ホーライ島の零戦 (ないしのかみ)
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ホーライ島の零戦

「架空戦記創作大会2020冬」参加作品。
実は前半は「模型をテーマとする架空戦記」用に書きかけていたのの流用です。時間が無くって途中で断念したのだよね。

零戦33型は史実よりも早く登場した金星零戦です。32型の機体に52型丙の武装(胴体銃が無いけど)と金星エンジンと言った趣きの機体です。



 北太平洋の孤島、ホーライ島。

 元々はベムーリン島とか言う名であったが、緒戦で日本軍に占領され、以来、小規模な海軍守備隊が駐留するだけの小島である。

 アリューシャン方面では敗色も濃くなっているが、主戦場から離れているこの島は概ね平和であった。

 

「玩具だろう?」

 

 兵の一人、軍曹の階級章を付けた工兵、が呟いた。

 彼の操るKATO製のガソリン機関車はナローゲージの劣悪な軌道を、がたがたと車体を揺らしながら進んで行く。

 機関車に続く貨車は雑多な物が多い。

 次位に緩急車。客車と言うより、人車と表現したくなるマッチ箱の様な二軸車両。土木工事用側倒車、俗に言うナベトロと言われる無蓋貨車。二両の小型台車を一組に連接する運在車。無論、ごく普通の無蓋貨車もある。が連結されている。

 

「こいつで騙される敵機は居ないと思うけどな」

 

 その声に少尉は緩急車の外に顔を向けた。

 この緩急車は無蓋車の端に車掌室を取り付けた物で、国鉄規格で言うならば「トムフ」と称される車両である。

 その無蓋部分に鎮座しているのは対空機関砲であった。

 

「機上から見たら、細部なんて確認出来ませんよ」

「まぁ、なぁ……」

 

 その整備軍曹の説明に納得し掛ける工兵軍曹。

 載っている対空砲。いや、良く見ると日本軍の正式な兵器では無く、欧米形のデザインである、それを再び眺める。

 ボフォース連裝40粍(ミリ)機銃。

 欧米や陸式の呼称ではこの口径になると、既に〝銃〟ではなく、〝砲〟に分類されるのだが、日本海軍の分類では40粍までは銃である。

 ちなみに昔、海軍制式兵器だった〝毘式〟こと、ビッカース対空機銃も40粍だった。

 

「鹵獲品を忠実に再現してありますよ」

「そうなのか?」

「まぁ、見掛けだけならそっくりさんです」

 

 そう、これは偽物であった。正確に言えば実物大の模型である。

 ハンドルで銃身が上下動し、左右に射角も変えられる精巧な模型だ。現地の守備隊が造り上げたレプリカである。

 もっとも、全てが本物通りという訳ではない。スクラップから再生したから銃砲としての機能は皆無だし、再現が難しい場所は省略している。

 

「最初は騙されたが、今はもう駄目だろう」

「本物の対空砲も開店休業中だからな」

 

 代わって少尉が口を開く。彼の所属する部隊は飛行場守備隊だった。

 時々、敵機が偵察がてら、飛来する事もある。

 無論、こんな島に殆ど重要施設はないが、それでも目に付いた施設に対して機銃掃射をやってくれる。

 最初の頃は猛烈な対空砲火で出迎えてやり、敵機もそれに呼応して編隊で猛爆撃をやっていたが、この頃は弾丸節約の為に、お義理で撃ち返す程度になり、敵機の反応も偵察ついでに銃撃の応酬をするだけとなった。

 島の飛行場から、味方機が撤収して一機残らず消えたのも原因だ。

 正確には違うが……。

 

慌てて「少尉殿」と敬礼する工兵軍曹に「敬礼はいい。それに殿も要らないよ」と、陸式の作法を否定する。

 

「俺の部隊はその対空砲を扱う小隊だ」

 

 そう、開店休業中である。彼の部隊だけではない。

 

「飛行場守備隊は、お陰で暇で堪らなくなりました。」

「整備する機体も無いからと言って、時間を持て余しているからな」

 

 整備班が対空砲の模型を造り上げたのはそのせいであった。

 材料は機体の残骸から。モデルは実際に守備隊で使っている鹵獲兵器からだ。

 こんな島の守備隊に回される兵器は鹵獲された二線級の物が多く、これも南方作戦で拿捕した敵艦の甲板に載っていた物を、そのまま渡されただけである。

 最初は大量にあった弾丸も、使い尽くされていって既に底に尽き始めているが、補充が来る可能性はない。

 

「敵機1機、ホーライから西70kmに確認!」

 

 拡声器から、けたたましいサイレンから警報が鳴る。

 列車は丁度、貨物ヤードに到着した所だった。

 ヤードと行っても側線が何本か、そして小さな転車台と機関庫があるだけのシンプルな施設である。

 

「機関車を掩体壕へ入れろ!」

 

 緩急車から飛び出した少尉が命令する。貨車ならば最悪、吹き飛ばされたりしなければ現地で応急修理は可能だが、機関車はそうは行かない。

 実際、占領当初に接収したB型コッペル機関車は最初の空襲で叩き壊され、急遽、日本からこのガソリン機関車を導入した経緯がある。

 

「急げ。慌てず、騒がず、確実にだ」

「はっ!」

 

 運転士がギアを入れる。猛烈な黒煙が出てカプラーを解放された機関車が、フリクションドライブの音を響かせて転線して行く。

 この機関車も空襲に遭った口であり、キャブの屋根がごっそり無いのはその影響だが、機能的に問題ないのでそのままだ。

 もっとも、冬は雪よけのキャンパスを張る必要があるだろう。

 

「来たぞ。やっぱりハドソンだ」

 

