

「もう皆さん気づいていると思いますが、ここ数日入院していた天海君がクラスに戻ってきました。これは喜ぶべき事ですが、天海君はまだ病み上がりですので、もしかしたらまた体調が悪くなるかもしれません。もしもそれを確認したら、すぐに先生に連絡するようにしてください。天海君も、もしも体調が悪くなったら周りの人や先生にすぐに言うように。良いですね?」

 安芸からの確認の言葉に志騎を含めた生徒達からはい、という返事が返ってくると、安芸は笑顔を浮かべて頷いた。それから日常である生徒の出席の確認と神樹への礼を行った後、いつも通り授業が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 志騎にとっては数日ぶりとなる授業だったが、日頃行っている復習と昨日行った予習のためか、授業に支障を来す事もなく、その日の全ての授業は何の問題もなく終わった。そして、志騎にとってはまさに待ちに待ったと言える瞬間がやってくる。

 夕礼を終えた志騎はランドセルに教材を詰め込むと、教卓で自分を待つ安芸の元へと向かう。無論、彼女と一緒に刑部姫が待つ病院へと向かうためだ。そして安芸と一緒に廊下に出たその時。

「志騎! 安芸先生!」

 二人の背中に声がかけられ、二人が振り向くとそこには銀、須美、園子の三人が立っていた。

「どうした? お前ら」

 自分達を見つめる三人に志騎が声をかけると、須美が三人を代表するかのように口を開く。

「志騎君、安芸先生。その……私達もついていってはダメですか?」

「ついていくって……病院に? どうして?」

「いや、その……なんていうか、志騎一人だけ行かせるのはちょっと不安っていうか……。ほら、記憶の封印を解除するのは刑部姫だろ? あいつにやらせたらなんか志騎の性格や記憶に変な操作をしそうでちょっと不安っていうか……」

「それに、記憶が戻ったらあまみんの性格が変わっちゃうんじゃないかって思っちゃったんだよね~。そうならないとは、私も言い切れないから……」

 不安げにごにょごにょと口の中で銀が呟き、園子が困ったような笑いながら補足する。要するに、刑部姫一人に任せていたら志騎が自分達の知らない志騎になってしまいそうで不安だ。だから自分達も一緒についていって、そうならないか確認しに行きたいという所か。彼女達の刑部姫の態度を考えれば仕方がないが、きっとそれ以上に彼女達の心を不安にさせているのは、記憶を取り戻した志騎が自分達の知らない志騎になってしまうのではないかという事だろう。過去の記憶を取り戻したところで志騎の性格が変わるとは思えないが、万が一という事も考えられる。それを考慮すると、彼女達の心配も仕方がないと言えるだろう。

 志騎が安芸の顔を見上げると、彼女は自分の顔をじっと見返してきた。志騎が良いと言うのなら、自分は特に反対しないという事だろう。いちいち言葉に出さなくても、長い間一緒に暮らしていれば彼女の言いたい事は大体分かる。志騎は安芸から銀達に視線を戻すと、

「良いよ、ついてきて。まぁ刑部姫の事だから変な事はしないと思うけど、念のためにな」

「……本当か!? やったー!」

 断られる可能性も予測していたのか、銀は志騎の言葉に嬉し気な声を上げる。こうして許可を得た三人は志騎と安芸と一緒に、志騎がいつも定期健診を受けている病院へ安芸の車で向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

「チッ」

 病院に到着し、検査室に入った五人を始めに迎えたのは、椅子に座った刑部姫の舌打ちだった。無論これは志騎と安芸に向けられたものでは無く、予想外の客人である三人に向けられたものだ。一方、そのような対応は予測していたのか銀は顔をしかめながら、

「人の顔を見るなり舌打ちってずいぶんな挨拶だなぁ。挨拶ぐらい普通にできないのか?」

「何故勝手についてきたお前達に挨拶をしなければならない。むしろとっとと消えて欲しいんだが」

「勝手についてきたのは本当だけれど、それでもきちんと挨拶をするのは人として当たり前の事じゃない?」

「だからお前達にも挨拶をしろと? はっ、寝言は寝て言えよクソガキ共。そのまま永遠に眠り続けてもらって構わないぞ」

「……私、やっぱりあなたが大嫌い」

「ははは。気が合うな。私もお前達が大嫌いだ」

「「「「………」」」」

 軽いジャブだと言わんばかりの舌戦の後、四人の視線がバチバチとぶつかり合う。下手をしたら、即座に相手に掴みかかりかねない雰囲気だ。一方、刑部姫と三人の舌戦を改めて目にした志騎は、こいつらこんなに仲が悪くなってたのか……? と冷や汗を垂らしていた。もうここまで来ると、関係の修復は不可能なのではないかと思えるほど悪化している。本当に自分がいない間に刑部姫は何をやらかしたのだろうか。

「まぁ良い。志騎もあまり時間を掛けたくないだろうか、早く済ませる事にしよう。処置をするために麻酔をかけるから、そこに寝転がってくれ」

 そう言って刑部姫が指さしたのは、検査室に置かれている質素なベッドだった。それから銀達三人を不機嫌そうな目で見た後、安芸に言う。

「安芸。お前はそいつらを連れて廊下に出てくれ。目障りでたまらん」

「待てよ。お前と志騎を二人っきりにできるわけないだろ」

「知るか。さっさと出ろ。それとも、力づくの方が良いか?」

「やってみろ」

 刑部姫と銀の距離が縮まり、二人の間の空気が一気に険悪な状態になる。しかしその時、まるでその空気を破るように志騎が言った。

「銀。俺は大丈夫だ。お前は須美達と一緒に外に出ていてくれ」

「けど、志騎……」

 銀が不安そうな表情を浮かべながら口を開こうとすると、志騎は彼女を安心させるように笑みを浮かべながら、

「こいつは確かに何をしでかすか分からないけど、少なくとも俺や安芸先生がいる前で変な事を起こすほど馬鹿じゃない。だから安心して待っててくれ」

「むぅ……」

 銀はそれでもなお何か言いたそうだったが、さすがに当の本人にそこまで言われては彼女も強く出る事は出来ず、渋々と「……分かった」とだけ呟いた。それから安芸に連れられて三人は検査室から出ようとするが、部屋を出る直前やはり心配だったのか三人が志騎に言った。

「危なくなったら大声出すんだぞ!」

「何かされそうになったら、突き飛ばしてでも逃げてくるのよ!」

「ジェラート奢ってあげるって言われても、言う事聞いちゃ駄目だよ~!」

「私は誘拐犯か!? ああ!? ぶち殺すぞゴラァ!!」

 あんまりな言い様に刑部姫がドスの低い声を出すが、三人はすでに安芸と一緒に検査室を出ていた。クソガキ共が……と忌々し気に呟く刑部姫を見て、志騎はため息をつく。

「本当にあいつらに何したんだよお前……。あの三人が他人にここまで言うなんて見た事ないぞ……」

「あいつらには何もしてない。それより、さっさと始めるぞ。……その前に、本当に良いのか?」

 最後に確認の言葉を投げかける刑部姫に、志騎は何の迷いもなくこくりと頷いた。その目に宿る覚悟を目にした刑部姫は、そうか、とだけ呟くと麻酔薬の入った注射器を手にする。それを見た志騎がベッドに寝転がると、刑部姫は志騎の右腕の一部分をアルコールの染み込んだ布で丁寧に拭く。

「お前が寝ている間に、記憶にかけられている封印の術式を解除する。解除自体はすぐに終わるが、麻酔が切れて目を覚ますのは大体一時間後ぐらいになると思う。目を覚ます頃には、お前は記憶を取り戻しているはずだ」

「分かった。……じゃあ、頼む」

「ああ。一時間後に、また会おう。……sweet dream(よい夢を)

 そう言って刑部姫は注射器の針を志騎の右腕に刺すと、麻酔液を注入する。微かな痛みと共に麻酔液が体内に入っていった直後睡魔が襲い掛かり、それからすぐに志騎は眠りの世界へと旅立つのだった。

 

 

 

 

 廊下に出た後、銀は検査室の前をうろうろと不安そうに歩き回っていた。それから検査室の扉から検査室の前のベンチに座っている安芸に視線を移し、

「もう終わりましたかね?」

「まだよ。封印の解除が終わっても、麻酔が切れるまで大体一時間ほどかかると思うから、それまではここで待ってる必要があるわね。それまでに中に入ったら、多分刑部姫の雷が落ちるわ」

「別にあいつの雷なんてどうでも良いですよ。ただ……」

「志騎が心配?」

 安芸が問うと、銀はこくりと頷いた。それはきっと安芸の隣に座っている須美と園子も同じだろう。

「さすがに刑部姫の言う事を心の底から信じろとは言えないけど、彼女が志騎を傷つけるような事はまずないわ。彼女にとって彼は文字通り自分の遺伝子を使って作った息子のようなものだから」

「……安芸先生は、刑部姫の事を信用なさっているんですね」

「まぁそれは、長い付き合いだからね」

 須美の言葉に安芸は苦笑しながら返す。確か、安芸はバーテックス・ヒューマン計画において発案者の氷室真由理の唯一の助手だったはずだ。しかしよくよく考えてみれば、あの人格破綻者の彼女が唯一助手にしていたという事は、二人は科学者と単なる助手という関係ではないのかもしれない。

 須美の隣から体勢をやや前傾気味にしながら、園子が安芸に尋ねる。

「安芸先生と刑部姫って、どれぐらいの付き合いなんですか~?」

「そうね……。刑部姫の人格の元になった真由理との関係も入れると……大体17年ぐらいかしら」

「17年……って事は、小学生からの付き合いって事ですか!?」

 今の安芸の年齢は25歳。それから逆算すると、二人の関係が始まったのは大体小学3年生ぐらいになるだろう。それからここまで長い間あの刑部姫と友人関係を保てているとは、銀達にはとても信じられなかった。はっきり言って、常人であれば三日で精神をズタボロにされてしまうのではないだろうか。

「なんか、それを聞くと先生と刑部姫がどんな形で出会ったのかすっごい気になるんですけど……」

 銀の呟きに、須美と園子もこくこくと頷く。三人の反応に安芸は苦笑しながら、

「そうね……。じゃあ折角だし、ちょっと話しましょうか。このまま待ってるのも暇でしょう?」

 まさかの安芸の言葉に、三人は再びこくこくと頷いた。安芸と刑部姫の出会いは前から気になっていたが、このような形で聞けるとは思っていなかった。安芸の言う通り、折角の機会だと思って聞かせてもらう事にしよう。

 安芸は近くの自販機でペットボトルのお茶と三本の缶ジュースを買うと、自分はお茶を、三人にはジュースを渡す。

 喋る前の準備をする様にお茶で喉を湿らせると、安芸は静かに語り始めた。

 自分と氷室真由理の、出会いの物語を。

 

 

 

 

 彼女と出会ったのは近所の図書館だった。当時自分は学校の授業で必要な調べものをするために、近所の図書館へと向かった。調べものに必要な本が、学校の図書館ではどうしても見つからなかったのだ。その時に出会ったのが、後に親友となる少女、氷室真由理だった。

 彼女を最初に見た時、とても自分と同い年とは思えないというのが安芸の真由理に対する第一印象だった。艶のある黒髪を背中まで伸ばしており、まるでモデルのようにすらりとした体型。おまけに周りに大人が見ても分からないような専門書をどっさり積み重ねて、それをつまらなさそうな目で読みながらどんどん脇に置いて次の本に取り掛かるその姿は、小学生というよりもまるで科学者のようだった。

 と、人によっては運命の出会いと言われるかもしれないが、あれはそんなに良いものでは無いと安芸自身思う。何故なら、二人のファーストコンタクトは決して良いものでは無かったからだ。

 安芸が思わず真由理をじっと見ていると、安芸が自分を見つめている事に気づいた真由理はじろりと安芸に視線を向けながら尋ねた。

『何だ?』

 突然冷たい声をかけられた安芸が戸惑っていると、さらに真由理の口からこんな言葉が飛び出した。

『用が無いなら見るな。私はペット屋の動物じゃない』

 そう言って安芸から視線を外すと、また手元の本に視線を戻した。真由理----刑部姫の性格を知っている者が聞いたら、簡単に脳裏に浮かぶであろう。氷室真由理と言う少女の性格は、恐ろしい事に小学三年生の頃からすでに出来上がりつつあったのだ。

 そして初対面の人間からそのような事を言われた安芸は呆気に取られながらも、初対面の人間にそのような態度を取る真由理に気を悪くし、彼女から離れて一人本を探し始めた。

 しかし、肝心の本は中々見つからなかった。図書館にいる司書に聞こうにも、忙しそうで中々声を掛けられなかった。何の手立ても無く一人でうろうろしていたその時、突然舌打ちが聞こえてきた。聞こえてきた方向に目を向けると、そこには真由理が不機嫌そうな目で安芸を見ていた。

『何の本を探してるんだ』

 彼女から問われた事に安芸は少し驚きながらも、先ほどの事もあり言おうか言うまいか少し迷った。しかしこのままうろうろしてるのも時間の無駄なので、疑い半分で彼女に本のタイトルを言ってみた。

 すると真由理はぶっきらぼうに棚の番号と何列目にあるか、さらに何というタイトルの本の隣にあるのか答えた。そして真由理に言われた通りの所に向かってみると、本当に自分が探していた本がその場所にあったのでひどく驚いた。

 しかし、それだけでは終わらなかった。安芸がお礼を言ってからよく知ってたわねってと言ったら、真由理はつまらなそうに答えた。

『前に読んだ事があったから覚えてただけだ。それと、その本はやめておけ。127ページの5行目の記述に誤りがある。読むなら別の本にしろ』

 彼女の言葉を聞いて、安芸は思わず眉をひそめた。ページ数と行数が正確すぎる。彼女の様子からして適当に言っているだけとも思えない。まさか、本当にそのページに何が書かれているか覚えているとでも言うのだろうか。

 それを聞くと、彼女は『ああ』と少し不機嫌そうに返した。まるで、『1+1は2なの?』というような、当たり前の事を聞かれて苛立ったように見える反応である。

 安芸が信じられない、と素直に思った事を伝えると、彼女はさらに眉間にしわを寄せて、

『お前の好きな小説は何だ?』

 と唐突に尋ねてきた。

 またもや出てきた突然の問いに安芸は戸惑いながらも、素直に自分の好きな小説のタイトルを言う。すると真由理はさらにページ数と行数を言えと言ってきたので、安芸は言われた通り適当なページ数と行数を彼女に告げてみた。そして直後、彼女がそれらを尋ねてきた理由が分かった。

 質問に対する答えを聞いた真由理は次の瞬間、すらすらと何かの小説の文章を言い出した。それに安芸がまさかと思い図書館にあった小説のページ数と行数を確認してみると、なんと彼女が口に出していた文章と見事に一致していたのだ。しかもただ文章を読み上げているだけでなく、ちゃんと句点等の位置も理解して喋っている。つまり、彼女の頭の中には小説に書かれている文字全てが一字一句違わず入っていたのだ。

 文字通りの天才の所業を目にした安芸は思わず絶句したが、気が付くと当の本人はもう別の本を読んでた。今やった事は何て事のない、文字通りの朝飯前の事だと言外に告げるかのように。

 それが----安芸と、氷室真由理の出会いだった。

 

 

 

 

 

「----これが、私と彼女の出会いよ。あの行為を見た時、思ったわ。ああ、天才って本当にいるんだって」

 三人に自分と真由理の出会いを話した安芸はそこで一度話を区切ると、お茶を一口飲んでからふぅと軽く息をつく。三人が安芸の目を見てみると、彼女はまるで遠い昔を懐かしむように目を細めていた。

 それは安芸にとっては、まさに未知との遭遇だったのだろう。今まで出会った事もない、凄まじいまでの頭脳を持つ天才が、突然自分の目の前に現れたのだから。

「じゃあそれがきっかけで、安芸先生は真由理さんとご友人になったんですか?」

 すると須美の言葉に安芸は苦笑しながら、

「さすがに出会ったばかりの人間を簡単に友人とは呼べないわ。でも、気にならなかったって言ったら噓になるわね。だからその日の翌日、また図書館に行ってみたの。そしたら初めて会った時と同じところに、彼女はまた別の本を大量に脇に置いて、本を読んでいた。それで近づいて今日は何の本を読んでるの? って聞いたの。そしたら……」

「「「そしたら?」」」 

 三人がオウム返しに問うと、安芸は何故ため息をついて、

「無視されたわ。で、それから何回も話しかけて返ってきたのは、『聞こえた上で無視してるんだ。それぐらい察しろよ馬鹿が』」

「ああ、言うわ……。あいつなら絶対に言うわ……」

 目に浮かばないのが逆に難しいほどである。だが安芸はその思い出すら懐かしいのか、少し笑いながら、

「でも彼女の態度にさすがに私も頭にきて、それから何回も話しかけたの。何回か本当に人を殺しかねない目で睨まれたけど、根気よくね。それでようやく、彼女も渋々だけど私に色々な事を話してくれるようになったの」

「(……何て事のないように話してるけど、それは先生がすごくないかしら……)」

「(うんうん。我慢比べであの刑部姫に勝つなんて、私だったら絶対無理だよ~)」

 園子ですら刑部姫のペースに乱された事を考えれば、我慢比べで安芸が真由理に勝った事がどれだけ大変な事か分かるだろう。彼女と十年以上友人関係を築けていたのは、この忍耐強さもあったに違いない。

「それから色々と話して、ようやく知り合い以上友達未満の関係になったって感じね。彼女も最初は鬱陶しがっていたけど、段々と棘のない笑顔を見せてくれるようになったわ」

 棘のない笑顔と言われても、いつも皮肉気な刑部姫の笑顔しか見てこなかった彼女達には中々そうぞうできなかったようで、銀は腕を組んでうーんと唸りながら、

「何だか、意外ですね。刑部姫の事だから、ずっと無視し続けるって思いましたけど」

「……そうね。私も最初はそう思ってたわ。でもよくよく考えてみると、彼女が私にそんな反応をするのも当然だったのかもしれないって思うの」

 え? と三人がきょとんとした表情を浮かべると、安芸は先ほどとは少し違う、寂しさの混じった笑みを浮かべながら、

「それから何度か図書館に行ったんだけど、彼女はいつも一人で図書館に来ていたの。それで一回、友達はいないのって聞いたら、こう言ったのよ。『いないさ。必要ないし、作ろうとしても無駄だからな』って」

「これまた言いそうだな……」 

 銀が冷や汗を垂らしながら言うと、何故か安芸は少し悲しそうな表情を浮かべて、

「確かにそうかもしれないわね。でも、考えてみると少し違和感がない?」

 え? と安芸からの言葉に三人は思わず目をぱちくりと瞬きしてから顔を見合わせる。違和感、と言われても三人は正直彼女なら言いそう、という感想しか浮かばない。するとそれを察したのか、安芸は特に残念がるような素振りも見せずすぐ答えを言った。

「『作ろうとしても無駄』って事は、一度は作ろうとしたって言っているように聞こえない?」

「「「………あ」」」

 答えを聞き、三人はすぐに安芸が何を言いたいのかを知る事が出来た。

 確かに、それは氷室真由理が言うにしては少し違和感がある。三人が知っている彼女ならば作ろうとしたなど言わない。それ以前に、『何故私が友人などを作らなければならないのだ?』ぐらいは普通に言いそうである。

 だがその時氷室真由理が言ったのは、『作ろうとしても無駄』。それはつまり、一度は友達を作ろうとしたような口ぶりだった。

 あの、刑部姫が。

「あの、性格最悪毒舌鬼の刑部姫が……」

「ミノさん、考えてる事が漏れちゃってるよ~」

「まぁ、気持ちは分かるけど……」

「この場に彼女がいたら即座に殺しかねない発言ね……」

 驚くどころか顔を恐怖の色に染めた銀だったが、流石に気持ちが分かるのか須美と園子はおろか、友人である安芸も特に否定の言葉は言わなかった。それほどまでに予想外という気持ちが、痛いほど分かるからである。

「最初は彼女がそう言った理由がよく分からなかったんだけど、付き合っていく内に何となく理由が分かったわ。一言で言うと、天才過ぎたのよ。彼女は」

「……? どういう意味ですか?」

 安芸の言葉の真意がよく理解できず、須美が尋ねると安芸は自分の説明を補足する。

「常人を遥かに超えた頭脳を持つ彼女は、子供の時からこの世界の全てを理解してしまっていた。本来なら年を重ねて理解していくものを、彼女はもうすでに知ってしまっていたのよ。だからこそ、私と出会った時には彼女はすでにあらゆるものが見えていた。実際、時々彼女の目は私や目の前の本じゃない、どこか全く別のものを見ていたわ」

「全く別のものって、何ですか?」

「それは分からないわ。天才の見ているものは、普通の人には分からない事が多いから。特に彼女のような際立った天才の場合は、ね」

 一番の友人であるはずの安芸ですら分からないとなると、氷室真由理の見ているものを共有できる人間はもしかしたらこの世にはいないのかもしれない。三人はおろか、同じ天才と言われる人間でも。さらには彼女の遺伝子上の息子である、志騎でも。

「あとで聞いた話だけど、一応彼女も子供の時は友達を作ってみようとした事はあったみたい」

「想像できない……」

「まったくね。でも、友達ができた事は無かった」

「それってやっぱり、性格のせいだったり?」

 園子が聞くと、安芸は首を横に振って否定の意を示した。

「たぶん、彼女の周りの子達が無意識に彼女を避けてたと思うわ。人は無意識に、自分には理解できないものを避ける性質がある。特に子供は自分と他人との違いを見分ける能力が高い。悪意は無かったと思うけど、それが理由で周りの子達は真由理を避けていった。それを繰り返していくうちに、彼女も諦めたんだと思うわ。自分に友達なんてできないって」

「……なんだかそれって、悲しいね」

 ポツリと、園子が沈んだ声で呟いた。それは銀も須美も同じだった。

 自分達の知る刑部姫----氷室真由理は性格最悪の女性だが、そんな彼女でも幼少期の頃は打算とはいえ、友達を作ろうとした時があったのだ。だがそんな彼女の想いが叶う事は無かった。皮肉な事に、彼女自身がいつも自慢げに告げている『天才』という、他の人間の能力を圧倒的に凌駕する才能のせいで。

 特にそれを痛感しているのは、三人の中では園子だろう。乃木家という大赦の中でも最高の権力を持つ家の一人娘である彼女は、それが理由で銀達とチームを組むまで友人ができた事は無かった。理由は異なるが、自分達とは違う存在という理由で友達ができなかったという点は真由理と同じと言えるだろう。

「とは言っても、当時から彼女は少し性格が捻くれてたからそれも友達ができなかった理由の一つには間違いないでしょうけど……。まぁそれは良いとして、話を続けるわね。それから彼女と色々話をしたり行動を一緒にして、大体一年ぐらい経ってようやく互いを友達だって呼べるようになったのよ。で、中学一年生の時に同じ中学校に通う事になったの」

「あの刑部姫と同じ中学……」

「なんか、あくまで予想でしかないけどすごく苦労してそうですね……」

 刑部姫と過ごす中学生活と聞いて須美と銀が思わず苦々しい口調で呟くと、ピキッと安芸の体が突然固まった。どうしたんだろう? と三人が思った直後、

「----苦労、ね。ええ、本当に、ほんっとうに苦労したわ。彼女、中学に入ると性格も頭脳もさらに磨きがかかったから。ある時は自分をからかってきた男子を全員タコ殴りにして教室のベランダから逆さ吊りにし、ある時は自作のターボエンジン付きスケートボードに乗って校庭を爆走し、またある時は実験をすると言って理科室を半分吹き飛ばし。そのたびに彼女を一緒に職員室まで連れて行って何回頭を下げた事かしらふふふふふふふふふふふ」

「あ、安芸先生戻って来て~!」

「てか予想以上にアウトローだな刑部姫! そんな事までやってたの!?」

「と言うよりも、一体何をしたら理科室を半分吹き飛ばすのかしら……」

 顔を俯かせながら暗い笑みを漏らす安芸を見て、三人は三者三様の言葉を漏らす。おまけに安芸の手に握られていたお茶のペットボトルが握力に負けて半分潰れかかっているのを見ると、彼女が中学時代にした苦労は三人の予想以上のもののようである。一体、刑部姫は他にどんな悪事をしたのだろうか。非常に気になるが、怖くてそれ以上は聞き出せない三人だった。

 それからようやく安芸は正気を取り戻すと、額に手を当てて疲れたような息をつく。

「----ごめんなさい、取り乱したわ」

「いいえ、心中お察しします。……本当に」

 少なくとも、いつも冷静な安芸が取り乱すほどの苦労を感じさせられる話題だったので、須美は心の底からの労いを込めて言った。

「どこまで話したかしら……。ああ、私達が中学に上がってからの話ね。そんな感じで彼女には色々と振り回されたけど……。彼女と縁を切ろうと思った事は一度も無かったわ」

「……散々振り回されたのに、ですか?」

 聞いただけでも刑部姫の所業は普通の人間には手に余るものだ。いくら安芸でも、何回か堪忍袋の緒がぶち切れかかったはずである。なのに、どうして安芸は彼女を見放さずずっと友人関係を保ち続ける事ができたのだろうか。

「逆に聞くけど、あなた達ならどう? 一度でも友達と呼んだ人の事を、簡単に見放せる?」

 そう聞かれ、三人は思わず互いの顔を見てから納得してしまった。なるほど、確かにこれ以上ないほど説得力のある言葉だった。

「私も同じよ。確かに彼女には何回も振り回されたわ。基本的に傍若無人な彼女でも私の言葉は聞いてくれたから、越えちゃならない一線は一度も越えなかった。それに、彼女と一緒にいて楽しかった事も何回もあったから。あなた達は知らないだろうけど、そういう時の彼女、本当に心の底から楽しそうに笑うのよ。その時だけは、この子も女の子なんだなって思ったわ」

 自分の中の想い出を語る安芸の口調は、とても優しかった。それだけ彼女にとって、氷室真由理という少女と過ごした日々は尊いものなのだろう。自分達にとっての、四人で過ごした日々のように。

「なんか、信じられないな。あの刑部姫がそんな風に笑うなんて」

「そうだね~。刑部姫、私達にはいつも意地悪な事しか言わないもんね~」

 だがいくら安芸にとってはかけがえのない親友でも、銀達にとっては信用できない毒舌精霊だ。安芸と志騎の事は信用しているのかもしれないが、自分達の事は駒の一つ程度にしか思っていないような気までする。それに関しては安芸も同感なのか、ため息をつきながら、

「それについてはごめんなさいね。何回注意しても彼女の口の悪さと性格だけは直らなかったから、私も段々流すようになったのよ。もう少し強く言えば良かったかしら……」

「いえ、そんな。安芸先生のせいじゃないですし」

「それに刑部姫が綺麗な言葉を言うのも、なんていうか……」

「気持ち悪いわね」

「「「即答した……」」」

 まさかの肯定に、銀と須美に加えて園子も軽く冷や汗を垂らす。どうやら刑部姫が綺麗な言葉を使う事に関しては安芸も同意見らしい。自業自得とはいえ、この時三人は初めて刑部姫に同情した。ほんのちょっぴり、だが。

「でも、中学二年生になったあたりで少し彼女の様子が変わったわ。たまに一人で帰るようになったし、何か機械のようなものを組み立てて授業中もずっと何か考え込むようになった。数回か何を考えているのか聞いてみたんだけど、そのたびにはぐらかされた。気にはなったけど、彼女は昔から秘密主義な所があったから、私もあまり気にしなかったのよ。でもその数か月後に、彼女は突然大赦の科学者になった」

「そういえば、刑部姫も言ってたわね。中学二年生の時に大赦を脅迫して、大赦の科学者になったって……」

 前に刑部姫は、大赦がどうしても隠しておきたい情報を手に入れ、それを脅迫材料にすると同時にバーテックスに対抗する戦力を作り出すという条件付きで、大赦の科学者になったと言っていた。もしかしたらその時から、彼女は大赦が隠しておきたい情報について何か調べていたのかもしれない。

「私もびっくりしたわ。大赦の本部に向かったら、大赦の科学者になった真由理がいたんだもの。おまけに私を助手にするとか言い出すし……。それから間もなくして、彼女は大赦の本部に自分専用の研究室を作ると、ある計画を大赦の上層部に持ち掛けた。それが……」

「V.H計画……」

 険しい表情で呟く銀の言葉に、ええと安芸が首肯する。

 V.H計画。またの名をバーテックス・ヒューマン計画。バーテックスの細胞に人間の遺伝子を組み込み、科学・呪術両方の面で手を加える事で兵器として先鋭化した勇者、すなわちバーテックスの力を持つ勇者を人工的に作ろうという禁忌の計画。そして計画の結果作り出されたのが須美と園子のクラスメイトであり銀の幼馴染----天海志騎だ。

「計画については真由理が前に話したように、反対意見はあったけど神樹様の寿命にバーテックスに対する戦力、そして神樹様の許可もあって実行が許可されたの。ただし、あまりにも無理のある話だったから二年を期限にして、もしもそれ以上かかったら計画は中止とするっていう条件付きでね」

「安芸先生は、刑部姫ならできるって思っていたんですか?」

 いかに氷室真由理が天才といえ、彼女がやろうとしていたのは人間が人間を作るという禁断の所業だ。そんな事が、本当にできるのかと普通の人間ならば疑うに違いない。すると案の定と言うべきか、安芸は複雑な表情を浮かべ、

「正直彼女から最初話を聞いた時は、疑い半分だったわね。いくら天才とはいえ、真由理は紛れもなく人間。人間が人間を作る事なんて、本当にできるのかって思った。でも周囲の疑念なんてまったく気にしないで、彼女はひたすら計画を進めたわ。バーテックスの細胞を手に入れてそこに自分の遺伝子を取り組み、様々な実験を進めた。そして二年経った時……彼女は、バーテックス・ヒューマンを作り出す事に成功したのよ」

 そこまで言うと、彼女は一度目と口を閉じた。まるで、その時の事をじっと思い出しているかのように。

「その時の事は、今でもよく覚えてるわ。いつも通り彼女の研究室に向かってたら、研究室から彼女の笑い声が聞こえてきたの。あんなに嬉しそうな笑い声は、正直聞いた事が無かったわ。部屋に駆け付けたら、中央に設置された試験槽の前で彼女は両手を広げながら本当に嬉しそうに笑ってた。液体で満たされた試験槽の中には、胎児が体を丸めて浮かんでた。……それが、志騎がこの世に生を受けた瞬間よ」

 バーテックス・ヒューマンという神の領域に足を踏みいれる計画。それは天海志騎という少年が誕生した事で、見事成功したと言えるだろう。だがそうとなると気になる事が一つある。それを確かめるため、銀は恐る恐るといった調子で安芸に尋ねた。

「あの……安芸先生。生まれた後、志騎はちゃんと育てられたんですか? いや、あたしと出会った頃には普通に育ってたから虐待じみた事はされてないと思うんですけど……」

 志騎が幼少期に受けた扱いは、子供が受けるものとしては過酷過ぎた。

 両手には手錠をされ、首には秘密を抹消するための爆弾付き。それらの事を考えると、どうしても三人の脳裏には赤ん坊の時の志騎が過酷な実験を受ける映像が浮かんでしまう。小さい体をメスで切り刻まれたり、電気ショックを受けたり……。特に想像力の豊かな園子はそれ以上の事を考えてしまったのか、ガタガタと体を震わせている。

 が、何故か安芸は三人の不安を打ち消すように笑みを浮かべると、優し気な口調で言った。

「それは大丈夫よ。真由理、自分の血を分けた存在ができたのがよほど嬉しかったのか、虐待じみた実験はしなかったわ。それどころか、志騎を作ってからは毎日子育ての本を読んでたし、それに……」

 ふふっ、と安芸はおかしそうに笑った。いつもは滅多に見ない担任の教師の様子に三人が思わず怪訝な表情を浮かべると、安芸は理由を話した。

「志騎は赤ん坊の時滅多に泣かなかったけど、その代わりに顔を不快そうにしかめたりしてたの。ある日に私が研究室で本を読んでたら、赤ん坊の志騎を抱えた真由理がすごい勢いで走って来て、こう言ったのよ。『あ、安芸! 助けてくれ! 志騎の機嫌が良くならないんだ!! おむつは変えてやったし、食事もやった! なのに機嫌が悪い! どういう事だ!?』って。あの時は私も思わず笑っちゃったし、今も思い出すと思わず笑っちゃうわね」

 と言いながら、よほど当時の真由理の様子がおかしかったのか安芸はまたクスクスと笑う。

 しかし一方で、三人は目を丸くしていた。この間の刑部姫の話を聞いてから、志騎は子供の頃からひどい目に遭っていたのだと思っていたが、それではまるで逆である。すると安芸がさらに信じられない事を言った。

「実はね、志騎の名前を付けたのは真由理なのよ?」

「「「ええええっ!?」」」

 またもやもたらされた驚愕の事実に三人は思わず声を上げた。廊下を歩いていた数人の患者の驚いた顔が三人に向けられて、恥ずかし気に三人は身を小さくした。

「提案したのは私だけどね。そしたら真由理もまんざらでもなさそうに『考えておく』って言ったの。それから色々な名前を紙に書いて、悩みに悩んでようやく決まった名前が志騎の名前なのよ」

「そ、そうだったんですね~」

「し、信じられない……」

 もう今日だけで何回驚けば良いのだろうか。今まで自分達は氷室真由理という人物に最悪な印象しか抱いてなかったが、今の話を聞くとまた違った一面が見えてくる。相変わらず性格が最悪な印象は変わらなかったが、それでも志騎を育てる事に関しては意外と真面目な感じがある。

「私が見ていた限り、彼女が彼を傷つけた事は一度も無いわ。赤ん坊の時は彼をあやしながら本を読んで、成長したら自分を『博士』って呼ばせて、色々な事を教えてた。今はもう無い外国の事、文化、宗教。志騎は相変わらず無表情だったから嬉しかったのかは分からないけど、それでもいつも真面目に彼女の話を聞いてた」

「てか、何故に外国の文化とかを……?」

「単純に外国が好きだったのよ、彼女」

 ピクリ、と。自分の横で須美がかすかに体を震わせるのを感じ、どうしたんだろうと思った銀は須美の顔をこっそり見て思わずひっと声を出しそうになった。

 日本文化大好き少女の顔は、見事なまでに能面のような無表情になっていた。どうやら刑部姫は外国文化好き発言を聞いて、彼女の中の大和魂がひそかに燃え上がってしまったらしい。銀は彼女の顔から静かに目を逸らしながら、どうか自分の親友とあの性悪精霊が竹槍とアサルトライフルを持って殺し合いを始めませんように……と割と本気で神樹に祈るのだった。

「あ、安芸先生はその時、何をしてたんですか? やっぱり刑部姫の助手ですか?」

「私は主に一般常識を教えてたわ。とは言っても彼に教えられる事には制限があったから、漢字の読み方とか計算とかだけど。だから真由理が言ったって事もあるけど、志騎からは『先生』って呼ばれてたわ」

「じゃあその時から、安芸先生はあまみんにとっての先生だったんですね~」

 園子の言う通り、志騎にとって安芸は子供の頃から色々な事を教えてくれた文字通りの『先生』だったという事だ。とは言っても、記憶を封印された彼はそれすらも覚えていないのだろうが。

「……私と真由理の二人で志騎に色々教える日々は少し大変だったけれど、楽しかったわ。でも、志騎が作られてから三年経った時……、真由理は彼女でも治す事の出来ない、不治の病にかかった」

 急に、安芸の言葉のトーンが落ちる。同時に彼女の表情も先ほど比べて少し暗くなっていた。

 だが、それも当然だろう。いくら性格に問題があるとはいえ、大切な友人が死ぬ話をするのは誰だって辛い。それも小学生からの親友なら、なおさらだ。

「前に彼女が話した通り、病気は彼女の頭脳ならともかく、現代の医療技術では彼女の病気を治す事は出来ないものだった。自分の死期を悟った彼女は自分が死ぬ前に、志騎に色々なものを残そうとしたわ。彼専用の勇者システムも、彼を外に出そうとしたのもそのためだと思う。そして自分にできる事を全部して、刑部姫を生み出して……彼女は亡くなった」

 そう話す安芸の表情はいつも通り冷静そうに見えたが、三人は彼女の目がかすかに潤んでいるのを見逃さなかった。しかしそれを指摘するような無粋な真似はしない。自分の内から溢れる感情を隠すように、安芸は冷静さを装いながら静かに言う。

「……真由理が志騎と過ごした時間は三年。私と過ごした時間に比べると短いし、志騎を生み出した理由がバーテックスを倒すためだったのは否定しない。だけど私の目から見て、志騎と接していた時の真由理には、母親としての愛情があった。それだけは、間違いじゃないと思うわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十三話 志騎と真由理と痛む胸

刑「天海志騎は勇者である、前回の三つの出来事!」
刑「一つ! 志騎が自らの記憶を取り戻したいと刑部姫と安芸に告げる!」
刑「二つ! 二人はこれを了承、志騎の記憶の封印を解除を開始する!」
刑「そして三つ! 安芸が三ノ輪銀達三人に自分と氷室真由理の馴れ初め話をしている間、志騎の記憶が蘇っていく……!」
刑「鳥籠の記憶に関する話は今回と次回で終わりとなる。まだまだ山場となる話は残っているからな。では第二十三話、どうぞご覧あれ」


 

(----ここ、は?)

 気が付くと志騎は、今まで見た事も無い部屋の中にいた。

 本棚も無ければ窓すらない、ただ白だけが支配する部屋。この中に長い間閉じ込めらたら、常人なら一ヶ月ぐらいで気が触れてしまいそうである。

 そんな部屋の中で、自分は誰かに抱きかかえられているようだった。というのも、時々自分の体を抱いている誰かがぽん、ぽんと優し気に叩いてくれるからだ。普通ならば睡魔が襲い掛かってくるかもしれないが、たった今眠りから覚めたばかりなので瞼が重くなる事は無かった。

(何で俺、こんな所に? まさか……夢?)

 一説によると、夢というのは記憶の整理の過程で作られるものらしい。という事は、刑部姫が封印の術式を解除したために記憶が解放され、それを夢という形で見ているのかもしれない。

 となると、今の自分は。

(うわ、手小っちゃ……!)

 自分の手をちらりと見た志騎は、手のあまりの小ささに思わず驚く。手の大きさから推察すると、どうやら今の自分は赤ん坊のようだ。だとすると誰かに抱きかかえられているのも別に不思議ではないが、では今自分を抱いているのは誰なのだろうか。

 志騎が首を抱いている人間に顔を向けようとした時、横から女性の声が聞こえた。

「----で、その子の名前は何て言うの? 真由理」

 聞こえてきた声に、志騎は思わず胸の中であっと声を出した。

 そして、ここが夢の世界で良かったかもしれないと志騎は思う。もしもこれが現実であったら、驚きのあまり確実に声に出してしまっていただろう。

 だがここは夢の世界。今の志騎は赤ん坊の時の自分の記憶を追体験しているだけであって、記憶に反した行動をする事は出来ない。おかげで赤ん坊の自分の口から声が漏れる事は無く、驚きが彼女に伝わる事は無かった。

 そのように志騎が驚くの無理はない。彼の知っている声と比べると少し若々しいが、それでもこの声を聞き間違える事はない。この声は----。

(安芸先生……)

 志騎の育ての親である安芸のものだった。今のこの体勢からは見えないが、どうやら彼女は自分を抱きかかえている人物の横に座っているらしい。

 いや、それよりも。

(今、真由理って言ったか……?)

 つまり、今自分を抱えている人物は----。

 と、そこまで考えた所で自分を抱きかかえている人物が自分の両脇に手を入れて、頭上に持ち上げた。   

 すると、志騎の視界に自分を見上げる二人の人物の姿が入ってくる。

 一人はどこかの高校の服を身に纏い、眼鏡をかけた少女。容姿から考えても、間違いなく安芸だろう。声と同様志騎の知っている安芸よりも当然若いが、見間違える事は無い。

 そして、もう一人。

 艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、モデル顔負けの体型。ダメージジーンズを履きシャツの上に白衣を着た少女。自分を両手で持ち上げながら、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべていた。

(……この人が……)

 氷室真由理。安芸の親友にしてバーテックス・ヒューマン計画の最高責任者。志騎を作る際に使われた遺伝子の提供主であり、刑部姫の人格と頭脳の元になった人間。 

 すなわち----、遺伝子上の、志騎の母親。

「ああ。バーテックスの細胞を使って作られたから『天』、私がこの世で一番綺麗だと思ったものである『海』。そして……『自らの意志を以って、誰かの希望となる者』からとって……『志希』。それらを組み合わせて、『天海志希』だ。中々良いだろう?」

 二ッと、真由理は横にいる安芸に向かって笑いかけた。それに安芸は何故か困ったように笑うと、

「確かに良い名前だと思うけれど……。それだと少し女の子っぽくないかしら」

「む、確かにそうだな……。では『騎士』の『騎』はどうだ? これなら良いだろう」

「ええ、そうね。カッコいいと思うわ」

 相方の了承を得られた真由理はよし! と満足げな声を出すと、

「決まった。お前は今日から『天海志騎』だ」

 と言いながら、自分を見下ろす志騎に笑いかけた。するとそれを見ていた安芸は笑いながら、

「それにしても、あなたは昔から名前には凝るわね。『名前なんて、ただの識別記号だ』って事ぐらい言いそうなのに」

「名前は大切だぞ? 名はこの世界に生まれ落ちた生物の存在を定め、在り方を決める大切なものだからな。ま、これは私の父親の受け売りだが」

「そういえば、あなたの名前はお父さんが決めたって前に言ってたわね」

 ああ、と真由理は首肯しながら、

「『この世界にある、理由、真理、真実。それら全てを見抜き、解き明かす者』という願いを込めて『真由理』だ。どうだ? 名前がどれだけ大切なものか、良く分かるだろう?」

 言いながら真由理は再びニッと嬉し気な笑みを浮かべた。言外に自分は天才だと言っているのがよく分かる。しかし流石は親友というべきか、安芸ははいはいと手を振り手慣れた様子で流しながら、

「でも、『自らの意志を以って、誰かの希望となる者』か……。どうしてその願いを込めようと思ったの?」

 安芸が尋ねると、真由理は先ほどまで浮かべていた笑みを消すと志騎の顔をじっと見つめ、

「これから先、こいつを色んな苦難が待っているだろう。大赦の馬鹿共の思惑、バーテックスとの戦い、さらには私ですら予想できない事が襲い掛かるかもしれない。悩みもするだろうし、苦しみもするだろう。それでも、誰かの思惑に乗せられるんじゃなく、自分の意志で誰かの希望になってほしい。ま、意味としてはそんな理由だ。ぶっちゃけると、こいつが自分の意志で決めたなら、バーテックスの味方になって人類を滅ぼしても別に私は構わん。もしもそうなったら、私は全力でこいつを支援するさ。正直人間が生きようが滅びようが心の底からどうでも良いし」

 仮にも人類を護る大赦に属する人間が放ったすさまじい爆弾発言に安芸は顔を引きつらせると、呆れたように言った。

「まったく、とんでもない親馬鹿ね……。でもそうなったら、私も死んじゃうんじゃないかしら?」

「安心しろ。お前は死なせないさ。なんたってお前は、私の唯一の親友だからな」

「調子の良い事を言って、もう……」

 口ではそう言いながらも、満更でもないのか安芸の口元には笑みが浮かんでいた。

 唯一の親友を傍らにし、自分の遺伝子を使って作った息子を持ち上げながら少女は笑う。

 少女の笑顔は、今まで志騎が見た事がないほど、華やかな笑顔だった。

 

 

 

 

 それから志騎は自分が鳥籠にいた時の記憶を次々と思い出していき、それらを夢という形で見ていった。

 言葉が話せるようになると、志騎は真由理の事を『博士』、安芸の事を『先生』と呼ぶようになった。彼女が自分と安芸をそう呼べと言ったのもあるし、自分に色々な事を教えてくれる二人は自分にとっては確かに『博士』と『先生』だったからだ。

 真由理は自分に外国文化の事を教えてくれた。今は学校の教育として残っている英語から、すっかり話す機会が失われてしまったドイツ語やフランス語、イギリス語、さらにそれ以外の言語も彼女は教えてくれた。それに加えて昔あった外国の国々の文化、食べ物、祭りといったものまで。おかげで、今の時代ではまったく役に立たないであろう外国文化の知識にすっかり詳しくなってしまった。前に銀に教えたシュールストレミングを知ったのもこの時だ。

 ちなみに、シュールストレミングの存在を知った真由理は試しに作ってみて安芸と一緒に食べたらしい。結果、自分達はシュールストレミングは二度と食べないと固く心に誓ったのだと、真由理は愉快そうに笑っていた。

 それだけではなく、たまに科学の実験で使う器具を持ってきて自分に色々な実験を見せてくれた。実験を見て自分の表情が変わる事は無かったが、不思議と心が躍ったのを覚えている。

 一方、安芸は数の計算の仕方やひらがなや漢字の事を教えてくれた。考えてみれば、あの時から安芸は自分にとっての『先生』だったのだろうと思う。自分が計算の仕方や漢字など、教えてくれた事を一つ一つ覚えていくのを見るたび、安芸は優し気な笑みを浮かべた。その時の顔は、自分が安芸と一緒に暮らすようになっても変わる事は無かった。

 大抵志騎に何かを教える時は真由理が教えるか、安芸が教えるかのどちらかで二人が一緒に鳥籠に来る事はあまり無かったのだが、たまに二人が一緒に来る事があった。

 中でも自分の記憶に強烈に残っているのは、真由理が食事を作ってくれた事だ。いつものように自分が味気のないゼリー飲料を食べていると、真由理がある麺類を作ってくれた事がある。丼に味噌がベースのスープが注がれ、その上に中華麺とナルト、チャーシュー、わかめといった具が乗っている食べ物。----志騎が好きな食べ物である、ラーメンである。

 初めてラーメンを食べた時、志騎は思わず目を見開いてあっという間にラーメンを食べてしまった。今まで味気ないゼリー飲料しか食べた事が無かった志騎にとって、あれが一番のご馳走だったのだ。香川県民であるはずの志騎がうどんよりもラーメンが好きなのは、恐らくあれが理由だろう。

 だが。

 そういった事を体験しても、志騎の心が成長する事は無かった。

 確かに一時の感動などを味わう事はあったが、まるで膨らんだ風船がすぐに萎んでしまうかのように、高鳴った心はすぐに戻ってしまった。真由理から外国文化の事を教えてもらっても、ラーメンという美味しい食べ物を食べても、その感動は次の瞬間にはすぐに消えてなくなってしまう。

 だから真由理や安芸から色々な事を教えてもらっても、鳥籠の外に出たいと思った事は一度も無かったし、ラーメンをもう一度食べたいと思う事も無かった。次の日にはまた本を読み、栄養だけが詰まった味のないゼリー飲料を体に取り込むという流れ作業のような日々が再び続く。それを見て安芸は少し心配そうな表情を浮かべていたが、真由理はそのような表情は全く見せなかった。もしかしたら、天海志騎という存在を作った張本人である彼女には、志騎がそうなる事を知っていたのかもしれない。

 そんな日々が約二年続き、志騎の体が六歳児相当にまで成長したある日の事だった。

 安芸が突然今まで自分が読んだ事のない類の本を差し出してきた。今まで志騎が読んできた本と言えば武器の使い方、格闘技の専門書、外国語の本など、日常生活にはあまり役立たない類のものばかりだった。なので安芸にこの本は何なのか尋ねると、彼女曰く『小説』というものらしい。なんでも、個人が考えた物語を書籍の形にして読めるようにしたものだとか。いつも同じ本ばかりじゃつまらないし、読んでみたらという事で、安芸と真由理がいない間さっそく読んでみる事にした。

 結論から言って、内容はつまらなくはないがあまり面白いものでも無かった。男子高校生を主人公とした学園ものだったが、内容だけを見るならばこれよりも面白い小説はそれこそ山ほどあるだろう。

 志騎が気になったのは、小説の中のある単語だった。

 『友達』。

 言葉に出してみれば、たった四文字、漢字に直すと二文字の単語。それだけの単語が、何故か志騎には気になって仕方が無かった。

 小説を読み終えた後、前に安芸からもらった辞書を引いて言葉の意味を調べてみると、どうやら友達というのは互いに心を許し合って対等に交わったり、一緒に喋ったり遊んだりする人の事をそう言うらしい。

 それを読んで頭にぱっと浮かんだのは、自分に色々な事を教えてくれる真由理と安芸の姿だった。彼女達は基本的に一人で志騎に教育を行うのだが、たまに二人一緒に志騎に教育を行う時もあった。その時の彼女達の姿は、まさにこの辞書に書かれている通りの関係と言えるだろう。

 そう考えた時、志騎はふと気づいた。

 そう言えば、自分にはそういった存在がいないなと。

 気が付いた時には、自分はこの真っ白な部屋にいた。接する人間は真由理と安芸の二人だけ。その二人も自分に色々な事を教えてくれる『博士』と『先生』なので、『友達』という関係とは違う。

 それに気づいた時、志騎の中で『友達』というものを求める強い気持ちが生まれた。今まではどのような感情が浮かんでも、すぐに泡のように消えてしまっていた志騎にとって、それは初めての体験だった。

 それ以来、真由理と安芸からの教育を受けている時も、自分一人で本を読んでいる時も、何故か友達を求める心が常に志騎の中に根付くようになった。教育や身体検査などの時間の合間には辞書を見て、友達を意味するページに折り目をつけたり、自分にとっての友達とはどのようなものなのか、そもそも友達とはどうしたらできるのかをたびたび考えるようになった。

 そして、志騎にとっての運命の日と呼べる時がやってくる。

 ある日志騎がいつも通り本を読んでいると、突然部屋に赤い服を着た真由理と動物の着ぐるみを着た安芸がやってきた。真由理の口元にはご丁寧に白い髭までつけられていて、彼女達の姿にいつもは無表情な志騎も一瞬動きが固まったのを覚えている。

 二人の衣装が気になった志騎がそれは何なのかと聞くと、真由理は笑いながらサンタクロースの服だと答えた。なんでも、トナカイという動物に乗って子供達にプレゼントを配る西暦時代きっての不審者らしい。しかし直後、安芸に思いっきり頭をどつかれていたのですぐに嘘だと気づいた。真由理はその後、頭をさすりながらサンタクロースという人物、さらにそれにまつわる伝説などを丁寧に教えてくれた。

 やがて話は本題に入る。なんでも今日はクリスマスという日なので、志騎が欲しい物をなんでもくれるらしい。彼女の言葉を聞いて、志騎は少しの間考え込んだ。前の自分ならば読んだ事のない本、もしくは特に欲しいものはないと言っていただろう。 

 だが、今の自分にはそれらよりも欲しい物が一つあった。それを真由理が本当に与えてくれるのかは分からなかったが、一縷の望みをかけて志騎はそれを口にした。

『友達が、欲しいです』

 それに対する二人の反応は劇的だった。真由理は一瞬志騎が何を言ったのか分からないと言いたそうな表情で自分の顔をじっと見つめ、安芸は顔を強張らせていた。一方、二人が何故そのような表情を浮かべたのか分からない志騎はやはり無理かと内心諦めたのだが、真由理はじっと顎に手を当てて考えておく、とだけ言った。それに志騎と安芸が彼女の顔を見たが、彼女はすぐに先ほどまでの表情を消すと今日の晩飯は派手に行くぞ! と言って志騎が見た事のない料理を取り出した。なんでも、チキンとケーキという食べ物らしい。こうして、その夜三人はチキンとケーキでささやかなクリスマスを送るのだった。

 ちなみにチキンとケーキは美味しかったが、『友達』という単語ほど志騎の心に強く残る事は無かった。

 

 

 

 クリスマスから数日経ったある日、真由理と安芸が突然志騎の部屋にやってきて衝撃的な事を言ってきた。なんでも、志騎を部屋の外に出す事が決まったらしい。この部屋の外の世界の事はおろか、部屋から出る事すら考えた事も無い志騎にとって、何故真由理が自分を部屋の外に出す事にしたのか、その理由が分からなかった。なので真由理に理由を尋ねると、クリスマスに志騎が欲しいものとして挙げた友達を作るためには、まずこの部屋の外に出なければならないらしい。

『こんな狭っ苦しい場所にいたんじゃ友達もろくに作れないからな。必要な措置というものだ。ああ、生活の事は安心しろ。安芸がお前の面倒を見てくれる。外に出たらきちんと安芸の言う事を聞くように。良いな?』

 部屋の外がどのような世界なのかは分からないが、とりあえず部屋の外に出れば友達を作る事ができるという事だけは分かった。なので、志騎はこくりと小さく頷く。だが直後、一つある事が気になり真由理に尋ねた。

『博士は、一緒ではないのですか?』

 真由理は志騎の面倒は安芸が見てくれると言ったが、自分も一緒に面倒を見るとは言わなかった。志騎にとって真由理は安芸と一緒に自分に色々な事を教え、育ててくれた人物だ。例え部屋の外に出たとしても、彼女もきっと自分と来てくれると志騎は当然のように思っていた。だから、今の真由理の口ぶりが、まるでこれから志騎を育てていくのは安芸一人だけだと言っているようで、それが志騎には少し気になった。

 すると尋ねられた真由理は何故か少し目を見開き、安芸は悲し気な表情を浮かべた。やがて真由理はふっと口元に笑みを浮かべると志騎の頭を撫でながら、

『残念ながら私は少しの間お前とは会えなくなる。何せ、大赦の奴らは無能だからな。私が手伝ってやらねばならないんだ。私はこれでも人気者なんだよ。----ま、安心しろ。時が経てば、また会えるさ。だからお前は安心して外の世界に出ろ。良いな?』

 そう言う真由理の表情は、何か自分の心から湧き上がる感情を抑えているような表情に見えた。安芸は何も言わず、二人から目を背けて唇を静かに噛み締めていた。

 二人の表情が気になったが、何を尋ねるべきかも分からず、志騎はただ黙ってこくりと頷く事しかできなかった。

 その日以来、真由理が志騎の部屋にやってくる回数はめっきり減った。教育を行うのは安芸一人だけになり、その安芸も志騎を外の世界に出す段取りなどを行っているためか部屋に来る事が少なくなった。必然的に、一人で本を読む日々が多くなっていく。

 そんな時、部屋に真由理が何も言わず尋ねてきた。彼女の顔は前に見た時と比べて瘦せており、青白く見えた。普通の人間が見たら病気か何かにかかっているとすぐに気付いたかもしれないが、当時の志騎はそれが病気の症状だとは気づく事が出来なかった。

 真由理は志騎の横に座って前のように色々な話をした。とは言っても内容は、今日は何の本を読んでいるんだとか、最近安芸とどんな話をしたんだとか、そんな益体のない話ばかりだった。彼女にしては珍しい事だったが、それらの問いに志騎は一つ一つ静かに、そして丁寧に答えていく。

 志騎の言葉を真由理はどこか眠たそうに目を細めながら口元に笑みを浮かべ、相槌を打ちながら話を聞く。まるで今の時間を、ゆっくりと楽しむように。

 やがて真由理に聞かせる話が無くなり志騎が黙ると、真由理は真剣な表情になり志騎に言った。

『……なぁ、志騎』

『はい、博士』

 自分の目をまっすぐ見つめながら、今までにないはっきりとした口調で問いかける真由理に、志騎が返事をすると真由理は静かな口調で続ける。

『これからお前は外の世界に出る。だが、これだけは分かっていて欲しい。お前が外の世界に出れば確かに友人ができるかもしれない。だけどお前は他の人間とは違うから、本当の意味でのお前の同類はどこにもいないんだ。つまり、お前は外の世界では本当に孤独なんだよ。この鳥籠に閉じ込められているのも孤独かもしれないが、外の世界はそれを遥かに上回る地獄だ。その地獄でお前が感じる苦しみと寂しさは、私でも分からないものになるだろう。それだけじゃない。もしかしたらお前が欲しがっていた友達というものの存在が、お前の苦しみと寂しさをさらに強くするかもしれない。強い光が、濃い影を生み出すようにな。……それでもお前は、外の世界に出たいか?』

 真剣そのものな真由理の問いに、志騎は迷う事無くこくりと頷く。

 正直、真由理の言う事を理解できているわけではない。だが、彼女が自分の事を心配してくれているというのは分かる。そして、彼女が本心では志騎を外の世界に出すべきか迷っている事も。

 けれど、だからこそ志騎は嘘偽りなく部屋の外に出たいと、彼女に意志を示さなければならない。自分がどういった存在かは分からないし、彼女の言う通り外の世界は自分にとっての地獄なのかもしれない。ようやくできた友達という存在が、自分を苦しめるかもしれない。

 それでも、自分は友達が欲しいと思った。自分に繋がる存在を求めた。

 ならば、ここで首を横に振るわけにはいかない。この世に生まれて初めて芽生えた、自分の『意志』を曲げるわけには決していかないから。そしてきっとそれが、自分を育ててくれた安芸と真由理に報いる事だと信じているから。

 自分をまっすぐ見つめながら頷く志騎に、真由理は困ったように笑いながら彼の頭をくしゃくしゃと撫でる。頭を撫でられながら、志騎は思い出す。そう言えば彼女は何か嬉しい事や楽しい事があると、自分の頭をこんな風に撫でるのが好きだった。

『そうか、そうか……。お前の事を理解できる人間なんて外の世界にいるわけがないと思っていたが……。お前がそう言うなら私が言う事は何もない。その時になったら、刑部姫がどうにかするだろうしな』

『……博士? それはどういう……』

『なぁに。こっちの話だ。……志騎』

『はい』

『友達、たくさんできると良いな』

『……はい』

 志騎が少しの間を開けてから再び頷くと、真由理は再び頭をくしゃくしゃと撫でた。以降、真由理が志騎の部屋に訪れる事は二度と無かった。

 やがて一ヶ月の時が過ぎ、志騎がいつも通り部屋で過ごしていると安芸が鳥籠に訪れた。その時の彼女は、何故か緊張と不安が入り混じった表情を浮かべていた。どうしたんですかと志騎が口を開く前に、安芸は今は何も聞かないで、これを飲んでと錠剤を数粒志騎に手渡した。生まれた時から真由理と安芸に言われた事はなんでも従ってきた志騎は言われた通りに錠剤を口に放り込み飲み込んだ。直後、とてつもない睡魔が襲い、志騎の意識は暗闇に閉ざされた。今思い返してみると、あれはきっと睡眠薬だったのだろう。それも薬を飲んだ自分がすぐに眠ってしまうほど、強力な。

 次に目を覚ました時は、見知らぬ病室で安芸に背負われていた。志騎が目覚めた事で身じろぎ、それで志騎が目覚めた事に気づいた安芸はゆっくりと志騎を下ろす。志騎は初めて見る部屋を見回していたが、やがて彼の視線は部屋の奥にある一台のベッドに向けられた。正確には、ベッドの上で寝転がる一人の女性に。

『……ありがとな、安芸。連れてきてくれて』

『礼を言われるほどの事じゃないわ。あなたの頼みだもの』

 女性----すっかり弱りきってしまった真由理の言葉に、安芸は震える声で返した。どうにか冷静さを保とうとしているようだったが、今の志騎から見ると涙を必死にこらえているようにしか見えない。彼女の表情を見た真由理はふっと笑うと、

『……私のような人間が死ぬ時でも、お前はそんな表情をしてくれるんだな。まったく、お前は本当に昔から何も変わらないな』

『……それはこっちの台詞よ。あなたは昔から何一つ変わらない。いつも自分が天才だと思ってて、いつも口が悪くて、……いつもこの世界をつまらなさそうに見てた。そんなあなたに散々振り回されて、散々苦労させられた』

 でも、と安芸は言葉を切り、

『……あなたと過ごした日々は、本当に楽しかった。あなたに、色々なものを見せてもらった。あなたは性格最悪で、自意識過剰な人だったけど……私にとっては、たった一人の、大切な親友だったわ……』

 そこまで言ったところでこらえきれなくなったのか、安芸はついに両目から涙を流し始めた。親友の意外な姿を真由理は目を見開いて見つめていたが、ふっと柔らかな笑みを浮かべ、

『……そうか。案外、悪くないものだな。誰かからここまで大切に思われるのも』

『……後悔してる? もっと、人との繋がりを作っておけば良かったって……』

『はっ、必要ない。私には安芸という名のたった一人の親友と、もう一人がいればそれで十分だ』

 そう言って真由理は次に志騎に目を向けた。しかし視線を向けられた志騎は何をすればいいか分からず、ただその場にぼうっと突っ立っていた。すると真由理が右手を力なく差し出してきて、志騎は何故か分からないが横たわる彼女のそばに近寄ると右手をきゅっと握った。

『……博士?』

『志騎。ここでお別れだ。……私にこんな事を言う資格は無いが、お前と過ごした日々は、案外、悪くなかったよ……』

 そう言ってから真由理は再度安芸に視線を戻すと、

『安芸。あとはお前と刑部姫に任せる。……頼んだぞ。私の生涯唯一にして、最高の親友』

 それは間違いなく、氷室真由理の最大の賛辞の言葉だった。

 しかし返事をする事も出来ず、ただ目元を抑えながら安芸は頷いた。きっともう、言葉すら出す事が難しいのだろう。いや、正確には言葉を出す事は出来るのだろうが、口に出してしまうと胸の中で必死に押しとどめている感情も吹き出してしまうから、どうにか押し殺しているのかもしれない。

 真由理の瞼が徐々に降りていき、最後に眼球が志騎の姿を捉える。

『----ああ、くそ。ちょっと悔しいなぁ。もう少しだけ、お前達と、一緒に----』

 最後に彼女が何と言ったかは分からない。声がだんだん小さくなっていき、最後の言葉に至っては聞き取る事すらできなかったからだ。直後、真由理の瞼が完全に降り、志騎が握っていた右手から力が抜ける。確かにあったはずのかすかな体温が失われ、少しずつ冷たくなっていく。

 後ろで安芸が静かに涙を流す気配を感じながら、志騎はただ黙って真由理の手を握っていたが、しばらくして静かに口を開く。

『先生』

『……どうしたの? 志騎』

 涙で目元を腫らした安芸が聞くと、志騎は右手で自分の胸を抑えながら、

『……変なんです。胸が、痛いです。こんな事今まで無かった。これは、一体何ですか? どうして胸が痛くなるんですか? 先生、教えてください。どうして……』

 まだ小さかった志騎は、自分の目の前で起こった事をうまく認識する事が出来ていなかった。だから自分の胸に生まれた痛みの正体が分からず、ひたすら安芸に問い続ける。彼の声音には、今までになかった『戸惑い』という感情が滲み出ていた。

 安芸は志騎に近づくと、しゃがみ込んで彼の体をそっと抱きしめる。しかしそれでも彼の胸から痛みが消える事は無く、ただただ戸惑う事しかできなかった。

 この時、志騎はどうして自分の胸が痛むのか分からなかった。

 だが、今なら分かる。

 あの時自分は、『悲しかった』のだ。

 あの時天海志騎は、初めて人の『死』に直面した。

 生命が失われる瞬間というものを、初めて目の当たりにした。

 きっと、氷室真由理という命が消えたあの時が。

 天海志騎という少年に、『感情』が生まれた瞬間だったのだ。

 

 

 

 その後、真由理の死を見届けた志騎は再び安芸から睡眠薬を受け取り、それを飲み込むとすぐにまた意識を失った。気が付いた時には、自分は真由理がいた病室から今まで過ごしてきた真っ白な部屋のベッドに戻っていた。

 胸の痛みは無くなったものの、その日以来志騎の胸にはぽっかりと穴が空いたような感覚が生まれた。原因を探るために真由理や安芸からもらった本を全て読んでみたが、答えとなりそうな事は何も書かれていなかった。安芸ならば理由を知っているかもしれないと思い、彼女が部屋を訪ねた際に聞こうとしたが、結局聞く事は出来なかった。聞こうとしたそのたびに病室で見た彼女の表情がちらついてしまい、聞く事をためらってしまったのだ。しかし、それで良かったのかもしれないと志騎は思う。もしも尋ねてしまったら、彼女はきっと親友の死んだ時の事を思い出してしまうだろうか。

 そして、運命の日がやってくる。

 いつも通り志騎が部屋にいると、安芸が訪れてこう言った。これからあなたを部屋の外に出す。しかしそのためにはこの部屋にいた時の記憶を一旦封じなければいけないので、今からそれに必要な処置を行うと。

 だが、それを聞いた志騎は、生まれて初めてためらいという反応を見せた。安芸の言う事が本当なら、自分はこの部屋で過ごした記憶を----安芸や真由理と過ごした日々を一旦ではあるが忘れるという事だ。

 それが何故か、この時の志騎には耐えられなかった。例え記憶の封印を行わない事で自分が外の世界に出れなくなったとしても。

 志騎がためらっていると、安芸は彼の目線に合わせてしゃがみ込み、優しい笑顔を浮かべて諭すように言う。

『大丈夫。確かに記憶を封じなければならないけれど、ここで過ごした記憶が消えるわけじゃない。ここでの記憶や生まれた想いは、ずっとあなたの胸の中に残り続ける。それにもう会えなくなるわけじゃないわ。記憶を失っても、あなたはまた私に会える』

『……本当、ですか?』

『本当よ。私と真由理が、あなたに嘘をついた事がある?』

 すると、志騎はためらう事無く首を横に振った。安芸は志騎の頭を優しく撫でると、彼をベッドに寝かせる。そしてアルコールが染み込んで布で彼の左腕の一か所を手早く拭き、注射器の針を刺して中の麻酔液を注射する。直後志騎を睡魔が襲い掛かり、瞼がどんどん重たくなっていく。

『おやすみなさい。また、会いましょう』

 優し気な声と同時に伝わってきたのは、自分の頭を優しく撫でる感触。

 その二つを最後にして、天海志騎という少年の意識は闇に深く深く沈みこんでいく。

 やがて鳥籠の時の記憶を封印された少年は、自らが『先生』と呼んでいた人物と再会したその後一人の少女と出会う事になる。

 三ノ輪銀という、自らのかけがえのない幼馴染となる少女に----。

 

 

 

 

 

 

 志騎が目を覚ますと、検査室の天井の光景が目に入ってくる。ゆっくりと体を起こすと、まだ麻酔が効いているのか少し頭がぼうっとする。と、志騎が起きた事に気づいたのか、志騎に背を向けた状態でパイプ椅子に座っていた刑部姫が振り返った。

「お、起きたか。どうだ気分は?」

 しかし聞かれた志騎は彼女の問いに答えず、刑部姫を眠たそうな目で見ると、彼の口から自然とこんな言葉が飛び出した。

「……博士」

「はっ?」

 思いもよらない言葉に刑部姫はきょとんとした表情を浮かべてから、おかしそうにぷっと吹き出す。

「おいおい、一体どうした。寝ぼけているのか?」

「……ん、そうだな。眠い」

「まだ麻酔が効いているのか。ほれ」

 そう言って刑部姫は何かを志騎に投げた。軽い放物線を描きながら投げられたものを受け取り見てみると、それは缶に入ったココアだった。

「それで少しは眠気も覚めるだろう。飲んでおけ」

「……ああ」

 お言葉に甘えて缶のプルタブを開け、がばりと飲み込む。口の中をチョコレートの甘い味が満たし、糖分が脳に染み渡っていくような感じがする。そのおかげで、眠気が残っていた目がようやく覚めてきた。ふぅと一息つく志騎に、ブラックの缶コーヒーを飲んでいた刑部姫が尋ねる。

「で、どうだ。鳥籠にいた時の記憶を思い出した感想は」

 ベッドに腰かけながら、志騎はついさっきまでの記憶の世界を思い出す。缶にわずかに残っていたココアを一気に飲み干すと、床の一点を見つめながら、

「……確かに、良い思い出だったとは言えないかもしれない」

「だろうな」

「----だけど。忘れたままにはしたくない記憶だった。それだけは、心の底から思うよ」

 予想外の言葉に、刑部姫は面食らったような顔で志騎を見る。だがすぐに「……そうか」とだけ呟くと、缶コーヒーをまた一口すすった。

 やがて志騎に何の異常も無い事を確認すると、二人は検査室を出る。

 すると、検査室の外のベンチで待っていた四人が二人に気づき、心配そうな表情を浮かべた銀達三人組が志騎に近づく。

「志騎君、大丈夫?」

「刑部姫に何もされなかったか? 話すのが辛いなら、場所を変えても良いんだぞ?」

「おい、私が何かをした事前提で話すな」

 ビキビキと刑部姫が青筋を立てるが、当然三人は聞いていない。一方、志騎本人は須美と銀の問いかけに何も答えず、ぼうっとした表情を浮かべていた。

「あまみん、起きてる~?」

 そう言って園子が志騎の目の前でパタパタと手を振ると、志騎は園子に視線を向けながら、

「……起きてるよ。目開いてるんだから、起きてるに決まってるだろ」

 ようやく反応が返ってきたが、どうも志騎の様子がおかしい。上の空というか、反応が少し遅れて返ってきているような気がするのだ。さては……と銀が刑部姫を睨むと、彼女はチッと舌打ちしてから首を横に振る。どうやら彼女の仕業ではないらしい。では、一体どうして……と三人が頭を悩ませていると、安芸が三人に言う。

「志騎の記憶も戻ったようだし、今日はもう帰りましょう。私は一旦神樹館に戻るけど、あなた達は? 折角だし家まで送るけど……」

「いいえ、神樹館まで送ってもらえれば後は自分で帰れます」

 須美に同意するように銀と園子も首を縦に振るが、志騎の反応は無かった。やはり、どうも記憶が戻ってから反応が鈍い。

「志騎、お前はどうする?」

「……ん、ああ。俺も一度神樹館に戻ってから帰るよ」

 心配そうな表情を浮かべた銀が尋ねて、やっと志騎の反応が返ってくる。だが、これでは正直帰り道も心配である。三人は志騎に対して不安を抱きながら、安芸の車に乗せてもらって神樹館に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 神樹館に戻った四人は安芸に礼を言い、家への帰路に就く。が、その最中でも志騎は無言だった。目はじっと地面の方を向いており、心ここにあらずの状態だ。そのような状態が続いている志騎を心配したのか、園子が場を和ませるような口調で、

「あまみん、ぼうっとしてちゃ駄目だよ~。下ばっかり向いてたら、アリさんに気を取られて電柱におでこぶつけちゃうよ? とっても痛いよ~?」

「そのっち、ぶつけた事あるの……?」

 しかし、二人の漫才じみたやり取りにも志騎は反応を返さなかった。するとさっきから志騎の様子を黙って眺めていた銀が尋ねる。

「もしかして、お前が取り戻した記憶で何かショックな事とかあったのか?」

 直後、ゆっくりと進んでいた志騎の歩みが止まった。どうやら当たりらしい。図星を突かれた志騎は何も言わずその場に棒立ちになり、三人は何も言わずそんな志騎の姿を心配そうな目で見つめ、沈黙が四人の間に満ちる。

 しばらく四人は無言のまま立っていたが、無言に耐え切れなくなったのか、三人に話すつもりになったのか、志騎がようやく口を開いた。

「……眠ってた時、鳥籠にいた時の記憶を夢で見たんだ。その夢には安芸先生と、博士がいた」

「博士?」

「氷室真由理だよ。俺、あの人を『博士』って呼んでたんだ」

 須美の問いに答えながらも、志騎の視線は三人に向けられてなかった。視線を地面に向けながら、志騎は話を続ける。

「夢に出てきた博士は正直、刑部姫とあまり変わらなかった。口が悪くて、自己中だったけれど……。俺と安芸先生の前だと、すごい楽しそうに笑っててさ。俺に色々な事を教えてくれて、ラーメンも作ってくれた。もうどんな味だったかは思い出せないけど、美味しかったと思う」

「あまみんがラーメンが好きなのは、そのおかげなんだね~」

「きっとそうだろうな」

 志騎は園子の言葉に笑ったようだった。しかしすぐにその笑みは彼の表情から消えてしまう。

「でも、ちょっと最後の辺りでキツイものを見ちゃってな」

「何を、見たの?」

「博士が死んだ時の記憶。ちょうど博士が死ぬ時、俺もいたんだ」

 息を呑む音がちょうど三人分聞こえた。今の志騎の話はつまり、彼はその目で見たという事だ。----自分を生み出した科学者が、自分の目の前で死ぬ所を。

「博士が死ぬ時、あの人の手を握ってんだ。博士が眠ったように目を閉じたら、手がどんどん冷たくなっていって、力がだらりと抜けた。そしたら、胸が急に痛くなった。……あの時はどうして胸が痛くなったのか分からなかったけど、今なら分かる。俺、悲しかったんだ。確かに博士は自己中で口が悪くて、俺や安芸先生以外にはかなり冷たい人だったかもしれないけど……。それでも俺にとっては、俺を作って育ててくれた人だったんだ。……なのにもう、博士とはもう話す事はできないし、会う事も出来ない。その事を無意識に感じ取ったから、あんなに悲しかったんだと思う」

 今志騎のそばには氷室真由理の人格と記憶を受け継いだ精霊、刑部姫がいる。しかし刑部姫はあくまでも氷室真由理の記憶と人格を持っているというだけで、彼女本人ではない。当の本人は志騎と安芸の目の前で死んでいる。それはもう変わる事のない事実だ。

「だからかな。博士が死んだ事を思い出したってのもあるし、人の命が目の前で消える瞬間を目にしたからっていうのもあると思うけど、結構ショックなんだ。……理解してたつもりではあるけれど、やっぱり俺達バーテックスのやった事は重いな。あんな事を、数えきれないほどやったんだから」

 最後の一言を聞いて、須美と園子はようやく気付いた。

 志騎は氷室真由理の命が消えた記憶を取り戻したからショックを受けたのではない。いや、それもあるだろうが、ショックを受けた理由はそれだけではない。真由理という、幼少期の自分にとって大きい存在を失った事で、志騎は酷く動揺したと同時に人の命が失われるとはどういう事かを改めて知ってしまったのだ。そして、過去にバーテックスが数えきれないほどの人達の命を奪ったという事を。

 この前の戦いでバーテックスが犯した罪も奪った命も全て背負うと決めたが、今回記憶を取り戻した事でその罪の大きさと奪った命の多さ、そしてそれらの命が失われた事で流された涙が確かにあったという事を志騎は改めて知った。勇者として戦ってきたが、自分も罪にまみれたバーテックスの一体という事に変わりはない。

 そんな自分に、人の命を護っていい資格などあるのか。今の志騎の胸の中はそんな想いでいっぱいだった。そのせいで周りに対しての反応も鈍く、目の前の事に意識を割く事が難しくなっているのだろう。

 胸の辺りを強く抑えながら志騎は黙り込み、須美と園子も何も言えずにいた。

 が、一人だけ例外がいた。

 その例外は腕を組んで目を閉じながらうーんと唸っていたが、突然目を見開くと、

「----話は分かった!」

 とだけ言い、きょとんとしている須美と園子の横をすり抜け、志騎の右手をむんずと掴む。

「志騎! 今週の休み、あたしの家に遊びに来い!」

 まったくもって何も分からない、銀の提案に、

「………は?」

 志騎は答える事を忘れ、ただ目をぱちくりさせる事しかできなかった。

 

 



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第二十四話 命の重さ

志「ようやくあらすじに戻ってこれたぜ……」
刑「最近は私だけで回していたからな。正直目が回りそうだったぞ」
志「今回の話じゃ氷室真由理の家、氷室家にまつわる話がちょっと出るみたいだな」
刑「ああ、それが今後どういった意味を持つのか……それはまた今後のお楽しみだな」
志「だな。では第二十四話をどうぞ楽しんでくれ」


 

 

 

「しきにーちゃん!」

「………」

 姉譲りの明るい笑顔を浮かべながら銀の弟、三ノ輪鉄男が志騎目掛けて走る。志騎はしゃがみ込んで彼と目線を合わせると、口元に笑みを浮かべながら彼に尋ねる。

「久しぶり、鉄男。元気だったか? ちゃんと姉ちゃんの言う事聞いてるか?」

「うん! ちゃんと聞いてるよー!」

「そっか。良かった」

 言いながら志騎は鉄男の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。彼は照れくさそうにしながらも、満更でもないのかえへへと笑った。

 土曜日の今日、志騎は前に銀に誘われた通り三ノ輪家へ遊びに来ていた。そのため、今日の訓練は安芸に頼んで休みにしてもらっている。休みにしてもらえるか正直不安だったが、意外にも安芸からはあっさりとOKをもらう事が出来た。

 そして今日、遊びに来ているのは志騎だけではない。志騎が彼の頭から手を離すと、二人の様子を見ていた銀が近づいてきて、誰かを紹介するように志騎の後方に右手を伸ばす。

「紹介するな鉄男。あっちのちょっとおっかなさそうなお姉ちゃんが須美! で、あっちのほんわかしてるお姉ちゃんが園子!」

「誰がおっかなさそうよ!」

「乃木さんちの園子だよ~。よろしくね~」

 銀の紹介に須美が不満の声を出し、園子がいつも通りぽわぽわした調子で返事をする。

 そう、今日遊びに来ていたのは志騎だけではなく、須美と園子も三ノ輪家に遊びに来ていた。この前志騎を誘った後、折角だから二人も来なよと銀が誘うと、園子は快諾し、須美も最初は少し行って良いのか迷っていたが、銀と園子に押し切られる形で来る事になった。とは言っても、友達大好きな彼女の事なのでどのみち来る事になるだろうなとは思っていたが。

「ほら、鉄男。自己紹介は?」

 銀が言うと、鉄男は三人の前に立って元気よく挨拶をした。

「こんにちは! 三ノ輪鉄男です! ねーちゃんがいつもお世話になってます!」

「おー、ちゃんと挨拶できて偉いなー! でも最後は別に言わなくても良いだろー!」

「わわっ!」

 弟の頭を少し乱暴にぐしゃぐしゃと掻くが、これぐらいはこの姉弟にとってはいつものスキンシップである。と、そこで志騎はある事に気づき銀に尋ねる。

「そういえば、金太郎は?」

「今寝てるんだ。起こすのも悪いし、あとで見に行って起きてたら連れてくるよ」

 そう言ってから、彼女は鉄男に向き直り、

「よーし! 最近忙しくて中々一緒に遊べなかったら、今日は姉ちゃん達がたくさん遊んでやるぞー!」

 それに鉄男がやったー! と両腕を頭上に上げて嬉しそうな声を上げ、彼を入れた五人は早速遊び始めた。

 とは言っても三ノ輪家の敷地内なので、そこまで大がかりな遊びは出来ない。なので、遊ぶのは基本的に鬼ごっこや影踏み、だるまさんが転んだなどの遊びになった。

 基本的に普段から勇者として鍛えている四人とまだ幼い鉄男では体力に差があるのだが、そこはあえて全力を出すような真似はせず鉄男でも楽しめるように、あえて走る速度を遅くしたりわざと捕まったり、ちゃんと彼も楽しめるように遊びを進めていく。

 が、その中で一人だけ遊びを楽しめていない人物が一人いた。

「………」

 それは無論と言うべきか、志騎だった。五人の中で唯一彼だけは暗い表情を浮かべている。そのような表情を浮かべていては、傍目から見ても楽しんでいない事がはっきりと分かる。

 そんな彼の表情を見ていた銀は、走っていた鉄男に大声で言った。

「鉄男、ちょっとストップ! 何か志騎疲れちゃったみたいだからさ、ちょっと休ませても良いかな!」

「うん、分かった!」

 弟からの返事を聞くと、銀は志騎目掛けてかわいらしくウインクする。志騎はこくりと頷くと、四人から離れて三ノ輪家の縁側に座り、四人が遊ぶのをぼけっとした表情で眺めた。

 しばらく四人は遊び続けていたが、途中で銀がその輪から抜け出した。なんでも金太郎の様子を見に行くらしい。さらに須美もちょっと休憩するとの事で、しばらく園子と鉄男の二人きりで遊ぶ事になった。とは言っても園子は二人になっても相変わらず楽しそうだし、鉄男もまだ体力が有り余っているようなので、二人だけにしておいても問題は無いだろう。

 志騎が自分達から離れていく銀の後ろ姿を見ていると、横に須美が静かに座った。彼女は手でぱたぱたと自分を仰ぎながら、ふぅと息をついて、

「さすがは銀の弟ね。ちょっと疲れちゃったわ」

「それに関しては同感だ。あいつの元気っぷりは姉譲りだろうよ」

 須美の言葉に同意しながら、志騎は園子と鉄男が遊ぶ様子をじっと見つめる。二人はしばらく無言だったが、やがて須美が口を開いた。

「あまり楽しくなさそうね」

「……やっぱり分かる?」

「さすがに、あそこまで見事な仏頂面をされたらね。銀じゃなくても分かるわよ」

 そうか、とだけ言って志騎は再び黙り込む。彼の目は園子と鉄男の二人に向けられているが、彼が本当にあの二人を見ているのか、須美には分からなかった。

「……銀の奴、どうして今日俺を呼んだんだろうな」

「え?」

 突然彼の口から飛び出した言葉に須美は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。一方、志騎は戸惑いが強く出ている口調で、

「だって、遊ぶなら別に今日じゃなくても良かっただろ? それに、予定も聞かないでいきなり誘ってきたから、ちょっと戸惑った。まったく、あいつは一体何を考えているのやら……」

 はぁ、と志騎は思考の読めない幼馴染の事を考えながらため息をつく。すると、須美はこんな事を言った。

「私は少し分かるわ、銀がどうしてあなたをここに呼んだのか」

「え、本当に?」

 思いもよらぬ言葉に志騎が少し驚いて彼女の顔を見ると、ええ、と彼女は頷き、

「彼女はきっと、あなたに何かを伝えたくてここに呼んだのよ」

 しかしこれまた予想外の言葉に、志騎は怪訝な表情を浮かべ、

「……? それだったら、別にここじゃなくても良いだろ。学校でも良いし、なんなら学校に行く時や帰る時でも良いはずだ」

「神樹館や学校の登下校の時じゃ伝えられないから、ここにしたんだと思うわ。他の場所じゃない、ここ……銀の家だからこそ伝えられる事。それを伝えるために、彼女は今日あなたをここに呼んだのよ」

 はっきりとした迷いのない断言に戸惑いながら、再び彼女に聞いた。

「じゃ、じゃあ銀は一体何を伝えようとしてるんだ?」

「それはさすがに私にも分からないわよ。でも、銀はちょっとまっすぐすぎる所はあるけど、人の気遣いができる子よ。そんな彼女が有無を言わさずあなたをここに呼んだって事は、きっと志騎君にとってとても大事な事だって私は思うわ」

 むぅ……と須美に諭されて志騎は黙り込んだ。須美の言う通り、銀は確かにまっすぐすぎる所はあるが人の感情を無視するような愚か者ではない。その彼女がわざわざ訓練を休んでまで志騎を三ノ輪家に呼んだという事は、ここでなければならない理由があるのだろう。須美の言う事を信じるとすれば、ここでしか伝えられない事を伝えるために。

(でも、それが一体何だって……)

 と、志騎が頬杖を突きながら再び考えこもうとした瞬間、彼の目に話題の中心である少女の姿が飛び込んできた。

 彼女は両腕に何かを抱えながら、自分達目掛けて歩いてきている。すると、銀が帰ってくるのを確認した園子が、銀の抱えているそれを見て目を輝かせた。

「わ~! 可愛い~!」

 銀が抱えていたのは、彼女の大切な末っ子、三ノ輪金太郎だった。どうやら銀が向かった時にはすでに起きていたらしく、可愛らしい両目をぱっちりと開いていた。

 弟を抱えてきた銀に四人が集まると、銀はふふんと自慢げに鼻を鳴らし、

「改めて紹介するよ。あたしと鉄男の弟、金太郎だ。ほら金太郎、こっちのお姉ちゃん達が園子と須美だぞー」

 銀が二人の紹介をすると、金太郎はぱちりと瞬きをして須美と園子の二人の顔をじっと見つめる。無垢な金太郎の表情に、園子はほっこりとした表情を浮かべ、

「赤ちゃんって、見るだけで癒されるよね~」

「本当ね。もうハイハイできるの?」

「いや、まだ。でももうすぐできると思うよ」

 どうやら初めて間近で見る赤ん坊に、園子も須美もすっかりメロメロのようだ。二人共、自分達を無垢な目で見る金太郎をほっこりとした目で見つめている。と、園子がうずうずとした様子で銀に尋ねた。

「ねぇねぇミノさん。この子抱っこしてみても良い?」

「うん、もちろん……って言いたいところだけど、悪い。少し待って」

 申し訳なさそうに銀は園子に断ると、銀は何故か志騎と向かい合った。

「志騎。抱っこしてみなよ。最近抱っこしてなかっただろ?」

「え、でも……」

 金太郎を抱っこするのは別に初めてではない。たまに三ノ輪家に来た時に、銀に彼の世話を頼まれた事で何回かした事がある。さすがに最近はしていなかったが、やり方を忘れてしまったわけではない。それならば、園子に抱っこさせた方が良いのではないだろうか。

 だが銀は良いから良いからと、金太郎を抱く両手を志騎に伸ばした。抱っこしてやってくれという事だろう。銀の意図が全く分からず、志騎が金太郎を抱こうと両手を伸ばした瞬間。

 彼の脳裏に、バーテックスが食い殺した赤ん坊の映像が一瞬よぎった。

「----っ!」

「しきにーちゃん?」

 突然硬直した志騎を心配したのか、鉄男が志騎に声をかける。が、志騎は今それどころではなかった。

 ----実は今日までに志騎は、バーテックスが大量の人間を殺した時の記憶を眠っている時に数回見ていた。さすがにもう朝早く飛び起きてしまうような事は無くなったが、悪夢を見るたびに志騎の心を少しずつ削り取っていった。そして記憶の中には、まだ小さい赤ん坊をバーテックスが食い殺すものもあった。----ちょうど、目の前の金太郎と同じぐらいの年頃の、赤ん坊を。

「…………」

 額から冷たい汗が流れて、両手で震える。

 夢の中の赤ん坊は、自分が直接殺したわけではない。 

 それでも、彼の中のバーテックスの細胞が、彼にバーテックスが犯した罪の記憶を悪夢という形で伝えてくる。お前もそのバーテックスと同じなのだと、告げるように。

 そう考えるだけで、自分の両手が真っ赤な血で染まっているように見えてくる。そんな汚れた手で、目の前の命を抱いて本当に良いのだろうか。それは果たして、許される事なのか。

 金太郎を前にして志騎が動きを止めていた時。

「志騎」

 目の前の少女から、柔らかく優し気な声が聞こえてきた。志騎が顔を上げると、彼女はまるで聖母のような優しい目で志騎をまっすぐ見つめていた。まるで、心配する必要なんてないんだよ、と言外に伝えるように。

「お前のその手は、人を傷つけたり、殺す手じゃない。----人を護る手だ」

 そう言われ、志騎は自分の両手を見つめる。そして、意を決して唇をぐっと噛み締めると両手を伸ばす。

 正直、迷いはある。

 だけど、彼女の言う事なら、不思議と信じられるような気がした。

 まるで壊れ物を扱うように、銀から金太郎の小さな体をそっと受け取る。抱いた金太郎の暖かい体温が、両手に伝わってくる。そして抱いた命の重さは、今の志騎にはとても重く感じられた。

 志騎が金太郎の顔を見ていると、金太郎が志騎の顔を見上げてにっこりと笑いながら手を伸ばしてきた。

 腕に伝わってくる命の温かさと重さ。

 そして金太郎の笑顔。

 志騎の肩がかすかに震えだし、彼の顔を弟と同じように見上げた鉄男が心配そうに聞いてくる。

「にーちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」

 彼がそう聞くのも無理はないだろう。

 志騎は、今にも涙をこぼしそうな表情で肩を震わせていた。しかし涙を一滴も流す事無く、唇を噛み締めながら震える声を出す。

「……なぁ、銀。俺さ、初めて知ったよ。命って……こんなに、重くて、温かいんだな……っ」

 今まではなんとなく抱いてきたせいで、その重さと温かさを知る事は無かった。

 だがこうして自分はバーテックスだと自覚をし、奪ってきた命と罪を背負うと決めたからこそ、命の温かさと重さを知る事が出来た。それは皮肉としか言いようが無いだろう。

 それに、こうして命の重さと温かさを知ったからと言ってバーテックスの罪が消えるわけではない。

 奪われた命が帰ってくるわけでもない。

 それどころか、さらに志騎の背負っているものが重くなっただけだと言える。

 それでも、彼は決めた。

 例え奪った命の重さと罪を全て背負っても、人を護ると決めた。

 もう逃げないと、決めた。

 だったら、たとえ苦しくても、罪を背負って戦い続けなければならない。

 それが----天海志騎という少年が決めた道なのだ。

 改めてそれを自覚し、志騎は泣き出しそうな笑顔を浮かべながら両手の中を金太郎をあやす。

 そんな志騎に、銀はただ優しい声音でそっかとだけ返した。一言だけではあったが、今の志騎にはそれだけで十分だった。

 そして、志騎を見ながら銀と須美、園子は優しい表情で志騎を見守りながら、思う。

 前に志騎は自分がいつの日か心までバーテックスになってしまうのではないかという不安を抱いていた。実際以前の志騎ならば、いつの日か本当に心までバーテックスになってしまっていたかもしれない。

 だが今の志騎は知っている。

 自分の両手にある命の重さと、温かさを。

 それを忘れない限り、志騎はきっとバーテックスになどならない。

 それだけは、確信する事が出来た。

 一方、三人が優しい目で志騎を見守る中、蚊帳の外状態の鉄男だけは心配そうに志騎を見上げている。

 唯一、金太郎だけが明るい笑顔を浮かべながら志騎に向かって小さな手を伸ばしている。

 その後、表情が少し明るくなった志騎は四人と再び遊び、夕方五時になり三ノ輪邸を去る時に鉄男とまた今度遊ぶ約束を交わすのだった。

 

 

 

 

 

「おいおいおいおい志騎! どういう風の吹きまわしだ? 今日はやけに豪勢だなぁ! ピーマンも無いし」

 その日の夕食、いつも通りちゃっかり食卓の席についている刑部姫がテーブルに並ぶメニューを見て目を丸くした。今夜のメニューはほかほかの白米、人参やネギ、油揚げなどたくさんの具が入った味噌汁、メインはから揚げにそれを包むキャベツ。しかしいつもの食卓との違いは、食卓の場に安芸が嫌いなピーマンが一切入っていないという事だった。

「別に今日ぐらいは良いだろ? お代わりもあるから、たくさん食べて良いぞ。ま、今日限りだがな」

 とどこか機嫌が良い志騎をじっと刑部姫は凝視すると、不意にこんな事を口にした。

「……三ノ輪銀と、何かあったか?」

「……本当、よく分かるねお前」

 ここはさすがは遺伝子上とはいえ、志騎の母親といったところだろうか。ほんのささいな変化も見逃さないとは、腹立たしい事に天才の名は伊達ではないという事か。志騎が肯定すると、刑部姫は少し苛立ったような口調で、

「……まぁいいや。気に食わないが、あの小娘のおかげでお前の機嫌が良くなり、今日のおかずがから揚げになったのは良い事だ。今度礼にあいつの顔面にケーキをぶん投げ、鷲尾須美にアメリカ、イギリス、フランスの戦車の模型を片っ端から送ってやるとしよう」

「おいやめろ馬鹿。あと箸をかじるな。行儀が悪い」

 礼にケーキをぶん投げるというのがこの精霊の性格のねじ曲がりっぷりを見事に表現しているし、須美に至っては完全に嫌がらせである。もしもそんな事が本当に起こった暁には、須美と刑部姫の殺し合いが本当に始まりかねない。自分の親友と遺伝子上とはいえ自分の母親が殺し合う姿など見たくも無いので、それだけは本当にやめて欲しいと志騎は心の底から思った。ちなみに何故アメリカ、イギリス、フランスをチョイスしたかは調べればすぐに理由が分かる。

 一方、二人がそんな会話をしている横で何故か安芸は感極まった表情を浮かべていた。それが気になった志騎が安芸に尋ねる。

「安芸先生、どうしました? もしかして、具合でも悪いんですか?」

「ああ、気にしなくていいぞ志騎。単にピーマンが入っていないから嬉しくてたまらないだけだ」

「………」

 どれだけピーマンが嫌いなのだ、この女教師は。まぁ自分も今までピーマンを欠かした事は無いから、この反応も仕方ないかもしれないが、正直もう何年もピーマンを出しているのだからいい加減慣れて欲しいというのが本音だった。

 そしてようやく三人はいただきますと両手を合わせると、食事を開始した。から揚げを半分ほどかじり、その味に心の中でうまいと声を上げる。自画自賛かもしれないが、から揚げを食べたのは大分久しぶりだし、から揚げの出来も良かったのでこれは仕方のない事だろう。今度コロッケやカツを作ってみるのも良いかもしれないな、と志騎は思った。

 と、そこで志騎はある事を思い出してもぐもぐと白米を口にかき込んでいる刑部姫に尋ねる。

「なぁ、刑部姫。一つ尋ねたい事があるんだけど」

「む、私のスリーサイズ?」

「黙れドラム缶。鳥籠にいた時の事なんだけどさ、お前……正確には氷室真由理だけど、やけに旧世紀の外国に詳しかったよな。なんであんなに詳しかったんだ?」 

 四国以外の日本はおろか、外国にまでウイルスが蔓延し、四国しか人類の生存圏が存在しなくなってから約三百年ほどの年月が経つ。それほどの長い時間が経てば過去の外国の言葉や文化などはもうとっくに忘れ去られているし、それらを記した書籍もすっかり姿を消してしまっている。唯一英語だけは中学校などで教えられているが、それらはもうすでに実用性皆無の、教育のために使われる道具に成り下がってしまっている。なので、この四国で外国文化や言葉に詳しい人間はほとんどいないと言っても良い。いるとしたら、相当のもの好きか旧世紀の事を調べている歴史学者になるだろう。

 しかし刑部姫は----氷室真由理は鳥籠にいた時から、やたらと外国文化に詳しかった。ドイツ、イギリス、アメリカ、フランス、さらには滅多に聞いた事のない外国の言葉や文化までを彼女は網羅し、自分に教えていた。この神世紀では間違いなく役に立たない知識だろうが、逆に言えば何故あれほどの知識や文化を彼女は知っていたのか、それが志騎には気になったのだ。それらを記した文献などは、今や図書館などにもないはずなのに。いくら天才の彼女でも、元となる文献が無ければ知る事は出来ないはずだ。

 それに対する、白米とから揚げをめいっぱい口に詰め込んだ刑部姫の返答は。

「ふぉふぇは、わふぁひふぉふぉふぇんはふぁふぁふぁっふぇいふぇ……」

「口の中のものを飲み込んでから喋れ」

 こめかみに青筋をわずかに立てると、さすがの刑部姫もまずいと思ったのか言われた通りにごくんと口の中のものを飲み込むと、ようやく説明をし始めた。

「それは私の……氷室家の先祖の関係だ。そう言えばお前には先祖の事を話した事は無かったな」

「ああ。鳥籠にいた時の記憶の中にも、教えられた事は無かった」

「ふむ。では良い機会だし教えておくか。そもそも氷室家のルーツは約三百年前のある男から始まっている。そいつはジャーナリストをしていたらしくてな、仕事で神奈川県からこっちに来ていたらしい」

「かながわ県?」

 刑部姫の口から飛び出した件名に、志騎は眉をひそめた。生まれてから九年経つが、そのような県名を聞いた事は一度も無い。

「旧世紀に日本の関東地方という場所にあった県らしい。男はそこで生まれたようなんだが、仕事の関係でこっちに来ていた時にウイルスとバーテックスが発生し、神奈川県は他の都道府県と同じように壊滅、帰るに帰る事が出来なくなったという事だ」

「……そうか」

 それを聞いて、志騎の表情が少し暗くなる。それに自分が関わっていないとは頭で分かっていても、やはりバーテックスのせいで帰る街も帰る家も無くなってしまったという話を聞くのは辛い。

 刑部姫は落ち込む志騎の顔をちらりと見てから、話を続ける。

「で、その男はジャーナリストというだけあってかなりの本の虫のようでな。私の実家には離れがあるんだが、そこには昔から男がため込んでいた本や手帳などがぎっしりと詰め込まれていたんだ。その中にはお前に話した外国に関する本などもあってな、幼い頃の私にはまさに宝の山だったよ」

「私も一度行った事があるけれど、本当にすごかったわ。小さい図書館だったみたいもの」

 刑部姫に同調するかのように、安芸はそう言った。どうやら刑部姫----氷室真由理を読書好きにしたのは、家のそういった環境が大きいようだ。

「あれ? でもその本って三百年前からあるんだよな。よく読める状態で保存されてたな」

「私の一族は結構マメでな。おまけに三百年前からの本となると、貴重な歴史上の財産と言っても過言じゃない。年に数回か家族総出で本の手入れを行ってたんだ。私もそういった本が失われるのは避けたいから、家族と一緒にやってたよ」

「たまに私も巻き込まれたわね。掃除が終わると、あなたのお母さんがジュースをご馳走してくれたの、覚えてる?」

「当然だ」

 当時の事を思い出しているのか、安芸はいつになく楽しそうだった。刑部姫の方も満更ではないようで、口元にうっすらと笑みを浮かべている。と、そこである事が気になり刑部姫に尋ねる。

「そういえばさ、お前のお父さんとお母さんって、まだ元気なのか?」

「ああ、元気だぞ。まだ二人共五十二ぐらいだったと思うから、まだまだこれからも生きるだろうな」

「そっか。……どんな人達なんだ?」

 氷室真由理という人間を育て上げたからには、二人共さぞ多大な苦労をしただろう。それとも、蛙の子は蛙ということわざの通り、両親共々性格に難があったのだろうか。

 すると志騎の考えを見透かしたかのように、

「私から見ても、『善人』だ。悪い事は悪いと断言し、常日頃から善を尊び、神樹を敬いながら生きていたよ。我ながら、よくもまぁあの夫婦から私のような人格破綻者が生まれたものだとつくづく思う」

「……仲、良かったのか?」

「どうだろうな。私から見たらそんなに険悪というわけでもなかったから、それなりの関係は築けていたとは思う。----だがまぁ、そうだな。客観的に見ても父親と母親は私の事を愛していたし、いつも真正面から私の事を見てくれていたとは思う。そこまでしてくれてたのは、あの二人以外だと恐らく安芸ぐらいだな。……正直な所、よく私のような人間を見放さなかったものだ」

 はっ、と鼻で笑いながら刑部姫は自嘲するように言った。それは、自分の事を周りとは違う『異常』だとはっきり自覚しているような言葉だった。周りの刑部姫----氷室真由理に対する反応は彼女自身の態度もあるかもしれないが、やはり彼女が生まれつき持つ才能も大きかったに違いない。そのせいで彼女は幼少期から周りと孤立し、唯一の友人と呼べるのは安芸だけだった。

 そう考えると、自分と真由理は少し似ているのかもしれない。

 他者を凌駕する才能を持つがゆえに、周りと孤立していた真由理。

 バーテックス・ヒューマンという特殊な生まれゆえに、生まれで言えば周りと孤立している自分。

 唯一の違いを上げるとするならば、彼女は周りとの絆をさほど必要とせず、自分は三ノ輪銀達との絆を求めたという所か。

 安芸という例がいる以上、彼女も絆を全く必要としていないわけではないだろうが、それでも他者と比べると積極的に絆を作ろうとしていないのは明白だ。正確には、作ろうとしていないのではなくその才能ゆえに作れないのかもしれないが。

 ----どんな気持ちなのだろう。

 自分を『天才』と称しながらも、その才能ゆえに周りと絆を作る事が出来ず、そればかりか自分を『異常』と自覚する事しかできないというのは。

 もちろん常日頃の刑部姫の言動にも非はあるので、刑部姫は悪くないと言うつもりはない。

 ただ、それでも。

 生まれ持った才能のせいで普通の生活が送れないのは、少し悲しいなと、志騎は思った。

「どうした、志騎? 突然黙って」

 突然黙り込んでしまった志騎の様子を訝し気に思ったのか、刑部姫が志騎の顔を下からのぞき込む。そこで我を取り戻すと、考え込んでいた事を誤魔化すように何とも無さそうに振る舞いながら、

「何でもない。それより、氷室真由理の両親はお前が死んだ事は、やっぱり……」

「ああ、知ってる。二人共私が死んだ事を知った時、泣いてくれたらしい。まったく、私にはもったいない親だよ」

「だけど、お前は氷室真由理の性格と記憶を受け継いでいるんだろ? 会いに行かないのか?」

「私はあくまでも器だ、氷室真由理本人じゃない。大体、死んだはずの娘の記憶と性格を持った器が会いに行っても、混乱するだけ----」

 と、何故か途中で刑部姫の言葉が止まった。箸を持つ手が空中で止まり、視線が虚空を睨んでいる。突然動きを止めた彼女に、志騎と安芸は怪訝な表情を浮かべながら彼女の視線の先を追う。しかしそこには何もなく、刑部姫がどうして動きを止めたのかは分からなかった。

「おい、どうしたんだよ」

「……いや、死んだはずの娘、という言葉でな。昔父親から聞いたある話を思い出した」

「あなたのお父さんから?」

 ああ、と刑部姫は頷き、

「本当に私がまだ子供の時に聞いた話だが……。氷室家の祖先の男の話はしただろ? バーテックスとウイルスが発生してから男は香川県に住み、ある女と結婚して子供を成し、それが氷室家になったわけなんだが……その女との出会いがなんでも病院らしい」

「病院で?」

「そうだ。男は病院でその女と出会い、交流を始めたらしい。女はどうも精神の病にかかっていたらしくてな、最初はかなり酷かったようだが男との交流を得て回復していき、ついには日常生活に問題が無いレベルまで治ったそうだ。それから二人は結婚、子供を成した」

「そんな話、聞いた事が無い……」

「無理はないさ。私も今まで思い出さなかったし、氷室家に伝わる伝説のようなものだからな」

 氷室家と交流があったはずの安芸でさえ知らなかったという事は、刑部姫の言った通り彼女の家だけに伝わっている話なのだろう。刑部姫は両手を組むと、テーブルの上に肘を乗せて、

「だが本題はここからだ。精神の病は治ったものの、子供を産んでから女の体調は少しずつ悪くなっていたらしい。元々体の方も弱っていたようだし、それが限界に近づいていたんだろうな。そして死の間際、女は男に遺言を残した。……『あの子に、ごめんなさいって伝えて』と」

「あの子?」

「なんでもその女は男と出会う前に他の男と結婚していたようでな、そいつとの間に娘がいたようだ。だが男との関係がうまくいかなくなり、別れようにも子供の親権などの関係で別れる事も出来ず、それで娘の存在を心から邪魔だと思ったようだ」

「……身勝手ね」

「同感だ」

 吐き捨てるような安芸の言葉に、刑部姫も頷く。言葉に出さないが、志騎も同じ気持ちだった。自分達が原因のくせに、自分達と血の繋がった娘を邪魔だと思うなど、人間としてどうかしているとか言えない。

「だがまぁ女の方は先祖の男との交流で大分性格が良くなったみたいでな、たまに娘への懺悔の言葉を口にしていたらしい。自分はあの子に、親らしい事をまったくしてやれなかった。もう遅いけれど、それだけが心の底から申し訳ないってな。その償いというべきか、先祖の男との間の子供達には精いっぱいの愛情を注いだようだ。そして死の間際、男に言ったんだ。『あの子に、ごめんなさいって伝えて。親らしい事ができなくて、本当にごめんなさい』ってな。それを最後に、女は息を引き取ったというわけだ」

 話が終わると、さっきまでは明るかったはずの食卓の場が一気に重苦しくなってしまった。まぁ、このような場で明るく食事をする奴がいたらぜひともお目にかかりたいものだ。空気を読んでから、流石の刑部姫もさっきまで平らげていたから揚げには目もくれず肘をつきながらテーブルの一点を見ている。

「……その娘には、伝えられたのか?」

「いや、そもそも生きているかどうかすら分からなかったらしい。祖先も娘を捜したが、ついに見つからなかったようだしな。名前も流石に伝わっていなかったし、天寿を全うしたのか、それとも何らかの原因で祖先が捜し始めた時にはもう死んでいたか……。私が父親から聞いた話だけでは、何も分からん」

「でも、口伝があるって事は、それの元になった文献がどこかにあるんじゃない?」

「そう思って私も離れにあった本を点検しながら読んだが、どこにも無かった。私の知らない場所にあるのか、それともとっくに紛失したのか……。真相は全て闇の中だ」

「そう……」

 話が打ち切られ、食卓に再度沈黙が下りる。志騎は刑部姫から聞いた話を頭の中で咀嚼しながら、ぽつりと呟く。

「……でも娘って事は、俺達とも少なくとも血が繋がってるって事だよな」

「父親が違うし、三百年ほど経っているが、まぁまったくの他人ではないだろうな。それがどうしんだ?」

「いや、って事は、俺達にもどこかその娘と似ているようなところがあるのかなって思って」

 すると刑部姫は興味深そうに顎に手をやりながら、

「ふむ、確かにそうだな。血は薄れているが、どこかが似ていても不思議じゃない。例えば顔だったり、身体的な特徴だったり……」

「あとは特技とかか……。ゲームが得意だったり?」

「ああ、それはあるかもな。私もゲームは好きだし得意だ」

「うわ、最悪……」

「おいそれどういう意味だ」」

 変な所で彼女と得意な所がかぶり、志騎が呻くと刑部姫がじろりと半眼を志騎に向ける。と、それまで二人の会話を聞いていた安芸がパンパンと両手を打ち鳴らした。

「はいはい、話はそこまでにしなさい。ご飯冷めるわよ」

「むぅ……そうだな。おい志騎、この後ゲームやるぞ。ゲーム機持ってるからお前の部屋のテレビ貸せ」

「ええ……。別に良いけど、何やるんだよ……」

「戦闘機を操って敵戦闘機を打ち落とすフライトシューティングゲームだ」

「嗜好までほとんど同じかよ。血の繋がりって、予想以上に怖いものだな……」

 はぁ、とため息をつきながら志騎は食事を再開する。

 その後、志騎と刑部姫の二人は彼女が持ってきたゲーム機でペアを組んでゲームを行い、二人して無傷で敵戦闘機を全滅させるのだった。

 




今回出てきた娘の正体に繋がる恐れがあるため深掘りはできませんが、今回出てきた娘と氷室真由理の顔はかなりそっくりです。唯一の違いは目つきぐらいで、真由理の場合は娘よりも若干鋭いです。
志騎の顔は、自分の中ではその娘の顔を中性的な少年のようにしたイメージです。


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第二十五話 キミたちと過ごした夏祭り

 

 

月曜日、志騎はいつも通り家を出ると、銀と一緒に神樹館へと続く道を歩いていた。今日もまたお人好しの銀が困っている誰かを見つけて学校に遅れるのではないかと思っていたが、今日は珍しく途中に困っている人や動物は一人もおらず、結果二人は少し早めに神樹館へと到着する事が出来た。

「おはよーっす!」

「あら、銀。今日は早いわね」

「へへ、まぁね」

 教室に到着して元気に挨拶をする銀に、すでに席に座っていた須美が声をかける。なお、園子は言わずもがな、机に突っ伏して鼻提灯を膨らませている。銀は自分の席にランドセルを置くと、須美と世間話を始めた。一方志騎は彼女と同じように自分の席に向かうと、ランドセルを置いて持ってきた教材を机の中にしまおうとする。

 しかし机の中に手を入れると、指先にかさりと何かが軽くぶつかった。眉をひそめながらそれを掴んで引っ張り出すと、入っていたのは白い封筒に付箋が貼られた手紙だった。

 何故かデジャビュを感じながら、封筒を開いて入っていた手紙を取り出すと、書かれている文章を上からゆっくりと読み始める。

「あれ? 志騎、何読んでんの?」

 すると朝から何かを読んでいる志騎に気づいたのか、銀と須美、さらに目が覚めて二人の会話に参加していた園子が志騎の席に集まってくる。文章に目を通しながら、志騎はさらりと軽い口調で返事をする。

「ああ、ラブレター」

「あら、そうなの………。って、ラブレター!?」

 それを聞いた須美は一瞬硬直すると、目を真ん丸に見開いて驚愕の声を上げた。

「あまみんもラブレターもらったんだ~! お揃いだね~」

 志騎と同様、以前にラブレターをもらった園子は嬉しそうな声を上げる。何言ってんだよ……とそこでようやく志騎が手紙から視線を外すと、何故か須美がどもりながら、

「し、ししし志騎君。ほ、本当にそれラブレター……なの?」

「この文面でラブレターじゃないって断定するのは難しいと思うぞ? なんなら読んでやろうか?」

 冗談交じりに言うと、須美は唇をぎゅっと結んだ表情で、園子は目をキラキラキラと輝かせながら、それぞれ首を縦にコクコクコクと振った。二人が自分の思っていた以上に本気だという事を悟った志騎は、ため息をつき手紙を読み上げる。

「えっと……『天海志騎様へ。気が付けば最近、あなたの事だけを考えています。できる事ならあなたとお付き合いしたいと思っていますが、お役目の事もありますのでそれは今は難しい事だと思っています。ですので、返事は結構です。ただ、あなたの無事を日々神樹様に祈っています。』……だってさ」

 それはまごう事無く、志騎に宛てたラブレターだった。宛名までしっかりと書かれている以上人違いというのは考えにくいのだが、正直見知らぬ他人がここまで自分の事を想っていたとはさすがに思っていなかった。一方、まるで漫画やアニメのような展開に園子は目を輝かせて、

「ねぇねぇあまみん、返事は出さないの~?」

「いや、必要ないだろ。名前が書かれてないし、手紙にも返事は結構ですって書かれてる。この手紙を出したのは誰だってクラス中に聞くのはさすがに無神経すぎるし、とりあえず今は気持ちだけ受け取っておこう」

 一応手紙には付き合うのは今は難しいと書いており、言い方を変えればもしもお役目が終わったら付き合って欲しいとも取れるが、今の所お役目がいつ終わるかは分からないので、仮にお役目が来たとしてもその時に考えれば良いだろう。園子はう~んと悩まし気な声を出しながら、

「それもそうだね~。とりあえず今はそっとしておこうか。ね、わっしー……」

 園子が同意を求めようとして横を向くと、何故か彼女が動きが止まり、彼女の表情が珍しく強張る。それに志騎も彼女の横を見ると、すぐに理由が分かると同時に志騎の頬も同じようにひきつる。

 何故なら、そこには自分の机に両手をつきながらすごく悲愴な表情を浮かべている須美の姿があったからだ。あまりに痛々しい表情に志騎はおろか園子ですら声をかける事が出来ない。

 と、何やらブツブツと呟いているので、志騎と園子はこっそりと彼女に耳を近づけて聞いてみた。

「……どうして、どうしてそのっちや志騎君はもらっているのに、私にはあんな手紙が……! いえ駄目よ鷲尾須美、あんな紙切れ一つに色めき立つなんて修業が足りない証拠よ……! 邪念を振り払いなさい。この身の全ては国防のために……!!」

「(こいつは一体何を言っているんだろう)」

「(さ、さぁ~?)」

 いつもは滅多に見ない友人の姿に志騎は半眼になりながら呟き、園子も曖昧な笑みを浮かべながら首を傾けていた。やれやれ、と志騎が肩をすくめると、いつもならば誰よりも騒ぎそうな幼馴染が妙に静かな事に気づく。

「おい銀、どうし……」

 と、銀の顔を見た志騎が何故か怪訝な表情を浮かべた。

「……ミノさん?」 

 彼に続き銀の顔を見た園子も、きょとんとした声を浮かべる。そしてようやく現実世界に意識を戻した須美も銀の顔を見て、眉をひそめた。

 銀は先ほどの志騎と同じように体を硬直しながら、目を真ん丸にしていた。その目には驚きの感情よりも、むしろ困惑の色の方が強いように三人には見える。この様子では志騎達の会話が聞こえていたかすら怪しい。

 三人は一度顔を見合わせると、須美が掌を彼女の顔の前で振ってみるが視線は微動だにしない。ならばと園子が手の甲をくすぐってみるが、結果は変わらず。最後に志騎が右手をデコピンの形にすると銀の額の前で構えて、勢いよく額にデコピンを放つ。

「いった!」

 するとようやく我を取り戻したのか、銀が額を抑えながら呻き、須美と園子がおお~と感嘆の声を上げる。一方銀は、額を抑えながらようやく志騎が自分にデコピンをした事に気づき、

「……え、あれ? 何でアタシお前にデコピン食らってんの?」

「お前が黙り込んでたからだよ。一体どうした?」

「黙り込む? アタシが? 何で? あ……」

 と、そこでようやく自分達が何の話をしていたのか思い出したのか、彼女の視線が志騎の顔から彼が持っているラブレターに向く。すると銀は動揺したような声を上げたが、すぐにいつもの明るい笑みを浮かべ、

「な、なんだ志騎もラブレターもらったんだ! まぁ確かにお前は顔は良いもんな! そりゃあ他の女子だって放っておかないよなー。あは、あははははははは……」

 しかし誰が見ても、それは空元気だ。証拠に彼女が上げている笑い声には力がまったく入っていない。何故かは分からないが、彼女がショックを受けているのは明らかだった」

「おい、一体どうし……」

 志騎が尋ねようとした瞬間、朝の学活の合図となるチャイムが鳴った。それを聞いた銀は「じゃ、じゃあまた後で!」と三人に手を振ると、そそくさと自分の席に戻って行ってしまった。志騎と須美、園子は互いに顔を合わせると、仕方なく須美と園子は自分の席に戻り、志騎はラブレターを机に戻す。じきに安芸がやってきて、朝の号令を始めるだろう。

(……一体、どうしたってんだ?)

 幼馴染の背中をぼんやりと見ながら、志騎は小さくため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

「一体、どうしたの銀? こんな所に呼び出して……」

 一通りの授業と給食が終わった後、須美と園子は何故か銀に体育館裏に呼び出された。現在昼休みの時間だが、大抵の生徒達は校庭で遊んでおり、こちらまで来る事はまずない。なので今の状況は、誰にも知られたくない話をするにはうってつけである。

「もしかして、告白……ってわけじゃないよね~」

 どうやらさすがの園子も、銀が自分達を呼び出した理由は分からないようだ。

 そして、二人を呼び出した張本人である銀は、何故かもじもじとしながら中々話を切り出さない。ただ須美と園子の顔を見ながら、「あー」とか「うー」とか、言うか言わないか迷っている声を出すばかりである。しかしこのままではらちが明かないと思ったのか、一度深呼吸すると二人に言った。

「……あのさ、大丈夫だと思うけど……。今から言う事は志騎には絶対に言わないって約束してくれ。いや、二人が約束を破るなんてこれっぽっちも思ってないぞ? ただ、やっぱり不安と言うか……」

 どうやらこれから話す内容は志騎には絶対に聞かれたくない内容らしい。普段は何か悩み事があったらきちんと二人に話してくれる銀がここまで念を押すので、よほど聞かれたくないのだろう。

 銀の言葉に須美と園子は力強く頷き、

「ええ、約束するわ。志騎君には絶対に話さない」

「私も私も~! こう見えて、口はすっごく固いんよ~」

 二人の言葉を聞いて、銀はようやく少しほっとした表情を浮かべる。真面目な須美は口止めされたら何があっても言わないだろうし、友達思いな園子も同様だ。例え志騎に何かあったか聞かれても、今言った通り絶対に何も言わないだろう。

 そして暗い表情で俯く銀の口からまず出たのは、こんな言葉だった。

「………須美、園子。アタシ、すっごく嫌な奴なのかもしれない……」

「ええっ?」

 突然の言葉に、須美から一体何を言っているのだ、と言いたそうな声が飛び出した。しかしそれは無理もない事である。須美から見て、目の前の三ノ輪銀という少女は紛れもない善人である。そもそもそうでなければ勇者に選ばれるはずがない。銀が嫌な奴ならば、四国の人間は全て極悪人である。

「ミノさん、どうしてそう思うの~?」

 須美と同様に銀の発言に驚いた園子が尋ねると、銀は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべながら、

「朝、志騎がラブレターもらってただろ?」

「ええ、そうね」

「あれ見てさ……。アタシ、なんていうか……その、すっごく嫌な気分になったんだよね」

「嫌な気分って……具体的には?」

「うーん……。胸の中がもやもやして、心臓の鼓動がすごく早くなって……。で、何でか分からないけど冷たい汗が出て……。それでラブレター読んでる志騎を見たら、無性にイライラしたっていうか……」

「イライラしたって……志騎君に?」

「いや、志騎じゃなくて……。もう本当に『なんで志騎なんだよ』っていうか……、『どうして志騎に出したんだ』って、ラブレターを出した人に対して何でか急にカーっとなっちゃってさ。で、もしも志騎がOKって返事を出したらどうしようって……もしそうなったら、志騎があたしのそばからいなくなっちゃうんじゃないかって……。そう考えたら、周りの事とか全然頭に入らなくなっちゃってさ……」

 と、そこで銀は不安そうな表情で須美と園子の顔をまっすぐ見つめ、

「なぁ二人共、アタシどうしちゃったんだ? こんな事、二人に聞いても分からないってのは分かってる。でも、志騎がラブレターをもらったってだけでイライラして、何も考えられなくなって……。アタシ、もしかしたら本当はすっごく嫌な奴なのかもしれない……」

 そこで銀はしょぼんと項垂れた。一方、相談された須美は目をぱちくりとさせながら、

「えっと……つまり、銀は志騎君がラブレターをもらった事で何故かイライラして、その上不安でいっぱいになってしまった。それで自分が本当は嫌な奴なのではないかと思い、私達に相談してきたというわけね?」

「うん」

「……志騎君に秘密なのは?」

「いや、あいつ結構最近まで色々大変だったし、イライラしたり不安になったのもアタシの問題だから、志騎まで巻き込みなかったし……。それに……」

 ゴニョゴニョ、と最後は小声だったが、近くにいる須美と園子はどうにか聞き取る事が出来た。

 ----志騎に嫌な奴だって思われるのは、怖い、という言葉は。

「----分かったわ。銀、悪いけれど、ちょーっと待っててね?」

「え、す……」

 しかし銀が言う前に、須美と園子は二人揃ってぴゅーっと銀から距離を離すと、勢いよく小声で話し始めた。

「(そ、そそそそそのっち! これって、もしかして……!)」

「(うんうん! 間違いないよ~! みのさん、間違いなくやきもち焼いてるんよ~!)」

 慌てて須美がひそひそ話をすると、園子は目をキラキラと輝かせて興奮しながら言う。一方、須美は銀の方をちらりと盗み見すると、

「(ちょ、ちょっと待って! やきもちを焼くって事は、もしかして銀、志騎君の事が……!?)」

「(間違いないよ~! 前々からそうなんじゃないかな~って思ってたけど、間違いなくミノさんはあまみんに恋してるよ~!)」

「(こ、恋……!)」

 自分の友人が友達の少年に恋しているという事実に須美は思わず頬を赤らめるが、今の園子の話の中に一つ気になる事があり、須美はん? と怪訝な表情を浮かべる。

「(ねぇそのっち。前々からって、いつから思ってたの? その、銀が志騎君に恋してるって……)」

「(え? ほら、前にミノさんが私達にあまみんの過去の事とか話してくれた事があったでしょ? あの時ミノさんの顔を見て、ビビッと来たんだ~。わっしーは気が付かなかったの?)」

「(……お恥ずかしながら)」

 園子は気付いたのに、一人だけ気づいていなかった自分が恥ずかしくて、須美は思わず項垂れてしまった。そんな彼女を園子がよしよしと慰めるように頭を撫でると、須美は表情を引き締めて拳を強く握った。

「(とにかく! 銀が志騎君に恋してるって事は確かだわ! とすると、私達にできる事は……!)」

「(二人の恋のキューピッドになる事~!)」

 うん! と二人は顔を見合わせると力強く頷いた。しかし直後、須美は不安げな表情になり、

「(でも、そのためにはまず何をしたら良いのかしら……?)」

 早速出鼻をくじくような発言だが、園子はそれを咎めるような事はせず、いつも通りのほほんとした口調で、

「(今はとりあえず二人の仲を見守ってた方が良いと思うよ~。ミノさんもあの様子だとまだはっきりと自分の気持ちに気づいてないみたいだし、焦って二人の関係がギクシャクしちゃうのも駄目だしね)」

「(そ、そうね。急いては事を仕損じるとも言うし、とりあえず二人を見守りながら、これからどうするかを考えていきましょ)」

「(うん、賛成~!)」

 ようやく二人の間で合意がされると、一人にされて少し寂しそうにしている銀の元に急いで戻る。少ししょぼくれていた銀は二人がようやく戻ってくると怪訝な表情で、

「ようやく戻ってきたか……。一体二人共、何話してたんだ?」

「何でもないわ、銀」

「うんうん、まったく何でもないよ~ミノさん」

「……???」

 何故か自分を温かい目で見守る二人を銀は奇妙なものを見るような目で見ていたが、それを遮るように須美が言う。

「それで銀の悩み事の事だけど……。私達が断言するわ、銀は嫌な奴なんかじゃない。ラブレターを出す女の子にそう思っちゃうのも、理由があるからなのよ」

「理由って……須美達には分かるのか?」

「分かるけど、今はまだ言えないかな~。でもきっとミノさんにも分かる時が来るから、お楽しみに~」

 ふふふふふ、と揃って笑う二人を見て、銀は目を丸くする。

 できれば今すぐにでも理由を教えて欲しかったが、もうすぐ休み時間も終わるし、この様子では二人に尋ねても何も話さない可能性が高いので、銀は二人と一緒に教室へと戻る事にした。そして教室へと戻りながら、須美と園子はこっそりとこれから銀と志騎の仲をどう進展させるかを小声で話し合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 放課後になり、四人は訓練場で恒例となった勇者に変身しての訓練を行っていた。これまで何回も修羅場をくぐってきたためか、四人の動きと連携は以前よりも洗練されたものになっている。

 しかし、その中でも際立っているのは志騎だった。彼はブレイブブレードを目にも止まらぬ速度で振ると、剣についている引き金に人差し指を突っ込んで剣を回す。すると剣が瞬く間にガンモードに変形、グリップを握ると訓練場にあった的目掛けて霊力で構成された銃弾を発射する。銃弾は見事に、的のど真ん中に命中した。

「………っ!」

「わぁ~!」

「………すごい」

 それを見た須美と銀は息を呑み、園子は感嘆の声を上げ、いつもは冷静な表情を崩さない安芸ですらも目を見開いて驚いていた。一方志騎は倒れた的を無感動に見つめると、ガンモードにしたブレイブブレードをブレードモードに戻して再び剣を使っての訓練に戻る。

(……順調、いや、予想以上だな)」

 タブレットを操作しながら、刑部姫は内心そう思う。

 タブレットに表示されているのは、志騎の現在の勇者適性率だった。勇者適性率とは名前が表す通り勇者としての適性の高さを数値化したものであり、これが高ければ高いほど神樹の力との親和性が高く、より強い力を引き出す事が可能となる。

 現在志騎の勇者適性率は四人の中では最高値になっているが、これは本来ならばありえない数値なのだ。というのも、志騎が最初勇者になった時の勇者適性率は、勇者に変身できる最低値を超えてはいたものの、それでも四人の中では最も低い数値だった。勇者適性率は生まれつきのものであると同時に基本的には変動しない数値だ。精神的な事である程度の上下はするもののそれは一時的なものにすぎない。

 なのに当初低かった志騎の適性率は上がり続け、今では三人を優に超える数値を維持している。

(……仮説通り、だな)

 実はバーテックス・ヒューマンという兵器を作る過程で、刑部姫は----氷室真由理はある仮説を立てていた。

 バーテックスの細胞は持ち主の意志・状況に応じて進化する可能性を秘めている。バーテックスは感情を持たない生物兵器だが、勇者であると同時に感情とバーテックスの細胞を持つバーテックス・ヒューマンならば勇者適性値の上限値を上げる事も可能ではないのか、と。

 そして今、仮説は刑部姫の目の前で立証されていた。

 勇者としての戦いに飛び込み、銀だけじゃなく須美や園子と交流し絆を深める事で、志騎は初めて『人を愛しているから戦っている』という想いを自覚した。それに彼の中のバーテックスの細胞が呼応した結果が、勇者適性値の上昇だ。

 彼がここまで強くなっているのは彼のバーテックスの細胞にかけられていた封印が全て解除されたというのもあるが、それだけではなく勇者適性値の上昇もあったから彼はここまで強くなったのだ。

 他に例の無い、バーテックスの力と神樹の力を併せ持った勇者、天海志騎。

 人を護りたいという彼の心が爆発すればするほど、彼はさらに強くなる。

(……まさかバーテックスの細胞をさらに強化するための方法が、バーテックスが持たない感情とはな。皮肉としか言いようがない)

 刑部姫は画面をタップして表示されていた情報を全て消すと、タブレットから志騎達の訓練に視線を移すのだった。

 志騎はしばらく無心でブレイブブレードを振っていたが、最後にビュッ!! と剣を振り下ろすと、ふぅと息をつく。すると、それまで彼と同じように両手の斧を振っていた銀が話しかける。

「志騎、大丈夫か? そんなペースで訓練してると、疲れちゃうぞ?」

「……いいや、大丈夫だ。むしろ調子が良い。正直、今ならいくらでも動けそうだ」

 そう言って額の汗を拭う志騎の顔には強がり等の感情はまったく浮かんでおらず、どうやら言葉通り本当に調子が良いらしい。数多の戦いを繰り広げてきて強くなったためか、バーテックスの細胞の封印が解除されたためか、はたまたその両方か。

「……今は少しでも強くならなきゃならない。一日でも早くバーテックス達を全部倒さないと……」

「志騎……」

 呟きながらブレイブブレードの柄を握りしめる志騎は、どこか危うく見えた。今の志騎には、バーテックスを全滅させるためなら冗談抜きで自分の命を簡単に捨ててしまいそうな雰囲気があるのだ。

 そして志騎が訓練に戻ろうとすると、二人に珍しく須美が声をかけた。

「ねぇ二人共、勇者には気分転換も必要だと思わない?」

「え?」

「は?」

 須美の提案に志騎と銀が揃って声を上げると、須美が訓練を見守っていた安芸と刑部姫に目を向ける。

 自分達に視線を向けてきた須美を安芸は黙って見つめ返し、刑部姫はやれやれと言いたげに髪の毛をくしゃくしゃと掻くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、須美も安芸先生も、おまけに刑部姫まで一体どういうつもりなんだか……」

 自宅の前で、志騎は腕を組みながらぼやいた。

 須美が提案したのは、今度の休日に開かれるお祭りに四人で参加しようとの事だった。この前訓練を休んで鉄男達との時間を過ごし、さらに次バーテックスが襲撃してきた時のために志騎としては少しでも鍛えておきたかったのだが、何故か須美の提案を安芸はおろか刑部姫も了承し、こうして四人は息抜きとして祭りに向かう事になったというわけだ。

 志騎はその時の事を思い出しながら、ちらりと自分の体を見下ろす。

 今志騎が着ているのは彼が持っている私服では無く、黒に縞模様が入った男性用の着物だった。足には下駄を履いており、片手には信玄袋がぶら下げられている。この日のために、安芸と刑部姫がわざわざ用意したのだ。おまけに着付けも二人が手伝ってくれたので、着こなしは完璧である。

「『折角のお祭りなんだから、楽しんできなさい』か……。そんな事言われてもな……」

 着付けを手伝ってもらっていた時に安芸から言われた言葉を思い出して、志騎は再びため息をつく。次バーテックスが来た時のために鍛えておく事の重要性は、安芸も刑部姫も分かっているはずだ。なのに安芸はわざわざお祭りのためにここまでしてくれ、刑部姫も文句を言うどころか安芸と一緒に準備を手伝ってくれた。二人が一体何を考えているのか、志騎にはさっぱり分からなかった。

 腕を組んで志騎が待っていると、一台のリムジンが志騎から少し離れた場所に止まった。ようやく来たかと思いながら志騎が目を向けると、リムジンから桃色に朝顔の模様が入った着物を着た園子が降りてきた。

「あまみん、お待たせ~。わぁ~! 着物似合うね~」

「どうも。それより、祭りの時間は大丈夫なのか?」

「大丈夫よ」

 そう言ったのは、園子に続いてリムジンから降りてきた須美だった。彼女は青色に花の模様が入った着物を身に纏っている。彼女はどこかふふんと誇らしげな表情を浮かべながら、

「お祭りが始まる時間、ここからそこまでにかかる時間も全て事前に計算したわ。よっぽどの事が無い限り、まず遅れないわよ」

「そうか。ま、そのよっぽどの理由になりそうな奴もお前らと一緒だしな」

 今日お祭りに行くと決まった時、最初は祭りが開かれる現地に直接集まるかと志騎が提案したのだが、折角だからみんなで一緒に行きたいという園子の要望により天海邸の前を集合地点にする事になった。段取りとしては着物を着た志騎が天海邸の前で待ち、須美達女性陣が乃木邸で着物の着付けを終えてからここに来るという事になっていた。須美の言った通りよっぽどの事が無い限り遅れる事は無いし、いつもは遅れる原因となってしまう少女も遅れずに済む。

 と、そこで志騎はその懸念点となっていた少女の姿が見えない事に気づいた。

「なぁ、銀は? 一緒だろ?」

「うん。ちょっと待っててね~」

 すると園子はリムジンに向かい、車に乗っているであろう銀に声をかける。

「ミノさん、早く降りてきなよ~」

「な、なぁ園子……。今更だけど、すごく恥ずかしくなってきたんだけど……」

「大丈夫だよ~。すっごく綺麗だから~」

「いや、そういう問題じゃなくて……! 何か背中の辺りがムズムズするっていうか……」

「良いから、ほら~!」

 業を煮やした園子が笑顔で車内に手を突っ込み、強制的に銀を車から降ろす。わっ、という声と共に銀の姿が志騎の目に映し出される。

「----」

 思わず、息を呑んだ。

 それほどに、志騎が目にした少女は彼が知っている少女のものとは違っていた。

 着ているのは水色に、薔薇の柄が入った着物。しかし志騎の目を引いたのは、着物よりも銀の髪型だった。彼女はいつもは髪の毛を後ろで短くまとめているのだが、今の彼女は髪の毛をまとめていない。なのに、それだけで彼女の印象がぐっと変わっていた。

 さらに、それだけではなく。

「……ん。お前、もしかして化粧してる?」

「そうだよ~。メイドさん達に手伝ってもらったんだ~」

 志騎の言葉を、銀の横にいた園子が笑顔で肯定する。

 志騎と園子の言う通り、銀の顔には化粧が施されていた。目立たないように薄く程度だが、それが彼女が本来持っていた人形のような可愛らしさをさらに引き立てている。おかげで、今の銀は志騎が知っている銀よりも女性らしさが増していた。

「……やっぱり、変かな」

 一方幼馴染の反応を目にした銀は、照れたように頬を赤らめる。その反応は以前園子の家で二人によって別の服に着せ替えられた時の反応と似たようなものだ。要するに、いつもまるで少年のように走り回っている自分が、このような服を着てもおかしくはないか、という事だろう。

 やれやれ、と志騎は髪の毛をポリポリと掻くと、銀にまっすぐ向き直る。志騎の口からどういった言葉が出るか分からず、銀は思わずびくりと体を竦ませた。

「前にも言っただろ。お前は元々美人だし、似合って……」

 と、途中で何故か志騎の言葉が止まる。銀が思わずきょとりと瞬きするが、原因は彼女の後ろにいる園子と須美だった。彼女達は何故か自分を見ながら、人差し指をこれでもかと立てていた。二人のジェスチャーを翻訳すると、こんな感じだろう。

 まだ足りない。あともう一押し。

(ったく……)

 二人がどうしてそのような事をするのかまったく分からないが、言う通りにするしかなさそうだ。志騎は改めて銀とまっすぐ向き合うと、はっきりと告げる。

「……綺麗だよ。俺が今まで見てきた女性の中で、とびっきり美人だと思う」

 言葉は長くなかった。

 だが、志騎はこんな場面で嘘や冗談を言う事はまずない。それはつまり、今彼が言った言葉は心の底から本当だという事だ。普通の男性が言ったら歯が浮いてしまうような言葉も、下心がまったくなく、おまけにたった一人の少女に向けられては、逆に周りの人間が赤面してしまいそうな言葉に早変わりである。

「……そ、そうか。えへ、えへへへへへへへへへへ……」

 一方、真正面から賛辞の言葉を向けられた銀は志騎に背中を向けた。下手をすると、彼の目の前で崩れた笑顔を披露しかねないからだ。その銀の顔を、須美はパシャパシャパシャ!! とスマートフォンのカメラで撮影していく。

「……珍しいな、こんな姿の銀を見ても須美が鼻血出さないなんて」

 友人に向ける言葉としてはややおかしいような気がするが、園子は二人に目を向けながら、

「もうミノさんが着替えた時に出しちゃったからね~。一瞬救急車を呼んだ方が良いか迷っちゃったよ~」

「え、そんな状態で祭り行って大丈夫なのあいつ?」

 志騎が思わずといった調子で目を見開くと、話を聞いていた当の本人はぐっとサムズアップし、

「安心して。致命傷よ!」

「それのどこを安心しろと?」

 堂々と自分の命はあとわずかですという宣言をされても困るだけなのだが、この様子だと大丈夫そうなので志騎はいつもの事だと思う事にした。

「あーもう! ぼさっとしてたら祭りが終わっちゃうし、早く行こうよ!」

 そして志騎に褒められ、須美に散々写真を撮られまくった銀の照れ隠しを兼ねた言葉で、三人はようやく祭りの会場へと向かうのだった。

 会場への道を歩きながら、園子がこっそりと須美に耳打ちする。

「(でも、よく考えたねわっしー)」

「(え? 何を?)」

 自分達の前で祭りに行ったら何を食べようか今から目を輝かせている銀と、無駄遣いし過ぎるなよとくぎを刺す志騎の二人を見ながら、園子はとぼけちゃって~と笑い、

「(気分転換って事もあるけど、あまみんとミノさんの事も考えてくれたんだよね~? お祭りは男の子と女の子の仲を深める絶好の場だもん!)」

 むっふっふ~と、少し興奮気味に園子が言った。確かに様々な創作物から見ても、祭りの場は男女の仲を急接近させるのに最適な場面の一つと言える。そう考えると、今回須美が三人を祭りに誘ったのは良い判断だろう。

 だが、言われた須美本人はきょとんと瞬きを一回すると驚いたように、

「(え、そ、そうなの? 私は本当に、お祭りなら気分転換にも良いかなって思ってみんなを誘ったのだけれど……)」

「(……あれれ? じゃあわっしーは本当に、あまみんとミノさんの仲を深める事とは関係なしで、気分転換だけで誘ったの?)」

「(ええ、そうだけれど……。いけなかったかしら?)」

 余計な事をしてしまったかと、須美が不安そうな表情を浮かべる。友達にそのような表情を浮かべさせてしまった事に園子は少し慌てながら、

「(そ、そんな事は無いんよ~。……でも、わっしーから遊びに行こうなんて、ちょっと珍しいよね。私やミノさんなら分かるけど……)」

 もしも祭りに誘ったのが園子や銀ならまだ分かるが、真面目な須美が誘うというのは違和感がある。だから園子も、てっきり須美は気分転換もあるが、志騎と銀の仲を深めるために祭りに誘ったのだと思っていた。

「(確かにお役目は大事だけれど……、正直今の志騎君には、気分転換が必要だと思ったの。今の彼、ちょっとお役目に……バーテックスを倒す事に、のめり込み過ぎているような気がしたから)」

 無論それは、多くの人々を護ると同時に、一日でも早くバーテックスとの戦いを終わらせようという志騎自身の想いもあるに違いない。しかし今の志騎はその想いが先走り過ぎてしまい、傍から見ると危なっかしく見えてしまう。最悪の場合、バーテックスを倒す事のみに集中し過ぎてしまい、周りの事が見えなくなってしまう恐れすらある。----以前の須美のように。

「(前に銀の家に行った時も、お役目の事を完全に忘れる事ができてたわけじゃなかったし……。今日ぐらいは、彼も私達もお役目の事を忘れてリラックスした方が良いと思って)」

「(そうだったんだ~。でもわっしーの言う通りだね。よーし、今日はお役目の事を忘れてお祭りをたくさん楽しも~!)」

 明るく笑みを浮かべながら軽く腕を上げる園子に、須美は勿論と言うように笑みを返した。

 しばらく歩き、四人は祭りの会場に到着した。祭りが行われているのは近所の神社の敷地内で、敷地内にはもうすでにチョコバナナやたこ焼き、りんご飴などの祭り定番の屋台が並んでいる。他にも浴衣を着て友達と一緒にやってきた女性、ラフな格好で屋台を見て回っている青年、屋台で売っている食べ物を一緒に食べている親子連れなど様々な人達が祭りにいた。

「りんご飴とかチョコバナナとか、もう定番すぎて珍しくないよね!」

 歩きながら、園子が嬉しそうな声を上げた。彼女の手には、祭りに来てから早速購入したりんご飴に二本のチョコバナナが握られていた。

「その割には満喫しているみたいだけれど?」

「定番でも、お祭りで食べると美味しいんだよね~」

「それ分かる! アタシもこういう所に来るとさ、ついつい買っちゃうんだよねー」

「……お前の場合は食べ物だけに留まらないけどな」

 園子に同意する銀を、横目で見ながら志騎が呟く。

 志騎がそうぼやきたくなるのも当然で、彼女は片手にりんご飴、片手にチョコバナナ、さらには頭に特撮ヒーローのお面に右手の中指には水ヨーヨーと、お祭り定番のグッズをすでに揃えつつあった。たはは……と銀は苦笑しながらも、何か見つけたのか目を見開き、

「あ、焼きトウモロコシだ! 志騎買って!」

「ふざけんな!」

 焼きトウモロコシの屋台目掛けて突撃しようとする銀と彼女の首根っこを掴む志騎の二人を見て、須美と園子は思わず口元を引きつらせながら、

「こ、この場合花より団子って言うんだっけ~?」

「色気より食い気、じゃないかしら……」

 どちらにせよ、今の二人には見事に当てはまることわざなので、どちらもあながち間違ってはいないに違いない。

 焼きトウモロコシの屋台から銀をどうにか引っぺがし、四人が歩いていると今度は園子が鼻をひくひくさせ始めた。

「む、イケてる匂い!」

「はっ?」

 志騎が怪訝な声を上げた直後、園子はすぐそばにあった屋台に素早い動きで近づいた。どうやら匂いの元はそこらしい。

 その屋台で売っていたのは串焼きのようだった。熱せられた鉄板の上で、豚串や焼き鳥がジュウジュウと音を立てている。串に刺さった豚肉や鶏肉からは脂が雫となって垂れ、匂いだけじゃなく視覚からも歩く人を誘惑する。これではさすがに園子では無くても足を止めてしまうだろう。

「大将! 四本くださいな!」

「わ、わたしそんなに食べられないわ」

「俺もいらない」

「え、そう!? じゃあ私が三本食べるから!」

「いやいや園子、さすがに三本は無理だろ……。アタシも二本食べるよ、その分のお金はアタシ出すからさ」

「まだ食うのかお前……」

「二人共、すごい食欲ね……」

 祭りの雰囲気にあてられてか、二人が見せる食欲に須美は困ったような笑みを浮かべ、志騎は呆れた表情を浮かべた。そして店主からもらった豚串にかぶりつき、二人が美味しさに目を輝かせる。

「うっま!」

「美味しー! 何だこりゃー! 大将、店ごと買いたいんですけどー!」

「こんな所で乃木家の財産を使うな!」

 と、興奮のあまりクレジットカードを取り出した園子に須美と銀、志騎だけでなく店主も驚き、志騎と銀、須美の三人がかりで園子を屋台から引きはがすと次の屋台へと向かう。

 向かったのはこれまたお祭り恒例の屋台、射的だった。まず初めに先陣を切ったのは園子だ。屋台に並べれているコルク銃の一つを手にするとコルクを銃口に詰め、並べられている景品の一つに狙いを定める。狙う景品は数ある物のなかでもひと際大きいにわとりのぬいぐるみである。

 園子が引き金を引くと、軽い音と共にコルクが発射される。しかしコルクはぬいぐるみから外れ、地面へと落下していった。

「むむむむむ~……」

 自分の放った弾が外れた事に園子は悔し気な声を出しながら、次弾を装填し再度ぬいぐるみに発射する。だが今度も弾はぬいぐるみの横を通り過ぎていき、ぬいぐるみを倒す事は無かった。

「こんの~、ちょこざいな~!」

 すると業を煮やしたのか、園子はがばっと信玄袋を勢いよく開けると、中から千円札を三枚取り出す。結果、園子は両手から零れ落ちそうなコルクをもらった。

「園子ってあれだな……。お祭りの景品にお小遣い全部使うタイプだな」

「そうだな。俺の横にいる奴と同じタイプだな」

「あ、アタシはあそこまでじゃないぞ!?」

 銀が慌てて抗議すると、彼はいつの間に買ったのか綿あめを食べていた。巨大な綿あめが、彼の小さな口に吸い込まれて少しずつ消えていく。

「それ、いつの間に買ったんだ?」

「長丁場になりそうだなと思って、ついさっき」

 どうやら園子の思考パターンはすっかり志騎に読まれてしまっていたらしい。なお、当の本人は志騎が言った通りすでに射的に集中してしまっている。あれでぬいぐるみを落とす事が出来なかったら、後に残るのはお小遣いがもうないという悲惨な現実だけである。

「へぇ、良いな。アタシも買ってこようかな」

「俺が受け取る頃にはもう結構並んでたぞ。まぁ、大分食べたし一口やるよ」

「ホント! やったー、いただきま……」

 と、志騎が差し出す綿あめにかぶりつこうとした時、銀はある事に気づく。

 志騎が言った通り、綿あめの大部分はもう志騎が食べてしまっていた。なので綿あめ自体の大きさは大分小さくなっており、今銀が綿あめを食べると必然的にそこは彼がついさっきまで口をつけていた場所になる。

 という事は、それはつまり、俗に言う関節キ----。

「----っ!」

 そう思った途端、何故か銀は顔を真っ赤にして綿あめから急いで離れた。一方、綿あめを差し出していた志騎は銀の不審な挙動に眉をひそめ、

「おい、どうした? 食べないのか?」

「い、いやー、アタシもうお腹がいっぱいになりそうでさ! ちょっとやめとくわ!」

「……? あっそう……」

 怪訝な表情を浮かべながらも、すぐに納得したのか志騎は再度綿あめを食べ始めた。そんな志騎を見ながら、銀は熱くなった頬に手を当てる。買った物の食べさせっこなど、幼馴染として今まで何回もやってきた。だから今更、その程度の事に照れる事なんてないはずなのに……。どうして自分は、今その程度の事ができなかったのだろう。

 なんとなく話す事が気まずくなり、二人が無言で立っていると、射的をやっていたはずの園子から涙声が聞こえてきた。

「なんてこったい……」

 そう言う彼女の手にはコルク弾が一つだけ残されていた。どうやら志騎と銀が話している間に、弾を全部使ってしまったらしい。そしてぬいぐるみは落とされていない。どうやら彼女は見事にお小遣いがすっからかんになってしまったようだ。

 すると、流石に見ていられなくなったのか須美が助け舟を出す。

「あれが欲しいの?」

「うん、一等の鳥さん……」

 やけに大きいと思ったら、あのにわとりは一等商品だったようだ。どうりで落としにくいはずである。

「となると、簡単には落とせないな。一発で落とせるか?」

「狙い通りの所に当てられれば……。そのっち、ちょっとごめんね」

「え、わっしー?」

 驚く園子のよそに、須美が園子の手を取った。それから静かな声で、

「落ち着いて、そのっち。呼吸を正して」

「……! うん」

 言われた通り、園子は動揺を鎮めると景品のにわとりに視線を向ける。

「ライフルの癖は見てたわ……。調整は任せて」

 二人は真剣そのものの表情でニワトリに狙いを定めると、さらに標的を落とすために言葉を紡ぐ。

「吸気」

「すぅー……」

「呼気」

「はぁー……」

「照準集中」

「集中……」

 須美の言葉に従って、園子は言われた通りの動作をこなしていく。ついさっきまで拡散していた彼女の意識がぬいぐるみという標的に一点に向けられ、集中力が引き絞られていく。

「力を入れず、指を絞るように……。今……!」

 須美の合図と共に引き金が引かれ、コルクがニワトリの額目掛けて発射される。コルクは見事に額に直撃し、ぬいぐるみの巨体が大きく揺らぐ。が、それでも落ちるには至らない。

「あとは気合!」

「気合~!」

「気合ー!」

「あ、お前もやるんだ。……気合ー」

 揺れるぬいぐるみに奇妙な手つきで気合(?)を送る三人に驚きながら、志騎も乗っかって気合を送る事にする。すると四人の思いが通じたのか、ぬいぐるみは見事に後ろにひっくり返って落ちていった。

「きゃー! やったー! 鳥さんゲットー!」

「よっしゃー!」

 ぬいぐるみが落ちた事に銀と園子は大喜びし、屋台の店主は落ちたぬいぐるみを信じられない目で見ながら、

「なんてこった……! こんなの、コルク弾で倒せるわけないのに……」

「それ、どういう意味?」

 ボヤキを須美に聞かれ、店主は慌てた表情を浮かべるも、やがて渋々といった様子でにわとりのぬいぐるみを園子に差し出した。

「ほらよ、持ってけお嬢ちゃん」

 差し出された園子は嬉しそうに受け取ると、須美に向き直って、

「わっしーやったね!」

「さすがはアタシ達の中で一番のスナイパーだな!」

 園子と銀から賞賛に、須美は嬉しそうにしながら、

「でも、引き金を引いたのはそのっちよ。あなたのものよ」

「うっひょー! やったぜふぉー!!」

 園子はしばらくぬいぐるみを手にして大喜びしていたが、何故かぬいぐるみを返すように店主に差し出した。店主がそれに呆気に取られた表情を浮かべると、園子はすっと何かを指差す。指の先には、四つ並んだ子犬のキーホルダーが並べられていた。

「それ四つと交換して!」

 その後、店主は園子の提案通りにぬいぐるみと四つの子犬のキーホルダーを交換し、園子に渡す。キーホルダーを嬉しそうに受け取った園子は、ぬいぐるみを一つ一つ三人に渡していく。

「はい、あげる!」

「え、良いの!?」

「良いんよ~。四人でお祭りに来た記念って事で」

「ありがとう、そのっち」

 キーホルダーを受け取った須美が礼を言い、その横では銀がキーホルダーを見ながら嬉しそうな声を上げている。志騎はキーホルダーをじっと見つめ、園子に礼を言ってから落とさないように信玄袋にキーホルダーをしまった。

 祭りのメインイベントと呼べる花火の時間までには少し時間があるので、四人はそれまで屋台を楽しむ事にした。何せまだ回っていない屋台はあるし、時間もまだある。色々な屋台を楽しんでおくのも悪くないだろう。

 そして、四人は現在型抜きの屋台で型抜きに挑んでいた。とは言っても挑んでいるのは須美と園子の二人だけである。志騎は屋台のそばでたこ焼きをほおばり、銀は性格的に無理という理由で不参加を決めていた。なお、型抜きにはもちろんお金が必要なのだが、流石にお金が無いという理由で参加できないのも少し可哀そうなので園子には志騎がお金を貸してあげる事になった。

『この御恩、一生忘れないからね!』

『いや、後で金返してくれれば別に良いよ』

 ついさっき園子とかわした会話を思い出して、思わず噴き出した。それからはしばらくたこ焼きをひょいぱくと口にしていたが、やがてたこ焼きの容器が空になった事に気づくと横にいる銀に顔を向ける。

「おい銀。俺ちょっとゴミ捨ててくるから、お前ちょっと須美と園子を……」

 だが、志騎の言葉が途中で止まる。何故なら、ついさっきまでそこにいたはずの銀の姿が影も形も無くなっていたからだ。

「銀?」

 その場で声をかけてみるが、返事はない。周囲を見てみるが、花火の時間が近づいてきたせいかそれに比例して人通りも増えており、目当ての人物の姿を確認する事が出来ない。

「あいつ、一体どこ行ったんだ……!」 

 苛立ち交じりに一度舌打ちする。彼女が一人でどこかに行ったならまだしも、最悪の場合誰かに連れ去られてしまった事も考えられる。こんな人がたくさんいる中でまさかと思うが、その盲点を狙ってという事も十分にあるのだ。志騎が顔を険しくして、とりあえず異変を知らせようと屋台の前で型抜きに挑む園子と須美の所まで駆け出そうとした瞬間。

「志騎、どうしたんだ? 怖い顔して」

 突然背後から声を掛けられ、志騎が振り向くとそこにはきょとんとした表情の銀が立っていた。

「銀、お前どこ行ってたんだ!?」

「ああ、悪い。ちょっとそこの屋台で気になるものが売っててさ」

 そう言って銀が指さしたのは、志騎達から少し離れた屋台だった。何が売っているのかはここからでは見えないが、どうやら銀はそこで何らかの商品を見ていたらしい。

「そうだ、これ見てよ志騎! 屋台で見つけたんだけどさ……」

 そう言って笑いながら銀は信玄袋から何かを取り出そうとする。その能天気な彼女の表情と言葉に、何故か志騎の中で何かふつふつとした黒いものが沸き上がってきて、志騎は思わず銀に怒鳴っていた。

「そんな事はどうでも良い! お前、何一人でうろうろしてんだ!?」

「えっ……?」

 突然の事にまだ今の状況が呑み込めていないのか、銀はきょとんとした表情を浮かべる。そんな彼女の顔すら無性に腹立たしくて、志騎の口からさらに大声が出る。

「どこかに行くんだったらせめて俺か園子達に声をかけるべきだっただろ! 一人で勝手に動いて、迷子になったり誰かに攫われたりしたらどうするんだ!?」

「そ、そりゃあ悪かったとは思うけどさ、でも大丈夫だよ! 現にこうしてアタシピンピンしているし、いざとなったら……」

「そういう事じゃない! 俺はせめて動くんだかったら誰かに言えって言ってるんだ! 今時俺達より小さな子供でもできるぞ! お前は子供以下か!?」

 するとさすがの銀もカチンときたのか、ムッとした表情で、

「う、うるさいな! 過ぎた事をチクチク言って! そんな事いちいち言われなくても分かってるっての!!」

「へぇ!? それは驚いたな! ついさっき俺にその程度の事すらできなかった奴の言葉とは思えないな! 本気で言ってるんだったらその無駄にデカい頭を取り換えてから言うんだな!」

 二人の口喧嘩は段々とヒートアップしていき、通行人がちらちらと二人の方を見ながら去っていく。しかし今の二人にはその視線すら気づかず、声の大きさも二人の感情に比例するかのように大きくなっていく。

「そ、それなら志騎だってそうだろ!! 呑気にたこ焼きパクパク食べちゃってさ!! 食べる事に全部頭使ってんじゃないの!?」

「遊ぶ事ぐらいしか頭に詰めておけないお前に言われたくないんだよこの馬鹿!! 普段からそんな事しか考えてないんだから、少しは頭を働かせろよ単細胞!! ああ、無理か。お前はその程度の事もできない女だもんな! 本当昔からお前には苦労させられっぱなしだよこのトラブルメーカー!!」

「……っ!!」

 ついに痛いところを突かれたのか、銀がぐっと黙り込んで俯く。一通り自分の中の感情を吐き出した志騎は、はぁはぁと荒い息をつく。しばらく二人がその状態でいると、銀からポツリと小さな声が聞こえてきた。

「……なら、良いよ」

「あ?」

「----あたしはトラブルメーカーなんだろ!? だったら、お望み通りいなくなってやるよ! もうお前なんか知るか! どこにでも行っちまえ!!」

 そう言いながら上がった銀の顔は、涙は浮かべていないものの、まるで今にも泣きだしてしまいそうなほどにくしゃくしゃだった。志騎が一瞬呆気に取られると、その隙をついて銀は志騎の前からさっさと走り去っていってしまった。

「お、おい銀!」

 だが当然というべきか銀は志騎の言う事を聞くはずもなく、あっさりと人込みの中へと消えて行ってしまうのだった。人込みに向かって手を差し出しながら志騎が馬鹿みたいに突っ立っていると、後ろから声がかけられる。

「あまみん……」

「志騎君……」

 振り向くと、そこには不安と心配が入り混じった表情を浮かべた須美と園子が立っていた。志騎はようやく自分が何をしでかしたか自覚をすると、髪の毛をくしゃくしゃと掻き、

「……悪い、二人共。見てたと思うけど、銀を怒らせた……」

「まぁ、それは分かるけど……」

「珍しいね~。あまみんがミノさんを怒らせるなんて」

 園子の言う通りだと、志騎は思った。いつもならば大抵逆である。銀が何かをやらかして、それに志騎が怒る。なのに今日は志騎が怒らせてしまった。

「……ああ、そうだな。さっきのは俺がどうかしてた。ちゃんとあいつに謝らないと……」

 黙っていなくなった銀にも非があったかもしれないが、それにしても言い方などがあったはずだ。なのに銀の気持ちも考えず、好き勝手な事を言ってしまった。その事はちゃんと謝らなければならない。

「とりあえず、あいつを捜してくる。子供の足でこの人込みなら、そう遠くにはいけないはずだ」

「私達も行くわ!」

「いや、二人はこの近くで待っててくれ。もしかしたらあいつが戻ってくるかもしれないし……。俺が怒らせたんだから、俺が行かないと駄目だ。………頼む」

 そう言って志騎は二人に頭を下げた。須美と園子はしばらく志騎の頭を見ていたが、やがて須美がため息をつくと、

「……分かったわ。でも志騎君、必ず銀と仲直りしてね。……私達も、あなた達二人が喧嘩したままなんて嫌だもの」

「そうそう。幼馴染はやっぱりいつも仲良しが良いんよ~」

「……ああ、分かってる。二人共、ありがとな」

 顔を上げて志騎は二人に礼を言うと、銀を捜しに祭りの中の人込みへと飛び込むのだった。

 

 

 

 

 

 

「やってしまった………」

 ずーん、と重い雰囲気を漂わせながら銀が呟いた。

 現在銀が座っているのは神社の敷地内の一角に配置された休憩用のベンチだ。すぐそばにはごみを捨てるためのゴミ箱が置いてあり、すでにここを何人か使用したのか、ゴミ箱にはそれなりの数のゴミが溜まっている。

 先ほどまでの事を思い出して、銀はもう一度はぁ……と重いため息をついた。

「……別に志騎だって、意地悪であんな事言ったんじゃないのに……」

 確かにいきなり怒鳴った志騎にも非はあるかもしれないが、それだったら彼の言う通り何も言わず勝手に屋台に向かってしまった自分も悪いと言える。だから最初志騎から怒られた際に素直にごめんと言えばそれで済む話だったのに、売り言葉に買い言葉で口論が熱くなってしまい、しまいには志騎の元から離れてしまった。これでは志騎に子供以下と言われても文句が言えない。

「……志騎、まだ怒ってるだろうなー。どうしよう……」

 そこで何度目かになるため息を再度つく。本当なら戻ってきちんと謝った方が良いのだろうが、あんな形で別れてしまっては戻りづらいし、どこにでも行ってしまえと言った手間どのような顔をして戻って良いかも分からない。須美と園子の事も心配だが……、やはり、戻ると考えるとどうしても足踏みしてしまうのが問題だった。

 ベンチに座って足をプラプラさせながら、信玄袋の中を見る。中には、ついさっき屋台で購入した物が入っている。それを購入した時はまさかこのような事になるとは夢にも思わなかったのに……、まったく、現実は何が起こるか分からないものである。

「……何やってんだろ、アタシ」

 思えば今日の自分は変だった。前ならば簡単にできていた食べさせっこなどができず、挙句の果てに自分を心配してくれていたはずの志騎を怒らせてしまった。自分は一体どうしてしまったのだろう。

「……謝りたいなぁ……」

 志騎は今一体何をしているだろう。怒っているだろうか。自分を無視して屋台を楽しんでいるだろうか。それとも、愛想をつかしてもうとっくに帰ってしまっているだろうか。

「……それは、嫌だなぁ」

 それは想像したくない、と思う。自分の大切な友人である須美や園子はもちろんだが、志騎に愛想を尽かされると考えると、何故か深い暗闇に落ちていくような不安感に陥ってしまう。そんな事は、心の底からあってほしくないと思う。……まぁ、何故そんなに強く思ってしまうかはまだ分からないのだが。

 どこからか聞こえてくる祭囃子をぼんやりと聞きながら、銀は頭上を見上げる。ここに来た時はまだ赤かった空はすでに暗くなりつつあり、このまま時間が進めばじきに花火が始まるだろう。それまでには志騎にちゃんと謝りたかったが……、正直、真正面から謝れる自信が無かった。

「………志騎ー、ごめんなさい!」

 と、空にむかってやや大きめの声で言うが、当然答えが返ってくるはずもない。何やってんだか、と銀は一人笑いながら、再び空に向かって彼の名前を言う。

「……志騎ー」

「何だ」

「おうっ!?」

 突然返答が横から聞こえ、びっくりした銀が真横を見てみると、そこには仏頂面をした志騎が自分を見ていた。

「お、お前いつからそこに!?」

「たった今だよ。人込みにいたらお前の声が聞こえたから、急いで来たんだ」

 そう言って志騎が指さした先には、彼の言う通り大勢の人込みの姿があった。そこをかき分けてきたからか、彼の首筋には汗が流れ、息も荒い。きっと走り回って自分の事を捜してくれたのあろう。それが申し訳なくて、銀は思わず彼から顔を背けてしまう。

 すると、それを見て何を思ったのか志騎は銀の真正面に立つと真剣な表情で彼女の顔を見る。

「……銀。さっきは、悪かった」

「え?」

 突然自分に向かって頭を下げた志騎に銀が戸惑いの声を上げると、

「お前の事を心配してたけど、言い過ぎた。もう少し言葉を選ぶべきだった。ごめん」

 どうやら自分が顔を背けたのは、まだ志騎の事を怒っているからだと思っているかららしい。それに気づくと、銀は慌てて両手を振り、

「い、いやアタシもちょっと言い過ぎたっていうか……。志騎の言う通り、アタシもきちんとお前に一言言っておくべきだったっていうか……。だからその……アタシもごめん!」

 そう言って銀も勢いよく頭を下げた結果、向かいあった二人が頭を下げるという何とも珍妙な光景ができあがった。その事に気づいた二人は顔を上げると互いの顔を見合わせ、

「ぷ、くくくくく……。あはははははははははっ!!」

「………ははっ」

 自分達の今の行動に銀は思わず大声で笑ってしまい、志騎もそれにつられるように笑う。二人共ひとしきり笑うと、志騎が言う。

「じゃあ、そろそろ戻るか。須美と園子も心配してるだろうし」

「ああ、そうだな。……そういえば志騎、よくあの人込みの中からアタシの声が聞こえたよな。もしかして、バーテックスの力を使ったのか?」 

 祭囃子や人の声が込み合う人込みの中から、たった一人の声を聞きあてるなど簡単にできる事ではない。だとしたら、バーテックスの力を使ったのかもしれないと銀は思う。前に聞いたところによると、志騎はバーテックスの力を使う事で五感を強化する事ができるらしい。だとすると、自分を見つけ出す事ができたのはそれぐらいしか考えられない。

 だが、銀の予想に反して志騎はあっさりと否定する。

「いや、使ってないぞ?」

「え、じゃあどうやってアタシの声を……」

 すると志騎は何を言い出すのやら……と言いたそうな表情を浮かべると、さらりと言った。

 

 

 

「別にそんなもの使わなくても、お前の声ならどこにいたって聞こえるよ」

 

 

 

「--------」

「ま、だからお前ももしもの時は大声とか出すんだぞ。今言った通り、俺なら例えどこでも……。どうした? 何か変な顔してるけど」

 銀の顔を見て、志騎が怪訝な声を出す。

 変な顔とはいささか失礼な表現だが、志騎がそう言うのも無理はない。銀は今、とても嬉しそうににやにやとした笑みを浮かべていたからだ。傍から見ると、そんなに楽しい物もないのに笑っている少し変な人である。

「あ、いや、気にしないで。ちょっと顔が元に戻らないだけだから」

「何で!?」

「本当に気にしないでくれ。さ、早く須美と園子の所に帰ろう。……あ、それとさ志騎」

「何だ?」

「手、繋いでも良いか? 人込みだし、はぐれたら嫌だろ?」

「………」

 そう言われた志騎は銀の手と人込みを交互に見ると、やれやれと言いたそうに銀の手を優しく握った。ありがと、と銀はまたにへらと笑い、そんな銀に志騎は眉をひそめながら彼女の手を引いて人込みへと歩いていく。

(……ああ、分かった)

 式に手を引かれながら、銀はようやく気付いた。

 何故、志騎が自分と一緒に学校に行くのが楽しいと言ってくれた時、心臓の鼓動が大きくなったのか。

 何故、志騎にラブレターが届いた時もやもやした気持ちを抱いたのか。

 何故、前ならば普通に行っていた間接キスが恥ずかしくてできなくなっていたのか。

 その理由は、ただ一つ。

(アタシ、志騎が好きなんだ)

 須美や園子に向けるような、友人としての『好き』ではない。

 異性として、『天海志騎』という少年の事が好きなのだ。

 いつからその感情を抱いていたのかは正直分からない。

 ずっと前からなのかもしれないし、それともつい最近からなのかもしれない。

 どちらなのかは分からない。いや、どちらであっても正直どうでも良い。

 志騎に他の誰かが好意を向けていると考えただけで、むかむかする。

 志騎が自分と一緒にいるのが楽しいと言ってくれるだけで、幸せで胸がいっぱいになる。

 志騎といつまでも一緒にいたい。

 彼といつまでも、こうして手を握っていたい。

 そういった事が、きっと恋しているという事なのだろう。

(……なんだろう。ちょっと照れくさいけど、温かいなぁ……)

 志騎の手から伝わってくるぬくもりと、自分の心から湧き上がってくる想いに口元をほころばせる。

 静かに笑みを浮かべる銀と、そんな事はまったく知らない志騎はしばらく人込みの中を歩き続けると、ようやく自分達を待つ須美達と合流する事ができたのだった。

 四人は合流した後、須美の案内で花火を見るための穴場に移動する事になった。須美達には詳しい事は話していないものの、志騎と銀が手を繋いでいる所を見て問題なく仲直りした事を察してくれたらしく、笑顔で仲直りできた事を喜んでくれた。

 そして須美の案内で辿り着いたのは、神社から少し離れた高台だった。近くにはすでに花火を見るために集まった人々の姿がちらほらと見える。高台にある木の下に四人が立っていると、須美が夜空を指差しながら、

「ここからなら一番花火が良く見えるわ。穴場よ」

「下調べはばっちりだね~」

「過去のブログから特定したの」

「さすがそういうのは得意だな……」

 相変わらずの須美の鮮やかな手腕に銀が苦笑した直後、炸裂音と共に夜空に光の大輪の花が咲いた。さらに二、三発目の花火が打ち上げられ、再度炸裂音と共に夜空を鮮やかな色の光で彩る。

「……ありがとうね、わっしー、ミノさん、あまみん」

 突然、花火を眺めていた園子がそのような事を口にした。三人が思わず園子を見ると、彼女はどこか困ったような笑顔で、

「私、選ばれた勇者がわっしーとミノさんとあまみんで良かった。私ってほら、変な子じゃない。だから、中々友達ができなくって」

 すると園子の言葉に、須美と銀は互いに顔を見合わせるとにっと笑い、

「そのっちは変じゃないよ。素敵よ」

「そうそう。それにアタシだって、選ばれた勇者が園子と須美で良かったって思ってるぞ? 礼を言うのはこっちだって! ありがとな、須美、園子」

 真正面からの言葉に須美と園子は少し照れくさく笑い、

「三人とじゃなかったら、こんなに頑張れなかったかも」

「……まぁ、銀は前衛型だし、俺はリーダータイプじゃないし、須美は、その……」

「融通が利かない?」

「……うん、そうだな」

 はっきりと言っていいものかと困っていた志騎に須美本人が助け舟を出し、志騎は少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら首肯すると、須美は「良いのよ」とやんわりと言った。

「そんな感じだからな、お前がリーダーじゃなかったらまとまらなかっただろ、きっと」

「志騎の言う通りだ。きっと、アタシ達四人だから頑張れたんだよ」

 二人の励ましの言葉に、園子はようやく「……うん」と頷き、笑顔を見せてくれた。それに三人が笑うと、園子に銀が「でも、どうして今更お礼なんて?」と尋ねる。

「うん。私達の勇者システムに強化システムが組み込まれて、次のバーテックスの襲来を防ぐ事が出来たら、バーテックスとの戦いを終わらせる事ができるかもしれないでしょ?」

「ああ、まぁうまくいけばそうなるな」

 志騎のセフィロティックフォームに加え、銀達の勇者システムに新しいシステムが加われば、バーテックスを撃退ではなく完全に倒す事が可能になる。そうしたら、長かったバーテックスとの戦いに終止符に打つ事が可能になる。園子が言っているのは、その事だろう。

「私達はバーテックスを倒すって目的で集められたけど……。もしも戦いが終わったら、どうなっちゃうのかなって思って。いつまでも友達でいられたら良いけど、もしかしたらバーテックスとの戦いが終わったら私達の関係も終わっちゃうのかなって、ちょっと不安になっちゃったんだ。……折角友達になれたのに、それはいくら何でも寂しいし、嫌だなって……」

 園子の口から飛び出した言葉に、三人は思わず彼女の顔を凝視する。が、どうやら冗談ではなく心の底からそうなるかもしれないと思っているらしい。だが、それも仕方ない。今まで心を許せる友人がいなかった園子にとって、三人はようやくできた大切な友達だ。だからこそ、友達を失う事を恐れる気持ちも強いのだろう。

 それを察したのか、銀はにっこりと彼女を安心させるように笑うと園子の正面に回り込む。

「大丈夫だよ、例えバーテックスとの戦いが終わっても、これから先何があっても、アタシ達はずっと友達だ。だから、そんな顔するなって」

「……うん、ありがとう、ミノさん」

 銀の言葉に、園子もどうやら不安が消えたらしい。すると、しんみりしてしまった空気を払しょくするように銀が明るい声を出した。

「そうだ! ねぇ、バーテックスとの戦いが終わったら、アタシ達も今よりもっと時間ができるよね? そうなったら、もっといろんな所に行こうよ!」

「いろんなところ?」

「うん、香川だけじゃなくて、徳島とか高知とか、あと愛媛とか! 四国って言っても行ってない所もたくさんあるし! いろんなところに行って、四人でたくさんの思い出を作ろうよ!」

 すると銀の意見に須美と園子も賛同の声を上げ始めた。

「そうね……。確かに私も四国全部行ったわけじゃないし、それも良いかもしれないわね」

「私、香川以外の四国の地元のお菓子食べてみたい~!」

 自分達の将来の事を想像して、三人娘の目が希望でキラキラと輝く。その一方で、志騎は花火を見ながら何かを考え込んでいるようだった。

「どうした、志騎?」

 それに気づいた銀が志騎に尋ねると、彼は花火から視線を外さぬまま、

「いや、俺ってほら、バーテックスだろ? この戦いが終わったら、どうなるんだろうって思ってな」

「あ、そういえば……」

 元々志騎が作られたのは、バーテックスを全て倒すためだ。彼は今こうして銀達と一緒にいるのは、その目的の一環に過ぎない。ではもしもバーテックスが全て倒された場合、それを目的にして作られた志騎は一体どうなるのだろうか。

「ま、考えられるとすればまた鳥籠に逆戻りかもな。そうなったら、もうお前らとは……」

「ええ~!? だ、駄目だよそんなの~!」

「そうよ! あなただけ鳥籠に戻るなんて、そんなの反対よ!」

「なんだったら、安芸先生にどうにか直談判して……!」

「お、落ち着けよお前ら」

 ちょっとした冗談のつもりだったのだが、まさかここまで反応されるとは志騎も思わなかったようで、三人をどうにかなだめると、

「さすがに刑部姫も安芸先生も俺を鳥籠に逆戻りにしようとは思わないだろ、たぶん」

「そ、そうね……。考えてみればあなたも勇者としてこの国とたくさんの人達のために戦ってきたんだもの。それぐらいのご褒美があってもバチは当たらないわよね」

「そういう事だ」

「そっか……。(……良かった)」

 ぽつり、と銀が自分の横で何か言ったような気がしたが、それは生憎花火の音でかき消されてしまい聞く事は出来なかった。

 それから四人がしばらく黙って花火を見つめていると、園子と銀に挟まれている須美が二人の手をそっと握り、それに気づいた銀が右隣にいる志騎の手を握る。四人は手を繋いで互いの存在を確かめ合いながら、夜空に咲く花火をじっと見る。

「……友達だよ、私達四人は。これから先、何があっても、ずっと……」

「……うん」

「……ああ、そうだな」

 その言葉に園子と銀も同意し、志騎も返事は返さなかったものの気持ちは三人と同じだった。

 そして三人は花火が終わる時まで、ずっと手を繋いでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ二人共、また学校で!」

「うん! ミノさん、あまみんまたね~!」

「二人共、早く帰るのよー!」

「ああ、分かってる」

 祭りからの帰り、分かれ道で志騎と銀は園子と須美と別れた。本来なら、その分かれ道で別れるのは須美と園子には遠回りになってしまうのだが、何故か園子が、

『そうだ! 私達ちょっと用事があったんだ~! ごめんねミノさんあまみん、私達ここから帰るね~』

 と言い出し、四人はここで別れる事になったのだ。なお、須美も何かを察したのかすぐさま園子に同意していた。

 なお、二人と別れる際、何故か二人はすごく嬉しそうな笑みを浮かべていたのだが、何故二人がそのような表情を浮かべていたのか志騎にはまったく分からなかった。

「んじゃあ、帰るか」

「あ、ああ……そうだ……!?」

 と、何故か銀の言葉が途中で不自然に止まったかと思うと彼女の体がいきなり前につんのめり転びそうになる。間一髪志騎が彼女の体を支え、転倒はどうにか防ぐ事が出来た。

「大丈夫か?」

「う、うん……何とか……」

 何故か志騎に支えられている銀の顔が赤いが、今はそれよりも彼女が転びそうになった原因だ。足元を確認してみると、鼻緒の部分が千切れてしまっていた。さっきのはそれでバランスを崩し、転びかけてしまったのだろう。

「鼻緒が千切れてるな」

「え、マジか……。結構お気に入りだったのに……。なぁ志騎、代わりの鼻緒ない?」

「ない」

「だよな……。って事は……」

 一分後。

「お、落とさないでくれよ?」

「大丈夫だろ、よし、せーの」

 掛け声と共に、銀を背中に背負った志騎が立ち上がる。鼻緒がない以上まともに歩く事は出来ないので、三ノ輪家まで志騎が銀を背負って歩く事になった。幸いここから家までそんなに遠くないし、いざとなればバーテックスの力もある。途中で力尽きるような事は無いだろう。

 志騎が黙々と歩いていると、背中の銀がこんな事を言い出した。

「……なぁ、志騎。志騎はさ、一緒に戦う勇者がアタシで良かったと思うか?」

「……はぁ? 何だよ、藪から棒に」

 いきなり奇妙な事を言い出した銀に志騎が怪訝な声を出すと、背中の銀はちょっと不安そうに、

「いや、アタシは心の底からお前が一緒に戦う勇者で良かったって思ってるけどさ。もしもアタシ以外の女の子が勇者だったら、そっちの方が志騎とうまくやれてたんじゃないかって思って。アタシよりももっと性格が良くて、優しくて、胸が大きい子だったら、志騎ももっと悩み事とか打ち明けられたんじゃないかって思って……」

「胸の大きさ重要なのか?」

「重要じゃないのか?」

「どうしてそこまでこだわる事ができるのか逆に知りてぇよ……」

 はぁ、と志騎はため息をつくと、銀の問いに答えた。

「少なくとも、一緒に戦うのがお前達で良かったと思う。もしもお前達以外の人間が勇者だったら、俺は今ここにいないかもしれなかった」

「どうしてだ? お前なら、別に他の女の子が勇者でも……」

「簡単だよ。俺がバーテックスだからだ」

 しかしまだピンと来ていないらしく、銀は首を傾げている。少し分かりにくかったなと思いながら、志騎は説明をする。

「人間は確かに悪い生き物じゃないのかもしれない。けど、良い生き物だって言いきれないのもまた一つだ。何故かって言うと、人間は自分達とは違うものを見るとすぐに排斥したがる性質を持つ。別にそれが悪いってわけじゃない。自分とは違う存在を排除するのは、生物が生きていく上で必要な要素の一つだしな。だけど人間はそれが少し行き過ぎる時がある。仮定の話に意味はないけど、もしも俺と一緒に戦う勇者がお前達じゃなかったら、バーテックスの俺は排斥されてここにいなかったかもしれない。もしかしたら、とっくに人間の悪意や醜さに辟易してバーテックスの側に立ってたかもしれないな」

「………」

「だから、俺は一緒に戦う勇者がお前達で良かったと思うし、俺が初めて出会った幼馴染がお前で良かったと思う。お前がいてくれたから、俺はこの場所に立っていられる。他の誰でもない、お前と最初に会えて良かった」

 そこまで言ったところで、何故か銀が志騎の背中に顔を押し付けた。それに志騎が「どうした?」と尋ねると「ちょっと冷却中」という返事がきた。何故そのような返事が来るのか、全く分からない。意味が分からん……と志騎は思いながら、ちょっとした悪戯心でこんな事を言った。

「それより、お前達としては三人娘の方が良かったんじゃないのか? そっちの方が俺に気兼ねなく過ごせただろうし、色々と話も弾んだろう」

 志騎は四人の勇者の中では唯一の少年の勇者である。志騎がまだ少女だったら良かったかもしれないが、少年だとやはり性別の違いから話題がうまく合わない事もあるし、関係がギクシャクしてしまう事だってある。それだったら、まだ少女三人の方が話が合うだろうし、関係も今よりももっと深くなっていたのではないだろうか。

「あはは、確かにそうかもな」

 と、銀は特に否定する事無くあっけらかんと笑って肯定した。

 しかし、

「----でもさ、アタシはやっぱりお前がいて良かったと思うよ」

「はぁ?」

 怪訝な表情で振り向くと、銀は優しい笑みを浮かべて、

「志騎、仮定の話に意味はないって言っただろ? 確かにアタシ達三人だけの方がもっと気兼ねなく話せたかもしれないし、楽しく過ごせたかもしれないけど、アタシにとっては須美と園子だけじゃなくてお前もいる今の関係が一番楽しいんだ。そりゃあ、お前を知らないアタシからしたら三人でいる時の方が一番楽しいかもしれないけど、天海志騎を知っているアタシはお前と一緒にいる時がすごく楽しい。だから、お前がいなかった方が楽しいなんて思わないし、お前がいてくれて本当に良かったって思ってる。それはきっと須美と園子も同じだよ。……今だから言うけどな、志騎。今ここにいるアタシは、お前と一緒にいる事が出来て本当に幸せだ。お前がいない人生なんて、考えられないぐらいに」

 だからさ、と銀は一度言葉を区切ると、

「----自分の事を、バーテックスだとか、人間じゃないみたいな事をあまり言わないで欲しいんだ。アタシ達から見たらお前は人間だ。あんな、バーテックスのような怪物とは違う。アタシからしたら、絶対に失いたくない大切な命なんだよ」

 ぎゅっと志騎の首筋に抱き着きながら、銀がいつもの彼女の姿では想像ができないほど静かで、それでていて優しい口調で言う。背中から伝わってくる彼女の体温と、先日抱いた金太郎の重さと温かさを思い出しながら、志騎は彼女に見えないように口元を緩ませる。

「……そうだな。お前がそう言うなら、俺も今後は極力自分の事をバーテックスって言うのは避けるよ」

「極力、じゃなくてもう言わないで欲しいんだけどなー」

「そう言うなって。……でも、考えてみたら俺もお前がいない人生なんて考えられないかもな。ちょっと強烈すぎる人生だけど」

「退屈はしないだろ?」

「……まぁ、な」

 そう言って二人は顔を見合わせると、互いに笑い合う。それから急に銀が「あ、そうだと言って自分の信玄袋に手を入れる。そして何かを引き出すと、志騎に差し出した。

「これ、屋台で売ってたんだ。あげるよ」

「え?」

 志騎が片手を器用に使って受け取ると、それは指輪だった。指輪には夜空のような深い青色の石がはめ込まれており、本物の宝石ではないだろうが精巧に作られている。それを志騎が見ていると、ある事に気づき尋ねる。

「もしかして、俺達から離れてた時に買ったのってこれか?」

「そう! あんまり高くなかったし、綺麗だから買ったんだ」

「へぇ……」

 お祭りの場にこういったアクセサリーが販売されているのは珍しいような気もするが、今日見た通り祭りには人が集まる。こういった物を販売して金銭を稼ぐには案外絶好の場なのかもしれない。

「屋台のおっちゃんの話だと、魔除けの効果があるんだってさ。前に櫛買ってくれただろ? お返しにあげるよ」

「え、良いのか?」

「良いよ良いよ! それに志騎、最近大変な事ばっかり起こってただろ? それつけてればもしかしたら効果があるかもしれないし、折角だからつけときなよ。きっと似合うって」

 どうやら彼女は自分のためを思って指輪を購入してくれたらしい。ありがたいが、同時に彼女の気持ちも知らずに怒鳴ってしまった事に罪悪感が沸いてくる。とは言ってもさすがにこの場で話を蒸し返すような事は彼女も望んではいまい。ここは素直にもらっておく事にしよう。

「分かった。もらっておく。だけど流石に学校に持っていくのは駄目だろうから、それ以外の時にネックレスにして持ち歩く事にするよ」

「ああ。だけど、無くさないでくれよ? 高くはないけど、お金かかってるんだからなー」

「分かってるよ。……銀」

「ん?」

「ありがとう。大切にする」

「……えへへ、どういたしまして」

 そう言いながら、銀はこてりと志騎の背中に頭を預ける。

 こうして二人は、静かな夜の中、自分達の家へと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 志騎達が祭りの会場を離れる頃、天海家の縁側で一人の人物がスイカを食べていた。

「花火はもう終わりか……。さて、片づけをしておくか。あとで志騎が怒るだろうし」

 その人物、刑部姫はケプリと可愛らしいげっぷをすると、よっこらしょと縁側から腰を上げてスイカの皮が乗っかっている皿を載せたお盆を持とうとする。ちなみに、彼女が食べていたスイカは志騎が自分と安芸、刑部姫が食べるように切り分けていたものである。

 が、ちょうどその時刑部姫のスマートフォンに着信が入った。画面を確認してみると、相手は自分の親友である安芸だった。彼女は通話ボタンを押し、スマートフォンを肩と耳で挟み込み、両手でお盆を持って宙に浮かびながら通話を始める。

「なんだ、安芸。何かあったのか?」

 しかし、安芸からの返事はない。それに刑部姫が眉をひそめると、安芸の震えた声が刑部姫の耳に届いた。

『……刑部姫。今私の所に来られる? 相談したい事があるのだけれど』

「ちょっと待ってろ」

 それだけ言うと、刑部姫は急いでお盆を台所に置き、スマートフォンの通話を切る。そして意識を集中させると、刑部姫の視界が切り替わり、次の瞬間には彼女は天海邸ではなくどこかの車の車内にいた。

 精霊、刑部姫は自分が指定した人物のスマートフォンがあれば、瞬時にスマートフォンがある位置に移動する事ができる。移動先に指定している人物は二人おり、一人は志騎、もう一人は親友である安芸だ。

 振り返ると、そこにはノートパソコンを膝にのせて険しい表情を浮かべている安芸の姿があった。それだけで何かがあった事を瞬時に察すると、座席に座りながら手短に尋ねる。

「相談したい事とは?」

「……これを見てちょうだい」

 そう言って安芸は膝の上にのせていたノートパソコンを差し出し、刑部姫はノートパソコンを受け取ると画面に素早く視線をはしらせる。画面に表示されているのは、どうやら何かのシステムに関しての資料のようだった。すぐに画面に表示されている文章を全て読み終えると、画面を次のページに遷移させる。

 そして、表示された資料を見て、刑部姫は眉をひそめた。

「……おい。大赦のアホ共は本当にこいつを実装させる気か?」

「だと思うわ……」

 安芸の沈んだ声に、刑部姫はふんと鼻を鳴らし、

「こいつはまた趣味が悪いというか、なんというか……。ま、大赦の奴らも悪意を以ってとかそういうわけじゃなくて、こうでもしないとバーテックスに対応できないと考えての事なんだろうが……」

 それを抜きにしても、残酷なシステムだと思う。安芸がこのような状態になってしまっているのも、なんとなく分かる。一方、安芸は両手を組んで自分の額に押し付けながら、

「武器や技の強化は、いくらでもできる。だけど、心の強さには限界があるわ……。あの子達を、これ以上………」

「で、私にどうして欲しいんだ?」

 刑部姫が尋ねると、安芸はどこか期待を込めた声音で、

「あなたなら、こんなシステムじゃなくて、もっと別のシステムを作り出せるんじゃないの? あの子達がこんな代償を背負わなくても、もっと強力な力を得られるシステムを……」

 そんな親友の姿を刑部姫はジロリと一瞥すると、ノートパソコンに視線を戻しながら、

「確かにこれよりも強力なシステムを作る事ならできるさ」

「なら……」

「----だが、それだけだ。その代わりにあいつらにはもっと重い代償がのしかかる事になる。それでも良いって言うなら私が大赦の技術者共に代わって作ってやってもいい」

「そ、そんなの何の意味も無いじゃない! 私がして欲しいのは……!」 

 安芸は刑部姫に詰め寄ろうとしたが、それは刑部姫の一睨みで防がれた。安芸が動きを止めると、刑部姫は呆れたようなため息をつき、

「何の代償も無く、強力な力を得られるシステムだと? 寝言は寝て言え。力を得るには必ずそれに見合う代償が必要になる。志騎のキリングトリガーが良い例だ。あれは精霊の力を自由に使っているように見えるが、普通の人間なら一生廃人か即死確定の代物だ。おまけに一回の攻撃ごとに志騎の内臓や骨を滅茶苦茶にし、地獄のような痛みを与えている。志騎が平気なのは、キリングトリガーを使っている最中のあいつが痛みを感じていないのと、バーテックスが持つ再生能力のおかげだ。……確かにこのシステムは残酷すぎるかもしれんが、逆に言えばそれに見合う力を得る事はできる。こいつが実装されれば、間違いなく人類はバーテックスに対して有効な手段を手に入れた事になる」

「でも、それじゃあ……。まるであの子達が、私達の生贄になるって事じゃ」

「安芸」

 冷たい響きを伴った一言で、安芸の体の動きがビクリと止まる。刑部姫は冷徹な表情が浮かんだ顔を親友に向けて、

「天海志騎の監視、そして三ノ輪銀達三人の勇者のお目付け役を担う際にこうなるかもしれない事は覚悟していたはずだ。例えこのシステムがどれだけ残酷であったとしても、あいつらが私達の生贄になろうとも、人類の継続のために力を尽くすと。なのにあいつらを犠牲にするのに、今更罪悪感を抱くのか? だったら、最初からこの件には関わらなければ良かっただろう。なのにそうしなかったのは、例え犠牲が出たとしても、人類を継続させる事を誰でもないお前が選んだからだ。……違うか?」

 ギリ……と安芸が奥歯を噛み占める音が刑部姫の耳に届く。苦悩した様子を見せながらも何も言えないのは、それを彼女自身が良く分かっているからだ。だからこそ、強く反論する事が出来ない。事実、ここでためらったりすれば、人類滅亡に一歩近づいてしまいかねないのだから。

 刑部姫はノートパソコンを静かに閉じると、安芸に返しながら、

「しかし、お前は昔から何一つ変わらんな。いつも冷静でクールに見えるのに、実際は情け深くて何かを切り捨てる決断ができない。……苦しくないのか、そんな性格で」

「……それは、もちろん苦しいわよ。でも、だからと言って今更変える事なんてできないわ。これが、私という人間なんだから……。いっその事、自分を誤魔化す仮面でもつける事ができたら少しは楽になるかもしれないけどね……」

 疲れ切った笑顔で安芸が言うと、何故か刑部姫は嫌悪感をにじませた表情を浮かべながら、

「やめておけ。仮面は確かに便利だが、つけている人間の心を惑わせる。いずれ、自分の言っている言葉が本当なのか嘘なのかすら分からなくなるぞ。完全に使い捨てられる駒になる覚悟があるなら良いが、お前はそこまで道具になりきれる人間じゃないだろう」

「………」

 だが、安芸は何も言わなかった。それに刑部姫が頭の後ろで手を組みながら険しい表情を浮かべていると、車の窓から外を眺めている安芸が尋ねた。

「……ねぇ、真由理」

「何だ」

「……私達のしている事は、正しいのかしら」

 すると、刑部姫ははっとつまらなさそうに笑い、

「意味のない問いだな、それは。正しくてもそうでなくても、私達がする事は変わらないし、変える事は出来ない。そうだろ?」

「……ええ、そうね。ごめんなさい、変な事聞いて」

「……別に良いさ」

 車の座席にもたれかかりながら、刑部姫は親友と同じように車の窓から外の景色を眺める。結局その後、二人が言葉を交わす事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 少年と少女達は思っていた。自分達はずっと友人で、バーテックスを倒せば今日のような日々がずっと続くようになるのだと。

 しかし、現実はそんな簡単にはいかない。

 平和な日常というのはずっと続くと保証されているものではないし、大切な友人だって明日自分の隣にいるとは限らない。終わりというものは、時に何の前触れもなく忍び寄り、その人にとって大切なものを奪っていく。

 そして少年少女達にとっての終わりは、ゆっくりと、しかし確実に迫っていた。

 その事を、少年少女達はまだ誰一人として知らない。

 

 

 




次回辺りから、この章はついに終盤に入ります。相変わらずの亀更新、おまけに中々話が進まないという有様ですが、少しでも早く更新できるよう力を尽くしたいと思います。この小説を楽しみにしていらっしゃる皆様、申し訳ございませんが、その時までお待ちくださいますようお願い申し上げます。
話は逸れますが、新ライダーの仮面ライダーリバイス、カッコいい……。悪魔がモチーフのライダーって今までいそうでいませんでしたから、自分としては割と楽しみです。


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第二十六話 嵐の前の休息

刑「今回はこの章の最後の日常回になる。何せ次はついに決戦だからな」
志「何でも今回の話には銀の新しい武器と勇者の衣装が出るらしいな」
刑「ある人物によると、今回の話で一番苦労したのは三ノ輪銀の武器と服の色らしいぞ」
志「そうなのか……」
刑「では二十六話、どうぞご覧あれ」



 ----神様がいそうな場所、というのが最初にその景色を見た時に三ノ輪銀が抱いた感想だった。

 鷲尾須美、乃木園子、そして三ノ輪銀が今いるのは大橋市から遠く離れた山奥にある泉であり、すぐ近くにある岩壁の上からいくつもの滝が泉に降り注いでいる。周囲から聞こえるのは葉が風でこすれる音に滝が降り注ぐ音、そして水が流れる音しかなく、文字通りここは外界から完全に隔絶された場所になっているのだと三人に感じさせた。

 泉に腰から下を浸けながら、三人は近くにある滝に打たれ、自分達の身を清める。ここの滝は神聖なものらしく、大赦の中でも重要な役職の者でしか入れないらしい。泉の水は大変冷たく、普段であれば銀と園子ならば冷たさに悲鳴を上げてしまう所だろうが、今日の二人はそのような様子はおくびも見せず、ただ真剣そのものの表情で滝行を受けている。

 冷たい水を頭の上から浴びながら、銀はこの前神樹館の訓練場で安芸から受けた説明を思い出す。

『新装備……完成したんですか!?』

 その日、安芸から告げられた言葉に須美が驚きの声を漏らすと、安芸は頷きながら、

『ええ、それを得るために、一度スマホを納めてもらいます』

『俺も……ですか?』

 安芸の言葉に、志騎が少し戸惑ったような表情を浮かべる。志騎にはもうキリングフォームと、セフィロティックフォームという強力な力がある。なのに、志騎もスマホを納める必要があるのだろうか。

『はい。あなたの勇者システムにはまた別の改良を行います。そのためです』

 四人は一度顔を見合わせるが、これでバーテックスとの戦いを終わらせる事ができるかもしれないならば断る理由はどこにもない。そして四人は素直に安芸に、自分達のスマートフォンを渡すのだった。

 三人が滝行を終えて泉から上がると、大赦の神官達が正座をして三人の帰りを待っていた。神官達は全員大赦の仮面を被っており、表情を伺う事ができない。

(こう思うのもなんだけど、ちょっと不気味だなぁ……)

 銀が心の中でそう思っていると、神官達が静々と三人に近づき濡れた白装束を脱がせ、彼女達の髪や体を丁寧に拭いていく。そしてこれまた丁寧に大赦の神官服を三人に着せる。

 それから三人に三方(さんぼう)を持った神官達が近づき、三方を差し出す。三方の上には、この前安芸に渡したスマートフォンが載せられていた。スマートフォンを受け取ると、画面から光が浮かび上がり、その直後光から花びらが散ると共に何かが実体化する。

 須美の前に実体化したのは、割れた卵のような存在だった。割れた箇所からは黒い体と黒い小さな腕が見え、黄色い瞳がぼんやりと光っている。

 園子の前に実体化したのは、一言で言ってしまうと鴉のぬいぐるみのようなものだった。大きさは須美の割れた卵のようなものよりも少し大きく、想像上の生物である天狗が着ているような衣装を身に纏っている。

 最後に銀の前に実体化したのは、小さい少女のようなものだった。着物を身に纏い、頭には立烏帽子(たてえぼうし)を被っている。

「わぁ~!」

「何か、可愛いな……」

「これが新装備……」

 三人がそれぞれの感想を口にすると、三人によく知った声がかけられた。

「そう。勇者の武装を何倍にも強化する、精霊よ」

「鷲尾須美のは青坊主。乃木園子は烏天狗。三ノ輪銀は鈴鹿御前だ」

 声をかけたのは、安芸と刑部姫だった。安芸は三人とはまた違ったデザインの神官服を着ており、頭にフードをすっぽりと被っている。なお、刑部姫は定位置となっている安芸の肩にちょこんと座っていた。

「わぁ~! よろしく!」

「って、精霊って事は……。こいつらも喋るの?」

「喋らない。私とそいつらを一緒にするな」

 ムッとした様子で刑部姫が否定すると、何故か銀はほっとした様子で、

「良かった……。アタシの精霊が刑部姫みたいな暴言毒舌女王じゃなくて本当に良かった……!」

「あはははは。お望みなら精霊もろとも殺してやろうかクソガキ」

 青筋を立てながら怒りを表す刑部姫に、自分の精霊である鈴鹿御前を抱きしめながら銀はべーっと小さく舌を出した。そして青坊主を見ながら、須美が言った。

「この子達が私達の新しい力……。頼もしいわね」

「うん!」

「えへへ、これからよろしくな!」

 三人は顔を見合わせてから嬉しそうに頷き合い、銀は鈴鹿御前を持ち上げると嬉しそうに笑う。安芸は三人を見て、どこか複雑な感情が入り混じった表情で口元を綻ばせ、刑部姫はふんと鼻を鳴らすのだった。

 

 

 

 安芸の車の助手席に座って持ってきたホラー小説を読みながら、志騎はくぁとあくびを漏らした。勇者の一人という事でここまで連れてこられた志騎だったが、勇者の中でも唯一の男性という事で志騎はここで一人待たされることになっていたのだ。時期はもう秋だし、窓も少し開けているし、暇つぶしのための本もあるし、水分補給のための水もばっちりあるので車の中で熱中症になって死ぬ事はまずないとは言え、やはりただ待っているというのは少し退屈である。

 やれやれ、と思いながら志騎が再び本を読もうとすると、不意に頬に冷たい感触が生まれた。少し驚いて志騎が窓の外を見てみると、そこにはアイスキャンディーを持った銀が悪戯が成功した子供のような笑顔でキャンディーを志騎の頬に押し付けていた。

「ただいま、志騎」

「ああ、お帰り。やっと終わったのか」

 アイスキャンディーを受け取り、袋を破ってかぶりつきながら銀達に言う。すると後部座席の扉を開けて三人娘が座り、安芸も運転席の扉を開けて座ると、後部座席の園子が興奮した様子で口を開く。

「ねぇねぇあまみん! 私達、精霊もらったんだよ~! これであまみんとお揃いだね!」

「へぇ、精霊を……良かったな。って事はそいつらも喋るのか?」

「いいえ、喋らないそうよ」

「そうか。良かったな。刑部姫みたいなのが増えなくて」

「なぁ志騎。いい加減私泣いて良いか?」

 志騎の膝に座り込みながら、本気かどうか分からないが刑部姫が言う。このような言い方をするという事はもしかしたら彼女も銀達に似たような事を言われたのかもしれない。とは言っても正直自業自得としか言えないので、志騎はその言葉を無視する事にした。

 安芸が車のエンジンをかけ、アクセルを踏み車が動き出すと、刑部姫が着物をもぞもぞと探って何かを取り出した。

「ああ、志騎。お前のだ。ちゃんとバージョンアップしておいたぞ」

「ん」

 刑部姫からスマートフォンを取り出して、色々操作をしてどこか変わったかチェックしてみる。だがこうして触っただけだと、どこがどう変わったのかいまいち分からない。すると志騎の疑問を察したのか、刑部姫が説明する。

「お前の勇者システムを改良して、出力をアップしてみた。追加装備などは無いが、使われる力は以前とは比べ物にならん」

「そうか、ありがとう。……しっかし、俺のだけ随分と雑だな」

 山奥に連れられて、滝行などを行った銀達とはえらい違いである。すると、運転席の安芸が苦笑しながら、

「仕方ないわ。あなたの正体を知っている人間は少ないし、あくまであなたは特例扱いだもの。鷲尾さん達は名家だし、仕方ないけど……」

「ま、それもそうですね」

 仕方ない、と志騎が座席にもたれかかると、銀が後ろから頭を出しながらにししと笑い、

「おやおやぁ? もしかして、志騎さんはアタシの裸が見たかったのですかなぁ?」

 ついさっき銀達は滝行を行った後、着替えてからスマートフォンを受け取ったので、彼女がそう言うのも無理はないかもしれない。まぁ、流石にやるとしても男女別に行われただろうが。

 しかし志騎も流石に答えるのが面倒になってきたので、手をひらひらと振りながら適当に返す。

「そうだって言ったら、お前は満足するのか?」

「え!? い、いや、その……」

 何故か顔を真っ赤にし、ぷしゅーと顔から煙を吹き出しながら銀は引き下がっていった。それに志騎は怪訝な表情を浮かべながら、やれやれと肩をすくめ、

「どうでも良いけど、嫁入り前の奴がそんな事を軽々しく口にするもんじゃないぞ。お前、将来はどこかの家の嫁になるんだろ? そういう事はせめてお前の旦那さんになる奴に言ってやれよ」

「(………それならそれで、問題はないんだけど………)」

「「え?」」

「ん? どうした二人共」

 突然声を上げた須美と園子に、志騎が声をかける。

「な、何でもないんよ~」

「そ、そうね。なんでもないわ」

「……? なら良いけど……」

 不審な二人の態度に首を傾げながらも志騎は視線を再び前に戻してからアイスをしゃくしゃくとかじり、須美と園子は驚いたような表情で互いの顔を見合わせる。

 そんな三人の様子を安芸はどこか切なそうな表情で見つめ、刑部姫は誰にも聞かれないように小さく舌打ちするのだった。

 

 

 

 翌日。秋の季節となり、冬服に着替えた志騎と銀は特にこれといったトラブルに巻き込まれる事もなく……といった幻想は、ついにこの日で消えた。

「ヤバいヤバいヤバいヤバイ!」

「ヤバいのは分かってるよもう!!」

 登校途中で、コンタクトレンズを落としてしまったというサラリーマンの捜し物に付き合った銀と仕方ないので付き合う事になった志騎は、捜し物であるコンタクトレンズを見つけ出す事はできたものの、そのおかげで神樹館に間に合うのがかなりギリギリとなっていた。

「これじゃあ遅れるー! どうしよう志騎!」

 全速力で走っているが、勇者の力を使っていない、ましてや小学六年生の速度や体力では今から学校に間に合うのは絶望的だ。せめてかなり無理やりなショートカットと、それをこなせるだけの体力があれば話は別だろうが……。

 と、そこまで考えた所で志騎は立ち止まると、誰もいない道に入る。

「志騎、どこ行ってんだ!? そっちは……!」

「良いからこっちに来い! あとランドセルは前に抱えろ!」

 わけも分からず銀は志騎の後についていきながら言われた通りランドセルを前に抱える。そして周囲を見回し、誰もいない事を確認した志騎は銀と向かい合い、

「周りに人はなし! 前にランドセルは抱えたな!? よし!」

「ちょ、何をする……! きゃあっ!?」

 突然銀の口から普段なら絶対に出さないような声が出るが、それも仕方ないだろう。何故なら志騎が銀の上半身と両膝に手を回し、いわゆる『お姫様抱っこ』と言われる体勢で銀を持ち上げたからだ。突然の事に銀が口をパクパクとさせていると、志騎がブロック塀を睨みつける。

「ま、待て! 何をする気だ!?」

「すぐに分かる! 舌噛むなよ!」

 そう言うと志騎は一度目を瞑ると、ギン! と両目を開く。直後、左目に青い幾何学模様が出現し、体の中のバーテックスの力を発動。体に凄まじい力が沸き上がる。

 志騎はブロック塀目掛けて走り出すと、跳躍しブロック塀に足をかけ、さらに高く跳躍。直後、志騎と銀の目に自分達が暮らす街の風景が一気に飛び込んでくる。びゅうびゅうという風の音を聞きながら、銀が風に負けぬよう大声で叫ぶ。

「こ、これ人に見られたらヤバいんじゃないかー!?」

「見られないルートを通る! これなら学校まで余裕で行ける!」

 そう言うと志騎はバーテックスの力によって強化された視力で瞬時に人のいないルートを見切り、ブロック塀や時には頑丈な家の屋根などを踏み台にして学校まで急ぐ。銀を支える両腕の力も、学校まで向かう体力も、バーテックスの力を発揮した今の志騎には何の障害にもならなかった。

(いや、確かにこれは間に合うだろうけど……)

 そう思いながら、銀は自分達の街の光景と、自分の体を支える志騎の顔を交互に見る。すると、走る志騎の息遣いや体温、感触がやけにはっきりと伝わって来て----。

「い、色々な意味で落ち着かないんだけどぉ!?」

「うっさい!」

 さすがに至近距離で大声を出されては強化された聴力に響くのか、顔をしかめて志騎が怒鳴り返す。

 そうこうしているうちに神樹館の近くに辿り着くと、誰もいない道を確認して着地する。そしてようやく抱えていた銀を下ろすと、高鳴る心臓に手をやりながらまだ顔に熱が残る銀が呟く。

「し、心臓に悪すぎる……!」

「だったら次から遅刻しないよう気を付けろ。人助けも良いけど、これ以上続くようならまたするしかないぞ」

「……あ、はい。分かりました。気を付けます……」

 丁寧に答えながら、銀は次は本当にどうにかしようと心の中で思った。こんな事を何回もされたら、本当におかしくなってしまいそうだった。自分の体も、心も。

 とりあえず深呼吸を数回し、冷静さを取り戻すと志騎と銀は学校へと向かう。志騎が無茶苦茶なショートカットをしたおかげで、二人は余裕を持って登校する事が出来た。朝の挨拶をかわしながら学校へと向かう生徒達に混じって二人は校舎に入り、上履きに履き替えると自分達のクラスへと向かう。

 と、ようやくクラスが見えてきた所で二人は思わず眉をひそめた。出入り口の所で、須美と園子の二人が何故か立ち止まっていたからだ。

「おはよう、須美、園子」

「あ、銀、志騎君……」

 銀の挨拶に振り替えた二人は、どこか困惑しているようだった。二人の困惑の視線の先が教室の中に向けられている事を感じ取り、志騎が二人の間から教室をのぞき込む。

 教室の中は机と椅子が全て片付けられ、床にはブルーシートが敷かれている。シートの上には四人を除いたクラスメイト達が全員いるようで、奥には何か長い物があるようだが、ここからではよく見えない。

 四人に気が付いたクラスメイト達は顔を見合わせると、やがて徐々にブルーシートの上からどいていき、ブルーシートの上の物が徐々に見えてくる。

 ブルーシートに上にあったのは、横断幕だった。何人かの男子生徒が四人に見えるよう、横断幕をしっかりと持っている。横断幕には色とりどりの花や木、さらにサンチョの絵が丁寧に描かれている。

 そして絵と一緒に、横断幕にはこう描かれていた。

『わたしたちの勇者がんばれ』

「先生達に内緒で作ってたの」

「こういう事は禁止されてるはずでしょ?」

「そもそも、どうして作ったんだ?」

 口を開いた女子生徒に、須美と志騎が尋ねる。志騎達が最初に変身してバーテックスと戦った際、クラスメイト達には安芸から慌てたり騒いだりしてはいけないというお達しを受けている。これはそれに反する行為だ。すると、そばにいたショートヘアの少女が、

「天海君、前に体調が悪くて入院してたでしょ? お役目の内容は私達は分からないけど、もしかしたらお役目をしてて、それで体調が悪くなっちゃったんじゃないかって……」

「鷲尾さん達も、時々怪我をしてる事があったし……。だから、もしかしてお役目って私達が考えてる以上に大変な事なのかなって思って……。それで、私達には何もできないけど、せめてこれぐらいはって思って作ったの」

 そう言って女子生徒が横断幕を畳み、須美に差し出す。どうやらこの横断幕は、彼女達なりの志騎達勇者へのエール、そしてクラスメイト達全員の想いがこもったもののようだ。須美は横断幕を丁寧に受け取ると、少し険しい表情で、

「これは、先生には絶対に内緒にしておかないと」

「「「………」」」

「----でも、ありがとう。本当に」

 その須美の嘘偽りのない、心からの感謝の言葉に生徒達が安堵の表情を浮かべた。

「ねぇ、お役目っていつか終わるんでしょ? そしたら、一緒に普通に遊べるんだよね!?」

「え? ……ええ」

「やったー! 私、鷲尾さんともっとお友達になりたかったの!」

「サンチョ可愛いねー!」

「ねぇ銀ちゃん、今度イネスのおすすめジェラート教えて!」

「天海、お役目が終わったら一緒にサッカーしようよ!」

 クラスメイトの言葉に、四人はそれぞれ笑みを浮かべる。

 彼らの言う通り、彼らはお役目の内容を知らない。お役目のたびに四人がどれだけの傷を負ってきたか、これまでにどれだけ辛い事があったかも、知らない。

 だけどそれは、知らなくて良い。例え知らなくても、彼らと四人の間には確かな絆がある。

 それだけは、疑いようのない事実なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み、須美と園子は再び銀に体育館裏に呼び出されていた。二人を呼び出した張本人は少し顔を赤らめると、自分を見つめている園子と須美に告げた。

「園子、須美。聞いてくれ!」

「ええ」

「うん」

 二人があっさり承諾すると、銀はすー、はーと数回深呼吸をし、赤らんだ顔のままキッと表情を引き締めた。

「アタシはどうやら……志騎の事が好きらしい……」

「友達って意味で?」

 須美が問い返すと、うぐっと銀は変な声を出した。それから顔をさらに赤くすると、今にも掻き消えそうなほどの小さな声で、

「いや、その……そうじゃなくて……。えっと……愛してるって意味で……」

「つまり、ミノさんはあまみんの事が異性として好きなんだね~」

「……うん」

 ついに観念したように、こくりと頷いた。すると二人はぱちくりと目を瞬きしてから、こんな事を言い出した。

「意外に早かったわね……。もうしばらくかかると思ってたけど……」

「やっぱりこの前のお祭りが良かったんだよ~! ミノさんがあまみんへの想いに気が付けたのも、お祭りに誘ってくれたわっしーのおかげだよ~! よっ、知将!」

「そ、そうかしら……」

 友人からのまっすぐな誉め言葉に、須美は照れたように笑う。

 しかし突如そのような事を言われた銀が平静でいられるはずもなく、慌てて二人に尋ねた。

「え、ちょっと待って! 二人共気づいてたの!? アタシが、その、志騎の事を……」

「好きって事? うん、気づいてたよ~」

「いつから!?」

「前にミノさんがあまみんの事を私達に話してくれた時~」

「私はこの前あなたが私達をここに呼んだ時ね。まぁ、私の場合はそのっちが教えてくれたのだけれど……」

「……マジっすか」

 そんなに自分は分かりやすかったのか……とショックを受けたようで、銀はズーンと重苦しい雰囲気を漂わせながらその場にうずくまってしまった。須美と園子がよしよしと銀の頭を撫でてやると、少し復活した銀がハッと何かに気づき、

「ふ、二人が気づいてるって事は……まさか志騎も!?」

 だが銀の言葉に、園子がう~んと悩まし気な声を出し、

「あまみんはまだ気づいてないて思うよ~? 多分あまみんはミノさんを本当に『幼馴染』として見てるから」

「そ、そっか……。良かった……のかなぁ……」

 自分の恋心が彼に気づかれていないのは良かったが、同時にそれは自分が一人の女性として見られていない事の証でもあるので、銀は素直に喜ぶ事が出来ない。

 と、ようやく復活して受け答えができるようになった銀に須美が尋ねる。

「で、銀はこれからどうするの?」

「え、どうするって?」

 きょとんとする銀に、須美はふぅとため息をつくと、再度尋ねた。

「これから先、志騎君と友達でいたいの? それとも、男女の仲としてお付き合いしたいの?」

「ええっ!? そ、それは……」

 突然の質問に銀はうろたえると、両手の人差し指を困ったようにつんつんと突き合わせる。それから顔を真っ赤にして恥ずかしそうに、

「そ、そりゃあ……。アタシとしては、つ……付き合いたいっていうのはあるし……できたらずっと一緒にいたいってのもあるし……」

「そして、ゆくゆくは!」

「あまみんのお嫁さん~!」

「白無垢なら任せてちょうだい! 式の日取りが決まり次第、すぐに手配するわ!」

「まだそこまで言ってないだろ!? 気が早すぎるんだよぉ!」

 ぐっ! と拳を握りしめる須美と園子に銀が全力でツッコミを入れる。いつもならばツッコミを入れる須美まで園子側に回られては、正直手に負えない。はぁはぁと荒く息をつきながら、

「で、でもほら。確かにアタシは志騎の事が……す、好きだけど……」

「まだ堂々と好きって言うのが恥ずかしいのね……。初々しいわ……」

「びゅおおおおおおお……。創作意欲が沸いてくるんよ~……!」

「待ってくれ園子。頼むから小説のネタにするのだけはやめてくれ。本当に。恥ずかしくて死にそうになる。土下座するから」

 どこからか取り出したメモ帳にペンで高速で何かを書きこむ園子を見て、銀が地面に膝をつこうとする。慌てて須美が銀を押しとどめ、園子も急いでメモ帳とペンをしまい込んだ。

「は、話を元に戻すわね。銀が彼の事を好きだって言うのまでは聞いたわ。それから?」

「う、うん。でもさ、志騎がアタシの事を好きだとはまだ決まってないじゃん? さっき園子が言った通り、アタシって多分ただの幼馴染か、手のかかる姉みたいなものってきっと思われてるよ。合宿の時にも言ったでしょ?」

「でもそれは、今の話でしょ? きちんとやり方を考えれば、志騎君もあなたを意識するようになるかもしれない。違う?」

「う、うーん……。確かにそれはそうかもしれないけど……」

 銀の反応は悲観的すぎるように思えるが、やはり『幼馴染』という存在は良くも悪くも特別な存在なのだ。接し方を間違えれば、銀の言う通り手のかかる姉という家族的ポジションになってしまうが、逆に言えば適切な接し方を考えてやれば恋愛対象として進展する可能性もある。それはきっと、志騎でも例外はない。順序を踏めば、志騎が銀に恋愛感情を抱く可能性もゼロではないのだ。

「というわけで、まず銀が全て事は決まってるわね」

「え、何?」

 ぱちくりと銀が瞬きをすると、園子が須美が力強く言い切った。

「男女の仲を深める方法と言えばもちろん!」

「二人っきりでのデート~!」

「で、でででででででででデートぉ!?」

 二人の提案を聞き、銀の口から大声が飛び出した。須美は初めて、ここが人気のない体育館裏で良かったと思う。下手をしたら、今の大声で自分達の会話が聞かれてしまいかねないからだ。

「ええ、そうよ。二人の仲を深める方法と言ったらまず一番にこれでしょ? この前のお祭りは結果的には成功だったかもしれないけど、あれは私達もいたから……」

「今度は四人じゃなくて、二人きり! あまみんとミノさんのラブラブ度は急上昇~!」

「じゃあ、早速日程を決めましょうか」

「ま、待て待て待て待て待て待て!!」

 テンションが爆上がりする二人に、銀が両手を出してどうにか押しとどめた。止められた二人は銀の顔を見て、

「どうしたの、銀?」

「展開が早い!! 今じゃなくても良いだろ!? もうちょっと心の準備をさせてくれ!」

「何を言ってるのよ銀。思い立ったが吉日と言うでしょう? 少しでも早い方が良いわよ」

「だから早すぎるんだよぉ! 頼むからアタシの話を聞いてくれよぉ!」

 いつもは須美を振り回す銀が、須美に振り回されるという非常に珍しい光景が繰り広げられるが、次に放たれた園子の一言がその場の雰囲気を一気に変えた。

「でもミノさん、モタモタしてたら、あまみんを他の人にとられちゃうよ~?」

 ピシ、と銀の動きが凍り付く。それからギギギ……とまるで錆びたブリキのおもちゃのような動きで、園子に顔を向けて、

「……Why?」

「ショックのあまり英語になってるわね……」

「だってあまみん、他の女の子からラブレターもらってるんだよ~? って事は、他の子もあまみんの事好きって事だよね~」

「今はお役目があるけれど、それも終わったら一気に告白してくるって事も考えられるわね」

「そうしたらあれよあれよと言う間に二人はすぐに恋人さんになって、デートもして~、ミノさんとあまみんは友達止まりで~。その人と恋人になったあまみんはラブラブ話を私達にもしてきて~」

