"天剣"は鬼を斬る (青めだか)
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プロローグ

るろ剣の実写も鬼滅の映画も楽しみです。
鬼滅は秋ぐらいか?





 

 

「おばちゃん、お勘定」

「はいよ〜」

 

 道中にあった和菓子屋での一服を終えて、群青色の衣を着た青年は再び歩き始める。季節は春を迎えたばかり、辺り一帯には桜が咲き誇り様々な種類の鳥がさえずっている。旅を続けるには最適な、実に心地の良い日だ。

 

 

「…こんなに良い天気は久し振りだなぁ」

 

 桜並木を抜けて広々とした草原に出る。脚を止めて雲一つない青空を見上げ、思い返すのは…大きな転換期となった出来事の数々。

 

 

 

 

 

 

 

『所詮この世は弱肉強食…強ければ生き、弱ければ死ぬ』

 幼い自分に、誰よりも強くあろうと覇道を突き進む志々雄真実(あの人)はそう言った。その通りだ。強者こそがこの世の真理、彼に身を委ねていれば自分は正しく生きれると確信していた。けれど……

 

 

 

 

『ただ強い者、戦いに勝った者が正しいというのは志々雄の論理!一度や二度の戦いで、真実の答えが出るくらいなら誰も生き方を間違ったりはせぬ!真実の答えは、おぬし自身がこれからの人生の中で見出すでござる!』

 己の奥義を破った、不殺の信念を抱く緋村剣心(あの人)はそう言った。本当にそのような真実が存在するのなら、貴方はどのような答えを持っている?何をすれば辿り着ける?……いや、駄目だ。これは彼の言う通り自分自身で見つけなくてはならない。誰にも頼らず、独りで。

 彼等の戦いを見届けたら旅立とう、真実(ほんとう)の事を確かめる為に—————。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は明治十四年……元十本刀"天剣"の瀬田宗次郎は、自分自身の真実を見つける為旅を続けていた。志々雄真実の内乱が収まってから実に三年の月日が流れているが、宗次郎は未だに真実(ソレ)を見出せないままだ。歳も間もなく二十歳(はたち)になると思うと時の流れの早さを改めて感じる。勿論この三年間が全くの無駄だった訳ではない。見た事も聞いた事もない様々な地方を巡り、沢山の素晴らしい経験を得る事が出来た。肉体の成長に伴い剣の腕もかなり上達したのだ。だが肝心の真実を見つける為の手がかりは、何一つ掴めていない。

 

 だからと言って焦っている訳ではない。旅を始めた頃から少なくとも十年は流浪(なが)れるつもりで考えていたし、『あの二人』も真実を見出すまでそれ程の時間を費やしているのだ。ゆっくりと気ままに、今度は西を目指して歩いて行こう。必ず新しい何かが待っているに違いない。

 そう思い歩みを再開しようした……次の瞬間。

 

 

 

「………ッ!?!!」

 

 

 "それ"は突如やってきた。

 頭がちくり、と刺激されたかと思えばやがて立ってもいられない程の激痛へと変貌し、頭が割れるような感覚に宗次郎はたまらず膝から崩れ落ちた。呼吸を整えようとするも頭痛は一向に治まる気配が無く、段々と意識も朦朧としてきた。知らぬ間に毒でも盛られたか、或いは突発的な病気を患ってしまったのか。いずれにせよ意識は僅かしか持たない。

 

 ——その時、意識が薄れゆく中で漠然と…()()()()が微かに響いてくる。

 

 

 [……の……に……………]

 

 

 ーー何、だ?誰が喋って………

 

 

 頭の中に響いてきた声の意味を図る事も出来ないまま、徐々に目の前が真っ暗になり…プツン、と糸が切れたように気を失った。

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

「はあっ、、ぐ……くそっ!!」

 

 

 暗い闇のような森の中を、ひょっとこを模した奇妙な面をつけた男が息も絶え絶えに走る。

 

 

「クソが!よりにもよって"鍛冶狩り"かよ…!」

 

 

 現在、鬼殺隊で最優先の討伐対象となっている鬼…通称"鍛治狩り"。その異名の通り刀鍛冶のみを執拗に狙っており、既に十七人も犠牲が出ている。単純な戦闘能力も尋常ではなく、先程護衛に付いてくれた(きのと)の隊士三人が瞬殺されてしまった。刀鍛冶は特に警戒するよう本部から通達があったので、気を引き締めていたのだが…こうも簡単に出くわすとは考えてもいなかった。そう思っていた矢先……

 

 

「———ッがぁ!!?!」

 

 

 右脚に鋭い痛みが走り、派手に転がり地面に激突した。莫大な熱を伴って荒れ狂う患部を見れば、金属製の槍がふくらはぎを貫通している。激通に堪えながら何とか身動きを取ろうとすると……「巨大な影」が男の全身を覆い隠した。

 

 

 

 

「———それでもう、逃げる事は出来まい」

「!!!」

 

 

 至近距離から紡がれた声の方を振り向けば、其処には怪物がいた。自分の倍はありそうな巨体、全身が屈強な筋肉で覆われ金属のような光沢を放っている。頭部には禍々しい角が三本生えており、此方を睨むだけで威圧感を放つ容貌は…正に獲物を狩る圧倒的強者そのものであった。何とか距離を取りたかったが、貫通した槍が足枷となって身動きが出来ない。

 

 

「さて、貴様を喰う前に尋ねたい事がある。答えたら痛みを感じさせず楽に殺してやろう……『刀鍛冶の里』は何処にある?」

「————ッ!」

「拠点の位置を知りたいのだが…生意気にも口を割らん奴が多い。手足を全部引きちぎれば多少は喋るがな。その時の苦痛に満ちた声は本当に傑作

だったぞ…!!!」

「!?、、このっ!テメェェェ!!!!!」

 

 

 先程までの恐怖が一瞬にして掻き消え、はらわたが煮えくり返るのを感じる。男は腰に差していた日輪刀を抜き、足の痛みなどお構いなしに鬼に向かって突撃する。だが、その日輪刀は未完成であった。

 今日は元々この刀を完成させる為に、里から離れた場所にある自分の工房へ向かう途中であった。製作途中の刀であるが故に当然脆く、ましてや自分は直接鬼と戦闘を行う"隊士"ではないのだ。脳裏では理解していても、憎き相手を前に行動を起こさない選択肢は無かった。

 

 

「オオォォォオ!!!」

「フン、鬼狩りでもない貴様に何ができる?」

 

 案の定片手で刀を弾き飛ばされ、もう片方の手で首を掴まれ持ち上げられた。鬼特有の桁外れな握力の強さに、首の骨が耐えられずメキリと嫌な音を立て始める。

 

「が…ぁ、、ご……」

「さぁ何処にあるのか教えろ。いい加減同じ問答は飽きてきたのだ……手間をかけさせるなよ?」

「………ッ…れ」

「んー?何だ、聞こえんぞ?」

「くたばれ!クソ、、——ぐがぁ!!?」

 

 

 

 

「…………」

 

 

 ーーまた、思わず放り投げてしまった。

 

 

 鍛冶狩りは腕をコキリ、と鳴らしながらつまらなそうに前方を見やる。投げた男は枝々を散らしながら面白い程吹っ飛んで、一際大きな樹木に轟音を立てて激突すると膝から崩れ落ちて気絶した。人間とはなんと貧弱なのであろうか、あの程度の衝撃で気を失うなど有り得ない。しかし、これ以上生温いやり方で問い詰めても無駄なのは…今までの拷問(けいけん)で学んでいる。いつものように執拗に痛めつけて、口を割らせてから喰ってしまおう。

 

「クッ、クク……!!!」

 

 笑いが止まらない…全てが順調だ。『刀鍛冶の里』は、今までの刀鍛冶に対する拷問の甲斐あって大方の位置は掴めており、完全に把握するまであと一歩といった所であった。どれだけ多くとも三人、上手くいけばあの男で終わりだろう。

 その過程で何度も鬼狩りと交戦してきたが、未だに無敗。以前も上の階級であろう精鋭が十人がかりで襲ってきたが、全員捩じ伏せて喰ってやった。血鬼術で強化された鋼の肉体は、鬼狩りの刀を通さぬ程に頑丈なのだ。また感覚の鋭さにも自信がある。遠く離れた場所にいる鬼狩りも把握可能で、今日のように奇襲を掛けられるし、格上の鬼狩りから距離を取る事も出来る。

 

 あと少しで必ずあの御方に認めてもらえる。今まで喰った人間の数はもうじき百を超え、強力な血鬼術も獲得出来た。後は明確な手柄を立てれば、確実に「十二鬼月」になれる!!!

 

「さぁ、どのように痛めつけてやろうか…」

 

 鍛冶狩りは軽やかな足取りで、気を失った男の元へ向かう。全ての流れが思い通り、これから先が希望で満ち溢れていた。

 

 

 

 だが…………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————こんばんは。突然ですが道をお尋ねしても宜しいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その大きな野望が、自分の()()()から声をかけてきた青年によって、一瞬にして打ち砕かれるとは、この時は思いもしなかった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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"五歩手前"

修正に修正を重ねた結果、
やたら心情表現が多くなってしまった続きです。





 

 

「………ッ、此処は…」

 

 

 目が覚めると周囲は闇に包まれていた。頭痛も治まり感覚が徐々に戻る内に、土や生い茂る草木の香りがする事に気付く。どうも自分が倒れている場所は黄泉の国ではなく、何処かの山奥のようだ。

 宗次郎は即座に飛び起き、刀に手を添え臨戦態勢に入る。時刻は真夜中、何者かが半日以上掛けて此処へ運んだのだろう。感覚を研ぎ澄ませ周囲の状況を確認するが…人の気配は全くしない。

 

「………?」

 

 何かが妙だ。四肢を拘束されておらず、身ぐるみを剥がれた形跡も無い。どうやら手配書を読んで追って来た刺客や野盗の仕業ではないようだ。現在(いま)の状況が全く解らない。一体誰が何の為に此処へ連れてきたのだろうか?神隠しにでもあった気分だ。

 

 

(それとも、あの"声"が何か……?)

 

 

 気を失う直前に微かに響いてきた、何者かの声が関係しているのかもしれない。幻聴と決め付けるには早いと本能で感じ取っている。ともかく今の状況…具体的には現在地と時刻、そして日付が分からねば今後の方針が定まらない。

 周囲を探るべく宗次郎は真上に高く跳び、太い樹木の天辺に着地する。どの方角に行けば人里があるか高い場所から確認する為だ。視界を覆っていた闇は晴れて、雲から漏れた月明かりが山の表面を美しく照らす。この一帯はかなり標高が高いらしい。

 

 

「町や村は、無いなぁ。…………おっ」

 

 

 自分の真正面に聳え立つ立派な山、その麓の方で微かに音がした。荒々しい、何かが暴れているような轟音(ソレ)に慄いた鳥達が一斉に飛び去っていく光景が見える。何が起きていようが、取り敢えず人里を探す手間は省けた。普通に歩くなら一時間は掛かるだろうが、"縮地"を発動すれば三分弱で事足りる。

 

 

「さて、行きますか」

 

 

 

♦︎

 

 

 

「こんばんは。突然ですが、道をお尋ねしても良いですか?」

「————ッ?!!?!」

 

 

 鍛治狩りは瞬時に距離を取り、振り返って声の主を睨み付ける。其処には刀を所持した青年…新手の「鬼狩り」の出現。 

 

 

 ———何故、()()()()()()()!?

 

 周辺への警戒は怠らなかった筈だ。人間は鬼と違って如何に気配を隠そうとしても、呼吸音や微弱な気の流れが漏れ出てしまう。故に相手が奇襲を仕掛けようとも、先に勘付いて迎撃出来る。それが生物としての絶対的な「差」であり…覆す事は不可能なのだ。

 だが、目の前の鬼狩りは気配どころか()()()()()()すら感じ取れなかった。過去に葬ってきた鬼狩りとは一線を画する…"未知"との遭遇に、鍛治狩りは激しく動揺する。

 

 

 

「あぁ、すみません。いきなりで驚いたでしょう?」

 

 一方で、"感情欠落"により気配を皆無に等しい段階まで消す事が出来る宗次郎は、人前での自身の悪癖に少し反省していた。

 

 

(……それにしても、凄い見た目の人だなぁ)

 

 背丈は安慈和尚より少し高いぐらいだろうか。上半身が裸体な上に、鋼色の筋肉が金属の如き光沢を放っている。額には角らしき物体が三本生えており、伝承に見られる鬼のような形相だ。だが、()()()()の外見で驚いたりはしない。

 かつて所属していた「十本刀」が、"破軍"の二人や"丸鬼"などの個性的な者達が多数を占めていたからだ。かく言う自分も、周囲から見れば風変わりな人間だったかもしれない。

 

「ところで、ここが何処か教えて頂けませんか?山の名前でも地方名でも良いですよ。あ、日付と時刻も教えてもらえると嬉しいです」

 

 

 

 …鍛治狩りは臨戦態勢を解かぬまま、考えを巡らせる。声を掛けられるまで存在を認識出来なかった相手だ。迂闊には手を出せない膠着状態を自ら作っていた。攻撃を仕掛ける機会はあっただろうに…敵に存在を知らせて何を企んでいるのか。

 

(………!)

 

 恐らくは時間稼ぎ。この鬼狩りが何らかの手段で仲間と連絡を取り、此処の位置を知らせているとすれば…。奴は気配を消す事しか能の無いとんだ臆病者だ。折角背後を取ったは良いものの、己の肉体が刃を通さぬと察知して決心が鈍ったか…。

 

 

「そんな難しい顔しなくても、知らなければ遠慮なく仰って下さい。その場合は、少し先で倒れてる人に尋ねますから」 

「…………」

「安心して下さい。僕はあなた方の事情に関与する気はないですし、誰にも言いませんよ。そろそろどうなのか聞きたいんですが」

 

 

 いつでも自分を殺せるという余裕の表れなのか…どちらにせよ奇襲は回避出来た。今までも機転を利かせて上手く立ち回って来れたではないか。今回もいつも通りに対処するだけだ。冷静さを取り戻した鍛冶狩りは、改めて相手に隙がないかを観察する。

 相手は話に夢中で、未だに刀を抜いていない。奴が抜刀して構えるよりも———先に仕留める。

 

 

「…では貴様がこれから向かうべき場所を教えてやろう」

「へぇ、それは?」

 

 

 

 

 

 

「———()()()だよ。

 ———————血鬼術、『金剛槍』!!!!」

 

 右手全体が槍状に変形し、標的の胸を貫かんと発射される。刀鍛冶の足に刺したものとは比較にならない程の特大の槍は、宗次郎がいた周辺の木々と地面をまるごと抉り、ドォォォォン!!!!と爆音を出して大量の土煙を上げた。

 

 

「……殺ったか…」

 

 

 ほぼ零距離からの投擲。抜刀する隙を与えずに鬼狩りの身体を貫いた……間違いない。この鬱陶しい土煙が無くなったら、呆けた死に顔を拝んでやろう。尤も、原型を留めているか定かではないが。

 やがて土煙が晴れ、そこには愉快にぐちゃぐちゃになった死体が………

 

 

 

 

 

「…………?……………ぁ?」

 

 

 思い描いていた情景が、瞬時に崩れ去る。死体どころか血の一滴すらも落ちていない。その事実のみならず、目の前に広がっている光景に違和感を覚えた。

 

 

 ——何故()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……いや、自分自身が逆さまになっている?左を見てみると、己の胴体が見える…頚が、ない……?

 頚、、くび、、!??!!?

 

 

 

 

「はは、予想通り過ぎて少し拍子抜けだなぁ。正当防衛なので悪く思わないで下さいね。それでは〜」

 

 

「が………アっ……馬鹿、な、いつの間に…」

 

 

 激痛で頭が狂いそうになりながら、頸を斬られた鍛冶狩りは、そう言い残して去っていく青年の後ろ姿を…ただ眺めている事しか出来なかった。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

「………ぅぐ…あ?」

「動かないで、応急処置をしてますから」

 

 刀鍛冶の男が目を覚ますと、刀を持った青年が己の傷付いた足を止血し、薬を塗って包帯を巻いてくれていた。別の隊士が助けに来てくれたと確信し、自分の命が助かった事に安堵する。そして思考の矛先は直ぐに…あの憎き鬼に切り替わった。

 

「……ッ!奴は!!鍛冶狩りはどうなった!?」

「貴方を襲った人ですか?彼なら僕が斬りましたよ」

「!!…そうか、ついにあの鬼をやったか!!よっしゃああああ!!」

 

 その感極まる喜び具合を宗次郎は眺める。この奇妙なお面を付けた男も、自分と同じく殺されかけたに違いない。可能なら場所や日付を聞き出したかったが、怪我の具合がかなり悪い。一度落ち着いた場所へ移動して治療を優先すべきだろう。

 しかし、鬼と述べたのは比喩表現なのだろうか。そう考えていると、喜びの余韻に浸っていた面の男が此方の手を掴み…固く握り締めてきた。

 

「あんた、本っ当にありがとよ!礼を言うぜ!これで死んじまった仲間達も報われる……後で弔いに行かなきゃあな…。此処へ来た隊士はあんただけか?他に誰もいないのか?」

「僕以外は誰もいませんけど、それより何か勘違いしてませんか?」

「おいおい、一人で殺ったのか!?凄ぇな……あんたもしかして新しい柱……、!」

「……?」

 

 

 此方の質問には応えず延々と話していたかと思えば、今度は突然黙りこくって自分を…正確には腰に差している愛刀を凝視してきた。被っているお面に覗き穴らしき部分は見当たらないのだが、視覚に問題は無いらしい。

 

「…あんた、その刀見せてみろ」

「えっ、何故ですか?急に「いいから早く見せてみろ!!」

 

 男は半ば強引に刀の柄を握って、鞘から引き抜く。そして刀身を暫し眺めると同時に、身体が極端に震え始めた。隠し切れない動揺が面越しにも伝わってきた。

 

 

「お、ま…ッッ!!!これ()()()()じゃねぇか!!日輪刀はどうした?!!」

「…どうしたも何も、僕は普通の刀(それ)しか使ってませんよ」

「———この大馬鹿野郎がァ!!!もしこの刀で斬ったんなら、奴は()()()()()()()!」

「はぁ?」

 

 人の刀を無理矢理奪った挙句、とんでもない妄言を言い始めた。背後の木に衝突した跡があるので、きっと頭を強打して一時的に混乱しているのだろう。

 

 

「落ち着いて下さい、遺体ならあの場所に、、 

  …………え?」

 

 

 

 

 

 ————()()()()

 

 

 其処に横たわっている筈の男の遺体は、まるで最初から何も無かったように消え失せていた。頚を斬った際に出た大量の血痕だけが、生々しく地面に齧り付いている。

 

 慌てて集中力を高め、極限まで感覚を研ぎ澄ませる。…………いた、確かにあの男の気配だ。凄まじい速度で此処から遠ざかっている。この山林地帯から抜けるのも時間の問題であろう。

 

 

「…………!!!」

 

 

 今度ばかりは流石の宗次郎も驚いた。少なくとも旅を始めてからの三年間で間違いなく一番、だ。頚を斬った人間が蘇るという事象を誰が想像出来ただろうか。……それ以前に、彼は本当に「人間」であったのか…?

 

「クソがっ!逃げちまったか!!漸くあいつらの仇が死んだと思ったのに…クソぅ…!!!」

 

 

 面の男はがくりとうなだれ地面に蹲る。その様子を見る限り、余程悔しかったらしい。当然それがどういうものかも理解出来ない。

 「楽」以外の感情がない自分には、彼の悲しみと悔しさを共有する術など持ち合わせていない。"あの人"ならどうしただろう。傍に寄り添い、気持ちを汲んであげただろうか。

 

 

「…あのー、にちりん刀、でしたっけ?今手元にありますか?」

「……あの辺りに弾き飛ばされた日輪刀がある筈だ。だが未完成のナマクラが奴の皮膚を通す訳がねぇ…。何もかも手遅れな『僕がやりますよ』……ぇ?」

 

 普段なら、絶対に関わらない面倒事に参加しようとしている。一種の気まぐれと言っても良い。情報を聞き出す為にこの男の存在は不可欠だし、未知の化け物にも興味がある。最初はその程度の理由だった。

 

 

「それで斬れば絶命するんでしょう?僕が貴方のお仲間の仇を取ってきます。大丈夫ですよ…脚の速さには自信あるんで」

 

 

 

 その選択によって、三年間滞っていた己の歯車が再び動き出した事にも気付かずに…群青色の着物を靡かせて宗次郎は駆け出した。

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

「ハァッ、……グ、、ハァ」

 

 鍛冶狩りは無我夢中で走っていた。向かう場所など当然決めておらず、ただあの場所から…あの鬼狩りから距離を取りたかった。

 

 

 ーー死んでいない、何故俺は生き延びたのだ!!

 

 

 あの鬼狩りは自分の目にも留まらぬ、否()()()()()()速さで槍を避けて頚を斬ったのだ。何が起こったかも認識出来ないまま、一瞬で殺られた。刃を通す筈のない肉体も、何の意味も為さなかったのだ。

 絶対に敵わない相手であったと、手遅れな状態で理解した。初めて抱く「恐怖」を感じながら、消滅するのを待ったのだ。

 

 ところが幾ら待ってもその瞬間は訪れない。不審に思っていると、身体が再生可能である事に気づく。分からない、訳が分からない。

 有り得ない事象に戸惑いを隠せないが、あの鬼狩りが刀鍛冶に気を取られている内に距離を取らねばと判断し、即座に逃げてきたわけだ。間違ってでも不意打ちを狙おうとは思わなかった。また頚を落とされるのが目に見えていたからだ。

 

 

「はぁっ、くそがっ、くそがぁぁあ!!」

 

 

 獲物を追っていたつもりが、立場が逆転した現在の状況に屈辱感を抑えられず、口を噛み締める。しかしあの場所から既に山を二つ分は越えた。如何にあの鬼狩りが速くとも、流石に追って来れる距離ではない。安堵が訪れると同時に、自分をここまで追い詰めた張本人に対する激しい憎悪の感情が湧く。奴のおかげで全てが狂ってしまった。あの鬼狩りさえ現れなければ、今頃刀鍛冶が拷問により口を割っていたかもしれないのだ。

 もう良い……完全には把握できなかったが、このままあの御方の元へ赴き大まかな里の位置を伝える事にしよう。そして血を授かり十二鬼月となって必ず復讐してやる。あの貼り付けたような笑顔が絶望に染まる瞬間を妄想するだけで心地良い。

 

 

「クク……。——————!?」

 

   

 

 

 ふと、本能的な恐怖を感じて咄嗟に背後を見やる。何も無い漆黒に包まれた森が延々と続いているだけだ。得体の知れぬ不安感が全身を襲い……この一瞬でも距離を稼がなければいけないのに、眼は闇一点に縛られて離れない。有り得ない…絶対に有り得ないと半ば自身言い聞かせるように説いた願望は……

 

 

 

 

 

 

 ーー現れた蒼い影によって、見事に砕かれた。

 

 

 

 

「わぁ、本当に生き返ってる。どんなカラクリを使ったのかとても気になるけど、此処でもう一度殺しますね?」

 

「———ッ!!?ちくしょおおおお!!!!」

 

 

 

 こんな極短時間で、必死に開けた距離の差を縮められた。決死の逃避行は何の意味も為さなかった。

 鍛冶狩りは絶望に満ちた表情で喚きながら、何十本もの金属の槍を放ち接近を妨害する。だが宗次郎はそれらを舞うように空中で躱し続け、木から木へと飛び移り確実に距離を詰めていく。そして大きく跳躍しようした瞬間、全方位から自分を囲むように特大の槍が大量に出現する。

 

 

「串刺しになれ!『千本櫓』ッ!!!!!」

 

 

 

 迫りくる無数の槍を前に、宗次郎はいつもと変わらぬ笑顔のまま抜刀し、"縮地"の構えを取る。

 

 …この三年間で、戦闘において成長したのは剣の腕だけではない。年月を重ねる内、身体的な成長と度重なる鍛錬の末脚力は飛躍的に上昇し、縮地が()()()()()()()()。今の縮地"三歩手前"は三年前の"縮地"の速さに相当し、"二歩手前"以上ともなるとあの飛天御剣流奥義"天翔龍閃"をも凌駕する「超神速」を発揮できるようになったのだ。

 

 

 

「———————縮地"五歩手前"」

 

 

 

 如何なる体勢からでも初速から一気に最高速度まで達する事が出来る。前方の槍を体を一捻りするだけで躱し、包囲網を容易に抜け出す。勢いは衰えぬまま鍛冶狩りの元まで一直線に駆け抜け、刃が閃光となって鬼に牙を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……………ご、ッ!!?」

 

 

 

 鍛冶狩りは己の頚が再び宙を舞ったのを自覚し、苦悶に満ちた表情で悟った。この鬼狩りに遭遇した時点で既に、詰んでいたのは「自分」であったと。

 

 

「畜生…化け、物、が…………」

 

 そして今度こそ、刀鍛冶含む鬼殺隊関係者に百人以上もの犠牲を出し、猛威を振るった凶悪な鬼"鍛冶狩り"は、ごく普通の青年の手によって、討伐されたのだった。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 その肉体が塵となって消えゆくのを見届けると、宗次郎は面の男の元に戻るため、歩き始める。

 

 

 今し方斬った()()()()()()()。その存在を唯一斬る事のできる「日輪刀」と呼ばれる特別な刀。

 どうやら、現在地や日付以外にも色々と聞く必要があるらしい。そして其れはもしかすると、自分自身の真実へ近づく手掛かりとなるものかもしれない。そんな期待を胸に抱えながら、まだ薄暗い闇の中へと、身を投じた………。

 

 

 

 



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別の世

記号の使い方などのご指摘ありがとうございます。
そして今回も語彙力ナッシングです。





 

 

 宗次郎が男の元へ戻った頃には空が徐々に明るくなっており、日が昇る時刻であった。"鍛冶狩り"と呼ばれていた怪物の頚を再び斬った事を伝えると、男は何度も感謝の言葉を述べた。その御礼も兼ねて対話を行う為に自身の工房へ招待すると言うので、了承し向かう事になった。

 

 

「先ずは、工房へ行く前にやらなきゃなんねぇ事があるんだ。少し寄り道いいか?」

「構いませんよ」

 

 

 未だ薄暗い森を歩き始める。早朝の冷えた空気が肌を刺激する中……馴染んだ感覚が忍び寄る。

 

 

「……、この匂いは………」

 

 

 "血"だ。鼻を突くような濃厚な血の匂いが歩みを進める度に強さを増している。やがて男が立ち止まり、終着点であろうその場所で下を向いた。後ろから覗いてみれば、大方予想していた通り……三人の男女の死体があった。軍服のような格好に包まれた胸には巨大な金属槍が貫通しており、傷跡から察するに即死だったのだろう。

 

 

「彼等をご存知で?」

「……ああ、俺を護衛してくれた隊士達だ」

 

 

 男はそう呟くと、屈んで三人に刺さっていた槍を丁寧に抜き、仰向けに並べて開いた瞳孔をそっと手で閉じる。そして、祈るようにその場で手を合わせた。

 

 

「護ってくれてありがとな。あんた達の分まで、俺は命の限り刀を打ち続ける……だから安らかに眠ってくれ」

 

 如何なる者でも"死"は影の如く身近に潜んでいる。宗次郎にとっては慣れ親しんだ光景だったが、この男のように他者を慈しみ弔う姿を見ると……自分の中で欠落した部分が疼くような、不思議な感覚に包まれる。

 緩やかな風が薙ぎ、辺りに再び静寂が訪れた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

「悪かったなぁ、付き合わせちまって」

「別に構いませんよ。それより埋葬しなくて良かったんですか?」

「ああ、鬼殺隊本部に通達を出しておいたから、もうじき()が遺体を回収しに来るだろうよ」

「…はぁ、成る程」

 

 

 "きさつたい"と"かくし"。また解らない単語が出てきたが、工房に着いた後で幾らでも詳細を聞けば良いので、一旦聞き流しておこう。工房を目指して歩き始め、暫く会話のやり取りをしていると……突然男が包帯で巻いた足の傷口の部分を苦しそうに押さえ始めた。

 

「…痛っ、つぅ……」

 

 無理もない、ふくらはぎを貫通する深手を負っているのだ。今まで自力で歩いていたのが奇跡に感じる。先程止血を施したが、いい加減片足を引き摺って歩くのも限界だろう。そう判断するや否や、男の前へすたすたと歩き…屈んで背中に乗るように催促した。  

 

「おいおい、本気かよ……。俺は結構重いぞ?」

「大丈夫ですよ、鍛えてますから。貴方を背負って走る方が効率良いですし、早く適切な処置をしないと化膿しますよ?その傷」

「…わかったよ。お言葉に甘えるぜ」

 

 男が自身の背中に乗るのを確認すると、両手を後ろに回し体重を支えゆっくりと立ち上がる。三年間で身体を鍛えていたのが此処で役立つとは思っても見なかった。直ぐさま工房がある大体の方角と位置を聞き、勢いをつける為に助走を始めた。

 

 

「あ、言っておきますけど、舌を噛まないように気を付けて下さいね」

「あぁ?どう言う意っうぉぉぉおぉ!!!!」

 

 

 そして、太陽が昇る頃には着くだろうと思いながら、一気に加速し走り始めた。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

「着きましたよ。此処ですよね?」

「ああ……うっ、気持ち悪りぃ…」

 

 男を背負い、景色を置き去りにする程の速度で山を駆けた末に着いたのは…木造の一軒家だ。朝に一服した和菓子屋が小さく見える程の大きさで、家の裏手には刀を製作する為の工房が見える。男曰く、十数年前に本拠地の里を離れ此処に足場を固めたそうだ。

 

 宗次郎は家の戸を開けて、畳が敷かれた居間まで移動し男をゆっくりと降ろした。

 

「薬箱とかあります?」

「ああ、その戸棚の下から二番目の引き出しに入ってるよ。また手当てしてくれるのか?」

「ええ。これでも一人旅の途中なので、簡単な処置くらいは出来ますよ」

「そうか、かたじけねぇな……」

 

 戸棚から薬箱を取ってくると、手際良く男の足から古い包帯を外し、拝借した薬を再度塗って新しい包帯を巻いた。

 

「先程も言いましたけど、何処かで適切な治療を受けないとダメですよ」

「ああ、明日の朝にでも専用の診療所に行ってくるからよ。其処の所長さんは別嬪(べっぴん)なんだが、おっかないんだよなぁ……」

「良いじゃないですか、綺麗な方であれば」

「まぁな。……さて、色々と尋ねたい事があるだろう。俺も同じ気分だがな」

 

 宗次郎は情報源の確保に心底安堵した。目覚めて以来、知りたい事が山の如く積み重なっている。遂にそれら全てを解消出来る時がやって来たのだ。

 居間の中央にある囲炉裏を挟むように、向かい合って座る。この状況でも、顔に付けた面を外さない様子に慣れ始めていた。

 

 

「そういやぁ、名乗ってすらなかったなぁ。俺は黒曜重吉(こくようしげきち)、刀鍛冶をやってんだ。改めて礼を言わせてもらうぜ、あんたは命の恩人だ」

「黒曜さん、ですか。僕は瀬田宗次郎といいます。呼び方は自由で構いませんよ」

「じゃあ宗次郎、何が聞きたい?あんたが()()()()()なのは承知済みだ。俺の知ってる範囲なら何でも答えるぜ」

 

 数刻前の自分なら真っ先に現在地や日付などを聞いただろうが、今はそれ以上に尋ねたい事が沢山あるのだ。

 

「では、僕が斬った怪物……"鬼"について詳しく教えて下さい」

「…ああ、分かった。鬼ってのはな……」

 

 

 

 

 重吉は、宗次郎の知らなかった知識全てを懇切丁寧に教えてくれた。

 

 

 人を喰らう不老不死の存在「鬼」。

 身体能力は人のそれを遥かに超えており、手足を斬ろうが頭を潰そうが即座に再生する異常な生命力の持ち主。そして非常に厄介な特性として、人を喰らう程強くなり…特殊な異能である「血鬼術」を行使出来るようになるらしい。

 しかし完全に不死身ではなく、特別な鋼から打ち出された「日輪刀」で頚を斬るか、日光を浴びれば絶命するらしい。

 

 その鬼に対抗する「鬼殺隊」。

 名の通り悪しき鬼を滅し、人間を脅威から護る為に編成された政府非公認組織だ。刀を手に鬼と直接戦う"隊士"以外にも、重吉のような日輪刀を打つ役目を持つ"刀匠"や、裏方から支援を行う"隠"なども所属しているようだ。

 

 

「人々は鬼の存在を知ってるんですか?」

「鬼はな、世間一般では認識されてねぇんだ。誰もが御伽話だと思ってやがる。だから鬼殺隊士は日輪刀を見られちゃいけないんだが…そこんとこで俺も聞きたい事がある」

「はぁ、何でしょう?」

 

 重吉は宗次郎の真横に置いてある刀を真っ直ぐ指差す。

 

 

「なんで普通の刀(そんなモン)持ち歩いてんだ?明治ならまだしも今は大正の時代だ。腰に差してるなんてバレたら処罰されちまうぞ?」

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

 …………処罰?いや、その前に彼は何と述べた。

 

 

 

「今は明治十四年ですよね?たいしょう、って……鬼殺隊独自の年号か何かですか??」

「はぁぁ?明治十四年だぁ??そんなん俺がまだ子供(ガキ)の頃じゃねぇか。三十年以上も何やってたんだよ」

 

 

 呆れ口調で話す重吉が、側面の壁に掛けられた暦を見てみろと催促する。即座に駆け寄って確認すれば、其処には「大正」という自身の知らない元号がはっきりと刻まれていた。

 

 

「…明治が終わったのはいつです?」

「明治は四十五年まで続いたな。その次が大正の始まりだ」

 

 

 ……つまり、自分が今朝まで過ごしていた明治時代から"三十四年"も経過している事が判明した。

 

 余りにもの衝撃に現実を受け止めきれず、半ば茫然と暦の前で立ち尽くした。気絶している間に三十年以上も先の時代に飛ばされ、挙句頚を斬っても死なない怪物との遭遇…。常に笑ってはいるが、今回ばかりは流石に笑えない状況である。

 だが身体は一切老けておらず、三十年以上も意識が途切れていたという馬鹿げた発想は切り捨てる。本当に、自身が認識出来ない時代に迷い込んでしまった感覚だ。

 

 

「…僕は、所謂"神隠し"にあったかもしれません」

 

「何言ってやがる、と言いたい所だが……どうやら理由(ワケ)ありみてぇだな。にわかには信じ難いが、この時代の人間じゃないのか?」

「ええ。…けれど、多分()()()()()()()()

 

 座っていた位置に戻り、宗次郎は口を手で覆って黙考する。

 

 

 

 ーーそう、時代だけではない。自分が存在しているこの場所は、全く()()()なのではないか…?

