Re;黒子のバスケ~帝光編~ (蛇遣い座)
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第1Q またバスケをしましょう

ウィンターカップ決勝戦。洛山高校との一戦は、ボクたち誠凛高校の惨敗に終わった。

 

かつて全国三連覇を果たした帝光中学校。その中でも無敵を誇り、『キセキの世代』と呼ばれた空前絶後の天才達を率いていた主将、赤司征十郎。彼の前には全ての全てが見抜かれ、見透かされ、無力化されたのだ。全ての希望を砕かれ、さらに未来までも閉ざされる。それが帝王に歯向かった末路だった。

 

「これがボク達の限界なのか……?」

 

夕陽も落ちた、街灯だけが辺りを小さく照らす薄暗い空の下。そんな人気の無い道路の脇を、ボクは俯きながら歩く。他の先輩達とも失意のまま駅で別れ、誰一人言葉を発せないまま、それぞれが帰宅の途についていた。

 

はっきり言って悪夢だった。あの試合は思い出すことすらしたくない。できることならこのまま何もかもを忘れて眠ってしまいたい。夢であって欲しいと心の底から願った。絶望と諦念に心の中が満たされる。

 

――前方からトラックが擦れ違うように向かってくる。

 

道路の端に避けようと足を踏み出そうとして……

 

「あれ?」

 

試合による肉体的な疲れか、精神的なものか、おそらくは両方。足を踏み外した、ボクは車道へと倒れ込んでいく。視界を埋め尽くすヘッドライトの光。

 

ボクの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

「…い……おい!大丈夫かよ!」

 

目を開くと、降り注ぐ太陽の光が網膜を焼いた。仰向けになっていたボクの目が強烈な刺激が襲い、慌ててまぶたを閉じる。

 

「……太陽?さっきまで夜だったはずじゃ……」

 

「ったく、びっくりしたぜ。リングに当たって跳ね返ったボールで。顔面打って気絶するんだからよ」

 

身体を起こしたボクの前には小学生くらいの男の子が座り込んでいた。いつの間にか明るくなった周囲を見回すと、線の引かれた地面にバスケットボール。顔を上げるとバスケットのリングが設置されていた。

 

「ここはどこですか……?というか君は……?」

 

「うわああああ!黒子が記憶喪失になったああああ!」

 

ボクの肩を掴み、泣きそうな顔でガクガクと前後に揺さぶる少年。

 

あれ?この声、それにこの場所は小学生の頃に毎日通っていたコート?

 

「もしかして、荻原君ですか?」

 

口を突いて出てきたのは、かつての親友の名前だった。

 

「……何だよ、覚えてんじゃねーか。驚かすなよな。ほら、バスケしようぜ」

 

一瞬にして笑顔に戻った彼は、楽しそうにボールを持って立ち上がる。まぎれもなくその姿は、小学生時代に毎日バスケットをして遊んだときのままだった。朝から晩まで二人でコートを駆けずり回った幸せな思い出が蘇る。

 

――ああ、そうか。これはボクの夢なのか。

 

小さく口元に笑みが浮かぶ。昨日の夜、皆の前で中学時代の話をしたせいだろう。現実ではバスケに絶望した荻原君との、かつての幸福な過去に浸りたくなったのか。まったく我ながら厚顔無恥にも程がある。あんな罪を犯しておきながら、辛いときには都合良く思い出そうだなんて。だが、今はその安らぎに抗えそうに無い。

 

「そうですね。また、一緒にバスケしましょう」

 

「おう!じゃあ今度はオレの攻撃からな!」

 

今日の決勝は色々なことがありすぎた。絶望も無力感も後悔も、そして敗北も。今のこの時間だけは、全てを忘れてただ甘美な誘惑に身を任せよう。

 

 

 

 

 

スティールに来た荻原君を、間一髪のタイミングでボールを背面に入れてかわす。ビハインドザバック。そのまま体勢の崩れた少年を相手にドリブル突破を仕掛けた。何とか半歩だけ身体を入れて抜くことに成功。そのまま放った変則レイアップは、リング上をクルクルと回ってからネットを通過した。

 

「おおっ!黒子、めっちゃ強くなってんじゃん!」

 

「……どうも」

 

嬉しそうに笑う彼に、しかしボクは小さく苦笑した。身体能力の差、拙いボールハンドリング。

 

それでも高校で全国の決勝まで勝ち進んだ身としては、本気で戦って小学生と互角というのはむしろ軽いショックだった。経験や読みを総動員してこんな状態だなんて。自分の才能の無さは笑うほかない。とはいえ、そんな勝ち負けとは無関係にこの遊びは嬉しかった。

 

「よっしゃ!こんどはオレの番な!」

 

「わかりました。どうぞ」

 

ボールを荻原君に投げ渡す。受け取ると同時に全力で走り出す。無邪気な笑みを浮かべてドライブを仕掛ける荻原君に、腰を落として対応する。右と思わせて左。身体能力に任せたクロスオーバーだが、しかしそれゆえに対処しづらい。

 

「うおおおっ!」

 

先読みによって相手の動きを読むが、ボクは決して速度や高さがある訳ではない。無理矢理ゴール下まで侵入されて、ゴリ押しで放ったシュートが決められる。

 

「こんな適当なシュートにやられるなんて……」

 

苦笑しながら溜息を吐く。この地域にミニバスのチームはない。少し遠くの学校に行けば別だろうが、家の近くにバスケットコートがあるのだ。わざわざ所属する必要を感じなかった。なので、荻原君もバスケについては独学にすぎない。

 

「ひでえな、黒子。だったらオレに教えてくれよ」

 

「え?」

 

その言葉に、ボクは驚いて見つめ返す。それもそうだろう。かつて、ボクは目の前の少年にバスケットを習ったのだ。そんな彼に教えるなんて思ってもみなかった。

 

「はい。もちろんです」

 

一瞬だけ複雑な感情が内心で渦巻いたが、すぐにボクは微笑みながら返事をした。過去とは違う展開に戸惑ったが、これが未来を知ったことによる変動なのだろうと前向きに受け入れる。恩返しできると思えば、願ってもないことだ。

 

「さっきのなんですけど。あれはまず半身になって……」

 

「こ、こうか?」

 

「そうです。そこから背中側に腕を回してドリブルを……」

 

見様見真似でボクの技をやってみる。何度かの試行錯誤の末、だんだんとスムーズになってきた。嬉しそうに喝采を上げる荻原君。

 

そんな彼の姿に、失意と絶望に飲まれバスケをやめてしまった彼の、幸福だった頃の夢に、ボクの目元が涙で潤んだ。それを袖でぬぐって、心を込めてドリブルの技を指導する。

 

「よっしゃ!できた!できたよな!?」

 

技が成功したと大声ではしゃぐ。それはこちらも同じ気持ちだった。ボクらは互いに右手を上げ、ハイタッチをかわした。

 

 

この夢はいつまでも終わらないで欲しい。

 

 

たとえ一時の夢幻だとしても、ただこの幸福な世界に留まりたかった。しかし、そんな黒子の願いも虚しく、幸せな時間は過ぎていく。夕焼けに染まる空は次第に薄闇に沈んでしまう。

 

「おっと、もう暗くなってきたな。そろそろ帰ろうぜ、黒子」

 

「荻原君……。もっと、もう少しだけ、バスケしましょうよ。……あと少しでいいですから」

 

それは現実に疲れた自身の懇願だった。全国制覇させると誓った先輩達を敗北させてしまったこと。夢破れ、二度と同じチームで試合をできなくなった無念。自身の全てが否定された洛山高校との試合。そして、あまりにも無惨で凄惨な仕打ちの前にバスケットを捨てさせられたかつての親友の絶望。あの現実にはもう戻りたくなかったのだ。

 

「ほら、まだボール見えるでしょう?もっと、この場所で……」

 

悲壮な表情を浮かべて言い募るボクの姿に、彼は困ったように笑った。そして、転がっていたボールを手に取り、両手でこちらに投げ渡す。

 

「明日、またやろうぜ。明日も、あさっても、これからずっと。毎日バスケやろうぜ。だから、今日はお別れだ」

 

その顔は未来への希望に満ち溢れていて、明日の自分をまるで疑っていない前向きな姿だった。終わってしまったボクとは違う。それを眩しさを感じながら見つめ、涙を我慢して微笑した。

 

「はい。また明日。きっと、必ず」

 

未練を隠して、別れの言葉を返したのだった。

 

まあ、結論を言えばこれは夢でも何でもなく、まぎれもない現実であった。翌日、ボク達は再び同じバスケットコートで出会うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

記憶よりもわずかに若い両親。机の上の小学校の教科書など。夢見心地で自宅に帰ったボクを待ち受けていたのは、まるで過去に戻ったとしか思えない状況だった。いや、それは荻原君と再会したときから分かっていたが、いつになれば目が覚めるのだろうと困惑を感じたのを覚えている。

 

そのまま翌朝になり、小学校に通い、そして一年が過ぎていた。

 

「本当に、どうなってるんでしょうか……」

 

「ん?どうしたんだ、黒子?ぼーっとして」

 

「……いえ、何でもありません。今日は何をやりましょうか」

 

「あれやろーぜ。シュート勝負」

 

いつものコートで、ボク達はバスケを楽しむ。日常になった光景。今ではあの未来こそが夢だったのではと疑うくらいだった。

 

「よっし!8-6でオレの勝ちー!」

 

ガッツポーズをする荻原君。さすがに将来、全中決勝までエースとして勝ち上がるだけのことはある。一般のレベルで言えば、十分才能溢れる部類であろう。感嘆の溜息が漏れる。

 

「上手くなりましたね」

 

「だろー!黒子もその変な投げ方を直せば、もっと入るんじゃねーの?」

 

「……ボクはこっちの方がいいんですよ」

 

最適なフォームでこの成功率なのだ。掌で弾くように放つ固有のシュートフォーム。かつては『幻影の(ファントム)シュート』と呼ばれた必殺シュートも、正確さにおいては小学生にも及ばない。しかし、悔しくはない。

 

「もう、荻原君には勝てませんね。本当に上手くなりました。もう教えることはありませんよ」

 

ホッと肩の荷が下りた気分だった。この一年間、とても楽しく、夢のような時間だった。しかし、かつて自分の犯した間違いは、どこかで頭の片隅に残っていた。

 

荻原君との再会は喜びと郷愁と、そして罪悪感が混ざり合った感情だった。バスケットを教えることでボクはその贖罪としていたのかもしれない。だけど、それもこれで終わる。

 

「荻原君、もうすぐ転校するんですよね」

 

「ああ、そうなんだよ。何かうちの親、転勤ばっかでさ」

 

沈んだ表情を隠しきれずに小さな声に変わる。だったら、とボクは意を決して口を開いた。

 

「中学に行ったら、またバスケをしましょう。――今度は公式戦で」

 

「……そうか。そうだよな!いいじゃん!次は敵同士でやろうぜ!」

 

荻原君が興奮した様子で拳を上げる。それに呼応してこちらも同じ動作をする。

 

かつて、ボク達は同じ約束をした。二人の間の大事な約束だった。だが、その思い出は、どす黒い絶望に塗りつぶされている。

 

 

――失意の末、荻原君はバスケをやめた

 

 

敗北という結果のせいではない。惨敗の苦渋のせいでもない。勝利とか敗北とか、そんな結果ならば彼は受け入れただろう。それだけの心の強さを持っていた。原因はひとつ。思い出したくも無い、あの試合の過程にこそあった。

 

 

そして、それは高校に入っても同じだった。

 

赤司君の率いる洛山高校との決勝戦。結末は敗北。さらに、無理を重ねた木吉先輩の足は限界を超えた。それによって選手生命は絶望的となったそうだ。試合終了と共に先輩は顧問の先生の車で病院に運ばれ、高校生の間に試合に出ることは不可能との診断が下った。慟哭の嘆きだけが残ったそれが、先輩の最期の試合である。結果を求めたがゆえの、最悪の結末。

 

勝利なんて求めるものじゃない。大事なのは結果ではなく、過程だ。そう、ボクは悟っていた。

 

「絶対勝つからな。覚悟してろよ」

 

無邪気に笑う荻原君に一拍置いて、ボクは決意と共に見つめ返す。

 

「……良い試合にしましょう」

 

コツンとボク達は互いの拳を突き合わせた。

 

 

 

完成した『幻の六人目』の加入は、帝光中学に、『キセキの世代』に、以前と異なる軌跡を辿らせることとなる。しかし、その過程はともかく、約束の結果については、残念ながら変わることはない。



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第2Q こんなバスケ、見たことねー

帝光中学バスケットボール部。全中優勝を幾度と無く果たしてきた超強豪校。将来『キセキの世代』と呼ばれる天才達が前人未到の三連覇という偉業を達成するチームでもある。そこでかつてボクはレギュラーを任されていたのだが、現在は――

 

不本意ながら二軍で練習を行っていた。

 

「あっ……」

 

「フリーでレイアップ外すな!」

 

いえ、まあ純粋な実力で言えば当然なんですけどね……。むしろ、よく二軍に入れたというくらいで。

 

シュートを外して先輩に怒られながら、内心でひとりごちた。中学時代、『幻の六人目』などと呼ばれていても、それはある一点、ある特性を突き詰めた結果なのだ。一般的な体力や技術においては同じ新入生にすら劣る。

 

もちろん、現時点ですでに一軍レギュラーと同等以上の力があるのだが、それを証明できなかった。

 

残念ながら、入部試験の能力測定で見抜ける類の才能ではないのだ。ボクの固有のスタイルは。純粋な技量や身体能力とは違う。

ボクは自己顕示欲の強い人間ではないが、むしろ影に徹するつもりではあるが、しかし二軍に甘んじていられるほどに自負を持たないわけでもない。必ず一軍にあがってみせる。そのための、今年の全中に出場するための計画を影で着々と進めていた。

 

「よし!次はスリーメンやるぞ!全員、あっちに並べ!」

 

監督の号令に黙々と従いながら、二軍の選手達、特に新入生に目を向ける。順番に視線を動かし、もはや習慣となった人間観察を行っていく。

中学生にとって一年の差は大きい。全国屈指の名門校、帝光中学の練習であればなおさら。どうやら皆、息も絶え絶えといった様子である。当然と言うべきか、新入生達は百名近くいる二軍の中でも下位に位置していた。

 

まあ、このくらいの戦力差なら十分に許容範囲だが。

 

「すみません、ちょっといいですか?」

 

休憩時間にボクは新入生のひとりに話しかける。ひらひらと彼の前に手を振って見せた。

 

「うわっ……!?き、急に目の前に現れないでくれよ」

 

「いえ、さっきからずっと目の前にいましたが……」

 

突然、現れたボクに驚いた声を上げる同級生。

 

「ええと……名前なんだっけ?悪い、ちょっと印象が薄くてさ……」

 

申し訳無さそうに謝る彼に、ボクは声を潜めて用件を切り出した。

 

 

 

 

 

 

 

四月も中盤を迎え、新入生達も新しい環境に慣れた頃。激しい部活勧誘もぱったりと消え、多くの人間は何かしらの部活に所属していた。しかし、ボクは知っている。過去の出来事を覚えている。いまだこの時期にバスケット部に入っていなかった彼のことを。

 

「来ましたか……」

 

昼休みの、静まり返った体育館の扉を開けたのは、一人の少年だった。

 

「ああん?誰だよ、てめー」

 

「待ってましたよ、灰崎君」

 

両手をポケットに入れ、威圧するように睨み付ける彼に、ボクは静かに答えた。

 

 

――元帝光中バスケ部レギュラー、灰崎祥吾。

 

 

かつての未来では『キセキの世代』級の能力を持った、まぎれもなく天才のひとりである。そんな彼を呼び出したのには訳があった。

 

「こんな体育館に呼び出して、どこの命知らずの馬鹿かと思えば、……ずいぶん弱そうだな。何だ、自殺志願者かよ?」

 

鋭い目付きでこちらをジロジロと観察してくる。だが、脅威は無いと判断したのか、彼は肩を竦めて小さく嘲笑した。

 

「まさか。君に頼みがあって来てもらったんですよ」

 

「何だよ。ってか、初対面だよな、オレら」

 

「……ええ、そうですね」

 

この時代では、と内心で付け加える。灰崎君は、もちろんボクのことは知らない。こちらが一方的に知っているだけだ。それも彼の未来を。一拍だけ息を溜め、ボクは静かに言い放つ。

 

「単刀直入に言います。バスケット部に入ってください」

 

「ああ?」

 

予想もしていなかったのだろう。呆気に取られた様子で彼はあんぐりと口を開けた。

 

「ボクは二軍新入生チームで現レギュラーを倒したいと思っています。そのために、君の力が欲しいんです」

 

「……どっかから聞いたのか?オレがミニバスやってたってことを」

 

「まあ、そんなところです」

 

やっぱり小学校でバスケをやってたのか。そんなことは言えないので、ボクは首を振ってごまかした。自身の計画を達成するには、二軍の戦力だけでは心もとない。彼の力が必要だった。『キセキの世代』級の才能が。『影』を覆い隠すための『光』が――

 

「やだよ。めんどくせー」

 

だが、彼はそんな頼みを一刀両断した。

 

「まあ、君ならそう言うと思ってましたよ」

 

ふぅ、と小さく溜息を吐きながら、ボクは彼にボールを投げ渡した。

 

「何のつもりだよ」

 

「やりましょうか、1on1。ボクも、君の実力を確かめておきたかったんです」

 

「テメーがオレを測ろうってか?」

 

そんな挑発的な言葉に、彼の視線が鋭く細められる。凶悪な形相が浮かぶ。ダンッと強く床にボールを叩きつける。そのドリブルは、一見して貧弱なボクに侮られることへの怒りに満ちていた。

 

かつての帝光中『幻の六人目(シックスマン)』と、『キセキの世代』と呼ばれるはずだった少年との対決が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

数分後、灰崎祥吾の顔には隠しきれない動揺が浮かんでいた。それは帝光中一軍への反旗を翻した同じ新入生への――

 

「よ、弱ええ……」

 

――呆れだけがあった。

 

パシリ、と軽い音を立てて、ボクの放ったレイアップはあっさりとブロックされる。ボールを弾き飛ばした彼は、何とも言えない表情で溜息を吐いた。

 

「オマエ、よく一軍を倒すとか身の程知らずなことほざけたな。せいぜいが並レベルじゃねーか。自分の強さ考えろや」

 

「そうですか?関係ないですよ、強さなんて。大事なのは勝つか負けるかなんですから」

 

「負け惜しみもそこまで行くと、清々しいな……」

 

哀れむような眼でこちらを見つめる灰崎君。それに対して、ボクはやれやれと首を左右に振った。

 

「見解の相違ですね。強さだとか速さだとか、高さだとか巧さだとか。そんなもので勝負は決まりませんよ」

 

床に転がっていたボールを拾い上げると、ゆっくりとドリブルをつき始める。後ろを振り返ると、体育館の時計は昼休み終了の5分前だった。灰崎君もそちらに軽く視線を向ける。

 

「そろそろ時間ですね。灰崎君、止めてみてください」

 

「あん?」

 

まっすぐにゴールへ向かいドリブルで走り出す。それに対応して彼もボクの前に立ち塞がった。コースを完全に遮断される。普通ならばここで切り返しやフェイクなどで揺さぶるが、それを無視してボクは何の工夫も無く跳び上がった。抱えるようにボールを持った変則的なシュートフォーム。

 

「おい、何だそれ。ヤケにでもなったかよ」

ことごとくボクのシュートをブロックしてきた彼である。こちらの跳躍に完全にタイミングを合わせ、かつ恵まれた身体能力をもって非常に高い壁となった。確実にブロックできる高低差。

 

しかしそれは、通常のシュートならばの話である。

 

 

「んなっ……消えた、だと?」

 

 

彼のブロックをすり抜けて、そのシュートは静かにリングを通過した。これはかつてボクの使用していた必殺のシュート。

 

 

『幻影の(ファントム)シュート』

 

 

呆然とした表情で背後のリングを振り向く灰崎君。同時に昼休み終了の予鈴が鳴った。

 

「何をしやがった」

 

「今日の放課後、二軍のレギュラーと新入生で試合をします。ぜひ見学に来てください」

 

彼の視界から一瞬にしてこちらの姿を掻き消した。目を見開いて驚愕する。辺りを見回す灰崎君へと淡々とつぶやいて、ボクはその場を後にする。最後に一言、置き土産を残して。

 

「女の子と遊んだり、喧嘩をしたり、そんなことよりもっと面白いものを見せてあげますよ」

 

 

 

 

 

 

 

そして、放課後。灰崎君に宣言した通り、紅白戦を行っていた。新入生チーム対二軍レギュラーの対戦。はっきり言って、これを成立させるのが最も大変だった。目立たないことが信条のボクが、新入生のまとめ役までやるハメになるなんて……。

 

本当に慣れないことはやるものじゃない。ただしもちろん、大変だったのはそれだけで、試合の方はと言うと――

 

「ど、どうなってんだよ……!?」

 

「こんな試合見たことねえ」

 

「マジかよ、新入生チームがダブルスコアつけて勝ってるじゃねーか!」

 

この場で試合を目撃していた全ての人間の顔に、驚愕が張り付いていた。ありえない試合展開にざわめきが消えることはない。練習後のミニゲームとして行われたこの二軍レギュラーとの試合は、圧倒的点差をつけてボク達がリードしていた。

 

「まただっ!またボールが曲がった!?」

 

右に投げられたボールが、ゴール下へと急激な方向転換。ノーマークの味方に届けられる。本来、絶無のパスコース。それをボクは容易に作り出す。受け取った本人すら驚愕するほどに、この場の全員の眼から逃れた中継だった。あっさりとノーマークの味方がシュートを決める。

 

他人の視覚を操り、姿を消す神出鬼没のスタイル。これが、かつて帝光中学『幻の六人目』と呼ばれた黒子(ボク)のバスケ。

 

「ゲームを支配してるくせに、全然正体が見えないなんて……」

 

「こんなもん、完全に二軍にいる選手じゃねーぞ」

 

遮ったはずのマークマンに次々とパスが通される。全ての予測を覆すボクの挙動に対応できる者など存在しない。

 

「これで終わりです」

 

小さくつぶやく。絶望に打ちひしがれる先輩方に、最後のとどめを刺ささんとする新入生チームの速攻。前線へとロングパスが送られる。しかし、何とか一糸報いようとパスカットを狙う先輩だが、その軌道は直前でボクによって曲げられた。

 

「くっそ、またかよ!」

 

変更された軌道の先には、ノーマークの味方の姿がある。完全に意表を突かれた相手チームは、そのシュートを見送ることしかできなかった。同時に試合終了のブザーが鳴る。圧倒的な得点差によって、ボクの初試合は幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

熱狂と混乱に沸く館内。大活躍を果たしたMVPを探す仲間達だが、目立つのはこりごりである。気配を消したボクは、その足で彼の元へ向かっていた。体育館の端で、外から試合を観戦するのは先ほど招待した灰崎君である。呆然とした様子でこの喧騒の中、立ち尽くしていた。

 

「こんなバスケ、見たことねー……」

 

つぶやく彼の前に姿を現すと、得体の知れないものを見るような視線が向けられた。それも仕方ない。彼の常識の枠外の出来事だったのだろう。

 

「これがオマエのバスケ、なのかよ」

 

「ええ、そうです。強さではなく弱さに特化した、光ではなく影に徹した、これがボクのバスケなんですよ」

 

息を飲む彼に向けて、言い放つ。

 

「もう一度、聞きます。ボクと一緒に、――帝光中の頂点を取りたいと思いませんか?」

 

彼の表情が真剣なものに変わった。ホラ話でも思いあがりでもない。実現性のある未来だと感じたからか。それもあるだろう。元来、彼は逆境を楽しむタイプの人間ではない。中学時代の後半も練習や試合をサボることも多かった。バスケットに真摯だとはとても言えない。しかしそれでも続けていたのはきっと――

 

「退屈はさせませんよ」

 

将来の灰崎君は傲慢で粗暴で、とにかく制御の利かない人だった。入学時はそうでもなかったが、学年が上がるにつれてその傾向は顕著になっていった。ありあまる才能に、強さに、退屈している。ボクはそう感じた。

 

「ハッ、言ってくれるじゃねーか」

 

彼の目に興奮の色が浮かんだ。口元を歪めて愉しげな声で笑う。

 

「いいぜ。その話、乗ってやるよ」

 

「ありがとうございます」

 

全国最強の帝光中学一軍レギュラーに新入生が勝つなんて、本来絶無の可能性。しかし、そのための鍵がたったいま手に入った。開花もしていない淡い才能だが、確かに『光』が輝き出した。

 

『影』が十全に力を発揮できる舞台が、ようやく揃ったのだ。



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第3Q オレのもんだ

帝光中学バスケ部は全国でも屈指の強豪校であり、三軍まで合わせた部員の総数は百名を超える。その誰もが、退部者が続出するハードな練習を耐え抜いた者達だ。さらに、歴戦の監督による緻密に立てられた練習計画や経験もある。帝光中においては二軍でさえそこらの強豪校と同等以上の実力を有していた。

 

帝光中学バスケ部では毎週水曜日、一軍と二軍のミニゲームが行われる。定期的に必ず戦うそれは、まぎれもなく真剣勝負であった。かつて先輩に聞いた話だが、週に一度、年間で約50試合。相当な数の交流戦が行われるのだ。現在の三年が入学して以来、あるいはそれ以前からかもしれない。しかし、百試合以上のミニゲームにおいて――

 

 

――二軍が勝利した事は、ただの一度も無い。

 

 

 

 

 

 

 

5月。二軍での下克上の翌日である。これから念願の一軍とのミニゲームだ。あれだけの力の差を見せ付けられて、ボク達の二軍代表入りに異論など出るはずも無く。予定通りの展開である。これから一軍の専用体育館へ向かう行列の先頭は、鋭い目付きで闘志を剥き出しにする灰崎君だった。

 

「今日は一軍をぶっ潰すぜ。オマエら、足を引っ張るなよ」

 

昨日の内に入部届けを提出した彼こそが、今回の試合における鍵。勝利できるかどうかは彼に掛かっていると言っても過言ではない。両手をポケットに入れ、威嚇するような獰猛なオーラを放っている。だが、その顔には隠しきれない緊張が見えていた。

 

「安心してください。いまの君なら、一軍相手でも勝負できるはずですよ」

 

「……別にビビッてるわけじゃねーよ」

 

「大丈夫ですよ。ボクが何とかしますから」

 

灰崎君の才能は、まだ開花していない。あの埒外の才能、『相手の技を奪う』という常識外の固有能力を手にするのは1年以上先の話である。ただ、それでも一軍に匹敵する『光』足りうるのは彼しかいない。

 

「なあ、黒子くん。本当にいいのか?いきなり入部したヤツをメンバーに入れるなんて」

 

コソコソと灰崎君に隠れるように、ひとりの新入生が小さく耳元で囁いた。同じく今日の試合に出る仲間である。彼は不安そうな視線をこちらに向けた。

 

「いや、一軍を倒そうってオレらを集めたのも君だし、昨日の試合で勝てたのも君のおかげだから、反対する気はないんだけどさ。でも初対面だし、そんな急造のチームで一軍と戦えるのかなって」

 

「心配いりませんよ。勝つために最適の人選ですから」

 

「……そうか。なら、信じるよ。まあ、相手は中学最強の帝光中一軍。ダメで元々だしな」

 

「違いますよ。勝って当然の消化試合です」

 

何の気負いも無く、当たり前のように返したボクの言葉に、彼は息を飲んだ。まあ、本当は勝率は五分五分だと思っていますけどね。

 

そもそも、全国最強の帝光中レギュラーを相手に、多少の連携の有無なんて何の役にも立たない。新入生との間にはそれほどの実力差があるのだ。だから、正直に言えば、ボクの目的は一軍との試合を行うことそのものにあった。

 

 

通常の試験では測れない、ボクの特異能力を直接監督に見てもらえば一軍に昇格できる。

 

 

「まあ、もちろん勝つに越したことはありませんが」

 

ついにボク達は目的の体育館の前に到着した。先頭の灰崎君が体育館の扉を開く。そこに広がるのは懐かしい景色。

 

「うおおっ!これが一軍専用の体育館かー!」

 

初めて踏み入れる聖域にはしゃぐ新入生達。室内には中学最強を誇る顔ぶれが待ち構えていた。かつて練習した懐かしい景色に、ボクも少し感慨を覚えながら一人ごちた。

 

「すぐに戻りますよ。このコートに」

 

二軍新入生チーム対帝光中一軍レギュラーとの試合が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

今回のミニゲームは2Qの前後半の勝負である。『常勝』という帝光中のスローガン通り、相手も全中に出場したフルメンバーだった。試合開始の笛と共に始まるジャンプボール。こぼれ球を掴んだのは、我ら二軍チームであった。

 

「おっ、そっちが先攻か」

 

余裕そうな表情を崩さない一軍チーム。それもそうだろう。全国の猛者達との激戦を制してきた彼らが新入生に負けるなど欠片も考えていないはずだ。視線を上の観覧席に向けると、そこにはたまにしか見学に来ない白金監督の姿があった。小さく安堵の溜息を吐く。これで一軍に入る条件はクリアされたも同然。

 

「頼みますよ、灰崎君」

 

影を見せるには、まず光が必要だ。灰崎君にパスが渡る。

 

「おらっ!」

 

即座に全力でのカットイン。想定を遥かに超えた速度とキレに、油断していた先輩は軽々と抜き去られる。そのまま灰崎君による先制点が決められた。観戦していた一軍の先輩達がどよめきの声を上げる。

 

「うおおっ!マジかよ!何だよ、アイツは!」

 

「誰だよ、明らかに一軍クラスじゃねーか」

 

今回のミニゲームはこれまでとは違う。そう直感したようだった。しかし、その浮き足立った気持ちはパス回しにわずかな隙を生む。相手のボールでリスタート。しかし、あのワンプレイでは瞬発力を測りきれなかったのか。甘く出されたボールを灰崎君がパスカットして、そのまま単独速攻が決まった。

 

「ハッ!大したことねーな、一軍ってヤツも!」

 

連続での得点に、新入生チームの面々の戦意も際限なく上がっていく。序盤の緊張感はほぐれたようだ。挑発的に笑う灰崎君。だが、あまり油断されても困る。

 

「……灰崎君」

 

「分かってるよ。こっからが本番だってんだろ?」

 

「慢心は無さそうですね。あと2分、お願いします」

 

釘を刺そうと思ったが、意外と冷静なようだ。いや、マッチアップの相手を睨みつける様子からは強い警戒が読み取れる。彼のマッチアップの先輩は誰か、と見回した。

 

「虹村先輩、ですか……」

 

元帝光中のレギュラーであったボクだが、残念ながら現三年生との面識はほとんどない。というのも、一軍に入った頃にはすでに引退していたからだ。例外はこの、一学年上の先輩であり、今年部長になる虹村先輩だけである。

 

「やってくれんじゃねーか、新入生。こっからはマジでいくぜ」

 

明らかに集中力を増した様子で目を細める虹村先輩。その瞳は目の前の生意気な新入生に向けられている。ボールが渡った瞬間に実力を察知したのか、灰崎君の顔にも警戒と緊張が色濃く浮かび上がった。迎え撃つ灰崎君との1on1。

 

――左右に小刻みに幻惑するハーキーステップからの、高速ドライブ

 

「チッ……速えっ!」

 

それに巧い。灰崎君を抜き去り、さらにカバーに来た新入生をもかわして格の違いを見せつける。鮮やかに抜かれた彼は、歯軋りをしながら悔しげに呻いた。さすがは虹村先輩。現時点においては、やはり灰崎君よりも上手か。

 

 

 

 

 

 

 

そこからは一気に流れを持っていかれることになる。闘争心を燃やして虹村先輩に喰らいつく灰崎君だったが、それ以外のメンバーの戦力差はいかんともしがたい。開始から3分で6-11と、ダブルスコアに近い点差を付けられていた。

 

「つ、強すぎる……」

 

「うわっ……またブロックされた!?」

 

頼みの灰崎君も密着マークされ、攻め手に欠ける新入生が勝負するも鎧袖一触で踏み潰される。さらに返す刀で行われる速攻は、先輩達の個人技のみで決められた。あまりにも性能差がありすぎた。仲間達の顔に諦めが見え始める。もう限界か。

 

「おい、テツヤ」

 

「はい、もう十分です。気配は完全に消しました」

 

わずかに焦りを見せる灰崎君に淡々と言葉を返す。光の輝きは十分に示した。あとはその影に隠れるだけ。ちらりと時計を見ると残りは1Qと半分くらい。これなら効果時間も最後まで保つはずだ。

 

 

「ここからはボクの独壇場です」

 

 

相手の死角から忍び寄り、電光石火のスティール。

 

ドリブルは避け、即座にボールを味方に戻した。視界で認識できず、呆然とした表情を見せる先輩を尻目に速攻を仕掛ける。ボクのスティールを予測し、灰崎君はすでに先頭を疾走していた。仲間がボールを片手に持って大きく振りかぶる。

 

「灰崎っ!」

 

「させるかよっ!」

 

パスコースを遮断するように、虹村先輩が瞬時に立ち塞がる。それに反応してボクはボールを持つ仲間に合図を出す。彼がオーバースローで投げたのは、明らかに方向がズレたコースだった。

 

「どこに投げて……。ボールが曲がった!?」

 

それをボクはタップして、別角度からのパスへと切り替える。それは虹村先輩の守備範囲を越えて、二軍のエースの元へと辿り付いた。

 

「ナイスパスだ、テツヤ!」

 

視線誘導(ミスディレクション)によって視界から姿を消した中継に、この場の誰もが驚愕に顔を引き攣らせた。これが影に徹したボクのバスケ。反撃の狼煙が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

二軍チームの攻撃は止まらない。ボクのパス回しによってノーマークで攻められる仲間達は、元々の戦力差を覆す攻撃力を獲得していた。戦局は一変し、凄まじい効率で得点を重ねていく。

 

しかし、あと一歩。最終第2Q、残り2分の段階でいまだ追いつけないでいた。

 

その理由は、一軍レギュラーとの単純な実力差。中学に上がりたての仲間達と全国常連の先輩達の間には埋めがたい差があった。いくらこちらの攻撃力が上がろうが、一対一の個人技でこうも圧倒されてはなかなか点差が縮まらない。そしてそれは、灰崎君も同じだった。

 

「くっそ、またかよ」

 

小刻みな左右のハーキーステップからの高速ドライブ。虹村先輩の技巧的なドリブルに翻弄され、灰崎君が舌打ちする。わずかに体勢の乱れた一瞬に抜き去られた。カバーに来た仲間も一蹴し、単独でゴールを決める。

 

「あんま1年に舐められてらんねーからな」

 

自慢げな虹村先輩の様子に、灰崎君は悔しげに怒りをかみ殺す。プライドの高い彼にとっては相当な屈辱だろう。

 

「オイ!テツヤ、よこせ!」

 

反撃の速攻。怒声を上げる灰崎君にボールを回す。しかし、それは囮。新入生離れした彼の能力値に注目してしまい、他の選手へのチェックが甘くなった。今ならノーマークの仲間にパスを中継できる。

 

リターン、と手を上げて彼に合図を出す。

 

「うっせえ!負けっ放しでいられるかよ!」

 

リターンパスではなく、目の前の虹村先輩との1on1に突入する。ダメだ、頭に血が昇ってる。強引に抜こうとするが、その初動は読まれている。

 

「速いだけで抜けると思うんじゃねえっ!」

 

単純なフェイクからのドライブは百戦錬磨の虹村先輩には通用しない。彼のエゴイスティックなまでの攻撃性は、時として長所にもなるが、この場合は明らかに短所だった。無理に切り返そうと手元が甘くなった瞬間、そのボールを弾き飛ばされる。

 

「な、何で勝てねー……」

 

呆然とした表情で固まる灰崎君。

 

「よっしゃ、速攻!……っておい」

 

ボールを奪取した虹村先輩の速攻を、死角からスティールすることで阻止する。即座にPGに回してこちらの体勢を立て直した。ゆっくりと安全にボールを回して時間を稼ぐ。

 

「マジでどうなってんだよ。要所でこれやられんのは、本気でうっとおしいぜ」

 

「そう上手くは運ばせませんよ」

 

「厄介すぎるぜ。攻略法どころか、原理すら訳わかんねえ」

 

忌々しげに吐き捨てる虹村先輩。その眼には、もはや灰崎君は映っていなかった。格付けは済んだと言わんばかりに、ボクの方だけを警戒している。

 

「このオレを……コケにしやがって」

 

そんな様子に灰崎君の怒りの炎は最大限に燃え上がる。奥歯をギリッと噛み締め、俯きながら闘志を全身に漲らせる。静かに、押し殺すように、内部で屈辱と怒りに打ち震えていた。鬼気迫る集中力を感じる。

 

「ぜってー抜く」

 

強い意志をの込められた視線がこちらに向けられる。ボールを要求する合図だ。今の彼ならば間違いなく一対一を仕掛けるだろう。だが、気持ちだけで抜けるほど、虹村先輩は甘い相手ではない。とても抜けるとは思えない。

 

「どうぞ。好きにやってください」

 

ノータイムで彼にパスを回す。慎重論をあっさりと投げ捨てた。

 

「ちょっ、黒子マジかよ!」

 

「アイツ、1on1にこだわりすぎだろ」

 

焦った様子を見せる仲間達だが、ボクはこの判断を間違いだとは思わない。

 

その理由は二つ。ひとつは、もうボクは試合に負けてもよいと思っていること。新入生の寄せ集めで現レギュラーにここまで迫っているのだ。ボクの一軍入りは確定したも同然だろう。もはや勝敗にこだわりはないのだ。そしてもう一つ。

 

 

――土壇場の『キセキの世代』の追い込み

 

 

極限まで集中力を研ぎ澄ました今の彼からは、得体の知れない凄みが感じられた。開花していないとはいえ、その潜在能力は群を抜いている。かつて高校時代に対戦した『キセキの世代』の常識の枠外の急速進化。それをボクは幾度と無く体感している。そんな埒外の才能に賭けたのだ。

 

「まだヤル気かよ。勝てないって分からないもんかねー」

 

虹村先輩の挑発に、灰崎君は無言で返す。だが瞳には、全てを焼き尽くす殺意にも似た、ギラついた鈍い光を宿していた。それをギリギリで内側に抑え込んでいる。肌を裂くほどに鋭く研ぎ澄まされた緊張感。それを感じ取ったのか虹村先輩も再び警戒を高めていく。

 

静かにドリブルをついた。

 

「見せてくださいよ。『キセキの世代』と呼ばれるはずだった、キミの才能を――」

 

チェンジオブペース。静かな立ち上がりからの激烈な左右への揺さぶり。これまでとは比べ物にならないほどにフェイクが洗練されている。虹村先輩の目が驚愕に見開かれた。左右へのハーキーステップからのドライブ。これはまさか――

 

 

「オレの技じゃねーか!?」

 

 

翻弄され、体勢を崩した虹村先輩を抜き去る灰崎君。置き去りにされた先輩の顔が引き攣った。そして、同様にボクの表情も。

 

 

――これが灰崎祥吾の固有技能『強奪』

 

 

相手の技を奪い取る超越技能。見ただけで全ての技術を自分のモノにするその才能は、まぎれもなく『キセキの世代』の名に相応しい。だがしかし。

 

「こんな入学直後の時期に使えるものじゃありませんよ……」

 

乾いた笑いと共に小さくひとりごちた。本来なら彼の覚醒は中学二年生の時期だったはず。かつての歴史とは異なる、早過ぎる才能の開花。これが何をもたらすかはボクにも分からない。

 

「うおおおおっ!すげえっ!虹村先輩を抜いて決めた!」

 

「しかも、今のって先輩と同じドリブルだったぜ」

 

「もしかして、模倣(コピー)したってのかよ!?」

 

歓声に沸く仲間達。一軍の先輩達も信じがたい光景に息を飲んでいた。観戦している白金監督に目をやると、真剣な表情で灰崎君に視線を向けている。このワンプレイだけで彼の埒外の才能に気付いたようだ。

 

「ま、まだだっ!速攻!」

 

混乱状態から何とか気持ちを立て直した虹村先輩が叫んだ。同時に走り出した先輩の手元にパスが渡る。今のはボクがパスカットできたが、あえて見逃した。なぜなら、彼の前にはすでに灰崎君が立ち塞がっていたからである。

 

「もう、アンタにゃ負ける気がしねーよ」

 

「ナメんじゃねえ!一年坊主が!」

 

本家本元の技巧的なドリブルを試みる虹村先輩。ここで倒せなければ試合を持っていかれると予感したのか。これまで幾度と無く彼を抜き去ってきた、自慢の技を仕掛ける。ハーキーステップからの全速ドライブ。だが、灰崎君の顔には余裕の笑みが張り付いていた。

 

「無理だぜ。もうソイツは――オレのもんだ」

 

「な、上手くいかない……?」

 

「もらったぜ」

 

明らかにハンドリングが出来ていない。ぎこちなく錆び付いたドリブルは隙だらけだった。そのボールを灰崎君はあっさりと弾き落とす。反撃のカウンター。

 

「あいつを止めろ!」

 

カバーに来た相手を奪った虹村先輩の技で突破し、ゴールネットを揺らしたのだった。

 

「やっぱ結構使える技じゃねーか」

 

愉しげな様子で舌なめずりをする。もはや勝敗は決した。

 

彼の固有技能『強奪』は相手の技を『奪う』。わずかに違うリズム・テンポに変えられた技を見せられた相手は、無意識に所有者自身の歯車を狂わせる。模倣するだけでなく、相手の技を使用不能にする。『強奪』と呼ぶに相応しい脅威にして恐怖の能力である。

 

技巧を手に入れた灰崎祥吾に対抗できる選手はこのコートに存在しない。

 

「想像以上でした。やはり凄いですね。灰崎君の底力、才能は」

 

 

 

 

 

――こうして、帝光中学一軍はたった二人の新入生の前に敗れ去ったのだった。



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第4Q 黒子くんっていますか?

ゴールデンウィークも明け、中学生活にも慣れてくる時期だろうか。授業中の教室は緩んだ雰囲気が漂っていた。入学当初の緊張感から開放され、教科書を読むフリをして隣の席の友人と筆談をしたり、眠たげな眼で船を漕いでいる生徒の姿も見える。大多数は真面目に授業を受けているが。

 

「マイナス同士の足し算は、マイナスを付けて数字同士を足す。大丈夫か?よーし、この問題を解いてみよう」

 

懐かしの中学時代の恩師の授業である。しかし黒板の前で話している先生には申し訳ないが、ボクは持ってきた小説を読んでいた。生来の影の薄さと『視線誘導』の技術を惜しげもなく使用し、ときに教科書や文具の影で、ときに机の下でと連日のように小説を読み漁る。正当化するつもりはないが、さすがに分かりきった中学の授業をもう一度受けるのは苦痛だった。

 

「じゃあ次の問題は……」

 

この先生の指名する順番で、次はボクの番か。しかし、わざわざ面倒な発言などするつもりはない。最小限の動作で先生の視線を隣の席へ誘導。目論見どおりに隣の席の女子が指名される。

 

さて、これで安心して読書に励める。この本ももうすぐ読み終わるし、放課後にはまた図書室に行かないと。せっかくだから高校の予習でもしておこうかな。こんな風に、意外と授業中も充実しているボクであった。

 

 

 

 

そして放課後。教室中に響くように女子の声がした。

 

「すみませーん。黒子くんっていますか?」

 

その声に振り向いたクラスの男子の目がそこに釘付けになった。そこにはよく知った顔があった。元帝光中マネージャーの桃井さんである。いや、この時代では元ではないが。

 

記憶にある印象とは違い、この頃の髪型はポニーテイルにしていたようだ。少し幼い様子が過去に来たんだと思い出させる。小さく手を上げて彼女の前で挨拶をした。

 

「あ、ボクです」

 

「え?……ふわあっ!!」

 

急に目の前に現れたボクを見て奇声を上げる。上から下まで視線を動かしたのち、驚いた様子でパクパクと口を動かした。こんな弱そうな選手が、と困惑しているようだ。そういえば、この間の試合のときはいなかったか。

 

「え、えーと。今日から一軍に合流です……よね?第一体育館に案内します」

 

「はい」

 

どうやら図書室に行くのは明日になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

先日の試合で、ボクと灰崎君は一軍への昇格を果たしていた。桃井さんに連れられて、一軍専用の練習場へと向かう。灰崎君はクラスが別なので、別のマネージャーが呼んでくるそうだ。もちろんボクにとっては、案内されるまでもなく知り尽くした場所だけど。道中はひたすら困惑したままの桃井さんに質問攻めにされていたが、すぐに古巣の第一体育館に到着した。その扉は記憶と寸分足りとも変化がない。

 

「じゃあ、ここが一軍専用のコートだよ」

 

桃井さんの声に頷いて、ボクはその扉を開け放つ。その瞬間、ボクの網膜には未来の強敵たちの姿が幻視された。

 

「おっ、来た来た」

 

『DF不可能の点取り屋』と呼ばれ、天衣無縫のスタイルで最強の攻撃力を誇ったPF。青峰大輝は楽しそうに笑う。

 

「ええー。昨日も見たけど、何か弱そう」

 

あまりに恵まれた身体能力(フィジカル)は、ただそれだけで有象無象を踏み潰す。高さと速さと強さを兼ね備えたC、紫原敦は失望を込めてつぶやく。

 

「……これが本当に、帝光中の切り札になるのか?」

 

百発百中という表現すら生ぬるい。フォームを崩されない限り必中の精密機械。完全なる3Pシューター、SGの緑間真太郎は怪訝そうな表情で眼鏡を触る。

 

「やあ、待っていたよ。黒子くん」

 

かつて帝光中の『キセキの世代』を率いた主将。その支配力は味方だけでなく、敵にまで及ぶ。全てを見抜き、見透かし、支配する脅威のPG。赤司征十郎は普段通りの平静な様子で手を上げて挨拶をする。

 

 

「ようこそ。帝光バスケ部一軍へ」

 

 

3年の主将が重々しい様子で口を開く。

 

「そして、肝に銘じろ。今、この瞬間からお前の使命はただひとつ。――勝つことだ」

 

申し訳ないが、その信条には賛成できない。だが、問題はないだろう。結果的にはそうなるのだから。静かにボクは頷いた。

 

「おっし、待ってたぜー。練習始まる前に1on1しよーぜ」

 

色黒の少年がボールを持って楽しそうに駆け寄ってきた。

 

「ええと、青峰君?」

 

「あれ?知ってんのか。オレは青峰大輝だ、よろしくな」

 

「黒子テツヤです。よろしくお願いします」

 

コートに誘われ、ボクは彼からボールを投げ渡される。

 

「昨日の試合見てたぜ。レギュラー相手に勝つなんてすげーじゃん。オレとも勝負してくれよ」

 

期待に目を輝かせるその姿に、ボクは過去の彼を思い出し、ふっと表情が緩んだ。

 

「いいですね。やりましょう」

 

「よっし。そろそろ練習も始まるし、5本先取な」

 

ゆったりとドリブルを開始する。まっすぐに青峰君の瞳を見つめ、この時代では初めての対戦を楽しんだ。もちろん、結果は言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

数分後、ガラリと体育館のドアが開けられた。同じくマネージャーに連れられてきたのは、灰崎君だった。館内に入るやいなや、床にへたり込むボクに声を掛ける。

 

「何してんだ?早くも疲れ切ってるみてーだけど」

 

怪訝そうな面持ちの灰崎君に、無言のままボクは顎でコートを示す。そこには呆れた様子の青峰君が頭をかいていた。

 

「あー。何か弱いものイジメみたいになっちまったな。どうなってんだ。いくらなんでも」

 

「はは、わかったわかった。ってか、何でオマエいっつも1on1勝負受けんだよ。負けんの分かってんのに」

 

納得顔で灰崎君が笑った。

 

「勝ち負けじゃなくて、人間観察したいんですよ。対面して初めて分かることもありますし」

 

「せっかく一軍に来たんだ。仇くらいは取ってやるよ」

 

好戦的な笑みを浮かべて、彼は青峰君の佇むコートへと這入っていった。その不敵なまでの自信は、あの才能のためだろう。

 

「よお、テツヤ程度を倒して良い気になられちゃ困るな。今度はオレと勝負しようぜ」

 

「いや、別に良い気にはなってねーけど。まあいいや。灰崎、だったよな。望むところだ」

 

青峰君の雰囲気から、ボクとの対決で緩んだ気配が消える。次第に集中力が高まっていく。互いに一年同士。将来『キセキの世代』と称される程の逸材同士でもある。今の時期の青峰君では比べ物にならないが、それでも一般のレベルでは十分に才気溢れていた。ボールを保持したまま、目線とボディフェイクで揺さぶりを掛ける。

 

「へえ、やってみな」

 

それに対して余裕を見せる灰崎君。先攻を譲り、ゆったりと腰を落として待ち受ける。その自信の源はその埒外の能力『強奪』を持つがゆえなのか。

 

「青峰が抜いたっ……!?」

 

右と思えば左。ストップと思えばゴー。ボールを大きく動かし、トリッキーに相手を翻弄する。その天衣無縫の軌道はストリート仕込の技術だった。

 

「チッ……やるじゃねーか」

 

悔しげに灰崎君が呻く。動物的なカンと身体能力によって慌てて追いすがろうとするが、崩された体勢では如何ともしがたい。先取点は青峰君のものとなった。

 

「おおっ、青峰が取ったぞ!」

 

観戦している先輩達から声が上がる。どうやら1年同士の対決を楽しんでいるらしい。練習時間前だからか、特に監督も止めるつもりはなさそうだ。雑談をしながら皆がこちらを眺めている。

 

「次はそっちの番だぜ」

 

興奮した様子で青峰君はボールを渡す。それに対して灰崎君は獰猛な笑みを浮かべたままだ。ギラついた瞳で睨みつけ、ぺロリと舌なめずりをする。

 

「いいねえ。その技、欲しいな」

 

余裕の態度で受け取ったボールを指の上で回し、愉しげに笑う。訝しげに眉根を寄せる青峰君だったが、もう警戒しても遅い。すでに彼の前で、自身の『技』を見せてしまった。

 

 

――灰崎君の固有スキル『強奪』はその全てを奪い取る。

 

 

「さあて、虐殺の始まりだぜ?」

 

左右に大きくボールを動かすトリッキーなドリブル。同時に前後にも身体を振り、相手を翻弄する。これは青峰君のドリ――

 

「あれ?」

 

 

彼の手からボールがすっぽ抜けた。

 

 

唖然とした表情で固まる灰崎君。直後、どっと笑い声が起こる。

 

「あははははっ!無理して真似しようとすんなよ!」

 

「そういや、昨日の試合でも虹村の真似してたよな。何だよ、この間のはマグレじゃねえか」

 

お調子者扱いされ、灰崎君の顔が次第に怒りが現れ出した。ブルブルと身体を震わせて、殺気を込めて青峰君を再び睨みつける。

 

「……次はそっちの番だぜ」

 

「お、おい。八つ当たりすんなよ。勝手に真似しようとしたんじゃねーか」

 

「ぶっ潰す」

 

しかし、固有スキル『強奪』を狙いすぎたせいで視野が狭くなり、あっさりと敗北するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ボクの観察したところ、やはり現時点では『キセキの世代』と呼ばれる才能はまだ開花していないようだ。高い身体能力やストリート仕込みの技術はあるが、あくまで常識の範囲内。未来の青峰君が有する埒外の固有技能『型のない(フォームレス)シュート』はおろか、常人の括りを超越した『敏捷性(アジリティ)』ですら、いまだ使いこなせていない。いや、気付いてすらいないようだ。それについては以前の歴史と同じである。

 

だが、灰崎君は違う。先ほどの1on1。一見すると失敗に思えるが、しかし彼は青峰君のドリブル技術を盗んでいた。いたはずだ。でなければ、あの驚いた顔の理由が付かない。

 

『強奪』には二つの工程が必要となる。ひとつは相手の動きを盗む観察眼。そしてもうひとつ。他人の身体の動きをそのまま模倣することは非常に困難である。盗んだ動作を自己流にチューンし直し、最適化すること。それによって、他人の技を奪い取り、使いこなすことが可能となるのだ。おそらく後者がまだ不完全なのだろう。

 

灰崎君の開花はすでに始まっている。

 

 

 

「これでラストだ!全員集合!」

 

そんなことを考えていると、ようやく地獄の練習が終わりを告げた。現実逃避であった。小学生時代に体力だけはつけておいてよかった。そうでなければ、今頃は間違いなく倒れていただろう。筋力や技術が伸びないのは分かっているので、とにかく体力作りに専念していたのだ。おかげで中学1年のボクでも練習にはついていける。もちろん、シュートやドリブルのミスを連発して先輩達に怒られたが。

 

「知っていると思うが、全中の予選まであと2ヶ月を切った。ここからは一層厳しい練習となる。全員、心して取り組むように」

 

主将の号令でコーチの元へ集まり、チームの士気を引き締めるように鋭く言い放つ。

 

「同時にレギュラーもこれから決めることになる。実力があれば1年だろうと試合には出てもらうぞ。これまで以上の奮起を期待する」

 

ざわりと、場の空気が揺れた。上級生は負けられないと、新入生は下克上をと、それぞれ決意を新たにしたのを肌で感じる。

 

「それでは!今日は最後に5対5のミニゲームを行う!」

 

まずはAチーム。コーチに呼ばれたのは、3年の先輩達を主体としたメンバーである。現スタメンの多くがそこに含まれる。

 

「では、次はBチームのメンバーだ」

 

まずは同じくレギュラーの3年生がビブスを渡される。しかし、その後のメンバー構成は明らかにある意図を持っていた。予測不能の期待と不安が混ざった表情で、コーチは言葉を続ける。

 

「赤司征十郎、青峰大輝、灰崎祥吾……」

 

わずかな驚きを顔に浮かべて、コーチは辺りに視線をさまよわせる。そして、一拍を置いて、言い放った。

 

「――黒子テツヤ」

 

はい、と返事をしてビブスを受け取る。得体の知れないものを見るような眼で、間違いなくこれまでの人生で未体験であろう選手を前に、コーチは固い表情で口を開いた。

 

「どうやら、お前の真価は練習では測れないようだ。レギュラーを獲りたければ試合で示せ。どれだけスペックが劣っていようと構わない。帝光は勝利が全てだ。結果を出せば文句などあろうはずもない」

 

「わかりました。何の問題もありません。光が多ければ多いほど、影は色濃くなりますから」

 

ただただ当然といった調子で、何の感情も見せずに淡々と声を返す。気負いも不安もボクの内心には欠片も存在しない。当たり前の結果に落ち着くことを確信しているからだ。記憶の中にある彼らよりも大分幼い様子の仲間達に視線を向ける。

 

ボク自身は見えなくとも、結果は見せてあげますよ。光り輝く鮮烈な、圧倒的な勝利という結果を――



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第5Q これを予見していたんですか

1軍同士の紅白戦。作戦会議のために分かれたベンチで、ボク達は顔を突き合わせていた。相手は現レギュラー陣を多く含む上級生チーム。それに対してこちらは、1年生主体のチームであり、試合経験としては比べるべくもない。

 

「では、作戦会議を始めようか。ええと……では、先輩どうしますか?」

 

赤司君が唯一の先輩に視線を向ける。

 

「いらん気を遣うな、赤司。司令塔はお前だろう?好きにやれよ」

 

そう言って、先輩は軽く肩を竦めて見せる。彼は丁寧に礼を返すと、メンバーの一人ひとりに視線を向け、最後にボクのところで視線を止めた。

 

「先輩と青峰とは、一軍の練習で何度か合わせたことがある。だが黒子君と灰崎君、キミ達は僕らのことを知らないだろう?連携についてはどうすべきか……」

 

あごに手を当てて考え込む赤司君に、ボクは軽く手を上げて提案する。

 

「大丈夫ですよ。ボールが欲しくなったら合図しますから。そうしたらボールをください」

 

「それだけでいいのか?」

 

「ええ。通常の連携プレイでは役に立てませんから」

 

正攻法ではない搦め手。王道ではなく邪道。それがボクの影のスタイルである。下手に連携に組み込まれるくらいならば、むしろ一切無視してもらった方が都合が良い。

 

そうか、と頷いて、彼は灰崎君の方に目をやった。

 

「キミのプレイはこの間の試合で見せてもらったが……。身体能力を生かし、シュートよりもドリブルを好む攻撃的SF。で合ってるかな?」

 

SFには多種多様なスタイルの個性豊かな選手が集まる。最も融通が利くポジションである。アウトサイドからシュートを撃ってもよし。カットインを多用する選手やポストプレイを得意とする選手もいる。点取り屋の多いポジションゆえに、守備に徹するマンマークの職人も存在する。

 

未来の黄瀬君に象徴されるように、オールラウンドな力が求められるのだ。点取り屋と言うと、どうしても青峰君や火神君のいるPFを連想してしまうが、一般的にはこちらである。

 

現在の灰崎君のスタイルはドリブラーに分類される。未来では相手から奪うことにより、3Pシュートからゴール下までこなせるオールラウンダーになるのだが。

 

「断っておくが、ワンマンプレイで暴走するようならパスは回さないぞ」

 

「ん?あー、わかってるって。この間は2軍の連中が雑魚過ぎたからやっただけだよ」

 

「ならいいがな……」

 

軽い調子で返す灰崎君に、小さく溜息を吐く。初見の味方では連携もロクに取れないだろう。それで上級生との対決となれば、司令塔の赤司君としては頭を抱えたい状況のはずだ。しかし、それでもその怜悧な瞳に諦めの色は欠片も映ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

試合開始。ジャンプボールを制したのは、こちらのチームだった。センターの先輩が高さで勝り、赤司君にボールが渡る。

 

「おっ、やるじゃん」

 

「おい、灰崎。誰にタメ口きいてんだよ」

 

「ははっ、すいませーん」

 

そんな話をしながらも、彼らの思考はすでに攻撃にシフトしていた。灰崎君と青峰君が疾風のごとく前線へと到達する。速攻を狙って走り出した二人だが、残念ながら相手の戻りの方が早かった。

 

「チッ……さすがに良い動きするな」

 

速攻の機会を封じられ、青峰君が悔しそうに吐き捨てる。ここでハーフコートでの攻防へと局面が展開した。赤司君がゆったりとボールをつきながら、周囲に視線を巡らせる。攻め方を思案したその一瞬。

 

「もらった!」

 

「……しまっ!」

 

スティールを狙って腕が伸ばされた。とっさにボールを背後に回すことで、相手の魔手から逃れることに成功。だが、現時点ではスタメンの先輩との実力は拮抗しており、赤司君は明らかに警戒を強めた様子だ。低くドリブルをつき、腕を前に構えた守備的な体勢に変わる。とても油断できる相手ではなさそうだ。

 

「赤司!こっちにボールくれよ!」

 

青峰君が声を上げるが、徹底したマークにより、自由にパスを出せない状況にされている。声を掛け合うことで、相手はチーム全体としての意思疎通を図っていた。フリーになるタイミングに合わせて、赤司君への厳しいチェックを行う。仲間と連携することで、赤司君と青峰君との間のパスコースを消しているのだ。さすがは上級生同士のチームワーク。

 

「させねえよ。確かにお前は強いが、相手が悪かったな」

 

「くっ……さすがに隙が無いか」

 

焦燥感を顔に浮かべる赤司君。しかもマッチアップは3年の主将なのだ。必死にボールを奪取されないように堪えるが、もうすぐ5秒のオーバータイムになってしまう。苦し紛れに灰崎君にパスを出す。いや、出すように誘導させられた。

 

不十分な体勢で受け取ったパス。それでは灰崎君といえど一軍レギュラーとの勝負はできない。グイグイとボールを奪いに来る相手に押されるようにして後退させられる。舌打ちと共に赤司君へとボールを返した。

 

互いに声を掛け合い、巧妙にパスコースを消し合う上級生チーム。それに対してこちらは上級生と下級生の混ざった急造チーム。しかも、ボクと灰崎君に至ってはほぼ初対面である。この試合序盤では、とても十分な連携などできるはずもない。というか、戦術の統一すらできていないのだ。おのずとフリーになった選手にボールを回すという単調な戦術を取らざるを得ない。仲間達の顔に焦燥の色が見え始める。

 

だが、そんな試合展開を一変させるのが――

 

 

『幻の六人目』たるボクの仕事である。

 

 

「えっ……?」

 

誰かの声が漏れた。その瞬間には、すでにゴール下の先輩の手に渡っていた。それを視認できたのはどれほどいただろうか。姿を消したボクの中継による新たなパスコースの創造を。赤司君から放られたパスは、途中で鋭角に軌道を変更され、ゴール下へと突き刺さる。

 

「うおおっ!何だよ、今のは!」

 

「赤司のボールが曲がった!?いや、弾いたのか?」

 

周囲からどよめきの声が上がる。1軍で披露したのはこれで2度目だが、それでも驚きは大きいようだ。目の前で人が消えるのを体験した相手チームの先輩達は、特に表情を引き攣らせている。

 

「すっげえ、これが黒子の……」

 

青峰君が目を輝かせてつぶやき、赤司君は驚きに目を見開いて声を失う。前代未聞のスタイル。特に前回の試合に参加していなかった先輩達は落ち着いてなどいられない。相手ボールからのリスタートだが、明らかに集中を欠いていた。

 

「隙だらけですよ」

 

視覚外の死角から忍び寄り、スティール。何の反応もさせずにボールを弾き飛ばす。

 

「なっ……!どっから出てきやがった!?」

 

慌てて振り向くがもう遅い。すぐに奪ったボールを赤司君へと戻す。ボク達の速攻だ。赤司君の元へと即座に敵が集まり始める。同時にボクは視線と手振りで合図を出す。

 

「させるな!早めに止めろ!」

 

司令塔を潰そうと試みる先輩達だったが、それを嘲笑うかのように赤司君は誰もいない方向にロングパスを出す。観戦する誰もがパスミスだと思ったろう。だが、神出鬼没の中継役が突如、その場に姿を現した。

 

「灰崎君、頼みますよ」

 

あさっての方向に放たれたパスの軌道を変更。ノーマークの前線へとボールはコート上を縦断する。そのまま灰崎君による単独速攻が決められた。

 

「おっしゃ!よくやったぜ、テツヤ」

 

「お疲れ様です」

 

満面の笑みで駆け寄ってきた灰崎君とタッチをかわす。中学時代はあまり組むことがなかったが、動きのタイミングもだいぶ分かってきた。現時点で言えば、最も精確に合わせられるのが彼だった。

 

「覚悟しとけよ。こっからは無敵状態だからよ」

 

勝利を確信した表情で、灰崎君は宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

そこからは独壇場だった。

 

赤司君に合図を出し、無数のパスコースを創造する。変幻自在、予測不能の戦術に対抗することなどできやしない。そもそも二軍メンバー相手に敗北した彼らに勝ち目など始めからなかったのだ。

 

「くそっ!今度は青峰かよ!」

 

ボクから中継したパスを受け取った青峰君がレイアップを決める。先ほどから続くパターン。為す術なく開く点差に相手チームの顔が次第に強張っていく。

 

「これ、すげー気持ちいいな。あっさりとノーマークでシュートできるぜ」

 

「おい、テツヤ。オレの方にももっとよこせよ」

 

「ちょっと待てよ、灰崎。オレだってまだまだ決めたいんだよ」

 

睨み合う二人の様子を微笑ましげに見守る周囲の先輩達。だが、相手チームの方はとてもそんな余裕などない。流れを変えようと、3年の主将が大声で激を入れる。

 

「お前ら、気を引き締めろ!ここは絶対に決めるぞ!」

 

「いいえ、止めさせてもらいます」

 

マッチアップする主将に対する密着マーク。堅実な守備を旨とする赤司君には珍しく、距離を詰めた厳しいチェックである。抜かれるリスクは高まるが、反面ボールの奪取や相手の判断ミスを誘う攻撃的な守備意識。だが、賭けの勝敗は主将の方に傾いた。

 

「ナメんな……っておい!?」

 

赤司君を抜き去った瞬間、しかしその顔はギョッと固まった。彼の死角に紛れていたボクの手が、ドライブ後の無防備な手元を払う。

 

「おおおっ!いつの間にあんなとこに隠れてたんだ、アイツは!」

 

抜かれるリスクを考えて、事前にフォローに向かっておいたのが功を奏したか。だけど、今の赤司君のディフェンスはまさか……。

 

「一本、落ち着いていこう」

 

そのまま速攻に持ち込もうとするが、今回は相手の戻りの方が早かった。PGの赤司君にボールが渡り、仲間達に向けて声を出す。そして。対照的に相手は切羽詰った様子で、主将が悲鳴と紛うほどに怒号した。

 

「お前ら、絶対にフリーにするんじゃない!裏だけは取られないように、一瞬も目を離すな!」

 

了解の声が一斉に上がる。まだ何とか絶望せずに堪えているようだ。最後の願いを懸けた全力のマーク。これが中学最強の帝光中の意地か。密着マークにより他のメンバーがなかなかフリーになれない。

 

「好きに動かすな!止めろ!何としても止めろ!」

 

「……チッ、うっとおしすぎんぜ」

 

忌々しげな表情を浮かべる灰崎君。青峰君とCの先輩も同様で、何とかマークを外すも一瞬で敵に追いつかれてしまう。これでは中継も難しい。どうしたものかと思案していると、突然赤司君の顔に愉しげな笑みが浮かんだ。

 

「えっ?ちょっと、赤司君。そこはまだマークが……」

 

 

――赤司君がパスを出した

 

 

視線の先には密着マークされている灰崎君の姿が。そうだ、今の赤司君はまだ才能の開花前。ボクの知る全てを支配する『眼』を持っていないのだ。未熟な部分が出てしまった。ボクはそう考えた。

 

「……いや、違う」

 

反射的にボクは空中を走るボールの前へと飛びついていた。チラリと視界の端に、それが映ったからだ。ボールが目の前を通り過ぎる刹那のうちに気付く。

 

――この瞬間、青峰君がマークを振り切っているということに。

 

「まさか、これを予見していたんですか?」

 

内心の驚愕が口元から漏れ出る。これは偶然なんかではありえない。ボクが中継に動くのを見抜いて、それを前提に絶妙なタイミングを計っていたのか?

 

いや、思い返せば先ほどのディフェンスにおける赤司君の密着マーク。彼らしくない積極性の裏には、ボクがフォローするという予測があったのでは?あえて抜かせることで、ボクが隙を突けるようにと。だとすれば――

 

 

――強制的に働かせるそれは、もはや連携ではなく支配だ。

 

 

赤司君が実際にボクのスタイルを体験したのは今日が初めてのはず。しかも、実際に合わせたのは、この試合中のわずか数回。それでこの常識外のスタイルを理解して、使いこなしたって言うのか?

 

だとすれば、未熟だなんてとんでもない。未知のスタイルに対応しただけでなく、それを戦術に組み込み、支配する。これはすでに中学生の域を超えている。

 

「なっ……一瞬、逃しただけなのに」

 

軌道変更されたパスは、直前に抜け出した青峰君の手元に絶妙なタイミングで収まった。それは芸術的なまでに完璧な流れであった。

 

 

 

得点が決まり、自陣に戻っていく。そのとき、近付いてきた赤司君が涼しげな様子で声を掛けてきた。

 

「助かったよ、黒子君。もう勝敗は決した。あとはキミの好きに動くといい」

 

「ずいぶんと気が早いですね。まだ第1Qですよ」

 

「いいや、もう終わりさ。さっきのキミのスティールの残像が、先輩達の脳裏には焼きついているはずだ。彼らの心は影に覆われている。もはや積極的なドリブル突破などできはしないよ」

 

自明のように語る彼の顔は、どこか冷たく感じた。まるで、かつての覚醒した赤司征十郎のように。一つずつ丁寧に相手の意識や行動を縛るこのやり口。これはまさに高校時代の彼そのものだった。

 

「ほら、ね。選択肢を削ればこんなものさ」

 

主将がドリブル突破を躊躇した一瞬の隙を突いて、今度は赤司君が独力でスティールした。反撃のカウンターが開始される。マークを外さんと試みる仲間達とそれを阻止する敵のハーフコートの攻防。連続得点で相手チームに動揺が走る中、彼は小さく安堵の溜息を吐く。

 

「ようやくか……。やっと隙を見せてくれたね」

 

「しまっ……」

 

「影に囚われすぎましたね。黒子君に気を取られて、通常のパスコースががら空きですよ」

 

マークを外した灰崎君の手元に届いたパスは、さらに2点を追加させたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

第1Q終了のブザーが鳴り響く。

 

互いに一軍メンバーにもかかわらず、ベンチへ戻る姿にはくっきりと明暗が分かれていた。28-10というあまりに大きな得点差。言うまでもなく、1年中心のこちらが圧倒的な優勢である。肩を落としてベンチに腰をおろす相手チームはまるでお通夜を連想させる。勝負は決まった。これ以上はボクの力は必要なさそうだ。

 

「あの、すみません」

 

「……どうした、黒子」

 

先輩達に気を遣って中途半端な盛り上がりの自軍ベンチで、ボクは軽く手を上げた。試合を観戦していたコーチに対してである。異様な結果にその顔を引き攣らせているのがわかる。もう実力は十分に見せられただろう。これ以上、試合をする意味はない。

 

「ちょっと能力の効果が切れそうなので、次の時間からはベンチに戻してもらっていいですか?」

 

「な、何だと?」

 

呆然と目を見開くコーチの答えを待たず、ボクはビブスを脱ぎ始める。

 

 

この日、帝光中学におけるボクのレギュラーの座が確定した。



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第6Q アイツらはこう呼ばれていた

放課後、人気のなくなった3軍用体育館。かつての未来では、居残りで毎日自主練をしていたコートである。この歴史では3軍にいたことはないのだが、慣れとは恐ろしいもの。他に使用者もいないことだし、そこでボクはシュート練習を行っていた。

 

「ってか、あいかわらず適当なフォームだよな」

 

「だよなー。打ちづれーだろ、それ」

 

「……失礼ですね。これでも自分に合わせて、適切に作り上げたものなんですよ」

 

この場にはボクだけではなく、灰崎君と青峰君も練習に来ていた。1軍専用体育館と違い、居残り練習をする人がいないのでがら空きなのだ。まあ、灰崎君の方は携帯ゲームをしているだけだが……。

 

胸の位置にボールを構え、掌で打ち出す独特のフォーム。かつては『幻影の(ファントム)シュート』と恐れられた必殺シュートだ。しかし、打ち出したボールは、音を立ててリングに弾き出される。

 

「……やっぱり、精度はなかなか上がりませんね」

 

リングから外れたボールの軌跡を見送りながら、ボクは小さくつぶやいた。

 

「それ、練習じゃ使わないよな。何でだよ?」

 

「これは他人に見せる技じゃありませんから。言ってみれば奥の手、切り札ですよ」

 

怪訝そうに問う青峰君に答える。

 

未来での、あの悪夢のような経験のせいだ。いまだに忘れられない。今のボクは神経質なまでに目立つことを忌避させられており、そして、それは結果的に影の薄さをさらに強める働きとなっていた。

 

「じゃあ、今回の背番号もそれかよ?もったいないよなー。テツヤならエースナンバーだってもらえるのに」

 

「冗談じゃありませんよ。考えただけでもゾッとします」

 

「へえ、まったく分かんねーけど、そんなもんか」

 

ただでさえコートに足を踏み入れた瞬間は注目されるというのに、そんな目立つ番号なんて。かつての洛山高校との対戦時の悪夢を思い出す。あの試合における数多くの絶望のひとつが、自身の影の薄さを喪失するというものだった。ブルリと身震いする。

 

「背番号18、そのくらいがお似合いですよ」

 

事前に直談判しておいた甲斐があった。やはり白金監督は有能だ。乱用すると効果が薄くなる。試合での起用は最小限に。前代未聞のボクのスタイルの弱点に理解を示してくれたのだから。

 

「ま、いっか。それより自分の心配した方がいいよな。灰崎、1on1やろーぜ」

 

「何でだよ、めんどくせー」

 

「いいだろ。オマエ、いつまでゲームやってんだよ。よく飽きねーな」

 

携帯ゲームから目を放さずに答える灰崎君に、呆れた顔を見せる。溜息を吐いて、青峰君は手に持ったボールを彼目掛けて放り投げた。それを慌てて避ける。

 

「うおっ!危ねえだろーが、せっかくノーミスでここまで来たってのに!」

 

「オレもずっと個人練ばっかじゃ退屈なんだよ」

 

「チッ……そういや、初めて勝負したときの借り。返してなかったよな」

 

ゲームの電源を切ると、獰猛な目付きで灰崎君がコートに足を踏み入れる。ダルそうな様子はなりを潜め、次第に彼の意識に集中力が研ぎ澄まされていく。楽しそうな表情で青峰君はボールを投げ渡す。1軍昇格初日に戦ったとき以来だろうか。再びの1on1。

 

「言っとくが、今のオレはあの時とはモノが違うぜ」

 

「だったら見せてみろよ」

 

ゆったりとしたドリブルから始まり、次第にテンポが上がっていく。灰崎君の全身が脈動した。激烈な左右への揺さぶり。予想外に洗練されたフェイクに青峰君の顔が凍りつく。それはボクも同じ気持ちだった。驚愕の現実に思わず息が漏れる。

 

まさか、普段の状態で使えるようになったのか?かつて、極限の集中によって修得したあのドライブを。アレ以来、使用不可能とされていた脅威の才能を。

 

 

――小刻みな左右へのハーキーステップからの、高速ドライブ

 

 

「マジか……!これは虹村先輩のっ……!?」

 

「おらよっ!」

 

気合一閃。裂帛の掛け声と共に灰崎君が脇を走り抜け、ゴールが決まる。一瞬の出来事だった。シュートを終えた彼が、自慢げに口元を歪めて振り返る。

 

「どうだよ、オイ。決めてやったぜ」

 

「ハハッ、いいな。本当に虹村先輩の技を使えたのかよ」

 

驚いた様子で目を見開く。だが、やられたままで黙っている青峰君ではない。同じく彼も口元に笑みを浮かべた。

 

「今度はオレの番だ」

 

ボールを左右に大きく振るトリッキーな動き。ストリート仕込の、1on1に特化したドリブル技術に翻弄され、思わず灰崎君は舌打ちする。上体が泳いだ一瞬、青峰君の姿は消えていた。ネットを揺らす音が耳に届く。

 

――早い

 

彼の所有する才能のひとつ、『敏捷性(アジリティ)』。人間の限界に迫るその反応速度は、恐ろしいまでの緩急を生み出すことを可能にする。そう、灰崎君を抜いた今のドライブのキレのように……。

 

未来のものには程遠い速度だし、本人は意識できていないだろう。開花とはいえない程度の才能の発露。だが、その片鱗をたった今、垣間見た。明らかにボクの知る未来よりも早い。

 

「よっしゃ!次はオマエの番だぜ」

 

「上等だ」

 

再び繰り出したのは、虹村先輩の得意とするドリブル技術だった。間違いない。灰崎君の、完全なる才能の開花は近い。

 

 

 

 

 

 

 

「それで結局、どっちが勝ったの?」

 

夕陽も沈み、薄暗くなった帰り道。桃井さんが二人に問い掛けた。禁断の言葉に灰崎君の顔が怒りに歪む。誇らしげに青峰君が答えた。

 

「ああ、オレだよ。いくら凄いドリブルでも、さすがに同じ技をあんだけ続けて使ってりゃな」

 

「うっせえな。好きでアイツの技ばっか使ってるわけじゃねーんだよ」

 

視線を向ける桃井さんからそっぽを向くようにして、つまらなそうに言い捨てる。ああそうかと、ボクは得心した。青峰君の技を奪えなかったのもそのせいか。

 

「……通常時には、新たに技を真似ることはできないんですね?」

 

「通常時ってなんだよ。いや、まあそうだよ。あの時の試合だけは、何かやけに頭が冴えてたっつーか」

 

当時の感覚を反芻したのか、自分でも困惑した様子で彼は口を開く。現時点での灰崎君が技を奪うには、やはり驚異的な集中力が必要なのだろう。強敵との対決で才能を開放していった高校時代の『キセキの世代』の皆のように。

 

「あの時の感じを思い出して、どうにかアイツの技だけは使えるようになったんだよ。チッ……次はぶっ倒すからな」

 

「受けて立つぜ。また明日も勝負な」

 

一度覚えた技だけとはいえ、それだけでも十分すぎる。並外れた身体能力にあのドリブルが加われば、まさに鬼に金棒。本家本元を超える、中学バスケ界でも屈指のドリブラーであろう。青峰君にはドリブルのパターンやクセを見抜かれてしまったが、普通は分かっていても止められないレベルだ。もうすぐ開催される『全中』でも対抗できる相手などそういないはず。

 

「明日は無理じゃない?だって、灰崎君って確か2軍の同伴で練習試合に行っちゃうし」

 

「ああ、そっか。で、オレらはオレらで別の学校と練習試合だよな」

 

桃井さんの言葉に青峰君が思い出したかのように手を叩いて答えた。明日のことなのに忘れていたんですか……

 

「ったく、面倒くせーな。何で休みだってのにわざわざバスで他の県まで行かないとなんねーんだよ」

 

「はは、残念だよね。1軍の試合だったら向こうの方から来てくれるんだけど……」

 

「しかも、相手はそんな有名じゃないとこだったよな?こっちは全国常連校が相手だぜ。悪いな、強い方をもらっちまって」

 

嫌そうな表情を隠そうともしない灰崎君と対照的に、嬉しそうに笑う青峰君。しかも、3校合同の練習試合のせいで2軍チームの帰りは夕方になるそうだ。早朝からの移動だし、正直ボクじゃなくてよかった。

 

「他に同伴は誰だっけ?」

 

「あとはたしか……緑間君と副主将だったと思います」

 

「ただでさえ面倒だってのに、それだよ。アイツ、合わねーんだよな。クソ真面目すぎて」

 

明日の苦労が思われるな、と緑間君に同情する。試合結果については全く心配していないが、性格的にこの人選は無しだろう。副主将も同伴だし、全中の直前の今の時期にあえてなのかもしれないが。

 

「まったく仲良くしなきゃダメだよ。せっかくチームメイトなんだし。私とテツ君みたいにね!」

 

「……そうですね」

 

ボクの腕に組み付きながら桃井さんがこちらを向いた。どうも、1軍で活躍する姿を見て気に入られたらしい。人目が少ないとはいえ、公衆の面前での行為だが、桃井さんの行動には慣れている。ただし、青峰君と灰崎君は形容しがたい表情でこちらを見ているは気になるが。

 

「じゃあな。オレは帰りゲーセン寄ってくから」

 

「おう、またな」

 

「じゃーね!明日はサボっちゃダメだよ!」

 

ゲームセンターの前で、いつものようにボク達は別れた。かつての未来では想像もできない光景に、自然とボクの口元が綻んだ。

 

 

 

 

 

 

 

翌日の練習試合。今回の1軍の相手は全国常連校であり、さすがに苦戦するであろうというのがおおかたの予想だった。結果は――

 

「テツが出るまでもなかったな」

 

 

104-85の圧勝だった。

 

 

数字ほどにチームの実力差はなかった。本来ならそこそこ拮抗した試合ができたかもしれない。しかし、ボクがスタメンから出てしまったせいで、第1Qにダブルスコアがついてしまい、相手の戦意を一気に削いでしまったのだ。

 

「万全で挑んだのが仇になりましたね。ボクが出なければ、もう少し良い経験が積めたでしょうに」

 

「メチャクチャ余裕の台詞だな、テツ。たしかに物足りなかったけどよ」

 

呆れた風に笑う青峰君だった。我ながら相手を見下した言い方になってしまったが、客観的な事実である。ボクが出れば勝ってしまうというのは、他の皆のためにはならない。むしろ、2軍での試合の方が緊張感という点では良い経験になるんじゃないだろうか。

 

「そういえば、そろそろアイツらも帰ってくるころじゃねーか?」

 

「……噂をすれば、ですね。灰崎君たちが戻って来たようですよ」

 

体育館の扉が開かれ、他県での練習試合を終えた2軍が入ってきた。3校合同の練習試合の帰りである。すぐに先頭の灰崎君と緑間君、それと副主将の姿を視界に捉えた。

 

「ずいぶん疲れた顔してるな。灰崎と緑間が問題でも起こしたか?」

 

「それはない、と言い切れないのが残念ですね。副主将も大変だったんじゃないですかね」

 

からかってやろうと青峰君が2人の元へ駆け寄る。内心で小さく笑いながら、それに続いた。しかし、彼らの口からもたらされたのは、思いもかけない言葉だった。

 

 

――帝光中学が2連敗した。

 

 

「え?んなバカなこと……」

 

青峰君の顔が硬直した。そして、それはボクも同じだった。

 

「両方ともただ1人のエースに完封されたんだ。灰崎も緑間も、何もさせてもらえなかった。それどころか、それぞれのチームの、大半の得点を一人で決めてやがる」

 

「……信じられません。灰崎君と緑間君を相手に……?」

 

「アイツらはこう呼ばれていた」

 

副主将が悔しげに唇を噛み締める。強く自分の拳を握り締めながら、血を吐くようにその言葉を口にした。ボクのよく知る名前を――

 

 

 

――『雷獣』葉山小太郎

――『夜叉』実渕玲央



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第7Q させないよ

無数の天井のライトが照らす中、広大な体育館の内のひとつのコート。そこに観客達の視線が集中している。地区予選のまばらな客席だが、唯一そのコートの注目度だけは段違いだった。

 

「灰崎君」

 

「おっしゃ!ナイスパス、テツヤ!」

 

赤司君からのパスを軌道変更。密集地帯への本来ならありえないコースでボールが突き進む。相手はもちろん、試合を観戦している観客達ですら何が起こったのか分からないだろう。いつの間にかボールの渡っていた灰崎君がシュートを決めた後、一拍遅れて驚愕のマグマが会場中から噴き上がる。

 

「うおおおおおお!すげええええ!」

 

「いつの間にかボールが届いて決まってる!?」

 

「おい、いま何がどうなったんだ?」

 

「わかんねえ、見逃した!」

 

「何か知らんがすげえこと起きてるぞ!」

 

これがボクの、公式戦初披露の影のスタイル。困惑と戦慄の混ざったどよめきに、灰崎君は得意気な様子だ。アシストをしたボクとハイタッチを交わしながら口を開く。

 

「さっすがじゃねーか。大騒ぎだぜ」

 

「あまり注目されたくないんですが……」

 

「そりゃ無理ってもんだろ。こんな訳わかんねーバスケ、見たことないだろーし」

 

呆れた風に溜息を吐く。すぐに相手の攻撃ターンに入るが、それは視界外からのボクのスティールで止められる。帝光中のカウンター。先輩に渡ったボールは、前線を走る灰崎君の元へ。

 

「させるかっ……ま、曲がった!?」

 

間一髪でカットに入る選手の顔が驚愕に固まる。直前でボクがその軌道を変えたからだ。反転して進むボールの先には3Pラインギリギリに佇む緑間君の姿がある。

 

「申し分ないな。ナイスパスだ」

 

じっくりと狙いをつけて放たれた3Pシュートは、リングにかすりもせずに決まる。パサリとネットを揺らす音が耳に届いた。

 

「すっげ。相変わらず全然外さねーな」

 

口笛を鳴らしながら灰崎君が小さく感嘆の声を上げる。相手の心を折るダメ押しの一撃。ボクも安堵の溜息を吐いた。聞こえないよう小声でつぶやく。

 

「……どうやら二人とも、敗戦のショックは引きずっていないようですね」

 

あの日の、帝光中の連敗という戦慄の出来事からは立ち直ったようだ。むしろ、敗北を糧に練習を重ねることで、以前よりも凄みが増したようにすら思える。

 

帝光中学の『全中』初戦――のちに『キセキの世代』と呼ばれる彼らの伝説は、ここから始まった。

 

 

 

 

 

それから数週間。ボク達、帝光中学は全中予選を破竹の勢いで勝ち進む。苦戦すらすることはない。そんな余裕のまま予選最終日、準決勝を先ほど終えて観客席で昼食を取っていた。

 

「にしても、地区予選とか面倒くせーよな。相手弱すぎるし」

 

「そんなことを言っていると、足元をすくわれますよ」

 

コンビニの弁当を口に運びならが、灰崎君がだるそうにぼやく。しかしそれも仕方ないことだろう。それほどまでに帝光中学の戦力は他を圧倒していた。

 

灰崎君を筆頭とした、歴史よりもわずかに強力な、のちに『キセキの世代』と呼ばれる1年生。ローテーションで試合に出る全国最強の先輩方。そして何より――

 

 

――出場すれば確実に試合を終わらせる『幻の六人目』黒子テツヤ

 

 

負ける要素など存在しない。

 

そのせいで、予選から勝ちあがるにつれて、ボクの出番はむしろ減ってしまうほどだった。スタメンではなく交代要員として、というボクの意向が通った形だが、ここまで出番が必要ないというのは正直退屈である。

 

土日で4試合。1日2試合のダブルヘッダーで、午後からの決勝戦で全国出場が決まる。ハードな日程のはずなのだが、ボクの試合時間は10分もなかった。しかも、全てが優勢なときのダメ押しとしての投入である。スリルも緊張感もない、何の興奮もしない使われ方だ。

 

「決勝では、もう少し楽しめるといいんですが……」

 

ペットボトルのお茶をしまいながら、小さく溜息を吐いた。目ざとくそれを発見した灰崎君が笑う。

 

「オマエだってダルイと思ってんじゃねーか」

 

「……さすがに一方的すぎるので」

 

未来の青峰君の気持ちを、少しだけ実感した。勝利が確定した戦いに、喜びを見出せない。率直に言えばボクは飽きていた。ならば、やはり求めるべきは結果でなく、その過程。別の目的を持って試合に臨まなくては、この中学生活は無為なものとなってしまうだろう。

 

「テツくーん!次の対戦相手のデータとってきたよ!」

 

「桃井さん、早いですね。ありがとうございます」

 

「ふふーん。がんばったでしょ」

 

満面の笑顔で桃井さんが隣の席に腰をおろした。その手には真新しいノートがつかまれている。ボクの目の前で開かれたそれを、灰崎君が覗き込む。

 

「うあっ!見てるだけで頭こんがらがってくるぜ」

 

「えー!結構、整理して書いたのに!」

 

「灰崎君が例外なだけですよ。すごくよくまとまってます。ありがとうございました」

 

青峰君以上に勉強嫌いの彼は苦い顔でそっぽを向いてしまった。不安げに桃井さんがこちらを窺う。パラリとページをめくる。チームの全体像から、各選手の情報まで詳しく記載されており、見事な出来栄えだった。

 

「……先輩もスカウティングしてるから、たぶんそっちの方が分かりやすいかも。私も初めてやったし」

 

「いえ、そんなことありません。非常に良く調べてありますよ。それに、――桃井さんが調べてくれたということが一番大事ですから」

 

両手を合わせて、瞳を潤ませる桃井さん。確かに高校時代ほどの精度はまだない。相手選手の成長すら想定して作戦を立てる『未来予測』。その域には達していないが、その片鱗は窺える。中1の段階からスカウティングを始めれば、さらに将来の『未来予測』の精度は高まるだろう。

 

「まあ、将来は敵に回ってしまうんでしょうけど……」

 

誰にともなくつぶやく。これも味方のサポートに特化した故の性質か。ひとつの影として、ひとりの凡人として、輝ける才能を隠しておくことなどできない。たとえ、高校で強敵として立ち塞がることになろうとも。

 

 

 

 

 

 

「この決勝。スタメンは1年で行く。メンバーはいつものローテーションだ」

 

試合前のベンチで白金監督はそう宣言した。監督を中心に扇形に集まり、その言葉に返答の声を上げる。

 

「赤司、青峰、灰崎、紫原、緑間。この5人だ。状況によって黒子を入れていく」

 

全中予選ではずっとこの布陣である。1年生チームと上級生チームを、前後半のローテーションで使っていくという戦術。昨年の優勝メンバーと、来年以降を担う1年生メンバーで組み分けたものだ。だから、メンバー自体には特に異論はない。ただ――

 

「作戦は普段通りのマンツーマンだ。状況に合わせて赤司が組み立てを行え」

 

自身の意志を込めて、監督に視線を向ける。それに気付いただろう監督だったが、あえてそれを無視。その反応から、このオーダーの意図を悟る。

 

――監督、意外と大胆なこと考えますね

 

内心で感嘆の声を上げる。なにせ、ボクも同じことを考えていたのだ。しかし、勝利を何よりも優先すべき監督が、おそらく相当なプレッシャーだろう、それでもこんな策を打つことに驚いた。

 

「よっし、じゃあサクッと潰してきますか」

 

「今日も出番はねーぜ、テツ」

 

灰崎君と青峰君は笑いながらコートへと向かっていった。しかし、その表情はすぐに曇ることになる。それをボクは予感していた。

 

試合開始のブザーが鳴った。

 

 

 

 

 

第2Qも前半が終わり、帝光中は劣勢を強いられていた。会場中にざわめきが漏れ出す。

 

「おいおい、これ。帝光ヤバクねーか?」

 

「つーか、何か動き悪いよな」

 

観客にも分かるほどに、彼らの動きは精彩を欠いていた。理由は明らか。

 

 

――体力不足

 

 

いかに技術や素質に恵まれていようとも、あくまで彼らは中学1年生。年齢的な上級生との体力差はどうにもならない。

 

「あり?……やっべ、外した」

 

青峰君のシュートがリングに弾かれる。スタミナの不足は、一つひとつのプレイの精度や思考までも低下させる。それは青峰君も例外ではない。

 

「ふむ……やはり課題は体力面か」

 

ベンチで監督が小さくつぶやいた。その声色は平静そのもので、この状況に戸惑った様子は無い。

 

「監督も、やっぱりこうなると分かっていたんですね」

 

そうだ、と監督は頷いた。まったく、人が悪い。劣勢に陥る経験を積ませるために試合に出すなんて。桃井さんのデータを見たボクには予想がついていた。相手チームはこの土日の3連戦、ロースコアで勝利していた。時間を目一杯に使った体力消費を抑えた結果だった。

 

 

この最も疲れの溜まる決勝に照準を合わせた、――乾坤一擲の奇策。

 

 

それを感じ取った。

 

「これまでとは打って変わって、ラン&ガンでのハイスコアの点の取り合い。前線からの強烈なプレスと速攻の応酬。攻守を目まぐるしく変えるスピード競争。それらの目的は、体力勝負に持ち込むためでしょう」

 

技術や才能では相手にならない。総合力においても同様だろう。彼らにとって唯一の勝機はスタミナにモノを言わせた体力勝負。

 

「残念ながら、相手の奇策に乗ってしまいましたね。ラン&ガンの走り合いの土俵に。赤司君といえども、初参加の全中での疲労度は読めなかったようですね」

 

「本人達の気付かぬうちに疲れが溜まることもある。2日間の連戦の疲労、帝光中の勝って当然という精神的重圧。それらを経験させるのは予選の今しかなかった」

 

「余裕ですね。予選の今なら勝てると言うんですか?」

 

「違うかな?」

 

問い返す監督の言葉に、ボクは一瞬だけ呆気に取られて、すぐに薄く笑みを浮かべた。

 

「もちろんですよ。ボクを出してください」

 

監督も余裕に満ちた表情で頷いた。

 

「ただし、このQは好きにやらせてもらいます。せっかくの劣勢なんですから。相手チームには彼の糧になってもらいます」

 

訝しげなに視線で問う監督。それに答えるように、ボクはコート内に顔を向けた。

 

「赤司!こっちだ!」

 

灰崎君の手元にボールが渡る。好戦的にギラついた瞳でドリブル突破を目論んだ。彼につくマークマンは小柄な少年。桃井さんのデータでは、灰崎君と同じく1年生である。ルーキー同士の対決。

 

――小刻みに左右に揺れるハーキーステップからのドライブ

 

自身の使える最優の、虹村先輩の技で突っ込んだ。しかし――

 

「チッ……抜けねー」

 

俊敏なDFで揺さぶりについてきた。攻めあぐねる。虹村先輩をも抜いた、彼の最強ドライブが通用しない。その事実に灰崎君の顔色が変わった。

 

この状況の理由はふたつ。

 

最も大きな理由は、心身の疲労。明らかに今の灰崎君の動きは本調子ではない。抜群の身体能力も、虹村先輩の技巧も、どちらも切れ味が鈍っていた。普段の彼ならば、あっさりと抜ききれただろう。

 

そしてもうひとつ。

 

「ハハッ、させないよ」

 

マンマークの相手を封殺した歓喜に、相手の顔に笑みが浮かぶ。ボクは彼を知っている。懐かしい顔だ。古武術をバスケに応用した独特の身体操作。彼が体調万全で立ち塞がっていた。この時代からあのスタイルを使えたのか。

 

 

「ひさしぶりですね。津川くん」

 

 

のちに『キセキの世代』黄瀬涼太すら封殺するマンマークの専門家。津川智紀に向けて、内心で挨拶の言葉をつぶやいた。



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第8Q タネさえ分かればこっちのもんだ

この試合は楽勝だと、オレは思った。

 

『全中』決勝の相手は聞いたことのない中学だった。セットプレイを多用したロースコアゲームを得意とするチームらしい。興味も無かったが、昼飯のときにテツヤの横で桃井が話していたせいで覚えていた。

 

しかし、過去のデータとは信用ならないもんだ。相手チームが予想を覆す作戦変更。選択したのは、まさかの帝光の得意とするラン&ガン。攻撃的なハイスコアゲームだったんだからな。正直、マジで馬鹿だと思った。玉砕覚悟だと。事実、序盤からオレ達がリードを奪い、チームの総合力も明らかにこちらが上だった。

 

オレのマッチアップの坊主も、地区予選ではトップクラスの実力者のようだが、全力のドリブルで抜けないとは思えない。普段は偉そうにしてやがる虹村だが、その技は相当使えるのだ。こと1on1においては絶対の自信を持っていた。だというのに――

 

「何なんだよ、こりゃ……」

 

それが蓋を開けてみれば、第2Qも半ばに入って――帝光の5点ビハインド。

オレ達がまさかの劣勢に陥っていた。

 

「くっそ。オイ、赤司!」

 

前線へと走るオレの合図に、赤司からのボールが投げられる。カウンターの速攻。敵陣にはギリギリで戻った坊主頭がひとりいるだけ。1on1の勝負。

 

――左右に小刻みに幻惑するハーキーステップ。

 

速度を落とさずに全力の技巧的なフェイクを行う。スピード+テクニック。虹村の野郎から奪ったこの技は、絶対だ。

 

「うっお、やっぱスゲー」

 

坊主の身体が泳ぐ。その隙を狙って、方向転換の切り返しで抜き去る――はずだった。

 

「えっ……?」

 

マジかよ……。オレの足がもつれ、コートに崩れ落ちる。上体から床に叩きつけられた。バタリと体育館中に音が響く。無様にコケたオレの手から零れ落ちたボールは、そのまま坊主に奪われてカウンターが決められた。

 

通常では考えられない事態。この時点でようやくオレも悟る。この試合で負けそうになっている原因に。

 

「……やられたな。どうやら罠に嵌められていたらしい」

 

頭に手を当てて赤司が固い表情でつぶやいた。アイツも気付いたらしい。そして、ベンチも……。

 

選手交代のブザーが鳴った。敗戦のピンチに交代で出されるのは、もちろん試合の流れを変える、試合を終わらせる切り札しかありえない。緑間と入れ替わりで小柄な少年が表舞台に現れる。

 

「あれ?何か地味なの出てきたな。大丈夫か、帝光は?」

 

「何かあんま強くなさそう。ってかアレ?どこいった?」

 

「おい馬鹿、知らねえのかよ。アイツは……」

 

観客達からは困惑と少しの期待の声が聞こえてくる。決勝だけを見に来た連中には分からないだろう。だけど、アイツこそが帝光中の切り札。

 

 

――どこかで誰かが『幻の六人目』とつぶやいた。

 

 

「メンバーチェンジ、帝光18番」

 

黒子テツヤ。帝光中で最も弱く、最も薄く、最も脅威の男がコート上に足を踏み入れた。

 

「さあ、逆転しましょうか」

 

初めての全中予選決勝の大舞台で、テツヤは普段通りの平静そのものといった様子だ。あの冷静沈着な赤司でさえ、普段よりも口数が少なくなってるってのに。こいつに重圧(プレッシャー)ってもんはねーのかよ。

 

「……なさそうだな、コイツには」

 

メンバーの誰もがホッと安堵の溜息を吐いた。同時に勝利を確信した。全国最強の帝光中レギュラーを、2軍のチームで下したという比類なき実績。凡百のプレイヤーとはまるで別物。そんな前代未聞、前人未到の極地に立つのがこの男なのだ。帝光中ではあの試合は伝説として語り継がれていくだろう。もちろんオレもいた訳だが、テツヤの貢献は群を抜いていた。それほどにコイツへの信頼感、期待感はでかい。

 

「灰崎君、頼みますよ」

 

「おう、任せとけ。って言いたいが、悪いけど体力が限界だわ」

 

ぜいぜいと乱れた呼吸を直しながら、オレは肩を竦めて見せた。一度意識してしまったら、もう身体の重さは尋常ではない。正直、もうベンチに戻りたいくらいの疲労度だった。

 

試合再開。赤司のパスが途中で軌道変更される。

 

「って、いきなりオレかよ!?しかもマーク外れてねーぞ!」

 

何でオレに渡すんだよ……。

 

荒い息のまま、仕方なくドリブル突破を仕掛けていく。だが、明らかに動きが鈍い。自分でも分かるほどに歴然だ。刃の錆び付いたドライブ。そんなナマクラが通用する相手ではない。坊主頭にあっさりとスティールされる。

 

「チッ……ムカつくが、今のオレの体力じゃ無理かよ」

 

「ハハッ、ずいぶん疲れてるみたいだね」

 

馴れ馴れしく話しかけてきやがった。しかも嬉しそうに笑みまで浮かべてやがる。神経を逆なでする野郎だぜ。思わずイラッとくるが、それを無視して自陣へと戻る。この坊主、必ずぶっとばしてやる。拳をキツク握り締めた。

 

相手の攻撃でさらに点数を奪われ、再び帝光のターン。全員の体力消費を抑えるため、赤司は時間を掛けた遅攻を選択する。オーバータイムぎりぎりまで攻めるのはストップ。呼吸を整えるようにゆったりとパスを回す。赤司からオレにボールが渡る。

 

「あれ、来ないの?怖気づいちゃった?」

 

「うっせえ、クソ坊主が」

 

我慢我慢。今の状態で突っかかっても勝てる見込みはない。挑発を受け流し、赤司にボールを返す。そこからテツヤへと続く。だが、あろうことかアイツはそれを弾き返して軌道を変更する。

 

「オイ、何でまたこっちに……!?」

 

またしてもオレにパスをよこしてきやがった。裏を取っていない、通常のポジションに立っているオレに。だから、全然フリーになってないだろーが!

