白い鷺は理系擬きの幼馴染みを想う (ネム狼)
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本編
理系擬きと女優アイドルの密会


今作の千聖はロシア語喋りますのでご注意下さい
地の文のロシア語とかはスルーしても大丈夫です


 教壇に立ち、教鞭を振るう。教師になって1年になる。担当教科は現代文、俺はこう見えて文系だ。しかし、俺はあるものを着ている。それは……白衣だ。

 

「二ノ宮先生、質問なのですが……何故白衣を?」

「質問……。何故白衣を着ているかだと?それはだな、気に入っているからだ。これは自分で買ったものだ」

 

 俺に質問をしたのは白鷺千聖という生徒だ。そして質問に答えたのは……この俺、二ノ宮千秋だ。白衣を着ているのはいいが、俺は何故か理系が得意そうと言われる。それが原因で生物や科学を教えて下さい、と言われることが多い。

 

 しかし、その頼みは全て断っている。そのせいか、俺はこの花咲川女子学園に赴任して3ヶ月でこう呼ばれた。

 

 

――理系擬きの二ノ宮、と。

 

 

 今では教師や生徒から理系擬きさんだのサイエンティスト二ノ宮と呼ばれている。大抵理系擬きと呼ばれることが多いがな……。

 

「先生、誰もそこまで聞いてませんよ?」

「一応言っておいただけだ。学校の白衣着ているんですか、と言われたら厄介だから言ったのだ」

 

 ここまで言っておかないと後が面倒になる。そもそもこの白衣は安物だ。毎回クリーニングに出さないといけないから二着以上は家にある。そんなことを心の中で言っていると、理系擬き、と言われた。だから俺は文系だ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 二ノ宮先生の授業を終え、昼休みに入った。花音と昼食、というのはいいけれど、あの人……二ノ宮先生はどうしているのかしら。

 

「千聖ちゃん、また二ノ宮先生のこと考えてるの?」

「え!?何でわかるの花音」

「だって千聖ちゃん、わかりやすいから。顔に出てたよ?」

 

 花音にここまで言われるなんて……。そう、私と二ノ宮先生は年の離れた幼馴染みだ。というか私ってここまで分かりやすかったかしら?

 

 花音からお茶を差し出された。お茶を飲んでリラックスしなよ、と言われた。ありがとう花音、でも私は大丈夫よ。私はこれでも至って平常だから。私は演技混じりに花音にお礼を言った。

 

Спасибо, Канон, я возьму его.(ありがとう花音、頂くわね)

「ごめんね千聖ちゃん、ロシア語はさっぱりなんだ……」

 

 しまった、私はうっかりしてしまった。私は子役時代の時にロシア語を教えられた。このようにロシア語で喋ることがある。ロシア語を知らない人からはこう返される。

 

 

――すまねぇ、ロシア語はさっぱりなんだ。

 

 

 私の中ではこう返されるのがテンプレとなっている。何か間違えたかしら?はぁ、この癖直したいわ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 授業が終わり、放課後となる。この時間になると生徒は俺を尋ねることが多い。原因は悩み相談だ。新米教師の頃、一つの悩みを解決させたことが理由で先生なら色んな悩みを解決出来るのでは、とこれが引き金で悩み相談を受けることになった。

 

 評判は生徒だけでなく、先生からも素晴らしいと言われる。いや、俺はあいつと話がしたいのだがな。俺は人気のない所に行き、ポケットからライターと煙草を出した。こういう時は煙草に限る。

 

 煙草に火を付け、口に付けて紫煙を吐く。溜まった疲れを紫煙と共に出す、これをするだけでも肩に乗っかった物が吹っ飛ぶな。煙草は不思議なアイテムだ。何故、人類はこれを作ったのか、まぁそんなもの知る必要ないが……。

 

「先生、ここにいましたか」

「白鷺か、何だ?」

「二人きりの時は名前でいいでしょう、千秋」

 

 そう、俺と白鷺は幼馴染みだ。俺は23歳、白鷺、いや千聖は17歳、6歳差があるという。こいつは昔から俺に懐いている。まるで妹のような奴だ。

 

「У меня проблема, но все ли в порядке.」

「千聖、ロシア語はさっぱりだと言った筈だぞ」

「悩みがあるのだけどいいかしら、と言ったのよ?」

 

 こいつはロシア語はわからんと言ったのに、何故ロシア語で話すのか、ならば俺はこう返そうか。ロシア語が無理ならこれで返すまでだ。

 

「Tu n’as pas à t’inquiéter.」

「ごめんなさい、何て言ったのかしら?」

「お前悩みないだろ、だ。お前がロシア語ならこっちはフランス語で返すまでだ」

 

 俺はフランス語、千聖はロシア語を話せる。昔千聖がロシア語を話せるところを見て俺はカッコいいと感じた。それから対抗しようとしたのか、5年くらい勉強してフランス語を話せるようにした。もう一人の幼馴染みである薫もこれには引いたそうだ。

 

 千聖はぐぬぬ、と言った。女優としての悩みか、それともアイドルとしての悩みか、どっちなんだ?それとも何だ?また丸山がトチったのか?どっちでもいいか。

 

「千秋、そろそろ煙草はやめた方がいいんじゃないの?さっきから煙草臭いわ」

「悪いがそれは出来ないな。白衣を着ている時は吸わないが、今は吸いたい気分なんだ」

 

 千聖は明日仕事があるから終わったら電話するわね、と言った。しなくていい、このままゆっくりさせろ。俺はそう返したが、貴方忙しいから無理でしょ、と返された。それを言われたら返す言葉もない。

 

 煙草を吸い終わり、煙草を携帯灰皿に入れる。こいつといると何か調子が狂う。からかっているのか、それとも話相手なのか、どっちでもいい。今日は悩み相談は無いからゆっくり出来る。事務処理をやらないといけないな。俺は千聖と別れ、職員室へと戻った。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は家に戻り、レオンの散歩をすることにした。5月とはいえ、ちょっとだけ寒い。千秋はまだ学校、彼は私の想いに気づいていない。そう、私は彼のことが好きだ。けど、私はアイドルで女優、このことはパスパレメンバーには知られていない。知っているのは花音と薫だけだ。

 

「千秋は私のことをただの幼馴染みで生徒として見ている。はぁ、教師に恋をするのは難しいのかしら……」

 

 そもそも私も色々と変わっているところがある。ロシア語を話したり教師の千秋と幼馴染み、おかしいところはロシア語くらいしかないか。散歩を終えた後、スケジュール帳で予定の確認もする。

 

 今月もぎゅうぎゅう詰めだ。パスパレとしてや女優としての活動、これだけでも連日ある。休みなんて少ない。でも、これは私が決めた道だ。千秋といられるだけでもまだいい。

 

 私がロシア語を喋れるようにしたのは親が原因だ。この子なら喋れるのでは、という理由で教えたのだ。披露した途端に仕事が増えた。中には私にロシア国歌を歌わせようとした所もある。それは色々とヤバイし私が消されかねないので事務所にNGにするように頼んだ。

 

 千秋に想いを伝えるのはまだだ。少しずつでいいから彼に私を好きになってもらおう。だから、今は耐えるんだ。お風呂に入り、その後、私は眠りに就いた。




教師と生徒の恋愛ってムズそうよね


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海月は勇気を持って理系擬きに話し掛ける

2週間ぶりの更新


 うーん眠い、教師の朝は早い。しかし、俺は自分で起きれないことが多い。そのため、毎回あいつに起こされるのだ。そう、幼馴染みのあいつだ。

 

Доброе утро, Чиаки.(おはよう、千秋)

Bonjour, Chisei, pourquoi es-tu là ?(おはよう千聖、何故ここにいる?)

 

 俺と千聖はいつもの挨拶を交わした。ロシア語とフランス語という無茶苦茶な挨拶を朝からやるというのはおかしい。それは俺と千聖に限るか。朝は煙草は吸わないようにしている。吸うのは昼からだ。

 

 千聖が俺の髪を梳こうとした。毎回毎回、こいつは朝からこんなことをやっている。通い妻の如く、俺を起こしに来ている。こうなった原因は母親にある。母が千聖に世話をしてあげてね、という一言から始まった。千聖は笑顔で喜んで、と引き受けたのだ。

 

 その結果、千聖は合い鍵まで持っている。ここまでしなくてもいいだろと言いたいが、朝起きれないのが事実だから何も言えない。

 

「千秋、朝御飯はもう出来てるから一緒に食べましょ」

「わかったから離れてくれ。煙草の匂いが制服に掛かるぞ?」

 

 千聖が髪を梳き終えた。鏡に移る黒い髪、そして紫の瞳、鏡で見ると俺はこんな容姿をしている。自分で言うのは何だが、容姿はいい方だと思っている。

 

 俺は支度をし、白衣をハンガーから外してケースに入れた。まぁ白衣用のケースだがな。さて、朝食を済ませたら花女に行かなくてはならない。こうして俺は騒がしい1日の始まりを迎えるのだ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は千秋との朝食を終え、先に学校に向かうことにした。千秋と一緒に行きたいけれど、その願いは叶わない。もし叶ってしまったら、私はアイドルではなくなってしまう。ここまで来たら最早呪いね。

 

「千秋と一緒に歩ける日はいつになるのかしら……こんな、ことを思うと憂鬱になるわね」

 

 あまりこんなことは思いたくない。千秋に想いを伝えてしまえば楽になれる、そんなことをしたら代償が伴うわ。

 

 千秋は今日も悩み相談をする。彼はそんなことをするつもりはないと言ってるけれど、何だかんだで彼は優しい。アドバイスくらいしか出来なくても、その人の助けになればそれはそれでいいのかもしれない。

 

 彩ちゃんも一回だけ相談しに行ったとか言ってたわね。噛まないようにするにはどうしたらいいか、何て聞いてたような気がする。その時の千秋は彩ちゃんにこんなことを言った。

 

「一つ一つの言葉に自信を持て、相手に気持ちを伝えるように喋れば大丈夫だ、何て言ってたかしら……」

 

 私は独り言のように千秋が彩ちゃんに言った言葉を口に出した。これは普通のようで当たり前なことだ。彩ちゃんはこれを言われて以降、噛むことは少なくなった。でも、トチることは相変わらずだけど……。

 

 そう思いながら私は校門を潜った。私はまた演じる、学校では千秋のことは二ノ宮先生と呼び、千秋は私を白鷺と呼ぶ。本当は名前で呼んでほしいけれど、幼馴染みであることは知られたくない。知っているのは花音と薫とパスパレの皆、知られるのはこれだけで充分だ。

 

 現代文は五時間目からだ。千秋とまた会えるのはお昼からになる、今からでも会いたいけれど、今は我慢しよう。私は机に座り、鞄から本を出して読書をすることにした。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 昼休みに入り、俺は白衣を脱いで椅子に掛けた。今日の悩み相談は一年の生徒からか。目安箱を設けるのも手の一つと一時期考えていたが、そうなったら相談の予約が殺到してしまう。今は事前に言うように、と釘を刺しているから大丈夫だ。

 

「誰もいないな、よし煙草を吸おうか」

「千秋、また吸ってるのね」

 

 ん?この声は……千聖か。俺は胸ポケットから煙草の箱を出す前に千聖の方を向いた。しかも松原までいるのか、こうなっては吸えないじゃないか。知られるのは千聖だけで充分なのに、松原に知られたら終わりだ。

 

 しかし、松原がここにいるということは一緒に来たということか。千聖は俺に袋を差し出した。何だ?プレゼントか?聞こうとした瞬間、千聖が口を開いた。

 

「千秋、手袋忘れたでしょ?」

「無いと思ったら持っていたのか。すまない、助かる」

「先生、手袋填めてるんですか?」

「ああ、授業以外では填めてるな。気づかなかったのか?」

 

 すみません、気づきませんでした。松原は申し訳なさそうに謝った。謝らなくていいぞ、と俺は松原をフォローするように言った。

 

 手袋が無いことに気づいたのは白衣を着る時だ。いつもは填めているが、忘れてしまうと気分が悪くなってしまう。いつも使っている物がないと落ち着かなくなる、これが起こると物事に集中出来なくなるのが俺の悪い癖だ。

 

 千聖にお礼を言い、俺は袋から黒い手袋を出し、両手に填めた。よし、これで落ち着く。肝心の煙草は吸えそうにないから我慢しよう。最悪、帰ってから吸うことになるな。俺のスモークタイムを返してくれ、千聖、松原……。

 

 二人と話すこと25分弱、俺は腕時計に目を通し、時間を確認した。12時51分、そろそろか。俺は二人に時間になるから教室に戻るように言った。さて、俺も職員室に戻って準備をしよう。

 

「じゃあ千秋、また後でね」

「ああ、後と言ってもすぐだがな」

「あの、先生!」

「どうした松原?」

 

 緊張しているのか?松原は躊躇いながら俺に話し掛けた。だが、勇気を出して話し掛けたんだろう、その姿勢は俺の心に伝わった。彼女は自分の手を握りながら、重い口を開いた。

 

「また……お話とかって出来ませんか?千聖ちゃんと一緒に先生とまたお話がしたいんです」

「そんなことか。時間が空いていればいつでもいいぞ。千聖もいいだろ?」

「ええ、私は構わないわ。花音、また千秋とお話しましょ?」

「ありがとうございます!千聖ちゃんもありがとう!先生、またお話しましょうね!」

 

 そう言って、千聖と松原は教室に戻った。千聖、いい友達を持ったな。しかし松原か……。話している間も俺の様子を伺っていたが、相当緊張していたんだな。俺も気楽に話せるようにしないといけないな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 学校が終わり、私は一人帰路に着いた。今日の花音、何を話そうかに迷っていたわね。千秋も困っていた様子だったから、フォローするのに大変だったわ。

 

「それにしても千秋はいつ禁煙するのかしら。本当に困った人だわ」

 

 いくら喫煙所がないからといって人気の無い所で吸わなくてもいいのに……。今日ばかりは千秋も参っていたわね。今頃は家で吸ってるのかもしれない。多分、5本くらい吸ってるわね。

 

 仕事が忙しくなるけれど、予定どうしようかしら。花音と喫茶店巡りもしたいし、千秋と休日を過ごしたいし、やりたいことが一杯だ。また帰ったら予定を確認しよう。仕事と恋愛、これを両立させないと千秋に恋をしている意味がないわ。

 

 恋をしているといっても今は片想いだ。とにかく、パパラッチは避けなくてはいけない。だから私は何があっても捨てる訳にはいかない。千秋を好きという想いを捨ててはいけないのだ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 俺は煙草を吸いまくった。それも6本だ。学校で吸えなかった分、ここで吸ってストレスを解消しておきたい。

 

「どうしたら理系擬きと呼ばれなくするか、いや、これはもう諦めるか」

 

 俺が理系擬きと呼ばれてるのは仕方ない。白衣を着たが故に掛かった呪いだ。この呪いは一生消えない。俺が教師をやめてもこの黒歴史は消えることはないだろうな。

 

 これからは松原とも話をすることになる。場合によっては松原からも相談を持ち掛けられるだろう。松原もそうだが、千聖のことが心配だ。千聖は仕事上手くいってるのか?あいつに限って心配とかはしなくても大丈夫か。

 

 




幼馴染みよ、恋を成就させるのだ


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理系擬きの休日と白い鷺の仕事

幼馴染みを労うのは大事である


 今日は久しぶりの休みだ。クリーニングに出してある白衣の回収、煙草の補充、あと何だ……何があった……。俺は休みにやらなければならないことを思い出しながら朝食を作った。

 

 千聖は仕事のためいない、終わったら迎えに来てくれとまで言われている。一人で帰れるだろと言いたいが、断ると五月蝿くなるから従わないといけない。これじゃあどっちが立場上なんだよと思ってしまう。

 

「まるであれだな。俺は千聖の飼い犬みたいだな……って俺は何を言ってるんだ」

 

 こんなことを考える辺り疲れてるかもしれない。白衣を取りに行ったらすぐ帰ろう。帰って寝て、夕方に千聖を迎えに行く、それでいいか。

 

 いや、待て。次の授業のプリントも作らないといけないよな?今日の予定を建てようとした途端にこれだ。最悪だ、俺は溜め息を吐いた。教師になったからにはしょうがない。

 

 授業のプリントを作るというのは最早お約束だ。俺はフライパンで焼いた目玉焼きを皿に移し、コーヒーを入れて机に置いた。あとはパンか……。

 

「えっとパンは焼けたか……しまった、焼けてなかった」

 

 ああもう、焼くの忘れたじゃねえか!俺はまた溜め息を吐いた。千聖がいないと駄目だなんて、俺はダメ教師だな。せめて家事だけは出来るようにしないといけないな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 ベースを弾き終え、休憩に入る。どのくらい練習したのだろう、かれこれ2時間くらいになるのかしら。私は楽器をスタンドに立て掛け、床に置いたペットボトルを手に取った。水分補給は大事だ。ここで水分取っておかないと倒れてしまう。私は前に一回経験したから、水分の大事さは誰よりもわかっていると自負している。

 

「チサトさん、ニノミヤ先生とはどこまでイキましたか?」

「イ、イヴちゃん!?何を言ってるのかしら!?」

 