 

 

 そう考えた最たる理由は「鬼」の存在だ。聞けば鬼と鬼殺隊は遥か昔、千年以上も前から現在まで争ってきたという。ならばその痕跡がどんなに少なくても必ず残る筈だ。只人なら中々気付かないが、自分は元暗部の人間であり、()()()()()には敏感な方なのだ。けれど十本刀として活動していた時も、全国を旅していた三年間でも…未知()の存在を仄めかす情報は全く入ってこなかった。

 だとすれば気絶したあの瞬間、鬼そのものが存在していなかった世から存在している世に移転したと考えるのが妥当だ。…それが事実だとすると、また新たな疑問が浮かぶ。

 

 

「……突然ですが、"人斬り抜刀斎"という名に覚えは?」

 

 

 ()()()では、自分の知っている人物は存在するのだろうか?それを確認する為に誰かの名を挙げる必要があった。直ぐに志々雄真実(あの人)が頭に浮かんだが、元々その存在は政府から隠蔽されているので除外するしかない。ならば知名度的にも彼しか思い浮かばなかった。

 

 

「……ああ!!!聞いた事がある」

「!……ご存知なんですか?」

「確か、幕末に活躍した伝説の人斬りだろ?曖昧な史実しか残っていないが、剣を振るえば無双だったって話だぜ」

 

 

 大まかな情報としては"彼"と共通しているが、詳細を聴きたくなるのを我慢し口を(つぐ)む。非常に興味はあるが…この世での彼はあくまで「別人」。真実探しとは無縁の存在に時間を掛ける必要は無いだろう。此処に存在しているかもしれない志々雄真実(あの人)とて同じ事だ。独りで見出さなくては意味を成さないし、特定の人物に身を委ねるつもりも無かった。

 

 

「そうですか……分かりました」

「おう、役に立てて良かった。鬼が異能を使うような世の中だ…神隠し(そういった事)も有り得るかもな。…で、これからどうすんだよ?不味い状況なんじゃねぇのか?」

「…まあ、どうってことはないですかね。絶対に戻らないといけない理由も無いしなぁ」

 

 

 "神隠し"という普通ではあり得ない状況に陥っている。驚きこそしたものの、案外落ち着いて受け入れられるものだ。自分に身内と呼べる人は既に存在せず、元の世に特別な未練がある訳でも無い。真実を確かめられるのなら、過程は正直どうなろうが気にしていなかった。

 

 

「まあ、余裕があれば帰り方を探しますよ。丁度今からやりたい事が見つかりましたから」

「…どうするかはあんたの自由だが、その刀だけは普段から隠した方が良いぜ。………しっかし立派な刀だなぁ、もう一度ちゃんと見せてくれよ。あの時はそんな余裕なかったからな」

 

 

 再び宗次郎の刀を手に取った重吉は、刀身から持ち手に至るまで舐め回すように観察する。普段から日輪刀を扱っている鍛治師にとって、普通の刀を見る機会など滅多にないのだろう。

 

「ふむ……完璧だな…。一体誰が…………」

「…?どうされました?」

 

 

 そして刀に彫ってある「銘」を見た途端、押し黙ってぶるぶると身体が震え始めた。顔の前で手をひらひらとしてみるが、全く気にしていない。また『普通じゃねぇか!』と怒鳴られるのだろうか?一応両耳を塞ぐ準備をしながら、次の反応を待っていると……

 

  

 

「……………き」

「き?」

 

 

 

「『菊一文字則宗』だとォォォ!?!?!!」

 

 やはり怒鳴られた。

 

「ヤベェ!!まさかあの福岡一文字派の一品をお目にかかれるとはな…!鍛冶狩りの頚を斬れたのも納得だぜ……。これを鋼鐡塚の野郎が見たら、腰を抜かすに違いねぇ……!!」

 

 息は荒くなり、急に何かに取り憑かれたように人が変わった。付けている面の端から涎のような液体が垂れている、少し汚い。このままだと自分の愛刀に良からぬ事が起こると察した宗次郎は、すぐさま目の前の狂人に話しかける。

 

「あのーそろそろ返『触るんじゃねぇ!!!』…えぇ……」

「返せ?返せだと!?テメェは鬼か!!この名刀を手放すわけにはいかねぇ、どうしてもってんならぁかかってこいやぁ!!!!」

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 …あれから一時間が経過して、重吉はようやく普段の落ち着きを取り戻し刀を返してくれた。よくもまあ怪我をした足であそこまで派手に暴れたものだ。宗次郎は心身ともにボロボロになりながらも戻ってきた刀を手にして安心する。

 そして、彼が落ち着いたら話そうと思っていた事を口に出す。

 

「それでね、黒曜さん」

「ああ、なんだ?さっきは取り乱して悪かったよ」

「もう大丈夫ですよ。刀の話ではなくてですね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼殺隊に入る方法を、教えて欲しいです」

 

 

 

 

 

 

 




鬼滅って大正何年の話なんですかねぇ。
わからないんで一旦四年という設定にしました。


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最終選別

様々なアドバイスありがとうございます。
ちょくちょく修正いれていくぅ。





 

 

 志々雄真実という大きな存在の庇護の下、絶対的な信念に身を委ねて生きてきた。そして彼が隠世へと旅立った後、自身の脚で踏み出した外の世界は……想像よりも遥かに広大だった。触れる事象の全てが真新しく、幾度も形を変えて自分を迎える。

 そして突如迷い込んだ未知の世、人を喰う「鬼」とそれを討伐する「鬼殺隊」の存在。今まで最も奇想天外な"事象"が訪れている。此処で得られる経験は、以前とは全く異なってくるに違いない。故に新たな視点から"真実"を見出せるのではないか。

 

 

「鬼殺隊に入る事は可能ですか?」

「…ほう、自由だとは言ったがそう来たか…」

 

 

 宗次郎の言葉を聞いた途端、重吉は面越しでも分かる程神妙な顔つきで此方を見てきた。先程の暴れ具合が嘘のようだ。彼の心情を表すかの様に太陽が雲に隠れ、家全体が徐々に暗くなる。

 

「鬼殺隊に入る動機ってのは大方決まっている。家族や友人、恋人を鬼に喰い殺された奴がその復讐をする為に、だ。命懸けるには十分過ぎる理由だが…あんた自身は違うんだろ?」

「ええ、たった今鬼の存在を知ったので」

 

 

「…なら何故だ?常に死と隣り合わせになるんだぜ。もう二度と普通の日常には戻れねぇ」

 

 

 重吉は静かに問う。

 

 

「生半可な覚悟で入隊すると死ぬぞ。そりゃあ、あんたの剣の腕が尋常じゃないのは認める。鍛冶狩りを未完成の刀(ナマクラ)で仕留めちまったんだ。だがな、奴とは比較にならねぇ程強力な鬼が世の中には五万といるんだ。興味本位ってんならやめときな」

「……ああ」

 

 

 —-——なんだ、()()()()()

 

 

 ここまで聞いて、彼が警告をしているのだと気付いた。入隊したら今まで通りではいられないから辞めておけと述べているのだ。だが宗次郎はそれを聞いて()()()()。急に雰囲気が変わったので深刻な内容かと予想していたが、拍子抜けだ。 

 元より普通から逸脱した人生を歩んできた。家族や親戚に疎まれ虐待を受け、下手に機嫌を損ねれば即座に殺されるような家庭。"死"は常に己の側で息を潜めてその瞬間(とき)を待ち構えている。志々雄一派に所属していた頃は勿論、組織が崩壊した後もそれは変わらない。残党として指名手配された己の命を狙って、旅の道中でも辻斬りや野盗…果ては暗部組織の刺客までもが幾度となく強襲してきた。

 故に、彼が述べる"普通の日常"の基準が違う。

 

 

 

「慣れてるので大丈夫ですよ。…それに興味本位なんかじゃない、僕は自分自身の真実(こたえ)を確かめる為に鬼殺隊に入ります」

 

「………」

 

 

 

 

 重吉には、宗次郎が述べた「真実(こたえ)」がどのような意味を帯びている言葉なのか理解出来ない。だが、未来ある若者が己の成長を促す為……敢えてこの渦中に飛び込む覚悟でいる事は伝わった。

 

「………ハッ、良い目してやがる。あんたの覚悟、しっかりと受け止めたぜ」

「それは良かった」

 

 

 認めてもらえたと分かると緊張感がほぐれて、宗次郎は無意識に身体に入れていた力を抜く。

 

 

「よっしゃあ!そうと決まれば早速説明するかぁ」

「今からですか、じゃあお願いします」

 

 

 

♦︎

 

 

 

 今日から数えて十日後に始まる「最終選別」。

 それは鬼殺隊隊士を目指す者が、何年もの血反吐を吐くような修練を経て挑む最後の試験。その内容は何十もの鬼が閉じ込めた藤の花の結界内で、七日七晩生き残るというものだ。重吉曰くこの選別はかなり過酷で、最後まで生き残れる者は毎回二割を下回るらしい。

 

 

「へぇ、案外厳しいですね」

「ああ。だが、選別に使われるのは人を二、三人喰った程度の鬼だ。血鬼術を使う個体は存在しねぇよ」

「そうなんですか?じゃあ僕、自信ありますよ」

「自信あるって、お前なぁ……」

 

 

 あっけらかんとした様子の宗次郎に呆れつつも、重吉は『そりゃそうだろ…』と心の中で呟く。鍛冶狩りは少なくとも百人以上は人を喰らっており、選別の鬼達よりも遥かに脅威的だ。それをこの青年は隊士でもないのに余裕で倒してしまったのだ。鬼の存在を初めて知ったという事は、当然「全集中の呼吸」を会得している筈もなく………。

 改めて宗次郎の強さを再認識する。呼吸を会得せずに選別に挑むなど前代未聞だが、入隊する前から既に"柱"と同等以上の実力があるのなら話は別だ。長年数々の隊士達を見続けてきた自分の直感が、そう告げている。

 

 

「まあ、あんたなら心配はいらねぇか………よし!決めた。無事生き残る事が出来たら、俺が直々に日輪刀を打ってやる」

「え、良いんですか?」

「おうよ、命の恩人の新たな門出だ。手助けくらいしないと申し訳が立たねぇからな。それに日輪刀が何色に染まるのかも気になるしな」

 

「そっちが本音かぁ。けど黒曜さん、特殊な呼吸法を会得していないと色は変わらないって言ってませんでした?」

「馬鹿野郎!僅かな希望を抱いても良いじゃねぇか!全集中の呼吸が使えなくとも、何かしらの作用で変わるかもだろ?……変わらなかったら殺す

「あのー聞こえてますけど」

 

 

 小声で殺害宣言をしたり、人の刀を自分の物だと豪語して返さなかったりと、鬼殺隊の刀鍛冶は皆揃って物騒なのだろうか。重吉が基準だとしたら相当危ない集団だが、そうでない事を祈るしかない。

 

 

「それと言い忘れていたが…選別が終わるまでの約二週間、菊一文字則宗は俺が預かる。隅々まで調べてそいつと見分けが付かねぇような日輪刀を作ってやるぜ」

「え〜、それはちょっと…」

「当然だろうが。選別には仮の日輪刀を貸してやるよ。色が変わらない試作品だが、先日のよりはマシだから安心しろ」

 

 

 確かに鬼を屠れない刀など選別では役に立つ筈もなく、暫く重吉に預けておくのが妥当だ。しかし先ほどからのこの男の行動を鑑みるに、非常に面倒な事態だけは避けたい……。

 

「ほらよっと!」

「あ………」

 

 だが説得をする暇もなく、宗次郎の手から刀が掠め取られる。取り返すのは造作も無いのだが、再び駄々をこねて暴れられてはこちらの体力が保たないので好きにさせておくことにした。

 当の本人は我が子を抱く母の様に頬擦りを始め、気味の悪い声で笑い始める。

 

 

「…そんな顔で俺を見つめるな、自覚はある。だがな宗次郎、これはあんたの為でもあるんだよ」

「それは興味深いなぁ。是非理由を聞かせて下さい」

「言えんな!」

 

 

 笑いながら不平を口にする宗次郎を横目に、重吉は顔に影を落とす。

 

 

 

 ーーまた、()()()()()をするのだろうか……。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 ーーお前は昔から他人に情を移しすぎなんだよ。身体が保たねぇぜ。

 

 

 

 鋼鐡塚から事ある毎に注意を受けていた。分かっている。選別を生き残れる確率はほぼ零に近い。死ぬのが当たり前と言ってもいいくらいだ。

 重吉は烏から送られてきた訃報の紙をぐしゃり、と潰す。そこには、つい先週この工房を訪ねて来た者の名前が書かれていた。

 

  

 

 育手により選別に挑むことを許された若者が何人、何十人此処を訪れただろうか。最近は隊士志願者自身が里へ赴き、自らの刀を打ってくれる刀鍛冶を選ぶ傾向が強くなった。わざわざ里から離れた山の奥にある自分の工房まで足を運んでくる物好きは、冗談交じりに生意気な口を叩く奴らばかりだった。……しかし、此処を訪ねて来た者が今まで生き残って帰ってきたことは、一度もない。

 

 特に印象に残っているのは、選別の前日に一晩泊めて欲しいと訪ねてきたあの二人……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何だよその背中の文字は?変わった趣味してんのな』

『コレか?かっこいいだろ〜。俺の親父が書いてくれたんだぜ』

 

 一人は背中に「惡」という文字が入った羽織を着た強気な少年だった。

 

『おーかっけえかっけえ』

『あぁ!?おっさん適当に言ってるだろ!』

『仕方ないよ。僕も初めて見た時変だと思ったし』

『おい心弥!初耳だぞ!?』

 

 もう一人は十にも満たないのではないか、かなり若いおっとりとした少年だった。

 

『で、あんたは何でそんなボロっちい竹刀を持ってんだよ?常に持ち歩いてんのか』

『これは父さんが子供の頃から使っていた大切な竹刀だよ。唯一の形見なんだ…』

 

 

 ーーどちらも強い。今まで自分を訪ねてきた若者の中で一番だ。

 

 

 剣を持つ手や佇まい、僅かな仕草などから重吉は二人の熟練度を的確に見抜く。事情を聞けば彼等は本当の兄弟ではなく、昔からの馴染みらしい。そして互いの両親は、自分達を鬼から庇って殺されたという。

 

 

『知るのが遅すぎたんだ。親父達を殺したのが『鬼』だって。不死身だって解っていたら………くそっ!』

後朔(ごさく)兄ちゃん……』

 

 

 よくある話だ。如何に武芸に長けていても、鬼の対処法を知らなければ為す術もなく殺される。胸が引き裂かれるような悲しみと地獄の様な鍛錬を乗り越え、二人は自らの足でこの工房まで辿り着いたのだ。ならば自分に出来るのは、その誠意に応えることのみ。

 

 

『……よし、あんた等の刀、責任を持って打つぜ』

『あぁ、よろしくなおっさん。俺達は必ず鬼殺隊士になる』

 

 後朔と呼ばれる少年は決意を口にする。横にいる心弥と呼ばれる少年もゆっくりと、力強く頷いて此方を見た。一体何度、そう言い残して出て行く後ろ姿を見送っただろうか……。

 

 

 

『ハッ、言ってくれるな。そんじゃあ景気付けに今夜は牛鍋にでもするかぁ!!』

 

 

 

 

 だが、鍋をつつき始めてから一時間も経たない内に、二人に言うまいと思っていた心の声を漏らしてしまう。本当は不安で仕方がない、あんた等もどうせ帰って来ないんだろ?などと。酒の勢いとはいえ、明日選別へ向かう相手に酷い言葉を投げ掛ける自分に嫌気が差す。

 

 

『『………』』

 

 

 しかし二人はその間、鍋をつつく手を止めて文句も言わずに静かに自分の罵詈雑言を聞いていた。そして顔を見合わせて小声で何かを喋ると、突然後朔は羽織を脱ぎ、心弥は背中に固定していた竹刀を外し、それらを自分の手に渡した。

 

 

『おっさん、コレ預かってくれよ。選別が終わるまでさ』

『…はぁ?何言ってんだよ!!こんな大事な『だからだよ』…!』

『これで僕達は、()()()()()()此処に戻らないといけなくなった』

 

 

 衝撃で言葉が出ない重吉をおいて、二人は尚も続ける。

 

 

『俺達はそんなにヤワじゃねぇ。あらゆる壁を二人で乗り越えてきたんだ。今回だってそうだ!なぁ心弥!』

『うん!だから、もう悲しまないでおじさん。また直ぐに逢えるから……お留守番宜しくね』

『成し遂げた暁には、立派な刀を頼んだぜ!』

 

 

 人を思いやる優しさと、決めた事を貫き通さんとする強い意志。こんなにも眩しく……久しく失っていた希望を見出してくれる。張り詰めていた心が、徐々に和らいでいくのを感じた。

 

 

『……ッ、上等だ!こちとら久々に腕を振るいたくて仕方が無えからよォ、必ず生きて戻って来い!最高の相棒を打ってやるからなぁ!!!!』

 

 

 次の日の朝、仮の日輪刀を持ったまま手を振り遠ざかって行く二人を、穏やかな気持ちで見送った。

 

 

 こいつらなら大丈夫だ、今度こそ……

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

ーーーー

 

ーー

 

 

 

 選別が始まってから七日目の晩が終わり、八日目の朝。重吉は()()()()()()()この一週間を何も食わずに過ごし……通達を静かに待っていた。信念を懸けた選別に挑んでいる後朔と心弥(あのふたり)が戻るまで、絶対に動かない。何も喉に通らない程、無心で無事を祈り続けていた矢先……

 

「——————ッ!」

 

 バサバサ、と烏の羽音が耳に入ると、ふらつく足で玄関の戸まで走る。そして二人の知らせを………

 

 

『………………………』

 

 

 

 

 

 居間まで戻ってきた重吉は付けている面を投げ捨て、おもむろに置いていた卓袱台(ちゃぶだい)を思い切り引っくり返す。

 

 

『ッああああああぁ!!!!!!』

 

 

 

 ドタン!!と大きな音を立てて卓袱台は逆さまになって倒れる。その上にあった「惡」という文字が書かれた羽織とボロボロの竹刀が、畳に投げ出された。

 

 

 

『はぁっ!は……クソがァァ!!!!』

 

 

 何故だ……有り得ない!!あれ程の覚悟と信念、そして優しさを兼ね備えた二人を()()()()()『鬼』など、、藤襲山に存在する筈が無い!!!深く心に刻みつけておいて、形見を遺したまま……二度と届かぬ場所へと逝ってしまうのか。

 

 

『こ…こんな………俺が持ってたら駄目じゃねぇかよ!!テメェ等生きて取りに戻るんじゃなかったのかよ!!!なぁ……!』

 

 

 慟哭は虚しく居間に響いた。力無く崩れ落ち…手元にあった羽織を強く、強く握り締め顔に当てる。その「惡」という文字が(にじ)んでぐちゃぐちゃになるまで、涙は止め処なく溢れ続けた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーあんたでも駄目だったら、()()()()()()()()()()

 

 

 

「…どうされました?急に黙り込んで」

「いや、何でもねぇ。話し続けて腹も減った事だし……今夜は牛鍋と酒だぁ!!!」

 

 

 菊一文字則宗を奥の箪笥へ仕舞うや否や、重吉は大きな声で叫ぶ。

 

 

「あぁ、何か作るなら手伝いますけど」

「そいつはありがてぇ申し出だが、あんたは客人且つ命の恩人だからな。ゆっくり休んでてくれや」

「そうですか、じゃあお願いします。茶菓子以外の食事なんて何ヶ月振りでしょうか…」

「俺の牛鍋は絶品だぜ?楽しみにしてろよ。あんたも酒飲むよな?」

「いえお酒は結構で『飲むよな?』……分かりました飲みますよ」

 

 

 

 その日の夜、黒曜重吉の工房はいつもより賑やかになり、満月が周囲を優しく照らしていた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 緩やかに時は流れ……最終選別の日の早朝。

 

 

 

「よい、しょっと」

 

 

 

 いつもの履き物を足に付け、仮の日輪刀を腰に差して宗次郎は家から外へ出る。山の空気は冷え込み、呼吸をする度に白い吐息が出る。

 そして見送りをする為に重吉も厚着で外へ出てきた。怪我をしていた足は、治療所へ行ったお陰でほぼ完治しているとの事だ。

 

 

「うおぉ寒いな〜。どうだ、忘れ物はねぇか?地図は?」

「母親ですか貴方は。大丈夫ですよ、ちゃんと持ちました」

「そうか…」

 

 重吉は一歩宗次郎に近付き、両手を肩に置く。

 

 

「宗次郎……生きて帰って来い。鍛冶狩りを倒したからって決して油断するんじゃねぇぞ。あんたは元の世に帰る場所がないと言っていたが、今は()()が帰る場所だ。…それを忘れるな」

「……!はい、そうですね」

 

 常に笑顔を絶やさなかった宗次郎が目を見開き少し驚いている。そんな表情も出来たのかと思い、重吉は満足げに笑うと、青年をくるりと後ろを向かせて思い切り背中を叩く。

 

 

「さぁ、行ってこい!!!」

「…ええ、それでは行ってきます。黒曜さん」

 

 

 宗次郎はいつもの笑顔で応えると、振り向かずに歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……帰って来いよ」

 

 

 

 

 震えるような寒さの中、重吉はその後ろ姿が見えなくなるまで立ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




るろ剣のop「1/2」で志々雄と十本刀のシーン(ロウソクのとこ)あるじゃないですか。
それを無惨と十二鬼月に変えて想像してみて下さい。
………めちゃカッコよくないか


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出逢い

はい。横棒の種類を覚えられない作者です。
オラに表現力をわけてくれぇ!!





 

 

 藤襲山。隊士が生け捕った鬼が棲まう、最終選別を行う場所だ。夜まで時間を潰す為に道中で二度も茶屋に寄っていた宗次郎が集合地点に到着した頃には、既に監督者らしき二人の童子が二十人程の集団に説明を始めていた。

 そして足早に集団の中に紛れると、童子達が一旦話を止めて此方を向く。それに釣られてこの場にいる全員が自分の方を見た。茶屋で団子をお代わりした為に遅れてしまった手前、少し気まずい。

 

 

「貴方も選別を受ける方ですか?」

「ええそうです。すみません遅れてしまって」

「問題ありません。もう一度最初からご説明致しましょうか?」

「途中からで大丈夫ですよ。先に来ていた方々に迷惑ですし」

「承知致しました」

 

 

 白髪の子、黒髪の子が交互に喋り終えると、また説明を再開した。内容を聞きながら辺りを見回すと一面に藤の花が咲いており、夜で一層強調されているその紫の色は美しくこの世の物とは思えない。幻想的な光景に目を奪われつつ、今度は周辺の若者達を気付かれない程度に観察する。

 …全員かなり若い。平均だと十五・六歳くらいだろうか。集団の中では間違いなく自分が最年長だ。近年は特に隊士の若年齢化が進んでいると重吉が言っていたのを思い出す。

 

 

「この中で七日間生き抜くのが、最終選別の合格条件でございます。…それでは行ってらっしゃいませ」

 

 

 あっという間に説明が終わり、童子達は塞いでいた道を開ける。あそこから先は鬼が苦手とする藤の花は咲いておらず、最終選別の開始を意味している。彼女達の宣言を受け、覚悟を決めた顔でぞろぞろと歩いていく若者達を見ながら宗次郎も前へ進んでいく。

 実に単純明解な選別内容。鬼と戦いながら七日間生き残れるかは全て己の実力に掛かっている。

 

 

 ーー強ければ生き、弱ければ死ぬ。

 

 

 自分にとって「弱肉強食(それ)」は絶対唯一では無くなったが、決して()()()()()()()()。三年間の旅の道中でも心の片隅に宿っていた。無闇に囚われず、数ある中の一つと認識すれば何も問題は生じない。故に心置きなく新たな"真実"を探す事が出来るのだ。

 

 

 ———どうせなら、蹂躙してやろう。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

  

 

 

 

 選別が始まってから最初の夜。闇に紛れて鬼達は獲物を求めて活発に動き出す。数刻も経たぬ内に、一人の『少年』は複数の鬼と対峙していた。

 

 

「——————オラァ!!!!!」

「——フッ!!」

 

 

 人の身体など簡単に砕いてしまう強烈な一撃を少年は刀でいなし、衝撃を吸収する。そして間髪入れずに真横から放たれた別の鬼の蹴りを何とか躱して距離を取った。

 

「どけやテメェ!引き裂かれてェのか!!!」

「知るかァ、貴様が失せろ!」

 

 腹を空かせ、理性を失った鬼達は醜い争いをしながら攻撃を仕掛けてくる。己の欲求を満たす為ならば、たとえ同類であろうとも容赦しないその残忍性に少年は戦慄する。いきなり二体同時に相手取らなければならない事に多少動揺したが、落ち着いて動きを見れば容易に対処できる。今までの苦しい鍛錬に耐えてきた己を信じて構え直す。

 

「これで終わりだ!!!!」

 

 人ならざる強靭な脚力で跳躍し迫る鬼共に…

 

 

 

 

 

「"水の呼吸"、肆の型——『打ち潮』!!!」

 

 

 鬼殺隊奥義。体に酸素を一気に巡らせ、爆発的な身体能力を獲得する呼吸法「全集中の呼吸」で応える。水が流れるようにしなやかで鋭い刃が、一撃で肉体を頚もろとも両断した。

 

 

(斬れた……強くなってる!)

 

 

 己の剣により灰となって崩れ去っていく鬼を眺め、今までの鍛錬が無駄ではなかった事を実感し、喜びを噛みしめた。

 

 少年の名は竈門炭治郎。家族を鬼により惨殺され、唯一残った身内である妹は鬼そのものとなってしまった。妹を人に戻す術を模索するべく、ある一人の隊士の紹介で育手の下に行き鬼殺隊への入隊を決意した。二年以上もの厳しい修行の末、先日ようやく課題となっていた岩を斬り最終選別を受ける事を許されたのだ。妹を必ず取り戻す、その一心で困難に立ち向かっていたあの日々はこの時(最終選別)の為にあった。

 

 

「…よし!」

 

 悦に浸るのは此処まで。本当に安心するのは全ての夜を乗り切ってからであり、初日で隙を突かれて痛手をくらってしまえば元も子もない。気持ちを切り変え再び駆け出そうとした、その瞬間………

 

 

「————ッ、また来る……今度は五人か!!?」

 

 

 二度目の鬼の接近を並外れた嗅覚で察知する。先程の鬼と違って、縦横無尽に移動せずに真っ直ぐと此方へ向かって来ている。単純な動き方だが今回はその数が多過ぎた。流石に五体同時に捌く自信は無く、挑んでも囲まれて為す術なく殺られるだろう。急いで距離を取り、敵が分散するまで機会を窺うのが得策だ。即座にそう判断し走り出そうとするが……

 

 

「……?この匂いは…」

 

 

 

 

 ———()()()()()

 予想外の匂いに炭治郎は思わず足を止めた。鬼達の様子が変だ。攻撃的な匂いはせず、一心不乱に走っている感覚。自分を標的と見做し追跡はしておらず、何かから逃げている?人間よりも圧倒的に優位な立場にいる彼等がそんな行動を取る理由が判らない。困惑する暇もなく、気配は一層濃くなり……

 

 

「————アァァ!!!!!」

 

 

 絶望に塗れた声を上げながら躍り出た最初の一人を皮切りに、森の奥から次々と鬼が頭上を飛び越えて行く。人間(じぶん)を見向きすらしない異様な光景に言葉が出ない。やはり理性を失ったはずの鬼が()()で危険を察知して何者からか逃走を図っているのだ。

 

 

 

(何がどうなって……)

 

 

 

 

 

 

  —————ヒュン!!!!

 

 

 

 

 

 

「………え、、?」

 

 剣風がひと薙ぎしたかと思えば、真後ろでドサドサと何かが落ちる音がした。速過ぎて何が起こったのかも解らずに、炭治郎が構えを解いて振り向くと……

 

 

 

 

 

「人の顔を見た途端に逃げ出すなんて、失礼にも程がありますよ」

 

 其処に転がっていたのは、灰となって消滅していく五つ分の頚と胴体。そして……

 

 

「…やぁ、こんばんは。君もそう思いませんか?」

 

 

 血溜まりの中央で、不釣り合いな程の笑顔をした青年が佇んでいた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

(この、人は………)

 

 

「頚を斬る前に何度か会話を試みたんですが、やっぱり無駄なのかなぁ」

 

 刀を仕舞い、まるで何事も無かったかのように平然とした口調で此方へ歩み寄って来る青年に対し、炭治郎は思わず()退()()()

 

 覚えている。選別の説明時に遅れて到着した青年だ。見た目からして二十歳前後、自分よりも四つ程歳上だろうか。あどけない笑顔で監督者達と話す様子はとても印象に刻まれている。…だがこの青年の『匂い』は、己の常識を覆すような"異質"さを放っていた。

 嗅覚で感知できる基本的な人間の心情は大きく「喜怒哀楽」の四つに分けられる。其処から派生して様々な細かい感情が生まれるのだ。

 選別に集まった人達から感じ取れた感情は、大半が「恐怖」や「焦り」であった。選別に合格できない事は即ち死を意味するので当然不安を抱くだろう。ましてや自分達はまだまだ若輩者。修行を終えて選別に挑む権利を手に入れ此処まで来ても、逃げ出したくなる人は必ずいるだろう。けれど彼等を決して蔑む事はしない。人は心が原動力だ。恐怖や焦りなどの負の感情も、逆に危機感を促し生きようとする意思を強くする。故に何一つ欠けてはならない…人間を構成する上で重要な要素なのだ。

 

 

 ————しかしこの青年は、「楽」以外の感情が()()()()()()()

 

 

 欠落していると表現すべきなのか。剣気や闘気といった類を一切感じず、唯々"楽しい"という感情が浮き彫りになっている。誰もが決死の覚悟で挑んでいるこの選別で唯一人、いつ死ぬかも分からぬ極限の状況を楽しむ者に不用意に近付けなかった。

 加えて、彼自身の思考も全く読み取れない。人にはどんなに僅かでも感情の機敏が必ずある筈なのだが、目の前の青年からは感知出来ない。並外れた自身の嗅覚を以ってしてもだ。

 

 

「…貴方はこの状況を、楽しんでいるのですか?」

「!……ああ、成る程。君は()()()()()()()

 

 

 腹の底に溜まった不安感が言葉となって、気付けば口から漏れ出てしまう。いつまでも警戒を解かない自分を不思議に思っていたであろう青年は、それを聞いて納得がいったように呟いた。

 

「別に楽しいという訳ではありませんよ、僕はそれ以外の感情は忘れてしまったので。気を悪くしてしまったのなら謝ります」

「えっ、あ……えぇ!?」

 

 

 軽く頭を下げる青年に炭治郎は慌てふためき、此方からも地面にぶつかる勢いで頭を下げる。

 

「いえ!こちらこそ急に失礼な態度を…本当に申し訳ありませんでした!」

 

 

 そう言いながら炭治郎は己の失言を恥じた。どうして、感情を何らかの事情で()()()()()()()という可能性を考えなかったのか。人の心は脆く、様々な要因で深刻な傷を負う事もある。兄弟の中でも年長者として、母からはいつも相手の事情を考慮しながら会話するように教わっていた。

 

(俺は長男失格だ……)

 

 

「謝る必要はないですよ、僕が『いや俺が全面的に悪いです!そこは譲りません!!!』…おぉ」

 

 頭をバッ!と上げ一気に詰め寄って己の言葉を否定する炭治郎に青年は少し気圧されたが、やがて落ち着いたようにゆっくりと笑みを浮かべた。

 

 

「君は変わってるなぁ、お名前は何ですか?」

「俺は……竈門炭治郎っていいます」

「それでは炭治郎君、急ですが一つ忠告をしておきましょう」

「忠告、ですか?」

 

 失礼な発言をしたばかりなので、やはり怒られるのだろうか。青年は木を背もたれ代わりにして地面に座る。念の為に周辺の安全を匂いで確認すると、この青年がいるからか鬼の気配はしない。こちらも青年の横に座って、息を呑みじっと戒めの言葉を待つ。

 

「僕がすれ違った殆どの人は、怒りや恐怖に支配されて動きが鈍かった。だから君は感情に揺さぶられないように気を付けて下さい」

「……え?」

 

 怒る所か逆に助言をする青年に疑問が浮かぶ。しかし、彼は自分より実力も経験も遥かに上の筈だ。数々の修羅場をくぐり抜けた強者にしか出せない言葉の"重み"を感じ取れる。自身の成長を促す為にも、素直に聞き入れる姿勢を取った。

 

「感情を"失くせ"とは言っていません。ただ制御出来るようにしておかないと、自分の動きが相手に読まれやすくなります」

「動きを、読まれる……」

「ええ。僕も昔に、感情に揺さぶられて剣を振った事があったんですよ」

 

 過去に思いを馳せているのだろうか。青年はどこか懐かしむように、顔を上げ虚空を見つめていた。

 

「そのお陰で動きを先読みされて、結局その時に相手をしていた人には敗れてしまいました」

「そんな、あの速さを……」

 

 一秒にも満たない時間で鬼を五体同時に屠れる程の速度を先読みできる人物がいた事に、炭治郎は驚愕を隠せない。

 

「まぁ結果的に敗れて良かったと思っていますが、最終選別(ここ)での敗北は"死"を意味します。だからよく覚えておいて下さいね」

「成る程……分かりました。でもどうして俺に?」

 

「はは、君が面白かったからですよ。……じゃあ僕はそろそろ行こうかな」

 

 炭治郎の質問を曖昧にしたまま、青年は土を払って立ち上がった。

 

「それでは炭治郎君、()()()()

「ッ!……はい!!!」

 

 

 そして去り際にそう言い放つと、目の前から姿を消した。僅かに生じた風によって舞い上がった落ち葉が足元に散らばる。

 

 

「…………」

 

 

 

 急に現れ、一瞬で鬼を倒して再び何処かへ去っていく…本当に風のような人だった。ここまで掴み所のない人間に出会ったのは生まれて初めてだ。けれど、最後にくれたあの言葉は……共に最終日を終えるまで生き残ろうという激励。嘘偽りのない、本心からの言葉だと嗅覚が告げていた。その事実を胸に抱くと闘志が漲ってくる。何度も戦い抜き、最後まで生き残って必ず彼に逢おう。

 

 

「さぁ、頑張れ炭治郎!!」

 

 

 

 これからが本番だ。今まで自分を支えてくれた恩人や友に報いる為にも、死ねない!!!

 

 

 

 

 

 ーーーーーー

 

 ーーーー

 

 ーー

 

 ー

 

 

 

 そして七日七晩が経ち、遂に朝が来た。

 

 

 

 「………やっ、た……」

 

 炭治郎は疲労で軽くふらつきながらも、選別が始まった最初の集合場所を目指す。

 

 

 ーー生き残れた。

 禰豆子への想いが、鱗滝さんが指導してくれた剣が、錆兎と真菰が一緒に叩き込んでくれた全集中の呼吸が、自分を生かしてくれた。そして、あの人の助言があったから、激情に駆られずに()()()を倒せた。

 

 

 集合場所に繋がる最後の雑木林を抜けると、まだ昇って間もない太陽が生き残った者を労うかのように辺りを暖かく照らしていた。その先には……

 

 

 

「やぁ、お帰りなさい。炭治郎君」

 

 

 頭に思い描いていた人物を視界に入れると、身体の痛みも疲労も忘れて走り出した。お礼を言いたい、もっとあなたと話がしたい。様々な思いが波のように押し寄せて頭を駆け回るが、まずは……

 

 

「ただいま戻りました!えっと、あの…」

「…あ、そういえば名乗ってなかったなぁ」

 

 

 

 

「僕は瀬田宗次郎。宜しくお願いしますね」

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

「鬼になった妹さんを元に戻す為にですか…」

「はい、必ず方法を見つけないといけません。家族は俺が守らないと」

「君はしっかりしてますねぇ」

「そ、そうですか?まぁ長男ですからね!」

 

   

 

 宗次郎と炭治郎は、鬼殺隊に入った動機を語り合いながら共に藤襲山を降りていた。今回の最終選別の合格者は自分達を含めて六人だけであり、内一人は集合場所へ来ずに行方不明となった。なので五人で童子達から鬼殺隊士についての説明を受け、先程聞き終わったのだ。

 

 鬼殺隊の階級は十段階で、当然合格者は最も下に位置する"癸"に選ばれる。階級(ソレ)は後で支給される隊服に刻まれるらしい。次に連絡手段として訓練された"鎹鴉"を送られたのだが……

 

 

 それはどう見ても、"梟"の雛だった。

 

 

 自分の手に収まる白い毛玉の姿は鮮明に記憶に残っている。鴉よりも遥かに小柄で丸っこい体型をしており、可愛らしいという素直な感想しか出て来ない。別の子には雀を当てがわれており、鴉以外にも沢山の種類がいるのかもしれない。そして最後に色変わりの刀……「日輪刀」を造る玉鋼を選んだ。鋼は直接自分の担当の刀鍛冶に送られるとの事で、帰るより先に重吉の所へ届くだろう。

 

 宗次郎が童子達の解説を思い返していると、歩いている道の傾斜が緩やかになり、民家が点在する場所に出てきた。話してる間に山の麓まで降りてきたらしい。

 

 

「宗次郎さんはこのまま帰りますか?」

「僕は一度茶屋に寄りたいですね。炭治郎君も一緒に来ませんか?」

「…お誘いはありがたいんですが、帰りを待っている人達がいるので今回は遠慮させて頂きます」

「そうですか、では一旦お別れですね」

「はい……」

 

 

 炭治郎は名残惜しそうにこちらの手を握り、深々と頭を下げた。

 

 

「本当にありがとうございました!貴方の助言のお陰で、俺は成長出来たんです!!」

「いえいえ、紛れもない君自身の力で突破できたんですよ。また逢える日を楽しみにしています」

「はい!それではお元気で!!!」

 

 

 手を振りながら遠ざかっていく炭治郎を見送ると、宗次郎も真っ直ぐに重吉の家へ向かい始めた。一度だけ茶屋に寄ってから戻ろうと考えていたが、気が変わった。

 

 

「………」

 

 

 自分でも、出会って間もない他人に興味を抱いている事実に驚いていた。鬼の討伐数が二十を超えた頃に出会った少年、竈門炭治郎。それ以前に見かけた志願者達とは雰囲気そのものが異なっていた。選別の中で交流し、間近で会話して改めて思ったのは……

 

 

 ーー彼は、自分の"真実"を持っている。

 

 

 宗次郎が求めてやまないものを、彼は確実に秘めている。妹を助けるという揺るがない覚悟と意志、選別でも恐怖に支配されずに果敢に立ち向かう勇気、不良少年から童子を守った正義感。躊躇いの無い行動は己の内に確固たる信念を宿しているからではないか。そう考えると彼の生き様はとても興味深い。緋村剣心(あの人)とはまた異なる眩しさを感じる少年、自分とはかけ離れた思想を持つ人物程面白いのだ。いつか共に任務を行う時が来るのを待とう。 

 

「……さて、僕も帰ろうかな」

 

 

 早く戻って刀を打って貰うべく、片脚を蹴って加速した。今まで放浪していた自分にとって、帰る場所があるという事は何処か違和感を感じる。けれど不思議と悪い気分はしなかった。

 その感情が何を表すのかも、鬼を斬り続けていたら理解出来る日が来るのだろうか。改めて、此処から先は未知の世界だ。新しい環境がもたらす様々な事柄を享受し、真実に近付く為前に進み出す。蒼き衣を風に靡かせて、期待を胸に宗次郎は大地を駆けた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 宗次郎が重吉の家の戸に手を掛けようとすると、向こう側から蹴破らんばかりの勢いで戸が開かれた。するとそこには異常なほど痩せこけた重吉が荒い息を吐きながら突っ立っていた。その血走った目に少し驚いたが、久しぶりに見る彼の姿に安堵を覚える。

 

 

「ただいま戻り『馬っ鹿野郎!!!!』」

 

 

 

 そして思い切り顔面を殴り飛ばされた。突然の仕打ちに何の反応も出来ずに宙を舞い、地面に倒れ伏す寸前で抱きとめられた。挙句その体格相応の怪力で締め上げられ、冗談抜きで呼吸困難に陥る。

 

「あのー、とても苦しいんですが」

「ったく、心配かけやがってよぉ……!お前が帰ってこなかったら、俺は…俺はぁ……!!!」

 

 

 先に玉鋼と一緒に生存の通達が鴉から届いていただろうに。そもそも心配していたのなら殴る必要は無かったのでは………。だがそんな宗次郎の非難の目に気付く事は無く、おいおいと暫く泣き続けた重吉であった。

 

 

 

「…?黒曜さん…」

 

 泣き声が止んだかと思えば、途端に抱きしめる力が弱まりこちらに寄り掛かるように体重を預けてきたので、顔を覗いて見ると気持ち良さそうに眠っていた。それを確認した宗次郎は一度溜息を吐いた後、彼を背中に乗せて居間まで運ぶ。肌からは血の気が無くなり目の下は大きなクマができているので、この一週間まともな食生活を送っていなかったのは容易に想像がつく。鍛冶狩りに襲われていた夜、己よりも死んでしまった仲間や隊士を第一に想っていた彼の事だ。今回も自分が無事に帰ってくるか心配で落ち着いていられなかったのだろう。

 

 

「…仕方ない、何か作ろうかな……」

 

 

 まだ痛みがのこる頬をさすりながらそう独りごちた宗次郎は、そばにあった毛布を重吉にかけて、足音が鳴らぬよう台所へと向かうのだった。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 暫しの休息。選別を生き残り帰ってきた日から一日一日をのんびり過ごしやがて九日が経った頃、重吉が宗次郎の日輪刀を打ち終えた。見本となった菊一文字則宗を事前に調べていたのが功を奏したのか、予定より五日早く完成したらしい。

 

「ほらよ、よく見てみな」

「……凄いなぁ、僕でも見分けがつかない」

 

 受け取った日輪刀は、重吉の宣言通り菊一文字則宗と瓜二つであった。握った時の慣れた感覚、刀の柄から鞘の先まで、正に生き写しと表現しても良いくらいだ。この人は普段はアレだが、とても優秀な刀鍛冶なのだなと頭の中で失礼な事を思い浮かべる。

 

 

「よし、………抜いてみろ」

 

 日輪刀は、持ち主によって刀身の色が変化する特性を持つ。九日前の弱々しい面影は何処へいったのやら、無言で面越しに殺気を放つ重吉に苦笑いを浮かべつつ宗次郎は思い切って鞘を引き抜いた。すると刀身が………

 

 

 

 ———()()()()()

 

 

 

「!……あれぇ?」

「おい何やってんだお前ェ!!?!」

「いやぁ、何もしてませんけど…」

 

 名刀を手本にしてまで苦労して打った刀が消えていく事態を前に重吉は怒髪天を衝き、胸ぐらを掴まれぐわんぐわんと揺さぶられるも決して笑顔を絶やさない宗次郎。二人が騒いでいる間にも、手にしている刀は段々と透けて…

 

 

「………止まった、か?」

「…みたいですね」

 

 

 "半透明"。重吉の慌てぶりから察するに、このような刀の色は前例が無いのだろう。やはり全集中の呼吸を会得していないのが原因か、それとも別の要素が絡んでいるのか……。

 

「見た事も聞いた事もねぇな…。どんな能力を有しているのかも想像がつかねぇや」

「あれ、怒らないんですか?」

「何で怒る必要がある?日輪刀が半透明に変わるなんて世紀の大発見だぜ!」

「切り替え早いなぁ」

 

 もっと見せてくれよと半ば力ずくで奪おうとしてくる重吉に全力で抵抗していると、刀が完成したのを悟ったのか、家の玄関に宗次郎の梟が降り立った。

 

「クルルー!」

 

 何故鳩っぽい鳴き声なのか解らないが、連絡や通達に支障が出ないのなら何でも良い。伸ばした腕に飛び乗って来る白い毛玉に笑みを浮かべる宗次郎とは違い、重吉は寂しげな表情を浮かべた。

 

「あーあ、お迎えが来ちまったか…。宗次郎、あんたの初任務だ」

「…らしいですね」

 

 

 今の今まで取っ組み合っていたのが嘘のように、二人は初めてこの家に来た時みたいに向かい合い、姿勢を正して座った。別れと感謝の言葉を述べる際くらいは態度で表さねば。

 

 

「黒曜さん。僕が新しい一歩を踏み出せるきっかけを作ってくれて、本当にありがとうございました」

「…おうよ」

 

 

 そう言い終えると、宗次郎は一礼をした。

 

「…俺の方こそ、命を救ってくれて……何より、選別から無事に帰って来てくれて、本当にありがとな」

 

 

 重吉も丁寧に礼をする。涙を堪えて体が震えているのが丸わかりだが、それを口出しするほど野暮ではない。そして頭を上げると立ち上がって簞笥のある場所まで歩き、宗次郎の刀を取って戻ってきた。

 

「ほら、あんたの刀だ。ちゃんと持『あ、預かってて下さい』…ぁ?」

 

 あれほど愛刀に固執していた宗次郎のありえない返答に、重吉は困惑する。

 

 

「鬼殺隊にいる間は持っていても荷物になるだけなので。全てが終わった後に……それを返してもらいましょう」

「な…ん、、」

「あ、時々顔を出しに戻っては来ますよ。此処が僕の"帰る場所"だって言ったの貴方ですからね」

「っ!!!……宗、次郎…!」

 

 意外と涙脆い重吉に、宗次郎は優しく笑みを浮かべると、自分を急かすように鳴き続けていた梟を頭に乗せて、草鞋(わらじ)を履く。そして玄関の戸に手をかけてこちらを振り向いた。

 

 

「今生の別れじゃ無いんだから、もっとしっかりして下さい。…それでは、行ってきます」

「…ああ!"行ってこい"」

 

 

 涙を拭いて玄関まで出てきた重吉は、元気に見送りの言葉を送った。宗次郎は軽く頷くと、日輪刀を手に添えて旅立っていった。この青年は必ず帰ってくる、彼自身が証明してくれたから。もう何も不安になることなんて無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(後朔、心弥……どうかあいつを見守っててくれ)

 

 

 

 

 

 見上げた青空に、二人の屈託のない笑顔が浮かんだ、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




新しい呼吸を覚えさせるか非常に迷いましたが、宗次郎は宗次郎のまま?活躍させたいので取り敢えず「天剣」「感情欠落」「縮地」の三つで頑張ってもらおうと思います。


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元凶 《前編》

前編後編とかやってみたかった……!