「友達止まりの銀は、その話をひたすら聞かされる……」

「それでも良いって言うなら、このままでも良いと思うけど~」

 二人からの凄まじい攻撃の嵐が、銀の心にグサグサと突き刺さっていく。とどめを刺すように、須美が強い口調で銀に問いかける。

「それでも良いの!?」

「……うぐぐ…です」

「聞こえない! もう一度!」

「嫌です!! 軍曹!」

「じゃあ早速スケジュールを組みましょう。そのっち、悪いけれどデートスポットを探すのを手伝ってもらっても良いかしら?」

「合点承知の助~」

「だから待ってぇえええええええっ!!」

 スマートフォンを操作しようとする須美の両肩を、銀が勢いよく掴む。須美は後ろの銀を睨みつけ、

「まだ駄々をこねるの銀!? 鉄は熱いうちに打てとも言うわよ!」

「分かってる! 分かってるんだ須美さん! アタシがぐずぐずしてるのが悪いっていうのは分かってる。だけど、ちょーっと待ってくれ本当に!」

 銀の必死の説得に、ムッとした表情を浮かべながらも須美はスマートフォンをしまって銀の話を聞く事にした。話を聞く体勢になった二人に、銀は一度こほんと咳払いをしてから、

「確かに早い方が良いのは分かるよ。だけどさ、今アタシ達にはお役目があるだろ? クラスのみんなも、今日はああいう形で応援してくれるし……。恋愛も良いけど、まずはお役目を片付けてからの方が良くない? そっちの方が、きっともっと楽しめるよ。だって、もう戦う必要はないんだしさ」

 するとさすがの須美もお役目の事を出されては何も言えないのか、むぅと黙ってしまった。それにはきっと、さっきのクラスメイト達の事もあるのだろう。すると園子もそれには同意見なのか、

「それもそうだね~。じゃあミノさんの言う通り、そうしよっか、わっしー」

 一応確認は取るものの、答えは決まったようなものだろう。須美はため息をつくと、銀と園子に告げた。

「……そうね。私もちょっと熱くなってたかもしれないわ。志騎君と銀の交際計画はお役目が終わってからにしましょう」

「……! うん! そっちの方が絶対に良いよ!」

「けれど、終わり次第すぐに計画を立てるからね」

「うぐ……。はい、分かりました……」

 銀の了承に、須美は満足そうに頷く。と、銀がこんな事を須美に言った。

「でもさ、珍しくない? そりゃあお役目は大事だけど、なんていうか、須美がそこまで……れ、恋愛に入れ込むって……」

 確かに、いつもお役目に熱心な須美が、それとは関係のない他人の恋愛模様にここまで熱心になるのは少し珍しいと言える。すると、須美はなんて事のないように銀の疑問に答える。

「だって、あなたと志騎君は私の友達よ? 友達が幸せになるように頑張る事が、そんなにおかしい事かしら」

 何の照れや迷いもなくはっきりと告げられた言葉に銀は一瞬固まり、それから恥ずかしそうにポリポリと頬を搔きながら、

「………いや、おかしい事じゃ、ない。アタシが逆の立場でも、そうしたと思う」

「でしょ? それだけよ。っと、もうすぐ休み時間も終わりね。戻りましょ?」

 そう言って須美は一足早く教室へと戻っていく。園子は銀に一度笑顔を向けてから須美の後を追い、銀は少し照れくさく思いながら二人の後を追うのだった。

 

 

 

 

 放課後、四人は銀の提案で久しぶりにイネスへと向かう事になった。イネスへと向かう道の途中で、柵の上などに三角帽子をかぶったかぼちゃが飾られているのを見て、園子が嬉しそうな声を上げる。

「かぼちゃだかぼちゃだー! 外国のお祭りだー!」

「そっか、もうすぐハロウィンの時期か……」

「我が国の懐の広さよね」

「いろんなお祭りが楽しめるよね!」

「……ええ!」

 園子の言葉に須美が笑顔で頷くと、カボチャを見ていた志騎がポツリと呟く。

「ハロウィンか……。折角だし、ハロウィン当日は郷に従ってみるか」

「と言うと?」

「カボチャ料理だ。カボチャを使ったポタージュに、グラタン……。ああそうだ、前からパンプキンパイ作ってみたかったんだよな。この際作ってみるか……」

「なんか、聞いてるだけで美味しそうだな……。ねぇ志騎! 折角だし、その日は一緒にご飯食べようよ! 父ちゃんと母ちゃんに、鉄男と金太郎も連れて行くからさ!」

「ええ……。別に良いけど……」

「じゃあ私も私も~! パンプキンパイ食べさせて~! わっしーは?」

「そ、そうね……外国のお祭りだけど、ちょっと興味あるし……。私も行くわ」

「……たくさん食材を買っておく必要があるな……。あとジャガイモも……」

「どうしてジャガイモなの?」

「鳥籠にいた時に博士から聞いたんだけど、旧世紀にあったアイルランドって所じゃジャガイモを使った料理もよく作られてたらしいぞ」

「へぇ~。となると後は、お菓子だね~。お菓子をくれなきゃ~」

「悪戯するぞー!」

「はいはい。ちゃんと買っておくよ」

 口々にそんな事を話しながら、三人はイネスへと向かう。

 イネスに辿り着いた三人が向かったのは、ハロウィンで使用される様々な道具が販売されているコーナーだった。そこには目と口などが付けられたかぼちゃや、魔女がかぶるような三角帽子などが所々に置かれている。三人がそれらの物品を見てると、三角帽子を手に取った園子が須美にそれを差し出した。

「とうっ!」

「わっ! な、何!?」

「この帽子被って! ほらわっしー、似合ってるぜ~!」

「そ、そう?」

「うん、似合ってる似合ってる! なんかこう、魔性の女って感じがする!」

「もう、銀ったら!」

 昼休みの際のお返しなのか、軽口を叩く銀に須美が軽く注意し、銀がケタケタと笑う。

「その帽子でハトを出す芸を覚えてみるの良いかも~」

「すげぇな。何の役に立つのかさっぱり……」

「うわぁっ!」

 志騎がツッコミを入れようとすると、園子の頭上に彼女の精霊、烏天狗が三角帽子をかぶった状態で顕現した。

「こら、出てきちゃ駄目だよセバスチャン!」

「へぇ、こいつが園子の精霊……って、セバスチャン?」

 烏天狗に似合わない名前に志騎が首を傾げると、いつの間にか髭付き丸眼鏡を装着した園子が嬉しそうに、

「烏セバスチャン天狗! ミドルネーム付けてみたんだ~!」

「そ、そうなのね……」

「なんか、園子らしい名前だな……」

 パチン、と園子が指を鳴らすと烏天狗が消え、和名と洋名の組み合わせに須美と銀が何とも言えぬ表情を浮かべる。と、別の方向から今度は三角帽子をカボチャを被った烏天狗がやってきた。

「あ! また勝手に出てきちゃ駄目だよ~!」

「神樹様が遣わした精霊……。この子達がねー……」

「見た目だけだと、そうは思えないよな……」

 何せ、外見はデフォルメされたぬいぐるみである。いくら勇者と言えど、真正面からその事実を受け止めるのは難しいだろう。

「きっと見た目と違って、その力は真に恐ろしいんだよ~」

「そ、そうだな! 人は見た目によらないって言うし! ピンチの時には、きっととんでもない力が溢れ出るんだ!」

「だと良いんだけど………」

 と、三人がそんな事を話していると、烏天狗を見ていた志騎が言った。

「園子、早くそいつしまった方が良いぞ」

「え、何で?」

「喋らないけど、そいつらは刑部姫と同じだ。精霊は普通の人間には見えん」

「「「あ………」」」

 三人がその事実に気づいた直後、それを示すように子供の声が四人の耳に届いた。

「ママー! かぼちゃがお空飛んでるよ!」

「え? あら、ほんと」

 志騎の言う通り、精霊は普通の人間には見えない。今子供と母親の目には、カボチャが勝手に宙に浮かんでいるように見えるだろう。すると須美が素早く隠すようにカボチャ----正確にはカボチャを被った烏天狗----の前に立ち、奇妙な手つきで手をくるくると回し、

「アルファー波で浮かんでいます」

「おおーすげー!」

 滅茶苦茶な言い訳だが、どうやらそれで納得してしまったらしい。

「わっしーすげー!」

「うん、園子は早くしまおうな……」

 銀のその言葉で園子は再び烏天狗をしまい、ようやく宙に浮いていたカボチャはただのカボチャに戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 志騎達がイネスで一時の休息を過ごしていた時、安芸と彼女の肩に乗る刑部姫は三ノ輪家の居間にて銀の両親に今度実装される新しいシステム説明を行っていた。居間にいる全員の顔は暗く、話し合いの内容がただならぬものであることを否が応にも分からせる。

 安芸が説明を終えると、銀の母親が悲しそうに目を伏せながら、

「そんな……あの子はまだ幼いのに……。弟だってまだ生まれたばかりで……」

 そう言うと、居間の扉の外から金太郎のはしゃぐ声と鉄男のたしなめる声が聞こえてきた。二人の声を聞いて父親は唇を噛み締めると、安芸に尋ねる。

「そのシステムを実装する以外に……何か手段はないんですか」

「大赦は不可能だと判断しています。これからのお役目は、さらに厳しいものになる。このシステムが無ければ、お役目を果たし、神樹様をお守りするのは不可能だというのが大赦の判断です」

「………」

 安芸からの返答に、父親は険しい表情を浮かべながら膝の上で拳を強く握る。自分達の娘が、先ほど聞かされた残酷な運命を背負う事を聞かされたら、誰だってこのような反応はするだろう。痛い沈黙が流れ、しばらく誰も口を開こうとはしなかった。

「あの……、システムは、志騎君にも実装されるんですか? それはあなたも、了承しているんでしょうか?」

 母親が、恐る恐ると言った口ぶりで安芸に尋ねる。自分達の娘と長い間一緒に過ごしてきた志騎の事は二人共熟知しているし、目の前の女性が志騎の育ての親であるという事も知っている。もしも志騎にもシステムが実装されているというなら、目の前の彼女はそれをすでに受け入れているという事になる。

 しかし、

「いいえ。彼に、今回のシステムは実装されていません」

 安芸の返答は、二人の予想に反していた。二人が思わず呆気に取られていると、安芸は感情を感じさせない口調で続けた。

「彼にはシステムを実装する必要が無いほどの強力な力があります。そもそも大赦は彼がそこまでの力を望んでいませんし、意味がありません」

「どういう……事ですか?」

 母親が尋ねると、安芸は一度目を閉じてから再度開き問いに答える。

「今まで黙っていましたが、天海志騎は兵器として作られた存在です。そして、彼は----」

 そして安芸は、今まで自分が二人に対して秘密にしていた事を口にした。それは銀達三人はおろか、志騎本人にすら話していない、あまりにも残酷な真実。大赦の上層部と刑部姫、そして自分しか知らない秘密。秘密を知る張本人の一人である刑部姫は、安芸の肩の上で彼女の告白をただ黙って聞いていた。

 一方、告白を聞いていた銀の父親と母親は、安芸の話が進んでいくと同時に表情が驚愕の色に染められ、まなじりが裂けんばかりに開かれていく。居間にいる四人にとっては、外から聞こえてくる鉄男と金太郎の声がまるで遠い世界の出来事のように聞こえた。

「----以上の理由から、彼にはシステムが実装されていません」

 話を終えた安芸を待っていたのは、パン!! という何かが思いっきり叩かれる音と、頬に走る熱い衝撃だった。衝撃の理由は単純で、涙を流しながら立ち上がった銀の母親が安芸の頬を平手打ちしたのだ。叩かれた衝撃で安芸が地面に倒れ、眼鏡が乾いた音を立てて床に落ちる。刑部姫が殺意を剥き出しにした表情でスマホを取り出そうとすると、安芸がさりげなく手で制した。一方、立ち上がった母親は安芸を見下ろし、

「……どうして、そんな事ができるんですか!? あなたにとって、志騎君は、あなたの家族のようなものではないんですか!? あなたは、大赦はどうしてそのような非道ができるんですか!? 銀や彼をそのような目に遭わせて……あなた達は人の命を何だと思ってるんですか!!」

 安芸は銀の両親以外にも、須美と園子の両親にも新しいシステムの事は話している。システムについてはやはりと言うべきか両家の両親とも良い顔はしていなかったが、それでも最後には安芸の口から知らされた事実を辛い思いで受け入れていた。正確には、受け入れるしかなかったと言うべきだろうが。

 それは銀の母親もきっと同じだっただろうが、その彼女でも安芸に手を出さずにはいられなかった。それほどまでに、安芸がもたらした真実は強烈すぎたのだ。

 自分の中の感情を思いっきり吐き出すと、母親は目元を抑えてその場にうずくまり、父親が肩を優しく支えてやる。激情を露にした妻に驚きながらも止めようとはしなかったのは、彼も妻の気持ちが分かっていたからだろう。実際に、妻がこうして手を出さなかったら、自分も怒号を発してしまっていたかもしれない。

「……安芸さん。私も、神樹様に生かされ、信仰している以上このような事がいつか起きるのかもしれないとは思っていましたし、それが三ノ輪家に生まれた銀の使命なのだと頭では理解していました。……けれど少なくとも私達は、銀を犠牲にするためにあの子を育ててきたんじゃない。例えお役目を行う時が来たとしても、それをいつか乗り越えて幸せになってもらいたい。そう願って、銀を育ててきたんです。それはきっと、他の勇者の親御さんも同じ気持ちだと思います」

「………」

「でも、志騎君の場合は違う。今の話を聞いた限りでは、それではまるで生贄になるために生まれてきたようなものだ。あなたは、彼を犠牲にするために育ててきたんですかっ」

 だが、その言葉を聞いてもなお安芸は無言だった。安芸は何も言わずに床に落ちた眼鏡を拾ってかけ、失礼しますと一礼して居間を出た。

 居間を出ると、彼女を出迎えたのは金太郎を抱っこした鉄男だった。子供ながらに今の中で何かが起こった事は察知していたらしく、不安げな表情で安芸を見つめている。腕の中の金太郎は、きょとんとした表情で安芸に視線を向けていた。安芸は二人に黙って一礼すると、二人の脇を通って玄関に向かい、外に出る。空の色はもうすっかり夕焼けの色になっており、風が安芸のまだ痛む頬を撫でた。

「……醜いわね、私達は」

「あ?」

「勇者なんて体よく取り繕っているけれど、それは、これからもずっと選ばれ、そして失われていく生贄

……。それを大層なお題目で隠して、私達はあの子達を犠牲にして生き続ける……。本当なら、私達が真っ先に生贄にされるべきなのに……」

「神樹の力を使う事ができるのは穢れのない少女と、バーテックスである志騎だけだ。お前達が信仰している神樹様が決めたんだから仕方が無いだろう」

「………」

 黙り込む安芸の肩の上で、刑部姫はゆっくりと地平線に近づいていく太陽を睨みながら、

「そもそもの話、有史以来人間は常に何かを生贄にしてきた。私達人間という生き物は、何かを生贄にしなければロクに生きる事も出来ない薄汚い獣の名前だ。誰だって納得は出来ていないだろうが、無理やり納得するしかない。……そうしなければ、人間が生きていく事などできないからだ」

 あまりに悲観的だが、何故か今の安芸には否定する事が出来ない言葉だった。

 しかしそれでもなお否定するかのように、安芸が静かに尋ねる。

「……もしも、それを否定する人がいたとしたら?」

 するとそれに刑部姫ははっとつまらなさそうに鼻を鳴らし、

「いるとしたら、そいつは闇を直視できない、したくない人間だな。反吐が出る。私が一番嫌いなタイプだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハロウィンのコスプレにジェラートを食べたりと、イネスで楽しいひと時を過ごした四人は自分達の家への帰り道を歩いていた。

「お父様にお母さまも、学校の友達も。みんな応援してくれている。お役目がある私達は幸せだ」

「横断幕もらっちゃったね~」

「システムも強化されたし、一層頑張らないとな!」

 今日あった出来事に、三人は頷きながら笑みを浮かべる。そんな三人を横目で見ながら志騎も口元に笑みを浮かべていた時。

「………っ」

 突然志騎が立ち止まり、背後を振り返る。と、須美も何かを感知したのか彼と同じように振り返って後ろを見て、他の二人が立ち止まる。四人の背後には何もなかったが、まるで何かの到来を告げるように風が吹き、紅葉が宙に舞い上がる。

「……来るの?」

「……うん。来る」

「アタシ達も、分かるようになっちゃってきたなー。喜んでいいのやら悲しんでいいのやら……」 

 銀が苦笑しながら、やれやれと言うように肩をすくめる。すると直後、

「……っ」

 志騎が顔をしかめ、頭痛をこらえるようにこめかみを抑える。それに真っ先に反応した銀が、心配そうな表情で彼の顔を覗き込む。

「大丈夫か?」

「ああ、まぁな……」

 口ではそう言いながらも、志騎は何もない空間を睨みつけながら、

(……バーテックスの反応がいつもよりも強い。今回の戦いは、厳しいものになりそうだな……)

 すると志騎の心配に反応するように、四人のスマホから緊急時になるアラートのような音が響き渡る。四人がスマホを取り出して画面を見てみると、そこには『樹海化警報』という文字が危険を告げるように表示されていた。直後、風に舞う木の葉が途中で止まり、世界の時間が停止する。

「……気を引き締めて」

「うん! 集中集中!」

「分かってるって!」

 須美の言葉に園子と銀が力強く答える。二人の準備もどうやら万端のようだ。

「あっ、そうだ!」

 そこで園子は何かに気づくと、どこからか鈴が鳴り響く空間の中、髪を束ねているリボンを外して須美に差し出す。

「これ、わっしー持ってて」

「え? ……ええ」

 突然園子の行動に須美は一瞬戸惑うが、すぐにリボンを受け取る。もしかしたら園子なりに、今回の戦いがいつもとは違うという事を感じ取ったのかもしれない。

「髪につけてくれても良いんだよ~?」

「戦いが終わったらつけてみるわ。似合ってたら褒めてね。そのっち」

「うん!」

 二人の間に警戒音には似合わない和やかな雰囲気が流れるが、頬を膨らました銀が二人の間に割り込む。

「って、何で須美だけ。アタシにはないのか園子ー」

「だってミノさんにはもう、その髪飾りがあるでしょ?」

「え、な、なんでそのこと!?」

 銀が顔を赤くしながら戸惑うと、「やっぱりそうだったんだー」と園子は満面の笑身を浮かべた。どうやら見事に鎌をかけられたらしい。銀がうう……と若干涙目で引き下がると、志騎が鋭い声で注意する。

「おい、そこまでにしておけ。……来るぞ」

 言葉と同時に、大橋から一筋の光が立ち上ったかと思うと、樹海化が始まり、世界が神樹による結界に覆われていく。

「三人は私が護るから!」

「私もみんなを護るからね! 約束!」

「アタシも護るさ! 三人は、絶対に死なせない! な、志騎!」

 すると、志騎はちろりと横目で銀を見て、

「三人だけじゃない。……全部、護るに決まってるだろ」

 それに三人は力強く頷き、樹海化する世界をまっすぐ見据える。そして最後に須美が締めくくった。

「そうね。三人も世界も、全部護る。そしてみんなで必ず帰る。約束よ!」

 色とりどりの花びらが世界を包み込み、純白の光が世界を包み込む。世界の理が書き換えられ、神樹の作り出した結界へと変わっていく。

 純白の光が収まると、目の前にはすっかり様変わりした世界が広がっていた。

「バーテックスの数は!?」

「……三体。出てくるぞ」

 志騎が答えた直後、地面から前に戦ったアリエス・バーテックスとピスケス・バーテックス、そして奥にはまだ戦った事のないバーテックスがいた。

 特徴を挙げるとすれば、とにかくデカい。その体長だけでも、他のバーテックスとは一線を画している。オレンジ色の体色に、まるで日輪のような形状。遠目から見たら、太陽のようにも見える。

「あの太陽みたいなやつ、でっかいなー」

「ああ、あいつが一番ヤバイ。でも、その前に他の二体が邪魔だ。幸い、前のアクエリアスとは違って強化はされてないみたいだしな」

「とりあえず、倒せる敵から倒していきましょう」

「三人共、いくよー!」

「「「了解!」」」

「お、イカすー!」

 気合は十分。システムは万全。あとは戦闘のみ。須美達三人はスマホを握ると、画面をタップした。

 その瞬間、三人は新しいシステムにより変身を遂げる。三人の戦闘服は肌の露出している箇所が少し多くなっているなど、以前のものとは形や色彩が少し異なっている。須美の戦闘服は青色を基調としたものに、園子の戦闘服は前と同じ紫色であるものの白を基調としたものになっており、銀の戦闘服は前の赤色と変わって山吹色を基調としたものになっていた。そして何よりも違うのは、三人の扱う武器だ。須美の武器は弓から狙撃銃に、園子の槍は浮遊する穂先がいくつもあるものからスタンダードな形状な穂先のものへ、銀の武器は片方が白、もう片方が黒の双斧になっていた。斧自体の形も以前と比べると若干変わっており、見方を変えると巨大な刀のようにも見える。

 そして志騎も戦闘準備に入る。スマートフォンのアプリをタップし、ブレイブドライバーを呼び出すためのアイコンをタップすると腰に瞬時にブレイブドライバーが出現し、さらに別にアイコンをタップする。

『Brave!』

 音声が発せられると、目の前に変身用の術式が展開、待機音が流れる中両腕を伸ばして目の前で交差させる。さらにスマートフォンを顔の横で構えると、ドライバーから再び音声が発せられた。

『Are you ready!?』

「変身!」

『Brave Form』

 スマートフォンをドライバーにかざすとドライバーが志騎の戦う意志を確認し、術式が体を通過して戦闘用の衣装を身に纏う。志騎の武器は以前と変わらずブレイブブレードだが、服の方は色が純白である事や肌の露出が相変わらず極めて少ないなど前と変わらない所はあるものの、胸部にあった鎧が無くなっており、肩部の鎧はさらに小型化され、以前よりも動きやすい戦闘服となっている。もしかしたら、志騎のバーテックスの再生能力を見越してあえてこのような服にしたのかもしれない。ちなみに、ブレイブドライバーに表示されている花はデイジーからリンドウに変わっていた。

 変身を終えると、四人はそれぞれの武器を一斉に重ね合わせる。ガギィン! という音が高らかに樹海に響き渡り、さながら決戦を告げる合図のようだった。

「よろしくね、あなたの名前はシロガネよ」

「お、武器の名前? カッコ良いじゃん!」

「ええ。折角だから、私が一番格好良いと思うものの名前をつけたくて」

「ふーん」

 銀の返答と表情からして、須美の事だから戦艦の名前だろうと思ったのかもしれないが、園子と志騎はすぐに察した。シロガネを漢字に直す事で、須美が言う一番格好良いものがすぐに分かるのだが……。まぁ須美のためにもこの場では言わない方が良いだろう。

「バックアップは任せて!」

「フォワードは任せろ! 暴れてやる!」

「指示とサポートは私!」

「俺は状況に合わせて……だな」

「行こう!!」

 園子の号令に合わせ、四人はバーテックスに突撃する。

 こうして、四人で戦う最後の戦いが、ついに始まった。

 




銀の勇者装束が橙色なのは、花結いのきらめきで判明した銀の満開衣装が橙色だったからです。基本的に満開の時の服の色は白と勇者の服の色に準ずるので、橙色なら普段の勇者の服は橙色になるのではないかと思い、橙色にしました。
最初の志騎の勇者の服はどちらかというと防人のものに近いイメージなのですが、今回からはそういった装甲が無くなりより動きやすくなっています。ライダーで例えると、仮面ライダーセイバーのようなという感じです。
次話が今章のラストになります。


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第二十七話 笑顔

刑「……今回で戦いは一応一区切りだ。次はいわゆるエピローグのような形になる」
刑「ま、そうなったらまた別の物語が始まるだけだがな。……では第二十七話、楽しんでくれ」


 樹海の中を突っ切るようにして、ピスケス・バーテックスが潜航と跳躍を繰り返しながらこちらにやってくる。と、青色の霊力で構成された銃弾がピスケス・バーテックスの頭に直撃、巨体が煙を上げて大きく態勢を崩す。さらに二、三発と弾丸が直撃すると、上空から銀が双斧を大きく振りかぶって落下してくる。

「おりゃああああああああっ!!」

 ズン!! と強烈な一撃がピスケス・バーテックスの頭部に直撃し、逃げるように体がずぶずぶと地中に沈んでいく。

「あまみん!」

「分かってる!」

 園子の指示に素早く応えると、志騎はスマートフォンを操作し、ドライバーにかざす。

『ピスケス!』

『ピスケス・ゾディアック!』

 うお座の紋章が志騎の体に吸いこまれ、志騎がピスケス・ゾディアックの姿に変わると地中に潜航し逃げようとしているピスケス・バーテックスの巨体目掛けて爆発するクナイを三本投げる。クナイが巨体に突き刺さると次の瞬間勢いよく爆発し、地中から引きずり出される。

「やぁあああああああああああああああっ!!」

 無防備になった腹目掛けて園子の気合のこもった突撃が直撃、ピスケス・バーテックスは大きく吹き飛ばされた。

(これなら……)

 三人の戦いぶりを見て、須美は警戒を緩めないようにしながらも戦いに対する手ごたえを感じた。新しいシステムのおかげか自分達の攻撃力は大幅に上がっている。連携もまったく問題なし、このままいけば押し切れる。

 と、そこまで考えた所で。

「わぁっ!」

「「園子!!」」

 園子をアリエス・バーテックスの触手から放たれた雷撃が襲い、思わず園子が足を止めてしまう。しかし雷撃が直撃するかと思われた瞬間、彼女の目の前に烏天狗が顕現し、バリアのようなもので雷撃を防いだ。と共に、園子の腹部にある蓮を模したゲージが一つ溜まる。

「大丈夫か園子!?」

「大丈夫~。ありがとう、セバスチャン!」

 園子が礼を言うと、烏天狗はこくこくと頷いた。

 が、さらにバーテックスの反撃は続く。園子に吹き飛ばされたピスケス・バーテックスがガスを吐き、アリエス・バーテックスの触手が雷撃を帯びる。ガスの範囲は以前よりも広範囲で、三人はおろか後ろにいる須美にも届いているようだった。

「爆発か!」

「志騎、地中に逃げろ! アタシ達はバリアがあるから大丈夫だ!!」

 銀が叫ぶと同時、志騎は地中に潜ってガスを回避する。その瞬間、ガス目掛けて雷撃が放たれ、四人がいた場所を大爆発が襲う。

「きゃあああああっ!!」

「くっ……!」

 火炎にダメージはないとはいえ、あまりの威力に園子が悲鳴を上げ、須美が両腕で顔を覆う。攻撃に須美のアサガオを模したゲージが一つ溜まり、園子のゲージも溜まる。

 二人が攻撃に足止めを食らっていると、炎の中から銀がピスケス・バーテックス目掛けて飛び出し、双斧を振りかぶる。

「前はよくも志騎をやってくれたな……! お返しだぁぁあああああっ!!」

 ゴッ!! という轟音と共に攻撃がアリエス・バーテックスに直撃、体が大きく傾き雷撃が止まる。攻撃を食らわせた銀はくるりと体を回転させると、火炎が荒れ狂う地面に着地した。よく見てみると、先ほどのバーテックスの攻撃で銀のゲージも全て溜まっているようだった。

「これが、勇者の新しい力……!」

「キタキタキター! 行っくよ~!」

「よーし! 一気に決めるぞ!」 

 ゲージ----『満開ゲージ』が全て溜まりきった事を確認した三人は、高らかに告げる。

「「「満開!!」」」

 叫んだ直後、三人を凄まじい光を包み込み、空中に花の形をした巨大な霊力が形成される。同時に樹海の根が力を失うように一気に石化、朽ちていく。

 現れた三人の姿は、荘厳極まりない物だった。服は勇者の戦闘衣装から変わり、羽衣のような白い服を身に纏い、背後に大きな輪のような物が浮かんでいる。その姿はまさに、神に仕える巫女と言える。

 さらに、三人それぞれが異なる乗り物に搭乗していた。

 須美は多数の砲門を備えた巨大な戦艦に乗っており、園子は巨大な槍をまるでオールのように動かしている、これまた巨大な船に乗っている。銀は他の二人とは違ってまるで四足獣のような乗り物になっており、爪に当たる部分が全て斧の刃になっていた。三人の両手には、それぞれの乗り物を操作するためのものか球体が浮かんでいる。

「……すごいな。あれが満開か」

 地中から浮かび上がった志騎は三人の新しい力に感嘆しながらも、自らもスマートフォンを手にする。

「じゃあ俺も、出し惜しみなしで行くか」

『アインソフオウル・アインソフ・アイン!』

 アイコンをタップすると男性音声が発せられ、目の前にリンドウを模した文様と背後にセフィロトの樹を模した図形が出現する。さらにスマートフォンをドライバーにかざし、音声がドライバーから発せられる。

『ユニゾンセフィロティック!』

『Evolution to Infinity! Sephirothic Form!』

『It's over the ultimate』

 図形の十二のセフィラとリンドウの紋章が志騎と一体化し、志騎はセフィロトの樹を宿した姿『セフィロティックフォーム』へと姿を変える。

 脅威を感じ取ったのか、アリエス・バーテックスが須美目掛けて雷撃を再度放つ。だが、雷撃は展開されたバリアに阻まれ、須美に届く事は無い。

「お前達の攻撃は、もう届かない!」

 須美が右腕を前に突き出すと、戦艦の全ての砲門が青色のエネルギーを一つにまとめ、次の瞬間一気に発射。膨大な霊力で構成された砲撃は核もろともアリエス・バーテックスを貫くと共に、七色の光が空に昇り、その体は砂となって崩れ落ちていった。

 一方、ピスケス・バーテックスは園子に狙いを定めたのか、巨体を生かして彼女を船ごと叩き潰そうと襲い掛かる。

「おお~、潰しに来た~!」

 が、残念ながら園子には何の意味も無かった。園子が乗る船のいくつもの巨大な槍が一気に伸長し、ピスケス・バーテックスの巨体を貫く。最後に衝撃波を放ちピスケス・バーテックスを大きく吹き飛ばすと、園子は口元に自信の満ちた笑みを浮かべると指を鳴らす。巨大な刃が一気に散開し、ピスケス・バーテックスを取り囲む。とどめと言わんばかりに園子が両手を合わせると、刃が一斉にピスケス・バーテックスの体に突き刺さった。哀れにもサボテンのようになったピスケス・バーテックスはアリエス・バーテックス同様砂となって崩れ落ち、七色の光が空に昇って行く。

「とどめはアタシ達だ! 行くぞ志騎!」

「ああ!」

 銀は四足獣に乗って、志騎はどういう原理か空中を文字通り飛んでレオ・バーテックスに突っ込んでいく。それを防ぐようにレオ・バーテックスから火球が次々と放たれるが、銀の方に飛んで行ったそれらはバリアによって防がれ、志騎の方に飛んだものは全て彼の目の前で止まってしまう。止まった火球を避けながら、志騎は空中で止まると、

「火の扱い方がなってないな。手本を見せてやるよ」

 そう言って右手の掌をレオ・バーテックスに向けると、ギュッと握りしめる。するとレオ・バーテックスの全身がゴウッ!! と炎に包まれ、巨体がわずかに揺れる。

「ま、効果は薄いだろうな。でも熱いだろ? 冷ましてやる」

 パチン、と志騎が指を鳴らすと、レオ・バーテックスの体が巨大な氷柱に覆われる。さらに追い打ちをかけるようにさらに指を鳴らすと、周囲にいくつもの氷で形成された剣が出現、レオ・バーテックスの巨体を貫いた。

 なんでもあり。刑部姫曰く、それがセフィロティックフォームの能力らしい。

 今の志騎が体に宿すセフィロトの樹とセフィラには強大な力と属性のようなものを秘めており、それらを組み合わせ、操作する事で様々な事象を起こす事ができるというのが刑部姫の言葉だ。

 なので志騎が操作しようと思えば、今のように炎や氷を出したり、さらには自分と火球の間の空間を操作する事でそもそも攻撃が届かないようにする事も出来るし、さらに細かく力を操作できるようになれば時間や短時間での世界改変も可能となるようだ。

「ま、今の俺にはまだ無理だけど……お?」

 空中に立っていた志騎が驚きの声を上げる。凍り付いたレオ・バーテックスの巨体、および突き刺さっていた氷の剣が急速に溶けていく。よく見ると、レオ・バーテックスの体が赤く発光しており、周囲が熱のせいか歪んで見える。

「さすがにこの程度で終わってくれないか」

 これで終わってくれれば楽だったのだが、流石にそうはうまくいかないようだ。レオ・バーテックスが自分に痛い目を合わせた志騎を攻撃対象とみなしたのか、大量の火球を出して志騎を攻撃しようとする。

「アタシを、忘れんなぁああああああああああああっ!!」

 だが、四足獣に乗った銀がレオ・バーテックスに飛び掛かり、攻撃を邪魔する。さらに四足獣を操作すると、いくつもの斧の刃が搭載された右腕を大きく振りかぶりレオ・バーテックスの体を切り裂く。さらに銀が操作すると、四足獣が左腕を突き出し、刃が発射される。不規則な動きで動き回る刃はレオ・バーテックスの体を次々と切り裂き、園子の真似なのか銀が不敵な笑みで指を鳴らすと刃が一気にレオ・バーテックス目掛けて集まり、次の瞬間巨体をズタズタに引き裂いた。

「どうだ志騎! カッコいいだろ!」

「はいはい。カッコいいカッコいい」

「返事が適当! もっと心を込めろよなー!」

「戦いが終わったらいくらでも褒めてやるよ」 

 大ダメージは与えたが、まだ終わったわけではない。だがこれであとは、志騎が必殺の一撃を叩き込むだけである。そうすればバーテックスは確実に倒れるし、仮に倒せなかったとしてもセフィロティックストライクにはバーテックスの再生能力等を阻害する力がある。どのみち、一撃加えればそこで戦いは終わりだ。戦いに終止符を打つべく、志騎がスマートフォンを操作しようとする。

 が、その時だった。

「わっしー!?」

 背後から園子が驚く声が聞こえ、志騎が振り返ると地面に向かって落下していく須美の戦艦があった。それだけでなく、園子の乗っている船、さらには銀が乗っている四足獣が消え、三人は地面に落下していく。

「なっ……!?」

 志騎は戸惑いながらも、落ちていく銀に走っていく。地面にぶつかりそうになった瞬間、バリアが銀の落下を受け止め、銀はゆっくりと地面に落ちた。二人の方を見てみると、どうやら二人ともバリアによって護られたらしく、ダメージなどはないようだ。

「銀! どうした!? 何があった!?」

「分かんない……。何か急に力が抜けたと思ったら……」

 銀が答えると、彼女の右腕の周りに何かの装備が現れた。突然現れたそれに志騎が訝しげな表情を浮かべると、銀から困惑の声が漏れる。

「あれ?」

「どうした?」

「……右腕、動かないんだけど」

「何っ!?」

 彼女の右腕を手に取って観察してみるが、特に外傷のようなものは見られない。しかし彼女が嘘を言っているとは思えない。試しに志騎が右腕に手を当てて回復能力を発動、白銀の光が銀の右腕を包み込む。

 が、

「駄目だ……。全然動かない……!」

「くそ、どういう事だ……!?」

 外傷のせいではない。回復する事も出来ない。何が理由なのかも分からない。二人が戸惑っていると、

「……っ! 志騎!」

「……っ!」

 銀が左腕で指差した方には、こちらに向かってくるレオ・バーテックスの姿があった。ついさっき志騎と銀に、大ダメージを負ったにも関わらず、だ。

「嘘だろ、もう回復したのか!?」

「そんな、ここは大橋に近いのに……!」

 だが二人の戸惑いをよそに、レオ・バーテックスがさらなる行動に出る。

 突然体が左右に分かれたかと思うと、分かれた体の間から炎を纏った何かが大量に湧き出してくる。

「何だよ、あれ……!?」

 現れたそれは全身が炎に包まれているので赤く見えるが、どうやら白色をしているようだった。手も足も無く、口しかないという見る者に生理的な嫌悪感を抱かせるそれは、次々と四人に襲い掛かってくる。

「くっ……!」

 志騎はブレイブブレードを、銀は左手で黒い斧を手にすると襲い来る白い怪物を迎撃する。

 強さはそこまでではない。耐久力はバーテックスに比べると脆いし、攻撃手段も単純な体当たりしかない。

 ただ、数が多い。志騎は空間を操る事でバーテックスからの体当たりを防ぎ、銀達もバリアのおかげで攻撃は受けていないが、怪物達の対応に手いっぱいでレオ・バーテックスを攻撃する事が出来ない。そうこうしているうちに、怪物達の攻撃を受け続けた三人の満開ゲージが溜まり、満開が再度可能になる。

「……っ! そのっち! 銀!」

「うん!」

「ああ!」

 須美の合図に、園子と銀は了解すると再び力強く叫ぶ。

「「「満開!!」」」

 直後、再び神の力によって少女達は強大な力を得て、一騎当千の力を持つ兵器が顕現する。しかし樹海の根は次々と石化、枯れ果てていき、大橋の位置にある鳥居は消えていく。まるで、神樹の力が枯渇していくのを表しているように。

 砲撃、槍、斧が次々と怪物達を打ち砕き、数を減らしていく。志騎もセフィロティックフォームの力を全開にし、ブレイブブレードに巨大な白銀の霊力を纏わせ、振り回し怪物達をまとめて屠っていく。

 この時、四人は一つミスを犯した。

 怪物達に気を取られ、先ほど戦っていたはずの存在を一瞬ではあるが頭から消し去ってしまっていたのだ。

 四人の注意から外れたレオ・バーテックスは巨大な炎球を形成し、それを四人目掛けて放つ。あまりの熱量に枯れた根が砕かれ、その外見はまるで太陽のようだった。

「しまった!」

「わっしー!」

 須美が攻撃に気づいた時にはもう遅く、炎球はすでに四人のすぐ近くまで迫っていた。危険を察知した園子が須美の前に槍でできた盾を形成、防ごうとするが大きさがあまりに違い過ぎる。槍による防御を行えない園子は攻撃の余波で吹き飛び、同時に満開が解除され地面と落下していった。

「そのっち!」

「園子!!」

 叫ぶ銀の前に、炎球が迫りくる。銀は四足獣の爪の刃を全て分散させると、自分の前に展開し攻撃を防ごうとする。さらに加勢するように、志騎が四足獣に乗り右腕を前に突き出す。

「ぐっ!」

 どうにか能力を発動し攻撃を防ごうとするが、威力が強すぎる。攻撃の威力を全て殺す事が出来ず、襲い来る炎の熱で右腕が焼かれ、爪が音を立てて割れる。

 そして、三人の目の前で炎球が破裂。

 園子が構築した防壁、そして銀の刃による防壁と志騎の力のおかげでどうにか三人は無事だったが、目の前に広がる光景に三人は言葉を失った。

「大橋が………」

「無くなっちゃった……」

 炎球が破裂した際の爆炎により、大橋は跡形もなく壊れてしまっていた。樹海のダメージは、現実世界に影響を及ぼす。これほどの破壊は、現実世界にどれほどの影響をもたらすのだろうか。

 さらに追い打ちをかけるように、炎を纏った白い怪物が襲い掛かってきた。三人は再び怪物達を迎撃するが、園子を欠いたこの状況では焼け石に水である。

 そして志騎が怪物をまた数体まとめて薙ぎ払うと、銀の四足獣が消失し、彼女の小さな体が地面に落下する。

「銀!!」

 志騎が人差し指を立てると、落下する銀の体が急に減速し、志騎は銀目掛けて飛行する。銀の体を支えると、彼女は力の抜けた笑みを浮かべながら、

「あはは……。ごめん志騎……。ちょっと疲れた……」

「気にするな。それより、どこか異常はないか?」

 だが、何故か銀は不思議そうな表情を浮かべると、志騎にこんな事を言った。

「……? ごめん、もう一回言ってくれない? 何か、よく聞こえなかったからさ……」

 直後、彼女の左耳の辺りにまた何かの装備のようなものが現れた。それを見て、志騎は表情を歪める。----恐らく、銀の左耳の聴力が失われている。

 銀は志騎の顔を不安そうな表情で見上げていたが、不意に何かに気づいたのか志騎の真後ろに叫んだ。

「須美!!」

 銀の声に志騎が振り返ると怪物を迎撃している須美の隙をついて、怪物の一体が須美目掛けて突っ込んでいた。

「しまった……!」

 須美が焦りの表情を浮かべ、志騎が能力を発動しようとするが時すでに遅く怪物が須美に急接近する。

 だがその怪物を、上空から槍が貫いた。三人が見上げると、そこには園子が右手で槍を握って怪物を貫いていた。彼女の左腕には、銀のものと似た装備が追加されている。

「そのっち! 良かった、無事だったのね!」

 須美が安堵の声を上げるが、須美の戦艦に乗った園子は不安に満ちた声音で、

「ねぇわっしー! なんか変だよ! こんな戦い方で良いの!?」

 と、そんな事を言った。それに銀が眉をひそめると、志騎が何かに気づいたように目を見開く。そして銀を抱えたまま空中から須美の戦艦目掛けて跳躍し、戦艦に降り立つと二人に尋ねる。

「単刀直入に聞く。銀の右腕が動かなくなって、左耳の聴力が無くなってる。お前らは?」

 志騎の言葉に二人は目を見開くと、須美は自分の両足を、園子は自分の右目と左手に手をやり、

「私は、両足……」

「私は、右目が見えなくて、左腕が動かない……」

「………っ!」

 二人の言葉に志騎は息を呑み、銀は自分の聞き間違えであってほしいと思った。だが、残念ながら聞き間違いなどではない。

「……嘘だろ? なぁ二人共、嘘だよな……?」

 そうあってほしいという悲痛な願いがこもった声で銀が言うが、二人の表情が嘘ではないと否定している。親友二人の異変に、銀が絶望に満ちた表情を浮かべた。一方、志騎は奥歯を噛みしめ、目をきつく閉じてから再度開けて言う。

「三人共、もう満開は使うな」

「な、何を言ってるの志騎君!?」

「薄々分かってるんだろ!? 満開には何かがある! これ以上使うのは危険だ!!」

 しかし志騎の言葉に、須美は首をふるふると横に振り、

「……駄目よ。あなたの言う事を聞くわけにはいかないわ」

「須美!!」

「だって、今はこれしか手がないじゃない! 神樹様をお守りしなきゃ、世界が終わってしまう! そうなったら、全部無くなるのよ!? 私達の家族も、護りたい人達も、全部!」

 須美の言葉に、志騎は黙るしかなかった。確かに、今襲い来るバーテックスと怪物に対抗するには、志騎のセフィロティックフォームと須美達の満開の力がどうしても必要だ。どのような代償があるにせよ、今はそれに頼るしかないのだ。

 志騎が拳を強く握っていると、何かに気づいた園子が真正面をはっとした表情で見据え、三人も彼女の視線の先を追った。

 視線の先には、先ほどと同じ大きさの炎球を生成し、構えているレオ・バーテックスの姿があった。

「さっきの攻撃!」

「くそっ、下がってろ! 俺が防ぐ!!」

 銀を戦艦に下ろし、志騎が戦艦の前に立とうとする。さすがに自分が丸焼けになるのは防げないかもしれないが、自分は再生するし、三人を庇う事はギリギリできるはずだ。

 が、

「----大丈夫よ志騎君。私に任せて」

 え? と志騎が振り返ろうとすると、戦艦の全ての砲門が霊力を充填し、巨大な砲弾を形成する。

「お前達なんかに……この世界も、私の友達も、何も奪わせない!!」

 須美の叫びと共に戦艦から巨大な霊力の砲弾が発射され、さらにレオ・バーテックスも巨大な火球を発射する。砲弾と火球は激しくぶつかり合い、周囲に爆風と炎をまき散らす。

 やがて互いの威力に耐え兼ねて、砲弾と火球は同時に大爆発を起こす。爆風が戦艦を揺らす中、力を使い果たしたように須美がしゃがみ込む。

「わっしー!」

「須美!」

 園子と銀が須美の体を支えると、彼女は疲弊しながらも笑みを浮かべると三人の友達を見据えて、

「そのっち……銀……志騎君。あとはお願い。あいつを止めて……!」

「……うん! 任せて、わっしー!」

「すぐに終わらせるからな! そうしたら、またイネスに行こう!」

「絶対に勝って戻ってくる。約束だ」

 三人の言葉に、須美はこくりと笑顔のまま頷いた。三人が戦艦から飛び立つと、ちょうど戦艦が光の粒子となって消滅する。レオ・バーテックス目掛けて突進しながら、園子と銀は空中で勢いよく叫ぶ。

「「満開!!」」

 空中で船と獣が再び顕現し、志騎は白銀の霊力を纏い、炎を纏った怪物達を蹴散らしながらレオ・バーテックスに突撃する。

「どいてぇええええええええええええええええええええええええっ!!」

「どけぇえええええええええええええええええええええええええっ!!」

 突撃する三人の前に、さらに怪物達が殺到する。だが今の三人の前にはそんなもの障壁にもならず、さらに志騎がスマートフォンを手にするとアイコンをタップしてドライバーにかざす。

『セフィロティックストライク!!』

 胸部の十個の円形が光り出し、十の光が金色のラインを辿って志騎の右足へと収束。色とりどりの輝きが右足に宿り、空中で跳び蹴りの体勢になると背中から十の光がまるで翼のように噴出される。

 その勢いのまま園子と銀の突撃、そして志騎の蹴りがレオ・バーテックスに直撃。目も眩む莫大な閃光が辺りにまき散らされる。

「ここから、出ていけぇえええええええええええええええええっ!!」

「ぶっ飛べぇええええええええええええええええええええええっ!!」

「はぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 三人の凄まじい気迫と共に、レオ・バーテックスの巨体が凄まじい速度で後ろへ押し返されていく。そのまま三人は、ついに樹海の壁へとぶつかってようやく動きを止めた。

 これで終わり……と思われたが、三人の目に壁の外へと飛んでいく三角錐が見えた。半壊している所を見るとダメージは与えたようだが、破壊するには至らなかったらしい。三角錐は壁と外の境目まで来ると、まるで見えない壁を通過するように消えてしまった。

「逃がすか!!」

「待て!!」

「おい、外はウイルスが……!」

 志騎は空間を操作している上にバーテックス・ヒューマンなので心配は無いだろうが、神の力を身に纏っているとはいえ二人に何の影響もないとは言い切れない。追おうとする銀と園子に志騎が呼び止めようとするが、二人の耳に入っていないようだった。仕方なく志騎は飛行して二人の後を追おうとすると、突然園子と銀が苦しそうな表情を浮かべ、次の瞬間壁の根へと落下した。

「銀! 園子!」

 志騎が壁の根へと着地し、二人の様子を見る。園子は苦しそうに息を吐き、銀は腹に手をやっている。

「一瞬心臓が止まったかと思った……」

「アタシも……何か、急に体の中が痛くなって……」

「二人共、ここにいろ。あのバーテックスはもう死にかけだし、俺でも倒せる」

 満開をした以上、二人にはまた何らかの異常が起こっているはずだ。しかし二人を首を横に振ると、

「だ、大丈夫大丈夫。ちょっとくらっとしただけだから……」

「うん、急ごう。ここで逃がしちゃったら、わっしーの頑張りが無駄になっちゃう……」

「二人共……」

 無理やりでも引き止めたいが、二人共ここで引き下がるような性格ではない。仕方なく志騎は歯噛みすると、二人と一緒に壁の外へと向かう事にする。いざという時は、自分が二人を無理やりでも壁の中へ連れてくれば良い。

 そして三人は、生まれて初めて壁の外に出た。

「………っ!!」

「……何、これ」

「………分かんない。何なんだよ、これ……!!」

 目の前に広がる光景を見て志騎が息を呑み、園子が呆然とした声を上げ、銀が動揺を露にして言う。

 彼らが目にしたのは、炎だった。

 いささか分かりにくい表現になってしまうが、それほどまでに非現実的すぎる光景であると同時に、そうとしか表現できない光景なのだ。

 目の前一体に炎が広がり、地平線はおろか空までもが赤く塗りつぶされている。三人が立っているのは輝く神樹の形をした結界であり、それ以外は全て炎に支配されていた。こうして立っているだけで熱風が三人の頬を撫で、普通の人間が入ったら一分も持たないだろう。

「ねぇ、二人共……あれってもしかして……バーテックス?」

 震える銀の視線の先には、自分達が今まで戦ってきたバーテックスが複数体いた。体色は炎と同じ赤色なので今まで戦ってきたバーテックスとは違うのかもしれないが、あれがさらに成長して同じものになるのは想像に難くない。

 次に三人の目に飛び込んできたのは、ついさっきここに逃げ込んできた三角錐だった。三角錐にあの白い怪物達が次々と群がり、体を形成していく。それはまるで死にかけの人間にたかるウジのようで、銀は

思わず吐き気をこらえるように口元を抑えた。

 二人が呆然と立っていると、志騎が一歩前に踏み出した。

「………志騎? どうしたんだ?」

 彼の様子を心配した銀が彼に声をかけると、志騎はポツリと言った。

「……知ってる」

「え?」

「……俺は、ここを知ってる……」

 そう言って、志騎は目を見開きながら自分の頭に手をやる。

 そうだ。自分はここを知っている。

 いや、正確には自分ではない。

 自分の中の、バーテックスの細胞が、ここを知っている。

「そうだ……。俺は、俺達は、ここで生まれたんだ……。ここが全てのバーテックスの始まりの場所……」

「し、志騎!! どうしちゃったんだよ!? 志騎!!」

 突然そのような事を言い出した志騎を銀が今にも泣きだしそうな声で落ち着かせようとする。次々襲い掛かる予想外の事態に、流石の彼女も耐え切れなくなってきているのだ。

 一方、志騎の言葉を聞いた園子は震える手で自分の胸に手をやる。

 通常なら伝わってくるはずの心臓の鼓動は、伝わってこなかった。

(……ああ、そっか。私、分かっちゃった)

 今の志騎の言葉。目の前に広がる炎の世界。消えてしまった自分の胸の鼓動。

 それら全てから、園子はこの世界と自分達が今までいた四国の真実を知った。

 だが、ゆっくりしている暇などは無い。

 ここは、四国とは違う、人間の生存が許されぬ世界。

 三人に、白い怪物----『星屑』が、一斉に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 力を使い果たし、石化した根の上に少女はいた。

 彼女の周りは先ほどの激戦のせいで荒れ果てており、最初に見た神秘的な雰囲気は微塵もなく、ただ寒々とした風景だけが横たわっている。

 荒く息をつきながら、少女は辺りを見回す。

「街は……!?」

 自分が普段住んでいる街を探そうにも、何もない。右手には、見覚えのないリボンが(・・・・・・・・)巻かれている。

 わけが分からず、少女がしゃがみ込んでいると、どこから見知らぬ声が少女に向かってかけられた。

「わっしー! 大変!」

 上を見ると、槍を持った少女、斧を持った少女、剣を持った少年が自分目掛けて降ってきた。三人の少年少女達----園子、銀、志騎は少女の目の前に立つと、園子が焦った声音で少女に言う。

「大変なんだよ、壁の外がね……!」

 しかしそこまで言いかけた所で、園子はある事に気づく。

 少女のまなざしは、友達を見るようなものでは無く、まるで初対面の人間を見るかのような不審と困惑が入り混じったものである事に。

「誰……ですか?」

「え……?」

「は……?」

「………」

 少女の口から飛び出した言葉に園子と銀は言葉を失い、志騎は彼女が満開で失ったものに気づき唇を噛み、拳を強く握る。

「な、何言ってるんだよ須美。アタシだよ! 銀だよ!! アタシ達、ずっと一緒だったじゃんか!! ずっと友達だって言ったじゃんか!!」

「な、何を言ってるんですか!! あなた達なんて知りません!! それより、ここはどこなんですか!? クラスのみんなを、私の家族はどこに行ったんですか!? ……もしかして、あなた達が何かしたんですか!?」

「わっしー!!」

 突然自分に向かってわけの分からない事を話す銀に少女は警戒を露にした声で叫び、それに銀が絶望的な表情を浮かべ、園子が血を吐くように叫ぶ。

 そして、状況をさらに悪化させるものが現れる。

 壁の外から体を真っ赤に発光させた怪物----バーテックスが、一斉に姿を見せる。今まで志騎達が倒してきたものに加え、つい先ほど苦戦したレオ・バーテックスの姿も見える。……これほどの数を倒すために、どれほど満開を繰り返し、どれほど傷つけば良いのか、全く見当もつかない。

 現れたバーテックスに少女が怯えた表情を浮かべ、銀と園子は立ち尽くし、ただ一人志騎は拳をこきりと鳴らし迎撃の意思を示す。まるで、今から自分の中の感情を一気にぶつけようとしているかのように。

 銀と須美は一度目を閉じると、須美の前にしゃがみ込み彼女に優しく語りかけた。

「大丈夫。あとは私達が何とかする!」

「さっきはごめんね。わけ分かんなくて、混乱させちゃったよね。でも大丈夫。お前は、アタシ達が絶対に護るから」

 まるで自分を安心させるように笑う少女達に、つい先ほどまで警戒していた少女の中から急速に疑いの感情が消えていく。園子は少女の右手に丁寧にリボンを着けながら、

「私は乃木園子」

「アタシは三ノ輪銀。で、あっちは幼馴染の天海志騎」

 そしてリボンを着け終えると、優しい口調で園子は少女の名前を告げた。

「……で、あなたは鷲尾須美。四人は友達だよ。ずっ友だよ。……私達は死なないから。また会えるから。だから……ちょっと行ってくるね」

 そう言って園子をバーテックス達をまっすぐ見据え、銀も左手で斧を構え、志騎はブレイブブレードを握る。三人に少女は手を伸ばそうとするが、急に体が重くなっていき、やがて少女の意識は闇に沈んだ。

「……ミノさん、あまみん」

「どうした? 園子」

「用件は手短にな。ちょっと骨が折れそうだ」

 園子の言葉に志騎と銀が言葉を返すと、園子はぐっと湧き上がる悲しみを抑え込みながら、

「私、忘れないから! わっしーの事も、ミノさんの事も、あまみんの事も! 誰一人忘れたりなんかしないから! だから……一緒に帰ろうね! 約束だよ!」

「……ああ!!」

「……当たり前だ」

 誓いを新たにし、三人は目の前のバーテックスの軍勢を睨みつけると、一斉に跳躍する。

「「満開!!」」

 空中で園子と銀の両名が満開し、巨大な霊力で身を包んで突進する。

 たった三人とバーテックスの軍勢による、絶望的な戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 もう何体倒したか、正直数を数えるのも面倒になってきた。だがそれでも、三ノ輪銀は斧を振るのをやめない。満開を繰り返し、満開が解除されて何かを失ったら斧を振るい、ゲージが溜まったら再び満開を行う、その繰り返し。その過程で両目は光を失い、両腕は感覚が消え、内臓の機能はほとんど死んだ。もうはっきり残っていると分かるのは、右耳の聴覚ぐらいだ。何回満開をして、どれほど敵を倒し、何を失ったのか分からない。

 彼女の中にあるのはただ一つ。絶対に四人一緒に帰るという強い感情のみ。

 なお、園子はついさっき力を使い果たし、自分と同様体機能のほとんどを失った彼女を須美の横に寝かしてやった。彼女からは気を付けてねという言葉と、志騎にパンプキンパイ楽しみにしてるからねという伝言を請け負っている。それにくすりと笑いながら、銀は再びバーテックス達を屠り続ける。

 ボロボロになりながら何体かのバーテックスを倒すと、ようやく一区切りなのかバーテックスの気配が周囲から消える。銀は追加された装備でよろよろと地面を歩きながら、ふぅと息をつく。まだここで安心するわけにはいかない。もう敵を全部倒したという保証はどこにもないのだから。とりあえず再びの襲来までに、体力を回復しとかなければならない。

 ふらふらと銀が歩いていると、どん、と誰かにぶつかってしまった。悪いと思いながらも、銀は口元に思わず笑みを浮かべてしまう。自分以外に残っている人間など、もう一人しかいない。

「……あれ。志騎か。へへ、ごめんね。ちょっと疲れちゃって……」

 ぶつかってきた自分に志騎が口を開こうとする気配を感じたが、自分の視線がどこかに向いてしまっている事に気づいたのか、志騎が困惑した様子で聞く。

「……銀。お前、まさか……」

「ああ。両目やっちゃったらしくてさ。何も見えないんだ。右耳はどうにか聞こえてるけど、それ以外はまったく……。あはは……キッツいなぁ……。これじゃあジェラート食べても味分かんないし、金太郎を抱っこも出来ないよ……」

 この状態で帰って何ができるんだろうという想いはあるが、生きていればそれでいい。生きていればまた園子や須美と話せるし、志騎とだってどこへでも行ける。ああ、そういえば志騎とまだデートに行けてないなぁと思う。帰ったら、須美と園子にその事を話さなければ。須美は記憶を失ってしまっているので、まずはそこからだ。

「何体倒した、志騎」

「面倒だから途中から数えてない」

「あはは、アタシも」

 寄り添いながら、銀は声をあげて笑う。両目が見えないので彼がどのような表情を浮かべているかは、分からない。

「園子はついさっきリタイア。パンプキンパイ楽しみにしてるってさ」

「……阿呆め。こんな時に言う事じゃないだろう」

「それだけお前の料理が楽しみなんだよ。良い事じゃん。アタシなんてもう、料理できないしさ」

「………」

「黙るなよー。料理できなくても、お前の料理を食べる事ぐらいはできるしさ。でも両手使えないから、食べさせてくれない?」

「いちいちお前に食べさせるのは面倒なんだが……」

「アタシは怪我人だぞー? 労われよー」

「お前のような元気が良すぎる怪我人がいるか、馬鹿」

 ぺちり、と自分の額に彼のデコピンが当たる。

 ああ、彼のこの呆れたような声も、仕草も、全てが愛おしい。こんな時にこのような事を考えてしまうのは自分でもどうかと思うが、好きなのだから仕方ない。

 本当なら、ずっとこうしていたい。だが、そういうわけにもいかない。

 須美と園子と他愛のない事でずっと笑い合って、大切なこの人と寄り添って生きていく。これからも四人で過ごし、志騎と生きていくためにも、ここで全てを投げ出したくないのだ。

 もぞり、と志騎が横で動く感じがした。恐らくバーテックスが来たのだろう。そのような気配が遠くで生まれるのを自分も感じたのだから。

「よし、行くか!」

「………ああ」

 志騎が返事をして立ち上がり、銀もそれに続いて立ち上がろうとする。

 四人の未来のためにも、もうひと踏ん張りだ。

 と、そう考えた時。

 

 

 

 

 突然衝撃が銀の首筋に走り、体が急激に力を失っていく。

 

 

 

 

(あれ?)

 銀は声を出そうとするが、声が出ない。指も動かず、ただ体勢を崩して地面に崩れ落ちそうになる。

 まさか、敵襲? そう考えて志騎に注意を促そうとするが、唇はまったく動かなかった。

 動けない、志騎一人、勝てない、帰れない、逃げて、勝って、帰ってきて、あとは頼む。そんな矛盾した思考が銀の脳内を埋め尽くし。

 三ノ輪銀の意識は、闇に包まれた。

 

 

 

 

 

「………」

 倒れた銀の体を優しく支えながら、志騎は銀の後ろに目をやる。

 そこには、大赦の黒い神官服に身を包んだ女性----氷室真由理の姿になった刑部姫が、手を手刀の形にして佇んでいた。彼女は志騎をジロリと見ると、

「これで良いのか?」

「ああ。助かった」

 そう言って志騎が銀を刑部姫に手渡すと、彼女はちっと舌打ちし、

「どうして私がこんな小娘を……」

「こんな時ぐらい、俺の言う事を聞いてくれよ。頼むから」

 志騎の表情は、真剣そのものだった。それからバーテックスがやってくる壁の方に視線を向ける。

 壁の向こうからは、新しいバーテックスの大群がこちらに向かってやって来ていた。やってくる大群を見ながら、刑部姫言った。

「不思議だったんだ。前に戦ったバーテックスは強化されてたのに、今回のバーテックスは修復されてはいたけれど強化されてなかった。……でも、考えてみれば話は簡単だった。一体のバーテックスを強化したとしても、俺のセフィロティックフォームは再生能力を阻害する。それだったらその分の力を数を増やす方に使った方が、効率が良い」

「…………」

「あいつらの狙いは、俺だろ?」

 志騎が刑部姫に尋ねると、彼女は髪の毛をくしゅくしゅと掻きながら、

「……きっかけがお前である事は否定しない。バーテックス達の親玉----天の神は、これまでのバーテックス達とお前達の戦いを観察した結果、お前が神の眷属たるバーテックスの細胞を使って作られた事に気づいた。それだけでも我慢ならないのに、お前は天の神に寝返らず人間の味方をし、さらには神に至る可能性を秘めたセフィロトの樹の力を手に入れた。それで奴は完璧にぶち切れた」

「で、裏切り者である俺もろとも目障りな人類を殺しつくすために、ここまでのバーテックスを揃えたってわけか……」

「言っておくが、例えお前がいなくても天の神は人類を殺しつくそうとするぞ。お前のせいじゃない」

「はは、お前にしちゃ随分優しいな。なんだ、悪いもので食べたか?」

「----お前が命を捨てる理由にはならないと言っているんだ」

 刑部姫の言葉を聞いた瞬間、志騎の動きが止まる。二人はしばらくの間黙っていたが、先に口を開いたのは志騎の方だった。

「----なぁ、刑部姫。銀達は怒るかもしれないけどさ、俺は自分が生きてて良い存在だなんて一度も思った事は無いよ」

「………」

「バーテックスは、世界のほぼ全員を殺しつくした。自分はやってないから関係ないとか、知らないから関係ないとかいう話じゃないんだ。バーテックスが犯した罪は一生背負わなくちゃならないし、許されていいものでもない。だってそうしたら、バーテックスに殺された人達の想いはどうなるんだ。……俺達が犯した罪は、重すぎる」

 静かに話す志騎に、刑部姫は何も言わなかった。ただ黙って、彼の話に耳を傾けている。

「それにさ、『満開』っていうのは要するに大きな力を得るために何か代償を払うシステムなんだろ? 俺、三人が記憶や視力、味覚を失うのを見てさ、怒るのと同時にどこか納得してたんだ。『ああ、そうだなよぁ』って」

「………」

「分かるだろ? 結局は俺もバーテックスと同じなんだ。犠牲が無ければ良いとは思ってるけど、そんな事は出来ないって心のどこかで思ってる。結局何かを成し遂げるためには、犠牲を払う必要があるって冷たい考えが頭の片隅にある。結局俺は、人のふりをしたバーテックスでしかないんだよ」

 そう言うと志騎は刑部姫が抱える銀の頭に手をやり、優しく撫でながら、

「でも、こいつらは違う。犠牲なんてない方が良い、犠牲なんて絶対に出さないって心の底から思ってる。他人の幸せを本当に願う事ができる、本物の勇者なんだ。………俺のような化け物とは違うんだよ。だから、こいつらには生きていて欲しいんだ。----例え、どのような代償を負ってしまったとしても」

 一方、刑部姫は銀を冷たい視線で見下ろしながら、

「……帰った所で、こいつらはもう普通の生活なんてできない。大赦の管理下で、一生祀られる事になるだろう」

「それでも、幸せを見つける事はできるはずだ。どんな状況であっても。……ま、俺のエゴかもしれないけどな」

「こいつらの幸せ、か。そんなあるか分からないもののために、お前は命を捨てるのか?」

 刑部姫の問いかけに、志騎は迷いなんて一切ない表情で返した。

「そのために、命を懸けるんだよ」

 二人はしばらく見つめ合うと、刑部姫がため息をついて銀をまるで荷物でも扱うように片腕に抱えた。

「……それがお前の意志なら私は何も言わない。ここでお別れだ。何か言い残す事は?」

「特には……。あ、そうだ。俺の部屋の机の引き出しに指輪が入ってるから、銀に渡しておいてくれ。そいつにもらったものなんだ」

「指輪ぁ? そんな洒落たものをもらってたのか」

「結局、もったいなくてつけられなかったけどな」

 何故か機嫌が悪そうな表情を浮かべる刑部姫に、志騎が苦笑を浮かべる。

「……分かった。渡しておく。他には?」

「ない。残された人を悲しくさせるだけだからな。言葉は残したくない。……でも、そうだな。刑部姫」

「何だ?」

 刑部姫が振り返ると、志騎は彼女の顔をまっすぐ見据えた。

「短い間だったけど、ありがとうな。色々苦労させられたけど、お前との生活は案外悪くなかったよ」

「--------」

 刑部姫は驚くように目を見開くと、それを隠すように後ろを向くとふんと鼻を鳴らす。

「……なぁ、志騎」

「何だよ」

「お前はさっき何かを成し遂げるためには、犠牲を払う必要があると言ったな。それに関しては私も同意見だが、お前は違う。確かにお前は何かを成し遂げるためには犠牲を払う必要があると考えているかもしれないが、大赦の奴らや私と違ってそれを良しとして受け入れてない。そうするしかないと思ってはいるが、本当にそれしか手が無いのか、他に何か手があるんじゃないかと、苦悩しながら最後の最後まであがく事の出来る奴だ。----私のような、人でなしとは違う」

 普段の彼女らしくない言葉に、志騎は思わずぷっと吹き出し、

「何だよ、それ。もしかして励ましてるのか?」

「まぁ、な」

「そっか。……うん、ありがとう」

「礼などいらん。……じゃあな」

「ああ」

 そう言って刑部姫は、銀を抱えて飛び去って行った。彼女の背中を見ながら、志騎は目を閉じて四国にいる大切な存在に思いを巡らせる。

 街で出会った人々、学校のクラスメイト達、安芸、刑部姫、須美、園子、銀。一つ一つの顔を思い出しながら、志騎はゆっくりと目を開ける。

「須美」

 友達の名前を呼ぶ。

「園子」

 まるで、大切な宝物を、一つ一つ確認するように。

「----銀」

 三人のかけがえのない友人の名前を口にした志騎は、最後に笑顔を浮かべた。

 悲しみのかけらもない、あまりに純粋すぎる、太陽な笑顔を。

「さよなら!」

 そして、志騎は一人バーテックスの大群に向かって走り出す。右手にブレイブブレードを、左手に白銀の霊力で生成された、銀が手にしていた白い斧を手にし、迫りくるバーテックスを迎え撃つ。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 両手の武器に白銀の霊力を纏わせ、迫りくるバーテックス何体かと星屑を蹴散らす。たった一人の志騎目掛けてサジタリウス・バーテックスが大量の矢を浴びせかけるが、それらの矢は志騎の目の前で止まり、お返しと言わんばかりに志騎はブレイブブレードをぶん投げる。高速回転する剣はサジタリウス・バーテックスを貫くと、さらに何体かの星屑を粉砕しながら志騎の手元に戻ってくる。

 ブレードを一度腰のホルスターに戻すと、白銀の弓を生成。一度斧を消して矢を生成すると、右手を離して矢を放つ。強力な霊力で構成された矢は次々と星屑を倒していくが、キャンサー・バーテックスの六枚の盾を貫いた所で消失し、キャンサーバーテックス本体を倒すには至らなかった。すぐに体勢を立て直し右手に白銀の槍を生成すると、キャンサー・バーテックス目掛けて投擲。雷のような霊力を辺りに放出して星屑達を倒しながら、キャンサー・バーテックスに直撃、粉砕する。

「はぁ……はぁ……本当にきりがない……!」

 何体かを倒したものの、バーテックスと星屑はまだ数えきれないほどいる。おまけに先ほどから銀達と一緒に戦い続けていたため、体力も限界に近づいていた。

 だから、一瞬油断してしまっていた。

「ぐっ!?」

 突然右肩に激痛が走り、確認するとサジタリウス・バーテックスの光の矢が一本突き刺さっていた。よく見てみると、背後には三体のサジタリウス・バーテックスの姿が確認でき、背中には大量の矢が空中で停止している。だが完全に停止しているわけではなく、ゆっくりとだが確実に志騎の背中に近づいていた。

「くそっ!」

 自分に毒づくと、肩に刺さった矢を抜いて放り捨てると、肩の傷が再生されていく。

(疲れのせいか、能力の制御が上手くできなくなってきてるのか……!)

 いかにセフィロティックフォームが強力でも、それを扱う志騎の体力が無限にあるわけではない。大量のバーテックスの戦闘で集中力が切れ始め、そのせいで能力の維持ができなくなりつつあるのだ。

 追い打ちをかけるように、志騎に無数の矢が発射され、能力でそれらを押しとどめる。が、さらにアクエリアス・バーテックスの水、ヴァルゴ・バーテックスの爆弾、さらには星屑までもが突っ込んできて志騎の能力を阻害しようとしてくる。平常時ならどうにかなるだろうが、体力・集中力が切れかかっている今の状態では防ぐ事すら危うい。

 どうにか能力を全開にして攻撃を全力で防ぎ、高速でサジタリウス・バーテックスに接近して体に手を当てる。次の瞬間から手から巨大な白銀の刃が生成された巨大な体を貫き、さらに一気に剣をぶん回して周りにいたバーテックスを薙ぎ払う。さらに左手に炎を宿すと近くにいた星屑の体を貫き、その勢いのまま業火を放出、後ろにいたバーテックスと星屑を焼き尽くす。

 息をついてさらにバーテックスを倒そうとするが、志騎の腹に何かが勢いよく突き刺さった。

「がっ!?」

 その勢いのまま志騎は樹海の根へと叩きつけられ、体中を激痛が襲う。後ろを振り返ると、スコーピオン・バーテックスの鋭い針が自分の腹から抜けるのが見えた。

「まずい……能力の維持が……。いや、それよりもまずは回復を……」

 空間操作の能力ができなくなった所に毒針の一撃を食らってしまい、志騎の視界が一気に暗くなっていく。毒はセフィロティックフォームの能力で解毒できるが、ここまで大きい傷だと再生に少し時間がかかる。そして、目の前の星屑達はそれを見逃さない。まるで死体にたかるハイエナのように、大量の星屑の口が一斉に襲い掛かってくる。

「ああ、くっそ………!!」 

 まだ動けない志騎がどうにか右腕を動かしてスマートフォンを出現させ、左手で何かを取り出した直後、彼に一斉に星屑が食らいつく。大量の星屑で志騎の姿が見えなくなり、目の前の餌を星屑が咀嚼し一気に食らいつくそうとしていたその時。

 音声が、星屑達の中から響いた。

『WARNING! WARNING! This is not a test!』

『アンコントロールモード! キリング・ブレイブ!』

 星屑達の下から業火が天まで上り、たかっていた星屑達を焼き尽くす。やがて星屑達が消えると、炎の柱の中から手甲と具足を装着し、背中から漆黒の翼を生やした志騎が両目に赤い幾何学模様を浮かべ、漆黒と血のような赤を基調にした勇者衣装を身に纏って現れた。彼が手にしているスマートフォンには、キリングトリガーが接続されている。

 酒呑童子と大天狗。それが志騎が今宿している精霊の名だ。

 比類なき力の権化であり鬼の王である酒呑童子。神にも比肩する大妖怪であり、天上世界を一夜にして灰燼に帰した魔縁の王、大天狗。大赦の知る精霊の中でも極めて強力で、危険な精霊。そんな精霊を二体宿し、兵器と化した志騎は翼を大きく広げると、バーテックスの大群の中を一気に突っ切る。どうやらキリングフォームに関しても刑部姫が改良を施したらしく、それだけで周りのバーテックスが一斉に炎上し、核ごと焼き尽くされ灰へと変化する。

 アクエリアス・バーテックスが水のレーザーを放つが、レーザーは志騎に届く前に蒸発し、自分に攻撃してきた愚かな獲物に狙いを定めた志騎は左手を向けると、左手から地獄の業火と呼べる極太の炎のレーザーを発射してアクエリアス・バーテックスだけでなく周りの星屑やバーテックス、さらにレーザーを横薙ぎに振るって一帯のバーテックスを消滅させる。あまりの高熱に空気が熱されたためか、その辺の光景が歪んでみる。

 それほどの攻撃を生み出した代償として左腕の肘から先が消滅していたが、すぐに再生され手甲を纏った左腕が元の姿になる。さらに右腕の拳を前に突き出し炎を纏わせると、近くにいたバーテックスに次から次へと突撃しその数を一気に減らしていく。高速で動く志騎にはさすがのバーテックスの攻撃もとらえきれず、なす術もなく化け物はより強い化け物へと蹂躙されていった。

 無論、リスクがないわけではない。攻撃のたびに志騎の全身の皮膚は火傷でただれ、無理な空中機動で内臓と脳は壊れ、凄まじい攻撃力に両腕の骨は耐え切れず砕かれていく。常人ならばもうショックで死んでしまってもおかしくないほどの痛み。しかしただれ、壊れ、砕かれていくたびに志騎の体は再生される。そもそも、キリングフォームの志騎は再生能力が限界まで高められているため、例え脳や心臓を貫かれても再生する。今の彼を殺すには、遺伝子の欠片も残さないほどの攻撃で全身を消し去る必要がある。    

 痛みなど感じず、目の前の敵がいなくなるまで止まる事無く戦い続ける。兵器として生まれた本分を果たすように。

 地獄の業火が人を殺す怪物を焼き、翼を生やした兵器が飛び回り、世界を赤く染め上げる。それはまるで、世界の終わりを示すような光景だった。

 そして志騎が左拳に力を入れ、大規模な炎による攻撃を放とうとすると、攻撃の溜めを狙ってアリエス・バーテックスが電撃を放つ。当然攻撃を食らっても志騎が死ぬ事は無く、気にする事無く左腕で狙いを定めて先ほど放った極太の炎のレーザーを放つ。

 が、それは囮だった。それを狙ったかのように別の方向にいたピスケス・バーテックスがガスを志騎に放つ。ピスケス・バーテックスのガスには引火性があるのはこれまでの戦いですでに明らかになっている。このガスに炎が当たれば、結果はまさに火を見るより明らかだった。

 ガスに引火した事で大爆発が起き、志騎の体を大爆発が襲う。戦闘服は焼き焦がされ、羽はボロボロになり、全身は酷い火傷を負い、地面へと落下していく。そんな最中でも体を高速再生しながら反撃をしようと空中で体勢を立て直しスマートフォンを出現させるが、させないと言わんばかりにスコーピオン・バーテックスが尾による薙ぎ払いを放り、尾は志騎のブレイブドライバーと左手にあったスマートフォンに当たる。

 刑部姫の技術によるためか完全に破壊される事は免れたものの、ダメージを受けたドライバーとスマートフォンは火花を散らしながら志騎の体から離れ、志騎と一緒に落下していく。やがてドライバーとスマートフォンは花びらと共に、空中から消えていった。

 変身の源が消えた事で志騎の体は花びらが散ると共に変身が解除され、元の神樹館の制服姿に戻る。そして地面に思いっきり叩きつけられ、自我が戻った志騎は体を思いっきりしかめた。

「……あー、くそ。体が痛いしだるいし……。骨が何本か折れたなこりゃ……」

 キリングフォームを使った反動で体が猛烈にだるいが、不幸中の幸いと言うべきか骨が折れた事による痛みでどうにか意識を飛ばす事は免れた。

 とは言っても、状況は変わらず最悪だ。倒れている志騎にバーテックス達がとどめを刺そうと群がってくる。キリングフォームのおかげで数は大分減らせたが変身不可能、満身創痍と笑ってしまいそうなほどに絶望的な状況だ。

 なのに、志騎の顔に絶望の色は無い。

 そもそも、生きて帰ろうなどという思考は彼には無かった。

 刑部姫と別れたあの瞬間に、生きて帰るという方法を捨てた。

 嘆きも悲しみもしない。いつか来るだろうなと思っていた時が来ただけだ。

 自分の罪を自覚し背負うと決めたあの時から、人並みの幸せも、真っ当な死に方も、全て諦めた。自分のような存在が、そんな事を望んではいけないのだとすら思うようになった。

 しかし、そういった事を諦めたというのならば、どうして自分は今ボロボロになって必死に戦っているのだろうか。ここでバーテックスを全て倒したとしても、一時の時間稼ぎにしかならないというのに、どうして。

 そんなのは決まっている。

 四国で自分が出会ってきた人達。自分達を応援してくれた神樹館のクラスメイト。自分を兄のように慕ってくれた、鉄男と、まだ幼い金太郎。育ててくれた安芸。自分を作り出した刑部姫----氷室真由理。かけがえのない友達となった須美、園子。

 そして、銀。自分の幼馴染。いつも太陽な笑顔を浮かべて、いるだけで誰かを笑顔にする少女。

 例えエゴであっても、彼女達には生きていて欲しい。

 例え自分がそばにいなくなっても、幼馴染の少女には幸せであってほしい。

 だから、戦う。

 ここで命を散らす事になっても。

 自分の行いが全て無駄になるかもしれないとしても。

 彼女達の幸せと平和のために、戦うのだ。

「ま、あいつらとの約束に嘘をつく事になるだろうけど……」

 きっとこんな事を知ったら三人は悲しむだろう。怒るだろう。

 彼女達を悲しませるのは不本意だし、あの太陽のような笑顔が似合う少女を泣かせてしまうのは本当に辛い。

 でも、許してほしいと思う。

 これが、自分にとっての最後の嘘だから。 

 身勝手だと自分でも思うが、どうか自分の事など忘れて幸せになってほしいと思うから。

 例え嘘をついてでも戦うと、少年は決めたのだ。

「……勇者は根性、だよな。銀」

 呟きながら自分の右腕だけを異形の右腕に変化させると、純白の大刀が右腕から生成される。軽く振って感触や刃渡りを確認すると、右腕だけを元に戻して目の前に迫りくるバーテックス達を見る。

「……考えてみれば、お前達も哀れだよな」

 意志もなく、感情も無く、ただ命じられるがままに人間を殺す兵器。

 自分もこうなるかもしれかったと思うと、不思議と憎しみや怒りではなく、同情すら湧いてくる。

「でも、悪いな。お前達は俺には勝てないよ。……知ってるか? 命って、すごく温かくて重いんだ」

 志騎は思い出す。

 銀に三ノ輪家に誘われた日。抱いた金太郎の笑顔を。そして、あの命の重さと温かさを。

「……あの温かさと重さを知らないお前達に、俺が負けるはずがないんだよ!!」

 大刀を構え、志騎はバーテックスへと突っ込んでいく。迎撃するようにバーテックス達が次々と攻撃を加える中、志騎は体中から血を流しながらバーテックスの力を発動、大きく跳躍し体を回転させながら大刀を振るった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一時間後。

 樹海化が解除され、戦闘が終了した事を知った大赦は戦闘の現場に何人かの調査員を派遣する。

 四人の勇者とバーテックスの激闘が起こった大橋は完全に破壊され、死者四名、重傷者多数という未曽有の大事故となった。だが大赦のある科学者によれば、今回襲撃したバーテックスの規模と四人の戦力から考えるとこれでも被害は最小限らしく、最悪これ以上の死者が出てもおかしくはなかったとの事だった。

 三名の勇者、鷲尾須美は記憶を失った状態で保護され、乃木園子、三ノ輪銀の両名は体機能のほとんどを失った状態で保護され、意識はまだ戻っていない。

 そして、勇者でありバーテックス・ヒューマン、天海志騎は樹海化が解除された後も見つからなかった。戦闘中に生命反応が消失した事、半壊し機能停止したブレイブドライバーと彼のスマートフォンが科学者の研究室に転送されてきた事から、大赦は天海志騎をお役目中に死亡したものと判断。万が一のために現場を捜索したものの生存者らしき人物は確認できず、また彼の存在・処遇について考慮し、捜索を打ち切ると共に、天海志騎の告別式などは一切行わない事を決定。

 こうして、四人の勇者とバーテックスの、後に『瀬戸大橋跡地の合戦』と呼ばれる戦いは、終わりを告げた。

 

 

 




今回襲撃したバーテックスの総数は、原作で園子が戦った数よりも多い設定になっています。今回は三人で相手をした事を、志騎の存在がバレているため天の神が怒り、それで完全に人類を叩き潰そうとバーテックスの数が多くなりました。
ここまで来るのに一年弱もかかっていまいました。次はついに今章のエピローグになります。


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第二十八話 失われたbond

刑「今回はエピローグ回だ。これまでまだ明らかになっていなかった世界や志騎の秘密などが明らかになる。まぁすでに知っている読者もいるだろうが、まぁ楽しんでくれ」
刑「では『天海志騎は勇者である -天海志騎の章-』のラスト、楽しんでくれ」


「………っ」

 三ノ輪銀が目を覚ました時、まず最初に感じたのは柔らかいベッドの感触。どうやら自分はベッドに横たわった状態であるらしい。

 次に、目に入る景色が暗闇という事だった。瞼を開けているのに何も視界に入らないという、矛盾した状態。なので最初は明かりも何もない暗い部屋で眠っていたのだと思ったが、いつまで経っても暗さに目が慣れず何も見えないままだったので、ようやくそうではないという事に気づく。

(アタシ……何で……)

 こんな事になってるんだ、と思った所で、自分が意識を失った時の事を思い出す。

 笑顔で自分達に後を任せた須美と園子。

 満開のたびに機能を失っていく自分の体。

 そして、最後に聞いた志騎の声----。

「----そうだ、志騎っ……!」

 自分と一緒に戦っていた幼馴染の事を思い出して、銀は体を起こそうとする。

 だが、できない。両腕両足がまるで鉛のように重く、体を満足に動かす事ができなかったからだ。動かそうにも両腕両足はピクリとも動かない。動かない手足など、ただの重荷に過ぎない。

 奥歯を食いしばり、銀が無理やりでも体を動かそうとすると、

「ミノさん……起きたの?」

「園子!?」

 横から、園子の声が聞こえてきた。その方向に目を向けても視力を失った銀には見えないが、声の位置などから考えると自分と同じようにベッドに横たわっているらしい。園子は泣き出しそうな声で、

「良かったぁ……。ミノさん、目が覚めたんだね……。ずっと寝てたから心配したよ~」

「うん……。でも、目が見えなくなっちゃったけどね……。園子は大丈夫?」

 自分がこのような状態になっているのに、園子も大丈夫とは到底思えないが、園子はあえて明るい声で、

「私は片目が何とか見えるけど、それ以外は全然。これじゃあ小説も書けないよ~」

「そっか……」

 どうやら彼女も自分同様重い代償を背負ってしまったらしい。ズキリ、と胸に痛みが走る。

 だが、落ち込む前に聞くべき事がある。とりあえず銀は、一通り自分が気になっている事を質問する。

「それで園子、色々聞きたいんだけど、あれからどうなったんだ? 須美も今入院してるのか? 神樹様は大丈夫なのか? あと、志騎は生きてるのか!? アタシあれから気を失っちゃったんだ。だから多分志騎一人で戦って……! なぁ、安芸先生や刑部姫は何か言ってないのか!?」

「お、落ち着いてミノさん! 全部話すから……」

 語気が強まる銀を落ち着かせるように園子が言う。確かに、二人の事や世界の事が気になって少し気が焦ってしまった。銀が落ち着くのを確認すると、園子がこれまでの事を説明する。

「わっしーは大丈夫。私達と同じように入院してるよ。ただ、神樹館にいた時の事はすっかり忘れてるって、安芸先生が……」

「そっか……」

 神樹館にいた時という事は、きっと自分達が勇者であった事も、大切な三人の友達の事も忘れてしまっているのだろう。そう考えるだけでどうしても気分が重くなってしまう。すると励ますように、園子が言った。

「あ、でも神樹様は大丈夫だよ! ミノさんが頑張ってくれたから、世界は無事だよ」

「……そうか。それなら、良かったな」

 神樹様が無事だという事は、志騎はバーテックスから世界を守りきったのだろう。さすがは自分の自慢の幼馴染だと銀は少し気分が明るくなった。

 ----本当は神樹様はどうにか守りきれたのだが、重軽傷者多数、死者四人という未曽有の事故になってしまったのだが、園子はあえてそれは言わなかった。もしも言ってしまったら、優しい銀はさらに責任を感じてしまうと思ったからだ。

「じゃあ、あとは志騎だけか……。目が見えないから分からないんだけど、志騎も入院してるのか?」

 だが、園子からの返事は返ってこなかった。それどころか、二人の間に妙な空気が流れたのを銀は感じ取った。何故そのような空気が流れたのか分からず、銀が園子に再度尋ねようとすると、園子が困惑した声音で銀に聞く。

「ねぇ、ミノさん……。私も聞いて良い?」

「ん、何?」

 そして、園子は信じられない事を銀に聞いた。

 

 

 

 

しきって、誰(・・・・・・)? ミノさん、一体誰の事を言ってるの(・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

「………は?」

 彼女の口から放たれた言葉が信じられず、銀は思わず間抜けな声を出してしまう。

 だって、信じられない。信じられるはずがない。彼女は自分達の中でも、四人の絆を特に大事にしていたのだから。

「な、に言ってんだよ。志騎だよ、天海志騎!! アタシ達と同じ勇者で、アタシの幼馴染の男の子でで!! 園子の大切な友達だよ!! アタシ達四人、勇者になってからずっと一緒だっただろ!?」

「な、何言ってるのミノさん? 男の子は勇者になれないんだよ? そもそも----」

 そこで園子は、さらに銀に告げてしまう。

 悪意もない、憎しみもない、負の感情など一切ない。

 なのに、三ノ輪銀の心をさらに抉ってしまう、最悪の言葉を。

「勇者は私達三人だけだったし、行動してたのだっていつも三人でだったでしょ? ミノさんに幼馴染がいるなんて話聞いた事なかったし、そもそも四人目なんていなかったよ?」

「--------あ」

 直後、銀は全身から自分の力が抜けると同時に、満開が何なのかを知ってしまった。

 薄々そうではないかと思っていた。そのせいで自分達は体の機能を失ったのだと勘づいてはいた。

 だが、天海志騎という大切な友達の事を忘れてしまった園子を見て、ようやく満開の持つ特性と残酷さを頭に叩き込まれた。ベッドに崩れ落ちた銀に園子が声をかけているが、今の銀の耳には何も届かなかった。結局その後二人は何も会話を交わさず、痛い沈黙のみが部屋を支配する。

 やがて大赦の神官がやって来て、園子を部屋の外へと連れて行った。それから部屋には誰一人来ず、銀は誰も来ない部屋の中で夜を過ごした。

 翌日、神官の一人が食事を持ってきたが銀に食欲はまったくなかった。もしかしたら胃の機能なども失っているのかもしれない。なのにこうして生きているのは、まるで自分が人間では無い得体の知れない何かになってしまったようで、気味が悪かった。

 水や食事を一切取らず、銀がベッドに横たわっていると、誰かが部屋に入ってくる気配を感じた。また神官か……と銀が思っていると、彼女の耳に聞きなれた声が飛び込んできた。

「よぉ、イイ様だな、三ノ輪銀」

 聞きなれた、とは言ってもそれは今一番聞きたくない声だった。部屋に入ってきた人物----刑部姫は自分の近くまでやってくると、いつもの憎たらしい口調で、

「視力と体機能の大部分を失ったらしいな。これでお前の視界に私が入らないと考えると小躍りすらしたくなる。クラッカー鳴らして良いか?」

「……何しに来たんだよ」

「いきなりご挨拶だな。我らが勇者様が神樹と世界を守ってくれたから見舞いに来てやったんだよ。果物の盛り合わせを持ってきてやったぞ。メロンもある。食うか?」

「……味分かんないからいい」

「知ってるよ。ただの嫌がらせだ。察しろ」

 本当に、聞いているだけでイラっとする口調だった。こんな奴が志騎の遺伝子上の母親だというのだから信じられない。遺伝子が仕事をしなくて良かったと思う。というよりも、今はそんな事より彼女に言いたいことが山ほどある。

「騙してたんだな、アタシ達を」

「何の事だ?」

 しゃりしゃりと、自分が持ってきた果物の盛り合わせからりんごらしき果物を咀嚼する音が聞こえる。とぼける声にすら苛立って、銀は奥歯を噛みしめた。

「とぼけるなよ。満開だ。……あれ、パワーアップする代わりにどこか体の自由が利かなくなるんだろ」

 すると、ほぉと感心するような声が聞こえてきて、

「よく分かった……と言いたいがまぁそんな状態になれば嫌でも分かるか」

「それだけじゃない。結界の外で見た、あの炎の景色は何だ。世界は、本当にウイルスで滅びたのか?」

「おっと、結界の外まで見たのか。あれは大赦にとってはトップシークレットなんだがな」

 この期に及んでおどける刑部姫に、銀が低い声で命令する。

「説明しろよ」

 気迫のこもった声に、刑部姫はどうやら笑ったようだった。

「良いだろう。ではまず満開から説明してやる。お前の言った通り、神の力を一時的に振るう代わりに体の一部の機能を失うのが満開だ。正確には強大な力を手にいれるのが満開、体の体機能を失うのが散華になる。花は咲くとその後散るだろう? 神の力を振るった代償。一つ咲けば一つ散り、二つ咲けば二つ散る。私が考えたわけでないが、大赦の奴らも中々残酷なシステムを作る。……ま、神の力を使う代償としては釣り合っているかもしれんがな」

「釣り合ってる、だと」 

 刑部姫の言葉に、沸々と怒りがこみ上げてくる。

「ふざけんなよ。須美は両足とアタシ達との記憶を失って、園子は体のほとんどと志騎の記憶を失ってるんだぞ。それのどこが釣り合ってるって言うんだ!!」

「だが生きてるだろう。ま、正確には死ぬ事ができなくなるんだけどな。満開を繰り返す事で強力な力を手に入れ、体機能を失う代わりに敵の外傷で死ぬ事はほぼ無くなり、さらに強くなる。戦力という面で考えるとむしろ有用だとは思うがな」

 しかしそれは逆に、例え死にたくても死ぬ事ができない永遠に続く生き地獄を味わうという事だ。こんな力を手にするために、自分達は今まで戦ってきたのではない。

 だが、そのような事を目の前の精霊に言っても暖簾に腕押しだろう。銀は自分の中の怒りを必死にこらえると、次に壁の外の事を尋ねる。

「……壁の外の光景は、一体どういう事なんだ」

「それを話すには、まず四国以外の世界を滅ぼしたのが何なのかという話をしなければならない。学校の教科書じゃあ旧世紀に未知のウイルスが蔓延し、それで四国以外の人類が滅びたと書かれているが、実際の所は少し違う。過去に人類を滅ぼしたのは、神だ」

「神様……」

 銀の言葉に、刑部姫はああと肯定し、

「私達は天の神と呼んでいるがね。詳しくは私も知らんが、旧世紀に人類が天の神の怒りに触れた結果、天の神によって作り出されたある先兵が世界をほぼ殺しつくした。人間はそいつらに恐怖を込めて、『頂点』という意味の単語からとって名前を付けた。それが……」

「バーテックス……」

「そうだ。正確には星屑と呼ばれる、バーテックスを作り上げる細胞のような奴だ。バーテックスとの戦いの中で大量の白い奴と戦っただろう? あれがそうだ」

 刑部姫の説明で、銀は自分達が何体も倒した口だけの白い怪物を思い出す。あの気味の悪い存在が、神樹とは違う神が作り上げた兵器。それが、今まで自分達が相手をしていた敵の正体。

「志騎が変身できたのは私が手を加えただけじゃない。バーテックスはいわば神の使いだ。人間のお前達よりも神の力に馴染みやすい。私の技術と神の力に馴染みやすいバーテックスの細胞、その二つがあったからこそ志騎は男の身でありながらも勇者に変身できたんだ」

 次々と明かされる真実。

 それに伴って明らかになる、大赦の嘘。

 刑部姫の口から放たれる言葉に、銀の中で消えかけた怒りの炎が再び燃え上がろうとする。

「大赦は元々最初に神樹の声を聞いた人間の集まりだ。そいつらはやがて大きな社と書く『大社』を結成。同じように各地で神の声を聞いた『巫女』と神の力を振るう事の出来る『勇者』を集め、天の神に抗戦した。しかし当時の技術力では星屑程度は倒す事はできても、十二のバーテックス、中でも強力なスコーピオン・レオには歯が立たなかった。そして戦いの中で初代勇者、乃木若葉以外の勇者が戦死した。で、大社は『奉火祭』という儀式を行い天の神と交渉したんだ」

「交渉……?」

「ああ。結果、今後四国の地から出ない事、そして勇者の力……神の力を放棄する事で天の神が四国を攻める事は無くなった。それから大社は赦された者という意味の『大赦』を名乗り、その後力を備え天の神をいつか打倒する事を決め、勇者システムの開発を続け、今に至る。これがお前達が知らなかった、この国の真実だよ」

 天の神の打倒。言葉だけ聞けば、綺麗に聞こえるかもしれない。

 だがその途中で、綺麗だったはずの願いは歪になっていった。

 神の力を振るう代わりに代償を求める満開。敵であるバーテックスの力を以ってバーテックスを殲滅する勇者、バーテックス・ヒューマンの誕生。

 そして願いはどんどん歪になっていき、ついに三人の少女達は大きすぎる代償を負い、一人の少年は命という代償を払った。

「……何だよそれ……。どうしてよりによって、大赦がそんな事を……!!」

 銀が血を吐き出しそうな声で言うと、何故か刑部姫は呆れたように、

「別に大赦も悪意があってやっているわけじゃない。確かにやり方に問題はあるだろうが、奴らの行動理念は一貫して人類の継続だ。この三百年間自分達の欲望に飲まれる事無く、ただそれだけを貫き通してきた。お前達の満開を黙っていたのも、奴らなりの考えだろう。私は大赦のアホ共は嫌いだが、それだけは認めている」

「……そのために、アタシ達の体や記憶が犠牲になってもかよ」

「では聞くが、最初から事実を知らされていたらお前達は戦っていなかったのか?」

「…………」

 その言葉に、銀は黙り込んでしまう。納得したわけではない。ただ確かに、四国には例え自分がどれだけ傷ついても、護りたいものがある。自分が傷つくか、護りたいものが傷つくか。酷ではあるが、そういう話なのだ。銀が黙り込むと刑部姫はふんと鼻を鳴らし、

「確かにお前達が戦う必要は無かった。その代わり、神樹が破壊され世界が崩壊するだけだ。分かっているだろう? 選択肢なんて最初から無いに等しかったんだよ。ま、お前達が切り捨てる事ができる人間だったらそもそも神樹に選ばれるはずもなかったから、そこは誇っても良いかもしれんな」

「……それ、褒めてるのか?」

「そのつもりだ」

 いけしゃあしゃあと言うが、銀からしたら皮肉にしか聞こえない。つまり、もしも銀達が世界よりも自分を選ぶような人間だったら、勇者として神樹に選ばれる事は無く、その代わり体を失う事も無かったという事だ。自分よりも他人を護る事を選んだからこそ、代償を負った。----あまりにも残酷で、救われない。

 しばらく部屋の中はしゃりしゃりと刑部姫がリンゴを咀嚼する音が響いていたが、ついに銀が今まで一番気になっていた事を刑部姫に聞く。

「……志騎は、どうなったんだ」

 自分が目を覚ましてから、志騎の事だけは誰にも聞く事が出来なかった。園子は彼に関しての記憶を失い、部屋にやってくる神官達に尋ねても答えは返ってこなかった。なので、志騎がどうしているかは銀自身知らないのだ。

「その前に、あいつからお前に渡してほしいと言われたものがある」

「アタシに?」

「ああ。……指輪だ」

 指輪、と聞いて銀の頭に真っ先に浮かんだのは祭りの日に自分が志騎にプレゼントした魔除けの石付きの指輪だった。

 直後に、コトリと備え付けの机に何か小さな音がした。今の刑部姫の言葉から考えると、指輪を机に置いたのだろう。

「なんでお前が持ってるんだよ?」

「志騎に渡してほしいって言われたんだ。そもそもの話、お前を気絶させたのは私だ。あいつが私にそう頼んだんだ」

「志騎が……? 何で!?」

 刑部姫の言葉が信じられる銀が思わず大声で聞くと、刑部姫は彼女の声に顔をしかめながら、

「あれ以上満開を使っていたら、さらに体機能を失っていた。それを防ぎ、世界を守るためには志騎が一人残って戦う必要があった。……あいつはお前達を護るために、一人残って戦う事を選んだんだ」

「そんな………」

 自分達を護るために、一人で戦う事を選んだ。その言葉に、銀は言葉を失ってしまい机に置かれているであろう指輪に光を失った目を向ける。

 だが、志騎がこうして指輪を銀に返したという事は、まるで彼が自分の前に現れないという事を意味しているようで-----。

 そう考えた途端銀はまるで胸が締め付けられたような痛みを感じ、刑部姫に言う。

「それで、志騎は? 一体戦いはどうなったんだ!?」

「結界の近くでバーテックスと交戦したデータは残っている。だがその後戦いの中でブレイブドライバーとスマートフォンが半壊したらしくてな、二つとも私の研究室に転送されてきていた。あの二つには緊急時に研究室に転送される術式を組み込んでおいたから、それでだろう」

 戦いの中でドライバーとスマホが破壊された。それを聞いて、銀の背筋が凍り付く。ドライバーとスマホは志騎の変身と戦闘の要だ。それが半壊したという事は----。

「おい、待てよ。じゃあ、志騎は……」

 銀の最悪の予想を裏付けるように、刑部姫はしゃり、とりんごをかじって告げた。

「『戦闘中に、天海志騎の生命反応の消失を確認。それにより、当日を以って天海志騎を「死亡」と判断。当人の勇者としての権限を全て凍結し、捜索活動を打ち切るものとする』。……これが、大赦が下した判断だ」

 ガツン、と頭を思いっきり殴られたような衝撃だった。このような衝撃は、先ほどからの刑部姫との会話でも感じなかった。呼吸が荒くなり、猛烈な吐き気が銀を襲う。

「志騎が……死んだ? 嘘だ、そんなの嘘だ!!」

「そう思うのは勝手だが、現に奴の生命反応は消失した。死体は見つかっていない以上、バーテックスと相討ちになったと考えるの妥当だろう。……そもそも、変身していない以上バーテックスと戦っての生存は絶望的だ」

「そ、んな……」

 志騎が、死んだ。

 一緒に帰ると、約束したのに。

 ずっと寄り添って生きていくと、決めたのに。

 もう、会えない。

 もう話せない。もう一緒に学校に行く事もできない。もう一緒に料理を食べる事も出来ない。もう笑顔で笑い合う事もない。

 もう、二度と----。

「う、うぅうううう……!」

 目の奥が熱くなり、後悔と悲しみの感情が噴き出しそうになる。それを必死にこらえるのは、ここで感情が溢れ出したら自分は二度と立ち上がる事が出来ないだろうと感じたからだ。

 刑部姫はリンゴの果肉を全て食べ終えると、残った芯をゴミ箱に放り捨てながら、

「ま、こんな所で終わりとは少し予想外だが、問題はない。バーテックスから神樹を守るという役目は果たせたし、どのみち長く生きる事ができない命だ。それが少し早まっただけだろう」

「………え?」

 刑部姫の言葉に、銀は思わず声を上げた。今彼女が言った言葉が、理解できなかったからだ。

「長く生きる事が出来ない命って、志騎が?」

「ああ、そうだ。……ああ、そう言えばお前達には話していなかったな。ま、志騎本人にも話していなかったしそれも無理はないか。良いだろう、志騎もいなくなったし、教えてやる」

 そう言うと刑部姫は、銀の真正面をふよふよと飛びながら説明を始めた。

「天海志騎は私が作り上げた勇者であり、バーテックスに対抗するために作られた兵器だ。そのために、奴の体には私ができるあらゆる処理を施した。細胞単位での呪術的処置や薬物の投与を行う事で勇者になる事ができるよう調整し、バーテックスと勇者の力を底上げするために色々な細工をした。その結果奴はバーテックス・ヒューマンとして生まれ落ちたわけだが、その代わりに志騎が負ったのが短命という代償だ」

「短、命……」

「ああ。細胞単位で行われた処置のおかげで志騎は強力な力を得たが、それに長く耐えられるはずもない。普通の人間と比べて寿命は短くなっている。どれほど調整を繰り返しても二十歳(はたち)、実年齢では十七歳までしか生きられなかっただろうな」

 淡々とした刑部姫の口から語れる事実に、銀は自分の思考が本当に停止してしまうんじゃないかと思った。

 ずっと寄り添って生きていけると思っていた志騎の寿命が、本当は二十歳までしか無かった。そんな事実を、どうやって受け入れろと言うのだろうか? 

「で、でもそれはバーテックスと戦っていればの話だろ? 志騎が戦うのをやめて、寿命を延ばす手術とかすれば、人並に生きる事は出来たんじゃないか?」

 震える声で、銀は刑部姫に言った。本当にそんな手術があるのかは分からない。それはただの自分の願望に過ぎないと、頭の隅で自分の冷静な声が聞こえた。

 だが、目の前の精霊ならできるんじゃないかとも思っていた。目の前の精霊の性格は最悪だが、実際にそういった手術ができてもおかしくないほどの頭脳を持っているのは知っていたからだ。しかし刑部姫は銀を冷たい目で見ると、唐突にこんな事を言った。

「お前は役目を終えた兵器がその後どうなるか知っているか?」

 え? と銀が思わず戸惑いの声を出すと、刑部姫は特に落胆する様子も見せずに話を続ける。答えが返ってくる事は期待していなかったのか、それとも元々知っていようとそうでなかろうとどっちでも良かったのか。

「大抵、戦いのために生み出された兵器はそれが終わったら用済みの存在だ。よほどの事が無い限り、大抵は廃棄処分となる。そして、それはバーテックスを殺すために作られた志騎も同じだ」

 そして。

 刑部姫は、天海志騎の結末を難なく口にした。

 

 

 

 

「もしもバーテックス、もしくは天の神との戦いが終わった場合、もしくは戦う事が出来なくなった場合、天海志騎は役目を終えた兵器として廃棄処分(・・・・)する事になっていた」

 

 

 

 

「しょ、ぶん?」

 刑部姫の口から出た言葉があまりにも信じられなくて、銀は思わず馬鹿みたいに目を見開きながらその言葉を繰り返す。一方、刑部姫は腕を組みながら、

「ああ。そもそもV.H計画を立ち上げる際に大赦と交わした契約の一つがそれだったからな。もしもバーテックス・ヒューマンが兵器として運用できなくなった場合、兵器として廃棄処分する。考えてみればそれも当然だ。使えなくなった兵器に存在価値なんてない。その上志騎はバーテックスという人類の敵の細胞を持っている。自分達の敵に回れば、処分するのは合理的だろうな。私も別に志騎が自分で決めて人類の敵になるのは構わんが、自分の存在意義を放棄するような失敗作を遊ばせておくほど聖人君子じゃない」

「しっぱい、さく?」

 何を、言っている?

 コノオンナハイッタイ、ナニヲイッテイル?

「そもそもおかしいと思わなかったのか? バーテックス・ヒューマンの志騎がたまたま引っ越した先の近所に住んでいたのが、大赦の家系であるお前の家だったという事に。大赦は最初から、志騎のストッパーとしてお前達を……お前を選んだんだ。もしも志騎が暴走した場合、もしくは兵器として使えなくなった場合に、お前に志騎を処分させるためにな。鷲尾須美と乃木園子とも絆を深めたのは予定外だったが、まぁ結果は変わらなかっただろうな」

 理解できない。

 目の前の女が何を言っているのか、理解できない。

 ただ、これだけは分かる。

 志騎に、未来なんて無かった。

 あるのはバーテックスと戦って死ぬか、人より遥かに短い寿命の末の死か、兵器として廃棄処分されるかの救いのない結末だけだった。

 そして大赦は、処分する際は自分達を使うつもりだった。

 絆を深めた自分達を使って、志騎を処分するつもりだった。

 あまりに非情な方法。

 あまりに救いのない志騎の一生。

 自分の中で、何かドス黒いものがまるで火山のように吹き出そうとしているのを銀は感じた。

「おさかべ、ひめ」

「ま、奴が死んだのは少し残念だが、別に良い。バーテックスとの戦闘データは取れたし、結果的には四国を護る事も出来たんだ。ここで死ぬ事も出来て、志騎も本望だろう」

 それを聞いて。

 ブチリ、と。

 自分の中の、今まで抑えていた何かが噴き出した。

「刑部姫ぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」

 獣のような咆哮が飛び出し、力の入らない体を無理やり起こして刑部姫に襲い掛かるとする。まるで、口内の歯で目の前の精霊を食いちぎろうとするように。

 残念ながら銀の体は刑部姫にわずかに届かず、銀はベッドに倒れ伏してしまうが、銀の目はまっすぐ刑部姫に向いている。刑部姫から見た銀の目は、自分への殺意と憎悪で燃え上がっていた。

「お前は!! 志騎を自分の息子だって思ってたんじゃないのかよ!? 自分の家族だと思ってたんじゃないのかよ!! 何でそんなひどい事が出来るんだ!! 志騎を作ったのはお前だろ!! お前達は……大赦は人の命を何だと思ってるんだ!!」

 自分がひどい目に遭うだけならまだ我慢できた。それは、四国を、友達を、家族を護るために自分が決断した道だから。

 だが、護る対象だった友達も自分同様ひどい目に遭い、志騎は命を落とし、最後には兵器として廃棄処分の予定だったと言われ、銀の怒りはついに上限を突破した。もしも両腕が満開で失われていなかったら、今頃自分は刑部姫を絞め殺そうとしていたかもしれない。

 が、炎のような怒りを受けても刑部姫は涼しい顔を崩さない。それどころか、ふっと銀を馬鹿にするような笑みを浮かべると、倒れている銀に背中を向けてこんな事を口にした。

「私が志騎を自分の息子だと思っていた? 家族だと思っていた? 馬鹿な事を言うなよ三ノ輪銀。兵器を家族だと思う馬鹿がどこにいる?」

「っ……!!」

 その一言で、銀の怒りがさらに燃え上がる。だが刑部姫は銀の怒りを無視して、

「大体、お前は一つ勘違いをしている。バーテックスの細胞を持って生まれた時点で志騎は人間じゃないんだ。今回の戦いで志騎が死んだとしても、兵器が一つ壊れたに過ぎない。そもそも、本当に誰も死なず、傷つかず戦いを終わらせる事ができると思っていたのか? だったらとんだ笑い話だ。お前達の頭はどれだけお花畑なんだよ」

「それの、何が悪いんだよ。アタシだって、戦いの中で誰かが傷つく事は覚悟してたよ。それがバーテックスとの戦いだし、実際に何回も傷つけられた。でもそうならないように、誰も死なせないようにアタシ達は戦ってきたんだ! 誰も死なせないために戦って、何が悪いんだよ!!」

 銀の言葉を刑部姫は背中を向けてじっと黙って聞いていたように見えたが、すぐにくるりと振り返って銀の顔をまっすぐ見据える。

 刑部姫の顔にはすでに笑みは無く、ただ冷徹な表情で銀を見つめていた。だが彼女の表情には、先ほどまでは無かったある感情が浮かんでいた。

 感情の名は----怒り。

「……まだ分かってないみたいだな。誰も死なせないように? 誰もそうならないように? ……お前、自分達がやっていた事が本当に世界を守る戦いだと、そんな綺麗な戦いだとでも本気思っていたのか?」

 そう言うと、刑部姫の姿が無数の花びらに覆われ、次の瞬間小さいぬいぐるみのような姿から中学生ほどの少女の姿----氷室真由理のものに変化する。本来の彼女の姿になった刑部姫----真由理は銀との距離を詰めると彼女の髪を乱暴に掴んで頭を無理やり上げると、彼女の目を近距離で見据えた。

「甘いんだよ、クソガキ」

 銀の目を忌々し気に睨みつけながら、真由理は吐き捨てるように言った。

「私達が何をしていたのか教えてやるよ。私達はな、戦争をしてるんだよ!! 世界を守るための戦いだとか!! 神樹を護るためだとか!! そんな吐き気がする綺麗なものじゃない!! 私達を皆殺しにして世界を殺したい天の神と四国という陣地を護りバーテックスという敵を殺し、世界を取り戻そうとする大赦の戦争!! それが今行われ、そしてこれからも行われる血生臭い殺し合いだ!! 大赦はそれをお役目だとか、世界を守る誇りある戦いだとか御大層なオブラートで包んでるに過ぎない!! そんな戦争をしているのに、誰も死なせない!? 笑わせるなよ、天海志騎という兵器が無かったらとっくに死人が出ていてもおかしくない!!」

 いつもの彼女以上に荒々しく、怒りと殺意に満ちた声。これほどまでに彼女が激怒したのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。荒く息をつきながら、真由理は銀にさらなる追いうちをかける。

「分からないって言うなら、分かるように言ってやろうか? スコーピオン・サジタリウス・キャンサーとの三体のバーテックスの戦いの時、もしも志騎がいなかったら、お前はあの場で死んでたぞ」

「………っ!」

 真由理から突き付けられた事実に、銀は思わず奥歯を噛みしめる。

 彼女の言う通りだった。あの時は志騎がキリングトリガーを使って三体のバーテックスに圧勝したものの、もしも志騎がいなかったら自分はバーテックス達を撃退していたかもしれないが間違いなく死んでいた。そうなった場合得られたのは笑顔などではなく、大切な家族と友達の涙と悲しみだけだっただろう。

「お前だけじゃない。一歩間違えれば、鷲尾須美か乃木園子、どちらかが死んでいてもおかしくなかった。最悪の場合三人まとめて皆殺しにされていた可能性だってあった!! お前達がしているのはそういう戦いだ!! 誰も死なせないって言っている時点で甘いんだよ馬鹿が!!」

 そこでようやく冷静さを少し取り戻したのか、ふーっと息をつき、

「……まったく。こんなガキ共を勇者に選ぶなんて、神樹も何を考えているのやら。当たり前だが、神の考えている事は分からんな」

 呆れたように吐き捨てながら銀の髪から手を離すと、銀の体は重力に従ってベッドへと軽く叩きつけられる。そして刑部姫の姿に戻ると、銀を冷たい目で見下ろしながら、

「しかし、こんな奴らを護るために自分の命を捨てるとはな……。最高傑作を作り出したつもりが失敗作を作り出していたとは。私も詰めを誤ったな」

「……それって、志騎の事を言ってるのか」

「当然だろう? 誰かのために死ぬ兵器なんて失敗作もいい所だ。そう考えると、ここで壊れた方がむしろ良かったかもな。……使えない兵器なんて、いらないし」

 冷徹な言葉に、銀は自分の中の殺意と憎悪が膨れ上げるのを感じる。

 この時、三ノ輪銀は初めて他者への『殺意』という感情を覚えた。

 手は動かない。

 腕だって動かないし、武器だってない。

 けれど、歯で相手の頸動脈を食いちぎる事ぐらいはできる。

 もうこれで勇者の資格を失ったって良い。

 一生友達を会えなくなったって良い。

 ただ、自分の大切な人を侮辱した女を殺したい。それだけが、三ノ輪銀の心の大部分を占めていた。

 銀の体に再び力が入り、彼女目掛けて獣のように飛び掛かろうとした瞬間。

 何者かが、銀の体を抑えた。

「----っ!?」

 いつ入ってきたのか、抑えたのは大赦の神官だった。顔は仮面で隠して分からないが、体型や後ろで束ねている髪の毛から女性である事だけは分かる。銀が邪魔をするなと言わんばかりに神官を睨みつけるが、神官は何も言わず銀の体を抑えつけていた。

「ふむ、ご苦労。----安芸」

「……え?」

 刑部姫の口から飛び出した名前に、銀の呼吸が一時的に止まる。

 だって今刑部姫が呼んだのは、自分達の担任の名前で、刑部姫の親友の名前で、何よりも志騎の育ての親の名前で----。

「勇者様を怒らせるのは感心しません」

「ああ、すまんな。こいつの言葉についカッとなってな。気を付ける」

 信じたくない銀の耳に届いたのは、神官の仮面の奥から聞こえてきた声だった。その声は紛れもなく、今まで何度も聞いた担任の声だった。しかしそれは今まで何度も聞いた彼女の声ではなく、感情がこもってない、冷たさと無感情さを秘めた声だった。

「……なに、やってるんですか安芸先生。刑部姫は、志騎を失敗作って言ったんですよ? 先生の家族の志騎を、失敗作だって、道具か何かのように言ったんですよ? なのにどうしてアタシを止めるんですか?」

「精霊を殺す事は出来ません。何よりも……天海志騎が失敗作の兵器という言葉は事実です」

 兵器。今安芸は、確かにそう言った。

 ずっと育ててきた志騎を。家族として接してきた志騎を。安芸は、兵器と断じたのだ。

「何、言ってるんですか。だって志騎は先生の家族だったじゃないですか。血は繋がっていなくても、先生の弟みたいなものだったじゃないですか!! どうしてそんな酷い事が言えるんですか!! 答えてください!!」

 しかし叫ぶ銀の体を、応援に駆け付けたのか数名の神官達が抑えにかかる。安芸は銀の体から手を離すと、振り返りもせずに刑部姫に歩み寄る。行くぞ、と刑部姫が声をかけると安芸は頷き、二人は部屋を出ようとする。なす術もなく抑えられている銀は、遠ざかる安芸と刑部姫の背中に向かって叫んだ。

「答えてください!! ----答えろよ!!」

 だが、それでも安芸は何も言わなかった。

 後悔。悲しみ。憎悪。怒り。ありとあらゆる負の感情が沸き上がるのを感じながら、銀は二人に叫んだ。

「返せよ……!! 須美と園子の体と記憶を!! 志騎を!! 全部返せよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 が、結局銀の悲痛な叫びが叶えられる事は無く。

 二人は銀の元から去り、銀は病室でただ一人神官達に抑えられ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 刑部姫と安芸は銀の病室を出ると、廊下を黙って歩き続ける。しばらく歩くと、刑部姫が口を開いた。

「他の二人はどうなっている?」

「園子様は今後生き神として保護。須美様は『東郷美森』に名前を戻し、東郷家に御戻りになる予定です」

「ああ、そういえば奴は元々東郷の出身だったな」

 実は鷲尾須美は彼女の本名ではない。今二人が口にした東郷美森というのが、本来の名前だ。では何故名前が違うのかという、東郷家と鷲尾家、そして大赦のある事情が関係している。

 勇者は大赦の家系の少女が役目を担うのが普通であるのだが、彼女が生まれた東郷家は鷲尾家より

も格式が低かった。それだけならまだ問題は無かったのだが、東郷美森は勇者適性値が高く、勇者としての戦力が大赦から期待されていた。だが東郷家にいる以上、勇者となる事は難しい。

 そこで考えられたのが、東郷家よりも格式の高い鷲尾家に彼女を養女に出す事だった。これならば勇者になっても何の問題はないし、東郷家は子供と離れる事になってしまうが勇者として有力な子供を養女に出すという形で大赦に貢献でき、鷲尾家は勇者の高い適性を得る子供を養女に迎える事ができる。また、鷲尾家は子供を得る事が出来なかったというのも理由の一つだろう。そのためか東郷美森と鷲尾家の仲は非常に良好で、家族仲が悪くなった事は一度も無かったようだ。

 それらの理由で東郷美森は『鷲尾須美』に改名、鷲尾家の人間として過ごし、勇者として戦ってきたという事だ。

 しかし、今回の戦いで彼女は鷲尾だった時の記憶を全て失った。そのため大赦は彼女の名前を元の『東郷美森』に戻し、失った記憶は事故で失った事にして、彼女を東郷家に戻す事になった。

 何故東郷に戻す必要があるのかという疑問があるかもしれないが、その答えを刑部姫が口にする。

「それより、本当か? 勇者の対象が大赦関係から、四国全土にまで広がるというのは」

「はい。すでに候補者はリストアップされています。あとであなたの端末に送信しておきます」

「ああ、分かった。……しかし一般のガキ共を勇者にするとはな。面倒事がさらに増えそうだ」

 はぁ、と刑部姫は思わずため息をつく。

 今回の戦いで鷲尾須美は記憶を失い、乃木園子と三ノ輪銀は戦闘に出られるような状態ではなくなり、兵器として作られた天海志騎は死亡した。記憶を失っただけの須美はともかく、戦力は大幅に下がってしまったというわけだ。神託でバーテックス達がしばらく攻めては来ない事は分かっているが、近い内にバーテックス達が再び襲来してくる事は容易に予想がつく。それまでに勇者システムの改良は勿論、戦力をさらに向上させる必要があった。

 そのため大赦は勇者にする対象を大赦の家系から、四国全土にまで広げるという措置を取る事にした。とは言っても勇者適性値の低い少女を対象にしても意味がないため、適性値が高い選りすぐりの少女達をいくつかのグループに分け、その中からたった一つのグループの少女達が勇者に選ばれるとの事だった。  

 しかも勇者になるかは実際にバーテックスが襲来した時にしか分からないとの事なので、一種の博打に近い方法ではある。だがこの手法を取る事で、今までよりも手っ取り早く勇者となる人間を選定し、戦力を高める事ができる。大赦の家系として覚悟ができていた人間よりも、今まで普通に暮らしていた人間を命がけの戦いに巻き込むのはどうなのか、という話にはなるが。

 須美が元の名前に戻り、東郷家に戻るのもそれが理由だった。記憶は失ったとはいえ、彼女の戦闘能力は変わらず、それどころか満開により精霊や武装は増え、さらに強くなった。なので記憶を失った彼女を東郷家に戻し、再び勇者として戦ってもらおうというのが大赦の考えだった。勇者になる条件の一つだった格式も、勇者になる範囲が四国全土に広がった今では問題はない。

 そして記憶を失った東郷美森は、いくつかに分かれたグループの中でも一番勇者適性値が高い少女の所に配置させるという手筈になった。神樹がどのグループを勇者にするかは完全にランダムだが、可能性が一番高いとすれば勇者適性値が高い少女のはずだと大赦は考えたからだ。今は入院しているが、落ち着き次第彼女はその少女の自宅の近くに引っ越しする事になるだろう。

 さらに乃木園子は生き神として祀ると同時に、万が一勇者達を止める切り札として管理しておく事にした。志騎の存在を唯一知る銀は端末を取り上げておき、システムを改造して次に戦うであろう勇者の端末に再利用する事になっている。

 まるで勇者のリサイクルだな……と刑部姫は内心笑えない事を口にする。こうして見ると、やはり自分と大赦は同じ穴の貉なのかもしれない。

「秘密管理は徹底する、とは言っています」

「口で言うだけなら簡単だ。それに乃木園子や鷲尾須美……いや、もう東郷美森か。その二人という不穏分子がいる。本当に秘密を徹底するなら、あの二人を徹底的に監視するべきじゃないのか?」

 しかし刑部姫の言葉に安芸はふるふると首を横に振り、

「駄目です。園子様はすでに生き神として祀られており、須美様は先の戦いの功労者の一人です。手荒に扱うべきではない、と上が言っています」

「はっ、また戦いに巻き込もうとしているのに何が功労者なんだか。知らないぞ、どうなっても。……それより、三ノ輪銀はどうなる?」

「……園子様と須美様は記憶を失っていますので問題はありませんが、銀様は天海志騎の事を知る唯一の勇者となりました。なので、今後は徹底的な監視体制に置かれる事になります。……今後、ご家族に会う事もまずないでしょう」

 すると刑部姫ははっとつまらなさそうに鼻を鳴らし、

「乃木園子は生き神として祀られるっていうのに、三ノ輪銀は志騎の存在を覚えているからっていう理由で一生籠の中の鳥か。……ま、志騎の扱いを考えると仕方ないが」

 天海志騎は言ってみれば大赦の最大の秘密にして、決して明かされてはならない禁忌だ。もしも彼の秘密が知られてしまえば、大赦への不信に繋がりかねない。大赦が志騎の告別式を行わなかったのは、大赦の中では志騎は兵器の扱いになっているのもあるが、そういった事情もある。だから志騎に関する記憶を失った須美や園子はともかくとして、唯一彼の事を知る勇者となった銀だけは外部に出すわけにも、他の人間に会わせるわけにもいかないのだ。

「……確かに銀様を他の人間に会わせるわけにはいきませんが、我々は銀様を園子様同様生き神として扱います。籠の中の鳥のような扱いにしたいわけでは……」

「お前達がどう言おうと、どう思うかは籠に囚われている奴しだいだ。お前達が幸福だと思おうが、本人が幸福じゃないと思えばそうなんだよ」

 そう言いながら、刑部姫は仮面で顔を隠しているせいで表情が分からない安芸を見て再びため息をついた。

「まったく、やめておけと言ったのに仮面を被ったな。ずいぶんつまらなくなった。仮面を被る前のお前は、あんなに器用に嘘をつけるような人間じゃなかっただろうに」

「………あなたは、相変わらず嘘をつくのが上手ですね」

 安芸の反撃とも言える言葉に、刑部姫は顔をしかめ、

「私が嘘をついていたと?」

「銀様には分からないかもしれませんが、私には分かります。あなたとは長い付き合いですから」

「…………」

 刑部姫は黙り込み、安芸の顔をじっと睨みつける。が、目に映るのは大赦の仮面で、彼女が今どういった表情を浮かべているかはまったく分からなかった。しばらく二人は互いの顔を見ていたが、やがて刑部姫が舌打ちと共に視線を外し、

「……道具として使われる意志が固まったというなら、私が言う事は何もない。ただ、その気色悪い敬語はやめろ」

「……これが、私が決めた道ですから」

 馬鹿が、と刑部姫は吐き捨てると、その場に安芸を一人置き去りにして廊下を進む。

 進みながら、刑部姫の脳内に先ほど銀から言われた言葉が思い出される。

『お前は!! 志騎を自分の息子だって思ってたんじゃないのかよ!? 自分の家族だと思ってたんじゃないのかよ!! 何でそんなひどい事が出来るんだ!! 志騎を作ったのはお前だろ!! お前達は……大赦は人の命を何だと思ってるんだ!!』

「……たわけが。そんな事、今更思えるはずがないだろうが」

 苛立ち交じりに呟き、奥歯を噛みしめる。

 本音を言うなら、自分だって彼を家族だと思いたかった。

 自分にはもったいない息子だって言いたかった。

 だが、そういった感情は捨てるようにしていた。

 だって、自分は彼を『息子』としてではなく『兵器』として育てた。

 人並みの人生を送らせるためではなく、バーテックスを殺し、最後には自分達のために使い捨てる人生を歩ませるために作り上げた。

 『母親』ではなく、『科学者』としての道を他の誰でもない自分が選んだのだ。

 そんな自分が、彼を『家族』や『息子』だと思って良いはずがない。

 だから、彼は兵器なのだと。バーテックスを殺すために作り出された殺戮兵器なのだと今まで自分に言い聞かせてきた。

 今まで一緒に暮らしてきたのだって、彼の観察に過ぎない。

 決して、『家族』として一緒に過ごしたかったからでは--------。

 

 

 

 

『博士』

 

 

 

 

 

「………っ!!」

 ゴッ!! と刑部姫の拳がすぐ横の壁を殴りつける。非力な精霊の拳では壁にひび一つつける事は出来ず、返ってきたのは拳に走る激痛だけだった。

 だが拳の激痛よりも、胸が痛かった。不思議と目の奥が熱いし、鼻の奥がツンとする。

 こんな感覚は、精霊になって初めてだった。

「………クソが」

 最後にそう言って、刑部姫はとぼとぼと空中を漂う。

 胸の中に、どうしようもない虚ろな感情を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 刑部姫を別れた後、安芸は一人天海家の玄関の前に来ていた。鍵を開けると、明かりも付けぬまま家の中をぐるりと歩き回る。

 天海志騎が死亡した以上、安芸の志騎の監視という役目は終わり、今後は大赦本部に生活の拠点を移す事になる。この家に戻ってくる事はもう無いだろうし、近い内に取り壊される事がすでに決まっている。

 だから、志騎と六年間一緒に暮らしたこの家を歩くのも見るのも、これで最後だ。

 一通り家の中を見終わった安芸は、最後の目的地に向かって歩を進める。

 志騎と自分が話し、笑い、時に銀の笑い声があれだけ響いていた家の中は不気味なほど静かだった。まるで家全体が巨大な死体になってしまったようで、薄気味悪さすら感じてしまう。----人がいなくなった家はただの巨大な箱なのだとどこかで読んだ小説に書かれていたが、まったくその通りだと安芸は思う。

 もうすぐこの家には、帰ってくる人間も、訪れる人間もいなくなるのだから。

 やがて彼女が入ったのは、志騎が今まで使っていた部屋だった。部屋にはベッドやテレビの他、ホラー小説やミステリー小説が積まれた本棚、さらに彼の趣味で作られたボトルシップが置かれている。それらはもう部屋の主が帰ってこない事など知らず、ただ静かに配置されていた。

 それら一つ一つが、志騎がここにいて、生きていた証。それがもうすぐ全て無くなるという事は、彼がここに存在していた証を全て消し去るという事を意味している。それを、今まで彼と一緒に住んでいた自分が行うのだ。----家族同然だった彼の存在を、他の誰でもない自分が消す。こんな事を銀達が知ったら、また怒られるに違いない。

 そう考えながら、安芸が部屋の中心まで足を踏み入れたその時だった。

「安芸先生」

「っ!!」

 突然背後から志騎の声が聞こえてきたような気がして、安芸はばっと振り返るが、そこには当然の事ながら誰もいなかった。しかし、志騎の声が聞こえてくるのも当然かもしれない。

 ここは、志騎が一番長く過ごした場所。だからここには、志騎の痕跡が色濃く残っている。彼が作った物。彼が読んでいた本。彼が寝ていたベッド。----志騎が生きていた、場所。

 安芸は静かにしゃがみ込んで腕を枕にする形でベッドに突っ伏す。やがて、彼女の両肩が静かに震えだした。

 まるで、泣いているかのように。

 

 

 

 

 

 

 神官達に抑えられた後、銀は一人病室で仰向けに寝っ転がっていた。真っ暗な世界をぼんやりと眺めながら、静かに呟く。

「……須美は私達の記憶を失った。園子は志騎の記憶と体のほとんどを失った。志騎は、いなくなった。……全部、無くなっちゃった」

 神官の話によると、自分は今後誰とも会わずここでずっと祀られる事になるらしい。家族にも会えないとの事だった。

 父親と母親はどうしているだろうか。鉄男は元気だろうか。鉄男は自分が帰ってこなくて泣いているだろうか。家族に会いたくても、もう会えない。

 家族を護るために、友達を護るために、幼馴染を護るために戦ってきた。

 だが、非情な現実はこうして自分の目の前に広がっている。自分は視力と体の大部分の機能を失い、家族には会えず、友達にも会えず、幼馴染は命を失った。気を晴らそうにも体を動かす事も出来ず、こうしてベッドに死んだように寝転がってただ何もない闇の世界を見る事しかできない。正直、気が狂いそうだった。一人がこんなに辛いものだったなんて、考えた事も無かった。

「……ああ、そっか。アタシずっと、誰かと一緒だったんだ」

 いつも明るく元気いっぱいな銀の周りには、いつだって家族や友人がいた。

 そして何よりも、志騎がいた。気が付いた時にはいつだって自分のそばには志騎がいてくれた。志騎の隣は、本当に居心地が良かった。

 だが、自分の隣にはもう誰もいない。家族も、大切な友達の須美も園子も。自分の心の穴を埋めてくれそうな志騎も、いなくなってしまった。

 自分は本当に、独りぼっちになってしまったのだ。そう考えるだけで、悲しみが胸の底からこみ上げてくる。

 それも仕方ない。いかに明るくても、強く見えても、彼女はまだ小学六年生の少女なのだ。大切な家族にも、友人にも、幼馴染にも会えないとすれば、後に残るのは深い孤独と悲しみだけだ。十二歳の銀が、それに耐えられるなんて誰が言い切れるのだろうか。

「………寂しいよ、志騎。お前言ったじゃんかよ。アタシの声ならどこにいたって聞こえてるって。ちゃんといるって、言ってよ。アタシの隣にいるって言ってよ! アタシの手を握ってくれよ!!」

 一人になった心細さに耐え切れなくて、銀が叫ぶ。だが彼女の声に返答する人間は当然いない。頭では理解できているものの、当然割り切れるものではない。

「須美、園子、志騎!! 嫌だよ、一人は嫌だ!! 誰か返事してくれよ!!」

 まるで小さい子供のように体を丸め、カタカタと体を震えさせながら叫ぶ。しかし孤独は強まるばかりで、今の銀はその孤独がどうしようもなく怖かった。すると、頭の隅からこんな声が聞こえてくる。

 志騎がいなくなったのは、お前のせいだ。

 須美と園子が記憶と体を失ったのは、お前のせいだ。

 お前が弱かったから、志騎は死んだ。

 お前が勇者として無能だったから、須美と園子は記憶と体を失った。

 お前がいなければ、三人は無事だった。

 お前じゃなくて他の誰かが勇者だったら、もっとうまくできた。

 お間がいなければ----。

 自分の心の闇が囁く声。 

 何の根拠も無く、自分を責め立てる囁き。

 しかし、それは違うと断じる強さも、否定してくれる誰かも、今の銀には無かった。

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」

 壊れたおもちゃのように、呟き続ける。

 許しを請う罪人のように、謝り続ける。

「弱くてごめんなさい、何もできなくてごめんなさい、何も守れなくてごめんなさい……!」

 ガタガタと体を震わせ、カチカチと歯を打ち鳴らし、銀はただ許しを請う。

「……志騎、ごめん。アタシが勇者じゃなかったら……! アタシが勇者になんてならなければ、お前はきっと生きていられたのに……!! ごめんなさいっ……!!」

 どこまでも暗い闇の中、少女は言う。

 まるでそうする事でしか、自分を保つ事ができないと言うように。

 いつまでも闇の中で、もういない誰かに謝り続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い炎が支配し、口だけを持つ白い怪物が宙を浮遊する世界。

 白い怪物の一体が、突然何かに切り裂かれた。怪物を切り裂いたそれは炎の世界に降り立つと、じっと周りの怪物達に視線を巡らせる。

 怪物を切り裂いたのは、怪物同様の白い体色を持つ怪物だった。しかし他の怪物達と違い、その怪物は全身が純白という事を除けば人間のような両腕両足を持っていた。両手と両足の先には鋭い爪が生えており、右手には純白の大刀が握られている。体のあちこちには羽根のような装飾があり、背中にはよく見てみると小さな翼がある。顔にある小さな双眸は銀色をしていた。

 鳥を擬人化したような怪物----第三者によるその怪物の印象は、そんな感じだろう。

 怪物は他の宙に浮く三体の怪物に狙いをつけると、大刀をゆらりと構える。すると怪物達も自分達の身の危険を察したのか、鳥の怪物目掛けて突進した。

 鳥の怪物は一体の攻撃を軽々と避けると脳天に大刀を突き刺し、さらに怪物を足場にして高く跳躍、空中でもう一体の怪物を切り捨てると最後に残った怪物目掛けて大刀を振り下ろした。怪物が左右に泣き別れになると、鳥の怪物は無数に浮遊する白い怪物達に狙いを定める。

 そして大刀を強く握りしめると、怪物達目掛けて跳躍した。

 

 

 

 

 

 こうして、少女達の体と心に癒えない傷を残し、神世紀298年の戦いは一旦の終わりを告げた。

 しかし、まだ全て終わったわけではない。

 まだ役者は揃っていない。

 役者が揃っていない物語が終わる事などありえない。

 二年後、神世紀300年。

 西暦の勇者の名前を継ぐ少女を基点にして、少年と少女達の運命の歯車が再び回り出す。

 

 

 

 




いつもご愛読ありがとうございます。作者の白い鴉と申します。
今回の二十八話で、天海志騎は勇者である -天海志騎の章-は終了となります。
しかしこれで物語が終わりというわけではなく、次回から結城友奈の章が始まります。次回から皆さんご存じのあの五人も登場いたします。
とは言っても次回は刑部姫目線で物語が進みますので、五人の活躍などはもしかしたら少なくなるかもしれません。その点、どうぞご了承お願いします。
少しの間更新が停止してしまうかもしれませんが、できるだけ早く続きを書けるよう努力いたします。また、一応一区切りつきましたので、次回はこの小説のオリ主である志騎とオリキャラの刑部姫/氷室真由理の事についてのキャラクター設定のようなものを投稿したいと考えております。二人について何か気になっている事などがありましたらお受付し、次話でお答えしたいと思います。
約一年弱かかってようやくここまで来ましたが、もうしばらくお付き合いお願いいたします。
ではまた次回、お会いしましょう。


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オリ主&オリキャラ紹介・設定(ネタバレ注意)

前話で書きましたが、今回はオリ主である志騎とオリキャラの氷室真由理/刑部姫の紹介・設定となります。なので初見の人にはネタバレとなりますので、ご注意ください。何か追加した方が良いかなと思う所があったら、適宜追加したいと思います。


『罪を背負いし少年兵器』

 天海志騎

 

 DATA

 

 身長:150cm

 学年:小学6年生

 誕生日:7月30日(西暦時代バーテックスが襲来した日)

 血液型:A型

 出身地:香川県(正確には氷室真由理の研究室)

 趣味:ボトルシップ作り

 好きな食べ物:ラーメン

大切なもの:繋がり

 イメージソング:カンザキイオリ『命に嫌われている』

         ナナホシ管弦楽団『IMAGINARY LIKE THE JUSTICE』

 

 

 【人物紹介】

 本作の主人公。銀の幼馴染であり、神世紀298年において本来存在しない四人目の勇者。いつも冷静に見えるがたまにノリの良い一面もある。バーテックスの力を模した十二のゾディアックフォームと剣にも銃にも変形する武器『ブレイブブレード』で臨機応変に戦う。『例え自分がいなくなっても一人で生きていけるように』との理由から安芸から家事を幼少期から教えられているため、家事全般が得意。当初は銀しか友達がいなかったが、後に須美と園子という友達が増えた事をきっかけに、徐々に三人との間に芽生えた絆を大切にするようになる。

 正体は大赦の科学者、氷室真由理によって作られた、バーテックスの細胞に人間の遺伝子を組み込んだ兵器にして人間型のバーテックス、『バーテックス・ヒューマン』。外見は人間そのものだが、バーテックスの細胞に秘められた力を解放する事で人間を超えた身体能力・五感を発揮する。

 勇者とバーテックス両方の力を持つ稀有な存在だが、体に呪術・薬物による処理を施されている事もあって寿命が普通の人間より短く、長くて二十歳ぐらいまでしか生きる事ができない。

 初期勇者装束のモチーフの花は『雛菊』、アップグレードした後のモチーフの花は『リンドウ』。前者の花言葉は『平和』『希望』、後者の花言葉は『正義』。

 

 

 

 【設定】

 イメージコンセプトは『ゆゆゆ世界の仮面ライダー』。『もしもこの世界でバーテックスを利用して兵器として特化した勇者を作るとしたら、このような感じになるんじゃないか』という考えで、色々試行錯誤しながらできたキャラクターです。仮面ライダーのイメージとしては、兵器としての側面が作中で強く表現されていた『仮面ライダービルド』と、『養殖』と『作られた命』から『仮面ライダーアマゾンズ』を組み合わせて設定しました。キャラクターのイメージはもちろん二作品の主人公『桐生戦兎』と『水澤悠』です。自分の存在や立ち位置に苦悩するのは、そのまま二人のイメージで書いています。変身ポーズは『仮面ライダーゼロワン』の主人公、飛電或人の変身ポーズから来ています。

 作中では酷い目に遭っていますが、『勇者という人間ではなく、もしも勇者が兵器扱いされていたら?』という想像もあるので、それを想像しながら書いています。また、作中でも丸焦げになったり片腕が丸々消失していたりと酷い目に遭っていますが、あれでもまだ描写を軽くした方なんです。本当に兵器扱いして書いたとしたら、書くのが結構辛くなってくるんで……。ヘタレですいません……。

 一応母親である真由理とは対照的な人間としてイメージしていて、例えば真由理は辛い物が好きだけど志騎は苦手、真由理はブラックコーヒーが好きだけれども志騎はコーヒーが苦手なのでココアを飲むなどです。作中で刑部姫がコーヒーを飲んでいる一方で志騎がココアを飲んでいるのはそのためです。

 それは理想や現実に対しての向き合い方も同様で、志騎は『大赦の思想が正しいのは分かっているけれど、それでも誰も傷つかない理想を捨てきれない理想主義者』というイメージで書いています。

 また、銀や友奈とはまた違った意味での危なかっしい人物としても書いています。友奈は友達のためならば冗談抜きで命を懸ける事ができてしまう少女ですが、志騎はそもそも自分の命を大切と思っていないのでためらいなく命をかける事が出来てしまう。ゆえに、死ぬ事の恐怖もない。ゆゆゆのノベルシリーズの一つ『楠芽吹は勇者である』の作中で風先輩が『危険や苦痛を怖がることは誰だって当然よ。それを怖がらない人は、勇敢なんじゃなくて、人間として何かが壊れてるだけ』と言っていましたが、志騎はその『壊れた人間』にあたります。なので彼はまだ勇者としても人間としても半人前です。銀や友奈といった少女達との交流で、一歩ずつ成長していく物語が『天海志騎は勇者である』と言えます。

 

 

 

 

 

 

 『冷徹な天才毒舌科学者』

 氷室真由理/刑部姫

 

 

 DATA(真由理/刑部姫)

 

 身長:167cm/約30cm

 誕生日:4月13日

 血液型:B型

 出身地:香川県

 趣味:実験

 好きな食べ物:ラーメン

大切なもの:なし

 イメージソング:鬼束ちひろ『月光』

         花譜『ニヒル』

 

 【人物紹介】

 志騎を作った大赦所属の天才科学者にして、志騎の遺伝子上の母親。類まれなる頭脳を持つが反面口と性格が悪く、安芸以外の友人は皆無。志騎と安芸に対しては気安い一面を見せるものの、二人以外の人間に対しては基本的に非情で冷酷だが、まったくの冷血漢というわけでもない。志騎に対しては自分が生み出した兵器と認識する一方で時に親子としての感情を向けてしまうなど、複雑な感情を抱いている。安芸と共に志騎と育成・教育していたが途中で不治の病を発病してしまい、死亡。精霊『刑部姫』に自分の頭脳と性格データを移植する。その後志騎のサポート(?)を行い、彼と共にバーテックスの戦いに挑む。享年19歳。

 

 

 

 

 【設定】

 本作品のトリックスター。銀が志騎のヒロインなら、真由理は相棒にして裏の主人公とも言える存在。裏とはいえこんな性格が悪い主人公がいるか! とツッコまれそうですが、そもそも真由理のコンセプトが『敵サイドにいてもおかしくない味方』ですので、あえて性格を悪くしました。また、上記のコンセプトからキャラクターイメージとしては『勇者の天敵』、『子供達の前に立ち塞がる理性の断罪者』としています。そのため、友奈達や犠牲を絶対に出さない事を信条としている『楠芽吹は勇者である』の主人公、楠芽吹とは相性が本当に悪いです。顔を合わせたらまず喧嘩に発展しかねません……(苦笑)。

 作中で色々言われていますが、真由理は人間嫌いなわけでも神樹を素晴らしい存在だと妄信しているわけではないです。ただ自分を含めた人間の命がそこまで素晴らしいものだと思っていない。ですから人類を護っている神樹の事もあまり信仰していないし、人間や自分の命がそこまで尊いものだとも思っていない。なので神樹の事は、人間のような生物を護る物好きな神様ぐらいにしか思っていない。作中でも彼女は他の登場人物たちとは違い、『神樹様』とは呼ばず単に『神樹』と呼んでいます。これも彼女が本作世界においてのいわば『異分子』である特徴となっています。

 そのような考えを持っているため、彼女も志騎同様『壊れた人間』としてイメージしています。

 犠牲を許容する考えから冷酷な人間と思われがちな彼女ですが、あくまでそうする必要があるから犠牲を許容しているのであって、犠牲が出ないならそれに越した事は無いという考えもあるため、完全な外道というわけでもない。ただし人間という生き物が持つ性質、現時点での世界の状況などを見ると犠牲を出す事でしか世界を保つ事ができないと考えているため、結果的に犠牲を許容する事になってしまっています。作中で彼女が安芸に言っていた『私達人間という生き物は、何かを生贄にしなければロクに生きる事も出来ない薄汚い獣の名前だ。誰だって納得は出来ていないだろうが、無理やり納得するしかない。……そうしなければ、人間が生きていく事などできないからだ』という台詞は、彼女の考えそのものとも言えます。

 そしてそれを否定する人間、つまり楠芽吹は彼女が一番嫌いなタイプの人間ですので、二人の相性は最悪です。まさに平行線の状態ですので、二人の考えが交わる事はまずありえません。

 志騎が『大赦の思想が正しいのは分かっているけれど、それでも誰も傷つかない理想を捨てきれない理想主義者』ならば、『犠牲が出ないのが一番だけど、人間という生物が持つ性質を考えるとそれはありえないと分かってしまっている現実主義者』が真由理という人間です。

 なお、彼女にはまだ大きな秘密があるのですが、流石にネタバレになってしまいますのでここでは書けません。今後作中で明らかになりますので、その時までお待ちください。

 最後に裏話ですが、志騎が使うブレイブドライバーやスマートフォンの女性音声ですが、音声は全て真由理が自分で吹き込んだ彼女自身の声です。生前志騎の勇者システムを開発する際、彼女が自分でノリノリで入力しました。

 




次回から再び本章に戻ります。次回からの章タイトルは-結城友奈の章-となります。更新までしばらくお待ちください。


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結城友奈の章
第二十九話 リスタート300


刑「この本によると、神世紀298年。鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀、そして一人の勇者が大量のバーテックスと交戦。三人の勇者は戦闘不能状態に陥り、残った一人の勇者も命を落とした。それからバーテックスの襲撃が一時的に止まったものの、二年後の神世紀300年、再びバーテックスが襲撃。同時に、ある一人の少女をきっかけとして、物語が再び始まる、らしい」
刑「ん? 何を読んでいるんだって? まぁそんな事はどうでも良いじゃないか。大切なのは、これから再び勇者達の物語が始まるって事だ。まぁ楽しんでくれ」
刑「では第二十九話、どうぞご覧あれ」



 そこは、どこかの研究室のようだった。

 大量のパソコンや機材が所狭しと置かれており、机やホワイトボードには何かの設計図が大量に張られている。照明は一つもつけられておらず、暗闇を照らしているのはたった一つだけついているパソコンのディスプレイの明かりだけだった。

 パソコンの前に座りながら、キーボードをカタカタと高速で打っているのは小さな少女の形をしたぬいぐるみのような存在だった。彼女はキーボードから両手を離して椅子の背もたれにもたれかかかると、机に置かれていたマグカップに手を伸ばし、ブラックコーヒーを一気に口に流し込む。冷めてはしまったものの、口の中に入ってくる苦みと旨さにふーっと一息ついた。

 と、部屋の中からカツンと足音が聞こえた。しかし、彼女には研究室に入ってきたのが誰かはもう分かっていた。この研究室に入ってくるのも入ってくる許可を与えているのも、一人しかいない。

「何の用だ、安芸」

 少女----大赦所属の精霊、刑部姫が声を出すと、暗闇の中から姿を現したのは大赦の神官服と仮面を身に纏った人物だった。一見すると性別が分かりにくいが、髪を後ろで軽くまとめている事、そして体型からどうにか女性だという事が分かる。彼女は刑部姫に近づくと、感情が感じられない声で刑部姫に告げた。

「あなたにしてもらいたい仕事があります」

「仕事? 何だ、新しい勇者システムでも作れって言うのか?」

 刑部姫が椅子から体を起こすと、さらに安芸が続ける。

「つい先日、バーテックスが再び出現し、勇者様によって討伐されたのはご存じだと思います」

「ああ、知ってる。確か讃州中学の生徒だったか?」

 刑部姫からの確認に、安芸がええ、と肯定する。

 刑部姫が言った通り、つい先日バーテックスの襲来が二年ぶりに観測された。その際に神樹によって讃州市にある中学校、市立讃州中学校の四人の女子生徒達が勇者に選ばれ、これを撃破。間もなく三体のバーテックスが撃退したが、こちらも見事に撃退したとの事だった。刑部姫はタブレットを取り出すと、勇者に選ばれた四人のデータを呼び出す。

「讃州中学勇者部……。そのまんまだな」

「世のため人になる事をする事が部活の活動内容のようです」

「世のため人のため、ねぇ。無償の活動ほど危なっかしいものも無いんだがな」

 そう呟きながら、タブレットを操作して個人情報に目を通していく。

「部長の犬吠埼風に妹の犬吠埼樹……。犬吠埼ってまさか、あの犬吠埼夫妻の娘か?」

「はい。二年前の『瀬戸大橋跡地の合戦』の際に亡くなった夫妻の娘が、彼女達です」

 瀬戸大橋の跡地の合戦は、大赦関係の間では語り草だ。二年前、バーテックスの大群が襲来し、三名の勇者達がこれを撃破。結果大橋は破壊され、重傷者多数、大赦の関係者二名を含む死者四名を出してしまったものの、バーテックスから世界と人々を護った。しかし代償に三名の勇者は戦闘不能の状態になってしまったため、勇者システムをアップグレードし、新たな勇者を選定し今に至る……というのが大赦の表向きの説明だ。本当はもう一人いた勇者の事は、ここにいる二人と大赦の上層部、そして三人の勇者の内一人しか知らない。

「なるほど。両親の仇を娘が討つ事を選んだって考えて良いのか?」

「姉の方はそうだと思います。妹の方は分かりませんが」

「ま、戦う理由はなんでも良いさ。それより、問題はこの二人だな」

 画面に表示されたのは、赤い髪の毛の少女と黒髪の少女の顔だった。画像上に表示されている二人の顔の横に、それぞれの名前が表示されている。

「『結城友奈』と『東郷美森』……。一人は『友奈』で、もう一人は先代の勇者か。中々豪華な顔ぶれだな」

「上層部も、友奈様と美森様の活躍に一際強く期待されているようです」

「だろうな」

 東郷美森は記憶は失っているものの先の戦いに生き残った勇者の一人であり、戦闘力はお墨付きだ。結城友奈は四国全土の勇者候補となっていた少女達の中では、最も高い勇者適性値を誇る。おまけに親から武術を習っていた事もあり、一般人ではあるが戦闘能力は決して低くない。大赦が彼女達に期待するのも無理は無いだろう。

「で、こいつらと私の仕事、一体どういう関係があるんだ?」

「近い内に、大赦によって選別された勇者を彼女達に合流させます」

「ああ、そういえば三ノ輪銀の端末はお前達に回収されたんだっけな」

 勇者が戦いに用いる勇者戦闘の端末は別にその勇者専用のものでは無く、新しくカスタマイズする事で神樹に選ばれた別の人物も使う事ができるようになる。なお、安芸と刑部姫が知っている今はもういない勇者のシステムは刑部姫独自の改良が施され過ぎたせいで中身はまったくの別物となっており、そのためカスタマイズしたとしても他の人間が使う事が出来ない、実質その人物専用の勇者システムとなっている。ちなみに、勇者システムが組み込まれたスマートフォンと使われるデバイスは今は刑部姫が所有している。

「あなたは彼女と一緒に勇者部に合流し、勇者達のサポートおよび監視をお願いします」

「はぁ?」

 さすがに親友と言えど今の言葉は看過する事が出来なかったのか、刑部姫は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、

「私に乳臭いガキ共と一緒に行動しろと? 嫌だよ面倒くせぇ。そもそもどうして私が行かなきゃならないんだ? サポートも監視も選ばれたガキ一人で十分だろう」

「確かに四人のサポートも監視も彼女一人で十分です。あなたの役割は、彼女を含めた五人のサポートと監視になります」

 その言葉に、刑部姫はぴくりと眉を動かすと、何かを考え込むように両手の指を合わせて安芸の顔に視線を向ける。とは言っても、仮面を被っているのでどういった表情を浮かべているかは分からないのだが。

「……なるほどな。今の言葉で大体分かった。要するに、五人目も監視の対象って事だろ? 下手に人数を増やせば相手に不信感を持たれるし、だからと言って五人目だけだと監視に支障を来す恐れがある。だから精霊でもあり、ガキ共にも一切歩み寄らない私に任せる事にしたって事か?」

「……彼女はまだ十四歳ですし、相手の痛みが分からないほど鈍い人間でもない。勇者部に近づきすぎる事で、監視の目が鈍ってしまうのではないかと大赦は考えています。悪い事ではないと思いますが」

「万が一の事を考えると、放っておけないか……」

「その点あなたならば彼女に従う精霊という事にしておけば問題はありませんし、監視の目が鈍る事も無いでしょう」

「……そいつに従う、という点に関しては猛反対したいが、まぁそうだな」

 刑部姫は指を合わせたまましばらく宙を睨んでいたが、やがて頭の後ろに両手を合わせて背もたれにどかっともたれかかると、

「分かった。だがその代わり条件がある。サポートと監視は私のやり方でやらせてもらう。大赦からの口出しは一切聞かない。それで良いなら吞んでもいい。どうせ大赦もサポートは期待してなくて、本命は監視だろ?」

「そうだと思います。上の方からも、監視をするならあなたの条件は全て受けて良いと言われていますので」

「私がこう言い出すって事は想定内って事か……。その上で監視を最優先にするって事は、大赦が気にしているのは勇者達じゃなくて、恐らく……」

 その先はあえて言わなかったが、安芸には彼女の言葉の先が分かった。

 条件を全て受けいれても、刑部姫に監視を命令した理由。それは大赦の方に、勇者達にどうしても知られたくない情報があるからだ。刑部姫も、同じ考えに至ったのだろう。

 刑部姫はじっと何かを考え込んでいたが、まぁ良いやと呟くと安芸に言った。

「選ばれた勇者の情報をくれ。次にバーテックスが襲撃次第、そいつと一緒にガキ共に合流する」

「ええ、こちらになります」

「用意が良いな……」

 安芸がスマートフォンをタップすると、刑部姫の手にしていたタブレットに彼女からデータが届く。どうやら刑部姫の言葉を予め予想していたらしい。彼女の手際の良さに舌を巻きながら刑部姫がデータを見てみると、画面に映し出されていたのは赤いリボンで髪の毛を二つ結びにした少女だった。映し出されている表情はどこか勝気そうであり、彼女が嫌いな一人の少女を連想させる。横には、『三好夏凛』という名前と詳細なデータが表示されていた。

「三好……。ああ、こいつ三好春信の出がらしか」

「………その言い方はどうかと思います」

 三好春信とは大赦の神官の一人だ。それもただの神官ではなく、若くして大社の重要なポストに就いているほど優秀な人物である。そのため上層部とも繋がりがあり、志騎の正体を知る数少ない人物の一人だ。なので、刑部姫も彼に対しては一目置いている。

 あまりの暴言にさすがに安芸も少しばかりの非難を込めるが、それぐらいで言葉を改めるような人格の持ち主ではない。タブレットを操作しながら、さらに彼女に関する情報を読み進めていく。

「ふーん。ま、さすがは勇者に選ばれる人間って所か。ストイックでぼっちだが、だからといって冷血な人間というわけでもない。こいつと一緒に行動しろってか?」

「はい」

「ま、良いや。これが楠芽吹だったら単独で動いてたけど、こいつはまだマシか」

 楠芽吹というのは、勇者になる選別で最後まで夏凛と競っていた少女の名だ。最後は僅差の差で夏凛が勇者として選ばれたが、彼女は最後までそれに納得していなかったという情報を安芸とデータから得ている。

「……彼女は、嫌いですか」

 すると、刑部姫は冷たい表情で、

「嫌いだね。最後までピーチクパーチク自分の方だって成績は負けていなかっただの、選考をやり直せだの……。どれだけ自分を高く見積もっていればあんな事が言えるんだか」

「実際彼女も成績は非常に優秀でしたし、どちらが勇者に選ばれてもおかしくはありませんでした。彼女がそう言うのも、無理はないです」

「知るかよ。どれだけ優秀であろうとも関係ない。要するに、勇者として必要なものを三好夏凛が持っていて、楠芽吹は持っていなかった。だから勇者に選ばれなかった。それだけの事だろう。それをいつまでも未練がましく……。私が一番嫌いなタイプだ。ま、そう考えればまだ三好夏凛で良かったかもな。楠芽吹と一緒に行動しろって言われたら、本当に殺しかねないし」

 刑部姫はこう言うが、それは恐らく楠芽吹も同じだろうと安芸は思う。自分が見た感じであるが、刑部姫と楠芽吹の相性は最悪だ。水と油という言葉があるが、その程度ではまだ足りない。彼女達にぴったりの言葉を挙げるならば、不倶戴天の天敵。それが、刑部姫と楠芽吹を表すのにちょうどいい表現かもしれないと安芸は思った。

「では、勇者様達の件よろしくお願いします。必要な情報がありましたら、随時連絡してください。私はこれで失礼します」

 そう言ってぺこりと頭を下げると、研究室を出ていこうとする。親友の後ろ姿を眺めていた刑部姫は、彼女の背中に向かってこう言った。

「……どうでも良いけど、敬語はやめてくれないか? それ聞いてると背中がむずがゆくなってくる」

 しかし安芸は刑部姫の言葉を無視して、研究室を出て行った。やれやれと刑部姫は肩をすくめると、椅子から立ち上がって目を閉じる。次の瞬間、彼女の姿が花びらと共に研究室から消え、別の場所へと転移した。

「……相変わらず、気持ち悪い場所だな」

 刑部姫が転移したのは、病室に見える場所だった。やや曖昧な表現になってしまうが、内装が一般の病室とはあまりにかけ離れすぎていて、病室と断定する事が不可能だからだ。

 出入口近くには何かの飾り、天井や壁には形代と呼ばれる和紙で作られた人形がびっしりと貼り付けられ、入り口には鳥居まで設置されている。これでは病室というよりも、小規模な神社のようだ。

「こんな所にいてつまらなくないか? それとも、案外神様扱いされて気分が良かったりするのか? なぁ、教えてくれよ。----三ノ輪銀」

 刑部姫の視線の先は、部屋に設置されているベッド、正確にはベッドの上の少女に向けられていた。

 全身を包帯で巻かれており、かろうじて見えるのは両手の先と頭からこぼれる髪の毛ぐらいだ。両目に当たる位置も包帯で巻かれているので、彼女がどんな表情をしているのかは分からない。だが、包帯で隠された両目から刺々しい視線が自分に突き刺さるのを、刑部姫は感じた。

「………気分が良いわけないだろ。こんな所に祀られたって、嬉しい事なんて一つもないし」

 少女----銀の口から出たのは、二年前の彼女では考えられない声だった。

 怒り、憎しみ、悲しみ……そういった負の感情が全て込められた声にも、涙を流し過ぎて悲しみという感情が枯れ果てた人間の声にも聞こえた。刑部姫はベッドの真正面にパイプ椅子を置くと、椅子に座り込みながら、

「ま、それもそうだな。少し残念だ。神様扱いされて嬉しいのなら、今度何か貢ぎ物でも持って来てやろうと思ったんだけどな。ちなみに何が良い? しょうゆ味のジェラートか? ああ、でもお前もう味分かんないんだったな」

「……分かってて言ってるんだろ」

「当然だろ?」

「くたばれ」

「はは」

 交わされる二人の会話は険悪だが、それも当然だ。二人は元々友人などではないし、二年前のある時期以降元々悪かった二人の仲はさらに最悪なものになった。なのに刑部姫がここに来るのは、単なる暇つぶしぐらいの理由でしかない。

「……新しく勇者が選ばれたらしいな。お前達大赦は、また同じ事を繰り返すんだな」

「同じ事、とは?」

「とぼけんなよ。人類継続って理由で勇者を戦わせて、生贄にするんだろ。アタシ達にしたみたいに」

「………」

「それに、選ばれた勇者には須美もいるんだろ。両足が動かなくなって、友達の記憶も失ったアイツを、また戦わせるんだろ。大赦は、どれだけ須美を……勇者を苦しめたら、気が」

「そこまでにしておけよ小娘」

 刑部姫の氷のような声音が銀の右耳に響き、銀の言葉を強制的に黙らせた。

「二年前も言ったはずだ。これは私達と天の神の生き残りをかけた戦争なんだよ。勝てば人類は継続し、負ければ人類全て死に尽くす。誰にも選択肢なんてない。戦うのをやめるって事は、人類が死ぬのと同義だ。ま、今こうして生きている奴らがまとめて死んで良いって言うなら別に戦いを放棄するのも一つの手だろうがな。しかし、かつての勇者様も随分口が悪くなったものだ。もしも鷲尾須美や乃木園子、志騎が知ったら何て言うか----」

 まるでからかうように刑部姫が言った直後。

「お前が」

 刑部姫の耳にまるで奈落の底から響くような、銀の声が聞こえてきた。

「志騎の名前を」

 それは、殺意と憎悪が入り混じった、どす黒い声。

「口にするな」

 刑部姫が銀の方を見てみると、銀は刑部姫にまっすぐ包帯にまかれた両目が自分に向けられていた。きっとあの包帯の下では、憎悪が込められた双眸が自分を睨んでいる事だろう。

 だが、それだけの殺意を受けても刑部姫はどこ吹く風で、

「へぇ。もしも次口にしたらどうするんだ?」

「殺す」

 目の前の存在を、確実に絶つという負の言葉。そんな言葉を容赦なく告げる銀に、刑部姫は鼻で笑いながら、

「勇者が殺すなんて言うなよ。そこは倒すだろ? なぁ、勇者様」

 皮肉いっぱいの言葉に、銀は何も答えない。二人は互いに睨み合っていたが、やがて銀は両目を閉じるように軽く俯くと疲れた声で、

「もう良い。お前と話していると疲れる。どっか行けよ」

「言われなくても行くさ。私もお前のようなガキと話すのは反吐が出る」

「じゃあ何でいちいちアタシの所に来るんだよ」

「暇つぶしと嫌がらせ」

「地獄に落ちろ」

「生憎、本体はもう死んでるんでな」

 そう言うと刑部姫は大量の花びらと共に、病室から姿を消す。刑部姫が消えた場所を銀はしばらくじっと睨みつけていたが、やがてベッドに体重を預けると天井を見上げる。頭上の天井には形代は無く、代わりに大赦の紋章が真上から銀を見下ろしていた。

「……勇者様、か」

 こんな目に遭うために、勇者になったわけじゃないんだけどな、と銀は心の内で呟く。

 自分はただ家族を、友達を、幼馴染を護りたかっただけだ。バーテックスを全て倒せば自分達はずっと平和な日常を送る事ができる。バーテックスを全て倒して自分達が勇者じゃなくなっても、四人はずっと友達だ。そう、信じていた。

 だが結果はこれだ。

 友達の一人は両足と記憶を失い、一人は全身のほとんどと一人の大切な友達の記憶を丸ごと失い、一人は命を失った。家族にはまったく会えず、こうして一人祀られる。いや、祀られるだなんて言葉で取り繕われているが、要するに外部と接触するのを防ぐために閉じ込めているだけだろう。会いに来るのは、意地悪な事だけ言う性悪精霊だけ。狂ったりしていないのが不思議なほどである。

 正直な話、狂ってしまった方が楽なのではないかと思った事は何回もある。でも、それは出来なかった。自分を失ってしまうのが怖いというのもあるが、それ以上に自分まで友達や、幼馴染の事を忘れてしまうのが怖かったのだ。何もかも失った自分にとって、かつて友達と幼馴染と過ごした記憶は絶対に忘れたくない大切なものだったのだ。

 しかし、最近はそれも限界だった。

 友達に会う事も出来ない、大好きだった幼馴染にも会う事ができない日々の生活は、確実に少女の心を削り取っていく。狂う事も出来ず、死ぬ事も出来ない今の状況は、生き地獄としか言いようがない。

「須美……園子……。………志騎」

 大切な二人の友達、そして大好きだった少年の名前を静かに呟く。

 少女の両目を覆う包帯が、じわりと濡れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バーテックスが襲来し、新しく選ばれた勇者達がこれを撃破してから一ヶ月半後、再びバーテックスが襲来した。そしてバーテックスによる世界の崩壊を防ぐため、神樹が作り出した結界、樹海で四人の少女達がこれを迎撃しようとしていた。

 四人は讃州中学勇者部に所属する少女達であり、うち二名が二年生、一名が一年生、残り一名が部長の三年という構成になっている。四人はすでに勇者装束を身に着けた姿に変身しており、バーテックスが接近してくるのを待っている。バーテックスがいる壁の外へは、大赦の教えで向かう事ができないからだ。

 と、緊張感が漂う空気の中で待つ四人の目にゆっくりと浮遊しながらやってくるバーテックス----カプリコーン・バーテックスが映った。

「あ、来た!」

 そう言ったのは桜色の髪の毛をした少女だった。身に纏う勇者装束の色はピンク色で、両腕には防具兼彼女の武器である手甲が装着されている。

 彼女の名は結城友奈。勇者部所属の二年生で、よく言えば明るく元気で人懐っこい、悪く言うとやや能天気な性格の少女だ。一方で、四国全土の勇者になれる資格を持つ少女の中で最も高い勇者適性値の持ち主でもある。ちなみに変身しているため髪の色が変わっており、本来の髪の色は赤毛である。

「落ち着いて! ここで迎撃するわよ!」

 一同を落ち着かせるように声を発したのは、黄色の髪の毛と同色を基調にした勇者装束を纏う少女だ。名前は犬吠埼風。勇者部を立ち上げた張本人であり、勇者部部長。今は緊張のためかやや張りつめた表情を浮かべているが、実際の所は時々おちゃらけた部分はあるがいざという時は勇者部をまとめる、他の三人にとっては頼りになる姉御肌な部長である。なお、彼女も変身で髪の色が変わっており、本来は茶髪である。

 そしてバーテックスを遠くから狙う黒髪の少女が一人いる。

 少女の名は東郷美森。結城友奈の大親友であり、過去二年間の記憶を失っている少女である。戦闘では狙撃銃、二挺拳銃、拳銃を使い分けバーテックスを狙い撃つ凄腕の狙撃手だ。実は記憶を失う前に名乗っていたある名前があるのだが、その名前を知るものは勇者部の中にはいない。

「一か月ぶりだから、ちゃんとできるかな……」

 自分達に接近してくるバーテックスを見て、友奈が不安そうに言う。彼女達が最後にバーテックス達と戦ったのは、友奈が言った通り約一か月前だ。それから戦闘は一度も無かったので、彼女が不安がるのも無理は無いだろう。

「え、えっとですね……ここを、こうこう……」

 そう言ってスマートフォンで戦い方の解説をしたのは、友奈の横にいる小柄な少女だ。黄緑色の勇者装束に身を包み、その容貌には小動物のような可愛らしさと気弱さが同居している。また、彼女の容姿はどこか風と似ていた。

 それもそのはずで、彼女の名前は犬吠埼樹。部長の犬吠埼の風の妹である。勇者部唯一の中学一年生であり、姉の風を心の底から慕っている。あまり戦闘向きとは言えない性格の持ち主だが、いざ戦闘となると勇者としての武器であるワイヤーで友奈達をサポートする。

 この四人が、バーテックスから世界を守る讃州中学勇者部のメンバーだ。

 友奈が樹から戦闘方法をほうほうと頷きながら聞いていると、そばにいた風が突然両手を声を上げ、

「えーい! 『成せば大抵何とかなる!』 四の五の言わず、ピシッとやるわよ!」

「「は、はいっ!」」

 若干緊張感が薄れてしまった雰囲気に活を入れるような風の言葉に、二人は慌てて返事をした。

「勇者部ファイトー!」

「「おー!」」

 風の開戦を告げる声に、友奈と樹も元気よく応え、ついに戦いが始まる……と思われた瞬間、突如カプリコーンの頭部が爆発した。

「ええっ!? ちょっ……!」

「東郷さん!?」

「……私じゃない」

 突然攻撃を受けたカプリコーンに風と樹の二人は目を丸くし、親友の攻撃かと思った友奈が東郷に目を向けるが彼女から返ってきたのは静かな否定だった。

 じゃあ誰が、と思った一同の目に、カプリコーンに飛来する一人の少女の姿が目に入った。赤い勇者装束を纏い、髪の毛を二つ結びにした少女は自信気な笑みを浮かべ、

「チョロい!」

 カプリコーン目掛けて二本の刀を投擲し、カプリコーンの体に刺さった二本の刀は轟音と共に爆発する。さらに樹海に一度着地して体勢を立て直し、再度跳躍すると右手に刀を一本生成し投擲する。

「封印開始!」

 刀が地面に刺さると花びらが舞い散り、カプリコーンの体を花びらと不思議な光が包む。

 バーテックスを倒すためには、二段階の手順が必要となる。

 まず『封印』。これを行う事でバーテックスの動きを止め、バーテックスの心臓である『御霊』を引きずり出す。そして最後に御霊を破壊する事で、バーテックスを倒す事が可能となる。

 とは言っても容易な事ではない。封印するためにはバーテックスにある程度ダメージを与えて動きを止め、その上で封印を行う必要がある。さらに封印の際にも神樹の力を使うため長い間の封印は出来ず、封印が長引けば長引くほど樹海にダメージが入り、結果現実世界に被害が出始め、最悪の場合封印のための力が尽きればバーテックスを封印する事が出来なくなり、世界は終わる。しかも御霊もただやられるだけでなく、様々な手を使って勇者達を妨害するために、ある程度時間がかかってしまう。

 なので御霊を破壊する際には、どれだけ早く御霊を封印し、破壊するかが鍵となる。

「私の力、思い知れ!」

 地面に降り立った少女が勝気な笑顔で言うと、少女の意図を知った風が声を上げた。

「あの子、一人でやる気!?」

 通常、御霊を封印・破壊する際は複数人で行う。バーテックスが複数体いるなら話は変わってくるだろうが、今回のように一体ならば、あまり時間をかけずに複数人で畳み込んだ方が効率的である。少女はそれを、たった一人で行うようだ。

 封印が進み、カプリコーンの頭部が開き中から逆三角錐状の物体が出てくる。バーテックスの魂と呼ぶべき存在、御霊だ。これを破壊すれば、バーテックスを倒せる。

 と、最後の抵抗なのか御霊から紫色のガスが勢いよく噴出される。ガスは瞬く間に広範囲に広がり、勇者達の視界を遮る。

「な、何これ!?」

「見えないー!」

 友奈達がガスで視界を遮られる一方で、少女だけは動揺すること無くその場にまっすぐ立っていた。

「そんな目くらまし、気配で見えてんのよ!」

 気合と共に跳躍、ガスを噴き出していた御霊を一刀両断する。

「殲、滅」

『諸行無常』

 少女のすぐ横にいた、鎧武者姿の精霊が老人のような声で言う。

 切り裂かれた御霊が七色の光を上げながら消滅し、カプリコーンの巨大な体が膨大な砂へと還っていく。単独でバーテックスを倒した少女ははぁと息をつくと、自分の前にいる三人の少女達に視線を向けた。

「えーと……誰?」

 友奈がややためらいがちに言うと、それに答えず少女はツンとした態度でこう返した。

「揃いも揃ってボーっとした顔してんのね。こんな連中が神樹様に選ばれた勇者ですって? はっ」

 そう言って少女は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 少女の言葉に一瞬気まずい雰囲気が流れ、そこに遠距離から戦況を観察していた東郷が合流する。どうにかその雰囲気を払拭しようと、再び友奈が口を開いた。

「あのー……」

「何よチンチクリン」

「チン!?」

 自分への呼び名に友奈が驚くと、それを無視して少女が自信満々に自己紹介を始めた。

「私は三好夏凜! 大赦から派遣された、正真正銘、正式な勇者! つまりあなた達は用済み。ほい、お疲れさぶはぁ!?」

 と、やや偉そうな態度をとっていた少女が奇妙な声を上げると共に、彼女の体が思いっきり前につんのめりそうになった。たたらを踏みながら少女----夏凛が後頭部を抑えると、彼女の背後から別の声が聞こえた。

「話が長い。無駄に偉そう。話し方がイラつく。話は短く端的に済ませろゴミクズ」

 そう言ったのは、いつからいたのかぬいぐるみほどの体躯をした少女だった。黒と赤を基調にした大赦の神官服を着て、黒髪を背中まで伸ばしている上に、背中からは悪魔の翼のようなものがパタパタと羽ばたいている。どうやら先ほどの夏凜の奇行は、彼女が夏凜の後頭部を思いっきり蹴り飛ばしたかららしい。突然の登場に友奈達が唖然としていると、ダメージから回復した夏凜が涙目で、

「いきなり何すんのよ!」

「うるっせぇな。言っただろうが。話が長いし話し方イラつくんだよ。てか、最初からこいつらに喧嘩売ってどうするんだ。まともに会話する事も出来ないのかお前は」

「会話うんぬんであんたに言われたくないんだけど!?」

 これについては、友奈達も夏凜に同意見だった。開口一発目から凄まじい毒舌が飛び出す少女に、会話うんぬんを問われたくはないだろう。

「あ、あのー。あなたは?」

「うるせぇ桜饅頭」

「桜饅頭!?」

 少女の暴言に友奈が素っ頓狂な声を上げた。さすがに友奈も、初対面の人間から桜饅頭扱いされる経験は今まで無かっただろう。

「ど、どうして友奈さんが桜饅頭なんですか?」

 樹が恐る恐ると言った感じで尋ねると、少女は友奈の頭を指差し、

「桜色の髪。で、お前の頭には脳みそも何も詰まって無さそうだからな。精々餡子が良い所だろう。だから、桜饅頭だ。いやだって言うなら紅白饅頭の方が良いか?」

「ちょっとあんた! 誰だか知らないけど、初対面の人間にそんな言い方……!」

「お前もうるさい。鳥並みの脳みそしかないんだから、女子力女子力言いながら枝にでも止まってろよ」

「あたしゃ九官鳥かー!」

「お、お姉ちゃん落ち着いて!」

 暴言に暴れる風に、樹がどうにか落ち着かせようと抱き着く。先ほどの張りつめた空気から一転、あっという間にカオスとなってしまった空間に、友奈と東郷はおろおろするしかなかった。

「………?」

 と、そこで東郷は少女の視線が何故か自分に向いている事に気づいた。彼女はまるで何かを探るように、東郷をじっと見つめている。しかし東郷が視線に気が付くと、すぐにふいっと視線を逸らしてしまった。

「あーもう! 落ち着きなさいあんた達! てか刑部姫! あんたも話をややこしくするんじゃないわよー!」

「うるせぇ出がらし」

「もう一回言ったらぶっ飛ばすわよあんた!!」

「うるさいのはあんた達よ!! ってか、本当にあんた達何なのよ! いきなり現れて友奈をチンチクリン呼ばわりするわ、あたしを九官鳥呼ばわりするわ!」

「九官鳥呼ばわりはしてない。九官鳥と同じぐらいの知能だとは思ってるけど」

「そ・う・い・う、問題じゃなーい!!」

 ぜぇぜぇとツッコみしすぎて風が荒く息をついていると、何故か夏凜が額を抑えて、

「あんた達、言っておくけどこいつの言う事には耳を貸さない方が良いわよ。こっちが参るから……」

「そうね。そうするわ……」

 どうやら少女に参っているのは夏凜も同じらしい。勇者部一同は、ついさっきまで自分達に生意気な態度を取っていた彼女に初めて同情の念を覚えた。

「でも、本当にあなた達は何者なんですか? 先ほど夏凜ちゃんは大赦の正式な勇者だって仰っていましたけど……」

 するとようやく少女は真面目に答える気になったのか、ふよふよと浮かんで東郷の問いに答える。

「ああ、そうだ。こいつは三好夏凛。大赦が選別した勇者。で、私は……」

 こほん、と軽く咳ばらいをすると、四人の少女達を見据えてにやりとあくどい笑みを浮かべた。

「----初めまして。神樹の加護の元に暮らす有象無象共。大赦所属の精霊にして、てぇんさい美少女精霊、刑部姫だ。敬意を込めて、気軽に刑部姫様と崇め奉って良いぞアホ共」

 そんな、夏凜以上の自信がこもった自己紹介に、友奈達四人はぽかんと口を開けて、夏凜は後ろで痛む頭を抑えるように額に手を当てるのだった。

 

 

 




おかしいなぁ……。夏凜と刑部姫の勇者部のファーストコンタクトはもうちょっと大人しいものになるはずだったのに、どうしてこんな風になったんだろう……(汗)。


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第三十話 讃州中学勇者部

 

 

 大赦から派遣された正式な勇者、三好夏凜という少女と言葉を流暢に話す精霊、刑部姫が友奈達勇者部の前に現れた日の翌日。友奈と東郷のクラスに転入生が現れた。

 教室の黒板の前に立つ転入生を見て、思わず友奈と東郷は目を丸くした。何故ならその転入生が、昨日自分達の前に現れた少女だったのだ。

「----はい、良いですか? 今日から皆さんとクラスメイトになる、三好夏凜さんです」

 友奈達のクラスの女性教諭が黒板に『三好夏凜』と少女の名前を書き紹介するが、当の本人は笑いもせずただ目を瞑ってツンとした態度で立っている。

「三好さんはご両親の都合でこちらに引っ越してきたのよね」

「はい」

「編入試験もほぼ満点だったんですよ」

「……いえ」

 教師からの情報に生徒達から感嘆の声が上がるが、それを前にしても夏凜の態度は変わらない。まるでそんなのは当然だと言わんばかりだが……、何故か編入試験の事を答える際、一瞬返事に空きがあった。その時眉をピクリと上げていたが、それに気づいたのはクラスの中では彼女の顔をじっと見ている友奈ぐらいだった。

「さ、三好さんから皆さんに挨拶を……三好さん?」

 と、怪訝な教師の声が夏凜にかけられる。さらに生徒達の間からも、同じような声がひそかに漏れ始める。それも当然で、何故か夏凜の体がふるふると震え始め、きつく両目が閉じられた顔からギリギリ……と奥歯を噛み締める音が聞こえてきたのだ。まるで、怒りを抑えるように。

 そして教師が再度声をかけようとしたその時、がばっ! と夏凜が両腕を上げて叫んだ。

「----あーもううるっさい!! いちいち茶々入れるんじゃないわよー!!」

 突然の奇行に友奈と東郷はおろか、クラスの生徒達と教師全員が一斉に目を丸くして夏凜を凝視する。    

 すると夏凜も自分の行動に気づいたのか、はっと我を取り戻すと、

「す、すいません! 今のは、えと、その……。……三好夏凜です、よろしく……」

 場の空気に耐えられなくなったのか、夏凜の声が尻すぼみになっていき、最後の方はもう耳を澄ませないと聞こえないぐらいになってしまった。

 こうして三好夏凜の転入初日は、非常にインパクトのあるものになってしまったのだった。……良い意味でも、悪い意味でも。

 

 

 

 

 

「おさかべー!!」

 ビリビリ、と夏凜の大声が勇者部部室となっている家庭科準備室に響く。あまりの声の大きさに友奈、東郷、風の三人は耳を抑え、樹は思わずひう、と怯えた声を出した。

「何だよ、うるっせぇな」

 と、ポテチをバリボリと平らげながら顔をしかめているのは、先日夏凜の後頭部を蹴り飛ばした大赦所属を名乗る精霊、刑部姫だった。なお、精霊は喋らないけれど、自分達を護ってくれる強力な味方であると共に、可愛らしいマスコットキャラのようなものという友奈達のイメージは、彼女の登場によって見事にガラガラと崩れてしまっていた。まぁ、空中で浮遊しながらポテチの袋に片手を突っ込み、咀嚼しながら荒っぽい話し方をする彼女を見ればそうなるだろう。

「何だよじゃないわよ! あんたのせいであたしを見る目がとんでもない事になってるんだけど! 先生なんて、『その、さっきはごめんなさいね……。茶々入れて……』ってすごく怯えた顔であたしに言ってきたんだけど!!」

「ま、傍から見れば完璧に教師にたてついた問題児だもんな。あの反応も当然だろうよ」

「だからあんたのせいでしょうが! 何他人事みたいな事言ってんのよ!!」

「いやだって他人事だし。奇行にはしったのはお前だし。そもそもお前友達いないし、何の問題があるんだよ」

「友達うんぬんは関係ないでしょうが!! 大体さっきのだって、あんたがいちいち頭の中で私に野次を入れてたのが原因でしょ!!」

「他人のせいにするなよ、見苦しい。これだから今の若いものは……」

「全部あんたのせいでしょうがー!!」

 ぜぇ、ぜぇと昨日の風のように荒く夏凜が荒く息をつき、それを見た刑部姫が陰でケタケタと笑う。それを見て勇者部の面々は確信した。ああ、わざとやったなと。

「あの、お茶どうぞ……」

「……ありがと」

 同情の念がこもった目で缶のお茶を東郷が差し出すと、夏凜は礼を言って缶を受け取りごきゅごきゅとお茶を一気に飲み干した。彼女達四人は夏凜にいきなりここに呼び出されたわけだが、さすがに現在進行形で精霊に振り回されている夏凜に色々質問をするほど、彼女達も鬼ではない。

 少しして、夏凜がようやく落ち着いたのを確認すると風が口を開いた。

「え、えっとー。あんたが今日、友奈達のクラスに転入してきたのは、あたし達と一緒に戦うためだって思って良いのよね?」

 すると夏凜の方も余裕を取り戻したのか、腕を組むとやや勝気な笑みを浮かべて、

「ええ、そうよ。ま、転入生のふりなんて面倒くさいけど、私が来たからにはもう安心ね。完全勝利よ!」

「その馬鹿みたいな自信はどこからやってくるんだか……」

「そこうっさい!」

 椅子に横たわりながら、ポテチをほおばる刑部姫に夏凜がビシッと指をさして黙らせる。そこに、東郷が自分の疑問を挟みこむ。

「何故今このタイミングで……? どうして最初から来てくれなかったんですか?」

「私だって最初から出撃したかったわよ。でも大赦は、二重三重に万全を期しているの。最強の勇者を完成させるためにね」

「最強の勇者……?」

「最強の勇者(笑)」

「いちいち野次を飛ばさないと死ぬ病気にでもかかってんのあんた!?」

 椅子の上でケタケタと腹を抱えて笑う刑部姫に怒鳴ってから、夏凜はどうにか気を取り直し、

「あなた達先遣隊の戦闘データを得て、完璧に調整された完成型勇者。それが私。私の勇者システムは、対バーテックス用に最新の改良が施されているわ。その上、あなた達トーシロとは違って、戦闘のための訓練を長年受けてきている!」

 そう言いながら立てかけられていた箒を持つと、くるくると両手で鮮やかに回し、最後にピシッ! と決めた。なのだが、箒の長い柄が後ろの黒板に当たってしまい、どうにも締まらない結果になってしまった。

「黒板に当たってますよ……」

「躾がいのありそうな子ねー」

「何ですってぇ!?」

「わわ、喧嘩しないでぇ」

 風がやんちゃをする子猫を見たように言うと、彼女の言葉に夏凜が噛みつき、樹が慌てて止める。夏凜もさすがに喧嘩をする気はないようで、ふんと鼻を鳴らして、

「もう良いわ。とにかく大船に乗ったつもりでいなさい」

「泥船の間違いだろうバーカ」

 再度刑部姫が茶々を入れると、夏凜が黙れと言うように睨みつける。しかしそれに怯むような精霊では無く、「おお怖い怖い」と明らかに本心でない言葉を吐きながら椅子の上をくるくると回る。

「ねぇ、それでさっきから気になってんだけど……。これも、あんたの精霊なの?」

「あれ、今日は女子力女子力言わないんだな九官鳥」

「また言いおったな貴様ー!」

「どうどう」

 暴れる馬をなだめるように刑部姫が両手の掌を風に向け、暴れる風を樹が昨日と同じように抱き着いて止める。これと言ったのは、夏凜のそばに鎧武者姿の精霊が静かに浮かんでいたからだ。

 三人の様子を額を抑えて見ながら、夏凜が説明する。

「そうよ。そいつは刑部姫。昨日そいつが言った通り、大赦所属の精霊で、他の精霊とは違って会話もできる。……性格は見ての通り、最悪だけど」

「私の役目はお前達のサポート。大赦に命令されて、嫌々三好夏凜につく事になってサポートする事になった。ま、ある程度のサポートはしてやるよ」

「嫌々って……」

 椅子に座り込みながら堂々とのたまう刑部姫に、風が思わず顔を引きつらせる。さすがにこうも真正面から宣言されては、怒りよりもむしろ感心してしまう。

「でも、喋れるってすごいですね。木霊と同じ精霊なのに……」

「おい犬吠埼妹。私をこんな奴らと同類にするな。次言ったら食い殺すぞ」

 割と本気で嫌そうに言ってから、刑部姫はがぁっと思いっきり開ける。それに驚き、樹は風の後ろにそそくさと隠れてしまった。

「ま、確かに刑部姫は不安だけど、基本的には私と刑部姫でフォローしていく形になるわ。安心しなさい」

「そっか。よろしくね、夏凜ちゃん!」

「い、いきなり下の名前?」

 笑顔で名前を呼ぶ友奈に夏凜が言うと、友奈は少し不安そうな表情を浮かべ、

「嫌だった?」

「ふん。どうでも良い。名前なんて好きに呼べばいいわ!」

 そっぽを向いた夏凜に、友奈は打って変わって花のような笑顔になり、歓迎の言葉を告げた。

「ようこそ、勇者部へ!」

 と、それを聞いて夏凜はぽかんとした表情を友奈に向けて、

「は? 誰が?」

「夏凜ちゃん」

「部員になるなんて話、一言もしてないわよ!」

「え、違うの?」

 クエスチョンマークを頭の上に浮かべる友奈に、夏凜はぐっと顔を近づけ、

「違うわ。私はあなた達を監視するためにここに来ただけよ」

「え、もう来ないの?」

「また来るわよ……。お役目だからね」

「じゃあ部員になっちゃった方が話が早いよね!」

「確かに」

 すると椅子の上で話を聞いていた刑部姫が、友奈と東郷の案に賛成するように、

「良いじゃないか三好夏凜。桜饅頭と東郷美森の言う通り、勇者部に入った方が効率が良いだろう。そもそもお前は人とのコミュニケーションが死んでるんだから、少しは人と話せよ」

「さすがにそこまでは酷くないわよ!」

 と刑部姫の暴言に反論してから、夏凜はため息をつき、

「でもそうね……。確かにそれも一理あるし、そういう事にしておきましょうか。刑部姫の言う通り、その方があなた達を監視しやすいでしょうしね!」

「監視監視ってあんたね。見張ってないとあたし達がサボるみたいな言い方やめてくれない?」

 夏凜の若干失礼な物言いに風が不満げに言うが、夏凜は意に介さず唇の端を上げながら、

「偶然適当に選ばれたトーシロが、大きな顔するんじゃないわよ!」

「むっ!」

 謝るどころかなおも繰り返された上から目線に、風の表情が険しくなる。はらはらとした顔で見守る樹をよそに、夏凜はさらに追い打ちをかけるように、

「大赦のお役目はね。おままごとじゃないのよいやぁああああああああああっ!!」

 言葉の途中で叫んだ夏凜の視線の先には、牛の姿をした精霊に頭の部分をもっしゃもっしゃと食われている自分の精霊の姿があった。急いで二体の精霊に近づき、どうにか離そうと自分の鎧武者の精霊をぶんぶんと振り回す。なお、刑部姫は同じ精霊がそのような目に遭ってもなんとも思わないらしく、腹を抱えて無言で爆笑していた。

「なななななななななな、何してんのよこの腐れ畜生ー!」

『外道め!』

 と夏凜に助けられた鎧武者の精霊が言葉を発する。どうやら彼も刑部姫同様言葉を話せるようだが、刑部姫とは違って流暢に話す事は出来ないらしい。

「外道じゃないよ牛鬼だよー。ちょっと食いしん坊君なんだよね」

 と、友奈は自らの精霊である牛鬼にビーフジャーキーを食べさせる。その様子を見て、刑部姫は「え、共食い……?」とちょっと驚いていた。

「じ、自分の精霊の躾も出来ないようじゃ、やっぱりトーシロね!」

「牛鬼にかじられてしまうから、みんな精霊を出しておけないの」

「じゃあ、そいつを引っ込めなさいよ!」

「この子勝手に出てきちゃうんだー」

「はぁ!? あんたのシステム、壊れてるんじゃ……」

「----おい結城友奈」

 と、友奈の夏凜の会話に突然刑部姫が割り込んだ。え? と友奈が刑部姫を見ると、彼女はついさっきのあくどい笑みとはまったく違う真剣そのものの表情を浮かべて、友奈の顔を見ていた。

「今の話は本当か?」

「え、牛鬼が勝手に出てきちゃうって事? うん、本当だよ?」

「………」

 刑部姫は牛鬼をじっと見てから、何かを考え込むように顎に手をやった。夏凜が「刑部姫……?」と声をかけても、まったくの無反応だ。その目はまるで、目の前の問題に取り組む科学者のように見えた。彼女はしばらく考え込んでいたようだが、「……ま、今は良いか」と呟くと手にしていたポテチの袋を丸め始めた。一旦引き締まった空気が再び緩むと、影響を真っ先に受けた友奈が夏凜の精霊に目を向けた。

「そういえばこの子、喋れるんだね!」

「私の能力にふさわしい、強力な精霊よ!」

「私と違って、ある程度の単語しか喋れないがな」

「あんたのように毒舌を言うよりは全然マシよこの性悪精霊!!」

「あ、手が滑った(棒読み)」

「痛ったぁ!?」

 中に何か詰められていたのか、丸められたポテチの袋が高速で夏凜の額にぶち当たり、その痛さに夏凜が額を抑えて叫ぶ。友奈が床に落ちた袋を拾って、中に詰められていた物を取り出してみると、中に入っていたのは、

「野球の軟球……」

「硬球じゃなかっただけ感謝しろ」

「んなもんどこに入れてたのよあんたはぁ!」

 と夏凜が突っ込むが、刑部姫はなんと硬球ですらなく掌ほどの大きさの石でぽんぽんとお手玉していた。下手をしていたら、あれがポテチの袋に入っていたのかもしれないと夏凜はようやく気付き、顔を引きつらせると共に背筋に寒気が走る。

「あ、どうしよう夏凜さん……」

「今度は何よ!?」

 夏凜が樹の方を向くと、彼女はテーブルでタロット占いをしていたようだった。樹はテーブルの上のカードの絵を神妙な顔で見つめながら、

「夏凜さん、死神のカード……」

「勝手に占って不吉なレッテル貼らないでくれる!?」

 しかし勇者部の面々はテーブルの上の死神のカードとお手玉をする刑部姫を交互に見ると、

「不吉だ……」

「不吉ですね……」

「ドンマイ、三好夏凜」

「せめて申し訳なさそうな顔して言いなさいよあんたー!」

 言葉とは裏腹に、親指を立ててすごく嬉しそうな顔をする刑部姫に夏凜のツッコミが飛ぶ。とは言ってももちろん彼女の言葉が届くはずも無く、刑部姫はひゅーひゅーと無駄に上手い口笛を吹いている。

「ともかく! これからのバーテックス討伐は、あたしのもと励むのよ!」

 すると友奈は口元に指を当てて、

「部長がいるのに?」

「部長より偉いのよ!」

「ややこしいなぁ……」

「ややこしくないわよ!」

 と、二人が話しているのを見ていた風が夏凜を落ち着かせるように穏やかな口調で諭す。

「事情は分かったけど、学校にいる限りは上級生の言葉を聞くものよ。事情を隠すのも任務の中にあるでしょ」

 風の言葉に納得したのか、夏凜はどうにか笑みを浮かべながら言う。

「……ふん。まぁ良いわ。残りのバーテックスを殲滅したら、お役目は終わりなんだし、それまでの我慢ね」

「うん! 一緒に頑張ろうね!」

 友奈が元気よく言うと、夏凜は慌てて友奈の顔から目を逸らした。

「ふん! 頑張るのは当然! 私の足を引っ張るんじゃないわよ!」

 言葉は強いものの、傍から見ると照れ隠しなのは明らかであり、そんな彼女に友奈以外の勇者部は思わず頬を緩ませた。

「ねぇ! 一緒にうどん屋さん行かない?」

「行かない。……必要ないわよ。行くわよ、刑部姫」

「もう帰るの?」

 しかし友奈の言葉に何も返さず、夏凜は無言のまま家庭科準備室を出ようとする。

 が、

「その前に、私からも良いか?」

 突然刑部姫が口を開き、夏凜を含めた勇者部を見回す。それに勇者部だけでなく、部屋を出ようとしていた夏凜も立ち止まり刑部姫に視線を向ける。

「私は別にお前達が何をしようと興味はない。私がお前達に臨むのは、バーテックスを殺す事だけだ。だからそれに支障を来さない限り、お前達が世のため人のために馬車馬の如く働こうとも、馬鹿騒ぎしようと一向に構わん。好きにしろ。……だがもしも、人助けにかまけてバーテックスを倒せません、なんて事になったら」

 そう言って、刑部姫は神官服の裾に手をやる。

 直後、刑部姫の手が高速で動き、彼女の手から何かがまるで弾丸のような速度で放たれ、テーブルの上の死神のカードに直撃する。

 直撃したのは、シンプルな形状のペーパーナイフだった。ペーパーナイフの刃はカードとテーブルに見事突き刺さっており、ビィィイイイン……とかすかに振動している。小さいとはいえれっきとした凶器に、そばにいた風が目を見開き、樹がひっと声を上げる。

「その時は、私がお前達を粛清する。小さい脳みそによく叩き込んでおけ」

「……あんた!!」

 風が刑部姫を睨みつけるが、刑部姫はにやりと笑ってパチンと指を鳴らす。音と同時に大量の花びらが彼女の小さな体の周囲に舞い、彼女は部室の中から姿を消した。

 最初から最後までその場の雰囲気を掻きまわしていった彼女に、勇者部一同はただただ呆然とするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 いきつけのうどん屋、『かめや』で勇者部一同はうどんをすすっていた。天ぷらうどんの麵をすすりながら、友奈がぽつりと呟く。

「夏凜ちゃん、来ませんでしたね。美味しいのに……」

 結局あの後、夏凜は「……じゃあ、また明日」と言って部室を出て行ってしまった。友奈に同調するように、東郷も言う。

「頑なな感じの人ですね」

 すると、友奈と東郷の言葉を聞いて風が突然笑い出した。

「ふふふ……」

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「ああいうお堅いタイプは張り合いがいがあるわね」

「張り合うの……?」

「うーん………」

 自分の隣で突然奇妙な唸り声を上げた友奈に東郷が視線を向けると、彼女は少し困ったような表情を浮かべて、

「どうやったら仲良くなれるのかな……」

 友奈はそう言うが、恐らくその問いに答えられる人間はこの場にはいないだろう。交友関係というのは、基本的に相手と色々な経験と信用を積み上げて成り立っていくものだ。しかし今日の夏凜の態度からすると、それを積み上げていくのはやや難しいかもしれない。例え彼女と顔を合わせるのが、今日で二回目だったとしてもだ。

「夏凜の事も気になるけどさぁ、あいつどう思う?」

 風が箸を肉をつんつんとつつきながら言うと、いち早くあいつというのが誰か気付いた東郷が尋ねる。

「あいつとは……刑部姫さんの事ですか?」

「そうよ。あの毒舌性悪精霊。大赦から来た精霊だって言ってたけど、正直あたしは夏凜より刑部姫の方が胡散臭いわよ。友奈を桜饅頭呼ばわりするし、あたしを九官鳥呼ばわりするし……」

「夏凜さんともあまり仲が良くなさそうだったもんね……。私のタロットカード……」

「よしよし。また新しいの買ってあげるから」

 自分のタロットカードの無残な姿を思い出してしょぼんとする樹の頭を、風が優しく撫でてやる。

 便宜上夏凜に従っている事になってはいるが、友奈達から見ても夏凜と刑部姫の仲は悪そうに見えた。刑部姫が夏凜をいじり倒し、夏凜がそれに振り回される。いじる、と聞くと風がたまに友奈や樹相手にもやっているが、彼女達のように親愛がこもったものでは決してない。

「風先輩は確か大赦から派遣されているんですよね? 刑部姫に会った事は無かったんですか?」

 うどんをすすりながら友奈が聞くと、風は目を閉じてうーんと思い出そうとするも、

「無かったと思うわ。そもそも大赦から派遣されてきたって言っても、夏凜と違って大赦本部に行った事はあまりないし、どちらかというとスマホに命令が来るって感じだったから……。ごめんね」

「謝る事なんてないですよ」 

 風の謝罪に、友奈はあっけらかんと笑う。しかし直後、横で座っている親友が箸を手にしたままぼんやりとしているのを見て、思わず声をかける。

「東郷さん、どうしたの?」

「大した事じゃないのだけれど……。何か、刑部姫を見ていると……、胸の奥がむかむかしてくると言うか……。この精霊だけは、絶対に打倒しなければならないというか、そんな感情が沸いてくるのだけれど……」

「打倒って、あんた達前世で何か因縁でもあるの?」

「ない、と思うなんですけど……」

 うーん、と悩みながら、やはり東郷には思い当たる節は無かった。

 ……なお、本当は刑部姫は外国文化好きという、日本大好き少女である東郷とはまさに水と油の関係である。しかし今の東郷にその記憶はないはずなのだが、もしかしたら彼女の魂と呼ぶべきものが反応したのかもしれない。だとしたら、東郷の日本文化を愛する心も筋金入りである。

 しかし結局東郷がそれを思い出す事は当然なく、その日の勇者部のかめやでの食事は風がうどんを二杯おかわりしてお開きとなった。

 

 

 

 

 

 翌日。

「仕方ないから情報交換と共有よ!」

 昨日も訪問した勇者部部室で、夏凜はそう言いながらにほしをかじった。

「分かってる? あんた達があんまりにも呑気だから今日も来てあげたのよ」

 しかし呼び出された風にとっては彼女の言葉よりも、彼女が食べている物の方が気になるらしく、思わず首を傾げながら呟く。

「………にぼし?」

「何よ! ビタミン、ミネラル、カルシウム、タウリン、EPA、DHA! にぼしは完全食よ!」

「……まぁ、良いけど」

「あげないわよ!」

「いらないわよ……」

 するとそこに、ぼたもちが入ったタッパーを手にした東郷が割り込んできた。

「じゃあ、私のぼたもちと交換しましょう」

「何よそれ?」

「さっき家庭科の授業で」

「東郷さんはお菓子作りの天才なんだよー!」

「いかがですか?」

「い、いらないわよ!」

 夏凜が慌てて否定すると、さらに場を掻きまわすように花びらと共に何かをバリボリと食べている刑部姫が現れた。

「ったく、にぼしだのぼたもちだの。今日も変わらず脳みそがお花畑で何よりだ」

「そういうあんたも今日も口が悪いわね。少しは喋り方見直した方が良いんじゃないの?」

「うるせぇにぼし。大体何普通に喋ってんだよ。いつも私の前だと語尾に『ぼっしー』ってつけてるだろうが」

「一度もつけた事は無いわよ!」

「え、そうなの!?」

「あんたも騙されてるんじゃないわよ!」

 刑部姫のデタラメに友奈が危うく騙されかけ、夏凜が全力でツッコミを入れる。と、手にした小さな金属製のケースから何かを口に運ぶ刑部姫を見て、風が尋ねた。

「てか、あんたも何食べてんの? にぼし?」

「イナゴの佃煮」

 言いながら刑部姫が差し出したケースの中には、彼女が言った通りイナゴの佃煮がみっちりと詰まっていた。勇者と言えど中身は少女の勇者部五人は、ケースに詰まっているイナゴの成れの果てを見て全員顔を青くする。一方刑部姫は佃煮を一つつまむと、口の中に放り込んでバリボリと咀嚼し、

「カルシウム、ビタミン、ミネラル、葉酸。イナゴはにぼしに負けない栄養食だ。一つ食う?」

 が、五人は差し出されたイナゴを見て全員首を横にぶんぶんと振る。刑部姫は特に残念がる様子も見せず、手にしたそれを再び口に放り込んだ。

「い、イナゴ好きなんですか?」

「いや? 別に」

「じゃあ、どうして食べてんのよ」

 風が尋ねると、刑部姫はイナゴの足をわざと見せつけるように口からはみ出させながら、にやりと笑った。

「----お前達が嫌がると思ってな。あと味も中々美味い」

 いけしゃあしゃあと言う刑部姫に、勇者部全員は思わず戦慄するのだった。

 それから気を取り直し、夏凜は改めて勇者部に現状を説明する事にした。準備室にある小さな黒板には、バーテックスの襲来周期が夏凜の手によって書かれている。

「良い? バーテックスの出現は、周期的なものと考えられていたけど、相当に乱れてる。これは異常事態よ! 帳尻を合わせるため、今後相当な混戦が予想されるわ」

「確かに、一か月前も複数体出現したりしましたしね……」

 夏凜の言葉に、東郷がぼたもちを口にして頷く。ちなみに、他の三人と彼女と同じようにぼたもちを食べている。刑部姫が風のぼたもちを狙ってそーっと手を伸ばすが、それに気づいていた風にぺちんと手を叩かれチッと舌打ちする。

「私ならどんな事態でも対処できるけど、あなた達は気をつけなさい。命を落とすわよ!」

「よく言うよ、半人前が」

 ケタケタと笑いながら刑部姫が野次を飛ばし、夏凜は青筋をぴきっと立てながらもどうにかこらえて話を先に進める。

「他に、戦闘経験値を貯める事で勇者はレベルが上がり、より強くなる。それを、『満開』と呼ぶわ」

「そうだったんだ!」

「アプリの説明にも書いてあるよ」

「そうなんだ!」

「説明ぐらい読んでおけよ間抜け……」

 東郷の説明に声を上げる友奈に、刑部姫が呆れたような声を漏らす。ここまで呑気だと、怒りよりも先に呆れが来てしまうという事だろう。

「満開を繰り返す事で、より強力になる。これが大赦の勇者システム」

「へぇーすごい!」

「三好さんは、満開経験済みなんですか?」

 東郷が尋ねると、夏凜はバツが悪そうに眼を逸らしながら、

「いや……まだ……」

「なーんだ。あんたもレベル1なら、私達と変わりないじゃない」

「き、基礎戦闘力は桁違いに違うわよ! 一緒にしないでもらえる!?」

「基礎はそうだろうが、実戦はまだ一回だけだろう。何偉そうに言ってんだガキが」

 刑部姫の指摘に、夏凜はぐぅの音も出ないようだった。大赦で訓練していたので、この間まで一般人だった友奈達とは確かに基礎戦闘能力は上だろうが、訓練とは違って何が起こるか分からないのが実戦というものだ。まだ実戦に対しての経験があまりないという点では、夏凜も友奈達とそう変わらないと言えるだろう。

「ま、そこはあたし達も努力次第って所ね」

「じゃあじゃあ! これからは体を鍛えるために、朝練しましょうか! 運動部みたいに!」

「あ! 良いですね!」

「樹……。あんたは絶対に起きられないでしょ」

 姉の言葉に樹は思わず項垂れ、友奈は笑うが笑顔の東郷に「友奈ちゃんも起きられないでしょ?」とやんわりと言われて苦笑を浮かべた。

「……なんでこんな連中が神樹様の勇者に……」

「同感だ」

 勇者部のあまりののほほんぶりに夏凜がため息をつくと、腕を組みながら刑部姫が頷く。もしかしたら、今のこの時が初めて二人の意見が一致した瞬間かもしれない。

「『成せば大抵何とかなる!』」

「……? 何それ?」

 突然、二人の言葉を聞いていた友奈がそんな事を言った。それに夏凜が怪訝な目を向けて尋ねる。

「勇者部五箇条! 大丈夫だよ! みんなで力を合わせれば、大抵何とかなるよ!」

 友奈が指さした所には、壁に貼られた勇者部五箇条があった。五箇条には今友奈が言った『なせば大抵なんとかなる』の他に、『なるべく諦めない』や『よく寝て、よく食べる』などの言葉が書かれていた。

「『なるべく』とか『なんとか』とか、あんた達らしい見通しの甘いふわっとしたスローガンね。まったくもう、私の中で諦めがついたわ」

 言葉通り、夏凜の表情には諦めの色が滲み出ている。風は指を振りながら、

「あたしらは、そのー、あれだ。現場主義なのよ!」

「それ、今考え付いたでしょ」

「はいはい、考え過ぎるとハゲるハゲる」

「ハゲるわけないでしょ!?」

「うるせぇぞデコはげ。残り少ない髪の毛も全部刈るぞ、バリカンで」

「誰がデコはげよ! ……ってあんた、マジじゃないわよね? 冗談よね!?」

 夏凜が青ざめたのは、刑部姫の手にヴィイイイン……と唸りを上げるバリカンがいつの間にか握られていたからだ。本当に、どこにしまい込んでいるのか、どうして持っているのかまるで分からないし、下手をするといつの間にか自分の頭が丸坊主にされそうで夏凜及び勇者部一同は恐怖を覚えた。

「こ、この話はここまでにして次の議題に行くわね。樹」

「はい!」

 そして五人に配られたのは、A4サイズの紙だった。題名の部分には、『子ども会のお手伝いのしおり』と書かれている。

「というわけで、今週末は子ども会のレクリエーションのお手伝いをします!」

「具体的には?」

「えーと、折り紙の折り方を教えてあげたり、一緒に絵を描いたり、やる事はたくさんあります!」

「わぁー! 楽しそう!」

 今から自分達のやる事に友奈が顔を輝かせた。

「夏凜にはそうねぇ……。暴れ足りないドッヂボールの的になってもらおうかしら」

「はぁっ!? っていうか、ちょっと待って! 私もなの!?」

 抗議の声を上げる夏凜の目の前に、風がずいっと何かを差し出す。

 それは部活動に入部届だった。名前の所には、堂々と夏凜の名前が書かれている。

「昨日、入部したでしょ?」

「け、形式上……」

「ここにいる以上、部の方針に従ってもらいますからねー」

「そ、それも形式上でしょ!? それに私のスケジュールを勝手に決めないで!」

「夏凜ちゃん日曜日用事あるの?」

「いや、ないぞ。こいつは365日24時間ぼっちだ」

「だからデタラメを吹き込むなー! ってか、人のスケジュール勝手にバラさないでくれる!?」

 刑部姫に夏凜がツッコむが、日曜日に用事が入っていないという事実に変わりはない。それを聞き逃さなかった友奈が夏凜に言った。

「じゃあ、親睦会を兼ねてやった方が良いよ! 楽しいよー!」

「な、なんで私が子供の相手なんかを!」

「いや?」

 と友奈が悲しそうな顔で聞くと、夏凜はちょっと迷ったように顔を左右に向けると、根負けしたのか仕方なさそうな口調で答える。

「わ、分かったわよ。日曜日ね。ちょうどその日だけ空いてるわ」

「ちょうどじゃなくてほぼ毎日だろ」

「ほ、本当にちょうど空いてたのよ!」

 照れ隠しなのか、少し顔を赤らめて刑部姫に言い返す。一方で夏凜の賛成をもらう事が出来た四人は嬉しそうな声を上げていた。

「……ふん。緊張感のない奴ら」

 自分が参加する事で喜ぶ四人を見て、夏凜は小さく呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、日課である大赦への定期報告とトレーニング、そしてコンビニ弁当の食事を終えた夏凜は一人台所で洗い物をしていた。大赦から派遣された勇者である夏凜は親元を離れてマンションで一人暮らしをしているのだ。

 洗い物を終え、手を拭きながら夏凜が息をついた時。

「随分お疲れだな、でがらしにぼし」

「……また随分と斬新なあだ名をつけたものね」

 聞こえてきた声に、思わずため息をつく。声の持ち主は、いつの間にかテーブルの所に座っていた刑部姫だった。自分ちのようにくつろぐ刑部姫に、夏凜は腕を組みながら言う。

「でも珍しいわね。あんたがここに来るなんて。どういう風の吹きまわし?」

 基本的に刑部姫は通話やメールなどで夏凜にコンタクトを取るぐらいで、こうして彼女の前に現れる事は無い。勇者部の前にはたびたび姿を現しているが、あれはあくまでも夏凜と一緒に勇者部を監視するという彼女に課せられた任務の一環に過ぎない。

「別に。ただの暇つぶしだ。……それにしても、昼間あれだけ言っていた割には、ずいぶんと乗り気のようだな?」

 嫌味な笑みを浮かべながら刑部姫がつまんでいるのは、折り紙の折り方の書籍と折り紙だった。夏凜が日曜日にあるレクリエーションのために、わざわざ購入した物である。思わず赤面しながら、それを誤魔化すように夏凜が言う。

「の、乗り気なわけじゃないわよ。私は完成型勇者だし、何事もきっちり仕上げておかないと気が済まないだけよ」

「……完成型勇者、ねぇ」

 口の中で呟きながら、刑部姫は折り紙を何枚か取って折り始めた。夏凜が何となくその光景を見ていると、刑部姫が唐突に口を開く。

「お前から見て、勇者部はどうだ?」

「……おちゃらけた奴らよ。どうしてあんな奴らが勇者に選ばれたのか、さっぱり分からないわね」

「それについては私も同感だ。適性値が高いとはいえ、あいつらを勇者に選ぶとは、神樹も中々トチ狂っている。……よし、一つできた」

 一つ完成させる事が出来たのか、刑部姫は満足そうに頷くと再び次の折り紙に手を伸ばす。自分達が信仰している神様をトチ狂っていると評した精霊を、夏凜はなんとも言えない表情で見つめながら、

「あんた、本当良い度胸してるわね……。いくらあんたが常識外れとはいえ、神樹様をトチ狂ってるとか言って良いの?」

「私としては、盲目的に神樹を信仰する大赦の方が理解できないんだがな。私達の生活を支えるとは言っても、相手は神だ。神というのは、自然のようなものだ。時に人間に恵みを与えるが、時に人間から何かを奪う。ある程度の信仰は必要かもしれんが、人間とはそもそも思考形態が違う相手にそこまで歩み寄りすぎるのも考えものだと思うがね」

 話の合間にも、二つ三つと連続して折り紙を作っていく。その作業の早さに、夏凜は思わず内心舌を巻いていた。刑部姫は続いて四、五枚目に手を伸ばしながら、

「ま、まがりなりにもあいつらはその神樹に選ばれた勇者だ。良い機会だし、今回のレクリエーションであいつらとは今の内から打ち解けておけ。それぐらい、完成型勇者(笑)のお前にはお茶の子さいさいだろう? それとも、三好春信の出がらしのお前には少し荷が重いか?」

 にやり、と嫌な笑みを浮かべる刑部姫に夏凜はむっとした表情を浮かべる。自分が反発してくるのを計算に入れてこういう事を言ってくるのだから、本当にこの精霊は性格が悪いと思う。ムカつくが、この時だけはこいつの思惑に乗ってやろうと思いながら告げる。

「上等よ! 私は完成型勇者よ! そんなの朝飯前だわ! あと出がらし出がらしうっさい! 兄貴は関係ないでしょうが!」

 すると計算通り、と言わんばかりに刑部姫はくくくと笑うと、四枚目と五枚目の折り紙を完成させてから言った。

「じゃあ任せた。これでできなかったら、前に三好春信に見せてもらったお前の幼少期の写真を勇者部のホームページにアップするからな」

「はぁっ!? ちょっとそれどういう意味よ! デタラメ言うんじゃ……って本当だぁぁああああっ!? 何考えてんのよあのクソ兄貴ィィィイイイ!!」

「はははははははははははっ!」

 刑部姫が見せたスマートフォンの画面には、何故か夏凜の幼少期の写真が数枚ばっちりと表示されていた。それに夏凜が絶叫し、刑部姫が間違いなく今日一番の哄笑を上げる。夏凜が取り返そうと刑部姫に掴みかかろうとするが、刑部姫は指をパチンと鳴らしてリビングから姿を消してしまい、夏凜の手は何もない宙を掴んだ。ギリギリと悔しさで思わず歯を噛み締めながら、ふとテーブルの上に目をやる。そこには、刑部姫が折った作品が五つほど並んでいた。

「って、無駄にうまっ!」

 ドラゴンにペガサス、ユニコーンにティラノサウルス。刑部姫が作り上げた五つの作品はどれも難易度が高い上に、非常に完成度が高かった。彼女の無駄な才能の高さに改めてため息をついてから、最後の五つ目の折り紙を見て首を傾げる。

「……どうして、これだけ花なのかしら」

 最後に作られていたのは。

 白色の折り紙で折られた、リンドウの花だった。

 

 

 

 

 

 

「しまった……私が間違えた……」

 レクリエーションが行われる予定の日曜日、家庭科準備室で夏凜はこの前配られたしおりを手にしながら思わず天を仰いだ。てっきりこの部室で集まってから出発するのかと思っていたのだが、しおりには『現地集合』と書かれている。つまり、夏凜は集合場所を間違えてしまったのだ。