 イヴちゃんの一言に私を始め、彩ちゃんと麻弥ちゃんは驚いた。日菜ちゃんは目を輝かせて私を見つめた。やめて!そんな目で見ないで!私は全力で千秋との関係を弁解した。

 

「イヴちゃん、二ノ宮先生とは教師と生徒の関係よ?特に何もないわよ?」

「え?千聖ちゃん、二ノ宮先生とは親しいんじゃないの?」

「彩ちゃん、そんなことはないわよ?」

「本当かな?二ノ宮先生とは幼馴染みだよー何て誰かが言ってたけど……」

 

 ちょっと待って!?幼馴染みって誰かが言ったのってあの子しかいないわよね!?せから始まってるで終わるあの貴公子擬き、もとい薫!薫にはまたお仕置きが必要ね。

 

「ねえ日菜ちゃん、その誰かってもしかして薫?」

「うん!薫くんだったよ!」

Это дерьмо(あのクソ野郎)!」

「千聖さん!母国語出てます!」

 

 誰がロシア人よ!私はこれでも日本人よ!私は麻弥ちゃんにロシア語で反論をした。酷いわね皆。千秋は何をしているのかしら。多分だけど、煙草でも買ってるのかもしれないわね。

 

 休憩を終え、私達は曲の練習に戻った。今日は千秋に色々愚痴ろう。今度薫にはお説教をしないと駄目ね。あの子、私のことを応援してるけど、絶対に楽しんでるわね。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 白衣を回収し、買い物をする。さっき携帯を見たが、千聖荒れてたな。日本語とロシア語が混じってて怪文書みたいになっていたが、あいつ大丈夫か……。

 

 面倒だからレトルトにするか。とにかく、生徒と会わないように祈ろう。会うのは千聖と松原だけで充分だ。特に薫には会いたくない。会ったら会ったで面倒になるからな。

 

「やぁ、兄さん。相変わらず眼鏡が似合っているね」

「誰が兄さんだ。ここで何をしている薫」

「こころを待っていたのさ。兄さんは買い物かい?」

 

 そうだ、と俺は薫の質問に答えた。言った側から会うなんて、付いてないな。しかも弦巻を待っているときた。ここで弦巻と会ったら胃がマッハだ。何となくだが、奥沢の苦労が分かってきたような気がした。

 

 俺は心の中でここにいない奥沢に手を合わせてうちの幼馴染みが迷惑を掛けたことに謝った。

 

 薫には千聖と関係は上手くいってるかいとか聞かれたが、何のことだ?わからないことを聞くか……。とりあえず薫と別れるよう、あとで千聖と話をしてみるか。

 

 デパートを出て、俺は車で家に戻ることにした。今日の夕方のためにレトルトはカレーだ。料理はしようにも面倒だから、レトルトに限るな。

 

「荷物置いたら、千聖迎えに行かないだよな」

 

 独り言のように喋べながらこの後に予定を確認した。なんか今日は薫の掌の上で踊らされたような感じがして気分が悪い。

 

 車で事務所の駐車場まで行き、千聖を待つことにした。待つまで1時間30分掛かった。早くに着いておかないと何か言われかねない。だから、こうやって早く着かないといけないんだ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 練習が終わったのは6時だった。千秋を待たせてるかもしれない。彼には申し訳ないわね。合流したら謝ろう。

 

 私はそう思いながら事務所を出た。駐車場まで早足歩きで急いだ。予定は車の中で確認しよう。あと、千秋にも愚痴ることがいくつかある。

 

「千秋、待たせてごめんなさい!」

「いや、大丈夫だ。千聖、お疲れ様」

「ありがとう千秋」

 

 私は労ってくれた千秋にお礼を言った。ベースを入れたケースに後ろに置いてあるから大丈夫よね。疲れたせいか眠いわね。私は千秋に寝てていいかを聞いた。彼からの返答は寝てていいぞ、だった。

 

「ありがとう……千秋……」

「相当疲れてるようだな。おやすみ、千聖」

 

 おやすみという言葉が聞こえたような気がする。お礼を言わなきゃと口を開こうにも、私は眠りに落ちてしまった。愚痴はまた今度にしよう。

 

 そして、私は千秋に起こされた。そうか、家に着いたのか。ベースのケースは千秋が肩に掛けていた。持ってくれるのね、ありがとう千秋。家のドアを開け、私は靴を脱いだ。ベースのケースを千秋から受け取り、彼に送ったくれとお礼を言い、また今度と別れを告げた。

 

 今は少し寝よう、ご飯は後で食べよう。今日は疲れたわ、いない筈の彼、千秋に語りかけるかのように私は口に疲れたことを口に出した。彼はもう帰ったんだ。何を私は寝惚けているんだ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 夕食を食べ終えた俺は洗濯物を畳むことにした。食器洗いは後にするか。なんか今日は騒がしかったな。メールのことも聞きそびれたな、まぁ今度聞けばいいか。

 

 千聖もだいぶお疲れだったんだ。あの状態で聞くのは彼女に対して失礼だ。

 

「食器洗ったらプリントの方やらないとだな。途中だったから徹夜しないと駄目だな」

 

 仕事が増えたが、迎えは千聖のためだからしょうがない。本人はこんなことは言えない。いや、言いたくないの間違いか。

 

 今度時間が空いてる時に聞こう。薫のことを話したら松原にも謝られそうだな。むしろ、謝りたいのは俺達の方だ。

俺はそんなことを心の中で呟きながら作業に戻った。

 




幼馴染みの掌の上で踊らされるのは嫌だよねー


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喫茶店巡りの始まり、道に迷うのなら付き人を

デート?回です


 千聖と松原、二人と話をする時、俺はあることをしないと決めた。喫煙をしない、ということだ。しないというより、千聖から釘を刺されたが正しい。

 

「ねえ、千秋。明後日は時間空いてるかしら?」

「明後日か?ああ、空いてるぞ。何かあるのか?」

「ええ。その日、花音と喫茶店巡りをするのだけど、一緒に来てくれないかしら?」

 

 何?一緒にだと?俺は千聖の言った言葉に疑問を感じた。松原と喫茶店巡りをするのはまだいい、では一緒に来てくれとはどういうことだ?俺は千聖に何故一緒に行かなければならないのか理由を聞いた。

 

 聞いたところ、原因は二人にあった。松原は道に迷う、千聖は電車の乗り換えが苦手、この二つという。松原はわかるが、千聖のその苦手は元からだろ。俺と薫はその苦手で振り回されたことがある。どれだけ振り回されたのかこいつは覚えているのか?

 

「申し訳ないと思っているわ。でも、このことは千秋にしか頼めないのよ!」

「丸山には頼めないのか?」

「彩ちゃんはその日予定が入ってるのよ。だから、千秋お願い」

「二ノ宮先生、私からもお願いします!」

 

 千聖と松原が頭を下げて俺に頼んだ。ここまで頼まれたら断れない。俺はわかった、と溜め息混じりに言った。ここで断ったら千聖に殺されていたかもしれない。そうなると命が危ないから今回は行かないとまずい。

 

「ありがとう千秋!」

「ありがとうございます二ノ宮先生!」

「今回きりだからな。それで千聖、何時に行くんだ?」

「花音と合流もするから朝の9時に行きましょう。その後、喫茶店巡りにするわ」

 

 予定は決まった。千聖はアイドルだから変装しないといけない。いや、それは俺も同じか。俺と千聖が幼馴染みであることがバレたら厄介だ。そうなれば俺も変装をすることになる。さて、明後日の喫茶店巡りはどんな1日になるのやら……。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 早くも2日が経過した。私は下ろしている髪を三つ編みに束ね、赤縁の眼鏡を掛け、ベレー帽を被る。服は普段着ている物にした。とりあえずこれだけやっておけば問題はないわね。あとは千秋だ。私は家を出て千秋の元へと向かった。向かおうとした時、スマホから着信が入った。

 

「あら、千秋からだわ。もしもし?」

「もしもし?千聖、今家を出たのか?」

「ええ、これから貴方の元に向かうところだけど、何かあったの?」

「俺はもう家にいない、今千聖の所に向かっている」

「……珍しいわね。それで今どこに……」

 

 私は千秋からそこで待っていろと言われた。待っていろと言われた後、着信は切れた。まさか千秋から来るなんて、私は付いてるわ。千秋から来ることはあまりないのに、今日は彼の方から来る。何だかんだ言って千秋も楽しみにしてたのね。

 

 千秋と合流し、私達は花音の家へと向かった。花音には私から家で待っててと言っておいた。前に花音と合流しようとした時、私達は会うのに相当の時間を掛けた。掛かった時間は2時間だ。

 

 私達はこれを切っ掛けに迎えに行くときは私から行くわね、と約束をした。そういえば千秋と花音の家に行くのは初めてだ。私服の花音を見たときの千秋の反応が楽しみだわ。

 

「お、おはよう千聖ちゃん。あと、二ノ宮先生?待って千聖ちゃん、この人二ノ宮先生なの?」

「ええ、正真正銘千秋よ?」

「ふぇぇ……全然二ノ宮先生に見えないよ……」

「松原、残念ながら本人だ」

 

 千秋の着ている服は私と同じく眼鏡を掛け、Yシャツに黒いコート、更にいつも填めている黒の手袋というそれ私服なの?というファッションセンス壊滅の服装だ。いつか千秋のファッションセンスは直さないといけないわね。そのうちデートしてやるんだからね!

 

 

――手袋に関しては許してあげるけど……。

 

 

「お、おはようございます二ノ宮先生」

「おはよう松原、それでは行くとするか」

Я беспокоюсь о будущем.(先が不安だわ)

「何か言ったか千聖」

「何でもないわ」

 

 私はロシア語で先が不安だ、と言った。はぁ、上手くいくかしら。今日は久しぶりに千秋とも出掛けられる。花音との喫茶店巡りもそうだけど、せっかくだから千秋も誘いたい。だから、今日はいい1日にしたい。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 喫茶店巡りは普段一人でやっているが、千聖と松原と行くのも悪くないな。これまで色んな紅茶やコーヒーを飲んできたが、この紅茶はとても美味い。3時間巡ったが、レトロだったりカジュアルだったり、何軒も回った。合計で4件くらいか。

 

「千秋って紅茶好きよね?」

「え、先生紅茶好きなんですか!?」

「たまにコーヒーを飲むこともあるがな。好きになった切っ掛けは千聖が原因だ」

 

 そう、紅茶を好きになった切っ掛けは千聖にある。喫茶店巡りを好きになったのも千聖が切っ掛けだ。ここまで考えると、俺は千聖に色んな物を貰ったんだな。

 

 俺は心の中で千聖にお礼を言った。今度、千聖に何かプレゼントをしてやろうか。サプライズをするのも悪くない。

 

「ところで話が変わるんだが千聖、松原は俺と千聖が幼馴染みであることを知っているのか?」

「何を今更……。中等部の時に言ったわよ。覚えてないの?」

「すいません先生、薫さんと幼馴染みなのも知ってます」

「いや、謝らなくていい。これは千聖が悪いんだ」

「覚えてなかった千秋が悪いと思うわ」

Ce n’est pas ça.(それはないな)

 

 俺はフランス語で言ったことを日本語に訳して反論した。千聖が口を膨らませて俺を睨んだ。俺は悪くない、バラした千聖が悪いんだ。

 

 俺と千聖が睨み合うこと数秒、俺と千聖の間にはどっちが悪いんだという低レベルな茶番が繰り広げれられた。そんな中、緊張しつつある松原が口を開いた。

 

「先生と千聖ちゃん、仲がいいんですね」

「俺と千聖がか?」

「あ、当たり前よ。幼馴染みなんだから。そうでしょ、千秋?」

「そうだな……」

 

 松原から仲がいいと言われ、俺と千聖は自然と睨み合うのをやめた。これを言われたらさっきの茶番が馬鹿みたいに思えて来たな。俺は千聖にすまない、と謝った。謝るのは私の方よ、と千聖まで謝ろうとしたが、今回は覚えていなかった俺が悪いんだ。

 

「千聖、今回は俺が奢る。それでいいか?」

「それは悪いわ。私だって貴方に言ってなかったんだから、私が……」

「いや、今回は俺が悪いんだ。千聖、俺が悪いということにしてくれないか?」

「……しょうがないわね。じゃあ今日は千秋に奢ってもらおうかしら」

 

 俺は千聖を見つめながら言った。見つめていた所を見た松原が顔を赤くした。そして千聖はしょうがないわね、と言った。これでいい、これでいいんだ。千聖が松原と仲良くしているということは、いつか言うかもしれないと思っていたんだ。

 

 それなら覚えていなかった俺が悪いということにしてしまえばいい。そうすれば、千聖も多少楽になる筈だ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 喫茶店巡りは終わった。結局残りは千秋に奢ってもらうことになるなんて、申し訳ないことをさせたわね。でも、彼が言ったんだ。彼がああ言ったらしょうがないと言うしかない。

 

「千聖ちゃん、二ノ宮先生のこと好きなんだね」

「ええ、私は千秋が好きよ」

「はっきり言っちゃうんだね」

「だって隠してもしょうがないじゃない。隠すよりハッキリ言った方がマシよ」

 

 そうだ、変に隠すよりはっきり言った方がいいのだ。好きだっていうことは千秋には知られてはいないけど、知っているのは花音や薫くらいだ。今は彩ちゃんやイヴちゃんには知られていない。いつかバレるかもしれないけど……。

 

 今日はいい1日になった。千秋と久しぶりに出掛けられたというだけでも私にとっては嬉しいことだ。もう6月になるわ。また千秋を喫茶店巡りに誘おう。今度は二人で出掛けたいわね。

 

 




喫茶店巡り好きな者に悪い者はいない


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梅雨の中の仕事と休日、暖かい珈琲は如何?

梅雨の中であっても温もりはあるのだ


 もう6月か。俺はベランダに出て煙草を吸い、辺りを見回した。曇りか……降水確率は30%とのことだが、あまり信用出来ないな。

 

「千聖の奴、行きはまだしも帰りは大丈夫なのか?まぁ雨が降ったら迎えに行くか」

 

 煙草を携帯灰皿に入れ、リビングに戻る。髪は未だにボサボサ、外に出ない限りはこの格好だが、ここに千聖がいたら髪を梳いてくるな。あいつの手梳、好きだから毎日してほしいがな。

 

 両手を組み、伸ばしながら手のひらを上まで上げる。俺は三秒程唸りながら伸びをし、組んだ両手を勢いよく下げた。更に、両肩も上げる。右の肩がボキボキ鳴るな。これは近いうち、千聖に肩を揉んでもらった方がよさそうだな。

 

「いや、千聖に肩を揉んでもらうより、あいつの肩を揉んだ方がいいよな?まぁ働いてるのはお互い様か……」

 

 時間は11時か……寝過ぎたな。今日は休日だからまだいいが、平日なら間違いなく死亡確定だな。とりあえず、飯を作ろう。もう昼飯になるが、仕方ないか。

 

 昼ということは千聖が出てる番組が始まるか。休みの時はいつもこの番組を見ている。昔から昼にやっていて、俺が学生の頃、よく見ていた番組だ。千聖が子役時代の時も出ていた。今回は久しぶりに出るとのことで、千聖からも見なさいよ、と釘を刺されている。

 

 千聖、お前は今何をしている?どんな仕事をしているんだ?俺は芸能界にいる千聖を知らない。だが、プライベートの千聖は知っている。幼馴染みだから当たり前か、こんなことを薫に知られたらからかわれるな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 ああ緊張する。まさか昔出ていた番組にまた出るなんて思わなかったわ。マネージャーから出演の話を聞いた時、私は動揺した。もちろん、出演は了承した。出るということは昔のことを聞かれる可能性がある。そこは何とか乗り切ろう。

 

「千秋、見てくれてるかしら。心配だわ、まだ時間はあるからメールを送っておきましょう」

 

 私はスマホのディスプレイを開き、メールのアプリを開いて千秋宛てにメールを書いた。ちゃんと見てくれてる?、と送った。すぐ返事が返ってきた、早いわね。

 

「楽しみに待ってるぞ、か。ふふっ、嬉しいわね。何か元気が出てきたわね、愛の力かしら」

 

 愛の力だなんて、私は何を言ってるのかしら。ノックの音がした。スタッフさんだ。もう時間のようね、彩ちゃん達はそれぞれ別の仕事で頑張っている。私も頑張らないといけないわね。

 

 

――Чиаки, посмотри на меня.(千秋、見ててね)

 

 

 心の中でこんなことをロシア語で言うなんて私らしくないわね。色んな人が楽しみにしてるんだ。期待に応えないと!私はアイドルなんだ。アイドルであり、千秋に恋をする乙女でもある。私は気持ちを切り替え、舞台袖へ向かった。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千聖の出演していた昼番組を見終わり、俺はソファーに(もた)れた。内容は千聖がアイドルとしてどうしているのか、パスパレの活動を通して何を学んだのか等、仕事面でのことが多かった。他には昔共演していたことも話したり、ロシア語……もといロシア国歌事件のことまで触れられた。

 

「しかし、次のゲストは丸山か。テレフォンで次のゲストを迎える所はあまり見なくなったが、あの番組は今でもやっているんだな」

 