 爆音と共に現れる双発機。

 ロッキードの高速旅客機を元に作られた双尾翼の爆撃機だ。現地の日本兵は〝ハドソン〟と呼称しているが、実際はその発展型であるPV1〝ベンチュラ〟であった。

 アリューシャンから飛んでくるので、最近ではこの機体以外の敵機にはお目に掛かった事はないが長い航続距離を誇った上に、強武装な嫌らしい相手であった。

 

「セオリー通りだな」

 

 まずは写真偵察。

 その後に、目に付く施設に翼下のロケット弾を放った後、低空に舞い降りて、機銃を片っ端から叩き込んで行く。

 特に機首に積んだ5門の12.7mm機銃は戦闘顔負けの火力であり、撃ち込まれた相手は只では済まない。

 

「飽きませんね……」

「奴らも必死なんだよ。荷物を減らす為にな」

 

 仕事熱心と言う訳じゃない。

 少尉は「固定機銃の機銃弾を使い切って、帰路の重量を軽くしたいんだろう」との意見を述べる。機銃弾の重量と言うのは馬鹿にならないからだ。

 

「舐められてますね」

「この島や周辺に迎撃機が皆無だからな。水戦が居た頃はこうじゃ無かったが」

 

 この周りに島影のない孤島と言うのが、日本軍から忘れ去られ、連合軍からも手が出しにくい条件になっている。

 いつでも取り戻せるからと言う理由で、敵からも半ば放置なのである。まぁ、こんな僻地に上陸なんかする余裕が無いとの懐事情なんだろうけど。

 だが、それでも偵察は必要だ。

 だから、時々敵機が飛んで来て、こうしてお義理に攻撃する。

 

「遠くて幸いだよ。もう少し距離が近かったら、同じロッキードでもペロハチ(P38)がやって来る所だ」

 

 空襲警報が解除される。

 

「コンソリ(B24)が飛来する事も無くなったな」

 

 少尉が汗を拭きながら上空を見渡す。

 敵機は去った様だ。幾つかの煙が上がっているが大した事は無い。

 ヤードには被害はなかった。いつもの通り、兵舎とかボロボロだが、既に兵舎は地下壕へ移っており、地上に残されたのはダミーに過ぎないからだ。

 

「少尉。どう違うのでありますか?」

「ロケットと違って、爆弾だと厄介だからな」

 

 最初の頃、飛来する敵機は重爆撃機であり、そいつの搭載する爆弾は厄介な事に時限信管付きの物も幾らか含まれていたからだ。

 

「直ぐには爆破せず、忘れていた頃にドカーンと爆発するんだ」

 

 この厄介なお土産は質が悪い。不発弾と思って放って置いたり、更にその処理作業中とかに爆発したりするから、犠牲者も多かった。

 ロケット弾はその点、瞬発信管付きだから後腐れが無い。

 

「重爆だから航続距離に余裕がある。だから爆撃は脅威だったんだ」

「今のハドソンは爆撃しないんですか?」

「ああ」

 

 少尉の説明だと、航続距離優先の為、胴体爆弾倉に補助燃料タンクを設置しているので、大型の爆弾が詰めないらしい。

 このため、今の島は翼下のロケット弾や小型爆弾はともかく、本格的な大型爆弾を受ける事からは逃れている。

 大型の徹甲爆弾は地下に移した施設に対しても脅威である。岩盤を貫いて炸裂するからだ。そんな爆弾を大量に積んだコンソリデーデットB24爆撃機は、最近飛んでこないのが守備隊にとって大助かりであった。

 

「何故でありましょう?」

「アッツやキスカ島の爆撃に投入されてるんだろうな」

 

 少尉はアリューシャン海域の別の島を例に挙げた。

 

「この島はソ連のコマンドルスキー諸島とアメリカのニア諸島の間にある島だ。昔から領有権が曖昧で、どっちも我が国の島だって権利を主張してる。

 だが、アッツ島やキスカは曲がりなりにも〝米国領〟だ」

 

 少尉はにやりと笑う。

 

「意味は分かるな?」

 

 軍曹の「政治的な意味でありますか」との答えに満足そうに頷く。

 恐らく、こんな島よりもそっちの方が重要だろうからだ。規模は余り変わらないとは思うが、あっちは米国本土の一部だからだ。

 

「日本軍に土足でアメリカ領を踏み荒らされてるってんで、向こうの国民感情から奪還すべきって圧力が凄いんだ。その点、この島は……」

「どうでも、いい島ですね」

「ニッケル鉱山はあるけどな」

 

 戦前の調査で鉱床が有るのは判明していた。米国の鉱山会社が採掘に乗り出しているのを乗っ取る形で、占領直後から技術者が送り込まれている。

 だが、本格的な操業を開始する前に戦況が悪化し、鉱夫の不足から採掘は工兵隊が真似事をやるに留まっていた。

 

「石油でも出れば重要度は跳ね上がったんでしょうか」

「それは敵にとっても同じだぞ」

 

 目の前にガソリン機関車がゴトゴトと機回しされて行く。

 この軌道も、送り込まれた車両も元々はニッケル鉱山の付属物である。

 

「石油を渡してなる物かって、しゃかりきになって攻めて来られたら堪らんぞ」

 

 おどけた態度に苦笑いするが、それは同感だった。

 島にある数少ないトラックの車列がやって来て、ナベトロから鉱石を回収する。

 

「この模型も運んでおいてくれ」

「えーっ、カラスに案山子を見せる様なもんでしょ。アメ公も騙されませんよ」

 