 とりあえず電話をしようと夏凜がスマートフォンを取り出すと、突然通話の通知がスマートフォンに届いた。画面に表示された番号を見て、夏凜は思わず驚く。

「この番号、結城友奈!?」

 相手からかかった事に動揺し、どうして良いか分からずあたふたしていると、指が画面に触れて着信が切れてしまった。

「あ……切っちゃった……。かけなおした方が良いわよね……」

 しかしかけなおそうにも、なんて言えば良いのか、同じ年頃の少女との付き合いが少ない夏凜にはうまく判断する事が出来なかった。しばらくその場で迷っていたが、やがてだらりと両手を下げると小さな声で呟く。

「何をやっているの、私は……」

 自分はこの部活に入るために讃州中学校に転入したわけではない。あくまで、バーテックスを倒すためにこの部活に入る必要があっただけだ。なのに、一体自分は何をしているのだろう。

「そうよ、関係ない。別に部活なんてハナから行きたかったわけじゃないし。そうだ、神樹様に選ばれた勇者が、何を呑気に浮かれてんのよ。……私は、あんな連中とは違う。真に選ばれた勇者」

 そう呟くと、夏凜は部室を出て行ってしまった。そして彼女の後ろ姿を、窓の外から刑部姫がぱたぱたと羽根を動かしながら呆れた表情で見ていた。

「あんのクソコミュ障女……」

 と、彼女のスマートフォンが振動し、スマートフォンを取り出して相手が誰か確認してから通話ボタンをタップして耳に当てる。

『三好夏凜さんの様子はどうですか?』

「どうしようもない。勇者部と打ち解けておけと言った矢先にこれだ。正直、前途多難で頭が痛くなってくる」

 電話の相手----安芸にため息交じりに言う。あの様子だと、恐らくこの後家に戻ってからいつも行っている浜辺で剣術の稽古をするのだろう。あそこまで孤高ぶっていると、むしろ感心してしまう。

『……教えてあげなかったのですか?』

「生憎だが教えてやる義理も義務も、私にはない。それに、自分が間違っていた場合どうするかあいつの反応も見ておきたかったしな。まぁ、先が思いやられる結果になったわけだが……」

『やはり、先代の四人のように簡単には打ち解けませんね』

「それは仕方ないだろうよ。勇者になるまで勇者部のガキ共は勇者の存在もバーテックスの存在も知らなんかったんだ。三好夏凜との間に温度差が出来ても仕方がない。……まぁ、あまり大きな溝にはならないとは思うが」

『と、言いますと?』

 安芸からの問いに、刑部姫はつまらなさそうな表情をしながら、

「簡単な事だ。勇者部は先代の三人の勇者と同類だ。新しい部員が来なかったからと言って、すぐにハブにするような奴らでは無いだろうよ。三好夏凜が落ちるのも時間の問題だ。あいつ、チョロいし」

『……そうですか。分かりました。引き続き、彼女達のサポートと監視をお願いします』

「よく言うよ。監視がメインだろ? あと、敬語はやめろと……」

 しかし刑部姫が言い切る前に、安芸からの通話が切れた。あんにゃろう……と少しスマートフォンを恨めし気に見てから、刑部姫は再度ため息をつく。

「……一応、手は打っとくか。まったく、手のかかる奴らだ……」

 ブツブツと文句を言いながら、刑部姫はある人物に電話をかけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 夏凜は帰宅してから、刑部姫が睨んだ通りいつも行く海辺で剣術の稽古を行い、自宅に戻ってランニングマシンを使ってのトレーニングに励んでいた。しかし表情はやはり今日の事を気にしているのか、少しばかり曇っている。夏凜が黙々とトレーニングマシンの上を走行していると、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。この時間帯に、しかも引っ越してきたばかりの自分に一体誰が……と夏凜が思っていると、さらに立て続けにピンポンピンポンピンポーンと呼び鈴が鳴る。

「だ、誰よー!?」

 驚いた夏凜が木刀を手にして玄関の扉を開けると、そこにいたのは。

「「「「きゃあああああっ!?」」」」

 木刀を手にした夏凜に驚いて悲鳴を上げたのは、友奈、東郷、風、樹。勇者部の四人だった。

「あれ? あんた達……」

 予想外の訪問者に夏凜がきょとんとしていると、風が慌てながら夏凜を指差し、

「あ、あんたねぇ! 何度も電話したのに、何で電源オフにしてんのよー!」

 そこで夏凜は自分が確かにスマートフォンの携帯電話の電源を切っていた事を思い出すが、すぐに反撃と言わんばかりに叫ぶ。

「そ、そんな事より何!?」

「何じゃないわよ。あんたが一人で寂しくて泣いてるから見に行ってやれって言われたし、あたし達も心配だったから見に来たのよ」

「な、何よそんなデタラメ! 一体誰が言ってたのよ!?」

「刑部姫よ」

「え?」

 あの性悪精霊が? と夏凜の頭に笑う刑部姫の顔が思い浮かぶと、風の隣にいる樹が補足する。

「今日夏凜さんが来なかったのは集合場所を間違えたからで、特にトラブルに巻き込まれたわけじゃないから安心しろって、お姉ちゃんの所に刑部姫から電話が来たんです」

「『あいつ集合場所を間違えたせいで、どうしようどうしようあいつらに迷惑かけちゃった~って泣いてるから、あとで慰めに行ってやれ』って言ってたわ。なんか刑部姫は今日は大赦の仕事で忙しくて手が離せないみたいで、あんたが集合場所を間違えた事は後で知ったみたい。あんたが泣いてるっていうのはさすがに嘘だって分かったけど、わざわざ電話してくるなんてあいつもちょっとはあんたの事気にしてたみたいね」

 どうやら、本当にあの精霊がわざわざ風に何事も無い事を伝えたらしい。夏凜としては今勇者部が自分の目の前にいる事よりも、あの精霊がわざわざ自分のために彼女達に連絡を入れた事の方が信じられなかった。なお、手が離せないも何も刑部姫は夏凜が場所を間違えた所をばっちりと見ていたので、そもそも風に話した事の八割が嘘なのだが、そんな事は当然この場にいる人間は知らない。

「じゃあ夏凜も大丈夫なようだし、上がらせてもらうわよー」 

「え!? ちょっと!?」

 風と樹が自分の部屋に入っていくのを見て、夏凜が声を上げるも彼女達はそそくさと入っていく。さらに友奈と東郷もそれに続いて部屋に入っていき、家主であるはずの夏凜が一番遅れて部屋に入っていく羽目になった。

「はぁ。殺風景な部屋」

「どうだって良いでしょ!?」

「ま、良いわ。ほら座って座って」

「何言ってんのよー!?」

 まるで自分の部屋であるかのように振舞う風に夏凜がツッコむが、当然そんな事で止まるような四人ではない。彼女達のマイペースは、夏凜を振り切らんばかりに加速していく。

「これすごーい! プロのスポーツ選手みたい!」

「勝手に触んないでよ!」

 トレーニングマシンを撫でるように触る樹に叫び。

「わぁー! ……水しかない」

「勝手に開けないで!」

 冷蔵庫を開けて中のものを物色する友奈に叫んだりと、夏凜は見事に振り回されていた。刑部姫に振り回されるよりははるかにマシかもしれないが、どちらにせよ振り回されて喜ぶほど特殊な性癖は持っていない。

「ね? やっぱり買ってきて良かったでしょ?」

 テーブルの上には、彼女達が買ってきたと思われるスナック菓子やジュース類が置かれていた。どうやら夏凜の生活風景は何となく風に分かっていたらしい。突然自分の部屋に押しかけて自由に振舞う四人に苛立ちと不満を募らせながら、夏凜が叫び交じりに尋ねる。

「何なのよ……。いきなり来て何なのよ!」

 それに答えたのは座り込んでいる友奈だった。彼女はテーブルの下に腕を伸ばしながら、

「あのね、ハッピーバースデー、夏凜ちゃん!」

 彼女の両手には、白い箱があった。箱を覆っている蓋を開けると、中にはスタンダードなショートケーキ、そしてケーキの上に鎮座するホワイトチョコレートにはチョコレートソースで『お誕生日おめでとう』という文字が書かれていた。

「え?」

「夏凜ちゃん、お誕生日おめでとう!」

「おめでとう」

 友奈に続いて東郷も祝福の言葉を口にする。それに思わず夏凜が「どうして……?」と尋ねると、風が夏凜の入部届を取り出して彼女に見せる。

「あんた、今日誕生日でしょ? ちゃあんと、ここに書いてあるじゃない」

「友奈ちゃんが見つけたんだよね」

 東郷が青色のバースデーハットを被りながら友奈に言うと、友奈はえへへと笑いながら、

「あっと思っちゃった。だったら誕生日会しないとって!」

「歓迎会も一緒にできるねーって!」

「本当は子供達と一緒に児童館でやろうって思ってたの」

「当日に驚かそうと思って黙ってたんだけど……」

「でも当のあんたが来ないんだもの。焦るじゃない!」

「刑部姫から連絡もあったし、家に迎えに行こうとも思ったんだけど、子供達も激しく盛り上がっちゃって……」

「結局この時間まで解放されなかったのよー。ごめんね」

 四人から事情を聞かされると、夏凜は何故か黙り込んでしまった。

「ん? どした?」

「夏凜ちゃん?」

「あれー? ひょっとして、自分の誕生日も忘れてた?」

 黙り込んでしまった夏凜を風がからかうように言うと、夏凜から返ってきたのはこんな言葉だった。

「……アホ」

「え?」

「馬鹿。ボケ。おたんこなす」

「え!? 何よそれー!」

 暴言に風が声を上げるが、よく見ると夏凜の顔が赤くなっている。彼女は俯いて、少し照れくさそうな表情を浮かべながら、

「----誕生会なんてやったこと無いから! ……何て言ったらいいか、分からないのよ」

 そこで彼女が単に照れているだけだとようやく知った勇者部は、互いに顔を見合わせて微笑を浮かべる。さらに友奈は壁に掛けられているカレンダー……正確には、六月十二日の位置に赤丸が付けられている事に気づき、夏凜に言った。

「お誕生日おめでとう、夏凜ちゃん」

 夏凜はそれに、ただ本当に照れくさそうに顔を赤くして目を逸らす事しかできなかった。

 その後夏凜の誕生日会は盛り上がり、夏凜は風にいじられたりするも、四人との絆を深め、ついでに勇者部の文化祭の出し物が演劇に無事に決まったり、自分では認めないだろうが、夏凜は楽しい時間を過ごしたのだった。

 そして誕生日会が終わり、風達が帰路に就き、夏凜がゴミを捨てに行ってから部屋に戻ると、刑部姫がリビングで一人シャンパンをラッパ飲みしていた。

「行儀悪いわね、あんた」

「別に私だけで飲んでるんだから良いだろう」

 シャンパンから口を離し、ぷはーと息を吐く。やれやれと夏凜は肩をすくめながら、照れくさそうに刑部姫に言う。

「あの、刑部姫……。今日は、ありがとう」

「あ? 何だ気色悪い」

「気色悪いって事はないでしょ!? ……風達に、私が場所間違えたって事伝えてくれたでしょ? 一応、そのお礼よ」

「お前から礼を言われる筋合いはない。それにお前をサポートするのは私の役目の一つでもある。私は私の仕事をしただけだ」

「……あっそう」

 たまに礼を言えばこれだ、と夏凜はふんと鼻を鳴らす。とは言っても、夏凜が場所を間違えた事は刑部姫は最初から知っており、しかもそれを早めに伝えなかったので、刑部姫の言う通り夏凜が礼を言う筋合いは無かったのだが、当然そんな事は夏凜は知らない。それから夏凜は部屋のテレビ台にある、前に刑部姫が折った折り紙を見ると、刑部姫に言う。

「そういえばあんた、折り紙も上手いのね。これ刑部姫が折ったって言ったら友奈達が驚いてたわよ。東郷なんて、『あの刑部姫が……信じられませんね』とか言ってたし」

「よし、今度あいつの家にF6Fの模型を大量に送ってやるとしよう」

 F6Fとは旧世紀にあった国であるアメリカの戦闘機である。その模型を日本大好き少女の東郷に大量に送るのは、嫌がらせ以外の何物でもない。一方で夏凜は数ある折り紙の中からリンドウの花を模した折り紙を一つつまむと、刑部姫に差し出す。

「そういえば気になってたんだけど、どうしてこれだけ花なの? 他は全部、ペガサスとかティラノサウルスとか動物ばっかりじゃない。もしかしてこの花が好きなの?」

 すると、刑部姫はシャンパンを再びラッパ飲みしてから、彼女が持っているリンドウの花をじっと見て、

「別に好きってわけじゃない。ただ、私が知っている奴にリンドウが似合う奴がいてな。そいつを思い出して折っただけだ」

「ふーん。あんたの知り合いって事は、大赦の人間?」

「……いや、一般家庭の人間だ。大赦の仕事の関係でちょっとそいつと一緒に行動していた事があってな。ああ、そういえば来月はそいつの誕生日だったな」

 カレンダーを見ながら、刑部姫が口にする。彼女がここまで口が軽くなるのは少し珍しい。もしかしら、シャンパンを飲んで少し酔っているのかもしれない。人間なら未成年飲酒になるかもしれないが、生憎彼女は精霊だ。精霊を法で縛る事はまず不可能だろう。

「何歳になるの? その知り合いは」

「……生きていたら、十四歳になる」

 彼女の言葉に、夏凜は思わず息を呑んだ。

 生きていたら、と今刑部姫は言った。その言葉の意味が分からぬほど、愚かではない。

 つまり、彼女の言う知り合いは、もう----。

「……と、少し喋りすぎたな。私はもう帰る。明日からまた任務によく励むように」

 そう言って刑部姫は、シャンパンごと姿を消した。彼女が消えた場所を目にしながら、夏凜はつい先ほどの刑部姫の表情を思い出す。

 自分でも見た事が無い、哀切がこもった目。彼女は知り合いと言っていたが、もしかしたらただの知り合いでは無く、彼女にとってかけがえのない人間だったのかもしれない。

「……それにしても、十四歳、か」

 今の自分達と同じ年齢。それに満たない年齢で命を落とし、刑部姫にあのような表情を浮かべさせた彼女の知り合いとは一体どんな人物なのか、夏凜は少し興味が沸いてきた。

 が、それを刑部姫から無理やり聞き出すような事はしない。いかに彼女の性格が最悪でもやってはならない事というのがあるし、第一それは龍の逆鱗に触れるようなものだ。触らぬ神に祟りなし、という言葉通り、深入りは禁物だろう。

 それから入浴し、寝る前の支度などを済ませると夏凜はベッドに向かうとスマホを起動する。風から『NARUKO』と呼ばれる勇者専用のSNSアプリの参加の招待が来ていたので、それに参加するためだ。

 早速アプリを開いてみると、風からメッセージが届いていた。

『あんたも登録しておいてね。今日みたいに連絡の行き違いがないように』

 さらに風のメッセージを見たのか、樹と東郷からのメッセージも届く。

『これから仲良くしてくださいね。よろしくお願いします』

『次こそはぼたもち食べてくださいね。有無は言わせない』

「ぼたもちって……」

 何故か東郷は強気だった。どれほど自分のぼたもちを食べさせたいのだろうか。

『ハッピーバースデー夏凜ちゃん! 学校の事や部活の事で分からない事があったらなんでも聞いてね』

「了解、と……」

 呟きながらそのままメッセージを送ると、すぐさま四人からメッセージが返ってきた。

『わー返事が返ってきた』

『ふふふ、レスポンス良いじゃない』

『わーーーい』

『わーーーい』

『ぼたもち』

「わっ……! う、うっさい!!」

 再度メッセージを送ると、『ぶはははははは』に『ぼたもち』に風と東郷からのメッセージが返ってくる。東郷からのぼたもち推しが少し怖い。

「何なのよ、もう……」

 呆れ半分、戸惑い半分の夏凜に、友奈からのメッセージが再度届いた。

『これから全部が楽しくなるよ!』

 その直後、写真が送られてきて、開くと表示されたのは先ほどの誕生日会で撮影された写真だった。四人はそれぞれ笑顔を浮かべて写っているものの、自分だけは照れくささと緊張が入り混じった表情で写っている。

「…………」 

 夏凜はしばらく写真をじっと見つめていたが、やがて仰向けに転がるとスマートフォンを大切に抱きながら天井を眺める。

「全部が楽しくなる、か……。世界を救う勇者だって言ってるのに、馬鹿ね……」

 本当にお気楽な奴だ、と思う。

 しかし、何故彼女達が勇者に選ばれたのか、夏凜は少し分かったような気がした。

 そして穏やかな笑みを浮かべながら、夏凜はゆっくりと目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 友奈達にちゃんと連絡を取れなかった罰として、刑部姫から勇者部のホームページ宛てに夏凜の幼少期の写真が、東郷の自宅にF6Fの模型が大量に送られ、「あんの馬鹿精霊ぃぃいいいいいいいいいっ!!」と夏凜がぶち切れ、「我レ、米国ノ手先二総攻撃を実施ス!!」と東郷が据わった目で叫び、刑部姫が高笑いをしながら二人から逃走し、追いかけようとする二人を友奈、風、樹の三人がどうにか落ち着かせようと奮闘するのだが……、それはまた別の話である。

 

 




冒頭で夏凜が茶々を入れるなと怒っていたのは、テレパシーのような形で夏凜をからかっていたからです。刑部姫は自分が指定した相手に、テレパシーのような形で話す事も出来ます。ただし多人数相手ではできず、対象は決まって一人だけです。


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第三十一話 セクステット・想いを伝えて

題名のセクステットとは、六重奏という意味になります。


 

 

 

 6月30日。今までの四人に加え、三好夏凜という五人目の勇者を加えた勇者部の部室では、今新たな活動内容が備え付けの黒板に書かれていた。

 『樹を歌のテストで合格させる!』。そんな活動内容が書かれた黒板の前には、ちょこんと樹が椅子に座っている。

 何故こんな事をしているかというと、樹の音楽の歌のテストが近日あるのだが、上がり症の樹は歌のテストのたびに大人数の前に立って歌う事に緊張と恥ずかしさを覚えてしまうせいで、音程が外れてしまい上手く歌う事が出来ない。それで今日もテストの結果を得意のタロットカードで占っていたのだが、結果は死神の正位置の四連続。もしもこの場にいない刑部姫が見たら、腹を抱えて笑いそうな結果になってしまった。そんな妹と友達を放っておくわけにもいかず、こうして樹をテストで合格させる事を活動内容に決めたというわけだ。

「あたし達勇者部は、困ってる人を助ける! もちろんそれは部員だって同じよ」

 風が活動内容を黒板に書き終えると、難し気な顔をした友奈が口火を切る。

「歌が上手くなる方法かぁ」

「まず歌声でアルファー波を起こせるようになれば、勝ったも同然ね」

「アルファー波?」

 首を傾げる樹に、東郷は手を奇妙に揺らしながら説明する。

「良い音楽や歌というものは、大抵アルファー波で説明がつくの」

「そうなんですか!?」

「んなわけないでしょ!!」

 驚愕する樹に、夏凜が全力のツッコミを入れた。

 ちなみにアルファー波というのは、人が発する脳波の一つであり、気分の落ち着いた時に現れる波形の事である。

「樹一人で歌うとうまいんだけどねー。人前で歌うのは緊張するってだけじゃないかな?」

「へー」

 するとそれを聞いた友奈はぽん、と手を打ち、

「そっか。それなら、習うより慣れろ、だね!」

 

 

 

 

 という事で。

「イエーイ! 聞いてくれてありがとー!」

 マイクを持った風が明るい声を上げると、タンバリンを持った友奈が片手をあげ、マラカスを持った東郷が場を盛り上げる。夏凜は野菜ジュースを飲みながら風の歌声を聞き、樹は歌の入力機器で自分が歌う曲を選んでいた。

 放課後、勇者部五人の姿は地元のカラオケ店にあった。カラオケ店ならば否が応でも誰かの前で歌う事になるので、ここならば樹の本番での緊張を少しはほぐす事ができるのではないかと考えたのだ。

「お姉ちゃん上手!」

「えへへ、ありがと」 

 ソファに戻る姉に声をかけると、風は嬉しそうに笑いながらピースする。すると友奈が「ちょっとごめんね」と言って樹から入力機器をもらうと夏凜の目の前に差し出した。

「ねぇねぇ夏凜ちゃん! この歌知ってる?」

「……ん? 一応知ってるけど……」

「じゃあ一緒に歌お!」

 突然の提案に、夏凜は「ふぇっ!?」と声を上げ、

「ななな、なんで私が!? 慣れ合うためにここにいるわけじゃないわ!」

 そう言うと、二人のやり取りを聞いていた風が何故か頬に片手を当てながらこんな事を言う。

「そうだよねぇ~。あたしの後じゃあ、ご・め・ん・ね」

 風が指さしたモニターには、先ほどの彼女の歌声の点数が表示されていた。『92点』という、結構な高得点が。

「----友奈。マイクを寄こしなさい」

「えっ?」

「早く!」

「は、はいっ!」

 そして友奈と夏凜のデュエットが始まった。もしも刑部姫がいたら、やっぱりチョロいなと笑いそうである。

 しかし友奈と夏凜の声は、風に負けずかなり上手い。結果が出てみなければ分からないが、高い点数になるのはまず間違いない。

 歌が終わり、息をつきながら横で同じように息をつく夏凜に友奈が声をかける。

「夏凜ちゃん、上手じゃん!」

「ふっ、これくらい当然よ!」

 夏凜が嬉しそうに鼻を鳴らすと、モニターに二人の歌の点数が表示される。

 点数は、92点。先ほどの風の点数と同じではあるものの、高得点という事に変わりはない。

「次は樹ちゃんだね」

「うん……」

 だがやはり緊張しているのか、樹の表情は少し硬い。

 やがて樹がマイクを持って四人の前に立ち、部屋に備え付けのスピーカーから音楽が流れる。樹が選んだ曲は、次のテストの課題曲だった。四人の笑顔と視線に背を向けてモニターの歌詞を見ながら、樹はマイクを握る手にきゅっと力を入れ、歌い出した。

 歌い出した、のだが。

 彼女の歌声は、とても下手……とは言わないまでも上手とは言えなかった。

 音程が外れてしまっており、歌声の体を成していない。これでは確かに音楽の歌のテストでは合格を取る事は難しいと言わざるを得ない。

 歌が終わり、ソファに座りながら樹ははぁと重いため息を漏らす。

「やっぱり硬いかな」

「誰かに見られてると思ったらそれだけで……」

「重症ね」

 夏凜に言われ、樹はもう一度ため息をつく。前途多難、という四字熟語が今の彼女にぴったり当てはまっていた。

「まぁ、今はただのカラオケなんだし、上手かろうと下手だろうと、好きな歌を好きに歌えば良いのよ」

「そうそう気にしない気にしない! さ、お菓子でも食べて!」

 しかし。

「って、残ってないー!?」

 テーブルの上のお菓子は全て食い尽くされ、テーブルの上にはお腹をぱんぱんにした牛鬼が腹を撫でながら満足そうな表情を浮かべていた。どうやら友奈達のお菓子は、全て牛鬼の胃の中へと直行したらしい。

「ふふ、牛鬼は本当によく食べますね」

「食べ過ぎだよー……」

 自分の精霊の所業に、友奈はただ涙を流す事しかできなかった。

 と、備え付けのスピーカーから新たな音楽が流れだす。

「あ、私が入れた曲」

 東郷が言った直後、何故か夏凜以外の三人が立ち上がりピシッと敬礼のポーズを取った。

「何っ!?」

 だが夏凜の困惑をよそにして、東郷はマイクを手に取ると口元に静かに寄せ、歌い出した。

 彼女が歌い出したのは、軍歌だった。中学二年生の女子が歌うチョイスとして、それはどうなの? とツッコミが飛んできそうだったが、まぁどんな歌が好きなのかは人それぞれである。

 なのだが、この歌がまた無駄に上手い。音程はもちろんだが、何よりも大和魂がこもっているように夏凜には感じられた。どれほど日本が大好きなのだ、この少女は。

 結局その歌にツッコミを入れる事は出来ず、夏凜はただ目を丸くして彼女の歌を聞く事しかできなかった。なお、歌の最中三人はずっと敬礼し続けていた。

 そして歌が終わり、東郷が満足そうにマイクを置くと三人も敬礼を解いてソファに座る。

「さっきのって、一体……」

「東郷さんが歌う時は、私達いつもあんな感じだよ?」

「そ、そうなの……」

 夏凜達の会話を聞きながら、風がペットボトルの水を飲んでいると、彼女のスマートフォンに着信が届く。スマートフォンを取り出して届いたメールを開くと、彼女の表情がかすかに強張った。

 スマートフォンをしまい、四人に断ってから女子用トイレに向かうと、鏡の前に立って蛇口をひねる。水が勢いよく流れだし、そのままじっと俯いていると、背後から夏凜の声がかけられた。

「大赦から連絡?」

「……ええ」

「そう。私には何も言ってこないのに。あの馬鹿精霊、ちゃんと仕事しろっての」

 しかし夏凜の言葉に、風は何も言ってこない。夏凜は壁に背中をつけて腕組みしながら、

「内容は想像つくわよ。バーテックスの出現には周期がある。今の奴らの現れ方は、当初の予測と全く違ってるわ」

「……最悪の事態を想定しろってさ」

「怖いの?」

 風の手が、震えながらぎゅっと握られる。それが、風の今の心の状態を表していた。

「あなたは統率役に向いてない。私ならもっとうまくやれるわ」

 風は夏凜にちらりと目線をやってから、蛇口をひねり水を止めると振り返る。

「これはあたしの役目で、あたしの理由なのよ。後輩は黙って、先輩の背中を見てなさい」

 そう言うと、風はトイレから出て行った。夏凜はふんと鼻を鳴らすと、自分以外誰もいなくなった空間に声をかける。

「出てきなさい、刑部姫。聞いてたんでしょ」

 直後、花びらと共に宙に刑部姫の体が現れた。彼女は腕を組みながら、夏凜をじろりと見下ろし、

「気づいていたのか。で、用件は何だ?」

「一応の確認だけど、風が言ってた事は間違いないの?」

 その言葉に、刑部姫はわしゃわしゃと髪の毛を掻きながら、

「ああ、まず間違いないだろう。ま、私からしたらむしろ想定内だけどな」

「……あんた、バーテックスの出現の周期が違ってくるって分かってたの?」

 目を見開いて刑部姫に聞くと、彼女は冷めた目で夏凜を見下ろした。まるで、くだらない事を聞くなと言うかのように。

「……そう。全部最初からお見通しってわけね。でも、どうしてそれを大赦に伝えなかったの? 大赦所属の精霊でしょ、あんた」

「別に奴らに全面的に協力してるわけじゃない。それに確かにバーテックスの襲撃の頻度が二年前とは異なるって予想はしてたが、それもあくまで予想だ。絶対に当たるとは言い切れん」

「ふぅん。天才のあんたでも、バーテックスの出現を完璧に予想できるってわけじゃないのね」

「ほざくなクソガキ。『完璧』や『絶対』など、この世に存在しない」

 そう言う刑部姫の表情は本当に嫌そうだった。だが自分の言葉が気に障ったというよりも、そもそも『完璧』や『絶対』という言葉を嫌っているように夏凜には感じられた。日々自分の事を天才と自称している彼女にしては、少し珍しい反応かもしれない。

「あっそ。じゃあ、あんたの予想はどうなの? これからバーテックスは、どう動くと思う?」

 確かに完璧で絶対に当たる予想は無理かもしれないが、それに近い予想はできるかもしれないのが目の前の刑部姫という名の精霊だ。普段は憎たらしい笑みを浮かべながら自分をからかう彼女ではあるが、こういった真面目な問いかけではまず嘘はつかない。

 すると夏凜が想像したと通り、刑部姫はじっと顎に手をかけて考え込んでから自分の考えを口に出す。

「一体じゃないのは確実だ。まず一体、次に三体が結城友奈達によって倒され、お前に一体、計五体がお前達に倒されている。生半可な数ではお前達には敵わないとバーテックスも学習しているはずだ」

「って事は、三体以上で来る可能性もあるって事か……」

「ああ。四体、もしくは五体……。最悪の場合、残りの七体全員でこちらを殺しに来るって可能性もある」

「………っ」

 刑部姫が口にした予想に、夏凜は思わず唾を飲み込む。七体のバーテックスによる、神樹への総攻撃。それを自分達五人で、なんとしてでも迎え撃たなければならない。

 不安が夏凜の胸を押しつぶしそうになるが、どうにか自信を沸き立たせて不安を振り払うと刑部姫に言う。

「ふん、上等よ。完成型勇者の私がいれば、どれだけバーテックスが来ようと完全勝利は確実よ。それにいざという時は満開もあるし、私達が負ける事はないわ。絶対に」

「言ったはずだ。この世界に『絶対』なんて言葉は存在しない。それに負ける事が無いのは当然だ。お前達が負ける事は勇者が全員死ぬという事であり、この世界が跡形も無く壊れるって事を意味している。負ける事がないんじゃない、負ける事は決して許されない。……精々気を付けるんだな」

 そう言って刑部姫は指を鳴らすと、トイレから姿を消した。一人残された夏凜はぎゅっと拳を握ると、鏡に映る自分の顔を見る。

「……あんたが何を言おうと、関係ない。私がいる限り、あいつらは死なせないし、この世界も壊させない。……絶対に」

 まるで刑部姫に言い返すように呟くと、夏凜は扉を開けてトイレから出て行った。

 

 

 

 

 

 

 翌日、友奈、東郷、風、樹は勇者部部室のテーブルの前で揃って目を丸くしていた。テーブルの上にはりんご酢やオリーブオイル、はちみつなどの調味料から、プラスチックの容器に入ったサプリなどが勢ぞろいしていた。

「な、なんかたくさんあるー……」

 友奈が思わず呆然と呟くと、それらを持ってきた張本人である夏凜が胸を張りながら、

「そう。喉に良い食べ物とサプリよ。マグネシウムやリンゴ酢は肺に良いから声が出やすくなる。ビタミンは血行を良くして喉の荒れを防ぐ。コエンザイムは喉の筋肉の活動を助け、オリーブオイルとはちみつも喉に良い」

 早口で食べ物とサプリの効力を説明する夏凜に、四人はそれぞれ感想を口にする。

「詳しい……」

「さすがです……」

「夏凜ちゃんは健康食品の女王だね!」

「夏凜は健康のためなら死んでも良いって言いそうなタイプね」

「言わないわよそんなこと!」

 風の軽口に噛みつきながら、夏凜は食材とサプリをビッと指差す。

「さ、樹。これを全種類飲んでみて。グイっと!」

「えっ!? 全種類!?」

「多すぎでしょそれは……。流石に夏凜でも無理じゃない?」

 風としては悪気のない発言だったし、自分ができない事を人にやらせるのはどうかという問題もあるので、その言葉は間違いではないのだが、どうやらそれは夏凜の琴線に触れてしまったらしい。

「無理……ですって!? 良いわよ、お手本を見せてあげるわ!」

 やれやれ、と言いたそうな笑みを浮かべている風に向かって、夏凜はそう宣言した。

 早速、テーブルの上のサプリを全種類数錠ずつ口の中に入れると、オリーブオイルをラッパ飲みして口の中のサプリを一気に胃に流し込む。それからオリーブオイルの瓶をテーブルに置くと、冷や汗をだらだらと流しながらにやりと無理やり笑みを浮かべる。

「ど、ど、ど、どう?」

 が、やせ我慢はそこまでだった。

 次の瞬間うっと何かをこらえるように頬を膨らませ、顔が一気に青くなり、そして……、

「うう~!」

「か、夏凜ちゃん! 大丈夫!?」

 口を押えて家庭科準備室を飛び出す夏凜に、友奈の心配そうな声がかけられたが、当然それで止まるような事は無く、夏凜はそのまま女子トイレへと直行するのだった。

 その後、部室に戻ってきた夏凜はハンカチで口元を拭いながら、何事もなかったように笑い、

「樹はまだビギナーだし、サプリは一つか二つで十分よ」

「はぁ……」

 肩を落とす樹に、夏凜がにっこりと笑う。いや、そういう事じゃないような……と四人はツッコミたかったが、当然優しい四人にそんな事を言えるはずも無かった。

 それから夏凜に言われた通りサプリを水で飲み、試しに歌ってみるものの、結果はこの前のカラオケ店と一緒だった。結局最後まで音程が外れたまま歌い切った樹を前にして、四人は難し気な表情を浮かべる。

「やっぱり、緊張するのがいけないんだから、喉よりもリラックスの問題じゃない?」

「それもそうね。次は緊張を和らげるサプリメントを持ってくるわ」

「やっぱりサプリなんですね……」

 自信満々に告げる夏凜に樹が静かに言い、風が夏凜の横でツッコミを入れる。しかしこのままでは今日の収穫はゼロという事になってしまう。テストが近い以上、何か一つでも良いから収穫が欲しい。どうしたものか……と五人が悩んでいると、「あっ!」と突然友奈が声を上げた。

「どうしたの? 友奈」

「あの子に聞けばいいんじゃないかな!?」

「………あの子?」

 友奈の言うあの子が誰の事か分からず、東郷は思わずぱちくりと瞬きする。歌について尋ねる以上音楽に詳しい人物なのだろうが、友奈にそのような心当たりの人物が果たしていただろうか。風達三人にも目を向けてみるが、三人共東郷と同じような表情をしている。どうやら三人にも心当たりはないようだ。一体、誰の事を言っているのだろうか。

 ニコニコと笑みを浮かべると、友奈はその人物の名前を口にする。

 その人物は。

 

 

 

 

 

「断る」

 その人物----刑部姫は勇者部部室の椅子の上で、いかにも不機嫌そうな表情を浮かべてばっさりと言った。

「そ、そう言わないでよ~! ほら、東郷さんのぼたもちあげるから! 美味しいよ!」

「いらんそんな泥団子」

 差し出されたタッパをぺチンと叩きながら友奈の言葉を冷徹に切って捨てる。なお、自分の作ったぼたもちを泥団子呼ばわりされた東郷は、負の感情が滲み出る笑みを浮かべていた。率直に言うと、静かにぶち切れていた。

「あんたも精霊とはいえ、勇者部部員でしょ? だったら、勇者部の活動にちゃんと貢献するのが筋じゃないの?」

「誰も入部届に名前を書いた覚えはない。勇者部に入ったのはそこのにぼし女だけだろう。私がお前達の部活動を手伝う義務はない」

 それに、と言ってから樹をジロリと見て、

「そこの小動物を手伝う義理も私にはない。そいつが歌のテストで低い点数を取ろうと知った事か。歌のテストでもなんでもやって、さっさと玉砕してくるんだな」

「あんたねぇ、言い方ってものがあるでしょ!?」

 冷たい言葉を吐き出す刑部姫に風が怒りのこもった視線を向けるが、刑部姫は変わらずツンとした表情を浮かべてスマートフォンをいじっている。

「やっぱり、駄目かなぁ……」

「……諦めなさい、友奈。あいつははいそうですかって言う事を聞くわけじゃないわ」

 落ち込む友奈を、夏凜が慰める。

 友奈が刑部姫に相談してみようと言った時、樹を除いた三人は一斉に渋い表情を浮かべた。確かにいつも天才を名乗っている刑部姫なら緊張をほぐすテクニックだったり、上手に歌う技術を知っているかもしれないが、あの精霊が素直にそれを話すとは三人にはどうしても思えなかった。最悪の場合、見返りに何か要求する事だってあり得る。

 しかし友奈の意見に賛成したのは、他でもない樹だった。友奈の言う通り彼女なら何か良い方法を知っているかもしれないし、四人がこうして自分の悩みに付き合ってくれた以上、何もしないうちに諦めるわけにはいかない。そう考え、夏凜に刑部姫を呼び出してもらい、友奈と自分で彼女に何か良い方法を聞かせて欲しいと頭を下げたのだが……、こうしてあっさりと断られてしまったというわけだ。

「だ、大丈夫だよ樹ちゃん。もう一回、もう一回頼んでみるから……」

 友奈が今にも爆発しそうな雰囲気に包まれている風と刑部姫を不安そうに見つめている樹に言うと、彼女は一度友奈の顔を見てから、きゅっと唇を噛み締めて告げる。

「……もう良いよお姉ちゃん。刑部姫もごめんね。急に呼んじゃって……」

「樹……」

 不満を漏らすどころか、冷徹に断った刑部姫にまで謝る樹にその場の全員の視線が集まる。樹はあはは……と少し悲しそうに笑いながら、

「急に頼んだのは私だし、刑部姫に断られちゃうのも無理ないよ。大丈夫! 次のテストまでに、絶対に何とかするからっ」

 しかし、それは明らかに根拠のないものだった。勇者部の部員達から色々アドバイスをもらって歌ってみても、結局解決策は見つからなかった。このまま歌のテストを受けても、前と同じ結果になるのは目に見えている。だが、それはある意味仕方のない事だ。これはあくまでも、自分の性格の問題にすぎない。 

 だから、自分がどうにかしなければならない。刑部姫に冷たく言われるのも仕方のない。

 だがそれでもやはり、ちょっと悲しかった。前と同じ結果を繰り返してしまう事になるし、何より色々考えてくれた勇者部の面々に申し訳なくて。

 悲し気な笑みに四人は何も言えず、ただ彼女の顔を見る事しかできなかった。

 と、そんな時だった。

 それまで黙って樹の顔をじっと見ていた刑部姫が、何故かさらに不機嫌そうな表情になると、突然ガシガシと髪の毛を掻き、深いため息をついてこんな事を言った。

「………一回」

「えっ?」

「一回だけ歌ってみろ。何を言おうにも、まず歌を聞いてみなければ話にならん。だからまず、歌ってみろ」

 その言葉に、樹だけでなく他の四人も驚愕していた。目を真ん丸に見開いて、刑部姫を凝視する。五人からの視線がうざったいらしく刑部姫が一度チッと舌打ちすると、樹が恐る恐る尋ねる。

「ア、アドバイスしてくれるんですか?」

「そう言ってるだろうが馬鹿が。とりあえず何でも良いからさっさと歌え」

「う、歌えって何を?」

 あまりの衝撃に再度聞く樹に刑部姫はイライラした口調で、

「何でも良い。J-POPでも洋楽でもアニソンでも何でも。これ以上モタモタするならヘビーメタル歌わせるがクソガキが!」

「は、はいぃぃっ!」

 その恫喝に恐れをなしたのか、樹は急いで黒板の前に向かう。刑部姫は椅子にドカッと座り込み、彼女の歌を聞く姿勢になる。それにつられてか、五人も黒板の前で彼女の歌を聞こうと、友奈と風は椅子に座り、車椅子の東郷は友奈の隣に向かう。彼女の横の椅子に座りながら、夏凜がまだ驚きの色が消えていない表情で尋ねた。

「あんた……どういう風の吹きまわし?」

「ただの気まぐれだ。で、何を歌うんだ?」

「じゃ、じゃあテストの課題曲を歌います」

「分かった。準備ができ次第歌え」

 そう言うと刑部姫は腕を組んで目を瞑った。樹はすーはーと数回深呼吸をすると、「う、歌います」と宣言してから課題曲を歌い始めた。

 彼女の歌声はカラオケ店の時やついさっきと同じ……、いや、二回の時よりもさらに外れて聞こえた。恐らく、刑部姫という彼女にとって恐怖の対象が目の前にいるからだろう。正直、こうしている今も樹には怖くてたまらなかった。

 だが、意外な事に刑部姫は何も言わなかった。ただ腕を組んで目を閉じ、樹の歌声を真剣に聞いている。歌っている最中に野次でも飛ばすのではないか、と心配していた五人とは、まったく正反対の反応だった。

 やがて樹がようやく歌い終わると、それに合わせて刑部姫もすっと目を開く。

「ど、どうでしたか……?」

 不安半分で聞いた樹に対する返答は、さっきと変わらずばっさりとしたものだった。

「率直に言ってへったくそだな。音程は狂ってる、強弱はめちゃくちゃ。聞くに堪えん。私が教師だったら落第点をつけている」

 刑部姫の酷評に、樹は顔を赤くして俯いてしまう。よく見ると肩は少し震え、目には涙が溜まっている。友奈達の目の前でこのような酷評をされるのは、気弱な彼女にはあまりに辛い事だろう。

 まさか、こんな事をするためにはあのような事を言って、わざわざ樹に歌わせたというのか。アドバイスをするというのも建前で、本当は樹に恥をかかせるためだった。 

 そう考えた風は奥歯を噛み締めて立ち上がり、刑部姫を怒鳴ろうとする。友奈と夏凜がそれに気づいて風を抑えようとし、

「----だが」

 刑部姫の言葉で、三人の動きが止まり、樹の涙が溜まった目が刑部姫に向けられる。

「声は良い。お前のそれは練習などで身につけたものではなく、天性のものだろう。同じ年齢の女子と比べても、お前ほどの歌声を持っている奴はそういない。今のお前の歌は落第点だが、それは強い緊張のせいで音程が狂っていたりしたからだ。それが無くて、かつ歌声のみで評価するのであれば、落第点どころか最高点をつけている」

 衝撃的、としか言いようが無かった。樹の目からは涙が引っ込み、夏凜は金魚のように口をパクパクと開け、風、友奈、東郷の三人はサスペンスドラマで殺人現場を目にしてしまった人間のような表情で刑部姫を凝視している。

 だが、それも仕方がない。

 何故なら、褒めたのだ。

 傍若無人、唯我独尊、奸佞邪智、眼中之釘、傲岸不遜。常に自分を天才と呼び、吐き出す言葉は精神をじわりじわりと蝕む毒、自分以外の人間は全て虫けら……いや、そもそも生き物とすら思っていないあの刑部姫が。

 褒めたのである。

 樹の、歌を、褒めたのである!!

「だ、誰か救急車を呼んでー!」

「もしもし、救急車を一つお願いします!! え、違います! 天気予報じゃないです!」

「た、大変だわ……!! 刑部姫をも狂わせる悪霊がいるに違いないわ!! みんな、急いで隠れて!!」

「刑部姫、大丈夫!? 何か悪いモノでも食べたんじゃない!? 早く正気に戻りなさいよ! 他人を褒めるあんたなんて気持ち悪くて仕方ないのよ!!」

「正気に戻るのはお前らだクズ共」

 風が叫び、救急車を呼ぼうとした友奈が間違えて天気予報の番号をかけ、東郷がどこから持ってきたのかお祓い棒をぶん回し、夏凜がわりと本気の表情で刑部姫の肩を掴む。刑部姫は青筋をビキビキと浮かべながら、『もうこいつら本当に殺そうかなー』といつもの自分の行動が原因とはいえ、あまりにあんまりな態度の四人に内心キレていた。

 その後、どこからかチェーンソーを取り出して刃を高速回転させると、騒いでいた四人はすぐさま着席した。刑部姫はチッと舌打ちするとチェーンソーを停止させると着物にしまう。本当に、あの着物は一体どのような構造になっているのだろうか。

「……さっきはああ言ったが、あれはあくまでも音程が狂ってたりしなかった場合の話だ。今のお前は緊張が強すぎて本来の声を活かせていない。この学校の教師ならば落第点はないかもしれないが、どのみちこのままだと高得点はまずないだろうな」

 やはり、樹の緊張が今回のテストの鍵になっているようだ。それを解決しない限り、彼女が歌のテストに合格する事は難しいと言わざるを得ないだろう。

「じゃあやっぱり、慣れた方が良いのかなぁ」

「それかサプリね!」

 しかし刑部姫は二人を思いっきり馬鹿にするようなため息をつくと、

「こいつの性格上、人前に慣れるのは相当時間がかかるだろう。それに強い緊張は確かに厄介だが、逆にある程度の緊張は高いパフォーマンスを生み出す。今のこいつに必要なのは、緊張しすぎない事だ」

「それは、確かにそうだけれど……」

「問題はその方法よね……」

 東郷の言葉に、困った顔で風も続く。緊張しすぎないというのは分かるが、人前に出るとどうしても緊張してしまう。かと言って人前に慣れるのも、刑部姫が言った通り時間がかかりすぎるので今からでは無理。再び空気が沈みかけたその時、刑部姫が口を開いた。

「犬吠埼樹。お前、歌で何が一番大事か分かるか?」

「………?」

 突然の質問に、樹は思わずぱちくりと刑部姫の顔を見る。いきなりそんな事を聞かれても……と樹が困惑していると、「他の奴でも良いぞ」と刑部姫が言う。すると、一番に手を上げたのは友奈だった。

「はいはいはい! やっぱり、声だと思う! 樹ちゃん、刑部姫から聞いてもすっごく綺麗な声してるし!」

「大間違いだクソ馬鹿。一番どうでも良い。お前はまずその馬鹿みたいにやかましい口を閉じろ騒音女」

 毒舌でボコボコにされ、友奈はとぼとぼと部屋の片隅に向かう。

「ねぇ、東郷さん。私って騒音並みにうるさい……?」

「全然そんな事ないわ。私はいつも友奈ちゃんの明るさに助けられてるもの」

「東郷さん!」

 さめざめと泣く友奈を東郷が慰め、そんな東郷に友奈がひしっと抱き着く。そんな二人を刑部姫は半眼で見つめてから、「はい次」と手を鳴らして答えを促す。次に手を上げたのは、風だった。

「んー、声じゃないって事は歌い方とか?」

「それも重要な要素(ファクター)だが違う。それよりももっと重要だ」

「じゃあ、やっぱり度胸ね!」

「歌でって言ってるだろうがにぼし。どういう脳みそしてたら度胸なんて言葉が思いつくんだ。次クソみたいな事を口にしたらお前を煮干しにするぞ」

 風、夏凜共に答えるが外れだった。刑部姫は樹に顔を向けるが、彼女も分からないのか首をふるふると横に振る。

「結局、一体何が答えなんですか?」

 眉をひそめて東郷が尋ねると、刑部姫はあっさりと答えを口にした。

「伝える事、だ」

「伝える事……」

 樹がその言葉を繰り返すと、刑部姫はああと頷き、

「歌というのは本来、歌う人間の想い、願い、考えを音楽やリズムに乗せて相手に伝えるものだ。確かに歌声や音程、強弱等は重要だが、それらはあくまでも伝えるという行為を補強するものに過ぎない。歌にとって一番大事な事は、誰に何を伝えたいかだ」

 掌の指をゆっくりと合わせながら、刑部姫は続ける。まるで、自分の研究結果を発表する科学者のように。

「最近はいわゆる『売れる曲』が多く売り出されているが、別にそれも間違いじゃない。声、音程、強弱、リズムが良ければ、大抵売れるからな。だが忘れてはいけないのは、例え売れるのを目的にした曲だとしても、どれだけ下手糞な歌であろうと、何を伝えるか、誰に伝えるかを明確にしなければならない事だ。別にそれはなんだっていい。友人や親に愛情を伝えるものだったり、またはこの世でたった一人の人間に向けられたものだったりな。たとえどれほどエゴに満ちた歌であっても、普通の人間なら顔をしかめるような歌詞で構成された歌であっても、誰に何を伝えたいかが込められていれば善悪関係なくそれは『歌』なんだ。逆に言えば、どれだけ声が良くても、音程が合っていたとしても、それが無ければただの空っぽだ。上手い下手の前に、それはもう歌としての体裁を整えていない。当然そんな歌は、誰の心にも響かない」

 良いか? と刑部姫は樹の顔をまっすぐ指差し、

「テストの本番では音程や強弱の事は考えるな。ただでさえ緊張しやすいお前がそこまで考えたら、一気にパンクするぞ。緊張しても良い。上手く歌おうとしなくても良い、そもそも声が良いからな。お前はただ、誰に何を伝えるかをただひたすら考えて歌え」

「そんな事で、良いんですか?」

「下手に考えると一気に場の雰囲気に呑まれる。それだけを考えていた方が今のお前にはちょうど良い。それができれば……まぁ、歌のテストで合格はまず間違いないだろう。……以上だ。精々頑張るんだな」

 そう言うと刑部姫はパチン、と指を鳴らして花びらと共に姿を消した。勇者部一同はしばらく刑部姫が座っていた椅子を見つめていたが、やがて風がポツリと言う。

「……なんか、意外と真面目に答えてくれたわね……」

「そうですね……。明日は、槍でも降るのでしょうか……」

「それ以上はやめときなさい、東郷。刑部姫が聞いたらまた戦闘機の模型を送り付けられるわよ」

「望むところです。その時は全面戦争もやむをえません」

「東郷さんの目が本気だぁ……」

 四人が口々に言う中、樹だけはさっきの刑部姫からの言葉を、小さく口にした。

「……誰に、何を伝えるか……」

 

 

 

 

 

 犬吠埼樹の運命が変わったのは、彼女が小学生の時だった。

 その日、突然家に大赦の仮面をつけた数名の大人達がやってきた。当時家にいたのは彼女と中学一年生だった風だけで、両親は不在だった。樹は風の後ろに隠れていたので、大人達の対応を行ったのは風だった。大人達が何を言っているのかは分からなかったが、話を聞く風の顔が辛く、今にも叫び出しそうなのをこらえるようにスカートを強く握りしめていたのを見て、きっと良くない事が起こったのだろうと樹は薄々感じていた。

 大人達が帰った後、姉から告げられたのは、自分達の両親が事故で亡くなったという事だった。その時の樹はあまりに衝撃的な言葉に頭の中が真っ白になってしまったが、それはきっと風も同じだっただろう。妹と姉の違いを挙げるとするなら、妹はただただ衝撃で呆けていただけだが、姉は一人残った妹を護るために必死に悲しみをこらえていた事だろう。きっと彼女も、本当は泣きたかったはずなのに。両親の葬式の時も、風は涙の一つも見せなかった。ただまっすぐ前を見て、唇を強く噛みしめていた。

 そして、その日から風は樹の姉であると同時に母親になった。家事が苦手な自分の代わりに料理を覚え、学業では勉強を教え、どんな時でも樹を助けてくれた。結果、風の背中は樹の心から安心できる場所になった。

 風がいればなんだってできる。それは紛れもなく樹の本音だった。しかし同時に、自分一人では何もできないという劣等感を、樹の心に植え付けてしまっていた。

『やっぱり、怒るよね……』

 勇者部の真実を樹達に伝え、真実を知らされた東郷が一人部室を出て行った後、風は背中を向けて一人落ち込んでいた。バーテックスという未知の怪物を相手に戦わなければならないという真実を、風はずっと一人で背負い込んでいたのだ。……それなのに、何もできなかった。

 もしも自分が姉の後ろに隠れている自分では無く、隣を一緒に歩いていけるような自分だったらどれほど良かっただろうかと、犬吠埼樹は思う。

 そうだったら、風は自分を頼ってくれていただろうか。

 彼女一人に背負わせるのではなく、自分も一緒に背負っていく事ができたのではないだろうか。

 気弱で泣き虫で、臆病。

 そんな自分に、果たして一体何を伝えられるというのだろうか----?

 

 

 

 

 

「樹ー。……樹ー? 樹起きなさーい」

 姉の自分を呼ぶ声で、犬吠埼樹は心地よい眠りから目を覚ました。しかし朝に弱い彼女にとっては、朝起きるだけでも一苦労だ。樹がベッドの上で身じろぎしていると、風が部屋に入ってきた。クローゼットに入っていた樹の制服を取り出し、椅子に掛ける。

「樹ー? 着替えて顔洗ってきなさいよー」

 うーんと非常に眠たそうな呻き声を出しながら、樹はどうにかベッドから起き上がる。それからパジャマから学校の制服に着替え、目をこすりながらリビングへの扉を開ける。風はどうやらスープの味を確かめていたらしく、小皿に少しよそったスープの味に満足した笑みを浮かべている。

「おはよう、お姉ちゃん……」

「おはよう! もうスープも出来てるから、先にトースト食べてて」

 まだ眠気が残る自分とは対照的に、風は朝からキビキビして元気いっぱいだった。朝が弱い自分にとってはうらやましいと心の底から思う。

 椅子に座り、のろのろと緩慢な動きでバターをパンに塗ってもそもそと食べ始める。と、スープを置いた風が何かに気づき、樹の後ろにそっと近づく。

「ちょっと動かないで」

 声をかけられた樹が言われた通りパンを食べるのをやめると、後頭部に何やら髪の毛をいじられるような感触が生まれる。どうやら風がブラシを使って自分の髪の毛を整えてくれているらしい。数回髪の毛を梳かすと、風が満足そうに笑った。

「よし! 今日も可愛いぞっ」

 しかし姉から褒められたにも関わらず、樹の表情は曇っていた。エプロンを外した椅子に座ろうとしていた風はそれに気づき、樹に尋ねる。

「元気ないね。どした?」

「……あのね」

「ん?」

「……あのね、お姉ちゃん」

「うん」

 繰り返す樹に、風は急かすような事はせず、ただ口元に笑みを浮かべながら彼女が切り出すのを待っている。樹は風の顔をじっと見てから、小さく言った。

「……ありがとう」

 樹の言葉に風は一瞬呆気に取られたような表情を浮かべるも、すぐに困ったような笑みを浮かべ、

「何? 急に」

「何となく、言いたくなったの。この家の事とか勇者部の事とか、お姉ちゃんにばっかり大変な事させて……」

「そんな。あたしなりに理由があるからね」

「理由って……?」

 樹が尋ねると、風は一瞬黙り込むもすぐに明るい口調で答えた。

「ま、まぁ簡単に言えば、世界の平和を守るためー、かな? だって勇者だしね」

「でも……」

「何だって良いよー。どんな理由でも、それを頑張れるならさ」

「どんな、理由でも……」

 と、そこで風は両腕をぶんぶん回し始めた。まるでその場に漂い始めた、真面目な雰囲気を振り払うように。

「はーい! シリアスはここまでー! 冷めないうちに食べて! 学校行くよ!」

 しかし風の言葉を聞いても、樹の表情は晴れないままだった。

 その後学校に登校し、授業を受けるものの樹の気分は上の空の状態だった。ノートを開き、歴史を説明する教師の言葉を聞こうにも、言葉自体が中々頭の中に入ってこない。まるで頭の中に満ちるもやもやした霧が、教師の言葉が入ってくるのを防いでいるかのようだった。

(どんな理由でも頑張れるなら……。だったら……私は……? 勇者になったのも部に入ったのも、お姉ちゃんの後ろについていっただけ……。私、理由なんて何もない……)

「----今日は、ここまで」

 教師が告げると共に、授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。我に返った樹の耳に、「起立」という言葉が伝わってくる。少し慌てて立ち上がり、礼と神樹への拝を済ませて再び着席すると、スマートフォンに着信が入る。スマートフォンを取り出して確認すると、どうやらNARUKOにメッセージが届いているようだ。送信主は風で、内容は今日の部活内容についてだった。

 なんでも飼い主探しの依頼が来てた仔猫の内、二匹の貰い手がついたらしい。それで二手に分かれ、各依頼主の家へ向かい仔猫を引き取ってくるようだ。

 するとメッセージを見た友奈と東郷から『ラジャー!』『了解です。』という返信、さらに夏凜からも『了解』という返信が届く。

「……あ」

 そこで樹はある事に気づき、急いで夏凜個人にメッセージを送る。返信はすぐに返ってきた。彼女からのメッセージには、ある人物の電話番号が記載されている。樹は教室を飛び出すと、すぐにその電話番号に電話をかけた。すぐに話したい事があるから屋上の入り口まですぐに来て欲しいと言うと、電話の相手は少し嫌そうだったが最終的には渋々と承諾してくれた。

 部活動の事も考えると、あまり長く話は出来ない。ホームルームを終えて、樹は鞄を持つと駆け足で部室ではなく屋上への入り口まで走る。本当は屋上で話した方が良いのかもしれないが、生憎普段は施錠がされているし、それに普通の生徒ならば屋上には用が無いので、まず近寄る事は無いだろうと判断したからだ。

 駆け足で人の隙間を潜り抜け、ようやく屋上の入り口まで辿り着くと、約束した相手はすでにそこで待っていた。

「遅い。人を呼び出しておいて遅れるとはどういうつもりだ」

 不機嫌そうな口調で言ったのは、夏凜の精霊である刑部姫だった。彼女は腕を組んで、眉間にしわを寄せてジロッと樹を睨んでいる。

「ごめん、なさい……。急いで走っては来たんですけど……」

 が、樹は文句の一つも漏らす事無く息を切らしながら謝った。それに刑部姫はチッと舌打ちするも、それ以上樹を責めるような事は言わなかった。そして樹が刑部姫の前までやってくると、懐から札のようなものを取り出して自分の後ろの壁に貼り付ける。

「それ、何ですか?」

「人払いだ。独り言を話していると思われるのはお前も面倒だろうし、姿が見えないとはいえ誰かに見られるのは反吐が出る。……で、何の用で呼んだ? 呼び出した理由がつまらない理由だったら、容赦はしないぞ」

 刑部姫の樹を見る目に、殺意が宿る。こういう時の刑部姫は大抵本気だ。まず嘘はつかない。彼女の殺意に圧されながらも、樹はどうにか自分を奮い立たせて彼女の顔を見る。

 樹が夏凜に頼んだのは、刑部姫の電話番号を教えてもらう事だった。自分は彼女の電話番号を知らないが、刑部姫と連絡を取っている夏凜ならば彼女の電話番号を知っているのではないかと思い、夏凜に頼んだのだ。夏凜からは心配されたものの、樹からの真摯なお願いに仕方なく刑部姫の電話番号を教えた。取って食われるんじゃないわよという、冗談とも本気とも取れる忠告と共に。

 それから急いで刑部姫に連絡を取り、渋る彼女からどうにか了承を得てここで話す事になったというわけだ。樹は深呼吸を数回すると、刑部姫に彼女を呼び出した理由を話し始めた。

「昨日、言ってましたよね。今度歌う上で大事なのは、誰に何を伝えるかを考える事だって」

「ああ、そう言った」

「でも私、あれから考えても、誰に何を伝えたら良いか、まったく分からなくて……。いつもお姉ちゃんの後ろに隠れてた自分が、一体何を伝えられるんだろうって……」

「………何故そう思う」

 樹の言葉に、刑部姫は静かにそう返した。樹は唇をきゅっと噛みながら、今日の朝から考えていた事を口に出す。

「お母さんとお父さんが死んじゃってから、家の事は全部お姉ちゃんがやってくれて……。私はそんなお姉ちゃんの後ろに隠れてるだけで……。勇者部の事だって、お姉ちゃんは全部背負ってみんなを支えてくれて……。それなのに私は、何もできない。勇者になったのも部に入ったのも、お姉ちゃんの後ろについていっただけで……。勇者として頑張る理由なんて、何もない。そんな私が、誰かに何かを伝える事が、本当にできるのかなって……」

 話すたびに、声がどんどん沈んでいく。

 馬鹿だと思う。こんな事を刑部姫に言っても、何の解決にもならないのに。きっとくだらない事を聞くなと言われるだけなのに。本当に自分は、何もできないし無駄な事しかできないと、樹は泣きそうになった。

「----理由なんて、無くて当たり前だろう」

 え? と樹が顔を上げると、刑部姫は壁にもたれかかり、腕を組んで樹の話をじっと聞いていた。

「お前は……正確には勇者部の三人は、バーテックスの事も勇者の事も知らなかった。ただ神樹に選ばれて、戦う事になっただけだ。それで戦う理由を見つけ出せと言われても、それは無理のない事だろう」

「で、でもお姉ちゃんには世界を守るって理由があって、友奈さんは勇者としてみんなを護りたいからって理由があって、東郷先輩は友奈さんを護りたいって理由があって……」

「………世界を守りたい、ねぇ……」

 口の中で転がすように、刑部姫は呟いた。それに樹が思わずきょとんとした表情を浮かべると、

「それはあいつらが特別なだけだ。大体、東郷美森だって最初は戦う事にビビっていたと聞いた。あいつも最初から戦う理由があったから戦ったわけじゃない。ただ結城友奈が傷つくのを見ていられなかった、だから変身して戦う事を決めた。それだけの話だ。何か難しい事があったか?」

「そ、それはそうですけど……」

 まだ煮え切らない態度の樹に、刑部姫は特に怒る事無く続けた。

「お前を見ていると、私の知り合いを思い出すよ」

「刑部姫の、知り合いですか?」

「ああ。そいつはお前達よりも前の勇者でな。以前は今のように一般人から勇者を選ぶんじゃなくて、大赦の家系の人間から勇者が選ばれていたんだ。だがそいつはお前達のように一般家系であるにも関わず、何故か勇者に選ばれた。つまり最初から勇者に選ばれる事が分かっていた奴らとは違って、そいつもお前同様巻き込まれる形で勇者になったんだ」

 そう聞くと、確かにその人物と自分は似ているのかもしれない。勇者の事やバーテックスの事を何も知らず、突然勇者に選ばれ戦う事になった。すると当然ある事が気になり、樹は刑部姫に尋ねる。

「その人は、どんな理由で戦っていたんですか?」

 自分が勇者になったのは、単に姉についてきただけだ。世界を守るとか、そんな高尚な理由でなったわけではない。自分と同じような立場のその人は、一体どのような理由で勇者になったのだろうか。

 しかし、刑部姫の口から出たのは予想外の言葉だった。

「無かった」

「え?」

 思わず樹が間抜けな声を出すと、それがおかしかったのか刑部姫はクックックと低く笑ってから続ける。

「正確には、最初はそいつも戦う理由が無かったんだ。そいつが勇者になったのも、ただ目の前の戦いを放っておけなかっただけ。結城友奈のような強い理由は存在しなかった。だが、幾たびの戦いを得て、自分が本当に何を護りたいのかを知った時、あいつは初めて戦う理由を自覚する事が出来た」

 分かるか? と言いながら刑部姫は樹に視線を向け、

「戦う理由が人それぞれであるように、理由ができるタイミングも人それぞれだ。最初から持っている奴もいれば、戦いの中でそれを自覚する奴もいる。お前は確かに戦う理由が無いかもしれないが、それは今だけだ。どれだけかかっても、お前はお前だけの戦う理由を見つけ出せばいい」

「……私だけの、戦う理由……」

 そんな事が、本当にできるのだろうか。樹が不安そうにしていると、唐突に刑部姫がこんな事を言った。

「お前、よく自分がああだったら、こうだったらって考えるタイプだろ。もっと明るかったら、もっと姉のような性格だったらって」

「え? は、はい……」

 まるで見透かしたような言葉に、樹は思わず頷く。ちょうど昨日の夢の中で、同じような事を考えていたからだ。さすがに刑部姫がそんな事を知っているはずがないとは思うが、まるで夢の中を覗き込まれたような気分になって少し恥ずかしい。

「言っておくが、無意味だぞそれ。個人はその個人にしかなれない。犬吠埼風は犬吠埼風にしかなれないし、お前はお前にしかなれない。違う人間のようになりたいなんていうのは、蛙が鷹になりたいと思うようなものだ。考えるのも無意味な事だ」

「……でも、それじゃあ私は……」

 すると樹の言葉を予測していたかのように、刑部姫が続きを先取りする。

「『……いつまでも私は、臆病で弱気で、泣き虫のまま』って言いたいのか?」

「…………」

 図星だった。刑部姫の言いたい事は分かるが、それは自分はいつまで経ってもこの性格のままという事だ。ずっと姉の後ろに隠れたままで、一人では何もできない。これからも、ずっとそんな情けない自分であり続けるという事。そんなのは自分でも嫌だと思うが、今の刑部姫の理屈ではそれは不可能だという事になってしまう。だったら自分は、一体どうしたら良いと言うのか。

 樹が再び黙り込むと、刑部姫ははぁとため息をついた。

「……確かに犬吠埼樹は犬吠埼風にはなれない。……だが、同時に犬吠埼風は犬吠埼樹にもなれない」

 え? と樹が顔を上げると、刑部姫はいつもは滅多に浮かべない真剣そのものの表情を浮かべて諭すように言う。

「確かにお前は姉のように明るくできないし、誰かを引っ張る事も出来ないだろう。だが臆病、弱気、泣き虫は、裏を返せば誰かの痛みを自分の事のように受け取り、共感する事ができるという事だ。それは犬吠埼風にもできない、お前にしかできない事だ。……天才の、私にもな」

 はっと刑部姫は笑った。だがそれはいつもの馬鹿にするような笑顔では無く、まるで自嘲するような笑みだった。

「そしてお前は、自分の心を歌を使って誰かに伝える事ができる。誰かのようになりたいと思うな。自分ができる事、自分だけができる事を見つけてやれば良い。どんなに平凡な人間でも、どんなに気弱で臆病で泣き虫な人間でも、そいつにしかできない事は必ずある。自分には何もないなんていう奴はな、そう言って何もかも諦めようとしている愚か者だよ。その方が楽だからな。……だが私が見た限り、お前はそういった類の愚か者じゃない。どれだけ時間がかかっても考え続けていけばいい。今は姉の後ろについていく事しかできないお前でも、それぐらいならできるだろう」

 最後は少し手厳しかったが、それは同時に樹ならできるだろうと確信しているような言葉だった。

 そして、そこで初めて樹はさっきまで自分の心を覆っていた暗雲が晴れている事を感じた。いつもは毒舌ばかりしか吐かない刑部姫が、案外真面目に対応してくれたからかもしれない。それか誰かに話した事で、気持ちが一時的にすっきりしただけかもしれない。

 だが、これだけは確かだ。

 彼女は、自分を肯定してくれた。自分はこのままで良いのだと。弱気で臆病で泣き虫。そんな自分にもできる事が、そんな自分にしかできない事が必ずあると彼女は言ってくれた。

 それが、樹にはたまらなく嬉しかったのだ。

「ま、それが分かったらもうそんな辛気臭い顔はしない事だな。いつもハムスターのようなお前がそんな顔をしていたら、明日ごろにはベッドで冷たくなっているぞ」

「----刑部姫さん」

「んぁ?」

 と刑部姫が怪訝な表情を浮かべると、樹は突然刑部姫の両手を握ってぶんぶんと勢いよく振り始めた。しかし小柄とはいえ人間の樹と精霊の刑部姫では当然体格の差がありすぎて、刑部姫は上下にぶんぶんと振り回される。

「ありがとうございます! 刑部姫さんのおかげで少しですけど気持ちが軽くなりました!」

「ああそうかそれは何よりだ分かったから手を離せ視界が狂いそうなんだよこっちは!」

「それとごめんなさい! 私、刑部姫さんの事誤解してました! 刑部姫さんにも、人情とは良心とか、そういった大切なものがきちんと残ってたんですね!」

 ようやく樹が彼女を振り回すのをやめ、むふーと輝いた目で刑部姫を見る。くらくらと首を振りながら、刑部姫は眉をひそめ、

「……いや、別に自分でもそういうものは残ってないと思うが……。あと私が言うのもなんだけど、結構言うねお前……」

 樹の意外な一面に少し驚いていると、何かに気づいたのか樹がスマートフォンを取り出して現在に時刻を確認し、あっと声を上げる。

「そうだ、部活の時間が始まっちゃう! 刑部姫さん、行きましょう!」

「え、おい、ちょっと、こら」

 そう言うと樹は刑部姫を大胆に真上に放り投げると、重力に従って刑部姫の体は樹の頭の上にぽとんと落下する。刑部姫を頭の上に乗せたまま楽しそうに笑う樹を眺めながら、刑部姫は頬杖を突き、

(……こいつ、将来悪い男に騙されたりしないだろうな……)

 まさか一時の気まぐれでこのような事になるとは……と刑部姫はため息をつく。

 その後、刑部姫を頭に乗せた樹の姿を見せて、勇者部一同は驚愕の表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

「……なんであんたがこっちについて来るのよ」

「私が一番知りたい」

 横目で樹の頭の上にいる刑部姫を見ながら言うと、刑部姫がムスッと態度で返した。

「良いじゃないお姉ちゃん。刑部姫さんがいても、依頼はできるんだし」

「まぁ、それはそうだけどさぁ……」

 さすがの風も可愛い妹の言葉に叶わず、刑部姫を見ながらはぁとため息をついた。

 樹が勇者部に合流した後、刑部姫は風と樹と一緒に依頼主の家に行く事になった。本当は夏凜の方に行って彼女をいじってやるかと刑部姫は考えていたのだが、樹の『刑部姫さんも一緒に行きましょう!』という言葉に仕方なくついていく事になった。本来なら断っていてもおかしくないのだが、先ほどの事もありどうも彼女の頼みを無下にする事ができない。

(「……あんた、樹に一体何したのよ」)

 未だ刑部姫への不審が抜けきっていない風が刑部姫に小声で尋ねると、刑部姫は変わらず不機嫌そうな顔で、

(「見ての通り、お前の妹に懐かれた。なぁ犬吠埼風、私が言うのもなんだがお前の妹大丈夫か?」)

(「……ちょっとあたしも不安になってきてるわ……」)

(「姉のお前ぐらい信じてやれよ……」)

 妹を信頼しているといえ、この状況には風も頭を抱えたいらしい。初めて互いの心がシンクロした刑部姫と風は、はぁと揃ってため息をつくのだった。

 数分後、二人と一体が辿り着いたのは海辺近くの家の前だった。事前に依頼主から教えてもらった住所を調べ、家屋と住所が一致している事を確認する。

「ここね」

 備え付けの呼び鈴を押すとビーっという音がし、風が家の中に聞こえるように呼びかける。

「すいませーん! 讃州中勇者部です! 子猫を引き取りに来ました!」

 そして引き戸を開けると、中から聞こえてきたのは子供の泣き声だった。

「絶対ヤダ! この子をあげるなんて……!」

 泣き声と共に聞こえてきた言葉に、二人と一体の目が家屋の奥に向けられる。そこでは、猫を抱えた少女と困った表情を浮かべた母親が向かい合っていた。

「私が飼うからぁ!」

「でもね、うちでは飼えないのよ……」

 しかし少女は母親の言葉に納得せず、仔猫を抱えたまま泣きじゃくっている。それを見て、樹が言った。

「もしかして、仔猫を連れて行くの嫌だったのかな……」

「あちゃー……。もっと確認しておけば良かった……」

 とすると、仔猫を引き取るという話が複雑になってくる。あの少女の様子では、恐らく仔猫を離す事はないだろう。

「どうしよう……。この家の子、泣いてるみたい……」

 樹が言うと、困っていた様子だった風はすぐに表情を引き締め、

「大丈夫。お姉ちゃんが何とかする」

「えっ? 何とかって……?」

 樹が尋ねるが、風は答えずに家に入ろうとする。が、それに待ったをかけたのは何故かスマホを眺めていた刑部姫だった。

「待て、犬吠埼風」

「……? 何よ」

「判断はお前に任せる。だがその代わり、もしもガキがどうしても飼いたいって言ったら、私が言う条件を伝えろ」

「条件って?」

 風が尋ねると、刑部姫はその条件を伝える。聞いた風は怪訝な表情を浮かべていたが、「分かったわ」と素直に頷くと家の中に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの家のお母さん、仔猫の事考えなおしてくれて良かったねー!」

「……うん」

 風と樹、刑部姫は夕日に照らされる中、学校への道を歩いていた。

 あの後風は母親と子供の仲を取り持ち、仔猫は少女が育てる事になった。その上で刑部姫が風に伝えた条件を少女に伝え、少女もその条件を承諾し、仔猫は今はあの家で引き取る事になった。

「喧嘩にもならなかったし、お姉ちゃんのおかげ。だよね、刑部姫さん!」

「ま、そうだな」

 樹が頭の上の刑部姫に言うと、刑部姫はあくびをしながら答えた。二人がそんなやり取りをしていると、風が突然こんな事を言った。

「……ごめんね、樹」

「え?」

 突然の風の言葉に樹が思わず立ち止まると、風もそれに合わせて立ち止まる。一瞬樹は自分の聞き間違いかとも思ったが、風はもう一度同じ言葉を告げる。

「ごめん」

「何で、謝るの?」

 謝られる理由が分からず、樹が尋ねると風は沈んだ表情で、

「樹を、勇者なんて大変な事に巻き込んじゃったから……。さっきの家の子、お母さんに泣いて反対してたでしょ? それでさ、思ったんだ。樹を勇者部に入れろって大赦に命令された時、あたし、やめてって言えば良かった。さっきの子みたいに、泣いてでも。ねぇ刑部姫、それってたぶんできるわよね?」

「……前例は無いが、不可能ではないだろうな」

 戦力が低くなってしまうのは痛いが、どのみち戦う意志が低いと神樹への霊的パスが繋がらず、勇者に変身する事は出来ない。それだったら樹を勇者部に入れず、四人で戦うか、それから夏凜と同じように別に勇者候補を育て、勇者部に合流させるといった方法もできなくはない。

 刑部姫の答えを聞いて、風はやっぱりと呟く。

「そしたら……もしかしたら、樹は勇者にならないで、普通に……」

「何言ってるのお姉ちゃん!」

 落ち込む風に、妹から力強い言葉が飛ぶ。風が顔を上げると、目の前には透き通った真剣な目で自分をまっすぐ見据える樹の顔があった。

「樹……」

「お姉ちゃんは、間違ってないよ」

「でも……」

 それでも風が言葉を続けようとすると、樹は小さな笑みを浮かべて、

「それに私、嬉しいんだ。護られるだけじゃなくて、お姉ちゃんと、皆と一緒に戦える事が」

 今まで自分は、姉に護られるだけだった。

 けれど勇者として戦っている時は違う。風や友奈達と一緒に、世界を守る事ができる。大変だけれど、誰かの大切な人を守る事ができる。まだ迷っている事はたくさんあるけれど、それだけは間違いなく樹自身の想いだった。

 樹の強い意志に、風はしばらく驚いたように口を開けて樹を見ていたが、彼女の言葉に安堵したのかふっと相好を崩した。

「……ありがと」

「どういたしまして!」

「樹ったらなんか偉そう! 刑部姫の性格が移った?」

 互いに言い合った後、二人は笑い声を上げた。一方の刑部姫は自分を引き合いに出されて、樹の頭の上で少しムスッと表情を浮かべている。

「さーてと! 部室に戻ったら、樹は歌の練習ね!」

「あ! うう~、そうだった……! が、頑張る!」

 そして二人と一体は、再び学校への道を歩み始める。と、風が樹の頭の上にいる刑部姫に尋ねた。

「そうだ。ねぇ刑部姫、あんたどうしてあんな条件出したの? あの子もお母さんも引き受けてくれたから良かったけど……」

 刑部姫が提示した条件とは、次のようなものだった。

 まず三ヶ月少女が仔猫を飼い、三ヶ月経って勇者部が様子を見に向かい、問題が無さそうだったらまた二ヶ月仔猫の面倒を見る。そして二ヶ月後も勇者部が様子を見て問題が無ければ、仔猫を正式にあの一家の家族とし、勇者部も様子を見に行かなくて良いというものだった。なお、様子を見に行って少女が仔猫の世話をきちんとしていなかった場合などは、即刻勇者部が仔猫を引き取るという手筈になっている。

「ガキの中には飽きやすい奴がいる。あのガキがそうだっていう確証は無いが、生き物を育てるっていうのは簡単にできる事じゃない。三ヶ月きちんと面倒を見る事ができれば及第点だろう」

「じゃあ、二ヶ月は?」

「その頃から十二月にかけて、気温がだんだん下がっていく。寝る時の環境は人それぞれ異なるだろうが、暖房を切っていた場合布団から出るのが辛くなってきて、面倒臭がりなら餌をやるのも億劫になる季節だ。おまけに猫は寒さに弱い生物だから、一日中暖房をつける事も考えなくてはならない。食費や電気代などの金銭面、アレルギー、自分や家族が家にいない時の猫に対する対応……。そういった事をひっくるめて猫を飼い、あのガキの言っている事が口だけじゃないのかを確かめるのが五ヶ月っていう期間だ」

「へぇ~、刑部姫さん、そんな事まで考えてたんですね……」

 驚き半分、尊敬半分で樹が言う。そんな妹にちょっと心配そうな視線を向けながら、風がさっきの少女の顔を思い浮かべる。

「でもさ、杞憂じゃない? あの子あんなにお母さんに自分が飼うからって頼み込んでたし、猫の世話を面倒臭がるようにはあたしには見えなかったけど……」

「言っただろう。ガキの中には飽きやすい奴もいる。最初は確かに本気で飼うかもしれないが、段々と世話に疲れてきたり飽きたりする可能性だってゼロじゃない。もしも人間が全員ペットの世話をきちんとするなら、捨て犬や捨て猫はいないだろうが」

「それは、そうだけど……」

 まださっきの少女の顔が浮かんでいるのか、風が納得していなさそうな表情を浮かべていると、刑部姫はチロリと風を横目で睨みながら、

「お前があのガキに絆されるのは勝手だが、それでもしもあの仔猫が捨てられたりしたらどうなると思う? 野良猫になって生きていくのはまだマシだ。道路を歩いていて車に轢かれたり、縄張り争いでズタボロになって野垂れ死になったり、最悪の場合は保健所送りになって殺処分っていうのもありえない話じゃない」

「………っ」

 刑部姫の口から出た単語に、風は顔を険しくし、樹も不安そうな表情を浮かべる。今は神樹への信仰心のおかげか四国に住む人々のモラルは高く、西暦時代に比べると捨て犬や捨て猫の数は減っている。しかしあくまで減っているというだけでゼロではないし、数が減っているのも西暦時代に比べると人口も減っているので、それで減っているように見えるという話も否定できない。

 そして、殺処分される犬や猫も少なからずいる、というのも悲しい事ではあるが事実だった。

「……私達人間は赤ん坊の時ならともかく、それなりに成長すれば自分で料理する事ができるし、料理をする事ができなくてもレトルト食品や水で飢えを凌ぐ事ができる。気温も過酷な環境でなければ、ある程度適応する事も出来るだろう。……だが、犬や猫などのペットは違う。私達人間の手助けが無ければすぐに死ぬ。言い方を変えれば、ペット達の命の手綱を握っているのは飼い主なんだよ。……人間にせよペットにせよ、命を育てるっていうのは楽にできる事じゃない。お前なら分かるだろう、犬吠埼風」

 刑部姫の言葉に、険しい表情を浮かべながらも風は否定しなかった。約二年前からとはいえ、一人で樹の世話をしてきた彼女には、刑部姫の言っている事が痛いほどに分かるに違いない。

「ま、私が条件を出したのはそんな理由だ。五ヶ月きちんと世話を続ける事ができれば、あのガキの言葉が口だけのものじゃないと認めてやっても良いだろう。だが途中で飽きたり放り出していた場合は、容赦はするな。すぐさまあの猫を引き取り、世話をきちんとしてくれる奴を見つけてやる事だな」

「……いや、別にはそれは良いけど、勇者部の部長はあたしなんですけど……」

 まるでリーダーのような指示を出す刑部姫に、頬をひくひくさせながら風が言う。

 すると自分の頭の上で聞こえなかったふりをする刑部姫に、樹が尋ねた。

「あの、刑部姫さん。もしかして刑部姫さんも、生き物とか育てた事があるんですか?」

 すると刑部姫は頬杖を突きながら、じろりと樹の顔を見下ろして、

「何故そう思う?」

「いえ、その……。はっきりとは言えないんですけど、刑部姫さんの言葉に実感がこもってたって言うか……。何かペットを飼ってた事があるのかなーって……」

 自分でも上手く言葉にすることができないのか、樹が難しそうに言うと、刑部姫が案外すんなりと答える。

「ああ、過去に一度な。私の友人と一緒に育てていた」

「刑部姫あんた友達いたの!?」

 風が背後に雷が見えるほどの衝撃を受けると、刑部姫がどこからか取り出したスーパーボールが風の額に直撃する。殺傷能力はないとはいえ、そこそこの弾力と刑部姫の投擲技術が組み合わさったスーパーボールが高速で額に直撃し、風は額を抑えてその場にうずくまる。

「……そっか、だから……」

「……っ? どうした、犬吠埼樹」

 追撃のために二、三発目のスーパーボールを取り出した刑部姫が聞くと、樹は刑部姫の顔を見て、

「いえ、私ずっと刑部姫さんが誰かに似てるなーって思ってたんです。誰だろうってずっと考えてたんですけど……今、分かりました」

「ほほう。私に似ている人間だと? 誰だ?」

 聞き捨てならなかったのか、刑部姫が少し挑発的な笑みを浮かべる。唯一無二の天才である自分に似ている人間とは、一体どこのどいつだと興味が沸いたのだろう。樹は笑いながら、その人物を口にした。

「えっと……その……私とお姉ちゃんの、お母さんです」

 と、それに異を唱えたのはようやくスーパーボールのダメージから回復した風だった。よほど痛かったのか、額を撫でさすりながら立ち上がり涙目を樹に向ける。

「お母さんと? 全然似てないじゃない。第一、お母さんは刑部姫ほど性格悪くなかったわよ?」

「うん、そうなんだけど……。でも、ちょっと似てるなって思ったの。顔も似てないし、性格も似てないし……。それなのに、お母さんに似てるなって。今まで理由がずっと分からなかったんだけど、刑部姫さんペットを育てたって言うし。それって、その子にとってのお母さんって事でしょ? だから……」

 確かに命を育てていたという点では、その生き物の母親とする事もできるだろう。樹が自分の母親と似ていると評したのは、恐らくその点だ。

 顔も性格も違うとはいえ、母親として命を育てていた者特有の雰囲気。ゆえに、樹は刑部姫が自分の母親と似ていると評したに違いない。

「でも、あたしはやっぱりお母さんと刑部姫が似ているとは思えないけどなぁ……。もしも刑部姫があたしの母親だったらあれよ? あたしとっくの昔にグレてるわよ? あ、ちょっと待って刑部姫ごめんスーパーボールだけはご勘弁をー!」

 悲鳴を上げて風が額を隠してうずくまる。しかし、彼女の予想に反して刑部姫は特になんの反応も見せなかった。これは風も樹も予想外だったのか、二人の視線が樹の頭の上に向けられる。

 直後、刑部姫の背中の羽がパタパタと動き、彼女が体が宙に浮く。彼女が二人に背を向けたまま、世界を赤色に染める太陽を見つめた。

「……母親、か。確かに私は第三者から見たら母親だったかもしれない。……だが、母親と呼ばれる資格は私には無い。育てはしたが、結局私はあいつを死なせてしまったからな」

「刑部姫さん……」

 どこか哀愁がこもった背中に樹は声をかける。彼女のそのような姿は、風も樹も見た事が無かった。

 刑部姫はしばらくじっと太陽を見つめていたが、やがて背中を見せたまま彼女は何も言わず花びらと共に二人の目の前から姿を消してしまった。余計な事を喋りすぎたためか、自分のそのような姿を見せるのが嫌になったのか、はたまた別の理由か。

 樹が刑部姫の消えた場所を見つめていると、風が樹の頭に優しく手を置いた。

「部室に戻りましょ、樹。歌の練習もしないと。刑部姫も大丈夫、きっと明日には、また会えるわよ」

「……うん、そうだね」

 そして樹は風と一緒に今度こそ学校へと向かう。

 その頭に、先ほどの刑部姫の悲し気な後ろ姿を思い浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 そして、歌のテスト当日。樹は丸めた音楽の教科書を手にしながら、自分の番が来るのを待っていた。

(大丈夫……。昨日だって、ちゃんと練習したんだし)

「----次は、犬吠埼さん」

「は、はいっ!」

 自分の前の順番の人物のテストが終わり、自分の名前が呼ばれる。緊張が混じった声で返事をしてから、樹は黒板の前まで歩き正面を向く。

 その瞬間、教室にいるクラスメイト達の視線が一斉に樹に向けられているのが分かってしまった。その視線に負の感情が全くないという事は分かっていても、やはりどうしようもないほどの緊張が樹の体を締め付けてくる。

(やっぱり、無理……)

 緊張と不安が樹の心を支配しかけると同時に、音楽の教師のピアノの演奏が始まる。表情を引き締めて樹が教科書を勢いよく開くと、中からぱさりと一枚の紙が床に落ちた。

「す、すいません……!」

 慌てながら樹がしゃがみ込み、紙を拾う。その際紙が開かれ、文面が樹の目に飛び込んでくる。

「………!」

 二つ折りになっている紙に書かれていたのは、勇者部の面々が自分に宛てて書いた寄せ書きだった。

『テストが終わったら打ち上げでケーキ食べに行こう』

「友奈さん……」

 自分が気負わないように、テストの結果よりも、テストが終わった後の事を書いてくれている友奈。

『周りの人はみんなカボチャ』

「東郷さん……」

 自分が緊張しないための方法を書いてくれている東郷。

『気合よ』

「夏凜さん……」

 短く簡潔だけど、信頼の念がちゃんと込められているのが分かる夏凜。

『周りの目なんて気にしない! お姉ちゃんは樹の歌が上手だって知ってるから』

 そして……心強く、樹の心から不安を吹き飛ばす、温かな風の文章。

 文面に書かれたメッセージが、樹の心に力を与え、自然と彼女の表情が笑顔へと変わっていく。

「犬吠埼さん、大丈夫ですか?」

「あ、はい!」

 自分を心配した教師に返事をし、立ち上がる。同時に、樹の脳裏に刑部姫の言葉が蘇る。

『テストの本番では音程や強弱の事は考えるな。ただでさえ緊張しやすいお前がそこまで考えたら、一気にパンクするぞ。緊張しても良い。上手く歌おうとしなくても良い、そもそも声が良いからな。お前はただ、誰に何を伝えるかをただひたすら考えて歌え』

 刑部姫からの言葉を強く心に刻みこむと、再びピアノの演奏が始まる。しかし、樹の心に先ほどあった恐怖と過度の緊張は無い。若干の緊張はあるが、刑部姫も言っていた通りそれは必要なものだ。無理に無くすようなものではない。今自分がすべきは、

(誰に、何を伝えるか……)

 そんなのはもう、決まっている。

(私はみんなと一緒にいる! 勇者としてだって、この歌だって……!)

 それだけを、伝える。

 この場にはいないけれど、自分の事を信じてくれている、勇者部の面々。

 そして、自分の可能性を信じてくれた、母親のような精霊に。

 樹の口が開かれ、歌声が教室に響き渡る。

 教室のクラスメイト達の驚きと感嘆が入り混じった目が樹に向けられるが、それにも緊張する事無く樹は歌い続ける。

 クラスメイト達のその反応が、今回の樹のテストの結果を見事に表していた。

 

 

 

 

 

 放課後、刑部姫はこの前樹に呼び出された屋上に通じる扉の前で一人宙に浮かんでいた。彼女が腕組みをして目を閉じていると、階段を上ってくる足音が聞こえてくる。この場に現れる人物は、刑部姫の知る限り一人しかいない。

「刑部姫さん!」

 その人物、犬吠埼樹が姿を現すと刑部姫はゆっくりと目を開ける。樹は刑部姫の目の前まで来ると、息をつきながら嬉しそうに言った。

「刑部姫さん、私……!」

「言わなくても分かる。歌のテストで合格したんだろう?」

「はい、これも、勇者部の皆さんや刑部姫さんのおかげで……!」

 と、突然刑部姫が樹の口に右手の人差し指を向ける。

「確かにあのガキ共や私の言葉がお前の助けになったのは事実かもしれない。だが、合格を勝ち取ったのはお前自身がプレッシャーに負けず、自分の実力を発揮したからだ。そこは間違えるな」

 一瞬呆気に取られた樹だったが、刑部姫の遠回しな励ましだという事に気づくと、クスクスと笑った。樹が突然笑い始めた事に刑部姫は一瞬眉をひそめると、何かを言う事も無く再び腕を組んだ。

「それで刑部姫さん、実は私、やりたい事が出来たんです」

「やりたい事?」

「実は私……歌手に、なってみたいというか……」

「ほう」

 少し照れながら樹が言うと、刑部姫はからかう事も無く少し目を見開いた。今まで小動物のように気弱だった彼女が歌手という職業を口にした事が、意外だったのかもしれない。

「正直、まだ夢なんて言えないです。ただやってみたい事ができた、それだけなんです。けど、それでも良いんです。頑張る理由があれば、私はお姉ちゃんの後ろじゃなくて、一緒に並んで歩いて行ける。だから、歌手になるために頑張ってみたいって思って……。ちょ、ちょっとまだお姉ちゃんに言うのは恥ずかしいんですけど……」

 恥ずかし気に樹が頬を赤くすると、刑部姫は腕を組んだ状態のまま樹に告げた。

「良いんじゃないのか。例えどんな理由でも、それは他の誰でもないお前が抱いた願いであり、お前の意志だろう。だったら、お前が望むままやりたい事に向かって突き進んでいけばいい」

「……っ! はい! ありがとうございます!」

 刑部姫の言葉に嬉しい気持ちが胸の奥からこみ上げてきて、樹は思わずぺこりとお辞儀をした。一方の刑部姫は、真正面から礼を言われる事に慣れていないのか、ぷいっとそっぽを向いている。

「じゃあ私、部活に行きますね! ……刑部姫さん!」

 階段を下りて少し刑部姫から距離を取ると、突然樹が振り返って刑部姫に叫んだ。

「何だ?」

「昨日、刑部姫さんは自分は母親と呼ばれる資格なんてないって言ってましたけど、私はそんな事ないって思います! 昨日刑部姫さんは、自分が育てていた子が死んでしまった事を本当に悲しんでいるように見えましたから!」

「………」

「だから私は、刑部姫さんはその子にとって間違いなくお母さんだったと思います! だから、母親と呼ばれる資格なんてないなんて、言っちゃ駄目ですよ! ……じゃあまた、部活で!」

 そう言って樹は、階段を駆け下りて勇者部部室へと向かって行った。

 刑部姫が階段下をじっと見ていると、彼女の後ろの屋上への扉が静かに開かれる。中から現れたのは、大赦の仮面を被り、神官服に身を包んだ安芸だった。

「珍しいですね、あなたが特定の個人に肩入れするとは」

「………ただの気まぐれだ」

「本当ですか?」

「………」

 正直、ただの気まぐれと言うと嘘になる。

 もしかしたら、彼女と誰かを重ね合わせていたのかもしれない。

 親を失い、母であり姉のような存在の庇護の下で育てられた、誰かを。

 だからこそ自分でも信じられないぐらい、彼女に色々とお節介を焼いてしまったのかもしれない。

「一応聞いておきますが、大丈夫ですか?」

「それはあいつに同情して、監視の目が鈍るんじゃないかって言いたいのか? 安心しろ、それはない」

 確かに今回は樹に色々助言を送ったし、かつて自分のそばにいた誰かを彼女に重ねて見ていたのかもしれない。

 しかしそれで、自分の役目を忘れるような愚かな真似は決してしない。例えこの先彼女が戦いの中で傷ついたとしても、だ。

 冷酷だと言われるかもしれないが、そもそもそういった人間なのだから、今更何を言っているのだという話にしかならない。

「……それを聞いて安心しました。彼女達のサポートと監視、引き続きよろしくお願いします」

「ああ、お前もわざわざこんな所にご苦労だったな」

 神官はぺこりと刑部姫に頭を下げ、階段を下りていった。彼女の後ろ姿を見送ると、刑部姫はスマートフォンを取り出して現在の時刻を確認する。

「……面倒だが、私も行くか」

 直後、刑部姫の姿は大量の花びらと共に、階段から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後の七月七日、残りのバーテックス七体が一斉に四国に襲来。

 讃州中学勇者部、結城友奈、東郷美森、犬吠埼風、犬吠埼樹、三好夏凜がこれを迎撃。

 戦いの中で三好夏凜を除いた勇者四人が『満開』を発動、結果バーテックス七体を撃破する事に成功する。

 十二体のバーテックスを全て撃破し、友奈達はもうこれで自分達の戦いは全て終わったと思っていた。

 その先にある、真実と悲しみを知らぬまま。

 

 




次話は七体のバーテックスとの戦いが終わった後の話になります。理由としては次話の展開では刑部姫はほとんど戦いに参加せず、ほぼ原作通りの流れになるからです。ですから次回は七体のバーテックスとの戦いが終わった後、つまり四人が満開した後の話になります。楽しみにしていた読者の方々には申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いします。


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第三十二話 現れしアンノウン

刑「大赦の精霊であり、てぇんさい美少女精霊の刑部姫は結城友奈達讃州中学勇者部と共に、日々の監視とサポートを行っていた。しかしある時七体のバーテックスが襲来、友奈達は満開をしてこれを撃退するのだった……」
刑「今回は、七体のバーテックスとの戦いが終わった後、原作で言うと八話からになる。つまり今話から、結城友奈の章が急展開を迎えていく事になる」
刑「では第八話、楽しんでくれ」



 

 

友奈達讃州中学勇者部が七体のバーテックスを倒してから、二週間が過ぎたころ。刑部姫は一人自分の研究室で、以前と同じようにパソコンのキーボードを叩いていた。

 友奈達とは彼女達がバーテックスを倒してから顔を合わせていない。自分の役目はあくまでも彼女達の監視とサポートであり、全てのバーテックスを倒した以上サポートはすでに終了しているし、監視は彼女が開発した電子式神『式神くん』がいればどうとでもなる。

 刑部姫がパソコンの画面を見ていると、着物にしまっているスマートフォンに着信が入る。スマートフォンを取り出して耳に当てると、通話先の相手に言う。

「珍しいな、お前がここに来ないで電話してくるとは。何かあったのか?」

『神託がありました。バーテックスに生き残りがいたようです』

「生き残り?」

 相手----安芸の言葉を聞いて、刑部姫は思わず眉をひそめる。バーテックスは確か星屑を除くと十二体だったはず。今までの戦闘で、友奈達は十二体のバーテックスを倒した。なのに、生き残りとは一体どういう事だろうか。

「……まぁ良い。敵が再び出現するならまた倒せば良いだけだ。戦闘はまた結城友奈達が?」

『ええ。先ほど犬吠埼風様に生き残りが出現した事を報告しました。端末もすでに送っています』

 彼女達が変身に使っていた携帯端末は七体のバーテックスを倒した事で用済みになったので、戦いが終わった後大赦が回収していた。彼女達には代わりの端末が送られているが、勇者専用のアプリであるNARUKOがダウンロードできないため、精霊を呼び出す事も変身する事はできなくなっている。刑部姫が夏凜に呼び出されないのも、それが理由だった。

「……あいつらが戦うのは構わんが、お前達は良いのか? 何人か、気づきかけているぞ」

『………』

 刑部姫の確認に返ってきたのは、無言だった。

 先の七体のバーテックスとの戦いで、夏凜以外の勇者部メンバーは全員満開した。

 無論その代償である散華も発動している。結果友奈は味覚、東郷は左耳の聴覚、風は左目の視力を失っている。

 そして樹は、友奈達や刑部姫に褒められ、自分が歌手をやりたいと思うきっかけとなった声を失った。今は満開を行った事による疲労によって一時的に歌えなくなっていると思っており、その声が二度と戻らないという事にはまだ気づいていない。

 だが、満開によって失ったのではないかと考えている人間はいる。東郷美森と、彼女によって知らされた犬吠埼風だ。二人共まだ半信半疑といったところだが、一歩間違えれば満開の真実に気付く可能性がある。

「今はどうにか誤魔化せているかもしれないが、奴らは能天気ではあるが馬鹿じゃない。特に東郷美森はな。時間が経てば、自分達の五感の一つが失われた原因が満開である事に気づくぞ。一応仕事だから私も監視は続けるが、最悪の場合記憶操作も考えておくべきだろう。大赦はなんて言っているんだ?」

『………彼女達の対応は、丁重にするようにと』

 すると安芸の言葉に、刑部姫ははっと笑い、

「丁重に、ねぇ。満開と散華について何も知らせず、生贄に出してるのに何を言っているのやら。なのに記憶操作は行うべきじゃないとは、大赦の奴らは少し詰めが甘すぎる。三好夏凜も卒業まで讃州中学に残る事を許したらしいな」

『はい』

「奴らが暴走した時の事を考えるなら、三好夏凜を他の中学に飛ばした方が楽だろうに。どうなっても知らんぞ、私は」

 やれやれ、と呆れたように肩をすくめた。

 今刑部姫が言った通り、戦いが終わった後夏凜は卒業まで讃州中学に残る事になっていた。安芸から聞いた話だが、任務が終わった後彼女から讃州中学に残れないかと大赦に連絡が来て、それを了承したらしい。最初はハリネズミというか、どうにもツンツンしていた少女がここまで丸くなるとは、と最初それを聞いた刑部姫も少し驚いた。そして、やはりチョロいなアイツという感想も忘れなかった。

「……まぁ良い。結局お前が言いたいのは、またあいつらと合流して生き残りのバーテックスを倒せって事だろ? 監視は変わらず私の方でやっておく。秘密管理はお前達の仕事だしな」

『ありがとうございます』

「礼は良い。で、バーテックスが出現する日時についての情報はあるか?」

『次の新月から四十日の間で襲来するようです』

「範囲が広いな……。特定は難しい、か。分かった。気を付けておく」

『では、後は頼みます』

 そう言って通話が途切れると、刑部姫はスマートフォンを着物にしまう。それから椅子に深く座りなおすと、暗い天井を見つめた。

「……なんか、嫌な予感がするな。私のこういう時の予感は、何故か無駄に当たるから嫌になる……」

 危機察知能力としては良いのかもしれないが、それは理由が分かればこその話だ。いかに天才の彼女と言えど、その理由が分からなければ対処のしようがない。対処できなければ、ただその時が来るのを待つ事しかできない。その事に苛立ちながらも、思考と落ち着かせるためと休憩代わりに、刑部姫は椅子にもたれかかると目を静かに閉じた。

 

 

 

 

 

 

「風先輩の話って、何だろうね」

「さぁね。でも風がわざわざ部室に呼ぶって事は、ただ事じゃなさそうね」

 讃州中学の廊下を、友奈、樹、夏凜の三人が歩き、東郷はいつも通り車椅子を友奈に押されていた。今日の休み時間、部長の風から放課後の部活時間に部室に集まるようチャットが届き、それでこうして途中で勇者部の面々と合流しながら、部室に向かっているという事だ。

 四人は家庭科準備室の前に立つと、友奈が代表して扉を開ける。

「結城友奈、東郷さん、樹ちゃん、夏凜ちゃん入ります!」

「遅ぇよ桜饅頭。お前ら四人の頭を串刺しにして団子四姉妹にするぞ」

「何その猟奇的すぎる発想!? ってえぇ!?」

 夏凜が驚くのも無理はない。

 部室にある椅子に、もう会えないと思っていた精霊、刑部姫が頬杖をついて友奈達をじろりと睨んでいたからだ。なお、その横には自分達をここに呼び出した風が苦笑を浮かべながら座っている。風の左目には、一般的な医療用の眼帯では無く、彼女がカッコイイからという理由で選んだ黒い眼帯が巻かれている。テーブルの上には、何故かスーツケースがでんと置かれていた。

「ど、どうして刑部姫がここに!?」

「それを説明するためにここに呼び出したんだ。さっさと入れよドンガメ」

 すると樹が三人の脇を通り過ぎて、刑部姫の前に立つと手に持っていたスケッチブックに何やら文字を書き、刑部姫に見せる。

『刑部姫さん、お久しぶりです!』

「……お前、まだ声戻ってないのか」

 刑部姫が尋ねると、樹は困ったような笑みを浮かべながらこくりと頷く。それに刑部姫は特に表情を変える事無く、「……そうか」と呟く。

「樹、あんたがいなくなって寂しがってたわよ? あんたも久しぶりぐらい言いなさいよー」

「気が向いたらな。それよりさっさと座れ。今日犬吠埼風がお前達を呼び出した事について説明する」

 友奈達が言われるがまま椅子に座り、東郷が空いた場所に移動するのを確認すると、刑部姫がテーブルの上にあるスーツケースに手を伸ばし、ロックを外して中にあるものを五人に見せる。それを見て、四人は息を呑み、風は唇を噛み締める。

「刑部姫、それは……」

「ああ。お前達の勇者端末だ」

 スーツケースの中に入っていたのは、友奈達が以前使っていた五つの携帯端末だった。

「ど、どうして? だって戦いは終わったんじゃ」

「終わってなかったから返ってきたんだ。先日、大赦がバーテックスの生き残りを確認。大赦は新月から四十日以内に襲来すると予測している。それを迎撃するために、お前達にこれを返却する事にした。ざっとまとめると、こんな感じだ」

(戦いが……まだ続く)

 ようやく終わったと思っていた戦いが続くという事を知り、友奈は膝の上で静かに拳を握る。すると刑部姫の話を聞いていた風が言う。

「私もこの前、大赦からのメールで知ったばかりなんだけど……。いつもいきなりで、ごめん」

「そんな、先輩が謝るような事ではないです。仕方ないですよ」

「東郷さんの言う通りです、先輩!」 

 謝る風を友奈と東郷が励まし、夏凜はにぼしをつまみながら、

「そいつを倒せば済む話でしょ。私達は敵の一斉攻撃だって殲滅したんだから、生き残りの一体や二体、どんと来いよ!」

「そうやって油断して足元をすくわれないようにするんだな」

「本当、一言多いわねあんた……」

 刑部姫にとっては油断するなと忠告しているつもりかもしれないが、不思議と刑部姫が言うと嫌味に聞こえてしまう。まぁ、普段の彼女の言動もあるのでそれは仕方がないのかもしれないが。

 と、スケッチブックに何かを書きこんでいた樹は文字を書き終え、書かれている文字を勇者部に見せる。

『勇者部五箇条、なせば大抵なんとかなる!』

「……ありがと、みんな」

 勇者部の面々に励まされ、風は安心したような笑みを浮かべると、部室の窓を静かに開ける。外からの風が、風の髪を静かに揺らした。

「よーし! バーテックス! いつでも来なさい! 勇者五人がお相手だー!」

 風の威勢の良い声が、夕空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 と、風が威勢よくここにはいないバーテックスに宣戦布告をしてから半月が経った、九月二日。

「なーんて言ってたのに、全然来ないね。バーテックス。もう二学期始まっちゃったよー」

 あれからバーテックスは来る事なく、学校は二学期に突入した。バーテックスが来ると聞かされた時は緊張で少しピリピリしていた事もあったが、今ではすっかり緩いほんわかした元通りの勇者部の雰囲気に戻っている。

「敵を気にしないのも駄目だけど、気にしすぎるのも良くないわ。友奈ちゃん」

「東郷さんは落ち着いてるなぁ。その秘訣は?」

「かつて、国を守り戦った英霊達の活動記録。うちで映像見る?」

「で、できれば分かりやすく、アニメになってるのが良いなー」

 む、難しそう……と友奈が思いながら言うと、突然友奈のそばに精霊が出現した。

 とは言っても、それは彼女の精霊である牛鬼ではない。端末が返された時に追加された、友奈の新しい精霊だった。

 外見は猫のようだが、手足が炎に包まれ、尻尾の先には炎が五つついた輪が浮いている。猫は友奈と一瞬顔を合わせると、そのまま手足を動かして空中を自在に動き始めた。精霊は普通の人間には見えないとはいえ、こうして自由自在に動き回れるのは友奈としても気が気ではない。

「ああ、火車。急に出てきたら駄目だって。この子も牛鬼みたいに悪戯っ子なんだよねー」

「友奈ちゃんが優しいから、わんぱくなのよ」

 ため息をつきながらスマートフォンを操作して火車を消す友奈に、東郷がやんわりと言う。しかしすぐにその笑みを消すと、髪をまとめているリボンに触れる。

(………新たな戦力、か……)

 その後二人は家庭科準備室の前まで辿り着くと、扉を開けて中にいる風に挨拶する。

「結城友奈、入りまーす!」

「こんにちわ!」

「ウィーッス!」

「すっかりそのキャラ定着しましたね!」

 と、軽い挨拶をかわす風に友奈が言う。部室にはすでに二人以外の部員と刑部姫が集まっており、夏凜は友奈と東郷に手を上げて挨拶し、樹は『ウィースです』と書かれたスケッチブックを見せる。一方、刑部姫は二人に視線をちらりと向けるが、特に言葉をかける事無くすぐにふいと視線を逸らす。まぁ、彼女らしいと言えば彼女らしかった。

 そして、東郷は勇者部の面々を見た後、自分の左耳に視線をやる。結局誰の体も治らないまま、こうして秋になってしまった。いつになったら、自分達の体は全快するのだろう……という考えが、彼女の表情から読み取れた。とは言っても、勇者部の面々がそれに気づく事は無い。

「………」

 ただ一人、東郷の顔を観察するように見つめている刑部姫を除いては。

 と、じっと考え込んでいた東郷の目の前に尻尾が鎌のようになった鼬が飛び込んできた。鼬が東郷の膝の上に座ると、その鼬の主である風が東郷に謝る。

「あ、ごめん! そいつ好奇心旺盛で。犬神と違ってあんま言う事聞かなくてさー」

「先輩の新しい精霊……。あ、ちょっと! くすぐったい!」

 鎌鼬が東郷の首の周りを歩き回り、それに東郷が笑うと彼女の膝の上に置かれているスマートフォンが光を放つ。すると東郷の精霊である青坊主、刑部狸、不知火、さらに新しく加わった川蛍が出現し、彼女周囲を飛び回る。すると鎌鼬は、しゅるりと東郷の首から駆け出して行った。

「東郷さんのはいつ見ても賑やかだなー」

 友奈が言うと、刑部狸を除いた精霊の目が一斉に友奈を睨む。

「あ、あはは……こんにちは!」

 友奈が慌てて笑いながら挨拶をすると、それを見ていた東郷がすっと深呼吸してからピシッとした声を出す。

「全員、気を付け!」

 するとすぐさま四体は東郷の目の前に素早く並んだ。素晴らしいほど行き届いた教育だった。まるで、軍隊を率いる教官のようである。

「さすが! 訓練されてるー!」

 友奈が感嘆の声を上げると、友奈と横にいた夏凜の目の前に二体の精霊がふよふよと漂ってくる。よく見てみると二体の精霊は、樹の精霊である木霊と新しく追加された雲外鏡だった。目を見開く二人に、樹がスケッチブックを二人に見せる。

『私の雲外鏡と木霊も出てしまいました』

 さらにそれに呼応するように友奈の精霊である牛鬼と火車も出てきて、空中を自由に動き回る。

「わわわ! 私のも飛び出てきたー! 牛鬼、他の精霊食べちゃ駄目だからね!」

 空中を自由気ままに動き回る精霊達を見て、風は腰に両手を当てながら、

「大赦が新たな精霊を使えるよう、端末をアップデートしてくれたのは良いけど、ちょっとした百鬼夜行ね……」

「ほ、本当賑やか! もういっそ文化祭これで良いんじゃないですか!?」

「良くないわ」

「ですよねー!」

「そこはしっかりと否定するんだな……」

 第一精霊は普通の人間には見えないので、東郷が否定しなくてもこの案はどのみち却下されるのだが。

 自分の頭の上で飛び跳ねる木霊を指差しながら、夏凜は不機嫌そうな口調で、

「まったく……。あんたら、精霊の管理ぐらい、東郷みたいにちゃんとしなさいよわあああああああああっ!!」

『諸行無常』

 牛鬼によって自分の精霊である義輝が食われているのを見た夏凜が絶叫し、義輝がなんとも悲しい声を上げる。なお、それを見た刑部姫はやはりと言うべきか、椅子の上で「………っ!」と無言で爆笑していた。

 それからようやく自分達の精霊を全て端末に戻し、風が息をつく。

「ふぅー。ようやっと端末に戻ったわね」

 一方で、自分の端末を見て夏凜が悔しそうに唇を噛む。

(……それにしても私だけ、新たな精霊なしとか、どういう事なのよ……)

 と、スケッチブックをめくる音が聞こえ、夏凜が顔を上げると樹がスケッチブックを夏凜に見せていた。

『敵……いつくるのかな。ドキドキ』

 すると彼女を安心させるように、夏凜は唇の端を上げて、

「そうね。私の勘では、来週あたりが危ないわね」

「実は敵の襲来は気のせい! ……だったら良いんだけどねー」

 と、それまで黙って話を聞いていた刑部姫がようやく口を開いた。

「それはない。今までも神樹の神託に誤差はあったが、神託そのもが外れた事は一度もない。断定はできないが、そろそろ来てもおかしくない頃だぞ」

「そうは言ってもさー、あの諸葛孔明だって負け戦はあるのよ? 弘法も筆の誤り。神樹様も予知のミスくらい……」

 そう言った直後。

 風の言葉を否定するように、樹海化警報のアラームがそれぞれのスマートフォンから鳴り響いた。世界の時間も、人の動きも、風も、全てが停止する。

「ええっ!?」

 無論それに誰よりも驚いたのは、今軽口を叩いた風だ。すると自分のスマートフォンの画面を見ながら友奈が苦笑し、

「噂をすれば、ってやつかな……」

「風が変な事言うから、神樹様からの的確なツッコミね、これは」

「あ、あんただって勘外しているじゃない!」

「なるほど、ではこれはお前達の責任という事だな。責任取って腹切れ。介錯は面倒だから苦しんで死んでくれ」

「切らないわよ! ……って、本当に脇差持ってる!?」

「前から気になってたけど、一体どこから調達して来てんのあんた!?」

 本当に脇差を夏凜と風に差し出す刑部姫に、二人のツッコミが飛ぶ。野球ボール、チェーンソー、スーパーボールと、過去にも色々なものを取り出していた彼女だが、ここまで来ると彼女に持ち出せないものはないのではないかと勘繰ってしまう。

 しかし、いつまでも漫才をしている暇はない。不思議な光が世界を包み込んでいき、色とりどりの花弁が宙に舞い散る。

「来ちゃったわね……」

「上等! 殲滅してやるわ!」

 そして、世界は樹海へと切り替わった。

 人工的な建造物などが一切なくなった、神樹の根が辺り一面に張り巡らされた世界。

 その中で東郷は自分のスマートフォンを取り出すと、画面を操作する。すると画面に現在の樹海のマップが表示され、マップには自分達勇者の現在位置、そして『双子座』というマーカーが『防衛対象』----神樹に接近している様子が映し出されていた。

「あと数分で森を抜けます!」

「一体だけなら!」

 すると、そんな友奈に釘を刺すように夏凜の頭の上にいた刑部姫が言う。

「油断はするなよ。残り一体だろうが、どんな能力を持っているか分からん。窮鼠猫を噛むとも言うしな」

「そ、そうだね。そう言えば、刑部姫が一緒にいるのって、考えて見ると初めてかも……」

 友奈の言う通り、刑部姫がバーテックスとの戦いに直接姿を見せた事は無かった。初めて会った時はバーテックスとの戦いが終わった後だし、この前の七体のバーテックスとの戦いの時も結局最後まで姿を見せる事は無かった。

「今回が最後だしな。それに生き残りを倒した事を確認しておきたい。大丈夫だとは思うが、手は抜くなよ」

「分かってるわよ。今回の敵で延長戦も終わり! ゲームセットにしましょう!」

 風の宣言に、夏凜も勝気な笑みを浮かべ、

「そうね。絶対に逃がさないわ!」

「行くわよ!」

 風の号令と共に、友奈達五人は取り出したスマートフォンの勇者システムを起動し、それぞれ神樹の力を身に纏い勇者へと変身する。

 変身した友奈は自分の右手に目をやると、そこには一度満開した事によって空になった満開ゲージがあった。緊張した様子でゲージを見ていると、風の声が四人にかけられる。

「よーし! じゃあまた、あれやろうか!」

「あれ?」

 前回いなかった刑部姫は当然分からなくて当然だが、どうやら四人には何の事かもう分かっているらしく、

「了解です!」

「本当、好きね。こういうの」

 そしてすぐに五人は肩を組むと、円陣を組んだ。どうやら風の言うあれとは、円陣の事だったらしい。

「敵さんをきっちり昇天させてあげましょ! 勇者部、ファイトー!」

「「「オオーッ!」」」

「運動部かよ……」

 夏凜の頭の上で、刑部姫は呆れまじりにそう呟いた。

 円陣を解き、神樹に近づくバーテックスの近くの根に降り立つと、敵の姿を確認する。

 大きさは今まで戦ってきたバーテックスと比べてかなり小さい。他のバーテックスは大体20~30メートル以上の大きさがほとんどなのだが、あのバーテックスは3メートルほどしかない。しかし大きさに反して移動はかなり素早く、スマートフォンで確認してみると時速250kmは出ているようだった。

 姿も他のバーテックスとは違い、少し人間に近い。二足歩行に、横長の道具で首と両手を固定された姿。それはまるで、旧世紀にあったギロチンという処刑道具で首と両手を固定された罪人のように見えた。

「あの変質者、樹が倒さなかったっけ?」

「元々二体いるのが特徴のバーテックスかもしれません」

「二体でワンセット……双子って事?」

(正解)

 あのバーテックスが高速機動を得意としたバーテックス、双子座の名を関するバーテックス、ジェミニ・バーテックスという事を知っている刑部姫は心の中で友奈の答えに正解の判定を下した。

「いずれにせよやる事は同じ! 止めるわよ!」

 だが、何故か夏凜以外の四人の動きは硬い。全員が険しい表情を浮かべたまま、その場から一歩も動かない。

「どうしたの!? さっきみんなであれだけテンション上げたじゃない!」

 と、そこで夏凜が何かに気づいたような表情を浮かべる。それを頭の上で眺めていた刑部姫も、夏凜と周りの勇者達の表情を見て彼女達が動かない理由を悟る。

(……まぁ、こうなるのは普通だな)

 彼女達は恐らく、こう考えているのだろう。

 前回、夏凜以外の全員が満開をした。そして、その全員が体に何らかの不調を抱えた。

 ならば、今回もそうならない保証はない。ジェミニと戦闘を行う事で、また自分達の体に何らかのダメージが来るのではと、彼女達は不安になっているのだ。

 戦わなきゃいけないのは分かっている。だが、頭では理解できていても体が動かない。大方、そんな所だろう。

(……やれやれ。面倒だが、私がやるか……)

 ここで友奈達を無理やり戦わせるのは簡単だが、そうして彼女達が万が一満開をしてまた体の機能を失った場合、今度こそ満開の真実に気付く可能性が高い。そうなったら、彼女達の不安の矛先は大赦へと向くに違いない。正直大赦がどうなろうと刑部姫にはどうでも良いのだが、ここで勇者と大赦の関係に亀裂が入り、問題が起こるのは面倒だ。ならば、ここで自分が戦って後々起こるかもしれないリスクを防いだ方が良い。

 そう考え、刑部姫が夏凜の頭の上から降りようとすると、夏凜が構え、

「問題ない! それなら私が!」

 勇者部の不安を感じ取り、夏凜がジェミニ目掛けて走り出そうとした瞬間。

 パン! と何かを叩くような音が聞こえ、

「よーーーーーーーーし!!」

 樹海に、友奈の叫び声が響き渡った。どうやら今の音は、彼女が両手で自分の頬を叩いたらしい。

「友奈ちゃん?」

「どうしたのよ、急に」

 突然の友奈の行動に、四人の視線が友奈に向けられる。友奈は明るく笑いながら、

「先輩! あの走ってるのを封印すれば、それで生き残りも片付くんですよね!」

「う、うん」

「だったら! とっとと終わらせて、文化祭の劇の話しましょー!」

 そう言うと、友奈はジェミニ目掛けて跳躍した。

「私も!」

「ぬわっ!」

「友奈! 夏凜!」

 友奈に続くように夏凜もジェミニ目掛けて跳躍し、二人の背に風の声がかけられるが、二人が止まる事は無い。ちなみに三人以外に声を発したのは刑部姫で、夏凜が突然跳躍したため彼女の頭の上から振り下ろされたからだ。

「ここは私に任せなさいっての!」

「でも……」

「って言っても、聞かないだろうから一緒にやるわよ!」

「うん! 夏凜ちゃん!」

 二人は空中で拳を引くと、走るジェミニ目掛けて強烈な拳を放つ。二人の拳は見事に直撃し、走っていたジェミニは地面に叩きつけられた。

「やった!」

 友奈が歓声を上げるが、仰向けに倒れていたジェミニはすぐに起き上がると神樹への走行を再開しようとする。が、膝にいくつもの小さな剣が飛んできて再び転んでしまう。

「風先輩!」

「二人共ありがとう!」

 どうやらジェミニの移動を妨害したのは風のようだった。

 さらに離れた所では、東郷が一人転んだジェミニ・バーテックスに狙いを定めている。

「他に敵影なし。あいつさえ倒せば、この延長戦も終わり」

 そして、ジェミニの真上には刑部姫が羽をパタパタと動かしながら四人と一体を見下ろしていた。

「……これで、終わりだな」

 ジェミニは再び起き上がろうとしているが、周りには友奈達が取り囲んでおり、遠距離から東郷が狙いを定めている。ジェミニは確かに早いが、これといった攻撃手段は持っていない。チェスでいう、チェック(王手)の状態だ。どうあがこうと、友奈達の勝利はすでに確定している。

 ----この場にいる誰もが、そう思っていた。

 友奈も、東郷も、風も、樹も、夏凜も。そして絶対や完璧を信じず、何事も勝負が決まるまで決して油断しない刑部姫すらも。

 だから、きっと。

 まるで警報のような甲高い音が樹海に鳴り響いた時、誰よりも驚いたのはきっと刑部姫ただ一人だっただろう。

「………っ!?」 

 音源は刑部姫の着物からだった。突然の音に戦闘中である事を一瞬忘れ、友奈達は刑部姫に視線を向け、東郷は様子がおかしくなった四人に眉をひそめる。

 一方で、その音の意味を誰よりも理解していた刑部姫はまなじりが裂けんばかりに目を大きく開くと、スマートフォンを取り出してマップを表示する。

 そこに映し出された情報を確認すると、焦った声で叫んだ。

「----全員、散開!!」

 気が付けば、頭で理解するよりも体が動いていた。

 彼女達が知る限り、刑部姫がここまで動揺した事は無い。その彼女がここまで動揺しているという事は、つまり自分達では想像がつかない異常事態が起きたという事。それを理解した友奈達は何で? 何があった? と考えるよりも早く、その場から飛びのいていた。

 結果的に、彼女達の判断は正しかった。

 次の瞬間、上空から何かがまるで流星のように降って来て、爆発のような轟音と共に起き上がろうとしていたジェミニの頭部に突き刺さったからだ。

「な、何っ!?」

 夏凜が叫ぶが、何かが降ってきた衝撃で土煙が発生し、何が起こったかが分からない。四人と上空にいる刑部姫は何があっても良いように呼吸を整えながら、煙が晴れるのをじっと待つ。

 そして煙が晴れた時、そこには二体の影があった。

 一体は、頭部を破壊され地面に横たわるジェミニ。

 もう一体は----。

「……バー、テックス?」

 現れたそれを見て、友奈が呟く。

 彼女の言葉に疑念の色が混じっていたのは、それが本当にバーテックスなのか確信が持てなかったからだ。

 ジェミニ・バーテックスも他のバーテックスに比べると小さい方だが、現れたそのバーテックスはさらに小さい。高さは150cmを少し超えているぐらいで、ほぼ人間と変わらない。

 雪のような白い体色に、人間のような両腕両足。両手と両足の先には鋭い爪が生えており、体のあちこちには羽根のような装飾。背中には小さな翼が生えており、小さな双眸の色は銀色。右手には、純白の大刀。今ジェミニの頭部を破壊したのは、きっとあの大刀の一撃だろう。

 バーテックスには違いないだろうが、その姿は今まで友奈達が見てきたバーテックスよりもはるかに人間に近かった。

 しかし印象としては、人間というよりも鳥を擬人化した怪物、と言った方がしっくりくる。こうしている今も友奈達には何の反応も見せず、言葉を発したりもしない。姿と挙動からして、人間ではない事はまず明らかだ。

「……刑部姫、こいつ、バーテックス?」

 目の前の二体のバーテックスから警戒を外さぬまま夏凜が静かに聞くと、刑部姫が降りてきてタブレットを操作し、

「……ああ、外見は今までのバーテックスと比べるとかなり人間に近いが、間違いない」

「どういう事? バーテックスの生き残りは、一体だけじゃなかったの!?」

 風が不安と疑念が入り混じった声で刑部姫に言うと、当の本人も困惑しているのか髪の毛をくしゃくしゃと掻き、

「ああ、そのはずだ! バーテックスの数は全部で十二体、お前達が戦っていた奴も二体で一体と考えれば問題は無い。だがこいつはまったくの予想外……! 大赦のデータベースにも記載がない未確認……! あえて名をつけるなら、アンノウン・バーテックスってところか……!」

「アンノウン……」

 『未知』を意味する単語を呟き、友奈だけではなくその場にいる全員が愕然とした表情を浮かべる。生き残りだと思っていたバーテックスが一体だけではなく、もう一体存在していた。その事実が、友奈達の心を打ちのめし、彼女達の動きを止める。

 すると、新たに現れたバーテックス----アンノウンが動いた。バーテックスは左手を動かすと、ジェミニの下半身部分に左手を突っ込む。そしてぐぐっ……と左手に力を入れると、次の瞬間左手を勢いよく引き抜く。下半身が袋が破れたように引き裂かれ、中から大量の御霊が現れた。

「御霊!? 封印の儀もしてないのに!?」

「まさかこいつ、御霊に直接干渉できるのか!?」

「それより、どうしてこいつ同じバーテックスを攻撃したの!? 仲間割れ!?」

 次々と襲い掛かる予想外の展開に風、刑部姫、夏凜が叫ぶ。しかしそれよりも現れた御霊を見て、友奈が叫んだ。

「こ、この御霊すごい数だよ!」

 友奈の言う通り、ジェミニの御霊は数えるのも馬鹿らしくなるぐらいの数だった。友奈達が戸惑っている間にもどんどん溢れ出し、彼女達の足元を覆いつくしていく。

「あたしがやるわ! アンノウンごと蹴散らす!」

(満開ゲージが溜まるのは危険な事かもしれない……! だから、あたし自身がとどめを刺さないと……! 他のみんなにやらせるわけには……!)

 本当は怖いが、これしか手が無い。こうしている間にも御霊が広がって樹海が焼けていき、封印可能な時間は少なくなっていき、何よりも何もかもが未知数なバーテックス、アンノウンがいる。一刻も早く決着をつけなくてはならない。

 風が大剣を力強く握ると、まるでさせないと言わんばかりの夏凜の声が風の耳に届く。

「とどめは私に任せてもらうわよ!」

「夏凜! やめなさい! 部長命令よ!」

 しかし、それで止まるような夏凜ではない。頬に不安と緊張の汗を流しながらも、無理やり笑みを浮かべて、

「ふふん、私は助っ人で来ているのよ。好きにやらせてもらうわ!」

 だが、結局夏凜がとどめを刺す事にはならなかった。

 上空から友奈の気合を込めた声と共に、左足に炎を纏わせ跳び蹴りの体勢に入っている友奈の姿があったからだ。

「はぁああああああああああああっ!! 勇者、キィィィィイイイック!!」

 業火を纏った跳び蹴りがジェミニ・バーテックスの体に直撃し、業火が迸り樹海を埋め尽くそうとしていた御霊を残らず焼き払う。アンノウンの姿も炎に呑まれ、あっという間に姿は見えなくなった。

 大量の色とりどりの光が天を上り、ジェミニ・バーテックスの体が砂へと還る。

「はぁ……良かっ……」

 言いながらスマートフォンを取り出した友奈の顔が、凍り付く。

 画面に映し出されているマップには、ついさっきとは違いもう一つのマーカーが表示されている。

 そしてマーカーと一緒に、『UNKNOWN』という表示が映し出されていた。

「友奈! あんた、何勝手に……!」

 彼女の身を心配すると同時に、勝手に先行されて少し怒っている夏凜が友奈に声を掛けようとするが、彼女の表情を見て言葉が途中で止まる。そこに風と樹も駆けつけるが、彼女達も友奈の異変を感じ取って表情を強張らせる。当然、彼女達の視線はスマートフォンのマップへと向き、そこに映し出されている情報を読み取ってしまう。

「……ねぇ、あれ……」

 情報を読み取り、顔を上げた夏凜が何かを見たのか、かすれた声を出す。友奈達もスマートフォンから顔を上げると、夏凜の視線を追う。

 そこには、白い球状の物体があった。四人の視線が向けられると物体がまるで扉のように左右に開き、中からアンノウンが現れる。アンノウンを覆っていたのはどうやら背中の小さな翼のようで、翼は小さく縮小すると背中の位置に収まった。

「友奈の炎を、防いだって言うの……?」

 奇襲の形で攻撃が行われたにも関わらず、すぐさま防御態勢を取って攻撃を完璧に防ぎきった。今までのバーテックスとはあまりに違い過ぎる反応速度に、四人全員の心が折られそうになる。

 しかもアンノウンはあちらから仕掛けようとしない。余裕のつもりなのか、それとも友奈達が仕掛けるまで攻撃しないつもりなのか。

 友奈は少し震えながらも、すぐに拳をぎゅっと握って無理やり心を奮い立たせ、明るく三人に笑いかける。

「大丈夫! 私達なら、例え相手がアンノウンでもきっと勝てます! だって私達は、七体のバーテックスが相手でも勝てたんですから!」

 すると友奈の笑顔に勇気づけられたのか、三人も笑みを浮かべる。

「そうね! あの総攻撃に比べたら、相手は一体だけだもの! あたし達からしたら、お茶の子さいさいってもんよね!」

「ま、数の差を考えると、むしろ良いハンデになるわね。さっさと終わらせるわよ!」

 風と夏凜が力強い言葉を発し、樹も二人に同調するように頼もしい笑みを浮かべながら頷く。

「んじゃ、さっきは友奈に良いとこ取られたし、今度はあたしが行くわよー!」

「あ、ちょっとこら、風!!」

 夏凜が止めるも間に合わず、風はアンノウン目掛けて跳躍すると、大剣を振りかぶる。

「食らえ、あたしの女子力がこもった必殺の一撃ー!!」

 気合と共に大剣が勢いよくアンノウン目掛けて降り下ろされる。

 大抵のバーテックスならいとも簡単に左右に泣き別れになる一撃を前にして、アンノウンが取った行動はシンプルだった。

 自分目掛けて降り下ろされる大剣を見切り、特に派手な動きも見せず横に少しだけ動く。

 結果、大剣はアンノウンのすぐ脇の地面を切り裂き、派手に土煙が舞う。

 大剣の性質上、全ての力を込めた風の体は一瞬ではあるが硬直する。

 その一瞬は、目の前の未知数は見逃さない。

 ドン!! という音と共にアンノウンがまるで弾丸のような速度で風に一気に肉薄する。

「あ----」

 敵が目の前まで迫った事に理解が及ばず、風がきょとんとした表情を浮かべる。

 そんな、彼女の顔面に。

 アンノウンの掌底が、放たれた。

 掌底そのものの威力は精霊が発動する精霊バリアによって防がれたものの、衝撃までは完全に消す事が出来ない。結果、掌底を顔面に食らった風の体は吹き飛ばされ、数メートル地面を転がってようやく止まった。

 が、それでもまだ良い方だ。もしも精霊バリアが無かったら、風の顔面は地面に落ちたトマトのようにぐちゃぐちゃになっていたはずだ。

「ふ、う?」

 夏凜の口から呆然とした声が漏れるが、風からは何の返答もない。

 彼女の体は、ピクリとも動かなかった。

「風せんぱいぃぃぃいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 友奈の口から絶叫が迸ると同時に、アンノウンの体をワイヤーが締め付ける。

 アンノウンをワイヤーで縛っているのは、今にも泣きそうに顔をぐしゃぐしゃにしながらも怒りのこもった目でアンノウンを睨みつけている樹だった。アンノウンを縛り付け、バラバラにしようとしている事からも彼女がどれほど怒っているのか伝わってくる。

 が、それすらもアンノウンには届かない。

 アンノウンはなんと力づくでワイヤーを引き千切ると、大刀を手にして樹に駆け出そうとする。しかしその前に樹のワイヤーが大刀に絡みつき、動きを抑えてまるで綱引きのような状態になる。

 人間とバーテックス、神樹の力で強化されているとはいえ二人の力の差は明白だったが、樹は奥歯が砕けんばかりにこらえ、アンノウンの動きをどうにか止めようとする。そうすれば友奈と夏凜、そして遠距離からアンノウンを狙っている東郷が決着をつけてくれると信じて。

 が、それは叶わなかった。

 アンノウンは自分が攻撃に移れない事を確認すると、パッと両手を大刀から離す。綱引きの状態で手を離した結果、大刀が勢いよく樹に迫るが、刃は精霊バリアによって防がれる。

 バチバチバチ!! と刀身とバリアが接触した結果火花が散るが、大刀を前にした樹の目に、刀身から羽のようなものが大量に生み出されているのが見えてしまった。

 それは、羽の形をした刃。

 次の瞬間刀身からいくつもの刃が発射され、樹は姉と同じように大きく吹き飛ばされてしまった。刃そのものはバリアによって防がれたので傷は無いだろうが、間近で炸裂した分衝撃はかなり強い。

「樹ちゃん……」

 倒れた樹に友奈が立ち尽くしていると、遠距離から青色の霊力の弾丸がアンノウン目掛けて発射された。弾丸はアンノウンの頭部目掛けて迫りくるが、惜しくもアンノウンは頭を素早く下げ、標的を見失った弾丸は樹海の地面を抉った。

「外れた……!」

 ギリ、っと奥歯を噛み締めながら東郷が悔しがる。一瞬決まったと思ったが、やはりとんでもない反応速度だ。スコープ越しにアンノウンを忌々しげに睨む東郷の脳裏に、倒れた風と樹の姿が映し出される。

「よくも、風先輩と、樹ちゃんを……! 絶対に、許さない!!」

 再度アンノウンに狙いを定め、引き金を引く。今度こそ当たる……と思われたが、アンノウンは予想外の行動に出た。

 弾丸の方向に右手を掲げると、手の甲で弾丸を滑らせると、器用に手の甲の向きを変えて弾丸の威力を受け流し、そのままの勢いで右腕を振り払って霊力で構成された弾丸を粉々に打ち砕く。

「馬鹿な……!?」

 スコープ越しで見た光景に、東郷は思わず目を見開いた。

 今のような芸当はやろうと思って簡単にできる事ではない。銃弾の威力と方向の把握、身体を凄まじい精度で操作する能力、それらが合わさってようやく可能になる紛れもない神業。それをバーテックスができるという事が、東郷には信じられなかった

 そして、スナイパーが敵を仕損じるというのは自分の位置が相手に知られたという事を意味する。

 結果、その場に留まり続けるスナイパーがどうなるなど、火を見るより明らかだ。

 アンノウンは左手を広げると、左手から何かが形成される。

 それは、弓だった。さらにアンノウンは右手から矢を生成し、素早く弓に矢をつがえて東郷に向ける。

 アンノウンの行動が何を意味しているのかを東郷が察するのと、友奈の悲痛な叫びが彼女の耳に届くのは、ほぼ一緒だった。

「東郷さん、逃げてぇえええええええええええええええええええええっ!!」

 友奈の叫びも空しく。

 アンノウンから放たれた矢が勢いよく東郷に放たれ、彼女の精霊バリアに直撃した。

「--------あ」

 自分でも馬鹿みたいだと思うほど間抜けな声が漏れ、友奈の全身から力が抜けて地面に膝をつく。

 死んではいないだろうが、反撃が返ってこない所を見ると、彼女もアンノウンの攻撃の前に倒れたのだろう。

「お前、よくもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 夏凜が怒号を上げながら何本も刀を投擲するが、それらをアンノウンはかわし、しかも最後の一本を簡単につかみ取ると夏凜に投げ返す。投げ返されたそれをかわすと、二本の刀でアンノウンに切りかかり、アンノウンは右手から大刀を生成し攻撃を防ぐ。さらに二刀による連撃を加えていくが、それら全てを目の前の怪物は全てかわし、いない、防いでいく。

 ならばと左手で刀を振り、攻撃しようと見せかけて、

(本命は、右!)

 左の刀をフェイントにして、右手に持った刀を全力で振るい、アンノウンに一撃を加える。形勢逆転まではいかないかもしれないが、少なくともダメージにはなるはずだ。

 左手にアンノウンの意識が向かい、右手の刀が体を切り裂く。

 とは、いかなかった。

 刀を握る右手の五本の指の背中を、アンノウンが掴んだからだ。

(読まれた!?)

 目を見開く夏凜の腹に、アンノウンの蹴りが容赦なく叩きこまれる。精霊バリアでも防ぎきれなかった衝撃で酸素を吐き出し、その隙にアンノウンが一気に距離を詰めてくる。どうにか左手の刀で攻撃を防ごうとするが、大刀で刀を弾かれる。

 が、それでは決して終わらないのが三好夏凜だ。

(せめて、一撃----!!)

 大刀を振るった事でアンノウンの胴体ががら空きになり、胴体目掛けてまだ右手に握っていた刀を全力で振るう。この一撃で、戦いを終わらせるつもりで。

 しかし、そんな気持ちがこもった一撃も、アンノウンには届かなかった。

 アンノウンは瞬時に左手に小太刀ほどの長さの刀を形成、逆手に握ったそれで夏凜の最後の一撃を防ぎ切った。

「……ちく、しょう……」

 夏凜の口から弱々しい言葉が漏れると共に。 

 順手に持ち直した小太刀と大刀の、まるでXを描くような斬撃が夏凜の体に叩き込まれた。

「--------」

 致命傷は負わなくとも、生じた衝撃は人の意識を刈り取るには十分だったらしく、夏凜の体はドサリと音を立てて地面に崩れ落ちた。

「……夏凜、ちゃん」

 地面に膝をついた友奈の声が、樹海に小さく響く。

 それにアンノウンが振り返る事は無く、ただ静かに佇んでいる。

 まるで、戦意を失った自分には用はないと言うように。

「風先輩……樹ちゃん……東郷さん……」

 倒れた仲間達。

 あまりに実力が違い過ぎる、未知のバーテックス。

 それらが友奈の心から立ち上がる力を奪おうとする。

 が。

「----あ」

 同時に、倒れた仲間達の姿が、友奈の心に力を与える。

「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 仲間達を倒した目の前の敵への怒りが。

 仲間達を護れなかった自分への怒りが。

 絶対にこの世界を守るという意志が。

 結城友奈を、立ち上がらせる。

「これ以上みんなを、傷つけるなぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 さっきのアンノウンのような素早い動きで肉薄し、拳を後ろに引く。

 アンノウンも迎撃するためか、勢いよく振り向きながら左手の拳に力を入れる。

「勇者、パァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンチ!!」

 拳と拳が激しくぶつかり合い、生じた衝撃で一人と一体は後方に吹き飛び、地面に着地する。互いに目の前の敵を睨みつけ、少しでも早く接近するために獣のように身をかがめる。

 刹那。

 ドンッ!! 一人と一体の足元が弾け飛び、互いの距離がゼロになる。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 友奈の高速の連撃が次々とアンノウンに放たれるが、アンノウンはそれら全てを先ほどの夏凜の斬撃にしたように、かわし、さばいていく。まともに受けるとまずいと本能で分かるのか、掌で受けたりまともに受けたりはしない。高速でそれら全てを行っていくのは、もはや戦闘ではなく芸術的ですらあった。

 そして友奈が膝蹴りを放とうとすると、アンノウンが足で膝を止め、攻撃を止めてから拳を振るおうとする。それを間一髪避けると、カウンターと言わんばかりに友奈も右拳を放とうとする。

 しかし、その時友奈をいくつもの衝撃が襲い掛かった。

「う、わあああああああああああああああああああああっ!?」

 衝撃に叫び声を上げながら視線を上げると、そこにはいくつもの羽が光り輝いていた。さらに自分達の足元を見てみると、アンノウンの背中の翼の羽が大量に落ちている。

(まさか、これで!?)

 友奈の疑念を確信に変えるように、地面に落ちていた羽は光り輝く刃となって友奈に襲い掛かる。体は傷つかないものの、体を襲う衝撃はまるで散弾銃のようだった。精霊バリアが無かったら、今頃自分の体は切り傷だらけだっただろう。

(長期戦に持ち込まれたら、勝てない……!)

 自分達が戦ってきたバーテックスとは比べ物にならない技能にそこから来る強さ。

 何が来るか分からないほど豊富な手数の多さ。

 このまま戦っていたら現実世界に被害が広がってしまうし、何よりも自分を無視して神樹に向かう危険性だってある。そうしたら、満開でもしない限り止める事は出来ない。

(その前に、ここで倒す!!)

 友奈は身をかがめると、右手の拳に力を入れる。

 そして、跳躍。

 右手の拳が桃色に光り、莫大な量の霊力が拳に込められる。

 それを迎え撃つかのようにアンノウンは左手を軽く広げると、左手がみるみる巨大になっていく。トラックすらも一撃で粉砕できそうな右手を強く握ると、友奈は拳を勢いよく降り下ろし、アンノウンも拳を勢いよく振り上げる。

「今度は、負けない!! 勇者、パァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンチ!!」

 互いに必殺の威力が込められた拳がぶつかり合い、衝撃波が辺りにまき散らされる。友奈とアンノウンは吹き飛ばされ、友奈の体は地面に叩きつけられる。体にはしる激痛と衝撃で、友奈の意識は暗闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「友奈!! ねぇ、友奈!!」

「友奈ちゃん!! 起きて!! お願い、起きてよぉ!!」

「友奈!! 友奈!! しっかりしろよ!!」

 自分を呼ぶ声に、友奈は意識を取り戻すとうっすらと目を開く。目の前には、自分の顔を涙が滲んだ目で見る勇者部の面々の顔があった。東郷に至っては、ボロボロと涙がこぼれ落ちまくっている。

「みんな……。良かった、生きてた……」

「私達の事よりも、自分の頃を心配しなさいよぉ! この馬鹿ぁ!!」

 涙声で夏凜が叫び、それに思わず友奈は苦笑する。それからついさっきまで自分達が戦っていたアンノウンの事を思い出し、東郷に尋ねた。

「そうだ、私どれぐらい意識を失ってたの!?」

「そんなに経ってないわ。大きな音がして目が覚めたら、友奈ちゃんとアンノウンが倒れてたの。風先輩達もそれで目を覚ましたらしく、急いで駆け付けたのよ」

 となると、意識を失ってから恐らく三分も経っていないだろう。そうなると、気になるのはもう一つだけだ。

「アンノウンは?」

 そう言うと、四人が一斉にある方向に視線を向ける。友奈も視線を向けると、十メートル離れた場所で右腕を失ったアンノウンが仰向けに倒れていた。

「大分ダメージを負ったみたいね。起き上がってこないわ」

「じゃあ、早く封印しないと……!」

「待ちなさい友奈! あんたも相当ダメージ受けたはずよ! 封印はあたし達でやるから、あんたは……」

 風が起き上がろうとする友奈をなだめようとした、その時だった。

「………っ!」

 それまで倒れていたアンノウンが起き上がり、樹が思わず息を呑む。

 例え自分達を散々苦しめてきた相手だろうと、半死半生。今なら何とかなる……と考えていた四人だったが、その希望は次の瞬間に粉々に打ち壊された。

 アンノウンの右腕が、元通りに再生していく。肩まで無くなっていたはずの右腕はどんどん元の形を取り戻していき、やがて一分も経たず右腕は完全に復活した。

「嘘、でしょ……?」

 完全復活を遂げたアンノウンに、五人の表情が凍り付く。五人がかりでも歯が立たず、友奈の全身全霊を込めた一撃でようやく倒したと思ったのに、すぐに再生されてしまった。

 相手は健在、それに引き換え自分達は満身創痍。

 勝てない。負ける。怖い。逃げ出したい。

 ----死。

 五人の脳裏に、そんな単語が次々と浮かんでくる。

 すると、

「友奈!?」

「友奈ちゃん!!」

 東郷に庇われていた友奈はよろよろと立ち上がると、拳を握りしめてアンノウンを睨みつけた。それはまるで、後ろにいる四人を護ろうとしているように見える。戸惑いながら東郷が友奈の手を見ると、彼女の手は震えていた。

 当然だ。いくら友奈でも、怖くないはずがない。手と足は震え、歯はカチカチと鳴っている。脳がこの場から逃げろと全力で警報を鳴らし、今すぐ逃げ出したい恐怖にかられる。

 だが、ここで逃げるわけにはいかない。

 例え命を引き換えにしてでも、ここで絶対に倒して見せる。

 自分達の世界は、決して壊させない。

 再開するであろう戦いに備え、苦い唾を飲み込む。

 しかし、その時恐らく今日の中で最も不可解な事が起こった。

 アンノウンが突然五人に背中を向けると、高く跳躍したのだ。

「………え?」

 夏凜が声を漏らすも、その間にアンノウンは根を次々と高く跳躍していく。

 やがて、アンノウンの姿は完全に無くなった。スマートフォンの画面を見て、反応はまったくない。

「………終わった、の?」

 あまりに予想外で、唐突な戦いの終わりに、風の口から力の抜けた声が出る。

 直後、一気に緊張感と恐怖、さらに力が体から抜け、五人はバタバタと地面に倒れた。

 達成感など無かった。ただあるのは、生き残って良かったという強い安堵と困惑、そして虚脱感。

 地面に倒れながら、風が呟く。

「……本当に、今回は死ぬかと思った……」

「あのバーテックス、一体何だったんでしょうか……」

「分かんない……。でももしかしたら、次戦う時は満開しないと勝てないかも……」

 正直体に何らかの負担が来るのは怖いが、そうでもしないと本当に勝てない可能性が高い。

 友奈がそう言うと、それを否定する声が降ってきた。

「----いや、恐らく満開をしても勝てない」

 そして降りてきたのは、タブレットを手にした刑部姫だった。彼女は険しい表情を浮かべながら、タブレットを操作している。

「刑部姫、あんた一体どこにいたのよ……」

「隠れてアンノウンを観察していた」

「姿が見えないと思ったら、そんな事してたんだ……。で、満開しても勝てないって、どういう事?」

「そのままの意味だ。あれは強すぎる。戦い方が異質すぎるんだ」

「異質すぎる……?」 

「ああ。……樹海化が解けるまで、少し説明しておくか。さっきお前ら、奴と戦っていて戦いにくいと思わなかったか?」

 刑部姫が問うと、五人は互いの顔を見合わせて、

「確かに……。なんか、他のバーテックスとは戦い方が全然違うっていうか……。動きが読まれてるみたいっていうか……」

「さすがは自称とはいえ完成型勇者だな。ほぼ当たりだ」

 そう言うと刑部姫はタブレットの画面を五人に見せる。画面には、ついさっきまでのアンノウンの戦闘動画が映し出されていた。

「例えどれほど強大な力を得ていても、お前達は人間だ。関節の駆動域には限度があるし、必然的に動ける範囲も決まってくる。相手の目線などに気を付ければ攻撃がどう来るかも何となく分かるようになるし、使う武器も考慮すれば隙をつく事なんて簡単にできる。……今までのバーテックスはもちろん強敵だったが、それでもまだマシだったんだ。何せ奴らの攻撃手段は、自分達の強大な力を相手に叩きつける事ばかりだったからな。苦戦はするだろうが、それでも連携や満開という最終手段でどうにかなる相手だった」

 だが、とそこで刑部姫は言葉を区切り、

「あいつは違う。人間の関節の可動域、目線、武器の性質、それら全てを読み切ってお前達を叩きのめした。今までのバーテックスとはそもそも、戦い方が全然違うんだよ。無駄に強大な力をぶつけるのではなく、最小限の力と洗練された技術を用いて、効率的に戦いを有利に進めていたんだ。……正直に言うが、最後に奴が気まぐれを起こしていなかったら、お前達は確実に終わっていた」

「………っ」

 刑部姫の言葉に、友奈は思わず息を呑む。普段から自分達に散々な毒舌を吐く彼女だが、こういう場に限っては彼女はまず嘘はつかない。つまりもしもアンノウンが引いてなかったら、自分達は死んでいたという事だ。

「じゃあ、満開でも勝てないって言うのは……」

「そのままの意味だ。ただでかい力をぶつけても、あいつには届かない。満開を見切られて、効率的に殺されるだけだ。それでも力任せに倒すのは可能だろうが、その場合は一度や二度じゃ済まないだろう」

「そんな……」

 刑部姫の告げた事実に、風が絶望的な声を上げる。刑部姫は苦虫を噛みつぶしたような表情になると、

「満開をすれば良いとかそういう単純な話じゃない。奴に勝つには、一糸乱れぬ連携、緻密な戦術、さらに達人レベルの格闘・剣術の技術が必要になってくる。……まぁ、それでも勝てるかどうかは五分五分だな。それで追い詰めて、満開でとどめをさすって方法で勝目が見てくるって所だろう。……最後の最後に、厄介な奴が出てきたな」

 チッと、刑部姫が舌打ちする。彼女の今の表情が、自分達が置かれている状況がどれほど危険なものかをこれ以上ないほど表していた。

 と、樹海が振動し、色とりどりの花びらが宙を舞う。樹海化が解除されようとしているのだ。

「……とりあえず、私はアンノウンの事を大赦に知らせる。いつ奴がまた襲撃してくるかはまだ分からん。体を休ませておけ」

 だが、そう言っても勇者達の反応は鈍かった。

 それも仕方が無いだろう。今回でようやく戦いが終わったと思ったら、アンノウンという満開をしても勝てるかどうか分からない強敵が出現したのだ。普段は明るい友奈も暗くなってしまっても、無理はない。

(………しかし)

 刑部姫は五人から視線を外すと、タブレットの中のアンノウンに目を向ける。

(この動きからして、奴は間違いなく人間の戦い方を熟知している。おまけに東郷美森を狙撃した時に使った弓矢……。知識が無い以上、弓矢を生成する事はまずできない。なのに生成できたって事は、アンノウンは弓矢、さらに格闘技や人体に関する知識があるという事だ。じゃあそれは、どこでいつ手に入れたものだ?)

 そう考える刑部姫の頭に、ある仮説が浮かぶ。

 だが、

(……いや、ありえん。ありえん、はずだが……) 

 頭ではありえないと分かっているはずだが、心のどこかで許容できていない自分がいる。

 それはこの世に完璧や絶対などというものが無い事を誰よりも知っているためか、それとも自分にまだ人間らしさというものが残っているためなのか、刑部姫には判断できない。

 どちらにせよ、その仮説を捨てきれないのも、確かな事実だった。

 そして花びらが舞う中、五人と一体の精霊は現実世界へ帰還する。

 その胸に、底知れぬ不安を抱えたまま。

 

 

 

 

 

 

 樹海化が解除されて、帰ってきた現実世界はすでに夕暮れ時になっていた。

 風、樹、夏凜、刑部姫は学校の屋上の社の近くにいた。基本的にバーテックスとの戦いが終わった後は、いつもここに転送される。

「はぁ……なんか、達成感とか、全然ないわね」

 先ほどの戦いを思い出して風がため息をつくと、樹が不安そうな表情を浮かべてスケッチブックに文章を書きこむ。

『アンノウン、いつ来るんだろう……』

 次にまたあのバーテックスが襲来してきた場合、今度は必ず倒さなくてはならない。しかし今日ろくに太刀打ちできなかった自分達が、果たして勝つ事ができるのだろうか。

 が、この場には例え強がりでも勝てると言い切れる少女がいる。夏凜はふんと鼻を鳴らし、

「問題ないわ。今日は不意を突かれたけど、今回の戦いであいつがどんな行動をするかは大体分かったし、何より私達はこうして生きてる。次こそは、ギッタギタのメッタメタよ!!」

「三下の台詞だな」

「うるさいわよ! それより友奈、あんた今日は家に泊まりなさい! いくらなんでも今日は一人で突っ走りすぎよ! アンノウンに最後一人で戦おうとした時もそうだったし、今日はみっちりお説教を……あれ?」

 一人でバーテックスの御霊を破壊し、最後にはボロボロであるにも関わらず一人で自分達を護ろうとした友奈に夏凜が物申そうとした夏凜が、突然奇妙な声を上げた。

「どうした?」

「友奈がいないんだけど……」

「何っ?」

 それを聞いた刑部姫も周囲を見回すが、確かに樹海化が解除されたにも関わらず友奈の姿は無かった。

 それどころか、

「って、東郷もいないじゃない。東郷?」

 東郷の姿もどこにもない。風が辺りを見回して呼び掛けるが、彼女からも、友奈からの返事も無かった。

「二人共、どこに行っちゃったのよ……。ねぇ刑部姫、まさか友奈も東郷も、樹海に取り残されちゃったんじゃ……」

 夏凜が困惑した声で尋ねるが、それを刑部姫はすぐに否定する。

「ありえない。樹海化が解除されたら人間はすぐに現実世界に帰ってくる」

「じゃあどうして、二人共いないのよ」

 すると刑部姫は、顎に手を当てて考え込み、

「考えられるとしたら、他の社に転送されたんだろう。社はこちらの世界に戻ってくる際の目印の役割を担っている。こっちに戻ってくる際に、二人の転送先をここでは無く、別の社にするように割り込めば……」

『そんな事、できるんですか?』

「できないわけではない。だが、そんな事を一体誰が……」

 そう言って刑部姫は再び顎に手を当てて考え込む。だが、すぐにはっと何かに気づいたような表情を浮かべると、クックックと低い笑い声を漏らした。

「お、刑部姫……?」

 突然笑い出した精霊に夏凜が声をかけた、その時。

「--------クソガキが」

 びくっと、そばにいた樹が怯えるのが分かった。

 だが、それは当然だろう。

 そう呟いた刑部姫の表情は、無表情であるにも関わらず絶対零度の冷たさを帯びていた。目は、睨んだだけで誰かを殺せるのではないかと思えてしまうほどの殺意を宿している。

 今まで刑部姫が怒る姿を見てきたが、今回は別格だ。彼女は間違いなく、今までで一番、心の底からここにはいない誰かに激怒している。

「……結城友奈達は後で自宅に返す。お前達はもう帰れ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あんた、二人が今どこにいるか……」

 分かってるのと言おうとしたが、風の言葉がそこで途切れる。黙れと言うように、刑部姫が風を睨んだからだ。蛇に睨まれた蛙とは、まさにこの事かもしれない。それだけで風の動きはおろか、呼吸すら止まりかねない錯覚に陥った。刑部姫はふいと風から視線を外すと、花びらと共にこの場からいなくなる。

 はぁ、はぁと荒い息をつく風に心配した樹が慌てて駆け寄る。大丈夫よ、と風は心配してくれた樹の頭を優しく撫でる。

「……一体何が、起こってるのよ……」

 友達二人と精霊がいなくなり、何が起こっているか分からない状況に放り込まれたままの夏凜は逢魔が時の空を見上げながら、困惑した口調で呟くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「戻った、けど……」

「ここ、屋上じゃないよね?」 

 友奈と東郷の二人は、見慣れない景色に思わず呟く。

「みんなは……」

 周囲を見回して風達を探すが、自分達以外は誰もいないようだった。そして辺りに視線を巡らせていた東郷の目に、あるものが映り込む。

「大橋……!」

「えっ?」

 東郷の視線の先には、かつて大橋市のシンボルだった大橋の姿があった。二年前に起こった事故のせいで無残に破壊され、今ではその屍を静かに晒している。

「うわ、本当だぁ……。だとしたら、結構離れてる場所に来ちゃったね」

 友奈達が住む讃州市と、大橋がある大橋市は大分距離がある。距離に換算するとおおよそ三十五キロメートル。信号や通行状況にもよるが、車で移動したとしても約一時間はかかる場所だ。どうしてそのような場所に、自分達は来てしまったのか。

 詳細な位置を知るためにスマートフォンを取り出してマップを開こうとするが、そこである事に気づいた友奈が声を上げる。

「あれ? 電波、入ってない」

「え?」

 確認するために自分のスマートフォンを取り出して確認するが、友奈の言う通り電波が来ていなかった。山奥などならまだしも、このような場所で電波が来ていないというのはまずありえない。

「私の改造版でも駄目……」

 自分のスマートフォンでも異常を確認した東郷がそう言った直後。

「ずーっと呼んでいたよわっしー。会いたかった~」

 どこからか少女の声が、二人の鼓膜に響いた。声はどうやら社の裏から聞こえてきたようで、二人は急いで社の裏へと向かう。

 そこには何故か、病院のベッドがぽつんと置かれていた。そしてベッドの上には、一人の少女が横たわった状態で二人に視線を向けている。ただ、少女と言っても顔はほとんど分からない。彼女の全身の大部分を、白い包帯が覆っていたからだ。口元と左目はかろうじて覗いているものの、包帯で覆われたその姿はあまりにも痛々しい。よほど酷い大怪我をしていなければ、まずありえないような姿だ。

 そして自分の前に現れた二人の姿を見た少女は、静かに言った。

 まるで、大切な旧友の名を呼ぶように。

「ようやく呼び出しに成功したよ……。わっしー」

 

 

 

 

 



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第三十三話 Wは語る/勇者システムの真実

 

「え、わっしー? ……鷲?」

 少女が何を言っているのか分からず、友奈が思わず呟く。

「ていうか、ベッドが、なんでこんな所にどーんと……」

 ベッドがこんな所にあるという事は、それをここに運んできた人間がいるはずである。少女にそのような腕力があるようには見えないし、何よりも包帯を全身に巻かれたその姿ではろくに動く事すらできない。では、一体誰が。

 しかし友奈の疑問をよそに、少女は東郷をまっすぐ見て続ける。

「あなたが戦っていたのを感じて、ずっと呼んでたんだよ」

 そこでようやく友奈はある可能性に気づき、親友の顔を見た。

「えっと……東郷さんの知り合い?」

 が、彼女は首を横に振って友奈の問いを否定する。

「いいえ……初対面だわ」

 それを聞いた少女はじっと真剣な表情で東郷の顔を見つめていたが、やがて目を閉じるとどこか落胆したような声で「あぁ……」と言葉を漏らすと、すぐに笑って、

「わっしーっていうのはね、私の大切なお友達の名前なんだ。いつもその子の事を考えていてね、つい口に出ちゃうんだよ。ごめんね」

 しかし、友奈にはどうしても少女の言う事を真に受ける事が出来なかった。今の少女の言葉は、確かに東郷に向けられているように感じたからだ。だが口を挟む事も出来ず、代わりに自分の疑問を口にする。

「あの……私達を、呼んだんですか?」

「うん、その祠」

 少女の目は、友奈達のそばにある祠に向けられている。友奈も祠を見ながら、

「これ、うちの学校にもある……」

「うん、同じだね」

 バーテックスとの戦いが終わった後に友奈達はいつも学校の屋上に転送されるが、そこにあるものとほとんど同じだった。と、少女の口から思いがけない言葉が飛び出す。

「バーテックスとの戦いが終わった後なら、その祠使って呼べると思ってね」

 少女の言葉に、友奈と東郷は思わず目を見開いて少女の顔を見る。

 バーテックス。確かに少女は今そう言った。普通の人間ではまず知らないはずの単語を。

 友奈と東郷は顔を見合わせると、友奈が少女に尋ねる。

「バーテックスを、ご存じなんですか?」

「一応、あなたの先輩って事になるのかな。私、乃木園子って言うんだよ」

「さ、讃州中学、結城友奈です」

「友奈ちゃん」

 少女----園子が友奈の名前を繰り返すと、友奈に続くように東郷も自分の名前を口にする。

「東郷、美森です」

「美森ちゃん、か……」

 当然東郷の名前も復唱する。まるで大切な宝物の名前を口にするように、それでいてどこか切なげに。

「先輩というのはつまり……乃木さんも……」

「うん。私も勇者として戦ってたんだ。二人の友達と一緒に、えいえいおーってね。今は、こんなになっちゃったけどね」

「バーテックスが、先輩をこんなひどい目に遭わせたんですか……?」

 全身を包帯で巻かれた少女の姿に、友奈が痛ましい口調で言うと、園子は柔らかい笑みを浮かべながら、

「あ、んーとね。敵じゃないよ? 私、これでもそこそこ強かったんだから」

 そして「えーと……」と何かを考え、それからようやく何を言おうとしたのか思い出したらしく、二人に聞く。

「そうだそうだ。友奈ちゃんは満開、したんだよね?」

「え?」

「わーって咲いて、わーって強くなるやつ」

「あ、はい。しました。わーって強くなりました」

 前回の戦いを思い出しながら、友奈が答える。実際あの満開という力は、とてつもないものだった。満開が無かったら、自分達は全員殺され、世界も終わっていたかもしれない。

 ----その満開があっても敵わない、アンノウンという敵の事を思い出し表情が暗くなりそうになってしまうが、どうにか表情に出るのをこらえる。

「私も、しました……」

「そっか……」

 それを聞いた園子は、今まで浮かべていた笑みを消すと友奈と東郷にこんな事を尋ねる。

「咲き誇った花は、その後どうなると思う? 満開の後に、散華という隠された機能があるんだよ」

「散、華……。花が散るの、散華……」

「満開の後、体のどこかが不自由になったはずだよ」

 はっと、東郷が息を呑んで左耳に手を当てる。

 聴覚。味覚。声。視覚。彼女の言う通り、この前の戦いで満開をした四人は体のそれぞれが不自由になった。告げられた園子の言葉で、自分が今まで抱いていた疑念が確信に変わるのを東郷は感じた。

 さらに友奈が、かすれた声で尋ねる。

「え、それって……」

「それが散華。神の力を振るった満開の代償。花一つ咲けば、一つ散る。花二つ咲けば、二つ散る。その代わり、決して勇者は死ぬ事は無いんだよ」

「死なない……」

 言い方を変えれば、それは不死身という事になる。

 しかしそれが、果たして本当に自分達にとって良い事なのかは分からない。現に自分達は、聴覚と味覚という大切な感覚を失ったのだから。

「で、でも、し、死なないなら、良い事なんじゃないのかな……。ね?」

 言いながら友奈が東郷の方を見るが、彼女は何も答えない。ただじっと俯いて、何かを考えている。

「そして、戦い続けて、今みたいになっちゃったんだ。元からぼーっとするのが特技で良かったかなって。全然動けないのはキツいからね」

 口ではそう言うが、まったく辛くないというのはまずありえない。いくらぼーっとするのが特技でも、誰とも会えず、誰とも話せない寂しさは友奈達の想像の遥か上をいくはずだ。それほどの孤独を、目の前の少女はどれほど過ごしてきたのだろうか。

「い、痛むんですか……」

「痛みは無いよ。敵にやられたものじゃないから。満開して、戦い続けて、こうなっちゃっただけ。敵はちゃんと撃退したよ」

「満開して、戦い続けた……」

「じゃあ、その体は代償で……」

「----うん」

 二人の問いに、園子は誤魔化しもせず、嘘をつく事もせず、はっきりと答えた。風が強く吹き、二人の髪を揺らす。

 風を受けながら、二人は目の前の少女を見つめる。

 散華によって体の大部分の機能を失った姿。歩く事も出来なくなった体。----バーテックスの戦いでなるかもしれない、自分達の未来の姿。

 それに、友奈達は自分の心臓が止まってしまうのではないかと思うほどのショックを身に受ける。

 スマートフォンを握る手が震えるのを感じながら、友奈は震える声で言った。

「ど、どうして私達が……」

「いつの時代だって、神様に見初められて供物となったのは無垢な少女だから。穢れ無き身だからこそ、大いなる力を宿せる。その力の代償として、体の一部を供物として神樹様に捧げていく。それが勇者システム」

「私達が、供物……?」

 勇者として戦っていたつもりが、実際は供物として捧げられているだけだった。ここまで来ると、何の冗談だと思いたくなる。

 だが、今彼女達が直面しているのは冗談でもなんでもなく、ただただ無慈悲な事実であり、残酷な現実だった。

「大人達は神樹様の力を宿す事ができないから、私達がやるしかないとはいえ、酷い話だよね……」

「それじゃあ、私達はこれから、体の機能を失いながら……」

 すると、東郷の手を友奈がきゅっと握った。

「でも、十二体のバーテックスは倒したんだから、大丈夫だよ東郷さん!」

「友奈ちゃん……」

 しかし、東郷は見逃さなかった。友奈の手と目が、不安で震えているのを。

 当然だ。もうその前提が覆されているのを、東郷と友奈は知っている。

 アンノウン・バーテックス。

 さっきの戦いで突如乱入してきた、存在しないはずの十三体目のバーテックス。自分達が束になっても敵わないほどの戦闘力を持つ、未知のバーテックス。あの刑部姫でさえ、満開しただけでは倒せないと太鼓判を押した、正真正銘の怪物。あのバーテックスがいる限り、自分達の戦いはまだ続き、そのたびに体の機能を失っていく事を、彼女も分かっているのだ。

 と、アンノウンの事を知らないのか、園子が口を開く。

「倒したのはすごいよね。私達の時は追い返すのが精一杯だったから」

「そうなんですよ! その、はずで……」

 が、友奈の言葉は途中で止まってしまった。するとそれを見た園子が、こんな事を言った。

「……そうだと良いね」

 それに、東郷は思わず眉をひそめる。園子は恐らく、アンノウンの事を知らない。アンノウンの事を知っているのは、さっき戦った自分達五人と刑部姫しかいない。おまけに刑部姫はまだ大赦に報告していないはずなので、彼女がアンノウンの事を知っているはずがない。なのに何故、園子は今引っかかる事を口にしたのか。まるで、アンノウン以外にも知られざる秘密を知っているような……。

「そ、それで、失った部分は、ずっとこのままなんですか? みんなは、治らないんですか?」

 だが、友奈の言葉は目の前の園子の姿が否定していた。もしも簡単に治るようなものであれば、園子がこのような姿でいる事はありえない。それを証明するように、園子が言った。

「治りたいよね。私も治りたいよ。歩いて、友達を抱きしめに行きたいよ……」

 それに、友奈は思わず黙り込む。彼女が今言った言葉が、何よりも強く表していた。

 満開で失った機能は、決して治らないのだと。

「友奈ちゃん!」

 呆然としていた友奈の耳に、東郷の声が届く。友奈が振り向くと、大赦の神官服と仮面を纏った男性達がゆっくりと歩いてきていた。

「大赦の人達……」

 どこからか現れた彼らは何も言葉を発することなく、無言で友奈と東郷を取り囲むとじっと立ち止まる。すると目を閉じた園子が、静かではあるけれど、有無を言わせぬ口調で告げた。

「彼女達を傷つけたら許さないよ」

 それに神官達が園子の方を向くと、園子がさらに続ける。

「私が呼んだ、大切なお客様だから。あれだけ言ったのに、会わせてくれないんだもん。だから自力で呼んじゃったよ」

 直後、神官達が園子に向かって跪く。友奈達と同じぐらいの年齢の少女を前に、まるで神を相手にするように。それを見て戸惑う友奈と東郷に、園子が説明をする。

「私は、今や半分神様みたいなものだからね。崇められちゃってるんだ。安心してね、あなた達も丁重に、元の街に送ってもらえるから」

 半分神様みたいなもの。つまり、大赦の神官であろうとも彼女の言う事には逆らえないという事だ。神樹を崇拝するこの時代で、神として崇められるというのが良い事なのか、悪い事なのか友奈達には分からない。ただ、目の前の少女はどう見ても幸せそうには見えない。

「……悲しませてごめんね。大赦の人達も、このシステムを隠すのは、一つの思いやりではあると思うんだよ。……でも、私はそういうの、ちゃんと、言って欲しかったから……」

 そこで東郷はある事に気づく。

 園子の片目から、涙がこぼれていた。涙は頬を伝い、彼女が着ている病院着に落ちて涙の後を残す。同時に先ほどまでは静かだった園子の声に悲しみの感情が混じっていく。

「分かってたら……、友達と、もっともっと、たくさん遊んで……、だから……伝えておきたくて……」

 どれほど悲しかっただろう。 

 どれほど辛かっただろう。

 友奈達の先輩という事は、彼女達が勇者になるよりも前に……それこそ小学生の時に勇者になり、バーテックスとして戦った可能性がある。そして世界を、大切な人達を守るために戦い、満開し、世界を守り切った。

 それと引き換えに失ったものは、自分の体の機能と友と過ごせたはずの大切な時間。

 悲しくないはずがない。

 辛くないはずがない。

 目の前の少女の涙が、何よりも強く語っていた。

 東郷は無言で車椅子を動かして彼女に近づくと、片目から零れた涙を拭う。園子は一瞬驚いたような表情になるが、すぐに小さな笑みを浮かべると東郷が着けているリボンに視線を向ける。

「そのリボン、似合ってるね」

 東郷は、髪につけていたリボンに手を当てる。

 実は東郷は、いつからこのリボンが自分の元にあるか知らなかった。なんでも事故で記憶を失った時に、自分が握りしめていたものらしい。どういう経緯で持っているのか、本当に自分のものなのかは、分からない。

 だが、このリボンがとても大切なものだという事は分かっていた。記憶は無いはずなのに、自分の心とも言うべきものがそう叫んでいる。だから東郷はこのリボンをいつも肌身離さず持っていた。

「このリボンは……とても大事なものなの。それだけは覚えてる……」

 そして今、確信した。

 このリボンは、きっと目の前の少女がくれたものなのだと。例え記憶は無くても、少女の反応が、何よりも自分の心が、このリボンは目の前の少女がくれたのだと叫んでる。

 けれど、

「けど、ごめんなさい……。私、思い出せなくて……!」

 何も思い出せない。 

 園子がどのような少女だったか、どうやって友達になったのか、どんな食べ物が好きだったのか、何が趣味だったのか……。大切な友達だったはずなのに、思い出せない。それが辛くて、東郷は思わず涙をこぼして園子に謝る。

「仕方ないよ~」

 すると園子も涙を流しながらも笑みを浮かべて、謝る東郷を慰める。だが、園子が仕方ないと言っても簡単に割り切る事などできない。だって、どのような理由があっても自分は目の前の少女の事を忘れてしまったのだから。それが悔しくて、悲しくて、東郷は涙を流し続ける。

「方法は!? このシステムを変える方法は無いんですか!?」

 涙を流す二人の姿があまりに辛そうで、思わず友奈が声を上げた。

「神樹様の力を使えるのは勇者だけ。そして勇者になれるのは、ごくごく一部、私達だけなんだよ……」

 それはつまり勇者になる以上、これからも東郷と園子に起こった悲劇はまだ続くという事。そしてそれは勇者と敵であるバーテックスがいる限り起こり続けるという、あまりにも残酷な事実だった。

「帰してあげて。彼女達の街へ」

 園子の言葉に、周囲に控えていた神官達が静かに合掌して礼をした。

「いつでも待ってるよ。大丈夫、こうして会った以上、大赦側もあなたの存在をあやふやにはしないだろうから」

 だから、また会おうね。まるでそう言っているようだった。

 東郷が涙に濡れた瞳で、園子を見つめる。

 そんな時だった。

 その声が、その場に響き渡ったのは。

「勝手な事してんじゃねぇよ、クソガキ」

 場にそぐわない、あまりに荒々しい口調が、響き渡った。

 声は友奈達の背後からだった。だがその声は、友奈と東郷には聞き覚えがあった。友奈と東郷は振り返り、神官達は声の聞こえた方に一斉に顔を向ける。一方、一人だけ園子はため息をついた。まるでこうなる事を予測していたように。

 そこにいたのは。

「刑部姫?」

 精霊、刑部姫だった。彼女は宙に浮き、夕日の光を背に浴びながら冷たい眼光を園子にまっすぐ向けている。すると刑部姫が来た事に気づいた園子が刑部姫に言った。

「……もう気づくなんてさすがだね。これでも慎重に彼女達を呼んだつもりだったんだけどな」

「私を出し抜こうなんて百年早いんだよ阿呆が。やるんだったらもっと徹底的にやるんだな」

「あの、園子さんと刑部姫って、知り合いなんですか?」

 まるで旧知の仲のように話す二人を見た友奈が園子に尋ねると、園子はちょっと困ったような笑みを浮かべて、

「知り合い……かな、一応。勇者をやってた時、私達と一緒に行動してた精霊なんだ。仲は悪かったけどね」

「はっ。それは今もだろ」

 園子の言葉を刑部姫は鼻で笑った。二人の予想外の関係に友奈は思わず目を丸くするが、それよりも東郷はある事が気にかかったようで刑部姫に尋ねる。

「……待ってください。刑部姫が園子さん達と一緒に行動してたって事は……、散華の事も、知っていたんですか?」

 刑部姫が園子と一緒に行動していた以上、彼女は園子が満開をして戦っていた事も知っている可能性が高い。だとしたら、勇者システムの秘密を知っていたとしても何ら不思議ではない。東郷が刑部姫に尋ねると、刑部姫はあっさりと白状した。

「ああ、知ってた」

「……っ! じゃあ、どうして教えてくれなかったんですか!?」

「それが私の任務だからだ」

 え? と東郷が戸惑いの表情を浮かべると、神官達の何人かも慌てたように首を刑部姫に向ける。しかし刑部姫は黙れと言うように彼らを睨むと、神官達は首をすくめて引き下がった。どうやら彼らも刑部姫には逆らえないらしい。

「お前達をサポートすると同時に、お前達が満開の秘密に気付かないように監視する事。それが大赦からの私の任務だ。……ま、これもこいつらが乃木園子への監視を怠ったせいで無駄になったがな。まったく、お前ら雁首揃えて何してんだよ馬鹿共が」

 チッと舌打ちして神官達を刑部姫が睨む。自分達の前に現れていた理由が監視だった事を知り、友奈が愕然とするが、同時にある事に気づき刑部姫に尋ねる。

「監視って……まさか、夏凜ちゃんも知ってたの?」

 刑部姫と一緒に現れた、夏凜もこの事を知っているのか……。友奈が不安半分で尋ねると、刑部姫は首を横に振り、

「いや、あいつも知らない。私の監視対象はお前達五人だ。満開の事は、奴も知らん」

「そうなんだ……」

 夏凜は自分達を騙していなかった。それを知って友奈は思わずほっと安堵の息をつく。しかし東郷の方は自分の質問に対しての彼女の答えに納得できなかったようで、奥歯を強く噛みしめて刑部姫に言う。

「……分かりません。任務だったから、話せなかったというのは分かります。でも、だとしても話してくれても良かったじゃありませんか。私達には話せなかったとしても、勇者部の中で唯一あなたを信用して樹ちゃんにだけは、話しても良かったじゃありませんか。それなのに、どうして!?」

「………」

 東郷の口から出た樹の名前に、刑部姫が黙り込む。樹は前の戦いで満開を行った際、刑部姫に褒められた声を失った。そして園子の話通りなら、もう彼女の声が戻る事は無い。例え任務の関係上自分達に話す事は出来なくても、彼女にだけは話すべきだったのではないか。

 東郷が刑部姫に叫ぶと、話を聞いていた園子が東郷に言った。

「違うよ、美森ちゃん。刑部姫は言えなかったんじゃない。言わなかったんだよ」

「……どういう、事?」

 友奈が尋ねると、園子は刑部姫を見つめながら静かに告げる。

「例え任務が無くても関係ない。刑部姫は、満開の事も散華の事もあなた達には言わなかった。でしょ? 私達が満開して戦った時も、あなたは何も言わなかったもんね」

 衝撃的な発言に、友奈と東郷は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 そうだ。園子達先代の勇者が戦った時、もうすでに満開の事は知っていたはずだ。なのに園子達は満開の真実を知らず、満開して体の機能を失った。それはつまり----、刑部姫は散華の事を知っていたにも関わらず、園子達に何も話さなかったのだ。結果、園子は体の大部分の機能を失った。

「そんな……どうして?」 

 どうして、話さなかったのだ? と友奈が聞くと、それに対する刑部姫の返答はあっさりとしたものだった。

「当たり前だろう。お前達に話す義理も義務も私にはない。乃木園子の言った通り、例え任務で口止めされていなくても、お前達に話すつもりは微塵もない。それは例え相手が犬吠埼樹でも同じだ」

 冷たい言葉に、友奈と東郷はもう絶句するしかない。あれだけ彼女を信用していた樹を、あっさりと切り捨てたも同然の言葉だった。ここまで来ると、怒りよりも呆然とするしかない。一方、刑部姫は二人から視線を外すとふーと息を吐き、

「それより今の問題はお前だ。あの病室で黙って崇められていればいいものを、こうして勝手に動いてこいつらに真実を告げた。まさかとは思うが、自分は崇められてるから大丈夫だとか、そんなクソみたいな考えで動いてたわけじゃないよな?」

「それはないかな。正直、あなたにだけは見つかりたくなかった。あなたは大赦とは違って、神樹様や私を崇めてるわけじゃない。何をするか全然分からない。だからこそ注意して動いてたんだけど……」

「だが、結果はこうして私に見つかった。選んでいいぞ、達磨になって芋虫みたいになるか」

 言いながら、刑部姫は着物からいつも自分が使っているスマートフォンを取り出し、画面をタップする。

 

 

 

 

「----それともお前以外全員、ここでまとめて死ぬか」

 

 

 

 

 直後。

 スマートフォンから大量の影が飛び出したかと思うと、それらは刑部姫の周囲に狼の形となって表れた。

 外見は青白い半透明の形をした狼。しかしそれらは監視カメラのような無感情な赤い瞳を持って園子や友奈と東郷、さらに味方であるはずの神官達を睨みつけ、牙を剥き出しにしている。まるで、下手な動きをすれば今にも彼らの喉笛を食いちぎろうとするかのように。

「東郷さん!」

 友奈が現れた狼に警戒しながら、彼女を護ろうと東郷の前に立つ。彼女はまだ良い方で、神官に至ってはおろおろと狼狽えた動きを見せている。まぁ、突然自分達の味方だったはずの刑部姫がそのような動きを見せればそうもなるだろう。一方、刑部姫の行動に園子は険しい表情を浮かべて、

「……彼女達に手を出したら、絶対に許さないよ」

「お前が許すか許さないかなんてどうでも良い。こいつらをここに呼んだのはお前だ。こうなる事ぐらい考えておけ。詰めが甘いんだよクソガキ」

 園子に侮蔑の言葉を吐きながら、殺意が込められた目をさらに細める。いつ起こってもおかしくない殺戮に園子が片目で刑部姫を睨み、友奈と東郷が苦い唾を飲み込んだ次の瞬間。

「……ま、冗談だがな」

 言いながら、刑部姫がパチンと指を鳴らすと周囲に展開していた狼達が一斉に粒子となって消えた。粒子は刑部姫のスマートフォンに吸い込まれ、スマートフォンを着物にしまいながら刑部姫がにやりと嫌な笑みを浮かべる。

「本気になるなよ。仮にもお前は半分神様みたいなものだろう。そんなお前の前で、大量殺戮なんてするわけないだろ」

「………」

 しかしそう言う刑部姫の顔を、園子はキッと睨み続けていた。その理由は、二人を見ていた友奈と東郷にも分かっていた。

 刑部姫の殺意は本物だった。あのままであれば、彼女は間違いなく園子以外の全員を皆殺しにしていた。彼女が今回そうしなかったのは園子の前だからでは無く、園子に向けてこう警告するためだ。

 今回は見なかった事にする。だがもしも次勝手な真似をすれば、容赦はしない。

 だからこそ園子も刑部姫を睨みながらも、下手な行動をする事が出来ない。つまり大赦から崇められている園子であっても、刑部姫を全面的に敵に回すのは避けているのだ。

「そいつらは家に送り届けてやる。お前らはさっさとそこのガキを連れて大赦に帰れ」

 刑部姫の言葉に、恐怖から解放された神官達は一斉に刑部姫に跪く。相手が毒舌精霊であっても、まがりなりにも神樹の精霊からなのか彼女に対しても対応は丁寧だ。刑部姫が背中を向けると、園子が彼女の背中に向かって口を開く。

「……刑部姫。ミノさんは元気?」

 突如彼女の口から出た単語に、友奈と東郷が思わず園子に視線を向ける。すると、刑部姫は振り返ると冷たく言った。

「何故私がお前に言わなければならない?」

 すると園子は特に残念がる様子も見せず、そう、とだけ呟いた。この反応からすると、彼女も刑部姫からミノさんなる人物の様子を聞けるとは期待していなかったらしい。話してくれたら御の字、ぐらいに考えていたのだろう。それからあははと笑って、

「やっぱり私、あなたの事嫌いだな~」

「奇遇だな。私もお前達は嫌いだ」 

 にやりと口元に笑みを浮かべると、刑部姫はその場から離れて行った。友奈と東郷はその後、園子から「怖がらせちゃってごめんね」と彼女は何も悪くないのに謝られ、神官達に大赦が所有する車まで送られるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 友奈達が車に乗って約数分後、車は讃州市への道路を走っていた。友奈と東郷は後部座席に乗り、運転席には仮面を被った女性神官。そして助手席にはなんと刑部姫が座っていた。この場にいるのが監視のためか、単なる暇つぶしのためかは分からないが、彼女がここにいると何となく空気が悪く感じられる。

 友奈が気まずそうに座っていると、横で黙っていた東郷が唐突に声を発した。

「刑部姫」

「何だ」

「ミノさんっていうのは、誰の事?」

 ピクリと、女性神官の肩と刑部姫の肩が同時に揺れる。

「何故そんな事を尋ねる?」

「乃木園子さんはこう言ってた。二人の友達と一緒に、バーテックスと戦ってたと。そしてミノさんというのは恐らく、彼女の友人のあだ名。彼女の友人で、大赦の精霊のあなたが知っている人物。その人物は

恐らく----」

「勇者……」

 友奈が思わず呟くと、彼女の呟きを聞いた東郷がこくりと呟く。

 園子の言葉から考察するなら、自分達の前に戦っていた勇者は三人。一人は園子、もう一人は分からないが、最後の一人は彼女が刑部姫に言ったミノさん。

 つまり、もう一人いるのだ。

 世界を、大切な人を護るために満開をし、体の大部分の機能を失い、今もきっと大赦で崇められている勇者が。

「……仮にもう一人の勇者の場所を知っていたとして、どうする気だ? 勇者システムの真実はすでに乃木園子から聞かされているだろう。まだ知りたい事があるのか?」

「いいえ。ただ、会いたいだけ」

「理解できないな。何故だ。別にそいつと会わなくても有益な情報が手に入るとは限らない。何故どこにいるかも分からない奴に会いたいと思うんだ」

 怪訝な表情で刑部姫が振り返ると、彼女を顔をまっすぐ見て東郷が答える。

「確かに、その人に会っても何も思い出せないかもしれない。何も分からないかもしれない。でもそんなの関係ない。乃木園子さんと友達だった人に会って、話をして、その人がどんな人なのかを知りたい。……私は」

 そこで東郷は一度言葉を切ると、膝の上の両手をぎゅっと強く握りしめた。

「……私はもう、例え記憶が無くても、誰かを忘れたままにはしたくない……っ!」

「東郷さん……」 

 先ほどの園子の姿を思い出して涙声になる東郷の体を、友奈が静かに抱きしめる。その後車内から聞こえてくるのは、東郷の嗚咽だけになった。刑部姫はしばらく黙り込んでいたが、やがてはぁとため息をつくと運転手に告げた。

「病院に行き先を変えろ。奴に会いに行く」

「………良いのですか?」

 すると、それまでずっと黙っていた女性神官が口を開いた。刑部姫は後ろにいる友奈と東郷に視線を向けながら、

「こいつらはもうすでに乃木園子に接触した。これ以上隠し通すのは不可能だろう。ここで駄目だと言っても、自分で見つけ出すのがオチだ。だったらこっちからさっさと接触して、釘を刺した方がまだ良い。……大体、こんな事態になったのはお前達が乃木園子に対して監視を怠ったからだろうが。文句は言わせないぞ」

「………了解しました」

 すると女性神官はハンドルを切り、行き先を別の方向に変える。刑部姫は振り返ると、友奈と東郷に険しい視線を向けて、

「お望み通り、お前が会いたい勇者の元に連れて行ってやる。だがその代わり条件がある。その勇者はある事情で、そいつに関しての情報が徹底的に管理されている。どこにいるのか、どんな事を話したかは決して口外するな。それを守れるなら連れて行く」

「はい、分かりました」

「私も、それで良いです」

 どんな条件を突き付けられたとしても、今はただそのミノさんなる人物に会いたい。東郷が涙を拭いて頷くと、友奈も頷いた。それを確認した刑部姫は再び真正面を向き、運転手はその人物がいる場所に向かって車を走らせるのだった。

 約三十分後、四人は市内の病院に到着した。病院の規模は大きく、すでに日は落ちているものの明かりが病棟から所々漏れている。四人は病院に入ると、女性神官が病院の受付を向かって手続きをしてから病室へと向かう。

 友奈と東郷は最初、一般的な病室の行くのかと思っていたが、四人が向かったのは閉鎖病棟だった。病棟の通路の入り口は人が入らないように施錠されており、女性神官が入り口近くの装置にカードキーのようなものをかざす入り口の扉の鍵が開けられる。

「この奥に、園子さんが話してた勇者がいるの?」

「ああ」

「どうして、こんな場所に……」

 入った病棟の通路は照明があるものの、医者や看護師はおろか他の患者の姿はどこにもない。誰もいない廊下や病室を見ていた友奈と東郷が言うと、女性神官の肩に乗っている刑部姫が答えた。

「簡単な事だ。その勇者をここに閉じ込めておくためだ。そいつも乃木園子と同じように崇められているが、普段は誰もそいつに会う事は許されていない。許されているのはこいつを含めた一部の神官と私だけだ」

 ポンポン、と刑部姫が自分を乗せている神官の肩を軽く叩く。東郷の車椅子を押しながら、友奈が尋ねた。

「でも、どうしてその人は閉じ込めれてるの? 悪い事をしたわけじゃないのに……」

「簡単な事だ。そいつが大赦にとって、絶対に知られてはならない事を知っているからだ。だからこそ大赦はそいつをここに閉じ込めて隔離している。万が一にも情報が、絶対に外に漏れないように」

 その言葉に、友奈と東郷は思わず唾を飲み込む。

 先ほどの園子から聞いた事だけでも衝撃的だというのに、今度は絶対に知られてはならない秘密ときた。一体どのような勇者が、そしてどのような情報が自分達を待っているというのか。東郷が震えていると、友奈も同じように怯えながらも、そんな感情はおくびにも出さないようにしながら東郷の肩にそっと手をやり力強く笑みを浮かべる。

「大丈夫だよ、東郷さん。私がいるよ」

「……ええ、ありがとう」

 友奈に励まされ、東郷は親友と共にさらに奥に進む。

 やがて辿り着いたのは、病棟の最奥にある病室だった。刑部姫は女性神官の肩から降りると、彼女に声をかける。

「ここで待っていろ」

 女性神官はこくりと頷くと、扉の横で静かに待機する。刑部姫は病室の扉を開けると中に入り、友奈と東郷も中に入る。

「………っ!」

 そして中に入った二人は病室の中を見て、思わず目を見開いて息を呑む。

 病室の中は、とても病室とは言えない光景になっていた。

 出入口近くには何かの飾り、天井や壁には形代と呼ばれる和紙で作られた人形がびっしりと貼り付けられ、入り口には鳥居。まるで病室というよりも、小規模な神社と呼べる部屋。もしも常人がここで一ヶ月も過ごしたら、気が変になってしまうかもしれない。そう思ってしまうほど、強烈な部屋だった。

 と、部屋の空気に友奈と東郷が吞まれていた時。

「誰だ」

 少女の声が、部屋の奥から聞こえてきた。

 部屋の奥にはベッドが一台あり、その上に園子と同じぐらいの年齢の少女が横たわっている。園子と同じように全身に包帯が巻かれ、しかも両目は包帯で隠されどのような容姿をしているかも分からない。

「私だ」

「刑部姫……。随分珍しいな。いつも勝手に出てきて勝手に消えるお前がわざわざ扉を開けてくるなんて。ようやく人並の礼儀ってものを覚えたのか?」

 刑部姫に対する侮蔑と憎しみがこもった声にも、刑部姫はなんら特別な反応は見せない。恐らく少女の刑部姫に対する態度は、いつもの事なのだろう。そうでなければ、あの刑部姫がここまで黙っているのは考えられない。刑部姫ははっと笑いながら、少女に言う。

「お前に客だ」

「客? こんな所に、一体誰が……」 

 少女が言うと、刑部姫が友奈と東郷に少女に向かって顎をしゃくって見せる。友奈と東郷は少女のベッドの脇まで来ると、自分達の紹介をする。

「は、初めまして。結城友奈です」

「東郷美森です」

 直後。

「--------」

 東郷が自分の名前を言った瞬間、少女の動きが固まった。包帯で隠されているので分からないが、どうやら目を限界まで見開いて東郷の目を凝視しているように感じられる。

「あの……?」

 東郷が少女に言うと、はっと我を取り戻した少女が首をぶんぶんと振って、

「ああ、ごめん。ちょっと、昔の友達と声が似てたから、驚いちゃって……」

 刑部姫の時は違って、大分明るい感情が込められた声で言ってから、「ちょっと待ってて」と前置きをすると刑部姫に顔を向ける。

「刑部姫、これから二人と話すから席を外せ」

「できない相談だな。お前の言う事を私が聞くとでも?」

「……」

 しかし刑部姫の言葉に負けず、少女は包帯の下の目で刑部姫を睨み続ける。と、刑部姫はチッと舌打ちし、

「分かった。その代わり、式神を置いていく。下手な動きをしたらすぐ伝わる。それで良いな」

「ああ、お前に聞かれるよりは全然良い」

 刑部姫が不機嫌そうに鼻を鳴らしスマートフォンの画面をタップすると、画面から先ほども見た半透明の青白い狼が出現し、床にしゃがみ込む。刑部姫は狼を残して病室の扉に手をかけると、病室から出て扉を閉めた。彼女が出て行くのを確認すると、少女は息をつき友奈と東郷に打って変わって少し明るくなった口調で話しかける。

「いやー、ごめんごめん。あいつがいると話しづらくてさ。あ! 自己紹介がまだだったね。アタシは三ノ輪銀。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」

「敬語なんて良いよ。たぶん同い年でしょ? いやー、同い年の人と話すのは久しぶりだなー。ここにいると、神官の人と刑部姫のあんちくしょうとしか話さないからさー」

 刑部姫が出て行った直後、イキイキと明るく話す少女----銀に友奈と東郷は目を丸くするが、もしかしたらこちらが彼女の素なのかもしれない。

 それから銀は友奈達に色々な話をした。

 自分が先代の勇者であり、年齢は友奈達と同じだが勇者としては先輩にあたる事。なので、勇者の事で何か分からない事があったら何でも聞いてよと、彼女は胸を張った。

 イネスにあるしょうゆ豆のジェラートが好きな事。ただ最近イネスにあったジェラート店が無くなったと聞いたらしく、もうあの味は食べられないと嘆いていた。

 仲の良い弟が二人いて、この体になってから会う事ができなくなってしまって心配な事。特に一番の下の弟は最後に会った時はまだ赤ちゃんだったので、姉の自分がいなくなってからどのように過ごしているか不安らしい。

 当初は銀と刑部姫の会話を見ていたせいで、話すのが少々ぎこちなかった友奈もこの短い間ですっかり銀と打ち解けたようで、自分の色々な話を銀にしている。銀が色々話してくれるというのもあるが、やはり銀と友奈の人柄も大きいだろう。このような状況でなかったら、さらに色々と話せていたに違いない。一方、東郷は特に口を挟む事もせず、二人の話の聞き役に徹していた。

「へぇ、友奈達は勇者部って部活に入ってるんだ。どんな事してるの?」

「うん、困ってる人達を助けるのが、私達の勇者部の活動なんだ! 色んな部活動の応援に行ったり、河原でゴミを拾ったり、あと保育園でレクリエーションやったり!」

「レクリエーションか……。そっか、確かに楽しいよな」

 すると、さっきまで楽しそうに----少なくとも、友奈の目にはそう見えた----話していた銀の口調が少し暗くなる。彼女の目は友奈を見ているようで見ていない。まるで、自分の遠い過去に想いを馳せているような目だった。 

 友奈が思わず黙り込むと、それを見計らって東郷が口を開いた。

「実は私達は、あなたに尋ねたい事があって来たんです」

「尋ねたい事?」

「はい。……ここに来る前、先代勇者、乃木園子さんと会いました」

 園子の名前を聞いて、銀の肩がピクリと動く。

「……そっか。園子と会ったのか。アタシ全然会ってないんだけど、元気にしてた?」

「………はい」

 果たしてあの姿を元気と言って良いのか東郷には判断する事が出来なかったが、だからと言って元気ではないと言うのも銀を心配させるだけなので、東郷はあえてそう言った。銀はなら良かったとだけ呟いて、それ以上の言及はしてこなかった。

「それで帰る時に、彼女がミノさんって言っていたのを聞いて、それでもう一人勇者がいるのではないかと思って……」

「……東郷さんは勘が良いね。そ、何を隠そうアタシがそのミノさんだ。小学生の時に、園子がつけたんだよ。まぁ園子もそのっちなんて呼ばれてたけど」

 当時の事を思い出しているのか、銀はおかしそうに笑ってから、

「で、それでアタシの所に来てくれたって事か。でも、園子に会ったなら多分アタシから話せる事は何もないと思うぞ? わざわざ園子と友奈達と会ったって事は、聞いたんだろ? 満開と、散華について」

「……はい」

 その問いに、東郷は苦し気な表情で呟く。あの時園子から聞いた真実は、今でも悪い夢だったと思いたくなるぐらい衝撃的だった。例え目が見えなくても東郷の声音から彼女が苦しんでいる事は分かるのか、銀が優しい声で聞く。

「じゃあ、なんでアタシの所に来てくれたんだ? お見舞いなら嬉しいけど、多分そうじゃないんだろ?」

「……正直、あなたと話したくてここに来たというのもあります。でもここに来て、もう一つ聞きたい事が増えました」

「へぇ? 何を聞きたいんだ?」

 そこで東郷は一度こくりと唾を嚥下し、緊張で乾いた喉を湿らせると自分の疑問を口にする。

「----あなたがここに閉じ込められている理由です」

 ピクリと、再び銀の肩が震える。それだけではなく、先ほどまで笑みを浮かべていた彼女の口元もその笑みを消していた。そばで二人の話を聞いていた友奈が東郷の顔を見ると、彼女は緊張感に満ちた顔を銀にまっすぐ向けている。彼女の触れてはならぬ部分に触れてしまったかもしれないと後悔するのは簡単だが、ここで退いたら自分達の知らない真実からさらに遠ざかる可能性がある。東郷は銀の顔から目を逸らさず、さらに銀に聞く。

「この病室に来る時に感じました。誰もいない病棟、一部の人しか入る事を許されないこの病室。まるで、あなたがここから姿を消す事を恐れているようだと」

「………」

「そして、刑部姫が言っていました。あなたをここに閉じ込めているのは大赦にとって、絶対に知られてはならない事を知っているからだと。だからこそ大赦はあなたを閉じ込めて隔離している。……大変危険な事だとは理解しています。それを承知してお願いします。あなたが知っている事を、教えてください。あなたは何を知っていて、どうしてこんな所に閉じ込められているのか。私では何もできないかもしれません、でも、あなたがここに閉じ込められているのに、何も知らないまま過ごすなんて私にはできないです。お願いします……!」

「わ、私からお願いします!」

 東郷が深々と頭を下げると、友奈も彼女にならって頭を下げる。二人共、銀が秘密を話す事がどれほど危険な事か分かっている。下手をすれば、そばにいる刑部姫の式神から、銀が二人に秘密を離したことが、刑部姫に伝わるかもしれないのだ。もしそんな事になったら、今度こそ友奈と東郷は危険な目に遭うかもしれない。いや、それどころか秘密を話した銀も同じような目に遭う可能性だってある。

 でも、それでも知らないままになどしておけない。例え危険な目に遭っても、銀が危険な目に遭うかもしれないと分かっていても、勇者として戦う以上、園子の悲しみと辛さを知った以上、目の前の少女が何を背負っているか知らないままなどにしておく事はできないのだ。

 銀はしばらく黙っていたが、やがてふーと息をつくと苦笑を浮かべ、

「頭なんて下げなくて良いよ。二人は何も悪い事なんてしてないんだからさ」

「……じゃあ」

「ああ、話すよ。いや、ぜひ話させてほしい。アタシにとっても、大切な話だから。刑部姫にはアタシから言っておくよ。二人には絶対に、危害を加えさせない」

 銀は部屋の片隅にいる狼の式神にちらりと視線を向けながら言った。

 友奈と東郷が銀にまっすぐ視線を向けると、銀は話をする準備を整えるように数回深呼吸をし、口を開いた。

「多分、園子は自分達が勇者として戦ってた時の事についても話してたと思うんだ。何て言ってた?」

 唐突に放たれた質問に友奈は戸惑いながら、彼女の聞いた話を思い出しながら答える。

「えっと、園子さんは二人の友達と一緒に戦ってたって言っていました。それで、満開を何回もして……」

「……そっか。二人、か……」

 友奈の答えを聞いて、銀は悲し気に呟いた。彼女は一度俯いてから、二人に言う。

「園子の言っている事は嘘じゃないけど、正しくもないな。まぁ、それは仕方ないんだけど」

「……どういう、事ですか?」

 銀の言葉の意味が分からず、東郷が尋ねると、彼女はにこりと口元に悲しげな笑みを浮かべた。

「----もう一人いたんだよ。アタシ達の友達で、世界を守るために戦った勇者が」

 

 

 

 

 




今回園子は主人公の事を忘れ、刑部姫の事だけは覚えていますが、これは主人公とそれに関する事柄は忘れてしまいましたが、刑部姫は自分達をサポートする主人なしの精霊として彼女の記憶に残っています。なので、彼女が主人公に関して語った事も彼女は覚えていません。けれど刑部姫が自分達にとって受け入れられない事を言ったという記憶は残っているので、記憶を失った後も刑部姫と園子達の関係は悪いままです。東郷の場合はそもそも二年間の記憶がまるごと消えているので刑部姫の事も忘れてしまっていますが、許容できない存在として、記憶にはないけれど彼女に対する嫌悪感などはうっすらと残っています。


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第三十四話 Wは語る/もう一人の勇者

「もう一人の、勇者?」

 銀が言った言葉を、友奈は目を見開いて繰り返す。うん、と銀は頷いて、

「名前は天海志騎。天空に海、志の騎士で天海志騎。アタシ達と一緒に戦った四人目の勇者。で、アタシの幼馴染」

「幼馴染……だったんですか」

「うん。アタシが小学校に入る前に家の近くに引っ越してきたんだ。それから、ずっと一緒だった」

「じゃあ、私にとっての東郷さんみたいなものかなぁ?」

「あはは、うん。それで合ってると思うよ」

 銀は笑いながら友奈の言葉を肯定する。友奈にとっての東郷という事は、きっと二人共相当に仲が良かったのだろう。それこそ、親友と呼べるぐらいに。

「アタシが園子達と知り合ったのは勇者になってからだったから、付き合いだったら志騎の方が長かったと思う。まだ小さかった時は、それこそあいつの手を引いて色々な場所を走り回ったよ。それで二人共泥だらけになって心配されたり、一緒に弟の世話をしたり。ま、本当色々な事をしたよ」

「そうだったんですか。……どんな人だったんですか、天海さんは?」

 幼馴染の事を語る銀が楽し気に見えて、それにつられて東郷も口元に笑みを浮かべて尋ねる。

「見た目はちょっとクールだったけど、結構ノリの良い所もあったよ。小学校の時にやったレクリエーションなんか、怪獣のハリボテ作ってきてさ。それが良い出来で、下級生の子達全員怯えちゃって。あと、料理なんかも得意で、洋食とかが特に上手だったなぁ」

「へぇ、素敵なお嫁さんになれそうな人だね!」

 友奈としては純粋に褒めたつもりだったのだが、銀は何故か口をぽかんと開けてから、何故かおかしそうに笑い始めた。

「ど、どうしたの?」

 突然笑い始めた銀を心配そうに友奈が見つめると、銀は手をひらひらとさせながら、

「ああ、ごめんごめん。説明するの忘れてた。志騎は男なんだよ」

「「えっ?」」

 銀の口から飛び出した予想外の言葉に、友奈と東郷は二人揃って目を丸くして声を上げる。すると二人のそんな様子がさらにおかしかったのか、銀はさらに笑う。しかし、正直これは友奈と東郷がそのような表情を浮かべてもおかしくないはずの情報だった。

「どういう事ですか? 勇者は女性にしかなれないはずでは……」

「う、うん。私達も、園ちゃんからそう聞いたけど……」

 園子に会った時、彼女はこう言っていた。

 いつの時代も、神様に見初められて供物となったのは無垢な少女達。穢れ無き身だからこそ、大いなる力を宿せる。そしてその力の代償として体の一部を供物として神樹に捧げる。それが勇者システムの正体だと。

 だが今銀は、自分の幼馴染であり四人目の勇者である人物、天海志騎は男性と言った。それでは勇者になれるはずがないし、園子の話にも矛盾が生じる。一体、どういう事なのか。

 すると先ほどまで笑っていた銀は笑みを消すと、真剣な口調で友奈と東郷に言う。

「……簡単だよ。志騎が勇者になれた理由。それがアタシがここに隔離されてる理由であり、大赦が絶対に隠しておきたい秘密なんだ」

 つまり彼女が天海志騎について話したのは、その秘密に対しての前置きでもあったらしい。友奈と東郷が改めて銀の話を聞く体勢になると、銀は静かに続けた。

「……志騎は、大赦のある計画で作り出された存在だったんだ」

「ある、計画……? それって、何なんですか?」

「V.H計画。正式名称は、バーテックス・ヒューマン計画」

 東郷の質問に対しての銀の返答は率直なものだった。計画の名前からでは想像もつかないが、バーテックスという自分達の敵の名前がつく以上、まともな計画とはとても思えない。まぁ、満開と散華からしてまともとは到底言えないのだが。

 計画の内容について二人が聞くよりも先に、銀が計画について話し出す。

「今から数年前にある科学者が考えた計画だ。実は勇者がバーテックスを倒せるようになったのは、つい最近の話なんだ。私達の時は撃退は出来ても、バーテックスの御霊を破壊して倒す事はできなかった」

「確かに、園ちゃんも言ってた。追い返すのが精一杯だったって」

 友奈の言葉に、銀は頷きながら、

「バーテックスを何の犠牲もなしに全て倒すためのは不可能。そこでバーテックスを人を殺す最強の兵器だって考えた科学者は、ある事を考えた。相手が最強の兵器なら、こっちもバーテックスを倒すのに特化した勇者……それもただの勇者じゃない。最強の兵器であるバーテックスの力を持った、いわば兵器として特化した勇者を自分達で作って戦わせれば良いってね」

 銀の口から出た計画に、友奈と東郷は思わず目を剥く。二人がどのような反応をしたのか感じ取ったのか、銀は苦笑し、

「アタシ達も最初計画の事を知った時、思わず似たような反応をしたよ。だって、頭おかしいもんな。バーテックスを倒すために、相手と同じ力を持った勇者をわざわざ作り上げるなんて。……でも、その科学者は計画を実行した。バーテックスの細胞を手に入れて、それに自分の遺伝子を組み込んで研究をし続けた。それでついに、人間の形をしたバーテックスが生まれた。……それが天海志騎。アタシの幼馴染だったんだ」

 明かされた真実に、友奈と東郷は口を挟む事が出来ない。それも当然だ。その科学者が行ったのは、人が生命を作り出すという禁忌の所業。それもただの生命ではなく、バーテックスを殺すのに特化しているとはいえ敵と同じバーテックス。確かにこれは、外に漏らしてはならない情報だろう。

「で、志騎は記憶を封印されてアタシ達と一緒に戦ってきたってわけ。……でも二年前、事情が変わっちゃった」

(……二年前?)