 

「何考えてんだ。仕掛けろってのかよ、こんな状態で……」

 

「おっそいよ」

 

気付いたらオレの手からボールが弾き飛ばされていた。

 

早え……!? 全く反応できなかった。動き始めがわかんねー。疲れたせいだけじゃねーぞ。コイツ、何かやってやがるな。

 

「待てや、コラ!」

 

怒りを込めて叫ぶ。坊主によるカウンターの単独速攻。全力で追いつき、対面に立ち塞がる。最高速度はやっぱオレの方が断然上みてーだな。ふと、テツヤの言葉が思い返される。そりゃそうか。コイツ、まだ同じ1年だったよな。そこらのやつに身体能力で負けるはずないよな。そこで脳裏に浮かび上がる疑問。

 

何でこんな体力があるんだ?

 

試合開始時から違和感はあった。何となく普通とは違う動き。独特な身体操作をしていたような気がする。だとすれば、それがコイツのスタイルの肝か?

 

……集中力を最大に高めて観察に専念してみるか。相手の一挙手一投足を脳内にインプットしてやる。次第に周囲から雑音が消えていく。全身の神経を相手の観察のみに集中。脳内をフル回転させ、その動作の意味を解析する。洞察の結果、導き出された結論は――

 

 

――動作のタメや捻りのない、力感を極限まで消したドライブ

 

 

まるで始動が見えない。事前動作を消してあるのか?見たことない動きだ。筋肉の動きを省いているのか?オレの知る身体の使い方じゃない。重力を利用することで、力を溜める動作をなくしている。

 

「おっしゃ、悪いね」

 

予備動作なしのドライブは、こちらの反応を遅らせる。気付いたときにはすでに相手は準備万端の状態でスタートを切っていた。最高速度ではなく、始動速度を早めることで最速のドライブを体現している。

 

 

――筋力ではなく、重力を利用したドライブ

 

 

これが坊主の早さの仕組みだったのか。直後、オレを抜いてのレイアップを決められた。自慢げにこちらを振り向いた坊主だが、その顔はオレの傲岸不遜な笑みによって怪訝なものに変わる。

 

「……見えたぜ。テメーの秘密」

 

続いて帝光の攻撃ターン。赤司は体力回復のため、時間を掛けてボールを運ぼうとするが――

 

「うおっ!やっぱテメエも叩き潰せってか」

 

赤司のゲームメイクを無視して、ボールをこちらに飛ばしてくるテツヤ。今ならその意図を理解できる。執拗にオレに1on1をさせ続けた意図を。こういうことだろ?

 

――この特殊技法を奪えと

 

速攻で敵陣へと走りぬけるオレの横を走るのは、これまで煮え湯を飲まされた坊主。横目でその身体操作を観察する。右手と右脚を、左手と左脚を同時に動かす奇妙な走法。最高速度こそ劣るものの、身体の捻りを無くすことで、体力消費を大幅に抑えている。

 

「なるほどな。体力勝負を仕掛けられるはずだぜ」

 

同じ距離を走っても、筋肉を酷使するのと、無駄な動作を省いているのとじゃ雲泥の差だ。ロースコアで抑えた昨日からのゲーム展開に加えて、この独自の省エネ身体操作法。これがテメエの秘密かよ。

 

「だが、タネさえ分かればこっちのもんだ。さっきからそのニヤケ顔にはムカついてたんだよ」

 

走りながら、さっきの独特の身体操作法を瞬時に思い起こす。これまでの坊主の動きを脳内で反芻する。その技法の仕組みを推測し、応用法までもを想像。見せてやるよ、このオレの固有能力『強奪』を――

 

速度をわずかに緩めた瞬間、横を走っていた坊主がオレの前に立ち塞がった。小さくフェイクを入れるが、さすがに通用しない。有り余るスタミナで機敏な反応を見せる。

対してこっちは疲労困憊。手足は鉛のように重いし、息も絶え絶え。とても普段の速度を出せる状態じゃない。絶体絶命の状況に、しかし愉しみを覚えたオレは口元を歪める。だからこそ、使えるはずだ。

 

筋力ではなく、重力を利用したこのドリブルを――

 

「なにぃいいいい!?」

 

坊主の口から驚愕の叫びが吐き出される。気付いたら抜かれていた。それが正直な感想だったろう。即座に気付いたはずだ。予備動作を極限まで削ったドライブ。これは自分の技であると。

 

 

「その技は、オレがもらったぜ」

 

 

シュートを決め、振り返りながらオレはそう言い放った。

 

 

 

 

 

固有能力『強奪』。坊主の使用する特殊な身体操作技法を、オレは奪い取ったのだ。

 

敵チームの連中や観客達はまだ把握できていないだろう。見た目でパッと分かるほど特徴的な動きじゃないからな。最初はオレも違いに気付かなかったくらいだ。だが、当人である坊主だけは別。コイツだけは、オレの埒外の才能を目の当たりにしてしまった。自分が作り上げたスタイルを一瞬で奪われたことに対する恐れで、さっきまでのニヤケ顔は引き攣っていた。

 

「んなバカな……。ま、まぐれに決まってる」

 

続いて相手チームの攻撃。わずかに声を震わせながら、何とか戦意を昂ぶらせドリブル突破を仕掛けてきた。自身の意地を振り絞り、放つのはヤツ固有のドリブル。小さく目を閉じてオレは嘆息した。

 

「……もう無理だ。そりゃ、オレのもんなんだって」

 

予備動作を消したスティールで坊主のボールを叩き落す。オフェンスだけと思ったか?もらったって言ったろ。攻守ともに、相手の特殊技法は根本の部分から理解したんだよ。

 

「そんな……。古武術を応用したスタイルを、こんなあっさり……」

 

今度こそ顔面が蒼白になり、凍りついた。呼吸がズレてる、タイミングも合ってない。総じてバランスがメチャクチャだ。目の前でわずかに我流にアレンジされた技を見せられたせいで、無意識に自分のリズムが崩されたんだろう。この分析はテツヤの受け売りだけどな。

 

「灰崎君、あとはお願いしますね」

 

「おう、任せろよ。これで終わらせてやる」

 

噂をすれば、テツヤに合図をしてワンツーでボールをリターンさせる。2人での速攻だ。もちろん、テツヤにドリブル突破できる能力は無い。即座に戻されたボールで仕掛けるのはオレの仕事だ。

 

「こりゃ楽なもんだな。全然、疲れねーよ」

 

「その走り方まで……!?」

 

敵陣へと疾走するその走法は、坊主の使っていた右手右脚、左手左脚を同時に出すという特殊なもの。身体の捻りやタメを無くしたそれは、体力消費を大幅に軽減する。互いの均衡は完全に崩れ去っていた。

 

動揺からか、焦った様子でオレを止めに掛かる。チェックに来る坊主を、しかし余裕をもって待ち構えられた。精神面でも完全に優位に立っているのを実感する。もはや、コイツは敵じゃない。格付けは済んだのだ。

 

「ありがとよ。結構、使い勝手が良さそうだぜ」

 

先ほど奪ったばかりの技で抜き去り、あっさりとレイアップを決めた。自陣へと戻る最中、坊主をチラリと見やると、この世の終わりかのような絶望的な表情で、呆然と立ち尽くしていた。

 

コイツ、もう終わりかもな。

 

特に感慨もなくそう思った。技さえ奪えれば、もう使い道なんてない。興味を失ったオレはすぐに視線を外した。だが同時に、自然とそんな発想が出てきた自分自身に少しだけ驚く。これが才能の開花ってもんなのか……。

 

オレは相手のことを、『技を奪う対象』として見ていたのだ。RPGの敵キャラが経験値に見えるように。

 

「ナイスシュートです」

 

相変わらずの無表情で、テツヤが手を差し出してきた。一瞬だけその顔色を観察して、その掌にタッチをぶつけた。

 

「なあ、どこまで計算してたんだ?」

 

「はい?何のことですか?」

 

あえて疲労の溜まっていたオレにボールを集めたこと。それは全てこのためだったんじゃないか?

 

執拗にオレと坊主との1on1勝負に持ち込ませたこと。ボールを集めて体力を消費させたこと。前者は特殊な身体操作法を幾度も見せるため。後者は体力を削り、筋力に頼らない特殊技法を模倣しやすくするため。

 

――この試合、初めからオレに『強奪』させようと思っていたんじゃないか?

 

「さて、どうでしょうね」

 

かすかに無表情を緩めて、アイツは自陣へと戻っていった。

 

 

 

 

黒子テツヤ。初めて会ったときから一貫して抱いている印象がある。仲間にすれば頼りになるし、負けるところも想像できない。かといって存在感は希薄で性能はお世辞にも高いとは言えない。そんなチグハグなアンバランスさ。強いとか巧いとか、そういう分かりやすいものじゃない。

 

 

『得体が知れない』

 

 

それが、初対面のときから変わらないオレの感想だった。

 

 

 

 

このあと、全力のパス回しで試合を支配したテツヤによって、帝光中は『全中』本選への切符を手にすることになる。



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第9Q この5人ってのは強いのか?

全中予選が終わると、熱く燃え盛る夏が始まる。ここからが本番、頂点を決める大会である全中本選。全国から選りすぐられた県内屈指の中学がしのぎを削るのだ。

 

とはいえ、ボクがいなかった過去のメンバーで優勝できたという事実は、正直なところヤル気を削ぐものがある。負けるはずがない、という確信。ひいき目なしで見ても、純粋な総合力は、すでに現時点で全国トップ。『キセキの世代』覚醒前の時点で、である。才能の開花が始まれば言わずもがなだ。ワンサイドゲームすぎて番狂わせを期待するのも難しい。

 

それにプラスしてボクの存在である。うぬぼれるつもりはないが、『幻の六人目』たるボクに対抗できる選手などこの時代に存在するとは思えない。せいぜい『鳥の目』のスキルくらいか。それでも苦戦こそすれ、熟練した技術で対抗できると自負していた。

 

なので、ボクの意識はどう試合を楽しむか、どう利用するかに切り替わっていた。どうやって皆を危機に晒すか。彼らの才能は自身の敗北の危機にこそ爆発的に成長する。相手との勝ち負けを度外視する異端の思想。……奇しくもそれは、中学時代にボクの忌み嫌っていた考え方と同じものだった。

 

 

 

 

 

「なあ、見てみろよ、テツ。本戦のトーナメント表だぜ」

 

練習終了の号令が監督から出されてすぐ、青峰君が一枚の紙を持って走ってきた。先ほど全員に渡された全中本選のトーナメント表である。

 

「何か燃えるよな!」

 

「……でも、青峰君。トーナメント表見て、どこがどんな中学か分かるんですか?」

 

「全然」

 

あまりに堂々とした姿にボクは、ですよね、と小さく笑った。辺りを見回すと、ボールの片づけをしている桃井さんの姿があった。視線が合った拍子に軽く手を振って見せる。

 

「テツくん!どうしたの?」

 

「あの、すみません。ちょっと他の中学について教えて欲しいんですが……」

 

「おう、頼むぜ。さつき」

 

「大ちゃんってば、何でそんな偉そうなのよ」

 

ぼやきながらも、桃井さんは手元のノートのページをパラリと開く。

 

「ええっとね……」

 

記憶を辿りながら、ひとつずつ丁寧に解説を始める桃井さん。実際のところ、ボクも昔の話なのであまり覚えていないのだ。どの中学にどんな選手がいたか。当時は試合にも出てなかったし。ただ、当時の帝光中が勝てた相手なので、所詮はそれなりの選手しかいないだろう。

 

「桃井さん、ボクの頼んでおいたあれは分かりましたか?」

 

「ああ、テツ君が言ってた五人ね。うん。調べておいたよ」

 

――『無冠の五将』

 

この時代ではまだ名前の売れていない彼らのことを、ボクは事前に調べてもらっていた。『キセキの世代』さえいなければ、天才と呼ばれていたであろう5人のプレイヤー。

 

 

閃光のごとき神速で抜き去るSF――『雷獣』葉山小太郎

 

三種の3Pを使うSG――『夜叉』実渕玲央

 

後出しの権利を持つC――『鉄心』木吉鉄平

 

相手の思考を絡めとるPG――『悪童』花宮真

 

誰よりも筋力に特化したPF――『剛力』根武谷永吉

 

 

のちに『無冠の五将』と呼ばれる天才達。彼らの所属する中学を、桃井さんはノート上で指し示す。

 

「コイツらって、たしか灰崎と緑間を倒した……。テツ、この5人ってのは強いのか?」

 

「はい。もしかしたら、今のみんなよりも……」

 

かつての未来で、彼らとの試合は手こずったとボヤいていた。しかしそれは、裏を返すと倒せる相手だったということ。現時点の『キセキの世代』であれば互角以上には戦えるはず。だが、とボクは先日の全中予選の決勝を思い返す。

 

灰崎君を一時は完封した津川智紀君の古武術バスケ。

 

ボクの知る歴史では、古武術を応用したスタイルを修得するのは高校に入学してからだったはず。

 

――なぜならそれは、未来の彼の進学先である正邦高校の監督によって伝授されるものなのだから。

 

それに中2の黄瀬君を封じたとは言っても、あくまでバスケを始めたばかりの頃の話。いくら疲れがあろうが、虹村先輩の技を手にした灰崎君が完封されるなんてありえない。

 

まさか、ボクの知る歴史と差異が生じているのか……?

 

「まあ、気のせいかもしれませんけど」

 

津川君の中学時代なんて、ほとんど記憶にない。思い過ごしや記憶違いの可能性も多分にあるはずだ。

 

「ん?どうかしたのかよ?」

 

「いえ、何でもありません。ずいぶん調べてあるな、と思いまして。大変だったんじゃないですか、桃井さん?」

 

「ううん。何か私、意外とこういうの向いてるみたいで」

 

楽しそうに笑いながら、桃井さんが答える。そして、トーナメント表から彼女は5つの中学にマーカーでチェックを入れた。やはり、全員が本選出場を果たしているらしい。その中のひとつは、我ら帝光中の隣に位置している。この相手は――

 

 

「ふん、どこが相手だろうと同じことなのだよ」

 

 

耳に届いたつぶやきに振り向くと、直後にネットを揺らす音が聞こえた。鬼気迫る雰囲気を纏う、シュートを打ち終えた緑間君の姿があった。続いて2発、3発と3Pライン上からシュートを放っていく。

 

「相変わらず、全然外さないわよね」

 

それでいて、ただの1本たりとも落とさない。桃井さんが感心するのも当然だ。中学生のレベルを遥かに超越したシュート成功率。現時点で9割以上という埒外の性能は、ある意味では最も潜在能力を開放していると言える。他を圧倒するシュート精度である。

 

闘志に満ちた表情だが、そのシュートフォームは精密そのもの。機械仕掛けのごとく、動作は流麗でスムーズ、タイミングにはコンマのズレもない。例えるならば、緑間君の身体は銃身、撃ち出されたボールは銃弾だ。狙いさえ定めれば、銃弾の行く末など見なくても分かる。

 

パサリ、と先ほどから聞き慣れた音が鼓膜を揺らした。

 

「シュート練習とか、ヤル気満々じゃねーか」

 

青峰君の言葉に、それは当然だとボクも頷く。なにせ、全中本選の最初の相手は――

 

「実渕玲央、ですか。見せてもらいますよ。夜叉と謳われる、アナタの力を……」

 

 

 

 

 

それから数日後。

 

『全中』本選を翌日に控えた今日の練習は、疲れを溜めないよう軽く抑えたものである。短くアップのみを行い、試合勘を保つためのミニゲームで明日に備えるようだ。

 

「組み分けは2,3年チームと1年チーム。まあ、いつものメンバーで連携の確認をしておけ」

 

監督の言葉に2つのチームとベンチ要員の観客の3通りに移動していく。試合形式が最も心躍るというのは誰でも同じこと。気合いの入った表情、楽しげな表情、それぞれにテンションを上げながら、マネージャーから手渡されたビブスを頭から羽織る。いつも通り、ボクもそれを受け取ろうとして――

 

「待て、黒子。お前は今回、こっちチームだ。後半から出すから準備をしておけ」

 

監督が指し示したのは、2,3年チームだった。先輩たちがホッと安堵のため息を吐いたのを感じる。反対に1年チームはその顔を引き攣らせた。

 

「おいおい、マジかよ……。テツヤが相手とか勘弁して欲しいぜ」

 

「ずいぶんと弱気だな、灰崎」

 

コート内で体をほぐしながら、緑間君が疑問を呈した。

 

「たしかに黒子の能力は驚異だが、オレ達ならば対応できるのではないか?初見ならばともかく、手の内を知っていれば」

 

しかし、灰崎君の顔色はすぐれない。忌々しそうに吐き捨てる。

 

「この中じゃ、オレが一番テツヤとは長い。アイツは手の内なんざ、まったく晒しちゃいねーよ。まだまだ出し惜しみしてやがんだ」

 

初対面で彼の目を欺いた『幻影の(ファントム)シュート』を思い出したのだろう。ブルリとかすかに身体を震わせる。理解不能の現象の回想により、彼の背筋を戦慄が走り抜けたようだ。困惑を浮かべる緑間君だったが、それ以上の詮索はしなかった。

 

 

 

 

 

ジャンプボールを制したのは紫原君だった。中学生離れした身長で、あっさりとボールを赤司君へと繋ぐ。そこからの速攻。先頭を走り抜けるのは灰崎君である。追いついた相手の先輩との一対一。そこで繰り出すのは、自身の持つ最良のドリブル。

 

――左右に小刻みに幻惑するハーキーステップ

 

「おらあっ!」

 

気合一閃。完全に身体の泳いだ相手を抜き去り、先制のレイアップを決めた。悔しげな表情を切り替え、続いて攻撃に移るは先輩チーム。

 

「チッ……だから、オレの技を使うんじゃねーよ」

 

虹村先輩が忌々しげに吐き捨てる。ドリブル突破による速攻を試みるが、その動きは明らかに精彩を欠いていた。灰崎君の才能――『強奪』の効果である。

 

「ハハッ、もらうぜ」

 

その隙を見逃す灰崎君ではない。甘くなった手元をはたき、スティール。硬直する虹村さんと対照的に、灰崎君は余裕げな笑みでカウンターを仕掛けていく。抜群の身体能力+技巧的なドリブル。現時点における、帝光中のエース級に彼は君臨していた。

 

「っと、下級生相手にダブルチームとか。格好悪くね?」

 

「うっせえ、黙ってろ」

 

即座に追いついてきた虹村先輩と、もうひとりによる複数でのマーク。それは単独では止めきれないという意思表示であった。昨年度の全国最強のダブルチームを抜ききる技量はない。あくまで彼の才能(センス)は発展途上なのだ。だが、いまの彼だからこそできる利点もある。

 

「ほらよっ、青峰」

 

「了解っと」

 

――青峰君へのパス

 

完全に才能が開花していないからこそ可能な、パスという選択肢。自身の能力に絶対の自信を持つ中学時代後期の『キセキの世代』には考えられない、本来絶無の選択肢。それを今の彼らは使うことができるのだ。まあ、当たり前のプレイなんだけど。

 

そこからトリッキーなドリブルで相手を抜き去る。帝光中を1年から3年まで全て合わせて考えたとき、エースと呼べるのはこの二人。その2大エースの連携は脅威そのもの。一方のマークが厳しければ、もう一方が貫く。こと速攻において、両方を止めるのは困難を極めるのだ。

 

「おおっ!1年が連続で決めたぞ!」

 

「後輩相手にいつまでもやられっぱなしかよ!しっかりしろ!」

 

コート外から声が飛ぶ。試合をしている先輩達も、下級生に負けていられないと一層ギアを上げていく。

 

「あっちゃ……悪い、カバー頼むわ」

 

奮起した先輩の意地のドリブル突破。常人離れした『敏捷性(アジリティ)』を使いこなせていない青峰君は、残念ながらディフェンス面においてやや難があるようだ。そのままインサイドへと切れ込み、ミドルレンジでのシュート体勢に入る。

 

「ちょっと~。オレしかいないじゃん」

 

カバーに出る紫原君。巨体ゆえに動作がわずかに遅れるが、その長身を生かして何とかブロックに跳んだ。しかし、それはフェイク。その脇をあっさりと通され、ゴール下の味方に渡る。そのまま上級生のスコアに2が追加された。

 

「さすがですね。積み重ねた仲間同士の連携。豊富な試合経験から導かれる的確な状況判断。ここでしっかり決めてきましたね」

 

キャリアを生かした落ち着いた攻め方だ。

 

「ねえ、テツ君はどっちが勝つと思う?」

 

いつの間にか隣に座っていた桃井さんが問いかける。少しだけ考え、言葉を返す。

 

「6:4で青峰君たちでしょうか。このミニゲームに関して言うならば」

 

「あー、そうだよね。短期決戦ならスタミナ不足は関係ないもんね」

 

「確かに先輩達は穴もないですし、高いレベルで安定した性能をもっています。ただし、一点特化の尖った性能は彼らを上回っている」

 

それも現時点で、である。青峰君と灰崎君の突破力しかり、紫原君の身体性能(フィジカル)しかり、そして緑間君も――

 

「さあ、落ち着いて行こう」

 

周囲を見渡しながらの赤司君の声がコート上に響く。その平静そのものの声音は、聞いている者の焦りを消失させる。天性の支配力、それをたった一言で感じさせた。

 

「赤司、こっちだ」

 

直後、ノールックで放たれた青峰君へのパス。そこからのドリブル突破を予測し、相手チーム全体に緊張が高まる。しかし、予想を裏切ってのハイポストへと切り裂くようなパス。連携によって紫原君へとボールが繋がった。リングまでは少し距離があり、跳躍をしながら空中で反転する。その分だけ、普段よりも高さが低い。同時に跳んだ相手のCとの勝負。ほぼ互角かと思いきや――

 

「なんてね~。ミドちん、パス」

 

反転の勢いを利用して、まさかの外へのパス。誰もがリバウンドやカウンターの準備に備えていた。その予想を覆す連携は、緑間君をノーマークにする。準備は万端。受け取ったボールを構え、淀みない流れでシュートモーションに入る。

 

「ナイスパスなのだよ、紫原。ノーマークならば、――外すなどありえん」

 

天高く投げ上げられたボールは、かすりすらせずにリングを通過した。ノーマークでシュートモーションを崩されなければ、9割以上の確率で3Pを決める。中1の段階でこの超常的な精度。やはり、どう考えても実渕玲央にシューターとして劣っているとは思えない。なぜ、緑間君が敗北したのか……。

 

「全中本選、思いのほか楽しめそうですね」

 

そのくらいの不確定要素、まぎれがあった方が面白い。どうせボクがいる以上、最後には勝ってしまうのだから。

 

覚醒していない『キセキの世代』だからこそできる連携を駆使した試合展開。のちに崩壊するチームとしての戦い方がそこにあった。わずかに1年が優勢なまま、拮抗した試合が続き、ついに選手交代の笛の音が鳴る。

 

「黒子、出番だ」

 

「うえっ、終わった……」

 

監督の言葉にうなずくボクと、嫌そうにしかめ面でうめき声を上げる灰崎君。試合の流れを変える六人目(シックスマン)が先輩チームに投入されるのは、実はこれが初めて。ミニゲームにおいては、負けている方をフォローするのがボクの役割だ。つまり、この1年目の全中本選を目前にして、彼らの帝光中における下克上が成ったということ。

 

 

 

 

歴史上よりも早い、『キセキの世代』の台頭。全国の舞台で始まる伝説の再来を待ち遠しく思い、ボクは胸の高鳴りを押さえきれなかった。

 



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第10Q 分かっていても止められない。

『全中』本選に進んだオレ達の初戦の対戦カードは、以前敗北を喫した風見中。実渕玲央の3Pによって開幕の火蓋が切って落とされた。

 

開始早々の3Pが自陣のネットを揺らし、これまでの相手とは違うことを、ただその一矢で感じさせた。

 

「へえ、見事なフォームだね」

 

先制点を決められたというのに、赤司が賞賛の言葉を漏らす。それほどに彼のシュートは、中学レベルでは群を抜いていた。

 

「だが、シューターならば帝光も負けてはいないさ。そうだろう、緑間?」

 

「当然なのだよ」

 

赤司からパスを受け、即座にオレは反撃の3Pシュートを撃ち込む。体幹のブレ、手首の返し、指先の掛かり具合。見なくても結果はわかる。高く投げ上げられたボールが、相手リングに突き刺さった。

開幕からの両チームのロングシュートの撃ち合いに、会場中がざわざわとどよめく。

 

「……前回と同じと思わないことだな」

 

振り向いたオレは、挑戦的な気分のままに実渕に視線を向ける。以前、やられたときとは違う。そのための特訓も積んできた。

 

この試合はオレ、緑間真太郎と実渕玲央との、シューター同士の優劣が勝敗を決定付けるだろう。

 

 

 

 

 

 

その後の数分間、互いのシューターが3Pを打ち続けるという大味の展開が繰り広げられた。

 

青峰のスクリーンを利用して、マークの実渕を置き去りにする。直後、赤司からノータイムでパス。こういった連携は慣れたものだ。3Pラインギリギリでそれを受け取り、モーションに入る。相手も慌ててチェックに来るが、それより一歩早く放たれたボールは敵ゴールを通過した。

 

「この前よりも、スクリーンを上手く使えるようになったじゃない」

 

カウンターの反撃は、当然のように実渕へのラストパス。立ち位置は3Pラインの外側。即座にシュートモーションに入った。フェイクも何もない。だが、オレのマークが外れていないぞ。

 

タイミングを合わせてブロックに跳び上がる。同時に実渕もシュートのために跳躍した。

 

 

――後方へ向かって

 

 

「クッ……フェイダウェイ。また、そのシュートか!?」

 

手を伸ばしても届かない。後方へ逃げながら放たれるロングシュートは、オレの願いも虚しくネットを揺らしたのだった。

 

 

 

ブロックされるのを防ぐための技術として、ボールを放つ際に後方へ跳ぶというものがある。それがフェイダウェイショット。後ろに跳びながら前に投げるため、相当なボディバランスと全身の筋力、そしてシュート精度が必要となり、使いこなすのは困難である。全国最強と呼ばれる帝光中のメンバーであってさえ、試合で自在に使いこなせるのは青峰を含めたほんの数人。

 

それをあろうことか3Pシュートに応用したのが、この――『夜叉』実渕玲央なのだ。

 

 

 

「……やってくれるな」

 

「悪いわね。この『天』のシュートは、誰にも止められない」

 

髪をかき上げながら、実渕は自信を深めた笑みで言い放つ。前回の試合でもそうだった。苦々しい気分で思い返す。このフェイダウェイ3P――『天』を止めることは最後までできなかったということを。両チームのシューター同士の対決は、次第にオレの不利へと傾いていく。

 

 

 

灰崎のスクリーンを利用して、一瞬ノーマークになったオレにボールが渡る。最も撃ち慣れた位置からの、万全の3Pシュート。外れることなどありえない。その確信と共に放つそれを――

 

「いつまでもさせないわよっ!」

 

ギリギリで追いついた実渕によって弾かれた。

 

しまった、と表情が引き攣ったときには、すでに相手の速攻が始まっていた。気持ちを切り替えてディフェンスに走る。桃井の分析では、全体の攻撃の約8割が実渕を起点として始まっている。3Pを戦術の要とする異端の戦略。異様なまでに実渕の攻撃優先順位が高いこれが、脅威の得点力を生む要因なのだ。パスを回しながら速攻を掛ける相手チーム。だとすれば――

 

「ヘイ!こっちよ!」

 

やはり実渕にボールが回ってきた。ノータイムでシュートモーションに入る。だが、それを予測して、こちらも横からブロックに跳んでいるぞ。タイミングは合っている。ボールを叩き落さんと伸ばした手は、しかし届かず虚しく空を切る。

 

「くっ……『天』のシュートか!?」

 

後方に跳びながら放たれたフェイダウェイシュート。ボールはリングに当たりながら通過する。予想外の展開に、ざわめきが会場中から生まれ始めた。

 

「うおおっ!マジかよ、帝光中が押されてるぞ!」

 

「何だよ、あのシューター。ここまで全得点がアイツじゃねーか!」

 

無名の中学に埋もれていた技巧派シューターの存在に驚きの声が上がる。観客の目は、全国最強の帝光中を圧倒する、たった一人の選手に釘付けにされていた。だが、シューター同士の勝負には負けられない。視線を赤司に向け、灰崎からのスクリーンを利用してマークを外す。

 

「赤司、こっちだ」

 

負け続けるオレにパスを出すかどうか。わずかに赤司は逡巡の色を見せたが、フリーになったタイミングに合わせてこちらにボールを出した。実渕は壁となる灰崎にぶつかり、強制的に動きを止められる。

 

「スイッチ!」

 

実渕が叫ぶ。スクリーンで足止めを受ける彼の代わりに、灰崎をマークしていた選手がオレを止めに来る。だが、スイッチする一瞬で最も打ちやすい位置へと走し出していた。今から追いかけてもオレのシュートの方が早い。そう思ったのだが。

 

「何だと……!?」

 

相手の伸ばした手によって、オレの放ったシュートは叩き落された。あまりにも素早い反応。脇目も振らず、最短距離でブロックしに来たのか。なぜ、そんなに迷いのない行動ができる?

 

 

 

そこからは次第に彼我の点差が開き始める。オレのシュートがブロックされ続けたからだ。こうなれば背に腹は変えられない。3Pライン付近で合図を出しボールを受ける。

 

「ならばっ……これで!」

 

シュートのモーションに入る。ここまで幾度と無く繰り返されてきたその体勢に、マークする実渕は即座に反応を返す。しかし、それはフェイク。相手を騙すための嘘。

 

ここで見せるのは、この試合初めてのドリブル突破。

 

得意ではないが、張っていた伏線によって無防備な相手であれば抜ける。そう考えたのだが――

 

「甘い甘い。……読んでるわよ」

 

フェイクからドライブの一瞬の切り替え。

 

 

――そこを狙った実渕にスティールされた。

 

 

完全に読まれている。なぜ?と理由も分からぬままに、相手の攻撃ターン。全力で戻りながら、唇を噛み締める。

 

「間違いないのだよ……。オレの行動が読まれている」

 

オレのシュートがブロックされ続けたのも、おそらくそれが原因だろう。自分で把握している、タメの長さという弱点だけではない。それ以外の何かでシュートとドリブルの先読みをされている。それが迷いの無いディフェンスに繋がっているのだろうか。

 

「緑間、集中しろ!」

 

「す、すまない……赤司」

 

考え込むオレに激が飛ぶ。ハッと意識を目の前に集中させる。そうだ、このカウンターは止めなくては。ボールがPGからC、そこからPFへと目まぐるしく移動する。だが、最終的には実渕に辿り着くのが決まりきった必勝パターン。全得点のほとんどがこの3Pなのだ。

 

「やはり、ここからのようだな」

 

「分かっていても止められない。それが私の『天』のシュートなのよ」

 

ボールを構え、膝を曲げるモーション。そこから後方に跳ぶフェイダウェイにこれまで苦戦を強いられてきた。だが、いつまでも同じ手を喰うと思うな。後ろに跳ぶなんてことは、折り込み済みだ。実渕のジャンプを予想して、さらにオレは前方へと大きく跳躍する。

 

「なんてね。ダメダメ、忘れちゃったの?」

 

「後ろに跳ばない……しまっ!?」

 

 

――即座に自身の失策を悟る。

 

 

そうだ。『天』のシュートは囮。ブロックを誘い、強制的に3点以上の得点を奪われる、恐るべきあのシュートへの布石なのだ。

 

前方へ跳び出したオレの身体は、空中で動けない。気づいたときにはもう遅い。ファウルを誘われたのだ。実渕の身体にぶつかり、その瞬間に審判の笛の音が鳴り響いた。直後、天高く放物線を描いて投げられるボール。その行方を視線で追いながら、黒子の言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

試合前日、ロッカールームで着替えているときのこと。不安を打ち消すために居残りで練習したところだった。しかし、残念ながらあの記憶はそう簡単には脳裏からどいてはくれない。そして、そんなオレの内心を見透かしたかのように、黒子はそこにいた。

 

「明日の試合、緑間君がキーになるでしょう」

 

唐突に、しかし淡々と黒子は言い放った。

 

「あのチームについては知っているが。……オレの出来が勝敗を決めるというのか?」

 

「ああ、いえ。勝つだけならば簡単です。ボクが出ればいいんですから。ではなく、キミが覚醒するかどうかですよ」

 

知った風なことを言う。だが、得体の知れないこの男の言葉には、信じさせる凄みがあった。

 

「人事を尽くして天命を待つ。良い言葉ですね。それに則っていうならば、緑間君。キミにはすでに天命は来ているはずですよ」

 

「……なぜ、わかる」

 

「条件付とはいえ、100%に近い3Pシュートの成功率。入学当初から超越的な精度を誇っていた緑間君は、彼ら5人の中で最も覚醒に近いと思っていました。だから、あと一押し。それさえあれば、キミの才能は開花します」

 

遠くを見つめる瞳。まるで別のものを見ているかのような。時間を越えた先を見通すかのような。無色透明でいて無機質。ただ事実を告げている、とその超常的な雰囲気は物語っていた。

 

「……たぶん、条件付きという緑間君の弱点を、彼らは突いてくるでしょう。そうなれば得点の取り合いで勝つのは難しい」

 

悔しいが頷かざるを得ない。あの男の『天』『地』のシュートの脅威は、これまでに感じたことがないほどだった。かつての敗北の苦渋が思い出される。完敗だった。

 

フェイダウェイによるブロック不能の『天』のシュート。ファウルを誘い、相手にぶつかりながら放つ『地』のシュート。

 

 

――『天』を止めようとすれば、『地』の餌食になる。決まれば4点プレイ。外してもフリースロー3本という破格の取引。

 

――『地』を避けようとすれば、『天』を止められない。万全の状態で、易々とシュートを打たせることになる。

 

 

どちらに転んでも実渕に損は無い。考えれば考えるほどに無敵のシステム。

 

 

「そのシステムを最大限に利用したのが、実渕さんの率いる風見中です。ワンマンチームでありながら、それを組織的に戦術化するという異端のスタイル。攻撃の8割以上を『夜叉』実渕玲央に任せることで、得点期待値を高めている」

 

「ちょっと待て。なんなのだよ、それは。……得点期待値?」

 

黒子は少し驚いたように目を見開き、直後納得した風に頷いた。

 

「……そうでした。中学ではまだ習ってませんでしたね。まあ、1回の攻撃ターンで平均何点取れるかってことです」

 

そういえば練習が終わってから、桃井と二人でノートを見ながら何やら計算していたな。

 

「実渕さんのシュート成功率は、『天』『地』合わせて5割くらいです」

 

「低いな」

 

「……緑間君を基準にしないでください。恐ろしく高い数字ですよ、これは。しかも、あんな変則的なシュートで。緑間君さえいなければ、まぎれもなく当代随一のシューターですよ。普通は3割入れば上出来なんですから」

 

首を傾げるオレに、黒子は呆れた顔で溜息を吐く。心外だな。シュートなんて、入るのが当然だろうに。

 

「3Pシュートの成功率が50%なら、得点期待値は1.5点。もちろんブロックされれば別ですが、『天』の特性によって数字どおりの結果が期待できます。これだけでも脅威ですが、そこに『地』のシュートによる強力な得点能力が加わります」

 

3Pシュート中にファウルをされれば、最低でもフリースロー3本。決まればバスケットカウントを加えて4点を奪われる。この『地』のシュートこそが実渕玲央の生命線だと、黒子は語る。

 

「さらにオフェンスリバウンドを取る場合も含めると、攻撃時の風見中の得点期待値は2に限りなく近付きます。――全盛期の青峰君に匹敵する、圧倒的得点能力」

 

「青峰?」

 

「いえ、何でもありません」

 

肩を竦めて首を振る黒子。話は終わったと言わんばかりに、荷物を持って扉に手を掛けた。最後に一言だけ言い残して去っていく。

 

「信じることです。自分の才能を、自分の強さを。危機に直面した極限状態でこそ、キミ達の潜在能力は開花するはずです」

 

 

 

 

 

 

 

ガシャンと天空から降下したボールは、リングにぶつかって跳ね返った。

 

「あら?残念、3点止まりになっちゃったか……」

 

さほど気落ちした様子も無く、実渕は平然とした表情でフリースローラインに向かう。さすがにシュート精度に天賦の才を持つ男。当然のように3本ともフリースローを決める。オレは拳を強く握り締め、それを見送るしかなかった。

 

――黒子、オマエはこれを予想していたのか?

 

第1Q終了のブザーが鳴る。得点は16-21で帝光のビハインド。

 

重苦しい雰囲気に包まれるベンチへと戻る。ちらりと視線を向けるが、その顔には何の感情も読み取れない。まるで想定した通りといった風だ。こちらの攻撃は封じられ、向こうを止める術もない絶望的状況。これを打破する力が、オレにあると言うのか?

 

 

「監督、次はボクを出してください。試合を終わらせてきます」

 

 

淡々と要請する黒子の言葉に、監督は頷いた。

 



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第11Q 固定概念を捨てる時が

帝光中vs風見中。オレにとっては因縁の実渕玲央との再戦である。だが、第1Qは圧倒的な惨敗を喫することとなった。そして、第2Qに突入する。メンバーは灰崎に変わって黒子が投入された。

 

「さてと、ここからは先ほどと同じように行くと思わないことだ」

 

休憩を挟んで第2Q最初の攻撃。鋭い視線で相手を見据えながら、赤司はそう宣言した。帝光中の切り札。たった一人で戦局を一変させる、弱さを極めた見えない選手。黒子テツヤの加入は、チームの士気と勢いを爆発的に上昇させる。

 

「とはいえ、すでに弱点は見えている。黒子に頼るまでもなく――」

 

コートを鋭く縦に切り裂く、赤司のパス。それはハイポストに陣取る紫原の手元に届いた。そこからターンして相手センターとの1対1。身長と力の比べ合いは、圧倒的身体能力を誇る紫原の圧勝である。あっさりと押し込み、ゴール下で得点を決めた。

 

「エース以外が拙すぎる。良くも悪くもワンマンチームというわけだ。他のマッチアップでは、僕らに対抗することは至難」

 

赤司の言葉通りだった。反撃の実渕の3Pが決まるも、100%入るわけではない。落ち着いた様子で、次はマークを外した青峰にボールを出した。

 

「おっしゃ!」

 

フェイクや切り返しを利用したトリッキーなドリブルスタイル。1on1における突破力は、帝光中の先輩達に比べても遜色ない。それどころか1年の現時点でエースと言っても過言でないくらいだ。テンポを小刻みに変え、左右に大きく身体を振る。直後、上体の泳いだ相手を綺麗に抜き去り、そのままゴール下まで疾走する。この時点で勝負は見えたも同然。

 

「へ~い。峰ちん、こっち~」

 

「くっ……どっちで来る!?」

 

ゴール下では紫原が手を上げて待ち構えている。青峰と紫原との2対1。相手センターに勝てる道理などない。今回は紫原を警戒した隙を突いて、青峰が単独突破。相手選手をかわしてレイアップを決めた。 

 

「うおおっ!さすが、帝光が押してきたぞ!」

 

「やっぱ総合力が段違いだ。こっから逆転するか?」

 

潮流の変化を感じ取ったのか、会場の雰囲気が少しずつ変わっていく。負けじと風見中のエースも反撃に出る。

 

「あら?」

 

しかし実渕のフェイダウェイ、『天』のシュートがリングに弾かれる。

 

リバウンドは紫原が奪取。やはり、純粋なシュート精度においてはオレの方が圧倒的に優位。だが、だというのに、シューター同士の勝負はこちらの敗北だった。言い訳の余地もない。味方にパスも貰えない、明らかに格下の烙印を押されていた。かつてない屈辱に、思わずギリッと唇を噛み締める。

 

赤司の戦術は何も間違っていない。オレが勝てないと見ると、青峰、紫原。明らかに技量の差があるマッチアップで攻めるのは当然だ。だが、自身が穴になっていることに納得が出来るものか。

 

「……みじめね。ボールも貰えないなんて」

 

手を上げてアピールするが、ボールは紫原の元へ。勝利が絶対の赤司にとって、オレの敗北感など気にする価値もないのだろう。一顧だにせず、勝てるところで点を稼いでいく。

 

「ならばディフェンスで……!」

 

「ダメよ、そんな焦っちゃ」

 

ブロックに跳ぶオレを嘲笑う実渕のシュートフェイク。

 

 

――しまった、『地』のシュートか!?

 

 

ファウルを受けながら放たれたシュートは、少し軌道がブレながらも確実にネットを揺らした。直後、喝采に沸く会場。

 

「バスケットカウントワンスロー。4点プレイだ!」

 

やられた……完全にお荷物。警戒しておきながら、みすみす罠に掛かるなど。フリースローのセットに向かいながら、オレはかつてない敗北感に打ちひしがれていた。そのとき、背後から声を掛けられる。この試合、まだ何の動きも見せていないこの男――

 

「このまま終わるつもりはありませんよね」

 

黒子か、とオレは振り向いた。平常通りの無表情で淡々と問い掛ける黒子。それに対して、オレは目を閉じ、首を左右に振って答える。

 

「だが、オレにはあの『天』『地』のシュートを止める方法が……」

 

「そんなものはどうでもいいでしょう?キミの本領はデイフェンスじゃない」

 

言い訳をばっさりと切り捨てた。

 

 

――キミの本領はシュートでしょう?

 

 

そこで負けるはずが無い、とさも当然と言った風に口にした。

 

「信じることです。緑間君は人事を尽くしてきた。天命はすでに来ているのだと」

 

「どういうことだ?」

 

「キミのシュート精度を100%にしている条件付け。その固定概念を捨てる時が来たんですよ」

 

フリースローのセットのため、そこで黒子は離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

実渕のフリースローが決まり、帝光に傾きかけていた流れが再び押し戻される。反撃の起点は、今回も青峰と紫原の二人。マークを外した青峰に、赤司からパスが放たれる。だが、そのボールの軌道が――

 

「緑間君、行きますよ」

 

 

――途中で鋭角に方向が変わった。

 

 

「なっ……黒子、何を勝手に!?」

 

黒子の中継によりパスコースが曲げられる。驚愕の赤司の表情を見るに、独断でのルート変更。

 

「って、どこに出している!」

 

しかし、その向かう先はオレの意図とは別の地点。慌てて離れたボールに跳びつくが、体勢は後ろ向きで無防備も良いところ。予想外のパスに、目を見開いて硬直する実渕だったが、さすがにここから反転する余裕は無い。諦めて赤司にパスを返す。

 

「……珍しいこともあるな。黒子がパスミスとは」

 

異能ばかりが目に付く黒子だが、それを支えるパスの技術は卓越している。高速で動き回る選手へのタップパスの難易度は相当なもの。それでもタイミングやコースを外すことなど滅多にない。特異な才能+確かな技術。それがアイツの強さの秘密なのだろう。まあ、そんな黒子にもミスはあるということか……

 

「何なの、あの子……」

 

それに、相手を驚かせる効果はあった。実渕が困惑した様子でつぶやく。黒子に意識が向いた隙に、再び青峰のペネトレイトから得点が決まる。

 

「また出しますよ、マーク外してください」

 

戻り際に黒子から、声が掛けられる。言われるまでもない。負けたままで終わるつもりなど毛頭ない。

 

「一体どこから出てきやがった……!?」

 

神出鬼没、黒子の電光石火のスティール。なぜボールが奪われたのかすら、本人は理解できていないだろう。それほどの隠密性で取り戻したボールは、即座に赤司の手元に渡る。

 

 

 

速攻を仕掛ける赤司。ボールを保持したままドリブルで敵陣へと乗り込んでいく。追随するオレ、青峰、黒子。二人掛かりで赤司を止めに来る風見中の選手達。強引に突破、と見せかけてノールックでのパス。行き先は、この状況で最も信頼できる青峰。

 

「青み……またか、黒子!」

 

またしても独断でのパスルート変更。赤司が苛立った声を漏らす。コートを切り裂く一閃。だが、そのコースはまたしても予想外の方向へ。

 

「どこに出して……!?」

 

連続での黒子のパスミス。珍しいどころか初めて見た。反射的に駆け寄り、3Pラインよりもだいぶ外側でボールをキャッチする。しかも、リングまでの方向も条件とズレている。

 

――キミは決まると確信できるシュートしか打ちませんね

 

以前、黒子に言われた言葉だ。

 

オレが思うに、100%のシュート精度で打てないというのは、完全なシュートになっていないことが原因だ。モーションやタイミングは反復で身体に覚えさせ、コンマのズレも生じないよう精神状態は常にフラットに。爪の状態も日々ケアし、さらには占いでラッキーアイテムを準備。シューターという人種の最も大事な点は、最大限に人事を尽くすことだと考えている。

 

「黒子がオレの条件付けを知らないはずがない。だとすれば、このパスの意図は――」

 

自身の条件付けを思い返す。100%の精度で決めるための2つの条件。ひとつは、正確なシュートモーション、決まりきったルーティーンを崩さないこと。ブロックがあろうともテンポを乱すことは無く、クイックなど考えない。

 

そしてもうひとつ。シュートを打つ地点だ。

 

左斜め45度と60度の2地点。それも3Pラインギリギリという最も打ち慣れたそこが、オレの聖域である。それ以外の場所からは打たない。確率を最大限に高める条件でのみ打つというのが、――100%のシュート精度の秘密であった。

 

「その条件付けをやめろ、と言うのか?」

 

マッチアップする実渕に視線を向ける。距離が遠く、シュートフェイクには無関心。明らかにドリブルをすると決め付けたディフェンスだ。間違いなく、この場所からのシュートは無いと確信している。……そういうことか、黒子。

 

――ここで打てと言うのか。

 

じんわりと掌に汗が滲む。絶対の自信のないシュートを打つなど何年ぶりか。ほぼノーチェックのこの状況。ブロックされることは無い。だが、飛距離も長くなるし、確実に実戦で決められるのか。

 

「緑間君!」

 

黒子の叫ぶ声が耳に届く。そうだな、この負けっ放しの状況で何を恐れることがある。信じてみよう。人事を尽くしたオレ自身と、オマエの言葉を。

 

「まさか、そこから打つ気なの!?」

 

これまでのルーティーンとは違う、全神経を総動員したシュート。かつてないほどの集中力の高まりを感じていた。地を踏みしめる足の爪先。膝から体幹、肘から手首までの全ての力の流れが精細に読み取れる。寒気がするほどに全身の感覚神経がささくれ立つ。左手首の返し、指先の掛かりに至るまで、イメージと寸分の狂いなし。

 

 

 

――そのボールは、ひときわ天高く、美しい放物線を描いた。

 

 

 

それは、これまでに見たどんなシュートよりも奇跡的な、理想的な軌跡を辿ってリングを通過した。

 

 

乾いた布擦れの音と床に落下するボールの音が、自身の進化を実感させた。シン、と一瞬会場中が静まり返る。

 

「何よ、今のは……。外すなんて想像もできないじゃない」

 

呆然と言葉を漏らす実渕。それに心の中で同意する。あの感覚が使いこなせるのなら、どこで打とうと外すことなど考えられない。これまで散々に苦渋を舐めさせられた目の前のシューターが、急にちっぽけでチャチなものに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

そこからは帝光のペースだった。ハーフライン以内ならどこでもシュート範囲内。これまでシュート地点かどうかでオレの行動を予測していた実渕。だが、その計算はもう使えない。

 

「ドリブル、シュート……どっちなの? でもその距離は……」

 

「無駄なのだよ。もう、負ける気はしない」

 

だからこそ、駆け引きができる。フェイクにも掛かる。そして、少しでも隙ができればシュートが打てる。

 

「アイツ、第2Qからメチャクチャ決めてるぜ」

 

「ってか、今のなんかハーフラインだぞ!どうなってんだよ!」

 

先ほどの、かつてない程の集中状態が持続できている。一時的なものではなく、完全に自分のものとして使いこなせる。この状態が平常なのであれば、今のオレに敗北の2文字は存在しない。

 

「くっ……だったら、3Pには3Pでっ!」

 

「好きにするといい」

 

反撃する実渕は『天』によるロングシュート。それを深追いすることはない。4点プレイにさえしなければいい。ファウルにならない程度に跳びながら、必死の形相の実渕に言い放った。

 

「ナメるんじゃないわよ」

 

だが、そのシュートは惜しくもリングに弾き返される。この男の精度は完全には程遠い。3Pが打てるようになった今、打ち合いで相手に勝ち目など無いのだ。得点期待値2に対抗するには――簡単なこと。毎回3点ずつ取れば良いのだ。

 

 

 

 

 

次のターンは、シュートフェイクで相手を抜いての3P。とうとう実渕の眼から光が消えかける。もう格付けは済んだのだ。心は折れた。精神ダメージにより、5割あったはずの実渕のシュート成功率も壊滅的状態。ワンマンチームがゆえに、この男の敗北はすなわち風見中の敗北と同義である。

 

「ま、まだ終わってないわよ!」

 

鬼気迫る表情で仲間からボールを受け取る。気炎を吐くが、明らかに虚勢であると分かる。この攻撃を止めれば、完全に心を折れると確信した。

 

「引導を渡してやるのだよ」

 

腰を落とし、相手の目を見ながら集中力を高める。自分の中のデッドラインを守るために、ドリブル突破はありえない。当然、シュート一択だ。どちらが来るか。

 

『天』か『地』か――

 

ノーフェイクでいきなりモーションに入った。膝を曲げた跳躍の体勢。直感する。『天』ではない。『地』は最警戒している。まさか普通の3Pシュート?シュート成功率を高めようと?

 

「だとしたら甘すぎるぞ。止められないはずないだろうが」

 

タイミングを合わせてブロックしてやる。

 

「……せめて一太刀は入れてやるわ。まだ未完成だけど、私の切り札見せてあげる」

 

ザワリと背筋に寒気が走った。何の変哲も無いジャンプシュートのはず。だというのに――

 

 

「本邦初公開。光栄に思ってね。これが私の集大成――『虚空』のシュートよ」

 

 

――か、身体が動かないだと!?

 

まるで時が止まったかのような。ジャンプシュートを止めるためのブロックしようとしたというのに。氷漬けにされたかのようにオレの足が硬直していた。何が起きているのだ。視界には悠々とフリーでシュートを放とうとする実渕の姿。何の抵抗もできずにそれを眺めるしかない。

 

如何なる芸当か。原理不明のその『虚空』のシュートはしかし、――突如現れた人影によって叩き落された。

 

 

 

「ジャンプの低い『虚空』のシュートなら、身長差のあるボクでも止められるんですよ」

 

 

なぜそこにいるのだ、黒子。相変わらず感情の見えない瞳で、呆然と立ち尽くす実渕を見据える。

 

「すみません。緑間君も覚醒したことだし、もうアナタの出番は終わりなんですよ」

 

「そ、そんな……どうして初見で、そんな完璧な対処法が……」

 

「そのシュート、ボクにとっては過去の技術です」

 

ガクリとうなだれる実渕。これが、最後の抵抗を問答無用に停止させる、精神を両断する一撃だった。のちに『無冠の五将』と呼ばれる実渕玲央の、これが全国初戦の敗北であった。

 

 

 

 

中学時代の終焉まで続く、帝光中無敗記録のはじまり。



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第12Q これが『後出しの権利』

帝光中1年C、紫原敦。

 

のちに『キセキの世代』と呼ばれる彼の才能を簡単に言い表すならば、それは『高く』『重い』という2点に絞られるだろう。中学1年の時点で全国有数の高身長と長い手足を持ち、最高到達点はこの『全中』においてもトップクラス。さらに、細身の外見に騙されがちだが、その筋力は見た目に反して非常に高い。エネルギー量が群を抜いていると言えばいいだろうか。同体重の選手と押し合おうともビクともしない全身の強さ。

 

『高く』『重い』その様はまるで悠然と佇む泰山のごとく。その2つの才能、恵まれた身体能力のみで戦えるのが紫原敦という選手なのだ。だからこそ興味がある。彼とは別のベクトルの実力者、技術と駆け引きのスペシャリスト。ボクの良く知るかつての先輩。

 

 

――『鉄心』木吉鉄平とどちらが強いのか

 

 

Cというポジションで最も大事な要素は何なのか。その答えの一端がこの試合で見られるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

午後になり、両チームがコートに現れた。相手は照栄中という無名の学校。だが、侮れる相手ではない。なぜなら、桃井さんのデータで知っているからだ。彼がそこにいることを。

 

一度、礼をした後に両チームが半面ずつに分かれてアップを開始する。その最中、シュート練習の合間にチラリと、ボクはもう半面のコートに視線を向けた。帝光中に比べれば規模の小さい照栄中。全員が順番に並んでひとりずつレイアップの練習をする。その中で最も大柄な選手。彼こそが『無冠の五将』がひとり、木吉鉄平。――かつての未来では、誠凛高校の支柱でもあった強力Cである。

 

「お久しぶりです、木吉先輩……」

 

懐かしさを込めて、小さくつぶやいた。自然と声に郷愁が滲む。敵同士だが、かつての先輩に会えたのはとても感慨深いものがある。

 

 

 

 

 

 

 

本日2戦目、午後に行われるダブルヘッダーの試合だったが、体力にはまだ余裕がある。午前の風見中との初戦は、第3Q途中でボク達は交代。上級生が後を引き継いでいる。最も懸念されていた1年生のスタミナ切れという事態は避けられそうだ。とはいえ、相手は実渕さんと同じく『無冠の五将』がひとり。現在の紫原君で対抗できるかどうかは未知数だ。

 

しかし、そんなボクの予想とは裏腹に、現在の展開は帝光中の優位に進んでいた。理由は単純明快。赤司君の采配によるものだ。

 

「すげえっ!何であそこから入るんだよ!」

 

「またハーフラインから3P決まったぞ」

 

緑間君の左手から投げ上げられたボールが、またしてもネットに触れることなく通過する。正確無比なシュートの連続に、相手選手たちの顔に驚愕を通り越して、戦慄の表情が浮かぶ。

 

「流石だな、緑間」

 

「ふん、当然なのだよ」

 

赤司君の声に、片手で眼鏡を直しながら答える緑間君。ハーフライン以内の全てが射程内となった彼のシュートは、圧倒的だった。極度の集中を要するために、1試合せいぜい5本までが限度だそうだが、それでも指定地点以外からも発射可能となったそれは、相手にとって恐ろしく脅威である。早くも試合の流れを強制的に掴み取った。

 

「諦めるな!今度はオレ達の番だ!」

 

しかし、相手も負けてはいない。木吉先輩の激励の声に頷くチームメイト達。ハイポストに陣取る彼にパスを回す。しかし、背後に控えるは体格で勝る帝光中C、紫原敦。

 

「木吉、頼むっ!」

 

それに応えるかのように、その場で素早くターン。ゴール下での勝負に突入する。速度で勝る木吉先輩が右側から抜きに掛かった。ワンドリブルで半歩だけ紫原君を置き去りにする。そのまま片手でレイアップの体勢に入るが――

 

「そんな程度で決められると思ってんの~?」

 

横から伸びる長い手が、木吉先輩の視界を遮る。身長や手の長さは圧倒的に紫原君の方が上。たった半歩程度の遅れは十分に取り戻せるのだ。

 

「もちろん、思っちゃいないさ」

 

しかし、その顔に焦りの色はない。レイアップでボールを離す瞬間。片手でそれを掴み、後方へと放っていた。紫原君の目が大きく見開かれる。完全に虚を突かれた、シュートを打つ体勢からの無警戒のパス。それはマークを振り切った仲間の手元へと送られる。

 

「――これが『後出しの権利』」

 

ボクは小声でつぶやいた。

 

これが『無冠の五将』たる木吉鉄平の固有技能。ハンドボールのように球を掴むことのできる、人並み外れた巨大な手。それによって、ボールを離す直前まで行動を変更することができるのだ。シュートかパスかドリブルか。本来なら変更不可能なタイミングで、相手の動きを見てから裏をかいた選択をできる。

 

「あのC、メチャクチャ巧いぞ」

 

地味な活躍ではあるが、観客達も分かっている。圧倒的な体格差のある紫原君を上回る技術力、駆け引きの妙を。木吉先輩の出したパスは、フリーの味方が得点に繋げる。

 

 

その様子をベンチで観戦する。正直、紫原君と木吉先輩の正面衝突を望んでいるのだが、あいにくボクは今回のスタメンではない。そのせいで、紫原君は攻撃の基点から外されていた。赤司君のパス回しによるものだ。

 

「おっし、楽勝だぜ」

 

カットインを仕掛けた灰崎君があっさりとミドルシュートを決める。

 

反撃のカウンター。再び木吉先輩にボールが渡る。ポストプレイを試みるも、背後には紫原君の巨体が聳え立っている。しかし、同時にインサイドに走り込んでいる相手選手。木吉先輩はフェイクを入れてから、そちらにパスを出そうと手を伸ばす。反射的に紫原君がそれを叩き落そうとして――

 

「だから、させないって……あ、ヤバッ」

 

「残念、ドリブルだよ」

 

 

――伸ばされた片手が瞬時に戻された。

 

 

驚愕に歪む紫原君を横目に、反対側にターンした木吉先輩はゴール下でシュートを決める。体勢の崩れた状態でそれを止めることなど不可能だった。

 

完全に掌の上で踊らされている。自分よりも小さい相手に良いようにされる屈辱に、苛立った表情でギリッと歯噛みする。

 

 

 

「バスケなんて、でかいヤツが勝つだけの欠陥スポーツ」というのが紫原君の考えだ。

 

高ければ勝ち、重ければ勝ち、速ければ勝つ。まあ、高い程度で、強い程度で、速い程度で、巧い程度で、勝てるほどバスケは甘いスポーツじゃない。ボクからしてみれば失笑モノの考えだが、それが彼の思想である。とはいえ、だからこそ現在の状況は彼にとっては許せないものであるはずだった。

 

 

 

帝光中の攻撃。今度はボールがハイポストの紫原君に渡る。背後には木吉先輩が控えている状況。本来ならば緑間君なり、青峰君なりにボールを回すのが最善だったろう。しかし、今の彼は頭に血が昇っている。

 

「……ひねり潰す」

 

じりじりと背中で押し引きして、一気にターンからのシュート。体格差にモノを言わせたパワープレイ。しかし、フェイクすら入れないというのはムキになっている証拠だ。これだけ体格に勝る相手にやられて、平静でなどいられないのか。だけど、そんな単調な攻撃――読まれるに決まっている。

 

「なっ……!?」

 

ターンの瞬間、狙い澄ましたスティールが決まった。回転中の無防備な手元を狙い、ボールを叩き落す木吉先輩。紫原君の顔が蒼白に染まる。

 

ダメだよ、紫原君。全盛期のキミの圧倒的速度があればともかく、駆け引きと技巧に長けた木吉先輩にそれは通じない。

 

「よし、行くぞ!速攻だ!」

 

木吉先輩の号令と共に繰り出される速攻。パスを繋ぎながら、帝光中の陣地へと攻め込んで来る。そして、フィニッシュはもちろん木吉先輩へ。インサイドへドリブルで切り込み、レイアップを放とうとして――

 

「うおっ、追いついたのか!?」

 

ダッシュは苦手な紫原くんが、意地で横に喰らいついていた。驚いた様子で木吉先輩は空中で、一瞬だけ視線を右へと動かす。レイアップと見せかけてのパス。紫原君は瞬時に相手の狙いを看破した。予想通りにノールックで右へのパスを出そうとするところを、リーチの長い腕でカットしようと伸ばす。しかし、木吉先輩の腕はボールを掴んだまま、その場で停止した。

 

「違うんですよ、紫原君。木吉先輩とのそれは、読み合いの勝負なんかじゃない。キミの動きを見てから行動を変える『後出しの権利』は、確実に裏を掛けるんですよ」

 

 

――片手でボールを掴んだまま、上へと伸ばしてレイアップを打ち放った。

 

 

手放されたボールは、ふわりと浮いてボード越しにリングを通過した。

 

 

 

 

 

 

 

次の攻撃は、フィニッシュが青峰君がミドルシュート。帝光中が得点を決め、再び相手チームの攻撃。こちらの堅い守備の前に責めあぐねる照栄中の選手たち。何とか切り込もうとするが、決め手に欠ける。仕方なく中距離からのジャンプシュートを仕掛けるしかなかった。

 

「……あ、スマン。ミスった」

 

ガツンとリングに当たって宙空に弾かれるボール。これはセンターというポジションの真骨頂。リバウンド勝負。

 

「あっ……マズ…」

 

だが、先ほどの敗北により忘我の状態に陥った紫原君は、わずかに反応が遅れた。その一瞬の遅れで、彼の位置取りを奪った木吉先輩を褒めるべきだろう。不利なオフェンスリバウンドで紫原君の前の絶好の陣地を侵略した。ボールが二人の真上に落ちる。雄叫びを上げながら同時に双方が跳躍する。

 

「うおおおおっ!」

 

身長も筋力も最高到達点も紫原君が勝る。しかし――

 

――リバウンドを制したのは木吉先輩だった。

 

両手でしっかりとキャッチして、自分の身体の中に確保する。リバウンドのポジション取りの技術。それが圧倒的な体格差を覆したのだった。

 

「……そんな、オレが負けるなんて」

 

頬を引き攣らせながら、紫原君は震える声でつぶやいた。そして、木吉先輩のリバウンドから相手チームが得点したところで、第1Q終了のブザーが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

得点だけを見れば、帝光中が優位に進められている。マッチアップで不利なのは木吉先輩の所だけなのだから。しかし、いくら実力があろうと他の選手の穴だけは如何ともしがたい。このまま試合を進めていけば、順当に勝利できるだろう。

 

午前中の風見中との試合では、かつての因縁もあって八つ当たりをしてしまったが。『虚空』のシュートを初見で潰して心を折ってしまったが。あれは例外。木吉先輩にわざわざトラウマを植えつける必要は無い。帝光中を相手に健闘したと良い思い出を作って帰ってもらうのが、かつての後輩としての心遣いというものだろう。

 

だというのに、なぜだろう。この気持ちは……。このまま終わることに、どうしようもなく疼きを感じるのは。

 

自然とボクの足は彼の元へ向かっていた。ベンチで頭にタオルを被せて意気消沈する紫原君。気落ちした様子で彼は顔を上げる。

 

ここでボクは自身の焦燥感の理由を悟った。そうだ、勝敗なんて関係ない。勝てるから良いとか、負けるから悪いとか、そんな低次元なことではない。この奇跡の才能を埋もれさせることに不安感を覚えていたのだ。光をくすませたままでいることに罪悪感を覚えていたのだ。

 

何のことはない。光に囲まれた帝光中時代に戻ることで、自身の陰性がさらに色濃く現れただけのことだったのだ。光を輝かせるという習性が魂に染み付いた結果だったのだ。

 

紫原君の耳元でボクは囁いた。これは、かつての頼れる先輩に対する所業では決してない。

 

 

 

 

 

 

 

第2Q開始のブザーが鳴り響く。

 

「木吉って言ったっけ?……さっきはやられたけど、今度はヒネリ潰すから」

 

「ん?まあ、たしかにお前、パワーも高さもあるけどさ、それだけじゃ勝てないぜ。こっから逆転してやるさ」

 

「悪いけど、それは無理だよ~。もうこっからは何もさせてやんない」

 

互いに見つめ合い、火花を散らす両雄。そして、勝負の機会はすぐにやってきた。開始早々の灰崎君のミドルシュート。

 

「やっべ、ミスったわ」

 

リングに弾かれ、宙に舞うボール。巧い、すでに紫原君を抑えてリバウンドの位置取りを確保。力で強引に押し出そうとするが、木吉先輩も必死で押し返す。腰を落とし、大地に根を張ることで耐えている。同時に跳躍する二人。

 

「うおおおっ!絶対獲ってやる!」

 

木吉先輩が全身の力を振り絞って両手でボールを取りに行く。ポジションは先輩が有利。先ほどと同様にリバウンドを奪おうと雄叫びを上げる。その彼の背後からの紫原君のつぶやきが耳に届いた。

 

「黒ちん直伝~。ええと、たしか……」

 

木吉先輩の両手がボールをキャッチする直前、そのボールは背後から伸びる手によって奪われた。視界に天高くそびえる腕が一本。絵筆で空間に固着されたように。空中でボールが静止していた。驚愕の表情で木吉先輩が叫ぶ。

 

 

「これはまさか――片手でボールを掴んでるのか!?」

 

 

――『バイスクロー』

 

これがボクの伝授した技の名前である。元々は、未来の木吉先輩が会得した必殺技である。人並み外れた巨大な手、鍛え上げられた握力。それらを利用して、片手で空中のボールを掴むという荒技なのだ。

 

絶望的な表情を浮かべる木吉先輩。片手で捕球できるということは、そのぶん肩を入れて遠くまで手を伸ばせるということ。多少のポジションの不利は覆せる。紫原君の身長と手の長さを考えれば、ほぼこれ以降のリバウンド奪取は不可能に近い。

 

そして何より、手の大きさを自慢にしていた木吉先輩にとって、自身のお株を奪う荒技はとても冷静ではいられない。

 

「いくよ~」

 

動揺で反応が遅れた隙に、紫原君は再び跳躍していた。慌ててジャンプする木吉先輩だが、それを無視して力ずくでダンクの体勢に入る。邪魔な障害を弾き飛ばし、鬱憤を晴らすかのように両手で豪快にリングに叩き込んだ。

 

「ぐうっ……」

 

「あれ?いたんだ~。全然気付かなかったよ」

 

上から見下ろしながら言い放つ紫原君に、尻餅をついた木吉先輩は顔を苦々しく歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

そこから先は紫原君の独壇場だった。最短距離で手を伸ばし、高高度での捕球を可能とする『バイスクロー』は、多少の優位をひっくり返す。オフェンスリバウンドまで喰らい尽くす強欲な右手は見る見るうちに得点差を広げていった。

 

「集中!集中!こっからだ。まだ逆転できるぞ!」

 

しかし、木吉先輩の目はまだ諦めていない。この状況で勝利を信じられるとは、さすがは『鉄心』と呼ばれるほどの強い精神力だ。先輩の激励の声に、仲間達の瞳に再び光が灯る。実際にまだ万策尽きたわけではないからだ。

 

 

『後出しの権利』――読み合いで確実に勝利できる、その固有技能が残っているからだ。

 

 

「こっちだ!オレにくれ!」

 

ゴール下に走りこむ木吉先輩にボールがわたる。さすがに直感している。このポイントが最後の分岐点であると。ここで得点を決められれば、照栄中は息を吹き返すことができる。だが、止められればその時点で終わりだ。

 

「ここは決めさせてもらう」

 

物凄い気迫。勝負所の精神力はやはり群を抜いている。必勝の決意と共に挑みかかる。そして、対照的に紫原君の身に纏う雰囲気は静寂に包まれていた。ただしそれは、気迫に押されたからでは決して無い。

 

「紫原君……見事な集中力です」

 

思わず感嘆の声を漏らすほど、今の彼は全神経を最大限に張り詰めさせていた。周囲の空気がしんと冷え切ったかのよう。そんな全戦力を総動員した二人が交錯する。

 

跳躍してシュートを放とうとする木吉先輩。その鬼気迫る様子はフェイクではない。実際にシュートを打つつもりだ。紫原君もブロックのために跳び、手を上げて聳え立つ城塞となる。

 

――だが、それは囮。

 

気迫の有無など関係ない。リリースの寸前で動作を切り替えられる木吉先輩にとって、これは読み合いなどではなく、まさに後出しのジャンケンと同じ。反則的な精度で相手の裏をかく。

 

「これは……パス!?」

 

紫原君の予測はシュート。その読みは裏切られる。伸ばした手を瞬時に引き戻し、左へと大きく舵を切った。

 

 

 

先ほどの休憩中、ボクは二つのアドバイスをしていた。ひとつは、木吉先輩の得意技である『バイスクロー』について。そしてもうひとつが、『後出しの権利』の攻略法である。ブロックとパスカット。2択の読み合いに持ち込み、必ず勝利するのが木吉先輩の固有技能の真骨頂である。どちらかに的を絞れば必ず裏を取られる後出しジャンケン。ならば、攻略法は簡単。的を絞らなければいい。つまり――

 

――ブロックとパスカットの両方をすれば良いのだ

 

「何だと……スティールされた!?」

 

 

紫原君の長い右腕が、木吉先輩のパスを叩き落した。

 

 

木吉先輩が選択肢を変更した瞬間、即座に右手を伸ばしてパスカットしたのだ。だが、言うは易し、行うは難し。相手の動きを見てから、さらに選択肢を変えるなんて常人では不可能。ガタリと思わずパイプ椅子から立ち上がる。

 

「何て反射神経……!極限の集中状態が、紫原君の才能を引き出したんですか!?」

 

全盛期の、常人を遥かに超越した反射神経。その才能が開花した。『後出しの権利』を持つ木吉先輩の、後出し。一切のタイムラグ無しにパスカットをする反応速度は人智を超えている。

 

「もう、勝負は決まりましたね……」

 

呆然と立ち尽くす木吉先輩の姿に、ボクは終幕を感じていた。

 

もはや照栄中に勝ち目は無い。一太刀入れることすらも。それを相手チームの全員が、暴力的なまでに納得させられた。空中戦の技術と駆け引きが通じないならば、あとはただ蹂躙されるしかない。木吉先輩には悪いが、残されたのは絶望だけだった。小さく溜息を吐く。

 

「お、黒子、珍しいな。お前がそんな感情を表すなんて」

 

「……どういうことですか、虹村先輩?」

 

こちらを見て、少し驚いた表情を浮かべた先輩に、ボクは眉根を寄せて問い返す。

 

たしかに昔の先輩に悪いことをしたとは思っている。紫原君に心を潰させることになったのは申し訳ない。だけど、それほどあからさまに同情したわけではないのだが。虹村先輩は小さく肩を竦める。

 

「ずいぶん嬉しそうじゃねーか」

 

思わず自分の両の掌を顔に当てる。三日月形に口元が吊りあがっていた。笑っているのか……?木吉先輩を絶望の淵に突き落としておいて。ああ、そうか。

 

 

――これがボクの本質なのか

 

 

光に満ち溢れた帝光中に戻ったせいで、影に徹していたボク自身の陰性が飛躍的に増していたのか。すなわち、光を輝かせることへの偏執的なまでの執着。紫原君の才能を開花させるために、木吉先輩を終わらせることを躊躇わない。踏み台としか見ていなかったのか。

 

愕然とすると同時に、妙に納得もしていた。

 

あのWC決勝の惨劇で、何かを変えてしまったのだろう。かつてよりも早い『キセキの世代』の開花も当然。論理的ではないが、理由はボクの陰性度の高まり。色濃く塗り潰す漆黒の影は、光をくっきりと浮かび上がらせるのだ。

 

 

『キセキの世代』の埒外な才能そのものに、ボクは魅入られていた。



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第13Q うっわ、久しぶりじゃん

全中の初日、2試合を終えて夕陽も沈んだ頃、ボクは観客席のひとつに座っていた。隣では桃井さんがデジタルカメラを三脚に設置している。それを終えると、彼女は試合結果をまとめるためのノートを鞄から取り出した。全中の舞台となる広大な会場は、4割ほどの埋まり具合。まばらな観客席の大半は出場選手と応援の生徒達、残りは保護者という状況だった。

 

「まあ、本来はこれが普通ですよね……」

 

新鮮な気分でつぶやいた。雑誌などのメディアで『キセキの世代』が取り上げられたせいで、当時は満員でしたからね。特に中3のときの全中の盛り上がりは前代未聞で、立ち見まで出る始末。その印象が強いせいで、今年の大会は少し物足りない気分だった。

 

「やっぱり、テツ君の言ってた中学は順当に勝ち進んでるわね」

 

桃井さんはトーナメント表に線を引いて勝敗を確認する。

 

「葉山小太郎と花宮真。以前から注目していた、その2人のいる中学は今日も勝ち残ってる。得点を見ると、実力的にもだいぶ抜けてるわね」

 

「そのようですね。どの試合も10点以上の差を付けて勝っているようですし」

 

手元のノートを覗きながら、確認するように答えた。この調子ならば、帝光中と当たるまで勝ち進んでくるだろう。まだ『無冠の五将』がひとり、根武谷永吉の試合がまだだが、おおよその中学は出揃ってきた。

 

「あれ?これは……」

 

トーナメント表を眺めていると、見覚えのある中学に視線が止まる。それと同時に背後で大きな声が上がった。

 

「あっ!黒子!」

 

明るい声で呼ばれて、ボクは振り向いた。思わず驚きで目を見開いた。こちらに駆け寄ってくる人影。それはよく見知ったものだった。

 

「荻原君……!?」

 

「うっわ、久しぶりじゃん。まさか、本当に全国で会えるなんてなー」

 

バンバンと興奮気味にボクの肩を叩く。小学校時代の友人の萩原君との再会。予想外の出来事に、思わずボクは目を丸くして驚いた。

 

「……お久しぶりですね。全中に出場すると電話では聞きましたが、本当に会えるとは思いませんでしたよ」

 

「おいおい、今日で負け抜けして帰ると思ってたのかよ。もちろん勝ったんだぜ。まあ、オレは補欠だけど……」

 

頬をかきながらも、嬉しそうに語る。

 

「なあ、シゲ。勝手に行くなよ……って誰?」

 

「ああ、先輩。コイツ、小学生のときの友達で、黒子テツヤって言います。それで、聞いてくださいよ。何とあの、帝光中で背番号もらってるんですよ!」

 

「えっ!?マジかよ……お前と同じ中1だよな?」

 

自慢げに胸を張る荻原君に、驚きの声を上げる先輩達。

 

「そういや、黒子って試合は出れたのか?こっちとかぶって観れなかったんだけど」

 

「出ましたよ。初戦の第2Q目だけですけど」

 

「うおっ!すげえじゃん。あの帝光中で少しでも出れるって相当だろ。オレなんか、ずっとベンチだったぜ」

 

たぶん、経験としてお情けで出してもらったと思ってるんだろうな。まさか、切り札として出されたとは想像もできないだろう。隣にいる桃井さんが微妙な表情で笑っている。

 

「で、隣のかわいい娘は誰?彼女?」

 

「かっ!かかか彼女っ!?」

 

荻原君の軽口に顔を真っ赤にして叫ぶ桃井さん。

 

「……マネージャーの桃井さんです。次の試合で当たる中学の偵察ですよ」

 

「あっ、そうなんだ。次はどこ?」

 

彼女でないことは分かっていたようで、それはそれで心外だが、すぐに切り替えて眼下のコートに目を向けた。すでにアップを始めている両チームのユニフォームの文字を読み取る。

 

「上崎中と江口東中……。強いんですか?」

 

後ろを向いた荻原君は先輩に問い掛ける。明洸中の生徒達も同じくコートに目をやった。

 

「どっちも名門校だ。特に江口東は去年、かなり強力なPFが入ってな。良いところまで勝ち進んでたぜ」

 

「へえ、そうなんですか」

 

「つーか、オレらはもう戻るからな。集合時間に遅れんなよ」

 

はい、と彼は返事をしてボクの隣に座った。一緒に観戦してくれるようだ。同時に、コート上に選手が集まり整列を始めている。試合開始だ。桃井さんもビデオカメラのスイッチを入れる。

 

「そろそろ始まるようですね」

 

「なあ黒子。どっちが勝つか予想しようぜ」

 

「いいですけど……。荻原君、両チームのこと全然知らないですよね?」

 

無邪気に笑う彼に、ボクは苦笑してみせる。上崎中といえば、かつての歴史では中1の時点で頭角を現していたあの選手がいたはずだ。エース級の実力を持ち、青峰君と唯一競り合えた新入生が――

 

「この試合、互いのPFの選手の優劣が勝敗を左右するでしょう」

 

確信を持って、ボクはそう口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての記憶を思い出す。

 

1年生でありながら全国区のエース。それが上崎中の井上、という選手である。並大抵の才能ではない。帝光中レギュラーだった、かつての歴史の青峰君と同列に並べられたと言えば、その凄さが分かるだろうか。全国最強の帝光中で、唯一の新入生レギュラーにしてエース。そんな彼と同列の才能。もちろん、覚醒前の青峰君と比較してではあるが――

 

それでも、稀有な才を持つ逸材であることに違いは無い。

 

「巧い……。マジかよ、あれがオレらと同学年だって?なんつーセンスだよ」

 

呆然と荻原君が息を漏らす。技巧的で幻惑するドリブル技術に丁寧なシュートタッチ。開始早々に仕掛けた、目を見張る単独突破。たった一度の攻撃で、そのセンスをいかんなく発揮していた。

 

「しかも、ディフェンスも隙がねえし」

 

相手のPFの腕からボールをカット。再び単独速攻を仕掛ける井上君。だが、さっきのプレイに警戒したのか、二人掛かりで相手チームも止めに来る。そこで彼は躊躇無くノールックで味方にパス。空いた敵陣を上崎中の仲間が攻略する。

 

「さらに、周りも見えて冷静……。とても良い選手ですね」

 

正直なところ、中2で覚醒後の青峰君を相手に晒した醜態しか覚えていなかったが……。改めて観察すると、その実力は瞠目するものがある。桃井さんも同意するように頷いた。

 

「心技体揃ったハイレベルな選手よね。皆と同じくスタミナに難はあるものの、明日当たるのは初戦だし。体力的にも万全なはず。これは青峰君に匹敵するかも……」

 

「ですが……このままじゃ終わりませんよ。江口東中には彼がいますから」

 

そう言ってボクは上崎中のゴール下に視線を向けた。リングに当たったボールが空中に浮く。

 

リバウンド勝負。しかし、そこに井上君の姿は無い。苦々しく歪んだ表情を浮かべ、みじめに尻餅を着いていた。ゴール下にいるのはただ一人。そこには天才的エースを陣内から弾き飛ばした、色黒の男が佇んでいた。

 

 

――『無冠の五将』根武谷永吉

 

 

「ゴール下のパワー勝負で、彼の右に出るものはいませんよ」

 

 

 

 

 

 

 

心技体がハイレベルで揃っているのが井上君だとすれば、体のみに特化したのが彼である。精緻な技巧や先を見通す戦術眼など一瞥もせず、一心不乱に高め続けたのが筋力だった。それだけに、その一点特化の能力は鋭く尖りきっている。

 

「前半が終わったけど、得点は互角か……」

 

「さすがに全国常連校同士。チームとしての総合力は高いわね。ただ、その中でもあの2人は図抜けてる。テツ君が試合前に言ってたみたいに、PF同士の均衡が崩れたときが勝負の分かれ目になりそうね」

 

桃井さんも荻原君も食い入るようにコートを見つめている。後半戦もマッチアップは変わらず。第3Qも上崎中の攻撃の要は井上君のペネトレイト。

 

「抜いたっ!」

 

手元でのワンフェイクからドライブ。そこからの切り返しで、体勢の崩れた根武谷さんを抜き去った。モーションの読みにくい初動と切り返しの滑らかさは、彼の技術力の高さを見せ付ける。

 

 

 

そして、次は根武谷さん率いる江口東中の攻撃ターン。エースでの突破を軸とする上崎中とは対照的に、オフェンスはまんべんなくどこからでも仕掛けていく。今回はSGからのロングシュート。だが、それはリングに当たって上空に弾かれる。

 

――リバウンド勝負

 

「って、おいおい!オフェンスリバウンドなんだぞ!」

 

荻原君が驚愕の声を上げる。それもそのはず。絶好のポジションを取ったはずの井上君が、あっという間にリングの真下、ボールの届かない最悪のポジションに押しやられてしまったのだから。圧倒的なパワーでその身体を押し込んで、逆に絶好のポジションを確保される。

 

「マッスル!リバウンドぉおおお!」

 

野太い雄叫びが会場中に轟く。気迫の叫びと共に跳び上がり、井上君を弾き飛ばしながらボールをキャッチした。強烈な一撃で一蹴した後は、無人のゴール下で悠々とシュートを決める。

 

「……信じらんねえ。力任せ過ぎんだろ。オレもPFだけど、ぜってえアイツとはやりたくねーよ」

 

げんなりした様子で荻原君がつぶやいた。

 

「だけど、その効果は絶大よね。リバウンドを確実に取れることは攻守において圧倒的に有利。今日の照栄中との試合でのムッくんを見てもわかるように、ゴール下の主導権争いは直接勝敗に結びつくわ」

 

その言葉にボクも頷く。

 

試合でのシュート成功率は、NBA選手でもペイントエリアでおよそ5割~6割と言われており、3Pシュートを含めればさらに下がる。ましてや中学レベルでは、シュートの大半は落ちると考えた方がいい。そこで最重要となるのが、リバウンドである。

 

「うおっ!またリバウンド取った!」

 

ディフェンスリバウンドも根武谷さんが奪取。相手の攻撃をシャットアウトし、江口東ボール。

 

「……何か、江口東の攻撃の時間が増えてねーか?オレの気のせい?」

 

「いえ、延びてます。あっ、そうか!」

 

その言葉に、ハッと気付く。すぐさま視線を井上君に向ける。大量の汗をかき、肩で息をする疲労困憊の様子に、ボクは納得した。

 

彼にボールが渡る。左右に相手を振ってフリーになったところでジャンプシュートを放つ。技量の差は歴然。十分に狙いを付けて打ったはずだった。だが――

 

「ダメですね。外します」

 

自身の考えを裏付けるように、そのボールは鈍い音と共にリングに弾かれた。

 

リバウンドを奪ったのはまたしても根武谷さん。井上君に至っては、筋肉の壁に阻まれ、もはや跳ぶことさえできていない。そして、弾かれたその場で膝に手を置いて、荒く短い呼吸をしている。

 

「恐ろしい重圧ですね。たった2Qで、あれだけ体力を消費させるなんて……」

 

「え?あ、本当だ!すごい疲れ切ってる!」

 

桃井さんが驚きの声を上げる。続いて荻原君も目を見開いた。あの怪力自慢とゴール下で身体を合わせて押し合う。それは、こちらから見ている以上の重労働なのだろう。たった16分で、井上君のスタミナを消耗させきるとは……。

 

「体力が切れれば、動きのキレがなくなる。シュート精度も落ちる。これまで以上にリバウンドも取れなくなる。視野も狭くなる。そして、状況を打開する頭も働かなくなる」

 

その後も、井上君が果敢に挑むも、動きの鈍ったドリブルでは根武谷さんを抜くことはできず、スティールを連発された。

 

 

 

かつて、洛山高校との試合で彼が自信満々に言い放った言葉を思い出す。

 

バスケをするのは身体。その身体を動かすのが筋肉である。筋肉さえあれば全て上手くいく、というのが彼の哲学。

 

ボクにしてみればとても納得できるものではないが、この試合を見るとそれも一理あると思わされる。それに、後半に入っても対照的に根武谷さんの方は息も切れていない。筋肉だけでなく、体力も相当に鍛えてあるようだ。

 

 

圧倒的な筋力とスタミナを武器に、強制的に体力勝負に持ち込むのが『剛力』根武谷永吉の戦術――

 

 

こうして、根武谷永吉の所属する江口東中が勝利を引き寄せたのだった。

 

「……次の対戦相手が決まったわね。マッチアップは大ちゃん、か」

 

「紫原君とマッチアップを変えるという手もありますが、それではつまらないですね」

 

こんな選手は青峰君も未体験だろう。井上君と当たるよりも、ある意味では望ましい。『無冠の五将』との対決が青峰君の成長を助けてくれればよいのだが。

 

「黒子のとこは、明日あのゴリラが相手か……。ドンマイ」

 

「荻原君の方はどうなんですか?明洸中、でしたっけ。明日の対戦相手は?」

 

荻原君は手元のトーナメント表に視線を落とす。

 

「ええと……ああっと、ここか」

 

紙の上に指し示した中学を見て、ボクは驚きと共に息を吐いた。桃井さんも気付いたようだ。そう、この中学は――

 

 

――『無冠の五将』がひとり、葉山小太郎のチーム

 

 

「桃井さん、ちょっとノートいいですか?このチームは最優先で分析してくれてましたよね」

 

「え、うん。そうだけど」

 

「このノート、使ってください。相手の弱点分析と桃井さんの未来予測が書かれています。先輩達に見せてください。これがあれば、かなり有利になるはずですよ」

 

桃井さんに許可をもらい、特製のノートを荻原君に手渡した。かつて灰崎君が惨敗した相手なので、桃井さんには特に力を入れて情報収集をしてもらっていたのだ。これがあれば、多少の実力差は覆せるだろう。

 

「何だよ、そんな強いのか?まあいいや、サンキュー」

 

「お互い勝ち進めば、決勝で会えるでしょう。そちらも頑張ってください」

 

「おう!じゃあオレも戻るわ。黒子も頑張れよ!」

 

手を振って去っていく荻原君。ボクも手を振り返す。彼の姿が見えなくなったところで、もう一度トーナメント表を開き、注目すべきチームをチェックする。

 

明日の対戦相手は根武谷永吉の江口東中。順当に行けば、その次の準決勝は同じく『無冠の五将』花宮真の所属する中学。決勝は灰崎君と因縁のある最後の『無冠の五将』葉山小太郎。その隣の明洸中の文字で視線が止まる。

 

旧友である荻原君に勝って欲しいという気持ちは当然ある。半分くらいは。我ながらどうしようもないと思う。だが、もう半分はその正反対の気持ち。弱点を突かれ、それでもなお葉山さんが勝ち進んだならば。弱点を克服した彼の実力はさらに高まっているだろう。それは、灰崎君の成長の糧として十分なほどに。そんな目論見も、やはり半分ほどあった。

 

どちらに転んでも構わない。旧友の勝利は嬉しいものだし、灰崎君の開花のための生贄ができるなら、それはそれで望むところ。

 

 

それにしても、かつての歴史では帝光中と上崎中はこの全中で対戦していたはず。これまで確信は持てていなかったけれど、どうやら完全に過去と同一という訳ではないらしい。ボクの存在によるバタフライ効果だけでなく、少しだが確実に過去が変わっている。

 

それが吉と出るか凶と出るかは、神ならぬボクには予想も付かないことだった。

 

 

 



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第14Q 外す気がしねえ

全中初日を突破したオレ、青峰大輝の本日のテンションは最高潮だった。

 

「よっしゃ!いよいよ今日が、全中のラストだよな」

 

「そうね。ただ、チームが少なくなったから、今日は3試合。すごくハードな1日になりそうね」

 

「望むところだぜ」

 

電車を待つための駅のホームで隣のさつきに気を吐いた。肩を回してみる。昨日の疲れは取れたようだ。身体の調子は万全。まあ、先輩達とローテーションだったしな。

 

「大ちゃん、忘れ物ない?バッシュは持った?」

 

「持ってるよ。うっせーな、これで何回目だよ」

 

「もう、だっていっつも忘れ物するじゃない」

 

相変わらず母親かってくらい面倒くせー。心配性過ぎるだろ。電車を待ちながら、腕を頭の後ろで組んで上を向いた。さつきは最近よく書き込んでいるノートを、鞄から取り出す。

 

「そうだ!今日の初戦の相手なんだけど。大ちゃんのマッチアップ、エース級の要注意人物だよ」

 

「へえ、そりゃ楽しみだ」

 

思わずオレの口元が吊りあがる。

 

「それでデータと攻略法なんだけど……」

 

「いらねーよ。せっかく楽しめそうな相手なんだ。そんなん知ったら半減するじゃねーか」

 

「はあ……またそれぇ?まあ、テツ君も助言はいらないって言ってたけどさ」

 

さすがテツ、分かってるじゃねーか。全国最強を決める大会とはいえ、今のところ、手も足も出ないレベルの敵は現れていない。オレを熱くさせる相手と戦えてねーからな。余計な情報無しで楽しみたいもんだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

そんな期待と共に始まった全中2日目にして最終日。江口東中学とのゲームだった。

 

「……って、オイ。全然じゃねーか」

 

開始早々に、あっさり横を抜いてシュートを決めたオレは、呆れと共に溜息を吐いた。マッチアップの根武谷永吉というヤツ。技術も反応も並レベル。さつきが要注意って言ってたから楽しみにしてたが、まるで相手にならねー。

 

だが、そんなことを思えたのはそこまでだった。リバウンド勝負で押し合い、――コート上に転がされるまでだった。

 

「おう、悪いな。あんまり軽かったんで気付かなかったぜ」

 

尻餅を着いたオレを見下ろして相手PF、根武谷永吉はつまらなそうに言い放った。

……この野郎、完全にナメてやがる。頭にカッと血がのぼり、奥歯を噛み締めた。

 

 

 

江口東の攻撃。紫原の待つインサイドを避け、相手チームのシューターが3Pを放つ。だが、ボールはリングに当たり、空中に弾かれる。

 

「よっしゃ!ポジションはもらった!」

 

根武谷よりも反応が早い自信がある。相手よりも前に陣取り、腰を落としてヤツの身体を押す。さっきは不利なオフェンスリバウンドだったが、今回はディフェンスリバウンド。これならコイツを止められる。だが、その驕りは押してもビクともしない圧倒的な重量感と共に霧散した。

 

「な……マジかよ。テメエ、オフェンスリバウンドだろーが」

 

「軽すぎんぜ!マッスルゥ~」

 

「ぐおっ、重っ……」

 

まるでダンプカーに圧されているような。何の抵抗もできずに、ズルズルと前方に押し出されていく。そのままゴールの真下、最悪のポジションへと追いやられる。

 

「リバッ!ウンドォ!」

 

跳躍と同時にオレの身体は筋肉の塊に弾き飛ばされていた。アイツは、悠々と無人のゴール下でボールをキャッチ。もう一度、ジャンプしてあっさりと得点を決める。その一部始終を、またしてもコート上に尻餅を着きながら見送るしかなかった。

 

だが、オレの胸の奥からじわりと熱い何かがこみ上げてくる。

 

「ハハッ、面白れえじゃねーか」

 

小さくオレは笑った。

 

 

 

 

 

リバウンド勝負に勝ち目はない。ただでさえ年齢的にフィジカルは弱いんだしな。このゴリラとの押し合いは諦める。こっちには紫原がいる。アイツの方は空中戦で圧倒しているし、悪いがリバウンドは任せるしかない。リバウンド奪取率は紫原とこの根武谷で半々ずつ。なら、オレの仕事は――

 

「うおっ!なんつーテクだよ……!」

 

――得点を獲ることだ

 

左右に大きくボールを振るトリッキーな動き。そこからの緩急を付けたドライブで、瞬時に根武谷を抜き去った。

 

よし!やっぱ、技術ならオレの方に分がある。

 

そして、その場でストップからのジャンプシュート。相手チームのカバーも間に合わない。決まった、そう確信した瞬間、横合いから太い腕が伸びてきた。

 

「なっ……追いついてきたのかよ!?」

 

「1回抜かれたくらいで終わるかよおっ!」

 

驚きで硬直した掌から、ボールが叩き落される。直後、空中で自分の首をひねったオレは、隣にブロックした男の姿を認め、思わず目を見開いた。

 

抜かれても諦めず、全力疾走で追いついてブロックだと……!?この筋肉馬鹿、パワーだけかと思いきや、何て運動量だよ。スタミナも鍛え上げられてやがる。完全にテクを捨てて、筋力と体力で勝負とか。いくら何でも潔すぎるぜ。

 

 

 

カウンターの江口東の攻撃。だが、手元が甘いぜ。手先を走らせ、根武谷からボールをスティール。

 

「おらあっ!」

 

そのまま全力のドリブルで単独速攻。慌てて数人がカバーに来るが、それをかわしてレイアップ。だが、その直前に背後からブロックに跳ぶ根武谷の気配に気付く。楽はさせてもらえないみてーだな。

 

「チッ、うっとおしいぜ」

 

レイアップの体勢から速度を殺してストップ。走りこむ勢いのままに跳ぼうとする根武谷は、急激な停止について来れない。ガクリと堪らず膝を折った。今度は悠々とジャンプシュートを打つ。その体勢の崩れたな状態でブロックはできないだろう。

 

 

――だが、この男の筋力はそれを可能とした。

 

 

オレの指先を離れたボールが、弾き飛ばされる。

 

「クッソ……打てさえすれば」

 

打てば入る。

 

それは予感にも近い。ここ最近、シュート成功率はうなぎのぼりで、打てさえすれば決める自信はある。一切外す気がしないという確信。だというのに、コイツはことごとく邪魔をしてきやがる。ただただ運動量と筋力に任せた、しつこいだけのディフェンス。それは技術や反応で上回るオレを封じていた。

 

一体どうすればいい……。

 

 

 

 

 

 

 

第1Q終了のブザーが鳴り、ベンチに戻ったオレはパイプ椅子に腰をおろした。スポーツドリンクをがぶ飲みしながら、意識を沈め、さっきのゲームを反芻する。

 

リバウンドを取られるのはいいとして、問題は相手の運動量に任せたブロックだな。今のオレなら、打てばシュートは入る。根武谷のリバウンドを防ぐには、とにかくシュートを外さなければいいんだ。だけど、そのためにはどうすれば……。次第にオレの意識から音が消えていく。

 

「予想以上でしたね。昨日、観たのが2試合目だったせいですね。あのディフェンス力は想定外です。オールコートプレスに匹敵する運動量。それをこのゲーム中ずっと続けてくるつもりでしょう」

 

隣に座っていたテツが肩を竦める。何かを言っているようだが、その声はオレの耳には届かない。試合に集中しきった、心が澄み渡る感覚。

 

「……ああ、聞こえてませんか。アドバイスは必要無さそうですね」

 

――速く、素早く

 

 

 

 

 

第2Q、オレは一意専心の心持でドリブル突破を仕掛けた。

 

「うっお!さっきより全然速え……!?」

 

目を見開き、驚きの声を上げる根武谷を置き去りにする高速ドライブ。ブロックは絶対に阻止。それを念頭に入れて、その場からクイックでのジャンプシュート。とにかくモーションの時間を短縮。頭上にボールを構えて放り投げる。だが――

 

「……させっかよ!」

 

横から伸びる根武谷の指がかする。このクイックでも追いついて来れたのかよ。軌道のズレたボールは、当然のようにリングに弾かれる。この速度でもダメか。なら、もっと早く――

 

幸い、リバウンドは紫原が奪取。昨日の試合で会得した片手リバウンド『バイスクロー』で制空権を確保した。

 

そして、再び帝光ボール。ドリブルでボールをキープしながら、赤司が周囲を見回す。オレがリバウンド勝負で勝てそうにないし、シュートを外すのは避けたいだろう。最も信頼が置けるのは、確実に3Pを決める緑間。だが、全中初戦で活躍し過ぎたせいで、アイツは徹底的にマークされている。

 

「こっちだ、渡せ!」

 

手を上げてパスを要求する。勝率で言えば、紫原や灰崎の方が高いだろう。この体力バカで筋肉ゴリラの、しかし心技体の体を極めた男を相手にするオレよりも。チームのためにはその方が有利かもしれない。だが、そんなことは関係ない。根武谷永吉という強敵を倒すことのみに、オレは専心していた。

 

「ハッ!まだオレに勝てると思ってんのかよ!」

 

自信満々で吠える根武谷に、ボールを受け取ったオレは鋭い視線を向ける。頭には1on1しか存在しない。全神経を張り詰め、それでいて全身から力みを消して脱力する。頭の中から余計な思考が消えていく。二度は負けられない。その追い詰められた緊張がこの状態を作り上げたのか。

 

 

――我ながら最高の集中だ

 

 

そんな思考が頭の片隅に浮かび、すぐに消える。

 

意識を目の前の相手に向けた。一挙手一投足までもが鋭敏に感じ取れる。右へのフェイクに合わせて、わずかにズレる重心。

 

その刹那のタイミングを読みきって左からのドライブを仕掛ける。まるでコマ送りのように映る視界。そんな緩慢な世界の中で、オレの身体だけはタイムラグなく動いてくれる。そういえば、テツが以前言ってたな……。

 

 

敏捷性(アジリティ)とは、それを使いこなす極限の集中状態があってこそ、真価を発揮する、と。

 

 

今なら分かる。先ほどよりもさらに素早く、神速で相手の横を通り過ぎる。横に一歩を踏み出されてから、遅れてこちらを振り向く根武谷。その顔には驚愕が張り付いている。そして、その頃には、オレの身体は次の一歩でインサイドに切り込んでいた。

 

「は、速すぎんだろ……」

 

呆然と漏らした声を背後に聞きながら、前方には相手Cがカバーのために立ち塞がった。空いた紫原にパスという手もある。だが、そんな選択肢は思い浮かびもしなかった。緩慢に過ぎる敵の動作。かつてなくキレる自身の手足。

 

負ける気がしねーよ。

 

一瞬だけ速度を落とし、トリッキーなドリブルで左右に振り回す。そして、ゴール下に切り込むと見せて、フリースローライン付近へと向かう。体勢の崩れた相手はついて来れない。あっさりと敵を振り切り、ストップからのジャンプシュート。フィニッシュを確信してボールを放とうとして――

 

「うおおおおっ!マッスルブロックぅ!」

 

オレに抜かれてから全力で走ってきた根武谷が左側から跳び掛っていた。気付いた時にはもう遅い。このタイミング、ギリギリで止められると直感する。

 

しまった……。ゴール下で相手をかわすのに少し時間を掛けちまったせいだ。クソッ、止められさえしなければ、シュートは決まるのに。打てさえすれば――

 

「ああああっ!」

 

思考よりも先に、身体が動いていた。反射的に、オレは上半身を大きく後ろに反らす。フェイダウェイよりもさらに深く、床と水平になるほどに。

 

ブロックを狙って振った腕が空を切る。根武谷の顔は驚きで固まっていた。体勢は最悪で、とてもシュートを打てる状況じゃない。だが、オレの顔には自然と笑みが浮かんでいた。周りの景色がスローモーションに見える。

 

 

「外す気がしねえ」

 

 

大きく反らした体勢で、ボールを投げ放つ。普段の練習とは程遠い、型外れのシュート。だが、極限まで集中したこの状態でなら、下半身からの力の伝達、手首の返し、そして指先の微細な感覚で精密な動作が可能。シュートタッチは限りなく理想的だった。

 

 

かつてない程の確信と共に放たれたボールは、天高く跳び上がり――リングにかすることすらなく通過した。

 

 

「すげえっ!決まったー!」

 

「何だありゃあ!マグレか!?」

 

会場中からどよめきの声が上がる。相手チームの選手達も浮き足立った様子で、リスタートのパスを出した。他の連中には、苦し紛れに放っただけと思われても仕方ないだろう。だが、オレだけは理解している。得点能力の要、シュートの極意を掴んだことを――

 

 

 

 

 

 

 

数十秒後、ドッジボールのように無造作に投げられたそれが、寸分の狂いも無くリングに叩き込まれたとき。会場中が、今度は気味の悪い沈黙に包まれた。一様に押し黙る観客達。それは相手チームの選手も同じだった。

 

動揺によるミスで続く攻撃機会を逸した江口東。帝光中は赤司からオレにボールが回る。マッチアップは同じく根武谷永吉。

 

「んな、適当な、マグレが何度も続くはずねえ!」

 

「マグレじゃねーんだよ。無敵状態のオレに勝てるか」

 

集中状態は持続している。引き続いて、コマ送りのように相手の動きが視界に映っていた。今のオレは、相手の予備動作を確認しながら、後出しで仕掛けることができる。それほどの敏捷性を有している。容易に根武谷を抜き去り、あえてストップからジャンプシュートを試みた。

 

「マッスル!ブロックぅ!」

 

さっきから思ってたけど、ブロックにマッスルは関係ねえだろーが。

 

今回はあえて追いつかせた。自分の力を確認するために。ボールを叩き落とさんと伸びる手を回避し、大きく左に持ち替える。根武谷からは届きようのないそこから、サイドスローでボールをぶん投げた。直線的に目標へ、空を切り裂いて向かう。

 

この試合で理解した。オレにとって、シュートフォームなんて意味の無いものだ。どんな体勢であろうと関係ない。

 

型にはまらない天衣無縫のシュート。

 

 

――『型の無い(フォームレス)シュート』

 

 

勢い良くボードに激突したボールは、リングにも衝突しながら精確に通過した。

 

「こっから先、オレがシュートを外すことはねえ」

 

 

 

 

 

それから17本。オレのシュートはただの一度も止められることはなく。今大会最高得点でこの試合、幕を閉じた。



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第15Q 掌の上というのは

全中2日目の午後1時。これより本日の2戦目、準決勝が行われる。ダブルヘッダーならぬトリプルヘッダーの過酷な日程である。夏の暑さも相まって、スタミナの温存も重要になってくるだろう。

 

準決勝の相手は『無冠の五将』がひとり、花宮真の所属する中学である。どうにも、全中本選が始まってからというものの、『無冠の五将』のいる中学としか戦っていない気がするのだが、何とも恐ろしい組み合わせである。

 

しかし、現在の帝光中学を相手にするならば、そのくらいでなければならない。かつての未来よりも急速に、才能を開花させつつある『キセキの世代』に対するならば、並の全国レベルでは足りない。ボクにとってみれば、練習相手としてちょうどいいというのが素直な感想であった。

 

そうして始まった準決勝、『悪童』花宮真の支配領域に、帝光中学は引きずり込まれることになる――

 

 

 

 

 

 

 

いつものようにベンチスタートのボクは、コートの外から試合の様子を観察する。帝光中サイドは午前中の勢いのまま、1年生メンバーで臨む。相手はPGに『悪童』花宮真。未来での印象と変わらない、ふてぶてしい顔立ち。心の奥底からふつふつと湧き出る苛立ちを抑えるのが大変だった。まあ、これはラフプレイを多用した彼に対する、ボクの先入観なのだろうが……。

 

しかし、驚いたのが相手のSG。細いフレームのメガネに、軽薄な笑みを浮かべるあの男。未来の桐皇学園の主将、今吉翔吉がそこにいた。まさか同じ中学だったとは……。

 

だとすれば危険かもしれない。背筋を走る悪寒に、ブルリと身体を震わせた。ボクでも名前を聞いたことがある程に、彼らの通う中学は有名な私立の進学校である。花宮さんの特性はそれに由来する。さらに今吉さんの特性が交わったならば、マズイことになるかもしれないな。

 

相手のパスルートを全て暗記し、状況判断によって予測する高度な演算能力。それを持つ2人ならば可能だ。花宮さんだけでは使用不可能なアレを、使われるかもしれない――

 

 

 

 

 

 

第1Q前半は静かな立ち上がりだった。互いに得点を奪いながら、大きな点差は付かずに時間が経過する。

 

「何か、アイツら動き悪くねーか?」

 

虹村先輩が怪訝そうな表情でつぶやく。ボクも同感だった。『DF不可能の点取り屋』と称される青峰君と、『超長距離3Pシュート』を放つ緑間君の2人がいて、落ち着いた立ち上がりなどありえない。本来ならばこの倍の点数を取っていてもおかしくないはずだ。だというのに、そんな彼らがまるで点を取れていない。明らかに動きに精彩を欠いていた。

 

「……そうか。疲労、ですね」

 

「あん?つっても、まだ2試合目だぜ。確かにお前らはガキだし、体力は足りてねーけどよ」

 

「だよな。それにフル出場じゃないんだし、ちょっと早くないか?」

 

ボクの言葉に、先輩達が疑問の声を上げる。

 

「普段の彼らならばそうでしょう。ですが、今回だけは、特にあの2人だけは別ですよ」

 

先ほどの試合、青峰君は帝光中で最高得点を叩き出した。類を見ないほどに圧倒的な活躍である。しかも、その大部分が単独でのドリブル突破からの『型のない(フォームレス)シュート』。

 

緑間君は密着マークを振り切るために普段以上に動き回っていたし、さらに、試合後半からは青峰君に注意をひきつけて、例の長距離3Pを多用していた。『キセキの世代』としての才能を行使し過ぎていた。

 

「彼らの才能は、それを行使する肉体に多大な負荷を掛けてしまう。中1の今の時点では、もはや限界を超えつつあるのでしょう」

 

青峰君にボールが渡るが、目の前の相手を抜ききれない。本来ならば1on1で圧倒できるほどの実力差があるはず。しかし、左右に大きくボールを動かし、フェイントを仕掛けるも、なかなか振り切れない。諦めて赤司君にパスを返すところを、PGの花宮さんにスティールされてしまう。

 

「やっべ……」

 

そのままカウンターの速攻。高い位置でボールを奪われたせいで、追いつけるのは赤司君しかいない。だが、さすがに『無冠の五将』と謳われるだけのことはある。立ち塞がる赤司君を技巧的なドリブルでゴール付近まで翻弄し、ブロック困難なフローターショットでふわりとボールを浮かせた。

 

「アイツ、かなり巧い……」

 

ベンチで応援している虹村先輩が思わず唸る。片手で浮かせたボールは、緩やかに帝光中のリングを通過した。

 

 

 

PG同士の実力は拮抗している。赤司君から単独で仕掛けることはないだろう。将来はともかく、ボク達はまだ中学に入学して日も浅い。身体能力や技術はまだ発展途上なのだ。花宮さんに勝負を挑むリスクは犯せない。ゆえにパスを回す。だが、それは――

 

「ハハッ……甘いで」

 

――今吉さんの腕に阻まれた。

 

パスコースを寸断され、相手のカウンター。最初にケアをするはずの緑間君もあっさりと抜かれ、今吉さんのワンマン速攻が決まった。

 

「……やはり、緑間君の動きも悪いですね」

 

ポツリとつぶやく。隣の虹村先輩も表情を曇らせて頷いた。

 

「個人個人の動きもそうだが、それよりも。さっきからスティール多くねーか?」

 

「そうですね……。虹村先輩も気付きましたか」

 

話をしている間にも、また花宮さんのパスカットでボールを奪われた。目に見えて相手のスティールが増加している。

 

「赤司のヤツも不調なのか?アイツは、そういう波が少ないと思ってたんだけどな……」

 

「いえ、そういうわけではないでしょう。ただ残念ながら、彼らの術中に嵌ってしまったようですね」

 

「術中?」

 

疑問の声を上げる虹村先輩に、一言で答えた。

 

 

「蜘蛛の巣に足を踏み入れてしまったんですよ」

 

 

『無冠の五将』が一人、花宮真の特性はその知能の高さにある。相手の攻撃パターンを全て記憶し、パスコースを誘導し、限定することで先読みを行うというスタイル。彼の頭には帝光中の攻撃パターンが数十通り入っており、その中から赤司君がどれを選択するか、瞬時にシミュレートしているのだ。まるで盤上を眺めるがごとく、正確に見抜いてくる。正確な状況判断であればあるほどに、蜘蛛の巣はそれを絡め取る。

 

だが、未来ではラフプレイで相手の視野を狭窄させなければ使えなかったはず。冷静な状態では、選択肢が多すぎて花宮さんでも完全なシミュレートは不可能なのでは……?