 トラックの兵が文句を言うが軍曹は黙殺した。

 少尉が輸送部隊の指揮官に掛け合う。向こうも渋っていたが結局、一台にそれを乗せる事が出来た。このまま港へと向かう。

 

 少尉達はダブルキャブのフォードトラックに搭乗する。

 一見、単なるトラックに見えるがこいつは指揮官車だ。後席には指揮用の地図机や刀掛けなんかが装備され、貨車としても使えるが将校の移動用に特化されている。

 ノモンハンで指揮用の六輪自動車に乗っていた将校が、その目立つ車の為に狙われて被害を受けた戦訓から、こうした自動貨車にダブルキャブを架装した目立たない車に指揮官車を移した結果である。

 

「撤退の噂。聞いているか?」

「アッツが危ないって話ですよね。キスカからも戦線縮小してアリューシャンから撤退するとか」

 

 最近、良く上がる話題である。

 アッツが猛烈な空爆に晒されているのは、上陸作戦の前触れであり、もし米軍が本気で上陸したならば、恐らく守備隊は持ちこたえられぬだろうと噂されていた。

 精神論を唱える陸軍なら、こんな噂を話した兵は営倉行きになるが、精神論より合理性を重んじる海軍では、推論から噂する程度ならば咎められない。

 

 荒天時に大型艦が小型艦より強いのは当たり前だし、戦艦が駆逐艦より小回りが効かないのは当然だ。如何に精神論を唱えても、この事実は変わらないからである。

 無論、そうは言っても敗北主義的に物を語るのはタブーであるのだが。

 

「元々、ここの占領はアメリカに対する嫌がらせだからな。目的は果たしたから、とっとと戦線を整理して主戦場に集中したいんだろうさ」

 

 只でさえ、お金持ちのアメリカと比べれば日本の持つリソースは少ないのだ。

 ここに兵を置いている意味は、今となっては殆ど無い。

 

「ここも、でありますか?」

「うむ。特に飛行場守備隊は真っ先に後送されそうだ。何せ……」

 

 トラックは丁度、爆撃でボロボロになった飛行場脇を通り過ぎる。

 水際に設置された水上機基地だが、残されているのは一機を除いて残骸だけだ。数少ない生き残りの作戦機は、ほぼ全て北海道へと移されてしまっている。

 

「この有様だからな」

 

 黒焦げで無残な姿を晒している零式観測機を見つつ、少尉はため息をつく。

 しかし、幸いな事に飛行場守備隊は健在だった。

 その兵隊達、特に整備兵は特殊な技能を持つだけに貴重であった。出来る事なら他の戦線へと転属させて活用したいとの考えが上層部にもある。

 

「では!」

「キスカ方面は敵艦隊が遊弋しているが、幸い、距離の遠さからホーライには未だ敵水上艦の姿は無いからな」

 

 目を輝かせる軍曹に、少尉は「待て待て、水上艦のと言ったのを忘れるな」と釘を刺す。

 水面下に潜む、潜水艦の脅威にはさらされているのである。

 

「輸送船が来てくれるらしいが、護衛艦を伴っているのかは不明だ」

「来るとしても一隻がせいぜいでしょう。飛行場守備隊主体で島の兵力は二千人を切っていますから」

 

 輸送船と駆逐艦一隻動かすのに要する兵力と釣り合うか、である。

 釣り合わないと判断された場合、護衛艦どころか、輸送船すら派遣されなくなる可能性はあった。

 今のところ、〝見殺しにした〟と非難されるのを嫌う海軍のプライドから、救出作戦は実行されるのだろうけど、失敗したら、どうなるかは火を見るよりも明らかであった。

 

「少尉。ジェリコ中尉がお待ちです」

 

 飛行場へと到着した途端、伝令兵がトラックへ駆け寄ってそれを告げる。

 ホーライ海軍航空隊、ただ一人のパイロットの名を告げられると、少尉は顔をしかめて「どうせ、何時飛べるのかと聞いてくるだけだろう」と吐き捨てるが、それでも相手の階級は上だ。

 この島にたった一機残った稼働機だが、今の状態では戦力としては全く計算に入れられないのを、彼は理解してるのかとうんざりする。

 

「おおっ、少尉。待っていたぞ」

 

 地下に設置されたピストに待っていたのは、日本人離れした長身の男だった。

 ジェリコ・芽砂(めさ)海軍中尉。墨西哥(メキシコ)人の血を引く士官であり、父親は駐メキシコ書記官と言う履歴を持っている日系ハーフである。

 

「零戦33型の事でありましょうか」

「うん。俺の我が儘なのは知っているが……」

 

 零戦33型。32型の栄21型発動機を金星43型に載せえて、長砲身の20ミリ機銃と13ミリ機銃に武装を換装した実験機である。

 寒冷地テストと言う名目でここへ送られて来たは良いが、僚機は荷揚げの最中に爆撃を受けて輸送船ごと海没してしまい、かろうじて残った最後の一機だ。、

 

「機器は洗いましたが、動くかどうかも判りませんよ」

「ああ、海の中から引き上げたんだからな」

 

 中尉は頷きながらも、まだこいつを飛ばすのを諦めていなさそうだ。

 送られたこいつと予備部品をニコイチしつつ、何とか形にはしてみたものの、ホーライ島撤収の命令が伝えられてから、修復作業は遅々として進んでいない。

 そりゃそうだ。飛行部隊は撤退してしまったのだから、戦力としてカウント出来ない戦闘機を整備しても無駄だからだ。

 対空砲の模型を作った方が有意義だと判断されたのも、そっちの方が役に立つと判断されたからである。

 

「せめて、一度は飛ばしてやりたいってのは理解出来ますが」

「うむ。俺が何の為にここに飛ばされたのか、証明したいのだ」

 