 その年数に東郷は思わず動揺し、横にいた友奈もちらりと東郷の方を見る。しかし銀の話の腰を折るのもはばかれるので、二人はとりあえず話の続きを聞く事にする。

「二年前にバーテックスの大群との戦闘が起こってね。あたし達三人は満開を繰り返しながら戦って、志騎も全力で戦ったんだ。……大橋の事は知ってるでしょ? あれはその時の戦いで壊れちゃったんだ。……で、戦いの中であたしと志騎以外の二人が戦えなくなって、アタシは志騎に気絶させられちゃってさ、泣く泣くリタイアになった」

「気絶させられたって、どうして……?」

 友奈が聞くと、銀は悲しそうに俯きながら、

「……多分アタシを、これ以上戦わせたくなかったんだろうな。アタシも結構派手に戦ってこんな風になっちゃったけど、あれ以上戦ってたらこれじゃあ済まなかったかもしれない。友奈達と話す事も、話を聞く事もできなくなってたかも」

「じゃあ、天海さんは、あなたをそれ以上戦わせないために……?」

「ああ。……で、アタシを気絶させて、志騎はその場に残った。それでずっと戦い続けて、アタシ達と四国を守ってくれたんだ。……自分が死ぬ時まで」

「………!」

 最後の言葉に、二人の表情が凍り付く。

 それはつまり、志騎はもうこの世にはいないという事だ。彼は、自分の命と引き換えにしてこの世界を……大切な人達を、護り切ったのだという事を意味していた。

 二人が思わず黙り込んでいると、ギリ、と音がした。

 銀が、砕けんばかりに奥歯を噛み締めた音だった。

「……でも大赦は、志騎が死んだ途端志騎の存在を隠したんだ」

「そんな、どうして!? だって彼は、四国を守ったのに!」

「簡単だよ。志騎はバーテックス・ヒューマン計画で作り出された人間だ。そんな事がバレたら、四国の人達が一斉に大赦を怪しがる。下手したら、バーテックスの事もバレるかもしれない。だから大赦は、志騎の存在を隠したんだ。……結局、葬式すら挙げられなかった」

「……酷いよ、そんなの……」

 命を懸けて戦ったのに、それすら知られる事無く抹消された勇者。大赦の彼に対する仕打ちを聞いて、友奈は思わず大赦に対しての怒りと死んでしまった志騎に対しての悲しみを同時に覚えた。

「でも、そんな事乃木さんは一言も言ってなかった。どうして……」

 が、そこまで言ったところで東郷はどうやら気づいたらしい。はっと目を見開き、唇を震わせて銀の顔を見る。銀は悲しそうに口元を歪ませて、

「そう。散華だよ。何回も満開をして、園子は志騎に関する記憶を全部失ったんだ。……あれだけ友達想いだった園子が志騎の事を忘れたのを見た時は、本当信じられなかったよ」

 友達想いだったというのは間違いない。実際彼女は、二年間会えていなかった友達の事をずっと案じていた。恐るべきは、その彼女の記憶から特定の友人の記憶だけを消し去った神樹の力と言うべきか。

 だが、銀の口から告げられる残酷な話はまだ止まらない。

「けど、本当に吐き気がしたのは、志騎の最期について知った時だった」

「……どういう、意味ですか?」

 今聞いた話以上に、悪い事があると言うのか。東郷が尋ねると、銀は落ち着いた声で言った。恐らく何も感じていないのではなく、感情的にならないように自分を必死に落ち着かせているのだろう。

「志騎はバーテックスを殺すために作られた兵器だ。だから、赤ちゃんの頃から体を色々と弄られてきたらしい。でもその代わり、志騎は普通の人ほど長く生きる事ができなくなった。どんなに手を尽くしても、ニ十歳ぐらいまでしか生きる事ができなかったんだ」

「………!」

 驚きで目を見開く東郷と友奈に、銀はそれだけじゃないと言って、

「戦いが終わった後は兵器は当然不要になる。……バーテックスとの戦いが終わるか、志騎がもう戦わないと判断した時、志騎は廃棄処分される事になっていたんだ」

「廃棄、処分?」

 唖然とした表情で東郷が呟く。友奈も、東郷の隣で同じような表情を浮かべていた。

 処分。とても人間相手に使うような言葉ではない。しかし志騎に対してそのような言葉が使われていたという事は……、大赦は、志騎を最初から人間扱いしていなかったという事になる。それこそ、まさにバーテックスを殺すための道具としか思っていなかったとしか思えない。

「そんな……そんなの……」

 友奈が震える声で呟き、その呟きが途中で途切れる。けれど東郷には、友奈の言葉の続きが分かった。

 それでは、あまりに報われない。

 その天海志騎という勇者とは会った事はないけれど、その人だって兵器として戦ってわけではないはずだ。使い捨てられるために生きていたわけでないはずだ。きっと大切な友達と生きていくために、この国に生きる大切な人達を護るために戦ってきたはずだ。

 なのに彼にあったのは短命という望まぬ運命と、戦いが終わっても、やめようとしても処分されるという、あまりに救いのない結末。それではまるで、大赦の都合で生み出されて、大赦の都合で殺されたのと同じではないか。

 そしてそんな事を大赦がするはずがないと、少し前までの自分達ならば信じられなかったかもしれないが、今は違う。満開の秘密を大赦が黙っていた事を知った今では、正直やりかねないという気持ちが二人の胸中に渦巻いていた。

「それを聞いて、あの時は本当目の前が真っ赤になったっていうか……。初めてだったよ、心の底から人を憎むのも、目の前の人間を殺してやりたいって思ったのも。ま、こんな体なわけだし、結局できなかったんだけどね。それからアタシは唯一志騎の事を知っている勇者になったから、外に出られないようにここで閉じ込められて、勇者のための端末も回収、改造されて別の勇者の手に渡ったってわけ。動くの好きだったから、さすがに二年近くも閉じ込められるのはさすがに死ぬほど暇だったけど、今日は楽しいかな。友奈と東郷さんってお客さんが来てくれたわけだし!」

 銀の口調は明るいが、もう二人には分かる。

 彼女はあえて明るく振舞っているが、心には深い絶望と悲しみが広がっている。大切な友人二人とは会えず、幼馴染は死に、自分が得たものは不自由な体。今死ぬほど暇だったと言っていたが、恐らくそれは冗談ではない。体が不自由になって二年間、きっと何回も死にたいと思ったはずだ。

 だからこそ、悲しい。

 彼女の口調から、かつてはとても明るくて笑顔が似合う少女だったという事が分かる。……例え彼女と友人だった記憶が無くても、彼女と過ごした記憶が無くなっていても、それだけは分かる。

 なのに、そんな少女が絶望を抱いたまま二年間を過ごし、自分はそれにまったく気づかなかったことが、悔しくてたまらない。園子を目の前にした時と同じ悲しさと悔しさが、再び東郷の心を埋め尽くす。

「ごめんなさい……。私、何も知らなかった……。あなた達が辛い目に遭ってたって事も……。天海って人の事も、全然知らなかった……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 涙を流して東郷が頭を下げると、それを目にした銀の声に涙が混じる。

「……良いんだよ。それに、あたしもごめんね。頭を撫でてあげる事ができたら良かったんだけど……アタシ、もう右腕も左腕も動かせないから……」

 それにさ、と銀は言って、

「東郷さんはアタシ達の事を辛い目に遭ったって言ってくれたけど……。正直な話、この体になったのも、まぁそれなりに辛かったけど、……一番辛かったのは、その二人が志騎の事を忘れちゃった事なんだ。別に、二人が薄情者だっていうつもりなんてないよ。今も言ったけど、仕方のない事なんだ」

 でも、と一度言葉を区切ってから、少し俯いて、

「二人共志騎の記憶を失って、大赦の人達も志騎の事を口に出さなくなって、アタシだけが志騎の事を覚えてるっていうのはさ……結構辛いんだよ。確かに志騎……アタシの大好きな幼馴染は、アタシの隣にいたんだ。その志騎の事を誰も知らないって言われるとさ、まるで天海志騎なんて人間は最初から存在しなくて、アタシが勝手に作り出した妄想の幼馴染だったんだって言われてるみたいで……正直、しんどい」

 奇妙な話になるかもしれないが、誰の記憶にも残らない人間は透明人間みたいと言っても過言ではないだろう。例え銀が天海志騎という人間がいたという事を言い張っても、誰もそんな人間はいなかった、そんな人は知らないと言い張ってしまえば、結果的に天海志騎という人間はいなかった事になり、実在しない存在になってしまう。確かにそこにいたはずなのに、誰の記憶にも残らず、気が付くといつの間にか消えていた人間。そして例えその人物に関する記憶を持っていたとしても、誰もそれを認めてくれなければ、自然と本人の記憶からも消えて行ってしまう。それは、消えてしまった人物を覚えている本人からすれば何よりも恐ろしい事に違いない。

 きっと銀は、二年間その恐怖を抱いて生きてきたのだ。たった一人で、いつの日か自分も隣にいた少年の事を忘れてしまうのではないかと怯えながら。日々心を削り取られ、狂ってしまうのではないかと恐怖しながら。自分達の前で明るく振舞っていても、そのような恐怖は隠そうとしても隠せるようなものではない。そして、簡単に癒せるようなものではない。

 じわり、と銀の両目を覆う包帯に涙が滲んだ。それを見て、東郷が声を上げる。

「あ……。包帯、変えましょうか?」

「……うん、悪いけど、お願い」

 銀からの了承を得て、東郷は銀の両目を覆う包帯を丁寧にほどいていき、やがて包帯でほとんど隠されていた彼女の両目と顔が露になる。

 初めて見る銀の顔は、髪の毛が背中まで伸びた可愛らしい少女の容貌をしていた。しかし視覚を失っているせいか両目に光が無く、どこか不治の病を負った病人のような儚さを漂わせている。

「………」

 彼女の顔を見て、東郷は思わず表情を歪める。

 違う、と何故か感じた。三ノ輪銀という少女が浮かべているのはこのような表情ではないと、自分の心とも呼ぶべきものが言っている。彼女にはもっと、他の人を元気づけるような、まるで太陽のような笑顔が似合っているはずだ。そんな笑顔を、自分は見てきたはずだ。

 なのに、思い出せない。 

 園子の時と同じだった。確かに会った事があるはずなのに、思い出す事が出来ない。目の前の少女がどのような人物で、どのような思い出を重ねたのか。絶対に忘れてはならない記憶だったはずなのに、少しも思い出す事が出来ない。東郷が悲しみに沈んでいると、銀が光を失った両目を東郷に向けながら。

「……大丈夫? なんか、悲しそうな感じがするけど……。もしかして、アタシのせい?」

「……っ。いいえ、大丈夫です」

 しかし、銀は誤魔化せなかったらしい。よほど他人の感情に敏感なのか、銀は悲しそうに口元を綻ばせると、

「東郷さんは優しいね。あなたが気にする事じゃないのに……。ごめんね、折角のお客さんを悲しませちゃって。……アタシって、本当昔からそうだ。無駄に明るいのが取り柄で、頭は良くないし、弱っちいし……。アタシがもっと頭が良くて、強かったら、他の二人は今も元気で、志騎だって……」

 彼女の声が沈んでいくと共に、両目から再び涙がこぼれてベッドのシーツに涙の後を残していく。東郷が思わず彼女の涙を拭おうと手を伸ばそうとすると、銀の頭が東郷の肩に乗っかった。

「………アタシさ、志騎の事、好きだったんだよ。友達としてじゃなくて、一人の男の子して」

「……そうだったんですね」

 うん、と彼女は東郷の肩の上で頷いて、

「友達も協力するよってすごくはしゃいでてさ。お役目が終わったら、アタシと志騎との交際計画を立てようとかって話も出て……恥ずかしかったけど、ちょっと楽しみでもあってさ」

 でも、その願いは叶わなかった。

 この世界の運命は、少女の淡い恋心を叶える事すら許さなかった。

「……もう遅いと思うけど、思うんだ。もしも満開の事を知ってたら、志騎の命が短いって事を知ってたら、もっと友達と遊んで、ちょっと恥ずかしいけどデートプランとか立てちゃったりして、それで志騎とデートしたり、もっと四人で、過ごせてたのにって……」

 そこで銀の言葉が止まるが、東郷は何も言わない。ただ相槌を打ちながら、銀の頭を抱きしめて優しく撫でる。彼女の頭が押し当てられた東郷の肩に、彼女の涙のシミが広がっていく。

「……ごめん。ちょっとだけ、泣いても良いかな……」

「……はい」

 東郷はそう答え、銀に感化された友奈は唇を噛み締めながらじっと俯いている。

 何も、言う事が出来なかった。

 ここで銀に、きっと彼女達はあなたがいてくれて良かったと思っていると伝える事ができたらどれほど良いだろう。だが仮に銀にそう言ったとしても、彼女は恐らく納得しない。実際に園子があのような体になったのも、天海志騎という少年が死んでしまったのも彼女のせいではない。だが彼女は友人達が過酷な目に遭ったのを止められず、大好きな幼馴染が死ぬ事も防げなかった。そのような罪悪感の中で二年間も過ごし続けてきたのだ。第三者である自分達が何を言ったとしても、彼女の心の闇を祓う事は出来ない。それをする事ができるのは、会う事すらできない園子か、死んでしまった天海志騎という少年だけだろう。

 自分達には何もできない、という事が友奈と東郷には悔しくてたまらない。

 だからこそ、せめて。

 この時間の中で、東郷に抱き留められている銀の心が、少しでも癒される事を友奈と東郷は神樹に祈った。

 しばらく銀は東郷の肩に頭を乗せていたが、やがてすっと彼女の肩から頭を離し笑う。

「ありがとう。ちょっとスッキリしたよ」

「そうですか。あ、そうだ。包帯……」

「良いよ。しばらくはこのままでいるから。正直、包帯巻いたままだと顔がむず痒くてさ。両腕も動かないから、掻く事も出来ないし」

 銀の言葉に、東郷と友奈が思わずくすりと笑う。軽口を叩けるあたり、どうやら少し気分がスッキリしたというのは嘘ではないらしい。先ほどまで暗かった雰囲気が少し明るくなったと思われた瞬間、病室のドアがドンドンドン! と手荒に叩かれた。

「と、どうやら時間切れみたいだな。二人はもう帰った方が良いよ。もう夜だし、これ以上は刑部姫がキレる」

「そうだね……。東郷さん」

「ええ」

 しかし、名残り惜しいというのが友奈と東郷の本音だった。それは銀も同じだっただろう。

 と、銀はうっすらと笑みを浮かべて、

「……友奈に東郷さん。今日は来てくれてありがとう。こんなに楽しかったのは久しぶりだよ。志騎が死んじゃって、他の二人と会えなくなってから、全然笑ってなかったから……。簡単に会う事はできないと思うけど、できたらまた会いに来てくれると嬉しいかな。アタシ暇だからさ」

「うん! また会いに来るよ! 絶対に!」

「私も楽しかったです。……きっとまた、会いに来ます」

 二人の返答に、銀はにっこりと笑った。しかし直後、彼女の表情が真剣なものになる。それに思わず友奈が戸惑い、銀に尋ねた。

「ど、どうしたの?」

「志騎の事だけ話しておこうかと思ったけど、やっぱり二人には話しておこうと思う」

 そう前置きして、銀は二人にある事を話した。話自体はすぐに終わり、話が終わると友奈と東郷は銀に改めて礼を言い、銀はまた来てねと笑った。そして病室を出た二人はイライラした表情の刑部姫と安芸に合流し、部屋を見張っていた式神を回収してから病棟を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後友奈と東郷は病院を出ると再び車に乗り、讃州市への道路を走っていた。助手席には変わらず刑部姫が座り、運転は女性神官が行っている。しかし来た時と違うのは、友奈と東郷が助手席に座っている刑部姫に二人揃って険しい視線を向けている事だった。

 東郷は刑部姫を見ながら、病室を出る時に銀から伝えられた話を思い出す。

『この話が役に立つかは分からないけど、一応伝えておく。刑部姫には気を許さない方が良い』

 突然そのような事を口にした銀に友奈と東郷は戸惑いながらも、彼女の表情から黙って聞いておいた方が良いと悟り、銀の話に真剣に耳を傾ける。

『一応刑部姫は大赦所属の精霊って事になってるけど、そんなの建前だ。あいつは大赦の味方じゃないけど、勇者の味方ってわけでもない。背中から刺すような奴じゃないけど、誰かの背中に刃物が迫っている事を知ってても、自分に被害が無ければ黙っているような奴だ』

 確かに刑部姫は、最初自分達と接触した時から勇者システムの事を知っていたにもかかわらず、自分達に真実を話さなかった。そういった意味では確かに気を許せない精霊だが、そうするとある事が気になってくる。

『……彼女は一体、何者なんですか?』

 自分達は彼女について何も知らない。知っている事と言えば、非常に優れた知能と凄まじい毒舌を持つ事。そして今聞かされた通り、大赦の味方でも勇者の味方でもないという事。何者にも自分の考え・正体を悟らせない彼女は、一体何者なのだろうか。

『あいつは確かに刑部姫っていう名前だけど、もう一つ名前がある』

『もう一つの名前?』

『そう。その名前は、氷室真由理』

 聞いた事のない名前だった。友奈も東郷も、眉をひそめている。だが銀はその反応を予想していたようで、名前の人物について説明をする。

『氷室真由理は、大赦の科学者の名前なんだ。そしてV.H計画の立案者であり、最高責任者でもある』

『最高責任者……』

 最高責任者という事は、その氷室真由理なる人物が志騎を作ったと言っても過言ではないだろう。しかし、それではある疑問が残る。

『でも、刑部姫のもう一つの名前がその科学者の名前というのはどういう意味なんですか?』

『聞いた話になるけど、氷室真由理は昔病気にかかったらしい。それで自分がいずれ死ぬ事に気づいた氷室真由理は死ぬ前に、自分の頭脳と人格をデータ化して、精霊に移してから死んだんだ。その頭脳と人格を受け継いだのが、刑部姫なんだよ』

『そうだったんだ……』

 精霊としての名前は刑部姫であるが、その精霊は氷室真由理という人物の人格と知能を受け継いでいる。とすると、確かに氷室真由理というもう一つの名前があってもおかしくないかもしれない。明かされた事実に友奈が驚きの声を上げると、銀は険しい表情を崩さず、

『それだけじゃない。V.H計画にはバーテックスの細胞と人間の遺伝子が使われたんだけど、使われた遺伝子は氷室真由理のものなんだ。それらを使って、志騎は作られた』

『……待ってください。それは、つまり……』

 銀の話を聞いて何かに気づいた東郷が青ざめた表情で尋ねると、銀はこくりと頷いた。

『そう。刑部姫----氷室真由理は、志騎のお母さんなんだよ。遺伝子上ではあるけど、ね』

 お母さん。その言葉に、友奈と東郷が目を見開いた。

『で、二年前志騎の精霊は刑部姫だった。そしてバーテックスの襲来の時、アイツは志騎を……自分の息子を、兵器として切り捨てたんだ』

 銀の口調に、先ほどまでは消えていたはずの憎しみと怒りが混じる。ふー、と息を吐いて自分を落ち着かせてから、友奈と東郷に言った。

『気を付けて。アイツとは何回か話したけど、簡単に信用できるような奴じゃない。お腹を痛めていないとはいえ、アイツは自分の息子の志騎すらも切り捨てた。正直大赦よりも、アタシは刑部姫の方が数百倍怖いよ』

 銀との会話を思い出し、東郷はしばらく助手席に座っている刑部姫を睨みつけていたが、やがて微かな怒りを込めて口を開く。

「刑部姫。聞きたい事があるのだけれど」

「何だ?」

 振り向く事すらせず、刑部姫は真正面を向いたまま東郷の言葉に返事をした。

「……三ノ輪銀さんから聞いたわ。かつていた四人目の勇者、天海志騎さんの事を……。そして、あなたが彼を作り出した張本人であり、その人格と知能を受け継いだ存在であることを」

「あの馬鹿ガキ、いくら何でも口が軽すぎるだろう。今度、ホッチキスで物理的に止めるか……」

 チッ、と舌打ちする刑部姫に、東郷が皮肉を言う。

「口が重すぎて、何も大切な事を教えてくれないよりかはマシだと思うわ」

「……今日は随分口が回るな。何が言いたい」

 うんざりとしたような口調で刑部姫が言うと、東郷は膝の上で掌を強く握りしめながら続ける。

「あなた達は、一体何がしたいんですか? 満開の事を黙って勇者を生贄に捧げて、バーテックス・ヒューマンを作り出して、散々戦わせた挙句使い捨てにして……。そんなに、人類の事が大切なんですか? ……天海志騎さんを切り捨てて、乃木園子さんや三ノ輪銀さんの涙を見ても、あなた達は何も感じないんですか!?」

 園子と銀の涙を思い出し、東郷は刑部姫に向かって声を張り上げた。と、そこでようやく刑部姫が振り返って東郷の顔を直視する。彼女の表情を見て、東郷と友奈は自分達の息が止まるのを感じた。

 そこにあったのは、無だった。

 悲しみも、憎しみも、怒りすらも無い。ただひたすらまでに、無感情だった。

「天海志騎が死んで悲しかった。私達も好きでやっているわけじゃない。乃木園子や三ノ輪銀には悪いと思っている。……そう言えばお前達のモチベーションが上がるのか?」

「な、んですって?」

 彼女の言った言葉の意味が分からず、思わず東郷が呟くと刑部姫は無表情を崩さず、

「分からなかったなら言葉を変える。そう言えばバーテックスとの戦いに勝てるのか? 人類を護る事ができるのか? 神樹の寿命を延ばす事ができるのか? それで今いくつも起こっている問題が一気に解決するというならいくらでも言ってやるよ。だがそれでも、問題は何も解決しない。だったら、自分が考えられる限界まで思考する。違うか?」

「……でもそれが、勇者を、彼女達を犠牲にする理由にはならないはずです」

 負けじと東郷が言い返すが、刑部姫はくだらなさそうに鼻を鳴らし、

「よくもそこまであいつらに肩入れできるな。少し前まで、あいつらがあんな目に遭っていた事などまったく知らなかったお前が」

「………っ」

 刑部姫の言葉に、東郷は思わず黙り込む。予想もしなかった方向からの攻撃に東郷が何も言えずにいると、刑部姫はさらに続ける。

「逆に聞くが、どこまでならやって良いんだ? 少女を勇者にしなければ良いのか? 満開をしないようにすれば良いのか? 一応聞くが、この前バーテックスとの戦いの時、満開をしない状態で七体のバーテックスに勝つ事が出来たのか?」

「それは………」

 できた、とは言う事が出来ない。

 実際あの時は、満開の力があって七体ものバーテックスを倒す事が出来た事は事実だ。もしも満開が無い状態で七体のバーテックスと戦っていたら、自分達は敗北し、世界は滅んでいた可能性が高い。

「いくらでも文句を言って良いのは、満開以上に良い案をお前が持っている場合だけだ。あるんだったら聞くが、ないのなら黙ってろよ馬鹿ガキが」

「………っ」

 あまりにも冷酷な言葉だが、言い返す事も出来ず東郷は唇を噛んで刑部姫を睨みつける事しかできない。一方刑部姫は東郷の睨みなど全く気にせず、彼女の顔をじっと見つめている。二人の間に険悪な空気が漂い始めると、東郷が低い声を漏らす。

「……だったらあなたは、体を生贄にする事を黙っていられて、平気だって言うんですか。自分の大切な人や友達が歩く事も出来ない体になっても、何も思わないんですか」

「東郷さん……」

 東郷の頭にはきっと、今日出会った園子と銀の姿が映っているに違いない。

 人類のためというお題目のために生贄にされて、歩く事も出来なくなった姿。確かにいたはずの大切な友人の事を忘れてしまった園子と、大切な友達と大好きな幼馴染を無くした銀。刑部姫にどう言われようと、あの二人の姿を見た後で彼女の言葉に納得できるはずなどできるはずがない。

 ただ、東郷は知らなかった。

 今自分達が話している相手が、どんな人物であるかを。

 そこで刑部姫は初めて表情を変えた。眉をひそめて、東郷が何を言っているのか本当に分からないという表情で。

「----逆に聞きたいんだが、

 

 

 

 

 何故その程度の事で悲しまなくてはならない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

「………は?」

 思わず東郷の口から、間抜けな声が漏れた。横を見てみると、友奈も目を見開いて口をぽかんと開けている。

 二人には、今の刑部姫の言葉の意味がどうしても分からなかった。

 すると刑部姫は、はぁとため息をつき、

「確かに秘密にされるのは不満だが、それが目的を達成するために必要な事なら私は別に構わん。生活する上では面倒だし、記憶を失うのもまぁそれなりに不都合があるだろうが、それで目的が達成できるなら別に良いだろう。で、もう一度聞くが……何故、体の機能や友人の記憶を失ったぐらいで、そこまで動揺する事ができるんだ?」

 本当に、どうしてそんな事を聞くのかまったく分からないと言うような表情だった。

 刑部姫の顔を見て、東郷はようやく気が付いた。

(……ああ、そうか)

 自分達は例え目的のためでも、自分の体の機能を失ったり、友達が辛い目に遭うのを見過ごす事はできない。それはきっと、他の大多数の人間も同じだろう。というよりも、それが一般的な人間の反応なのだ。

 しかし、刑部姫----氷室真由理という女性は違う。思考形態というものが、自分達とはあまりに違い過ぎている。目的のためならいくらでも他者を切り捨てることができるわけではない。それでは収まらない。彼女の場合、必要ならば自分が傷つく事や友人が犠牲になる事すら許容する。友人や誰かの命だけではなく、自分の命すらも彼女にとっては目的を遂行するための駒に過ぎないのだ。

 そして、それは一般的な人間の考えとはあまりにかけ離れすぎている。自分達がどれだけ言葉を尽くしても、彼女を説得できるはずがない。彼女にとっては、自分の命すらも駒に過ぎないのだから。この時初めて、東郷と友奈は自分達の前にいる精霊が自分達とは違う存在なのだという事を自覚させられた。まるで怪物や、宇宙人を目の前にしているような気分だった。

 一方、東郷が答えを返す事が出来ずにいると、刑部姫はふいと視線を前方に戻した。彼女の視線に緊張していたためか、東郷の体から力が抜け、代わりに強い疲れが襲う。

 考えてみれば、今日は色々ありすぎた。

 未知のバーテックス、アンノウン・バーテックスの強襲。

 先代の勇者、乃木園子と三ノ輪銀から明かされた勇者システムの真実。

 そして存在を抹消された第四の勇者、天海志騎。

 たった一日の出来事にしては濃厚すぎる。体感時間だと、一ヶ月は過ごした気分だ。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、胸は不安と恐怖で満ちている。この前まではもう戦いは済んだと思っていたのに、アンノウン・バーテックスの登場でそれすらも怪しくなってきた。おまけに満開の事もある。もしも次にアンノウンと戦った時は、満開をしなければ恐らく勝てないだろう。だがそれは、代わりに何かを失う事を意味している。

 もしもそれが、自分の体の機能の一つだったら? 大切な人の----横にいる友人の記憶だったら? それだけではなく、もしも友奈が自分の事を忘れてしまったら、それに自分は耐えられるのだろうか。考えても考えても答えなど出るはずがなく、東郷の顔がどんどん暗くなっていく。

 と、彼女の顔を見ていた友奈は何かを考え込むように目を強く瞑ると、強く東郷の体に抱き着いた。

「ゆ、友奈ちゃん……?」

「勇者部五箇条。なるべく諦めない!」

 戸惑いの表情を浮かべる東郷に友奈が言うと、東郷は目に涙を浮かべて彼女に頭を預ける。さっき病室で、銀が彼女にそうしたように。

「友奈ちゃん……!」

 友奈の腕の中で泣く東郷を、友奈はまるで励ますように、

「東郷さん、大丈夫だよ。私、ずっと一緒にいるから! 何とかする方法を、見つけてみせるから!」

「友奈ちゃん……」

 東郷を抱きしめながら、友奈は強い意志が込められた瞳を前に向ける。

 そんな友奈を、刑部姫はバックミラー越しに冷たい目で見つめていた。

 二人を自宅近くに送り届けた後、刑部姫と神官は大赦の本部に向かって車を走らせる。しばらく二人は無言を保っていたが、やがて刑部姫はポツリと呟いた。

「やはり氷室真由理は、人間としては欠陥があるな」

「……先ほどの、東郷様との話を思い出しているのですか?」

 神官が前を向いたまま尋ねると、刑部姫はああと頷いて、

「もしもお前が生贄に出されたとしても、それが目的達成に繋がるならきっと私は止めない。それどころか、私からお前を切り捨てる事だって考えられる。実際私は、二年前志騎を切り捨てたからな」

「彼女を気絶させ、あなたに任せたのは彼だと聞きましたが」

 すると刑部姫はくっと苦笑し、

「本当に私が志騎の事を大切に思っていたら、奴をあの場に一人残すような真似はしなかった。あえて志騎の頼みを突っぱねて、三ノ輪銀と一緒に戦わせる事だってできた。そうすれば三ノ輪銀の状態はさらに酷くなっていたかもしれないが、志騎は生きる事ができたかもしれん。……そうしなかったのは、兵器である志騎を切り捨て、後に生き神となるだろう三ノ輪銀の状態が軽い方が、こちらのダメージが軽いと判断したからだ。三ノ輪銀の言っている事は間違っていない。私はあの時、志騎を兵器として切り捨てたんだ」

「………」

 自嘲するように言う刑部姫に、神官は何も言わなかった。

 刑部姫の言う事は間違っていない。彼女はそういう存在だ。例え自分の体の機能の一つが失われる事になったとしても、例え親友が生贄にされる事を知ったとしても、それが目的達成に繋がるならば彼女はなんのためらいもなくそれを実行する。というよりも、生前に実際に行った事がある人間だ。彼女の言う通り、人間としては欠陥があると言われても仕方がないかもしれない。

「まぁ、それは志騎も同様だったがな。あいつの場合は他人を犠牲にはしないが、その代わり自分の体ならいくらでも傷つけるし、いくらでも命を危険にさらす。ああいう所は私に似たんだろうな。全く、似て欲しい所は似なかったのに、どうして似る必要がない所は似たのかねぇ……」

 懐かしむように小さく笑う精霊を横目で見ながら、神官は車のハンドルを操作しながら口を開く。

「……確かにあなたは、人間としては欠陥があるのかもしれません」

「あるかもしれない、じゃなくて間違いなくあるだろ。親友を簡単に切り捨てる人間がまともなわけがない」

「……しかし、そういった人間も必要かもしれないと、私は思います」

「あ?」

 神官の予想外の言葉に刑部姫は思わずといった調子で声を上げると、神官はさらに続ける。

「あなたは確かに普通の人間とは違うのかもしれない。しかしそれはつまり、普通の人間では気付かないものに気づけるという事です。実際にV.H計画は、きっと大赦の科学者では思いつく事すらできなかったでしょう。今はもう死んでしまいましたが、彼の存在がバーテックスとの戦いに変化をもたらしたのは間違いありません」

「ま、良くも悪くもだろうがな」

「そしてそんなあなただからこそ、これからの戦いに必要な存在だと私は思っています。今はそうではないかもしれませんが、いずれはこれからの未来に必要になるはずです」

「……そのために、お前を切り捨てる事になってもか?」

「それがあなたが良かれと思ってする事ならば」

 しばらく刑部姫は神官の顔を見つめ、神官は車の真正面を見て運転を続ける。再び沈黙が車内を満たすが、刑部姫がふーと息をつき沈黙を破った。

「……それは嘘じゃなさそうだな。嘘だったら、嫌な事は嫌と言えと言うつもりだったが……」

「嘘をつくつもりもありませんので」

「よく言うよ。仮面を被ってるくせに」

「仮面が関係あるのですか?」

 そこで初めて、安芸が横目で刑部姫を見た。刑部姫は着物の裾から彼女がかぶっているものと同じ仮面を取り出して、

「仮面を被る、という事は自分とは違う役割を持った誰かになるという事だ。軽薄な自分、嘘つきな自分、真面目な自分……。使い捨てにされる道具になりきれる奴には便利だが、そうじゃない奴にとっては苦痛でしかない。何せ、仮面によっては自分とは正反対の役割を演じるんだからな。言いたくない事も言わなければならないし、やりたくない事もやらなければならない。今のお前のようにな」

 そう言って刑部姫は仮面を被ると、被った仮面を神官に向けた。まるで、今の彼女の状態をそのまま伝えるように。神官は何も言わなかったが、少し彼女の周りの空気が変化したように思えた。

 刑部姫は彼女から顔を逸らして仮面を外すと、それを着物に再びしまいながら、

「前にも言ったが、お前は駒になるために心まで売り渡せる人間じゃない。駒を演じながらも、いつも心の中で自分は本当に正しいのか悩んでいる人間だ。そういった人間が仮面を被り続けていたら、いずれ自分が今考えている事が本心なのか、それとも演じたものであるのか本当に分からなくなる。仮面を被り続けるのは勝手だが、何が嘘で、何が本心なのかは把握出来るようにしておけ。……それができなくなったら、お前の心が先に壊れるぞ」

「……覚えておきます」

「ああ、そうしておけ。……精々、私のように大切なものを簡単に切り捨てる事ができる人間にならないように気を付けるんだな」

 そう言って刑部姫はシートを倒すと、ころりと寝転がって目を閉じた。どうやら大赦本部に辿り着くまで、ここでひと眠りするらしい。

 そして二人を乗せた車は大赦本部まで、夜の闇の中を走り続けるのだった。

 

 

 




次回はついに、風先輩や夏凜が勇者システムの真実について気づきます。その時、それを知った刑部姫はどのような行動に出るのか。少々お待ちくださいますようお願い申し上げます。


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第三十五話 後悔と怒りと彼女の変身

刑「天海志騎は勇者である、前回の三つの出来事!」
刑「一つ! 結城友奈と東郷美森に乃木園子が接触!」
刑「二つ! 乃木園子から勇者システムの真実を知らされる!」
刑「そして三つ! その後三ノ輪銀と出会い、二人は天海志騎という四人目の勇者の存在を知った……!」
刑「さて、今回はタイトルにある通りある人物が変身する。それが誰かは……、まぁ、今話を読めば分かるだろう」
刑「では第三十五話、楽しんでくれ」


「………」

 夜、犬吠埼風は右手に手鏡を持ち、台所で一人立っていた。

 彼女の脳裏に、昨日友奈と東郷と交わした会話が浮かび上がる。

『勇者は決して死ねない? 体を供物として捧げる?』

 風の言葉に、友奈ははいと頷いていた。それから彼女の横にいる東郷が口を開き、

『満開の後、私達の体はおかしくなりました。身体機能の一部が欠損したような状態です。それが、体を供物として捧げるという事だと、乃木園子は言っていました。事実、彼女の体も……』

 乃木園子、というのは自分達の先代の勇者に当たる人物らしい。昨日彼女達は彼女に呼び出され、勇者システムの真実を知らされたようだ。

 しかし、今は何よりも気になる事があった。今の彼女達の言葉が真実であるならば、

『……じゃあ、あたし達の体は、もう、元には戻らない?』

 自分の目は、友奈の味覚は、東郷の聴覚は、……樹の声は、もう二度と戻らないという事なのか。

 三人の間に重い沈黙がおり、やがて風が口を開いた。

『その話、樹や夏凜にも話した?』

『いえ。まずは風先輩に相談しようと思って……』

『……そう。じゃあ、まだ二人には話さないで。確かな事が分かるまで、変に心配させたくないから』

 すると友奈と東郷は互いに顔を見合わせた後、すぐに自分の顔に視線を戻し、

『分かりました』

 それで話は一旦お開きになったが、あの時二人が一瞬戸惑ったような表情を浮かべていたのは何となく分かる。自分達の体機能が失われるという事実があるのに、確かな事が分かるまでというのは明らかに変だっただろう。

 ----分かっているのだ。自分がおかしな事を言っているというのは。半信半疑、と言えば聞こえは良いかもしれないが、これだけの証拠が揃っているのにそんな事を言うのは、もう事実から逃げていると見られても仕方がない。

 だが、信じられるはずがない。

 この間、自分達に歌のテストの合格したと本当に嬉しそうな顔で報告しに来た樹の声が返ってくる事はもうないのだという事を。彼女の声を聞ける日は二度とやってこないなど、どうやって信じろと言うのだろうか。

 だから昨日も、一縷の願いを託して大赦に勇者の身体異常の調査結果を求めるメールを送った。きっと自分達の体は、樹の声はきっと戻ってくると願いながら。本当は夏凜の精霊である刑部姫に聞く事が出来たら良かったのだが、彼女はアンノウンとの戦闘後から自分達の前に姿を見せていない。夏凜に尋ねても、彼女が今何をしているか分からないようで、聞きたくても聞く事が出来ないというジレンマに陥る事になった。

 しかし、その間にも状況はさらに悪化していく。

 今日の昼間、樹がクラスメイト達の遊びの誘いを目撃し、誘われたのなら行ってきたら良いのにと風が言ったのだが、それに樹は困った笑顔でスケッチブックに文を書いて彼女に見せた。

『カラオケで歌うのが好きな人たちなんだ。私がいると気を使ってカラオケ行けないから……』

 それを見て、風は思わず言葉に詰まってしまった。友達と一緒に遊びに行けないのは辛いが、歌うのが好きな友人達が自分に気を使ってくれるのも辛い。だから、樹は断らざるを得なかった。

 さらに風がショックを受けたのは、樹が声を出せないせいで授業に支障が出てしまっている事を、風を訪ねてきた樹のクラスの担任の教師から聞かされた事だった。誰かに迷惑をかけているわけではないが、声を出せなくなっているせいで歌の練習などもできなくなっているらしい。ある程度は授業内容を変える事で対応しているようだが、あまりに露骨すぎると樹も気に病んでしまう。なので、今は樹専用の個別カリキュラムを考えている、との事だった。

 担任の話を聞きながら、風はただ黙って膝の上で拳を握りながら大丈夫だと自分に言い聞かせる事しかできなかった。医者だって大丈夫だと言っているのだから、きっと樹の声は元に戻ると。また前のように、自分達の前で綺麗な歌声を聞かせてくれるのだと、必死に言い聞かせていた。

 そしてついさっきも二人で何て事のない会話をしていたのだが、やはりどこか気まずさというか、ぎこちなさが感じられてしまう。あえて場を明るくしようと文化祭の話もしたのだが、樹から返ってきたのは自分は台詞のある役は出来ないから、舞台裏の仕事を頑張るというあまりに切ないものだった。それに自分はきっと文化祭までには治ると励まし、樹も微笑んでくれたが、それが何の根拠も無い空回りだという事は他の誰でもない自分がよく分かっている。そんな自分が情けなくて、風は自分を思いっきり殴りたくなった。

 風は手鏡を自分の顔の前にかざすと、左手で左目を隠している眼帯をゆっくりと外す。鏡に映されている左目は光を映しておらず、視界も戻っていなかった。

(……絶対治る。だって皆、何も悪い事なんか、してないじゃない……)

 それから手鏡を置くと、スマートフォンを取り出してメールを更新し、大赦から返信が届いていないか確認する。だが風の願いも空しく、大赦からの返信はまだ届いていなかった。

 

 

 

 日曜日、風は東郷の家に呼び出された。なんでも勇者システムについて話したい事があるらしく、家に来て欲しいとの事だった。風が東郷の家に到着し、彼女の部屋に入るとそこには険しい表情を浮かべた東郷、そして自分と同じく彼女に呼び出された友奈の姿があった。だが友奈もどうして呼び出されてかは知らされていないようで、少し戸惑ったような表情を浮かべている。

「どうしたの東郷? 急に呼び出して」

 風が尋ねると、東郷は車椅子を動かして、

「風先輩と友奈ちゃんに、見てもらいたいものがあって」

「何?」

 それに東郷は何も答えず、机の引き出しから何かを取り出すと緊張した面持ちで自分の眼前に掲げる。青色のアサガオが描かれた鞘から柄を引き抜くと、そこから鈍く光る刃が出現する。それは紛れもなく、小刀だった。

「東郷さん……?」

 彼女の行動の意味が分からず、友奈が声を上げる。東郷は刀をじっと見ると、次の瞬間刀の峰に手を添えて自分の首筋に刃を押し当てようとする。

 首には頸動脈がある。刀で傷つければ噴水のように血が噴き出る、人体の急所の一つだ。目の前で起こされるであろう惨状に友奈と風が息を呑む。

 が、東郷の首から血が噴き出る事は無かった。彼女の首に迫りくる刀身を、彼女の精霊である青坊主が防いだからだ。おかげに鮮血が噴き出す事は無く、代わりに刀を防いだ精霊バリアの光が迸る。

「何やってんのよ!? あんた、今精霊が止めなかったら……!」

「止めますよ。精霊は確実に」

 風の声とは対照的に、東郷の声は怖いほど冷静だった。たった今自分の首を自分の手で切り裂こうとしたにも関わらず。

「この数日で、私は十回以上自害を試みました。切腹、首つり、飛び降り、一酸化炭素中毒、服毒、全て精霊に止められました」

 東郷の言葉を証明するように、青坊主に加えて刑部狸も現れると東郷の手から小刀を抜き取り、友奈の前の机に置いた。その光景を目の当たりにした風は東郷を見つめると、どこか震えた声で尋ねる。

「何が、言いたいの?」

「今私は、勇者システムを起動させていませんでしたよね?」

「あ……。そう言えば、そうだね……」

 勇者バリアは基本的に、勇者に変身してバーテックスとの戦いの時に発動するものだ。このような平時の状況であれば、バリアが発動する事はまずない。----少なくとも、友奈達の知る限りでは。

「それにも関わらず、精霊は勝手に動き、私を護った。精霊が勝手に……」

「だから、何が言いたいのよ東郷!」

「精霊は、私達の意志とは関係なく動いている、という事です。私は今まで、精霊は勇者の戦うという意志に従っているんだと思っていました。でも違う。精霊に勇者の意志は関係ない。それに気づいたら、この精霊という存在が違う意味を持っているように思えたんです。精霊は、勇者のお役目を助けるものなんかじゃなく、勇者をお役目に縛り付けるものなんじゃないかって。死なせず、戦い続けさせるための装置なんじゃないかって」

 それを聞かされ、風はある事に気づく。

 バーテックスとの戦いの前は、決まって自分の精霊である犬神が自分にスマートフォンを持ってきていた。自分は今まで単に戦うために必要な道具を持ってきてくれている程度の認識しかなかったが、もしかしたらあれは自分達に戦いに行くように促していたのではないか。自分達が戦いに怯えて、逃げ出さないように。

「で、でも! 精霊が私達を護ってくれたって事なら、悪い事じゃないんじゃないかな……?」

 友奈が半ば必死に声を上げると、東郷は静かに目を閉じ、

「そうね……。それだけなら、悪いものじゃないかもしれない。でも、精霊が必ず勇者の死を阻止するなら、乃木さんが言っていた事はやはり当たっていた事になる」

「……勇者は、決して死ねない」

「彼女が言っていた事が真実なら、私達の後遺症が、治らないという事も……」

「……そんな……」

 疑念が確信に変わり、風がかすれた声を上げる。この期に及んでも自分の頭のどこかで全て何かの間違いだという声が上がっていたが、目の前で見せつけられた光景がそれを否定する。

「乃木園子という前例があったのだから、大赦は勇者システムの後遺症を知っていたはず。無論、大赦の精霊である刑部姫も……。私達は何も知らされず、騙されていた」

 東郷の話が終わると、残ったのは重苦しい沈黙だけだった。誰も口を開けないでいたが、やがて風の呆然とした声が友奈と東郷の鼓膜を震わした。

「待ってよ……。じゃあ、樹の声は? もう、二度と……?」

 その問いに東郷は何も答えなかったが、その沈黙が答えを何よりも雄弁に語っていた。

 風が床に膝をつくと、床に水滴がこぼれる。それは風の右目から流れた、悲しみと後悔の涙だった。

「知らなかった……。知らなかったの……。人を護るため、体を捧げて戦う……。それが勇者……。あたしが、樹を勇者部に入れたせいで……!」

 自分のせいで、樹の声は失われた。もう彼女の声を聞く事は出来ない。もう彼女の歌を聞く事は出来ない。もう、二度と----。

 強い後悔の念が風の体を襲い、彼女は泣き続ける事しかできない。友奈は彼女の体に静かに両手を当てるが、それ以上の事は何もできない。かけがえのないものを失ってしまった今の風には、励ましの言葉も、ましてや慰めの言葉も、気休めになりもしない。一方東郷はまだ何か考え事があるのか、じっと俯いて床に視線を落としている。

 そんな三人の姿を。

 窓から、半透明の体をした鳥が、じっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 翌日の夕暮れ、学校が終わった夏凜は自転車に乗ってある場所に向かっていた。行き先はようやく慣れてきた自宅のマンションではなく、風と樹が住んでいるマンションだった。

 何故彼女が二人のマンションに向かっているかというと、先ほど彼女のスマートフォンにこのようなメールが届いたからだ。

『犬吠埼風を含めた勇者四人が精神的に不安定な状態に陥ってます。三好夏凜、あなたが他の勇者を監督し、導きなさい』

 詳細を聞こうと返信もしたが、返事は無かった。こういう時に何か情報をくれそうな刑部姫も自分達の前にまったく姿を現さず、何も知らされる事無くこうして風のマンションに向かっているというわけだ。

 やがてマンションの前につくと、マンションを一度見てからスマートフォンを取り出して届いたメールの文面にもう一度目を通してから風の事を考える。

(風、最近部活にも顔出さないで何してるのよ……)

 最近、風は勇者部の部活にまったく顔を出していなかった。活動自体は彼女から届くメールに書かれているのでどうにか行えているのだが、やはり勇者部部長であり、頼れる人間である彼女を欠いた勇者部は活気がない。友奈と東郷も最近妙に元気がなく、夏凜が何を聞いてもはぐらかされるだけで何も答えてはくれない。まるで自分が除け者にされているようで、最近はいつも歯がゆい思いをしていた。

 メールから視線を外すと、マンションに目をやる。この時間なら風はもうマンションに戻っているはずだし、今日なら何か話を聞けるかもしれない。

 だが、万が一まだ帰っていないという可能性もあるので、仕方なく夏凜は自転車を止めると、マンションが見張れる位置で風がマンションにいるかどうかを見極められるまでその場で粘る事にした。

 が、当の本人である風はとっくにマンションに戻っていた。彼女が再度自分達の体の調査の状況の説明を求めるメールを大赦に送ると、家の電話が鳴り響いた。電話機から受話器を外し、自分の耳に当てる。

「はい、犬吠埼です」

『突然のお電話失礼いたします。伊与乃ミュージックの藤原と申します』

「伊予乃……ミュージック……?」

 聞いた事もない会社名に、思わず風は怪訝な声を上げる。

『はい。犬吠埼樹さんの保護者の方ですか?』

「……はい。そうですが」

 相手の口から出た妹の名前に風の心臓がどきりと高鳴るが、当然そんな事を知らない藤原という女性は話を続ける。

『ボーカリストオーディションの件で、一次審査を通過しましたので、ご連絡差し上げました』

「え? な、何の事ですか?」

 すると相手も風がそのような反応をするとは思わなかったらしく、少し驚いたような声音で、

『あ、ご存じないんですか? 樹さんが弊社のオーディションに……』

「い、いつ?」

『えー、三ヶ月ほど前ですね』

 三ヶ月ほど前。ちょうどその時は、樹が歌のテストで合格した日だ。そして確か彼女は、自分にやりたい事ができたとその時言っていた。あの時はいつか教えるねと言われただけで、具体的に何をするのかは聞く事は出来なかったが、それはまさか----。

『樹さんからオーディション用のデータが届いています。……あれ? どうしたんですか? もしもし? もしもし?』

 会話が途切れたのは、機器の故障などのトラブルではない。風の手から力が抜け、受話器が床に落ちたからだ。風はふらふらと樹の部屋に繋がる扉の前に立つと、部屋の中に呼び掛ける。

「樹!?」

 だが、まだ帰ってきてないのか返事は無い。風は扉を開けると、部屋の中を見る。やはり樹はまだ帰ってきていないらしく、彼女の姿はどこにもなかった。

「いないの……?」

 部屋の見渡していた風は、そこで机の上に一冊のノートがある事に気づく。ノートには、体の調子を良くする方法や、喉が治ったらやりたい事が書かれていた。もう戻らない代償を戻すための彼女の努力の証、そしてようやくやりたい事が見つかった彼女の願い。顔を上げると、棚には医学書やのどの不調に関する本が並んでいた。彼女がなんのためにそれらに目を通していたかなど、もう言うまでもない。

 それから部屋の中にあったテーブルを見ると、そこにはノートパソコンが置かれていた。どうやら電源が入った状態らしく、ロックもされていない画面には喉に効くハーブティーのレシピ画像が表示されている。

 さら画面に視線を巡らせてみると、デスクトップに『オーディション』と書かれた音声ファイルが表示されている。風がマウスを操作してファイルを開くと、録音された樹の音声が聞こえてきた。

『えっと、これで……。あれ? もう録音されてる? あ、ボーカリストオーディションの応募しました、犬吠埼樹です! 讃州中学一年生、十二歳です! よろしくお願いします』

 パソコンから聞こえてくる妹の声が何故か何年ぶりに聞いたような気がした。それも当然かもしれない。樹は七体ものバーテックスとの戦いの後に声が出せなくなり、それから約三ヶ月もの間声が出せなくなったのだから。

『私が今回オーディションに申し込んだ理由は、もちろん、歌うのが好きだって事が一番ですけど、もう一つ理由があります。私は、歌手を目指す事で、自分なりの生き方……みたいなものを、見つけたいと思っています。私には、大好きなお姉ちゃんがいます。お姉ちゃんは、強くてしっかり者で、いつもみんなの前に立って歩いて行ける人です。……反対に私は、臆病で弱くて、いつも、お姉ちゃんの後ろを歩いてばかりでした。……でも、本当は私、お姉ちゃんの隣を歩いていけるようになりたかった。だから、お姉ちゃんの後ろを歩くんじゃなくて、自分の力で歩くために……私自身の夢を、私自身の生き方を持ちたい。そのために今、歌手を目指しています!』 

 今まで聞いた事も無かった妹の本心に、風は思わず息を呑む。

『実は私、最近まで歌を歌うのが得意じゃありませんでした。上がり症で、人前で声が出なくて、でも、勇者部の皆と、ある人のおかげで歌えるようになって、今は歌を歌うのが本当に楽しいです! 私が好きな歌を、一人でもたくさんの人に聞いて欲しいと思っています! あ、勇者部というのは、私が入っている部活です。勇者部では……』

 さらに樹の話が続くと思われたその時、持っていたスマートフォンからメールの通知音が聞こえ、風の視線がスマートフォンに向けられる。メールは大赦からで、内容は自分が送ったメールの返信のようだ。

 そして肝心の文面は、このようなものだった。

『勇者の身体異常については調査中。しかし肉体に医学的な問題はなく、じきに治るものと思われます』

 それは、昨日聞いた東郷の話から考えるとまずありえないものだった。

 乃木園子という満開をして体を失った勇者がいる以上、大赦が満開のリスクを把握していないという事はまずないし、東郷も自らの身をもって、勇者は死ぬ事ができないという乃木園子の言葉を証明している。つまり乃木園子の言葉は全て真実であり、嘘偽りなどまったくない。

 とすると、それが意味するのは二つ。

 大赦は初めから満開の真実について全て知っていて、自分達は何も知らされないまま生贄にされた事。

 自分達の体は………樹の声は、もう二度と戻らないという事。

 友奈達を戦いに巻き込み、大赦の事を信じていた風にとって、それは文字通り心を粉々に打ち壊されるような、あまりに残酷な真実だった。

『あ、ごめんなさい。余計な事まで話し過ぎちゃいました……。では、歌います』

「あ、あぁ………!」

 樹の声が終わると共に、パソコンから音楽が流れ始める。すると同時に風の片目から涙が溢れ、彼女は嗚咽を漏らしながら不安定な足取りで居間へと向かう。涙を流しながら居間にあったテーブルにもたれかかると、後ろから樹が録音した彼女の歌声が聞こえてくる。

 自分達が上手だと褒めた妹の歌声。

 今まで何回もお姉ちゃんと呼んできてくれた、愛しい声。

 だが、もう彼女が歌う事は無い。

 もう自分達と会話を交わす事は出来ない。

 彼女の声は、世界を救う代償として生贄にされたのだから。

 他の誰でもない、自分が戦いに巻き込んだせいで。

 風は泣きながら、かつて樹と交わした会話を思い出す。

『あのねお姉ちゃん。私、やりたい事が出来たよ』

『なになに? 将来の夢でもできたって事? だったらお姉ちゃんに教えてよ』

『んー。秘密』

『えーひどい。誰にも言わないから、ね?』

『いつか教えるね』

 だけどもう、そのいつかが来る事は無い。 

 その夢は、ようやく彼女が見つけたやりたい事は、声と一緒に失われてしまったのだから。

「うううぅぅう………!! うああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 今までこらえていた感情が一気に爆発し、風は叫び声を上げた。彼女の感情の爆発に呼応するようにスマートフォンの勇者システムが起動し、部屋を風と花びらが吹き荒れる。

 直後、勇者の姿に変身した風は部屋を飛び出すと、マンション近くの浜辺に一度着地し、そこから人間を超越した跳躍力で宙を飛ぶ。さらに道路に着地し、もう一度高く跳躍すると風に声が飛んでくる。

「待ちなさい!」

 それと共に何本もの刀が柄の方を風に向けて飛んできて、風がそれらを防ぐと勇者姿の夏凜が風に接近する。マンションの近くで様子をうかがっていた夏凜は風がマンションから飛び出したのを見て、自身も変身して追ってきたのだ。二人は再び道路に着地し、もう一度跳躍すると夏凜が風に叫ぶ。

「あんた、何をするつもり!?」

 それに対して、風は怒りと悲しみに満ちた声で答えた。

「大赦を、潰してやる!!」

「なっ……!」

 夏凜は絶句しながらも着地すると、風に接近する。自分に向かってくる夏凜目掛けて風が大剣を振るい、夏凜が刀で攻撃を防ぐと風は夏凜に悲しみと怒りが入り混じった感情と言葉を叩きつける。

「大赦はあたし達を騙してた!! 満開の後遺症は、治らない!!」

「何を……!?」

 二人はさらに跳躍し、空中で大剣と刀を激しくぶつかり合う。

「大赦は、初めから後遺症の事を知ってた!! なのに、何も知らせないであたし達を生贄にしたんだ!!」

「そんな適当な事……!!」

「適当じゃない!! 犠牲になった勇者がいたんだ!!」

「えっ……?」

「勇者は、あたし達以前にもいた……! 何度も満開して、ボロボロになった勇者が!!」

 強い怒りと共に大剣を握りしめ、血を吐くように言う風に、夏凜は思わず言葉を失う。

「そして今度は、あたし達が犠牲にされた!!」

「……っ!!」

 自分目掛けて接近し振るわれる大剣の一撃をどうにかいなすが、大剣と刀では一撃ごとの強さが違う。夏凜は両手に刀を生成すると、頭上から振るわれた大剣の一撃をどうにか防ぐ。

「なんでこんな目に遭わないといけない!? なんで樹が声を失わないといけない!? 夢を諦めないといけない!? 世界を失った代償が、これかぁああああああああああああああああっ!!」 

 風は涙を流しながら、大剣を夏凜目掛けて降り上げ、夏凜は思わず目を瞑る。

 しかし、衝撃が来る事は無かった。

 突然誰かが夏凜の前に立ち塞がり、片足を上げて風の大剣を防いだからだ。バチバチバチッ!! と火花が激しく散り、夏凜からでは目の前に立っているのが誰だか分からない。

「誰っ!?」

 いきなりの乱入者に風は後退しながら、目の前の人物を睨みつける。

 戦いに割って入ってきたのは、夏凜達と同年代ぐらいの少女だった。長く艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、黒い大赦の神官服を着ている。洒落っ気を出しているのか、ふくらはぎまでの編み上げブーツを履いていた。風はおろか、夏凜ですらも見た事が無い少女だった。しかし風の一撃を簡単に防ぐなど、ただの一般人ではないのは明白だ。

 少女はため息をつくと冷たい目を風に向けて、

「ったく、いずれ何かやらかすとは思っていたが、案の定こうなったか。大赦の奴らも間抜けだが、お前もお前だ。シスコンも大概にしておけよ九官鳥」

 え、と彼女の後ろにいた夏凜が声を上げる。

 九官鳥、と彼女は言った。風をそのように言う人物、というか存在は一人しかない。おまけに少女の声は姿が違うせいか若干低く聞こえるが、この口調は何回も聞いた覚えがある。

「あんた……刑部姫……!?」

 風の言葉に、目の前の少女は肯定するようににやりと口元に笑みを浮かべた。

「ああ、そう言えばこっちの姿じゃあ初めましてだったな。大赦の精霊兼、天才美少女科学者、氷室真由理だ。精々崇め奉れよクソガキ共」

 間違いない。この口調と毒舌、間違いなく刑部姫だ。しかし目の前の姿は一体どういう事で、氷室真由理という名前は一体何なのか。夏凜が混乱していると、少女-----真由理の登場に呆気に取られていた風が反応を示した。

「……ちょっと待ちなさいよ。あんた、そう言えば大赦の精霊だったわよね」

「ああ、そうだが?」

「じゃああんた、全部知ってたの?」

「全部、とは? 質問するなら具体的に言えよ」

 吐き捨てるような真由理の言葉に、風はギリ、と奥歯を噛み締めると真由理に怒鳴った。

「とぼけるな!! 満開の事も、勇者システムの事も、全部知ってたのかって聞いてるのよ!! それを全部知ってて、あたし達を……樹をバーテックスと戦わせてたのか!!」

 ビリビリと肌を震わせるような怒号にも、真由理はまったく動じない。彼女は風の顔を見つめると、あっけらかんとした調子で答えた。

「いや、知ってたに決まってるだろ。いちいち分かり切った事を聞いてんじゃねぇよ」

「………っ!!」

 怒りの炎が再び燃え上がり、目を見開いた風は大剣を振り上げると一気に真由理目掛けて接近し剣を振り下ろす。しかし真由理はその一撃を見切り後方に逃げると、風が震える声で言う。

「………どうして、教えなかったのよ……」

「お前達に言う義理も義務も、私にはない」

「……樹は、あんたを信用してた。勇者部と、あんたのおかげで歌を歌えるようになって、本当に楽しいって……。それなのにあんたは、何も感じないって言うの?」

「逆に聞きたいんだが、何故私が何か感じないといけないんだ?」

 ゴッ!! と斬撃が真由理の目の前をかすめる。ふわりと真由理の黒髪が風でなびき、風が怒りに燃える瞳を真由理にまっすぐ見据える。

「……それが、あんたの答えってわけね。……あんたは……あんただけは、絶対に許さない!!」

 が、それでも真由理の無表情は崩れなかった。それどころか、呆れたように再びため息をつくと、

「ったく、面倒だが仕方ないか。まぁ良い。今回ばかりは、大赦の奴らには文句は言わせん」

 そう言うと真由理は着物の裾からスマートフォンを取り出し、画面の花のアイコンをタップすると画面が切り替わる。そして現れた二つのアイコンのうち一つをタップすると、真由理の腰に光と花びらと共にベルト型の装置----『プロトブレイブドライバー』が出現する。なお、試作品(プロト)という名前がついてはいるが、形そのものはもう一つのブレイブドライバーとほとんど一緒だった。

 現れたプロトブレイブドライバーに驚く風と夏凜の目の前で、真由理はスマートフォンを持つ手を横に突き出すと、もう一つのアイコンをタップする。

『Brave!』

 スマートフォンから女性音声が発せられた直後警告音のような音が流れ、ベルトの液晶パネルのような装置から光線が真由理の眼前に照射され、光線が変身用の術式を描く。

「変身」

 そう呟くと共に真由理はスマートフォンの画面をベルトの液晶パネルのような装置にかざすと、音声が再びベルトから発せられた。

『Brave Form』

 術式が真由理の体を通過すると、黒のインナーを身に纏った真由理の周囲にインナーとバンドで繋がれた装甲が空中に出現し、次の瞬間バンドに引っ張られる形で装甲が真由理の体に勢いよく装着された。かなりの勢いで装着されたように見えるが、どうやら真由理本人にダメージなどは無いらしい。

『Break Down』

 最後の音声が変身完了の合図らしく、変身した真由理は指を動かしたりしながら体の様子を見る。

「変身するのは、大分久しぶりだな……」

 しかし呑気に呟く真由理とは対照的に、夏凜と風は絶句して真由理の姿を凝視していた。

「そんな……」

「嘘、でしょ……?」

 二人が唖然としているのも無理はない。

 変身した真由理の姿は、形や変身プロセスが違うとはいえ……、紛れもなく自分達と同じ勇者の姿だったのだから。

 真由理が身に纏う服は風達のものとはだいぶ異なっていた。先ほどの変身プロセスから見ても、彼女のそれは戦闘服というよりはどちらかというと拘束具のように見える。戦闘服の色は黒と紫を基調にしており、液晶パネルのような装置にはパンジーの紋章が映し出されていた。ベルトの後部には、近距離戦を想定してか鞘に収まったクナイのような武器が装着されていた。

 そして自分の体の調子を確認し終わると、髪をかき上げて余裕を表すように口の端を上げた。

「さぁ、来いよ。遊んでやる」

 

 

 

  

 




というわけで、今回変身したのは刑部姫/氷室真由理でした。
詳細は下記になります。

『氷室真由理 ブレイブフォーム』
 大赦の科学者、氷室真由理が『プロトブレイブドライバー』とスマートフォンで変身した勇者。イメージカラーは黒と紫で、象徴となる花はパンジー。 氷室真由理は勇者適性値を持ってはいるが神樹に選ばれていないため本来は勇者になれないのだが、プロトブレイブドライバーの力によって強制的に勇者に変身する事ができている。精霊である彼女が変身できるのは、氷室真由理が自分の肉体データも刑部姫に転送していたため。精霊バリアが無く、装甲も必要最低限の位置にしかないため、友奈達よりは防御力が低い。しかしその反面攻撃の出力に力を割いており、例え精霊バリアが張られていたとしても強力な攻撃を敵の勇者に与える事ができる。そのため、どちらかというとバーテックスよりかは対人戦闘の方が真価を発揮しやすい(無論バーテックスが相手でも強力な事に変わりはない)。これらの特性から、防御は薄いがその分攻撃力と俊敏性が高い勇者と言える。

『プロトブレイブドライバー』
 真由理が変身する際に使用するベルト。形は志騎が使用するブレイブドライバーとほとんど一緒だが、志騎のものが霊的回路を形成、固定し神樹からの力を受け取るのに対し、こちらは霊的回路を形成し固定するまでは一緒だが、力を受け取るのではなく奪い取るのが最大の違いとなっている。そのため神樹に負担がかかりやすく、下手をすると神樹の寿命がさらに短くなってしまう恐れがあるため、真由理にとってもこれは文字通りの奥の手となる。神樹の力を使用するため大人数を勇者にする事は出来ないのだが、彼女が作ったドライバーの場合は彼女独自のシステムが組み込まれており、少ない力を増幅して十分な戦力を発揮できるようになっている。神樹の力を奪い取るという事ができるのも、ベルトに組み込まれた装置のプロトコルのおかげである。なお、変身している最中は刑部姫が真由理となっていられる三分間の時間制限がなくなる状態になる。
 



カラーリングは黒と紫という所から分かる通り、仮面ライダー滅と仮面ライダーゲンムをイメージした勇者になっています。とは言ってもドライバーの設定などから、滅の要素の方が多くなっています。使用武器等は次話で書きますので、申し訳ございませんがもうしばらくお待ちください。


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第三十六話 彼女は何故壁を壊したのか

 刑部姫----氷室真由理の変身という事態に風は最初戸惑っていたが、すぐに頭を振って我を取り戻すと目の前で笑みを浮かべている少女を睨みつける。

 相手が勇者に変身しようとも関係ない。ましてや相手は、自分達をずっと騙していた大赦の精霊だ。ならば、戦うのを避ける理由などない。

 自分はここで目の前の少女を倒して、大赦を潰す。

 風の脳裏に、笑顔でマイクを握って楽しそうに歌う樹の笑顔が浮かび上がる。

 その笑顔を力にするように風は大剣を握る手の力を強めると、一気に真由理に肉薄して大剣を振り上げる。

 が、

「遅いぞ、間抜け」

 自分を心の底から馬鹿にする言葉と共に。

 風の腹に、真由理の拳が勢いよく突き刺さった。

「ごっ……っ!?」

 精霊バリアで護られているはずの風の腹に拳がめり込み、風の体の動きが止まる。一瞬棒立ちの状態になった風の顔面に、今度は真由理の蹴りが放たれた。

 なす術もなく顔面を蹴られ、風は地面を転がる。しかし真由理は追撃などせず、ただトントンとステップを踏んで風を笑顔で見下ろしている。

 風をあまり痛めつけたくないから追撃しないのではない。

 単純に、彼女を馬鹿にしているのだ。

 お前の力はその程度か、と。

「こ、のぉおおおおおおおおおっ!!」

 風は立ち上がると、大剣を持って真由理に襲い掛かる。しかし真由理は攻撃を簡単にかわすと挑発するように右手の人差し指をくいくいと風に向かって動かし、それにさらに風が大剣を振るうと攻撃をかわしてがら空きになった胴体に蹴りを入れる。

 攻撃の衝撃で風がたたらを踏むが、蹴りを入れた際に真由理は自然と風に背中を向けた体勢になる。チャンスと思った風は大剣を再び振り上げると、真由理目掛けて切り込む。

 が、背中を向けている状態の真由理はにやりと笑みを浮かべた。

「馬鹿が」

 そして勢いよく振り向くと、左手に彼女の専用武器『ブレイブアロー』が出現する。普通の弓とは違い、機械で作られたそれはフレームの部分に刃が備え付けられており、真由理は大剣の腹をブレイブアローの刃で滑らせる事で剣の威力を受け流すと、その勢いのままブレイブアローで風の体を切り裂く。

「あ、っぐ!」

 精霊バリアで護られているとはいえ、自分の体を走る衝撃と痛みに風が後退すると、それを見逃さずブレイブアローのグリップ部分を素早く引き、手を離すと射出口から黒色の霊力の矢が風目掛けて放たれる。間一髪風は攻撃を防ぐと真由理に接近して大剣を横薙ぎに振るうが、真由理はわずかに体を逸らして攻撃を避けると、反撃と言わんばかりにブレイブアローによる射撃を行う。今度は矢は見事に風の胸に直撃し、精霊バリアの光がまるで血のように吹き出し、風は大きく後ろに吹き飛ばされた。

「どうした? もう終わりってわけじゃないだろう?」

 風は胸を抑えながら真由理を睨みつけるが、どうやらまだダメージは残っているらしく、中々立ち上がる事が出来ない。一方、戦いを後ろから見ていた夏凜は真由理の強さに目を見開いていた。

(噓でしょ……? 風が、手も足も出ないなんて……)

 一応言っておくが、風が弱すぎるわけではない。剣術などの腕前ではさすがに夏凜の方が上だろうが、それでも素の身体能力では夏凜や友奈には決して引けを取らない。あの大剣を自由に振り回せているのが、何よりの証拠だろう。並大抵の相手ならば、風でも後れを取ったりしない。 

 しかし、今風が戦っている相手はその並大抵の相手では無かった。体術、判断力、観察眼。そのどれもが高い水準であり、大赦で厳しい訓練を受けた夏凜でも真正面からやり合って勝てるかどうか分からない強さだった。すると、夏凜の考えが伝わったわけではないだろうが、真由理が立ち上がる事ができない風に笑みを向けながら、

「おいおい。まさかお前、私は科学者だから戦い慣れてない、楽勝だなんて思ってたんじゃないだろうな? ……舐めるなよクソガキ、殺すぞ」

 笑みを消してドスの聞いた声を響かせると、真由理はスマートフォンを持ちドライバーにかざす。

『ブレイブストライク!』

 真由理がグリップ部分を引くと黒い霊力が射出口に集中し、そして手を離すと濃密な霊力の矢が風目掛けて発射される。どうにかダメージから回復した風は立ち上がると大剣を巨大化させて盾のようにし、強力な矢の一撃を受け止める。

「ぐ、ぅううううううううううううううっ!!」

 どうにか防いだものの、あまりの威力に風の足が少し後退し、大剣を支える両腕に激痛が走る。しかしここで耐える事ができれば、反撃の一手を打つ事ができる。そう考え風は奥歯を噛み締め、その一撃に耐えようとする。

 が、それを真由理はつまらなさそうな表情で眺めると、右手の指をパチンと鳴らす。

 すると大剣によって防がれていた強力な矢が一気に数十本の矢に分裂し、空中で止まると一斉に風に矢じりを向ける。

「なっ……っ!」

 しかも矢が分裂した事で風の防御の体勢が崩れてしまい、風は無数の矢に無防備に体を晒してしまう。

 そして次の瞬間、空中で停止していた矢が一気に風に殺到した。

「うわぁああああああっ!!」

「風っ!!」

 数十本もの矢の威力と衝撃で風は大きく吹き飛ばされ、地面を転がった。精霊バリアのおかげで致命傷は負っていないようだが、それでも体中をいくつものハンマーで殴られたような衝撃が風の体を襲う。風が激痛をこらえながらどうにか立ち上がろうとすると、真由理の半ば感心したような声が聞こえてきた。

「ほぉ、良く気を失わなかったな。中々タフだなお前」

 見てみると、ブレイブアローを手にした真由理がゆっくりと自分に歩いてきているのが見えた。彼女は風の目の前で止まると、彼女を冷たい目で見下ろし、

「で、これで終わりか? そうだったら変身を解除してさっさと家に帰れ。そうしたら今日の事は何も見なかった事にしてやってもいい」

 その言葉に風は自分の胸の中から沸々と怒りの炎が立ち上っている事を感じると、恨みと怒りがこもった声で真由理に言う。

「……ふざけんじゃないわよ。樹の声を奪っておいて、何も見なかった事にしてやっても良いですって? お前達大赦は、どれだけ人を馬鹿にすれば気が済むのよ!!」

 怒りと共に大剣を横薙ぎに振るおうとするが、その前に真由理の反応の方が早かった。彼女は素早くベルトの後部に装着されているクナイ型の武器の柄に手を伸ばすと、素早く鞘から抜き放ち風の顔面目掛けてクナイを振るう。しかしそれを見ても、風はかわす素振りすら見せず大剣を振るおうとした。

 どうせ自分にはバリアがあるから致命傷を負う事は無い。ならば、クナイによる一撃を食らってでも今はこの一撃で目の前の少女を叩き潰す方が先決だ。そう考えて風が大剣を振るおうとした時、ある考えが頭をよぎった。

 精霊バリアの事は、目の前の少女はよく知っているはずだ。それにアンノウンとの戦いの時でも、今の戦いでも、それが発動するところは何回も見ている。ならば精霊バリアがある限り、自分がこのような戦い方を取る事も、目の前の少女ならば予測できるはず。そんな事が分からないほど、この少女は馬鹿ではない。

 ならば。

 明らかに無駄に見える行動を、目の前の少女が取ろうとしているのは、どうしてだ?

「--------っ!!」

 間一髪、クナイの刃が風の顔面に迫る直前、風は全力で地面を蹴って後退した。結果真由理のクナイの一撃は空振り、風の大剣の刃が真由理に届く事は無かった。真由理は飛びのいた風の顔と自分のクナイの刃を驚いたように交互に見ながら呟く。

「……勘が良いな。今のが当たっていたら、決着はついていた」

「何を……?」 

 しかし言いかけた風の頬に、ズキリと鋭い痛みが走った。

 驚いた風は自分の頬に右手をやり、そして右手を見て驚愕した。右手の掌に、鮮血がついていたからだ。それは夏凜も同様で、彼女の目には風の頬から切り裂かれ、そこから血が流れているのが見えた。精霊バリアで護れているはずの、風の頬から、だ。

 自分の手を赤く汚す血を見ながら、風が呆然と呟いた。

「バリアを、無効化した……?」

 すると彼女の頬を切り裂いたクナイをくるくると弄びながら、真由理がほぉと感心した声を出す。

「正解……とは言っても、まぁ今のを見せられれば嫌でも理解するか。こいつの刃には精霊バリアを無効化する術式が組み込まれていてな、直接勇者の体を傷つける事ができる。もう少しでお前の顔面に一生消えない傷を残してやる事ができたんだがな」

 彼女の言葉に、風は思わずごくりと唾を飲み込む。バリアを無効化し、直接勇者の体を傷つける事ができる武器。つまりそれは、勇者の命を簡単に絶つ事もできるという事だ。自分よりも遥か上の戦闘能力を持つ相手に、バリアを無効化するクナイ。まさに鬼に金棒といった状況がふさわしい。

 だが、

「……だからってここで退くわけにはいかないのよ。あんたも大赦も、全部潰してやる!!」

 それが、どうしたと言うのだ。 

 自分の最愛の妹である樹は、満開の代償として声を奪われたのだ。ようやくやりたい事ができたというのに。ようやく叶えたい願いができたというのに。そしてそれを大赦は今までずっと隠して、自分達を戦わせていた。こんな事が、許せるわけがない。

 だからこそ、例えここで一生体に残る傷を負ってでも目の前の少女を倒し、大赦を潰さなければならないのだ。

 しかし、それに対する真由理の反応は信じられないものだった。

「………は。はは、あはははははははははははははははっ!!」

 なんと真由理は、突然大声で笑い始めたのだ。まるで、今の風の決意と怒りをまとめて馬鹿にするように。突然の彼女の笑いに風はおろか戦いを見ていた夏凜ですら戸惑いを隠せない。

「何がおかしい!!」

 我に返ると同時に哄笑を上げた真由理に怒りを覚えた風が怒鳴ると、真由理は今の笑いが嘘のようにすっと冷たい表情を浮かべると、風に言った。

「何がおかしい、だと? おかしいに決まっているだろう。ずいぶんと妹の声が失われた事を大赦のせいにしたいようだが、それにこだわりすぎなんだよ。私から見ると、まるで自分のした事から必死に目を背けているように見えるぞ?」

「--------」

 すると真由理の言っている事に心当たりがあるのか、風の体の動きが硬直する。

「その様子からすると、どうやら薄々気づいてはいるようだな。ま、それに気づいていなかったらただのゴミクズだからまだマシか」

「……何が、言いたいのよ」

「そんなに妹が大事なら、どうしてお前は犬吠埼樹を勇者部に入れたんだ? 勇者部がバーテックスを殺す勇者候補を集めておく部活というのは、すでに知っていたはずだろう? 妹の事を想っていたなら、勇者部から遠ざけておく方が良かったんじゃないのか? それともお前達には精霊バリアがあるから、バーテックスとの戦いになっても死ぬ事は無いとでも思っていたのか?」

 クナイを腰の鞘に戻しながら、真由理が言葉を投げかけていく。それに風が黙り込むと、真由理は忌々し気に風を睨みながら吐き捨てるように言った。

「甘いんだよ、クソガキ。この世に絶対や完璧なんて事象は存在しない。ましてや戦場ならなおさらだ。例えバリアに護られていようと、重傷を負ったり命を失う可能性はゼロじゃない。もしかしたら、私のクナイのようにバリアを無効化する攻撃を持ったバーテックスがいたかもしれない。もしかしたら、戦闘中に勇者システムを破壊され、勇者の変身が解除されて致命傷を負うかもしれない。そういった可能性は常について回る。絶対に大丈夫なんて言葉は存在しないんだよ。そうと分かっていて妹を勇者部に入れたくせに、いざ満開で代償を払ったらピーチクパーチクうるっせぇったらありゃしない。妹を命がけの戦いに巻き込んだのはお前のくせに、何今更被害者面してんだよ」

 いつもよりも冷酷な刑部姫の言葉に、風の顔が徐々に青くなっていき、手がカタカタと震え始める。夏凜は一瞬二人の間に割って入ろうとするが、真由理の視線の鋭さが夏凜が動くのを許さない。

「もしもお前が本当に妹を傷つけたくなかったんだったら、お前は大赦に土下座をしてでも、無様に泣き喚こうとも、妹に本当の事を話して軽蔑されようと、犬吠埼樹を勇者部に入れるべきじゃなかった。そうすれば少なくとも、犬吠埼樹が声を失う事は無かった。お前だってそれを分かっていたからあんなに必死で大赦を潰そうとしていたんだろう?」

「……そ、れは」

「言っておくが、お前のそれはただの八つ当たりだ」

「違っ……!」

 風が声を上げようとするが、当然真由理はそんな事を許さない。ただひたすらに冷酷で救いのない言葉の刃で、風の心を切り裂いていく。

「違わねぇよ。確かに犬吠埼樹が声を失った責任は大赦にも私にもあるだろう。大赦は散華の事を知っていながらそれを話さず、私も話さなかったからな。それについては認めてやる。だがお前が奴を勇者部に入れたのは別の問題だ。お前は自分の責任を、大赦に押し付けているに過ぎない」

「違う……」

「大赦を潰そうしているのも、責任を纏めて押し付けて自分は悪くないと言い張りたいからだろう? そこまで図々しいともはや清々しくさえあるな」

「黙れ……やめろ……!」

「それとも、最終的に勇者になるのを選んだのは妹だから自分は関係ないとでも言うつもりか? この期に及んで妹のせいにするとは恐れ入る。よくもまぁ姉面して大赦を潰すなんて言えるな」

「黙れ……黙れ……!!」

「そうやって耳を塞ぐのも勝手だが、これだけは言っておくぞ」

 そして。

 真由理は風の心にとどめを刺すための、一言を放った。

「----自分に妹の声を奪った責任の一端があるからって、大赦や私に八つ当たりしてんじゃねぇよ」

 その言葉で。

 風の中の大切な何かが切れた。

「黙れぇぇええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」

 両目から涙を溢れ出させ、声から激情を吐き出しながら、風は大剣を大きく振り上げて真由理に肉薄する。

「馬鹿が……」

 忌々しそうに呟きながら真由理はブレイブアローを握りしめ、向かってくる風に突進しようとする。激情に駆られた今の風では、真由理の一撃を防いだりかわす事は出来ない。いや、そもそも真正面から真由理と戦おうとする方が無謀だろう。

 そして風の大剣が降り下ろされるよりも早く、真由理の容赦のない一撃が風の意識を刈り取る。

 しかし、そうはならなかった。

 突然現れた結城友奈が真由理の目の前に現れ、風の攻撃を防いだからだ。彼女の精霊である牛鬼が大剣の攻撃を防ぎ、桜色の光が派手に散る。

「友奈!?」

 現れた友奈に夏凜が驚きの声を上げるが、一方で真由理は特に驚きの表情などは見せず、友奈の後ろで立ち止まるとブレイブアローを持つ手をゆっくりと下げる。すると、攻撃を邪魔された風が目の前の友奈に叫ぶ。

「どきなさい!」

「嫌です! 風先輩が人を傷つける姿なんて、見たくありません!」

「どきなさいって、言ってるのよ!!」

 再度大剣を振るうが、友奈は防具に包まれた両腕で大剣の攻撃を防ぐ。

「風先輩が傷ついているのも、大赦のした事が許せないのも分かってます!! でも、もし後遺症の事を知らされていても、結局私達は戦ってたはずです!!」

「え……」

「世界を守るためにはそれしかなかった!! だから誰も悪くない! 選択肢なんて、誰にも無かったんです!!」

「それでも!! 知らされてたら、あたしはみんなを巻き込んだりしなかった!! そしたら、少なくともみんなは、樹は、無事だったんだぁあああああああああああああっ!!」

 風の脳裏に勇者部の部室の光景が蘇る。

 みんなで色々な事を考えた部室。

 誰かのためになる事を考えるのが本当に楽しかった時間。

 しかし、もうそれが返ってくる事は無い。

 自分が、彼女達を勇者部に巻き込んだせいで。

 自分が、何も知らなかったせいで。

 怒りと後悔、悲しみの言葉と一撃が友奈に放たれるが、友奈はそれら全てを受け止めると負けじと風に叫び返す。

「風先輩! そんなの違う! 駄目です!」

「何が、違うの!!」

「友奈だめ!!」

「………!!」

 そこで何かに気づいた夏凜が友奈に叫び、真由理がブレイブアローで風を狙撃しようとする。しかしその前に風と友奈が跳躍し、友奈が拳で風の大剣を思いっきり殴りつける。衝撃で吹き飛ばされるも、どうにか着地した風の目にある光景が飛び込んでくる。

 それは、友奈の右拳の位置にある満開ゲージ。

 前のアンノウン・バーテックスとの戦いでもうすでに溜まりつつあったゲージが、今の攻防で全て溜まっていた。

「風先輩を止められるなら、これぐらい」

 それを見た風が大剣を下ろし、後ろにいた真由理も構えをゆっくりと解除すると、友奈が優しい微笑を風に向けた。

「だって私は、勇者だから」

「友、奈………」

 ようやく頭が冷えたらしく、風が呆然と立ちすくんでいると、後ろにいた夏凜が立ち上がって友奈に尋ねた。

「でも友奈、あんたどうしてここが分かったの?」

「刑部姫が教えてくれたんだ」

 え? と夏凜がきょとんとした表情を浮かべると、友奈はスマートフォンを取り出して画面を夏凜に見せた。

『勇者部各員に通達。犬吠埼風が暴走。至急現場に急行すべし』

「あんた、いつの間にこんなの……」

 夏凜がそばにいた真由理に聞くと、真由理はブレイブアローを肩に乗せながら、

「お前が犬吠埼風とやり合っていた時だ。私が力づくで抑えても良かったが、落ち着かせるなら結城友奈かあいつが適任だろう」

 そう言って真由理が風の背後に視線を向けるのと、風を背中から誰かが抱きしめたのはほぼ同時だった。風を後ろから抱きしめたのは、

「樹……」

 勇者の服を身に纏った樹だった。彼女は今にも泣きそうな顔をしながら姉の背に抱き着きながら、駄目だよと言うように首をゆっくりと振る。それに風は膝から崩れ落ちると、嗚咽を漏らし始める。友奈と夏凜、真由理が歩み寄ると、風が涙でかすれる声を発する。

「ごめん……ごめんみんな……。刑部姫の言う通りだった……。私が甘かったから……私が何も知らないで、みんなを勇者部に巻き込んだから……」

 すると謝る風の眼前に、樹がそっとスマートフォンの画面を見せた。

『お姉ちゃんが謝る必要なんて全然ないんだよ。お姉ちゃんは、何も悪くないんだから』

「でも! あたしが勇者部なんて作らなければ……!」

 しかし樹はそれを否定するように首を振ると、何かを取り出して風に見せる。

 それは、歌のテストの時に勇者部の面々から樹に贈られた寄せ書きだった。彼女は丁寧に紙を二つ折りにすると、ペンを取り出して紙に書き加える。それを風と横から友奈が覗き込む。

「樹……」

 妹の顔を風が見ると、彼女はにっこりと笑った。紙には、こう書き加えられていた。

『勇者部のみんなと出会わなかったら、きっと歌いたいって夢も持てなかった。勇者部に入って本当に良かったよ』 

 確かに、楽しい事ばかりではなかったもしれない。

 バーテックスとの戦いの中で、怖い思いもした。

 死ぬかと思うような恐ろしい思いもした。

 声を失うという、辛い思いもした。

 でも、それだけではない。

 勇者部と、刑部姫と出会えたからこそ、歌いたいという夢を持つ事が出来た。

 勇者部に入って得たのは、決して辛い思い出だけではない。

 自分の人生を決定づける、大切なものを得る事ができた。

 その文面からは、樹の真摯な気持ちが確かに伝わってきた。

 するとそれを見ていた友奈も風に言う。

「風先輩。私も同じです。だから、勇者部を作らなければなんて、言わないでください」

 それを聞いて、風の体が震え始め、嗚咽がさらに大きくなる。すると樹が、震える風の体を頭ごとぎゅっと抱きしめた。

 そして、風の感情が決壊した。

「うう、うぅうううううううう……! うぁあああ、ああああああああああああああああっ! うぁああああああああああああっ!!」 

 まるで子供のように、風は大声で泣いた。今まで貯めこんでいた感情を、一気に吐き出すように。

 友奈は何かを心配するように上空を見上げ、夏凜は自分の左肩にある満開ゲージを複雑そうな目で見る。真由理は泣く風と抱きしめる樹の二人をじっと見つめていたが、やがてスマートフォンを取り出すと画面をタップする。真由理の全身が光り輝いた次の瞬間、大量に花びらが散り真由理は刑部姫の姿に戻った。小さくなった彼女に視線を向けぬまま、夏凜が尋ねる。

「……ねぇ刑部姫」

「何だ」

「あんた、本当に樹が声を失った事に何も感じてないの?」

「……その問いには、何か意味があるのか?」

「別に。ただ、聞いただけよ」

「………」

 刑部姫は少しの間黙り込むと、やがて静かに告げた。

「感じないさ。犬吠埼樹が声を失ったのは力の代償だ。力を得るには代償が伴う。それで何かを失うのは当然の事だ」

「………」

「----だが」

 と、そこで刑部姫はさらにこう続けた。

「もしも満開の代償で犬吠埼樹が声を失うと事前に分かっていたら、恐らく忠告しただろうな」

「……そう」

 刑部姫の答えに、夏凜はそれだけ言った。

 それ以上言葉を交わさなくても、刑部姫の考えている事は何となく夏凜には分かった。

 彼女が樹が声を失ったのは力の代償だと思っているのは事実だろう。何かを失うのは当然と考えているのも、きっと事実。

 だが、何も感じていないというのは嘘だ。本当に何も感じていないのだとしたら、今のような言葉は出てこない。夏凜はそこで初めて刑部姫の方を見ると、彼女に言った。

「刑部姫。あんたって意外に不器用ね」

「………仕方ないだろう。それが私なんだ。自分を曲げる事はできない」

 二人の姉妹を見ながら、刑部姫は静かにそう返した。今まで刑部姫と何回も言葉を交わした事はあったが、今の言葉は間違いなく、葛藤が込められた彼女の本心だった。そう、と夏凜はもう一度呟くと刑部姫と同じように風と樹に視線を向ける。

 が、その直後の事だった。

 突然友奈と夏凜の目の前にそれぞれのスマートフォンが出現、さらに風と樹の足元にも二人のスマートフォンが出現し、今まで聞いた事も無いアラームを鳴らす。

「何……?」

 そしてそれは刑部姫のものも同様で、着物からスマートフォンを取り出すと画面を食い入るように凝視する。画面には、『特別警報発令』の文字が赤色に表示されていた。

「馬鹿な……!」

「ちょ、ちょっと刑部姫! このアラーム何!? まさか、アンノウンが来たの!?」

「違う。このアラームはある特定の状況にのみ発せられる。私も聞くのは初めてだ」

「その特定の状況って、何なの!?」

 友奈の言葉に、真由理はチッと舌打ちしながら答える。

 今この世界に起こった、最悪の状況を。

「----何者かによって、壁が壊された」

 

 

 

 刑部姫の言う通り、四国を守る壁にある異変が起きていた。

 四国をぐるりと囲む壁の一か所に巨大な穴が空き、もうもうと土煙を上げている。そして壁の上に、一つの人影があった。 

 人影----東郷美森は静かに呟いた。

「これで……、皆を助ける事ができる……!」

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 東郷は一人、円鶴中央病院という病院を訪れていた。そこにいる一人の人物に、どうしても確かめたい事があったからだ。

「やっぱり来てくれた~。分かってたよ。この前は嬉しすぎて話が飛び飛びだったけど、今日はちゃあんとまとめてあるからね、わっしー。あ、東郷さんか」

 その人物は、この前出会った先代の勇者である乃木園子だった。東郷は自分にできる限りの情報収集を行い、彼女がこの病院にいる事を突き詰めたのだ。自分が気になっていた、ある事を彼女から聞くために。

「わっしーでも良いわ。記憶は飛んじゃってるけど、その約二年間、私は鷲尾という苗字だったのだから」

 すると、園子は驚いたように目を見開き、

「わっ、すごい。よく分かったね~」

「適性検査で、勇者の資格を持っていると判断された私は、大赦の中でも力を持つ鷲尾家に養女として入る事になり、そこでお役目についた……」

「鷲尾家は立派な家柄だからね。高い適性値を出したあなたを、娘に欲しかったんだよ~」

「私の両親は、それを承知したのね……。神聖なるお役目のためだからね」

 だが、それでも血を分けた実の娘と別れるのは身を切られるよりも辛いはずだ。両親の判断は、まさに苦渋の決断だったに違いない。

「私は、あなた達と一緒に戦い、散華して、記憶の一部と足の機能を失った。敵を殲滅できる力の代償として、体の一部を供物として神樹様に捧げる勇者システム……」

「うん。私とミノさんはもっと派手にやっちゃって、今はこんな感じだけどね。えへへ」

 おかしそうに笑うが、心中はそんなに穏やかなはずはない。こうして旧友である東郷が来てくれているから、どうにか空気を明るくしようとしてくれているだけだ。

「私は……」

「大赦は、身内だけじゃやっていけなくなって、勇者の素質を持つ人を全国で調べたんだよ~」

「東郷の家に戻されて、両親も事実を知ってて、黙っていた。事故で記憶喪失と嘘までついて、引っ越しは友奈ちゃんの家の隣だったのも、仕組まれたもの」

 つまり全てが、大赦の思惑だったという事だ。自分と親友の出会いが仕組まれたものであったという事を知った時、東郷は自分の胸の内から怒りが沸いてくるのを感じた。

「彼女、検査で勇者の適性値が一番高かったんだって。大赦側も、彼女が神樹様に選ばれるって分かってたんだろうね」

「満開してからは、家の食事の質が上がったわ」

「大赦が手当てとして、家に十分な援助をしているんだろうね」

「思えば、合宿での料理も豪華なものだった……」

 バーテックスを全て倒した後、友奈達勇者部は海辺の旅館に合宿として泊まり込んだのだが、その際の夕食は東郷の言う通りとても豪華なものだった。----勇者とはいえ、中学生の少女達に振舞うものとは思えないほどに。

「あれは労っていたんじゃなくて、祀っていたのね。私達を。そして親達は事情を分かってて、今も黙っている」

「神樹様に選ばれたんだから、喜ばしい事だって納得したんだろうね」

 正確には、納得するしかなかったのだろう。東郷は膝の上で両手を握りしめると、震える声で、

「どうして私達がこんな……! 神樹様は人類の味方じゃなかったの……?」

「……味方ではあるけど、神様だからね。そういう面もあるよ。そもそも……」

 と、そこで園子は何かをためらうように言葉を切った。真実を明かしてあげたいと思う半面、本当に受け入れられるだろうか……という思いが入り混じっているような表情だ。しかし話す決心がついたのか園子は静かに東郷に言った。

「落ち着いて聞いてね。壁の外の秘密。この世界の成り立ちを教えてあげる」

「えっ……」

「あのね……」

 そして、園子の口から東郷に明かされた、壁の外の秘密とこの世界の成り立ち。

 それを、東郷は愕然とした表情で聞いている。

 だからこそ、彼女は少し離れた所に置いてある鞄の中のスマートフォンに、友奈からの着信が入っている事に気づかなかった。

『もしもし? 東郷さん? 昨日の話、私ショックだったけど、樹ちゃんの事もあるし、風先輩が心配になって、大丈夫かな……。また連絡するね』

 留守番電話のメッセージが終了するのと、園子が東郷に世界の成り立ちと真実を話し終えたのは、ほぼ同時だった。

「真実は、あなた自身の目で確かめると良いと思うよ……。どういう結論を出しても、私は味方だからね。本当は、私は今の勇者達が何かの形で暴走したら抑える役目なんだ。もう一人の勇者のミノさんは、もう勇者に変身できないようにスマホを回収されてるから、、私だけの役目になってるの」

「抑えるって……その体で……?」

 歩く事すらもできない体で一体どうやって勇者達を抑えるのか分からず、東郷が困惑した口調で呟くと園子はさらに驚くべき事実をその口から発した。

「私の精霊の数は、二十一体」

 その数に、東郷は息を呑む。

 精霊の数は元々勇者が持つ一体を除くと、勇者が満開し、失った体の機能の数と同じだ。その数が二十体という事は、それだけ彼女が満開をし、同時に散華をしているという事を意味している。

「えへへ。すごく強いんだよ~。戦いになったら、大量の武器でずがーんだよ。普段は怖がられて、手元にスマホが無いから変身できないんだけどね~」

 口調は明るく聞こえるが、もう東郷には分かる。彼女は園子の感覚が失われた左手をそっと握り、

「辛い、でしょう……。二十回も、散華して……」

「うん……。何もできないからね。神樹様の体に近づいたからって、こんなに祀られたところで、私は……」

 ----園子の病室は、以前東郷が見た三ノ輪銀の病室とほとんど同じだった。

 まるで、神様を祀るような部屋。

 常人ならば、数日過ごしただけでおかしくなってしまうような空間。

 こんな所で、彼女達はずっと一人で過ごしてきたのだ。決して満たされない孤独を、胸に抱えたまま。

「でも今はね、不思議と、辛くないんだよ」

 それはきっと、そばに大切な友人がいてくれるから。

 しかし東郷は彼女との思い出を思い出す事が出来ない。何一つ。

 それに東郷が思わず目を瞑ると、園子が東郷に言った。

「あのね、私からも一つお願いして良い?」

「……何?」

「私の勘になっちゃうんだけど、わっしーと友奈ちゃんは多分この前ミノさんの所に行ったんじゃないかな」

 それに東郷がどうして? と言うように目を微かに見開くと、園子はあははと笑って、

「私からミノさんの名前が出れば、きっと気になって彼女の所にいくんじゃないかなって。刑部姫が許してくれるかは分からなかったから、一種の賭けだったけど、ちゃんとミノさんに会えたみたいだね。ミノさん、元気だった?」

「……少なくとも、私と話す時は少し明るかったわ」

「そっか。なら良かった。ミノさんとも全然会えなくなっちゃったし、心配してたんだ。動き回るのが大好きだったから」

「……そうだったのね。私にお願いしたい事って、彼女の様子を聞く事?」

「それもあるけど……。もう一つは、ミノさんから何を聞いたのかを聞かせて欲しいなって」

 彼女の言葉に東郷が思わず目を見開くと、園子はちょっと困ったような笑みを浮かべた。

「ミノさんが私にも会えないのは、きっと誰にも知らされたくない秘密を知っているから。だから祀られている私にも会う事は許されていない。そしてそれは、きっとあなたや、私にも関係している事。合ってるかな?」

「……ええ。百点満点よ」

「やった、花丸だ~」

 喜ぶ園子を前にして、東郷は三ノ輪銀から聞いた話を思い出す。もしも話せば、園子はきっと辛いと思うはずだ。彼女にとっては大事な親友を忘れてしまっているという、あまりに悲しすぎる真実なのだから。すると東郷の考えを察したのか、園子がやんわりと告げる。

「話したくないなら、話さなくても良いよ。私のわがままなんだから」

 が、東郷は一度深呼吸をすると、園子にまっすぐな視線を向ける。

「……いいえ、話すわ。話さなくちゃいけないと、私も思うの」

 確かに園子にとっては辛い話だろう。聞いて彼女はきっと傷つくに違いないし、それに刑部姫との約束も破ってしまう。相手が誰であれ、約束を破ってしまうのは良い事ではない。

 だが、それがなんだと言うのだ。園子だって自分達に勇者システムの真実や、自分の知りたい事に真摯に答えてくれた。それに銀から聞いた話が彼女にとって辛い話になるのは、彼女自身もとっくに気付いているはずだ。それなのに東郷に聞きたいと言ってきたのは、東郷と同じ気持ちだからだ。

 もう思い出せないとしても、かつては友達だった誰かの事を忘れたままにはしたくない。自分だってそう思って、三ノ輪銀の所へ向かい、彼女自身の事と一人の友人の事を聞いたのだから。

 東郷は決心すると、園子の顔を真正面から向き合う。すると園子も笑みを消して、東郷の顔を真正面から見据える。

「私が三ノ輪銀さんから聞いたのは----」

 そして、東郷は話し始めた。

 四人目の勇者であり自分達のもう一人の親友だった、天海志騎という少年の事を。

 さっきとは立場が逆転し、東郷が話し手になり、園子は聞き手になった。園子は東郷の言葉に頷きながらも、言葉をほとんど発する事無く、ただ聞かされる情報の一つ一つに静かに頷いている。

 ようやく東郷が天海志騎という自分が聞いた少年の情報について話し終えると、園子は何も言わなかった。彼女はしばらく黙って俯いていたが、やがてポツリと呟いた。

「……私ね、バーテックスとの最後の戦いの時、ミノさんに言ったんだ。ミノさんの事も、わっしーの事も、誰一人忘れたりしないからって。だから一緒に帰ろうって、約束したんだ」

「……うん」

 東郷が相槌を打つと、園子の服に涙が零れ落ちた。片目から涙を流しながら、彼女は無理やり笑おうとどうにか唇の端を上げようとしているが、どうしても笑う事ができず歪な笑顔になってしまう。

「でも、その場にはきっとその天海って人もいたんだよね。だからきっと私は、その友達の事も忘れないって思ってたはずなんだよ」

「…………うん」

「だけど、思い出せないんだぁ……。その人がどんな人で、何が好きで、私達とどんな事をしてたのか。何も思い出せないの。……最低だね、私。これじゃあ天海って友達に、顔向けできないよ……。例えバーテックスでも、その人だって私の大切な友達だったのに……」

「………」

 それに東郷も涙を瞳に溜めると、自分の額と彼女の額をコツンと合わせた。

「……最低なんかじゃないわ。私も、あなた達の事を忘れてしまっていたもの。私の方がもっと酷い」

「あはは……。じゃあ私達二人共、仲間だね……」

「……そうね」

 二人共、確かに自分達の横にいたはずの友人の存在を、忘れてしまっていた。

 東郷は三人の記憶を、そして園子は、一人の記憶を。

 互いに大切な友人を忘れてしまったという消えない罪悪感と傷を抱きながら、二人はしばらく静かに額を合わせていた。まるで、互いの痛みと悲しみを共有し合うかのように。

 そして二人は、面会時間の限界まで、涙を流し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 園子との面会を終えた後、東郷は四国を覆う壁の下に来ていた。移動の補助装備を使って一気に壁の上まで跳躍する。壁の上に立つ東郷の視線の先には、自然の風景が静かに佇んでいた。

「綺麗な景色だけれど……」

 そう言うと東郷は壁が切れる位置までゆっくりと歩く。 

 そして次の瞬間、東郷の見ていた風景が一変した。

「……え?」

 目の前に広がる風景に、東郷は思わず目を見開いた。

 赤。赤。赤。

 そうとしか表現できない風景が、自分の目の前に横たわっていた。

 地表はおろか空をも埋め尽くす深紅の炎。白い体色をした無数の怪物が空を飛び回るという、地獄のような風景。普通の生物がいるべきではない世界。そんな場所に、今東郷は立っていた。

『壁を越えれば、神樹様が見せていた幻が消えて、真実が姿を現すよ』

 東郷の脳裏に、園子から聞いた話がこだまする。

「なんて事なの……。あの子が言った通り、これが本当の、世界……」

 園子から聞かされた真実に、東郷は呆然と呟く。

 今彼女が立っているのは、黄金色に輝く巨大な樹木の一番下の幹の部分だった。否、樹木とは言っても、そう見えるだけで本当の樹木というわけではない。東郷を、四国を守っているのは。

「世界は、宇宙規模の、結界の中……」

 すると、結界から出てきた東郷に狙いを定めて、白い口だけの怪物----『星屑』が口をぐぱぁと開けて東郷に食らいつきにかかる。東郷は銃を出現させて星屑を迎撃しながら、園子から聞かされた話を思い出す。

『人類を滅亡寸前に追いやったのは、ウイルスなんかじゃないんだよ。天の神様が粛清のために遣わした、生物の頂点、バーテックス。西暦の時代、世界は突如彼らに襲われた。人類に味方してくれた他の神様達は、力を合わせ、一本の大樹となり、四国に防御結界を張った。その時、神様の声を聞いたのが、今の大赦。神樹様を管理している人達』

「まるで地獄じゃない……!」

 襲い来る星屑達をどうにか撃退し、荒く息をつく東郷の目に、さらに恐ろしいものが飛び込んでくる。

「あれって、友奈ちゃんが倒したはずの……! バーテックスが生まれてる!?」

 大量の星屑が群がり、融合しながら巨大なバーテックスを作り出している。体色は周りの炎のように赤いが、あれがいずれ自分達が戦ったバーテックスと同じ存在になるのは簡単に予想がつく。

 そしてそうなったら、また四国に襲来するだろう。それを迎え撃つのは、自分達。その後脳裏をよぎった想像に、東郷は表情を恐怖で強張らせる。

「こいつらがまた、次々と攻めてくるのを、私達が迎え撃つの……? 何回も、体の機能を失いながら……。何回も……」

『体が樹木のように動かなくなって、最後はこうして祀られる』

 園子の言葉を思い出しながら、東郷は結界をくぐり自分達の世界に戻る。

 壁の上で両手両膝をつき、荒く何回も息をつき、こみ上げる吐き気をこらえながら顔を上げると、香川の街並みがちらほらと見えた。

「ううう……あああ……ああああああああああっ……!」

 両目から涙がこぼれだし、抑えきれない嗚咽が口から漏れる。自分の胸から溢れ出す苦しみと恐怖に怯えながら、東郷は両手で頭を抱いた。

「この苦しみを一つ一つ、また味わう……! それも皆が……! 絶対、絶対駄目よそんなの……! どうすれば良いの……!? 考えなきゃ、考えなきゃ……みんなを助けなきゃ……!!」

 負の感情の嵐に飲み込まれそうになりながら、東郷は自分の脳を限界まで稼働させる。どうしたら、友奈達をこの運命から救い出せる。どうしたら、友奈達を生贄となる道から救い出す事ができる。

 考えて考えて、考えぬいて、そして----。

「……あった。たった一つだけ……」

 だが今の東郷は気付かなかった。

 その方法が、自分達が護りたかったものを全て無にするものだとは。

 今の彼女は、気づく事ができなかった。

 

 

 

 

 

 そして、時間は再び友奈と樹が風の暴走を止めた時まで戻る。

 驚愕の事実を告げた刑部姫に、夏凜が怒鳴る。

「か、壁が壊されたってどういう意味!? 一体誰が!?」

「知るか! それより構えろ! 樹海化するぞ!」

 刑部姫が怒鳴り返した直後、色とりどりの花びらと光が世界を覆い、世界は樹海へと姿を切り替える。

「樹海化……。って事は、アンノウンが……?」

 この状況で樹海化するという事は、バーテックスが襲来したという事。そして残ったバーテックスは、アンノウンしかいない。動揺する友奈とは反対に、夏凜はどうにか冷静を保ちながら、

「落ち着きなさい! まずは現状確認! アンノウンがどこから来るか確かめないと……!」

 そしてスマートフォンのマップを開いた夏凜の目が、驚愕で見開かれた。

「何、これ……」

 それを見た刑部姫もマップを開き、そこに映し出された情報を見てちっと舌打ちする。

 マップの上部に、無数の赤い光点が自分達目掛けて迫っていた。とてもこの場にいる四人で太刀打ちできる数ではない。刑部姫がスマートフォンの画面から顔を上げて壁を見ると、無数の星屑が壁に空いた穴を超えて樹海に侵入してきているのが見えた。画面に映し出されている赤い光点は、間違いなくあれだ。

 と、刑部姫の視線の先にある壁が、突然爆発した。爆発によって壁にもう一つ穴が空き、煙を上げる。

 刑部姫は着物から彼女特製のデジタル双眼鏡を取り出すと、穴が空いた壁の近くを双眼鏡越しに見る。

 何か所か視点を変えていくと、壁に穴をあけた人物の姿がようやく見えた。

 その人物は。

「……東郷美森?」

 え、と友奈が刑部姫の呟きに反応し、夏凜は思わず耳を疑う。友奈がスマートフォンを取り出してマップを確認すると、確かに壁の位置に『東郷美森』というマーカーが表示されていた。

「そんな、東郷さん……!?」

「友奈!?」

 信じられない、という思いを抱きながら友奈は跳躍すると、東郷がいるであろう壁へと向かう。彼女の後ろ姿を見送りながら、刑部姫が夏凜に告げた。

「結城友奈を追え」

「え、って、あんたは!?」

「別件がある。こっちは任せたぞ」

 すると刑部姫は夏凜の返事を聞く事なく、花びらを散らしてその場から去っていった。

「ああ、もう! 一体何が起こってるのよ……!」

 苛立ち交じりに呟きながらも、夏凜は刑部姫に言われた通りに友奈の後を追った。

 そして樹海を疾走する友奈の目に、壁に空いた穴から無数のバーテックスらしき怪物が次々と溢れ出てくるのを見て、友奈は思わず壁の真下の根で立ち止まって呟く。

「なんで……」

 もうバーテックスは、アンノウン以外はいないはずなのに……。そう友奈が思っていると、壁の真上に親友がいるのが見えた。

「東郷さん……?」

 呆然と友奈が呟いた直後、怪物----星屑の何体かが東郷目掛けて接近する。しかし東郷の周囲に二機ものビットが出現し、それらが霊力の弾丸を自動的に発射して星屑達を打ち砕いていく。星屑を蹴散らす東郷の真後ろに友奈は着地すると、ためらいながらも東郷に尋ねた。

「東郷さん……何をしてるの……?」

 が、それに東郷は何も答えなかった。

「東郷さん!」

 友奈が声を大きくして再び尋ねると、東郷は静かに返した。

「壁を壊したのは、私よ」

「えっ……?」

 彼女が言った事が本当とは信じられず、友奈が戸惑いの声を上げると、ようやく東郷は振り返って友奈の顔を見た。彼女の顔は、今まで友奈が見た事も無いほど悲痛な決意が込められているように見えた。

「友奈ちゃん……私、もうこれ以上、あなたを傷つけさせないから」

 それに友奈が戸惑うと、友奈に星屑が二体襲い掛かる。

「てぇええええいっ!!」

 しかし星屑が友奈を襲うよりも早く、上空からやってきた夏凜が両手に持った双刀で星屑を撃破する。右手の刀を東郷に向けながら、夏凜が鋭い口調で東郷を問い詰める。

「どういう事よ東郷! 壁を壊したってあんた、自分が何やってるか、分かってるの!?」

 夏凜の言葉に、東郷は悲しそうな表情を浮かべながら狙撃銃を持ち、

「分かってる……。分かってるからやらなければならないの!」

 そう言うと東郷は、跳躍して壁の外へと向かう。

「東郷さん!」

 東郷を追って友奈と夏凜も跳躍し、壁の外への結界を通過する。

 直後、

「え……?」

「なっ……」

 二人が目にしたのは、炎が支配する世界。

 無数の白い星屑が宙を舞い、融合してバーテックスを形成する風景。

 それは決して命の存在を許さない、まるで地獄のような光景だった。

「何……これ……」

 それを見た友奈が呆然とした表情を浮かべると、隣にいる夏凜も言葉を失う。

「これが、世界の真実の姿」

 後ろから聞こえてきた東郷の声に二人が振り向くと、そこには狙撃銃を手にした東郷が立っていた。

「壁の中以外、全て滅んでいる。そして、バーテックスは十二体で終わりじゃなく、無数に襲来し続ける。アンノウンという例外はいるけれど、あれはもしかしたらバーテックスが進化した姿の一つかもしれない……。この世界にも、私達にも、未来はない。私達は満開を繰り返して、体の機能を失いながら戦い続けて、いつか、大切な友達や、楽しかった日々の記憶を失って、ボロボロになって、それでも戦い続けて。もうこれ以上、大切な友達を犠牲にさせない!」

 言葉を失う二人の前で東郷は狙撃銃を二挺拳銃に変え、

「勇者という生贄から逃れるためには、これしか方法が無いの!」

「ま、待って……!」

 東郷を止めようとする夏凜だが、明らかになった真実に彼女の声も力を失っている。すると、自分を止めようとした夏凜に東郷が尋ねた。

「夏凜ちゃん、何故止めるの?」

「私は……、大赦の勇者だから」

「大赦は真実を隠し、あなたを道具として使ったのに?」

「道具……」

 東郷から告げられた残酷な事実に夏凜は一瞬動揺するかのように瞳を揺らした。

「で、でも……」

「分かって友奈ちゃん……。友奈ちゃんや勇者部の皆が傷ついていく姿を、これ以上見たくない……。友達が傷ついていくのも、私もう耐えられない。耐え切れない……」

 東郷は、泣いていた。手も悲しみで震え、今にも銃を取りこぼしてしまいそう。

 どうして、こうなるまで彼女の気持ちに気づく事が出来なかったのだろう。悲痛な表情を浮かべる親友の姿に友奈が言葉をかける事が出来ずにいると、背後にかつて彼女が倒したバーテックス----ヴァルゴ・バーテックスが出現していた。友奈、東郷が気づいた直後、ヴァルゴは爆弾を発射し、三人は辛うじて攻撃を避ける。

 壁の内側に戻った友奈は夏凜に支えられながら、別れてしまった東郷の姿を捜す。

「と、東郷さんを……!」

「駄目! 一旦引いて……!」 

 しかし壁から離れようとする二人を逃がすまいとするかのように、壁の内側にやってきたヴァルゴは爆弾を数発発射、二人の目の前で爆弾が爆発する。バリアのおかげで直撃は避けられたものの、その際に生じた衝撃で友奈と夏凜の変身は強制解除されてしまい、二人は樹海へと落下していくのだった。

 一方、友奈達から離れた場所では、樹が星屑が宙を舞う樹海を不安そうな目で見つめていた。彼女の後ろでは、戦う意志を失ってしまった風が両膝を抱えてしゃがみ込んでいた。樹が彼女の両肩を支え、必死に体を揺らして何かを懸命に訴えかけるが、風は何も喋らない。それはまるで、心を失ってしまった人形のようだった。そしてそんな二人に、星屑達が迫り来ていた。

 

  

 状況はまさに絶望的だった。

 友奈と夏凜は変身を強制解除され樹海に落下。

 風は戦う意志を無くし、樹がどうにか彼女を奮い立たせようとするも上手くいかない。

 東郷は四人とは別行動を取っているものの、その目的は壁と神樹の破壊。

 四国の……世界の滅亡が刻一刻と迫る状況。

 そんな中。

 たった一体、鳥を擬人化したような怪物----アンノウン・バーテックスが、樹海に一人佇んでいた。

 するとアンノウンに星屑が数体襲い掛かるが、アンノウンは右手に持っていた大刀を一振りし、星屑達を薙ぎ払う。そしてアンノウンは大刀を一度振るってから、その場から高く跳躍するのだった。




 今回出たブレイブアローとクナイが、真由理の専用武器となります。詳細は以下の通りです。
『ブレイブアロー』
 勇者となった氷室真由理の弓型専用武器。霊力の矢を放つ遠距離戦の他に、フレームの刃を使用しての近距離戦もこなす。氷室真由理独自の技術が使われているため攻撃力が高いにも関わらず燃費は非常に良く、また発射する際の音も非常に静かなため精密射撃は勿論隠密性にも優れている。
『ブレイブクナイ』
 氷室真由理のクナイ型専用武器。刀身には精霊バリアを無効化する術式が組み込まれており、これにより精霊バリアを無視して直接勇者を傷つける事が可能となる。


 ブレイブアローとブレイブクナイのモデルは、仮面ライダー鎧武のソニックアローと仮面ライダーカブトのカブトクナイガン、クナイモードとなります。真由理の戦い方は仮面ライダーカブトや仮面ライダー滅などの戦い方を参考にしているため、この二つを武器として選びました。


 次回。彼、参上。


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第三十七話 果たされるreunion

刑「さて、今話で二年ぶりにあいつが戻ってくる。今の勇者達との共闘はもう少し先になるだろうが、その時まで首を長くして待っていてくれ」
刑「では第三十七話、ご覧あれ」


「銀?」

 自分を呼ぶその声で、三ノ輪銀は目を覚ました。どうやら自分は腕を枕にして眠ってしまっていたらしく、両腕が痛い。まだ頭には眠気が残っており、上手く考えがまとまらない。ただ窓から差す光や自分が座っている席などから、今は夕暮れ時で、自分はどうやら学校の机で眠っていた事だけは分かった。

 こしこし、と目をこすって銀が真正面を見ると、そこには今自分を呼んだ人物が自分の顔を怪訝そうに見ていた。

「ったく、寝過ぎだろ。昼休みにあんなにはしゃぐからだよ。何やっても起きないから、安芸先生も呆れてたぞ」

 呆れたように言ったのは、水色がかった白髪という特徴的な髪の毛をした少年だ。彼----自分の幼馴染である少年、天海志騎の顔を見て、銀は何故か両目を限界まで見開く。

「……おい、どうした? 何幽霊でも見るような目で見てんだよ」

 突然驚愕の表情を浮かべた銀に志騎が怪訝な口調で尋ねる。しかし銀はその問いに答えず、かすれた声で志騎に尋ねる。

「……志騎? 何で? お前、死んだんじゃ……」

「はぁっ?」

 志騎は何言ってるんだお前? と言いたそうな表情で彼女の顔を見てから、やれやれと肩をすくめ、

「何寝ぼけてるんだよ。悪い夢でも見たのか?」

「夢……」 

 その言葉に、銀はしばらく呆然としていたが、やがて力の抜けた笑みを浮かべた。

「……そう、だよな。あんなの、夢に決まってるよな」

 我ながら酷い夢だっだと思う。

 須美は自分達に関する記憶を全て失って別人となり、園子は志騎の記憶を失って一生歩けない体となり、自分は園子と同じように一生歩けない体になって誰とも会えなくなり、そして志騎は死んでしまった。本当に、今思い返してみると悪夢だと思う。

 でも、それは全て夢だったのだ。だって志騎は目の前で呆れた表情を浮かべながら自分を見ている。何故か今の銀には、彼のそんな表情ですらひどく愛しかった。

「それより、早く俺の家に行くぞ」

「……? 今日、何かあったっけ?」

「お前、マジで言ってるのか? あんなに楽しみにしてたのに……」

 そこで志騎ははぁ、とため息をつくと、

「今日はハロウィンだろ? だから俺の家でパーティーするって言ってただろうが。須美と園子はもう一足先に行ってるし、鉄男と金太郎も待ってるぞ。何なら俺のスマホ見てみるか? 園子からのパンプキンパイ催促メールとコスプレ衣装の写真が山ほど送られてきてるんだぞ。須美の奴も意外とノリノリだし……」

「あ……ああ! そうだったな! ごめん、ちょっと寝ぼけててさ」

「どんだけ寝てたんだよ……」 

 本当は、まだ思い出せていない。

 そもそも今日がハロウィンだった事など、今志騎から聞くまですっかり忘れていた。

 しかし、そんな事はどうでも良かった。

 須美がいる。園子がいる。そして、志騎がいる。それだけでそんな些細な疑問など、銀の頭からすっかり吹き飛んでしまっていた。銀は急いで立ち上がると志騎の手を掴んで、

「よし! 行こう、志騎!」

「いや、さっきまで寝てたのはお前……。ああ、もういいや」

 志騎は再びため息をつきながらも、銀の手に引かれて彼女と共に走り出す。

 そして、銀が教室から出た瞬間。

 三ノ輪銀の意識は、夢の世界から現実世界へと戻ってきてしまった。

「………」

 何も見えない暗闇の世界で、銀は辺りを見回す。

 両目が見えないので何も見えないが、それでも両目の視力を失ってしまってから二年間経ったからか、周りの気配や空気にすっかり敏感になってしまった。だからこそ自分がいるのが、過剰なまでに自分を奉る神社のような病室という事を銀は感じる事が出来た。

 ふぅ、と息をつくと銀はベッドに背中をつける。

「……ま、大体こんなオチだよな……」

 今のような夢を見るのは初めてではない。この二年間、数えるのを諦めるぐらい幸せな夢を何回も見た。内容も様々でハロウィンパーティーをするもの、夏休みに四人で海や祭りに行くもの、春に桜の木の下でお花見をするもの、冬に雪合戦をしたりと、バリエーションだけは無駄に豊かな夢を何回も見た。その夢を見るたびに、銀は一時の幸福感と半日にも及ぶ強い虚無感を味わった。

 しかしそれはまだ良い方で、酷い時には須美や園子、志騎が体中傷だらけで血を流しながら、樹海に横たわっている夢を見る時もあった。三人の半開きの虚ろになった瞳は、自分にこう語りかけていた。

 どうして助けてくれなかったのだと。

 三人がそう言うはずがないとは頭で分かっていても、それでも湧き上がる罪悪感は拭いきれるものでは無い。夢を見た後は決まって、胃液を全て吐き出した。もう食事をする事もできないというのに。

 なのでいつものように、銀が強い虚無感に襲われようとしていると、病室の中に変化があった。扉が開いていないのに突然気配が出現し、自分に近づいてくる。まるでホラー映画のワンシーンのようだが、銀は思わず心の中で舌打ちする。そのような登場の仕方をする人物に、銀は心当たりがあるからだ。最も質の悪さで言えば、その人物は悪霊とさほど変わりはないのだが。

「今度は何の用だよ、刑部姫」

 しかし現れた人物----刑部姫は特に言わず、ただ黙って銀の目前までやってくるとようやく口を開いた。

「東郷美森が壁を壊した」

「……須美が?」

 銀が呟くと、刑部姫はベッドに座り、

「恐らく乃木園子から今の世界の成り立ちと壁の外の真実を知り、今の状況がずっと続く事に耐えられなくなったんだろう。奴から直接聞いたわけではないが、最近の勇者部の動向と乃木園子の接触等を考えると、それが一番可能性が高い」

 刑部姫の言葉に銀はしばらく黙っていたが、やがてはっと皮肉気に笑う。

「大赦の自業自得だろそんなの。全部黙ってたんだから」

 東郷が壁を壊したと聞かされても、銀に動揺は無かった。大赦は自分達に満開の真実やこの世界の事を何も知らせずバーテックスと戦わせ、少女達の体を生贄にしてきたのだ。むしろ、いつこうなってもおかしくはなかったと言うべきだろう。

「それに関しては私も同意見だな。今回は完全に大赦の油断が招いた事だ。お前達を生き神などと無駄に崇めているからこうなる」

「……意外だな。お前の事だから、怒り狂うかと思ってた」

「私はこれでも散々忠告してきた。それなのにこんな状況になったのは大赦の詰めの甘さだ。ここまで来ると怒りを通り越して呆れるしかない」

 はぁ、と刑部姫はため息をつくと、そこで初めて銀に視線を向けた。

「それで、お前はどうする? 三ノ輪銀」

「……どうするって、何がだよ」

「東郷美森は壁を壊した。となると、壁が壊れた事によって星屑と形成途中のバーテックスがこちらに向かってくる。今はまだ樹海で勇者達が対応しているが、神樹を破壊されればこの世界は終わる。おまけに今は東郷美森が神樹を破壊する側についているから、危険性は増しているだろう。それをわざわざお前は見過ごすのか?」

「それ、須美と戦えって言ってるのか?」

 ギロリ、と殺意が込められた瞳が刑部姫に向けられる。今の彼女の口ぶりだと、このままにしておくとバーテックスと東郷美森によって世界は終わる。そのためにバーテックスを倒し、東郷美森を止めて来いと言っているように銀には聞こえた。銀はぷいと刑部姫から顔を逸らす。

「言っておくけど、アタシはやらないからな。須美が壁を壊したのは、お前達が勇者を散々騙してきたからだろ。なのにそれを止めるために、須美と戦え? ふざけるのも大概にしろよ」

 と、そこで銀はある可能性に至り、はっとした表情を浮かべると刑部姫を睨みつける。

「まさか、大赦は園子にまで須美と戦えって言ってるんじゃないだろうな……!」

 刑部姫が銀にこのような事を言うという事は、園子の方にも手が回っている可能性がある。もしかしたら今頃、大赦の神官達が園子に東郷と戦って欲しいと詰め掛けているかもしれない。

「ああ、だろうな」

「……っ!!」

 怒りで体を起こす銀とは対照的に、刑部姫は落ち着いた口調のまま、

「だが、きっと乃木園子は吞まない。奴もお前同様、自分達を散々利用してきた奴らのために動くほど馬鹿じゃない。親友と戦うぐらいなら、東郷美森の意志を尊重して静観する事を選ぶだろう」

 大体、と言いながら刑部姫は銀にちろりと視線を向け、

「勘違いしているようだが、私はお前に東郷美森と戦えと言いにきたわけじゃない。そんな事を言ってもお前はてこでも動かないだろうし、今回の出来事は大赦の詰めの甘さが招いた事だ。その責任を取るために動くつもりはまったくない」

 予想外の言葉に銀は一瞬面食らいながらも、すぐに表情を険しくして尋ねる。

「じゃあ、何しに来たんだよ」

「簡単な事だ。お前には露払いをやってもらう」

「露払い?」

 銀が怪訝そうに尋ねると、刑部姫はああと言って、

「現在東郷美森は壁を壊し、結城友奈達がそれを防ごうとしている。だがその過程で、間違いなく奴らは世界の真実を知るだろう。そうなった場合、東郷美森を止めるどころか奴に同調、あるいは戦意を無くす可能性が考えられる」

「………」 

「私は正直今の世界がどうなろうと興味はない。私が大赦に協力していたのは安芸が大赦の人間だったからだし、戦いの結果人類が負けたとしてもそれは相手が上手だっただけの話だ。だから本音を言うと、東郷美森が壁を壊して世界を滅ぼそうが、勇者達がどう動こうと私にはどうでも良い」

 だが、とそこで刑部姫は一度言葉を区切り、

「確かに勇者がどう動こうが私にはどうでも良いが、生憎バーテックスを殺す事のサポートは私の仕事の一つなんでな。結城友奈達と東郷美森がぶつかり合い、何らかの結論を出すのは良いが、それまでに星屑がこちらの世界に悪影響を与えるのまで見過ごすつもりはない。だからこうしてお前に、露払いをするように伝えに来たというわけだ」

 刑部姫の言葉に、銀はじっと彼女を見つめながら彼女の意図を探る。つまり、彼女が言いたいのは、

「……つまり、須美や友奈達が答えを出すまでに、アタシには星屑を倒し続けろって事?」

「正解」

 銀の言葉に、刑部姫はにやりと楽しそうな笑みを浮かべた。とは言っても、銀からしたら楽しくもなんともない。

「勇者達がぶつかり合った結果、東郷美森が心変わりをしたらそれに協力すれば良いし、全員が世界が滅ぶ事を選択してお前もそれに同意するというのなら好きにしろ。東郷美森と戦えとは言わんし、世界を守れとも言わん。お前がするのは、奴らが結論を出すまでに星屑を殺してこちらの世界への影響を極力減らす事だ。結論が出たら後はお前の好きにしていい。この世界を救おうが見放そうが、全てはお前達の自由だ」

 つまりやり方は違えど、園子同様親友の選択を見届けろと言っているようだ。が、それを聞いても素直に頷く事は出来ない。今の刑部姫の話には気になる箇所がある。

「待てよ。お前が世界の事をどうでも良いって言うのは何となく分かるけど、一体どういう風の吹きまわしだ? お前にとって、アタシがはいそうですかって素直に言う事を聞いて星屑を倒しに行くって本当にそう思ってるのか?」

 確かに襲来してくる星屑によって現実世界に悪影響が及び、罪なき人達が傷つくのは銀も良い気分はしないが、それでもやはり自分達を散々利用してきた大赦のために戦う事には抵抗感がある。銀がこのような反応を示すのは刑部姫には分かり切っている事だろうに、何故彼女はわざわざこんな事を口にしたのだろうか。すると、刑部姫はつまらなさそうに銀を見て、

「最初から世界を滅ぼすつもりで動くならまだ良いが、まだ結論が出ていないとなると困るんだよ。あとでやはりこの世界を守ろうと考えを改めた時、バーテックスの襲撃の影響が大きければ大きいほど後始末が面倒だし、何より死人でも出たら東郷美森のメンタルのダメージが大きくなる。クソ真面目で頑固な奴の事だから、自分が壁が穴を空けたせいで多くの人間が傷つき、ましてや死人まで出たと聞いて心に強いショックを受けたとなれば、有事の際に影響が出ないとも限らない。こんな所で手札が少なくなるのは避けたいしな」

「……つまり、全部打算かよ」

「当然だろう? じゃなかったらこんな所には来ない」

 悪びれる事もなくいけしゃあしゃあと言うが、別にショックを受けるつもりもないし、刑部姫の事だからそんな事ではないかとすら思っていた。

「ってか、それを聞いてアタシが素直に戦いに行くと本気で思ってるのか?」

「別に行きたくないなら行かなくて良いんだぞ? 事態が落ち着いて死人が出たと分かった時、東郷美森に人殺しの罪を着せたいならな。で、どうする? 何度も言うが別に私はどっちでも構わないぞ? 行くか、行かないか」

 ギリリ、と銀は奥歯を噛み締めて刑部姫を鋭く睨みつけていたが、やがてチッと大きく舌打ちした。悔しいが、自分は目の前の精霊ほど冷酷でもなければ、園子ほど達観できているほど人間ができているわけではない。

「……お前、絶対にロクな死に方しないぞ」

「実際病気で早死にしたからな、否定はしない。で、答えは?」

「行くよ。だけど最終的に須美がどんな結論を出してもアタシは須美の味方だ。須美が頭がはちきれるぐらい考えた結果がどんなものでもアタシはそれを肯定するし、須美の敵にだけはならない。それで良いか?」

「ああ、構わん。ではよろしく頼むぞ勇者様」

「うっさい。それより、そうなると問題が一つあるだろ」

 銀の言う問題とは、シンプルにして重要なものだ。当然その問題点は刑部姫も把握していたようで、あっさりとそれを口にする。

「分かっている。勇者システムだろう?」

 そう、戦うには勇者システムが必要となる。しかし銀の端末は二年前に大赦に回収・改造され、今は夏凜のものになっている。端末が無い以上、銀は勇者になれず、戦う事も出来ない。しかし何故か刑部姫はにやりと笑い、

「生憎だが、解決策が無ければこんな話はしない。ほら、お前専用の端末だ」

 そう言って刑部姫は銀の目の前にスマートフォンをぽとりと落とした。それに思わず銀が両目を見開くと、彼女は低い笑い声を漏らした。

「私を誰だと思っている? お前の端末が回収される際、システムを丸ごとコピーして別の端末に移し替えていた。おまけに志騎と私が使う勇者システムと同じ機能も組み込んでいるから、省エネルギー高出力で戦う事ができる。精々泣いて感謝しても良いんだぞ?」

 口では簡単に言っているが、そんな事はきっと他の大赦の科学者では誰も出来ないだろう。刑部姫----氷室真由理という神世紀最高の科学者だからこそできた事だ。こればかりは、さすがの銀も目の前の存在を改めて天才と思うしかない。銀がスマートフォンに近づくと、目の前にニ十体を超える数の精霊と彼女専用の精霊、鈴鹿御前が出現する。

「……久しぶり」

 例え見えなくても気配で分かるのか、銀が口元に笑みを浮かべると鈴鹿御前はスマートフォンを持ち上げてこくりとお辞儀する。すると精霊の一体が銀の片手を持ち上げて、鈴鹿御前によって持ち上げられたスマートフォンの画面をタップさせる。

 すると勇者システムが起動、銀の体は大量の花びらに包まれ、次の瞬間には彼女の体は山吹色の勇者装束を身に纏っていた。そして彼女の失われた体の機能を補うように、体のあちこちに戦闘・移動補助の装備が装着されている。

 銀が変身すると、銀と刑部姫の周囲に花びらが舞い散り始めた。銀が勇者に変身した事で、樹海に転送されようとしているのだろう。

「では、行くか」

「お前と一緒って言うのが気に食わないけどな」

「はっ、抜かせ」

 互いに視線を合わさぬまま、一人と一体は樹海化に備える。

 やがて光が二人の視界を完全に満たし、二人は樹海へと転送された。

 

 

 

 

 

 

「……樹海に来るのは、二年ぶりだな……」

 目の前に広がる光景に、銀が呟く。二年もの間戦いから離れていたため樹海に来る事は無かったが、肌に伝わってくるピリピリとした感覚とこの神秘的な空気を忘れた事は一度も無い。こうして立っているだけで四人一緒に戦った日々も、自分達の運命が激変してしまった二年前の戦いも、全て思い出す事ができる。

 しかし、追憶する暇などない。現れた銀に狙いを定めるように、周囲から星屑達がやってくる。銀の肩に乗っていた刑部姫がふわりと宙に浮き、自分達を取り囲む星屑達を見渡す。

「全方位から星屑。大量の武器と精霊バリアがあるとはいえ、油断したら押しつぶされるぞ」

「言われなくても分かってるよ。……須美が答えを出すまでは、もたせるさ」

 二年もの間視力を失い暗闇の中にいたからか、銀の第六感というものは小学生の時よりも鋭敏に鍛えられていた。実際刑部暇から言葉を掛けられなくても、今の彼女なら周囲にどれほどの数の星屑がいて、どのような動きをしているかが手に取るように分かる。

「バーテックスはいないみたいだな」

「ああ。幸いと言うべきか星屑のみだ。とは言っても、長引くと壁の穴から出てくるだろうがな」

「……そんな事させるかよ」

 銀が言った直後、彼女を取り囲んでいた星屑達が一斉に口を開けて銀に襲い掛かる。巨大な口が過去に多くの人々を食い殺してきたように、今まさに少女の柔らかな体を食いちぎろうとした瞬間。

 ザン!! と突然現れた何本の斧が銀の周りを旋回し、襲い掛かろうとした星屑達を一斉に切り刻んだ。光を失いながらも、怒りと敵意の感情を目に宿しながら、銀が低い声で呟く。

「星屑もバーテックスも全部、倒してやる」

 そして銀はその場から高く跳躍すると、星屑目掛けて突進した。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 雄たけびを上げながら大量の武器を自分の周囲に展開させて、自分に向かってくる星屑を次々に切り刻んでいく。銀を攻撃しようとして返り討ちにあう星屑もいれば、銀に突っ込まれて何の抵抗をする暇もなく輪切りにされる星屑もいた。

 今の銀は目が見えないがそれを補う第六感があるし、第一敵は銀を見つけるなら突っ込んできてわざわざ切り刻まれてくれる。相手の所に向かうよりもはるかに手間が省ける。

 が、それでも今樹海を襲来している星屑の数は生半端では無かった。

 それも当然だろう。壁に穴が空いたという事は、壁の外にいる星屑達が一斉にこちらに雪崩れ込んできているのだ。数は多くて当然だし、何よりこれはまだ序の口にすぎない。今からさらに時間が経てばより多くの星屑達が襲来するだろう。

(でも、そんなの関係ない!!)

 自分目掛けて突進してきた星屑を切り伏せ、それを囮にしてきた別の星屑の攻撃を跳躍してかわすと、その星屑の体に着地すると共に大量の斧で星屑を一気に串刺しにする。

(アタシの役目は、須美が答えを出すまで星屑を倒し続ける事!! その答えが出るまで、星屑を倒し続ければ……!)

 ふと、そこまで考えた所で。

 銀の頭の片隅で、冷たい声が響いた。

(その先は、どうするんだ?)

 それに思わず、銀の体が止まる。戦場だという事も忘れて銀がその場に棒立ちになっていると、さらに声が彼女の脳に響く。

(仮に須美がこの世界を守ろうと思い直したとしても、その先はどうするんだ? 樹海に来ている星屑とバーテックスを倒して世界を救ったとしても、何も問題は解決しない。ただ、振出しに戻るだけだ)

 そこで初めて、銀はその声が自分と同じ声だと言う事に気づいた。それに最初気づけなかったのは、あまりにも声の温度が自分とはかけ離れているからだ。いや、もしかしたら他人から聞いた今の自分の声は、もしかしたらこんな風に聞こえているかもしれない。明るさを取り繕って、実態は絶望と諦観だけが込められた、冷たく暗い声。

(園子はまたベッドの上の一人ぼっちに逆戻りだし、須美や他の勇者達も呪われた運命に縛られたまま。しかもアタシはこうして勇者に変身して戦っているわけだし、もしもこんな事を大赦に知られたらまた端末を没収されて、しかも今度は誰にも会えないように今以上に徹底した監視の下で管理されるかもしれない。だったら……今ここで、世界ごとみんな消えた方が良いんじゃないか?)

「それは、須美達が決める事だ。アタシが、決める事じゃない!」

 自分の声を否定するように、銀は再び襲来してきた星屑を薙ぎ払う。しかし銀に追い打ちをかけるように、再び自分の声が彼女の頭に降ってくる。

(本当にそう言い切れるのか? 世界がどうなるかを選択するのは須美達だけで、自分はそれを見届けるだけ。……本当は、違うんじゃないのか? そもそも二年前須美や園子が記憶を失って、志騎が死んだ瞬間から、お前はもうこんな世界消えた方が良いのかもしれないって思ってたんじゃないのか?)

「--------」

 思いもがけない言葉に、銀の体が再度止まる。その最中にも銀を星屑達が襲い掛かるが、自動的に斧が動いて周囲の星屑達を寄せ付けない。しかし頭の中の声は止まる事無く、銀の心をまるで甘い毒のように蝕んでいく。

(あの日、アタシは全部失った。家族も、大切な友達も、大好きな幼馴染も。そして残されたのは動く事もできない不自由な体と、生き神様っていう望んだわけじゃない立ち位置。そして園子は自分と同じように苦しみ続け、須美は二年間の記憶を失って、今ああして壁を壊すほどまでに追い詰められた。……お前は思っていたんじゃないのか? 友達を、幼馴染を犠牲にしてまで残り続けるこの世界に、本当に価値なんてあるのかって)

「違う……」

(今はこうして刑部姫に言われるがままに戦ってるけど、本当はもう全部放り出したいんじゃないのか? 当然だよな。勇者になっていなければ、お前は今も幼馴染や友達と一緒に楽しく過ごしていたはずなんだから。もうお役目も世界も全部放り出して楽になりたい。お前はそう思っているんだろう?)

「ち、が……」

 だが、言い切る事は出来なかった。それは紛れもなく、この二年間自分が心のどこかで抱き続けた想いだった。

 二年前、自分達の戦いと志騎の死によってこの世界を守る事ができた。それなのに大赦は志騎の存在を無かった事にし、さらに自分達だけでは飽き足らずさらに友奈達を生贄にしようとした。無論それが私利私欲のものではなく、あくまでも人類を護るために必要な事だとは分かってはいる。分かっては、いるのだ。

 だが、バーテックスが存在する限り勇者達も存在し続ける。つまり自分達を苦しめる地獄は、これからも続くという事だ。何も知らない少女の体を犠牲にし、神樹の寿命が尽きるまで。おまけに本当に天の神から世界を奪い返せるかは分からず、もしかしたら神樹の寿命の方が先に尽きるかもしれない。そんな先の見えない事のために、新たな犠牲ばかりが生み出されていく。

(だったら----、今ここで、全部消えて無くなった方が良いんじゃないのか?)

 そうすれば、文字通り全て無くなる。

 この世界も、命も、大赦も、犠牲も、苦しみも。

 誰ももう何かを犠牲にする事は無いし、誰も傷つく事は無い。

 だったら……その方が良いのではないだろうか。

「………」

 トン、という軽い音と共に銀の両膝を地面につく。同時に彼女の周りを旋回していた斧が一斉に消え、銀を護っていたものが全て無くなる。銀の両目にあった怒りと敵意はもう消えており、ただ虚ろな闇だけを両目に宿していた。

(……ああ、もう、良いや……。疲れた……)

 須美が最終的にどのような結果を選ぶかは分からない。

 本当にこの世界が無くなる事を選ぶのか、それともやはりこの世界を守ろうとするのか。

 だが、それすらも心折れた銀にはどうでも良かった。

 仮に世界を救ったとしても、今のような地獄がまた続く。友達には会えず、須美は記憶を取り戻さず、死んだ者は生き返らない。このような理不尽が、最悪な運命がこれからも続くと言うのならば、もうここで楽になってしまった方が良いかもしれない。銀は心の底から、そう思っていた。

 二年前の銀ならば、例えどんな窮地に陥ろうとも選びはしなかった選択。しかし孤独に過ごした二年間という月日は、彼女の心をすっかり弱らせていた。

 一方、上空で刑部姫はそれを何も言わず眺めていた。

(……ついに折れたか。まぁ、よく持った方だな……)

 もしかしたらこうなるかもしれないという事は、三ノ輪銀の病室に来た時にすでに予感していた。それでも彼女の手を借りようとしたのは、少々癪でも自分の仕事を全うするには彼女の力を借りるのが一番手っ取り早かったからだ。風と戦った時のように自分が変身して戦うという手段もあったが、それだと神樹に負担がかかり、崩れてしまった壁に何らかの悪影響が及ばないとも限らない。なのでこうして彼女と一緒に星屑を倒しにきたというわけだが……、結果は見ての通りになってしまった。

(それに、もしかしたら世界は本当にもうだめかもしれないしな) 

 ちらりと刑部姫は自分が握っているスマートフォンを見る。

 スマートフォンのマップには勇者達のアイコンが表示されていた。風と樹が一緒にいて、友奈と夏凜が一緒、そして壁を破壊した東郷美森は単独行動をしていた。これはつまり、まだ誰も東郷美森を止められていないという何よりの証拠だった。

 だがそれも無理はない。今回の一件で勇者達はそれぞれ大赦に不信感を抱き、勇者部の絆も揺れている状態だ。このままでは本当に彼女達が結論を出すよりも、神樹が破壊される可能性がある。

 しかしそれも仕方ないだろうな、と刑部姫は思っていた。彼女にとって人間とは、今かいずれ死ぬ生き物程度の認識でしかない。そのいずれが、今日だっただけの話だろう。仮に彼女達が世界を終わる事を選んだとしても、刑部姫にそれを止める気はさらさら無かった。それは親友である安芸も同じなのか、彼女に勇者を止める旨の連絡は一度も来なかった。彼女も、勇者達が選んだ結末に見届けるつもりなのかもしれない。

(ま、あいつが護ろうとした世界を見殺しにするのは少し夢見が悪いが……。そんな都合の良い事は言えないか)

 そんな事を思いながら刑部姫は再び下にいる銀に視線を向ける。武器を消した銀の周りには星屑達がじりじりと距離を詰め、すぐにでも襲い掛かれる体勢に入っている。一方、銀はついにかすかに残っていた生きる気力まで無くしてしまったのか、ピクリとも動かずただ静かにしゃがみ込んでいる。

 そして次の瞬間、星屑達が一斉に口を大きく開けて、生きる気力を無くした銀目掛けて食らいつく。

 だが、その時。

 銀に襲い掛かった星屑達が、何者かに薙ぎ払われた。

「何っ……?」

「………?」

 予想外の展開に刑部姫は目を見開き、銀はきょとんとした表情を浮かべる。

 視力を失った銀には分からないだろうが、上空から俯瞰していた刑部姫には何が起こったか分かっていた。

 星屑達が一斉に銀に襲い掛かろうとした瞬間、銀の目の前に何かが着地してきて、周囲に展開して星屑を手にしていた大刀で薙ぎ払ったのだ。そのおかげで銀には傷一つつかず、星屑の何体かは消滅した。

 突然現れた存在の正体を目にして、刑部姫は驚愕で目を見開きながらその存在の名前を口にする。

「アンノウン……!?」

 そう。銀と刑部姫の前に現れたのは、この前圧倒的な実力で友奈達と互角以上の戦いを繰り広げ、絶体絶命の彼女達にとどめも刺さずどこかへと消えた未知のバーテックス……アンノウン・バーテックスだった。

 星屑を薙ぎ払ったアンノウンが油断せずに大刀を構えていると、味方であるはずの星屑達がアンノウンに襲い掛かる。しかしアンノウンは襲い掛かってきた星屑の内の一体を大刀を振り下ろして両断すると、横から襲い掛かってきた二体の星屑目掛けて大刀を振るう。大刀から羽状の刃がいくつも放たれ、星屑達を蜂の巣にした。

「………」

 だが、アンノウンを目の前にしても銀は何故かぽかんと口を開けたまま動かなかった。アンノウンの方も銀には一切危害を加えず、周囲に星屑がいないか確認しているようだった。

「よぉ、命拾いしたな。まぁ、こいつが相手となるとまだ分からんが……」

 上空から銀の目の前にやってきた刑部姫が口を開くと、ようやく銀が口を開く。

「刑部姫……。こいつ、何なんだ? この気配、バーテックス……だよな?」

「ああ。アンノウン・バーテックス。先日私と結城友奈達の前に現れた未知のバーテックスだ。言っておくが、強いぞ」

「………」

 しかし何故か刑部姫からの説明を聞いても、銀は攻撃態勢を取ろうともしなかった。構えなければ、いつアンノウンに攻撃されてもおかしくないというのに。そこで刑部姫は、ある事に気づく。

(……どういう事だ? こいつ、何故攻撃しない?)

 銀は武器を持っておらず、自分も戦闘時の姿になっていない。つまり、アンノウンにとっては格好の餌なのだ。なのにアンノウンは攻撃の意志すらも見せず、ただ突っ立っている。この前友奈達を前にあれほどの実力を見えたのが嘘であるかのようだった。

 一方、

(……何だろう、これ……。バーテックスの気配なのに……どこかで、感じた事があるような……)

 目の前に突然現れた存在に、銀は戸惑いを隠せなかった。目の前の存在からは、間違いなく星屑やバーテックスと同じ気配が感じられる。それなのに、何故かその気配に混じって別の気配が感じられるのだ。

 それも初めて感じる気配ではない。昔感じたような……。懐かしいような、温かいような……そんな気配だった。どうしてそんな事を感じるのか分からず、銀はただひたすら困惑するしかない。

 銀と刑部姫が行動を起こせずにいると、アンノウンがようやく動き始めた。とは言っても攻撃行動を取ったわけではなく、ただ足を動かして自分達の元から立ち去ろうとしているだけだ。

 その背中を前にして。

「--------あ」

 銀はようやく、その気配が何なのかに気づいた。

 正確には、その持ち主が誰なのかを思い出した。

 が、銀にはとても信じられなかった。信じる事が出来なかった。

 だってもう、会えないと思っていたから。

 どれだけ願っても、会う事はもうないと絶望していたから。

 そして銀は、困惑と疑念を抱えながらアンノウンの背中に呼び掛けた。

 

 

 

 

「--------志騎?」

 

 

 

 

 直後、ピタリと。アンノウンの歩が止まった。

 それはまるで銀の言葉が正しい事を何よりも証明しているように。そして、その言葉に衝撃を覚えた存在がもう一人いた。

「………何?」

 それは銀の横にいた刑部姫だった。彼女はアンノウンと呼ばれる存在と銀に交互に視線をやっている。一方で銀は、補助装備を動かしてどうにかアンノウンに歩み寄ろうとしながら、かすれた声で語る。

「志騎、だよな? 生きてたのか? なんだよアタシ、ずっと死んだと思ってて……。なぁ、なんとか言ってくれよ……。どうして、バーテックスなんかになっちゃってるんだ……?」

 それでもアンノウンから返事が返ってはこなかった。さすがの刑部姫もこれを放っておく事はできなかったのか、銀の肩に手をやりながら、

「おい、落ち着け。忘れたわけじゃないだろう。奴は……志騎は二年前に死んだ。私が切り捨てた」

 が、銀は首を横にぶんぶんと激しく振って、

「違う! こいつは志騎だ! 目が見えなくなっても、間違えるはずがない! アタシと志騎はずっと一緒だったんだ! 例えずっと離れてたとしても、アタシが志騎の事を間違えるもんか!」

 そう言われて、刑部姫は思わず言葉に詰まる。実際一緒にいた期間だけ見れば、須美や園子と一緒にいた期間よりも長いのだ。その彼女が言う言葉には、かなりの説得力があった。

(だが、仮にそうだとしても疑問点は残る。こいつが志騎だとしたら、何故壁の中に戻ってこなかった? 何故結城友奈達に襲い掛かってきた? 何故人間の姿に戻らない? いや、そもそも……何故、私や三ノ輪銀の姿を見て、何の反応も示さない?)

 仮にアンノウンが志騎だとしても、自分はともかくとして銀の姿に何も反応しないのはありえない。いや、彼女の声に止まったのを反応したと見る事も出来るだろうが、それにしても反応が薄すぎるように思われる。刑部姫は自分の脳をフル稼働して、目の前の存在の正体、一連の現象の理由について自分なりに考察し、理由を組み立て、真実を見つけ出そうとする。

 そしてついに、

「………まさか」

 刑部姫はそれらについての理由と真実について、自分なりの推理を頭の中で作り出す事に成功するが、それに刑部姫は思わず困惑の声を上げた。

「何か分かったのか?」

 普段は険悪な仲であったとしても、刑部姫がどれほどの天才かはもう嫌というほど分かっている。銀が尋ねると、刑部姫は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。

「……ああ。大体の予想はついた。あくまでも私の推理に過ぎないが、恐らく当たっているだろう」

「聞かせろ」

 銀が言うと、刑部姫は立ち止まっているアンノウンを見たまま話し始める。

「結論から言うと、こいつはお前の言う通り志騎だ。それ以外に考えられないというよりは、そう考えれば色々と辻褄が合う」

「辻褄?」

 銀が思わず漏らした呟きに、刑部姫はああと頷いて、

「この前こいつと結城友奈達が戦った時、こいつは明らかに人間の武器、戦い方を熟知していた。おまけに東郷美森を攻撃する際には、弓矢まで使っていた。サジタリウス・バーテックスなどの例はあるが、あれは直接を矢を放ち攻撃するというある意味合理的な攻撃手段だ。なのにこいつはわざわざ人間が使う武器である弓矢を形成して攻撃した。いくらバーテックスでも、弓矢に関する知識がなければあんな事はできない。だが、今まで人間として過ごしてきた志騎の知識ならば弓矢を形成する事も出来るだろう。あいつ、弓道もやってたしな」

 そこで銀は、自分達が小学六年生の時に志騎から聞いた話を思い出した。彼は育ての親である安芸から色々な習い事に通わされたと。生け花にお琴に書道、そして弓道。そう考えると確かに、アンノウンが弓矢を形成して攻撃したという事にも説明がつく。

「だがそこである疑問が残る。何故アンノウンが私達に反応せず、しかも結城友奈達に攻撃したという事だ」

 自分達の知る天海志騎ならば、勇者に攻撃など絶対にしないし、自分達を無視したりもしない。勇者がバーテックスと交戦していれば間違いなく加勢するだろうし、こうしている今も自分達に何らかの反応を見せるだろう。それなのに……どうして何も、言ってくれないのだろうか。

「恐らく二年前、志騎は勇者システムを失いながらもバーテックスの力のみでひたすらバーテックスと戦い続け、戦いで自我を失いつつも襲い来るバーテックスを全滅させる事が出来た。しかし戦いの中で恐らく壁の外に行ってしまったんだろうな。生体反応が消えたのは恐らくそのせいだ。で、壁の外は星屑と形成途中のバーテックスしかいない世界。そこで戦い続けるうちに志騎は自我を完全に無くし、完全にバーテックスの姿と成り果て今に至るまで戦い続けていたんだろう。……二年間もの間、ずっと」

「二年間……」

 刑部姫の推理に銀は呆然と呟く。しかしそこである疑問が頭に浮かび、刑部姫に尋ねる。

「で、でもどうして志騎は友奈達に襲い掛かったんだ? 友奈達は人間だし、バーテックスじゃないのに……」

「こいつも最初は襲うつもりはなかったんだろう。あの時現れたのは恐らく、ジェミニ・バーテックスを追ってきたからだ。それでジェミニ・バーテックスを倒して後は壁の外へ再び戦いに戻るはずだったんだろうが、結城友奈達がこいつを倒そうと攻撃を仕掛けてきた。つまりあの時のこいつの行動は、単なる防衛に過ぎなかったんだ」

 考えてみれば、あの時先に攻撃を仕掛けたのはこちらからだった。

 まず風が大剣での攻撃を仕掛け、彼女を倒した後は怒りに燃えた樹がワイヤーでアンノウンを攻撃し、次に東郷が狙撃で攻撃し、夏凜が切りかかって攻撃、最後に怒りに震える友奈が攻撃した。アンノウンの攻撃は全て、それらに対する防御反応に過ぎない。最後彼女達にとどめを刺さなかったのは、彼女達が積極的に攻撃を行うのをやめたからだ。つまりあの時は、友奈達が攻撃せずじっとしていれば、アンノウンは戦闘せず勝手に壁の外へ向かっていたという事だ。友奈達は勇者であるので仕方ないと言えるが、悪い言い方をすると必要のない戦いをして傷ついたという事になる。

「これらの理由から、こいつは志騎だという結論を出す事はできるが……。それだけだ。こいつにはもう志騎だった時の記憶や人格はもうない。今私達の目の前にいるのは、幾たびもの戦いで人格や記憶が摩耗した、自分と同じバーテックスを殺し続けるだけの人形にすぎない」

 冷酷に刑部姫は断じたが、一つ銀にはある事が気にかかった。

「……でもさ、どうして志騎は……二年間ずっと戦い続けてきたんだ? そうなる前に、こっちに帰ってくる事だってできたはずなのに……。自分が自分じゃなくなる前に逃げる事だってできたはずなのに……どうして……」

 そうすれば、自分を無くす事も無かったのに。大切な友達の事まで忘れてしまう事も無かったはずなのに、どうして彼はここまで戦い続けたのだろうか。

 と、何故か刑部姫ははぁとため息をついた。

「……お前も案外鈍いな。本当にこいつの幼馴染だったのかよなっさけねぇ」

「じゃあ、お前分かるのかよ」

 刑部姫の暴言に銀がムッとした口調で聞くと、刑部姫は目の前のアンノウン……かつて志騎だったものを見つめながら、どこか悲しそうな口調で、

「そんなの決まっているだろう。……お前達を護るためだ」

「えっ……?」

「焼け石に水なのはこいつもよく分かっていただろう。だがそれでも、こいつは壁の中に戻るより壁の外で戦い続ける事を選んだ。壁の外で星屑やバーテックスを殺し続ければ、もしかしたら少しはバーテックスの襲来を抑える事ができるかもしれない。そうしたら、勇者の被害を抑えることができるかもしれない。……さっきも言った通り、こいつにはもう志騎だった時の記憶も人格もない。それでもこいつは、壁の中にいる多くの人間達を……お前を護るためにずっと戦っていたんだ」

 例え、人間だった時の記憶を全て失ったとしても。

 例え、自分がどうして戦っているのか忘れてしまったとしても。

 彼は、今を生きる人々を護るためにずっと戦い続けてきた。

 確かに記憶や人格は失われてしまったのかもしれない。

 だが、意志は変わらずに残っていた。

 今を生きている人々を、大切な少女を護るという、強固な意志だけは。

「…………」

 刑部姫の話を聞いた銀は、よろよろとおぼつかない足取りでアンノウンに近づく。

(アタシは一体……何しようとしてたんだよ……)

 歩み寄りながら、銀は先ほどの自分の行動がどれだけ愚かだったか考えると共に後悔する。

 あともう少しで自分は、志騎が自我と記憶を失ってまで守ろうとしていたものを全て投げ出す所だった。志騎がこんな姿で生存していたのを知らなかったとはいえ、許される事ではない。他の人間全員が諦めようとも、志騎の幼馴染だった自分だけは決して彼の気持ちを蔑ろにしてはいけないはずだったのに。

 銀は奥歯を噛み締めると、アンノウンに呼び掛ける。

「志騎」

 すると、アンノウンがゆっくりと振り向いた。向かい合う一体と一人を、刑部姫は真剣な表情でじっと見ている。

 アンノウンが天海志騎だった時の記憶と人格を失っているのは間違いではない。

 なのに銀の声に反応しているのは、恐らく反射だろう。 

 まだ言葉が分からない赤ん坊が母親の声を聞いて微笑むように。

 家にいる犬が飼い主の足音を自然に記憶し、足音を聞いて玄関で待っているように。

 動物は特定の声や音を聞くと、何らかの反応を示す事がある。

 ならば、アンノウンが銀の声を聞いて立ち止まったり振り向いたりするのも一種の反射ではないか。

 そしてそれは----まだアンノウンの中に、天海志騎という少年の心が残っている証拠ではないか。

 そう思う刑部姫の前で、銀はようやくアンノウンの目の前に辿り着く。銀は力の抜けた笑みを浮かべながら、アンノウンに言う。

「ごめんな、志騎。アタシ、もう少しでお前が護ろうとしてたもの全部台無しにするところだった。……でも、言い訳になっちゃうかもしれないけど、アタシの話を聞いてもらっても良いかな」

 そこで一度言葉を区切ると、再度口を開く。

「……あのさ、志騎。この二年間、本当辛かったんだ」

 当然、アンノウンは何も答えない。とは言っても興味が無いのではなく、ただじっと銀の言葉に耳を澄ませているように刑部姫には見えた。

「父ちゃんや母ちゃん、鉄男に、金太郎には一度も会えなくて。須美や園子にも会えなかった。何回も楽しかった時の事を夢に見て、血だらけの須美と園子とお前の姿を夢に見て、何回も吐いた。何でアタシが生きてるんだろうって思って。何十回も園子と須美に会いたいって思って、何百回ももう一度お前に会いたいって思った。何千回もまた四人で過ごしたいって思って、数えきれないぐらい死にたいって思った」

 この二年間、溜まりに溜まった感情を吐き出す銀の声に涙が混じる。

「それでも……どうにか今まで生きてきたんだけどさ……。もう本当、限界なんだ……。自分でも、こんなに弱いなんて思ってなかったんだけど……。どうもアタシって意外に、寂しがりやみたいなんだよ……。だからさっき、もう全部諦めようとしちゃったんだ……。ごめんね、志騎……。でもアタシはさ……、鉄男に金太郎……須美と園子……そして志騎……皆が……」

 ポタリと。

 樹海の地面に、銀の両目から流れた涙が落ちる。

「……お前がいないと寂しいんだよ……」

 それは二年間、銀が誰にも打ち明ける事の無かった彼女の心の内だった。

「なぁ志騎、頼むから帰ってきてくれよ……。さっきの事はいくらでも謝るから……何でもするから……。勝手な事言ってるって思われるかもしれないけど、もう一度お前と手を繋いで歩きたいんだ……。もう一人は嫌なんだよぉ……。だから……」

 そこで銀は顔を上げると、アンノウンの顔を見た。

 涙でくしゃくしゃとなってしまった顔で、心の底から願うように言う。

「----もう一度アタシの名前を、呼んでくれよ……」

 その、直後。

 アンノウンが左手で頭を抑え始めた。

「志騎っ!?」

 突然の行動に銀が焦った声を上げ、刑部姫も表情を強張らせる。

 二人の眼前で、アンノウンは左腕を震わせながら頭を抑え続け----。

 

 

 

 

 

 

 アンノウンと呼ばれるバーテックスは、目の前の少女が何者か分からなかった。

 いや、そもそも自分がどういう存在なのかすら分からなかった。

 気が付いた時には赤い炎の世界にたった一人で、自分と同類であるはずの存在と戦っていた。どうして同類であるはずの存在と自分が戦っているのか理由は分からない。

 ただ、これだけは分かっていた。

 目の前にいる存在を倒さなければならない。これ以上何も奪わせるわけにはいかない。それだけが、自分の体を動かすたった一つの原動力だった。それ以外に自分の体を動かす理由なんてないはずだった。

 目の前の少女の、声を聞くまでは。

 記憶も無いアンノウンには、当然目の前の少女の事など知らない。何故少女が涙を流しているのか、どうして自分に向かって何か喋っているのかも分からない。なのに、どうしてかこの少女の声を聞くと立ち止まらずにはいられなくなる。それにこの少女の泣く姿には、違和感がある。

 違う。この少女に似合うのは泣き顔などではない。この少女に似合うのは、もっと別の、太陽のような笑顔だったはず----。

 そこまで考えた所で、アンノウンは初めて困惑という感情を覚えた。この少女と会った事など無い。言葉を交わした事など無い。なのにどうして……そんな事が分かるのだろう?

 アンノウンが静かに戸惑いを覚えていると、少女がくしゃくしゃになった顔でアンノウンに言った。

「----もう一度アタシの名前を、呼んでくれよ……」

 直後、アンノウンの頭に鋭い痛みが走った。初めて感じる痛みにアンノウンは思わず左腕で頭を抑えるが、痛みは治まらない。左腕が奇妙に震え、頭に何やらノイズが走り始める。

 痛みのあまり視界を閉じると、一瞬でアンノウンの見ている世界が暗闇に閉ざされた。しかし徐々に暗闇の満ちた世界にも奇妙なノイズが走り始め、どこからか誰かの声が聞こえてくる。

『----き。--------し--------き』

 そして。

『----志騎!』

 少女の明るい声と共に、彼女の顔が自分の視界に映し出された。

 少し幼く髪も短いが、間違いなく涙を流していた少女と同一人物だ。

 しかし決定的に違うのは、今自分の目の前にいる少女はまるで花のような笑顔を浮かべているという事だ。

 シキ、と自分を聞きなれない名前で呼んだ少女は自分の手を握ると勢いよく走り出した。なお、彼女に引かれた自分の手はいつの間にか彼女と同じ人間の手になっていた。彼女に手を引かれた自分は、様々な場所を走り回る。その最中、彼女以外の色んな人間達が名前を呼んできた。

『志騎にーちゃん!』

 どこか銀と似ている、まだ小さな少年がいた。彼の腕の中には赤ん坊が抱きかかえられていて、笑顔を浮かべて自分に向かって手を伸ばしている。

『志騎』

 眼鏡をして髪の毛を後ろで軽く束ねて女性がいた。彼女の目と言葉には、どこか愛しさのようなものがつまっているように感じられた。

『志騎君』

「あまみん』

 自分の手を引く少女と同じ服を身に纏った、真面目そうな少女とぽんやりとした雰囲気の少女がいた。自分の手を引くと少女は彼女達に向かって軽く手を振って、スミ、ソノコと彼女達に挨拶していた。どうやらそれが彼女達の名前らしい。

『志騎』

 黒髪を背中まで伸ばした、モデルのような体型の女性がいた。肩には彼女そっくりのぬいぐるみのようなものを乗せている。口の端を上げて笑う彼女は、ひらひらと志騎に向かって手を振っていた。

 そして、最後に少女が振り返ってにこっと笑った。

 初めて----否、何回も見た彼女の笑顔を見て、アンノウンはようやく少女の名前を口にした。

「----ギン」

 思い出した。

 三ノ輪銀。

 自分の幼馴染。自分が大橋市に引っ越してきて初めてできた自分の幼馴染。ある一件で仲良しになり、それ以来ずっと一緒だった少女。自分が生きていて欲しいと願った少女。

 すると彼女の事を思い出したのを引き金とするように、失われていた記憶が次々と復活していく。

 彼女の弟である鉄男と金太郎。

 自分の育ての親であり教師の安芸。

 自分や銀と同じ勇者であり親友、鷲尾須美と乃木園子。

 自分を作り上げた天才であり母親、氷室真由理。

 今まで出会って来た人達、その人達と過ごしてきた記憶。それらが空っぽだったアンノウンを満たし、自分が何者だったかを思い出させていく。

 銀に手を引かれながら、アンノウンはふと横を見る。

 そこには何かの店舗があり、その店のガラスに自分の姿が映し出されていた。

 どこかの学校の制服に中性的な容姿、水色がかった白髪。

 それを見て、アンノウン----少年はようやく自分が何者であったかを思い出す。

 アア----ソウダ----オモイダシタ。

 ジブンハ----自分は----。

 ----俺は----!

 そして、アンノウン----否。

 天海志騎は、目を覚ました。

 

 

 

 

 

 自分の目の前で震えていたアンノウンに銀が何もできず困惑していると、アンノウンの動きがピタリと止まった。アンノウンは自分の頭から手を離してだらりと両腕を下げると、何故か銀の顔をじっと見る。

 すると、次の瞬間アンノウンの体が純白の光に包まれた。

 驚愕する銀と刑部姫の前で、アンノウンの体の形状が変化していく。

 鋭い爪が生えた両腕と両手は、丸みを帯びた人のものに。

 小さな翼が生えた体は、人間の少年のような体に。

 硬質な頭部は、さらさらとした髪の毛が生える人間の頭部に。

 やがて体の形状が変化し終えると、光が収まり銀と刑部姫の目の前に一人の少年が現れる。

 幾たびの戦いであちこちが焼き焦げた神樹館の制服。

 二年前と比べると少し成長した体。

 人外である事を示すような、水色がかった白髪。

 少年----天海志騎はゆっくりと目を開けると、二年間離れ離れだった銀に笑いかけた。

「----よぉ、久しぶり、銀。ちょっと太った?」

 そんな、冗談交じりに放たれた言葉に対して銀が行ったのは。

 彼の体に、無言で寄り掛かった事だった。

「……馬鹿志騎……。どう考えても、二年間会えなかった幼馴染に対して言う事じゃないだろぉ……!」

「うん。まぁそうだな。……ごめん」

 ごめん、というのは今の言葉に対してのみじゃない。

 何も語らなくても、今の銀の姿を見るだけで何が起こったか想像する難しくない。

 二年前と比べると伸びた髪の毛。絶望と悲しみで彩られた瞳。補助装備が無ければ動く事も出来ない体。さっき自分に語られていた言葉。

 あれだけで、この二年間この少女がどれほど孤独だったのか分かる。自分や須美達に会えなくて、どれほど寂しくて悲しかったのか分かる。

 あの時の自分の選択が間違っていたとは思わない。

 でも、自分の選択が原因で幼馴染をこんな風にしてしまったのは紛れもない事実。

 あれほどこの世界を守ろうと頑張っていた少女を、ここまで追い詰めてしまったのも事実。

 だとしたら、例え許される事は無くても、彼女にきちんと謝らなければならない。

 それだけは、分かっていた。

「……二年間、一人にしてごめんな。……本当に、ごめん」

「謝る必要なんて、ない……。アタシはもう少しで、全部諦めようとしたんだ……」

「それはお前のせいじゃない。お前は悪くなんてない。責められるべきなのは俺の方だ。だから、責めるなら自分じゃなくて俺を責めろ」

 もう聞けないと思っていた少年の声が、二年間孤独だった銀の心を少しずつ癒していく。そして銀は涙で震える声で志騎に言う。

「……もう会えないって思ってたんだぞ……! もう話す事もできないって……! もう一緒に学校に行く事も出来ないんだって……! 本当に……本当に! 悲しかったんだぞ!」

「うん」

「須美や園子もお前の事を忘れちゃって……! 覚えてるのはアタシだけになって……! 天海志騎なんて本当はいなかったんじゃないかって何回も不安になって……! どれだけ怖かったか、分かってんのかよぉ……!」

「それは分からないけど……。でも、大丈夫だよ。今は確かにお前と一緒にいるだろ? だから、大丈夫。俺はここにいるよ」

「ううううううう………! うぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 銀は泣いた。

 二年間の孤独と悲しみと痛みをひたすらぶちまけるように。

 ここが樹海の中であり、世界滅亡が迫っているという事すらも忘れて、ひたすら泣いた。恐らく彼女がここまで泣くのは、人生で初めてだろう。

 一方腕の中でひたすら泣く幼馴染の背中を、志騎は赤ん坊をあやすように優しくぽん、ぽんと叩いていた。まるで彼女の孤独を悲しみを受け止めるように。笑顔が似合う少女だった銀が、少しでも早く泣き止む事ができるように。

 短い間ではあったけれど、樹海に少女の泣き声が響き渡った。

 やがて銀の泣き声が聞こえなくなると、銀が志騎の腕の中で小さく呟いた。

「……志騎。ごめん、離してもらって良いか? もう大丈夫だから……」

「ん」

 短く応えて銀が志騎の腕の中から解放されると、さすがに恥ずかしかったのか銀は少し頬を赤らめて、

「……何か、悪い。ひたすら泣いちゃって……」

「別に構わないけど、お前なんか俺の前でだけ泣き虫じゃないか? 俺以外の人間の前だと泣かない癖に」

「それは、その……お前の前だけはその、泣けるっていうか……。アタシの感情とか全部吐き出せるって言うか……」

「………?」

 ごにょごにょと銀が呟くが、志騎は困ったような表情で首を傾げるだけだった。それから志騎は樹海を見渡しながら、

「それより、悪いけど状況を説明してくれないか? 星屑を追って壁の中にまで来たのは何となく覚えてるけど、そもそもどうして星屑が壁の中にいるんだ? 一体何が起こってるんだよ」

 すると、ようやく銀も今の状況を思い出したのか、あわあわとした口調で、

「そ、それがだな志騎。結構大変なんだよ。東郷さんが壁を壊して、それで星屑とバーテックスが大量に入って来て。あ、東郷さんは元々須美なんだけど、今は須美が東郷さんになってて……」

「まったくわけが分からねぇんだけど」

 慌てふためいて状況を説明しようとするが、焦りのせいで銀も上手く状況を説明する事が出来ず、彼から呆れ半分のジト目で見られてしまった。と、それまで蚊帳の外に置かれていた刑部姫がようやく志騎に近づいてくる。

「よぉ、久しぶりだな志騎。まさかまだ生きていたとは、喜ばしいが少し驚いた。お前も結構しぶといね」

「ああ、久しぶり刑部姫。きっと自分の性格と知能を精霊に移した誰かに似たんだろうよ」

「はは、なるほど。説得力があるな」

 軽口を叩く志騎に、刑部姫がケタケタと笑う。二年ぶりの再会にしてはやや軽すぎるように感じられるかもしれないが、それが二人の関係性を見事に表している。相手が無事に生きているのであれば、それに越した事は無いのだ。

「一応聞くが、まずはどうする?」

「まずは星屑を減らしたいな。数が多すぎる」

「なら話は星屑を倒しながらするとしよう。その後の行動はそれからだ。ほれ」

 そう言って刑部姫は何かを志騎に投げた。受け取ったそれらを見て、志騎と銀は思わず目を見開く。

 刑部姫が投げてよこしたのは、二年前の戦いで半壊した志騎のブレイブドライバーとスマートフォンだった。刑部姫の手によって修理されたのか、新品同然になっている。

「何かに使えるんじゃないかと思って修理・アップデートしておいたんだ。今のお前でも問題なく使えるはずだぞ」

 そうは言うが、これを使えるのはバーテックス・ヒューマンである志騎だけだ。何かに使えるという事はまずないし、彼女は非合理な事に時間を使うような人間では無い。

 なのに修理し、さらにアップデートまでしていたという事は、心のどこかで志騎が生きているというゼロに近い可能性を捨てきれなかったのかもしれない。だからブレイブドライバーとスマートフォンをいつでも使えるようにしていた。万が一志騎が生きていた時に、これを渡せるように。

 志騎は腕の中のブレイブドライバーをじっと見ていたが、やがてふっと笑みを浮かべる。

「刑部姫」

「何だよ」

「今初めて、お前が俺の精霊で良かったと思ったよ」

 それに思わず刑部姫がかすかに目を見開き、志騎はブレイブドライバーを腰に巻く。ドライバーが腰に自動的に装着され、志騎の身体データを読み取って彼をドライバーの持ち主と認証。以前と同じように自動的に志騎の腰に出現するように設定される。

 志騎がスマートフォンを起動し、画面に表示されている三つのアイコンの内一つをタップする。

『Brave!』

 女性の音声と共にドライバーから光線が志騎の目の前に照射され、変身用の術式を展開する。志騎が両腕をゆっくりと頭の上にまで伸ばしてから目の前まで交差させると、ドライバーの変身待機音が鳴りやみ音声が発せられる。

『Are you ready!?』

 当然、答えなど決まっている。

 志騎はスマートフォンを握る手を顔の横に持ってくると、音声に答えるように力強く叫んだ。

「変身!」

『Brave Form』

 スマートフォンの画面をベルトの装置にかざし、術式が志騎の体を通過すると志騎の肉体の細胞が戦闘用に変異し、身に纏う服が焼き焦げた神樹館の制服から純白の勇者装束に切り替わる。

 そして二年ぶりに、勇者に変身した天海志騎が樹海に復活した。

「じゃあまずは、少し掃除しないとな。行くぞ、銀、刑部姫」

「ああ!」

「よし」

 銀が力強く応え、刑部姫が返事をしながら志騎の肩に乗る。

 そして二人と一体は跳躍し、樹海を飛び回る星屑目掛けて飛んで行った。

 

 

 

 




 執筆、見直しをしていたら投稿日が偶然銀の誕生日になった……。という事でこの後、志騎は刑部姫から教えてもらったレシピを読んでシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを銀のために作りました。

※シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ……『黒い森のさくらんぼケーキ』という意味のドイツのチョコレートケーキ。

さて、ようやく志騎と銀が再会する事が出来ました。刑部姫も言っていましたが、勇者達との共闘はもう少し先になります。もうしばらくお待ちください。


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第三十八話 集結

 星屑が、樹の目の前で彼女のワイヤーに切り裂かれて消滅した。しかし別の星屑達が再び樹に襲撃し、樹は跳躍して突進を回避すると襲ってきた星屑達を串刺しにし、さらに別の星屑達もからめとり、切り刻む。樹海の根に着地した彼女の背には、未だ戦意を失いしゃがみ込んでいる風の姿があった。 

 一方、妹に護られる形になってしまっている風はゆっくりと顔を上げると、一人で必死に星屑と戦っている妹に視線を向ける。

「樹……」

 樹はワイヤーで星屑を拘束するが、その隙を狙って別の一体が樹に突進する。拘束された星屑はどうにか輪切りにできたものの、突進の衝撃で樹自身も吹き飛んでしまう。精霊バリアのおかげで致命傷は避けているものの、衝撃を全て消す事は出来ない。現に地面に落下して起き上がろうとしている樹の体は、少し震えている。

 が、起き上がった彼女の目は戦意を全く失っていなかった。

(どうして……どうして、そこまで……)

 どうしてそこまで戦う事ができるのか。そう考えた風の頭に、いつか樹と交わした会話が浮かび上がる。

『……ありがとう』

『何? 急に』

『何となく、言いたくなったの。この家の事とか勇者部の事とか、お姉ちゃんにばっかり大変な事させて……』

「樹……」

 次に思い出したのは、彼女のオーディションの録音音声だった。

『……でも、本当は私、お姉ちゃんの隣を歩いていけるようになりたかった』

「……隣どころか、いつの間にか、前に立ってるじゃない……」

 今星屑と戦っている少女に、かつて姉の後ろをついて回る事しかできなかった面影はもうない。四国という世界を、姉を護るために必死に戦うその姿は正真正銘の『勇者』だった。自分がずっと護ってきた妹の成長に、風の目から涙がこぼれる。

 しかし、戦況は少しずつ悪化していった。樹は必死に抵抗していたが、星屑達の数はさらに増していく。一匹を倒している間に、星屑の一体が再び樹に襲い掛かる。樹は吹き飛ばされて地面を転がり、どうにか起き上がろうとするが目の前には大量の星屑の姿。たった一人では、この数の暴力を覆す事は出来ない。そして星屑達が一斉に接近し、樹が顔を強張らせた瞬間。

「はぁっ!」

 風の大剣の一閃が、襲い掛かってきた星屑達を蹴散らした。樹が涙を浮かべながらも笑みを浮かべると、風も目尻に涙を浮かべた状態で笑い返し、

「姉として、妹に頼り切ってるわけにはいかないわ!」

 いつもの元気を取り戻した風に、樹が両手を組んで近寄る。声は聞く事は出来ないが、彼女が心の底から喜んでくれている事は分かる。

「もう大丈夫よ、樹。……本当に、あたしの自慢の妹だ」

 が、二人の感動の対面に水を差すように星屑が再び大量に群がってくる。が、今の姉妹に不安はない。今の自分達なら、敵がどれほど多くて強力で打ち倒せる。そんな自信が胸の内から湧いてくるのを彼女達は感じていた。

「さぁ、犬吠埼姉妹の女子力。見せつけてやる! 行くわよ、樹!」

 風が大剣を構え、樹がワイヤーを射出する花が巻き付いている右腕を前に突き出し、星屑との戦いが再開された。無論戦いの結果がどうなったかなど、言うまでもないだろう。

 今の二人に、星屑程度が敵うわけがないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ……」

 微かに呻き声を上げて、結城友奈は目を覚ました。目の前には夏凜が自分と同じように倒れており、自分達の近くには彼女達を護った精霊達が静かに宙に浮いている。友奈は起き上がって頭を抑えると、倒れている夏凜に駆け寄る。

「夏凜ちゃん! しっかりして! 夏凜ちゃん!」

 夏凜の体を抱きかかえて名前を呼ぶが、まだ先ほどのバーテックスの攻撃もあってか彼女は目を覚まさない。友奈は不安げな表情で夏凜の顔を見ながら、先ほどの東郷の様子を思い出す。

(東郷さん……泣いてた。あんなに悩んで、苦しんでた東郷さんを……私、ずっと見てきたのに……)

 それなのに、何もできなかった。親友がどれほど苦しんでいたかは分かっていたつもりなのに何もできず、壁を壊すという行為に至るまで追い詰めてしまった。

(きっと私、何かできる事があったはずなのに……! 一番の友達なのに……! どうして……こんな……)

 友奈が強い後悔に襲われていると、上空から奇妙な音が聞こえてきた。彼女が空を見上げると、そこには空を埋め尽くさんばかりの星屑達が大量に飛んでいた。それはまさに本来の意味での『星屑』と言える。とは言っても、口だけの白い化け物が無数に蔓延るその光景は綺麗という言葉とは程遠いが。

「そうだ……今は……」

 友奈は立ち上がってスマートフォンを取り出すと、勇者システムを起動しようとする。

 だが、その瞬間友奈の脳裏に東郷の苦しそうな表情と言葉がよぎる。

『友達が傷ついていくのも、大切な人を失うのも私、もう耐えられない……! 耐え切れないの……!』

「………っ!」

 彼女の言葉と表情で、友奈の動きが一瞬止まる。

 変身して星屑を倒して、その先は? 東郷と戦うのか? 満開した自分達を案じて苦しんでいる、彼女と? そんな事が本当にできるのか? そもそも……彼女の苦しみに気づく事が出来なかった自分に、彼女を止める権利など本当にあるのか?

 疑問と不安に満ちる友奈が一瞬硬直していると、彼女のスマートフォンからピーピーピーという電子音が流れている事にようやく気付く。画面を見ると、そこにはこんな文面が表示されていた。

『警告 勇者の精神状態が安定しないため、神樹との霊的経路を生成できません』

「えっ? そ、そんな……」

 再び変身しようと画面を何回もタップするが、結果は変わらない。何の異変も起こらず、友奈自身も勇者に変身する事はできなかった。

「なんで……なんで……なんで……なんで……なんで変身できないの!?」

 動揺しながらもさらに画面をタップするが、その際にスマートフォンを落としてしまう。電子音が鳴るスマートフォンに手を伸ばそうとするが、彼女の手が途中で止まった。スマートフォンを見る友奈の目から涙がこぼれ、ついに耐え切れなくなって友奈は思わず嗚咽をこらえるかのように口を抑えた。が、それでも抑えきれない嗚咽が指の間から漏れ、画面の上に涙がポタポタと落ちる。

「私……私……! 友達、失格だ……!」

 ----普段の言動から誤解されがちであるが、友奈はただひたすら目の前の事に突っ走れるほど能天気ななわけでも、すぐに立ち直れるほどの明るさを持っているわけではない。彼女がそのような姿を見せるのは周りの友達が不安がったり、悲しんだりするのを防ぐためだ。つまりどれだけ強く見えても、彼女は常に人を助ける勇者であろうとするために頑張っている、一人の少女に過ぎない。

 しかし今回の東郷の行動は、そんな友奈の精神を今までにないほど揺るがした。今までずっとそばにいたのに、親友の不安に気付く事も出来ず、彼女をあそこまで追い詰めてしまった。どれほど周りに気を使っていたつもりで、親友の気持ちにすら気づけなかった。その事実が友奈の心を自己嫌悪で追い詰め、彼女自身も変身できない状況にまで追い詰めていた。

 そしてそれを見逃すような星屑ではない。東郷の友達失格だと自分を追い詰める友奈に、無数の群れから漏れた星屑数体が接近する。ただの少女である今の友奈に、それを撃退するすべなどありはしない。

 泣きじゃくる友奈と倒れている夏凜に星屑が殺到し、彼女達の肉体が星屑によって貪り食われると思われた、その瞬間。緋色の斬撃が彼女達を覆っていた星屑を切り刻み、黒煙の中から人影が飛び出す。

「はぁっ!」

 人影----勇者に変身した夏凜は自分に向かってくる星屑目掛けて刀を投擲。刀は全て星屑に命中し、星屑達は多色の光を上げて消滅した。夏凜が友奈の前に着地すると、夏凜が意識を取り戻した事に気づいた友奈が夏凜の名前を呼ぶ。

「夏凜、ちゃん……」

 夏凜は少し困った表情を浮かべながらも、言葉を探すように少したどたどしく言う。

「友達に……友達に、失格も合格もないっての……」

 が、それで納得するような友奈ではない。再び俯いて泣き始めて友奈を見て、夏凜が再び口を開く。

「……あんた、東郷の事で自分を責めてるんでしょ? はぁ、まったく、友奈らしいと言うか……」

 それから一度ため息をつくと、友奈の目の前まで歩み寄り彼女と視線を合わすようにしゃがみ込む。

「ねぇ友奈。あんたはどうしたい?」

「え……?」

「東郷の事」

 静かに問われた友奈は一度黙り込むも、言われた通り自分の心をそのまま口にする。

「……止めたい。東郷さんを止めたいよ。この世界が壊れたら、皆と一緒にいられなくなる。でも、今の私じゃ……!」

 止めたくても、止める事が出来ない。友奈が再び嗚咽を漏らすと、夏凜は「そう……」とだけ言って立ち上がり、友奈に背を向けた。

「……友奈。もう私、大赦の勇者として戦うのは、やめるわ」

「え……?」

「これからは、勇者部の一員として戦う」

 そう言って夏凜が両腕を軽く広げると、両手に双刀が出現する。二本の刀を強く握りしめながら、

「私達の勇者部を、壊させたりしない。友奈の泣き顔……見たくないから」

 そう言うと、夏凜は跳躍して友奈の目の前から遠ざかっていった。

「夏凜ちゃん!」

 友奈が叫ぶが、それで止まるような少女ではないし、勇者でない今の友奈に夏凜を追う事は出来ない。友奈がしゃがみ込んでいる間にも、夏凜の姿はどんどん見えなくなっていった。

 友奈のもとから離れた夏凜は樹海の根に着地すると、遠くに見えるある姿に着目する。無数にいる星屑とは明らかに違うそれは、紛れもなく自分達が今まで倒してきたバーテックスだった。

「再生した奴ら……溢れてきたわね。まずはあいつらを殲滅して、その後、東郷を捜して……」

 こうして口に出して確認するだけでも、頭が痛くなるようだった。勇者部が全員いる状態でも骨が折れるというのに、自分一人だけとなるともはや勇敢を通り越して無謀ですらある。夏凜はちらりと、自分の左肩にある満開ゲージに視線をやる。ゲージはほとんど溜まっており、バーテックスと戦えばすぐにゲージが溜まり、満開が可能となるだろう。だが、もしも満開をすれば代償として体の機能を奪われる。

「……さすがに、犠牲なしってわけには、いかないでしょうね……」

 そう呟きながら夏凜は一度両手に握る刀を消すと、代わりにスマートフォンを取り出す。画面には自分の誕生会で撮影された、勇者部五人が映った写真が映し出されていた。恥ずかしそうな表情を浮かべている自分以外の全員が笑っている写真を見て、夏凜の口に思わず笑みがこぼれる。

「……馬鹿ね」

『諸行無常』

 夏凜の呟きに答えるように現れた精霊、義輝が言った直後、夏凜はスマートフォンを消して義輝も戦いの気配を察してか姿を消す。夏凜はキッと表情を引き締めると、遠くにいるバーテックスに聞こえるほどの大声で叫んだ。

「さぁさぁ!! ここからが大見せ場!! 遠からん者は音に聞け!! 近くば寄って、目にも見よ!!  これが讃州中学二年!! 勇者部部員、三好夏凜の実力だぁああああああああああああああああああああっ!!」

 高らかに告げながら、夏凜は自分目掛けて突進してくる星屑の群れ逆に突っ込み切り刻んでいく。彼女を迎え撃つようにヴァルゴ・バーテックスが爆弾を放つが、それらを切り捨てて夏凜はさらに勢いを増していく。

「さぁ!! 持ってけぇええええええええっ!!」

 戦いの中で溜まった満開ゲージが光を放ち、夏凜の姿に更なる力が宿り姿が変わる。

 羽衣のような衣装に、背後には大きな輪のような物。刀を握る彼女の周りには巨大な刀を握る四本もの巨腕が浮かんでいた。

「夏凜ちゃん!!」

 それを見た友奈が絶叫する。満開したという事は、夏凜は大いなる力を得る代わりに体の機能を一つ失ってしまう事を意味するからだ。だが、今更その程度の事で臆しはしない。

「勇者部五箇条! ひとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおつ!!」

 巨腕が刀を一閃すると、刀身から放たれた巨大な赤色の斬撃が無数の星屑を一掃し、さらに巨腕を振るうと無数の刀が同じぐらいの数の星屑達をまとめて串刺しにする。無数の星屑が一斉に爆発して光る姿は、まさに星が爆発して一生を終える時のようだった。

「挨拶は、きちんとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 襲い来る星屑をかわし、すれ違いざまに切り捨てながら夏凜はヴァルゴ・バーテックスに突進し頭部を破壊する。光を上げながら砂に還っていくヴァルゴをしり目に、夏凜は次なる獲物に向かってさらに突進する。

「勇者部五箇条、ひとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおつ!!」

 六枚もの盾を持つキャンサー・バーテックスに思いっきり刀を振り下ろすが、キャンサーは盾を利用して斬撃を防ぐ。しかし夏凜は両足を折り曲げると、盾に向かって強烈なドロップキックを放つ。ドロップキックで見事に盾を貫くと、その勢いのままキャンサーに斬撃を繰り出して打ち倒す。

「なるべく、諦めなぁああいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 キャンサーを倒した夏凜が振り返ろうとするが、スコーピオン・バーテックスの毒針の一刺しが四本の巨腕の内一本に刺さり、見る間に毒が腕を侵食していく。そのせいで夏凜の満開の変身が解除され、夏凜は下へと落下してく。どうにか樹海の根へと着地した夏凜は、自分の右腕を苦々しげに見る。右腕には、機能を失った証として補助装備が装着されていた。

 夏凜はスコーピオン目掛けて跳躍し、襲い来る尻尾の攻撃をどうにかいなしながら左腕で尻尾に刀を突き刺すと、再度尻尾にドロップキックを放ち尻尾から離れる。

「勇者部五箇条、ひとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおつ!!」

 叫びながら再び満開をし、宙に巨大な赤色の花が顕現する。

「よく寝て、よく食べぇえええええええええええええええるぅうううううううううううううっ!!」

 巨腕をまるで翼のように広げるとスコーピオン目掛けて突進し、体を豪快に真っ二つに切り裂く。すると三体のバーテックスを撃破した夏凜に、サジタリウス・バーテックスの矢が次々と襲い掛かる。どうにか刀を振るって矢を防ぐが、巨大に何本もの矢が突き刺さった。夏凜が上空に飛び上がると、満開の姿が解除され今度は右足に補助装備が装着された。

「……っ! 勇者部五箇条、ひとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 一瞬表情を強張らせ、落下しながらも夏凜は左手に刀を握り、口で刀を加えるとサジタリウス目掛けて突進する。

「悩んだら、そうだぁああああああああああああああああああああああああああん!!」

 すれ違いざまにサジタリウスを切り裂き、真っ二つになった体のうち上部が消滅する。夏凜は空中で満開すると方向を変え、下部の体にもう一度強烈な斬撃を食らわしてやる。

「もう一体は!?」

 と、地面から最後のバーテックス----ピスケス・バーテックスが現れて夏凜に攻撃を仕掛ける。攻撃を受けて吹き飛んだ夏凜は満開が解除されるも、反撃と言わんばかりに刀を投擲する。刀はピスケスの体に当たって爆発するが、ピスケスは止まらず地面に潜り込む。すると今度は夏凜の首あたりに補助装備が追加された。直後、再度満開ゲージが光り輝き、夏凜は満開して地面に突撃する。

「勇者部五箇条、ひとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 そして地面を削り取りながら潜んでいたピスケスを無理やり引きずり出すと、突き刺していた刀を思いっきり上に振るってピスケスの体を引き裂く。

「為せば大抵、なんとかなるぅうううううううううううううううううううううううううううっ!!」

 直後、ピスケスの体が光を上げると共に砂に還っていき、夏凜は空中に留まり残った左腕を前に突き出した。

「見たか!! 勇者部の力ぁあああああああああああああああああああああっ!!」

 しかし、そこが限界だった。

 夏凜の満開の装備が全て消え、今度は後頭部から両目を覆うように補助装備が追加される。バーテックスとの戦いで力を使い果たしたのか、夏凜はそのまま地面へと落下していく。

「夏凜ちゃん!!」

 友奈が叫び、落下していく夏凜目掛けて走り出す。

(あとは……東郷を……)

 夏凜の変身が解除され、彼女は樹海へと落下していった。

 スマートフォンのマップを確認して友奈がようやく夏凜の倒れている位置に辿り着くと、彼女はうつ伏せの状態で地面に倒れていた。

「夏凜ちゃん!! 夏凜ちゃん!! しっかりして!!」

 名前を呼びながら夏凜の体を抱きかかえると、夏凜はようやく目を開けた。

 が、

「……誰? 友奈?」

 友奈の姿が目の前にあり、友奈が必死に呼び掛けているにも関わらず、彼女は自分を抱きかかえているのが誰か認識できていなかった。そこでようやく、友奈は夏凜の目に光が宿っていない事に気づく。----視力と聴力が、失われているのだ。彼女は左手をゆっくりと伸ばすと、友奈の顔に手を当てて、

「……ごめん。なんか、目も耳も、持っていかれたみたい……。友奈、だよね……」

 自分の姿も声も認識する事が出来なくなった夏凜の痛々しい姿に、友奈は悲しみで胸が張り裂けそうになりながらも必死に夏凜の左手を握って声を張り上げる。

「そうだよ!! 友奈だよ!!」

「見てた……? 友奈……。この私の、大活躍を……」

「見てた!! 見てたよ!! すごかったよ、夏凜ちゃん……!! こんな、こんなのって……!! あぁああああああああああああああああああ……っ!!」

 友奈が夏凜を抱きしめながら泣き声を上げている事など知らず、目が見えていない夏凜が言う。

「東郷を、捜そうと思ったんだけどね……。ここまでか……。……ねぇ、友奈」

 夏凜が優しく声をかけると、友奈は泣きながらも夏凜の顔を見る。視力と聴力を失ったにも関わらず、彼女は何故か優しく笑っていた。

「言いたかった事があるの……。ありがとう、って……」

「え……?」

「私、長い間勇者の訓練を受けてきた……。戦う事だけが、私の存在価値で、私はただの道具だった……。でも、みんなのおかげで、私……」

 脳裏に浮かぶのは、誕生会の時の友奈達の笑顔。思えばあの時から、自分は彼女達の事が大切になっていたのだろう。自分の事を心の底から友達として、仲間として扱ってくれた彼女達が。

 そして、バーテックスを全て倒して戦う理由を見失ってしまった自分を友奈が勇者部に繋ぎ止めてくれた。照れくさくて面と向かって言えなかったけれど、彼女が自分と一緒にいる事が出来て楽しいと、自分の事を好きだと言ってくれて、本当に嬉しかった。勇者部の存在が、友奈の言葉が、自分を救ってくれたのだ。

 だからこそ。

「友奈なら……。東郷の心だって、変えられる。きっと……」

「私は……」

 それでも迷いと不安の言葉を発しようとする友奈を、夏凜が優しく否定の言葉を投げかけた。

「東郷を救えるのは、友奈だけよ……。一番の……親友なんでしょ……?」

 夏凜の言葉に、友奈は涙をこらえながら顔を上げる。

 もうその顔に、迷いはなかった。

 

 

 

 

 

「東郷ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 その頃、東郷と風は壁の外で激突していた。風の大剣の一撃を受け止めながら、東郷は必死に風を説得しようとする。

「この光景を見たでしょ!? だったら分かるはずです!」

「これ以上、壁を壊しちゃ駄目よ!」

「この世界が……大赦のやり方が、勇者の存在が、いかに悲惨なものか! 私達が救われる方法は、これしかないんです!!」

 東郷の気持ちは、痛いほどに分かる。自分も最愛の妹の声を失われ、一度は大赦に牙を剥こうとした。彼女がこのような行動に出てしまうのも当然だ。

 だが、

「それでも……。それでもぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 風は大剣を力強く振るって東郷の二丁拳銃を吹き飛ばすが、東郷はさらに銃を取り出して風に突きつける。

「あたしは部長として……先輩として! あんたを止める!」

「分かって……ください!」

 そう言って東郷が引き金を引こうとすると、銃を握る手にワイヤーがからみつく。はっと東郷が横を見ると、樹がワイヤーで自分の手と銃を縛り付けているのが見えた。これでは引き金を引く事が出来ない。

「東郷ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! 歯ぁ食いしばれぇえええええええええっ!!」

 気合と共に風の大剣の一撃が東郷に放たれ、吹き飛ばされた東郷は炎の海へと落ちていった。普通の人間なら即死だが、精霊バリアがある以上死にはしないだろう。

「ごめん、東郷……。少しだけ静かにしてて……」

 東郷が落ちて行った先を見ながら風が呟くと、樹が近くに寄って来て必死に口をパクパクと開けた。

「どうしたの? 樹」

 風の問いに樹が壁に空いた穴を指差す。

 見てみると、穴に向かっていた星屑達の動きが穴と壁の内側の境目あたりで止まっていた。その異様な光景を見て風が思わず怪訝な声を出す。

「敵の侵攻が、止まってる……?」

 穴が空いている以上、神樹の結界が効いているからだとは考えにくい。ならば、何故?

 しかし、それ以上考えている暇はなかった。

 突然二人の真横で強烈な光が発せられ、目をやると満開した東郷が戦艦状の乗り物に搭乗して宙に浮かんでいた。彼女の後ろには、赤く発光するレオ・バーテックスの巨体が無数の星屑によって形成されていた。

 風は樹と共に息を呑むと同時に、星屑が侵攻をやめた理由を理解した。星屑が何体侵攻しようと勇者によって防がれてしまうのなら、強力な個体を作り出して一気に終わらせてしまった方が良いと判断したからだ。実際にレオには、勇者部も散々苦労させられた。

 壁の内側に侵攻しようとしていた星屑達が一斉にレオの所に集結し、みるみると巨体を形成していく。

「二人共、どいてください!」

「どくわけ、ないでしょ!?」

 警告なのか東郷が声を上げるが、それに風がイエスと答えるわけがない。東郷は苦し気に目を瞑ると、キッと目を鋭くさせる。

「……ごめんなさい」

 そして、彼女は樹海の中のあるものを睨みつける。

 それは、全ての力の源である神樹。

 東郷が乗る戦艦の全ての砲門に霊力が収束し、次の瞬間巨大なレーザーとなり神樹に放たれた。

「………っ!!」

 東郷の意図に気づいた風と樹がレーザーを防ごうとし、精霊バリアの光が散るが抵抗空しく二人は吹き飛ばされ、レーザーは神樹へとまっすぐ向かう。だが、神樹に向かう前にレーザーは花びらとなって消滅した。

「……そう。勇者の力では、神樹本体を傷つける事は出来ないのね。でも」

 東郷が視線を向けたのは、形成途中のレオの巨体だった。

「これを連れて行けば……。きっと神樹を、殺せる」

 一方、東郷のレーザーによって吹き飛ばされてしまった風と樹は樹海の根に倒れていた。二人共先ほどの攻撃のせいで変身が解除されてしまっており、讃州中学の制服姿になっている。

「スタミナが……。樹……」

 樹に声をかけるが、彼女は目を覚まさない。どうにか起き上がろうとした風の目に、ある光景が飛び込んできて思わず表情を険しくする。

 風の視線の先には、東郷に先導される形でレオが壁の中へと入ってきた。いや、正確には東郷を殺すために彼女を追って壁の中へと入ってきたのだろうが、この際どちらでも良い。問題は、神樹を殺せるバーテックスが壁の中へと入ってきてしまった事だ。しかも形成がほぼ完了してしまい、レオの体がオレンジに色づく。

「私を、殺したいでしょう。さぁ、おいで」

 そう呟く東郷の背後には、神樹がある。もしもレオが攻撃を放てば、簡単に神樹は破壊される。

 レオの前に火球が形成されていき、瞬く間にその大きさは膨れ上がっていく。火球から放たれる熱波だけで、肌がジリジリと焼けてしまうなほどの熱量だった。

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 が、風の叫びも空しく。

 レオの火球が、放たれてしまった。

「………っ!」

 当然東郷は火球をかわし、火球はそのまま神樹へとまっすぐ向かう。

「これで……みんな……」

 世界滅亡が目の前だというのに、東郷は口元に柔らかな笑みすら浮かべて呟く。

 これで神樹が破壊され、世界が滅ぶとその場にいる誰もが思った、瞬間。

 それは、響いた。

 

 

 

 

『レオ! ゾディアックストライク!』

 

 

 

 

 火球がもう一つ、出現した。

 どこからか音声が聞こえてきた直後、レオが放った火球と同じぐらいの大きさの火球が出現し、二つの火球が激しくぶつかり合う。二つの火球は空中で派手に爆発し、辺りに火の粉と熱風をまき散らした。

「何っ……っ!?」

「くっ………!!」

 誰も予想しなかった出来事に東郷が目を見開き、風も驚きながらも意識を失っている樹の体を抱きしめて爆風から身を護る。

 やがて風と煙が収まると、東郷の目の前の樹海の根に二つの人影が降り立った。

「……須美」

 どこか悲しそうに自分を呼んだ少女の名を、東郷はかすかな驚きが込められた声で呟く。

「……三ノ輪、さん?」

 その少女は山吹色の勇者装束に身を包んだ先代の勇者の一人、三ノ輪銀だった。目は見えないけれど大体の気配で位置を察しているのか、苦し気な表情を東郷に向けている。

 そして、銀の隣にもう一人。東郷が初めて見る少年(・・・・・・・・・・)がいた。

「………」

 険しい表情で東郷を見ているのは、肩に刑部姫を乗せ、勇者装束に身を包んだ少年----天海志騎だ。純白であるはずの彼の勇者装束はオレンジ色に彩られており、両手両足には獅子の爪を模した手甲と具足が装着されている。

 レオ・ゾディアック。その特徴は炎を纏う手甲と具足を利用しての格闘戦と火炎操作。破壊の規模ならばヴァルゴ・ゾディアックの方が上だが、純粋な破壊力では十二あるゾディアックフォームの中で随一の力を誇る。

 自分達を困惑した表情で見つめる東郷を見返しながら、志騎は先ほど銀と刑部姫と交わした会話を思い出す。

『----つまり、満開の真実を知って落ち込んでた所に壁の外の真実まで知って追い詰められたって事か……。あいつ、思い込むと突っ走るところがあったもんなぁ……』

 二人の話を聞いて、志騎は樹海を移動しながら苦い表情を浮かべる。移動する二人に星屑が時々襲い掛かってくるが、今更星屑程度にどうこうされる二人ではない。

『で、お前はどうするんだ? 志騎』

『……? どうするって?』

 志騎が聞き返すと、刑部姫は志騎の真横を飛びながら、

『今回の東郷美森の暴走は大赦の詰めの甘さが招いた事だ。その尻ぬぐいをするつもりは無かったから、星屑の掃討はするつもりだったが東郷美森を止める気はなかった』

 だが、と刑部姫は一度言葉を区切り、

『お前がもしも東郷美森を止めたいと言うなら、それに協力してやってもいい。記憶と人格を失っても世界を守るために戦い続けていたお前には、東郷美森のやろうとしている事を止める権利がある。それに私の本来の役目はお前のサポートだ。お前がやると決めた事に協力するのが私の義務だ』

『でも、それは……』

 刑部姫の言葉に、銀が不安げな声を出す。

 彼女が何を言おうとしているかは志騎にも分かった。世界を守るために東郷を止めるという事は、つまり親友の東郷----鷲尾須美と刃を交えるという事だ。当然銀と園子がそんな事を受け入れるはずがなく、二人は東郷と戦うのを拒否していた。だが刑部姫の言った通り、東郷がしようとしている事は志騎が頑張ってきた事を全て無駄にしようとする行為だ。例え親友であろうと、簡単に見過ごせる事ではない。

『まぁ、権利はあるとは言っておくが義務までお前に押し付ける気はない。どうするかはお前の自由だ。お前が決めれば良いさ』

 刑部姫の言葉に、志騎は黙り込む。しばらく三人の間に沈黙がおり、志騎の顔を銀が不安そうな表情で見つめ、刑部姫は何も言わず志騎が言葉を発するのを待つ。

 そして、

『俺は--------』

 そこで志騎は自分の思考を打ち切ると、目の前にいる二年ぶりの再会となる友人に声をかける。

「よぉ、久しぶりだな須美。……いや、今は確か東郷美森、だったか?」

 自分を親し気に声をかける少年に、東郷は困惑しながらもどうにか彼に言葉を返す。

「……あなたは?」

「天海志騎、って言えば分かるか?」

 彼女の自分を初めて見るような反応にも動揺はない。彼女が記憶を失った瞬間を、志騎は二年前に見ている。だから彼女がそのような質問をするのも当然とすら思っていた。

「天海、志騎………。あなたが……?」

 少年の名前を聞いて、東郷の目が軽く見開かれる。

 その名前は、友奈と一緒に銀に会った時に彼女の口から発せられた名前だった。銀や園子と同じ自分達の先代の勇者であり、バーテックスとの戦いで死に、大赦によって存在を抹消された存在。四人の中で唯一の男性の勇者であると同時に、氷室真由理が作り出した人間型のバーテックス、バーテックス・ヒューマン。……そして、三ノ輪銀の想い人。

 死んだはずの彼が、どうして今自分の目の前にいるのだろうか。

 すると、東郷の思考を察した志騎が苦笑を浮かべ、

「俺がここにいる理由は、悪いけど長くなるから後回しだ。あとで刑部姫にでも聞いてくれ。だけどまぁ……よく壁に穴を空けるなんて大それた事やったなぁ。俺達と一緒にいた時はお国を守るお国を守るって九官鳥のように言ってたお前は一体どこに行ったんだよ」

 四国を守る神樹の根の壁を見ながら、志騎が呆れたように言う。彼の口調は東郷を責めるような口ぶりではなく、それどころかまだ分別のついていない子供のした事に対する反応のようですらあった。

 すると彼の言葉で少し冷静さを取り戻したのか、東郷は陰のある表情を浮かべた。

「……そんなもの、もう意味がないって気づいたのよ」

「意味がないって、どうして」

「例えこの国を守ったとしても、友達を護れないようじゃ意味がない。いいえ、それどころかこの国を守るためにみんなは自分の体を犠牲にして、苦しんでいく……。そんなの私は耐え切れない。だから……」

「だから神樹を壊してこの世界を滅ぼす、か」

 東郷の言葉を継ぐと、志騎は髪の毛をくしゃくしゃと掻き、

「あのさ、東郷。誰かに言われただろうけど、お前自分が何やってるか分かってる? お前がやろうとしている事は極端な事を言えばバーテックスと同じだぞ。確かに大赦のやり方には納得できない所もあるけど、それでも四国にはたくさんの人達が生きてる。世界が滅んだら、その人達の命も全部消えるんだぞ。それを分かっててお前は世界を滅ぼすのか?」

 当然これに対する東郷の答えは決まっており、彼女は迷う事無く志騎の問いに答えた。

「……ええ、そうよ。分かってる。分かってるから、やらなければいけない。友奈ちゃんも、勇者部の皆も、もう誰も傷つけさせない。勇者という存在を呪われた運命から救い出すためには、こうしなければならないの」

「………そうか」

 東郷の言葉を聞いて志騎は一度目を瞑り、再度開くと東郷の顔を真正面から見据えてはっきりと告げた。

「でも、悪いな。だからと言ってお前のやる事を見過ごすわけにはいかないんだ。お前がもう友達を傷つけさせたくないって気持ちは十分に伝わってくる。だけど、お前に世界を壊させるわけにはいかない」

 すると、否定の言葉を告げられた事で東郷の表情に変化が起こる。顔をくしゃっと今にも泣きだしそうに歪めると、志騎に言った。

「どうして……どうしてですか? 私と友奈ちゃんは、三ノ輪さんから聞きました。大赦は自分達の都合であなたを作ったくせに、役目が終わったら処分しようとすらした。現にあなたが死んだと思われた時、大赦はあなたの存在を隠したと聞きました。人並みに生きる事すらできない上に、役目が終わったら道具のように捨てられる。そんなの……あなたが、あまりにも救われないじゃないですか!」

 東郷美森に天海志騎と友人だった時の記憶はない。

 でも、天海志騎の境遇を知った時、あまりにも報われないし救われないと思った。そんなの間違っているとすら思った。正体がどのようなものであれ、人を護るために一生懸命戦ってきたのだから、最後は誰もが羨むようなハッピーエンドを迎えなければ嘘ではないか。しかし大赦は、それすらも志騎に許しはしなかった。友奈や勇者部を犠牲にして、かつての友人達を傷つけ、少年の存在を使い捨てにしようとした大赦が東郷は心の底から許せなかった。だからこそ、彼女は神樹を破壊しようという行動に出た。

 なのに、

「それなのに、どうしてあなたは世界を守ろうとするんですか!? 大赦に道具のように使われて、大切な人達とも離れ離れになって! その人達からも忘れ去られて! どうしてそこまで戦おうとするんですか!? もう良いじゃないですか! あなたはたくさん戦ってきたんです! もう休んでも、救われても良いじゃないですか! なのに、あなたはどうしてそこまで戦うんですか!?」

 

 

 

 

 

「----それでも護ると決めたからだ」

 

 

 

 

 静かな、しかし確かな決意が込められた言葉に東郷は思わず言葉に詰まる。志騎は東郷の目をまっすぐ見据えて、さらに言葉を紡ぐ。

「確かに大赦は俺を道具のように扱おうとしたのかもしれない。俺の存在を消し去ろうとしたのかもしれない。でも、そんなの関係ない。例え俺の最期が報われないものであったとしても、最期まで兵器として扱われる事になったとしても、誰からも忘れられて孤独になったとしても、俺は最後まで人を護るために戦う。俺の体が作られたものであったとしても、その意志だけは間違いなく俺が抱いた俺自身のものだ。それを違えるわけにはいかないんだよ」

 それに、決めたのだ。

 自分がバーテックスである事を受け入れた時、バーテックスが犯した罪も奪った命の重さも全て背負って前に進むのだと。例えそれが血と罪にまみれた道であったとしても、それが報われないものであったとしても、人を護るために戦うのだと。

 仮に東郷が世界を滅ぼせば、確かに志騎もその苦しみと重圧から解放されるだろう。だが、それは自分が背負ったものを全て放り出して逃げ出す事に他ならない。それは今まで死んでいった人達の無念と悲しみを全て無駄にする上に、バーテックスの罪すらも無かった事にする行為だからだ。そんな事は決して許されるべき事ではない。

 だからこそ----親友とはいえ、東郷のやっている事を許容するわけにはいかなかった。

 バーテックスと戦う勇者として、多くの人々の命と未来を奪ってしまった化け物の同類として。

 東郷が志騎の迫力に圧されていると、二人のやり取りを見ていた銀が志騎の横に立つ。

「なぁ、須美。正直アタシもさ、もうこんな世界無くなった方が良いんじゃないかって思ってた。須美と園子を犠牲にして、勇者達を苦しめて、志騎を使い捨ての道具にする世界に価値なんてあるのかなって悩んでたんだ。……でも」

 チロリ、と銀は横にいる志騎を横目で見た。視力はもう無いようだが、それだけで彼がどのような表情で自分を見ているのか大体分かるらしい。銀は唇をぐっと噛み締めると、かつての親友を真正面から見つめる。

「志騎は、ずっとアタシ達を護るために戦ってくれてた。例えバーテックスになっても、自分が人間だった頃の記憶や人格を無くしても、こうして思い出してアタシの隣に帰ってきてくれた。……現金だよな、ちょっと前までこんな世界に価値なんてあるのかって思ってたのに、志騎が帰ってきた途端もしかしたら価値があるんじゃないかって思うんだから」

 へへ、と自嘲気味に笑いながら、

「……でも、志騎がこうして帰ってきてくれた以上、もうこの世界が無くなった方が良いなんて思えない。確かにこの世界は理不尽だし、苦しい事や悲しい事がたくさんあるけど、そんな世界でもボロボロになりながら志騎は守ろうとしてくれた。こんな世界でも守る価値があるって、生きていれば大切な誰かに会える事があるかもしれないって、志騎は自分で教えてくれたんだ。……だから、お前に協力する事はできない。ごめんな、須美」

 そう言って銀は悲しそうに頭を下げた。それに東郷は悲し気な表情をするも、首を横に振って、

「……あなたが謝る事は無いわ、三ノ輪さん。何があったかは分からないけど、あなたが大切な人に会えた事は喜ばしい事だもの。……でも、ごめんなさい。私はやらなければならないの。例え、あなたや天海さんが相手でも……」

 と東郷が言った瞬間、何故か銀が困ったような笑みを浮かべて、

「ああ、言っておくけど、アタシと志騎はお前と戦うつもりは無いぞ。な、志騎」

「………え?」

 それに思わず東郷が呆気に取られると、銀の言葉を継ぐように志騎が肩をすくめる。

「当然だろう。銀も俺も二年間お前と一緒じゃなかったからな。お前の悩みや苦しみ、悲しみに気づく事が出来なかった。おまけに俺はお前達の事を忘れてたわけだし、いくら壁の外で戦ってたからって、そんな俺にお前を止める権利なんてあるわけがないだろう」

「アタシも、志騎が帰ってきてくれた以上須美のやる事に協力するつもりはできないけど、だからと言って須美を止めるために戦うつもりは無いよ」

「じゃあ、どうしてあなた達はここに……? あなた達は私を止めるためにここに来たんじゃ……」

 すると、銀はふっと笑い、

「確かにアタシ達は須美を止めるためにここに来た。でも、止めるのはアタシと志騎じゃない。須美を止められるのは、二年間お前と一緒にいた奴だけ。そしてそんな奴は、この場じゃあたった一人だけだ。……なっ?」

 そう言って銀は頭上を見上げる。銀の言葉に東郷もはっと何かに気づいた表情を浮かべると、上空から志騎と銀の目の前に一人の少女が降り立ってきた。

 山桜を連想させる桜色の髪。

 両手を守り、それ自体が武器ともなる手甲。

 彼女は静かに佇みながら、決意を込めた声で言った。

「ごめんなさい、風先輩。銀ちゃん。遅刻しちゃいました」

 現れた人物の名前を、三人の会話を聞いていた風が涙交じりに呟いた。

「……友奈……」

 少女----友奈友奈の登場に銀が笑みを浮かべ、それとは対照的に東郷が悲しそうな目で彼女を見つめる。まるで、どうして来てしまったのと言うかのように。

 しかし、友奈がもうためらう事は無い。無二の親友を前にして、友奈ははっきりと告げた。

「もう迷わない。私が勇者部を、東郷さんを護る!」

 こうして、役者は揃った。

 先代勇者、三ノ輪銀。

 現勇者、東郷美森。

 先代勇者にしてバーテックス・ヒューマン、天海志騎。

 そして東郷と同じ現勇者であり『友奈』の名を持つ、結城友奈。

 それぞれの信念と想いを持った四人が集い、戦いは最終局面へと移ろうとしていた。

 




今の所次回で戦いに決着がつき、さらに次の回でエピローグという段取りの予定です。また少し時間がかかってしまうかもしれませんが、その時までもうしばらくお待ちください。


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第三十九話 ワタシを忘れないで

刑「今回で戦いは終わり、次の話で一応結城友奈の章は終わる。それから少しまた間を開けるかもしれないが、そうしたらついに最終章といった予定に今はなっている。ま、それはともかくとしてとりあえず今起こっている志騎と結城友奈達の話を楽しんでくれ」
刑「では戦いの終わりとなる第三十九話、ご覧あれ」


 大量の星屑とレオ・バーテックスが壁の中に入り込み、満開した東郷がまるでレオと星屑を誘導するように移動する。その前に立ち塞がるのは、友奈、志騎、銀の三人。

「東郷さん」

「友奈ちゃん……」

 不思議な気分だった。別れたのはついさっきのはずだったのに、会うのが久しぶりに感じられる。

 しかし二人の再会に水を差すようにレオ・バーテックスの体が左右に分かれ、左右に分かれた体の間から炎に包まれた星屑達が友奈に殺到する。

 が。

『サジタリウス!』

『サジタリウス・ゾディアック!』

 どこから音声が流れた直後、友奈に襲い掛かろうとしていた星屑達に大量の光の矢が突き刺さり、星屑達は瞬く間に光を上げながら消滅した。

「お前達の相手は俺だっての」

 そう言ったのは左手にボウガンを構えた志騎だった。オレンジ色だった彼の勇者装束は、今は水色に変色している。

 サジタリウス・ゾディアック。その特徴は無数の矢を発射する事ができるボウガンによる広範囲射撃と、弓矢を使用しての強力な遠距離射撃。無数の矢は多数の敵を一気に攻撃できる代わりに攻撃力がやや低いが、星屑程度の耐久力ならば簡単に倒せるようだ。

 志騎は立ち止まっている友奈を見て、声を張り上げる。

「結城友奈! 星屑とバーテックスは俺と銀がどうにかする! お前は東郷を止めろ!」

「はい!」

 彼の言葉に友奈は勢いよく頷きながら、東郷目掛けて跳躍する。

 正直、志騎が何者かは今来たばかりの友奈には分からない。だが、彼が自分なら東郷を止められると信じ、任せてくれているのだけは分かる。ならば、その期待に必ず応えてみせる。

 東郷目掛けて飛んでいく友奈を見ながら、志騎は横にいる銀に確認するように尋ねた。

「いけるな?」

「当たり前だろ」

 にっと銀が何年ぶりかに浮かべた力強い笑みに志騎はふっと笑みを返すと、二人は星屑の群れに突進していった。銀は周囲に斧を展開して迫る星屑を片っ端から切り刻み、志騎はサジタリウスの無数のボウガンで星屑達を蹴散らす。しかしいくら多数の敵を相手取るサジタリウスでも、これだけの数の星屑が相手だと骨が折れるようで、

「くそ、やっぱ数が多すぎるな」

「おまけに壁の外からどんどん湧いてくる! これじゃあ友奈の方に星屑が行っちゃうぞ!」

「ちっ、犬吠埼風と犬吠埼樹は何をしているんだ?」

 刑部姫が苛立ち交じりに舌打ちしながら風達がいるであろう方向を見ると、そこには制服姿の風がばたりと倒れ込むのが見えた。どうやら先ほどの東郷の攻撃で完全にスタミナが切れてしまったらしい。あの様子だと今すぐ戦うのは無理だろう。

「悪い知らせだ、志騎。しばらくお前達二人でどうにかするはめになりそうだ」

「はっ、上等だ。ここで親玉を潰せば良いだけの話だろ!」

『サジタリウス! ゾディアックストライク!』

 サジタリウスのアイコンを一度タップしてベルトにかざすと音声が高らかに鳴り、志騎の左手に巨大な弓が出現する。さらに右手に高密度の霊力で形成された矢が出現、その矢を弓につがえて炎を纏った星屑を生み出すレオに狙いを定める。

「----しっ!」

 そして右手を離すと矢が勢いよくはなたれ、途中で星屑達を何体も打ち砕きながらレオへと迫る。

 だが、その一撃は東郷の戦艦から放たれた霊力の砲撃によって進路を変更され、矢はレオには当たらずあらぬ方向へと飛んで行ってしまった。志騎がチっと舌打ちすると、友奈がまっすぐ東郷へと向かう。

「東郷さん!」

 しかし友奈が接近するのを防ぐように、東郷が自分の周りを飛んでいるビットを友奈に放つ。

「そいつが辿り着いたら、私達の世界が無くなっちゃう!」

「それで良いの。一緒に消えてしまおう……?」

 それに対する友奈の返答は簡潔だった。

「良くない!」

 そう言って友奈がレオに突撃しようと瞬間、レオから追尾式の火球が放たれ友奈に直撃する。

「うわぁっ!」

「友奈!」

 精霊バリアによって致命傷は避ける事が出来たが、攻撃によって友奈は東郷から再び距離を離されてしまう。その間にレオはさらに追尾式の火球と星屑の群体を放ち、志騎達を攻撃する。無論東郷の方にも星屑と火球が放たれているが、彼女は戦艦の砲撃を使って自分への攻撃を防ぎながらレオを神樹へと誘導しているようだった。志騎はどうにか無数の矢で星屑を蹴散らし火球を防いでいるが、サジタリウスは遠距離戦闘と多数の敵には強いものの近距離専用の武器が皆無という弱点がある。このまま責められれば、ジリ貧になってしまう。

「なら、こいつだ!」

『アインソフオウル・アインソフ・アイン!』

 画面のアイコンをタップし、目の前にリンドウを模した紋章と背後にセフィロトの樹を模した図形が出現する。そして素早くスマートフォンをドライバーにかざすと、二年ぶりに聞く音声がドライバーから発せられた。

『ユニゾンセフィロティック!』

『Evolution to Infinity! Sephirothic Form!』

『It's over the ultimate』

 十一のセフィラとリンドウの紋章が志騎と一体化し、勇者装束が白銀に変化。そして胸部のリンドウの紋章を囲むように十の円が円状に配置され、紋章から伸びる金色のラインが全身の部位へとまるで血管のように張り巡らされる。

 これこそが友奈達の『満開』に相当する志騎の姿であり、セフィロトの樹と一体化した姿、セフィロティックフォームだ。変身した直後、周囲の星屑達の動きが急速に停止し、志騎が右手を前に突き出してぎゅっと拳を握ると星屑達が圧縮、爆散し多色の光を上げながら消滅した。

「……言ったはずだぞ。これ以上お前達には、何も奪わせないってな!」

 バーテックスの罪を背負った志騎の、決意の言葉。

 それに彼の中のバーテックスの細胞が呼応し、更なる進化を遂げる。

 志騎の胸部の紋章が光り輝いたかと思うと、志騎の目の前に光が移動する。そしてみるみる光が膨れ上がり、次の瞬間ガラスが砕けるような音と共に光が砕け散り空中に一本の白銀の長剣が出現した。

 刀身の柄側の部分には志騎の胸部のものと同じ紋章が刻まれ、さらに鍔には折りたたまれた天使の翼の意匠が入っている。

 志騎が長剣を手にすると、紋章に配置された十の円の一つが赤く輝き、長剣が深紅の業火を刃に宿す。そして刃を星屑目掛けて振るうと業火が放たれ、空中にいた星屑達を一斉に焼き尽くした。しかし志騎の攻撃はそれだけにとどまらず、さらに十の円の別の一つが黒く輝くと、今度は志騎の周囲に彼の持つ長剣とまったく同じものがいくつも展開し、次の瞬間それらが一気に星屑へと向かい串刺しにする。それを彼の肩に乗って観察していた刑部姫は、思わず口元に笑みを浮かべた。

(……なるほどな。今までの志騎のセフィロティックフォームはいわば未完成。あの剣を持つ事で、初めて完成するってわけか……!)

