ラフムに憑依していたのでシドゥリさんを救いたいと思います。 (赤狐)
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幕間の物語 第1節「歪な新人類」
駆ける、駆ける、駆ける。
鬱蒼と様々な木々の生い茂る森林を
視界360度至る所が緑で覆い尽くされ、天然の障害物と迷路が行く手を阻み、立ち尽くしてしまうだろう、
木々の間を縫うように地を這い、人間にはない感覚器に届く吐き気を催すなんて生ぬるいほど忌まわしい狂気の嵐、そこから離すまいと掴んだ一筋の情報を頼りに、人より、獣より速く駆け抜ける。
狂気の淵を常に覗きながら脳が焼き切れてしまいそうなほど必死に思考を巡らせる。
無秩序に重なり合った樹葉が生命の源とも言える日輪からの光を遮って薄暗かった辺りが、にわかにその様子を一変させた。
眼前には、先程までいた場所から切り離された空間なのではないかと錯覚してしまうほどに穏和な空気の広がる湖とその一帯。
水底に沈む岩を視界に望める程澄んだ水に、湖面は揺るぐことなく降り注ぐ光をキラキラと反射させる。
その上を見たことの無い程鮮やかな羽を持った蝶が魅惑的にヒラヒラと誘うように舞い、小鳥の可愛らしいさえずりが響いている。
すぐ側には、色とりどりの花々が可憐に、しかし生命の力強さを示しながら咲き誇っていた。
鬱蒼とした森林の中に潜む秘境、 まさしく神秘的と言える現実離れした空間に心を奪われ、吸い寄せられるかのように、中心に位置する湖にフラフラと近づく。
夢見心地で輪郭のぼやけた思考のまま湖を覗き込む───しかし、それはすぐさま醒める。
泥で出来た、鈍く光を反射する不気味な紫色の体。
指などは一切なく、先端のみが血のように赤黒く鋭い槍のように尖って肥大した関節を持つ脚。
そして、生理的嫌悪を掻き立てる縦についた口のみが存在する捻れた細長い顔。
透き通った水面は、人間とは似ても似つかぬ
× × ×
森林の奥深くに隠された幻想的な自然の箱庭を抜け、オレは生物の気配のしない、もぬけの殻となった森の中を再び疾走する。
生身の人間では対処することが出来ない、時速100kmを優に超す速度とその場その場でのルート選択が負担となる訳でもなく、最善の一手を導き出す脳処理に今は驚くことも無い。
それに加え、決して細くはない木の枝にぶつかりながら全力で走っているのにも関わらず、痛みや疲れを知ることの無いカラダには乾いた笑いしか出てこなかった。
“───オマエハ、ナンノタメニハシッテイルンダ?”
背筋が震えそうになる、生物としては不自然なほどに高音である声が響く。
いや、空耳に違いない、この付近にはオレ以外の生物───そもそもこのカラダが生物の枠に収まるかは知らないが───はいない。
しかし、可能性があるとするならば、このカラダの主になるはずだったモノの意識の残滓、同在しているがゆえの幻聴だろうか。
今こそカラダの主導権はオレが握っているが、もとより異物はコチラ、「あるべき状態」に戻る可能性は大いにある。
そして、何のため……何のため、か。
オレは、この時代の人間でもなければこの世界の住人でもない。
ただ、
ここは、神秘残る最後の時代、バビロニアの地。
そして、ここが存在しえないはずの過去、特異点だということを。
しかし、オレは現世での自分を、名前すらあまり憶えていない。
この世界で初めて意識が覚醒した時点で既にこのカラダになっていたし、この容貌を確認した瞬間にここに関する記憶が芋づる式に、ぼんやりと朧気ながら思い出されただけだ。
もちろん、このような摩訶不思議で現実味のない事態に極度の混乱に陥ったし、この不条理に助けを求める声や叫び声も上げた。
けれど、声に応えるものは存在せず、寧ろ思考言語と異なる、この世のものとは思えない不気味な言葉が奇形の口から出てくるばかりだった。
なんなんだよ、どうしてだよ、と嘆いてみても、足先から伝わる草木の湿った感触もカラダを照らす陽の暖かさも風に運ばれてくる濃厚な土の匂いも全て
そしてこのカラダにはオレ以外の記憶、ウルクの民のものも存在し、微かに彼の断片的な情報と感情、魂の欠片が入り混じっている。
先程見かけた息を呑むほどの花畑に強く惹かれたのもそのせいだと思う。
21世紀の人間と神代最後の一市民、濁流のようなラフムの本能が不安定に混在しており、自我とその他との境界線が曖昧となっている。
しかし、オレと同様に名前や姿形も霞んで朧気だが、彼が人であった頃の記憶は、ラフムとは全く異なり不思議と懐かしく感じられた。
恐らく、彼はラフムによって連れ去られて体を「再利用」された者であり、『ラフム』という一つの種に塗りつぶされかけていたところに潜在していたオレの意識が表出した、といったところだろうか。
このイレギュラーな事態によって、オレの意識は未だに呑み込まれずにいるのだろうが、自己を
ただ、なぜここにいるのか分からずとも、自分の名前を思い出せずとも、オレには使命がある。
ここに来て真っ先に思い出したシドゥリさんの存在。
彼女を救う、それを果たすまではこのカラダが限界を迎えて動けなくなっても、倒れることは決して出来ない。
初めは、救いたいと思いこそすれども、カラダが動くことは無かった。
そもそも、この話はオレの存在抜きで完結する。
そこには多かれ少かれ犠牲があり、誰もが救われるハッピーエンドなんてものではなかったけれど、最善を尽くした過程であり、結果であった。
そこに部外者が入り込む力や余地なんてあるはずもなく、誰かに言われずとも、自分が余分で、不必要な存在であることは分かりきっていた。
寧ろオレが介入することで、この物語の幕を引くまでに必要な欠片を欠いてしまう可能性の方が高い。
不可能、不利益、不自然、非合理、無理、無茶、無謀……。
そんな言葉で頭の中が埋め尽くされる。
どうしようもないほどに、オレは余計で、余分で、取るに足らない、ちっぽけで、無力な存在なのだ、と。
“オマエハ、ツマラナイ、トテモ、ツマラナイ。”
……そうだ、たしかにそれは正しい。
自分の無力ばかり嘆いて何もしない奴がとてもじゃないが面白いわけがない。
───あぁ、しかし、けれど。
彼女の変わってしまった姿を知るものはオレしかいない。
彼女の今を知るものはオレしかいない。
そして、彼女の死を食い止めることが出来るのも今この場においてオレだけなのだ。
シドゥリさんは決して失ってはならない存在だ。
彼女の喪失を悲しみ、悼む人は大勢おり、ギルガメッシュ王でさえその表情を歪めた。
今のオレなんかとは比べられない程重要な存在なのだ。
彼女の強さにオレをいくら積み重ねても及ばない事なんて分かりきっている。
けれど、彼女の役割のほんの一部を肩代わりすることくらい、こんなオレでもやれていいはずだろう?