 中尉は横浜の追浜航空隊から派遣された一員だ。

 横浜空は飛行艇部隊だが他に実験部隊の側面も有り、ここへ派遣されたのもその流れだった様だが、こんな辺境へ飛ばされたのもそれだけでは無く、彼の出自の問題もあったのかも知れない。

 

 帝国海軍にジェリコ中尉の様な日系人が所属するのが、本土では拙いのか。

 父が外交官と言う高貴な立場も考慮されたのか、戦前から前線から配置される事無く、実験部隊である追浜航空隊に配されたものの、対米戦が始まった途端、その外見から扱いに困ってしまったらしい。

 

「アングロサクソンの米国人じゃなく、スペイン系のメヒーコなんだがな」

 

 中尉は笑いながら言うが、金髪碧眼のその姿は日本人とは程遠い。

 陸軍の方でも駐米大使の息子が飛行部隊に入隊したと聞くが、防空壕の中で[俺と同じ扱いを受けているのだろうか」と語る中尉の声は沈んでいた。

 この北辺の島へ飛ばされたのは、新型機のテストを名目とした左遷人事なのだろうか。

 

「組み立てを急いでくれ」

「勘弁して下さい。機体を洗うのも一苦労だったんですよ」

 

 零戦はバラバラに分解されたままである。

 海没した機体を引き上げ海水を洗い流したのだが、この氷点下の気候ではそれだけでも大変だったのである。

 水は豊富にあるのだが、その形態は雪や氷と言った液体以外である。

 よって、単に水を得るだけでも大変な苦労を強いられたのだ。

 何とか洗浄は済ませたものの、組み立て作業に至るまでは遅々として進まず、主翼と胴体はまだ接合されていないし、発動機も取り外されたままだ。

 

「発動機は回ったのだろう?」

「良くご存じで」

 

 テストベッドに載せた状態であるが、金星エンジンの試運転は済ませてある。

 

「耳は良いんだ」

「慣らし運転ですよ。廃品を組み合わせて何とか回りましたけどね」

 

 金星系列の発動機ならば、この基地にあった既存の機体でも使っていたので取り扱いには慣れているし、予備部品も融通出来るバーツはそこそこあった。

 

「調子は悪く無さそうだったが」

「離昇は問題無さそうでしたが、問題は過給器ですね」

 

 中尉の顔が曇る。

 過給器の調子が悪いと言う事は、上空に昇ると出力が低下するのを意味していたからだ。すなわち、地表近くの低高度以外にまともなパワーが発揮出来ないのである。

 

「完璧にお釈迦です。予備部品がありませんから」

「高度三千までか……」

 

 何とか過給器無しでも回る様にはしていたが、これで飛行するのは自殺行為だろう。

 

「軽量化したら、何とかならんか」

「軽量化……ですか」

「防弾版やら、武装を撤去する。いや、13ミリは何とか残すが」

 

 新型の33型は従来機に比較して、防御力と火力が向上している。

 32型よりも馬力が上がっているせいで燃料タンクにゴムを張ったり、座席後部に鋼製の防弾版を張ったりしているし、火力も7.7mm機銃を全廃し、両翼に13mm機銃を装備して向上している。

 

「20mmを外してしまうんですね」

「元々、在庫と規格が合わないからな。まだ弾丸の換えが効く、13mmだけなら……」

 

 20mm機銃は新型の長砲身タイプで、命中率や威力も従来の銃とは段違いに良くなっていると聞いてはいるが、それだけに弾丸の共用は出来ないのだ。

 威力が上がった分だけ、薬莢が長くなった為である。

 無論、予備の弾丸は同時に送られてはいたが、輸送船と共に今は海の底であり、物が弾薬なので危険視されて下手にサルベージも出来ず、結果として元々と装填されていた分の弾、百発分しか手元に無い。

 

 対して13ミリ弾は飛行場守備隊の対空火器として、数挺が現地にあった為、予備として残された分を調達可能であった。

 地上用の九三式と航空用の保式とでは機構も違うが、幸い弾丸の規格は全く同一で問題は無い。

 問題は航空機銃の方が仮正式の試作品で予備部品が殆ど無い事なのだが、それでも、弾丸の問題の方が先とばかりに優先された。

 試射で弾を使い尽くす事態に陥りかねないし、どの道、20mmの方も試作品なので条件は変わらないと言う判断もあった。

 

「まぁ、暇だからやるにはやりますが、期待はしないで下さい」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 ばばっ、と排気煙が洩れる。

 プロペラは取り外されているのでいささか間抜けな姿だが、単排気管から勢い良く白煙が吹き出すと、発動機は回り始めた。

 洞窟を転用した掩体壕から引き出され、久々の白昼に置かれた零戦はまるで喜んでいる様に、細かく機体を振るわせていた。

 

「始動は何とかなるな」

 

 あれから一ヶ月。

 整備中なだけはあってカウリングは外され、剥き出しになってはいるが、組み上がった機体に載せられた金星発動機は、時々、咳き込みつつも無事に作動している。

 

「全力運転は可能なのか?」

「当たりを付けているだけです。無理は禁物だと思いますよ」

 

 弾むジェリコ中尉の声と対称的に、少尉は冷静だった。

 

「それより、試射を行いますから準備に入って下さい」

「おうっ」

 

 零戦は尾部が持ち上げられ、ほぼ水平姿勢で置かれている。

 これはとにかく射撃試験も同時にやってしまおうとの企みで、定期便が去った後の僅かな、しかし、貴重な時間を有効活用する為であった。

 

「ああ、この匂いだ」

 