 志騎が宿すセフィラは神の性質・属性を司ると同時に、それらに一体ずつ守護天使が存在する。

 メタトロン、ラツィエル、ザフキエル、ザドキエル、カマエル、ミカエル、ハニエル、ラファエル、ガブリエル、サンダルフォン。あの剣が志騎の体に宿るセフィラの力によって生み出された事、そして鍔の天使の翼の意匠から天使に関係する力を持っているのは想像に難くない。

 つまり、刑部姫が予想した通り今までの志騎のセフィロティックフォームは未完成体。天使の力を象徴するあの長剣、名称を付けるとすれば『セフィロティックセイバー』を手にする事で、その真価は発揮される。

 志騎が剣を振るうと剣の刀身が分裂して鞭のように変形し、近くにいた星屑達を切り刻む。

 そして元の剣の形状に戻すと、柄を力強く握って攻撃を仕掛けてくるレオ・バーテックス目掛けて突進する。迫りくる星屑達を切り伏せながら目の前まで接近し、その巨体に強力な斬撃をお見舞いする。

 志騎の一撃を食らったレオの巨体のほとんどが砂に還り、体の中から御霊が出てくる。

「クソっ! 浅い!」

「だが御霊が出た! こいつを壊せばお前の勝ちだ!」

「----駄目!」

 が、とどめを刺そうとする東郷が志騎に砲撃を放ち、予想外の攻撃に志騎は剣を盾にして防ぐが再びレオとの距離を離され落下していく。さらに星屑達もレオに攻撃を仕掛けようとする志騎を殺すために、わらわらと湧いてきて志騎に突進してくる。頼みの綱の銀も、この数を前に苦戦しているようだ。

「先にもう東郷美森を殺した方が良いんじゃないか!?」

「馬鹿言うな!」

 志騎の肩に必死に掴まりながら刑部姫が苛立ち交じりに怒鳴り、それに志騎も怒鳴り返す。落下しながらどうにか迫りくる星屑達を切り伏せていくが、そんな志騎に追い打ちをかけるように東郷が悲し気な瞳をしながら志騎に砲撃を仕掛けようとする。それに思わず、ギリ……と志騎が歯噛みした時。

「東郷さん!」

 満開し、左右に巨大な巨腕が追加された友奈は東郷目掛けて突進し巨腕の一撃を放つ。東郷は間一髪攻撃先を友奈に変更して砲撃し、友奈が攻撃を防御する。それによって志騎はどうにか東郷からの攻撃を受けずに済んだが、レオの御霊には大量の星屑が群がっている。うかうかしていたらすぐに再生してしまうだろう。

 共に満開した友奈と東郷は真正面から向き合うと、友奈が口を開く。

「……東郷さん。何も知らずに暮らしてる人達もいるんだよ。私達が諦めたらだめだよ! だってそれが」

「勇者だって言うの!?」

 友奈の言葉を遮るように、東郷が叫ぶ。それに思わず友奈が言葉に詰まると、東郷は今にも泣きだしてしまいそうな苦しい表情で、

「他の人なんて関係ない! 一番大切な友達を護れたいのだったら、勇者になんかなる意味がない! 頑張れないよ……!」

 東郷の言葉に息を呑む友奈の目の前で、レオから放たれた炎に包まれた星屑達が宙を舞う。壁の外からも星屑達が無数に入って来て、銀と志騎の二人がそれらを必死に迎撃している。今はまだ二人のおかげで戦況が保っているが、早く東郷と決着をつけなければいつ最悪の事態に発展しても不思議ではない。

「友奈ちゃん……あのままじっとしていれば良かったのに……。眠っていれば、それで何もかも済んだのに……。もう手遅れだよ……」

 直後、東郷の戦艦から巨大なレーザーが友奈目掛けて発射される。両腕を交差させてレーザーを防ぐ友奈に、東郷の諦観のこもった言葉がさらに続けられる。

「戦いは終わらない……。私達の生き地獄は終わらないの……!」

「東郷さん!」

 しかし迷いの消えた友奈の言葉が東郷に響き、東郷は思わずはっと目を開いた。レーザーに必死に耐えながら、友奈は親友に言葉を投げかける。

「地獄じゃないよ。だって、東郷さんと一緒だもん! どんなに辛くても、東郷さんは私が護る!」

「大切な気持ちや想いを忘れてしまうんだよ!? 大丈夫なわけないよ!」

 戦艦から再びレーザーが放たれ、友奈は今度はもろに攻撃を受けて樹海の根に叩きつけられてしまう。

「結城友奈!」

 星屑を倒していた志騎がそれに気づき、銀も志騎の声と今の爆音で友奈が東郷の攻撃を受けた事に気づいたのか、二人は急いで友奈の元に駆け付ける。レオの方は今はまだ再生中だし、どのみち東郷がレオを守っている以上、友奈が東郷を止めなければレオを仕留める事も出来ない。

 友奈は苦しそうに表情を歪めていたが、精霊バリアのおかげでそこまで大したダメージは負っていない。しかしそれでもすぐには立ち直れなさそうだった。

「友奈ちゃんや皆の事だって忘れてしまう……。それを仕方がないなんて割り切れない! 一番大切なものまで無くしてしまうくらいなら……」

 それに対し、ゆっくりと起き上がりながら友奈が力強く返す。

「忘れないよ!」

「どうしてそう言えるの!?」

 それに対して、友奈は何の迷いも、何のためらいもなく答えた。

「----私がそう思っているから。めっちゃくちゃ強く思っているから!」

 友奈の言葉に、東郷は表情をくしゃっと歪める。彼女の視線は友奈から、彼女の左右にいる志騎と銀に向けられた。かつての親友であり、自分が忘れてしまった親友達を。そして脳裏に浮かぶ、乃木園子の笑顔。東郷は涙をこぼしながら、言葉を絞り出す。

「私達も……きっと、そう思ってた……」

「須美……」

 彼女の表情に、銀は思わず悲し気な声を出す。実際、まだ自分達が満開の事も壁の外の真実も何も知らず戦っていた時、自分達は心の底からそう思っていた。自分達はずっと友達だと。この先何があっても、互いを忘れる事なんてありえないと。

 だが、二年前の戦いでそれらは呆気なく崩れた。鷲尾須美は二年間の記憶を全て失い、乃木園子は志騎に関する記憶を失い、天海志騎は戦いの中で自我と記憶を失った。志騎は記憶を取り戻す事ができたが、東郷と園子は未だ大切なものを失ったまま。しかも東郷に関しては、今こうしてかつて大切だった存在を前にしても、何も思い出す事が出来ない。それはどれだけ辛い事だろう。

「今はただ、悲しかったという事だけしか覚えていない……。自分の涙の意味が分からないの!!」

 彼女の悲しみを表すように、戦艦からの砲撃が辺りに乱射される。それは狙いも何もない無茶苦茶なものだったが、強力な威力を持つ乱射というものはそれだけでも十分に脅威だ。三人は一斉に散り攻撃をかわしていくが、東郷の悲しみは止まらない。

「嫌だよ! 怖いよ! きっと友奈ちゃんも、私の事を忘れてしまう! だから、こんな世界……!」

「----ふざけた事を言うな、須美!!」

 悲しみで辺り一面に攻撃をする東郷に叫んだのは、自らも攻撃を避けながら東郷から視線を外していない志騎だった。そんな彼の表情は、いつも彼と一緒にいた銀ですら見た事が無いほど怒りに染め上げられている。

「志騎……!?」

 彼の表情に思わず銀が目を見開いていると、彼は自分に迫りくるレーザーを能力を使用して別の方向に弾きながら、東郷に叫ぶ。

「確かにお前は二年間の記憶を全て忘れてしまった! だからお前がそうやって悲しむのは当然だし、何も忘れないなんて幻想で、友奈も勇者部やお前の事を忘れてしまうかもしれない!! だけど! それでも残るものは確かにあるってどうして分からない!!」

「何が残るって言うの? 大切な人の記憶も想いも失うというのに、一体何が残ると言うの!?」

 東郷が志騎に極太のレーザーを放つが、それに対する志騎の対応は目の前に長剣の切っ先を軽く突き出す事だった。刀身の紋章にある円の一つが白色に光り、目の前に純白のエネルギーで形成された盾が出現する。盾はいとも簡単に東郷のレーザーを防ぎきると、志騎は盾を消しながら静かに告げた。

「心だよ。例え記憶を失っても、誰かを大切に思っていた心は消えない」

「心……? そんな曖昧なものが、一体何の役に……!」

「じゃあ何でお前は、園子から渡されたリボンをずっと着けてたんだよ」

「……っ!」

 志騎の言葉に、東郷は思わず黙り込む。

 東郷は忘れてしまったが、志騎と銀は覚えている。あれは自分達四人が最後に戦った時に、園子が東郷に渡したものだったのだ。彼女の親愛の証であり、自分達はずっと友達だという事を証明する大切なもの。記憶を失っても、東郷はそれを肌身離さず着けていた。例え記憶は無くても、それがとても大切なものだという事を東郷が----正確には、彼女の心が覚えていたのだ。

「確かに大切な人の記憶も想いも全て忘れてしまうかもしれない。けど、その人の事を大切に思っていた感情は、その人を護りたいという意志はずっと心に残り続ける。何もかも忘れてしまうなんて事は無い。……現に俺だって、お前達の事は全て忘れちゃってたけど、四国を……そこに住む人を護りたいっていう心と意志は消えていなかった。だから銀の声を聞いて帰ってくる事ができたんだ」

 チラリと、どうにか東郷のレーザーを避け切って自分の横に着地した銀を横目に見る。それから再び東郷に視線を戻すと、

「そして、大切な人を護りたいという心があるから人はどこまで強くなれるって事を俺に教えてくれたのは、銀と園子、そしてお前だ。お前達がいなければ、俺はとっくの昔に理性も何もない、人を殺すだけの殺戮兵器に成り下がってた。人の心が持つ強さを、お前達は俺に教えてくれたんだ。そんなお前が、心を否定するな!!」

 その迫力に、東郷が思わず息を呑む。それによって戦艦から放たれていたレーザー攻撃も一旦止み、彼女に隙が生じる。そしてそれを、天海志騎は見逃さない。

「----結城友奈! 行け!」

 直後、東郷に接近する機会を伺っていた友奈が一気に東郷に接近する。はっとようやく友奈から気が逸れていた東郷がようやく気付き戦艦の砲台を友奈に向けようとするが、友奈は左右の巨大な巨腕で戦艦の砲撃を全て掴み上げると、巨腕に繋がっていた部分から自分の両腕を分離して一気に東郷に駆け寄る。

「東郷さん!」

 東郷が迎撃のためにビットを友奈に向けようとするが、近距離で友奈に適うはずもない。友奈は一気に東郷の懐に潜り込むと、拳を引いて東郷の左頬に強烈な右ストレートを放つ。掌に伝わる感触に友奈が歯を噛み締めながら拳を振りぬくと、東郷はその場に倒れた。倒れた彼女を優しく抱き上げると、優しくも力強い声で東郷に言う。

「忘れない」

「嘘……」

「嘘じゃない!」

「嘘……」

「嘘じゃない! 私の頭も心も、何も忘れない。勇者部の事も、東郷さんっていう大切な友達の事も、私の全部が覚えてる!」

 するとまるで氷が解けたように、東郷の両目から涙が溢れ出した。

「……ほんとう……?」

「うん。私はずっと一緒にいる。そうすれば、忘れない」

 嗚咽を漏らしながら、東郷は友奈の背中に手を伸ばし、

「友奈ちゃん……! 忘れたくないよ! 私を一人にしないで!!」

「うん」

 優しく返答しながら、友奈はゆっくりと東郷の頭を撫でる。和解し、抱き合う二人を見て志騎と銀がほっとした表情を浮かべ、その場にわずかに弛緩した雰囲気が漂い始めたその時。

 凄まじい熱波が四人の体を襲い、四人は熱波が来た方向に視線を向ける。

 そこには。

「何……?」

「太陽……?」

 目の前に現れたそれに友奈と東郷が呟く。

 突如四人の目の前に現れたそれは、東郷の言う通り太陽としか言いようが無かった。今まで相対してきたバーテックスが小さく見えてしまうほど巨大な、炎を纏った星。現れた太陽を見て、志騎が呟く。

「これまさか……レオの御霊か?」

「御霊……って事は、バーテックス!? 原型留めてないじゃん!」

 志騎の言葉に銀が悲鳴じみた声を上げると、志騎の肩に乗っていた刑部姫が苦々し気な表情を浮かべながら、

「恐らくバーテックスの体を作り上げて攻撃するよりも、星屑を全て集めてこのまま突撃する事を選んだんだろう。確かにこのサイズが相手だと、正直止めるのは不可能に近い……!」

 そして刑部姫の言葉を証明するように、太陽が神樹目掛けて動き出す。それもゆっくりとした動きなどではなく、先ほどレオが志騎達目掛けて放っていた火球ほどの速度だ。何も手を打たなければ、神樹はすぐに破壊されて終わりだ。

「私……何て事……」

「東郷さんのせいじゃない! あいつを止める!」

「はい……!」

 そして二人は太陽目掛けて高速で移動し始める。高速で飛び去って行く二人を見て、銀が志騎に言った。

「志騎! あたし達も!」

「分かってる! 俺の背中に乗れ! その方が早く……」

「----いや、大丈夫だ」

 え? と志騎が声を上げた次の瞬間、志騎の目の前で橙色の巨大な花が出現し、銀の姿が変わる。

 彼女の姿は友奈や東郷のように荘厳なものになり、爪にあたる部分が全て斧の刃となっている四足獣のような乗り物。それを見て、志騎は思わず絶句した。

「----馬鹿! お前なんで満開した!? また何か失うぞ!!」

 彼女の今の姿は、間違いなく彼女が満開した姿だった。となると彼女は巨大な力を得るが、その代わり体の機能をまた一つ失う事になる。すると、銀は何故かニッと笑みを浮かべて、

「大丈夫だよ。須美がこの世界を守るって決めたんだ。だったら親友のアタシも一肌脱がないと駄目だろ?」

「だけど……」

 さらに志騎が何か言おうとするが、銀は志騎を柔らかい眼差しで見つめて、

「……それに、例え体の機能や記憶を失っても大丈夫だよ。今のアタシには、お前がいる。お前がいれば、アタシのいる場所がどんな所だって地獄じゃない。だから……大丈夫」

「----」

 銀から向けられる信頼と愛情に銀は思わず黙り込むが、すぐに髪の毛をくしゃくしゃと掻くと叫んだ。

「……ああもう! さっさと行って終わらせるぞ!」

「ああ!」

 銀が力強く応えると、二人は友奈と東郷の後を追って太陽へと高速で飛行する。友奈と東郷、少し遅れて志騎と銀が太陽の前に回り込むと、友奈は巨腕、友奈の戦艦、志騎のセフィロティックセイバー、銀の四足獣というそれぞれの武器で太陽を止めようとする。

「「止まれぇええええええええええええええええええええっ!!」」

 友奈と銀が叫び、志騎は自身のセフィロティックフォームの力を全開にして太陽を押しとどめようとする。

 が、

「ぐ、う……!」

「止まら、ない……!」

「クソが、大きさと質量が桁違いすぎる!」

 四人の総力にも関わらず、太陽はまったく止まらなかった。セフィロティックフォームの力を限界まで使う志騎の両手の指が切り裂け、血が溢れる。並大抵の攻撃ならば届かないはずの空間操作の力が通じていないという事実が、目の前の太陽がどれほど規格外であるかを表していた。

 しかしここで四人が諦めるわけにはいかない。もしも諦めてしまえば、それは世界の終わりと同義だ。

「絶対に、諦めな……い……」

 だが、四人の中で先に限界が来たのは友奈だった。彼女の全身から力が抜け、通常の勇者装束となった彼女はゆっくりと樹海に落下していく。

「友奈ちゃん!」

 東郷が叫ぶが、友奈の落下が止まる事は無い。志騎も能力を友奈に回せるほど余裕がない。

 そして友奈の変身が空中で解除され、友奈は樹海の地面へと着地した。

「こんな……ところで……!」

 荒く息をつきながら友奈はどうにか体を起こそうとするが、そこで自分の体のある異常に気づきはっとした表情を浮かべる。

 両足が、動かない。何故なのかはもう分かり切っている。しかし今重要なのは両足を奪われた事よりも、移動ができないという事だ。これでは東郷達と一緒に神樹を守る事が出来ない。

 一方、東郷、銀、志騎の三人は全力で太陽を押しとどめようとしていた。が、三人の全身全霊の力でも太陽を止める事が出来ない。太陽をどうにか押しとどめようとする銀が志騎に叫ぶ。

「志騎!! 何か良い手は無いのか!?」

「無いわけじゃない! だけど、正直手が足りない!」

 志騎の言った通り、奥の手が無いわけではない。だがそれを実行するためには人手が足りない。せめて

あと一人か二人、勇者がいれば……。歯を食いしばりながら志騎がそう思った瞬間。

「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 勢いよく声を上げながら、二人の勇者----満開した風と樹が太陽に突進した。そのおかげで太陽の速度が、ほんの少しではあるが遅くなる。

「樹ちゃん……!」

 東郷が自分の右隣の樹に視線を向けると、返事のつもりなのか彼女は笑みを東郷に向けた。

「ごめん! 大事な時に!」

 さらに東郷の左隣に風が並び立ち、東郷に謝罪する。東郷は表情をくしゃっと泣きそうに歪めると、

「風先輩……私……」

 東郷の言葉に風は東郷の顔を見ると、優しく告げた。

「おかえり、東郷」

「………っ! うぅ……」

 先ほどの事などまったく気にしていない風の笑顔と言葉に、東郷は改めて自分のした事に押しつぶされそうになりながらも、どうにかその心を奮い立たせる。彼女達に謝りたい気持ちも泣きたい気持ちもあるが、今はそんな事をしている場合ではない。

「行くよー! 押し返す!」

 直後、三人の目の前に巨大な光の結界が形成され、太陽の速度がさらにゆっくりとなる。 

 が、

「このぉおおおおおおおおおおおおっ……!」

 それでも太陽は止まらなかった。速度がゆっくりとなったとは言っても、それはあくまでも焼け石に水に過ぎない。このままの状態では、太陽が神樹を破壊するのは時間の問題だ。

「く……五人でも……」

 しかし、忘れてはならない。

 讃州中学勇者部には。

 頼りになる、五人目の勇者がいる事を!

「そこかぁあああああああああああああっ!!」

 上空から勇者に変身した夏凜が飛んできて、手にした二刀で太陽に切りつける。

「夏凜!?」

「勇者部を、舐めるなぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 さらに満開をし、力がさらに増大する。友奈以外の勇者部が全員揃ったのを確認し、風は全員に号令をかける。

「よぉおおおおおしっ! 勇者部ぅうううう……!」

「「ファイトぉおおおおおおおおおおおおっ!!」」

 四人の力が集い、巨大な花弁状の結界を形成。ついに太陽の動きが停止する。

「志騎っ!!」

「ああっ!!」

 ようやく停止した太陽を確認して銀が志騎に呼び掛け、志騎は太陽から離れるとセフィロティックセイバーを握りしめる。剣の十の円が全て光り輝き、十の天使の力が結集する。

 そして両足の機能を奪われた友奈はどうにか起き上がると、ギリリ……と奥歯を強く噛みしめて太陽を睨みつける。

「ぐ……うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 友奈の体の周りに術式が展開すると、スマートフォンを使っていないというのに彼女の体の左右に満開時に現れた巨腕が出現、さらに空中に飛び上がると彼女の姿が満開時の姿に変わる。

「私は! 讃州中学勇者部!」

 満開し、拳を振りかぶる友奈に、勇者部と銀の声が響く。

「友奈!」

「……っ!!」

「友奈!」

「友奈!」

「友奈ちゃん!」

「勇者! 結城友奈ぁあああああああああああっ!!」

 友奈の拳と太陽がぶつかり合い、辺りに激しい炎と熱風が吹き荒れる。当然友奈の拳もただでは巨腕が壊れていき、無理な変身のせいか勇者装束がボロボロと崩れていく。

「----フィニッシュだ!!」

 そこに加わる、七人目の勇者の声。志騎は紋章が光り輝く剣を持ちながら左手にスマートフォンを持つと、アイコンをタッチしてドライバーにかざす。

『マキシマムセフィロティックストライク!!』

 剣に十のセフィラと天使の力が集結して巨大な光の刃を帯び、鍔の天使の翼が勢いよく開く。志騎は柄を力強く握ると、太陽に勢いよく叩きつけた。

「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 十の守護天使とセフィラの力が宿った斬撃は、まさにこの世の理そのものを斬る必殺の一撃。 

 友奈の全身全霊が込められた拳と志騎の斬撃を受けて、原形を留めていられる存在などこの世にない。

 結果、太陽は見事に切断され中心にある御霊が露になった。

「行っけぇええええええええええええええええええええええええっ!!」

 最後の力で志騎は友奈の周りの空間を操作すると、彼女の体がまるで弾丸のように御霊に飛ばされる。巨腕が砕け、勇者の変身が解除されても、友奈の勢いは止まらない。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 志騎の力によって飛ばされた勢いのまま友奈の右手が、今まで隠されていた御霊に触れた。

 瞬間、志騎によって切り裂かれた太陽が光り輝き、巨大な爆発を起こした。神樹の目の前で爆発したものの、幸いその爆発が神樹に届く事は無く、バーテックスが消滅した時に生じる多色の光が天へと昇っていく。

 そして爆発が止み、静寂が戻った樹海に志騎は倒れていた。彼の反対側に銀が倒れており、上から見るとまるで頭頂部をそのまま合わせて倒れているように見える。二人共変身が解除され、ボロボロになった神樹の制服姿と病院の寝巻着の姿に戻っている。志騎は真っ白な空をぼんやりと見ながら、銀に言った。

「……終わったのか?」

「たぶん……」

 先ほど満開したとはいえ、どうやら失ったのは声の機能ではないらしい。その代わり別の何かを奪われているのだろうが、今は生き残った事を喜ぶべきだろう。折角二年ぶりに会えたというのに死に別れするというのは、あまりにも笑えない結末すぎる。

「友奈達も、大丈夫かな……」

「大丈夫、だろ……。ああ、少し疲れた……」

 ようやく自我を取り戻せたと思ったら星屑・レオとの連戦だ。二年間戦い続けていた志騎もかなり応えた事だろう。現実世界に戻ったら、ゆっくりと休みたい。

「そうだな……帰ったら寝まくろう……。ああ、そうだ。志騎……」

「何だよ」

 顔は見えなかったが、銀は笑ったようだった。彼女は笑みを浮かべたまま、志騎に言った。

「お疲れ。あと……おかえり」

「……ああ。ただいま」

 それに志騎も口元にうっすらと笑みを浮かべながら、銀に返す。

 こうして、神世紀300年最大の戦いは、幕を閉じたのだった。

 

 

 

 




 今回志騎のセフィロティックフォームがやや苦戦気味でしたが、この結城友奈の章はあくまでも結城友奈が主人公であるため、志騎の活躍は少し抑え気味にしました。また、セフィロティックフォームはあくまでも万能が特徴のフォームのため、純粋な戦闘能力ではキリングフォームの方が上という事情もあります。それとちょっとした小話になってしまいますが、セフィラは十一あるのにどうして紋章の円形が十しかないかというと、十一番目のセフィラであるダァトは志騎のリンドウの紋章と一体化しているためです。
 さて、今回の話で戦いは終わり、次の話で結城友奈の章は終わりとなります。それが終わったら刑部姫が言った通り、最終章となる『天海志騎は勇者である -勇者の章-』に入る予定になっています。それまでまた時間がかかってしまうかもしれませんが、その時までどうかお待ちください。
 それと、新しいイラストノベルである『結城友奈は勇者である 勇者史外典』がついに11月30日に発売されますね。自分も今から楽しみで、発売日に早速買いに行きたいと思います。


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第四十話 約束が導く場所

刑「さて、この話が結城友奈の章最後の話となる。ぜひ楽しんでくれ」


「……よし。今日の検診はこれで終了だ。病室に戻って良いぞ」

 病院の検査室でパイプ椅子に座る志騎に、パソコンのモニターを眺めていた刑部姫が言った。カチカチとマウスを操作する刑部姫に、志騎が尋ねる。

「なぁ、刑部姫。俺は一体いつまで入院生活をすれば良いんだ? 異常はもう無いんだろ?」

 先の戦いの後、二年間戦い続けた志騎は讃州市内の病院へと入院する事になった。バーテックスの細胞の力で外傷などはすぐに治るものの、二年間戦い続けた負荷がどこかに現れていないかなどを確認するためだ。検査をするのは当然人間の医師ではなく、志騎を作り出した張本人にして彼の体を誰よりも知り尽くしている刑部姫が担当している。志騎の質問に、刑部姫はチロリと志騎の顔を見て、

「異常はもうないと断言できるまでだ。分かっているだろう? お前は二年間星屑やバーテックスと戦い続けていたんだ。どこに不具合が生じていても不思議じゃない。少なくとも日常生活がもうできると判断できるまで、お前はずっと入院生活だ」

「それは分かってるけどさ……」

 さすがに一日中ベッドの上で寝転がっているというもいい加減飽きてきた。まぁさすがに二年間自分と同じような生活を過ごしてきた園子と銀の目の前で言う事はできないが、この病院に入院してから三週間は経つ。もうそろそろ退院させてほしいというのが本心だった。すると志騎が何を考えているか分かっているのか、刑部姫は頭をくしゃくしゃと掻いて、

「まぁ、検査はあらかた終わったしな。あと少し検査をして何も異常が無ければ退院できるだろう。それまでの辛抱だ」

「そうかい。それは良い事を聞いたよ」

 肩をすくめながら志騎は立ち上がると、検査室から出ようとする。しかし扉の前で止まると刑部姫に振り向く。

「そうだ、刑部姫。あいつ、意識は戻ったのか?」

 すると刑部姫はかすかに眉間にしわを寄せると、首を横に振った。

「いや、まだだ。私も色々と調べているが原因は分からない。御霊に触れた事が原因である事だけは分かるが、具体的に何が起こってああなっているのかは謎のままだ」

「そうか……。あとで見舞いに行くか」

「ああ、行ってやれ。お前なら何か分かるかもしれないしな」

 同じバーテックスのお前なら。そんな言葉が聞こえてきそうだったが、それを否定するつもりはない。真由理や大赦には分からなくても、バーテックスと同じ自分だからこそ分かる事があるのかもしれないのだから。

 検査室を出た志騎は廊下を歩きながら、窓ガラス越しに外の風景を見る。

 こうして見ると、平和な風景だと思う。

 が、だからと言って勇者達の戦いが夢物語だったわけではない。

 自分達とバーテックスの戦いは大規模なものとなり、それは大きな山火事となって現れた。幸い死傷者は出なかったものの、それでも現実世界に大きな爪痕を残している。星屑やバーテックスの侵攻も止まってはいるが、外の世界は今も化け物が蠢く赤い世界のままだろう。

 だが、悪い事ばかりではない。

 この前刑部姫から聞いたのだが、勇者達の満開によって奪われた体の機能が少しずつ返ってきているらしい。本当に少しずつだが、彼女達の体の機能が全て元通りになるのも時間の問題だろう、というのが刑部姫の見解だった。何故体の機能が返ってきたのかは分からないが、もしかしたら先の戦いの勇者達の力を、神樹が認めてくれたのかもしれない。その理由が真実かどうかは分からないが、少なくとも喜ぶべき事だと思う。

 窓の外を眺めていた志騎が再び歩き出そうとすると、背後から彼に声がかけられた。

「志騎!」

 その声に、志騎はため息をつくと後ろを振りむく。

 後ろに立っていたのは一人の少女だった。まだ戻ってきた足の機能に慣れていないのか松葉杖を両手に持ち、左目を眼帯で覆っている。少し伸びた髪の毛はまとめられていないせいで印象が自分の記憶の中の少女と印象が少し違うが、この二年間で変わってしまった雰囲気は少し前のものに戻っている。彼女の顔を呆れた表情で見ながら、志騎が言った。

「お前さ、またあっちの病院抜け出してきたのか? 刑部姫に小言言われるぞ」

「あいつからの小言なんて気にしてないよ。良いじゃん別にお前に会うぐらいさ」

 少女――――銀はそう言って、えへへと笑った。

 勇者達に体の機能が戻ってくるのと同時に、銀の体の機能も少しずつ戻ってきた。今は右目の視力と左耳の聴力、内臓のいくつかの機能、そして両足の機能が少し戻っている。

 大赦の方も銀の処遇について考えを改めているらしく、立場自体は以前と変わらないが、今はこうしてあの気が狂いそうな病室から出歩く事を許されている。とは言っても本来は彼女がいた病院でリハビリを行わなくてはならないのだが、たまにこうして大赦の神官の手を借りて志騎が入院している病院に来る事があった。志騎としてはゆっくりと入院していて欲しいのだが、ようやく外の世界に出る事を許可された事もあるので、さすがの志騎も銀に強く言えなかった。

「それより志騎、お前の方も大丈夫か? 入院してから検査続きって聞いて、アタシ心配でさ……わぁっ!」

「銀っ!」

 松葉杖を使って志騎に向かって歩み寄ろうとした銀が、彼の目の前で体勢を崩して転びそうになる。間一髪志騎が銀に駆け寄って彼女の体を抱きかかえ、二本の松葉杖が乾いた音を立てて転がった。

「大丈夫か?」

 志騎が銀に尋ねるが、何故か彼女からの返答は来ない。彼女の顔を見ると、彼女は何故か顔を赤らめながらも少し嬉しそうな表情を浮かべていた。

「どうした?」

「いや、志騎の体、温かいなぁって思ってさ」

「……ったく、何言ってんだよ。それより気をつけろよな。お前まだ体治りきってないんだから」

 呆れたように笑いながら、志騎は銀の髪の毛をくしゃくしゃと撫でてやる。ペットの犬に対するような扱いに銀はやめろよなーと言葉だけ反抗しているが、どうやら満更ではないよう志騎のなすがままにされている。

 それから二人は病院の廊下に設置されている椅子に並んで座ると、志騎が銀に尋ねた。

「園子の様子は聞いたか?」

「ああ。アタシの体も大分治って来て、大赦の神官も色々と話してくれるようになったよ。園子の方はまだ体は治ってないようだけど、アタシ達の体が治ってきている以上、園子の体もじきに戻ってくると思いますってさ! そうしたら、きっとお前についての記憶も戻るよ」

「……そうだな。そしたら、東郷の記憶も戻るだろうな」

 体の機能が戻ってくるという事は、彼女達が失ってしまった四人の時の記憶も戻ってくる可能性が高い。園子が志騎に関する記憶を取り戻し、東郷が鷲尾須美だった時の記憶を取り戻せば、自分達四人はまた集まる事ができる。そうすれば、この二年間でバラバラになってしまった絆をまた結びなおす事ができる。そう考えるだけで、志騎と銀は自然と笑顔になれた。

「だけど園子の事だから、俺を忘れてた事めちゃくちゃ引きずるだろうな……」

「それは確かに……。今から何かフォローの言葉考えとくか」

「それはお前が頼む。俺だと下手したら傷口に塩を塗り込みかねないし」

「お前の場合、刑部姫と違って悪気が無いのがさらにタチが悪いもんな」

「それはそうかもしれないけど、さすがに言い過ぎだろそれは」

 志騎が半眼で銀を睨むと、彼女は冗談だよと言いながら笑った。それから自然と二人は無言になり、銀の笑い声も静かになっていく。しばらく二人が無言でいると、銀がポツリと志騎に尋ねた。

「……あの子、目覚めてないんだってな」

「みたいだな」

 銀の言葉に、志騎は静かに返す。銀が言うあの子、というのが誰かは志騎も分かっている。

「折角戦いが終わったのに、どうしてあの子だけが……」

「分からない。だから後で見舞いに行ってくる。バーテックスの俺なら、何か分かるかもしれないしな」

「そうだな。お前ならできるかも……いや、できるだろうな」

 断言するような銀の発言に、志騎は眉をひそめながら、

「簡単に言い切ってるけど、根拠は一体何だよ。もしかしたら、俺でもできないかもしれないぞ」

 すると銀はずいっと志騎の目の前に顔を寄せて、彼の目をまっすぐ見える。志騎の瞳に、銀の顔が写り込んだ。

「だって、志騎は今までだって信じられないような事をしてきただろ? バーテックスの洗脳だって自分で解いたし、二年間一人で戦い続けてたし、……それにこうして、アタシの前に帰ってきてくれた。こんなにとんでもない事ばっかりやってきた幼馴染を信じるのは、当たり前だろ?」

 ニッと笑う銀に志騎は目をぱちくりして彼女の顔を凝視するが、すぐにふっと笑みを浮かべた。彼女はそれら全てが志騎一人でやってきた事だと思っているようだが、それは違う。自分がバーテックスの洗脳を解く事が出来たのも、こうして帰ってくる事が出来たのも、目の前の少女がいてくれたからだ。正直、自分なんかよりも目の前の少女の方がその何倍もすごいという事に、彼女自身は気付いていない。

 それがおかしくて、志騎は思わず笑みを浮かべたままクックックと笑い声を上げてしまう。と、銀はきょとんとした表情を浮かべて、

「何だよ、志騎。刑部姫みたいな笑い声上げて。もしかしてアタシ、何か変な事言ったか?」

「いや、別に。それと銀、頼むから刑部姫みたいな笑い声って言うのは本当にやめてくれ。割とショックだから」

 そう言うと、銀もその気持ちは分かるのかそれもそうだなと言ってから、志騎につられるように笑った。そしてスマートフォンを取り出すと現在の時刻を確認し、

「と、そろそろあっちの病院に戻らないとヤバいな。じゃあ志騎、アタシは帰るよ。また今度話そうな」

「ああ。分かってる」

 二人は立ち上がると、互いに向き合って言葉を交わす。それから銀は志騎の目を見て、こう言った。

「……志騎。あの子の事、よろしくな。アタシもう、須美が悲しむ姿なんて見たくないんだ」

「分かってる。できる限りのことはするよ」

「ああ、信じてる」

 全幅の信頼がこもった言葉を言うと、銀はまたね! と笑顔で言いながら志騎に背を向けて廊下を歩いて行った。志騎は少しの間銀の後ろ姿を眺めていたが、やがてその方向に背を向けるとある人物がいる病室に歩き出す。銀の信頼に応えるために、東郷美森という親友を悲しませないためにも、今自分ができる事をしなければならない。

 やがて志騎はある病室の前に辿り着くと、コンコンコンとノックを三回する。しかしどうやら見舞いの人間等はいないらしく、ノックや返事は返ってこなかった。志騎がスライド式の扉を開けて中に入ると、病室は個室となっており、ベッドの上には一人の少女が座っている。が、志騎が入ってきたにも関わらず少女は志騎に目を向ける事すらせず、ただ窓の外をぼうっと眺めている。とは言っても、眺めているのはあくまでそう見えているだけで、彼女の目は何も映していないのだが。志騎はベッドの横まで来ると、少女……結城友奈の顔を見る。目の前の少女は刑部姫から聞いた話によると、とても明るい性格の少女だったらしい。その少女が、今やまるで人形のようになってしまっていた。

 戦いの後、勇者達には満開で失った機能が徐々に戻りつつあった。しかし結城友奈だけは御霊に触れたせいか、こうして目は開いてはいるが意識が戻っていない状態になっている。刑部姫が何回か検診したが意識が無い以外は全て異常なしという結果で、流石の刑部姫もお手上げの状態との事だった。

 なお、友奈が病院に入院してから勇者部の面々が何回か見舞いに来ているようだが、それでも友奈は何の反応も見せないらしい。以前見舞いに来た勇者部を隠れて見た事があったが、全員不安そうな面持ちをしていた。

 それもそうだろう、と思う。刑部姫から聞いた限りでは、結城友奈は勇者部の中心人物とも言える存在だ。その彼女がこんな状態に陥っては、勇者部の面々も不安で仕方ないに決まっている。そして誰よりもそれを感じているのは、二年間友奈と一緒だった東郷だろう。

 彼女達は原因も分からず、不安の中友奈の帰りを待っている。

 正直、自分に何ができるかは分からない。だけど、自分には彼女達にはないバーテックスの力がある。多くの人達の命と幸せを奪った、化け物の力が。

 それでも、その力で彼女達を――――友奈を助ける事ができるのならば。

「……使わない手は無いよな」

 そう呟くと志騎は目を細めて、バーテックスの能力を発動する。左目に青い幾何学模様が現れるが、志騎の身体能力が上がったり五感が鋭くなったりはしない。当然だ。今志騎は、あるものを見るために能力を発動したのだから。

 志騎がそれに気づいたのは、入院してからすぐの事だった。

 ある日ふと暇つぶしにバーテックスの能力を発動して視力を強化して、窓ガラス越しの風景を見ていた時、病院内の敷地を歩く人の中に、何やら小さな灯のようなものが見えた。色はどれも半透明で、志騎は最初それが何なのか分からなかったが、ある日健康体の人物と入院している病人とでは灯の大きさが違う事に気づいた。

 それで志騎はある事に気づいた。あの半透明の灯は、人の魂なのではないかと。

 それから志騎は何回か他の人にばれないようにバーテックスの能力を発動した結果、自分が立てた仮説が正しい事に気づいた。ある時病気で亡くなった老人と、老人が亡くなった事に悲しみ涙を流す遺族をわずかに開いた病室の扉から覗き見た事があったのだが、遺族にはその灯火はあったが老人には無かった。それこそが灯火がその人物の魂である事を示す、何よりの証拠だった。

 そして普通の人間と勇者では魂の色が違うらしい。前に勇者部の面々もバーテックスの能力を発動して見たのだが、東郷の魂の色は青、風の色は黄色、三好夏凜の色は赤、樹の色は黄緑と色がついていた。どうやら普通の人間の魂には色がつかず、勇者の魂の色には色がつくらしい。ちなみに志騎は鏡に自分を映して自分の魂の色も見たのだが、自分の場合は純白だった。

 これはあくまでも自分の予想に過ぎないが、星屑やバーテックスはこの能力を使って襲う人間や勇者に狙いを定めていたのではないだろうか。バーテックスには目や耳などの感覚器官はない。何らかの手段で周りの風景を音を得ている可能性はあるが、それに加えてこの魂の灯火を見る能力で、例え目には見えなくても人がいるかどうかを把握している可能性はある。実際に志騎自身も目を閉じた状態でバーテックスの能力を発動したが、例え風景は目に入ってこなくても灯火のイメージと位置だけははっきりと脳内に浮かんできたので、その可能性は高かった。

 だが今はそのような事を考えている場合ではない。志騎は能力を発動したまま、友奈の体を見る。普通ならば胸の辺りに、その人物の魂の灯火が見えるはずだ。

 が、目に映る光景に志騎は険しい表情を浮かべると能力の発動を止め、左目から青色の幾何学模様が消える。それから志騎はため息をつくと、友奈に背を向けて病室から出て行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「魂が無い?」

 翌日、志騎の病室で報告を聞いた刑部姫が目を見開く。ベッドの上に座りながら、志騎はああと頷き、

「普通の人間なら見えるはずの灯火が結城友奈には無かった。動いたり喋ったりしないのも当然だ。そもそも魂が無いんだから」

 志騎の言葉に、刑部姫はふむと唸ると、

「奴がもう死んでいるという可能性は?」

「それは無い……と思う。肉体的には異常はないんだろ?」

「ああ。心臓は正常に動いているし、脳も無事だ。肉体的には生きている。……まぁ、その肉体の方が何奇妙と言えば奇妙なんだが……」

 刑部姫が口の中で小さくブツブツと呟いているが、気にせずに志騎が話を続ける。

「となると、まだ死んでないと思う。たぶんあの時御霊に触れた事で、魂がここじゃないどこかに行ったんだ。だから心臓も脳も動いているのに、何の反応も無い」

「とすると、魂はまだ精神で繋がっている可能性があるな。本当に魂が肉体から抜け出ているなら肉体はとっくに死んでいるはずだ。志騎、お前のその魂を見る能力でどうにかならないのか? というか、お前がそんな能力を持っているなんて私も初めて知ったぞ」

 やや不満げな刑部姫に、志騎は肩をすくめながら、

「俺もこの前初めて気づいたんだ、しょうがないだろ。それに魂を追跡する事自体はできるけど、結城友奈の場合は無理だ。痕跡も何もない」

「魂を追跡する事は出来る? なるほど、バーテックスや星屑が逃げた人間の後を正確に追う事ができるのもそのおかげか……? っと、興味深いがそれについて考えるのは今度だな。今は結城友奈の魂を見つけ出さなければ……」

「何か方法はないのか?」

 志騎が尋ねると、刑部姫が顎に手を当てて、

「ないわけじゃない。……正直、可能性は低いがな」

「ないよりはマシだろう。その方法って、何だ?」

 志騎の問いに、刑部姫は簡潔に答えた。

魂呼(たまよび)だ」

「たまよび……ってなんだ?」

「読んで字のごとく、死者の魂をこの世に呼び戻す儀式の事だ。お前の話から考えると、結城友奈は死んだわけじゃなく魂がここにないだけだ。とすると、縁のある奴ら……勇者部の奴らが結城友奈に呼びかけ続ければ、精神を伝って魂が肉体に戻ってくる可能性は十分にある」

「でも、呼びかけなら何回も須美達がやってるだろ。どうして戻らないんだ?」

 志騎自身としても早く友奈に戻ってきて欲しいと思っているが、勇者部の面々が友奈の見舞いにたびたび訪れているにも関わらず、彼女の魂は一向に戻らない。すると刑部姫はふぅとため息をつきながら、

「これはあくまでも私の予測に過ぎないが……。結城友奈の魂は恐らく今いる場所とは文字通り次元の違う場所にあるんだろう。となると、いくら東郷美森達が声をかけたとしても中々声が届かない可能性があるし、そもそもその場所から出るのが難しい状況に陥っているのかもしれん。魂と肉体が精神で繋がっていられるのは、正直不幸中の幸いだ。魂と肉体が完全に分離したら、結城友奈の肉体は完全に死に、魂も囚われたままになる」

「……そんな事、させてたまるかよ」

 ようやく戦いが終わり、友奈も東郷のそばにずっといると約束したのに、もう会えないなんてそんなの残酷すぎる。志騎はぎゅっと拳を握りながら、刑部姫に尋ねる。

「その場所がどこか分からないか?」

「無茶を言うな……と言いたいところだが、ある程度の予測をつける事はできる」

「どこだ?」

 志騎の問いかけに、刑部姫はやれやれと言いたそうに肩をすくめてから場所を口にする。

「戦いの最後、結城友奈はバーテックスの御霊に触れただろう? 御霊はバーテックスの核だが、その核と奴らの本拠地となる場所を繋ぐ糸のようなものがあるんじゃないかと私は推測している。そう考えれば天の神がお前の存在を知った事も、結城友奈の魂が肉体を離れた理由にも説明がつく。バーテックスはまがりなりにも『天の使い』であり、人よりも高位の存在だ。結城友奈が生身の状態で御霊に触れた事で、魂が糸を伝ってその場所に行ってしまったのかもしれない」

「って事はその場所は、壁の外の世界?」

 志騎の脳裏に星屑が跋扈する赤い炎の世界の光景がちらつくが、刑部姫をそれを否定するように首を横にふるふると振り、

「いや、今も言ったがその世界は恐らくこことは別の次元にある。壁の外から行く事はできるかもしれないが、肝心の行く方法が分からん。探そうにも手がかりはまったく無し、探すぐらいなら魂呼をした方がまだ建設的だろう。ま、方法としては一パーセントの確率が五パーセントに上がるぐらいだろうが……どうした?」

 志騎が何かを考え込んでいる事に気づき、刑部姫が声をかける。すると声を掛けられたことに気づいた志騎が刑部姫の方を向き、

「いや、何でもない。それよりありがとな、色々と興味深い話が聞けた。となると今は、須美達が結城友奈の名前を呼び続ける事が一番有力な方法か……」

「ああ。ま、砂場の中から米粒一粒を探し出す事ぐらい大変な事だが、あいつらならそんな事意にも介さずにやり続けるだろう」

 そう言うと刑部姫はパイプ椅子から立ち上がった。どうやら大赦にあるという自分の研究室に帰るようだ。

「私の方も何か良い手段がないか調べておく。結城友奈の魂が戻らないというのは、大赦にとっても不都合だからな」

「分かった。俺の方も何か考えておくよ」

「そうか。ま、病み上がりなんだしあまり無茶はするなよ。じゃあな」

 そう言うと刑部姫は花びらと共に、病室から姿を消した。病室に一人残された志騎はしばらく刑部姫が消えた空中を眺めていたが、やがてベッドに背中をもたれかけさせると両手を頭の後ろで組みながら、天井を見上げる。

「……まぁ、一つだけ方法があると言えばあるんだけど……」

 それは先ほど、刑部姫の話を聞いていた時に浮かび上がった考えだ。

 とは言っても、それが本当に上手くいくかは分からない。肉体から離れてしまったという結城友奈の魂に会える確証はないし、そもそも成功するかも分からない。

 だが。

「………」

 志騎は無言で立ち上がると、病室を出て廊下の窓ガラスから中庭が見える場所まで歩き、中庭を見る。

 そこには、車椅子に座る友奈と、彼女の横で何かの台本を持っている東郷の姿が見えた。友奈の意識は戻っておらず、東郷の方はどうやら台本に書かれている文章を友奈に読み聞かせているようだった。

 志騎は知っている。

 友奈が入院してから、勇者部の面々が学校の放課後に何回も彼女の元に見舞いに来ている事に。

 例え言葉が届かないと分かっていても、東郷が何回も友奈に話を聞かせている事を。

 例え不安に苛まれても、彼女達全員が友奈が帰ってくると信じて待っている事を。

 志騎は結城友奈がどういう人物なのか分からない。そもそも初めて会ったばかりの人間なので、それも当然だ。でも彼女が勇者部にとって、東郷美森から大切な人物だというのはもう分かり切っている。

 親友が大切に思っている人間が帰らず、そのせいで親友達が困っている。

 ならば。

「何もしないって言うのは、嘘だよな」

 そう呟くと志騎は自分の病室に戻り、ベッドに座る。そしてゆっくりと目を閉じて、静かに自分の内面へと意識を集中させながらバーテックスの力を発動する。

(……刑部姫は御霊には糸のようなものでバーテックスを生み出した場所と繋がっているんじゃないかって言ってた。でもそれは恐らく、正確じゃない。糸が繋がっているのは恐らくバーテックスの御霊だけじゃなくて、星屑にも繋がってる。とすると、バーテックスの俺にもその糸がある可能性はある……!)

 それで自分が操られないのは、恐らく自分が唯一天の神ではなく氷室真由理が作り出した人間型のバーテックスからだろう。糸はあるかもしれないが、そもそも天の神の力が及ばない可能性はあるし、氷室真由理が志騎の細胞に何らかの操作をして、内側からの天の神の干渉を防いでいる可能性がある。

 目を瞑った志騎の意識に、自分の純白の魂のイメージが浮かび上がる。と、その魂から一本の糸のようなものを感じる事が出来た。ビンゴだ。

 とは言っても、その糸は本当に薄く、今にも切れてしまいそうだった。しかしきっとそのおかげで志騎は今まで内部からの天の神の干渉を受けずに済んだのだろう。二年前に自分はバーテックスの本能に呑まれかけたが、あれは外部からの干渉だったからに違いない。

(とすると、あとは簡単だ。逆らわず、この糸を伝って行けば良い。結城友奈が御霊に触れた事で魂がこの糸を伝って別の場所に行ったなら、俺の魂もこの糸を伝って行けば同じ場所に辿り着く可能性はある!)

 とは言っても、運よく結城友奈の魂を見つけ出せたとしてもこの場所に戻ってこれるかは分からない。

 だが、今はリスクを考えているような状況ではない。一刻も早く、彼女の魂をあるべき所に帰さなければならない。志騎が糸にさらに意識を集中させると、魂が糸を伝ってここではないどこかへと向かい、それにより結城友奈と同じように魂が肉体から乖離する。

 そして志騎の魂は意識を伴って、糸を伝って別の次元の世界へと旅立って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、その頃。

(……ここは、どこ? 今の私は……何?)

 肉体を離れた結城友奈の魂は、刑部姫の予測した通り彼女達の世界とは別の次元を漂っていた。

 草も木も水も何もない、友奈の魂以外何も存在しない無の世界。友奈の魂は一人で膝を抱えながら、宙を漂っていた。

 友奈が膝を抱えて宙を漂っていると、どこからか声が友奈に届いた。

『――――戻ったらきっと、覚えてないだろうけど……』

「……声。どこから?」

 そう言いながら友奈が辺りを見回すが、声の主らしき人物はどこにも見えない。いや、そもそも友奈一人しかいないはずのこの次元に声が聞こえる事自体がおかしかった。

『……あなたは消滅するはずだったんだ。神樹様は、あなたの体を蘇生してくれた。しかしそれはかなり無理な蘇生だった。御霊に触れてしまった影響で精神が目覚めず、貴女は今ここにいるのだろう』

「……私はどうすれば元の体に、皆の所に戻れるんですか?」

 しかし、返答はなかった。友奈はその人物を捜そうと宙を泳ぐが、やはり人っ子一人見えない。友奈は再び膝を両手で抱えると、元の世界の勇者部の面々と大切な親友に思いを馳せる。

 すると、どこからか一羽の鳥が友奈の所に飛んできた。生物など存在しないこの世界に、だ。 

 自分の目の前に飛んできた鳥を見て、友奈は思わず呟く。

「……カラス……」

 友奈の目の前に飛んできたのは一羽のカラスだったが、一般的な黒いカラスとは違いそのカラスは青色をしていた。胸には勇者のものと同じ、花の紋章がある。青いカラスは光り輝くと、人型の光を形成した。

「……あなたは?」

 友奈が尋ねた直後、人型の光から友奈に向けて声が発せられた。

『初めまして、未来の勇者よ。私は乃木若葉。西暦2019年、いや、新世紀元年において勇者のお役目を担っている者。何十年、もしかしたら何百年も先の貴女に、未来の希望を託した者だ』

 新世紀元年、という言葉に友奈は目を見開く。それはつまり、目の前の人物は今から約三百年ほど前の人物という事だ。

 それだけではない。乃木、という苗字には聞き覚えがあった。自分と親友に真実を話してくれた勇者、乃木園子の苗字と同じだ。となると、目の前の少女は乃木園子の先祖なのかもしれない。だが何故三百年ほど前にいたはずのそのような人物が、自分の前にいるのだろうか?

 もしもこの場に刑部姫がいれば、そのカラスが個人の言葉を記憶し、再生する能力を持った精霊だという事に気づくだろう。しかし刑部姫はこの場にはいなく、当然友奈もそのような事を知らない。困惑する友奈を前にして、記録された音声がさらに言葉を紡ぐ。

『バーテックスが出現した日、私達は多くのものを奪われた。それを取り返すために、私達は強大な敵に立ち向かい、戦った。一番初めは白鳥歌野と藤森水都。その次が私達。高嶋友奈、郡千景、土居球子、伊予島杏、上里ひなた。乃木若葉。神世紀元年の今、四国は戦いから免れているが、この声を聞いている貴女の時代に至るまで、バーテックスとどれほどの戦いが起こるのか、何人の勇者が生まれるのか、私には分からない。だが、全ての勇者達が時に恐怖して、悩んで、苦しんで、まもりたいもののために戦っていくのだろうと信じている』

 実際、目の前の人物の言葉は的を得ていた。

 友奈も、東郷も、風も、樹も、夏凜も、園子も、銀も、そして志騎も。それぞれが戦いの中で明かされる真実に悩み苦しみながら、それでも大切なものを護るために傷つき、戦ってきた。詳細は分からないが、きっと三百年前の勇者達もそうだったのだろう。

『私達の代の勇者は白鳥歌野からバトンを引き継いだ。そのバトンは、いずれ次の代に渡される。そして次の次の代へ。次の次の次の代へ。次の次の次の次の代へ。何代でも、何度でも、どれほどの時間が経とうと……引き継いでいかれるだろうと私は思う』

 そこで友奈は、ある事に気づいた。

 目の前の人物の光が徐々におさまって輪郭がはっきりしていくと同時に、彼女の後ろに何人もの人影が立っているのが分かったのだ。もしかしたら彼女達が、先ほど若葉が口にしていた三百年前の勇者なのかもしれない。

『そのバトンの名は「勇気」である。別名を「希望」と言う。「願い」とも言う。今の私は未来の貴女に対し、何もしてやる事ができない。せいぜい、こうして声をかける事しかできない。けれど、信じて欲しい。貴女の後ろには、バトンを引き継いできたたくさんの人達がいる。見回して欲しい。貴女の隣には、今まで貴女が一緒に過ごしてきた友達や家族がいる。貴女は決して一人ではない事を知って欲しい。多分今のあなたはとても苦しんでいると思う。痛いこと。悲しいこと。絶望すること。がんばってがんばって、それでも耐えられないくらいつらいことがあったのだろう。だからこそ私の言葉が届いているはずだ』

 ……実際、そうだった。

 本当に、結城友奈という少女は頑張ってきた。

 例え怖くても、例えどれだけ傷ついても、頑張って頑張って、世界と大切な人達を護ろうとしてきた。

 その結果、こんな世界に一人でいる事になってしまったとしても。

 若葉の話を静かに聞いている友奈に、さらに声が続く。

『そんな貴女に私が言いたい言葉は、「もっと戦え」でも、「もっとがんばれ」でもない』

 そしてついに、目の前の少女の姿が明らかになった。

 桔梗を連想させる青と白が混交された勇者装束に、凛々しい顔立ちの少女。少女――――若葉は友奈の顔をまっすぐ見て、告げた。

『生きろ。ただ生きてくれ。大切な人がいるなら、その人の事を思い起こしてほしい。貴女が生きる事を諦めたら、その人が悲しむ事を思い出して欲しい。私は多くの大切な友達を失った。貴女の大切な人に、私と同じ思いをさせないでやってくれ。貴女の大切な人……、その人の所に必ず戻ってあげてくれ』

 その言葉を最後にして、若葉と背後にいた数人の影は消えて、青いカラスの姿も無くなっていた。

「大切な人……」

 友奈の脳裏に浮かぶのは、勇者部の面々の顔。

 夏凜、風、樹、そして自分の親友である東郷。

(みんなに会いたい………。戻りたい……)

 そう思いながら、どこか出口は無いかと再び虚空を泳ぐ。

 しかし、目印も何もないこの空間では本当に前に進んでいるのかも分からない。先ほどの若葉の言葉を思い出しながら、友奈は立ち止まって唇を噛む。

(悲しませたくない……。だけど、あの人はああ言ってくれたけど、この世界がどこまで続いているかも分からない。どうすれば私……)

 友奈が再び両膝を抱えてしゃがみ込もうとした瞬間。

 友奈の目の前で、バチバチバチ!! という電気が弾けるような音と共に白い光が躍った。

「………っ!?」

 驚きで目を剥く友奈の前で光はさらに大きくなり、やがて――――。

「――――はぁっ!!」

 両腕を大きく広げて、目の前に何かが現れた。

 いや、何かではない。友奈は目の前のそれを一度見た事がある。

 それは。

「アンノウン……!?」

 以前自分達勇者部と戦った未知のバーテックス、アンノウンだった。

 しかし以前戦った時とは違い、今の自分のように体のあちこちが幽体のようになっている。突然現れたアンノウンに驚きながらも、友奈は戦闘態勢に入る。

 どうしてアンノウンがここにいるのかは分からない。だが、バーテックスが目の前にいるのならば戦闘は避けられない。そう考えて、友奈は緊張しながらもアンノウンに鋭い視線を送る。

 が、アンノウン本人は辺りを見回してから、友奈に視線をやったかと思うと、

「ふぅ、どうやら成功したみたいだな。結城友奈、だよな?」

 流暢に日本語を喋って、友奈を唖然とさせた。一方、アンノウンの方は友奈がそのような反応を見せる理由が分からないようで、少し首を傾げながら、

「……おい、どうした?」

「……バ」

「バ?」

「――――バーテックスが喋ったぁああああああああああああああああああああああああ!?」

 今までのバーテックスとはあまりに違い過ぎる反応に、友奈は思わず絶叫した。しかしバーテックスは怪訝な声で、

「はぁ? 何言ってるんだお前……って本当だ、いつの間にかこんな姿になってる。魂だけだとこんな風になんのか俺……」

 自分の両手や体をジロジロと見てバーテックスがどこか落ち込んだように呟いた。以前戦った時とは違って人間臭い反応を見せるアンノウンに友奈はまだ戸惑っていたが、アンノウンの方はすぐに気を取り直して友奈に言う。

「まぁいいや。俺が誰かは今は後回しにするとして、早くここから出るぞ。勇者部の連中とす……東郷が、お前を待ってる」

「東郷さん達が……?」

 この前は命を懸けて戦っていたというのに、何故か友奈はアンノウンは嘘をついていないとすんなりと信じる事が出来た。理由は自分でもよく分からないが、アンノウンはそんな人(?)ではないという直感があった。だからアンノウンの言った通り、東郷達が待っているという言葉も受け入れる事ができた。

 アンノウンはすっと友奈に近寄ると、

「ああ。何よりも東郷は、今もお前の名前を呼んでお前が帰るのを待ってる。今は聞こえないかもしれないけど、よく耳を澄ませて聞いてみろ。そしたら聞こえるはずだ。お前の名前を呼ぶ声が」

「東郷さんの……」

 友奈が呟くと、アンノウンは黙り込んだ。いや、違う。黙り込んだのではなく、今言った通り耳を澄まして聞くために会えた口を閉じたのだ。それに倣って友奈も口を閉じる。

 何もない空間に静寂が満ちて、呼吸音すら聞こえなくなる。しかし静寂に怯える事なく、二人はじっと耳を澄ませ続ける。

 しばらく二人がそうしていた時。

『勇者は傷ついても傷ついても、決して諦めませんでした』

「……東郷さん……!」

 どこから東郷の声が、二人の耳に届いた。友奈が辺りを見回そうとするが、アンノウンが友奈の肩を掴んで自分の口の前に人差し指を立てる。それに友奈が慌てて口を両手で塞ぐと、さらに東郷の声が聞こえてくる。

『全ての人が諦めてしまったら、それこそこの世が、闇に閉ざされてしまうからです。勇者は自分が挫けない事が、みんなを励ますのだと信じていました。そんな勇者を馬鹿にするものもいましたが、勇者は明るく笑っていました。意味がない事だというものもいました。……それでも勇者はへこたれませんでした』

 懐かしい友の声に、友奈の胸の中で帰りたいという気持ちがむくむくと大きくなる。そんな友奈の顔を、アンノウンは何も言わず黙って見つめている。

『みんなが次々と魔王に屈し、気が付けば勇者はひとりぼっちでした。勇者が一人ぼっちであることを、誰も知りませんでした。ひとりぼっちになっても、それでも勇者は……』

 と、それまで滑らかだった東郷の言葉が不意に止まった。それからすぐに朗読が再開されるが、どこかその声は震えているように友奈とアンノウンには感じられた。

『……それでも勇者は、戦う事を諦めませんでした。諦めない限り、希望が終わる事はないから……です……。何を失っても……!』

 震えていた声にさらに感情がこめられていき、最後の辺りにはもう嗚咽が混じっている。

『それでも……』

 そして、ついに。

 今までこらえられていた東郷の感情が、爆発した。

『それでも私は……、一番大切な友達を失いたくない……!!』

「東郷さん!」

 友奈がついに声を上げるが、その声が東郷に届く事は無い。無情な事実を告げられる友奈に、さらに東郷の悲しみの声が響き渡る。

『いやだ……いやだよ……寂しくても、辛くても、ずっと、私と一緒にいてくれるって、言ったじゃない!! うあああ……うあああああああああああああああああああああっ!!』

 二人しかいない世界に、東郷の泣き声だけが響く。すると、アンノウンが不意に友奈に言った。

「……友奈。俺もさ、つい最近大切な人を泣かせちゃったんだよ」

「……そう、なんだ」

 うん、とアンノウンは頷いて、

「その人のそばにいる事が出来なくて、二年間そいつを一人ぼっちにさせて、泣かせた。我ながら酷い事をしたって思ってる。……なぁ友奈。お前は約束したんだろ? 大切な人のそばに……東郷のそばにずっといるって。だったら、その約束は守らないと駄目だろ。俺が言える事じゃないけど……大切な人を、泣かせちゃ駄目だ」

 気が付けば、アンノウンの姿がいつの間に変わっていた。

 友奈と同じように幽体なのは変わらないが、体の大部分が少年の姿になっており、体や顔の一部分が変わらずに異形のままとなっている。一見してみるとちぐはぐな姿に見えるが、恐らくそれが目の前のバーテックスの本質なのだろう。人の姿と異形(バーテックス)の姿を持ち、怪物の力を持ちながらもそれを人のために行使する者。それがアンノウン――――天海志騎という少年なのだ。

「……うん、そうだ。私、約束したんだ。大切な友達と約束したんだ……!」

 東郷は自分が護ると。絶対に忘れないと。ずっと一緒にいると約束した。

「勇者は泣いている友達を放ってなんかいられない。絶対に、帰るんだ!!」

 友奈の力強い言葉の直後。

 二人の頭上を、青いカラスが舞った。カラスが頭上を通り過ぎていくと、何もなかったはずの空間の果てに光が見えた。誰に教えられなくても、志騎と友奈は直感する事が出来た。あれが出口だと。

「ほら、早く行け。勇者部の所へ、そしてお前の大切な親友の所に」

 アンノウンが友奈の背中を押すと、友奈は困惑した表情をアンノウンに向けて、

「待って! あなたは……!」

「俺は別のルートから帰る。お前を連れてだと無理だったけど、俺一人なら問題ない。さぁ、分かったら早く帰れ。あっちの世界で、また会おう」

 友奈は一瞬迷った表情を見せていたが、すぐに迷いを消すとこくりと頷いて、

「うん! またね! ……ありがとう!」

 そう言って友奈は右手をぶんぶんと振ると、光の方へと去っていった。志騎はそれを見届けると、何もない世界を見回してから呟く。

「……それにしても、ここがバーテックスと繋がってたとはな。本当、何もない世界だ……」

 こんな寂し気な世界で一体誰が住んでいるのやら、と志騎は口には出さず心の中で呟く。興味が全くないわけではないが、もうこの世界に用はない。友奈は見つけ出せたし、帰り道も見つけた。あとはこの世界から出るだけだ。

 出る方法は来た時と同じだ。魂はここにあるが、糸は魂を失った肉体を繋がっている。糸を伝って、肉体に帰ればいい。無駄に逆らわず流れに身を任せればそれだけで帰れる。

 志騎が目を瞑って意識を集中させると共に体から力を抜くと、幽体が淡く輝き薄くなっていく。もうしばらくしたら、この世界から姿を消す事ができるだろう。

 そしてついに志騎の姿が世界からこの世界から消え去ろうとした瞬間、

「……?」

 突然、後ろから視線を感じた。

 しかしそれはあり得ないはずだ。この世界には本来何もおらず、今いるのは自分だけだ。友奈はついさっき脱出したし、もうここに誰もいるはずがない。なのに何故、背後から視線を感じるのだろうか。

 志騎が思わず後ろを振り向くと同時に、目の前にいる存在に目を見開く。

「―――――」

 目の前にいたのは、純白のワンピースを着た、白い長髪に赤い瞳をした少女だった。純白の髪の毛はサラサラで、血のように赤い瞳は何も感じさせない無感情。見た目は氷室真由理にも負けてない美しさなのに、何故か見ているだけで志騎の背筋に寒気が走った。

 少女は志騎を見ながら、にっこりと笑みを浮かべる。が、その笑顔は友好的なものでは決してない。悪意も何もこもっていないのに、何故か少女の笑顔は志騎に恐怖を抱かせた。こいつはヤバいと、志騎の脳が警報を発している。

「お、前は……」

 だが志騎が尋ねる前に。

 志騎の幽体はこの世界から消え、彼の志騎は香川の病院のベッドの上へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「………」

 体に意識が戻った志騎は病院の天井を見上げながら、先ほどの少女の姿を思い出す。

「なんだったんだ、一体……」

 額に流れる汗を拭いながら、志騎は呟く。今まで星屑やバーテックスと戦ってきた志騎だったが、あれほど危険を感じたのは初めてだったのだ。勇者になってから……いや、生まれて初めてかもしれない。そもそもの話、あのような場所にいたあの少女は一体何者だったのだろうか。目的は達したというのに、志騎の胸には気味の悪い疑問が残っていた。

「と、そうだ……」

 あの少女の事は気になるが、今は後回しだ。それよりも確認しなければならない事がある。

 志騎はベッドから立ち上がって中庭が見える窓ガラスの辺りまで向かうと、ガラス越しに中庭を見る。

 志騎があの世界に行くまでは、車椅子に座る友奈に東郷が何かの台本を朗読していた。

 だが、今では。

 二人の少女が涙を流しながら、互いの手を握って再会を喜んでいた。

「………は」

 それを見た志騎の口から、安堵の息が漏れる。

 友奈は帰ってきたのだ。

 東郷の約束を果たすために。大切な親友をこれ以上、泣かさないために。

 分からない事はあるし、これから先何かが起こるかもしれない。

 でも、それでも。

 今の志騎からするとそれら全てがどうでも良くなるぐらい、今の中庭の光景は喜ばしいものだった。

 

 

 

 

 

「ほぉん。なるほど、そうだったのか」

 数日後、志騎から事の顛末を聞いた刑部姫が、パイプ椅子に座りベッドの横の小さな机の上に置かれている皿から、くし形に切られたいくつもあるリンゴの内一つをつまみながら言った。ちなみに、りんごを切ったのは志騎ではなく刑部姫である。志騎も皿からリンゴを一つつまみながら、ああと相槌を打って、

「最初はどうなるかと思ったけど、友奈がきちんとこっちに帰ってこられて良かったよ。友奈はこれからどうなるんだ?」

「検査をしたが、満開によって味覚と両足が戻っていない以外はとりあえず異常なし。数日したら退院できる。しばらくは車いす生活になるだろうが、他の勇者同様味覚と両足の機能も戻るだろう」

「友奈以外はもう、治ってるんだっけ?」

「ああ。東郷美森の記憶も流石に二年間一気に、というわけではないが戻り始めている。恐らくお前達についてはもう思い出しているだろう」

「そっか……。それなら良かったかな」

 志騎が安心したようにベッドに背中を預けると、りんごを飲み込みながら刑部姫が言った。

「しかし、流石だな志騎。まさか結城友奈を見事にこの世界に呼び戻すとは」

 と刑部姫が言うと志騎はぽかんと刑部姫の顔を見てから、何故かおかしそうに笑い、

「違うよ、刑部姫」

「ん?」

「俺はあいつを見つけただけで、あいつには何もしてない。それに、仮に俺がどんなに手を尽くしたとしても、友奈自身の意志が弱ければ戻ってくる事は出来なかった。友奈がこっちに戻ってこれたのは、あいつの意志が強かったからだ。友奈はあいつ自身の強い意志で、東郷の隣に帰ってきたんだよ」

 あの時の友奈の強い意志を目の当たりにした志騎の言葉に、刑部姫は新しいリンゴを口に放り込んでシャリシャリと食べながら、

「意志……か。なるほど、確かにそれなら納得がいくな。しかしそれだけ聞くとただの根性論なのに、どうしてお前が言うと説得力があるんだろうな?」

「知るかよ」

 笑いながら志騎もさらにリンゴを一つ取り、口に放り込む。

 実は志騎は、刑部姫には唯一話していない事があった。

 それは別の次元の世界で出会った、あの謎の少女についてだった。

 きっと刑部姫に話せば、少女について全力で調べてくれるだろう。だが、仮に彼女が全力で調べたとしても、きっと彼女の事は何も分からないという確信が何故か志騎にはあった。刑部姫――――氷室真由理が神世紀最高の天才だという事は分かっているが、それでも彼女には少女の正体に辿り着く事は出来ない。それこそ、人である限り。そんな確信が、志騎にはあった。

 まぁ、それがどうしてかは志騎自身にも分からないが、きっと志騎にしか分からない事なのだろう。あの時の少女の笑顔が、何故かそう確信させた。

 そんな事を考えているとはまったく知らない刑部姫が、ふと何かを思い出して志騎に言った。

「そうだ、志騎。もうしばらく先の話になるが、讃州中学校の文化祭があるが息抜きに行ってきたらどうだ? さすがにお前も病院にこもりっぱなしは暇だろう?」

 そう言われ、志騎はそろそろ中学や高校だと文化祭の季節である事を思い出すと同時に、東郷が手にしていた台本の正体に気づいた。恐らくあれは文化祭での劇の台本か何かだったのだろう。

「それ、いつ?」

「ああ、確か……」

 聞かれた刑部姫がスマートフォンを手にして、讃州中学校の文化祭の日付を確認して志騎に話す。するとその日がいつか聞いた志騎はすぐに首を横に振った。

「その日は予約がある。どうしても外せない」

「ほう、そんなにか。何があるんだ?」

 刑部姫としてもどうしても知りたいわけではなく、一応知っておくか程度だったのだろう。志騎はふっと口元に柔らかい笑みを浮かべながら告げた。

「……大切な友達との、再会かな」

 

 

 

 

 

 

 その日、乃木園子は大橋近くの公園で海を眺めていた。勇者部の面々に満開で失った機能が返ってきていたように、園子の体にも満開で失われた機能が徐々に返ってきている。体からは包帯が取れて、今まで隠されていた彼女の姿が露になっていた。

「……わっしー」

 目の前に横たわる美しい海を眺めながら、園子は親友の名前を口にする。満開で二年間の記憶を失ってしまった友人。彼女はもう、記憶を取り戻しただろうか。もしもそうなら、とても喜ばしい事だと思う。ひと段落ついたら、また彼女に会いたい。

「……ミノさん」

 口にしたのは、彼女の三人目の親友の名前。たくさん満開をして、自分と同じように動けない体になってしまった彼女。神官から話を聞いたのだが、彼女も徐々に体の機能が回復してきたらしい。今はまだ会えないが、時が経てばもう一人の親友と同じように彼女と会う事ができる。

 そして、最後の一人。自分が忘れてしまっていた、大切な四人目の親友。 

 園子は不安で手を震わせながらも、その名前を口にした。

「……あまみん」

 天海志騎。園子の四人目の友達にして、勇者。四人の中で唯一の男子。体はバーテックスだけれども、他の誰かを思いやる事の出来る人間の心を持つ存在。

 自分達は四人は、ずっと一緒だった。三人の事が、園子は大好きだった。三人の事をずっと忘れないと思っていた。三人の内の一人、鷲尾須美に忘れ去られた時は正直悲しかったが、それでも自分だけは彼女達を忘れないと思っていた。

 なのに、忘れていた。

 大切な友達の事を、忘れていた。

「……わっしーも、こんな気持ちだったのかなぁ……」

 目の奥からこみ上げる熱い何かをこらえながら、園子は呟く。

 大切な友達を忘れるのもも辛いが、忘れ去られるのも辛い。自分はそれを知っていたはずだ。それなのに自分は、彼の存在を忘れていた。例え何が起こっても、自分だけは三人の事を忘れないと誓っていたはずなのに。

 そして園子が海を眺めながら悲しみに沈んでいた時、背後から二人の少年少女の声が聞こえてきた。

「……なぁ、銀。本当にここなのか?」

「うん。園子の神官の人に聞いたら、ここに来てるって聞いたから……。あ、いた! おーい、園子!!」

 自分の背中にかけられた声に園子は自分の体が震えるのを感じながらも、振り向けずにいた。

 だって、どんな顔をして会えば良いか分からない。銀に会えるのは嬉しいし、もう一人の少年に会えるのだって本音を言えば嬉しい。だけど、もう一人の少年の事を自分は忘れていた。それなのに、彼にどの面下げて言葉を掛ければ――――。

 しかし、そんな園子の意志に反して彼女の体はもう動いていた。やめて、と言い聞かせても体は言う事を聞かない。それほどまでに、彼女は大切な友人に会いたかったのだ。

 園子が振り返ると、少し離れた所に車椅子に座りながら笑顔でぶんぶんと右手を振る少女と車椅子を押す水色がかった白髪の少年の姿が見えた。

 二人の姿を目にして、ついに園子はこらえきれなくなった。

 両目から涙を流しながら、まだ自由が利かない体で二人に駆け寄る。

「ミノさん! あまみん!」

 が、やはり無理だったのか園子の体が途中でよろける。慌てて銀が車椅子から立ち上がると、どうにか園子の体を抱きかかえて彼女が地面に倒れるのを防ぐ。二人に志騎が駆け寄ると、二人の体をそっと優しく支えた。二人の手のぬくもりを感じながら、園子は涙を流ししゃくりあげる。銀は園子を抱きしめながら頭を撫でて、

「よしよし。園子、大丈夫か?」

「う゛ん……。ねぇミノさん、夢じゃないよね?」

「あったり前だろ? ほら、どうだ? 夢じゃないだろー?」

 むにー、と園子の頬を軽く伸ばしながら銀が明るく言う。とは言っても力はほとんど入ってないに等しいので痛くも何ともない。ただ、頬を引っ張られる感触と銀の手から伝わってくる温かさが、今自分がいる瞬間が夢ではない事を園子に感じさせる。園子はもう一度しゃくりあげ、次に志騎の顔を見ると再び涙が溢れ出し、

「あまみん……ごめんね……忘れちゃって、ごめんね……!」

「お前のせいじゃない。だから、気にするな」

 そう言って志騎は園子の背中を軽くポンポンと叩く。二人の温かさと言葉に、園子はしばらくその場で泣き続けた。

 やがて園子が少し落ち着くのを確認すると、三人は公園に備え付けられているベンチに座った。空は快晴で、風が緩やかに三人の頬を撫でる。銀はうーんと伸びをしてから、園子に尋ねた。

「じゃあ園子の体の機能も、ほとんど戻って来てるんだ?」

「うん。少しリハビリが必要かもしれないけど、すぐに前と同じように動けると思うんだ~。そうしたら、乃木園子完全復活だぜぇ~」

 ビュッビュッと元気のアピールのつもりなのか、軽く前方にジャブを突き出す園子に志騎と銀が思わず苦笑する。ついさっきまで泣いていたが、ようやく調子が戻ってきたようだ。この分なら、リハビリを終える頃には文字通り完全復活を遂げるに違いない。と、ようやく明るい笑顔を取り戻したはずの園子の顔が、再び曇った。

「あまみん、本当にごめんね」

「なんだ、まだ気にしてたのか」

「だって私、わっしーの事もミノさんの事も、あまみんの事も忘れないって決めてたんだよ。それなのに、あっさりとあまみんの事を忘れちゃって……」

 志騎に気にしなくて良いとは言われたが、園子は四人の中でも一際友達を大切に思う心が強い。そんな彼女だからこそ、志騎の存在を忘れていた事に気を病んでいる。今はまだ会えていないが、三人の事を忘れてしまっていた東郷同様に。

 志騎はふぅと息をつくと、

「別にお前が謝る事じゃないよ。俺だってバーテックスになってたとはいえ、お前達の事を忘れてたんだ。つまり、お互いさまって事だ。だから、お前がこれ以上謝る必要なんてないんだ。……それに」

 一度言葉を区切ると、志騎は口元に笑みを浮かべて、

「仮に東郷がお前と同じ事を言っても、お前は気にしないだろう?」

 それに園子はぱちくりと瞬きすると、「……うん」とゆっくりと頷いた。

「だろ? お前が俺の事を忘れたのはお前のせいじゃない。だからお前はもう自分を責めなくて良いんだよ。お前が自分を許せないって言うなら、俺は何回だってお前は悪くないって言う。だって俺達、親友だろ?」

 園子の顔を見て志騎が言うと、園子はしばらくきょとんとした表情を浮かべていたが、再び「……うん」と頷いて笑った。ようやく笑顔になった園子に志騎と銀が顔を見合わせて笑うが、そんな二人に園子がこんな事を言った。

「そう言えば、あまみんはどうして私達の記憶が戻ったの?」

「え!? え、えっとだな園子、それは……」

 何故か志騎ではなく銀が慌てるが、尋ねられた志騎は園子に聞かれた事に素直に答える。

 自分が自我を失いバーテックスとして戦っていた時、銀に呼び止められ、彼女の話を聞いた後に人間だった時の記憶を思い出し、それと一緒に自我を取り戻したのだと。何故か恥ずかしそうに聞いていた銀の横で志騎が説明すると、園子が目をキラキラと輝かせて、

「それってつまり、愛の力だ~! ミノさんのあまみんへの愛が、あまみんを元に戻したんだよ~!」

「そ、園子さぁん!? お前は一体何を言っているのかなぁ!?」

 びゅおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! と奇声を出す園子に銀が叫ぶが、志騎の話を聞いて心だけは完全復活を遂げた園子は立ち上がると、

「こうしちゃいられないよ~! 早く病院に戻って、二人をモデルにした甘酸っぱい小説を書かないと! ネタは鮮度が命なんよ~!」

「待てぇ! 甘酸っぱい小説ってお前は一体何を書くつもりだ!? 園子、園子さん!? ねぇ! ねぇったら!!」

 先ほどまでのよたよた歩きが嘘みたいに軽やかに動く園子を、銀が松葉杖を使ってギクシャクした動きで追う。追いかけっこを始めた二人の背中を、志騎は呆然と眺めながら、

「……ネタ? 寿司が出てくる小説でも書いてんのかあいつ?」

 と、微妙に何かを勘違いしている発言をするのだった。

 

 

 

 

 

 

「疲れた……」

「お疲れ」

「ほとんどはお前のせいだけどな」

 車の後部座席でぐったりしている銀が、横に座る志騎を軽く睨む。普段は銀が志騎を振り回して志騎が疲れるというのが定番となっているので、今のようなやりとりはかなり珍しいと言える。

 あれから再び園子と他愛のない会話をした二人は、体の機能が完全に戻ったらまた会おうという約束を園子と交わして別れた。今はこうして、大赦の神官が運転する車の後部座席に乗って、志騎が入院する病院がある讃州市に戻っているというわけだ。また園子に会えるのは嬉しいが、できれば自分達をモデルにした甘酸っぱい小説というのは書かないでもらいたいなー……と銀は心の中で思った。

 それから横を向くと、志騎が窓の外の夕日をじっと見つめていた。赤い光に照らされる彼の顔を見ながら、銀はそっと志騎の肩に頭を乗せる。

「……どうした? 眠いのか?」

「いや、ただ、ちょっとこうしていたくなっただけ……」

「……そうか」

 志騎はそう言うと視線を銀の顔から窓の外の夕日に戻す。頬に触れる感触を味わうように銀は猫のように目を細めながら、志騎にこんな事を言った。

「……なぁ、志騎。お前の体の事だけど……」

「言わなくても良いよ。大体の予想はついてる」

 彼から返ってきた言葉に、銀は思わず唇を噛み締めた。

 バーテックスの襲撃が一時的に止んでも、志騎の問題が解決したわけではない。

 彼は未だ20歳までしか生きられない体だし、戦いが終わったら大赦に廃棄処分される兵器だという事も変わらない。今はこうして自分といられているが、もしもバーテックスの戦いがまた始まったらきっとすぐに戦いに駆り出されるだろうし、そうでなくても戦いの中で死んでしまうかもしれない。

 そう考えると、自分と彼が一緒にいられる時間は非常に短い。

 それはきっと、志騎も分かっているだろう。彼は自分の体や寿命、戦いの後のことについて刑部姫から聞いてないが、東郷との戦いの時彼女から聞かされた真実で、自分の身に何が起こっているかは大方の予想がついているはずだ。それでも彼は、命が尽きるその時まで人を護るために戦うと決めた。

 兵器として、勇者として、バーテックスとして。

 それはあまりにも固く、強い。

 だが同時に、決して報われる事のない運命。

 それが、銀には非常に悲しかった。

「ん……」

 と、突然志騎が呻き声を上げた。銀が顔を見ると、彼は右手でこめかみのあたりを軽く押さえて顔をしかめていた。まるで、頭痛にこらえるように。

「どうかしたのか?」

「いや、何でもない」

 何もなかったように自分に向けて笑みを向ける志騎に、銀はそれ以上追及せずにそっか、とだけ返すと再び肩に頭を乗せてから、彼の左手を右手でそっと握る。

 バーテックスの罪を背負って、命が尽きる時まで戦い続けようとする少年。

 彼との別れの日は、刻々と近づいている。彼とは長くても、あと六年ほどしか一緒にいられない。もしかしたら、もっと短くなってしまうかもしれない。

 せめて、その時までは。

 一日でも、一時間でも、一分でも、一秒でも長く。

 天海志騎という大好きな少年と一緒に、こんな穏やかな時間を過ごしていきたいと、三ノ輪銀は思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふーふんふーふんふーふーふん」

 誰もいない無の世界で鼻歌を歌いながら、純白の髪の毛に赤い瞳の少女はまるでバレエ選手のように宙を踊っていた。やがてピタリと止まると、頭上を見上げて、

「まさか、このまま何も起こらずに済むなんて思ってないよねぇ?」

 ここ最近、少女にとって気に食わない事が続いていた。

 バーテックス・ヒューマンというまがい物の出現、人間達がこそこそ改良していた神の力を利用して作られた勇者システム、そして壁が壊されるという一人の人間が起こした愚かな所業。今まで少女は人類を見逃してきたが、それらの出来事は少女に人類抹消を決断させるにはあまりに十分すぎる出来事だった。少女は軽やかにステップを踏みながら、

「ま、それに何より気に食わない事はそれだけじゃないしねぇ」

 脳裏に、三人の人物の顔が浮かび上がる。

 壁を壊した張本人、東郷美森。

 友奈の名を継ぐ少女、結城友奈。

 人類が作り出した禁忌の兵器、天海志騎。

「特に結城友奈と天海志騎は駄目だなぁ。すっごく勘に障るというか、すっごく殺したい。ばらばらに八つ裂きにして、地獄の業火で数千年焼いても全然ダメ」

 そう呟く少女の顔に浮かぶのは、笑顔。しかし言動とは裏腹にその笑顔に悪意といったものがまったくないのが、少女の持つ異質さと畏怖を増幅させていた。

「こういうのは、すっごくすっごく苦しめてあげないと駄目だよね? 人間のくせに、誰に牙を剥こうとしているのか、きちんと分からせてあげないと」

 そして少女は踊りながら、口元に笑みを浮かべる。

 あまりに無邪気で、あまりに残酷な笑みを。

「待っててね? 私に逆らう愚か者に裏切り者。あなた達二人は、苦しめて苦しめて、殺してあげるから」

 

 

 

 

 

 

 

 勇者達によって、四国という世界は守られた。

 しかしそれと引き換えに、世界は神の怒りを買った。

 人類抹消の時へ向けての針が動き出し、同時に三百年続く戦いの決着も少しずつ迫りくる。

 その戦いに勝利するのは天の神か、大赦か。

 未来を決めるのはバーテックスか、讃州中学勇者部か。

 結城友奈。東郷美森。犬吠埼風。犬吠埼樹。三好夏凜。乃木園子。三ノ輪銀。

 そして、天海志騎。

 バトンを引き継いできた少女達が未来を取り戻す物語。

 罪にまみれた偽物の少年が未来を作り出す物語。

 二つの物語の最終章が、もうすぐ始まろとしていた。

 その結末を知るものは、まだ誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 




 いつもご愛読ありがとうございます。作者の白い鴉です。今話にて、『天海志騎は勇者である ―結城友奈の章―』は終了となります。次回から新章にして最終章、『天海志騎は勇者である ―勇者の章―』が始まります。内容としては現在放送中の『結城友奈は勇者である ―大満開の章―』と勇者の章を組み合わせたようなものになるかと思います。とは言っても、ところどころ大満開の章とは少し違う描写になるかもしれません。というのも、アニメの方の乃木若葉の物語と楠芽吹の物語の原作の乖離が少々あるため、原作の設定を取り入れて書くのは難しいと思ったためです。なので、基本的には原作の方の設定を中心としたいと思います。
 また、今回魂の灯火など、御霊に繋がる糸などオリジナルの設定がでましたが、これらに関してはバーテックスに関してはこういう解釈が可能なんじゃないか? という想像のもと書きました。実際、目も耳も無いのにバーテックスってどうやって人間を殺してるんだろう、と真剣に考えた結果あのような設定となりました。
 そして勇者の章では園子、銀、志騎の三人が勇者部に加わると同時に天の神との最後の戦いが始まります。勇者の章でも今までしてきたように、原作を基本としてオリジナル展開等を入れて物語を進めたいと思います。また、最初は志騎と勇者部部員達との交流を書く所から始めようと思います。その展開をじれったく思う読者様もいるかもしれませんが、ご理解いただければ幸いです。
 後書きだというのに長くなって申し訳ございません。次は、勇者の章でお会いしましょう。


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勇者の章
第四十一話 ノーハウス・ノーライフ


刑「さて、今回から天海志騎は勇者である ―勇者の章―が始まる。とは言ってもしばらくは本編に入らず、志騎達の日常が続く事になる。その日常も今のところは二~三話になる予定だから、しばらくは志騎と勇者部にとっては平和が続くだろう。……まぁ、二~三話で日常と平和が終わるとも言えるが……」
刑「では勇者の章の一話目となる第四十一話、楽しんでくれ」


 

 

 雲一つない晴天の下、天海志騎と三ノ輪銀は一棟のマンションの前に立っていた。外壁に汚れはほとんどなく、建築されてまだ間もない事を示しているかのようだった。

「ここが志騎の新しい家か……。なんか、他人の引っ越しだっていうのにわくわくしてくるな!」

「まぁ引っ越しって言っても、荷物はもう部屋に運び込んであるから、実質ただの荷解きみたいなもんだけどな」

 目を輝かせる銀に、志騎が苦笑しながら返す。

 何故二人がこのようなマンションの前にいるのか。

 志騎が元々安芸と暮らしていた家はどうなったのか。

 時間は、一週間ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

「喜べ、志騎。お前の退院が一週間後に決まったぞ」

 ベッドに座りながらお見舞いに来た銀が持ってきた柿をむしゃむしゃと食べている志騎に、刑部姫が言った。なお、彼の隣にはようやく体の機能が全て回復した銀がパイプ椅子に座り、彼と一緒にくし切りにされた柿を口に運んでいる。ちなみに座っている銀の姿を見た時、やはりと言うべきは刑部姫は舌打ちを忘れず、銀も嫌なものを見るかのように顔をしかめていた。

「やれやれ、やっとか。長かった……」

「もうすっかり冬も近づいてきてるしなー」

 肩をすくめる志騎に、銀が苦笑する。銀の言う通り、最近は吹く風もすっかり冷たくなってきて、中学や高校の生徒達の制服はすでに冬服に切り替わっている。これからさらに寒さは厳しくなり、温かいものが美味しくなる季節に突入する事になる。

「で、だ。退院する前に、お前に見てもらいたいものがある」

 そう言って刑部姫は着物からクリアファイルをいくつか取り出すと、ベッドの横にある机に置き始める。志騎が少々驚きながらクリアファイルの一つを取ると、中に入っていたのはマンションのチラシのようだった。というよりは他のクリアファイルに入っているのも、マンションとアパートのチラシやカタログばかりで、まるで不動産屋に来たかのような錯覚を志騎に抱かせる。種類も様々で、最近建てられた新築のものや数十年前に建てられたものまである。

「マンションにアパート? 何だよ、まさかこの中のどれかに住みたいから、俺に選んでくれとか言うんじゃないだろうな」

「選ぶのは確かにお前だが、住むのは私じゃないぞ」

「じゃあ、誰が?」

「お前」

 すっと刑部姫が指差したのは、他の誰でもない志騎自身だった。志騎も思わず自分を指差すと、刑部姫はこくりと頷いた。それに銀が目を丸くし、志騎も怪訝な表情を浮かべると、

「いや、本当何言ってんだお前。俺の家は安芸先生と暮らしてた家があるだろ。そっちに住めば済む話だ」

「それは無理だ」

「どうして?」

「もう無いから」

 あっさりと、刑部姫はそう言った。あまりにあっさりすぎたので、志騎自身聞き間違えたのではないかと心の底から思った。彼は目をぱちくりとすると、再度刑部姫に尋ねる。

「無いって、何が?」

「いやだから、お前の家が」

「面白いジョークだな。エイプリルフールにはまだ早いぞ?」

「志騎よ、さすがにジョークを言うためにこんなものまで用意するほど私は暇じゃないぞ」

「あはは、そうか。あはははははははは」

 マンションのクリアファイルを呆れた表情でひらひらと振る刑部姫に志騎は思わず笑うが、その笑いもどこか棒読み気味である。志騎はしばらく笑ってからふぅと息をつき――――。

「――――ちょっと待てどういう事だテメェ!?」

 ガッ! と刑部姫の胸倉をつかんで前後にぶんぶん揺らし始めた。あまりの揺れっぷりに刑部姫の首が激しく動くメトロノームのようになっているが、当然今の志騎にそんな事を気にしている余裕はない。

「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」

 しかし何よりも危ないのは、志騎に思いっきり揺らされている刑部姫だろう。が、そんな事で手を休めるような志騎ではない。彼は思いっきり刑部姫の体をガクガクと揺らしまくりながら、

「おいどういう事だ? 俺の家がもうないってどういう事だ? 安芸先生はどうした? いや、そんな事よりどうして俺の家が無くなる事になった!? 全部説明しろこの性悪精霊!!」

「分かった! 分かったから、揺らすのをやめろ! 本当に苦しい!!」

 その言葉でようやく冷静さを取り戻したのか、志騎がぱっと刑部姫の胸倉から手を離す。しかし表情は相変わらず険しく、もしもとぼけた冗談抜きで拳が飛んできそうである。一方銀の方は刑部姫から放たれた言葉と志騎の様子におろおろしながらも、彼女も事情が気になっているのか刑部姫に視線を向けている。刑部姫はけほけほと咳をしてから、こほんと軽い咳払いをして、

「二年前、お前が大赦の間じゃあ大橋の戦いで死んだ事になっているのはもう知っているな?」

「ああ。銀と園子から聞いたよ。で、それがどうしたんだ?」

「お前が死んだ事で、バーテックス・ヒューマンのお前がいた証拠となるものは全て消す事になっていた。何せ、バレたら大赦の信用が揺らぐ事に繋がりかねないからな。おまけに安芸もお前の監視の任務から外れた事で、あの家は不要になったんだ。で、二年前の大橋の戦いの後、家はすぐに取り壊されて売地になったという事だ」

「…………」

「ああ、それとあの家はもう売れたぞ。中々良い立地だったからな。結構な高値で売れたと聞いた」

「……………」

「えっと……あの……その……てへぺろ♪」

 般若のような顔になっていく志騎を見て、刑部姫が場を和ませるためか舌を出したが、それは火事場にガソリンをぶちまけるのと同義だった。彼は再度刑部姫の胸倉をつかむと、今度はバーテックスの能力まで発動して腕力を強化し刑部姫の体を勢いよくシェイクする。

「お前ふざけんなよぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

「わ、私が提案したんじゃない!! 提案したのは大赦だ!! 文句ならあっちに言え!!」

「やかましいわ!! 家が無いって事はあれか!? この歳で家なき子かよ俺!! もうすぐ冬だっていうのに、寒空の下で段ボールに包まって寝ろと!?」

「大丈夫だ、志騎! 家なき子の主人公は12歳だ! お前の方が後輩だ!!」

「知らねぇよ!!」

 ちなみに家なき子というのは、旧世紀の一時期に流行っていたテレビドラマの名称である。旧世紀のドラマではあるが神世紀となってからリメイクされて放送された事もあって、今でも人気がある。とは言っても旧世紀のドラマは結構過激な内容だったらしく、大赦と監督が内容を修正した結果大分マイルドなドラマになったというのがもっぱらの噂だった。

「お、落ち着けよ志騎。それをどうにかするために、刑部姫もこんなもの持ってきたんじゃないのか?」

 と、さすがに見るに耐えかねたのか銀が助け舟を出した。刑部姫と仲が悪い銀も、取り乱す志騎と激しくシェイクされる刑部姫を見て、ほんのちょっぴり刑部姫に同情したのだろう。

「な、なるほどな……」

 ぜぇぜぇと息をつきながら志騎がぱっと両手を離すと、刑部姫は口元を抑えてうずくまってしまった。自分がやった事とはいえ、まさか吐かないよな……と志騎は刑部姫から若干距離を取ると、無造作に置かれたクリアファイルの中からチラシやカタログを見ながら、

「つまり、この中から俺の新しい家をどれか選べって事か……」

「そういう事だ……」

 若干気持ち悪そうに、刑部姫が答えた。志騎はチラシとカタログを険しい表情で見ながら、

「でもさ、ちょっと古くてもマンションやアパートの家賃ってそれなりに高いだろ。電気代や光熱費、水道代もかかるし、俺まだ中学生だからアルバイトもできないし……。正直、住む家も重要だけど金銭面も心配なんだけど……」

「そ、それならさぁ志騎」

 と、声を上げたのは銀だった。志騎が銀の方を向くと、彼女は何故か顔を赤らめながら、

「い、家が無いって言うなら、アタシの家に来て一緒に……」

「それなら安心しろ。金は全て私が払ってやる」

 銀の言葉を遮って刑部姫が取り出したのは、なんと限度額無制限の黒いクレジットカードだった。大赦の科学者である刑部姫にしてみれば当然の事かもしれないが、初めて見るカードに志騎も息を呑んでしまう。なお、言葉を中断された銀と邪魔する形になった刑部暇は互いに睨み合っていた。

「払ってくれるって言うなら正直ありがたいけど……本当に良いのか?」

「構わん。三好夏凜の生活も大赦が支援しているし、勇者のサポートをする事は大赦の義務だ。それはお前でも変わらん」

「満開の事を隠してた組織に言われても、説得力がないけどなぁ……」

「サポートをしていた事に変わりはない」

 苦言を呟く銀に、刑部姫はしれっと言った。しかし、そういう事なら金銭面についての心配はしなくてもよさそうだ。折角なので、あれこれ見て自分が納得できる所を見つける事にしよう。

「これ、いつまでが良い?」

「できればすぐにでもだな。手続きとかはこっちで行うが、一週間後が退院という事を考えると余裕がある方が良い。大赦の権力はあるが、それでも手間が無い方が正直私としては楽だ」

「了解」

 そう言って志騎はチラシやカタログに目を通しながら、銀に尋ねた。

「そう言えば銀。お前は確かもう実家に帰ってるんだよな」

「うん、そうだよ。まぁ実家って言ってもアタシの家族も讃州市に引っ越したから、お前と初めて会った家ってわけじゃないけどな」

「そうだったのか……。鉄男と金太郎には会えたのか?」

 志騎の脳裏に浮かぶのは、彼女の弟である鉄男と金太郎の姿だった。最後に出会ってから二年は過ぎたから、鉄男は七歳、金太郎は二歳のはずだ。その言葉に銀は嬉しそうに笑い、

「もちろん! 鉄男なんて、アタシと会った瞬間に大泣きして駆け寄って来てさ。まぁ泣いたのは鉄男だけじゃなくて、アタシもなんだけど」

 てへへ、と恥ずかしそうに銀が言うがそれは恥ずかしい事でも何でもない。銀は二年間大赦によって祀られ、友人はおろか家族に会う事すら許されなかったのだ。泣くほど嬉しくて当然だ。

「金太郎は?」

「最後に会ったのが赤ちゃんの時だったから最初はきょとんとされたけど……母ちゃんがお姉ちゃんだよって言ったら、アタシの事覚えててくれたみたいでさ! お姉ちゃんお姉ちゃんってアタシの事呼ぶんだよ! それがもう可愛くてさー。そうだ、後で金太郎の写真見る!? あんまりに可愛くて、何枚も写真撮っちゃって」

「ブラコン」

「あぁっ?」

 からかい半分、嘲り半分の刑部姫の言葉が銀の耳に届き、彼女がドスの声を出す。「やめとけよ……」と志騎は刑部姫に注意してから、

「今お前の家って、どこら辺にあるんだ?」

「えーと、ちょっと待ってくれ」

 そう言って銀はスマートフォンを取り出して操作をしてから、「はい」と言って志騎に差し出す。画面には讃州市の地図が表示されており、地図の一角にポイントマーカーが表示されていた。

「ここか……」

 志騎はそれを見てると、いくつもあるチラシやカタログをよく吟味する。そしてニ十分ほど経ってから、刑部姫を呼んだ。

「じゃあ刑部姫、ここにするよ」

 そう言って志騎が差し出したのは、建築されて一年ほどのマンションだった。まだ新しいためか家賃はそこそこ高いが、その分セキュリティがしっかりしているようだった。それにあくまでも写真からの判断になってしまうが、マンションから見える風景も良さそうである。

「ふむ、お前が言うなら私は別に構わんが……お前は本当にここで良いのか? 中学からは少し遠いぞ?」

「自転車買えば余裕で間に合うだろ」

「それもそうだな。ではこの際だし、電動自転車でも買うか。滅茶苦茶性能の良いやつ」

「……別に電動じゃなくても良いよ……」

 さりげなくクレジットカードを出す刑部姫に、志騎が呆れたように言った。

 何故二人がこんな会話をしているかというと、もしも志騎が退院したら讃州中学に通う事になっていたからだ。園子と銀の体の機能が回復した事で、お役目から解放された二人は普通の生活に戻る事を大赦に要請し、それを大赦も了承した。そして志騎も次にお役目が来るまで普通の生活を送る事になり、どうせなら友達がいる中学校の方が良いという事で園子と銀と共に讃州中学に転入する手筈になったというわけだ。三人共小学校中退という事情を抱えてはいるが、そこは大赦の力でなんとかなるし、編入試験に合格すれば問題はない。その編入試験で唯一銀が頭を抱えてはいたが、なんとかなるだろう、たぶん。

 そしてこのマンションの場所だと、志騎が通う事になる讃州市には徒歩だと時間がかかるので、志騎の言った通り自転車で通学する事になる。すると二人の話を聞いてた銀が志騎に尋ねた。

「でも、どうしてこのマンションなんだ?」

 他のマンションのチラシやカタログを見ると、讃州中学へ徒歩で通えるものもある。どうせなら近い方が良いのではないかと思い銀が尋ねると、何を言っているのかと言いたそうな表情で志騎が答える。

「だってどうせお前、学校に行く途中で俺の家に寄るだろ」

「え、もちろん」

 当然と言わんばかりの反応だった。二年間の空白が空いてしまったとはいえ、それまではこの二人にとって一緒に学校に行くのは日常茶飯事であり、二人の大切な『日常』だったのだ。今更その日常を変更するつもりなど銀にはない。と、そこでようやく銀は志騎の意図に気づき、

「あ……もしかして志騎、それで……」

 志騎が選んだマンションの位置を確認すると、新しく引っ越した銀の家とさほど遠くない位置にある上に、銀が通学する道の途中に位置していた。ただ学校に通うだけなら讃州中学の近くの物件で良いだろうが、そうなったら銀が志騎の家に来るまで時間がかかってしまうし、学校へ一緒に行く時間も短くなってしまう。つまりそれらを見越して、志騎はこの物件を選んだのだ。

「だったら何なんだよ?」

 呆れたように言うが、それが銀の指摘が正しい事を示していた。銀は何故か無性に嬉しくなり、笑顔になると志騎の肩をバシバシと叩く。

「痛いんだが……」

 志騎がチロリと銀を睨むが、彼女は気にせず志騎の肩をバシバシと叩き続ける。刑部姫はそんな銀を阿呆が……と口の中で呟きながら睨んでいたが、ため息をついてから物件のカタログを見て、

「まぁ、引っかかる事はあるが別に良いか。セキュリティはしっかりしているし、建築年数もそんなに経っていない。部屋の広さも十分。ふむ、良いだろう。最後に改めて聞くが、本当にここで良いんだな志騎」

「ああ、良いよ」

「分かった。手続きは早急にこっちの方でしておく。家具等はこっちで揃えておくが、何か必要なものがあったら言ってくれ」

 そう言ってカタログとチラシを刑部姫が片付け始めたが、途中で「ああそうだ」と何かに気づくと志騎に言った。

「取り壊された家にあったお前の私物等もまとめて送っておくから、来週の引っ越しの際に荷ほどきするぞ。その際は私も手伝ってやる」

「………え?」

 刑部姫の言葉に、志騎が思わずきょとんとした表情を浮かべて刑部姫の顔を見る。さらに銀も同じような気持ちだったのか、志騎と似たような表情を浮かべていた。

「……? 何だ、二人共そんな顔をして」

「俺の荷物ってあるのか? てっきり家が壊された時と一緒に全部捨てられたと思ったんだけど……」

 すると刑部姫も二人がどうしてそのような表情を浮かべたのか納得したようで、

「ああ、そういう事か。確かに最初はそうなるはずだったんだが、 ある人物が保管すると言いだしてな。家が取り壊されてからは、そいつがずっと保管してたんだ。で、今回お前が生きている事が分かったから、荷物を全てお前に返す事になったというわけだ」

 辻褄は通っている。しかしそうなると、新しい疑念が浮かび上がってくる。

「……その人物って誰だ?」

 志騎の問いに、刑部姫はふっと悲し気な笑みを浮かべた。その表情を見て、銀はこいつこんな表情ができるのか……と内心驚いた。

「安芸だよ」

「安芸先生が?」

 刑部姫の口から出た名前に、志騎は思わず声を上げる。それは銀も同様だったようで、驚きで目を見開いていた。驚く二人を前にして、刑部姫はカタログとチラシを片付けながら、

「二年前家を取り壊される前、安芸はお前の私物を全てまとめてそのまま保管しておいたんだ。もちろんお前がいたという証拠を全て消し去りたい大赦は苦い顔をしていたが、絶対に誰の目にも触れさせないという条件付きでどうにか許可を取った。で、それ以来それらは約束通り誰の目にも触れられる事無く、安芸がずっと保管していたというわけだ」

「そうだったのか……。でも、どうして安芸先生が?」

 銀からの疑問に、刑部姫は苦笑を浮かべ、

「……あいつはああ見えて、大赦の他の神官ほど信心深いわけでも、私ほど合理的というわけでもない。頭では分かっていても、お前がこの世界にいた証拠を無くす事に耐えられなかったんだろうよ」

「……安芸先生」

 二年間離れ離れだった育ての親の名を志騎はポツリと呟き、銀は最後に見た安芸の姿を思い出す。あの時は刑部姫に言われた言葉で頭に血が昇ってしまっていたせいで気づく事が出来なかったが、もしかしたらあの時の彼女の言葉は本心では無かったのかもしれない。もしもそれが本当だとしたら、あの時彼女はどのような気持ちで、志騎の事を失敗作の兵器と口にしたのだろう。

 ……そんなの、決まっている。彼女に育てられた志騎と親友の刑部姫ほどではないが、自分も須美や園子と一緒に彼女の下で教えられ、接してきた。彼女がクールで怖そうに見えるけれど、本当は生徒と自分の弟とも言える存在の事を大切に思っている事は分かっている。きっと彼女はあの時、文字通りわが身を切り裂かれるような気持ちであのような嘘をついていたに違いない。……例えそれで、志騎と自分達からどれだけ非難され、侮蔑されようとも。全ては神樹と多くの人達が住むこの世界のために。

 志騎はしばらく俯いていたが、やがて小さな声で刑部姫に尋ねた。

「……安芸先生は、どうしているんだ?」

「今は大赦の本部で活動している。体調だけを見て言うならば元気だし、今でも時々私と顔を合わせる事はあるが……正直、前よりもつまらなくなった」

「つまらなくなったって、どういう意味だ?」

「前の安芸は、自分のしている事に悩みながらもそれでもお前達の事を考えていた。なのに今じゃ、他の神官同様まるで神樹の操り人形のようになっている。あれが奴なりの決意なんだろうが……正直私は、前のあいつの方が好きだった」

 どこか悲しそうな口調で語られる安芸の現状に、志騎と銀は何を言えば良いか分からず黙り込んでしまう。カタログとチラシを全て片付けて自分の着物にしまい込みながら、刑部姫がさらに続ける。

「……だが、私の所感になるが、お前が生きていると報告を受けた時安芸は喜んでいたぞ」

「そう、なのか?」

「仮面を被っていたから表情は分からないし、反応も『そうですか』だけだったから他の人間から見たら素っ気なく感じられただろうが、その後隠れて見てたら体を少し震わせて目元を拭っていたから、多分泣いてたんだろうな」

「相変わらず趣味悪いなお前……」

「やかましい。ま、仮面を被って何を考えているのか分かりにくくなっているが、安芸はお前の事を今でも大切に思っているというのは確かだと私は思うぞ」

「………そうか」

 志騎の反応は薄かったが、彼の口元には笑みが浮かんでいる。彼も育ての親が今でも自分を大切に思ってくれているという事を聞いて、きっと嬉しいに違いない。すると、銀が刑部姫に尋ねる。

「安芸先生に会う事は出来ないのか?」

 刑部姫の話を聞くときっと安芸は志騎に会いたいに違いないし、志騎も二年間会えなかった育ての親に会いたいはずだ。刑部姫が彼女と顔を合わせているという事はこちら側から安芸に会いたいと連絡を取る事ができるかもしれないし、難しいようなら自分がどうにか口利きをする事も銀は考えていた。散華によって失われた体の機能が返って来たとはいえ、かつて生き神として祀られていた園子と銀の権限は今も有効であるはずだからだ。しかし二人の希望に反して、刑部姫は首を横に振り、

「無駄だ。あいつは今でも二年前、自分が志騎を兵器として切り捨てた事を気にしている。会いたくても、あいつが志騎に会いたいという事はないだろう。おまけにあいつは頑固だからな、こちらがいくら会いたいと言ってもそれに応ずる事はまずない。例えお前の権限があってもだ、三ノ輪銀」

「でも……!」

 それでは、安芸の心の傷は癒されないままだ。なおも銀が反論しようとすると、待ったをかけたのは志騎だった。

「良いよ、銀。あの人が会いたくないって言うなら、仕方ないだろ」

「だけど……」

 本当は、志騎だって会いたいはずなのに……。銀が志騎の顔を見ると、彼は苦笑を浮かべながら首を横に振り、

「確かに会いたくないって言ったら嘘になるけど、先生が元気なら今はそれで良い。諦めなければ、またいつか会えるさ。俺がお前達に会えたようにな」

 そう言って笑う志騎を見て銀は切なげな表情を浮かべ、刑部姫も何も言わず黙っている。志騎はそうだ、と言ってから刑部姫に視線を変えると、

「今度差し入れ作るからさ、先生に持って行ってくれないか? それぐらいならできるだろ?」

「……ああ。分かった。だがその前にまず引っ越しの件だ。一週間後のお前の退院日となる日に直接マンションに向かう。それまでに家具の配置、荷物の郵送は済ませておく。だからあっちでする事は住居の簡単な説明と荷ほどきだな。荷ほどきもそんなに数はないから、すぐ済むだろう」

「あ、じゃあアタシも行って良い!? アタシもまだ学校に行けないし、荷ほどきするなら人手が多い方が良いだろ?」

「そうだな……。じゃあ、頼むよ」

「うん!」

 志騎の言葉に、銀は力強い返事をした。一方の刑部姫は、私不服ですという気持ちが前面に出た表情を浮かべていたが、当然の如く二人はそれをスルーする。気が付くと先ほどまで病室に漂っていたしんみりとした雰囲気は消え、賑やかな空気が戻っている。

 それから志騎にこれといったトラブルが起きる事も無く、一週間後晴れて退院の日を迎える事になった。

 

 

 

 

 

 退院兼新居への引っ越し当日、病院を出た志騎を待っていたのは笑顔の銀と彼女と一緒のためか不機嫌そうな表情を浮かべている刑部姫、そして大赦が所有する車だった。大赦の神官が運転する車に三人が乗り向かった先は、新築一年ほどのマンションだ。そこで三人は車から降りて、マンションの三階へと向かう。なお、物件の説明等はすでに大家から大赦の神官に説明され、その神官から刑部姫に対して行われているため説明と鍵の受け渡しは刑部姫から実施されるようだ。その神官が誰なのかは聞いていないが、刑部姫に接触する事ができる神官は限られているので、志騎と銀は誰なのかもうすでに分かっていた。

 エレベーターで三階に向かうと、共用廊下を歩いて部屋の扉の前へと向かう。そこで志騎は刑部姫から鍵を受け取ると鍵を開けて、扉を開いた。

「お邪魔します、と」

 先に部屋に入った志騎と刑部姫に続いて銀がそんな事を言いながら入り、三人は部屋の中の様子を確認していく。 

 志騎の部屋となる洋室にはすでに机やら本棚等が設置され、志騎の私物が詰まっているであろう段ボールが三つほど置かれている。さらに志騎の部屋よりも大きめの洋室、トイレと風呂場、さらにキッチンと一体化したリビングにはやはりすでにテーブルやソファ、テレビが設置されている。志騎と銀が部屋の中を見渡していると、志騎が驚いたように言った。

「なんて言うか……至れり尽くせりだな」

「なに、お前が気にする事は無い。お前が使いやすいようにソファの位置やテーブルの位置も計算し、さらにキッチンの道具もお前が使いやすいものに揃えておいた。存分に使って良いんだぞ?」

「親バカ」

 一週間前にからかわれた意趣返しのつもりなのか、銀がふっと鼻で笑う。それを引き金にして二人の血で血を洗う抗争が始まりかけるが、間一髪志騎がそれに待ったをかける。

「はいはい。まず俺の部屋の荷物の荷ほどきから始めるぞ。それとやるなら外でやってくれ。さすがに俺の新しい家を血で汚したくない」

 志騎の言葉で、三人は志騎の部屋となる洋室で荷物の荷ほどきをする事になった。三つの段ボールを開けていくと、中に入っていたのはたくさんのミステリー小説とホラー小説、勉強道具、さらには志騎が趣味で作っていたボトルシップが丁寧に入れられていた。

「安芸先生……。全部入れるのは、大変だったろうに……」

「あいつからすると、これらは全てかつてお前がいたという事を示す宝物だったんだろうな」

 本を一冊ずつ本棚に詰めていきながら志騎が呟くと、ボトルシップを置いていた刑部姫が言う。不思議と、志騎を作った張本人であり安芸の親友である刑部姫が言うと、説得力があるような気がした。

 そして三人が荷ほどきを全て終える事には、時間はすでに12時を過ぎていた。荷物自体はそんなに多くないと言っても、やはり引っ越しの作業には時間がかかる。となると、当然お腹も空いてくる。

「そろそろ昼食か……。何か作るか」

「となると、食材を買ってこなくちゃ駄目だな」

 銀の言う通り、立派な冷蔵庫はあるものの食材が無ければ宝の持ち腐れだ。スーパーに行って何か買ってこなければならない。しかしそれに何故か刑部姫がふふふと笑い声を漏らし、

「お前ら、私がそんな事も考え付かないと本気で思っていたのか?」

「……お前、まさか」

 志騎がちらりと銀にアイコンタクトを飛ばし、銀が頷いて冷蔵庫のあるキッチンへと向かう。そしてすぐに戻ってくると、唖然とした表情で志騎に言った。

「……食材、揃ってた」

 二人が無言で刑部姫を見ると、彼女は見事なドヤ顔をしていた。……正直助かるが、これでは銀から親バカと言われても無理が無いと、志騎と銀の二人は心の底から思うのだった。

 本日の昼食は手早く済ませるため、サンドウィッチにする事にした。さすがと言うべきか調理器具等もすでに揃っている。志騎と銀は協力して、三人分のサンドウィッチを手早く作っていく。二年間のブランクはあるとはいえ元々料理上手の二人の手つきは見事なもので、おまけに以心伝心の動きで作業を進めたため調理は案外早く終わった。皿にできたサンドウィッチを乗せてリビングのテーブルまで持っていくと、三人座って「いただきます」と合掌する。手始めに志騎はハム卵サンド、銀はツナサンド、刑部姫はカツサンドに手を伸ばす。自分達が作ったサンドウィッチを口にして、よほど美味しかったのか銀は嬉しそうな表情を浮かべ、刑部姫も同感だったのかもぐもぐと何も言わずにサンドウィッチを口にしている。無愛想な態度に見えるだろうが、もしも口に合わなければ何らかの毒舌が飛んでいるので、この反応はむしろ良い方である。一方、

「………っ」

 銀が作ったハム卵サンドを口に運んだ志騎は、何故か若干眉間にしわを寄せてもくもくと口を動かしていた。他人から見ると分かりにくいか反応かもしれないが、生憎ここには彼の微妙な反応を的確に見抜く人間しか存在していない。

「志騎、どうした? もしかして、マズかったか?」

 恐る恐ると言った感じで銀が尋ねると、それに気づいた志騎は笑みを浮かべると首を横に振り、

「いや、美味い。お前また腕上げた?」

「さ、さすがにそれはないかなー。アタシ二年間寝たきりだったし、その間料理も全然できてなかったし」

「その割には美味いけどな」

 言いながら黙々とサンドウィッチをさらに口に入れていく。銀も謙遜しながらも満更ではないのか、照れたような笑みを浮かべている。唯一刑部姫だけは、カツサンドを口に放り込み咀嚼しながら志騎の顔をじっと見つめていた。

 昼食と洗い物を済ませると、銀は自宅に戻る事になった。銀本人はこのまま何か手伝いたいと言ってきたのだが、今日する事はこの後自転車を買いに行く事ぐらいで、それは志騎一人でできる。それに何より彼女は二年間家族と離れ離れだったので、少しでも家族のそばにいてやれという志騎の言葉もあった。

 さすがの銀も家族を引き合いに出されたら強く反対する事は出来ず、それにこうして退院できた以上志騎ともいつでも会えるので、今日は彼の言う通り帰る事にした。

「じゃあ志騎、アタシ帰るね。次会えるのは、学校に行く時かな」

 腕を組んで壁にもたれかかる志騎に、玄関で靴を履きながら銀が言う。ちなみに刑部姫は空気を読んでか、リビングでテレビを見ながら笑い声を上げている。すでに家主よりもこの部屋に早速馴染んでいるようだった。

「ああ。その時は、園子と須美にも会えるな。当日は寝坊しないようにしろよ?」

「分かってるよ。その日は目覚ましニ個……いや、三個ぐらいかけて寝るようにするって!」

 へへ、と笑う銀に志騎もつられて笑う。大袈裟かもしれないが、彼女にとってはそれだけ重要で大切な日だ。何せ、失われてしまった自分達の青春を取り戻す事ができるのだから。

「あ、そうだ。志騎に返さなきゃならないものがあったんだ」

「俺に?」

 何か彼女から返されるものがあっただろうか。首を傾げている志騎に銀が着ていたジャケットから何かを取り出す。取り出されたのは、夜空のような深い青色の石がはめ込まれた指輪だった。

「それって……」

 忘れるはずもない。二年前の夏祭りの時に、銀が志騎に渡した魔除けの指輪だった。大橋の戦いの時に刑部姫に銀に返すように頼んでいたのだが、銀が持っていたところを見ると相棒の精霊はきちんと彼女に返していたらしい。

「もうアタシが持ってる必要はないだろ? お前はちゃんと帰ってきてくれたんだから。……今度はちゃんと着けといてくれよ?」

 ニッと笑いながら差し出された指輪を、志騎は困ったような笑みを浮かべながら受け取った。大橋の戦いの時、彼女からもらった大切なそれをずっと机の中に入れっぱなしにしておきたくなくて彼女に返すよう刑部姫に頼んだのだが、またこうして自分の手元に戻ってくるとは夢にも思わなかった。銀から言われた事もあるし、今回はきちんとネックレスにして着けておくとしようと志騎は思った。

「じゃあ、またね志騎!」

「おう。じゃあな」

 さっと手を上げて扉を開ける銀に、志騎も手をひらひらと振って見送る。バタン、と閉められた扉を見て志騎がリビングに戻ろうとして、ふとその足を止める。

「……またね、か」

 考えてみれば、あと何回銀と顔を合わせる事ができるのだろうと志騎は思う。

 以前園子と会った時、銀は志騎の体について何かを言いかけていたが、志騎にはその目星がついていた。そしてそれを裏付けるように、後日刑部姫から直々に志騎に彼の体についての真実が明かされた。

 自分の体は勇者になるための呪術的措置と薬品の投与のため、二十歳しか生きる事が出来ない事。

 もしもバーテックスと天の神との戦いが終わったり、自分の役目を放棄するような事をした場合、自分は使い終わった兵器として廃棄処分される事になる事。

 今はバーテックスの動きが治まっているため戦う必要はないが、もしもまた戦う時が来たらその時はまた勇者として戦う事になる事。

 しかしそれらを聞いても、志騎は憤ったり悲しんだりはしなかった。むしろ、当たり前の事とすら思っていた。自分はバーテックスを殺すために作り出された兵器で、多くの人達の命と未来を奪った化け物と同じ存在。そんな自分が人並に生きる事や真っ当に死ぬ事を望む事自体が間違っている。だから大赦の自分に対しての扱いや自分の末路を聞いても、特にこれといった感情は浮かんでこなかった。

(まぁ、こんな事を銀達が知ったら怒るだろうけど)

 そう思いながら、志騎は自分の手の中の指輪に視線を落とす。自分がバーテックスと知っても、須美や園子、銀は自分と普通に接してくれた。自分がこんな事を考えていると知ったら、きっと怒って説教をするに違いない。……そんな風にどこまでも誰かの事を思いやれる彼女達の事が、志騎は羨ましかった。

(それにしても一体、何なんだろうな)

 つい先ほど志騎はサンドウィッチを食べた時、気のせいかもしれないが味が薄く感じられた。銀が調理を間違えてしまったせいかと一瞬思ったが、料理上手な彼女がそんなミスをするとは考えられず、さらに自分が作ったサンドウィッチにも手を伸ばしてみたが味はやはり少し薄いようだった。しかし一緒に食べていた銀や刑部姫にはそんな様子は見られず、料理自体に問題はないようだ。とすると、問題があるとすれば。

(俺の味覚、か)

 自分の舌を動かしながら、志騎はそんな事を思う。

 考えてみれば最近どうも自分の体におかしい事が起こる。前はこめかみに軽い痛みが突然はしったし、さっきは味が薄く感じられた。病院で行われた検査の結果刑部姫は異常なしと言っていたから、傍目からは分かりづらいのかもしれない。

 が、自分の体に何か異変が起こっていると考えるのはまだ早いとも志騎は思っていた。もしかしたら二年間戦い続けっぱなしだったのでまだ体が日常に慣れていないせいかもしれないし、それどころか単なる気のせいという事もある。まだ確証を持てる状況ではないし、今はとりあえずこの普通の日常を送って行こうと思う。

 いつか自分の命が尽きる、その時まで。

 そして志騎は一緒に自転車を買いに行くために、テレビを眺めて志騎を待っている刑部姫のいるリビングへと、再び歩き出すのだった。




 次回から園子、銀、志騎達の三人が讃州中学に転入し、友奈達勇者部との本格的な交流が始まります。
 そして天海志騎は勇者であるのお気に入り件数が50件を越え、UAが10000目前となりました。これも志騎と友奈達の戦いをいつも見てくれている読者様達のおかげです。これをモチベーションにして、少しでも面白い小説を書けるようにもっと精進しいたします。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。


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第四十二話 青・春・開・始

刑「今回から志騎の中学校生活がついに始まる。しばらくは日常編となるが、それは大体二話ぐらいとなる予定だ」
刑「では志騎の編入初日となる第四十二話、楽しんでくれ」


 

「……よし」

 洗面所の鏡の前で身だしなみを整えた志騎は、自分の姿を改めて確認する。

 彼が身に纏っているのは、これから編入する学校……讃州中学勇者部の男子用の学ランだった。現在の時刻は七時半。讃州中学までは自転車で約十五分かかるので今から出ても充分間に合うが、今日は初めての登校日という事で志騎の担任の教師との打ち合わせがあるし、何よりも彼が一緒に登校する相手は色々なトラブルに遭遇してしまう人物だ。早めに出て損は無い。

 洗面所を出ると、タイミングよくリビングに備え付けられたテレビドアホンが鳴る。このマンションのエントランスにはオートロックがあり、ドアホンでその部屋の人間からの許可が無いとマンションに入れないようになっている。とは言っても、最近のほとんどのマンションでは当たり前の機能となっているが。

 ドアホンの前に駆け寄り通話のボタンを押すと、テレビ画面に機器越しにこちらを覗き込んでいる少女……銀の顔があった。彼女の顔を見ながら、志騎は驚き半分感心半分の声で言う。

「よぉ、きちんと起きれたようで何よりだ」

 幼馴染の声に、銀はぱっと笑顔になり、

『そりゃあ今日は登校一日目だし、遅刻するわけにはいかないだろ?』

「まだ学校に行ってないから油断は禁物だけどな。下で待っててくれ。すぐに行く」

『はーい!』

 銀からの元気な返事を聞きながら志騎は通話を切って自分の部屋へと向かい、鞄を持つと玄関へ向かい外に出て鍵をかけ、エレベーターへと向かった。

 エレベーターで下に降りて次に行くのは、マンションにある駐輪場だ。そこには引っ越し当日に刑部姫に買ってもらった電動クロスバイクが置かれている。わりと高額な事もあり志騎はもっと安いやつで良いと言ったのだが、これから先も使うんだし、編入の前祝いだと思えという刑部姫の言葉で購入する事になったのだ。相変わらずと言うべきか、他人に対しては基本的に無関心なくせに身内には甘い精霊だった。

 自転車のロックを外してマンションの正面の入り口に向かうと、そこには自転車を両手で支えながら待つ銀の姿があった。志騎と銀は普通に学校に徒歩で向かうと時間がかかる位置に自宅があるので、事前に学校に申請して自転車通学を許可してもらっていた。志騎の姿を見ると、銀が片手を上げて笑みを見せる。

「おはよう、志騎!」

「おう。おはよう」

 挨拶もそこそこにして、二人は早速自転車に乗って学校へと向かい始めた。早朝ではあるが部活の朝練のためか、讃州中学の生徒の数がちらほらと見える。

「ついに今日から学校かー。楽しみだなぁ!」

「あまりはしゃぎすぎて、授業中に寝るなよ?」

「わ、分かってるって! ってか、もしも寝たら須美に何されるか分からないし……」

 そう呟きながら、銀は顔を少し青ざめさせた。事前に志騎と銀と園子が編入するクラスが二人に通達されたのだが、銀と園子は友奈と東郷、夏凜と同じクラス、志騎は四人とは別のクラスになった。銀は神樹館四人組が一緒のクラスに慣れない事を寂しがっていたが、さすがにクラスの人数の都合もあるのでひとまとめにするわけにはいかなかったのだろう。

 それよりも重要なのは、銀と同じクラスに東郷美森がいるという事だ。あの東郷がいるクラスで居眠りしようものなら、あとでどのような折檻を食らうか分からない。普段は清楚で優しそうな彼女だが、いざという時は容赦のない一面を持っている事を二人は良く知っている。

「そうだな。もしもお前が寝てたら吊るして良いって東郷に頼んでおくか」

「志騎さぁん!? そこは幼馴染に対してもうちょっと手心を加えてもらいたいんだけど!?」

「いや、お前に手心を食わなきゃならない理由がよく分からないんだが」

「ちくしょう! そう言えばお前はそういう奴だった!」

 傍から見ると、他愛のないやり取り。実際に二人もそんな感じだろう。

 だが彼らにとっては、そんなやり取りが無性に楽しかった。

 もうこんなやり取りはできないと思っていた。

 互いに会う事は決して出来ないと思っていた。

 でも、今二人は確かにここにいて、こうして一緒に学校に登校する事が出来ている。

 それが二人には……心の底から嬉しかった。

 そんな、なんて事の無い会話を楽しみながら、二人は讃州中学へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 讃州中学二年生兼勇者部部員、結城友奈は思わずそんな声を上げた。

 親友である東郷美森と一緒に、ようやく見えてきた讃州中学の校門へと歩いていると、彼女達の目の前で一台の車が止まったからだ。突然止まった車が二人を含めた生徒達の視線を集めていると、車の後部座席の扉が開いて中から一人の少女がくるりと回りながら出てきた。

「じゃじゃじゃーん! 乃木さんちの園子だよー! 驚いた~?」

 少女……先代の勇者の一人にして乃木家の令嬢、乃木園子は朝からテンション高めにそんな事を言った。

「え、えっと、あの……?」

 園子の登場に目を丸くしながら、友奈が恐る恐ると言った感じで呟く。

 彼女のそのような反応も無理はない。友奈が以前園子と会った時、彼女は全身包帯だらけでまともに歩く事すらままならない姿だったのだ。そんな彼女がすっかり元気になって友奈達の前に現れたのだから、さすがの友奈も動揺を隠せない。

「……っ」

 一方友奈の横にいる東郷は、突然の登場に息を呑んで園子の姿を無言で見つめている。

「今日から同じクラスだよ~! よろしくね~!」

 園子の方は二人の様子に気づいているのかそうではないのか、ただひたすら明るい声を出して手をひらひらと振っている。

「へいへいわっしー! 園子だよ~!」

「そのっち……!」 

 ようやく事態が飲み込めたのか、東郷が親友の名前を呼ぶ。目の前で手を振る園子を見て、目の端から涙がじわりと滲んだ。

「驚いてる驚いてる~。サプライスは大成功~……」

「そのっち!」

 と、感極まった東郷が園子にがばっと抱き着いた。「ちょっと、わっしー……」と園子が言うが、東郷の方は園子を抱きしめる力を緩めない。今まで忘れてしまっていた親友の記憶を思い出し、ようやく会えたと思ったらまた自分と一緒に学校に通う事ができるというのだから、それも仕方ないだろうが。

 しかし感動の対面になっているのは園子と東郷だけで、周りの生徒達にとってはそうではない。実際周りの生徒達の視線は車から園子と彼女を抱きしめる東郷に変わっている。まぁ、友奈の方は二人の対面に嬉しそうな笑みを見せているのだが。

 そして二人に、彼女達の後ろからまたもや懐かしい声がかけられた。

「へいへいお二人さん、朝っぱらから少し情熱的すぎじゃないか?」

「え、この声……もしかして……」

「ミノさんだ~! あまみんもいる~!」

 東郷が振り向き、園子が瞳を輝かせて東郷に抱きしめられながら真正面を見るとそこには自転車にまたがって明るい笑みを浮かべながら手を振る銀の姿があった。さらにその後ろには志騎がハンドルに両腕をもたれかかせながら、二人を見ていた。

「実はアタシも須美と同じクラスなんだぜ? まぁ志騎は別のクラスになっちゃうけど、また四人一緒に学校に……」

「――――銀!」

「うわっ! す、須美のメガロポリスが押し付けられるー!?」

 東郷が銀に抱き着き、銀の言葉通り東郷の中学生離れした乳房が銀の体に思いっきり押し付けられた。なお、この際視線を向けていた男子高校生達の何人かが羨ましそうに見えるのは勘違いではないだろう。

「でも、あまみんも一緒じゃなかったのはちょっぴり残念だね~」

 と、園子が志騎に話しかける。銀と東郷の感動の再会を横目に見ていた志騎は肩をすくめて、

「それは仕方ないだろ。刑部姫に聞いたけど、東郷のクラスには三好夏凜って勇者が編入してるし、今回はお前に銀が入るだろ? 人数の都合もあるし、流石に一気に編入ってわけにはいかないだろ」

「それはそうなんだけどね~。でもやっぱり、寂しいかな~」

 少し残念そうな笑みを見せながら園子は言った。まぁ確かにこの四人は二年前一緒のクラスだったので、同じクラスになれないのは彼女にとっては寂しいかもしれない。

「ってか、東郷の奴俺達が編入するって知らなかったのか?」

「うん、サプライズにしようって思っててわっしーには伝えてなかったんだ~」

「そうだったのか。俺はてっきり、刑部姫らへんから連絡が伝わってるのかと……って伝わってるわけないか。あいつがそんな事するわけないし」

 頭の中で高笑いを浮かべる刑部姫の顔を思い浮かべながら、志騎がため息をつく。彼女が自分や志騎のために行動する事はあっても、他人のために行動する事は滅多にないのだから。

「あ、あの~」

 と、話をする志騎と園子、そして未だ銀に抱き着いている東郷にためらいがちに言ったのはそれまで傍観していた友奈だった。彼女は少し困ったような笑みを見せながら、

「みんな色々と話したい気持ちは分かるんだけど、そろそろ行かないと遅刻しちゃうよ?」

 友奈の言う通り、時刻はいつの間にか八時十分を示していた。いつまでも雑談をしていたら朝会に間に合わなくなってしまうし、何よりも志騎と銀、園子は打ち合わせがあるので教室に行く前に担任の教師に会いに職員室に行かなければならない。友奈の言う通り、そろそろそれぞれ行く場所に行かないとまずい。

「それもそうだな。じゃあアタシ達は職員室に行くよ。須美、友奈、またあとでね!」

 銀が自転車にまたがりながら二人に手を振り、友奈は元気よく振り返し、東郷も嬉しそうな笑みを静かに浮かべながら銀に手を振り返す。志騎と園子は顔を見合わせて笑うと、志騎は銀と一緒に駐輪場に自転車を置きに行き、園子は折角だからと自転車を置く志騎と銀を待ち、三人は一緒に職員室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

「――――はい、こちらが今日から皆さんの新しいクラスメイトになる、天海志騎君です」

 二十代半ばの男性教諭が黒板に志騎の名前を書いて、志騎の紹介をする。黒板に書かれた自分の名前の前に志騎は立っているが、その表情は少しげんなりしているように見える。

(……まぁ、ここでも目立つとは思っていたけどさ)

 やっぱり慣れない、と心の中で思う。生徒達の興味がこめられた視線は志騎自身と、彼の水色がかった白髪に向けられていた。普通の人間ではありえないこの髪が注目を集めてしまうのはしょうがないが、それでも動物園の動物を見るようなこの視線はどうしても慣れる事が出来ない。

「じゃあ天海君、自己紹介を」

「……はい」

 男性教諭の言葉を受けて、志騎はため息をつきたい気持ちをどうにかこらえて返事をすると、これからクラスメイトになる生徒達の前に立って自己紹介をする。

「天海志騎です。家庭の事情でこちらの学校に編入してきました。よろしくお願いします。……あと、誤解されている方もいるかもしれませんが、自分のこの髪の毛は地毛です。染めているわけではありません」

『えっ!?』

 直後、クラスの生徒達から一斉に驚きの声が上がった。まぁこの髪の毛が地毛と言われれば、流石に驚くだろう。一方で、男性教諭の方は動じていないようだった。考えてみればこの教諭と初めて会った時から、彼は志騎の髪の毛の色を気にしていなかった。職員室の教諭達も、生徒ほど露骨ではないとはいえ志騎の髪の毛を隠れて見ていたというのに。それらの事から志騎は、この男性教諭に好印象を抱いた。

 それから男性教諭から今日の連絡事項などを伝えられた後、クラスのほとんどの生徒達が志騎に質問をしようと彼の席に近づいてきた。友奈達のクラスならまだしも、このクラスに編入生が来るなんて初めてなので彼らも興奮しているのだろう。

「天海君ってどこに暮らしてるの?」

「えっと、マンション。親は仕事の都合でほとんどいないから、実質一人暮らしかな。え、料理とかするのかって? まぁ、それなりには……」

「天海って何かスポーツとかすんの?」

「スポーツはあまりしないかな。たまにテレビで見るぐらい。え、趣味? 読書にボトルシップ作り」

「ボトルシップって、何かお洒落な感じがするね!」

「どんな本読むんだ?」

「えっと、ミステリー小説にホラー小説。え、意外? 結構面白いぞ。そういうお前は何読むんだ? へぇ、ファンタジー……」

 と、自分の髪の毛への視線は不快だったものの、こうして話してみると全員志騎に好意的だった。これも神世紀ならではのモラルの高さのおかげかもしれないが、何よりも生徒達の人柄が大きいかもしれない。しかしあまりの質問責めに、さすがの志騎も少し疲れてくるとクラスメイト達の中からこんな声が上がった。

「はいはい! 天海も戸惑ってるし、質問はここまで! あとは休み時間までのお楽しみ!」

 そう言ってクラスメイト達をまとめたのは、黄色い靴を履いた一人の少年だった。人懐っこい笑みを浮かべた少年は志騎に笑顔を向けると、

「大丈夫か? 悪いね、みんな初めての編入生だしテンション上がってるんだよ」

「いや、良いよ。それより、えっと、お前は……」

 志騎が首を傾げると、少年は右手を差し出しながら、

「俺はクラス委員の高橋在人(あると)。よろしくな、天海!」

「……よろしく」

 タイプとしては、銀みたいな奴だな……と心の中で思いながらも悪い奴じゃなさそうだとも思い、志騎は少年―――在人の右手を握って握手する。彼は右手を握りながら、左手で志騎の肩をポンポンと叩き、

「ま、何か困った事があったらいつでも言ってくれ。クラス委員の俺が、志騎の困りごとをシキっと解決してやるからな!」

 ――――何故かそれまで騒いでいた生徒達の喧騒が無言になった。心なしか、寒い風が教室を吹き抜けたような気すらする。その中で唯一志騎だけがきょとんとした表情を浮かべていたが、やがて得心したのか掌をぽんと叩き、

「……ああ、なんで突然志騎って言ったのか分からなかったけど、今のは俺の名前とシャキっとをかけたギャグだったのか」

「ギャグの説明をしないでぇえええええええええっ!!」

 悪意のない志騎の言葉に在人が叫ぶと、周りの生徒達が口々にこんな事を呟き始めた。

「また始まったよ、高橋のギャグ……」

「高橋君、良い人なんだけどね。あの笑えないギャグだけが欠点なんだよね……」

「ちょっと待って! 笑えないってみんな俺のギャグそんな風に捉えてたの!?」

 散々な評価に再び在人が叫ぶが、悪意があるわけではなくただ単にいじられているだけのようだ。どうやらこの高橋在人という人物はクラス委員という事もあって、クラスのムードメーカーであると同時に全員から慕われているようだ。

 そんな時、朝会の時間が終わった後だというのに教室の後ろの扉がガラッと開けられた。入ってきた生徒を見て、志騎は思わず目を丸くする。

 入ってきたのは一人の男子生徒だった。なのだが、頭には包帯を巻いており顔には絆創膏、髪の毛はボサボサに乱れており、何かトラブルが起こったのは明白だった。顔立ちは整っているのだが体格の方は細く、言い方を変えると貧弱とも言えた。すると少年が入ってきた事に気づいた在人が少年に駆け寄り、

良太(りょうた)! もう大丈夫なのか?」

「うん……。保健室の先生にも授業に戻って良いって言われたから……。あれ、その人は?」

 そこで良太と呼ばれた少年の視線が席に座っている志騎に向けられ、在人が志騎の紹介をする。

「ああ。今日クラスに編入してきた天海志騎だ。天海、こいつは佐藤良太」

「佐藤良太です。よろしくね」

「あ、どうも、よろしく……」

 先ほどの在人と同じように差し出された右手を、志騎は自分の右手で握り返す。こうして手を握っても弱々しい右手で、思いっきり握ったら折れてしまうんじゃないかと思えるほどだった。握手を解くと、志騎は良太の頭の包帯を見ながら尋ねる。

「頭、どうしたんだ?」

「大した事じゃないんだよ。今日自転車で登校したら、学校近くの電柱に正面衝突しちゃって……。それでついさっきまで保健室で治療してもらってたんだ」

「それは十分に大した事だ! 病院行けよ!」

 何をどう解釈すれば大した事じゃないと言えるのか逆に志騎は聞きたかった。一方、良太の方はあははと笑いながら、

「本当に大した事じゃないんだよ。この前は川に自転車ごと落ちたし、その前は坂道を下ってたらガードレールに衝突して勢いで空を飛んだし……」

「気が付いたら木の上に引っかかってたって事もあったもんな」

 その時の事を思い出しているのか、腕組みをして目を閉じながら在人が呟く。

「…………」

 あまりに衝撃的な話に、志騎は思わず口をぽかんと開けて黙り込んでいた。

 そして理解する。この生徒は、銀とはまた別のベクトルのトラブルメーカーだと。おまけに彼女を上回るほどの不幸体質の持ち主。まさか編入したクラスでこれほど個性的な生徒と立て続けに会うとは……。

 志騎が呆然としていると、授業開始のチャイムが鳴り生徒達がぞろぞろと席に戻る。在人も自分の席に向かいながら志騎に振り返って、

「じゃあ天海、本当に何か困った事があったら言えよ!」

「僕も、何かあったら力になるよ」

「お、おう。ありがとう」

 そう言いながら二人は席に戻り、次の授業の準備をする。戸惑う事は多かったけれども、この二人とは何となく仲良くなれそうだなと志騎は思った。

 

 

 

 

 

 

 そして中学に編入して一日目の授業は、これといったトラブルはなく終わった。二年間のブランクはあったものの事前に復習と予習をしていたため授業には問題なくついてこれたし、学校について何か分からない事があっても宣言通り在人と良太の二人が教えてくれた。まぁ、昼食の時間にまだ志騎に質問があった生徒達が押し掛けてきた事が、トラブルと言えばトラブルだったかもしれないが、それ以外は本当に何の問題も無い一日だった。忘れていた学校生活というものを、早々に志騎は思い出す事が出来た。

 全ての授業が終わり志騎が鞄に教材をまとめていると、一足早く帰りの準備を済ませていた在人と良太が近づいてきた。

「この後天海は部活に行くのか?」

「ああ。そう言えば、二人は何か部活とか入ってるのか?」

 分からない事があったら教えてはもらったものの、それ以外の事に関しては二人と話す事はほとんどなかった。編入一日目という事もあるが、クラスメイト達の志騎への質問が多くて二人と話をする暇がほとんどなかったからだ。

「俺はお笑い研究部! まぁ運動部と比べると部員は少ないけどな」

「僕は入ってないけど、いつも帰って家の手伝いをしてるんだ」

「手伝いって、お前の家何してるんだ?」

 すると、良太の代わりに在人が答えた。

「良太の家は喫茶店なんだよ。学校が終わると、いつも家に帰って手伝ってるんだ」

「そうなのか……。大変だな」

 まだ中学生の身で家業の手伝いを行い、加えて勉強もこなさなくてはならない事を考えると佐藤良太という少年は中々ハードな生活を送っていると言える。しかし良太の方はそんな事苦にもしてないように笑いながら、

「そんな事ないよ。手伝いは手伝いで楽しいし。そうだ、時間があったらお店においでよ。うちのコーヒーは美味しいし、お客さんが来たら姉さんも喜ぶから」

「あ、ああ。時間があったらな……」

 珍しく志騎の歯切れが悪いのは、コーヒーがあまり好きではないからだ。しかし目の前の少年にそんな事を言えるはずもなく、曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁す事にする。

「じゃあ天海、また明日な!」

「またね」

 二人はそう言って志騎に手を振りながら、教室を出て行った。志騎も手を振り返すと、ふぅと一度息をついてから表情を引き締める。……在人と良太の前では平静を保っていたが、実は志騎は少し緊張していた。初めて部活に行くというのもあるが、彼の入部希望の部活がちょっと特殊だったからだ。

「……行くか」

 内心行きづらいが、行かないという選択肢は残念ながらない。志騎は鞄を持つと、目的の部活へと向かって教室を出た。

 

 

 

 

 

「勇者部入部希望の、乃木園子だぜー!」

「同じく勇者部入部希望、三ノ輪銀っす!」

「んなぁっ……! 乃木園子に、三ノ輪銀……!? あの……!?」

 突然勇者部の部室である家庭科準備室にやってくるなりテンションの高い自己紹介をした園子と銀に、驚きで目を丸くしている夏凜の手からにぼしが落ちる。

 夏凜は銀と園子とは出会った事は無いが、大赦の中では勇者である二人の名前は当然有名だ。先代の勇者にして、瀬戸大橋の戦いで大量のバーテックスと戦った伝説の勇者。その二人が突然目の前に現れたのだから、夏凜が驚くのも無理はない。一方彼女の横にいる東郷は、園子の言葉に驚く事も無くただ温かい笑みを浮かべていた。

「二年前、大橋の方で勇者やってたんだぜぇー。改めて、よろしくお願いします!」

「アタシも園子共々、よろしくお願いします!」

 ぺこりと、勇者部五人の前で園子と銀がお辞儀する。入部希望の二人に、樹と友奈がわぁーと声を上げた。

「なんで……伝説の勇者が……こんな所に……?」

 こんな所にとは結構な言い草だが、大赦の間でも伝説と讃えられている二人が一挙に入部してくれば仕方ない。園子は顎に指を当てて、

「んー、うちにいてもやる事ないから?」

「そんな理由で……」

「まぁぶっちゃけ、アタシ達小学校中退だしな!」

「そんな重い事をしれっと……」

 あはははははは、と笑う銀と園子に夏凜が顔を引きつらせる。しかし紛れもない事実である。園子と銀は満開のせいで動く事すらままならなくなり、もう一人に至っては死んだ事にされていたため、園子と銀は神樹館を中退し、志騎は葬式すら挙げられる事無くお役目中に死んだ事として処分されていたのだから。

 と、三人のやり取りを聞いていた風が部員達に説明する。

「お役目から解放された乃木さんと三ノ輪さんは、普通の生活を送る事を大赦に要請したの」

「あはははは。でもまさか、本当に普通の生活に戻れるなんて思わなかったよなー」

「『いやー、まったくだ』」

(へ、変な伝説の先輩達……)

 頭を掻きながら笑う銀に、園子が手にしていたサンチョの枕を銀に向けながら裏声で返すのを見て、夏凜は心の中で呟いた。すると東郷が喜びに満ちた声で、

「またそのっちと銀と勉強できるなんて……」

「おっと須美。嬉しいって言いたいのは分かるけど、もう一人忘れてるだろ?」

「もう一人?」

 銀の言葉を聞いた夏凜が怪訝な声を出すと、銀が振り向いて廊下にいる誰かに向かって声を張り上げた。

「おーい! 出て来いよ!」

 その直後、ため息が聞こえてきたかと思うと扉の陰から一人の少年が姿を現した。少女のようにも見える中性的な容姿に、水色がかった白髪という特徴的な髪の毛、讃州中学の男子の学ランを身に纏った少年は困った表情を浮かべながら部室に入ってくる。少年の突然の登場に東郷を除いた勇者部一同が目を丸くしている中、園子と銀が明るく少年の紹介をする。

「私達と同じ先代勇者の一人にしてミノさんの幼馴染~!」

「そして勇者部入部希望者、天海志騎でーす!」

 と、二人の元気の良い声が部室内に響き渡るが、志騎の表情は相変わらず困っているようなままであり、風と夏凜、樹の顔もポカンとしたままである。一方志騎の正体と事情を知っている友奈は「あっ……」と声を上げ、東郷の方は銀と園子が自己紹介をしたときのような笑みを浮かべている。

「志騎君も勇者部に入ってくれるの?」

「いや、入るって言うか……連れてこられたって言うか……」

「良いじゃん別に。一緒に入ろうよー。どうせお前家に帰っても暇だろ?」

「そうだよあまみん。一緒に青春しようよ~」

「いや、そうは言ってもさ……」

 と、神樹館勇者四人組がわいわいやっていると、ようやく我に返った夏凜が言った。

「い、いやいやいや、ちょっと待ちなさいよ! 先代勇者ってどういう事!? だってそいつ男だし、天海志騎なんて勇者聞いた事も無いわよ!?」

 当然の疑問を口にすると、四人は顔を見合わせた。

「……話した方が良いわよね、やっぱり」

「でも、俺の事を知ってるのはお前達と大赦の上層部だけなんだろ? 先輩達が知っても良いのか?」

「話しても良いと思うな~。私は隠し事はしたくないし、あまみんの事を知ったからって酷い事するような人達じゃないよ~」

「ま、いざとなればアタシと園子がどうにかするよ」

 権力乱用と言われるかもしれないが、そうなったのも満開を繰り返して体のほとんどを神樹に捧げた銀と園子を大赦が生き神様として奉った結果だ。文句を言われる筋合いはないし、第一自業自得だろう。

 志騎以外の三人は顔を見合わせて頷き、志騎も渋々と了承した。そして彼女達に真実を話すのは四人の中で一番風達と過ごした時間が長い東郷がする事になった。彼女は振り返るとこほんと咳ばらいをし、四人に話し始める。

「今から話す事は信じられないかもしれませんが、全て本当の事です。友奈ちゃんはもう知っていると思うけど、復習のためにもう一度話すわね。実は――――」

 十分後。

 話し終えた東郷の前には、額を抑えている風と夏凜が立っていた。そんな二人に、東郷が心配そうに語りかける。

「あの、大丈夫ですか二人共?」

 すると風が片手を軽く前に突き出しながら、

「えっと……ちょっと待って東郷。一気に情報が来たから、少し整理させて?」

「はい」

 それから部屋の中が少しの間静かになり、やがて風と夏凜がようやく顔を上げて息をついた。

「つまり……天海さんは東郷達と同じ先代の勇者で」

「はい」

「二年前に死んだと思われてたけど、実は生きてて」

「はい」

「………大赦が作った、人間型のバーテックス?」

「………はい」

 最後の答えに少し間があったのは、やはり東郷自身としては友達の志騎をバーテックスとして認めたくなかったからだろう。いくら志騎が彼自身の事をバーテックスと認めていても、他の三人にとっては大切な友達であり、人の心を持った『人間』なのだ。

「い、いやいやいや。さすがにそれはいくらなんでも無いでしょ。大赦が人間を作ってたとか、兵器として特化した勇者とか色々ツッコミ所があるし、何よりそいつどこからどう見ても人間じゃ……」

「――――これでもか?」

 そう言って志騎が右腕の制服の裾を肘の辺りまでまくって軽く持ち上げると、右腕のバーテックスの細胞のみが変異、肘から先が異形の右腕に瞬時に変化する。

 鋭い爪が生えた、純白の右腕。それを見て風と夏凜が目を見開き、樹は口を抑え、事前に銀から真実を聞かされていた友奈も右腕を見て息を呑む。その右腕はトリックでも特殊メイクなどではなく間違いなく無かった。一同の反応を見た志騎は右腕を元に戻すと、制服を着なおしながら、

「外見は人間と同じだけど、中身はバーテックスと同じ。傷だって骨折程度ならすぐに治るし、極端な話だと心臓と脳が破壊されなければ内臓が壊れたって修復できます。なんだったら頸動脈の一つでも掻っ切りましょうか? その場合は部室が鉄臭くなるので、外でやる必要がありますけど」

 頸動脈は紛れもなく人体の急所の一つだ。そこを掻っ切ろうという言葉がすでに普通ではないし、それをためらいなくやろうとする少年の言葉そのものが、志騎が人間では無い事を証明しているかのようだった。志騎は肩をすくめながら、言葉を失っている風に向かって、

「犬吠埼先輩。あなたが俺の事を入部させたくないって言うなら別に良いです。俺はこの通り人間じゃないですし、今まで殺し合いをしてきたバーテックスがそばにいるのが不安っていうのも分かりますし。得体のしれない化け物がそばにいるのが嫌だって言うなら、俺ふぁああああああああ」

 最後の語尾が変になったのは、話を聞いていた銀と園子と東郷が志騎の頬を左右から引っ張ったからだ。そのせいで志騎の語尾と顔が間抜けな事になってしまい、突然の三人の行動に風達は呆気に取られる。

「あまみ~ん。駄目だよそんな事言ったら~。あまみんが誰かを傷つけるような人じゃないって、私達知ってるんだからね~」

「そうよ志騎君。謙虚は大事だけれど、必要以上に自分を下げる事は悪い事よ?」

「ふぁふぇ。おふぁへはひふはおふぉっふぇふふぁふぉ(待て。お前ら実は怒ってるだろ)?」

「怒ってないよ~?」

「ええ、怒ってないわよ? 全然、もう全っ然っ怒ってないわよ?」

 表情こそ笑ってるし、言動も柔らかだが、勇者部四人は彼女達が志騎の言う通り怒っている事が十分なほど分かった。現に頬を引っ張られている志騎は今も解放してもらっていないのだから。そして頬を引っ張っている銀は風の顔を見て、

「あの、風先輩。志騎の奴こんな事言ってますけど、志騎は大丈夫です。こいつはあんな……人を平気で殺せるようなバーテックスと全然違います。人を傷つけるような事はしないですし、優しいですし。バーテックスが散々酷い事をしてきたんで自分を悪く言う所はありますけど、本当に良い奴なんです! だから……!」

 銀の必死とも言える説得に、風は腕組みをしながら困った表情を浮かべると、頬を引っ張られている志騎の顔を見る。そこで三人がようやく志騎の頬から手を離し、志騎が頬をさすっていると風は顔を近づけて志騎の顔をじっとのぞき込み、しばらく志騎の顔を見てからこう言った。

「――――うん、そうね。私はあなたの入部に反対しない。あなたが入部するって言うなら部長として歓迎するわ」

「「やったー!」」

「「ええっ!?」」

 風の言葉に銀と園子が喜び、志騎と夏凜の二人が驚愕の声を上げる。

「三ノ輪さんがここまで庇うって事は悪い人じゃなさそうだし、あたしの目から見ても人を平気で傷つけるような人には見えないわ。だからあたしも、この人を信じてみようって思う」

「風先輩……」

「お姉ちゃん……」

 東郷と樹が感動したような声を漏らすと、風はポリポリと頬を掻きながら、

「……まぁそれに、勇者部ってか弱い女の子ばっかりだから男手も欲しいって言うか……。東郷が信頼できる人なら、安心して仕事を任せられるって言うか……」

「それが目的かー!」

「か弱い……女の子……?」

 ポツリと漏らされた本音に夏凜が叫び、樹が信じられないものを見るような面で風を見ていた。一方、許可されたはずの志騎はまだ信じられないようで、友奈に尋ねる。

「えっと、結城。お前は良いの?」

「はい! 私も天海さんは良い人だって思いますから!」

「ええー……」

 明るく断言され、志騎は戸惑う事しかできなかった。本当に心の底から思っていそうで、その純真さが逆に怖かった。それから次に樹に視線を向けて、

「えっと、犬吠埼樹……だったよな? お前も良いのか?」

「お姉ちゃんが歓迎するって言うなら全然問題ありませんし、それに何だか……天海さんは信用できる気がして」

「その根拠はどこから来るのか逆に知りたいな……」

 初対面の人間からどうしてここまで信用されるのか分からなかったが、実際に彼女の視線から恐怖や不安などの負の感情は感じられない。彼女も友奈同様、志騎の事を信じているようだ。 

 志騎が未だ戸惑っていると、肩を後ろからポンと叩かれた。後ろを見ると、銀が満面の笑顔で志騎の顔を見ている。

「もう良いだろ? 誰もお前の事を拒絶したりなんかしないよ」

「いや、でも……」

 そこまで言いかけて、志騎はため息をついて続きを言うのをやめた。志騎がバーテックスである事は勇者部に入る上での懸念事項だったわけだが、こうなった以上それを気にする必要もない。正直自分もどうしても勇者部に入りたくないわけではないし、次にお役目があるまでは元々勇者であった彼女達の手伝いをするのも良いだろうと前々から思っていた。なので、ここで強く拒否する必要はもうないのだ。

 志騎はこほんと咳ばらいをすると、風に真正面から向き合う。

 さっきは銀の口から言われてしまったが、こういう事は自分で言う事が大切なのだ。

「――――勇者部入部希望、天海志騎です。よろしくお願いします」

 そう言って、先ほどの二人同様ペコリと頭を下げる。そして入部希望の三人に、風が言った。

「偉大な先代勇者を歓迎します。乃木さん、三ノ輪さん、天海さん」

 こうしてついに、三人の勇者の入部が許可された。と、銀が遠慮するように、

「別に銀で良いですよ、風先輩。アタシ達の方が年下なんですから」

「私の事も乃木とか、園子で良いですよっ、ふーみん先輩」

「……ふ?」

「ああ、園子はあだ名で人を呼ぶ癖があるんです。アタシはミノさんで、須美はわっしー、志騎はあまみんです」

「須美は確か最初すみすけだったかな」

「懐かしいわね……」

 園子の独特のネーミングセンスを聞いて困った表情を見せる風に銀が説明し、その時の事を思い出しているのか東郷がしみじみとした口調で呟く。さらに園子のネーミングは夏凜にも向けられたようで、

「よろしくね、にぼっしー!」

「んなぁっ……! 誰!? それ教えたのは!?」

 夏凜が怒って友奈達の方を向くと、友奈達三人は揃って後ろを振り向き、東郷も夏凜からさっと素早く顔を逸らした。まさかの夏凜を除いた全員が犯人だった。

「樹ちゃんは、いっつん!」

「え、いっつん……?」

「友奈ちゃんはゆーゆかな!」

「わぁ素敵! じゃあ私はそのちゃんとか!」

「おー! それでお願い!」

「うん!」

 どうやら園子の命名は無事に終わったようだ。おまけに友奈とも波長が合うらしい。それから園子は自分が抱えている猫のぬいぐるみを持ち上げると、

「あっ! これはサンチョ! 『よろしくぅ!』」

「よろしく!」

「不思議な人だね……」

「まぁ、園子はあたし達と初めて会った時からこんな感じだったからなぁ……」

 実際園子は他の三人と会った時からこんな感じで、その時から三人はたびたび彼女に振り回された。しかしひとたび戦闘になると一番の閃きと指示で何度も三人を助けてくれた、頼りになるリーダーである。

 園子は勇者部の部室の中を見渡しながら、

「そっか~。みんなこんな風に青春してたんだね~」

「アタシ達には、二年遅れの青春だよな」

 銀と園子の声には、様々な感情が詰まっていた。東郷や友奈達と一緒に二年間を過ごす事が出来なかった事を惜しむ気持ちと、これからみんなとようやく青春を送る事ができる事を喜ぶ気持ち。そしてそれは言葉には出さずとも、志騎も同じ気持ちだった。……例えそれが、本来許されない気持ちだったとしても。

「そのちゃん。銀ちゃん。志騎君」

「……?」

 三人が振り向くと、そこには勇者部五人全員が笑顔で三人を見ていた。まるで、三人の入部を心の底から歓迎するかのように。

「勇者部へようこそ!」

 友奈の言葉に、園子は振り向いて笑顔を浮かべた。

「うん! これから私達も青春するんだー!」

「よーし! 勉強も運動も、頑張るぞー!」

「「おーっ!」」

「……おーっ」

 手を真上に突き出す二人に続いて、志騎も彼女達に合わせて腕を上に突き出した。

「でもそのためにも、早く今の生活に慣れなきゃね~。わっしー、授業中に居眠りしたら注意してね~」

「アタシもアタシも! 今日一日目からちょっと危なかったし」

 二人は今まで体の満足が利かない状態で大赦に祀られていたので、ほとんど寝たきりの状態だった。今はもう体の機能が戻ってきたとはいえ、今まで寝たきりだった生活を早く普通の生徒のものと同じに戻さなければならない。すると東郷が人差し指をピンと立てて二人に軽く注意する。

「しないよう気をつけない駄目よ」

「えへへ~」

「てへへ……」

 と、銀と園子に注意する東郷を見て風が苦笑を浮かべてながら言った。

「なんか東郷がお母さんみたい……」

 風のその言葉は非常に的確と言える。二年前まだ東郷美森が鷲尾須美という名前だった時、四人の中で彼女は普段ボーっとしたり、自身の性格のせいでよく遅刻をしてしまう銀をたびたび注意していたりしていた。なので、東郷がそのような風に見られても無理はない。するといつの間にか椅子に座って、テーブルにタロットカードで占いを行っていた樹が、手にしたカードの絵柄を見て「あっ……」と声を上げる。

「運命の輪……」

「おお~! なんかカッコいい!」

「どういう意味なの?」

 夏凜が尋ねると、樹はカードの絵柄を一同に見せながら、

「運命的な出会い!」

 樹の説明に、園子と東郷、さらに銀がおお~と声を上げた。

「私達、運命の子~!」

「運命の子ー! イエーイ!」

「ふ、福徳えんまーん……!」

 嬉しかったのか、銀と園子は互いに両手でハイタッチを交わしたり、困ったように笑う東郷ともハイタッチを交わしていた。

「……避けられない大きな事態って意味もあるけど……」

 苦笑した樹は小さく呟くが、その言葉が園子の耳に入る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「え、じゃああんた刑部姫の息子なの!?」

「うん。正確には、刑部姫の記憶と性格の元となった大赦の科学者、氷室真由理のだけどな」

 放課後、園子、銀、志騎という新入部員を加えた讃州中学勇者部は歓迎会を兼ねて勇者部行きつけのうどん屋『かめや』でうどんを食べていた。なお、店に来た時にうどんよりもラーメンが大好きな志騎と『うどんは女子力を上げる』と豪語するほどうどん好きな風の間に一悶着あったのだが、東郷によってそれはそれはうまく治められた。うどんをすする志騎の顔を、二杯目のうどんを食べながら風がじろじろと見て、

「そう言われて見れば確かにちょっと顔立ちが似てるわね……。性格は全然似てないけど」

「まぁ俺を育ててくれた人が真面目な人でしたからね。礼儀作法とか言葉使いは徹底的に叩き込まれましたから。……今考えるとあれはたぶん、俺が刑部姫みたいにならないようにするためだったんでしょうけど」

『あぁ……』

 志騎の言葉に、彼以外の勇者部一同は納得の声を出すと同時に、全員の脳裏に刑部姫の高笑いが響く。これ以上ないほどの説得力を持つ言葉だった。

「そういえば、刑部姫さんは最近どうしているんですか?」

 そう尋ねたのは樹だった。風達に聞いた所、どうやら彼女は勇者部の中で一番刑部姫と関わっていたらい。もくもくとうどんを咀嚼して飲み込んでから、樹に答える。

「元気だよ。引っ越しの時も俺と銀と一緒に荷ほどきをやって銀をからかってたし。……勇者部には顔を出してないのか?」

「……はい。だからもしかして、刑部姫さん私達の前に顔を出すのがきまずいのかなと思って」

 刑部姫は満開の事を知っていながらも、勇者部にそれを話さず黙っていた。結果的に勇者部の面々は体の機能をほとんど失い、風と東郷の暴走を招いてしまった。だから刑部姫もそれを気にしているのだろうか……と樹は思っていたのだが、彼女の性格をよく知っている神樹館四人組は顔を見合わせると、手の平を横に振って、

「いや、ないな」

「刑部姫がそんなに殊勝だったら私達も苦労してないわよ」

「大方勇者部に顔を出すのが面倒臭いだけなんじゃない?」

「私もそう思うな~」

 四人からの何の遠慮もない言葉の集中砲火に、友奈、風、樹、夏凜の四人が顔を引きつらせる。樹は四人に、恐る恐ると言った表情で尋ねた。

「あの……もしかして皆さん、刑部姫さんの事嫌いなんですか?」

「「「え? もちろん」」」

「……まぁ俺は、作ってくれた恩もあるから、そこまでだけど……」

 言葉を濁す志騎とは対照的に、三人の言葉はすっぱりとしたものだった。風も夏凜も刑部姫の事は良くは思っていないのだが、さすがにここまで断言されると思わず顔が引きつってしまう。刑部姫が三人に一体何をしたのか、四人には非常に気になった。

「なんか、樹って刑部姫の事随分気にかけてるけど、何かあったの?」

「えっと、それは……」

 銀の質問に樹がごにょごにょと口の中で何かを呟いていると、夏凜が横から質問に答える。

「なんでか分からないけど、樹の奴刑部姫に随分懐いてるのよ。最近も、刑部姫が顔見せないからちょっと寂しそうだったし」

「なつ……く……?」

「刑部姫に……?」

 樹の歌のテストの一件を知らない志騎と銀と園子は驚愕の表情で顔を見合わせると、心の底から樹を心配する表情を浮かべて口々に彼女に言う。

「大丈夫か? 刑部姫に洗脳されてない?」

「それか寝てる間に脳に何か改造でもされたんじゃないのか?」

「良い病院を知ってるから、今度私達と一緒に検査に行ってみない?」

「洗脳か改造前提なんですか!?」

 どうやらこの三人にとって、刑部姫に懐く=洗脳or脳の改造らしい。あまりの信用の無さに、樹はこの場にいない刑部姫に心の底から同情した。

「そう言えば志騎。刑部姫、何か大赦から連絡があるとか言ってなかった?」

「いいえ、特に何も言ってませんでしたよ」

「そう……」

 志騎に尋ねた風は浮かない顔をしていた。先日勇者がレオ・バーテックスを倒してから、大赦の連絡は一方通行となっており風や夏凜がメールをしても返信などは返ってこない状態になっていた。大赦所属の精霊である刑部姫を相棒に持つ志騎ならば、何か連絡を受けてないかと気になっていたのだろう。なお、刑部姫が志騎の先代の相棒であると知った時夏凜は、『そうなんだ……』と同情した視線を志騎に送っていた。夏凜は一時的とはいえ刑部姫の仮のパートナーとなっていたので、あの刑部姫を相棒に持つ事がどれだけ大変な事か分かったに違いない。

「アタシ達の方にも特に連絡とか来てないよな?」

「うん。今まで通りの生活をとしか言われてないよね~」

 今だ大赦の中でもそれなりの権力を持つ園子と銀に対してもそれだけしか言わないという事は、どうやら二人に対しても大赦は積極的な連絡はしていないらしい。まぁ、それだけ二人が自由に過ごせると考えれば悪い事ではないだろうが、正直大赦は勇者達にかなり隠し事をしていたのでこの沈黙もその一つではないかと勘繰ってしまう。すると、一同の話を聞いていた友奈が明るく言った。

「大丈夫だよ! しばらくバーテックスが襲ってくる事はないって聞いたし、銀ちゃんやそのちゃんや志騎君も勇者部に入ってくれたし! 今はたくさん、楽しい時間をみんなで過ごそうよ!」

 まさに花のような笑顔を浮かべる友奈に、自然と七人の表情も綻んだ。

「そうね。勇者部も三人増えて八人になったし、やれる事がますます増えたわ! 明日からまたたくさん動くわよ! そのためには、まずはたくさん食べる! すいません、うどんお代わり!」

「三杯目……」

「すいません! アタシもうどんお代わり!」

「お前もかよ!」

 風と競うかのように銀もうどんのお代わりを店員さんに頼み、志騎がツッコむ。運ばれてきたうどんを風と銀がもっしゃもっしゃと食べていると、園子が樹にこんな事を言った。

「そうだ! ねぇいっつん、今度占って欲しい事があるんだけど、良いかな?」

「はい、大丈夫です。何を占って欲しいんですか?」

「えっとね~。ちょっと耳貸して?」

 言われた通りに樹が園子の方に左耳を出すと、園子が彼女の耳にこしょこしょと何かを言う。直後、樹の口から「ええっ!?」と驚きの声が飛び出した。

「ちょっと樹、どうしたのよ!?」

「な、なんでもないよ! あの、園子さん。それってもしかして……」

 樹がちらりと志騎と銀の二人を見る。志騎は腕を組みながら、銀はうどんを食べながら怪訝な表情を浮かべていた。一方、尋ねられた園子は嬉しそうな表情で、

「うん。そうなんよ~。(……今はミノさんの片思いだけどね)」

 後半の部分は小声だったので、樹以外の人間には聞こえなかった。しかし樹の方は頬を紅潮させると、

「そ、そうなんですか……。銀さん!」

「ん、何?」

 うどんを飲み込んだ銀が顔を樹に向けると、樹は両手を握って気合のこもった表情を浮かべ、

「私、応援してますから、頑張ってください!」

「お、おう? なんかよく分からないけど、ありがとう!」

 何故応援されたのかよく分からない銀はとりあえず樹にお礼を言う。一方、妹が当然奇妙な事を言い出した風は困惑した表情で樹に尋ねる。

「ちょ、ちょっと樹。一体どうしたのよ?」

「お姉ちゃんには内緒。また今度教えてあげるね」

「ええー……」

「銀ちゃん、よく分からないけど頑張ってね!」

 樹の言葉に風が戸惑い、樹に乗っかる形で友奈も銀に声援を送り、銀が「おう、任せなさい!」と元気の良い返事をする。そんなわちゃわちゃした様子を見ながら、志騎がポツリと呟いた。

「……なんていうか、賑やかな部活だな」

 それを聞いた夏凜は頬杖を突きながら、柔らかな微笑を浮かべた。

「でも、悪くないでしょ?」

「……まぁ、そうだな」

 素直に答えながら、志騎は目の前に置かれているコップを手に取ると、中に入っている水を静かに飲む。

 こうして、天海志騎の中学生活は、騒々しい少女達の声と共に始まるのだった。

 

 

 




 今回出てきたオリキャラである高橋在人と佐藤良太の設定・説明は以下になります。


 高橋在人
 志騎のクラスメイトの少年。人懐っこく明るい少年で、クラスのムードメーカー的存在。人を笑わせる事が好きでたびたび自作のギャグを披露しているが、それが受けた事はあまりない。不思議なカリスマ性を持ち、クラスメイト達から信頼を受けている。実はどこかの社長の孫という噂もあるようで……? 人の『夢』について強い情熱を持っており、誰かが大切にしている夢はなんであろうとも馬鹿にする事は無く尊重し、それを馬鹿にする人間には強い怒りを見せる。
 座右の銘は父の言葉である『夢に向かって飛べ』




 佐藤良太
 良太と同じく在人のクラスメイトの少年。銀と同等かそれ以上の不幸体質の持ち主で、しょっちゅう怪我をしている。見るからに弱々しい体躯で性格も気弱だが、どんな不幸にあっても決してめげる事は無く、他人の幸せを心から願う事の出来る肉体とは対照的に強い心の持ち主。姉は喫茶店を経営しており、放課後は店の手伝いをしている。その姉には婚約者がおり、仲は非常に良く良太とも良好な関係を築いている。タイプが違う在人とは仲が良く、よく二人でつるんでいる。
 座右の銘は婚約者の言葉である『弱かったり運が悪かったり何も知らないとしても、それは何もやらない事の理由にはならない』



 一人友奈達とは違うクラスに編入する事になった志騎の友人としてこの二人を考えました。一般人ですので勇者や大赦とは関係が無いですが、志騎の日常を象徴すると共に志騎に大切な事を教えられる人間としても書いていますので、これからもちょくちょくと出番はあります。なお、性格や考え、座右の銘から分かる通りこの二人のモデルはある仮面ライダー作品の二人の主人公です。実はもう一人仮面ライダー作品の主人公をモデルにした人物がいるのですが、そちらはもう少し話が進んでから書きたいと思います。




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第四十三話 犬吠埼姉妹との一日

刑「ついに新年が明けたな。今年はついに最終章に突入し、この物語も完結するはずだ。今回の話はタイトル通り犬吠埼風と樹との話になる。一見ほのぼのとした話になりそうだが、結構シリアスな話も入ってくるから気を付けるように。ちなみに次は三好夏凜との日常回になる予定だ」
刑「では第四十三話、楽しんで来い」


「え、じゃあ天海が入ってる部活ってあの勇者部なのか?」

 昼休み、昼食である総菜パンをかじりながら在人が驚いたように言った。自作の弁当を食べていた志騎はこくりと頷き、

「ああ、そうだよ。ってか、もしかして勇者部って結構有名なのか?」

 在人の言葉が気になった志騎が横に座る良太に視線を向けると、彼は姉特製だという弁当を食べながら首肯する。

「たぶんこの学校で勇者部の事を知らない人はいないと思うよ? 色んな部活に助っ人してくれてるし、ボランティアで新聞に載った事もあるし」

「それに、色々な意味で個性的な人達だからな……」

 在人の言葉に、志騎は頷かざるを得なかった。彼の言う通り、勇者部の面々は良くも悪くも個性豊かである。おまけに先日は自分に加えて銀、そして個性が服着て歩いているような少女である園子が入部したのでさらに拍車がかかった事だろう。

 讃州中学に編入してから、志騎は高橋在人と佐藤良太とこうして教室で一緒に昼食を取るようになった。最初クラスで一人昼食を食べていた志騎に、一緒に飯を食べないかと在人が声をかけたのがきっかけだ。それ以来三人はこうして固まって一緒に昼食を食べている。

 食事の内容は、志騎と良太が弁当で在人のみが総菜パン。良太はいつも姉が作ってくれているという弁当を持ってきている。美味しそうな事は美味しそうなのだが、気になる点として時々変な色合いの料理が中に入っている。   

 例としてこの前の良太の昼食はおにぎりだったのだが、何故か色が緑色だった。それで志騎が少し辛そうにおにぎりを食べていた彼にどんな味がするのかと聞いてみた所、ニンニクわさびの味だったらしい。きっと不幸体質の弟の事を思って作ってくれたのだろうが、いくら何でもそれはチャレンジし過ぎではないかと志騎は思った。

 対照的に在人はいつも購買で購入した総菜パンを食べている。確かに総菜パンは美味しいが、いつもそれでは栄養が偏ると思うので、時間があったら彼に弁当でも作ってやろうかと志騎は思っていた。

「でも、女子ばっかりの中で男一人ってちょっと居づらくないか? まぁ他の連中から見ると羨ましいかもしれないけど……」

「サッカー部の田中君なんて、『あんな可愛い子達に取り囲まれて、天海の奴が羨ましい!』って叫んでたもんね」

 個性豊かとはいえ、勇者部の面々はほとんどが美人である。そのような女子達が集まる勇者部に一人だけ男である志騎が混じっているのだから、そのようなやっかみの声が出るのも無理はないだろう。

「……可愛い子達、ねぇ……」 

 おかずのピーマンをつまみながら、志騎は小さく呟いた。確かに彼女達は外見は可愛いし美人だとは思うが、中身は個性がぶっ飛んでいる者も多い。

 友奈の事になると突飛も無い行動を起こす東郷美森。

 頼れる先輩ではあるが食欲の権化である犬吠埼風。

 勇者部きっての火の玉ガールである幼馴染、三ノ輪銀。

 個性の塊である乃木園子。

 彼女達が紛れもない善人である事は分かっているし頼りになる事は十分に分かっているのだが、彼女達に可愛いというだけで近づこうものなら振り回されるどころかスポーツカーのドリフト走行ばりにぶん回され、しまいには吹き飛ばされて終わりだと志騎はわりと酷い事を思った。その田中とやらが、下手な行動に出ない事を今は祈るばかりである。

「そう言えば他のクラスの人から聞いたんだけど、乃木さんって神樹館の出身らしいね」

「それ俺も聞いた! しかも東郷さんや三ノ輪さんも神樹館の出身らしいな。あれ? って事は天海、お前も……」

「ああ。そうだよ」

「マジで!?」

 まぁ、俺達の場合は中退だけど……と内心で呟く志騎を前に、在人は目を見開いて驚いていた。彼のそのような反応も当然で、志騎達が通っていた小学校は『神樹』という名がつくだけあって格式が高く、お坊ちゃまやお嬢様しか入れない。なので神樹館に通っていたという事自体が、一種のステータスになるのだ。まぁ東郷達三人も志騎も、それを鼻にかける様な人物ではないが。

「そっかー。東郷さん達や天海はお嬢様お坊ちゃまだったのか……。天海は正直ちょっと意外だったけど、東郷さんはなんか納得だなぁ……。見るからにお嬢様って感じだったし……。って、ちょっと意外って言うのはさすがに失礼か。悪い」

「別に良いよ。それよりもしかしてお前、東郷の事が好きなのか?」

 彼の口ぶりから推測して志騎は尋ねたのだが、在人は「いや?」と言って首を横に振る。と、横で二人の話を聞いてた良太が言った。

「在人は結城さんが好きなんだよ」

「お、おい言うなよ良太~!」

 在人は照れたように笑いながら良太の肩を叩いた。それに志騎が目を見開くが、ありえない話ではない。友奈は能天気でちょっと天然気質な所はあるが、その分明るくて他人の事を思いやれる少女だ。在人のように彼女に想いを寄せる男子はいるだろう。

「そうだったのか……。でもそうなら、さっさと告白した方が良いんじゃないか? きっとお前と同じように友奈の事が好きな男子は他にもいるだろ」

 うかうかしていたら、他の男子が先に彼女に告白してしまいかねない。志騎が言うと、良太を叩くのをやめた在人は後頭部を掻きながら、

「いや、まぁそれもそうなんだけどさ……。ちょっと理由があるって言うか……」

「……照れ臭い?」

「いやまぁそれもあるけど! もう一つ理由があるんだよ……」

 歯切れが悪くなった在人の顔を志騎は怪訝な表情で見つめていたが、先ほどの在人の言葉を思い出し、彼がどうして告白をためらっているのかその理由に気づく。

「……東郷か」

「……うん、正解」

 在人が頷くのを見て、志騎はため息をついた。

 東郷美森。天海志騎、三ノ輪銀、乃木園子の親友であり、二年前鷲尾須美という名前だった少女。

 そんな彼女が、友奈と出会ってすっかり変わった。根っこの部分は変わっていないが、友奈の事になるとタガが外れるというか少しおかしくなる。ひそかに『友奈の最強のSP』、『友奈について分からない事があったら友奈よりも東郷に聞け』、『友奈に変な事をしたら翌日どこかの山に埋められる』などと言われるほどである。銀ですらも、『あの須美がここまで変わるなんてな……』と遠い目で呟いていた。

 どうやら在人は本能的に、友奈に告白したら自分の身が危うい事を察知していたらしい。臆病と誰かは言うかもしれないが、これも立派な生存本能であり、むしろ東郷の危険性を察知しているだけ彼の危険察知能力は非常に高いと言える。この時志騎の中で、彼に対する評価がまた上がった。

「確かに東郷さんは美人だけど……。なんていうかその、ちょっと迫力というか……凄みってものがあるよね」

 在人の意見に同感らしく、良太が恐る恐るという感じで呟く。在人は椅子にもたれかかりながら悩んだ声を出し、

「確かに結城に告白したいとは思うし、そのためにはまず仲良くなる必要があるとは思うけど……。仮に仲良くなって告白したとしても、東郷さんが正直怖くて……」

「まぁ、最悪吊るされるか撃ち抜かれるか、拷問されるかだな」

「拷問まで行くの俺!?」

 自分の末路に恐怖したように在人が叫んだ。まぁ誰だって拷問されると言われれば怖くなるだろう。それから在人がしばらく背もたれにもたれかかって何かを考え込んでいると、志騎が在人にこんな提案をした。

「なぁ高橋。なんだったら、俺がお前と友奈の仲を取り持ってやろうか?」

「………え?」

 予想外の志騎の言葉に在人が顔を上げると、志騎は頬杖を突きながら、

「同じ部員だから友奈とは結構話すし、俺からお前の事を紹介する事も出来る。そうすればぐっとお前と友奈の仲も近づくし、悪い話じゃないんじゃないか?」

 誤解のないように言っておくと、誰に対してもこんな事を言うほど志騎はいい加減な人間では無い。ただ在人に対しては自分の事を色々と助けてくれる恩があるし、何よりも彼は一見するとあまり面白くないギャグを飛ばすムードメーカーと見られがちだが、実際は困った人間を放っておかない心優しい少年である。つまりは、友奈と同類なのだ。彼ならば友奈の事を紹介したとしても間違いは起こらない。そう判断しての言葉だった。

 しかし在人は腕を組んでうーんとしばらく何かを悩んだ後、はっきりと志騎に告げた。

「いや、良いよ」

「……良いのか? 関係を築くのも、告白するのも難しくなるけど……」

 志騎という助けが無くなる以上、それらの難易度が増すのはまず明らかだ。それは在人自身も分かっているはずなのに、どうして断ったのだろうか。すると在人は机の上で手を組んで静かに言った。

「天海が手助けしてくれようとしてるのは嬉しいし、実際そっちの方が楽かもしれない。だけど……結城ときちんと仲良くなって告白するなら、やっぱり俺の力じゃないと駄目だと思うんだ。……それに、そのやり方はなんかそのためだけに天海と仲良くなったみたいで、嫌なんだよ。まだクラスメイトになってそんなに経ってないけど、俺は天海の事を友達だって思ってる。友達を利用するような事はしたくない」

 嘘をついているようには見えなかった。当然だ。彼が言ったように自分達はまだ知り合って間もないが、彼は平然と嘘をつくような人間でもなければそもそも嘘をつくような人間でもない。だからこそ、自分達にきちんと理由を話してくれたのだろう。そして、だからこそ彼はクラスメイト達から信頼を置かれているのだ。

 話し終えると、在人はニッと口元に明るい笑みを浮かべた。

「まぁそういうわけだから! 俺はしばらく一人で頑張ってみるよ」

「………そっか。分かった。だけどさすがに東郷がお前を殺しに行く時は助けに行くよ。知り合いを人殺しにはしたくないし……その……お前は……」

 と、口ごもる志騎の言葉を継ぐように、良太が笑みを浮かべて続けた。

「……友達、だから?」

「まぁ、そうだ。うん」

 すると志騎の言葉に感動したのか、在人は今度は志騎の肩をバンバン叩きながら、

「ありがとな、天海! よし! いつか勇気を出して、結城に告白するぜ! はい! アルトじゃぁああああああないとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 人差し指を思いっきり二人に突き出しながら叫び、三人の間に沈黙が降りる。なお、周りのクラスメイト達は在人のそんな行動にはもう慣れっこなのか、誰一人リアクションを取らなかった。

「……何、今の」

「あれだよ。勇気と友奈の苗字の結城をかけた、すごく面白いギャ……」

「だからギャグの説明をしないでぇええええええええええええええええええええっ!!」

 さっきの格好いい姿はどこへやら、在人がギャグの説明をする志騎に悲鳴を上げながらしがみつく。そんな二人を見て、良太は困ったように笑いながらこう思う。

 もうこの二人はコンビを組んで漫才をした方が面白いんじゃないかな? と。

 

 

 

 

 

 

 放課後、勇者部の部室である家庭科準備室の前に来た志騎はドアを三回ノックし、風のはーいという声を確認してからドアを開ける。

「天海志騎、入ります」

「よっ、志騎!」

「志騎さん、こんにちわ!」

「ん」

 自分に挨拶してくる銀と樹に、志騎は片手を上げて挨拶を返す。どうやら自分以外はすでに来ているようで、東郷は勇者部のホームページのチェックを行い、友奈と風は今日の依頼の確認をし、園子は部室にやってきた志騎に「あまみんこんにちわ~」とひらひらと手を振り、夏凜は右手を上げて挨拶をしながらにぼしを食べている。

 幼馴染の銀と親友である東郷と園子を除き志騎が勇者部の中で特に話をするのは、意外というか樹だった。刑部姫に懐いていた彼女は遺伝子上の息子である志騎にも懐いており、ちょくちょく話をしている。その次に樹繋がりで風、友奈、そして最後に夏凜と続く。夏凜とは他の面々と比べると話す回数が少ないが別に嫌われているわけではなく、必要な時にはきちんと会話をするし雑談もする。なのに会話が少ないのは、風曰く『唯一の男の子だから、照れてるのよ』との事らしい。まぁ、その後顔を赤くした夏凜に風が追いかけまわされていたので、風の冗談かもしれないが。

 と、そこで在人の事を思い出した志騎は、ホームページのチェックが終わり一息ついている東郷に声をかける。

「須美……あ、いや、東郷」

「別にどっちでも良いわよ?」

 言い直す志騎に東郷がやんわりと言う。まだ二年前彼女を須美と呼んでいた癖が残っているせいで、時々東郷を須美と言い間違えてしまう。しかしそれについては彼女はあまり気にしてないらしい。実際、銀も園子も東郷の事を鷲尾須美だった時の名前とあだ名で呼んでいるので、東郷本人からすると本当にどちらでも構わないのだろう。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」

「ええ」

「もしもの話だけど、友奈の事が好きな奴がいて、そいつが友奈に告白したらどうする?」

「拷問にかけます」

「ためらいがない!」

 まさかの即答だった。しかも笑顔のままなのがさらに恐ろしい。志騎はごくりと唾を飲み込むと、さらに続ける。

「で、でも撃ち抜くんじゃないんだな。お前の事だから、即ヘッドショットかと」

「もう、志騎君ったら。そんな事をするはずがないじゃないですか」

 拷問にかけると言っている人間が何を、という言葉を必死に呑み込みながら志騎は無理やり笑い、

「そ、そうだよな。さすがにお前でもそんな事は……」

「ええ、そうよ。頭部を打ち抜くのは拷問にかけてから」

「…………」

 ためらい・優しさがゼロの言葉だった。と、そこで志騎は恐ろしい事実に気づき、東郷に尋ねる。

「あのさ、須美。もしも拷問にかけて友奈の事が好きな事が本当だって分かったら……」

「撃ち抜きます」

「……嘘だったら?」

「友奈ちゃんの純情を弄んだ罰として、撃ち抜きます」

 ……どうやら友奈に告白した時点でその人物の生存確率はゼロになるようだ。在人が告白をためらっていたのは、本当に正解としか言いようがない。あいつの恋路は前途多難だな……と志騎は友人の顔を思い浮かべながら心の中で呟いた。

 そして志騎が顔をひきつらせていると、東郷が「ところで」と笑顔のまま口を開く。

「どうして、志騎君がそんな事を言うの? あなたには銀がいるし、あなたと友奈ちゃんは仲が良いけれど恋愛関係にはさすがになっていないようだし……。まさか、友奈ちゃんに誰かが告白しようとしているとでも………?」

 言葉と目が絶対零度の冷たさを帯びていき、心なしか部室の中の気温が一気に下がる。すると異常事態に気づいたのか、二人以外の勇者部の面々が怯えた表情で東郷に視線を向けている。それに気づいた志騎が助けを求めるように六人にアイコンタクトを向けるが、残念ながら六人はさっと顔を背けてしまった。しかし立場が反対だったら志騎もきっと同じ事をしたので、彼女達を責める事は出来ない。志騎は東郷の絶対零度の視線に真正面から立ち向かうと、彼女を落ち着かせようと口を開く。

「だから、もしもだって言ってるだろ? 今日友達との間で勇者部の人達は可愛い女子しかいないって話があったから、それで聞いてみただけだよ」

「あら、そうだったの」

 すると東郷も落ち着いたのか、辺りを支配していた冷気が一気に治まる。それにほっとするのも束の間、志騎の話を聞いていた風が何故か胸を張って、

「ねぇ夏凜、聞いた!? 可愛い女子だって! やっぱり女子力が高いと辛いわね~」

 するとドヤ顔で語る風にイラっとしたのか、夏凜が負けじとこんな事を言う。

「か、かめ屋でうどんを何杯も食べてる奴のどこが女子力高いのよ!」

「はぁ!? うどんは女子力を上げるって前から言ってるでしょ!?」

「ただあんたが食いしん坊ってだけでしょ! この女子の皮被った獣!」

「誰が獣よぉおおおおおおおおおおおっ!」

 夏凜と風が取っ組み合いを始めるが、それだけでは止まらないのが勇者部だ。志騎の話を聞いてた友奈は恥ずかしそうに頬を赤く染めて、

「か、可愛いって……。ねぇ東郷さん、私って、可愛いの?」

「無論よ。ねぇ? そのっち」

「うんうん! ゆーゆもいっつんもすごく可愛いよ~!」

「わ、私もですか!? で、でも私よりも銀さんの方が可愛いと思いますよ!? 志騎さんもきっとそう思ってます!」

「ちょ、ちょっと待って! さすがにそれは、あって欲しいようなやっぱりないと思うと言うか! ア、アタシはどう答えた方が良いんだこれ!?」

「もちろんあって欲しいって答えるんだよ~。はいあまみん! あなたはミノさんが可愛いって思いますか~!?」

「ちょ、園子ぉ!?」 

 ぎゃーぎゃーわーわーと瞬く間にカオスになってしまった部室に、志騎はちょっと困ったような表情を浮かべながらどこからか金槌を取り出して独り言を呟く。

「……とりあえず、これで全員の頭を叩けば正気に戻るかな?」

 このような騒ぎが起こるたびに思うが、部員と言うかまるで保父さんになった気分である。心の中でそんな事を思いながら、志騎はため息をつくのだった。

 

 

 

 

 

 数分後、ようやく落ち着いた勇者部の面々は部室備え付きの黒板の前に座っていた。風は黒板の前に立つと、本日勇者部に来た依頼の振り分けをする。

「じゃあ今日の依頼の手分けをするわよー。友奈と銀、夏凜は運動部の助っ人に。乃木と東郷は近所の神社の境内の掃除。掃除って言っても神社の神主さん達が手伝ってくれるから、今回は二人で良いみたい。で、志騎と樹はあたしと一緒にポスターを学校の掲示板に張り付けてから、仔猫のチェックね」

 ポスターというのは、最近風と志騎と友奈が作っていた火災注意のポスターだ。もうすぐさらに寒さが厳しくなり、必然的に暖房器具の使用が多くなってくる。とすると当然火災の可能性も高まるので、それに対する警戒を促すようなポスターを作って欲しいという教師からの依頼で三人が作成したのだ。手先が器用な志騎と風、友奈の力作であるポスターは赤い炎が家を焼き尽くすものになっていて、炎の恐ろしさを見るだけで伝える事ができる。なお、このポスターは実は二作目で、最初は家に加えて人が燃える所も志騎が書いていたのだが、その出来栄えがあまりにも怖かったので、勇者部の面々から『怖いって事は伝わるけどここまでする必要はない』、『何があんたをここまでさせるのよ』、『あまみんは結構凝り性だよね~』と散々な評価を受け、書き直した結果が今の二作目だ。なお、仔猫のチェックという活動の内容がよく分からないが、そこは風が道すがらに志騎に説明してくれるとの事だ。

「さすがに今日は暖房器具の修理の依頼はないみたいね」

 と夏凜が唐突にそんな事を言うと、うぐっと何故か風が声を詰まらせ、

「こ、これでも反省してるのよ! あたしもあんなに反響があるなんて思わなかったし、志騎にもちょっと負担かけすぎちゃったかなって思ってるし……」

「ちょっとどころじゃないと思いますけど……」

「修理の依頼、全部志騎君にいっちゃってたもんね……」

 風の言葉に、東郷が困った表情を浮かべながら、友奈が苦笑を浮かべて口々に言う。

 実は志騎が入部した時、彼が機械の簡単な故障なら直せるほど手先が器用な事を志騎と銀から聞かされた風が、ちょうど来ていた壊れてしまったストーブをどうにか修理できないかという依頼を志騎に任せたのだが、その依頼を志騎は難なくこなしてしまった。

 壊れてしまったとは言っても簡単な故障だったので学生の志騎でもなんとかなったのだが、問題はそれで風が調子に乗って……もとい、気を良くしてしまった事だった。これを機に勇者部の活動をさらに広めようと風が『機械修理引き受けます!』と勇者部のホームページに乗せてしまった結果、校内だけでなく学校外からも壊れてしまった機械や暖房器具の修理の依頼が立て続けに舞い込んだ。暖房器具や機械が壊れたままなのは困るが、派手に壊れたならまだしも簡単な故障のためにわざわざ電気屋に金を払ってまで修理を頼みたくない……。そんな人々の切実な願いと風の宣伝、さらに志騎の意外な特技が重なってしまった結果が修理依頼の殺到だった。

 最初は気を良くしていた風だったが、舞い込んでくるあまりの依頼の多さにさすがの彼女も青ざめていた。しかし彼女よりも参ってしまったのは志騎本人だ。人のために活動する勇者部と言えど機械の修理まで行えるのは今の所志騎しかいない。つまり、負担が全て志騎一人に向かうのである。さすがの彼も、一人で一日十件の依頼をこなすのは無理がありすぎる。数を減らそうにも、一日最低十件の依頼をこなさなければ減るどころかむしろ増えていくという悪夢のねずみ算式だった。

 結果、勇者部内で緊急会議が開かれ、勇者部への機械修理の依頼は制限する事となった。これにより志騎の負担は大分軽くなり、他の部員と一緒に活動が問題なく行えるようになったが、混乱をもたらしてしまった反省として風は正座して東郷の説教を一時間される事となった。なお、一時間の説教の後風は足の痺れによってしばらく立つ事はおろか動く事すらままならなかった。

「は、はいはい! 時は金なり! ちゃっちゃっと動くわよー!」

 過去の自分の軽はずみな行動を思い出して恥ずかしくなったのか、風が両手を打ち鳴らすと勇者部一同が行動を開始する。勇者部の中でも特に運動神経が優れており活発な友奈、銀、夏凜は運動部の助っ人に向かい、園子と東郷は神社の境内の掃除の手伝いに向かう。特に東郷は神社など日本の文化が大好きなので、今日の活動に心を燃やしているようだった。

 志騎と風、樹は学校の掲示板に勇者部の力作であるポスターを貼ると、早速チェックする仔猫がいる民家へと向かう事になった。学校を出て歩道を歩きながら、風からの説明を聞いた志騎は顎に手を当てながら仔猫のチェックの内容をおさらいする。

「……つまり、猫を飼うって言っているのはまだ小さい子供だから、寒さが厳しくなる季節になると仔猫の世話が面倒になってまた仔猫を捨ててしまう恐れがある。だから定期的に仔猫の様子を見に行って、ちゃんと世話ができているかなどを確認しに行く……って事ですか?」

「そっ。二ヶ月前にも様子を見に行って、その時もきちんと世話ができてたから問題はないと思うけど、一応念のためにね」

「でも今日チェックに行って問題が無ければもう私達が確認に行く必要は無くなりますから、もしかしたら志騎さんが仔猫のチェックに行くのは今日が最初で最後になるかもしれないですね」

 樹がそう言うが、できればその方が良いだろう。今日が最初で最後にならないという事は飼い主の仔猫の世話が杜撰になってしまうという事を意味している。仔猫の事を思うのならば、そうならない方が一番良いに違いない。

 しかし何か引っかかっているのか、志騎はまだ顎に手を当てて何かを考え込んでいる。それに風と樹が思わず顔を見合わせると、志騎が突然こんな事を言った。

「それって、誰が言い出したんですか?」

「え?」

「仔猫の世話がきちんとできているか確認しに行くって言うのは、悪く言えば仔猫の飼い主の事を信用していないって事です。まだ勇者部に入って日は浅いですけど、風先輩はそこまで人の事を疑うような人間じゃないって俺は思ってます。……楽天家とも言えますけど」

「それ、褒めてるのかしら?」

「はい。そのつもりです」

 若干困ったような笑みを浮かべる風に志騎はあっさりと言った。こうして聞くと嘘のように聞こえるが、彼の幼馴染の銀によると彼は基本的に嘘をつくような人間では無く、仮に嘘をついたとしてもすぐに嘘だと言ってくれる人間らしい。まぁ、そのたまにつく嘘が結構心に来るらしいのだが。

「そんな風先輩の性格と、自分から仔猫の世話がきちんとできているか確認しに行くっていう行動が、どうしても俺の中で結びつかないんです。となると、風先輩に仔猫のチェックをするように言った誰かがいるんじゃないかって思いました。……とは言っても俺の考えすぎって事もあるので、そうじゃないかもしれませんけど」

 今のはあくまでも証拠も何もないただの仮説だ。誰かが助言したのではなく、本当に風本人が考えてそう言ったのかもしれない。

 しかしどうやら今の志騎の仮説は当たっていたようで、風は目を丸くすると驚き半分感心半分で言った。

「……すっごい。あんた、探偵としてやっていけるんじゃない?」

「俺よりも園子の方が向いてますよ。って事はやっぱり、誰かが先輩に助言したんですか?」

「う~ん……。まぁ助言と言うか、命令というか……」

「……?」

 やけに歯切れが悪い風に志騎が眉をひそめると、彼女の横にいる樹が風の体の陰からひょっこりと顔を出した。

「お姉ちゃんに仔猫の確認をする様に言ったの、刑部姫さんなんです」

「刑部姫が?」

 予想外との名前が飛び出し、今度は志騎が目を丸くした。勇者部がバーテックスと戦っていた時、サポートとして刑部姫がちょくちょく勇者部に顔を出していたのは夏凜と東郷から聞いていたが、まさかあの刑部姫が彼女達にそのようなアドバイスをしていたとは思いもしなかった。

 それから樹と風から詳しく話を聞いた所、どうやら本当に彼女が猫を飼う際の条件として勇者部が定期的に仔猫の世話をできているか確認する事を伝えたらしい。まさかあの刑部姫がそのような事を言うとは……と志騎は自分の相方の精霊の行動に心の底から驚いた。

 と、志騎の反応に苦笑を浮かべながら樹が刑部姫に助け舟を出す。どうやらこの少女だけは他の勇者部の面々と違って、自分同様彼女を少なからず信用しているようだ。

「確かに普段の刑部姫さんの態度からすると信じられないかもしれませんけど……。あの時の刑部姫さんは、嘘は言っていないように感じました。仔猫の飼い主さんを疑っていたというのもあると思いますけど、同時に生き物を育てる事の大変さを知っていたから、あんな事を言ったんだと思います」

「……確かにそうだな。俺もそう思うよ」

 自分が刑部姫と一緒にいた期間は育ての親である安芸と比べるとはるかに短いが、それでも彼には彼女の記憶と人格の元の人物――――氷室真由理が自分を育ててくれた記憶が確かにある。口と性格が悪い彼女だが、苦労しながらも自分を育ててくれようとしていた彼女はどこか楽しそうでもあった。

 生き物を育てるという事は楽しい事ではあるかもしれないが、同時に苦しい事でもある。何事も楽しい事だけでなく苦しい事もあるが、特に生命を育てる事に関してはそれが顕著だ。それを分かっていたからこそ、刑部姫は勇者部と仔猫の飼い主となる少女にそのような条件を出したのかもしれない。

 そして志騎が肯定すると、樹はにっこりと笑った。彼女の笑顔に志騎と風がつられて笑みを浮かべると、風がはきはきとした口調で二人に告げる。

「んじゃあたぶん、仔猫の確認も今日で終わりだろうし、さっさと確認を終わらせて学校に戻って、うどんを食べに行くわよ!」

「やっぱりうどんを食べに行くんだ……」

「今日はどれくらい食べるのかな……。この前と同じように大体四杯?」

「いいえ、もしかしたらそれを越えて五杯って事も……」

「いや、でもそうしたらさすがに風先輩でも夕食が入らなくなるんじゃ……」

 依頼を終えた時の事を考えて今からもう嬉しそうな笑顔を見せている風に、志騎と樹がひそひそと小声で話をするが、当然話の内容が風の耳に入る事は無い。

 そんなやりとりをかわしながら、三人は仔猫がいる民家へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

「大丈夫ですかね、樹」

「大丈夫よ。何かあったらすぐに呼ぶように伝えてあるし、何よりもあたしの可愛い妹だもの!」

 仔猫の飼い主の民家の前に志騎と風は並んで立っていた。どこか心配そうな表情を浮かべる志騎とは対照的に、風は楽しそうな笑みを浮かべて妹を待っている。

 風の提案により、本日の仔猫の確認は樹一人でやる事になった。確認自体はこの前も風と樹が来て行っているので手順自体は分かっているし、三人揃って入っても住人の迷惑になるだろうからと言う風の考えによるものだった。最初名指しされた樹は少し不安そうな表情を浮かべてはいたものの、やがて腹を決めたのか最後にはキッとした表情を浮かべて民家へと入っていった。それから外に出てこない所を見ると、確認は順調なのだろう。中から樹と仔猫の飼い主の少女と母親の笑い声が時折聞こえてくるところから考えると、もしかしたら確認しながら二人と一緒に歓談をしているのかもしれない。

「だけど、部長は風先輩ですよね? だったら、風先輩がやった方が良かったんじゃ……」

「確かにそうだけど、何でもあたし一人でやるんじゃなくて、あの子一人で依頼をこなす事も大事なのよ。……あたしも、いつまでも勇者部にいられるわけじゃないしね」

「……そっか。あと少ししたら、卒業ですもんね」

 彼女の態度と勇者部の雰囲気からついつい忘れがちになるが、風は中学三年生であり、三月になれば讃州中学を卒業する身だ。入部してそんなに間がない志騎だが、そんな彼でもいなくなったら寂しいぐらい風は勇者部の大黒柱となっている。ましてや、それが自分よりも風と過ごした時間が長い友奈達であればなおさらだろう。風は両腕を真上に伸ばしながら、

「あたしが卒業しても大丈夫なように、今の内に少しでも樹を鍛えておかないと。今の樹なら勇者部を任せても大丈夫だって、そう思えるようにもなったしね」

 先の戦いの中、星屑からの攻撃を受けながらも失意に沈む自分を護ろうとして必死に戦う彼女の姿を思い出しながら、風は口元に笑みを浮かべる。勇者部に入って樹は前よりもずっと強くなった。今の彼女になら、勇者部を任せられる。まるでそう言っているような口調だった。

 彼女の穏やかな横顔を見ながら、志騎はきゅっと唇を噛むと俯く。そして恐る恐ると言った感じで、風にこんな事を言った。

「……あの、風先輩。ちょっと前から先輩に尋ねたい事があったんですけど……」

「尋ねたい事?」

 はい、と志騎は俯きながら返す。心なしか、彼の表情には緊張感のようなものが漂っていた。彼の様子にただならぬものを感じたのか、風も表情を引き締めて志騎からの質問を待つ。家の中から聞こえてくる笑い声が、今の二人にはまるで遠い世界の出来事のように感じられた。

 そして志騎は生唾を飲み込むと、ついに風に切り出した。

「――――先輩は、俺が憎くないんですか?」

「え?」

 突然の志騎の言葉に風が思わず呆気に取られた声を出すと、志騎は苦し気な口調で、

「……この前、刑部姫から聞きました。風先輩の両親は大赦に勤めていて、瀬戸大橋の戦いで亡くなったって……。それで先輩は、仇を討つために勇者として戦ってるって……」

「っ!」

 志騎の口から出た言葉に、風が驚愕で目を見開く。

 それを聞いたのはこの前の夕食時だった。新しいマンションに引っ越してから、刑部姫はたびたび志騎の夕食を食べにマンションに現れるようになった。志騎としては前の家にいた時から彼女の分の食事を用意するようになっていたし、水道費や光熱費、家賃などは全て刑部姫のブラックカードから出ていたので文句を言う事も無かった。

 そして夕食の時には二人で色々な話をした。最近の学校の事や大赦の事、志騎の体の事、さらには最近見たテレビ番組などの事まで。中には勇者部の面々についての話をする事もあった。

 風と樹の両親について知ったのもそのような話の中でだった。とは言っても、刑部姫が自分から話そうとしたわけではなく、単に話がつい盛り上がってそのような話題が出てしまっただけなのだろう。――――少なくとも、刑部姫にとっては。

 だが志騎にとってはそういうわけにもいかない。瀬戸大橋の戦いに巻き込まれて死んだという事は、それはつまり自分の同類であるバーテックスがいたせいで死んだという意味になるからだ。それを勇者でもありバーテックスでもある志騎が気にしないはずがない。

 その事を刑部姫の口から知ってしまった志騎はやはりと言うべきか落ち込み、彼の様子を見てそれを悟った刑部姫は自分の軽口に舌打ちしながらも、志騎にこう言った。

『一応言っておくが、奴らはあくまで戦いに巻き込まれただけだ。お前が殺したわけじゃない。そもそも、大赦に所属する以上はそのような死に方も覚悟しておかなければならん。奴らもそれは分かっていたはずだ』

 きっとあれは、彼女なりに志騎を励ましていたのだろう。だが、それで済むはずがない。例え自分が殺したわけじゃないにせよ、バーテックスが直接手を下したわけではないにせよ、バーテックスがいたせいで幸せだったはずの風と樹の運命が狂ってしまった事は疑いようのない事実なのだから。結局、その日の夕食は暗い雰囲気のまま終わった。

 それから志騎は表面的には風と普通に接していたものの、心の中では常に彼女と樹に対する罪悪感と不安が渦巻いていた。彼女は両親を殺したバーテックスと同類である自分をどう思っているのか。樹はその事を知っているのか。……彼女は自分を、憎んでいるのではないか。

「先輩が……勇者部の奴らが全員良い奴だって事はもう分かってます。俺がアンノウンだって知った時、俺が先輩達に襲い掛かった理由を話した時もあっさりと納得してくれましたし」

 刑部姫との夕食の時に、自我を失っていた自分が勇者部に襲い掛かっていた事を彼女から聞かされた翌日、志騎は冷や汗をダラダラ流しながら彼女達が交戦したアンノウン・バーテックスは自分である事を話し、すぐさま謝罪した。案の定と言うべきか夏凜に胸倉を掴まれて前後に思いっきりシェイクされたが、襲い掛かった理由が風達が先に自分に襲い掛かったからであり、何もしなければ自分はすぐに帰っていたであろうこと、あの時の自分は自我も記憶も全て無くしてしまっていた事などを話すと、心が広いと言うべきか彼女達はあっさりと志騎の謝罪を受け入れ、夏凜も不機嫌そうな表情を浮かべながらではあるが自分を許してくれた。しかも風などは『え、じゃああたし達は下手につつかなくて良い蛇をつついて無駄な戦いをしてたって事……?』と若干落ち込んでいた。その事を夜刑部姫に話した所、彼女は爆笑していた。相変わらず性格の悪さが極まっている精霊だった。

 それらの事から、風を含めた勇者部の面々が心の底から優しい人間だという事は志騎にもう分かっている。だが、それは風の個人的な感情とはまた別の問題だ。どれだけ志騎が言葉を重ねても、志騎が風と樹の両親を奪ったバーテックスの同類である事に変わりはない。

 そして極論になるが、もしも風が志騎を殺したいと思った場合、志騎はそれを受け入れなければならない。奪われた側である風には志騎を殺す権利があり、奪った側である志騎にはそれを受け入れる義務がある。どのような事であれ、風が望めば志騎はそれを受け入れなければならないのだ。

「でも、だからこそ俺はその優しさに甘えたくない。もしも風先輩が俺を殺したいほど憎んでるなら、俺は……」

「――――はぁ~~~~~~~~~~~っ」

 と、志騎の独白を遮ったのは風の長い長いため息だった。志騎が思わず彼女の横を見ると、彼女はすごく呆れたような表情で志騎の顔を見ている。

「志騎、あんたって東郷とはまた別の意味で真面目ね。疲れない? それ」

「え、あの、風先輩? どういう意味ですか、それ」

「いや、なんかすごく変な事で悩んでるなーって」

「変な事!? 俺これでも結構悩んで風先輩に尋ねてるんですけど!?」

 自分の悩みを変な事を断じられ、さすがの志騎も顔を引きつらせる。しかし志騎とは対照的に、風は空を見上げる。彼女の口元には、笑みすら浮かんでいた。

「憎んでなんかないわよ。確かにお父さんとお母さんはバーテックスに殺されたけど、殺したのはあんたじゃないでしょ。あんたを憎む理由なんて全然ないじゃない」

「………でも、俺はあいつらと同じバーテックスで……」

 それでもなお志騎が何かを言おうとすると、風は空から志騎へと視線を変えて続けた。

「確かにあんたはあいつらと同じバーテックスかもしれない。でも、あたし達は知ってる。あんたが東郷や乃木、銀と一緒に人を護るためにバーテックスと戦ってきた事を。あんたがあんたの力を人を殺すためにじゃなくて、人を護るために使ってきたって事を」

 だから、と彼女は一度言葉を切って、

「――――あたしはあんたを憎んだりしない。あたしにとってあんたは両親を殺したバーテックスの仲間じゃなくて、大切な勇者部の後輩。だからそんなに気にする必要なんてないのよ」

 そう言って、彼女はにっと笑った。風の笑顔に志騎は何を言って良いか分からず、ただ戸惑う事しかできない。しかし徐々に風の言葉を呑み込む事ができたのか、志騎はようやくぎこちない笑みを浮かべた。

「……分かりました。すいません、ありがとうございます。俺の質問に答えてくれて」

「別に良いのよ。後輩の悩みに付き合うのも、先輩の役目でしょ?」

 恩着せがましく言う事も無く、風は快活に笑った。しかし直後、その笑みに寂し気な感情が混じる。

「……その代わりと言ったらなんだけど、あたしがいなくなったら樹の事お願いね。最近頼もしくなったとは言っても、やっぱり一人じゃ大変な事もあるだろうから」

「……はい。俺にできる事なら、いくらでもサポートします」

「ありがと! ……それにしてもあたしは幸せ者ね。樹だけじゃなくて、友奈達やあんたみたいな頼もしい後輩が入ってくるんだから」

「俺なんかより、あいつらの方がよっぽど頼りになりますよ」

「謙遜するわねぇ」

 軽口を叩き合う二人の顔に笑いが広がり、先ほどまで重くなっていた雰囲気が明るくなる。二人はしばらく互いに笑っていたが、そんな時突然風がこんな事を言った。

「まぁ、卒業してもあたしは変わらずに勇者部に入り浸るんだけどね!」

「何でですか。樹に任せる話はどうしたんですか」

「いや、確かにそうなんだけどさ……。やっぱり可愛い妹を放っておけないというか、あたし一人だけ先に高校に通うから、正直寂しいというか……」

「さっきまでの俺の感動を返せ」

 照れ臭そうに頬を掻く風にジト目を向ける志騎の言葉からついに敬語が抜ける。友奈や東郷、何より樹本人から樹は家事のほとんどを風に依存していたと聞いたが、風の樹に対する溺愛っぷりも相当だ。両親を中学生の内に亡くしてしまったのだから仕方ないのかもしれないが、自分の思い描いていた姉のイメージとは遥かに違い過ぎて眩暈すら覚えてしまう。

 ――――あるいは。

 彼女も目の前の少女と同じように自分の事を大切に思いながらも、それをあまり表には出さなかっただけなのだろうか。

 あの、冷たそうに見えるが本当は教え子や自分の事を大切に思ってくれていた、姉のようであり母親のような存在の女性は。

(……今頃何してんのかな、安芸先生)

 心の中でそう呟くが、当然それが安芸や風に伝わる事は無い。

 それから二人が雑談をかわしていると、ようやく樹が民家の中から戻ってきた。

「お姉ちゃん、志騎さんごめんなさい! 遅れちゃって……」

「別に良いわよ、随分楽しそうだったし。で、どうだった?」

「うん。あの子もきちんと世話を続けてたし、仔猫も元気そうだった。あまりに丁寧に世話を続けてるから、お母さんの方が驚いてたよ」

「そう、ならもう心配なさそうね」

 確認ができた以上、もう勇者部がここに来る必要はない。これで晴れてあの仔猫は家族の一員だ。

「じゃあ、帰りましょうか! 志騎、あんたはどうする? あたし達は学校に戻って友奈達が帰ってくるのを待つつもりだけど」

「俺もそうします」

「じゃあ、一緒に帰りましょう!」

 樹の言葉で、三人は来た時と通った道を戻り始める。心なしか志騎の表情は、来た時よりも少し晴れやかに見えた。

 

 

 

 

 

 

「樹、何買う?」

「うう~ん、ちょっと待って……」

 学校へと向かう道の途中にあるコンビニの店内に、風と樹と志騎の姿はあった。時間が経つにつれて段々寒くなってきたので、何か温かい飲み物でも買おうという風の提案でだった。風の手にはすでに温かいお茶のペットボトルが握られ、樹は紅茶にするかカフェオレにするかで悩んでいるようだった。志騎はすでにココアのペットボトルを手にして、二人とは少し離れた所でコンビニの雑誌を眺めている。

 そして悩みに悩んだ末、樹が紅茶のペットボトルを手にしようとした時だった。

「か、金を出せぇえええええええええええええええええええええっ!!」

 突然コンビニのレジから怒号が聞こえ、風が目を向けるとそこにはフルフェイスのヘルメットをかぶった男らしき人物が包丁を店員に突き出していた。見るからに、というか明らかにコンビニ強盗だった。その姿を見て、コンビニにいた客の何人かの動きが止まり、中には軽い悲鳴を上げる者すらいる。

「お、お姉ちゃん……!」

 強盗の姿に怯えた樹が風のそばによってきて、風は彼女を安心させるように頭を撫でてやる。風は一度呼吸をして自分を落ち着かせながらも、強盗の姿を観察する。

 包丁を軽く振って店員を急かせている強盗はそもそもこのような事をするのが初めてなのか、声も包丁を握る両手もかすかに震えている。とは言っても、それはそうだろう。人々のモラルが高いこの神世紀でもひったくりなどを行う人間はいるが、それでも西暦に比べると犯罪の発生件数は大分減った方だ。あの男も恐らく、強盗などをするのは今回が初めてだろう。行う理由も、やむを得ない理由である可能性が高い。

(だからと言って見逃すわけにはいかないけど……さすがに下手に動く事は出来ないわね)

 以下に勇者と言えど、神樹の力が無ければ自分達はただの女子中学生だ。それに対して相手は大人の男性であり、どうしても力や体格の差が出てしまう。おまけに手には殺傷能力を持つ包丁。大方店員を脅すつもりで持ってきたもので自分から人を刺すような真似はしないだろうが、人の命を奪う事ができる事に変わりはない。下手に取り押さえようとすれば、自分の体に突き刺さる事だって考えられる。

 幸いと言うべきか、ただ金を奪って逃げる事しか彼の頭にはないようだ。今自分にできる事は、彼が周りの人間に危害を加えないように警戒する事だ。下手に刺激して周りに飛び火するような事だけは避けなければならない。警察への通報は、とりあえず強盗が逃げた後で。

 風が冷静に頭の中で算段を纏めている最中にも強盗の動きは続いていき、ついに怯えた店員がレジから一万円札を数枚取り出し強盗に差し出す。強盗は手早く一万円札を奪い取ると、そのままコンビニの自動ドアへと急いで走り去ろうとする。

 その時だった。

「おい、強盗なんてやめときなよ」

 突然強盗に声がかけられ、彼の足が止まると共に目線が声の主へと向けられる。

 強盗に向かって、場違いとも思えるほど冷静な声を発したのは、風と樹が知る人物だった。

(志騎……!?)