 

 

 人知れず悪しき鬼を斬る「鬼殺隊」。その組織の中で今、ある一人の隊士が噂となっていた。共に任務を遂行していた者達の証言によると、例の隊士は()()()()()()()()()()らしい。彼が鬼と相対しているのを目撃し、加勢しようと意気込んだ時には既に鬼の頚が落とされていた。その手にはいつ抜いたかも分からない半透明の日輪刀を握っていたという。

 眼にも止まらぬ剣技の速度…そして終始笑顔を崩さない独特の雰囲気も相まって、新しい"柱"候補ではないか、或いは「始まりの呼吸」と何か関連を持つ者ではないか、などと根拠の無い憶測が飛び交っていたのだ。  

 

 

 

 様々な階級の者から現在進行形で注目の的となっているその隊士は現在………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おじちゃん、この桜餅(特大)十個ください」

「ええっ!?正気かお前……」

 

 

 

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 鬼殺隊の隊士として任務をこなし始めてから早一ヶ月。宗次郎は激務に追われる日々に少し疲れていた。こうして茶屋でゆっくりと過ごすのも随分久しぶりに感じる。毎度通達を知らせに来る鎹鴉——もとい梟は見た目の幼稚さからは想像も出来ない程優秀であり、数多くの任務を的確に捌いている。しかし宗次郎の脚が異常に速い事を理由に、平気で一つの都道府県を跨ぐ程の距離を歩かせようとする。可愛らしい雛鳥なのに、基本的に容赦が無い。

 現時点ではあの"鍛治狩り"を超える強さの鬼を依頼された事は無いので、任務自体は一瞬で終了するのだ。それ故に与えられる数は多くなり移動距離も増やされていく。九州で鬼を討伐した数日後には四国へ急行するような経験もあった。同期で馬車馬の如く働かされているのは自分だけなのか…と思いながら桜餅を包んだ袋を抱えて茶屋を出ると、昼間よりも更に人通りが多くなっていた。

 

 

「わぁ……これは凄いや」

 

 

 

 今回の任務の場所は此処、東京府の浅草だ。十本刀に所属していた頃に何度か仕事で訪れたことはあったが、あの時代(明治)よりも更に町は発展し、他国との親交が深まった影響か西洋風の出で立ちをした人や初めて見る名前の飲食店などがちらほらと確認できる。三十四年の間に様変わりした文化や政治に関する知識は重吉の家で文献を読み漁っていた為ある程度は理解しているつもりだ。

 「腕は立つのに頭はパーなのねぇ」と、駒形由美(由美さん)に頻繁に指摘されていた。確かに元服の年齢を過ぎている身で無知なのは世間的に少し不味い。なので旅を始めてからはなるべく雑学や歴史文化には手を付けるようにした。

 

(カレーにオムレツ……そしてアイスリーム。僕の知らない物ばかりだ)

 

 まだ口にしたことのない洋食の店を見て周りながら浅草を散策する。本当は今すぐにでも入店して未知の味を堪能したいのだが、今夜は人と会う約束があるのだ。なので買った桜餅を頬張って我慢する。

 

 

「クルックー!」

 

 

 既に十個あった内の六個目の餅に手を出そうとした時に、丁度飛ばしていた梟が戻ってきた。そして定位置になりつつある宗次郎の肩にとまると、首を器用に反転させ背中の羽の手入れを始める。

 

「お帰りなさい。…で、何処にいました?」

 

 その問いに応えるかのようにまた一声鳴いた。恐らく他人からしたら鳩の声にしか聞こえないだろうが、一ヶ月を共に過ごした自分なら言葉として意味を捉えられる。

 

「町外れのうどんの屋台か…。あまり離れていなくて良かった」

 

 そこを待ち合わせの場所と定めるや否や、宗次郎は目的地に向かって歩を進めるのだった。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 人で賑わっている都市の中心地から離れた通路。其処にポツンとあった屋台のうどん屋に、目的の少年は座っていた。

 

 

「あっ、宗次郎さーん!こっちです!」

 

 

 お茶の入った容器を持ち、年相応に元気に手を振る少年…今夜会う約束をしていた竈門炭治郎だ。互いに選別を乗り越え隊士となって以来、定期的に鴉達を通じて連絡を取っていた。今まで一度も任務を共にした事がなかったが、今回は場所が重なったので合流するよう取り決めたのだ。手を振り返し、彼の前まで歩み寄った。

 

 

「やぁ。久し振りですね」

「ええ、本当に。お元気そうで何よりです!」

 

 

 屈託のない笑顔で、相も変わらず快活に喋る彼の様子を見ていると…溜まっていた疲労感が抜けていくのを感じる。

 

 

「道中で桜餅を買ってきたんですよ。炭治郎君も一つ食べます?良かったら……そこの妹さんも」

「あっ!…紹介が遅れましたね。妹の禰豆子です」

 

 

 宗次郎が目を移したのは、炭治郎の肩にもたれ掛かり静かに眠る少女。麻の葉文様のしっとりとした着物を着込み、兄と同じく朱色が混ざった綺麗な黒髪をしている。見た目は艶やかな雰囲気の少女だが、事前に聞かされていた通り間違いなく「鬼」だ。その鋭い牙を隠す為なのか竹筒を咥えている。

 

「へぇ……綺麗な妹さんですね」

「そうでしょう!町でも評判だったんですよ」

 

 そう言って胸を張り誇らしげに自慢する彼を横目に、じっくりと禰豆子(彼女)を観察する。…確かに、他の鬼には無い特別な"何か"を感じ取れる。この目で見るまでは実感が湧かなかったが、彼女には人間を襲う気配が全く感じられない。他ならぬ正直な炭治郎君が言っているのだ。

 

「…まぁ、彼女なら心配ないかな」

「…大丈夫です。禰豆子は決して人を傷付けたりしません」

「そんな不安な顔をしなくても分かってますよ。君は心配性だなぁ」

「あはは…。けど、俺以外に理解してくれる人ができてとても嬉しいです」

 

 

 禰豆子の紹介が終わると、宗次郎も座ってうどんを注文する。出来上がるまで時間があるので、買ってきた残りの桜餅を炭治郎と分けてとりとめのない談話を始めた。彼女にも分けようとしたが、気持ちよさそうに眠っているのでまた今度の機会に菓子を与える約束をした。

 

「それにしても大きいですね…この桜餅。一つだけでお腹一杯になっちゃいそうですよ」

「そうですか?僕はここに来るまで八つは食べたんだけどなぁ」

「えぇ!?本当ですか!!?……凄い」

「この一ヶ月は茶菓子しか食べてませんし。次は西洋の菓子を買う予定ですよ」

「…食事は栄養に偏りがないように心がけないとダメですよ?」

「別に大丈夫だと思うけどなァ」

 

 案外子供っぽい部分がある宗次郎を眺め、炭治郎はまたこの人の新しい一面が見れた…と内心嬉しく思いながらも無意識に長男力を発揮していた。

 

「けど、鬼殺隊にも宗次郎さんみたいに茶菓子が大好物の方がいれば良いですね!」

「確かに、その人とは色々気が合うかも」

 

 

 それからも会話は弾み、一日あたりの任務の量を彼に尋ねて見ると、なんと自分の三分の一にも満たなかったのだ。やはり己の任務量は明らかに多い。旅で慣れているので体力的には問題無いものの、ああも過剰に任務で予定が埋め尽くされては心のゆとりが持てない。本部は本当に自分が最下級の隊士だと理解しているのか怪しくなってきた。

 また、炭治郎も梟の言葉が理解できたことが判明した。過去に何度も任務を共にした隊士に試していたのだが、"クルックー"という一音節だけの鳴き声を言葉として捉えられたのは彼が初めてだ。何故この子の言葉が理解できないのかが理解できない、と名言みたいに述べる彼に自分も同意だ。

 

 会話が上手なのか、彼自身が生まれつき持っている特性なのかは不明だが、この少年と喋っていると何処か落ち着くのだ。正直今夜はずっと談話していても良いくらいだと、思い始めている自分がいた。

 

 

「そこで、俺は鱗滝さんから全集中の呼吸を教わったんですよ!」

「ああ、噂の呼吸法ですか。僕は教わらなかったんで代わりに教えて頂けませんか?」

「ええ、もちろん!先ずはこうやって………」

 

 

 

 

 

 

 ……………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 ………だが、それは唐突に終わりを告げる。

 

 

「……どうされました?」

 

 

 異変にいち早く気付き、次第に真っ青になっていく彼の顔を訝しげに見詰める。汗が滝のように首筋を(つた)い、呼吸は激しく乱れて全身を上下に荒く動かしている。突発的な何かが、発作でも起こったのかと思う程に深刻な様子であった。

 

 

「ッ……禰豆子をお願いします!!!!!」

 

 

 此方が行動を起こす前に彼はそう言い放つと、弾けるように席を立ち都市の中心地の方へ全力で走り去っていった。

 

 

「…………」

 

 

 

 突拍子な出来事に呆けていたのも束の間、常より冷静な宗次郎の頭脳は素早く回転する。

 

 繁華街を歩いただけで目眩がすると言っていた彼がわざわざ自分から大都市に向かって行った。それだけでも重大なのだが、何より驚いたのは()()()()()()()()()()()事だ。鬼殺隊に入った動機であり、常に傍らに寄り添い決して離れずにいた……「生きる理由」と形容しても差し支えない妹を、だ。

 つまりは彼女以上に優先すべき事態が大都市で起こったのだ。そうであるなら彼の突飛な行動にも納得が行く。……これは只事ではない。

 

 

「はいよー!山かけうどん三杯出来上がったぜ!…ってあれ?あの頭巾の兄ちゃんは?」

「……あー、すみません。この子を頼みます」

「はぁ?…あっ!おい!何処行きやがる!!うどん食ってけやぁああ!!!!」

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

『どこへ行こうと地獄の果てまで追いかけて、必ずお前の頚に刃を振るう!!!絶対にお前を許さない!!!!!!』

 

 

 

 

 …あの鬼狩りの言葉が、頭から離れない。

 

 

「あなた…さっきの子、やっぱり知り合いなんじゃないの?凄く怒ってたように見えたけど…」

「…いいや、それが本当に心当たりが無いんだよ。本当に、ね」

 

 

 あの"花札の耳飾り"……馬鹿な、一族は雲取山の住処で根絶やしにした筈だ。それが何故?

 

 

(あの場にいなかったのか…)

 

 

 …忌々しい。耳飾りをつけた鬼狩りが未だに存在していると分かった途端に、憤怒などと生優しい言葉では言い表せないドス黒い感情が己を支配するのを感じる。アレは早急にこの世から消さなければならない。

 

 

 そう考えている内に、迎えの車が目の前に止まったが、最早意識は例の鬼狩り唯一人に向いている。今すぐに奴等に命令を下さねば…。

 

 

「あれ?お父さんは来ないの?」

「…仕事があるんです。商談に行かなければなりません。それに先程の騒ぎも気掛かりだ」

「あなた…」

「大丈夫。警官に尋ねるだけですから」

 

 やがて納得し、車に乗った二人を見送ろうと近くに歩み寄る。すると娘が窓枠から顔を出し手を伸ばしてきた。

 

 

 

「お父さん!後でねっ!」

 

 屈託の無い笑顔で伸ばされた手に、こちらもクスリと微笑みその手を握ろうとする。

 

 

「えぇ。それではまた——————」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———————トンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …この瞬間、彼は"耳飾りをつけた鬼狩り"以外の事は眼中には無かった。加えて、仮初(かりそめ)とはいえ目の前には自分の愛する娘。普段とは違う己の姿を晒す訳にもいかなかった。詰まるところ、()()()()()()()()。だからなのだろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"瞬天殺"」

 

 

 

 

 

 

 

 気配を完全に断ちつつ、超神速……否、()()()()()()()()()()()で此方に向かって飛び込んで来る一つの影。実に、数百年振りに迫り来る『命の危機』に———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——————気付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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元凶 《後編》

うむ…宗次郎に禰豆子を何て呼ばせようか。原作であまり歳下の子との接触が無いから難しい





 

 

『ところでよぉ宗次郎。鬼はどうやって増えていくと思う?』

 

 文献を借りて読んでいる最中に、背後から胡座(あぐら)をかいた重吉が意味深な口調で問い掛けてきた。確かに鬼についての生態で繁殖方法だけはまだ説明されていなかった事を思い出し、口を開く。

 

『…そうですね、やはり人間みたいに子を成すんじゃないですか?』

『まぁそう思うわな。だがそんな非効率な繁殖の方法だったら、世の中鬼でごった返してねぇよ』

『人間はごった返してるじゃないですか。勿体ぶってないで早く言って下さいよ』

 

 卓袱台に広げていた資料や文献を簡単に整理整頓してから宗次郎は重吉の方へ向き直る。

 

『聞いて驚け……()()()()()()()()()()()()、その人間は鬼に変貌しちまうんだ』

『……え?それだけで?』

 

 彼の言う通りだったとすれば、並の感染症よりも恐ろしいではないか。尋常ではない速度で人が鬼へと変えられてしまう。下手をすれば、戦闘の最中で相手の血が口などに入ってしまう可能性もある。最終選別の時は身体に少量かかった程度だったが、今度から注意を払わなくてはならない。

 

 

『あー、言葉が足りなかったな。そんな芸当が可能な血を持つのは"たった一体の鬼"だけだ』

『そうなんですか?じゃあ普通の鬼の血が体内に入っても…』

『問題ないな』

 

 それを聞いて少し安堵したと同時に話の内容が思いの外重要だったことを認識し、こちらから疑問をぶつける。

 

 

 

『つまり、その"鬼"こそが…』

 

『……ああ。鬼の始祖にして元凶、そして鬼殺隊(オレたち)の最終目標でもある。そいつの名は—————』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————————彼が、"鬼舞辻無惨"………

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 宗次郎が屋台を離れ走り始めてまもなく、炭治郎の後ろ姿を視認できた。当の本人は動揺し過ぎて周囲に気を配れていないのか、一定の距離を保ちながら着いていく自分に全く気付かない。合流して共に目指す場所へ向かう事も出来たが、今回は敢えて実行しなかった。彼の辿り着く先が自分の()()()()だったとしたら…この判断が正しいと言えるからだ。

 

 やがて多くの人々が行き来する町の中心部に戻ってきた頃に、遂に彼は足を止め一人の"男"の袖を掴んだ。

 

 

「…………」

 

 

 西洋風の出で立ちをした細身で色白の男性。年端もいかない少女を両腕で抱えており、二人揃って鬼気迫る表情をした炭治郎に訝しげな視線を送っている。普通に見れば何の変哲もない親子である。

 しかしあの男性だけは……確実に「鬼」だ。

 

 

 

 炭治郎の家族は、彼自身が留守の間に鬼に皆殺しにされ、その中で禰豆子だけが存命していた。…そう、()()()()()()()()()()()時点で仇の正体には察しが付いていた。彼が妹より優先する事ならば仇の相手以外あり得ないだろう。

 …だが未だに確信は持てない。宗次郎は人混みに紛れ空気にすら溶け込むように気配を断ち、いつでも動ける様に刀に手を添えながら静かに見守る。

 

 

「あら、どうしたの?」

「お母さん!」

 

 

 やがて母親らしき大人の女性が合流した。その姿を見た炭治郎は中途半端に刀を抜きかけたまま、先程よりも更に平静さを失い困惑している。彼の様子から察するにあの女性と少女はやはり人間…。

 

 

「この子、お知り合い?」

「いいや……困った事に少しも知らない子ですね」

 

 

 彼女達は男が鬼だと知らないのか、逆に敢えて承知の上で共に行動しているのか。背後関係が全く見えてこない。また彼が()()()なら炭治郎など一瞬で殺せる筈だ。それを防ぐべく距離を保ち少し構えているのだが、本人は危害を加えるどころか知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。日輪刀を所有している彼が鬼殺隊士だと気付かない訳が無いだろうに…何かを企んでいるに違いない。

 

 

「人違いでは、ないでしょうか」

 

 その瞬間—————

 

 

 

 

 

 すれ違った男のうなじを、()()()()()

 

 

 

「「!!!」」

 

 

 

 常人では到底反応出来ない速度で繰り出された攻撃(ソレ)に男は為す術もなく、やがて傷を付けられた患部を手で押さえ苦しみ始め……

 

 

「ゴッ……ガアァァアアアア!!!!!!」

 

 

 狂乱し隣の女性の首筋に噛み付いた。炭治郎が叫びながら男性を引き剥がし地面に押さえ付けている。彼の身体にどういった変化が起こったかは一目瞭然であり、同時に九分九厘まで確信していたあの鬼の正体が「確定」した瞬間だった。

 まさか、こんなにも早く………

 

 

 

「麗さん危険だ。向こうへ行こう」

「え、ちょっと月彦さん…」

 

 

 始まりの鬼、"鬼舞辻無惨"は興味無さげにもつれ合う男性と炭治郎を一瞥し、女性と少女を連れて遠ざかっていく。

 

 

 

 

「ッ!!鬼舞辻無惨ッ!!!!!」

 

 

 普段は温厚な彼が初めて見せた激昂は、正に想像を絶するものであった。段々と遠ざかる仇敵に向かってひとしきり叫び終え、即座に追撃すると予想していた。

 しかし意外にも追跡せずに、鬼となった男性を必死に駆けつけた警官から庇っている。家族の仇であり妹を人間に戻す鍵でもある鬼舞辻よりも、鬼に変えられた見知らぬ男性を助ける事を選んだ。抜刀を躊躇っているのも、周囲の人達を巻き込まない為。そういった行動全てが彼の根底を成すもの…彼自身の"真実"なのだろう。自分にはあの様な判断は難しい。けれど、彼にはあるものが無いからこそ出来る事もある。

 宗次郎は目前で起こっている騒動から背を向け、人に紛れて見えなくなった「討伐目標」が去った方向を眺めて歩を進めた。

 

 

 

 ーー自分は()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 炭治郎達の元を離れた宗次郎は、単独で鬼舞辻を追跡しながら様々な考えを巡らせる。

 

 

 鬼殺隊士を殺さずに正体を隠し、一般人を鬼に変えわざと騒動を起こして自分は立ち去る…。彼はどうも周囲からの注目を浴びたくないらしい。本性を現さない理由として挙げられるのは、やはり共にいる女性の親子。あの二人は先程の動揺ぶりからして、「鬼」という存在を知らないのはほぼ確実。仮の家族の前…と言うより()()で堂々と鬼の力を使えない訳だ。 

 人間の親子…特に娘との仲睦まじさは際立って宗次郎の目に焼き付いていた。時折彼女の頭を撫でつつ談笑しているその姿は、正に人間のような完璧な振る舞いであった。鬼を増やしている元凶が、ご丁寧に偽名まで使用して良いご身分だ。そのような人間ごっこに勤しむ暇があるなら、いくらでも付け入る隙はある。

 

 

 

 ーーこれは"絶好の機会"だ。

 

 

 

 十本刀に所属していた時期の宗次郎の主な任務は「要人暗殺」。感情欠落と縮地の組み合わせによる絶技を志々雄に認められ、明治政府の重鎮を数えきれないくらい葬り去ってきた。その中には明治政府内務卿"大久保利通"なども含まれている。

 今回の標的は大久保卿と同等かそれ以上の大物、失敗する訳にはいかない。宗次郎は一切の足音を立てずに建物の上に跳び移り、屋根伝いに追跡を続ける。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 多少の問題はあった。仮にこれで鬼舞辻の討伐が成功すれば、禰豆子を含む他の鬼はどうなるのか。何より自身の新たな真実(こたえ)探しは早くも終わりを迎えるのだろうか…。葛藤したが、やはり目の前の千載一遇の好機をみすみす逃すような真似は出来ない。結果的に多くの人々を救えるかもしれないのだ。

 気配を完全に消した宗次郎は、斜め前の通路を歩いている鬼舞辻一行を静かに見下ろす。技を放つ瞬間を見極める為だ。己に接触をした鬼殺隊士を排除するべく彼は間も無く単独行動をとる筈だ。独りになってしまえば警戒心は今の何十倍にも跳ね上がるが故に、絶対に親子と行動している内に仕留めなければならない。

 鬼舞辻を斬ってしまったらあの二人は絶望し泣き叫ぶやもしれぬ、優しい炭治郎(あの子)はそれを思って躊躇したのだろう。だが()()()()()()()()()()()。元より「哀れみ」の感情などとうの昔に失ってしまったのだから。

 

 

 

(…さて、そろそろかな)

 

 

 

 彼等の歩みが止まった。車に向かって鬼舞辻が手で合図すると、親子の前で停車する。彼女達を送り単独で行動に出るつもりだ。

 

 

 宗次郎は接近できる範囲で最も奇襲を掛けやすい位置へ移動し、日輪刀に手を添え"縮地"の構えを取った。今宵の標的は敵の頭目、出し惜しみをする気など全く無い。無いのだが……

 

 

 実は、今の"縮地"を完全には制御できていない。

 

 

 三段階速くなったのは良いが、自分が思う以上の速度が出て身体の方が付いていかなかった。旅の途中から脚力を慣らすように鍛錬を重ね続け、つい最近"一歩手前"までを制御可能になったのだ。しかし零歩……即ち"縮地"だけは未完全のまま。

 それを完成すべく宗次郎が目を付けたのが「全集中の呼吸」、その基礎となる"常中"と呼ばれるものだ。あの特殊な呼吸法を組み合わせれば、更なる能力の向上へと繋がるかもしれない。そう考えて今夜は炭治郎に教わる予定だったが……致し方ない。

 速度において、"縮地"と"一歩手前"は()()()()()()()()。此処は安定性を失っても速さで勝負するべきか…仕留める前に標的が此方を察知したらお終いだ。確実に斬るのに一歩手前では心許ない。

 

 

 迷った挙句、宗次郎は前者を選んだ。捨て身の一撃と例えるなら大袈裟に聞こえるかもしれないが、制御不可能な故に身体を何処かにぶつけて無理矢理勢いを殺さなければこの暗殺は成功しないのだ。

 

 

 

「………………」

 

 今一度呼吸を整え、目を見開き真顔となる。こちらの世に来てから最も集中しているだろう。極限まで感覚を研ぎ澄まし抜刀せんと体を前に倒す。後は彼の警戒が最も弱くなる瞬間に、技を決めるのみ。

 

 

 

 

(まだ………)

 

 

 

 車の窓から少女が顔を出す。

 

 

 

(まだ………)

 

 

 

 少女が鬼舞辻に向けて笑顔で手を伸ばした。

 

 

 

(まだ………)

 

 

 

 

 その手に鬼舞辻も自分の手を………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——————————今ッ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——————"瞬天殺"」

 

 

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

「ぁ…………………が…ッ………」

 

 

「………お、とうさ、、」

 

 

 透き通る様な真白い柔肌を朱に染めた少女は、愛する父親の惨劇を……()()()()()()()を目の当たりにして呂律が上手く回らない。同じく夫の返り血を浴びた前席の母親は、あまりにも突然過ぎて頭の処理が追い付かず、手で口を押さえて声にならない嗚咽をあげながらその凄惨な姿を見つめる事しかできなかった。

 辺りの人々も何が起こったのか分からない。悲鳴を上げるのも忘れ…重力に従って徐々に千切れていく男の首を、ただ愕然と眺めている。そして一斉に、先程轟音と共に向かいの建物に激突した影に目をやると……

 

 

「…退いて下さい」

 

 

 刀を手に握り、頭から血を流した青年が起き上がった。土埃を払い除けながら歩を進め集まった人々を退かすや否や、その場で跳躍し一直線に男の元へ飛び込んで行く。凄まじい速さで動いた青年を誰一人として捉える事は出来ない。

 

 

 ———僅かに、逸れてしまった。

 

 

 やはり今の"縮地"で正確に狙いを付くのは無理があったらしい。文字通り()()()()()だけで繋がっている状態だ。想定外の事態に備えれるように、出来る限り衝撃を和らげられる体勢で家屋に激突した。

 まだ斬ってから十秒程度しか経っていない。相手は始祖の鬼……そこらの鬼と同様の常識で捉えていては足を掬われる可能性がある。再生する暇も与えず速やかに次の斬撃を叩き込む。

 

 疾風の如く荒々しく、絶大な推進力を活かした斬撃が鬼舞辻の頚に振り下ろされる寸前———

 

 

 

 

 

「やだ…………やだよぉ……」

 

 

 彼に接近する小さな存在に気付き、動きを止めた。鬼舞辻を父親と認識している人間の少女だ。いつの間に車体から出てきたのか、半ば放心状態で彼自身の側に寄り添っている。夥しい鮮血の中心で、その表情は歪み始め……

 

 

「お父さ……いやぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 

 感情の糸が切れて一気に爆発した。涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らした少女は、小さく痙攣を繰り返す鬼舞辻に顔をうずめる。その光景に、宗次郎は大きく溜息をついた。其処にいてはどの角度から斬っても巻き込んでしまう。

 

 

「……離れて下さい、邪魔です」

 

 

 この瞬間どんな黄金にも勝る一秒一秒を、こんな子供に割く訳にはいかない。出血で少し意識が朦朧とする中で、鬼を庇うように背中を向ける少女を片手で掴み引き剥がそうとするが、彼女のしがみ付く力も相当なもので絶対に離れないという執念を感じられる。もたついている内に、周りの人々も異変に気付き騒ぎ始めた。

 

 

(……ああ、面倒だなぁ)

 

 

 もう彼女を刀で脅す時間も惜しい。可能なら避けたかったが共に叩き斬ってしまおう。そう決意し、再び刀を振り上げたその時——————

 

 

 

「—————ッ!!!!」

 

 

 

 紅く煌めく眼光が……か弱い少女に抱かれているとは思えない程の、強烈な殺気と憎悪を宿して此方を射抜く。そして闘いの最中で何度も見てきた、()()()()()()()表情。最早疑念は確信へと変わり問答無用で斬撃を繰り出そうとした、その直後………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー「弦楽器」のような音が、脈絡もなく頭の中に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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雲隠れ

どうも、リアル多忙の作者です。
ちょこちょこやっていくう





  

 

 夜になっても人通りの減らない大都会、東京府の浅草を三人の男女が疾走していた。人々がゆったりと歩く町中で明らかに場違いな行動をしているにも関わらず誰も彼等を気に留めない。いや、()()()()()()といった方が正しいのかもしれない。

 

「珠世さん!愈史郎!こっちです!」

 

 実の妹が収納された木箱を背負う鬼殺隊の少年、竈門炭治郎はすぐ後ろにいる二人に声を上げる。

 

「ええ、やはりあの男の血の匂いで間違いないようです。段々と強くなっていく……!」

 

 鬼の女性、珠世は対象者を惑わす血鬼術「惑血」を行使しつつ返答し目的地へと急ぐ。

 

「おいお前!珠世様を気安く名前で呼ぶな!あと俺も呼ぶな!!」

 

 そして唯一人話の論点がズレた言動を炭治郎に投げかける鬼の少年、愈史郎はしかめっ面をしながらも己の主人が転ばないように気を配っていた。

 

 

 彼等が知り合ったのはつい先程。鬼となった者にも「人」として接し助けようとしている炭治郎に感化された珠世は、苦悩している彼に救いの手を差し伸べた。男性は彼女が保護する事になり、互いに話をするため禰豆子と共に愈史郎に連れられ二人の隠れ家に案内された。そして少し落ち着いた所で対談が始まろうとした直後であった……

 

 

 「あの鬼」の血の匂いがしたのは。

 

 

『ッ!?!珠世さん、この匂い…!!』

『……!まさか、あの男が傷を!?』

 

 両者並外れた感覚で異変を察知する。それは禰豆子も愈史郎も同様であり、禰豆子に至っては額に血管を浮かべ殺気立っている。

 

『匂いの強さからして深手を負ったみたいですね。貴方以外の鬼狩りが戦闘を仕掛けたのかもしれません。しかしなんと無謀な…』

『そんな、此処に任務で訪れているのは俺と…おれと、、』

 

 

 その瞬間咄嗟に思い浮かんだのは、一人の笑顔が印象的な青年。うどん屋の周辺を探しても見当たらなかったので、話していた洋菓子屋に立ち寄っているのかと思っていたが、まさか……

 

 

『…ッ、俺は匂いがする場所に向かいます!多分俺の知人も其処にいる!』

『馬鹿か!相手はあの鬼舞辻だぞ!もっと冷静に『向かいましょう』…なっ、珠世様!?』

『今宵、負傷したのはあの男にとって誤算に違いないでしょう。そこを上手く利用すれば何か収穫があるやもしれません』

 

 

 冷静に状況を把握する珠世に諭され、渋々ながらも納得した愈史郎も加えて……急遽鬼舞辻無惨の血の匂いを辿る事になったのだ。そして現在、目指していた場所はもう目の鼻の先であった。

 

 

(よし!あそこだ)

 

 

 嫌悪感すら感じる匂いが一際濃厚に鼻を刺激する。目的地に通じる最後の曲がり角を過ぎると、遂に匂いの根源に辿り着いた。その場所には———

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 ーー()()()()()()

 

 

 鬼舞辻はおろか、誰かが争った形跡さえも見られない。辺りの人々も異変は見られず何食わぬ顔で町を往来している。だが此処であの鬼舞辻が負傷したのは確かだ。証拠に今も嗅覚に優れた者でしか分からない血の匂いが強く残っているからだ。炭治郎達は周辺を素早く散策し、やがてもう一つの血の匂いがすることに気が付いた。炭治郎にとってそれはあまりにも身に覚えがあり……

 

 

(やっぱり宗次郎さんだ…!何処に行ったんだ!?)

 

 

「珠世様、これはやはり…」

「…一足遅かったようですね。()()()が為されています。いつだってそう、鬼舞辻(あの男)は自分の痕跡が残る事を極端に嫌う。ですが…」

 

 

 突然顔を上げ、ある一点を見据える珠世につられ炭治郎も目で追うと、そこにはとても狭い路地があった。入り口は闇で包まれ先が全く見えず、不気味な雰囲気を放っていた。

 

 

(何だろう、嫌な予感がする…)

 

 

 気のせいでは無い。遠目から見てもあそこに入れば二度と戻ってこれないような感覚に陥る自分がいる。それに辺りの人々は不自然過ぎる程にあの路地を避けている。まるで何者かによって無意識に操作されているように…

 

 

「気付きましたか?あの路地は明らかに()()()()()()()()()。恐らく血鬼術によって作られた結界…それもかなり高度な類いでしょうね」

 

 空間を歪める……そんな想像すら出来ないような事象を簡単にやってのける血鬼術。炭治郎は鬼という生物の恐ろしさを改めて全身で感じ取っていた。だが決して臆さず、前へと進む決意を固める。雲隠れした鬼舞辻も宗次郎も、この結界内の何処かにいるかもしれない。

 

 

(大丈夫だ……あの人は俺なんか足元にも及ばないくらい凄く強い。必ず生きている!!)

 

 宗次郎(あの人)の血の匂いがする事から想定し得る"最悪の可能性"を脳内で無理矢理ねじ伏せた炭治郎は、箱から出てきた禰豆子を含め全員に呼びかける。

 

 

「…行きましょう」

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 路地の奥に形成された広大な結界。其処は正に複雑に入り組んだ回廊であり、上下左右の区別がまるで無い。

 

 

 

 

 ーーダンッ!!!!

 

 

 

 無限にも等しい広さを誇る回廊の一部分、大きな着地音を立て間髪入れずに再度大きく跳躍する一体の鬼の姿があった。その眼球には鬼舞辻無惨直属の配下の証である「数字」が刻まれており、そこらにいる有象無象とは純粋な強さの格が違う。()()は単体で数多の鬼狩りを葬ってきた正真正銘の猛者だ。余程の事態が起こらない限り、後れを取るなどあり得ない。そして今………

 

 

「はぁっ…ぐ、、こんなの…聞いてない!」

 

 

 まさにその事態が起こっていた。深く(えぐ)られた右肩は()()()()()()()()、溢れ出る血を片手で抑えつつ空中で全方位を警戒する。一瞬の隙が命取りになってしまう状況に頭が狂ってしまいそうだった。

 

 

(っ、何故…!私達の方が有利だったのに!!)

 

 下弦の"肆"零余子は内心で叫ぶ。一体どうして、つい先程まで追い詰めていた筈の鬼狩りから距離を取らなければならないのか。いや、そもそも何故自分が此処で戦う羽目になってしまったのか?絶望に打ちひしがれ、これまでの一連の流れが走馬灯の如く脳裏に浮かび上がる。

 

 

 

 それは遡ること数刻前————

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

「ここは……何処?」

 

 

 突如琵琶のような音が鳴り響き、気付けば全く見覚えの無い場所に立っていた。和風の居間や階段、城の内装を引っ掻き回したような複雑な構造をしている。天井を見上げても夜空は見えず、全方位同じような光景が延々と広がっている。

 異様な空間に呆気に取られていると、また琵琶の大きな音が耳の奥まで届いた。その瞬間、両隣に新たな二体の鬼が出現する。

 

 

「なっ……」

「…何だ?この場所は……」

 

 

 どちらも面識は無いが、両者共に眼に数字が刻まれているので…自分と同じ十二鬼月だろう。やはり何が起こったのか理解していない様子だ。

 

(下弦の"陸"と"参"ね。下弦の"伍"を除いて序列の低い者から集められている…?)

 

 何故この場所に下弦の鬼の半数が集められたのかを疑問に思うや否や、再び琵琶の音がこの空間全体に鳴り響く。何者かが琵琶を鳴らすことで対象を移動させている…もしくは空間そのものを捻じ曲げている?どちらにせよ、並の鬼が使うような血鬼術では無い。まさか上弦の鬼なのか……。

 思考を繰り返している内に再び移動した。先程より見晴らしが良く、大広間のような場所だ。周囲を見渡そうと視線を上げると————

 

 

 

 

 

 

「…揃ったようだな」

 

 

 

 

 

 

「!!!!!?!」

 

 

 

 ーー鬼舞辻様!!!?

 

 

 その存在を視界に入れたと同時に、頭を垂れて平伏する。他の二体も言わずもがな、主の前でそれ以外の姿勢など考えられない。

 

 

「面を上げよ」

 

 

 指示を受けゆっくりと顔を上げる。普段通りの西洋風の出で立ちをした御姿、そのすぐ後ろには自分達を移動させていたと思わしき琵琶を抱えた女が控えている。しかしその女に意識を向ける余裕など、零余子達には全く無かった。理由は単純……

 

 

「………」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()。主人から放たれる憎悪、不快感、様々な激情が刃に変わって全身に突き刺さるような感覚。一体何が起こればこれ程までに機嫌を損なわれるのか。もしや自分達が知らぬ間に無礼を働いてしまったのではないかと気が気でなかったのだ。発汗が、身体の震えが…刻み付けられた「恐怖」が全身を支配する。込み上げてくる吐き気を必死に我慢しながら、その口から言葉が紡がれるのを待つ。

 

 

 

(……?…………!!)

 

 

 …と、ここで零余子は、鬼舞辻の首元の異変に気付いてしまった。

 

 

(なっ……刀傷!?)