 コクピットに潜り込む大柄の飛行服が、嬉しそうに呟いた。

 本人からすれば、久々の操縦席なのだろう。

 

「的は前方三百mです」

 

 布製で粗末な丸を描いただけの標的が揺れていた。

 光像式照準器(OPL)を覗き込み、予定されている弾道交差点を確認する中尉が、首を二、三度頷いている。

 

「発射するぞ」

「準備ーっ!」

 

 その声を聞いた整備員が赤旗を振る。

 これは危険を示す信号で、キル・ゾーンに間違って誰も入らぬ様に知らせる合図だ。

 的の近くに居た兵達数人も、こちらの赤旗を確認すると同時に赤旗を振る。

 

「発砲っ」

 

 その声と共に引き金が引かれ、両翼に載せられた13mm機銃二門が轟音を立てて、曳光弾混じりの弾丸を吐き出した。

 十数発が的に突き刺さった後、銃声は途絶える。

 

「やや、右だな」

 角度に微調整が加えられ、弾薬ベルトが引き出されて補充が開始される。

 仮称、三式13mm機銃の弾道性能は良好だ。先行試作品のテストも兼ねているのだろうが、その実権結果が本土へ届くのかは神のみぞ知ると言った所か。

 

「整備には迷惑を掛ける」

 

 やや時間が空いたせいで、ジェリコ中尉は操縦席を降りて煙草を一服していた。

 士官だけあって銘柄は《金鵄(きんし)》で、酒保専売の《ほまれ》しか吸えない兵達にとって羨ましい。《ほまれ》は軍隊専用の銘柄で、安いし支給もされるのだが、どうにも味が悪いのだ。

 

「でも機首に機銃がない分、調整は楽でしたよ」

 

 整備班長の言う通り、栄に比べて発動機が大型化した分、今まで機首にあった7.7mm機銃は全廃されているが、整備班にとって機銃同調装置が無くなった分、面倒な調整が省かれて楽になったと言える。

 

「取り外した20mmは?」

「ああ」

 

 整備班長と少尉は互いに顔を見合わせて、にかっと笑った。

 

「あいつも貴重な資源ですので、再利用させて頂きました」

 

 少尉が述べた時、伝令として部下がこちらへと駆けて来るのが見えた。

 手に紙らしき物が握られ、ひらひらと舞っている。

 

「おいっ、移動禁止区域をに入るな!」

 

 少尉の怒声が響く。

 今は停止しているが、さっきまで銃弾が飛び交っていた危険区域である。

 

「しょ、少尉、船が来ます!」

「船だと?」

「帰還用の撤収船です! 大本営は我々の事を見捨てては居なかったんです!」

 

 息を切らして辿り着いた伝令が、少尉に通信文を渡す。

 基地司令が電文を受け取った後、直ちに飛行場守備隊に知らせる様に命令したらしい。

 無論、周囲はお祭り騒ぎである。

 

「少尉、何て書いてある?」

 

 尋ねて来る中尉の青い瞳にはかすかに怯えが見えている。

 この島を撤収となると折角直したこの機体も、放棄してしまうのに繋がるからだ。

 輸送船の規模にもよるが、再生した戦闘機を持って行ける様な、悠長な事態はまず起こらないと見て間違いない。

 

「五日後です。特設水上機母艦《ろんばるでぃあ丸》がやって来るそうです」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 撤収作業は案外簡単に済んだ。

 元々、飛行場守備隊が持っていた重装備、殆どが整備関連の器具なんかは現地へ放置するのが決まっており、機銃以外は武器も無かったからだ。

 ちなみに機銃は、貧弱だろう撤収船の対空火器として転用される予定である。

 

「その機銃も自作に近い再生品だが」

 

 ドラム弾倉の留式とベルト給弾の毘式が混在してる7.7mm四連装機銃なぞ、ここでしか見られない珍品だろう。

 破損した航空機から外された機銃を、自作の銃架に載せただけの急造品であるから、こんな風になっているのだ。

 

 元々、毘式の先祖は地上用の水冷機銃で、機上での自然冷却を利用する為に重い水冷のウォータージャケットを外して航空機銃にした経緯がある。

 だから元に戻せば良いのだが、現地で製作した水冷式の筒は水漏れして撃ってる間に振動で外れ易く、装備は見送られたのだ。

 しかし、空冷だった毘式を先祖返りさせた結果、地上では冷却不足になった為、過熱して撃てなくなる間の冷却時間を稼ぐべく、空冷の留式を並列配置させてこれを補う発想であった。

 よって実質、連装機銃が二組並んでいるだけだが、交互射撃が基本の日本海軍の保式25mm連装機銃と同じと考えれば、問題ないと判断されたのだろう。

 

「こいつをどうします?」

「あぁ、模型か。改造途中だったな」

 

 あの40mm機銃もどきだ。

 明日やって来る筈の水上機母艦に乗せる余裕があれば、張り子の虎として鎮座してやりたいが、どうだろう?