 強盗に声をかけたのは、自分達と一緒にコンビニに入った志騎だった。彼は手にしていたココアのペットボトルを床に置くと、強盗に静かに声をかける。

「強盗なんてやってもロクな事ないって。そんなんで逃げ切れるほど警察は甘くないぞ。あんたもたぶんやむを得ない事情でやったんだろうけど、今ならまだ間に合うから引き返しとけ。こんな事で臭い飯を食うのは嫌だろ?」

「う、うるせぇ! テ、テメェには関係ねぇだろ!」

「声も手も震えた状態で言われてもなぁ……」

 ポリポリと頬を掻きながら、なんと志騎はゆっくりと強盗に歩み寄る。客の何人かから悲鳴が上がり、強盗の手がさらに震える。

「く、来るな!! さ、刺すぞ!! 本当に刺すぞ!?」

「あっそう」

 しかし志騎は強盗の脅しを聞く事なく、さらに強盗に接近していく。

「志騎、止まりなさい!! 志騎!!」

 それまで傍観していた風が志騎に叫ぶが、風の声にも志騎は止まらない。ただ静かに強盗に接近し、ヘルメットの内にある目を静かに真正面から見つめている。自分に迫りくる少年の圧力に、強盗の頭が徐々に真っ白になっていく。

「う、う、う、うわぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 そしてついに強盗の握った包丁が志騎に突き出され、風の目が見開かれ、樹が口に両手を当てる。

 一方、包丁に怯む事無く志騎は最短ルートで強盗の包丁を握る右手を抑えにかかった。

 最短ルートとは、当然強盗の包丁を握る右手の手首の真上。

 ではない(・・・・)

 答えは、強盗の手そのもの。

 志騎が左手を開くと、強盗の握った包丁が志騎の左手を貫通。肉を貫くと音と共に包丁の刃が左手の甲から飛び出し、水っぽい音を伴って噴き出た鮮血がコンビニの床を汚した。

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 店内にいた女性客から悲鳴が響き、突き刺した当人である強盗が目を見開いて動きを硬直させる。さすがの本人も、まさか目の前の少年が自分から左手を突き刺しに来るとは夢にも思わなかったのだろう。

 が、それに対する志騎の反応はまさかの無だった。痛みで叫ぶ事も無ければ、表情を変える事すらしない。彼は眉をピクリとも動かさず、あえて左手を包丁で貫通させてできる最短ルートを使って強盗の左手を抑えていた。そして、そこから志騎の反撃が始まる。

 自らのバーテックスの力を解放し、包丁が貫通したまま左手で強盗の右手を万力の如き握力で握る。

「いでぇっ!?」

 その握力に、強盗の口から悲鳴が漏れた。握りつぶされてはいないだろうが、これで強盗の思考と動きが止まる。そして強盗の両足が開き、そこを狙って志騎は右足の脚力を強化すると強盗の股間目掛けて勢いよく右足を振り上げた。ズドン!! という音と共に志騎の右足が強盗の股間に直撃すr。

「――――」

 声にならない悲鳴と共に強盗の口からぶくぶくと泡が噴き出て、両目がぐるんと白目を剥く。強盗の股間から右足を抜くと、強盗はばたりとその場に倒れた。

「これで良しっと。……あ、店員さんすいません。警察に連絡お願いします」

 と、左手に包丁が刺さり、手からポタポタと血液を出しながら、志騎はこの場にそぐわないほど呑気な声で絶句している店員に声をかけるのだった。

 

 

 

 

 「事情とか話すと色々と面倒」という志騎の言葉により、志騎、風、樹の三人は店員が警察を呼ぶのを確認するとばれないようにそそくさとコンビニから出た。強盗の股間を大分強く蹴り上げたのでしばらく目は覚まさないだろうし、あの後残った客の何人かが強盗の手を縛り上げていたので逃げる事もできないだろう。

 だが現在、志騎を悩ましている問題が一つあった。志騎は悩まし気な表情を浮かべると、前を歩く風と樹に恐る恐る声をかける。

「あの……風先輩、もうそろそろ機嫌を直しませんか? 樹もそんなに泣くなよ、怪我ならもう治ってるんだし」

 ほら、と志騎が左手を掲げるとさっきまで血を流していた左手の傷はすでにバーテックスの細胞の力によって再生され、元の綺麗な肌になっていた。しかしそれに対する風の反応は非常に冷たいものだった。

「あんた、それで済むと本当に思ってるの?」

 前を見ているので表情は分からないが、彼女が心の底から怒っているのは冷え切った声の調子から分かる。さらに樹からは、ひくっとまるで先ほどまで泣いていたかのようにしゃくりあげる声が聞こえた。そんな二人を見て、参ったなぁ……と志騎は心の中でため息をつく。

 コンビニを出てから二人はこんな調子だった。風は全身から不機嫌そうなオーラを出しながら何も言わずに早足で歩き、樹は志騎の行動と傷に相当なショックを受けてしまったのか先ほどまでずっと泣いていた。それに対して志騎が二人の機嫌を直そうと先ほどから声をかけているものの、風の反応は冷たいし、樹は泣いてばかりで全然会話が成り立たない。さすがの志騎もどうすれば良いかまったく分からなかった。

 気まずい雰囲気の中志騎が二人に続いて歩いていると、突然風が足を止め、志騎と樹の歩みも自然と止まる。そして風がようやく振り返るが、案の定と言うべきか彼女の表情は非常に不機嫌そうだった。

「あんた、どうしてあんな事したの?」

「え……」

「強盗を捕まえるためとはいえ、方法はいくらでもあったはずでしょ? わざわざあんな事しなくてもあとで警察に通報すれば良いし、大体あんたならあんなやり方しなくても強盗を捕まえる事ができたはずでしょ? どうしてそうしなかったの?」

 口調は静かだが、言葉には今にも爆発しそうなほどの激情が込められている。ここで答えを間違えるとまずい、と悟った志騎は言葉を選びながら言う。

「いや、まぁ確かにわざわざ手を貫通させる事はなかったかもしれないですけど、ああした方が強盗の気をそらせると思いましたし、あの方が手っ取り早く捕まえる事ができそうだったんで……。それに下手に刺激をしたら、周りのお客さんにも危害が及びかねないと思ったんで、それで……」

 確かに志騎があのような手法を取った事で強盗に隙を作る事ができ、手っ取り早く意識を刈り取る事も出来た。しかし、それで風の怒りが収まるはずがない。

「だからって、あんなやり方する事ないでしょ!? いくらあんたの回復力がすごいって言っても、心臓を刺されたらどうするの!? 本当に死んでたかもしれないのよ!?」

 頸動脈を切り裂かれてもすぐに回復する志騎の体だが、さすがに脳や心臓を破壊されたら本当に死亡する事は志騎本人からすでに知らされている。当たり所が悪ければ、本当に死んでいたかもしれないのだ。そんな事を、勇者部の部長であり常日頃から志騎を含めた部員達の事を大切に思っている風が気にしないはずがない。彼女がここまで怒るのも当然だろう。

 が、ここで志騎は致命的なミスを犯してしまった。勇者部の一員とはいえまだ付き合いが浅い風に向かって、ある意味言ってはならない言葉を言ってしまったのだ。

「べ、別に良いじゃないですか俺の体が傷つくぐらい。それで強盗を捕まえる事ができましたし、それに勇者部が強盗を捕まえたって話題にもなりますよ。そうしたら、依頼がもっと増え……」

 そこまで言いかけた所でようやく志騎は自分の失言に気づき、慌てて口を閉じる。しかし時すでに遅く、風は今自分が聞いた言葉を信じられない気持ちで聞いていた。

「自分が傷つくぐらい……? そうすれば、勇者部の依頼がもっと増える……?」

 今志騎が言った言葉には、自分の命への興味や関心がまったくない。

 ただあるのは、自分の命を危険にさらす事で勇者部に貢献しようという、あまりに歪な感情だった。

 それを聞いて、風はくしゃっと表情を歪めて顔を俯かせる。

 ――――自分は今まで誤解していた。

 今までの志騎との会話から、彼はどこか東郷と似ている所があると思った。とても真面目で、いつまでも自分の所業に対して深く考え込んでしまう。

 しかしそれは違った。彼は東郷ではなく、むしろ友奈と似ている。

 友達や大切な人のためなら、冗談抜きで命を懸ける事が出来てしまう。

 違うのは、友奈は命を失う恐怖も不安も感じる事ができるのに、彼にはそれがない。恐怖も不安も感じる事無く、自分の命をまるで賭け事の(チップ)のように扱う。友奈よりも、はるかにタチが悪い。

 友奈が強い精神の持ち主ならば、志騎は弱い強い以前の問題として、そもそも精神の在り方が人間のものと違い過ぎる。さながら、他人の命はおろか自分の命すらも駒として扱う刑部姫のように。

 言い方を悪くすれば、大小あれど二人揃ってイカレている。あの親にしてこの子あり、とはよく言ったものだ。

「あの、風先輩。大丈夫ですか?」

 突然無言になってしまった風を心配してか、志騎が心配そうな声音で声をかける。自分の命にはとことん無関心なくせに他人には普通に心配する、というのが非常に腹立たしい。何故その感情を少しでも、自分には向けてあげる事が出来ないのか。怒りと悲しみで心の中がごちゃごちゃになるのを感じながら、風が口を開く。

「……あたしは大丈夫よ。それより、あんたこそ大丈夫なの? あんなに包丁が刺さって、痛かったでしょ……?」

「え? ま、まぁ痛くないと言えば嘘になりますけど、我慢できますし。大した問題じゃないです」

 そんなわけがない。包丁が突き刺さる事は大した問題だ。きっと誰かが自分と同じような目に遭ったら、目の前の少年も同じ反応するだろう。彼がこんな事を言うのは、突き刺さったのが彼自身だったからだ。本当に、自分の体と命に対しては関心が無い。

「………ねぇ、志騎。一つ聞いても良い?」

「え?」

 きょとんとした表情を志騎が浮かべるが、それを気にせずに風が尋ねる。とは言っても、どのような答えが来るかはある程度予想がつくのだが。

「あんた、自分がいつ死んでも良いって思ってるでしょ」

 直後、志騎の表情が変わる。困惑した表情から、まるで図星を突かれたような表情に。それからふっと儚い笑みを浮かべると、答えを告げた。

「……言いたくありません」

「どうして?」

「言ったらきっと、風先輩も樹も怒るから」

 その言葉にそばにいた樹の呼吸が止まるのを感じた。その言葉が、風の質問が正しい事を何よりも意味してしまっていた。

 自分が予想していた答えが返ってきたしまった事に、風は奥歯を噛み締める。そうだろうな、とは感じていた。そうでなければ、コンビニで見せたような行動をする事などできない。

 でも、今の風の心にあったのは怒りよりも悲しさだった。

 確かに彼はバーテックスかもしれない。多くの人々の命と幸福と未来を奪った化け物の同類かもしれない。

 だが、それがなんだというのだ。

 化け物なら、傷ついて当然だと言うのか。

 化け物の同類なら命がけで人を護っても、死んだ方が良いと言うのか。

 ――――そんな事は決してない。

 なのに目の前の少年は笑っている。それが当たり前であるかのように。仕方のない事だと言うように。

 それが風には悲しくて、苦しくて、悔しかった。

 しかし例えここで志騎を叱ったとしても、志騎がその生き方を変える事は無い。それで変えられるほど志騎の意志は弱くないし、それほどまでにバーテックスが人類にした事は重すぎると言えるからだ。

 ……なんという皮肉だろう。

 自分達がバーテックスを憎めば憎むほど、彼はどんどん苦しみ、彼の背負うものはさらに重くなっていくのだから。それが分かっているから、これ以上何かを言う事は風には出来なかった。

 風は唇を痛いぐらいに噛み、目に涙を目いっぱい溜めて顔を上げると震える声で志騎に言った。

「……分かったわ。あんたがそう言うなら、あたしも樹も聞かない。でもそのかわり、約束して。あんな、自分を傷つける様な事は、もうしないって。お願いだから、約束して……」

 風は見てきた。

 バーテックスとの戦いの中で満開して、自分の後輩達の体の機能が失われるのを。

 ようやく見つけられた樹の夢が、自分のせいで潰えそうになるのを。

 本当に、大切な勇者部の部員達が苦しんで涙する所を、嫌と言うほど見てきた。

 だからこそ、どんな理由があっても、例え相手が人間の形をしたバーテックスであろうとも。

 大切な勇者部の後輩が傷つく所など、もう風は見たくなかった。

「……分かりました。極力そうしないようにします」

 それを聞いて思わず風は笑ってしまった。極力とは、随分卑怯な物言いがあるものだと思う。しかしそれが志騎の性格を表していた。彼はきっと今後も、必要があれば自分の体や命を容赦なく危険にさらす。だから絶対にそうするとは風に約束する事が出来ず、かといってそれは守れないとは言えない。

 だから、極力。

 自分を大切にしてくれる人には嘘をつきたくないという、志騎の本音が出ている答えだった。

 笑う風につられるように志騎も笑い、先ほどまで泣いていた樹の顔にもまだ涙の後は残っていたが、ほっと安堵の息を漏らしていた。今度こそ暗く重かった雰囲気が取り払われ、あとはまっすぐ学校に向かうだけの穏やかな時間が流れる――――。

「じゃあ樹、学校に帰ったら志騎を説教するから志騎の右腕掴んで」

「うん」

 とはならなかった。姉の言葉の直後、樹は志騎の右腕をがしっと掴むと、さらに風が彼の左腕を掴む。傍から見ると両手に花のように見えるが、志騎からすると罪人の逃亡を阻むようなフォーメーションだった。

「あれ? どうしてこうなるんですか? 今ので俺のやった事は帳消しになるんじゃなかったんですか!?」

「何言ってんのよ、なるわけないでしょ。あんな無茶やったお仕置きとして、学校に帰ったら一時間説教よ。コンビニの事は銀と東郷と乃木にも話して、四人で説教だからね」

「安心してください、志騎さん。お説教が終わるまで、私も部室に残ってますから」

「なんの安心にもならないんだけど!? ちょっと待って、黙秘権を行使する!」

「残念ね。あの部室には日本のルールは通用しないの」

「勇者部の部室は治外法権だった!?」

 悲鳴じみた声を上げながら、二人にバーテックスの力を振るうわけにもいかず、志騎はずるずると引きずられる形で学校へと連行された。

 ――――それから活動を終えて戻ってきた勇者部部員全員に本日のコンビニの志騎の行動が暴露され、宣言通り志騎は笑顔の東郷、園子、銀、風から一時間正座でお説教をされ、ようやく説教が終わる頃にはまともに立つ事ができなくなっていたのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 




 一週間経ってしまいましたが、皆様明けましておめでとうございます。白い鴉です。
 今回は犬吠埼姉妹との日常を書くと共に、天海志騎という存在の異常さ・歪みについてのお話を書かせていただきました。作中では色々と書きましたが、志騎は普段は壊れているようには見えませんが、戦闘時や緊急時になるとその壊れっぷりと言うかイカレッぷりが顕著になるキャラクターとして書いており、対照的に刑部姫/真由理は常時異常さが際立つキャラクターとして書いています。
 何故そうしているのかというと、自分は東京喰種や呪術廻戦、チェンソーマンなどダークな雰囲気漂う漫画を愛読しており、その影響をモロに食らっているのが主人公とオリキャラである志騎と真由理だからです。なので志騎はいざという時は足を捩じ切ったり、わざと攻撃を食らって相手を倒すなどという行為を平然とします。それは真由理も同様ですが、彼女の場合は体は生身の人間ですのでさすがに足を捩じ切ったりは出来ませんが、それに近い事は平然とできます。
 また、作中でも指摘されている通り勇者部で志騎は唯一の男ですが、彼のヒロインは三ノ輪銀でありハーレムにする気は一切ありません。彼の勇者部内のポジションは『冷静で物静かだけれどいざという時のイカレっぷりが凄まじい末弟』であるため、風などからは弟のような扱いになっています。もしもこれが乃木若葉は勇者であるや花結いの世界だったら、彼はきっと若葉とひなたの息子的ポジションに収まっている事でしょう(一つ変な箇所がある? 気のせいですよ)。
 再び長々と書いてしまいましたが、次回は三好夏凜との交流がメインの日常回の予定です。それが終わったらついに勇者の章の原作に突入したいと考えています。次回も張り切って彼らの日常とシリアスを書いていきたいと思います。未熟な私ですが、今年も何卒よろしくお願いします。


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第四十四話 誇り高きK/天海志騎の困惑

刑「さて、今回は三好夏凜との日常回だが、予想以上に長くなってしまったので今回と次回に分ける事となった。なので今回は前編に当たる」
志「考えてみれば、日常回が続くって事は友奈達にとっては良い事なんだよな。だからといって原作の展開にいつまでも入らないっていうのもあれだけど……」
刑「ま、いつか終わりはくるものだ。お前もその時が来るまで楽しんでおけ。では第四十四話、楽しんでくれ」


 

 

 志騎達が勇者部に入部してから月日が経ち、ついに一年の終わりである十二月に突入した。気温がさらに寒くなり、暖房器具がさらに稼働を増すころ、志騎は変わらずに勇者部の面々と一緒に学校生活を過ごしながらも困っている人達のために部活動をこなすという、年末年始が近づきながらも特に何の異変も無い日常を過ごしていた。

 ……のだが、最近どうも奇妙な事が起こっていた。

「夏凜の様子がおかしい?」

 放課後、勇者部部室で椅子に座った風が怪訝な声を上げると、彼女に相談を持ち掛けた志騎がこくりと頷いた。彼は困ったような表情で手を組みながら、

「前は普通に話せていたんですが、どうも最近あいつ俺と一緒だとピリピリしてるって言うか、イライラしてるって言うか……」

 すると、二人の話を聞いていた東郷がパソコンでホームページをチェックしながら話に入ってくる。

「失礼だけれど、志騎君の勘違いって事は?」

「それはたぶんない……と思う。けど、そうも言い切れないんだよな。あいつ、俺以外の人間の前じゃあ普通そうだし」

 だから、勘違いじゃないとも言い切れない。志騎は思わずため息をついてしまった。

 そもそもどうしてこのような事になっているのか、志騎自身よく分からないのだ。

 ただきっかけは、先週の部活動の時だった。志騎が風から勇者部の依頼を振り分けられ、さぁ行くぞと部室を出た時にちょうど夏凜と出るタイミングが重なった。そのような事は以前にもあったので志騎は気にしなかったのだが、何やら視線のようなものを感じて横を見ると何故か夏凜が自分を鋭く睨んでいる事に気づいた。

 彼女からそのような視線を向けられている理由が分からず、志騎が戸惑っていると、彼が言葉を発するよりも早く夏凜が切り出した。

『志騎』

『な、なんだよ』

『あんたに負けるつもり、ないから』

 え? と志騎が何の事か聞き返そうとするが、その前に夏凜はふんと鼻を鳴らしてすたすたと依頼に向かってしまった。その場に残されたのは、呆然と立ち尽くす志騎だけだった。

 それから異変が続いた。勇者部に寄せられる依頼であるゴミ拾いなどで夏凜と一緒に行動を共にする事があったのだが、依頼の最中夏凜は何故かピリピリした様子で活動に励むようになった。他の勇者部部員の前ではそのような表情はまったく見せないので、志騎だけに対してなのは明らかだった。

 おまけに行動も志騎よりも多くゴミを拾おうとあちこちを動き回ったりと、まるで志騎と張り合うような姿勢を見せる事が多くなった。彼女がどうしてそんな行動を見せるのか分からず、志騎はただ戸惑う事しかできない。

 それで何か理由が見つからないか、今日こうして勇者部部長である風に相談を持ち掛けたという事だ。ちなみに現在部室にいるのは、志騎と風、東郷と園子と友奈の五人だ。夏凜と銀は部活の助っ人に、樹は勇者部にやってきた依頼のため不在である。風だけでなく他の四人にも相談内容が伝わってしまったが、特にデメリットは無いだろう。

「にぼっしーがあまみんの前にだけピリピリしてるって事は、あまみんがにぼっしーを怒らせるような事をしたかもしれないって事も考えられるよね~」

「だけど、志騎君が夏凜ちゃんを怒らせるような事をするかなぁ?」

 もう志騎が勇者部に入って大分経ち、夏凜の性格を熟知してきたころだ。今更彼が夏凜を怒らせるような事をするとはとても思えない。風が腕を組んでうーんと唸りながら、

「そもそも、二人が依頼で一緒になる事も少ないのよね」

「夏凜さんは部活の助っ人が多くて、志騎君は機械の簡単な修理とか多かったですもんね」

「うん。それ以外の依頼だと、私達も一緒にいたよね?」

「でも、あまみんとにぼっしーが喧嘩をしてる所は見た事が無い」

「そう。だから俺も困ってるんだよ」

 うーん………と五人が腕を組んで唸る。いささか奇妙な光景だが、五人にとっては大真面目だ。友人としても同じ部員としても志騎の悩みは解決してあげたいし、夏凜がどうしてそこまで怒っているのか理由も気になる。しかし考え続けても、五人には思い当たる節は無かった。

 それぞれ頭を悩ましていると、唐突に志騎が再度ため息をつく。

「……仕方ない。ちょっと聞いてみるか」

「え、誰に?」

「原因を知ってそうな奴」 

 志騎の口から出た言葉を聞いて驚いたのは風だ。彼女は目を丸くしながら、

「え、そんな人いるの? ってか、だったら最初からその人に聞けばよかったんじゃ……」

「ええ、います。ってか俺達が知らないって事は、たぶん九十九パーセントそいつが原因です」

 スマートフォンを取り出して電話帳を表示しながら志騎が言うと、友奈が首を傾げる。

「じゃあ、どうしてその人に聞かなかったの?」

「先輩達に聞いても駄目だったら聞くつもりだったんだよ。本当にそいつが原因かはっきりしなかったし。でも、ここまで誰も知らないって事は……」

 そう言いながら志騎がスマートフォンを耳に当てると、どうやらすぐに電話の相手が出たらしい。志騎は表情を険しくさせながら、電話相手に告げる。

「お前に聞きたい事がある。今すぐ勇者部部室に来い」

 

 

 

 

 

 

「ふむ。久しぶりと言いたいところだが、その前にまずこの状況を説明しろクソガキ共」

 志騎に電話で呼び出された人物――――刑部姫がひくひくと口元を引きつらせながら言った。

 彼女は現在体を縄でぐるぐると縛られており、天井から吊るされていた。さらに彼女の真下のテーブルにはコンロから中火が噴き出し、その上に鍋がでんと置かれ、中にはぐつぐつと煮えたぎった油が入っている。元々ここは家庭科準備室なので、そういった道具が置かれていても不思議ではない。

「この状況でそんな事が言えるとは……。あんたって意外と馬鹿というか、大物というか……」

 このような状況に陥っても変わらず毒舌を吐く事ができる刑部姫に、風が半ば感心した声を出す。樹辺りが見たら泣きながら止めにかかりそうな光景だが、生憎ここにそれを止める人物は誰もいない。刑部姫は精霊なので死ぬ事はまずないし、入っても熱い程度で済むだろう。東郷など、「まさか本当に釜茹でをこの目で見られるなんて……」と驚愕半分好奇半分の目で刑部姫を見ている。ちなみに彼女の手には縄を切るための小刀が握られているので、これで縄を切れば刑部姫は鍋の中に即投入だ。

「いや、お前に聞きたい事があって呼び出したんだけど、多分十中八九お前が原因だから今の内にお前をしょけ……お仕置きする準備を済ませようと思って」

「ははは。今日も変わらず私に対しての信頼がゼロで何よりだ。人間をそこのガキ共のように信じすぎるのも馬鹿らしいが、私は少し悲しいぞ志騎よ」

「須美、縄切って良いぞ」

「待て待て待て待て待て。分かった、質問に答えよう。何が聞きたい」

 笑顔ですっと縄を切ろうとした須美を横目に、刑部姫が志騎に言う。志騎はふぅと息をつきながら、早速話の核心をつく事にした。

「最近どうも夏凜が俺に対して当たりが強いって言うか、俺に対してだけ機嫌が悪い。原因はお前か?」

「あ? 知らん、大体何故あいつがそんな事を……」

 と、次の瞬間ダラダラと刑部姫の顔から冷や汗が噴き出した。それを冷たい目で見ながら、志騎が聞く。

「もう一度聞くぞ。原因はお前か?」

「…………黙秘権を使用する」

「悪いが、ここには日本の法律は適用されないらしい」

「クソが。まさかここが治外法権だったとはさすがの私も驚きだ」

「俺もだよ。でも、今そんな事はどうでも良い。原因は、お前か?」

「………えと、いや、その………」

「園子ー、火力上げてー」

「は~い」

 カチッと、園子がスイッチを回して中火を強火にする。油がさらに煮えたぎり、熱気が刑部姫の全身と顔面を襲う。

「熱い熱い熱い熱い! 私は煮ても焼いても食えんぞ!」

「知ってるからさっさと話せよ。原因はお前か?」

 舌打ちすらして冷たく吐き捨てる志騎を見て、ああ、やっぱりこいつら親子だわ、血は争えないわ……と風は遠い目をして心の中で呟いた。

「いや、原因が私かどうかは知らんが、思い当たる節があるというか……」

「じゃあそれを話せ」

「うむ。分かった。あれは数日前の事だった」

 死ぬ事は無いがさすがに刑部姫も釜茹でにはされたくないのか、すんなりと素直に話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 志騎に対して夏凜の当たりが強くなる一週間前、夏凜が家で一人勉強をしていると彼女の頭にぽすんと何かが乗った。このような事をする人物は彼女の知る限り一人しかおらず、彼女はぴくぴくと額に青筋を浮かび上がらせながら言う。

「人の頭の上に勝手に乗っからないでくれる?」

「安心しろ。次からそうする。お前の頭の上は乗り心地が悪くて最悪だ。なんで額が広い癖に頭の乗り心地が悪いんだよデコ娘」

「勝手に人の頭の上に乗った癖に何で酷評されなきゃいけないの!?」

 ふしゃー! と夏凜が吼えると頭の上にいた人物――――刑部姫はふふんと不敵な笑みを浮かべながらくるんと回転し、ぱたぱたと羽を動かして宙に浮かぶ。ふーふーと荒く息を吐きながら、久しぶりに姿を見せた精霊を睨んで夏凜が聞く。

「……何の用よ」

「いや、単に暇だから来ただけだ。しっかし相変わらず生活感が無い家だなぁ。女子力というものが死んでいる。さすがは全てを勇者という生き方に捧げた女、コミュ力はおろか女子力も無いとは嘆かわしい」

「帰れ!」

「だが断る」

 すごく腹立つドヤ顔で言い放たれ、夏凜はまた荒く息をつく事になった。短い間とはいえ彼女と行動を共にしたのだから彼女の性格は十分に分かっているつもりなのだが、分かっていても彼女には振り回されてしまう。彼女にはまともに取り合わない方が身のためだと自分に言い聞かせると、夏凜は再びテーブルに座って勉強を再開する。

 すると夏凜をイジッて満足したのか、刑部姫がぺたりと座ると彼女が広げているノートをちらりと見る。

「違う」

「え?」

「問三の数式が間違っている。見直してみろ」

 言われた通りに夏凜が数式を見直してみると、確かに刑部姫の言う通り数式に間違いがあった。まさか一目見ただけで間違っていると分かるとは……と夏凜が驚きながらもどこか悔しそうに刑部姫を見ていると、刑部姫はにやにやと笑みを浮かべて、

「その程度の問題を間違えるなよ、完成型勇者(笑)。……ま、そもそももう完成型ですらないが」

「………どういう意味よ」

 いつも通りの刑部姫の軽口だったが、後半の言葉だけは受け流す事が出来なかった。夏凜がペンを動かす手を止めると、刑部姫はやれやれと肩をすくめて、

「言葉通りの意味だ。お前はもう完成型勇者じゃない。本物の完成型勇者が勇者部に入ったからな」

「……それ、乃木の事?」

 悔しいが、自分の知る限り彼女は確かに完成型勇者と言われても過言ではない。先代の勇者達の中でも彼女はリーダーだったと聞いているし、普段はぽやんとしているように見えるがああいう手合いこそが油断できない。が、刑部暇はその答えを馬鹿にするようにはっと鼻で笑った。その所作すらもが、今の夏凜には腹が立つ。

「志騎の事に決まってるだろう、馬鹿が」

「……あいつが?」

 夏凜の脳裏に浮かんだのは、最近勇者部に入った唯一の少年の顔だった。

 天海志騎。先代勇者の一人にして、唯一の男子。そして大赦が作り出した、人間型のバーテックスにして自分達に襲い掛かったアンノウン・バーテックスと呼ばれたバーテックスの正体。その彼が、本当の完成型勇者?

「あいつの中のバーテックスの細胞は、あいつの意志に応じて無限に進化し、強化し続ける。その進化には今のところではあるが限界は見られない。完成というのは一見聞こえは良いが、それはつまりもう強くなることが無いという事だ。そういった意味ではあいつはまだ未完成ではあるが、反対にまだまだ強くなるという事だ。どこまでも進化する兵器という意味では完成形であるにも関わず、いくらでも強くなる可能性を秘めた未完成でもある勇者……。それがあいつ、天海志騎なんだよ。これを完成型勇者と言わずなんと言う?」

 そう言いながら浮かべる刑部姫の笑みが、何故か今の夏凜には非常に腹立たしかった。彼女はクックックと笑いながら、

「ま、そういう事だからその完成型勇者という呼称はやめるんだな。偽物がいくら強がっても滑稽なだけだ」

「………じゃない」

「あ?」

「私は、偽物なんかじゃない! 誰がなんと言おうと、私が完成型勇者だ!」

 が、それに対する刑部姫の反応は冷たかった。彼女は今まで浮かべていた笑みを消すと、冷たい目で夏凜を見ながら、

「お前がどう思うが関係ねぇよ。お前が偽物で、志騎が生まれながらの完成型勇者って事実に変わりはないんだから」

「………っ!」

 夏凜が手にしていたペンを投げつけると、刑部姫は首をわずかに横に向けてペンをかわすと、最後まで悪意のこもった笑みを浮かべながら言った。

「じゃあな、自称完成型勇者」

 そう言って、刑部姫はリビングから姿を消した。残された夏凜は一人、ギリ……と奥歯を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

「………とまぁ、そんな事があってな。……うん、正直イジりすぎたな!」

「須美、落として良いぞ」

「はい」

 笑顔を浮かべたまま東郷が小刀で縄を切り落とそうとすると、刑部姫がじたばたと派手に暴れて、

「ま、待て志騎! 確かに煽りすぎたか? とは思うが私が焚き付けたわけじゃないだろう!?」

「うるさいよ馬鹿! どう考えてもお前が原因だろうが! むしろそこまで無関係を言い張れる事が逆にすごいと思うわ!」

 おまけにそれで志騎が夏凜に冷たくされるとなれば、完全なとばっちりである。これで刑部姫を許す方が難しい。そしてついに刑部姫が真下の鍋に投入されようとした瞬間、風の口からこんな疑問が漏れた。

「でも夏凜の奴、どうして今更完成型勇者に固執してるのかしら。最初ここに来た時の夏凜ならまだしも、大分性格も変わったのに」

 風の言う通り、夏凜は勇者部に入部して友奈達との交流を得て、性格が大分変わった。触れるもの全て切ってしまいそうな雰囲気は鳴りを潜め、最近では大分穏やかになっている。それなのに何故、完成型勇者という肩書に、しかも刑部姫が言っているだけのものにそれだけ固執するのだろうか。

 と、その理由を告げたのはコンロの火を見ていた園子だった。

「たぶん、春信さんに関係してるんじゃないかな~」

「………春信?」

 初めて聞く名前に志騎は首を傾げるが、対照的に他の勇者部部員達は腑に落ちたような表情を浮かべ、刑部姫も「だろうな」と吊るされながら頷いている。どうやら志騎以外の全員は春信なる人物を知っているようだ。そして、疑問の表情を浮かべている志騎に友奈が助け舟を出す。

「夏凜ちゃんのお兄さんだよ」

「あいつ、兄さんがいたんだ」

 そのような事を聞くのは初めてだったので、志騎は目を丸くする。しかしそうなると、更なる疑問が出てくる。

「でも、どうしてそれが夏凜が俺に強く当たる事に関係するんだ?」

 夏凜の兄と聞かされても、自分と春信は赤の他人である。それでどうして自分が被害を被らなければならないのか。志騎の言葉に勇者部一同が何故か気まずい表情を浮かべていると、事情を知っている園子が志騎に説明する。

「にぼっしーのお兄さんの春信さんって、まだ若い人なんだけど大赦の中でもすごく上の立場の人なんよ~。あまりにも偉いから、家族の人とも中々連絡ができないって言ってたしね~」

「そうなのか……。って園子、お前その春信って人に会った事あるのか?」

「うん、あるよ~。優しくて良い人だった~」

 恐らく園子と春信が出会ったのは、園子が生き神として祀られていた時だろう。当時の園子はまさしく神のような扱いで、下っ端の神官が会おうとしても中々会えないはずなので、春信が大赦の中で上の立場というのはまず間違いない。志騎は視線を園子から刑部姫に返ると彼女に尋ねる。

「お前もその春信さんの事は知ってるのか?」

「ああ。直接会った事は無いが、かなり優秀だ。V.H計画の事も知っているしな」

 V.H計画の事を知っているのは大赦の上層部に計画の立案者である氷室真由理と助手である安芸、さらに讃州中学勇者部だけだ。春信が大赦の上層部にいるならば計画の事を知っていてもなんら不思議ではない。しかし春信の優秀さと今回の件がどう関係しているのかまだ分からず志騎が困惑していると、事情を知っていたのか園子に続いて友奈も説明する。

「私も夏凜ちゃんから聞いただけなんだけど、お兄さんは確かに優秀みたいなんだけど、夏凜ちゃんそれで小さい時から周りの人達によくお兄さんと比べられちゃってたんだって」

「比べられてたって……。夏凜も十分に優秀だろ」

 聞いた話になるが、夏凜は讃州中学でも成績優秀運動神経抜群という、まさに文武両道を地で行く少女だ。どれほど優秀かは分からないが、兄と彼女が比べられるという事自体が志騎には良く理解できない。

 と、話を聞いていた刑部姫が「いや」と口を出し、

「奴は確かにそれなりに優秀だが、あれは努力型の人間で三好夏凜自身はどちらかというと凡人に近い。それに対して三好春信はまさに才能の塊の人間で、俗に言う『天才』と呼ばれる人間だ。……私には及ばないがな」

 最後に張り合う刑部姫は無視して、志騎は腕を組んで考え込み、

「でも、兄は兄で夏凜は夏凜だろ? 比べる必要なんてないだろ。兄妹とはいえ、違う人間なんだから」

「そうもいかないのが人間の不合理な所だよ、志騎。できる事とできない事は万人それぞれ千差万別にも関わらず、人間という生き物はしばしば互いを比べたがる。それは家族でも例外はない。身内や近い距離に何でもできる兄と不出来な妹がいれば、大抵の人間は比べるさ。それで出来上がるのは、妹の事を気にしながらも中々距離を縮める事が出来ない天才の兄と、そんな兄にコンプレックスを抱く凡人の妹だ」

 どうやら調子を取り戻してきたらしく、ケタケタと笑いながら刑部姫がくるくると回る。それからピタリと体の動きを止めると、

「三好夏凜はストイックだが、あれは奴自身の性根であると同時に兄に比べられたくない、自分を見て欲しいという考えの表れでもある。奴が完成型勇者と馬鹿みたいに叫ぶのもその一つだ。あいつにとって完成型勇者というのは、兄とは違う自分を象徴するアイデンティティのようなものなんだろう」

「……あー、どうして俺が夏凜に敵視されているのかなんか分かってきた」

 今の刑部姫の言葉を聞いて、ようやく志騎にも理解する事ができた。

 三好夏凜にとって、完成型勇者というのは自分の代名詞であり象徴のようなものだった。それは勇者部との交流を得て柔らかくなった今でも変わらない。というよりは、それは変わってはならないものだろう。完成型勇者という自負とその名前を背負うプライドも全てひっくるめて、三好夏凜という人間なのだから。

 しかしそこに、天海志騎という勇者が入ってきた。しかもただの勇者ではなく、自分の兄すらも上回る才能と頭脳を持ち合わす刑部姫が完成型勇者と太鼓判を押すほどの可能性と実力を秘めた存在。そんな存在が自分の目の前に現れたとすれば、彼女の自負とプライドは大きく揺るがされる事になる。それは自分を確立していた完成型勇者という自負を奪う事であると同時に、幼い頃に何度も兄と比べられたという苦い思い出を再び味わう事なのだから。

 もしもこの勇者部内で志騎こそが真の完成型勇者だと認められてしまえば、夏凜を確立していたものは無くなり、もしかしたら自分の居場所すらも無くなってしまうかもしれない……。だから夏凜は最近、志騎に敵意とライバル心を持って彼に接していたのだろう。彼ではなく、自分こそが完成型勇者なのだと証明するために。自分がようやく得た居場所を、奪われないように。

 ようやく理由に辿り着いた志騎は腕を組むとため息をついて、

「なんていうか……。こう言ったら失礼というか酷いけど、面倒臭い奴だな。別に俺が入ってきたからって自分の居場所が無くなるわけもないだろうに」

「仕方ないと思うわ。夏凜さんは今までずっと一人で頑張ってきたようだし、まっすぐだけれど不器用な所もあるから」

「ま、そこが夏凜らしいと言えばらしいけどね」

 東郷と風が苦笑しながら口々に言う。さすがに志騎よりも彼女と付き合いが長いだけあって、彼女が何を考えているかは分かっているようだ。

「はぁ、それにしてもコンプレックスか……。さっき刑部姫からちらっと言ったけど、春信さんの方は別に夏凜が嫌いってわけじゃないんだろ?」

「うん! きっとそうだと思う! 前に勇者部に夏凜ちゃんの成長ビデオ送ってきてくれたし!」

「え、そんな事あったのか?」

「あれ、その時志騎君いなかったっけ?」

 きょとんと二人揃って首を斜めにしていると、その時の事を東郷が説明してくれた。

「確かその時は、志騎君だけがいなかったと思うわ。ちょうどそれぐらいに、暖房器具の修理の依頼が殺到してたから……」

「ああ。風先輩が調子に乗って依頼を受けまくってた時か。確かに俺いなかっただろうな。忙しかったし」

「あの時は大変ご迷惑をお掛けいたしました………」

 悪意が無いとはいえ当時の自分の所業に罪悪感を抱いているのか、風が深々と志騎に頭を下げる。ちなみにその成長ビデオは夏凜本人によって没収され、今は彼女の部屋の一角に封印されているとか。

「まぁ、奴の幼少期の写真は私が前に三好春信からもらっていたから、その気になればコピーなんていくらでもできるんだけどな」

「やめたげてよぉ!」 

 あまりの仕打ちに風が叫び、刑部姫がケタケタと笑う。一方で志騎は椅子に座りながら、

「でも、自分の兄貴や姉にコンプレックスなんて抱くか? 樹も風先輩の妹だけど、別に姉妹仲がギクシャクした事なんてたぶんないだろ?」

「いや、アタシも前に樹から聞いたんだけど、やっぱり樹も学校で比べられた事があったみたい。でもあの子の場合はみんなアタシがすごいって言ってて、逆に誇らしかったって言ってた」

「でもいっつんの場合はそうかもしれないけど、やっぱりみんながみんなそういうわけじゃないとは思うよ~。自分達は仲良しでも、他の人から比べられちゃったらやっぱりコンプレックスは抱いちゃうんじゃないかな~」

「ふぅん。そんなものか」

 馬鹿馬鹿しいと思う。例え血が繋がっていても、違う人間という事に変わりはないのに。兄弟を比べたがる人間の思考が、志騎にはどうも理解できなかった。すると、志騎の言葉を聞いて風が彼に尋ねた。

「志騎もそういう経験とかないの? もしかして、一人……」

「あの、風先輩……」

 風が言いかけると、東郷が困った表情を浮かべて風の発言を遮る。最初はきょとんとした表情を浮かべていた風だったが、ようやく彼女がどうして自分を止めたのか理由に気づいてバツが悪そうに志騎に謝った。

「………ごめん、志騎」

「別に良いですよ。気にしてないですし」

 志騎はV.H計画で生まれたバーテックスにして、唯一の完成体だ。自分以外にバーテックス・ヒューマンはおらず、親と呼べるのは遺伝子を提供した氷室真由理ぐらいだ。兄弟などいるはずがない。

 ただ。

「……確かに俺には兄や妹はいなかったですけど、姉のような人はいますから」

 そう言う志騎の表情はとても優し気で、彼が誰を思い浮かべているかは東郷と園子、そして刑部姫にはすぐに分かった。すると志騎の言葉に興味を抱いた友奈が志騎に聞く。

「お姉さんのような人かぁ……。ねぇねぇ、どんな人なの?」

「真面目な人っていうか……。俺に生きるのに大切な事を色々教えてくれたって言うか……。うん、姉でもあるような親でもあるような、恩人でもあるような……。一言では言い表せないな」

「へぇ、そうなんだ。良い人なのね」

「………はい。本当に良い人ですよ」

 その人物の事を思い出して志騎が肯定すると、彼だけではなく東郷や園子も笑みを浮かべ、刑部姫も口元をわずかに綻ばせている。もしもこの場に銀がいれば、彼女も似たような表情を浮かべるだろう。志騎は頭の後ろで手を組みながら背中にもたれかかり、

「とりあえず、夏凜の事はどうにか考えておきます。このままだと、ろくに話す事も出来ませんし」

「分かったわ。でも何かあったらちゃんとアタシ達に話すのよ。相談に乗るから」

「うんうん! 勇者部五箇条!」

「悩んだら相談~!」

 おー! と友奈と園子が片腕を上げて声を揃える。そんな二人を見てから志騎は腰を上げると、

「じゃあそろそろ用済みなった刑部姫を処刑するか。遺言があったら言い残して良いぞ」

「結局私は許されないのか志騎よ!」

「……やっぱりあんた、刑部姫の息子だわ」

 鋏を手にして縄をばつんと切ろうとする志騎に刑部姫が絶叫を上げ、風が半眼になりながら呟いた。

 

 

 

 

 

「ひどい目に遭った……」

「自業自得だ」

 夜、リビングで志騎が作ったおかずのコロッケをむしゃむしゃと食べながら刑部姫が言うと、志騎がじろりと彼女を睨んだ。

 あれから間一髪樹が部室に戻って来て、今にも鍋に投入されようとしている刑部姫を見て悲鳴を上げた。さすがに刑部姫に懐いている彼女の目の前で釜茹での刑を執行するわけにもいかず、刑部姫はどうにか茹で上がらずに済んだ。これに懲りたら、他者をイジるような真似は少し控えた方が良いなと志騎は心の中で思った。……まぁきっと、刑部姫が控える様な事はまずありえないだろうが。

「でもそこまでか完成型勇者にこだわるなんて、よっぽど強いコンプレックスなのかな」

「……あいつの場合、恐らく三好春信だけではなく防人(さきもり)の奴らの事もあるんだろうな」

「防人?」

 初めて聞く単語を志騎が繰り返し呟くと、刑部姫がああと頷きながら、

「大赦には勇者の他にそういう奴らがいるんだよ。少し話が長くなるが、構わないか?」

 それに志騎がこくりと頷くと、刑部姫は防人について説明を始めた。

「防人と言うのは、勇者と同じく神樹の力を使う人間達の名称だ。勇者が神樹の力を使ってバーテックスと戦うのに対し、防人は壁外の調査などが主な任務だな」

「つまり、勇者がバーテックスと戦う戦闘員なら、防人は調査員や工作員みたいなものなのか」

「その認識で間違ってない」

 むぐむぐと口の中を動かしながら刑部姫が答える。志騎も白米を口にしながら、

「夏凜にその防人が関係してるって事は……、もしかして夏凜って、元々防人だったのか?」

「いや、違う。防人はそもそも二つの種類の人間達から構成されている。一つは、今回の戦いで勇者に選ばれなかった人間達」

「今回の戦いって……友奈達と十二体のバーテックスの戦いの事か?」

 志騎の言葉に、刑部姫はこくりと頷く。

「三好夏凜と犬吠埼風は知っているだろうが、神樹に選ばれる素質を持ったガキ共のグループは讃州中学だけでなく、四国全国にあったんだ。その中から神樹が一つのグループを選び、そいつらが勇者となってバーテックスと戦うという手筈になっていた。今回の場合は結城友奈達讃州中学勇者部が選ばれたが、それ以外のグループは用済みとなったんだ。だが神樹に選ばれなかったとはいえ、その候補に選ばれるほど素養の高い奴らを放っておくほど大赦も呑気じゃない。バーテックスとは戦えないが、それなら他の事をしてもらおうって事で大赦はそいつらを集めて防人に組み込んだんだ」

「ちょっと待てよ。グループって事は、結構な人数だろ? そんな数の人間が一斉に神樹の力を使って大丈夫なのか?」

 現在勇者は志騎を入れると八人いるが、実際の所は六人がギリギリなのである。勇者も神樹の力を使用しているので、あまりに数が多すぎると最悪神樹の寿命が縮みかねないからだ。志騎と刑部姫と銀の勇者システムは刑部姫が独自に開発したプロトコルが組み込まれているため、小さな力で既存の勇者システムと同じぐらいの出力を得ているが、そうでないなら防人に使われる神樹の力は馬鹿にならないだろう。それとも、志騎達同様特別なシステムを使っているのだろうか。

「確かに防人も勇者システムを使っているが、奴らのシステムは戦闘よりも量産を重視している。その分一人当たりの神樹の力は制限されているから個人の戦闘能力はお前達よりも低いが、その分多くの人間が変身できる。現に今の防人は、三十二人で構成されているしな」

「へぇ……」

 個人の戦闘能力は劣るとはいえ、三十二人もの戦士が並ぶところを想像すると中々圧巻である。と、そこまで考えた所で志騎はある事に気づいた。

「でも、お前が防人の勇者システムに俺と銀のと同じプロトコルを組み込めば、戦力は大幅に増したんじゃないのか?」

「何故私がそんな事をしなければならない?」

 心の底から、どうしてやらなければいけないのか分からないと考えている表情だった。この野郎……と志騎がジト目で刑部姫を見ると、彼女は「話が逸れたな」と言って続ける。

「で、もう一つが三ノ輪銀の前の端末を巡る競争からあぶれた奴らだ」

「銀の前の端末?」

 それについては、以前銀本人から聞いた事がある。銀は生き神となった後、外に出ないために彼女自身の勇者システムを没収されていた。それでその端末は改造され、今は夏凜のものとなっていたはずだが。

「お前も知っての通り、三ノ輪銀の前の端末は改造されて今は三好夏凜が持っている。だがすぐに奴の手に渡ったわけでなく、勇者の素質が高い奴らを集めて選別を行ったんだ。そしてその選別で勇者に選ばれたのが三好夏凜で、選ばれなかった奴らがもう一種類の奴らと同じように防人に組み込まれたというわけだ」

「じゃあ、夏凜がいたのはそっちなのか」

 ああ、と刑部姫は頷き、

「温度差はあったが、どいつもこいつも自分が勇者になろうと必死に努力していた。で、選ばれたのは三好夏凜一人だけ。それはつまり、奴が名乗っている完成型勇者という称号には勇者に選ばれなかった奴らの想いがこもっていると言っても過言ではない。ああ見えて奴は責任感が強いからな、完成型勇者と馬鹿みたいに常日頃から言っているのも、その表れなんだろう。………チッ」

 と、話をしていた刑部姫が突然舌打ちをした。刑部姫の顔を見た志騎は、彼女が嫌悪感を滲ませた表情をしている事に気づく。

「どうした?」

「何でもない。……嫌な奴の顔を思い出しただけだ」

「……?」

 刑部姫がここまでの表情を浮かべるほどの人物がいるのかと志騎は気になったが、あえて追求しない事にした。仮に彼女の聞いても何も答えないだろうし、答えたくないものをしつこく聞いて不機嫌にさせるのが目に見えるからだ。コロッケに備え付けられているシャキシャキとした歯ごたえのキャベツを味わいながら、志騎は夏凜の事について話を戻す。

「つまり夏凜は勇者としての責任だけじゃなくて、防人の想いも背負ってるのか。なるほど、改めて合点がいったよ。いきなり入ってきた奴が完成型勇者だなんて言われれば気に食わないよな」

「はっ、防人と言っても所詮は勇者に選ばれなかった外れクジ共だ。そんな奴らの想いを背負おうのは奴の勝手だが、それでお前に八つ当たりするのもどうかと思うがな」

「……お前それ、絶対に防人って人達の前で言うなよ」

 言葉は悪いが、刑部姫は志騎に夏凜の言う事など気にするなと言っているのだ。

 だがそういうわけにもいかない。夏凜の背負っている想いは大切なものだし、それを気にしないというのは人間としても勇者としてもあまりに無神経すぎる。そんな彼女と、どうすれば距離を縮める事ができるのか……。

(………こういうのは少し苦手だけど、ちょっと考えてみるか)

 と内心思いながら、志騎はそれを刑部姫に明かす事はせず代わりにある事を尋ねる。

「なぁ刑部姫。防人は壁の外を調べてるって言ったけど、それって今もしてるのか?」

「ああ」

「………それ、天の神にバレないのか?」

 ピクリ、と刑部姫の箸を動かしていた止まった。彼女は視線をコロッケから志騎の顔へと変える。

 四国が約三百年間平穏を保ってきたのは、西暦の時代に人類が敗北を認め、四国を守る神樹の結界から出ない事を条件として天の神が侵攻を止めたからだ。それから二年前にバーテックスが攻め入るまで、四国は神樹の庇護の元で平穏を保ってきた。ちなみにこの話は、志騎が四国に戻って来てから銀と刑部姫から聞かされて初めて知った。

 今大赦が行っている事は、その天の神との条約を反故する事になりかねない。いや……それどころか約束を反故にしたと天の神に気づかれ、明日にでも四国を滅ぼそうとしても不思議ではない。そんなリスクを冒して本当に大丈夫なのか。

 二人の視線が空中で絡み合い、重い沈黙が食卓に降りる。やがて刑部姫はふぅと息をつくと、改めてコロッケを取って口に運び、よく噛み飲んでから答える。

「今のところは大丈夫と言いたい所だが、正直怪しいな。この前東郷美森が壁を壊したから、天の神の警戒が以前よりも強くなっている可能性は否定できない。それもあって、大赦も最近ピリピリしている」

「じゃあ、やめた方が良いんじゃないのか? 探索は中断するかもしれないけど、また計画を練って……」

「それも考えたが、時間がない」

「時間?」

 刑部姫は表情を険しくすると、「ガキ共には言うなよ」と前置きしてから告げた。

「神樹の寿命が尽きるのが予想よりも早い可能性が出てきた。うかうかしていたら、天の神よりも先にこっちが早くくたばる事になる」

「それって、まさか勇者が増えた事で?」

 いや、と刑部姫は首を横に振り、

「それもないわけじゃないが、一番の原因は信仰心が薄くなっている事だ。基本的に神の力って言うのは、自分に向けられる信仰心で決まる。大赦の奴らや勇者部の奴らの信仰心は強いが、それ以外の奴らに関してはそうでもない。バーテックスが襲来してから三百年経ってるし、平穏な日々と言うのはそれだけで危機感や信仰心を低下させる。四国の奴らは今も神樹を崇めてはいるが、ほとんどが人並程度の信仰心だ。このままだと、神樹の寿命が予想していたよりも早く尽きる」

 どうやら思っていたよりも、神樹と天の神の戦いは天の神の方が優勢となっているらしい。知らずの内に唾を飲み込みながら、志騎が尋ねる。

「何か方法は無いのか?」

「極端な話、四国の奴らが大赦の人間と同じぐらいの信仰心を持てば寿命が長くなる可能性はあるが、それにはある程度の危機感が必要だ。例えば……バーテックスと壁の外の真相を公にする、とかな」

「………っ!」

 彼女の提案に志騎は思わず目を見開いた。確かにそうすれば真実が明らかになり、四国の人々の心に強い危機感が芽生えるかもしれない。だが同時にそれは諸刃の剣だ。それは刑部姫も分かっているのか、彼女はこくりと頷き、

「だがそうなれば四国全土が強い混乱に陥るのは明らかだ。それでパニックになる奴らもいるだろうし、大赦に反感を抱く奴らも出てくるだろう。そうなったら終わりだ。治安維持に力を割きすぎて、外敵に意識を向けるどころじゃなくなる。おまけに畏怖の心や恐怖心も神の力になるから、結果的に神樹の力は弱まり天の神だけが強力になる。私がこの真実を使って脅した時も大赦の奴らが必死に止めてきたからな。いやぁ、あれは愉快だった」

「お前が手に入れた情報ってそれだったのか……」

 氷室真由理はある情報を使って大赦を脅迫し、大赦の科学者になったと聞いていたが、どうやらそれはバーテックスと壁の外の真実だったらしい。普通の人間だったなら大赦の強大な権力に握りつぶされて終わりだったろうが、残念ながら情報を手に入れた人物は神世紀最高の頭脳を持った天才だ。大赦も厄介な人物に知らされてしまったと思ったに違いない。

「ま、色々と脅しはしたが今すぐ神樹の寿命が尽きるというわけではない。だがただぼんやりしているというわけにもいかないから、計画を中断する事も出来ず探索を続けているというわけだ。とりあえずこちらの問題は大赦と私の方でどうにかしておくから、お前はとりあえず目の前の問題を解決しろ」

「……了解」

 気になる事は山々だが、確かに目の前の問題を放置しておくわけにもいかない。話を切り上げると、志騎は夕食を食べながら問題の解決方法について考え込むのだった。

 

 

 

 

 




 前書きで刑部姫達も言っていましたが、今回の夏凜との日常回は少し長くなりそうな気がするため今回と次回に分ける事になりました。次回についてはもう書き始めていますので、少しでも早く投稿できるよう努力いたします。もうしばらくお待ちください。
 


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第四十五話 誇り高きK/デート・オブ・ブレイブ

刑「さて、今回は何故そうなった!? 志騎と三好夏凜のまさかのデート(?)回だ。え、クエスチョンマークが付けすぎ? 私だって信じられないんだよ!」
刑「では何が起こるか分からない、ついでに三ノ輪銀の思考もどうなるか分からない第四十五話、楽しんでくれ」


 

 

 志騎が勇者部に夏凜について相談してから数日後の日曜日。

 讃州市の駅前に、一人の少女が緊張した面持ちで佇んでいた。

「………」

 少女――――三好夏凜はソワソワとした様子でスマートフォンを取り出して時刻を確認すると、上着のポケットにしまい込む。と、少女から少し離れた電柱にサングラスをかけた二人の少女がいた。二人の内背が高い方の少女はトランシーバーを取り出すと、小声でトランシーバーに話しかける。

「こちらオキザリス。サツキに動きはないわ。どうぞ」

 するとザザ、というノイズの後に別の少女の声がトランシーバーから聞こえてくる。

『こちらヤマザクラ。し……リンドウの姿はまだ見えません。どうぞ』

 またもやノイズが走ると、別の少女の声がトランシーバーから聞こえてくる。

 のだが、

『こここここここここ』

 トランシーバーから聞こえてくるのは少女の震えまくった声だった。震えまくっているせいで、何を言いたいのかさっぱり分からない。すると、トランシーバーの向こうから最初の少女とは別ののんびりとした声が聞こえてくる。

『こちら蓮~。駅構内からもリンドウの姿は確認できませんでした~。どうぞ~』

 と、のんびりした少女の声を聞いて、サングラスをした少女――――風がため息をつく。

「……乃木。まだ銀動揺してるの?」

『いやいやいや何言ってるんですか風先輩動揺なんて一ミリもしてないっすよ?(びちゃびちゃびちゃびちゃ)』

『わぁ~! ミノさん、缶からコーヒーがこぼれてるよ~!?』

『えっ? あ、本当だってあっつぅ!!』

 ぎゃー! という銀の悲鳴がトランシーバー越しに聞こえてきて、風は思わず額を抑えると天を仰いだ。

 何故勇者部がこんな事をしていて銀が動揺しまくっているのか。時は一昨日の金曜日に遡る。

 

  

 

 

 

 

 

 

 その日、授業を終えた友奈、東郷、銀、園子の四人は一緒に勇者部部室へと歩いていた。いつもなら彼女達と一緒にいる夏凜は、何故か今日授業が終わると早々に席を立ち、先に部室に言っててと友奈達に言い残すと一人でどこかへと言ってしまった。

「夏凜ちゃん、どこに行ったんだろ?」

「もしかして、早急に片付けないといけない依頼でもあったのかしら」

「それはないと思うぞ? 最近はアタシと一緒に部活の助っ人ばっかりだったし、風先輩からそういう依頼があったとも聞いてないし」

 最近勇者部に入った三人の中で一番夏凜と時間を過ごしているのは夏凜だ。二人共運動神経が抜群だし、性格も似ている所があるためよく二人で話している。

 と、話を聞いていた園子が何故かむっふっふ~と奇妙な笑い声を漏らした。

「これは、あれだね~!」

「あれって?」

「ズバリ、告白だよ~!」

「こ、告白ぅ!?」

 それを聞いて声を上げたのは友奈だ。一方、親友の言葉を聞いた銀は戸惑いながらも、

「た、確かにそれはありえるかもな。夏凜って美人だし、何でもできるし、惚れる人がいてもおかしくない。ってか、よくよく考えて見ると何で今まで告白してくる人がいないのか不思議だよな……」

「まぁ、夏凜さんはあんな性格だし勉強もできるから、高嶺の花で手が届かないって思われてたかもしれないわね」

 しかし、この数か月間で夏凜の雰囲気が大分柔らかくなった。以前よりも接しやすくなった彼女に、ここぞとばかりに告白してくる人間が出てきてもおかしくない。

「ど、どんな人なんだろう。夏凜ちゃんに告白する人って……」

 まだ告白と決まったわけでないのだが、よほど強く印象に残ったのか友奈が呟くと、銀が腕を組んで苦笑する。

「まぁ、夏凜に告白するぐらいだからなぁ。よっぽど自分に自信がある人とかじゃない?」

「でもそんな人だったら、夏凜さんだったら断りそうなものだけれど……」

 と、四人がそれぞれ相手の事を予想しながら曲がり角を曲がろうとした瞬間、声が聞こえてきた。

「で、何よ話って」

 話題の中心の人物である夏凜の声が聞こえてきて、四人は思わず足を止めた。

「(も、もしかして告白現場に遭遇したって感じ!?)」

「(ぎ、銀ちゃん声が大きいよ! もう少し小さく!)」

「(ゆーゆもちょっと大きいかな~)」

 まさかの展開に動揺して話す二人を園子がやんわりとたしなめる。ばれないように小声で話してはいるが、このままだと夏凜と話している相手に気づかれかねない。四人は曲がり角の陰に隠れると、バレないようにこっそりと顔を出す。

「(ど、どんな人!?)」

「(ちょっと待って! 今見える!)」

 そして、銀の目に飛び込んできた相手の顔は。

「………え?」

 銀の口から思わず声が漏れる。相手に気づかれたかもしれないなどとは、考えなかった。

 その人物の顔があまりにも予想外過ぎて、思考が一瞬空白になったからだ。

 その人物は。

「………志騎?」

 銀の口から漏れた声に、三人は目を見開くと自分達も相手の顔を見て、愕然とした表情を浮かべる。

 夏凜の目の前にいるのは、間違いなく銀の幼馴染の少年である天海志騎だった。見間違えというのはまずありえない。幼少期からの幼馴染の顔と、彼の特徴である水色がかった白髪を銀が間違えるはずがない。

「ん、ちょっと聞きたい事があってな」

 おまけにこの声も、自分の大切な幼馴染の声だった。もう人違いなどというのは絶対にありえない。今夏凜と話しているのは、天海志騎だ。

「お前今週の日曜日暇?」

「え、まぁ、そうね。暇だけど……」

 突然の質問に夏凜も戸惑っているのか、少々歯切れが悪い。勇者部の活動があれば日曜日も部活動に赴くのだが、ちょうど今週の日曜日には何の活動も入っていなかった。

「そうか。じゃあちょっと日曜日俺に付き合ってくれないか?」

「えっ」

 彼の口から放たれた言葉に、夏凜の頬がほんのりと赤く染まる。突然の事態に完成型勇者を名乗る彼女の頭も少し混乱しているようだった。すると顔を赤くした夏凜の顔を見て志騎は首を傾げ、

「どうした? もしかして、やっぱり何か予定があるとか? もしそうなら別に良いけど……」

「な、無いわよ! ちょうどその日は暇よ!」

「そうか。じゃあ繰り返すけど、付き合ってもらって良いか?」

「えと、その……」

 普段はツーンとした態度を取るくせに、真正面から来られると弱気になってしまうのが三好夏凜という少女の弱点だった。彼女はこの間までライバル心を持っていた少年に対してしおらしい態度を取ると、照れたように言う。

「……別に、付き合ってあげても良いわよ」

「よし」

 志騎が満足そうに頷くと、夏凜が恐る恐ると彼に尋ねる。

「でも、あんたは良いの? 銀じゃなくて、私で……」

「……? どうして銀の名前が出てくるんだ?」

 本当に分からないと言うように、志騎がきょとんとした表情で尋ねる。そして「まぁ、いっか」と呟くと、

「じゃあ今週の日曜日の……十時で良いか。讃州駅の前で待ち合わせな。じゃあまた部活で」

 そう言って志騎は夏凜から離れると部室へと歩いて行った。夏凜の方はというとまだ動揺しているようで、「ど、どうしよう……」と呟いてしばらくその場に佇んでいたが、やがて彼女も部室へと向かって行った。誰もいなくなった後、隠れていた友奈が東郷に困惑気味に尋ねる。

「ね、ねぇ東郷さん。これって……」

「ええ……。これは、つまり……」

「デートね」

 と、自分達の背後から声が聞こえてきて友奈と東郷と園子がびっくりながら振り返ると、そこには神妙な顔をした風と樹が立っていた。

「風先輩、いつの間に!?」

「ちょうどアタシも部室に行くところだったのよ。で、途中で樹と会ったから一緒に歩いてたらアンタ達が何かを必死に覗き込んでから、一緒に覗いてたってわけ」

「い、いつから見てたんですか?」

「ちょうど、志騎さんが夏凜さんに日曜日暇か? って聞いてた所です……」

「つまり、最初から見てたんだ~。全然気づかなかったよ~」

 普段なら最初に気づきそうな園子だったが、彼女の目の前の光景に意識を奪われて二人の接近にまったく気づいていなかったらしい。と、友奈が慌てた口調で風に言う。

「そ、それより風先輩! デートって……志騎君と夏凜ちゃんがですか!?」

「いや、それしか考えられないでしょ。男が女に一緒に付き合えないかって誘うのをデートと呼ばなくてなんて呼ぶのよ」

「で、でも一度も男の人にデートに誘われた事が無い風先輩の言葉を信じるわけにもいかないと思います!」

「いくら何でもそれは失礼過ぎるでしょ!! いや、実際ないけど!」

 よほど混乱しているのか本当ではあるが失礼な事を口走ってしまう東郷に風はツッコミを入れると肩をすくめながら、

「でも、傍から見ると完璧そうでしょ。むしろあれをデートの誘いと呼ばずに何と呼ぶのよ」

「せ、戦闘の訓練とか!」

「さすがに訓練だったらそう言うだろうし、そもそも駅前を待ち合わせの場所に指定しないでしょ」

「た、確かに……」

 風の言う通り、志騎の性格上訓練の誘いだったら直接言うだろうし、その場合駅前ではなく夏凜がいつも訓練に使っている海辺を待ち合わせに指定するだろう。

「つまり、あれは間違いなく……」

「正真正銘の、デートのお誘い……」

 さすがの園子も今回は場を盛り上げる気にはならないのか、やや声が重く聞こえた。

「まさか、志騎の好みのタイプが夏凜だったとは……」

「志騎さん、この前まで夏凜さんが自分に対して当たりが強いって相談してたのに……」

「も、もしかしてあれも、好きな子に嫌われるのは悲しいって事だったんじゃ……」

 会話は続くも、話の終着点は見えずただ困惑に包まれるばかりだ。

 と、そこで東郷がある事に気づく。

「ね、ねぇ銀。大丈夫?」

 先ほどの発言にこの中で一番ショックを受けているのはきっと彼に想いを寄せている銀だろう。東郷が彼女に目を向けると、銀は先ほどまで志騎と夏凜がいた場所をまだ覗き込むような体勢を取っていた。

「み、ミノさん聞こえてる~?」

 そう言いながら園子がぽん、と軽く銀の肩を叩くと、まるでマネキンが倒れ込むように銀の体は床に倒れた。

「き、気絶しちゃってる……」

「よっぽどショックだったのね……」

「ど、どうしたら良いのかな……」

 樹と東郷と友奈が困っていると、風がため息をついた。

「……とりあえず、保健室に運び込みましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、風が銀を背負い、六人は保健室へと向かった。なお、志騎と夏凜はそれぞれに依頼をメッセージアプリで送ったので、今頃自分達が請け負った依頼に向かっている事だろう。

「……はっ、ここは!?」

「保健室よ。ようやく目が覚めたわね」

 ベッドに横たわった状態で意識を覚醒させた銀に、風が声をかける。体を起き上がらせた銀はしばらくぼうっとした表情を浮かべたが、やがて自分が倒れた原因を思い出すと突然乾いた笑い声を出し始めた。

「まさか、志騎が夏凜をデートに誘うとはなぁ……。これは神樹様も予想できなかっただろうなぁ……。あはは、アタシはまだデートに誘われた事も無いのに……。まさか夏凜に先を越されるとは……あははははははははは……」

「ぎ、銀……」

「なんだい鷲尾さんちの須美さんや。悪いけどアタシは傷心でしばらく口が利けないから、しばらく寝る事にするよ……。風先輩、帰る時間になったら起こしてください……」

(口利けてんじゃない……)

 困った表情を浮かべながら風が心の中で思うが、当然そんな事を今の銀に言えるはずもない。目から光を失った銀は乾いた笑い声を出しながら、ベッドの掛け布団を被って寝ようとする。

「ちょ、ちょっと待ってください銀さん!」

 そんな銀を止めるように叫んだのは、樹だった。布団を被ろうとした銀はその手をピタリと止めると、胡乱な目つきで樹を見る。

「何だよ、樹……」

「そ、その、志騎さんは本当に夏凜さんをデートに誘ったんでしょうか? もしかしたら、夏凜さんと少しでも仲良くなりたいから、日曜日に遊ぶ約束をしたんじゃないでしょうか?」

 すると、それに同意したのは東郷と園子だった。

「確かに、志騎君だったらそうするかもしれないわね。夏凜さんとどうすれば仲良くなれるか、気にしてたみたいだし……」

「あまみんも真面目だから、女の子と二人で遊ぶ事がデートだとは思ってないかもしれないね~。ひょっとしたら、単なる同じ部活の友達との交流ぐらいとしか考えてないかも~」

 二人の言う通り、志騎が夏凜に好意を持っていてデートに誘ったとはまだ分からない。もしかしたら本当に悪くなりつつある夏凜との仲を、どうにか直すために彼女を遊びに誘ったのかもしれない。他の勇者部の面々を誘わなかったのは、自分と夏凜との問題なので他の部員を巻き込むのは良くないと彼が考えたかもしれない。というよりは、きっとそうだろう。……もしもそうだとしたら、夏凜を誤解させてしまっている事にもなるのでそこは迂闊だとしか言えないが。

 三人の言葉に銀は希望の表情を浮かべかけるが、すぐに不安そうな表情に戻り、

「で、でも本当に志騎が夏凜の事が好きだったら? それで夏凜を本当にデートに誘ったら? も、もしもそうだったらアタシは……」

 そしてしゅん、といつもは活発な表情を浮かべている彼女らしくない落ち込んだ顔になる。普段の彼女と今見せる彼女との可愛らしいギャップに東郷と園子は思わず心が動いてしまいそうになるが、どうにかそれを押しとどめる。さすがに時と場所ぐらいは弁えたいし、今は親友が本当に悩んでいるのだ。下手をしたらその場の状況を茶化す事になりかねない。

 二人はその場で深呼吸を数回すると、互いに見合わせて顔を見合わせる。そしてこしょこしょと小声で話し合うと、落ち込む銀に言った。

「ねぇ、銀。だったら」

「本当にあまみんがにぼっしーの事を好きなのか、あれはデートなのか、確かめてみない?」

「……え?」

 二人の提案に銀はきょとんとした表情を見せる。一方で状況を呑み込めていないのは他の三人も同じらしく、三人を代表して友奈が尋ねた。

「ねぇ園ちゃん、東郷さん。それってどういう意味?」

「要するに、二人のデートについていって、志騎君の本心を確かめようって事よ」

「つ、ついていくって……」

 東郷の言葉に樹は困惑した表情を浮かべ、風も似たような表情を見せる。

 それも当然だろう。志騎の本心を確かめようという言葉には納得できるが、同時に一歩間違えればただの野次馬にもなりかねない行為だ。もしもこの事が二人にバレたら後でどんな事をされるか分からないし、下手をしたら銀の秘めたる思いも暴露されかねない。二人が戸惑うのも無理はないだろう。

「つ、ついていくってそれはさすがに……」

 さすがの銀も二人の提案に素直に頷く事ができないのか、非常に悩んでいるようだった。だが一方で志騎と夏凜の事も放っておけないらしく、目がやたらと泳いでいる。と、それを察した園子が銀の肩に優しく手を置いて諭すように言う。

「ミノさん。知りたい事や確かめたい事があったら、自分の目できちんと確かめないと駄目なんよ~。この二年間で、それを知ったはずでしょ?」

「園子……」

「それとも見たくないものから目を逸らして、あまみんを諦める? ミノさんは、それで良いの?」

「……いや、言い出しっぺはあたしだけど、まだ志騎が夏凜の事を好きかどうかは分からないんだけど……」

 冷静に意見を述べる風だが、どうやら神樹館三人組は彼女達の世界に入ってしまっているらしい。おまけに友奈も銀が答えを出すのを固唾をのんで見守っている。

 銀は園子の顔を見てふるふると唇を震わせていたが、やがてぐっと唇を噛み締めると叫んだ。

「あ、諦められるかぁあああああああああああああああっ!! し、志騎は……」

「あまみんは~!?」

「志騎君は!?」

「あ、アタシのものだ!! 誰にも渡すもんかぁあああああああああああああああっ!!」

「よく言ったんよミノさぁあああああああああああああああああああああん!!」

「それでこそ勇者よ銀!!」

「やったぁああああああああああああああっ!! わーいわーい!!」 

 ばんざーい!! とテンション高く三人は両腕を高く振り上げた。どうやら三人とも銀の恋愛が関わって、テンションがいつも以上にハイになっているらしい。友奈と園子だけでなく東郷もテンションが爆上がりしているのを見て、困惑しながら樹が風に尋ねた。

「こ、これどうすれば良いんだろうお姉ちゃん……」

「どうするもこうするも、もう止める事は出来ないでしょ……」

 ため息をつくも、意気消沈していた銀がようやく元気になったので、まぁこれはこれで良かったかな……と風はそっと笑みを浮かべるのだった。

 それから六人は当日の計画を話し合った。すでに待ち合わせ場所と時間については分かっているので、後は二人をどう尾行するかだった。固まっていては二人に気づかれやすく、また周囲にも怪しまれるので二人ずつに分かれて尾行する事になった。ペアは話し合いの結果友奈と東郷、風と樹、銀と園子に。そして連絡は念のためにトランシーバーで取り合う事になり、機器は東郷が用意する事になった。ちなみに東郷がそれを持っていると知った時、どうしてそんな物を持っているのか気になったが聞かない事にした風だった。そして最後に二人に気づかれないように軽い変装もし、さらに園子の提案で通信を取り合っている最中はコードネームで互いを呼び合う事に。コードネームはそれぞれの勇者の紋章の元となっている花の名前になった。

 こうして準備と計画を整えて、六人は志騎と夏凜のデート(?)当日を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 樹とペアを組んだ風は電柱の陰から夏凜をこっそり覗き見しながら、腕時計を見て時刻を確認すする。現在の時刻は九時五十分。だがまだ志騎の姿は見えない。

「遅いわね……。志騎を疑うわけじゃないけど、寝坊でもしたのかしら?」

『それはないと思いますよ』

 風が呟くとトランシーバーから、志騎の事を良く知る銀の声が聞こえてきた。

『志騎が約束の時間に遅れたりした事は基本的にありません。あいつを育ててくれた人が時間に厳しい人だったんで、五分前行動は必ずしてました。時間に遅れたりしたのは、アタシと一緒にトラブルにあったりした時だけです』

『さすが幼馴染~! あまみんの事を良く知ってるね~!』

『あはは……。まぁ、その幼馴染にデートにも誘われてないけどな……』

『わ、わわ~! ミノさん、しっかりして~!』

 トランシーバーから沈んだ声と慌てる声が聞こえてきて、風は再びため息をついた。今日を迎えても、銀はまだ本調子に戻っていないらしい。今の声と先ほどの銀の様子がそれを何よりも表している。

 しかしその直後、風の横にいた樹が真正面を指差して言った。

「お姉ちゃん、志騎さんが来たよ!」

 樹の言う通り、彼女が指さした場所には志騎が歩いてきていた。服装は当然私服姿で、遠目なのでよく分からないが首にはネックレスのようなものをつけている。時刻を確認すると、九時五十五分。ジャスト五分前だった。

「こちらオキザリス。リンドウの姿を確認したわ」

『こちらヤマザクラ! 私達も確認しました!』

『蓮も確認しました~』

 友奈と園子も志騎の姿を確認したらしく、トランシーバーから二人の声が返ってくる。六人に見られているとは知らない志騎は夏凜に近づくと挨拶をする。

「よっ、悪いな日曜日に。待ったか?」

「べ、別に。さっき来たばっかりよ」

「いや、あんた三十分も前に来てたじゃない……」

 ツンとすました様子で嘘をつく夏凜に、半眼で風がツッコミを入れる。一方で、今の二人のやり取りを隠れて見ていた銀の方にもどうやらダメージが入ったようで、

『あはは……恋人っぽいやり取り……。前に園子が見せてくれた恋愛小説みたいだ……。こんな事、本当にあるんだな……』

『お、オキザリス! 百日草が二人のオーラに死んじゃいそうになってます~! どうしたら良いですか~!?』

「致命傷には早いでしょうが! まだ始まってすらいないのよ!?」

 風の言う通り、まだ二人は待ち合わせ場所から動いてすらいない。これでは今日一日で銀がどれだけダメージを受けるのか、風には非常に不安だった。

「じゃあ、行くか」

「そ、そうね。きょ、今日だけは付き合ってあげるわ!」

「めちゃくちゃ噛んでるわねー……」

 志騎相手にどうにか優位に立とうと夏凜はしているようだが、その噛みっぷりで全てが台無しになっていた。とは言っても、異性と一緒に遊びに行く事自体が彼女も初めてなのでそれは仕方ないだろう。

「じゃ、置いていかれるわけにもいかないし、私達も行くわよー」

 風がそう言って、トランシーバーから彼女の声を聞いた他の四人も動き出そうとしたその時だった。

「ほほう、私を差し置いて随分楽しそうな事をしているじゃないかクソガキ共」

 声が突然頭の上から降って来て、風の動きがピタリと止まった直後樹の頭に何かが降ってくる。ギギギ……と風がブリキの人形のような動きで振り返って妹の頭の上を見て見ると、そこにはニヤニヤと笑みを浮かべた刑部姫が樹の頭の上に乗っていた。

 ただ、その恰好はいつもの黒を基調にした神官服ではない。シャツの上に革ジャケットを羽織り、ダメージジーンズに編み上げブーツと、人形のような体躯の彼女が着るとあまりに目立ちすぎる格好をしていた。もしかすると、これが刑部姫――――氷室真由理が健在だった時の彼女の私服だったのかもしれない。

「お、刑部姫さん!?」

 突如現れた精霊の姿に樹が思わず声を上げると、彼女の声を聞きつけた他の勇者部の面々がぞろぞろと三人の周りにやって来て、いつの間にか姿を見せていた刑部姫の姿に全員が目を白黒させる。

「ど、どうしてお前がここにいるんだよ!?」

 銀が思わず刑部姫に尋ねると、彼女はふんと鼻を鳴らし、

「昨日の夜、何故か志騎が今日着る服などを念入りにチェックしていたんだ。気になって勇者部の依頼かと聞いたんだが、違うと返された。ならばと思って他の勇者部全員の家に式神くんを飛ばしてみたら、三好夏凜の奴が妙にソワソワしながら今日着る服についてあれこれ悩んでいた。それでてぇんさい美少女精霊の私は閃いた。……こいつらは明日、負け犬の三ノ輪銀を差し置いてデートをするのだと!!」

「言い方ぁ!!」

 身も蓋もない発言をする刑部姫に風のツッコミが飛ぶが、時すでに遅く銀は両膝を抱えてうずくまり、東郷と園子が必死になだめていた。しかしどうやら今のは刑部姫の質の悪い冗談だったようで、銀の姿を見てケタケタと一通り笑うと、「ま、冗談は置いておくとして」などと呟きながら、

「志騎の事だから、三好夏凜と遊ぶ事で関係を縮めようとしているんだろうなと察しはついた。そして私は今日は暇だから二人の様子でも見るかと思っていた矢先に、お前達を発見したんだ。お前ら、二人が何をするのかが気になるのは分かるが、野次馬根性も大概にしとけよ」

「あんたにだけは言われたくないんだけど!?」

 こればっかりはさすがに刑部姫も反論できないのか、珍しく反撃をする事は無かった。しかしその代わりに「ところで」と六人を見ると、にやりと口の端に笑みを浮かべる。

「出会ったのはまったくの偶然だが、折角の機会だ。合同で奴らの動きを今日一日観察するというのはどうだ?」

「あなたと一緒に、ですか?」

 すると案の定と言うべきか、東郷が嫌そうな表情を変える。勇者部は志騎と友奈と樹を除いて、刑部姫に対して好印象を抱いていない。中でも神樹館にいた時から彼女の性格を知っている東郷と園子はなおさらだ。しかし彼女の反応も予想済みらしく、刑部姫は肩をすくめながら、

「悪い話じゃないと思うぞ? あれでも三好夏凜は大赦の訓練を受けた人間だし、志騎も勘が鋭い上にバーテックスの力による五感の強化がある。それに対してお前達は尾行に関してはまったくの素人。奴らを観察しようにも、すぐにバレるのがオチだと思うがな」

「それは……そうかもしれないけど……」

 さすがの東郷もそれには同感らしく、彼女の表情は浮かない。今日まで作戦は考えてきたとはいえ、あの二人を相手に尾行を完遂できるのかというのが六人の不安だった。相手に気づかれないように尾行するのはただでさえ難しいというのに、何らかのトラブルが起きる事だって考えられる。そうすると、確かに刑部姫の言う事を呑んだ方が良いかもしれない。

 しかし……それは悪魔の条件を呑む事と同義なので、東郷達は素直に頷く事が出来なかった。一方で彼女達の心などお見通しなのか、刑部姫はニヤニヤと笑いながら、

「別に今日一日に至っては、条件は無しで構わないぞ? こんな事で貸しを作ってもしょうがないしな。で、どうするんだ?」

 素直にはいと言う事ができず、東郷が困っていたその時。

「……分かった。条件が無いなら、ついてきても良い」

 そう言ったのは、勇者部の中で恐らく一番刑部姫と仲が悪い銀だった。彼女のまさかの返答に五人が驚いた目を向けると、彼女は苦虫を噛みつぶしたような表情で、

「こいつはムカつく奴だし、隠し事もするけど……。こんな事で嘘をつくような奴じゃないって言うのは分かってる。悔しいけど、今回ばかりはこいつの力が必要だと思う」

「ミノさん……」

 言葉とは裏腹に、銀の顔には苦々しい表情が浮かんでいる。刑部姫と相容れない気持ちはあるが、今はそれ以上に志騎と夏凜の事が気になる、という銀の考えが手に取るように分かった。複雑な表情を浮かべる勇者部とは対照的に、自分の敵とも言える相手から了承を得られた刑部姫は満足そうに笑う。

「よし。今回は中々物わかりが良いようで何よりだ。いつもその調子だと私の仕事も減って助かるんだがなぁ」

「うっさい」

 ぶすっとした調子で銀が答えるが、それを気にせずに刑部姫は革ジャケットのポケットから紙の札を取り出すと友奈に手渡した。札の両面には複雑怪奇な模様な書かれており、どういった意味なのか友奈達にはさっぱり分からない。

「これ何?」

「認識阻害の術式を組み込んだ札だ。これを持っていれば、奴らからも周りの通行人からも私達の存在は認識できなくなる」

「ああ、合宿の時に使ったあれか」

 二年前、四人の連携を鍛えるために行われた合宿の時の事を思い出して銀が呟く。あの時使われたものと同じなら、例え七人が集まってどれだけ騒いでも周りの人間や志騎達がこちらに気づく事は無いに違いない。

「では準備も整ったし、さっそく行くとするか」

 こうして刑部姫を加えた勇者部は、志騎と夏凜の後を追うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えばもう十二月だけど、あんたの家って暖房何使ってるの?」

「炬燵。炬燵に入ってアイスクリームは至高だぞ」

「意外に贅沢な事してるわね……」

「この前好きなアイスを冷蔵庫に取っておいて風呂上りに食べようとしたら、刑部姫に食われてたから本気であいつを半殺しにしようかと思った」

「……あいつ、あんたの家でも結構平常運転なのね……」

 夏凜と志騎は取り留めのない話をしながら、歩道をゆっくりと歩いていた。その後方には勇者部と刑部姫が後をつけていたが、前を歩く二人はおろか周りの通行人すら彼女達には目もくれていない。

「………なんか、これだけの人達が私達に全然気づかないのも、ちょっと不気味だね」

「そ、そうですね。しかもただ気付かないならまだしも、ちゃんと私達を避けて歩いてますし……」

 まるで自分達が透明人間になったみたいで、友奈と樹が呟くと樹の頭の上に乗った刑部姫が言う。

「今の私達は他の人間の認識からズレた形で存在している。人間は認識できないものを見る事も出来ないし、聞く事も出来ない。ただ認識は出来なくても、そこに何かある(・・・・・・・)と無意識に感じ取っているから、私達を避けるように歩いている。本人達はまったく気づいていないだろうがな」

「へぇ……」

 分かっているのか分かっていないのか――――恐らく後者だと思うが――――友奈が呑気な声を上げる。一方で銀の方は二人の様子が気になるのか、じっと目を皿のようにして二人の後ろ姿を見ている。

「で、まずどこにいくつもりなのよ」

「もうそろそろつくよ。っと、ここだ」

 そう言って志騎が立ち止まったのは、なんの変哲もないゲームセンターだった。

「ゲーム……」

「センター……」

 派手な看板を見て、友奈と風が思わずきょとんとした声を上げる。てっきり最初はアパレルショップでも見に行くのかと思っていたので、これは予想外だった。夏凜も目をぱちくりとした様子で、ゲームセンターの看板を見上げている。志騎の方はというと、夏凜の顔を見て二ッと唇の端を上げて笑みを見せた。

「俺が奢るからさ、ゲームしようぜ」

 

 

 

 二人はゲームセンターに入ると、まず両替機に行って千円札を三枚入れて小銭に両替する。機械から大量の小銭が溢れてくるのを見ていると、ふと夏凜が志騎に尋ねた。

「そう言えばあんた、今お金ってどうしてるの?」

「大赦から振り込まれてる」

「あ、やっぱりそうなんだ」

 その口ぶりからすると、恐らく夏凜の方も同様だろう。とは言っても二人共まだ中学生で親から離れて生活しているので、大赦からのサポートが無いと困るのだが。

 志騎は両替された小銭を財布に入れながら、

「でもそれとは別に刑部姫の奴がお小遣いくれるから、今のところは金銭で苦労はしてないな」

「いくらもらってるの?」

「十万」

 ぶっ! と夏凜と彼女達から離れた所で話を聞いていた風が吹き出し、それを見た志騎が訂正する。

「まぁさすがにそれはもらい過ぎだって断って、結局五万円になった」

「それでも多すぎじゃない?」

「それ以上はあいつが譲らないんだよ。俺も今の内から金銭感覚が狂うのは嫌だし、使わない金は今の内に貯金する事にしてる」

 改めて刑部姫の過保護っぷりを知って、夏凜はジト目になると、

「……刑部姫って、過保護?」

「身内に甘いだけだよ。行くぞ」

 そう言って志騎と夏凜が何を遊ぶか……と店内をうろついていると、夏凜の目に入ったのはゲームセンター定番のUFOキャッチャーだった。中には可愛らしいあざらしのぬいぐるみがいくつも入っている。

「……やりたいのか?」 

 夏凜の視線の先にあるものを見て志騎が尋ねると、夏凜はツンと視線を機体から逸らした。

「べ、別に。興味ないわよ!」

「そうか。……まぁ確かにああいうのはアームの力が弱いから何円か入れないとまず取れないし、こういうのにあまり来た事が無いお前じゃまず無理かもな」

 志騎としては悪意も何もない言葉だったのが、どうやら夏凜にはそれが煽りに聞こえてしまったらしい。カチン、と今の一言でムカついた夏凜はピクピクと青筋を浮かび上がらせながら、

「……なるほど。つまりあんたは、私には取れっこないって言うのね?」

「え、いや、そんなつもりじゃ」

「良いわ! 何百個でも取ってあげる!! 見てなさい完成型勇者の実力を!!」

「完成型勇者の実力関係あるの?」 

 志騎が冷静にツッコむも、夏凜の耳には届かない。奢るよと言った志騎の言葉を「いらないわよ!」と突っぱねると機体に百円を投入、ボタンを使ってアームを操作する。

 アームをぬいぐるみの真上まで操作すると、バン!! とボタンを力強く押してアームを下ろす。アームが下まで降りると爪が開き、ぬいぐるみを掴む。それに一瞬夏凜の顔がぱぁっと明るくなるが……、次の瞬間掴んだはずの爪からぬいぐるみが落ちて彼女の動きが固まった。

 無言の夏凜の前でアームが元の位置に戻ると、それを後ろから見ていた志騎が呟く。

「やっぱり無理だったか……。ま、今回はやめとけ夏凜。こういうのは運もあるし、遊べるゲームはまだたくさん……」

 と、励まそうとした瞬間。

「……よ」

「え?」

「――――上等よ!! こうなったら、意地でも一つ取ってやろうじゃないの!!」

 うがー!! と両替機に突っ込むと諭吉を一枚取り出して機械に投入しようとする。それにはさすがに志騎も慌てて彼女に駆け寄ると、後ろから彼女を羽交い絞めにして諭吉投入を防ぐ。

「お、落ち着け夏凜! それはさすがにやりすぎだ! こんなくだらない事で諭吉を使うな!」

「くだらない事ですってぇ!? あんたにとってはくだらない事でもねぇ、私にとっては大事な事なのよ!! 勇者部五箇条!! なせば大抵なんとかなぁあああああああああああああある!!」

「こんな事に勇者部五箇条を使うな!!」

 暴れる夏凜をどうにか志騎が抑えようとし、二人の間の雰囲気はカオスな事になっていた。そしてそれを眺めていた樹が遠い目で、

「……夏凜さんはギャンブルをやっちゃいけない人ですね」

「ムキになる奴とギャンブルの相性って最悪だよな。おい結城友奈、犬吠埼風はどうした?」

「えっと、夏凜ちゃんの言葉を聞いて『勇者部五箇条がギャンブルを促進させるなんて……』って落ち込んじゃって。それで今東郷さんと園ちゃんが慰めてる……」

 困惑した友奈の視線の先には、両膝を抱えてうずくまっている風の頭を東郷と園子がよしよしと撫でて、混乱に陥る勇者部をよそにして銀は乱闘を繰り広げる志騎と夏凜を不安そうに眺めていた。もしも認識阻害の札が無かったら、周りから注目を集める事間違いなしだった。まぁ、話題の中心である二人は現在進行形で周りの客からの注目を集めていたのだが。

「……こっちもこっちでカオスだなぁ……」

 小さく呟いて、刑部姫はため息をつくのだった。

 それから志騎による必死の説得の結果、夏凜は一万円札でなく千円札を投入してUFOキャッチャーに挑戦した。奢るよと志騎は再度言ったのだが、夏凜はやはりそれを突っぱねてプレイする。

 結果は、惨敗。

 百円玉を十枚に投入しても一個もぬいぐるみを取れず、収穫はゼロに終わった……。

「…………」

「…………」

 自信をへし折られ、夏凜は機体の前で立ち尽くし、志騎も何も言えないようだった。さすがの刑部姫も笑えなかったのか、「まずい、悲惨すぎる……」と心から夏凜に同情していた。

「つ、次行くぞ! レースゲームなんてどうだ!?」

 呆然とする夏凜の腕を引っ張って指差したのは、車を運転して最速を競うレースゲームだった。これならギャンブル性はないし、夏凜も楽しめるだろうという判断だ。それに気づいた夏凜は機体に近づくと、運転席を模したプレイヤー席を眺めながら興味深々の声を出す。

「へぇ、楽しそうね……」

「これなら二人で競争も出来るし、運が絡まない純粋な実力勝負ができるだろ。やる?」

 それに対する返答は好戦的な笑みだった。どうやらイエス、という事らしい。現金なものだが、この時ばかりは夏凜のチョロさに感謝する志騎だった。

 二人は隣り合っているプレイヤー席に座ると、硬貨を投入する。今回ばかりは夏凜も志騎の奢りを遠慮しなかった。硬貨を投入すると使う車を決め、目の前の大画面にそれぞれの車の運転席から見た視点が表示される。

「ぶっちぎりで勝ってやるわ! 私に挑んだ事、後悔するんじゃないわよ!?」

「お手柔らかに」

 ふふんと自信満々に鼻を鳴らす夏凜とは対照的に、志騎は落ち着いた表情で返す。が、機嫌が良い夏凜は余裕とも取れるその言葉を聞き流すと、ハンドルを力強く握る。それを見て志騎もハンドルを握ると、すぅっと目を細めた。

 そしてカウントダウンが表示され、数字が減っていく。

 やがて数字が0になり、START! という文字が二人の目に飛び込んできて、レースが始まる。二人は勢いよく足元のアクセルを踏み込み、それぞれの車を発進させた。

 数分後。

「強すぎんのよあんたぁ!!」

「落ち着けよお前……」

 顔を赤くして涙目で志騎を指差す夏凜に、志騎が缶ジュースを飲みながら冷静に言う。

 レースゲームの結果は、志騎の圧勝だった。しかもあと二秒早ければタイムスコア更新。それに比べて夏凜は初心者とは思えない運転さばきで志騎に肉薄したものの、結果は大差をつけられての二着。負けず嫌いの夏凜が納得するはずもなく、こうして志騎に噛みつく羽目になっていた。

「志騎君、ゲーム上手なんだね!」

 二人の様子を隠れて見ていた友奈が驚いたように言うと、彼女の横から様子を伺っていた東郷がふとある事を思いだす。

「そう言えば確か、志騎君はゲームが強いって前に銀が言ってたわよね?」

「うん。志騎めちゃくちゃ強いよ。アタシと鉄男の二人がかりでやった時もあったけど、二人共返り討ちにされた事もあったから。……それにたぶん、志騎の奴本気出してないな」

「どうして分かるの~?」

 園子が尋ねると、銀は夏凜をなだめる志騎を見つめながら、

「志騎が使ってた車、夏凜のと同じ奴なんだよ。前にアタシも志騎と一緒にあのゲームやった事あるんだけど、夏凜のは初心者が良く使う万能タイプ。クセは無くて使いやすいけどこれといった特徴はない。で、志騎が前に使ってたのは上級者御用達の車。使いづらいけど、その分速度がとんでもない奴。それ使って前ハイスコア叩き出してたから、使い慣れてないわけでもないと思う」

「じゃあ、どうしてそれを使わなかったのかしら」

「使いづらいけど、速度がぶっちぎりに早いですからね。夏凜はまだ初心者ですし、初心者相手にそれを使うのも大人げないし不公平すぎるって思ったんだと思います」

「でもハンデをつけられると夏凜さんは怒るだろうから、わざと同じ車を使って技量だけで相手をした、と……」

「う~ん……あまみんも大変だね~……」

 こうして遊ぶだけで色々と頭を使わなければならない志騎に、園子は同情するように言った。勇者部がそんな会話をしているとは露知らず、夏凜はレースゲームの運転席につかつかと歩み寄ると叫び、

「もう一回よ志騎!! コンティニューしてでもクリアしてやるわ!」

「いい加減落ち着けよ完成型勇者!!」

 機体に硬貨を投入しようとしている夏凜を志騎はどうにか引きはがし、再び店内を歩き始めるのだった。

 UFOキャッチャー、レースゲームと自分の情けない姿を立て続けにさらされ続け、夏凜はぶすっとした表情を浮かべていた。仲を深めるためにゲームセンターに誘ったつもりがこんな事になってしまい、流石の志騎もどうしようかと困っている。二人が無言で歩いていると、夏凜がふと立ち止まって志騎に尋ねた。

「ねぇ、これってエアホッケーってやつ?」

「ん? ああ、そうだよ」

 夏凜が指さしたのは、テニスコートのようなネットがかけられたテーブルだった。とは言ってもテニスコートとは違い、ネットの下の部分は盤面に接しておらず少し浮いている。さらに盤面には薄い円盤であるパック、パックを相手のゴールに入れるためのマレットと呼ばれる道具が置かれていた。

「もしかして、これもやった事ないのか?」

「無いわよ。……ねぇ、これ使って勝負しない?」

 え、と志騎が戸惑いの声を上げると、夏凜が二つあるマレットの内の一つを掴んで宙に軽く投げる。くるくる回るマレットを夏凜は見事にキャッチすると、マレットを志騎に突き出して強気な笑みを浮かべた。

「運でも画面越しでの勝負でもない、純粋な動体視力と運動神経の勝負。受ける気あるかしら?」

 夏凜の挑戦に、志騎も思わず笑みを浮かべる。この誘いに乗らないのは、ゲーマーとしても男としても情けない。おまけに志騎はエアホッケーもやった事はあるが、相手は大赦で勇者になるための訓練を積んだ人間。バーテックス・ヒューマンの力を使うなら話は別だが、そうでないならこれは彼女の言う通り、純粋な動体視力と運動神経の能力だ。

「上等。やろうか」

 二人は互いに笑みを浮かべると、機体に硬貨を投入する。じゃんけんの結果、最初は夏凜のサーブになった。二人はマレットを握り、夏凜がパックを目の前に置く。得点板に二つの0という数字が表示されるのを引き金として、試合が始まった。

「はぁっ!!」

 カン!! という乾いた音の直後パックが志騎の方のゴールに向かうが、それを防ぐ形でマレットでパックを弾く。しかし夏凜は素早く動きでパックを弾くと、パックはステージの壁に当たって反射し、志騎のマレットを潜り抜けてゴールに入った。

「っし!!」

 ぐっと夏凜が嬉しそうに拳を握る。このゲームの勝利条件は七点先取。つまり、あと六点取れば夏凜の勝ちとなる。

「やるな。だけど……」 

 失点した志騎からのサーブとなり、志騎は目の前にパックを置くとマレットでパックを弾く。パックはステージの片隅に向かい、夏凜が腕を伸ばしてパックをどうにか弾き返す。しかしその動きを予測していた志騎がパックを真正面に鋭く弾き、それに反応した夏凜は腕を動かすも間に合わずパックがゴールに入った。

「こっちだってバーテックスと戦ってた時は遊んでばかりだったわけじゃないんでね」

 戦いの中で勇者になったとはいえ、バーテックスとの戦いで生き残るために銀達と一緒に訓練を受けた身だ。夏凜が勇者になるため厳しい訓練を受けていたとはいえ、そう簡単に負けるわけにもいかない。

 それを悟った夏凜は上等と言うように笑みを浮かべると、パックを自分の前に置く。今度は夏凜からのサーブだ。夏凜がパックを打ち、二人の激闘が続いた。

 それからはまさに一進一退の攻防だった。二人共勇者であるだけあって身体能力と動体視力が優れているため、互いに点は取りはするが大きな差は出ない。二人の勝負はエアホッケーとは思えないほどに白熱したものになり、気が付くとテーブルの周りには多くのギャラリーが出来ていた。

「なんか、とんでもない事になって来たわね……」

「夏凜ちゃん、志騎君頑張れー!」

 長丁場になりそうだと思った勇者部員達は缶ジュースを飲みながら二人の勝負を見守り、認識阻害で二人に気づかれていない事を利用して友奈が声援を送る。当然二人に友奈の声援が届く事は無く、二人は互いに笑みすら浮かべながらパックを打ちあった。

 そして、三十分後。

「はぁ、はぁ……。さすがにやるな、夏凜」

「ふん、あんたもね……」

 互いに息をつきながら、二人は真正面の敵をまっすぐ見つめる。掲示板に表示された点数には6が二つ並んでいる。つまり、二人共マッチポイント。ここで一点を先取した方が勝ちとなる。

「だけど、これで終わりだ……」

「そうね。最後にしましょうか……」

 今回のサーブ権は志騎のものだ。パックを目の前に置き、深呼吸をして高ぶりそうになる気持ちを落ち着かせる。体は激しく動いても、頭は常に冷静であらねばならない。夏凜の方も唇を舐めて湿らせながら、相手の出方を待つ。そんな二人の醸し出す雰囲気に、周りのギャラリー(と勇者部)達がごくりと唾を飲む。

 そして。

「――――しっ!!」

 カン!! と乾いた音と共にパックが打ち出され、ステージの壁にぶつかって何度も反射しながら夏凜のゴールに向かう。変則的な動きながらも速度は早く、並大抵の相手ならこれで勝負が決まったかもしれない。

「だぁっ!」

 しかし相手は自称とはいえ完成型勇者。パックの軌道を難なく見切ると、力強くパックを弾き返す。ステージの壁に反射しない分速度は凄まじく、すぐに志騎のゴールの目の前まで迫る。

「くっ!」

 それを間一髪弾いて難を逃れると、勝負を振り出しに戻す。

 さすがというべきか二人は高速でパックを弾き返していくが、これまでの戦いで二人共体力を消耗している。長々と勝負を伸ばすつもりはない。

(なら……っ!)

 志騎はマレットを力強く握ると、パックをステージの片隅目掛けて思いっきり飛ばす。先ほど披露したステージの片隅を攻め、パックが返ってきてからゴール目掛けてパックを入れる戦法だ。夏凜相手に同じ戦法を繰り返すのは無謀かもしれないが、今度のパックの速度は先ほどの比ではない。当然彼女の体勢も大きく崩れる事になる。案の定、夏凜は右手を伸ばしてどうにかパックを返すが、体勢が大きく崩れている。それでは体勢を戻すのにわずかに時間がかかる。

(これで、終わりだ!)

 右手を自分の体の前で曲げ、次の瞬間思いっきり右腕を伸ばしながら開こうとする。これが当たれば間違いなく今日一番の速度のパックが放たれ、夏凜のゴールに突き刺さる――――。

「舐めんなっ!!」

 が、そこで志騎は思わず目を剥いた。

 なんと夏凜が右手に持っていたマレットを横に素早く滑らせたのだ。

 その先には、彼女が精一杯伸ばした左手――――。

(ま、ずい!)

 ついさっきから彼女が右手だけ使っていたせいで忘れていたが、勇者としての彼女の武器は双刀なのだ。

 つまり彼女は、右手だけでなく左手も自由に扱う事ができる――――!

 志騎が気づいた時に遅く、パックは間違いなく今日一番の速度で放たれる。だが速度を優先としたため、志騎の体勢は大きく崩れてしまった。ちょうど、志騎が思い描いていたイメージとは反対となる形で。そしてその先には、わずかに体勢を崩しながらも左手にマレットを握りパックを待ち構える夏凜の姿。

「もらったぁっ!!」

 夏凜は左手でパックを弾き返し、無防備な姿となった志騎の目の前でパックがゴールに突き刺さった。

 掲示板の夏凜の得点に7が入り、この時夏凜の勝ちが確定した。

「よぉっしっ!!」

 ガッ!! と夏凜が右手を強く握りしめて力強い笑みを浮かべ、周りで勝負を見守っていたギャラリー達もうぉおおおおおおおおおおおおっ!! と歓声を上げる。

「わーいわーい! 夏凜ちゃんおめでとー!!」

「あまみんもお疲れ様~! 二人共、よく頑張ったんよ~!!」

 ついでに、勝負を見守っていた友奈と園子も叫んでいた。

「はぁ、負けたか。あそこで左手を出してくるとは思わなかったなぁ」

 マレットを置きながら、志騎は苦笑する。普通利き腕とは反対の手を使うとは誰も思わないので志騎が気にする必要はないのだが、勝負ごとに関してはシビアな志騎はそれを考えつかなかった自分が悪いと考える。なので、今回は間違いなく志騎の負けだった。彼は夏凜に近寄ると、

「やっぱりお前は強いな。さすが」

「ふん! 完成型勇者の私には当然よ!」

 と、そこまで言ってから夏凜は少し恥ずかしそうに、

「……で、でも。あんたも結構強かったわよ。私をここまで追い詰めたんだから、それは誇っても良いと思うわ」

「……それはどうも」

 そう言いながら志騎が右手を差し出し、夏凜は最初差し出された右手をきょとんと見ていたが、やがてそれが握手の合図だという事に気づくとやれやれと言いたそうな笑みを浮かべながらも志騎の右手を握り返した。まるで青春ドラマのような光景にギャラリー達が拍手をし、おまけに友奈と園子はうんうんと満足そうに頷きながらギャラリー達と同じように拍手をしていた。

「……なんか、二人の周りだけ随分盛り上がっちゃってるわねぇ……」

「ま、漫画みたいだね」

 風と樹が呟くと、黙っていた刑部姫がスマートフォンを取り出し、

「……ネットにでも流してみるか。再生数稼げるかもしれんし」

「それはやめた方が良いと思います……」

 もしもそんな事を本当にしたら、夏凜が怒り、志騎は刑部姫を半殺しの刑に処する事間違いなしだろう。

 そして、ギャラリー達と勇者部に見守られながらようやく互いの手から手を離した恥ずかしそうな表情の夏凜と、ギャラリー達の反応に苦笑を浮かべている志騎の姿を。

 銀は、どこか複雑そうな表情で眺めているのだった。

 

 

 

 

 

 

 ゲームセンターで時間を過ごしている内に、時刻はお昼時になった。ちょうどいい具合に空腹になった

志騎と夏凜はゲームセンターを離れると、お昼ご飯にある施設に入る。

 その施設とは。

「あんたって、ここに良く来るの?」

「いや、俺はあんまり。銀は本当に良く来るけど」 

 銀がよく来るショッピングモール、イネスだった。二人掛けのテーブルに二人とも座っており、夏凜の目の前にはうどん、志騎の目の前には味噌ラーメンにクリームソーダが置かれていた。志騎がクリームソーダのソフトクリームを美味しそうに食べていると、うどんをすすっていた夏凜が言う。

「ラーメン伸びるわよ」

「すぐに食べるから大丈夫だよ。ここのソフトクリーム美味いんだ。本当ならジェラートの店があったらしいんだけど、もう無いしな」

 そう呟く志騎の視線の先には、シャッターが下ろされている空き店舗があった。きっと元々そこに、彼の言うジェラートの店があったのだろう。夏凜も志騎の視線の先を追いながら、

「あんたと銀が来てたって事は、園子と東郷も?」

「ああ。園子は確かほうじ茶アンドカルピー味で、須美は……ああそうだ。ほろにが抹茶味を食べてた」

「銀は?」

「しょうゆ豆」

「……美味しいの、それ?」

「あいつにとってはそうだったんじゃないのか? 俺や須美に園子には分からなかったけど」

 二人はそれぞれ頼んだものを食べながら、会話に花を咲かせている。どうやらゲームセンターで遊んだ事で二人の仲が縮まったらしく、夏凜の顔にも笑みが増えている。

 そして二人の様子を、勇者部と刑部姫が二人から離れたテーブル席で見守っていた。

「二人共、今日の朝よりすごく仲良くなってますね!」

「そうね。最初はどうなるかと思ったけど、ゲームセンターで一緒に遊んだ事が良かったみたい……って刑部姫! あんたちょっと七味入れ過ぎじゃない!?」

「やかましい。私にはこれが普通だ」

 刑部姫の前のうどんには、七味唐辛子がこんもりと積もっていた。彼女の両手には七味唐辛子のボトルが握られており、それを同時に振ってかけるという所業を平然と行っている。そして両手に握っていたボトルを置くと、箸を持ってうどんを豪快にすすった。ずぞぞぞぞぞっ! という音と共に面と一緒に七味唐辛子が彼女の口内に吸い込まれ、勇者部の面々が顔を引きつらせるが、刑部姫の表情は苦しむどころか満足そうである。……知りたくも無かったが、また刑部姫の新たな一面を知った一同だった。

 やがて勇者部も昼食に、それぞれが頼んだうどんをすすり始める。しかしそこで東郷が銀が少しもうどんを食べていない事に気づき、彼女に言う。

「銀、うどん伸びちゃうわよ?」」

「ん? あ、ごめん……」

 東郷が言っても、銀はうどんにまったく手をつけなかった。ただぼんやりとした目でうどんを見ている。いや、もしかしたら彼女の目にはうどんすら写っていない可能性が高い。それに東郷以外の勇者部も気づき、刑部姫以外の全員の箸を動かす手が止まった。すると、そんな銀に友奈が明るく声をかけた。

「勇者部五箇条! 悩んだら相談!」

「えっ?」

 銀が顔を上げると、友奈はにっこりと明るく笑った。周りを見て見ると、風達も優しい表情で銀の顔を見ている。それだけで彼女達の気持ちが友奈と同じである事に気づくと、銀は少し俯いてためらいつつも、ぼそぼそと自分が抱えていた感情を喋り始めた。

「……突然こんな事言うのはあれだけど、今まで志騎の事を一番知ってるのはアタシだって思ってたんだ。アタシは志騎の唯一の幼馴染だし、志騎とずっと一緒だったから」

 でも、と彼女は両膝の上で拳をぎゅっと握り、

「……夏凜と遊んでる時の志騎を見て、思ったんだ。ああ、あいつってアタシと遊んでる時以外でもあんな顔するんだって。別にアタシだけが見る事ができる笑顔じゃないんだって。そう思ったら悔しかったけど、こうも思ったんだ。あいつを幸せにできるのは、アタシだけじゃないんだって」

「銀、それは……」 

 東郷が何かを言おうとすると、銀はあははと笑いながら、

「だから、正直分からなくなっちゃったんだ。志騎の事は好きだし、一緒にいたいけど……志騎が幸せになる事を第一に考えるなら、アタシじゃなくてアタシよりも志騎の事を考えてくれる人がそばにいた方が良いんじゃないかって。そうすれば、志騎も幸せなんじゃないかなって……」

 そう言う銀の目は、夏凜と話す志騎に向けられていた。だが今の銀の発言は、園子や東郷、さらに友奈達にとっても簡単に許容できる話ではない。

 何故なら今の話は、聞きようによっては彼の幸せのためなら志騎を諦める事も一つの手なのではないか? と言っているように聞こえるからだ。銀の想いを知っているからこそ、簡単に受け入れられる話ではない。それに東郷と園子が口を開こうとした時だった。

「くだらん話だな」

 ドン! とスープを飲み干して「けぷっ」と可愛らしいゲップをしながら刑部姫がテーブルに丼を置く。刑部姫は銀をつまらなさそうに眺めながら、

「三ノ輪銀。お前は火の玉のように直情的な女かと思っていたが、意外に志騎の事になると臆病だな。いや、正確には恋愛事には慎重かつ奥手と言うべきか。ずいぶんとつまらん考え方をする」

「つまらんって……」

 いつもの刑部姫の毒舌に東郷が顔を険しくさせると、刑部姫は腕組みをしながら言った。

「じゃあ聞くが、お前は志騎からお前と一緒にいても幸せになれないとはっきり言われたのか? お前と一緒にいるよりも誰かと一緒にいた方が気が楽だと言われたのか?」

「……それは、言われてない。ってか、聞いても無いし……」

「聞いてもいないのに誰かの心を勝手に決めつけるな。ガキのたわ言を聞くのは不快だが、勝手な決めつけを聞くのはさらに不快だ」

 そう言うと刑部姫は事前に頼んでいたブラックコーヒーのカップを手に取ると、一口飲んで顔をしかめる。「マズいな……」と小さく呟いてカップを置くと、ジロリと銀を睨みつける。

「別にお前を慰めるわけじゃないが、慎重で臆病なのは悪い事じゃない。だが何かを変えたい、知りたいと願うならその足で動け。怖くても相手に聞け。そして伝えたい事があるならどんな形でも良いから伝えろ。そこでようやくスタートラインだ。お前はまだそこにすら立ってない。スタートラインにすら立ってないガキが色々抜かしても空しいだけだ」

「あんたねぇ、そんな簡単に聞けるなら……」

「苦労はしないってか? それなら聞かなければいい。自分が傷つく覚悟もない、自分が可愛いだけの奴に、誰かを愛し愛される資格などあるか。……そもそもこんな事、私よりもお前達の方がよっぽどよく知っているだろうが。私の口からわざわざ言わせるな面倒臭い」

 そう言うと刑部姫は不機嫌そうにコーヒーをぐいっと飲んだ。言葉自体は悪いが、全くの見当外れというわけでもない。むしろ、彼女なりのアドバイスとも取る事ができる。そんな刑部姫を風は珍しい物を見る様な目で見ながら、

「……あんたがそんな事を言うなんて意外ね。『恋愛は精神病だ』ぐらい言いそうなのに」

 すると刑部姫は風の言葉を馬鹿にするように鼻で笑った。

「人間がここまで栄えてきたのは生き残りたいという本能もあるだろうが、それだけでなく誰かを愛し愛されたいという欲求があったからこそ万物の霊長などという大それた名前で呼ばれるようになったんだ。それを精神病などいうのは、人間の感情が生み出す力というものを軽視している愚か者だ。私は人間がくだらない生き物だとは思っているが、人間が生み出す感情の力を侮るほど間抜けになった覚えはない」

 もしも刑部姫が人間の感情の力を侮っていたなら、志騎に感情など育てずに本当にただの殺戮兵器として育てていただろう。つまり彼女も、感情を爆発させた時に信じられない力を生み出すのが人間という生き物という認識は持っているのだ。ただ、だからと言って人間は素晴らしいなどという考え方はしないだろうが。

「も、もしかして刑部姫も誰かの事を好きになった事があるの!?」

「ゆ、友奈ちゃん!? 一体何を!?」

「だ、だってこんなに色々な事を言えるって事は、刑部姫ももしかしたら恋愛経験があるのかなーって……」

「じょ、女子力の塊のアタシを差し置いて恋愛経験ですってぇ!? そ、そんな事が……!」

「お姉ちゃん、落ち着いて……」

 友奈の発言に、たちまち五人が色めき立つ。刑部姫――――氷室真由理は性格は最悪とはいえ、その容姿はまさに美少女そのものだ。彼女の容姿に惹かれて告白などをした男性はいるかもしれない。……彼女の毒舌によって再起不能にされた男性もたくさんいそうだが、それに関しては聞かない方が良いと勇者部一同は思った。

「生憎交際経験は無しだ」

「ほっ……良かったー。あんたもアタシ達と同じで男子からの告白経験0いったぁっ!!」

 風の額に刑部姫が指で弾いたスーパーボールが直撃し、彼女は額を抑えてひっくり返る。風を忌々しく睨みながら、刑部姫はスーパーボールを回収し、

「誰が告白経験0だ九官鳥が。告白された事は何回もあるが全員フッただけだ。私のお眼鏡にかなう男が中々いなくてな」

「お前のお眼鏡にかなう男って、どんな奴だよ……」

「というよりも、そもそもあなたの好みの男性というのはどんな人なの?」

 東郷の質問に、刑部姫はふむと顎に右手を当てながら、

「最低条件として、私と同じぐらいの頭脳か、頭が良い男だな。で、私の面倒をきちんと見てくれる奴で、顔が少し中性的で背が低ければなお良しだ」

「意外と贅沢ねあんた……」

 と、そこで刑部姫の好みのタイプを聞いた銀が戦慄するように言った。

「って、ちょっと待て。お前の好みのタイプからすると、志騎がちょうどストライクじゃんか!」

 その発言に、勇者部一同も気づく。志騎はさすがに園子ほどではないが、東郷と競う事ができるぐらい学校の成績が良い。おまけに中性的な容姿に、背も平均的な中学二年生男子からすると少し低い。……つまり、刑部姫の好みにドストライクなのである。それは本人も否定するつもりは無いのか、こくりと頷き、

「うむ、そうだな。確かに志騎は私の好みど真ん中だ。もしも赤の他人だったら、夜襲っていたかもしれん」

「お、襲うって……」

 もちろん性的な意味でだろう。その場面を想像してしまったのか、友奈と樹の顔が赤くなる。するとその場の雰囲気を振り払うように、銀が両手をぶんぶん振りながら、

「で、でもそうすると良かったぁ! だって、志騎が息子ならそれはないもんなぁ!? 息子相手にそんな事なんてまずいもんなぁ!?」

「確かにそうだ。…………だが」

 じゅるり、と。

 気のせいと思いたいが、涎をすするような音が、刑部姫から確かに聞こえた。

 

 

 

 

「――――正直、今でも襲いたい」

 

 

 

 

 

「あ、夏凜と志騎が行くわよー」

「そうですね~。じゃあ私達も行きましょうか~」

「お、そうだなー」

「う、うん。樹ちゃん、行こうか……」

「はい……」

 どこか光の宿していない目をした風、園子、銀が言うと友奈と樹が立ち上がり、彼女達はイネスを出ようとする志騎と夏凜の後を追った。……一人を除いて。

「むー! むー!!」

 友奈達が座っていたテーブルの下には、両目と口にガムテープを貼られ全身を縄で縛られ、ついでにゴミ袋に入れられるという悲惨な目に遭った刑部姫が放置されていた。さらにゴミ袋には『燃えるゴミ』『性欲獣』『変態科学者』とやけに達筆で書かれた紙が貼り付けられていた。

 のちに、その時の様子を見ていた樹はこう語る。

 あんな、ゴミを見るような目をした東郷と銀と園子と姉は初めて見た、と。

 ちなみに縛られる瞬間、容疑者はこう叫んでいた。

『待て! 私は死んだ時十九だったから歳の差はそんなにない! 親子関係はあるとはいえセーフだろう!?』

『実年齢十一歳を相手に欲情すんな』

 当然、アウトである。 

 

 

 

 

 

 

 その後、志騎と夏凜は色々な所へ行った。

 とは言っても普通のカップルが行くようなアパレルショップや映画館などではなく、バッティングセンターやボウリングなど、どちらかというと同性の友人同士で行くような場所だった。おまけにそこでも勝負をしているのだから、デートのような桃色の光景とはまったくの無縁である。

 だがそれでも、二人は楽しそうだった。

 最初はぶっきらぼうな表情が多かった夏凜だが今ではすっかり楽しんでおり、志騎も夏凜ほど感情剥き出しではないが結構楽しんでいるようだった。もしかしたら夏凜の方も、自分が彼をライバル視していた事など忘れているのかもしれない。

 しかし、楽しかった時間というのはあっという間に過ぎ去るもの

 時刻はあっという間に三時を回り、辺りが夕焼けに包まれ始める。おまけに今は十二月のため、日が落ちるのが早い。勇者とはいえ夏凜も勇者なので、暗くならないうちに早く帰った方が良いだろう。

 そう考え、志騎と夏凜が最後に来たのは夏凜のマンション近くの海辺だった。いつもは夏凜が一人でトレーニングをしているこの浜辺は今日も人はおらず、波だけが潮騒を奏でていた。

「流石に海が近いと寒いなー」

「ふん、情けないわね」

 上着を着ているとはいえ、この時期の海からの風は冷たい。志騎がぼやくと、夏凜が腕を組んで平気そうに言った。

「お前は平気なのか?」

「当然! 私にしたら、この程度の寒さなんてくちゅん!」

「寒いんじゃねぇか」

 強がりを言う夏凜に志騎が呆れると、夏凜は鼻を赤くしながら悔しそうな表情を浮かべる。それに志騎が呆れたような笑みを浮かべた後、「なぁ」と夏凜に尋ねた。

「今日、楽しかったか?」 

「え?」 

 突然の問いに夏凜は戸惑うが、すぐに恥ずかしそうな顔を赤くすると、

「まぁ……悪くはなかったわ」

「そうか。なら良かった」

 素直ではない夏凜の言葉に気を悪くする事も無く、志騎は穏やかに言った。そうしているとなんか自分がやけに子供っぽく感じられ、夏凜はバツが悪い表情を浮かべる。

「刑部姫から聞いたんだ。お前の事や、お前の兄さんの事」

「………そう」

 志騎の口から飛び出した言葉に夏凜は一瞬目を見開くも、声を荒げる事は無かった。それだけで彼がどうして今日自分を遊びに誘ったのか、分かったのだろう。

「大変な訓練を受けて勇者になったお前からしたら、刑部姫から完成型勇者って言われてる俺は気に食わない存在なのかもしれない。だから俺がライバル視されたり、敵意を向けられたりするのは仕方ないと思う。……だけどそれでも、俺はお前とでできる限り仲良くしたいと思ったし、同時にそんな責任を背負うお前がほっとけないとも思った」

「……どうして?」

「うーん……理由を言うなら、お前が銀と似てるから、かな」

 するとその理由が予想外だったのか、夏凜がぱちくりと瞬きをして志騎を見る。

「……私と銀が似てる? 一体どこが? 銀は私と違って明るいし、人付き合いだって良いじゃない」

「まぁ確かに似てない所もあるけど……。一番似てると思ったのは友達の事を大切に思ってるって事かな。お前の場合は少し分かりにくいけど、大切な友達のためならいくらでも体を張る所がそっくりだと思ったよ」

「………」

「だから、大きなお世話と思われてもほっておけなかった。刑部姫のせいでライバル視や敵意を向けられるのは仕方ないけど、少しでも仲良くなりたくて今日遊びに誘ったんだ。……悪いな、今日一日突き合わせちゃって」

 やはり志騎が夏凜を誘ったのはデートなどではなく、単に彼女と交流を深めたかったから計画したものらしい。最初は柄にも無く浮かれていた夏凜だったが、途中でさすがの彼女のそれに気づいた。

 しかしそれで志騎を咎めるような事は決してしない。それどころか、おずおずとした口調で志騎に言う。

「……別にあんたが謝る必要なんてないわよ。……むしろ、こっちの方こそごめん。あんたの事をよく知らないのに、刑部姫の言葉だけで勝手に評価して、当たり散らして……ごめん」

 そして夏凜は頭を下げた。滅多に人に頭を下げる事などしない彼女の珍しい姿を見て志騎は思わず目を丸くしたが、やがてふっと笑うと夏凜に右手を差し出した。

「じゃあ、仲直りの握手でもするか」

「あ、握手?」

「ん」

 差し出された右手を夏凜は困ったように見つめていたが、やがて覚悟を決めたのか右手を差し出すとむんずと右手を掴んだ。

「……あのさ。握手をするのは良いけど、どうしてそんな戦場に行くような顔で握るんだ? ゲーセンでもやっただろ?」

「し、仕方ないでしょ! こういうのにあまり慣れてないのよ!」

「そんなんだから刑部姫にコミュ障女とか言われるんだと思うぞ……」

「なっ!? あ、あの馬鹿精霊~!」

 刑部姫の陰口に夏凜が奥歯を噛み締め、志騎は苦笑する。そして握手を交わした二人は手を振りほどくと再び海を見る。ようやく最近ギクシャクしていた関係を修復する事が出来た二人の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

「でもこんな時にまで銀の名前を出すなんて、あんた本当にアイツの事が大切なのね」

「んー、まぁそりゃあ幼馴染だしな」

 そう言いながら、志騎の手は何故かネックレスを握っていた。その挙動が何故か気になり夏凜がネックレスを握る手を見つめながら聞く。

「そのネックレス、大切なものなの?」

「いや、ネックレスって言うか……見せた方が早いか」

 そう言って志騎はネックレスの鎖の部分を引っ張り上げると、服の中にしまい込まれていた部分が夏凜の目に入ってくる。

 ネックレスには、指輪が通されていた。作り自体はシンプルで、恐らくデパートなどで売られているような高級品ではない。中央には夜空の青色の石がはめ込まれていた。

「二年前の夏祭りの時にあいつがくれたんだよ。なんでもこの石が魔除けになるらしい。二年前のバーテックスとの戦いの時に返したんだけど、この前返されてさ。それ以来できるだけつけるようにしてるんだ。学校じゃあ取り上げられたら困るからつけてないけど」

「でも、風はチョーカー着けてるわよ?」

「念のために、だよ」

 そう言って志騎は優しく笑った。それほどまで、その指輪のネックレスを没収されたりするのが怖いのだろう。正確には、幼馴染がくれたその指輪が。

 彼の顔を見て、夏凜は思う。

 普通幼馴染がくれたというだけで、それを持ち歩き、しかも今の志騎のような顔で見たりしない。

 つまり彼にとって三ノ輪銀という少女はただの幼馴染ではなく、それ以上の存在になっているのだ。

 とは言っても今の志騎の様子からすると、彼はまだ自分の気持ちに気づいていない。その理由が彼がバーテックスであるからなのかは分からない。

 ただ、これだけは言える。

 彼にとって大切な存在である少女がくれた指輪を見つめる今の彼の表情は。

 見ている者も思わず微笑んでしまうほど、愛しい感情が込められたものだった。

「……ねぇ、志騎」

「ん、何?」

 志騎が指輪を服の内側に戻すと、夏凜は苦笑を浮かべながら彼に言った。

「次は私じゃなくて銀を誘ってあげなさい。あんたに誘われたら、きっと喜ぶわよ」

「む、そうか?」

「ええ、きっと喜ぶわよ」

「そうだよ~」

「そうか。ならちょっと誘ってみてうぉおおおおおっ!!」

 突然横から聞こえてきた声に志騎が焦って視線を向けると、そこには東郷と園子がニコニコとした顔で立っていた。さらに横には友奈と風と樹が笑顔で並び、一番最後に銀が顔を赤らめて俯いていた。

「な、なんであんた達がここにいるのよ!?」

 彼女達の存在に気づいた夏凜も声を上げるが、帰ってきたのは風の非常に楽しそうな笑顔だった。

「いやー、今日はちょーっと事情があって一日中あんた達の後をついてきてたのよ。まぁ気が付かなくて当然よね、刑部姫から認識阻害の札もらってたし」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! ついてきてたって、いつから!?」

「夏凜さんが志騎さんと待ち合わせしてる時からです……」

「な……な……」

 顔を赤らめてパクパクとまるで金魚のように口を開いたり閉じている夏凜に、風は笑顔でさらに追い打ちをかける。

「あたし達も最初はデートかなと思ってたんだけど、行く場所がバッティングセンターだったりゲームセンターだったから、途中でそれはないなって思ったんだけど……楽しそうだったわねぇ、夏凜?」

「は、はぁああああああああっ!? 一体何を言ってるのか分からないんだけどぉ!? ってか、ついて来るって何ストーカーみたいな事してるのよ!? 気持ち悪いんだけど!?」

「あら、楽しそうだったのは否定しないのね~?」

「こ、このぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 怒った夏凜が風を追いかけまわし、風が笑いながら逃げる。そんな二人を半眼で見ながら、志騎は東郷に言った。

「で、一体何の用だ?」

「あら、友達に挨拶をする事がそんなに不自然でしょうか?」

「とぼけるなよ。今まで隠れて見てた奴らが挨拶をするために突然出てくるわけないだろ。何か理由があって出てきたんだろ」

 志騎の推理に東郷は満足そうに頷き、

「ええ。実はちょっと銀があなたに伝えたい事があるらしくて」

「銀が?」

 そう言って志騎が銀の方に目を向けると、彼女達は友奈と園子に連れられて志騎の前にやってきた。そしてニコニコ笑顔の友奈と園子が銀の横からずれると、銀は恥ずかしそうな表情で志騎を見上げた。

「あ、あの、その、志騎。じ、実はアタシ、お前に言いたい事があって……」

「何だよ」 

 すると銀はあー、とかうー、とか口の中で呻き出した。何を言いたいか分からず志騎が怪訝な表情を浮かべていると、横から「ミノさん、ファイト!」やら「銀ちゃん、頑張って!」と友奈と園子からの声援がかけられる。銀は顔を赤くしながらも、唾を飲みこんで勇気を振り絞り言った。

「その、今度、アタシと一緒に二人でどこかに出かけないか?」

「それって、今日みたいにゲームセンターとか?」

「いや、そうじゃなくて……。服を見に行ったりとか、映画館とか、あと水族館とか……。そんな場所に、お前と二人で行きたい。……駄目か?」 

 銀が頬を赤らめながら上目遣いで志騎を見上げる。それはかなりの破壊力を持っており、東郷が「うぐ……! 上目遣いの銀、なんて威力なの……!」と戦慄を覚え、園子が「びゅおおおお~……! これでNoを言える男の人はいないんよ~!」と目を輝かせる。銀は顔から火が噴き出そうになりながらも、志騎の返事を待つ。

 それに対する、志騎の返答は。

「ああ、良いよ」

 非常にあっさりとしたYESだった。あまりにあっさりしすぎて、銀が一瞬聞き間違えじゃないかと思ったほどだ。

「良い、のか?」

「そう言ってるだろ? じゃあこの際思い切って、クリスマスイブにでもするか」

 クリスマスと言わなかったのは、もしかしたら勇者部で集まるかもしれないと思ったからだ。銀の望みは確かに大切だが、銀が友達との交流も大切にする少女だと知っているからこその言葉だった。

「……うん……! うん!!」

「何故二回言った?」

「え、その、大事な事だから……?」

 もじもじと銀が照れながら言って、なんだそりゃと志騎が苦笑する。すると遊び……実質デートの予約を取り付けた銀に友奈達が笑顔で駆け寄ってくる。

「銀ちゃん、やったね!」

「クリスマスイブとクリスマス、楽しみだね~!」

 友奈と園子、東郷と樹から祝福の声を掛けられ、銀は嬉しそうに笑う。風と夏凜も追いかけっこを止め、銀を微笑まし気に眺めていた。

 その光景を見て、志騎も口元を綻ばせる。

 一方、その光景を遠くから眺めていた刑部姫がやれやれと言わんばかりにため息をつく。

「ようやくスタートラインか……。ま、あいつがどんな道を辿るのか、精々見守らせてもらうとするか」

 そう言って彼女は海辺から姿を消す。

 残されたのは、デートの約束に喜ぶ少女達と、幼馴染の少女を優しく見守る少年だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、準備は整った」

 誰もいない空間。彼女以外誰も存在しない空間で、白い長髪に赤い目をした少女は一人呟いた。

「ふーふんふーふんふーふーふん」

 軽やかに鼻歌を歌いながら、少女は誰も存在しない空間を楽し気に歩く。

 彼女の鼻歌は赤ん坊を眠らせる子守唄のようにも、聞くものを破滅へと誘う呪歌のようにも聞こえた。

 そしてピタリと止まると両手をゆっくりと合わせ、にっこりと口元に笑みを浮かべながら、ここにはいない誰かに告げるように言った。

「決着をつけようか、人類の皆。そして結城友奈と天海志騎。精々私をすっごく楽しませて、すっごく苦しんで滅びてね?」

 悪意が全くこもっていない、まるで童女のように少女は笑う。

 少年少女達の知らない場所で、ついに終わりへと向かう時計の針が動き出すのだった。

 

 

 

 




 次回から本格的に勇者の章本編に入りたいと思います。まずその前日譚的話である、大満開の章一話から入る予定です。勘の良い方ならもう分かると思いますが、そうです。あのうどんロックの回です。また更新頻度が遅れてしまうかもしれませんが、投稿まで少しお待ちください。


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第四十六話 勇者部の愉快な日常

刑「今回からついに本編に突入する。今回の話は原作の大満開の章の第一話目となり、次回から勇者の章一話に入り、シリアスな場面も出てくる。なので、シリアスが好きな奴らは少し待つように」
刑「では第四十六話、楽しんでくれ」


 ――――人が死ぬ夢を見る。

 腕も足もない白い化け物が天から舞い降り、逃げ惑う人達を噛み殺す。

 ムシャムシャ、ガツガツ、ムシャムシャ、ガツガツ。

 そんな音に混じって液体が噴き出る音がすると、地面に鉄臭い赤色がぶちまけられた。

 あまりにも非現実的で、まるでペンキのよう。

 空は真っ暗だが、それは夜だからという理由ではなく、真っ暗な雲が空を塗りつぶしてしまっているから。電気も化け物達の襲撃のせいかほとんど機能停止しており、星の明かりも見えないため人々は明かりを頼りに逃げる事すらできない。

 ある者は白い化け物に噛み殺され、ある者は化け物の襲撃の際に生じた火災によって焼かれ、ある者は人間同士の争いによって死んだ。

 だが、そんな事はどうでも良い。

 今の自分の役目は、万物の霊長などと大層な呼称で呼ばれている存在を一人残らず殺す事。

 そして前に移動すると、すぐ近くからガラッ、と何かが崩れたような音がした。

 音の方に視線を向けると、そこには小さい少年を抱えた中学生ぐらいの少年の姿があった。きっと兄弟なのだろう。二人共自分を恐怖の視線で見つめている。

 だが、そんな事はどうでも良い。

 相手が人間なら、殺すだけ。

 自分は口を開けると、少年達に向かって急接近する。

 ヒッ、と兄が恐怖のあまり息を呑むが、もう遅い。

 次の瞬間、少年達の上半身を丸ごと飲み込む形で口が勢いよく閉じられる。

 バツン、という音と共に液体が口の中に広がり。

 少年達の上半身を失った下半身だけが、ボトリと地面に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

 

「………っ」

 悪夢から目を覚ました天海志騎は、頭を抑えながらベッドからゆっくりと起き上がる。それから自分の体を見下ろすと、チッと舌打ちした。

「はぁ………」

 自分が着ている服も下着も、自分の汗でびっしょりになっていた。目覚まし時計を見て見ると、時刻は朝の五時近く。悪夢と汗による不快感のダブルパンチで気分が最悪になってしまった志騎は、のろのろとベッドから立ち上がる。

 志騎はバーテックスの細胞の記憶の共有により、今のような悪夢を二日に一度は見る。そのたびにパジャマと下着を変え、ベッドのシーツや枕カバーをこまめに変えなければならないのだからたまったものではない。ベッドは木製のためカビになると嫌なため、マットレスの下に一応の対策として湿気を吸うシートは敷いているが、そのたびにマットレスや布団を干さなければならないため正直面倒だ。おまけに汗を洗い流すためのシャワーも浴びなければならないと、悪夢を見た日は面倒臭い事この上ない。

「ま、愚痴っても仕方ないか……」

 愚痴を言っても悪夢を見なくなるわけではない。それに悪夢を見るというのはバーテックスの罪を背負う上でどうしても通らなければならない道のようなものだ。泣き言を言うわけにもいかない。

 ――――バーテックスに殺された人々は、泣き言を言う事もできなくなったのだから。

 そして志騎はパジャマを選択して、さらにシャワーも浴びるために風呂場へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 シャワー、洗濯、料理の全てを終えた志騎はいつも通り学校へ向かう準備を整えると下で待っていた銀と一緒に他愛のない話をしながら自転車で学校へと向かった。悪夢のせいで気分は悪かったが、幸いと言うべきか銀に夢の事はバレてはいない。彼女に知られてしまったらきっと心配するだろうから、彼女の前では平常を常に保つようにしている。とは言っても彼女は勘が良い所もあるので、バレないように努力する必要があるのだが。

 学校についてから授業の方もトントン拍子に進み、あっという間に時間が流れて昼食の時間となった。

「よし! 午後も授業頑張るぞー!」

 昼食の時間、志騎はこの時間のいつも通りの面子となりつつある高橋在人と佐藤良太と一緒に弁当を広げていた。ちなみに今日の在人の昼食はいつも通りの総菜パンに、良太の方もいつも通り姉特製の弁当だ。今日も相変わらず、良太の方の弁当は何が材料なのかいまいち分からない。食べてみたいという気持ちも無くはないが、正直何が入っているか怖くて手が出せないというのもある。まるでギャンブラーだな、と志騎は先日のゲームセンターの夏凜の姿を思い出しながら苦笑した。

「在人、また総菜パン? 野菜も食べないと体壊すよ?」

「大丈夫だよ! ちゃんと焼きそばパンにも野菜入ってるから!」

「ガキみたいな事言ってんなよ」

 焼きそばパンを笑顔で頬張る在人に呆れながら、志騎は今日の朝作った弁当に箸をつける。と、その直後良太が志騎にこんな事を言った。

「そういえば、僕の勘違いかもしれないんだけど……。天海君、今日具合とか悪いの?」

 ピタリ、と志騎の箸が一瞬止まる。具合が悪いというわけではないが、今日の悪夢のせいで気分が少し落ち込んでいたので、まるでそれを見抜かれたような気持ちになったからだ。すると在人の方も良太に同感だったのか、

「え、もしかして良太も気づいてたのか?」

「僕もって事は、在人も?」

「ああ。なんか今日の天海、暗いっていうか、元気がないって言うか……。なぁ、何かあったのか?」

 そう言うと在人は心配そうに志騎の顔を覗き込んだ。人は見かけによらないと言うか、中々鋭い少年達だった。志騎は一度ため息をつくと、やれやれと言うように苦笑した。

「実は今日の朝、悪い夢を見ちゃってさ。あんまりにも酷い夢だったから、今でも引きずってるんだよ」

 たかが夢で、と呆れられたり笑われるかもしれないと志騎は思ったが、二人は笑わなかった。在人の方は「そうか……」とどこか神妙な顔で俯き、良太の方も「そんなにひどい夢だったんだ……」と笑わずに納得してくれていた。二人の真剣な反応に志騎がどうすれば良いか困っていると、在人が突然「よしっ!」と声を張り上げた。

「夢を見たせいで落ち込んでる志騎のために、俺が考えたとびっきりの爆笑ギャグ十連発を見せてやるよ!」

「別に良いよ。明るくするどころか場を盛り下げてどうするんだよ」

「え!? 俺のギャグってそんな扱いなの!?」

 冷たいツッコミに、在人は落ち込んで机に突っ伏してしまった。どこからかガーンという音が聞こえてきそうである。そんな在人の姿に志騎は言い過ぎたか、と思いながもある事が気になって在人に尋ねた。

「そう言えばさ、どうして高橋ってそんなにお笑い芸人になりたいんだ? お前のギャグセンスって……その、お世辞にも高いとは言えないし、お前なら他の道もあるんじゃないか?」

 志騎の言う通り、高橋在人はツッコミスキルはともかく、ボケというかギャグのセンスはほとんど皆無に等しい。だが、それ以外の才能までないわけではない。

 初対面の相手に対しても恐れずに話しかける事ができる積極性、それでいて相手との距離を測り間違えないコミュニケーション能力。最近は言葉のキャッチボールなど全く無視して相手にただ語りかける事をコミュニケーション能力が高いと勘違いする馬鹿も多いが、彼の場合はきちんと相手の言いたい事を聞いて、その上で相手に自分の意志を伝える事が自然とできている。これは練習などで身に着けたものでは無く、天性のものだ。そのような性格からかギャグそのものは不評であるものの、クラス全員から慕われるほどのカリスマ性というか、リーダーシップというものを彼は備えている。別にお笑い芸人を目指さなくても、それ以外の道も十分にあるのではないかというのが志騎の正直な意見だった。

 それなのに、どうして彼はお笑い芸人という夢に向かって突き進もうとしているのか。

 志騎には、それが不思議だった。

 すると本人も何回も言われた事があるのか、在人は腕を組んで難し気な表情を浮かべながら、

「まぁ、確かに今までにも何回か言われた事があるし、俺も正直悩んでる最中ではある。でも、やっぱりお笑い芸人になりたいなって言うのが俺の今の夢なんだよ」

「どうして、そこまで?」

 あくまでもお笑い芸人という夢を諦めたくない在人に志騎が再度尋ねる。すると、事情を知っているのか良太が口を開こうとするが、それを在人が手で押しとどめる。自分で話す、という事だろう。

「俺がお笑い芸人になりたいって思ったのは、父さんの影響なんだよ」

「お前のお父さん?」

 ああ、と在人は首肯して、

「こういう事言うと偉そうに聞こえるかもしれないけど、俺のじいちゃんって会社の社長なんだ」

「え、社長?」 

 一瞬冗談かと思ってしまったが、在人が真剣そのものの表情を浮かべて頷いた。そう言えば、この前クラスメイトの数人が在人について噂をしていた。なんでも彼はどこかの会社の社長の孫であり、将来は祖父の会社を継いで社長になるのだとか。噂自体は志騎の耳に入って来ていたが、所詮は噂だと聞き流していた事もあり、今に至るまですっかり忘れてしまっていた。

 しかしその噂が本当だとすると、確かに納得できる。在人の高いコミュニケーション能力、自然と人を引き付けるカリスマ性とリーダーシップ。これらは企業の社長には無くてはならないものだ。これが彼の祖父からの遺伝によるものだとしたら、確かに頷ける。

「じいちゃんの会社は医療機器メーカーでさ。そんなに大きくないけど、社員の人達はみんな良い人達で子供の頃から世話になったよ。で、その会社の技術開発者が父さんだった」

 自分の父親の事を語る在人の顔は懐かしそうであり、誇らしげだった。それだけで彼が自分の父親をどれだけ慕っているかが伝わってくる。

「お前のお母さんもその会社にいたのか?」

「いや、母さんは俺が生まれてすぐ後に死んじゃったみたいなんだ。だから、顔も覚えてない」

「………すまん」

「別に良いって!」

 謝る志騎の肩を慰めるようにポンポンと叩くと、在人は説明を続ける。

「でも、俺が子供の時会社の経営が上手くいかなくなった時があってさ。会社の雰囲気が暗くなった時があったんだ。技術開発をしてた父さんは毎日沈んだ表情をしてて。そんな父さんを笑わせたいと思って、色んな事をしたんだ。まぁ、その時の俺にできる事は変顔しかなかったんだけどな!」

 けど、と在人は一度言葉を区切り、

「そんな俺の初めてのギャグを見て、父さんは笑ってくれたんだ」

「…………」

「それ以来、毎日あの手この手で父さんを笑わせたよ。今考えると、父さんもよくあの時の俺のギャグで笑ってくれたなぁって思う」

 それはきっと、嬉しかったからだろう。

 自分の息子が落ち込んでいる自分を励ますために、精一杯考えたギャグで自分を笑わせようとした。ギャグが笑えるかどうかよりも、その気持ちが嬉しくて父親は笑ったのだろう。

 それは間違いなく、在人が人を笑顔にさせたという証明だった。

「それから会社の業績も段々回復して来て、暗かった社内も元に戻ってさ。父さんからお前のおかげだって褒められたよ。よく考えると、ギャグを笑ってもらった時よりもあの言葉をかけてもらった時の方が嬉しかったなぁ」

「そうだったのか……。お前のお父さんは、今も会社の技術の方に?」

 と、志騎が尋ねると在人の表情がまた曇った。彼は手を組んで俯くと、静かに言った。

「……いや、六年前に死んだ」 

 彼の口から出た言葉に志騎は目を見開くも、すぐに冷静さを取り戻して在人に尋ねる。

「それって、病気か何かで?」

「いや、交通事故で」

 そう言うと在人は、ポツポツと話し始めた。

 彼が父親を失い、彼の夢の原点となった日の事を。

「その日俺は父さんと一緒に散歩をしててさ。そんな俺達に、トラックが高速で突っ込んできたんだ。あとから警察の人に聞いたんだけど、何でも居眠り運転だったみたい。で、父さんは俺を庇ってトラックに撥ねられた。周りの人達が救急車と警察を呼んでくれてる中で、俺は血だらけの父さんに駆け寄ったんだ。俺の顔を見て、父さんは笑いながらこう言ったんだ。『……在人、夢に向かって飛べ』って」

「………夢」

「ああ。で、俺はお笑い芸人になって、たくさんの人達を笑顔にさせるって夢に向かって飛ぶために、日々こうして頑張ってるってわけ! まぁギャグの方は中々成長しないけどな!」

 笑顔で笑う在人の顔を見て、志騎は何も言う事ができなかった。

 今の話こそが、彼の夢と想いの原点。彼が夢に向かってまっすぐ突き進もうとした理由であると同時に、できればあまり思い出したくない彼の古傷。本当なら、話すのも苦しいだろう。

 それなのに、彼は自分にこうして話してくれた。

 自分の事を、大切な友達だと思ってくれているから。

 自分の事を、夢の原点について話しても良い人間だと認めてくれているから。

 何回も笑えないギャグを言いながらも、人を笑わせるために突き進む彼の姿が……志騎には、眩しく見えた。

「なぁ、佐藤」

「ん、どうしたの?」

「高橋って、良い奴だな」

 すると今まで彼の話を黙って聞いていた良太はにっこりと笑って、

「うん。僕もそう思うよ」

「お、おいおい何だよ二人共! 照れるだろ~!」

 そう言いながらも嬉しいのか、在人は笑いながら二人の肩をぱんぱんと叩く。痛いなと志騎は困ったように笑いながらも、在人に尋ねる。

「でも、社長がお前のじいさんって事は、後を継いだりとか考えないのか? 別にそうでなくても、会社に入ったりとか……」

 すると在人はうーんと腕を組んで、

「まったく考えなかったわけじゃないけど……。今まで俺って、じいちゃんから好きなように生きろって言われてきたから会社の事についてはあまり考えてこなかったし、社員さん達からの反発もあるだろうしな……。大体俺って、社長ってガラじゃないだろ?」

「僕はそんな事ないと思うよ」

 そう言ったのは、姉特製のお弁当を食べていた良太だ。彼は在人の顔をまっすぐ見つめると、

「在人ってなんとなく人を引き付ける力みたいなのがあるし、誰に対してもきちんと真正面から接してくれるし、きっと良い社長になってくれると思う」

「え、そ、そうか?」

 友人の言葉に在人は戸惑っているらしく、困惑した表情を浮かべている。と、志騎も良太の後に続く。

「俺もそう思う。さすがに今すぐって言うのは難しいだろうけど、候補に入れておくのは良いんじゃないのか? お前がやりたい事って言うのはあくまで人を笑顔にする事だろ? だからそのためにお笑い芸人を目指している。……でも、それって別にお笑い芸人だけができる事じゃないだろ? 他のやり方でも人を笑顔にする事はできるって、俺は思うぞ?」

 例えば、人の命を救う事で未来と幸せを護り、その人と家族を笑顔にさせる事。それは彼の祖父が社長を務める、医療に関するモノを作る医療機器メーカーだからこそできる事だ。もちろん医者などたくさんの人達の協力があってこそできるが、それに欠かせない仕事という事には間違いはない。

「……そうか。今まであまり考えてこなかったけど、確かにそういう考え方もあるんだよ」

 在人はその場でしばらく考え込んでいたが、やがてニッといつもの明るい笑顔になると二人に言った。

「よし、ちょっと考えてみるよ! 色々とアドバイスくれてありがとう!」

「礼を言うのはこっちだ。俺の質問だけじゃなくて、色々と話してくれてありがとうな」

 そう言うと志騎も笑みを浮かべた。在人と志騎は互いに笑顔を交わし合っていたが、何故か苦笑を浮かべながら良太が告げた。

「……二人共、仲が良くなるのは良いと思うけど、早く食べないと休み時間無くなっちゃうよ?」 

 それで二人はようやく昼休みの時間の事について思い出すと、慌てて自分達の総菜パンと弁当をかき込み始め、話を聞くあまり弁当を食べる事が疎かになっていた良太も勢いよく食べ始め、ご飯をのどに詰まらせるのだった。

 

 

 

 

 

 

「夢、かぁ……」

 放課後、担任の教師の仕事を手伝っていた志騎は一人勇者部の部室への道を歩いていた。この時間だと、きっと他の部員達はとっくに部室に集まっているだろう。

「何の話だ?」

 と、頭上から声が降ってきたかと思ったら、ぽふっという軽い感触と共に頭の上に何かが乗った。もういちいち目を向けなくても分かる。自分の相棒である性悪毒舌精霊、刑部姫だ。この前までは姿を現していなかったが、最近は再びちょくちょく姿を見せるようになった。

「いや、今日友達から夢についての話を聞いてな。考えてみたら、勇者部の皆って、何かすごい夢でもあんのかなーって」

「ふむ。確か三ノ輪銀達の夢は前に聞いていたな」

「ああ。銀はお嫁さん。園子は小説家。須美は歴史学者」

 それぞれの特徴が出た、三者三様の夢だった。しかし三人の夢は知っているが、他の部員達の夢は知らない。とは言っても、志騎が入部したのは最近なので知らなくても仕方ないのだが。

「樹はアイドルだと思うけど……。風先輩や友奈、夏凜の夢はなんだろうな」

「結城友奈はともかく、犬吠埼風と三好夏凜の将来などすでに分かり切っている。自称女子力の塊の暴食女とコミュ障女だぞ? ろくに男と知り合う事も出来ず、アラサーになっても独身という喪女があいつらの結末だ。ざまぁ見ろ」

「お前、風先輩と夏凜に殺されるぞ」

 もしもそうなったら、今度こそ刑部姫は高温の油が煮えたぎった鍋に投入である。

 そんなやりとりをかわしながら二人が勇者部部室である家庭科準備室に近づくと、そこである異変が起こっている事に二人は気付いた。

「……なぁ、刑部姫。何か変な音がしないか?」

「するな」

「……お前もするって事は、俺の気のせいじゃないな」

「ついでに、歌も聞こえてくるな」

「同じく」

「「…………」」

 変な音と歌の音源は、勇者部部室からのようだった。よく聞いてみると音はギターやドラムの演奏であり、おまけに何のつもりか太鼓の音まで混じっている。歌に関しては、香川県民が愛する白くて長いソウルフードの名前を連呼していた。しかもその声は、自分の親友によく似ていた。

(………帰りてー)

 自分の頭によぎる嫌な予感に、志騎は今すぐ踵を返して自宅に帰りたい衝動に駆られたが、自分は勇者部の一人である。黙って帰るわけにはいかない。

 仕方が無いので志騎は部室の前で一度立ち止まり深呼吸をすると、腹をくくって扉を手をかけて開く。

 その先には。

「「ロォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオック!!」」

「何これ」

「何だこれ」

 園子がギターを持って奇声を上げ、銀が和太鼓を勢いよく叩きながら奇声を上げていた。

 意味が分からないと思うが、そうとしか表現できなかった。

「あ! 志騎君こんにちわー!」

「うん、こんにちわ。じゃねぇよ。なんだこれ。どこからツッコめば良いんだ」

 そう呟くと、志騎は一度壁に手を当てて深呼吸する。背後から「私のロックはこんなものかー!!」や「変なサプリでも飲んだ……?」などの声が聞こえてくるが、この際一度無視する。これ以上ツッコんだら、自分という存在がおかしくなってしまいそうである。

 ようやく冷静さを取り戻すと、改めて勇者部一同を見回しながら言う。

「改めて聞きますけど……。何ですかこれ」

 部屋に入ったら部員友達がバンドを組んでいたという意味の分からない事態に直面した志騎が尋ねたのは、頼れる部長である犬吠埼風だ。

「いやー、乃木が突然『青春を取り戻す!』って宣言し始めてね……。気が付いたらこの有様よ」

「いきなりトラックで楽器を運んでくるなんてね……」

「非常識なのよ」

 シャーン、と風がドラムを小さく鳴らしながら説明し、姉の説明に樹が苦笑し、夏凜が呆れたように肩をすくめる。相変わらずの園子の非常識っぷりに、志騎はもうため息をつくしかない。そんな四人をよそに、園子は胸の前で拳をぐっ! と握りしめると力強く宣告する。

「常識が何だ! てっぺん取ってやんよ!」

「いや、何の?」

 風もツッコミを入れる前で、園子はタオルを取り出すと自分の前でバッ! と勢い良く広げた。表には『YUSYABU』と勇者部の名前がローマ字で書かれており、しかもYの部分がイナズマの形になっている。そのおかげというべきか、無駄にカッコいいデザインになっている。相変わらず変な所に力を入れる少女である。そしてテンションがヒートアップしたのか、次にバンドメンバーの紹介に突入した。

「ドラム! 犬吠埼風~!!」

「何がどうしてこうなったー!」

 律儀にツッコミを入れながらも風はドラムを奏でる。意外にも結構上手にドラムを演奏できていた。家事万能、容姿も良く、おまけに楽器の演奏も出来るとは、中々器用な先輩である。

「キーボード! 犬吠埼樹~!」

「音楽活動大賛成!」 

 姉とは対照的に、妹の方は嬉しそうだった。まぁ歌うのが好きな彼女には当然の反応だろう。

「ベース! にぼっしー!」

「だ~れ~が~にぼっしーよぉおおおおおおおお!」

 口では文句を言いながらも彼女もベースを演奏する。さすがは完成型勇者、楽器の演奏も流石である。

「和太鼓! 三ノ輪銀~!」

「ロォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオック!!」

「お前よく考えないで言ってるだろ」

 目の前の和太鼓を嬉しそうに激しく叩く銀に、志騎の冷たいツッコミが飛ぶが彼女はまったく気にしていない。正直太鼓の必要性あるのか? と言いたいが迫力はあるのでこのままでも良いのかもしれない。……いや、やはりロックバンドという事を考えるといらないだろう。

「琵琶~! 東郷美森~!」

「昔、下関の……」

「バンドなのよね!?」

「太鼓がいる時点で今更だと思うけどな」

 琵琶に太鼓と、もう何がやりたいのか分からない。しかし東郷の方はわりとノリノリである。

「……で、そっちは何だっけ?」

 最後の一人である友奈は、園子が持っていた物と同じタオルを首にかけて小さな日本国旗を指でつまむように持ちながら横にパタパタと振っていた。もはや楽器ですらなかった。

「私パフォーマー!」

「ん………?」

「パフォーマー!」

 大事な事なので二回言いました、と言いたげだった。彼女には風も志騎もツッコミべきかどうか迷っていたが、その間に東郷が友奈と会話を始めてしまう。

「ええ、テクノバンドには不可欠ね!」

「今自分が何持ってるか言ってみ?」

 しかし残念ながら、夏凜のツッコミは東郷の耳には入っていないようだ。

「このバンド、テクノだったんですね!」

「情報を鵜呑みにするのはやめなさい樹……」

 純真な樹を、風が優しく注意してやる。

「そして、プロデューサー! 天海志騎~!」

「え、俺プロデューサーだったの?」

 どうやら自分も知らない内にバンドメンバーに入れられていたらしい。目を白黒させる志騎に、銀が羨ましそうに言う。

「えー、良いな志騎! プロデューサーって一番偉い人じゃん!」

「一番偉くはないと思うが……」

「よろしくお願いします、志騎プロデューサーさん!」

「うん、とりあえずその呼び方はやめてくれ樹。なんか、色々と危ない気がするから」

 困惑する志騎をよそに、銀と樹はもう受け入れ、大切なツッコミ役である風と夏凜はすでにツッコミを放棄している。こうなった勇者部はもう止められない。

「てっぺん取ってやんよ~!」

「「だから何の!?」」

 ギター、ドラム、キーボード、ベース、太鼓、琵琶、パフォーマー、プロデューサー。改めて意味の分からない構成のバンドだった。勇者部の姿を温かい目で見ていた志騎は、風に言った。

「うん、風先輩」

「どうしたの、プロデューサー」

「すいません、シリアスな事考えてた俺が馬鹿でした!」

「急にどうしたの!?」

 勇者部のカオスっぷりを前に、先ほど夢について真剣に考えていた自分が急に馬鹿らしくなった志騎だった。それからはぁとため息をつくと、両手を大きく打ち鳴らして全員に告げる。

「はい。じゃあプロデューサーから最初の命令をするぞー」

「あ、プロデューサー設定は別に良いんだ……」

 風が呟いた直後、メンバー全員が演奏を一斉にやめる。根は素直と言うべきか、聞きわけが良いと言うべきか。刑部姫を頭に乗せたまま、志騎プロデューサーは笑顔で言った。

「今日でバンドは解散するので、全員楽器を片付けろ」

「「「「「ええっ!?」」」」」」

 プロデューサーの言葉に、夏凜と風以外の全員から驚愕の声が上がった。驚きたいのはこっちだ、という言葉をぐっと飲みこみ、志騎は説明する。

「俺達の部活動は人助けであって、バンド活動じゃないだろ。まぁ百歩譲ってバンドは良いとしても、こんな所でやったら周りから苦情が来る。早く片付けろ」

「まぁ、普通に考えたらそうよね」

 志騎の言葉に夏凜も同意し、風も苦笑を浮かべながら頷いている。

 しかし、他のメンバーはそうではないらしい。解散命令を出した志騎にブーブー文句を言い出した。

「それはひどいんよあまみん~!」

「そうだそうだ! アタシ達のロックは始まったばかりなんだぞ!」

「例え親友のあなたが相手でも、弾圧には屈しないわ!」

「音楽活動がしたいんです、志騎プロデューサーさん!」

「ほ、他の皆もこう言ってる事だし、解散はちょっと……」

 ぎゃーぎゃーわーわーと文句を言う五人を相手に、志騎の目がすっと細まる。

 この時、不幸な事に勇者部は気付かなかった。

 志騎のその目が、刑部姫の機嫌がある状態に陥る時と一緒の状態であることに。

 すなわち、マジギレ一歩手前である。

 志騎は静かにバーテックス・ヒューマンの能力を発動、左目に青い幾何学模様が出現し、その状態で右足を強く床に叩きつける。

 ズドン!! と。

 勇者部部室が、かすかに揺れた。

 パラパラと天井から埃が落ち、反対をしていた五人の顔が青ざめて体が震え始める。すっと右足を元の位置に戻すと、志騎は怖いくらいの笑顔でもう一度尋ねた。

「………で、どうするんだ?」

「「「「「すぐに片付けます!!」」」」」

 五人の声が綺麗にハモった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後のカラオケの一室に、少女達の可愛らしい声が響く。

 歌っていたのは友奈と樹だった。明るい笑顔で歌う彼女達に東郷が手拍子をし、風は焼きそばを、夏凜はジュースを飲みながら歌を聞いている。銀は何を歌うか端末で曲を選び、志騎はパフェを食べている。彼の頭の上の刑部姫が口を開けると、志騎は仕方なくパフェに乗っていた生クリームを口に運んでやった。なお、園子は愛用のギターが収まったギターケースを泣きながら抱きしめていた。

「で、なんで急にカラオケなの?」

「解散ライブなんよ~」

「それでカラオケかよ……」

 どうやら志騎との約束は守ってくれるようだ。とは言っても園子も周りの事を考えられない人間では無いので、志騎の言葉が無くても解散はしたかもしれない。まぁ『再結成するんよ~!』と言ってまたバンドをする可能性は否定できないが、その時はその時という事にしよう。

「解散もまた、青春の一ページなんよ~」

「乃木の青春って何ページあんのよ……」

「いやー、たぶん広辞苑ぐらいありますよ」

「いや、そもそも一冊に収まらないだろ」

 下手をしたら、ファイルに入れる形にして何冊かに分割しないと無理かもしれない。

「ありがとう! ありがとう!」

「私達は普通の女の子に……」

「「戻ります!」」

 どうやら二人も園子と同じ気持ちらしい。そしてそれは、東郷と銀も。

「感動よ友奈ちゃん……! 樹ちゃん……!」

「そう……! 普通の女の子に戻るんよ……!」

「勇者部バンドの解散は、音楽性の違いとプロデューサーの独断が生んだ悲劇だな……!」

「考え方の違いが膨らみ、個人の欲望が大きく介入してしまったら、どんな組織でも崩壊してしまうのね……! 深いわそのっち、銀……!」

「そう、それなんよ!」

「だけど例え解散してしまっても、勇者部の魂はアタシ達と共にありぃいいいいいいいい!」

「待って。そもそも始まってすらいないから」

「おい。三人揃って頭かち割られたいのか」

 涙を流して抱き合う三人を前に夏凜がツッコみ、悪役にされた志騎は額に青筋を浮かび上がらせる。と、彼の目の前に上からにゅっと細い物体が差し出された。よく見てみるとそれは、L字型バールだった。差し出しているのは無論刑部姫である。

「使うか?」

「よし、貸せ」

「使うな!」

 刑部姫のバールを貸してもらおうとした志騎に、夏凜のツッコミが飛ぶ。普段の志騎からすると珍しい光景かもしれないが、彼だってたまにはボケにはしりたい時があるのだ。

「解散も何もないでしょー」

「お姉ちゃん食べてばっかりー」

 そんなメンバーをよそに風は皿に盛った料理を平らげていた。から揚げに焼きそばにたこ焼きと、炭水化物と揚げ物が徒党を組んでいた。思わず風の体脂肪と体重を気にしてしまう志騎だが、流石に女性を相手にそのような事を口にするほどデリカシーは死んでない。

「どんだけ食うんだお前。太るぞ犬吠埼デブ」

「デリカシー死んでんのかテメェ!?」

 あえて地雷を踏み抜きに行く刑部姫に志騎が叫ぶが、時すでに遅く風は殺意のこもった目を刑部姫に向けていた。しかし変わらず箸は口と皿を往復しているのが彼女らしい。すると夏凜も彼女の食欲には呆れているのか、

「風ってどんどんガサツになってってるわよねー」

「何をー!? あ、そうだ。ここの請求書、大赦に送ってやろうかしら」

「もうガサツ!」

 風のガサツッぷりに、夏凜はもう呆れるしかなかった。夏凜がため息をつくと、彼女の目の前にマイクが差し出された。

「ほら、次は夏凜ちゃんの番だよ」

「もう、しょうがないわね」

 口ではそう言いながらも、彼女の表情はまんざらでもなさそうだ。

 そして夏凜の歌が披露されたが、案の定と言うべきかノリノリで体を動かしながら歌声を披露していた。チョロい、と志騎の頭の上から刑部姫の声が聞こえた。

「上手い!」

「一番ノリノリじゃない」

 友奈と風からの指摘に、夏凜は顔を赤らめながら弁明する。

「こ、これは……私は、何でも本気なのよ……!」

「「「にっぼーしー! にっぼーしー!」」」

「そこ、おかしい!」

 煮干しが書かれたTシャツを着て、神樹館三人娘が夏凜の応援をしていた。どうでも良いが、東郷のハジケッぷりが凄まじく、本当に自分の知っている鷲尾須美と同一人物なのかと志騎は心の底から疑問に思った。すると何を思ったか、樹がすぅっと息を吸い込み……。

「ファイアー!!」

「「「すげっ!?」」」

 彼女の可愛らしい声とは想像もできない低音ボイスを出し、友奈と夏凜と風が驚愕の声を出す。すると何故か刑部姫が満足そうに、

「うむ。私との特訓の甲斐があったな」

「お前の差し金かよ!」

 どうやら原因の一端はこいつらしい。しかし今ので夏凜の方にも火がついてしまったらしく、

「負けないわよー!」

 そしてそのまま、夏凜と樹はデュエットを始めた。競い合いながらも楽しく二人を見て、チャーハンをもぐもぐと食べながら風が言った。

「なんか夏凜って変わったわよね。ハリネズミみたいな子だったのに」

「人は変わるんですね」

「良い方にね。みんなだってそう」

「悪い方にも変わる事もあると思いますけどね」

「うふふ、志騎君どうしてそこで私を見るの?」

「いや、別に……」

 笑顔で尋ねる東郷に、志騎はふいと目を逸らした。正直に言ったらどうなるか分かったものでは無い。

「終わってみれば、普通の女子中学生の生活が待ってましたね」

「日常系なんよ~」

「なんだか、随分前の事のような気がする……」

「でも実際、あれから少し経ったしな」

「それでも半年も経ってないだろ。それなのに体感時間だと、もう一年ぐらい経ったような気がするよ」

「確かに……」

 バーテックスとの戦い、満開の真実、壁の崩壊。自分達が乗り越えてきた数々の試練を思い出しながら、勇者達は会話を交わす。色々あったが、今こうして自分達は普通の日常を送れている。それを嬉しく思うと同時に、どこか夢を見ているのではないかと思ってしまうのはこれまでの道程が過酷だったからだろう。

 そして夏凜と樹が歌い終え、「イエーイ!」と友奈達が歓声を上げる。

「イエーイ楽しい! 次何する!?」

「まだ満足してないのか?」

「当然! まだまだ青春を謳歌するんよ~!!」

 嬉しそうに言う園子に、彼女以外の全員が笑みを浮かべる。

 バーテックスとの戦いを切り抜けて、ようやくつかみ取った日常。

 少年少女達の楽しい生活は、まだこれからも続いていく。

 

 

 

 

 

 

「暇だー……」

「同じく……」

「眠い……」

 天海志騎は椅子に座り、パソコンの画面を見ながらぼやき、彼の横にいる銀も退屈そうな表情で呟く。   

 彼の手にはラジコンの操縦機のようなものが握られており、パソコンの画面には上空からの俯瞰図、さらに森の中やエアガンを持つ少女達の姿を映した映像が表示されている。

「志騎さん、銀さん。お菓子食べますか?」

「ああ、ありがとう」

「ありがと!」

「おい樹。私の分は無いのか」

「はいはい、ありますよ」

 二人と同じように椅子に座りながら樹がお菓子を差し出して、銀が樹から受け取ると嬉しそうの頬張り、刑部姫はもらったお菓子を空中に放り込むと、お菓子は放物線を描いて刑部姫の口の中に収まった。志騎もお菓子を受け取ると口の中に放り込んでパソコンの画面を見続ける。三人は今日防寒着に、頭にヘルメットをかぶっていた。

 勇者部本日の活動、サバイバルゲーム部の相手役。

 本来なら今日の相手役は勇者部では無かったのだが、相手役となる別チームの予定が急に悪くなってしまい、勇者部にその相手役をしてもらいたいという依頼が来たのだ。そのため、今日はこうしてサバイバルゲームを行っている。樹は参加者なのだが、敵チームに捕まってしまい捕虜収容所となるこの場所で待機している。銀は樹を助けようとして敵陣営に火の玉アタックを仕掛けた結果見事に捕まってしまい、樹と一緒にここで待機しているというわけだ。志騎は唯一の男子のためゲームに参加できないので、こうして捕虜や他の人間がズルをしないための見張りも兼ねてこの場所にいる。あとは、戦場全体の見渡しも兼ねて。

 パソコンに映し出されている上空からの俯瞰図はドローンによるものであり、森の中や少女達の映像は彼女達が着けている小型カメラによるものだ。なお、これによる情報提供は反則になるため、彼女達が敵の位置を知ったりする事はできない。ちなみにドローンと小型カメラ、パソコンは全て刑部姫から借りたものだ。彼女独自の技術が使われているためかどれも性能が非常に良い。

「状況どうですか?」

 椅子に座っている樹が志騎に尋ねた。得られた情報を自分のチームに提供しなければ、志騎から現在の状況がどうなっているかを伝える事は許されている。というよりもそうでもしないと、捕虜側も暇だろう。

「友奈と風先輩が劣勢……あ、須美が二人倒した」

「お、さすが勇者部ナンバーワンスナイパー!」

「それと、園子と夏凜も一人ずつ倒した。夏凜の奴、さすがだな。動きに無駄が無い」

 志騎が夏凜の動きに感心していると、志騎の足元で足にもたれかかっていた刑部姫がパタパタと羽を動かして宙に動く。いつもは志騎の頭の上が定位置の彼女だが、今日の志騎はヘルメットをかぶっているせいで固い感触がダイレクトに伝わってくるため、足元でくつろいでいる。

「私が参加できないのは残念だな。参加していたら、もっと短い時間で相手を全滅させる事ができただろうに」

「一応言っとくけど、サバイバルゲームって地雷とか使っちゃ駄目だからな? 死人も出しちゃ駄目だからな?」

「む、失礼な事を言うな。ゲームでそんなものを使うわけが無いだろう」

「二年前の特訓で、地雷を仕掛けた奴が何を言ってんだよ……」

 四人での合同訓練の時、刑部姫が砂浜に地雷を埋めた時の事を思い出して銀が呟いた。正直刑部姫なら、地雷を使わなくてもそれ以外の手段を平然と使いそうで怖い。マシンガン搭載のドローンとか、サーモグラフィーを使用した敵探知機とか。

「あっ」

 と、銀と刑部姫が会話をしていると、突然志騎が声を上げた。

「志騎、どうした?」

「友奈が撃たれた」

「………マジか」

 志騎の言葉に、銀が呆然と呟く。

 結城友奈が倒された。

 それはつまり――――東郷美森という鬼神の覚醒!!

『テメェらの血は何色だぁああああああああああああああああああああああああああっ!!』

 直後、どこからかガトリングガンをぶっ放す音と共に東郷の叫び声が空に響き渡った。パソコンの画面の動画を確認してみると、そこにはガトリングガンで敵チームを駆逐する東郷の姿があった。

「……あれ、家から持ってきたんでしょうか」

「だと思う。須美の家のどこにあんなものがあるのかはさすがに分からないけど」

「いや、それは分からなくて良いと思うぞ……」 

 画面の中で暴れ狂う東郷を見ながら、三人がそれぞれの感想を口にする。

 今日も東郷の友奈愛は健在だった。

 そして案の定鬼神覚醒した東郷美森により、サバイバルゲームは勇者部の圧勝となった。

 

 

 

 

 

 

 

 讃州市内のキャンプ場に、ペグをハンマーで打つ音が高らかに響く。

 ペグを地面にようやく固定し終わると、ハンマーでペグを打っていた風がふぅと額の汗を拭いながら一息ついた。

「やっとできたー……」

「何これ超難しいんだけど……」

 両膝に両手を当てながら風と一緒にテントを張っていた夏凜が息を吐きながら言う。どうやら文武両道の彼女でも、初めてのテントには大分苦労させられたようだ。

「初心者にはドーム型テントが良いって聞いたんだけど……」

「でも苦労した分だけ、愛着がわきますね!」

「まぁね」

 テントを撫でる樹に夏凜が同意すると、彼女達のそばにいた園子が円盤のようなものを持り、それを地面に投げた。

 すると円盤は瞬く間にテントの形になり、それを見て散々テントと格闘していた風と夏凜が呆然とする。一方、園子の方は無邪気に両手を真上に上げて、

「できたできたー! 文明の利器ってすごいねー!」

「そんなのあるの……?」

「情緒が無い情緒が!」

「とうっ!」

 しかし園子の方はテントの中にダイブすると、入り口の布からひょっこりと顔を出した。

「おやすみー」

「もう寝るの!?」

「テント使うの楽しみにしてたんよー」

 そして園子と夏凜が会話をしていると、そこに別の人物達が現れた。

「あれ? 園子もうテント張り終わったの?」

 そこに現れたのは志騎と銀、さらに志騎の頭の上に乗っている刑部姫だった。志騎は園子が入っているテントを見ると、少し目を見開いて驚く。

「あれ、ポップアップテントじゃん。良いよなぁ、これ。簡単にできるし」

「何なら私がこれよりもっと良いのを買ってやろうか?」

「いらない」

 ポンポンとテントを軽く叩きながら志騎と刑部姫が会話をしていると、風が志騎と一緒にいた銀に尋ねた。

「志騎の分のテントはもうできたの?」

「はい、ちょうどさっき」

 勇者部唯一の男子である志騎が七人と一緒に寝るわけにはいかないので、志騎と銀は二人でテントを立てていた。銀がいるのはさすがに一人でテントを張るのは大変だろうと風が気を利かせてくれたからだ。

「大変だったでしょ。私と風でも、結構苦労したもの」

 先ほどの自分達の苦労を思い出して、夏凜が苦笑する。しかしそれに対して、銀の反応は何故か微妙なものだった。「あー……」と引きつった笑みを浮かべながら、何故か志騎の頭の上の刑部姫をちらちらと見ている。夏凜と風と樹が怪訝な表情を浮かべると、銀が三人に説明した。

「いや、全然苦労しなかったどころか……。めちゃくちゃサクサク進みました」

「え。もしかして、あんた達キャンプ経験者?」

「いや、アタシと志騎はやった事が無かったんですけど……。刑部姫がキャンプ経験者だったんです。テントの張り方とか滅茶苦茶詳しくて、すぐに終わりました」

「え、あいつが!?」

 志騎の頭の上にいる刑部姫を見ながら、夏凜が思わず驚いた声を上げる。今までインテリだと思っていたので、その情報はかなり意外だった。

「志騎が聞いてたんですけど、あいつ生きてた頃はたまにキャンプに行ってたらしいです。一人だった時もありますし、友達と一緒に行った時もあるらしくて……。だから自前のキャンプグッズとか持ってるらしいんです。あとついでにバイクの免許もあるらしくて、よく友達をバイクの後ろに乗せて出かけたと言ってました」

「そ、それはかなり意外というか……」

「あいつの事だから、外に出るのも億劫そうなのに……」

 どうやらインドア派かと思ったら、アウトドアもいけるらしい。さすが天才と言うべきか、色々な事ができる精霊ねと夏凜は思った。

「考えてみれば、刑部姫ができない事って何なのかしら」

「いや、そりゃあ人を思いやるこ――――」

 銀が言葉を発しようとした瞬間、ドゴッ!! と銀の耳をかすめて彼女の真正面の木に小型の手斧が勢いよくぶち当たった。ギギギ……と銀が後ろを振り向くと、思いっきり右腕を振りかぶっている刑部姫が目に入った。

「殺す気かよ!?」

「安心しろ間抜け、刃はついてない。精々かなり痛い程度だ。だが考えてみれば、当たった方がお前の頭が少し良くなったかもしれんな」

 そんな事を真剣な表情で語るが、すぐに嗜虐的な笑みを浮かべるとこう続けた。

「でも無理だな。お前の頭は元々何も詰まっていない空っぽだしな。頭が良くなるはずもない」

「言ったなこの野郎! 今日こそ決着をつけてやる!」

「やってみろクソガキ」

 平和なキャンプ場で銀と刑部姫のリアルファイトが繰り広げられようとしたが、夏凜が銀を背後から羽交い絞めにし、志騎が刑部姫にアイアンクローをしてどうにかそれだけは避ける事が出来た。この長閑(のどか)な風景が血で汚れる所など見たくもない。

 と、そんな彼らの後ろで。

「そのっち! 風情が、風情が無い!」

「お腹空いちゃって……」

 友奈と東郷が火を起こしている所を園子がガスバーナーで火をさらに大きくしていた。本人に悪気はないのだろうが、この短時間で風情というものに喧嘩を売りまくる園子だった。

 その後、ようやく落ち着いた所で夕飯づくりになった。本日の夕飯はカレーライスで、担当は樹。各種ハーブとスパイスを揃え、キャンプにふさわしいカレーライスが出来上がる。

 はずだった。

「お、おう……」

 出来上がったカレーのルーを見て、風がなんとも言えない声を上げる。

 それほどまでに、鍋に入ったルーは強烈だった。

 色は茶色ではなく紫色、何故かボコボコ……と音を立てているその様は絵本の魔女が作った薬を連想させる。どうしたらこんな奇天烈な色のルーができるのか、勇者部の頭では全く理解ができなかった。

「な、何これ……」

「うう……カレーかと……」

 どうやらこれを作り上げた樹本人もどうしてこれができたのか分からないらしい。ここまで来るともう一種の才能ではないかと思ってしまう。

「なんか七色に輝いて、泡立ってるわよ?」

「でも香りはしっかりカレーだよ? 不思議~」

「どうしたらこんな色のカレーが生み出せるんだよ……。おい刑部姫、ちょっと調べてみろ」

「そのつもりだ。私としても正直興味深い。一体どんな調理をしたら、こんな色が生み出せるんだ?」

「刑部姫も分からない、新しい何かが生まれた瞬間ね」

「バイオハザァ……」

「園子、お口チャック」

 目の前の奇天烈カレーに、勇者部の面々も驚きを隠せない。

 しかしこのままではさすがにいられない。この不気味な色のカレーをできれば食べたくないというのはあるがそれでは作ってくれた樹にもカレーにも失礼だし、食べなかったら今夜の夕飯が無くなってしまう。ここは何が起こったとしても、この摩訶不思議カレーを食べなければならないのだ。

 八人の前に皿に盛られたカレーライスが置かれ、それぞれスプーンを取るが誰も食べない。そんな七人を樹が不安そうな目で見ていると、志騎がぐっとカレーをスプーンですくって口の前に運ぶ。

「志騎、いくのか……?」

 銀がわりと本気の声で尋ねると、志騎はこくりと頷き、

「俺は心臓と脳が破壊されない限り死なないから、これがそれほどまでの破壊力を持ってない限り、大丈夫……だと思う」

「これでもしも志騎が死んだら、バーテックスを殺す事ができる切り札が生まれたな。その時は私が隅々までデータを取ってやるよ」

 どう考えてもカレーを食べる際に言う台詞ではないのだが、誰も口を出す事が出来ない。誰もが固唾をのんで見守る中、特攻隊長の任を任された志騎が口を開ける。東郷がピシッと敬礼の姿勢を取る。わりと冗談にならないのでやめて欲しい。

 そしてついに、パクっとカレーを食べてもしゃもしゃと咀嚼する。

 すると……数回瞬きをした後、志騎が言った。

「あ、普通に美味しいわ」

 見かけはあれだが、味はとても美味しい。あまり辛くはないのに、スパイスが利いていて深いコクが食べる者の味を楽しませる。あまり辛い物は好きではない志騎でも何回も食べたくなる美味しさだった。

「本当!?」

 安全と美味しさの確認をした志騎の言葉を聞いて夏凜が驚きの声を出す。次にカレーを食べたのは風だった。彼女はカレーを一口食べると、顔を輝かせた。

「美味しい! さすが私の妹!」

「ほ、本当?」

 風の誉め言葉に、樹は満更でもなさそうな表情で言った。志騎と風の反応を見て、他の勇者部達もカレーを食べ始める。他の勇者達もどうやらカレーの味にご満悦のようで、銀と園子はパクパクとスプーンで皿と口の間を何回も往復させ、友奈に至ってはうどんにルーを入れていた。うどんの純白とルーの毒々しい色の対比がやけに目に痛かった。しかしそれでもカレーの味はとても美味しくて、その後全員がカレーをお代わりしてルーが入っていた鍋は空っぽになった。

 食後のデザートは東郷が作ったおはぎだった。辺りはすっかり夜に闇に包まれ、焚火だけが辺りを照らし少年少女達の体を温める。

「はぁ~……。こうやって炎を見ていると、原始の喜びが蘇るんよ~」

「DNAに訴えかけてくるものがあるわね~」

「アタシもう、ここから動きたくない……」

 よほど炎に魅了されているのか、園子・東郷・銀の三人が炎をじっと眺めながら呟く。東郷に至っては、目が怖い。どこを見ているかまったく分からない。

「目が、怖いから……」

「キャンプ、ハマりそう……」

「分かるわ~」

 園子が心の底から同意するように頷くと、苦笑しながら樹が園子に尋ねた。

「園子さん、キャンプも青春なんですか?」

 樹の言葉に、園子はにっこりと笑って、

「うん! みんなで過ごす時間は、みんな青春なんよ~!」

 だからこうして、みんなでキャンプを過ごすのも青春。自分の物語の大切な一ページ。

 そんな園子の心の声が聞こえてくるような気がして、七人は園子と同じように柔らかな笑みを浮かべるのだった。

 食事が終わると、後は寝るだけとなる。

 志騎は銀達と別れると、一人だけテントに戻ってマミー型の寝袋の中に潜り込む。そして両手を頭の後ろで組んで真上を見上げると、視界に刑部姫の顔が飛び込んできた。

「……お前、こっちに来るなよ。銀達と一緒のテントに行けよ」

「ガキ共と一緒に寝ろと? 悪い冗談だな」

 そう言いながら刑部姫は寝袋の横にしゃがみ込むと、スナック菓子を取り出してバリバリと食べ始める。二人はしばらく無言でテントの中の時間を共有していたが、女子のテントの方から笑い声が聞こえてきて刑部姫が舌打ちする。

「うるっせぇな……」

「仕方ないだろ。園子と銀はようやく学校に通えるようになったんだ。はしゃいだって別に良いだろ」

 志騎の言葉に、刑部姫はふんと鼻を鳴らすだけで特に反論はしなかった。その代わりと言うべきか、こんな事を志騎に尋ねた。

「……志騎、お前今、楽しいか?」

「はっ? お前何言って……」

「良いから答えろ」

 彼女の声は静かだが、同時に有無を言わせない調子の声だった。彼女がこんな声を出すのは珍しい。志騎は一瞬黙ってから、刑部姫に答える。

「……ああ、楽し」

 すると突然、刑部姫が右手の指を志騎に向かって真っすぐ突き出した。

「自分すらも騙せない嘘はつかない方が良い。そんな嘘は誰も騙せないし、何よりも聞いている相手を不快にさせるだけだ」

「……何だよ、それ。俺が嘘をついてるって?」

「ああ、そうだ。正直私から見たら、お前はちっとも楽しそうじゃない。今こうして生きているだけでも苦しいのを必死にこらえて、無理やり笑顔をひねり出しているように見える。……ガキ共は気付いてないだろうがな」

 それは彼女達が鈍感なわけではなく、志騎がどうにかそういった感情を表に出さないようにしているだけだ。刑部姫が気づいたのも、彼女が常人を越えた高い洞察力を持っているからだ。園子も高い洞察力の持ち主だが、刑部姫はその更に上をいく。

 刑部姫の指摘に志騎はしばらく黙り込むと、観念したように答えた。

「……そうだな。正直、自分がこうして生きていて良いのか、みんなと一緒に笑ってて良いのかって思う時はあるよ。最近悪夢ばっかり見るから、余計にそう思うようにもなったし。でもあいつらを不安にはさせたくないから、どうにか笑顔だけはできるようにしてるって感じかな」

 例えみんなと一緒に楽しもうとしても、その心にはいつだって罪悪感と苦しみが突き刺さっている。

 笑うたびに、自分は本当に笑って良いのかという疑念が湧いてくる。

 でもそれを悟られたくないから、どうにかしてなんでもないように振舞う。

「……お前、苦しくないのか。そんな生き方で」

 すると、はっと志騎は笑った。愚問だと言うようにも、自分をあざ笑うようにも聞こえる笑い方だった。

「辛いとか、苦しいとか言う資格俺には無いだろ。……俺達に未来を奪われた人達はもう、それすらも言う事が出来なくなったんだから」

「………」

「でも、そうだとしても。あいつらには……銀には、笑顔でいて欲しい。身勝手な願いだとしても、俺なんかのせいで皆を不安にはさせたくない」

「勇者部五箇条に、『悩んだら相談』というのがあったと思うが?」

「悩んではない。もう、決めた事だからな」

 そこで会話が途切れ、沈黙がテントの中を支配する。少し離れたテントから聞こえてくる少女達の笑い声が、まるで遠い世界の出来事のようだった。

 やがて刑部姫はふぅと息をつき、

「……相変わらず背負い込みやすいと言うべきか、自虐的と言うべきか……。二年経っても変わらないな、お前は」

 そう言う彼女の口元には笑みがうっすらと浮かんでいた。しかしその笑みは悪意のこもったものではなく、それどころか哀れみというか悲しみを秘めた笑みだった。

「お前がそこまで言うなら私は何も言わない。だが、これだけは覚えておけ。過去というものは確かに覚えておくべきものであり、背負う必要があるものだ。しかし、縛られるべきものでは無い。過去に囚われてばかりいたら、今目の前にある大事なものを見失う事になるぞ」

「……俺に」

「そんな資格はない、か?」

 言葉を先回りされた事に志騎が刑部姫を見ると、彼女はやれやれと肩をすくめながら、

「お前はそう言うだろうが、それでもお前との今を大事にしたい奴らもいる。お前がそこまで背負ってしまうのも仕方はないが、それだけは忘れるなよ。……じゃあ、お休み」

 刑部姫は着物の懐から彼女専用のマミー型の寝袋を引っ張り出すと、その中に潜り込んだ。そして寝袋に入ってからすぐに寝息が聞こえてくる。こんなに早く寝入る事ができるのももしかしたら才能かもしれない。

 志騎がテントの入り口の布を開けて女子テントの方を見ると、明かりはすでに消えていた。どうやら彼女達も寝たらしい。今こうして起きているのは自分だけだ。

「………寝るか」

 そう呟くと、テントの中に戻ってLEDランタンの明かりを消し寝袋に潜り込んで、目を閉じる。

 何も見えない闇の世界に包まれながら、志騎は他の部員達と同じように眠りにつくのだった。

 

 

 

 

 

 

 パチリ、と志騎は暗闇の中目を覚ました。どうやら普段から早起きしているからか、すっかり習慣となってしまっているらしい。自分の寝袋の横を見ると、刑部姫はまだ眠っている。スマホを取り出して時計を見てみると、日が昇るには大分早い時間だ。これでは他の部員達もまだ寝ているだろう。

 と思っていたが、テントの外からパチパチと薪が燃える音が聞こえてくる。どうやら誰かが早起きして火を起こしたようだ。志騎はゆっくりと起き上がると刑部姫を起こさないように上着を着ると静かに外に出る。

 外に出た志騎の目に入ってきたのは燃える炎に、美しい黒髪。志騎がゆっくりと少女に近づこうとすると、少女が振り返る。静かに立っていた志騎に少女は一瞬驚くが、すぐに柔らかい笑みを浮かべて挨拶をした。

「おはよう、志騎君。早いわね」

「お前もな、須美」

 少女――――東郷美森とあいさつを交わしながら、志騎は東郷の二つ隣の椅子に腰かける。と、さらに人の気配が二つ現れて志騎達に近づいてきた。

「わっしーにあまみん早起きだねぇ」

「ホント。アタシなんてまだちょっと眠いのに……」

 現れたのは園子と銀だった。園子の方はともかく、銀はまだ少し眠いのか軽い欠伸をしている。

「そのっちに銀……」

「眠れなかった?」

 園子が尋ねると、須美は横顔を赤い炎で照らされながら、

「楽しく眠れたよ」

「俺もそれなりに」

「良かったぁ」

 そう言って園子は東郷の隣の椅子に、銀は志騎の隣の椅子にそれぞれ腰かける。

「今日は随分と早いな、銀。いつもならまだ寝てる時間だろ」

「いやぁ、今日はどうも二度寝する気分になれなくてさ。で、ちょうど園子と一緒に起きたし、どうせだから何か話でもしようかと思って」

「なるほど」

 しかしそうは言ってもやはり眠いものは眠いらしい。再び銀が欠伸するのを見て東郷は笑いながら、周囲を照らす炎に視線を変える。

「キャンプって不思議……。色んな事考えちゃうわ」

「キャンプだからね」

「いやいや、園子もキャンプは初めてだろ?」

「えへへ、そうでした~」

 銀のツッコミに園子は笑いながら、

「でも、たまには考える時間も良いじゃない」

「考える時間、か……」

 四人は黙り込みながら燃える炎を見る。再び口を開いたのは、やはり園子だった。

「良いね焚火。うちでもやろうかな」

「怒られるわよ」

「わっしーには怒られ慣れてるから平気だよ~」

「いやいや、慣れちゃあ駄目だと思うぞ?」

「そういうお前も結構怒られてると思うけどな」

「う……」

 志騎の指摘に銀が図星を突かれた表情をすると、東郷が心外だと言うような表情を浮かべる。

「……私、そんなに怒ってる?」

「わっしー時代はね。でもそこが、わっしーがわっしーたる由縁なんだよ~」

「須美怒る、故に須美在り、か」

「何それ」

 ぷっと、銀の言葉がおかしくて東郷は思わず笑った。

 それから四人は場所を変えて海辺近くのベンチに座った。目の前の海から吹いてくる風は冷たいが、上着を着ているおかげでどうにか耐えられる。

「今の友達、良いね」

「うん……」

「みんながいて良かった。こうやってまた会う事が出来た」

「そうだな。もしも友奈達がいなかったら、アタシ達こうしてまた会う事もできなかったかもしれないもんな」

 結城友奈達という勇者達がいたからこそ、園子と銀は散華の代償から解放され、東郷は記憶を取り戻し、志騎は元の姿と記憶を取り戻す事が出来た。そしてこうして、また四人一緒に集まる事が出来ている。これも、残酷な真実を知っても友奈達が頑張ってくれたおかげだ。

 と、そこで園子が東郷の様子に気づき尋ねる。

「……おろ? 悩んでる?」

 周囲は暗闇に包まれているが、東郷の険しい表情は今の園子にもはっきりと読み取る事が出来た。無論、それは銀と志騎も同様だ。

「……そっか」

 東郷は何も言わなかったが彼女の胸の内は分かるらしく、園子は納得したように呟くと真正面の海に視線を戻す。すると東郷が何について悩んでいる事に気づいたのか、銀が尋ねる。

「その悩みって、やっぱりアタシ達の事を忘れちゃってた事?」

「………」

 東郷は言葉には出さず、ただ黙ってこくりと頷いた。

「わっしーは悪くないよ。私だって、あまみんの事を忘れちゃったんだもん」

「俺だってそうだよ。自分の事もお前達の事も全部忘れてたんだ。記憶について言うなら俺だって同罪だ」

 しかし東郷はフルフルと首を横に振り、

「同罪なんかじゃないわ。記憶を失ってから、そのっちはあんな所で毎日辛い思いをして、志騎君は世界を守るためにバーテックスと戦い続けてた。でも私は何もしてない。ただ二年間何も知らないで、のうのうと生きてただけ。……大切だ、約束だ、友達だって言って、あんなに言っていたのに、それでも私は忘れてしまっていた」

「おいおい須美。のうのうと生きてたって事は無いだろ。お前だって、両足が不自由になってすごく苦しんでたと思うぞ?」

 あまりにも自分を責める東郷を銀がたしなめる。両足が不自由になってしまった人間が車椅子で生活できるようになるのは楽な事ではない。リハビリや、車椅子に慣れるための訓練がどうしても必要になる。そばに友奈というかけがえのない存在がいたとはいえ、彼女にとっても楽しいばかりの二年間だったわけではないはずだ。

「それとも、アタシ達が忘れられてたぐらいで親友のお前を怒るような奴だと思ってるのか? それはさすがにこの銀様も悲しいかなー」

 おどけたような銀の言葉に、東郷は悲しそうに顔を俯かせながら、

「……分かってるわ。自分で言うのもなんだけど、あなた達がそんな事で怒るような人達じゃないって分かってる」

「なら……」

「……でも、それでも私はあなた達を忘れていたという事を許容できない。きっと私は、自分で自分が許せないのだと思う。……私達は、四人で勇者だったから」

 友達の事を心の底から思いやり、どこまでも真面目な東郷らしい言葉だった。この調子だと三人がどんな事を言っても、彼女の悩みは晴れないだろう。彼女にとっては大切な友達を忘れてしまったという事は、それほどまでに重大な事なのだ。

 四人は黙り込むと、揃って空を見上げる。

 まだ夜が支配する空には、青白い光を放つ月が四人を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 香川県には父母ヶ浜(ちちぶがはま)という名前の海岸がある。穏やかな瀬戸内海に面しており、長さは約一キロ。

 しかし何よりの特徴は、干潮時に見られる美しい光景だ。干満の差が大きいため干潮時には砂浜に潮だまりができるのだが、天気が良い場合空や人の姿がまるで鏡のように映る事がある。砂浜に青空や人の姿が映る光景はとても幻想的で美しく、香川県の名所の一つとされている。さらに志騎が以前刑部姫から聞いた話によると、あまりに美しい光景から日本のウユニ塩湖と呼ばれていたとか。ちなみにウユニ塩湖というのは旧世紀にあった南米のボリビアという外国にあった湖との事で、父母ヶ浜と同じく空の光景がそのまま湖に映し出される風景は絶景と呼ばれていたようだ。なお、志騎にその話をしていた際、刑部姫ももう見る事は出来ないその風景に思いを巡らせいたのか、とても残念そうな表情を浮かべていた。

 そして本日、勇者部部員八名と刑部姫はその父母ヶ浜に来ていた。

「わぁ~……」

「すっご……私初めて来るわ」

「うんうん……これは女子力の高い写真が撮れそうね」

「ここ来るの小さい時以来かもー!」

「夕日ってこんなに綺麗に見る事ができるんだな……」

「旧世紀だと、日本の夕日の名所の一つにも数えられていたらしいしな」

「鉄男と金太郎にも見せてやりたいなー」 

 自分達の目に飛び込んでくる夕日の美しい姿に、勇者部がそれぞれ感想を口にする。……東郷が自前のカメラを持って友奈を連写しているが、誰もツッコまないのはもう日常の風景となっているからだ。慣れというのは怖い。

「はいみんなー! 記念写真撮るよー!」

「カメラは?」

 夏凜の言葉に園子が差し出したのはスマートフォンを装着した自撮り棒だった。

「こっちの方が便利だよね」

「身も蓋も無い……」

 夏凜は苦笑するが、これならば勇者部部員全員ギリギリ入る。今回は園子の準備の良さに感謝するべきだろう。

 そして八人全員が固まり、園子が自撮り棒を持つと全員がスマートフォンに視線を向ける。

「レッツ! エンジョーイ……」

「「「「「「「カーガワラーイフ!」」」」」」」

「……カーガワラーイフ」

 それを合図として、カメラのシャッターが押された。最後に小さく言ったのは、言うまでもなく志騎である。

 園子はスマートフォンを自分に近づけると、画面を何やら操作する。

「ちょっと待ってて~」

「ん?」

 園子以外の勇者部員がスマートフォンを覗き込むと、次の瞬間撮影された写真のタッチが変わる。なんというか、撮影された写真よりも全員の顔が少し綺麗になっているように見えた。

「何これ!?」

「はぁ~。今時の美顔アプリってすご!」

「友奈ちゃん……美少女すぎる!」

「須美ー、ステイステイ」

 鼻血を垂らしながら、ついさっき散々写真を撮ったというのに東郷がまた写真を撮り始めた。それ自体は良いが、鼻血を垂らしながらだと不審者だと間違えられかねないのでまずは鼻血を拭いて欲しい。

「私が写ってないな……」

「お前は精霊なんだし仕方ないだろ。今度お前のカメラで撮れよ」

 この性悪天才精霊の事だし、精霊でも映せるカメラぐらい作って持っているだろう。

「これ、嘘って事じゃない」

「映えって言うんよ。映え!」

 例え美顔アプリを使用したものだとしても、また園子の青春の一ページが増えた事に変わりはない。それを夏凜も分かっているのか、それ以上言う事も無かった。

 その後勇者部部員達は心行くまま写真を撮り、その日の活動は終了するのだった。

 

 

 

 後日。

「大変です。大変なんです!」

 勇者部部室で作業を行っていた部員達の耳に、勇者部のホームページをチェックしていた樹の声が響いた。何事かと樹以外の全員が目を向けると、樹が驚愕の表情を浮かべたまま叫ぶ。

「この写真にしてから、閲覧数が三倍になってるんです!」

「改めて何このリア充感……」

「あんたが言う女子力の正体よ」

「学校外からの勇者部への依頼も三倍です!」

「一気に多くなったなー」

 恐るべし、写真の力と言うべきか。世の人々が映えなどを気にして写真を撮る理由が少し分かったような気がする勇者部の面々だった。

「大人気になっちゃったねー」

「そうなんですよー」

「部員、足りないんじゃない?」

「ですよねー……」

「これからは、もっと大きな部にしないといけないって事ね!」

 勇者部に新しく三人入ったと言え、依頼の量は今までの三倍に増えた。いくら何でも八人では捌ききれないし、新しく勇者部部員を増やす事も考えなければならないだろう。

 一方で、樹は真剣な表情を浮かべながらマウスを操作して、

「それもそうなんですが、まずはやれる事からやっていきましょう!」

「そそ……そうね」

「確かにこのままだと、志騎の二の舞にもなりかねないしね」

「そう考えると、まずは振り分けだな」

 このままだと一人一人に任せられる依頼の量が多すぎてキャパオーバーに陥ってしまう。ここは樹の言う通り、今できる事から順番に片付けた方が良い。志騎と友奈と東郷が樹の後ろに来て画面をのぞき込むと、彼女の言う通り以前よりも依頼の量が格段に増えていた。

「わぁ~。猫も犬もたくさん依頼が来てるね」

「スケジュールを調整して、近い所は平日に行くようにしましょう」

「量だけをこなすなら、簡単なやつから片付けるのもありだな。それなら一日に何件か一気に消費できるだろうし……。いや、それでも時間を考えると二件が限界か……」

 と、四人の姿を後ろから眺めていた風が、穏やかな笑みを浮かべながら呟いた。

「なんか……」

「……? どうしたの、お姉ちゃん」

 小さな呟きだったが、どうやら四人の耳にしっかり届いたらしい。四人が振り向くと、風は嬉しいような、それでいて少し寂しいような表情を浮かべながら、

「いや……なんかみんな、ちゃんとしてきたなって。お姉ちゃん嬉しいわ」

 と、涙を拭うような動作をして風がしんみりとした雰囲気を出そうとした直後。

 ドン! と勇者部の扉を勢いよく開けて、しんみりとした雰囲気を吹き飛ばすムードメーカーがやってきた。

「さぁみんな! 次の週末何する何する!? 爆発行くー!?」 

 どうやらすでに次の週末の予定について考えているらしい。今日も元気に明るい園子に勇者部全員が苦笑を浮かべていると、夏凜がジト目になりながら、

「遊んでばっかりってわけにはいかないわよー」

「じゃあ猛烈にボランティアだね!」

 確かにこの依頼量を考えるとそうなる。しかしそれについては園子は不満げな表情を一切見せない。友達と一緒に何かをする事を重視する彼女にとって、友達と一緒にボランティアをする事も大切な青春の一ページに違いない。

「園ちゃんは今日も元気だね!」

「生き急ぎすぎでしょ……」

「行き急いでるんよ~」

「そんなに急ぐと死んでしまうわ!」

「長生きしたいぜ~」

 まるでコントのようなやり取りの後園子がさめざめと泣くと、夏凜がドヤ顔をしながらサプリメントのケースを取り出す。

「良いサプリ紹介しようか?」

「さすがカツオぶっしー」

「にぼっしーよ!」

「認めた~」

「ついに認めちゃったかー……」

 園子のペースに翻弄されてついに夏凜も自分がにぼっしーである事を認めてしまい、銀が苦笑を浮かべる。赤面しながら夏凜が反論するが、園子はやんわりと受け流す。二人のやり取りに勇者部の間に笑顔が広がり、笑い声が部室内に響き渡る。

 そして樹の前のパソコンには、ここ数日にかけて撮影された勇者部の思い出の写真が並べられていた。

 

 

 

 

 

 

 放課後、志騎と銀は二人揃って自転車を押しながら帰路についていた。二年前と同じ、二人にとっては当たり前の大切な日常。

「段々寒くなって来たなー。体大丈夫?」

「大丈夫だよ。お前の方こそ大丈夫なのか?」

「平気平気! 元気が取り柄の火の玉ガールだからな、アタシは!」

「自分で言うのかそれ……」

 ニッと明るい笑顔の銀に志騎が呟く。しかし確かに、彼女が風邪になった姿というのはあまり見た事が無い。それほど彼女の体の機能が優秀なのか、それとも……。

 志騎が銀の顔をじっと見ていると、彼女はどこか照れたような表情で、

「な、なんだよ。顔に何かついてるとか?」

「いや、馬鹿は風邪ひかないって割と真理だなと思って」

「おぉい!?」

 思わず大声で銀がツッコむと、冗談だよという言葉が返ってきた。相変わらずこの少年の冗談は心に突き刺さる。しかも自分でも反論ができないのが少し悔しい。ちょっと落ち込みながら歩いている銀の目に、クリスマスのイルミネーションが施された一軒の家が入ってきた。

「そう言えば、もう少しでクリスマスだな」

「ああ。今年のクリスマスは確か勇者部でクリスマスパーティだったな」

 そして、その前日であるクリスマスイブは志騎との初めてのデート。その事を思い出して、銀は自分の鼓動が高鳴ると共に顔が熱くなるのを感じた。

 一方でそんな事は露知らず、志騎はさらに話を続ける。

「それが終わったら大晦日、で正月か。来年は風先輩が卒業して、俺達も三年生だな」

「そうしたら高校受験……。嫌だなぁ、勉強したくない……」

 勉強の事を考えるだけで頭が痛くなってきたのか、ずーんという効果音が似合うほど銀は落ち込んでしまった。志騎はやれやれと肩をすくめながら、励ますように言う。

「それぐらい頑張れよ。勉強なら、俺も見てやるからさ。高校に入ったら中学の時よりも面白い事がたくさんあるぞ?」

「それは……そうかもしれないけどさぁ……」

 口の中でもごもごと呟きながら、銀は思う。

 確かに高校に入れば中学以上に楽しい事が起こるかもしれないが、その先で何をするかはまだ決めていない。高校を卒業して働くのか、それとも大学に行って勉強を続けるのか。しかし大学に行って勉強したい事など今の銀には無いし、具体的な夢はまだ決まっていない状態だ。……お嫁さんになりという夢はあるが、それは大学に行っても行かなくてもできるし。大学に行ってもやり遂げたい事が何なのかは、まだ分からない。

 それに。

「………」

「ん、どうした?」

 志騎の言葉に、銀は何でもないとだけ答えた。

 大学に入る頃には自分達はきっと十九歳ぐらいになっているだろう。それであとは勉強をして、無事に大学を卒業する事ができるかもしれない。……志騎を除いて。

 バーテックス・ヒューマンの彼はどれだけ頑張っても二十歳までしか生きる事は出来ない。仮に大学に行く事ができたしても、二十歳から先の時間を自分と彼は共有する事が出来ないのだ。

 大学で何を勉強すれば良いのか分からないが、もしかしたらそれ以前の問題で大学から先の事をあえて考えないようにしているのかもしれない。……大学から先の事を考えるという事は、志騎がいない未来を考えてしまうという事だから。

 我ながら、情けない考えだと思う。これでは刑部姫に臆病で慎重だと言われても仕方が無い。

 自分で苦笑しながら、銀はそれを隠すように志騎に言った。

「なぁ、志騎」

「ん?」

「手、握って良いか?」

 そう尋ねた銀の真意が分からず志騎は一瞬戸惑うが、言われたままに右手を差し出す。ありがと、と言ってから銀は志騎の手をそっと握る。手袋も何もしてないせいで冷たかったが、今の銀にはそのひやりとした感触が心地良かった。しばらく志騎の手の感触を黙って感じていたが、やがていつも浮かべているような笑みを浮かべて志騎に礼を言う。

「ありがとな、志騎。元気出た!」

「……? そ、そうか。それなら良かった」

 突然の銀の言葉に志騎は戸惑っていたが、そんな戸惑いも銀の笑顔で吹き飛んでしまったらしい。彼女の笑顔を見て、志騎は呆れながらも彼女と同じように笑う。

「そうだ! 今日はこのまま手繋いだまま帰ろうよ!」

「え、普通に嫌だよ。周りの目が痛い」

「えー、良いじゃん別に」

 そんなやり取りをかわしながら、二人は自分達の家へと帰っていた。

 そして、結局。

 志騎の笑顔が無理やり引っ張り出したものだという事に、ついに銀は気が付く事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 夜、犬吠埼風は自分の携帯電話を使ってメールのチェックをしていた。真剣な表情を浮かべている彼女の視線の先には、メルマガのクーポンが表示されている。しかし彼女のお目当てのメールはそれではなく、画面をスワイプしてさらに下のメールを表示させる。

「あー、お姉ちゃんまたメール見てるー」

「あ、ごめん癖で……」

 そこに現れたのは洗濯物が入った籠を抱えた樹だった。風は謝ると、ようやく画面から視線を外す。

 癖、というのは大赦からの指令のメールを確認する癖の事だろう。大赦からの連絡係だった彼女にとっては、大赦から何かメールが来てないかチェックするのが日課となっていた。勇者という役目から解放された今でも、その癖が抜けきっていないのだ。

「お得なクーポンのメルマガしか来てないね……」

「もうずっと連絡ないし、大丈夫だよ」

「大丈夫、なんだよね……」

 しかしそれでも、風の胸中から不安は消えない。あれほど大赦に隠し事をされたので、信じたいと思っても信じられないのが当然だろう。

「お姉ちゃん……まだ抜けてないね」

「努力してんだけどね……さすがに」

「そんな努力やめよう?」

 妹の言葉に、風は言葉を失ってしまう。しかし確かに、樹の言う通りだ。

 勇者とは言っても、彼女達はあくまでも普通の少女達なのだ。そして勇者から解放された今は、普通に青春を謳歌する普通の中学生。普通というのは誰にでも当たり前の事なのに、普通でいる事を努力するというのは奇妙な事に違いない。

「大丈夫だよ。もし何かあっても今度は最初から私達がいるから! ね?」

「………うん」

「どうせもう何もないって。心配しても損だよ、お姉ちゃん」

 自信満々に胸を張って自分を励ましてくれる樹の顔を見上げながら、風が感心したように言った。

「あんた、本当たくましくなったわね」

「それを言い訳に成績下がりましたーじゃ、妹として恥ずかしいしね」

 と、樹の割りと容赦のない一言に「樹ー!」と風の悲鳴とも取れる声がリビングに響いた。

 それから二人はまったり歓談していたが、ふと風が樹にこんな事を尋ねる。

「そういえば樹。あんたまだ刑部姫と仲良いの?」

「うーん、まぁ歌い方を教えてくれたりする程度だけど……」

「いや、それはどう考えても仲が良いでしょ……」

 おまけに相手はあの刑部姫だ。歌い方を教えてくれるだけでもかなり仲が良い方だろう。彼女と親しくない人間がそんな事を頼んだりしたら、返ってくるのは歌い方ではなく猛毒の言葉とスーパーボールに違いない。

「こんな事言うのなんだけど、刑部姫は信用できるの? あいつ、私達に満開の事も散華の事も黙ってたし……。正直な事を言うと、私はどうしても刑部姫を信用できない」

 遺伝子上の息子である志騎や友奈、樹はともかくとして、それ以外の勇者部の面々は刑部姫の事を信用できていない。銀・東郷・園子の三人は元々神樹館にいた時から刑部姫とは仲が悪いし、自分に至っては彼女と刃を交えた仲だ。夏凜は嫌ってはいないが、それでも刑部姫を全面的に信用できていないように見える。そもそもの話、彼女は基本的に大赦側の人間だ。大赦に完全に従っているわけではないが、それでも何か隠しているのではないかと疑ってしまう。

 それに樹は手を組んでわずかに俯くと、

「……確かに、刑部姫さんは今までたくさん隠し事をしてきた。でも、私に教えてくれた事や、私に言ってくれた言葉には嘘はなかったって思うの。だから思うんだけど、あの人は隠し事はするけど基本的に嘘はつかないって思うんだ。例えついたとしても、それは理由があるから嘘をつく。意味のない嘘はつかない。良くも悪くも、いつも自分を貫く人。……だから私は、刑部姫さんを信じたいと思うの。お姉ちゃん達に、悪いと思うけど……」

 常に自信満々で、常に誰にも従わず、常に自分の思うがままに我が道を行く科学者。

 自分達の完全な味方というわけではないが、それでも彼女は少し前まで姉の後ろを歩くのが当たり前だった樹にとって、羨ましいと思うと同時に密かな憧れの対象だった。

 そして風は妹の言葉を咎める事も無く、ただ腕を組んでうーんと唸り、

「いつも自分を貫くか……。でも確かに、隠し事をされるのは嫌だけどあんな風に堂々としてるのはあいつの長所よね。普通の人なら、どうしても周りの人の事を気にしちゃうもの」

 どれだけ堂々としていても、やはり周りの人の目というものは気にしてしまうのが人間という生き物だ。それもプライドの高い人間ならば猶更である。

 しかし彼女の場合は良くも悪くも人の目をまったく気にしていない。あそこまで自信満々に振舞う事ができるのは間違いなく彼女の強さの一つだ。それだけは、刑部姫に好印象を抱いていない風も認めていた。

「うん。もちろん良い事ばかりだけじゃなくて、他の人をまったく気にしないから悪い事もあると思うけど……。刑部姫さんのそういう所は素直にすごいと思うし、尊敬しちゃうんだ」

 すると樹の最後の言葉に、風はん? と怪訝な表情を浮かべ、

「あのー、樹? 尊敬しちゃうって……。もしかして、刑部姫みたいになりたいとは思ってないわよね?」

「え? えっと……その…そういうわけじゃないよ? ただ、あの堂々としてる所は憧れるなーってだけで……」

「駄目よ樹あんな風になっちゃ! 確かに堂々としてるけど、それ以外は全部駄目だから! 頭と顔の良さを性格の悪さが全部打ち消すどころかマイナスにしてるような女よ!? 樹がそんな事になったら、お姉ちゃんもう立ち直れない!!」

「落ち着いて、お姉ちゃん!?」

 まったくもってその通りだったが、刑部姫に聞かれたら間違いなくぶち殺し確定の台詞だった。この場に刑部姫がいなくて本当に良かったと、樹は心の底から思いながら風をなだめる。この時ばかりは、姉と妹の立場が見事に逆転している犬吠埼姉妹だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな風に、勇者部の面々はそれぞれの想いを抱えながらもようやく帰ってきた日常を過ごしていた。

 しかし、その日常は何の前触れもなく、ある日を境に終わりを告げる事になる。

 ――――その日は、雨が降っていた。

 自宅の前で、東郷美森は愕然とした表情を浮かべながら目の前の光景に目を奪われている。

 彼女の目の前にいるのは、雨の中だというのに傘すらも差さず、地面の上に直接正座する大赦の神官達だった。当然全員仮面を被り、そのせいで表情が分からない。

「何故……」

「今日は大切なお話があってお伺いしました」

 東郷の半ば呆然とした言葉に、先頭の神官が答える。その女性の声を聞いて、どこかで聞いたような気がすると東郷は思った。

「事態は好転したんじゃ……」

 しかし神官は答えない。雨に打たれるがまま、東郷に頭を垂れている。

「また……始まるんですか? 私達じゃなきゃダメなんですか……!」

 するとようやく神官が顔を上げた。そしてその口から、自分達がここに来た理由が明かされる

 その理由は――――。

 

 

 

 

 ようやく訪れたと思っていた大切な日常。ずっとこの日常が続くと、少年少女達は思っていた。

 しかしそんな彼らの予想を裏切るように、その日常は音を立てて崩れ始める。

 そして、彼らは知らなかった。

 東郷美森の家に大赦の神官達が訪問してきたその時が。

 世界の存亡をかけた、勇者達の最後の戦いの幕開けだという事に。

 彼らはまだ、知る由も無かった。

 




今回のサブタイトルを何にするか結構考えたんですが、やはりこのサブタイトルが一番合ってるなと思いこれにしました。大満開の章の一話、本当に良い意味でカオス。琵琶だけでも意味が分からないのに、この小説の場合は銀の和太鼓まで入ってくるからさらにカオス。カラオケでの神樹館三人組のにぼっしーコールは大満開の章を見て一番書きたいと思った場面ですので、書けて良かったです。また今回みたいなカオスな場面を書きたいなぁ……。


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第四十七話 始まりしアブノーマル

刑「勇者でありバーテックスである天海志騎は、てぇんさい美少女精霊の刑部姫と勇者部の愉快な六人のガキ共と一緒に愉快な日々を過ごしていた。そして今日も、勇者部との愉快な一日が始まる……」
志「……なんか、一か所おかしなところが無いか?」
刑「む? そんなはずはない。勇者部はお前を含めて七人だろう? それのどこがおかしいんだ?」
志「……いや、確かにそうなんだけど……」
刑「ふむ。まぁ良い。それより、気が付いたらあと少しで二周年となる天海志騎は勇者である、第四十七話。どうぞ楽しんでくれ」
志「……何か、変なんだけどなぁ……」



 ――――今日の天海志騎の一日の始まりは普通のものだった。

 普通に朝起きて、普通に朝食を食べて、普通に幼馴染と登校し、普通に授業を受ける。バーテックスの記憶の共有による悪夢を見る事も無く、そのおかげで気分が落ち込む事も無かった。

 昼休みは仲良くなった高橋在人と佐藤良太と一緒に弁当を食べて、満腹になった事により生じる軽い倦怠感と眠気を我慢しながら、午後の授業。

 放課後は勇者部の部室へ向かい、部活を行う。いつものパターン。いつものルーティン。 

 志騎は勇者部の部室の前まで来ると、コンコンと扉を三回ノックする。中からはーいという先輩の声が聞こえたのを確認して、扉を開けて中に入る。

「天海志騎、入ります」

 そう言って先に来ていた勇者部の面々と挨拶をしてから、部室の中を見渡す。

 今部室の中にいる勇者部の数は自分を除くと七人。どうやら、もう自分以外の全員が揃っているようで――――。

「ん?」

 と、そこで志騎は思わず怪訝な表情を浮かべた。するとそんな志騎に気が付いたのは、彼の幼馴染である三ノ輪銀だ。

「どうした、志騎?」

「……なぁ、銀。勇者部って、俺を入れて何人だっけ?」

 確認のために彼女に尋ねると、銀は困惑したような表情を浮かべながらも答える。

「七人、だろ? 友奈に夏凜に風先輩と樹。で、アタシと園子とお前が入って来て七人。……それがどうしたんだ?」

 どうして志騎がそんな事を尋ねるのか分からない、というような表情だった。銀からの確認を聞いた志騎は黒板に貼られている写真を見る。そこにはこの前のキャンプの時の写真やサバイバルゲーム部との対戦の時の写真、さらには自分達が入部するよりも前に撮影された、友奈達四人の写真が貼り付けられている。

「……そう、だよな。七人……だよな」

 そう。勇者部の数は全員で七人。それは間違いない。

 それなのにどうして、七人という数が自分の頭にひっかかったのだろう?

 志騎がその違和感に思わず黙り込むと、銀だけではなく周りの少女達も志騎の様子に気づいたらしい。

「志騎君、どうしたの? もしかして、どこか具合が悪いとか……」

「え、ちょっと大丈夫? なんなら、今日だけでも休む? 今日の依頼は別にアタシ達だけでも捌けるし……」

 志騎の体調を心配した友奈と風が声をかけるが、別に体調が悪いわけではない。ただ、何故か気になっただけだ。志騎は苦笑を浮かべると、ふるふると首を横に振って、

「いいえ、俺は大丈夫です。ただの気のせいですよ」

「そう? なら良いけど、何かあったらきちんと相談しなさいよ」

 悩んだら相談。勇者部が守るべき掟とも言える勇者部五箇条にも、きちんとそう書かれている。志騎が頷くと「それなら良し!」と言って今日の依頼を説明するために部員達を黒板の前に集め、本日の依頼について説明する。

 志騎も黒板の前に並べられている椅子の前に座ると、風の説明を聞く。

 単なる気のせい。ただの勘違い。

 なのに。

 何故か志騎の頭から、違和感のようなものが消え去る事は無かった。

 

 

 

 

 

「………」

 ニ日後の夜、志騎は自分の部屋で勉強をしていたが、どうにもある事が気になり集中できなかった。

 無論それは、この前勇者部の部室で感じた違和感だ。くるくると器用にペンを回しながら、違和感について考える。

 勇者部部員の数は全員で七人。友奈に夏凜、風に樹、最近入った銀と園子と志騎。それは間違いない。

 ……間違いない、はずだ。それなのにどうしてか強い違和感がある。数日経てばその違和感も無くなるかと思ったが、結局それは叶わなかった。まるで違和感という名前の釘が自分の頭に突き刺さっているようだった。

 しかし理由が分からない。なので、志騎はどこに違和感があるのか一つずつ整理をしてみる事にした。

 まず七人という数字。そして、自分達が入る前の勇者部の人数。自分達が入った時にいたのは友奈に夏凜、風に樹の四人。そこに自分達が加わり――――。

「……四人?」

 ふと胸に生じた違和感。それは、今日部室を訪れた時に感じたものと同じものだった。

 そこがまず一つ。ノートに『四人』という文字を書き込む。

 次に勇者部に入部した人間の数。自分と銀と園子。それはたぶん間違いない。元々勇者だった銀と園子は勇者のお役目から解放され、人間としての記憶と姿を取り戻した自分は讃州中学に転入する事になった。自分と銀と園子は神樹館にいた時から一緒で、三人で勇者として戦い続けてきて……。

 その、瞬間。

「っ!?」

 三人、という数を頭の中で思い浮かべた瞬間、強烈な違和感が志騎を襲った。

 それは部室を訪れた時や、ついさっき四人という文字に抱いた違和感とは比べ物にならないほど強いもの。それこそが、志騎が部室を訪れた時に感じた違和感の正体。

 頭の中で、神樹館の時の記憶を整理する。自分と銀と園子。神樹館に自分と彼女達がいた事は間違いない。なのに何故、これほどまでに強い違和感を感じるのか。

 そう言えば、銀が言っていた。

 園子は二年間、満開の代償で志騎の事を忘れてしまっていたと。その間彼女はずっと勇者は自分と銀の二人で戦い続けていたと。それは彼女の脳内から天海志騎という存在が消えたために、記憶の整合性が取られた結果だ。

 ……もしもそれと似たような事が、勇者部の面々にも起こっていたとしたら?

 単に記憶を失っているのではなく、記憶の書き換えのような事が起きて、本来いるべきはずの誰かを忘れてしまっているのだとしたら?