これは、許されざる、酷く醜いエゴだ、自己満足だ。
オレが何か一つでも間違えてしまったら、そこでおしまい。
大多数にとってのハッピーエンドを迎えることは二度と出来ない。
そもそも、これはシドゥリさんの選択を、意思をないがしろに、冒涜している。
誰に褒められることのない、無意味で馬鹿げた独り善がりかもしれない。
けれど……けれど、自分に出来ることだと信じたから、人として正しくありたいと望んでいるから。
───そして何より、人を救いたいという願いが間違っているはずがないのだから。
だから、前を向いた。
───例え、異形の姿であろうとも。
だから、走り始めた。
───例え、偽善にまみれていようとも。
もう振り返ることは無い。
それが、
× × ×
幾ばくの時間走っただろうか。
枝同士が絡み合い、屋根のように空を覆っている木々を見上げると隙間から漏れる陽光が中天からほぼ垂直に注がれている。
具体的な距離は分からないけれど、思考を呑み込まんとする、感覚気に届くラフム等の理解し難い感情の強まりからすぐ側だと分かった。
すると、進行方向の奥の方に森林の出口を告げる一際明るい、さながらトンネルの終点のような光が見えた。
徐々に大きくなっていく光の先へ飛び込みと、急に明るくなった周囲に視界が一瞬真っ白に包まれる。
視覚が回復すると、四方を樹林で囲まれた都市、エリドゥがその姿を現した。
通常ならば防衛するためにずらりと都市を囲み、柱などに意匠の凝った紋様が彫られ、絡みつく植物とのコントラストが美しい真っ白な壁も、今ではあちこちが傷つき、壊されている。
誰の仕業か、などと推理する必要もなく、深く刻まれた鋭い爪痕、あちらこちらに散らばる崩れ落ちた壁の破片がラフムの仕業だと物語っていた。
至る所が削れ、崩れかかっている門からエリドゥに入ると、目を覆いたくなる地獄が広がっていた。
胸当てを貫通して胸にぽっかりと大きな穴の空いた男の体、胸を中心にどす黒い赤色の液体がベッタリと付着している。
そのすぐ側には脚を付け根から胴体と引きちぎり、執拗に胴体を抉られた体が引き摺られた跡がある。
そういったものが道のあちこちに無造作に置かれ、老若男女問わず弄ばれた形跡があった。
一突きで殺されているものは数少なく、上半身と下半身が離れ離れになっているもの、四肢が引き裂かれているもの、髪の長さからでようやく女性だと判別がつくもの……。
生命の華が散っている中、名状し難い、言語として抽出することの出来ない激情が仮染めのカラダを包み込む。
かと思えば、己の中に内包されたラフムの本能がこの光景を前に膨れ上がり、コロセ、コロセと脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜるように、オレを喰い殺そうと叫ぶ。
相反する感情の乖離に脳がかち割れそうになる頭痛が襲い、カラダがよろけた。
それでも、最後に残る思いは
「つそさ、るわぬくとに」
後悔。
何も出来なかった、救えなかった。
ほんの一時でもどうにかしようと思ってしまった自分が夢を見ていたのだと現実を叩き付けられた。
この絶望に染まった惨状を目の当たりにして、膝が折れそうになる。
───けれど。
けれど、ここで折れてしまうことを◼◼◼◼は許さない。
まだ自分には出来ることがあるのだと、歩みを止めないだけの理由があるのだと前を向かせる。
そうだ、オレにはまだ出来ることがある、救える人がいるんだ。
このカラダが朽ちるまで、オレは止まらない。
いつしか頭痛は止まっていた。
脚の力も戻っている。
やらなければならないことも、やるべきこともハッキリとしている。
時間にして数秒、視界を閉ざして祈る。
どうか、この人たちの魂が安らかでありますように。
どうか、平穏と安寧が享受されますように。
あぁ、でも、この願いに似た祈りはきっと届くだろう。
だって、冥界には人一倍寂しがりで、人一倍優しい
そして、オレは再び走り始める。
もうあの人を失いたくない。
その一心で破壊し尽くされた露店の立ち並ぶ通りをまっすぐに走った。
× × ×
大通りの終点、レンガのような物が寸分の狂いもなく敷き詰められている道の端が見えてきた。
目的地へ近づく事に人々の悲鳴と、ラフム達の狂気に満ちた嗤い声が大きくなっていく。
畜生、と心の中で叫んだ次の瞬間、視界の外側の上空から大きな翼を持った翼竜が急降下し、いくつかの人影が大地へと降り立った。
次いで、上空からの狙撃、空気を震わす激しい衝撃音と打撃音、そして力強い声が何度も交わされる。
「皆さん、逃げて下さい!」
いきなりの事態だったが、オレは迷うことなく◼シュたちだと確信する。
その事実に今まで血の気の失せていた顔が綻びそうになる───しかし、同時に脳内で警笛がけたたましく鳴り響く。
タイムリミットまで一分もない。
この瞬間を逃してしまったらシドゥリさんを救う手立ても、機会も失ってしまう。
大丈夫、為すべきことは為した、あとは全速力であの場所へ辿り着くだけ。
そう自分に言い聞かせながらも、心は急くばかりでカラダは追いつかない。
早く、早くと地面を蹴りあげる。
足元で舗装された道がひび割れる音が響く。
今まで以上に加速したカラダは、キシキシと悲鳴を上げ始めた。
先程まで全く気にもならなかった痛みが今になってその存在を強く主張している。
けれど、そんなこと構うものか。
こんな痛みに耐えるより、ここで倒れて救えない方がずっと痛い。
だから、止まる訳にはいかない。
そして一層強くなった風圧を泥のカラダで押し退けて道の終わりまで駆け抜けた。
彼女は、シドゥリさんは。
全集中力を以て彼女の姿を隈無く探す。
すると視界の右端に、左前脚を掲げたラフムと、その目と鼻の先にいるこの時代に似合わない、一風変わった服装の人が───オレンジ色の髪が、空に揺れる。
───あぁ、そういう事か。
全て、思い出した。
相変わらず何故ここにオレがいるのかは分からないが、今まで霧がかっており、穴だらけだったオレの記憶ははっきりとした。
しかし、同時に意識が浮遊し、薄らいでいく感覚が唐突に襲う。
それもそうだろう、何せオレはこの世界で紛れもなく「異物」、「修正」されて然るべき存在だ。
トリガーは異物であることの自覚。
記憶が曖昧な、夢現だったからこその不安定に隠れた安定。
瞬時に修正が成されないのはここが特異点であるからだろうか。
どちらにせよ、オレは二重の意味で「
それがどうした。
それは、
時代に、世界に否定されようとも、オレはまだここに居て、シドゥリさんもここに居る。
その事実が変わらない限り、オレは前を向き続ける。
しかし、ラフムさえ追いつくことの出来ない、超人的な速さで彼女たちに近づく一つの人影が遥か後方から跳んでくる。
「その子から離れなサーイ!」
間に合わない。
そう思う前にカラダは動き出していた。
彼女たちの方へ……ではなく、その反対側へ。
鋭く、圧倒的な力の込められた蹴りはいとも容易く彼女のカラダを一直線に吹き飛ばす。
その先には分厚く真っ白な壁、このままでは激突は不可避だ。
届け、届け、届け、届け!
