おーかみさまとのごはん (きまぐれワン公)
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冬木の守護神
―――冬木市。
新しい町並みと、古い町並みが共存するその市は県内でも広い面積を誇る。
駅を中心に栄える東部『新都』と、昔ながらの屋敷が残る西部『深山町』は、中央を流れる『未遠川』によってわけられており、川の上を通る『冬木大橋』によって行き来することが出来る。南部は森や山に囲まれており、遥か古から根付くとされる自然がそのままの姿を保っていた。
深山町側の山の近くに、大きな神社があった。
祭神は三貴子の1柱“天照大神”であり、冬木市周辺一帯の中で最も大きい神社である。
分社でありながらも、年に多くの観光客が足を運び、テレビや雑誌でも取り上げられるほどのパワースポットとしても人気を集めていた。
それにはいくつか理由があるが、とりわけ若い世代にも人気な理由は“かわいい”からであろう。神社の主殿の奥に鎮座するご神体は“白い狼の像”であり、鳥居の周りに置かれているのは狛犬ではなく、干支を司る12の動物と猫の石像であったが、どれも可愛らしくつくられている。
―――ぱん、ぱん、
朝靄の煙る澄んだ空気を、2つの
二拝二拍手一拝。礼より深く、90度近くまで2つの頭が下げられた。
「なあ、おじさん。ここの神様ってなんで犬なんだ?」
「ははっ。確かに犬のようにも見えるが犬じゃあないよ、士郎。
この冬木はね、遥か昔、冬木市は“神木村”という小さな村だったらしい。
この境内のように、うつくしい桜が咲く村だったようだ」
オレンジ色の髪をした少年は、隣の男を見上げる。
おじさんと呼ばれた黒髪の男は、軽く笑うと静かな声で語り始めた。
「かつてこの地は“ヤマタノオロチ”という怪物がいてね。
村を荒らし、見境なく人間たちを殺して回ったりと、それはもう凶暴な怪物であったらしい。
人々は年一回若い娘を生贄とすることで、何とか怪物から村を守っていた」
「なんで、村を守ることが生贄を差し出すことに繋がんだよ」
「最小限の犠牲で済むからさ。
力を持たぬ者は、そうして強き者から身を守るしか術がない」
「そんなの……!」
「まあまあ、この話はまだ終わりではないよ。
村の剣士の中でイザナギという男がいた。
この男はイザナミという女性に思いを寄せていたのだが、ついにその女性が生贄に選ばれてしまう。イザナギはこれに大層怒った。そして、オロチを退治するために根城へと向かうんだ」
「そ、それで? やっつけたのか?」
「いいや。イザナギの剣は、鋼の皮膚を持つオロチに傷1つ付けることができなかった」
春の匂いを含んだ風が、ふわりと2人の髪を揺らす。
ひらひらと舞い落ちる淡い色の花びらが、頭上から降り注ぐ。
「やがてイザナギは万策尽き―――。がっくりと膝を突いてしまった」
「……っ」
「絶体絶命のその時だ。1匹の獣がイザナギを庇うように踊り出て、オロチの前に立ちはだかった。この獣こそが、
「そ、それで……! それでどうなったんだ!?」
「ふむ、何時になく興味津々だね。
それはもう凄まじい戦いだったらしい。古い文献にはこう書かれていた。
『オロチが白野威に向かって火を吹くと、突風が吹いてこれを押し返す。
オロチの鋭い牙が白野威に迫ると―――突然大木が生えてこれを遮った』
白野威は“筆しらべ”という不思議な力を持っていたようで、自然を操ることが出来たらしい」
「筆、しらべ……」
「それでも、オロチの力には敵わなかった。
白野威は全身に傷を負い、白い毛並みは真っ赤に染まる。
疲れ果てた白野威は、立っているのがやっとな状況にまで追い込まれてしまう」
「……そんな」
「それでも白野威は、オロチに背を向けたりはしなかった」
「……!」
「白野威は、最後の力を振り絞り天に向かって遠吠えをする。
すると……空を覆っていた暗雲がたちまち消え失せ―――。
月明かりを浴びたイザナギの剣が、金色の光に輝き始めた。
その剣をイザナギが振い、オロチの首を落とした」
少年が瞳をキラキラと輝かせながら、話に聞き入る様子を見て男は微笑む。
昇りゆく太陽が2人を照らした。
「この後白野威はオロチの毒が回り死んでしまうけれど、大層悲しんだ村の人々は、白野威の立派な働きを称えて、村の静かな場所に社を建てそこに白野威の像を祀った。
その像というのが、あそこに見えるご神体さ」
「へえ……。すげえ」
「あと、こんな話があるんだ。白野威は大層桜餅が好きだったようでね。。
だからこの神社に桜餅を持って来ると、白い犬が姿を現すことがあるらしい。
そしたら、たらふく桜餅をあげるんだ」
「犬って、桜餅食べるのかよ」
「ふふ。すると、次の日は必ず晴れるらしいよ」
「……なんか、呑気な神さまだな」
「士郎も此処に来るときは、桜餅をつくって持って来ると良い。
お前の手作りしたものならば、喜んで食べてくれるだろう」
2人はそう話しながら、肩を並べて神社の階段を下りていく。
その背中を白い狼と13の神様の像がじっと見守っていた―――。
***
「……ぼ、じぼ、慈母!!」
「起きて下さい、慈母!」
「今日のお供えはなんと……!