 そこまで考えた所で、志騎はスマートフォンを取り出して刑部姫に連絡を取ろうとする。

 このような事、勇者部の面々に話せるはずもない。彼女達の中では、勇者部の数は七人というのが当たり前なのだ。勇者部にはもう一人の誰かがいたと言っても簡単には信じられないし、何よりもこれはあくまでも志騎の想像に過ぎない。

 だが、刑部姫ならば。

 あの性悪だが天才である刑部姫なら、何か分かるかもしれない。

 電話帳から刑部姫の携帯番号をタップして、スマートフォンを耳に当てるとワンコールで相手が電話に出た。

『どうした、志騎? 勇者部のガキ共に何か悪戯でもされたか? 任せろ、部室にロケットランチャーをぶち込んで奴らを皆殺しにしてやる』

 開口一番物騒な言葉が飛び出すが、これは半ば挨拶代わりの冗談のようなものなので気にしない。……あと半分は本気なのがタチが悪いが。

「そんなんじゃない。今すぐ話がしたい。すぐに来れるか?」

『……少し待て』

 志騎の声の調子からただ事ではないと察したのか、刑部姫はそれだけ言うと電話を切った。すると間もなく、志騎の目の前に刑部姫のぬいぐるみほどの体躯が現れる。彼女は志騎の目の前から部屋にあるベッドに座り込んで尋ねた。

「一体どうした? お前の口調からすると、ただ事ではなさそうだが」

「まだ確証は持てないけど、実際にただ事じゃないかもしれない。それについて、少し話して良いか?」

「ああ」

 こくり、と刑部姫が頷くのを見て、志騎は説明した。

 今日勇者部の部室を訪れた際に何か違和感を感じた事。それについて先ほど考えをまとめた時、勇者部に元々いた勇者部の部員数、そして神樹館にいた時の勇者の数に強い違和感を抱いた事。

 これらの事をまとめた結果、自分達は元々勇者部や神樹館にいた誰かの事を忘れてしまっているのではないかという推測を刑部姫に話した。それらの推測を刑部姫は何も言わず、ただ黙って聞いている。

「これといった証拠はないし俺の勘違いかもしれない。だけど、単なる勘違いって事にしておくには、あまりにも違和感が強すぎる。それで、お前の考えを聞きたいって思って」

「私を呼んだというわけか」

 刑部姫の言葉に、志騎はこくりと頷く。刑部姫は志騎の顔をまっすぐ見つめると、

「確かにこれといった証拠もない以上は、お前の勘違いという可能性も否定できない。第一そのような現象が起きれば、大赦の馬鹿共がすぐに気付くだろうしな」

「………」

「だが、単なる勘違いとも言い切れない。違和感がある、というのは案外馬鹿にできんしな。もう一度尋ねるが志騎、確かにお前や勇者部のガキ共の記憶だと、勇者部は七人なんだな? そしてお前の記憶の中の神樹館の勇者の数も三人。間違いないか? ちなみに言うと、私の記憶の中の勇者部の数はお前を含めて七人だし、神樹館だった時の勇者の数は三人だ」

 どうやら刑部姫の記憶の中の人数は志騎と同じようだ。志騎はこくりと頷き、

「ああ、それは間違いないと思う。現に勇者部の写真もホームページに貼られてた写真も七人だったし、記憶の中の勇者の数も三人だった。……まぁ、それを信じられるかどうかは別の問題になるけど」

「…………」

 それを聞いて、刑部姫は険しい表情を浮かべた。しばらく彼女は黙りこくって考え込んでいたが、やがてチッと舌打ちを漏らす。

「………厄介だな」

「え?」

 彼女の口から漏れた言葉に志騎が聞き返すと、彼女は苦々しい表情を浮かべて、

「人の記憶だけならまだしも、写真からも存在を消すのは簡単な事じゃない。乃木園子がお前を忘れた時も、消えたのはお前の記憶だけでお前の姿を映した写真は残っていた。……なのに今回は記憶だけじゃなくて、写真などからも消えている。これはもはや個人規模なんてレベルじゃない。もっと大きな範囲……言うなれば世界規模による存在改変。こんなの、個人どころか人間にできる事じゃない。もっと高度な存在にしかできない事だ」

「おい、まさかそれって……!」

 志騎が驚愕の表情を浮かべると、刑部姫は険しい表情を浮かべたまま志騎に言う。

「私も調べてみる。その代わりと言うのもなんだが、お前も付き合え。勇者部の奴らはほとんどが頭が花畑だが、そこにいた友人の事を忘れるほど馬鹿な奴らじゃない。お前のように違和感を覚えるかもしれないが、それでも少し時間がかかるだろう。調べるためには、今の段階で違和感を覚えているお前が必要だ」

 そういう事なら、断る理由はない。志騎は頷き、

「分かった。力を貸す」

「よし。じゃあまず明日の授業の放課後、調べるぞ。犬吠埼風にはうまく言っておけ」

「分かった」

 刑部姫の言葉に、志騎はもう再び力強く頷く。

 こうして志騎と刑部姫による、違和感の正体を探るための調査が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、志騎は風に『今日は用事があるので部活を休みます。埋め合わせは必ずします』とメッセージを送って、一人下校した。自宅に戻りリビングに向かうと、刑部姫がテーブルにノートパソコンを置いてしかめっ面を浮かべて画面を凝視していた。

「何か分かったか?」

「生憎、まだだ。だが、私とお前の予想が当たっている可能性が高くなってきた」

 そう言うと刑部姫はノートパソコンの画面を志騎に見せる。そこには、志騎を含めた讃州中学勇者部七人のデータが事細かに表示されていた。

「私のパソコンには私独自のセキュリティが組み込まれている。並大抵のハッカーでは破る事すらままならんし、無理に破れば必ず痕跡が残る上に相手のパソコンはウイルス感染間違いなし。なのにこれらには痕跡が全く残っていない。まるで、元々七人分のデータしか残していなかったようにな」

「……ちなみに聞くけど、セキュリティとかを破壊しないでデータそのものを書き換える事はできるのか?」

「できるかもしれんが、それはもう人間業じゃないな」

 つまり、昨日の夜刑部姫が言っていた高度の存在による仕業という言葉の信憑性が高くなる。志騎と刑部姫がパソコンの画面を見ていると、志騎のスマートフォンに着信が入った。志騎がスマートフォンを取り出してみると、相手は銀だった。

「銀だ」

「ったく、手早く済ませろ」

 自分達の時間が邪魔されたのが気に食わないのか、刑部姫が苛立った口調で言う。志騎が通話ボタンを押すと、銀の明るい声がスマートフォンから聞こえてくる。

『あ、志騎? 用事があるって風先輩から聞いてたけど、今大丈夫?』

「大丈夫だけど出来たら早く終わらせてくれると助かる。どうしたんだ、一体?」

 今にも舌打ちしそうな表情の刑部姫を見ながら志騎が尋ねると、

『実は今日樹がケーキ作って来てさ。みんなで分けて食べたんだよ。でも今日志騎休みだっただろ? だから部活が終わったら届けに行こうと思ってたんだけど、良い?』

「ああ、良いよ。そうだ、何か風先輩から連絡事項とか無かったか?」

 後で風から直々に連絡が来るかもしれないが、もしかしたら銀に何か伝わっているかもしれない。銀はうーんと何かを思い出すような声を上げてから答える。

『いや、特に無かったかな? 強いて言うなら土曜日に幼稚園で劇があるから練習を忘れないようにって事だけど、ちゃんと覚えてるだろ?』

「ああ」

 今週の土曜日は幼稚園で友奈が主役の劇がある。友奈と風は大変だろうが、自分は裏方の仕事をするだけで特に役を演じるわけではない。ちなみに銀は風の手下役であり、園子は木である。人間の役ですらないのだが園子は今から張り切っていた。彼女演じる木が、劇の最中に動き出したりしないよう祈るばかりである。

『それなら大丈夫だな! 樹のケーキ、美味しいから楽しみにしてろよ? 風先輩が何故か八つに切っちゃったからちょっと困ったけど、それも皆で分け合って食べる事ができたし……』

「――――おい、銀。それ、どういう事だ?」

 銀の口から出た言葉に、志騎は思わず声音を低くする。志騎の雰囲気が変わった事に銀と横にいる刑部姫が気づき、刑部姫の視線が鋭くなる。一方、電話の相手の銀は戸惑った様子で、

『え、どういう事って……?』

 志騎はスマートフォンのスピーカーのアイコンを押すと、テーブルに置く。スマートフォンに向かって、志騎は再び尋ねた。

「今言ったよな? 風先輩がケーキを八つに切ったって。俺の分を入れても、ケーキは七つのはずだ。どうして風先輩は八つに切ったんだ?」

『それはさすがにアタシも分からないけど……偶然だと思うぞ? 風先輩も、何となくって言ってたし。……あ、そう言えば』

「何だ?」

『友奈が部室でぼたもちを食べなかったかなぁって言ってたよ。たぶんアタシ達が入部する前に家庭科の実習で作ったんだろうけど、その時の友奈の表情がなんか寂しそうだったんだよなぁ。あ、もちろんただのアタシの勘だぞ!?』

「………ぼたもち」

『え、どうした? もしかして、食べたいのか? ならアタシが今度作ってあげるけど……』 

 ゴニョゴニョと恥ずかしそうに銀が呟くと、それを遮るように志騎が口を開く。

「いや、良いよ。それより連絡ありがとうな。そろそろ用事を済ませないといけないから切るけど、大丈夫か?」

『いや、アタシの方こそごめん。じゃあ部活が終わったらケーキ届けに行くから!』

「おう、じゃあな」

 そう言って志騎は通話を切ると、刑部姫に視線を向ける。

「何か分かったか?」

 志騎の言葉に、刑部姫は腕組みをしながら、

「恐らく、勇者部の奴らの記憶の改変は行われてはいるが、深層心理にはその消えた誰かの存在が残っていると思う。現に犬吠埼風は無意識にその誰かの分までケーキを切り分けていたようだしな。しかし何より気になったのは、結城友奈とぼたもちだ」

「その二つが、何か関係があるのか?」

「他の部員と同様記憶が消えているに関わらず、結城友奈は何故かぼたもちという単語を口にした。それも恐らく菓子繋がりではない。三ノ輪銀が言っていた結城友奈の表情からして、ぼたもちは消えてしまった人物……この際Xと呼称するか。そのXとの思い出に関わるものなんだろう。そして結城友奈だけが呟いたという事は……今の勇者部部員の中で、一番Xと繋がりが深いのが結城友奈なんだ」

「って事は、友奈に何か聞けば分かるかもしれないって事か?」

 刑部姫の推理に志騎は一縷の希望を持つが、刑部姫は首を横に振り、

「駄目だ。恐らく結城友奈の方もXについての事を完全に思い出せていない。無理やり聞いても、情報は得られないだろう。だったら、私達なりの手段でXの正体を見つけ出せばいい」

「俺達なりの……手段?」

 ああ、と刑部姫は頷くとノートパソコンのキーボードを勢いよく叩き始める。すると画面に表示されたのは、讃州市内の地図だった。

「問題を解決するには、疑問点を一つずつ紐解いていく事が重要だ。まずXと勇者部、そして神樹館組との関係。この二つは讃州中学で縁が結ばれたわけだが、二つにはある共通点がある。言わなくても分かるな?」

 当然だ。志騎は頷くと、答えを口にする。

「勇者部員と神樹館組の全員が勇者」

「そうだ。となると、Xも勇者であった可能性が非常に高い。では結城友奈達と同じように、讃州中学に入ってから勇者に選ばれたのか? ノーだ。お前が神樹館の勇者は三人だったという点に違和感を覚えるという事は、Xはお前達同様神樹館の勇者だった可能性が高い」

 そこまで話したところで、刑部姫は右手の人差し指をピンと立てた。

「だがここで一つ新たな疑問が出てくる。Xは神樹館の勇者だったはずなのに、どうしてお前達ではなく結城友奈と関係が深かったのかという事だ。考えられる要因としては、バーテックスとの戦闘の際にある理由が原因で讃州市に引っ越してきたんだろう。神樹館に通っていたという事は、恐らく大橋市に住んでいただろうしな」

「その理由って……」

「簡単だよ。満開だ」

 その言葉を耳にして、志騎は目を見開く。

 満開。自分の体の一部の機能を神樹に捧げる事で強大な力を得る残酷なシステム。そのシステムによって園子と銀は体の大部分を、しかも園子はそれに加えて志騎の事すらも忘れてしまうという悲劇に遭った。

「これもあくまでも私の推測にすぎんが……。恐らくXはバーテックスとの戦いで満開を行って体の何らかの機能を失い、結城友奈の家の近くに引っ越したんだ。それで結城友奈と絆を結び、讃州中学に入学し勇者になったんだろうな」

「随分断定的に言うんだな」

「そうとしか考えられない。同じ神樹館にいたはずのお前達よりも結城友奈の方が繋がりが強いという事は、恐らくバーテックスの襲来が止まっていた二年間で絆を育んだんだ。そう考えれば辻褄が合う」

 言いながら刑部姫は再びパソコンのキーボードを操作し始め、

「だが、そこまで分かれば後は簡単だ。お前達の代の勇者は、基本的に大赦の家系から選ばれていた。大赦の家系で、結城友奈の自宅の近くに引っ越してきた家族。それが分かれば、手掛かりになるかもしれん」

「でも、記憶が消えてるんだろ? 最悪、その家族が引っ越してこなかったって事も考えられるんじゃ……」

「いや、あくまでも消えたのは記憶だけだろう。引っ越したという事実まで消えたら世界そのものに矛盾が起きる。その矛盾を消すためにまた力を行使する必要があるから、流石にそこまでしないはずだ。まぁ、こればかりは祈るしかないな」

 そう言って刑部姫がパソコンを操作すると、讃州市の地図にいくつもの大赦の名前が表示される。それを見て、志騎はようやく気付いた。刑部姫は今、結城友奈の自宅近くの大赦の家をリストアップしているのだ。さらにそこから元々住んでいた家、二年前に引っ越してきた家を調べている。彼女は目をぎょろぎょろと動かしながら、次々と条件に当てはまらない家を削除していく。

 そして。

「よし、あった!」

 タン! とキーボードを強く叩きつけて、刑部姫が歓声のような声を上げる。だがすぐにその顔が、どこか怪訝そうな表情へと変わった。彼女のその表情に不安を覚えて、志騎が尋ねる。

「どうしたんだ?」

「……いや、確かにこの家は大赦の家系だが……。そこまで格式が高くない。勇者に選ばれた大赦の家系は、それなりに格式が高かったんだ。乃木園子が良い例だな。三ノ輪家もそれなりに格式があるが……。正直、この家だと勇者には選ばれないと思う。外れか……?」

 刑部姫が顎に手を当ててブツブツと口の中で呟いていると、彼女と同じような姿勢で何かを考え込んでいた志騎が刑部姫に尋ねた。

「なぁ、格式が高い家の人間じゃないと勇者には選ばれないんだよな?」

「ん? ああ……今はそうではないが、お前達の代はそうだな」

「じゃあ……。格式が低い家系から、格式が高い家系に子供を養子に出すっていうのは、できないのか?」

 彼の口から飛び出した発想に、刑部姫をまなじりが裂けんばかりに目を見開くと、指をパチンと鳴らした。

「いや、できる! 確かに普通はしないだろうが、そいつの勇者適性が高ければ可能性は十分にある! だとすると条件を少し変える必要があるな。格式が高い家で、子供がおらず、大橋市に住んでいる大赦の家系! それが分かれば……」

 この時代大赦の家系は少なくないが、勇者に選ばれる可能性のあるほど格式が高く、二年前の時点で大橋市に住んでいて子供がいない家系となれば大分数が絞られるはずだ。カタカタという音が続き、やがて刑部姫の声が室内に響いた。

「あった!」

「どこだ!?」

 志騎は立ち上がると、刑部姫の肩越しにパソコンに表示されている名前を見る。

 その名前は――――。

「………『鷲尾』?」

「ああ。乃木家ほどではないが、ここもかなりの名家だ。おまけに子供はいない。勇者になる素養を持った子供が養子に出されるには、ちょうど良い家だ。他にも一応候補はあるが、格式や条件から考えるとそこが一番可能性が高い」

 しかし刑部姫の台詞は、志騎の耳には届いていなかった。

 鷲尾。何故かその名前の響きが、彼の頭から離れない。あともう少しで何か分かりそうな、そんな感覚がある。

「……さっき、友奈の自宅の近くに引っ越した大赦の家系が分かったって言ったよな? これが養子に出された家だとすると、引っ越した家は……」

「ああ。恐らくその家がXの生まれた家であり、元々の苗字なんだろう。養子に出されたって事は、名前が変わっても不思議じゃない」

「………何て名前だ?」

 志騎の質問に、刑部姫はパソコンの表示を切り替えて、静かに告げた。

「………東郷だ」

「東、郷………」

 バチリ、と。

 志騎の頭の中で電流が走ったような音がした。

 ……少し前、志騎は結城友奈を助けるために、魂のみとなった彼女を助けた。

 だが、彼女を助けたのは本当に自分の力だけだったのか?

 自分は本当に結城友奈のためだけに彼女を助けたのか?

 彼女の帰りを心の底から待っていた人物が、いたのではないか?

 まるで、自分にとっての三ノ輪銀のように。

 だからこそ自分は……結城友奈を助けに向かったのではないか?

 志騎は無言で右手を挙げると、頭をゆっくりと抑える。

 頭の中で、思い出せなくなっていた記憶が蘇っていく。

 神樹館の勇者の一人であり、優秀な後衛。武器は自分達の時は弓矢で、後に銃へと変わった。

 普段は物腰は穏やかだが、怒ると怖く、銀もしょっちゅう叱られていた。

 勇者部の中では友奈と特に仲が良く、彼女の魂をこの世界に戻したのも彼女の力が大きい。

 その名前は、確か。

「鷲尾……須美……」

 いや、違う。

 もう一つ名前がある。

 神樹館にいた自分や銀、園子はその名前で呼んでいたが、もう一つ名前がある。勇者部の面々からはそっちの名前で呼ばれていた。

 それは。

「東郷、美森………!」

 

 

 

 

 

 土曜日。銀は一人今日劇が行われる幼稚園への道を歩いていた。と、歩く彼女の背中に明るい声がかけられた。

「ミノさーん! こんにちわ~!」

「あ、園子!」

 銀に声をかけてきたのは手をぶんぶんと大きく振っている園子だった。喜色満面という表情が良く似合う彼女は銀に駆け寄ってきて、

「今日はついに劇の日だね~! 私、木の役頑張るんよ~!」

「おう! アタシも風先輩の手下役、園子に負けないように頑張らないとな!」

「その意気だよ~!」

 ただ立ってるだけの木に頑張るなどがあるのかというツッコミが飛んできそうだったが、流石にそれを指摘するのは野暮というものだろう。二人は両手を胸の前でぐっと握ると、並んで幼稚園へと歩き出す。

 と、歩きながら園子が少し残念そうな顔で銀に言った。

「でも、残念だったね。あまみん、今日来れなくて」

「うん、そうだね……」

 頷く銀の表情も、園子同様残念そうだった。

 本来なら今日の劇に志騎も裏方として参加するはずだったのだが、なんでも急な用事が入ってしまったらしく行けなくなってしまったというメッセージが昨日チャットアプリに届いた。裏方そのものはどうにかなりそうだったが、突然の志騎の知らせに勇者部は戸惑いを隠せなかった。この前の部活動も用事で休んでいたし、大変な用事なのかと銀がその後志騎にチャットアプリで尋ねたのだが本人から返信は来なかった。どうやら、よほど大変な用事らしい。

「この前ケーキ届けに行った時は何でも無さそうだったんだけどなぁ……。志騎の奴、大丈夫なのかな。もしかして、退院したけど体に何か問題とか見つかったりして……」

 悪い想像をしてしまい、銀の表情がみるみる暗くなっていくと、おもむろに園子がふっふっふーとやけに明るい笑い声を漏らした。

「実は今日~。勇者部の皆さんに良いものを持ってきたんだぜ~!」

「え、何?」

 良いものと言われると、気になってしまうのが人のサガである。銀の質問に園子は持っていたバッグからプラスチック容器を取り出す。容器と一緒に箸が輪ゴムで止められており、仲には美味しそうな焼きそばが入っていた。

「焼きそばだ! 美味しそー! これ、園子が作ったの!?」

「うん! 神樹館にいた時に、ミノさんが焼きそばの作り方を教えてくれた事があったでしょ? 良い機会だと思って、作ってきたんよ~! みんなの分もあるから、お昼ごはんに食べよう~!」

「食べる食べる! でも志騎の奴、残念だなぁ。園子の焼きそばが食べられないなんて……」

「ふふふ、乃木家の園子さんは抜け目がないんだぜ~。きちんとあまみんの分も作ってあるから、この後あまみんの家に届けに行こう!」

「さすが乃木家の園子さん!」

 と、焼きそばでテンションが高くなっていると、唐突に園子が不思議そうな表情を浮かべた。

「……でも不思議なんだよね~。何故か私、八つも作っちゃったんだよ~」

「八つ? アタシに志騎に園子、で勇者部の皆の分も入れると……七つだよな?」

「うん。私も作った後に気づいたんだけど、どうしてだろうね~」

「そう言えば、風先輩もこの前ケーキを八つに切り分けてたな。どうして、八……」

 その瞬間。

 強い風が吹き、少女達の服と髪の毛を揺らす。

 ――――刑部姫の推測通り、彼女達の記憶から消えてしまった少女と一番関係が深かったのは友奈だ。

 しかし次に関係が深かったのが誰かと聞かれると、それはその少女と同じ神樹館に通っていた銀と園子、志騎だ。そして今回園子が作った焼きそばは、彼女を入れた四人の絆を象徴するものの一つ。

 絆の深さとそれを象徴するもの。組み合わさったそれらが、彼女達の消えてしまった記憶を呼び覚ます。

 やがて風が止み、二人の少女達は互いの顔を見合わせる。

 すると二人の目から同時に、涙が一筋零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「乃木と銀がまだ来てないって!?」

 本日の劇の舞台となる幼稚園の前で困惑した表情を浮かべている友奈と銀と樹に、魔王の姿に扮した風が駆け寄った。そろそろ劇の開始時間となるのだが、木の役である園子と風が演じる魔王の配下役の銀が姿を見せてないのだ。

「もう時間なのに……」

「メッセージ既読にならないし、まだ寝てんのかしら?」

「園子さんに銀さん、あんなに張り切ってたのに……」

「園子は木、だけどね……」

 しかし二人共、劇を盛り上げる事に非常に張り切っていた。銀も寝坊などをする事は多いが、その場合は何らかのメッセージを送るはずである。それすらも無いと言うのが、勇者部の面々に嫌な予感を感じさせた。しかし、だからと言ってここで劇を中止にするわけにもいかない。もう準備は整ってしまっているし、園児達も劇を楽しみにしている。風はため息をつくと、

「しょうがない。今日は木と手下無しで行くか。ちょっと迫力に欠けるけど」

 それから風は勇者の姿に扮した友奈に視線を向ける。友奈は何故か不安そうな表情を浮かべて俯いていた。

「友奈!」

「………」

「………友奈?」

 彼女からの返答がない事に訝しんだ風がもう一度彼女の名前を呼ぶと、そこで友奈は風が自分が呼んでいる事に気づいたらしくはっとした表情で風の顔を見た。

「あ、うん……」

「ちょっと、友奈までどうしたの? 本番だよ?」

「具合が悪いんですか?」

 彼女の様子を心配した風と樹が口々に声をかけると、

「体は、大丈夫。………あのね」

「………? うん………」

「なんか、ざわざわ変な感じがするの。みんなは、しない?」

 実は友奈は、最近奇妙な感覚に襲われていた。

 とは言ってもそれはいつも起こっているわけではなかった。その感覚は、特定のものを見るたびに友奈の胸中に沸き上がった。

 ある時は、自分のそばを横切る車椅子。

 ある時は、いつか食べたか思い出せないぼたもち。

 ある時は、立派な屋敷の門。

 それらを見るたびに、よく分からないが友奈の感情がざわざわと騒ぎ出し、落ち着かなくなる。原因は友奈自身も分からないが、何故かそれを感じるたびどうしようもなく不安な気持ちになる。

 そしてその感覚が起こる頻度は日毎に増えていき、今日はいつにもまして酷い。こうして立っているだけで、まるで骨が喉に刺さったようにいつまでも胸から消えないのだ。

 だが友奈自身はどうして自分がこんな感覚を覚えるのかさっぱり分からない。なので今こうして勇者部の面々に尋ねているのだが、彼女達は怪訝な表情を浮かべて顔を見合わせるだけで答えない。どうやら、それを抱いているのは自分だけのようだ。

 すると、友奈の不安を察した風が心配そうな声で友奈に尋ねる。

「今日は、中止にしようか?」

「勇者部の皆さん!」

 と、勇者部の四人に声がかけられた。風が振り返ると、幼稚園の先生が自分達に向かって歩いてきているのが見えた。

「今日はありがとうございます!」

「あ、実は……」

 自分達に向かって礼をする先生に風が事情を説明しようとするが、笑顔で顔を上げた先生がさらに言葉を続ける。

「子供達が今日の劇を楽しみにしていて! 今か今かと!」

 喜色満面の先生の表情に、風は何も言えなくなってしまった。すると背後から二人のやり取りを聞いていた友奈がいつも浮かべているような明るい表情で言った。

「大丈夫! やろう! みんな待ってる!」

 当の本人がこう言っている以上劇を中止にしようなど言えるはずもない。

 友奈の言葉もあり、本日の劇は無事に行われる事となった。

 裏方の志騎、魔王の配下の銀、木の園子はいないとはいえ、元々その三人が入る前から勇者部は幼稚園で劇などのボランティアを行ってきた。人数は少なくなってしまったが、そこは彼女達のアドリブ力でどうにかなる。

「一緒に好き勝手に暴れよう! 我慢なんてしなくて良いんだぞー!」

 魔王に扮した風が悪役のような笑みを浮かべながら台詞を言うと、劇に見入っている子供達が歓声を上げる。さすがは風と言うべきか、例え魔王役でも子供達に非常に好かれているようだ。と、子供達を堕落の道に誘う風に、勇者役の友奈が勇ましい声で叫んだ。

「待て、魔王! 子供達に悪い事を吹き込むのはやめろ!」

「何を生意気なー!」

「えーい!」

 友奈が手に持った剣の小道具で風に軽く切りかかると、当然風が杖で剣を受け止める。

「ふん、はははははははははっ!」

 風が杖で剣を軽く振り払うと、友奈はバタンと床に倒れた。子供達の声が部屋に響くと共に、樹のナレーションが入る。

『勇者は傷ついても傷ついても、けして諦めませんでした。全ての人が諦めてしまったら、それこそこの世が闇に閉ざされてしまうからです』

 友奈は再び立ち上がると、再び剣で風に軽く切りかかり、再び振り払われて床に倒れる。

『皆が次々と魔王に屈し、気が付けば勇者は一人ぼっちでした』

 そして倒れた友奈が、剣を杖にするように立ち上がろうとした瞬間。

 彼女の脳裏に、聞きなれない(なんども聞いた)声が響いた。

『勇者が一人ぼっちである事を、誰も知りませんでした』

「………っ!」

 その声に、友奈の動きが一瞬止まる。風に背中を向けたまま、今が劇の真っ最中だという事すら忘れて、友奈はゆっくりと立ち上がると唇を動かす。

「……一人ぼっちになっても、それでも勇者は」

「………?」

「………友奈?」

 友奈に夏凜が声をかけるが、それすらも今の友奈の耳に届いてないようだった。いつの間にか、友奈の目には涙が溜まっていた。

「……それでも、勇者は」

 脳裏に、彼女の声が再生される。

 絶対に忘れないと誓ったはずの、親友の声が。

『諦めない限り、希望が終わる事は無いから……です……。何を失っても、それでも……! 私は一番大切な友達を、失いたくない……!』 

 ――――どうして、忘れていたのだろう。

 彼女の事だけは、決して忘れないと誓っていたはずなのに。

 どんな事があってもそばにいると、約束したのに。

 友奈の目から涙が溢れ、園児達が不思議そうな目で、勇者部が戸惑いの表情で友奈を見る。

 するとそこに、更なる変化が起こった。扉が開く音が聞こえ、樹が目を向けると息を切らした園子と銀の姿があった。

「乃木に、銀?」

 連絡が取れずにいた二人の登場に風が呆気に取られるが、二人は風の声に答える事無く真剣そのものの表情を浮かべている。二人の視線は涙を流し続ける友奈の顔に、友奈の視線は息を切らしている二人の顔に向けられていた。

「私……私は……」

 小さく呟く友奈に園子は歩み寄ると、彼女の体を抱きしめた。

「私は……ずっと一緒にいるよって……約束したのに……したのに……!」

 泣きながら友奈は、園子に抱きしめられたまま泣き続ける。彼女の体を、園子は何も言わず抱きしめ続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後幼稚園の先生に劇を中止にしてもらった勇者部は、讃州中学の勇者部部室へと向かった。本日は土曜日だが部活動をする生徒もいるため、校舎から自宅へと返る生徒の数がちらほら見られる。

「友奈さん……」

「園子に、銀も……」

「三人共、一体どうしたのよ」

 事情が呑み込めない三人が、幼稚園にいた時から様子がおかしい友奈と園子と銀に尋ねる。

「よく、聞いてね?」

 普段とは違う真剣そのものの園子の言葉に、三人はこくりと頷く。

「今この記憶は、嘘って事」

「え?」

「アタシと園子も今日気が付いたんだけど……。なにか、アタシ達なんかじゃ予想もつかないぐらいマズい事が起きていて、それがなんだか分からないけど、アタシ達はそれを無かった事にしてる」

「……もしかしたら、無かった事にされてるっていう方が正確かもしれないけど……」

 しかしまだ三人は二人の説明にピンと来ていないらしく、三人からは戸惑いの感情が伝わってくる。

「何を言ってるの? ねぇ、友奈……」

 夏凜が同意を求めるように友奈に言うと、

「私……思い出した……」

「ちょっと……」

「勇者部にはもう一人……。とても大切な友達がいたんだよ……。忘れられるわけがない……。絶対に忘れたりなんかしちゃいけないのに……! 私、どうして……!」

「友奈、落ち着いて……」

 しかし風の言葉を遮るように、友奈が叫んだ。

「みんな、思い出して!」

 そして。

 友奈はここにいる全員の記憶から消えてしまった、自分のかけがえのない少女の名前を口にした。

「――――東郷さん! ここに……東郷美森って子がいたんだよ!!」

 東郷美森。

 知らない名前。聞いた事の無いはずの名前。

 それなのに、その名前を聞いて風と樹が目を見開いた。

「あ、そう言えば東郷って今どこ?」

 夏凜が言った直後、彼女の表情が凍り付く。

 彼女の事を知っているはずの自分達が、今友奈から名前を聞くまで彼女の存在を忘れていた事に。

 園子と銀が静かに頷くと、三人の間に愕然とした雰囲気が漂う。

「東郷……東郷、美森……」

 そうだ。この部活には、もう一人の勇者がいた。

 東郷美森。

 日本文化が大好きで、普段は優しいけれど怒らせると怖くて、銀と園子と志騎の親友で。

 そして、友奈の大親友である少女。

 勇者となってから、自分達はずっと彼女と一緒だった。

 悲しみも喜びも、彼女と共有してきた。

 それなのに、忘れていた。

 大切な存在である彼女を、忘れていた。

「え……どういう事? 何これ……何で、なんで私達の誰も、東郷の記憶がないの!?」

 夏凜の動揺に満ちた質問に、誰も答える事が出来ない。こういった場面で的確な判断を下す事ができる園子も、答える事ができないようだ。

「これ、最初から世界にいなかったみたいになってる!」

「お姉ちゃん………」

 樹が心配そうに横にいる風に声をかけると、風は苦しそうな表情で、

「私……部長なのに……。また………」

 部員に起こっていた事態に気づく事が出来ず、風も友奈と同じように自分を責めるように苦しそうな表情を浮かべる。一方、涙を目に浮かべながらも友奈が静かに言った

「でも、もう思い出した。なんで……何が起こってるの?」

「……わっしー……。今どこで、何してるの……?」

 その園子の言葉に答えられるものはおらず、重苦しい雰囲気が部室内に漂い始めた、その時。

 ガラッ!! と勢いよく扉が開かれ、誰かが部室に入ってきた。思わず全員がその方向に目を向けると、入ってきた人物の名を銀が呆然と呟く。

「……志騎?」

 入ってきたのは、水色がかった白髪の少年、志騎だった。頭には険しい表情を浮かべた精霊、刑部姫を乗せ、左手には銀色のスーツケースが握られている。いつもはきちんとノックをして入ってくる彼にしては、随分と荒々しい入室の方法だった。

「全員いるみたいだな。ちょうど良かった」

 そう言うと志騎は部室のテーブルにスーツケースを置くと、ロックを外していく。テーブルに勇者部部員全員が駆け寄ると、銀が志騎に言った。

「ちょうど良いってどういう……。それより、大変なんだよ! 実は……!」

「須美の事だろ。全部言わなくても良い。もう分かってる」

 須美。それは間違いなく、自分達が今まで忘れていた東郷美森の事だ。彼女は神樹館で銀達と一緒だった時は、鷲尾須美という名前だったのだ。肝心なのは、その名前を志騎が覚えているという事だ。

「志騎、あんた東郷の事覚えてるの!?」

「俺も思い出したんだよ。まぁ、思い出したのは昨日の事だけどな。で、俺と同じように思い出した刑部姫と協力して、今日一日走り回ってた。あちこち走り回ったから大変だったけど」

「走り回ったって、何のために?」

 風が尋ねるが、それに志騎は答えず代わりにスーツケースを開いた。中にはA4サイズの紙の束がいくつも入っていた。どうやら何らかの書類らしく、それをテーブルに広げると志騎が説明する。

「刑部姫と一緒に、東郷美森と鷲尾須美に関係する場所全てに行った。神樹館、讃州中学、鷲尾家に東郷家。あと東郷が通ってたはずの病院の関係者にデータ、福祉車両のサービス。全部探すのはさすがに骨が折れた。刑部姫がいなかったらたぶん途中で詰んでたな」

 東郷の事を思い出した友奈の記憶の中では、東郷は自分と出会った時は車椅子に乗っていた。なので、車椅子の彼女でも乗る事ができる福祉車両のサービスを何回か使用していたのを見た事がある。

「でも、病院のデータってどうやって調べたんですか? 普通の人じゃ、教えてもらえないんじゃ……」

 同じ医療関係者なら分からないが、ただの学生である志騎に医者が教えるとは思えない。個人情報というのもあるし、真正面から言っても門前払いだろう。と、志騎は少しバツが悪そうな表情で、

「……刑部姫にハッキングを頼んだ」

「え、ハ、ハッキング!?」

 予想通りと言うべきか、風の口から驚愕の声が漏れる。彼女に続いて、夏凜が志騎に言った。

「そ、そんな事して大丈夫なの!?」

「こっちも手段を選んでられなかったんだよ! 大赦の神官のフリをしてデータを見せてもらうって手もあったけど、医者や看護師の記憶に残るのはマズいから、刑部姫にハッキングを頼んだんだ。一応こいつの後ろから余計な事しないか見張ってたけど、サーバーをダウンしたりデータを壊したりしなかったら大丈夫だと思う」

「言われなくても、そんな余計な真似はしないさ」

「よく言うよ」

 普段の志騎らしくない強引さに友奈達が驚くが、考えてみればそれだけ彼も東郷美森という少女が消えた事に動揺しているのだろう。自分の身近な存在や大切な人間のためなら手段を選ばないというのは刑部姫に似ている。やはり、血というか遺伝子には逆らえないのだろうか。

「それであまみん、何か分かった?」

 園子が冷静に志騎に尋ねると、彼は書類を一つ一つ確認しながら、

「結論から言うと、東郷美森っていう存在に関係するもの、出来事が全部消えてた。神樹館にいた時の在籍記録、通ってた病院のデータは丸ごと消えてて、福祉車両の顧客リストにも名前が載ってなかった。一応鷲尾家と東郷家にも行ったんだけど、鷲尾家の方には養子を取ったっていう事実そのものが消えてて、鷲尾須美っていう名前も出してみたけど心当たりはなし。東郷家に至っては、娘はいないって返事が来た。一応こっちにも念のために東郷美森の名前を出したけど……」

「……反応は、無かったの?」

 友奈の言葉に、志騎は苦々しい表情を浮かべて頷いた。「そんな……」と友奈の消え入りそうな言葉が、そのまま部室内の空気に消えていった。

 これは明らかに異常だった。彼女と家族関係を築いていたはずの鷲尾家と東郷家からすらも彼女の存在が丸ごと消え、それ以外に彼女に関係する場所からも彼女に関係する事実がすっぽりと抜け落ちている。しかもそれだけではないらしく、刑部姫が舌打ち交じりに言った。

「ちなみに私の方も同様だ。東郷美森を含む勇者のデータは全て厳重に保存していたはずなのに、奴に関するデータだけが綺麗に消えている。……正直、非常に不愉快だ」

「……今何が起こっているか、お前なら分かるか?」

 銀がそう刑部姫に尋ねた。銀は刑部姫の事を嫌っているが、彼女の天才的な頭脳だけは認めている。彼女ならば、今起きている現象に何らかの見通しをつけているのではないかと思っているのだろう。

「絶対にこうだという断定はできんが、ある程度の推測はある。東郷美森という存在だけが見事に消えているから、今回の出来事は満開による記憶喪失などではなく存在改変だと考えられる。おまけに奴に関係する事象に辻褄が合うように人間の記憶が操作されているから記憶改変も入っている。原理としては、私の認識阻害に近いな」

「認識阻害……。そう言えば前に刑部姫さんが言ってましたね。確か……人間は認識できないものを見る事も出来ないし、聞く事も出来ない。ただ認識は出来なくても、そこに何かある(・・・・・・・)と無意識に感じ取っている……でしたっけ?」

 樹の言葉に刑部姫は「よく覚えていたな。褒めてやる」と言ってから、

「例え個人の存在や記憶を消したとしても、人間の無意識化にある深層心理に消えた個人の記憶が残る事はある。結城友奈と三ノ輪銀達がいち早く気づいたのは、東郷美森という存在と深く結びついていたからだろう。それを引き金にして、お前達も今まで気づく事ができなかった東郷美森という存在を改めて思い出す事が出来た」

「……じゃあ、もしも友奈と銀達が気づけなかったら……」

「お前達は二度と東郷美森の事を思い出せず、ずっとこのまま過ごしていただろうな」

 ゾッとする話だった。大切な友達を忘れたという事実すら忘れて、何事も無かったように日常を過ごしていく。一歩間違えたらそうなっていたかもしれないという事を改めて聞かされて、七人は背筋が凍り付くようだった。

「一体、どうしてこんな事が……」

「それはまだ分からんが、これもある程度の予想はつく。……見ろ」

 刑部姫が差し出したのは、讃州市が発行している新聞だった。新聞には、この前の学園祭で撮影された勇者部の写真が載っており、写真には今日の劇と同じ勇者と魔王の格好に扮した友奈と風、そして樹と夏凜の姿があった。だがこの写真にはある決定的な間違いがあり、風がかすれた声で間違いを指摘する。

「写真からも、消えてる……」

 この写真には本来、東郷の姿があった。なのに今では四人しか映っていない。まるで元から、彼女の存在など無かったように。

「どうなってるのよ、これ……」

 スマートフォンを操作していた夏凜が、震えた声を出す。彼女が今見ているスマートフォンには、今まで彼女が勇者部と過ごしてきた大切な日常の写真が何枚かある。それらにも、東郷の姿はなかった。

 すると樹がはっとした表情でパソコンに駆け寄ると、マウスを操作して勇者部のホームページ画面を表示させる。そこにはこの前父母ヶ浜で撮影した写真が表示されていたのだが……やはりと言うべきか、東郷の姿だけが無かった。

「個人の記憶だけじゃない。写真など現実で起こった事実すらも書き換える、世界規模の存在改変。志騎にも言ったが、これは人間にできる所業を遥かに超えている。つまり今回これを行ったのは、人間じゃない」

「人間じゃ、ない……」

「ちょっと待ってよ! 人間じゃなかったら、一体誰が……」

 友奈のかすれた声に続き夏凜が聞くと、まだ分からないのかと言いたそうに刑部姫は舌打ちし、

「答えはもう出ている。世界規模による存在改変を行える奴なんて、人間よりももっと高度な存在だ。そしてこの四国は、誰の手によって守られている」

 刑部姫の言葉で、ようやく彼女達は理解する。

 人間よりももっと高度な存在。

 四国を守る存在。

 その二つから考えられる存在は、たった一つ。

「……神樹、様……?」

 神樹。

 四国を守る存在にして、絶大な力を持つ幾多もの神の集合体。

 だがそれだと、分からない事がある。その疑問を、樹が口にした。

「でも、どうして神樹様が東郷先輩の存在を無かった事にしたんですか!?」

「知るか。だが仮に神樹が存在改変を行ったとすると色々と納得できる。四国を守る神樹なら四国全土に存在改変を行う事も出来るしな。何より今回の件が神樹の仕業だと一番納得できる根拠は、志騎だ」

「あまみん、が?」

 刑部姫の言葉に勇者部全員の視線が志騎に向けられる。居心地悪そうにする志騎の頭の上で、刑部姫が説明する。

「志騎は人間型のバーテックスだ。そして、バーテックスは神の使いだ。人間よりも神が行う改変が効きにくいんだろう。分かりやすく言うと、お前達が東郷美森の事を忘れてしまった事すら忘れていたのに対し、志騎は忘れた事に違和感を覚える事ができる。現に一昨日の時点でもう気づいたしな」

 そして志騎に対しては改変の効きが悪かったという事が、今回の事態が神樹が引き起こした事だという何よりの証拠だった。バーテックスである事から今回の異常に気付く事が出来たとはいえ、志騎本人としては複雑な気分だった。

「だが問題は、何故神樹が東郷美森の存在を消したかという事だ。何のメリットがあって、そんな事を……」

 刑部姫が自分の疑問を口にするが、バン!! という音がそれを遮った。音の出どころは、銀の両手によって強く叩かれたテーブルだった。彼女はギリ……と奥歯を噛み締めると、

「神様の考えてる事なんか分かるかよ。それより今の問題は、須美がどこにいるかだろ!? 何でも良いから、手掛かりを見つけないと!」

 彼女の言葉に勇者部は一瞬呆気に取られた表情を浮かべたが、すぐに気持ちを引き締めて力強く頷く。それには刑部姫も同意見だったのか、髪の毛をわしゃわしゃと掻きながら、

「……確かに、私も見逃している所があるかもしれないしな。手がかりの捜索はそっちに任せる。私も少し調べたい事があるしな。……そして乃木園子、お前のやる事は分かっているな?」

 確認するような刑部姫の言葉に、園子はこくりと頷いていた。どうやら刑部姫が何を言いたいかは彼女も察していたらしい。それぞれが自分の役割を改めて確認し終わると、東郷の行方を知るために部員達が勢いよく部室を出て走り出す。

 校舎を出た友奈は一人走り、冬特有の冷たい空気を肺に取り込みながら思う。

(私……東郷さんの事、絶対に覚えてるって約束したのに……。それなのに……!)

 親友の存在を、親友と交わした約束すらも忘れてしまった事に対して深い罪悪感と自分に対しての怒りを抱きながら、友奈は東郷の手がかりを探すためにさらに走る速度を上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もない無の世界。普段は誰もいないその空間に、今は一人の少女が静かに浮かんでいた。

 少女――――東郷美森は両腕を真横に伸ばし、灼熱の業火に焼かれていた。

 とは言っても、その体は生身のものでは無い。青いアサガオを連想させる魂だけの状態だ。目を閉じて炎に焼かれるその姿は、磔にされた聖人のようでもあり、重い罪をその身をもって償う罪人のようにも見えた。

 そしてそれを、真正面から眺めているのは純白の長い髪の毛に赤い瞳の少女だった。彼女は口元に楽しそうな笑みを浮かべながら、焼かれている東郷を見ている。

「あはははははは。早く来てね、勇者。あなた達が来るまで、私いつまでも待ってるからね? 早く来て、私の手から大切な友達を助けてあげなよ?」

 その笑みには悪意はない。その笑みには楽しみしかない。

 なのに。

 何故か彼女の笑顔は、傍から見ると寒気がするものだった。

 これから先の事を想像して、少女は笑い続ける。

 本当に、心の底から楽しそうに。

 

 

 

 




 この小説が始まって、気が付いたらあともう少しで二年。今年こそ完結する事ができるよう努力します。


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第四十八話 東郷美森をrecaptureせよ!

 

 

 日曜日。部活動の生徒を含めて讃州中学の校舎に人影はなく、校内は静寂に包まれていた。

 勇者部部室である、家庭科準備室を除いて。

「全員、手掛かりなしか……」

 現在、家庭科準備室には友奈、風、樹、夏凜、銀、志騎、刑部姫の七人が集まっていた。昨日東郷美森の消失が判明してから勇者部全員が彼女に関する情報を捜し回ったのだが、東郷美森に関する情報はまったく見つからなかった。

「東郷さん、元からいない事になってる……。教室に、机も無いし……」

 友奈が言うと、樹が一枚の紙を取り出した。以前に樹が歌のテストを受けた時に、勇者部が彼女に宛てた寄せ書きだ。紙の一部分は樹は撫でながら、

「みんなからもらった応援メッセージ、ここのところ消えてますけど、東郷先輩が『みんなかぼちゃ』って、書いてくれたんです」

「タチの悪いイジメみたいじゃない……」

 現在自分達の目の前にある異常事態に、風が苦し気に言う。すると、それまで黙っていた志騎が尋ねた。

「大赦の方は何か言っていますか?」

 これほどの異常を、大赦が把握していないとは思えない。彼らならば何か知っているのではないかと考えての質問だったが、風は首を横に振り、

「いいえ。私には何も知らないって……」

「こっちも、同じ答えが返って来たわ」

「そうか……。銀の方は?」

 志騎の質問は、銀に向けられた。しかし銀は申し訳なさそうに、

「ごめん……。須美の手がかりを探し回るのに必死で、そっちにまで頭が回ってなかった……」

 とすると、あと尋ねるべき人物は一人しかいない。志騎が尋ねようとすると、その人物……刑部姫が志騎の頭の上からゆっくりと浮遊して彼の目の前で止まる。

「私の方にも情報は来ていない。それほど重要な情報なら私の所にも来るはずだが、安芸や他の奴らからの連絡はまったくだ」

「……それって、刑部姫にも隠してるって事?」

 今までの事情が事情なので大赦の事をあまり信じていない風が言うと、刑部姫は肩をすくめながら、

「情報が少なすぎるからそれも考えられるな。とりあえず、考えられる可能性は今の所二つだ。一つは、大赦は事情を知っているがなんらかの事情で隠している。二つ目は、大赦すらもこの事態の原因を特定できていない。まぁ、それももうすぐ分かるだろう」

「それって、どういう……」

 刑部姫の言葉に志騎が尋ねようとすると、扉が開く音が背後から聞こえた。部室にいた全員が扉の方を見ると、そこには真剣な表情をした園子が立っていた。

「どうだった、乃木園子」

「うん。大赦の方は、何も知らないみたい」

「チッ、二つ目の可能性が当たったか。大赦の奴らですら特定できてないとなると、少々面倒だな……」

 園子の報告を聞いた刑部姫が苛立たし気に舌打ちする。するとそこに、事情をまだ呑み込めていない銀が尋ねる。

「二人共、一体何の話して……。っていうか、園子一体どこに行ってたんだ?」

「大赦本部。わっしーの事、私が話せる地位の神官さん達に聞いたけど、みんな震えながら知らないって……」

 そう言って、彼女は首を横に振った。さらに彼女の説明を補足するように、刑部姫が口を開く。

「私が聞いても良かったが、乃木園子と三ノ輪銀にはまだ生き神としての地位が生きてる。それに話を聞くなら乃木園子の方が適任だろう」

 どうやら昨日東郷を捜すときに二人が話していたのは、そういう事だったらしい。

「大赦すら知らない事態なんて……」

「東郷さん………」

 園子からもたらされた情報に、友奈の表情が暗くなる。すると、扉を閉めた園子が言った。

「……これしかないみたいだね」

 そう言うと彼女はテーブルの上に手に持っていたスーツケースを置き、鍵を開けて開く。中に入っていたものを見て、園子以外の全員が息を呑んだ。

「これって……」

「……勇者システム」

 中に入っていたのは、友奈達がバーテックスとの戦闘の時に用いていた勇者システムが組み込まれた端末だった。しかし奇妙な事に一番端の端末を入れるスペースは空になっており、本来五つあったはずの端末が四つしか入っていなかった。

「ぷんぷん怒って出してって言ったら、大赦の人は出してくれたよ。これで見つけに行こう!」

「見つけるって……」

「……今も変身できるのよね?」

「そうだよにぼっしー。見て、わっしーの端末が無いんだよ」

 園子が言っているのはきっと、空になっているスペースの事だろう。他の四つの端末が友奈達の分だとすると、一か所スペースが空いている事にも説明がつく。園子が自分の端末を取り出すと、端末にはレーダーの画面が表示されていた。

「でも、私の端末のレーダーに、わっしーの反応はない」

「水を差すようで悪いけど、存在改変で須美のスマートフォンも消失したって可能性は?」

「いや、それはないな。そうだったらこんなスペースは空かない。最初から四つだけ入っている状態になっていはずだ。つまり、今端末は消失した東郷美森が持っている可能性が非常に高い」

 刑部姫の説明に、志騎と彼女のやり取りを聞いていた園子は頷きながら、

「そう。きっと今端末はわっしーが持っている。なのにレーダーには映らない。もしかして、わっしーはすごくビックリするような所にいるんじゃないかな」

「ビックリするところ……? って、どこだ?」

 銀が考え込むと、志騎は顎に手を当てながら、

「単純に考えると、レーダーに映らない場所って事だよな。でも、四国全土にいる限りどれだけ遠くてもレーダーに反応はあるはず……」

「って事は、つまり……」

 志騎と銀の考えを聞いていた友奈はそこではっと何かに気づいたような表情を浮かべると、その場所を口にした。

「壁の外!?」

「その通り!」

 壁の外。無数の星屑と炎が支配する、人間の生存を拒絶する世界。そしてほとんどのバーテックスの生まれ故郷とも言える場所。確かにそこならばレーダーにも映らない。風は腕を組んで、

「東郷はぶっ飛んでるからあり得るわね」

「だから、勇者になって行ってみようと思うんだ」

 そして園子が指を鳴らすと、彼女の頭上にぬいぐるみのような姿をした精霊……烏天狗が出現した。

「精霊……!」

 現れた烏天狗を見て、風と樹の表情にかすかに恐怖が混じる。それも当然だ。精霊は勇者を護ると同時に、彼女達をお役目に縛り付けるもの。精霊が出現するという事自体が、彼女達が勇者である証明のようなものなのだ。

「勇者になったら、また力の代償があるんですか……」

「今回はバージョンが新しくなって、散華する事も無いんだって」

 そう言って園子が再び指を鳴らすと、頭上にいた烏天狗が花びらとなって消えた。すると園子の話を聞いていた夏凜が訝し気に言う。

「なんか、できすぎてるって言うか……」

「そ、そうよ! どれだけ新しいシステムになったって言われても、結局また……」

 やはりと言うべきか、夏凜と風の大赦に対しての不信感は未だ拭えていない。とは言ってもそれは当然だ。前回の戦いで、勇者部は二度と戻らない代償をその身に負ったのだ。今では体の機能は無事に元に戻ったが、今更今回の勇者システムは安全ですと言われても、信用できなくて当然だ。

「怖いのが当たり前だよね。分かるよ」

 それは園子の方も同感らしく、苦笑して二人の言葉に同意している。

 と、やりとりを聞いた友奈が突然自分の両頬を張って両手の拳を握った。

「よし! 東郷さんを見つけるためなら、私は……!」

 そう言って友奈が自分の端末を掴もうとすると、険しい表情を浮かべた風が彼女の手を掴んだ。

「待ちなさい」

「でも!」

「初めての時とは違うの。あたしは、部長としてみんなをおいそれと変身させたくない。勢いで、なんていうのやめて」

「……はい」

 風の部長としての真剣な言葉と表情に、友奈は頷くしかない。そんな風の視線は次に園子へと向けられた。

「乃木。あんたもよ」

「うん……ありがとう」

 しかしそこで引き下がるつもりは無いらしく、園子はまっすぐ風を見据えながら自分の意志を話す。

「……確かに私達は酷い目に遭ったけど、勇者が体を供物にして戦わなければ世界は滅んでいた。仕方なかったんだよ。大赦はやり方がまずかっただけで誰も悪くない。大赦は勇者システムについて、もう一切隠し事はしないって言ってくれた。私はそれを直接聞いて、信じようって思ったんだ。……だから、前と 

は違う。今度は納得してやるから、私は行くよ」

 彼女の言葉に、迷いはなかった。例え今回勇者になった事でまた何らかの代償を負ったとしても、後悔はしない。そんな彼女の想いが七人に強く伝わってきた。

 そして、園子に続いたのは銀だった。

「アタシも行くよ」

「銀……」

 何かを言おうとする風に銀は向き合うと、園子と同じように自分の決意を話す。

「すいません、風先輩。でも例え先輩に止められても、アタシは絶対に壁の外に行きます。確かに大赦の事は今でも信じられないですし、不安も全くないって言ったら嘘になります。……でもそうだとしても、アタシは大切な友達がいないままなんて絶対に嫌です。例え危険だとしても、須美がいない勇者部より、須美がいる勇者部の方が何倍も良い。だから、リスクがある事は覚悟の上で行きます」

 銀は二年前園子と同じように体のほとんどの機能を失い、一人ぼっちになった。だからこそ彼女は大切な友達と離れ離れになってしまう辛さと悲しみをよく知っている。銀が言った通り、例え風が止めても彼女は壁の外に行くだろう。

「まぁそれに、大赦の事は信じられなくても、園子の事なら信じられるしな」

「ミノさん……」

 そう言って銀は園子に向かって二ッと明るい笑みを浮かべた。自分達に大事な事を黙ってきた大赦の事は信じられないが、大切な親友である園子の事ならば信じられる。そう言っているような笑顔だった。

 すると、次に口を開いたのは志騎だった。彼はやれやれと言うように肩をすくめると風に言う。

「俺も行きます、風先輩。というより俺だけは行かなくちゃ駄目でしょう、行き先は壁の外なんですから」

 園子の推測が正しければ、今東郷がいるのは壁の外だ。バーテックスと炎が支配する世界であり、人間にとっては未知の世界。何も知らない人間が行けば自殺行為になりかねない。……何も知らない人間だったら。

 だが志騎は何も知らない人間では無い。人間の形をしたバーテックスであり、例え彼の記憶になくても彼の中のバーテックスの細胞があの炎の世界を覚えている。これから壁の外に行くにあたり、何か役に立つ事はきっとある。それは風も分かっているのだろうが、彼女の表情は硬かった。

「確かにそうかもしれないけど、それでもあたしはあんたも行く事には反対よ。……この前あたしが言った事は覚えてるでしょ?」

 この前というのは、風と樹と一緒にいた時にコンビニ強盗に遭遇した帰り道の事だろう。あの時、志騎の事を心の底から心配した風は志騎に自分を傷つける様な事はもうしないで欲しいと言った。壁の外で何が起こるかは分からないが、もしかしたらバーテックスとの戦闘になるかもしれない。そうなったら志騎がまた自分を傷つける事をしかねない。もう部員の誰もが傷つく所を見たくない風としては、志騎が壁の外に行くのは了承できないのだろう。

 志騎は風の言葉を真正面から受け取ると、園子と銀と同じように彼女の顔を真正面から見据えて自分の決意と覚悟を口にする。

「確かに壁の外に行って、この前のような事は絶対にしないって断言はできません。でもそうだとしても、俺は行きます。東郷は俺と銀達の……そして、友奈の大切な親友なんです。ここで行かなかったら、俺はずっとこの選択を死ぬほど後悔する事になる。何が起こるか、何があるかなんて分からないけど、後で後悔するような選択だけはしたくない。だから、行きます。……それに、俺も園子を信じてるから」

「志騎……」

「あまみん……」

 彼の口から聞かされた、彼の意志。

 それに勇者部の部室内が一瞬沈黙に包まれると、それまで三人の話を聞いていた友奈が一度目を閉じてから再度開き、力強く告げた。

「……風先輩、決めました。私、やっぱり壁の外に行きます!」

「友奈……」

「私も銀ちゃんと志騎君と同じ。大赦の人は良く分からないけど、園ちゃんがそう言っているんだから、信じるよ!」

「ゆーゆ……」

 友奈は自分の端末を改めて手に取ると、心から自分の心配をしてくれる風の顔を真正面から見据える。

「風先輩、ちゃんと考えました。私行きます!」

 友奈の顔を風は最初きょとんとした顔で見つめていたが、やがて相好を崩すといつもの明るい声で言った。

「あーもう! 部長を置いていくんじゃないわよ!」

「風先輩……!」

 友奈に続くように風も自分の端末を手に取り、友奈と園子が笑顔になると風はその二人に視線をやり、

「友奈や乃木、志騎と銀なら私も信じてるからさ」

「ま、勇者部員が行方不明って言うなら、同じ勇者部員が捜さないとね!」

「夏凜ちゃん!」

 さらに風と夏凜に続くように、樹も声を上げる。

「私も、行きます!」

「樹……!」

 満開の代償として彼女のもう一つの命とも言える声を失った樹に風が不安げな眼差しを送るが、樹はもう以前のように弱くない。樹は大丈夫だよと言うように、勇ましい視線を風に送る。それだけで妹の決意は伝わったらしく、風は不安が残りながらも笑みを浮かべた。まるで、樹の強さを心の底から信頼しているように。

「みんな……!」

 東郷捜索に向けて心が一つになった勇者部全員の姿を目にして、友奈が感動の声を出す。

「それにしても壁の外か……。樹! とりあえず、サプリ決めときなさい!」

「ちょっ!」

「今回は決めていきます!」

 まるでヤバイ薬を決める様な言い方の夏凜に風は慌てるものの、当の本人である樹はこれから壁の外に向かうという状況に備えておきたいらしく、夏凜からサプリを受け取り風を慌てさせる。

「緊張感ねぇ……」

「そうか? これが勇者部って感じがして、俺は良いと思うけど」

「……お前も大分勇者部に毒されてきたな……」

 頭の上で呆れかえる刑部姫とは対照的に、志騎は安堵すらしているようだった。きっとついさっきまではピリピリしていた空気が一気に勇者部らしくなった事に、彼も少しほっとしているのだろう。すると、風達の様子を見ていた園子がポツリと呟いた。

「素敵な仲間達だね」

「だな」

 するとそれに友奈が笑いながら返した。

「園ちゃん達もね!」

 彼女の言葉に園子と銀はにっこりと笑い返し、志騎も唇の端を上げるのだった。

「そうだ、ねぇ刑部姫。一つお願いがあるんだけど~」

「あ? 何だよ」

 顔をしかめながら答えた刑部姫に園子が差し出したのは、銀がこの前の戦いで使っていた勇者システムが組み込まれた端末だった。

「ミノさんが行くって言う事は私も予想してたけど、今のままの勇者システムは前のままでしょ? だから、ミノさんの端末も他のみんなと同じバージョンにして欲しいんだ~。バージョンアップに必要なシステムはあなたのタブレットに送るね」

「え、なんでアタシの端末は他の皆と同じになってないんだ?」

 銀が首を傾げると、園子は苦笑を浮かべて、

「ミノさんに組み込まれている勇者システムは、刑部姫独自の技術が使われてるんだよ~。だから大赦の人達も、どこをどういじったら問題ないか分からなかったみたい」

「そっか。それで刑部姫がやらないと駄目なんだ」

 合点が言ったように友奈が呟く。今の銀の端末に組み込まれている勇者システムは、園子が言った通り刑部姫独自のプロトコルが使われている。下手にシステムをいじったら、勇者の変身システムに支障を来すかもしれない。だからバージョンアップを施すのはプロトコルを作り出した刑部姫自身でなければいけないのだろう。

 だが、天邪鬼の刑部姫が簡単にそれを呑むはずがない。常日頃から彼女と一緒にいる志騎はおろか、他の三人も同様の事を思っていたのだが……三人の予想を見事に裏切って、刑部姫があっさりと頷いた。

「ああ、分かった。システムもすぐに私の端末に送れよ」

「え?」

 刑部姫の返事があまりにも予想外過ぎたのか、園子がきょとんとした表情を浮かべる。それは他の三人も同様で、目を丸くして刑部姫を見つめていた。

「刑部姫、お前どういう風の吹きまわしだよ? お前の事だから、私にそんな事する義理も義務も無いなんて言うかと思ったのに……」

 銀が呟くと、彼女に自分の真似をされたのが不快だったのか刑部姫は舌打ちして、

「正直な話、お前が言った通り東郷美森がどうなろうが私には興味が無い。だが何故こんな事が起こったのかは私も知りたいし、壁の外で何が起こっているのか興味がある。それに今回の一件で大赦が私に黙って何かをしていた証拠の一つでもあれば、奴らの弱みを握れるチャンスでもあるし、何より東郷美森にデカい貸しを作る事ができる。リスクとリターンを比べても、今回ばかりは私が手を貸す価値があると判断した」

「うん、やっぱりいつも通りの刑部姫でむしろ安心したよアタシ」

 堂々と自分のためだと口にする刑部姫に銀がジト目を向けるが、そうだとしても彼女が力を貸してくれるというのは心強い。刑部姫は園子から端末を借りると、自分に送られたバージョンアップのシステムを銀の端末に適用する作業を始めた。この作業はどれだけ急いでも五分はかかるとの事だったので、バージョンアップが終わり次第壁の外へ出発という事になった。

 刑部姫が作業をする間、七人は勇者部部室内で待つ事になった。いつもは五分などあっという間に過ぎ去るのに、今日に限っては一分経つのが非常に遅く感じられた。特に友奈は一刻も早く東郷を捜しに行きたいという想いを必死にこらえて、刑部姫の作業の完了を待つ。

 やがて、無限に続くような五分間がついに経ち、刑部姫がUSBケーブルでノートパソコンと繋がれた銀の端末を外す。

「終わったぞ」

 そう言って端末を銀に軽く放り投げると、銀はそれを片手でキャッチして六人の顔を見る。互いの顔を見合わせた七人は、ほぼ同時にこくりと頷くと志騎以外の全員がそれぞれの端末を手にして勇者システムのアプリをタップする。

 それぞれの端末から光と花びらが散り、六人はそれぞれの勇者装束を身に纏う。勇者装束の色は友奈はピンク色、風は黄色、樹は緑色、夏凜は赤色、園子は紫と白、銀は山吹色を基調としている。色鮮やかな衣装を身に纏う彼女達は、まさに色とりどりに咲き誇る花を連想させた。

 七人の変身を見た志騎も自分の端末を取り出すと勇者システムを起動、表示されている三つのアプリの内一つをタップする。すると志騎の腰にブレイブブレイバーが自動的に装着され、さらに別のアプリをタップする。

『Brave!』

 女性音声がスマートフォンから流れ、ベルトの装置が志騎の目の前に変身用の術式を展開する。突然現れた術式に樹が「わわっ!」と驚きながらあとずさり、「え、なにこれ!?」と夏凜が驚く。その二人をよそに志騎は両手を広げて目の前で交差させると、ベルトから音声が再度流れた。

『Are you ready!?』

「変身!」

『Brave Form』

 スマートフォンの画面に表示されたリンドウの紋章をベルトの装置にかざすと音声が流れ、術式が志騎の体を通過して彼の体を強化し、純白の勇者装束を身に纏う。両手の拳を軽く握って調子を確かめる志騎に、樹が感嘆した口調で言う。

「志騎さんの変身って、私達のとは違うんですね」

「変身ヒーローって感じがして、カッコいいね!」

 そう言えば勇者部の前で変身するのは初めてだったなと、二人の反応を見た志騎は思う。樹はともかくとして、友奈の反応を見ると自分の変身は彼女のお気に召したらしい。

 すると友奈の反応を見た銀がうんうんと頷き、

「そうなんだよなー。アタシ達の変身もカッコいいんだけど、アタシも一度で良いから『変身!』って言って変身してみたい……」

「言えば良いじゃない」

「いや、あのセリフは志騎だけのものって気がして、中々言いづらいっていうか……」

「なんじゃそりゃ……」

 夏凜の的確な言葉に銀がうーんと唸りながら悩み、悩む銀を見て風が苦笑を浮かべた。

「はいは~い。あまみんの変身に感動している所悪いけど、バージョンアップした勇者システムについて説明するからちゅうも~く」

 右手を挙げながら園子が言うと、六人の視線が素早く園子に集まる。園子はみんなの視線が自分に集まるのを確認するとすぐさま説明を始めた。

「新しい勇者システムは、満開ゲージが最初から全部溜まっている状態だよ。精霊がバリアで護ってくれるけど、バリアを使うごとに満開ゲージを消費していく。ゲージは回復しない。満開は、ゲージがいっぱいならできるけど使えばゲージは一気にゼロになる。ゲージがゼロになると、精霊がバリアを張れなくなる。この時攻撃を受ければ、命に関わる事になる。これが、散華の無くなった勇者システムだよ」

 つまり、攻撃を重視して満開すれば強大な攻撃力は得られるがその代わりにバリアが無くなるので防御力が激減し、かといって防御を重視して満開をしないようにすると当然攻撃力が激減する。おまけにゲージは回復しないので、満開を使う場面か使わなくて良い場面かを見極めなければならないというわけだ。

 判断には迷うが、幸いここには七人の勇者がいる。それぞれ助け合いながら、そういった状況を冷静に見極めていくのが一番良いだろう。

「ちなみに、俺の勇者システムに何か変更点は?」

「ない。今まで通りだから、思う存分に戦って良いぞ」

「分かった」

 スマートフォンの画面を見て見るとゾディアックフォームにセフィロティックフォーム、さらに今志騎の勇者装束のポケットには志騎専用勇者システム拡張デバイス『キリングトリガー』もある。これだけ揃っていれば、並大抵の危険があってもすぐに対処できるだろう。むしろ、周りに及ぶ被害の事を考慮しなければならないかもしれない。

「今みたいに全部説明してくれた方が、やっぱり良いわね!」

 園子の説明が終わると、夏凜が明るい声を出す。確かに大赦のように何もかも秘密にされるよりも、今の園子のようにリスク等もきちんと説明された方が良いに違いない。

「そうね! 覚悟ができるってもんよ!」

「掃除が大変そうですね……」

 床に散らばった大量の花びらを見て樹が苦笑する。その直後、風のスマートフォンの画面が黄色に光り輝き、それに風達の視線が集まると風の顔面に、犬に似た彼女の精霊である犬神がべたっと張り付いた。

「ぷはっ! 犬神!」

 風が顔から犬神をどうにか引きはがすと、他の五人のスマートフォンの画面も光り輝く。そして花びらが散ると共に、ウシ型の友奈の精霊、牛鬼。新芽のような形をした樹の精霊、木霊。立烏帽子をかぶった少女のような銀の精霊、鈴鹿御前。そして鎧を身に纏った武士のような夏凜の精霊、義輝が出現した。

「牛鬼久しぶりー! またよろしくね!」

 自分の頭の上に乗った牛鬼を友奈が撫でると、牛鬼は気持ちよさそうに目を細めた。犬神の方も嬉しそうに風の顔を舐めており、こうして見ると精霊というよりはペットみたいである。

「……元気?」

『外道メ!』

「……相変わらずね」

『諸行無常』

 と、夏凜と義輝の方はコミュニケーションが取れているんだか分からない会話をしていた。

「……はぁ。やっぱり友奈と風先輩は良いな。動物型の精霊で」

「いや、志騎だって精霊が……。あ、うん、ごめん……」

「おい、何故私を見てから志騎を気の毒そうな目で見た。ぶち殺すぞ」

 刑部姫が心の底から苛立ってそうな目で銀を睨むと、彼女は何故かポンポンと志騎の肩を優しく叩く。すると銀に続き、夏凜と風も気の毒そうな表情で志騎の肩を優しく叩いた。

「あの、本当に優しくするのやめてください……。結構辛くなってくるんで……」

「良いのよ、我慢しないで……。ほら、犬神抱く?」

「………」

 ぎゅっと、志騎は風から差し出された犬神を抱きしめた。もふもふとした感触が心地よくて、何故か無性に悔しい。

「……なんで俺の精霊はあれなんですかね。なんで動物型じゃなかったんですかね……。口は悪いし、性格はクソだし、精霊バリアは張れないし……。返品できるものなら返品したいですよ本当……」

「おい待て志騎なんで私があれ扱いなんだ!? おい犬吠埼風に三好夏凜と三ノ輪銀、その『どうして分からないの?』という目を本気でやめろムカつくから!! おい、答えろ志騎!! その毛玉よりもこのてぇんさい美少女精霊がいた方が嬉しいだろう!? おい、おーい!!」

 と、そんなやり取りはさておき。

 改めて讃州中学勇者部七人は、壁の外へと向かうため行動を開始した。

 勇者として強化された身体能力を活用して海を越え、道路を越え、さらに船を足場にして、七人は四国全土を覆う壁の上へと着地した。

「ここから先はずごごごって感じだから気を付けてね」

「私が先頭を行くから、園子は後ろでサポートをお願い!」

「アタシも行くよ。前衛は二年間からアタシの役目だからな!」

 そう言って夏凜と銀の二人が園子の前に立つ。確かに二人の武器と性格からすると、前衛の方が良いだろう。すると、園子は不安が入り混じった笑みを浮かべて、

「……ミノさん、にぼっしー。気を付けてね。何が起こるか、私も全然分からないから……」

「分かってるよ。無茶はしないから、そんな顔するなって」

 銀が笑いながら返し、夏凜も「ええ」と笑って答える。二人共、自分達にできるだけの事はするが友達を悲しませるような事はしないという事だろう。

「樹、今晩はスペシャルうどん作ってあげるからね!」

「うん。楽しみにしてるよ、お姉ちゃん!」

 樹と風の二人はリラックスした様子で夕食について話し合っている。これから何が起こるか分からないが、だからと言って緊張しすぎていては話にならない。今の二人の状態はまさに理想的と言えるに違いない。

「志騎、ここからバーテックスの感知はできるか?」

「さすがに壁の中だと難しいな。それに正確に言うと感知じゃなくて共鳴だから、俺が気づくとあっちも気づく」

「となると、壁の外に出ると即戦闘も考えられるか。気を抜くなよ」

「分かってる」

 志騎と刑部姫の二人は互いに真剣な表情をしながら、これから行われるかもしれない戦闘について話し合っている。そして最後に、友奈が告げた。

「よし、行こう!」

 彼女の言葉を合図にして、七人が壁の外へと足を踏み入れる。

 直後、七人の目の前に炎の世界が広がった。

「うわー……。相変わらずの凄まじさね」

「何度見ても、この世の光景じゃないわね」

 自分達の目の前に広がる赤一色の光景に、思わず風と夏凜が呟く。

「志騎、バーテックスの反応は?」

 銀が尋ねると、志騎は目を瞑って周囲のバーテックスの気配を探っていた。彼はゆっくりと目を見開くと、

「今の所近くに星屑とバーテックスの反応はなし。ただし、俺の場合は同類と思ってそのままにしておくかもしれないけど、お前達の気配を察知して来るかもしれないから、長居はできないぞ」

「ゆっくり須美を捜してられる時間はないって事か……」

「あっ!」

 志騎と銀が会話をしていたその時、園子が突然声を上げた。彼女の視線は、彼女が持っているスマートフォンに向けられている。

「レーダーに反応があったよ!」

「え、どこどこ!?」

「ここだよ!」

 そう言って園子がスマートフォンの画面を友奈に見せると、確かにレーダーにははっきりと『東郷美森』の文字が表示されていた。ようやく見つけ出す事が出来た親友の名前に、友奈が歓声を上げる。

「わぁっ! 東郷さんだ! 東郷さん、やっぱり壁の外にいたんだ!」

「何とかなりそうね、友奈!」

「はいっ!」

 友奈が嬉しそうに頷くと、園子が不思議そうな顔でレーダーを見る。

「でも意外と近いけど……」

 よく見ると東郷の位置は自分達の真正面に位置している。東郷を示す光点と自分達の光点を比べても、そんなに距離があるとは思えない。

「この方向に間違い……ええっ!?」

 突然友奈が素っ頓狂な声を出し、他の六人の視線が友奈の視線と同じ方向を向く。

 そして、全員が友奈と同じように目を丸くした。七人の視線の先にあるものを見て、夏凜が叫ぶ。

「ちょ……な、なんなのあれ!?」

 そこにあったのは、黒い球体だった。

 そこには赤い光が渦を巻いているようになっており、その渦の中心に黒い球体はある。というよりは

赤い光を、黒い球体が吸収しているようにも見える。

 それは、まるで。

「……ブラックホール?」

 自分達の頭上にある黒い球体を見て、志騎が呆然と呟いた。

 ブラックホール。外見は文字通り黒い穴のように見えるが、その正体は想像を絶するほどの高密度の天体。それ自体が常識では計り知れない重力を持ち、光さえも逃れる事は出来ないと呼ばれている。

 それが今、七人の目の前にあった。

「わーお……」

「まさか、ブラックホールをこの目で見る事ができるとは……」

 目の前のブラックホールに風が思わず感嘆の声を上げ、刑部姫に至っては科学者としての性格ゆえか半ば感動しているような声すら上げている。ブラックホールを指差して、友奈が園子に尋ねた。

「あの位置、だよね……」

「うん、わっしーはあの中にいるみたい……」

 レーダーの位置からしても、東郷とブラックホールの位置は見事に重なっている。とすると、あの中に東郷がいると考えるのが自然だ。

「東郷さんが……東郷さんが、ブラックホールになってる……」

「久しぶりに会ったらブラックホールになってた奴は初めてだわ……」

「お姉ちゃん……」

「いや、たぶんブラックホールになる知り合いなんて最初で最後ですよきっと……」

 そう言った直後、志騎の頭に電撃が走ったような感覚が走る。直後、夏凜の持つスマートフォンのレーダーにバーテックスの反応が次々と出現した。

「周囲にバーテックスもいるじゃない……!」

「勇者の気配にひかれたか……」

 そうなると、うかうかしている時間はない。頭上のブラックホールを見上げて、友奈が表情を引き締める。

「……行こう!」

「……でも、どうやって」

 それに待ったをかけたのは樹だった。

 当然だった。今まさに七人が向かおうとしていたブラックホールから、大量の星屑が七人に向かって殺到してきたからだ。七人が星屑の突進攻撃を回避すると、友奈が歯噛みする。

「こんな時に……!」

「だぁっ!」

 星屑の一体を風が大剣で切り伏せ、さらに背後から風に襲い掛かろうとしていた星屑を樹がワイヤーで撃破する。

「ありがと、樹!」

 すっかり自分の背中を任せられるようになった妹に風が笑いかけ、それに樹も力強い笑みを返す。

「はぁあああああああああああああああっ!!」

 銀が両手の双剣に業火を纏わせ、迫りくる星屑をなぎ倒す。それはまるで舞のように、そこから繰り出された業火の斬撃は星の数ほどの星屑達を一斉に消滅させた。

『タウラス!』

『タウラス・ゾディアック!』

 志騎はゾディアックのアイコンの内の一つをタップしてベルトにかざすと、いくつもの牡牛座の紋章が志騎の体の周囲に展開、次の瞬間紋章が志騎の体と一体化し、勇者装束の色が緑色に、右手に志騎の身の丈を超える戦斧が現れる。

 タウラス・ゾディアック。その特徴はゾディアックフォーム随一の腕力と防御力。素早さは最低だが、その分一撃の攻撃力と防御に長けたフォームだ。

 志騎は手にした戦斧で数体の星屑を一気に薙ぎ払うと、スマートフォンを手にしてドライバーにかざす。

『タウラス! ゾディアックストライク!』

 音声の直後、戦斧の刃に緑色の光が宿り、志騎が戦斧を振るうと刃からエネルギー状の刃がいくつも放たれる。刃は不規則な動きで動き回ると星屑達を次々と殲滅し、最後に志騎の戦斧の刃に再び収束する。そしてとどめと言わんばかりに志騎が霊力を宿った戦斧を豪快に縦に振るうと、目の前にいた星屑達が爆発しながら一気に消滅した。

「さすが志騎!」

 すると志騎の横に星屑達と交戦していた銀が降り立ってくる。二人は背中合わせに星屑を睨みながら、

「だけど、やっぱり数が多いな。これじゃあ須美を捜す以前の問題だ」

「お前のサジタリウスでどうにかならない?」

「焼け石に水だ。やっぱり、あのブラックホールに向かうのが手っ取り早いけど……」

 志騎がブラックホールを見上げながら呟いた、次の瞬間。

 上空から紫色の神々しい光が放たれ、それを見た二人の目が同時に見開かれる。

「おい、あれってまさか……!」

「うん、満開の光だ!」

 あの光は二人共二年前の戦いで嫌というほど見た。今更見間違える事は無い。

 二人が見ている前で、光が花びらと共に弾ける。その中心にいたのは、長大な槍をオールのように動かしている巨大な船に乗った園子だった。

「あんた、いきなり満開しちゃって! 精霊の加護が無くなっちゃうのよ!?」

 叫ぶ風の元に友奈と夏凜、銀とブレイブフォームに戻った志騎が駆け付ける。しかし当の園子からは、いつも通りやんわりとした声が返ってきた。

「昔はバリア無かったし、問題ないよ~!」

「いや、確かにアタシ達の時は無かったけどさー!」

「そういう問題じゃないでしょー!」

 銀と風が言うが、正直今はそんな事を言っている場合ではない。もたもたしていたらまた星屑達が来てしまう。それは園子の方もう分かっているらしく、眼下の六人に再び言った。

「さぁ、これがわっしー行きの船だよ~! 乗って乗って!」

 するとやれやれと言いたそうに風が苦笑を浮かべて、

「ったく、しょうがないわね!」

「じゃあ、お邪魔します!」

 七人はその場から跳躍すると、園子の船に乗る。園子の船を見て、樹が目を輝かせた。

「カッコいいお船ですー!」

「なんか東郷やあんた達、ずっこくない?」

「私のが一番カッコいいわよ!」

「いやいや、カッコよさならアタシのだって負けてないぞ?」

「そのちゃん、すっごいね!」

「えへへ、ありがとうゆーゆ」

「……あの、みんな。ブラックホールに突っ込むんだから、そろそろ緊張感持って……」

「馬鹿共が……」

 この状況になってもやや緊張感に欠ける会話をする六人を志騎が軽く顔を引きつらせながら注意し、刑部姫が口の中で苛立ち交じりに呟く。こんな時でもこのような会話ができるこの少女達はもしかしたら大物かもしれないと、志騎は心の中で思った。

「じゃあ、このまま行くよー!」

 園子の言葉を合図にするかのように、ついに船がブラックホールへと向けて突進した。

 すると船をブラックホールの周囲に広がる熱波が襲い、七人は襲い来ると熱と風にさらされながらもどうにか耐える。そして熱波により少し速度を落としながらも、船はどうにかブラックホールの近くまで浮上する。が、そこで熱波の凄まじさは変わらず、七人は船にしがみついて襲い来る強風をどうにかこらえていた。

「みんな、乗り物酔い大丈夫!?」

「酔いって言うか……! 普通にヤバいよこれ……!」

「なんかこうしてると、二年前のバーテックスとの戦いを思い出すな、園子、志騎!」

「お前実は結構余裕だろ!? おい刑部姫、飛ばされないよな!?」

「ぐぐぐ……何とか……!」

 志騎の勇者装束に必死にしがみつきながら、刑部姫が苦し気に返す。

「中で、何が起こってるだろう~!」

「ブラックホールはとんでもない重力の塊だ! 外がその影響でこれなら、少なくとも中もまったくの安全地帯というわけじゃないだろうよ!」

「そんな……東郷さん……!」

 一刻も早くブラックホールに行かなければならないが、これでは身動きを取る事すらできない。志騎は奥歯を噛み締めながら、どうにかスマートフォンを出現させると画面をタップする。

「これなら、どうだ!」

『アインソフオウル・アインソフ・アイン!』

 画面に表示されたアイコンをタップすると男性音声が発せられ、リンドウを模した紋様と志騎の背後にセフィロトの樹を模した図形が出現する。左手で必死に船体を掴みながら右手に持ったスマートフォンをドライバーにかざす。

『ユニゾンセフィロティック!』

『Evolution to Infinity! Sephirothic Form!』

『It's over the ultimate』 

 その瞬間、十二のセフィラとリンドウの紋章が志騎と一体化し、志騎はセフィロティックフォームへと姿を変える。さらに右手を掲げると、船を襲っていた風が急激に止んだ。

「え、あれ……?」

「風が……止んだ?」

 急に落ち着いた船の上で六人がきょとんとしながら立ち上がると、ふぅと息をついた志騎が言った。

「俺の空間操作の能力で船を覆った。これで風の影響を受ける事も無い。さっさとブラックホールに行くぞ」

「さっすが志騎! 頼りになるわねー!」

 パンパンと風が嬉しそうに志騎の肩を叩く。が、安心していられる時間は非常に短かった。

「……っ!!」

 突然志騎が目を見開き、周囲を見渡しながら叫んだ。

「バーテックス! 数は六体!! 来るぞ!!」

 直後、志騎が言った通り六体のバーテックスが熱波を突破して船を取り囲むように出現した。

「あいつらまさか、ここを守ってるの!?」

 バーテックスが出現した際の陣形を見た夏凜が驚愕交じりに叫ぶ。

 バーテックスは、サジタリウス、ヴァルゴ、スコーピオン、タウラス、ピスケス、カプリコーン。厄介な能力を持ったバーテックスが勢揃いしていた。ただでさえ一刻を争う状況だというのに、これでは戦って生き残るだけでも危うい状況になってしまう。

「刑部姫、お前から見た戦力比は?」

 志騎が尋ねると、神世紀最高の天才はすぐさま戦力差を見抜き告げた。

「キツイな。セフィロティックフォームのお前はいるが、乃木園子は満開済み、他の五人は一度しか満開できない。それでもなんとかこちらが勝つだろうが、きっとその隙に他のバーテックスが来る。それを考えたら、真正面でやり合うのは得策じゃない」

「それじゃあ、どうしたら……!」

 刑部姫の話に樹が困惑した声を出すと、船の先頭に友奈がしゃがみ込みながら告げた。

「私が東郷さんの所へ行くよ!」

「友奈!」

 自分から危険へ飛び込もうとする友奈に風が声を張り上げると、彼女から返ってきたのは心配しないでと言うような、力強い笑顔だった。

「絶対に一緒に戻ってくるから……」

「ゆーゆ……」

「ちょっと、大丈夫なの?」

 夏凜から変わらず不安そうな声が漏れるが、一方風の方は大剣を肩に乗せながら言った。

「もう、ちゃんと帰ってきなさいよ友奈! 部長命令!」

「邪魔してくるのは私達で叩いちゃいますから!」

 すると不安そうだった夏凜も、両手に刀を出現させながら、

「あんなもんの中じゃ何が起きても不思議じゃないわ。気合よ!」

「うん!」

「ゆーゆ」

 夏凜に力強く答えた友奈に、今度は園子が声をかけた。彼女は友奈の顔をまっすぐ見て、

「わっしーの事、お願い!」

 さらに、銀と志騎も友奈に声をかける。

「アタシからも頼む。須美を、絶対に助けてあげてくれ! その代わり、お前がいない間みんなはアタシが護るから!」

「こっちは俺達に任せろ。だから、須美を頼む」

 東郷の……鷲尾須美の親友である園子と銀と志騎の願いに、友奈は頷いて答えた。

「任せて、園ちゃん、銀ちゃん、志騎君!」

 作戦は決まった。そうなれば後は、実行あるのみだ。

「よーし! それじゃあ、一気に行くよー!」

 園子が叫ぶと、七人が乗る船が膨大な霊力を身に纏い、光を帯びる。

 光はまるでカラスのような形状になると、両翼を力強く羽ばたかせてブラックホールへと向かう。すると船を追うように、スコーピオン・バーテックスが接近してくる。

「ゆーゆの邪魔は……!」

「俺がやる! お前は船に集中しろ!」

 志騎は叫ぶと、右手に専用武器『セフィロティックセイバー』を顕現させる。セフィロティックセイバーに刻まれた紋章にある円の一つが四色に光り輝くと、志騎が剣を振るう。距離を無視した斬撃がスコーピオンの体に直撃し、切り裂かれたスコーピオンは落下していった。

「友奈! 今だ!」

「うん! 行ってきます!」

 志騎からの言葉に友奈は船の先頭から跳躍すると、ブラックホールの中へと落ちて行った。

「友奈、大丈夫かしら……」

「ブラックホールの中には強力な重力が集まっている。普通の人間なら死ぬだろうが、今のあいつには精霊バリアがある。それがある限り死ぬ事は無いだろうが、それもゲージがある間だ。ゲージが尽きる前にあいつが東郷美森の所に辿り着けるかが鍵になるだろう」

「じゃあ、アタシ達の役目は……!」

「邪魔をするバーテックスを倒す、だね!」

 銀と園子が叫んだ瞬間、見計らったように五体のバーテックスが船の周りに出現する。すると、サジタリウスが無数の矢を船に発射した。

「無駄だ」

 しかし無数の矢は船に突き刺さる寸前に速度を落とし、やがて完全に停止した。

「樹、夏凜!!」

「うん!」

「任せなさい!!」

 風が合図をすると夏凜が両手に刀を持ち、サジタリウスを睨みつける。風が大剣を巨大化して停止した矢を全て薙ぎ払い、お返しと言わんばかりに夏凜が刀をサジタリウスに投げつける。刀がサジタリウスに突き刺さり動きを止めた直後、樹のワイヤーがサジタリウスの巨体に巻き付く。

「志騎さん!」

「ああ!」

 志騎が返事をした直後、彼のセフィロティックセイバーに雷撃が宿り、剣をサジタリウス目掛けて振るうと雷撃がサジタリウスに放たれる。雷撃は見事に直撃し、サジタリウスは御霊ごと消滅した。

「まず一体!」

「よし、この調子でガンガン行くぞ!!」

 銀が歓声を上げた直後、再び他のバーテックス達が周囲を囲み始める。

 しかし、今の六人に退くつもりも負けるつもりもない。迫りくるバーテックス達を目の前にして、勇者達はそれぞれの武器を手にしてバーテックス達との戦いを再開した。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ブラックホールに突入した友奈は。

「わぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 高速で思いっきり吹き飛ばされていた。

 精霊バリアのゲージを全て消費しながらもどうにかブラックホールの中に辿り着いた友奈を待ち受けていたのは、白い魂のような気体が後ろに吹き飛んでいく世界だった。友奈も他の気体と同様に吹き飛ばされそうになるが、急に体中から力が抜けていき瞼を閉じる。

 するとその体から霊体が離れ、霊体のみとなった友奈はゆっくりと遠ざかりつつある肉体を振り返る。

「ゆ、幽体離脱!?」

 よく見ると自分のへそから桜色の糸のようなものが自分の肉体と繋がっているのが見える。しかし友奈に、今の状況をじっくりと観察していられる時間など無かった。

 背後から炎が次々と放たれ、友奈の肉体と霊体を襲ったからだ。

「きゃあっ!」

 肉体の方に影響はないみたいだが、霊体の方はそうでもなかった。霊体のあちこちの部分が炎を食らうと、その部分が焼きただれていき霊体のみとなった友奈に文字通り焼ける様な痛みを与えてくる。

「うううう、あああああああああああっ!」

 あまりの痛みに声を上げながら、徐々に離れていく自分の肉体に目を向ける。

「これって、もし私が砕けたら体の方はずっとこのまま……!?」

 いや、それならばまだ良い。

 下手をしたらさっきのブラックホールの重力が支配する場所まで戻され、道中自分を追いかけてきたバーテックスのように圧縮される可能性もある。バーテックスの末路を思い出して、肉体が無いにも関わらず友奈は思わず寒気を覚えた。 

 と、友奈の周りに何やら液体のようなものが降ってきた。ふと液体の中を見ると、そこには自分の大切な親友である東郷美森の顔が写っていた。

「東郷さん!?」

 もちろん声をかけても液体の中の彼女が友奈に答える事は無い。しかしようやく見る事ができた親友の顔に友奈は思わず液体にそっと手を触れる。

 その瞬間。

 友奈の脳に、東郷美森という少女の記憶が流れ込んできた。

『――――そのっちと銀と志騎君が私達の中学に来てからしばらくして、大赦にとって予測してない事態が起こっていた』

 それは、紛れもなく自分の親友の声。もう何年も聞いていなかったような親友の声に、友奈は霊体にも関わらず思わず涙を流しそうになる。

 しかし、さらに自分の頭に流れ込んでくる親友の声は、友奈に更なる驚愕を与えてきた。

『私が結界の一部を壊してしまった事で、外の火の手が活性化してしまっているのだ。このままでは、外の炎が世界を呑み込む。大赦が進めていた反抗計画を凍結し、現状を打破する必要があった』

 そこまで来たところで、液体が砕け散ってしまった。今の光景を思い出しながら、友奈は呟く。

「今見えたのは、東郷さんの記憶……。東郷さん、やっぱり中にいるんだね! 他には……!」

 他の液体にも触れれば、再び東郷の記憶を見る事ができるかもしれない。そう考えた友奈はさらに別の液体を見つけると手を触れる。するとやはり、東郷の記憶が彼女自身の声となって友奈の頭に響き渡ってきた。

『火の勢いを弱めるには、『奉火祭』しかない。それは、神の声が聞ける巫女を外の炎に捧げ、天の神に許しを請う……。昔、西暦の終わりにも行われた、生贄の儀式である、と……。今、大赦でお役目を果たしている巫女達数人が、生贄のお役目に選ばれた。だけど、私でもその代わりができるという。私は、勇者の資格を持ちながらも、巫女の力も持つという、唯一無二の存在だとか』

 記憶の中の東郷は、神官に土下座をされて何かを頼まれていた。きっと、奉火祭の生贄になるように懇願されているのだろう。彼女の表情は苦し気だったが、彼女の中で答えはすでに決まっているようだった。

『……悩むまでも無い。結界に穴を空けたのは私だ。私は償わなくてはいけない。友奈ちゃんがみんなが無事なら……私一人なら……』

 しかしそうなると、東郷にはある不安が残った。

『私がいなくなれば、きっと友奈ちゃん達が、みんなが私を捜す。そうしないように……神樹様。お願いします……』

 つまり今回、東郷美森の記憶が消えた事に大赦は本当に関係が無かったのだ。東郷美森という少女の願いに神樹が反応した結果、友奈達の記憶から彼女の存在が消えた。だからこそ、大赦も刑部姫も東郷美森に関する記憶が消えていた。

 そして最後、大赦の大量の神官達によって壁の結界の上を運ばれていく東郷の姿が友奈の脳裏に映る。

 東郷は最後に、小さく呟いた。

 悲しそうに、不安そうに、それでもはっきりと。

「………友奈ちゃん」

「………っ!」

 そこで東郷の記憶が終わり、友奈は右手を前に突き出しながら我に返る。そして次に友奈の顔に浮かんだのは、笑顔だった。

「東郷さんはいつも突っ走るなぁ……。自分をいない事にしちゃうなんて……」

 いつも自分一人で抱え込んで、物事を悪く考えすぎて、最後には一人で突っ走ってしまう。しかも今回の場合は自分の存在まで消してしまうのだから、そこまで来るともう別の意味ですごい。勇者部五箇条に『悩んだら相談』とあるのだから、きちんと相談ぐらいはして欲しい。苦笑しながら、友奈はそう思った。そんな友奈に再び無数の炎が迫りくるが、彼女は手の中にわずかに残った水滴をぐっと握りしめ、

「でも、私は約束したもん! 東郷さんを一人にしないって!」

 直後、再び友奈を炎が襲う。炎が友奈の体に直撃するたびに焼ける様な痛みが襲い掛かり、顔をしかめる。しかしもう、友奈は怯まない。

「――――だから、なんどでも! 助ける!」

 友奈の視界が光に包まれ、意識が一瞬失われる。

 次に友奈が目を開くと、そこは見覚えのある光景だった。

「ここ……前に……」

 そこは以前友奈がバーテックスの御霊に触れた際にいた、生物がまったくいない無の世界だった。横を見ると自分の肉体が漂っており、肉体と霊体のへその部分が変わらずに糸のようなもので繋がれている。どうやら、肉体を失う事にはならなかったようだ。

 ふと真上を見上げると、友奈の頭に以前ここにいた記憶が蘇る。

 仲間の所に帰れず、一人でここを彷徨っていた不安。

 自分と親友である東郷のために、自分を助けに現れた志騎。

 そして、自分をみんなの所に導いてくれた青いカラス。

 当時の記憶を思い出して、友奈は小さく呟く。

「やっぱり……あの時の場所だ」

 そして友奈はそこで、自分の真横に以前は無かったはずのものがある事に気づく。

 そこにあったのは円形の鏡だった。しかし一般的なものとは違い、人がすっぽりと入ってしまいそうなほどに大きく鏡面がひび割れたようになっている。そして鏡には人が両手を横に伸ばし、半身が鏡に埋められているような状態で入っていた。

 その人物――――黒い長髪をした少女の姿を見て、友奈は思わず叫んだ。

「東郷さん!?」

 それは間違いなく、友奈達が必死に捜していた東郷だった。しかし友奈の呼びかけにも、東郷はピクリとも動かない。さらに友奈が鏡の上に視線を変えて、思わず息を呑む。

 そこには友奈と同じように霊体の姿の東郷が、両腕を横にして磔にされているような姿勢で全身を炎に焼かれていた。彼女の双眸は固く閉じられ、意識があるのかすらも分からない。

「これ……なに……?」

 刑部姫なら何か分かるかもしれないが、自分には何が起こっているのかさっぱり分からない。

 だが、今やるべきは東郷を助け出す事だ。友奈はゆっくりと浮遊すると、鏡の中の東郷を助けようとする。

「東郷さん!」

 ようやく東郷の近くまで来て、友奈は東郷の今の状態に悲痛な声を出す。

「ひどい……!」

 鏡の東郷はまるで業火に焼かれている霊体の状態を反映するように、全身が黒く焦げているような状態になっていた。呼吸をしているのかすら分からず、もしかして死んでいるんじゃないかという不吉な予感が友奈の胸によぎる。

「東郷さん!」

 再び友奈が東郷の名前を叫ぶが、それでも彼女は目を覚まさなかった。上を見ると、変わらず東郷の霊体が炎に焼かれ続けている。友奈は自分の掌を見てから、ぐっと表情を引き締める。

「今、助けるね!」

 どのような状態かは分からないが、東郷の体を鏡から取り出す事ができれば彼女を助けられるかもしれない。友奈が東郷の体に触れようとして指先が鏡に触れると、なんとそのまま指が鏡に吸い込まれた。

「っ!」

 一瞬驚いて友奈は自分の指を見つめるが、幸いと言うべきか指に異常は見られない。友奈は覚悟を決めると、鏡の中に両手を入れて東郷の体を掴む。そのまま東郷の体を引っ張り出そうとするが、中々鏡の中から体が抜けない。

 ――――この時友奈は気付かなかったが、東郷の胸元の部分には奇怪な紋章があった。黒い太陽のような形をした、不気味な紋章。その紋章が消えていき、代わりに友奈の胸元に同じ紋章が徐々に現れると共に彼女の全身を炎に焼かれるような激痛が襲う。

 激痛に襲われる中、友奈は直感する。この紋章は、人に不吉なものをもたらすものだ。東郷の体を離さなければ、自分はただでは済まない。

 しかし友奈は東郷の体を離さない。必死に奥歯を噛み締めて激痛に耐え、東郷の体を掴む手にさらに力を入れる。

「構わない! 東郷さんを離して!!」

 友奈の胸元の紋章の形がますますはっきりしていくと共に、東郷の体が鏡から引きはがされていく。

「ああああああああああああああああああああああっ!! 帰ろう、東郷さん!!」

 そして、ついに。

「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 紋章がついに完全に現れ、激痛に耐えながら友奈が最後に力を振り絞ると東郷の体が鏡から完全に分離した。

「やった……これで……!」

 腕の中の東郷を見て友奈が安堵するが、その時間は短かった。

 胸元の紋章から得体の知れない火傷が友奈の全身に広がっていき、彼女の体を襲っていた激痛がますます強くなる。

「あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 ついに火傷が友奈の全身を覆い、あまりの激痛に友奈が悲鳴を上げる。

 さらにそれまで東郷が囚われていた鏡に亀裂が走ると、次の瞬間鏡に走った亀裂から光が迸る。その光の光量は凄まじいもので、まともに見たら目が潰れてしまいそうだった。

 その頃、ブラックホールの外で友奈達の帰りを待っていた志騎達は、友奈が飛び込んだブラックホールが砕けるところを目の当たりにしていた。

「きゃあああああああああっ!」

「な、何っ!?」

 ブラックホールは樹木の形をした結界の真上で砕けると、最後に一際強い光を残して消滅する。

 するとブラックホールから先ほどのものと比べるとはるかに小さいが、それでもしっかりと輝く光が舞い降りる。光はゆっくりと降りていくと徐々に輝きを失っていき……消滅した。

 

 

 

 

 

 

「あーあ」

 友奈と東郷が去った無の世界で、白い髪の毛に赤い瞳の少女が残念そうな声を上げていた。

「東郷美森と結城友奈は帰っちゃったかぁ……。ちぇー、がっかり。ここで終わりだと思ってたんだけどなぁ……」

 本当に心の底から残念そうに少女は呟きながら、しゅんと少女は項垂れる。

 するとその肩が徐々に震えていき、少女が両手で口元を覆う。

 自分が目障りに思っていた結城友奈が親友である少女をまんまと連れて四国に帰ってしまった。今回は、自分の完敗。

 ――――なんてことを、少女が思うはずも無かった。

「………うふふふふ……あははははははははははははっ!!」

 今までずっと我慢していた感情が溢れ出し、少女は大声で笑う。

 結城友奈はきっと、自分達の力で東郷美森を助け出したと思うだろう。

 なんて思い上がり。なんて滑稽。

 自分達はただ(・・・・・・)掌の上で踊っていただけなど知りもしないで(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

「滑稽、滑稽、すっごく滑稽!! 必死に友達を助けるのも全部私の予想通り! それで、タタリをもらうのも私の予想通り! すっごいよ、全部ここまで予想通りだと分かってやってるのかなって思っちゃう! 彼女達って、勇者なんかよりも道化の方がずっと似合ってる! あははははははははっ!!」

 腹がよじれんばかりに笑ってから、少女は大きく息を吐き出した。

「はー、笑った笑った。こんなに笑うのはいつぶりかなぁ。ここ三百年間、全然笑える事なんて無かったからなぁ……。……三百年前より前は、不愉快な事しか起こらなかったし」

 すると、少女の顔が笑みから深い闇を感じさせる表情に変わる。

 見るだけで背筋に寒気が走る、氷のような……いや、そんな表現すら生ぬるい表情。一体どうして少女がそのような表情をするのか、答えられる者は少女以外にはいないだろう。

 それから少女は再び口元に笑みを浮かべると、楽し気に呟く。

「さて、結城友奈の方はこれで良いとして……。あとは天海志騎だね。今回彼はこっちには来なかったけど……。私の天使越しに彼が壁の外に来てる事は分かったし、今は良いや。……もう、きっかけはできたしね」

 そして少女は笑いながら鼻歌交じりに宙を踊る。

 結城友奈と天海志騎の避ける事の出来ない終末を、思い浮かべながら。

「ふーふんふーふんふーふーふん」

 

 

 

 

 

 

 

「………っ」

 東郷美森が目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは病院の病室だった。

 そして次に、勇者部の部員達と、自分達の大切な親友の明るい笑顔。

「やった!目が覚めた!」

 目を開けた東郷を見て友奈が明るい声を出す。

「東郷さん!」

「わっしー!」

「須美!」

 友奈に続き、園子と銀も彼女に声をかける。目覚めたばかりでまだ頭が回らないものの、どうにか口を開いて今の状況を尋ねようとする。

「ここ……」

 しかし東郷が尋ね終わるよりも早く、風が状況を説明してくれた。

「あんた数日寝てたのよ」

「助けて……くれたの?」

 口ではそう尋ねるが、きっとそうだろうと東郷は思った。そうでなければ、自分が今ここにいるはずがない。

「うん!」

「でも……でもこのままじゃ、世界が火に……」

 しかしそれに風は苦笑しながら、

「事情は聞いたわよ。火の勢いはもう安定したから、生贄はもう必要ないってさ」

「まさか、代わりの人が……」

「違うわ。東郷、普通なら死んでるぐらいの生命力をごっそり奪われてたんだって! それできっとお役目は果たせたのよ。でもタフだからまだ生きていた。で、私達が間に合った。そんな感じみたい」

「いっぱい体を鍛えてて良かったね~!

「どこも異常なしだそうです!」

「さすが須美! もう鷲じゃなくて不死鳥だな!」

「だとすると、わっしーじゃなくてふっしーだね~!」

「うん、二人共もうわけが分からなくなるからその辺にしろ」

「「えへへ」」

 と、銀と園子と志騎がいつも通りのやり取りに突入しかけると、恐る恐るとといった感じで東郷が尋ねる。

「本当に私、助かったの?」

「そうよ、セーフ!」

「お勤めご苦労様! まぁもうしばらくは病院でしょうけど」

「これで改めて、勇者部全員集合だぜ~!」

「そうだ! 退院したら、須美のお帰りなさいパーティしようよ! 志騎、ケーキ作って! めちゃくちゃ豪華な奴!」

「おう、分かった。材料代に一人四千円出せよ」

「お金取るの!?」

「しかも何気に高いな!」

 七人がわちゃわちゃし始め、弛緩した雰囲気が漂い始める。

 しかしその勇者部独特の雰囲気が涙が出るほど懐かしくて、東郷は改めて自分が帰ったきたのだと実感した。

「みんな……」

「……東郷さん、ごめんね」

 え? と東郷が思わず友奈の顔を見ると、彼女は唇をきゅっと噛み締めて、

「東郷さんの事、絶対に忘れないって約束してたのに、何日か忘れちゃってて……」

「……うん。私の方こそごめんね。そんなに心配して……」

 自分が望んだ事とは言え、友奈にそんな表情をさせるつもりなど毛頭なかった。なのに友奈や他のみんなに心から心配させてしまった。それが申し訳なくて、東郷も友奈に謝る。

「仕方ないよ! たぶん私でも同じようにしてたよ」

「次からは、きちんと全部話しなさいね」

「……はい」

「まぁ、お互いさまという事で良いんじゃない? 私達も忘れてたし」

「そうだなぁ……。志騎の事もあったから、誰も絶対に忘れないって思ってたのに、情けないよなぁ……」

 はぁ……と銀が深いため息をつくと、すかさず東郷がフォローする。

「そんな事は無いわ、銀。私が願った事だもの。あなたが気にする必要なんてまったくないの」

「須美……」

「それに、たとえ忘れていても、みんな思い出してくれた……。夢じゃないのね……」

「そりゃあそうだよ、須美! だってアタシ達の絆は、世界の理すらもぶっ飛ばすんだから!! ……だから、さ」

 銀は東郷の頭に両手をやると、こつんと優しく互いの額と額を合わせた。銀の表情は変わらず笑っていたが、顔には少し悲しみの感情が入り混じっている。

「……もう、さ。あんまり一人で抱え込むなよ。アタシ頭そんなに良くないけど、対策とかも一緒に考えるからさ。だからきちんと話してくれよ。アタシ達、親友だろ?」

 そう言って、二ッと銀は明るくも優しい笑みを浮かべた。親友の笑みと言葉に、東郷も自然と自分の口元がほころぶのを感じる。

「……そうね、銀。……みんな、ごめんなさい。私、また同じ過ちを繰り返す所だった。私のそばにはみんながいてくれたのに、また何も言わないで私一人で背負い込む所だった。……本当に、ごめんなさい」

 そう言って東郷は深々と頭を下げると、やがてゆっくりと頭を上げて静かに微笑んだ。

「……そして、ありがとう。こんな私の事を思い出してくれて、私の事を心配して助けに来てくれて。勇者部の皆が……友奈ちゃんがいてくれて、本当に良かった」 

 すると友奈は照れくさそうに笑って、

「それは私も同じだよ、東郷さん! 私も東郷さんが友達で本当に良かったって思うから!」

「友奈ちゃん……。ありがとう……」

 友奈の言葉に再び東郷が涙ぐむと、園子が彼女の頭を優しく撫でた。

「わっしー、よーしよーし」

「アタシも! よーしよーし!」

 と、園子に続き銀も東郷の頭を優しく撫でてやる。

「一件落着、ね」

「はい」

 すると、東郷の顔を覗き込んでいた友奈が勢いよく立ち上がって力強く叫んだ。

「よーし! これで本当に全員揃ってクリスマス! そして大晦日にお正月だー!」

「遊ぶ事ばっかじゃん!」

「良いんじゃないですか? 久しぶりに戦いましたし、それぐらいは良いと思いますよ」

「そうそう! クリスマスも正月もみんなで遊びましょうよ!」

「ミノさんはその前に、あまみんとデートだよね~」

「う! そ、そうだな……。着るもの早く選ばないと……!」

 笑い合う友達を見つめて、東郷が静かに微笑んだ。

「そうだ。俺ちょっとのど乾いたから、飲み物買ってくるよ。何か飲みたいって人いる?」

「ハイハイ! アタシ、サイダーと肉まん!」

「あたし紅茶とガム!」

「調子に乗るなよあんたら」

 勢いよく手を上げる銀と風にツッコミを入れてから、志騎は病室を出た。リクエストは今の所銀のサイダーと風の紅茶だけなので、自動販売機に言っても一人で難なく持ってこられるだろう。閉めた扉の向こうから再び少女達の笑い声が聞こえてきて、志騎はくすっと笑った。

 そして院内の自動販売機へと向かって歩きながら、志騎は右手で口を覆った後けほっと軽い咳をする。それから右手を口から離して、掌を見る。

 

 

 

 

 べっとりと鮮血が付いた、掌を。

 

 

 

 

「………」

 志騎は目を細めると、自動販売機による前にトイレに向かって手を洗う事にした。これでは自動販売機や買った飲み物に血がついてしまう。

 そう考え、志騎は自動販売機からトイレへと行く方向を変えて、歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、友奈は一人自宅の風呂場でシャワーを浴びていた。シャワーで体を温めてから、曇ったガラスを手で拭って自分の体を見る。

 すると友奈の胸元に、不気味な紋章があるのが目に入った。

 黒い太陽を模した、見るだけで不吉な予感を抱かせる、禍々しい紋章が。

 

 

 

 

 

 




 東郷美森を奪還し、友奈達はようやく元の日常に戻る事ができたと思っていた。
 彼女達は知らない。勇者部が東郷美森を取り戻した事すら、神の計画の上だった事を。
 彼女達は知らない。東郷美森の奪還と引き換えに、大切な友達が負った代償を。
 彼女達は知らない。





 誰かを救うという事は、誰かを救わないという事である事を。


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第四十九話 孤独

 

 

 東郷美森を奪還し、讃州中学勇者部にようやく平穏な日常が戻ってきた。彼女に関する記憶も勇者部を含む人々に戻り、勇者部は年末に向けて依頼をこなす傍ら日々を過ごしていた。

 そんなある日、部活が終わった志騎は行きつけの病院の診察室にいた。先日東郷美森を奪還した後、理由が分からないが吐血したため刑部姫に体を調べて欲しいと頼んだからだ。検査自体はつい先ほど刑部姫が終えて、今は結果待ちとなっている。

 そしてようやく検査結果が出て、診察室の丸椅子に座る志騎に刑部姫の口から結果が告げられた。

「単刀直入に言う。お前の寿命は、四月まで持たない」

 まるで明日の晩御飯の内容を告げる様なあっさりとした口調だったが、刑部姫の顔つきは険しい。しかし彼女の表情とは対照的に、志騎は特段驚いた様子も見せずただぱちくりと瞬きを一度しただけだった。すると刑部姫は怪訝な表情を浮かべて、

「……あまり驚いてなさそうだな」

「いや、これでも十分驚いているつもりだ。とりあえず、どうしてそうなったのか理由を聞いても良いか? 俺の寿命は確か二十歳ぐらいまではあったはずだろ?」

 自分は体に呪術的措置・薬物投与などを受けていたため、どんなに調整をしても二十歳までしか生きられないとは聞かされていた。それでも、まだ六年ぐらいの猶予はあったのだ。それなのに一気に三、四ヶ月ほどにまで縮まったのは何か理由があるからとしか考えられない。当然の疑問に、刑部姫は髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、

「確かにお前の寿命は二十歳ぐらいまではもつはずだった。例えキリングトリガーを多用したとしても、大赦による体の調整を怠らなければ問題はなかった。だが、二年前に予想外の事が起こった。もう分かるだろ?」

「……バーテックスの、総攻撃か……」

 二年前、志騎は銀の満開の代償を少しでも減らすために彼女を壁外に逃がし、たった一人で壁の外で二年間戦い続けた。刑部姫はこくりと頷き、

「二年間の間お前は大赦の調整抜きで戦い続け、結果的に生き残り壁の中に戻ってくる事ができた。しかしその間私の予想をはるかに超えるペースで体の破壊と再生を繰り返した事で、お前の体自体がバーテックスの力に耐えられなくなりつつあるんだ」

 そう言って刑部姫は着物からコーヒーカップを取り出すと、テーブルに置く。

「分かりやすいように、このカップで例えるぞ。カップを壊しても、やろうと思えば接着剤でくっつけて元通りの形に戻す事ができるだろ? カップがお前の体で、接着剤がバーテックスの力だ。バーテックスの力は言うなれば超高性能の接着剤のようなものだ。心臓と脳さえ破壊されなければ、どれだけ酷く体を壊されてもすぐに修復する事ができる。……しかし、接着剤で再生しようにも限度というものはある。外見は元通りになったように見えても、中身はどんどん脆くなっていく。そして最後には接着剤の力でもくっつける事ができなくなり……」

「……完全に壊れるって事か」

 志騎が続きを言うと、刑部姫はこくりと頷いてカップを着物に戻した。

「私と大赦が想定していたバーテックスとの交戦回数通りなら、当初の想定通り二十歳まで生きる事はできただろう。だが、二年間の間にお前は戦い過ぎた。そのせいでお前の体の崩壊が少しずつ早まっているんだ。診察の時にお前が話したたまにある頭痛や味覚の喪失、この前の戦いの後の吐血もその影響だろう。……しかも時間が経つほど、他の影響が出ないとも言い切れない。もしかしたら、他の人間が見ても異常だと感じるような異変が起こるかもしれない」

「大赦の方で体の調整を行う事はできないのか?」

 すると刑部姫はふるふると首を横に振り、

「無理だ。もう調整にすら耐えられない可能性が高い。仮に施しても寿命は延びないだろうし、下手をしたら短い寿命がさらに短くなる可能性もある」

「万事休すって事か……」

 そう言って志騎は頭の後ろで両手を組んだ。だが言葉とは裏腹に、彼の表情に悲観さは感じられない。

「……悲しくないのか。自分が寿命がもうそんなにないと聞いて」

「いや、だって今更だしな。勇者になった以上いつ死んでもおかしくないし、二年前銀達と別れる時にもう死ぬかもしれなかったわけだし。こうしてまた生きてるのが奇跡のようなものだろ。ってか、元々二十歳までしか生きられないんだから、あなたの寿命が四ヶ月ほどにまで縮みましたって言われて悲しむのもなぁ……」

「………」

 困ったように呟く志騎を、刑部姫はじっと見て観察する。

 彼の様子はもう、達観などというレベルではない。もはや諦観だ。生きる事すら諦めている。

 だがそれも当然だ。自分達が、そう仕向けた。お前は兵器なのだと、バーテックスを殺すために作り出された殺戮兵器だと。人類の損害を最小限に減らし、天の神に奪われたものを奪還するために自分達が作り出した勇者。それが天海志騎が生まれた意味であり、生きている理由であり、存在価値なのだ。

 それにそもそも、彼自身が幸福や普通に生きている事を求めているようには見えない。

 それも当然だ。彼はバーテックスであり、世界中の人々の運命を狂わせ、未来と幸福を奪った怪物の同類。例え人間と同じ姿と心を持っていようと、彼がバーテックスである限りその運命から逃れる事などできない。だからこそ、自分が生きていて良いとは彼自身も思わない。

 しかし、刑部姫や大赦にとってはその方が都合が良い。

 志騎は元々戦いが終われば廃棄処分する兵器だし、下手に生きたいなどという願望を持たれてはこちらが困る。彼が最後の最後まで大赦の兵器としてバーテックスを殺し続け、最後に兵器として廃棄処分される事が、自分達にとっての最良の結末なのだ。

 ――――それなのに。

 どうして、まったく生きたいと思わない彼を見ているだけで、胸が苦しいのだろう。

 これでは、まるで。

 自分が、彼に生きたいと思って欲しいと、考えているようではないか――――。

「あ、そうだ刑部姫。一つ頼みたい事があるんだけど」

「………何だ?」

 考え事をしていたせいで返答が一瞬遅れたが、幸い志騎には気づかれなかったようだ。平静を装って刑部姫が返事をすると、志騎は苦笑しながら言った。

「俺の寿命が春までって事、銀達には言わないでくれ」

「……どうしてだ?」

「俺が春までしか生きられないって知ったら、きっとあいつらは死に物狂いで俺が生きられる方法を探すと思う。仮にその方法が見つからなかったら、あいつらは心の底から悲しむと思う。……そんなの、駄目だ。あいつらは今まで苦しい思いをして、ようやく楽しい日常に戻ってきたんだよ。須美がこっちに戻って来て友奈も嬉しそうだし、樹も自分の夢に向かって頑張ってて、風先輩も受験が間近だし、夏凜は勇者の任が終わってからこっちで楽しそうに過ごしてるし、園子と銀は体の機能が戻ってきた。園子は青春を謳歌してるし、銀はまた家族と会う事が出来て笑ってる。……俺なんかのために、銀達が悲しむ必要なんてない。化け物は化け物らしく、一人で死んでいくよ」

 そう言って、志騎は笑った。その笑顔に、死への恐怖や混乱などはまったく無かった。それどころか、自分を作り出した大赦は刑部姫への怒りや憎しみすらも無い。まるで友奈や銀のような、あまりに晴れやかな笑顔だった。

「………お、前は」

「刑部姫?」 

 珍しく歯切れが悪い刑部姫の顔を志騎が覗き込むと、刑部姫は顔をぷいっと背けた。

 ……こんな時にまで、自分ではなく誰かの事を考えている。本当に、自分に似て欲しい所は似ないなと刑部姫は心の底から思った。それが無性に腹立たしいと同時に、どうしようもなく悲しかった。

「そうだ。なぁ、最後に一つ聞いときたいんだけど、俺の体の寿命が延びる方法はもう無いんだよな?」

 すると刑部姫は苦々しい表情を浮かべた顔を再び志騎に向けて、

「……ああ、ない。それがどうした?」

「じゃあ逆に、何をしたら俺の体の寿命はもっと短くなるんだ? いや、別に短くしようってつもりはないけど、どんな事がきっかけで短くなるのか分からないからさ」

 志騎の質問にまったく……と刑部姫は呆れつつも彼の質問に答える。

「バーテックスの力は極力使うな。大怪我も避けろ。さっきも言ったが、お前の体はもう限界に近い。バーテックスの力そのものに耐え切れなくなりつつあるし、怪我を治す事は出来るだろうがその分体の崩壊も早まる。外見は変わらないだろうが、内側は使い物にならなくなるぞ」

「………勇者への変身は?」

 直後、刑部姫の視線が志騎の顔をまっすぐ捉える。彼女の視線から逃れるような素振りも見せず、志騎はまっすぐに刑部姫を見つめ返した。すると再度刑部姫はため息をつき、

「……お前の体はもう神樹の力にも耐えられなくなりつつある。吐血をしたのも、この前の戦いで勇者に変身したからだろうな」

「って事は、変身できる回数も多くないって事か……。お前の見立てだと、あと何回だ?」

 それに刑部姫は素早く、変身できる回数を口にする。

「一回だ」

「……一回」

「ああ。それもあと一回変身して、後は安静にしていれば大丈夫って問題じゃない。お前の今の体の状態を考えると、あと一回が限度だ。……よく覚えておけよ、志騎。もう一度、勇者に変身すれば……」

 そしてぐっと、自分の顔を志騎に近づける。

 少しでも自分の言葉が、彼の脳に深く深く残るように。

「――――天海志騎(お前)という存在は、確実に終わる」

 

 

 

 

 

 

 

 診察が終わった後、志騎は一人夜の街を歩いていた。街はすっかり迫るクリスマスのイルミネーションに彩られ、様々な色の光で街を飾り付けている。天気予報によると今年のクリスマスは雪が降るホワイトクリスマスになるとの事なので、そうなったらクリスマスも盛り上がるだろう。 

 街を歩く人々とすれ違いながら、志騎は刑部姫の言葉を思い出す。

『――――天海志騎(お前)という存在は、確実に終わる』

「……あれって単純に、変身したらもう死ぬって意味だよな」

 きっと刑部姫もそういった意味で言ったに違いない。つまり次バーテックスと戦う時が、自分の死ぬ時という事だ。

「……ま、でも次戦うかなんて分からないか」

 東郷美森は取り戻し、壁の外の火の勢いも沈静化している。このままならば星屑やバーテックスと戦う機会は訪れないだろうし、春を迎えて寿命が尽きる方がもしかしたら早いかもしれない。

 と、そんな事を志騎が考えていると、目の前に自分と同じ年齢ほどの少年が自転車の籠に中身が詰まったビニール袋を乗せて、さらに別のビニール袋とエコバッグを両手に持っているのが見えた。ビニール袋とエコバックはよほど重いらしく、ふーふーと苦し気に荒い息をつきながら袋を持って自転車を押している。

「……ん?」

 少年の後ろ姿に何故か見覚えがあり、志騎は少年の真正面にまで回り込むと彼の顔を見る。この気温にも関わらず暑そうに汗をかいているその端正な顔は、見覚えのある顔だった。というよりは、平日の学校の朝いつも見かける顔だ。

「……佐藤?」

「あれ、天海君?」

 自転車を押していたのは、彼のクラスメイトであり友人の佐藤良太だった。

 

 

 

 

「ごめんね、天海君。手伝ってもらっちゃって」

「別に良いよ。大変そうだったしな」

 偶然良太と出会った志騎が良太の話を聞くと、なんでも彼の姉と婚約者が経営する店の買い出しに出かけて、その帰り道だったらしい。彼が一人だったのは、買い出しの量が多いので最初は婚約者が彼の手伝いを申し出ていたのだが、店の方も忙しいので自分一人で大丈夫だと良太が言ったからようだ。そして無事に買い物は終わったのだが、帰りに彼の自転車のタイヤがパンクしてしまい、ビニール袋の一つを籠に乗せて、こうして泣く泣く自転車を押して帰っていたとの事だ。

 そんな事情を説明してくれた良太に、志騎は自分が二つの袋を持つと言った。随分と重たそうにビニール袋とエコバッグを持って自転車を押していたので、二つを自分が持った方が早く帰れるからだ。良太の方は最初遠慮していたのだが、このままでは帰る時間が遅くなり姉と婚約者が心配すると志騎が説得をすると、申し訳なさそうに手伝いを了承してくれた。そして、二人は並んで喫茶店へと歩いているという事だ。二つの袋は確かに重いが、元々両手が空いていた志騎ならば問題はない。むしろ、この二つに加えて荷物を載せた自転車を押していた良太の方がすごい。

「そういえばもうすぐクリスマスも近いけど、お前の姉さんがやっているっていう喫茶店は何かあるのか?」

「うん。今は僕と婚約者の人でお店の飾りつけをしながら、折角だしお客さんと一緒に星を観察しながらコーヒーを飲むイベントでもしようかって考えてる」

「星?」 

 言いながら志騎は空を見上げるが、生憎街のイルミネーションが明るすぎるせいで星の光がなかなか見れない。

「天海君には言ってなかったけど、婚約者の人は天文学者なんだ。だから、星にすごく詳しいんだよ」

「へぇ………」

「喫茶店自体はあまり大きくないけど、気に入ってくれてるお客さんもたくさんいるし、姉さんも張り切ってるから、今回のイベントを通してその人達に喜んでもらいたいんだ」

 そう言う良太の顔は、先ほどまで浮かべていた苦し気な表情など欠片も残っていないほど嬉しそうだった。彼は傍から見ると不幸体質で、今日も自転車のパンクという不幸があったのに、それをまったく気にもかけていない。そんな良太の姿が、志騎にはカッコよく映った。

「……なんか、お前ってすごいな」

「え? そ、そうかな……」

 するとそのような言葉をかけられるなど思っていなかったらしく、良太は照れたように笑った。

「うん。だって今日だって自転車がパンクしたのに泣き言も言わないで、俺と会うまで必死にお姉さんと婚約者の人のために荷物を持って自転車を押して……。なんていうか、根性があると思う」

「そんな事は無いよ。ただ、自分にできる事ややらなきゃならない事があるから、それを最後までやろうと思ってるだけだよ」

「……自分にできる事ややらなきゃならない事を、最後まで」

 志騎が呟くと、良太はうんと頷いた。

「前に、姉さんの婚約者の人が僕に言ってくれたんだ。弱かったり運が悪かったり何も知らないとしても、それは何もやらない事の理由にはならない。だから僕も、例え運が悪かったりしてもそれを言い訳になんかしないで、僕のやる事ややらなきゃいけない事を最後までやる。本当にそれだけなんだよ」

「………」

 彼の言葉に、志騎は思わず良太の顔をじっと見る。すると視線に気づいたのか、良太が困惑した様子で尋ねた。

「ど、どうしたの?」

「……いや、その通りだなと思って。ってかさ、やっぱり良太って根性があると思うよ。だって普通の人間なら、分かってても中々そういう事はできないからさ。そう言い切って自分のやる事をやれるっていうのは、間違いなくお前の強さだよ」

「そ、そうかな? きっと僕だけじゃないと思うけど……」

「いやいや、そんな事は無いよ」

「いやいやいやいや……」

 と、そんなやり取りをしながら、二人はしばらく笑い合いながら歩いた。

 やがて良太が自転車を止めると、志騎もそれに続いて歩みを止める。

「ここまで来ればもう喫茶店はすぐ近くだから。あとは僕一人で大丈夫だよ。荷物、運んでくれてありがとう」

「別に良いよ。だけど、本当に大丈夫なのか?」

「うん、本当に近くだから。そうだ、今度喫茶店に来てくれたらコーヒー奢るよ。今日のお礼も兼ねて」

「……そうだな。じゃあ今度来るよ。その時は、コーヒーに砂糖とミルクを入れてくれ」

「それも良いけど、最初はブラックで飲んだ方が良いと思う。姉さんによると、うちのコーヒー豆は良い仕事をするらしいから」

「勘弁してくれ」

 志騎は苦笑しながら、持っていたビニール袋とエコバッグを良太に渡す。良太は少し重たそうに受け取りながらも、どうにか左手で自転車のハンドルを握るとエコバッグを握った右手を横に振る。志騎も右手を振り返すと、彼に背を向けて歩き出した。

 そしてふと立ち止まって頭上を見上げてみると、イルミネーションが煌びやかな街から離れたためか、夜空には燦然と輝く星々と真っ白な光を放つ月が浮かんでいた。志騎に天体観測の趣味は無いが、確かにこれを見ていると天体観測をしたくなる気持ちも分かる。

「……弱かったり運が悪かったり何も知らないとしても、それは何もやらない事の理由にはならない、か……」

 良太の婚約者が言っていたという言葉を呟きながら、志騎は再び自宅への道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、勇者部の部室にはクリスマスツリーが鎮座していた。そのクリスマスツリーを、友奈と夏凜と樹、志騎と銀が飾り付けている。

「ねぇ友奈。飾り付け曲がってない?」

「大丈夫大丈夫!」

「銀、飾りの数足りてるか?」

「うん、問題なし!」

 さらに部室では東郷が勇者部のホームページをクリスマス仕様に変更し、風が勉強をして園子が採点をしている。それは良いのだが、何故か風はぐるぐる眼鏡をかけた状態で勉強を行っていた。

「何あの眼鏡?」

「視力が落ちたんだそうです」

 風の眼鏡が気にかかった夏凜が呟くと、樹が答えながら苦笑する。

「大変ね受験生。部室でまで勉強?」

「本当大変だよなぁ。アタシまだ二年生で良かった……」

「お前も来年ああなっているかもしれないぞ?」

「それは嫌だー!」

 志騎の言葉に未来の自分の姿を想像してしまったのか、銀が頭を抱えて絶叫する。一方風は眼鏡を外しながら、

「先週は色々大変で、勉強どころじゃなかったからねー。取り返さないと」

「陳謝!」

「ああもう! そういうつもりで言ったわけじゃないの気にしないで!」

 途端に東郷が非常に綺麗な土下座をして、風がそれに慌てた。だが確かに先週の事を考えると、勉強どころではなかっただろう。風の気持ちは非常によく分かる。

「受験よりブラックホールの方が急務だものね……」

「ええ……」

「あはは」

 夏凜が呟いた瞬間。

「陳謝!」

『わぁああああああああっ!!』

 東郷がカッターナイフで再び腹を切ろうとし、しかも今回は彼女の精霊である青坊主が小刀を持ち、さらに刑部姫がいつの間にか出現し日本刀を持って東郷の介錯をしようとしていた。いつもは出てこない癖に、こういう時にだけタイミングよく表れるのは本当にやめてほしい。

「まる、まる、まる、まる……と。よ~し、最後の問題も花丸花丸! ふーみん先輩全問正解だぁ!」

「よしっ! さすがあたし!」

 園子の言葉に風がガッツポーズをする。なお、東郷は友奈達に切腹を止められ、刑部姫は志騎に体を思いっきり踏みつぶされていた。中々苛烈な行動だが、普段の彼女の行いと今の彼女のやろうとしていた事を考えると仕方ないかもしれない。

「アタックチャーンス!」

「……何が?」

「なんの?」

 突然ぐっと拳を握ってまた意味の分からない事を言い始めた園子に、風と志騎のツッコミが飛ぶ。そんな二人に園子は両手の指を二本ずつ立てると、

「正解すると、女子力が二倍になります!」

「やります!」

「どんな試験勉強よ」

「ってか、女子力って数値化できるものなのか?」

「とまぁ、ふーみん先輩の女子力は置いといて」

「あたしの女子力ー!」

 と嘆く風をよそに、園子は風の答案用紙を見ながら、

「これだけできれば大丈夫ですよ。さすがっす~」

「うん。乃木が見てくれたおかげよ。来週は来週で、樹のショーがあるからねー」

 眼鏡を外しながら嬉しそうな顔の風に、納得したように夏凜がニヤニヤと笑う。

「ははー。それで詰め込んでたのかー」

「お姉ちゃん! 私のショーじゃなくて、街のクリスマスイベント! 学生コーラス!」

 風と樹が言った通り、来週には街で讃州市の中学校合同のコーラスがある。しかもそのコーラスに参加できるのは、その中学校の代表生徒達だけ。これには当然、歌が上手でなければ参加する事はできない。それに樹が選ばれたのだから、風が嬉しそうにしているのも当然だ。

「すごいねー! 学校代表だよ樹ちゃん!」

「友奈さんと刑部姫さんが練習を手伝ってくれたからですよ」

 樹の歌の練習には、友奈だけではなく刑部姫も手伝っていた。彼女の教え方は厳しかったものの、それに応えるように樹は音を上げずみるみる実力を上げていった。今回彼女が学生コーラスに参加できたのは彼女の実力もあるだろうが、刑部姫の指導も間違いなく理由の一つに違いない。

「それでこそ我が妹! 他の学校の代表者、ぶっ倒してきなさい!」

「趣旨が違うよー……」

 物騒な事を言う姉に、樹が少し戸惑う。すると友奈の横で話を聞いていた東郷がきらりと目を光らせ、

「じゃあ、風邪を引いたりしないようにベストコンディションで行かないとね!」

 東郷が言った直後、東郷と園子の二人が樹を挟んで手を奇妙に動かし始めた。見方を変えると、まるで手から何かの念波を樹に送っているように見える。

「「健康健康健康健康……」」

「よ、余計にプレッシャーだよー……」

「なんか、怪しげな宗教の儀式に見えるな……」

「奇遇ね銀、あたしもよ……」

 手から何かの波動を送る親友と洗脳されそうな妹を見て、風と銀が顔を引きつらせる。さらにその混沌とし始めた空間に乱入するように、夏凜がいつも持っているサプリメントが入っているプラスチックのケースを取り出して、

「サプリ、キメとく?」

「じゃあ効く奴を……」

「いっつんいっつん! いっつんのグッズ展開して良い?」

「やめてくださいー!」

「あはは……」

 案の定と言うべきかカオスになり始める空間を見て、友奈が笑い声を上げる。だがいつもとは違い、その声にはどことなく力が入っていないように感じられた。そんな友奈のささいな異変に気付き、風が尋ねる。

「ん? らしくないわね、何か考え事?」

「ふぇ? 何も考えてないですー」

「それはそれでどうかな……? 本当はどっか具合悪いんじゃないのー?」

「確かに先週から色々忙しかったですもんね。もしかして、風邪引いたとか?」

 友奈の体調を心配した二人がそう言った瞬間、この部室内で一番友奈への想いが強く想い人物が凄まじい表情をして叫んだ。

「ええっ!? 友奈ちゃん具合悪いの!?」

「いや顔っ!!」

「ホラー映画に出演する気かお前は!?」

 東郷の顔に銀と志騎からの全力のツッコミが飛ぶが、当然彼女の耳には届いていない。友奈の具合が悪いと聞いて、東郷は園子と一緒に友奈に健康波動を飛ばし始めた。

「そんなの効くはずが……」

「ああーポカポカする……」

「ええっ、嘘! そんなはず……!」

 驚愕する夏凜に、東郷と園子がにやりとターゲットを友奈から夏凜に変えた。すぐさま二人は手を奇妙に揺らし始め、夏凜に健康波動を送り始める。

「やめろー! ……あれ、なんかポカポカしてきた……」

「マジで!?」

 東郷と園子の健康波動の感想を夏凜が呟き、銀が驚愕する。ここまで来ると彼女達から本当に何かの波動が出ているのかもしれない。

 そんな勇者部のやり取りを見ていた友奈がふと横に視線を変えると、棚のガラス戸に貼られた紙が目に入った。紙には勇者部五箇条が書かれており、その中の『悩んだら相談!』という言葉が強く友奈の視線を引き付ける。

「風!  勉強終わったなら飾り付け手伝いなさいよ!」

「別に良いんじゃないか? 飾りつけはもうアタシ達でほとんど終わってるんだし、あとはクリスマス当日を待つだけ……」

「み、みんな! あ、あのね……」

 友奈が声を上げると、友奈を除いた勇者部全員の視線が友奈に向けられる。友奈はどうにかいつも通りの笑顔を引っ張り出すと、どんな風に話を切り出そうか頭の中で考えながらとりあえず指を一本立てて、

「え、えっと……。ここで問題です! キリギリスが、アリの借金をこっそり肩代わりしたとしたら……その後、どんな問題が起こるでしょうか!?」

 しかし、七人の反応はぽかんとしたものだった。突然の友奈の問題の意図が分からず、風が友奈に尋ねる。

「何、それ?」

「私も分かりません……」

「はぁ?」

「社会学の実証問題?」

「随分難しい事知ってるな、園子……」

 すると、何故か問題を出したはずの友奈がうろたえて、

「え? ええっと……学校新聞のクイズを考えていて……」

 少々怪しかったが、どうやら風と夏凜はそれで納得したらしい。

「ああ、それで……」

「それ、クイズになってないわよ」

「あはは……」

 友奈は作り笑いを浮かべながら、再びどんな風に話を切り出すかと悩む。しかし、やはりこういった事は自分には向いていない。自分にできる事は、ただ自分に起こった事を正直にみんなに話す事だ。友奈は意を決すると、今度こそ自分に起こった異変を話そうと口を開く。

「あのね! 実は、私……!」

 その、瞬間。

 友奈の目に、あるものが映った。

 彼女達の胸に現れる、禍々しい黒い太陽のような紋章が。

「………っ!」

 それに友奈は思わず絶句し、口を閉ざしてしまう。

「肩代わりの話か~」

「え……う、うん!」

 園子の言葉に友奈が思わず笑いながら答え、その際に目を閉じる。次に目を開けると、彼女達の胸から紋章は消えていた。友奈が出した問題について園子達は話し合っているようだが、もう彼女達の会話は友奈の耳には届いていない。ただ険しい表情を浮かべて、俯いているだけだった。

 結局その後友奈は自分の身に起こった事を誰にも言う事が出来ず、その日の部活動は終了する事になった。下校時刻となり全員が雑談をしながら帰り支度をしていると、浮かない表情をしていた友奈に志騎が声をかけた。

「友奈」

「え、な、何? 志騎君?」

 突然声を掛けられた事に動揺しながら友奈が返事をすると、志騎は友奈の目をまっすぐ見ながら尋ねた。

「お前、大丈夫か? 元気無さそうだけど」

「え……」

 自分の身を案ずる志騎に、友奈は戸惑いながらも自分の身にあった事を話そうかと悩む。

 しかし、先ほど自分の目に映った光景を思い出して友奈は唇をきゅっと噛むと、無理やりに笑顔を絞り出す。

「ううん! 何でもないよ! 心配してくれてありがとう!」

 そう言って友奈は志騎から離れると、東郷と一緒に部室を出る。しかし志騎はどこか納得していないような表情を浮かべながら、友奈が出て行った部室の扉をじっと見つめるのだった。

 

 

 

 その日の夜、友奈は自宅のベットの上で一人寝転がりながら今日の昼間に見た光景について思い出す。 

 勇者部の面々に浮かび上がっていた、不気味な紋章。それを見て連想するのは、やはりつい先日東郷を助け出した時の事だった。

(東郷さんを助けようとした時、お役目は私に引き継がれた。こんな事を知ったら、きっと東郷さんが悲しむ事になる。折角今、みんながやっと揃って楽しいのに……!)

 友奈がそう考えていると、胸の紋章がある位置から焼ける様な痛みが友奈を襲う。思わず紋章のある位置を抑えると、さらに彼女のスマートフォンから着信音が鳴る。スマートフォンを取って画面を見ると、勇者部の使用するチャットアプリに東郷からのメッセージが届いていた。

『クリスマスって名前は外国産過ぎてしっくりこない』

『モミの木祭りというのはどうかしら?』

『風情が無い』

『バカなの?』

『さあすがにちょっと……』

『ムードぶち壊しだよ……』

『わっしーは変わらないなぁ』

『死ねば良いと思う』

『悪い。今のは刑部姫が俺のスマホを使って打ったから、あとで処刑しておく』

『我が国の良さを伝えきれないおのれの筆力が憎い!!』

『我が国www 痛すぎwww ワロタwww』

『刑部姫は釜茹でにすべきである。異論のある者は挙手を』

『異議なし』

『異議なし』

『異議なし~』

『おぉい!?』

 と、立て続けに送られてくる混沌としながらも平和なメッセージのやり取りに、友奈は思わず微笑んでしまう。こういうやりとりができるのも、平和な証だ。そして自分が悩みを話せば、ようやく手に入れたその証が再び無くなってしまう。友奈は笑みを消すと、両腕の力をだらりと抜いて天井を見つめる。

(私は……)

 自分は、どうすれば良いのだろうか。どうするべきなのだろうか。

 しかし考えても考えても何も思い浮かばず、結局その日の夜の内に答えが出る事は無かった。

 

 

 

 

 

(私は、生かされている。だからこっち側にいられるんだ)

 翌日になっても、友奈の悩みは晴れなかった。授業中も、一人でいる時も不安がぐるぐると彼女の頭と胸の中を回っている。考えてみたら、自分が今こうしていられるのは天の神の気まぐれにすぎない。会った事は無いが、もしも天の神がやろうと思えば自分はもう東郷を助け出した時点で死んでいるはずだ。まるで真綿で首を絞められているようで、友奈は苦し気に表情を歪めた。

 それからようやく放課後の部活動の時間となる。友奈が東郷と話していると、彼女のあとに部室に来た夏凜がコートをハンガーにかけながら困ったように呟く。

「もう、こんな寒い時になんでマンションのエアコン壊れるかなぁ」

 自分の身に起こった不幸に夏凜がぼやくと、さらに東郷も彼女に続くように言う。

「私も昨日は、急に電灯が切れてとても困ったの」

「実はアタシもなんだよなぁ」

「銀も?」

 東郷の言葉に銀はああと頷いて、

「昨日給湯器が突然壊れてさ、お風呂に入れなくなっちゃったんだよ。父ちゃんの車で銭湯にいけたから良かったんだけど、一番風呂がアタシで給湯器壊れてる事に気づかなかったからさ。シャワー浴びる時に超冷たくてビビった……」

「それは辛いな……」

「だろ?」

 それから銀は、昨夜のシャワーの冷たさを思い出したのかブルルと震えた。この時期に冷水のシャワーはさぞ応えた事だろう。

「みんな大変だったんだね」

「そう。災難よ災難!」

 腕を組んで夏凜がふーと息をつくと、そこに風の声が割り込んできた。

「そんな事ぐらい! うちなんて昨日樹が鍵を落として、寒空の下二人して大変だったんだから!」

「わわっ……。言わないでぇ~!」

「ちょっとコンビニに行っただけだったのに、大騒ぎだったわよー」

「あぅう~」

 自分の失態を暴露され、樹はちょっと涙目になった。

「ったく、ドジねー」

「本当、しっかりしてきたと思ってたんだけどねー」

 樹は涙目ながら、それでもこれはまだ笑い話の範疇だ。しかし友奈の方は、ひどく険しい顔で風と樹のやり取りを見ている。

「園子参上なんだぜー」

「お、来たか園子……ってどうしたんだその包帯!?」

 部室に現れた園子の右手を見て、銀が声を上げる。彼女の右手は包帯で巻かれており、右手の動きに支障は無さそうだが痛々しい。

「大丈夫大丈夫~。スポッと! こうしてサンチョをかぶせれば、あってないようなものシュレディンガー!」

「って、食われてる食われてる!」

 自分の右手をいつも持っている猫のぬいぐるみの口に突っ込ませておどけるが、右手の傷という事実を消す事は出来ない。

「一体どうしたのよ?」

「今朝、ポットで火傷したんだ」

「大怪我じゃなくて良かったわ」

「うん。小怪我~」

 しかし、志騎と友奈以外の六人全員が何らかの不幸にあうという事態に、友奈の表情が暗くなると共に昨日の光景が彼女の脳裏をよぎる。もしかしたら、あれが原因で彼女達は不幸な目に遭ったのかもしれないという考えすら出てきた。……いや、この紋章の性質の事を考えるとあながち間違いじゃないのかもしれない。

 そんな事を友奈が考えているとは露知らず、夏凜がため息をついて、

「はぁ。揃いも揃って師走にロクなもんじゃないわねぇ。勇者部全員厄払いにでも行った方が良いんじゃない?」

「ちょっと縁起でもない事言わないでよー! ……いやでも、必要かも……」

「ちょ……本気にしないでよ」

「でも風先輩は受験が近いですし、万が一のために受けた方が良いんじゃないですか?」

「そうねぇ……」

 と勇者部がそんなやり取りをしていると、東郷から志騎と友奈に質問が向けられた。

「友奈ちゃんと志騎君は何もなかった?」

 それに友奈はようやく東郷が心配そうな目で自分を見ている事に気づくと、慌てて笑顔になり、

「うん! 平気!」

「こっちも何もなし。平和な夜だったよ」

「良かった。二人にまで何かあったら、いよいよ怪しいものね」

「また、大赦かー! って」

 しかし、園子の一言で部室内の空気が一瞬凍り付いた。彼女達が黙り込むと共に、脳裏に大赦が真実を隠していた事により起こった悲し気な出来事が彼女達の脳裏をよぎる。

「い、いやいや!」

「まさか、さすがに!」

「それはないって園子ー!」

「だよね~」

 どうやら園子の方も半ば冗談だったらしく、笑いながら可能性を否定する。

「私達、めちゃくちゃ疑い深くなってるんじゃない?」

「まぁさすがにあんな事があったから仕方ないけど、いくら何でもこじつけが過ぎるよな」

「あはは……」

 夏凜と銀の言葉に友奈は笑うが、やはりと言うべきか彼女の笑いには力が入っていない。

 そして彼女の笑みを、園子がきょとんとした表情で、志騎がじっと何かを探るような目で見つめていた。

「はいはい! それぞれ持ち場につけー!」

『はーい!』

 手を叩きながら風が促すと、七人は返事をして持ち場につこうとする。友奈は不安に満ちた表情を浮かべていたが、やがて真剣な顔になると持ち場につこうとする風に声をかけた。

「あ、あの! 風先輩!」

「……?」

「ちょっと、良いですか?」

 それから友奈は誰にも聞かれないように、風に部室が終わった後二人きりで話したい事を伝えた。

 話の内容は小声で話したので、勇者部の誰にも聞かれていなかった。

 ただ一人。

「………」

 友奈と風のやり取りを気づかれないように観察していた、志騎を除いて。

 

 

 

 

「どうしたの? 悩み事?」

「えっと……」

 部活動が終わった後、讃州中学の渡り廊下に風と友奈の二人はいた。そして物陰に志騎がこっそりと隠れて、二人のやり取りを見ている。

(友奈の奴に何か起こってるんじゃないかって思ってたが……この様子だと、ビンゴかな)

 実は昨日友奈が自分の体の異変をみんなに話そうとした時に、彼女達の胸元に紋章が浮かび上がる所を、志騎も見ていたのだ。

 いや、正確には何故か志騎の左目がまるでバーテックスの能力を発動する時と同じようにわずかに反応したと思ったら、彼女達の胸に紋章が見えたというのが実際の所なのだが。

 それで友奈に探りを入れてみたが、彼女は何も答えなかった。そこまでは良いのだが、一晩明けると自分と友奈を除いた全員に何か不幸が起こっていた。その原因は間違いなく、彼女達の胸に浮かんでいたあの紋章だろう。

 あの紋章と同じものを、以前志騎は見た事がある。

(俺が暴走した時と、同じもの……)

 二年前志騎が初めてバーテックスの本能に呑まれて銀達に襲い掛かった時、バーテックスの頭部に現れた紋章と同じ形をしていた。それに反応するように、自分の左目が……正確には、自分の中のバーテックスの細胞が反応していた。つまりあの紋章は、自分達の敵である天の神のものなのだ。それが何故自分には現れなかったのかは分からないが。

 あの紋章が天の神のものであり、彼女達に危害を加えるものならば、自分に何かできるかもしれない。しかし昨日と今日の友奈の様子からすると、素直に話してくれると思えない。なのでこうして、彼女達のやり取りをこっそりと聞いているのだ。

(本当ならバーテックスの能力で聴力を強化して聞くって手もあるけど……。刑部姫から力は使うなって言われてるし、仕方ないな。……こんな姿を他人に見られるのは嫌だけど……)

 嫌だが、背に腹は代えられない。ここならば友奈達に発見される事は無いだろうし、ギリギリ二人の会話の内容も耳に届く。志騎が息を殺して友奈が話すのを待っていると、風が友奈の顔を覗き込みながらニヤニヤと笑う。

「恋愛の事だったりして~。あ、そしたら東郷が怒るか」

「怒ったりしませんよ~」

「どうかな~?」

 やりかねないわよ? と言うように、悪戯っ子のような笑みを風は浮かべた。

「そんな事より、何? 言ってみ?」

 しかしさすがは先輩、すぐに友奈の顔を見て用件を聞く。それに友奈もぐっと決心したような表情を浮かべ、隠れている志騎もわずかに身を乗り出して話が少しでも耳に入るようにする。

「実は……この間……」

「……どの間?」

「あ、ええと……スマホを返してもらった日……」

 スマホを返してもらった日というと、自分達が東郷を捜索するために壁の外へと向かった日だ。その日友奈はブラックホールの中へと突入し、東郷を連れて壁の中へと戻ってきた。

 しかしそこまで言ってから、友奈は再び言いにくそうに口をつぐんでしまった。

「何かあった?」

 そして風にそう聞かれると、ようやく友奈は意を決して自分の身に何が起こったのかを風に話そうとした。

「実は……! 東郷さんを……!」

 その瞬間、友奈の顔が強張った。

 それに反応するように、志騎の左目に青い幾何学模様が出現し、友奈の見ているものが志騎の視界にも入ってくる。

「……? 何?」

 風がきょとんとした表情で尋ねるが、友奈の耳に入っているかは分からない。

 今友奈と志騎の目には、風の胸の部分に黒い太陽の紋章が現れるのが見えていた。しかも昨日東郷達に現れていたものよりも、はっきりと見えている。

「……いえ」

 友奈は風の顔を見て答えてから紋章があった部分に視線を戻すと、もう紋章は消えていた。それは志騎も同様で、友奈が返事をしてからすぐに左目の幾何学模様が消えてしまい、それに伴い紋章も見えなくなってしまった。

「………?」

 一方、風の方は何故か険しい表情を浮かべている友奈を不思議そうな目で見つめていた。するとそれを誤魔化すように、友奈は頭の後ろに手をやりながら笑う。

「ま、前にみんなで撮った写真とか大事なやつ、スマホから消えちゃってて……」

「あー、それは仕方ないわね。大赦の検閲で消えちゃったのかも……」

 それから友奈と風の話は、いつも通りの他愛のないものへと変わっていった。友奈の方も話を元に戻すような事はせず、しばらくその場で話をしてから風と一緒に立ち去っていく。やがて二人の姿も声も完全に感じられなくなると、志騎は物陰から姿を現して自分の左目に手をやる。

(……さっき俺は、自分からバーテックスの能力を使っていない。それなのに、勝手にバーテックスの能力が発動した……。いや、もしかして天の神の力に反応した?)

 という事は、どうやら自分の中のバーテックスの細胞は天の神の力を察知するレーダーにもなるらしい。まったく、忌々しくも便利な力だと心の中で毒づく。しかしそうなると、先ほどの風に見えた天の神の紋章が気になる。

 これまでの事と先ほど友奈が話そうとしていた事から推測すると、やはり先日友奈の身に何かが起こったのは確かだ。肝心の何かは友奈に聞いてみないと分からないが、それを誰かに話そうとすると先ほどの紋章が誰かの体に出現し、不幸な事が起こる。先ほど友奈が風に話そうとしていたのをやめてしまったのも、それが原因だろう。もしもあれ以上話していたら、風の身に何が起こるか分かったものでは無い。

 いや。

「……マズいな」

 チッと思わず舌打ちして呟く。

 先日勇者部の面々に現れた紋章は小さなものだったにも関わらず、それぞれに何らかの不幸が出た。園子に至っては火傷まで負ってしまっている。

 今回の風の場合の紋章は、その時出現した時のものよりもはっきり出現していた。だとすると、彼女の身に降りかかる不幸もその時よりも大きいものである可能性が高い。 

 志騎は急いでその場から駆け出すと、自分の鞄とコートが置かれている教室へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 教室でコートと鞄を持って勇者部部室へと向かった志騎は、運よく部室を出る所だった風の姿を見つけた。志騎が彼女に見つからないように彼女を尾行すると、彼女は駐輪場の所で樹と合流し、一緒に自宅へと帰っていく。志騎もいつも駐輪場に置いてある自分の自転車を引きながら、彼女達の後を距離を保ってついていく。なお、銀は用事があるからと先に帰らせている。

 志騎の前方で風と樹は来週のクリスマスイベントについて話し、笑い合っている。本当ならもう少し距離を取った方が良いのかもしれないがこれ以上離れると何かあった際に動けない。かと言って近すぎると二人に気づかれる可能性が高くなるので、この距離が限界だ。

 そして前方の風が何か暖かい物でも作ろうかと言ってスーパーに行くのを提案し、樹もそれを快諾する。三人は交差点に近づき、風と樹が青色に変わった横断歩道を渡ろうとする。

 直後。

 橙色の光を放つ太陽が雲に隠れると共に奇妙に歪み、風の胸部に紋章が現れ、それに呼応するように志騎の左目に青色の幾何学模様が出現した。

「っ!!」

 自分の左目の違和感に、志騎は表情を強張らせながら辺りを見回す。このタイミングで左目が勝手に反応したという事は、十中八九何かが起こるはず。そう思った志騎の両目の視界に、あまりに予想外過ぎるものが飛び込んできた。

(トラッ、ク!?)

 横断歩道を歩く風目掛けて、小型トラックが突っ込んできていた。しかも生半可な速度ではない。もはや暴走とも呼べる速度で、風に突っ込んできていた。あれでは仮に運転手がブレーキを掛けたとしても、風の目の前で止まる事は不可能だ。今まさに風に突っ込んでいるトラックが止まる事が出来なかった結果どうなるかなど、言うまでもない。

「くそっ!!」

 ガチャン!! と志騎は自転車を放り出すと風の元に走り出す。だが、風と自分の位置関係ではまず間に合わない。このまま自分が全速力で走っても、風がトラックに轢かれておしまいだ。――――志騎の身体能力を爆発的に上げる裏技でもない限り。

「………っ!」

 もちろん、それを志騎が躊躇するはずもなかった。

 志騎が両目を見開くとバーテックスの細胞により、身体能力が一気に向上する。刑部姫からもうバーテックスの能力は使うなと忠告されていたが、そんな忠告は今の志騎の頭からはすっかり吹き飛んでいた。

 強化された身体能力で一気に樹の横を通り過ぎると、トラックの前で思わず立ちすくんでいる風の体を突き飛ばす。全力でやると逆に風の体を壊しかねないため手加減し、どうにか風の体をトラックの進行方向から逃がす事に成功する。

 それにほっと安堵の息をついた志騎の体を。

 小型トラックという鉄の塊の凶器が、襲った。

 ゴッ!! という壮絶な音と共に何かが飛び、地面に何かが叩きつけられる音が響く。ビシャッ! という水っぽい音と共にコンクリートに飛び散った液体の色は、毒々しい赤色をしていた。

 コンクリートに叩きつけられた物体の正体を突き飛ばされて地面に倒れた風と、何が起こったかよく分かっていない樹の二人が確認した直後。

 風の口から誰かの名前を呼ぶような絶叫と、樹の口から喉が張り裂ける様な悲鳴が空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 夜、友奈は自宅で花の絵を描いていた。彼女の横では精霊である牛鬼が園子が持っているのと同じ猫型の枕をかじっている。相変わらず、食べ物だろうとそうでなかろうと何でも口に運んでしまう食いしん坊すぎる精霊だ。

 今日の夕方の事を思い出して友奈は浮かない表情をしていたが、突然スマートフォンからチャットアプリの着信音が鳴った。友奈がスマートフォンを取って内容を確認すると、相手は風からだった。

『全員、特に銀、落ち着いてよく聞いて。志騎が、トラックに撥ねられた』

 思考が冗談抜きで停止した。友奈が呆然とスマートフォンの画面を見ている間にも、チャットの連絡は続いていく。

『あたしと樹は、今病院にいる。刑部姫が今志騎の様子見てる』

『せんぱい』

『どういうこと』

『なんで』

 しかしやはりと言うべきか、今回の連絡に一番動揺しているのは彼の幼馴染である銀のようだった。立て続けに送られてくる短文からも、彼女の心境が伺える。と、動揺する銀を落ち着かせるように他の部員達からも続々とメッセージがやってきた。

『銀。落ち着いて』

『今すぐ病院に行く』

『私も行きます』

『もう出た』

 さすがと言うべきか、他の三人の行動は早かった。今頃は風と樹がいる病院に全員向かっているだろう。友奈は自分の呼吸が荒くなるのを感じながら、紋章がある自分の胸に手をやる。

「そんな……どうして……どうして、志騎君が……」

 そこまで考えた所で、友奈はようやく気付いた。

 志騎はどうやら自分の元気がない事に気づいているようだった。そして彼はバーテックスの力を持っている。東郷達では気づかない事も、彼ならば気づいていた可能性はある。

 だとすると、勘の良い彼の事だ。自分と風の会話をどこかで隠れて聞いていた可能性は高い。それで自分と同じように、風の胸に紋章が現れているのを彼も見ていたとしたら。その結果風に降りかかろうとしていた不幸からどうにかして彼女を助けようとして、結果彼女の代わりにトラックに轢かれたのだとしたら、辻褄が合ってしまう。

 だが、それはつまり。

 志騎がトラックに轢かれたのも、風がそうなりかけたのも、全ては自分の――――。

「………っ!!」

 こみ上げてくる恐怖と吐き気をどうにかこらえながら、友奈はふらふらと立ち上がる。

 それからどうにか身支度を整えて家を出ると、志騎が治療を受けているという病院に向かった。

 志騎が治療を受けているのは友奈達がまだ勇者だった時、彼女達もお世話になった病院だった。そこでバーテックスと戦った後の検査などをしてもらい、東郷も一時期ここに入院していた。

 友奈が病院の待合室に入ると、そこには勇者部部員のうち五人がすでに集まっていた。風、樹、夏凜、東郷、園子の五人。銀はまだ来ていないのか、姿は見えない。

 息をつかせて友奈が五人に近づくと、五人の視線が友奈に向けられる。

「友奈ちゃん……」

「みんな……志騎君は……」

「今はまだ、刑部姫の治療を受けてるわ。ねぇ、友奈。銀の奴知らない? あいつ、まだ姿が……」

 風が尋ねようとした直後、ダン! と病院の床を強く踏みつける音が友奈の背後で響き渡った。勇者部部員全員が目を向けると、そこにいたのは今まさに噂をしていた三ノ輪銀本人だった。

 しかし、彼女の憔悴ぶりは友奈の比では無かった。家から全速力で駆けつけてきたのか顔は汗だく、顔面蒼白で体が小刻みに震えている。彼女は目の前に立つ友奈の横をすり抜けると、現場に志騎と一緒にいた風に尋ねた。

「風先輩、どういう事ですか……!? どうして、どうして志騎が!?」

「銀! 静かに! ここは病院よ!」

 銀の体を東郷が静かに、しかし強く抑えて彼女をなだめる。彼女の声に銀も我を取り戻すと、深呼吸をしてから椅子に座り込む。それからも荒く息をつく銀に、あらかじめ買っていたのか夏凜がペットボトルの冷たい水を差し出す。

「まずは、これでも飲んで落ち着きなさい」

 銀は夏凜の差し出した水を受け取ると、キャップを外して静かに飲み始めた。やがてようやく落ち着いたのか、銀はペットボトルのキャップを閉めると夏凜に返す。

「ありがとう、夏凜。頭冷えてきた」

「礼なんて良いわよ。それより風。事故の時の事を説明してちょうだい。私達もまだ詳しくは聞いてないけど、何があったの?」

 どうやら事故の事を説明するのは、勇者部が揃ってからにしていたらしい。風は集まった勇者部の顔を見回すと、静かに当時の事を話し始める。

「あたしも、正直何が起こったのか今でも完全に分からないんだけど……。樹と横断歩道を歩いていたら突然トラックが飛び込んできて、あたしが跳ねられそうになったの。でもその時、後ろから誰かに突き飛ばされて、あたしは間一髪助かった。その突き飛ばした相手が……」

「あまみん、だったんだね?」

 確認するような園子の言葉に、風がこくりと頷く。彼女は当時の事を思い出しているのか、険しい表情で、

「でも、トラックに轢かれた志騎はピクリとも動かなくて……。それであたしは救急車を呼んで、樹に刑部姫を呼んでもらったの。樹なら刑部姫の連絡先を知ってたし、志騎の体の事に誰よりも詳しいのは多分刑部姫だから……」

 風のその判断は正しかったと言う他ない。刑部姫は志騎を作った氷室真由理の記憶と頭脳を受け継ぐ精霊だ。最初に彼女を呼んでいた方が志騎が病院に運ばれた後の手続きの手間などが色々と省ける。

「それですぐに現場に来た刑部姫は志騎の体の様子とかを調べて、自分のスマートフォンで大赦に何か指示を出してたみたい。それで志騎を救急車に乗せてここに運んで、大赦を通して何か手続きをしたのか今は一人で志騎の様子を見てる。それで、あたしはみんなに連絡をしてここで樹と一緒に待ってたの」

 これが、志騎がこの病院に搬送されてからの出来事という事だろう。すると、風の話を聞いていた夏凜が不安そうな面持ちで尋ねた。

「ねぇ、だけど確か志騎ってどれだけの酷い怪我でも脳と心臓を破壊されなければすぐに治るのよね? それが回復にも検査にもこれだけの時間がかかるって事は……もしかして、今回志騎が受けたダメージって、相当酷いんじゃ……」

 彼女の言葉に勇者部全員の間に重い雰囲気が漂い始め、誰も言葉を発する事ができなくなってしまう。特に銀など体が小刻みに震え始め、今にも倒れそうな錯覚を見る者に抱かせた。すると、みんなを安心させるように風が明るい口調で言った。

「だ、大丈夫よ! 志騎の事は心配だけど、検査をしてるのは性格は腐ってるけど頭と腕だけは一流の刑部姫よ? 頭の良さを取っちゃったら何も残らないあいつだけど、あいつならどうにかしてくれるわよ! 正直、頭の良さと腕の良さ以外は信用できないけど!」

「スリングショットを知っているかクソガキ」

「え、何それいったぁっ!!」

 パァン!! という音と共に風の背中に何かがクリティカルヒットし、風は背中を抑えたまま膝をついてうずくまるという、言葉は悪いが間抜けな体勢になった。他の勇者部部員達が唖然とする中、風の体の横を跳ねていたのは小さなゴム製の弾だった。その弾を小さな影が拾い上げ、さらにゴミを見るような目つきで風を見下す。

「人が働いている間に陰口とは恐れ入ったよ。次に言ったら私が作った小型レールガンの的にするからな」

 小さな影――――刑部姫がそう言うと、左手に持っていたゴム弾と、右手に持っていたパチンコらしきものを着物に入れる。そこでようやく自分達の前に現れたのが刑部姫だという事に勇者部達は気付くと、夏凜が声を上げる。

「って、刑部姫!? あんたいつからいたのよ!?」

「あ? たった今だよ。それがどうした?」

「いや、たった今って、じゃあ志騎の検査は……」

「呼んだかー?」

「志騎!?」

「志騎さん!?」

 さらにそこに、場違いとも思えるほどのんびりとした志騎の声が全員の耳に届き、彼女達が声の聞こえてきた方向に目を向けると、そこには……。

『無傷!!』

 お前本当にトラックに突っ込まれたのかと言いそうになるほど、見事なまでに傷一つない志騎が立っていた。彼は首をコキコキと動かしながら、

「いやー、まさかトラックに吹っ飛ばされるとはな……。おかげで再生にも時間がかかったよ。ようやくついさっき、壊れた箇所の修復が全部終わった」

「それで、こんなに時間がかかってのね」

 どうやら今回のトラックの衝突によるダメージは、人間を越えた再生能力を持つ志騎でもすぐに回復してはい終わりとはならないほど酷かったようだ。しかしそれでも普通の人間ならばもっと時間がかかるほどの回復をこの短時間で終わらせてしまうのだから、やはりバーテックスの細胞が持つ回復能力は凄まじい。志騎は集まった勇者部全員の顔を見回すと苦笑して、

「……みんな、悪いな。心配かけちゃって」

 志騎が謝る事ではないのだが、自分を心配して病院に集まってくれた友奈達に何も言わないというのも失礼だと思ったのだろう。すると、夏凜が腕を組んでツンとした表情で、

「まったく、人騒がせなのよね!」

「こらこら、ちょっとは労わってやりなさいよ。治ったとはいえ、トラックに轢かれたんだから。それより志騎、悪いわね。あたしを庇って……」

 責任感が強い風らしく、申し訳なさそうな表情を浮かべる。しかし志騎はひらひらと手を振って、

「別に問題ないですよ。それより、風先輩が無事で良かったです。今回の事故が原因で受験ができなくなってでもしてたら大変でしたし」

「でも、事故に遭いかけたというだけですでに風先輩の受験が危うくなってきたような……」

「そういう事言うのやめてくれない!? 志騎のおかげで無事で済んだのに、すごく不安になってきたんだけど!」

 悲観的な事を言う東郷に風が悲鳴じみた声を上げた。

「でも志騎、どうしてあんたあたし達のそばにいたのよ? いや、そのおかげで助かったようなものだけど……」

「ちょうどスーパーに買い物があったから、そこに向かおうとしてた所だったんですよ。そしたらあのトラックに遭遇して……。いやぁ、参った参った……」

 言いながら志騎が肩をすくめると、きっとこの中で一番志騎の様子を心配しているであろう銀が恐る恐る志騎に尋ねる。

「し、志騎、本当に大丈夫なのか? どこか痛い所とか、後遺症とかないか?」

「本当に大丈夫だよ。……お前にも、悪かったな。心配かけて」

「そ、そうか……。なら、良かった……あっ」

「銀!?」

「ミノさん!?」

 突然安堵の表情を浮かべていた銀が足元から崩れ落ち、慌てて東郷と園子が支える。すると、二人に支えられた銀はえへへ……と恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

「ごめんごめん……。安心したら腰が抜けちゃったよ」

「ったく、驚かせるんじゃないわよ。志騎に続いて、あんたにも何かあったんじゃないかと思ったじゃない」

 ごめんごめん、と夏凜の言葉に銀は頭を掻いて謝った。

「じゃあ、これであとは帰るだけ――――」

「――――いや、志騎は今日からしばらく入院だ」

 え、と勇者部全員の視線がそんな言葉を放った人物に向けられる。そう言ったのは、それまで勇者部のやり取りを見ていた刑部姫だった。

「いくらバーテックスの能力で回復できたとはいえ、まだ体にダメージが残ってないとも言い切れん。それに、前の壁の外での戦いでの影響も改めて調べておきたい」

「前の壁の外での戦いって……。まさか、志騎君の体に何か悪い影響が?」

 ある意味その戦いの引き金になってしまった東郷が表情を強張らせると、刑部姫は険しい表情で、

「それを調べるための検査だ。入院期間は……そうだな、来週のクリスマスが終わるまで、と言ったところか」

『……!』

 それを聞いて、勇者部全員の顔が驚愕で強張る。

 当然だ。来週は樹のクリスマスイベントがあり、そして……志騎と銀の初めてのクリスマスイブのデートがあるはずの週なのだ。クリスマスが終わるまで入院となると、当然デートの予定も無しになってしまう。

「待ちなさい、刑部姫! いくらなんでもそんなの無茶苦茶よ!」

「そうだよ! クリスマスが終わるまでなんて、せめて入院期間を短縮するとか他に方法はないの!?」

 さすがにこの条件を簡単に呑む事はできず、東郷と園子が猛反対する。

「駄目だ。徹底的に志騎の体の検査を行い、問題が無いと判断できる時間を考慮すると最短でもそれぐらいの時間がかかる。別に良いだろう。クリスマスイブが駄目なら、また別の日にすれば良いだけの話だ」

「そういう問題じゃないわ! あなたには分からないだろうけど、銀は本当にその日の事を楽しみにしてたのよ!! こんな事、簡単に聞き入れろっていう方がおかし……」

「――――グチグチうるっせぇなクソガキ共が!! グダグダ言うな、黙ってろ!!」

 ビリビリ、と刑部姫の怒号が響いた。刑部姫は精霊なので彼女の声が勇者部以外の人間に聞こえる事は無いが、彼女の怒声は東郷と園子を黙らせるには十分だった。と、そこで夏凜はある事に気づく。

「……ねぇ、刑部姫。一体どうしたのよ? あんたらしくないわよ」

 そう、彼女の言う通り今の刑部姫はいつもの彼女らしくない。普段の刑部姫ならば、こういった場面で口調を荒げたりするような事は決してしない。むしろ冷静な態度で理路整然と理由を話し、自分達を悔しがらせながら納得させるのが彼女のやり方だ。なのに、今の彼女にはそんな様子は欠片も見られない。冷静どころか、余裕の無さすら感じられる。彼女のこのような姿を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 刑部姫は夏凜の質問に答えず、ただ自分の頭を冷やすように一度深呼吸を行う。

「……別に何でもない。ただ、志騎の入院期間がクリスマス後までなのは確定だ。それ以上は短縮できん」

「でも……」

 なおも東郷が食い下がろうとすると、そこに銀が割り込んできて苦笑を浮かべながら東郷をなだめる。

「落ち着けって須美! アタシの事を考えてくれてるのはすごくありがたいけど、仕方ないだろ? 志騎はトラックに轢かれたわけだし、今後のためにも検査はしておいた方が良いよ。それに、デートにならいつでも行けるからさ!」

「銀……」

 本当は、彼とのデートが行けなくなって一番悔しい思いをしているのは彼女のはずなのに。だけど彼女はそんな感情はおくびにも出さず、ただひたすらに志騎の身を案じている。そんな彼女の一途な想いを考えると、東郷は胸が痛くなった。

 と、銀はパン! と手を叩き、

「そうだ! 折角だし、クリスマスイブにケーキ持っていくよ! それなら良いだろ!?」

「……ああ。構わん」

 刑部姫は珍しく天敵である銀に毒舌を吐く事も無く、ただ静かに頷いて肯定しただけだった。銀はそれに満足したようで小さくガッツポーズをする。

「じゃあ、クリスマスイブはデートは出来ないけど、その代わり志騎の病室でミニパーティーをしよう! じゃあ、話はこれで終わり! それで良いでしょ?」

「……ええ」

 渋々とした表情ではあったが、東郷はこくりと頷いた。しかし勇者部の間には微妙な空気が残ってしまい、それを振り払うように風が志騎に尋ねる。

「そ、それじゃああんたもう今日からここに入院? 着替えとかどうするの?」

「後で刑部姫が大赦の人と一緒に持ってきてくれるそうです。必要なものとかも、その時に持ってきてもらいますよ。あ、そうだ。勇者部の俺宛ての依頼とかどうしましょうか?」

「今はそんなに来てないし、あたしと銀でどうにかしておくわよ。この際だし、あんたは検査をきっちり受けて帰ってきなさい。クリスマスが終わったら、すぐ新年なんだし」

「その時は、みんなでお正月パーティーしようねあまみん!」

「……ああ、そうだな」

 その時の事を思い出して、志騎の顔が少し緩む。ようやく空気が明るくなってきたところで、本日はこれで解散する事になった。そろそろ志騎は自分の病室に戻らなければならないし、いつまでも彼女達が病院にいるというのも他の患者や医師達の迷惑になってしまうからだ。

「じゃあ、帰るとしましょうか。志騎、またね! ちゃんと元気になって帰ってくるのよー」

 風はそう言って、病院の出口へと向かって行った。他の勇者部の面々も去り際に志騎に一言告げて、風の後に続いていく。唯一友奈だけは、何故か複雑な表情を浮かべて、志騎に小さく手を振っただけだったが。

 そして最後に銀が残り、志騎が残った彼女に言った。

「じゃあ、またな銀」

「あ、うん。……あのさ、志騎」

「……?」

 しかし銀は何かを尋ねるような事はせず、ただ何か困ったような表情を浮かべてもじもじしている。それに志騎が怪訝な表情を浮かべていると、銀はたははと苦笑いして、

「な、何かあったら連絡くれよ? 志騎のためならアタシ、すっ飛んで行くからさ!」

「……ああ。頼りにしてる」

「そ、そっか。ありがとな。じゃっ!」

 そう言って銀は小走りで他の部員達の後を追って行った。その場には志騎と刑部姫だけが残り、志騎は部員達が去って行った方向をじっと眺めている。

「……行ったか?」

「ああ。もうあいつらの気配はない。完全に病院を出た」

「そっか。なら、良かった」

 直後。

 志騎の顔からぶわっ! と大量の冷や汗が流れ、全身を襲う倦怠感とこみ上げてくる吐き気に思わず膝をつく。今まで普通を装っていたが、ずっと彼はそれらを我慢して立っていたのだ。

 すると、その様子を見て刑部姫が舌打ちする。

「馬鹿が。バーテックスの能力は使うなと言っただろう。おまけに体の修復にも力を使ったから、その分反動も倍増だ。クリスマスが明けるまでは大分キツイぞ」

「……だな。銀には、悪い事をしちゃったな……」

 つい先ほどの銀の顔を思い出して、志騎は苦笑する。それに刑部姫はため息をつき、

「まったく。能力を使わなければそうはならなかったものを……」

「そういうわけにもいかなかったよ……。あのままだったら、風先輩がトラックに轢かれてたし……。使うしか、無かった……」

 自分の体の事よりも他人の事を優先した志騎に刑部姫はやれやれと言うようにため息をつくと、壁にもたれかかりながら真剣な表情を浮かべる。

「……本当か? 犬吠埼風に奇妙な紋章が見えて、その直後天の神の気配がしたというのは」

「ああ……。そのあとすぐにトラックが突っ込んできたから……。あれもきっと天の神の力が関わってるんだと思う。それに友奈がどういう形で関わっているのかは、まだ分からないけど……」

 今日志騎はトラックに轢かれて、病院に搬送されて体を修復している最中に、刑部姫に最近銀達に奇妙な紋章が見えた事、今日友奈が風に何かを話そうとした時風にまた紋章が見えて、その後トラックに轢かれそうになった事など全て話した。

「それより、お前の方で何か大赦から連絡は来てないか? 紋章の事や、トラックの事について何か……」

「……いや。私の所には何も来てない。それより、今日はもう病室に戻れ」

「ああ、そうす……」

 そう言って志騎が立ち上がろうとした時、その体がふらついて危うく転びそうになる。

「おいおい、大丈夫か?」

 しかしその質問に志騎は答えなかった。ただ左手をゆっくりと動かすと、左目の前で軽く振るう。すると彼の行動に違和感を覚えた刑部姫が、嫌な予感を感じて志騎に尋ねる。

「……どうした?」

「……いや、なんか左目の景色が見えずらいっていうか、かすむ……」

 その言葉に、刑部姫の表情が強張る。

 幾たびの戦いを得て、志騎の体はもうボロボロになっていた。傍から見るとそうでもないが、体の内側はもう限界が近づいている。彼の体を襲っている倦怠感や吐き気は、まさにその証明だ。

 そして、今志騎の左目の異常もその一つだ。……今日のバーテックスの能力を使った反動と体の再生の反動で、左目の視力が急速に衰えつつあるのだ。このままいけば、まず間違いなく左目の視力は失われる。いや、それどころか他の体の機能にも影響が出る可能性が高い。

 刑部姫はきゅっと唇を噛み締めると、動揺を志騎に悟られないように声をかける。

「……きっと今日の事故で疲れたんだろう。早くベッドに行って休め」

「……そう、だな」

 志騎は刑部姫に支えられながら、よたよたと自分の病室に向かって歩いていった。

 

 

 

 

 学校を出た友奈達は、赤色の信号がついている横断歩道の間で信号が青色になっているのを待っていた。すると、東郷がかすかな怒りがこもった口調で呟く。

「道路交通法違反……許せない」

 彼女に続くように、夏凜と風も口を開いた。

「命に別条が無かったから良かったようなものの……」

「あたし達だったら精霊がいるから大丈夫だったかもしれないけど、志騎は刑部姫に精霊バリア無いもんね」

 もしも刑部姫に精霊バリアがあったら、志騎は入院する事も無く七人と一緒に帰っていたかもしれない。そう考えると、やりきれない想いが湧いてくる。

「ねぇ銀、あんたは大丈夫なの? 志騎とのデートも無くなっちゃったし……」

 風の言葉に、銀は苦笑しながら、

「さっきも言いましたけど、アタシは大丈夫ですよ、風先輩。また今度都合の良い日を探せば良いだけなんですから。今は志騎の体の方が大切ですよ」

「……まったく、さすがね。風なんかよりよっぽど女子力高いんじゃない?」

「ちょ、夏凜!?」

「違うよにぼっし~、ミノさんの場合は女子力じゃなくてお嫁さん力だよ~」

「園子ぉ!?」

 夏凜に風が焦った表情で、園子に銀が顔を赤くしながらそれぞれ焦った声を出す。と、東郷が思い詰めた顔で、

「もしみんなの身に何かあったら、私、きっと正気じゃいられない……」

「東郷先輩……」

 大切な友達のためならどこまでも思い詰めてしまう東郷に樹が心配そうな声を出し、一瞬しんみりとした雰囲気が七人の間に漂う。

 しかし、

「国防仮面もブラックホールももう無しだからね」

「くっ……!」

「本当止めて……」

「あはは……」

 何故か非常に悔しそうな表情を浮かべる東郷に夏凜がツッコみを入れ、樹が困ったような苦笑を浮かべる。この六人ならば東郷がまたブラックホールになっても再び助けに行くのだろうが、さすがにあんな思いは何度もしたくないのでできればやめて欲しいというのが本音だろう。まぁ東郷の方も彼女達を困らせたくはないので、もうそんな事はしないだろうが。

「………」

 そして、勇者部の中で唯一沈んだ表情を病院から浮かべている人物が一人いた。

 その人物――――友奈は、浮かない表情を浮かべてじっと黙り込んでいる。いつもならば事故に遭った志騎を心配して、今度全員でお見舞いに行きましょー! と元気よく言いそうな彼女が今日に限って何故か反応がない。まるで、何か大事な事を考え込んでいるかのようだった。

 と、そんな友奈の顔を覗き込んで東郷が声をかけた。

「友奈ちゃんも」

「私!?」

「怪我だけは、気を付けてね」

「う、うん」

 自分の身を案じてくれる東郷に、友奈はどうにか笑顔を作り出して返事をする。

「そう言えば友奈さん、病院に来てから口数が少ないような気がしましたけど、大丈夫ですか? もしかして、どこか具合とか悪いんじゃ……」

「え、アルファー波の出番?」

「はいはい。園子はちょっと落ち着こうな」

「しょぼ~ん」

 具合が悪いかもしれないと聞くや否や、目を輝かせて手を奇妙に揺らし始める園子を銀がなだめると、友奈は精一杯の空元気を出して笑う。

「わ、私は大丈夫ですよ? もう元気もりもりで、うどん何杯でも食べられちゃいます!」

「それなら良いけど、何かあったらきちんと言いなさいよ? 最近はなんか変な事ばかり続くし……」

 勇者部の面々は不幸な目に遭うわ、風はトラックに轢かれかけるわ、実際に志騎はトラックに轢かれるわ……。東郷や風が友奈の体調を心配するのも無理はないだろう。一方、風の言葉に友奈が何故か表情を暗くしたが、それに彼女達が気づく事は無かった。

「これで友奈も事故に遭ったら、もう本当に勇者部総出でお祓いに行った方が良いよな」

「その時は任せて頂戴。私の全能力を生かして、最高の神社を探して見せるわ」

 そう語った東郷の顔がこれまでにないほど真剣だったので、彼女以外の勇者部は思わず顔を引きつらせながら苦笑を浮かべた。

 そんなやり取りをしていると、ようやく横断歩道の信号が青になった。

「あ、青だ~」

「渡る前に、よく確認しておきなさい。暴走している車やトラックは無い? 無かったら渡って良いわよー」

「お姉ちゃん、すっかり疑い深くなっちゃってるね」

「さすがにあんな事の後だと、疑い深くもなるわよ……」

 何せ自分は轢かれそうになり、後輩は自分を庇って重傷を負ったのだ。風でなくともしばらくは青信号でも周りに神経を張り巡らせてしまう。

「じゃーねー!」

「また明日!」

「二人共、気を付けて帰るのよー!」

「ばいばーい!」

 別れのあいさつを交わしながら、友奈と東郷は五人と別れて彼女達の帰路につく。

 その時、

「…………?」

 園子は東郷と話しながら歩く友奈の横顔を見て、以前の彼女とは違うある変化に気づく。

 しかしその変化はとても些細なもので、自分以外の少女達は気付いていないようだった。きっとその変化に気づく事ができたのも、勇者部員八人の中で一番観察力に長けた園子だからだ。

 しかし確証も無いのに友奈を呼び止める事もできず、園子は東郷と一緒に自分達から遠ざかっていく友奈の横顔を、ただじっと見つめるのだった。

 

 

 

 それから友奈は自宅に帰った後、自分の部屋で机に向かっていた。と言っても勉強をしているのではなく、最近自分の身に起こった事をノートにイラストとして書いて整理しているのだ。 

 暗い表情で友奈がノートを見つめている、胸元の紋章がある位置からズキンと焼けるような痛みがはしった。胸元を抑えてどうにか痛みにこらえながら、最近の出来事について思考を巡らせる。

(私がみんなに話そうとしたら、みんなに少しずつ嫌な事があった。改めてちゃんと話そうとした風先輩は事故に遭いかけて、先輩を庇って志騎君が代わりに事故に遭った。天の力は、現実の私達の世界に影響を及ぼす事ができるほど。なんとかしようとしても、代わりにどこかに影響が出る。そうやってバランスを取ってるんだ。私に起きてる事は、言っちゃ駄目な事なんだ……)

 もしも言おうとすれば、また同じような事が起きる。今日はきちんと話そうとした風がトラックに轢かれかけたが、志騎が庇わなければ彼女は間違いなく重傷を負っていた。

 いや、少々酷な言い方をするとそれでもまだ良かった。もしも友奈が天の神からタタリを受けた事について全てを風に話していたら、風はもうこの世にいなかったかもしれない。それほど強力なタタリを、今の友奈は受けているのだ。

(私がルールを破ると、みんなに不幸が起きる。もう、私たちの戦いは終わったんだ! みんなはもう、苦しまなくて良いんだ! 私が黙っていれば、いつも通り何も変わらない、勇者部の楽しい毎日いが続くんだ。誰も、絶対に巻き込んじゃ駄目なんだ!)

 自分が話さなければ、もう誰も傷つかない。平穏な日常を過ごす事ができる。

 だから、話さない。この痛みも苦しみも全部自分一人で抱えれば良い。

 十四歳の少女にはあまりにも悲痛すぎる覚悟を決めて、友奈はぐっと唇を噛み締めた。

(私が黙っていれば、それで良いんだ)

 そして、少女達にいつも通りの日常が再びやってくる。

 志騎が事故に遭って入院した事は彼のクラスに伝えられ、勇者部は志騎抜きでの日常を送っていた。勇者部部員達が自分達にできる事を行いながら、毎日を笑い、銀は毎日欠かさず志騎のお見舞いに向かい、きたるクリスマスと年末を楽しみにしていた。……天の神のタタリに遭い、一人苦しみと痛みを抱え込んでいる友奈を除いて。

 この頃の友奈の顔からは、以前浮かべていた明るさが少しずつ失われていた。外見は前と変わらない笑顔だが、感情というものが少しずつ削り取られている。

 そしてこの日、友奈は志騎が入院している病院へと向かっていた。

 何故なら今日はクリスマスイブ。銀が以前から約束していた、志騎の病室でのミニパーティーを行うのだ。なお、樹は以前から公言していたクリスマスイベントに、風は言うまでもなく妹の勇姿を見に行っている。パーティーには参加できないが、その分後で写真をたくさん送ると風は張り切っていた。

 友奈が志騎の病室の前まで辿り着き、扉を開けようとした時……中から声が聞こえてきた。

「体調の方はどうだ?」

「ああ。だいぶ良くなってきたよ」

 声は二つ。志騎と、彼の精霊である刑部姫だ。どうやら今は病室に二人しかいないらしい。今入ると刑部姫から何か言われそうなので、東郷達が来るのを待とうかと友奈が考えていたその時だった。

「……本当の所は?」

 と、何故か刑部姫が唐突にそんな事を言った。それに思わず友奈が困惑した表情を浮かべると、中から志騎の声が聞こえてくる。

「左目はもう駄目だな。完全に見えない。あと味覚が……大分まずくなってきた。もう味が薄すぎて、何食べてるか分かりにくくなってきてる」

「……予想以上に体機能の低下が著しいな。やはり、この前の事故がきっかけか……」

 ひゅっ、と友奈の呼吸が一瞬停止する。

 中の二人が何を話しているのかは分からない。ただ、これだけは分かる。

 志騎の左目が見えなくなって、味覚ももうほとんどない事。

 そして、その原因が……この前自分が風に話そうとした事がきっかけで起こった、事故である事。

 さらに、友奈が病室の前にいる事など知らない二人は、さらに話を続ける。

「こうなってくると、寿命も大分縮まっただろうな。下手をしたら、冬が明けるまで持たないかもしれないぞ」

「別に良いよ。風先輩を助けた事に後悔はしてない。先輩が助かったなら、別に良い。それより、勇者部には話してないだろうな?」

「……ああ。私としては、とっとと話して原因の結城友奈を問い詰めたいんだがな」

 原因、と言われた友奈本人の体が震え始める。

 もう彼女の精神は限界だった。顔は青ざめ、肉体は震えている。事故の原因が自分だと直接言われたようなものなのだから仕方ないが、それでも彼女にとってはあまりにも衝撃的すぎる言葉だったのだ。

「そう言うなよ。まだ理由については探ってる最中なんだろ? それより、友奈の奴大丈夫かな……。どうも元気が無さそうだったし、一人で抱え込んでなければ良いけど……」

「他人の事よりまず、お前自身の事を心配したらどうだ。冬まで持たないかもしれないと言ったはずだぞ」

 刑部姫の声が苛立ちを帯びるが、志騎の声が迷う事は無かった。

「言っただろ? 俺の事は良いよ。今はまず、友奈の事を考えないと。……だってこんなの、あんまりだろ。あいつらの戦いはもう終わったのに、まだ天の神に苦しめられるなんてそんな事、あって良いはずがない。俺の体はもう持たないかもしれないけど、完全に壊れるまでどうにかしてやりたいんだ」

 それを聞いて、友奈の心臓がまるで鷲掴みにされたように苦しくなる。

 詳細は分からないが、自分のせいで寿命が縮んだというのに志騎は勇者部の事を――――自分の事を考えてくれている。彼の気遣いがとても痛くて、自分の手が震えているのを感じる。

 ――――本当なら、彼に話したい。

 自分には天の神の祟りにあっていて、そのせいで苦しい思いをしている事。それを誰かに話してしまったらその人にも不幸が訪れる事を、何もかもぶちまけてしまいたかった。

 でも、できない。話してしまったらまた志騎を、勇者部を傷つけてしまう。だから自分が黙っていればいい。そうすれば、物事は全て良い方に進むのだ。

 その、はずなのに。

「………っ!!」

 友奈の胸は押しつぶされそうだった。

 勇者部を傷つけ、志騎を事故に遭わせてしまった罪悪感。

 例え寿命が縮まっても自分を心配してくれる志騎に対する申し訳ない気持ち。

 そして、それでもずっとみんなと一緒にいたいという気持ち。

 自分の胸の内に生まれる矛盾に葛藤しながら、友奈はゆっくりと病室の前から離れる。

 一方、友奈が今まで自分達の病室の前にいた事などまったく知らない志騎と刑部姫は、ふと窓の外の空から降ってくる白いものに気づく。

「お、雪だ」

「本当だな。天気予報通りになったか」

 先ほどまで重い話をしていたとは思えない二人が呑気な会話をしていると、病室の扉ががらりと開けられた。扉を開けたのは、サンタの帽子をかぶった銀に夏凜、東郷の三人だった。扉を開けた銀は、ベッドの上の志騎に二ッと笑いかける。

「メリークリスマス志騎! 約束した通り、ケーキ持ってきたぞ!」

「いや、今日はまだクリスマスイブなんだけど……」

「遅くなってごめんなさい」

 三人は口々に言いながら、志騎のベッドに近寄ってくる。すると志騎の視線が三人の頭の上に乗っている帽子に向けられた。

「一応聞いておくけど、なんだその帽子」

「いやだって折角のクリスマスイブなんだし、こっちの方が雰囲気出るだろ?」

「馬鹿かお前ら。折角ならトナカイの格好してこいよ。そしたらサンタ姿の私が鞭を持って背中に跨がってやったのに」

「何その動物愛護に真正面から喧嘩売ってるサンタ!? こっちからお断りなんだけど!?」

 やれやれと何故か呆れたように言う刑部姫に夏凜がツッコみを入れると、志騎のスマートフォンにチャットの通知が来た。志騎が近くの机に置いてあったスマートフォンを取って画面を見ると、チャットを送ってきたのは風だった。チャット画面を開いてみると、そこには満面の笑顔の風の自撮り写真と、クリスマスイベントで他の生徒達と共に合唱する樹の写真が添付されていた。さらに写真と共に、『一足早いクリスマスプレゼントよ!』というメッセージが送られてきた。すると、志騎の横から夏凜と刑部姫が志騎のスマートフォンの画面をのぞき込む。

「相変わらず、樹が大好きね風は」

「もっと良いものを寄こせと返信しておけ」

 自分と妹の写真を送ってきた風に夏凜が苦笑し、刑部姫が呆れ交じりに呟く。すると、何かを探すように病室を見回していた東郷が尋ねた。

「あれ? 友奈ちゃんは? 先に来てると思ったんだけど……」

「友奈? いや、来てないけど……」

 今までずっと病室にいたが、友奈の姿どころか声も聞いていない。すると、銀が東郷に言った。

「きっとすぐに来るって! それより友奈が来た時のために、先にケーキの準備しとこうよ」

「……ええ、そうね」

 東郷は笑みを浮かべると、銀と共にケーキを取り分ける準備に取り掛かる。

「今日はアタシの手作りケーキだからな! 味わって食べてくれよ?」

「ああ、そうするよ」

 銀に答えると、志騎は未だ姿の見えない友奈の事を考えながら窓の外に目をやる。

 窓の外の光景は段々と薄暗くなり、街のクリスマスのイルミネーションが煌びやかに志騎の右目に映る。闇に映えるその風景を、志騎はかすかな胸騒ぎと共に見つめていた。

 ちょうどその頃、志騎の病室の前に園子がやってきていた。彼女は病室の前に落ちている押し花のしおりを見つけると、しおりの目の前でしゃがみ込み、まるで全てを悟ったような表所を浮かべて呟いた。

「――――私、分かっちゃったかも」

 

 

 

 

 結城友奈は一人、街外れの道を歩いていた。息も絶え絶えになりながらも、ただひたすらに腕を振って走る。

 自分がどこを目的地として走っているのかすら分からない。

 自分がどうして走っているのかも分からない。

 ただ、こうして走っていなければ今抱えている苦しみに押しつぶされそうで、そうならないために走っている。今の友奈はそんな状態だった。

 しかし今まで滅茶苦茶なペースで走ってきたせいか、足がもつれて地面に倒れてしまう。地面を薄く覆う雪の感触と天から降ってくる雪がひどく冷たく、おまけに転がったせいで手と両足に痛みが生まれた。

「う、うううう………っ!」

 地面に倒れ込んでしまった友奈は手を握りながら、呻き声を上げる。

 理性がタタリの事は誰にも言ってはいけないと囁き、感情がもっと皆と一緒にいたいと叫ぶ。

 もしもタタリの事を誰にも言わなかった場合友奈は一人で死んでいき、みんなが一緒にいたいと本音を言ってしまったらまた勇者部を不幸な目に遭わせてしまう。

 そんなのは駄目だ。ようやく勇者部に平穏な時が来たのだ。このまま言わない方が良い。

 それが最善。それが最適。

 なのに。それなのに。

「うううう、うぁあああああああああああああああああああっ………!!」

 吐く息が白くなり、凍える様な寒空の下で友奈は泣き声を上げた。

 みんなの事を考えるなら、このまま黙っていた方が良い。

 だけど、自分はもっとみんなと一緒にいたい。この先もみんなと一緒に生きていたい。

 しかし結城友奈の友達の事を一番に考えるその性格が、その選択肢を潰してしまう。

 皮肉な事に、彼女の誰かを思いやる心が、彼女自身を何よりも苦しめていた。

 自分の苦しみを、自分の悩みを誰にも言えぬまま、友奈は孤独に泣き声を上げる。

 彼女の慟哭を聞く者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 志騎達が病室でケーキを食べている間、刑部姫は一人病室の外である人物に電話をかけていた。

 ワンコールの後、電話の相手が通話に出る。

『……はい』

「よぉ、安芸。調査の方はどうなっている?」

 彼女が電話をかけたのは、刑部姫の唯一の親友であり、志騎の育ての親である安芸だった。刑部姫の質問に、電話の向こうの彼女は淡々と返す。

『天海志騎を轢いたトラックに異常はなく、運転手にも飲酒運転や居眠り運転をした様子は無かったようです。運転手の言葉によると、走っていたら急にトラックの操作が効かなくなり、少年を轢いてしまったとかなり青ざめた様子で話していたそうです。ちなみに本人に前科はなく、免許を取得してから無事故無違反でした』

「……となると、やはり運転手やトラックには問題がない可能性が高いな。分かった、もう警察の奴らに事情を話してトラックの運転手は解放して良い。これ以上捜査しても、奴らにどうこうする事は出来ん。ここからは、私達の領分だ」

『了解しました。では、これで』

「ああ、待て。もう一つ尋ねたい事があった」

『尋ねたい、事ですか?』

「ああ。……お前ら、何を企んでいる?」

 急に刑部姫の声音が低くなり、気のせいか元々下がっていた気温がさらに低下したように感じられた。刑部姫は目を鋭く細くしたまま、安芸に尋ねる。

「この前の東郷美森を奉火祭に捧げようとした事を黙っていたのはまぁ良い。私の口から志騎に漏れる可能性は無いわけじゃないからな。だから私に計画を話さなかったのは別に良い。ただ、今回結城友奈の身に起こっている事を私に共有しないのはどういう事だ?」

『………』

「これだけ立て続けに起こっている事をお前達が把握していないとは思えん。となると、結城友奈の身に何が起こっているかお前達は知っているはずだ。ガキ共はともかく、私にまで話さないのはどういう事だ? 確かに私はお前達の完全な味方じゃないが、最低限の事はしてきたつもりだ。……それとも、完全に私を敵に回すつもりか?」

 ズッ……と刑部姫から殺意と敵意が漏れる。それを察したのか、電話の向こうの安芸が答える。

『勘違いしないでいただきたいのですが、私達はあなたを敵に回すつもりはありません』

「となると、情報を隠していた事は認めるんだな? できればその理由を話してもらいたいんだが」

『………話せません』

「ほう、話さないのではなく、話せないと来たか。となるとお前も情報を提供するつもりはあるが、その情報を話すと私が敵に回る可能性があるから話せない。そういう解釈で良いのか?」

『………』

「沈黙は是、と取るぞ」

 しかしそれでもなお、安芸が話す事は無かった。刑部姫はふーと息をつくと壁にもたれかかり、

「まぁ良い。それよりも今は、結城友奈の事だ。お前達は奴をどうするつもりだ?」

『………友奈様の事については、後々分かると思います』

「あ? それはどういう……」 

 と、怪訝な表情で尋ねようとした刑部姫のスマートフォンの通話口から、車のエンジン音が聞こえてきた。それを聞いて、刑部姫はようやく気付く。

「おい安芸。お前今、どこにいる?」

 車のエンジン音が聞こえた以上、安芸がいつもいる大赦本部というのはあり得ない。とすると彼女が今いるのは屋外。それもこの時間に屋外となると、何らかの任務である可能性がある。

『申し訳ございませんが、時間が無いのでそろそろ切ります』

 だが安芸からその理由が返ってくる事は無かった。それに刑部姫はちっと舌打ちをすると、最後にある事を安芸に告げる。

「……最後に言っておくが、志騎の寿命はもう半年も持たん。今回の事故で、さらに寿命が縮まった」

『………っ』

 刑部姫の口から出た志騎の名前に、沈黙を保っていた安芸の雰囲気がかすかに変わる。それを見逃さず、刑部姫がさらに言葉を続けた。

「お前が何を考えているかは知らんが、自分の選択に後悔をするような事だけはするなよ。仮面を被っているとはいえ、そのぐらいの事はできるだろう」

『………誰もが』 

 すると、それまで無感情だった安芸の声音に感情が宿る。彼女は何かを我慢しているようなかすかに震えた声で告げた。

『誰もが、貴女みたいに強いわけじゃないのよ……っ』

 そう言って彼女は刑部姫との通話を切った。手の中のスマートフォンをじっと見下ろしながら、刑部姫は壁にもたれかかったまま天井を見つめると、苛立ちと悲しみが入り混じった声で呟く。

「……馬鹿が。確かにお前は弱いかもしれない。だが、私にないものを持っているだろうが。何故それに気づかないんだ、大馬鹿が……」

 ギリ……と奥歯を強く噛み占める音が、病院の廊下に静かに響いた。



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第五十話 元凶との遭遇

刑「さて、ついにこの物語も五十話目に突入だ。五十話目となる今回は、いわばゆゆゆシリーズの引き金となったと言っても過言でもないあいつが登場する。それが誰かは、読んでからのお楽しみだ」
刑「では第五十話、楽しんでくれ」


「はぁ、ようやく退院か……」

 今まで自分が入院していた病院の前に一人、志騎はため息をつきながら呟いた。

 本日は十二月二十八日。祝日でも何でもない平日なのだが、讃州中学はすでに冬休みに入っている。なので学校に行く必要はない。ふとスマートフォンを取り出してチャット画面を見ると、画面には勇者部の面々からのメッセージ、さらに別グループのチャット画面には友人である高橋在人と佐藤良太からの志騎への励ましメッセージが表示されていた。

「勇者部や高橋達には、改めてお礼を言っておかなくちゃな」

 彼女達の事情もあっただろうに、暇があれば勇者部の面々は志騎のお見舞いに訪れ、銀などは毎日欠かす事無くお見舞いに来てくれた。それはクラスメイトの在人と良太も同様で、お見舞いの品を持って病室に来てくれた事もあった。……まぁ、志騎に元気になってもらうために在人は彼渾身の一発ギャグを披露したのだが元気が出るどころか病室の中が寒くなり、おまけにタイミング悪く病室の前を通りがかった看護師さんに大声を出さないよう注意されたのだが。

 とは言っても、在人は間違いなく善意百パーセントで行ったので、志騎が彼を責めるような事は無かった。

 そしてこうして今日、志騎は無事退院する事が出来た。

 ――――いや、無事にというのは嘘になる。

「………」

 志騎は黙って左目にそっと左手をやる。彼の左目はもう、何の光景も映していなかった。左目から除く視界は真っ暗で、さらに味覚も失われてしまっている。入院してからもちゃんと食事を取っていたのだが、昨夜の食事などまるで味のないガムを食べているかのようだった。

 しかしだからと言ってこんな事を勇者部に話したり、ましてや視力が無い事をわざわざ伝えるように眼帯をするわけにはいかない。志騎は左手を下ろすと顔を引き締めてある場所に向かおうとする。

「まずは、友奈に何があったか聞かないとな……」

 ここ最近の勇者部の異変には、間違いなく友奈が何らかの形で関わっている。彼女がそれについて話そうとしないのは、恐らく話してしまったら周りの人間に何らかの不幸が降りかかるだろう。先日の事故がその証拠だ。まずは、彼女から話を聞き出さなければならない。

 とは言っても、彼女の事だから自分にも話そうとしないだろう。自分の事よりも友人の事を思いやる彼女の事だから、志騎を傷つけるわけにはいかないと話さないかもしれない。

 しかし、だからと言ってこのままにしておくわけにもいかない。どうにか彼女を説得して、解決策を見つけなければならない。……そうでなければ、誰も救われない。友奈も、彼女の親友である東郷も、勇者部の少女達も。

 そして志騎が病院の前から歩き出し、友奈の家に向かおうとしたその時だった。

「ねぇ、お兄さん」

 勢いよく歩き出した志騎を背後から呼び止める声があった。志騎は最初自分の事とは思っていなかったので、そのまま無視して歩き去ろうとしたが、さらに少女の声が志騎に放たれる。

「あなただよ、天海志騎」

 その声に、志騎はようやく足を止めると怪訝な表情をしながら振り返る。今少女の声は、間違いなく志騎の名前を呼んだ。だとすると、自分の関係者だろうか? そう考えて志騎が振り向くと、その先に少女はいた。

 背中まで伸びる白い長髪に、赤い瞳。身に纏っているのは白い着物のような服で、荘厳な雰囲気を見る者に感じさせる。幼いその容貌は愛らしくあると同時に、どこか神々しさを感じさせる。

 少女がにこりと笑みを向けると、志騎は何故か背筋にぞわりと寒気が走るのを感じた。少女は笑顔なのに、何故かその笑顔が今にも自分を食い殺そうとしている獣のように感じられたからだ。同時に、少女の笑みに志騎は既視感を感じた。

(……前に一度、見た事がある? どこでだ?)

 どこかで見た事があるのは確かだが、思い出せない。少女から放たれる威圧感と緊張感で、記憶を思い出すのに難儀しているのかもしれない。一方、少女は笑みを崩さないまま志騎に近づく。

「結城友奈の所に行くんでしょう? やめた方が良いよ。今のあなたには何もできないもん。こうなるように、全部仕組んだんだから」

「仕組んだ……? お前が……?」

 少女は何も答えなかったが、彼女の笑みと沈黙が答えを告げているようなものだった。尋ねながら、志騎は必死に頭の中を検索し、そしてようやくいつ少女の笑みを見たか思い出す。

「……そうだ。お前は、友奈を助けた時の……」 

 友奈が何もない無の世界から脱出し、自分も脱出しようとした時に見た少女。

 間違いなく、その時の少女と同一人物だった。外見はともかくとして、この見る者を圧倒する雰囲気を違う人間が持っているとは考えにくい。いや、そもそも本当に人間なのかすら疑わしい。

「……お前は誰だ」

 最大限の警戒を込めて、志騎は問う。

 すると少女はにんまりと笑うと、志騎の問いに答えた。

「誰だって言われると、それに対する答えはたくさんあるね。でもそうだねぇ……。この際だし、あなた達が付けた呼び名を名乗っても別に良いかな」

 そして少女は。

 自分の名前を、告げた。

「――――私は天の神。あなた達人類を滅ぼすものにして、あなた達をずっと見てきたもの。人類の粛清者にして、霊長の頂点たる人類の更なる上に位置する超越存在。それが、私だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 志騎と天の神を名乗った少女はその後、近くの公園に場所を移し、設置されていたベンチに二人揃って座った。志騎が険しい表情を浮かべている一方で、少女の方は足をぶらぶらさせながら誰もいない公園を眺めている。志騎は手を組みながら、横にいる少女に尋ねる。

「……お前、本当に天の神なのか?」

 天の神。人類を滅ぼうとしている自分達の宿敵であり、バーテックスを用いて四国以外の世界を滅ぼした神。今も友奈に何らかの方法を用いて苦しめ、彼女から平穏な日常を奪おうとしている原因。

 たくさんの人々の幸福と未来を奪い、こうして今も志騎の友人を苦しめている元凶がこんな幼い少女だとは、志騎には信じられなかった。

 一方、少女――――天の神の方はつまらなさそうに、

「信じるのも信じないのもあなたの勝手だけど、そんな嘘をつくメリットが私にあると思う?」

「………」

 確かにそうだ。だが、それでは分からない事がある。

「じゃあどうしてお前は四国に来る事ができるんだ? 壁の結界があるだろ」

 四国には壁の外からの炎とバーテックスの襲撃を防ぐための結界があるので、いかに天の神と言えど結界を越えてこちらには来れないはずだ。

「今の私は精神体だからね。あなた以外の人間には見えないし、声も聞こえないよ。つまり、幽霊のようなものなの。いかに私の天使を阻む結界でも、幽霊のような存在には効かないだろうしね」

「天使……?」

「ああ。あなた達は確か『星屑』やら『バーテックス』って呼んでたっけ。いくら何でも失礼だと思わない? 私が作ったものに勝手に名前を付けるなんて。正直、あなた達が勝手に作った呼び名で呼んでほしくないよ」

「……そんなの、こっちの勝手だろ。大体、あれのどこが天使なんだよ。あんなの、ただの化け物だろうが」

「あはは。その理論だと、あなたも化け物って事になるね。ねぇ、天海志騎君?」

「………っ」

 天の神の言葉に志騎は眉間にしわを寄せるが、否定はしない。彼女の言う通り、自分が化け物である事に変わりはないからだ。自分の沸き起こる感情を我慢するように、志騎は両膝の上に置いた両手をきゅっと握る。

「お前は一体、どうして俺の前に現れた? 今まで人類を滅ぼそうとしてきたお前が、どうして今更精神体にまでなって四国にまで現れたんだよ」

「一つはこの前の結果を見に来たってところかな? まぁ、君の様子だと結城友奈は十分に苦しんでくれてるみたいだけど」

「この前の……?」

 彼女の言葉で志騎の脳裏に思い浮かぶのは、この前東郷を奪還するために壁の外へと向かい、東郷を取り戻した事だ。確かあれをきっかけに、友奈の様子がおかしくなったが……。

「……まさか、その時に友奈に何かしたのか?」

 彼女の口ぶりからすると、その時に友奈に何らかの干渉を行った可能性がある。すると志騎の推理を裏付けるように、天の神はふふふと口元に笑みを浮かべた。

「私はただ筋書きを描いただけだよー。東郷美森を助けに来た結城友奈が、私の祟りに遭うように、ね」

「須美を助けにって……。待てよ、俺達は東郷の事を思い出して、助けに行ったんだぞ。誰に言われたわけでも、命令されたわけでもないのに……」

 志騎を含む勇者部は誰かに東郷美森を助けに行けと言われてから助けに行ったのではない。東郷と結んだ絆を友奈と自分、園子と銀が思い出し、それに続くように、風と樹と夏凜も東郷の事を思い出した。そして誰に言われたわけでもなく、自分達の意志で勇者となって東郷を助けに言ったのだ。そんな事を天の神が予測できるはずがない。

 しかし志騎の予測を裏切るように、天の神は変わらずに笑みを浮かべたまま続けた。

「おかしいと思わなかった? 東郷美森を助け出した途端、壁の外の炎が沈静化した事に。奇妙だと思わなかった? 東郷美森が生命力を全部吸い尽くされる前に、彼女が助け出された事に」

「………まさか」

 天の神が語る事実に、志騎は思わず目を見開く。するとにんまりと笑みを浮かべて、天の神は告げた。

「そう! 全部私の予想通りだった! 東郷美森が責任を取るために自ら生贄になる事も! あなた達が東郷美森を思い出して壁の外に来る事も! そして結城友奈が彼女を救うために来る事も! 全部全部全部私の予想通り! あの時は本当、あまりにも上手くいきすぎてすっごく笑っちゃったよ!」

 本当に、本当に心の底から嬉しそうに少女は笑う。志騎はただ呆然と、少女の哄笑を眺める事しかできない。

「彼女の事を思い出せたのは自分達の絆があったからとか考えてる? それはいくら何でも自分達を過信しすぎだよ! あなた達が思い出すまで、私がじっくりと待ってあげてたのも理由なんだよ? 本当はすぐに東郷美森から生命力を全部奪って殺してあげても良かったんだけど、私の目的は結城友奈だったからね。すっごく我慢して待っててあげてたんだよ。そうすれば、東郷美森の事を思い出したあなた達が彼女を奪い返しに来るって分かってたから! そしてその後は結城友奈が東郷美森を救い出して、彼女の代わりに祟りを背負うって事もぜーんぶ私の予想通りだった!」

「……じゃあ、壁の外の炎が静まったのは……」

「私の目的が達せられたからだよ。もしかして、東郷美森の生命力がほとんど奪われたから、それでお役目は終わりって思っちゃった? ざーんねーんでした! 全部私の予想通りです! いくら何でも、自分達の都合の良いように考えるのは良くないよ? まぁでも仕方ない! 自分達の都合の良いように考えて、そのまま破滅へと走るのが人間だもんね! そんなに頭が悪いんだから、仕方ない仕方ない! 気にする事は無いよ!」

 無垢な少女のように笑いながら、天の神は人間というものを嘲る。志騎は膝の上の拳を握りながら、怒りで震える声で天の神に言う。

「……友奈が今苦しんでるのは……」

「祟りに遭ってるからだよ。それも、祟りに遭った人間を必ず殺す私特製の最悪の術式! 祟りの事を話そうとすれば他の人間にも祟りが移る特性を持ってるの! まぁあなたは天使だから私の祟りが効かなかったけど、それでも人間なら誰でも移るのがこの術式のすごいところなの! これで結城友奈は誰にも祟りの事を話せなくて、一人で死んでいく! ああ、良い気分! 私を散々不快にさせたんだから、それぐらい当然だよね! ほーんと人間って馬鹿ばっかり! 壁に穴を空けた東郷美森も! 助けに来た結城友奈も! ……ああ、そう言えばあの子もだね。暑っ苦しくてうざったい、あの三ノ輪銀という子も――――」

 銀の名前が出た直後。

 志騎の怒りの拳が、天の神の顔面に放たれた。

「おっと」

 しかし天の神は簡単に志騎の拳を見切ると、後ろに跳躍して拳をかわす。志騎は右手の拳を血がにじまんばかりに握りしめながら、天の神を睨みつける。

「それ以上、喋るな……!」

 どうしてこんな奴のために、友奈が苦しまなければならないのか。

 どうしてこんな奴のために、勇者部が平穏を奪われなければならないのか。

 どうしてこんな奴のために、銀が傷つかなければならないのか――――!