 

その答えはすぐに判明した。赤司君から紫原君へのパス。花宮さんの脇を抜いて放たれたそれが、今吉さんにカットされた。

 

「んー、ダメダメ。読めとるで」

 

奪ったボールを片手に、薄ら笑いを浮かべて首を振る今吉さん。その様子に、赤司君が一瞬だけ表情を歪めた。

 

「不調の青峰、緑間を避けて身長差のある紫原なんてな。焦りが安全策に走らせてしもたか」

 

訳知り顔で笑う今吉さんから花宮さんへパス。そこからの速攻が再び炸裂した。

 

 

そうか、彼がいた。心理戦のスペシャリスト。かつてボクの行動心理を掌握した、他人の心を読む怪物。今吉翔一がいれば可能だ。ラフプレイで冷静さを奪わずとも、心理面からの行動予測が――

 

「あるいは、高校時代よりも精度が高いかもしれませんね……。この2人の合わせ技は脅威です」

 

現在の赤司君では対抗できないのではないか。そんなボクの予想に違わず、ここからの第1Q、帝光中は全ての攻撃を封殺される。赤司君のゲームメイクは、完全に読み切られていた。

 

気消沈した様子でベンチに戻ってくる仲間達。こうなれば仕方がない。赤司君の『天帝の眼』を開眼させる方法は判明しているし、今回はボクが終わらせてしまおう。

 

「監督、次からボクが出ます」

 

軽く手を上げて、そう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

第2Q、緑間君と交代したボクは、存在感を消しながら、一人ごちた。

 

「さて、お手並み拝見といきましょうか」

 

試合再開と共に、ボールを持つ赤司君に目で合図を出す。あらぬ方向に出されたパスに、相手チームの顔に困惑の色が浮かんだ。だが、ボールが直角に軌道変更するに至り、それが驚愕に変わる。

 

「なあっ!ボールが曲がった!?」

 

相手の視界から消え去り、中継された変幻自在のパス。それは――唯一、読みきっていた花宮さんに叩き落とされる。

 

「んな馬鹿なっ!」

 

「黒子のパスが、止められた……!?」

 

青峰君が、灰崎君が、紫原君が、信じられないといった風に声を上げる。赤司君でさえ、驚きを隠しきれないようだ。

 

これまで帝光中を救ってきた変幻自在のパス回し。それを初見であっさりと破られた衝撃は大きいだろう。しかし、ボクにとっては未来ですでに経験していることである。蜘蛛の巣の完成度を見るために、あえて連携で仕掛けてみただけ。仲間達とは違い、そこに落胆はない。

 

「よお、ヒーロー気取りで出てきたようだが。ずいぶんみっともねーな」

 

ワンマン速攻を決めてご機嫌な花宮さんが、ボクの側にやって来て小声で囁いた。相手を小馬鹿にするような嘲笑を向けてくる。さすがに、一瞬だけボクの頬が引き攣った。相変わらず他人を苛立たせる天才だな。

 

「……たかだか2点決めたくらいで、ずいぶんなはしゃぎようですね」

 

「くだらねえ負け惜しみだな。所詮、テメエもただの雑魚だってことだ。オレの掌の上で踊らされるだけなんだよ」

 

口元を吊り上げ、舌を出した。未来でラフプレイを多用された経験を思い出し、さらに苛立ちが積もっていく。それに対して、ボクは言い返すことはせずにゲームに戻った。思い知らせてやる。苛立ちを心の奥に隠し、表情も意識的に消していく。

 

「一本、落ち着いて行こう」

 

ゆったりと時間を掛けて赤司君がボールを回す。ボクのパスを止められたことで、浮き足立つのを抑えるためだ。慎重に攻め方を考えながら、スティールされないよう丁寧に紫原君にパスを回す。だが、それは今吉さんに読まれている。すでに放たれた軌道の延長線上に身体を入れていた。

 

「もらっ……何やて!」

 

彼の眼からはボールが消えたように見えただろう。寸前でボクの掌でタップされ、相手の裏を取っていた灰崎君の手元に渡る。やはり……君ならそこにいると思いましたよ。

 

「ナイス!黒子!」

 

そのままインサイドに切り込み、自ら得点を決める。

 

驚きに目を見開く今吉さんと花宮さん。そして――赤司君も。

 

これが彼の『蜘蛛の巣』を突破する方法。最適なパスルートを読んでカットする『蜘蛛の巣』から逃れるには、独断でパスルートを変更してしまえばいい。赤司君との連携としての軌道変更ではなく。その場その場の、ボクの判断でのルート変更に対応することはできないのだ。

 

「ぐっ!テメエ……まさか」

 

「よそ見してる暇あるんですか?」

 

今度は花宮さんの目の前で、ボールを弾き返す。予測通りのパスルートを強制変更。伸ばした彼の手は虚しく空を切り、悔しげに呻いた。

 

「なるほどね。そういうことか」

 

得心した様子の赤司君は、ボクを無視してゲームメイクを行う。通常通りにパスを回し、それを独断ルート変更をしてもしなくても良いというスタンス。さすが、最も効率的なやり方を理解している。スティールを仕掛けなければ良し。仕掛けるようなら、それを見てからボクがタップして中継する。見る見るうちに得点差は開いていった。

 

「クッ……また消えよった」

 

細い目を見開き、辺りを見回す今吉さん。視界から逃れたボクは、今度は紫原君にボールを弾く。変幻自在、予測不能の風雷のごとき軌道に相手は為す術もない。ノーマークで紫原君がダンクを叩き込む。

 

「……どうなっとんや。全然、予想できん」

 

ギリッと今吉さんが悔しげに歯噛みする。その様子に一安心した。未来で唯一、完全にボクの視線誘導(ミスディレクション)を攻略したのが、この今吉さんだったからだ。

 

他人の心を読む妖怪、と恐れられるほどの読心能力。ことごとくボクの思考を先読みされ、パスはおろかマークを外すことすらさせてもらえなかった経験が思い起こされる。あれは衝撃だった。だからこそ、過去に戻ってからは万全の対策を積んでいる。心を隠す閉心術を――

 

「さすがに、ワシも自信無くすわ……。ここまで読めんヤツ、初めて見たで」

 

感情を制御することは以前からやっていたが、表情や仕草から徹底的にクセを除いた。視線の動きや呼吸に至るまで、ひたすら外面の情報を遮断する。思考を隠すための閉心術を磨き上げていた。

 

 

ゆえに、ここからはボクの独壇場だった。

 

 

「警戒が甘いですよ」

 

無防備な花宮さんの手元から、ボールをスティール。たび重なる視界外からの強奪に、彼の顔が怒りに染まる。

 

「テメエ、ふざけんじゃねえ!」

 

「おっと。赤司君、ボール返します」

 

憤怒の表情で立ち塞がる彼を見て、すぐに赤司君にボールを戻す。ついでに花宮さんの耳元で淡々と告げてやる。

 

「そういえば、さっき言ってましたね。あれ、間違ってますよ」

 

「あん?」

 

その間にも帝光中の攻撃は続いている。憎々しげに睨み付けていた視線を、赤司君へと戻す。連続で得点を奪われているこの状況。この辺りでストップしておかないとマズイ、と思っているのだろう。勝負所と見たのか、花宮さんも集中力を高めてスティールを狙っている。

 

「……隙がない。さすがに地力もあるか」

 

赤司君がボールをキープしながらつぶやいた。だが、そのまま膠着状態に陥るのも良くない。周囲の動きを確認して、灰崎君にノールックでパスを出す。

 

「読めてるんだよ!」

 

脳内を高速で回転させ、最速でパスコースをシミュレート。未来予測にも近い精度のルート計算は、恐るべき反応速度でのスティールを可能とする。この試合で最も完璧なタイミング。だが、それは――

 

 

「掌の上というのは、こういうことを言うんですよ」

 

 

――直前で、後方へと叩き戻された。

 

向かってくるボールを寸前で弾き、正反対に軌道変更。擬似的なワンツーで、ボールは加速した赤司君の手に戻る。マークの花宮さんがスティールで離れた今、赤司君はノーマークでインサイドにカットイン。ストップからのジャンプシュートを決めたのだった。

 

 

 

 

 

憎悪に燃えていた瞳から、炎が消えたことを確認した。格付けが済んだのだ。

 

未来での恨みは現在の彼には関係ない。関係ないのだが、つい苛立ちをぶつけてしまった。まあ、自業自得か。あんな挑発をしてくる方が悪い。

 

 

 

第3Qからは1年生はメンバー交代して、上級生メインになるのだが。その後もボクは休憩を挟みながらも出場し続け、それ以降に花宮さんがスティールを成功させることは、一度たりともなかった。



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第16Q オレの必殺ドリブル

「負けてしまいましたか、荻原君……」

 

準決勝を終え、トーナメント表には2校だけが残っていた。ひとつは帝光中学、そしてもうひとつが獣修館中学。『無冠の五将』がひとり、葉山小太郎が所属するチームである。

 

体育館の観客席のひとつ。ボクはそこで次の試合までの時間を待っていた。連戦の疲労回復も兼ねており、あと1時間ほどはスケジュールに余裕がある。そのため、桃井さんと一緒に午前中の試合の分析をすることにした。先輩マネージャーに撮っておいてもらったものを、この空き時間で確認する。隣り合ったプラスチック製の椅子に座り、再生したデジカメの映像に目を通す。荻原君の所属する明洸中と獣修館の対戦である。

 

「私が教えた弱点を、的確に突いた試合運びになってるわね」

 

「ですが、それでも及ばなかったというのは……」

 

試合前に桃井さんが伝えた作戦。それは、インサイドを徹底的に固めたゾーンディフェンスだった。全攻撃パターンのおよそ7割以上を占める、『雷獣』葉山小太郎のペネトレイト。インサイドを崩してからのパス、あるいはシュート。これが修獣館中学の必勝パターンである。

 

「しっかりインサイドを固めてますね。中に切り込めば囲まれるだけ。序盤は優勢に進められています」

 

「そうね。ミドリンと比べるのはあれだけど。修獣館のシューターの精度は並クラス。アウトサイドから攻めるのもリスクが高いのよね」

 

さらに、桃井さんの分析した、相手選手の情報もある。こうして見る限りでは、第1Q、第2Qは相手の起点を上手く潰せているようだ。明洸中のリードで後半戦に突入する。

 

 

 

後半戦も同じ流れが続く。葉山さんがインサイドに切り込み、そこで残りの相手に囲まれる。ガッチリと内側を固められ、わずかなパスコースも見逃さない密集陣形。シュートに行けばブロック、パスを出せばカットされ、完全に封じられる。しかし――

 

「あれ?だんだん、点差が縮まってきてる……」

 

映像を見ながら、桃井さんが眉根を寄せる。少しずつだが、確実に修獣館の得点率が上がってきている。

 

尋常でない高速ドリブルによるペネトレイトは変わらない。切り込んだところを四方から固める相手チーム。パスコースを塞がれたのを察知した葉山さんは、そのままレイアップを仕掛けた。

 

だが、身長に勝る相手Cはボールを叩き落とさんと手を振り下ろす。これまでは囲まれてブロックで止められていた。

 

だが、葉山さんはその動きに合わせて、空中で反転して回避する。

 

「ダブルクラッチ……!?」

 

「しかも反応が早い。予測していたんですか……?」

 

相手の動きを予期していたとしか思えないほどの超反応。先ほどまでいいように封殺されていたというのに……。

 

その後も、インサイドで囲まれるも、凄まじい反応速度によって、スティールやブロックを回避し続ける。単独でディフェンス陣をズタズタに切り裂くペネトレイト。そこからは超反応でのシュート、あるいはパスによって連続で得点を決め続けた。

 

「信じられない……。試合が終盤になるにつれて、明らかに動きがキレてきてる」

 

感嘆の声を漏らす桃井さん。次第に速度を増す『雷獣』葉山小太郎の反応に、相手選手達の顔に焦燥の色が浮かぶ。刻一刻と反応速度が際限なく上昇する。これはまさか――

 

「この土壇場で覚醒しましたか」

 

自然体の構え。極限まで研ぎ澄ました五感をフル活用することで発揮される、超人的な反応。

 

――『野性』

 

なるほど、ここで身に付けるのか。脱力した状態から、相手の動作に合わせて最速で反応。後出しでのブロック回避を可能とする『野性』の力。やはり彼も天才。追い詰められて覚醒するとは……。反応速度にプラスして、獣のごとき身のこなしの軽さ。囲んだところで、彼を止めるのは至難である。

 

「期待以上ですよ、葉山さん。これは、灰崎君との対決が楽しみです」

 

口元に笑みを浮かべ、ボクは小さくつぶやいた。

 

その後は、明洸中に葉山さんを封じることは出来ず、10点以上の大差を付けられて敗北したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、お前らミーティング始まるぞ」

 

「……もうそんな時間ですか、灰崎君」

 

ビデオを見終えて、息を吐いていたボク達を呼ぶ声。いつの間にか他の皆はロッカールームへと移動を始めていた。灰崎君がそれを教えてくれたようだ。礼を言ってベンチから立ち上がる。そのとき、灰崎君の様子を窺うと、普段よりも固い面持ちだった。

 

「珍しいですね。キミが、試合前に緊張しているんですか?」

 

「あん?このオレがかよ?」

 

「ええ。違いますか?」

 

チッと舌打ちをして、灰崎君が視線をそらす。かつての敗北の記憶が思い起こされたのか。こうしている今も、肩に力が入り、わずかに強張っている様子だ。

 

「……あの時のオレとはちげーんだ。能力の使い方はもう掴んでるし。負けるはずがねーよ」

 

自身に言い聞かせるように、忌々しげに吐き捨てる。心を覆う脅威を振り払うかのようだ。

 

「本来の力を発揮できれば、今のキミならば互角に戦うことができますよ」

 

ボクの見立てでは、野性に目覚めた葉山さんと同格。そう引けを取るとは思えない。シミュレーションをするも、勝敗の予想は付けられなかった。そこで、ビデオを鞄にしまった桃井さんが話に入ってきた。

 

「あと問題は、スタミナよね。今日は3試合目だし」

 

「ああ、そりゃ心配ねーよ」

 

自信満々の様子に、桃井さんが首を傾げた。それはボクも同感だった。途中で先輩達と交代するとはいえ、連戦の疲れは確実に残っているはず。

 

「だって、試合はチカラ抜いてたし」

 

「ちょっと……え?何を考えてるのよ」

 

思わずボクも、頭に手を当てて溜息を吐いた。まさか、初出場の全中でスタミナ温存、というかサボっていたなんて。ありえない判断である。灰崎君の目には決勝しか映っていなかったのか。たしかに今日は動きが悪いと思ってたけど、昨日の疲れのせいだと思っていた。

 

「はあ……なら、体力は問題ないんですね」

 

「おう、余裕だぜ」

 

「決勝はキミにパスを回します。頼みますよ」

 

話をしているうちに灰崎君の緊張もほぐれてきたようだ。スタミナの温存も、ボクにとっては好都合。

 

固有スキル『強奪』を使う灰崎君と、『野性』に目覚めた葉山さんの戦いは――

 

 

――全中の決勝に相応しい、常識外の死闘になるはずだ

 

 

 

 

 

 

 

こうして、全国最強のチームを決める全中の決勝の幕が切って落とされる。ちなみに、ボクはベンチスタートである。それはいつものことだが……。

しかし、さすがは最終日。これまでとは盛り上がりが違う。満員の観客の歓声と共に、ジャンプボールで両者が跳躍した。

 

「よっしゃ!さすが紫原!こっちボールでスタートだ!」

 

人並みはずれた長身と手の長さでボールを弾き、赤司君にボールが届けられる。仲間達が歓喜に沸いた。とはいえ、やはり連戦の疲れからか皆の動きは鈍い。彼らの弱点であるスタミナ不足。覚醒を果たしてしまった青峰君、緑間君は特に顕著である。だが、その中で唯一、例外的にベストのパフォーマンスを発揮しているのが――

 

「おおっ!さっすが、やるねー。練習試合のときも思ったけど、本当に全員1年?」

 

「うっせーな。おしゃべりしてる余裕あんのか?この前のオレと一緒にすんなよ」

 

「へえ、楽しみじゃん。この間はフルメンバーじゃなかったし、噂の帝光の1年組みの力、見せてもらおっかな」

 

「ハッ!見せてやるよ、オレの『強奪』のスキルをよ!」

 

開始早々、一気呵成に攻めかかる灰崎君。

 

 

――左右に小刻みに揺れるハーキーステップ

 

 

これは、虹村先輩の技――灰崎君の最も信頼を置いているドライブ。

 

「うっお!」

 

本家本元、虹村先輩よりもキレ味鋭いドリブルで、葉山さんを一呼吸の内に抜き去った。左右に幻惑するステップからの、一点突破のドライブの威力は全国随一。完全にタイミングを外し、そのまま切り込んでシュートを決める。

 

「言ったろーが、この前と一緒にすんなってよ!」

 

「……やるじゃん。今度はこっちの番だよ」

 

反撃の速攻は葉山さんにボールが渡った。直後、ダンッと破裂音が会場中に響く。

 

轟音に思わず目を見張る人々。その音源は、あまりにも強烈に床にボールを叩きつけたことによる、ドリブルからだった。

 

「行っくぜえ。オレの必殺ドリブル」

 

鼓膜を揺らす轟音。その超高速のドリブルからの切り返しこそが、『無冠の五将』葉山小太郎の真骨頂――

 

「なっ!いつの間に抜いて……!?」

 

 

――『雷轟の(ライトニング)ドリブル』

 

 

まばたきほどの刹那に、灰崎君の脇を突破していた。まさに稲妻のごとき雷速。この圧倒的な攻撃力こそが、『無冠の五将』たる由縁である。そのまま単独でレイアップを決め、振り向き様に灰崎君へと人差し指を向けた。

 

「へっへー。甘く見てもらっちゃ困るぜ」

 

「……上等」

 

こめかみに青筋を立てる灰崎君。

 

 

そこからは、両チームのドリブラーによる叩き合いが勃発する。

 

「ボールよこせ!赤司ぃ!」

 

「よーし、このままぶち抜いちゃうもんね」

 

互いに卓越したドリブル能力を持つ者同士。両チームの司令塔は、この試合で最大の攻撃力を誇るSGにゲームの流れを託した。

 

「すっげえ!さすが決勝、攻撃がハイレベルすぎだろ!」

 

「また抜いたぞ!今度は葉山の番だ!」

 

この第1Q、観客達がヒートアップする打撃戦となっていた。互いの矛が強すぎるがゆえの、ハイペースな点の取り合いである。灰崎君は、左右に幻惑するハーキーステップ。葉山さんは、雷速のクロスオーバー。

 

「やれる。やっぱ、今のオレなら十分にコイツとやれるぜ」

 

自信満々の表情で、灰崎君が気を吐いた。葉山さんの方も、楽しげに目を輝かせる。

 

だが、ボクは知っている。ここからが本番であることを……。

 

両者のオフェンス力は、これまで示した通り。それを止められないせいで、現状は点を取り合うことで、ある種の均衡状態となっている。どちらかが、相手の矛を弾き返したときこそ、この流れは一気に傾くことだろう。

 

そのための武器を、いや、盾をすでに2人は手にしているのだ。

 

「じゃ、タイミングも掴めてきたし。そろそろアレ使うか……」

 

「テンション上がってきたよ……。今なら、どんなドライブも反応できそうだ」

 

 

 

――今大会で灰崎君が強奪した、『古武術バスケ』を応用したディフェンス

 

――同じく明洸中との試合で覚醒した、葉山さんの『野性』

 

 

 

灰崎君と葉山さんの対決は、次のステージへと移行する。

 

 



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第17Q もうこれはオレのもんだ

全中決勝――第1Q終盤、『キセキの世代』に最も近かった男、灰崎祥吾と、『無冠の五将』葉山小太郎との一騎打ちの様相を呈していた。だが、その優劣はというと――

 

「ハハッ、見えてるよ!」

 

左右に幻惑する足運びからのドライブ。その一瞬の隙間に、灰崎君の手元からボールが弾かれた。愕然とする表情を横目に、カウンターの単独速攻を仕掛ける葉山さん。

 

「くそっ!誰か止めやがれ!」

 

灰崎君の叫びに呼応して、追いついた青峰君が正面に回りこむ。だが、相手のドリブルは神速。雷のごとく、目の前から消失するクロスオーバーに反応すらできずに抜き去られる。そのまま、無人のゴールにボールを決めた。

 

「すげえええ!帝光中をひとりで相手してるぜ!」

 

無敵の帝光中をひとりで圧倒するその姿に、会場中から歓声が上がる。

 

「……さすが葉山さん。見事な超反応ですね。『野性』を発揮するとこうなりますか」

 

小声でつぶやき、灰崎君の方へと視線を移した。今大会で『強奪』した技、古武術バスケによるディフェンス。あの高度で独特な身体技法による守備でなければ、対抗できそうにない。出し惜しみしている場面じゃない。このままでは、試合の主導権は相手に奪われますよ。

 

「また抜いたっ!?」

 

思い切り床にボールを叩きつける『雷轟の(ライトニング)ドリブル』――葉山さんの雷速のクロスオーバーで灰崎君を置き去りにする。

 

 

 

 

 

連続でのゴールを決められ、試合の流れは完全に相手チームに傾いた。度重なる敗北に、紫原君が呆れた様子で声を掛ける。

 

「ちょっとザキち~ん。やられっ放しじゃん」

 

「うっせえ」

 

「あれ使わないの?あの、切り札とか言ってたやつ」

 

「……るよ」

 

静かに、忌々しげに吐き捨てる。

 

「もうとっくに使ってんだよ!」

 

叫びながら全力で走り出す。認めがたい感情を爆発させ、全ての苛立ちをぶつけるがごとく、相手に挑み掛かっていく。

 

 

相手の攻撃のターン。攻めの起点は当然、葉山さんのドリブル突破。

 

『雷轟の(ライトニング)ドリブル』により、大音量で叩きつけられるボール。目で追うことさえ困難な超高速で移動するそれを狙う灰崎君。コートに当たって戻るまでの一瞬、恐ろしくシビアなタイミングを計って手を伸ばす。予備動作は極小。筋肉の捻りではなく、重力を利用してノーモーションで放つスティールは、――古武術バスケの真骨頂。

 

「おっと、危ない危ない」

 

「チッ……なんつー速さだ」

 

だが、彼のドリブルはそれを上回る。視認すら困難な速度で手元に返ったそれを、瞬時の判断でクロスオーバーへと切り替える。手を伸ばし、半身になって崩れた体勢は『雷轟の(ライトニング)ドリブル』の雷速に対応など夢のまた夢。苦々しく歪んだ表情の灰崎君の横を瞬時に抜き去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、第1Qはボク達のビハインドで終わり、帝光中は『幻の六人目』を投入する。試合の展開を左右する、どころではなく試合を終わらせるのがボクの仕事である。仲間達からの期待の視線を感じながら、小さくつぶやいた。

 

さて、ここからが本番ですよ。

 

 

 

 

 

 

隣に並びながらコートに足を踏み入れる。次のゲームが始まるまでに確認したいことがあった。相手に聞こえないように、小声で彼に尋ねる。

 

「灰崎君、あとどれくらいかかりそうですか?」

 

「……前半、あれだけ見たからな。あと何回かあればできるはずだ」

 

「そうですか。では、その間はボク達で止めるとしましょう」

 

当然のように口にした言葉に、彼は驚いた表情を見せた。

 

「止められんのかよ。いくら影のオマエでも、得意の奇襲は連続じゃ使えねーだろ」

 

「言ったでしょう?ボク達、と……」

 

第2Q開始のブザーが鳴る。単独では使えないという条件付きではあるが、影に徹するあのディフェンスならば可能だ。

 

「あの洛山戦から発想した、赤司君を破るためのディフェンスならば――」

 

 

 

 

 

 

 

第2Q最初の攻撃は、当然のごとく葉山さんの『雷轟の(ライトニング)ドリブル』から始まった。超高速で弾む目にも追えないボール。それに対するは、一挙手一投足も見逃さんと集中力を高める灰崎君である。

 

鋭い視線で相手を睨みつけ、全身を脱力させて神経を研ぎ澄ます。重力を利用した特殊な身体技法、古武術バスケによる最速最短の反応に身を任せた。

 

「へえ、良い集中じゃん。だけど、オレのドリブルは止めらんないよ」

 

「うっせえ……ナメんじゃねーよ」

 

強引に取りに行くスティールは無謀。それは第1Qの攻防で理解しているはずだ。

 

右か左か。

 

その2択を当てることに灰崎君は専心している。相手の気配から動き出しのタイミングを察知。フェイクは最小限。ドライブかクロスオーバーか、神速を武器とする葉山さんの攻撃はその2択である。

 

「左だっ!」

 

灰崎君の判断は左。速度に任せたドライブと見たようだ。だが、『野性』を身に付けた葉山さんの反応はその上を行く。持ち前の超反応で、相手の動きを見てから手首を返してクロスオーバーに変化させたのだ。

 

『雷轟の(ライトニング)ドリブル』と『野性』の合わせ技。まぎれもなく彼こそが今大会最優のドリブラーであろう。しかし、そのボールは――

 

「へっへ、オレの勝ち……うおっ!」

 

 

――ボクの手によって弾かれた

 

 

驚愕に目を見開く葉山さん。奪ったボールは赤司君、緑間君と渡り、通常3Pシュートでのカウンターが決められた。そして、予想外だったのは灰崎君も同じようで、振り向いた彼の顔には困惑の色が浮かんでいた。

 

「ほら、またやりますよ」

 

「お、おう……」

 

これが、かつての洛山戦の敗北を思い出して編み出した戦術である。相手の動作を先読みし、絶対の確率で相手を抜き去る『キセキの世代』主将、赤司征十郎に対抗するための――

 

「もう一度勝負っ!」

 

再び葉山さんがドリブル突破を仕掛けた。『野性』による超反応により、またしても灰崎君の行動の裏を突く。今度は雷速のドライブで、一瞬の内に左から彼の脇を抜けた。だが、灰崎君の後ろにはぴったりとボクが陣取っている。

 

「なっ、何でそこに……!?」

 

だが、右に跳んだ彼とは反対に、ボクは左へと身体を走らせていた。つまりは、葉山さんのドライブの正面に――

 

「これが『天帝の眼』に対抗するためのディフェンス――まあ、どっちを選んでも不正解ってことですよ」

 

ドライブ直後の無防備な手元を狙うスティールが、彼のボールを叩き落とした。

 

 

 

灰崎君の動く方向を瞬時に読み取り、反対を狙う。これにより、左右両面をカバーしたのだ。全力の灰崎君のディフェンスをかわした直後に、隠密性の高いボクのスティールから逃れることは至難。『雷轟の(ライトニング)ドリブル』は攻略したも同然だった。

 

「あとは攻撃だけですね」

 

「わかってるよ。こんだけ見れば、もう掴んだぜ」

 

「では、お願いします」

 

自信満々に言い返す灰崎君にボールを渡す。ゆったりと余裕を持ってドリブルを開始する。対面するは『野性』を発揮した葉山小太郎。だらりと手足を脱力させつつも、その眼光は鋭く、反応は最速。獣のごとく研ぎ澄まされた直感力に身を任せていた。

 

「来なよ、今のオレを抜けると思うんならね」

 

「その余裕、消してやる」

 

絶対の自信を持つ葉山さんの様子に、同じく絶対の勝利を確信した風に灰崎君が答える。次第に彼のつくドリブルが速度を増していく。それに呼応するかのように、2人の間の緊張感もぴんと張り詰めていく。

 

会場中が静まり返る。何かが起きるという予感があった。ドリブルが床を叩く音が1秒ごとに大きくなっていく。観客達の鼓膜を叩く振動が爆音に変わるにつれて、一人、また一人と理解する。

 

「おい……これはまさか」

 

「目にも追えない高速ドリブル。これは葉山の……!?」

 

灰崎君の上体が前方に傾き、直後その姿が掻き消えた。

 

 

――ドライブからの雷速の切り返し

 

 

「なっ……それはオレの!?」

 

彼の反応速度すら突破する、超高速でのクロスオーバー。これは『無冠の五将』葉山小太郎の固有ドリブル――『雷轟の(ライトニング)ドリブル』

 

「もうこれはオレのもんだ!」

 

シュートを決めて振り返った灰崎君が、見下すように言い放った。

 

 

 

 

第2Q、初めて帝光中の攻撃が成功した。灰崎君の才能の発現。相手の技を奪い取る『強奪』の能力を発動したのだ。つまりその効果は攻撃面だけではないということ。

 

「技をパクっていい気になんなよな。本家本元を見せてや……えっ?」

 

『雷轟の(ライトニング)ドリブル』によるクロスオーバーを仕掛けようとした瞬間、彼自身の手元でボールがファンブル。無防備で灰崎君に取られてしまう。

 

「言ったろ?この技は、もうオレのもんだって」

 

葉山さんの目が驚愕に見開かれる。わずかにズレたテンポやタイミングの技を見せられることによる、自身のリズムの変調。そう、これが『強奪』の副次効果――相手の技を使用不能に追い込むのである。

 

相手チームの選手達に動揺が走る。エースの敗北と変調は、チーム同士の流れを大きく左右する。この第2Qで勝敗を決定付けるほどに。

 

「さあて、これで終わらしてやらあ」

 

再び仕掛けるのは当然、最速を誇る――『雷轟の(ライトニング)ドリブル』。爆音がコート全体に鳴り響く。本人のものと何ら遜色ないボールスピード。葉山さんのこめかみに汗が一筋垂れる。始動の気配を感じ取った瞬間、高速のドライブが始動していた。さらに、右から左へ雷速のクロスオーバー。

 

「うっおおおおおお!」

 

似つかわしくない雄叫びを上げて、葉山さんが左に跳んだ。目にも止まらぬボールスピード。もはやオレンジの線としか捉えられないそれを――指先でギリギリ弾いていた。

 

「あ、あっぶねー」

 

「チッ、運の良い野郎だな」

 

コート外へと飛び出したボールを目で追いながら、灰崎君は吐き捨てた。仕留め損なった苛立ちが声音に篭る。だが、すぐに気持ちを切り替えて赤司君にボールを要求した。

 

「くだらねえ粘り見せやがって。往生際が悪いんだよ!」

 

そう言って、灰崎君は再び雷速のドリブル突破を仕掛けていく。

 

 

 

 

 

 

 

「……これは、ボクにも予想できませんでしたよ」

 

ボクの口から感嘆の言葉が漏れる。目の前には想像もできなかった展開が繰り広げられていた。

 

「抜かせないよっ!」

 

「テメエ!くっそ、またかよ!」

 

高速でボールがコート外に着弾する。

 

灰崎君が苛立たしげに舌打ちした。これで何度目のリスタートだろうか。この数分間、ひたすら灰崎君のドリブルをカットし続けていた。

 

極限の集中状態で、雷速のクロスオーバーに合わせる葉山さん。スティールには至らずとも、ギリギリのタイミングで喰らい付き、指先でボールを弾く。異様なボールスピードゆえに、少しの軌道のズレでも勢い良く外へと弾け飛ぶのだ。

 

本当に予想もできなかった。彼の特性を見誤っていた。『無冠の五将』葉山小太郎の真骨頂――それは、派手なドリブルによる攻撃力ではなく、『野性』の超反応による堅固な守備力にこそあった。

 

「あのディフェンスを突破するのは、容易なことではありませんね」

 

何せ、中学バスケ界における最強の矛といっても過言ではない、『雷轟の(ライトニング)ドリブル』でさえ貫けない盾なのだから。

 

「すげえ……いつまで続くんだよ、これ」

 

「マジでどうなってんだよ。なんつー試合だ」

 

幾度と無く繰り返される攻防に、湧き上っていた歓声が次第に小さくなっていく。高次元の均衡に魅入っていた。会場中が水を打ったように静まり返る。

 

灰崎君の『強奪』により奪ったドリブルと、葉山さんの『野生』による超反応。

 

またしても『雷轟の(ライトニング)ドリブル』に触れられ、コート外にボールが弾け飛ぶ。もはや互いに引くことはできない。張り詰めた緊張状態に肩で息をしながらも、両者共に相手を睨みつける。

 

赤司君からボールを受け、地面にボールを叩きつける。

 

「……このままテメエの技を使ってるだけじゃ、埒が空かねーな」

 

口を動かしながらも、灰崎君は高まった集中力をさらに極限に上げていく。何かをするつもりだ。

 

いったん、赤司君にボールを戻し、後方に下がって葉山さんとの距離を開けてリターンをもらう。ドリブルの爆音がコートを振動させた。加速を付けて突破するつもりか。だが、それはすでに試したはず。

 

「いっくぜえ!」

 

「この技は……!?」

 

左右に幻惑するハーキーステップ。これは葉山さんにも予想外だっただろう。虹村先輩の技を使ってきた。直線的なスピード勝負から一転。タイミングを外す技巧的なドリブルを仕掛ける。

 

「こっちだぁ!」

 

しかし、葉山さんの反応速度が勝った。左右に身体を振っての全速力のドライブは、刹那のタイミングで先に動いた相手に分がある。あとはスティールを狙うだけ。だが、灰崎君の顔には諦めの色はまるで浮かんでいない。

 

 

「見せてやるよ。さっき思いついたオレの奥の手」

 

 

 

つぶやいた瞬間、――彼の身体を後方に置き去りにしていた。

 

 

強烈に地面に叩きつける超高速のドリブル。それを最大限に利用したドライブ、あるいはクロスオーバーこそが『雷轟の(ライトニング)ドリブル』の強さである。その速度は比類なし。だが、それをさらに強化するにはどうすればよいか。その答えがこのドリブルなのか――

 

「な、何をしたんだよ……気付いたら消えていた。反応すらできなかったなんて……」

 

――まるで雷そのものじゃんか

 

一切の予備動作なく、一切の減速なく、鋭角に切り返すクロスオーバー。トップスピードを維持したままの急激な方向転換という荒技。これはまさか……

 

「『雷轟の(ライトニング)ドリブル』と『古武術バスケ』を融合したんですか……!?」

 

驚きに思わず声が漏れる。未来を知るボクですら想像できなかった。これが灰崎君の『強奪』の真骨頂。

 

『キセキの世代』のひとり、黄瀬君は他人の技をそのまま模倣(コピー)する。それに比べて灰崎君は自分の使いやすいようにテンポやリズムを調整して使う。よく同系統として並べられる彼らの違いはそこだ。これまでボクは、アレンジを必要とする灰崎君の方が劣っていると考えていた。観察した通りに技を使えるという身体操作力に劣っていると。だが、それは一面的な見方に過ぎなかった。

 

他人の技の真髄を理解してアレンジする技術、それは――複数の技の合成を可能とした。

 

「言ったろ、もうオレのもんだって。今のオレは、テメエよりも速く、巧く、このドリブルを使いこなす」

 

――雷轟電撃。

 

誰一人として、灰崎君に触れることもできない。振り返るその姿から肌で感じる圧倒的なオーラ。今まさに、灰崎祥吾は覚醒を果たしたのだ。

 

重力を利用した特殊な身体操作技法、古武術バスケ。筋肉以外の力によって加速し、さらに予備動作まで消すという脅威の技術を合成したのだ。これによって生まれる、先読み困難な風雷の軌道。

 

もはや彼を止められる者など存在しない。同じコートに立つ全員がそれを悟った。直感的に敗北イメージを受け取った、葉山さんの肩がガクリと落ちる。エースが敗れた以上、この先に戦局を打開することなどできはしない。

 

 

 

 

 

 

 

こうして初出場の全中は幕を閉じたのだった。

 

まあ、それなりに嬉しいものではある。ただ、結果的にボクの知る未来と同じ道を辿っており、複雑な感情だった。別に、負けたかったという訳ではないが。過程は明らかに変わったが、既知の出来事であり、物足りないという思いもある。だが、そんな気持ちは――

 

――来週、歴史よりも大幅に早くバスケ部に加入する、黄瀬涼太の存在によって消えることになる。



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第18Q 黄瀬君って名前だったと

今回の歴史では初めての全中から数週間が経った。ようやくボク達は普段の生活に戻っていた。いつも通りに授業を受け、部活に出る。なぜか懐かしく感じたほどだった。青峰君と桃井さんと、暗くなった夕方の帰り道を歩く。

 

「全中終わってから、何かずいぶん慌しかったよね」

 

「そうだよな。初めてだぜ、あんな取材受けたの」

 

うんざりといった様子で青峰君が溜息を吐く。しかし、桃井さんの感想は違ったようだ。

 

「本当、羨ましいなー。私なんて全然だよ」

 

「……当たり前だろーが。何でマネージャーが取材されんだよ」

 

呆れ顔の青峰君。3年の全中で、彼女が美人マネージャーとして取材を受けることなど知るはずも無い。記者たちに追いかけられて困惑する彼女の未来を思い出して、クスリと息が漏れた。

 

「まあでもよかったかも。全校集会のときとか、大ちゃんってば物凄く緊張してたし」

 

「そうでした。壇上に上がるときに青峰君、転んでましたよね」

 

「おい、思い出させるんじゃねーよ」

 

顔を真っ赤にしながら、青峰君が額を掌で覆う。本気で嫌そうな表情で、口を尖らせた。

 

「ったく、テツは逃げ回ってたからいいよな。全校集会のときも、知らん振りしてサボりやがって」

 

「あっ!そういえばテツ君、取材のときも影を薄くしてて、結局一言も話してないよね」

 

「そういうのは皆に任せます。人見知りが激しいもので」

 

かつての経験から、現在のボクは影を隠すことに徹していた。試合は仕方ないにしても、雑誌の取材など論外である。ウィンターカップで目立つことで、当時のボクは最大の特性たるカゲの薄さを喪失してしまったのだから。その二の舞は避けなければならない。

 

「あっ、そういえば友達が言ってたんだけど。最近、新しく1年生がバスケ部に入ってきたらしいよ」

 

「へえ、珍しいな。今の時期にかよ」

 

「うん。マネの先輩達も、またカッコいい新入生が来たって噂してたよ」

 

今の時期に新入生とは、ボクの記憶にはない出来事である。当時は3軍にいたが、練習に耐え切れずに辞める者はいても、入部するなんていなかったはず……。それこそ5月頃に灰崎君がいきなり1軍に入ったくらいだ。

 

「……桃井さん、名前を聞いてもいいですか?」

 

「もー、テツ君ったら。もちろん私にとってはテツ君が一番だよ」

 

「いえ、そういう話ではなく。ちょっと興味がありまして」

 

すげなく返事をすると、桃井さんは残念そうに頬を膨らませる。だが、すぐに気を取り直して答えてくれた。

 

「んーと。確か、黄瀬君って名前だったと思うよ」

 

自身の知る未来と決定的に変わっていることに、ボクは気付くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の練習後、ボクは3軍専用体育館に足を向けた。恒例の2軍対3軍のゲームの最中のようだ。そのため、今日は1軍のボク達の方が早く終わったのだ。ゲーム中の盛り上がる体育館。その扉を開け、室内を覗き込む。周囲を見回すとすぐに目的の人物を発見した。さすが、目立つ容姿のおかげで一発でわかる。

 

「まあ、さすがに試合には出ていませんか」

 

探していた人物は、試合をしているコートの端で一人ドリブルをついていた。初心者ゆえの個人メニューだろう。2軍との試合を観戦しながら、腰を落としてひたすらドリブルの反復をさせられている。だが、ボクは知っている。あと数か月もすれば、彼は経験者達を置き去りにした圧倒的な成長スピードで1軍に上がってくることを――

 

『キセキの世代』SF、黄瀬涼太。

 

一目見ただけであらゆる技を模倣(コピー)する、ある意味で最も『天才』という言葉を体現した選手である。

 

「あれ?テツ君、どうしたの?」

 

振り向くと、桃井さんが洗濯物の籠を抱えて立っていた。

 

「もしかして昨日話した、黄瀬君を見に来たの?」

 

「まあ、……そうです。ちょっと気になりまして……」

 

「珍しいね。テツ君がそこまで注目するなんて。そんな強いの?」

 

そこでボクは一拍置いて、確信を持って口を開く。

 

「すぐに1軍に上がってきますよ。数ヶ月以内に、レギュラーの一人になるはずです」

 

予想外の様子で桃井さんが驚きの声を上げる。ドリブルの練習をさせられる初心者とボクの間に視線を行き来させ、パチパチと目をしばたたかせる。

 

「本当に?」

 

確かに頷いて、ボクはこの場を去った。

 

 

 

今回の黄瀬君の加入で確信した。ボクの知る未来、その歴史が前倒しに展開されていると。覚醒を始める『キセキの世代』と黄瀬君の入部。少なくとも半年以上は早く、彼らは才能を開花させるだろう。

 

「だとすれば、うかうかしていられませんね。あの構想に着手するとしましょう。ボクも創らなくては……」

 

『キセキの世代』の光を凌駕する切り札、新たな影のスタイルを――。

 

 

 

 

 

 

 

 

練習後の三軍体育館。無人の空間にボクはいた。現在の『視線誘導(ミスディレクション)』という技術の集大成、新たなスタイルを作り出すために。

 

今回の全中を含め、猛威を振るった影のスタイル。しかし、未来において必ずしも不敗ではなかった。準決勝で当たった花宮真さんの『蜘蛛の巣』しかり、同じく今吉翔一の『人心掌握』や広大な視野を誇る『鷲の眼(ホークアイ)』しかり。

 

そして何より、慣れによって起こる効力低下。

 

視線誘導における根本的な弱点である。同系統の技術を使用する黛千尋の封殺に象徴される、不可避の欠点。避けられないとして放置してきたが、そのままでは今後は戦っていけないだろう。中学時代はともかく、高校での『キセキの世代』との対決では――。

 

「では、桃井さん。適当にマーク付いてください」

 

彼女に声を掛け、ボクは攻撃側の位置につく。周囲には数台のビデオが設置されており、異様な雰囲気を醸し出していた。

 

「……何か凄いね。まるでドラマの撮影みたい」

 

「気にしないでください。研究のために後で見直すだけなので」

 

キョロキョロと辺りを見回す桃井さんだが、やはり落ち着かないようだ。誰もいないコートで多数のレンズに見守られれば、それも当然だろう。

 

「はじめますよ。ボクから目を離さないでくださいね」

 

「うん……って、アレ?」

 

「はい。まず1回」

 

返事をした瞬間には、彼女の視界からボクの姿は消えていた。『視線誘導(ミスディレクション)』による効果である。続いてもう一度。

 

「うぅ、今度こそやるわよ」

 

試合と同じようにマークにつく桃井さん。左右に身体を振ると、それに合わせて必死に喰らい付こうとする。もちろん、彼女はバスケ選手ではないので、動きは遅いし、技術も拙い。視線誘導の技術の確認をするのにもってこいの人材である。

 

「まずはこのパターンから」

 

腕の振りや肩の動き、上体の微妙な仕草で視線を左に誘導する。ほんの刹那、彼女の視線が左に動いた。そのタイミングに合わせて右へと、静かに身体を滑り込ませる。

 

「ええっ?何でぇ~!」

 

目を見開き、大声を上げる桃井さん。視線を戻したときには、すでにボクは彼女の背後へ回っていた。

 

「どんどん行きますよ」

 

まずは動きの緩急を抑え、ゆったりと基本動作を確認する。彼女が相手であれば、緩急の速度差で強引に視線誘導することも可能だろう。だが、これはあくまで研究。一つひとつの動作にどんな反応を示すのか、どの仕草が効果的なのかを確かめるのだ。

 

視線誘導の基本動作の確認を終えると、次はそれぞれの複合パターンを試す。自分の視線をどちらに動かすか、手足の振り、上体の捻りやステップ。それぞれを総当りで組み合わせ、さらにタイミングも少しずつズラして最適の動作を見つけ出していく。

 

「あっ!見えた!ほら、離されなかったよ!」

 

こちらの動きに惑わされなかったようだ。桃井さんが嬉しそうにはしゃぐ。別に彼女が凄いわけではなく、単に時間制限が切れただけなのだが。効力が切れた以上はここまでである。小さく溜息を吐いた。

 

「慣れがでてきましたか。では、今日はこの辺りで終わりにしましょう」

 

「ええ~。もう?せっかく調子が出てきたのに」

 

「練習に付き合ってくれてありがとうございました。また明日もお願いします」

 

喜色満面の笑みで頷く桃井さん。

 

「うん!明日も二人で居残りね!」

 

そう言って上機嫌でビデオの片づけを始めるのだった。ボクとしては慣れが起こってからが本番なのだが、今日のところはやめておく。最終的に視線誘導に慣れた相手から消えるのが目的だが、それはまたの機会にしよう。その構想を実現するには、まずこれが必要だ。

 

「それぞれの基本動作の効果と、最適な組み合わせの考案」

 

帰ったら今回のビデオを見ながら、パターンの組み合わせを研究しなくては。それぞれの動作による誘導効果を知り、それを増幅させるために複数動作を組み合わせる。これまでは経験則である程度やってきたが、最大限の効果を発揮するにはこの研究が不可欠だ。無数にある順列組み合わせ。気が遠くなるほどの試行回数となるだろう。だが、決意を込めて小さくつぶやいた。

 

「まずは見つけ出します。――視線誘導効果、最大のパターンを」

 

体力でも筋力でも、速度でも技術でもない。ボクのスタイルを強化するために必要なのは、研究であった。『キセキの世代』と称される彼らほどの才能は、ボクにはない。だが、この『視線誘導(ミスディレクション)』の技術だけは、誰にも負けるつもりはない。



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第19Q どっか遊びに行かない?

夏の暑さも本格的になり、蒸し暑い帝光中体育館。ポツポツと生徒のまばらなコートに、ドリブルやバッシュを鳴らす音が響く。多くは準備運動をしている中、その一角ではウォーミングアップどころではない、白熱した勝負が繰り広げられていた。灰崎君と青峰君の1on1である。

 

「オラッ!行くぜ!」

 

ダンッと体育館中に、ボールをついたとは思えない爆音が轟いた。目にも追えない超高速のボールスピード。灰崎君が高速のドライブで突破を図る。ギリギリで反応する青峰君だが、直後の雷速の切り返しはとても間に合わない。

 

「うっお……マジかよ」

 

目を見開き、思わず驚きの声を漏らす。敏捷性に秀でる青峰君でさえ反応できない、最速のドリブル。

 

葉山小太郎から奪い取った『雷轟の(ライトニング)ドリブル』+『古武術バスケ』の最速クロスオーバー。彼の最高速をそのままに切り返す、急激な方向転換である。まぎれもなく中学最速、雷速のチェンジオブディレクション。

 

通常の選手を圧倒的に飛び越えた成長速度。全中での覚醒を経て、灰崎君は帝光中においてさえ、トップクラスの実力者となっていた。

 

「どうだよ。もうテメエに負けることはねえ」

 

「言ってくれんじゃねーか。ずいぶん調子に乗ったな」

 

勝ち誇った風に挑発する灰崎君に、頬をヒクつかせて言い返す。

 

だが、忘れてはならない。確かに灰崎君は覚醒を果たしたが、それは青峰君も同じだと言うことを。『キセキの世代』で最も得点力があったのは、彼だということを――

 

 

最高速を維持したままの方向転換とは対極。最低速と最高速の緩急によって相手を抜くのが、青峰君のチェンジオブペースである。

 

「チッ……あいかわらず先がまるで読めねー」

 

急激なドリブルスピードの変化に加え、ストリート仕込のトリッキーなスタイル。前後左右に大きく揺さぶる変幻自在のボール捌き。右と思えば左。行くと思えば止まる。無形であり、予測不可能なドリブル。そこに常人離れした敏捷性を加えると、その姿はもはや暴風そのもの。荒れ狂う暴風を止めることは誰にもできない、と思いきや……

 

「させっかよぉ!」

 

「へえ、これについてくるか……」

 

『古武術バスケ』を応用した最速最短の動きで、青峰君の動き出しに何とかついてきていた。ジャンプシュートの体勢に入るところを、ギリギリでブロックに跳び上がる。微妙なところだが、何とか間に合うか?

 

だが、その思惑は青峰君の才能の前に泡と消える。

 

「惜しかったな」

 

モーションを強引に止め、右腕を大きく振って横からボールをぶん投げた。まるで野球のサイドスローのように。灰崎君の焦りの顔を横目に、絶対に届かないシュートが放たれた。どう見ても苦し紛れに投げたとしか思えないそれだが、彼らは理解している。

 

「悪いが、外す気がしねーよ」

 

ガコンと、ボードに強烈にぶつかりながら、無理矢理リングを通過させられた。

どんな体勢だろうと必中となる『型のない(フォームレス)シュート』――青峰君の真骨頂である。

 

「くっそ、オイ。ボールよこせ。今度はオレの番だろーが」

 

「分かってるって。ほら、来いよ」

 

悔しげに灰崎君が言い放ち、青峰君が楽しげにボールを投げ渡す。覚醒した才能同士の1on1は、強烈な光を発する。誰もが息を飲んでその様子を見守っていた。明らかに中学レベルを超越した攻防。ウォーミングアップなどやっている場合ではない。いつの間にか周囲の先輩達も、食い入るようにその異次元の戦いを見学していた。練習開始時刻はとうに過ぎている。

 

コーチまで含めた全員が再び動き出したのは、2人の勝負に幕が下りた十数分後であった。

 

 

 

 

 

 

 

練習開始から数十分後、灰崎君と青峰君の2人は疲労困憊の様子で、肩で息をしていた。ゼエゼエと肩で息をしながらスリーメンで走る。ボールを受け取り、ドリブルを仕掛けるが明らかに動きが鈍い。

 

「お前ら!しっかりしろ!」

 

新たに主将になった虹村先輩が檄を飛ばす。先ほどまでの無双ぶりが嘘のような有様に、新しく2軍から上がってきた仲間達も微妙な表情を浮かべていた。

 

「……何なのだよ、あれは」

 

眼鏡を直しながら、緑間君も溜息を吐いた。

 

「練習前のアレで、体力を使い果たしたようですね」

 

「……黒子か。だが、あれだけでか?ほんのウォーミングアップ程度の時間だぞ」

 

隣にボクがいるのに気付き、彼は少しだけ目を見開く。コート上では、青峰君が放った通常シュートを先輩に叩き落された。普段よりもジャンプが低く、何よりも『型のない(フォームレス)シュート』を打てないところに、心身の疲労が見て取れる。

 

「彼らの埒外の才能は、身体に大きな負担を掛けます。また、その才能の発揮には極限の集中が必要とされ、維持できるのはせいぜい数分が限度」

 

とはいえ、その限度をあっさりと超えてくるのが『キセキの世代』なのだが……。ボクは肩をすくめて見せる。

 

「テンションが上がりきっていた全中のときはともかく。普段から限界を超えた動きをすれば、すぐに身体が降参するに決まってます。緑間君もそれを知っていたから、さっきシュート練習をしなかったんですよね?

 

「……わかっていたのか。まあ、そうなのだよ」

 

「キミの場合は集中力の欠如ですか。少しずつ慣らしていけば、すぐに一試合に渡って打てるようになりますよ」

 

「ずいぶん自信ありげだな。リスク無しでアレをできるとは、信じがたいものがあるのだが」

 

「あの2人も、潜在能力の解放に身体を慣らすのが今後の課題でしょうね」

 

ただ、全解放できないにしても、ひとつの才能の解放はそれだけで大きな意味を持つ。続いてボク達の番になったスリーメン。仲間には緑間君がおり、スリーポイントラインで手を上げた彼にボールを回す。

 

「頼みます」

 

「任せるのだよ」

 

ボールを受け取り、すぐさまシュートモーションに入る緑間君。だが、目の前の相手は赤司君である。絶妙な距離感で彼をマーク。腰を落とし、静かに緑間君の動作を観察する。

 

「それはフェイクだろう?」

 

こと純粋な実力においてはチームでもトップクラス。緑間君がシュートモーションを止める寸前に、そうつぶやいた。少し離れた地点にはこちらの味方がおり、そちらへ視線を向けたのに気付いていた。シュートフェイクからのパス。それが赤司君の予測だった。だが、その予測は外される。

 

「何だって……!お前がドリブル突破!?」

 

完全に虚を突いたカットインにより、直後赤司君の横を抜き去った。焦りと共に背後を振り向くが、すでにクイックでのシュート体勢に入っている。

 

「思い切りが良すぎるぞ」

 

苦手なドリブルを、ああも鮮やかに決断するとは。しかも、全中以前よりも明らかに精度が高い。赤司君の気持ちが、その驚きの表情から理解できた。想定以上のレベルアップだったのだろう。

 

「ここからは加速度的ですね」

 

潜在能力の解放経験は、全ての分野において急速な成長を促進する。たった一度の試合、たったひとつのプレイでさえ。強烈な成功体験は選手自身を変える。自信ひとつでプレイの精度が変わるのがスポーツである。特に発展途上の中高生であれば、気持ちひとつで別人のように豹変し、進化するなど良くあることだ。

 

 

そしてそれが『キセキの世代』であるならば。埒外の潜在能力を持つ彼らならば――

 

 

 

――その進化の速度は常人の比ではない

 

 

 

シュートがネットを揺らす乾いた音が耳に届く。

 

ワンプレイとはいえ、赤司君から得点を取るとは。緑間君はもう何も心配はいらないだろう。チラリと順番待ちの紫原君に視線を向けた。だるそうな表情だが、少し落ち着かない様子で掌を開いたり閉じたりしている。まるで、自身の体の変化に戸惑っているかのような……

 

「キミも、そろそろじゃないですか?」

 

内心に満足気な笑みを隠し、ボクはひとりごちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

部活後の秘密特訓は、今日で2週間を迎えた。誰の眼にも触れないよう秘密裏に行われた研究である。必然的に桃井さんと2人きりで、ということになった。一番見せてはいけない人に見せているような気もするが、まあいいだろう。

 

未来の赤司君は、ボクの視線誘導技術をチームメイトに伝授しているが、それは『天帝の眼』による観察眼あってのもの。桃井さんではボクの動きを詳細に理解することはできないだろう。

 

「では目も慣れたようですし、今日はここまでにしましょう」

 

ふぅ、と息を吐く。インターバルを入れながら、30分以上を視線誘導の研究に費やした。おかげで、この2週間で大体のパターンは網羅することができている。順調に進んでいることに満足感を覚えながら、設置してあるビデオを片づける。

 

「そろそろ夏休みよね。テツ君はどこか行ったりする?」

 

「ボクですか?特に予定はないですね。部活もありますし」

 

桃井さんの質問に、今後の予定を思い出しながら答える。せいぜいが親戚の家に顔を出すくらいだったはず。中学でのボクの交友関係は基本的に、バスケ部繋がりがほとんどなのだ。それだけ部活が忙しいとも言えるが、正直、休み時間は読書していた方が楽だというのもある。

 

「あ、そうなんだ。だったらさ、あの……」

 

なぜか深呼吸をして、意を決したように口を開いた。

 

「な、夏休み私とどっか遊びに行かない?」

 

「いいですよ。どこ行きましょうか」

 

「本当!?やったあ!」

 

嬉しそうに笑顔を見せる桃井さん。今にも跳び上がりそうな勢いである。そこまで喜んでもらえると、ボクとしても悪い気分はしない。というか、夏休みの予定が何も無いというのは、さすがに嫌だったので、正直助かったという思いである。

 

「詳しくはまたあとで話そう。私の方でも色々調べておくから」

 

「そうですね。そろそろ部活の予定も決まると思いますし」

 

当時は3軍だったので、1軍の練習日程など知らないが、例年はほぼ休み無しだったはずだ。お盆辺りが休みだったかな。

 

「ふんふ~ん。夏休みたのしみだな。早く来ないかな」

 

「そういえば、青峰君は宿題大丈夫でしょうか。新学期が始まって、怒られる様子が目に浮かびます」

 

懸念を示すボクに、予想通りの乾いた笑い声が返ってきた。

 

「あはは……。小学校でもそうだったんだよね。今年もそうなりそう……。私も何回も言ってるんだけど」

 

「1年の夏というとたしか……科目の宿題以外は、読書感想文と自由研究。あとは、そうだ。職業研究がありましたね」

 

「え?何で知ってるの?」

 

しまった、とボクの顔が引き攣った。現時点ではまだ宿題の内容は発表されていなかった。気が緩んでイージーミスをしてしまった。夏休み目前にして、珍しく浮かれているようだ。あっさりと話題を変える。

 

「まあ、それはそうとして。この間、入部した人はどうなったんですか?」

 

「ああ、黄瀬君ね。凄いみたいよ。昨日の3軍と2軍の交流戦で活躍したらしくって。今日から2軍に上がってきてるみたい」

 

「へえ、それはスピード昇格ですね。初心者だったんでしょう?」

 

「そうなの。マネージャーの間はもちろん、コーチたちの間でも、その話で持ちきりらしいよ。こんな選手見たことないって」

 

だが、桃井さんは苦笑しながら首を小さく傾けた。

 

「でも、テツ君もそうだけど。全中での皆のプレイを見てたら、私の中の常識がマヒしちゃって。もう何が凄いのかわかんなくなっちゃいそう」

 

確かに、とボクも小さく笑った。この帝光中は常識の範囲外にあるチームである。ただでさえ、超強豪校であったが、今年以降はその比ではない。ボクの行った3軍で1軍レギュラーを打倒したことに始まり、1年生のみのスタメンで全国優勝。今後も歴代初の偉業が次々に、まるで使い捨てのように打ち立てられるはずだ。

 

 

かつてよりも早い『キセキの世代』の覚醒。さらに、『幻の六人目』たるボクの強化、いや陰性化がもたらすのは――

 



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第20Q ええと……誰ッスか?

全国有数の強豪校、帝光中の練習に夏休みは無い。中学入学からの激動の4ヶ月が過ぎ、新体制に移行したバスケ部が始動する。主将は2年の虹村先輩、副主将には歴史通りに赤司君が就任した。2、3年と1年とで別個にスタメンを作り、時々で交代していた関係で、新体制の移行についてはスムーズに進んでいる。

 

 

 

8月の初めの夏休み中盤。強い日差しが建物を空気を照りつける。地獄のような熱気の中、連日のハードワーク。体力作りを主にしていたボクでさえ、だいぶ疲労が溜まっていた。

 

午後の練習が終わった後、ボクは第二体育館に立ち寄った。2軍の専用体育館である。こちらも同じ時間に終わったようで、居残りで練習している生徒が、数人ほどいるのみだ。1軍の数倍の人数がいるにもかかわらず、部活後に練習しているのが数えるほどというのは情けない。いや、3軍ではひとりもいないことを考えれば、いるだけマシだろうか。

 

「そんなことより、……ええと、黄瀬君はどこでしょうか?」

 

入り口の扉から覗き込み、体育館の隅から隅まで見渡してみる。左右に視線を動かすが、どこにも彼の姿は無い。すぐに得心した。

 

ああ、そうか。今の彼はそうだった。

 

「居残り練習なんて殊勝なこと、するはずありませんでした」

 

何をやってもできてしまう。その天才性ゆえに、本気になれていない時期だった。ボクは溜息を吐いて、その場をあとにする。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、1軍の午前練の開始前の更衣室。バッシュのヒモを縛っていると、青峰君が隣に座った。首をこちらに向ける。

 

「さつきに聞いたんだけどよ。最近、2軍の練習を見に行ってるらしいじゃねーか」

 

同じくバッシュを履きながら、こちらに問い掛ける。

 

「はい。ちょっと気になることがありまして」

 

「へえ、何だよ。今更2軍に何かあんのかよ?」

 

「近いうちに上に来る選手です。様子を見ておきたかったんですよ」

 

ボクの返答を聞いて、青峰君は楽しげに口笛を吹いた。

 

「テツがそう言うなら期待できそうだな。そういや、無名だった灰崎を探してきたのもオマエだったし。赤司が不思議がってたぜ。どこから見つけてきたんだって」

 

「偶然ですよ」

 

そう言って、ボクは肩を竦めて見せる。灰崎君のことも黄瀬君のことも、ただ未来を知っていただけで、赤司君のような才能を見抜く眼など持っていない。過大評価されていることに謙遜した。

 

「で、どのくらい強いんだよ」

 

ニヤニヤしながら問う彼に、自然に答えを返す。

 

「将来的には、キミ達に匹敵するくらいです」

 

「……マジか。今のオレらに?」

 

ボクは頷いた。青峰君の顔色が変わる。真剣さを帯びた様子でこちらを見返した。

 

初の全中を経験して、彼は全国のレベルを知った。その上で、自分自身と仲間達の才能が桁外れであることを理解した。覚醒した彼らの才能は中学生、いや高校生という枠ですら測りきれない。それは全国の猛者共ですら子供扱いできるほどだった。

 

「そうかよ。そりゃ楽しみだ。最近、灰崎ぐらいしか、マジで1on1できる相手いなくなってたからな」

 

瞳をギラつかせ、獰猛な笑みを浮かべる。開花した彼の才能は、戦える相手を探し求めていた。自分では意識していなかったかもしれないが、強くなりすぎたがゆえの不満は溜まり始めていたのだろう。かつての歴史で崩壊したチーム状況が思い返される。今回もそれを繰り返すつもりはない。今のところは、灰崎君がライバルになれているので大丈夫だろうが。

 

「早めに才能を開花させたいところですね。現時点の実力はまだまだでしょうが……」

 

つぶやいてボクと青峰君は立ち上がる。ロッカールームから出ようとした寸前、背後から声が掛けられた。

 

「興味深い話だね、黒子」

 

「赤司君」

 

振り向くと、彼も準備を終えて体育館に向かうところだった。部屋から出てコートへと並んで歩き出す。

 

「2軍に、キミがそれほど評価する選手がいたとはね。以前、オレも確認したはずだが……」

 

「先月、入部したばかりですから。知らなくても仕方ありませんよ」

 

「先月というと……彼か。噂だけは聞いていたが」

 

あごに手を当てて、赤司君はつぶやいた。

 

「とはいえ、まだ実際のプレイを見たわけではないのですが」

 

「見てもねーのに、何でそんな自信あんだよ……」

 

呆れた風に青峰君が首を振った。まったくもってその通りである。だが、赤司君はちょうどいいと、肩を竦めた。

 

「ならば見てくればいいさ。先ほど監督から指示を受けてきた。明後日は2軍の練習試合。同伴は黒子、キミだ」

 

「……なるほど。願っても無いタイミングです」

 

そう言って、ボクは微笑した。黄瀬涼太という選手の完成度を、間近で観察できる。またとない機会である。

 

「でも赤司。たしか明後日って、オレらも試合あったよな?」

 

「そうだね。だから、その日は黒子抜きになる」

 

「へえ、珍しいな。相手はどこだよ……?」

 

青峰君の言葉に、赤司君はわずかに逡巡したのちに口を開く。その中学は、全中で僕達を散々に苦しめた相手だった。『無冠の五将』がひとり、花宮真を擁する中学である。

 

「……あそこか。大丈夫かよ、赤司」

 

即座に青峰君の顔色が変わった。数週間前の激闘を思い出す。あの試合、帝光中は蜘蛛の巣に絡め取られた。赤司君のパスコースは予測され、連続スティールによって、連携がズタズタに分断される。花宮真の支配領域に引きずりこまれたのだ。

 

途中から試合に出たので、結果として勝利にはなったが、それはボクの個人技で圧倒しただけのこと。チームとして、帝光中は敗北していたと言える。その相手に今度は切り札たる『幻の六人目』抜きで挑もうというのだ。それも勝利が義務付けられた帝光中学が。青峰君でなくとも驚くだろう。もちろん、ボクにとっても予想外の出来事である。

 

「保険というか、切り札である黒子をベンチにも入れないというのは、オレも不安ではあるが……。しかし、それが監督の指示だ。従わぬわけにはいかないだろう」

 

――オレは敗北を知らない

 

そのように緑間君に話したという赤司君だが、しかし現時点では、他の皆のような超常の能力を有しているわけではない。最近封殺されたがゆえに、わずかに言葉に歯切れの悪さが残っていた。やはり不安を覚えているであろう。

 

だが、ボクは監督の判断を賞賛していた。覚醒まで遠かった以前ならばともかく。現在の『キセキの世代』の天才性ならば、危機や苦難などあればあるほど無尽蔵に呑み込んで糧とできるはず。

 

特に今回の試合では、赤司君の覚醒を期待したいですね――。

 

 

 

 

 

 

 

 

2軍の練習試合当日。ウォーミングアップをしつつ、2軍専用体育館で相手チーム待つ。このコートに立つのは久しぶりである。次々とユニフォームに着替えた仲間たちが入ってくる。

 

そこでボクは、ようやく『キセキの世代』最後のひとりに出会うことができた。黄金色の髪に端整な顔立ち。身長も中1にしては大きく、姿勢や身のこなしも無駄がない。これでも観察眼は鍛えている方だ。他の部員と比べると、肉体的素質は隔絶しているだろう。もちろん、昔のボクが知り合った頃よりもさらに過去であるがゆえに、幼さは隠しきれないが。

 

「こんにちは。黄瀬涼太君、ですね?」

 

「うおおっ!?びっくりしたぁ……え?どこいたの?」

 

目の前で挨拶すると、彼は驚いた風にのけぞった。

 

「というか、ええと……誰ッスか?タメっぽいけどキミ、2軍じゃないよね」

 

初心者でありながら、3軍から2軍へとスピード昇格してきた黄瀬君である。そのどちらでも見覚えがないことに気付いたのだろう。訝しげな表情で尋ねる。

 

「おい、馬鹿。知らねぇのかよ。1軍レギュラーの黒子だ。ウチの切り札だよ」

 

コソコソと隣にいた仲間が耳打ちする。

 

「ええっ!?これがッスか?……大したことなさそう」

 

驚愕の声を上げた後に、黄瀬君はボソリとつぶやいた。

 

「聞こえてますよ」

 

「ああっ!ゴメンゴメン!いやあ、全然結び付かなくて。3軍で2軍を圧倒したとか、1年にして影のエースだとか、見えない選手だとか。メチャクチャな噂ばっか聞いてたからさ」

 

全部本当だけどな、と隣のチームメイトがつぶやく。その言葉は黄瀬君の耳を素通りしたようだ。近くに転がるボールを拾い、ボクを1on1に誘う。

 

「どうッスか?1軍最強エースの実力、見せてくださいよ」

 

それに対するボクの答えは決まっている。

 

「こちらこそ。君の才能(チカラ)、見せてもらいます」

 

声の調子は平坦に、彼の目を一度だけ見返すと、静かにコート内へと足を踏み入れる。意気揚々と黄瀬君も続く。

 

 

 

 

 

 

「弱っ!これで1軍って、嘘ッスよねぇええええええ!」

 

数分後、黄瀬君の絶叫が館内に響き渡る。恒例行事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

練習試合は帝光中の優位に進んでいた。2軍といえども、県大会上位クラスの実力はある。保険としてベンチ入りしたものの、今回はボクの出番はなさそうだ。そう判断して、試合全体ではなく、黄瀬君の観察に注力する。

 

彼はバスケを始めて1か月程度だが、彼はすでに2軍のレギュラーの座を奪っていた。ポジションはSF。1軍では灰崎君と同じ位置である。将来的にはポジション争いが予想される。現在の能力を比較すれば、当然ながら灰崎君が圧倒的に優位だが……。

 

「おおっ!黄瀬が抜いた!」

 

ベンチから歓声が上がった。キレのあるドライブで突破する。予想以上の速度に、相手選手も反応が追いつかなかったという顔だ。周りから囲まれないうちに、黄瀬君はストップからのジャンプシュートに移行する。

 

「あっ……やべっ」

 

迫ってくる相手Cに集中を乱されたようだ。焦りと共に放たれたボールは、リングに当たって弾かれてしまう。幸い味方がオフェンスリバウンドを取ったので、再び帝光ボール。他の選手が得点を決めた。

 

「ふむ……だいぶ見えてきましたね」

 

小声でボクはつぶやいた。

 

最終学年での黄瀬君の性能を10とするならば、現在時点では3~4あたりだろうか。分かりやすく『心・技・体』の3項目で考えてみよう。

 

『体』にあたる身体能力は6。年齢的なこともあるし、これまで本格的にスポーツをやっていたわけでもない。全盛期とは程遠い。それでさえ、2軍においてはレギュラーの中でも頭一つ抜けている。将来的な素質は比類ない。

 

『心』、つまり精神力や駆け引きは3。明らかに経験不足。抜いた後、カバーに来た相手に焦って平常心を乱すなど、本来の彼には考えられない失態だ。見たところ、ディフェンスも反射神経に頼り切り。読み合いの段階にすら及んでいない。

 

最後に『技』。テクニックについては稚拙のひと言。シュートを外したのも、平静を失ったからだけではないはずだ。評価点は0。攻めのパターンがドライブとクロスオーバーしかないなんてありえない。葉山さんと違って、そのパターンを突き詰めた訳でもない。というか、葉山さんはやらなかっただけで、ドリブルパターンは相当の数を持っているはずだ。

 

 

 

そこまでの分析を終え、ボクは内心の興奮を抑えきれなかった。自然と口元が緩む。不完全な身体能力によるゴリ押しで、すでにこのレベルなのだ。その将来性は格段である。

 

本来なら彼は、2年の夏まで入部しなかったのだ。かつてより長いキャリアに加え、覚醒をさらに早めることで、高校時代の性能に高めることすら不可能ではない。そんな極大才能の原石を前に、垂涎せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

練習試合は帝光中の勝利で幕を閉じた。

 

仲間達の顔には、喜びや安堵の表情が浮かぶ。黄瀬君も同じく2軍のメンバー同士で楽しげに笑い合っている。しかし、そんな些末事は眼中になく――

 

 

――ただボクは才能の原石を、期待と共に眺めていた。

 

 

 



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第21Q 赤司っち

夏休みも中盤に差し掛かった頃。ボクは桃井さんと約束したプールへと遊びに来ていた。気温は30度を超える真夏日。体育館での練習であれば地獄だが、水に浸かるぶんには最適である。広大な敷地に様々なアトラクションの設置されたここは、本日も大盛況の様子だ。

 

「テツくん!ウォータースライダーやろう!」

 

「はい。いま行きます」

 

水面から上がって、桃井さんが溌剌とした笑顔で呼ぶ。彼女の水着は、花柄で明るい色彩のビキニタイプである。アイドルのような整った容姿で、周囲の男性の注目が集まった。年齢相応以上に胸の膨らみもあるが、高校時代を知るがゆえに、残念ながら幼いという感想だが。濡れた髪や身体も、色気というより健康的な印象を受ける。

 

とはいえ、練習漬けの夏休みの癒しには打ってつけ。気分転換なしで毎日朝晩の練習は厳しい。ボクにしては珍しく、開放的な気持ちで過ごしていた。

 

「えへへ~」

 

屈託ない様子で、僕の腕にすがりついてきた。素肌同士の接触に、さすがに心臓の鼓動も増加する。練習で身に付けたポーカーフェイスを駆使して、自然にエスコートを試みた。

 

横目で彼女を見ると、自分でやっておいて、顔を真っ赤にしていた。それを確認すると、逆にこちらは冷静さを取り戻せた。気分を落ち着けるため、長く一息を吐いた。もちろん、腕を払ったりしない。そこまで心が枯れているつもりはない。

やしの木が並んで植えられたプールサイドを、ボク達は腕を組んで歩き出した。

 

 

 

 

 

この施設で最も目立つ、岩山を模した巨大な建造物。ウォータースライダーの列に並んだ。小学生くらいの子供から大人のカップルまで様々である。待ち時間の話題は、つい先日の練習試合だった。

 

「テツ君は、昨日の試合どうだった?2軍の方に行ってたんでしょ?」

 

「勝ちましたよ。ボクの出番もなく、終わりました」

 

「うーん。そうなんだ。残念だったね」

 

初見の相手に最も効果を発揮するボクの能力の性質上、ピンチのとき以外で試合に出ることはほとんどない。他のメンバーとの違いはそこである。良くも悪くも、試合を変えるための六人目(シックスマン)の役割に特化していた。

 

「前に言ってた例の、黄瀬君は?」

 

「そうですね。試合に出なかったおかげで、そちらは十分に観察できました」

 

埒外の才能を思い返し、ボクの口元に小さな笑みが浮かぶ。

 

「素晴らしい才能でした。近い将来、青峰君のレベルまで成長すると思います。早めに1軍に上げたいですね」

 

「そんなに……!?」

 

桃井さんが驚きの声を上げた。全中を通して、彼女も全国のレベルを知っている。そこで他を圧倒した、青峰君らに匹敵する巨大な才能。それが同じ学校にまだ存在するなど、とても信じがたい話であった。だが、それが今年の帝光中であり、伝説と謳われた『キセキの世代』なのだ。

 

黄瀬涼太もそのひとり。しかも、かつてより1年分のアドバンテージがあるのだ。今から上手く育てれば、早期に覚醒させることも可能だろう。来年の全中の布陣を想像する。一片の不安もない。まさに無敵である。

 

いや、ひとつだけ懸念があったか。

 

「1軍の方はどうでしたか?」

 

話題を同日の試合に変える。ボクを除いた1軍も、別の場所で戦っていた。相手は無冠の五将のひとり、『悪童』花宮真。前回は赤司君のパスワークを完全に読まれ、劣勢に陥った。相手の行動パターンを解析し、予測する。さながら蜘蛛の巣に囚われたかのごとくである。結果として、『幻の六人目』の投入まで、何の打開策も打てなかったのだ。

 

「うーん。まぁ、勝ったよ」

 

歯切れが悪い。苦笑いのような複雑な表情が浮かぶ。理由を聞けば納得した。

 

「ほぼ個人プレイだったからね……」

 

その光景が、ボクには容易に想像できた。

 

「赤司君は?」

 

「……全然パス回しをさせてもらえなかったわ。相手にスティールされちゃって」

 

「なるほど。そういうことですか」

 

桃井さんが試合の経過を説明してくれた。赤司君は蜘蛛の巣を破ることができなかったのだ。花宮さんに敗北したということ。逃げたのだ。安全なパスに終始し、単純な個人の技量勝負に持ち込んだ。『キセキの世代』の埒外の才能に頼った安全策。それはたしかに強いが、彼のためにはならない。

 

 

――赤司征十郎、いまだ覚醒せず

 

 

今回の練習試合で期待していたのは、実はそこだった。強敵を前に壁を乗り越えられるかどうか。期待は裏切られた。

 

「他の皆を見る限り、覚醒は近いはずなんですが……」

 

危機感が足りなかったのか?小声でひとりごちた。それには気付かず、彼女は満面の笑みへと表情を変え、胸の前で手を合わせる。

 

「まぁでも、全中を乗り越えて、みんなが物凄く強くなったっていうのは分かったよ」

 

来年が楽しみだね、と朗らかに笑う彼女とは対照的に、赤司君を追い詰めることを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

夏の体育館にバッシュが床を鳴らす音が響く。コート全面を使ってのミニゲーム。赤司君率いる1年生チームと上級生チームが試合形式の真っ最中である。ボクは上級生チーム。戦力差を均すための措置だ。このミニゲームは頻繁に行われる。ここは全国最強の帝光中学。同じ学校内のお互いこそが、最高のライバルとなる。

 

「うおっ!……また、黒子かよ」

 

姿を消し、タップパスでボールの軌道を変更する。その直前、相手の裏のスペースに走る、蛍光色のビブスを視界に捉えていた。鋭角に曲がるパスに対応できるものはいない。ノーマークの先輩があっさりと得点を決めた。

 

「くそっ……敵に回るとマジでうぜえな」

 

苛立たしげに灰崎君が吐き捨てる。

 

「そりゃ、お前もだよ」

 

技を奪われ、動きに精彩を欠く虹村先輩も同様に舌打ちする。

 

マッチアップ相手の青峰君にボールが渡った。高速ドリブルで前後左右に不規則に揺さぶりをかける。予測困難なランダムな攻め。しかし主将の名に恥じない俊敏な反応で、それに喰らい付く。今の時代の青峰君にはもちろんパスの選択肢もあるが、基本的に1on1を好む性格だ。緩急をつけたチェンジオブペースで突破を狙う。

 

「隙あり、ですよ」

 

集中して狭まった視野の外から、伸ばした手でドリブルをカット。慌てて振り向く青峰君だが、その瞬間にはすでにボールは、PGの先輩の元へ届けられていた。

 

「速攻!」

 

声を上げる虹村先輩に呼応して、前線に躍り出た仲間たちのカウンターが成功する。荒い息を吐く1年チームの面々が悔しげに顔を歪めた。

 

 

 

意外に思われるかもしれないが、半ば覚醒した『キセキの世代』相手に、先輩達は善戦していた。頻繁に行われるミニゲームにおいて、むしろ勝ち越しているほど。いかに帝光中のレギュラーであろうと、本来ならば信じがたい快挙である。埒外の才能を有する彼らに対抗するなど、困難極まる。たとえ現時点での覚醒度であろうと、である。

 

もちろん『幻の六人目』たるボクがこちらにいる、というのもある。が、理由はそれだけではないはずだ。

 

――スタミナ不足

 

全中でも不安要素とされていた、年齢ゆえの体力不足。練習の最後に行われるミニゲームでは、彼らのポテンシャルを全て発揮することは難しい。さらに、埒外の才能の開花によって、その要求はさらに高まっている。

 

才能の全解放には極度の集中力が必要であり、少ない体力をガリガリと削り取られる。全国有数の猛練習を課す帝光中だが、それでも賄いきれないほどの膨大なエネルギーが――

 

 

――『キセキの世代』の能力解放には必要なのだ。

 

 

ミニゲームは上級生チームが僅差で勝利した。

 

 

 

 

 

 

 

そして練習後。赤司君を連れて第二体育館へと向かっていた。途中の廊下を並んで歩きながら、彼は尋ねる。

 

「オレに頼みたいこと、というのは何だい?」

 

「ちょっと練習に付き合ってもらいたいんですよ」

 

「だったら、わざわざ場所を変えなくてもいいだろうに……」

 

「ああ、いえ。ボクにではありません」

 

赤司君の疑問に、小さく首を横に振って答える。目的地に向かううちに、彼は気付いたようだ。到着した第二体育館の扉に手を掛ける。

 

「そうか。以前話していた……」

 

扉を開け放つと、コートの中央にひとりの少年――

 

 

――黄瀬涼太

 

 

が、退屈そうにしゃがみこんでいた。

 

「へえ、彼が……」

 

興味深そうに赤司君は観察する。当の黄瀬君はというと、困惑した風に眉根を寄せていた。首を傾げつつ、ボク達を交互に見回す。

 

「マネージャーに残るように言われたんスけど……。黒子君と……ええと、そっちは誰ッスか?」

 

「彼は同じく1年の、赤司君と言います。今はバスケ部の副主将をやっています」

 

入部から日も浅いためだろう。副主将という言葉を聞き、彼は目を見張る。直接の面識はなさそうだが、全国最強の帝光中で、スタメンを任される新入生のことは知っているはずだ。黄瀬君の目の色が好戦的なものに変わる。その視線を正面から受け止め、赤司君は口を開いた。

 

「キミが黄瀬涼太君だね。黒子から話は少し聞いているよ」

 

だが、と赤司君はこちらを向いた。わざわざ自分を呼びつけた理由を求めているらしい。

 

「顔合わせだけが目的ではないだろう?具体的に何をさせたいんだ」

 

「来る途中にもお願いしたように、練習に付き合ってあげて欲しいんですよ。まぁ、まずは軽く1on1でもどうでしょうか?」

 

黄瀬君の手にあるボールに視線を向ける。

 

「いいッスね。黒子君には悪いけど、全然強さを感じなくてさ。1軍のチカラ、見せて欲しいんスよね」

 

「興味はある。オレとしても、望むところだよ」

 

瞳をギラつかせ、立ち上がる黄瀬君に応えるように、彼も一歩前に進み出る。

 

無人のコートで二人は向かい合った。先攻は黄瀬君。対する赤司君も、腰を低く落として備える。

 

「さぁて、行くッスよー」

 

仕掛けたのは高速ドライブ。利き腕である右側から正面突破。駆け引きも何もないそれだが、黄瀬君の性能でやれば威力は格段。予想を遥かに超えた速度に、赤司君の対応が間に合わない。

 

「速いっ……だが!」

 

しかし、赤司君も同じく『キセキの世代』と謳われる天才である。身体能力で引けを取るものではない。むしろ鍛えている分、現時点では赤司君が勝っている。半歩の遅れを瞬時に取り戻す脚力。インサイドに切り込まれる前に、進攻を止めようとする。

 

「まだまだっ!」

 

次の瞬間、黄瀬君は大きく左へと切り返す。全速力のまま、右から左への方向転換。鋭角に曲がるクロスオーバー。その見事なキレ味は、2軍においても屈指である。赤司君の顔色が変わった。

 

「これが初心者の練度か……!?」

 

驚きに目を見開く赤司君。余りの予想外に思わず声を漏らす。勝利を確信した黄瀬君の口元が緩んだ。

 

「へへっ。いただ……」

 

「だが、オレを抜けるほどではないよ」

 

 

――黄瀬君の手からボールが弾かれていた。

 

 

「え?」

 

呆けたように、黄瀬君の喉から息が漏れる。転々と彼の後ろを弾むボールを、悠然とコート上を歩く赤司君が拾い上げた。振り向けば、そこには感嘆の表情を浮かべた黄瀬君が残っている。

 

「すげえ……」

 

「なるほど。黒子が薦めるだけのことはある。見事な素質だ。近いうちに、上でもレギュラーを取れるだろう」

 

赤司君は素直に賞賛の言葉を告げる。

 

「だが、現時点ではあまりに技術が稚拙だ。この短期間で初心者の域を脱したのは素晴らしいが、1軍で通用するレベルではない。つまり、そういうことか」

 

こちらに視線が向けられ、ボクは頷いた。

 

「技術の正確さでは、赤司君が最も優れています。教師役をやってくれれば、彼の成長速度は飛躍的に上がるはずです」

 

ちなみに、青峰君、緑間君、灰崎君はそれぞれ、一部の技術は卓越しているが、それを他人に伝えられるとは思えない。部長の虹村先輩にお願いするわけにもいかないし。彼が適任だと判断した。

 

「構わないが……それほど時間は取れないぞ」

 

「ありがとうございます」

 

少しだけ思案したのち、彼は了承した。次は、自分の与り知らぬところで話が進んでいる黄瀬君に声を掛ける。

 

「どうでしょうか、黄瀬君。間違いなく強くなれますよ?」

 

「急な話で驚いてるんだけど……まぁ、練習に付き合ってくれるんなら、ありがたいッスよ。さすが1軍レギュラー。かなり巧いみたいだし」

 

覚醒こそしていないものの、全国最強の帝光中で1年レギュラーを取った選手である。いまの対決で赤司君の実力を認めたようだ。これまでやっていなかった居残り練習だが、参加をしてもらえるらしい。本題を告げる前に、勝負をさせた甲斐があったというもの。

 

「じゃあ、よろしくお願いするッス。赤司っち」

 

「赤司っち……?」

 

「オレが凄いと思った人にはそう呼ぶようにしてるんスよ。認めた証みたいなこと」

 

一転して目を輝かせた黄瀬君が、楽しげに笑った。分かりやすく態度が変わったことに、赤司君は苦笑する。目論見通り、2人の合同練習は行われそうだ。赤司君の正統派で正確な技術は、彼にとっては最も良いお手本となるだろう。歴史よりも早く、1軍に上げることができそうだ。それはそれで問題は起きそうだが。

 

 

 

いつの間にか黄瀬君がねだって、ドリブルの技の練習が始まっていた。邪魔にならないよう、気配を消して静かに体育館を後にする。最後にボクは、黄瀬君の言葉を思い出して溜息を吐いた。

 

 

 

というか、やっぱりボクはまだ認められてないんですね。まあ、1on1で惨敗したところしか見せてないし、仕方ないですが……

 

 

 

 

 

 

その認識を覆せたのは2週間後。初心者にも関わらず、超スピード昇格で彼が1軍に上がってからのことだった。

 

 



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第22Q これが本物の『天』のシュー……

 

 

新学期が始まり、あっという間に2か月が過ぎて、季節は秋。地獄のような暑さも和らぎ、快適な練習環境が戻ってくる。ただし、その分だけ練習量と密度も増しているので、疲労度は変わらないが……。

 

 

 

 

本日は、強豪校との交流戦。全国大会で覇を競った、『無冠の五将』実渕玲央の率いる風見中学との練習試合だ。珍しく帝光中から呼び掛けての開催である。

 

そこには監督の切実な懸念があった。校内にしか敵がいないという現状である。身内をライバルにすることでモチベーションの低下を抑えているが、将来的には最大の不安要素。数日前に白銀監督と話をする機会があった。かつて、チーム崩壊の原因となったそれを、すでに彼は予期しているようだ。仮想敵が内側にしかいない、というのはマズイ。一度、外部に目を向けて、一丸となって団結することが今回の目的である。

 

 

 

 

 

風見中学の選手達が、コート半面を使ってウォーミングアップを始めた。残りの半面にボク達が集まる。帝光中は、四隅に分かれてのスクエアパス。走りながらボールを受け取り、パスを出す。1軍に上がった黄瀬君も、練習には慣れてきたようだ。流れるように対面の青峰君にボールを回す。

 

「ナイスパス」

 

互いに動きの中で受け渡すスクエアパス。基本的な練習であるが、しかしここは帝光中学である。当然ながら、その練度は高い。他校よりも素早い動きに合わせて、正確に方向や強弱を狙ってパスを出すのは容易ではない。

 

黄瀬君の出したボールは十分に及第点。赤司君との居残り練習により、彼の技術は先輩達に引けを取らないものとなっていた。手本が良いとはいえ、相変わらず異常な成長速度である。

 

「っと……ボクの番ですね」

 

自分の番になったので、ボールを受けるために一歩を踏み出した。シュート練習、ドリブル練習はダントツで最下位のボクだが、パス練習だけはそれなりにできる。他校の選手達の前で、恥をかかずに済みそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

試合前のウォーミングアップを切り上げ、ベンチへと戻っていく。対戦相手は全中でもぶつかった『無冠の五将』実渕怜央。彼の率いる風見中学は、全国屈指のワンマンチームである。3種のシュートを操る『夜叉』は、とても油断できる相手ではない。万全を期して、スタメンは1年生の5人。ボクと黄瀬君を除いた、いつもの布陣である。

 

「……やっぱ、スタメンはまだ早いッスか」

 

発表を聞き、黄瀬君は落胆の声と共にベンチに腰を下ろした。さすがの彼も、現時点では力不足。ユニフォームをもらっているだけ上出来だろう。温存されるボクも、同じく隣に座る。

 

懸念していた灰崎君と黄瀬君の衝突。1軍に上がる際に、最も心配していたことである。かつては練習中、ことあるごとに喧嘩をしていた彼らだが、幸いなことに現在は平穏を保っている。灰崎君がすでに覚醒しているからだろう。他と隔絶した能力を持つがゆえ、未熟な黄瀬君など眼中にないのだ。元々、灰崎君の攻撃的な性格と同属嫌悪が不和の原因である。

 

おかげで、当分は彼らの間で大きな問題が起こることはないだろう。

 