 そもそも番組名がおかしい。なんだ笑○ていいですとも!って。昔やってた昼バラエティと幻想的なアレに出てた鎧のあいつの名言を組み合わせただけじゃねえか。番組は好きだから別にいいが……。

 

 時間は1時か、千聖は夕方には終わるからと言ってたようだが、その時は連絡寄越すように言っておくか。俺は外の様子を見ようと窓に目を向けた。未だに曇り、雨が降るのは確定だな。

 

 それまでは読書でもするか。しかし、ここまでくると趣味もクソも無いな。紅茶淹れに関しては千聖から鍛えてきなさい、と言われている。外出の場合だと本屋に寄るくらいしかない。

 

「読み掛けの本があるから読書でいいか。紅茶淹れは……また今度にしよう」

 

 栞を挟んだ本を手に取り、ソファーに座り、俺は読書を始めた。2、3時間程度だ。千聖から連絡が来るまでの間だ。それまでは、ゆっくりしよう。

 

 読書を始めて1時間が経った。ポツンポツン、と音がした。雨か、俺は栞を挟んで本を閉じ、コーヒーを淹れようと台所に向かった。千聖を迎えに行くときに水筒持っていくか。水筒にコーヒーを淹れて労ってやらないとだな。

 

「アイドルは大変だからな。仕事休みの俺が労わないと駄目だよな……」

 

 俺は口元を緩ませながら独り言を言った。薫だったらこう言うだろうな。千聖は私にとって大事な大事な子猫ちゃんなんだ。休ませてやらないと冷めてしまうだろう、ああ儚い、と。

 

Je dois garder mon cœur au chaud.(心は暖めてやらないとな)

 

 俺は机にコーヒーを置き、スマホに目を通した。メールが来ている、千聖からか。4時辺りに仕事が終わるから、迎えに来てもらってもいいかしら、か。当たり前だ、雨が降るんだから、濡れたまま帰るのは駄目だろ。

 

 わかった、3時半には出る、とメールを返した。さぁ、読書を再開するか。行く前に水筒にコーヒーを淹れておくか。3時になったら準備を始めるか。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 仕事を終えて彩ちゃん達と別れ、事務所を出た。やっぱり雨が降ってるわね。千秋には4時に仕事が終わると言ってあるから大丈夫だ。迎えに来てくれてる筈、あとは駐車場まで向かうだけね。

 

 私は千秋に電話を掛け、いつもの駐車場に行くわね、言った。私は傘を差し、急ぎ足で歩きながら駐車場へと向かった。早く行かないと濡れちゃうわ……。

 

「お待たせ千秋」

「そんなに待ってない、濡れる前に早く乗れ」

 

 お疲れ様の一言くらい言ってくれないのかしら、私の幼馴染みは。いつものようにベースを車に入れ、助手席に座った。扉を閉めた後、千秋から水筒を差し出された。

 

「千聖、お疲れ様。コーヒー淹れたから暖まれ」

「ありがとう千秋。お疲れ様はせめて最初に言ってほしかったわ」

「それは悪かったな。さて、家まで行くぞ」

 

 車の中は暖房が効いて暖かかった。ちょうどいい温度ね、千秋は相当私のことを休ませたかったのかしら?私は千秋に今日のことを聞くことにした。

 

 今日のお昼の番組はどうだったかだったり、家で何をしていたかを聞いた。とても楽しそうだった、本を読んでた、それだけだった。もう少しあると思うのだけど、千秋って趣味無いのかしら?

 

「千秋、もう少しあってもいいんじゃないの?」

「もう少し?何のことだ?」

「えっと、お昼のことよ!よく頑張ったなとか最高だったよ、とか!」

「俺はそこまで言わない。だが、千聖」

「何かしら?」

 

 私は千秋の横顔を期待するかのように見つめた。あともう一声、もう一声よ!さぁ千秋、私に頑張ったなって言いなさい!さぁ、早く!

 

 

――Скажи это сейчас же!(早く言うのよ!)

 

 

「……ロシア国歌事件」

「ちょっと千秋!」

「すまないな。昔のことを語っていた千聖を見たら言いたくなってな」

「わざとよね!?それわざと言ったのよね!」

「ああわざとだ。さっきも言ったがごめんな千聖。今度喫茶店巡りに一緒に行ってやるから許してくれるか?」

 

 許す、と私は顔を少し赤らめながら言った。それはズルいわ千秋。そんなこと言われたら許すしかないじゃない。でも、ロシア国歌事件は流石に酷いわ。

 

 千秋と二人きりの時間、私にとって大切な時間だ。幼馴染みである私達が、教師とアイドルとしてではなく、普通の幼馴染みとして話せる貴重な時間。今の私は千秋に告白する勇気はないけれど、せめて……せめて今だけは千秋と話がしたい。

 

 

――ねえ千秋、テレビに映ってた私は貴方から見てどんな姿だったかしら……。

 

 

 そんなことを思いながら私は水筒に入っているコーヒーを飲んだ。喉を潤すコーヒーは、私の心を暖めるにはちょうどいい熱さだった。

 

 

 

 

 




告白の時はいつか訪れる


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噂に流されるな、嘘かどうかは自分の目で見ろ

現在迷走中
今回はぐだり回かも


 6月に入れば夏服に、10月に入れば冬服になる。制服の衣替えは学生だけではない。我々教師にも衣替えはあるのだ。しかし、この衣替えは今の俺にとっては障害でしかない。

 

「腕がスースーするな。やはり、半袖で白衣を着るのは無理があるか」

「先生、寒いんですか?」

「いや、寒くはない。それと丸山、用があるんだろ?」

「はい!えっと、相談があって来たんです!」

 

 また相談か。丸山は先月も相談に来た。その内容は、トークで噛まないようにしたい、そのためにはどうしたらいいかという物だ。俺なりに答えを出したが、残念なことに丸山は今もトークで噛んでしまっている。

 

 

――治るには相当掛かるだろうな。

 

 

「……内容はなんだ?」

「生物について教えて下さい!」

「丸山、お前俺の担当教科は現代文だぞ?理系については教えられないんだが……」

「そ、そうですよね!教えてくれませんよね!」

 

 狼狽えている。何か理由があるのかもしれないな。俺は丸山に理系教科を教えてほしい理由を聞くことにした。返答次第では怒らなければならない。

 

「まぁ待て。丸山、何故俺にそんなことを聞くんだ?」

「えっと、確かめたかったんです」

「確かめたかった?どういうことだ?」

「その……二ノ宮先生がどうして理系擬きって呼ばれてるのか気になって……」

 

 俺は確かに理系擬きと呼ばれている。それ故に理系教科を教えてほしい、と半分悪戯でやられたことがある。その時は軽く注意をしたくらいだが、こいつは知らないのか?

 

 丸山は続けて答えた。先生が理系擬きと呼ばれているのは噂かもしれない。本当かどうか自分で確かめたい、という結論に至ったらしい。丸山にしては珍しい。これは怒る必要はない。だが、理系擬きとは呼ばないように、と気をつけるようには言っておくか。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 彩ちゃん、何かスッキリしてるみたいな表情になってるわね。何かあったのかしら?私は彩ちゃんの元に行き、どうしてそんな顔をしているの、と質問をした。

 

「実はね、二ノ宮先生に質問をしたんだ」

「質問?彩ちゃん、貴女まさか……」

「先生が本当に理系擬きって呼ばれてるのか確かめたかったんだ!それで、聞いちゃった!」

 

 この子、勇者としか言い様がないわ。千秋は理系擬きと呼ばれているのは嫌がっている筈、それなのに、彩ちゃんはこんなに明るい顔をしている。もしかして、怒られなかったの!?

 

 私は千秋に何を言われたの?と聞いた。彩ちゃんは人差し指で頬を掻き、目を少し逸らしながら言った。結構焦ってるわね。でも、聞いた方がいいわ。これは彩ちゃんのためよ!

 

「彩ちゃん、二ノ宮先生から何か言われなかった?」

「うーんとね、私が本当かどうかを確かめたかったって言ったらね、自分の目で確かめるのも経験の内だって言われたかな」

「そう……なのね。よかった……」

「よかったって、千聖ちゃんどうしたの?」

 

 何でもないわ、私は彩ちゃんに感づかれないように言った。彩ちゃんが怒られなくてよかった。答え次第では千秋は怒る。でも、怒られなかった。それどころか、千秋は彩ちゃんを褒めた。

 

 噂に流されず、自分の目で確かめる。千秋はそのことを彩ちゃんに言ったんだ。流されたら駄目なんだって、騙されるなって、そう言いたかったのね。

 

「彩ちゃん、そろそろ授業だから教室に戻りましょ」

「うん!じゃあまた後でね、千聖ちゃん!」

Увидимся(また後でね).」

 

 私と彩ちゃんはそれぞれ自分達の教室へ戻った。ふふっ、千秋の反応が楽しみだわ!後で聞こうかしらね。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 仕事を終え、俺は自宅へと戻った。ドアを開けると、玄関に見知らぬ靴があった。いや、千聖の靴だ。俺は靴を脱ぎ、リビングへと向かった。開けると、案の定千聖がいた。

 

Pourquoi es-tu là ?(何故ここにいる)

「おかえり千秋」

「ただいま、何をしているんだ?」

「何をって……紅茶を淹れてるだけよ」

 

 淹れてるだけと言ってるが、俺が帰ってくるのを見計らってないか?千聖は俺の家の合鍵を持っている。それで入ったのか。いや、それ以外に何があるんだ。

 

 俺は上着を脱ぎ、上着をハンガーに掛けた。自分の部屋に行き、鞄を置いて部屋着に着替える。部屋着はTシャツにジーパン、普通の服装だ。

 

「千聖、待たせたな」

「そんなに待ってないわ。紅茶、置いておくわね」

「ああ、すまない。あと、何の用でここに?」

「聞きたいことがあるの。彩ちゃんのことでね」

 

 丸山のこと?もしや、俺が理系擬きと呼ばれていることについてか?俺は千聖の顔を見つめた。こいつ、口元をニヤケさせてやがる。丸山から話を聞いたようだな。

 

 俺は丸山と話したことを全て白状した。千聖がこうなってしまったら話すしかない。隠し事なんて出来ない、俺と千聖は幼馴染みなんだ。むしろ、隠し通せたら凄いがな。

 

「そういうことなのね」

「そういうことだ。それで、この話を聞いてお前はどうするつもりだ?」

「どうするって……まぁ、気になっただけよ」

「気になった……だと?」

 

 どういうことだ?千聖がここまで気になったなど、珍しいとしか言い様がない。まぁ、話を聞いてみるか。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は千秋から彩ちゃんの件について話を聞いた。気になったというのは事実だ。私は千秋に気になったことについて聞かれた。さぁ、答えようかしら。

 

「じゃあ聞くわ。千秋から見て彩ちゃんはどう見えるの?」

「流されやすい部分があるな。頑張り屋だが、トチる所があるのがちょっとな……」

「それは同感ね」

 

 千秋から見た彩ちゃんはそんなところなのね。昔の彩ちゃんなら千秋が理系擬きと呼ばれていることが噂であっても、すぐに流されるに違いないわね。

 

 私は紅茶を飲み、ふぅっと息を吐いた。けど、千秋が彩ちゃんに周りに流されるな、本当のことは自分で確かめろって伝えたかったのはわかったわ。私は心の中にあるモヤモヤが無くなったのを感じた。

 

「千秋は彩ちゃんにアドバイスをしたかったのよね?」

「アドバイス?そうだな、確かめたかった等と言われたら怒れないからな」

「ふふっ、千秋はやっぱり優しいわね」

「そんなことはない。あいつが自分から言ったんだ。そうなったら答えるのが妥当だろ?」

 

 そうね、私は笑いながら言った。千秋も釣られたのか、口元を緩ませた。千秋は優しいわ。この人が怒ったところなんて見たことがない。面倒臭がりには見えるけど、彼は何だかんだでアドバイスをする。

 

 私は千秋のこういう優しいところが好きだ。彼と幼馴染みになってよかった。彩ちゃん、貴女はもっと成長する。まだ流されそうなところはあるけれど、これからも見守っているからね。




滅茶苦茶な回になってしまった


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理系擬きと白い鷺の料理談話

気まずいなら何かで乗り切れ


 今年は雨が降ることが多いな。梅雨の時期だから当たり前か。外は雨一色、これでは煙草を吸う気分にはなれない。今日は学校で吸うのはやめて家で吸うか。

 

「今日の授業はここまで。中間テストが迫っているが、現代文で分からないことがあれば俺に聞くように。ただし、理系教科については聞くなよ」

 

 ここで警告しておかないとまずいことになる。中間の現代文の問題は俺が担当になっている。当然、このことは生徒には言っていない。テストに出るような物は全て教えたし、テスト用のプリントも配った。ここまでやっておけば大丈夫だろう。

 

 現代文のテキストと板書用に纏めたノートを持ち、教室を出る。さて、昼飯にするか。俺は職員室に向かい、白衣を脱いで椅子に掛けた。丸山の相談の時は半袖に白衣だったが、あの時は寒かった。なので、長袖に白衣といういつものスタイルに戻した。

 

 

――このスタイルの方が落ち着くな。

 

 

 今日の弁当は自分で作ってみた。自分で作るのは久しぶりだ。普段は千聖に作ってもらっていたが、たまには自分で作るのもいいな。

 

「まずは玉子焼きから……」

 

 箸で掴んだ玉子焼きを口に入れた。うん、いい感じだ。今回は頑張った方だな。今度、千聖の分も作ってやるか。いつか、千聖の胃袋を掴んでやる。

 

 しかし待てよ?よく考えるとあれだな。弁当は千聖に作ってもらっている、そして俺が今言った胃袋を掴んでやる。ちょっと待て、これって――

 

「……夫婦じゃねえか!」

「……二ノ宮先生!?」

「な、何でもないです!読んでいた本の台詞を思い出しただけですので」

 

 気づいたことを言った瞬間、周りの視線が俺に集まった。俺は咳払いをし、何でもないです、と言って椅子に座った。とりあえず、見た目とかで誤魔化すか。周りは納得してくれたようだな。

 

 全く、俺は何をしているんだ。今の千聖は通い妻同然、学校では生徒だが、プライベートでは幼馴染みだ。そもそも千聖は俺の彼女ではない。彼女ではない以前に、合鍵を渡してある時点でアウトか。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千秋、大丈夫かしら?今日はお弁当は自分で作るなんて言ったけど、心配だわ。千秋が料理をするのって想像出来ないわね。お弁当作りに失敗してたら、購買とかでお昼ご飯を買ってるかもしれないし……。

 

「チサトさん?」

「千聖ちゃん、どうしたの?」

「何でもないわ。ちょっと考え事をしてただけだから」

「もしかしてニノミヤ先生ですか?」

 

 イヴちゃん!?貴女はどうして分かるの!?私は二人に千秋の事じゃないことを必死に否定した。イヴちゃんってたまに鋭い時があるから本当に困るわ。ブシドーって怖いわね。

 

 もしここに日菜ちゃんがいたら確実に私は死んでる。それも、穴があったら入りたいくらいのレベルで死んでる。日菜ちゃんが羽丘でよかったわ。というより、今はこの場をなんとかしないといけないわね。

 

「ち、違うのよイヴちゃん。二ノ宮先生のことは考えてないからね!?」

「本当にそうかなぁ?千聖ちゃん、先生のこと好きでしょ?」

「彩ちゃん!?言っておくけど、二ノ宮先生のことは"先生として"好きだからね!」

「そしてコイに発展するんですね!分かります!」

 

 

――イヴちゃん、分からなくていいから!

 

 

 私は焦った。もしかしてバレてるの?ちゃんと顔に出さないようにしてるのに、どこかで失敗したのかしら?ここまで来たら全部言うか?いや、そうなったらイヴちゃんが千秋に私のことを好きかを聞きに行く。それだけは防ごう、だから言ってはいけないわ!

 

「あ、二ノ宮先生!」

「こんにちはニノミヤ先生!」

Bonjour(こんにちは).」

Здравствуйте, сэр.(こんにちは、先生)

 

 ああもう千秋の馬鹿!何で今来るのよ!私は日本語で挨拶をしようとしたが、焦ってロシア語で挨拶をしてしまった。彩ちゃんとイヴちゃんが振り向いた。え、何が起こるの?しかも二人とも向き合って頷いてるし、もしかして、私を置いていくつもり!?

 

「じゃあ千聖ちゃん、私達教室に戻るね!」

「それではチサトさん、また後ほど!そしてゴユックリ!」

「ちょっと二人共!?何処に行くのー!?」

 

 本当に置いていったわ!あの二人、明らかに狙ったわよね!?ここで千秋と二人きりにするなんて、私にどうしろというの!?嬉しいけど、気まずさのあまりに倒れそうだわ。

 

 

――話をするしかないわね。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 丸山と若宮、そして千聖と会った瞬間に二人きりにされるなんて、あまりに酷いな。俺はさっきの弁当のことで色々恥ずかしい想いをしたのに、その後に千聖と遭遇する。タイミングが悪過ぎるだろ。

 

「え、えっと……千秋……」

「な、何だ千聖」

「今日のお昼は、どうだった?」

「弁当は自分で作ると言った筈だ。千聖、何かあったのか?」

「千秋こそ、何を動揺しているのかしら?隠せてないわよ?」

 

 いやいや、お前こそ隠せてないぞ。演技しててもバレバレだ。まぁ、俺も冷静に千聖と話をしているが、動揺しているのは事実だ。俺は右手で眉間を摘まんだ。はぁ、何でこんなことになったんだ。誰か説明してくれ。

 

 それにしても、視線を感じるな。人影か?チラッと見えているが、隠れているのは丸山と若宮だな。お前ら、バレバレだからな?