 

「《ろんばるでぃあ丸》って聞いた事はありますか」

「撤収船か。いや……」

 

 少尉は首を振る。

 開戦からこっち、仮装巡洋艦だのと特設艦船が増えたから、知らない艦船名も当然増えている。さすがに特設空母《春日丸》とか特設水上機母艦《君川丸》なんかは有名だし、活躍も耳にした事はあったが、この船名には聞き覚えが無い。

 

「資料があったかな?」

「この島の司令部にあれば奇跡ですよ」

 

 多分、《あるぜんちな丸》や《りおでじゃねいろ丸》とかと同じく、外国の地名を付けたタイプの商船なのだろう。

 

「ロンバルディア平原って地名からだな。北部イタリアだったかな……」

「お、インテリですね。中尉」

 

 狭い待機所(ピスト)に顔を出したのはジェリコ中尉だった。

 彼は苦笑して、その船が横浜のドックに入っていたのを見学した事実を伝えた。

 イタリアから注文があった貨客船であったが、欧州大戦の勃発で注文がキャンセルされ、宙ぶらりんになった所を海軍が接収したらしい。

 船名も元の名に丸を追加しだけで、何となくやる気の無さが垣間見える。

 

「横浜空に一時、編入された事があってな。まだ、未成だったが」

「そんな優秀船が、何故、こんな所へ?」

「21ノットが出る快速船だからなのかも知れん。ただ、癖の強い船でな」

 

 機関が外国製の超高気圧缶で扱いが難しく、度々、故障を引き起こす問題児であった上、日本では珍しいターボエレクトリック推進だったので、人員が慣れていないので取り扱いが面倒だったそうだ。

 しかし、海軍としては一隻でも船が欲しいのは確かで、引き取り手の無かった《ロンバルディア》を急遽購入して特設水上機母艦に編入し、実験部隊である横浜空へ押しつけたのだった。

 

「俺はその時期の時代しか知らないが、十試水上戦闘機のカタパルト発進とかやらされたぞ。不採用となった奴だが、良い機体だったな」

 

 そんな機体あったのかと訝るが、元は何とか公国とかの外国産の戦闘飛行艇だとの説明に納得する。特殊な構造のエンジンが複製不可能で、国産の代替エンジンに載せ替えたら性能低下した為、ライセンス生産を諦めたそうだ。

 ジェリコ中尉みたいな人員もそうだが、実験部隊である横浜空は寄せ集めが集結した様な、かなりカオスな部隊だったらしい。

 

「中尉は、ぼん6経験者なんですか?」

 

 ぼん6とは水上機の艦載経験者の俗称である。

 カタパルトで「ぽんっ」と射出されると、一回に付き6円の特別手当が出るから来た名前で、それだけ当時の火薬式射出機が危険だった事の証であった。

 

「ああ、あの船には空気式の新型射出機が設置されていてな。

 まぁ、想像の通り、試作品なんだけどな」

 

 如何にも実験部隊らしい装備であるが、その話を聞くと整備班長が食い付いた。

 そいつのスペックを知っている限り、教えて欲しいと懇願する。

 

「もしかすると、中尉の機体を持ち帰れるかも知れませんよ」

 

              ◆       ◆       ◆

 

 半ば沈んだ輸送船を眺めながら。ホーライ島をゆっくりと出港する《ろんばるでぃあ丸》が別れの汽笛を鳴らす。

 一万トンにも迫る大型の船体でも、陸海軍の守備隊全員を乗せると一杯になってしまうので、鈴なりになったデッキからは将兵の顔が覗いている。

 

 鉱石運搬船が使っていた波止場は、先に撃沈された輸送船の残骸が邪魔で使えず、別に接岸可能な波止場はなく、沖留めの移乗には大発や伝馬船を用いなければならなかったが、何とか全員が収容されていた。

 護衛艦が随伴しないのは、護衛用小艦艇の航続距離が足らないからだった。

 

「やはり射出機は残ってましたね」

 

 船尾甲板に鎮座するトラス状構造物が試製の二式射出機だ。

 未成の巡洋艦《仁淀》に使われる予定の長大な射出機で、余った資材を流用してこの水上機母艦に搭載した物で、廃物利用みたいな物である。

 

「この船の後甲板がこれだけ広くなかったら、多分、こいつは二度目のご奉公はなかったただろうな」

 

 中尉は言う。

 建造途中で工事が止まっていた為、上部構造物がまだ構築されていなかったのも幸いして、長さ44mもあるこの射出機が転用出来たのである。

 特設空母《瑞鷹》に改装する案もあったが、不幸な事に船倉口が艦載用エレベーターに適するサイズではなかった。

 一応、飛行甲板もどきが貼られただけで、この射出機、煙突と仮設の船橋が取り付けられた他は、空母もどきの船形となっていた。

 無論、その甲板上には露天係留の形で水上機が並べられていたそうだが、しかし、今は平甲板なのを利用して、兵達を収容するバラック風の仮設兵舎がごちゃごちゃ建っている。

 

「零戦は積めましたが、本当に発艦が可能なのかは謎ですよ」

「発進可能でも、フロートも無いからそのまま不時着だがな。

 だが、何事もなければ、横浜に資料を持ち帰れる」

 

 《ろんばるでぃあ丸》はスピードを上げている。

 一刻も早く、この海域を脱出する為であろう。ウェーキは巡航速度を無視して、最大速力を出している様子だった。

 護衛艦は随伴していないのは、航続力の問題の他にこの速力に付いてこられないせいだった。条件を満たせる水雷艇はどこでも引っ張りだこだったし、海防艦は航続距離の問題はクリア出来るが鈍足過ぎる。

 

「敵機が来ないのを祈るだけだな……」

「あれ? 対空火器は」

 

 気が付くと対空火器は船首に8cm砲があるだけで、後は島で積み込んだ機銃数挺のみだった。舷側にスポンソンはあるが、砲座にある筈の高角砲や機銃は空っぽである。

 後にこれは必要とする他の艦艇に流用してしまったのを知るが、敵機が来襲したら、殆ど丸裸であるのを自覚して、ぞっとした矢先、突然、8Cm高角砲が吠えた。

 

「敵機!」

 

 かなり上空であるが、灰色の空に大型機のシルエットが見える。

 周囲に黒い爆煙がぼんぼんと炸裂するが、敵機はゆうゆうとバンクして悠然と飛んでいる。

 