 

 間違いない…僅かだが、刀で首を斬られた跡がある。信じられない、まさか——————

 

 

 

 

 

 

「——私が鬼狩りに後れを取ったと、そう言いたいのか?」

 

「……ッ!!!!」

 

 

 その言葉の矢先は、隣にいる下弦の陸。首筋の傷を見た時の己の思考が露呈したことを悟った下弦の陸はみるみる内に血の気が失せていく。恐怖で震える身体を前へ突き出し、必死に弁明をせんと羅列が回らない口を動かす。

 

「いっ、いえ!!決してそのような事は思っておりません!俺はただ、その傷により貴方様の御身体に支障が出るのではと危惧し『何故私が貴様の如き矮小な存在に気を遣われなければならない?』っ、お、お待ち下さ、、ごバぁア!!!!」

 

 

 鬼舞辻の身体から伸びた異形の触手が真横に座している下弦の陸の上半身を抉り取った。断末魔と共に大量の血飛沫が上がり床を段々と朱色に染めていく。

 

 

 

「…っ、」

 

 思考を読まれてしまうと察知した零余子は、先程咄嗟に己の舌を噛み切っていた。予想を遥かに超えた激痛に思わず顔を歪ませるが、その痛みが原因で何も考えられなくなる状態になる事こそが狙いであった。こうでもしなければどうなっていたか……想像しただけで胃がきりきりと痛む。

 

 

 

 下弦の陸を喰い終えた鬼舞辻は、恐怖におののく二体を睨みつけ重々しい声で話し始めた。

 

「浅草に()()()()()を使い、鬼狩りを一人閉じ込めた。"半透明の刀"を持った男だ。下弦の半数を仕向ける予定であったが…もう良い。貴様達だけで奴を速やかに殺せ」

 

「「仰せのままに!」」

 

 有無を言わさぬ声色で出された命令に秒で再生させた舌を使い二つ返事で了承すると、女が再び琵琶を構え直し甲高く音を鳴らした。

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

ーーーーー

 

ーー

 

 

 

 

 …移動したと同時に感じる人の気配。あの御方が仰っていた鬼狩りで間違い無い。どうやら琵琶女が浅草の結界内に送ってくれたらしい。

 

 

「……はぁ…」

 

 

 あの重々しい空気から解放され、束の間の安堵感を覚える。乱れた呼吸を落ち着いて整えてすぐさま状況把握へと移行する。

 

 

「何故だ…何故"伍"ではなく"(オレ)"なんだ!数字の低い者からの筈なのに!!」

「…五月蝿い。少し黙ってて」

 

 耳元で大声を出す下弦の参に不快感を抱き舌打ちをする。下弦の伍だけが除外されたのはあの御方のお気に入りだったから、(おおむ)ねそんな理由だろう。今更喚いて何になるのか。しかし今回はこの男と協力して"半透明の刀"を持った鬼狩りと戦わなければならない。

 

 既に一人欠けてしまったが、下弦とはいえ十二鬼月三人がかりで一人の鬼狩りを殺せという普通では有り得ない命令。あの御方がその鬼狩りを「脅威」と見做したのも同然だ。目の前では思考するのも憚られたが、首筋を負傷させたのも同一人物で間違いないだろう。

 正直手強いどころの話ではない。方法は不明だが()()()()()()()()()()()()相手だ。本当に下弦二人のみで対処可能なのか?

 

 

(ああ、不安だ…)

 

 

 今まで「柱」などの自分より格上の相手からは逃げようと考えていたのに、主人直々の命令とあらば戦う以外の選択肢は無い。それ以前に、下弦の陸と全く同じ事を考えていたのが見抜かれている可能性もある。奇跡的に見逃してもらえただけなのかもしれない。

 いずれにせよ、鬼狩りに勝利して首を持ち帰らなければここで一生を終える事になる。

 

 

 

(……やるしか、ないのね)

 

 

 覚悟を決めた零余子は下弦の参へ視線を移す。その手首には少量の血が付いており傷を再生させた跡があった。この男も自傷行為で咄嗟に思考を遮断させたのだろう。判断力は充分にある。

 

 

「ねぇ、どんな血鬼術使うの」

「…何だと?」

「手の内を見せ合うのよ。その方が連携取りやすいでしょ?」

「…そうだな、分かった」

 

 

 

 互いの血鬼術を説明し終えると、手短に役割分担を決めて遂に戦闘を仕掛ける準備が整った。

 

 

 

「———!」

 

 

 相手もこちらに気付いたようだ。この距離感で勘付いている時点で、並の鬼狩りでは無い。己が斬る対象を見つけたからか、不気味な笑みを浮かべたその青年は刀を握り直すと、トーン、トーンと軽く跳躍し片足を一定の感覚で床に打ちつけ始めた。

 ただならぬ雰囲気を感じた二体は余計な思考を省き、たった一人の敵に全神経を集中させる。

 

 

「俺が接近して迎撃する。手筈通り後方支援は任せた」

「…ええ」

 

 

 

 

 数秒の沈黙の後—————

 

 

 

 

 下弦の参と鬼狩りの姿が掻き消えたと同時に、殺し合いは始まったのであった。

 

 

 

♦︎

 

 

  

 役割は単純、近距離に特化した血鬼術を使う下弦の参は鬼狩りと接近戦を繰り広げ、零余子は遠距離から血鬼術で下弦の参の位置を錯乱させる。そして隙があれば自分も接近し攻撃を行う。

 数の有利を生かして鬼狩りを圧倒していた。血鬼術を纏った腕で首を刎ね飛ばさんとする下弦の参の一撃を間一髪で躱したり、鞘受けで強引に弾き返したりと防戦一方だ。鬼狩りが反撃しようにも辺りには零余子が作り出した無数の幻影が存在しており、あちらの斬撃が届く前に幻影の中へ飛び退くと鋭利なその刃は虚しく空を切る。この幻影は元の対象とほぼ同じ動きをするが故に簡単には見分けが付かない。そしてもう一体の鬼、即ち零余子自身の闇討ちも警戒しなければならない。

 三つの影と大量の幻影が凄まじい速度で広大な空間を跳び回り、激突する衝撃の余波だけで構造物が爆音を立てて崩れていく。

 

 

 

 ーーこれは殺せるかもしれない。

 

 

 零余子と下弦の参は息をつく暇もない攻防の中、頭の片隅でそう確信した。この鬼狩りは既に()()()()()()()。遠目からでは分からなかったが、額から流れる血、所々に見られる傷痕。そして何よりも脚を挫いているのだ。着地の瞬間、僅かではあるが脚を引き摺る動作が見られた。恐らく鬼舞辻様に傷を負わせた際に自分自身も痛手を食らったのだろう。にも関わらず、人間とは思えぬ跳躍力と速さで下弦の鬼二体の波状攻撃を今も耐え忍んでいるのは化け物じみているが…。

 

 それでも相手が本調子でないのは幸いだ。このまま逃さずに猛攻を繰り返せば必ずボロが出て隙を見せる。其処を突けばおしまいだ。人間は鬼と違って非常に脆いのだから。零余子と下弦の参は動きを更に速める。一刻も早くあの御方に鬼狩りの首を差し出し、自分達はまだ役に立つと証明しなければならない。こんな所で終わるような器では無いのだと。焦りを闘争心に変え、ただ我武者羅に目の前の敵を削っていく。

 

 

「—————!!!!」

 

 

 そして遂に零余子達の願いが届いたのか、幻影に紛れた下弦の参の跳び蹴りを防いだ鬼狩りが後方へ吹っ飛び足場に着地した瞬間、ガクン!!と大きく体勢を崩した。これを見逃す手は無い。

 下弦の参は即座に詰め寄り、今まで以上に禍々しい瘴気を纏った腕で止めの一撃を鬼狩りの首目掛けて放った。

 

 

 

 ————獲った!!!

 

 

 特大の血鬼術による衝撃波を離れた場所から眺めていた零余子は思わず拳を握り締め歓喜に浸る。あの不安定な体勢では絶対に避けられない、確実に仕留めた。

 

(やった…"半透明の刀"の鬼狩りを私達だけで倒した!)

 

 今までの鬼狩りで最も手強かったが、これでもう安心だ。下弦の参が落としたであろうその首を回収するべく、零余子は軽い足取りで爆発の中心地に接近する。血鬼術により周囲に放たれた大量の瘴気を腕で払い進んでいくと、

 そこには想像通り———————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つの()が床に転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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"四歩手前"

お久し振りです……そして宣言します。
次は今回より早く投稿するとぉ





 

 

 零余子の全思考が停止した。…目を充血させ、言葉にならない呻き声を上げながら消滅していく()()()()()()を見つめて。

 

 

(なに、これ……嘘でしょ…)

 

 

 幻覚の血鬼術を扱う自分ですら、目の前の光景が幻なのではないかと再三の疑いをかけてしまう。だが思考が戻っていく内に、これは現実なのだと認めざるを得なかった。

 

 

 

「あぁ、上手くいきましたね」

「!!!」

 

 

 近づいてくる足音、未だに漂う大量の瘴気の中から響いてきた余裕とも取れる声。本来ならば首が飛んでいた側であった筈の鬼狩り、瀬田宗次郎が目の前に姿を現した。

 

 

 

 

 ーー何故、生きている!!?

 

 

 迎え撃つなり逃走するなり迅速に対応せねばならないのに、圧倒的な驚愕に脳を支配された零余子の身体はぴくりとも動かない。無防備に突っ立っているその様子を不思議に思っていた宗次郎は、やがて相手が今の状況を理解できていないのだと納得し口を開いた。

 

 

「あの幻影の血鬼術は本当に面倒でしたよ。僕が刀を振った時には本体と入れ替わりで出てきて場を掻き乱して…。埒が明かないので一芝居打たせてもらいました」

「………芝居、だと?」

 

 

 聞き捨てならない言葉を耳にした零余子は、激しく動揺した顔を歪ませて困惑する。一体いつ、そんな仕草をしていたのか。全く見当が付かず頭を垂れ、下げた視線に映ったのは……鬼狩りの「脚」。

 

 

「……!()()()()か!?」

「あ、気付きました?体勢を崩したフリをしてあなたの相方が距離を詰めてくるように誘発させたんですよ。時々脚を引きずらせて怪我してるように見せるのも大変だったけど…如何でしたか?」

「…ッ、おのれ……!!」

 

 

 淡々と話すその様子は己を殺す余力がまだ十分にある事に他ならない。絶望に近いものを感じ、零余子の思考は加速していく。この状況をどう覆せば良い?次に奴が攻撃態勢に入るまであと何秒残されている!?もうじき話が終わる、その瞬間に自分の命は刈り取られてしまうのか……。

 

(——————ッ!!!)

 

 

 

 

「それに頭部だけを執拗に狙ってましたよね?お陰で動きも容易に読めましたよ。不注意というか単純というか……あの、聞いて———」

 

 

 ゴゥ!!!!!と、

 

 

 突如目の前の鬼が()()()()()()()()飛び掛かって来た。宗次郎は咄嗟に構え刀を……

 

 

 

 ーー抜かなかった。

 

 

 

 やがて攻撃が届く範囲に迫った彼女はその腕を胸に目掛けて放つ……が、宗次郎の衣類に触れた途端に彼女の姿ごと()()()()()。その際に生じた煙を払いつつ宗次郎は今度こそ"本体"を叩き斬らんが為に低姿勢で力強く地面を蹴り前方へ飛び出す。少し離れた正面には鬼が後方へ退きながら片手で人差し指を立て何やら力んでいる。術を発動する仕草だろうか。

 

 

 

(———縮地、五歩手前)

 

 

 

 懐に入り込みそのまま前から斬る…と見せ掛けて僅かに身体の重心を傾け臨戦態勢に入っていた彼女の右側を高速で横切り、背後にあった壁を蹴って速度を落とさぬまま跳躍。がら空きの背後から抜刀し斜め上から一閃、決め手ともいえる一撃を放つ。

 

 

「ぐっ……!!」

 

 

 

 

 しかしなんと、彼女は()()()咄嗟に屈んだ。その結果頸を通る筈だった斬撃は右肩を抉り、押し殺した苦悶の声が耳に響く。宗次郎は空中で目を丸くして驚いた。己の動きを察知され、その上で五歩手前の速さを破られるとは思っても見なかったからだ。

 

 

 

「血鬼術、"狂幻乱舞"!!!」

 

 

 右肩を押さえ苦し紛れに言い放った彼女の言葉を皮切りに、煙幕と同時に辺りに再び大量の幻影が出現する。その数は約三十程だろうか。一瞬で何処かへ姿をくらました本体と入れ替わって一斉にこちら目掛けて突撃してきた。

 

 

「今更そんな———っ!!」

 

 

 

 バキィ!!!と轟音を立てて宗次郎の身体が吹っ飛んだ。空間に浮いていた部屋の襖を突き破り奥の壁に激突する。ゴホ……と舞い上がった砂埃を取り込んでしまい咳をしつつも体勢を立て直した。防ぎきれずに少し食らってしまったが戦闘をするのに大きな支障は無いようだ。

 

 

「……成る程」

 

 

 

 ーー"幻影の実体化"。

 

 

 恐らくこの場にいる三十体程全てが…。分身とでも言うべきか、これが彼女の切り札なのだろう。おまけに本体の消耗具合とは関係無く全個体が万全の状態らしい。今食らった一撃の速さと威力も本物よりは劣るが、それでもかなりの強さである。

 宗次郎が着物に付いた埃を払い終わった頃には、部屋の中に七体の幻影が入り込み周囲を取り囲んでいた。

 

 

 

 ーードンッ!!!

 

 

 

 "標的を殺す"という単純な命令のみで動く幻影達は、間を置く事もせず問答無用で首を刈り取るべく一斉に飛び掛かってくる。今までこの血鬼術に敗れ散っていった数多の隊士達は、直前に己の命が終わる事を悟り絶望したであろう。無数の手が自らの首に届くまでほんの僅か。瞬きすら許されない刹那の瞬間……

 

 

 

 

 

「————縮地、"四歩手前"」

 

 

 

 余裕なまでの笑みを浮かべ、彼はそう宣言した。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 部屋の外側、戦闘の中心地から最も離れた場所で先に突入した七体の様子を眺めていた幻影、本体から指揮を任された個体は今起こった出来事に目を疑った。彼女達の攻撃が届くか否かの瞬間に、標的の姿は掻き消え代わりに幻影四体分の()()()()()。残った三体に加え新たに部屋に入った七体も鬼狩りの姿を捉えんと周囲を見渡す。

 此処は十二畳程の空間であり、決して標的を見失う筈が無い。現に足音は常に聞こえているのだ。しかし…

 

 

 

 ーー()()()()

 

 

 "全方位"から不規則に着地音、床を蹴る音がして姿を捉えられない。その余りにもの脚力に床の畳は崩れ、天井は一部が決壊し崩落していく。その時に舞う埃も相まって視覚は勿論、聴覚ですら標的の位置を認識する事は不可能であった。ガッ!!と真後ろで足音がしたかと思い振り向けば反対側から膝下を斬られ、身体が傾いた瞬間に頸をやられる。感覚で放った蹴りを容易に躱され、上半身ごと真っ二つに斬られる。倒された個体の方へ目を向けた時には自分の頸も宙を舞っている。そうして一体、また一体と何の抵抗も出来ずに消滅していく光景を見て、感情を持たぬ筈のその幻影は"不安(ナニカ)"が己の内で渦巻くのを感じた。

 

 

 ……このままでは不味い。

 

 

 幻影は既に半数を切りかけている。閉鎖された空間内では相手が圧倒的に有利なのは火を見るより明らかだ。外へ、天井や壁が無い場所で戦わねば…。そう決断するや否や、仲間内でしか伝わらない思念を送ろうと自分の右手————

 

 

 

 

 

 

「—————?」

 

 

 

 ———を構えようとするが、途端に身体がぐらつきドサリ、と無様に尻餅をついた。自分の身に何が起こったのかも分からず足元を見やると……

 そこには両脚があった。光の粒子となって段々と消滅していくソレを呆然と眺めていた彼女に、一つの影が近付いて来た。

 

 

「油断したら駄目ですよ。でないとこうなりますから…」

 

 

 気付かぬ間に室内から飛び出し外にいる多数の個体の警戒網を神速で強引に潜り抜け、最も奥に位置していた司令塔の元までやって来た"彼"はそう一言呟くと、倒れた状態から抵抗を試みた彼女の肩を右足で踏み抜くように強く押さえつけ固定する。反応が遅れて残った個体が動き出したのも虚しく……

 

 

 その刃は、喉笛に深々と突き刺された。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

「はぁ………あ、」

 

 

 無限に広がる空間内を息も絶え絶えに走り続けた零余子は、遂に力尽き構造物を支えている柱を背もたれにして座り込んだ。朦朧とした意識の中、滴り落ちていく自分の鮮血を虚ろな眼で見つめていた。

 

 

 ーー血鬼術、狂幻乱舞。

 

 

 果たして己の奥義であの鬼狩りを完全に仕留められたかどうか。答えは「否」である。この血鬼術は自分自身(本体)が発動させた場所で実体化させた幻影達を直接操作し波状攻撃を行うのが基本だ。その際体力を大幅に消費し無防備となるが、周囲に護衛を五、六体程配置する事で防御面は解決できる。攻守共に非常に優れた術だという自負はある。しかしこれは表向きの使い方であり、通用するのは自分と実力が拮抗している相手まで。そう………

 

 

 ーー()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 "指揮を幻影の一体に任せ、その他全ての個体を敵にぶつけている間に本体(じぶん)は逃走する"。当然護衛に割く幻影もいないので追撃されれば確実に終わり、半ば運任せである。これが狂幻乱舞のもう一つの使い道だ。今宵の敵…"半透明の刀"の鬼狩りは、隙を突いたとはいえ己より格上の下弦の参をいとも容易く屠った。尋常でない"速度"から繰り出される剣術、最初の幻影を見抜いた洞察力。先程の斬撃を避けれたのは本当に()()()()()()だ。まず正攻法では勝ち目は無いだろう。幻影は頸を斬らずとも一定以上の損傷を与えれば消滅する。必ず全ての個体を打ち倒して追ってくるに違いない。

 

 

「参った…わね…」

 

 

 逃走に徹する方法で狂幻乱舞を使用したのはこれで二度目だ。一度目、あの"炎を彷彿とさせる髪"をした鬼狩りに遭遇した時以来か…命からがら逃げた記憶は今でも鮮明に覚えている。だが今回は場所が結界内であるが故に、あの時のように複数の追手はいない。なので落ち着いて休息し、且つ次の作戦を練らねばならない。のだが………。

 

 

 

「………ぐ、っ!!」

 

 

 どうした事か、いつまで経っても右肩の傷は治らず今でも悲鳴を上げ続けている。正確に言うと()()()()()()()()()。時間的には完全に塞がっていてもおかしくは無いのに、まだ半分も再生できていない。血鬼術の使用で体力は底を突きかけ、傷口から絶え間無く感じる激痛に苛まれ正気を保つ事すら怪しくなってきた。十中八九あの鬼狩りが持つ"半透明の刀"が関係しているに違いない。

 

 

(っ、そう……いえば…)

 

 

 ずっと疑問だった。何故鬼舞辻様が首筋の傷を再生させずに姿を現したのか。傷…即ち醜態を配下に晒すなどあってはならないだろうに。だがあれは、再生しなかったのではなく()()()()()()()()。あの御方の再生能力ですら傷の修復は不可能だというのか?…否、我々全ての鬼の始祖なのだ。いずれ刀の呪いに打ち勝ち傷を治すだろう。そう信じている。

 だが一つの疑問が解消されたからといって、状況が好転する訳でも無い。今どれだけ回復力が衰えていようと、束の間でも休息して態勢を整えねばならない。そうする以外に、生き残る道は残されていないのだから。零余子はより楽な姿勢を取る為、身体を横へ倒し耳を床に——————

 

 

 

 

 

「——————!」

 

 

 

 

 

 

 記憶に無い"足音"が聞こえる。あの鬼狩りとは歩幅が異なり、数は少なくとも三人以上……新たに送られた増援だろうか?

 

 

 

  

 

 ………いや、違う!!!!

 

 

「鬼狩りッ…!!ガッ、、あ……!!」

 

 

 長年の経験から得た直感が、接近してくる集団は味方では無いと警告を鳴らす。しかも無闇に動いてはおらず、確実にこちらの位置を捕捉して近付いてきている。結界内(ここ)にどうやって侵入してきたかは敢えて気にしない。気にする暇があるのなら、一歩でも遠くに離れて傷を癒さないといけない。そう思い何とか上半身を起こして咄嗟に立ち上がろうとするも、血鬼術の使用と肩の負傷、更には度重なる逃走で限界を既に越えていた身体は言う事を聞かず、腕の一本すら動かすのも思い通りにいかなかった。

 

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 

 

 

 ……ここまでか。

 

 

 

 決して折れなかった零余子の脳内に遂に思い浮かんだ"諦め"の二文字。前回は五体満足であったから追撃を振り切れたのだ。しかし右肩を深く抉られていては全身に力が入らない。この最悪の状態で捕捉された時点で運命は決まっていたのかもしれない。

 自分自身で気持ちの整理がつくと、張り詰めていた感情が徐々に和らぐのを感じた。

 

 

 そして遂に足音の主達は零余子の元へ辿り着き…

 

 

 

 

 

 

「——動くな!そして俺の質問に答えろ!!!」

 

 

 

 

 

 中央にいた額の大きな痣が特徴的な鬼狩りが、抜いた刀をこちらの頸に突き付けそう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 




無限列車編まで一ヶ月を切りましたね。ネタバレを食らわぬよう努力?した甲斐があったぜ……




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協力者

ギリギリ……間に合って無い?
誰か休日と表現力を恵んでください





 

 

 結界に侵入すると、その摩訶不思議な空間に炭治郎は暫し圧倒されていた。上下左右の区別が無い故に、方向感覚が一気に狂ってしまう。だがそれでも……空間名一杯に充満している「鬼の血の匂い」に彼が勘付かない筈が無かった。

 

「お気を付けて。思いの外近いです」

「ええ…分かってます」

「珠世様、俺の背後にいて下さい。貴方だけは絶対に護ります」

 

 体力を温存させる為、一度禰豆子を箱に戻してから炭治郎は意気込む。果たして此処にあの人はいるのか。現時点での手掛かりは鬼の血の匂い、それも鬼舞辻では無いが…本人にかなり近しいものだ。

 

「この血の()()、もしや…」

「珠世さん、何かご存知なんですか?」

「…まだ断言はできませんが」

 

 気になるが今はその鬼の発見が最優先だ。珠世達は鬼特有の脚力を、炭治郎は鍛えた呼吸を駆使して風のように駆けていく。やがて匂いは濃くなり……

 

 

 

 

 

 

 思いの外直ぐに匂いを元へ辿り着けた。

 

 

「……………」

 

 

 緋色の着物を纏い、二本の角が突き出した頭を垂れた女性らしきその鬼は既に満身創痍であった。右肩の深く抉られた刀傷からの失血量は非常に多く、炭治郎達の足元に一畳半程の真っ赤な血溜まりが出来上がっていた。何者かと戦い敗北したのは誰から見ても明らかだ。

 

 

「動くな!そして俺の質問に答えろ!」

 

 しかし油断する訳にもいかず、炭治郎は刀を抜き彼女の頸元に突き付けた。背後では珠世達二人が万が一の場合に援護するべく控えている。

 

「君の刀傷……鬼殺隊士にやられたんだな?どんな服装をしていた!」

 

 その言葉に反応したのか彼女の体が僅かに揺れてゆっくりと頭が上がり、前髪で隠れていた素顔が明らかとなる。その瞳には……

 

 

「……やはり、十二鬼月でしたか」

「こんな死にかけの奴が…」

 

 その姿を見て、初めから正体が分かっていた風に二人は呟く。

 

「その、十二鬼月って……」

「鬼舞辻直属の配下です。各々通常の鬼とは一線を画した実力を有しているのですが…」

 

 それ程の強力な鬼が、現れた自分達を迎え撃つ所か身動きもできぬ状態にまで追い詰められているのだ。彼女から"戦意"や"敵意"などの匂いがしないのが何よりの証拠だ。

 

 

「……ふふ」

 

 (おもむろ)に十二鬼月の鬼は数字の刻まれた眼で自分達を見定め、何を思ったのか微かに笑った。

 

「標的がお前達なら、どれほど楽だったか…」

 

 恐らく事実だろうと炭治郎は思った。匂いで察するにこの鬼は百を優に超える人間を喰らっている。もし彼女が万全で戦いを挑んできたら、数の差など関係無くこちらが窮地に立たされていたであろう。この鬼を下した顔も知らぬ隊士に思いを馳せる。現状彼女から流れ出る血の匂いが余りにも強すぎて、その者の匂いを掻き消しているのだ。嗅覚が頼りにならない以上、口頭で聞き出すしか無いのだが……

 

「早く殺せ」

「…え?」

 

 唐突に、自ら死を望んだ彼女に炭治郎は驚き硬直する。そんな鬼は一度も見たことが無かった。前回の任務で討伐した「沼鬼」だって、不利な状況に置かれながらも最期まで問いを拒み襲い掛かって来た。

 

 

「"奴"は異常だ……動けないと知れたら何をしてくるか分からない。残していった幻影も既に全滅した。…此処へ来る前に私を殺せ!!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!奴って……」

 

「気を抜いてはいけません炭治郎さん。何らかの策略—————!」

 

『!!!』

 

 途中で言葉を切った珠世だけではない。炭治郎達と下弦の鬼も、物凄い速さで近付いてくる"気配"を感知し様子を一変させた。その数秒後には大きな着地音、誰もが揃って目をやれば、舞い上がった煙の中から一つの影が浮かび上がる。

 

 

 

 

 

 

「……見つけた」

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 隊服の上に群青色の普段着を着込んだ彼は、唖然としてこちらを眺めている集団の中で見知った顔を視認すると、気の抜けたような声を出した。

 

「…あ、炭治郎君じゃないですか」

「宗次郎さん!!ご無事で…!」

 

 別れてから一時間程しか経過していないのに、かなり久々に感じられる。鬼舞辻への奇襲攻撃、直後に血鬼術と思われる空間内でそれなりに手応えのある鬼二体との戦闘を行っていれば、時間の流れが遅く感じられるのは当然かもしれない。

 

「妹さんも一緒ですね。そして逃げた鬼と……そのお二人は誰ですか?見たところ彼女達も…」

「あっ、違います!!確かに珠世さんと愈史郎は鬼だけど禰豆子と同じで…その、人間を食べたりはしていません。あの男性も彼女が保護してくれたんです!だから……!」

 

 鬼なら見境なく斬ると思ったのか、炭治郎君は必死に彼女達を庇った。確かに彼の言った通り、二人とも纏っている雰囲気が妹さんと()()()()。なんと表現したら良いのか分からないが、特定の鬼には自分がまだ知らない"共通点"のような特徴があるのかもしれない。

 

「そうでしたか。色々とお話を伺いたいですが…」

 

 それは後回しと頭の中で判断すると、宗次郎は鬼の女性…珠世に顔を向けた。その視線に気付いた愈史郎なる少年は珠世が背後に来るように正面へ移動し、僅かに腰を落としてこちらを睨んだ。別に警戒を緩めなくても構わないが、戦闘態勢だけは解いて欲しいものだ。

 

「珠世さん…でしたっけ。此処から脱出する手立てはありますか?」

「ええ、結界の入り口から継続して漂わせてきた私の血を辿れば可能です。ただ時間が経ち過ぎると蒸発してしまうので早く出るのが先決かと」

「良かった…それだけが心配だったので。これで心置きなくあの鬼を……」

 

 創られた結界である以上必ず"外"へ通じる場所はあると睨んでいたが、そこで死にかけている鬼から聞き出す手間が省けた。宗次郎は方向を転換し、沈黙に徹している彼女の元へ歩を進める。

 

「やあ、元気してました?」

 

「…………」

 

 元気な筈が無い。斬った張本人である宗次郎自身が一番よく分かっていた。彼女の豪華な着物が朱に染まっていく様子を眺めつつ、腰に帯びた日輪刀を引き抜く。透けた刀身が朧げに浮かび上がるのを見て、炭治郎達は目を見張った。

 

 

 刀鍛冶の重吉曰く日輪刀は極めた呼吸のみで色が決まるとは限らず、時に持ち主の"本質"をそのまま刀に宿すとも言われているらしい。炭治郎君は最終選別に挑むまでの約二年間水の呼吸の指導を受け見事にその使い手となったが、刀の色は"黒"である。

 前例は非常に少なく、隠された能力が存在するかもしれないとの事だ。"半透明(この色)"もまた然り。加えて使用者が全集中の呼吸を習得していないなど、そんな前例が過去に一つでもあっただろうか?未知で包まれたこの刀の特性を探り、極める為に宗次郎はひたすら鬼を斬り続けた。そして現時点で判明しているのは…

 

 

 

 ーー()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 頸を除くあらゆる部位で試し斬りを繰り返してきた結果、傷の再生を遅らせたり鈍いであろう痛覚を増幅させたり出来ることを確認した。これらは一定以上の速さで剣を振らなければ発動せず、視覚で追える速度で鬼を斬ると傷は普通に再生した。本質を宿すとはよく言ったもので"縮地"と非常に相性が良い特性だ。相手の厄介な体質を一時的に無効化しつつかなり優位に立ち回ることができる。

 しかしそれは少し本気を出すと秒で片付いてしまう弱い鬼に限った話。宗次郎は更に強い、それこそ縮地の"五歩手前"以上を破るような手応えのある鬼に通用するかどうかを知りたかったのだ。

 

「あなた、鬼舞辻の側近ですよね。差し詰め傷を負わされた事の報復を命じられたか…」

「………」

「彼の頸元は見ました?かなり全力で斬ったので完治には至ってないと思うのですが」

 

 

 刀を突き付けて問い掛けても頑なに応えようとしない。何か仕掛けて来る可能性を考慮し神経を研ぎ澄ませて返答を暫し待つが、全く喋る気配は無い。鬼の女が黙ったまま刀を一瞥し再び視線を落とす直前に——–—

 

 

 

 

「————ぐぅ!?がぁぁぁああ!!!!!」

 

 

 

 宗次郎は彼女の()()()()()()()()()。迅速かつ繊細な剣捌きに反応が間に合う筈も無く、苦悶に満ちた吐息が漏れた数秒後に空間を震わせるほどの絶叫が響き渡る。一部始終を見ていた炭治郎は突然の出来事に驚き目を見開いた。

 

「久々でしょう?"痛み"を味わうのは…」

「いぁ、ッ……ぎィ!!!」

「叫び声を出せる元気があるなら余裕ですね」

 

 軽く振って血を落とした刀を今度は両脚の付け根の部分に添えて淡々と言葉を発した。

 

 

 

「宗、次郎さん…」

 

 

 ーー()()()

 

 

 数刻前、うどんの屋台で言葉を交わした時と全く同じ"表情"をしている。子供みたいに頰に桜餅の米を付けて、無邪気ともいえる仕草で…。束の間の暖かい記憶が歪んでドロドロと溶けていく感覚に陥った。あの時自分に向けてくれた笑顔が、表情筋の一つも動かさぬまま拷問をやってのける彼の笑顔(ソレ)と重なる。互いの任務や鎹鴉の話。果てや鬼殺隊に入った動機まで語り合った。初対面に感じた不気味な印象はすっかり抜け落ちていた。筈だったのに…

 

「………っ」

 

 彼の行為に悪意など無い。どのような形であれ、鬼から情報を聞き出すというのも正しいだろう。自分も前の任務で同じ事をしたのだから。

 

(でも……それでも!!)

 

 彼女から漂う匂いで察していた。これ以上()()()()()()()()()()()()相手が苦しみ踠き続けるのは余りにも…酷いではないか。

 

 

 

 ーー水の呼吸、"伍の型"。

 

 

 どこまでも心優しく日輪のような暖かさを身体の芯に宿した少年は、黒刀を抜いて勢い良くその一歩を踏み出した。

 

 

「宗次郎さん下がって!!!」

 

 

 背後から床を踏み抜く音と同時に炭治郎の声が上がると、宗次郎は振り向かずに素早く飛び退いた。彼は家族を奪われた身で、生き残った妹を人に戻す為にも最優先で鬼舞辻の情報を知りたいのだろう。そう思考してこの場を譲った。存分に痛め付ければ(聞き出せば)良い、と。だが——————

 

「水の呼吸伍の型……"干天の慈雨"!!!」

 

 宗次郎の目に映ったのは緩やかに舞い上がり落ちて行く鬼の頸、斬られながらも安堵の微笑をもらした彼女の表情であった。

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

 ()()()()()()()。先程まで襲っていた激痛から嘘のように解放されて何処か夢心地だ。人間を何百も殺してきた自分が、よもや慈悲の刃で逝く事になろうとは……。

 家族に囲まれて過ごし、いずれ生涯を添い遂げる相手を見つけて人並みの幸せな日々を送る。幼い頃の自分はただそれだけを願っていたのに……死を目前にして遅過ぎる後悔が募っていく。

 

 ーーいつからか()()()()()()()()()()()

 

 殺めてしまった人達への懺悔と己を斬った少年への感謝を述べようと口を動かす。顔は床を向いており言葉には出来なかったが、少年にこの想いは伝わっただろうか…。頸の端からボロボロと崩れていく音が聞こえる。己が消滅するのを待っていると…

 突如顔の向きを変えられて視界が明るくなる。

 

「あ………」

 

 屈んで右手を零余子の頬に添えた鬼狩りの少年が、彼女を正面から見据えた。何らかの方法で意思を汲み取ったのか、彼はたった一度だけ……頷く。

 

(ああ、良かった……)

 

 

 ーーちゃんと伝わっていたのだ。

 

 

 流した涙の余韻も残さずに、彼女の身体は静かに散っていった。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 鬼が消滅した直後の静寂を破ったのは、背後で炭治郎の行動を眺めていた彼であった。

 

「…あーあ、何やってるんですか。こんな機会滅多と無いのに」

 

 彼女が頸を差し出していた事など初めから()()()()()()。無抵抗であるなら好都合、珠世さんの血鬼術が持続している間にできる限りの情報を聞き出して置きたかったのだが…

 

「…あれ以上、彼女が苦しむ姿を見たくありませんでした。邪魔をしてしまった事は謝ります」

「んーそうですか、成る程ねぇ……」

 

 

 ーー理解出来ない。

 

 

 先程の鬼に情けをかける要素がひとつでもあっただろうか?彼の妹は勿論、珠世さん達も多分安全な鬼だ。百歩譲って浅草で鬼にされたばかりの男性も庇う理由は理解出来た。しかし件の鬼は強さからして人を二百以上は確実に喰っており、想像を遥かに超える年月を生きた個体だ。並の隊士も沢山殺されたに違いない。そのような化け物にこそ苦痛は必要だと考えていたのだ。

 

「アレに情けなど必要無いと思うけどなぁ。鬼舞辻の側近の可能性だってあったのに……妹さんを助ける気無いんですか?」

「そんな事無いです!!!」

「なら優先順位を考えて下さい。今は鬼に同情するより彼女の為に非情に徹した方が良いかと」

「…何も命を救おうなんて思っていません。俺はこれからも人に危害を加える鬼を容赦なく斬り続けます。でも……!!」

 

 

 

 

「おい!!お前達いい加減に————」

 

 

 二人が言い争っている間にも血鬼術を行使し続けている珠世の体力が削られていく。加えて新手が来てもおかしくない状況で、これ以上は時間の無駄と判断した愈史郎は割って入ろうとするが……

 

「成りません愈史郎」

「!?……何故ですか!!」

 

 その珠世自身に止められる。肩に置かれた手を払い除け思わず抗議の声を上げるが彼女は依然として首を横に振るだけであった。

 

「もう少し待ちましょう。彼等は鬼狩り同士…それ以前に"人"として」

 

 人である彼等が信念に関わる話をしている。私達()は暫しの間見守ろう。その程度の時間であれば体力的には問題ないと、目配せで伝えた。

 

 

 

 

 

「"鬼"であることに苦悩し、今までの行いを悔いた者を必要以上に踏みにじったりはしない。ましてや頸を差し出した相手に苦痛を与えるなんて…そんな事は絶対にしません!!!」

 

 勢い良くそこまで言い切った彼は呼吸を整え、先程とは打って変わり柔らかな物腰で口を開いた。

 

「これは俺自身が導き出した"真実(こたえ)"です。禰豆子は必ず人に戻す。それを理由に真実を曲げるような事は断じてしない……ご理解頂けましたか?」

 

「…………」

 

 

 相変わらず述べている内容はよく分からないが、宗次郎は彼が眩しく思えた。他人に与えられた訳でも無く、純粋に彼自身が導き出した真実(モノ)を改めて目の当たりにしたのだ。弱肉強食(過去)を一度洗い流し彷徨っている身からすれば、その感覚は理解出来ない。

 

「…そんな捲し立てられると自信無くすじゃないですか。僕は見出せてないのに」

「俺が手伝います。様々な経験を通して、様々な人と通じ合って…あなたが納得のいく真実が見つかるまで助力しますから安心して下さい」

 

 

「君は凄いなぁ」

「……そんな事ありませんよ。俺だって鬼殺隊に導いてくれた人達のお陰で禰豆子を守る決意を術を手に入れました。自分の中で何かが大きく変わる時、常に誰かが側にいてくれたんです」

 

 

 家族を惨殺されるという筆舌に尽くしがたい経験故なのか、時折彼を達観した大人のように感じる。確かに…己の人生の転機には、志々雄さんや緋村さんが大きく関わっている。自分自身で真実を見出した彼も、その過程では様々な人物から学んだのだろうか。…考えれば考える程、求めている物は複雑化して遠ざかってゆく。

 

 

「———お二人共、そろそろ術が解けます。話の続きは私の診療所で致しましょう」

 

 

 頃合いを見たのか、話の区切りが良い所で珠世さんから声が掛かった。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 結界を抜け出し即座に向かったのは、町の中心部から離れた所に位置する秘匿の診療所だ。この建物を囲うように巧妙な仕掛けが施されており、常人が迷い込んだ事は一度も無いらしい。尾行された形跡も無く安全に到着すると竈門兄妹は早速奥の部屋で休み始めた。

 

 

「痛っ、もう少し優しくして欲しいなぁ」

「急に動くからだろうが!歳の割に落ち着きの無い奴だなお前は」

「もう少し力を抜いて下さい」

 

 その間自分は鬼達から診察と治療を受けていた。精密な検査の結果、身体に病原菌が大量に付着していた事が判明したのだ。最初に討伐した鬼の血鬼術が原因らしく、瘴気を吸い込まぬよう呼吸を最小限に抑えて戦っていた為ワクチンを打つ程度で済んだらしい。

 そして浅草で瞬天殺を放った際、打撲により出来た痣は特に酷く背中の患部は腫れ上がっていた。的確な指示を出す珠世と、それに従い薬を塗る愈史郎。両者とも医療に造詣が深く充分な専門知識がある事は素人目でも理解できた。彼女達が治療をすると言った時、鬼特有の謎の儀式などを想像していたので少し肩透かしを食らった。会話を続けている内に処置は速やかに終了し、宗次郎は着崩した着物を元に戻す。

