【安+コ】結局知ることのなかった君のこと (駒由李)
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【安+コ】結局知ることのなかった君のこと

 コナンくんが死んだ。呆気ない最期だった。黒の組織の殲滅作戦中、当たり前のようにいた彼は、当たり前のように銃で肩を撃たれ、当たり前のように重傷で、当たり前のように銃撃戦の最中は彼をろくに手当てしてやることもできず――当たり前のように、彼は死んだ。その日は雨だった。氷雨の中、小さな体はどんどん体温を失っていった。制圧が完了したという報告が聞こえる。赤井が肩に手を乗せてきた。

「安室くん」

 それを払いのけることもできなかった。

 江戸川コナンは、この日、死んだ。

 

 お世話になりました、と頭を下げて店を辞す。この日、安室透は降谷零に戻るべく、とりあえずポアロを辞めた。扉を開くと、水たまりが目に入る。顔を上げると、空にはまだ雲がかかっていた。朝から降っていた雨がようやく止んだようだ。扉が閉まるのを見送ってから、顔を上げる。2階の窓の、「毛利探偵事務所」の文字が掠れて見えた。

『お世話になりました』

 そう、挨拶をしたときの小五郎の「おう」という返事はやや暗かった。いつも傍にいた蘭の姿は見えない。彼女にも挨拶をしたかったが、それを察したらしい小五郎が、「放って置いてやってくれ」と言って煙草に火を点けた。

『ボウズのことでずっと泣いてるんだ、あいつ。お陰で今夜も店屋物だ』

 そういって、大して吸っていない煙草を灰皿に押しつけた。父親の不器用な優しさが、如実に表れているようだった。安室は「蘭さんにもお世話になったと伝えてください」と頭を下げた。それが今朝のことだ。

「あ、安室さん」

 不意に幼い声がかけられる。それにはっと振り返った。見れば、そこにいたのは少年探偵団の子どもたちだった――但し、2人欠けていた。元太、光彦、歩美。彼らの傍にいた「大人びた子ども」は、もういない。そして、3人の子どもたちの顔にもどこか翳りがあった。サッカーボールを持っているが、あまりサッカーで盛り上がれそうな雰囲気ではなかった。その中で、歩美が言う。

「安室さん、コナンくんの……お葬式以来だね」

「……そうだね。……灰原さんは?」

「哀ちゃんは、お葬式のあとアメリカに転校しちゃった」

「2人とも転校生だったから……。少年探偵団を結成する前の3人に戻っちゃいました」

 はは、と光彦は微苦笑する。元太は黙り込んでいた。闊達な子どもたちのはずだ。そうだったはずだ。なのに、江戸川コナンの死はこんなにも暗い陰を落としている。そこに、灰原哀が去ってしまったことも追い打ちをかけたのだろう。

 灰原哀の行方は安室も知らない。アメリカに行ったことだけはわかる。人伝に聞いた話では、黒の組織に纏わる陰謀で彼女の身が狙われていたとき、FBIの保護プログラムも断ったという。その彼女が日本を去った。その意味と真相は、安室にもわかるようでわからなかった。

 子どもたちはぽつりと言う。

「クラスもなんとなく暗くなっちゃって……先生も」

「……君たちの笑顔が曇ることは、きっとコナンくんは望んでないよ」

 腰を屈め、目線を合わせ、できるだけ優しい声で言う。子どもたちは、一瞬反応に困っているようだった。

「……そうだよな!」

 大声を上げたのは、それまで黙っていた元太だった。ボールを抱えて安室の横を走り去る。

「お前ら! 早く公園行こうぜ!」

 それは明らかに空元気だった。しかし、それに飲まれたように光彦と歩美も駆け出す。

「待ってください元太くん!」

「あっ、それじゃ安室さん! またね!」

「あぁ、またね」

 子どもたちが駆け去るのを、安室は見送った。そして、自分がまた嘘を重ねたことに気付いた。「また」など、「安室透」にはもうないのに。

 

 小さな棺だった。

 江戸川コナンの遺体を納めた棺は、火葬炉へと真っ直ぐに突き進んでいった。泣き伏す人々、声を上げる人々。安室が知らない者もたくさんいた。彼を悼む人々は数多くいた。子どもが亡くなる、それだけで悼まれることなのに、これだけの数の人々に惜しまれる子どもも少ないだろう。安室は乾いた涙腺でそんなことを思った。

 赤井の姿はなかった。

 奴のことだ。喪服にニット帽は合わせられないから出席を控えたに違いない。そんなことを嫌がらせのように考えた。きっと今頃、煙の上がらない火葬場の代わりに、煙草の火を燻らせていることだろう。そんなことも、思った。

 

 出て来た骨は、あまりに小さかった。熱を上げるそれに、子どもたちがまた泣いた。

 その骨を見て、あぁ、君は本当にこんなに小さかったんだね。と、ぽつり呟いた。

 

 

(結局、「江戸川コナン」は謎のままだ)

 自宅へと向かう途次、時折水たまりを踏みながら、安室は考える。自宅は既に引き払う準備はできている。あとは業者に荷物を頼み、ハロを引越先のペット可のマンションへ連れて行くぐらいだ。ハロが大人しくついてきてくれることを祈りながら、安室は考える。

 江戸川コナンは探偵で、小学生とは思えないほどの頭脳と行動力を持っていて、そして危なっかしかった。危なっかしさは杞憂で終わらず、彼は死んでしまった。遺されたのは、彼が解決したと思しき事件の数々。そして彼を惜しむ人々。

 彼は謎の人だった。なぜあんなにも頭脳があったのか。なぜ黒の組織の潰滅に関わっていたのか。なぜ。なぜ。なぜ。

(彼の両親とやらがお骨を引き取って去ってしまった以上、もう何もかも追及することはできない)

 横断歩道の信号が赤だった。立ち止まる。空を見上げると、雲の切れ間から太陽が覗いた。それに目が眩み、顔を伏せる。ややあって顔を上げると、信号は青になっていた。足を踏み出す。

(コナンくん。僕は君を知ることができなかったんだね。それがとても、悔しいよ)

 胸の裡のコナンに、安室は囁いた。

 

 江戸川コナンの四十九日が過ぎた日のことだ。

 

 

結局知ることのなかった君のこと

(あるいは安室透と出会うことのなかった工藤新一の話)

 

 

 



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