 

「それはさておき、弁当は上手く作れたさ。心配は無用だ」

「あらそう。それなら、何に力を入れたのか、聞かせてくれないかしら?」

「何にだと?玉子焼きに決まってるだろ」

「玉子焼きね。それなら納得ね」

 

 納得だと?こいつは何を言っているんだ?俺は千聖にどうして納得なんだ、と聞いた。彼女は顎を手に乗せ、探偵にでもなったかのようにキメ顔で言った。

 

「千秋は卵料理得意だったわよね?」

「よく覚えているな」

「当たり前でしょ。貴方の料理は忘れられないもの」

「そうか。それを言われると、嬉しいものだな」

 

 千聖は覚えててくれてたのか。俺が千聖に卵料理を作ったのは三年前だ。その頃の千聖は中学生で俺は大学生だ。懐かしいな。千聖が俺の料理を食べたいと言って、そこで俺は得意の卵料理を披露した。

 

 あの時の俺は千聖が喜ぶくらいに料理を作っていた。そして千聖は笑顔で美味しいと言ってくれた。思い出すと涙が出そうだな。俺は千聖にバレないように涙を堪えた。

 

 

――俺は千聖の胃袋を掴んでいたんだな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は千秋にどうしてお弁当を作ろうとしたのかを聞いた。たまには自分で作りたいんだ、彼は微笑みながら言った。最近は私が作ってばっかりだったけれど、千秋にそう言われたら何も言えないわね。

 

「ねえ千秋」

「なんだ?」

「また私に料理を作ってくれないかしら?」

「今度の休日でいいか?その時にまた作ってやる」

「ありがとう千秋。楽しみにしてるわね」

 

 私は彼にお礼を言った。千秋は顔を赤くしたのか、眼鏡の真ん中、ブリッジを上に押し上げた。これは照れてるわね。私は微笑みながら、彼に照れているのかを聞いた。

 

「千秋、もしかして照れてるのかしら?」

「照れてなんかない!」

「ふふっ、嘘ね」

「嘘じゃない!あと、笑うな!」

 

 だって、今の貴方、可愛いんだもの。私は心の中で言った。さっきは気まずくなったけど、何とか話が出来たわ。後で彩ちゃんとイヴちゃんにはお礼を言わないといけないわね。

 

 私は千秋と話をしている最中、柱に誰かがいるのを感じた。あれ?気のせいかしら?見覚えのある人がいるような……。

 

 私は柱に視線を送った。そこにいたのは、彩ちゃんとイヴちゃんだった。もしかして、全部見られていたの!?

 

「どうした千聖?」

「い、いえ何でもないわ!」

「そうか。じゃあまた後で話をするか」

 

 私は千秋と別れた。そして後日、私と千秋が名前で呼び合っていることがバレた。幼馴染みであることは薫のせいでバレてるけど、今度は名前で呼び合ってることまでバレるなんて、想定外よ!

 

 




料理が出来るはポイント高い


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白い鷺は幼馴染みの家にて羽を休める

雨の時は彼の家にいたい


 6月26日、中間テスト最終日。今日の天気は大雨が降るんじゃないのかというくらい悪い。俺は心の中で舌打ちをした。この天気では帰りはヤバいな。

 

「……時間だ。後ろの者は解答用紙を集め、俺の所に持ってきてくれ。お前達、結果を楽しみにしていろよ。日直、号令を頼む」

 

 中間テストの最後は現代文だ。そしてこのクラス、もとい千聖のいる2-Aは俺が担当となっている。担任ではないが、テストでは監督役を任されたのだ。

 

 さて、授業は午前中だけ。生徒達は午前で終わりだが、俺達教師は午後も仕事がある。何故、午後もやらなきゃいけないんだクソッタレ。千聖にこの愚痴を吐きたいが、そんなことをしたら千聖も仕事の愚痴を吐こうとする。最悪、煙草と酒に逃げるというのも手だな。

 

「先生」

「白鷺、どうした?」

 

 教室を出ようとした時、千聖に呼ばれた。俺は千聖の元に行き、何の用だ、と聞いた。千聖は俺の顔を見ることなく、俺だけに聞こえるように小言で話した。

 

後で貴方の家に行くけど、いいかしら?

好きにしろ。何時に来る?

午後の3時には行くわ

わかった

 

 ありがとう、千聖が小言で言った。こいつ、生徒の前でよくこんなこと出来るな。周りに聞こえてたらどうするんだ?聞かれてたらマジで洒落にならんぞ?全く、ヒヤヒヤさせるな。

 

 俺は改めて教室を出た。さて、これから地獄の答え合わせだ。担当は2-Aだが、他のところもある。そうなってくると、遅くても夕方には終わるか。とりあえず、突貫で終わらそう。答え合わせが終われば帰れるんだ。

 

 

――あと千聖、お前には聞きたいことが山ほどあるから待ってろよ?

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は千秋の家に行く支度を始めた。千秋には家に行くとは言ったけど、部屋は大丈夫かしら?また散らかってるかもしれない。そうなったら、私が綺麗にしよう。

 

「雨、降りそうね。そうなると、少し早めに出ようかし、」

 

 時間は2時半。支度が終わり次第行きましょう。レオンは家に入れておいたから大丈夫、お母さん達には千秋の家に出掛けてくると言ってある。あとは千秋に行くことをメールで送っておこうかしら。

 

 千秋にメールを送り、私は家を出た。途中で濡れたりしたらシャワーを借りよう。傘も持ったし、合鍵も持った。あと、念のためベースも持ってきておこう。よし、準備は万端ね。

 

 千秋の家はここからだと20分くらい掛かる。少し遠いけれど、そこは問題ない。千秋の家に行くためなら、私はそれでも構わないと思っている。さあ、雨が激しくなる前に急ぎましょう。

 

 私は早歩きで千秋の家に向かった。途中で雨が降り始めたけど、どしゃ降りになることはなかった。私は大丈夫だけど、千秋が心配ね。千秋の家は5階建てのマンションで、彼の部屋は2階にある。私は合鍵を使ってドアを開け、千秋の家に入った。靴は揃えてある。

 

「入り口とリビングは綺麗になってるわね。部屋はどうなってるのかしら……」

 

 千秋の部屋は入り口から見て左よね。リビングを出て、千秋の部屋に入る。これは……酷いわね。

 

 千秋、貴方さすがにこれはないわよ。作業机には書類が貯まっていた。これじゃあ崩れちゃうじゃない。それに、ベッドの布団も汚いし……。はぁ、私はあまりの酷さに溜め息を吐いた。

 

 

――Мы должны это сделать.(やるしかないわね)

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千聖は3時に家に行くと言ったが、早めに出るとメールがあった。俺が仕事を終えたのは3時半だ。突貫でやろうとしたが、途中でダウンしてしまい、タイムロスを起こしてしまった。

 

「答え合わせなんてクソッタレだな」

 

 教師である以上、やらなければいけない。帰ったら紅茶を淹れて落ち着くか。俺は千聖に電話をすることにした。仕事が終わったから今から帰る、そう伝えよう。しかし、千聖は電話に出なかった。

 

 何かあったのか?何かに夢中になっているのか、それとも寝ているのか。どっちかだな。それならメールを送っておくか。そのうち気づく筈だ。

 

 やはり車で行けばよかったな。家に着き、チャイムを押した。反応無しか。俺は鞄から鍵を出し、入り口の鍵を開けた。その時、ガチャンと音がした。あ、閉めちまったな。ということは開いてた。いや、千聖が開けたが正しいか。

 

「間違えて閉める、まぁよくあることか。さて、入るか」

 

 鍵を開け、ドアノブを回す。よし、成功だな。靴を脱ぎ、自分の部屋に入る。朝と雰囲気が違うな。机の書類も種類ごとに纏めてあるし、布団も畳まれている。これをやったのは千聖だな。

 

 鞄を置き、洗面所へと向かった。しかし、そこで事件が起こった。事件というより、事故と言った方がいいか。そう、俺は遭遇したのだ。金髪で細い身体をした少女、もとい――

 

 

――千聖に遭遇した。

 

 

「あ」

「ち、千聖!?」

「……千秋」

「な、何だ?」

Убирайся отсюда прямо сейчас.(今すぐ出てって!)

 

 ごめん、俺は出ていきながら謝った。そのまま壁に凭れ、息を吐いた。やべぇ、今の千聖は怖かった。ロシア語が出てるってことは相当怒ってるな。というより、シャワーを浴びてたなんて聞いてないぞ!?

 

 

▼▼▼▼

 

 

「全く、帰って来るのなら連絡くらいしなさいよ」

「しただろ。だったら何で出なかった?」

「シャワーを浴びてたからよ。そこは私も謝るわ、ごめんなさい」

「俺もすまなかった。ノックをするべきだった」

 

 私達は互いに謝った。掃除が終わった後、私はシャワーを浴びることにしたのだ。そして今の私は、部屋着状態だ。そう、私が千秋の家に来た理由は掃除ではない。泊まるために来たのだ。

 

「しかし、聞いていないぞ。泊まるなんて」

「それはアレよ。貴方を驚かせるためよ」

「驚かせるってお前なぁ……。まぁいい、今紅茶を淹れるから待ってろ」

「私がやるわ。千秋は仕事から帰ってきたばかりでしょ?ゆっくりしてていいわよ」

 

 なら任せる、千秋はそう言ってソファーに座った。仕事が終わったばかりなんだ、それなら私がやってあげないと。明日はちょうど休みなんだ。たまには千秋の家でゆっくりするのも悪くない。

 

 千秋からマスコミやファンにはバレてないのか、と聞かれた。そこは大丈夫だ。ちゃんと変装もしたし、サングラスも掛けた。私は千秋にバレてないわよ、と答えた。

 

「それで、何日いるつもりだ?」

「明後日までいるわ。それまでは家でゆっくりしましょ」

「そうだな。下手に出たらバレるからな。明日は俺も休みだから、ゆっくりしているさ」

 

 千秋も休みか。明日は何をしようかしら。私は紅茶を淹れながら色々なことを考えた。千秋を労う?それとも、あれかしら?い、家デート的なことをしようかしら……。

 

 今はやめよう。こんなこと考えてると紅茶が溢れる。どうするかは彼と話し合って決めよう。私はテーブルに二人分の紅茶を置き、千秋の隣に座った。隣にいるだけなのに、緊張するわね。

 

「ねえ千秋、明日はどうするの?」

「明日は何も決まってないな。紅茶を淹れる練習か、または読書か。色々だな」

「本当に何も決まってないのね」

 

 これは困ったものね。私は紅茶を飲み、渇いた喉を潤した。正直私も何も決まっていない。一応ベースも持ってきたけれど、最悪ベースを聞かせてあげようかしら。

 

 

 




家での過ごし方はそれぞれ、ただし計画的に


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白鷺の羽休めと教師の癒し合い

泊まり回、それも生徒と教師の二人きり


 眠いわね。瞼を上げ、身体を起こす。昨日は千秋のベッドで寝たんだ。彼は布団で寝ると言っていた。幼馴染みとはいえ、一緒に寝るというのは無理だ。今の私ではハードルが高いし、恥ずかしくて死んでしまう。

 

 布団の方を見ると、千秋はいなかった。どこに行ったのかしら?私はベッドから出て、千秋を探すことにした。

 

 千秋を探そうと、私はリビングに入った。おはよう、と誰かの声がした。声の主は……私の探していた人、もとい千秋だった。

 

「千秋……」

「千聖か。今朝飯を作っているから待っていろ。その間に顔を洗って着替えてこい」

「わかったわ。というか台所にいたのね」 

「ああいたさ。朝飯を作らないといけないからな」

「そう。着替えてくるけど、覗いたらシメるからね」

 

 覗かねえよ、千秋はそう言いながらフライパンにある目玉焼きをお皿に移した。私は目を擦りながら千秋の自室に入った。今日は化粧はしなくていいかしら。すっぴんは千秋に見られても構わない。むしろ、見てほしいくらいに構わない。着換え終わり、私は洗面所で顔を洗うことにした。

 

 いい匂いがする。これはコーヒーかしら?そうすると、珈琲豆を挽いたのかもしれない。私は気になった。朝食の置いてある机に彼はいた。手動でやってたのね。

 

「随分と上手なのね」

「そこまで上手くはない。インスタントもいいが、たまには自分でやるのもいいと思っただけだ」

「でも、上手よ。様になってたし、かっこよかったわ」

「……そこまで言わなくてもいいだろ」

 

 いただきます、私と千秋はそれぞれ両手を合わせて言った。今の私達って夫婦に見えるかしら?千秋も同じことを思ってくれてると嬉しいわね。千秋の顔をチラッと見たが、彼が何を考えてるのかは全くわからなかった。

 

 

――朝御飯はパンと目玉焼きとサラダとヨーグルトなのね。定番ね。

 

 

「千聖、化粧しなくて平気なのか?」

「よく気づいたわね。今日はいいのよ」

「何故だ?普段は化粧してるのに、今日はいいって……」

「女の子には色々あるのよ。この話はやめにしましょ」

 

 私がそう言うと、千秋は追求しなくなった。私がすっぴんなのは気づいてくれた。それだけでも嬉しい、けど見てほしいということは気づいてくれなかった。そう簡単に気づくわけないわよね。

 

 

――気づいてくれたら、どれだけ嬉しいか。この人、わかってるのかしら……。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 今日の天気は快晴だ。ここまで晴れているのならどこかに出掛けるのがいいと思う。しかし、千聖は今日は出掛けるつもりはなかった。千聖はどうやら、一緒にいたいと言っているのだ。どうしたものか。

 

「千聖、お前が出掛けないとは珍しいな」

「そうかしら?私だって、家で過ごしたい時はあるわよ?」

「そうだったか?」

「ええ、そうよ」

 

 そう言った後、千聖は優雅に紅茶を飲んだ。見た目もいいせいか、優雅に見える。俺と千聖が飲んでいる紅茶はリゼだ。それも輸出量が非常に少ないと言われている紅茶だ。探すのに凄く苦労したが、千聖と味わえるのなら苦労は報われたも同然だ。

 

 このまま静かに、何も話さず過ごす。それでは駄目だ。千聖にアイドルのこととか聞いてみるか。ちゃんと頑張れているか、丸山達と上手くやれてるか。俺はそこが心配だ。

 

 仕事もそうだが、今日は別の話をしよう。せっかくの休みなんだ。そんな堅苦しいことではなく、千聖の癒しになるようなことをしないと。

 

「ねえ千秋、私のベース聴きたい?」

「ベース?どうしてそんなことを……」

「私のベース、生で聴いたことないでしょ?」

「言われてみるとそうだな。TVでは聴いているが、生では聴いたことはないな」

 

 ぜひとも聴きたいな。俺がそう言うと、千聖はベースを取りに向かった。そういえば持ってきてたな。癒しになるようなことをしないといけないのに、立場が逆になるとはな。

 

「曲は何がいい?」

「そうだな……ゆら・ゆらRing-Dong-Dance でいいか?」

Дешево.(お安い御用よ)

「千聖今のは?」

「お安い御用よって言ったのよ」

 

 お安い御用、か。千聖がベースを弾き始めた。千聖が歌い始める。本来は丸山とのデュエットだが、ここに丸山はいない。だから、今回は千聖が全部歌う。

 

 やはり、全然違うな。千聖の隣で聴くというのは幼馴染みの特権だ。ファンには申し訳ないが、この隣は特等席だ。自分で言うのはおかしいな。俺はそんなしょうもないことを思いながら、千聖のベースと歌を聴いた。

 

 

――いい声をしているな。

 

 

「千秋、どうだった?」

C'est super(素晴らしい)

「急にフランス語って……貴方、語彙力大丈夫?」

「すまない、あまりの素晴らしさにフランス語が漏れてしまった。ああ、ベースも声も良かったよ」

 

 俺は千聖のベースと歌声を良かったと評価し、彼女の頭を撫でた。撫でるのは久しぶりだな。けど、それほどまでに千聖は美しかった。隣で聴いているだけなのに、こいつは楽しそうにしていた。いや、笑っていたが正しいか。

 

「ちょっと、急に撫でないでよ!恥ずかしいじゃない!」

「撫でたくなったんだ、許してくれ。これは俺に聴かせてくれた褒美だ」

「……ご褒美なんて言われたら何も言えないじゃない。ズルいわよ」

 

 撫でるな、何て言ってるが、千聖は満更でもなかった。むしろもっと撫でてくれと言わんばかりに、俺のことをチラチラと見ていた。全く、可愛い幼馴染みだな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

「千聖、何をするつもりだ?」

「なにって決まってるじゃない、耳掻きよ」

「み、耳掻きだと!?」

 

 千秋は驚きながら言った。そう、私は今千秋に膝枕をしてあげている。千秋は先生だ。色んな相談を受けたり、授業や事務仕事もやっている。私とは違い、彼は教える側、私達生徒を導く側だ。

 

 そこで私は決めた。千秋を癒してあげようと。泊まるのは明日までだけど、どうせなら休みの内に彼を癒してあげよう。まずは耳掻きをして休んでもらわなくてはね。

 

「じゃあ右からやるわよ。動かないでね」

「わかった。言っておくが、耳を舐めるのはやめろよ?」

「……次言ったら耳ぶっ刺すわよ?」

「ごめん」

 

 千秋は申し訳なさそうに、言ったことを後悔しながら謝った。なんか縮こまってる犬みたいで可愛いわね。ふふっ、ちょっと遊ぼうかしら。

 

 私は耳掻き棒をグリグリしながら耳掻きをした。千秋がビクン、と反応した。これ、楽しいわね。私はこのグリグリにハマってしまった。千秋の反応が楽しみだ。こんなことに期待するなんて、私ってSの素質あるのかしら?