 

「しかし、この状態で下弦の鬼二体を圧倒出来るとは……お強いのですね」

「…かげんとは何ですか?」

「鬼の名称ですが、それも含めて詳しくお話しましょうか。愈史郎、一度席を外しなさい」

 

「なっ……今度こそ駄目です!!あの炭治郎(お人好し)ならまだしも、こんな薄気味悪い笑みを浮かべる輩と二人きりなんて…危険極まりないですよ!」

 

 彼女の発言がそこまで衝撃的だったのか、器具を片付ける手を止めて全力で否定した。人の身体的特徴を指摘するのはどうかと思うが、確かに彼に部屋を出ろと命じる珠世の意図は理解できなかった。聞かれては不味い内容なのだろうか。

 

「愈史郎、お願いです」 

「ぐ……!!おい、指の皮一ミリでも珠世様に触れてみろ。この世から消し飛ばしてやる!!!」

 

 懇願する主人に根負けしたのか、盛大な捨て台詞を残して扉を蹴破る勢いで部屋を後にした。

 

 

「…ご無礼をお許し下さい。あの子は昔から心配症でして、私の身の安全を第一に考えているのです。本当は心優しい性格なのですが……」

「まあ、言われ慣れてるのでお気に為さらず」

 

 ぶっちゃけ心配症程度の言葉で済むような感情(モノ)では無かった。自分の意見が通らない事に対する不満が爆発寸前だったのは一目瞭然、後に被害を被りたくはないので暫く接触しないでおこう。

 

 

「さて、今回貴方を狙った鬼についてですが……」

 

 しかしそんな事は日常茶飯事とばかりに切り替えて語り始めた彼女に合わせ、宗次郎も椅子により深くこしかけ聞く姿勢に入った。

 

 

 鬼舞辻直属の配下である「十二鬼月」。

 鬼の最高位として君臨し、同時に別格の強さを誇る十二体の鬼。喰った人の数はいずれの個体も数百以上に上り鬼殺隊士が束で挑んでも敵わない程の強力な血鬼術を有している。この十二体には序列が存在しており大きく"上弦"・"下弦"という枠組みに半分ずつ分かれているらしい。更にその中で壱から陸と階位が割り振られているそうだ。

 

「十二鬼月は瞳に序列を示す数字が刻まれているので通常の鬼と簡単に区別できます」

「成る程、僕が斬ったのは下弦の肆と……確か参だったかなぁ。あんまり覚えてないや」

 

 同じく精鋭部隊であった十本刀には序列など無かったので随分と複雑に感じられる。…最も十本刀(あちら)には"百識"や"破軍《甲》"などの非戦闘員も所属していたので、無いのが当たり前だが。

 

「…下弦であれば、幾度も倒され新しく入れ替わっているでしょう。しかし上弦は別です」

「そんなに手強いんですか?」

「此処百年余り、上弦の鬼が倒されたという情報は一切耳にしていない。それだけ長らく生き延び今も人間を喰らい続けているのでしょう。鬼狩り(貴方達)の最高位剣士である"柱"も何十人と殺しています」

 

 彼女の見立てでは、上弦で最も格下の"陸"ですら下弦の鬼六体を圧倒する程の実力があるらしい。正に天地の差、そこまで桁違いだとは思っても見なかった。

 

「貴方は鬼舞辻に傷を負わせ、下弦の鬼を二体討伐しました。偉業である事に間違いありませんが、あの男は脅威と見做した人物を潰そうと既に動いている。…恐らく接触を果たした炭治郎さんも標的となっている筈です」

「へぇ、炭治郎君も……」

「当然貴方の特徴も上弦を含め残った十二鬼月に知れ渡っているでしょう。今後は充分に気を引き締めて下さい」

 

 頸を少し斬ったくらいで、そこまで警戒する必要があるだろうか。本当であれば慎重過ぎる相手だ。暫くは表の舞台に出てこないかもしれない。

 

「鬼舞辻の特性として、全ての鬼の位置と思考を把握し遠隔から殺す事ができます。私は"呪い"と呼称していますが」

「えっ……思考をですか?」

「先程結界内で鬼を拷問し、情報を聞き出そうとしていましたが……はっきり言って無駄です。鬼舞辻の情報どころか名前を口にしただけで呪いは発動し、対象の鬼を死に至らしめます」

「…成る程、じゃあ貴方はその呪いを……」

「お察しの通り()()()()()()。勿論愈史郎も、禰豆子さんに至っては恐らく自力で…」

 

 納得が行った。妹さんや彼女達のみに感じ取れた"何か"というのは鬼舞辻の呪いを外している事だったのだ。炭治郎君も鬼特有の匂いが感じられないと言っていた。

 

「手当てから情報まで、色々ありがとう御座います」

「お気になさらず。…今度は私が問いかけを行います。少し確認したい事があるのですが宜しいでしょうか?」

「はぁ…別に構いませんけど」

「それでは、少し失礼します」

 

 了承すると突然彼女は椅子を引いて距離を詰め、こちらの全身をまじまじと凝視し始めた。吐息が直接掛かるくらいには近い。愈史郎(あの子)がいたら確実に自分に矛先が向くのは想像に難くない。

 

「…あの、何か付いてましたか?」

「……やはり、刀も気になりますが先ずは…」

 

 珠世は何らかの確認を取ると再び元の位置へ椅子を移動させて座り、宗次郎を正面から見据える。益々真剣になった表情を見るに今から"本題"を話すらしい。

 

 

「正直に答えて下さい。貴方は—————」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

「…遅いな、珠世さんと宗次郎さん」

 

 

 座敷で待機していた炭治郎は暇を持て余していた。箱から出た禰豆子は畳の触り心地と藺草の香りが余程気に入ったのか、寝転がって遊んでいる。そして三十分程前にやって来た愈史郎に話を聞こうと思ったが、聞く耳を持たず部屋の隅で呪詛のような台詞をブツブツと呟いている。正直怖すぎて近寄りたくない。

 時間的に治療は済んでいる筈だが、何やら会話しているようだ。こんな時に聴覚も嗅覚並みに優れていれば全部筒抜けなんだろうなぁと考えても仕方の無いことが頭の中で行き来する。

 

(…それにしても、納得がいく真実を見つけるまで助力するって……何言ってるんだ俺は)

 

 年上である彼に大口を叩いてしまい、快く思われてないのではと不安を募らせる。あくまで自分と彼は違う人間、行き着く先も異なった形となるのは当たり前だ。ただ、自分の考えを僅かでも理解して欲しいと思ったのも事実。そんな押し付けがましい気持ちで介入してしまっても良いのだろうか?

 

「俺自身は正しいと思ってる。でも…………」

「そうですか。いつか証明してみて下さい」

「それは勿論…………へっ?」

 

 突然思い描いていた人物の声が真後ろから聞こえてきたので振り向くと、彼は丁度目線が合うくらいに腰を落として畳の上に座っていた。いつの間にか部屋と廊下を隔てる襖は開かれている。全く気配を感じ取れなかった事が炭治郎を余計に仰天させた。

 

「驚きましたよ……お怪我の具合はどうですか?」

「三日程安静にしていれば大丈夫だそうです。怪我をした時は此処に通うのも良いかもしれません」

「そうですか。大事に至らなくて良かった……」

 

 安心する反面、先程の異空の間でのやり取りを思い出し……気まずくなって顔を僅かに逸らした。

 

 

「もしかして、失礼な発言をしてしまったとか思ってます?」

「!!!」

 

 分かりやすい程図星な反応にあははと宗次郎は楽しそうに笑う。真面目な君が考えそうな事だ、と。

 

「僕は寧ろ感謝していますよ。最終的には一人で見出すつもりですが、その過程で助力してくれるのはとても助かります」

「…本当に、俺なんかで大丈夫ですか?」

「ええ、勿論」

 

 その言葉を聞くと、炭治郎は心の底から安堵した。不快では無かったどころか感謝までしていると言われたのだ。微力ながらも彼を手助けできる。

 

「炭治郎君と珠世さん。二人も協力者ができたのは予想外でしたよ」

「そうですか!鬼の立場である珠世さんが協力してくれれば百人力ですね」

「ああ、彼女はまた別件です」

「え?じゃあ何の……」

 

「故郷への帰り方とでも言うんですかね」

「…故郷?」

 

 自分の足で帰るだけで達成できそうだが、彼女に手伝ってもらう事に何か意味があるのだろうか?

 

「優先度は低いので今は気にしませんが」

「そう、ですか……」

 

 妙な引っ掛かりを感じつつも曖昧に返事すると、廊下から規則正しい足音が聞こえてきた。すると隅に蹲っていた愈史郎は生気が戻ったように立ち上がり部屋に入った足音の主の元に飛んで行った。

 

「珠世様!奴に何もされませんでしたか?」

「愈史郎……いい加減になさい」

 

 開口一番の失礼極まり無い言動に、彼女は愈史郎を叱責し始めた。どうも彼は宗次郎に偏見を持ち危険視している節がある。しかし本人は特に気にした様子もなく、口論を繰り広げる珠世達へと近付いた。そして彼等と何度か言葉を交わすと……二人は平静を取り戻し、真剣な表情を此方に向けた。

 

 

「炭治郎さんもこちらへ」

「…分かりました」

 

 

 大事な話をするのだと察した炭治郎は宗次郎の後に続き全員が集まる座敷の中央へ移動し、姿勢を正して座り直した。

 

「宗次郎さんには既に伝えましたが…。鬼狩りである貴方達に折り入って頼みがあります」

「頼み……どのような内容でしょうか?」

「私の研究を進める為、鬼舞辻の血が濃い鬼から血液を集めて欲しいのです。可能ならば今回のように"十二鬼月"の血液が手に入るのが望ましい」

「…!?最強の十二体の鬼の血を、ですか……」

 

 炭治郎は拳に力を入れ珠世の一言一句に耳を傾ける。今後再び遭遇するであろう強敵を想定して……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()まだ知らぬまま、夜は更けていく。

 

 

 

 

 

 

 




T鬼&Y鬼「……えっ?」
S者「…………えっ?」

次回、那田蜘蛛山編の終盤まで飛びます。




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逆鱗

どうも、一年あれば完結するだろうと信じてやまなかった系作者です。復活しました





 

 

 那田蜘蛛山。かつては峰が美しく自然豊かな土地として有名であったが、いつしか鬼達の住処へと変わり果て、文字通り網にかかった獲物(人間)を捕らえる蜘蛛の巣と化してしまったのだ。幾度も鬼殺隊士を派遣するも生きて戻った者はこれまで一人もいない。繰り返される攻防の中で危機感を感じた本部は遂に最高戦力「柱」を二名投入する事を決定した。

 今宵も隊士達が死力を尽くして戦っている。那谷蜘蛛山に住まう鬼達との永きに亘る激戦は、今まさに終結を迎えようとしていた—————。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

「ぐ……禰、豆子…………」

 

 

 限界に限界を重ねた身体を無理矢理動かして、炭治郎は血を流して倒れている禰豆子()の元へ近付いていく。浅草の騒動から数週間が経った。日々任務を遂行する過程で共に行動する仲間も増え、一層鬼の討伐に精進せんと意気込んだ矢先だったのだ。

 ()()()()の同時討伐。しかも前回の鼓鬼の時とは違い、各個体が明確な意思を持って協力し合っている。その内の集団を統率する鬼が"十二鬼月"と判明したのも既に数刻前だ。はぐれた仲間は現在も山の何処かで戦っており、安否も気にならないと言えば嘘になる。しかし最も優先すべきは、自身の想いに呼応し尽力してくれた妹なのだ。

 唯一人残った大切な家族の元まであと僅かの距離に到達した、その時—————

 

 

 

 

 

 

「—————僕に勝ったと思ってるの?」

「!!!」

 

 

 

 

 そんな……何故生きている!?

 

 

 

 

 振り向けば胴体から切り離された自らの頸を血鬼術の糸で吊り下げた鬼が、激しい怒りの表情を露わにして背後から詰め寄ってくる。頸を斬られた鬼は例外無く灰となって消滅する筈なのに…。想定外の事態に呼吸が更に乱れていく。鬼は再び繋がった頸をコキリ、と鳴らし口を大きく開いた。

 

 

 

「分からない?刃が届く寸前に()()()()()()()()()()()()()。一瞬でも勝利を掴んだ悦びを味わえて良かったね」

「……!!」

 

 

 

 鬼の名は累。蜘蛛型の鬼達を束ねるこの山の主にして、鬼舞辻に十二鬼月下弦の"伍"の称号を与えられた強者である。攻守共に優秀な「糸」を巧みに扱う血鬼術は、自身が凄いと評した響凱のそれが霞んで見えてしまう程に強力で、技を見切り避ける事すら至難を極めた。浅草の結界内で下弦の"肆"と相対した際は実感が湧かなかったが、あの時如何に彼女が追い詰められ弱体化していたかを彼との戦闘で理解した。これが鬼舞辻無惨直属の配下、十二鬼月本来の実力なのだと。

 だが、「偽り」の関係を正当化し、禰豆子()との絆を引き裂こうとする者などに、断固として負ける訳にはいかなかったのだ。そして激戦の末、己の内に秘められていた"ヒノカミ神楽(ちから)"を引き出し見事に頸を斬り落としたのだが、最終的には相手が一枚上手だった………!!!

 

 

 

 

「———————血鬼術、"刻糸輪転"」

 

 

 突如、累の構えた両手から赤黒い無数の糸が螺旋状に渦を巻いて出現する。不気味に収縮を繰り返し手の中心に収束していく様子を見て、炭治郎の脳が「アレは()()()」と即座に警報を鳴らす。

 

 

 

「そんなのを"家族"に引き入れようとした僕が馬鹿だったよ。塵一つ残さず消してやる……!!」

 

 

 

(くそっ………動け!動いてくれ!!!)

 

 

 このままでは不味い。彼は二人同時に始末する為に後方で倒れている禰豆子と自分の位置が直線上になるように術を展開している。己の血を多量に使用した赤黒い糸は、即ち最大の奥義である証……そんな大技に妹が巻き込まれる!!!

 

 

「断言しよう、お前は絶対に避けない」

「ッ、、フゥ……!!!」

 

 その通り、背後の妹を残して避ける事など断じて無い。だからと言って敵に背を向け抱えに行く余裕も勿論無い。あの血鬼術を正面から破るのが兄妹の生き残る唯一の手段なのだ。"ヒノカミ神楽"…もう一度あの技を使用できれば……。

 

 

「フッ!!、、ぅ…!!」

 

 

 駄目だ……肺に酸素が回らない!骨が軋み、身体がこれ以上活動するなと悲鳴を上げ続ける。だが今だけは本能に逆らい、更なる限界を越えなければ……!!

 

 

 

 

「これで終わり。——————死ね」

 

 

 

 

 

 ゴォォ!!!!!!と、

 

 

 

 

 ————遂に、術が解き放たれた。風・木々・土塊…そして肉体も例外ではない、この世の万物を等しく巻き込み塵芥へと変えていく巨大な糸の渦。決死の覚悟も虚しく、迫り来る"絶望"を前に……炭治郎は力の限り()()()

 

 

 

「動けえええええええ!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その時であった。

 

 

 

 

 

 眼を閉じた刹那の瞬間、己の想いが体現したかのように『轟音』が鳴り響く。衝撃の余波で一際大きな風が薙ぎ再び世界が静寂に包まれていく中で、炭治郎は咄嗟に顔を上げると……

 

 

 

 

 

「———あぁ、君はいつもボロボロですね」

 

 

 正に風の如く、嗅覚が優れている自分ですら感知できない程颯爽と"彼"は立っていた。肉を削ぐ程の硬度を誇る筈だった真紅の糸は粉々に千切れ、彼の周りで霧散していく。朱に身を染めた姿は偶然にも初めて出会ったあの夜、血溜まりの中で佇んでいた彼自身を彷彿とさせ、何処か懐かしい気分になる。

 

 

「宗次郎さん……!鬼は…」

「安心して下さい。ほら、あの通り」

 

 

 後ろを振り向いた宗次郎の視点を追って、術を放った張本人が立っていた場所を眺める。とはいえ、敵に背を向けない彼が此方(こちら)を向いて現れた時点で何となく察していた。

 そこには頸を飛ばされた胴体が次第に形を失い、消えていく姿が見えた。鬼殺隊に入隊して以来、初めて己の全てを出し切っても倒せなかった強敵の"最期"にしては、余りにも呆気なさ過ぎた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 今回自分に応援要請が来たのは、十二鬼月が出現したという情報が入ってからであった。県をまたぐ移動距離は正直面倒に感じたが…浅草以来の強力な鬼と出会えるのならばと、僅か数時間で目的の山に辿り着いた。敵は三、四体程らしいが取り敢えず頭を最優先に叩く事を優先し、己の鎹鴉の情報を頼りに一気に頂上付近まで駆け上った。

 鬼の気配が濃くなった瞬間、木々を蹴散らす激しい音と共に赤い衝撃波が視界の大半を覆う。即座に血鬼術と判断し標的の位置を把握した後、術の向かう先を見据えると……幾度も交流を重ねてきた顔見知りが倒れているではないか。次の瞬間には……

 

 

 

(————縮地"五歩手前")

 

 

 力を込めた脚を解き放ち爆発的に"加速"した。体感時間が極限まで圧縮され、四肢が躍動する。急襲の餌食となったのは……鬼だ。

 

 

 

 

「………ッ!!!———————」

 

 

 避けられない程の至近距離まで迫られても、何も察知出来なかったらしい。袈裟がけに鬼の頸を捻じ斬った後も勢いを殺さず、軸足で方向転換して血鬼術を背後から追いかける。術が通った跡は障害となる木々が一切無く寧ろ好都合である。身体を捻り回転をかけたまま術に追い付いて衝突し、「中心」を力任せに薙ぎ払った。

 

 

 ――時間にして、僅か五秒。

 

 

 

 深呼吸一回分程の合間に討伐と人命救助を終えた事の自覚が無い宗次郎は、その顔見知りである竈門炭治郎の上半身を起こす補助をしていた。

 

「本当にありがとうございます。俺一人じゃ勝てなかった…」

「大丈夫ですよ、これから強くなれば」

「はい……。そうだ!!禰豆子、、痛っ!」

 

 

 少し離れた場所で倒れていた禰豆子を抱えて運び、身動きの取れない彼の真横にそっと寝かせる。彼女の傷も浅くは無いので兄を救う為に頑張ったのだろう、今は睡眠に入っている。

 

「ああ、良かった……!」

 

 炭治郎は安堵の表情を浮かべて、彼女を優しく抱き寄せ額を合わせている。暫く見守っていると、喜びに満ちていた彼の表情に唐突に影が差した。自分と違って本当に喜怒哀楽の表現が豊かな少年だ。

 

「どうされました?」

「……あの鬼は、家族を欲しがっていました」

「…へぇ、意外だなぁ」

 

 十二鬼月にそのような感性があった事に驚く。詳しく話を聞けば、先程の鬼は「家族の絆」に異常な程の執着心があったそうだ。他の鬼に母や姉といった役割を与え、恐怖で支配する"偽りの家庭"を築いていたらしい。竈門兄妹と相対した際は、二人を本物の絆と評価し禰豆子を己の家族に引き入れようとした程だ。

 

「何故あそこまで執着してたんだろう…」

「……もしかしたら、()()()()()を殺したんじゃないでしょうか」

「!!!人間だった頃の…ですか?」

 

 越えてはいけない一線を越えてしまった時、人間は自我の崩壊を防ぐ為必ず何かに執着する。圧倒的な存在、絆、信念……何でも良い。幼かった頃の自分とあの鬼は、案外似ていたのかもしれない。

 

 

「宗次郎さん?」

「あぁ、ただの憶測なのでお気に為さらず。さて、取り敢えず山から………」

 

 降りましょうと言いかけた口を、噤む。

 

 

 

 

 何者かが、明確な殺意を持って此処に向かって来ているからだ。

 

 

 

 

 

「————宗次郎さん後ろ!!!!」

 

 

 

 怒号にも似た叫喚が耳に届くより先に、宗次郎は身体の向きを反転させ振り向き様に抜刀する。

 勢いがかった刀同士が交差した瞬間、激しい金属音が鳴り響いた。余りの衝撃に炭治郎は思わず目を瞑る。襲ってきた剣士はその反動を利用し、蝶の羽根を模した特徴的な羽織を(なび)かせ華麗に宙を舞い地面に降り立った。

 

 

「あら?」

 

 

 

 そして透き通るような紫の瞳で、此方を射抜く。

 

 

 

「鬼を庇うなんて、一体何の冗談でしょうか?」

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

「坊や、そのお兄さんを説得して下さい」

 

 

 聞く者を誘惑し懐柔するように妖美な声色で彼女は炭治郎君に言葉を紡ぐと、羽織と同じ蝶の髪飾りを揺らしてじわじわと距離を詰めて来る。

 

 

「ま、待って下さい。この子は俺の、たった一人の妹なんです!!家族なんです!!!!」

 

「まぁ、可哀想に……。ではせめて、苦しまないように殺してあげますね」

「ッ……でも、今まで一度も人を襲っていな『今後襲うかもしれないでしょう?』……!!!」

「鬼に保証なんて存在しません。分かったら退いて下さい」

 

 

 柔らかい表情とは裏腹に静か過ぎる重圧が議論の余地など無いと語っている。尤も隊士が鬼を狩ろうとするのは当然で、先程の一撃も正確に禰豆子()のみを狙っていた。特別だとか人を襲わない等の言葉で説得しても俄には信じ難いだろう。仮に事実だと理解しても討伐した後にそんな個体がいた、程度で片付けられる可能性も高い。任務を遂行する上で大事なのは()()()()()事で十本刀(かこ)鬼殺隊(いま)どちらでもそれは変わらない。自分を含めそういう人間の考え方は熟知している。要するに何を言っても無駄なので……

 

 

「炭治郎君、物理的に対処しましょう」

「…えっ!?」

「僕が彼女の相手を務めるので、妹さんを連れて逃げて下さい」

 

 

「もしも〜し。本人に聴こえてますが」

 

 

 

 仮に炭治郎君が万全の状態だったとしても、この剣士には到底敵わないだろう。歩く際の重心の置き方が並の者のソレでは無いので上から数えた方が早い階級の隊士と見た。彼女は敵対するとして……

 

 

「——————!」

 

 

 

 もう一人来たか。

 

 

 

 

 

「あら?遅いじゃないですか、冨岡さん」

 

 

「っ!……貴方は!?」

 

 

 宗次郎達の背後に広がる森林の奥から現れたのは、二つの柄を半分ずつ合わせた特徴的な羽織を身に纏う男性の隊士であった。やや青みがかった虚ろな瞳は無表情な彼の印象をより暗くしている。一瞥すれば何処にでもいる無愛想な青年に見えるが、やはり彼女と同様相当な実力の持ち主のようで僅かな仕草でも動きに全く無駄が無い事が分かる。名前はどこかで聞いた覚えがあるが……。

 

 

「……胡蝶、鬼はその一体だけか?」

「ええ、そうなんですけど…この二人に邪魔されて始末できないんですよ」

「そうか、何故庇っている?」

 

 

 

(んー、少し不味いか……)

 

 流石にこの二人を同時に抑えつつ竈門兄妹を逃がすのは非常に厳しい。自分の身さえ無事であれば良いのでは無い、"誰かを庇いながら戦う"。それだけで難易度は何倍にも増加する。志々雄一派にいた頃は勿論、三年間の旅の合間ですらそんな経験は一度だって無かった。鬼殺隊の任務で鬼の被害にあった者を守りつつ戦い続けてようやく慣れ始めたばかりなのだ。

 

「…………」

 

 躊躇いなく殺害できる相手なら良かったのにと心底思う。同じ鬼殺隊、それも高位の隊士を斬れば再び手配されて日本全国を追われる身に逆戻り…なんて事態も有り得る。久々に組織に入れたのにそれだけは御免だ。申し訳ないが炭治郎君には全力で走ってもらって……

 

 

「鬼がその坊やの実の妹らしいですよ」

「……………何?」

 

「あの、覚えていませんか!?二年前に鱗滝さんを訪ねるよう教えてもらった竈門炭治郎です!!!」

「…………」

 

 そのやり取りを耳にし、浅草で炭治郎に鬼殺隊に入った動機を教えて貰った際の話題を思い出す。二年前、誰にも頼らず己の力で妹を守れと諭し、彼に鬼殺隊士として生きる道を示してくれた存在……それが冨岡義勇という名前の男だった。

 

 

「………!そうか、お前達は……」

「冨岡さん、知り合いなら尚更情を移してはいけませんよ。辛いなら私が引き受けますが」

 

 

 

 

「—————いや、その必要はありません」

 

 

 ――今夜は運が良い。

 

 

「思い出したのなら、彼等を連れて下山してくれませんか?その女性から暫く引き離したいので」

「はぁ?急に何を言い出すかと思えば……無視ですよ冨岡さん」

「………………」

 

 

 妹を抱き締める腕に力が入った炭治郎君を見て、無機質な瞳にはっきりと揺らぎが生じる。他ならぬ自分自身が兄妹を生かし彼等の行く末を決定づけたのだ。この局面で断るような人物であれば、最初から問答無用で禰豆子()を斬り殺していた筈だ。

 

 

「自分から鬼殺隊に引き込んでおいて見捨てるつもりですか?」

「…………分かった」

 

 

 彼が承諾の返事をした瞬間、女の隊士が舌打ちをして動きを見せたので前に出て牽制しておく。

 

 

 

「……鬼を故意に逃がすと隊律違反になるのをお忘れですか。罰を受ける上に皆さんから益々嫌われますよ?」

 

 

「………俺は元から、嫌われてない」

「宗次郎さん、俺達の為にすみません…!」

 

 

 圧倒的な筋力で竈門兄妹を同時に背負い、冨岡は自分に目配せをした後暗闇の奥へと走り去っていった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

ーーーーー

 

ーーー

 

 

 

 

「……………」

 

 

 一方で、予想外の手のひら返しを受け彼女の時間は一度停止していた。脚を動かす事もせずに立ち尽くしている。

 

 

 

「……何が可笑しいんですか?」

「いえ別に、肩の荷が下りたなぁと思っただけです。貴方一人を抑える程度で済んだので」

「…随分と自信があるようですね」

 

 

 ハァ……と、本調子に戻った彼女は呆れたような溜息を漏らす。当然彼女は何も間違った行動を取っておらず、標的()を速やかに討伐しようとしたら何故か同胞に阻止され、逆に自分が悪者扱いを受けている。挙句同期らしき人物にまで裏切られてしまったのだから、現状を受け入れ難い気持ちは良く分かる。唯でさえ参っているのに、何やら生意気を口走る裏切り者の足止めはさぞかし鬱陶しい事だろう。

 

 

 

「……貴方、お名前と階級は?」

「癸の瀬田宗次郎ですが」

 

 

 

「!……そう、貴方が噂の新人さんですか」

 

 名前を聞いた彼女は一瞬眼を丸くし、そして再び不気味に微笑む。組織内で自分の認知度が妙に高いのは自覚していた。その証拠に任務を共にした者の殆どが呼吸の種類やら出自を執拗に聞いてくる。故に誤魔化したり合流する前に先行した回数も少なくはないが…彼女もその類いなのか。

 

 

「刀鍛冶さんから聞きましたよ、入隊前に"鍛治狩り"を倒したそうですね」

「…!」

「処置を終えて間もない脚を振り回して……落ち着きの無い方でした」

 

 

 脚に怪我を負った時の重吉()を知っている。そう言えば当時、鬼殺隊専用の診療所に赴いて美人の所長さんに治療されたと話していたのを思い出す。何でもその所長は医学・薬学に詳しい名医であると同時に類稀なる剣の使い手でもあると。普段は他人の話に然程感心が無い自分でも鮮明に覚えている。

 何故なら、彼女こそが………

 

 

 

「私は"蟲柱"、胡蝶しのぶ。以後お見知り置きを」

 

 

 

 鬼殺隊の頂点に君臨する「柱」だと聞いていたからだ。全集中の呼吸の極致に到達し、十二鬼月とも互角以上に渡り合える屈指の実力を持つ剣士の一人だという事を。柱なら尚更逃がす訳にはいかない。

 それに、彼女の表情(カオ)について個人的に気になる部分もある。

 

 

「そうでしたか。じゃあ折角なので良ければ僕と『お断りします』……えっ」

 

 遊び(戦い)ませんか?と肝心の内容を言い終わる前に断られ、何とも形容し難い気分に陥る。話している際も彼女の視線が炭治郎君達の逃げた方角に固定されている辺り、本当に自分の事は文字通り眼中に無いらしい。

 

 

「今回の件は任務が終わり次第、上に報告させて貰いますね。それでは〜」

 

 

 言い終わると同時に、彼女の姿が()()()

 ――ように見えたが、動きを捉えていた宗次郎は真上を向いた。彼女は太い木の幹を伝って物凄い速さで炭治郎君達の逃げた方角へ向かっていく。今しがた視界から外れた。

 どうやら隊律に背いた自分を告発する為に身元を確認したらしい。任務が終わり次第と言っていたので竈門妹の討伐も諦める様子は無さそうだ。

 

 

 

「………つれない人だなぁ」

 

 

 もう飽きているのだ、()()()()()()()

 

 

 

♦︎

 

 

 

 風を切る音を耳にしながら追跡を続ける。あの兄妹を連れて逃走中の彼の気配を捉えると、より一層脚に力を込める。

 

「ほんと……何を考えてるんだか」

 

 そもそも冨岡義勇という男の心の内を理解できた例は一度だって無かった。普段から無口な上に感情表現も下手なので共に任務を行う際の協調性は限りなく零に近い。会話も普段は必要最低限の事しか喋らない癖に、間が悪い時に何故か余計な一言を口にする。自分は失言などしていないと譲らないから不死川さんや伊黒さんといつも口論になるのだ。

 自覚が無いというのは実に恐ろしい。彼は言葉だけでは飽き足らず自分の行動まで理解できなくなってしまったのだろうか。…しかし天然(ポンコツ)であろうと彼は柱だ。あの子にも追わせているが実力では敵わないので、彼を自分が抑えている隙に鬼を斬ってもらおう。考えをまとめると更に距離を縮める為大きく跳躍した。

 

 

 

 鬱蒼とした森から飛び出し空中を蝶のように舞う彼女を、月明かりが優しく照らす。

 

 

(さて、一気に—————)

 

 

 体勢を変えて急降下しようとした直後であった。

 

 

「………!」

 

 

 ――突如、()()()()()()()()。 

 

 

 

 月光が"何か"に遮られている。今夜は雲一つ無く光を遮るものなど無かった筈だ。まさかと思った、その直後。

 

 

 

 

「———申し訳ありませんが、落ちて下さいね」

 

 

 ()()()()から発せられた言葉を聞き終える前に、しのぶは刀に手を掛け身体の向きを上空へ向けようとするが………

 

 

 

「———ぁぐ!?!!」

 

 ガツン!!!と頭部に火花が散るかと思う程重い衝撃が走った。余りの激痛にたまらず両手で頭を抱え唇を噛み締める。重力に逆らって転落していく身体を何とか動かそうとするも、麻痺した脳は的確な指示を出そうともしない。このままでは受け身も取れずに地面に激突してしまう。

 思わず目を瞑ってその瞬間を待つが……

 

 

 

 ――空中で何かに引っかかった。

 

 

「………!!」

 

 否、()()()()()()()()。確実に、自分の脳天に鈍器を叩き込んで空中から落とした張本人に。地面への着地を確認するや否や、しのぶはその人物の顔を拝む前に攻撃に入った。正体は分かっている。

 

「!おっ、と!!!」

 

 身体を思い切り捻って真横にある首に両脚を交差させて締め付ける。そして目潰しをせんと右手で突きを放つが……

 

「——ッ!!」

 

 予測していたのか彼は放った右手を受け止め、更に体勢を自分から崩してこちらの脚の拘束が緩んだ瞬間を逃さずにするりと抜け出した。

 トドメと言わんばかりに掴んだ手を利用し地面に叩き落とされ、逆に関節技を極められてしまった。

 

 

「あはは、油断も隙もないなァ」

 

 

 うつ伏せで押さえつけられ己の右腕が軋む音が絶え間なく聞こえる状況で、しのぶは激しく抵抗し脱出を試みるが、彼の身体はびくとも動かない。

 

 

(ッ……しまった)

 

 

 今の鬼殺隊には、足の速さにおいて自分と同等以上の者など八人を除いて存在しないと思っていた。それでも、万が一の事も考慮して序盤は直進せずに方角を幾度も変えて移動したのだ。加えて後方に気を配っていたにも関わらず……この有様。

 最初から自分と並走していたに違いない。それも此方に、()()()()()()()()()()()()。最後は上空を陣取って、がら空きの頭部に一撃を食らわせたといった所か。殴る前に声を掛けるという余裕が何とも腹立たしい。

 

(接近を、全く読み取れなかった……)

 

 柱としての矜持を傷付けられた気分になるが、過ぎ去った事を悔やむ余裕は無い。落としてしまった刀は右斜め前の茂み辺りに目視出来る。青年の拘束を解いて刀を取る算段は一応あるが……その後はどう動くべきか。絶技だと評される彼の剣を実際には見ていないが、既に気配を完全に消したり素早い身のこなしと体術で自分を組み伏せたりと、噂に違わぬ実力の片鱗を示している。正面からぶつかり打破するのは…骨が折れそうだ。

 

 

「…………」

 

 

 

 ――"アレ"を使うしか無い。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

(……凄いな、こんなに動けるなんて)

 

 上空から急降下し、刀を鞘に納めたまま思い切り殴り付けた。良くて失神、意識が残っていても三分弱は脳震盪で碌に動けまいと踏んでいたが…予想以上に復帰が早い。抵抗を続ける彼女から漏れ出る吐息は静かで、打撃を食らった直後とは到底思えない。そして枝のような細腕から感じる、異常なまでの怪力。全身に血を巡らせて筋肉を限界以上に行使しているのだろう。この想定を遥かに上回った抵抗を可能にしている要素は間違いなく…

 

 

 ――"全集中の呼吸"。

 

 

 益々興味が湧いて来た。習得し極めれば単純な身体能力の向上は勿論、機能不全に陥った際の回復力は何倍にも跳ね上がる。やはり"縮地"を完成させる為にもこの能力は必要不可欠だ。現在詳しく教えてくれそうな人物は炭治郎のみ、若しくは彼のツテを頼っても良いかもしれない。その願いを実現させる為にも妹を含め生き延びて貰わねばならない。真実探しの手助けも兼ねている事だし……

 

「いい加減彼等の事は諦めては如何です?僕も腕が痺れて来ましたよ」

「…………」

 

 

 口こそ動かさないが、一向に彼女の抵抗が止む気配は無い。体勢を変えて首を絞め落とす事も考慮には入れているが、腕を緩めれば先程見せた柔軟性を活かし思わぬ反撃を繰り出してくる可能性があるので、下手な行動は取れない。

 

 

「"常中"がいつまで続くか知りませんけど、力尽きるまで待ちますね」

 

 

 怪力とは評したがきっと彼女の素の筋力は一般の女性並みで、単に全集中の呼吸で一時的に肉体を強化しているに過ぎない。特殊な方法で力を上乗せして足掻こうとも、それを抑えるのに少し体重を乗せて両腕を使うだけで事足りている。正直"柱"の剣技を直接確かめたい気持ちもあったが、楽に済むならそれで良い。腕に力を込めようとしたその時……

 

 

 

 ――突如、真後ろから()()()が鳴った。

 

 

 彼女の得物は正面の茂みに落ちている。刀でなければ一体何だと宗次郎は振り向く。正確には音の発生源である足元辺りを————

 

 

 

「————ッ!!っとぉ」

 

 

 間一髪、彼女の履き物から飛び出ていた"刃物"を目にした途端、即座に腕を緩め離脱する。背中の服が僅かに破けた感触を覚えるも気にせずに跳躍し大きく距離を取って着地した。顔を上げれば、既に立ち上がった彼女が拾った刀を抜き臨戦態勢に入っていた。此方も即座に抜刀し構えを取る。

 

 

「力が無いなどと…そんな事は百も承知です。私は確かに非力で、柱の中では唯一鬼の頸を斬る事が出来ません。だからこそ、()()()()()()()

 

 向けられた彼女の刀を改めてよく眺めると、刀身が非常に細く斬るよりも刺突に特化した形状であった。どう考えてもあんな細剣では鬼の頸を斬り落とせないだろう。

 

(……"毒"か何か仕込んでるな…)

 

 刀集めが趣味の元同僚に色々と特殊な刀を教えて貰っていた。何より彼女自身が非力である事を鑑みれば、日輪刀で毒殺という手段を用いるのは確定したようなものだ。履き物に仕込んだ刃といい、手段を選ばぬとはこういう事か。

 何種類の暗器を身体に隠し持っているのか分からないのが厄介だ。使用者の殆どは暗器(ソレ)に依存しており優れた剣技や体術を持たない事が多いので、闇討ちを用いたり徒党を組んで個々の能力を補うのが彼等の常套手段なのだが……単身で敵を正面から殲滅できる"手練れ"が、やはり一定数存在するのだ。

 特に彼女のような暗器使いは絶対に侮ってはならない。小細工など必要としない強さを持つ者が使用するのが、最も恐ろしいのだ。

 

 

「あの鬼を庇う理由は何ですか?同情であれば今すぐ引き下がる事をお勧めしますが」

「いえ、同情はしてないです」

「…当然ですね。あんな醜い化け物を哀れむなど……以ての外です」

 

 

 先程から思ってはいたが、彼女の言葉の内にある明確な刺々しさ。心と表情が一致していないその姿に違和感を拭いきれない。

 

「一つ、言っておきたい事があるんですが……」

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()

「………無理に、とは」

 

 幾度か言葉を交わして宗次郎は確信した。彼女は自分と()()()()()()()()。人を形成する心を何一つ欠落などしていない、表面を形作っているだけで根底には"感情"があるのだ。紡ぐ言葉の端々から、鬼に対しての怒り・憎しみが滲み出ている。これを上手く利用すれば、彼女の敵意は自分に向けられるのではないか?