大きく一歩、次は更に大きな一歩を。
姿勢を安定させるために割く力さえ脚先へ回し、地面を抉りながら前へ、前へと進む。
半ば倒れ込む形で空を跳び、懸命に脚を広げた。
空中で制御の失ったカラダを無理矢理捻って右を向いた、その瞬間、大型車に追突されたような強い衝撃が襲う。
急なベクトルの変更と想定以上の力の大きさの中、何とか彼女に伝わる力を和らげようと無我夢中で脚とカラダで包み込み、次にやってくる壁との衝突に備える。
───衝撃。
背から広がる熱と激痛。
白黒に点滅する視界。
口へと込み上がってくる液体。
壁の砕かれる粉砕音とカラダの内部から響く、何かが折れた音が重なった。
衝突の勢いと激痛に、危うく飛びかけた意識を手繰り寄せ、目の前の彼女の方を向く。
目立った外傷が蹴りを受けた部分を除いて見当たらないことを確認して安堵の息が漏れた。
「!?」
この場にいる全員の、特に脚の中に収まっているシドゥリさんからの驚きと困惑が伝わってくる。
まだだ、まだ終わっていない。
限界を超えての疾走と壁に叩きつけられた衝撃で動かすことすら困難になったカラダ。
曖昧になりかけている意識の中、気力を振り絞って立ち上がる。
そして、左前脚の肥大している関節近くに突き刺し、掛けていた「それ」───露店跡から拝借した薄汚れた白い布を取り外し、シドゥリさんの脚に掛けてその脚を掲げた。
即席の「白旗」により、この場をより一層の愕きが包み込んだ。
チラリと目の前の、こちらを見上げる彼女の姿を見る。
彼女の、シドゥリさんの表情は読み取れない、けれどカラダに備わる感覚器に届く感情は驚嘆と戸惑いであった。
当然だ、得体の知れないやつが突然現れて壁とのクッションになったと思えば、限られた人しか知っていない白旗を作ったのだから誰だって驚く。
シドゥリさんから視線を外し、ゆっくりと顔を上げ、オレンジ色のクセのあるショートヘア、その驚愕に染まった茶色の瞳を見開く少女の方を向く。
───君なら分かるだろ、だって「
数秒間少女と見つめ合う。
誰も何も言葉を発さず、静寂が場を支配し、まるで時が止まったかのように感じられた。
その沈黙を破ったのは、少女の方だった。
「……マシュ!あのラフムを、シドゥリさんをお願い!」
「っ!は、はい、了解です、マスター!」
……あぁ、良かった。
心からの安堵。
途端に今までギリギリのところで踏ん張っていたカラダは糸が切れたあやつり人形のように崩れ落ちる。
「先輩!シドゥリさんの後ろにいるラフムはどうしますか!」
亜麻色の髪を揺らしながら駆け寄ってくるマシュ・キリエライトを暗転し始めた意識の中見詰める。
オレの知らない彼女、けれどその瞳に宿る意志の強さも華奢な身体に秘められた人としての彼女の強さも、オレの知っているものであった。
純粋で、真面目で、好奇心が強くて、ほんの少し抜けていて、本当は怖がりで、それでも、人として強く、美しい彼女。
……本当は、マシュを初めとした仲間だった
自分だけの片思い、オレに記憶が戻っても彼女たちはオレの知っている彼女たちとは「別人」であって、どこまでいっても一方通行で交わることの無い平行線。
「座」から呼ばれる同じ存在で別人である彼女たち。
だからこそ、同時に嬉しくもあった。
世界が異なろうとも、別人であろうとも、あの
それだけで十分だった。
「……その人は───っ!?」
ドスッという何かが突き刺さる音が方々で響き渡る。
鼓膜を這い、頭の中で反響する金属同士が擦れ合う音が重なっていた。
その音の正体に思案を巡らせる前に視界は徐々に薄らぎ、思考の輪郭はぼやけていく。
「………………………!?」
「…………!」
聴覚さえまともに機能しなくなり、声の調子だけしか分からず、紡がれる言葉は聞き取れない。
少し前まで痛みと熱がカラダ中を駆け抜けていたのに、今は冷たい。
……オレは、シドゥリさんを救えたのだろうか。
………………いや、助けることが出来ただけで、救うことは出来なかった。
彼女のケガを肩代わりすることは出来た。
彼女がシドゥリさんだと周りに確信を持たせることが出来た。
けれど、彼女をもとの姿に戻すことは出来ない上に、更なる混沌と絶望に染まっていくバビロニアの地に残してしまうのは果たしてシドゥリさんのためになるのだろうか。
王様なら、と一縷の望みをかけているものの、到底安全とは言えない、熾烈を極める戦いの中で再会することだって難しい。
現状をほんの少し変えただけでそれ以上の意味はない。
結局、願望の終着点は自分の価値観を押し付けた自己満足の果てでしかなかった。
もう、何も見えない。
拾える音だって、ほとんどない。
だからだろうか、はっきりと聞こえた「声」がシドゥリさんのものだと分かったのは。
“───一体、あなたは……“
“……ごめんな、さい”
“───いいえ、いいえ、ありがとうございます、名も知らぬ人”
たった一言で報われた気がした。
自分の行ってきたことは無駄ではなかったのだ、と。
誰のためでないのに、自分という人間がいかに単純か分かる。
これでは、救われたのはこちらではないか。
あぁ、でも───良かった。
意識が暗転する。
自身という存在が融ける。
暗黒と沈黙に世界が包まれる。
────────────。
─────────。
──────。
『もう少しだけ、頑張っておくれ』
───…………。
…………。
…………花の、香りが、する。
…………。
……。
アニメ版翻訳より
「つそさ、るわぬくとに」
→「たすけ、られなかった」
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幕間の物語 第2節「部外者と偽物」
3話で終わるかな…?