 

「じっとしててね。ふぅー」

「っ!?千聖、くすぐったい」

「ふふっ、千秋って犬みたいね」

 

 犬言うな、千秋がツッコミを入れた。私は彼に次左やるわよ、と言った。千秋が左に回った。次も同じようにやろう。私はそう思いながら、またグリグリを始めた。

 

 彼は学校では先生だけど、私と二人きりの時は隙だらけになる。薫が一緒の時はどうしてるのかしら?多分、普通に幼馴染みとして接してるのかもしれない。素の千秋を知ってるのは私だけかもしれない。

 

 左耳を掻き終え、息を吹き掛ける。耳掻きという、彼の反応を楽しむ一時が終わった。名残惜しいけど充分だ。

 

「終わったわよ千秋」

「ああ終わったか。千聖、ありがと」

「どういたしまして」

 

 私は彼にまた頭を撫でられた。今日の千秋、どうしたのかしら?2回も撫でられるなんて、何かあったに違いない。嬉しいからいいけど……。

 

 彼にどうして撫でたのか聞いたところ、単なるお礼だ、と返された。お礼にしてはでかいお礼ね。私は目を逸らしながら言った。もう、これじゃあ思い出しちゃって眠れないじゃない。

 

 

――千秋の馬鹿。

 

 

 




癒し合いは幼馴染みの特権


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理系擬きのペット選び、事務所に恨みを込めて

新しい家族、どんな子が入る?


 俺は煙草を吸いながらあることを考えた。一人では寂しいからペットを飼うのもいいんじゃないのか、と。先月までは千聖が家に上がることがあった。だが、仕事が忙しくなったことで家に上がらなくなったのだ。

 

「千聖がいないと落ち着かないな。やはりペットを飼うべきか……困ったな」

「何が落ち着かないの?」

「……千聖か。何でもないから腕をつねるな、痛いだろ」

「つねってはいないわよ、気になるのに話してくれないのが嫌なのよ」

 

 話してくれないのが嫌だってお前なぁ。つねってるということは距離が近い、こんな所を見られると噂をされるし、千聖のアイドル活動にも支障が出てしまう。俺は千聖に少し離れてくれと言った。

 

 痛てぇ、俺は彼女につねられた部分を手で抑えた。よく見ると赤くなってる。何てことをしてくれたんだこいつ、これじゃあ生徒が教師に暴力を振ってるのと変わらないじゃねえか。そう思いながら俺は千聖の顔を見つめた。

 

「あら、何かご不満かしら?」

「不満はねえよ、言えばいいんだろ?」

Да.(ええ)

 

 俺は千聖にペットを飼おうか迷っていることを言った。寂しいということは隠してだが……。それを聞いた千聖は口元を緩ませた。こいつ、笑っているな。ここで寂しいからって言ったらツボるくらいに笑っていたかもしれないな。

 

 

ーー隠して正解だな。

 

 

「ハムスターね。名前は決まっているのかしら?」

「名前か?名前は決まってる」

「どんな名前か聞いてもいい?」

「ああ、名前は……Calinou(カリヌゥ)だ」

「その発音はフランス語ね、どんな意味なの?」

 

 カワイイ子だ、俺は千聖にカリヌゥの意味を教えた。それを聞いた千聖は表情を変え、汚物を見るような目付きになった。そんな目で俺を見るなよ。

 

「千秋、悪いけどそれはないわ」

「ないってお前……。自分でも洒落た名前だなと思ったが、響きがいいなと思ったからこの名前にしたんだ」

「洒落たって貴方ねぇ……。まぁいいわ、貴方がいいのなら何も言わないわ」

 

 何だその納得しているようで納得していないような顔は……。俺は溜め息を吐いた。溜め息を吐くと千聖は、溜め息を吐きたいのは私の方よ、と言った。だったら引かないでくれよ。いいじゃないかカリヌゥ、何がいけなかったんだ。ロシア語だったら納得してくれたのか?こんなこと考えてもしょうがないか。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千秋はハムスターを探しにペットショップに向かった。一緒に行きたかったけど、仕事が入ったため、一緒に行くことは叶わなかった。今回ばかりは事務所を恨みたいわ。

 

Ясделаюэтособидой,офис.(恨んでやるわ、クソ事務所)

「千聖さん、顔が怖いですよ……」

「そうかしら?麻弥ちゃん、私は怒ってないからね?」

「いやいや、怒ってるようにしか見えないよ」

 

 

 日菜ちゃんが顔を引き攣らせながら言った。私は怒っていない、仕事を入れた事務所を恨んでいるだけだ。普段の私は仕事熱心だ。でも、今回は違う。千秋とハムスターを選ぼうと思ったのに、千秋とデートが出来ると思ったのに、本当に酷いことをしてくれたわ。

 

「チサトさん、ニノミヤ先生の事で何かありましたか?」

「……イヴちゃん、何でもないのよ?千秋のこととかじゃないからね!」

「ホントですか?怪しいですねぇ……」

 

 期待の眼差しを私に向けないで!イヴちゃんには純粋でいてほしいのに、何でこんなことになったのかしら?幼馴染みであること、千秋と名前で呼び合ってること、ここまでバレているんだ。イヴちゃんがこうなるのも無理はないか。

 

 こんな所を千秋に見られては駄目だ。千秋は後日埋め合わせするって言ったんだ。それなら埋め合わせに期待しよう。とりあえず、切り替えないといけないわね。

 

「皆、仕事だから切り替えましょ!この話はおしまい!」

「千聖ちゃん、大丈夫かな?」

「彩ちゃん、何か言ったかしら?」

「な、何でもないよ!」

「レッツブシドーです!頑張りましょ!」

 

 イヴちゃん、切り替えが早いわね。後で千秋に愚痴ろうかしら?溜め込んでいたら、次の仕事に支障をきたしてしまう。彩ちゃん達に八つ当たりしては駄目だ。だから、今は抑えよう。

 

 

ーー千秋はどんなハムスターを選ぶのかしら?

 

 

▼▼▼▼

 

 

 俺をマジマジと見つめる物体、ヒマワリの種を好物とする小動物……もといハムスター。こいつ、さっきから俺を見つめているが、何を考えているんだ?

 

「よく見ると可愛いな。もう一匹買おうか迷うな」

「お客様、何かお困りですか?」

「……まぁ困っていますね。もう一匹買おうかなと」

 

 それは千聖のためか、可愛いさのあまり衝動でもう一匹買おうかというどちらかだった。店員にもう一匹買おうか迷っていることを話すと、店員はははぁ、なるほどーとニヤケながら言った。

 

 

ーーマズイ、嫌な予感がする。

 

 

「もしかしてお客様、彼女さんのためにお買いに……」

「いえ、彼女のためではなくですね……その、一人だとアレなので飼おうかなと思っているだけです」

「彼女さんいらっしゃらないのですか?お若いのにいないとは珍しい」

 

 いねぇよ、彼女いなくて悪かったな!俺は心の中で店員に突っ込んだ。なんだこいつ恋愛脳か!?そうだとしたらとっとと買ってこの場を去らないといけない。俺は店員と長話にならないよう、適当に話を付けることにした。

 

 はぁ、変な奴だった。店員と話を付けた後、俺はハムスターを選ぶことにした。もう一匹買おう、そう心に決め、さっき俺を見つめたハムスターを選んだ。

 

「こいつはゴールデンハムスターか。あとは隣の奴にするか、えっとジャンガリアンハムスター、よしこの二匹でいいか」

 

 ハムスターを二匹選び、更に餌用の野菜とヒマワリの種とケージを2つ買った。高い買い物をしたが、これくらい安い物だ。働いて稼げばどうということはない。俺は買い物を済ませ、店を出て家に戻った。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は千秋の家に上がり、彼からハムスターを二匹飼うことを聞いた。まさか二匹飼うなんて、どうしたのかしら?一匹は既に名前が決まっている、もう一匹は決まってないから決めていい、千秋に言われたのはいいけど、私が決めていいのかしら? 

 

「千秋、本当に私が名前を付けていいの?」

「いいから言ってるんだろ。ジャンガリアンの方は名前は決まってるから、ゴールデンの方は千聖が付けていいぞ」

 

 私はゴールデンの方を見ながらどんな名前にしようかを考えることにした。この子、私のことを見ているわね。私は顎を手に当てながら可愛いわね、と呟いた。

 

 それにしてもなかなか名前が思い付かないわね。紅茶とかなら何かあったかしら?私は頭の中で紅茶でいい名前がないか、どんな言葉がいいかを考えた。

 

「アール、これがいいわね」

「なるほど紅茶の名前か。千聖らしいな」

「アールグレイからグレイを取ってアール、この子の名前はアールにするわ」

「そうか、千聖が納得したのならその名前でいいな」

「ふふっ、よろしくねアール」

 

 アールか、千秋は微笑みながら言った。家族が増えたのが嬉しいのか、彼は楽しそうにしていた。千秋とペット選びは出来なかったけれど、こうして立ち会えただけでも私は嬉しい。

 

 

ーー千秋にはお礼を言わないといけないわね。

 

 

「そういえば千秋、ジャンガリアンの方は名前何にしたの?」

「最初はカリヌゥにしようとしたんだが、意味からして酷いなと思ってな」

「まぁあれはね……」

「そこで名前はこれにした。グレイだ」

「それ、今決めたわね?」

 

 まぁな、千秋は頭を掻きながら言った。アールとグレイ、この二匹を揃えるとアールグレイ、何かいいわね。もしこの子達の名前が酷い名前だったら、どうなっていたか。私はホッとしながら息を吐いた。

 

 




ハムスターを飼う際はヒマワリの種を与えすぎないように


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埋め合わせという名の買い物、ペアルックは如何?

埋め合わせといっても買い物だ


 千聖から買い物に誘われた。それは突然の事だった。彼女曰く、この前のハムスター選びに行けなかった埋め合わせをしましょう、とのことだった。

 

「買い物……だと……?」

「貴方、先週埋め合わせをするって言った筈よね?」

「確かに言ったが、買い物でいいのか?」

「私は貴方と一緒ならどこでもいいわ」

 

 千聖は微笑みながら言った。それを言ったら勘違いされるだろ。俺は言い方がおかしいだろ、と彼女に呆れながら言った。しかし、買い物か。何を買いに行くんだ?

 

 アールとグレイの餌なら間に合ってるが、紅茶なら見に行こう。あとは新しい手袋か。いや、これじゃあ自分の事しか考えてないな。今回は千聖が優先、自分の事は後だ。

 

「松原や薫は誘わなくていいのか?」

「二人共ハロハピで打ち合わせがあるから無理よ。私と千秋、二人きりよ」

「俺と千聖だけか。しかし、バンドの事なら仕方ないか」

Да, мне очень жаль.(ええ、本当に残念だわ)

 

 そうなると、後は予定をどうするかだ。俺は千聖とどういう予定にするかを聞いた。千聖はスケジュールは後で話し合いましょうと言った。今じゃなくていいのか、何か不都合があるのか。

 

「ここで話をしたら噂になっちゃうでしょ?そうなると厄介だわ」

「なるほど、それなら後の方がいいか。分かった、仕事が終わったら電話するが、大丈夫か?」

「ええ、問題ないわ」

 

 俺と千聖はまた後でと言って別れた。さて、職員室に戻るか。教材が無いと授業出来ないからな。千聖の奴、話をしていた時表情が明るかったが、いいことでもあったのか?

 

 千聖はハムスター選びに行けなかったことで事務所の愚痴を言っていた。最初は普通に愚痴っていたが、途中からロシア語になっていたため、内容が頭に入らなかった。あいつ、疲れてるのか……心配だ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 授業を終えた後、私は事務所に向かった。彩ちゃんとイヴちゃんがいたから電車の乗り継ぎは大丈夫だけど、乗り継ぎは未だに慣れないわね。千秋がいたら車で送ってもらえたけれど、彼に迷惑を掛けたくない。アイドルが教師と一緒にいたらスキャンダルになるし、色々とヤバくなる。

 

「ホント、スキャンダルは厄介だわ」

 

 とりあえず、千秋には帰りは遅くなるとメールを送っておこう。夜の9時には終わるから、帰ったら電話をしよう。なるべく、迎えは頼まないようにしないといけないわ。

 

「千聖ちゃん、笑ってるけど何かいいことあった?」

「いいこと?と、特に何もないわよ」

「ニノミヤ先生ですネ!」

「イヴちゃん、よくわかったわね……」

「やっぱり二ノ宮先生なんだね」

 

 イヴちゃんと彩ちゃんはほっこりしながら言った。何か調子が狂うわね。ここまで分かりやすいなんて、私って隙だらけなのかしら。これじゃあ隠しても意味がないわね。ここは素直に言いましょう。

 

 私は二人に千秋と出掛ける約束をしていることを打ち明けた。それを聞いた二人は私に可愛い、と言った。

 

 

――何か照れるわね。

 

 

「千聖ちゃん、それってデートだよね?」

「まぁそうなるわね」

「チサトさん、カワイイです!」

「あ、ありがと。イヴちゃんも可愛いわよ」

 

 何だろう、素直に言ったら肩の荷が軽くなったわね。普通なら噂が広がらないように伏せた方がいい。でも、千秋のことはバレてるんだから隠す必要は無いわね。

 

 そろそろ事務所だ。この仕事が終わったら千秋と話をするんだ。千秋は私にとって癒しであり、大切な想い人なんだ。そのために、今ある仕事を終わらせましょう!

 

 

▼▼▼▼

 

 

 アールとグレイを眺めながら、俺は埋め合わせのことを考えた。俺と一緒ならどこでもいいと言ったが、あの言い方ではいろんな意味に捉えてしまう。デート……一緒に帰省……。

 

「いや、駆け落ちは無いか。俺は何を考えてるんだ。つか駆け落ちだとあいつが俺に気があるみたいだな」

 

 千聖が俺に気がある、あまり考えたくないな。もしあったら洒落にならん。幼馴染であっても、教師とアイドルだ。俺と千聖が結ばれたとしても世間は許さないだろう。

 

 

――昔を思い出す、あれは心の奥に仕舞おうと決めたんだがな。

 

 

「何で今になって思い出すんだ、アレは忘れようって決めたのに……」

 

 忘れよう、俺は首を左右に振った。そうだ、これは封じるべきだ。あいつが知ったらどんな顔をする?もし、悲しませたらどうする?どうすればいい?