 

 

「貴方も家族を鬼に殺されたんですよね?両親なのかあるいは兄、姉か……」

 

 

 姉、という言葉に彼女の表情筋が僅かに動く。気付いていない様子だが、最早明言したも同然の反応だった。やはり身内への想いは人一倍強いらしい。炭治郎やこの女性、果ては鬼ですらも"家族"という繋がりに囚われている。本来は()()()()()()なのだろうと、宗次郎は他人事のように考える。

 

 

「お察しの通り…私は大切な人を奪われました。同じ境遇の人々を見る度に私の心はざわついて、悲哀と憎悪の感情に支配されます」

 

 そしていつの日か……と彼女は言葉を切ると、ゆっくりと胸に拳を当てて力を込める。家族…恐らく姉を殺した鬼への復讐を果たす。話の流れで容易に推測できる事であった。胡蝶しのぶという剣士が生まれた動機と目的は全てその悲願に帰結しているのだと、宗次郎は理解した。それが至極真っ当な理由で鬼殺隊にいる大半の者の動機が同じく復讐であるという事も。しかし人情に欠ける彼の心の内に生じたのは、純粋な"疑問"であった。

 

 

「何かそういうの、疲れません?」

「………はい?」

 

 

 思った事をそのまま口に出すのは、己の感性を見つめ直そうと旅立ったあの日からなるべく控えていた。だが今回は敢えて神経を逆撫でするような物言いで攻め落としていく。彼女の身体に蓄積されている膨大な"怒り"を一気に解放してやれば、その矛先は間違いなく自分に向けられる筈だ。

 

 

「家族だとしても、もうこの世にいない人間に縛られるのって嫌じゃないですか。ましてや他人の不幸を目の当たりにして自分が苦しむなんて……僕にはホント理解できない」

 

 

 

 

 

 

「そんな感情(モノ)、捨ててしまいましょうよ」

 

 

 その一言を皮切りに……

 

 

 

 

 ――彼女の纏う空気が変わった。

 

 

 

「…捨てろ、ですって?」

「貴方が本当の"笑顔"を取り戻せるように、楽しい事だけを考えましょう。僕のように…ね?」

 

 

 鬼に大切な人を奪われた人々の嘆きの声を、惨殺された姉への想いを、断ち切れと宗次郎は述べる。そうすれば抱えている苦悩が幾分かは減少し楽になるだろうと安易な道を示す。裏を返せば、鬼殺隊における彼女の"生き様"を全否定しているのと何ら変わりの無い言動を投げかけたのだ。当然、彼女の反応は……

 

 

 

 

 

 

 

「—————ふざけた事を、()()()()

 

 

 

 初対面での物腰柔らかな面影は何処へやら、口角が上がっていた唇は今や真一文字を結んでいる。

 人は感情を揺さぶられると、自分があるべきと思っている状態から現状が離れていく。仮面の下に隠され続けていた"本質"が露わとなったのだ。水面()に異物を投げ込まれ瞬く間に不快感という波紋が広がっていく彼女の様子を眺め、宗次郎は三年前の自分自身と姿を重ねる。あの日"彼"との闘いの中で初めて、己の信じていた"弱肉強食(真実)"が正しいのかどうかを判断できずに揺らいだ。

 

 

「貴方のような他人に私の信念を…"私自身"を、壊されてたまるか……!」

 

 

 

 だが彼女は違う。

 

 

 誰かに与えられたのではなく、自分自身で見出し到達した(真実)であるが故に……決してその考えを曲げたりはしない。自分が絶対に「正しい」という確信を持っているからだ。誰に何を言われようが彼女はこれまで通り隣人を鬼に奪われた人々に寄り添い、共有した怒りや悲しみを糧に復讐の炎を燃やし続けるだろう。最愛の姉を殺した鬼に、己の全てをぶつける未来を夢見て。勝手な価値観を押し付け悲願への歩みを邪魔したのなら………

 

 

「無力化したも同然ですが気が変わりました。私が直接手を下します」

 

 

 

 ――それは彼女の"逆鱗"に触れたも同然。

 

 

 

 闘気が彼女の身体を中心に渦巻き刀を持った手に収束するのを感じ取った宗次郎は、片脚を一定の間隔で地面に打ちつけ始める。果たして()()()になった彼等相手に己の"縮地"がどこまで通用するのか、文字通り鬼殺隊を支える九人の「柱」の存在を知ってからずっと気になっていた。遂に、優先順位が高かった目標の内一つを達成出来るのだ。

 

 

 

 

 

「"蟲の呼吸"蜂牙の舞———————」

 

 

 

 

 グンッ!!と低姿勢になった彼女の鋭い眼光が此方を射抜く。刺突を繰り出そうとする構えに情け容赦など存在せず、己の信念を護る為に敵を穿たんと刀の切っ先を此方に向けた。…そう、()()()()()

 互いに標的以外の全ての情報を遮断する。空間で認識出来るのは二人分の静かな呼吸音のみ。数秒の沈黙の後—————

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 巡り逢った「柱」と「十本刀」。選りすぐりの強者達の中でも"最速"の剣技を持つ者同士の熾烈な戦いが今、幕を開けようとしたその時………

 

 

 

 

 

 

 

 

「伝令!!伝令!!カァァ!!!!」

「「————!」」

 

 

 

 

 鬼殺隊士にとっては聞き慣れた鳴き声が、両者を激突する寸前で踏み止まらせた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

「炭治郎、鬼ノ禰豆子、宗次郎!以下ノ三名ヲ拘束シ本部へ連レ帰レ!!カァァ!!!!」

 

 

 再び距離を取って空を見上げた頃には、山に残っている他の同志にその旨を伝えるべく遥か上空へと飛び去っていった。鎹鴉が姿を現したとなれば後処理部隊の「隠」も此処に到着している頃だろうか。那田蜘蛛山に巣食う鬼は全て討伐し終えたらしい。

突然の出来事に拍子抜けした所為か、身体を上手く動かせずにいた。彼女からの敵意が消え失せている辺り今夜は諦める他なさそうな雰囲気だ。

 

「……これ以上、争う意味はありませんね」

「あれ、良いんですか?……怒ってたのに」

「指令が出たなら従うまで、あの兄妹を含め貴方達を本部に送り届けます」

 

 同じく距離を取り、元の落ち着いた笑顔に戻った彼女は刀を指先で器用に回転させて納刀する。

 …素晴らしい切り替えの早さだ。本質を他人に見抜かれながらも、結局最後まで彼女は感情の揺れ動きを完全に制御し錯乱状態には陥らなかった。逆に己の信念(正しさ)に口出しされた事への純粋な"怒り"を糧に攻撃に転じようとしていたのだ。物事の正誤判断すら碌に出来ず、乱れきった心で剣を握っていたあの日の自分とは「雲泥の差」だ。

 

 

 ――やはり、彼女は強い。

 

 

 だからこそ余計に戦いたくなった。剣を交え語り合う事で何が得られるのかが知りたかったのだ。名指しの召集は流石に無視出来ないので今回は諦めるしかなさそうだが。…慌てずとも鬼殺隊に所属している限り次の機会が訪れるだろうし、今は身体も随分と重い気がするので体調的にも……

 

 

「………………ッ」

 

 

 

 

 

 

 ————————いや、()()()()()

 

 

 

 急激な脱力感に耐えられず片膝を突き、喉に異物が詰まったかのように正常な呼吸が出来なくなる。

 

 

「………く……ッ!!!」

 

 

 気力を振り絞り、両手で日輪刀を地面に突き刺して体重を支える。寄り掛かって何とか体勢を崩さずに済むも、己の意思とは裏腹に意識が段々と霞んでいく。

 

 

「……あら?ようやくですか」

 

 

 異変を察知した彼女は、動けずにいる自分の側に歩み寄って来た。互いに触れ合える程の至近距離まで近付いたかと思えば、大胆にもその場で中腰になり顔を覗き込んできた。反撃を全く恐れていない様子を見ると…やはり()()()()らしい。彼女が既に無力化したと述べた理由を身を以て知る事が出来た。

 針などの類か……いや、外傷を受けるような代物を自分が見逃す筈は無い。如何なる方法を用いて、いつ仕掛けられたのか皆目見当が付かない。

 そんな考えを知ってか知らずか、しのぶは懐から何かを取り出す。そして宗次郎の目前でチラつかせたのは、既に蓋が開けられた「小瓶」だ。ほんの僅かではあるが透明の液体が底に残っている。

 

 

「組み伏せられている間に開けておきました。無色無臭で空気に触れた途端に気化し、広範囲に散布するよう調合したのは良かったけれど……鬼のみならず何故か人にまで効果が及んでしまうみたいで、困りましたよね」

 

「…………!」

 

「鬼は弱い個体しか麻痺せず効き目が現れるのも遅いし……言ってしまえば"失敗作"でしたが、日の目を見れて良かったです」

 

 

 今麻痺と言ったか。この全身の機能が一気に奪われていく感覚、呼吸困難……心当たりがあるとすれば"神経毒"だろうか。当然藤の花にそんな毒は無いので、何か別の生物のソレと混ぜ合わせた可能性もある。

 

 

「まあ後日解毒しますけど、暫くはまともに動けないでしょう」

 

 

 宇髄さんでも丸一日掛かりましたし、と流暢に話す様子を見つめる。その知らない人物も過去に犠牲になったらしいが、色と臭いが無い毒を初見で見抜くのは中々に難しい。…けれど、拘束した時左腕を野放しにしておいた自分も甘かったかもしれない。腹の下に隠れて完全に死角になっていたので、気が回らなかった。本人は何かしらの細工を施しているようで、毒の影響を受けている気配は無い。

 

「……さて、」

 

 話を切り上げた彼女は立ち上がり、再び刀を取り出す。そして………

 

 

 

 

 ――引き抜いた鞘の方を手に持った。

 

 

 

 

「本当に『色々と』やってくれましたね」

 

 

 額と鞘を握りしめる手に青筋を浮き立たせ、大変ご立腹な様子だ。何をせずとも此方は直に崩れ落ちる身なのに……結構根に持つ性格らしい。己の意思と関係なく意識が飛ぶのは()()()に送られた時以来だろうかと、始まりの日を思い返す。

 

 

 

「……では、明日の"裁判"をお楽しみに」

 

 

 程なくして純白の鞘が振り下ろされ————

 

 

 

 

 

 

 

 脳天に衝撃が走った。

 

 

 

 

 




雰囲気が似ているようで本質は全く異なる二人。密接に関わらせていこうと思います




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お館様

薫より巴派の作者、参上。
今更ですが、るろ剣実写最高でした!





 

 

 己の正面に、顔見知りの刀鍛冶が座している。家屋の中である筈が周囲は不自然な程に暗く、無機質な闇が果てしなく広がっている。()()()()()()()()といった方が正しいだろうか。その特徴的な「面」の輪郭だけが、明確に存在感を放っていた。

 

 

『……なぁ、一つだけ聞いていいか』

『何ですか?』

 

 

『…この刀で、人を斬った事はあるか?』

『数を覚えきれない程度には。それが何か?』

 

 

 

 最終選別の三日前くらいに全く同じ問いを彼から受けた気がするが、上手く思考が働かず口が勝手に言葉を述べていく。自分が喋る様子を客観的な視点から眺める感覚に違和感を覚え、やがてこの光景は「現実」ではないという自覚に至った。

 

 

『…そうか。いや、そうだな。明治初期は刀の規制がまだ行き届いていない頃、幕末の名残もあった。お前が身を寄せていた"環境"も何となくは理解できる。不躾な問いを投げかけて悪かった』

 

 

 だがこれだけは言っておこう、と。不意に出現した愛刀"菊一文字則宗"を見据えながら刀鍛冶は静かに言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

『"鬼殺隊(俺達)"の一員に加わるというなら……せめてその間は、決して人を殺めるな』

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

ーーーー

 

 

ーー

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 頰にひんやりとした冷気を感じて目を覚ます。視界に映る白銀の景色が、敷き詰められた砂利であると気付くのに数秒時間を要した。周囲の明るさから鑑みれば半日以上は深い眠りの底にいたらしい。夢幻の中で何故あの日の出来事を追体験したのか不明だが、元来(それ)は過去の記憶の一部分を映写機の如く再生する現象なので考えても仕方がない。状況を把握する為、身を捩って面を上げると……

 

 

 

 

「————あら?ようやくお目覚めですか」

 

 

 

 見覚えのある蝶模様の羽織がふわりと、視界を鮮やかに遮った。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 最初に感じたのは微かな倦怠感と手足の違和感だ。身体中を蝕んだ毒の症状は幾分かは和らぎ呼吸も正常に出来ているが、四肢は未だ自由に動かせない。その原因…もとい違和感の正体は後ろ手と脚の両方に付けられた鍵穴付きの「拘束具」だ。鉄製の頑丈な作りで簡単に外れそうにもない。

 何とか上半身を起こして周囲を見渡せば、古き時代の伝統美を感じさせる荘厳な庭園が広がっており、背後を向けば視界に入りきらない程の巨大な屋敷が見える。これ程の立派な代物を拝んだのは大正(こちら)に来て以来初めてだ。此処は興味惹かれるもので溢れかえっているが、何よりも着目すべき対象は……

 

 

 

 ーーこちらを見下ろす、"六人の男女"だ。

 

 

 

 うち至近距離に佇む女性は、昨晩の再現かの如く同じ体勢で屈みこちらの顔を覗き込む。

 

 

「通常よりも拘束を強くしてますが、貴方には必要だと判断したので悪しからず」

「そうですか…で、ここ何処です?」

「此処は鬼殺隊の本部です。隊律違反を犯した貴方は最高指導者である『お館様』によって裁判にかけられるんですよ。私達"柱"も同席します」

「……!」

 

 

 "蟲柱"胡蝶しのぶ。彼女の背後に並ぶ者達も、鬼殺隊最高位の剣士だという事か。確かに今まで出会った隊士達とは雰囲気そのものが異なり、例に漏れず各々が相当な威圧感を放っている。

 

 

「後は、お館様がお見えになる前に…あちらの収拾が付けば良いのですが」

 

 

 彼女が溜息混じりに視線を寄越した先に、三人の男達の姿が見える。勿論気付いていたが、何やら修羅場と化しているので敢えて認識から外していた。

 

 

 

 

「そこぉ退けよ冨岡ァ、斬られてぇのか!!?」

「…もう十分だろう。刀を納めろ」

 

 

 揉めているのは、両手を縛られた炭治郎君を庇うように前に立つ冨岡義勇と、真正面から怒鳴り声を出す顔中傷だらけの男だ。後者は今にも飛びかかりそうな雰囲気で、炭治郎君自身も妹が入った木箱を背に必死に男を睨みつけている。やはりと言うか、彼女絡みの争いらしい。そして彼等の状況を木の上で頬杖を突きながら窺っている男が見える。

 何故か首元に蛇を巻き付けており、時折頭を撫でて非常に仲睦まじい様子である。…彼も加えれば丁度九人で数が合致するが、()()()も中々個性豊かな人物が揃っているようだ。

 

 

 

 すると耳元できゅぽん、と栓か蓋を開ける音がしたのでしのぶの方を向けば、彼女が何らかの液体が入った袋を口元に近付けて来るではないか。

 

 

「水、飲みま『別にいいです』……は?」

 

 

 彼女から提供される物は正直信用出来ない。言い切る前に断られた事が余程気に入らなかったのか、笑顔のまま青筋をビキリと立てている。剣呑な空気を漂わせて、そして無理にでも飲まそうと押し付けてくるのを受け流していると……

 

 

 

 

「————ハッ、信用されなくて当然だ。えぇ胡蝶さんよぉ?」

 

 

 突如ケタケタと笑いながら口を開いたのは、集団の中でも一際派手な格好をした白髪の男だ。宝石で飾られた額当てと豪華な耳飾りを付け、左眼には緋色の紋様が塗られている。恵まれた体格を揺らしてこちらに歩み寄って来ると、隣にいる胡蝶しのぶと同じ体勢で屈んで此方の顔をまじまじと見始めた。

 

 

「どなたですか?」

「ほぉ…この"音柱()"を知らんとは、ド派手に抜けてやがる。上官の名前は覚えとくもんだろ?」

「宇髄さん、彼は今期に入隊した新人ですよ」

 

 

 聞き覚えのある名前だ。昨晩、意識が朦朧としている時に彼女が呟いていたような気がする。

 

 

「ああ、動けるまで一日かかったとか…」

「その通り、俺も最近こいつに()られた。毒の類には専ら耐性が強い方なんだが、機能回復が予想以上に手こずってな。酷い仕打ちだと思わんか?」

 

 

 もはや肯定も否定もしなかった。彼女の矛先が明確にこの男に切り替わったのを感じ取ったからだ。巻き込まれるのは御免被りたい。

 

 

「貴方が妹達に手を出した罰です」

「あぁ?何度も説明したろ任務に女手が必要だったと。派手に人聞きの悪りぃ事抜かすな!」

「私の承諾も無しに勝手に連れ出そうとした方が悪いんですよ」

 

 向こうの怒気に触発されたのか、瞬く間にこちらの口論にも火がついてしまった。目の前で起こった言い争いに残りの者達は様々な反応を示すも、小競り合いの内と判断したのか本気で止める意思は無いらしい。

 

 

 

 改めて各々に視線を移せば、染めているのかと疑う程の鮮やかな髪色や派手な装飾の者、挙動が少し変わっている者など、外観も相まって曲者揃いと断言できる。だが同時に、異能を操る鬼達と日々戦っているだけあって……

 

 

 

 ーー「質」が()()()()()

 

 

 

 十本刀の要である"天剣"・"盲剣"・"明王"。戦闘面においては他七人の追随を許さない「三強」に、恐らく()()()()が匹敵する実力を持っている。

 前提として、自分達(十本刀)には戦闘以外にも様々な役割があった。組織の実務を担当できる明晰な頭脳や、人心を掌握する卓越した話術も求められた。…だがもし、各々の役割を「敵を屠る」という一点にのみ特化させたなら。目の前に並ぶ屈強な集団は、正にその集大成と言えよう。

 

 

「…………」

 

 

 それはそうと、一向に裁判が始まる気配が無い。お館様と呼ばれる指導者の到着が遅れているのだろうか。いい加減、極刑を免れる為の対策を考えるのも飽きてきた。

 柱達の内輪揉めも延々と続いており、怒号が益々凄みを増すばかりである。混迷を極める状況の中、不自由な身体で天を仰いだ、その時———。

 

 

 

 

 

 

『—————お館様の、御成です』

 

 

 

 透き通った二重の声が、庭園の敷石に染み込むように美しく響き渡る。瞬間、正面にいた宇髄と呼ばれる男に突如頭を鷲掴まれ、その勢いで向きを反転させられた上で地面に押し付けられた。いきなり何事かと視線を上げれば……

 

 

「……!」

 

 

 柱全員が迅速に列に並んで、片膝を突き頭を垂れている。私語が飛び交っていたのが嘘のように辺りは静寂に包まれる。あの野蛮な男でさえ口を閉じて平伏する中、屋敷の中央…奥側の長廊下から複数の足音が聞こえてくる。

 最終選別の監督役であった白髪と黒髪の双子に両脇を支えられ、壮年の男性が姿を表した。

 

 

 ———彼が、「お館様」か。

 

 

 和装に包まれた細い身体、顔面は皮膚が焼け爛れたように変色しており、色素が抜けた眼の瞳孔は風景を映しておらず盲目である事が窺える。双子の補助が無ければ倒れそうな程に足元は心許なく、僅かな動作で命の灯火が消えてしまいそうな…儚さを彷彿とさせた。

 想像していた姿とは異なっていたが、受ける器量の大きさの印象は変わらない。穏やかな顔立ちに似合わぬ強靭な「意思力」を感じられる。

 

 

 

「……おはよう、皆。今日は良い天気だね。半年前と変わらない顔触れを見れて何よりだよ」

 

 

 

 その声が響いた途端、()()()()()()感覚に全身を包まれた。思わず己の全てを委ねたくなるような、静かだが芯の通った声色に衝撃を受ける。

 

 

「…お館様におかれましても御壮健で何より、益々の御多幸を切にお祈り申し上げます」

「ありがとう、実弥」

 

 

 知能の欠片も感じられなかった男の口から、懇切丁寧な挨拶が述べられて内心度肝を抜かれた。態度や口調から読み取れる絶対的な忠誠心、信頼と尊敬の眼差し。野蛮な者も含め、その圧倒的な威厳で柱達を完全に掌握しきっている。志々雄真実(あの人)とは全く異なる性質だが……

 

 

 

 

 ーー彼も同じく、人の上に立つ存在なのだ。

 

 

 

 

「先ずは、禰豆子について話していこうか」

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 結論から言うと自分達には何の咎めも無かった。禰豆子が鬼殺隊の任務に携わる事はお館様が当初から容認しており、何も問題は無かったらしい。加えて炭治郎の育手らしき人物から届いた手紙で、彼女は決して人を襲うような鬼ではないという弁護が為された。信頼の厚い人物からの擁護が更に有効な裏付けとなったのだ。

 しかし柱達が簡単に認める筈も無く、尚反対の意見を述べる者は多かった。特に例の気性の荒い男は筋金入りの鬼嫌いで、自身の血で禰豆子を挑発するというとんでもない強硬手段に出たのだ。流石に籠絡されると思われたが、意外にも彼女は誘惑を振り切り…今度こそ有無を言わせぬ形で身の潔白を証明したのだった。

 

 

「…さて、君には連絡しておきたい事があってね。もう少しだけ時間を取らせて貰うよ」

 

 

 

 無事裁判が終了し、竈門兄妹は胡蝶しのぶの指示で"隠"に診療所へ連れて行かれたのに……依然として自分だけは解放されていない。冨岡義勇と同じく免罪の対象に入っている筈なのだが、連絡しておきたい事とは一体何なのか。

 

 

 

「瀬田宗次郎。君の階級を癸から"(きのえ)"に昇格する」

『!!!!』

 

 

 

 宗次郎以上に動揺したのは柱達だった。入隊して僅か一ヶ月強で、自分達を除けば最上位に位置する階級まで昇り詰めた者は極稀である。これほど圧倒的な早さで昇格したのは"霞柱"時透無一郎を除いて存在しないだろう。何事にも無頓着な彼も珍しく反応しており、虚な瞳を話題の張本人へと向けた。

 

 

「先程、炭治郎と宗次郎の両名は鬼舞辻と遭遇していると言ったね。…実はその際に、宗次郎は彼に重傷を負わせたんだよ。直後に刺客として送られた下弦の鬼二体も討伐している」

 

 

 今度こそ、一同は驚愕し耳を疑った。昨晩に下弦の"伍"が討伐されたのは、鬼を庇ったという事実確認の過程で件の青年による手柄だとは知っていた。だが()()鬼舞辻にも斬撃を浴びせたとなると話の「規模」が違ってくる。具体的な経緯を根掘り葉掘り問い詰めたい衝動に駆られるが、主人に再び制止を掛けられる訳にもいくまいと各々は感情を押し殺す。

 

 

 

「今までの階級に釣り合わぬ働きに感謝するよ。今後は相応の支援を行うから、より鬼の討伐に励んで欲しい」

「はぁ、分かりました」

 

 

(…すごい睨まれてるなぁ)

 

 

 己を射抜く視線の一部が鋭くなったのを感じ取り、宗次郎は鬼舞辻に出会った日を思い出す。確かに彼との遭遇は予想だにしなかった。鬼舞辻が人間の親子と街を往来していると誰が想定できようか。

 

 

 

「それともう一つ、君が良ければの話だが…」

 

 

 

 

「———柱同士の稽古に、参加してみないかい?」

「……!」

 

「普段から柱は集結する機会が少ない分、柱合会議が終わった後数日間に分けて手合わせを行うんだ。君も最高位の剣士から様々な事を学べるし、対等に勝負出来ると判断した」

 

 

 "柱"は基本的に下級の隊士に稽古をつけないと、宿泊先である藤の家の管理人が話していたのを思い出す。彼等は警備担当地区が広大な上に、遂行する任務の数も次点の"甲"と比べて桁違いに多い。常に多忙の身なので、自身の後継者として才覚が認められた"継子"と呼ばれる弟子のみを集中して育成するそうだ。

 けれど柱達には互いに剣を交える機会が設けられているらしい。確かに彼等程の実力者が更なる剣技向上を目指すなら、力が拮抗している者と戦うのが効率的だろう。

 

 

「だが勿論、各々に任務があるので総当たりで稽古をする時間は無い。なので今回は彼等から一人を選別して割り当てるよう調整するが……どうだい?」

 

「…では、参加させて頂きます」

 

 提案を受け入れるとお館様は満足げに頷き、良い返事だ!と柱の一人が叫んだのを切っ掛けに外野も騒ぎ始めた。不敵に笑う者、観察するような視線を送る者など様々な反応を示している。

 

 

「では、その日まで炭治郎達と共に診療所で休息すると良い。しのぶ…彼も任せられるかい?」

「はい。……それでは、連れて行ってください」

 

 

 彼女が手を叩き合図を送ると、先程と同じ二人の隠が再び屋敷の側面から姿を現し周囲に一礼しながら足早にこちらへ駆け寄ってきた。息を切らしている辺り、竈門兄妹を送り届けて間髪入れずに戻って来たのだろう。

 

「…おぉ」

 

 体格が大きい方の肩に担がれて、身体が宙に浮く新鮮な感覚に僅かながら高揚する。自らの脚で疾走(はし)らない機会はある意味貴重だったが、そんな余韻に浸る間も無く隠達は一目散に駆け出し鬼殺隊の本部を後にした。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 

「自分で移動してないのに景色が変わっていくのは新鮮ですねぇ。ほら、団子屋さんありますよ」

「……そうかい」

 

 

 存外楽しそうな様子に、隠の男はげんなりと溜め息を吐いた。風柱に頭突きを食らわした痣の少年も大概だが、この青年が蟲柱にしでかした云々を聞かされた時は卒倒する寸前であった。己の大罪を自覚し猛省して欲しいが、その気配は皆無である。

 

 

「ああそう、これ外して頂けませんか?」

「無理だ。鍵は診療所に置いてある」

「酷いことするなぁ」

 

 

 宗次郎は背後の景色を眺めつつ、時折太陽光に反射する両手首と両脚の金属に眼を移した。

 

 炭治郎を縛っていたのは簡易な縄で、しかも手首だけだった。彼は脚も自由に動かせていたのに、この差は何だろうか。鍵が診療所にある辺り拘束具(コレ)は彼女の私物だという事が判明したのだが、とても患者に使用する代物とは思えない。

 

 

「あぁ!?お前だろ胡蝶様に無礼(ナメ)た真似しやがったのは!!!お陰で昨日あの方の機嫌がどれ程悪かったと思ってんだ!?!!」

「そうよ!アンタのせいで五年は寿命縮んだ思いしたんだから!!」

 

 

 本日何度目になるか分からない沸点の突破に二人は怒号を浴びせ空いた手で宗次郎の身体中を叩きまくる。凄まじい剣幕と暴行を前にしても笑顔のままぴくりとも表情を変えない様子を見て、直ぐさま息切れを起こした。本当に心臓が保たない。

 

 

「はぁそれは、申し訳ありません」

「フンッ!まぁさっきの奴より軽くて運びやすいから、それに免じて許してやろう……ゴホッ」

「そうですか」

 

 

 そんなやり取りを終えた辺りで、隠の男は徐々に走る速度を緩めていく。どうやら既に目的地は目と鼻の先らしい。実際人を抱えている割にはかなりの速度で走っていたし、日頃から負傷した隊士を運ぶなどの裏方仕事を任されるだけあって、人並み以上の体力は備わっているようだ。

 

 

 

「さぁ着いたぞ。蝶屋敷だ」

「……へぇ、凄いな」

 

 

 此処が、彼女の経営する診療所か。先程と同じく立派な屋敷に加え庭には沢山の蝶が舞っており、鮮やかな色彩と花の甘い芳香に溢れる風景に思わず目を奪われる。柱との対戦を控えた今、毒の影響で麻痺した身体を本調子に戻す為に何処かで休養を取ろうとは考えていたが…その場所が元凶の私邸とは。

 

 

「ここの病室は静かで清潔だし、心に余裕が持てる。ゆっくり療養して————」

 

 

 

 

 

 

『————ぎゃああああああああああ!!!!!』

『こら!動いては駄目と言ったでしょう!』

『五月蝿ぇぞ紋逸!!!』

 

 

 

 

 

 

 …その割には、随分と賑やかな場所だが。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 日は沈み、宵闇の刻が訪れる。昼間に裁判が行われた鬼殺隊の本拠地…産屋敷邸の中央広間に、再び柱達は集結していた。彼等の向かい側に座すのは、鬼殺隊"当主"産屋敷耀哉。その身を蝕む病魔は一族相伝であり常に苦痛を伴い続けている。それでも症状を微塵も感じさせず毅然とした態度を見せる姿に…鬼殺隊屈指の猛者達は敬意を払い、己が主に眼を向けた。

 

 

「さて、知っての通り鬼の被害は日々増加の傾向にある。人々の暮らしを守る為、より鬼殺隊員を増やそうと考えているが…皆の意見を聞こう」

 

 

 半年に一度の「柱合会議」。近況の報告、警備担当の見直しや提案を中心に検討し合う。産屋敷の透き通った声が響くと行灯の火が僅かに揺れて、各々の顔を朧げに映し出した。

 

「先ず、隊士の質が信じられない程に落ちている。中堅の鬼ですら束で挑んでも倒せない。あれ程使えないようでは…育手の目が節穴だ」

 

 先陣の切り口を開いたのは"風柱"不死川実弥だ。その全身に刻まれた古傷は数多の修羅場を潜り抜けてきた証であり、同時に歴戦の風格を醸し出す象徴とも言えよう。

 

「…左様。その大半は鬼狩りの血統の者でも、愛する者を惨殺され入隊した者でもないであろう。それらの者達に並ぶ、あるいは相応の覚悟と気迫を以て鬼と対峙しなければ到底敵うまい」

 

 

 嗚呼、残酷だ…と両手を擦り合わせて不死川に応えたのは"岩柱"悲鳴嶼行冥。現柱の最古参且つ筆頭であり、その桁外れの実力も相まって他の柱達からも一目置かれる存在である。

 

 二人が述べている事は誰もが理解しており、隊員の質の低下は今回の那谷蜘蛛山の攻防でも顕著に表れていた。無尽蔵に増え続ける鬼を討伐する為には人手がいるが、増えれば増える程統率が難しくなっていくのも事実。古株の育手も、昔とは様変わりした大正時代()の若者達に才能があるか見極めるのは困難だろう。

 

 

「だが、昼間の二人は使えそうだったな。特にあのヘラヘラした野郎は……()()()()()()()()

 

 腕を組み話を聞いていた"音柱"宇髄天元は、その派手な装飾品を揺らして含みのある笑みを零す。彼の発言で、この広間に座る全員の意識は一人の青年に向けられた。

 

 

 

『…………』

 

 

 —————瀬田宗次郎。任務を共にした隊士達からの情報を集めれば、今期入隊したばかりにも関わらず鬼を瞬殺出来る程に剣技が優れており、仲間は出る幕すら無かったという意見も多い。大幅な戦力上昇と捉えれば素直に喜ぶべきだが、何かが引っ掛かる。話によれば「全集中の呼吸」も習得していないらしいが、育手に何も教わらない筈は無い。

 そんな柱達の心情を察したのか、産屋敷は今回最も青年と接触したであろう()()に声をかける。

 

 

 

「しのぶ、君から見て彼はどう映った?」

 

 

 "蟲柱"胡蝶しのぶは、主の問いに言葉を詰まらせその端整な顔を僅かに歪ませる。宇髄の言う二人の片割れである竈門炭治郎は、鬼になった妹を元に戻したい一心で未来へと突き進む…純粋で心優しい少年だ。彼の場合は判りやすかっただけに、対する例の青年は余りにも掴み所が無さ過ぎた。

 

「曖昧な表現で申し訳ないのですが、彼は……私達とは()()()()()()が違う。そんな気がします」

 

 柱達は心中で彼女に同意した。今宵の裁判で顔を拝んだ際、彼の"異質さ"を半刻にも満たないあの時に本能的に見抜いていた。判決次第では処刑される可能性もあった筈なのに、彼は()()()()()()()。余裕と捉えるには些か安直すぎるし、胡蝶自身の笑顔(ソレ)とは違って何処か「歪」で悍ましい……

 表情のみで人間の内を測る事は不可能だと理解はしているが、妙に脳裏に焼き付いて離れない。

 

 

「……奴はどうも胡散臭い。呼吸も無しに鬼舞辻に傷を負わせて下弦二体を圧倒しただと?過去に何をしていた?」

 

 

 嫌悪の顔色を示した不死川は舌打ちをする。「全集中の呼吸」あってこその鬼殺隊士、肉体を何の強化もせず不死身の化け物と戦うなど正気の沙汰では無い。その凄まじい剣術を、一体何処で培ったというのか。甲ともなれば今後自分達と連携を取る任務も多くなるだろうが、果たして背中を任せて良い存在なのか…不確定な要素が浮かんでは宙を漂う。

 

 

「…そうだね。確かに彼は鬼殺隊の歴史から鑑みても"異例"だ。実弥がそう感じるのも無理はない」

 

 

 産屋敷は、そんな彼等の反応を(あらかじ)め予測していたのか、至って冷静に柱達を見渡し言葉を紡いだ。

 

 

「けれど私はね、鬼舞辻が初めて見せた尻尾を掴んで離したくない。その為には彼の力が必要になる」

 

 

 鬼舞辻無惨は仇敵ながら用心深く、巧妙に姿を隠し裏で様々な鬼を使役して人を脅かしている。ここ数十年は動向すら掴めなかった筈なのに、彼等の活躍で直接姿を捉えた上に負傷させる事まで出来た。彼奴にとっても想定外だったに違いない。下弦の鬼を複数仕向けたのが動揺している証拠だ。

 今宵新しい風が吹き込んだ事で、鬼殺隊と鬼の永きに亘る戦いに大きな転機が訪れようとしている。宗次郎と竈門兄妹、そして歴代でも随一とされる九人の剣士(こども)達が足並みを揃えれば、「悲願」へと大きく近付けるに違いない。だからこそ…彼等が感じている隔たりは、払拭すべきだ。

 

 

「丁度機会も良いし、皆には宗次郎について話しておこうか。重要な事だから心得て欲しい」

 

 

 柱達は改めて身体を引き締め、一言一句違うまいと真剣に聞き入る姿勢に入る。

 

 

 

 

 

「———————特に、杏寿郎」

「はい!!!」

「君は彼と剣を交える予定だから、頼んだよ」

 

 

 主の静かな呼び掛けに呼応した『男』は、燃え盛るような炎髪を靡かせ、灼熱の如き緋色の瞳を見開く。かの若き新参者は一体どのような剣技で挑んで来るのか。己も学ぶ要素が有れば尚良しと、来たる対戦の日に向け熱き"心"を燃やして……

 

 

 

「承知した!!!

 この俺にお任せ下さい!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 ーー"炎柱"煉獄杏寿郎は、声高らかに叫んだ。

 

 

 

 

 

 



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炎の幕開け

長らくお待たせしました。色々リアルが落ち着いたので…再開します。





 

 

 鬼殺隊士が戦いで傷付いた身体を癒す診療所、蝶屋敷。定期検診や薬の処方なども請け負っており、鬼殺隊にとって欠かせない施設である。

 時間は既に夕刻。縁側から見える庭には、西日に照らされた数多の蝶々が飛び交っている。光の加減で羽を繊細に煌めかせて舞う姿は、夕闇に溶けて消えてしまいそうな儚さと美しさを感じさせた。

 

 

「段々とコツが掴めてきましたか?」

「そうですね、まぁ炭治郎には負けますけど……」

「ふふ、頑張って下さいね」

 

 縁側の長廊下に座り、談笑する二つの人影。診療所の主である胡蝶しのぶの鼓舞を受け、黄色い髪色が特徴の少年は照れながらも頷いた。

 

 

 "雷の呼吸"の使い手、我妻善逸。自他共に認める臆病気味な性格、よく泣き喚き討伐対象の鬼を目前に気絶してしまう程に軟弱者である。しかし、その()()()()でこそ才能を発揮できる事を…本人は未だ自覚していない。

 那谷蜘蛛山で下弦の鬼の眷属を倒した彼もまた、蝶屋敷での療養且つ機能回復訓練の最中であった。訓練自体はごく最近まで躊躇っていたが、向上心がずば抜けて高い炭治郎(友人)の熱意に感化され、しのぶの後押し(手を握られる)も相まって本格的に着手したのだ。今日の訓練も全て終了し、後は夕餉が出来上がる時間を待つだけである。

 

「………」

 

 ひらひらと舞う蝶達を見て、善逸は改めて己が生き残った事を実感する。鬼の毒により自らの手脚が縮み蜘蛛へと変貌していく…あの深い絶望感は二度と味わいたくはない。症状が悪化する前に解毒剤を飲んだお陰で、幸い後遺症も残らず完治に至ったのだ。その解毒剤を用いた命の恩人こそが、左隣に座り美しく微笑む女性…"蟲柱"胡蝶しのぶである。 

 そんな、妖艶な美貌を持つ彼女と談笑する至福の時間。落ち着いている風を装うが内心跳び上がりたい気分であった。目を瞑って天を仰ぎ、この出逢いに感謝せんと無我の境地へ至ろうとした……その時。

 

 

 

 

「—————お二人共、こんにちは」

 

 

 

 

 突如聞こえてきた、中性的な声色。

 

 

「あら、こんにちは」

「!?……あ、…どうも」

 

 

 先程までの脳天気な気分が一気に霧散する。顔を下げて目を開ければ、正面に青年が紙袋を抱えて自分達を見下ろすように佇んでいた。塀を乗り越えて此処へやって来たのだろうか。注意が散漫だった事を差し引いても、存在に気付かずに至近距離まで接近された事実に驚愕する。虚空から現れたかと錯覚してしまう程に、まるで気配を感じなかった。笑みを浮かべて挨拶をする彼に、善逸は失礼だと理解しながらも思わず顔を引き攣らせてしまった。

 

 

 青年の名は瀬田宗次郎。歳上であるが鬼殺隊士としては同期であり、最終選別での初対面は非常に印象に残っている。故に蝶屋敷(ここ)で見かけた際は直ぐに彼だと認識出来た。すらりと伸びる体躯と整った容姿、常時浮かべる爽やかな笑顔。改めて同性として妬む要素満載の男だと思う。常であれば、持たざる者の恨み辛みを心中でぶち撒けているのだが……

 

 

「……ッ」

 

 

 何度聴いても、この異様な"音"には馴染めそうもない。音が独特なのはしのぶも同じだが、彼のように不快感を抱く事は無い。選別終了後に間近で対面した際に、全身が総毛立った事は鮮明に覚えている。本来其処にあるべきものが"破綻"したような不協和音は、心中に明確な恐怖を抱かせるには十分過ぎた。選別後も彼と交流関係を持つ炭治郎に詳細を尋ねたのだが、やはり初めは心底驚愕したらしい。感情を五感で読み取れる者からしたら彼が如何に常軌を逸しているかが分かる。内面とは裏腹の表情(かお)も相まって、印象は著しく良くなかった。

 

「訓練終わりですか。僕は結構早めに切り上げたから夜に進めないとなぁ……」

 

 蝶屋敷で交流する前は人格が破綻した危険人物だと偏見で思い込んでいた。しかし挨拶をすれば想像よりも遥かに礼儀正しく、誰にでも常に敬語で接している事が判明したのだ。基本的に人当たりが良く、少し無邪気さを兼ね備えた好青年なのだが…音に慣れるまでは暫く時間が掛かりそうだ。

 

「その…今日も街に行ってらしたんですか?」

「ええ、珍しい南蛮菓子が売られていたので。善逸君も食べます?」

「あっ、はい。ありがとうございます…」

 

 そして無類の菓子好きであり、毎日街で購入した物を持ち帰っては自分達に分けてくれる。彼が紙袋から取り出し渡してくれた包装紙には「カステラ」と片仮名で表記されており、紙越しでも黄色い生地がふっくらと指に吸い付く感触が心地良い。今回も値の張る代物である事は確実で、高級菓子が彼の持つ紙袋に敷き詰められている様は圧巻の一言だ。

 やがて彼は自分の右隣に腰を下ろすが、しのぶには菓子を渡さなかった。数日前、皆と同様に渡そうとした際に「結構です」と断られたからだろうか。彼の登場以降もしのぶは笑っているが、穏やかな感情が霧散したのは……彼女も例外ではなかった。

    

 

「以前も申しましたが、柱稽古の日まで貴方の身柄を本部から預かってる状態です。外出する際は事前に伝えて頂かないと困るのですが」

「あぁ、炭治郎君に伝えておきましたけど」

「普通は私を含む診療所の関係者に報告するんですよ。そんな単純な事も理解出来ないのでしょうか」

「外出程度で面倒だなァ」

 

 

 飄々とした宗次郎と言葉を交わす内にしのぶの音が鋭く尖っていき、感情の機敏を耳で受け止めた善逸の顔が徐々に青ざめていく。この一週間、二人が会話する現場に居合わせると碌な事が無かった。

 

「貴方は炭治郎君の善意に甘え過ぎです。年下の子に負担を掛けている自覚を持って下さい」

「それを仰るなら貴方だって、実の姉の夢を彼に託すのはどうかと思いますけど」

「…はぁ?何処でそれを———」

 

 

 ………ああ、()()()()

 

 

 彼の訓練の担当はしのぶ自身。一昨日ちらりと訓練の様子を覗いたのだが、動作がもはや「別次元」であったのは語るまでもない。歳も近く様相や立ち振る舞いが似通っているこの二人、相性が良く仲睦まじいと誰もが思うであろう。しかし実際に顔を合わせれば何かと不穏な空気を漂わせ、口論を繰り広げるのが日常である。激しく罵倒する類ではなく、両者共に物腰柔らかなままで的確に棘の刺さる言動を投げ掛けるので、余計に恐怖が倍増する。

 特にしのぶは彼を相当嫌っているようで、大抵彼女の方から言葉で毒を吐き最終的に冷戦が勃発する。隠達の話によると、那谷蜘蛛山の戦いの際に一悶着あったらしい。詳細は不明だが、彼女自身の何らかの線引きを超えてしまったのだろう。長年女性に歩み寄ってきた(但し一方通行)自分には何となくそう感じたのだ。

 

 

「本人から聞きましたよ」

「…全くあの子は、油断なりませんね」

 

 

 きっと炭治郎自身は微塵の悪意もなく、純粋に尽力したいという意気込みで宗次郎に話したのだろう。何事にも真っ直ぐな性格が羨ましいが、時折それが裏目に出てしまうのも世の常である。しのぶもそんな彼の性格を理解している故か、夢を話された事に関しては然程怒りの音は聴こえない。

 それでも依然として二人の間には凍て刺すような空気が漂い続けている。彼等は自分の両隣に座って会話しており、本来の意味に加えて物理的にも板挟みの状況に心が折れかけていた。

 

 

(やべェ……部屋に帰りたいよぉ!!!!)