気がつくと、再び無秩序に生えている木々の間を走っていた。
カラダも軽く、外傷はあるけれど先程の激痛を感じることは無かった。
どうしてオレはこの場所にいるのだろうか。
何も考えずとも走りを止めないカラダに疑問を抱きながら意識を手放す直前の記憶を辿る。
……花の香り。
優しく嗅覚に訴えかけてくるその匂いは懐かしいものだった。
以前どこかで嗅いだことのあるような───
その事に考えが及んだ瞬間、薄らとしかし確かにその香りが前後に、道を為すかのように続いていることに気づく。
それは、オレをどこかへ
信じ難いことだが、無意識のままオレのカラダはこの香りを辿ってここまで来たのだろう。
けれど、部外者のオレが、目的も中途半端でしか果たせなかったオレがこの世界に留まっているのは、なぜ?
───いや、違う、
まだオレにやれることが、使命が残っているのだ。
自分に出来ることがあるのならば、最大限の努力を、労力を、気力を限界まで費やし、進み続ける。
自分に出来ないことであっても、出来る範囲で出来るだけのことを思考を巡らせ、模索し、実行を重ねる。
それが
よそ者であっても、記憶を失っても、それでも抱え続けていたたったひとつの
このカラダはその為にこの場所に残されている。
余人が聞いてもとても理解を得られないような考え方であることは分かっている。
でも、オレにはこれしかないから、これだけしか持っていないから。
突然、一陣の風が背後から背中を押すように吹き上がる。
その風の中に、舞散る薄紅色の花びらを視た。
目の前で揺れる1枚の花弁に知っている誰かの面影を───
『すまないね、まだ、その時ではないんだ』
ふわりと花びらが空高く舞い上がる。
そしてそのまま太陽と重なり、見えなくなってしまった。
つかもうとした瞬間に指の間からするりと抜け落ちてしまった感覚が後に残る。
狐につままれたような、幻を見たような、はぐらかされたような。
けれど、答えを得ずとも、道は目の前に在る。
誘い込む為の罠だろうか、という思考が一瞬脳裏を掠める。
いや、この世界と関わりのなかった、まだ何も為せていない、サーヴァントもいない上にマスターでないオレを狙う理由がない、と打ち消す。
それに、安心するような、懐かしいあの香りが道となっている。
それで十分じゃないか。
だって、オレの周りにいてくれた
それに報いることができるのならば本望だ。
───だから、大丈夫、大丈夫……
「ダイジョウブ」
それは、誰に向けての、何に向けての言葉だっただろうか。
ふと口をついて出た言葉の真意を分からずまま、オレは走り続けた。
× × ×
Interlude
「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」
森林という名の檻の中を裸足で駆け回る。
走る度に
しかし、立ち止まってしまえばそこが最期だ。
たちまち
なぜ、こんなことに。
何故、何故、なぜ、なぜ……!
「こんなはずじゃ───こんなはずじゃ……!」
───どこで間違えてしまったのだろう。
「ボクは母さんに作られた、新しい人類だ……!」
───
「だからこそメソポタミアを滅ぼした。その為に活動してきた……!」
───母さんが喜ぶと信じて。
「なんの経験も、記憶も、愛情もないカラダでも、母さんからの期待だけはあると信じて……!」
───カラッポのカラダを満たす為に。
「ギャハ!ギャハハ!ギャハハハハハ!ソッチダ!ソッチ 逃ゲタゾ!」
「追イ詰メロ、捕マエロ!解体ダ、デク人形ノ 解体ダ!」
アイツらの声がすぐそこまで来ている。
不快な甲高い声に乗せられた感情は、愉悦、悦楽、享楽の類だった。
それは、新しいヒトとしてあまりに不出来、あまりに愚劣。
あぁ、けれど、その出来損ないに生命を脅かされているのがボクだ。
片や新たな支配層としては致命的な
どちらとも救いようのない存在だ。
「それが、こんな───」
ツーっと、雫が頬の上をなぞり、地面へと滴り落ちた。
「何もなかった、この大地には、何もなかった……!」
───これは……涙?泥で出来た、兵器であるはずのボクが……?そんな、有り得ない。でも、この、溢れ出る感情は……?
「はじめから使い捨てだった……!」
───憤激?悔恨?怨嗟?
「はじめから偽物だったんだ……!」
───違う、これは……
「未来も、希望も、自分の意思も───」
「───友人も、ボクにはいなかった」
───これは、「悲しい」んだ。
「ただ、ティアマト神の唯一の子供だと。そんな事にすがるしか、なかったのに───!」
最初から間違えていて、全部失って。
聖杯も、すがるものも、存在意義も無くしてしまって。
残ったボロボロの自分のカラダさえ
そんな一人ぼっちの自分が悲しいんだ。
「───アハ♪見ィ ツケタ」
「───」
いつの間にか足は止まっていた。
目の前には悦楽に口端を歪めたラフム達。
生存の為の力が、抜ける。
「───これが、終わりか……。なんだ、人間たちみたいに、呆気ない」
……ボクも大した事はなかったんだ。壊されれば、動けなくなるだけなんだから。
風前の灯火であるボクの命を刈り取らんと鋭利な脚先が構えられる。
これから起こることを前に、瞼を閉じた。
「……あぁ、こんな事なら───」
───最 後 に ア イ ツ に 会 い に 行 け ば 良 か っ た の に ね ───
けれど、いつまで経っても予想していた痛みはやってこない。
思わず瞼を開けると、衝撃の光景が広がっていた。
「え……?」
胴の心臓の部分を、ラフム達の紫色の体液に濡れた鋭い脚先が穿っている。
胸を貫かれたラフム達は声を上げる間もなく、ドサリと地面に重力に従って倒れ込んだ。
「オマエ……!オマエ……!オマエッ、狂ッタァ!?」
後方に控えていたもう一体のラフムが同族の命を奪った、不可解な行動をとったラフムに襲いかかる。