 

 

スタメンの皆がコートの中央に集まり出す。そこに向かう前に、灰崎君がベンチに立ち寄った。座っている黄瀬君の前に立つと、覗き込むように顔を近付ける。偉そうに口元を歪めた。

 

「よお、黄瀬。練習疲れたろ。雑魚はベンチで休んでな」

 

挑発的に嘲笑する灰崎君。

 

「あぁっ……!?」

 

黄瀬君は苛立った風に低く声を漏らす。怒りを込めて睨みつける。それを薄ら笑いを浮かべて見返した。敵意剥き出しで視線をぶつけ合う。

 

……前言撤回。やはりこの2人は犬猿の仲のようだ。

 

ハァ、と小さく溜息を吐く。この関係を修復するのは難しそうだ。というか、まったく自信がない。まぁ、問題があるのはどちらかと問われれば、間違いなく灰崎君である。早くも才能を開花させてしまった弊害か。歴史よりも、調子に乗っているらしい。主将である虹村先輩よりも強力なプレイヤーとなってしまったせいで、それに赤司君が覚醒前であるのも加えて、増長しているように見える。このままでは部内に亀裂が生まれてしまう可能性が高い。

 

……いずれ、釘を刺す必要がありそうですね。

 

 

 

将来の対処に頭を抱えつつ、ボクは二人から目を離した。紫原君と赤司君の会話が耳に入ってくる。コートに向かう

 

「ねえ、赤ちーん。ちょっといい?」

 

「どうした、試合前に。」

 

間延びした声に、赤司君が簡潔に返す。

 

「この試合は、オレにボール回してくんない?」

 

「……珍しくヤル気だね。構わないよ、相手チームのインサイドは脆弱だからね」

 

「んー。じゃあ、こっちで決着をつけちゃうから」

 

紫原君らしからぬ積極性に、少しだけ彼も驚いたようだが、すぐに了承した。良い傾向ではあるし、『無冠の五将』以外のマッチアップは基本的に帝光が上。第1Qは紫原君を中心に攻めてみようと、彼は考えたのだろう。そしてそれは、破壊的な威力を発揮する――

 

 

 

 

 

 

 

試合開始から数分後。会場である帝光中第一体育館の一堂は震撼させられる。

ただひとりの怪物によって――

 

「つ、強すぎる……」

 

「化け物かよ……」

 

相手ベンチから震えた声が聞こえてくる。同じ人間とは思えない、圧倒的な身体能力。純粋な肉体性能で他を隔絶する、帝光中学のひとりの怪物。

 

「紫原っ!」

 

ハイポストに陣取る彼に向けて、赤司君からのパスが届く。フリースローライン付近で、ゴールに背を向けた体勢でボールを受け取る。背後には相手チームのCが、前を向かせまいと密着マーク。

 

この状況こそが、Cというポジションにおける定位置。ここからの勝負こそが、Cとしての1on1。持ち前の埒外の筋力を生かして、力づくでパワードリブルで押し込む。中学生離れした身長と腕の長さを生かして、その場で振り向きつつ、驚異的な高さの打点でシュート。他のポジションとは異なる、特徴的な基本戦法である。

 

「これ以上、させてたまるか……!」

 

相手選手が吠える。だが、彼にとっては残念なことに、紫原君は背後の脅威など微塵も感じてはいなかった。障害とすら、見做していないかもしれない。ただの一瞥でボクはそう判断した。それほどに、彼我の存在感、熱量は隔絶していた。

 

「なん……ビクともしない…!?」

 

「もうちょっと、本気でやってくんない?」

 

インサイドに入れまいと、相手は本気で押し返そうとする。両足を踏ん張り、全身全霊の力で外へ押し出す。全中で対戦したときも、同じ相手が紫原君とのマッチアップだった。常人離れしたパワーに終始圧倒されていた印象だ。その時よりもさらに、明らかに紫原君の力強さが増しているように思える。まるで重厚な高層ビルと対しているかのような。相手の顔が絶望的な色に染まった。

 

「相手にならな過ぎなんだよねー。……捻り潰すまでもないかー」

 

周りにも分かるほどの大きな溜め息を吐いた。明らかに見下された相手は、瞳に怒りを湛えて、歯噛みする。絶対に止める、と決死の覚悟を抱いた。しかし、そんな薄っぺらい覚悟程度で埋められるほど、『キセキの世代』は甘くない。

 

 

――紫原君の巨体が、彼の視界から消え去った。

 

 

「え?」

 

唖然とした表情で、喉から困惑の声を漏らす。狐に化かされたかのような非現実感。何が起きたか分からないという風に、左右に首を回した。幸い、その疑問はすぐに解決する。

 

背後で鳴り響く轟音、紫原敦のダンクによって――

 

種も仕掛けもない。

 

 

――超高速でのターン

 

 

純粋な速度によって、紫原君は反応すらさせずに抜き去ったのだ。あの巨体から想像もできないほどに俊敏な、身のこなしとドリブル。恵まれ過ぎた体格ゆえに、これまで彼は帝光中でも動作が遅い方に分類されていた。それは当然だ。高身長も筋肉も重さに繋がるし、それは速度を阻害する。

 

しかし、その常識を彼は覆した。

 

「は、速すぎないッスか……?明らかにオレよりも…いや、下手すれば青峰っちに匹敵する……?」

 

隣の黄瀬君が呆然とつぶやく。敵だけでなく、味方までもが圧倒的な性能に驚愕していた。この試合で開花した、紫原君の才能。昨日までの彼とは、まるで別次元の完成度である。強さと高さに加え、速さまで。純粋な身体性能においては、中学、いや高校まで含めても間違いなく最優。

 

「相手が見失うのも無理はないですね」

 

愉悦で口元を小さく吊り上げ、ボクは微笑する。密着状態で、あれほど高速で動かれては、まさしく消えたように見えたろう。相手に同情を禁じ得ない。力で負け、高さで負け、さらに速度でも負けるとなれば、できることなど何もない。彼は蒼白になった顔面を盛大に引きつらせる。完全に心が折れていた。

 

 

 

 

 

 

 

一方的な虐殺は続く。相手Cにとっては悪夢だったろう。追いつけず、動かせず、届かず。赤司君から受け取ったボールを、一瞬でゴール下まで運び、ダンクを決める。彼の進攻は何者にも侵せず、相手に無力感のみを思い知らせる。

 

「うおおっ!豪快っ!」

 

「ありゃ、もう反則だろ……!?」

 

圧倒的な戦力差。ダブルチームだろうと無関係に侵略する絶対者。何人たりとも止めることはできない。それは守備面においても同じこと。むしろ超高速の反応速度は、ディフェンスにこそ猛威を振るう。インサイドでシュートモーションに入った瞬間、叩き落されるボール。無敵の城砦が帝光の陣地に築かれたのだ。

 

「くっ……やっぱり、私が何とかするしかないのね」

 

必然的に、勝負に出られるのはアウトサイドのみ。幸いにも彼はその専門家(スペシャリスト)――『無冠の五将』がひとり、『夜叉』実渕怜央。

 

「『天』のシュートッ!さすが一筋縄じゃ行かないか……!」

 

高等技術、フェイダウェイでの3Pシュート。緑間君のブロックを避け、放たれたボールはリングをまっすぐに通過する。全国最強にすら対抗しうる逆襲の一矢。塞ぎ込んだ相手チームの士気が復活する。

 

「このまま終わらせるものですか!」

 

前回の試合での雪辱を誓ったのだろう。わずかだが、シュート精度が上がったようだ。執念と共に、実渕の反撃が始まった。『天』と『地』、2種のシュートを用いて帝光から得点を奪い取る。紫原君の暴虐にも集中を切らさず、ロングシュートのみで喰らい付いてきた。だが、その執念はひとつの才能の前に崩れ去る。

 

「その技、オレがもらうぜ」

 

嫌らしく唇をひと舐めして、灰崎君は才能を発現した。

 

赤司君からボールを受ける。その場所は普段よりも遠い、3Pラインの外側。即座にシュートモーションに入る。直前に実渕さんに嘲るように視線を送ったのが見えた。慌てて相手もブロックに跳ぶが、その表情が凍り付いた。

 

「何でアナタが、私のシュートを……!?」

 

実渕が驚愕と共に叫ぶ。後方に跳び、ブロックを無効化する脅威のシュート。

 

 

――『天』のシュート

 

 

誰の邪魔も入らず、放たれたボールはリングをまっすぐに通過する。相手チームからは落胆の声が、味方からは歓声が発せられた。愕然とした様子で立ち尽くす実渕さん。だが、本当に心が折れるのはこれからだ。それを知るボク達は、この時点で勝利を確信した。

 

ふと視線を隣に向ける。一心不乱に、食い入るようにコート内を凝視する黄瀬君の姿があった。

 

「ちょっ……どうしたんですか……?」

 

ボクの声に気付く様子もない。視線の先は灰崎君のようだ。見ているこちらに寒気を感じさせる集中力。鬼気迫るほどの専心でもって、彼の一挙手一投足を洞察している。そういえば灰崎君の能力を見たのは、これが初めてだったか。同系統の能力であると、本能的に直感したのか。

 

ボクは口元に手を当て、くつくつと声が漏れないよう笑う。才能の覚醒を予感した。

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は消化試合に過ぎない。少なくとも、帝光中の面々にとっては。

 

「やってくれたわね。だけど、そんな猿真似で動揺を誘おうっての?」

 

「猿真似かどうかは、自分が一番分かるはずなのだよ」

 

「何ですって……!なら、見せてやるわ!」

 

実渕さんがボールを受け取り、虚勢を張る。呆然自失の状態から何とか立ち直ったが、被害は残っているらしい。わずかに声が震えている。灰崎君のシュートが猿真似ではなく、自身と同等以上の完成度であることは一目で理解したはずだ。何せ自分の技なのだから。だというのにこんな言葉を吐くとは、つまり現実を直視できないのだ。自分を騙すことで、何とか戦意を保っている。そんな崖っぷちの状況からは、すぐに谷底へと叩き落される定めだ。

 

「これが本物の『天』のシュ……なっ!?」

 

明らかにバラバラなフォームで、ボールは明後日の方向へ飛んでいった。投げた瞬間に、彼は自身の変調を理解する。空中で崩れた体勢のまま、大きく目を見開いた。これが灰崎君の能力――『強奪』の効果。

 

 

相手の技を奪い、使用不能にする。

 

 

リングにすら当たらず、ボードで跳ね返ったボールを紫原君が確保。カウンターの速攻が始まる。

 

「赤ちーん、パス」

 

「決めろ、灰崎」

 

紫原君から赤司君、最前線に走り出していた灰崎君、と高速でパスが繋がった。障害となるのは、唯一戻っていた相手PG。絶対に抜かせまいと立ち塞がる。ドリブル突破と思いきや、灰崎君は3Pライン手前で急停止。虚を突かれた相手も、即座に直感する。ストップからのジャンプシュート。しかも、これは自軍最強のシュートであると。必死の形相で手を伸ばし、ブロックに跳んだ。『天』のシュートに対応するため、普段よりも奥へ向かって。それが仇となる。

 

「おいおい。オレが奪ったのが一つだなんて、決めつけんなよ」

 

「し、しまっ……!?」

 

「当然、両方ともオレの物だ」

 

モーションが一瞬止まる。シュートフェイク。それを理解した瞬間、相手の顔が引き攣った。『天』のシュートは囮。もう一つの、『コレ』を生かすための――

 

 

――『地』のシュート

 

 

相手にぶつかりながら、ファウルを貰いながら、打つシュート。ブロックの勢いで衝突するが、空中で体勢を立て直しつつ、正確にボールを投げ放った。ガツン、とリングに弾き返される。

 

「おっと……さすがに百発百中とはいかねぇか」

 

だが、と彼は嘲るように笑う。

 

「フリースローを3本決めりゃあ同じことだ。それに、今のを見ちまったってことは……」

 

実渕さんは今後、『地』のシュートも使用不可になったということ。敗戦を確信した彼は、苦渋に塗れた顔を俯かせた。

 

灰崎君が敵の牙を奪い、紫原君が虐殺する。戦いにすらなっていない。ほんの数ヶ月で風見中学は、『無冠の五将』は、相手にならなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

試合結果は114-35。被害得点の大部分は後半で、前半は誰一人として、紫原君を突破できなかった。

 

残念ながら、白金監督の目論見とは裏腹の結果となってしまった。すなわち、他校に敵は無く。仮想敵は内側にしか作れないと。

 

 

 



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第23Q アメリカに住んでいてね

帝光中学バスケットボール部には、5人の天才と、1人の怪物が棲んでいる。

 

全国制覇を成し遂げた超強豪校において、その原動力となった新入生達。噂を聞いたオレは、友人と観戦に向かい、その光景に出会う。プレイを一目見ただけで、その超越に心を打たれた。何でも出来るオレが、出来そうもないと思った。それが初心者のオレ、黄瀬涼太がバスケを始めたきっかけである。

 

実際に部活に入ってみると、その壮絶さは群を抜いていた。青峰っち、緑間っち、紫原っち。それと、ムカつく奴だけど灰崎も。とても真似の出来ない才能(オリジナリティ)と才能(センス)だった。オレ自身も大概、恵まれていると思っていたけど、彼らのそれは格が違う。同じく全国トップクラスの先輩達と比べてさえ、明らかに別次元。悔しいが、今のオレでは届かない。

 

少し劣るけど、オレの師匠でもある赤司っちも、技量や身体能力、状況判断など、PGとして非常に優秀である。さすがは副部長をしているだけはある。とはいえ、現時点で最も追いつきやすい目標だろう。

 

最後にもう一人。

 

異次元の怪物。帝光中の切り札。幻の六人目。天才逸材が揃う帝光中バスケ部において、最も信頼され、畏怖されているのが彼である。

 

 

――黒子テツヤ

 

 

初めて会ったときは、雑魚だと思った。1軍レギュラーだなんて信じられないと。事実、1on1では当時2軍だったオレに惨敗する始末。ベンチ入りすら危うい実力だろう。それがオレの見立てだった。だが、そんな浅はかな読みは、1軍に上がってすぐの試合で覆され、そこで確信した。帝光中で最も恐るべきは、彼なのだと――

 

 

 

 

 

 

 

季節も冬に差し掛かり、肌寒さを感じるようになってきた。全中の余韻も完全に抜けて、一種の中だるみの時期と言える。当時オレはいなかったし、全国最強の帝光中にそんな弛みはないが、さすがに試合直前期よりは休みも貰えている。

 

「黒子っち~!桃っち~!今日、帰りどっか寄っていかないッスか?」

 

日曜日の昼下がり。今日は午前練のみなので、これからはオフの時間。制服に着替えると、並んで歩く黒子っちと桃っちに声を掛ける。馬に蹴られそうだが、気にしないことにした。

 

「ボクは構いませんよ」

 

黒子っちが隣に視線を向けると、彼女は大きく頷いた。

 

「うん。どこ行こっか?」

 

「そうッスね……。オレも特に考えてた訳じゃないんスけど」

 

体育館から出て、校門へと歩きながら相談する。運動系の場所だとオレの一人勝ちになっちゃうし、ちょうど良いか。いや、帝光中のレギュラーなのに、桃っちとそんな身体能力変わらないってのもどうかと思うけど。

 

「じゃあさ。カラオケとかどう?最近、全然行ってないし」

 

「ああ、いいッスね」

 

「そうすると、駅前の店が一番近いですね。じゃあ、行きま……えっ!?」

 

突如、黒子っちが立ち止まった。少し遅れて、オレ達も足を止めて振り返る。不思議に思って彼の顔を捉えると、珍しく表情を驚きで固まらせていた。初めて見る。視線の先を確認すると、一組の男女の姿があった。

 

たぶん、女子の方はバスケ部のマネージャーかな?

男の方が話しかけているようだ。興味を引かれ、オレは近寄ってみる。

 

「先輩、どうかしたんスか?」

 

「あ、黄瀬君。ええと……」

 

視線を相手の方に向ける。目元の泣きボクロが印象的な男だった。私服だし、他校生だろう。年齢はオレよりも少し上くらいか?端整な顔立ちで、何かスポーツをやっているのか、細身ながら鍛えられた体付きだった。

 

「バスケ部の練習を見学させてもらおうと思ったんだけど……。どうやら無理そうだね」

 

彼は困った風な表情を浮かべて、指先で頬をかいた。どこか浮世離れした雰囲気が漂う。

 

「悪いけど、他校の見学は禁止なんスよ。あと、今日はもう練習終わりなんで」

 

「そうなのか。こっちの学校のことを良く知らなかったので……。彼女にも悪かったね、困らせてしまったみたいだ」

 

オレが答えると、男は謝罪して立ち去ろうとした。

 

 

「待ってください」

 

 

意外にも、そんな声を掛けたのは黒子っちだった。

 

「ウチのバスケ部に興味があるんですよね?だったら、実際に戦ってみるのが一番でしょう。彼が帝光の1軍レギュラーです」

 

「なるほど、彼が……」

 

「え……ちょっ…オレ?」

 

突然、話を振られて変な声が漏れてしまう。こちらに向けられる視線に、観察するような色が混ざった。思いのほか乗り気らしい。クールな面持ちだが、瞳に戦意が篭るのを感じた。

 

というか黒子っち。ほぼスタメンの自分を棚に上げて、勝手に話を進めないでほしい。

 

「いやいや、何でオレがわざわざ……。ってか、バスケ部の人だったんだ」

 

「アメリカに住んでいてね。学校の部活って訳じゃないが、経験者ではあるよ。まあ、噂の帝光中学の部員で力試しをしたかったんだ。だから、戦ってくれるならありがたいね」

 

久しぶりに練習が早く終わったってのに面倒だ。あまり気乗りしない。渋っていたら、黒子っちが珍しく強く推してきた。

 

「黄瀬君、お願いします。あとで埋め合わせはしますから」

 

「……私からもお願い。たぶん、大事なことだと思うから」

 

その様子に何かを感じたのだろう。桃っちも言葉を重ねた。オレよりも付き合いの長い彼女のことだ。得体の知れない黒子っちの思惑は分からないが、乗ってみよう。オレは承諾した。

 

 

 

 

 

 

 

第一体育館に戻り、バッシュに履き替えてコートに立った。練習時間外とはいえ、本来は部外者を入れてはマズイんだけど、内緒でここを使うことにした。さすがに着替えるのは面倒なので、オレは制服のままで、相手は上着だけ脱いで、1on1を始める。

 

「オレは氷室辰也という。付き合ってくれて感謝するよ」

 

「まあ、いいッスよ。けど、すぐ終わっちゃっても悪く思わないで下さいね」

 

右手でボールを放り、オレは腰を落としてディフェンスの姿勢を取る。審判として、黒子っちと桃っちはコート脇の床に座っている。目の前の氷室という男と、黒子っちの間に、どんな関係があるのか知らないが。相手になるならば叩き潰すのみ。意識を切り替えて、彼と対峙する。突如、氷室は動き出した。右側から仕掛ける高速のドライブ。

 

「うっ……速っ!」

 

想定以上の速度に思わず声が漏れる。瞬時に相手が凡百の選手でないと理解した。帝光レギュラー級の身体性能。反射的に後方へステップし、抜かれまいと追随する。ただのドライブで千切られるほど、オレも甘くない。

 

「させないッスよ!」

 

斜め後方へ走りながら氷室の眼を見据え、気勢を吐く。それに対して彼は、涼しげな表情のまま、口を開いた。

 

「へえ、凄いね。追いついてくるか……なら、これで」

 

時間の流れが緩やかになった錯覚。

 

何の変哲も無い、ストップからのジャンプシュート。ただし、途轍もなく滑らかな、流麗な舞のごとき。

 

 

――氷室の手からゆったりと放たれたボールが、静かにネットを揺らした。

 

 

「え?」

 

オレの口から息が漏れた。棒立ちのまま、一連の動作を見逃していた。いや、魅入っていたのだ。それほどにスムーズな、動作の間のムダが皆無の超絶技巧。まるで芸術作品を鑑賞したかのよう。対決中だということすら、一瞬忘れさせられた。

 

ただのバスケにおける基本技のひとつ。しかし、それを極めるとここまでになるのかと、呆然と立ち尽くしてしまった。

 

「ほら。次はキミの番だよ」

 

「あっ……ああ、そうか」

 

氷室からボールを渡され、ようやく意識を取り戻した。非現実的なまでの超絶技巧。オレは頭を振って気を取り直す。ただのワンプレイで確信させられた。この男は強い。それも、青峰っち達に匹敵する実力者なのだと。

 

「コイツ、何者だよ。……黒子っちも、キツイ相手をぶつけてくれるッスね」

 

批難をわずかに視線に込めて、黒子っちの方へ首だけを向ける。しかし意外にも、彼の表情も驚きだった。

 

「この時期でここまで……?いくらなんでも、完成度が高過ぎる……」

 

珍しく目を見開き、何かをつぶやいていた。普段見られない姿を、今日は何度も晒している。彼にとってもこの強さは想定外なのか。

 

「まあ、こっちも強敵の方がありがたいッスよ」

 

雑魚の相手は飽き飽きだ。今度はこちらのターン。ドリブル突破を狙い、ワンフェイクを入れ、ツーフェイク。オレの頬が引き攣る。

 

コイツ……全然動じてねぇ。

 

マズイ、隙がまるで見えない。攻め手がない。ボール持ち過ぎ。考え過ぎ。完全にテンポが乱れてる。

 

「くそっ……!」

 

破れかぶれのドライブを仕掛けるが、そんなものが通じる相手ではない。あっさりとスティールされてしまう。

 

強い……いや、巧い。身体能力は互角か、わずかにオレが上のはず。だけど、技量と駆け引きで、圧倒的な差を付けられている。全中は参加してないけど、目の前の男は明らかに全国最強クラスの選手に違いない。これほどの実力者がゴロゴロいるってのか……。

 

悔しさを噛み締めて、ボールを相手に渡す。続いて氷室のオフェンス。ボールを受け取る寸前、こちらの心を見透かすように、静かに視線を合わせた。一瞬の、静かな意識の交錯。こちらは何も読み取れなかったが、相手は違ったはず。それは直後の仕掛けでわかった。

 

「クッソ……そっちかよ!」

 

ヤマを張ったつもりはないが、意識の薄かった左側を的確に狙われた。わずかにテンポが遅れる。焦りと共に、サイドステップで相手の進行を遮った。これで直線的なドライブは止められるはず。しかし、本当にこの男が恐ろしいのはここから――

 

――残像すら見えるほどの、高精度フェイク

 

右と見せかけてのクロスオーバー。氷像のごとき精緻さと、流水のごとき滑らかさ。完成された一連の動作に、思わず身震いする。当然、上体を泳がされたオレは、あっさりと抜き去られた。

 

 

 

 

大きく息を吸い、天を仰ぐ。これだけ見れば分かる。明らかに格の違う相手だと。疑念を差し挟む余地も、議論の余地もない。青峰っちと同級の、超越者。今のオレに勝ち目などない。それを認めて、肺の中の空気を全て吐き出した。やれやれと首を振り、この勝負の元凶に視線を向ける。

 

「まったく、とんだ貧乏くじッスよ……。よくもまぁ、こんなヤバい奴と戦わせてくれちゃって」

 

軽く非難を込めたつもりの視線だが、なぜか黒子っちは愉しげに口元を歪めた。

 

「そんなこと言っておいて……笑ってるじゃないですか、黄瀬君も」

 

口元に手を当てると、どうやら無意識に笑みを浮かべていたようだ。弱気なのは表面だけで、たしかに胸の奥が熱く昂ぶっているのに、ようやく気付いた。何か、マグマのようなものが、全身を駆け巡っている。そして、同時に頭の天辺から血がさあっと降りるような感覚。

 

冷たく、意識が冴えわたっていく。燃える心とは対照的な、不純物の排除された氷のごとき集中力。新たな何かが生まれようとしている。そんな予感があった。

 

「良い状態ですね。本当に早い。この時期で、もう才能の芽吹きは始まっている」

 

経験したことのない心身の状態に、困惑するオレとは違い、彼は自然な調子で言葉を続ける。まるで想定内だという風に。

 

「相手の動きを見て、真似る。物事を上達させるために、最も大切なことです。キミはただ、そうするだけでいい」

 

「見て、真似る……」

 

もう話すことはないらしい。その忠告を最後に、彼はボールを手にして待っている氷室を目線で示した。先ほどまでの凍えるほどの鋭利な雰囲気を、なぜか今は感じない。

 

「悪いッスね、待たせて」

 

「構わないよ。もういいかい?」

 

腰を落とし、まっすぐ彼と目線を合わせることで応える。ダンッとボールを弾ませる氷室。冴え切った頭で、対面する相手の動作を隅々まで観察する。周辺視野を通して、無意識のうちで全体像を把握する。これまでとは別次元の精度による観察眼。元々、他人の動きを見るのは得意だったが、そんなレベルの話ではない。氷室の筋肉の動き、重心の流れ、視線や意識。それらが混ざり合い、一連の流れとして情報化される。

 

「いくよ」

 

左から抜こうと迫る高速ドライブ。それを瞬時に反応し、後方へとステップする。澄んだ意識で相手を捉えつつ、コート外へと進路を誘導。ゴールから進路を逸らそうと試みる。

 

だが、相手は超一級の実力者。当然のように仕掛けが入る。ストップからのジャンプシュート。流麗な舞のような、練磨された技術の集大成。極小のつなぎでのシュートは、こちらの反応を置き去りにした。

 

「氷室さんの得点です」

 

リングを通過したボールを、黒子っちは拾ってこちらへと投げ渡す。その顔には期待を押し隠したような色が浮かんでいた。珍しく感情をあらわにしている。そして、おそらくだが、オレも同じ顔をしているだろう。正直なところ、今回は氷室を止める気はあまりなかった。あれだけの技術だ。そもそも本気でやろうと止められなかったかもしれないが、オレの目的は別にある。そして、それを達成できた。

 

「見えたッスよ」

 

自然と口元が吊り上がる。センターライン付近で立ち止まり、一旦氷室に渡したボールを再び手にした。教科書通りの、隙の無い構えで彼は立ちはだかる。

 

さっきまであれほど脅威に感じていた堅固な氷壁が、今は等身大の人間に見えた。氷室辰也という選手の性能を理解したからだ。

 

右手でボールを真下に弾ませる。動く。思い通りに。

 

軽く左右にフェイクを入れてみる。肩の動き、手先や足先に至るまで意識とのズレは皆無。我ながら寒気がするほどの精密さだ。これならやれる。上体を前傾させ、一歩を踏み出した。

 

「直線的なドライブだけで、抜かれはしない……!」

 

最速で駆けるが、当然のごとくついてくる。身体能力頼りで倒せる相手ではない。分かっている。必要なのは技術。それも卓越した――

 

答えは目の前にある。磨き抜かれた技術の結晶。脳裏にあのムカつく同級生の顔がよぎった。前例はある。ならば、オレにも可能なはずだ。その確信がある。頭を冷やせ。氷のように、機械のように。全身がまるで一個の機械であるかのように、指先まで正確に操作しろ。

 

「なっ……これはオレの!?」

 

ストップからのジャンプシュート。あの冷静だった氷室の顔が、驚愕に固まった。動作の繋ぎ目が感じられないほどの、流水のごとき滑らかさ。寸分の狂いもない。ここまで苦しめた彼ですら、反応させない完成されたフォーム。これがオレの真骨頂。

 

 

――模倣(コピー)

 

 

圧倒的な全能感。ボールがネットを揺らす音と同時に理解した。自分がひとつ上のステージに到達したのだと。自然と頬が緩む。

 

なるほど。これが彼らのステージなのか。

 

「黄瀬君……キミは……」

 

「さあ、続けましょうか。次はアナタの番ッスよ」

 

コートに転がるボールを拾い上げ、彼に手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

オレにとって、その時点から勝負ではなかった。

 

「へえ……なるほどなるほど」

 

左右に上体を振り、幻惑する氷室のボディフェイクからの切り返し。残像すら幻視される高精度のドリブル。さっきまでのオレなら、易々と騙されていただろう。しかし、今のオレの観察眼ならば話は別。かつてなく頭が冷え切り、意識が冴える。彼の動きが、隅々まで理解できる。一連の流れは見せてもらった。

 

「先ほどまでとは、まるで別人っ……!?」

 

『見る』ことに集中していたため、途中で抜かれてしまったが、問題ない。次はこちらの番だ。

 

「さぁて、答え合わせと行きますか」

 

口元に笑みを浮かべ、オレは採点官に答案を提出する。左右に上体を振り、幻惑するボディフェイクからの切り返し。

 

「またオレの技を……!?」

 

超絶美技。本人のものと寸分違わぬドリブル技術。目を見開き、苦しげに氷室が声を漏らした。体勢の崩れたところを狙い、突破する。

 

「だが、まだだっ!」

 

一歩遅れつつも、ギリギリで喰らい付いててくる。意外にも抜き切れないらしい。だが、それもそうかと思い直す。

 

「たった今、自分のやった技だしな」

 

そりゃ、心のどこかで予想はしてたか。格下ならともかく、同格の相手だ。自分の技と同じなら対応もされるよな。なら、これでどうだ?

 

「ストップからのジャンプシュート……!うそっ……これも氷室さんの…!?」

 

観戦していた桃っちの上擦った声が耳に届く。コピーした技同士を繋ぎ合わせる。これは初見だろう。そして、予備動作極小はこれらの共通した特性。急停止からの流れるようなシュートに、今度こそ彼はついてこれなくなる。

 

「模倣した技の連携まで……!そんなことが……」

 

瞳に絶望の色を湛え、描かれる放物線を眺めるしかなかった。直後、乾いた音が辺りを通り抜ける。今度こそ、喜悦の笑みを抑えることができなかった。

 

「ああ、最高ッスよ」

 

高揚のあまり、思わず口を突いて出た。他人の技をひとつ取り入れるたびに、確実にオレは強くなる。何て明快なシステム。そして、目の前には最高の教材があるじゃないか。もっと、もっとだ。オレにもっと技を教えてくれ……!

 

期待と感謝を込めた目線を、氷室に向ける。それに対して一瞬、たじろぐように視線を泳がせたのち、首を左右に振った。

 

「いや、ここまでにしよう」

 

「そっちから誘っておいて、それは無しじゃないっスか?」

 

「申し訳ない。だから、これで許してくれ」

 

フリースローライン付近まで歩を進める氷室。ボールを要求する合図を出す。

 

「ブロックしてみてくれ」

 

集中は解かず、冴えた意識のまま、彼の前に立つ。それを確認すると、氷室はシュートモーションに入った。フェイクもなし。タイミングを合わせ、こちらも手を上げて跳躍する。洗練されてはいるが、何の変哲も無いジャンプシュート。手首を返し、彼は正面からボールを投げ放つ。

 

「何がしたいか知らないッスけど。こんなの簡単に止められ……えっ?」

 

完璧なタイミングでのブロックだったはず。なのに、ボールは真っ直ぐに宙を舞い、リングを通過した。まるで、オレの腕をすり抜けたかのように――

 

 

『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

目を丸くするオレに向けて、彼は告げた。これが自分の切り札であると。

 

「現時点でキミに、全ての技を見られたくないんだ。今日のところは、これで幕引きにしよう」

 

「仕方ないッスね」

 

オレは大きく溜息を吐いた。後ろ髪を引かれる思いだが、これほどの技を見せられては諦めるしかない。基本技ではなく、独自の固有技術。彼はこちらの方を温存することもできた。わざわざ見せてくれたのは、勝負を仕掛けた側の礼儀なのだろう。

 

「次は、どこかの試合で会うのだろうね。全てを見せるのはその時にさせてもらうよ」

 

「えーと、アメリカに住んでるんスよね?遠い未来になりそうだ」

 

「いいや。きっとそうでもないさ」

 

互いに握手をする。爽やかな、しかし内に闘志を秘めた様子で、彼は帝光中を後にする。

 

「これが『キセキの世代』か……。聞いた以上の天才ぶりだね」

 

帰り際につぶやく言葉が、風に乗って小さく耳に残った。近い将来、彼とまた会うことになる。そう予感しているようだった。ならば、そこで全ての技を貰い受けるまで。

 

「って、きーちゃん!何よアレ!すっごいことになってたよね!」

 

それまで沈黙を貫いていた桃っちが、目を輝かせて詰め寄ってきた。高密度の集中が霧散する。溜まっていた疲労が噴出し、その場にしゃがみこんだ。

 

「そうッスね。チカラの使い方がわかったよ」

 

「あれって灰崎君と同じ能力?」

 

首を傾げる桃っちに答えたのは、いつの間にか隣に立っていた黒子っちだった。

 

「同系統ではありますが、少し違います。まあ、才能の巨大さでいえば、彼を超えるでしょうね」

 

「……だろうとは思ってたけど。やっぱ、こうなると分かってたんスね?他人の技を『模倣(コピー)』できるってことを」

 

「想像に任せますよ」

 

素知らぬ顔で肩を竦めて見せる。小柄な体躯。華奢な身体。薄い存在感。しかし、眼の中は恐るべき漆黒が内包され、渦巻いている。底知れぬ深淵。オレの観察眼が、目を合わせた瞬間に察知させる。ゆっくりと彼は近付き、耳元で甘言を囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

翌日の放課後。相変わらずハードな練習が終わり、ロッカールームへ戻りつつある部員達。コーチもこの場にはいない。そんな中で、ひとりの仲間に声を掛けた。それは思いのほか、館内に響き渡る。オレの紡いだ言葉に、周囲の雰囲気が凍りつく。誰もが硬直したように足を止め、声を向けられた彼だけは真剣な表情で振り向いた。

 

「……もう一度言ってみろ、黄瀬」

 

帝光中学バスケ部副主将、赤司征十郎が低い声を返す。瞳には明らかに怒りの色を湛えていた。だが、そんなことは関係ない。手元のボールを軽く放り投げると、彼は怪訝そうな顔でそれを受け取った。オレは口元に薄く笑みを浮かべる。ならば、もう一度言ってやる。

 

 

「オレと勝負しないッスか?1on1で、レギュラーの座を賭けてさ」

 



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第24Q レギュラーの座を賭けて

「赤司っち。オレと勝負してくれないッスか?レギュラーの座を賭けて」

 

ロッカーへ戻ろうとするオレに向けて、黄瀬涼太はそう言った。自然な調子で切り出された宣戦布告に、周りの部員達もピタリと動きを止める。時間が止まったかのような錯覚。

 

「何だと?」

 

思いの外、硬い声が自分の口から洩れたことに驚いた。軽く受け流せばいいのだが、できなかった。誇りを傷つけられた怒りか、それとも――

 

「もしかして、ダメなんスか?おっかしいなー。黒子っちは、こうすれば乗ってくるって言ってたのに……って。あれ?黒子っち、どこ行ったんスか?」

 

キョロキョロと辺りを見回す黄瀬。先ほどまでいたはずの黒子の姿が消えていた。体育館中を視線で探すが、見つからない。彼が本気で隠れたならば、発見は困難。ここに至り、オレはこの一連の演出家の正体を確信した。

 

『幻の六人目』黒子テツヤ

 

全国最強の帝光中学においてすら、異端。身体能力は並以下。保有するのはカゲが薄い、というたった一つの特性のみ。それだけで部内で最も早くレギュラー入りを果たした、一点突破の突然変異種。さらに、彼にはもうひとつの異質がある。

 

他人の才能を見抜く能力である。

 

無名だった灰崎を入部させたことに始まり、スタメンの同級生達の才能を次々に開花させてきた眼力。悔しいが、オレ以上だ。そんな男が何を考えて黄瀬を焚き付けたのか。狙いはひとつ。

 

「おいおい……。オレに全然歯が立たないからって、ポジションを変えてまでスタメン取りたいのか?くっく……健気じゃねーか」

 

灰崎が嘲るように笑う。以前ならここで喧嘩になっていたはずだが、意外にも黄瀬は平静に受け止める。肩を竦めて見せる余裕まであるようだ。

 

「そうっスね。今、アンタとやっても、多分勝敗は五分ってとこだろーし。とりあえずは、PGでスタメン取ってからにするよ」

 

「ああ!?五分っつったか?このオレを相手に……!」

 

灰崎が低い声で怒気を込めた。彼の実力の高さは知っているはず。しかし、気負った様子もなく、平然と答える姿に絶対の自信を感じ取った。間違いなく昨日までの黄瀬とは別人。灰崎もそれを敏感に察知したのだろう。この場を引いて『見』に回る。

 

「まあいい。狙いは赤司なんだろ?だったら好きにやれよ」

 

「そうさせてもらうッスよ」

 

再び黄瀬の視線がこちらに向けられる。興味深そうな周囲の目が殺到した。ほとんどの部員が集まるこの場で、逃げる訳にはいかない。相手の戦力が未知数であったとしても、たった一日で埋められるほど、互いの技量差は小さくない。居残り練習に付き合いながら、その辺りは見極めてある。スタメンで最も与し易しと思われたことは、忸怩たる思いだが、負けるつもりなど毛頭ない。

 

「五本先取だ」

 

睨み付けるように鋭く目元を細め、勝負方法を宣言する。最も分かりやすい実力勝負だ。

 

「さっすが~。勝負に乗ってくれるんスね」

 

威圧的に声を発したつもりだが、黄瀬は気にした風もない。軽い口調で安堵を漏らす。ただの増長か否か。確かめてやる。

 

「先攻は譲るッスよ」

 

「これまでの人生で、オレは一度も負けたことがない。歯向かったこと、後悔させてやる」

 

「あら?怒らせちゃったスか?」

 

部員達がコートから去っていく。空いたコートのセンターライン付近で、向かい合った。

 

手にしたボールを弾ませる。ゆったりとしたリズムから、次第に速度が増していく。練習後とはいえ、疲れはだいぶ抜けた。思い通りにボールが手に吸い付く。ハンドリングの調子は悪くない。真っ向から叩き潰す。

 

互いに目を合わせ、開始の意志を交わす。同時にオレは動き出した。少しずつタイミングをずらし、手足、肩、視線と連続でフェイクを仕掛ける。

 

「ほぅ……」

 

相手の反応は俊敏。こちらの予想を超える対応速度。瞬時に黄瀬の専心を察する。なるほど。見事な集中力(コンセントレーション)だ。惚れ惚れするよ。身体性能(スペック)の勝負では、今の彼には及ばないだろう。それほど深く意識を沈めている。だが、経験の差というものは厳然と存在するはずだ。

 

右から左のクロスオーバーを仕掛ける。と見せ掛けてのインサイドアウト。注意を引いたタイミングで、右側から全力で抜きに掛かる。

 

「させないッスよ」

 

相手もさるもの。多少の揺さぶりでは抜ききれない。昨日までならこれで抜けていたのだが、やはり反応速度が別物か。接近した状態で、黄瀬はスティールを積極的に狙ってきた。

 

1on1で相手を「抜く」要因として、最も大きいのがオフェンスとディフェンスの身体能力の差である。純粋な速度の差でもって「抜く」ケースが多いのだ。しかし、ある程度身体能力が拮抗していた場合、駆け引きや技術こそがモノを言う。

 

――股下を通したレッグスルーでの切り返し。

 

防御的な手段として使われることの多いレッグスルーという技術。それをオレは、特に好んで使用していた。カットしようと伸ばされる手から守るように、股下をくぐらせる。これは、黄瀬が動き出してからでは間に合わない。スティールのタイミングを予測し、それに合わせて技を入れたのだ。体勢を崩したところを狙って突破する。

 

「見たか、黄瀬?これが経験の差だ」

 

悠々と空中でレイアップを放ちながら、オレは教えてやる。背後の黄瀬の表情はわからない。挫折を味わっているのか、それとも敗北をバネにするのか。しかし、これで理解できただろう。

 

優越感に浸った瞬間、耳元で囁くような声がした。

 

 

「ええ、見せてもらったッスよ。しっかりとね」

 

 

ザワリと背筋が凍る思いがした。なぜ、お前がそこにいるんだ……!

 

オレのすぐ隣、黄瀬が並んで跳んでいた。レイアップで放ったボールが、横から叩き落される。完璧なブロックタイミング。

 

弾かれたボールがコート上を転々とする。同時に着地するが、呆然と立ち尽くすオレを尻目に、あっさりと黄瀬がそれを拾い上げた。

 

「じゃあ、次はオレの番ッスね」

 

「……なぜだ、黄瀬。なぜあの状況からブロックが間に合った」

 

「ああ、簡単なことッスよ。何かスティール誘ってそうだったから、試しに乗っただけなんで」

 

こともなげにそう言った。オレの狙いを先読みしていたから。抜かれるタイミングまで予測していたから。即座に対応ができた。体勢だけは少し崩れることも織り込み済みだった。それはつまり、駆け引きで初級者の後塵を拝しているということ。

 

悔しさに奥歯を噛み締める。周りの部員達もにわかにざわめきだす。

 

「ショック受けてるとこ、悪いけど。こっからが本番ッスよ」

 

黄瀬の纏う空気が変わった。さらに鋭利に、さらに無機質に。目の前にいるのが、精密な機械仕掛けかのような錯覚。動揺の最中にあるオレの精神が、本能的に警鐘を鳴らす。

 

ゆったりと、黄瀬がボールを弾ませる。

 

「フェイクがここまで迫真とは……!」

 

頬を引きつらせ、ひとりごちた。手始めとばかりに入れた、いくつかのフェイク。その一つひとつが本物と見まがう高精度。ゆえに気付かなかった。これは先ほどオレの仕掛けたフェイクと同一、いや、それ以上の精度のものであると――

 

高精度のフェイクの連続に、かろうじて喰らい付く。危うい場面もあったが、ギリギリで反応して対処する。しかし、このままではジリ貧。神経を集中させて相手の隙を探し出さなければ……。

 

「スティール、ここだっ……!」

 

そして見つけた千載一遇の好機。ほんのわずかなハンドリングの乱れ。一瞬の隙を狙い澄まして、伸ばす左腕。指先が触れる寸前、ボールが視界から消失した。

 

 

――股下を通した、レッグスルーでの切り返し

 

 

「なっ……これは、さっきの赤司の技じゃ…!?」

 

周りの部員達が驚きの声を上げる。ボールを見失い訪れる、意識の空白。目を見開き、硬直する。

 

オレが抜かれたのに気付いたのは、黄瀬がレイアップを決めた後だった。

 

「そんな……オレと全く同じ動きだと……?」

 

頬を引き攣らせ、振り返る。ありえない出来事だ。技量における差を、瞬時に埋めただと……。涼しげな顔で黄瀬が、拾ったボールをこちらに投げ渡す。その瞳には、明らかに失望の色が浮かんでいた。

 

「残念ッスよ。これなら昨日の氷室君の方が、全然強かった」

 

「まさか、たった一度見ただけで……。オレの技を模倣(コピー)したというのか……!?」

 

震える声で問う。その答えは、黄瀬の深い溜息だった。退屈だと言わんばかりの。

 

「はぁ~。やっぱ、こんなもんッスか。――赤司君」

 

 

 

 

 

 

 

そこからは一方的な展開だった。技巧を凝らした、オレのドリブルやシュート。それらはことごとく、黄瀬に模倣されてしまう。たった一目で構造を見抜き、使いこなす。寸分違わぬ、いや、オレ以上の精度。

 

理由は黄瀬の並外れた集中力。青峰や灰崎など、埒外の天才達に共通するそれを、彼も有していた。もたらすのは、反応速度と身体能力の上昇。本来、性能は互角のはずだが、精神の没入度合で差が生じてしまう。

 

それが、模倣する技のキレに影響を与えていた。そして、相手の動作を寸分狂わず見取る観察眼。それが、初心者の域を完全に超えた、高精度の予測を可能とする。

 

攻防共にわずかに、しかし確実にオレを上回っていた。

 

「はい。また一本もーらいっと」

 

またしてもオレの見せた技。技巧的なドリブルであっさりと抜き去り、得点を決める。絶望的な気分でつばを飲み込んだ。駄目だ、勝てる気がまるでしない。

 

 

 

 

 

 

 

一方、観戦している部員達も、この異様な状況に息を飲んでいた。常識を超えた才能に畏れを覚える者も多い。だが、その中でひとり、苛立ち交じりに舌打ちする男がいた。

 

「灰崎、アレは一体何なのだよ」

 

「チッ……知るかよ」

 

緑間の疑問に、吐き捨てるように返す目付きの悪い男。帝光中レギュラーである彼にとっても、この事態は想定外のようだ。殺意すら籠めて、コート内の一挙手一投足を見逃すまいと凝視している。

 

『強奪』の能力を保有する灰崎と同じ、相手の技を使いこなす埒外の才能。

 

その出現に彼は冷静ではいられない。察した緑間は諦めた風に嘆息した。

 

「なるほど。お前とは別種の才能ということか」

 

相手の見せた技を一目で使いこなせる、という結果は共通だが、その過程は別物。模倣された側が、自身の技を使用不可になるという灰崎の『強奪』の特性はないらしい。能力の根本が異なる可能性もある。それを見極めようと、真剣な表情で食い入るように見つめる灰崎。初めて黄瀬を同格の存在として認めた証だった。

 

「まあ、何にせよ。やはり、信じがたい話だな……赤司がこうも手も足も出ないとは」

 

黄瀬が豪快にダンクを決める光景から視線を逸らし、緑間は深く息を吐きながら、首を左右に振るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

フリーでダンクを叩き込んだ黄瀬。オレはその光景を絶望と共に眺めていた。表情が消え、その場に呆然と立ち尽くす。

 

0-4

 

ホワイトボードに書き込まれた数字だ。つまり、ただの一噛みすらできずに、惨殺されるのだ。

 

これが敗北?

 

のどがカラカラに乾く。苦しみに喘ぐように、浅い呼吸をし、つばを飲み込んだ。顔の前に上げた右手は、指先が小刻みに震えている。これまでオレは負けたことがない。全ての勝負において、勝ってきた。だから、これは初めての体験である。肉体の方は、すでに敗北を悟っているのか。

 

濃密な敗北の予感。このとき、ようやくオレは自分が負けるのだと、実体を伴って感じ、恐怖した。自分の足元が揺らぐ。錯覚ではなく、現実として立っている床の崩落を体感する。それはオレの膝の震えと、意識の混濁が原因である。のちに気付いたことだが……。

 

今のオレは存在価値の消失に、泣きたくなるほどの孤独を感じていた。

 

オレが負ける?

 

この赤司征十郎が?

 

許されない。

 

そんなことは誰だろうと許さない。

 

濁りきった内心で自問自答する。思い返される父親の記憶。

 

勝者は全てが肯定され、敗者は全てが否定される。

 

 

意識が冴え渡り、視界がガラリと入れ替わる――

 

 

「全てに勝つ僕は、全て正しい」

 

 

人格すらも、入れ替わる。

 

 

 

 

 

 

ボールを手にした黄瀬は、困ったように頭をかいた。

 

「えーと、大丈夫ッスか?まあ、これで最後だし、終わらせちゃいますか」

 

軽い調子でこちらに声を掛けた。表情には決まりきった試合への退屈が伺える。

 

黄瀬がドリブルを開始した。合間に挟まれるフェイクはすこぶる高精度。隙はない。いや、全神経を集中させて観察して、ようやく発見できるわずかな硬直。そこへタイミングを計って左腕を伸ばす。

 

「赤司のスティール!?……いや、でも。これはあの技じゃ……!」

 

誰かの声が耳に届く。これは囮。わざと見せた虚構の罠。チラリと表情を窺うと、黄瀬の顔には余裕ぶった笑みが浮かんでいた。

 

――股下を通した、レッグスルーでの切り返し。

 

「はっは。甘いッスよ!」

 

初手でこちらが披露した得意技。カットに来た相手の体勢を崩し、抜き去る高等技術。それを一目で体現する模倣(コピー)能力は脅威だろう。だが、今の僕の『眼』には、お前の全てが見えている。

 

 

――黄瀬の手元から、ボールが弾かれていた。

 

 

「え?」

 

何が起きたか分からないという風に、彼は表情を硬直させた。反応どころか、感知すらできなかった。彼にとっては驚愕の事態であろう。その表情のまま、こちらに振り向いた。その瞳に一瞬だけ、怯えの色が浮かんだのを見逃さない。

 

「調子に乗りすぎだぞ、黄瀬」

 

僕の『眼』には全てが見える。筋肉の動き、骨の軋み、重心の移動、発汗や視線のわずかな揺れ。目に映るものが、完全に変貌した。視界が一変する。生誕以来、初の危機に際し、眠っていた本能が能力を開放したのだろうか。

 

この『眼』は未来すら見通せる。

 

負ける気がしない。

 

圧倒的な全能感。周りの仲間達の数人に目を向ける。青峰、灰崎、緑間、そして黄瀬。常人を遥かに超える天才たち。これが絶対者の棲む領域なのか。彼らと同等、いや、それ以上の才能が開花したのだと、確信した。

 

「……何をしたんスか」

 

「ふ……自分で考えてみるんだな、涼太」

 

余裕をもって答える。途方もない怪物に見えていた彼が、いまやまるで怖くない。恐怖とは未知から生じると言う。ならば、全てを見通すオレの眼に、恐怖など生まれようもない。

 

「さて、ここからは僕の時間だ」

 

 

――開眼した僕から逃れられる者など存在しない

 

 

 

 

 

 

 

 

館内が静寂に包まれる。誰も声を発さない。次元の異なる戦力に多くの者が畏怖を覚えていた。顔を引き攣らせ、声を失う部員達。コート上に尻餅をつく黄瀬。無人のゴール下で、悠々とボールを投げ入れる絶対者。ネットの揺れる音、少し遅れてボールが床を叩く音だけが、響き渡った。

 

5-4

 

ホワイトボードに書き込まれた。

 

「すげえ……あの黄瀬を圧倒するのか…」

 

虹村先輩の震え声が耳に届いた。眼を向けると、呼吸や心拍の様子が克明に網膜に映る。それを通して、彼の心理状況が鮮明に読み取れた。畏れ。かつての人類が、天に座する神々に対して抱いたものと同様の――

 

意識を切り替え、ギアを落とす。視界が一変して、通常の光景に戻った。グラリ、と足元がふらつく。頭蓋骨の中で脳が暴れまわっている感覚。反射的に右手で頭を押さえた。

 

「ぐっ……さすがに負荷は大きいか。慣れるまでは控えた方がよさそうだ」

 

顔をしかめ、小声でつぶやく。だが、すぐに僕の顔には傲岸な笑みが湧き上がる。身体の奥底から湧いてくる愉悦、歓喜。絶対者としての自覚。抑えきれぬ全能感に浸る。ふと、視界の端にテツヤの姿を見つけた。顔には満足げな笑み。

 

なるほど。これは僕の覚醒を促すための試練だったのか。

 

静かに得心する。これは彼の掌の上だったのだと。思わず僕は苦笑する。やはり、あの男だけは得体が知れない。全てを『視る』、僕の才能とは対極。『見られない』ことに特化した異端の選手。

 

光と影。

 

彼の口癖だが、まさにその通りだ。絶対的な光と、それを利用して身を隠す影。おそらく考え方からして、僕とは正反対。しかし、その絶対値は覚醒した自分に匹敵するだろう。帝光中学に棲む怪物。いずれ対決することもあろう。そのときこそ、キミの底をこの眼で視せてもらう。

 



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第25Q うっせーな

季節は巡り、春。

 

帝光中学校に通う生徒達は、新学年を迎えた。4月も終盤を迎え、新入生が続々と入部してくる。さすがは全国屈指の名門校。しかも、歴史よりも早い『キセキの世代』の覚醒が、鮮烈な輝きを全国に示したためだろう。彼らに憧れて入学する生徒も多い。2軍3軍は新たなメンバーが加わり、活況を呈している。一方、帝光中の1軍はというと――

 

――変わらないメンバーで日々を送っていた。

 

『キセキの世代』および、ボクと灰崎君が2軍に落ちるなどありえない。ちなみに、現段階では黄瀬君は補欠要因。何とも豪華なメンバーである。たまに先輩達が入れ替わる程度で、1軍は変わり映えしない面々なのだ。しかし、変わったこともある。

 

身長2メートルに迫る巨体が、残像すら生じる高速で動き回る。インサイドでのダブルチームを、紫原君は瞬時のターンと切り返しでかわす。触れることすら許さず、ノーマークで豪快な両手(ボースハンド)ダンクを叩き込んだ。

 

「ハァ……ヒネリ潰すまでもないじゃん」

 

恒例の練習終わりのミニゲーム。つまらなそうに彼は溜息を吐いた。反応すらできずに抜かれた二人の顔は、驚愕に固まっている。あまりにも格が違う。

 

「チッ……マジで速えな」

 

何の障害にもなれなかった仲間達を横目に、虹村先輩は苦々しげにつぶやいた。しかし、同じ色のビブスを羽織るボクの声音は明るい。

 

「彼の才能も、完全に開花していますね」

 

「あの馬鹿げた体格とパワーに加えて、速さだと?わかっちゃいたが……アイツら全員、化け物だぜ」

 

隠しきれない諦念を滲ませる声。

 

「そうですね。ボク達とは次元が違います。ですが、気を落とさないでください。先輩の経験が必要になることもありますよ」

 

「……いや、『アイツら』の中にはもちろんお前も入ってるからな」

 

「え?」

 

「ってか、お前が一番ヤベー奴だと思ってるからな?」

 

心外だ。ボクはただ技術と経験で騙しているだけだというのに……。

 

 

 

気を取り直して、こちらのボール。しかし、残念ながら突破できる隙などありはしない。虹村先輩にボールが渡るが、マッチアップは青峰君。たとえ全開モードでなかろうと、その実力はいまや怪物級。埒外の敏捷性(アジリティ)は、ほんのささいな隙も見逃さない。この世代では最高級であろう虹村先輩ですら、ボールキープが精一杯。堪らず、仲間にボールを返した。

もちろん、

他の先輩達もそれは同様。覚醒を果たした『キセキの世代』を相手にすることは困難である。そうなれば彼に託すしかない。

 

唯一、対抗可能な人物に――

 

「あっ……ヤベ」

 

灰崎君のディフェンスを突破したのは、上級生チームに属する天才選手。

 

「甘いッスよ」

 

 

――黄瀬涼太である

 

 

技巧的なドリブルで抜き去り、そのままインサイドへペネトレイト。しかし、そこは紫原君の制空圏内。常軌を逸した反応速度で、黄瀬君の前に立ち塞がる。高さは確実に相手が上。

 

「うおっ!アイツ、構わず行った!」

 

ドリブル突破の勢いのまま、跳躍する。モーションはレイアップ。しかし、ボールの軌道は遥かに上空。これは、ブロックを避けるための高等技術。

 

――スクープショット

 

「あの野郎。またどっかから技を模倣して(パクって)きやがったな!」

 

忌々しげに灰崎君が吐き捨てる。紫原君への対策であろう。技の精度は完璧。周囲の面々も驚きと共に、ふわりと浮いた高軌道のシュートの行方を目で追った。

 

「ゲッ……マジッスか?」

 

無情にもボールは巨大な掌に叩き落される。

 

黄瀬君の顔が分かりやすく引き攣った。おそらく彼の予測よりも半歩、紫原君の詰めるのが早かったのだ。その分だけ、ボールが上がりきる前で止められたのだろう。

 

高さと速さを兼ね備えた防壁を破るのは、たとえ『キセキの世代』であろうと容易ではない。ましてや、先輩達であれば考えるまでもない。

 

 

 

 

 

「行くぞ、カウンターだ」

 

赤司君の号令と共に4人が走り出す。ボールは緑間君、灰崎君と繋がり、ハーフラインを越えた。進撃する灰崎君を止めるために、ボクがカバーに入るが鎧袖一触。ワンフェイクで軽く千切られてしまう。

 

「相変わらずヌルいぜ、テツヤ!」

 

「なら、オレが相手してやるッスよ」

 

ボクをかわした一瞬のタイムロスの間に、戻っていたらしい。黄瀬君が立ちはだかる。互いの集中力が即座に高まった。速度を殺さず、トップスピードを維持。フェイクは軽く左右に上体を振るのみ。灰崎君が跳躍する。モーションはレイアップ。それに対応して黄瀬君もブロックに跳んだ。手を伸ばす。しかし、放り投げられたボールは、遥か上空。

 

「しまっ……この技は!」

 

 

――スクープショット

 

 

これは先ほど見せた黄瀬君の技。彼のブロックをふわりと越えて、ボールがリングを通過した。灰崎君もまた天才。一目で相手の技を奪ったのだ。着地して振り向いた彼の顔には嘲笑が浮かんでいた。

 

「よお、これでテメーの技は使用不能だ。無駄な努力だったな」

 

「ああ?」

 

中指を立てる灰崎君に、苛立った声を返す。殴り合いに発展するかと思われたが、何とか試合に戻ったようだ。まったく、灰崎君にも困ったものだ。ずいぶん増長しているらしい。迷惑な話である。

 

とはいえ、今は試合中。あの恐ろしい布陣を突破する方法を考えなくては。黄瀬君と灰崎君の実力は互角。だが、他の先輩達では攻めの起点には荷が重すぎる。結果的に黄瀬君の1on1に頼り切りなのだ。そのパターンは相手も重々承知である。ならば、意表を突いて――

 

「虹村先輩。連携で抜きましょう」

 

「おっ……黒子か。そうだな、1年におんぶに抱っこじゃあな」

 

小さく言葉を交わし、一度先輩から距離を取る。ハーフコートでの攻め。こちらの2年生のPGはマッチアップが赤司君である。彼ではボールの保持すら至難。早々に味方へのパスに逃げてしまう。他も状況は似たようなもの。

 

繋がったボールは虹村先輩へ。マッチアップは青峰君。隙など微塵もない。先ほどまでは為す術なくボールを返していた。だが、今回は違う。

 

小刻みに左右に振るハーキーステップ。

 

本日初の1on1。青峰君の口元に笑みが浮かぶ。

 

「灰崎ばっか楽しみやがって。ようやくオレの番かよ」

 

瞳を輝かせ、迎え撃つ。虹村先輩が選択したのは右からのドリブル突破。幻惑する小刻みなステップから、右足を大きく踏み出した。だが、相手はのちに『キセキの世代』と謳われる、不世出の天才。即座にそれが偽装と看破する。なぜなら、バウンドさせたボールは左へと向かったからだ。しかし、依然として虹村先輩は右に駆けだしたまま。

 

「ハンドリングのミスか……なっ!?ドリブルが曲がった……!?」

 

青峰君が目を見開いた。左に弾んだボールが急激に方向転換。彼の背中側を通って、右側から走り抜けた虹村先輩の手元に到着する。

 

「ナイスパス!黒子!」

 

「くっそ……こんなパターンが!?」

 

短距離間でのワンツー。ドリブル中のボールを軌道変更。予測不能のドリブル突破。さすがの青峰君も、初見でこれは止められない。相手をかわした直後、ストップからのジャンプシュート。体勢の崩れた彼には対処不可能。虹村先輩は確信の笑みと共に、スナップを効かせてボールを放る。

 

「よし!もらっ……」

 

「いや~。それはムリでしょ」

 

 

――しかし、紫原君のブロックに阻まれる。

 

 

「高っ……!?」

 

虹村先輩の驚きの声が上がる。弾かれたボールは、寸分の狂いなくPGの赤司君の掌の中に。万全の状態でカウンターが始まる。

 

ある程度、意表を突いたと思ったが、それでもここまで余裕を持ったブロックができるとは……。

脱帽するしかない。もはや、ボク個人の能力でどうこうできるレベルではない。黄瀬君がいなければ、何の抵抗もできずに惨敗していただろう。いや、現時点でも先輩がマグレのロングシュートを一本決めただけだが……。

 

「覚醒した『キセキの世代』のフルメンバー……敵に回せば厄介どころの話じゃありませんね」

 

ディフェンスに走りながら呟いた言葉には、諦観と喜びが半々に混ざっていた。

 

 

 

 

 

 

 

練習帰り、葉桜に変わりつつある並木道を歩く。日も落ちかかった時刻だが、数か月前に比べれば、Yシャツでも快適な気温である。半歩先では青峰君と桃井さんが顔を寄せて、先ほど買った雑誌を読んでいた。あれでは前が見えなくて危ないだろう。

 

「二人とも、雑誌を読むなら歩くのやめてください。車に轢かれますよ?」

 

「お?……ああ、悪い悪い。全中の特集やってたからさ」

 

悪びれもせず、彼は目を輝かせて振り向いた。桃井さんは照れ笑いを浮かべる。

 

「ずいぶん夢中になっていたようですが。何か気になる情報でも載ってましたか?」

 

「ほら、見てみろよ。結構面白いぜ」

 

「注目の学校が色々と載ってるのよ」

 

彼女はページを開いたまま、勢いよくボクの目の前に持ってくる。本当に顔に当たるほど目の前に。興奮しているようだ。

 

「……近いですよ」

 

「あっ……ごめんね」

 

少し雑誌を離してもらうと、内容が目に入ってきた。素早く視線を走らせる。前回優勝の帝光中学が目立っているが、他にも有力校がいくつか載っていた。前回大会でボク達と対戦した中学がメインのようだ。それぞれの中学のエース級が5名。次回の大会での活躍を期待、と紙面を飾っていた。月間バスケットボール編集者が名付けて――

 

「『無冠の五将』……ですか。なるほど、ここで出てくるんですね」

 

ボク達のひとつ上の世代の天才達。『キセキの世代』さえいなければ、誰もが怪物と呼ばれたであろう逸材。この歴史でも同じ名を付けられたのか。

 

「つっても、全員オレらで倒した相手じゃねーか。今更、こんなん敵じゃねーよ。テツと黄瀬のいるミニゲームの方がよっぽど手強いだろ」

 

「まあ……そうよね」

 

青峰君の言葉に、桃井さんも困ったように頷いた。あれから練習試合でいくつかの中学と戦ったが、最高でもダブルスコア。相手によっては一桁しか得点されないことも珍しくない。しかも、先輩達と途中交代しておいてだ。実際の実力差は計りしれない。

 

「ちっとは楽しませてくれるヤツはいねーのかよ。他所との試合が最近つまらなすぎるぜ」

 

「今年は新たな強敵が現れるかもしれませんよ。青峰君と互角に戦えるような」

 

「……そんなこと思っちゃいねーだろ」

 

「はい。思ってませんけど」

 

白々しく答えると、彼は大きく溜息を吐いた。過去の記憶から、そんな怪物が出場しないことを知っているし、そもそも彼らと同格の存在がそうそういるとは思えない。いらぬ期待をさせても仕方ない。

 

ただの消化試合、というのがボクの正直な予想である。覚醒した青峰君だけで楽勝だったのが、これから行われる全中なのだ。決勝の鎌田中学だけは搦め手を使って帝光中学を追いつめたが、所詮は小細工の類。仕組みを知っていればどうということもないし、現在の彼らであれば容易に対応できる範囲でもある。

 

そんな弱小ばかりの、といっても『無冠の五将』がいるので中学生活3年間では最も強いだろうが、今大会で警戒すべきことはモチベーションの低下である。ぶっちぎりの頂点に立つことで、ヤル気がなくなることだ。前回大会は激戦を制してのものだったが、今回はおそらく圧倒的に蹂躙することになる。終わったあと、敵がいなくなった彼らにどう練習をさせるかが問題になりそうだ。

 

青峰君と紫原君は練習を無断欠席するようになり、黄瀬君もモデルの仕事に精を出し始める。それ以前からサボりと喧嘩の常習犯だった灰崎君は論外。まるっきり無駄な時間だった。あの惨状を引き起こしてはならない。

 

幸い、仲間同士で才能を研磨し合っているため、今のところ順調に成長を続けている。数か月後に始まる全中が終わるまで、モチベーションは保てるだろう。灰崎君ですら、黄瀬君に脅威を感じて練習に参加しているようだし。

 

しかし、それ以降は何かしら手だてを考えなければならないだろう。

 

「ほらテツ、見てみ。来月は帝光の特集だってよ。またオレらに取材が来るんじゃねーの?」

 

青峰君がはしゃいだ様子で再び雑誌を突き出す。最後の方に載っている、次回の予告のページ。さすがは前回の覇者、帝光中学である。大々的に取り上げてくれるらしい。普段はNBAの情報を載せている紙面に、ただの中学校を特集するとは思い切ったものだ。

 

「すごいでしょ!それにここ、『キセキの世代』だって!カッコいい名前が付けられてるよ」

 

「さっすが月バスだな。センス良いぜ」

 

「何をえらそーに言ってるのよ。でも、本当にぴったりだね」

 

 

――『キセキの世代』

 

 

その名称が世に出たのが、この時期か……。やはり、かつてよりも大幅に前倒しされている。二人が嬉しげに話しているのを耳にして――

 

 

「今、初めて世に出た……?」

 

 

ボクの思考に衝撃が走った。呼吸が止まる。

 

え?そんな馬鹿な……。だとしたら、彼の言葉は……。

 

突如湧きあがった疑問が、脳内を駆け巡る。

 

「……青峰君。その言葉、本当にその雑誌が初めてなんですか?」

 

不審な様子のボクに、少し困惑しながらも彼はページを見返して、答える。

 

「ああ、そうみてーだけど。初公開って書いてあるし。……それが、どうかしたか?」

 

思わずその場で立ち止まり、手を口元に当てて考え込む。記憶を探り出すが、やはりそうだ。なぜ、彼はあんな言葉を……。

 

「テツ君、何か心配事?」

 

「……いえ。大丈夫です。ありがとうございます」

 

おずおずと桃井さんが声を掛けてきた。ここで考えても仕方がない。気を取り直して家に戻ろう。そう思った直後、物陰から怒号が鳴り響いた。

 

三人とも驚きで背筋が伸び上がった。

 

「うおっ!何だよいったい……!」

 

「びっくりしたー」

 

胸を撫で下ろす青峰君と桃井さんだが、その声はまだ続いている。店の裏だろうか。断続的に何かのぶつかる低い音と幾人かの男の声。

 

「……ん?この声は……?」

 

聞き覚えのある声に、ボク達は急いで現場へと向かう。

 

電灯の光がわずかに照らす路地裏の暗がり。そこには、倒れ伏す数人の男達の姿。付近には低い呻き声が充満している。そこにただひとり佇んでいるのは、見慣れた制服の男。後ろ姿だが、一目で誰か判別できた。

 

「おい、何やってんだよ。灰崎」

 

「あん?」

 

呆れた様子の青峰君の声に首だけで振り向いたのは、灰崎君だった。その拳は、他人を殴ったことがありありと分かる、赤黒い血液で濡れていた。桃井さんが怯えたように、こちらにしがみつく。

 

「コイツらが喧嘩売ってきたからよー。ぶちのめしてやったぜ」

 

「……嘘ですね。キミから仕掛けたんでしょう?」

 

高揚した状態での視線の動きから、彼の虚言を見抜いて告げる。

 

「そうなんだけどな。ジャンプよこせよって言ったら、怒り出したからな」

 

うつ伏せに横たわる高校生くらいの男の頭を、軽く蹴とばした。

 

「カツアゲなんかしてんなよ。しかもジャンプとか。ガキかよ」

 

「うっせーな。関係ねーだろ」

 

「てめーが警察にパクられんのはいいけど。オレらに迷惑掛かんだろーが」

 

「知るかよ。てめーもついでにやってやろうか?」

 

苛立たしげに舌打ちする青峰君と、興奮状態の灰崎君がにらみ合う。いまにも喧嘩が勃発しそうだ。一触即発の雰囲気。それを破るために――

 

「落ち着いてください」

 

 

――灰崎君の両足を払いのけた。

 

 

「ぐえっ!何しやがる!」

 

地面に転がされた彼は、何が起きたかを確認するために周囲を確認した後、大声を上げる。その間に、ボクは二人を連れてこの場を去ることにした。背後からの声は無視。頭の足りない馬鹿に構ってはいられない。ただでさえ全中が近づき、注目されているのだ。暴力沙汰などありえない。現場からはすぐに離れなければ。

 

当時の赤司君の気持ちが理解できる。

 

もはや帝光中学バスケ部にとって、彼は邪魔者になりつつある。暴力事件で出場停止など冗談では済まないことだ。前言撤回しよう。全中まで待ってはいられない。埒外の才能は惜しいが仕方ない。

 

部活から排除するか、可能ならば矯正することにしよう。

 

 



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第26Q 全部、オレが奪い取ってやる

 

 

 

 

全中が間近に迫ってきた6月の終わり。ついにこの日が来たかと、オレは小さく口元を引き締めた。彼がこの状況に我慢できるはずがないと思っていたし、黒子っちからも警告を受けていた。

 

練習後の体育館。普段ならもうロッカールームに帰っているはずの先輩達も、全員がこの場に留まっている。理由はひとつ。

 

「ぶっ潰してやるよ、黄瀬」

 

「やれるもんならね。無理だと思うッスけど」

 

 

――オレと灰崎の、レギュラーを賭けた勝負を見届けるためだ。

 

 

 

 

 

 

 

最近の監督の采配――今回はオレ、次回は灰崎というように、交互にスタメンに入れる体制に納得がいかないらしい。同等と見なされているからだ。スタメンの決まるこの時期に、アイツは勝負を仕掛けてきた。条件はひとつ。負けた方は、先輩達のメンバーに入る、つまり補欠に落ちるというもの。こちらとしても願ったりの状況だ。思わず好戦的な風に口元が緩む。当然、乗ってやるさ。

 

「で、確認なんスけど。試合形式は1on1。先攻後攻でお互いにやって、点差がついた時点で終了、でいいんスね?」

 

「ああ、テメーと長々と勝負なんざやってられっかよ。1本勝負だ」

 

「オーケー。分かりやすい短期決着ルールは、オレも望むところッスよ」

 

ボールを手に、センターライン付近に向かいながら、灰崎と言葉を交わす。半年以上、共に練習してきたのだ。すでに互いの実力は把握している。多彩な技を駆使した超攻撃型のスタイル。たった1本。ただの1本でも外したとき、その時点で互いの格付けは終わるだろう。ゆえに、実際のところは1本先取のPK方式。周りの先輩達は、これほど重要な対決を短期決戦にしたことに驚いているが、オレ達にとってはこれで十分。

 

「さてと、先攻はオレもらっちゃっていいッスか?」

 

「いいぜ。……テツヤ、審判やれよ」

 

指名された黒子っちがサイドラインに陣取るのを見て、試合を開始した。周囲の観戦者も、固唾を呑んで見守っている。ゆったりと、オレはドリブルをつく。だが、機先を制すように灰崎の左腕が伸びてくる。一瞬にして、ボールの寸前まで制空権を突破。

 

「なっ!灰崎のヤツ、開始直後にいきなりスティール……!?」

 

先輩たちの驚愕が聞こえる。だが、それこそがオレの狙い。灰崎の手が届くより早く、技を仕掛ける。

 

 

――股下を通したレッグスルー。

 

 

「チッ……これは赤司の…!」

 

灰崎の舌打ちが耳に届く。『天帝の眼』を併用したアンクルブレイクまでは無理だが、技そのものの完成度も高い。ただ抜くならこれで十分だ。体勢の崩れた相手を抜き去り、開戦の狼煙を上げる豪快なダンクを見せ付けてやった。振り向き、拾ったボールを下手から投げ渡す。

 

「次はアンタの番ッスよ」

 

「すぐに使えなくしてやるよ」

 

続いて相手のターン。灰崎の見え見えの、甘いドリブル。明らかにこちらのスティールを誘っている。

 

やりたいことは分かる。彼の才能たる『強奪』――それを見せるつもりだ。相手の技と微妙にテンポやリズムの異なる同一技を見せられることで、こちらの技を使用不能にする。もちろん、待ち構えた罠を避ける手もある。しかし、それは自分の手を狭めることになる。二つ、三つと積み重なれば、拮抗したこの戦いでは致命傷に繋がるだろう。

 

あえて、罠に足を踏み入れてやる。右手を伸ばし、スティールを仕掛けた。

 

「おっ……今度は黄瀬がスティール!だけど、この展開はやっぱり……」

 

 

――股下を通すレッグスルー

 

 

ボールが手の届く範囲から逃げ去っていく。。これは先ほどオレが見せた、赤司っちの技。さすがと言うべきか、精度は完璧。来ると分かっていても、逆にこちらに生じた隙を突かれてしまった。リプレイのように、さっきのオレと同じくダンクを決める。鏡写しのプレイに、先輩達の口から感嘆の声が漏れる。

 

「……さすが灰崎。早くも黄瀬の技を奪い出したか」

 

「こうなると、使える技が減っていくぶん、圧倒的に黄瀬が不利だよな」

 

嘲るように舌を出して中指を立てる灰崎。一瞬、苛立ちが湧き起こるが、それを抑えて意識を集中しなおす。再度、オレの手番。数秒ほど目を閉じ、脳内で視覚映像を再生する。

 

改めて目を開き、2ターン目に入った。急がず、安全にドリブルでボールを保持。

 

「よお、次はどんな技使うんだ?全部、オレが奪い取ってやるぜ」

 

余裕の表情を浮かべ、灰崎が囀る。追い詰めた気になっているのか。だが、オレも無策でこの時を待っていた訳じゃない。あえて、ドリブルをわずかに緩めた。挑発だ。当然、アイツはそれに乗ってくる。最速でカットを狙ってきた。それに対して、こちらの出す技はもちろん――

 

 

――股下を通したレッグスルー

 

 

「テメエ、何でまだ使える……!?」

 

完全な状態での赤司っちのレッグスルー。驚愕に顔を引き攣らせる灰崎。予想外の事態に硬直する。その隙を突いて、こちらが得点を決めた。どよめきが起こる。使えるはずの無い技を使ったことに、この場の全員から疑問の視線が向けられる。灰崎からもだ。目を見開き、すぐに憎々しげに顔を歪めた。

 

だが、ただひとり、黒子っちだけは感心した風に息を吐いていた。

 

「……すごいですね」

 

「あれ?何したか分かったんスか?」

 

定位置に戻る途中のオレが問い掛ける。彼は頷いた。

 

「灰崎君の技を、改めて模倣(コピー)し直したんでしょう?まさか、そんなことができるなんて思いませんでした」

 

そう、それが答えだ。灰崎の『強奪』の効果とは何か?簡単に言えば、自分と微妙に違う技を見せられることで、つられてしまうのだ。それに対抗するにはどうすればよいか。脳裏に焼きついたイメージを消すのは困難。直前に見せられた映像の方がどうしても強い。ならば、微妙に異なる灰崎の技をそのまま模倣(コピー)してしまえばいい。

 

「言うほど簡単ではないはずですけどね。観察眼が、ボクの予想を超えて成長しているのか……」

 

「そうッスね。半年間、ずっとアイツの技を観察してきた成果ッスかね」

 

灰崎に奪われる前の技と、奪われた後の技を分析し続けることで、オレは次第に両方の差異が見えるようになってきた。感じ取れないほどの二つの微妙な違いが、今のオレには見える。それにより、灰崎の奪った技を独立して模倣できるようになったのだ。これがオレの用意した二つの勝機の内のひとつ。

 

「ほら、来いよ。もうアンタとの差はないぜ、灰崎」

 

「ナメやがって……!」

 

オレの挑発に、怒り心頭の様子で反応した。続いて灰崎のターン。苛立ちをぶつけるようにドリブルを開始する。自身の優位性を失った直後だ。動揺があるはず。その揺れを大きくするために挑発した。できればここで決めたい。

 

「オラ、行くぜ!黄瀬ェエエ!」

 

腰を落とし、勝負所のものへと集中を一段階高める。ここを止めれば勝利だ。相手の動き出しを捉える。繰り出すは、左右に幻惑するハーキーステップ。見覚えがある。これは虹村先輩の得意技。しかも、これは――

 

「隙がまったく見えないじゃねーか……!?」

 

「喰らえっ!」

 

豪快に抜き去った灰崎がボールをリングに叩きつけた。苦々しさと共に振り返り、ダンクの決まる光景を眺める。

 

クソッ……予想と全然違う。

 

完全に落ち着いてやがる。怒りはあっても、それに呑まれてはいない。このくらいしてもおかしくないと思ってたのか?オレが灰崎の、チカラだけは認めているように。アイツもオレの才能を。

 

ともあれ、これで残る勝機はひとつだけだ。しかも、仕上がった灰崎の状態を考えるに、何かしら動揺を誘った上でなければ通じないだろう。ここからはタフな勝負になりそうだ。

 

こちらも虹村先輩の技で危なげなく得点するが、前途は多難。なぜなら、この回から灰崎が解禁したからだ。自身において、唯一の固有ドリブル。

 

『雷光の(フラッシュ)ドリブル』

 

相手の技を奪うだけのアイツが生み出した、高等技術の結晶。オレですら模倣(コピー)できないそれを――

 

ゆったりとしたドリブルが、次第に速度を増していく。ボールがコートを叩く音が強烈な破裂音に変わり、もはや線ですらなく、軌道は目では追えないほど。灰崎が一歩を踏み出した。

 

右からのドライブ、と判断した瞬間――

 

 

――ボールが視界から消失した。

 

 

驚きの声を上げる暇もなく。解禁された雷速の切り返し。次元の違う速度での急激な方向転換。チェンジオブディレクション。一瞬、灰崎の姿を見失った。ボールだけでなく、身体ごと視界から消えるなど、尋常ではない。

 

「なっ……どこに…」

 

背後から耳に届くドリブルの爆音で、ようやく居場所を感知できた。そして、その頃には、すでに灰崎のターンは終わっていた。リングのネットの揺れる乾いた音が聞こえる。これまで何度も目にした雷速のクロスオーバー。その埒外の脅威に改めて戦慄した。

 

 

――これが、灰崎のオリジナルドリブル

 

 

化物揃いの帝光中学で、スタメンを張ってきた者の実力。やはり一筋縄では行かないか。背筋に走る寒気を感じながら、オレは苦戦を覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから、オレ達の対決は長期戦の様相を呈してきた。相手が得点を決め、こちらがすぐに返す。一本でも落としたら敗北という緊張感の中において、すでにターン数は二桁に突入していた。圧倒的な互いの攻撃力は、高次元での均衡を保つ。周囲の観戦者達もすでに言葉は無く、固唾を呑んで決着の時を待っていた。

 

「らあっ!」

 

反応不能の、雷速のクロスオーバー。オレを抜き去り、灰崎がレイアップを放つ。危なげなく、もはや十回を超えた自分の手番を得点で終える。

 

攻守交替。こちらも負けていられない。虹村先輩のハーキーステップからの、フローターショット。左右に幻惑するステップで翻弄するが、灰崎を抜ききれない。不十分な体勢とはいえ、ブロックに跳んできた。それをかわすため、瞬時の判断で模倣(コピー)したことのある技を使用。かろうじてブロックを超えてシュートを放つ。

 

「入れっ……!」

 

ガツン、と宙空に浮かせたボールがリングにぶつかった。焦燥感にオレの顔が引き攣る。周りの部員達の喉から息が漏れた。その後、何度か上に跳ね返ったのち、幸いにもネットを通過する。背中に冷や汗がどっと噴き出た。

 

「黄瀬の方は、危ないシュートが増えてきたな」

 

「無理もないぜ。この緊張感で、これだけの長期戦だ。心身の疲労はハンパじゃねーだろ」

 

ここまで連続で突破できているが、灰崎のディフェンスは決して甘くない。どころか、虹村先輩クラスであっても完封できるほどだ。多彩な技を駆使してかわしているが、所詮は格下の選手のもの。アイツに通用するとなると、数は多くない。すでにジリ貧になりつつあった。

 

一方、オレの方は雷速のドリブルに為す術が無い。身体ごと視界から消失する、埒外な技のキレ。ならばこちらも――

 

『雷轟の(ライトニング)ドリブル』

 

練習試合で『無冠の五将』葉山小太郎から模倣した技だ。全身の力を右手の五指へと伝えていく。ボールを強く弾ませる。コートを叩く爆音が轟く。雷速のクロスオーバー。全力で抜きに掛かる。

 

「甘えよっ!」

 

だが、ここで恐れていた事態が起こる。右から左へと振るが、灰崎は付いてきた。元ネタの葉山小太郎の技では足りないか。球速こそ凄まじいが、身体ごと消える肉体の雷速は再現できない。焦りと共に舌打ちする。

 

インサイドへ切り込めない。苦し紛れのジャンプシュート。とっさに思いついた技を使う。3Pラインの外側でのフェイダウェイ。

 

実渕玲央の『天』のシュート。

 

灰崎の手が届く寸前にボールを投げ放つ。心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。どっと冷や汗が滲み出た。幸運にも、リングをかすりながらリングを通過した。さすがにロングシュートは予想外だったようで、何とか打つことができたが、次も入れる自信はない。今のは打たされただけだ。何度か続けば、必ず落とす。

 

「よお、珍しいな。てめーがロングシュートなんざ。ククッ……どうした、ドリブル突破できねーのか?」

 

優勢を確信したか、灰崎がムカつく嘲笑を顔に浮かべながら、声を掛けてきた。それに対して、オレは一瞬、言葉に詰まる。図星だったからだが、それを見てアイツは余計に笑みを深くした。殴り掛からないように自制するのが大変だったが、余裕気な顔を見て決意を固める。やはり灰崎を倒すには、アレしかない。アレとは、つまり――

 

 

――灰崎の模倣(コピー)

 

 

自身の能力を超えた技巧を取り込む。それはこれまで幾度となく試し、断念してきたことだ。青峰っちのドリブルしかり、緑間っちのシュートしかり。だが、それができなければコイツに勝つことは不可能。

 

チャンスはこの1ターンのみ。大きく深呼吸をして、集中力を最大限に高める。全身から無駄な力を抜き、自身の『観察眼』に全感覚神経を動員。だらりと腕を垂らし、灰崎の一挙手一投足を網膜に焼き付ける。同時に雷速の技法を詳細を分析。

 

オレの様子に、相手も狙いを察知したらしい。だが、それでもあの技を使うのはやめないはずだ。真似られるはずがない、というプライド。この真っ向勝負から逃げることはできない。

 

「……テメエがパクってきた、雑魚共の技と一緒にすんなよ?」

 

灰崎の顔が怒りの色に染まり、その勢いのまま雷速のクロスオーバーを炸裂させる。右と見せての左。単純な切り返し。しかし、その速度は尋常ではない。ボールだけでなく、身体ごと視界から消失する。来ると分かっていても、目で追うことさえ困難。反射的に左へ跳んでみるも、その程度で捉えられる速度ではない。

 

雷速のまま、最高速のままの、急激な方向転換。それこそが灰崎のオリジナルドリブルの要訣。

 

 

 

あっさりとオレを引き離し、レイアップを決める。振り向いた灰崎の顔は見ずに、コート上を弾むボールを拾い上げた。無言のまま歩き出し、センターコート付近の定位置で立ち止まる。相手が戻るのを待つ。

 

まぶたを閉じ、先ほどの映像を脳内で再生し、精査した。情報は十分とは、残念ながら言えないだろう。あの方向転換の秘訣を、灰崎が奪って応用したという『古武術バスケ』とやらの技法を知らないからだ。元ネタのひとつである、『雷轟の(ライトニング)ドリブル』のボール捌きだけでは不十分。今回の観察で、おおよその型までは理解できたが、実践可能かどうか……。

 

自分の動作として、仮想世界で再現する。結論は不可。灰崎の応用した技術、重力を利用した方向転換。その古の技法が完全に再現できていないのだ。効力は8割強。並の強豪選手ならともかく、灰崎には通用すまい。

 

……なら、それを別の何かで埋めれば?

 

突如、閃いた天啓に自然と笑みが零れる。そうだ。模倣ではなく、再現。別の要素を加えることで、模倣を完成させる。正対する灰崎の舐め切った表情も、もはや気にならない。気付いているか、灰崎?

 

「アンタが思ってるほど、オレとの間に差はないんスよ?」

 

「あん?なんだって?」

 

「いーや、何でもないッスよ」

 

うまく聞き取れなかったらしい彼に、左右に首を振ってみせる。すぐにわかることだ。腰を落とし、構える灰崎に呼応するように、こちらも集中を高めていく。意識を深く沈めていくイメージ。仮想した通りに、自身の五体を隅々まで精確に操作する。ボールをついた。足の裏から上体、肩から腕、指先に至るまで。寸分の狂いもない。これならばできるはずだ。ただの模倣(コピー)を超えた――

 

 

 

『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』を――

 



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第27Q どっから取ってきやがった

 

 

 

ボールの弾む速度が上昇していく。ドリブルが次第にオレンジの線へと変わる。コートを叩く大音量が鼓膜を震わせた。オレは攻撃の準備を整えながら、灰崎と対峙していた。

 

「ハッ……またこりずにその技かよ。劣化品でオレに勝てると思ってんのか?」

 

さっき仕掛けた、葉山小太郎の『雷轟の(ライトニング)ドリブル』。全力で放ったそれは、無残に打ち砕かれた。同じことをすると思ったのか、灰崎は口元を歪めて嘲笑った。進化させた自身のオリジナルドリブルを模倣(コピー)できるはずがない、という自負だろうか。

 

だが、オレが狙うはその技の模倣(コピー)である。

 

「行くッスよ」

 

一言つぶやくと同時に、オレの脳内から音が消失する。集中力が最大限に高まる感覚。手足の隅々まで神経が行き渡っている。理想的な状態のまま、右足を一歩踏み出した。これまでで最速のドライブ。灰崎はついてくる。予想通り。ここからが雷速のクロスオーバーの真骨頂。

 

葉山小太郎の『雷轟の(ライトニング)ドリブル』

灰崎祥悟のオリジナルドリブル。

 

優劣こそあれ、どちらも同系統の技術である。今回のオレのドライブには、しかし、どちらとも違う事、一点。

 

――外側に大きく伸びる右腕

 

通常のドライブに比べて、ボール1個分外にズラしている。一瞬、灰崎の顔色が怪訝なものに変わる。

 

肩や胴を壁にすることで、相手との間に距離を置けるため、スティールされにくいという利点はある。だが元々、ただのドライブでは抜けないのだ。普通なら意味のないアレンジ。

 

足元から腰、肩、腕から右手の指先まで瞬時に連動させる。予備動作なく、刹那のズレもなく。指先に集約された力を開放する。雷速で疾走する弾丸。同時に行われる、右足首を起点とした、急激な方向転換。さっきのターンで、灰崎はこれを阻止して見せた。しかし、今回は――

 

 

――灰崎の視界から、オレの姿が消失する

 

 

左側から、一息のうちに抜き去った。交錯の寸前、こちらを見失った灰崎の、驚愕に固まった顔がちらりと映った。自分がやられてみると分かるだろう。一瞬の光の点滅のように、身体ごと視界から消え去る脅威を――

 

『雷光の(フラッシュ)ドリブル』

 

アンタの技、模倣(コピー)させてもらったぜ。

 

シュートが決まった。呆然と立ち尽くす灰崎。オレの顔には自然と、満足気な笑みが浮かんだ。新たな扉を開いた、その確信を得た。技そのもののコピーではなく、技の効果の模倣(コピー)。

 

 

――『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』

 

 

今回の模倣。最大の工夫は、ドライブの際にわずかに遠くにズラしたボール。その分だけ、灰崎の視線も右手側にズレる。黒子っちの技術を利用した『視線誘導』。もちろん、相手も超一流のプレイヤー。ボールの動きにそうそうつられることはない。しかし、意識がボール半個分、いや四分の一個分でもズレれば――

 

その一瞬をオレの眼は逃さない。身体ごと消える灰崎のオリジナルドリブルの完成だ。

 

「テメエ……!」

 

苛立ちを隠さず、拾ったボールを床に叩きつけた。自慢の技を模倣されたことに、衝撃を受けている。流れはこちらにある。周りの先輩達も同じ意見だろう。しかし、その見解は間違っている。このドリブルには明白な欠点が存在するのだ。

 

理由は弾速の低下。力というものは、身体の中心に近ければ近いほど籠めやすい。離せば離すほど、力を集約するのが困難になるのだ。ボールの位置を遠ざけ、ドリブルの速度を維持するには、通常よりも多くの筋力が必要。

 

現時点では、灰崎のドリブルの使用は、利き腕である右のみに限定される。しかも、手首に掛かる負担の大きさから、連続での使用も難しい。いまだ戦況は灰崎がわずかに有利。

 

「ざけんじゃねーよ!黄瀬!」

 

雷速のクロスオーバーで、すぐさま点を入れ返す灰崎。向こうの攻撃力は健在。だが、これ見よがしにオレは笑って見せた。余裕の様子のこちらに、灰崎は苛立たしげに舌打ちする。こちらの模倣(コピー)の欠点を、アイツは知らない。実際の戦況の有利不利が問題ではない。精神的な優位こそが、重要なのだ。今こそ、灰崎打倒の好機。

 

「どうッスか、今の気分は?」

 

挑発的にオレは口元を歪め、意識を集中させる。ゆったりとしたドリブルから、勢いよく駆け出した。灰崎も追いすがる。繰り出す技はすでに決めてある。今まで一度も、仲間達にすら存在を隠してきた技――

 

 

「奪えるもんなら、奪ってみな」

 

 

――ストップからのジャンプシュート。

 

繋ぎ目を感じさせない一連の動作。流水のように滑らかで、氷像のように精緻。流麗な舞のごとき。バスケの基本にして究極。優美にして正確無比。完成された芸術作品と見紛う精巧さ。

 

かつてオレも魅了された、氷室辰也のプレイ。

 

「んなっ……!?」

 

この場の全員が一瞬、動作と思考を停止させ、目を見開いた。釘付けにされた。体育館が静寂に包まれ、直後どよめきが訪れる。

 

「すげえ……魅入っちまった。何だよ、今の技……!」

 

「どっから取ってきやがった。あんなのできる奴なんて、見たことないぜ」

 

口々に驚きの言葉が交わされる。目の前には、強張った表情の灰崎。動揺は最高潮に達した様子。しかし、瞳は煮え滾った怒りに染まっていた。

 

「上等だ。奪い取ってやるよ」

 

センターラインで立ち止まり、こちらに刺すような視線を向ける。『強奪』を試みた。

 

 

 

 

 

 

勝負の終わりは、あっけなく訪れた。灰崎の放ったシュートは、リングに弾かれた。因縁の対決の幕を下ろす。

 

アイツでは、氷室の技を使いこなすことができなかった。自身の技量を超えた模倣は、精度の低下をもたらす。つまり、オレと灰崎のセンスの差が勝敗を分けたのだ。

 

相手の動揺がピークになった時を狙い、保有する最高難度の技を『強奪』させる。存在意義を問われた挑発に、鈍った判断力は逆らえない。こちらの技を奪い、優位を取り戻そうとしたのだ。

 

結果は見ての通り。

 

 

オレと灰崎にとって、これ以上の決着はない。

 

 

灰崎にとって、『才能』で負けることは我慢のならないことだろう。無言のまま、互いに視線を交差させる。しばらく黙り込んだのち、一度舌打ちをして、出口へと向かっていく。捨て台詞を残して。

 

「チッ……やってられるか。……オイ、部活辞めるって監督に伝えとけ」

 

「……了解ッス」

 

やっぱ、こうなるか……。軽く肩を竦め、嘆息する。このプライドの高い男が、敗北して部に残るとは思えなかった。勝負を行う前から分かっていたことだ。他の部員達も察していたのだろう。去っていく彼を引き留めようとはしなかった。

 

――黒子っち以外は。

 

「待ってください」

 

怪訝そうな顔つきで振り向く灰崎。

 

「部に残ってください。キミの力が、まだ必要です」

 

「あん?んなもん知ったことかよ。部活なんざ、やりたいヤツだけやりゃいいだろーが」

 

正論だ。しかし、黒子っちの気持ちも分かる。共感はできないが、想像はできる。灰崎の才能を惜しんでいるのだ。しかし、アイツがそんな言葉に耳を傾けるはずもない。説得は無意味。彼もその答えは予想していたのだろう。衝撃の提案を投げ掛けた。

 

「1on1、ボクに負けたら従ってください」

 

「……テメエ。オレをコケにする気か!?」

 

「いえ、本気ですよ。桃井さん、審判をお願いします」

 

灰崎の顔が怒りに染まる。平然と黒子っちは言葉を続けた。

 

「できれば人目が無い場所がいいですね。第3体育館に行きましょうか」

 

「勝てると思ってんのか?一人じゃ何もできない、貧弱なテメエが!」

 

「もちろんです。それとも、逃げますか?」

 

表情を変えずに挑発する黒子っち。

 

「そうかよ。なら、オレが勝ったらテメエも部を辞めろ。それでよけりゃ、勝負に乗ってやる」

 

「おい、灰崎!何を言って……」

 

「いいですよ。じゃ、行きましょうか」

 

ざわめきだす部員達。黒子っちが辞めたら帝光にとっては大打撃だ。静観を保っていた赤司っちも止めに入ろうとするが、即座に了承され、彼らは出て行ってしまう。

 

「あまり見られたくないので、10分くらいは中を覗かないでくださいね」

 

振り向いた黒子っちは、そう一言を残して姿を消した。オレ達は困惑の様子で、互いに顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

結局、オレ達は様子を見に行くことにした。黒子っちの向かった第3体育館に走る。不安に駆られ、誰もが顔にわずかな焦りを浮かべていた。

 

やけに自信ありげな黒子っちだったが、意外とあっさりやられることあるからな……。オレと勝負した時も、普通に負けたし。

 

『突然変異の怪物』『帝光中学の影の支配者』とも呼ばれる彼だが、その異才は補助の面でのみ発揮できる。スピード、パワー、テクニック。全ての点で、灰崎に劣っている。本来、勝ち目など存在しない。まあ、それでも何とかしそうな底知れなさはあるけれど。考えているうちに目的地に到着した。先頭の青峰っちが勢いよく扉を開く。

 

 

 

ボールが転々とコート上を弾む。その音だけが静かな体育館に響く。信じがたい光景が目に飛び込んできた。

 

 

――床に膝をつき、うなだれる灰崎と、無表情で見下ろす黒子っち。

 

 

桃っちの手にしたホワイトボードには、3-0の文字。

 

「マジかよ……あの野郎が、ストレートで…!?」

 

呆然とつぶやく青峰っちの声に、彼は振り向いた。

 

「ああ、ずいぶん早かったですね。まだ5分も経っていないのに」

 

何事もなかったかのように、平然と彼は発した。オレ達は、その様子に戦慄する。驚愕の事態が顕現していた。そして、灰崎はこちらに気付いた風もなく、顔を上げて声を震わせる。

 

「お前……何をしやがった」

 

「それでは、約束通り部活を続けてくださいね」

 

「答えろ!オレに何をしやがった!」

 

怯えの籠った視線でにらみつけ、声を荒げる灰崎。一目で虚勢とわかる、青ざめた顔。初めて見た、コイツのこんな姿。ゾワリと、得体の知れない何かが背筋を這いまわる錯覚。手足が凍り付いたかのように、動かない。理由は未知への恐怖、畏怖。オレ達は甘く見ていた。底知れないという言葉を使って、分かったつもりになっていた。まだ黒子っちの実力の片鱗しか、体験していないというのに――

 

「ボクの編み出した、『視線誘導』の神髄。陰陽で名付けた、ふたつのうちの一つ」

 

人前で使うつもりは無いですが、と彼は肩を竦めてみせた。小さく笑うその姿からは、深淵に飲み込まれてしまいそうな、圧倒的な虚無をイメージさせられる。淡々と、彼はその名を口にした。間違いなく常識の埒外であろう、恐るべき技の名を。

 

 

――『光』の視線誘導(シャインミスディレクション)

 

 

 



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第28Q 決勝で会おうな!