桜餅ですよー!」
社の奥でくるりと丸まり、眠りに就いていた白い塊もといアマテラスは、“鶏”の形をした筆神に突かれてがばりとその身を起こした。まだ夜明けを迎えていない世界は、すっぽりと闇に包まれている。
「慈母、先にお勤めを。朝餉の用意をしておきますので!」
くありと欠伸をするとアマテラスは立ち上がり、朝の一仕事をする為に外へと出る。
街を一望できる社の屋根の上に飛び上がると、尻尾を円を描くようにくるりと回した。
アマテラスの目覚めは、太陽の目覚め。
その力を以て太陽を呼べば、闇の世界に光が差す。
昇り始めた太陽を見上げると、再び地へと降りた。
「我らが慈母、今日も良き筆しらべでありました」
赤い隈取のある“ねずみ”が駆け寄って来て、ぺこりと頭を下げた。
断神と呼ばれる神様で、13筆神のうちの1柱である。
細い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、断神はぱっと顔を上げる。
「今日も、あの陽の色の少年が、お供え物を持って来てくれました」
「慈母―。今日は、どのような美味いものを持って来てくれたのでしょうねえ。すっごく楽しみですう……って、ああ慈母、涎がー」
にゃーん、と姿を現したのは、“猫”の姿をした壁神である。
13神の筆神はそれぞれ形が違うものの、白い毛に赤い隈取という特徴は皆同じだ。
たらりと涎を垂らしたアマテラスに、壁神は慌てて懐紙を取り出す。
平日なら朝と夕、休日なら朝と昼と夕、その少年は必ずお供え物を持って来る。
偶にお参りには来ていたが、いつからか桜餅を持って来るようになった。
はじめは幾つか置いてあっただけだが、アマテラスが墨で“とあるお願い”を書いておいたところ、山盛りの桜餅が供えられるようになったのだ。
そして最近は、桜餅だけだと飽きるだろうからと、様々な料理まで持って来るようになった。
これがまた、美味かった。
少年の料理は、なんと罪深いことに神様の胃までをも鷲掴みにしたのである。
「この神木村……。いや、違いますな。
冬木市も随分変わってしまいましたが、いやはや変わらぬものもある。
魔術師たちが住み着き始めた時にはどうなるかと思いましたが、もう少し様子見といたしましょうかな。慈母様」
ずるずると体を這わせてやって来たのは、“蛇”の形をした濡神である。
濡神の通った道はそこだけ濡れており、石畳に魚拓ならぬ蛇拓を残していた。
「この地は、国有数の霊地。
善きものも悪しきものも引き寄せる、魔性の地故。
本来であれば慈母の守りし地に一滴の穢れなど許されぬが……。
人と人の争いに我らは踏み入るべきではあるまい」
ぽかぽかと蹄の音がなる。馬の形をした風神は、目の前に広がる冬木の街並みを見下ろした。
「まあまあー、難しい話は後でしましょうよー。
慈母ったらずっと涎が止まらないみたいです」
ねえ? と首を傾げた壁神に、アマテラスはわんと鳴いた。
「そうであった、慈母よ。
弓神がついに温泉を掘り当てましてな」
「……!」
「おお、慈母が喜んでおられる……!」
「人の子を呼んで、小屋でも立ててもらえば良いのではー?」
「それは良いな壁神よ。そうすれば“幸玉”も集まろう」
「だが何故、弓神が……?」
「断神、それを聞いてはなりませんー」