 

「アール、グレイ。俺を見ても何もないぞ」

 

 二匹は俺を心配してくれてるのかもしれない。ペットに心配されるとは思ってなかったな。

 

 

――アール、グレイ、心配してくれてありがとう。

 

 

 机から振動の音がした。千聖からだな、俺はスマホの画面を指でタッチし電話に出た。多分謝るかもしれないな。もし言われたら大丈夫だって言っておくか。

 

「遅くなってごめんなさい千秋」

「いや、大丈夫だ。千聖こそお疲れ様。埋め合わせの件で電話したんだろ?」

「ええ。さっき貴方と一緒ならどこでもいいわって言ったわよね?」

「ああ、どこか行きたいところでも決まったのか?」

「あのね、マグカップを見たいのだけど……いいかしら?」

C’est une aide bon marché.(お安い御用だ)

 

 全然構わないさ。マグカップは俺もちょうど見たかったからな。明日は千聖を迎えに行き、買い物となる。なるべく、バレないようにしよう。ここでバレたら俺と千聖は地獄行きになる。それだけは阻止しないと。

 

 

▼▼▼▼

 

 

「千秋、私変じゃないわよね?」

「ちゃんと変装は出来てるだろ、心配は無用だ」

「心配は無用って不安しかないわね。貴方は髪形を変えただけでしょ?」

 

 まあな、千秋は自信満々に言った。褒めてないわよ馬鹿。ここでバレたらおしまいだわ。今日のデート、上手くいくか心配だわ。

 

 それにしても、私と千秋は周りからどんな風に見えてるのかしら?気になるけど、聞けないのが凄く残念だ。恋人みたいって言われたら嬉しいけど、私達だと兄妹にしか見えないわよね。あまり高望みをしない方がいいわね。

 

「まずどこから行く?」

「まずは……紅茶から見ましょ」

「いきなりだな。まぁ千聖が行きたいならいいがな」

 

 彼は微笑みながら言った。今の千秋、何か楽しそうね。そんな貴方の顔を見ていると、私まで笑顔になる。普段は白衣を着ていて、理系擬き何て言われてるけど、今の貴方は私の幼馴染だ。

 

 だから、今だけはこの時間を堪能したい。短いようで長いような時間を堪能したい。幼馴染である貴方を、私は独占したい。

 

 私と千秋は紅茶店に入った。二人でいろんな茶葉を見たり、花音が好きそうな茶葉を選んだりした。花音と薫にも紅茶の茶葉をプレゼントしよう。日頃の感謝としてあげるのがいいわね。

 

「そういえばアールとグレイは元気にしてるかしら」

「ああ、二匹共元気にしてるぞ。たまに二匹で見つめ合うのが多いがな」

「あら、可愛いじゃない。何か微笑ましいわね」

「それを言われると、飼って正解だなって思うよ」

「そうね。ねえ千秋、このマグカップとかどうかしら?」

「どれだ?これかぁ、凄い物を見つけたな……」

 

 私が見つけたマグカップはペアルックだ。赤と青というシンプルなデザイン、可愛い物でもよかったけど、派手過ぎると千秋が可哀そうだ。

 

 私はペアルックのマグカップを買うことにした。千秋は俺が払うと言った。千秋にばっかりイイ恰好はさせないわ。たまには私が良いところを見せないとね。

 

「私が買うから、千秋はいいわ」

「いや、ここは俺が奢る」

「そこまで言うのなら、割り勘して買いましょ。それでいいわね?」

「……分かった。ならそうしよう、ここで言い合ってはダメだな」

「茶葉も私が買うから、財布は仕舞っていいわよ?」

 

 分かった、私と千秋は割り勘をして会計を済ませた。その後、私達は買い物を楽しんだ。買い物といってもウィンドウショッピングだ。

 

 ねえ千秋、貴方は私のことをどう見てるの?生徒?それともただの幼馴染?どっちなの?

 

 彼を振り向かせたい。でも、それをやってしまったら終わってしまう。今が無理であっても、時を待てばいい。だから、今は″幼馴染としての彼″を独占しよう。

 

 




時間が掛かっても私は待つわ


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白鷺の祈り、理系擬きの願い

七夕に願えば想いは報われるのか


 ベランダで煙草を吸いながら俺はあることを思った。もうすぐ七夕だと……。

 

「今年の七夕は千聖の所で過ごすか。しかし、願い事が浮かばんな」

 

 七夕といえば願い事だ。短冊に書く願い事、表面上では普通の願い事だが、本当の願い事は心の中で願うもの。そもそも俺の願い事は千聖には言えない、知られたらマズい。

 

 とりあえず願い事は置いておくか。煙草を灰皿に押し付けて消し、部屋に戻る。アールとグレイを飼い始めてから、俺は部屋で煙草を吸わなくなった。ハムスターのいる部屋で煙草は厳禁だ。禁煙も考えないと駄目だな。

 

「千聖の願い事が気になるが、聞かない方ががいいな」

 

 俺は願い事が浮かばないと言った。だが、本当はあるんだ。その願い事は叶えていいものなのか、その願い事は俺と″あいつ″にとって良いものなのか。考えれば考える程気持ち悪くなる。吐き気がする。

 

 この願い事が叶うとどうなる?地獄に落ちるか、全てが変わるか?そんなことは誰にも分からない。

 

 

――俺にも……″あいつ″にも……。

 

 

「灰皿洗わないと駄目だな。あと、アールとグレイに餌をやらないと……」

 

 止めよう、今は止めるんだ。ここであのことを考えていたら吐いちまう。明日も仕事なんだ、授業中に何かあったらマズい。餌をあげたら寝よう。

 

 

――七夕の事は千聖と話せばいいんだ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 一日の仕事を終え、私と彩ちゃんは控室に入った。彩ちゃんは控え室に入った途端、椅子に座って机に突っ伏した。今日の仕事はグラビア撮影だったから、疲れるのも無理はないわね。

 

「そういえば千聖ちゃん、七夕の日はどうするの?」

「どうするって、何のことかしら?」

「何のことって……二ノ宮先生だよ。先生と一緒に過ごすのかってことだよ」

「今年は私の家で七夕を迎えるって千秋が話したから、既に決まってるわ」

 

 私が彩ちゃんに話すと、彼女は口元を緩ませてニヤニヤし始めた。彩ちゃん、楽しんでるわね。私と千秋の恋を応援するって言ってるけど、本当かしら?

 

 千秋が私の家で七夕を過ごすと言ったのはさっきの昼休憩だ。それもメールで送ってくるという。私は嬉しさのあまり、すぐ決めた。千秋からはわかった、ありがとうって返事を返すのはいいけど、顔文字を付けるのはどうかと思う。顔文字付きの返事を見た時は吹いちゃったわ。

 

「すぐ決めるなんて、千聖ちゃん二ノ宮先生好きなんだね」

「ええ、好きよ。一緒に過ごすって来たらすぐ決めるのは当然よ」

「私やパスパレの皆がいても名前で呼ぶんだね」

「今更隠しても仕方ないわよ。変な気を遣わなくて済むから、むしろ楽よ」

 

 千秋のことを隠さなくなってから気が楽になった。余計な気を遣わずに済むし、気まずいということも無い。それどころか、雰囲気が明るくなっている。

 

 スタッフの人からも明るくなりましたねと言われたり、ドラマや映画で共演した人からも凛々しくなったや変わったねと言われることが多くなった。恋は人を変えるというのは本当なのね。

 

「そろそろ時間ね。じゃあ彩ちゃん、先に上がるわね」

「うん、お疲れ様。千聖ちゃん、バイバイ」

「バイバイ、また明日ね」

 

 私と彩ちゃんは手を振りながら別れた。外はまだ明るい、千秋に迎えを頼まなくても大丈夫ね。

 

 家に着いた後、私は夕飯とお風呂を済ませた。お母さんとお父さんには七夕の日に千秋が来ることは伝えたけど、あの反応は引いた。千秋君と結婚しないのとか、早く二人の子供が見たいなんて言われるし、妹からは告白しないと取られちゃうよまで言われた。

 

「あんなに言われるなんて……Это сложно.(複雑だわ)

 

 七夕のことはさっきメールで話し合ったからいいかしら。電話しようと思ったけど、今日はやめよう。

 

 明日も仕事何だから、早めに寝よう。仕事が終わったら千秋が来るんだ。それで短冊に願い事を書いて、お願いをして、それから……。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 七夕当日、俺は早めに千聖の家に向かうことにした。千聖の親御さんには言ってないが、その時は説明するか。

 

「アール、グレイ。留守番頼んだぞ、行ってきます」

 

 鍵を掛け、時間を確認する。9時か、まだ早いかもしれないが、仕事を終えた千聖を迎えたいんだ。俺は仕事は休みでも、千聖は仕事はある。働いた奴を労ってやりたい。俺はそれをしたいがために早めに出掛けることにした。

 

 車で行ってもいいが、今日は歩きで行こう。運動しておかないと体が鈍っちまう。鈍ったら千聖から弛んでると言われ、ストレッチ三昧の日々に変わる。それをされたら耐えられないな。

 

「着いたのはいいが……千聖いないよな?」

「千聖ならお仕事ですよ?」

「っ!?その声は……楓さんですね?」

「はい、千聖の母の楓ですよ」

 

 千聖の家に着くと、後ろから女性に声を掛けられた。千聖の母、白鷺楓さんだ。俺がここに来ることを知っているということは、伝えたということか。

 

 しかし楓さん、昔と変わらないな。千聖の家庭教師をしていた時と比べてると少し年を取ったか?

 

「千秋君、今酷い事を考えてなかったかしら?」

「い、いえ!何も考えてません!」

「そう?聞かないことにしておくけど、年を取ったな、なんて考えない方がいいわよ?」

 

 バレてるじゃねえかよ。心を読まれてるみたいで怖いな。歳のことは考えない方がいい、このままだと命が危ない。俺は楓さんの歳を考えないようにした。

 

「俺がここに来ることは千聖から聞いたんですか?」

「いいえ、千聖が笑顔で千秋君がこっちに来るって言ってたわ」

「そうでしたか。千聖が楽しそうにしているなら何よりです」

「さぁ、上がって!千聖はお昼には戻ってくるから、迎えてあげてね」

 

 俺は楓さんに言われ、千聖の家に上がった。久しぶりだ、千聖の家に来るのは2年ぶりか。あの時は千聖が中学3年だったか。俺があいつの家庭教師をしていた時期だ。まだ教師になる前だったか、懐かしいな。

 

 昔のことを懐かしんでいると、胸がズキズキしてきた。またか、思い出してはいけないのに、思い出してしまう。あの後悔を……あの地獄を……。

 

「ここであのことを思い出しても……どうしようもないのにな」

 

 

――やめよう、今日は大事な日だ。今日は千聖と七夕を迎えるって決めたんだ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 午前の仕事を終え、私は早足で自宅へ向かった。今日は千秋と七夕を過ごす、どんな1日になるのか、千秋はどんなお願いをするのか、考えているとスキップしてしまう。私らしくないわね。

 

「ただいま」

Bienvenue, Chisei(おかえり、千聖)

 

 

ーー私は動揺した。何でここに千秋が……何で……。

 

 

「何でフランス語?」

「すまない、千聖を驚かせようと思ったのだが……失敗か?」

「失敗以前に引いたわよ。普通におかえりって言えばいいでしょ?」

「では改めて、おかえり千聖」

「ただいま千秋」

 

 千秋からおかえりって言われるなんて、久しぶりだわ。でも、千秋がこんな早くに来てることは想定外ね。彼からどうして早く来たのかを聞くと、私におかえりと言って労いたかった、とのことだった。千秋らしいわね。

 

 時間はあっという間に過ぎた。時間は夕方になり、私と千秋は縁側で隣り合って話をした。妹が来年で受験生になることや舞台のオーディションを受けることも話した。

 

 千秋とこうして話をする時間が私は好きだ。彼と隣でいられるということが幸福だ。告白はしたいけれど、関係が壊れそうで怖い。断られたら彼の隣に立てなくなるんじゃないのかと思ってしまう。

 

「千秋、願い事は何にしたの?」

「願い事?それは教えられないな」

「教えられない?どうしてなの?」

「願い事は教えたら叶わないだろ。だから教えない」

 

 彼からも願い事は何だ、と聞かれた。私も教えないことにした。理由は彼と同じだ。教えたら駄目でしょ、と私は彼の言葉を借りて言い返した。

 

 私達は笑い合った。願い事を教えないっていうだけなのに、どこが可笑しかったのだろう。そんなことも分からずに笑い合った。彼には言わないけれど、私の願い事は決まっている。

 

 

――千秋に告白出来るように、好きと言えますように……。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千聖と別れ、俺は帰路に着いた。千聖は願い事を教えなかった。俺も同じく教えなかった。教えたら叶わなくなるということは昔ながらかもしれないが、俺は今でも信じている。

 

 千聖の隣にいると昔のことを思い出す。3年前のことを……。

 

「千聖……俺は……」

 

 口に出したい、この誰もいない場所で言いたい。言ってしまったらどうなるのだろう、言ってしまったら楽になるのだろうか。それは誰にも分からない。

 

 

ーーもし叶うのなら、"あいつ″にある言葉を伝えたい。

 

 

 

 

 




願いは言わなければ叶う


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白鷺の溜め息、様子のおかしい理系擬き

それは隠し事なのか


 七夕は終わり、夏は本格的になりつつある。今日も俺は煙草を吸う、外を眺めながら……何かを考えて……。

 

「千秋、外何か見てどうしたの?」

「千聖か……。色々と考えていただけだ」

「考え事?貴方が?」

「今日は大雨になるとか今日の煙草は不味いとか、色んなことを考えているんだ。あとは、今日は誰が相談に来るんだとかだな」

 

 そんな大したことじゃないがな、俺は煙草を携帯灰皿に押し付け、火を消しながら言った。花女は灰皿を置いてる所は無い。こうして携帯灰皿を持っておかないといけない。面倒だが、仕方ない。

 

 今日の天気予報では午後から大雨になると言ってたな。今の天気は曇り、梅雨が明けるのはまだ先か……。

 

「松原は一緒じゃないのか?」

「花音は部活の打ち合わせでいないわ」

「打ち合わせ?松原は部活に入ってたのか?」

「ええ、茶道部に入ってるわ。イヴちゃんと同じよ」

 

 若宮と同じか。確か、若宮は部活を3つ掛け持ちしてたっけな。剣道、茶道、華道、この3つだったか。最近の女子は部活を掛け持ちするんだな。

 

 そうなると、今は俺と千聖の二人きりか。二人きり、心の中で言っても意識しちまう。それも幼馴染で生徒の千聖が相手だと、余計意識する。

 

「ねえ千秋、私に何か隠してることはない?」

「隠してること?俺が何か隠してるように見えるか?」

「ちょっとだけそんな風に見えたのよ。特に無いのならいいわ」

 

 

ーーちょっとだけ見えた、か。

 

 

 ちょっとだけならまだいいか。怪しまれたらマズかったな。俺は安堵するかのように息を吐いた。何だろうな、今日は雨に打たれたいような気分だ。

 

 俺は千聖と話をすることにした。しかし、内容はほぼ同じだった。主に仕事でのことくらいだった。大半は千聖の愚痴を聞くだけになった。

 

「愚痴ばっかりになってごめんなさい」

「いや、いいんだ。溜めていては体に毒だ。言っただろう?愚痴はいくらでも聞くと」

「ありがとう千秋、私……千秋が幼馴染でよかったって思ってるわ」

 

 千聖が微笑みながら言った。よかった、千聖は大丈夫だ。ストレスを溜めて倒れたりしたら洒落にならない。

 

 そろそろ授業が始まる、俺と千聖はそれぞれの場所に戻った。話が出来ただけでもよかった。もし、ここに丸山や松原がいたら色々聞かれていた。それも千聖には言えないことばかりだ。とりあえず切り替えるか。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 次の日、私は薫と会う事にした。薫からは喫茶店で待ち合わせをしようと言われた。喫茶店なら落ち着いて話せるからちょうどいいわね。薫に会ったらお礼を言わないといけないわね。

 

「薫はどこにいるかしら……」

「千聖、私はここにいるよ」

 

 喫茶店に着いたと同時に薫に声を掛けられた。薫は席を確保してくれていたようだ、しかも優雅に紅茶を飲みながら待っているという。様になってるのが腹立つわね。

 

 私は薫の待つ席に向かった。あら?隣に誰か座っているわね。隣にいるのは見覚えのある人だった。私の友人、花音だった。花音が薫と一緒にいる、何かありそうね。

 

「あ、千聖ちゃん!おはよう!」

「お、おはよう花音……どうして貴女がここに……」

「千聖、まずは座ろう。花音のことは私が話すよ」

 

 私は店員を呼び、紅茶を注文した。薫と話をする前に花音がどうしてここにいるかを聞こう。薫の説明によると、花音も待ち合わせの喫茶店に行こうとしていたのだ。しかし、花音は道に迷ってしまった。迷っていた最中に薫とバッタリ会い、目的地が同じということで一緒に来た、それが花音がここにいる理由だった。

 

 花音がいても困ることは無い。今回薫に話すことは千秋の事だ。私は薫に千秋の事を話した。千秋は七夕の日から何か変わっていた。どこか上の空だった。白衣を着忘れることもあったりと、本当におかしい。

 

「なるほど、兄さんがおかしいと……」

「そうなの、薫は千秋がおかしいなって感じたことは無い?」

「兄さんと会ったのは5月だったから分からないな。それも買い物をしてた時だったからね」

「5月……それってだいぶ前じゃない!」

 

 役に立てずすまない、彼女は暗い顔をしながら謝った。薫が暗い顔をするなんて相当だ。普段は明るく優雅に振る舞うのに、こんな表情をするなんて……。そんな顔をされたら私まで申し訳ない気持ちになる。

 

「いいのよ薫、千秋の事を聞けただけでも私は嬉しいわ」

「そう言ってくれると助かるよ、ありがとう千聖」

「あの……薫さん、薫さんと二ノ宮先生って幼馴染なの……?」

 

 花音は私と千秋が幼馴染ということは知っている。でも、薫と千秋が幼馴染ということは知らない。ちょうどいいわ、花音には薫と千秋が幼馴染ということは話した方がよさそうね」

 

「そうだよ。私と兄さんは未来を約束した仲で……」

「薫、シメられたいのかしら?」

 

 その冗談は堪忍袋の緒が切れるからやめなさい、私は薫に怒りを抑えながら笑顔で言った。花音はふぇぇ、と言いながら怯えた。これはやり過ぎたわね。私は花音に怯えさせてごめんなさい、と謝った。

 

 私は花音に千秋と薫が幼馴染である事を話した。薫は千秋の事を兄さんと呼んでいる、前はお兄ちゃんって呼んでいたのに、いつから兄さんって呼ぶようになったのかしら……。まぁ、私も千秋のことは子供の頃はお兄ちゃんって呼んでいたけどね。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千聖から連絡があった。今日、薫と松原と喫茶店で話をした、という連絡だった。連絡というより話を聞いてほしいような物か。しかも紅茶とケーキの写真まで送ってくるとは……。