 

 

 

全国中学校体育大会――通称『全中』の季節がやってきた。

 

灰崎君も残留し、万全のメンバーで臨む帝光中学バスケ部は、地区予選を順当に勝ち進んでいった。危なげなく、どころの話ではない。まるで試合になっていない。毎試合100点ゲーム。相手の得点は一桁。途中でメンバーチェンジをしてこれだ。あまりの楽勝ムードに、仲間達のモチベーションが低下するのも時間の問題だろう。

 

全中の後は、何か手立てを考えなければならない。灰崎君にしても、とりあえず部に残したものの、やる気のない状態では意味がない。頭を抱えたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

全中の会場である東京体育館。観客のひしめく2階の観覧席で、ボクは小さく溜息を吐いた。月バスで特集され、今大会も地区予選で圧倒的活躍を見せる『キセキの世代』。注目を集める彼らの試合を見ようと、初日から会場は満員御礼だ。珍しく選手や保護者以外の一般人で賑わいを見せている。

 

影を薄くしていて、気付かれないのは幸いだった。首を回して辺りを確認し、手元の紙に視線を落とす。今大会のトーナメント表だ。

 

「この組み合わせは……どうなんですかね」

 

独り言を漏らす。少しは彼らを楽しませてくれるとよいのだが……。

 

「ああっ!黒子じゃん!」

 

突然、明るい声が耳に届き、驚いて振り返る。快活さと爽やかさを感じさせる、学ラン姿の男子。中学で別れた、懐かしい顔が手を振っていた。

 

「お久しぶりです。荻原君」

 

「雑誌で読んだぜ!帝光中学の『キセキの世代』!すげえらしいじゃん!」

 

笑顔で駆け寄ってくると、彼は興奮気味にしゃべりだした。メールや電話で連絡は取っていたが、実際に会うのは、中学に入ってから初めてだ。とはいえ、予想はしていた。かつての未来でも、全国まで勝ち進んでいたからだ。

 

「このトーナメントだと、反対側のブロックか。オレらも絶対勝ち進むから、決勝で会おうな!」

 

彼の言葉に頷きつつも、その望みが叶わないことを知っていた。トーナメントで当たる、鎌田西中学に敗戦するということを。約束は叶わない。もちろん、ボクが何の助言もしなければだが。

 

「けど、そっちの山は激戦区だよなー。有名な『無冠の五将』が全部集まってるじゃん」

 

「知っているんですか?」

 

「黒子のトコとは戦ったことないけど、無冠の方はいくつか練習試合したことあるんだよ。とんでもない強さだったぜ」

 

それらの試合を思い出したのか、神妙な面持ちで唇を噛んだ。どうやら負けたらしい。

 

「去年の全中で帝光に負けてから、血の滲むような訓練をしたらしい。気を付けろよ」

 

「忠告、ありがたく受け取っておきます」

 

だとすれば、今大会も捨てたものではない。何の期待もしていなかったが、わずかに気分を昂らせ、改めて眼下のコートを見下ろした。それから、十数分ほど荻原君と近況を報告し合い、集合場所へと戻る。

 

中学2年の全中、その2度目が行われた。

 

 

 

 

 

 

 

――対『雷獣』葉山小太郎

 

 

 

満員の観客に見守られ、始まった初戦。相手は去年、灰崎君と激戦を繰り広げた『無冠の五将』がひとり。マッチアップは黄瀬君。互いに相対して、目線を交わす。先取点を奪わんと、オフェンスの葉山さんがドリブルを開始した。弾速は目では追えないほど。相手は中学最強、帝光中学。出し惜しむ気はないらしい。初手からトップギア。床を叩く爆音が鳴り響く。

 

「去年のアイツとやれないのは残念だけど、見せてやるよ。改良したオレの必殺ドリブルを――」

 

前回の全中で、灰崎君を苦しめたあの技。彼の代名詞と呼べる、『雷轟の(ライトニング)ドリブル』。それが牙をむいた。全速のドライブで、まずは一歩を踏み出した。手首を返し、雷速のクロスオーバー。ボールが彼の眼前から消え去ろうとして――

 

「うーん。ちょっと早くなったんスかね……?」

 

前に出した左手で、あっさりとカットされた。

 

「なんでっ……オレのドリブルが……!?」

 

葉山さんの顔が驚愕に歪む。対照的に、黄瀬君は退屈そうに嘆息した。

 

スティールからのワンマン速攻。本来ならば、相手チームに追いつける者はいない。それほどに、『キセキの世代』の身体能力は群を抜いている。だが、黄瀬君はあえて速度を落とし、葉山さんに追いつかせた。その不自然に彼は気付かない。

 

「くっ……させっか!」

 

必死の形相で回り込み、叫ぶ。試合開始直後、先取点の奪い合い。この一度の攻防で勝敗が決すると思ったのだろう。野生の本能を全開にした。最高の反応速度を発揮する相手に、しかし黄瀬君は何の脅威も感じていない。

 

「ええっと……手首の返しは、こんな感じッスよね」

 

葉山さんの視界から、ボールが消失した。

 

「出たっ!黄瀬の模倣(コピー)!」

 

観客がどよめく。放つのは雷速のクロスオーバー。

 

 

――『雷轟の(ライトニング)ドリブル』

 

 

先ほど見せた、1年間の努力の結晶たる、改良版のドリブル。しかも――

 

「オレより、完全にキレてっ……!?」

 

オリジナル以上の精度と威力。黄瀬君の身体能力と技術は、それを可能とする。豪快なダンクを決め、振り返った顔にはつまらなそうな色が宿っていた。失望の溜息を吐き、ひとりごちた。

 

「灰崎の足元にも及ばない。一年も掛けて、その程度の改良ッスか……」

 

 

 

帝光 131-12 修獣館

 

 

 

 

 

 

 

――対『悪童』花宮真

 

 

 

苦渋に塗れた表情を浮かべつつ、PGの花宮さんは舌打ちする。周囲に視線を巡らせながら、ドリブルでボールを保持。強烈な威圧を発する赤司君を前に、第1Qの中盤にも関らず滝のような汗を背中に流していた。

 

「ずいぶん困っているようだね」

 

「……うるせえ」

 

涼やかな赤司君の声に、相手は苦悶の色を滲ませる。去年とは真逆のシチュエーション。高速で脳内演算を行い、相手のパスコースを高精度で予測し、スティール。どこに出してもパスカットされる。そんな『蜘蛛の巣』に敵を捉えるのが、花宮真の才能である。

 

だが、現在の彼は被捕食者の気分を味わっていた。

 

「いくら考えても無駄なことだよ」

 

平然と赤司君が勧告する。どれだけパスルートを探したところで、彼らの戦力では勝率など存在しない。マッチアップ相手との能力値に差がありすぎる。数多の手を全て封殺される予測。仕掛ければ即、止められる感覚。それを味わっているのだろう。苦々しげに声を漏らす花宮さん。ボールをキープしつつも、戦況打開が不可能であると悟る。

 

「チッ……味方が役立たずか。たしかにこのチームじゃ、どうにもなんねーな」

 

苛立たしげに吐き捨てた。諦念を顔に滲ませる。

 

「いや、そういう意味じゃないさ。これから、キミがパスを出すこ――」

 

赤司君の言葉を遮るように、彼は動き出す。狙うは、コートを切り裂く鋭利なパス。予備動作は小さく、相手の警戒も甘い。諦めの表情はブラフ。相手の注意を引くための。蔑みの視線を向けて、赤司君を嘲笑する。だが、次の瞬間には――

 

「バカが!余裕見せてっから……え?」

 

 

――その両手から、ボールが弾き飛ばされていた。

 

 

呆然自失の顔で、花宮さんの動きが止まる。反応すらできずに、気付けばボールが消えていた。隔絶した実力差。花宮さんの瞳が、恐れによって黒く濁った。ワンマン速攻が決まり、自陣に戻る赤司君は、物分かりの悪い子供に対するように声を掛ける。

 

「勘違いしているようだから、教えてあげよう。先ほど、考えても無駄だと忠告したのは、出せるパスコースがないからではない」

 

冷酷な未来を、赤司君は告げた。

 

「今後、お前がパスを出すことはないからだ」

 

 

 

帝光 113-7 開智

 

 

 

 

 

 

 

 

――対『夜叉』実渕玲央

 

 

 

第3Q、交代で試合に参加した灰崎君は、不満を隠さず、つまらなそうに舌打ちした。対面する相手は、3種のシュートを使い分けるSG、実渕玲央。ただし、その顔色は曇り切っている。前半戦で自身の技を模倣(コピー)され続け、自信喪失したのだ。すでに圧倒的な点差がつけられ、逆転は不可能な状況。

 

「チッ……こんな消化試合、やってらんねーぜ」

 

勝敗の決まった試合など、何の楽しみもない。彼の全身から、退屈そうな雰囲気が漂っている。だが、監督の指示には従うようだ。ボクとの一戦以来、練習や試合にはきちんと参加してくれている。嫌々なのは目に見えているけれど。モチベーションはともかく、仕事はする。まずはそれで充分。

 

今大会、全盛期である中学3年のときよりも奪われる得点が少ない。みんなのペース配分もあるが、多くは彼のおかげである。『キセキの世代』と同等の交代要員がいることで、スタミナ不足でバテることが激減した。まあ、灰崎君としては不本意な貢献だろうが。

 

「まあいい。さっさと終わらせてやるよ」

 

「私達にもう勝ち目がないとしても……。少しでも点差を縮めてみせるわ」

 

コートから出て行ったのは、神掛かり的な精度を有するシューター、緑間真太郎。スタメンがひとり抜けたことで、気力を取り戻したのか。わずかながら声音に戦意が籠る。緩慢になりつつあった動作に、キレが戻る。腰を落とし、対面の眼付きの悪い、ピアスの男に意識を集中させる。

 

しかし残念ながら、状況はまるで好転していない。むしろ悪化したと言える。目の前にいるのは『キセキの世代』に匹敵する才能、灰崎祥吾。

 

 

――能力の凶悪さでは、帝光中学随一である。

 

 

「結構面白い技だったし、もらっといてやるよ」

 

赤司君からパスが渡る。それを受け取り、灰崎君はシュート態勢に入った。リングとの距離は遠い。ノーフェイクでの3Pシュート。

 

「ちょっと!そんな簡単に打たせるわけ……」

 

ブロックに跳ぼうとした実渕さんの動作が停止した。ピクリとも手足が動かない。想定外の体験に絶句する。無抵抗の相手を前にして、灰崎君は悠々とボールを投げ放った。この技を、実渕さんは知っている。いや、知っているどころではない。

 

 

――『虚空』のシュート

 

 

「何で私の技を……!1年間、必死に完成させた私の技を……。アナタも、見ただけで真似たというの……!?」

 

血を吐くように、今にも泣きだしそうな絶望の形相で、彼は叫んだ。才能の壁というものを、まざまざと見せつけられた。ネットを揺らす乾いた音が鼓膜を震わせる。黄瀬君に引き続き、またしても自慢の技が模倣(コピー)されるなど、悪夢でしかないはずだ。

 

「そんな……ありえないわ…」

 

悲壮な表情を浮かべ、完全に心が折れた様子の実渕さん。気の毒には思うが、まだ絶望は終わっていない。

 

「え?……私のシュートが…」

 

相手のターン。お返しに『虚空』のシュートを放ったが、ボールはリングの遥か手前に落下する。テンポは乱れ、フォームは崩れ、明らかに異常をきたしていた。これは灰崎君の『強奪』の副作用。自身の技を使用不能にされてしまった。

 

残りの2Qは地獄だろう。彼は絶望するしかない。必死に身に着けた3種のシュート。それを使えるのは、自分ではなく。コート上に2人。倒すべき敵だけだということに――

 

 

 

帝光 144-15 風見

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ決勝戦。去年は苦戦した『無冠の五将』の選手達。あまりにも手ごたえのない試合だった。圧勝過ぎて、部員達の顔には喜びよりも困惑が浮かんでいた。ここまで全てが100点ゲーム。全国大会においてさえ、接戦どころか、10倍以上の得点差が当たり前なのだ。達成感は皆無。むしろ罪悪感が湧いてしまうほど。

 

「なあ、いくら何でも退屈すぎねーか?」

 

「そうだよね~。弱すぎて、ヒネリ潰しがいもないって言うか」

 

試合前のロッカールーム。青峰君は、気乗りしなさそうに口を開いた。紫原君もそれに続く。他のメンバーも、無邪気に喜ぶ様子はない。

 

「この分じゃ、決勝も期待できそうにねーよな」

 

ベンチに腰掛け、落胆の溜息を吐く青峰君。事前の予測通り、モチベーションが低下しているようだ。圧倒的な勝利は気持ちが良いものだが、それもここまで続けば別である。何とか強敵をあてがいたいが、残念だが決勝の相手は彼らの期待に沿えないだろう。

 

対戦相手は鎌田西中学。かつての歴史では、前半リードを奪うほどに帝光を追い詰めたチームである。だが、所詮は小技に頼るレベル。テイクチャージ以外に見どころはない。

 

「じゃあさ、ちょっとしたゲームにしないッスか?」

 

名案を思い付いた、という風に、黄瀬君が楽しげに提案する。ボクは軽く目を閉じた。やはり、この結果になったか。嫌な予感しかしない。

 

 

――相手が荻原君じゃなくてよかった。

 

 

今回、友人の所属する明洸中学を決勝に残すこともできた。テイクチャージさえ気を付ければ、素の実力に大きな差はない。しかし、ボクはアドバイスをしなかった。帝光中学と戦わせたくないからだ。

 

「敗北をバネに強くなる」

 

よく語られる言葉だが、実践できるものは多くない。ましてや、相手が埒外の天才、理外の怪物たる『キセキの世代』であればなおさら。破滅的な戦力差に、心を折られる選手が大半である。未来でバスケを辞めてしまった荻原君のように――

 

だからこそ、同じ愚は繰り返さない。身代わりの羊(スケープゴート)を立てておいた。鎌田西の選手達。心の中で軽く、彼らに謝っておく。きっと、絶望や後悔、悲哀を味わうだろう。願わくば、そのショックから早く立ち直って欲しいものだ。

 

 

 

 

 

黄瀬君の提案した非道なゲーム。モチベーション低下に歯止めを掛けるために、もちろんボクは賛成した。

 



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第29Q 黒子じゃねーか……!?

 

 

 

全国最強を決める試合、全中の決勝戦。圧倒的な力で勝ち進む帝光中学に対するは、無名のダークホース、鎌田西中学。

 

会場となる東京体育館は立ち見が出るほどの満員状態。月バスの特集に始まり、メディアで多少取り上げられたため、注目度は高い。観客の声援が物理的に肌を震わすほど。だが、帝光の面々は重圧など軽く跳ね除ける。

 

 

 

ざわめく会場に、甲高い笛の音が鳴り響く。帝光中学にとって、想定外の出来事が起きていた。

 

「オフェンスチャージング!白6番!」

 

審判の言葉に、青峰君が不本意そうに手を上げる。ぶつかって倒れた鎌田西の選手、双子のひとりが、したり顔で立ち上がった。敵の有するテイクチャージの技法。卓越した合気道の技術を流用した、異端のスキル。それは、『キセキの世代』に通用する。

 

「またファウル!さっきからずいぶん多くないか!?」

 

「このペースじゃ、途中で退場になっちゃうぜ」

 

観客のどよめきが、館内をわずかに揺らす。不穏な空気が漂う。ファウルを奪う専門家、双子の選手がそれぞれ、技術を発揮したのだ。マッチアップした青峰君と黄瀬君。彼らは、第1Qで2つのファウルをすでに取られていた。一般的に、4ファウルになれば、ベンチに下げざるをえない。

 

ただしそれでも、優勢は帝光。

 

「いやあ、強すぎだろ」

 

「ははっ、手も足もでねーよ」

 

目の当たりにした力の差に、双子は苦笑する。互いに目を合わせ、乾いた笑い声を漏らす。

 

14-0

 

帝光の圧倒的リード。だが、相手の瞳に闘志が宿っているのは、勝ち目があるからだ。絶無の可能性ではないからだ。彼らの眼には勝利のビジョンが映っている。

 

――『キセキの世代』の総入れ替え。

 

埒外の天才集団を、通常の強豪校に変貌させる荒業。極々低い確率であるが、タイトロープを渡ることで勝利を掴む。これが、鎌田西の戦略であった。

 

 

 

 

 

 

 

第1Q終了のブザーが鳴り、ベンチへ戻る。赤司君のゲームメイクもあり、これ以上のファウルは避けられた。双子以外からの攻めに切り替えたのだ。得点などどこからでも取れる。見事な判断だった。あと一つでも奪われていれば、チームファウルが5つ目となり、無条件で相手のフリースローになっていた。彼らの目的を考えれば、危ない局面であった。それを阻止するため、全員が一丸となり、集中できたのも要因だろう。

 

「ふむ……問題はなさそうだな」

 

白金監督は彼らを見回して、厳かに頷いた。相手は一縷の望みを抱いているようだが、普通にやればまず負けない得点差と実力差。いまだ、1得点も奪われていない。集中を切っているかと思いきや、予想以上に真剣な表情。それは試合前に定めた目標のためだった。

 

「では、指示を与える。入念に磨り潰してこい」

 

白金監督は攻略法を伝え、5人を送り出した。

 

 

 

 

 

 

 

――完全なる蹂躙が始まる。

 

 

「合わせられるもんなら、合わせてみな」

 

青峰君が挑発的に笑った。双子の片割れは、焦りが色濃く滲む顔で呻く。前後左右に大きくボールを振る、ストバス仕込みのドリブル。予測不能のトリッキーなスタイル。変幻自在の揺さ振りに、相手はまるでついて来れない。

 

「しかも……速すぎだろ」

 

技術に加え、純粋な速度でも。高速で動き回る影を捉えることはできない。緩急を駆使することで、さらに上がる体感速度。相手は翻弄され、テイクチャージどころではない。足をもつれさせた。床に転がされ、驚きの表情で青峰君を見上げる双子。障害をどけた後、青峰君は悠然とボールを放り投げた。

 

「ちっとは楽しめるかと思ったけど。期待外れだったな」

 

失望の籠った視線で、怯えた様子の双子を見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

同じく、黄瀬君も技術と速度で翻弄する。小刻みなギアチェンジで、容易に相手の態勢を崩す。熟練のボール捌き。見た技をそのまま吸収する彼は、技術面の成長性が最も高い。バスケ歴は1年に満たないが、すでに全国屈指の技量を有していた。

 

「クソッ!ファウルなんて、取れる気がしないぜ」

 

「ちなみに、これで終わりじゃないッスよ」

 

耳元で囁かれた直後、目の前で黄瀬君が吹き飛んだ。ドリブル突破を試みた双子は、背筋を凍らせる。何をされたのかが分かったからだ。ぶつかった感触はない。だが――

 

「オフェンスチャージング。黒9番」

 

ブザーの音で試合が中断された。審判が反則を告げる。あまりにも鮮やかなテイクチャージ。双子達は戦慄した。自身の積み重ねてきた鍛錬、身に着けた技法があっさりと再現されたことに――

 

「ふーん。結構簡単ッスね」

 

つまらなそうに、黄瀬君は口にした。

 

「そんな……化け物かよ」

 

対戦相手に勝ちの目は消えた。それを理解し、彼らの瞳から戦意が失われる。炎が消える。動きに精彩を欠くようになる。完全な消化試合と化してしまった。しかし、帝光中学の面々に、油断の文字は窺えない。

 

「気を抜くなよ、紫原」

 

「言われなくても、わかってるよ~」

 

破れかぶれのシュートを、凄まじい瞬発力と高さで叩き落す。マグレだろうと絶対に決めさせないという強い意志が感じ取れた。珍しいことだが。

 

 

 

そして、試合終了のブザーが鳴るまで、『キセキの世代』の猛攻は続いた。

 

 

 

帝光 111-1 鎌田西

 

 

喜びに沸く選手達。しかし、その理由は勝利でも優勝でもなく――

 

「よっしゃー!目標達成!」

 

「数値ピッタリッスね」

 

「ふぅ~。相手の得点を1にするってのが、結構メンドウだったね~」

 

他の者が聞けば、意味が分からない会話。だが、すぐに鎌田西の選手達は意図に気付く。全てのスコアが1。偶然ではない。遊ばれていたのだ。数合わせのゲームにつき合わされた。

 

「そん…な……。オレ達なんて、眼中にもなかったのか……?」

 

鎌田西の選手達の顔が絶望に染まる。青ざめた表情で、か細い声を漏らす。その問いの答えは、目の前の残酷な光景だった。

 

誰もこちらを見ず、スコアの映し出された電光掲示板を指さし、はしゃぐ黄瀬君達。赤司君は興味なさげに嘆息し、緑間君はやれやれと首を左右に振る。整列の際も、まるで空気であるかのように、誰ひとり視線が合うことはなかった。涙すら流れない。胸に去来するのは、諦念と無力感。呆然と立ち竦む、焦点の合わない眼をした選手達。来年もバスケを続けているかどうか……。

 

こうして、2年目の全中は幕を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

夕焼けに赤く染まる帰り道。みんなの誘いを断り、ただ独りで帰途についていた。近くのストバスのコートに足を運ぶ。自然と寄り道をしていた。視界を照らすオレンジが、寂寥感を覚えさせる。

 

かつて、ボクの経験した2年目の全中優勝。それは、これほどつまらないものだっただろうか。胸の空虚さを確かに感じながら、無人のコートに足を踏み入れ、立ち止まる。

 

 

強くなりすぎた。

 

 

その一言に尽きる。もはや『キセキの世代』に対抗できる者は存在しない。現在の彼らのチカラは、かつての歴史における高校入学時に匹敵する。空前絶後の、無尽蔵の才覚。対等に戦える選手を探すのは困難。社会人、プロまで含めて、どれだけ互角に戦える選手がいるか。いつまでも余興のゲームでは釣れないだろう。敵のいない勝負など、いずれ飽きる。それは近い将来の話だ。

 

かつての歴史では、進学することでお互いをライバルにできた。だが、その手は使えない。内部分裂するだけだ。もはや切磋琢磨というレベルでは収まらない。チームの崩壊に繋がってしまう。それに同じ部活では、本当の意味で雌雄を決することはできない。所詮は1on1での強さ比べ程度だ。

 

「本格的に敵を探さなければならないようですね」

 

口元に手を当て、思案しながら独りごちた。想像した以上に深刻な響きだった。どうやら、自分でも気付かないうちに悩んでいたらしい。煮詰まっている、と自覚する。大きく息を吐き、頭を切り替えた。

 

ひとりで打開策を見つけるのは難しい。白金監督に相談した方が良さそうだ。とりあえず、そう結論する。

 

 

「なあ。コート使わないなら、場所空けてくれよ」

 

 

唐突に、後ろから声が届いた。ずいぶんと長い間、思い悩んでいたらしい。他人の迷惑にならないよう、振り返らずにすぐに外側へと足を踏み出した。

 

「ああ……すみません」

 

横にズレた直後、後方から漆黒の塊が通り過ぎる。ドリブルをつき、まっすぐリングへと疾走する。一泊遅れて、それが学ランを着た男子生徒だと理解した。全中の参加者だろうか?

 

疾駆する後ろ姿。そして、信じられない光景を目の当たりにする。彼は右足で踏み込み、跳躍した。

 

あろうことか、フリースローラインから――

 

 

――レーンアップ

 

 

痺れるような衝撃が、全身を走り抜ける。一枚の絵画を前にしたかのような非現実感。神域の光景に、ボクの目が奪われた。一切の動きを忘れさせられる。

 

「た、高い……!」

 

驚きを隠せず、思わず声を上げてしまった。宙を舞う黒の人影。常識を遥かに超える、埒外の跳躍力。抜群の身体能力を誇る『キセキの世代』の面々と比べてさえ、圧倒する超跳躍(スーパージャンプ)。

 

まるで世界から切り取られたように。重力から解放されたかのように。大空を飛ぶ鳥のように。軽やかに宙を舞う。夕焼けの赤に照らし出され、ボールを片手に遥かな高みを飛ぶ、黒ずくめの学生の背中。そこにボクは、かつての相棒を幻視した。

 

ガツン、と豪快なダンクが叩き込まれる。

 

地面に降り立ち、学生は軽く息を吐いた。リングに捻じ込まれたボールは、弾みながらコートを転がっていく。ボクはまばたきながら、立ち尽くす。短めの黒髪、身長は180cm前後。間違いない。ある人物の名が、口をついて出る。

 

「火神君……?」

 

こちらのつぶやきに応え、男は振り向く。顔立ちには記憶よりも幼さが残るが、ボクのよく知るものだった。『キセキの世代』と同等の才能を持つ怪物。

 

 

火神大我

 

 

誠凛高校で出会った相棒。高校時代のボクの光。だが、こちらの歴史では初対面。向こうからすれば面識はないはずであるが……。

 

「うおっ!黒子じゃねーか……!?」

 

こちらを認識すると、彼は驚きの声を上げた。目を見開き、嬉しそうに右手を上げる。だが、すぐにその顔が困惑に染まる。

 

「あれ?でも、何でオレのことを知ってんだ?」

 

 

――こっちじゃ初対面のはずだよな

 

 

続いて口にする言葉で、ボクは事情を理解した。自然と口元に笑みが浮かぶ。氷室さんが『キセキの世代』という名称を知っていたときに、薄い可能性として考えていたが。

 

 

やはり、存在したのか。ボクと同じく、未来を知る人間が――

 

 



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第30Q オマエらは、潰すことにしたぜ

 

 

 

米国――ロサンゼルス。

 

晴れ渡る異国の空の下、オレはベンチに座り、辺りを見回した。今日のイベントのために、多くの人々で通りはごった返している。人種の坩堝と呼ばれるだけあって、日本とはまるで雰囲気が違う。まあ、さすがに合計10年以上も住めば、何の違和感も覚えないが。

 

「タイガ!ここにいたのか」

 

視線を横に向けると、オレが兄貴と慕う少年、氷室辰也が手を上げていた。泣きボクロが特徴的な、端正な顔立ち。しかし、かつての記憶よりは幼い様子で、手にした2枚の紙片を開いて見せる。

 

「ほら、メンバー表だ。さっき登録してきた」

 

「サンキュー。とうとうオレらも初公式戦だな」

 

「部活って訳でもないからな。苦労してメンバーを集めた甲斐があったよ」

 

ポーカーフェイスをわずかに崩し、口元を綻ばせる。今日と明日はストリートバスケットの大会なのだ。TVカメラや取材も訪れるほど。出場チームは50を超え、2日間を掛けて行われる、国内でも有数の大規模トーナメントである。

 

名の知れたチームも多く出るが、そこにオレ達もエントリーされている。メンバーは5名。師匠であるアレックスが、クラブのコーチを始めたので、そこの教え子達である。年はオレらと同じくらいで、実力はそれなり。出場名簿に視線を落とす。

 

 

 

――4番、火神大我

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が過去に戻ったのは、今から5年前。理由は分からない。目が覚めたとき、オレはアメリカに住んでいた頃の自室のベッドの上にいた。両親がいて、昔の家があった。WCで赤司に敗れ、自宅へ帰っている途中までは記憶にある。だが、それ以降は何も思い出せない。理解不能な現実があった。オレは時間を遡ったとしか思えない。困惑したが、すぐに気を取り直した。難しいことはどうでもいい。

 

昔に戻ってバスケができる。

 

それも、かつての経験を持ったまま。オレは喜んだ。この時代から練習を積めば、きっと赤司にも勝てる。鍛錬に励み、技術を磨く。タツヤやアレックスとも出会った。多少、関係性は変わったが、それでも順調にチカラを付けてきた。そして――

 

 

 

――チカラを付け過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

まばらに観客が見守る中、オレ達のチームの試合が始まった。まずは初戦。段になった観客席に囲まれた、ストリートのコート。ルールについてだが、日本の高校バスケと異なる点がいくつか。

 

プレトーナメント(予選)は、1試合10分。本選は前後半制で合計20分。オールコートで5on5の形式。初日のプレトーナメントは、短時間でサクサク進む。試合回数はあるが、体力的には余裕があるスケジュールだろう。仲間達が疲労で力が発揮できないという状況は、避けられそうだ。そうなると楽しめないからな。

 

 

 

タツヤからのパスを、ワンタッチで方向転換。タップパスで走りこむ味方に繋げる。

 

「ジョニー、決めろよ!」

 

「ナイスパス」

 

寸分狂わず手元に収まったボールを、浅黒い肌の少年がジャンプシュート。リングを擦りつつ、通り抜ける。

 

「やったぜ!」

 

「調子良いじゃねーか!次もドンドンいくぜ」

 

喜ぶジョニーとハイタッチをかわす。他の仲間達も、今日が初の公式戦だ。タツヤや他のメンバーもジョニーを手を叩き合う。今回、オレはサポートに徹することにした。

 

数プレイも見れば、相手の実力は把握できる。バスケの本場、アメリカといえど、全員が日本のプロ並みという訳ではない。対戦相手は年上のチームだが、WCで戦った地区予選の高校と同程度だ。オレは囮になって、仲間を活かして楽しませることに決めた。

 

「クソッ……また!」

 

カットインからの、アウトサイドへのパス。切り込んで相手の注意を引きつつ、警戒の甘くなった味方へと繋ぐ。この試合、3本目のロングシュート。フリーで放たれた3Pシュートがようやく決められた。

 

「ルーカス!ナイスシュート!」

 

カウンターを警戒して戻りながら、オレは声を上げる。ルーカスも自慢げに自分の胸を叩いた。盛り上がる仲間達。相手チームのパスをカットし、ボールをタツヤに預ける。続けてこちらのターン。

 

フォローに徹した初戦。味方の活躍によって、勝利を収めることができた。

 

 

 

 

 

 

 

その後も破竹の勢いで勝ち進み、危なげなく初日を突破する。連戦の疲れを癒すため、他の仲間達は予約したホテルに戻らせた。監督兼引率のアレックスもそちらである。初めての勝利にはしゃぐヤツらを抑えるのは大変だろう。静かに同情する。だが、彼らが楽しめたのは何よりの収穫だった。

 

オレ達のチームのモットーは、『バスケは楽しく』だ。

 

仲間に花を持たせるために、サポートに回った甲斐があったな。

 

 

 

そして、オレはというと偵察を行っていた。気分はただの試合観戦だけど。ストリートバスケ界で最も有名なチーム。前回大会の優勝者でもある。今回も優勝候補筆頭との呼び声高い、その選手達を確認しに来たのだ。世界でも有数のプレイを観戦に来たのだ。まあ、オレより劣るのは当然だが、それでも良い楽しみにはなるはずだ。

 

「この間、日本に戻ってきたよ」

 

試合開始までの待ち時間に、タツヤは思い出すようにつぶやいた。

 

「タイガの言っていた、帝光中学の『キセキの世代』。そのひとりに会ってきた」

 

「へえ、感想は?」

 

オレは問い返す。即座に彼は断言した。

 

「凄まじい才能だ。まさか日本に、しかも下の年代にあれほどの逸材がいるなんて……」

 

「だろ?」

 

「これまで積み重ね、磨いてきた技をことごとく模倣(コピー)された。しかも初見で。信じがたいセンスだ」

 

その言葉にオレの表情が変わる。奪われたのではなく、模倣(コピー)された。黄瀬に会ってきたのか?バスケを始めたのは中2からだ、と黒子に聞いていたんだが……。記憶違いだろうか。

 

「試合の中で、彼は急激に覚醒を果たしていった。とてつもない成長速度だった。まさに天才と呼ぶにふさわしい。オレとは違い、そしてオマエと同じように」

 

かすかに悔しげな顔をのぞかせる。

 

「稀有な才能だ。彼が3人いれば、トリプルチームにつけば、もしかしたら――本気のオマエとも戦えるかもしれない」

 

オレは思わず目を見開き、タツヤの方へ向き直った。驚きを隠しきれず、一瞬だけ息が詰まる。オレの戦力の三分の一。いくら何でも過剰戦力だ。成長速度が異常すぎる。日本でオレの知らない何かが始まっている。それを直感した。

 

「おおっ!出てきたぞ!チーム『Jabberwock』!」

 

没入した思考を遮るように、耳に歓声が入ってきた。両チームが現れ、ゆっくりとコートに足を踏み入れる。まずは優勝候補筆頭、『Jabberwocks』のメンバーに視線を向けた。

 

「……ガラ悪いな。ストバスの試合だからって言えばそうなんだけどよ」

 

アメリカの不良のイメージそのものだ。しかも、身長が高くてガタイがいいから、余計に威圧感を発してしまっている。まあ、ストバスやってれば珍しくもないか。ただ、やけに雰囲気がある。

 

一方、相手チームを見ると、東洋系のアジア人選手が揃っていた。見た感じ、体格も悪くない。初日の最終試合ともなると、勝ち残ったチームのレベルは相当に高い。ストバスの有名選手やプロも参加しており、TV中継されるのは伊達ではない。初日終了の時点で、すでに日本のインターハイ、全国区に匹敵する実力者達である。

 

「前回優勝者のチカラ、見せてもらうぜ」

 

期待を込めてつぶやき、軽く唇を舐めた。

 

 

 

 

 

 

 

はっきり言って、試合内容はひどいものだった。

 

「クソみてーな試合だな」

 

吐き捨てるようにつぶやいた。あまりにも一方的な戦い。いや、ただの遊びだった。明らかに『Jabberwock』の連中は相手をナメている。初めのうちは湧いていた観客達も、いまや冷ややかに眺めていた。

 

白人の青年、ナッシュ・ゴールド・Jr。チームを束ねるリーダー。彼が高速のドリブルで、前後左右にボールを振り回す。ディフェンスの相手は、もはや心身ともに疲労困憊。目にも止まらぬ超絶技巧に目標を見失ってしまう。

 

「ど、どこにボールが……!?」

 

慌てる相手を鼻で笑うナッシュ。嘲笑を浮かべつつ、彼は両手を大きく左右に広げた。その手の中にボールはない。消えたボールの行方を探そうと、相手がキョロキョロと首を左右に動かした。

 

「ハハッ!サルにふさわしい馬鹿面だな!」

 

「なっ……背中から!?」

 

舌を出して罵声を浴びせながら、背後に弾ませていたボールを肘で叩く。トリッキーなエルボーパスで味方に回す。

 

受け取ったのはジェイソン・シルバー。『神に選ばれた躰』と謳われ、天賦の身体能力を保有する。分厚い筋肉を纏う黒人の大男は、舌を出して相手の顔面にボールを投げつけた。額にぶつけられ、鈍い音と共に跳ね返る。それをシルバーは軽くキャッチした。

 

「おいおい。せっかくボールくれてやったのに、いらねぇのかよ」

 

相手は鼻を抑えて苦悶の声を漏らす。大声で笑いながら、シルバーは中指を立ててマッチアップの選手を挑発した。

 

万事この調子だ。相手をコケにするプレイ。それしかしていない。明らかにやりすぎだ。ストバスにおいて、これらのトリックプレイや挑発は珍しくないが、その範疇を超えている。ただの弱いものイジメ。見るに堪えない。

 

「噂で聞いた通りのチームだな」

 

瞳に怒りを灯し、タツヤが口を開いた。クールな見た目の割に熱い男だ。意外と正義感に燃えているらしい。

 

「そうなのか?」

 

「ああ。去年、表舞台に姿を現してから、とにかく悪評の多いチームだよ。バスケファンの一般人にまでは伝わっていないが……」

 

知らなかった。オレは雑誌読んだり、NBAの試合を観戦する程度だからな。昨年の大会優勝者で、快進撃を続けているとしか情報を持っていないのだ。

 

「若干15歳前後の若いチームでありながら、ハイスクールの全国優勝校を圧倒し、非公式試合ではプロにも勝利する。すでに完成度は極限。実力は凄まじいの一言だが、耳にするのは悪い噂ばかりだ」

 

酒、タバコ、ドラッグ、女。もはや典型的とも言える。暴力事件も数知れず。問題行動のオンパレードらしい。

 

「今大会は大人しいと思っていたが、やはりこうなったか。キャプテンのナッシュは差別主義者で有名だからな」

 

「なるほど。対戦相手がアジア系だからってわけか」

 

試合に目を戻すと、心を折られて俯いた顔の選手達の姿があった。そして、それを嘲笑いながらゴールを決める『Jabberwock』の面々。趣味の悪い見世物のようだ。観客の中には、席を立つものも出ている。

 

「コイツら、決勝まで来るぜ」

 

「ああ、そうだろうな。途中で敗退するのは考えづらい」

 

明らかに手を抜いているが、オレもそれなりに実力は読める。ナッシュ・ゴールド・Jrとジェイソン・シルバー。特にこの2人の性能は群を抜いている。タツヤと同等か、それ以上。オレ達とは決勝でぶつかることになる。危惧すべき状況だ。対応策を考えなければ。

 

「アイツらと戦わせるのは良くないな。決勝ではオレの方で何とかするか」

 

アレが相手では、仲間達も楽しみづらいだろう。タツヤはともかく、他のメンバーでは勝負にならない実力差だ。仕方ない。あの2人はオレが封殺してしまおう。それで邪魔なのは消えるな。

 

それでも一応、確認はしておくか。

 

 

 

 

 

 

凄惨な試合の幕が閉じられる。結果はもちろん、『Jabberwock』の圧勝。最後まで相手を小馬鹿にしたプレイを続け、一矢報いることさえ許さなかった。

 

「サルの分際で、バスケしようなんて生意気だぜ。二度とオレらの前で無様な玉遊びを見せるなよ」

 

打ちひしがれる相手選手の顔に、ナッシュは唾を吐きかける。他のメンバーも手を叩いて爆笑し始めた。

 

「じゃあな。クソ雑魚ども。身の程を知れよ」

 

最後に高笑いを残して、ナッシュはコートを後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

試合後のナッシュ達を追いかけ、オレは先回りして姿を見せた。現れた見知らぬ人間に眉をしかめる。ほがらかにオレは片手を上げて挨拶する。

 

「明日、たぶん試合することになる者だ。一応、挨拶しておこうと思ってな。よろしく頼むよ」

 

握手を求めるように、右手を差し出す。彼らは呆気に取られた風に停止し、直後大声で笑い始めた。

 

「ハハハハッ!おいおい!サルが何か言ってるぜ!」

 

「誰か知らねぇが、勘違いし過ぎじゃねーか?」

 

ナッシュは笑いを零しながら、こちらに指を突きつける。

 

「まだ分かってねぇのかよ。テメエらのやってるのはバスケじゃねぇ。みっともねぇ、ごっこ遊びだってことによ」

 

同調して他のメンバーも挑発的なポーズを見せた。だが、オレの心には何も響かない。自分でも意外なほどに冷静だった。昔ならば頭に来ていただろうが、今は何も感じない。

 

理由は分かっている。目の前のコイツらが、バスケの勝負で相手にはならないからだ。ただの粋がった雑魚にしか思えないからだ。明らかな格下がはしゃいでるようにしか見えない。それは、オレに勝てる奴など存在しないという確信。

 

「まあ、もし試合で当たるようなら地獄を見せてやるよ。テメエら全員、バスケを辞めたくなるくらいにな」

 

だが、その言葉だけはオレの怒りに触れた。息を大きく吸い込み、気持ちを切り替える。審判は下された。

 

 

「わかった。オマエらは、潰すことにしたぜ」

 

 

その宣言は、自然と口をついて出た。決勝の方針を考えるために、実際に会ってみたが。コイツらと話した上での結論だ。オレ達がバスケを楽しむための障害になる。ならば潰すしかない。邪魔をする者は許さない。

 

「マジで言ってんのかよ!ククッ……。頭おかしいんじゃねぇか?」

 

見下すように笑う連中を無視して、オレは踵を返す。

 

 

 

 

 

 

 

そして翌日、オレ達は決勝でヤツらと戦うことになる。ただし、そこには誤算がひとつあった。

 

ナッシュ・ゴールド・Jrとジェイソン・シルバー。

 

コイツらの実力の高さだ。現在の年齢は15。高校時代の『キセキの世代』よりも年下なのだ。先入観があった。だからこそ、初見でヤツらの実力を見誤ってしまった。まあ、強くなり過ぎて、相手のチカラを見抜くような弱者の感覚を忘れてしまったのも原因だが。

 

中学3年から急成長を始め、高校でも進化を続けた『キセキの世代』。彼らとは違い、この2人はすでに完成しきっていた。アメリカ広しと言えども、この世代において才能は比類なし。

 

軽くお灸を据えてやる、という程度の気持ちで臨んだ試合。オレにとっては想定外だが、ある程度拮抗した勝負となる。戦えてしまったのだ、オレと。全力のオレと。

 

 

 

――その事実は彼らを、より凄惨な結末へと導いていく。

 

 



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第31Q オレの『眼』には未来が見える

 

 

 

前日に引き続きの、雲一つない晴天。家族連れも多く、賑わいを見せる野外の試合会場。観客席は満員で他に座る隙間も見当たらないほどだ。全面のバスケットコートを囲んで、階段状に様々な人々の姿が並ぶ。若いバスケファンから家族連れまで。TV中継のカメラも準備万端の様子。最終試合への期待感で、会場のボルテージはこの上なく高まっている。

 

決勝を戦う両チームがコート中央で対面した。事前の予想通り、相手はチーム『Jabberwock』。余裕ぶった嘲笑を隠そうともせず、こちらを見下すように視線をよこす。ガラの悪い男達を前に、仲間達の顔にわずかな怯みが浮かんだ。

 

こうして始まる決勝戦。大会の最後を飾るメインイベント。最初のプレイは、ナッシュ・ゴールド・Jrによる――

 

 

――タツヤの顔面めがけての投擲だった。

 

 

 

 

 

 

 

決戦前夜。狭いホテルの一室で、オレは仲間達に告げる。決勝に勝ち進んだ場合の布陣をだ。2つある部屋のベッドの上に腰掛け、全員を見回す。

 

「おいおい、タイガ。もう決勝の話かよ。気が早すぎるぜ」

 

「そうだよ。この辺りからはプロとも当たり始めるんだし」

 

ジョニーが苦笑し、ルーカスが不安げに眉をひそめた。たしかに、大規模な大会だけあって、参加者のレベルは非常に高い。だが、オレは何の心配もしていなかった。負けることなどありえない。そして、それはオレの実力を知る師匠、アレックスも同様だった。風呂上がりのTシャツ姿で、濡れた長い金髪を揺らしながら応える。

 

「いや、今はシーズン中だし、プロといっても一流どころが参加しているわけじゃない。今日のように、お前らがバカスカ決めるのは無理でも、タイガとタツヤが要所を抑えれば、十分に勝ち残れるさ」

 

「中学生のチームで、ここまで残ってるだけでも奇跡的だってのに……。せっかくだし、優勝も狙うか?」

 

赤毛をいじりながら、アルフが調子よく笑う。夢物語のように感じているだろうが、オレにとっては確信だ。

 

「だが、決勝の相手は、おそらく『Jabberwock』。その強さは別格だ」

 

タツヤが硬い表情で口を開く。全米で恐れられるチーム。その名前を聞き、仲間達の顔が引きつった。無理もないことだが、さすがに委縮するか……。そして、特に有名なのがあの2人。

 

ナッシュ・ゴールド・Jrとジェイソン・シルバー。

 

悪魔的に超越した才能は、近い将来、トッププロにすら比肩すると言われる。

 

「みんなには厳しいことを言うけど。さすがにアイツらを相手にするのは荷が重い」

 

オレの言葉に、皆は小さく笑って肩を竦めた。

 

「いや、そりゃそうだろ。そんなうぬぼれてねーよ」

 

「超有名チームだぜ。勝負できるだけで思い出になるレベル」

 

それなら大丈夫か。アレックスには許可を取ったが、あまりにも露骨な布陣だからな。大きく息を吸い、仲間達に決勝の戦術を告げる。

 

「明日のマッチアップ。PGのナッシュはタツヤが、Cのシルバーはオレが、それぞれ相手をする。攻撃もだ」

 

 

――攻守共にオレとタツヤのみで勝負

 

 

それが作戦だった。

 

 

 

 

 

 

試合直後にナッシュが仕掛けた挑発。作戦通りマッチアップを務めるタツヤ。その顔面に向けて投げつけられたボール。会場中が一瞬、息を呑む。迫りくるそれを――

 

「甘く見るなよ」

 

 

――タツヤは片手でキャッチした。

 

 

驚きの表情を浮かべるナッシュ。だが、その顔は直後、さらに驚愕に固まることになる。

 

反撃のカウンター。単独速攻を狙いドリブル突破を仕掛けるタツヤ。それを止めようと立ちはだかるが、その守りをワンフェイクで抜き去られる。残像すら見えるほどの、真に迫ったボディフェイク。

 

「何だ……この精度は…!?」

 

超絶美技。流麗な舞のごとき精密なステップで、ナッシュの横を通り過ぎる。PGからのスティールにより、単独速攻の態勢に移行した。

 

だが、さすがは優勝候補筆頭。恵まれた身体能力で先回りし、再び目の前に立ち塞がる。タツヤは勢いに乗って、そのままドライブでの突破を試みる。と思わせておいて――

 

 

――ストップからのジャンプシュート。

 

 

繋ぎ目の一切見えない、技術の粋を集めた一連の動作。流水のごとき、滑らかなプレイの切り替え。会場中が魅入り、息を呑むのが分かる。あれだけの技巧を誇るナッシュでさえ、わずかに反応が遅れたほど。ブロックに跳び、手を伸ばすが、間に合わない。中空を舞うボールがリングを通過するまでの一瞬の静寂。ネットを揺らす音が空気を揺らした。

 

「うおおおっ!先取点は、まさかのチーム『Alex』!」

 

「なんつー美麗なプレイだよ!?」

 

ざわめく会場。誰も想像できなかった試合展開。伏兵の存在に盛り上がりを見せる。幸先の良いスタート。仲間達がタツヤとハイタッチをかわす。

 

「サルの分際でやりやがったな……」

 

押し殺した怨嗟の声を漏らすナッシュ。相手チームの顔が引き締まる。慢心はもう存在しないらしい。タツヤも、同様に警戒を強めている。先ほどの、基本技術を結集させたシュート。初見にもかかわらず、ナッシュはブロック寸前まで手を伸ばしていた。残念だが、2度は通じまい。正面突破は困難、と判断したはずだ。

 

 

 

相手のターン。意趣返しとばかりに、PGのナッシュが仕掛けた。マッチアップの相手はタツヤ。高速のドリブルで、前後左右にボールを振り回す。技巧を凝らしたトリッキーな揺さぶり。派手でありながらも、精度は絶大。タツヤでさえも、ついていくのに必死だ。

 

「クッ……さすがに巧い」

 

しかし、身体能力や試合経験はともかく。こと技量においては、高校時代と比較しても遜色ないタツヤである。すでに最警戒モードに移行しており、易々と抜かれることはない。

 

「オレの揺さ振りについてくるか……」

 

ナッシュはつぶやくと、カットインからパスへと切り替える。しかし、ただのパスではない。

 

 

――タツヤの脇をボールが通過した。

 

 

「なっ……いつの間に!?」

 

シルバーの手にパスが渡った。タツヤは慌てて振り向く。気付いたらボールが放たれていた。そんな風な、驚愕の表情を浮かべている。指一本すら動かせなかった。それは、タツヤが相手の動作の予兆を感じ取れなかったということ。一切の予備動作なしに、ノーモーションで出されたパス。恐るべき高等技術である。

 

そして、ボールを手にしたジェイソン・シルバー。2mを遥かに超える屈強な肉体。意外にも、ローポストより少し離れた位置でボールを受けた。マッチアップの相手はオレ。Cのコイツが、1on1を仕掛けるつもりか……?

 

「見せてやるぜ。力の差ってヤツをよぉ!」

 

ストバス仕込みのトリッキーなドリブルとムーブ。何よりもオレを驚かせたのは、その異常な速度。

 

「……っ!は、速え……!?」

 

この巨体からは想像もできない俊敏な動き。凄まじい敏捷性(アジリティ)。オレの対応を超えたドライブ。

 

瞬時に、相手に半歩リードされ、後方にステップして追いすがるも距離が縮まらない。相手側優位の態勢のまま、シルバーは跳躍し、豪快にボールを持った右腕を伸ばす。だが、オレも負けじと跳び上がり、空中で身体をひねりつつ、左掌を叩きつけた。だが――

 

 

――シルバーの膂力は群を抜く

 

 

重い。

 

そう感じた直後、オレの身体はボールを叩いた左腕ごと弾き飛ばされていた。思わず目を見開く。こちらの防御を突き破った、豪快なダンクが炸裂。コートに叩き落され、尻餅をつかされる。愉快そうにこちらを見下ろすシルバー。不十分な態勢だったとはいえ、オレを吹き飛ばすヤツがいるとは。

 

「信じらんねーぜ」

 

呆然と見上げるオレの口から、無意識に言葉が零れ出る。侮って良い相手ではなかった。一度の交錯で刻まれた強烈な衝撃。その超越した性能は、これまで経験した中でも屈指のモノだった。

 

「大丈夫か、タイガ?」

 

心配した様子で駆け寄ってくる仲間に、片手を上げるだけで答える。ナッシュの技量もそうだが、シルバーのそれはあまりに圧倒的だ。未来における強敵達。『キセキの世代』と謳われた埒外の天才達のことを思い出す。たった今、見せつけられた性能は彼らに匹敵する。

 

 

青峰大樹の『敏捷性(アジリティ)』

紫原敦の『力(パワー)』

過去のオレの『跳躍力(ジャンプ)』

 

 

全てを兼ね備えた怪物。高校時代のオレ達よりもひとつ年下だというのに、同等のチカラを有している。もしも当時、戦っていたならば性能面では負けていたに違いない。

 

隔絶した才能だと思っていた、ヤツらよりも上がいたのか……。

 

世界の広さを思い知らされた気分だった。ゴールから離れる形でパスを呼ぶ。PGのタツヤからジョニーへボールが渡り、オレの手元に届く。対面するはジェイソン・シルバー。想像を超えた事態を確かに認識し、意識を切り替える。シルバーは挑発的に舌を出して笑った。

 

「まさか勝負するつもりか?テメエの貧弱な身体じゃ、相手にもならないぜ」

 

速さは青峰並。パワーは紫原並。ジャンプは昔のオレ並。笑いだしたくなる。『神に選ばれた躰』と恐れられるのも当然だ。あまりにも圧倒的。馬鹿げた身体能力だ。なぜなら、それは――

 

 

「今のオレ並ってことじゃねーかよ!」

 

 

一瞬のうちにシルバーを抜き去った。フェイクをひとつだけ入れた、最速のドライブ。それだけで相手のディフェンスを突き破る。驚愕に固まるシルバーの表情。先ほどの焼き直しのように、オレはダンクに跳び、わずかに遅れて相手もブロックを試みる。空中で伸ばした左手で、シルバーはボールを叩き落さんと全力を込める。

 

だが、今度はコッチの態勢の方が良いぜ。

 

「うおおおおっ!」

 

目の前の障害を無視して、リングにボールを叩き込んだ。ブロックに跳んだシルバーを薙ぎ倒す。コートに背中から落とされ、相手は呻き声を上げる。

 

「ぐっ……なん、だと…!?」

 

信じられないモノを見るように、尻餅をついた状態でこちらを見上げるシルバー。オレの口元に薄く笑みが浮かぶ。予想外に楽しめそうな相手の出現に、気持ちを隠しきれない。シルバーの顔が、憤怒の色に染まる。

 

「よこせ、ナッシュ!この東洋人をぶち殺してやる!」

 

ナメられたと思ったのか、激情のままにボールを要求する。さっきと同じく、リングから距離を置いた地点で受け取った。復讐の1on1。カットインを目論んだ前傾姿勢。オレは目を細め、軽く息を吐く。速力が互角の相手に平面勝負?

 

「おいおい、そりゃオレをナメすぎだろ」

 

交錯の瞬間、手元のボールを弾き飛ばしてやった。

 

 

 

 

 

 

 

高校時代のオレを超える、埒外の身体性能。疑問を覚える者もいるだろう。なぜ、同じ身体でそこまで性能が変わるのかと。

 

未来の青峰並の敏捷性。紫原並のチカラ。

 

それら全ては、『身体動作の最適化』に集約される。

 

例えば水泳。最も運動効率の良いフォームの探求。それが競技の至上命題である。ほんの微細な違い。それだけで同じ筋量でも、発揮できる瞬発力には雲泥の差が生じるのだ。

 

『キセキの世代』の短期間での急激な進化は、多くがコレに当たる。超集中状態である『ゾーン』の性能強化も、より精密に動作を制御できることが要因のひとつ。

 

『超跳躍(スーパージャンプ)』の際に、どのタイミングでどの部位を動かせばよいか。オレは身体で理解している。それをさらに磨き上げることで、過去の自分に匹敵する高さを得たのだ。あとは純粋に筋量を増やすだけ。身体が出来上がるのを待つだけという状態だ。

 

単純な腕相撲ならば、シルバーには及ばないだろう。だが、ことバスケに限るならば。オレはヤツと同等の性能を発揮できる。

 

 

 

過去の経験から学習した、身体操作能力。それに加えて、科学的なトレーニングも積んだ。動体視力などの自分では鍛えづらい箇所も、小学生の頃から訓練を重ねている。

 

メニューは師匠のアレックスが作成してくれた。彼女には非常に助けられた。WNBA時代のコーチに頼み込み、最新の科学トレーニングの手法やバスケの本場アメリカの戦術論、栄養バランスの取れた食生活まで、オレの代わりに必死に勉強してくれた。今のオレがあるのは、間違いなくアレックスのおかげだ。

 

 

そうして出来上がったのが、火神大我という埒外の怪物。

 

 

 

 

 

 

 

 

『神に選ばれた躰』ジェイソン・シルバーとの対決。互いにエース同士をぶつけ合う1on1の勝負。圧倒的なフィジカルを誇る両者の激突。観客の多くは、シルバー有利と予想していた。実績から言えば天と地の差があるからだ。

 

しかし、開始から数分が過ぎ、試合はオレ達のチーム『Alex』の優勢となっていた。

 

「らあっ!」

 

スピードに身を任せ、シルバーの脇を駆け抜ける。速度を落とさず、切り返しのクロスオーバー。相手を置き去りにし、フリーの状態でジャンプシュートを放った。シルバーも持ち前の反射神経でブロックに跳ぶが、わずかに届かない。

 

「アイツ、また決めやがった!」

 

観客が湧く一方、反撃の『Jabberwock』。シルバーによる単独突破。圧巻の敏捷性(アジリティ)を背景にした高速ドリブル。それをオレは、あっさりとスティールし、手元から弾き飛ばす。

 

「あのシルバーが、手も足もでねえ!?」

 

「とんでもない事態が起こってるぞ!」

 

どよめく観客席。すでに前半も5分が経過し、得点は14-6。オレ達の大量リード。身体性能が互角の相手を圧倒できた理由。それは経験だ。最高峰に位置するシルバーの敏捷性。しかし、それと同等の相手をオレは知っている。

 

――『キセキの世代』最強のドリブラー、青峰大輝。

 

幾たびも繰り広げたアイツとの死闘。常識を超えたハイスピードバトル。脳髄に焼き付いた光景が、オレに対応力を与えている。さらに、過去に戻ってからも、経験を積んだ。小学生のうちに、強力な大人の選手達と勝負を繰り返すことで、身体能力に勝る相手との戦い方を身に着けている。

 

敏捷性(アジリティ)とは、素早く正確に動くための能力だ。短時間に多くの動作を精密に行えるということ。これまでシルバーは、その性能の高さで相手を圧倒してきた。だが、同格の相手との勝負はほとんどない。コイツは練習嫌いで有名だ。試合以外での経験値もないと思っていいだろう。

 

勝負を楽しむために、オレはオフェンスではフェイクなどの技術を極力減らし、速度勝負やチカラ勝負を仕掛けている。技術勝負では、こちらが圧勝してしまう。ギリギリの戦いにするためだ。なので、1on1で勝つことも負けることもある。身体能力の戦いにして、あえて拮抗させるのだ。しかし、ディフェンスではそうはいかない。これまでの経験から、勝手に相手の動きを予測し、対応できてしまう。

 

その結果、シルバーを封殺してしまっていた。

 

「だが、ナッシュの野郎……。ここまでやられて、何でいまだシルバー一点張りなんだ?」

 

わずかな疑問を覚え、ナッシュの方へと視線を向ける。

 

何の手立てもなく、敗れた最強の駒に縋り続けるのはなぜだ?

 

 

 

 

 

 

その答えは、次のプレイで示された。

 

「この試合はじめて、シルバーが完璧にブロックしたぞ!?」

 

フリーで放ったはずのジャンプシュートが、叩き落された。目を見開き、シルバーの様子を窺う。届かない距離だったはず。ならば、相手の反応速度が上がったのだ。

 

ナッシュからシルバーへ、無拍子のパスが渡る。そのままドリブル突破。小刻みにステップを踏み、全速力のままで迫りくる。しかし、他の凡百の選手とは違い、相手はオレだ。行動を先読みし、最速の敏捷性(アジリティ)でとどめを刺す。だが、オレの右手は空を切る。

 

「速いっ……!?」

 

寸前で察知したのか、一瞬だけ早くロールで回避する。そのまま、高く跳躍し、破壊力抜群のダンクを叩きつけた。反撃の狼煙のごとく、会場中に轟く。コートに降り立ち、足を着くシルバー。間違いない、これは――

 

 

「『野性』――それも超弩級のな。島国生まれのサルじゃ、到底身に着けられないぜ」

 

 

こちらを見下すように、嘲笑交じりにナッシュが言い放った。『野性』とは、後天的に身に着ける修練の賜物。五感の鋭敏化に、経験則による高度な先読みが加わる。その効果は、危機察知能力の解放。反応速度の上昇である。

 

高校時代、何人かの使い手と戦ったことがあるが、ヤツらと比較しても、目の前の男の『野性』は凄まじい。

 

『無冠の五将』のひとり、葉山をジャッカル、『キセキの世代』の青峰をライオンと例えるならば。ジェイソン・シルバーは古代の恐竜。それもTレックスのごとき、圧倒的に暴虐を予感させるほどの。

 

後天的資質であるはずのコレを、まさか生まれつきで保有する人間がいるとは思わなかった。過去を含めて、オレの経験に存在しない強敵。

 

本当に、面白いほどに同じだ。オレは薄く笑い、意識をさらに切り替える。五感を鋭敏化させ、身体を本能の囁きに任せる。

 

 

 

 

 

 

 

パワーアップした絶対者の復活に、『Jabberwock』の士気が一気に高まった。相手の動きが冴え始める。ハーフコートを広く使って、縦横無尽に走り回る。ここまでは遊びだったとでも言いたげに、ナッシュは余裕の表情で点差を縮めにかかる。最も確実な方法で、つまりはシルバーへのパスによって。

 

「ハッ!こうなりゃ、テメエらは終わりだ。良い夢は見られたかよ?」

 

顔を醜悪に歪め、愉しげに罵声を飛ばしながら、ヤツはボールを投げ放つ。一切の予備動作を排した、察知不能のノーモーションのパス。タツヤが反応すらできず、大気を裂いて飛来する。

 

 

オレはそれをカットした。

 

 

「何だと!?アレに反応できるはずが……」

 

予測を超えた事態に、ナッシュの動きが一瞬鈍る。それを見逃さず、タツヤはボールを受け取り、単独速攻を決める。

 

 

 

再び、相手の攻撃。ナッシュは警戒心を露わに、慎重にボールをキープ。周囲に目を配り、脳内で攻めの算段を行う。シルバー覚醒の良い流れを切らないためにも、確実に決めたいだろう。選ばれたのは、目先の変化。

 

「ニック、決めろ!」

 

ノーモーションで放たれたパスは、オレとは反対側。戦力差が大きい、別のマッチアップからの勝負。味方のジョニーが抜かれ、ミドルレンジでジャンプシュートを放つ。だが、それは――

 

「そこはオレの守備範囲内だぜ」

 

瞬時に駆け抜け、ブロックに跳んだ、オレの手によって阻止される。本来ならば、届くはずのない距離。間に合わないタイミング。オレの見せた超反応に、相手は絶句する。

 

「まさか、お前も『野性』を……?」

 

目の前の選手、ニックが震える声で尋ねた。瞳には畏怖の色に染まっている。オレは頷いた。

 

「アイツには、本当に驚いたぜ。まさか、オレと同じくらい――『野性』を使えるヤツがいるなんてな」

 

自然と顔に喜びが浮かぶ。こちらの想像を遥かに超えて、アイツは楽しませてくれる。ここ数年できなかった、真剣勝負をできそうだ。期待を込めて、シルバーに視線を向ける。だが、想像とは異なり、ヤツは愕然と頬を引きつらせていた。

 

もしや、これで打ち止めか?

 

内心にかすかな苛立ちを覚える。微少に生まれた怒りをドリブルに込めて、単独でのドリブル突破を仕掛けた。スピードだけでなく、テクニックを駆使した高速機動。左右にボールを振り回し、テンポを小刻みに変化させる。無数のフェイクを散りばめつつ、まっすぐに走り抜ける。

 

ひとり、ふたりと軽やかに抜き去っていく。途中、カバーに入ったシルバーでさえ、股の下を潜らせるトリッキーなドリブルで鮮やかにかわせた。技巧を取り入れた勝負であれば、相手になるはずもない。楽しい時間も終わりか。落胆と共にダンクに跳ぼうとして――

 

 

――オレの手からボールが弾き飛ばされた。

 

 

「なっ……いつの間に!?」

 

驚愕と共に、犯人を見据える。

 

ナッシュ・ゴールド・Jr。

 

クツクツと押し殺した笑い声を漏らす。首を傾け、傲岸不遜な様子でもって、口を開いた。

 

「まさか、切り札を使う羽目になるとはな。シルバーを圧倒するなんざ、このオレでさえ想像もできなかったぜ。だが、もう終わりだ」

 

たった今の、スティールされた感覚を、オレは知っている。速さでもなく。強さでもなく。巧さ、ともまた違う。背筋が凍るような錯覚。戦慄と共に記憶が蘇る。これは過去に敗北した、苦汁を舐めさせられた、手も足も出なかった、アイツの――

 

 

 

「オレの『眼』には未来が見える」

 

 

 

――赤司征十郎の『天帝の眼』

 

 



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第32Q これがタイガの、全戦力だ

 

 

 

かつて誠凛高校バスケ部の一員だった頃。WC決勝戦で対戦した、洛山高校に君臨する支配者。赤司征十郎に、オレ達は敗北した。

 

――『天帝の眼(エンペラーアイ)』

 

その眼は、未来を見通す。

 

力も技も高さも速さも、オレの全てが封殺された。『カゲの薄さ』という特性を失った黒子。エース対決で惨敗するオレ。苦境を脱しようと無理をした木吉先輩の膝は壊れ、途中退場を余儀なくされる。

 

敗北は当然の結末だった。

 

その因縁の相手と同じ『眼』を持つ、ナッシュ・ゴールド・Jr。降って湧いた幸運に、歓喜の震えが止まらない。口元は自然と吊り上がり、脈打つ心臓の鼓動が興奮状態を伝えてくる。まさか、こんなにも早く試すことができるとは……。辛酸を舐めさせられた過去の宿敵。それと同種の能力を保有する相手と戦える。これ以上ないほどに楽しみだ。

 

「タツヤ!オレと替わってくれ!」

 

オレの手からボールが弾かれ、コート外へ出たタイミングで、大きく声を上げた。目的はナッシュとの一騎打ち。こんな極上の敵、見逃す手はない。意図を察し、タツヤは呆れたように軽く息を吐いた。

 

「ハァ……悪い癖が出たな。勝敗を度外視し始めたか」

 

やれやれと首を左右に振る。

 

「まあいいさ。最後の試合だ。好きにするといい」

 

タツヤは位置を変えながら、仲間達に指示を出す。陣形はボックスワン。ナッシュに対してはマンマーク。その他の4人はゾーンでインサイドを固める作戦だ。高い位置でボールをキープするナッシュに相対する。腰を落とし、正面から視線を合わせた。

 

「シルバーを倒して調子に乗ってんじゃねえよ。サルが」

 

だらしなく舌を出し、嘲笑うナッシュ。直後、放たれるノーモーションのパス。一切の予備動作なく、予兆なく、繰り出される予測不能の一撃。完全なるモーションで作動した、タツヤですら反応不能の一閃。それはオレが相手でも変わらない。閃光のごとき高速のパスが、シルバーの手元に届く。

 

「チッ……間近で見ると、マジで取れねー」

 

反射的に伸ばした左手は、わずかに指先を掠るのみ。その事実にオレとナッシュ、双方の顔色が変わる。

 

オレはパスカットできなかったという事実に。

 

ナッシュは、触れられたという事実に。

 

それぞれが表情を歪め、警戒心を露わにした。そのままシルバーのパワープレイで得点が決まり、こちらのターンに入る。

 

 

 

PGの位置に移動したオレにボール運びが任される。ゆったりと時間を掛けて、ハーフコートの攻防に持ち込んだ。ボールキープに専念しつつ、先ほどの交錯を思い出す。

 

傍目で見ている以上に、反応しづらい。予備動作無しで放たれる、高等技術を結集したナッシュのパス。全部止めてやろうと意気込んではいたが、そう上手く行きそうにない。『野性』を全開にして、もう少し慣れれば違うだろうが……。

 

相手もフェイクやドリブルを織り交ぜてくるならば、残念ながらオレでも五分。たしかに本来、パスカットを正面から成功させるのは至難だが、通ってしまえばシルバーが絶対の確率で得点してしまうのだ。得点率五割といえば、だいぶ不利になったと言える。

 

 

 

左肩を前に出した半身の姿勢。左腕を障壁にして、ボールをキープする。ナッシュと距離を取り、スティールを最警戒。PGの位置での初対決。オレは慎重な立ち上がりを選択する。互いに敵対的な視線を交錯させる。ナッシュの方から距離を詰めてきた。

 

勝負するか?

 

わずかな逡巡の後、様子見を選択する。パスによる逃げ。味方にボールを回そうとするが、その直後――

 

 

――オレの手からボールが弾き飛ばされる

 

 

「くっそ、この距離でかよ……!?」

 

思わず舌打ちする。為すすべなく、ナッシュの掌の侵入を許してしまった。刹那に満たない、わずかな肉体の無防備。その隙をヤツは逃さない。かつて戦慄を味わった、あの感覚。やはりコイツも持っている。赤司と同じ『眼』を――

 

 

 

 

 

 

 

16-12

 

前半戦が終わり、互いにベンチへ戻る。一時期、大きく広がった点差は、ジリジリと縮まり、今や十分射程距離圏内に収まっていた。原因はこちらの得点がぱったり止まったこと。ナッシュのパスは5割の確率で防いでいる。だが、肝心のオレの攻撃が封じられたのだ。シルバー相手では、タツヤの分が悪い。オレが得点できないことが、最大の問題点である。

 

「どうだい、タイガ。相手の感想は?」

 

「強い。予想以上に」

 

オレは静かに認める。ゴールドの強さ、いや厄介さは想像を超えていた。いまのオレならば、スピードとテクニックでゴリ押しできると思っていたが、ヤツの能力はそういった類のものではない。

 

相性が悪い。

 

その一言に尽きる。チカラや速さ、高さはこちらが圧倒的に優位。技術でさえ、五分には持ち込める。しかし、ナッシュの『眼』は、そういった目に見える強さではない。弱さを見抜く、異端としての強さ。

 

かつての相棒である、黒子テツヤに近い。あの、強さではなく、弱さを極めた異形のスタイル。アイツならば、きっと攻略できる気がする。

 

「それにしてもタイガ。お前、信じられないほど強いな」

 

「そうそう、あのシルバーを超えるって、どうなってんだよ」

 

仲間達が興奮した様子で肩を叩く。そういえば、コイツらの前で本気を出したことはなかったか。タツヤとの1on1の練習くらいだが、それでも速さを抑えてテクニック勝負にしていたからな。

 

「さて、後半についてだが」

 

休憩時間も残り少ない。アレックスが一度、手を叩いて皆を注目させた。

 

「最も勝率が高いのは、タイガをシルバーのマークに戻すことだろう。相手の得点力を封じる。残念だが、ヤツのパワーとスピードにこちらは対抗できていない。3人掛かりだろうと同じことだ」

 

タツヤも頷く。純粋な肉体的スペックの差。オレならば余裕で完封できるが……。

 

「逆にナッシュの方は、得点力についてはそこまでではない。パスとシュートは完全に捨てて、カットインだけを警戒。タツヤがマークすれば、ある程度封じられるだろう。まあ、つまり前半のままだが」

 

アレックスがこちらに問いかける。オレは左右に首を振った。

 

「だろうな。なら、後半5分。そこまでは好きにやればいい」

 

「ラスト5分は?」

 

分かり切ったことを、オレは尋ねた。彼女は小さく微笑する。

 

「全戦力で倒してこい。体力は保つだろう?あのいけ好かないガキ共を叩き潰してやれ」

 

「了解だぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

後半戦が始まった。マッチアップは引き続き、ナッシュ・ゴールド・Jr。その顔に浮かぶのはかすかな安堵と嘲り。オレがマーク変更していないことに対してだろう。戦えば勝てると確信しているのだ。だが、こちらも何の手立てもなく、やられていた訳じゃない。

 

予備動作を消したノーモーションパス。それを瞬時の反応で、右手を伸ばして止める。スティール成功。

 

「チッ……またか」

 

舌打ちするナッシュを横目に、オレ達の速攻。同時に駆け出したタツヤ。短いパスを回しながら、攻め込んでいく。しかし、ナッシュの戻りも早い。すでに自陣に回り込んでいる。

 

「タツヤ」

 

短く声を発し、パスを要求する。前半で相手の間合いは見切った。最も危険なトリプルスレットの態勢を避け、助走をつけて最高速で襲い掛かる。身構えるナッシュに対して、全力で挑む。

 

小刻みにテンポを変え、前後左右にボールを振り回す。視線やボディフェイクを無数に入れて、的を絞らせない。ナッシュの顔色が変わる。互いの速度差を考えれば、到底オレを捉えることなどできない。真に迫ったフェイクに、ナッシュの重心がズレた。

 

「よし!態勢が崩れ……」

 

 

――オレの手からボールが弾かれる。

 

 

膝から崩れ落ちながらも、伸ばした手で一瞬の隙を突いたのだ。しぶとい。だが、あと一歩か。

 

 

 

再びナッシュの手からボールが放たれる。こちらの予備動作を見切り、最も取りづらい箇所、反応しづらいタイミングでパスを出す。やはり、コレは未来を知る動きだ。『野性』の超反応ですら、わずかに届かない。指先が掠るのみ。ギリギリの攻防が続く。

 

そして、ボールは完全ノーマークのシルバーに渡る。2人もついているはずなのに、フリーで、しかもゴールまでの道が開けている絶好機。何の苦労もなく一直線で得点を決めた。

 

後半に入ってから、これが続いている。まるでオレだけでなく、コート全域の未来が見えているかのようだ。

 

「オレが『魔王の眼(べリアルアイ)』を使ってさえ、コレか……」

 

味方が得点したにもかかわらず、ナッシュの顔は浮かない。むしろ、苦々しげでさえあった。異様に高いパス精度だが、結局はオレの反応を超えなければ意味がない。ここから巻き返す。

 

 

 

 

 

 

そんなオレの決意とは裏腹に、時計は残り5分を切る。度重なる怒涛の攻めに、必死の形相で喰らいつくナッシュ。そこには初めの頃の余裕など微塵もない。肩で息を吐き、この短期間で消耗しきった様子だ。だがそれでも、苛烈を極めたオレの攻めを受けきった。ムカつく相手だが、見事と褒めざるを得ないだろう。

 

結果的に前半あれだけあったリードが、キレイに消え去り、同点に戻っていた。

 

「タイガ、時間になったよ」

 

リスタートの合間に、タツヤがチラリと時計を横目で確認して声を掛けた。オレは頷きを返す。名残惜しいが、仕方ない。ボールを預け、その場に立ち止まった。目を閉じ、大きく深呼吸をする。

 

不審がる仲間達を促し、タツヤはPGの代わりにボールを運ぶ。ゆっくりと時間を掛けて、相手コートに踏み込んだ。

 

ただ一人、置き去りにされたオレは、手足をだらりと脱力させる。視界を断ち、意識を深く沈めていく。頭にうるさく鳴り響く周囲の雑音が急激に小さくなる。

 

「どういうつもりだ?」

 

一方、マークを外されたナッシュは怪訝そうな様子で口を開いた。マッチアップの相手はタツヤ。

 

「2年前のことだ。オレとタイガは、あるイベントに参加した」

 

PGの位置でボールを保持するタツヤは、左腕で壁を作り距離を空ける。防御を最優先にした構え。返した言葉は昔話だった。

 

「それはNBA選手との交流会で、よくある地域貢献のひとつだった。ウチの近くで開催されたそれに、参加したのさ」

 

「何を言ってやがる……」

 

「色々あって、そこでオレ達はプロと直接戦う機会を得た。とはいえ、当時はオレも中学に上がりたて。タイガに至ってはそれ以下だ。もちろん、いくらアイツといえども身体能力が違い過ぎる。オレと二人掛かりでも、得点することはできなかった」

 

タツヤは淡々と言葉を紡ぐ。

 

「それはそうだ。パワーもなく、スピードもなく、リーチもなく。何より高さがなく。文字通り大人と子供の戦いだ。さすがに相手も全力を出さざるを得なかったが、そのせいでタイガでさえ完封された」

 

オーバータイムを避けるため、ボールを味方に預けた。タツヤの意図が分からず、ナッシュは眉根を寄せる。数秒の思案。そこから変貌する顔色は嘲り。

 

「時間稼ぎのつもりかよ。オレからボールを守るための。くだらねえ小細工だな」

 

「別に小細工のつもりはないけどね。まあ、時間稼ぎではある」

 

当然ながら、仲間達が突破できる敵ではない。ただ無為にボールを動かすだけで、再びタツヤの手元に戻ってきた。軽く肩を竦めて見せる。そして、そのボールを無造作に後ろに放り投げた。

 

「ほう、今更戻ってきやがったか」

 

ゆったりと戦線に復帰する、オレの手に渡った。無言のまま、床にボールを落とす。ドリブルを開始した。静謐の中、淀みなく手足が動き出す。刹那の後――

 

 

――ナッシュの横を抜き去った。

 

 

「なっ……何だと……!?」

 

唖然とした様子で声を漏らす。反応すら許さず、ナッシュを後方に置き去りにした。一拍遅れてフォローに来たシルバーもワンフェイクでかわし、右足で踏み切った。跳躍する。ただひとり、オレだけが天高く、宙を舞う。誰もついて来られない。冴え切った意識、肥大化した知覚でもって、それを認識する。

 

「た、高い……!」

 

この会場に集った全員が、間違いなく同じ感想を抱いたであろう。人間離れした、超越したジャンプ。時が止まったかのごとく、長大な滞空時間。何人たりとも届きえない、他を隔絶した高度。全ての観客の視線がオレに吸い寄せられるのを感じ、直後ボールをリングに叩き込んだ。

 

静寂。

 

誰も声を発しない。どよめきも起こらない。ただ、息を呑む気配だけが伝わってくる。理解を超えた事態に対しての。ジェイソン・シルバーの身体性能は、人類最高峰に近い。だが、それを明らかに超越した圧倒的なチカラ。ただのワンプレイで強制的に理解させられる。埒外の性能が、満天下に示された。

 

 

「ゾーン――これがタイガの、全戦力だ」

 

 

顔を青ざめさせるナッシュに、タツヤは憐れむように言い放つ。

 

「残念だけど、キミ達に勝ち目はない。アイツは、小学生の頃にプロから得点を奪っている」

 

試合でゾーンに入るのは久しぶりだな。戦える相手がいないせいで、退屈していたんだ。滅多にない機会、楽しませてもらうぜ。

 



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第33Q オレを楽しませろ!

 

 

 

冴え切った意識、鋭敏な反応、肥大化した知覚。そして、肉体の潜在能力の解放。それらが、極限の集中状態『ゾーン』の効果である。酔いしれたくなるほどの全能感。コート全域を隅々まで覆う、広大な知覚範囲。恐怖を覚えるほどに鋭敏かつ精密な身体操作力。

 

今のオレに敗北はありえない。これは疑いようもない事実だ。

 

ナッシュの放つノーモーションのパス。一切の予兆なく、予備動作なく、打ち出される反応不能の一閃。さらに、精度の高さは異常の一言。まるでコート全域の未来を視たかのように、絶妙なタイミングで出されるパス。通れば無条件で得点化されるほど。先ほどまで散々に苦しめられた脅威の超越技巧。

 

「なっ……そんなあっさりと!?」

 

しかし今のオレは、それを容易に打ち崩す。相手の想像を遥かに超える反応速度、瞬発力で無拍子のパスを奪い取った。驚愕の表情を見せるナッシュ。

 

反撃のカウンター。単独で相手コートへと駆け上がる。追いすがるナッシュとシルバー。しかし――

 

「速ええっ!あの二人が、全然追いつけない!」

 

ぐんぐん引き離される。ドリブルの相手だというのに、まるで近づけない。二人の顔に焦りの色が浮かぶ。そんな背後の様子を、オレは認識する。距離が縮まらないまま、オレはフリースローラインから踏み切った。

 

「またしてもレーンアップ……。しかも、誰も届かない高さの!」

 

再びの超越したジャンプ。会場中に、熱気の渦が巻き起こる。ようやく観客達も、歴史の塗り替わる瞬間に立ち会っていることを自覚したのだ。彼らの熱量が際限なく上がりだした。高高度からのダンクが炸裂し、こちらの得点に2が加算される。少し遅れて追いついたナッシュとシルバーを軽く一瞥した。

 

「サル野郎が……。このままじゃ、済まさねぇ」

 

それに対して、二人は悔しげに奥歯を噛み締める。

 

 

 

 

 

 

 

流れは逆転し、『Jabberwock』は飲み込まれ掛けている。コートを切り裂くナッシュのパス。それをまたしても奪い取り、速攻に持ち込んだ。

 

今回は相手の戻りも早い。雪辱を晴らすつもりのようだ。薄ら笑いを消して、シルバーが迫る。それにオレは、スピード勝負で対応した。フェイクはなし。正面から千切りに掛かる。小刻みな切り返しを加え、速度の緩急をつける。シルバー自慢の敏捷性(アジリティ)で勝負。こちらの意図を察し、顔に怒りが浮かぶ。別に舐めている訳じゃないんだけどな……。

 

ただ、それ以外じゃ勝負にならないからってだけで。

 

わずかな交錯の後、突破する。対応可能範囲を逸脱した速度に、ヤツは愕然とした表情を見せた。まずは一人目。

 

 

 

次の相手はナッシュ。一転してこちらは技巧勝負。無数のフェイクと千変万化するドリブル。ストバス仕込みのトリッキーさも加え、相手を前後左右に翻弄する。目まぐるしくボールの軌道が変化。

 

「チッ……追いつけ…」

 

苦悶の表情で口元を歪めるナッシュ。速度と精度を増した高速機動に、とうとう置いて行かれてしまう。フットワークの限界を迎え、膝から崩れ落ちる。二人目。

 

 

 

そして、ゴール前に到達する。跳躍し、空中でダンクの態勢を整えたところで、目の前に最後の壁が現れた。

 

「ふざけんじゃねえ!」

 

必死の形相で叫ぶシルバーである。抜かれてから、ナッシュとの攻防の時間を使って、追いついたらしい。さすが、見事な瞬発力だ。互いに態勢は万全。ここはパワー勝負。

 

「うおおおっ!」

 

「このサルが!死にやがれ!」

 

左腕に全身全霊のチカラを込め、リングに向けて叩きつける。コイツは両腕を使って、オレを弾き飛ばすつもりだ。互いに拮抗したのは一瞬。シルバーの巨体を吹き飛ばし、こちらのダンクが炸裂した。

 

「があっ……なんだと!?」

 

呆然と目を見開き、シルバーはコートに背中から叩き落される。数秒ほどリングにぶら下がり、その様子を上から見下した。わずかな静寂の後、熱狂の怒号が吹き荒れる。

 

「すっげえええ!なんだよ、あの動きは!?」

 

「シルバーに力と速さで勝って!ナッシュに巧さで勝った!」

 

「あんなん人間技じゃねーぞ」

 

各々の得意分野で、正面から叩き潰す。エース双方の敗北に、相手チームの士気はガタ落ちだ。怯えきった眼差しで、残りの3人はこちらを窺っている。シルバーも畏れからか、手先を無意識に震わせる。いや、まだひとり残っていたか。

 

ナッシュだけが、瞳に禍々しい漆黒を滾らせ、敵意を映している。審判に視線を向け、声を掛けようとしたところで取りやめる。首を左右に振り、苛立たしげに舌打ちした。

 

「タイムアウトを取らなかったのか。良い判断だな」

 

同じくその様子を見ていたタツヤが、感心した風に息を吐く。オレも静かに頷いた。普通のゾーン状態であれば、一度タイムアウトを取って時間を止めるのが正解だ。ゾーンによる極限の集中は、それほど長く続くものではない。しかし、オレの場合は別。自由自在にゾーンに入れるこちらにとって、タイムアウトはただの休憩でしかない。消耗した体力と精神力を回復させるだけ。相手にとって不利になるだけだ。

 

直前にシルバーに近づき、何かを囁いた。驚き、怒り、悔しさと順に表情を変える。曇った顔色で、渋々といった様子で頷いた。リスタートして、ナッシュの手にボールが渡る。

 

「……改めて見ると、これはひでえな」

 

冷や汗を垂らしつつ、ナッシュは小さくつぶやいた。距離を大きく開け、ボール奪取を避ける守備的態勢。プライドをかなぐり捨てて、とにかく逃げようと必死の構えだ。歯噛みしつつ、スティール回避を最優先に逃げ回る。こちらが距離を縮めようとすれば、後ろに下がり。自身の身体を壁にしてボールを守る。

 

「徹底的にタイガを避ける気か……。だが、いつまでも下がれはしないよ」

 

タツヤの冷ややかな声が耳に届く。圧倒的上位に君臨するオレを避ける戦術。それは正しい。正しいが、実践できるかは別問題だ。

 

「ハッ……!テメエとはやってらんねえぜ。この試合、勝たせてもらう!」

 

背中側を通して、左にパスを出す。これまでの、ノーモーションで敵陣を切り裂く一閃ではなく。ただ安全だけを優先したビハインドパス。マークを外した味方にボールを預け、避難しようとした敵前逃亡。最大限に距離を空け、スティールに気を配った背中越しのパス。だがそこは――

 

 

――オレの守備範囲内だぜ

 

 

「何だと……!?ふざけた瞬発力しやがって……」

 

瞬時に距離を詰め、放たれたパスを片手で弾き落とす。ナッシュの予想を遥かに超えた、こちらの守備範囲。ゾーン状態のオレは、Cの位置に陣取れば3Pライン以内の全域をカバーできる。常識外れの守備範囲。それがPGの位置で守っているのだ。ナッシュが何をしようと、その全てを封鎖可能。

 

 

 

カウンターの速攻は、例のごとくオレの単独ドリブル突破。しかし、ただひとつ異なる点。

 

「ナッシュとシルバーの、ダブルチームだっ!」

 

観客も驚きの声を上げる。ただ勝利のみにこだわった、ヤツラにとっては最悪の布陣。そこまでして敗北を避けにきた。屈辱的な表情で、憤怒を込めての徹底マーク。かつてないほどのプレッシャーを予感させる。オレは口元を笑みの形に吊り上げ、真っ向から挑みかかった。

 

「うっおおお!すげえバトル!火花散ってるぜ!」

 

「こいつら、マジでガキかよ……。こんなんプロの試合でも滅多に見れないぜ」

 

「あっ……抜いたぞ!」

 

ドリブル技術と心理誘導、緩急と虚実を織り交ぜ、こちらの全戦力をもって米国屈指の選手達と競い合う。普段は決して出すことのない本気。全能のチカラを思うままに振るえる感動。まさに至福のひと時だった。

 

ナッシュは未来を観測する『眼』でもって、シルバーは常識外れた『身体能力』でもって。オレの全戦力に喰らいつく。満面の笑顔で、様々な攻めを試みる。時に荒々しく、時に丁寧に、持っている引き出しを駆使して堅固な城砦を叩き壊さんとする。

 

そして、至福のひと時は幕を閉じる。

 

 

――シルバーの側からのドリブル突破

 

 

強固な壁をぶち破った。その巨体を大回りして抜き去り、そのまま右足で踏み切った。目的は4連続のダンク。フリースローラインやや右側からのレーンアップ。しかし、相手もさるもの。

 

「このクソザルがあっ!させるかよ!」

 

左側からナッシュが出現する。シルバーを抜くときに大回りしたロス。それを活かして、ギリギリで間に合ったのだ。肥大化した知覚は、一連の流れを掴んでいる。驚くことも慌てることもなく、これまで通りに踏み込んだ右足に力を籠める。『超跳躍(スーパージャンプ)』してしまえば、ナッシュの高さでは届かない。動じることなく踏み切った直後――

 

「甘く見るんじゃねえよ」

 

 

――オレの手元からボールが弾かれた

 

 

踏み切る寸前。ボールを右手から左手に移す、刹那のタイミング。無防備な一瞬の隙を突いて、ヤツの掌はボールを弾き飛ばした。すでに右足で踏み切り、空中に跳び上がっている。弾かれたボールは宙を舞う。それを――

 

 

――あっさりと左手でキャッチして、ダンクを叩き込む。

 

 

「な、何だと……?反応が早すぎる。まさか、弾かれるのは予想済みで……!?」

 

ナッシュの『眼』は攻略した。満足感と共に、オレはコートに降り立った。その余裕から悟ったのだろう。ナッシュの瞳から、あらゆる色が消え始めた。絶望により、表情を無くしていく。

 

 

 

 

 

当然のようにナッシュからボールを奪い、連続でこちらの攻撃ターン。ワンマン速攻。対峙するのは、敗北感に塗れた顔のナッシュ。かすかな希望を込めて、『眼』を見開き、スティールを狙う。未来を予測し、高速で右手を突き出した。

 

手元からボールが弾き飛ばされ――

 

 

――直後、もう片方の手でボールをキャッチする。

 

 

「オレの動きが予測されているのか……」

 

ナッシュの眼から完全に希望の灯が消えた。コイツは終わりだ。次はシルバーか?と思ったが、アイツはいまだ自陣にいた。呆然と立ち尽くしたままだ。オレの脳内が怒りに埋め尽くされる。

 

「おい、テメエ!さっさと戻れ、シルバー!」

 

思わずゾーンを解き、怒号を吐き出した。コート上の全員が呆気に取られたかのごとく、言葉を失う。だが、そんなことは気にならず、苛立ちのままに守備に戻らない馬鹿に向けて声を荒げた。

 

「何をサボってんだよ!テメエらは雑魚なんだから、二人掛かりじゃねーと遊べないだろーが!」

 

「このオレに向かって……!」

 

「せっかく全力を出してんだ。オレを楽しませろ!」

 

静まり返る場内。2人共、唇を噛み締めて屈辱に身を震わせている。もはや、ナッシュとシルバーなど敵ではない。ただの玩具にすぎない。オレが楽しむための。

 

動き出さないバカに業を煮やし、オレはコートを逆方向に歩き出す。その場に留まるシルバーの隣で足を止め、ドリブルをやめる。一瞥してから、オレは手元のボールを自陣のゴールに投げ入れた。

 

「えっ?」

 

誰もが疑問の声を上げた。自殺点。あっさりと決められたソレに、会場中が不審な空気に包まれる。オレは嘲るように、隣のバカに向けて肩を竦めて見せた。

 

「ほら、得点はくれてやる。同点まで戻してやるから、ちょっとはやる気出せよ。ほら、頑張れば勝てるかもしれねーぞ?」

 

ゴール下でボールを拾い、リスタートのパスを呆然と佇む男に渡す。ノーマークで、誰もシュートを邪魔する者はいない。

 

「がんばれ。もう少し一緒にやろうぜ」

 

無人のゴールへとシュートを促してやる。受け取ったボールを無表情で見つめるシルバー。数秒ほど経過した後、その顔が黒々とした殺意に染まった。ボールを振りかぶり、こちらに全力で投げつける。

 

「ふざけんじゃねえ!」

 

「……おいおい。まあ、それでもいいか。ヤル気出したみたいだし」

 

高速で飛来するボールを片手で受け止め、軽く息を吐く。同時に精神を集中させ、意識を深く沈めていく。雑音が消え、知覚が肥大化する。全身の神経がクリアに。そして、過去に戻ることで変質した、トリガーを引いた。

 

――ゾーン強制開放

 

「ぶち殺してやる!」

 

拳を振り上げ、殺意と共に襲い掛かるシルバー。完全にバスケット選手をやめてしまったらしい。普通に殴りつけてきた。その軌道を予測しつつ、オレはドリブルを開始する。

 

「うわあああ!乱闘が始まった!」

 

大振りで放たれた右ストレート。それをわずかに首を捻るだけで回避する。続いて左、右と剛腕が迫るが、ロールやクロスオーバーでかわす。コイツの顔が驚きで固まった。今度は両手で掴み掛かろうとするが、身を屈めることでそれは空を切る。同時に強くコートに弾ませたボールを、シルバーの顎に激突させた。

 

「ぐっ……テメエ!」

 

これは意外と悪くないな。面白い。普段のスティール狙いとは違って、予測がしづらい。何せただの喧嘩だからな。コイツほどの身体能力があれば、結構スリルも感じられるし。相手に触れられない、をルールにしよう。

 

「よし。頑張ってオレに触れてみろ」

 

ひらりひらりと、風に舞う木の葉のように避け続けた。ときおり、シルバーの顔面にボールをぶつけて、敵意を持続させてやる。それなりに楽しめるが、やはり物足りない。

 

「どこまでもコケにしやがって!」

 

ここでナッシュが参戦。やっとダブルチームになったぜ。さっきと同じく楽しませてもらおう。ゾーンにより、全戦力を発揮しての攻撃。一気呵成に攻め込んだ。

 

期待外れだ。

 

ナッシュの心は折れているし、シルバーも視野が狭窄している。ナッシュの動きは明らかに精彩を欠いていた。ラフプレイを多用するシルバーも、初めは目新しかったが底は見えた。全戦力を出せば容易に抜くことができる。

 

 

 

試合終了のブザーが鳴る頃には、『Jabberwock』のメンバーは沈痛な面持ちで下を向いていた。最後の5分間。オレが『ゾーン』に入ってからの時間は、地獄だった。たった1点すら奪えず、ただの一度すら攻撃を止められない。圧倒的な虐殺だった。まあ、オレはだいぶ楽しめたので満足だが。

 

 

 

 

 

 

 

翌月、アメリカのバスケ雑誌にこんな記事が載った。U17世界選手権大会の現監督のインタビューである。世界選手権大会3連覇を成し遂げた名将。ストバスの試合映像を見て、彼はこう話したそうだ。

 

彼の性能は群を抜いている。こんな14歳の選手など、見たことがない。米国全土、いや全世界を含めてだ。どころか、U17の世界大会でさえ――

 

このように、彼は断言した。

 

 

タイガ・カガミ。

 

 

同年代どころか、U17まで含めたところで、まぎれもなく。

 

 

 

――彼こそが世界最強のプレイヤーだと。

 

 



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第34Q 紹介します

帝光の圧倒的暴虐により幕を下ろした、2年目の全中の翌日。休養日に充てられた放課後、ボクは彼らを体育館に呼び出した。『キセキの世代』+灰崎君の6名。それと、学外の人間を校舎に入れるので、一応監督に話を通したら、なぜか付いてきてしまったので、さらに1名。2階の手すりに体重を預けて、担当科目の教科書を片手に開いている。次回の授業の予習だろうか。落ち着いて休める場所を探していただけかもしれない。

 

ともかく、呼び出した6人が体育館に足を踏み入れる。バッシュに履き替えさせられ、特にその内の数名は不満たらたらだ。

 

「オイ、テツヤ。何で練習が無い日まで、こんな格好しなきゃなんねーんだよ」

 

「本当にさ~。帰りゲーセンでも寄ろうと思ってたのに」

 

灰崎君と紫原君がぼやく。そして、意外にも青峰君も退屈そうに欠伸をした。口には出さないが、彼らの練習への熱が冷めてきているのを感じる。やはり全中での圧勝が、モチベーションを大幅に下げたらしい。危ういタイミングだった。ここで何の手立ても打ち出せなければ、帝光中学は内部分裂していたかもしれない。

 

「それでテツヤ。要件は何だい?」

 

赤司君が代表して問い掛けた。それを片手で制して、ボクはチラリと視線を横に向けた。釣られるように、皆もそちらに顔を向ける。反対側の扉から、大柄で長身の中学生が現れた。過去を遡り、再会したかつての相棒――

 

「紹介します。彼の名前は火神大我。バスケをやっています」

 

紹介され、軽く頭を下げる火神君。だが、ボクの意図が読めないのか、他のみんなは訝しげな視線をよこす。彼らに対して、一言だけ答える。

 

「かつてのボクの相棒です」

 

一同の表情がわずかに険しくなった。帝光中学に入学した直後から、様々な偉業を成し遂げた異形中の異形。自分で言うのもなんだが、正体不明の怪物と思われているらしい。そんなボクの入学前の相棒に対して、興味と警戒が混ざった表情が浮かんだ。

 

「で、それがどうしたんだよ。話が終わりなら、オレはもう帰るぜ」

 

だが、灰崎君は興味なさげに言い放った。どうやら警戒が勝ったらしい。関わり合いになりたくない、という雰囲気。ボクの目的からすると、彼に退席されては困る。

 

「なあ、1on1やんねーか?腕に自信がなきゃ、構わないけどよ」

 

「あん?」

 

火神君が仕掛けた。安い挑発に、灰崎君は足を止める。全中を経た彼らは、各々の才能に絶対の自信を持っている。わずかに苛立った声を上げる彼を、火神君はコートに誘った。

 

「おっし!じゃあ、やろうぜ!」

 

「……後悔すんなよ」

 

用意していたボールを、火神君に投げ渡す。2人は向かい合い、視線を交わす。火神君がドリブルを開始した。一度、二度とゆったりボールをつく。灰崎君が腰を落とし、直後――

 

 

――ドライブで抜き去った

 

 

「なっ……!?」

 

灰崎君の顔が驚愕に歪む。慌てて振り向くと、無人のゴール下でレイアップを放る姿が映る。同時にみんなの口からも驚きの声が漏れた。

 

「あの灰崎が……あっさりと!?」

 

明らかに全開でない、手を抜いた動き。だというのに、その速度、キレ、タイミングは絶妙。『キセキの世代』と同等の能力を有する灰崎君が、容易くひねられたという事実。場に緊張が走った。ボクは彼に声を掛ける。

 

「……何だよ、黒子」

 

「灰崎君、出し惜しみは無しです。全力を出さなければ、相手になりませんよ」

 

一瞬、悔しげに口元を歪める。しかし、認識を改めたらしい。意識を切り替え、集中力を高めていく。それを火神君は面白そうに眺め、軽くボールを投げ渡した。ゆっくりと開始位置まで歩を進め、互いに向き合う。

 

「前座とはいえ、少しは楽しませてくれよ?」

 

「ナメんなよ」

 

挑発的な物言いに、さらに灰崎君の戦意が高まる。火神君らしくない発言だが、もしや彼を甘く見ているのか?『キセキの世代』には及ばないと。だとすれば、それは見込み違いだ。今回の歴史において、最も付き合いが古いのは彼だ。性能はキミの想定を遥かに凌駕する。

 

「出るぞ、灰崎のアレが……」

 

初手から弾速は最大。全身の力を指先に集約させ、コートに叩きつけられるボール。灰崎君の有する最大最速の一撃。一切の容赦なく、一切の逡巡なく、真っすぐに疾駆するドライブ。幾多の選手を置き去りにした必殺技。だが、さすがは火神君。右からの一閃に瞬時に反応する。

 

「ですが、ここからが彼の本領。――雷速のクロスオーバー」

 

確信と共に、ボクは口を開く。手首を返し、同時に急激な方向転換。チェンジオブディレクション。身体ごと相手の視界から消失する、雷速の切り返し。

 

「うっお……なんだ、こりゃあ!?」

 

火神君が呻くように息を漏らす。勝利を確信する灰崎君。だが、雷速のボールは――

 

 

――驚異的な反射によって、弾き飛ばされる

 

 

静寂が生まれる。ボクも含めて、『キセキの世代』は全員が言葉を失った。目を見開き、息を漏らす。彼の過去を知るボクですら、予想外の光景。

 

「アイツのドリブルが……初見で?」

 

信じられないという風に、黄瀬君が小さくつぶやいた。今の彼のドリブルは本家本元、高校時代の葉山さんの『雷轟の(ライトニング)ドリブル』を超える。それを中2の時点で仕掛けたのだ。いかに火神君でも、苦戦は免れないと思ったのに……

 

驚きと共に視線を移すと、意外にも彼も同じ感情のようだった。

 

「おい、黒子。何だよ、こりゃあ」

 

「……どうかしましたか?」

 

「やるじゃねーか。思った以上に。楽しめそうだぜ」

 

顔に薄く笑みを浮かべ、嬉しそうに口を開いた。その口振りから、彼の漲る自身を感じ取った。過去に戻ってから相当、実力をつけている。それも、ボクの予想を遥かに超えて。ブルリと背筋を震わせた。『キセキの世代』級の才能の、完成形。それを予感した。

 

「次は、オレとやんないッスか?」

 

黄瀬君が名乗りを上げる。コートに足を踏み入れた。火神君も口元を吊り上げ、歓迎する。ボールを下手から投げ渡した。

 

「いいぜ。全員掛かってこい。順番に相手してやるよ」

 

「じゃあ、まずはオレで。3本先取でいいッスか?」

 

「ああ。期待してるぜ」

 

わずかなプレイから、火神君の異常な実力の片鱗は読み取った。黄瀬君も同様のはずだが、その顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。いや、辺りを見回すと、他のみんなもある程度似通った感情のようだ。特に青峰君には顕著である。すなわち、全力を出すに値する、強敵の出現への喜び。

 

 

 

 

 

VS黄瀬涼太

 

 

先攻の火神君が仕掛けたのは、ドリブルの技巧勝負。前後左右に大きくボールを振り回し、高速で揺さぶりを掛ける。ストバスの技術を取り入れたそれは、暴風のごとき猛威を振るう。

 

「くっ……ついていけな…」

 

黄瀬君はすでに最警戒モードに入っている。観察眼による先読みもプラス。だが、それでも捉えきれない。的を絞れない。それほどの卓越した完成度。特別な技ではないのに、ひとつひとつの精度がひたすら高い。レッグスルーからの連続サイドチェンジ。とどめに黄瀬君の股を抜いて、レイアップを決めた。重心を崩され、絶妙なタイミングで手玉に取られた。

 

 

だが、その技巧を黄瀬君は『眼』に焼き付けた。

 

 

「行くッスよ」

 

ボールを前後左右に振り回す、技巧的なドリブル。ストバス流の高速ハンドリング。鮮やかにボールが跳ね回る。

 

「出たか、黄瀬の『模倣(コピー)』!」

 

楽しそうに観戦する青峰君の口から、声が零れ出る。先ほどの火神君の技を模倣(コピー)したのか。確かに同じパターンだ。しかし、黄瀬君の表情は固い。

 

わずかに、だが確実に、コピー元よりも遅く、キレが鈍い。その理由はおそらく2つ。ひとつは、素の敏捷性(アジリティ)の差。そして、もうひとつは――

 

「純粋な技術力の差。灰崎がオレの技を奪えなかったときと同じ……!?」

 