「まあ、あやつのこと。
杵を振り乱しておったのではなかろうか」
「待て。濡神よ。それ以上はやめておけ」
「何故だ、風神」
「……何を思って“素振り”をしていたか、知らぬ方が利口ぞ」
弓神というのは兎の形をした筆神であるが、他の筆神とは事情が違った。
月を操る力を持つ弓神は、アマテラスとは真逆の性質を持つ為、どうしても反発してしまうらしい。少なくとも、手に持つ餅つき用の杵で殴り掛かるくらいの対抗心を持っている。
といっても、悪意はないので他の筆神たちからすれば、じゃれ合っているレベルのものであるが。
「慈母―!朝餉の用意ができました!」
飛べる鶏、もとい燃神がばさばさと羽をはためかせた。
するとアマテラスは一目散に社内へと駆けていく。
「おお、慈母よ……。なんという風の如き走り、この我も負けておれぬ……!」
風神がその白き背中を追い、他の筆神たちも後に続く。
かくして今日も、穏やかに陽が昇るのだ―――。
***
『―――なーんて目が覚めたら神様でした生活は、いつまで続くんだ。
いや、良いけど。美味しいもの際限なく食べれるし、病気にならないし。
ってかほんとに桜餅美味いなっ!』
はぐはぐと齧り付くと、口いっぱい広がる旨味は格別だ。
やはりあの少年は良い。出来るならばこの社で飯係をして欲しいくらいだ。
すっかり犬食いが板についてしまった俺は、こう見えても元人間であった。
前の世界で漫画や小説で流行っていた“神様転生”とやらを、まさか自分が体験することになろうとは思いもしなかったけれど、なるほどこれは快適生活である。
ちなみに俺の場合は、“大きな白犬を助けてトラックに轢かれ、死亡した”が今此処にいる理由である。目が覚めたら、その大きな白犬となっていて、この社で眠っていた。
13の動物たちが揃って駆け寄って来たので、此処は動物園かと思ったが、神々しく厳格なオーラを纏う彼らは普通のそれとは違うことを直感したのだ。
『快適だけど、誰とも話せないってのもなあ』
筆神と呼ばれる神様である彼らでも、俺の言葉は通じないらしい。
それ故になーんか意思疎通出来ていない部分がある気がするけれど、特に支障はないので放っておいている。
『食べた食べた、この体だといくらでも入っちまう。
さーて、ちょっくら散歩でもしてくるか』
ぐっと伸びをして、部屋を飛び出る。
そういえば温泉が出たって言ってたっけ。
後で見に行くのも良いかもしれない。
この体になった以上、頼み事はきちんとこなさねば。
『今日は、西側でも行ってみるかなー』
そう言って鼻歌混じりに街へと歩き出した俺は、この“意思疎通が出来ない部分”というのが、後々自分の運命を大きく変えることになろうとは、想像もしていなかったのである。
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赤い少女の憂い
「マスター、これは君の大切なものじゃないかね」
「……! これは、どこで?」
「書斎だよ。上から落ちて来たんだ」
「うそ、そんなところにあったんだ……。
ずっと、ずっと探していたのよ。これ」
「フッ、それは良かった。
だが、大事なものほど見失い易いもの。
くれぐれもその辺に投げておくなどと―――」
「はいはい、わかっているわよ!