 

 

 即刻此処から離れろと本能が叫んでいる。会話が激化しどちらの言い分が正しいかと話を振られたら厄介だ。割って仲裁に入る程の度胸と気力が己にある筈もない。行動を起こし注目されるのを懸念し、善逸が辿り着いた真実(こたえ)は……無言で存在感を消す事であった。自分は道端の石ころ、浮かんでは消える泥濘の泡…塵芥も同然の存在。だから頼むから巻き込んでくれるなと、心の中で嘆願を続ける。

 

 

 

 

 ————その夜、とある繊細な少年は体調不良を訴え……半日寝込む事になった。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 屋根の棟部に腰を下ろし、宗次郎は呼吸を安定させ集中する。酸素を身体の末端まで巡らせると全神経が過敏になり、血流の速度が上がっていく。肺が圧迫され、全身に熱が生じるのを感じた。

 

「………ふぅ、疲れるなぁ」

 

 しかし、直ぐに動作を終えて夜空を仰いだ。明日は柱稽古を控えている為、身体に負担を掛けない方が良いと判断したのだ。夜空には無数の星々が輝いており、届かないと分かっていても手を伸ばす。風に吹かれたちぎれ雲が、山の頂へと静かに動いていた。

 

 

 蝶屋敷で過ごし始めて一週間になる。名目上は患者で療養期間中なのだが、初日に解毒及び機能の回復が完了して以降は「全集中の呼吸」の基礎を学ぶ日々を送っている。下弦の鬼を無傷で葬ったにも関わらず、しのぶの毒が原因で屋敷に訪れる羽目になった訳だ。柱稽古の実施日までは鬼殺任務を解かれ原則此処に滞在するよう言い渡された。この一週間は宗次郎の体調を考慮した期間であり、他の柱達の稽古期間でもある。

 屋敷の住人は若い少女ばかりだが、しのぶと同様に「全集中の呼吸」に精通しており患者の治療と訓練の両方を兼ねて補助してくれる。未経験者である自分が最初に学んだのは"常中"と呼ばれる基本動作だ。前々から"縮地"に組み込みたいと考えていた呼吸法を、この機会に習得出来るのであればと着手し始めたのだが……

 

 

 ————認識が少々、()()()()

 

 

 「剣術」において、宗次郎は特定の流派を習得する必要は無かった。幼少の頃より秘められた天賦の才は()()()を境に開花し、我流の剣のみで明治政府の精鋭達を葬り去ってきた。十本刀最強…"天剣"の異名通り、刀を振るえば無双であったのだ。

 しかし"全集中の呼吸"は身体能力を向上させる特殊な「呼吸法」である。如何に宗次郎といえど、剣と同様の感覚で瞬時に理解するのは不可能だった。基礎となる"常中"を行う度に肺は圧迫され、動悸が激しくなり疲労感に包まれる。呼吸器官など本来人間が鍛錬できる部位ではないので容易には習得できないと勘付いていたが、予想以上である。因みに常中が熟達すれば瓢箪を吹くだけで破裂可能になるらしい。実物を見せてもらった際、想定を遥かに超えた大きさに心底驚いた。現実味に欠ける上に、その域に達するまで年単位の時間を要する気がしてならなかった。

 

 けれどそれは自分が想像していた基準であり、しのぶ曰く二ヶ月もあれば常中を習得できるそうだ。平均と比べてかなり早いらしいが、縮地との併用を試す期間も考慮すれば、実戦で用いるのは当分先になるだろう。現時点では全く敵に苦戦していないので急ぐ必要も無い。

 

 

 

 明日相手取るのは、この新しい"技能"を極めた剣客。以前から鬼殺隊の要である「(彼等)」の基準を知っておきたかったので、それを己の剣で試す絶好の機会である。初見の相手に対策は無いが、普段通りの"自分"を出し切れば苦戦は強いられないだろう。そして本番は隊服を着込まず、馴染んだ蒼の普段着のみで挑もうと考えている。僅かでも身軽にして機動力を確保出来れば、"縮地"は更に強力になる。

 

 

「………」

 

 

 初めて緋村剣心()に敗れた日。己の真実(こたえ)に乱れが生じて動きを先読みされ、最大の奥義まで打ち破られた。激闘の末に「弱肉強食」のみがこの世の真実ではないと知った時、初めてあの雨の中から解放された気がしたのだ。以降は理解し得ぬ信念・真理に対し無理に反発せず、()()()()()()と思考するようになった。過去の真実への執着を終えて広い視野を得た、宗次郎自身の確かな成長の証であった。

 

 

 故に、己の「感情欠落」は二度と揺るがない。

 

 

 

 ————決して、破れはしないだろう。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 朝焼けが始まる早朝、新たな一日の始まりを鳥達が祝福するように奏でている。表の参道から少し外れた比較的人気の無い通路を抜けると、やがて視界が開け立派な施設が聳え立つのが見えた。今日の稽古場所である「剣道場」だ。敷地の境界に位置する武家門の脇には二人の男女の姿があり、少年の方は此方の姿を視界に認めると満面の笑みを浮かべて挨拶をした。

 

「おはようございます宗次郎さん!」

「炭治郎君、お待たせしました」

 

 

 彼は同期の仲間達三人の中で最も機能回復訓練に力を入れており、日々脇目も振らず"常中"の完全習得に励んでいる。今回の柱稽古も戦闘の参考になればと、率先して観戦を申し出たそうだ。

 

 

「それで、お店の予約はできましたか?」

「ええ。少々道が複雑で大変でしたけど」

 

 鬼殺隊本部や蝶屋敷を含むこの地域一帯は所謂「大都市」であり、広大な街が複数連なっている。真新しい風景を横目に遊歩するだけで興が乗る上に、此処でしか得られない情報も沢山収集できる。蝶屋敷で過ごす間は毎日街へ繰り出しており、大正時代から誕生した珍しい菓子を存分に堪能していたのだ。今日は剣道場(ここ)に向かう前に、以前から目を付けていた甘味処へ赴き個室の予約を済ませてきた。手合わせが終了次第直ぐに向かう予定である。

 

「まぁ、直行出来る状態であればの話ですね」

 

 そして彼の引率者であるしのぶは、ニコニコと笑いながら他意を含んだ言動を投げ掛けてきた。那谷蜘蛛山の件を相当根に持っているのか、彼女は事ある毎に攻撃的な態度を取ってくる。丁寧な口調で痛烈な批判を浴びせてくる様子は控えめに言ってえげつなく、もはや両方の意味を兼ねて"毒柱"と改名すれば良いのではと思う。

 

「万全の状態ですから心配ありませんよ」

「それなら結構です。皆さんもお待ちなので入りましょうか」

 

 しのぶは心配した覚えはないとばかりに話を切り上げると、門を潜り道場の扉を開けた。彼女を先頭に全員が中に入り、屋内用の草鞋に履き替えて奥へと続く廊下を歩いていく。側面には年代物の掛け軸や刀が飾られており、内装の豪華さを際立たせていた。格子窓の隙間から見える中庭は美しく彩られている。そして最奥の分厚い襖障子を彼女がゆっくりと開けると……

 

 

 

 

 ————其処は、広大な空間だった。

 

 

 木造の頑丈な壁と天井に畳ばりの床の、剣を交える為だけに創られた空間。無駄を省いた簡素な構造は「無間乃間」を彷彿とさせ、何処か懐かしい気分になる。各所には幾千もの剣士が己を鍛えた証である古傷が無数に刻まれており、建物自体の歴史は相当長い事が伺える。奥の壁際には稽古の観戦に来たであろう観衆達が立っていた。

 

 

 そして彼等よりも手前、空間の中央に佇む男。突き立てた炎刀に手を添え、仁王の如き覇気を纏い待ち構えていた。直前まで閉じていた瞳が、宗次郎達の往来を感じ取り覚醒する。熱を灯した双眸は、真っ直ぐに此方を射抜いた。

 

 

 

「————来たか!瀬田少年ッ!!!!!」

 

 

 

♦︎

 

 

 

 炎色の髪に爛々と輝く緋色の瞳、そして白地に業火を纏わせた羽織が目を引く。まさに全身で「炎」を体現したかのような男は空間を震わせる程の大声でそう叫ぶと、刀を納め此方に歩み寄って来た。

 

 

「俺は"炎柱"、煉獄杏寿郎!!!今日は宜しく頼む!!!!」

「こちらこそ、宜しくお願いします」

「うむ!君の功績は全てお館様から聞かせてもらった!見事な剣才だな!!!今日はその力を存分に発揮し、戦って欲しい!!!!」

 

 

 求められた握手に応じて掴んだ手からは、溢れんばかり闘気が滲み出ている。とても暑苦しい、見かけ通りの豪快な人物だ。この男が稽古相手の柱だと知らされていたので、事前に彼を少々調べていた。全集中の呼吸の基本となる流派"炎の呼吸"は歴史が古く、どの時代にも必ず柱がいたそうだ。加えて「煉獄家」は代々鬼狩りの家系であり、歴代の"炎柱"を幾度も其処から輩出しているという。由緒正しき炎を宿した最上位の剣士…その呼吸の体現者とも言えるだろう。

 

 

「それにしても、他の方々もお揃いなんですね」

「ああ、皆が君の剣を知りたがっている。柱以外がこの稽古に参加するなど、異例の措置だからな!」

 

 

 煉獄は周囲の面々を眺めつつ応える。

 広間の両端にいる観衆とは七人の"柱"だ。先程しのぶが皆さんと述べた通り全員がこの稽古の観戦に来たようで、鬼が活動しない早朝であれば彼等もある程度は時間に余裕があるらしい。極彩色の双眸が全て自分に集中するのを意識しつつも、身だしなみの整理や概要確認などの事前準備に取り掛かる。

 

「炭治郎君、日輪刀(これ)預かってもらえます?」

「あっ、はい!分かりました!」

 

 稽古では当然真剣を使用できず、訓練用の代物を此処で渡される。日輪刀を受け取った炭治郎は軽く会釈した後、しのぶに誘導され柱達が立つ壁際の方へと移動していった。一同慣れているのか、戦闘に巻き込まれる心配は皆無らしい。

 

「竈門少年も観戦に来たのか。素晴らしい心掛けだ!ならば尚更模範にならなくてはな!!!」

 

 果たして模範になるだろうかと宗次郎は思う。彼が扱う呼吸は炎だが、水と同様に基本の型なので幾分かの共通点はあるかもしれない。

 

「ところで、君も少年と呼称するのは些か迷ったのだが…生まれた年はいつだろうか?」

「文久の元年です」

「よもや!!!!!ならば軽く四十は超えている筈だが、それ程若々しい肉体を保っておいでとは…尊敬に値する!!!!」

「あぁ、歳は十九ですよ」

「む……皆目分からんが、いずれにしても君は素晴らしい剣士だ!!!」

 

 大正時代(こちら)に飛ばされる前と肉体年齢が変わらず、鬼の痕跡など宗次郎のいた明治時代では全く見当たらなかった。故に此処は月日が経過した元の世ではなく、全く()()()であると予想している。神隠しの原因は定かではないが、取り敢えず年齢は変わらぬままで良かったと思っている。

 呼び方は何でも構わないと応えれば、彼は満足げに頷き返事をした。生誕日と歳の矛盾を掘り下げようとしないので、あまり細かい事は気に留めない性分らしい。

 

「さあ、君の()()()()の刀だ。受け取ってくれ!」

「ありがとうございます」

 

 煉獄の腰から引き抜かれて渡されたのは、刃の無い訓練用の「模造刀」だ。柱稽古の概要を知らされた際に、その中で必要な条件や要望があれば、本部に申請するよう告げられていた。なので本来使用する木刀を真剣又は合金類を用いた本格的な模造刀に変更できないかを申請した所、後者の許可を得られたのだ。

 斬れない事以外は限りなく真剣に近い。しかも構造や刃渡りを普段使用する日輪刀に合わせて調整されており、総じて非常に良い出来である。要望に応えてくれた本部には感謝しなくてはならない。

 

 

 受け取ると改めて距離を空け、向かい合う。

 

 

「それでは一本、宜しく頼む!」

「ええ、此方こそ」

 

 

 

♦︎

 

 

 

 鬼と接敵する際は、あらゆる場面を想定する必要がある。障害物の無い更地で真正面から対峙する時もあれば、狭く密閉された空間内での交戦も有り得る。日によって稽古の場所は変更され、今日は煉獄家が所有する剣道場だ。

 

 訓練時代に愛用していた模造の炎刀を握り、煉獄は宗次郎を見据える。突如鬼殺隊に入隊し、閃光の如く大躍進する彼の噂はいち早く聞きつけていた。鬼の被害が増加傾向にある昨今の情勢、人手の足りない中でなんと頼もしい存在であろうか。強き者が先導して活躍すれば若輩達の士気も高まる。お館様に指名されて以来、一騎当千とも謳われる件の青年との再会を待ち望んでいた。

 他の柱達と同じく、凄まじい闘気の持ち主だと思い込んでいたが………実際はどうだろう。

 

 

 

 ————()()()()()()()()

 

 

 気配は勿論、戦闘前だというのに闘気すらも全く感じられない。視界に映っている姿は幻なのかと疑う程景色に溶け込んでいる。存在自体が、朧げに漂っているような感覚だ。専ら気配を消す術に長けていても、"この領域"に至るには不可能に近い。恐らく先天的なものか、あるいは己の精神に多大な影響を及ぼす出来事があったのか…。いずれにせよ、有り得ない程彼という「人間」を読み取れない。

 

 

「随分と、落ち着いているな」

「そうですか?まぁ、異能を操る鬼と比べれば幾分かは気が楽ですし……」

 

 

 

「—————"対人(こちら)"の方が、慣れているので」

 

 

 薄氷のような面の笑顔に影が交差し、青年の瞳は怪しく光る。傲ってもいない態度で淡々と「事実」を述べたらしい様子に、煉獄は内心舌を巻いた。やはり胡蝶やお館様が述べた通りであれば……非常に()()()()()になるだろう。確信に近い感覚だ。

 この稽古に特別な規則は無い。ただ純粋に剣を交え自分を高め合い、まだ見えぬ実力の巨峰へと突き進むのみ。より多く屠り…多く救う為に、この青年を糧に己は強くなってみせる。絶対なる覚悟を定めた心が火を灯し、紅蓮の如く滾り始めた。

 

 

「成る程、ならば遠慮は一切無用!俺の全てを懸けて迎え撃とう!!!!」

「分かりました、それでは遠慮なく…」

 

 

 

 鞘から刀を引き抜き、戦闘態勢に入った彼は……片脚を一定の間隔で畳の床に打ち付ける。

 

 

 

『—————!!!』

 

 

 煉獄のみならず、空間内の全員がその異様な動作に瞠目する。彼の実力の全貌が明らかとなる瞬間を目に焼き付けんと、鋭く観察し始めた。

 炎を冠する柱の表情は真剣そのもので、先程までの豪快な笑みは浮かんでいない。冷静に徹する思考とは裏腹に、漲る程の闘気が彼を包み込んでいた。

 

 

 

 

 

 

「——————先ずは、"五歩手前"から」

 

 

 



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激戦

今年はるろ剣も鬼滅も熱い!何とか頑張ります。
あと北海道編の宗次郎待ち遠しいです





 

 

 張り詰めた緊張感に包まれた空間に、軽快な脚音が響く。一定の間隔で刻まれる予備動作(それ)は、得体が知れずとも直感で「危険」だと最大限の警戒を抱かせた。依然として笑みを浮かべる宗次郎の瞳が…僅かに鋭さを増した、その瞬間—————

 

 

 

 

 

「————ッ!!!!!」

 

 

 

 

 ーー()()()()()()()()()()

 

 

 目にも止まらぬ速度の突撃。置き去りにされた轟音が遅れて鼓膜を刺激し、突風が全身を激しく揺り動かす。瞬きをする暇も無くガキィ!!!!と刀同士が火花を散らし、影と同時に交差した。勢いを殺さぬまま大きく背後へ回った相手に、煉獄は瞬間的に全身を反転させ……息を大きく吸って弾丸の如く突進する。

 

 

「"炎の呼吸"壱ノ型———『不知火』ッ!!!!」

 

 

 誠に炎が吹き出す勢いで剣が熱く震える。横に振り抜かれた灼熱の如き一閃を、宗次郎は僅かに身体を逸らしただけで躱す。刃渡と間合いを正確に読み取らなければ出来ない芸当だ。避ける動作を最小限に抑えられる程、行動の選択肢を無尽蔵に与えてしまう。生じた猶予で繰り出したのは斜め方向の袈裟斬り、死角を正確に突いた反撃が荒々しく迫る。

 しかし煉獄も間髪入れずに真っ向から炎の呼吸を放った。二度目の激突から派生して、互いに無数の斬撃を繰り出し捌き始めた。十…二十……四十と、極短時間で尋常ではない回数を切り結ぶ内に両者の剣舞は一層激しさを増していく。

 

「ッ……、ハァッ!!!!!」

 

 熱気を払い除ける強烈な追撃を躱した相手は再び残像となり、縦横無尽に空間内を駆け巡る。強靭な脚が連続で畳を踏み抜く度に轟音が鳴り響き、決壊した足場が空中で次々と霧散していく。剣道場は瞬時にして嵐が巻き起こったかのような惨状を呈していた。

 

 

(何と、凄まじい脚力……ッ!!!!)

 

 

 これは何らかの「歩法」だ。踏込からの独特な脚の運び方で初速から最高速度に一気に達している。前後左右全ての方向から不規則に脚音が響くのは、何処からでも仕掛けられる証拠だ。全集中の呼吸とは全く異なる未知の技能に煉獄は唸った。

 最早微塵も出し惜しみする理由は無い。受け身のまま翻弄されては確実に詰んでしまう。相手の速度に引けを取らず攻勢に転じるには"常中"を限界まで行使する他ないだろう。初手で強烈な印象を残してくれたが故に、挑戦し甲斐があるというもの。紅蓮の闘気を宿した煉獄は脚に力を込め……自らも残像となり標的目掛けて突っ込んだ。

 

 

 

♦︎

 

 

 

「………!!!」

 

 

 炭治郎は目の前の光景を疑った。視界の先を目まぐるしく飛び交う()()()()()()。人の原型を留めないそれらは、うねり交差する度に凄まじい轟音を鳴り響かせ…空間全体を大きく振動させる。

 隣に佇むしのぶの様子を確認すれば、彼女は激しく移動する二つの軌道を正確に捉え眼をしきりに動かしていた。その更に隣にいる派手な格好の柱も、他の場所に立つ柱達も……皆同様に二人の激闘をその瞳に捉えて離さない。

 

 

 ———自分だけが、眼で追えていないのだ。

 

 

 ある程度は覚悟していたつもりだった。天賦の剣才を持つ宗次郎と、鬼殺隊最上位である煉獄()との戦いなのだ。間近で眺めれば歴然とした力量差を終始痛感するに違いない。そう理解していて尚、想定を遥かに上回る攻防……文字通り次元が異なる戦闘を前に、只々圧倒されるしかなかった。己の動体視力を歯牙にもかけぬ加速、旋風の中で生じているであろう千差万別の駆け引き。下弦の鬼を追い詰めた()()()()()では、姿を捉えて学ぶ事すら赦されないというのか。

 

 

 …仮に、どちらかが「鬼」であったなら。稽古ではなく命の奪い合いを目的に、この次元の戦闘が行われていたら……今の自分では到底介入出来ないだろう。助力どころか足手纏いに成り兼ねない。いつも和やかに話す青年の戦闘を初めて本格的に見たが、改めて雲の上の存在なのだと認識する。己の不甲斐なさを痛感して無意識に拳を握り締めていた。

 

 

「………ッ」

 

 

 強くなりたい。彼のように襲ってくる敵全てを撥ね除けられる力が欲しい。それは周囲の大切な存在を守る事にも直結する。打ちひしがれる暇があるなら、少しでも得られる情報を元に自分の成長を促すのだ。彼等の脚元に喰らい付く気概で、現時点で自分に理解出来る事を取り入れるだけで良い。

 

 

(………蒼い影、宗次郎さんが少し速い…)

 

 宗次郎の方が、素早く変則的な動きで撹乱しているように見える。しかし対する煉獄も惑わされず同じ速度を保って衝突を繰り返している。その領域にいつ到達出来るのか解らない程の高度な攻防。

 …だが何故だろうか。自分程度に判断出来る筈もないのに、両者の戦い方には何処か()()()()()()があるように思える。剣術や読み合いがどうかという類ではなく………もっと根本的な何かが。

 妙な感覚を拭えないまま、意識は二人の激戦に引き込まれていく。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 "炎の呼吸"は圧倒的な「威力」が特徴の型である。大地を踏み締め、足の推進力を利用した強烈な一撃を敵に叩き込む技が多い。更に煉獄自身の技量も加わり、大振り気味の技の欠点は皆無に等しい。肉体が全盛を迎えておらずとも、「至高の領域」に限りなく近い戦闘能力を有している男は文字通り鬼殺隊の"柱"であったのだ。

 

 柱稽古で鍛錬を重ね続けて迎えた最終日。自分だけが特別に例の青年と稽古する事になった。折角の貴重な機会、他八人とは違った闘いを噛み締めようと悠長に構えていたのは始まる直前のみ。戦闘中は相手を実際の"敵"と想定し、切り替えて挑まねば稽古の意味を成さない。そしていざ剣を交えて、今までの情報が紛れもない"事実"であった事を全身で感じ取っている。

 

 

「『不知火』ッ!!!!!」

 

 

 己の炎剣は現在悉く受け流され、掠りすらもしていない。素早い歩法で巧みに此方(こちら)の技の焦点をずらしているのだ。加速を継続している状態でも全く目は回らない様子で、空間での把握力が非常に優れている。側面()を当然の如く走り抜け舞うように熾烈な斬撃を浴びせて来るのだ。空中さえも支配して閉鎖された空間内を自在に駆け巡る相手にとって、此処は独擅場に等しいかもしれない。

 

 

 移動しながら複雑に絡み激しく斬り合う。両手で剣を握り締め戦う自分とは違い、彼は主に片腕のみで剣を振るう。速度はそのまま"重さ"となって上乗せされ、異常な威力の斬撃を捌かねばならない。

 互いの一文字斬りが交差し、余りの衝撃で両者共身体が吹っ飛ぶ。後方に跳び素早く体勢を立て直した煉獄は直ぐに顔を上げるも……

 

 

「————何ッ!?」

 

 

 在る筈の人影が無い。気配も感じず脚音も響かぬ異様な一瞬の間の中、煉獄は弾けるように()()()()()()()。其処には既に自身目掛けて照準を定め、今にも天井を蹴って地面に突き落ちる寸前の青年の姿があった。先程の反動を利用して舞い上がったに違いない。不味い—————!

 

 

「弐ノ型!『昇り炎天』ッ!!!!!」

 

 

 唸るようにかち上げた炎剣が、脚力を利用した強烈な兜割を迎え撃つ。凄まじい衝撃が刀から全身に伝わり、バキィ!!!と両脚が畳にめり込んだ。僅かに反応が遅れた事により体幹が崩れてしまう。着地した宗次郎はその隙を逃さず煉獄の懐に潜り込み、凄まじい低姿勢で刀を連続で振るう。

 

「く、、ッ!!!」

 

 後退しつつ剣を捌くも、猛攻に押され壁の突き当たりまで追い詰められる。相手は前のめりの姿勢を起こすと同時にその勢いを存分に利用、無慈悲な斬撃が大きな弧を描いて下から煉獄に迫っていく。

 

 

『気炎———万象ォ!!!!!!』

 

 

 命中寸前で間に合わせた呼吸で"参ノ型"を行使。斬撃を相殺どころか宗次郎をも捩じ伏せんと豪炎を纏った刀が力強く振り下ろされる。重い衝撃が音となって悲鳴を上げ、技の余波のみで足場が砕かれ粉々に散っていく。しかし煉獄の視線は既に正面、当然の如く技を避けて周囲を駆け巡る蒼き軌道を追って自身も加速した。

 

 

 語るまでもない彼の異常な"速度"。絶大な推進力を乗せて放たれる斬撃は、受け止めて尚煉獄の体幹を大幅に崩してくる。柔軟でいて、且つ敵を両断するような鋭さ……緩急を付けた流麗な剣捌きに攻めあぐねていた。

 まさに変幻自在の刃、「型」を主軸とした全集中の呼吸とは全く異なる戦い方だ。身体の一部を動かす程度の気軽さで容易に、宗次郎の発想次第で無限に等しい攻め方を構築出来ている。定まっている呼吸の技は既に見切られていると考えて良い。ほぼ完封されている状態で如何に攻略するか…。

 

 

「———ッ!!!!」

 

 再び何の脈絡もなく反転した影が、亜音速で斬り掛かってきた。『不知火』で応戦するも、穿ち舞い上がった宗次郎はそのまま縦方向の回転斬りを仕掛け、遠心力を利用した強烈な斬撃を脳天に叩き込んだ。最低限の動作で繰り出されたその一撃を完全には防ぎ切れず、鈍い痛みが上半身を襲う。

 

 

「ッ、、フゥッ!!!」

 

 

 またも反応が遅れた。一度大きく距離を取りつつも相手を視界から意地でも剥がさない。…そう、煉獄を苦しめている最大の要因は特異な歩法でも剣捌きでも無い。宗次郎の動きが()()()()()()()()()()事なのだ。闘気だけではなく"殺気"すらも斬撃に含まれていないのが理由である。

 

 

 極論を述べれば、刀は対象を傷付ける為の武具。大小の差はあれど、自ら握って戦闘を行えば如何なる者でも胸の内に殺意が宿る。殺傷能力が皆無の模造刀だと理解しても、殺気(ソレ)を完全に消し去るのは不可能なのだ。剣客にとっては決して切り離せず、気配を読み取る上で必要不可欠な要素となる。

 だがこの青年からは微塵の殺意も感じ取れない。稽古が始まる直前でも何も感じ取れなかったが、戦闘中でもそれは依然として変わらない。闘気や殺気といった気力全般は人間の感情に起因する。意図的なのかは分からないが、恐らく想像を絶する方法で()()()()()()()()()のだ。

 これが彼の"素の状態"であれば厄介極まりない。何も読み取れない結果、事実上の『先読み封じ』が生じるからだ。戦闘中は常に未来(さき)を予測して動かねばならない。優れた剣客が相手ならば尚更で、先読みが出来なければ前提が成り立たないのと同義である。機先を制し続ける者が正義の世界で、それは余りにも大き過ぎる障害であった。

 

 

 

 歩法・剣技・先読み封じ、この三つの要素が絶妙に合わさり「完璧な戦術」が完成している。実力者である煉獄ですらも驚く程看破出来ず、後手に回らざるを得なかった。刹那の判断力も恐ろしく高く、気を抜けば一瞬で刈り取られてしまうだろう。

 

 

(だが、俺も慣れるしかないッ……!!)

 

 

 しかし煉獄とて数多の場数を踏んでいる。相手の特性を学び最適解を導き出し、灼熱の刃で敵を幾度も屠って来た。「全集中の呼吸」が生み出す可能性を引き出してこの青年を乗り越える。

 "常中"を継続すれば瞬発力と反応速度を極限まで高められる。熟練度が高い程その時間は長くなり、最高位の柱が扱う"常中(ソレ)"は一般隊士の比では無い。鍛え抜かれた感覚は、体感時間を圧縮し過ぎて敵の動作が鈍く見えている程だ。ほぼ()()()()の感覚的な反応と積み重なる戦闘経験で得た直感を活かして、宗次郎の攻撃に対応出来ていた。

 

 しかし重要なのは、身体に負担を掛ける呼吸法を全力で駆使してようやく()()()()()()()()()()事。余力を残す暇など皆無に等しく、既に本気に近い状態で戦闘を継続している。過去から現在まで戦った敵味方を含め、その強さは確実に五本の指に入るだろう。噂に違わぬ、否それ以上の逸材だと断言出来るからこそ……彼の全てを把握して勝利したい。煉獄の眼は依然として気高く滾っていた。

 

 

 戦闘が始まってから一定の時間が経過している。そして、何度目になるか解らない激突の直後…

 

 

 

 

 

「———そろそろ、慣れてきましたか?」

 

 

 交差する間際に耳元で囁かれた。振り向くと同時に軸足を回転させて強烈な横薙ぎを繰り出すが、虚しく空を切った。空中で後方に向かって回転しながら華麗に着地した青年を()()()()正面から見据える。感じ取ったのは嵐が来る前のそよ風、熾烈な戦闘中に生じたひと時の"幕間"の気配。宗次郎は刀を肩に掛けると一息をついた。

 

「やはり想像以上にお強いですね。鬼殺隊に来てからは貴方が一番だ」

「それは光栄だな!君こそ凄まじい強さだ!!!」

 

 常識から逸脱した存在達は、臨戦態勢を解かぬまま互いを称賛する。それだけを言い残して、空気は再び重く両者に伸し掛かった。多くを語るのは刀で良いと言わんばかりに互いの眼は鋭さを増す。

 

「次は、かなり速くなりますよ」

「受けて立とう!」

 

 宗次郎は先程よりも明確に()()()()で脚先を地面に打ち付け始めた。それでも何ら変わらぬ笑顔を浮かべる青年を見て、逸脱した"その先"を身を以て知る事になるだろうと煉獄は悟った。どのような結果になろうと全力で立ち向かうのみ、その心は常に炎を宿し爛々と燃えていた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 熱を灯した剣圧が、未だ頬に燻っている。

 

 

 見慣れた水の呼吸を"柔"の剣とすれば、炎の呼吸は正しく"剛"の剣。豪快な技をまともに受けたら確実に再起不能に陥り勝敗は決してしまうだろう。"五歩手前"の時点で此方の速度が上回っており、手数も多いが……決め手となる寸前で斬撃が阻止される。先読みが出来ない筈なのに"常中"を駆使して五感を極限まで底上げし、驚異的な反応速度で「紙一重」を延々とやってのけているのだ。それでいて防御のみに徹せず、積極的に接近し技も繰り出して来る。

 

(はは、凄い人だ)

 

 鍔迫り合いの音、剣先で生じる高度な駆け引き。並外れた速度に張り合い、何より先読みを封じられている状態でここまで喰らい付いて来る。武具を持たず、欲望と本能で動く「鬼」では到底成し得ない超級の戦術。己に為す術なく斬られてきた有象無象とは違う、本物の「剣客」と相対しているのだと認識する。

 

 ーー久しく忘れていた、()()()()

 

 思い返せば大正時代(こちら)に来てから異形ばかりを相手取っていた。元いた時代、幕末の動乱に時計を逆戻りさせんと明治維新に牙を剥いた頃が懐かしい。度重なる要人暗殺に数多の報復……血で血を洗う大規模な争い。その名残故なのか、やはり対人戦は身体に非常に馴染む。

 大きな流れに身を投じ続け、その最果てに待っていたのは『彼』との決着。あの時と比べて現在(いま)は何も憂う必要は無い。前に突き進む限り、真実は必ず手に入ると信じているから。しがらみから解放された鳥のように身体が軽く、脚が躍動する。絶好調と言い表しても相違ない状態であった。より速くなった予備動作に気付いた相手は、鬼気迫る闘気を宿して刀を構えている。

 

 貴方は強い。けれど()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「——————"四歩手前"、行きますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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"三歩手前"

全集中の呼吸はとにかく「技」が多い!
宗次郎にも少し分けて下さい





 

 

 主人が不在の蝶屋敷。太陽が漸く昇り始めた頃…まだ早朝と呼べる時間帯の中、数少ない屋敷の住人達は各々の仕事に取り掛かる。

 患者が運び込まれる二階の病床、その一室で少女は淡々と清掃を行っていた。寡黙で美麗な雰囲気を纏い、絹のような黒髪と蝶の髪飾りを柔らかな空気が撫でている。取り替えたシーツを手に抱え、洗い場へと向かうべく廊下を歩いていた……その時。

 

 

「————!」

 

 ()()()()()を感じて、格子窓の外……屋敷の裏手にある雑木林の奥を見据える。昇った直後の太陽光は未だ行き届かず、仄暗い闇を纏ったその場所は一見何も無いように見える。しかし少女の「眼」は、一際太い幹に留まるその存在を正確に捉えていた。

 

 

 ーーそれは、"梟"の雛だった。

 

 

 灰と白の羽毛に包まれた小さな体躯を揺らし、器用に頭部を回転させ毛繕いを行っている。その愛らしさに見合わぬ鋭い脚の鉤爪には……既に息絶えた山鼠が捕らわれていた。身体から滲み出る血は凝固しており、獲物を仕留めてから幾分かの時間が過ぎたようだ。距離が離れていても、少女の特異な視力を以てすれば全ての動向が筒抜けであった。

 

 

 ……知っている、あの梟は「彼」の鎹鴉。

 

 

 那谷蜘蛛山での任務が終わった後、ここ暫く蝶屋敷に滞在中の青年を思い返す。基本的に少女は他者への関心が極端に薄く、隊士や刀鍛冶を含め数多くの人間が此処を訪れるが…事務的な接触以外で関わろうとする気配は皆無であった。

 そんな彼女が珍しく気に留める程に、何もかもが"異質"な青年(ヒト)だった。同時期に訪れた個性豊かな少年達ですら、彼の前では霞んで見えてしまう。

 

 

 患者の補助が必要な蝶屋敷において、少女は主に訓練の実技全般を受け持っていた。いつもの指示通り、彼の機能回復訓練と"常中"の指導も自身が担当する筈だと思っていたが……。

 なんと、己の師範である胡蝶しのぶが彼の訓練を受け持つと言い出したのだ。医者も兼任する師範は常に多忙の身なのに、特定の隊士に時間を割くなど理解不能であった。合理的な彼女らしからぬ判断、その意図を読めずにいたが……両者の訓練を間近で眺め、否応なくその理由を突き付けられた。 

 

 

『あはは、化粧が崩れて妖怪みたいですね〜』

『…………カナヲ、少し席を外しなさい。暫く誰も此処には入れぬように』

 

 

 爽やかな笑顔の青年が…己の師範に次々と薬湯をぶち撒けていく。その遠慮と容赦の無さには軽く恐怖を抱く程で、凄惨な情景は少女の脳裏に深々と刻まれてしまった。夥しい数の青筋を立てた師範は、それはもう優しい声色で退室を命じたのだ。

 二人の仲は大変宜しくないようで、彼が関わると師範の機嫌は常に底辺を彷徨っていた。両者が訓練を始めれば四六時中轟音が鳴り止まず、その際は極力干渉を避けるのが暗黙の了解となったのだ。

 経緯は兎も角、洗練された青年の動きは少女に大きな衝撃を与えた。反応速度や駆け引き・それに伴う身体能力…全ての基準値が異常に高く、難解な課題を遊戯感覚で完遂していく。呼吸の基礎を学び始めた段階なのに、それを極めた師範()と何故対等に渡り合っているのか。自分の遥か先を征く実力者が同期という事実も、未だ信じ難いくらいだ。

 

 

「……………」

 

 

 梟は、気配を断ちつつ無音で羽ばたき……驚異的な速度で獲物を仕留める。相方の青年を体現したかのような幼き捕食者に再び眼を向ければ、相手も此方に勘付いた様子で不思議そうに見返して来た。今頃本人は柱稽古で激戦を繰り広げているだろう。

 少女は"継子"という立場上「柱」と関わる機会がそれなりに多く、並外れた実力を常に身近で体感出来ていた。無駄を省いた流麗な剣捌きは何度見ても溜め息が溢れ、鬼殺隊の頂点に君臨する所以なのだと認識していた。

 

 

 しかし、誰もが畏敬の念を抱く"鬼殺隊の最高戦力"が相手でも……「彼」が苦戦する姿など到底想像出来なかった。

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 

 ゴゥ!!!!!と、衝撃波が激しく宙を舞う。

 

 

 

『………!!!!』

 

 

 煉獄と外周に佇む柱達、各々が強力な「鬼」の異能に露程も動じぬ百戦錬磨の猛者揃い。そんな彼等ですら、現実とは思えない超常的な事象を前に瞠目した。数え切れない眼差しに穿たれるのは、天地を揺るがす轟音と共に空間を駆け巡る青年……"四歩手前"の速度を解放した宗次郎だ。

 

 

 ーー先程までとは、()()()()()()()()

 

 

 人智を遥かに超越した"速度"は、軌道さえも捉える事を赦さず、僅かな残影を視界の端に残すのみ。地面と側面に加え、新たに天井にまで打ち上がり此方の感性を著しく狂わせる。横方向だけでなく縦も絡めた……真の意味での「全方位」空間攻撃。

 別物と言い表しても過言ではない戦法に、流石の煉獄も動揺を隠せない。神速で踏み抜かれた畳や天井は崩壊し、砕かれた木屑や破片が衝撃と共に舞い視界を更に悪化させる。荒れ狂う災禍の中に…"炎柱"は唯一人佇んでいた。

 

 

 

「………ッ」  

 

 

 絶対に追い付けないと悟った煉獄は、その場から動かずに静止する。呼吸を安定させ、構えを継続したまま周囲を鋭く見渡した。集中力を研ぎ澄まし…やがて訪れる猛攻に覚悟を決めて備える。

 動きを先読み出来ないが故に、無理矢理にでも追随して視界に捉える必要があったが、最早それが通用した段階は過ぎ去った。今や脚力は遠く及ばず並走可能な範疇を優に超えている。数少ない突破口を断たれ、完全に先手を譲らざるを得ない…あまりにも致命的な状況。それでも煉獄は決して立ち向かう姿勢を崩さない。

 宗次郎が不可視の斬撃と化してから十数秒……

 

 

 

 ———()()()()()から響いた衝撃音を皮切りに、序盤とは比較にならない壮絶な闘争が幕を開けた。

 

 

 

 

「———肆ノ型ッ!『盛炎の唸り』!!!!!」

 

 

 身の危機を察知するよりも速く、反射的に煉獄は刀を薙ぎ払っていた。技の必中範囲が広い"肆ノ型"は、斬撃が届く可能性を大幅に引き延ばす。扇状に螺旋を描く炎剣は同時に障壁としても機能し、此方の陣形を容易に崩させない。攻撃を凌ぎつつ反撃に繋がる布石を打ちたいが……

 

 

 

「—————ッぐ、、ッ!!!」

 

 

 全身を暴風が凪いだ直後、凄まじい斬撃が煉獄を襲った。予想を遥かに凌駕した剣速……()()()()()()()()()()事実を痛覚が数秒遅れて認知する。攻守共に優れた呼吸技でさえ、ただ致命傷となる部位を逸らしただけに過ぎなかった。速すぎて眼に映るかも怪しい攻撃に甘過ぎた認識を捨て去る。

 骨の髄まで浸透させる痛撃は体幹を崩し、その勢いで煉獄の脚が地面から隔絶された。宙空は宗次郎の絶対的な領域、浮いた身体を捕捉し駆け抜ける猛烈な一閃。迫り来る斬撃(ソレ)を理解しても予測が出来ず、煉獄は咄嗟に炎剣で自身を守るしかない。

 訪れた二度目の衝撃は斜め上、強襲する円光の刃に弾かれ地面に勢い良く叩き付けられる。落ちる寸前で回転し何とか脚から着地するも、痺れた下半身を刈り取るべく低空を疾走する影に反応が遅れた。

 

 

「ッ、、『昇り炎天』ッ!!!!」

 

 

 脇腹に生じた鋭い痛みを気迫で捩じ伏せ、起き上がりの勢いを乗せて思い切り刀を斬り上げる。袈裟懸けに生じる日輪上の炎舞を秒で躱した青年は、瞬時に煉獄の側面へ移動し攻勢に転じた。敵を超神速で穿つ刺突は、咄嗟に放った『不知火』をも貫通し左肩に深手を負わせる。 

 激痛を噛み殺す煉獄が、追撃を免れる為後方へ飛び退いた途端……先程までいた畳が爆砕し真空波が押し寄せた。空間を揺るがせる剣撃の渦の中で懸命に猛攻を防ぎ続ける。

 

 

(よもや、、これ程とは……ッ!!!!)