身の丈を超えた模倣(コピー)は、精度を著しく低下させる。

 

「これが、今のオレとコイツの実力差か……」

 

 

火神 3-0 黄瀬

 

 

 

 

 

 

 

VS青峰大輝

 

 

コートを高速で動き回る2つの影。目にも止まらぬ連続の攻防。青峰君の稲妻のような高速機動に、しかし火神君はついていく。

 

「ハハッ……最高じゃねーか!」

 

獰猛な目付きで、青峰君は声を出して笑う。全中があまりに退屈だったせいだろう。全力を出し切れる相手の出現に、興奮を露わにする。ドリブルのテンポを小刻みに変化させ、左右に揺さぶるチェンジオブペース。才能の開花以来、数多の相手を抜いてきた。しかし相手は、これまでとは別次元の怪物。

 

「オレと同じくらい、いやそれ以上に速いヤツがいんのかよ……」

 

「もっとだ。もっと死力を尽くして来い」

 

「言われなくても……!」

 

火神君の顔にも薄く笑みが浮かんでいる。ディフェンスにおける圧力は、尋常ではない。青峰君の猛攻を完全に封じ、むしろ追い詰める。抜き切るのは困難と彼は直感した。ならば、と次に選択するのはシュート。それもただのシュートではない。左方向に大きく、素早くステップして、サイドスローでボールを放り投げる。

 

「らあっ!」

 

 

――『型のない(フォームレス)シュート』

 

 

通常のフォームとは異なる、天衣無縫のフォーム。どこからでも、どんな態勢でも放てる、絶対の精度を誇るシュート。しかし火神君は、幾度となく体験済み。

 

「なっ……止めやがっただと!?」

 

同じく瞬時の反応でステップし、大きく伸ばした右手で叩き落す。青峰君の顔が驚愕に歪む。何という超反応。『野性』の本能を発揮しているのだろうが、それにしても凄まじい反応速度と読み。攻撃力に目が行きがちだが、いまや防御力においても他の追随を許さない。

 

『キセキの世代』最強の攻撃力を誇る青峰君を、ついに完封するほどに――

 

 

 

火神 3-0 青峰

 

 

 

 

 

 

 

VS緑間真太郎

 

 

カットインと見せ掛けて、バックステップ。緑間君が狙うは、1on1開始直後のロングシュート。普通ならば非効率。抜くのでもなく、意表をついてその場でシュートでもなく。センターラインまで下がって、ロングシュートを放つ。破れかぶれと思われてもおかしくない。だが、唯一の例外が彼だ。

 

 

――放ちさえすれば、100%入る『超長距離3Pシュート』

 

 

緑間君の取った理外の戦術。しかし、同じチームのボク達もそうだし、火神君にとっても、それは第一に予想すべき選択肢である。

 

「だと思ったぜ!」

 

「チッ……なら、このまま決めてやるのだよ」

 

シュートモーションに入る緑間君の視界に、高速で駆け寄る男の姿が映る。大きく開いた距離が、瞬時に潰された。舌打ちするが、ここからの変化は不可能。緑間君は打点の高さを頼りにして、シュートを放つしかない。空中で腕を伸ばし、手首を返す。いつも通り、完璧なシュート精度。しかしそれは、リングに届かなければ意味がない。

 

――超高高度の、そびえ立つ城砦

 

彼の眼にはそう見えただろう。それほどの跳躍力。前代未聞の高さ。人知を超えたブロック。

 

「なっ、なんだこの高さは……!?」

 

「うおっ!イカれたジャンプ力しやがる!」

 

まるで宙を舞う鳥のごとき、想定不可能の動き。尋常でない滞空時間。火神君のつま先が、同じく跳躍した緑間君の腰の位置にある。訳が分からないという風に、彼の瞳が困惑に染まった。放ったボールは、掌どころではなく、肘の辺りで止められる有様。

 

「これが、今の火神君の――『超跳躍(スーパージャンプ)』」

 

戦慄と共にボクは息を漏らした。高校時代を超える、前人未到の跳躍力。再会した時も一目見たが、改めて隔絶した戦力を理解させられた。

 

 

火神 3-0 緑間

 

 

 

 

 

 

 

VS紫原敦

 

 

「……どしたの、赤ちん?」

 

「パワー勝負だ」

 

コートに入る直前、赤司君は助言した。

 

「大輝と涼太を下したあの実力に、平面での勝負は無謀。高さも、あの異常なジャンプを考えれば、オマエでも分が悪い」

 

嫌そうな顔をした紫原君であるが、渋々頷いた。それほどに衝撃的なブロックだったのだ。埒外の身体能力を持つ、彼ですら警戒するほどの。

 

 

 

 

 

そして始まった1on1。紫原君はドリブルで攻めるが、インサイドに切り込むのは困難。火神君に誘導されるままに、外に追いやられ、ローポスト辺りで足を止めた。しかし、これが紫原君の狙い。

 

エンドライン付近からのパワードリブル。背中越しに相手を力ずくで押し込むのだ。天賦の肉体を持つ彼による、物理的な圧力は並大抵ではない。

 

「……オレが押し込めない!?」

 

焦りの色が顔に浮かぶ。一歩たりとも後ろに進めない。壁を押しているかのように、ビクともしない。紫原君の目論見は破られる。仕方なくターンからのフックシュートを狙うが、その選択はやらされたもの。火神君の高さと超反応によって、あっさりとボールを弾き飛ばされる。

 

 

 

続いては火神君のターン。仕掛けるのは正面突破中の正面突破。一度ドリブルで抜き去り、少し膨らんでから真っすぐにレーンアップ。埒外の跳躍からのダンク。わざと時間を与えたのだろう。ゴール下には、回り込んだ紫原君がいる。

 

「止められるもんなら、止めてみろよ!」

 

「おおおおおおっ!」

 

互いに雄たけびを上げ、正面からぶつかり合う。火神君はボールを掴んだ左手でのダンク。紫原君も高さに対抗するため、右手を高く上げて叩きつける。ボールに掌が衝突する乾いた音が響く。数瞬の拮抗。純粋なパワー勝負。勝者は豪快なダンクを決めた火神君だった。

 

 

火神 3-0 紫原

 

 

 

 

 

 

 

VS赤司征十郎

 

 

最後の対決を前に、彼らの顔が緊張に強張った。

 

「ついにアイツが出るか」

 

「赤司っちの『眼』ならば、あるいは……」

 

期待と不安の入り交ざったような、独特の視線がコート内の二人に注がれる。

 

生涯無敗を誇る支配者、赤司征十郎。『キセキの世代』の中においてさえ、存在感は群を抜く。ここまで灰崎君を含めて全勝した、理外の化物に対抗するならば彼しかいない。ボクの知る未来においても、無敗。WCで誠凛高校を破り、粉砕した驚異的な実力者である。

 

「さあ、やろうぜ」

 

「ここで止めさせてもらう」

 

互いに視線を交錯させ、挨拶代わりの言葉を交わす。決戦の火蓋は切られた。オフェンスは火神君。前後左右にボールを振り回し、強烈な揺さぶりを掛ける。そこにプラスするのは、圧倒的敏捷性(アジリティ)。

 

 

「だが、僕の眼には未来が見える」

 

 

――『天帝の眼』

 

 

赤司君の保有する超越能力。相手の呼吸や発汗、心拍、筋肉の動きなどを見極め、未来を見通す。それによるディフェンスは、脅威という言葉では表しきれない。火神君の変幻自在にして怒涛の攻めに対応しつつ、スティールの隙を虎視眈々と狙い澄ます。

 

「すっげえ!なんつー攻防だよ!」

 

危険な鍔迫り合い。互いに高次元でせめぎ合う、火花の散る激闘。しかし、均衡は徐々に崩れ出す。赤司君の方が押されている。瀑布のごとき猛攻が、彼の対応力を超えつつあった。未来予測でも追いつけない、速度と精度。先読みしても間に合わない、

 

「幸運だったぜ。オマエとやる前に、同じ『眼』を持つ選手とやれて」

 

「ぐうっ……!」

 

赤司君の顔から余裕が失われる。体幹が傾き、重心がブレた。その隙を、火神君は逃さない。凄まじい速度で踏み込み、抜き去った。

 

 

火神 3-0 赤司

 

 

 

 

 

 

『キセキの世代』の光すら霞むほどの、天上の怪物の降臨――

 



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第35Q 久しぶりの再会だね

 

 

 

帝光中学『キセキの世代』の6人抜き。前人未到の偉業に、館内は静まり返った。全員が十年に一人の逸材達。彼らを破ったのは、未来を経験した超越者――

 

――火神大我

 

圧倒的な戦力は、ボクの想像を遥かに上回っていた。そんな彼は周りを見回し、大きく声を張った。

 

「よし、じゃあ次やろうぜ。そうだな……今度は3人掛かりで来いよ」

 

あまりに挑発的な言葉に、場の空気が張り詰める。1on1で敗北したとはいえ、ナメられたと感じたはずだ。火神君にそんな意図はなく、良い勝負ができる人数ということなのだろうが。

 

火神君がボールを手に、センターラインで立ち止まる。1対3でも勝てる。そんな自信が漲っていた。しかし、その計算は間違いだ。ボクの見立てでは、現在の彼の性能は全ての面で、WCの頃の『キセキの世代』と同等。力強さも巧さも速さも高さも。信じがたい話だ。しかし、『キセキの世代』と呼ばれる彼らの性能も、過去より断然高い。中学2年の段階で、未来の高校入学当時ほどの実力はある。たしかに1on1では得意分野で勝利を収めたが、そこまでの戦力差はない。

 

 

火神君の戦力は『キセキの世代』、2人分。

 

 

1対3には耐えられない。ただの増長に過ぎない。そう断じようとして、突如脳内に閃いた。戦力差を覆す超常の方法を――

 

「赤司君、青峰君、紫原君。キミ達が出てください」

 

「……オレらの最強チームじゃねーか。その価値はあんのか?」

 

「はい。彼のことです。勝算は十分にあるはず」

 

青峰君の問いに、ボクは頷きを返す。紫原君も雪辱を晴らすべく、コートに入ってハイポストの位置に立った。青峰君もそれに続く。

 

「赤司君?どうかしましたか?」

 

「あ、ああ……何でもない。大丈夫だ」

 

焦点の合わない眼で、呆然と立ち尽くす彼に声を掛ける。落ち着かない様子で視線を左右に揺らした。こちらが不安になる仕草だが、そのままコートに足を踏み入れる。敗北の衝撃を受けたのか?それにしてもダメージが大きいようだが……

 

「こっちは3人だ。さっきと同じようには……」

 

青峰君の口が急に閉じられた。同様に赤司君と紫原君も、ビクリと背筋を震わせた。突如、寒気を感じた。ボクの全身も総毛立ち、血の気が引いていく。これは本能が叫ぶ危険信号。目の前の、人智を超えた怪物に対する――

 

「何だ……コイツは…?」

 

全員が最警戒モードに移行。目を細め、青峰君が低くつぶやく。特に相対した彼らは、同じ人間に見えなかっただろう。それほどに、彼の纏う雰囲気は変貌を遂げた。触れる者を悉く切り刻む、抜身の白刃のごとく。極限の集中を肌で理解させられた。

 

「『ゾーン』――まさか、自力で扉を開くなんて」

 

危惧したことが現実になった。ただでさえ、バスケット選手として極致に君臨するのに、さらに限界を超える。想像不可能な領域へと押し上げられたのだ。そして、彼らもそれを本能で直感した。最大級の警戒をもって、3人は防御態勢を取る。

 

「来い……。そうだ、この僕に敗北などありえん……!」

 

赤司君が瞳に戦意の炎を燃やす。青峰君とのダブルチーム。最速にして、最堅固な防壁。後ろには紫原君が控えている。世界的に見ても、脅威の布陣。火神君はボールを持ったまま、ひとつフェイクを入れた。肩の動きで右を匂わせる。直後、彼らの視界から――

 

 

――火神君の姿が消失した

 

 

「ぬっおお……!?」

 

左側からのドライブで、青峰君の横に並んでいた。神速の踏み込み。予備動作を極限まで消し、さらに身体性能も向上。速度、精確さ、共にワールドクラス。『キセキの世代』であろうと、未体験の領域。

 

圧巻のドライブ。一歩遅れて反応する青峰君。全開の敏捷性(アジリティ)でもって、必死に食らいつく。

 

「チッ……ここで切り返しか!?」

 

動作を見透かしたかのように、絶妙のタイミングでクロスオーバー。雷速を超えた神速による、チェンジオブディレクション。人外の切れ味。またしても視界から、自分の姿を消し去った。認識の上限を突破した、追随不能な神速コンビネーション。

 

「まだだっ!」

 

青峰君を置き去りにしようとも、まだ赤司君が残っている。必死の形相で疾駆する。神速の攻防に何とかついていった。ピッタリと密着し、スティールを狙う。しかし、火神君は気にせず、右足で踏み切り、跳躍する。いまだフリースローライン。しかも、ジャンプシュートではなく、リングへ向かってのレーンアップ。

 

「ナメるなっ!」

 

赤司君が吠えた。わずかな助走距離だが、埒外の神速によりスピードは十全に乗っている。ここで跳ばせば、リングまでは一直線。赤司君の手の届かない高さへ逃れてしまう。乾坤一擲。最大の集中力をもって開眼する。『天帝の眼』による未来予測。火神君が跳躍する寸前。ボールを右手から左手へ持ち替える刹那の無防備。そこを狙い澄まして――

 

 

――ボールを弾き飛ばした

 

 

「うおっ!赤司のヤツがやった!」

 

「さすが赤司っち。いや、でもこれは……!?」

 

直後、赤司君の顔が驚愕に歪む。弾き飛ばしたボール。すでに火神君は宙へ舞っている。専心のスティールが炸裂。ボールが後方へと流れていく。しかし、相手は天上の怪物。弾かれたボールを――

 

 

――左手でキャッチした

 

 

空中で姿勢を制御し、何ら問題なくレーンアップに移行。逆に無防備となった赤司君を置き去りにする。唖然とした表情でそれを見送るしかない。

 

「まさか、僕の行動を予測していたとでも……?」

 

あまりにも滑らかな火神君の動き。わざとスティールさせたとしか思えない。ならば、彼の読みの精度は人外の領域にある。ガクリと赤司君が膝をついた。

 

最後の壁は、帝光中学における最大にして最硬の城砦。紫原君が立ちはだかる。レーンアップは長い飛距離と滞空時間を要するプレイだ。その時間を利用して、彼は十全に待ち受ける。態勢は万全。相手のパワーに押されないよう、ブロックの際の跳躍は前方に勢いをつけて。全身全霊のパワーでもって、両手を叩きつける。

 

――ボール越しに、互いの肉体が接触する。

 

紫原君の目が大きく見開かれる。瞬時に察知した、凝縮されたエネルギー。先ほどの1on1とは桁違いの、埒外のパワー。『ゾーン』による潜在能力解放。人外染みた枠外の膂力。

 

「ぐっ……重過ぎ……!?」

 

火神君のレーンアップからのダンク。館内に響き渡る轟音と共に、炸裂した。

 

コートに背中から叩きつけられる紫原君の巨体。リングに数秒ほどぶらさがり、ゆっくりと降り立つ火神君の姿。神掛かった威圧感。神秘的なほどに、纏う雰囲気は超越していた。誰もが口を閉ざす。観戦していた黄瀬君達も、いつの間にか2階の手すりから身を乗り出している監督も。そしてボクでさえ。

 

静寂に包まれる体育館。真夏だというのに、寒気すら覚えるほど。触れ難い畏怖で、手足を動かすことすらできない。硬直する意識と身体。しかし、神域と化した場が、一気に弛緩した。火神君の雰囲気が常時に戻る。『ゾーン』を解いたのだ。

 

「お疲れ様です」

 

大きく息を吐き、張り詰めた緊張をほぐすと、ボクは声を掛けた。周りはまだ時が止まったまま。火神君の元へと歩み寄る。首を回して辺りの様子を窺うと、彼は出口の扉へと向かった。

 

「おう。邪魔したな。そろそろ帰るぜ」

 

「そうですか。途中まで送っていきます」

 

ボクの言葉に無言で頷く。火神君は踵を返して、停止した空間を後にした。帝光中学の『キセキの世代』。

 

 

――彼らはこの日、敗北を喫した。

 

 

 

 

 

 

 

学校から駅へと向かう帰り道。しばらくの間、ボクと火神君は無言だった。まだ日の長い夏の夕方。強い日差しが照り付ける。互いの足音と息遣いだけが、耳に届く。先ほどの光景が脳裏に蘇る。目を閉じて、軽く息を吐いた。

 

「完敗です。ボク達では及びませんでした」

 

わずかに悔しさが滲む。手塩に掛けて育ててきた『キセキの世代』。それが全員抜かれ、さらに3人掛かりで敗れたとあっては、穏やかではいられない。たとえ、相手が天上の怪物であろうとも。しかし、彼はゆっくりと首を左右に振った。

 

「現時点ではそうだけどよ。来年はどうなるか分からない。とんでもない成長速度だぜ」

 

そう言って、こちらを見つめた。

 

「だから、オレも驚いてる。お前のその、サポート能力に」

 

照れたように彼は視線を外した。

 

「そういえば、もうずっと日本にいるんですか?たしか中2頃って言ってましたよね」

 

「いいや。向こうでちょっと有名になっちまってな。その影響か知らねーが、転勤の話はなくなった。ずっと米国にいる」

 

その事実に、ボクは少なからず驚いた。ここまで分かりやすく未来は変わるのか。こちらの歴史では、火神君との接点はなかったということだ。改めて、異なる歴史なのだと思い知らされた。

 

「今後はどうするんですか?」

 

「NBAのチームから、いくつかオファーをもらってる。向こうの中学卒業に合わせて加入する予定だ」

 

こちらの報告には、大いに驚かされた。スケールが大きすぎる話。だが、同時に納得する気持ちもあった。それほどの戦力を、先ほど見せつけられた。

 

そして次の言葉に、ボクはさらに驚愕する。

 

「それで提案なんだけどよ、黒子。――お前もNBAに来ないか?」

 

真剣な表情で口にする、荒唐無稽な話。だが、決して夢物語ではない。

 

「監督に話を通せば、一度プレイを見てもらうことはできる。お前のスタイルなら、年齢は関係ないだろう?」

 

「まあ、どうせ身体能力は上がりませんし」

 

「もちろん、テストに受かるかは別問題だけどな。でもお前だって、遊んでいた訳じゃないんだろう?」

 

ニヤリと楽しげな笑みを浮かべる火神君。顎に手を当てて、数秒だけ思案する。

 

「……心惹かれる話ですね」

 

内心を隠さず、小さく口元を吊り上げた。

 

「アマチュアにもう敵はいない。だからオレはプロに行く。だけど、その前に心残りはなくしておきたい」

 

火神君は一拍置いて、宣言する。

 

「『キセキの世代』を倒す。今回みたいな1on1じゃなく、チームとして。来年はチームを作って、再び日本を訪れる。そこで、アイツらと雌雄を決したい」

 

「なるほど。だったら、その相手にはもちろんボクも入っていますよね?」

 

「当たり前だ。『幻の六人目』を抜きにして、帝光中学は語れないんだろ?」

 

互いに視線を合わせ、好戦的な表情を見せた。かつてない強敵の登場に、ボクの心に煮え滾るマグマが湧き上がる。日本に敵なしと思われた彼ら『キセキの世代』を、最大限に強化して、さらに――

 

 

――ボクの特性と技術を、全て解放する

 

 

全戦力をあらんかぎりに発揮できる強敵。全中のような、一方的な殺戮ではなく。

 

勝つにせよ負けるにせよ、見たことのない光景であるはずだ。神域に足を踏み入れた火神君が相手ならば。その光景をボクは目撃したい。

 

今度こそボクは、声を出して笑った。未来への期待に、心の底から喜びが生まれだす。火神君も楽しそうに笑った。全力を出し尽くせる相手との戦いを期待して。約束を交わす。未来の約束を――

 

 

 

 

 

 

 

翌日、部活が始まる前のロッカールーム。授業が終わり、少しずつ部員が集まってくる時間。ボクが一番乗りだったらしい。夏服のYシャツを脱いで着替えている途中、新たに部員がドアを開けて入ってきた。

 

鞄を肩に掛けた赤司君だった。どこか雰囲気が違う気がするが、昨日の衝撃が強かったせいだろうか。穏やかな口調で彼はこう言った。

 

「やあ、黒子。久しぶりの再会だね」

 

 

――来年、火神君に勝つのは無理かもしれない。

 

 

どうしちゃったんですか、赤司君?

 



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第36Q 誰を指す言葉だったのかを――

 

 

 

衝撃の邂逅を終えてからというもの。『キセキの世代』を中心に、帝光中学はかつてない熱気に包まれていた。火神君からの宣戦布告を伝えたことも良い方向に作用した。練習は以前に増してハードになり、敗戦を糧とした成長を予感させる。

 

そして、数日ほど経った昼休み。ボク達は視聴覚室に集まっていた。テレビの見える位置に、それぞれが座る。白金監督に頼んで借りてもらったのだ。灰崎君を含めた『キセキの世代』の面々、そして監督自身がテレビ画面を凝視する。

 

「では、昼休みも短いですし、始めましょうか」

 

ボクはDVDプレイヤーの再生ボタンを押した。流れる映像は、とある野外のバスケットコート。ストバスの試合会場。観客席は満員で、誰もが日本人ではない。晴天の光に包まれた会場はざわめきに満ちている。聞こえる声は外国語、監督を含めた数名は英語であると気付く。

 

「黒子、もしやコレは……?」

 

「ええ、想像の通りでしょう」

 

赤司君の言葉に、頷くことで答える。ちなみに、敗戦を経て明らかに様子のおかしい彼であるが、みんなからはショックで性格が変わったのだと、普通に対応されていた。キャラ替えという生易しいレベルではなく、人格崩壊ではと思うが、バスケの腕に変わりはないので放置である。

 

 

――火神大我

 

 

現れたのは彼だ。仲間達の雰囲気が一変する。理由を告げずに集合させた彼らだが、ここに来て理由を把握した。

 

「先に言っとけよ」

 

頭の後ろで両手を組み、ふんぞり返っていた灰崎君が身を乗り出す。他の面々も、宿敵の登場に緊張感を高めた。これは火神君本人から渡された物だ。好きなだけ研究してこいと。画面では、続々と選手たちが入場する。

 

「コイツは……氷室?なるほど、黒子っち。知ってたんスね……」

 

火神君の隣に立っている、泣きボクロのある優男。かつて野良試合をした強敵の存在に、黄瀬君が得心した様子でこちらを見た。

 

続々と相手も入場し、試合が開始される。ハイレベルなプレイの連続。優勢なのはやはり、火神君の率いるチーム『Zoo』。1on1の技能で圧倒する。その性能は極大。人外の領域。

 

「相手が弱い訳じゃねー。つーか、あの黒人メチャクチャ強え。オレより速いくらいだ。だってのに、ここまで一方的にやられるのか」

 

「パワーも紫原より上。加えてあの反応速度。ジェイソン・シルバー。凄まじい肉体ポテンシャルだ。しかしそれでも、あの男には及ばない」

 

身体能力は互角。だが、技術や経験に差があり過ぎる。全ての分野において超一流。極限まで完成されたバスケ選手。そう表現するよりない。

 

 

――火神君の手から、ボールが弾き飛ばされる。

 

 

その快進撃が止まる。信じがたい事件に、みんなの顔が驚きに固まった。机をガタリと揺らしたのは、大きく目を見開いた赤司君だった。周りの視線に気づくと、改めて姿勢を正して座り直す。試合は進み、火神君の攻撃が封じられたまま。

 

「あの動き……間違いないな。ナッシュ・ゴールド・Jr。オレと同じ『眼』を持っている」

 

赤司君が重々しい声音でつぶやいた。仲間達の目が、映像の中の金髪の男に向けられる。試合は後半に移り変わり、火神君の得点はぱったりと止まっていた。

 

苛烈にして怒涛の攻め。前後左右に神速でボールを振り回す、天災のごとき、予測不能にして反応不能のオフェンス。ドリブルの破壊力はまぎれもなく世界最強クラス。赤司君ですら翻弄され、抜かれたそれを、男はしのぎ切った。同じ『眼』を持つとするならば、赤司君との差は技量の差だ。悔しげに彼は唇を噛む。

 

「相手が押してきたのだよ……」

 

ポツリと緑間君がつぶやきを漏らす。画面では同点に追いつかれたところだった。しかし、ボク達は知っている。火神大我という選手が、さらなる高みへと登れることを。神域に到達できるということを。

 

 

残り時間5分。地獄が顕現される。

 

 

 

 

 

 

決着はついた。スイッチを切ると、画面が暗転した。地獄と呼ぶにふさわしい、凄惨な試合だった。圧倒的戦力差。戦いにすらなっていない。対戦相手ではなく、ただの玩具。残酷な見世物。まあ、全中の決勝で『キセキの世代』がしでかした所業も酷いが、それを遥かに超える。

 

「とんでもないヤツだったな。だけど……」

 

「ああ。強い。計り知れないほどに」

 

各々が感想を言い合う。そんな彼らの前で、ボクはバスケ雑誌を広げた。これも火神君から預かったものだ。英語の文字で印刷されたそれには、こう書いてある。アメリカの有名な監督が曰く。

 

「火神大我。同年代どころか、U17まで含めたところで、まぎれもなく――」

 

 

――世界最強のプレイヤーだと。

 

 

ゴクリと、唾を呑む音が聞こえた。

 

「世界最強……」

 

誰かが小さく繰り返す。非現実的な単語を、脳が処理しきれていないらしい。最も早く反応を見せたのは、青峰君だった。

 

「ハッ!面白えじゃねーか。最高に楽しめそうだぜ」

 

「ま、そうッスね。今までの退屈な試合より、百倍良いか」

 

「誰だろうが関係ねーよ。あのナメた野郎はぶっ潰す」

 

黄瀬君、灰崎君も獰猛な笑みを浮かべた。他の面々も戦意は十分のようだ。心の中で安堵の溜息を吐いた。これならば、来年の決戦に向けて走り出せる。ボクは、ここまで一言も口を出さなかった、白金監督に意見を求めた。

 

「彼に勝つには、どうすれば良いでしょうか?」

 

「……そうだな。必要なことはいくつかある」

 

顎に手を当て、数秒ほど思案した後、落ち着いた口調で話し始めた。仲間達も真剣な様子で耳を傾ける。

 

「最優先は個人の戦力増強だ。ひとつひとつのプレイの精度。そこで差が生まれている。これはフォームを確認しつつ、ひたすら反復練習するしかない。これは部活の練習で可能だろう」

 

さらに、と監督はわずかに表情を硬くして続ける。

 

「肉体改造もすべきだろう。お前達の場合は、年齢のこともある。身体に無理をさせずに鍛え上げるには、専門家の協力が必要だ。しかし、栄養管理や個々のトレーニングまで考えるのは、残念だが私でも難しい」

 

来年には、火神君の身体も成長しているはず。しかも、相手は最新の科学トレーニングを積んでいる。無計画な筋トレでは差は開くばかりだ。白金監督も本職は教師なのだ。彼らに掛けられる時間はそう多くない。

 

「最後に試合経験。アレを仮想敵とするならば、中学生同士の試合など時間の無駄だ。最低でもインカレの優勝校クラス。できればプロ。理想的を言えば、海外遠征で良質な経験を積みたい。幸い、卒業生が多いのでコネはある。だが、問題は費用」

 

「たしかに、どれもこれも相当なお金が必要ですね。一流のトレーナーを雇うにも、遠征をするにも、これまで以上に……」

 

「そうだな。去年までの部費では、とても賄えない」

 

皆の表情が暗く沈む。ボクも同様に、重苦しい気分で息を吐いた。こればかりはどうしようもない。

 

「しかし、そこについては任せておけ。私の方で、学長に掛け合ってみよう。今年の実績や将来の宣伝効果を考えれば、十分交渉できるはずだ。お前達は練習に専念すればいい」

 

頼もしい返答にみんなの顔が明るくなった。すごい。白金監督が有能過ぎる。子供のボクではどうにもならない部分だけに、非常にありがたかった。

 

その後、監督は宣言通り、来年度の部費の大幅増額を勝ち取った。

 

 

 

 

 

 

 

練習の終わりに行われるミニゲーム。最近は『キセキの世代』をふたつに分けて、別のチームにしている。理由は簡単で、もはや彼ら自身でなければ相手にならないからだ。めまぐるしく攻防が入れ替わる。特に2年生の速度は圧倒的。瞬きの間に試合展開が変わるほど。

 

「もらったッス!」

 

PGの先輩の出したパス。それは彼らの時間の流れから取り残されている。容易く黄瀬君は反応した。カットしようと手を伸ばす。先輩の顔が悔しげに歪む。だが、それをさせないのがボクだ。すでに行動は開始している。

 

「行きますよ」

 

味方の灰崎君に目配せをする。ボールの軌道上に身体を入れ、右足で強く踏み込んだ。黄瀬君の目に、ボクは映っていない。

 

そのまま、全力を込めて――ボールを加速させる。

 

「なっ……ボールが速く!?」

 

 

――『加速する(イグナイト)パス』

 

 

予測を超えた現象に、彼の手は空を切る。軌道だけでなく、速度をも操る変幻自在のパス。本邦初公開。部員たちの顔が驚きに包まれる。

 

「うおっ……なんだこりゃ!?」

 

速度を増したパスを、何とかキャッチし、ダンクを決める灰崎君。威力の高いボールであるため、受ける側の身体能力も必要となるが、当然それは問題ない。新たに切った札は十全に機能した。

 

 

 

続く相手のターン。赤司君がドリブルしつつ、辺りを見回す。マッチアップは青峰君。『キセキの世代』において最速の男。だが、その相手に正面突破を選択した。

 

『天帝の眼』を開眼する。前後左右に高速でボールを動かす、技巧的なボール捌き。本来ならば青峰君の敏捷性が優る。だが、彼の眼には未来が見える。

 

「……チッ、アンクルブレイクか!」

 

青峰君の膝がガクリと折れた。舌打ちする彼の横をドライブで抜く。赤司君の左からのドリブル突破。しかし、そのボールは視界外から出現した――

 

 

――ボクの手によって弾かれる。

 

 

「何だって……!?」

 

驚愕の声を上げる赤司君。それを横目に、ボクはボールを味方の先輩に渡す。

 

「行くぞ!カウンターだ!」

 

号令と共に先輩がボールを運ぼうとするが、直後に黄瀬君がカバーに入る。俊敏な反応。性能は雲泥の差。ドリブルすれば止められるイメージ。瞬時のアイコンタクトで、先輩はこちらにパスを出した。

 

「黒子っち!」

 

飛来するボールから目を切り、ボクはその場で全身を捻る。竜巻のごとく、身体を一回転させる。到着したそれを掌に収め、加速させた勢いのまま、全体重を右腕に掛けた。遠心力を利用した、急激な加速がボールに伝わる。原理は円盤投げと同じ。その威力はボクの細腕には信じられないほど。

 

 

――『長距離回転(サイクロン)パス』

 

 

前線に駆け上がっていた灰崎君の手元に、突如ボールが現れる。コートを縦に切り裂くカマイタチのごとく。一息の内に、速攻を成立させる。同じく本邦初公開の新たなパス。またしても仲間達の口から驚愕の声が飛び出した。

 

「またオレらの知らないパス!どんだけチカラを隠してたんだよ!」

 

「しかもその前の、赤司からスティール……!信じられん。『天帝の眼』を破っただと!?」

 

緑間君の震える声が耳に届く。絶対的支配を打ち破った者に対する畏怖。部員達が息を呑むのを感じた。

 

絶望を味わった過去のWC。かつての歴史で辛酸を舐めさせられた相手なのだ。当然、対策は十分に取ってある。1on1特化の『天帝の眼』では、ボクの神出鬼没は捉えられない。

 

「あの怪物、火神大我だけだと思っていたが……。黒子、お前も軽々と破るんだな」

 

赤司君は小さく溜息を吐いた。首を左右にゆっくりと振る。静寂に包まれた体育館に、彼の声が木霊する。

 

「そうだね。忘れていたよ。帝光中学において、怪物とは一体、誰を指す言葉だったのかを――」

 

敵は神域に足を踏み入れた超越者だ。ここから先、出し惜しみをするつもりはない。自然とボクの顔に、不敵な笑みが浮かんだ。



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第37Q 天性の支配者ですよ

 

 

 

火神君と戦えばどうなるのか?

 

冷静に努めて、ボクは考える。他のメンバーを、氷室さんと同格と想定するならば。現時点の帝光中学と火神君のチーム。あの天上の怪物と。おそらく、戦うことはできるだろうか?

 

自信を持って言える。やれる、と。たとえ相手が、『キセキの世代』2人分の戦力であろうとも。『幻の六人目』として、全能力を発揮すれば多少の戦力差は覆すことができる。勝てるかはともかく、試合にはなる。しかし、そんなボクであろうとも、『ゾーン』の前では無力だ。

 

 

 

過去に戻ってから作り上げた秘中の秘。固有技能『視線誘導(ミスディレクション)』を、それぞれ異なるアプローチで追求した、唯一無二のオリジナル。それが『陰陽の視線誘導』である。

 

 

――特性を極めた『光の(シャイン)ミスディレクション』

 

――技術を極めた『影の(シャドウ)ミスディレクション』

 

 

これらが最新にして、最深の視線誘導。実践でこそ使っていないものの、試験段階での効果は抜群。しかしそれでも、『ゾーン』を破るには足りない。

 

灰崎君をも完封した『光の(シャイン)ミスディレクション』。原理としては『オーバーフロー』に近く、乱用できる技ではない。しかも、かつての桐皇学園戦での経験から、ゾーン状態に『オーバーフロー』が効きにくいことも分かっている。知覚能力や処理能力の増加のためだろう。全戦力の火神君に通じない可能性が高い。

 

そして『影の(シャドウ)ミスディレクション』の方は、言ってみれば常時発動型。弱点を補強するためのもので、戦況を劇的に変えることはできない。

 

今のままでは、火神君に圧殺されるだけ。ただの1点すら奪えず、終わるかもしれない。それが『ゾーン』――何かしらの対策が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

練習後、監督に数枚の紙を手渡した。内容は『キセキの世代』の未来予想について。これから辿る進化の道筋。ボクの知る限りの可能性を、伝えたのだ。あくまで予想という形で、不審に思われない程度にだが。それでもチーム構想の参考にはなるだろう。

 

要件を終えて、ボクは体育館へと戻ってきた。2面あるコートは、彼らの自主練のために埋まっている。かつてない熱量。灼け付くような情熱を肌で感じる。飛躍の刻は近い。それは確信だった。

 

壁に背中を預け、周囲の様子を観察する。青峰君と灰崎君は1on1。赤司君と緑間君はシュート練習。ドリブルをつく黄瀬君は、技の確認か。そして、入口から離れた奥のコート。ゴール下に紫原君と、もうひとり口髭を生やした巨漢がいた。

 

「もっと腰を落とせ。重心が高いぞ」

 

「うるさいな~。分かってるよ」

 

声を上げる大男に対し、嫌そうな顔をしつつも従う紫原君。ボールを持ったまま背を向け、2人は押し合っていた。フォームチェックをしながら、ひとつひとつ指摘する男。今回、コーチを頼んだのは元帝光中学OB、全日本で活躍するCの選手である。わずかだが時間を作ってもらい、アドバイスをお願いしたのだ。

 

「おっ、ちょっと良くなったな。だが、まだまだ」

 

両足で踏ん張り、パワープレイを試みる。しかし、いかに人外の膂力を誇るとはいえ中学生。百キロを超える超重量級のプロ相手に、圧倒することは難しい。隠しきれない必死の表情から察するに、ギリギリまで追いつめているだろうことには驚きだが。しかし、紫原君も全力を出せる喜びを感じているようだ。嬉しそうに顔を綻ばせ、正しいフォームの習得に励んでいる。

 

「よし、じゃあ次はリバウンドのスクリーンアウトの練習するぞ」

 

「ふぅ、了解~」

 

「……にしても。よくこんなフォームで、ここまでパワーを出せるものだ」

 

呆れた風に、コーチ役の男は息を吐いた。

 

 

 

そんな光景からボクは目を離した。彼については問題ない。力と速さと高さ。純粋な身体能力で戦う紫原君は、ボクとは正反対。実際のところ、アドバイスできることはない。

 

足を進めた先は、3Pラインからシュート練習に励む緑間君。ボクの姿に気付くと、彼はその手を止めた。疑問の声を上げる。

 

「黒子、どうしたのだよ?」

 

「そこから撃ってみて下さい」

 

そう言って、フリースローラインを指し示した。訝しげな様子ながらも、彼はそこに立ち、シュートのためにボールを胸の前で構える。フリースローを放とうと体勢を整えた。意図が伝わっていなかったか。ボクは声を上げる。

 

「そっちじゃありません。向こうのゴールにですよ」

 

「なんだと!?」

 

大きく目を見開き、表情が驚きに固まった。センターラインよりも、さらに遠く。反対側のコート。有り得ない距離に、彼の顔色が曇った。

 

「いくら何でも、無理に決まっているだろう?」

 

「試しにですよ。やってみてください」

 

「……まあ。やるだけなら構わんが」

 

やれやれと、首を大きく左右に振った。身体をくるりと反転させ、遥か彼方のリングに視線を移す。表情を真剣な色に変え、極小の標的を見つめた。十秒ほどが経過する。ただ照準を付けるのでなく、入念にイメージを積み重ねている。静かにそれを見守る。

 

集中力が高まりきった瞬間、緑間君の上体が深く沈みこんだ。普段の倍以上の時間を掛けて、タメを作る。そして、脚から腕、手首へと力を集約させた。スナップを返す。

 

「はあっ!」

 

裂帛の気合と共に、勢いよく放たれる弾丸。彼の可能な最速でもって、オレンジの矢は飛翔する。長い滞空時間。ボク達の視線の先で、いよいよ着弾した。ガツンと、リングに弾かれ、真上に跳ぶボール。それは偶然にも2度目の落下でネットを通過した。お互いに結末を内心で噛み砕く。

 

「お見事です、緑間君」

 

「お世辞はやめろ。真上に弾かれたのだ。ボール半個分もズレた以上、失敗なのだよ」

 

メガネの位置を直しながら、悔しげに唇を噛み締める。

 

「原因は何でしたか?」

 

「……ボールを遠くに飛ばすため、フォームがぶれた。無理に引き出したジャンプや腕力。それで体幹が揺らいだのだよ」

 

結果、わずかに距離が届かなかった。

 

「だから言ったのだよ。オレを何だと思って――」

 

「それだけですか?」

 

間髪入れずに紡いだボクの言葉に、緑間君は困惑の色を浮かべる。だが直後に、ハッと何かに気付いたらしい。全身を小さく跳ねさせた。

 

「そうだ!脚力、腕力。問題は肉体面だけ……!」

 

彼の瞳に希望が灯る。そう、技術面では問題などないのだ。才能は開花している。ただ、身体の成長が追い付いていないだけ。肉体改造で筋力アップすれば、飛距離などいくらでも伸ばすことができる。

 

「なるほど。またもお前の掌の上ということか」

 

「いえ、何のことだか分かりませんが」

 

「まあいい。感謝するのだよ」

 

そう言い残し、彼は体育館の外へと出て行った。走り込みか筋トレに向かったのだろう。

 

 

「さすがだね」

 

 

振り向くと、赤司君がこちらに歩いてくるところだった。感心した風に微笑する。

 

「相変わらず、キミの先見性には驚かされるよ」

 

「彼が自分で掴んだだけですよ」

 

「オレにも何か、アドバイスをもらえないかな?」

 

赤司君の言葉に、しかしボクは首を横に振る。彼は意外そうな顔を見せた。

 

「他のみんなと違って。オレにはもう、伸びしろがない、ということかい?」

 

「いえ、そうではありません。分からないんですよ」

 

赤司君と灰崎君。彼らだけは、ボクの未来の情報が使えない。すでに才能は解放されているのだ。これ以上の進化は、ボクの知識にない。まるで未知の領域である。

 

「申し訳ないですが、ここからは自分自身で成長してください」

 

残念な気分で伝えるが、赤司君は逆に楽しそうに目を細めた。

 

「そうか。例の試合から思いついたことがあってね。もし成否を知っているなら、確認しようかと思ったんだが……」

 

満足した様子で、彼は練習を再開しようと踵を返した。

 

「ならば、練習試合で確かめてみるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

翌週の日曜日。東京都内の、とある体育館。

 

帝光中学1軍の面々は試合を行っていた。夜に差し掛かり、外は漆黒に染まる。対照的に室内は黄白色のライトで、十分な光量を保っている。白線で区切られたバスケットコートで、10人の選手達が目まぐるしく駆け回る。バッシュの鳴らす、甲高く乾いた音が響く。

 

覚醒した『キセキの世代』。彼らと対するのは、日本全国から選りすぐられた大学生の頂点。インカレの今年度優勝チームである。平均身長、体格、試合経験。全てにおいて中学生であるこちらを上回っている。紫原君の体格は別だが。そんな相手との対戦が繰り広げられている。

 

桃井さんの立てた事前予想は、帝光中学の微差での勝利。先ほど挙げた常識的な要素はともかく、センスにおいて『キセキの世代』は桁が違う。別次元の才能で体格差や経験を補い、覆すだろうと予想した。ボクも桃井さんも、勝利という結果は疑っていない。とはいえ、ある程度拮抗した勝負になるだろうことも、同じく分析から予測していた。練習試合としてはちょうどいい相手なのだ。そう思っていた。予測は裏切られる。

 

第1Q終了のブザーが鳴った。

 

各々がベンチへと戻っていく。序盤戦が終わり、ここから中盤戦に入ろうという大事な休憩時間。しかし、館内は静寂に包まれていた。誰もが息を呑み、沈黙する。相手をする大学生の顔は蒼白に染まり、対する仲間達は息一つ切らさず、整然とした足取りでベンチへ帰る。

 

「一体、どうなってんだよ……」

 

ポツリと誰かがつぶやいた。それは相手の大学生かもしれないし、ベンチの仲間かもしれない。おそらくは全員の心の声だったのだろう。

 

 

帝光中学 26-4 筑波大学

 

 

寒気すら覚えるほどに、研ぎ澄まされた意識。抜身の白刃のごとき、極限の集中状態。こちらの背筋が凍り付く錯覚。静かに歩むその立ち姿に戦慄した。信じがたい現象が起きていた。

 

『ゾーン』

 

知覚が肥大化し、五体は鋭敏化し、自身の潜在能力を全解放する。先日、火神君の見せた全戦力。埒外の性能を発揮する、トップアスリートですら偶発的にしか入れない、極限の集中状態。誰もが望み、開けない強固な扉。それが開かれていた。それも――

 

 

――5人同時に。

 

 

「……信じられませんね。赤司君、やっぱりキミは天性の支配者ですよ」

 

ボクは瞠目し、大きく息を吐いた。原理は不明。だが、間違いなく彼の仕業だ。早々と、未来の自分を超えてきた。相手の全てを見抜き、見極め、支配する異形の能力――『天帝の眼』

 

1on1専用スキルだったはずのそれが、異なるアプローチで運用されている。支配領域の拡張。対戦相手を支配する埒外の才能を、まさかこんな風に使うとは想像できなかった。敵ではなく、味方を支配して『ゾーン』状態に入れるなんて――

 

やはり彼こそが、『キセキの世代』を率いるに相応しい。

 



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第38Q 奇跡を起こしてみたいと

 

 

 

中学最後の大会が幕を下ろし、オレの中学バスケは終わった。去年、散々に敗北した帝光中学に勝つために、皆で特訓を積んで臨んだ大会だが、結果的に彼らと当たる前に敗退してしまった。

 

『無冠の五将』などと呼ばれても、その程度なのだ。悔しさはもちろんある。しかし、内心に浮かんだのは安堵。あの異常なまでの、埒外の化物集団と戦わなくて済んだ。その弱さこそ、最も悔いるべきことだった。そして、後悔と共に卒業するはずだった。

 

「奇跡を起こしてみたいと、アナタは思いませんか?」

 

 

――あの男と出会うまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

9月のある日。夏の暑さも和らぎ、初秋の色が見え始める。快適な日差しの中、オレは広い敷地を進み、とある中学の体育館の前に足を運んでいた。存在感のある建物だ。そう感じるのは、ここが因縁の場所だからだろうか。脇目も降らずに入口の扉を潜り、室内へ入る。

 

玄関で待っていたのは、小柄で存在感の薄い少年。オレを勧誘した、得体の知れない後輩の男だった。

 

「お待ちしていました、木吉先輩」

 

 

――黒子テツヤ

 

 

それが少年の名前だった。全国最強の一員。オレ達のような敗残者を集めて、あの怪物集団『キセキの世代』に挑む。それを聞いたとき、オレは驚くこともできず、説明できない感情に包まれた。想像すら困難な夢想。実現など不可能としか思えない。だが、それが彼の目的だった。

 

 

ここは帝光中学。キセキの生まれた場所。

 

 

連れられて向かった先には、すでに4名の男達が待っていた。馴染みの顔だ。この1か月、時間を作っては彼らとの連携に費やしたのだ。

 

『悪童』花宮真

『夜叉』実渕玲央

『剛力』根武谷永吉

『雷獣』葉山小太郎

 

そしてこのオレ――『鉄心』木吉鉄平

 

かつて『無冠の五将』と謳われ、帝光中学に惨敗した者達。帝光中学のロッカールームに集結した。ベンチに腰を下ろし、イヤホンで音楽を聴く実渕。花宮はびっしりと文字と図の書き込まれたノートに目を通している。根武谷はカロリーメイトを口に入れ、物珍しそうに葉山は辺りをキョロキョロと見回す。各々の方法で試合前の緊張をほぐし、精神を高めていた。

 

通う学校も信念もスタイルも異なる。だが、共通するのはこのまま、敗北者のまま卒業したくないという気持ち。

 

彼らの顔には不安と恐れと、自信が浮かんでいる。対策は練ってきた。練習も積んだ。そして、彼らもいる。

 

「あちらの準備は済んでいますか?」

 

「うん。大丈夫だよ」

 

「待ちに待ったぜ。ようやく、アイツらをぶちのめせる」

 

小柄な少年、黒子テツヤの声と共に現れたのは一組の男女。見慣れた顔ぶれ。帝光中学からの協力者。灰崎祥吾と桃井さつき。目付きの悪い少年とロングヘアーの少女。幾度も顔を合わせる機会があったが、彼らの能力は群を抜いている。帝光中学でレギュラーを張る主力選手と、その頭脳たるマネージャー。

 

「何だよ、お前ら。ずいぶんテンション低いじゃねーか。ビビッてんのかよ」

 

「うるせえ、コッチは集中してんだ。黙ってろよ」

 

「あん?」

 

苛立たしげに花宮が口を開き、灰崎の視線が鋭くなる。

 

「よしなさいよ、みっともない。元気が有り余ってるなら、試合に向けなさい」

 

「そーそー。もうすぐ試合じゃん」

 

実渕がたしなめ、葉山も軽い口調で尻馬に乗る。暴発寸前の2人が矛を収めたタイミングで、影の薄い少年が声を発し、周囲を見回した。

 

「相手は埒外の天才集団、『キセキの世代』。才能と性能は、アナタ達を遥かに上回るでしょう。ですが、弱点もある」

 

全員がその声に耳を傾ける。視線を合わせ、意識を向けた。まるで吸い込まれるような、飲み込まれるような、虚無の深淵を連想する。無色透明な存在感と塗り潰された暗黒。矛盾する感覚に、ざわりと背筋に怖気が走った。

 

「スタミナの不足。ボク達が勝利するとしたら、唯一有利なそこを突くしかありません。詳しい戦術はすでに桃井さんから授けられていますね。格上だからといって、固くなる必要はありません」

 

帝光中学の内部ですら畏れられる怪物。得体が知れない。それがオレの印象であり、『キセキの世代』という光を塗りつぶすには最適なのだと直感していた。彼は隣に立つ灰崎に視線を送る。

 

「なにせボク達は、こういった試合に慣れています。大船に乗った気持ちで臨んでください」

 

 

 

 

 

 

 

 

帝光中学が誇る第一体育館、一軍専用コートにオレ達は足を踏み入れた。意外にも二十を超える帝光1軍の面々が勢揃いしていた。今日は午前練のみで、他の部員は帰るだろうと黒子は話していたのだが。興味深そうに異邦人であるこちらに視線が集中する。

 

「……予想外でした。こんなに野次馬がいるなんて」

 

「そりゃそうだろ。オマエがわざわざチームを作ってくるんだから。誰だって試合を見たいに決まってる」

 

黒子のつぶやきに、色黒の少年が愉快そうに答えを返す。

 

「そんなことより、早く始めましょーよ。楽しみにしてたんスから」

 

「そうだな。誰かさんは、風邪を押してまで出場するらしいからな」

 

メガネの少年がジロリと灰崎を睨み付ける。どうやら、体力温存のために午前の練習を仮病でサボったらしい。何てヤツだ。素知らぬ顔で彼はコートに入り、ジャンプボールの配置につく。

 

「あ、ボクは監督の許可をもらって休みましたので」

 

平然と黒子も片手を上げて答えた。お前もサボったのかよ。まあ、今回の戦術は相手との体力差に依存している。勝機はその一点の優位性のみ。よく考えれば練習に出ないのは、当然の選択と言える。オレもセンターラインの円の中心で相手を待ち構えた。

 

「ん~?アンタがマッチアップ?誰か知らないけど、大したことなさそうだね~」

 

息を呑む。目の前に現れた巨体。間延びした声とは裏腹に、押し潰されるような圧迫感。ただ在るだけで撒き散らされる、あまりにも強烈な威圧。これが『キセキの世代』紫原敦。

 

「ヒネリ潰されないように、がんばってよ。少しくらいは手ごたえがあるといいんだけど」

 

眼中に無い。どころか、オレのことを忘れているらしい。1年前の全中以来だが、当時は散々にやられたものだった。そして、力の差は埋めがたく広がったらしい。中学生のCとしては大柄の部類に入るオレだが、この男とは比較にならない。天賦の肉体としか、言いようがない。身長差は大きく、筋力も速度も段違い。別次元の存在であると、本能が理解してしまっている。

 

「……これはマズイな」

 

周りを見渡すと、スタメンで出場する花宮と根武谷の表情が硬い。明らかに委縮していた。自分自身も手足が重く感じる。その間に他の選手達もコートに集結し、試合開始の準備が終わった。

 

――先取点を取れなければ、序盤を持っていかれる

 

そんな予感と共に始まったジャンプボール。

 

「なんて高さだ……!」

 

思わず声が漏れる。自分の伸ばした手より、遥か上方でボールが叩かれる。せーので跳んで、ここまでの差が出るのか。絶望に目の前が真っ白に染まった。ボールの向かう先は、狙い通りに帝光チーム。『キセキの世代』最強のドリブラー、青峰大輝に渡る。

 

「よっしゃ!行くぜ、速攻……っておい!」

 

ドリブルに移行しようとした瞬間、出現した黒子にスティールされる。攻撃の態勢に入っていた帝光に対するカウンター。この展開を予測して、灰崎がすでに駆け出している。ボールが渡り、そのまま単独速攻。

 

「させないッスよ」

 

唯一、自陣に戻れたのは金髪の少年、黄瀬涼太。1on1で相手を止めに掛かる。対抗するように、灰崎はドリブルの速度をさらに上げた。互いの視線が交錯する。

 

 

――ストップからのジャンプシュート

 

 

「なっ……この技は氷室の!?」

 

黄瀬の身体が一瞬硬直する。滑らかに洗練された一連の動作。繋ぎ目の一切が消えた連携。流麗なダンスのごとく。ネットを揺らす音と同時に、時が動き出す。思わず魅入ってしまった。それほど完成度の高い技術だった。

 

「……アンタの技量じゃあ、使えなかったはずッスよね」

 

「ハッ!いつまでもそのままにするかよ」

 

「なるほど。さすがに前と同じ、とはいかないッスか」

 

小さく息を吐き、黄瀬は表情を引き締めた。

 

先制点を奪い、オレは肩をなでおろす。まずは一安心か。手も足も出ずに終わりはしない。圧し掛かっていた錘から解放されたようだ。自分の身体が軽くなった気分。仲間達も同じらしい。続いて相手の攻撃ターン。

 

すぐに過酷な現実が襲い掛かる。

 

「ふーん。そんなもん?」

 

つまらなそうな紫原の声が耳に届く。だが、それに応える余裕はない。両足を踏ん張り、全力で力を込めてなお、ビクともしない。まるで巨大な岩を押しているよう。ここまで能力に差があるのか。頭では理解できていたが、実感するとさすがに辛いものがある。

 

「じゃあこっちも、お返しッス」

 

黄瀬がドリブル突破を試みる。マッチアップは灰崎。高速のドライブを仕掛けた。そして――

 

 

――ストップからのジャンプシュート

 

 

先ほどの灰崎が披露したものと寸分違わず。流麗な舞のごとき。だが、今回はその技に魅入る余裕はなかった。リバウンドのために、紫原に対してスクリーンアウトしなければならない。ゴール下で優位な場所を奪い合う、Cの主戦場。今回はディフェンス側。ポジション取りはこちらが有利。だというのに……。

 

「やばい!木吉が全然止められてねえ!」

 

ベンチの葉山が発する、切迫した声音を耳の端で捉える。必死に押し返すが、何の障害にもならず、半ば無抵抗でリングの真下まで追いやられた。何もできない最悪の位置。

 

パサリとボールがリングを通過した。

 

リバウンドの必要はなかった。だが、もしも外れていたとしたら、そのまま紫原に捻じ込まれていたはずだ。それが続いたならば。背筋が凍る思いだった。

 

リバウンドを支配されれば勝ち目などない。この要衝に求められるのは、彼を自由にさせないこと。そして、オレでは明らかにパワーが足りなすぎる。

 

「うおおっ!また灰崎のドリブル突破だ!」

 

反撃の速攻。こちらで唯一戦える彼が駆け抜ける。電光石火の一閃。黄瀬をかわし、コートを縦断する。だが、さすがは帝光。尋常でなく戻りも早い。直後、青峰が正面に現れる。悔しいが、こちらはハイスピードの攻防についていけない。1on1の勝負。

 

「おらよ」

 

そう思いきや、灰崎はあらぬ方向にボールをバウンドさせた。ドリブルではない。一瞬の虚をつくことに成功する。突如、出現するのは神出鬼没の黒子テツヤ。

 

「チッ……しまった」

 

気付いたときにはもう遅い。ワンツーでボールの軌道が変化。驚愕に顔を歪めた青峰の脇を、アイツはすり抜けている。ノーマークで高く跳び上がる。空中へと浮かされたボールを、アリウープでリングに叩きつけた。

 

「すげえ!一進一退じゃねーか!」

 

観客と化した帝光中の部員達が興奮した様子で叫んだ。だが、状況はこちらが不利。小手調べの帝光に比べ、こちらは灰崎と黒子で喰らいついているだけ。すぐに差は開く。

 

続くこちらのディフェンス。相手は、誰も彼もが余力を残した表情だ。そして、最も容易に勝てるマッチアップがココ。背中越しに押し合うが、圧倒的な膂力にまるで対抗できない。

 

「頼んだよ、紫原」

 

「了解~」

 

主将の赤司からボールを受け、反転して跳躍する。負けじとオレもブロックを狙うが、身体をぶつけ合った瞬間に敗北を確信した。これまで経験したことのない、未曽有の破壊力。圧倒的なエネルギー。自分の身体が軽々と吹き飛ばされるのを感じた。コートに背中から落下する。衝撃と痛みに、思わず顔をしかめた。

 

床から見上げると、両手持ちダンクを決めた紫原の巨体。

 

なるほど、と彼らの言葉を思い出し、諦念と共に息を吐いた。コートに大の字で寝そべって、静かに瞠目した。

 

黒子と桃井の両者が口を揃えたことだった。オレでは彼に対抗できないと。認めるしかない。わがままを言って雪辱の機会を貰ったが、これ以上はチームに迷惑を掛けるだけだろう。根武谷に目線でコンタクトを取る。

 

「ポジションチェンジだ。次から計画通りに戻してくれ」

 

「ああ、任せろ」

 

根武谷が頷いた。彼でなければ、押し合いの土俵にすら上がれない。無念はあるが、オレはPFの位置に変更せざるを得ない。だが、最後に一噛みくらいはしてやるさ。

 

 

 

 

 

 

 

速攻を止められ、ハーフコートの攻防に移行する。PGの花宮がボールを保持。周りのメンバーが動き回り、攻撃の隙を狙う。しかし、磨き抜かれたセンスはディフェンスでも健在。どこにも穴などない。オレも紫原を相手に、全力で押し合いを挑む。

 

「はぁ~。パワー違うって分かんないの?」

 

「やってみなきゃ……わかんないだろうがっ…」

 

必死に肩越しに圧力を掛け、ハイポストを奪おうと試みる。腰を落とし、低い重心から渾身の力を籠める。だが、いつも通りビクともしない。紫原はつまらなそうに溜息を吐いた。ああ、そうだ。十分理解しているとも。だからこれは囮。パワー勝負を挑むと思わせるための。

 

「しゃーねえ。オレが撃つしかねーか」

 

速攻ならともかく、万全の陣を敷かれた状態で切り込むのは困難。いくら彼でも『キセキの世代』2人以上に囲まれれば敗北は必至。顔をしかめ、灰崎がその場でジャンプシュートを放つ。ボールが宙に舞う。

 

「チッ……リバウンド!」

 

外すのを予感した灰崎が叫ぶ。ゴール下はすでに陣取り合戦が始まっていた。今回はこちらが不利なオフェンスリバウンド。普通にやれば、紫原の怪力で外側に押し出されるだけ。だが、ここだけは絶対に取る。決死の覚悟と裂帛の気合と共に雄たけびを上げる。

 

「うおおおおっ!」

 

その声に反応して、彼は後ろを見ずに反射的にスクリーンアウトの態勢を取る。肩を広げ、腰を落とし、両足を大きく広げる。この試合が始まってから、ひたすらパワー勝負を挑んでいたことは頭に残っているはず。そう、お前はオレのことを忘れている。オレの本領は力押しではなく――

 

 

――駆け引きなのだということを。

 

 

「えっ……なんでそっちに!?」

 

一瞬の隙を突く。大回りして、紫原の前に跳び込んだ。背中越しに、一気に後方へ押し出す。初めて、岩のような巨体が揺らいだ。背中に掛かる圧力がわずかに緩む。ガツリと、シュートがリングに弾かれる。宙空に浮かぶ。方向はオレの真上。リバウンド勝負。2人が同時に高く跳び上がった。

 

「駄目だっ!やはり紫原の方が高い!」

 

有利な位置を取ってさえ、相手の方が高い。身長差に加え、特有の腕の長さも。その両腕がボールを掴む寸前、オレは右腕を高く伸ばした。肩を入れることで最高到達点を伸ばす。これは去年の全中で、紫原のやった技だ。

 

 

――『バイスクロー』

 

 

右の掌でボールをがっちりと掴む。この1年間、ひたすら握力を鍛えることで可能とした。背後で紫原の驚く気配があった。そのまま着地し、ボールを懐に抱え込む。顔を横に向け、パスの態勢を取る。

 

「いくぞ、灰崎!」

 

「させない……って、アレ?」

 

投げ渡す寸前で、ボールが止まる。パスはフェイク。右掌で保持したまま。だが、相手はカットのために手を伸ばし、態勢が崩れている。やはり、オレのことは覚えていないらしい。

 

「出たっ!木吉の『後出しの権利』!」

 

 

――オレは相手の動きを見てから、行動を選択できる。

 

 

乾坤一擲。渾身の力を込めたダンクが炸裂した。

 

 

 

 

 

二度と通用しないだろう。駆け引きなど無関係。やろうと思えば、この男は選択肢すべてを網羅できる。裏をかいても、さらに後出しで止められる。それほどに圧倒的な反射神経とリーチ。だが、オレのことを忘れていた代償は払わせてやった。それで充分。

 

「……思い出したよ。去年の全中でやった無冠の何とかだよね?」

 

静かに紫原が問い掛ける。その眼には、先ほどまでの油断はない。意識を切り替えたと、身に纏う雰囲気のみで理解する。

 

全国最強どころか、史上最強の呼び声高い帝光中学の『キセキの世代』。ここまでの展開、彼らにとっては様子見に過ぎない。

 

 

歴史上でも類を見ない化物との戦いは、まだ序盤。

 



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第39Q 黒子テツヤの全戦力なのか……

 

 

 

休憩が終わり、体育館の床から腰を上げる。練習後の野良試合のため、ベンチは用意されていない。コートを挟んで逆側を見ると、青峰君達がゆったりとした様子でコート内の定位置に戻り始めていた。

こちらは『無冠の五将』を揃えた、いわゆる中学選抜チーム。だが、『キセキの世代』に比べれば、ただの寄せ集めにすぎない。灰崎君を除けば、個の力で大差を付けられていた。序盤の攻防を経て、続く第2Q。得点は10-16でこちらのビハインド。

 

「さあ、行きましょうか」

 

それでも、味方の先輩の士気は高い。むしろ、試合直前よりも表情には力があるほどだ。それもそうだろう。今年、手も足も出ずに惨敗した相手に、十分戦えているのだから。

 

そして一方、相手チームの様子を横目で窺うと、リードしているというのに浮かない表情だった。困惑気味とも取れる。赤司君と視線が合った。瞳から読み取れる色は困惑と警戒。予想外の善戦をされているから、ではない。理由は真逆。

 

自分で言うのも何だが、ボクは仲間達からやけに恐れられている。帝光中学の怪物と囁かれるほどに。

 

――こんなものなのか?

 

それが彼らの気持ちであろう。勝ち目のない勝負を挑んだボクに対する疑念であった。

 

 

 

 

 

 

 

試合再開の合図。審判役の先輩の声が耳に届く。帝光ボール。赤司君がゆっくりと運んだボールを使って、青峰君がカットイン。急激な方向転換からの横っ跳び。オーバースローでぶん投げたボールが、何度もリングに衝突しながら捻じ込まれる。

 

「テツ、本気で勝てる気かよ」

 

「ええ、もちろんです」

 

「そうか。楽しみにしてるぜ」

 

ボクの返答に、彼は好戦的な笑みを浮かべた。

 

確かにボク達のチームは弱い。全国から選りすぐりの精鋭が集う全中でさえ、百点ゲームかつ一桁完封が普通だった帝光中学の『キセキの世代』。それに比べれば、こうも見られる試合になっているというのは、異常事態であろう。しかしそれでも、所詮は灰崎君頼りの一辺倒。単調な戦術。そんなもので、第1Qの中盤まで持ちこたえたのは上出来だろう。

 

「残念だけど、もう終わりッスよ」

 

「だな。オレらのダブルチームを抜いてみな」

 

嫌そうな顔で灰崎君が舌打ちする。彼の前には、黄瀬君と青峰君の2人が立ち塞がる。まあ、そうなりますよね……。

 

「チッ……うざってえヤツらだ!」

 

マークを外すために前後左右に動くが、フリーな状態を作り出せない。灰崎君の顔に焦りの色が見える。『キセキの世代』2人分のプレッシャー、尋常ではない。ボクの中継でさえ、パスを通せる気がしない。

 

時間一杯を使って、結局葉山さんがペネトレイトを仕掛ける。緑間君を突破し、そのままインサイドでレイアップ。しかし、ゴール下には守護神が君臨する。信じがたい高さのブロック。それをかわそうとダブルクラッチを仕掛けるが、紫原君の反射神経とリーチの前に呆気なく止められた。

 

「あんなんどーやって決めんだよ」

 

「やっぱり灰崎無しじゃダメか……」

 

観戦する先輩たちのつぶやきが耳に届く。インサイドは鉄壁。制空権は相手に握られている。紫原君さえ居れば事足りる。だからこそ、容易に灰崎君にダブルチームできたのだ。

 

 

 

相手の攻撃ターン。またしても時間を目一杯に使ったスローペース。ハーフコートの攻防に持ち込んできた。赤司君の采配だろう。交代要員がいないことに加え、直前までの練習で蓄積された疲労。スタミナ消費を極力抑えるための戦術である。

 

「赤ちん、ナイスパス」

 

「ぐっ……速え!?」

 

高速のスピンターンで根武谷さんを抜き去り、彼は容易くダンクを叩き込む。帝光の得意とするスタイルではないが、そもそも地力が圧倒的に違うのだ。確実に遅攻を決めてくる。

 

 

 

ここで選手交代。『雷獣』葉山小太郎OUT、『夜叉』実渕玲央がIN。

 

「さすが桃井さん、ベストタイミングです」

 

計画は第2段階に移行する。

 

こちらのオフェンス。依然として劣勢が続く。PGの花宮さんは、『天帝の眼』を有する赤司君から逃れるので精一杯。距離を取って、ボールの保持すら困難。SFの灰崎君は悪夢のごときダブルチーム。期待するのは無茶だろう。

 

青峰君が抜けて空いたPFは、一応ボクがカウントされるが、もちろんゴール下でできることなど無い。Cの根武谷さんも、パワー以外の全ての性能で大差を付けられている。

 

結果、パスが渡るのはただひとり。

 

「決めろ!実渕!」

 

放たれるフェイダウェイの3P。『天』のシュート。後方に跳躍し、緑間君のブロックを回避して放たれたボールは、リングを掠りながら通過した。

 

「よっしゃ!」

 

根武谷さん達が歓声を上げるが、『キセキの世代』の面々に焦りはない。緑間君と違い、その精度は完全とは程遠いからだ。まあ、成功率100%の彼と比べるのは酷だが。

 

 

 

落ち着いた様子で帝光ボール。ゆったりとしたペースで、赤司君がセンターラインを越える。マッチアップする花宮さんが腰を落とし、守備に専念。一挙手一投足に至るまで見極めようと集中する。しかし相手はさほど脅威には感じていないらしい。淀みなくパスを出し、時間を使う。赤司君の意図に沿って、流れるようにコート中をボールが飛び回る。

 

「さすが、隙がねえ」

 

誰かがつぶやいた。だが、そのボールは――

 

「らあっ!」

 

 

――大きく跳び込んだ灰崎君がカットする。

 

 

強引な割り込みが功を奏する。そのまま単独速攻。灰崎君がドリブルで駆け上がる。もちろん、それを見過ごす相手ではないが、同時にボクも動き出していた。とっさに赤司君の前に身体を入れ、進行を阻害する。

 

わずかでも戻りを遅らせれば、残りは黄瀬君との1対1。雷速のクロスオーバーでぶち抜き、ダンクを決めた。

 

「ナイス!灰崎!」

 

「よくやったわ」

 

根武谷さんと実渕さんが手を出し、彼の掌を叩き合わせる。

 

 

 

油断なく赤司君がボールを出し、緑間君、青峰君と繋がる。やはり時間を一杯に費やして、体力の消耗を防ぐ構え。じっくりと落ち着いて、相手は攻め方を選択する。

 

しかし、残念ですね。考えれば考えるほど、思考は糸に絡めとられる。

 

「なっ……どうしてそこに!?」

 

赤司君の出したコートを縦に切り裂くパス。ゴール下の紫原君を狙ったそれを――

 

 

――ボクの右手が掴み取る。

 

 

「スティール!?またかよ!」

 

「これは花宮真の支配領域――『蜘蛛の巣』なのか」

 

赤司君が苦々しげな表情を浮かべた。かつて翻弄された記憶を思い出したのか。

 

「だけど、昔と一緒にされては困るね」

 

わずかに目を細めたのち、開眼する。未来を見通す超越能力。ワンマン速攻を狙う灰崎君の手元から――

 

 

――ボールが弾き飛ばされる。

 

 

「チッ……『天帝の眼』。さすがに厄介だな」

 

反撃は瞬時に止められる。やはり灰崎君でさえ、あの『眼』の前には無力。ボールを取り返し、悠然とこちらに歩み寄る。

 

「こちらの研究はされ尽したのだろうね」

 

チラリと横目で、コート外の桃井さんに視線をやる。

 

「たしかに以前は苦戦した。だが、すでに僕らはその段階にはいないよ」

 

「……ナメやがって」

 

花宮さんの言葉に、彼はそんなつもりはないさ、と答える。

 

「むしろ評価している。情報のスペシャリスト、桃井がデータを集め、キミがリアルタイムで演算する。それに加えて、黒子の神出鬼没。見事と言う他ないよ。パスを封じるための、理想的な戦術だ」

 

以前、帝光中学が味わった『蜘蛛の巣』とは別次元の完成度。ボクが加わることで、スティールの成功率は格段に跳ね上がった。わずかに興奮した様子で、赤司君は笑みを見せる。未知の戦術に対する好奇心だろう。

 

「だが、パスを封じたところでオレ達は。蜘蛛の張るか細い糸など踏み潰す」

 

ドリブルをつきながら、赤司君の集中が高まりだす。一方、花宮さんは冷めた様子で、軽く嘆息した。

 

「パス、ねえ……。安心したぜ。その程度までしか、まだ見抜けてないってことによ」

 

花宮さんの声を無視して、彼は自身の異能を開眼する。未来を見通す『天帝の眼』。ドライブと見せてのレッグスルー。たった一度の切り返しで、相手の横を抜き去った。

 

パスが無理ならドリブルで、圧倒的な個人技で押し潰せばいい。今年の全中ではそうやった。再戦した彼らはそうやって『蜘蛛の巣』を振り払ったのだ。しかし今回はやらせない。花宮さんの背後から、漆黒の影が出現する。

 

 

――ボクの手がボールを弾き飛ばした。

 

 

「あれは『天帝の眼』破りか……!」

 

1on1専用能力の弱点を突いた、視界外からの一撃。赤司君の顔に驚きが浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

帝光の攻撃。赤司君を起点に、慎重にボールを回す。彼らの顔には警戒の色が浮かんでいた。『蜘蛛の巣』から逃れようと試みる。

 

ちなみにこの戦術に対処するのは簡単で、ラン&ガンの走り合いに持ち込めばいい。速攻で目まぐるしくコート全域を動き回る展開だ。そうなれば、ポジショニングはバラバラ。攻撃パターンも無数に生まれ、花宮さんの予測の糸に絡めとられることも減る。しかし、彼らはそれをしない。体力的にできないのだ。

 

 

ゆえに選択は、ハーフコートでの個人技による圧殺。

 

 

「おっ!青峰が仕掛けた!」

 

ストバス仕込みのトリッキーなドリブル。プラスして、埒外の敏捷性(アジリティ)。マッチアップの木吉先輩を揺さぶり、一息の内に突破する。

 

「ってオイ、テツ!?」

 

「隙あり、ですよ」

 

ドライブで相手を抜いた直後の一瞬の気の緩み。そこを突いた視界外からのスティール。仕組みは『天帝の眼』破りと同一。

 

 

 

 

「チッ……だったら。隙が無いように攻めりゃいいんだろーが!」

 

青峰君が吠える。視線は縦横無尽にボクの姿を探し回り、意識は神出鬼没を捉えることに専心。対戦相手は、目の前の木吉先輩ではなく、幻想の中のボク。ドライブの直後に狙われるスティールを最警戒。だがそれは――

 

「そんな散漫なドリブルで!」

 

――木吉先輩にボールを弾かれる。

 

「やっべ」

 

甘く見過ぎですよ。これでも彼らは『無冠の五将』。無警戒で倒せる相手ではない。影に意識を割けば、疎かになるのは必定。

 

どろりと沈む泥沼のごとき深淵に、彼らは足を踏み入れた。彼らは影を恐れてしまったのだ。纏わりつく闇は意識を縛り、手足を重くする。攻守共にその呪縛から逃れることはできない。もはやボク達の術中。

 

今のプレイで、ハッとした表情を見せる赤司君。どうやら気付いたらしい。ボク達のチームのコンセプト、唯一の設計思想に――

 

目元を細め、こちらに厳しい視線を向ける。

 

「そういうことか……。見誤ったよ」

 

「何を言っているのだよ、赤司」

 

緑間君が疑問の声を上げる。

 

「灰崎の才能でも、桃井のデータでも、花宮さんの演算でもない。彼らが目指しているのはたったひとつ――」

 

『キセキの世代』と互角に戦えるのは。

 

「――黒子テツヤ。このチームは、彼の特性を最大限に発揮するためだけに作られている」

 

 

灰崎君の『光』も花宮さんの『蜘蛛の巣』も、ただの目くらまし。ギミックに過ぎない。全ては影に潜む深淵に引きずり込むための――

 

 

「これが未曽有の怪物、黒子テツヤの全戦力なのか……」

 

気配を消すのではなく、負の気配を纏うという、別解釈の影。過去に戻ってから作り上げた、異彩を放つアプローチ。幻影に対する恐怖や脅威を植え付ける、異端の戦術。

 

 

――『モード・黒子(ブラック)』

 

 

「まだ終わりじゃありませんよ。あと一手、ボク達は戦術を残しています」

 

『光と影の連携』、深化版『蜘蛛の巣』、『モード・黒子(ブラック)』。未知の戦術、奇襲の数々。手を変え品を変え、彼らを翻弄してきた。それも残り一手。しかし、乾坤一擲のそれは、今回の試合における唯一の勝機なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

こうして第2Q終盤、ボク達はようやく彼らの得点に並ぶ。パスを封じ、ドリブルを封じ、影に隠れて隙を突く。そうして全員にありもしない幻影に警戒させる。

 

しかし、ボクには分かっていた。このような奇襲が通じるのはここまでだと。後半戦は対応策を取られるはずだ。なにせ、相手は天下無敵の天才集団『キセキの世代』。その天才性は人外の領域である。

 

この後は彼らの独壇場。第3Qは再び点差を空けられ、終盤戦に突入する。

 

 

ここまで概ね計画通り。

 

 



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第40Q オールコートプレス

 

 

 

『キセキの世代』との戦いも、いよいよ終盤。手を変え品を変え、彼らを翻弄してきたボク達のチームだが、後半戦は劣勢を強いられていた。それも当然。元々の地力が違いすぎる。

 

帝光中学の練習後で、疲労困憊の状態での試合を挑んだのだが、それでも体力万全の灰崎君以外は、本来マッチアップすら難しい相手なのだ。ボクのドーピングで騙しだましやってきたが、やはり格の違いを見せつけられる形になった。第3Qを終えた時点で、互角だった得点差は10まで広げられる。

 

 

 

 

 

しかし、最終第4Q開始から1分。こちらは戦術を一変させる。

 

これまでのハーフコートではなく、オールコートプレスのDF展開に移行。全開で飛ばす体力勝負。積極的に圧力を掛ける攻勢防壁。コート全面を使った強烈なプレスに陣形を変えたのだ。しかもただのプレスではない。

 

「どうなってるんスか、これは……!?」

 

黄瀬君が出したパスが、突如出現したボクの手によって、カットされる。視界外からの急襲。敵チームに動揺が生じた。

 

即座に灰崎君にボールを渡し、カウンターの速攻が決まった。リングを通り過ぎ、コートに落下するボール。それを赤司君が手に取り、エンドラインの向こう側に立つ。表情を変えずに、彼は小さくつぶやいた。

 

「オールコートプレス……。しかも、厄介な仕掛けをしてくれるな」

 

リスタートのために、彼は周囲の状況を確認する。床を走る足音とバッシュの鳴らす乾いた高音が体育館に響く。

 

ボールを出させまいと、こちらはマンツーマンでの密着して壁になり、『キセキの世代』の面々もマークを振り切ろうと、コート中を走り回る。しかし、残念ながら動きのキレは鈍い。パスの出しどころを探すため、赤司君が数秒を費やし、何とかボールが黄瀬君に届く。

 

「この手のオールコートプレスは、囲まれる前にパスを回すんスよね」

 

葉山さんの密着マークによるプレス。パスコースなど作らせない。自分の身体を壁に、フットワークを働かせる。だが、身体能力によって一瞬だけ振り切った黄瀬君は、パスを受けてワンタッチで緑間君にパス。足を止めれば即座にディフェンスに囲まれる。目まぐるしくコート上を駆け回り、ボールの持ち主を変えながら、前線へと運んでいく。だが、彼らは気付かない。小刻みにマークチェンジを繰り返すことで、いつの間にかボクの姿を見失っていることに――

 

「なっ……黒子、いつの間に!?」

 

 

――ボクの手が緑間君のパスを弾き飛ばす。

 

 

これはただのオールコートプレスではない。灰崎君から葉山さんへ繋がり、瞬く間に得点を追加する。連続得点で相手との差を縮めていく。

 

 

 

神出鬼没かつ、奇想天外のスタイル。最終コーナーで逆転するための、この試合における切り札。ダイナマイトのごとき爆発力が、この陣形にはある。『キセキの世代』の皆の顔に焦りが浮かぶ。

 

赤司君ならば、すでにこのDF陣形の仕組みを理解しているだろう。だが、対抗策はまだ思いついていないはず。自陣からリスタートをするも、彼の指示はない。タイムアウト無し、助言する監督無しのミニゲーム。仮に赤司君が対策を思いついても、周知する時間はない。

 

「こっちにくれ!」

 

「青峰っち、頼むッス」

 

黄瀬君から青峰君へとボールが渡る。

 

「だったら、囲まれる前に突破すりゃいいんだろうが……!」

 

緩急を利用したチェンジオブペース。ドリブル突破でマークの根武谷さんをかわす。だが、その方向は彼の誘導。

 

予測通りの位置とタイミング。視界外からボクが距離を詰め、手元のボールを弾き飛ばす。青峰君の顔が引きつった。

 

「げっ……黒子かよ。ミスったぜ」

 

相手コートでのスティールは、有効なカウンターチャンス。目まぐるしく攻守の入れ替わる高速展開は、如実に体力差を浮かび上がらせる。つまり、ラン&ガンの走力勝負ならば、技量の差を運動量で覆すことが可能だ。

 

 

 

これはただのオールコートプレスではない。ボクの特性を、影の薄さを、神出鬼没を、最大限に発揮するための、DF陣形。かつての歴史で編み出し、猛威を振るったオリジナル。

 

 

――S・A・M・DF(ステルス・オールコート・マンツーマン・ディフェンス)

 

 

「疲れ切ったその体で、止められるものなら止めてみてください」

 

練習後の疲れの溜まった肉体。交代要員もなく、たった5人で試合を続けた最終Q。ただでさえ、才能の全解放に中学生の身体は追いついていないのだ。疲労困憊の今、全盛期のパフォーマンスは見る影もない。

 

ハンデにハンデを重ねた状況で、ボクの放った最後の一手。急所を貫くこの牙は、『キセキの世代』にすら届く。

 

 

 

 

 

 

 

試合は終わり、夕暮れの帰り道。木枯らし吹きすさぶ晩秋の風が、火照った体を冷やす。今日の出来事を思い返して、ボクは深く息を吐いた。

 

「届きませんでしたか……」

 

あれほど策を練り、挑んだ勝負だったが、結果はボク達の敗北に終わった。追い込まれた『キセキの世代』の底力。それは想像を超えるものだった。体力も尽きかけた状況で、あのパフォーマンスを引き出せるとは、脱帽するほかない。彼らの進化を甘く見ていた。

 

「その割には嬉しそうだね、テツくん」

 

隣を歩いていた桃井さんが不思議そうに首を傾げた。途中のコンビニで買った肉まんを頬張る青峰君が、その後ろをついてくる。

 

「そうですね、意外にも悪くない気分です」

 

無意識に浮かべていた笑みに気付き、彼女に言葉を返す。自身の敗北よりも、『キセキの世代』の才能の煌めきの方が嬉しいらしい。全戦力を費やして届かないことに、あまりショックを受けていなかった。自覚していた以上に、ボクの性質は影だった。

 

「テツ君が勝てなくて残念だったけど、お披露目としては良かったね」

 

「はい。一度体験した方が、戦術の理解も深まりますからね」

 

ボクは頷き、少し先の未来に意識を向けた。今回披露した戦術、ボクの経験の集大成をこのチームで使用する。想像するだけで気分が高まる。自然と握る拳に力が籠った。ここからはチームとしての完成度を高めることに専念しなければ。火神君と約束した対決まで、残り1年もない。

 

「やることは山積みです。新戦術の連携、基礎体力の強化、それに……」

 

今回の試合、本来ならば拮抗するはずがなかった。『キセキの世代』の才能とは、戦術でどうこうできるモノではない。正面から圧殺されるは必定。それができなかったのは、体力が尽きていたからだ。最低限、全戦力を発揮できる基礎体力の養成は必須。だが、それだけで火神君と戦うには足りない。

 

 

――『ゾーン』

 

 

選ばれしトップアスリートのみが入れる、極限の集中状態。研ぎ澄まされた意識と感覚。その潜在能力解放は、まさに圧巻の一言に尽きる。自由自在に『ゾーン』に出入りする、あの不世出の怪物を相手するには、『キセキの世代』の潜在能力の解放もまた必須である。あの状態の火神君は、まぎれもなく世界最強。別次元の性能であった。

 

赤司君が仲間を入れる『疑似ゾーン』も良いが、やはり普通に試合中に入る純正の方が強い。とはいえ、練習方法など思いつかないし、良質な試合経験を積む他ないかもしれない。

 

そのとき、制服のズボンの左ポケットに振動を感じた。携帯電話のメール着信。画面には、「火神大我」の文字。彼のことを考えていたところに、図ったようなタイミング。メールを開き、内容を確認した瞬間、かすかに息が止まった。

 

「なになに?どうしたの?」

 

わずかに顔色を変えたボクに興味をひかれたのか、桃井さんが目を輝かせて、横から画面を覗き込む。送信者の名前と内容を理解して、彼女の表情が引き締まった。内容はこうだ。

 

『年末、こっちでやる試合に一緒に出ないか?』

 

アメリカへの招待状である。

 

ストリートバスケの大規模な大会があり、メンバーとしての誘いらしい。試合形式は3on3。火神君と氷室さん+ボク、という構成。日本語で通じるので、意思疎通は問題なく、参加するなら、チケット代は向こう持ちらしい。

 

「大ちゃん、これちょっと見てよ」

 

「うん?何だよ……って、テツ。これは!?」

 

背中越しに上からボクの手元を見下ろし、驚いた声を上げる青峰君。経緯を説明すると、目を輝かせる。

 

「すげえじゃん。バスケの本場で試合なんて、羨ましいぜ。もちろん、行くんだろ?」

 

純粋に楽しそうな青峰君と、対照的に心配そうな顔を見せる桃井さん。彼女の抱える漠然とした不安の原因は、埒外の怪物であり世界最強プレイヤー、火神大我とボクの距離が縮まることなのか。

 

「家で話してみます。許可が出れば、ぜひ行きたいですね」

 

何年ぶりだろうか。かつての歴史で噛み合った光と影。各々が技量を磨き上げ、その対比は大きくなったはず。火神君はより輝きを増し、ボクは影を薄く、色合いを濃くしてきた。改めて彼と組んだならばどれほどの効果が発揮されるか、誰にも予測できないだろう。内側から湧き出す熱量。高揚を抑えきれずに、ボクの口角が自然と吊り上がった。

 

 

 

 

 

 

 

冬休みが始まってから数日後。海外旅行客でごった返す成田空港のロビー。一面ガラス張りの壁の向こうに、広大な滑走路といくつもの飛行機が並ぶのが見える。空いたソファー席に座り、ボクは手荷物を抱えて息を吐いた。海外旅行ゆえの緊張ではない。

 

「さて、明日の昼には試合が始まるわけだが。居ても立ってもいられない気分だよ」

 

「そうなんですか?少し意外ですね」

 

「あの男の埒外のプレイを、また直に見れるとあればね。オレだって楽しみになるさ」

 

――隣の席の赤司君が、返事と共に腰を上げた。

 

予定外の参加者が、今回は渡米する。

 

見慣れた制服姿ではなく、黒のコートを羽織った彼が、微笑を浮かべる。手元の搭乗券を確認したのち、腕時計をチラリと目を向ける。

今回の件に興味を持った赤司君も、アメリカに行くことにしたらしい。全くの想定外だった。しかし、あっさりと海外旅行を許されるとは、さすがは大富豪の家である。もちろん、中学生の一人旅ではなく、赤司家の執事が同伴だそうだが。初老の男性がこちらに歩み寄り、一礼した。

 

「そろそろ搭乗の時間ですね」

 

「ああ。僕はそろそろ行くよ」

 

シックな革張りのトランクケースを手に、彼は搭乗口の方へと向かっていった。ボクと両親はエコノミー席なので、搭乗はもう10分ほど後になる。ちなみにまだ空港内で買い物をしている。久しぶりの海外旅行で、浮き足立っているらしい。

 

赤司君の後ろ姿を見送りながら、軽く息を吐く。

 

「予想していなかった事態ですが。まあ、これも悪くありませんね」

 

今回の赤司君の同伴について。火神君に伝えると、二つ返事での了承だった。ボクとしても、最近の赤司君の不調を心配をしていたので、これが良い刺激になって欲しいと思っている。

 

火神君に敗北してから、どうにもプレイに精彩を欠いている気がするのだ。正確には安定性を欠いていると言うべきか。口調や性格も、ボクの知る中学時代ものと高校時代のものが混在するときがある。彼の中でのキャラ付けが曖昧になっているのか。精神の混乱の表れでもあるならば、何とかしたほうが良いだろう。

 

自分を呼ぶ両親の声が耳に届く。

 

ボクは日本を飛び立った。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、今回アメリカで予定されている対戦相手。それは映像でのみ、ボクらが知る者たちだった。全米で圧倒的な強さを誇る、若きストリートバスケットチーム。ある選手と対戦するまでは、同世代で比類なき絶対強者の座についていたほど。

 

特に、その内の二人は。

 

信じがたいことだが、その埒外の才能はかつての歴史における『キセキの世代』に匹敵する。いや、贔屓目を除くならば、むしろ超えている。バスケット選手としての超越した性能。全米最強にして最悪と謳われる暴虐者。その名は――

 

 

――チーム『Jabberwock』

 

 



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第41Q 歓迎するぜ

 

 

3on3ストリートボール大会。手元のルールブックに視線を落とし、ボクは翻訳する。

 

細かいルールはいくつかあるが、重要な点は多くない。コートは半面のみ使用。攻守交代制。1試合5分の前後半戦。

 

トーナメント制ゆえに連戦だが、速攻の無いハーフコートならば何とか体力も温存できるだろう。

 

 

 

 

 

異国の街をボクは歩く。NYの町並みは、当然ながら外国人だらけ。委縮する気持ちもあったが、すぐに捨て去り、実験として道行く人々の目から姿を消してみる。

 

結果は上々。擦れ違ったことすら気付かせず、人通りの多い歩道を過ぎることに成功した。やはり視線誘導の技術は、こちらでも通用する。人間の生体反応は大きく変わらないらしい。ただし、微妙な差異も存在する。例えば、周りに高身長の人間が多いためか、日本に比べて視線を上に誘導しやすい傾向がある。見慣れない肌の色に対する意識の注目度合いなど、環境要因の見極めが必要だ。これからの試合で観察しなければ。

 

視界に映る景色が変化した。先ほどまでの都会的な街並みとは異なる。緑の木々と、武骨な金網に囲まれた一角が出現した。まるで別世界。四方を囲むケージが、外界とその場を隔絶させる。あるのは一面のバスケットコートとリング。野外に監獄のように設置されたココが、大会の会場である。金網の周りには、まばらな人影。まだ早朝にも関わらず、ストリートの試合を楽しみに待っている観客だろう。その中に一組の日本人。

 

 

「おう、待ってたぜ、黒子」

 

「おはよう。黄瀬君と勝負したときに一緒にいたよね?まさか君が『幻の六人目』だとは思わなかったよ」

 

片手を上げて挨拶をする火神君と、挨拶の握手を求める氷室さん。差し出された手を握り返し、こちらも頭を下げる。

 

「招待してくれて、ありがとうございます」

 

火神君は笑いながら、肩を組んできた。

 

「何言ってんだ。オレもまたプレイしてえと思ってたんだよ」

 

「タイガがこう言うのでね。今日はよろしく頼むよ」

 

氷室さんから青のチームユニフォームを受け取った。白で書かれた文字に目を落とす。チーム『Alex』――2人の師匠の名前だったか。

 

「火神君、今日はボクも協力しますが、少人数の3on3は本領ではありません。できれば、今回のメンバーは……」

 

途中で彼らの視線がボクの背後へ向かう。言葉を止め、振り返るとそこには小柄な少年がいた。彼こそが今回、渡米した『キセキの世代』のキャプテン。

 

――赤司征十郎

 

「やあ、黒子。そして、皆さん。今日はよろしくお願いします」

 

すべてを見透かすかのような力強く、底知れない瞳。周囲を押し潰すプレッシャー。味方だというのに、わずかに気圧される感覚を味わった。今の彼は覚醒後のキャラか。

 

「飛び込みだが、歓迎するぜ。一度、チームとしてやってみたいと思ってたんだ」

 

「光栄だね。世界最強と謳われる君にそう言ってもらえるとは」

 

「謙虚な振りしなくてもいいぜ。眼が怖いくらいにギラついてるじゃねーか」

 

お互いに好戦的な笑みを浮かべつつ、両者は手を握り合った。今回限りの特別チームが、ここに結成される。

 

 

 

 

 

 

 

歓声に沸く野外ストリート会場。ボク達のチーム『Alex』の初戦。スタメンは火神君、氷室さん、そして赤司君である。未来では想像もできなかった、本来有り得ざるチーム編成。ボクの知る上で、最強に近いメンバーだった。

 

とはいえ、ここはアメリカ。バスケットボール発祥の地であり、選手たちのレベルも最高峰。事実、いくら全米から集められたとはいえ、U17の非公式大会だというのに、出場チームの完成度は日本のIH優勝校クラスを超える。一つひとつのプレイの精度や質が非常に高い。まだ序盤ではあるが、動きを見るだけで世界レベルを感じさせられた。

 

「何だ、あのガキ!相当上手いぜ!」

 

左右に揺さぶるフェイクからの、紫電一閃。赤司君のペネトレイト。鋭く切り込み、相手Cがカバーに寄せる瞬間、ノールックでパス。狙い澄ましたタイミングで、ボールを宙に浮かす。合わせるのは神域の怪物、火神大我。異常な滞空時間のジャンプで、アリウープでのダンクを叩き込む。途端に爆発する歓声。

 

「うおっ!豪快……!」

 

「さすが最強プレイヤー!やっぱ度を越して強いぜ!」

 

賞賛あるいは驚愕の英語が飛び交う。観客達の視線の先は、今やNBAチームも注目する最強の中学生である火神君。一目その姿を見ようと、会場には多くの観客が詰めかけた。しかしこの試合、それだけでなく、赤司君のプレイも話題に上る。

 

「あのPG、何者だよ。明らかにこの場で戦えるサイズじゃないのに」

 

「完全に手玉に取ってやがる……!」

 

タイミングを計り、赤司君がパスを放つ。ボールは寸分違わず、氷室さんの手元に収まった。そこからは彼の独壇場。流麗な舞のごとき、精緻にして美麗な絶技を披露する。基本技術を結集させた正確無比なプレイ。もちろん見事だが、その前の赤司君のパスも秀逸だった。

 

「よっしゃ、ナイスパス!」

 

裏を取った火神君にボールが渡り、ゴール下でのシュートが決まった。5分ピリオドの前半が終わり、すでに逆転不能な得点差。

 

 

この試合、ボクから見れば明らかに火神君は力を抜いていた。いかに彼といえど、中学生の身体で才能を全解放させるのは、負担があるらしい。過酷な鍛錬を積んできたであろう肉体ならばある程度耐えられるのだろうが、その必要はないとの判断か。

 

1on1でなく、連携を重視した攻め方も、強敵との対戦に向けた呼吸合わせの一環。赤司君も『眼』を使っていないし、あくまで前哨戦ということだ。

 

「全力を出すのは、やはりあのチームでしょうね……」

 

手元の対戦表の印刷された紙に視線を下し、ボクは小さくつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 

ボク達のチームが試合を勝利で飾ってから数十分後。順調にトーナメントは進んでいき、あのチームの出番となった。前大会優勝者『Jabberwock』である。映像で見た時も思ったが、やはりその強さは圧巻の一言。

 

金髪のPG、ナッシュ・ゴールド・Jr.。

 

「その程度のレベルで、よく出てきやがったな……」

 

前後左右に揺さぶるトリッキーなドリブル。相手がついてこれなくなった瞬間、その額を小突くようにボールを投げつける。

 

「あだっ!」

 

「ヌルいぜ、雑魚が」

 

明らかに馬鹿にした態度。舌を出して嘲りながら、手元に戻ったボールをゴール下まで投擲一閃。反応すら許さぬノーモーション、無拍子の一撃。

 

「なっ……いつの間にパスが…!?」

 

届くのは「神に選ばれた躰」と謳われる2mを遥かに超える巨体。ジェイソン・シルバー。そのパワーは人外の領域。ノーマークでパスを受けるも、わざとマークが戻るのを待つ。何の小細工もなく両手でボールを持ち、跳び上がった。両手持ちとは思えない高さに会場中が驚愕する。敵チームも二人掛かりでブロックを試みるも――

 

「オイオイ、貧弱すぎて笑えるぜ」

 

 

――軽々と弾き飛ばされる。

 

 

両手持ち(ボースハンド)ダンクが炸裂し、轟音が響く。いまだギシギシと揺れるリングとボード。絶望的な表情で尻餅をつく男達の前に屈み、中指を立てて罵倒の言葉を浴びせる。

 

「才能無さすぎだ。さっさとバスケ辞めた方がいいんじゃねーか?」

 

すでに相手チームの心は折れた。一矢報いる気さえ起らぬ、圧倒的な力の差。それを感じ取ったのだ。バスケの本場、アメリカの精鋭すら歯牙にかけない実力。スポーツ選手としての姿勢は最悪だが、他と隔絶した戦力なのは間違いない。

 

「しかも、これでも全力とは程遠い……」

 

底知れない性能を想像し、ブルリと体を震わせる。自然と声が漏れ出た。ナッシュは『眼』を、シルバーは『敏捷性』を、それぞれ見せていない。

 

「まったく……変わんねーな、アイツらも」

 

呆れたように火神君が隣で溜息を吐く。と同時に顔に苛立ちが浮かぶ。

 

「ぶっ潰したくなるぜ」

 

「……同感ですね」

 

ボクも頷いた。はっきり言って、目に余る。いまやモラリストとは程遠いボクであるが、それでも見ていて気分が悪い。

 

「とはいえ、彼らの性能は認めざるを得ません」

 

「ああ。しかも今度は、ヤツらも最初から本気だろうしな。ゾーン無しじゃ、さすがにナッシュとシルバー、2対1で勝つのは難しいぜ」

 

相手は全米U17でも頭抜けてトップクラスのプレイヤーなのだ。当然である。しかし、改めて理解したことがある。彼はひとりで勝とうと思っている。仲間に期待していない。連携という発想から外れた、個人技のみの戦術。それは余りに強くなりすぎたゆえの変質なのか――

 

「次の試合、前半は赤司君メインで進めてもらえませんか?」

 

火神君は意外そうに目を丸くした。まるで何かを見極めるかのように、数瞬ほどボクと視線が交錯する。驚かれる理由が分からないのだが……。

 

彼は口を開く。

 

「変わったな、黒子。そこまで勝ち負けにこだわりなかったか?」

 

批難ではなく、純粋な驚きの声音だった。言われて気付く。確かにこの大会を、赤司君の練習あるいは火神君の戦力調査としか考えていなかったことに。勝敗は度外視していた。

 

「まあ、別にいいぜ。赤司にナッシュを体験させればいいんだろ?アイツのゲームメイクに従うさ」

 

「ありがとうございます」

 

「けど、いいのか?ナッシュの強さは尋常じゃねえ。WCの頃の赤司に匹敵するぜ。中学時代のアイツが敵う相手じゃない」

 

心配する彼に、ボクは静かに頷いて見せた。敗北で潰れる可能性もある。しかし、『キセキの世代』の精神力はそれほど柔ではない。そう信じる。……いや、赤司君だけはちょっと不安だが。

 

「ヤツらと当たるのは決勝だ。体力は温存しておきたいな」

 

「最悪、ボクも出ますよ。そうすれば敗北は有り得ない」

 

 

 

 

 

 

 

そこからは連戦連勝。ついに決勝戦を迎える。朝から始まった大会だが、短い試合時間でサクサク進み、いまだ太陽は上空で黄色く輝いている。圧倒的な実力でもって勝利を重ねた両チーム。大方の予想通りに、順当に勝ち残った。いよいよ、両雄が激突する。会場に詰めかけた観客のボルテージも最大級。ボク達はコート横のベンチに腰を下ろした。

 

対面には敵側のチーム『Jabberwock』。屈強で威圧的な外国人達がこちらを、というより火神君を睨んでいる。ガラの悪さが際立つ、ギャング的、いわゆるストリート感が満載だ。街で会ったら避けて通るような。だが、今更気圧される者はいない。すでに臨戦態勢に入っている。

 

「では、行ってくるよ。黒子」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

赤司君がコートへと向かう。この穏やかで安定した雰囲気は、変貌前の方の彼だろう。今はこっちのキャラなのか。

 

最近分かったことだが、キャラ付けによってプレイの得意不得意があるらしい。変貌後のキャラは『天帝の眼』を基にした敵を支配するプレイを。今の彼は味方を支配する導き手としてのプレイを。それぞれ得意とする。いわゆるマインドセットだろう。火神君との対決以降、不規則にキャラが入れ替わるようになっているのが不安だが。プレイスタイルの変化が吉と出るか凶と出るか。

 

 

 

 

 