───激突。
互いに相手の胸を脚が貫く。
「ギェッ……!」
襲いかかったラフムが短い断末魔を上げて地に伏す。
後に残ったのは静寂。
そして、最後に残ったラフムも項垂れるように膝を崩した。
Interlude out
× × ×
今までとは比にならない傷の深さにカラダが前のめりになって倒れる。
ふと視線をあげた先には、目を見開いてこちらを凝視する、美しい翠色の髪に血に濡れて紅白模様となった衣を纏ったキングゥが居る。
なんだか、こちらに来てから見知った顔の人たちには驚愕の表情ばかり向けられている気がする。
それもそうか、誰の気紛れか迷い込んでしまった一つの異分子が、一部とは言え状況を我欲で掻き回しているのだから。
「おま、え……助けて、くれたのか?」
あぁ、ちくしょう、脚一本すらまともに動かすことが出来ない。
しっかりと向かい合って話したかったけれど、そんな余裕はないらしい。
顔を上げて、彼の顔を見るのが精一杯。
でも、それさえ出来れば十分だ。
「───キングゥ」
息が震える。
「キミは……誰だ?アイツらに連れて来られた人の名残はあるけれど、別人だ」
「……オレハ、部外者、ダよ。コノ世界に似タ、違ウ世界カらノ」
声は掠れる。
「なら何故!余計に、自分を犠牲にしてまでボクを助ける意味が分からない……!」
「君ヲ、助けタカッたかラ」
カラダは血まみれ。
「───!?」
「……キングゥ、君ガ、しタイことハ、何?」
それでも、腕を伸ばす。
「ボクは……ボクには何もなかった!何もなかったんだ!使い捨てで!偽物で!人形だった!ボクの意思なんて最初からなかったんだ!」
「……ソレは、違うト、思う」
今度は零さないように。
「そんなことをなぜ───!」
「───王様は、君ヲ待っテ、イるよ」
オレに出来ることは。
「───!」
「……初めカラ、間違っテいたかもシれナい、多くのモノを、失っタかもシレない。デも、母親を想ウ気持ちは、本物だったンじゃ、ナイかな」
手を伸ばし続けることだけだから。
「───」
「それニ、まだ、残っテいるハズ。君にしかない、君だけの、
そして、この手が、想いが
「お前、笑って───」
「だからさ、キングゥ、自分の感情に、自分の素直な気持ちに従ってみて、いいんじゃないかな」
届くといいな。
「ボクは……ボクは……っ!」
───限界、だ。
カラダが
泥で出来たカラダがひび割れ、崩れ落ち、そして地に還る。
カラダだったものが地面に触れた瞬間、煙のように空気へと溶けていった。
「お前、カラダが……!」
「わかってた、ことだから。キングゥも、長くはないから」
笑えて、いるかな。
「でも……!」
「キングゥが、選んだ道を、進んでくれることが、一番だから」
笑えてると、いいな。
「…………分かった」
視界全ての輪郭が綻び始め、空と木々が混ざり合う。
その中で、キングゥの姿がゆっくりと遠ざかるのが見えた。
草木を踏みしめる音が次第に遠のいていく。
これで、オレと彼の話はおしまいだろう。
これから先も、決して交わることは無い。
それが、ほんの少しだけ寂しかった。
「……ありがとう、別の世界の
だから、最後に耳に届いた彼の声が何より嬉しかった。
あぁ、そうだ、これは紛れもなく奇跡だったんだ。
有り得ないことがあって、果たせなかったことを為すことが出来た。
まるで
だから…………本当は、怖い。
すぐ側にある濃厚な死の気配。
視覚も、聴覚も、触覚も何も感じない。
寒い。
寒い寒い寒い。
寒い寒い寒い怖い寒い。
寒い怖い怖い寒い怖い怖い寒い。
──────孤独。
誰もいない。
何時も傍に居てくれたマシュがいない。
ドクターも、ダヴィンチちゃんも、フォウくんも、他の
独りで、オレは、死ぬ。
知り合いのいない世界で、オレは、死ぬ。
少しでも考えてしまったら、
……これで、終わりなんだ。
そう思った瞬間、冷静さが戻ってくる。
処理しきれない現実への諦観に似た、けれどどこか違うような。
確かに、ここで、オレは終わりなのかもしれない。
或いはよく出来た悪い
───けれど。
けれど、自分のやってきたことは間違いではなかったはずだ。
己の信念を、信条を、在り方を曲げずにここまで来た。
そしてその結果が
意識が薄らぐ、遠のく、揺らぐ。
あと数秒でこのカラダが、この世界にいた証が意識とともに空の中に消えていくことが何となくわかった。
若干の恐怖とそれを上回る充足感に包まれてカラダの崩壊に身を委ねる。
最後に、意識が消える寸前に思った。
“やっぱり、みんなと一緒の方が良かったな”
と。
──────────。
──────。
───。
『お疲れ様、藤丸立香』
『これで、悪夢と奇跡を一緒くたにした君の旅はおしまいだ』
『君はこの旅を忘れてしまうだろうけれど』
『これはある種の「
『そう定めないと実現しなかった夢のような現実』
『誰かから見たら酷く滑稽で無駄な事のように思えるかもしれない』
『けれど、そんなことは無いんだ』
『君が、自分自身のことさえ忘れても、仲間が近くにいなくても辿ってきた道を進み続ける力があるのだと君は証明したんだ』
『それはとても難しく、険しい道のりだ』
『だから、誇るべきことなんだ』
『君が忘れるとしても』
『だから、私が覚えていよう』
『これは、君も知らない、私だけが知る君の物語だ』
『ありがとう、藤丸立香』
内容に入れようか入れまいか30分程迷ったもの
白旗振るシーンにて
ぐだ男「白旗だけじゃ、伝わらないか…!?なら……!」
ぐだ子「あ、あれは……!」
マシュ「はい!前方ラフム、ジャパニーズ土下座です!敵意はないと見ます!」
ぐだ子「待って!違う!なんでこの時代のバビロニアで!?」
(マーリンはアヴァロンで大爆笑してます)
Qなんで入れなかったの?
Aネタ要素にしか落とし込めなかったからです
Qなんで入れようとしたの?