「むー、私の天使の細胞が使われているとはいえ、やっぱり人間そっくりだね。いくら天使でも、人間の中に混じっていたら人間と同じになっちゃうって事か。やっぱり、人間っているだけで害悪だねぇ」

「うるせぇ、よ!!」

 怒鳴りながら志騎はスマートフォンを取り出して、勇者システムを起動してブレイブドライバーを出現させようとする。

 が、

「はい、ストップ」

 いつの間にか天の神が志騎の目の前にまで接近し、彼の胸に軽く触れる。するとその瞬間体が猛烈に重くなり、志騎はその場で両膝をついてしまう。

「いくら精神体でも、これぐらいの力の行使はできるんだよ? まぁ、力を使い過ぎちゃうと神樹にバレちゃうから多用はできないんだけどね」

「……お、前」

 ギロリと目の前の天の神を睨みつけるが、彼女は笑みを崩さない。彼女の笑みはまるで、目の前でペットがじゃれつくのを楽しむ飼い主のようだった。そしてしゃがみ込むと、睨みつける志騎と視線を合わせる。

「まぁまぁ落ち着いてよ。さっき言ったでしょ? 私がここに来たのは、結城友奈が東郷美森を取り戻しに来た結果を見に来たんだって。それは君の様子を見ればもう何となく分かるからもう良いんだけど、実は私の目的はもう一つあるんだよねぇ」

「もう、一つ……?」

「そう。それは君だよ、天海志騎」

 トン、と天の神の人差し指が志騎の額に触れる。

「いくら人間に近づいているって言っても、君は人間の形をしただけの私の天使である事に変わりはない。正直神の力を使ってるだけでも嫌なのに、その上天使の細胞まで使われてるとなったら、正直壊したくてたまらないんだけど……。でもやっぱり、許してあげるっていうのは大事な事だと思うんだ。なので! あなたが今日、私の言うある事をしてくれたら、あなたを許してあげるだけでなく私の息子にしてあげちゃいます!」

 パン! と天の神は嬉しそうに両手を叩いた。志騎は自分の体を襲う重さに耐えながら、天の神に尋ねる。

「……そのある事って、何だ?」

 すると天の神はずい、と志騎に顔を近づけると、自分の要求を志騎に告げる。

 悪意も何もないのに、ただひたすらに残酷な要求を。

 

 

 

 

 

「今から結城友奈以外の全員の勇者達の所に行って、全員の首を持ってきて?」

 

 

 

 

「………」

「そうすればあなたのしてきた事は全部許しちゃうし、私の息子に喜んでしてあげるよ! あ、大赦の方は気にしないで良いよ? あとで私が全員皆殺しにしてあげるから!」

 よっぽど楽しいのか、神は立ち上がって鼻歌を歌いながらくるくると回る。それからピタリと止まり、

「君にとっても良い提案だと思うけどなー。私の息子になればいくらでも人間を殺して良いし、いくらでも好きなものを食べていいし、いくらでも女を犯して良いんだよ? それにその体だって治してあげるし。死にたくないでしょ?」

 どうやら天の神は志騎の体が限界に近い事をすでに知っているらしい。外見は少女でも、さすがは人類を追い詰めた神と言うべきか。

「だからさぁ、今すぐに勇者を殺してきてよー。大丈夫大丈夫! 君なら勇者部も油断してるだろうし、天使の力を使えば全員殺せるって! 自分以外の全員の勇者が君に殺されたって聞いたら、結城友奈どんな顔するだろうなー。悲しむかな? 怒るかな? それとも、もう絶望して自殺してくれちゃったり――――」

「………る」

 その時、志騎の口から何らかの言葉が天の神に届いた。

「ん? 何?」

 天の神は笑いながら、志騎の口元に耳を寄せる。

 志騎は憎たらしい笑いを浮かべる少女に、精一杯の怒りを込めて告げた。

「断るって言ったんだよ。とっととそのよく喋る口を閉じて、尻尾巻いて帰れ」

 すっ、と。それまで笑顔を浮かべていた天の神の顔が、冷たい無表情に切り替わる。天の神は冷たい眼差しで志騎を見つめると、先ほどの感情が込められた声とは正反対の声で聞く。

「……あくまでも私にたてつくんだ。君、死にたくないの?」

「どうでも良いよそんなの。それに、お前みたいな奴の息子になるなんて反吐がでるね。それだったら、まだ刑部姫の方がマシだよ」

「…………ふぅん」

 天の神はそれだけ言うと、じっと志騎の顔を見つめる。志騎も負けじと天の神を睨み返し、二人の間に沈黙が降りる。

「……馬鹿な子」

 そう言って、天の神は再び右手を伸ばして志騎の体に触れようとする。

「っ!!」

 咄嗟に志騎には後ろに逃れようとするが、体にかかる重圧がそれを許さない。天の神は志騎の胸に人差し指を当てると、そこから灼熱の痛みと猛烈な吐き気が志騎の全身を襲う。

「がっ……!」

「もうこれで君は誰にも祟りの事を話せない。話したらその分結城友奈が苦しみ、君達の呪いも増していく。君達の苦しみを共有できるのは君達二人だけだけど、例え互いに話しても呪いが増え、さらに傷ついていく。そんなにお友達が大事なら、誰にも自分の事を話せないで、ただ一人孤独の中で死んで行け」

 どこまで冷たい言葉を吐く天の神の目の前で、志騎は自分の意識が朦朧とするのを感じる。だんだんと視界が暗闇に包まれていく中で、天の神の声が聞こえてくる。

「ああそうそう、最後に一つ良い事を教えてあげるよ。これから先、また人が死ぬ。でも勘違いしないで。それは私がいたから人が死ぬんじゃない。――――君がいるから、人が死ぬんだよ」

 それを最後に。

 志騎の意識は、暗闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

「く………」

 志騎が目を覚ますと、どうやら今自分は地面に倒れているようだった。周囲には人はおらず、そのおかげと言うべきか救急車を呼ばれるような事態にもなっていない。志騎はゆっくりと立ち上がると、体についた砂を払いながらポケットの中のスマートフォンを取り出して時間を確認する。現在の時刻は天の神と出会ってから三十分ほどしか経っていなかった。

 それから周囲を見回してみても、あの少女の姿はどこにも無かった。眉をひそめながら、一歩足を踏み出した瞬間。

「……っ!」

 ズキリ、と。胸元から焼けるような痛みが襲い、志騎は思わず胸元を右手で抑える。それから服を少しずらして自分の胸元を見る。

 そこには。

 黒い太陽を模した、禍々しい紋章が焼きつけられていた。

「……これが、天の神のタタリか」

 天の神が嬉しそうに語っていた、彼女が編み出した人間を必ず殺す最悪の術式。この事を誰かに話せば祟りが誰かに移り、その誰かに不幸をまき散らす。

 自分の胸元の紋章を見ながら、志騎は天の神が最後に言っていた事を思い出す。自分も祟りにかかった以上、もう自分も祟りの事を誰かに話す事は出来ない。話せば友奈と自分の呪いが増していき、さらに自分達が傷ついていく。正直自分が祟られるのは別に良いが、友奈がこれ以上苦しむのは志騎も嫌だった。

「………どうにか、しないとな」

 誰かに話せばその誰かに祟りが移る。それは幼馴染である銀も、志騎の精霊である刑部姫も例外ではない。どうにかして、解決策を見つけなければならない。

 本当ならこの後友奈の家に行く予定だったが、自分がタタリを背負ってしまった事を話しても友奈を苦しめるだけだ。こうなった以上、自分の家に戻るしかない。まるで天の神に踊らされているようで、業腹な事この上ないが。

 志騎はギリリ……と強く奥歯を噛み締めると、ふらつく足取りで自宅への道を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 自宅に戻り、入浴と夕食を終えた志騎は自分の部屋のベッドでくつろいでいた。ベッドに仰向けになり天井を見ながら、自分の体に痛みを与えてくる胸元の紋章をそっと抑える。

「……友奈の奴、こんな痛みに耐えてたのか……」

 全身を襲う焼けるような痛みと吐き気。さらに呪いが進行すれば、食べ物すらも受け付けなくなるだろう。こんなものを友奈が誰にも言わず耐えていたという事実に志騎は歯噛みすると同時に、今日見た天の神について思い出す。

「あいつ、なんであんなに人間を憎んでるんだ……?」

 今日出会った天の神から感じられたのは、人間への果てしなく冷たい殺意と憎しみ。恐らくあの憎しみが、三百年前ほとんどの人類を殺し、三百年に至る今もバーテックスを使って自分達を殺そうとしている原動力なのだろう。一体どうすればあれほどの憎悪と怒りを抱けるのか、志騎には見当もつかない。

「まぁ、良いや。今はそれよりもタタリの事だ」

 本当はこんな時に一番相談しやすいのが、性格は悪いが頭脳は随一の刑部姫なのだが、自分にタタリがかかっている以上彼女にも話す事は出来ない。彼女に頼れないとなると、実質自分一人でどうにかしなければならない。

 さて、どうするか……と志騎が悩んでいると、すぐ横に置いてあるスマートフォンに着信が入った。スマートフォンを手に取って相手を確認すると、銀からの電話だった。志騎は通話ボタンをタップすると、耳に当てる。

「もしもし」

『あ、志騎? 今大丈夫?』

 すると銀の恐る恐るとした声が志騎の鼓膜を揺らした。いつも元気に電話をかけてくる彼女にしては少し珍しい反応で、志騎は思わず眉をひそめる。

「どうした? もしかして、また何かあったのか?」

 先日の、銀の家の給湯器が壊れた事を思い出して尋ねる。自分が事故に遭ってから友奈は誰にもタタリの事を話していないようだし、自分も彼女には何も話していない。だから何らかの異変が起こる事は無いと思っていたのだが、万が一という事を考えると油断はできない。思わず志騎は身構えたが、彼の予想に反して返ってきたのは、銀の困ったような笑い声だった。

『いや、そういうわけじゃないんだけど……。なんか、急に志騎の声が聞きたくなったって言うかさ。あ、もしかして、迷惑だった?』

「……なんだそりゃ。いや、迷惑じゃないけど。本当に突然だな。俺の声ならいつも聞いてるだろ」

『そ、それでも急に聞きたくなる事があるんだよー!』

 他愛のないやり取りをした後、二人は笑った。ちなみに、傍から聞いたら割と照れ臭い会話をしている事には、志騎はおろか電話を掛けた張本人である銀も気づいていなかった。

『……なぁ、志騎。この前事故に遭ってから、本当に大丈夫なのか?』

「………どういう事だ?」

 急に銀の声のトーンが落ち、志騎は怪訝な表情をしながら尋ねる。彼女に今の自分の表情は見えていないだろうが、銀は不安そうな口調で、

『ほら、最近変な事が続いてただろ? ようやく須美が帰ってきたと思ったら、みんなに不幸な事が起こって、それで志騎は事故に遭って……。なんか、嫌な予感がするんだよ。だって、やっとみんなに日常が返ってきて、志騎も壁の中に戻ってこれたのに、また何か起こったらアタシ……』

 彼女の声は、不安で押しつぶされてしまいそうだった。彼女は学力は低いが勘は良い。もしかしたら彼女なりに、今起こっている異変に薄々気が付き始めているのかもしれない。すると銀を落ち着かせるように、志騎が肩をすくめながら言う。

「俺は大丈夫だよ。ちょっと大怪我したから入院が長引いてたけど、今も元気だしな。だからお前がそんなに不安がる必要なんてない」

『……そっか。それなら、良いんだけど……』

 しかしそれでも、銀は少し不安そうだった。やれやれと志騎は苦笑して肩をすくめると、二人の間の雰囲気を明るくするために話を変える事にした。

「それより、俺とばっかり話してて良いのか? 鉄男と金太郎とも話してやれよ」

『それなら大丈夫! 二人とは毎日勇者部の事でたくさん話してるよ! 鉄男も勇者部の話を聞いていつも笑ってくれるし、金太郎は可愛いし! やっぱり、家族って良いなーって思うよ』

「そっか。そう言えば最近、鉄男の奴に会ってないな……」

『そう言えばそうだな。そうだ! それなら大晦日に家に来いよ! 鉄男も金太郎も喜ぶだろうし、みんなで年越しそば食べよう!』

「そこはうどんじゃないんだな」

『まぁ、さすがにな。郷に入っては郷に従えって言うし』

 そして二人はしばらく、そんな平穏なやり取りを交わした。

 学校の事。鉄男と金太郎の事。大晦日の事。そして正月の事……。二人の話は続いていき、気が付くともう一時間も経過していた。

「っと、もうこんな時間か。そろそろ終わりにしようか」

『あ、本当だ。気が付かないうちにこんなに時間が経ってるなんてなー。……やっぱり、お前と話してるとすごく楽しいよ』

「そりゃどうも。じゃあ次に会えるのは大晦日か。鉄男と金太郎によろしくな」

『ああ! じゃあ、またね!』

「……ああ。またな」

 その言葉を最後にして、通話が切られる。志騎はスマートフォンをベッドに置きながら、ポツリと呟く。

「そう言えば銀の奴、『またね』って言葉が好きだよな」

 彼女の場合、結構な頻度で口にしていると思う。しかし彼女の性格から考えると、彼女がそう言うのも何となく分かる。

 『さよなら』だと、もう二度と会えないような響きが感じられて少し物寂しい。

 しかし『またね』は、文字通りまた会えるニュアンスがあって物悲しさや寂しさは感じられない。

 銀は友達や家族との絆を大切にすると同時に、それらの絆が壊れるのを強く嫌うと共に恐れている。そんな彼女だからこそ、『またね』という再会の言葉を多用するのだろう。

「俺の場合、あと何回『またね』が言えるやら」

 そう言いながら志騎は、自分の机の引き出しを開ける。そこには、鎖で通された指輪が入っていた。銀が自分のためを思って送ってくれた魔除けの指輪を優しい笑顔で見つめながら、志騎は思う。

 自分の寿命が春を越せるまでに残されていない以上、銀と過ごせる時間もそんなに残っていない。

 それまでに、友奈の問題を解決できるかも分からない。

 だけど。

 友奈が、東郷達といつまでも『またね』を言い合えるように。

 彼女達の中で銀が、いつまでも笑って幸せでいられるように。

 自分の命が尽きる最後の時まで、精々頑張ってみる事にしよう。

 そして志騎は引き出しの取っ手に手をかけると、そっと元の位置に戻した。

 

 





 今回ついに元凶である天の神が出現しましたが、当然この天の神の口調や性格などは本作オリジナルですので、ほぼオリキャラと呼んでも良い存在となっています。自分としては、『非常に絶大な力を持つ子供』としてイメージしながら書きました。本作を含めたゆゆゆシリーズのラスボス兼黒幕のような存在ですので、今後もちょくちょく出していきたいと思います。


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第五十一話 ニューイヤー301

刑「この本によると、神世紀300年からようやく年が明け、志騎達讃州中学勇者部は新年を迎えた。そして乃木園子のマンションに集まった勇者部は、そこである書物を目にする……っと少し先の未来を読んでしまったな」
刑「え、何を読んでいるだって? そもそも何を言っているんだって? 前にも言ったかもしれないが、まぁ良いじゃないか。それはこれからのお楽しみだ」
刑「では第五十一話、楽しんでくれ」


 

 

 讃州中学勇者部にとって激動の年だった神世紀300年が終わり、代わりに彼女達にとっても四国にとっても新たな年である神世紀301年がやってきた。人々は家族や友人、恋人と共に新たな年を祝い、神社に赴いて四国を守る神樹に自分達の願いを祈祷する。

 無論それは、勇者部も例外ではない。

「志騎と銀、遅いわね……」

「まだ待ち合わせの時間から三分過ぎたくらいでしょ? もうすぐ来るわよ」

「そうですね。今日は志騎君も銀と一緒ですから、風先輩の言う通りもうすぐ来ると思います」

 近所の神社に、志騎と銀を除いた讃州中学勇者部六人が集まっていた。東郷と園子を除いた四人はラフな私服姿だが、あとの二人は正月という事もあってか和服姿である。

 二人の姿が見えない事をぼやく夏凜を風と東郷がたしなめると、園子があっと声を上げた。

「噂をすれば影、だね~。お~い、あまみん、ミノさ~ん」

 そう言って園子が手を振った先には私服姿の志騎と、東郷と園子と同じように着物を身に纏った銀が二人揃って歩いてきていた。二人が六人に合流すると、銀が苦笑しながら申し訳なさそうに、

「ごめんごめん! ちょっと着物の着付けに手間取っちゃってさ。志騎にも見てもらったんだけど、変な所とかない?」

「全然ないよ~。可愛いよ、ミノさん~」

「ええ、そうね。本当に(パシャパシャパシャパシャ)」

「……ええと、須美さん? そのカメラは一体どこから出したんですか?」

 どこにしまってあったのか、やけにごついプロ用のカメラを取り出して銀の姿を激写する東郷に銀が顔を引きつらせる。するとそんな東郷に志騎はため息をつくと、

「おい須美。友奈が『私より銀ちゃんを撮るなんて……。東郷さんは、私より銀ちゃんが大切なんだ……』って傷ついた表情で見てるぞ」

「はっ!? 違うの友奈ちゃん!! これはちょっとした条件反射のようなもので私にとって友奈ちゃんが大親友って事に変わりはないから! だからそんな顔をしないで友奈ちゃん!!」

「ど、どうしたの東郷さん!?」

 と志騎の予想以上に東郷が慌てふためき、そんな東郷の姿に友奈も同様に慌てふためく。予想以上の反応に、言った張本人である志騎も「ここまで過剰反応するとは……」と軽く自分のした事に後悔していた。

 その後、風と夏凜の助力でようやく東郷を落ち着かせると、風が志騎に尋ねる。

「クリスマスは残念だったけど、年明けまでにどうにか退院できて良かったわね。もう体の方は大丈夫なの?」

「はい。すいません、俺が休んだ事で、部活の方にも迷惑かけちゃって……」

「別に良いのよ! あたしの方は危うくトラックに轢かれそうなところを助けられたんだし、気にする事はないわ」

 そう言って風は軽く志騎の肩を叩いてから、はぁと何故か憂いがこもったため息をつく。

「でも、年を越して新年を迎えてしまったわ……」

「何よ、めでたい事でしょ?」

「良い女が一つ歳を取るのよ? 三月で卒業だし」

 するとその事実を思い出したのか、横にいる樹と夏凜の表情がかすかに曇った。

「もう一年いてくださっても良いんですよ?」

「いや、それはちょっと……」

 と、東郷と風のやり取りに勇者部全員が笑った。しかし途中で友奈と志騎の顔から笑みが消えた事には、誰も気づかなかった。

「ねぇ! あ・ま・ざけ、飲みたいな!」

「おお! 良いねぇ! いっぱいひっかけていきますか!」

「風先輩、オヤジっぽい……」

「オヤジッ!?」

「ってか、甘酒にアルコール入ってませんし……」

「それは米麹(こめこうじ)から作られてる甘酒の場合よ。酒粕から作られてる甘酒には少し入っているわ」

「あ、そうだったのか……」

 そんなやり取りをしながら、勇者部は大赦が作っている甘酒をもらいに向かった。全員が甘酒を受け取りそれぞれが飲む中で、一番飲みっぷりが良かったのは犬吠埼姉妹だった。

「「っぷはぁ~」」

「おお~! 二人共、良い飲みっぷり!」

 紙コップに入った甘酒を飲み干した風と樹に、園子が声を上げる。よく見ると二人の顔はまるで酒を飲んだかのように赤らんでいた。

「なんかノンアルコールなのに、場酔いしてない……?」

 夏凜が困惑した顔で言った直後。

「あはははははははっ! 酔ってない酔ってない~」

 バシバシバシ! と樹が勢いよく風の背中を勢いよく叩き始めた。それに勇者部が目を丸くしていると、風が目から涙を勢いよく流しながら両腕を上げた。

「うわぁ~! 花の中学生時代が終わっちゃう~!」

 どうやら犬吠埼姉妹は酔うと人格が変わるらしく、風の方は泣き上戸に、樹の方は笑い上戸に変貌するらしかった。

「なんだこいつら……」

「重要な記録だわ……!」

「いや、須美。その記録を何に使うつもりだよ……」

 熱心にカメラを覗き込んで今の姉妹の醜態を記録している東郷に、銀がツッコミを入れる。

 すると、友奈の手にしている紙コップの中に甘酒がまだ残っている事に夏凜が気づいた。

「友奈、飲まないの?」

「あ、熱くて……」

「大変だわっしー! ふーふーしないと!」

「はっ!」

「いや、はっ! じゃないだろ……。こら須美、園子、友奈の甘酒を本当にふーふーするんじゃない。友奈が困ってるぞー」

 しかし銀の注意を尻目に二人は友奈の甘酒を少しでも冷やそうとし、友奈の方も困りながらも「あ、ありがとー」と二人に律儀にお礼を言っていた。

「ねぇ! とーごーぱいせん! きねんしゃしん、とりましょー!」

 姉を右腕に抱えながら振り回している樹が左手にカメラを持って、東郷に言った。なお、振り回されている風本人は右手に握った紙コップを握りしめながら「わたしのせいしゅんー!」と泣いていた。ただでさえカオスな事になりやすい讃州中学勇者部だというのに、今日はその中でも一際酷かった。場酔いだけでもこのザマなのに、彼女達が二十歳になってアルコール飲料が解禁された時にはどうなってしまうのか、考えるだけでも恐ろしい。

 しかしさすがというべきか、二人の醜態を目の前にしても東郷は笑顔を崩す事無く言った。

「じゃあ、みんなで撮りましょう!」

 そして三脚にカメラを設置し、タイマーをセットするとカメラの前に勇者部が並ぶ。

「撮りますよー!」

 東郷の言葉の後、カメラのシャッターが切られ写真撮影が行われる。

 ……しかし、酔いに酔った二人を加えた勇者部の面々がまともに撮影されるわけがない。酔った二人が暴れた結果、笑っている樹が肩を組む形で風と夏凜の首を後ろに両腕を伸ばした結果笑っている樹が宙を舞い、泣いている風と驚いた夏凜が体勢を崩し、興奮した園子が友奈と東郷、志騎と銀の四人に両腕を広げて無理やり抱き着こうとし、体勢を崩した友奈と銀がそれぞれのパートナーに抱き留められるという混沌とした写真が撮影される事となった。

 後日、自分達の行動がきっかけで撮影されたこの写真に風と樹は頭を抱えたものの、「まぁ、勇者部らしいと言えばらしいか」という事で、この写真も勇者部の大切な宝物の一つとして保管される事となった。

 

 

 

 

 それから四日後の一月五日、讃州中学勇者部は讃州市内の園子のマンションに一同集まっていた。

「ええっ!? 八マス戻る……!?」

「ふっふっふ! また引っかかったわね!」

 東郷の悲痛な声が部屋に響き、夏凜の計画通りと言いたそうな笑いがその後に続く。

 勇者部の九人は現在、彼女達をかたどった駒を使用して、園子特製すごろくを行っていた。室内のテーブルには七面鳥やおはぎ、伊勢海老がのった豪華なおせちなど様々な料理が鎮座している。七面鳥を牛鬼がもしゃもしゃと食べ、カニを「美味いなこれ!」と刑部姫が食べていた。

「八マスって、スタート地点……!」

 そう言って東郷は自分をかたどった駒をスタート地点に置くと、

「ありゃりゃ、こりゃ巻き返すのが大変だな……」

「別にそうでもないだろ。風先輩なんて十回休み食らってるんだし」

 志騎の視線の先には、スタート早々サイコロの一の目を出した結果、十回休みというペナルティを食らってしまい、『十回休み』という鉢巻を頭に巻いている風の姿があった。どうでも良いがこのすごろく、スタートのマスの目の前が十回休みというのは、中々底意地が悪いと言えるのではないだろうか。

「だけど園子もやる事が派手だよな。怪我でクリスマスができなかったからって、正月とクリスマスをいっぺんにやるなんて……」

 志騎の病室でミニクリスマスパーティーをしたとはいえ、本来考えていたパーティーと比べると規模がささやかだった事は否定できない。なので本日、クリスマスと正月祝いをいっぺんにやろうという事でこうして讃州中学勇者部は園子のマンションの部屋に集まったというわけだ。

 なお、正月に関してはすでに志騎は退院していたのだが、今日になるまで部員それぞれに予定があったため、中々集まる事が出来なかった。特に東郷や園子、銀の家は大赦の名家なので、親族に挨拶したりとかなり忙しかったようだ。銀に至っては、『堅苦しい挨拶や言葉遣いで疲れた……』とここに来るまでの道中で志騎に愚痴っていたほどである。

「楽しい事は、みんなで盛り上がるべきなんよ~!」

「……うん。まぁその通りだとは思うけど、なんだその恰好」

 本日のパーティーの主催者である園子は、獅子舞の衣装を身に纏っていた。彼女が喋るたびに口がパクパクと開閉し、そのたびに食われるのではないかと志騎は少し後ずさりする。

「何って、獅子舞だろ?」

「俺が言ってるのはそういう事じゃねぇよ」

 はぁ……と志騎はため息をつきながら、サンタクロースの服を着た友奈に顔を向ける。

「友奈もありがとな。俺がいなかった間に、銀や風先輩と一緒に依頼を片付けてくれてたんだろ?」

「え、う、ううん! 私は……何かやってないと落ち着かなくて……」

 すると友奈の奇妙な言葉に、勇者部部員達が不思議そうな表情を友奈に向ける。彼女の言葉の意図をすぐに悟った志騎は、思わず表情を曇らせた。

「じゃなくて! 元気が有り余ってるから!」

 どうにか白い髭をつけた顔で明るく笑うと、一瞬おかしくなってしまった雰囲気を再び明るいものに戻す。そして再び勇者部部員達がすごろくに戻り、夏凜が自分の駒を進める。

「えっと……? ふと人生をやり直したくなって、スタートに戻るってなにこれ!?」

 まさかの人生のスタートに戻るという結果に夏凜が叫び、夏凜が自分と同じ結末を辿った事に東郷がふふふ……と不穏な笑い声を漏らす。するとここぞとばかりに刑部姫が夏凜に近寄ると、殴りたくなるほど悪意のこもった笑みを浮かべながら夏凜の頭をポコポコ叩き、

「はははは、良かったじゃないか人生をリセットできて。次こそは少しはまともな人生を送る事ができると良いなぁ?」

「あんたの場合はその腐った性格を少しはまともにするべきだと思うけどね……!」

「スリングショーット」

「へぶしっ!」

 刑部姫がいつの間にか取り出したゴム弾が夏凜の額に直撃し、夏凜は悲鳴を上げながら床に仰向けに倒れ伏した。一方すごろくの方は樹の番に回り、サイコロを持って回すと二の目が出る。

「一、ニ……。えっと、『歌コンテスト優勝を逃すも、一部ディープなファンに支えられ百万円もらえる』……園子さんこれ良い事なんですか悪い事なんですか!?」

「うふふ……秋から準備してたんよ。もう、いくつ寝ると~って」

「た、楽しみだったんですね……」

 園子お手製の一万円札が百枚束になっている札束を見て、樹が苦笑を浮かべる。

「では、ここは部長の威厳で優勝をかっさらっていくとするかね!」

 と、ようやく十回休みの縛りが解けた風が威勢よくサイコロを持った右手を突き出した。

「たぁっ!」

 そして転がした結果は、六の目。その結果に『おー!』と勇者部全員から歓声が上がる。

「ふふ……ん?」

 しかし何故か、駒を進めた風の顔が見開かれる。

 それも当然で、何故なら風の駒が止まった位置には。

「『車にはねられてお楽しみを全部失う。心のショックで……』十回休み!? キー! 何これ!」

 再びの十回休みに、風が鉢巻をぎゅーっ! っと思いっきり握りしめて悔しがる。まぁやっと動けると思ったら、再び十回休みになってしまったのだからそれも仕方ないだろうが。

「そのちゃん、過酷なゲームだね……」

「じーんせい!」

 と、園子の獅子舞が風の頭にかぶりつく。それでようやく頭が冷えた風は切ない表情をしながら「強烈な人生観ね……」とぼやいていた。

「では次は私の番だな……ほれ」

 自分の番が回ってきた刑部姫がサイコロを手に取り、サイコロを回す。本日は珍しく、刑部姫もすごろくに参加していた。彼女の中の、志騎と同じゲーム好きの血が騒いだのかもしれない。ちなみに彼女の駒は用意されていなかったのだが、刑部姫がすぐに駒を作成して用意した。相変わらず、才能を無駄な事に全力で使う女性である。

「三、か。まぁ良しとしよう」

 出たサイコロの目を見て刑部姫が呟き、駒を空白のマスに進める。すると、それを眺めていた夏凜がため息をついた。

「それにしても、このままのペースだと刑部姫が優勝って事になっちゃうわね」

 刑部姫も他のメンバー同様一回休み、二回休みなどにはあってはいるが、それでも他のメンバーに比べるとゆっくりとではあるが確実なペースでゴールへと近づいている。このままだと、刑部姫の一人勝ちは間違いない。それは刑部姫も確信しているのか、勝利を確信した笑みを浮かべている。

 しかし勝負はまだ決まったわけではない。すごろくの怖い所は、決まりかけた勝利がひっくり返されかねない事だ。まだ自分達の敗北が決まったわけではない。何より自分達は勇者なのだ。最後まで気を緩めず、刑部姫より先にゴールしてみせる……! と東郷と風と夏凜が固く心に誓った時だった。

「おい刑部姫。いい加減にやめとけ。それじゃあお前のワンサイドゲームだろうが」

 ケーキをむぐむぐと食べていた志騎が、何故かそんな事を口にした。突然の言葉に志騎以外の部員達がきょとんとし、対照的に刑部姫の肩がギクリと跳ね上がる。

「志騎、それどういう意味?」

「どういう意味も何も、そのままの意味だよ。馬鹿正直にやっても刑部姫には勝てねぇよ。やってる事がまともじゃないんだから」

「それってもしかして、イカサマって事!?」

 風が叫ぶが、東郷が困ったような顔をしながら呟く。

「でも、それは不可能じゃないかしら? だってサイコロはそのっちが用意したものだし、イカサマを仕掛ける事なんて……」

 東郷の言う通り、サイコロは園子が用意したものだ。それを刑部姫がすり替えたような素振りはまったくないし、もしもすり替えたなら刑部姫以外の誰かが気づくはずだ。しかし志騎は首を横に振ると、

「サイコロに細工なんてしなくても、やりようはいくらでもあるよ」

 貸してみろ、と志騎が言うと夏凜がサイコロを持って志騎に渡す。一方刑部姫の方は、志騎に見られないためか顔を背けていた。

「今日は新世紀三〇一年一月五日だから……。うん、そうだな。今からサイコロの数を三、一、一、五の順番に出す。その後は、一の数を四連続で良いか」

 そう呟いて志騎はサイコロを持つと、「よく見てろよ」と勇者部部員達に念押しする。友奈達が静かに見守る中、志騎は手を振ってサイコロを転がした。

 出た目の数は三。志騎の言った通りの目が出たが、これだけならまだ偶然で済む。

 再び手を振り、サイコロを振るう。

 出た目の数は一。それを見て、誰かが唾を呑み込んだ。

 再びサイコロを振るう。

 出た目の数は一。友奈の息を呑む音が、はっきりと聞こえた。

 サイコロを振るう。

 五の目が出るのを見て、刑部姫と志騎を除いた全員が驚きの声を上げた。

 そしてその後四連続で一の目を出すと、樹が志騎に尋ねた。

「ど、どうやってるんですか!?」

「タネは単純だよ。サイコロの出したい目に気を付けて、一定の回転をかけてサイコロを振るだけだ。別に天才じゃなくても、練習すれば誰でもできる。……まぁ、誰にもバレないようにするのはよほどの練習と才能、それと仕掛けが必要だけどな。例えば、出目を操作してるのを気づかれないように、休みのマスにわざと止まったり」

 その言葉でもうネタは完全に割れたようなものだった。

 勇者部全員が刑部姫に目を向けると、刑部姫はパチリ、と腹立たしいが非常に可愛らしいウインクをして、さらにこつんと自分の右手で頭を軽く叩いた。

「……てへぺろ♪」

 直後。

「「それで済むかぁああああああああああああああああああああっ!!」」

 風と夏凜が怒声を上げながら、刑部姫に勢いよく襲い掛かった。

「何新年早々イカサマ仕掛けてんのよ!! なんか大人しいと思ってたら、やっぱりやってたわねこの腹黒精霊!!」

「イカサマじゃない! 敵に勝利するために磨き上げたテクニックと呼べ! 大体志騎も言っていただろう! 練習さえすれば誰でもできるんだよこんな事は! 人の事を批判するより、まず自分達で調べて練習するんだなぶぁあああああかぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

「開きなってるんじゃないわよぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! 夏凜、手伝って! こいつ縛って瀬戸内海に沈めるわよ!!」

「当然、そのつもりよ!!」

 風と夏凜の二人が逃げ回る刑部姫を捕まえようと走り回り、広い室内に荒々しい物音が響く。しかし部屋の主である園子はおろか東郷も止める気はないようで、のんびりと座ってお茶を飲んでいる。テーブルの上のケーキが蹴り倒されでもすればさすがの彼女も実力行使に出るだろうが、今のところはまだその段階ではないという事だろう。

「でもあまみん、よく分かったね~。私見てたけど全然分からなかったよ~」

「やったのが刑部姫だからだろ。同じ事を俺がやったら、お前ならすぐに気付くよ」

「でも志騎さん、いつあんな事を覚えたんですか?」

 樹の問いに、志騎は頬をポリポリと掻きながら、

「覚えたっていうか……。あれ教えたのが、当の刑部姫……氷室真由理本人だったんだよ。俺がまだ銀に会う前にやり方を教えてもらったんだ」

「ああ、なるほど」

 合点が言ったように銀がポンと手を叩く。銀と出会う前という事は、志騎がまだ鳥籠にいた時に氷室真由理からサイコロの投げ方を教わったのだろう。

「まぁその後、それを俺に教えてるのを安芸先生にバレて、『子供にそんな事を教えるんじゃないの!』ってパイルドライバー食らってたけどな」

「……意外に肉体派だな、安芸先生」

 担任の教師だった安芸の意外な一面に、銀の顔が引きつった。

「園子様、他にお申しつけはございますでしょうか」

 と、突然部屋の外から女性の声が聞こえてきた。刑部姫を捕まえて縄でぐるぐる巻きにしようとしていた風と夏凜を含めた全員が部屋の扉の方に視線を向けると、そこに人影がしゃがみ込んでいるのが見えた。

「うん、ありがと~。今日はもう大丈夫だから」

「それでは……」

 そう言って女性は立ち上がると、部屋の前から立ち去って行った。

 普段の姿からは想像できないが、園子は大赦の家系の中でも一番の権力を持つ乃木家の一人娘だ。お手伝いさんが一人や二人いるのが当然なのだろう。

「はー……」

「すごいねー! お手伝いさんがいるんだね!」

「家を出るための条件だったんよー」

「あんたも苦労してんのよね……」

「えへへ」

 園子は笑うと、ほっと声を上げてその場から立ち上がる。驚く一同の目の前で獅子舞の衣装を脱いで部屋の片隅に丁寧に畳んでおくと、何故かステップを踏んで一同から死角となっているリビングの片隅に向かう。

「さてと! 面倒なのもいなくなったし……」

 そう言って彼女が持ってきたのは紫色の大きな包みだった。その大きさから分かるようにかなり重たいらしく、両手で袋を持っている園子の体がふらふらと危なっかしく横に振れている。

「ここからが、本番よっと!」

 そう言って袋を床に置くと、その途端もうもうと茶色の埃がリビングに舞う。

「ちょっ、埃臭い!」

「なに、それ?」

 驚いた表情で風が尋ねると、園子が包みの結びをほどきながら説明する。

「ほら私、複雑な事情で家にいろいろあるじゃない?」

「それは、確かにそうだけど……」

 園子の実家である乃木家は大赦で一番の権力を持っている。

 では何故そうであるかというと、乃木家が一番初めに勇者になった人物の一族であるからだ。そして一番初めに勇者になったという事は、バーテックスが世界を滅ぼしかけた三百年前から今に至るまで続く家系という事でもある。そうなれば、貴重な資料が眠っていたとしても不思議ではない。

「またいきなりねぇ……」

「それで、荷物の整理に行ったんだ」

「なんでまた?」

 風の質問に園子は答えず、ただ黙って友奈をじっと見つめた。友奈は一瞬それにたじろぐも、園子は何も言わず口元に笑みを浮かべると袋の中に入っていた行李から一冊の本を取り出す。

「んー、色々調べたかったしね」

 取り出した本を、園子が目を細めて本の表紙を見る。いつもは滅多に見ない彼女の姿に、勇者部とようやく縄から脱出した刑部姫が近寄ってくる。

「手の込んだ前振りだったけど、本当の目的はそれね?」

 つまり園子が今日友奈達をここに呼んだのは、パーティーではなくその本をみんなと一緒に見るためだったのだ。いや、彼女の事だからみんなと一緒に楽しくパーティーをするというのも目的の一つだったのだろうが、この本をみんなと一緒に読むのが一番の目的だったのだろう。

 園子が無言で本を差し出すと、東郷が本を受け取る。そして表紙に書かれている文字を見て、東郷がはっと表情を変えた。

「勇者御記……」

 表紙には確かに、『勇者御記』とはっきり書かれていた。するとそれを見て、刑部姫がほぉと声を漏らす。

「勇者御記……。しかもこれはオリジナルか。よくもまぁこんなものを見つけたな」

「知ってるのか?」

 志騎が尋ねると、刑部姫は珍しく楽し気な笑みを浮かべ、

「その名の通り、大昔の勇者達の日記のようなものだ。私も大赦のデータベースに保存されているものを見た事はあるが、オリジナルを見るのは初めてだな」

「随分、古い物みたいですけど……」

「乃木の祖先の時代のものだからな。約三百年前のものだろう。古くて当然だ」

「三百……」

 刑部姫の口からできた数字に、銀が驚愕の声を上げる。

 三百年前、初代勇者が書いた日記。今それが時を越えて、自分達の目の前にある。その事実に、勇者達は思わず身が引き締まる思いだった。

「刑部姫の言う通り、乃木家に伝わる三百年前のものみたいだよ」

「園子はこれ、読んだのか?」

「これから。もう私だけが知ってるなんて良くないし、私も嫌だしね」

 それは、大赦に満開の事を秘密にされ、体の大部分と大切な友達、そして一人の友人の記憶を失ってしまった園子の確かな本音だろう。園子は東郷の持つ勇者御記に軽く指を当て、

「初回は、みんなと一緒に読もうと思って」

「……こいつがいるけど良いのか?」

 志騎が大赦の精霊である刑部姫を指差すと、園子は笑って、

「大丈夫だよ。中身はもう大赦にあるんだし、どうせあなたの事だから内容は全部知ってるんでしょ?」

「……ああ」

 誤魔化す事無く、刑部姫はこくりと頷く。

 そして東郷が勇者御記を開くと、一節の文章を声に出して読む。

「『……私達の戦いの記録を記し、未来の勇者へ託す』」

「……未来の勇者って」

「乃木、なんてものを見つけてくるのよ……」

 未来の勇者と書かれているという事は、つまりここに書かれているのは友奈達を含めた、彼女達よりも先の時代でバーテックスと戦う勇者達に向けて書かれたメッセージのようなものだ。それだけで、この勇者御記に書かれている文字の重みがひしひしと感じられてくる。

「これ、私達が何故今こうなのか、私達は読まなきゃならない。みんなも一緒に読んでくれる?」

「そのっち……」

 しかしそれは、自分達は何故勇者になったのか、どうして神世紀と呼ばれる時代が生まれ、今に至るのか真実の歴史を知るという事だ。それを知るのは、誰だって怖いだろう。当然これを持ってきたの、園子自身も。

 すると、園子の手を風が手に取って迷いのないはっきりとした声で告げた。それは他の部員達も同様で、みんな園子を安心させるように笑みを浮かべている。

「もちろんよ」

「……ありがと、ふーみん先輩。ありがとう、みんな」

 それから園子は何故か困ったような笑顔を志騎に視線を向けた。

「本当を言うとね、あまみんにこれを見せて良いのか、迷ったんだ」

「志騎に? 何でよ。……っ」

 そこで夏凜は園子の意図に気づき、思わず黙り込む。それは夏凜以外の、勇者部員も同様だった。

「………」

 一方の志騎は、ただじっと黙り込んでいる。彼も、園子がどうして自分に本当にこれを見せるべきか迷っていたのか、その理由に気づいていた。

 勇者御記。三百年前の勇者が記した日記であり、彼女の切実な想いが記されたもの。未来の勇者達に向けて書かれた、彼女達の記録。

 だがそれは同時に、この世界を滅茶苦茶にしたバーテックスの罪が生々しく書かれたものでもある。これを見れば間違いなく、同じバーテックス――――園子達は微塵もそんな事を思っていないが――――の志騎の心に傷を与えてしまう。それで園子は、志騎にもこれを本当に見せて良いのか迷っていたに違いない。例えこれを読む事が、真実を知るためであったとしても。

「でも、あまみんにだけ見せないのは駄目だって思ったから。だから今日あまみんもここに呼んだの。……でもね、辛くなったら途中でやめても良いから。その時は遠慮しないで言ってね?」

 それはきっと、園子なりの優しさだろう。ここに書かれているバーテックスの罪を見たら、志騎が辛くなるだろうと考えての配慮。志騎がこの日記を読んだら、優しい彼の事だからまた背負ってしまう。今でもたくさんのものを背負っていっぱいっぱいなのに、また必要以上のものを背負って苦しんでしまう。いくら真実を知るためとはいえ、そんな思いはできればさせたくない。

 そんな園子の想いに気づいているからこそ、志騎も彼女の言葉に怒る事はしない。

 ただ、一度微笑むと園子に告げた。

「……気を使わせてごめんな、園子。でも俺は大丈夫だよ。途中でやめる事もしないし、目を背ける事もしない。……背負うって、決めたからな」

 言葉はそれだけで十分だった。園子は一瞬目を見開くと、安堵と悲しみが入り混じったような笑みを浮かべて、

「……うん、分かった。でも本当に、具合が悪くなったりしたら言ってね?」

「分かってるよ」

 そう言って志騎は園子を安心させるように笑った。銀は不安そうな表情を浮かべながらも何か言うようなことはせず、ただ黙って志騎のそばに寄りそうように立っていた。他の勇者部達も不安そうな表情は浮かべていたが、志騎本人がそう言っている以上野暮な事は言わない。ただ彼の意志を尊重して、彼と一緒に真実に目を向けるだけだ。

 東郷は勇者御記の最初の一節のすぐ横に書かれている、園子の祖先の名を口に出す。

「乃木、若葉……」

 きっとそれが、初代勇者の名前なのだろう。

 そして一同は、勇者御記を読み始めた。

 最初に書かれていたのは、世界が崩壊するきっかけとなる二〇一五年七月の事。何の因果か、志騎の誕生日と同じ月に終末は始まっていた。

 その日、絶望が空から降ってきた。

 人々は食い殺され、文明は破壊され、生き残った人々は絶望と恐怖を抱きながらどこにあるかも分からない安全地帯を目指していた。不可解な力の前に対抗策はなく、あらゆる常識が覆された状況の中、それを打破するかもしれない存在が現れる。

 その名は、大社。神話の時代から真実を知る者達。絶望的な状況の中で神からの声を聞いた集団。

 彼らはその存在を公にしてからすぐに、人々の導き手となった。人類は霊的な力で護られた防護壁の中に逃げ込み、人々はそれらを神樹様の結界と呼んだ。

 それから三年後、二〇一八年。四国の他に人々が生き残っていた土地である長野県、諏訪が陥落。結果的に多くの人々と勇者を擁する四国は、諏訪を囮にする形でバーテックスを迎撃するための時間を稼いだ。……代償として諏訪に住んでいた人々と、彼らを護っていた勇者と巫女を犠牲にする形で。

 とは言っても、彼女達の死が無駄になったわけではない。勇者がたった一人だったにも関わらず、諏訪は三年もの間バーテックスからの攻撃を耐え、四国のバーテックス迎撃のための時間を稼いだのだ。

 そして諏訪が陥落したのをきっかけとして、ついにバーテックスの四国への襲撃が始まる。

 しかし、三年という年月を彼女達はただ無為に過ごしていたわけではない。四国を守るために個々が訓練を積み、勇者達は襲い来るバーテックスを打倒していった。

 無論いつも無傷での勝利というわけではなかったし、少女達の間に何のトラブルもなかったわけではない。強いバーテックスとの戦闘もあったし、各々の考えのために勇者達の関係がギクシャクする事もあった。

 けれど、そのたびに少女達は互いに話し、心を開き、それらの問題を一つ一つ乗り越えて行った。その結果一度大規模な侵攻があったものの、強くなった絆の力と連携でそれを撃破した事もあった。四国に住む人々も状況を悲観するのではなく、今をたくましく生きる事で希望が生まれていき、勇者達も世界を元に戻すために邁進していく。この時は勇者達だけではなく四国の人達も、また元の日常を取り戻す事ができると心の底から思っていた。

 しかし……現実は彼女達が考えていたよりも過酷だった。

 バーテックスの大侵攻の後、四国には一時的な平穏が訪れた。その間に勇者達は壁の外の世界へ向かい、壁の外の地域の調査を行う事となった。調査の主な目的としては、生存者の探索と環境状態の調査だ。これで環境になんの異変も無ければ、日常を取り戻した後に再び人が住む事だってできる。

 こうして勇者達は調査に向かったのだが……結論から言って、調査の結果は芳しくなかった。

 別に悪い事ばっかりだったわけではない。空気や水質の調査を行った結果、環境の状態は著しく良かった。むしろバーテックスが出現した二〇一五年前よりも大気の状態は良くなっていたほどである。

 だが、生存者は一人も見つからなかった。建物は破壊尽くされ、生存者の姿は食われたのか一人も見当たらず。結局環境調査のサンプルなどを見つける事が出来たものの、生存者は誰一人見つからなかった。 

 そしてこの後、勇者達は当初予定していた調査期間の終了を早めて四国に戻る事となる。神託で、四国が再び危機にさらされるという結果が出たからだ。

 四国へ戻った乃木若葉達を待っていたのは、彼女達に告げられた神託……すなわち、バーテックスの襲撃だった。バーテックスによる神樹の破壊を防ぐため、若葉達はバーテックスと交戦する。

 結果だけを述べるなら、若葉達の勝利に終わった。

 ……勇者である、土居球子と伊予島杏の死を代償として。

 今回勇者に死者が出てしまったのは、バーテックスの進化が理由だった。ありとあらゆる状況に対応し、進化するバーテックスは今までのもの――――『星屑』よりもさらに殺戮に特化した形態のバーテックスの進化体を生み出し、勇者と交戦。これにより戦闘には勝利したが、勇者の方にも死者を出すという結果に繋がってしまう。

 さらに、悲劇はまだ終わらなかった。その後再びバーテックスとの戦闘が発生し、その際に勇者の一人、高嶋友奈が命に関わる重傷を負ってしまう。幸い死には至らなかったものの、友奈はすぐに戦闘できる状態ではなくなり、しばらくの間戦線を離脱する事となった。

 その後は残った二人の勇者で四国を守る事となったのだが……状況は勇者側の劣勢だった。

 それも当然だ。相手は完成体のバーテックスを含めた、無数の星屑。対して勇者は二人だけ。多勢に無勢とはまさにこの事だった。何回も起こる侵攻に勇者達は体にも心にも傷を負っていく。

 そして再びバーテックスとの戦闘が発生し、三人目の勇者の犠牲が出てしまった。

 ……ここで一つ、奇妙な事がある。この三人目の勇者の名前が、勇者御記のどこにも記されていないのだ。

 いや、正確にはそれらしき文はあるのだが、名前の上から黒く塗りつぶされてしまっていたその人物の名前が分からない。なので結局、友奈達が勇者御記からその勇者の名前を知る事は出来なかった。

 それからしばらくの間バーテックスの侵攻や収まり、その間に残った二人の勇者は準備を整え、やってくる大規模侵攻に備える。大赦の言葉によると、次が最後の戦いになるという事だった。

 その最後の戦いまでの期間を、勇者達は共に過ごした。

 最後の戦いを乗り越えて、日常を取り戻すために。

 バーテックスの侵攻を防いで、またこうして一緒に歩くために。

 そしてついに、彼女達の最後の戦いが始まった。

 襲い来るバーテックスは無数。対して四国を守る勇者の数はたった二人。

 自分達の力の全てを総動員し、二人の勇者はバーテックス達と戦った。

 その結果、彼女達はついに最後の戦いでバーテックスの侵攻を防ぐ事に成功する。

 だが、やはりと言うべきか犠牲は出てしまった。高嶋友奈という、一人の勇者の犠牲が。

 その後、大社は六人の巫女を炎の海の中へ捧げる『奉火祭』を実行、天の神の赦しを請いこれが成立。人類は今後四国の外に出ない事と神の力である勇者の力を放棄する事を条件に生存を許され、大社は赦された者として自覚する『大赦』に改名。しかし陰でいつの日か天の神を打倒すべき勇者システムの開発を続け、組織自体も大きく拡大していった。まるで、いつか奪われた世界を絶対に取り戻すという、乃木若葉の想いを示すかのように。

 そして勇者御記の最後には、こう記されていた。

『我らは国を譲ったわけではない。これは休戦に過ぎない。自らの国土を必ず取り戻す。そして復興させる。

 必ず。

 何代かけようとも。』

『…………』

 最後に書かれていた乃木若葉の想いに、誰も声が出せなかった。刑部姫すらも腕組みをして座り込みながらも、じっと目を閉じて黙り込んでいる。

「そ、それで?」

「それがこの代での最後の戦いだったみたい」

「若葉って子だけが、生き残ったの?」

「ええ……。その後天の神を鎮めるための奉火祭が検討、決行。巫女達が捧げられ、当代の勇者達が出撃する事は無かった……」

「ま、事実上の敗北宣言だからな。天の神もそれ以上追い打ちをする事は無いと判断したんだろうよ」

 宙に浮かび上がった刑部姫がそう言いながら、テーブルに置かれていた串団子から団子を咥えてもぐもぐと食べる。

「これで、記録は以上みたい……。志騎君、大丈夫? 顔色が少し悪いみたいだけど……」

 東郷が志騎の顔を見ると、彼は東郷の言う通り少し苦しそうな表情を浮かべていたが、「大丈夫……」と元気のない返事をする。

「そんな声で言われても説得力がないっての……。ほら、水」

「ん……」

 そう言って志騎は銀から差し出されたコップに入れられた冷たい水を、コクコクと飲んだ。あらかじめ覚悟していた事だが、やはりバーテックスの所業は志騎の心に強い影響を及ぼしていたようだ。

「奉火祭って、つまりは時間稼ぎの事よね?」

「三百年ものね」

「園子さんのご先祖が護ってくれなければ、私達生まれてこれなかったんだ……。世界を守るってこういう事?」

 樹の問いに、風は何も言う事が出来なかった。代わりに彼女の問いに、刑部姫が答える。

「無論だ。世界を守るというのは言葉で言えば簡単だが、それはつまり今の世界に生きる人間達の命、未来全てを敵から守りきるという事だ。本来なら、人間数人の命で守り切れるほど軽いものじゃない。乃木若葉達の戦いも結果で言えば天の神との戦いには負けたが、人類を継続するという意味ではどうにか首の皮一枚の所で繋がったと言えるだろう」

「そして、今の私達の代にまで至るって事か……。バーテックスが襲ってこなかったその間に大赦は勇者システムを開発して……」

「――――最強の兵器であるバーテックス・ヒューマンを作り出した」

 夏凜の言葉に、刑部姫が続ける。

 神の力を使う勇者システム。使用者に強大な力と犠牲を強いる満開。兵器として特化した勇者である人間型バーテックス、バーテックス・ヒューマン。三百年もの間、天の神に奪われた国土を奪還するたための様々なものが作られた。

 大赦としての思想が人に犠牲を求める歪なものになってしまったとはいえ、奪われたものを取り戻すという意志が三百年もの間絶える事は無かったのは、また確かな事実だ。

 とは言っても、だからと言って大赦のやり方を勇者達が認めるのは、また別の問題になるが。

「託されちゃってるんだね~。次の代へ託すのも、そして終わらせるのも勇者次第」

「不吉な事言わない!」

「でも、私達での戦いはもう……」

「終わったと思いたいけどね~」

 意味深な園子の言葉に、風達は思わず黙り込む。最近東郷を奪還するために壁の外に行った事もあり、中々自分達の戦いが本当に終わったのか信じられないのかもしれない。

「ん? なにこれ?」

 と、別の箱を探っていた園子がきょとんとした声を出した。彼女が見つけた箱の中に、奇妙なものが入っていたのだ。

「……くわ?」

 それは農作業でよく使われる、くわだった。先端の部分が白い布で巻かれているが、その特徴的な形状を間違える事はない。

「大切なものみたいですけど……」

 しかし、どうしてくわが大切に保管されているのか理由が分からない。とりあえず巻かれている布を外してみるが、やはり何の変哲もないくわそのものだった。

「くわだ」

「くわね」

「くわよね」

「くわですね」

 意味が分からず、思わず四人は困った表情を浮かべた。くわを持った園子は振り返り、友奈に尋ねる。

「秘密兵器かな? ね、ゆーゆ」

「へっ? う、うん!」

 しかし友奈はどうも噛み合っていない返事をし、そんな友奈を園子はじっと見つめる。一方で銀は園子に近づくと、彼女が持つくわを見上げて、

「でもこのまま取っておくっていうのももったいないし、いっそ本当に農作業とかに使っちゃわない?」

「そうは言っても私達農作業とか全然分からないわよ? 勇者部にも、農作業を手伝って欲しいとか依頼ないでしょ」

「そうねぇ……。それにしても、どうしてくわを大事に取って置いたのかしら。貴重なもの、にも見えないし……」

 夏凜と風が呟く横で、銀はくわの持ち手に静かに手を当てた。

「アタシも分かんないですけど……。でも、園子のご先祖様が御記と一緒に大切に取って置いたって事は、これも誰かから託されたものなのかもしれないですね。ご先祖様が大切に思う、誰かから」

 銀の言葉で、一同は何の変哲もないくわに視線を向ける。

 誰かから乃木若葉に引き継がれたそれは、今代の勇者達の視線を、何も言わず黙って受け止めていた。

 

 

 

 

 夕方、銀と志騎は一緒に家への帰路を歩いていた。二人はしばらく黙って歩いていたが、唐突に銀が口を開く。

「なぁ、志騎。アタシ達がしてた事って、アタシ達が考えた以上にすごい事だったんだな」

「……いきなり、どうした?」

 志騎が尋ねると、銀は夕暮れに染まった空を見上げながら、

「だってそうだろ? 三百年前の園子のご先祖様の意志が、今もこうしてアタシ達の中に受け継がれてる。アタシは今まで家族や友達を護るために戦ってきたけど、それはアタシだけじゃなくて、本当に昔の勇者達の願いでもあったんだよな。その願いや希望を受け取って、アタシ達は今を生きてる。なんかこれって、すごい事だと思わない?」

 そう言って、銀は志騎の少し先を歩くとくるりと振り返って彼の顔を見る。

「……まぁ、確かに考えてみればすごい事だな」

「だろ?」

 そして再び正面を向くと、ゆっくりと歩きながら、

「もう戦いは起きないかもしれないけど……。でもそうなったら、次はアタシ達が引き継ぐ番だって思ってさ。アタシ達の願いや希望、感じた想いを伝えていく……。それが、次の代の勇者の役に立つ事かもしれないって思うんだ。ま、本当ならアタシ達の代で終わらせるのが一番なんだけどな!」

 二ッと銀は笑うが、それは難しいという事を彼女も分かっている。

 三百年間続いてきた戦いを終わらせるというのは、言うほど簡単な事ではない。壁の外の世界は炎で包まれていて、星屑やバーテックスは無数におり、さらに後には天の神までいる。世界を取り戻すというのは、これらすべてを倒すというのと同じ意味だ。簡単に覆せるほど、目の前の問題は容易くない。

 だが、だからと言って諦めるような事だけはしない。

 例えどれだけの時間がかかっても、初代勇者である乃木若葉から託されたものを次の代へと託す。

 そしていつの日か問題を全て解決し、世界を取り戻す。

 今日の勇者御記を見て、銀も強くそう感じたはずだ。

 銀はしばらく志騎の先を歩いていたが、ピタリとその歩を止めた。

「なぁ、志騎。お前の方は大丈夫か?」

「何の事だよ?」

「いや、今日の勇者御記を見てからもショックを受けてたみたいだし、今も何か悩んでたりしてないかなーって思って……」

 どうやら乃木若葉の意志を受け継ぐと改めて誓った一方で、志騎の事も案じてくれていたらしい。彼女の優しさに志騎は微笑みながらも、彼女に近づいて安心させるように告げる。

「言っただろ。俺は大丈夫だよ。確かにバーテックスのやった事にショックを受けなかったって言えば嘘になるけどさ。でも、もう俺は迷わないよ。俺は人を傷つけるためじゃなくて、人を護るために戦う。……最期まで、な」

 最期、という言葉に銀は自分の心臓が締め付けられるような感覚に襲われながらも、きゅっと唇を噛み締めて「そっか!」とどうにかして笑顔を振り絞る。……そうでもしなければ、志騎にくしゃくしゃした、今にも泣きだしてしまいそうな顔を見せてしまいそうだったから。

 それから二人はいつもの通り、他愛のない会話をしながら帰路につく。やがて銀の家の近くになると、銀が名残惜しそうな顔で志騎に言った。

「じゃあ、今日はここまでだな。次は学校で!」

「ああ。……じゃあな、銀」

 そう言うと、何故か銀は志騎の顔をじっと見つめる。しかしすぐに笑顔になると、右手を大きく振った。

「うん! またね、志騎!」

 そして彼女は志騎に背を向けて、家へと帰って行った。彼女の背中に手を振っていた志騎は右手を下ろすと、彼のすぐ横に刑部姫が花びらと共に出現する。

「……あのガキ、お前の体の事に気づき始めてるんじゃないのか?」

「それはない……とは言い切れないかもな。あいつ、結構勘は良いし……」

 二人が志騎のマンションに向かい始めると、空中を漂っている刑部姫が志騎に尋ねた。

「で、お前は大丈夫なのか? 勇者御記の内容は、中々ハードだったが」

「お前まで聞くのかよ。俺って、そんなに頼りなさそうに見えるのか? いや、まぁ二年前はそれであいつらに迷惑をかけたから無理もないかもしれないけどさ……」

 園子と銀に続き、刑部姫にまで聞かれて志騎は思わずため息をついた。

「仕方がないだろう。あの日記はいわば、『奪われた側』の人間の日記だ。それを『奪った側』のお前が見るのは、少しキツかったんじゃないかと思ってな。……だがお前の様子を見るに、杞憂だったみたいだが」

「………」

 志騎はポリポリと頭を掻くと、ふぅと息をつく。

「……ま、確かに正直な話、俺に本当に乃木若葉や歴代の勇者の意志を受け継ぐ資格があるのか、本当に受け継いで良いのかって思いはしたよ。お前の言う通り、俺はあいつらから当たり前にあった未来も幸せも、全部奪った側の存在だからな」

「………」

「でも、奪ったからこそ受け継がなくちゃいけないと思ったんだ。今の俺の行動が本当に正しいのか、それとも間違っているかなんて俺には分からない。だけど、もう奪いたくないって思ったし、奪われたくないって思った。例えバーテックス(俺達)の罪がどんなに重くても、例え俺が歩く道が血と罪でまみれていたとしても、最後まで人を護るために戦うって決めた。だからもう、迷わない」

「………そうか」

 志騎の言葉に、刑部姫はそれだけ返した。

 志騎を突き動かしているのは、人間を愛しているという感情もあるが、決してそれだけでは無い。

 人の未来と幸福と命を奪ってしまったのだから、今生きている自分は必死にそれを守らなければならないという罪悪感と脅迫観念。そのためならば自分の体を傷つけ、命を危険にさらす事すらも意に介さない。

 それはもう、使命感などといった言葉を越えて『呪い』とすら言える。

 過去に生きた人々の想いに触れるたびに志騎は強くなる。しかしそのたびに志騎は苦しみ、悩み、自分という存在を軽く扱うようになる。

 園子が勇者御記を志騎に見せるのをためらったのも仕方がない。過去の勇者達の強い想いを知るたびに、天海志騎にかかった呪いは強くなるのだから。そしてその呪いを解く方法は、今のこの時代にはない。例え苦しくても、志騎は呪いと罪を背負って前に進み続けるしかないのだ。

 それを分かっていながら、刑部姫はそれを口にするような事はしない。 

 言ったところで志騎は変わらないし、自分に何かができるとも思っていないからだ。

 内心でそんな自分を嘲笑いながら、刑部姫は志騎と一緒に彼のマンションへと帰っていくのだった。

 

 

 




原作のゆゆゆの時系列では、勇者部が乃木若葉の勇者御記を読む→お参りに行くというような感じになっていましたが、本作ではちょっと流れを考えてお参りに行く←勇者御記を読むという流れにしました。勇者の章と大満開の章では放送時期が大分空いていたので仕方ないですが、ちょっと流れが掴みづらかったので少し苦労しました。


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第五十二話 アナタがいるから人が死ぬ

刑「今回は前回の投稿から間が空いてしまったので、二話連続投稿だ。今回は志騎のメンタルをガリガリに削り落とす回となっている。まぁどうなるかは、その目で確かめろ」
刑「では第五十二話、ご覧あれ」


 

 

 正月が明け、讃州中学に新学期がやってきた。出会うクラスメイト達は互いに久々の挨拶をかわし、近づいてくる卒業と進級に想いを馳せる。

 そして頼れる部長の卒業を控えた、讃州中学勇者部はというと。

「お? ふっふーん♪」

「風先輩、自然体で大丈夫ですよ」

 自分を東郷がカメラで撮っている事に気づいた風がポーズを取ると、東郷がやんわりと言う。風はポーズを解きながら、

「いやー、ついね。でも最近熱心にカメラ回してるわね」

「もうすぐ先輩が卒業してしまうので、揃っての活動記録は貴重だと思います」

「……ていうけどさ、あたし卒業した後もここに入り浸ると思うわよ?」

「入り浸るんだ……」

 樹が苦笑すると、夏凜がやれやれと言いたそうに肩をすくめながら撮影に入ってくる。

「そうなる予想はついてたけどね」

「とか言って嬉しそうねかりーん?」

「………」

「え、何その反応……」

 どうやら夏凜の方は冗談半分の言葉を真面目に受け取ってしまったらしく、風から顔を逸らしながら顔を赤くしていた。

「二人を見てると創作意欲が沸いて来るよ~! ねー、サンチョ」

『シィー、ムーチョ』

「え、その子喋るの!?」

「なんという高機能な枕……!」

 見た目からは想像できないダンディな声を発した猫の枕に、東郷と銀が驚いた声を上げた。

「ふーみん先輩とにぼっしーで想像はかどっちゃったから、帰って二人の本書こー」

「ちょっ!?」

 園子の爆弾発言に風と夏凜の二人が慌てるが、園子の方はマイペースに「また明日ー」と手を振って部室を出てしまった。

「うん! また明日ー!」

「またねそのっち!」

「園子、またな! 遅刻するなよー!」

「お前じゃあるまいし……」

 園子に手を振る銀に、志騎が苦笑しながら呟く。

「「待ちなさぁあああああああああいっ!!」」

 園子と風の二人が必死に叫ぶも、時すでに遅く園子の姿はすでに無かった。それから二人は互いに目を合わせると、少し頬を赤くしながら顔をそれぞれ正反対に向ける。

「あ! そういえば、卒業旅行とかどこ行こうかしら?」

「年末はどこへも行けませんでしたからね」

「そうなのよー。あ、大赦のお金でみんなで温泉とか行く?」

「おおっ! 良いですね温泉! アタシも久しぶりに、須美のメガロポリスをお目にかかりたいですし!」

「デカい声で何言ってんだお前は」

「もう、銀ったら……」

 温泉と聞くや否や目を輝かせて大はしゃぎする銀の頭を志騎がチョップして黙らせ、東郷が困った笑顔を浮かべながら頬に手を当てる。

 と、風の言葉を聞いた友奈がこんな事を言った。

「温泉は前に行ったから、違う所とかどうでしょう?」

 その言葉のおかげで話題が温泉から逸れ、東郷達は別の場所についての話をし始めた。

 そんな友奈を志騎はじっと見てから、銀にトイレに行ってくると一言断って部室を出ると、男子トイレに向かう。トイレにある鏡の前に一人立つと、Yシャツを微かにはだけて肌を見る。

 そこには、黒い禍々しい紋様がびっしりと志騎の体の前面を覆っていた。

「温泉を遠慮したって事は、多分友奈も同じ状態だろうな……」

 確かにこれでは、温泉に入るどころではないだろう。日が経つごとに、友奈のタタリの影響は強くなっている。それに比例して自分のタタリも強くなっているが、自分の場合はどうでも良い。早く友奈のタタリをどうにかする方法を探さなければ。

 そして志騎が男子トイレから出ると、そこで志騎はある人物と出会った。

「あれ? 天海君?」

「藤田先生……」 

 志騎が出会ったのは、彼の担任の教師である藤田(ふじた)(はるか)だった。年齢はまだ二十代後半と若いが、柔らかな物腰と整った容姿のため女子生徒から人気がある。さらに授業も分かりやすいので、敵視されそうな男子からも人気のある先生だった。なお、本人はあまり下の名前で呼ばれているのを好んでいないが、その理由は(はるか)という名前が女性の名前のように聞こえ、幼少期の頃にそれで散々からかわれた経験があるからとの事だ。なお、彼が受け持っている授業は生物である。

「どうしたの? 顔色が少し悪いようだけれど……」

 どうやら彼から見ても、自分の体調は良くないように見えるらしい。とは言ってもそれはきっと、たった今体の紋様を見てしまったからだろう。銀達の所に戻る頃には、きっと元に戻っているはずだ。

「そんな事ないです、大丈夫ですよ」

「そっか……。でも、何かあったら言ってね。いつも天海君には助けられてるから、いつでも相談に乗るよ」

「……ありがとうございます」

 生物の授業の教師である藤田は授業を行う過程で、授業に必要な機材などを運んだりする必要がある。しかしそれ以外にも授業で使用した資料や生徒達のレポートなど様々なものを運ぶ事もあり、いくら藤田が大人とはいえ一人で運ぶには荷が重い時もある。そしてそういう時は志騎を始めとしたクラスメイト達が藤田の手伝いをするのだ。ちなみに、志騎が勇者部に向かうのが一番遅いのはそれが原因だったりする。

 とは言っても、志騎がそれを恨んだりしたことは一度もない。志騎が好きでやってる事だし、何よりも志騎は藤田の事を讃州中学校の教師の中で一番信頼していた。別に他の教師が信用できないという事ではないのだが、自分の髪の毛の色について最初から全く気にせずに志騎に接してくれていたのは藤田だけだったのだ。彼の髪の色は志騎の密かなコンプレックスなので、それを気にせずに普通に接してくれる藤田に好印象を抱いていたのだ。

 なお、後に志騎はどうして藤田に自分の髪の毛の色を気にしなかったのかと聞くと、それには藤田の過去が関係していた。

 なんでも彼は実は幼少期の頃に両親を亡くしており、たまに連絡を取り合っている今の家族とは養子の関係らしい。別にそれで家族関係がギクシャクした事は無かったが、幼少期の頃は名前とその事に大分苦労した事があったと藤田は言っていた。

『事前に聞いてはいたけど、天海君も確か幼少期の頃に両親を亡くして、それでその髪の色でしょ? 僕も似たような経験があったから、ね』

 クラスメイト達の前では親についてはあまり深く言っていなかったが、志騎の家庭の事情については事前に共有されている。なので藤田も志騎に親がいない事を当然知っていた。

 そして彼も親を幼少期に親を亡くしていたからこそ、彼は志騎の髪の色について気にしたり言及せず、一人の生徒として接してくれたというわけだ。ちなみに、この話を聞いた際に志騎の彼に対する好感度と敬意がさらに上がったのは言うまでもない。

「じゃあ、僕はこれで。部活頑張ってね」

 そう言って藤田は手をひらひらと振って、廊下を歩いて志騎の前から立ち去って行った。志騎もぺこりと藤田に軽く頭を下げると、これ以上遅くなると怪しまれるとマズいので勇者部の部室へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 放課後。本日の勇者部の活動は仔猫探しだった。部員総出で仔猫が消えた場所の周囲を探しているのだが、さすがになかなか見つからない。

「迷子の迷子の仔猫くーん。どっこっかなー?」

 友奈が歌いながら探し続けるも、仔猫の姿は見つからない。他の面々も辺りを探しているが、結果は芳しくないようだ。

「銀、そっち見つかったかー?」

「駄目だー、見つかんない。餌とかあったら来るかな?」

「お前の本気が足りないんだよ。もっと必死になって、豚のような鳴き声を上げろよ」

「アタシ達が捜してるのは猫だぞ!?」

「お前にはぴったりだろうが。そもそもお前、この前体重が……」

「何で知ってるんだお前ぇえええええええええっ!?」

 もしゃもしゃと牛鬼と烏天狗と一緒に団子を食べながら銀の体重を暴露しようとした刑部姫に、銀が襲い掛かる。一気に猫探しどころではなくなった二人に、志騎は思わずため息をついた。

「ほらほら銀、遊んでないで早く猫を探しなさーい。日が暮れちゃうわよー」

「す、すいません……」

 一通り刑部姫との肉弾戦を行った銀は、しょんぼりとしながら風に謝る。一方で風の方はふーと困ったように息を吐いて、

「見つからないわねー。ちょっと樹、猫語で呼び出してみて?」

「えっ!? にゃ、にゃーにゃーにゃー!」

 姉の無茶ぶりに困惑しながらも、樹は両手を軽く握って可愛らしくにゃーにゃー言い始める。

 それに猫ではなく、二人の獣が食らいついた。

「もっと! もっと獣になって!」

「いいよ! いっつん良いよー!」

「と、撮らないでください!」

 樹の周囲を高速で走り回りながら彼女の姿を取りまくる東郷と園子に、樹が悲鳴じみた声を上げる。

「あっ、いたー!」

 東郷と園子が一歩間違えれば危ない人と間違われそうな事をしている後ろで、友奈がようやく迷子になっていた仔猫を見つける。

「おいでー。お家に帰ろー」

 しかし友奈が優し気な声で呼びかけたにも関わらず、猫は何故か驚いたような鳴き声を上げると友奈の横を走って通り過ぎる。その猫の体を風が優しく抱え上げた。

「おーよしよし! 友奈ナイス発見よー!」

「あはは、怖がられちゃいました」

「仔猫発見で依頼クリアね」

「それでは先輩! 記念に一枚撮りましょう!」

「お、良いね!」

 そして猫を抱えた風をセンターにして、勇者部八人は記念写真を撮影した。

 依頼を終えた勇者部はその後、いきつけのカラオケ店へと向かった。東郷と園子、銀の三人が歌い終えると風が楽しそうに口笛を吹く。

「ひゅー! やるわね三人共!」

「息もぴったりでした!」

「さすが神樹館三人娘だな」

 風だけではなく、八人の中で一番歌が上手い樹と三人の仲の良さを知っている志騎も彼女達の歌の上手さを絶賛する。すると三人に触発されたのか、夏凜が自分の横に座っている友奈に言った。

「じゃあこっちも行こうか、友奈!」

「えっ? うん、宿題これからやるよー……」

「……?」

 が、帰ったきた友奈の言葉には脈絡が無かった。それに思わず夏凜がきょとんとした表情を浮かべると、二人のやり取りを見ていた園子が笑いながら言う。

「あはは、寝ぼけてるんだねー。にぼっしー、私と熱唱しようよ!」

「あ、うん……」

 夏凜は戸惑いながらも、園子とのデュエットを始める。自分の横で銀が二人にエールを送るのを横目に見ながら、志騎はじっと友奈の様子を観察する。

 よく見ると彼女の頬はまるで風邪でも引いてるかのように紅潮しており、前までは賑やかだった彼女の口数も少ない。間違いなく、自分達にかけられたタタリのせいだった。

 そうだと断言できるのは、志騎も今友奈と同じような状態だからだ。頭が熱でボーっとし、気を抜いたら今にも気を失いしそうな倦怠感が体を襲っている。自分はどうにか我慢して平常を装えているが、彼女の方はかなりキツそうだ。志騎はテーブルの上の水の入ったコップを手に取ると、友奈の横に立って彼女の目の前にコップを差し出す。

「……あれ、志騎君? どうしたの?」

「眠気覚ましに、水でも飲んどけ。今日は仔猫探しもあったし、疲れたろ」

「う、うん。ありがとう。じゃあちょっともらうね」

 そう言って友奈はコップを受け取ると、コクコクと静かに水を飲む。しかしコップに入っていた全部を飲みきるまでにはいかず、ほんの少しを残すと彼女はコップをテーブルに置いた。

「大丈夫か? まだ眠いようなら、今日はもう早めに帰って寝た方が良いんじゃないか?」

「ううん、大丈夫! まだまだ全然大丈夫だよー!」

「……そうか」

 志騎はそれだけ言うと、友奈から離れた銀の横に座る。元気を取り戻したように見える友奈は、端末を手にしながら風に何か歌わないかと誘っていた。それが志騎にはただの空元気だとすぐに分かったが、だからと言って今の自分には何もできないのが歯がゆかったし、苛立たしかった。そのせいで自然と表情が険しくなり、奥歯を強く噛みしめてしまう。

 そんな、志騎の様子を。

「………」

 銀が、志騎に気づかれないように静かに見つめていた。

 

 

 

 

 

 翌日の放課後。本日の勇者部の活動は休みのため、志騎は一人教室の窓に軽く体を乗り出して夕焼けを見ていた。目に映る美しい夕暮れの色とは対照的に、志騎の心の内は曇っていた。

(……誰にも話せないって、こんなにキツイ事だったんだな……)

 友奈がタタリにかけられた大分経つが、解決策は一向に見つからない。自分なりに考えたり資料を探したりしたが、大赦の力も借りられない志騎一人に解決策を見つけられるはずもなく、ただ時間だけが過ぎていく。

(いや、それも当たり前か)

 今友奈に起こっている事をあの大赦が把握していないとはとても思えない。大赦にとって友奈は自分達が敬う勇者の一人だ。友奈がタタリに遭っているとしれば、どうにか解決策を見つけ出そうとするはず。それなのに一向に友奈のタタリが解除されないという事は、彼らも解決策を見つけ出せていないという事なのだろう。大赦でもできない事が、自分にできるとは志騎にはどうしても思えなかった。

 そもそもの話、志騎のそばにはいつも誰かがいた。

 大赦の神官である安芸はもちろん、幼馴染の銀、口と性格は悪いが頭脳は間違いなく最高の刑部姫、同じ勇者であり親友の東郷と園子。讃州中学に入ってからは勇者部の面々、さらに高橋在人と佐藤良太という友人と藤田悠という担任教師。自分が困っていた時には、いつだって彼女達が手助けをしてくれた。

 しかし今の自分は何も話す事が出来ない。もしも話したら彼女達にもタタリが降りかかる。タタリの性質上、こういった時に一番頼りになりそうな刑部姫にも話す事が出来ない。そして同時に、この状況での刑部姫の存在がどれほどありがたかったかを志騎は再認識させられていた。それを言うには今の状況はもう、あまりにも遅すぎると言えるけど。

 もう、他に手は無いのか。

 友奈は誰にも自分の悩みを言う事は出来ず、ただ一人で死んでいくしかないのか。

 自分達は、友奈の大親友である東郷はそれを黙って見ている事しかできないのか。

 そして最後は、友奈の死体を前にして絶望するしかないのか。

 最悪の予想を頭に思い浮かべながら、志騎が拳を強く握りしめた、その時だった。

「――――志騎?」

 後ろから、銀の声が聞こえてきた。

 振り返ると、そこには鞄を持った銀が立っていた。いつから立っていたのかは、思考に没頭していた志騎は気付く事すらできなかった。

「………銀」

 自分の後ろに立っていた幼馴染を前にして、志騎はどうにか平常を装うと銀に言った。

「どうした? 今日は部活は休みだろ? てっきり、もう帰ったと思ってたよ」

 すると何故か銀はため息をつき、

「帰るわけないだろ? 今日は特に用事もないし。校門で待ってたんだけどお前が来るのが遅いから、見に来たんだよ」

「……なんだ、そうだったのか。悪い、すぐに準備する」

 そう言って志騎が銀の横を通り過ぎて自分の席に向かおうとすると、銀が唐突に志騎の左腕を掴んだ。

「なぁ志騎。今日の放課後、暇か?」

「……え、まぁ暇と言えば暇だけど……」

 志騎の返事を聞くと、銀は二ッと笑みを浮かべた。

「――――ちょっと、アタシに付き合えよ」

 

 

 

 それから志騎は、準備を済ませるなり銀に腕を掴まれたまま学校を出た。

 学校を出る途中で志騎は銀に、どこへ行くのか尋ねたのだが、彼女はすぐに分かるよと言ったきり何も言わなかった。彼女の左手は志騎の右手の手首を掴んでいるのだが、その力が結構強い。どうやら何が何でも連れて行くようだ。こうなったら諦めて、銀に従うしかない。そう思いながら、志騎はため息をつく。

 そして二人がしばらく歩くと、ようやくそれまで無言だった銀が口を開いた。

「っと、ついたぞー」

 二人が辿りついたのは、志騎が今まで来た事が無かった公園だった。広さは普通の公園と比べても広めで、敷地内にジェラートのキッチンカーが一台停まっている。しかし季節のせいもあるためか、今のところジェラートを買っている客はいないようだった。まぁそれどころか公園には今二人を除いて人がまったくいないので、それも原因だろうが。

「ちょっと待ってて」

 そう言って銀は公園にあったベンチに志騎と持っていた鞄を残して、ジェラートに走って行った。まさかここでジェラートを食べるのか? と志騎は寒さに少し身震いしながらも、仕方が無いのでベンチに座って銀が帰ってくるのを待つ。

「………」

 こうして一人でベンチに座っていると、つい先日天の神が現れた時の事を思い出してしまう。

 天の神。突然自分の前に現れた、自分達勇者と大赦の宿敵。一見飄々とした態度だったが、あの赤い瞳の奥には人類への冷たい殺意と憎しみがあった。何故天の神があれほどの憎しみを自分達に向けているのか、志騎には未だ分かっていない。

 しかしその殺意と憎しみのせいで自分と友奈は祟られ、彼女には何の罪もないのに今も苦しんでいる。それなのに、自分は何もできない。まるで今のこの状況すらも天の神の掌の上のようで、志騎は酷く腹立たしかった。

 いや、きっと志騎の考えている通り、今のこの状況も天の神の掌の上なのだろう。さすがに四国の結界の中を彼女が見通せるとは思わないが、今頃は自分と友奈が苦しんでいるのを想像してほくそ笑んでいるに違いない。もしも今天の神の顔面が目の前にあったら思いっきりぶん殴ってやりたいと志騎が物騒な事を思っていた時。

「お待たせ!」

 銀の声が聞こえ、志騎が顔を上げると銀が二つのジェラートを手に持って目の前にやってきていた。彼女は笑いながら、左手に持っていたジェラートを志騎に差し出す。

「はい、志騎の! 好きだっただろ? カスタード味」

 志騎は戸惑いながらも、カスタード味のジェラートを受け取る。それから銀が右手に持っているジェラートに目をやりながら尋ねた。

「それもしかして、しょうゆ豆味か?」

「当然! やっぱりジェラートはこれだよ!」

「……別にそれは良いけど、なんでこんな寒い日にジェラート食べるんだよ。馬鹿じゃないのか?」

「ふふふ、それもちゃんと対抗策を考えてるのだ」

 じゃん! と銀がコートのポケットから取り出したのはホットのコーヒーとココアの缶だった。彼女はココアを志騎に差し出して、

「これならジェラートを食べても寒くならないだろ?」

「……いや、あまり効果があるとは……。まぁ良いや」

 ここでこれ以上何を言ってもジェラートを食べる事に変わりはないので、志騎はジェラートを大人しく食べる事にした。とは言っても、味覚が喪失しているので味は分からない。ただ、舌に冷たさだけが伝わって来て、まるで氷を舐めているような感じだった。すると徐々に体が冷えてきて、志騎はココアの缶を手に取って飲む。こちらもやはり味が無かったが、体が少し暖かくなった。横を見てみると、銀もしょうゆ豆のジェラートを美味しそうに舐めながら、やはり体が冷えたのか温かいコーヒーを飲む。

「……マッチポンプだな」

「え、何か言った?」

 しかし志騎はその言葉を無視して、再び冷たいだけのジェラートと温かいだけのココアを交互に舐め、飲む。銀の方もきょとんとしていたが、再びジェラートとコーヒーを交互に口に入れる動作を再開し、二人はしばらく無言でジェラートを舐め続けた。

 そして二人がジェラートを食べ終え、空き缶を自動販売機の横にあったゴミ箱に入れてベンチに戻ると、唐突に銀が志騎に尋ねた。

「ねぇ、志騎。気づいた?」

「え? 気づいたって……何にだよ」

 思わず尋ね返すと、銀は「まだまだだなー」と言ってから肩をすくめて笑った。ちょっとムッとする所作だったが、何かに気づかなかったのは事実なので志騎は仕方なく銀が答えを言うのを待つ。

「実はあのジェラート作ってたの、イネスにあったジェラートのお店の店員さんなんだよ」

「え、そうだったのか?」

 志騎がワゴン車があった方に目を向けるが、どうやら二人が食べている間に今日はもう閉店したらしく、ワゴン車の姿はとっくに無かった。

「イネスのお店は無くなっちゃったけど、一人になっても美味しいジェラートを作って売りたい! って決心して始めたらしいよ。この前初めて来たときにしょうゆ豆味のジェラートが同じ事に気づいて聞いたら、話してくれたんだ」

「そうだったのか。それに知っても、よく気づけたな」

「そりゃあ、イネスのジェラートは何回も食べてたしな!」

 えっへん! と銀は可愛らしく胸を張った。そんな彼女に苦笑しながらも、志騎は銀に聞く。

「で? 今日俺を呼び出してジェラートを食べたのは、その事を俺に言うためか? だったら須美や園子も誘ってやれよ。あいつらもあそこのジェラート好きだっただろ」

「うん。もちろんまた今度須美も園子も誘うけど……。今日志騎を呼んだのは、また別の話なんだ」

 そして、つい先ほどまで漂っていた雰囲気が一気にかき消える。銀は自分の両膝の上で手を組みながら、恐る恐る志騎に尋ねた。

「……あのさ、志騎。何かアタシ達に隠してる事ない?」

「………っ」

 心の中で驚くも、どうにか表情を動かさない志騎に、さらに銀が聞く。

「いや、志騎だけじゃない。もしかして友奈も何か隠してるんじゃないか?」

「……友奈の方は知らないけど、どうしてそう思うんだ?」

「だって、年末あたりからお前の様子が少しおかしかったもん。それに最近、友奈をちょくちょく気にかけてるだろ? それでもしかしたら、友奈も何か関係してるんじゃないかって……」

「………」

 正直、少し困った。前から三ノ輪銀という少女は勘が良い事を志騎は知っていたが、まさかこのタイミングで気づかれるとは思わなかった。彼女以外の勇者部員達は自分の異変には気づいていなかったというのに。さすがは志騎の幼馴染である。

「正直、お前と友奈に何があったのかは分からない。だけどきっと友奈の方は、須美か夏凜が聞くよ。あの二人は、本当に友奈の事を大切に思ってるから。だからお前も、何があったのかアタシに話してくれないか?」

「……別に、何も」

 そう言って志騎が話をはぐらかそうとすると、銀が志騎の両手を力強く握りしめた。彼女の温かくて柔らかい手が志騎の両手を優しく包み込むと共に、銀のまっすぐな視線が志騎の顔を真正面から見据える。

「話してくれよ、志騎。アタシはお前のためなら何でもやる。だから、何があったのか言ってくれ」

 心の底からの志騎の事を案じての言葉に、最初は何でもない風を装っていた志騎の心が揺れる。志騎はどうにか銀から距離を取ろうとするが、彼女が両手をしっかりと握っているため離れる事ができない。離れるためには、彼女の言う通り自分が抱えている事を話すしかないだろう。

 だが。

「…………」

 脳裏に、勇者部員達や風の胸元に浮かび上がったタタリの紋様、そして苦しむ友奈の顔が浮かび上がる。

 ここで自分が話せば、間違いなく銀は自分の助けになってくれる。でもそうしたら銀もタタリにあうし、何よりもタタリの影響が強くなり友奈がさらに苦しむ事になる。そんな事は決してできない。

 志騎は一瞬奥歯を噛み締めると、できるだけ何でもない風を装って銀に言う。

「……お前に言う秘密なんて、俺にはない。お前の考えすぎだよ」

「アタシの言ってる事が、嘘だと思ってるのか? 言っとくけど、嘘じゃないよ。何回でも言うけど、アタシはお前のためなら何でもする! だから……!」

 なおも食い下がる銀に、つい志騎の口調も荒くなっていく。

「別にお前の言う事が嘘だとかそういう事を言ってるんじゃない! お前に言う秘密なんて本当にないって言ってるだけだ!」

「……っ! この期に及んでも、まだ嘘をつくのかよ!? お前が何か隠してる事ぐらい分かるに決まってるだろ!? 何年幼馴染やってると思ってるんだよ!」

「幼馴染だからって、全部分かるわけないだろ!?」

「分かるよ!! お前の事なら、何だって分かるし、お前のためなら何でもやるよ!」

 なお真実を隠そうとする志騎と、志騎の悩みを聞きたいと思う銀。二人の想いが言葉という形で、真正面からぶつかり合う。

「何でもやるなんて、簡単に言うな! 大体、どうして何でもやるなんて言うんだよ!? どうして俺のために、そこまでするんだよ!!」

「――――そんなの、決まってるだろ!!」

 そして。

 銀は、今まで秘めてきた想いを、口にした。

 

 

 

 

「――――お前の事が、好きだからだよ!!」

 

 

 

 

 

 静寂が、その場を支配した。

 ついさっきまで公園に響き渡っていた二人の声は一気に静まり返り、どちらも言葉を発しようとしない。銀の方は顔を赤らめながらも、ただまっすぐに志騎の目を真正面から見据えている。

 それに対して、志騎の反応は。

「…………は?」

 全く予想外の言葉を食らい、志騎は目を大きく見開いて銀の顔を見ていた。

 志騎自身、今まで何回も衝撃的な事実に直面した事はあった。例えば自分が勇者に変身した時や、自分がバーテックスだと知らされた時などだ。だがそれでも、きっとこの時ほど驚いた事は無い。そう断言できてしまうほど、銀の今の言葉は衝撃的すぎた。

「……ちょっと待て。誰が誰の事を、好きって?」

 すると銀の方は、顔を赤くしながらも恥ずかしさでどもるような事はせず、堂々と告げた。

「アタシが、お前の事をだよ。信じられないって言うなら、何回でも言ってやるよ。……アタシ、三ノ輪銀は天海志騎の事が好きだ。……友達としてじゃなくて、一人の男の子として、お前の事が好きなんだよ」

 銀の静かな言葉が、志騎の脳内を埋め尽くす。

 頭の中が真っ白になって、何も考えられない。どうして、と理由を考える以前の問題だ。頭が回らなくて、何も考える事が出来ない。ただこうして馬鹿みたいに目を見開いて、彼女の顔を真正面から見つめる事しかできない。

 志騎がそうしている最中にも、銀の告白はさらに続く。

「……お前の事を好きになったのがいつなのか、正直アタシも覚えてない。あの時、お前がこの花の髪飾りをくれた時から好きだったのか、その後お前と遊ぶようになってからなのかは分からない。でも、お前の事を好きだって思うのは。お前の事を失いたくないっていうのは嘘でも何でもない、アタシの本心なんだ。……心の底から好きな人のために何かをしてあげたいっていうのは、当たり前だろ?」

 だから、と銀は自分の大切な少年を前にして、再び告げた。

「――――何があったのか、アタシに言ってくれ。何回でも言うよ。アタシはお前のためなら何でもする。命だって掛ける。何があってもアタシはお前の味方でいるから……話してくれ」

 何の誤魔化しも偽りも無い、ただただまっすぐで純粋な愛の言葉。生まれて初めて、とすら言えるほどの愛に満ちた言葉。それに志騎は目を見開きながら、思わず彼女に言われた通り自分が抱えているものを話してしまいそうになる。

 タタリの事だけではない。

 自分の寿命がもう春まで持たない事も、全て。

 しかし。

「………っ」

 やはり、言う事が出来ない。

 それは少女や友達の身を案じて、という事もあったが……。何よりも志騎の口を閉ざしていたのは、皮肉な事に銀が志騎に自らの想いを告げた事で彼の胸に生じてしまった戸惑いのせいだった。

「……言えない」

 すると見る間に、銀の表情に強い失意の表情が広がっていく。

「……やっぱり、アタシの言葉は嘘だって思うのか?」

 その言葉に、志騎は俯いたままふるふると首を横に振る。何故かその姿は、小さな子供が親にするような動作に見えた。

「違う。お前の言葉が嘘だなんて思わない。……でも、駄目なんだ。俺は、誰かに好かれたり、愛されたりするような奴じゃない。俺はバーテックスで、たくさんの人達の命と幸せを奪ったんだ。そんな俺が、誰かに愛されるわけがないし、幸せになって良いはずがない。俺にそんな事があって良いはずがない。俺は最後まで人を助けて、死ななくちゃならないんだ」

 天海志騎という少年が抱えてきた苦しみと歪さ。

 他の人は幸せになって欲しいけれど、自分が幸せになって良いはずがない。そんな事は間違っている。

 他の人が最後まで大切な人と笑って生きて、そして穏やかな死を迎えるのは良いけれど、自分の場合はそれをするのも、望むのも間違っている。

 あまりにも歪んでいて……あまりにも悲しすぎる想いだった。

「だから、お前も俺なんかを好きになる事なんてない。お前には、俺よりももっと良い人がいるよ。その人と家族になって、幸せになって……」

「……なんだよ、それ」

 そこで初めて志騎が顔を上げて銀の顔を見ると、彼女の目は涙でいっぱいになっていた。彼女の表情に志騎が絶句していると、銀はついに瞳から涙をこぼしながら叫んだ。

「お前よりも良い人とか、そんなのどうでも良いよ! アタシは他の誰でもない、お前の事が好きなんだよ!! 天海志騎って男の子の事が、アタシは大好きなんだよ!! なのに、どうして自分は幸せになっちゃいけないとか、好きになる事なんかないって言うんだよ!!」

「……ぎ」

「……どうしてだよ。どうしてそこまで他人の事を考えられるのに、自分の事を考えてあげないんだよ。誰かの事を幸せにしてあげたいなら、自分がまず幸せにならないと駄目だろ……。それなのに、どうして……」

「………だって、俺は、化け物で………だから、生きてちゃいけなくて……」

 戸惑いながらも志騎がなおも自分を否定すると、ついに銀は志騎の両手から手を離した。そして銀は志騎から離れると、ボロボロと涙をこぼれてコンクリートの地面に丸い点々を残す。

「……ごめんね、志騎。ただの幼馴染にアタシにこんな事を言われても、困るだけだよな……。それなのにアタシ、お前に怒鳴っちゃって……。こんなんじゃ、お前に相談されなくて当たり前だよな、本当、馬鹿みたいだ……」

「違う、それはお前のせいじゃ……」

 しかし志騎の言葉を聞かず、銀は志騎の前から走り去っていく。彼女の目から零れた涙が、夕方の光を反射しながら宙に舞う。

「銀っ!」

 必死に彼女の後を追おうとするが、その瞬間全身に激痛が走り志騎はその場にうずくまってしまう。銀の方もそんな志騎に気づかず、彼との距離を離して行った。

「銀、待って……」

 どうにか彼女の背中に右手を伸ばすが、紋様から伝わる焼けるような激痛と吐き気のせいでろくに動く事も出来ない。しかし何よりも志騎にショックだったのは、ずっと笑顔でいて欲しいと願った少女を、他の誰でもない自分が泣かせてしまった事だった。その事実に何よりもショックを覚えていた志騎が右手の拳を握りしめた、その時。

『あーあ。まったく酷い子だね』

「っ!?」

 突然頭の中に声が響き、目の前に少女の姿が現れる。少女――――天の神はニタリと笑うと、かがみこんで志騎の顔を見る。

『あなた達の事を心配して話さないようにしてたのに、勝手にあれこれ考えて逃げちゃうんだもん。本当に苛立たしいよね?』

「……うる、さい。お前には、関係ない……!!」

 どうして天の神が再び現れたのかは分からないが、そんな事はどうでも良い。今は銀を追わなければ。

『ねぇ、もうこれで分かったでしょ? 人間って本当身勝手で救いようがない生き物なんだよ。あんな奴ら、命を懸けて護る価値なんてないよ。もういい加減、全部忘れて楽になっちゃいなよ』

「うるさい……!!」

『それとも、ここまでされてまだ人のために戦うの? ねぇ、もう素直になっちゃいなよ。全部全部忘れよう? どうせ人間なんてあなたが護らなくても勝手に自分達で憎み合って滅んでいくんだし、それだったらいっそ私達の手で皆殺しにした方が良いと思わない? その方が、あなただってきっと楽――――』

「……うるせぇ、っつってんだよ!!」

 ブン!! と志騎の裏拳が天の神の顔面に放たれるが、裏拳は天の神の顔を通り過ぎる。天の神はそんな志騎の様子をつまらなさそうに眺めてながら、さらに言う。

『……ふぅん。まだあきらめないんだ。まぁでも、この状態だと時間の問題かな? あなたが諦めるその時まで、もう少し待ってあげるよ』

 最後まで憎たらしい言葉を吐きながら、天の神の姿はすぅっと消えた。その場に残されたのは、体に走る激痛と吐き気、さらに突然発生した通常では考えられない高熱で意識が朦朧とし始めた志騎だけだった。

「く、そ……」

 志騎はベンチにある自分の鞄を手にして、ふらふらとした足取りでどうにかマンションへと歩いていった。

 

 

 

 

 

 それから志騎一人歩いていたが、現在の体調は最悪だった。

 紋様から叫び出したくなるほどの激痛と吐き気が体を襲い、頭が高熱を帯びているせいか意識が朦朧とする。足取りはフラフラで、少しでも気を抜いてしまえば人にぶつかってしまいそうである。視界も薄ぼんやりとしか見えておらず、耳に入ってくる人々の言葉が何を言っているのかすらも分からない。

(……あ、れ? おれ、いつのまに、しょうてんがいのほうに……?)

 どうやら自分はあれから住んでいるマンションではなく、学校近くの商店街まで来てしまったらしい。意識が朦朧しているとはいえ、まさかここまで酷くなっているとは。少し休んだ方が良いと思い、志騎は人気のない裏路地に入り、人に見つからないようにしばらく歩くとその場に座り込もうとする。しかしその直後、胸の奥から吐き気が沸き上がり口元を抑える。朦朧とする意識の中、志騎が荒い息をついた時だった。

「――――い、――――み、――――じょう――――か?」

 どこからか声が聞こえ、志騎が目を向けるとそこに二人ほどの男性が自分に歩み寄っているのが見えた。ぼんやりと見える姿から推測すると、恐らく警察官だろう。この辺りは薄暗く人の通りもほとんどないが、それは同時に犯罪にも使われやすいという事でもある。そのため、警察官もこの辺りを巡回していたのだろう。

「――――てる、――――い? ――――かな?」

「――――ぱい、――――う?」

「――――――――な。――――――――ず、――――しゃを」

 目の前の警察官が何かを言っている。何かを言いながら、自分に手を軽く当てようとしている。

 それを見た志騎は、左手で警察官の手を払った。

 誤解が無いように言っておくと、警察官が志騎に何か危害を加えようとしたわけではない。単に顔が赤い志騎を見て、ひとまず熱がどれぐらいあるか確かめようとしただけだ。

 が、意識が朦朧としている志騎にそんな事はどうでも良かった。

 ただ、目の前の人間(・・)に触られるのが嫌だったから、その手を払った。

 志騎が手を払うと、警察官二人が困惑している。しかしどうでも良い。

 人間が何か騒いでいる。しかし、そんな事はどうでも良い。

「――――るな」

 志騎がふらりと立ち上がりながら、人間二人を睨みつける。

 視力の機能を失っているはずの左目に青色の幾何学模様が浮かび上がり、背中からバキキ……と音を立てながら刃物のような形をした純白の翼が広がる。

「俺に、触るな……!!」

 直後。

 ドッ!! という音と共に翼が振るわれたかと思うと、柔らかい肉が切り裂かれるような音と液体が飛び散る音が響いた。

 

 

 

 

 空白になっていた意識が戻ってくる。

 ぼんやりとしていた思考が動き始める。

 ようやく正常の思考を取り戻した志騎の視界に飛び込んできたのは、毒々しい赤だった。

「――――えっ?」

 場所はどこかの路地裏の一角。その一角だけが少し広くなっており、中央に志騎は立っていた。今夜は月が明るく、街灯などが無くても辺りの様子が簡単に見て取れる。

 だからこそ、志騎には見えてしまった。

 自分の周囲に、警察官らしき男性が二人が転がっているのを。

 彼らの体から、決して少なくない量の血潮が流れているのを。

 そして。

 自分の体が、血にまみれているのを。

 自分が立っている一角の惨状、倒れている警察官達、そして自分の体についている血液。

 それで志騎は、察してしまった。

 自分が、やったのだと。

 彼らを、殺したのだと。

「………っ!!」

 その瞬間、鼻孔に血の鉄臭い匂いが入り込むと共に、猛烈な吐き気が志騎を襲う。そこまで来たところで、志騎の我慢は限界を迎えた。

「う、おぇえええええええええええっ!!」

 びちゃびちゃ、とうずくまって胃の中に残っていたものを全てその場に吐き出す。

 血液と吐瀉物が混じり合い、奇妙なマーブル模様を描く。鉄の臭いと吐瀉物の臭いが混じり合った、吐き気を催す悪臭が周囲に漂う。

 しかしそんなの、志騎にはどうでも良かった。荒い息をつきながら、自分の周囲に転がる二人の警察官の姿を志騎は見る。ついさっきまでは生きていたはずの、人の姿を。

 そして両手を持ち上げて掌を見ると、うずくまった際についたのか掌一面に血液がべっとりとついていた。目に飛び込んでくる赤に、彼の血に染まった両手がカタカタと震える。

 そんな彼の頭に、この前出会った天の神の言葉が木霊する。

『私がいたから人が死ぬんじゃない』

「――――あ」

『君がいるから、人が死ぬんだよ』

 そして。

 天海志騎は、壊れた。

「あ、ああああああああああああああああああああああああっ!! ああああああはは、あははははははははははははははははははははっ!!」

 もしも志騎がいつもの状態であれば、人を傷つけてしまった事に動揺すれどここまで壊れる事は無かっただろう。すぐに刑部姫に連絡をし、警察官達の救命措置を行ったに違いない。

 が、今日の志騎の精神状態は最悪だった。

 苦しむ友奈に対して何もできない自分に対する無力感。自分を好きだと言ってくれた銀を泣かせてしまった強い精神的ショック。さらには天の神の精神攻撃に加え彼女の接触により志騎のタタリの力は増し彼を苦しめた。そしてついに人の命を奪うという決してやってはならない事をしてしまった。

 それらの事実が、覚悟を決めていたはずの志騎の心を呆気なく壊してしまったのだ。

 叫ぶ彼の口から、笑い声が漏れる。

 壊れてしまった化け物の、悲しいまでの笑い声が夜空に木霊する。

「あははははははははははははっ!! 殺した!! 殺した!! 俺が殺した!! 俺が壊した!! あはははははははははははははは!!」

 笑いながら、地面を両手の指で引っ掻く。傷つく指先から血が流れると共に体内のバーテックスの力で修復され、回復する。さらに彼は頭を両手で抱えると、血で濡れたコンクリートの上をゴロゴロと転がる。耐えがたい鉄臭さが彼の体を覆い、血でコートが汚れ、水色がかかった白髪が赤く染められる。しかしそんな姿になっても、志騎は血の上で暴れ続けた。

「はははははははははは、ああ、ああああああああああああああああああああっ!! あああああっ!? あああ、ああああああああああああああああああああっ!!」

 天海志騎は暴れまわりながら獣のような咆哮を上げていたが、徐々にその叫び声は小さくなり、ついに何も聞こえなくなる。静かになった志騎は、全身血まみれで地面に両膝をついて何も言わずにしゃがみこんでいた。

 そんな彼に近寄ってきたのは、天の神だった。彼女は血の上を足跡も残さずに歩きながら、この場にそぐわない呑気な声で言葉を紡ぐ。

『あーあ。ついに殺しちゃったね』

「…………」

『でも、これで分かったでしょ? 私がいるから人が死ぬんじゃない。君がいるから、人が死ぬんだよ。だってそれがあなた達天使だもん。そこにいるだけで人を殺す、私の可愛い可愛い殺戮の天使達。そんな子が、そもそも人を護りたいって思う事自体が間違いだったんだよ』

「…………」

『……あらら。完全に壊れちゃったか。ま、それも仕方ないよね。今まで人を護るために頑張ってきたのに、ついに人を殺しちゃったんだもん。こうなっちゃうのも無理ないか。――――良かった! タタリの紋様を通して色々仕込んだ甲斐があったよ!! ……じゃあ』

 そして天の神はしゃがみ込んでいる志騎の真後ろに近づくと、笑みを浮かべながら彼の背中に手を当てた。

『――――君の肉体(からだ)、もらうね?』

 すると天の神の体が志騎に吸い込まれるように消えていく共に、彼の体が純白に光っていく。人間の姿から、別のものへとゆっくりと変化していく。

 やがて光が収まると、そこには志騎のもう一つの姿である彼のバーテックス態があった。バーテックス態に変化した志騎はゆっくりと立ち上がると、自分の両手の指先をくいくいと動かす。

「ふーん。うん! 悪くないね! さすがは私の天使、動かしやすい!」

 だがバーテックスとなった志騎から放たれたのは、彼の声ではなく天の神のものだった。志騎……否、彼の肉体を乗っ取った天の神は身体の調子を確かめると、嬉しそうな口調で呟く。

「さーてと! これからどうしようっかなぁ。折角だし、結城友奈以外の勇者を殺しに行こうかなぁ? 大赦を潰すのは最後にしておきたいし、潰せるものは今から潰しておいた方が……」

 まるで明日の遠足を楽しみにする小学生のような声音を天の神が出していると、カツンという足音が響き渡った。

「……ん?」

 人っ子一人いなかった路地裏に、その足音は殊更に大きく響いたようだった。天の神が音の聞こえてきた方向に目を向けると、そこには二人の少年が怯えた表情で立っていた。

 ――――天の神は知らなかったが、その場所は二人の少年……高橋在人と佐藤良太がたまに通る近道だった。とは言ってもさすがの二人も暗く人通りが少ないこの道を夜に歩く事はあまり無かったのだが、この日在人は良太のいる喫茶店にいた。そして良太が買い出しを頼まれ、友達想いの在人がその手伝いを申し出た。もうすでに日は落ちていたため、二人は早く帰るために少しでも時間を稼ごうとしてこの道を通っていたのだ。

 しかし、本日に限ってその選択肢は悪手だった。

 物音を聞いてやってきた二人の目に入ったのは、血を流しながら倒れる二人の警察官。そのそばに佇む、全身白色の異形だった。その異形が、銀色の双眸を自分達に向けている。

 一瞬で異形の脅威を悟った在人は、良太に叫んだ。

「良太、逃げろ!」

 だが良太の方は異形を目の前にして頭が真っ白になったのか、身動きする事すらできないようだった。それも仕方ないと早々に察した在人は少しでも彼が逃げる時間を稼ぐために、異形目掛けて走り出すと体当たりをかます。普通の人間なら、その威力によろめくか、最悪地面に倒れていただろう。

「……なぁに、君?」

 が、相手はバーテックスの体を乗っ取った神。天の神は自分に体当たりしてきた在人の胸倉を掴むと、コンクリートの塀に叩きつける。背中から走る衝撃に在人の呼吸が一瞬停止し、地面に落ちると咳き込んだ。

「あはは、運が悪いね君達。安心してよ、君を殺したら、すぐにあっちも……」

 天の神が在人にゆっくりと近づこうとした瞬間、バーテックスの頭部にガン! という音と共に何かが直撃した。

 天の神がゆっくりと振り返ると、そこには落ちてあった大き目の石を天の神の頭に降ろ下ろした良太の姿があった。どうやら倒れている在人の姿に我を取り戻して、どうにか逃げる時間を稼ごうとしたのだろう。だが、そんなものは銃弾すら無効するバーテックスの肉体に通じるはずもない。

「あはは、馬鹿だね、君。この子を見捨ててさっさと逃げれば良かったのに」

 良太の浅慮を嘲笑うように、天の神は良太の顔面に裏拳を放つと、華奢な彼の体が宙を舞い地面に倒れる。攻撃を受けた彼はぐったりとして、動かなくなってしまった。死んではいないようだが、どうやら気を失ってしまったらしい。

「良太!!」

 在人は叫びながら、とどめを刺そうと良太に近づく天の神にしがみつく。けれどやはり力の差は歴然で、天の神は乗っ取った身体の膂力で在人を振り払うと彼の体を殴り飛ばす。良太と比べると肉体が弱いわけではないとはいえ、それでもバーテックスの打撃を食らった衝撃のせいで口の中を切ってしまったらしく、良太のすぐそばの地面に倒れた在人は口の中に血の味が広がるのを感じる。

「あはははははははっ! よくもまぁそこまで無駄な事ができるね!」

 嘲笑いながら、天の神は二人に近づいていく。一方で在人が天の神を睨みつけると、ん? と天の神はそこでようやく在人の顔に見覚えがあるのを感じ取った。否、正確には自分が乗っ取った天海志騎の記憶の中に、彼の顔と良太の顔があるのに気づいたのだ。

「あれ? 君は……ああ、確か高橋在人だっけ? この子と同じ学校の」

「……なんで、俺の名前を……?」

 今まで見た事が無い怪物が自分の名前を知っていた事に在人は驚くものの、当然その理由を目の前の異形が話すわけもない。天の神は何がおかしいのか、笑いながら言う。

「知ってるよー? 常日頃から、夢について色々言ってる子でしょ? 言っておくけど、無駄だよ? だって人間(あなた)達に、夢を見る権利や未来なんてないんだから! 本当あなた達って、みーんな馬鹿ばっかり! たくさんの人を笑顔にさせるだの、奪われた国土を取り戻すだの! 叶える事も出来ない無駄で馬鹿な夢ばっかり見て、何もできないで死んでいく! ほーんと滑稽で、笑っちゃう! あははは、あはははははははははははっ!!」

 二人を殺す事を忘れたように、天の神は笑う。

 が、この時在人の脳裏にある映像が浮かび上がっていた。

 自分のギャグで笑う父親。

 自分達に迫るトラック。

 そして、血まみれになりながらも自分に微笑む父親の顔。

『……在人、夢に向かって飛べ』 

「……笑うんじゃねぇよ」

「ん、何か言った?」

 天の神の目の前で、在人はダメージが残る体で立ち上がる。

 彼の目には、確かに目の前の存在に対する怒りが宿っていた。

「何も分かってないくせに、人の夢を笑うんじゃねぇよ!!」

 が、天の神はまだ余裕を崩さない。クスクスと、表情のないバーテックスの体で笑いながら、

「分かってるよー。夢っていうのは、将来の目標や、希望、願望を示す言葉で、なーんの根拠も無いただのもうそ……」

「人の夢っていうのはな!!」

 在人の言葉が、天の神を遮る。

 例え何の力も無くても。

 夢を叶えるために毎日を生きる、強い力を秘めたただの人間の言葉が、その場に響き渡る。

「検索すれば分かるような、そんな単純なものじゃねぇんだよ!! たくさんの人達が胸に抱いて、そして受け継いできた大切なものなんだよ!!」

 高橋在人は知らないが、それはこの三百年間欠かさずに受け継がれてきたものでもある。

 またの名を『勇気』。またの名を『希望』。またの名を『願い』。

 例えどれだけ時がかかってしまっても、奪われたものを、平和な世界を取り戻す。

 何人もの勇者達がそのバトンを受け取り、そして今に至るまで繋いできた『夢』なのだ。

 それを笑う権利など誰にもないし、誰にもできない。

 ましてや、こうして目の前で夢について嘲笑う神になど。

 この時確かに……何の力も無いちっぽけな人間は、絶対的な神に対して牙を剥いた。

 対する、神の反応は。

「…………うっざ」

 雰囲気が、変わる。

 ついさっきまではまるで子供のように無邪気で残酷な雰囲気を漂わせていた天の神の気配が、一気に冷酷になる。明らかに人間のものでは無い威圧感が辺りを満たし、在人の体がビリビリと震える。が、彼の目が逸らされる事は無い。怒りという感情が込められた彼の目は、まっすぐに天の神に向けられた。

 それすらもただただ腹立たしくて、天の神が背中の両翼を広げた。

「もう良いよ。うるさいし、あなたは死んじゃえ。夢を語りながら死ねるなら、あなたも本望でしょ? 夢を見る権利も資格も未来も無いくせに、ただ威勢だけは良い。……本当、人間(あなた)達って腹立たしい」

 背中から大量の羽が舞い散り、全てが光り輝いたかと思うと全ての羽の切っ先を在人と良太に向ける。霊力が込められたそれらはいわば羽の形をした弾丸だ。これらが全て直撃すれば、二人の少年など原型をとどめずにぐちゃぐちゃの肉塊になる。

「はい、これで終わり。――――死ね」

 冷酷なる断罪の言葉の直後。

 大量の羽の弾丸が、在人と良太の二人を襲った。

 凄まじい破壊力を持った羽の弾丸は地面を破壊し、土煙が周囲に舞う。そのせいで二人の姿も見えなくなってしまったが、別に構わない。どうせあの攻撃を食らってしまえば、人間如きでは耐えられないのだから。

「………はぁ。嫌な気分になっちゃったなぁ」

 さっきの在人の顔を思い出して、天の神は自分の心の中で不快感が膨れ上がるのを感じる。どうにか自分を落ち着かせようと、二人がいた場所に背を向けて一度深呼吸しようとしたその時。

 ある、異変に気付いた。

「………?」

 背後から突然霊力を感じた。ついさっきまでは感じられなかったのに、まるで突然現れたように。

 思わず天の神が振り返ると、土煙が徐々に晴れていて、地面に気を失った在人と良太が倒れているのが見えた。

 いや、正確には二人だけではない。

 まるで二人を護るように、白色の大蛇が巻き付いていた。

「式神……!?」

 驚愕する天の神はそこである事に気づき、倒れていたはずの警察官二人にも目を向ける。

 今まで気づかなかったが、彼らの体にも大蛇が巻き付いている。しかもよく見ると、彼らの体に合ったはずの傷が徐々に小さくなり、出血も収まっていた。

(隠蔽と回復の術式。二つの複合術式が重ね合わさった式神! いくら人間でも、こんな事は簡単にできない! って事は……!)

 天の神が初めて内心驚愕していた刹那。

 彼女を襲うように大量の鳥の形をした式神が天の神を襲い、刃のように高質化した翼と弾丸の如く突進力でバーテックスの体を襲う。

「ぐっ!」

 いくらバーテックスの肉体を乗っ取っているとはいえ、霊力が込められている以上バーテックスの体を傷つける事はできる。思わず天の神が両腕で顔面を覆うと、大量の鳥型の式神の中にいた一体がナイフの形に変化、バーテックスの胸部に放たれる。

(マズい! 大量の鳥の式神は囮! 本命はこっちか!)

 気づくものの、もう遅い。

 式神が変形したナイフがバーテックスの胸に突き刺さり、そこから大量の純白の光が迸る。

「ぐ、あああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 天の神は叫びながら、どうにか胸に刺さったナイフを抜こうとするが、すでにナイフの実体はない。勝負はナイフが突き刺さった時についていたのだ。となると、結果はもう明らかである。

 パァン!! という何かが弾ける音と共にバーテックスの体から天の神の精神体が飛び出し、吹き飛ばされた彼女の体はどうにか地面へと両足をつける事に成功する。一方でバーテックスの体の方は志騎の姿に戻り、気を失った彼は地面に倒れそうになるがその体を何者かが優しく抱き留める。

「志騎を見張っておいて正解だったな。まさかこんな大物が釣れるとは。しかし三ノ輪銀の奴、ここまで志騎を追い詰めやがって……。本当に殺すかあのクソガキ」

 荒々しい口調でここにはいない少女を罵りながら、志騎を抱き留めた少女は精神体となった天の神に視線を向ける。天の神の方は、ふーふーと荒い気をつきながら現れた少女に好戦的な笑みを浮かべた。

「あはは……。失敗したなぁ、あなたが来る可能性を忘れてたよ。考えてみれば、気づくべきだったんだよねぇ。結城友奈や天海志騎にタタリがかかってるのを、あなたがいつまでも気づかないはずがないし。それにこれだけ大騒ぎして人が全然来ないのもおかしいし。ようやく彼の体が手に入った事に喜んで、警戒してなかったってのもあるけど、私も間抜けだねぇ」

「別にそう悲観する事は無い。相手が私以外だったら、とうに志騎を手に入れて勇者共を殺していただろう。さすがは人類を滅ぼしかけた張本人だな、天の神」

「あはは。あなたに言われても、嬉しいどころか逆にムカつくだけだからやめてくれない?」

 笑いながらも、天の神は敵意と憎悪を秘めた鋭い眼差しを相手から外さない。真正面の相手を睨みながら、天の神は少女の名を口にした。

「――――ねぇ、氷室真由理?」

 天の神の言葉に。

 少女――――勇者装束を身に纏った氷室真由理は、小さく口角を上げた。

 

 




 今回在人が天の神に啖呵を切った場面は、例え勇者の力が無くても、自分が信じるも のを馬鹿にする者は相手が神でも許さない。そういった、なんの力も無いただの人間の信念や想いが伝わるように書きました。
 さて、今回は氷室真由理と天の神という、本作で間違いなくヤバイ二人が出会いました。次回は必然的にそのヤバイ二人の会話から始まりますので、もうしばらくお待ちください。


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第五十三話 三百年の真実

刑「さて、大分遅くなってしまったが第五十三話目だ。今回の話では天の神が三百年という時を空けて人類を襲った理由などが語られているが、それはあくまでも本作独自の解釈だから、原作とは異なるであろう事だけは承知しておいてくれ」
刑「では第五十三話、ご覧あれ」


 

「まさか、天の神が私の名前を知っているとはな。少し驚いた」

 真由理が口元に好戦的な笑みを浮かべると、それに対して天の神はあははと愉快気に笑った。

「もちろん知ってるよー。この時代において間違いなく最高の頭脳を持つ人間にして、私の天使の細胞を使って勝手にバーテックス・ヒューマンなんて作った最悪の罪人。結城友奈と天海志騎はすっごくすっごく苦しめたかったけど、あなたは苦しめるなんて事はしないですぐに殺したかった人間なんだから」

「ははは、神様にそこまで想ってもらえるなんて、光栄だな。だが正確には、私の事を以前から知っていたんじゃないだろ? 私個人の事は、今まで乗っ取っていた志騎の記憶を読み取って知ったんだろう。知ったかぶりはみっともないからやめた方が良いぞ?」

「あははは、本当にムカつくねあなた。今すぐ殺してあげたいなぁ」

 二人は笑みを浮かべながら、第三者が聞いたら気絶してしまいそうな言葉のジャブを互いに繰り出す。

「殺す、ねぇ。できるんだったらさっさとやったらどうだ? 四国以外の人間を殺しつくしたお前なら、簡単だろう?」

「そうしたい所だけど、今の精神体の私じゃあできないんだよねぇ。本当は今すぐにでも殺したいんだけど……」

「……精神体、か」

 ポツリ、と真由理が天の神が言った言葉を呟く。彼女は自分の目の前に立つ天の神をじっと観察しながら、自分の考察を述べる。

「それは正確ではないな。正確には、精霊のようなものだろう? 今のお前は」

「………」

 真由理の言葉に、天の神は何も答えない。ただ何を考えているか分からない笑みで、じっと真由理の顔を見つめている。

「精神体だと神樹の結界を通り過ぎる事はできるが、存在が薄すぎて自分の力を行使する事は出来ない。かと言って精神体の力を増してこちらに来れば力を行使する事は出来るが、その分結界に引っかかりやすくなるし私達にも気づかれやすくなる。今のお前は精霊のような存在……普通の人間には知覚できないが、私達のような人間には見る事ができる。結界も通過する事ができるギリギリのラインの存在を保てば問題ないし、精霊なら神樹にも気づかれにくいし力の行使もある程度できる。ま、今回は志騎のタタリの紋様を媒介にしてこちらに顕現したようだがな」

 すると、パチパチパチと天の神は笑顔のまま拍手を送った。

「あはは、すごい、大正解! 本当、憎たらしいほどの頭脳の持ち主だねあなた!」

「……となると、志騎の胸のタタリの紋様も呪いをかけるだけのものじゃないな」

「うん、そうだよ? 結城友奈と呪いを共有し、そして私がこっちに出るための媒介の術式を込めた私特製の紋様! さすがに毎回気づかれる危険を冒してまでこっちに来たくないしねー。これなら神樹に気づかれる事も無くこっちに来る事が出来て、勇者を皆殺しにできる! そう考えてたんだけど……」

 すると天の神は怒った子供がする様に、ぷくりと両頬を膨らませた。

「それなのに、あなたが来るんだもんなー。どうして私が来るって気づいたの?」

「別に気づいたわけじゃない。万が一のために私は勇者全員に式神を配置して、全員の動向を見張っている。特に最近はどうも大赦の動きがキナ臭いし、結城友奈と志騎の様子もおかしかったからな。それで結城友奈と志騎の行動と様子に特に気を付けていたというわけだ」

「なーるほど……。それで気づいたんだ。二人がタタリにかかってるって」

「直接目にしたわけではないがな。だが、結城友奈が犬吠埼風に何かを話そうとした途端奴がトラックに轢かれようとし、それ以降は誰にも何も話していない。そして結城友奈の様子がおかしくなったのは奉火祭に捧げられた東郷美森を助けた後だ。さらに今日、三好夏凜と三ノ輪銀の二人が結城友奈と志騎に悩みを聞こうとしたが、二人は何も答えなかった。他者との絆を何よりも重んじるあの二人が、だ。もうここまでくれば、二人に天の神による呪い、もしくはタタリがかかっていると考えた方が自然だろう」

「あちゃー。結城友奈の方にも他の人間が行ってたのかぁ。さすがにそこまでは気が回らなかったなぁ」

「そして今日、三ノ輪銀を傷つけてしまった志騎の心の隙をついてお前が紋様を媒介にして志騎を精神的に追い詰め、こいつの中のバーテックスの細胞と本能が暴走。結果警察官を傷つけ壊れたこいつをお前が乗っ取り、勇者を皆殺しにする……という筋書きだったんだろう。精霊に近いとはいえバーテックスの生みの親であるお前なら、精神が壊れた志騎の肉体を乗っ取る事は難しくないはずだしな」

 真由理が推理を語り終えても、天の神は笑みを浮かべたままだった。それが天の神の余裕を崩せていない事を何よりも意味していて、真由理は思わず心の中で舌打ちする。

「うん! ほとんど大正解!」

「……ほとんど、という事は一部違う所があるという事か。どこだ?」

「勇者を皆殺しにするのが私の目的のように言ってたけど、それは半分正解で半分間違いかなぁ。確かに勇者は皆殺しにできれば良かったけど、それはあくまでついで。正直、皆殺しできようができまいが、私にはどうでも良かったんだぁ」

「どうでも良かった、だと?」

 天の神の言葉に、真由理は眉をひそめる。勇者は今に至るまで彼女の手を散々てこずらせた敵のはずだ。志騎の精神を壊し、肉体を乗っ取る以上彼女達を皆殺しにすればバーテックスに対する対抗手段はほぼ無くなると言っても過言ではない。それなのに何故、どうでも良かったなどという言葉が天の神の口から出るのだろうか。

「じゃあ何故、お前はこちらに現れた? 何のために、志騎の体を乗っ取ってまで顕現した?」

 その言葉に、天の神は笑みを浮かべる。

 見るだけで背筋が凍り付きそうな、冷たい笑みを。

「決まってるでしょ? 結城友奈と天海志騎を苦しめるためにだよ」

 そう言うと彼女は、ニコニコと嬉しそうに笑いながら、

「自分と天海志騎以外の勇者が私に皆殺しにされれば結城友奈はきっと絶望するだろうし、自分が私に乗っ取られたせいで勇者達が死んだって事を天海志騎が知れば、きっと彼も絶望してくれると思って! ま、結果はこの通りあなたが来ちゃったから失敗しちゃったけど、別に良いや。天海志騎がそいつらを傷つけたって事に、変わりはないんだから」

 真由理の式神によって傷が治癒されていく警察官二人と式神に保護されている良太と在人を見て、天の神が言う。彼女の言う通り天の神に乗っ取られていたとはいえ、志騎が四人もの人間を傷つけてしまったのは事実なのだ。そしてこれから先、志騎はその十字架を背負って行かなくてならない。……ただでさえもう、色々なものを背負い過ぎているというのに。

「……じゃあ何か。お前は単なる嫌がらせのために、こちらに来たと言うのか。人類を滅ぼそうとしている神様が、随分つまらない事をするものだな」

「あはは、何を今更言ってるの? 私達って、そういう存在だよ? ちょっとした気まぐれで命を摘み取り、つまらない事で人の運命を狂わせる者。それが私達神であり、あなた達人類の上に立つ超越者。あなた達も神樹を崇め奉ってるんだから、それぐらい分かってるでしょ?」

「………」

 天の神の言葉に真由理は何も言わない。

 満開と散華の真実を知っているがゆえに、天の神が言う神の性質というものを彼女は良く知っている。だから天の神に何かを言い返そうともしない。

 だが、それでも。

 自分の目の前で人類が苦しむ事に対して嬉しそうに笑っている天の神には、自分ですらまだ知らない何かがあるような気がしてならなかった。

「さてと。そろそろ私は帰ろうかなー。勇者を殺す事は出来なかったけど、それでも十分に楽しめたし」

 と、天の神が夜空を見上げながら呟いた瞬間。

「……待て。いくつか聞きたい事がある」

「……? 聞きたい事?」

 天の神がきょとんとした表情で聞くと、真由理はああと頷いて続ける。

「別に構わないだろう? 天の神とこうして相対するなんて、まずない。これでもお前には色々と聞きたい事があったんだ。それに答えても別に問題だろう。それとも……まさか天の神ともあろう者が、ちっぽけな人間の質問に答えられないなんて馬鹿な事は言わないよな?」

 その言葉に天の神はキロっと冷たい目を真由理に向ける。が、真由理は視線を天の神から逸らさない。

 ここで天の神が気を悪くして、何も答えないでそのまま帰る可能性はあるし、最悪の場合自分が殺される可能性だってある。精霊の自分は基本的に死なないが、神である彼女ならば自分を簡単に殺す事ができるかもしれない。

 が、だからと言って引き下がるわけにはいかない。自分の目の前に立っているのは、三百年にわたる自分達人類の宿敵なのだ。科学者としても、氷室真由理の記憶と人格を受け継ぐ者としても、ここで何の情報も得られずに終わるわけにはいかない。

 二人はしばらく無言のまま互いの顔をまっすぐ見ていたが、やがてふっと天の神が再び笑みを浮かべた。

「うん、別に良いよー。あなたは殺したいぐらい気に食わないけど、バーテックス・ヒューマンを作った才能と頭脳は認めてるからね。何でも聞いて良いよ」

「……そうか」

 真由理は表面上は余裕を保ちながらも、緊張で掌に汗をかいていた。天の神という超越存在から放たれるプレッシャーは、氷室真由理の精神を確かに削っていた。

 が、ここで臆したり相手に呑まれるような姿は決して見せない。真由理はふーと息を吐いて緊張に呑まれそうになる自分の頭を落ち着かせると、再び天の神の姿を真正面から見据える。

「では、さっそく聞かせてもらおうか。……何故、三百年なんだ?」

「……? どういう事?」

 首を傾げる天の神に、真由理がその質問を放った意図を説明する。

「三百年前、お前は四国を除いて人類を滅ぼしつくした。その後大赦が行った奉火祭により、人類は壁の外に出ない事、神の力を放棄する事を条件として侵攻を止める事をお前と契約したはずだ。だが約三百年経った今となって、バーテックスがこちらに侵攻し、お前は再び人類を滅ぼそうとしている。……契約の事は今は置いておくとして、何故三百年経った今、バーテックスをけしかけ、人類を滅ぼそうとしているんだ?」

 考えてみれば、奇妙なのだ。

 天の神に気づかれないよう神の力を用いて勇者システムを開発していたとはいえ、天の神とは奉火祭を行い侵攻をやめるよう契約している。その結果、四国は三百年による平穏を得る事が出来た。

 それなのに何故、天の神は三百年経った今バーテックスを使い神樹を破壊しようとし、人類を滅ぼそうとしているのか。今になって動いた理由が真由理には分からなかったのだ。

「……ああ、そういう事か。一応言っておくけど、別にあなた達が勇者システムを開発してた事に気づいたから侵攻を始めようとしたわけじゃないよ? 最初から三百年ぐらい経ったら人類は殺そうと思ってたし、あなた達がいつかきっと私に反撃しようと考えてた事ぐらい気づいてたしね」

「……何だと?」 

 天の神の口から飛び出した事実に、真由理は思わず目を見開く。

 今の口ぶりだと、まるで天の神が最初から大赦の……初代勇者の考えに気づいていたように聞こえたからだ。すると真由理の反応を楽しむように、天の神が口角を上げる。

「そもそもの話、あなたは奉火祭についてどれぐらい知ってる?」

「……一応大赦のデータベースに残っているものには目を通した。当時の大社の最終手段として、検討されていた儀式。お前達に対する抵抗手段ではなく、完全な降伏宣言。六人の巫女を犠牲にして、許しを乞う事でこれ以上の攻撃の停止を願う儀式……」

「うん、そこまでは合ってるね」

 と、天の神は真由理の言葉に頷くと、次にこんな事を口にした。

「……じゃあ、奉火祭の生贄に出された巫女の名前は知ってる?」

 ピクリ、と真由理の眉が動く。知らないのではなく、どうしてそんな事を聞くのか分からなかったからだ。

「……当然、知っている。確か大和田、巽、志紀、真鍋、千葉、葛西だったか」

「うん、正解」

 大赦のデータベースには生贄に出された巫女の名前も記載されている。奉火祭の事を調べるにあたって当時の巫女達の事もそれで知ったのだが、やはり天の神がどうしてそんな事を尋ねるのか分からない。

「おかしいと思わない? 奉火祭が行われたのは三百年前が初めてなんだよ? そして普通生贄に選ばれるのは、巫女としての適性が一番高い人間だよね? なのに入っていなければならないはずの名前が、今あなたが挙げた名前の中に入っていない」

 そこまで天の神が言ったところで、ようやく真由理は気付いた。

 巫女としての適性が一番高い人間。それに当てはまる三百年前の人間と言ったら、一人しかいない。

「……上里ひなたか」

 上里ひなた。その名を知らない者は、大赦の関係者の中にはまずいない。

 乃木園子の先祖である乃木若葉が初代勇者であるならば、上里ひなたは初代巫女と呼ぶべき存在。正確には初代ではないかもしれないが、巫女の中でも特に強い力を持っていたと今でも言い伝えられている。

 そして何より、乃木若葉と長い間大赦のトップにあり続け、乃木若葉を支え続けた女性でもある。そのため、神世紀301年の今でも上里家は乃木家と並ぶほどの権力を持っている。

「ではでは、ここで問題です! どうして上里ひなたは、生贄に選ばれなかったのでしょうか!?」

 まるでクイズ問題の司会のように、天の神はテンションを上げて真由理に問いかけた。しかし真由理はその問いに答えず、ただじっと黙り込んでいた。

 答えが分からないわけではない。一応大赦の中で有力とされている説はある。

 なんでも――――上里ひなたは奉火祭後の世界で権力を握るため、自分を強く慕っていた巫女数名の心を巧みに操る事で彼女達を生贄に出し、結果生き延びた彼女は巫女達を従え大赦を乗っ取ったらしい。 

 はっきりとした根拠があるわけでないが、実際に上里ひなたを含めた巫女達が奉火祭後強い権力を持った事、彼女が多数の巫女達に慕われていた事、そして上里ひなたが成人を迎える前から大赦を統治していたと言われている事……。さらに様々な書籍に書かれている上里ひなたの人物像として、とても少女とは思えないほどの神秘性と存在感を持っていて、当時の大社の神官達から密かに恐れられていた事が共通して書かれていた事から、その説が強く有力視されていた。

 これと言った根拠も無いため、科学者としての真由理はその説を口にするべきか悩んだが、このままでは話が進まないためとりあえず答えとして天の神に言う。

「……一応大赦の間では、上里ひなたが自分を慕う巫女達の心を操り生贄にした、という説が有力となっているが……」

「うーん、まぁ仕方ないけどちょっと違うね」

 だがやはりというべきか、その説は真実ではないらしい。彼女は真由理の目の前で鼻歌交じりに踊りながら、真由理に尋ねる。

「もしも上里ひなたが本当に自分を慕う巫女を生贄にしてでも権力にすがりたい人間だったら、神樹の声が届くと思う? それだけじゃなくて、乃木若葉っていう初代の勇者のそばにずっといられたと思う?」

「………」

 その言葉に真由理は顎に手をかけて考え込むが、すぐに答えは分かった。乃木若葉と上里ひなたの性格と関係、そして今の天の神の言葉から考えれば、答えはすぐに出る。

「……なるほどな。巫女達は上里ひなたに生贄にされたんじゃなくて……」

「そっ。自分達から生贄になったんだよ。最初は大社の思惑通り、上里ひなたが生贄の一人に選ばれるはずだった。だけど上里ひなたを強く慕っていた巫女達は代わりに六人の巫女を揃えて、自分達から身を投げた。ま、強く慕っていたって他にも、乃木若葉の事もあったんだけどね。知ってた? 乃木若葉って、上里ひなたの事を本当に大事に思ってたみたいだよ? それこそ、彼女がいなくなったら自分を保つ事ができなくなるぐらい」

 天の神が語る話で、真由理は当時の事情をようやく察する事が出来た。

 つまり上里ひなたが生贄から逃れる事が出来たのは、権力を握るためなどではない。彼女に生きていて欲しいと願った巫女達がその身を捧げ、上里ひなたを生贄になる運命から助けたのだ。そして彼女達の犠牲によって生きる事が出来た上里ひなたは乃木若葉を護る事を選び、当時の大社を乗っ取る事を決めた。

「……当時は、勇者達が立て続けに死んでいき、おまけに完全な降伏宣言の後だからな。大社も一枚岩じゃなかったんだろうな」

「乃木若葉を自分達の操り人形にして、好き勝手しようと考えて奴らもいたかもねー。あなた達人間って、そういう事が簡単にできるし」

 ケタケタと天の神が嘲笑うが、それに反論するつもりは無い。現に人間にそういう一面がある事は、真由理もよく知っているからだ。上里ひなたもそうなる危険性を危惧し、他の巫女達と共に大社を乗っ取る決断をしたのだろう。乃木若葉が、そういった歪んだ思惑の餌食にならないために。

「だが、何故お前はそれを知っている? お前は壁の外にいて、今のように精神体だけでもこちらに来る事はできなかったはずだ。なのに何故、大社の内部事情まで知っている?」

 と、それまで軽やかに踊っていた天の神が唐突に踊るのを止めた。彼女は笑みを真由理に向けて、理由を告げる。

「大赦は知らないだろうけど、私は奉火祭の生贄の人間を通してその人間の感情や記憶を読み取る事ができるんだよ。でも当然だよね? そもそも奉火祭っていうのは、炎の中に身を投げて生贄になる事で、私に願いを伝える儀式なんだから。願いを聞くだけじゃなくて、その人間の記憶や感情も読み取る事が出来て当然でしょ?」

「……じゃあまさか、お前はその時に知ったのか? 巫女達が自分達から身を捧げた事も、上里ひなたを生贄から外した事も……」

「……そして、あなた達人類が反撃を忘れていないのも、ね」

 真由理の顔を見ながら、天の神は愉快気に笑う。

「本当に生き残りたいなら、何が何でも上里ひなたを生贄に出すはず。それをしなかったのは巫女達の反対もあっただろうけど、同時にまだ私に勝つ事を諦めてないっていう事。当時の大社は知らないけど、生贄に出された巫女達は諦めてなかったんだろうねー。彼女達全員が思ってたもん。上里ひなたに生きていて欲しいって、乃木若葉には彼女が必要だって、彼女達が生き残ればいつの日か、私を倒す事ができるって!! ――――ばっかだよねぇ!? ぜーんぶ筒抜けなのにさぁ!! それすらも知らないでむざむざ私に情報をくれるために生贄になってくれたんだもん!! 最初から上里ひなたを生贄に出していれば良かったのにね!! あははははははははははははっ!!」

 夜空に響くほどの大声で、天の神は笑う。一方真由理の方は、ただ氷のように冷たい表情を天の神に向けていた。

「はー、笑った笑った。で、どこまで話したっけ」

「……お前が、人類が反撃を忘れていない事に気づいた所までだ。お前はそれを知っていながら、停戦に応じたのか?」

「ん、まぁね。本当ならすぐに四国の人間を皆殺しにしても良かったんだけど、あの時は私も四国以外を火の海にした事で力を使い過ぎちゃって疲れちゃったしね。ま、別に今すぐってわけじゃなくても別に良いかーって思ったし、何より面倒くさかったし、とりあえず停戦してあげたって感じかな!」

 面倒臭い。三百年前の勇者達が血と涙を流して戦い、多くの犠牲を出しながらどうにか得られたものも、天の神にとってはその程度に過ぎなかった。

「じゃあ何故、三百年経った今更侵攻してきた? 別に神樹の寿命が尽き、今の人間が全員炎の海に呑まれるのをただ待っているだけでも良かったはずだ。なのに何故、三百年経った今侵攻を始めた? 人間が神の力を待っているのがそんなに気に食わなかったのか? それとも……勇者がお前を倒す事を恐れたからか?」

 一番最後の言葉は、天の神へのあからさまな挑発だった。下手をすればそれで殺されてしまう可能性もあったが、別にそんな事は構わない。重要なのは、今彼女から聞き出せる限りの情報をできるだけ聞き出す事だからだ。

 しかしその挑発にも天の神は乗らなかった。彼女は相変わらず腹の底が読めない笑顔を浮かべたまま、

「別に理由なんてないよー。確かに人間が神の力を持っているのは気に食わなかったけど、途中で別に良いかなーって思ったんだ。だってあなた達程度が神の力を使っても私から奪われたものを取り戻せるわけがないし、何より私を倒せるはずがないからね! 私があなた達を見逃しててあげたのは、ちょっとした暇つぶしって感じかな」

「では何故、その暇つぶしをやめて人類への侵攻を再開した?」

 すると天の神は、にひゃりと酷薄な笑みを浮かべた。

 見る者の背筋を凍り付かせる、氷の笑みを。

「だって……目の前に羽虫がいたら、叩き潰したくなるでしょ?」

 羽虫。

 それが天の神の、人類に対する認識だった。

 彼女が人類への侵攻を再開したのは、人類の自分を打ち倒す可能性を恐れたからでも、人類が未だ神の力を持っていた事に対する怒りからでもない。そもそも彼女は人類が自分を倒せるとは思っていないし、人類が神の力を手放していない事には最初から気づいていたのだから、怒るはずもない。だから積極的に人類を滅ぼすような事はしなかった。面倒くさかったし、何よりも暇つぶしにはちょうど良かったから。

 そして三百年という長い時間が経った現在彼女が人類への攻撃を再開したのは、まだ生き残っている人類がそろそろ目障りに思えてきたから。

 それは今彼女が言った通り、人間が目の前を鬱陶しく飛び回る羽虫を叩き潰すような感覚に近い。

「……はっ。滑稽だな」

 人類はこの三百年間、天の神をどうにか欺きながら勇者システムを開発し、力を蓄え続けてきた。全ては天の神を倒し、奪われたものを全て取り戻すために。

 しかし、それは全て無駄だった。そもそもの話、天の神はそうなる事すら全て予測して笑みを浮かべながら自分達を観察していたのだから。そして羽虫を叩き潰すような感覚で、四国に責め込んできた。

 自分達は最初から、彼女の掌の上で無様に踊っていたようなものだ。三百年前の乃木若葉達の必死の戦いも、この三百年の間の大赦の活動も、そして友奈達勇者の願いも、全て天の神の暇つぶしの結果生み出されたものに過ぎなかった。

 その事実に直面して、氷室真由理はようやく何故人類が天の神に負けたのか、その理由を悟った。

 これが、神。

 この世に起こる全ての可能性を予測して、その上で人類を自分の掌の上に乗せてその運命を弄ぶ。

 この世全ての運命を掌握する、超越的存在。

 それが、今自分の目の前にいる天の神という存在の正体なのだ。

「あ、そうだ! ねぇねぇ、折角だし、結城友奈を助けてあげる方法を教えてあげるよ!」

 パン! と両手を勢いよく叩きながら天の神が嬉しそうにはしゃいだ。

「………何?」 

 しかし当然、彼女の言葉を鵜呑みにするつもりは無い。これまで様々な悲劇をもたらしてきた彼女が、そんな簡単に人間を助けようとするはずがない。しかも友奈は彼女が嫌う、勇者の一人なのだから。

 なのに天の神は楽しそうに笑いながら、

「そんな顔しないでよー。大赦にとっても結城友奈を失いたくないし、あなたも貴重な戦力を失いたくないでしょ? それに彼女が死んじゃったら、お友達も悲しむだろうし! そういうのは良くないよね!」

 うんうんと頷いているが、これほど白々しい行動もない。今まで散々人を殺して悲しみを生み出しておいて今更何を言っているのだ、というのが真由理の正直な意見である。

「……本当にお前が結城友奈を助けると言うなら話は早いが、その方法はなんだ?」

「あはは、簡単だよ。すごく簡単」

 そう言って、天の神は三日月のような笑みを浮かべた。

 人間の想いを踏み躙る、悪魔のような笑みを。

 

 

 

 

 

「三ノ輪銀が天海志騎をその手で殺したら、結城友奈を助けてあげるよ!」

 

 

 

 

 

「…………」

「そうしたら、ぜーんぶ水に流して結城友奈のタタリは解いてあげる! どう? 簡単でしょ? あなた達ならできるよね? 今までだって、私の天使達を散々殺してきてくれたんだから。今更一匹や二匹殺すのも変わらないでしょ?」

 まるで、志騎はその内の一匹に過ぎないと言うかのような言葉だった。真由理はかすかに不快感を抱きながら、静かに天の神に問いかける。

「……お前それ、私と志騎や大赦はともかく、あのガキ共がそれを呑むと本当に思ってるのか?」

「ううん、思ってないよ? でも三ノ輪銀が天海志騎を殺さなきゃ、結城友奈は助からないよ? 別に天海志騎を殺したくないって言うなら別に良いけど、このままだと結城友奈は苦しむだけだし、かといって何も手を打たないままだと二人共死んで終わり。それだったら、一方を切り捨てて助けられる人間を助けた方が良いと私は思うけどなぁ。あなただって、同じ考えでしょ?」

 否定はできなかった。

 このまま何も手を打たずに二人共死なせるよりも、元々助けられない一人を切り捨ててもう一人を助けた方がまだ合理的だ。自分だけじゃなくて、志騎や大赦もこの話を聞いたら真由理と同じ考えに至るだろう。

 が、勇者部は違う。友奈を助けるためとはいえ、大切な友達である志騎を殺す事など彼女達が選択するはずがない。天の神だってそれは分かっている。分かっている上でこのような条件を提示しているのだから、本当に底意地が悪いとしか言いようがない。しかも何よりも悪辣なのは、志騎を殺すのが彼の幼馴染であり彼に想いを寄せている銀という事だった。

 ありえない話だが、もしも本当に銀が志騎を殺した場合彼女の心に深く大きい傷を残す事になる。そうしたら間違いなく銀は立ち直れなくなり、二度と勇者として戦えなくなる。さらにそれによって友奈を助ける事ができたとしても、天海志騎という命を代償にして生き残った彼女は強い罪悪感の中で生きていく事になる。そうなったらもう終わりだ。勇者部は二度と以前のような雰囲気に戻る事は無く、ゆっくりと自然消滅していく。それでは仮に銀が志騎を殺して友奈の命を助けたとしても、何の意味も無い。

 そしてきっとそれこそが、天の神の狙いなのだ。

 さらに悪い事に、この話は間違いなく嘘ではない。このような取引で嘘を持ち出すのは、取引の重さを台無しにしてしまう悪手だ。取引というのは真実を述べるからこそ重要性が増す。

 つまり、銀が志騎を殺せば友奈を助けるというのは間違いなく本当だ。こうする事で勇者部は判断に迷い、自分達の今の選択が本当に正しいのか苦しむ事になる。

 それは人間を苦しむのに特化した、神の提示する悪辣な選択肢だった。

 真由理は天の神を睨むようにじっと黙り込んでいたが、ようやく口を開くと天の神に尋ねる。

「……お前はどうしてそこまで結城友奈と志騎を、人間を苦しめようとする? 何が目的なんだ?」

 すると天の神はんー、と指を顎に当てる可愛らしい動作をすると、にぱっと笑った。

「別に目的なんてないかな! 三ノ輪銀に天海志騎を殺させるのも、彼女がもっともっと絶望するのを見たいからだし! まぁ、強いて言うなら……あの二人が、あなた達が苦しむ所をすっごくすっごく見たいからかな?」

 その言葉と同時に彼女の顔に現れたのはやはり笑顔だったが、先ほどのものとは種類が違う。見ただけで背筋に寒気が走りそうな、見る者に恐怖を抱かせる凄絶な笑み。それは普段は冷静な真由理でさえも、かすかに冷や汗を流すほどだった。

 一通り自分の話したい事は終わったのか、天の神は今まで浮かべていた無邪気な笑みを再度浮かべるとパン! と両手を叩く。

「じゃあ用事は終わったし、私はそろそろ帰るね! 勇者達は殺す事ができなかったけど、天海志騎を苦しめる事はできたし! まったくの無駄骨ってわけじゃあなかったしね! はー、疲れた疲れた」

「ほう。このまま誰一人殺す事ができず、尻尾を巻いて逃げるのか?」

 挑発するように真由理が言うが、天の神は余裕を崩さず笑みを真由理に向けたまま返す。

「あなただって分かってるんでしょ? ここにいる私は精霊のようなものだけれど、だからといって私を殺した所で本体には何の影響もないって事を。まぁ、それ以前に今のあなたじゃ私を殺す事もできないだろうけどね!」

「………」

 それは事実だった。今真由理の手持ちの式神では、目の前の天の神を殺す事は出来ない。目の前にいる天の神は本来の姿とは程遠い力しか持っていないが、それでも真由理が今持っている式神程度では殺す事などできない。それが、神という存在だ。

 そして彼女が言う通り、今の天の神は精霊同然の姿。つまり分身のようなものに過ぎない。仮に彼女を殺す事ができたとしても、壁の外にいるであろう天の神本人は痛くも痒くも無い。つまりここで戦ったとしても、デメリットしかない。

 それを分かっているかのように天の神が嘲るように笑いながら真由理の横を通り過ぎようとした時、真由理が唐突に口を開いた。

「待て。最後に一つ、聞きたい事がある」

「えー、まだあるの? もう疲れたんだけど」

 子供のような事を言いながら天の神だったが、当然真由理はそれに構う事無く、自分が抱いていた最後の疑問を口にする。

「何故お前は三百年前、人類を滅ぼそうとした?」

 ピタリ、と天の神の動きが止まった。彼女がどのような表情を浮かべているかは、真正面を向いている真由理からは見る事ができない。

「お前はSF映画に出てくる宇宙人のような、地球に住む人間の生活を全く知らない地球外生命体というわけではない。太古の昔、人間が日本という国に住み始めた時から人間を見てきた存在だ。その年月は、三百年という月日とは比べ物にならないはずだ。そしてその間、お前は人間というものを見てきた。ならば人間というものの思考については私よりもよく知っているはずだ。それなのに何故、お前は三百年前人間を滅ぼそうとした? 答えろ」

 大赦の間では、人類に滅ぼされる原因があり、その結果バーテックスによる侵攻が起こったと言い伝えられてはいるが、それは所詮は神樹のお告げであると同時に言い伝えであり、天の神が直接言ったわけではない。当人の口から告げられていないものを易々と信じるほど、真由理はお人好しでは無かった。

 真由理の質問に天の神は何も言わず夜空を見上げながら、ポツリと呟いた。

「私ね、色々見てきたんだぁ」

「色々?」

「うん、そう。色々なもの。まぁこんな事言ってもあなたには分からないだろうね。そもそも私が見てきたものを誰かに伝えようとしても難しいし、伝わりにくいし。……でも」

 そう言って、ようやく天の神は真由理に視線を移した。

 殺意と憎悪で彩られた、血のように赤い瞳を。

 

 

 

 

 

「それすらも分からないから、人間(お前)達は()に滅ぼされるんだよ」

 

 

 

 

 

「………」

 真由理は何も言わない。ただ目を逸らすような事もせず、天の神の赤い瞳を見つめている。

 すると天の神は冷たい表情から一転、にっこりと子供のような表情を浮かべた。

「な~んてね。じゃあ今度こそ、私は本当に帰るね! これ以上の結界内の侵入はいい加減神樹にも気づかれるだろうし、私も来たくないし、もう来る事は無いかな! ……でももしかしたら、近い内にまた会えるかもしれないね! じゃ、ばいばーい!」

 そう言って手を振りながら、天の神の姿はふっと消えてしまった。その場に残されたのは勇者姿の真由理と倒れている志騎、そして真由理の式神による治療を受けている在人と良太、そして警察官の二人だった。

 真由理は無言でスマートフォンを取り出すと画面を操作し、勇者の変身を解除して、さらに氷室真由理の姿から精霊刑部姫の姿に戻る。直後、刑部姫ははぁ、と普段はつかない大きなため息をついた。

「……あれが、天の神か。さすがは一度人類を滅ぼしかけた神、とんでもないプレッシャーだな」

 攻撃を仕掛けられたわけでもないのに、目の前に立っているだけで息が詰まりそうな重圧だった。あれほどの重圧を向けられた事は、氷室真由理だった時にも、精霊になった後にもない。きっとこれほどの重圧を向けられるのは、最初で最後だろう。人間があれを出せるとはとても思えない。

(それに……)

 刑部姫は天の神が最後に自分に向けてきた憎悪と殺意を思い出す。

 自分と会話している最中、ずっと飄々とおどけた態度を見せていた彼女だったが、最後のあの殺意と憎悪だけは本物だった。あれこそが、三百年間人類にひたすら殺意を向けていた天の神の素顔なのだろう。そして彼女は最後に、近い内にまた会えるかもしれないと言っていた。大赦が今の所何を考えているか分からないが、近い内に大赦は……人類は、あの殺意と憎悪と直面する事になる。

「……その時こそ、人類は終わるかもな」

 刑部姫は呟いてから、気を失っている在人と良太、二人の警察官を保護するために、スマートフォンの画面を操作して大赦へと連絡するのだった。

 

 

 

 

 

 

「………」

 志騎が目を覚ますと、最初に目に入ったのは星が輝く夜空だった。志騎がゆっくりと体を起こすと、彼に声がかけられる。

「よぉ、起きたか」

 聞きなれた声に彼が横を向くと、そこにちょこんと座っていたのは刑部姫だった。

「悪いが、服は家に帰るまで我慢してくれ。さすがに替えの服までは用意してないし、こんな寒い中で着替えるのも嫌だろう」

 彼女の言葉に志騎が自分の体を見下ろすと、着ていたコートは血まみれだった。いや、コートどころから体全体が血にまみれている。おかげで鉄の臭いが鼻孔に入ってきて、吐き気を催してしまう。

 が、今の志騎にはそんな事はどうでも良かった。何故自分が血まみれなのか、理由も覚えている。地面にしゃがみ込みながら、志騎は今にも消えてしまいそうな声で言った。

「……俺、人を殺したんだな」

「………」

「天の神が言ってたよ。俺がいるせいで、人が死ぬんだって。俺がいたから、何の罪もない人が……」

「死んでない」

 え? と志騎の視線が刑部姫に向けられる。彼女は志騎に視線を合わせず、正面を向いたまま、

「出血は派手だったが、急所は外れていた。まぁそれでも私が回復の術式を持った式神を一足先に向かわせていないと危なかったが、命に別状はない。今は大赦で治療と記憶操作を受けている。すぐに回復するだろう。……高橋在人と佐藤良太もな」

「――――どうして、あの二人が……!?」

 やはり覚えていなかったようだ。顔を青ざめさせて狼狽する志騎に、刑部姫は冷静な口調で告げる。

「一時的に心が壊れたお前の体を、天の神が奪ったんだ。いつものお前なら大丈夫だったろうが、心が壊れた器を操る事ぐらいあの状態の天の神なら簡単にできる。運悪くこの路地裏を近道に通ってきたあの二人を、お前の体を操った天の神が襲った。ああ、安心しろ。あの二人は警察官達よりも軽傷だ。他の二人と同じように治療と記憶操作を受けてはいるが、若い分傷の治りも早い。家族の方にも大赦の神官が都合の良い説明をしておくから、明日ごろにはピンピンして学校に来るだろう」

「………そう、か」

 しかしそれで良かったなどという話には到底ならない。今の刑部姫の話を聞いてさらに気分が落ち込んでしまったらしく、志騎は肩を落としてしまう。

「しかし、あの高橋在人という奴を式神越しに見ていたが……。勇者の力も無い、ただの人間が天の神相手に啖呵を切るとはな。中々骨がある奴だ」

 それは普段から他人に対して辛辣な態度を取る刑部姫にとっては、間違いなく最上の誉め言葉だろう。が、友人に対する誉め言葉を聞いても志騎の表情は晴れない。それどころか、虚ろな笑みすら浮かべていた。

「……ああ、そうだ。高橋は良い奴だ。いや、高橋だけじゃない。佐藤も。……俺なんかとは、違う」

「……警察官に加えて、二人を傷つけた事を気にしているのか」

 口に出すまでもなく、そうだろう。刑部姫は肩をすくめながら、

「高橋在人と佐藤良太を襲ったのはお前じゃない、お前の体を乗っ取った天の神だ。警察官二人を襲ったのだってタタリのせいでお前の精神が一時的に不安定になっていたからだろうし、傷つけはしたが急所が外れていたのは最後の最後にお前が一線を越えようとしなかったからだ。お前が自分から、あいつらを傷つけようとしたわけじゃ……」

「――――そんなの、関係あるかよ!!」

 ビリビリ、と志騎の叫び声がその場に響き渡った。刑部姫があらかじめこの場に仕掛けてる認識阻害の術式のおかげでこの声が二人以外の人間に聞こえる事は無いが、もしもそうでなかったら志騎の叫び声が近所の人間に響き渡っていただろう。

「そんなの、ただの偶然だ! 一歩間違えていたら、俺は本当に人を殺してた! 警察官の二人だけじゃない、高橋も佐藤も! 折角できた友達を、築いた絆を、他の誰でもない俺が壊してた所だったんだよ!! 天の神もタタリも関係ない!! ……あの四人を傷つけたのは、俺なんだ……!!」

 叫び終えると、志騎は手を強く握り込んで俯く。その様子はまるで、自分の罪を懺悔する罪人のようだった。

「……天の神の言う通りだ。俺がいるから、人が死ぬんだ。このままだと俺はきっと、勇者部の皆も、銀も……」

 自分の大切な友達も、自分を好きだと言ってくれた大切な人も殺す事になる。そう言うかのように志騎が苦しそうに言うと、それまで黙って志騎の言葉に耳を傾けていた刑部姫が口を開いた。

「……じゃあ、ここで全部諦めるのか?」

 彼女の言葉に志騎が顔を上げて刑部姫の方を見ると、彼女は真剣な表情で志騎の顔を見つめていた。

「二年前、三ノ輪銀達を傷つけた後絶望し、それから再び勇者になろうとした時お前は誓ったはずだ。もう運命から逃げないと。罪を背負って戦うと。そうじゃないのか」

「………」

「そしてこの前乃木園子のマンションに集まり、初代勇者である乃木若葉の勇者御記を見た時にお前は私に言ったな。奪ったからこそ受け継がなくちゃいけないと。その言葉通り、あの時お前は他の勇者達と一緒に受け継いだはずだ。乃木若葉から受け継がれる願いと意志を。勇者達が代々引き継いできたバトンを」

 例えそのバトンが、志騎にとって『呪い』となってしまうとしても。

 あの時志騎は、それでもそのバトンを受け継いで戦うと決めた。

「二年前のその意志は、この前の言葉は嘘じゃなかったはずだ。……確かに今日、お前は人を傷つけてしまった。そして一歩間違えれば、本当に命を奪っていたかもしれない。それは事実だ。……だがもしもお前がここで全部諦めてしまえば、お前の意志と言葉は全て嘘になってしまう。……良いか、志騎。その人間の心と言葉が本当か嘘かを決めるのは他人じゃない、本人なんだよ。そいつの行動しだいで、本人の心と言葉は嘘にも本当にもなる。……お前は、自分の誓いや受け継いだものすらも嘘にするつもりか?」

 静かだが強い口調で放たれる問いに、志騎は何も言えなくなってしまう。志騎は奥歯を噛み締め、苦い唾を飲みこみながら言う。

「……嫌だ。嘘になんて、したくない。でも、今日人を傷つけた俺に、勇者達が繋いできたものを受け継いで良い資格が本当にあるのか、分からないんだ……」

 すると志騎の言葉を、刑部姫は鼻で笑った。

「資格があるかなんて考えるな。例え自分が何者であっても、誰かからバトンを受け継いだならその役目を果たす事だけを考えれば良い。傷だらけになっても自分の命がある限り最後まで戦い、そして役目を果たせばまた誰かがバトンを引き継ぐさ」

 刑部姫……否、氷室真由理の言葉はどこか優し気だった。彼女の話を聞いていた志騎は血に濡れた自分の掌を見つめながら、ポツリと呟く。

「……そう、だな。決めたんだよな。例え俺が歩く道が血と罪にまみれていても、最後まで人を護るために戦うって」

「ああ」

「……正直な話さ、まだ迷ってるけど……。でもそれでも俺は、もう逃げないって、背負うって決めた。だったらどれだけ辛くても、苦しくても……諦めちゃ、逃げちゃ駄目なんだよな」

「……それが、戦うって事だ」

「うん、そうだよな。……ありがとう」

 まだ完全には振り切れてはいないようだが、それでも今の刑部姫との会話で改めて自分の気持ちを整理できたらしく、志騎の顔には弱々しいが笑みが浮かんでいた。

「なぁ、刑部姫。警察官達と、高橋達を助けてくれてありがとう」

「それについては気にするな。お前のサポートは私の仕事の一つだし、何よりお前を人殺しにするわけにもいかないんでな」

「ははは、そっか。……ありが……」

 だが、最後の言葉を言い切る前に志騎の体が倒れた。

「志騎っ!?」

 刑部姫が慌てて彼の額に手をやると、明らかに異常と分かるほどの高熱が伝わってきた。確かにこの時期の夜の外気温は寒いが、だからと言ってここまで熱が急激に上がるわけがない。

「まさか……!」

 刑部姫が志騎のコートと制服を乱暴にめくると、彼のタタリの紋様が広がっていた。胴体の部分に完全に広がっているばかりが、両手首と首の上辺りまで紋様が伸びている。この様子だと紋様は足首の辺りまで伸びているに違いない。

「天の神の仕業か……!」

 つい先ほど出会った、少女の笑みを思い浮かべながら刑部姫はチッと舌打ちする。彼女ならば志騎の体を乗っ取った際に、彼にかけられているタタリの呪いを強くする事は難しくない。

 そしてこれは完全に自分の予測だが……恐らくタタリの強化は志騎だけで、友奈の方には及んでいない。理由は単なる嫌がらせ。人間の分際で天の神と彼女に乗っ取られた志騎の体を切り離した、氷室真由理に対しての。そんな理由で、と思えてしまうが、人間に対して強烈な殺意と憎悪を持つ彼女ならばそういった行動に出ても不思議ではない。

 刑部姫は急いで大赦に連絡をかけるためにスマートフォンを取り出そうとすると、画面にある通知が表示される。まさか、と思いながら刑部姫が通知をタップすると、画面に動画が表示された。

 刑部姫はいつも式神くんを勇者達の自宅の近くに飛ばし、彼女達が何か奇妙な動きをしていないか監視している。しかも最近は大赦が自分達に黙って東郷美森を奉火祭の生贄に捧げていた事や、勇者達が大赦に不信感を抱いている事から、見張りの式神くんの数を増やしていたのだ。

 動画の中には、友奈の家が映し出されていた。よく見ると二階にある友奈の家のベランダから東郷が青坊主に命令をして鍵を開けさせ、友奈の家に入っていくのが見えた。

「あのクソストーカー女……!」

 東郷の突飛な行動に刑部姫は舌打ちしながらも、これはチャンスかもしれないと思う。

 刑部姫も結城友奈がタタリにあっているとは気づいてはいるが、その裏で大赦がどのような事をしているかなどは情報が下りてきていない。勇者達が友奈のタタリに気づくのは面倒だが、同時に大赦が友奈に接触して何をしているのか知るチャンスでもある。だとすると、これを見逃す手は無い。

 とは言っても志騎をこのままにしておく気もない。刑部姫は式神くんから送られてくる監視動画を消すと、改めて大赦へ電話をかける。本当ならこういう時は安芸に電話を掛けるのだが、この前クリスマスに電話して以来、彼女には何度かけても連絡が届かなくなっていた。

「私だ。天海志騎が倒れた。至急今天海志騎がいる場所に急行し、こいつの自宅まで送り届けろ。手荒に扱ったらぶっ殺すぞ」

 相手の返事を聞く前に通話を切るが、どうせ断りはしないだろう。バーテックス・ヒューマンとはいえ、志騎もバーテックスと戦う勇者の一人なのだから。

 そしてスマートフォンを着物にしまうと、倒れている志騎の額に手をやる。

「すぐに大赦の人間が来る。苦しいだろうが、待ってろよ」

 聞こえていないかもしれないが、それだけ言うと刑部姫は大量の花びらと共にその場から姿を消した。

 

 

 

 

 




最近色々と重要な私事が重なってしまったため、投稿が遅れてしまい申し訳ありません。また、これから先も色々と急がしくなってしまうため、投稿速度が遅くなってしまうと思いますが、少しでも早く投稿できるよう努力いたしますので、ご理解いただけると幸いです。


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第五十四話 友奈とタタリと銀の覚悟

皆様、大変お待たせしました。最近本当に忙しかったため、四ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。文章もそこそこ長いですが、楽しんでいただけたら幸いです。


 

 刑部姫が東郷が友奈の家に忍び込んでいるのを発見した後、友奈の部屋であるものを発見した東郷はその足で風と樹が住むマンションに向かった後、勇者部全員を呼び出した。

 が、友奈を除いた残り一人である志騎だけが姿を見せていない。念のために銀が志騎にチャットアプリでメッセージを送っても、既読すらつかなかった。

「銀、どう? 志騎から返事は来た?」

「……いえ、来ないです」

 風からの問いに、銀は首を横に振った。メッセージを見ていないならば電話をかけてみるというのも一つの手なのだろうが、今日の昼間に志騎と言い争いをしてしまった事を思い出すと、どうしても気まずくて彼に電話をかける事ができない。意外と女々しいな、アタシ……と銀は心の中で自嘲した。

 こうして勇者部を呼び出した以上、早く話を進めなければならない。しかしだからと言って志騎がいない状態で話を進めるわけにもいかない。勇者部が無言でいると、突然夏凜の頭上に花びらが散った。そこに現れた人物を見て、銀が驚きの声を上げる。

「刑部姫、お前、どうしてここに……」

 現れたのは志騎の精霊である刑部姫だった。しかしいつもの彼女とはどこか様子が違い、いつもニヤニヤと人を馬鹿にしたような笑みを浮かべているはずの彼女は何故か今日は険しい表情を浮かべていた。それから一同を見回して志騎以外の全員が揃っている事を確認する。

「この面子を見ると、唯一来ていない志騎を待っていたという所か」

「え、ええ。そうだけど……。あんた、志騎がどこにいるか知ってるの?」

 志騎の精霊である彼女ならば、志騎がどこにいるか知っているかもしれない。それどころか彼女は基本的にいつも彼と一緒に行動しているのだ。たまに別行動している時もあるが、彼女ならば志騎が今どこで何をしているかも分かるだろう。が、刑部姫が険しい表情を崩さぬまま風に告げた。

「志騎は今大赦がらみの急用が入っていてな。こちらには来れない。その代わりとして私がここに来たという事だ。ちょうど、監視にも引っかかったしな」

 そう言って刑部姫がスマートフォンを取り出して画面を全員に見せつけると、そこには東郷が精霊と一緒に友奈の自宅に侵入している動画が流れていた。それを見て、勇者部全員の顔が強張る。

 刑部姫は基本的に志騎の味方だが、勇者部の味方ではない。彼女が行動するのは自分のためだし、そのためならば大赦だって利用する。つまり彼女達がこうして集まっている事を、大赦に報告する事だって考えられる。六人は思わず悪い予感を膨らませるが、刑部姫は肩をすくめると東郷達の予想に反してスマートフォンを着物にしまいこんだ。

「勘違いしているようだが、私はお前達をどうこうするためにここに来たんじゃない」

「じゃあ、どうしてここに来たんだよ」

 銀が噛みつくように刑部姫に言った。自分のために動くこの精霊がこんな事を言ってもにわかには信じられないというのが銀の正直な意見だろう。それに関しては樹以外の少女達も同じらしく、怪訝な眼差しを刑部姫に向けている。刑部姫はその視線をうざったそうに見つめながら、やれやれと言うように話す。

「最近になって、どうも大赦の動きがキナ臭くてな。私に黙ってコソコソ裏で何かをしている上に、連絡の一つも無い。私も大赦に入ってそれなりに経つが、こんな事は一度も無かった。私にたてついて技術の全てを奪い取ろうとしているのかとも思ったが、それにしてもあまりに動きが目立ちすぎる。で、さらに東郷美森の不法侵入だ。ここに来れば何か分かるんじゃないかと思い、こうして足を運んだというわけだ。理解できたか? お前達の脳みそがクソなのは分かっているが、何度も説明するのは私も面倒だからどうにかして一回で理解しろよ」

 本当は東郷が勇者達をここに呼んだ理由も分かっているし、友奈がタタリにあっているのも知っているが、ここはあえて彼女達に説明はしない。その方が話が早いし、テーブルの上にある本を通して大赦の動きを手早く知る事ができるからだ。……だからついさっきの事も彼女達には話さない。少なくとも、今は。

「……じゃああんたは、今私達が集まっている事を大赦に話すつもりは無いのね?」

「お前達がクーデターでもやらかそうって言うなら話は別だが、そうじゃないなら別に話す必要はない。私はただそいつの中に何が書かれているかを知りたいだけだ。……志騎にも、情報は共有しておかないとならないからな」

「………っ」

 刑部姫から出た志騎の名前に銀が辛そうな表情を浮かべるが、刑部姫はそれを指摘するような事はしない。ただ、氷のような冷たい眼差しを銀に向けただけだった。

「さて。じゃあこうして一人いないとはいえ全員揃った事だし、さっさと話を進めてくれ。お前だって早く何があったか知りたいだろう」

「……分かってるわ。私もそのために、これを友奈ちゃんに黙って持ってきたんだから……」

 そう言って東郷はテーブルの中央にある一冊の書物に視線を向ける。彼女に続いて、他の面々も東郷が持ってきたその本に視線を向けた。

「これを友奈が書いたって事か……」

 書物には『勇者御記』と書かれていた。しかし以前園子が一同に見せたものとは違って表紙などが真新しく、新品同然である。そして何よりの違いは、東郷がそれを発見したのは友奈の部屋だったという事。つまりこれは、風の言う通り友奈が書いたものなのだ。おまけに東郷がこれを発見した当初は百科事典のカバーで隠されていて、彼女以外の誰の目にも触れられない状態となっていた。

「最近友奈ちゃんの様子がおかしかった。その原因が書かれていると思うんです」

「………っ!」

 心当たりがあるのか、東郷の言葉を聞いて夏凜が息を呑む。

「こんなもんが出てくるなんて……」

 と、東郷に続いて園子も口を開いた。

「私からも良いかな?」

「そのっち?」

「園子……」

 東郷と銀が園子に視線を向けると、彼女は普段とは違うはっきりとした口調で一同に言う。

「私もゆーゆが心配になって調べてみたんよ。最近みんなより早く帰ってたでしょ? 実は大赦に行ってたんだ」

「大赦……」

 園子の言葉を聞いて、風の声が震える。今まで彼女達が大赦から受けた事を考えれば、それも仕方ないだろう。いかにそれに、そこに悪意がこもっていなかったとしても。

「結論を先に言うと、ゆーゆの様子がおかしいのはね、ゆーゆが天の神のタタリに苦しめられているからなんだ」

『えっ!?』

 園子の発した事実に勇者部一同が驚き、声を発する。唯一刑部姫だけは眉すら動かさず、ただじっと園子の表情を観察していた。一方で、園子も刑部姫が表情を変えていないのを確認すると彼女に尋ねる。

「やっぱり、あなたも気づいてたんだね」

「ああ。一応お前達が早とちりしないように言っておくが、私がそれに気づいたのは最近だ。大赦に知らされたからじゃない。それにしても、結城友奈のタタリの事を私にも知らせないとは……。はっ、大赦の奴ら、本格的に何を企んでいる?」

 自分が大赦の完全な味方ではないのは事実だったが、それでも大赦は今まで刑部姫に隠す事無く様々な情報提供をしてきた。その彼らが東郷達にはおろか、自分にすらも友奈と志騎のタタリについて隠していた。刑部姫は口元に鋭い笑みを浮かべてはいるが、その心中は穏やかではないに違いない。

「でもそのっち、それは……!」

 特に東郷にとって、それは受け入れがたい事だっただろう。何故ならその役目は本来東郷が担うはずだったのだ。しかし勇者部が東郷を助け出した事により東郷はお役目とタタリから解放され、今こうしてみんなと一緒にいる事ができる。その、はずなのだ。

 困惑した東郷が園子に近づくが、その前に「聞いて、わっしー」と園子は静かに東郷を制すると話を続ける。

「大赦の調べで、このタタリはゆーゆ自身が話したり書いたりすると伝染する、それが分かったの。……だから、この日記は非常に危険なものなんだ。……それでも、みんな見る?」

 ここで勇者御記を見てしまったら、自分達も友奈が味わっているような目に遭うかもしれない。園子は暗にそう言っているようだった。

 しかし、それに対する答えは全員既に決まっているようなものだった。

「見るわ。友奈ちゃんが心配だもの!」

 東郷に応えるように、全員が力強く頷く。彼女達の覚悟を前にして、園子も頷くと、

「……うん。じゃあ読んでみよう。ゆーゆの御記を!」

 そして刑部姫を加えた勇者部一同は、友奈が書いた御記を開いて読み始めた。

 

 

 

 御記の冒頭は、『はじめに。』という友奈の文字から始まっていた。

 そもそも友奈がこの日記を書き始めたのは、年末に大赦の神官達が友奈の変化に気づいて家にやってきたからのようだ。事情は神託や研究を交えて知ったので、神聖な記録として残したいから勇者御記を残して欲しいと彼らは頼んできたらしい。つまりもう年末の時から大赦は友奈の事情に気づき、刑部姫にもその事は知らせないで密かに動き出していたという事だ。

 次に書かれていたのは、そもそもどうして友奈がタタリにかけられてしまったかという事だった。

 御記によると、友奈は先のバーテックスとの戦いの時に相当な無理をしたらしく、体中をほとんど散華してしまった。さらに敵の御霊に触れてしまった事で魂が肉体から分離、御霊に吸い込まれてしまった。気が付くと彼女は、東郷を助けるために向かった場所にいた。

 どこまでも広がる世界。果てなど無い世界。生命が存在しない世界。

 誰もいない世界に、友奈は一人ぼっちで取り残されていた。

 どうにかその世界から脱出しようともがいてみたが、果てが無い世界に出口などあるはずがない。魂のみとなってしまった友奈はどうする事も出来ず、その世界でうずくまるだけしかできなくなっていた。もしもそのままの状態でいたら、流石の彼女も脱出する事を諦めていただろう。

 そんな彼女を助けたのは、何もないはずの世界に現れた二つの存在だった。

 一つは、青いカラス。

 カラスは自らを乃木若葉……乃木園子の先祖を名乗り、自分にこう言った。

 生きろ。ただ生きてくれ、と。大切な人がいるのなら、その人の事を思い起こしてほしい。そして、自分の大切な人の所に必ず戻ってあげてくれ、と。

 その言葉で友奈は自分の大切な人達……東郷、風、樹、夏凜の事を思い出し、再度無の世界からの脱出を図る。しかしだからと言って都合よく出口が現れるはずがなく、再び途方に暮れかけた時、二つ目の存在が無の世界に現れた。

 それは、以前自分達に襲い掛かった未知のバーテックス――――アンノウン・バーテックスだった。

 一度自分達を圧倒した存在を相手に警戒を露にした友奈だったが、次の瞬間彼女はさらに驚く事になる。何故ならアンノウンが流暢な日本語で話しかけてきたからだ。

 アンノウン――――否、友奈を助けに来た志騎は言った。東郷は今も友奈の名前を呼んで友奈が帰るのを待ってると。よく耳を澄ませて聞いてみれば、聞こえるはずだと。

 一度目の接触の時とは違い、自分の身を本当に案じている相手の言葉を信じ、二人で一緒に耳を澄ませた。

 すると志騎の言う通り、東郷の声が聞こえてきた。涙で声を震わせ、友奈がいないという現実に押しつぶされそうになりながらも、ただ一心に彼女が返ってくるのを待っている東郷の声が。

 志騎はさらに続けた。自分も最近大切な人を泣かせてしまったと。その人を二年間一人ぼっちにさせてしまって、泣かせてしまったと。そして最後にこう言った。

 大切な人を、泣かせちゃ駄目だ。

 青いカラスと志騎。この二つの存在で、友奈の挫けかけていた心に力が戻る。

 直後、二人の頭上を青いカラスが舞ってから空間の果てへと飛んでいくと、その方向に光が生まれるのが見えた。友奈は自分を見送る志騎に再会と感謝の言葉を交わすと、カラスを追って光の方へと向かって行った。

 そして友奈は、東郷の隣へと戻る事ができた。

 が、全てが元通りに戻ったように見えたのは表面だけ。友奈達の体は、以前のものとは少し違うものになっていた。友奈を含む讃州中学勇者部の面々、そして銀と園子は散華から回復したが、それは神樹に捧げられた供物が戻ってきたわけでは無かった。大赦の調査によると、友奈達に戻ってきた体の機能は神樹に作られたものらしい。それが自分の体になるまで……言い方を変えると馴染むまで時間がかかった。体機能が戻る時間が個々で異なっていたのはきっとそのせいだろう。

 特に友奈などは、強引な満開をしたせいで体のほとんどを散華してしまい、それを直すために全身が神樹が作ったパーツになったというのが大赦の話だった。そのため現在大赦は、友奈の事を『御姿(みすかた)』と呼んでいるとの事だ。

 御姿についての詳しい詳細は友奈は教えられなかったが、大赦の一応の説明によると御姿はとても神聖な存在なので神様からは好かれるそうだ。

 だから友奈は、友奈の望んだ事が友達の代わりになる事が出来て、それで世界のバランスが守られた。

 ――――友奈は知らない。

 友奈が東郷を助けようと決めて壁の外に来る事すら天の神の思惑通りだった事を。

 最初から友奈を祟る事が目的だった事も。

 友奈の御記を銀達と一緒に読みながら、刑部姫はこの場にいない友奈の事を思って静かに目を細めた。

 それから大赦は異変に気付き、友奈の体の事について色々と調べてくれたようだ。自分には一切の情報を寄こさない癖に、と刑部姫は御記を見ながら内心で毒づく。

 大赦の調査の結果分かったのは、炎の世界がある限り友奈の体が治る事は無いという事。

 そして……友奈は、今年の春を迎えられないという残酷な運命だった。

 そのすぐ後には天の神によって祟られた友奈の苦しみ、自分が迂闊に喋ったせいでトラックに轢かれかけた風と彼女を庇った志騎に対する罪悪感が書かれていた。

 それからも友奈の御記は書かれていたが、その内容は今まで自分の身に起こった事を記していたのに対し、その日一日の出来事を書くという日記のような形になっていた。まぁ、御記というのは日記のようなものなのでそれで別に間違いはないのだが。

 が、御記には友奈の苦しみと悲しみが生々しく書かれており、それを見るたびに勇者部が顔を歪ませる。

 正月にみんなと集まった際に甘酒を飲んだが、帰宅した時に吐いてしまった事。

 吐き気は酷いものの部室にいる時は心がホワホワする事。友奈は最近、『また明日』という言葉が好きらしい。……『また明日』と約束をすれば、明日が来ると思う事ができるから。できればこの場所にずっといたいなぁと、御記には書かれていた。

 しかし、その友奈の願いを嘲笑うように天の神のタタリは強くなっていく。友奈の体はタタリに蝕まれ、自分の近づいてくる死の気配に友奈は怯えるようになった。暗いものに包まれてしまいそうという理由で、寝る時に電気を消す事を恐れるぐらいに。

 そして今日は、夏凜を傷つけてしまった。

 友奈に夏凜を傷つける他意があったわけではない。が、彼女の心を傷つけてしまったという事に変わりはない。日記には夏凜に対する謝罪の言葉と、さらに自分の苦しみと痛みと悲しみが書かれていた。まだ十四歳の少女の感情が、その日記には吐き出されていた。

 が、そこで友奈の中の、勇者としての感情が彼女の素直な気持ちに蓋をしてしまう。

 弱音を吐いたら駄目だと。自分は勇者だから、覚悟していたのだから、もう泣かないと。必死に自分を奮い立たせる結城友奈の言葉が書かれていた。

 そして、最後のページにはこう記されていた。

『とにかく、夏凜ちゃんと仲直りしたい。でも、本当の事を話せない。どうすれば良いんだろう。もう、ここでいっぱい書く。夏凜ちゃん……私、夏凜ちゃんのこと大好きだよ。夏凜ちゃん、本当にごめんね』

 夏凜への謝罪への言葉を最後にして、御記は終わっていた。

 

 

 

 読み終えた勇者部一同の間に重すぎる沈黙が広がった。あまりに衝撃的な事実に誰も口を開く事ができない。

「そんな……」

「治らないってどういう事よ……。春は迎えられない……え?」

 何かの間違いだという事を証明するように、風が呆然と呟きながらページをめくる。が、そこに書かれている内容に嘘はない。このままなら友奈は春を迎える前に、天の神によってこの世を去る事になる。 

 と、東郷が何かを決心したような表情を浮かべるとどこかへ向かおうとする。だが彼女の体を、園子と銀の二人が両腕で抱き留めて彼女の動きを抑える。

「待ってわっしー!」

「落ち着け、須美!」

「止めないで! 全て私のせいじゃない! 天の神の怒りは収まっていなかった! 私が受けるべきタタリなのよ!!」

「日記に書いてあったでしょ!? わっしーに移っても、本人は祟られたままなんだよ!」

「………そんな……」

 園子の言葉で、東郷が動きを止める。

 仮にここで東郷が友奈を助けるために何らかの行動を起こして祟られたとしても、園子の言った通り友奈は変わらずに祟られたままだ。しかもそうなった場合、二人もの人間が祟りに苦しめられる事になる。

 そんな事は、園子も銀も許容できるはずがない。

「大赦はまた……私達に重要な事を黙って……!!」

 一度ならず二度も自分達に秘密を隠した大赦に、風が今にも大赦本部に殴り込みを掛けそうな表情を浮かべる。しかし、まるでフォローするように園子が口を開いた。

「迂闊に説明すると、みんなにタタリが行くかもしれないから話さなかったんだよ。……私もそうなんだ。タタリについて正しい事が全部はっきり分かったのは、ついさっきだから」

「……大赦の方は、タタリをどうにかする方法を見つけてないのかな……」

「見つけてない、と思う。見つけてたら一刻も早くゆーゆを治療してるはずだもん」

「……大赦でも、できないのかよ」

 東郷を落ち着かせるように背中をゆっくりと撫でながら銀が悔しそうに呟く。彼女も大赦に対しては色々と思う所はあるが、それでも大赦は勇者システムなど自分達の知らない未知のシステムを使ってバーテックスとの戦いをサポートしてきた。そんな大赦ならば、何か解決策の一つでも……と少し期待していたのだが、今回限りはそれを頼る事はできないらしい。

「………っ」

 突然、全員の耳に嗚咽が聞こえてきた。彼女達が視線を嗚咽が聞こえた方に向けると、そこには両目から涙をこぼす夏凜の姿があった。

「夏凜さん……」

「ゆ、友奈が、そんなに苦しんでるのに……私、私……酷い事言っちゃった……! 酷い事言っちゃったよぉ……!!」

 そしてついに耐え切れなくなったように、夏凜は膝から崩れ落ちてしまった。彼女を介抱しようと樹が夏凜に近づくと、銀が刑部姫に尋ねる。

「おい、刑部姫……。お前なら天の神のタタリをどうにかできるんじゃないのか?」

「無理、だ。さすがに今回は私もお手上げた。一応タタリの術式を解析してみたが、あれは人間ではどうあがいても理解できん。あれならまだバーテックスの遺伝子の解析の方が簡単だった。……あれを解呪できるのは、あの術式を作った天の神だけだ」

「……お前でも、無理なのかよ……」

 最後の頼みの綱すらも絶たれ、勇者部の間に絶望的な雰囲気が漂う。誰も友奈を助ける方法を考える事ができず、何もできない。夏凜の嗚咽がリビングに響き、一同の間に再び重い沈黙が広がり始める。

「――――もしも」

 と。沈黙を破ったのは後頭部に両手を回して椅子に座り込んでいた刑部姫だった。全員の視線が刑部姫に注目すると、刑部姫はこう言った。

「もしも、結城友奈を確実に助ける方法が一つだけあると言ったら、お前達はどうする?」

「っ!!」

「本当!?」

 するとその瞬間勇者達は色めき立ち、刑部姫の椅子の横に集まると夏凜が叫ぶように刑部姫に尋ねた。

「本当に、友奈を助ける方法があるの!?」

「ああ。ある。それも一か八かの賭けじゃない。確実に、結城友奈の命を助ける事はできる」

 刑部姫の断定的な言葉に勇者部の表情に希望が生まれかけるが、刑部姫の性格をよく知っている銀が疑わし気な視線を彼女に向ける。

「って、待てよ。お前今タタリの解呪は無理だって言ったじゃん」

「解呪は無理だ。だが、それ以外の方法で結城友奈を助ける方法が一つだけある。確実に、しかも奴の体には何の後遺症もなく」

 はっきりと断定され、ついに勇者部の少女達の顔に希望が宿る。友奈を助ける方法が一つだけとはいえあり、しかもそれが友奈には何の後遺症もないというのだから、喜んでも仕方ないだろう。

 ――――だからこそ、誰も気づく事が出来なかった。

 刑部姫の表情が、氷のように冷たい事を。

 先ほどから結城友奈の『命』を助けたりや、『体』には何の後遺症もなくと言っている事を。

 ――――まるで、友奈の『心』だけはどうなるか分からないと言っているような事に、誰も気づく事が出来なかった。いつもは真っ先に気づきそうな園子でさえも、だ。

 が、それは仕方ない。

 絶望の淵にいた所に、刑部姫から友奈を助ける方法が一つだけあると言われたのだ。例えるならば、水一滴ない砂漠で水をあげると言われたようなもの。誰だってその言葉には飛びつきたくなる。大切な友達の命が掛かっているならば、なおさらだ。

 ……例えその言葉(みず)に、どす黒い『殺意(どく)』が込められていたとしても。

「そ、それでその方法って何? どうすれば友奈ちゃんを助ける事ができるの?」

「その前に一つだけ、私からもお前達に聞いて良いか?」

 質問を質問で返された東郷は一瞬きょとんとした表情を浮かべるが、そんな彼女の構わず刑部姫が問う。

「お前達に、どんな事をしても結城友奈を助ける覚悟はあるか?」

「……っ。あなたが何を考えているのか分からないけど、そんなの当然よ。友奈ちゃんが助かるためなら、私はどんな事だって……」

「そうだな。お前ならそう言うと思った。では質問を変える。……結城友奈の命を救うために、お前は他の命を奪う覚悟はあるか?」

「……え?」

 刑部姫の言葉の意味が分からず、東郷は思わず声を上げた。いや、それはきっと他の勇者部部員達も同じだっただろう。少女達の心の内を代弁するように、風が口を開く。

「ちょっと刑部姫、どういう意味よ。友奈を救うために、他の命を奪うって……。それってつまり、他の人を殺すって事?」

「まぁ、そうだな。とは言っても、その命を奪うのは東郷美森じゃないが」

「わけ分かんない事言ってないで、ちゃんと説明しなさいよ! どうして友奈を助けるために、他人を殺す必要があるのよ!? 友奈を助ける方法って何!? もったいぶらないで、はっきり言いなさいよ! あんたは何を知ってるの!?」

 刑部姫の態度に耐え切れなくなったのか、夏凜が叫ぶ。勇者御記を読んだ事で友奈の命が春まで持たないと知り絶望しかけていたところに、刑部姫が友奈の命を救う方法を知っていると言い出して希望が生まれたと思いきや、東郷に友奈を助けるために他の命を奪う覚悟はあるなどわけの分からない事を言いだしたのだ。夏凜でなくとも怒鳴りたくもなるだろう。

 するとさすがに刑部姫もひっぱりすぎたと思っているのか、ふぅとため息をつく。

「そうだな。話を長引かせるのも面倒だしさっさと説明するとしよう。だが結城友奈の命を助ける方法を話す前に、何故私がその方法を知ったのかだけ説明する。その方が理解しやすいだろうからな」

 そう前置きして、刑部姫は説明を始めた。

「このマンションに来る前に面倒な奴と出会ってな。そいつから、結城友奈のタタリを解除する方法を聞いたんだ」

「その面倒な人って、誰なんですか?」

「天の神」

 しん……と刑部姫の口からその単語が発された直後、リビングに沈黙が降りた。

「は……天の、神? あんた、一体何を言って……」

「色々とツッコむ所が多いのは私も自覚している。だが今は黙って聞け。話が進まん」

 どうやら自分でも理解するのが難しい話だという自覚はあるようだが、今は細かい説明をする時間すら惜しいのだろう。一同が黙り込むと、刑部姫は話を続ける。

「天の神はある事情から精神体だけで壁の内側に来ていた。もうこちらに来る事はないだろうが、去る前に奴は結城友奈を助ける方法を私に教えてきた」

「でも、どうして天の神はそんな事を……?」

「間違いなく嫌がらせだ。その証拠に、奴はお前達なら絶対に反対する方法を私に教えてきた」

「私達だったら、絶対に反対する方法……?」

 もうその言葉だけで、嫌な予感しかしない。友奈を助けられる方法とは言うものの、知らない方が幸せなんじゃないかとすら思えてくる。が、ここでいつまでも足踏みしているわけにはいかない。タタリで苦しんでいる友奈を見捨てるわけには、なんとしてもいかないからだ。

「聞かせて、刑部姫。天の神は……どうしたら、ゆーゆを助けてくれるって言ったの?」

 園子の言葉に、刑部姫は静かに告げた。

 友奈の命を助ける、最悪の方法を。

「三ノ輪銀が志騎を殺す事。それができたら、結城友奈の命を助けても良いらしい」

 空気が、死んだ。

 おかしな表現になってしまったが、それが今の状況にはふさわしいだろう。勇者部全員その言葉を聞いた時、一瞬言葉の意味が分からなかった。ようやく言葉の意味が理解できた時、彼女達の胸に湧き上がってきたのは怒りではなく疑問だった。

「ちょ、ちょっと待てよ……。どうしてそこで、志騎の名前が出てくるんだよ。どうしてアタシが殺す事で、友奈が助かるなんて話になるんだ?」

 そしてそれに誰よりも強い疑問を抱いているのは、やはり志騎の幼馴染である銀だった。

「簡単な事だ。天の神はお前達が何を選ぶのかを見たいんだよ。志騎と友奈の二人が死ぬのを選ぶのか、それとも志騎を殺して友奈を助けるのを選ぶのか」

「志騎が、死ぬ? ねぇ待ってよ刑部姫、あんた何を言ってるの? どうして志騎まで死ぬなんて話に……」

「志騎も結城友奈同様、タタリにかかっている」

 直後、刑部姫からもたらされた真実が勇者部全員の頭に凄まじい衝撃を与えた。全員の呼吸が文字通り一瞬止まる中で、刑部姫はただ一人淡々とした口調で説明を続ける。

「とは言っても志騎がタタリにかかったのは、結城友奈の後のようだがな。その性質は結城友奈同様、誰かに話せばその人間もタタリにかかるもののようだ。だがそれだけならまだ良いが、志騎が私にも相談しなかった所を見ると、志騎が誰かに話したりすればその影響が結城友奈にも及ぶ……つまり、二人のタタリは共有されている可能性が極めて高い。つまり、このまま時間が経てば……」

「……友奈だけじゃなくて、志騎もタタリで死ぬって事……?」

 呆然としながらも風が刑部姫に尋ねると、刑部姫は黙ってこくりと頷いた。すると、それまで話を聞いていた東郷が口を開く。

「でも、どうして志騎君を殺せば友奈ちゃんを助けるなんて……」

「このままなら確かに二人共死ぬ。だが、志騎を殺せば結城友奈の命を助ける事はできる。が、その代わりお前達の心には消える事のない傷が残る」

「つまり……そうする事で、アタシ達の戦力を少しでも削ごうって事なのかよ……!」

「いや」

 志騎にタタリをかけた天の神に銀が憤りの声を上げるが、それを何故か刑部姫はあっさりと否定した。

「奴に……天の神にこちらの戦力を削ごうなんて考えはこれっぽっちもない。奴がしようとしているのは、ただ単なる嫌がらせだ。こちらの戦力がどうなろうが奴にはどうでも良い。天の神は単に、お前達が苦しむ顔を見ていたいだけなんだよ」

「……そんな、理由で? そんな理由で、天の神は友奈と志騎を苦しめてるの? それで銀まで利用して、志騎を殺せば友奈を助けてやるなんて……」

「ああ」

「………ふざけるな。ふざけるなぁあああああああああああああああああっ!!」

 ドン!! と風が怒りの感情を思いっきり吐き出しながら拳を横のテーブルに叩きつける。友奈と志騎の苦しみを知らなかった今までの自分への怒り、そしてこうなる状況を仕立て上げた天の神への怒り……。しかしそうしても状況が良くなるはずはなく、風はただ奥歯を砕けんばかりに噛み締めるしかなかった。重い沈黙がその場を支配し、誰も言葉を発する事が出来ない。そんな一同の姿をじっと見つめてから、刑部姫は改めて口にした。

「で、どうする? 志騎を殺して結城友奈を助けるのか、それともこのまま二人を見殺しにするのか」

「……あんたそれ、本気で言ってるの? 志騎を殺すなんて、できるわけないでしょ!? 大体、天の神がその約束を守るかどうかすら分からないのに!!」

「いや、奴は本気だ。本当に三ノ輪銀が志騎を殺せば、奴は結城友奈のタタリを解呪する」

 刑部姫が銀に視線をやると、彼女はびくりと体を震わせた。一方、刑部姫の言葉を聞いた園子が口を開く。

「あなたがそこまで言い切る根拠は何?」

「簡単だ。そうしなければお前達を苦しめる事が出来ないからだ。天の神の言葉は全て嘘だとこちらが思ってしまえば、奴の言葉は全て聞くに値しない戯言に成り下がる。が、そうでなければ迷いが生じるのはこちらの方だ。奴ほどの力があれば、結城友奈のタタリを解呪する事など造作もない事だろう。……さっきも言っただろう? 天の神はお前達が苦しむ顔を見たいだけだと」

「………じゃあ天の神は、銀が志騎を殺したら本当に友奈を助けるつもりでいるの……?」

「ああ。確実に、な」

 それはあまりにも、残酷すぎる選択だった。志騎を殺して友奈を助けるか、それとも二人共見殺しにするか。仮に志騎を殺して友奈を助けたとしても、助けられた友奈と大切な人を殺した銀、そして残された勇者部の心には消えない傷が一生残る。それで友奈が助かったとしても、勇者部が以前のような活動を送れる事は二度とない。最悪の場合、勇者部という存在自体がゆっくりと消えて行ってしまう可能性すらある。

 かと言って、友奈と志騎を見殺しにするのも論外だ。しかし二人共助ける方法はまったく見つからない。頭脳だけは銀達も認めている刑部姫すらも、二人にかかったタタリを解呪する事は不可能だと断じてしまっている。

 刑部姫の言葉で少し明るくなった雰囲気が、再び暗くなってしまった。いや、再びではなくさらに暗くなってしまったという方が正確だろう。友奈だけでなく志騎もタタリにかかり、このままでは二人共死んでしまうという事実が明らかになったのだから、それも仕方のない事だが。

 すると、樹が恐る恐るといった表情で刑部姫に尋ねる。

「あの……刑部姫さんは、どうする事が一番良い方法だって考えているんですか?」

 彼女の言葉に刑部姫はチロリと樹の方に視線を向けてから、自分の考えを口にした。

「犠牲を最小限にする方向で考えるなら、結論は一つだ。……三ノ輪銀に志騎を殺させて、結城友奈の命を助ける。これが一番だろう」

「………!」

 刑部姫の言葉に、銀の体が硬直する。一方、東郷は残酷な答えを簡単に口にした刑部姫を怒りのこもった目で睨みつける。

「……あなたは、また同じ事を繰り返すつもりなの? 二年前と同じように、また志騎君を切り捨てるつもりなの!? しかも今度は銀に志騎君を殺させるなんて……! そんな事、銀にさせられるわけが……!」

 すると、チっと刑部姫は苛立ち交じりに舌打ちをすると東郷の顔をじろりと睨み返す。

「じゃあどうしろと言うんだ? 結城友奈と志騎、二人の命を救う方法がお前にあるとでも言うのか? そもそもの話、こうなったのはお前が暴走して壁を壊したからだろうが。こうなった引き金を引いた当事者のくせに何被害者ぶってんだよ」

「……! くっ……!」

 刑部姫の苛立ち交じりに放たれた言葉に東郷は反論する事も出来ず、悔し気に奥歯を噛み締める事しかできない。実際に東郷が壁を壊し、三百年前に結ばれた天の神との約束を破ってしまった事が今回の件の引き金となっているので、さすがの彼女も言い返す事が出来ない。

 ……まぁ、いずれ人類を滅ぼすつもりであった天の神にしてみたら、わざわざ人類の方から約束を破ってくれてラッキーぐらいにしか考えていないかもしれないが。

「そもそもの話、志騎の命はもう長くなかったんだ。どうせ死ぬのならば、結城友奈の命を助けて死んだ方が、あいつも本望――――」

「――――ちょっと、待てよ。それどういう意味だ?」

 半ば呆然としたような銀の言葉が刑部姫に向けられる。いや、正確には彼女だけではなく今この場にいる勇者部全員の視線が刑部姫に向けられていた。そこで刑部姫は、ようやく自分が何を言ったのか気づいた。だが自分の失言を後悔するような素振りも見せず、

「……ああ、そう言えばお前達には話していなかったな。だがそうだな。もう志騎の命も長くないだろうし、お前達には話しておいた方が良いか」

 そう言って刑部姫は、志騎に口止めされていたはずの話を銀達に話し始めた。

 まずおさらいとして、志騎の命は元々バーテックス・ヒューマンとして作られる過程で薬物や呪術による強化を受けた事で、二十歳ぐらいしか生きる事が出来なかった事。この事実について知っている人間はこの場だと銀、東郷だけだったため、それ以外の四人は当然の如くその事実に凍り付いていた。銀と東郷の二人は以前からその事実を知っていたため一見すると冷静さを保っていたが、彼女達の拳が強く握りしめられている事に風は気付いた。

 だが、驚愕すべきは刑部姫の話の続きだった。

 志騎は二年間の間壁の外でバーテックスと戦い続け、その過程で体は何度も傷つき、そのたびにバーテックスの細胞の力で体を修復していた。しかし破壊と再生を繰り返すたびに彼の体は徐々に脆くなっていき、今はもう体そのものが限界を迎えている状態で、大赦の調整を行ったとしても命を延ばす事はできず、友奈と同じように春を迎える事は出来ないとの事だった。

 そしてその体はもう変身にすらロクに耐えられず、仮にできたとしてもあと一回。もしもあと一回変身すれば、天海志騎という存在は確実に終わる。それらの情報を、刑部姫は科学者としての口調で淡々と勇者達に話した。

 やがて全て話し終えると、ふぅと刑部姫は息を吐き出した。

「……これが、私が知りうる限りの志騎の今の状態だ」

「……何よ、それ。だって志騎、正月の時にはあんなに元気で、ケーキだって、美味しそうに食べて……」

 正月の時に見た、志騎の数少ない年齢相応の姿を思い出しながら風が刑部姫の話を否定しようとするが、それを刑部姫は許さない。

「美味そうに食べているように見せていただけだ。正月の時点で、あいつの体機能のいくつかはぶっ壊れてた。左目はもう見えてなかったし、味覚も失われていた。それをお前達にどうにか悟られないために、演技をしていただけだ」

「そんな……そんな、事って……」

 あの時の時点で志騎の体はもう壊れかかっていたのに、自分は何も気づかなかった。いや、志騎の事だけではない。友奈が苦しんでいる事にすら気づかなかった。志騎と友奈の二人の部員が苦しんでいる事に気づかなかった自分に怒りと絶望を感じながら、風はテーブルに両手を置いてしゃがみ込んでしまう。

 すると、刑部姫の話を静かに聞いていた園子が彼女に尋ねる。

「……こんな事を聞いても、あなたの言う事は決まってると思うけど……どうして、話してくれなかったの?」

「お前達に話す義理も義務も、私にはない」

「………」

 半ば予想していた言葉を聞いて刑部姫を見る園子の視線が険しくなるが、直後刑部姫の口から予想外の言葉が飛び出した。

「それに、志騎から口止めされていたからな」

 え? と勇者部全員の視線が再び刑部姫に向けられる。彼女は志騎に寿命について話した時の事を思い出しながら、彼女達に言う。

「あいつが春までしか生きられないと知ったら、お前達は死に物狂いで志騎が生きられる方法を探す。だが仮にその方法が見つからなかったら、お前達は心の底から悲しむ。ようやく日常に戻ってきたお前らに、自分なんかのために悲しんでほしくない。そう言ってあいつは、お前達には話さないで欲しいと私に頼んだんだ」

 刑部姫の口を通して告げられた志騎の想いに、勇者部は誰も言葉を発する事が出来なかった。

 自分の寿命が残り少ない事を告げられても、志騎は自分の事よりも勇者部の事を案じていた。だから刑部姫に、この事は勇者部には言わないで欲しいと告げたのだ。

「………何だよ、それ」

 今にも泣き出してしまいそうな声が部屋に響く。

 その声の主はもちろん、志騎が最も大切に思うと同時に、勇者部の中で誰よりも志騎の事を大切に思っている少女の声だった。

「何だよ、それ!!」

 銀は大声で怒鳴ると、その場に膝をついて床に両手をつく。彼女の両目には、後悔と悲しみの涙が溜まっていた。銀はそのまま、感情のままに声を張り上げる。

「アタシ、知らなかった……!! 志騎がそんなに苦しんでるなんて、志騎がどんな想いでアタシ達と一緒にいたかなんて、全然知らなかった!! ……それなのにアタシ、志騎に酷い事言って、志騎を傷つけて!! 何が勇者だ、何が幼馴染だ!! アタシは志騎の事を、何も分かってなかったじゃないかよ!!」

 言葉のたびに、彼女の拳が床を叩く。

 拳が床を叩くたびに、彼女の目から涙が床へと落ちて行く。

「アタシ……あいつを傷つけてた……。何があっても志騎のそばにいるって決めたはずなのに、あいつの事なんて何も考えないで、自分の事しか考えてなかった……」

 まるで血を吐くように、後悔の言葉を呟く銀に、神樹館からの仲である東郷と園子はおろか風達ですらも声をかける事は出来ない。すると、涙を流しながら銀が刑部姫に言う。

「……なぁ、刑部姫。本当に何か他に方法は無いのかよ。友奈も志騎も助ける事ができる方法は」

「ない。二人共死ぬか、結城友奈だけを助ける方法はあるが、二人共助けられる方法はない」

「………っ!!」

 ばっ!! と起き上がった銀が素早い動きで刑部姫に詰め寄ると彼女の着物を勢いよく掴んだ。

「大人ぶってんなよ!! 何とかしろよ!! お前天才なんだろ!? アタシなんかより頭がずっと良いんだろ!? だったら、友奈も志騎も助けられる方法なんてとっくの昔に見つけられてるんだろ!? だったら、早く――――」

 突然、銀の言葉が途中で途切れた。着物を掴まれていた刑部姫の姿が急に氷室真由理のものになり、銀の胸倉を逆につかみ返すと銀の体を床に叩きつけたからだ。カハッ、と銀の口から酸素が吐き出され、激痛で体の動きが止まる。突然の真由理の行動に二人を除いた全員の動きが硬直すると、真由理の怒りを押し殺した声が部屋に響き渡る。

「……何とかしろ、だろ? では聞くが、この私が今まで何も考えてこなかったと思っているのか? お前達馬鹿でも考えられる事を、考える事すらできない事を、私が今まで何も思いつかずに生きてきたと思っているのか?」

 そして。

 氷室真由理の、感情剥き出しの声がその場に響き渡った。

「――――舐めるなよクソガキが!!」

 ひっ、と樹の怯えた声が小さく響く。彼女の声の大きさに恐怖を覚えたのではない。

 生まれて初めてとすら思えるほど、感情を剥き出しにした声が、どうしようもなく怖かったのだ。

「考えたに決まっているだろうが!! 何回も何回も何回も何回も!! どうしたら志騎の寿命を延ばす事ができるのか、どうしたら志騎にかかったタタリを解呪する事ができるのか、何回も考えたさ!! どうにかできないか何回もあらゆる呪術のデータを洗い直して、何回も志騎の体のデータを調べて!! どうにかしてやると思ってたさ……」

 が、そこで銀の胸倉を掴む真由理の手の力が弱まる。彼女は俯くと、今まで聞いた事がないほど弱々しい声で呟いた。

「……だが、駄目だった。何回も調べなおして分かったのか、志騎と結城友奈にかけられたタタリは解呪不可能で、志騎の寿命を延ばす事は不可能だという事だった。……当然だ。私はあらゆる事ができる天才だが、たかが人間だ。全知全能の神じゃない。……私に志騎を救う事など、不可能だ」

「……刑部姫……」

 そこで勇者部は、ある事に気づいた。

 彼女は日頃から自分を天才だと言って憚らないが、今考えてみるとあれは彼女の自慢であると同時に自分に対しての自嘲でもあったのだ。自分は確かにあらゆる事ができる天才かもしれないが、できない事が絶対に存在するちっぽけな人間の一人。そんな自慢と自嘲の意味が込められているのが、彼女の『天才』という呼称だったのだ。

 そして、その彼女が友奈と志騎のタタリを解呪する事は不可能だと告げた。それはつまり――――事実上の敗北宣言だった。自分では天の神に勝てないと、彼女は暗にそう告げているのだ。

「……刑部姫。あなたの今の言葉を聞いて、あなたも志騎君を救いたい事は痛いほど伝わって来たわ。でも、ならどうして彼を今まで兵器扱いして、切り捨てるような事をしてきたの?」

 東郷の指摘に、真由理ははっと自嘲するように笑い、

「当然だ。私が志騎を作り出したのは、バーテックスに対抗する兵器を作り出すためだ。……もしも私に少しでも母親としての情が残っていたら、志騎を作り出してもバーテックスとの戦いに放り込むような事は間違ってもしなかっただろうよ。……だが、私は自分の化学者としての欲望に従った。自分の手で最強の兵器である生命を作り出したいという欲求に勝てなかった。その結果、バーテックスを殺す最強の兵器である志騎が作られた。……分かるだろ? 私は志騎の母親である事より、科学者である事を選んだんだ。そんな奴が、志騎に対して母親面なんてできるかよ」

「………」

 真由理の言葉を聞いて、樹は思い出した。

 志騎が真由理の息子だという事を知らされてもなお、彼女は自分達の前で志騎を『息子』と呼んだ事は一度も無かった。それはもしかしたら、彼を兵器として生み出したがゆえの負い目があったからなのかもしれない。自分には志騎の母親でいる資格はない。何故なら、自分は母親でいる事より科学者でいる事を選んだのだ。ならば、最後まで科学者として志騎に接しよう――――。そう考えた事が、志騎を兵器扱いして切り捨てようとした理由だったのだろう。

 が、結局彼女は母親としての自分を捨て去る事ができなかった。もしも彼女が完全に母親としての自分を捨て去る事ができていたら、自分達の前でこんな姿を晒す事は間違っても無かっただろう。

 真由理の告白を一同は黙って聞いていたが、やがて何かに気づいた銀がかすれた声で彼女に尋ねる。

「……ちょっと待てよ。じゃあ、もう、駄目なのか? 友奈も志騎も助ける方法は、お前でも見つける事は出来ないのか? ……あの二人を助ける方法は、本当にないのか?」

 銀にとって氷室真由理はとてつもないほど嫌な奴で、唯一の天敵だ。

 が、彼女のその頭脳だけは認めている。彼女が真由理に掴みかかったのも、天才的な頭脳を持つ彼女ならば、二人をまとめて助ける方法を導き出せるかもしれないと思ったからだ。

 だが、その真由理が事実上の敗北宣言を出した。それはつまり……二人を助けられる方法は、もうこの世に存在しないと言っているのも同然だった。

 すると制限時間が来たのか、真由理は大量の花びらを散らして刑部姫の姿に戻る。しかし、彼女の今にも泣きだしそうな険しい表情は何一つ変わらなかった。

「……ああ、ない。私達に残された方法は、二人が死ぬのをこのまま見届けるか、お前が志騎を殺して友奈を助けるか。その二つに一つだ」

「………そ、んな………」

 ついにこらえきれなくなったのか、銀の両目から涙が溢れる。銀の小さな体を唇を噛み締めた東郷が静かに抱きしめるが、銀の涙が止まる事は無かった。刑部姫は床にしゃがみ込みながら、唐突にこんな事を言いだした。

「なぁ、お前ら。勇者というのはどういった存在なのか分かるか?」

 それに、風が沈んだ声で答える。

「……世のため人のためになる事をする人、でしょ?」

「違う。権力者の掌の上で転がされる都合の良い舞台装置。それが勇者だ」

 しかし、刑部姫は風のその言葉をばっさりと切り捨てた。

「世のため人のためと言えば聞こえは良いが、そんなのは使い捨ての金貨と同じだ。使えば他の誰かの手に回る。そもそも、その世のため人のためというお題目すら権力者たちが作り上げた架空のものに過ぎない事だってある。……お前達ならもう分かるだろ」

 誰も、その言葉に納得する事しかできなかった。実際に自分達もそれぞれの目と耳で確認するまでは、大赦から告げられた真実を鵜呑みにして戦っていたからだ。

「勇者は権力者達から与えられた情報を鵜呑みにして戦う。それが世のため人のためと信じてな。そして一つの戦いが終わればまた別の戦いに身を投げ、それが終わったらまた別の戦いへ……。その繰り返しで残るのは、使われ続けて見る影もないほどボロボロになった金貨だ。だが、金貨がそうなっても権力者達は何も変わらない。使えなくなったらまた別の金貨を探し出して使えば良いだけの話だからな」

「……友奈と志騎も、そうなるっていうの?」

「そうなりかけている、と言った方が正しいだろう。ただ結城友奈の方を救いたいのなら、さっきも言ったが志騎を殺すしかない。……もうそれ以外に、方法なんて無いんだ」

 重い口調でそう言ってから、刑部姫は泣き続けている銀に視線を向ける。

「三ノ輪銀。お前が何をしようが私はもう口を挟まないが……。勇者としての本分を果たすなら、お前は志騎を殺さなくてはならない。それが結城友奈という人間の命を救う、たった一つの方法だからだ」

「………」

「だが、警告しておく。もしもお前が志騎を殺したら、お前は完璧な『勇者』になる。世界を、人間を護るためだったらどんな犠牲でも払い、世界と人間を護り続ける『勇者』にな。だがそれは『人間』じゃない。さっき私が言った『勇者』という名の舞台装置だ。感情も何もなく、ただ無情に世界を守り続ける装置にすぎん」

「……それって、『兵器』と何が違うんだろうね」

 園子がポツリと呟くと、刑部姫は吐き捨ているように言った。

「何も変わらん。目的が『人を殺す』か『人を護る』かの違いだけだ。……どちらにせよ、選ぶのはお前だ。誰かを助けるためなら最も大事な人間すらも切り捨てる勇者になるか、切り捨てる事ができず結局二人を見殺しにする愚者になるか。……ま、どちらを選んでもお前を待っているのは地獄だがな」

「……銀。分かってると思うけど、駄目よ。私は、友奈ちゃんのためならどんな事だってする。でも、だからと言って志騎君を犠牲にするなんて絶対に駄目。私は、志騎君にも生きていて欲しいのよ。……だから、いくら友奈ちゃんを助けるためとはいえ、彼を切り捨てるような事は、しないで」

「……須美……」

 銀が自分を抱きしめる東郷の顔を見る。彼女は最初固い表情を浮かべていたが、まるで銀を安心させるように笑みを浮かべる。

 しかし、銀には分かってしまう。

 彼女のその笑みが、どこかぎこちないものである事を。

 自分を抱きしめてくれるその手が、かすかに震えている事を。

 東郷の志騎に生きていて欲しいという想いは間違いなく本物だろう。

 が、同時に彼女が友奈を失う事を何よりも恐れているというのも確かな事実だった。

 このままでは志騎だけではなく、友奈も死ぬ。そうなったら、東郷美森という少女は間違いなく壊れる。

 けれど。

 自分が、どうにかすれば。

 自分が、志騎を殺せば。

 友奈だけでも助ける事はできる。

「……………」

 東郷の言葉に、銀は言葉を返さなかった。

 その後は結局誰も言葉を発する事は無く、何の解決策も出せないまま解散という流れになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、銀は志騎のマンションの部屋の前にいた。今日は志騎から体調が優れないので学校にいけない事がチャットアプリを通じて知らされたので、学校に登校する前にその様子を見に来たのだ。なお、志騎によると学校にもすでにその事は知らせているらしい。

 が、昨日刑部姫から志騎の真実を知らされた銀にはもう分かる。志騎が今日休んでいるのは天の神にかけられたタタリによるものだ。おまけに昨日は刑部姫曰く色々あったらしいので、今日は一日部屋から動けないだろうとの事だった。

 銀は鍵を取り出すと、ドアに差して回す。カチャンと小気味良い音が聞こえてきて、鍵が開けられる。もちろんこの鍵は銀のものでは無く、昨日刑部姫から密かに貸し出されたものだ。

 ――――彼女曰く、自分の中で腹が決まった時のために必要になるから、と。

「………」

 銀は鍵をポケットにしまって扉を開けると、静かに閉める。リビングに向かってゆっくりと歩いて中を確認してみるが、中は薄暗く志騎の姿はなかった。とすると、きっと自分の部屋にいるのだろう。

 銀はリビングから離れて志騎の部屋に向かうと、扉をゆっくりと開けた。

 ――――いた。

 彼は、部屋の中のベッドの上で毛布に包まれて眠っていた。恐らく銀にメッセージを送った後、また眠ってしまったのだろう。普段から遅刻しがちな自分に色々と言っている癖に二度寝とは、と少し前の自分なら彼を散々からかっていたに違いない。

 ……今ではもう、そんな事すらできないが。

 銀は志騎のベッドに近寄って彼の顔を見下ろすと、志騎はどこか苦し気な表情を浮かべていた。悪い夢でも見ているのか、それともタタリによって苦しめられているのか。

 じっと志騎を見下ろす銀の脳裏に、昨日の刑部姫の言葉が蘇る。

『三ノ輪銀。お前が何をしようが私はもう口を挟まないが……。勇者としての本分を果たすなら、お前は志騎を殺さなくてはならない。それが結城友奈という人間の命を救う、たった一つの方法だからだ』

 友奈を殺すには、幼馴染の志騎を殺さなければならない。そうすれば、友奈を確実に助ける事ができる。

 だがそうすれば、きっと東郷は怒るだろう。いや、彼女だけではない。園子や夏凜、風と樹。さらには助けられた当人である友奈すらも怒るに違いない。彼女達は友奈に志騎に生きていて欲しいと心から願っているが、二人を助ける過程で犠牲を出す事など少しも望んでいないのだからだ。

 しかし、もうこれ以外に道はない。

 このまま何もせずにいれば、二人は確実に死ぬ。しかし、志騎を殺す事ができれば友奈を確実に助ける事ができる。

 二人を見殺しにするか、確実に一人を助けるか。

 ……そんなのもう、決まっている。

 友奈は東郷にとって大切な人で、東郷は自分の大切な親友だ。

 その親友が悲しむのを止めるためならば、自分はどんな事だってやる。

 例えがそれで、自分にとって大切な人を切り捨てる事になったとしても。

 でも、仕方ないではないか。

 誰かを救うという事は、誰かを救わないという事なのだから――――。

「……………」

 銀は無言のまま志騎の首に右手を伸ばす。

 そして、指先が彼の首に触れようとしたその時。

「…………銀?」

 ベッドで眠っていたはずの志騎が、薄眼を開けて銀の顔を見つめていた。部屋の空気がかすかに変わった事を感じたのか、それとも人の気配を感じたのかは分からないが。

 だが幸いと言うべきか、志騎は銀が何をしようとしているのか把握していないらしい。だとすると、志騎を殺す事ができるチャンスが失われたわけではない。このまま会話を続けながら、志騎の首を絞めて殺してしまえばそれで良い。

 それで、全て上手くいく。

 志騎は死ぬけれど、これで友奈は助かって、大切な人が助かって東郷は悲しまずに済んで、勇者部だってきっと元通りになる。

 そのために、今自分がすべき事は――――。

「お、おはよ志騎! いつまで待ってても来なかったけど、まさかあの志騎さんが寝坊とはさすがのアタシも予想外だったよ。まったく、お前も案外抜けて……」

 が、いつも通りの声音を発する銀の顔を、志騎は何故か心配そうな表情で見つめながら尋ねた。

「………銀。何かあったか?」

 ズキリ、と。自分の胸がまるで刺されたように痛んだ気がした。

「ん、どうして?」

「……だってお前……今にも泣きそうな顔してるから………」

 志騎の言葉に、銀の思考が止まる。

 しかしすぐに思考が動き始めると共に、視界がぼやけ始める。

 ああ――――駄目だ。

 どうにかして自分の感情を必死に押し殺して、自分らしくないと思いながらここまで来たけど、やっぱり駄目だ。

 例え大切な須美(しんゆう)のためであったとしても、それで誰かを助ける事ができると言われてたとしても。

 自分の大好きな人を、自分の手で殺すなんて事ができるわけがない。

 その事を志騎の瞳に映る、今にも泣きだしそうな表情をした自分の顔が何よりも強く証明していた。

「………っ!」

 直後、顔をくしゃっと歪めた銀は志騎の体をぎゅっと抱きしめた。普通ならば温かい体温が伝わってくるはずの彼の体は、抱きしめているこちらが不安になるほど冷たく感じられた。

「………銀?」

 戸惑ったような志騎の声が聞こえてくるが、銀はそれを無視すると今にも震えそうな声を必死にいつものように装う。

「……あはは。ごめん、なんでもないんだ。ただ、急にこうしたくなっちゃってさ……」

「なんだそりゃ………」

 銀の返事に志騎は呆れながらも、銀の体を引きはがすような事はしなかった。それほどまでに銀が弱々しく見えたのか、それともその力すらも今の彼には残っていなかったのか。

「……そうだ。志騎、覚えてるか? 木場のばあちゃんちの、トラ太郎の事」

「……ああ、覚えてるよ。当たり前だろ」

 嘘。木場という年配の女性がいるのは本当だが、トラ太郎ではなくトラジローだ。

「あそこのばあちゃんちのせんべい、美味しかったよな。……また、食べに行きたいな」

「食べにいけるだろ。なんなら、今週空いてる時間を見つけて、久しぶりに会いに行くか……」

 嘘。木場はせんべいはあまり好まず、餡子が使われたどら焼きや羊羹などの和菓子を好む。以前道を歩いていたトラジローを保護し、彼女の家に連れて行った時にお礼としてくれたのも、どら焼きや羊羹だった。

「………うん、そうだな。また、行きたいな……!」

 ――――もうこれで確定した。

 いつもなら間違いなく気づくはずの銀の嘘に、志騎はまったく気づいた様子がない。

 つまり、忘れているのだ。志騎の体の崩壊が、彼の視力や味覚だけでなく記憶にまで及んでいる。

 このまま時間が経てば、彼の記憶はさらに消えていき、最後には勇者部の事も、自分の事も忘れてしまう。

 銀は奥歯を噛み締めて必死に嗚咽を抑えると、志騎の肩に顔を強く押し付ける。そんな銀に志騎の怪訝な表情が向けられるが、今の銀に理由を説明する余裕などありはしなかった。

(………神樹様。お願いします。アタシにできる事だったら、何でもします。だから………)

 もうこれ以上、彼から何も奪わないで。

 しかし、当然少女の心の声に答える者はいない。

 自分の無力さに銀は声を抑えながら志騎の肩で泣き続け、志騎は泣き続ける銀を心配そうに見つめながら、彼女に自分の肩をしばらく貸すのだった。

 

 

 

 

 




今回の銀の行動は彼女の性格の事を考えるとありえないはずですが、友奈のタタリとそれによって親友の東郷が悲しんでいる事、志騎との喧嘩別れによるショックと彼もタタリにかかっていた事、そして助けるとしても志騎と友奈の二人に一人しか救えない事など悪い事が重なりに重なってしまった結果、作中のような行動に出てしまいました。今回の話の銀の行動は、それほどまでに銀の心が追い詰められていたという事を表しています。
では次回でまたお会いしましょう。できるだけ早く書くつもりですので、少々お待ちくださいませ。


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