試合開始のブザーが鳴る。半面のコートを覆う歓声の渦。選手達の集中を肌で感じ取る。ボールは全米最高レベルのPG、『魔術師』ナッシュに渡された。対するは『キセキの世代』赤司征十郎。互いに視線を絡ませる。

 

 

最初はチーム『Jabberwock』の攻撃ターン。



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第42Q 絶対は僕だ

 

 

 

アメリカ合衆国、LA。木々と金網に囲まれたストリートのバスケットコート。ケージを取り囲む数十を超える観客やテレビカメラ。盛り上がりを見せる決勝の最終試合。ボクは金網の内側のベンチに腰掛け、仲間達の応援をしていた。

 

試合開始の合図。この大会はハーフコートの3on3。攻守交代制。

 

先攻はチーム『Jabberwock』。キャプテンを務める金髪の青年、ナッシュ・ゴールド・Jrがコート中央付近に立つ。その顔は嘲笑で醜く歪んでいた。彼はボールを受け取り、ドリブルを開始する。勢いよくボールを弾ませた。

 

「今回はチーム全員がサル共だぁ?とことん苛立たせるヤツらだぜ」

 

侮蔑的に吐き捨てる。彼の視線はかつて辛酸を舐めさせられた敵、火神君に向けられ、次いで、目の前の小柄な少年へと移動した。対面するは『キセキの世代』赤司征十郎。両者の視線が交錯した。

 

「テメエについて来られるかよ」

 

「これは……!?」

 

前後左右に激しくボールを揺さぶり、相手を翻弄するトリッキーなドリブルで攻め立てる。ストバス特有の動き。『魔術師』の異名に恥じない変幻自在のボール捌きであり、遠目からでなければ、容易に見失っていただろう。一目瞭然の卓越した技量。しかし、赤司君は喰らいつく。

 

「チッ……抜き切れねぇか」

 

舌打ちするナッシュ。これまでの相手とは別物と理解したらしい。即座に切り替える。ドリブル突破を断念し、パスに移行。しかし、ただのパスではない。腰を落とし一挙一動を警戒する赤司君。その脇を、無抵抗で切り裂く不可視の一閃。

 

「なっ……いつの間に!?」

 

明らかに遅れて、赤司君が驚愕と共に振り向いた。彼ですら感知できない、一切の予備動作を排した、無拍子の一撃。ノーモーションで放たれたパスは、屈強な黒人、ジェイソン・シルバーの手に渡る。

 

「オラァ!」

 

スピードの乗った状態でボールを受け取り、最高速からのドリブル突破。敏捷性を最大に発揮して、火神君を抜き去りダンクを決めた。

 

速い、とてつもなく。

 

間近で見ると、信じがたい速度だ。観察しながら、自然と驚愕の声が漏れた。しかも、あの火神君を突破するなんて……。

 

「ハッ!最初から『野性』も解放してやがるな。いいね、やる気出すじゃねーか」

 

獰猛な獣のごとく、火神君は唇を一舐めし、愉しげに口の端を吊り上げる。相手のシルバーも凶獣そのものの殺意を以って、世界最強に対峙していた。火花散る視線の攻防。

 

 

 

 

 

先制点を許し、チーム『Alex』の攻撃ターン。ハーフライン付近でボールを手にするは、PGの赤司君。先ほどの意趣返しとばかりに、生粋のストリートボーラーばりのドリブルを仕掛けた。前後左右に激しくボールを振り回す、特有のムーブ。

 

「うおおおっ!あのガキもすげえドリブル!」

 

見ごたえのあるPG同士の激闘に観客が湧く。盛り上がる会場とは裏腹に、相手の表情は冷静そのもの。並大抵では目で追うことすら困難なそれに、しかしナッシュは反応する。

 

「あの赤司君ですら……。ナッシュ・ゴールド・Jr、やはり技量は凄まじいですね」

 

素直に敬服する。そして、抜けないと見るや即座にノールックで火神君にパス。問題なく彼の手にボールが届く。だが、かすかな違和感。パスの寸前に赤司君の顔色が曇ったような……。

 

「今度はオレの番だぜ!」

 

最速を以って、シルバーのディフェンスを突破。気合いの雄叫びと共に、お返しのダンクを叩き込んだ。ギリッと憎々しげに歯噛みするシルバー。

 

「ナッシュ!オレにボールをくれ!」

 

「いいぜ、どんどん来いよ!」

 

ここからは火神君とシルバーの対決である。ナッシュは予備動作を排した無拍子で。赤司君もドリブルやフェイクを織り交ぜて。味方にパスを通していく。

 

超人的な身体能力を有したエースによる、一進一退の攻防が続く。シルバーが得点を決め、火神君が取り返す。それが延々と繰り返された。白熱の展開だが、ボクは溜息を吐き、首を横に小さく振る。

 

「完全に遊んでますね……」

 

わざと『野性』を発揮せず、あえて勝負を拮抗させている。手加減ではないが、全力でもない。自分が楽しむために戦力を調整しているのだ。

 

 

 

赤司君は、過去のボクの知る限り最優のPGだ。ノーモーションからの高速パス。手元を全く見ないドリブルスキルと、それによって完璧に把握されたコートビジョン。自分で決めるシュート力。司令塔として理想形に近い。

 

再びナッシュとのマッチアップ。技巧的なドリブルで赤司君が突っかける。迫真のフェイクを織り交ぜながら、味方の動きを把握する。目まぐるしく変化する戦況。両者の視線がぶつかり合う。火神君のマークが一瞬外れた。しかし――

 

「意表を突いて、氷室へのパス……!?」

 

観客のどよめき。背面越しに出されたのは、もう一人の選手、技巧派SG氷室辰也へのパス。洗練された舞踏のごときスタイルで、フェイントからのジャンプシュートを放つ。

 

「クッ……悔しいが、やはり相手も上手いか…!」

 

寸前でブロックに跳ばれ、彼の態勢がわずかに崩れる。普段の冷静な顔が歪む。滞空したボールがリングに弾かれた。

 

「ああー!惜しい、せっかく裏をかいたのに!」

 

周囲から声が聞こえるが、それは違う。出させられたのだ。火神君へのパスコースを封じることで。

 

間違いなく赤司君は、過去のボクの知る限り最優のPGだ。しかしそれでも――

 

 

――ナッシュ・ゴールド・Jrの前では粗が見えるのか。

 

 

 

 

 

 

前半戦が終了した。

 

休憩でベンチに腰掛ける仲間たち。世界最高峰の実力者が相手ゆえに、疲労感もこれまでとはまるで違うらしい。とはいえ、火神君は余裕が感じられる。

 

一方、赤司君の顔つきは厳しい。両手を組み、無言のまま力を込めて握っていた。今のところ、司令塔のパス回しで微妙な違いが生まれ、彼我の得点に直結している。現在2ゴールのビハインド。原因は純粋な技術(スキル)の差、そう思っていたのだが……

 

「厄介だな……。オレの『パス』が封じられている」

 

一瞬、何のことか分からなかったが、すぐに気付く。今の赤司君の有する超越技能。味方を『ゾーン』に入れる理想のパスのことだと――

 

「本当ですか……!?」

 

「ああ。独力で入れる火神君は別として。氷室さんにパスを出すときに何度か試みたが、明らかにタイミングをズラされた」

 

今回の歴史で初めて使われた、赤司君の埒外の能力。未来を知るボク達ですら初見の空前絶後の特性。対火神君の切り札として考えていたそれが、封じられているという。単なる技量でどうこうなるモノでは無いはずだが。想定外の出来事である。理由は不明だが、だとすれば相性は最悪。

 

「これはマズイですね……」

 

ボクの思っていた以上に、ナッシュの性能は群を抜いているらしい。

 

「ん?どうした、黒子?」

 

怪訝そうにこちらに声を掛ける火神君。

 

「いえ、何でもありません。今回は野性は使わないんですね」

 

「もう少し遊んでからだな。……赤司、マーク代わる必要あるか?」

 

苦戦した様子を見て、後半戦の確認をするが、赤司君は首を横に振った。

 

「打つ手はある。あまり気は進まないが……」

 

困った風に溜息を吐いた。直後、別人のごとく、彼の纏う雰囲気が豹変する。抜き身の刀の危うさ、押し潰さんばかりの威圧感。ある意味では懐かしい。かつての高校時代を思い出す。

 

おそらく、アレを解禁するつもりだろう。かつてボク達を、誠凛高校を、絶望の底に叩き落とした、アレを――

 

 

 

 

 

 

 

後半戦開始のブザーが鳴り響く。攻守は入れ替わり、チーム『Alex』にボールが渡された。相手側もメンバー交代は無し。当然だろう。マッチアップも変わらず。しかし、異なる点がひとつ。赤司君の人格(キャラクター)。

 

そして、直後に生じるもう一点。

 

 

――アンクルブレイク

 

 

「あのガキが抜いた!」

 

「しかも、ナッシュが転がされるだと!?」

 

今大会において、最大の驚愕が会場を襲う。各所から信じがたい光景へのどよめきが巻き起こった。

 

「頭が高いぞ」

 

傲岸不遜に言い放つ。尻餅を着いたナッシュを見下し、そのまま火神君との連携で得点を決めた。

 

これが、赤司君の有する固有能力『天帝の眼』。彼の代名詞とも言える、未来を見通す眼力。それを発動した。相手の視線や呼吸、心拍、筋肉の動き。彼の眼は、それら全てを見透かせる。

 

 

 

攻守交代。今度はナッシュがボールを手にする。これまでのある種の余裕は消え、表情に警戒が浮かんでいた。

 

「……まさか、お前も」

 

瞳には屈辱に対する怒りよりも、冷静さが宿っているようだ。まるで何かを見極めようとしているような。ドリブルでボールを保持している間、他の面々も縦横無尽にコートを駆け回る。赤司君とナッシュ、両者の視線が絡む。肌を刺すようなプレッシャー。別人としか思えない威圧に、よりナッシュの意識は警戒を増す。

 

「試してみるか……」

 

ボールを床に弾ませて、股の間を通す。ナッシュの視線は微動だにしない。しかし、右腕はすでに予備動作無しでパスを放っていた。この試合、無敵を誇った高等技術の結晶。ノーモーションでコート最深部へと空間を切り裂いていく。そのはずだった。

 

 

――ナッシュの右手から、ボールが弾き飛ばされる。

 

 

「絶対は僕だ」

 

 

まるで時が止まったかのよう。凄まじいスティールに、会場が静まり返る。転々とコートを弾むボール。赤司君はそれを、悠然と掴みあげる。

 

 

――彼の眼には、未来が視えている。

 

「なるほど。お前、未来が視えてるな?」

 

耳が痛くなるほどの歓声が止み、静寂に包まれた試合会場。静まった空気を破るように、ナッシュの言葉がボクの耳に届いた。腰に手を当て、深く息を吐く。1on1で敗北したとは思えない、平静な声音だった。

 

「初めてだぜ。オレと同じ眼を持ってるヤツを見るのは」

 

「映像を見て予想はしていたが……」

 

「こんなサル相手に、切り札を使う羽目になるとはな」

 

ナッシュの雰囲気が禍々しく変貌する。敵意が物質化して漂うかのような暗黒。ここに至り、ようやく赤司君を潰すべき敵と認識したのだ。かつて、火神君と対戦した映像からも分かっていた。彼の眼も未来を視れることを――

 

「だが、オレの『魔王の眼(ベリアルアイ)』は、お前のソレとは格が違うぞ」

 

傲慢なまでの自負を以って、ナッシュは口にする。そして、証明する。

 

 

――赤司君の手から、ボールが弾かれる。

 

 

「あの赤司君から……!?これが『魔王の眼』ですか……」

 

未来を見通す赤司君の裏をかいた。背筋が凍るほど絶妙な、パスカット。一瞬、見ているボクの呼吸すら止まったほど。

 

「理解したか?サルの分際で、オレに勝てるなんて思うんじゃねーよ」

 

「……理解したさ。なるほど、これが未来を読まれる感覚か」

 

挑発的に舌を出すナッシュに対して、赤司君は深く息を吐く。腰を落とし、意識をさらに研ぎ澄ます。先ほどの動作を元に、相手に対する想定を修正。

 

「だが、次はない」

 

言葉とは裏腹に、しかし赤司君は守備位置を半歩後ろにずらす。シュートよりも、ドリブル突破を警戒した構えだ。プレッシャーを掛けることより、抜かれないことを優先。相手を格上と見なしたのだ。『眼』の精度、というより身体能力や技量において。

 

「くっ……ナメるなよ」

 

不用意に制空権を犯すナッシュ。顔に嘲笑を浮かべ、ゆったりとボールをついて踏み込んでくる。挑まれた接近戦。両者共に有する未来を見通す眼。勃発する1on1。ナッシュは前後左右にボールを振り回し、果敢に攻め立てる。赤司君はそこから隙を読み取らんと喰らい付く。互いに最高峰の技量の持ち主。数秒ほど攻防は拮抗し――

 

相手の黒人選手が、氷室さんのマークを振り切る。

 

「えっ……!?」

 

 

――瞬間、すでに彼の手元にボールが収まっていた。

 

 

赤司君の警戒をすり抜け、最上のタイミングで届くパス。当然のごとく、フリーで放ったジャンプシュートが決まった。

 

「いつの間に……」

 

赤司君の顔が驚愕で固まった。普段の彼からは想像もつかない狼狽の表情。以前、火神君に敗北したときと同じ。かつての歴史では思いもよらなかった脆さが、露わになったのか……。

 

未来を見通す眼を持つ者同士。本来ならば状況は五分。それなのに、パスを許してしまった。つまり、これが実力の差ということ。あの彼が、と信じがたい気持ちもあるが、これが世界最高峰の壁。

 

そしてもう一つ気になるのが、先ほどのパス。明らかに精度が上がっていた。それも尋常でなく。マークを振り切った瞬間に手元に届いたボール。それは相手の動き出しを見てからでは間に合わない。味方の未来を予測でもしなければ。

 

 

ナッシュは対戦相手だけでなく、コート全体の未来が視える。

 

 

技量(スキル)も、眼も、赤司君を上回る。火神君と同等の脅威。人類の極限に迫る性能。観察を続けることで強張った身体を、大きく息を吐き、首を回すことで弛緩させる。凝り固まった頭をリラックスさせ、かつての歴史にまで記憶を遡る。

 

ボクの知る限り、赤司君が勝利する方法はひとつしかない。

 

「……これはまさか?」

 

ナッシュが目を見開き、驚きの声を漏らす。動きを止め、ここに来て最大級の警戒を仕草に表した。

 

「ゾーン……しかも、自力で入りやがっただと!?」

 

まぶたを閉じ、赤司君はコート中央に自然体で佇んでいる。触れれば切れる鋭利な刃。肌を刺し貫く、強烈な威圧。彼の身に纏う空気が、物理的な圧迫感を伴うほどに変貌していく。ゆっくりとまぶたを動かし、開眼する。全戦力解放状態。潜在能力を余すことなく使用する、究極の集中状態。

 

 

『ゾーン』

 

 

圧倒的な全能感と共に、彼は確信をもって言い放つ。

 

 

「もう一度言う。絶対は僕だ」

 

「ナメるなよ、糞ザルが。格の違いを見せてやる」

 

 

後半残り時間3分。世代最強のPGを決める対戦が、LAの地でいよいよ始まった。

 



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第43Q こちらには『幻の六人目(シックスマン)』がいる。

 

 

 

 

この僕、赤司征十郎には2つの人格が存在する。

 

 

元の人格である『オレ』と、ストレスにより後天的に生まれた『僕』。両者がせめぎあい、いずれかが表の人格として現出するのだ。帝光中学で涼太との勝負で追い詰められたとき、『僕』は創られた。絶対的な勝利を得ることこそが存在意義。ゆえに、火神大我に敗北を喫することで、自身の根幹が揺さぶられ、それ以降、『僕』の人格は不安定となる。存在の消失はすぐそこまで迫っていた。すでに主導権は『オレ』が握りつつある。

 

そんな中、NYで再び『僕』達は敗北の危機に見舞われた。精神世界で、『オレ』が残念そうな表情で口を開く。

 

『理解しているだろう?今のままでは、ナッシュに勝てない』

 

「ああ、身体能力や技量もそうだが。問題は、眼の精度で劣っていること――」

 

『僕』は認める。だが、正面に立つ『オレ』は瞠目し、左右に首を振った。

 

「『天帝の眼(エンペラーアイ)』が劣っている訳じゃない。おそらく、オレ達が二人に分かれてしまったからだ」

 

「なるほど。ならばつまり、ナッシュに勝利するために必要なこととは……」

 

 

『僕』の有する――未来を見通す『天帝の眼(エンペラーアイ)』。

 

『オレ』の有する――究極のパスを出すための『コート視野(ヴィジョン)』

 

 

これらを統合させること。つまりは、人格の融合が必要なのだ。後天的な人格である『僕』の消滅。だが、いずれは訪れること。意外なほど僕の心は静まっていた。

 

「全てを返して、一人の人間に。だが、最後に頼みがある」

 

『何だ?』

 

心の奥から、どうにも湧き上がる熱。勝利を司る人格としての意地か、最期を迎える者としての懐古か。あるいは、バスケットへの情熱か。『僕』の全てを懸けて、かつてない強敵との勝負をしたいと欲が出た。

 

『いいだろう。赤司征十郎として、必ず勝ってこい』

 

『オレ』の激励に、微笑を浮かべて頷いた。自身との対話は終わりだ。意識を深く沈めていく。雑念が消え去り、精神が研ぎ澄まされる。そして、トリガーを引く。

 

 

――『僕』の手で勝負を決める覚悟

 

 

一転して、視界が塗り替えられた。

 

 

 

 

 

 

 

決勝戦、残り2分。コートを取り囲む金網の内側に、老若男女の歓声が渦を巻く。クライマックスを彩る絶技の連続。狭いケージが熱狂に包まれる。この場の全員の視線はただ一組のPGの対決に向けられた。

 

 

――ナッシュの手からボールが弾き飛ばされる。

 

 

「チッ……またか!?」

 

サイドチェンジの瞬間を見通し、僕の掌がボールを叩き落とす。舌打ちするナッシュ。

 

守備範囲、反応速度、そして予測精度が上がった『天帝の眼』。ゾーン状態のそれは、もはや人外の領域。先ほどまで手も足も出なかった脅威の実力者、ナッシュの猛攻を跳ね除ける。

 

「あの反応速度、イカれてるぜ……!」

 

「とんでもねえスティールだぜ!」

 

周りの声は雑音として脳内には入らない。ただ、目の前の強敵のみに専心。続いてこちらの攻撃。キレを増したドリブル、精度を増した眼力。冴えわたる知覚と肌がヒリつくほどに鋭敏な触覚。格段に上昇した突破力で以って、ナッシュの予測を上回る。クロスオーバーからのペネトレイト。瞬時に相手の右脇をドライブで抜き去った。

 

「させるか、クソがっ……!」

 

巨漢の黒人、シルバーが俊敏な反応速度でステップし、立ちはだかった。『天帝の眼』で未来を予測する。相手は高さと速さを兼ね備えた怪物。インサイドに向かうのは悪手。ストップからのフェイダウェイジャンプシュート。この男でもギリギリ届かない距離を見計らい、ボールを投げ放つが――

 

 

――背後から跳ぶナッシュに、弾き飛ばされる。

 

 

「うおおおおっ!今度はナッシュのブロック!」

 

「さっきからお互い、全部止めてやがる!」

 

奥歯をギシリと噛み締める。攻撃を阻んだ金髪の男と視線を交わす。抜かせる方向を誘導されたか……。行動を読み切られたようだ。

 

先ほどから、同じ展開が続く。一進一退の攻防。僕が止め、ナッシュも止める。双方、矛よりも盾の強さが勝っていた。ゾーンで性能強化した僕は1on1で。ナッシュは味方を巧く利用して。それぞれ相手の攻めを封じていた。戦況は拮抗する。ゾーンに入った僕を以ってしても。

 

やはりナッシュ・ゴールド・Jr。身体能力や技術だけでなく、バスケIQも非常に高い。一人の未来しか見通せない僕の弱点を上手く突いてきた。コートの全景を予測しながら、ヘルプに来る選手を利用して一瞬の多対一を作り上げる。さらに――

 

「ナッシュが、少し引いて守ってるぜ!?」

 

抜かれないことを最優先にした構え。先ほどより懐が深い。無理にスティールは狙ってこないだろう。しかも、パスに関しては無警戒。

 

厄介な男だ。早くもこちらの特性を見切り、対応してきた。さすが、と表情には出さず、内心で驚嘆する。

 

僕がパスを出さないと、いや出せないと分かっている。僕のゾーン没入のトリガーは『自力で勝負を決める覚悟』だ。氷室ならともかく、火神に回せば、どうしても頼る気持ちが芽生えてしまう。ゾーンは解け、この試合もう没入できなくなるだろう。そこまで相手が理解しているとは思えないが、パスを出さないと推測してはいるはずだ。

 

「さすがにここまで引かれては……」

 

ゾーンといえど、抜ききれない。さすがに、僕と同等以上の眼を持つ男。ボールを前後左右に振り回すドリブルも、体勢を崩すには至らない。そして、ご丁寧にパスコースだけは空けてある。

 

「抜けるモンなら抜いてみろよ、クソザルが!」

 

ならば、とボールをキャッチし急激なバックステップ。瞬時に追いすがるナッシュ。距離の空いた隙を狙って、火神大我へのパス。と見せかけて、ノータイムでのロングシューを放つ。しかし、――

 

――寸前で手元からボールを弾かれる。

 

「くっ……やはり読まれたか」

 

「なるほどな。これで確信したぜ!」

 

顔を歪める僕と、対照的に口元を吊り上げるナッシュ。このパターンはもう通じない。

 

 

 

攻守入れ替わり、チーム『Jabberwock』。とはいえ、ナッシュの側も突破口は薄い。理由は、コート最深部に控える世界最強――火神大我の存在。試合終盤に至り、すでに彼の野性は解放済み。マンツーマンでシルバーを抑えながらも、コート全体に目を光らせている。神速のヘルプによる防御力。

 

1on1で僕を突破してからの、シルバーと連携した2対1。火神大我の守りを超える方法はそのくらいしかない。当然、ロングシュートは最警戒。

 

低く腰を落とし、慎重に制空権に足を踏み入れるナッシュ。相手も遠間からパスで逃げる気はないらしい。左後方にボールを残しながらドリブルで近付いてくる。互いにクロスレンジ。一閃で決まる距離。両者、共に開眼。

 

――バックチェンジから右。

 

未来予測と同時に僕は左手を伸ばす。だが、ナッシュの読みが深い。バックチェンジは囮。瞬時に背面で手首を返し、通常のドライブに移行する。これまでのストリートの派手なスタイルではない。正統派の、丁寧で無駄のない、最適化された技術。

 

「鋭いっ……!?」

 

誰かが叫んだ。前傾するこちらを抜きにかかるナッシュ。確かに駆け引きで敗れた。だが、そのパターンは想定内だ。抜かれる瞬間に上体を反転。ナッシュの背後から手を伸ばし、バックチップ。

 

「チッ……テメエ…!」

 

憎々しげに怨嗟の声を漏らす。ゾーン状態ならば、敏捷性(アジリティ)はこちらが上だ。ボールを弾き飛ばし、相手の攻撃を止める。

 

 

 

 

 

一進一退の攻防。だが、点差は2ゴールビハインドだ。残り時間は約1分。次で決めなければ、実質敗北が確定する。

 

センターライン上に立ち、視線を左右に彷徨わせる。左には氷室、右には野性的な雰囲気を放つ火神大我。彼の纏う威圧的な空気は群を抜いている。

 

そして正面に視線を戻す。金髪の男、ナッシュ・ゴールド・Jr。やはり隙が無い。油断も無い。この土壇場で、さらに集中力を高めてきている。しかも、先ほどのロングシュートで、パスは無いと確信された。1on1に選択肢を絞ったため、ドリブル突破のハードルはさらに上がる。

 

意を決して、最終決戦に臨む。細かなフェイクを入れ、最速のドライブを仕掛けた。狙うは左からの突破。だが、崩れない。横に並ばれ、進行方向をゴールから外にそらされる。

 

「ダメだ、抜けないぞ!」

 

「さすがにナッシュ、終盤でさらに上手い!」

 

ロッカーモーション、クロスオーバーでの切り返し、ストップからのジャンプシュート。全速力のドライブの最中、複数の選択肢が生まれ、瞬時に成否を判断させられる。『天帝の眼』による予測結果――すべてのパターンで敗北。

 

抜かせないこと、多対一に持ち込むこと。ナッシュほどの選手にこの方針を徹底されては、いかにゾーンでも厳しい。即座に導かれた思考に、僕の息がかすかに止まる。方法はひとつしかない。決心は刹那。勝利を司る人格である『僕』。最後まで、それに殉じよう。

 

 

――背面越しにボールを右へ放る。

 

 

「なっ……パス?」

 

虚を突かれ、ナッシュの顔が固まった。個人の勝利よりも、こだわるべきはチームの勝利。これが、僕の最期のプレイ。目指すはコート最深部。火神大我へ向けたラストパス。

 

それは無人の空間をふわりと飛んでいく。一秒にも満たないはずだが、僕にとっては何十倍にも感じられた。届け。

 

「ナイスパスだ、赤司!」

 

マークを振り切った火神大我がそれを掴む。互いの視線が絡み合い、意思が通じ合う。勝利をあの男に託した。その瞬間、ゾーンのトリガーが戻され、極限の集中状態が霧散する。だが、構わない。

 

――火神大我のダンクが炸裂した。

 

勝利をもぎ取れるのならば。

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした」

 

「……あとは頼むよ」

 

黒子と右手をタッチさせ、コートを去る。ゾーンが解け、疲労困憊のままベンチにもたれ掛かった。感慨と共に深く息を吐く。『僕』の人格が急速に霧散し始めている。『オレ』と『僕』はひとつになりつつあるのだ。後悔も未練もない。ただ、この試合だけは結末を見届けたいと思う。

 

「おいおい。交代した選手、さっきのヤツよりも小さいじゃねーか」

 

「しかも強さを感じないぜ。マズイな、完全に人数合わせのメンバーみたいだ」

 

観客の落胆や失望の声が耳に届く。全く、知らないというのは恐ろしい。僕は確信している。彼こそが、帝光中学の怪物、黒子テツヤ。スケールを全世界に広げようとも、厄介さは随一。

 

「ハッ……終わったな、テメエら。ここで雑魚しか残ってねえとはな」

 

黒人の大男、シルバーが凶暴性をそのままに嘲笑する。しかし、マッチアップする火神は期待の籠った表情で首を横に振る。

 

「分かってねーな。強いとか弱いとか、そんなんじゃねーんだよ」

 

「あん?」

 

チーム『Jabberwock』の攻撃でリスタート。ポジションは変更。ナッシュのマッチアップを務めるのは氷室。高水準の性能を誇る選手だが、さすがに未来を視る相手には敵わない。お互いにそれを理解している。

 

残り時間は30秒もない。ナッシュの思考をトレースする。たった今詰められた点差を、改めて引き離せば、試合は終わる。しかし、焦る必要はない。十分に時間を使って、そう彼は考えただろうか。残念ながら、彼を前にしては関係ない。

 

 

――ナッシュの手元から、ボールが弾かれていた。

 

 

「何だと……!?]

 

奪ったのは、交代して入った地味な選手、黒子テツヤ。神出鬼没によって、開始早々にスティールを成功させた。伏兵の活躍にどよめく試合会場。

 

さすが、と感心する。

 

十分に時間を残して、再びこちらの攻撃。何が起きたのか、相手は理解しているだろうか。無謀なスティールが決まっただけと思っていないか?あるいは油断だと?

 

「だが、ここで止めれば終わりだ」

 

動揺を押し殺し、冷静にナッシュが口を開く。最大限の警戒を以って、ラストプレイに備える。他のメンバーも同様。バスケの本場、アメリカで世代最強を誇るチーム『Jabberwock』。細心の注意を払った鉄壁の構え。

 

だけど、そんな常識で測るのはやめた方が良い。彼こそは、異端のスタイルで猛威を振るう突然変異の怪物。相手の『眼』の範囲外に逃れつつ、氷室がボールをあらぬ方向へと放り投げる。

 

「何だぁ?どこに投げてやがる……って、オイ!?」

 

 

――突如、ボールの軌道が変更される。

 

 

「こちらには『幻の六人目(シックスマン)』がいる」

 

 

鋭角に方向転換されたパスは、一気に最深部へと走る火神の手元に届く。タイミングは完璧。予想外の連携に虚を突かれ、シルバーの反応も遅れる。再び豪快なダンクが叩き付けられた。これで同点に追いつく。

 

「テメエ、何をしやがった……!」

 

「アナタの動きは、ベンチで観察させてもらいました」

 

「答えろ!」

 

淡々と返すテツヤの言葉に、ナッシュは激昂する。それほどに、理解外の出来事だったのだろう。性能で勝るのでなく、読みで勝るのでなく。気が付いたら負けている。闇夜に迫る亡霊のごとく。

 

僕にも気持ちは分かる。彼はときおり、『オレ』のコート全景(ビジョン)からも逃れ得る。無表情をかすかに崩し、微笑する。

 

 

「――『影の視線誘導(シャドウミスディレクション)』」

 

 

 

 

 

 

 

試合時間終了のブザーが鳴った。決着はつかず。同点により延長戦に突入。仕切り直し。だが、追いついた時点ですでに勝利は確定している。なぜなら――

 

「良いモン見せてもらったぜ、黒子」

 

「どうも」

 

「こっからは、オレの見せ場にさせてもらうぜ」

 

火神の雰囲気が一変する。寒気を覚えるほどの、研ぎ澄まされた鋭利な刃を思わせる雰囲気。没入した究極の集中状態――ゾーン。

 

 

 

 

 

延長戦は、呆気なく終わる。世界最強と謳われる火神大我の全戦力。神域の怪物が蹂躙した。

 



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第44Q やれるものなら、やってみな

 

 

 

春。帝光中学での学生生活も、いよいよ佳境。最終学年を迎える。始業式から数週間が経ち、校庭の桜も散り始める頃。通い慣れた3年の教室に再び戻ってくる。クラス分けはかつての記憶通り。改めて未来知識の正確さを認識させられた。

 

とはいえ、いつまでも歴史をなぞる必要もない。悩みのひとつが、コレだった。

 

「ねえ、テツ君。高校どこ行くか決めた?」

 

体育館の壁に寄り掛かりつつ、声のした方向へと首を向けた。興味深そうに首を傾げる桃井さんに、小さく否を告げる。悩みとは本日教室で渡された紙片、進路調査票について。

 

「そっかあ。実は私もまだ全然」

 

「おそらく、強豪校からスカウトは来るでしょうが……」

 

来るだろうか?言いながら少し不安になったが、これだけ目立てばさすがにスカウトされるはず。

 

とはいえ、今のところは未定である。火神君も帰国しないだろうし、誠凛にこだわる必要もない。過去の後悔を清算する、というのも悪くないが……。少し後ろ向きに過ぎる気もする。

 

かといって、洛山なり強豪校に魅力も感じていないのが、判断に迷うところだ。

 

「桃井さんも成績は問題ないですし、これから考えていけばいいですよ」

 

「テツ君もね」

 

彼女の言葉に、別の理由で苦笑する。ボクにとっては、2週目の中学生活である。高校入試くらい、好きなところに合格できなければ恥ずかしい。

 

雑談をしていると、体育館の扉を開けて中学生の集団が現れた。ここは第二体育館。これから2軍の練習試合が始まるのだ。周囲の練習着姿の部員達が動きを止めて注視する。

 

帝光中学の慣例として、2軍3軍の試合にも数人の1軍選手が同伴する。帝光の唯一にして絶対の理念こそが、勝利なのだ。今回の同伴メンバーはボクともう一人。

 

「お待ちしておりました。主将の赤司です」

 

「お、お出迎えありがとうございます」

 

到着した相手チームの顧問に向かって、彼は頭を軽く下げる。驚いた様子で、壮年の男性教師は声を詰まらせた。まさか有名な『キセキの世代』の主将が出てくるとは思わなかったのだろう。

 

「マジかよ、あれが『キセキの世代』……。雰囲気すげえな……」

 

「けど、何であんなに息が荒いんだ?」

 

「しかも、汗もすごいぜ。まさか連戦なのか?」

 

ヒソヒソと囁く相手中学の部員達。それもそのはず。明らかに彼の姿は疲労困憊。表情に見せないのはさすがだが、肩で呼吸しているような有様だ。すでに彼はみっちりとハードな基礎トレを実施済み。とりわけ筋力と体力を使うものを選んで行っていた。あえて、限界ギリギリの状況で試合に臨むつもりなのだ。そうとは知らない相手チーム。

 

もしも、それを知ったならば、ナメているのかと問いたくなるだろう。

 

その通り、ナメているのだ。

 

事実、いまや『キセキの世代』が中学生と戦う意味は多くない。いや、無いと言っても良い。その中で唯一の例外。赤司君だけが、彼らに練習台としての価値を見出していた。

 

「さて、ボクもウォームアップに行きますか」

 

「頑張ってね、テツ君」

 

笑顔で応援する彼女に応えるが、おそらくボクの出番は無いだろう。

 

 

 

 

 

年末に行われた、アメリカでの大会以降、赤司君の雰囲気が変わった。まずはキャラ付けをやめたらしく、かつての性格に戻ったこと。だが、これは正直どうでもよくて。何よりも重要なのは、――『眼』の精度が格段に上がったこと。

 

キャラごとに使い分けられていたソレが、同時使用できるようになった。さすがに出し惜しみをしていたはずはないので、彼の才能がさらに解放されたのだろう。そのため、今の赤司君は『眼』を使いこなすことに重点を置いている。積極的に練習試合に参加するのも、そのためである。

 

「さあ、行こうか」

 

ジャンプボールを制し、帝光スタート。ゆったりとした立ち上がり。疲労は体力だけでなく、思考力も低下させる。今回も赤司君は、負荷の掛かった状態での参戦である。

 

ただし、地域の強豪校とはいえ、所詮は2軍が相手にするクラス。まるで危なげなく、ドリブルでボールを保持。『眼』を使わずとも、単独で得点は可能だろう。しかし、彼はそれをしない。

 

「ヘイ!」

 

味方が裏を取った瞬間、合図として声を上げる。だが、赤司君に対してその必要はない。ノールックかつノーモーションで、事前にボールは飛ばされている。言い切る前に、仲間の手元にソレは収まっていた。何の予備動作もなく、即座にドリブルに移行できる、最適な位置とタイミング。

 

「なっ……ぴったり過ぎる!?」

 

受けた側が驚くほどの、有り得ざるパス精度。まるで未来でも視たかのような。味方の彼がイメージする理想の初動。それを一切途切れさせない、遮らない。最速最短の初動からの攻めで、そのままゴールを決める。

 

「うおっ!さすが帝光、先制ゴール!」

 

相手ベンチの選手達が声を上げる。傍目で見ている分には、シュートを決めた方に目が行くらしい。ただ、この得点の本質はパスにある。

 

「よくやった。この調子で行こう」

 

決めた選手と赤司君がハイタッチをかわす。仲間にエールを送ることも忘れない。

 

 

 

 

 

何事もない試合展開が続く。赤司君がパスを出し、味方が決める。ディフェンスでも、赤司君も締め付けを強める気は無いらしい。あからさまにならない程度に、手を抜き、得点差を調整する。

 

「第1Qは帝光ややリードか」

 

「まだまだ!ここから追い上げだ!」

 

相手ベンチから、士気の高い声が聞こえてくる。2軍とはいえ、全国最強の帝光と良い勝負ができているのだ。一気呵成に、全力でこちらに向かってくる。

 

一方、ボク達の側のベンチは落ち着いたもの。2軍コーチの指示に耳を傾けながら、淡々した様子で汗を拭いたり、水分を補給したりしている。決して沈んでいる訳ではない。むしろ、集中力が高まっている様が伝わってくる。第2Qが始まる。赤司君の『眼』がなくとも、この後の展開は見えている。

 

「ここからが本番ですね」

 

 

 

 

 

 

全国連覇を果たした帝光中学は、まぎれもなく当代最強のチームと言える。

 

とはいえ、表に出ることはないが、『キセキの世代』を除けば、今年の1軍メンバーは決して強くなかった。優秀な監督とコーチ陣、恵まれた練習環境。しかし、先代、先々代の3年に比べれば、明らかに劣る。

もちろん帝光で揉まれているために優秀には違いないが、しかし、試合に絶対に出られないことはモチベーションの維持に悪影響をもたらす。ましてや、一緒に練習するのが埒外の天才『キセキの世代』である。圧倒的な実力と才能の差は、奮起ではなく、諦念を呼び起こす。監督やコーチも、その辺りのフォローやケアには力を入れているが、なかなか難しい問題である。

 

つまり、例年よりも層の薄いメンバーなのだ。事実、先ほどの第1Qでも、何度かシュートを外し、攻撃を止められることもあった。そんな彼らであるが――

 

 

――第2Q、対戦相手を圧倒していた。

 

 

「何だよ、アイツら!動きが全然違うぞ!」

 

「どうなってるんだよ。まるで別人じゃねーか!」

 

相手側のベンチのどよめきが伝わってくる。コート上で、縦横無尽に駆け回る帝光選手達。その動きは普段に比べて、明らかにキレている。ボールを受け取り、インサイドへと切り裂くペネトレイト。クイックで放つジャンプシュート。プレイの精度も上昇している。まるで別人のごとき、性能強化。これこそが――

 

 

――赤司君の放つ『究極のパス』の効果。

 

 

最高のパスは、最高のリズムを生み、最高のプレイを導く。

 

仲間を疑似的な『ゾーン』状態に没入させる。それが彼の有する超越能力である。さすがに味方の潜在能力(ポテンシャル)が低く、『ゾーン』と呼ぶにはおこがましい深度ではあるが、当人の最深部まで沈めている。

 

「すげえ!どんどん点差が開いていくぞ!」

 

「これが帝光中学の本気なのか……」

 

ただパスを出すだけで、これほど試合を支配するとは……。赤司君の『コート全景(ビジョン)』による究極のパス。アメリカでの試合以来、より精度が増したようだ。普段、一緒に練習していない、2軍選手を没入させるには、相当な観察眼が必要とされる。得意なプレイやタイミングを推測し、微調整しながら、最適なパスを放つ。『眼』の実戦練習にはうってつけだった。しかし――

 

「何だ?動きが悪くなってきたぞ……。スタミナ切れか?」

 

実力以上の性能を引き出された選手達は、第2Q終盤から次第に動きに精彩を欠きだす。言うなれば、調子に乗って常に全力疾走しているようなもの。運動性能の上昇と精神集中によって、疲労を意識することは無いが、当然スタミナが切れれば動きは鈍る。そして、疲労を思い出せば集中も乱れる。後半戦を迎える前に、すでに仲間達の体力は限界に至っていた。だが、それも織り込み済み。

 

「メンバー全交代!?」

 

相手チームの驚きの声が響く。赤司君を除いた4名がチェンジ。体力万全の状態で、新メンバーをゾーンに入れるのだ。背番号は18番まで存在する。使えなくなれば、新しい選手を補充すればよいのだ。順々にゾーンに入れて、2軍の凡庸な彼らを強力な兵隊へと変貌させる。赤司君にとっては、また新たな選手を相手に『眼』の練習ができる。WIN-WINの関係である。

 

蹂躙は続く。

 

ある種、仲間を使い捨てにする戦術だが、味方から不満は出ない。それほどゾーン状態の全能感は甘美なものなのだ。まるで麻薬のよう。ボクは至ったことがないので想像だが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然のごとく勝利を決めて、第一体育館へと戻るボク達。試合にも出ていないので、この後は自主練をしていくつもりだ。赤司君も体育館に用があるらしい。新入生の評価などを話し合いながら、廊下を歩き、目的地に到着する。

 

扉を押し開けると、目に飛び込んだのはコート周りの人だかり。少し遅れて、鼓膜を揺らす部員達のざわめき。こちらに誰も気付かないほどに、常ならざる事態が起こったらしい。赤司君と視線を絡ませると、お互いに無言のまま現場へと足を進めていく。

 

近付いていくと、次第に状況が見えてきた。バスケットコートで、誰かが1on1の勝負をしていたらしい。得点ボードには正の字で5対3と書かれている。部員達の話す声が、耳に届いた。

 

「マジかよ、あの緑間が……」

 

「信じられねえ。何者だよ、アイツは」

 

ここで周りの面々もボク達の帰還に気付き、道を開ける。コートには2つの人影。片方は茫然と立ち尽くす緑間君。その表情は、驚愕で固まっていた。そして、もう一方の人影はボールを片手に微笑する青年。幾度かあったことのある、知り合いであった。

 

 

――氷室辰也

 

 

こちらに気付いた彼は、軽く手を上げる。それに対して、ボクも無言で会釈を返す。なぜ彼が日本に……?

 

「待っていたよ、黒子君。それに赤司君も久しぶりだね」

 

「ええ、お久しぶりです。どうしたんですか、わざわざ?」

 

「ちょっとキミに渡すものがあってね。せっかくなので、練習を見学させてもらってたんだけど」

 

小さく肩を竦めて見せる。冷静な表情だが、意外にも気持ちが昂っているらしい。

 

「お誘いを受けたのでね。『キセキの世代』の力、体験させてもらったよ」

 

「そうでしたか」

 

視線を緑間君に移す。その頃には動揺も収まったらしい。だが、取り繕った表情の中に、明らかに悔しさが混ざっている。ボク達の存在などお構いなく、まっすぐに氷室さんの元へと詰め寄った。

 

「もう一度、勝負をしてくれ」

 

「……その必要はないさ」

 

熱の籠った頼みに、しかし彼は左右に首を振った。そして、コート脇に置いてある鞄から封筒を取り出し、ボクに手渡す。

 

「これは……?」

 

「タイガからの贈り物さ」

 

困惑するボクだったが、促されるままに封を開ける。取り出した紙片は、英語で書かれたチラシ。バスケットボールの大会の告知であった。

 

「一番下を読んでくれ」

 

「……っ!?日本の全中優勝チームと……エキシビジョンマッチですか」

 

ボクの言葉に、周りの皆からざわめきが起こる。そう、つまりこれは……

 

「勝負の場は作った。本番で会おう、とアイツからの伝言だよ」

 

「ハッ!いいねえ、ようやくまた戦えるぜ」

 

「そうッスね。待ちわびたッスよ」

 

『キセキの世代』の面々の表情が、明らかに変わる。ギラついた瞳で、好戦的に口元を吊り上げる。ボクも仕草には表さないが、興奮を覚えていた。

 

「そういうことさ、緑間君。オレも試合に出るつもりだ。SG同士、決着はそこでつけよう」

 

「望むところなのだよ」

 

緑間君は、そう言って床に落ちていたボールを手に取った。それを頭の上に構え、シュートを打ち放つ。それも、反対側のコートへと――

 

「なっ……あんな距離を…!?」

 

氷室さんが驚愕を顔に表した直後、上空からボールがまっすぐに落下。綺麗にネットを通過した。なるほど、1on1では見せられなかった彼の才能。これは挨拶なのだ。次は全戦力を以って叩き潰すという――

 

「そう来られて無視はできないな。もう一本だけ、やろうか」

 

溢れんばかりの熱量を以って、氷室さんはコートへと誘う。緑間君に守るよう促した。

 

配置についたのを確認すると、シュートモーションに入る。十分に止められるタイミング。両者に高さのアドバンテージは無い。緑間君が反射的にブロックに跳んだ。氷室さんは手首を返し、ボールを放り投げる。

 

「何だと……!ボールが…消えた…!?」

 

 

――放たれたボールが、ブロックを擦り抜ける。

 

 

有り得ない錯覚を起こすほどに、特異な技であった。愕然とした表情を見せる緑間君。観戦する部員達も、理解不能の出来事にどよめく。直後、滞空するボールが精密無比な軌道を描いて、リングを通過した。ネットを揺らす乾いた音。氷室さんが誇るように、静かに囁く。

 

 

「――『陽炎の(ミラージュ)シュート』」

 

 

静寂。何が起きたのか、この場の大半は仕組みを理解できていないだろう。目の当たりにした緑間君も、まさに陽炎を掴んだ気分のはずだ。だが、遠目から見ていれば、分かる者もいる。ボクは当然だが、赤司君の眼ならば同じく。そして、卓越した観察眼を有する彼らも――

 

「前にも一度見せてもらったッスけど。さすがッスね」

 

黄瀬君が軽く拍手をしながら、声を掛ける。だが、口調とは裏腹に視線は鋭い。氷室さんが首を回し、視線を合わせる。

 

「1年前とは違い、今回は完成版だよ。まあ、挨拶代わりと思ってくれ」

 

「大盤振る舞いッスね。だけど、いいんスか?試合前だっていうのに、手札を晒しちゃって」

 

「構わないさ。君の才能は知っているが。そして、もう一人。灰崎君も同種の才能を有すると、タイガから聞いているが」

 

口を一旦閉じ、肩を竦めて見せる。

 

「今の彼を見る限り、明らかに初見の様子だね。1年以上掛けて、いまだ模倣(コピー)できていないと見える」

 

ピクリと黄瀬君の表情が引きつる。図星だった。そして、同じく灰崎君の表情も固い。基本的に彼らは、自身の技量を超える技の再現はできない。

 

 

「模倣?強奪?――やれるものなら、やってみな」

 

 

絶対的な自負と共に、彼はそう言い残して去っていった。

 

 

 

 

 

ボクは内心で感謝する。良い挨拶だった。日本で敵無しとなってしまった彼らに対する、最高のモチベーションだった。

 



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第45Q ……これが中学生?

 

 

 

GWも過ぎ、いよいよ最後の全中が近付いてくる。優勝すれば、帝光中学は前人未到の三連覇。とてつもない偉業を成し遂げることとなる。メディアの注目度も高まり、雑誌の月バスでは毎号、『キセキの世代』の特集が組まれるほど。バスケファンのみならず、一般のニュースに取り上げられたこともあった。そんな中――

 

――ボクらは一切の他校との練習試合をやめていた。

 

もはや『キセキの世代』にとっては、中学生との試合など何のメリットもない。他の1軍メンバーが、代わりに練習試合に付き合っていた。『キセキの世代』を出場させるよう理事長から指示が出たと風の噂に聞いたが、白金監督が阻止したらしい。露出が減り、秘密のベールに包まれたボクらは、不気味な静けさを他校の面々に与えた。前回大会で圧倒的な強さを見せつけた帝光中学の『キセキの世代』。表舞台に姿を現すのは、全中予選となる。

 

 

 

 

 

 

 

とある都内の体育館。陽も沈んだ頃、オレンジの電灯で照らされたコートで試合が行われていた。観客はいない。ただ、縦横無尽に駆け回る選手達とベンチには監督や控え選手が座るのみ。ボクもそこに腰掛け、コート内に目を向けていた。

 

「うわっ!青峰っちがブロックされた!?」

 

黄瀬君の驚きの声。長身のPFが、青峰君が上手投げで放つボールを叩き落とす。そのまま相手チームの手に渡り、カウンターの速攻を喰らう。今回、対戦するのは日本のプロチーム――『サンスターズ渋谷』。特にインサイドに定評があり、PFとCの選手は、全日本選抜にも出場している。

 

「ハハッ!いいじゃねーか!」

 

「中学生に好き勝手させられるか」

 

好戦的な笑みを浮かべる青峰君と、対照的に苦々しげに唇をかむ相手のPF選手。青峰君をブロックしたにもかかわらず、その表情は硬い。

 

相手の反撃。PFの選手にボールが渡り、そのままサイドからの突破を狙う。さすがに巧く、速い。フェイクの精度や心理の読み合い、何より身体能力の差が大きい。大人の、しかも一級のプロ選手の性能は並大抵ではない。

 

「……何でついて来れるんだよ」

 

しかし、彼の圧倒的なセンスはその差を埋める。平面の勝負では、埒外の敏捷性(アジリティ)がモノを言う。俊敏な反応でドリブル突破を阻止。しかし、相手もさるもの。拮抗したドリブルの1on1は止め、パワーと高さを利用した攻め手へと変える。

 

その場で跳び上がり、ミドルレンジからのフックシュートを放つ。190cmを超える相手選手の身長。さらに、腕を伸ばした状態から手首を返し、ボールを投げる。中学生の高さでは、無情にも届かない。フリーに近い状態で打たれてしまった。

 

「この距離で打たされるとはな……」

 

得点は決まったが、中距離からのフックシュートは外すリスクも大きかったはず。その証拠に、決めたはずの相手の表情は厳しい。実力差は思いのほか小さいようだ。

 

 

そしてもうひとつ、苦戦を強いられているマッチアップ。

 

「あの紫原が、押し込まれてる!?」

 

ゴール下での押し合い。『キセキの世代』のC、紫原君は中学生離れした肉体を持つ。しかし、背を向けた状態で仕掛けられる、相手のパワードリブル。分厚い肉体の日本代表Cが、じりじりと紫原君を押し込み、ターンをしてシュートを決めた。

 

高さも重さも相手が上。これまで、他を圧倒してきた紫原君の体格と筋力。それを相手は抑え込む。純粋に身体能力で勝負する紫原君こそ、大人相手で最も分が悪くなってしまうのだ。

 

「……違う、こうじゃない」

 

しかし、紫原君の顔に諦めの色は無い。むしろ、時間が経つにつれて、楽しげに口元が吊り上がっていく。何やら試行錯誤を繰り返しているようだ。専門でないボクには詳しく分からないが、回を追うごとに明らかに力が拮抗していく。

 

「これが練習の成果ですか」

 

去年から彼は、正しい姿勢を指導されてきた。才能任せ、力任せではなく。正確に力を伝えるためのフォームを身に着けてきた。その結果がこれなのか。結実し、発揮される本来の実力。だとすれば、高校時代ですらあまりにセンス頼りだったなと思うが……。

 

「おおおおおっ!」

 

「ぐうっ!何という重さだ……!」

 

リングに弾かれ、宙に舞うボール。ゴール下の戦場で、彼は吠えた。腰を落とし、肘を張って後方からの圧力に耐える。両者、全力でポジション取り。力の限りに陣地の奪い合う。同時に跳躍。キャッチしたのは、紫原君だった。

 

「ナイスだ!こっちよこせ!」

 

着地と同時に振り向き、声のした方向へとパスを送る。それは青峰君の手に渡り、そのままシュートモーションに入った。だが、マークマンの反応も早い。青峰君を超える長身を活かしてブロックに跳んだ。

 

「打たせるはずがないだろ……何だと!?」

 

青峰君は上体を大きく後ろに反らし、倒れこむような態勢でシュートを放った。滅茶苦茶なフォーム。苦し紛れにもほどがある、と相手は思っただろう。そうじゃない。これこそが青峰君の固有能力――『型のない(フォームレス)シュート』

 

「何であれが入る!?」

 

ボールはブロックを越えて、リングを通過した。これこそが彼の埒外の才能の発露。確信に満ちた青峰君の顔を見て、相手の選手はマグレでないことを悟った。常識外のスタイルを前にして、表情が引き攣る。

 

とはいえ、相手はプロ選手。しかも日本有数の代表選抜である。初見のスタイルにも、確実に対応してくる。

 

再度行われた青峰君との1on1。身長差を無視して、平面勝負で攻め込んでくる。ストバス仕込みのトリッキーなドリブルからの、横っ跳びで放つ『型のない(フォームレスシュート)』。サイドスローでぶん投げるボールを、今度は長身PFが手を伸ばして弾き飛ばす。

 

「すげえ!今度は止めた!」

 

「あれに反応できるのか……!」

 

帝光側のベンチから驚愕の声が上がる。眼を見開き、驚きの色を顔に表す青峰君。歴戦を潜り抜けてきた経験。そして、鍛え上げた成人男性の身体能力とリーチの長さが勝った。

 

「紫原がまた抜かれた!」

 

「アイツの反射神経でも間に合わないっ!?」

 

パワー勝負から一転。優位を確保できないと悟った巨体の相手Cは、ロールやターン、多彩なミドルレンジのシュートを駆使した戦法に切り替える。紫原君の不得手な心理戦、読み合いに持ち込んだ。

 

純粋な経験不足、という弱点は中学生の『キセキの世代』全員に共通する。あの赤司君ですらそうだ。LAでのナッシュとの戦いでは、眼を使った全力での試合経験の少なさが両者の実力に差をつけていた。

 

第1Qも残りわずか。帝光のオフェンス。赤司君から指示が飛ぶ。

 

「ああ~。仕方ないな~」

 

嫌そうに首を振り、紫原君がゴールから遠ざかるように走る。アイコンタクトを交わし、同時に駆け出す緑間君。スクリーンを掛けて、一瞬のフリーを作り出す。

 

相手方がスイッチするまでに、彼は3Pラインからシュートを放った。高く上がる軌道から、まっすぐにリングを通過。同時に第1Q終了のブザーが鳴った。

 

「何とか一桁差で持ちこたえたッスね」

 

「……リーグ首位のチーム。さすがの実力なのだよ」

 

ベンチに戻った彼らは、呼吸を整えながら感想を言い合う。日本のトップクラスを相手に余裕はない。特に敵チームのエースが揃った、PFとCと対する2人には。試合序盤だというのに、彼らは滝のように汗を流し、荒い息を吐いていた。それほどに、相手のスピードとパワーはレベルが違う。まあ。中学生と比べるのはおかしいが。

 

しかし、そんな強敵相手に、彼らはかつてなく愉しげな表情だ。

 

 

 

 

 

 

 

続いて第2Q。彼らの動きが徐々に変わり始める。前後左右にボールを振り回す、青峰君のドリブル突破。相手を翻弄するキレのあるボール捌き。先ほどよりもその速度が上がっている。わずかに態勢を崩した相手PF。その瞬間を逃さず、横っ飛びからオーバースローでの投擲。『型のない(フォームレス)シュート』。相手の選手は強引に手を伸ばして阻止せんとする。リーチの差でギリギリ届く、と思いきや――

 

「させるかっ!……なっ!止めた!?」

 

相手の顔が硬直した。寸前でもう片方の手でボールを止め、空中で素早く相手の左脇から奥に右腕を伸ばす。青峰君は相手の背中越しにふわりと投げ上げた。あの態勢から後方へは振り向けない。無抵抗で浮いたボールがネットを揺らした。

 

「うわあああっ!空中で滅茶苦茶動いたぞ!」

 

「……あんなの人間技じゃないだろ!」

 

双方のベンチから驚きの声が上がる。青峰君の圧倒的な敏捷性(アジリティ)。だが、それだけではない。本能で行われる高精度の未来予測――『野性』。

 

後天的に身に着けられる、経験による予測とそれに伴う反応速度上昇。青峰君の『野性』の精度が、強敵との対戦を経て成長しつつあった。この夏まで積み重ねた、日本有数の選手達との勝負を糧として。相手PFの顔に恐れが色濃く表れる。異常なまでの才能に対する畏れが。

 

「流れは渡さん!ボールをくれ!」

 

相手チームのもう一人のエース。巨漢のCにパスが通り、紫原君との1on1。ハイポストで背中を向け、ゴール下へと押し込むパワードリブル。だが、明らかに序盤とは違う。傍目からでも押し込めていないのが分かる。鉄壁の要塞。筋力というよりも、火神君の怪力と同じく、身体の動かし方が最適化されつつある。

 

「ぐっ……これが中学生?嘘をつくな!」

 

身長も体重も、大人であるプロ選手が上。だが、全力で押してなお、中学生の子供を動かせない。ペイントエリアから締め出される。日本代表を務める選手ですら、余りの焦燥に声を荒げた。それほどに異常な身体能力であった。

 

「……だが、勝敗は別だぞ」

 

背中越しにフェイクを入れ、ターンアラウンド。そこからのドライブと見せかけて、バックステップからのフェイダウェイショット。淀みなく、流れるような一連の動作。技量の高さを感じさせるプレイ。

 

しかし、その根底にあるのは逃避。圧倒的に超越した中学生への恐れ。駆け引きの苦手な紫原君だが、相手に芽生えた恐怖心を敏感に感じ取った。

 

「うおおおおおっ!」

 

紫原君が全身全霊の力を込めて、跳躍する。彼の有する人間離れした反射神経も相まって、タイミングは完璧。

 

「だが、届くか!?」

 

身長は相手の方が上。しかし、腕の長さ(ウイングスパン)ならば、紫原君が勝る。

 

 

――強烈なブロックショットが炸裂した。

 

 

「すげえっ!日本代表を止めた!」

 

「あのプレイについていけるとは……!」

 

怪物染みたブロックに歓声が上がる。肉体同士のぶつかり合いという、分かりやすい対決。強敵との邂逅。紫原君の才能が進化を遂げる。恵まれすぎた身体能力と反射神経。力と高さと速さを併せ持つ彼が、いよいよその使い方を身に着けつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

第2Q終了。追い上げを見せた帝光中学は、得点差を白紙に戻す。そして後半戦。白金監督が指令を出す。選手交代。

 

青峰君と黄瀬君の代わりに、ボクと灰崎君がIN。

 

「前半はオーソドックスなインサイド攻めだったが……。後半は、お前達で陣形を引っ掻き回して来い」

 

「はい」

 

「おう、分かったぜ」

 

戦術を一変させ、同時に走り回って疲労が見える青峰君を休ませる。現在の帝光中学の選手層は厚い。

 

視線を左右にめぐらせ、周りの仲間達を捉える。

 

「緑間、以前から練習していたアレを試してみよう」

 

「いいだろう。人事を尽くしているオレ達が、失敗するはずがない」

 

赤司君達が微笑して、隣に声を掛ける。緑間君はラッキーアイテムの電卓をベンチに残し、立ち上がった。

 

「じゃあ、オレの出番は最終Qになりそうッスね」

 

絶対的な自負を込めて、黄瀬君が不敵に笑う。

 

 

――かつての歴史を大幅に上回る、類稀なる才能を開花させたスタメン。

 

 

肩を回しながらコートに向かう灰崎君に視線を移す。

 

――C以外の全てのポジションをこなせる、オールラウンダーの交代要員。

 

 

ベンチに座り、膝元にノートを乗せた桃井さん。

 

――スカウティングに長けたマネージャー

 

 

深く息を吐き、意識的に表情を消す。気配の薄れたボクの姿に、相手チームの選手が幾人か、眼をこするしぐさを見せた。

 

――試合を一変させる、意外性をもった六人目(シックスマン)。

 

 

勝利以外は有り得ない。たとえ、火神君と氷室さんのコンビが相手でも――

 

 

 

 

 

 

 

帝光中学対サンスターズ渋谷。15点以上の大差を付けて、ボク達が勝利した。想像しうる限り最強のチームを以って、いよいよ帝光中学は全中に臨むこととなる。

 



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第46Q 楽しそうだろう?

 

 

 

全国中学バスケットボール大会――通称『全中』

 

1学期も終わりが近付き、いよいよ地区予選が始まった。昨年、圧倒的なチカラを見せつけ、連覇を果たした帝光中学の『キセキの世代』。あれ以降、練習試合にもほとんど顔を出さず、秘密のベールに包まれた彼らの正体を暴こうと、会場である市民体育館には例年を遥かに超える人数が詰めかけた。

普段は選手と家族くらいしか観客がいない地区予選だが、今年は取材陣や他校の偵察など、満席かつ立ち見まで出るほどの盛況ぶりである。メディアでも取り上げられ、注目度は過去最高。いや、歴代最高だろう。地区予選にも関わらず、選手達に掛かる重圧は尋常ではない。しかし――

 

「ったく、これで決勝かよ。結局、一度もテツの出番は無かったな」

 

「はあ~。ダルかった」

 

「本当ッスねー。オレらだって、出る意味なかったでしょ」

 

「オレは人事を尽くすだけなのだよ」

 

「無駄口はその辺にして。皆、整列だ」

 

 

――圧倒的な勝利を飾る

 

 

中央に両チームが集まり、試合終了の礼。番狂わせは起こらず、誰もが期待した通りの勝利である。だというのに、満員の観客席は静まり返っていた。期待外れだったから、ではない。期待以上、いや想像を遥かに超えた結果を目の当たりにして、皆が寒気を覚えたのだ。

 

138-0

 

地区予選の決勝とは思えない、常識外れの得点差。苦し紛れのシュート一本すら許さない完封試合。かつ、百点ゲーム。誰もが言葉を失う。

 

しかも、この試合だけではない。地区予選のトーナメントの内、全試合で同じ偉業を成し遂げたのだ。全力には程遠い、二段も三段も力を抜いた、体力温存のプレイによって。まさに別次元の性能。周囲の怯え切ったの表情も分かろうというもの。

 

歴史上最高の成績で以って、帝光中学は全中本選出場を奪い取った。

 

 

 

 

 

 

 

数日後、ボク達は視聴覚室に集められた。意外なことに、主催は桃井さん。プロジェクターにPCを繋ぎ、あるWebサイトのページを開く。海外のバスケットボール大会のサイトだった。

 

「火神の言っていた、戦いの場か……」

 

英文を一読して、赤司君が口を開いた。桃井さんも頷く。

 

「そうなの。出場チームを決めるエキシビジョンマッチの決勝があって。その結果が発表されたの。さっき、英語の先生に翻訳してもらったんだけど……」

 

何やら彼女の顔色は曇り、不穏な様子である。

 

TV局の企画らしい。アメリカの若き最強チームが、世界中の同世代チームと戦うというもの。選手の年齢制限は16歳以下。優勝チームは全世界のU-16と遠征して戦うのだ。スペイン、オーストラリア、フランスと強豪国が続き、最後に日本。明らかに日本だけ浮いている。裏でどんな働きかけがあったのか。

 

「決勝だけは映像が公開されてるから、せっかくだから皆にも見てもらおうと思って」

 

「わざわざありがとうございます」

 

ボクもまだ確認していなかった情報である。桃井さんに感謝の言葉を告げた。他の皆も興味津々の様子。彼女がPCを操作すると、スクリーンに映像が流れ出す。煌びやかにライトアップされた屋内のフロア。NBAの試合と見紛うほどに、観客の熱気や設備も申し分無し。

 

「ずいぶんと派手じゃねーか。さすが、部活の大会とは訳が違うな」

 

青峰君が感心した風に声を出した。英語での陽気なMCの紹介と共に、選手が入場する。まずは片方が入場。人気も高いらしい。万雷の拍手で迎えられる。堂々とコートまでの道を歩む選手達。人種は様々だが、各々が手を振って観客へとアピールしている。この大観衆を前にして、緊張の色は欠片も窺えない。

 

「おいおい……テレビで見たことある選手ばっかだぜ」

 

「U17のアメリカ代表が3人もいるのだよ」

 

16歳以下でありながら代表に参加した、アメリカの強豪校からの選抜組。最精鋭のバスケエリート集団。過去に世界大会も経験しており、チームワークも抜群。ボク達も、一目でこのトーナメントのレベルの高さを理解する。そして、もう片方。

 

「対戦相手は……何だと!?」

 

赤司君の言葉が止まる。これはボクにとっても想定外の出来事だった。MCが大音量で会場にその名を響かせる。

 

「全く対照的な対戦だぜ!もう一方のチームは、ストバス界からの参戦!ストリート最強--チーム『Jabberwock』!」

 

かつてボク達が対戦した、あのチームだった。現れる選手達。ナッシュ、シルバーを始めとした、柄の悪い、しかし強烈な威圧感を放つ面々。まさか、彼がトーナメントで途中敗退したのか?そうではなかった。驚愕のミックスチーム。

 

 

――火神大我と氷室辰也。

 

 

あの二人が、当然のように黒のユニフォームを纏って現れた。

 

「あはは……想像を超えてくれましたね、火神君」

 

思わず笑いが漏れる。自軍を強化したのは、ボクだけではなかった。彼は彼で、最強のチームを作り上げていたのだ。先に入場したチームとは真逆に、彼らは愛想なく、凶悪な眼つきでベンチまで歩を進める。危険な空気は相変わらず。だが、戦力としては最高級。

 

 

 

ジャンプボールから、試合が始まった。先攻は相手チーム。PGにボールが渡り、すぐさまボールが飛ばされ、敵陣を急襲。目まぐるしくパスが巡り、ジャンプシュートが決まる。言ってみれば普通の連携。基本的な動作の積み重ね。だが、会場中が息を吞んだ。あまりにも高い完成度。

 

「流麗な舞のごとき、基本動作の完成形。あれは氷室さんと同じプレイ……!」

 

「アイツら、素で氷室と同質のプレイができるんスか!?」

 

黄瀬君が驚きの声を上げる。何気ない動きの一つひとつが、凄まじく洗練されていた。純粋に、卓越した技量だということ。正統派な競技バスケットの最高位(ハイエンド)。それが彼らU-17メンバーなのだ。昨年度の世界最強を誇る面々。たったワンプレイで証明された。

 

反撃のJabberwock。金髪のPG、ナッシュは凄まじい勢いでボールを前後左右に振り回す。超高速かつ相手を翻弄するトリッキーなドリブルで仕掛けた。『魔術師』の異名に相応しい、予測不能のスタイル。相手とは対照的なストバス特有のムーブで攻め込んだ。不規則に跳ね回るボールの軌道。

 

『何だと……!?』

 

それを相手は見切り、奪い取る。ナッシュの顔が、悔しさに歪んだ。Jabberwockのメンバーに動揺が走る。

 

反撃のワンマン速攻。相手PGが俊足で以って、コートを駆け抜ける。だが、後方から埒外の速度で迫る黒人の大男。身体能力の高さは、あの火神君とすら互角。『神に選ばれた躰』と謳われる、ジェイソン・シルバーが敵の背後からボールに手を伸ばす。

 

「すげえスピードだな。……って、見ないでかわしやがった!?」

 

死角から伸ばされた手を、寸前でかわして味方にパス。何という視野の広さ。アレは秀徳の高尾さんと同じ、『鷹の目(ホークアイ)』。当たり前のように、使いこなすのか。

 

開始早々、連続で得点を奪われる。

 

『らあっ!』

 

流れを変えるべく、火神君が1on1から、突破してダンクを叩き込む。会場が一気に湧き上がった。さすが。しかし、相手は予想通りとばかりに布陣を変更。火神君にダブルチーム。

 

『またタイガにボールが渡るぞ!』

 

MCが期待感を込めて叫ぶ。しかし瞬間、火神君の顔色が変わる。ワンタッチでパス。細身の黒人選手、アレンに繋ぐ。鉄壁のダブルチーム。あの彼ですら、正面から突破できないのか……。

 

「連携も少し乱れているな。やはり急造チームか……」

 

赤司君の眼がそれを見抜く。パスを受けた選手の動きがわずかに鈍ったのだ。意思疎通にズレがある。その隙を逃す相手ではない。アレンの手元からボールが弾かれてしまった。これがアメリカ最高のU-17のチカラ。

 

 

 

 

 

 

 

第1Qはじりじりと得点差が開き、第2Qもその流れは続いた。だが、後半に入り、変化が現れる。

 

ナッシュの放つノーモーションパス。予備動作なく発射された弾丸は、即座にゴール下へ走りこむ火神君の手元に届く。間髪入れずにボール片手に跳躍。

 

『高いっ!だが、マークを振り切れていないぞ!』

 

ダブルチームは健在。俊敏な反応で回り込み、両者共にブロックに跳んでいる。火神君だろうと、強引な突破は困難。空中で彼のダンクが止められ――

 

『おい、ちゃんと決めろよ』

 

『うるせえ。黙って渡せ』

 

――止められる寸前で、後方にパス

 

『なっ……シルバー!?』

 

それをキャッチして跳躍。火神君がマークを引き付けた上で、レーンアップからの高高度ウインドミルダンク。強烈な勢いでリングに腕を叩きつけた。相手を威圧する剛腕。

 

後半になって、個人技ではなくコンビネーションでの得点が増えている。

 

「連携のズレが修正されてきたな」

 

「ああ。それに、まだナッシュも全力ではない」

 

眼鏡に手を当てて、緑間君がつぶやいた。それに頷く形で赤司君が付け加える。ゾーン状態の赤司君ですら勝てなかった、あのナッシュ・ゴールドJrという選手。全戦力の開放はこれから。

 

『ナッシュのスティール!とんでもなく絶妙なタイミングだぜ!』

 

1on1からのカット。切り返しのタイミングを予知したかのように、最短の動作でボールを弾き飛ばす。絶妙さは寒気がするほど。一目で分かる。開眼したのだ。ナッシュの有する超越能力――

 

 

――『魔王の眼(ベリアルアイ)』

 

 

赤司君と同じく、未来を見通す超常の眼。それを彼は使用する。続く反撃のカウンター。ついに相手PGを1on1で突破した。敵の陣形を切り裂くペネトレイト。慌てて別の選手がカバーに動く瞬間、予兆なく放たれたノーモーションのパスが、完璧なタイミングで氷室さんの手元に収まった。ただでさえ火神君に2人マークが割かれている現状。フリーで彼は、華麗なシュートを決めた。

 

『やはり格が違うな。これがナッシュの眼……』

 

どこか隙を探そうと、赤司君が真剣に画面に視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

ナッシュの開眼により、戦況は『Jabberwock』優位に進んでいく。序盤につけられた点差が、徐々に縮まっていく。司令塔同士の優劣が、如実に試合展開を左右したのだ。そして最終第4Q。ここまで沈黙を保っていた、彼が覚醒する。

 

『何だあっ!あの強さは!』

 

『人間離れした高さと速さじゃないか!?』

 

発揮される火神大我の全戦力。

 

――ゾーン

 

左右に素早く上体を振り、残像すら生じる神速を以って、二人掛かりの鉄壁を突き破る。全米屈指のダブルチームを、単独で貫いた。明らかに変貌を遂げた動きに、相手は表情を硬直させる。

 

『と、捉えられない……!?』

 

神雷のごとく、鋭く、速く、そして力強い。極限の集中状態にある彼の性能は、世界最高峰のこのステージにおいても圧倒的だ。強さ、速さ、巧さ、高さ。ひとりのバスケット選手として、まぎれもなく世界最強。

 

 

――神域の怪物がここに降臨した。

 

 

それから数分後。火神君が天高く跳躍する。宙を舞い、空を駆けるエアウォーク。重力から解き放たれた、異常な滞空時間。停止した時が動き出す。豪快なダンクが炸裂した。会場全体を揺らす怒号のような大歓声。直後、試合終了のブザーが鳴り響く。

 

 

ここで桃井さんが映像を停止させた。

 

 

勝者は当然、チーム『Jabberwock』。10点以上の差をつけての勝利だった。凄まじい強さを見せつけられた。画面が暗くなった後も、少しの間静寂が続く。衝撃的な情報を、各々の頭の中で整理しなければならなかった。映写機が止まり、青白い光だけが照らす薄暗い部屋で、皆の息遣いが聞こえる。最初に口を開いたのは、赤司君だった。

 

「これが、オレ達の相手だ。個人だけではなく、チームとしても世界最強だ」

 

さほど広くない室内に、声が重々しく響いた。ボクと彼は実際に体験している。『Jabberwock』の選手の凶悪さを。

 

未来を見通す眼、『魔王の眼(ベリアルアイ)』を有する、ナッシュ・ゴールド・Jr。神に選ばれた躰と謳われ、圧倒的な身体能力を誇る、ジェイソン・シルバー。もう一人のアレンという黒人選手も、性能はU-17代表クラスと遜色無い。それに加えて、緑間君を1on1で下した氷室さん。何よりも――

 

 

――世界最強のバスケット選手、火神大我

 

 

戦う前に心を折るようなメンバーだ。赤司君も仲間達の反応を窺っている。しかし、心配は無用だった。

 

「面白えじゃねーか。これ以上ない強敵だぜ」

 

「ま、そうッスね。弱い相手ばっかで、飽き飽きしてたし」

 

青峰君は攻撃的な形相で、黄瀬君は軽く肩を竦ませてから、戦意を表した。ほかの面々も同じく。その様子を見て、ボクもホッと肩を撫で下ろす。大丈夫だ。これで彼に挑戦する準備は整った。あとは本番に向けての対策を練るだけ。

 

「……桃井さん、彼らの情報収集お願いしますね」

 

「うん、任せて」

 

ボクの頼みに、彼女は嬉しそうに頷いた。暗かった部屋に電灯が点く。教壇に白金監督が上がり、皆の顔を見回した上で、厳かに声を発した。

 

「敵の姿は見えたな?これからの挑戦は、全国最強のウチの中学を率いる私にすら、経験の無いものだ」

 

まっすぐに彼らを見て、監督は事実を述べる。全国優勝の常連校、帝光中学の監督でさえも。当然だ、相手は世界最強。職業人であるプロリーグの監督ですら、その経験を持つものは稀だろう。あくまで中学校の教師には重すぎる大任。弱気になったのか?そうではないことは、瞳を見れば分かる。

 

「お前達にとってそうであるように、私にとっても同じだ。世界最強か……。あまりに高すぎる壁だ。日本人で、こんな勝負をする者はいないだろう」

 

監督は一拍、間を置いた。

 

「楽しそうだろう?」

 

放たれた言葉に、皆の表情が緩む。微かに笑みが浮かんだ。この未曽有の大敵にぶつかるのは、選手達だけではない。知らず緊張していた彼らに、安心感が戻ったのだ。先ほど、横目でコーチ陣を見て、その強張った表情に不安を覚えていたのだが、ボクも少し肩の荷が下りた気がした。本当は監督にも恐れはあるのかもしれないが、それを欠片も見せないのは流石だった。

 

「練習はさらに厳しくしていく。お前達も覚悟しておけ」

 

「はい!」

 

監督の言葉に、全員が大きく返事をした。

 



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第47Q 3年生の思い出作りか?

全中の本選が始まった。『Jabberwock』の試合を見てからというもの、もはやボクらの中では、相当優先順位が下がった大会である。

 

前人未到の三連覇成るか、と会場の東京体育館には多くの観客が詰め掛け、取材陣も数も例年とは比較にならない。時折見掛ける外国人らしき記者達は、米国のTV局の関係者だろうか。

 

熱狂とも言える注目度の中、しかしボクらは冷めていた。来たる大戦に向けての準備でしかない。あくまで勝負の場に上がるためのチケット準備。日本中のバスケをやっている中学生の憧れの舞台なのは分かっているが、1年生から3年生まで、全て出場して三連覇が歴史上有り得ざる大偉業なのは分かっているが。だとしても、何の興味も湧かない。それが『キセキの世代』を含む、ボクらの総意だった。

 

「おーい、黒子!」

 

「お久しぶりですね。荻原君」

 

耳に届く懐かしい声。その場で振り向き、片手を上げて再会の挨拶をかわす。帝光中学の他のメンバーならば別だが、ボクは体育館の席に座っていても騒ぎにはならない。影が薄いから、というよりも。今大会でボクは、一度も試合に出場していないからだ。

 

「試合見たぜ。今年もとんでもないな」

 

「そうですね」

 

謙遜しようもない事実に、ボクは曖昧に頷いた。さすがに眼中にないとは言えない。座っている2階席から、眼下のコートを見下ろす。試合は行われていない。現在、決勝開始までのインターバル。

 

「いよいよだな、黒子。正直、怖い気持ちの方が大きいけどよ」

 

荻原君の表情は硬い。ポジティブな彼だが、未来に対して希望を見出すのは難しい。午後から行われる決勝戦。対戦カードは、帝光中学VS明晄中学。できることなら、彼とぶつかるのは避けたかった。待つのは惨劇しかないと、明白だったがゆえに。

 

「どんな結果になったって、オレは全力でやるからな」

 

「はい、楽しみにしています」

 

「けどよ。去年あんなに活躍したのに、今年は試合出ないのか?どっか怪我してんのかと思ったけど、そんなことも無いようだし」

 

首を傾げる彼に、少しだけ考えてから答える。

 

「どうやら、ボクの出る幕は無いようですから」

 

「お前が?そんなはず……そうか」

 

話している最中に、彼の言葉尻がしぼんでいく。気付かれてしまったらしい。帝光中学の総意。切り札を切るまでもないという判断を。

 

 

 

 

 

 

 

全中の決勝戦。超満員の会場。座席も埋まり、通路にまで人が溢れる様は、かつてないほど。しかし、試合も終盤だというのに、熱気はなく、むしろ静けさが空気を支配していた。地区予選と同じく、圧倒的すぎる戦力が弱いもの苛めに見えてしまうから。それはある。だが、観客達の見方はこの大会を通じて変わってきた。全試合無失点かつ百点ゲーム。人智を超えた天才達への期待感に。

 

前人未到の全国大会三連覇が成るか否か。それがマスコミを含め、大多数の関心事だった。いまや、それを疑うものはこの場にいない。そんなことは、できて当然。誰一人想像すらできなかった伝説を、大偉業を成し遂げられるのか。満員の体育館はコート上の5人に釘付けにされていた。手に汗握り、誰もが無言。伝説の誕生に立ち会っている、歴史の証人になっているのだと、自覚していた。

 

「くっ……ダメだ、取られる」

 

明洸中学のサイドからのリスタート。エンドラインからボールが出され、選手が受け取るやいなや、手元から弾き飛ばされる。スティールから2歩でレイアップ。黄瀬君が得点を決めた。すでにスコアボードは百の大台を突破している。相手チームの雰囲気は陰鬱そのもの。

 

「こんなの……勝てる訳ないじゃねーか…」

 

「人間業じゃない」

 

緊張の糸が切れたのか、抑えていた弱音が漏れ始める。

 

「諦めるな!1点だけでも取って、胸張って帰ろうぜ!」

 

荻原君が檄を飛ばす。虚勢だろう。顔にはうっすらと涙が浮かんでいる。だが、最後まで戦おうと仲間に伝えた。彼らは視線を合わせ、頷いた。

 

「パスを回せ!足を止めるな!」

 

「こっちだ!」

 

全力で駆け回り、捕まる前にパスを出して、再び走る。残り少ない体力を振り絞ったラン&ガン。『キセキの世代』を相手にドリブル突破は不可能。一か八か、リスクを許容してのパス回し。たった数本、ボールを繋げるだけで紙一重の奇跡が必要とされた。だが、その甲斐あって速攻の準備が整う。

 

「頼む!決めてくれ!」

 

荻原君が全身全霊を込めて放つオーバーハンドパス。一気に前線までボールを投擲した。明洸選手の一人は、脇目も振らずに駆け上がっていた。センターライン以降へとパスを受け、単独での速攻を狙う。

 

 

 

今回の全中における、我ら帝光中学の作戦を思い返す。周囲の期待や重圧とは逆に、ボク達のモチベーションは相当に低い。昨年ですら圧勝したのだから、今年も当然ながら、苦戦するはずもなく。プロや大学生との練習試合と比較すれば、時間の無駄という意識を持つのも無理からぬ話。赤司君や緑間君ですら、義務感での参戦であった。

 

この状況に対して、白金監督は一計を案じた。敗北は絶対に許されない。ただし、彼らに対する全中の意義付けは早々に諦め、代わりにひとつの目標とひとつの作戦を授けた。

 

全試合で「百点ゲームかつ無失点」という目標。そして――

 

 

――紫原君の守備専念。

 

 

「なっ……こんな…壁かよ」

 

驚異的な反射速度+世界規模の高さ。単独速攻を狙った明洸中学の選手が、愕然と震え声を漏らす。一切の容赦なく、仲間達の期待を込めて放つ渾身のシュートが、止められたのだ。常に自陣に控える、広大な守備範囲を誇る巨人。欠伸交じりに行く手を阻む。

 

 

これが全試合無失点のカラクリ。

 

 

万に一つの偶然すら、許さない。守備範囲は3Pライン以内の全域という埒外の防御力。紫原君を自陣に残すことで、失点の可能性を完全に摘み取る。油断しても、やる気が薄くとも、それでも必ず勝利するために。これが白金監督の作り上げた、格下に絶対に負けないための布陣。

 

その分、攻撃が4人となってしまい、手薄になるのだが――

 

「赤ち~ん、はい」

 

奪ったボールを、そのままセンターライン付近の赤司君にパス。流れるように、高速でボールは緑間君へ。クイックで放つ通常の3Pシュート。リングにかすりもせず、正確無比に打ち抜いた。

 

 

――攻撃に、彼ら4人は多すぎる。

 

 

攻防共に無敵。明洸中学の面々を、再び絶望が侵食する。ここで選手交代のブザーが鳴った。会場中の時が止まった気がした。表情で分かる。疑問符が彼らの顔に浮かんでいる。残り時間1分。今更、なぜ交代の必要があるのかと。選手の体力は、まあ確かに連戦だけあって厳しいが、変えるならもっと前だろう。そもそも、危うげなく戦っている。

 

そんな会場の反応は、交代要員として現れた無名の選手によって大きく二分される。

 

「何だよ、ずいぶん地味なヤツが出てきたな」

 

「3年生の思い出作りか?」

 

補欠だと侮る者。そして――

 

「マ、マジかよ……。今年は出られないんだと思ってたら…」

 

「帝光、最後に切り札出してきた……」

 

 

――過去の情報を知り、畏れと共に声を震わせる者。

 

 

「何を驚いているんですか?」

 

「知らねえのか!?今年こそ出場機会はなかったようだが。あの選手は去年と一昨年、全中で猛威を振るった怪物だ。前代未聞、埒外のプレイスタイルから、ヤツはこう呼ばれている」

 

――『幻の六人目(シックスマン)』、黒子テツヤ

 

青峰君と掌をタッチさせ、入れ替わるようにコートへ足を踏み入れる。

 

「どういう風の吹き回しなのだよ。この大会には出ないと言ったのは、お前ではなかったか?」

 

「気が変わりまして。ちょっとした感傷ですよ」

 

不思議そうな顔で問う緑間君に、苦笑しつつ答える。来たる決戦に備えて、ボクの情報は秘匿しておく。もちろん、火神君は知っているし、昨年までの全中はフル出場していたが、それでも最新の実力を隠しておく意味は大きい。雑誌の取材は避けているし、プロの大会と違って、映像として残された訳でもないのだから。

 

しかしそれでも、ボクは出場を直訴した。

 

「荻原君、やりましょうか」

 

相手チームの彼と視線が交わる。驚きの表情が、楽しげなものへと変わった。

 

「黒子……ああ!行くぜ!」

 

明洸ボールからリスタート。即座に荻原君に回る。マッチアップはボク。お互いに感慨の籠った1on1。

 

「があっ!どうだ!」

 

気合一閃。クロスオーバーからのドリブル突破で抜かれてしまう。さすが。全国の決勝に上り詰めただけのことはある。彼の3年間を想像させるような、キレのあるドライブだった。

 

「お見事です。だから、見せますよ。ボクも集大成のひとつを」

 

ボクを突破するも、すぐに黄瀬君にスティールされ、再び帝光ボール。残り時間わずか。これが最後の攻撃となるだろう。赤司君と視線を合わせ、ハンドサインを送る。彼は頷き、他のメンバーに指示を出す。ボクと荻原君のマッチアップに対して、離れるような位置取りに変わった。

 

「アイソレーション……?」

 

荻原君が眉根を寄せて、つぶやいた。すぐに赤司君からパスが放たれる。手元に届いたボールを、ボクは受け取った。

 

「しかも、キャッチ……パスの中継じゃないのか!?」

 

幾度も全中に出場している彼である。旧知のボクのことは調査済みだろう。普段とは異なるプレイに対する困惑が感じられる。だが、今大会で本来のプレイスタイルを晒すつもりはない。見せられるのは、だからコレだけだ。

 

表情を消し、無意識の仕草までを調整する。影の薄さを最大限に発揮。無言で荻原君と目線を合わせる。

 

「……そうだよな。真剣勝負なんだ。しゃべってる場合じゃねーや」

 

集中力を高め、ボクとの1on1に臨む荻原君。気合十分で腰を落とし、こちらの動作への反応に専心。全神経を張り詰め、この日一番の守備力を以って相対した。そんな彼の視界から――

 

 

――ボクの姿が消える。

 

 

「なあっ……!?」

 

後方から驚愕の叫びが聞こえてくる。もう遅い。彼を抜き去り、フリーで放たれたレイアップ。リングに当たりながらも、ネットを揺らしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

試合終了。125-0で帝光の勝利。優勝である。

 

しかし、仲間達の顔に達成感は欠片も見られない。特に喜ぶ様子もなく、平静そのもの。選手達があまりに淡々としているためか、観客達もイマイチ騒げない。前人未到の三連覇。さらに今年は全試合で百点ゲームかつ無失点。人類史に残る大偉業の達成を祝うムードになれないらしい。

 

そんな微妙な雰囲気の中、両チームは礼を終えた。意気消沈する明洸中学の選手達。一矢報いることすらできず、惨敗を喫したのだから。俯きながらベンチへ戻っていく。だが、そんな中で荻原君がこちらへ向かってきた。涙を滲ませながら、しかし、清々しい笑顔で。

 

「やっぱ、強いな。帝光」

 

「お疲れ様です」

 

彼は右手を差し出した。ボクも握手に応じる。

 

「だけど、お前とようやく勝負できたぜ。訳が分からなかったけどな」

 

「ええ。今度は、高校でまたやりましょう」

 

「おう!次は負けないぜ!」

 

約束を交わし、彼と別れて自陣へと戻る。かつての歴史では、最後の全中での惨敗のショックで、彼は失意のままにバスケを辞めてしまったと聞いた。高校のIHやWCでも、荻原君の名は見当たらず、ボクはそれ以来彼の姿を見ることはなかった。どうやら、今回はそんな絶望の結末は迎えずに済んだらしい。

 

「テツ!アレ、何なんだよ!?」

 

「そうッスよ。サポートだけじゃなくて、1on1もできたなんて」

 

「まったく、どれだけ隠し玉を持てば気が済むのだよ」

 

仲間たちの元に帰ると、質問攻めに遭う。皆が一斉に、興味津々の様子で詰め寄ってきた。

 

「それで、いつの間にあんな技、身に着けたんスか?」

 

黄瀬君が目を輝かせる。だが、答えたのは意外にも灰崎君だった。

 

「コイツ、多分だけどよ。入学したばっかの時から、あの消えるドリブル使えたぜ」

 

「え?マジッスか?」

 

新入生のとき、寄せ集めのメンバーで1軍を打倒しようと灰崎君を誘った。そのとき、彼には『幻影の(ファントム)シュート』の方を見せていた。ボクに1on1ができると、彼は予想していたらしい。

 

「この技なら一見、ただのドライブですから」

 

極力、対戦するチーム『Jabberwock』のメンバーに能力を隠す。そのための措置だった。火神君には当然、既知の技術だが、おそらく他の者に教えたりしないだろう。最強に至ったためか、今の彼は勝敗に対する執着が薄い。未来知識による優位に価値を認めないはず。

 

「さあ、おしゃべりは終わりだ。表彰だ。早く着替えよう」

 

赤司君が手を叩き、話を中断させる。号令に従い、皆もコートを後にしていく。なんの達成感もなく、3年目の全中は幕を閉じた。

 

圧倒的な実力を見せつけ、成し遂げられた大偉業。空前絶後の功績は、マスコミによって大々的に広められる。そして、注目されるアメリカ最強チームとのエキシビジョンマッチ。相手は世界最強との呼び声高い、同じく日本人の少年である。社会現象を巻き起こしながら、来たる決戦に向けてバスケファンの期待は高まっていく。

 

待ちわびた。『キセキの世代』が全戦力を余すことなく発揮できる戦いを。日程も決まった。10月20日。

 

 

 

黒子テツヤと火神大我。光と影。互いに未来を知る者同士が、作り上げた最強のチーム。ついに雌雄を決するときが来たのだ。

 

 



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第48Q 飯でも行こうか、タイガ

 

 

スペインの首都マドリード。国内最大の屋内型ドーム、ウィッシンク・センターでオレ達『Jabberwocks』はエキシビジョンマッチを行っていた。ここは国際大会も開催されるほどの広さで、収容人数は15000人。宣伝のおかげか客席は満員。試合はさきほど始まったばかり。第1Qの序盤。チーム『Jabberwocks』のメンバーはいつも通りである。氷室辰也こと、オレもSGで出場している。

 

「タツヤ!そっち行ったぜ!」

 

タイガの声が耳に届く。対戦相手のスペイン代表選手に、ドリブル突破を仕掛けられる。茶髪の選手がフェイクを交えつつ、鋭く突っ込んできた。こちらも集中力を高め、相手の正面に回り込む。

 

「くっ……速い!」

 

さすがバスケ強豪国における世代トップ。一つひとつの動作のキレや正確性が半端じゃない。しかも視線で、肩の動きで、真に迫ったフェイクを随所に織り交ぜる。身体性能は若干こちらが負けているか。相手がクロスオーバーから左に切り込む予備動作を見せるが――

 

「それはフェイクだね」

 

「しまった……!?

 

オレの手が、相手のボールを弾き飛ばす。前進を止めて、ロッカーモーションに移行しようとしたタイミングで放つスティール。次の一手を読み切ったこちらの勝ちだ。

 

「アメリカのカウンターだっ!」

 

「やばい、早く戻れ!」

 

大勢の地元スペインの観客が悲鳴を上げる。応援はアメリカ2:スペイン8といったところ。アウェイの雰囲気だが、その程度ハンデとしてはまるで足りない。悪いがここからは、オレ達の独壇場だ。

 

アレン、タイガと高速でボールが飛び、フリースローラインを右足で踏み切った。常識枠外の跳躍力。タイガの身体が遥か上空へと浮き上がる。

 

「これは、レーンアップか!?」

 

「うおおおっ!高い!」

 

観客の度肝を抜く『超跳躍(スーパージャンプ)』。さらにボールを掴んだ左腕を大きく回転させる。これはウインドミルダンク。数秒後、高高度から叩き込まれる一撃が轟音を響かせた。

 

主導権はこちらが頂いた。そこからは一気呵成の攻めが続く。予備動作なく放たれるナッシュのパス。そこからシルバーのパワードリブル。こと1対1において、あの男の激烈な重みに耐えられる者など滅多にいない。対するCの選手はその稀有な例であったが、それもターンによる俊敏な変化には対応しきれない。相手の表情が驚愕に歪む。

 

「遅えよ!オレ様にはついて来られねえだろ!」

 

圧倒的な敏捷性(アジリティ)によるドリブル突破。敵がカバーに入る隙など与えない。相手を翻弄し、瞬時にかわして両手ダンクを叩き込む。力・速度・高さ。『神に選ばれた躰』と謳われるほどに、シルバーはそれらを最高位で兼ね備えていた。

 

「ヘイヘイ、こっちも忘れんなよ」

 

続いてドレッドヘアーの黒人選手、アレンがスティールからの速攻。敵陣へと切り込んでいく。シルバーには劣るが、身体能力は十分に超一流の域。ストバス仕込みの派手なドリブルを見せつつ、意表を突いてバックステップからのジャンプシュートを決めた。

 

巧い、と思わず声を漏らしてしまった。何気なくこなしたが、高等技術の組み合わせである。ストバスだけではない。正統派バスケットの鍛錬を積んでいることが分かるプレイ。

 

「Jabberwocksの連続得点かよ。一本止めろ!」

 

「まだまだ、ここからだぞ。諦めるな」

 

歓声に焦りの色が出始める。世界有数のバスケ先進国スペイン。代表チームがここまでやられるとは思っていなかったに違いない。実際、オレやアレンと彼らにそこまで地力の差はない。だが、タイガ・ナッシュ・シルバーの3人は頭一つ抜け出ている。それが戦況を大きく左右したのだ。

 

マーク1枚で対抗できる戦力差ではない。だが、マークを増やせば隙を喰い破られる。彼らにできたのは外からの攻撃を捨てて、2-3ゾーンでインサイドを固めることだけ。それでもタイガとシルバーは隔絶した性能差で敵を踏み潰す。得点差は開く一方だった。

 

相手にとって不幸なのは、彼らが一流の選手だということ。ゆえにナッシュは『魔王の眼』を、シルバーは『野生』を、それぞれ解放した。全力のチーム『Jabberwocks』。その強さは並ぶ者なし。

 

 

試合終了のブザーが鳴り響く。95-38。オレ達の圧勝で幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

試合後のロッカールーム。淡々と帰り支度をする彼らに声を掛ける。

 

「みんな、TV局の方から対戦相手のDVDもらったんだが。これから観るかい?」

 

「見る訳ねーだろ。じゃあ、オレ様は帰るぜ」

 

「たしか次は日本だろ?一番どうでもいい国じゃねーか」

 

着替えを終えた彼らは、くだらなそうに言い放つ。練習嫌いで有名なシルバーは当然として、アレンも同意見のようだった。派手な服装でロッカールームから去っていく。恒例行事であるが、一応声を掛けただけだ。

 

事実、相手チームの研究(スカウティング)などせず、ここまで圧勝を重ねている。それはナッシュも同じこと。だが、意外にも彼だけは、部屋を出る前に立ち止まり、こちらを振り向いた。

 

「ヤツらが出るんだな?」

 

視線の先にはベンチに腰掛けてドリンクを飲むタイガへ。それに気付いた彼は、無言で頷いた。

 

「ああ。そうだぜ」

 

「……後でデータだけ、オレのPCに送っておけ」

 

驚くべきことに、珍しくナッシュが前情報を求めた。次の対戦相手を、日本の中学生を、唯一彼は警戒している。オレがその言葉に頷くと、ナッシュも退出した。挨拶も無しに。これがチーム『Jabberwocks』。試合でのみ結び付く男たち。

 

オレ達は仲良しチームではない。強さのみで交わった面々なのだ。別に無理に足並みを合わせる必要はない。

 

「さて、タイガ。オレ達も帰ろうか」

 

「おう、そうだな」

 

「ちなみに、お前はコレ、見るかい?」

 

確認のために問うが、タイガも首を横に振った。そうだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜。自室のベッドに腰掛け、テレビの映像に目を通した。本日、受け取った対戦相手の試合映像に。『キセキの世代』と謳われる彼らの研究のためだ。日本における同世代の最高峰、全国中学バスケットボール大会。通称『全中』で、彼らは優勝した。

 

前人未到の三連覇。しかも、地区予選からの全試合で百点ゲーム、かつ無失点。

 

「……参考にならないな」

 

思わず溜息が漏れる。たしかに、とてつもない偉業だが、所詮はバスケ後進国の日本でのこと。明らかに彼らは手を抜いていた。例えば、先日、宣戦布告を果たした緑間君。本領たる超長距離3Pを見せていないし、そもそも動きの速度が数段遅い。年末にタイガと共闘した赤司君も、まるで別人のようなヌルさ。手の内を明かすつもりはないと、雄弁に語っている。

 

興奮した様子でコレを持ってきた、男性プロデューサーを思い出す。連戦連勝でマンネリ感の出てきた世界遠征。期待していなかった日本チームが、話題性を有していることに喜んでいた。だが、あくまで彼らはテレビ屋。帝光中学の選手達が手を抜いていることなど気付かなかったらしい。もう少しちゃんとしたデータを入手しておいて欲しかったな。これらの試合を分析したところで意味は薄い。

 

「ぶっつけ本番での勝負か。まあ、それも悪くない」

 

気持ちを切り替え、オレはつぶやいた。世界最高レベルのチームとこれまで戦ってきた。オレより強い選手もいたし、連携の巧いチームもあった。だが、どの国も『Jabberwocks』――特に異次元の性能を有するあの3人の牙城を崩すことはできていない。

 

 

 

 

 

 

 

決戦前々日。日本に到着するオレ達だったが、ホテルに向かうまでもなく早々に空港で別れた。オレと大我、それ以外に。

 

「頼むから試合前に問題起こすんじゃねーぞ?」

 

「うっせえな、指図するんじゃねえよ」

 

タイガの忠告に、シルバーが青筋を立てる。数人の関係者がビクリと肩を震わせた。以前はここで揉めたりしたが、今更うるさく口を出したりはしない。軽く溜息を吐いて、肩を竦めてみせるだけだった。酒、女、ドラッグが日常のストリートの連中である。ライフスタイルが違うオレ達と話が合うはずもない。

 

「飯でも行こうか、タイガ。何が良い?」

 

「寿司がいいな。あ、通訳は必要ないんで大丈夫ッス」

 

訪日する上でTV局から付けられた案内人に断りを入れ、別行動とする。試合外まで彼らと一緒などゴメンだ。取材のインタビューさえ乗り切れば、あとはお互いに試合当日まで用はない。ホテルも別の階で予約してもらっている。このチームにそれ以上の相互理解は不要。

 

 

 

 

 

 

 

昼食はホテルの近くにある回転寿司へ。TV局も旅費は出してくれたが、食費は自腹である。昼下がりの時間帯ゆえか、それほど混雑はなさそうだ。4人掛けのテーブル席に座ると、オレは成田空港の書店で購入した雑誌を広げてみせる。

 

「へえ、『月バス』か。最新号?」

 

「ああ、明日の試合が特集されてるらしいよ」

 

なぜか日本の雑誌に詳しいタイガが、食い入るように顔を近づける。今月号は翌日に迫ったオレ達の試合告知が表紙を飾っている。アメリカと違って、全中三連覇を果たした帝光中学がメインである。スタメン5名の写真と基本データが載っているページを開く。見込みを聞いてみた。

 

「タイガのマッチアップはPF青峰大輝だね。どう見る?」

 

『DF不可能な点取り屋』の異名を持つ、日本屈指のドリブラー。ストバス仕込みのスキル、圧倒的な敏捷性(アジリティ)、そして異常なまでの得点能力。帝光中学のエースである。

 

「強えよ、まぎれもなく。1on1の技術なら、シルバーともタメ張るだろーな」

 

「今年の映像を見た限り、そこまでとは思えないが……。いや、去年の全中から考えれば有り得なくもない、のか?」

 

「だとしても、オレの相手には不足だな。ダブルチームでようやく五分ってとこか」

 

好戦的な笑みを浮かべ、タイガは唇を舐める。口にした言葉とは対照的に、期待感が声音に滲んでいる。

 

「シルバーの相手は、C紫原敦。日本人離れした体格だけど、このマッチアップはどうだい?」

 

「決まってるぜ。認めるのは癪だが、シルバーの身体能力は尋常じゃない。残念ながら、アイツの圧勝だろーな」

 

嫌そうな表情でタイガは断じる。確かに体格の差はあるが、オレは別の見解を持っていた。今回の全中の映像を観て、最も違和感を覚えたのが彼だった。ポジション取りや押し合いの態勢など、いやに基本に忠実なプレイをしていた。どこか力任せな印象をタイガの話から受けていたのだが……。

 

「で、アレンは黄瀬か……。ここは五分、いや若干黄瀬が上か?」

 

ドレッドヘアーの黒人選手、アレンも卓越した技量を有している。しなやかでバネのある筋肉、反射神経、ストバス風のドリブル技術。そして何より、時折見せる優れた技量。同じチームメイトのナッシュからも醸し出される、幼少期からの積み重ねであろう正統派バスケットの強固な土台。まぎれもなく世界クラスの選手である。

 

黄瀬涼太は、たかだか2年のキャリアでそこに足を踏み入れた。

 

確信がある。今の彼ならば、オレのあの『技』すらも模倣(コピー)しうると。日本で宣戦布告した際、彼の目には諦めの色は微塵も浮かんでいなかった。

 

「そしてオレの相手は、緑間君だね。あの3Pシュートは要注意だな」

 

「いや、心配いらねーよ。たぶん、そこは穴だぜ」

 

意外な台詞にオレは思わず息を止めた。

 

「なぜだい?彼のコート全域から発射できるシュートは脅威だよ」

 

「決まってるさ。アイツのシュートには、弾数制限がある。大半は普通に3Pラインから撃つはずだぜ。それに、できるのはシュートだけだ。オレやシルバーが中にいるからな。カットインなんかできやしねえ。シュート一択の選手なんて、タツヤの敵じゃないぜ」

 

自信満々に言い放つタイガ。

 

「……やけに詳しいな。最後はPG赤司君か。マッチアップはナッシュ。彼らは以前アメリカで対戦済みだったね」

 

「だな。そして、そこで結論は出てる。ナッシュが上だ」

 

互いに未来を見通す眼を持つ者同士。だが眼の精度と実力、両方でナッシュが上をいく。タイガさえいなければ間違いなく世界最高ランク。

以前の対決で、赤司君は『ゾーン』状態でようやく互角だった。いかに自力でゾーンに入れるとはいえ、尋常でない体力消費を考えれば試合ではせいぜい数分が限度だろう。試合全体で見れば圧倒的にナッシュが有利。まあ、自力で『ゾーン』に入れるとは凄まじいが……。

 

「スタメン以外だと灰崎だな、……アイツは正直よく分からねえ。黄瀬より格下なのは確かだろうが」

 

「まあ、優先すべきは黄瀬君だろうね。どのポジションもできる保険として、重宝するだろうけど」

 

雑誌を閉じる。例の彼はここに載っていない。姿を隠しており、取材には応じていないのだろう。全国誌に特集されることは非常に名誉なはず。中学生なら勇んで応えようとするだろうに……。この徹底した隠匿振りには驚かされる。

 

最後は、タイガの最も注目している彼だ。帝光中学に棲まう怪物。チームメイトにすら畏れられる突然変異種。生で見たプレイは数えるほどしかないが、その噂は届いている。

 

 

――黒子テツヤ

 

 

「タイガの旧友って話だけ……っ!?」

 

視線をタイガに戻した瞬間、獰猛かつ闘志剥き出しの表情に息を呑んだ。十二分に理解した。彼こそがタイガの最も警戒する選手なのだと。そして同時に最も心待ちにしていたのだと。

 

あとは本番で当たるのみ。その実力、確かめさせてもらおう。

 

 

 

 

 

そして、いよいよ試合当日を迎える。アメリカ最強『Jabberwocks』と帝光中学『キセキの世代』が激突する。

 



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第49Q 高高度からの投げ込み式ダンク!?