 

「この時間に送るのは卑怯だろ。夜の10時、飯テロじゃねえか」

 

 飯テロと言っても、飯は作らねえ。この時間に料理をするのは面倒だし、洗い物増えるしで嫌になる。俺はさっきまで事務作業をしていた。今はベランダで煙草を吸いながらスマホを見ている、所謂休憩だ。

 

 紅茶淹れの練習は順調だ。このまま上手くいけば、千聖や松原からお墨付きを貰える。千聖からも前より良くなってると言われた。あの言葉は俺の心に今でも残っている。

 

「あんなに言われると嬉しいものだな。まるで昔を……」

 

 昔を思い出す、そう言いたかったが、口に出せなかった。昔が恋しいが、前には戻れない。もし、昔の頃に戻れたらどれくらい幸せか。あの頃の青春、大学に通っていた頃の青春……。

 

 いや、何を考えているんだ俺は……。もう戻れないんだ、あんな辛い想いはもう御免だ。隠し続けると決めたんだ。

 

 彼女に隠し事をしているのは本当だ。この前は怪しまれていた、隠し通せるのは時間の問題かもしれない。

 

 

 

 

ーーそう、俺は彼女に想いを寄せていた。それはもう過去の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー俺は″あいつ″のことが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー千聖のことが……()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 




その想いは過去のもの


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崩れる白鷺、約束は忘れられない

白き鷺、堕ちる


 1学期があと少しで終わる。少しと言っても1週間だけだ。梅雨は明けても、暑いということは変わらない。こうして教壇に立っているが、辛いな。

 

 今日は30度だったか。ここまで暑くなると、さすがの俺でも白衣は脱ぐ。白衣の中に半袖という手もあるが、それはダサいからやらないようにしている。そんな愚痴のような事を思っていると、チャイムが鳴った。時間か……。

 

「午前の授業はここまで。俺の授業で寝てた奴がいたが、あまり寝ないように。眠い気持ちは分かるが、授業は貴重な時間なんだ。眠い奴や寝てた奴は気を付けるように」

 

 寝てた奴は2,3人だけだった。眠そうにしてた奴は少しだけだったか。俺だって眠いんだ、頑張って現代文を教えているのに、眠られては困る。

 

 だが、この眠そうにしていた奴の中には千聖が含まれていた。そう、あの千聖だ。最近、仕事が忙しくなったとは聞いているが、大丈夫だろうか。いや、忙しいのは元からか。

 

「白鷺、大丈夫か?」

「先生……私は大丈夫ですよ?あと、ごめんなさい。寝そうになってしまって……」

「それは気を付ければいい。本当に大丈夫か?体調悪そうだが……」

 

 千聖の様子がおかしい。顔は赤いし、声も掠れてる。俺は心配になり、千聖の額を触って熱を測ることにした。熱い、もしや熱があるのか?

 

「白鷺、今から保健室に連れていく。立てるか?」

「はい、立てます」

 

 俺は千聖に肩を貸し、保健室に連れて行った。少しだけ女子から黄色い声が聞こえたが、今緊急事態だからな?あと男子、恨めしそうに俺を睨むな。これは幼馴染の特権なんだ、許せ男子共よ。

 

 

ーー千聖、無事でいてくれよ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 私は千秋に保健室に連れられ、そのままベッドに寝かされた。保険の先生は席を外していた。千秋曰く、別件でいないとのことだった。

 

「誰もいないか……。千聖、何故言わなかった?」

「何の……ことかしら……?」

「体調が悪いことだ。無理をしないで休めばよかったんじゃないのか?」

 

 千秋が心配そうに私を見つめた。千秋、私は貴方と学校にいる時間を……授業を受けている時の時間を共有したいの。教室には生徒達がいる、でも、そんなの私には関係ない。教室であっても、私は千秋と一緒にいたいの。

 

「そうね、休めばよかったわね」

「本当にその通りだ。あとで様子見るから、今は休めよ。お大事に」

「ありがとう千秋、午後の授業、頑張ってね」

「……あ、ああ。頑張るから、千聖も体調直せよ。このことは保険の先生にも言っておくからな」

 

 千秋はそう言いながら保健室を出た。千秋の顔、少し赤くなってたわね。風邪が移ったわけでもない、何かあったのかしら……。

 

 あの時の千秋は必死になっていた。他の人には見せない表情だった。さっきのことを思い出していると、あの時のことを思い出す。私が風邪を引いたとき、千秋は付きっきりで看病をしてくれた。

 

「また、付きっきりで看病してくれるかな……」

 

 昔を思い出したせいか、私は口調が崩れたたことに気付いた。

 

 風邪を引いたのに、千秋が看病に来てくれるんじゃないのかと期待してしまう。本当は心配を掛けてしまったことを謝らないといけないのに……。

 

 申し訳ない気持ちと期待している気持ち、そんな想いが私の心をグチャグチャにする。今はやめよう。今は寝て、少しでも体調を万全にしないといけない。じゃないと、千秋だけじゃなく、彩ちゃんにも迷惑を掛けてしまうわ。

 

 次の日、私は学校を休むことにした。パスパレの皆からは大丈夫なのだったり、心配したんだよと色んな事を言われた。特に彩ちゃんは凄く泣いていた。彩ちゃん達には迷惑を掛けちゃったわね。

 

「家には私一人か……寂しいわね……」

 

 本当に寂しい。誰か来てくれないか、誰か側にいてほしい、そんな想いが私が孤独だということを強調させてくる。花音でも薫でもいい、千秋でもいい。

 

「誰か……誰か……側にいてよ」

 

 

ーー私はこんなに弱い人間だったのか。

 

 

ーー私はこんなに泣き虫だったのか。

 

 

 これは演技ではない、これは私の本当の気持ちだ。本当に誰でもいいの、好きな人でも……大切な友人でもいいの……。

 

 絶望に打ちひしがれていた時、一筋の希望が降りた。これは……チャイムの音?誰か来たのかしら?私は涙を拭き、部屋を出た。誰なのだろう、誰が来たのだろう、私は疑問を抱きながらスピーカーに近づき、声を出した。

 

「はい……」

「俺だ、千秋だ。ドアを開けてくれないか?」

「え!?わ、分かったわ!今ドアを開けるから待っててくれるかしら?」

 

 私は駆け付けた。来てくれた!それも私が想いを寄せている人だ!私は泣きそうになった。でも、ここで泣いてはいけないわ。ここで泣いたら彼に何を言われるか分からないわ。

 

 涙を堪えながら私は入口のドアを開けた。ドアを開けると、彼が立っていた。千秋だ、黒のTシャツにジーパンというシンプルな私服を着ている。私は彼に近づき、手を握った。

 

「千聖、どうした?」

「千秋……なのよね?本物……なのよね?」

「何を言っているんだお前は……。俺は正真正銘、幼馴染の千秋だ」

 

 

ーーああ、この声だ。何年も聞いたこの声、やっぱり千秋だ。

 

 

 私は我慢が出来なかった。もう、涙を堪えるのが限界だった。私は彼に抱き着いた。この体温を感じていたい。ありがとう千秋……。

 

「ちょ、千聖!?ここで抱き着くな!」

「ご、ごめんなさい!私ったら……とりあえず入って」

 

 私は彼に家に上がるように促した。こんなところを見られたらおしまいだわ。とりあえず、冷静になりましょう。私は深呼吸をし、落ち着くことにした。千秋が来てくれたことで舞い上がってしまったわ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 どうして看病に来たのか、千聖は顔を近づけながら俺に言った。俺は未だに動揺していた。彼女に……好きだった奴に抱き着かれたということに動揺していた。心臓が落ち着かん、これじゃあ答え辛いな。

 

「仕事は休みだ」

「へ?や、休み?」

「ああそうだ、休みだ。そんなに焦ることないだろ」

「だ、だって……貴方が看病に来るなんて思ってなくて……」

 

 思ってなくてって……こいつは……。俺は千聖の頭を撫でた。俺は千聖と昔の約束をした。千聖が小学生だった頃だったか。

 

「ちょっといきなり撫でないでよ!」

「千聖、前に約束したよな?千聖が風邪を引いたりとかしたら付きっきりで看病をする、そう約束しただろ?」

「あ、あれは……その……勢いというか……。千秋、約束覚えててくれてたのね」

「当たり前だろ。千聖と交わした約束だ、忘れる訳ないだろ」 

 

 千聖の頭を撫でながら言うと、彼女はまた泣き始めた。やっぱりこいつは放っておけないな。千聖は昔からこうだった。俺や薫の前だと甘えてることが多く、特に俺の前だと妹みたいになる。本当にこいつは変わってないな。

 

「そういえば千聖、楓さんはいるのか?」

「お母さんとお父さんは仕事で、祐里香は部活の合宿でいないわ」

「マジか?ということは……」

「ええ、私と千秋……二人きりよ」

 

 

ーー看病、上手くいくか心配になってきたな

 

 

 

 

 

 

 




祐里香とは千聖の妹です
看病回は次になります


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側にいてくれればいい、幼馴染のために行う看病

看病回後半戦


 楓さんや祐里香ちゃんもいない、千聖から宣告された地獄。そして二人きりという天国、何なんだこの混沌とした看病は……。

 

「相手は千聖、大丈夫だと思うが……身が持たねえ」

 

 俺は卵のお粥を作りながら独り言を言った。外にはレオンがいる。レオンは今は寝ているようだ、ここにアールとグレイを連れてレオンの頭に乗せればアレが出来る。そう、某ハムスターのアレだ。

 

 しかし、ハムスターは外に連れてはいけないのだ。ストレスを与えてしまったり、猫や犬、カラスに襲われる危険性がある。家にいる方が安心する、ということが理由だ。それを言われたら何も言えん。

 

「千聖の所で飼ったら出来たのかも……やめにするか。今は千聖の看病が優先だ」

 

 卵を溶き入れてかき回し、お粥に掛ける。お粥は簡単に作れるから、風邪を引いたときには最適な料理だ。お盆に卵のお粥を入れた器を載せ、千聖の部屋に向かうことにした。

 

「千聖、入るぞ」

「千秋……」

「熱は何度だった?」

「熱は……37.6℃だったわ。あと、少し暑い……」

 

 千聖の表情は辛そうだった。千聖のこの顔を見ると、こっちまで辛くなる。俺は千聖を助けるために付きっきりで看病するって決めたんだ。だから……俺が何とかしないといけない。

 

 俺はお盆を机に置き、千聖の隣に椅子を置いて座ることにした。今は側にいてあげよう。例え、過去に想いを寄せていた相手だったとしても、千聖は幼馴染だ。

 

「少し窓開けようか?」

「ええ、開けてくれると助かるわ……」

「卵のお粥作ったが、食べれるか?」

「食べれるわ、もしかして……食べさせてくれるの?」

 

 

ーーはい?今こいつは何と言ったんだ?

 

 

「すまない、もう一度言ってくれるか?」

「食べさせてくれるのって……言ったのよ……!恥ずかしいから言わせないで!」

「……マジかよ」

 

 

ーー待て正気か!?俺にアレをやれというのか!?

 

 

 俺は千聖から死刑宣告をされた。看病や手が使えない時にやるアレ、所謂あーんだ。俺にそれをやれと言うのか!?そもそも、それをやるのは久しぶりだ。千聖が中学1年の時以来だ。

 

 もしここで断ったら千聖は悲しむだろう。ここまで来たらやるしかない。俺は千聖を悲しませないようにしようと覚悟を決めた。恥ずかしくて出来ないと思うのではなく、千聖を泣かせないと思えば出来る筈だ。

 

 

ーー多分……。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千秋の手が震えてる。ちょっと言い過ぎたかしら……。彼は無理をしてまでやってくれたんだ。ちゃんとお礼を言わないといけないわね。

 

Твои руки дрожат, не так ли?(手が震えてるわよ?)

「何て言った?ロシア語はさっぱりだぞ」

「手が震えてるわよって言ったのよ」

「久しぶりにやるんだ、しょうがないだろ」

 

 千秋、不器用過ぎるわよ。私は心の中で彼に言った。付きっきりで看病するとは言ったけど、大丈夫かしら……。

 

 お粥を掬ったスプーンが私の口に近づいた。千秋は私にいつか卵料理を作ると言った。まさかこんな形で頂くなんて思わなかったわね。千秋の顔が強張ってる、あまりからかわない方がいいわね。

 

「千聖、口……開けてくれるか?」

「分かったわ、あの一言も付けてね」

「分かったから、期待するような目で見ないでくれ。あ、あーん……」

「あーん……」

 

 私は口を開け、お粥を口に入れた。懐かしい味だ。千秋が作ってくれる卵のお粥は安心する。お粥は味はしないけど、卵が入っているおかげか、美味しく感じる。

 

「どうだ、美味しいか?」

「……ええ。とても美味しいわ」

「そうか、まだ食べれそうか?」

「ええ、最後まで食べさせてくれるかしら?」

 

 もちろんだ、彼は微笑みながら言った。今は千秋に甘えよう。千秋なら何を言っても許してくれる筈だ。度が過ぎない程度に甘えよう。

 

 食べさせてくれてから20分くらい経った。食器を下げてくると言い、千秋は部屋を出た。そういえば、千秋は何時までいてくれるのかしら。それは千秋が戻ってから聞こう。とりあえず、戻ってくるまで寝てよう。

 

「千聖、入っていいか?」

「どうぞ」

「入るぞ。千聖、他に何かしてほしいことは無いか?」

「してほしいこと?」

「そうだ、何でもいい。今日は夕方までいるから、千聖が何かしてほしいことがあったら俺はそれに応じるから」

 

 無理な注文はするなよ、彼は付け加えるように言った。分かっている、そんなことは言われなくても分かっている。本当はキスとか、好きだとか言いたいけど、こんな雰囲気で言ったら台無しだ。もし言っても、千秋がどういう反応をするか分からない。

 

 それはやめた方がいいわね。フラれたりでもしたら私の身が持たない。だから、今日は千秋が許してくれる範囲で言おう。私は千秋に最初の注文をした。

 

「じゃあ、隣に来てお話を聞いてくれる?」

「それでいいのか?他にもあるだろ?汗を……拭いてくれとかさ……」

「そこまでは頼まないわよ。汗を拭くなんて、千秋に出来るの?」

「それは……」

「私が中学生の時、汗拭いてくれてたけど、顔を赤くしながらやってたでしょ?そんな人が出来ると思う?」

Je ne peux pas.(無理だ)

 

 千秋が肩を沈ませながらフランス語で言った。この様子だと、無理みたいね。あーんは頑張ってたけど、汗を拭いてくれるっていう辺りは駄目なのね。

 

 私は千秋に話をした。映画でロシア語の吹き替えをやったこと、前に話した舞台のオーディションに受かったこと等を話した。千秋は笑いながら話を聞いてくれた。やっぱり、好きな人が側にいてくれるのは嬉しいわね。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千聖の体調は回復した。熱は下がったらしく、後は寝れば大丈夫とのことだった。よかった、千聖が無事でよかった。

 

「今日はありがとうね」

「俺は大したことはしてない。千聖、外に出て大丈夫なのか?」

「見送るくらいはさせて、そうしないと私の気が済まないの」

「そっか、明日は学校来れそうか?」

 

 行けるわ、千聖は笑顔で言った。それなら問題ないか。俺は千聖が学校に行ける事を聞いてホッとした。さて、もう帰るか。長居していると、噂になりかねん。それだけは避けないといけない。

 

 俺は千聖にまた明日なと言って門を出た。しかし、門を出る直前に千聖に止められた。更に、こっちを向いてとまで言われた。今度は何だ……。

 

「千秋、目を瞑って」

「瞑る?何をするつもりだ?」

「いいから!」

「あ、ああ……」

 

 彼女の言われるまま、俺は目を瞑った。何をする気だ、俺はこいつに疚しいことをしたのか?もしかして叩かれるのか?嫌な予感がするな……。

 

 

ーーこれは、お礼よ。

 

 

 頬に何かが迫った。これは……何だ?柔らかい感触がしたが、気のせいか?俺は目を開けることにした。目を開けると、千聖が顔を赤くしていた。

 

「千聖、お前何を……」

「お、お礼をしたかったの!」

「は?」

「えっと……その……千秋のほっぺにアレをしたの!」

「おい待て、何をした!?」

「じゃあまた明日!さよなら!」

 

 千聖は顔を赤くしながら走っていった。さっきのリップ音、柔らかい感触、あとお礼……アレ……まさかあいつ!?