A怒涛のシリアスに耐えきれなかったからです(矛盾)
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幕間の物語 第3節「人間と機械の狭間で」
「これが本日の昼食、ポケットサンドのハンバーガーだ。食べ終わったらいつもの場所に置いておいてくれ」
「わぁ!今日も美味しそうだなぁ。いつもありがとう、エミヤ。ここに常駐しなきゃいけないスタッフの一番の楽しみだからね、エミヤ特製のご飯は。みんな感謝してるよ」
キーボードから手を離し、こちらに向き直ってにこやかに笑う男、ロマニ・アーキマンに本日の昼食を渡す。
所謂ゆるふわ系である彼は子供のように目を輝かせながらそれを受け取った。
「何、こちらも趣味の延長線上だ。それに、料理の腕なら犬とも猫とも分からぬ彼女の方が上だろう。……飲み物はいつも通りホットコーヒーで良かったかな?」
「うん、ありがとう。……うーん、そうかなぁ、ボクはカルデアキッチンで作ってくれる全員のご飯がとても美味しく思えるから分からないなぁ。…………毎日あの麦粥は流石に飽きてしまいそうだけど」ズズッ、アチチ
誤魔化すように、周囲の空気をも弛緩させる笑顔をにへらと浮かべて珈琲を啜る彼。
その姿は人が内に秘めている悪意とは無関係な、「善良」な人間のように見える。
───しかし。
「釈迦に説法、孔子に悟道ではないが、組織のトップにいる者、しかも医者である君が目の下をこれほど暗くしているのは如何なものかと思うがね」
「あはは……。耳が痛い言葉だね。……うん、確かにその通りだ。次にキリが良くなったら仮眠をとらせて貰おうかな。…………でも」
「───でも、
───この目だ。
淡い翠色に染まった瞳。
この澄んだ眼がごく稀に見せる、瞳の奥に潜む深淵。
それは、昏さとか激しい感情を湛えている訳ではなく、ただただ底抜けに深い。
人が、魔術師がするような目、というよりはどこか達観した、人とは次元の異なる場所から見詰めているのだと錯覚する。
何処を見ているのか、何を視ているのか、その瞳は何も映さない、何も語らない。
「……っと、冷めないうちに頂かないとだね。イタダキマス」
「……失礼、それでは戻ることにするよ。あぁ、それと、甘味も用意しておいた。入口近くの冷蔵庫に団子を入れておいたので食後か間食に食べるといい。緑茶はティーパックのものをコーヒーと紅茶の置いてある場所に追加してある」
ほんの一瞬、瞬きの後にはいつもの彼に戻っている。
その「豹変」が乾いた鉄の心をざわつかせるのだ。
「さ、さすがはカルデアのオカン……」
「……不名誉な呼び名は聞かなかったことにしよう。では」
胸の内にちらつく、ラベル付けに困る心持ちを抱えながら、不本意な呼び方を流行らせた
すると、何かを思い出したかのように私の背に彼がくぐもった声を投げかけてきた。
「ふぉうだ、ヘミヤ!ひまじかんあふ?」
「……口の中に食べ物を入れた状態で話さないのは子供でもできることだがね」
「うっ……。…………ゴクッ、いや、うん、マナーというか常識だね、申し訳ない。それで、エミヤ、今時間ある?もし平気なら立香君を呼んできて欲しいんだけど……?」
「ふむ、このあとは特にするべき事もないので構わないが、呼び出しに応じないということか?」
「そうだね、霊器保管室の近くにいることは分かってるんだけど通信に出なくて。バイタルはモニター上安定しているから大丈夫そうなんだけど」
「承った。用件を聞いておこう」
「ありがとうエミヤ。それで、さっき茨木が来てね…………」
× × ×
設計した人間はよっぽど白が気に入っているのだろう、上下と壁が白一色に塗られたカルデアの廊下を歩く。
酷くシンプルに思えるが、余計なパーツを尽く削いだ洗練されたデザインで、細部に散りばめられた設計者のこだわりの数々は思わず感嘆の息も漏らしてしまう程だ。
窓の方に目を向けると、普段と違わず吹き荒れる風雪が目に入った。
吹雪が穏やかである時に、身長の数倍はある高い窓から覗くことの出来る剥き出しの大自然の姿は圧巻の一言に尽きる。
荒廃した心ではあるが、この光景には目を奪われ、見入ってしまう。
また、世界各地を巡った身ではあるが、ここまでの孤独と雄大を兼ね備えた風景は初めてだ。
───だが、本当にここは孤独なのだ。
人類史が焼却され、残った人類は
過去も、現在も、未来も燃え尽きた、果てのない死の世界がこの外に広がっている。
人類最後の砦たるカルデアの使命は人類史を取り戻すこと。
その計り知れない責任の大部分を背負わなければならなくなった青年が、今の私のマスターである藤丸立香だ。
彼は、数ヶ月前まで魔術の世界にすら触れてこなかった一般人だ。
特出した才能がある訳でもない。
特徴を上げるとするならば、善良な人格と真面目な性格は良くも悪くも「人間」らしい。
普通の生活を送っていた、送ることのできていた陽の当たる世界の住民だった。
───レイシフト適正とマスター適正を兼ね備えていなければ。
この二つの為だけに、彼はここへ連れてこられ、48人目のマスターとなったらしい。
そしてレフ・ライノールによるカルデアの爆破の結果、彼は文字通り人類最後のマスターとなってしまった。
48人いれば責任が48等分される訳では無いが、一人が背負うにはあまりに重く、あまりに
しかし、私たちサーヴァントが存在するためにマスターの存在は必須だ。
彼は、
彼に伸し掛る責任も、重圧も分かっているにも関わらず、彼に頼らざるを得ない状況が今に続いている。
何が英霊だ。
何がサーヴァントだ。
目の前にいる一人の年端もいかない青年を救うことすら出来ないなんて。
「正義の味方」が聞いて呆れる。
目覚しい武功をあげようが、世界を変える功績を残そうが、歴史に名を刻んだ偉人らが集まったって、藤丸立香という人間を今の状況からすくい上げることは叶わない。
……無論、取るに足らない
せめてもの私たちが出来ることと言えば、彼が歩まなければならない、私たちが歩ませてしまっている道を整えることだけだ。
それでも、それだけでしかないが。
気が付くと、霊器保管室と目と鼻の先の通路を歩いていた。
思考の海に沈んでいる間はどうも注意力が散漫になる。
一度死んだって、そうそう人間は変われない、か。
無意識のうちに皮肉に歪められた笑みがこぼれる。
これは「抑止の守護者」になってからだったか。
輝かしい英雄等には到底及ばない
……いかんな、どうも染み付いてしまっている。
この癖を直そうとも思わないが。
左手にある通路を進むと、霊器保管室近くに設置されているソファーの上で横になっているマスターが見えた。
近づいてみると、一定の間隔で静かに呼吸をして目を瞑っていた。