 

 

 

いよいよ決戦当日。東京体育館のセンターコートの中心に立ち、騒がしい場内をぐるりと見回す。高い天井に満員に埋め尽くされた観客席。楽しげに盛り上がる人々のざわめきが耳に届く。全中で来た時に比べると、やはり観客の年齢層は高めか。参加者が見学していた部活の大会と違って、いかにもスポーツ観戦な人々の装いはむしろ新鮮に感じる。

 

他に目立つのは、1階席2階席の四方に設置された撮影用のカメラと外国人らしきスタッフの姿。アメリカのTV局の企画であることを改めて感じた。これまでの試合とは別物だと、気を引き締めた。

 

「次、シューティング!」

 

赤司君の号令に合わせ、皆が動き出す。試合前のウォーミングアップである。動作の確認をするように、各々が散らばり、コートを使ってシュート練習に移った。方々から山なりにボールが飛んでいく。緑間君は3Pラインから、紫原君はゴール下でターンを交えて、プレイスタイルごとに基本を確かめる。練習嫌いの灰崎君でさえ、最終調整には余念がない。

 

「にしても、向こう誰も来ないッスね」

 

「……そうですね。予想してはいましたが」

 

呆れた風な黄瀬君の言葉に、ボクは頷く。貴重な練習時間だが、相手コートは無人。他国との試合でもそうだった。練習など不要とばかりに、登場は試合直前。アメリカのメディアでは、「ストリートの流儀」などと好意的に報道されてはいたが。要するに、舐めているのだ。全力を出すまでもないと。彼らが尻上がりに調子を上げていくのはそのため。

 

「その油断は、火神君にも存在する」

 

無人のコートに向けて、ボクはつぶやいた。強者の孤独ゆえに彼は、相手の力に合わせて自身の力を小出しにする傾向がある。こちらの歴史で生まれた悪癖。勝敗を度外視して、あえて試合を拮抗させたがる。最初から最後まで全力で来られたら、さすがに勝機は薄い。ボクは薄く笑みを浮かべる。チーム『Jabberwocks』――その隙、突かせてもらいますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ウォーミングアップも終わり、ついに試合直前。最後のミーティングの時間である。ベンチ前に全員が集合し、白金監督がメンバーを発表する。

 

「開幕はスタメンで行く。赤司、青峰、紫原、緑間、黄瀬。作戦に変更は無い。まずは先取点に集中しろ」

 

序盤は『キセキの世代』フルメンバー。5人の顔つきが変わり、戦意が格段に高まりだす。控え選手達はベンチに戻り、応援の準備を整える。さすがに今回の試合、強豪校とはいえただの中学生が太刀打ちできる相手ではない。不測の事態が起こらない限り、出番が来ないことは誰もが理解していた。そして、『キセキの世代』と練習をしている彼らは、彼我の実力差を痛いほど知っている。残念ながら試合に出ても闘志を持ち続けることはできないだろう。応援要員である。実質、帝光の選手は7名だけと言える。

 

「いいのかよ、黒子を出さなくって」

 

灰崎君の疑問に、白金監督が答える。

 

「あくまで彼の本領は奇襲・変化だ。はじめに正攻法を見せた方が、効果は高い」

 

まずは力戦、真っ向勝負。そこで押し合えれば、勝機も見えてくる。序盤の戦いが、試合の趨勢を占うだろう。ここで押し込まれれば、敵の瀑布のごとき圧力に押し流されてしまう。

 

スタメンの皆はベンチを離れ、コートへ向けて歩き出す。白のユニフォームを纏い、この大舞台でも緊張の固さはない。相手が相手だけに、若干の気負いはあるか。だが、戦意の高揚も考えればコンディションは上々。

 

「どう思う、テツ君?」

 

桃井さんが尋ねる。監督とボクの間に座る彼女が、顔をこちらに向けた。手元には隅々まで書き込まれたノート。相手チームはもちろん、帝光メンバーも含めて、戦力分析は入念に行っている。火神君に頼んだところ、これまでの全試合の映像を贈ってくれたのだ。彼にとって、こちらの勝率が上がるのは望むところなのだろう。桃井さんと一緒に長い時間を掛けて、調査は済ませている。監督とも会議を重ね、複数の作戦案を練り上げた。だからこそ、彼女の最大の関心は現在の状況。

 

「みんなの調子は良いと思います。昨日までも、さっきの練習でも、きちんと体調はピークに持ってこれています。緊張も適度なものでしょう」

 

「うん。私もそう思う。問題はチーム『Jabberwocks』。直近の試合も調べてるから、予測と大きくは変わらないはずだけど」

 

確かに、そこは気になるところだ。分析したのはあくまで過去のデータ。火神君の性格上、不都合な試合を隠すことはないだろうが。しかし、手の内を全て晒していないことは有り得る。事実、かつての歴史で使っていた『最強の技』を、アメリカでは一度も見せていない。考えても仕方のないことだ。頭を振って気分を変えると、観客のざわめきが耳に届いてきた。ようやく到着ですか。

 

「出てきたぜ、あれが火神大我だ」

 

「他のメンバーも、凄い強そう」

 

黒のユニフォームを纏い、相手チームのスタメンがコートに現れる。メンバーは予想通り。やはり間近で見ると、強者の風格を醸し出している。肉体の厚み、大舞台での落ち着きよう。火神君、ナッシュ、氷室さんは十分に集中した様子で張り詰めている。ただし、残りの2人といえば――

 

「……何か感じ悪いね」

 

「ですが、好都合でもあります」

 

明らかに気の抜けた様子で、彼らは馬鹿話に興じている。シルバーは大口を開けて下品に、アレンはくつくつと肩を揺らして笑う。試合とは関係ない内容であることが容易に想像つく。どう考えても、こちらを舐めている。

 

「野郎……!」

 

「へえ、上等ッスね」

 

青峰君と黄瀬君が同時につぶやく。他の面々も、その挑発的な行為に怒りを隠しきれない。闘争心を高めつつ、彼らは中央で円を描くように動き出す。相手も同じくジャンプボールの位置についた。

 

センターラインを挟んで立つのは、両チームのC同士。紫原君は静かに闘志を燃やし、シルバーはニヤケ面のまま、腰を落とし、視線を交える。東京体育館が徐々に静まっていく。その瞬間を、誰もが固唾を呑んで見守る。

 

試合開始。

 

審判がボールを高く投げ上げる。ジャンプボールを制したのは――

 

「おっ……!?」

 

――紫原君だった。

 

彼の掌で弾かれたボール。狙い通りに赤司君の手に渡り、即座に前線へとショルダーパスが放たれる。広いコートを縦に切り裂く一閃。ここまで開始後わずか数秒の出来事。観客が声を上げる暇もなく、戦況が大きく動く。

 

「うおっ!いつの間にあんなところに!」

 

ジャンプボールの結末を見る前に、すでに駆け出していた青峰君にボールが届く。速度を落とさず、さらに先へ。彼の前には誰もいない。単独速攻。まずは先制点奪取を狙い、跳躍。開幕のダンク。

 

「いただいたぜ!」

 

 

――だが、横から伸びた手によって、ボールが弾き飛ばされる。

 

 

「させねえよ!」

 

「なっ……火神っ!?」

 

空中で大きく右腕を振り、火神君がこちらの攻撃を弾き返した。青峰君が思わず目を見開く。帝光の連携速度に普通の選手なら間に合うはずがない。ただ、この事態を予期していたのだろう。青峰君へと追いつき、間一髪で自陣の防衛に成功する。

 

「……さすがだな。それでこそ世界最強だぜ」

 

即座に守備に回る青峰君だが、その顔には好戦的な笑みが浮かんでいた。それにしても、あの距離から追いついてブロックするとは……。やはり規格外の速度と跳躍力だ。だからこそ、自信を付ける意味でも初手を決めたかったのだが……。

 

ルーズボールを手にした火神君が、ゆったりとドリブルを開始する。

 

「さあて、今度はオレらのターンだぜ」

 

帝光の選手たちが警戒感をあらわにする。待望の先取点を阻まれた今、このまま相手に飲み込まれてはマズイ。序盤戦を取るためにも、敵の攻撃をまず止めたいところ。こちらの陣形はマンツーマン。ハーフコートまでボールを運んだ火神君には、最速の反応速度を有する青峰君が付く。両者の間の緊張感が高まる。

 

そこで、火神君は一旦ボールをPGのナッシュに戻した。会場の空気が一瞬緩む。だが、直後に彼はゴールへ向けて走り出す。即座にナッシュのリターンパス。

 

「また火神にボールが渡った!」

 

「いや、青峰も付いていってるぞ」

 

急加速からのドリブル突破。数歩でトップスピードに乗り、右足で踏み込む。ミドルレンジからの火神君の『超跳躍(スーパージャンプ)』。タイミングを合わせて、青峰君もブロックに跳んだ。だが――

 

「た、高い……!?」

 

身長はほぼ変わらないのに、頭二つ分は抜けている。人間の常識を超えた跳躍力。まるで重力が消失したかのよう。青峰君の顔が驚愕に固まる。火神君は左手でボールを掴み、振りかぶり、ダンクの態勢に移行した。だが、ここで観客も気付く。

 

「確かに高いが、これじゃリングまで届かないぞ!」

 

「ジャンプの失敗か?」

 

跳躍の軌道は真上。角度が悪い。リングのある前方ではなく、その場で高く跳んでしまっている。ジャンプシュートならともかく、ダンクができる距離ではない。それなのに、彼は上空で左腕を大きく振り下ろす。失敗か?いや、そうではない。ボクは思わずパイプ椅子を蹴って立ち上がる。

 

「高高度からの投げ込み式ダンク!?やはり、これは――」

 

全ての跳躍力を上方へと注ぎ込み、その高さは青峰君のブロックを大きく超える。最高到達点にて力を集約し、繊細なタッチによって撃ち込む必殺の弾丸。唯一の障害を越えて、放たれる直線的な橙の軌道。かつての歴史では、『ゾーン』の超集中力を以ってしてようやく成し得た奇跡。それを今の彼は、素の状態で完成させるのか。無敵を誇ったその技の名は――

 

 

――『流星のダンク(メテオジャム)』

 

 

神域から雷霆が轟いた。

 

会場がどよめきに包まれる。開幕点として叩き込まれた一撃が、世界のレベルの高さをまざまざと理解させた。火神君以外に、中学生でこれを成し得る者はいないだろう。見せつけられた埒外の能力。

 

「こんなの……勝ち目あるのかよ…」

 

こちらのベンチメンバーから、不安の声が漏れ出る。意気消沈。元々、数合わせの彼らに出番は無いが、同級生達の戦意が早くも喪失しかけていた。これはマズイ。無敗ゆえの脆さが出たか。このままではチームの内側から敗戦ムードに侵食される恐れが……。焦りと共に顔を横に向けた。

 

「監督、ボクが出ましょうか?」

 

ボクの進言に、監督は毅然とした態度で首を横に振った。

 

「仲間を信じろ。ほら、まだ目は死んでいないぞ」

 

コートに目を移すと、誰も戦意を失っていなかった。全員が闘志を漲らせている。杞憂か。どうやらボクは甘く見過ぎていたようだ。ベンチに深く腰を落とし、相手選手の分析に専念する。この第1Qは赤司君のゲームメイクに任せると決めた。

 

「さあ、落ち着いてじっくり行こう」

 

赤司君がゆったりとドリブルで運びながら、皆に声を掛ける。開幕直後に叩き込まれた先制点。戦意は削がれておらずとも、動揺はしているはず。浮き足立つ彼らに時間を与え、冷静さを取り戻そうという意図だろう。

 

相手の陣形もマンツーマン。これは1対1の戦力差がモノを言う。勝てるところから攻めるのが鉄則。赤司君は広い視野を活かして、状況を俯瞰的に把握する。

 

「ヘイ!赤司!」

 

青峰君が雪辱を果たさんと声を上げるも、今回はスルー。対峙する火神君のマークが外れ切っていないし、この攻撃を潰されれば流れは相手のモノ。この場で青峰君に預けるのはリスクが高い。ならばどこに預けるかといえば――

 

――やはり、あの2人か

 

無敵に見えるチーム『Jabberwocks』だが、この序盤、まだ狙い目はある。赤司君も同じく気付いたはず。こちらを舐めているのか、試合に集中しきっていない連中がいる。

 

PGとして対峙するナッシュはいまだ様子見。彼の有する超越能力『魔王の眼』は開いておらず、ディフェンスの圧力も比較的弱い。今年、公式戦で赤司君が全力を出したことはない。データ不足のため、ナッシュは注意深く観察している。前回からの成長具合を確かめている、といった様子だ。そして、こちらの事情だが、ナッシュに対抗できるのは彼だけだ。事前に監督から、スタミナの温存を指示されていた。状況を見定め、パスを出す。向かう先はSF黄瀬涼太。

 

「黄瀬が仕掛けた!」

 

ボールを受け取り、ドリブル突破を狙う。マッチアップはドレッドヘアーの黒人選手アレン。右から左へとフェイクを入れ、クロスオーバーで一気に抜き去る。

 

「なっ……速い!?」

 

完全に反応が遅れ、愕然とした表情を浮かべるアレン。そのままインサイドへと切り込み、リングへ向けて跳躍する。お返しとばかりにダンクを狙う。空中で右腕を掲げ、裂帛の気合を込めて振り下ろす。

 

「オレ様の前で、調子に乗るんじゃねえ!」

 

寸前で黄瀬君の正面に塞がる巨体。『神に選ばれた躰』と謳われる怪物、ジェイソン・シルバーが俊敏な反応速度でブロックに跳んでいた。頭一つ分以上、高さに差があり、さらに筋力も明らかに相手が上。掲げた右腕を即座に下げ、冷静にパスを選択する。

 

「チッ!」

 

ボールが相手の脇を通り過ぎる。慌てて左手で遮るも、わずかに間に合わない。シルバーが舌打ちする。軽く浮かされたパスは、同じく跳躍する紫原君の元へ。

 

「頼むッス、紫原っち!」

 

「了解~」

 

マークの外れた彼が空中でボールに触れ、そのままタップシュート。ふわりとリングのネットを揺らす。得点ボードに2点が追加された。ホッと皆が息を吐くのが見える。世界最強のチームであろうとも、戦えない相手ではない。連携で同点に追いつき、重くなりかけていた会場の空気が爆発する。

 

「決まったあああ!」

 

「得点入れ返したぞ!ここからだ!」

 

大歓声が上がり、会場の雰囲気は帝光に傾いている。観客の声援は確かに選手のプレイを後押ししてくれる。だが、勘違いしてはならない。依然、相手は格上。今の鮮やかな攻撃は、あくまで試合に集中していなかった2人の油断を突いただけだ。

 

「やってくれたな……」

 

「このオレ様にナメた真似しやがって」

 

彼らの目の色が変わった。シルバーとアレン、両者が明らかに怒りを表している。こちらを倒すべき敵と見なしたらしい。本番はここから。

 

 



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第50Q オレのボールには誰も触れない

 

 

 

第1Qは続く。両チーム、初めに得点を決め合ったが、やはり地力は『Jabberwocks』が上か。時間の経過に伴って、徐々に得点差が開いていく。かつての歴史を大幅に上回る帝光中学の『キセキの世代』。空前絶後の天才性を誇る日本最強メンバーでさえ、喰らいつくのが精一杯の様子だ。まず目立つのは、力を出し始めた巨躯の怪物ジェイソン・シルバー。

 

「ハハハハハハッ!」

 

「くっ……速い!?」

 

巨体に見合わぬ俊敏な動作と高度なドリブル技術。まるで生粋のドリブラー。縦横無尽にボールを散らし、素早い体捌きで紫原君を突破する。無人のリングにダンクがねじ込まれた。

 

「切り替えろ。今度はオレ達の番だ」

 

赤司君が味方に声を掛け、時間を使ってボールを運ぶ。守備側のナッシュからの距離は一歩遠い。いまだ互いに小手調べ。ノールックで緑間君へパス。彼の得意領域たる3Pライン外で受け取るが――

 

「さすがに警戒されているか……」

 

「この試合、キミに3Pは撃たせないよ」

 

氷室さんの密着マーク。明らかにシュート阻止のみを狙った態勢だ。緑間君は顔をしかめ、舌打ちする。しかし、それならばと即座にカットインへと移行。氷室さんをかわしてインサイドへ切り込み、中距離からのジャンプシュートを放つ。絶対の精度を誇る緑間君の3Pシュート、それは当然ミドルレンジでも変わらない。ボールが指先から離れる。

 

「甘えんだよ!」

 

「何という反射神経、そして跳躍力なのだよ……」

 

突如眼前に出現する巨体。上空に跳び上がり、シルバーの掌がボールを叩き落とす。こと身体能力に関しては世界屈指。この男がいるからこそ、氷室さんは易々と抜かせたのだ。こぼれたボールは彼が拾い、流れるように火神君へ、そのまま前線へと矢のようなショルダーパス。

 

「って、もうあんな先にいんのかよ!?」

 

ベンチの選手達から上がる驚愕の声。このわずか数秒の間に、シルバーが最前線へと駆け付けていた。あの巨体で信じがたい脚力だ。自陣最深部からの単独速攻。最高速に到達したこの男には誰も追いつけない。そして、余裕を見せつけるかのように、フリースローラインから踏み切った。しかも、前方ではなく横に身体を捻って回転させた大跳躍――

 

「まさかこれは……!?」

 

 

――360°ダンク

 

 

無人のリングにねじ込まれた。湧き上がる大歓声。着地したシルバーが振り返り、挑発的に中指を立てて見せる。

 

「それもレーンアップで。人間技じゃないぞ……」

 

これが『神に選ばれた躰』と謳われるジェイソン・シルバーの実力。世界最強プレイヤー、火神大我だけのチームではない。部員達の畏怖の感情が伝わってくる。連続得点を奪われた帝光中学。しかし、ボクはまるで不安を感じてはいなかった。彼らはここからだ。

 

 

――ハーフラインから放たれた長距離3Pシュートがリングを通過した。

 

 

「……しまった」

 

「そう簡単にオレが止まると思われては困るな」

 

眼鏡を直しながら言い放つ緑間君。彼のシュートレンジはコート全域に及ぶ。一瞬たりともフリーにしないというのは容易ではない。苦虫を噛み潰した様子の氷室さん。放てさえすれば必中の一撃。過酷な筋力トレーニングにより、ハーフライン程度であれば多少の負担で連発可能だ。人間離れした派手なプレイに会場がざわざわとどよめく。

 

「ハッ!何をはしゃいでんだ。オレ様にボールを集めりゃいいだろうが」

 

ナッシュがゆっくりとボールを運び、ローポストに位置するシルバーへとパスを出す。背後には紫原君。だが、無視して強引にゴール下までパワードリブルで押し込もうとして――

 

「むっ……?」

 

余裕の表情がわずかに曇る。押し込めない。ようやく彼もエンジンが掛かってきたらしい。規格外の身体能力という言葉は、日本では彼のためにある。正しい力の伝え方を学んだ彼のパワーは、同じく世界屈指。

 

「だったら、かわして決めてやるよ!」

 

パワー勝負を厭ったシルバーの高速スピンターン。しかし、それは読まれている。桃井さんのデータでプレイの傾向は丸裸だ。瞬時に回り込み、待ち構える青峰君が易々とスティールを成功させる。

 

「パスは出さないんだってな。読めてるぜ、単細胞」

 

「このクソがっ!」

 

そのまま帝光中学のカウンター。青峰君、赤司君vs氷室さん、ナッシュ。疾走する両者を迎え撃つ。そのまま2on2、と見せかけて。赤司君がノールックで後方へバックパス。受け取るのは再び――

 

「しまっ……!?」

 

氷室さんが声を漏らす。緑間君の高弾道の3Pシュートが炸裂する。

 

「うおおおっ!また、ハーフラインから決めたぞ!」

 

「得点も追いついてきたぞ」

 

連続3Pで流れもこちらに引き戻せつつある。まだ火神君が様子見だというのもあるが。その彼が薄く笑みを浮かべてこちらのベンチを振り返る。視線が交錯する。

 

「さすがだな。以前、日本で見た時とは別人。WC時点での戦力と比べても遜色ねーな」

 

一息吐いて、しかし彼の自信は揺らがない。

 

「けど、歴史を超えたのはそっちだけじゃないぜ」

 

そして次のターン。『キセキの世代』に最も近い男、氷室タツヤが牙を剥く。

 

 

 

 

 

 

 

 

シュートフェイクからの流れるようなカットイン。正統派バスケットの最高峰に位置する彼の動作は、全てが流麗な舞のごとく。迫真のフェイクからよどみなく前傾姿勢のドリブルへと移行する。ストバスの激しくトリッキーなスタイルとは対極。基本に忠実な氷室さんの美麗なプレイは見るものを魅了する。

 

「すごい……」

 

「いや、相手も喰らいついてるぞ」

 

しかし、マッチアップする緑間君もさるもの。世界クラスの技量の持ち主を相手に、集中力を高めて対応している。3Pシュート一辺倒に思われがちだが、1on1の力量は未来の『無冠の五将』を上回る。

 

「へえ、ついてくるか。ならば、これはどうかな?」

 

急停止から真上に跳躍。滑らかな動作の連携により、即座にジャンプシュートの態勢へ。

 

それでも、まだ緑間君を振り切れていない。両手を伸ばし、彼のブロックが間に合う――かに見えた。

 

「ぐっ……これは、以前、帝光中で見せた!?」

 

「このシュートは誰も触れない」

 

未来において、誠凛高校を苦しめたアレを彼は繰り出した。ボクとは異なるアプローチで。しかし、そのボールは、相手のブロックをすり抜ける。

 

 

――『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

描く放物線、ボールは何物にも阻まれずリングを通過する。一瞬、歓声が止まった後、観客の間にざわめきが生じる。ブロックされるタイミングだったはずなのに。不可解な事象に首を傾げるが、それは帝光中学の面々を除いての話。かつて、挨拶としてボク達の前で披露されたのが、このシュートだった。

 

「さすがだね、緑間君」

 

ネットを揺らす音が鳴るコート内で、彼は軽く口角を上げてみせる。

 

「目で追えていたじゃないか。原理は掴んでいるか」

 

「ずいぶんと余裕だな。次は無いのだよ」

 

「余裕のつもりはないけどね。だけど、コレはただのトリックシュートじゃない。そう簡単に触れることはできないよ」

 

絶対の自信がその表情から窺える。氷室タツヤの完成させた秘技。

 

「この技は、タイガにだって通用する。触れるものなら触れてみな」

 

 

 

 

 

 

 

帝光中ベンチは、会場の人々ほど驚愕に包まれてはいなかった。冷静にボク達は状況を考察する。目線はコート内に向けながら、隣の席に座る桃井さんへと声を掛ける。

 

「どう見ます?」

 

「予想した通りね。前回実際に見たものより、精度が上がってる」

 

ノートに何かを書き加えながら、彼女は真剣な表情で答えを返す。当然の話だ。こちらが成長したのと同様、相手にも技を磨く期間が設けられていた。あの『陽炎の(ミラージュ)シュート』も、それ以外のコンビネーションも、速度や正確性を増している。以前のままの彼らを想定していれば、試合内での修正は容易ではなかっただろう。だが、こちらには彼女がいる。

 

 

情報分析のスペシャリスト、桃井さつきが――

 

 

「うん、予想数値通りね。事前に伝えたデータから、修正は必要ないわ」

 

選手の成長性さえも含めた予測を可能とする、彼女の情報分析。これまでは対戦チームと差がありすぎて必要とされなかった力が、いま開花する。

 

「フフッ……初見は泳がせるようミドリンに伝えたけど、ここからは通用しないわ」

 

彼女の冷たい声音に、思わず口を滑らせる。

 

「敵にすると恐ろしいですが、味方にすると心強いですね」

 

「ん?テツくんと敵になったことなんてないでしょ?」

 

そうですね、と首を振った。

 

『陽炎の(ミラージュ)シュート』の原理。それは精巧なフェイク技術を土台にした2段構え。シュートフォームから手首を返し、宙に一度ボールを放り、空中でキャッチしてもう一度放り投げる。一度目の手首を返した時点でシュートを放たれたと錯覚し、二段目の本命を逃してしまう。それを読んで二段目にタイミングを合わせようとすれば、こちらの態勢の整わない一段目で発射される。どちらに転んでも、十全なブロックは不可能。

 

タイミングを外すことで、まるで陽炎を掴んだかのように錯誤させる。これが氷室タツヤの奥義。

 

こと1on1において、対応は困難を極める。確かに本人の言う通り、火神君にすら通用しかねない絶技である。ただし、こちらが無策ならばの話。

 

氷室さんにボールが渡り、会場がどよめく。マッチアップは再び緑間君。クロスオーバーからのドリブル突破でインサイドへと切り込んだ。

 

「でしょうね」

 

この技は、3Pシュートとしては使えない。空中でボールを掴み、再度投げる。イメージとしてはタップシュートに近い。下半身との連動の悪さゆえに、長距離を飛ばすには向かない。さらに、氷室さんの3Pシュートの精度は、並外れて高い訳ではない。確実を期すならば、ドリブルで中距離まで近付く必要がある。

 

「ストップからのジャンプシュート!また、さっきの技か!?」

 

ある程度、読まれていると分かった上でも、彼はシュート態勢に移行した。緑間君のマークは外れていない。それだけ、この技に絶対の自信を持っているということ。

 

――『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

氷室さんのシュートに合わせて、緑間君は跳躍する。一段目に的を絞ったブロッキング。氷室さんの眼はそれを捉え、瞬時に判断を下す。一度目の手首の返しはフェイク。二段目でボールをリングへ放とうと。

 

「無駄だよ。オレのボールには誰も触れない」

 

確信と共につぶやかれた言葉が届き、緑間君は口元を緩ませる。直後――

 

「喰らいやがれ!」

 

 

――氷室さんの背後から手が伸び、ボールが叩き落された。

 

 

後方から詰めてきた青峰君のブロックが炸裂。氷室さんの顔が驚愕で固まった。

 

 

 

練習通り。

 

『陽炎の(ミラージュ)シュート』の対抗策。それは二段目に的を絞ったバックアタック。緑間君は発生の早い一段目を狙い、ヘルプ要員が発生の遅い二段目に対処する。パスで逃がさないよう、死角からの強襲で。ひとりで時間差に対応するのは難しいが、二人いれば対処は可能だ。

 

「青峰君の反応速度で、とっさにオレを捉えたのか?」

 

氷室さんの顔に困惑の色が浮かぶ。偶然か必然か。

 

パスが届く。もう一度、今度は青峰君をケアしつつカットインを試みた。先ほどとは異なるパターン。中央へ向かい、ナッシュとのワンツーを経由してジャンプシュート。

 

「させん!」

 

緑間君のブロックを確認し、氷室さんは手首を返して一段目の偽装を施す。陽炎を掴んだがごとく、振られた緑間君の腕は空を切る。そこから空中でキャッチし、二段目の本命を装填。

 

『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

――直後、後方から伸びた手が、ボールを弾き飛ばす。

 

 

振り向くと、してやったりと満足げな黄瀬君の姿が。今回は彼に二段目の撃墜を担当してもらった。氷室さんも気付く。自分が罠に嵌められたことに。

 

 

 

 

 

 

「不思議そうな顔をしていますね」

 

「うん。確かに二段目までにワンテンポのタメが生じるけど、わずかなもの。狙ったとしても、初見であれほど的確なカバーとブロックができるなんて思わないものね」

 

桃井さんの指摘に、ボクは小さく頷いた。いかに『キセキの世代』のセンスでも、針の穴を通すようなコンマ単位の完璧な連携は難しい。

 

 

ボク達のように、徹底した『陽炎の(ミラージュ)シュート』の対策を積んでいなければ――

 

 

「次は彼の番ですね」

 

「うん。せっかく、最新版を見るために。ミドリンに最初様子見してもらったんだもん」

 

氷室さん対策で重要な役割を果たしたのは、ひとりは桃井さん。データを分析し、行動パターンを予測し、この対抗策を練った。そしてもう一人――

 

「カウンターの速攻!」

 

「黄瀬に渡った……このまま自分で行くか!?」

 

「いやっ、火神大我が間に合うぞ」

 

黄瀬君のワンマン速攻を火神君が追いかける。両者が敵陣で視線を交錯させ、瞬時に勝負に移る。ゴール下までは切り込まず、ワンフェイクを入れて、ストップからのジャンプシュート。あまりにも滑らか、流麗にして美麗な舞のごとし。

 

「これは……アイツの…!?」

 

世界最高峰と謳われる火神君のブロック。高高度からボールを叩き落とさんとする彼の腕が空を切った。まるで陽炎を掴んだかのように。

 

 

――『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

火神君が初めて驚愕の表情を浮かべた。ブロックをすり抜ける。世界最強からもぎ取った得点。ゴールを確認した黄瀬君が楽しげに口笛を鳴らす。

 

「確かにアンタの言った通りッスね。この技は――火神大我にも通用する」

 

黄瀬涼太の『模倣(コピー)』。それは相手の技を、即座に自らのものとして使いこなす超越能力。並外れた観察眼と身体操作能力によって、それを可能とする。自身の技量を超える模倣はできないが、逆に言えば、模倣できるということは、技量で勝っているということ。

 

数か月前、黄瀬君はついに彼の奥義を模倣(コピー)できるようになった。氷室さんの対策だけ綿密に練りこめたのもそのおかげだ。そして、これらは彼についての事実を証明する。

 

いまや、素の実力で氷室さんを上回っているということ。『キセキの世代』の天才性、成長性が優った。

 

「もらったのだよ」

 

「しまった……」

 

衝撃の光景を目にしたことで意識に隙の生まれる。氷室さんからのスティール。赤司君、黄瀬君とボールが高速で飛び、再びカウンターの速攻が繰り広げられる。

戻りが間に合ったのがジェイソン・シルバー。俊敏かつ巨躯の怪物が正面に回り込む。即座に黄瀬君はストップからのジャンプシュート。もちろん、ここで放つのは――

 

――『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

「チイッ!どうなってんだよ!」

 

苛立ちを隠さず、歯ぎしりするシルバー。巨腕をすり抜ける正確無比な絶技が披露される。どうやら味方にも対処法は知られていないか。ここで第1Q終了のブザーが鳴る。

 

 

 

 

 

得点は互角。上々すぎる立ち上がりだ。ただ、第1Q終了間際に見せた、黄瀬君に得点を決められた直後の火神君の獰猛な表情。おそらく、彼も様子見は終わりだろう。それを読んで、ボクも試合に出ずにいたのだが。ここからはそうも行かないはず。「見」に回っていた世界最強が、いよいよ力を発揮する。

 

 

 



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第51Q この超反応……

 

 

 

第2Qの編成は、inボク・灰崎君、out黄瀬君・緑間君。

 

「何だ?ずいぶんと地味な選手が出てきたな?」

 

「お前、知らないのか?帝光中の秘密兵器を」

 

「あれが?全然強そうに見えないけど」

 

コートに足を踏み入れると、会場内の観客からチラホラと視線が向けられる。注目されたくなかったのだが、まあ及第点だろう。

 

今年の全中には、決勝戦の数分間しか出場していない。よって、ボクの知名度は「知る人ぞ知る」程度に抑えられている。『Jabberwock』の面々には、アメリカの3on3の大会でワンプレイ見せたことがあったか。ただ、伝え聞く彼らの性格から、対策を積んでいるとは思えない。火神君から教えることもないだろう。ゆえに奇襲は通じるはずだ。

 

「灰崎君、スタートから一気に仕掛けますよ」

 

「おうよ。思い知らせてやんぜ」

 

様子見の序盤戦は終わった。この第2Qは、お互いの矛を叩きつけ合う正面衝突となるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

会場全体が震撼する。中継先である日米の画面越しでも、同様かもしれない。

 

「ボールが曲がった!?」

 

「うおっ!何だこりゃ、いつの間にかパスが通ってる!」

 

久々に表舞台で披露する奇想天外な影のスタイル。バスケの本場アメリカにおいてさえ、歴史上類を見ない希少性。独自の進化を遂げたボクのプレイに、誰もが驚愕を隠せない。

 

赤司君があらぬ方向に投げたボール。それが急激に方向を変え、一気にコート最深部へ。

 

「なっ……どうなってやがる」

 

「黒ちーん、ナイスパス」

 

瞬時に紫原君が回り込み、空中に浮いたボールを右手でキャッチ。いかなシルバーでも、虚を突かれ反応が遅れてしまう。フリーで跳躍し、そのままアリウープでリングに叩きつけた。満員の観客から歓声が上がる。

 

理想を言えばここで突き放したい。流れを一変させるのがボクのシックスマンとしての役割なのだから。しかし、残念ながらそう上手くは行かなそうだ。世界最強プレイヤー、火神大我がその卓越した能力を発揮する。

 

ナッシュからパスが届き、即座に火神君が勝負を仕掛ける。マッチアップは『キセキの世代』最速の青峰大輝。一瞬の視線の交錯、そこから目線を右にずらす。

 

「チッ……!」

 

直後、見事なドライブで抜き去り、インサイドへ切り込んだ。そのままボールを片手で持ち、右足で踏み込み跳躍。無人のリングへ向かった。しかし、帝光中学のゴール下には堅固な城塞が築かれている。圧倒的な身体能力を誇る紫原君のヘルプが間に合う。高さで張り合えるのは彼だけだ。同じく跳躍し、空中戦を挑む。

 

「させない……ん、パス?」

 

宙に舞う火神君は、高く上に伸ばした手をわずかに引き戻す。紫原君の脳裏に迷いがよぎる。そこから再びダンクの態勢に移行したのを見て、ブロックのために反射的に手を伸ばすが……

 

「ダブルクラッチ!?間に合わないっ」

 

今度は腕を大きく横に伸ばし、火神君がボールを放り投げる。度重なるフェイクに惑わされ、フリーで放たれたそれは正確にリングを通過する。

 

 

 

巧い。力や速さといった身体能力だけではない。かつての歴史では、むしろ弱点であった技術が格段に進化している。鮮やかな手並みだ。やはり手強い。

 

「またボールが急に!?」

 

帝光の攻撃。赤司君から走る青峰君へのパス、を方向転換。タイミングを合わせて途中出場の灰崎君に回す。フリーの状態でボールを手にして、そのままドリブルで敵陣へのペネトレイト。回り込んだのは氷室さん。それを確認して灰崎君はミドルレンジで急停止する。ストップからのジャンプシュート。

 

「させるかっ……いや、この動きは!?」

 

「もらったぜ。この技は、もうオレのもんだ」

 

 

――『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

陽炎を掴んだかのように、氷室さんの手が空を切る。絶対の精度を誇る奥義を、灰崎君も使いこなす。これが彼の固有技能『強奪』――

 

黄瀬君の『模倣(コピー)』とは違う。相手の技を我がモノとする点は同じでも、彼の『強奪』は極めて凶悪な効果を有している。我流にアレンジした技を目にすることで、微妙に異なるタイミングやテンポが脳裏に焼き付いてしまうのだ。要するに、少なくともこの試合は――

 

 

――氷室さんはこの技を使えない。

 

 

「おし、やったぜ」

 

「上々です、灰崎君。この面子が相手ですからね。潰せるところから潰しておきましょう」

 

「相変わらず怖いヤツだぜ」

 

灰崎君とハイタッチをかわす。打ち合わせ通り。同じ技を使う黄瀬君には、今のプレイを見ないように伝えていたので、封印されたのは氷室さんだけ。対『陽炎の(ミラージュ)シュート』シフトは負担が重い。常にカバーに神経を使う必要があるので、いつまでも敷ける布陣ではないのだ。

 

「これで火神君に集中できますね」

 

何しろ、『キセキの世代』をも大幅に上回る個人戦力である。1on1で止めることは至難。こちらが得点を決めるも、即座に単独速攻で決め返された。やはり、ここからは互いの破壊力が勝負を分ける。

 

「コッチだ!」

 

コート奥に向けて放たれたパスを逆方向にタップ。意表を突いた連携に、相手の反応が遅れる。その隙を逃さず、フリーで受けた灰崎君がミドルシュートを決めた。

 

「展開が目まぐるしすぎる!」

 

「また火神が突っ込んだぞ!」

 

小刻みに緩急をつけつつも、トップスピードに乗って火神君が駆ける。待ち受ける青峰君の目の前で、勢いよく右足で踏み切った。それも前方ではなく上方へ。ボールを掴んだ左手を高く掲げ、長い長い滞空時間のジャンプ。全力で青峰君がブロックに跳ぶも、まるで届かない。これが火神君の奥義、高高度からの投げ込み式ダンク――

 

「……やはり、跳躍力は群を抜いてますね」

 

 

――『流星のダンク(メテオジャム)』

 

 

雷霆のごとく、天から降り注ぐ豪快な一撃。

 

 

 

 

 

 

 

現在のメンバー編成は攻撃特化型。神出鬼没による奇襲でスティールを狙えるとはいえ、ボクのマッチアップに穴が空く分、守備力は確実に落ちる。しかし、火神君の圧倒的な得点力に対抗するには、こちらも得点力を上げるしかない。この先のポイントは、どちらが先に相手の矛を阻むのか。

 

開始数分が経過し、得点は互角。ここまでは二人の独擅場。『幻の六人目』としての、特性を最大限に活かした変幻自在のパス回し。火神君の個人技による爆発力。それらが噛み合った結果、ただの一本も落とさない連続得点に繋がっていた。

 

「……このままだと不味いですね」

 

静かに戦況の不利を認める。帝光中の攻撃の要は、ボクの変幻自在なパス回し。ただ、肝心のパスルートが大幅に制限されてしまっているのだ。まず、かつての相棒である火神君。ボクのパスに慣れていること、そして単純に守備力の高さから、青峰君に回しづらい。もうひとつ、『悪魔の眼(ベリアルアイ)』を有するナッシュ・ゴールドJrの存在。広大な視野範囲により、奇襲が通じにくい。掻い潜る術はあるが、切り札はまだ隠しておきたい。

 

「シルバー!右だ!」

 

軌道変更したパスがコート最深部へ突き刺さる。その先には寸前にターンした紫原君が待ち構えていた。だが、ナッシュの声に反応した巨躯の怪物、シルバーが右手を伸ばす。

 

「チッ……外しちまったか」

 

「あっぶな~」

 

右手はわずかに届かず。何とかキャッチして、紫原君は急いでゴール下のシュートを放つ。思わずボクも安堵の溜息を吐いた。

 

コートを俯瞰可能なナッシュが声出しで対応し始めた。やはり、限られたルートでパス一辺倒は厳しい。止められるのは時間の問題か。何か突破口を探さなければ。例えば、スクリーンを使ってマッチアップを変えてみるとか。

 

「ちょっといいですか……青峰君?」

 

近くまで寄って声を掛けるが、反応がない。薄く笑みを浮かべたまま、自陣にゆっくり戻っていく。集中力の高まったときの彼だ。方針を変更。目先の変化はやめた。帝光中学のエースに一度預けよう。

 

 

 

 

 

傍目からでも青峰君の集中の度合いが深まっているのが分かる。腰を落とし、正面でボールをつく火神君に目線を合わせた。一挙手一投足を逃さぬよう、神経を尖らせる。

 

「行くぜ」

 

ドリブルを開始した。小刻みなテンポで左右に大きくボールを振り回す。ストバス特有のトリッキーな動き。喰らいつく青峰君。高速で跳ね回るボールの軌道を追いながら、対応するように素早くステップを踏む。息詰まる攻防。勝利したのは――

 

「火神が抜いたっ!」

 

「巧い!青峰の裏をついたぞ」

 

最後のワンフェイクが勝敗を左右した。迫真かつ精巧な一手が、青峰君の体勢を崩した。火神君の連続得点がさらに伸びる。

 

まだ彼らの間の差は大きい。そう結論付けようとして、ハッと気付く。いや、と横に首を振った。

 

第2Qが始まってから、火神君の攻め方が変わってきている。技巧や駆け引きに比重を置いているように見える。これはもしや、総合力ではなく少なくとも各々の得意分野においては――

 

 

――ボクの思っていた程、『キセキの世代』との間に差はないのではないか?

 

 

黄瀬君や灰崎君が、強敵であるはずの氷室さんを超えたように。確かに半年前、ボクは火神君の戦力を『キセキの世代』二人分と評した。その見立ては間違っていないと思う。しかし、そこからの成長率はこちらが優っているのでは?

 

 

 

何とか得点を取り返し、相手の攻撃ターン。連続得点を続ける火神君にパスが回る。両手でボールを保持し、上下左右に位置を変えることで様子を見る。青峰君もそれに合わせて、わずかに体勢を変えて対応する。合間に小さく挿入されるフェイク。釣られない。青峰君の集中力がさらに高まるのを肌で感じる。息詰まる会場の雰囲気。

 

「行った!ドライブで突っ込んだ!」

 

「抜い……てない!?ついていってる!」

 

緩急をつけ、チェンジオブペースから左へのドライブ。瞬時の方向転換で青峰君をかわす。

 

「さらにストップからのクロスオーバー!完全に抜いた!」

 

いや、青峰君の反応が早い。

 

上体をひねり、体勢を反転。火神君の背後から手を伸ばし、ボールを弾き飛ばす。人間離れした敏捷性(アジリティ)が可能にしたバックチップ。珍しく火神君が驚愕の声を漏らす。

 

「この超反応……『野性』かっ!?」

 

肌を刺す鋭い殺気。『野性』を解放した青峰君が反撃の狼煙を上げる。

 

 

 

膨大な試合経験を基にした予測精度の向上。さらに無意識化で情報処理することにより、相手の状況を瞬時に判断する能力。それらが『野性』の超反応を生む。

 

ハイスピードの攻防が繰り広げられるバスケットボールにおいて、これは格別の恩恵を授けてくれる。加えて青峰君の敏捷性(アジリティ)。こと平面の対決において、考えうる限り至上の組み合わせ。

 

「一本、落ち着いて決めよう」

 

赤司君がボールを保持しつつ、周りに声を掛ける。ようやく得られた好機。火神君から奪った攻撃権で得点できれば、流れを引き寄せられる。慎重を期したいところだが、ボクを使った連携も対応され始めている。皆も優位な状況を作ろうと動き回っているが……。

 

ここは彼に賭けてみよう。赤司君に合図を送る。

 

「青峰に回った。だけど……」

 

強烈なプレッシャー。前後左右に振り回すトリッキーなドリブルも、火神君の牙城を崩すには至らない。一流選手でも容易に翻弄できる揺さぶりも、彼には通じない。青峰君の顔に焦りが浮かぶ。やはり駆け引きまで含めた総合力の差は大きい。

 

「さっきみたいにはやらせねーよ」

 

「青峰君、こちらへ」

 

合図を出し、火神君の視線から外れながら駆け寄る。意図に気付いた青峰君が好戦的な笑みを浮かべた。後方へとステップ、同時にあらぬ方向へとボールを緩く投げる。

 

「どこに投げて……いや、黒子か!?」

 

さすが、勘付くのが早い。ハッと表情を変える火神君。ただ、今回は通常のパス回しではない。目的は青峰君へのワンツーでの返球だ。互いに徒手空拳。ハンデ無しのスピード勝負。

 

よーい、どん!

 

「アアアアアアアッ!」

 

「チッ、そういうことかよ」

 

コート深部に向けたボールに向け、両者が全力で疾走する。抜群の瞬発力を有する二人は数歩で最高速に到達。だが、元から連携としてスタートのタイミングを合わせた青峰君が半歩早い。指先でボールに触れ、そのままドリブルで突っ込む。

 

「させっか!」

 

いや、ドリブルで余分な動作が生じる分、火神君が寸前で間に合うか。しかし、この展開こそがボクの狙い。青峰君の才能が最も発揮されるのが、最高速で走り合うこの状況なのだ。

 

 

――青峰君の身体が急停止する。

 

 

「ぐうっ……しまった」

 

慌てて急制動を掛けて減速。さすが、喰らいついてくる。しかし、ここからが青峰君の本領発揮。

 

 

――直後、いきなり最高速

 

 

青峰君の才能『敏捷性(アジリティ)』、それを最大限に活用した最高速→0→最高速のチェンジオブペースは、相手を完全に置き去りにした。まっすぐにゴールまで疾走、さらに直接ダンクを狙おうと踏み切る左足に力を込める。

 

「おいおい、何抜かれてんだよ」

 

カバーに現れる巨躯の怪物ジェイソン・シルバー。ダンクに移行する青峰君に対して、ブロックのため跳び上がる。だが、『野性』の予測による超反応は寸前でジャンプの方向を変える。すなわち上方ではなく、真横へ。

 

同時にボールを掴んだ右腕で大きく振りかぶる。バスケの常識では考えられない動作。まるでドッジボール。障害の無い空中でボールを勢いよくぶん投げる。

 

「うおおおっ!何でアレが入る!?」

 

「横っ飛びして、空中で決めたぁ!」

 

ガツンとリングにぶつかりながら、リングを通過する。曲芸のごとき、天衣無縫のシュートフォーム。彼にとっては型など不要。

 

 

――『型のない(フォームレス)シュート』

 

 

シュート精度は絶対。これが帝光中学のエース、青峰大輝の全力。

 

 

 

 

 

 

 

リスタート後、ナッシュがボールを運び、氷室さん、火神君へとボールを繋ごうとして――

 

「凄え反応っ!青峰がスティールした!」

 

『野性』の超反応で飛び出し、パスカット。氷室さんをかわし、強烈なダンクが炸裂する。青峰君の連続得点に会場が沸き上がる。流れはこちらに引き寄せた。

 

 

 

 

 

しかし、彼はこのまま黙っている男ではない。何せ相手は世界最強。

 

「やるじゃねーか。オレもギアを上げるぜ」

 

ゆったりとボールを弾ませながら、一言つぶやく。火神君の雰囲気が変貌していく。獰猛な猛獣のごとき、危険なオーラ。肌を刺す鋭利な威圧感。ついに解放した『野性』――

 

「あの青峰があっさり抜かれたぁっ!?」

 

青峰君が慌てて振り向いた。抜かれてから気付く。相手の守備動作や意識を先読みすることで、可能となる超反応。青峰君をも上回る圧倒的な『野性』。コンマレベルの攻防である。体感速度はまるで別物だろう。

 

 

――天から放たれる雷霆『流星のダンク(メテオジャム)』

 

 

長い長い滞空時間。翼を広げた猛禽類、いや獰猛な翼竜を直感させる『野性』の猛威。天空から降り立ったその姿は、まさに世界最強に相応しい風格を備えていた。

 

 



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第52Q 心置きなく全力を出せることへの

 

 

 

――火神大我の『野性』解放。

 

獰猛な翼竜のごとき、肌を刺す強烈な威圧感。コート上に、最強の怪物が現出した。爆発的な得点力を有するプレイヤーが猛威を振るわんと睥睨する。青峰君に呼応するように、火神君も全力を発揮し始めたか。

 

これでさらに状況は一変。相手の有利に流れが傾いた。これはマズイ。得点を一気に引き離されると直感する。慌てて視線を帝光ベンチに向けると、監督がタイムアウトの指示を出している。ありがたいタイミングだ。プレイが止まれば実行される。

 

こちらが得点を決めたところで試合を切りたいな。

 

「青峰君」

 

「テツ……さっきのヤツをもう一度か」

 

赤司君が周囲を見回し、ゆったりとしたペースでドリブルをつく。その間に青峰君に合図を出し、再度の連携を伝える。先ほど火神君を抜いた敏捷性勝負で決着をつける。

 

マンツーマンで両者が睨み合う。一旦、青峰君に渡ったボールがあらぬ方向に放り投げられる。待ち構えるは『幻の六人目』。ここからワンツーでスピード勝負、と見せ掛けて――

 

 

――パスコースをコート最深部へと切り替える。

 

 

今の火神君との勝負では、いかに青峰君といえど厳しい。両者共に反応速度が向上しているので、良くて勝率は五分。なので、より確実な方法を目指す。

 

広大な視野を有するナッシュも、この状況ならばワンツーと誤認したはず。声出しによるサポートは間に合わない。狙うはリング前方。すでに紫原君は跳躍し、アリウープの体勢。

 

「黒ち~ん、ナイスパ……」

 

「うざってえんだよ!クソザルがぁっ!」

 

 

――巨躯の怪物、ジェイソン・シルバーが直前で弾き飛ばす。

 

 

「なっ……!?」

 

ボクの口から思わず驚愕の声が漏れる。想定外の位置から追いつかれた。

 

確かに人間離れした反射神経と身体能力を持つシルバーだ。相応に守備範囲は広い。しかし、それを加味した位置とタイミングだったはず。視線誘導(ミスディレクション)も機能していた。まさかこれは……。

 

「灰崎君!」

 

「しゃあねえな」

 

反撃のカウンター。ルーズボールを奪われ、火神君にボールが回った。このまま一気呵成に突破されてしまう。灰崎君に指示を出し、ディフェンスに加わってもらう。青峰君とのダブルチーム。超一級の天才達の二人掛かりの封殺である。火神君がドリブルで左右に振り回すが、さすがに攻めあぐねる。何とか対応が間に合ったか。

 

「オイ!いつまでテメエだけでやってるんだ!オレに回せ!」

 

不満を隠さず、怒号を上げるシルバー。その声に合わせるように、背面を通してパスを出す。映像で観たストバスの大会のように、熱くなっていない。冷静にパスを選択する。自分にダブルチームでついているなら他は手薄。フリーのアレンにボールが届き、紫原君がヘルプに飛び出る。

 

「シルバー」

 

「ようやくオレ様の出番かよ!待ちくたびれたぜ!」

 

そこからバウンドパス。ついに受け取ったシルバーが跳躍し、両手持ちのダンクの体勢に移行する。寸前で紫原君がブロックで割り込む。互いにボールを押し合い、拮抗する刹那。シルバーが溜まり切った怒りを解放する。圧倒的な膂力で相手を跳ね飛ばす。

 

「ぐわっ!」

 

両手持ちダンクが炸裂。紫原君は力比べに敗れ、コート外へと投げ出されてしまう。何という破壊力だ。

 

悠々と着地したシルバーがゴキリと指を鳴らす。これまでの鬱憤を全て晴らすかのような、猛々しい殺気を振りまいている。古代の恐竜と対峙したかのような錯覚。火神君だけじゃない。こちらも解放してきたか。全米屈指の凶暴性を誇る強烈な『野性』――

 

「思う存分暴れさせてもらうぜ。全員ブッ潰してやるよ」

 

 

――『神に選ばれた躰』ジェイソン・シルバーの全力解放

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴り響き、タイムアウトで一時中断となった。

 

「火神だけでなく、シルバーまで力を発揮してきたな」

 

「ったく、とんでもねえヤツらだな」

 

ドリンクを口に含みながら、灰崎君が肩を竦めて見せる。他の面々もどう対処するか考えている様子だ。司令塔の赤司君も目を閉じて首を横に振る。

 

「悪いが、オレもナッシュの相手で手一杯だ。派手な動きはしていないが、すでにお互い『眼』を使って牽制し合っている」

 

赤司君の『天帝の眼』とナッシュの『悪魔の眼』。どちらも人智を超えた異能だが、同種のチカラゆえに均衡を保てているのか。赤司君が抜けてしまえば、一気にナッシュの独壇場になってしまう。形振り構わぬ体力消耗は避けたい。

 

「黒子と黄瀬を交代する」

 

白銀監督が口を開いた。ベンチの全員の視線が集まる。

 

「火神相手にダブルチームは必須。ここは青峰・灰崎で抑える。ナッシュ、シルバーは引き続き赤司、紫原が。そして、残りの2人を黄瀬――お前に任せる」

 

ザワリと空気が揺らぐ。あまりに無茶な指令。何せ、他の2名も『キセキの世代』に準ずる能力の持ち主。しかし、黄瀬君は薄く笑みを浮かべて見せた。

 

「アレをやれってことッスね?」

 

白銀監督が頷く。

 

「だが、最後の手段だ。できれば第2Qは温存したい」

 

黄瀬君の有する切り札。アレには使用制限がある。

 

「別のところから攻めさせる。紫原、お前に頼みたい」

 

「了解~。アイツにはムカついてたし、絶対ヒネリ潰してやる~」

 

紫原君の肩に手を置いて声を掛ける。先ほど跳ね飛ばされた苛立ちと共に、彼が立ち上がる。残りのメンバーも気合を入れ直す。試合再開のブザーが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

第2Qも残り3分弱。赤司君のディフェンスが変化した。位置取りや意識の配分を絶妙に調節。シルバーへのパスコースを開けた。広大な視野範囲を持つナッシュは即座に意図を読み解く。

 

「ククッ……フリーの連中にやられるなら、いっそシルバーと直接対決だぁ?」

 

こちらを見下すように嘲笑うナッシュ。

 

「誘いに乗る義理はねえが。その思い上がりは正しておかねえとな」

 

ノーモーションで放たれる高速パスがシルバーに届く。完璧なタイミングで正確無比なパスワーク。当然ながらスティールは困難。

 

計画通りのC勝負。ローポストから、背後に紫原君を背負ってのパワードリブルが仕掛けられた。耐える紫原君だが、あまりの激烈な圧力を受けて表情が歪む。同世代において、間違いなく全米屈指の圧力が襲う。規格外の膂力。まるで巨大な樹木のような。対抗できるのは、粗削りだったフォームを正しく修正してきたからだ。

 

「パワーはなかなかのモンだな。だが、オレ様について来られるかよ!」

 

フェイクを入れ、逆方向への高速スピンムーブ。巨体であることを全く感じさせない動作のキレ。押し返すのに意識を割かれ、紫原君の反応が一歩遅れる。追いつけず、豪快な両手持ちダンクが炸裂。

 

「なら、今度はオレらの番ッスよ!」

 

続く帝光のカウンター。ミドルレンジに切り込み、黄瀬君がストップからのジャンプシュートを放とうとする。しかし、シルバーのヘルプが間に合った。『野性』の超反応で飛び込んできた。両者、同時に跳躍。直後、黄瀬君に自信の表情が浮かぶ。

 

 

――『陽炎の(ミラージュ)シュート』

 

 

手首を返し、一段目のフェイントを仕掛け、再度ボールをキャッチ。二段目の本命を放つが……

 

「まだ、跳んで……!?」

 

「オラアッ!」

 

強烈なブロックショット。

 

勢いよくボールを弾き飛ばす。火神君を彷彿とさせる『超跳躍』。目を見張る光景。これが力と速度と高さを兼ね備えた『神に選ばれた躰』ジェイソン・シルバーの実力。

 

 

 

 

 

 

その後もシルバーの独壇場。力と高さは互角でも速さ、平面の対決で優位を取られてしまう。

 

「ハッ……遅すぎだぜ!」

 

ハイポストでボールをもらい、ターンアラウンドからジャンプシュート。そう見せ掛けつつ、体捌きでかわしてフックシュートを決める。練習嫌いで有名だそうだが、やはり天性のモノか。一つひとつプレイの質は非常に高い。

 

 

 

再び帝光のターン。紫原君のポストプレイ。手を挙げてボールを呼び込んだ。平面の対決は厳しい。互角に渡り合える押し合いで勝負を挑む。背中越しに相手を押し込むパワードリブル。

 

「動かない……紫原でも厳しいのか」

 

「オレらじゃ、3人掛かりでも吹っ飛ばすのに……」

 

帝光ベンチから絶望の声が漏れ聞こえる。公式戦でも練習でも、才能が開花してから紫原君が全力を見せることは滅多になかった。いや、必要がなかったのだ。同じ『キセキの世代』ですら、力勝負をする対象ではなかった。力を制御することが日常。彼は全力を解放した戦いに慣れていない。

 

ゴール下へのステップインからジャンプシュート。だが、一歩遠い。

 

 

――シルバーのブロックショット

 

 

「ぐっ、こうじゃない……」

 

「ハッハァ!サルがオレ様に勝てるかよ!」

 

弾かれたボールを氷室さんが拾い、ナッシュへと繋ぐ。『Jabberwock』のターン。全員が反撃に備えて駆けだした。

 

 

 

 

 

一対一では、紫原君が不利か。しかし、火神君を止められる人間がいない現状、ナッシュとシルバーは各々で何とかしなければ試合に勝てない。何か突破口はないのか。焦燥感と共に彼に視線を向ける。

 

敵陣へ走る紫原君の顔に、純粋な笑みが浮かぶのが見えた。

 

「ムッ君が笑ってる?……珍しいわね」

 

桃井さんのつぶやきに、ボクも同意した。その言葉に返したのは、意外にも白銀監督だった。

 

「ついに出会ったということだ。自分の全力を心置きなく出すことのできる相手と」

 

「全力を出すことのできる相手……」

 

「これまで無意識に力を制限していたはずだ。相手を怪我させるかもしれない、と。同じく規格外の体格と力をもつ相手との一対一、ついに制限を外せると思ったのだろう。あの笑みは強敵を前にした興奮。そして――」

 

 

――心置きなく全力を出せることへの喜び

 

 

 

 

 

 

 

第2Qも残り1分を切った。紫原君が合図を出し、手元にボールが届く。マッチアップは『神に選ばれた躰』を有するシルバー。つい先ほどと同じポストプレイ。ローポストで背中越しに相手を押すパワードリブルを仕掛ける。

 

「何度やろうとムダなんだよ!」

 

舌を出して嘲笑をぶつけるシルバー。焼き直しの構図が繰り返される。ただ、異なる点がひとつ。帝光ベンチがどよめく。

 

「シルバーが……押されてる…」

 

顔面を苦渋に歪ませ、相手が一歩後ずさる。あまりにも大きな一歩。ようやく生じた勝機に紫原君の目の色が変わる。裂帛の気合と共に足を踏み出した。ゴール下へのステップインからダンクシュート。ブロックのために、シルバーが両手を伸ばして跳躍する。パワー勝負。これまで両者は互角だった。しかし、ついに紫原君の規格外のパワーが完全解放される。

 

「うああああっ!」

 

「グウッ……まさか、このオレ様が…」

 

 

――埒外のエネルギー量が、行き場を求めて荒れ狂う。

 

 

「決まったぁ!」

 

ぶらさがったリングから、紫原君がゆっくりと降りる。迸る圧倒的な熱量。

 

 

 

 

 

 

第2Qも残り21秒。最後の攻撃は『Jabberwock』。決めて終わりたい、その統一見解の元、ナッシュがゲームメイクする。どう攻めてくる。火神君にはダブルチームがついている。手薄な氷室さんとアレンに回すのか、それとも……

 

「オレ様にくれ、ナッシュ!コイツ、ぶち殺してやる!」

 

「……いいだろう」

 

わずかな逡巡の後、ノーモーションでシルバーへパス。予備動作無しで放たれたボールが、絶妙なタイミングで手元に収まる。この男にパスの選択肢は無い。こちらもC勝負のポストプレイ。紫原君にパワー勝負で敗れたものの、決してシルバーの攻めが止められた訳ではない。依然、速さでは不利なままだ。

 

「バカな……。あの野郎だけでなく、オレ様が二度も負けるなんざ、有り得ねえんだよ!」

 

シルバーには多くの選択肢が存在する。ターンアラウンドを起点とした、速さと技術を活かした平面の対決は依然有利だ。人並外れた敏捷性の効果は大きい。しかし、紫原君にも突破口が一点。そのため、彼には読み合いを差しはさむ余地が生じている。

 

――パワー勝負は無い

 

相手の選択は、バックステップからのフェイドアウェイ。

 

正面に向きを変え、高速で距離を取ってのミドルシュートだ。力比べではない、相手をかわすプレイ。インサイドに切り込んだこれまでとパターンを変えてきた。意表を突いた選択肢。

 

逃げの選択肢。

 

「勝てばいいだろうが!喰らえ……何だと!?」

 

――紫原君のブロックショットが炸裂

 

シルバーの脳裏に、ほんの一瞬の怯えがよぎったのか。その選択肢は読まれている。パワーで上回ったことで、紫原君との間に駆け引き、読み合いが生まれた。ここからは一方的な戦いではない。後半戦に向けての準備は完了。

 

 

 

 

 

 

ここで前半戦が終了。得点は42-48。望みは十分に残っている。

 

互いに手札を切り、盤面も整ってきた。ただし『キセキの世代』と『Jabberwock』、双方ともに手札を晒しきってはいない。体力の都合や使用制限、長いハーフタイムで対策を練られるのを避けるため。火神君なら相手の実力に合わせて、という余裕もあるか。このまま順当に進むなど考えられない。

 

 

 

第3Qは変化のラウンド。前半戦で使用した影のスタイルはまだ基礎編、今度は応用編を見せてあげますよ。

 

 

 



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第53Q 紛い物と一緒にするなよ

 

 

 

1か月前、帝光中学1軍専用体育館。練習後の人気の少なくなった館内に、バッシュとボールの音が響く。すでに中3は引退の時期だが、例の大会に向けてむしろ熱を込めて練習している。それは放課後の自主練でも変わらない。

 

「やったー!ついに青峰っちに勝ったッス!」

 

「お前、アレ何なんだよ!すげえじゃねーか!」

 

青峰っちとは毎日1on1勝負をしているけど、五本先取で勝利したことはない。帝光中学における点取り屋、こと攻撃力に絞れば最強の選手である。初めて青峰っちに勝ったのだ。嬉しさもひとしお。本来ならばまだオレ達の間にわずかだが実力差があり、覆せないものだった。

 

覆せた理由はひとつ。ついにアレが完成したのだ。思わずはしゃいでしまう。最終決戦に向けたオレの切り札。名付けて――

 

 

――『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』

 

 

拍手の音が耳に届く。

 

「素晴らしいですね」

 

「見てたんスか、黒子っち。ついに掴んだッスよ」

 

存在感の薄い黒子っちが、休憩のタイミングで現れる。珍しく驚きの表情がかすかに浮かんでいた。ただし、予見していなかった訳でもなさそうだ。想定より習得が早かった、くらいのものだろうか。

 

「見事です。ただ、今後は使用に制限を掛けるべきでしょう」

 

「何でッスか?」

 

「身体への負担が重すぎます。おそらく3分、いや成長途上のこの時期なら2分が限界。最後の切り札ですね」

 

一体、どこまで予見していたのやら。一応これ、本邦初公開なんですけどね。これだから得体が知れないと恐れられるんだろう。しかし、味方であればここまで心強い者はいない。あの世界最強、火神大我にすら匹敵しかねない異常度。

 

珍しく、彼も次の試合に対する思い入れは強そうだ。『幻の六人目』黒子テツヤの全力を、ついに目にすることができるだろうか。本当に楽しみな試合だ。

 

 

 

 

 

 

 

第3Q開始直後、切り札を解禁する。ビハインドは6点。オレの使命はこの得点差をひっくり返すことだ。

 

――『超距離高弾道3Pシュート』

 

手元に届いたボールをじっくり溜めて上空へと撃ち出した。高く高く、流線型を描く軌道で数秒後にリングを綺麗に通過する。沸き起こる歓声。

 

「うわあああっ!何だアレ、緑間と同じくとんでもない3Pシュートが決まった!」

 

「ハーフラインより遠いってどうなってんだよ!」

 

対戦相手の面々も、オレの変化に気付いたらしい。こちらを見る目が明らかに警戒に満ちたものとなる。

 

そう、これがオレの切り札――『完全無欠の模倣』。その効果は、自分の実力を超えた技やスタイルすら再現する。『キセキの世代』の超越技能さえも模倣し、組み合わせる埒外の奥義。

 

全能感にも似た高揚の中でオレは笑った。

 

さあ、倒せるもんなら倒してみな。

 

 

 

 

 

 

 

初撃をかまして、続く相手のターン。後半はナッシュが順当にフリーな選手にパスを回す。火神をダブルチームで封じる代償として空いた選手へと。氷室がドリブルで数歩距離を詰め、中距離からジャンプシュートを放つ。全員が一流の実力者。この距離でフリーならほぼ必中。しかし、そこはオレの守備範囲内だ。

 

「何っ……間に合うのか!?」

 

 

――瞬時に距離を潰し、ブロックショット

 

 

紫原っちを彷彿とさせる鉄壁のブロック。埒外の広さを誇る守備範囲を模倣する。本来ならば届かない距離からのカバーに氷室の顔が驚愕に固まった。

 

そのままカウンター。ドリブルで単独速攻に持ち込むオレに追いつく氷室。横並びで疾走する。ちらりと横目で様子を窺い、次の行動を選択。

 

 

――最高速→0→最高速のチェンジオブペース。

 

 

「あの動きは青峰の……!?」

 

火神すら一時は翻弄した、青峰っちの激烈なドライブのキレを再現。ついてこれずに相手の体勢が崩れる。

 

あとはダメ押し。おもむろに左へと跳躍。左手のサイドスローで勢いよくボールをぶん投げる。同じく青峰っちの『型の無い(フォームレス)シュート』を模倣。無造作に放たれながらも、シュート精度は絶対。ボードにぶつかりながら、ボールはリングを通過した。

 

「マジかよ!『キセキの世代』の技を全部使いこなしてるぜ!」

 

「信じられない、天才的すぎるだろ……!」

 

相手チームの選手だけでなく、観客たちのざわめきも会場に満ちている。ただ一人だけ冷静にこちらを見つめる男が、火神大我。彼だけは楽しげに口元を吊り上げ、興奮を隠しきれずに口にする。

 

「最高だぜ。もう完成してんのかよ――『完全無欠の模倣』」

 

確信を込めた声音が耳に届く。

 

何でコイツ、知ってるんだ?

 

しかし、その表情からオレも確信する。世界最強に今、火が付いたのだと。

 

 

 

 

 

 

相手の黒人選手アレンがボールを手にした瞬間、オレは洞察力を最大限に発揮して開眼する。帝光中学の主将、赤司征十郎の異能を模倣した。

 

 

――手元からボールを弾き飛ばす。

 

 

「なっ……これはナッシュの『眼』と同じ…!?」

 

未来を見通す『天帝の眼』。確かナッシュも同じ眼を持っているらしいが。トリプルスレットに移行する隙を突いた、絶妙なスティールが炸裂。反応すらさせずにボールを奪取する。

 

誰もオレの眼から逃れられない。

 

 

 

 

再び単独でのカウンター。ハーフラインを越えた辺りで、チラリと後方を確認。間に合いそうなのは一人。このままオレだけで得点を決める。速度を上げてドリブルで駆ける。ギリギリ間に合い、回り込めたのは火神のみ。

 

「今のオレなら、アンタ相手だろうと勝てるッスよ」

 

交錯する視線。ザワリと背筋が粟立つ。気圧された?今のオレが?かすかな逡巡を振り払い、1on1を仕掛けようとして――

 

 

――あっという間にボールを奪われた。

 

 

「え?」

 

接敵の瞬間、オレの手からスティールされた。気付いたら相手の姿が消失していた。勝負が終わっていた。目を見張る神速。こちらの反応速度を完全に振り切った。慌てて首を後方へ回す。すでに相手は凄まじい速度で敵陣へと駆け抜けている。

 

信じられない。今のオレを相手にここまで一方的に……。

 

「灰崎っ!」

 

「わかってら」

 

迎え撃つ、青峰っちと灰崎。二人とも警戒レベルを上げた。明らかに雰囲気の変貌した火神。まっすぐに切り裂くドリブル一閃。日本屈指のダブルチームでこちらも対抗する。

 

「二人掛かりを、ぶっちぎりやがった!」

 

「そのままダンク決めたぁ!」

 

鎧袖一触。まさに神域のドリブル突破。万全の態勢のあの二人を相手に、信じられない。あまりに人間離れしたプレイ。

 

ダンクを叩き込み、振り返ったその様を目にした瞬間、戦慄した。背筋の凍りつく錯覚。獰猛な獣の発する『野性』の威圧感ではない。無造作に散るエネルギーを凝縮し、濃密に練り上げたような。鋭利で研ぎ澄まされた、極限の集中力。

 

 

――『ゾーン』

 

 

誰もがその単語を頭に思い浮かべただろう。会場中がたった一目で理解する。

 

これが『世界最強』

 

圧倒的なチカラ。それも他の追随を許さないほどの。俗世とは隔絶した神域の住人が、ついに降臨した。

 

 

 

 

 

 

 

帝光の攻撃。赤司っちからボールを受け取り、洞察力を最大限に発揮して開眼。第2Qまでに、相手の行動の癖やパターンは観察済みだ。疑似的に『天帝の眼』を再現する。

 

 

――アンクルブレイク

 

 

小刻みなドリブルからレッグスルーで左右に揺さぶることで、相手の足元を崩す。尻餅をついた姿を見下ろし、その場でジャンプシュートを決めた。

 

「こっちも決めれば一緒ッスよ」

 

しかし、すぐさま火神も決め返す。反撃の速攻で二人を軽々と抜き去り、連続ダンクを叩き込む。

 

 

 

そして再び帝光のターン。赤司っちがボールを運ぶ。

 

「……やっぱり、こうなるッスよね」

 

マッチアップ変更。正面に世界最強が立ち塞がる。直接、オレを抑えに来た。

 

「しっかり決めていこう」

 

「赤司っちのハンドサイン……オレでアタックっスね」

 

合図と同時にメンバーが各々、連動しながら動き回る。このパターンはオレが有利な状況でボールをもらうための連携。ディフェンスを振り回し、紫原っち→灰崎→オレと繋がった。残念ながら火神を翻弄するに至らなかったが、ゴールを向き、パスやシュートの選択肢もちらつかすことのできる最上の位置取りと態勢だ。

 

『完全無欠の模倣』により、普段以上の性能を発揮しているので、体力消費や身体への負担がキツイ。万全で仕掛けられるのは最初で最後かもしれない。

 

「黄瀬に渡った。この雰囲気、仕掛けるぞ」

 

いざ、攻め手として対峙すると、プレッシャーが凄まじい。中途半端な仕掛けでは通用しない。オレの知る最高の連携で勝負。

 

 

『チェンジオブペース』+『天帝の眼』

 

 

「『キセキの世代』の合わせ技、すげえ!」

 

「どうだ、崩せるか?」

 

わずかに火神の重心がズレるが、即座に立て直しに動く。渾身の仕掛けでもこれか。しかし、唯一の好機に賭けるしかない。ズレた重心と反対方向にさらに切り返し、大幅なサイドステップ。横っ飛びから右手を振りかぶり、勢いよくボールを放り投げる。

 

 

+『型の無い(フォームレス)シュート』

 

 

1on1における最強の組み合わせ。必中の覚悟で放たれたボールだが、上空に突如出現した神域の怪物に止められてしまう。あまりに堅固な天空要塞に跳ね返される。

 

「なっ……これを止めるッスか」

 

高すぎる、速すぎる。本当に同じ人類なのか。神のごとき、圧倒的に隔絶した性能差。ここに至り、ついに実感する彼我の実力差。――これが世界最強。

 

 

――天からの雷霆『流星のダンク(メテオジャム)』

 

 

神罰が下される。

 

 

 

 

 

 

 

帝光側からリスタート。カウンターを狙うために自陣に戻ろうとして気付く。手足の震えと息苦しさに。時間制限によるガス欠か。全速力でコートを横断するチカラが残っていない。

 

「なら、せめて最後は得点で終えないとッスね」

 

青峰っちと灰崎は速攻に向けて駆け出している。オレは赤司っちに合図を出し、パスを要求。こちらへ放たれたボールに掌で触れ、その場で身体を捻り、一回転。遠心力を加えた一矢を射放った。練習で見た衝撃の一閃を再現する。

 

 

――黒子っちの『長距離回転(サイクロン)パス』

 

 

このパスは、カウンターの速攻で最大限の効果を発揮する。コートを縦に切り裂き、瞬時に敵陣にボールを通す高速の一射。全身全霊の力を込めた逆転の一撃。しかしそれは――

 

「いっけえええ!」

 

「このコート上で、いつまでも好き勝手させるかよ」

 

 

――ナッシュの『悪魔の眼』に阻まれる。

 

 

しまった。敵のコートにはこの男がいた。赤司っちと同じく『眼』を有する選手が。

 

コート全域を見通すことで、パスコースを事前に読まれてしまったか。逆転の一射も、予測されればただの直線的なパスに過ぎない。迂闊な使い方をしてしまった。改めて感じる。黒子っちの技だけは、独自進化を遂げているだけに使いこなすのが難しい。

 

 

 

カウンター返し。逆に無防備な自陣でナッシュが牙を剥く。もう一人戻ってきたアレンを赤司っちがカバー。2on2の戦い。オレがナッシュを止める。

 

「正直驚いたぜ。模造品とはいえ、オレの眼と同じモノを持つのが二人もいるなんてな」

 

今のオレに対して、臆せずドリブルで制空圏内に侵入してきた。互いに未来を見通す『眼』を持つ者同士。両者同時に開眼。

 

「だが、オレの『眼』はお前のソレとは格が違うぞ」

 

 

――『天帝の眼』

 

――『悪魔の眼』

 

 

前半戦からナッシュの動作は分析してきた。さらに他人の技を模倣するほど極まったオレの観察眼。これらを活用し、赤司っちと同じく未来を予測する。

 

ナッシュと条件は五分。

 

「もらった!」

 

パスフェイクから、バックチェンジで左。未来予測を基に最速のスティールを狙う。だが、オレの手は寸前で空を切った。

 

ロッカーモーションで右……!?

 

 

「紛い物と一緒にするなよ。オレの視る未来こそが絶対だ」

 

 

重心の崩れた隙を突いて、ナッシュがドリブルで一歩抜き去る。

 

認めるよ、確かに『眼』の精度ではそちらが上だ。だが、『完全無欠の模倣』の本領は特性を掛け合わせること。

 

上半身を捻り、相手の死角となる後方からボールを狙う。青峰っちの敏捷性を模倣したバックチップ。

 

 

――『天帝の眼』+『敏捷性(アジリティ)』

 

 

「もらっ……何?」

 

「甘えよ。オレの眼には映っているぜ」

 

直前で手首を返し、オレのスティールを外す。そうか、視認範囲も広いんだった。今度こそ体勢を完全に崩され、フリーでシュートを決められる。

 

火神が目立っているが、やはりこの男の強さも別格。

 

「一つひとつの技はともかく、使い方が全然なってねえ。オレとやるには経験不足だったな」

 

集中力の糸が切れ、膝から崩れ落ちる。制限時間が過ぎた。身体の負担が限界を超えた。悔しさに歯噛みする。

 

くそっ、最後は得点で決めたかったのに。

 

 

 

 

 

選手交代のブザーが鳴る。交替で投入されるのは、帝光中学の秘密兵器。不甲斐なさに俯きながら、黒子っちとタッチする。

 

「すまないッス。点差を詰めるはずが、逆に広がっちゃいました」

 

「いえ、よくやりましたよ。火神君にゾーンを使わせたこと、ボクがゾーンを見れたこと。その成果は大きい。あとはボクが流れを引き戻すだけ」

 

 

 

試合再開。得点差は広がり、49-56。火神はすでに体力消費が激しい『ゾーン』状態を解除している。しかし、まだまだ体力に余裕はありそうだ。引き換え、オレの疲労は極限に達しており、この試合中に回復する見込みは薄い。あとは皆に任せるしかない。

 

しかし、勝てるのか?あの神域の存在に……。

 

その後、互いに得点を決め、エンドラインからリスタート。

 

「残念だったな。さっきのヤツは切り札だったんだろうが、結果はこの通りだ」

 

「……確かに想定外だよ。だが、ひとつ勘違いをしているな」

 

「あん?」

 

赤司っちとナッシュが言葉を交わしている。青峰っちと灰崎は速攻のために前線へとダッシュ。赤司っちは、おもむろにボールを右に放り投げる。

 

「どこに投げて……」

 

「切り札は一枚ではない。なぜなら、――こちらには『幻の六人目』がいる」

 

突如出現する帝光の秘密兵器。黒子っちが上体を捻り、回転しながら遠心力を利用してボールを発射する。先ほどオレが失敗した技。しかし、ナッシュの眼に彼は映っていない。どうやったのか、広大な視野を有するナッシュからも、彼は姿を焼失させる。

 

カゲの薄さと視線誘導(ミスディレクション)を融合した固有のスタイル。これはオレにすら模倣不可能なものだ。

 

 

――『長距離回転(サイクロン)パス』

 

 

コートを縦に切り裂く一閃。会場中の全員の虚を突いた、致命の一矢。ほんの一息で前線の灰崎にボールが届き、そのまま単独でレイアップを仕掛ける。

 

「させっか!」

 

いや、火神の戻りが早い。凄まじい高さと速度でブロックを敢行。しかし、予想外の出来事だったのだろう。体勢は悪い。冷静に灰崎はパスを選択。青峰っちが得点を決めた。再び盛り上がる会場と帝光ベンチ。

 

「心配はいらなかったッスかね」

 

黒子っちが多彩なバリエーションを解禁し始めた。火神が天上の怪物ならば、彼は暗く深い海に棲息する深海魚だ。

 

強さを求めた正攻法ではなく、特異な生態系で育まれた変異種を思わせる未知の恐怖。夢幻のごとく、一切見せなかった底を、ついに見極められるかもしれない。満足な結果を残せなかった悔しさはある。しかし、これからの試合への興奮でオレの口元が自然と緩んだ。

 

 

 



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第54Q だが、勝つのはオレ達だ

 

 

 

かつて、誠凛高校バスケ部はウィンターカップ決勝で惨敗を喫した。

 

ボクも火神君も、当時絶対的な存在であった赤司君に全てを封殺され、成す術なく蹂躙されたのだ。ゆえに、過去に戻ったボク達が行ったのは、地獄を見たトラウマの払拭。全てを見通す『天帝の眼』の攻略は必須だった。対策へのアプローチは違えども、二度とあの悪夢を繰り返したくないという気持ちは同じ。

 

火神君が選んだのは、身体能力と技量を強化した上で、自力で『ゾーン』に没入するという強引過ぎる荒業だ。未来を見通しても対応しきれないほどの実力を得る。それが彼の単純かつ確実な方法。

 

ボクが選んだのは、『天帝の眼』からすら逃れる視線誘導術の習得。ミスディレクションの深化。赤司君に限らず、『鷲の眼』などのコートを俯瞰できる広域の視野に、たびたび苦戦を強いられてきた。死角を利用した神出鬼没が通用しないからだ。構造的欠陥と諦めていたが、そうではない。

 

ボクのスタイルの要諦は視線誘導。視線すなわち意識を逸らすことにある。死角に潜むのが最良だが、存在感の強い別の選手やボールなどに注目させるのが常套手段。とはいえ一瞬なので、自由に動き回るには死角に這入ることが必要というだけ。広域の視野を有する相手にも視線誘導は通用する。相手の広域視野を前提として、ミスディレクションを複数組み合わせることで、数秒間まで自身の存在を隠蔽する。長年、視線誘導の技術を磨き上げ、対『天帝の眼』として組み上げたのがひとつ目の秘奥――

 

――『影の視線誘導(シャドウミスディレクション)』である。

 

 

 

 

 

 

 

赤司君が横に出したパスが鋭角に方向転換。予測不能の軌道変化で相手チームの表情が驚愕に固まった。ナッシュは口元を歪め、舌打ちする。『眼』からも逃れたため、声出しによるフォローは無い。マークを外した灰崎君がジャンプシュート。放物線がリングを通過する。

 

「チッ……なぜ、ここに来てオレの眼から消え出した」

 

「油断したぜ。わざと前半は隠してたな。これがお前の『天帝の眼』対策か」

 

火神君が楽しげに口元を緩ませる。

 

 

 

 

今度は相手の攻撃。火神君が高速ロールからダンクを叩き込む。すぐさま得点を奪い返される。やはり1on1では厳しいか。ダブルチームを解除すると、生じた余裕で暴れ出した。

 

ここからは再び、殴り合いの展開に突入する。変幻自在のパス回しで翻弄する帝光。圧倒的な個人技で押しつぶす『Jabberwock』。一進一退の攻防が続く。しかし、不利を感じているのはボクの方だった。

 

相手の予想を外すボールの急加速。さらに手札を解禁する。

 

 

――『加速する(イグナイト)パス』

 

 

灰崎君の出したパスを、後方からさらに掌で強く叩きつける。これまでの軌道を変更するパスではない。速度を変更するパスなのだ。ゴール下では紫原君がすでに跳躍している。シルバーが手を伸ばすが、急加速で到達時間が早まったため、指先がかするに留まる。紫原君が空中でキャッチして、そのままシュートを決める。

 

「よしっ!また得点だ!」

 

会場が盛り上がるが、ボクは苦々しさを覚えていた。今のはスティールされても不思議ではなかった。ナッシュの声出しを封じたのに、紙一重の勝負になってしまっている。

 

火神君とシルバーの『野性』解放。ただでさえ埒外の瞬発力を有する二人が、さらに反応速度まで上げてきた。意表を突いたとしても、パスを届けるのは至難の技。もはやパスカットされるのも時間の問題だ。

 

『Jabberwock』側の攻め方も変わってきた。これまでにない変化。火神君に回すだけの単調な攻めから、選手同士が連携したものへ。

 

「ヘイ!こっちだ!」

 

ドリブル突破でペネトレイトを狙うアレン。インサイドへ切り込みつつ、呼び声が耳に届いたのだろう、ノールックで背面越しにパスを出す。自然な流れでふわりとボールが放たれる。受け取るのは、連動してマークを振り切った火神君。

 

「ナイスパス!」

 

慌ててヘルプに飛び出る紫原君。そのままインサイドで勝負、と思いきや一転、後方へと鋭くボールが撃ち出される。同じくマークを振り切った氷室さんにパスが届き、外側から3Pシュートが決まる。

 

「よしっ!」

 

「カウンターだ。黒子、頼んだ!」

 

エンドラインから即座に赤司君がボールを出す。立て直す時間は与えない。灰崎君がすでに前線へ駆け出している。狙いを定め、ボールを手にして一回転。遠心力を利用してコートを縦断する一閃を放つ。

 

 

――『長距離回転(サイクロン)パス』

 

 

灰崎君に繋がり、単独速攻からレイアップ。だが、放たれたボールは後方から突如現れたシルバーの手で弾かれる。強烈なブロックショット。

 

「オレ様をナメんじゃねーよ!」

 

「くっ……お前、そんな戻るの早いキャラじゃなかったろーが」

 

巨体でありながらも、『神に選ばれた躰』と謳われるジェイソン・シルバーの瞬発力や脚力は非常に優れている。これまで守備は手を抜いている印象だったが、全力を尽くすようになってきた。その効果は絶大。火神君、シルバーと人間離れした守備範囲を有する危険地帯を掻い潜るパスを出し続けなければならないのだ。今回のように到着後に奪われるリスクも上がる。

 

 

 

 

 

予備動作を排したナッシュの高速パス。ハイポストに陣取った火神君は、それをワンタッチでタップパス。目まぐるしく周囲が動く中、正確にアレンの手元へ。マークの灰崎君の反応が一瞬遅れる。ドライブに備えたところを、バックステップからのフェイダウェイジャンプシュート。

 

「これは鮮やかだな。とんでもなく巧い」

 

「チームプレイし始めてから、『Jabberwock』が押してきてるぞ……!?」

 

今のアレンという選手のプレイ。バックステップの動作ひとつとっても、膝を抜いて瞬時に地面を蹴るという高等技術を駆使している。派手で奇抜な動作を好むストリートの技術ではない。明らかに幼少期から優れた指導者の下で学んだバスケエリートの動き。

 

「スクリーン!」

 

赤司君に対してアレンのスクリーン。人の壁を利用してサイドからナッシュがペネトレイトを仕掛けた。灰崎君にマークチェンジ。ドライブからの1on1を仕掛ける。呼応してアウトサイドの氷室さんがマークを外し、ピック&ロールでアレンもインサイドに這入りこむ。待ち受ける灰崎君の脳裏をよぎる複数の選択肢。

 

このままドライブで右か左、あるいはパスか……。

 

「右っ!……と見せ掛けてレッグスルーで左?」

 

「そうか、コイツは赤司と同じ『眼』を!?」

 

 

――アンクルブレイクで灰崎君が膝から崩れ落ちる。

 

 

その場でナッシュは悠々とジャンプシュートを決めた。

 

 

 

 

 

反撃の速攻。青峰君とボクの二人で駆け上がる。迎え撃つのは火神君とアレン。後続を待たずに2on2で勝負。青峰君がドリブルで突っ込み、火神君がマークにつく。トリッキーなボール捌きで揺さぶりを掛けるが、やはり1on1では分が悪い。

 

「青峰君!」

 

勝負したかったのだろう。残念そうにボクへとボールを戻す。火神君はワンツーを警戒。パスコースを潰す動きを見せる。後続が追いつくまで数秒。パスを諦め、ボールをキャッチする。目の前のアレンが初めて見せる動きに警戒感を示し、半歩下がった。好都合だ。後方からやってくる味方の位置は確認してある。視線を彼らに誘導し、自らの姿をくらました。

 

 

――『消える(バニシング)ドライブ』

 

 

「何だとっ……き、消えた?」

 

ドリブルで相手を抜き去り、レイアップを決めた。

 

 

 

この試合、初めてのボクの1on1とその勝利に会場中にどよめきが生じる。棒立ちで抜かれた相手は、茫然とその場で立ち尽くしている。振り返り、信じられないものを見る目がこちらに向いた。

 

「オイ、何をボサッと抜かれてんだよ」

 

「シルバー……わ、わからない。目の前で、アイツが消えたんだ…」

 

「ハア?」

 

錯乱状態のアレンが身を乗り出すように話し出す。氷室さんも困惑気味の表情。タネを知っている火神君は、やはり静観の様子だ。

 

「落ち着け、アレン」

 

「だ、だけどナッシュ、本当なんだ!」

 

冷静さを欠いた仲間をナッシュは片手で制して説明する。もう片方の手で、他のメンバーを呼び寄せる。

 

「おそらく視線誘導の技術を利用したトリックプレイだ。確かに特異な能力だが、対抗策はある」

 

「ど、どうすれば……」

 

「異常性はともかく、スピードやテクニック、高さは凡庸だ。オレ達であれば、抜かれてからでもブロックが間に合う。落ち着いて対処すればいい」

 

ナッシュの冷静な言葉に、他の面々の顔から焦りが消える。超一流の個人戦力だけでなく、分析力・統率力も高水準で保持しているのか。火神君も感心した様子で頷いている。

 

 

 

 

 

第3Qを戦ってきて、いくつか分かったことがある。

 

まず、『ゾーン』による火神君の疲労。黄瀬君が下がってから、相手チームは火神君一辺倒の戦い方を変えてきた。いかに世界最強といえど、火神君もまだ成長期の中学3年生。無制限にゾーンを使い続けるなど不可能。同格の交代要員もいない。現在は体力の消耗を抑えている段階だ。最終Qに向けてスタミナの温存を図っているのだろう。

 

もうひとつは、『Jabberwock』が本気で勝利をもぎ取りに来たということ。ボク達を強敵と認め、全能力を結集し始めた。相手をおちょくるような奇抜な個人技は鳴りを潜め、戦術を駆使したチームプレイで正面から打倒しにきた。相手も必死だ。火神君という強すぎる個をサブに置くことで、むしろチーム全体の連携が円滑に回り始めた。

 

恐れていた事態が起こる。ついに、ボクのパスもカットされてしまう。

 

「うらあっ!」

 

紫原君に向けて、パスを鋭角に方向転換。虚を突いた連携だったが、シルバーの反射神経が優る。若干、攻めすぎたか。指先がボールをかすめ、握力で強引に弾き出される。ボクのパスが阻まれ、仲間達から驚愕の空気が伝わってくる。

 

ルーズボールを火神君が手中に収め、カウンターの速攻。矢のようなショルダーパスが敵陣めがけて放たれる。

 

「『Jabberwock』のカウンターだ。前にいるのはナッシュと青峰」

 

単独速攻を仕掛けるナッシュと高速で回り込んだ青峰君。両者睨み合い、1on1の勝負が幕を開ける。

 

右からわずかに遅れて赤司君とアレンが駆け上がってくる。ナッシュはそちらへ意識を割いた、というフェイク入れる。しかし、青峰君はそれを無視。赤司君のカバーを信頼して、選択肢をドリブルとシュートに絞った。

 

一秒に満たぬ間に、ナッシュは数種類のフェイクを織り交ぜて相手の隙を作ろうとする。あえて、ボールを操る手元を甘くして誘いながら。

 

『野性』による予測と俊敏な反応で、青峰君も積極的にプレッシャーを掛ける。反撃のスティールを狙いながら。ヒリヒリとした緊張感。ここでナッシュは究極を繰り出す。

 

 

――『悪魔の眼』の開眼。

 

 

ナッシュが未来を見通した。青峰君のスティールを絶妙なタイミングで回避し、そのまま手首を返してバックチェンジで左へ。

 

「かわした!」

 

「いや、踏みとどまってる。これなら抜ききれない」

 

外した場合も考慮していたのだろう。青峰君の重心の戻しは早い。体勢はやや崩れて不利だが、まだ勝負は続く。獣のごとく獰猛な笑みを浮かべ、戦線に復帰する。この未来も読んでいたのか、ナッシュは安易にそのままドライブを仕掛けたりはしなかった。

 

「ほぅ、やるじゃねーか。だが、勝つのはオレ達だ」

 

その場でナッシュはドリブルのボールを強く弾ませた。青峰君の頭を超えて、上空へと球が浮かされる。そこで青峰君も気付く。前方から凄まじい速度で駆け寄る巨体に。

 

「ありがたく頂くぜ!ナッシュ!」

 

コート最深部から、一気にここまで駆け上がってきたのか。たっぷりと助走をつけたシルバーが、フリースローラインの遥か手前で踏み切った。高く高く跳び上がる。目標は上空に届けられたボール、および帝光のリング。

 

誰の眼にも、この先の未来が視えた。

 

「しまっ……間に合わねー」

 

体勢の崩れた青峰君は、この状況を咎められない。同じく『眼』を有する赤司君はこの高さに届かない。長い長い滞空時間。シルバーが空中でキャッチし、轟音と響かせながら叩き込む両手持ちダンク。何人たりとも抗えない完璧な連携。

 

 

――これが未来を見通すナッシュ・ゴールドJrのゲームメイク。

 

 

圧巻。

 

『Jabberwock』とは、ルイス・キャロルの作品《鏡の国のアリス》で語られる怪物の名前だ。森に棲む鋭い牙と爪をもつ怪物とされている。いまや怪物といえば火神君という認識だが、本来、この名を冠していたのは彼らだった。これまでの激闘を経て、バラバラの個にすぎなかった彼らが、一個の怪物として生まれ変わろうとしている。

 

 

 

 

 

タイムアウトのブザーが鳴った。展開的にも体力的にも苦しい時間帯だ。皆でベンチに戻り、腰を下ろして一息吐いた。水分補給しつつ、タオルで汗を拭く。格上と戦う機会の少ない彼らにとって、やはりこの激闘の体力消費は厳しいか。

 

「ったく、信じらんねーくらい強えな。黒子込みのメンバーでこれかよ」

 

顔にタオルを乗せ、天を仰ぐ灰崎君の言葉に皆が内心で頷く。明らかに後半に入ってから手強くなった。得点差もじりじりと離され続け、すでに2桁に突入している。このままではマズイ。

 

「休みながらでいい。聞いてくれ」

 

白銀監督が正面に立って声を掛ける。この状況でも冷静で落ち着いた声音。

 

「相手チームはいよいよ完成に近付いているようだな。過去の試合映像よりも明らかに強い。もはや断言できる。バスケットボールという競技が誕生してから、お前達と同年代で考えるならば、歴史上最強のチームだろう」

 

静かに監督の言葉を傾聴する。

 

「だが、お前達も匹敵するポテンシャルを持っている。ここからの追い上げは十分に可能だ」

 

「で、どうすりゃいいんだよ」

 

灰崎君の疑問に、監督は一拍置いて口を開く。

 

「青峰と緑間をチェンジだ」

 

「オレ!?せっかくいいところなのに」

 

驚いた様子で立ち上がる青峰君。

 

「火神大我。実物を見たが、確かに常識を踏み越える強さだ。疲労こそ窺えるがまだ回復の範囲内。おそらく試合終盤にもう一度『ゾーン』に入れるよう、体力を温存するつもりだ。その時にガス欠では勝負にならん。お前はベンチで体力回復に専念しろ」

 

後ろ髪をひかれながらも、青峰君は渋々腰をおろした。世界最強プレイヤーの火神君とマッチアップし続けたのだ。体力の消耗度合いはチームで一番だろう。終盤の追い上げには、彼の『ゾーン』が必要だ。赤司君も同じく独力で没入できるものの、求められることの幅広さから交代要員がいないのだ。残念ながら体力消費の激しいゾーンに入る余裕はないだろう。だからこそ、青峰君には回復してもらわねば困る。

 

なにせ、過去に戻ってから編み出した、最新にして最深の視線誘導。『陰陽のミスディレクション』のもうひとつには使用条件があり、おいそれと使えるものではないからだ。

 

「緑間、点差を詰めるにはお前のチカラが必要だ」

 

「任せろ。すべて撃ち抜いてやるのだよ」

 

眼鏡の位置を直しながら、緑間君が自信を込めて言い放つ。続いて赤司君がこちらに視線を向ける。

 

「オレに考えがある。いざとなれば『アレ』を使おう」

 

「……最後まで体力は保ちますか?」

 

確信の表情で赤司君は頷いた。それならば任せよう。『アレ』とはすなわち、ボクのもう一つの切り札のこと。いよいよ披露する機会が訪れるか。

 

 

――『光の(シャイン)ミスディレクション』

 

 

その使用条件とは、味方が『ゾーン』状態であること。

 

 

 



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