「哨戒機だな。攻撃隊が来そうだ」

 

 双発のPBY-4哨戒飛行艇は低性能なお馴染みの機体だが、実用性の高く、タフな任務に従事する汎用機である。

 ジェリコ中尉は厳しい顔をすると、脇に抱えていた飛行帽を被り直す。

 金髪だが丸坊主にされた頭は滑稽だったが、それを指摘する者は誰も居なかった。

 彼は零戦の発進準備と対空機銃の用意を指示する。

 

「来ますかね?」

「ハドソンやP-38は無理だが、コンソリ辺りがやって来そうだな」

 

 この船が海域の離れた為に、大抵の航空機は攻撃圏内を外れている。

 余程、航続距離に余裕のある機体でないとここまで来るのは無理で、しかも、時間から考えて攻撃チャンスは一度切りだろう。

 

「一回凌げれば、何とか助かるはずだ」

 

 きっと、上空のカタリナに目をやる中尉。不退転の決意がその瞳に輝いているが、その視線の先にある敵機は高角砲の射程から離れつつも、送り狼の様につかず離れず監視を続けていた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 数時間後。

 監視を続けるカタリナは途中で翼を翻したが、入れ替わりに数機の機影が水平線に現れたのが午後遅くであった。

 もう夕刻近くだから、敵の航空攻撃はこの一回のみだろう。

 潜水艦が待ち構えているかも知れないが、それはそれ、これはこれである。

 第一、この《ろんばるでぃあ丸》には聴音機とかの探査装置も、爆雷等の対戦装備も皆無なのだ。

 

「来たな。クーペ!」

「クーペ」

 

 中尉が「コンターク」と叫ぶと、エンジンを回す準備が整う。

 エナーシャが弾み車を回し、発動機が息を吹き返して猛烈なプロペラ後流が生まれる。

 整備班長が苦労して自作した滑走台車に乗せられた零戦は、ぶっつけ本番で撃ち出し準備に入った。

 

「行くぞっ!」

 

 射出機が唸り、零戦33型はようやく大空を飛翔する。

 発射した直後、一瞬、機影が見えなくなってひやっとしたが、やがて持ち直した零戦が上昇を始めた時、船の総員から歓声が上がった

 ジェリコ中尉は数ヶ月は空を飛んでいないので、飛行兵としての技量低下が心配だったが、杞憂の様だった。

 

「よーし、対空戦闘よーい」

 

 射出に成功したのを確認した少尉は、元飛行場守備隊を指揮する。

 陸軍が持ち込んだ13mm機銃が曳光弾を吐き出すが、どう考えてる射程外である。

 かと言って射程の長い8cm砲は、後方から迫る敵機には船首にある関係で指向する事が出来ないので、沈黙したままだ。

 当然、豆鉄砲の四連装機銃なんてお呼びでは無い。

 

「カタリナか」

「頑張れ、中尉!」

 

 幸い、敵機の種類はPBYカタリナだった。

 数は4機。

 時速300m/h程度の低速機で敵戦闘機に遭遇したら一溜まりも無く、敵制空権で行動する場合は護衛が必須なのだが、この状況では戦闘機の随伴は期待出来ず、また、相手が商船一隻なので充分と思ったのだろう。

 まさか、戦闘機に迎撃されるとは思ってなかったに違いない。

 

 敵機は算を乱して編隊を崩す。

 が、戦意が無くなっている訳では無く、機首はしっかり《ろんばるでぃあ丸》に向かっているし、防御機銃の銃火が放たれ始めた。

 

「やった!」

 

 正面から突っ込んだ零戦が銃火を浴びせると、すれ違い様にぱっと煙が上がり、がくんと機首を下げて行く。

 一機撃墜である。

 

「来るぞ」

 

 零戦が旋回している間に、散開したPBYが船の側面に周り込んだ。

 沈黙していた高角砲が発砲を開始し、船に搭載している全火器が、小銃まで持ち出されて、全力射撃を開始する。

 無論、そんな物で怯む敵機では無く、翼下に懸架されている爆弾を投下する。

 ずずーんと水柱が立つものの無事だ。

 幸い、爆撃を外れたが、こんな幸運が何時までも続くのかは疑問であった。

 

「零戦が引き返します」

「中尉、爆弾のある奴から仕留めてくれ!」

 

 先に投弾した奴は取り逃がしても構わない。

 機銃掃射を喰らう危険があるが、船体に対しての被害は軽微で、沈没する様な事は無いが、爆弾を喰らったら損害は比較が出来ない。

 

「おっ」

 

 左右に展開したPBYの左舷側に零戦が食らいつく。

 向こうも必死で旋回機銃を使って抵抗しているが、零戦の両翼から13mmが叩き込まれると、破片を撒き散らしながらエンジンが撃ち抜かれ、パラソル翼が分解して行く。

 二機目が撃墜。

 

「うぉっ、しまった」

 

 正反対の右舷から迫るPBYが、超低空から迫って来たからだ。

 余りにも低速なので、カタリナにはロケット弾が装備されない。超低空に降りる必要があるし、その間に対空砲火が集中するから実用的では無いのだ。

 こちらから見たらカモみたいな物だから、奴が低空で攻撃態勢に移るとは考えていなかったが、機体に抱えている二本の魚雷が視認した時に、その考えが甘いのを思い知らされる。

 

 魚雷なら遠距離から雷撃出来る。

 艦長は回避運動を指示して針路を急激に変えつつあるが、どう考えても手遅れだった。零戦は二機目を撃墜したばかりだったし、頼みの対空砲火も8cm砲の他は射程外であり、全てが間に合わない様に思えた。