 

「卑怯すぎるだろ千聖。そんなことをされたら、また……」

 

 好きになっちまうじゃねえか、俺は口に出しそうになった。いや、やめよう。俺の青春は過ぎ去ったんだ。いくら千聖が優しくても、また好きになるのはマズいだろ。

 

 俺は千聖のことが好きだった。だが、それは過去形だ。俺とあいつが付き合うことは、世間は許さないだろう。俺は教師で千聖はアイドル、そんな禁断の恋は夢のまた夢だ。

 

「もし俺の恋が叶うのなら……」

 

 チャンスはあるのか?いや、無いだろうな。そもそも、千聖が俺のことをどう思っているか分からないんだ。僅かな希望に縋るよりも、あいつの幸せを願った方が断然マシだ。

 

 だからやめるんだ。俺じゃあ千聖とは釣り合わない。今回の看病は幼馴染としてやったんだ。幼馴染が困っていたからやったんだ。そう自分に言い聞かせながら、俺は帰路に着いた。

 

 

 

 




希望に縋るよりも幸せを願うほうがマシだ


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擬きの耐え始め、夏の始まりは憂鬱と共に

耐え始めは寂しさと共にあり


 8月1日、学生達は夏休みに入った。しかし、部活に入っている者や教師に夏休みは無い。理不尽だが、当たり前なのが腹立つ。そう考えると、毎日が憂鬱になる。口に出せば、スッキリするだろうが、他の奴に聞かれると、面倒になる。

 

 特にこの夏休みは部活をやっている学生にとっては大事な時期でもある。運動部にとっては大会、文化部にとってはコンクールがある。野球部は凄く重要だ。甲子園がある、彼らにとっては人生を左右する大会だ。

 

 文化部なら吹奏楽部、この夏では地区大会と県大会がある。これらを通過すると、秋に東関東、西関東大会があり、通過することで全国大会に出場出来る。部活をやっている学生よ、健闘を祈っているぞ。

 

「……こんなことを心の中で言ってもしょうがないか」

「千秋、何を言っているの?頭大丈夫?」

「辛辣だな。というか千聖、何故ここにいる?仕事があるんじゃないのか?」

「貴方に会いに行こうと思ったのよ」

「そうか、言っておくが行きは送らないぞ?」

Я знаю.(分かってるわよ)

 

 千聖はロシア語で物憂げに言った。こんな明るい中で千聖を事務所まで送ったら噂になる。スキャンダルが起こり、噂になり、二人共表に出れなくなる。そうならないように、俺は彼女に警告した。

 

 千聖の表情が少し暗くなっているのを俺は見逃さなかった。申し訳ない事をしたが、これは俺と千聖のためだ。

 

 

ーー千聖、ごめんな……。

 

 

「そういえば、彩ちゃんは補習は無いの?」

「丸山はギリギリだったから大丈夫だ。あいつ、危なかったよ、何て泣きそうになってたぞ」

「彩ちゃん……後でお説教が必要ね」

「程々にしとけよ」

 

 その後、千聖は事務所に向かった。さて、休憩はおしまいだ。これから補習になった奴らの面倒を見ないといけない。現代文で補習になるなんて、どうすればそうなるのか……。

 

 補習が終われば、昼休憩だ。白衣はクリーニングに出してあるため、今は半袖、白衣が無いと落ち着かないが、しょうがないか。早く煙草が吸いたい。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 夏休みであっても、私は仕事がある。私は女優でアイドルだ。休みの日は花音や千秋と出掛けたい。休みが取れるか心配だわ。

 

 午前の仕事はロシア語の語学番組、午後はバラエティー番組の出演となっている。ロシア語の語学番組が始まったのは先月からだ。マネージャーさんからロシア語を喋れる人を探しているという話を聞き、私はその仕事を引き受けることにした。

 

 出演したところ、SNSではロシア語の千聖と言われた。私の予想していた通りだった。中にはクマに乗ってそうだったり、柔道やってそうだったり、パスパレの皇帝とまで言われた。理不尽だわ。

 

「やっぱり、ロシア語を学んだのが原因かしら……」

「千聖さん、どうしました?」

「ああ麻弥ちゃん、何でもないわ。世間は理不尽だなって思っただけよ」

「な、なるほど……」

 

 ちょっと圧を掛けちゃったかしら。偶に目付きが悪くなる時があるから、気を付けないといけないわね。仕事が終わったら、千秋に家まで送ってもらいましょう。今は仕事に集中して、帰りは千秋と話をしよう。それで、夏休みはどうするか話し合おう。

 

「そういえば麻弥ちゃん、遠征はいつだったかしら」

「遠征ですか?えっと……来週ですね」

「来週か……。ありがとう麻弥ちゃん」

「え、ええ……どういたしまして」

 

 遠征といってもイベントの場所が遠いだけだ。そうなると、千秋には言っておかないといけない。あと、花音や薫にも言わないといけないわ。千秋が寂しがらないか、心配だわ。

 

「あー疲れたー」

「日菜ちゃん、女の子が出していい声じゃないよ」

「皆さん、お昼にしまショ!」

 

 ドアが開く音がした。日菜ちゃんの声は確かに女の子が出していい声じゃなかった。濁点が付くような、そんな声だった。もうお昼なのね、とりあえず休憩にしよう。

 

「千聖ちゃん、何か考え事?」

「何でもないわよ。彩ちゃん、本当に何でもないからね?」

「う、うん!」

「千聖ちゃん、もしかしてアレかな?例の先生かな?」

「これは……ラヴな匂いがします!」

Тыговоришь,чтоничегонет!(何もないって言ってるでしょ!)

 

 千秋のことになると、恋愛話になってしまう。私の中では定番になっているし、もう諦めている。でも、こうしてアドバイスも出してくれてる。私としてはありがたいけど、程々にしてほしいわ。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 千聖を待つこと1時間、彼女はちょっと遅くなると言った。電話越しだったが、他の奴の声が聞こえたな。丸山や若宮の他にもメンバーがいると聞いているが……。確か、大和と氷川だったか。氷川には双子の妹がいると千聖から聞いた事があるが、他の声とはその二人なのか?

 

「遅くなってごめんなさい千秋」

Retourne, Chisei.(おかえり、千聖)

「ただいま、千秋」

「よく分かったな」

「前に教えてくれたでしょ?覚えてないの?」

「すまん、覚えてないな」

 

 酷いわね、千聖はそう言った後、溜め息を吐いた。何か申し訳ないことを言ったな。覚えてないのは事実だ。フランス語でおかえりと言うのはごく稀だ。だが、ただいまと返してくれたのは嬉しいな。

 

「何二ヤケてるのよ、気持ち悪い」

「二ヤケてねえよ」

「本当に?」

「本当だ。嘘はついてない」

「まぁいいわ。そうだ、話があるのだけどいいかしら?」

 

 話だと?何なんだ一体?何かあったのだろうか、心配だな。事件とかスキャンダルじゃなきゃいいんだが……。

 

 俺は千聖に先に車を出すと言った。まずはここを出よう。ここで止まっていると、誰かに見られちまう。それで噂になったら、二人共おしまいだ。

 

「それで、話ってなんだ?」

「来週なんだけどね、パスパレのイベントで遠征に行くの。それで、一週間いなくなるの」

「一週間か、随分長いな」

「ええ、このことは花音と薫にも言っておくわ」

「分かった。土産話、期待してるぞ?」

 

 千聖が遠征か……。寂しくなるが、家にはアールとグレイがいるから大丈夫か。二匹で寂しさを埋めればいいが、正直心配だ。俺にはハムスターと煙草と紅茶がある。だから……だから……平気だ。

 

 

ーー大丈夫だ……多分……。

 

 

「千秋、顔色悪いけど大丈夫?」

「だ、大丈夫だ!何も悪い所はないぞ!」

「本当に?ここで事故を起こすのは御免よ」

 

 ここで事故とか洒落になんねえことを言うなよ、俺は心の中でツッコんだ。しかし、ここまで寂しいと感じるとヤバいな。いくら千聖のことを好きだったが過去形だとしても、これは重症だ。完全に未練がある。

 

 やはり、俺は千聖を諦め切れないな。釣り合わないと思っていても、無理だと思っていても、無理なのか。チャンスがあれば告白をしたいが、千聖が俺の事をどう思っているか分からないんだ。だから、俺は祈ろう。

 

 遠征で男に誑かされないように祈ろう。もしスタッフとかだったらぶん殴ってやろう。いや、殴ったら教師人生終わり、千聖に見限られる、これはおしまいだからやめるか。やっぱり祈るしかないか……。

 

「さあ着いたぞ」

「いつもありがとね千秋、じゃあ遠征が終わってからね」

「ああ、頑張れよ。何か困ったことがあったら言えよ?」

「千秋こそ、やらかさないようにね」

「そんなことしねえよ。じゃあおやすみ」

「ええ、おやすみ」

 

 千聖を家に送り終え、俺は再び車を走らせた。さて、一週間か。俺の身が持つか心配だが、何とか耐えよう。帰ったらアールとグレイと話をしようか。てか二匹共言葉返せねえから独り言になるよな?はぁ、不安しかねえ。

 

 

ーーマジで憂鬱だな。

 

 

 




擬きは耐えられるのか、鷺は頑張れるのか


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白い鷺と白衣教師の幕間
女優よ、祝福の日に演じる必要はないんだ


千聖誕生日回です


 俺は黒い手袋を眺め、あることを考えていた。この手袋は千聖が俺に誕生日プレゼントとしてくれた大事な物だ。今度は俺があいつを祝ってやらないといけない。だが、プレゼントは何にするか、という壁が立ちはだかっていた。

 

 丸山から聞いた話だと、パスパレは紅茶セットにしているという。そのために、紅茶を淹れる練習までしている。薫と松原もプレゼントを決めに買い物に向かっている。

 

 かくいう俺は何も決めていない。迷ってばかりだった。あいつは今は仕事でいない。誕生日まであと2日しかない。時間がない、早く決めなくては!

 

「千聖、楽しみにしていろよ。飛びっきりのプレゼントを贈ってやるからな」

 

 眼鏡を掛け、手袋を填め、黒いコートを着て俺はプレゼントを探すための買い物へと向かった。誰かに相談するのは無しだ。自分で決めないと意味がないんだ。

 

「とは言ったものの……なかなか決まらないな」

 

 デパートに着き、プレゼント決めの買い物をすること1時間、あんなことを言っておきながら全く決まらなかった。落ち込んでいると、薫と松原の姿が目に入った。

 

「やぁ千秋、何を落ち込んでいるんだい?」

「こんにちは千秋先生」

「松原に薫、こんなところで会うとは……お前達もあれか?千聖のプレゼントを買いに……」

 

 そうさ、と薫は頷いた。松原は何か言いたそうにしながら俺の顔を見つめた。何だ?俺を嘲笑うつもりか?いや、松原に限ってそれはあり得ないか。

 

「千秋先生、千聖ちゃんのプレゼント決まらないんですよね?」

「よくわかったな。そうだ、1時間掛けて探したが、全然決まらないというのが今の状況だ」

「……千秋、そんなに深く考えなくてもいいと私は思うんだ」

「俺は深く考えているつもりはない。薫、お前は何が言いたいんだ?」

「私はねこう思うんだ。千聖が単純に欲しい物、要は好きな物とかだね」

 

 好きな物か、千聖は紅茶が好きだったな。だが、そうなるとパスパレと被ってしまう。聞いたところ、松原は紅茶のマグカップ、薫は紅茶のティーバッグにしたそうだ。二つとも滅多に手に入らないものらしく、探すのに苦労したそうだ。

 

 俺は二人と別れ、プレゼント探しを再開した。単純に欲しい物、好きな物……。薫に言われたことを思い出しながら探す。なるべく被らないようにしたいな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 パスパレの仕事の休憩の時間、私は彩ちゃんを眺めながら何か怪しいと感じた。話をしてもなかなか教えてくれない。ここまで彩ちゃんが焦るのは珍しいわね。いや、それはいつものことか。

 

「ねえ麻弥ちゃん、何か私に隠してることはない?」

「え!?あ、ありませんよ!隠してることなんて特にありませんよ!フ、フヘヘ……」

「その笑い方をしてるということは何かあるわね。まぁいいわ、いつか教えてね」

 

 私は麻弥ちゃんにウィンクしながら言った。さて、仕事に集中しようかしら。練習もあるんだ。ここで休憩を取っておかないと後で支障を来すし、スタッフの方にも迷惑を掛けてしまう。それは気を付けないとね。

 

「ち、千聖ちゃん!」

「何、彩ちゃん?」

「明後日って何の日かわかる?」

「明後日?何だったかしら……」

 

 明後日、確か私の誕生日だったかしら。誕生日となると、色々あるわね。その日は仕事があるけど、午前中で終わる。誕生日は番組でも祝ってもらったけど、仕事ではいつものことだから動揺はしない。

 

「わかっているわ彩ちゃん。その日は午後空いてるから」

「よかった!千聖ちゃん、楽しみにしててね!」

「ええ、楽しみにしてるわ」

 

 休憩時間が終わり、私達は収録の続きに入った。千秋、誕生日プレゼント楽しみにしてるからね。私は貴方に手袋を渡した。貴方はどんなプレゼントを私にくれるの?

 

 

――Я действительно хочу любви.(本当は愛が欲しいんだけどね)

 

 

▼▼▼▼

 

 

 4月6日、時間はあっという間に千聖の誕生日を迎えた。プレゼントは無事決まった。千聖は仕事は午前中に終わると言っていた。それから午後はパスパレや松原、薫とも過ごすという予定だった。

 

「千秋、貴方と過ごす時間は後になってしまうけれど、本当にいいの?」

「何度も言うが、全然構わん。祝って貰える友人がいるんだろ?友人が優先だ。大人である俺は最後でいいんだ」

「でも……!」

「でももそれはも無いんだ。俺のことはいいから、丸山達や松原や薫との時間を大切にしろ。お前のことを大事にしてくれる人がいるんだ。待たせては駄目だろ?」

「わかったわ。それじゃあ貴方は最後にするわね。じゃあまた後でね千秋」

On se voit plus tard.(ああ、また後で)

 

 そう言い、千聖はスマホを切った。俺は溜め息を吐いた。本当は1日過ごしたかった。だが、あいつには友人がいる。それならそいつらを優先させよう。せっかく出来た友人との時間が大事なんだ。

 

 大人が駄々を捏ねては駄目なんだ。それも相手は女子高生だ。いくら幼馴染みであってもそれをやってはならない。やってしまっては教師としての威厳も失ってしまう。

 

 俺は煙草を吸い、千聖と1日過ごしたかったという本心を煙を吐くと共に消し去ることにした。いいんだ、これでいいんだ。あとは千聖を待つだけなんだ。待つのはいいが、ケーキの予約もある。ケーキを取りに行き、特別な紅茶も用意しないといけないな。

 

 

▼▼▼▼

 

 

 パスパレの皆や薫、花音から祝ってもらい、誕生日プレゼントも貰った。まさか紅茶セットが来るなんて予想してなかったわね。しかも練習までしてたなんて、彩ちゃん、凄く頑張ったのね。

 

 今度花音と薫と千秋でお茶会をしようかしら。彩ちゃん達も招こう。それで、お菓子も用意して、皆で話をする。いつかやりたいわね。

 

「あとは千秋だけ。緊張するわね、幼馴染みに祝ってもらうだけなのに、何でかしら」

 

 仕事の時のお祝いと友人や幼馴染みからのお祝いは感じることが違う。千秋からは何度も祝ってもらったけど、千秋の場合は凄く嬉しい。それは好きな人だからこそ嬉しいんだ。

 

 歩くこと数分、千秋の自宅に到着した。入り口前のベルを押し、千秋が来るのを待つ。ドアが開き、私の想い人にして教師である幼馴染みが私を迎えに来た。

 

「お待たせ千秋」

「そんなに待ってはいないさ。さぁ、中に入れ」

 

 靴を脱ぎ、千秋の部屋へと向かった。テーブルには紅茶のマグカップが置いてあり、更にケーキまで用意されていた。ケーキはチーズケーキなのね。

 

「紅茶を淹れるから待っててくれ。あと、渡す物もあるから」

「ええ待ってるわ」

 

 千秋は紅茶のティーバッグをマグカップに淹れた。いい匂いだ。チーズケーキに紅茶だなんて、千秋はセンスあるわね。そう思っていると、千秋が白衣を着ようとしていた。しかも眼鏡まで掛けてだ。ここまでやらなくてもいいのに……。

 

Joyeux anniversaire, Chisei.(千聖、誕生日おめでとう)

「ありがとう千秋。母国語出てるわよ?」

「母国語じゃない、フランス語だ。こういうのは慣れないんだ、しょうがないだろ?」

 

 私は口元を抑えながら微笑んだ。千秋からは笑うなと言われたが、どうしても笑ってしまう。ここまで装う千秋が愛しいと感じるのだ。笑うななんて言われても出来ないわよ。

 

 千秋から貰ったプレゼントはリボンだった。それも黄色のリボンだ。私がいつも髪を結う時に使っている白いリボンとは別で、このリボン普通のリボンだ。それでも私は嬉しい、千秋が選んでくれたプレゼントなんだから。

 

「千聖!?抱き着くな、離れろ!」

「嫌よ、少しだけこうさせてもらえるかしら?」

 

 わかった、と千秋は了承した。今の私は少しだけ泣きそうになったのだ。嬉しさのあまり泣きそうに……。だから、私は照れ隠し故に抱き着いたのだ。そして私は彼に聞こえないように感謝の言葉を贈った。

 

 

――Спасибо, Чиаки, я люблю тебя.(ありがとう千秋、愛してるわ)




誕生日回をロシア語で締めるのはこの作品だけかもしれない


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