7つの特異点を巡り、余人では想像を絶する過酷な戦いに身を置いてきた青年ではあるが、まだあどけなさの残る寝顔は年相応であった。
このまま寝かせておきたいところだが、Dr.ロマンの件がある上にこの体勢では体に負担がかかってしまう。
声をかけようとした寸前、肩を揺すろうと伸ばした右腕に違和感が生じる。
指先から手首にかけて、マスターを中心に2m四方の空間が暖房の入った部屋のように暖められ、冷えきった廊下から彼を守っているようであった。
少なくとも呪いの類、攻撃性のあるものでないことは経験から来る直感が告げている。
しかし、十中八九誰かが彼を案じての事だとしても正体が不明というのは落ち着かない。
しがない魔術使いである私に分かることでないかもしれないが、念の為に魔力感知を巡らせる。
すると、案の定気温を操作する魔術の痕跡が見られたのだが、その痕跡がどこか見知ったものに似ていた。
……いや、そんな、まさか、な。
それに、この魔術とはまた別の、隠していることを敢えてこちらに気づかせるような魔術の気配が───
「…………んぅぁ」
突然、眼前のマスターが身をよじり、小さく声を上げた。
そしてそのまま薄らと焦点の定まらない目を開き、数秒の間ゆっくりとした瞬きを繰り返す。
こちらもゆったりとした動作で上体を起こして大きな欠伸を一つつき、そして側に立っていた私を視界に収めたようだ。
「…………エミヤ?」
「お目覚めのようだな、マスター」
「うん、おはよう。……オレ、寝てた?」
「あぁ、それはぐっすりと」
未だに覚醒しきっていない頭と身体を解すように身体をねじったり、伸びをしたりするマスター。
平時より下がっている瞼を擦っている姿は、やはりどこにでもいそうな青年の仕草であった。
「どうしてエミヤはここに?」
「あぁ、Dr.ロマンからの言伝を通信に反応しないマスターに伝えにね。……私も尋ねたいのだが、どうしてこんな場所で横になっていたんだ?」
「あはは……。ちょっと待ってね、オレもここに横になった記憶はないんだよね」
「……何?」
困ったように笑いながら記憶を掘り返して唸るマスターに向けて自然と目が鋭くなる。
「あぁそうそう、霊器保管室で概念礼装の【宝石剣ゼルレッチ】を手に取った所まで覚えてるんだけど、それからどうしてここで寝転がってたのか覚えてないんだ」
「……本来あの剣、いや本質は杖なのだが、アレは一部の家系にしか使用出来ないようになっているはずだが。それ以外に何か覚えていることはないか?」
……まずいな、どうしてだろうか、嫌な予感がする。
「そうなんだ。ええと……あっ、イシュタルが来て『あら、私にピッタリのものじゃない!ちょっと借りるわね』って言って…………どうしたのエミヤ、顔を手で覆ってるけど」
「……いや、なんでもない、なんでもないんだ、マスター……」
なんでさ。
なんとなくは予想していたが、よもや的中するとは。
あの女神が「彼女」でないことは百も承知しているが、ここまで来ると強い因果律を感じざるを得ない。
「そ、そう?エミヤがいいならいいんだけど……。それで、他の礼装の確認をしてたら急にイシュタルが返してきてそのちょっとあとから記憶が無いんだ」
「……だいたい原因は分かったよ、あとであの女神には私から一言言っておこう。しかし、そうなると……マスター、眠っている間に夢なんかみていないだろうか。それと、体に違和感などはあるかね?」
「……んー、夢をみてた気はするんだけど、内容は思い出せないや、いい夢だった気がするけど。体調はまだ頭がぼぅっとしてるだけで特に変なところはないと思う」
「そうか、それならいいが、念の為ナイチンゲール女史に「ケイローン先生にお願いします」そ、そうか……」
マスターの即答には分からんでもないが、そこまで高速で何度も首を左右に振るか。
何にせよ、アレを手にして意識を失ったと聞いた時には背筋が冷えたものだが取り敢えずは平気だろう。
「それで、ドクターはなんだって?」
「あぁ、茨木童子が君を呼んでいたとのことだ。内容は彼が聞く前にどこかへ行ってしまったので分からないらしい」
「わかった、ありがとうエミヤ。行ってくるよ」
「何、礼を言われるようなことではない。しかし、サーヴァント全てをマトモに相手するとなると君も疲れるだろう。程々にしておいた方がいい」
特にあの女神などな、とDr.ロマンのいる場所へと駆け始めたマスターの背中に冗談気に声をかける。
すると、マスターが足を止め、こちらを振り向いて困ったように笑いながら言うのだ。
しかし───
「全部は無理かもしれないけど、オレに出来ることだったら全部やりたいからさ」
「───」
───声に、応えられなかった。
立派な言葉だ、その言葉が軽いと感じないのは一重に彼の今までの言動に尽きる。
けれど、細められた瞳に映ったマスターの意思が、どことなく既視感があって。
それは、嘗ての
じゃあね、とそのまま去っていってしまった彼に言葉を返せなかった。
その考えは美しい。
自らが出来る事を他者の為にも行うとはなんと素晴らしいことだろう、
もし、彼が出来ることをなした結果、彼自身が傷つくと分かっていたら。
普通ならば躊躇い、行動に移さないだろう。
けれど、もし自身の生命が危険に晒されると分かっていたとしても動くのならば。
それは、人間の考えではない。
全ての勘定の中で自分自身を最優先としないあり方は人の生き方と言うよりは、機械のそれに近い。
彼は間違いなくお人好しが過ぎるだけの一般人だったはずだ。
それが、何故───
……もしも、彼の進む道を整える為の行為が、
足音の聞こえなくなった冷たい通路に、一人立ち竦むしかなかった。
マスターの眠っていたソファーに無意識のうちに視線が向く。
すると、白で統一されたこの場には異質である薄桃色の花弁が数枚、ひしゃげているわけでもなく瑞々しく置かれている。
脳裏をよぎる一抹の不安を抱えながらその花びらを手に取ると、空気中に溶けるかのように先の方から煙の如く薄らいでいく。
ふと下を見ると残りの数枚も同様に煙と化していた。
しかし、その煙は意志を持つかのように私の目の前に集まり、文字を象っていく。
そして───
『
と、ご丁寧にルビまで振っていた。
……度し難い。
ここまで真っ直ぐに当てつけられると苛立ちを通り過ぎて呆れてくる。
しかし、完全に興味が無い訳ではなく、必ず私が釣られるということを想定している事はさすが
表現に困る感情が入り混じる中、完全に消え失せた花弁にため息をつき、その場をあとにした。
本編で入れるの忘れてました(小声)
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幕間の物語 第4節「消えた記憶、消えぬ思い」
誤字報告ありがとうございます
「───
「───ここまでか!