 おまけに先程から、機関の調子が悪く、21ノットを発揮していた快速力は明らかに低下していた。

 トラブルメーカーの缶が不調を起こしているのだ。

 

「班長、やれっ」

「はっ」

 

 その時、動きを見せたのが飛行場守備隊が造り上げた40mm砲だった。

 それは残骸を組み立てた模型であったが、改造が施され、本物の機銃が代わりに装備されていたのだ。

 零戦から取り外された20mm九九式二号機銃、正確にはスイスからのの輸入品であるエリコンFFLである。

 

「喰らえっ」

 

 裂帛の気合いから放たれた火線が伸びる。

 20mmだけあって射程圏内で、PBYは機首からコクピットを縫い付ける様に弾痕が走り、百発しか無い弾丸をたちまち撃ち尽くした時には、PBYは海面に激突していた。

 

「やりましたよ。少尉」

「ばかっ、二次攻撃に警戒しろ」

 

 改造20mm機銃は弾切れで、今度こそ本当の飾りになってしまった為、警戒しろと言っても例の四連装しか手元に無いが、それでも少尉は命令していた。

 まぁ、二次攻撃があるとしても夜間戦闘になるだろうし、先に遁走したカタリナは中尉の零戦の存在を報告するだろうから、警戒した敵が再度襲撃に現れる可能性は低いのだが、歓声を上げて喜んでいる将兵ばかりだと、困るという判断であった。

 

「零戦の方はどうだ?」

「巡航速度に絞ってますね。燃料が尽きるまで何時間でしょうか……」

 

 発動機を大出力に載せ換えた33型は、当然、燃料消費量も増えているし、増槽なんかもぶら下げていない。

 燃料が尽きたら、海上に不時着するしか無いのだが、今の状況で船を停船してパイロットを回収するのは、随伴船が存在しない現状では難しかった。

 

「艦長に掛け合って、内火艇を出してくれるか頼んでみよう」

「少尉」

「この船を救ってくれた英雄だぞ。見捨てるなんてももっての他だ」

 

 停船は余りにも危険だが、低速で航行するなら多少でもリスクは低くなる。

 そう考えて、少尉が身を翻した時だった。

 

「雷跡見ゆ。本数2!」

 

 突然、右舷から魚雷が向かって来た。

 特設水上機母艦は変針すると、白い雷跡は舷側すれすれを掠めて走り去った。

 

「くそっ、潜水艦か」

 

 上空の零戦が翼を振り、恐らく浅深度に潜っているらしい潜水艦の位置を教えてくれる。

 だが、残念ながら戦闘機には効果的な対潜武器は無く、状態の悪い機上無線は降ろしてしまっているから、ジェリコ中尉の声も聞けない。

 船唯一の備砲が、敵潜水艦の居る辺りに砲撃を加えるが、まぐれ辺りでもしない限り、ダメージは与えられない。

 

「再び、雷跡確認」

「本数は?」

「4本です。よんほーんっ」

 

 敵は再攻撃を開始したらしい。

 いやらしい事に、今度の雷撃は扇状でどっちへ回避しても、必ず魚雷が命中する様に計算して撃っていた。

 こうなると損害を抑える為、複数命中を避けるしか方法が無い。

 運が良ければ、1本では沈まなくて済む筈である。

 酸素魚雷と違い、敵の魚雷は白い航跡を曳いてくれるので、何とか複数命中は避けられそうだが、艦長にとっては苦渋の決断だろう。

 

「少尉、中尉の零戦が!」

「おい、馬鹿。止めろ!」

 

 不意に翼を翻した零戦が、急降下に移った。

 ぱっと海面へとそのまま突っ込み、ややあってセイルのひしゃげた黒い艦体が浮上するが、それを見逃す8cm高角砲では無かった。

 単裝砲身が幾度か火を噴くと、砲弾は面白い様に敵潜へと命中し、再び海面下へと姿を消して行く。

 船殻を撃ち抜いていたから、あれでは助かるまい。

 

「雷跡、距離100m」

「班長、機銃で魚雷を撃て!」

 

 無駄かも知れないが、その命令が自然と口から出た。

 7.7mm機関銃の射撃が再開され、何と四挺全ての全力射撃が海面へと降り注ぐ。

 流石に駄目か、と諦め駆けた刹那、海面に水柱が立ったのは数秒後だった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 数日後、北海道の苫小牧港に特設水上機母艦が到着した。

 零戦33型の存在は特記され、搭乗員のジェリコ中尉は名誉の戦死として二階級特進となって少佐になったが、当時はそれだけであった。

 地方紙の戦死公報で話題になったに過ぎなかったのだが、戦後に〝悲劇のパイロット〟として一躍有名人に成ったのは皆の知る所である。

 

 さて、問題の零戦33型は結局量産され、一時期、航続距離の短さから嫌われたラバウル戦時、増槽を胴体下に加えて翼下に二個付けて改善したのが功をなし、結局、33型から続く43型、63型など金星搭載シリーズは、大戦中期から終戦まで主力機となったのだった。

 

 

〈FIN〉




ジェリコ中尉のモデルは「汚名挽回」の人。特設水上機母艦の名も彼の所属艦から、あ、でも《あれきさんどりあ丸》の方が良かったかな?

ホーライ島は、昭和島(シンガポール)とかと同じ日本名です。米軍は当然、ベムーリン島と呼んでますよ。

ちらりと出る十試水上夜間戦闘機に関しては、過去に投稿した『藤色の魔女』と言う作品とのクロスオーバーと言うか、本作が続編です。宜しければ読んでやって下さい。


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