 

 常軌を逸した速度が原因で、自分がどのように剣撃を受けたのか認識出来ない。呼吸技で致命傷となる部位を死守しているが、裏を返せば()()()()()()()を防御する余裕が無い。先読みも出来ずに斬撃を浴び続け、積み重なる負傷が身体と精神に多大な疲労を(もたら)す。

 確実に技を命中させなければ埒が明かない。必死に剣撃に抗うと同時に、脳が焼き切れると錯覚する程思考を加速させる。四方八方から飛んでくる熾烈な斬撃の中で如何に攻撃へ転身するか、全身を切り裂かれながら必死に模索し続けた。

 

 

 防御を悉く貫通され、瞬く間に「満身創痍」と呼べる状態まで消耗し切っても……煉獄の眼は未だ炎を宿していた。軋む手と脚に鞭打ち炎剣を強く握り締め、見出した一つの可能性を実行すべく動き始める。致命傷のみを避けて飛び退きながら、肺が暴発しそうな程に空気を取り入れた。

 

 

 「—————フゥ!!!!」

 

 

 これまで以上に身体を限界まで捻り、劇的に広範囲の『盛炎の唸り』を放つ。灼熱の軌道が煉獄の全身を更に包み込み、鉄壁の防御網を敷いた。しかし超神速で疾走する相手にとっては、"僅かに生じた隙"を見抜いて攻撃する事など造作もない。

 恐れを知らぬ蒼き残影が、豪炎の嵐の中を掻い潜り異常な速さで距離を縮めて来た。豪快な剣捌きで相手の退路を阻む煉獄は……次の瞬間、躊躇い無く型を変更し勝負を仕掛けた。

 

 多方面に唸る炎の剣技を華麗に躱し切り、再び宗次郎が間合いに踏み込んだ矢先には……()()()()()()()()()()()()()煉獄の姿。

 

 

 

 

 

「———伍ノ型ッッ!!!『炎虎』!!!!!!」

 

 

 爆発的に空気を吸い込み、その熱の丈を全身全霊で放った。神速の猛攻を耐え忍び、存分に引き寄せてから不意を突いた強烈な返し技。宗次郎自身の並外れた速度を逆手に取った()()()()()()()()()。"炎の呼吸"の中でも指折りの威力を誇る大技を前に、青年の笑みは消え眼を見開いた。

 防御も回避も到底間に合わない。灼熱の獣王が咆哮を上げて牙を剥き、標的を炎の渦に閉じ込める。決死の誘導を含めて見事功を奏した…二度は訪れない絶好の機会を物にしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————————だが、()()()()

 

 

 

 

 

「———凄い技ですね、けれど遅い」

「………ッ!?!!」

 

 

 炎剣が空を斬る感触と共に聴こえた、"背後"から呟かれた声。一瞬にも満たない刹那の中でそれを知覚した脳は、訪れた現実を処理し切れず混迷を極めた。……有り得ない。意図的に隙を生じさせた事は、此方が技を出すまで勘付いた様子は無かった。即ち()()()()()()()()()()()()()事に他ならず、いとも容易く実行出来た青年に煉獄は戦慄する。

 今度こそ決定的な隙を晒してしまった。焦燥に駆られる暇すら与えられず、彗星の如く突進する影が背後から迫って来る。絶叫を上げる本能に突き動かされ、瞬時に反転し剣を振り抜こうとするが……

 

 

 

「————がァッ、ッ……!!!?」

 

 

 旋風を纏った強烈な飛び蹴りが鳩尾に命中し、亜音速で煉獄の身体が吹っ飛んだ。"四歩手前"の絶大な推進力を乗せて放たれた蹴りは、鬼殺隊士の生命線である"呼吸"を一気に停止寸前まで追い込む。受け身も取れぬまま壁に激突し、爆音を立てて剣道場全体が大きく揺れ動いた。

 

 激痛が全身を駆け巡り、内臓の液体が逆流を始めて荒れ狂う。酸素が抜け切った身体は本来なら碌に"常中"が出来ず、気絶するか最悪死に至る。しかし煉獄()の"常中"の熟練度は桁違いであった。

 呼吸の精度を極限まで高めて肺から抜け切った筈の酸素(ソレ)を隅々まで巡らせる。砕かれた鳩尾の内側の応急処置も済まし、四肢の力を振り絞り再び立ち上がった。そして半壊した壁から離れ……何とか炎刀を構え直した。

 

 

 

 

「ハアッ………、、ハ…ッ…」

 

 

 動悸が激しく乱れ、滲んだ汗が頬を伝う。呼吸を限界以上に酷使した身体は悲鳴を上げ、全身の血管が膨張して今にもはち切れそうだ。歩法の速度を跳ね上げた宗次郎と対峙してから()()()()()、全く実感が湧かない程に翻弄され続けた。

 無垢なまでの笑顔と冷艶な瞳が煉獄を刺し貫く。立ち姿を捉えたのが随分以前に感じ、圧縮された時間内でも一太刀も浴びせられなかった事実が重く伸し掛かる。これ以上純粋な剣技を用いた白兵戦を繰り広げても、勝ち目が薄い事は煉獄自身が理解していた。

 

 しかし全力で立ち向かうと誓った以上、最後まで己の責務を果たす。絶望的な状況を覆せる可能性を秘めたのは…己の最速且つ最大の一撃のみ。

 

 

 

  ————炎の呼吸、《奥義》。

 

 

 煮え滾るような闘志を以て、炎を冠する柱は最後の勝負に臨む。

 

 

 

♦︎

 

 

 

「おいおい、マジかよ………!!!」

 

 

 隣に立つ宇髄の驚嘆が耳を通り抜けていく。両腕をゆったりと組み、艶やかな唇に手を添え……しのぶは全神経を二人の激戦に集中させていた。

 

 宗次郎の歩法が格段に速くなって以降、彼の優勢は明確に揺らぎのないものになった。空間を駆使した多次元的な動作から成り立つ、凄まじい戦法。気高い炎の如き漢は、神業の剣撃に無双され今や風前の灯火に晒されている。

 かたや宗次郎は息一つ乱れておらず、いつも通りの笑顔を保ったまま悠然と構えている。容赦という概念が欠落した、執拗なまでに敵を蹂躙する戦法を取っていた張本人とは思えない。

 

 

 ……やはり、あの日の判断は正しかった。

 

 

 那谷蜘蛛山で対峙した時……絡め手()を使わずに真っ向から勝負を仕掛けていれば、間違いなく敗北を喫していた。力無き自分が誇れる"剣速"を歯牙にも掛けぬ反則的な歩法。機能回復を交えた"常中"の訓練でも、彼はその実力を遺憾なく発揮させてくる。予測出来ない超神速を捌くのが如何に厳しいかを身に沁みて分かっていたのだ。

 何より型に縛られない自在な剣技が特徴的で、彼女が把握している「表」の流派のいずれにも該当しない。故に"我流"である可能性が非常に高く、天賦の如き剣才は鬼殺隊の柱をも圧倒している。

 

 

 …余りにも強い。幾度となく思考を繰り返しても、同じ状況に晒された際の対処法が思い浮かばない。鬼殺隊に所属する以前から()()()()()()()と確信させる数多の能力、「鬼」に特化した自分達の剣が彼に通用する感覚を全く想像出来なかったのだ。

 

 

 

「…………」

 

 

 ーーだが、()()()()()()

 

 

 煉獄には……"炎の呼吸"には、現状を覆せる切り札がある。全ての力を乗せた奥義(ソレ)を出せば、或いは彼を打破出来るかしれない。もし相手側にも相応の技があるなら一瞬で試合の決着が付くだろう。その瞬間(とき)が直ぐに訪れる事を、しのぶも他の柱達も感じ取っていた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

 感情を乱さぬ『縮地』程、一方的な蹂躙を成し得るものは無い。如何なる剣士も、宗次郎の絶技に翻弄され落命していった。先読みを封じられ、本来の実力を発揮しきれず倒れ伏していく……変わり映えの無い光景。強者こそが「正義」と信じて育ってきた、志々雄真実が創り上げた最強の"修羅"。

 そんな青年は乱れた蒼い普段着を整えつつ、体勢を立て直した煉獄を一瞥する。"常中"が未熟な自分ですら解る程に呼吸が乱れ雑然としている。流石の彼も限界が近いようで、真剣であれば無数の刀傷が余す所なく刻まれているだろう。

 

 余程の番狂わせが無い限り、最早戦況は此方が制したと認識して差し支えないだろう。今から彼が奮闘した所で、再び完封出来る体力も自信もある。なので彼が完全に燃え尽きるまで闘いを継続するか否か迷っている。片脚を一定の間隔で地面に打ち突けながら漢の様子を窺っていた、その瞬間———。

 

 

 

 

  

 『爆発的な闘気』が、煉獄から生じた。

 

 

 

「………!」

 

 

 凄まじい熱気が瞬時に空間全体を取り巻き、更なる闘志を駆り立てて宗次郎を呑み込まんとする。先程までの疲労を一切感じさせぬ堂々たる威風……纏う空気の豹変振りに宗次郎は驚いた。

 煉獄は力強く握った炎刀を肩の後ろに掛け、脚の間隔を空けて腰を低く落とす。溢れ出る闘志は灼熱の炎となって可視化され、紅く煌めく眼光は此方を鋭く射抜いていた。構えからして突進術の系統、周囲の柱達は何が起こるかを察しているらしい。灼熱の闘気が織り成す独特の緊張感と圧迫感は、今から最大の《奥義》を放つという何よりもの証だ。

 

 

「へぇ……」 

 

 

 確実に決着を付けられる局面の為に、今まで温存していたのだろう。奇しくも『彼』との決着を再現したかのような状況に、宗次郎の心は珍しく高揚する。ならば記憶に従い、自分が唯一名前を付けた「技」で迎え討つのが相応しいだろう。 

 熱を灯して静かに待機する煉獄の意志に応え、宗次郎は継続していた予備動作を急遽中断する。そして刀を流麗且つ器用に回転させ……

 

 

 ーーゆっくりと、()()()()()

 

 

 

『—————ッ!!!』

 

 

 腰を僅かに落とし……右の手脚を前に出して構えを取る青年を眺め、正面の煉獄を含む柱達全員が驚愕を露わにした。それは本来…()()()()()()()()()を前提とした剣術であり、闇雲に突撃する鬼を相手取る上では然程意味を成さない。故に『全集中の呼吸』の歴史の中で淘汰され、現在は"雷の呼吸"がその面影を残すのみである。

 

 

 ————それは即ち、『抜刀術』。

 

 

 初速から最高速度に達する"縮地"との相性は抜群であり、故に()()()()木刀を宗次郎は拒んだ。左手で鍔に隣接した部分の鞘を握り、いつでも右手で抜刀出来る体勢を形取る。

 縮地をもう一段階速くすれば正真正銘、"三年前の本気"の速度を出せる。当時の記憶が浮かんでは宙を漂うが、以前と決定的に異なるのは心が平静を保っている事。感情欠落(ソレ)を含めた三つの要素が揃ってこそ、"天剣"の異名を持つ彼の真価を発揮出来る。

 

 互いの予備動作が完了した後も、重苦しい沈黙が暫し続く。爆発的な熱気を伴い猛々しく構える煉獄とは対照的に、宗次郎は恐ろしく静かで冷徹な印象を抱かせた。やや下がり気味に空中で固定された右手が、敵を穿つその瞬間に備えて鋭く研ぎ澄まされている。模擬戦が始まって以降、両者を取り巻く重厚な威圧感と張り詰められた空気は最高潮に達していた。

 やがて均衡は融解し、そして遂に………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いくぞぉ瀬田少年ッ!!!!!

 玖ノ型『煉獄』—————ッッ!!!!!!!」

 

 

 

 ーー灼熱の炎が今、解き放たれた。

 

 古来より受け継がれてきた…自家の名を冠する究極の奥義。猛き炎の軌道は絶大な熱気を伴って突進を始めた。心を燃やす魂は紅蓮の龍へと具現化し宗次郎を焼き尽くさんと迫り来る。

 宗次郎は笑顔を絶やさぬまま寸前まで動かない。莫大な熱と衝撃が肌を焦がし、やがて彼我の距離が零に近付いた直後———。

 

 

 

 

 

「————"三歩手前"、『瞬天殺』」

 

 

  

 

 

 

 そう静かに呟いて、青年の姿は()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 



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異なる存在

お待たせしました、続きです。
北海道編の宗次郎がカッコ良過ぎる





 

 

 "炎の呼吸"最大の奥義を迎え撃つ形で、宗次郎が繰り出した超神速の『瞬天殺』。先程の速度を更に凌駕した歩法は……最早()()()()()()()

 

 甲高い轟音と共に衝撃波が荒れ狂い、瞬く間に両者の衝突は終焉を迎えた。雷鳴が轟くような凄まじい波動が、荒ぶる余波となって観衆達を激しく揺り動かす。交差する瞬間すら視認出来ずに、やがて彼等が眼に映した光景は……互いに背を向け、刀を振り抜いた状態で静止する二人の剣客。 

 

 永遠に続くような沈黙が場を満たす中……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————ドサリ、と片膝を突く音。

 

 

 

 力無く項垂れ、胴を押さえながら浅く呼吸を繰り返すのは……煉獄杏寿郎。幼き日の分身である模造の炎刀は、刀身の先から砕け散り最早使い物にならない。それでも炎を冠する柱は満足気な表情を浮かべ、己を下した青年へ賞賛の眼を向けた。

 

 

 稽古の終わり…勝敗が決した瞬間であった。

 

 

 

♦︎

 

  

 

 万全の状態で発動した縮地"三歩手前"。炎の呼吸の最終奥義である『煉獄』と交差する瞬間……流麗な剣捌きで()()()()()()()。抜刀術の長所は圧倒的な初動の速さ。衝突の寸前まで引き付け、炎剣の起動を瞬時に見切り受け流す…神業にも等しい剣撃を可能にした。その勢いのまま胴を閃光の如く一閃、有り余る"速度"の差が明確に勝敗を分けたのだ。

 渾身の技を放った余韻が、流れ落ちる水のように抜け切ると…宗次郎は姿勢を戻し刀を納めた。亀裂の入った刀身が激突の壮絶さを物語っている。しかし、見事相手の奥義を破った青年の表情は…普段通りの笑顔(余裕)とはかけ離れていた。

 

(はぁ……こりゃ凄いや)

 

 

 ーー右腕の痙攣が、止まらない。

 

 

 鈍い痛みが麻痺の如く腕全体を駆け巡り、あらゆる動作を反射的に拒んでいる。使用不能に陥る程の衝撃を受けた刀だけに留まらず…剣を握っていた利き腕すらもこの有り様。暫くまともに扱えない(ソレ)を眺め、宗次郎は内心乾いた笑みを浮かべた。

 

 

 完璧に逸らして尚……この絶大な『威力』。

 

 

 肉体的な成長と鍛錬に伴い、此方の技も三年前よりは確実に威力が増している筈。それでも、相手の豪炎を纏った刀身に触れた瞬間……圧倒的な"破壊力"と"気迫"に呑み込まれそうになった。

 志々雄真実(あの人)から「毛利の三本矢」とも称された特性を遺憾なく発揮出来た。その過程全てを、根本から覆し兼ねない程の凄まじい奥義。限りなく限界まで消耗させた筈なのに、一体何処からあれ程の底力が湧いて来たのか。

 

「………」

 

 

 己には縁の無い、"精神"が肉体を凌駕する現象。

 

 人は心が原動力という炭治郎の言葉を思い返す。この場合は自分の方が特殊なのだろう。極限まで追い詰められた経験が少ない上に、欠落した感情()は如何なる状況でも変化を遂げない。対する煉獄は炎の如き熱い精神の持ち主だ。条件が揃い次第で、瞬間的な爆発力を生み出す要因に成り得るのか。三年前の記憶を辿り、敗北の経験と重ねて想起する。

 

 それは飛天御剣流『天翔龍閃』との衝突。当時の精神状態を除けば、やはり技の破壊力が明確に勝敗を分けたのだろう。だが、同時に"彼"の気迫や闘気といった精神力も…煉獄と同様に全身を駆け巡っていた。剣の腕前のみが闘いを完全に制するとは限らない。自身の感情欠落とは真逆に、感情(ソレ)を爆発させて力を得る事も出来ると認識した。

 

 

 真っ向勝負に応じたは良いものの、存外危ない橋を渡っていた事実を改めて自覚する。技の速さが互角であれば、確実に自分の方が地に伏せていた。今後は"縮地"に伴う斬撃の威力向上と、純粋な身体強化を更に突き詰めねばならない。

 

 

 

「———ハッハッハッ!!敗けた!!!君は本当に強いな!!!」

 

 

 起き上がった煉獄が、豪快に口を開きながら此方に歩み寄って来る。彼の方へ振り向いた時には、自然と普段の笑顔(表情)を取り戻していた。稽古前と変わらぬ覇気を纏い、力強く此方の肩を叩いて来る。峰打ちとはいえ、相当の衝撃を与えた筈だが…既に常中を駆使し活動出来る状態まで回復したようだ。

 

 

「色々と学ばせてもらった、礼を言おう!俺もまだまだ鍛錬が足りんな!!!」

「いやぁ、屋内(ここ)が僕に有利な戦場だっただけですよ。貴方も物凄く強かったです」

「そう言って貰えるとありがたい!だが、君の歩法には()()()()()()。先程の技以上の速度を出せるのだろう?」

「………!」

 

 

 速度を抑えて技を放った事を見抜かれ、その鋭い観察眼に宗次郎は少なからず驚いた。確かに縮地はまだ三段階速度を上げられる。それでも、歩法を最大限に活かせる閉鎖空間(剣道場)だったからこそ…地形を駆使して一方的に攻撃出来たのも事実だ。その中で想像以上に渡り合ってきた彼自身にも、見習うべき要素は多々あった。

 呼吸を極める柱との念願の手合わせを終え、今後の課題も明確に定まった。得るものが多い…有意義な時間を過ごせた事に宗次郎も安堵していた。

 

「君のような実力者が鬼殺隊に来てくれて、俺は本当に嬉しく思う!素晴らしい試合を行えた事に感謝しよう!!!」

「僕の方こそ、貴重な経験をありがとうございます」

 

 始まりの際と同様に、求められる握手に応じようと自身の手を動かそうとした瞬間………

 

 

 

 

 

 

 

「—————オイ、待ちやがれ」

 

 

 観衆達の立つ外周から鋭い一声が掛かる。手を下ろした宗次郎はその方角へ向き直り、声を発した対象の姿を捉えた。逆立った白髪に血走る眼光、そして全身に荒々しく刻まれた傷痕。他人に関心の薄い自身の記憶にすら否が応にも焼き付いていた。

 その"男"は剥き出しになった敵意と共に、荒ぶる風の如き視線を真っ直ぐに此方へ向けた。

 

 

 

「テメェ、()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

♦︎

 

 

 

 時は遡り、宗次郎と竈門兄妹の裁判終了後に開かれた柱合会議。闇夜が更ける中…鬼殺隊の主である産屋敷耀哉と、九人の"柱"全員を交えて様々な議論が行われた。そして会議が終盤に差し掛かる頃、産屋敷は遂に"瀬田宗次郎"について話を詳しく展開し始めた。事前に重要だと心得ていた柱達は、静かに主人の話に耳を傾け……深い衝撃を覚えた。

 

 

 

「————"真剣"を、所持していた…!?」

「そうだね。恐らく彼は、"表"の剣客なのだろう」

 

 

 驚愕で眼を見開く"風柱"不死川実弥に、産屋敷が静かに応える。剣客……広い意味を持つが、柱達の誰もが「成る程」と納得した。腑に落ちたと言うべきか。彼は鬼殺隊士なら誰もが通る筈の"育手"による訓練過程を省き、呼吸を習得しないまま最終選別を余裕で通過した。それ以前に、入隊前には"鍛治狩り"を単独且つ迅速に仕留めている。元より実戦経験が非常に豊富な証拠だ。只の優れた剣の使い手であれば、懐疑的な眼を向ける必要は無かった。

 

 

「僭越ながら申し上げる!!奴の資格を即剥奪し除隊させるべきです!!危険に御座います!!!」

 

 

 激昂する不死川の言動に含まれる意味を、この場に座す誰もが理解していた。宗次郎が入隊前から()()()()()()()()()事実。それは廃刀令が敷かれた"大正時代"において、尋常ではない事柄である。一般の者が真剣を持ち歩けば、瞬く間に手配され厳しい罰則を受けるだろう。政府からの公的な許可、若しくは鬼殺隊のように特殊な支援を受けなければ…決して有り得ない状況。

 

 

 即ち…何らかの「組織」と通じている可能性が非常に高い。政府公認()の者か、或いは暗部()の者か…どちらでも事態は変わらない。鬼殺隊は極一部の例外を除き、外部組織との干渉を避けている。様々な利権が絡まない()()()()組織だからこそ、現在の活動を維持出来ているからだ。機密情報が必要以上に知れ渡れば、日輪刀や鎹鴉などの独自の技術を利用せんと画策する者が現れるかもしれない。 

 自分達()の中にも特別な出自の者はいる。そんな彼等でさえ外部と接触する機会は皆無に等しい。鬼殺隊が"政府非公認"だからこそ、外から厄介事を運び込まれる危険は避けたいのだ。可能性の域を出ないのは承知の上だが…どうしても身構えてしまう。

 

 

 笑顔が特徴的な件の青年に対して、様々な想像が脳裏を走った。疑心は益々募るばかりだが、彼の情報は既に裁判を行う過程で集め終えたに違いない。主人から更なる詳細が述べられる瞬間を、柱達は逸る心を抑えて待機していた。求められる数多の視線に応え、産屋敷はゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

「宗次郎に関する情報は……

    ()()()()()()()()()よ」

 

 

 鬼殺隊の情報網は伊達では無い。"隠"や"鎹鴉"を始めとした、隠密と偵察に長けた者達を駆使して日々新たな情報を収集している。彼等が本腰を入れて捜査すれば、人間一人の素性など容易に丸裸に出来る筈なのだ。特に裁判の対象となった者は、入隊時とは比較にならない程徹底的に調べ上げられる。

 そして彼自身にも「特別な鎹鴉」を付け、常に監視して本部に動向を伝達させていた。幼いながらも明晰な頭脳を持った稀有な個体である。宗次郎が常識から逸脱した存在だと見抜き、入隊当初から本部の指示で動き始めていた。

 

 

 

 

 ———それでも尚、見つからない。

 

 

 彼の背景を暴く事は疎か、経歴を示す痕跡が全く存在しないのだ。戸籍や血統など、今の時代の人間が最低限有する筈の情報が何故か欠落している。更に非公認の暗部も含めた様々な外部との繋がりを探るも、悉くが空振りに終わった。鬼殺隊の総力を挙げて尚、何者かが把握出来ない事態に陥っていた。

 彼自身に勘付かれない方法で監視を続けても、特に怪しげな行動に移る気配も無い。夜間は鬼殺任務を忠実にこなし、明るい時間帯には街の散策と茶菓子巡りに勤しんでいる。その拍子抜けな調査結果を受け、柱達は無意識に肩の力を抜いた。各々が何とも形容し難い表情を作り、眉間に影が差す。

 

 

 

「…彼は不思議な子だ。最初からこの世に存在していなかったように、何も痕跡が無い」

「ならば尚更………ッ」

 

 

 詳細不明の剣客、ならば余計に警戒すべきと促しかけた不死川は……産屋敷の透き通る眼に諭され口を噤む。荒ぶる心を包み込むような、しかし有無を言わさぬ眼差しに既視感を覚えた。

 

 

「鬼舞辻への攻撃と下弦の鬼の討伐。それに彼が関わった任務において、追加の犠牲者は一人も出ていない。我々が求める以上の"信頼"を…既に明確な形で残してくれている」

『………』

「それにね、裁判前に彼の刀鍛冶からも"手紙"が届いているんだ。後で読み上げるが…信頼されない者をあれ程までに擁護出来ない」

 

 重い沈黙を溶かすように、柔らかな声で産屋敷は言葉を紡ぐ。耳が痛いと錯覚する程に、不死川を含む柱達の脳裏に直接響いていた。先刻も似たような流れで諭されたのを思い出す。

 これは竈門禰豆子()の件と全く同じだ。度重なる調査の結果、宗次郎が裏で他の組織と通じた痕跡は無く、悪事を謀る動向も見られない。在るのは鬼殺隊に貢献したという確固たる"事実"のみ。即座に除隊に追い込む程の、彼の危険性を証明出来る要素が何も無いのだ。鬼を組織に受け入れた手前、強く反論出来る者は存在しなかった。

 

 

「君達には、稽古で宗次郎の戦い方を観てもらいたい。…恐らく、鬼殺を前提とした我々とは全く異なる剣技を使って来るだろう。それを確かめた上で改めて彼を受け入れて欲しい」

 

 

 そして産屋敷のみならず、柱達も意識せざるを得ない事実。鬼殺隊に不利益を齎す可能性を差し引いても…尚有り余る彼の絶大な「戦闘能力」。数多くの隊士を屠り、呼吸を熟知した強力な"鬼"程彼の剣が有効に成り得るかもしれない。実際に自分達の把握しない戦法で数々の功績を残している。

 

 

「私は、宗次郎や炭治郎達が現れたのは偶然ではない気がするんだ。今後、彼等無しでは突破出来ない苦難が必ずやって来るだろう。……鬼殺隊(私達)に必要不可欠な存在となる」

 

 

 其処まで言い切る産屋敷に、柱達は何も返す言葉が無かった。代々鬼殺隊の長を担う"産屋敷一族"の人間は、神がかり的な『予知』を可能としている。その先見の明を以て、幾度と無く組織の行末を導いてきた。最早この御方の意思に速やかに従うのみ。彼と連携を取って任務を遂行する機会も増えるだろう。先ずは圧倒的と称されるその力量を、実際に確かめなくてはならない。  

 たとえ彼が如何なる剣技を使おうとも、共に鬼を屠る同志として迎え入れる。風の音すら聞こえぬ静かな夜の中、鬼殺隊の主の下で柱達は誓った。

 

 

 

♦︎    

 

 

 

 外周から中央に入り込んだ不死川は、ドスの利いた声を出して宗次郎を睨め付けた。煉獄との激戦を見終わり、この男の闘い方はほぼ把握した。異常な速度から繰り出される剣技に今し方見せた抜刀術。全集中の呼吸とは根本的に異なる凄まじい戦法。

 

 

 

  —————紛う事なき、「殺人剣」。

 

 

 世に存在する全集中の呼吸以外の剣術が、必然的に()()()()()()()()事は理解している。鬼舞辻を含む上位の鬼に対抗出来ると同時に、"柱"を殺せる事が証明されたのも事実。煉獄を下した時点で、青年への警戒度は限りなく高まっていた。

 言うなれば「諸刃の剣」。扱い方次第では鬼殺隊全体の脅威になりかねない。不安の芽を摘み取る為にも、この男の動向は今後も注視するべきだろう。

 

 だが…お館様も全てを考慮した上で、彼の鬼殺隊士としての活動を認めている。新しい角度から鬼に対抗出来る絶大な戦力として、数々の重要な任務を託される事になるだろう。隊律違反を犯す確証が現状無い以上、何を言おうと排除する術は無い。 

 故に、敢えて過去を掘り起こすような真似はしないと決めた。ならば最低限、鬼殺隊に入隊した動機を暴いておきたい。以前とは異なる環境の中で剣を振るう理由は何か、人を助ける為などと抜かせば即座に仕掛ける心持ちで問い掛ける。それが不死川の中での最大限の譲歩であった。 

 

 

「テメェのような人間が、鬼を殺す組織で何を企んでやがる。率直に応えろッ!!!」

「……あぁ、成る程。そういう事か」

 

 何となく察した雰囲気を醸し出して、青年は平然と応じた。表情筋の一つも動かさない、貼り付けたような笑顔が癪に障る。

 

「まぁ、有り体に言えば"自分の為"ですね」

「……ハッ、自分の為に鬼殺隊を使い潰そうってワケか?なァオイ、全く解答になってねェんだよクソ野郎が!!!」

 

 変わらぬ笑顔にあっけらかんとした返事。青年を形成する態度の全てが不死川の神経を逆撫でた。何より、表情の割に()()()()をして応えられたのが逆に気に入らなかったのだ。行き場の無い鬱憤が、全身に刻まれた傷を内側から疼かせる。

 

「短気な人だなァ…糖分足りてます?丁度これから甘味処に行くので、貴方も一緒に来ますか?」

「………あぁ?」

「此処から北へ二里程歩けば、有名な茶菓子屋さんがあります。其処でゆっくり話しましょうよ」

「…ふざけてンのかテメェ……!!!!」

 

 他人に話の主導権を握られ、調子を崩されるのが堪らなく我慢ならない。その飄々とした態度に、抑圧された衝動が引き摺り出される。握り拳に青筋を浮かべ、笑みを浮かべる青年の胸ぐらを掴まんと更に距離を詰めかけたが……

 

 

 

「————其処までだ、不死川」

 

 

 煉獄が割って入り、行く手を阻んだ。

 

 

理解(わか)っているだろう。…いい加減冷静になれ」

「………ッ」

 

 普段の熱血漢とした雰囲気ではない、しかし芯の通った声色で(いさ)める。不死川は瞬間的に視線の矛先を煉獄へ向けたが…自身を抑え、軽く舌打ちをしながら宗次郎達の横を通り過ぎた。これ以上此処にいれば、理性が吹き飛び盛大に暴れかねない。

 出入口の襖障子を乱雑に開けた直後、目線のみを背後に向けて今一度宗次郎(標的)を射抜いた。

 

 

「妙な真似をすれば、俺が直々に叩き斬る」

 

 

 そして吐き捨てるような一言を放ち、剣道場から去っていった。後に続くように、他の柱達も続々と襖を通り抜けて大広間から去っていく。各々観るべき物は終わったと言うべきか。しのぶや炭治郎に他数名の柱も、自分達の最後の挨拶を待っていた。

 

 

 

 

「…いやぁ、凄かったですね」

「気にする事は無い、彼なりに君を認めた証拠だ。本来なら真っ先に拳が飛び出す奴だからな!」

 

 あれで抑えていた方と煉獄から補足を受け、宗次郎は興味なさげに相槌を打つ。評判に違わぬ、正に暴風のような男であった。

 

「大方、僕の素性を調べていたんでしょう?」

「ほう、鋭いな!!確かに俺達は入隊以前の君を何も知らない。だが()()()()()()()

 

 裁判の事もあり、色々と裏で調べられていたのは何となく想像が付いた。しかし、視線を出入口から此方に戻した煉獄は、そんな事は関係無いとばかりに今一度豪快に話し始めた。

 

 

「君が自分なりの信念で入隊した事は先程の問答で伝わった!改めて"俺達()"は、君を受け入れ歓迎しよう!!!今後の活躍にも期待している!!!」

「…はは、貴方は凄い人だなぁ」

 

 

 裏表の無い…清々しい程真っ直ぐな心意気に、宗次郎も感銘を受けていた。その灼熱の如き精神は、今後の真実探しで参考になるかもしれない。いつか共に任務を遂行出来る日を楽しみに待とう。互いに感謝の意を込めて、先程やり損ねた握手を再び交わした。

 

 

 

 

「———また逢おう!!瀬田少年ッ!!!!」

 

 

 

 こうして、炎の幕は閉じられた。

 

 

 

♦︎

 

 

 

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 炭治郎達には先に蝶屋敷へ帰るように伝え、宗次郎は甘味処に向かっていた。予約を済ませた早朝とは違い、完全に昇り切った太陽からは緩やかな光が流れている。疲れた身体を極上の茶菓子で癒したい一心で、川沿いの遊歩道を歩き続けた。

 此処は都市の端に位置する城下町。先程までは少しでも早く到着する為、街道を避けて「近道」を強引に通って来たのだ。衣類に付着する植物の葉を払い除けながら走り続け、一瞬で目的地の近隣に辿り着いた。お陰で自分の想定する時間帯には菓子にあり付けそうであった。

 

 

 不死川()から詰問された時、問答が長引き二戦目に突入するだろうと内心覚悟していた。口先ばかりの懐柔では到底抑えられぬ、己が"否"とする対象を徹底的に追い詰める人物。先の裁判の様子で彼の人柄は良く理解していた。相手からすれば、稽古は自分に牙を剥く絶好の機会だったに違いない。 

 それが意外にもあっさりと引いてくれた。恐らくお館様辺りが事前に彼を説き伏せたのだろう。後で確認を取り、事実であれば何らかの御礼を考える必要があるかもしれない。だが、全ては甘味処で食事を済ませた後の話だ。

 

 

 屋敷と柳が織り成す古風な街並みの中を暫し歩き続けると…小川に掛かる立派な橋が見えた。元々都市の中央から離れた地域であり、時間帯も相まって人通りは極端に少ない。太陽光を煌びやかに反射させる清流のせせらぎの音だけが、鮮やかに耳を奏でていた。此処まで来れば到着したも同然、向かい岸に渡って再び川を辿れば店が見えて来るだろう。

 後一息、記憶した品書きから頼む物を考えながら橋を渡り始めた……その時。

 

 

 

 

 

 

 

「—————待って!!!!」

 

 

 

  鈴の音を転がすような、甲高い声色。

 

 背後からの呼び掛けを受けた宗次郎は、()()()とばかりに短く溜め息を吐いた。実は道場を出立して以来、一定の距離を保ちながら"己の背後を付ける者"がいた。最初は目的地の方向が同じだけだと思い気にも留めなかったが、縮地を使用して「近道」を通る最中でさえ寸分も違わず追って来たのだ。疑念は確信へと変わり、それでも敢えて無視し続けていたが……遂に接触を図って来たらしい。

 丁度良い、店に到着する前には対処しようと考えていた所だ。立ち止まって話す内容を想定し、声の主を振り返りながら一瞥した。

 

 其処には両膝に手を突き、息を切らして苦しげに呼吸を整える"女性"。俯いた頭から伸びる鮮やかな桜色の髪が此方の眼を惹き付ける。

 やがて息を落ち着けた彼女は、勢い良く顔を上げ爛々とした双眸を覗かせる。そして漸く声を掛けれたと言わんばかりに、元気良く口を開いた。

 

 

 

 

「私っ、貴方に確かめたい事があるの!!!!」

 

 

 

 

 

 

 



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