「……茨木童子さん!?わたしとマスターを掴んで、何を─────っ!?」
「うわわわっ!?」
「口を閉じろ!舌を噛むぞ!」
「ふん。まさしく獣か」
珍しく鎧を身につけたギルガメッシュが抑揚のない声で呟く。
「追っ手をかけますか、ギルガメッシュ王?」
振り返って玉座に戻る王の表情からも感情を伺いしれない。
「よい、捨て置け。あれはああいうモノだ。矜恃も名誉も顧みることなく、ただ生きるために、その他の全てに背を向けられる。それのなんと醜く、なんと浅ましく、なんと美しいことか」
口をとざす寸前の僅かの間、細められた双眸から伺い知れたのは懐かしさだろうか。
しかし、余程のことでない限り、具体的には王が旅に出た時以外の事であれば祭司長は知っているはずだが、彼女の記憶にはない。
「───ッ」
瞬間、彼女の頭に突如として痛みが走る。
それは、彼女が知り得ないはずの記憶の断片。
朧気で、少しでも意識を他の事項へ向けてしまうと二度と浮上することの無い細い糸。
しかし、その記憶が確かに実在していたものだという確信が彼女にはあった。
「……思い出した、故に
「はぁ……。では、王の宝物庫を狙ってきた罪についてはお咎めなしということで?」
シドゥリが霞んだ記憶を手繰り寄せようと試みた刹那、再び頭痛が彼女を襲う。
まるで彼女に思い出すな、と告げるように激しさを増すその頭痛は一向に止む気配がない。
頭蓋が割れんばかりの苦痛に晒されながら脳裏をよぎるのは先程の青年。
盗賊にしては派手であり、この国の装いでないことはひと目でわかる。
けれど、彼女をざわつかせたのはその行為でもその異装でもない。
黄色い衣を纏った小柄な人物に首根っこを掴まれ、人ならざる跳躍で空を舞う中で一瞬目が合った。
素性の
「獣と言ったであろう。あれは宝物庫の肉の匂いに惹かれ、扉の前をうろついていた野犬に等しい。わざわざ巣穴まで追って殺すこともあるまい───。再び来れば容赦なく踏み潰すがな」
彼に何かを伝えたかった、伝えなくてはならなかったはずなのに。
「…………」
「……シドゥリ」
「ッ!は、はい」
頭痛に苛まれる中、青年の見せた笑顔の真意を図っていた為か、ギルガメッシュの声に反応がワンテンポ遅れる。
急いでシドゥリが俯いていた顔をギルガメッシュの方に向けると、ギルガメッシュが感情の起伏の無い瞳で静かに彼女を見つめていた。
「その調子では我の職務に支障をきたす。今日はもう良い、下がれ」
「!い、いえ、王、私は───」
「これは王の
「……はい、失礼します」
表情と声色を変えることなく、淡々と告げるギルガメッシュに深々と一礼し、その場から歩み去る。
その姿は他の者なら違いが分からないが、ギルガメッシュは彼女の背がいつもより小さく見えた。
そして、彼女の背が完全に見えなくなり、この空間に一人きりとなった王は低く呟く。
「これが、貴様の成した功績の結果だ、藤丸。命無いはずの者が存在し、無いはずの記憶がその者の内に宿っている」
「───だが、その中に貴様はない。だというのに、貴様はあのような顔をするのだな」
「気づいておるか、そのあり方は決して人ならざるものだ。それを何も持たなかったお前が───」
「なんと歪なものよ」
× × ×
ジグラットを後にしたシドゥリ、しかし彼女の思考を占拠しているのは先程の失態であった。
怪我をした訳でもない、病に侵されていた訳でもない、だというのに彼女はギルガメッシュ王への返答に遅れた。
これまで一度たりとも執務中に集中力を欠かしたことの無い彼女にとっては有り得ない出来事だ。
なぜ彼女が普段なら有り得ないミスを犯したのか、それはそれ以上に有り得ない出来事が起こったからだが、
つい先ほどまで掴みかけていた霞んだ記憶も、実際に目にした異国風の青年たち一団のことも彼女の記憶には残っていない。
生み出された記憶の空白は違和感を抱いてもおかしくは無いが、その正体を突き詰める前になんでもないものとして時間に圧縮されるであろう。
その証拠に、今のシドゥリは頭痛に苛まれていない。
いや、そもそも頭痛に苦しんでいたことすら今となっては
答えの出ない問題に頭を悩まし続けるシドゥリは思考の隙間で今いる道がいつも使う道と違うことに気づく。
この先なんて
一瞬、彼女の脳裏を何かが掠めたような気がしたが、それに意識を向ける前にふわりと甘い香りが彼女の鼻腔をくすぐる。
香りが漂ってきた方向へとシドゥリが意識を向けると、色鮮やかな花々が凛とした様子で並べてあり、その後ろには華やかなそれらに似つかぬがっしりとした男性が立っていた。
そのミスマッチ具合に思わずくすりと笑みを浮かべ、花々が飾ってある屋台に近づいた。
「あぁ、いらっしゃい……って祭司長様じゃないですか」
やや驚いたようにシドゥリを見つめる主人らしき男。
一般のウルク市民同様に何も羽織っていない上半身は兵士ほどとは言わずとも鍛えられており、勤勉な労働者のそれであった。
「こんにちは、あなたがここの主人なのですか?」
「あー、本当は俺のおばあ……祖母がやってる店なんですがちょいと熱が出たもんですからうちの女房に看病を頼んでいます。んで、俺がおば……んん、祖母の代わりにやってる訳です。……やっぱ男が花屋ってのはおかしなもんですかね?」
「いえ、立派だと思います。お祖母様想いなのですね。ところで、このお花たちはあなたが?」
「えぇ、そうです。先日エリドゥからの帰り道……あぁ、普段は商人をしているものですのでその為に。それで、その帰り道にふと何かに誘われるように道から外れた場所へと視線が釘付けになりまして」
「今まで気にもかけなかったんですが、あの時はなんでか強烈な既視感が襲い、まるで吸い込まれるように馬を止めて向かいました」
「しばらくすると、鬱蒼とした森林の中とは信じられないほどの場所に着きまして、そこで見たことの無いほど美しい花畑が広がっていたので幾つか摘んできた次第です。それがこっちの方ですね」
照れたように早口で説明する男を前に、シドゥリは男が指さした花たちに視線を移す。
淡いピンクや澄んだ薄紫、時折混ざっている白い花々は見ているものに安らぎを与え、その香りはほんのりと甘い。
けれど、シドゥリは顔を困惑の色に染めていた。
話を聞く限り、彼女が見知った場所でもなければ見た事のある花ではない。
だというのに、その香りは彼女の心を絶え間なく揺らす。
どこか、懐かしいものとして。
「……」
「それが気に入りましたか?良ければ貰っていってください」
「え、えぇ、はい……あ、あぁ、いえ、お代を支払わなければ」
意識の外からかけられた声に反射的に応えしまう彼女だが、自分にかけられた言葉の意味を飲み込んだ後に急いで言い直す。
「いいんですよ、朝からこの大通りでやってるんですがこの顔ではからっきしでして。それに、花たちも愛でてくれた人がいた方が喜びますよ」
「……では、お言葉に甘えて。本当に、ありが───」
「……?」
男のいかつい笑顔と善意を受け取り、感謝の言葉を返そうとした刹那、シドゥリは目を見開く。
───あぁ、これだ、これだったのだ。
「どうかなされました、祭司長様?」
「……いえ、なんでもありません、なんでも」
誰にかは忘れてしまった、どうしてなのかも覚えていない。
───けれど
「本当に、ありがとうございました」
この言葉を伝えたかったのだ。
顔も名前も思い出せないあなたに。
受け取った花束を抱え、彼女は帰路に着く。
その表情は花にも負けぬほど華麗な笑顔であった。
スイートピーの花言葉
「門出」「別離」「優しい思い出」「永遠の喜び」「私を忘れないで」
お久しぶりです。遅くなりました、申し訳ありません。
というのも、FGOやらないで書いててもいいのか?という思いつきに突き動かされ本編を進めていたためです。お陰様で2部5章(後半13説で辛い)まで来ることが出来ました。
もう1話+おまけ?で終わりの予定です。
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