全く、小煩いわねえ……」
街に古くからその姿を留める屋敷の1つ。
広大な敷地の中に立つそこには、年若き少女と、青年が暮らしていた。
上品な家具に囲まれた部屋で、ソファーに座り紅茶の入ったカップを手に優雅な時間を過ごしていた少女―――凛へと、1冊の本が差し出される。
赤い表紙の分厚い本には、拙い字で『神さまとであった日』と書かれてあった。
「……中、見てないでしょうね」
「やれやれ、私がそんな無作法な真似をするとでも?」
「そう。なら良いわ」
胸にぎゅっと本を抱き締めた凛は、本を差し出して来た男をじとりと見上げた。
軽い溜息を吐いたその男は、肩を竦めてそう返すとちらりとその本に視線を向ける。
「ふむ。それほど見られては困ることが書かれているとなると……話は別だ。
その本は君にとっての弱点となり得る。となると、マスターたる君を守る
「はあ、回りくどいわねえ。素直に知りたいですって言ったらどうなの?」
男の斜に構えた態度に呆れた顔をした凛は、本に視線を映すと「まあ、良いわ」と呟いた。
そうしてその指で背表紙をなぞると、少しだけ瞳を朧にさせる。
まだ少女の凛にとって、過去はそう遠いものではない。しかし、その“記憶”だけは、他のものとは比べ物にならない速度で遠ざかっていくのだ。
「あれは、そう―――。
わたしがまだ、冬木に住んでいなかった頃。
……小学生の時だったかしら」
思い起こそうとする度に遠ざかる記憶を懸命に掘り起こしながら、彼女はゆっくりと口を開いた―――。
あれは、そう。とある事件が起きて、わたしのお友達が消えてしまった。
だからわたしは誰にも言わずに、この街に足を踏み入れたわ。
ええ、とても暗い夜だった。
星も月の無い、とっても暗い夜のこと。
街灯だけが照らす道を歩いて、路地に入って……。
その先がどうしても思い出せないのよ。
憶えているのは―――神社。
そこは街灯すらなかったけれど、何故か鳥居の朱色がはっきりと見えたわ。
暗くて細い路地を通って来たわたしは、それを見て“安心”したの。
不思議ね。夜の神社なんか不気味でしかないのに。
石階段を上がって、鳥居の前に立った時―――わたしは、見た。
……うん、大丈夫。でもこの先は本当に思い出せないの。
わたしは、確かにそこで……。見た。
それからずっと探している。
だって、一緒に戦ってくれた大切なお友達だもの。
形は思い出せないけれど、思い出そうとするだけで胸がぽかぽかしてくるのよ。
―――あいたい。でも、見つからないの。
普段とは違う“抑えられた”声に、鬼気迫るものを感じて男は目を細めた。
魘されるように凜は、もう一度「あいたい」と呟くと口を噤んでしまった。
***
『神様、神様、どうか……どうか私の願いを叶えてください』
『どうか、想い人に振り向いてくれますように―――』
『どうか、病気が治りますように―――』
『どうか、あの人が幸せになりますように―――』
『どうか、然るべき罰が下されますように―――』
今日も今日とて、からんからんと鈴が鳴り、手を叩く音が神社に響く。
ぴくりと耳を傾けながらも、俺は神社を飛び出した。
“人間として”“ありのまま生きる”ことはとても難しいことである。
1人の幸せが、周りの不幸せになることもあるのだ。
故に神は気紛れなのだ。むしろ気紛れでなければならない。
手と手を合わせて捧げられる願いは、千差万別。すべてを叶えていたら神といえど身が持たないというものだ。
「お、わんこ。今日も元気だなあ。
饅頭でも食べるかい?」
「おはよー。相変わらず呑気な顔してんな。
お前は良いな自由で。ああ、なんで俺はこれから出勤なんだ……。
サンドイッチでも食べるか? 胃がもたれちまって受け付けねえんだよ」
「よっ、犬コロ! 今日は何処に行くんだい。
刺身でも食ってきな。切れ端で悪ぃが、味は良いぜ!」
まあ、それでも……多少の隠れ好感度というものは存在する。
誰だって、親切にされれば親切で返したくなるし、嫌なことをされれば嫌なことで返したくなるものだ。これは人でも神でも変わりはない。
神社を出て駅の方へと少し歩くと、道行く人々が頭を撫で、餌付けをしてくれる。
俺を神扱いしているのは、13の筆神たちだけ。人から見ればちょっとばかし大きな犬なのである。
取り留めのないことを冒頭から垂れ流してしまったけれど、まあ何が言いたいかというと、俺にはそう大層な力はないということだ。
俺に出来ることは、こうして毎日冬木市を歩き回って散策することだけ。
はじめはとても不審がられてしまったけれど、今では先ほどのように頭を撫でてくれたり、食べ物をくれたりするので、住民たちと良好な関係を築けているのではないだろうか。うむ、これもまた良いことだと思う。
「―――ああっ!?」
会う人会う人に撫でまわされ、餌付けをされていると、あっという間に朝が昼になり、昼が夕方となる。今日も中々に良い一日であったと帰路に着いていると、前方からそんな叫び声が聞こえて来た。何も考えずに歩いていたので、思わずびくりと体が跳ねてしまった。
そんな俺に構うことなく、声の主はずんずんと此方へと近付いて来た。
「アンタ、こんなところで一体何してんのよ。
あんまりこの辺をうろついていると、酷い目に合うわよ」
艶のある黒髪を2つに結い上げた、勝気な目の少女は、俺のオトモダチであり“天敵”である。いやはや、この体の一番の良いところはこのような美少女が寄って来てくれるところであろう。“幼い頃”から将来有望だと思っていたが、さらにこの先が楽しみだ。
「ねえ、ちょっと! 聞いているの―――シロ!」
「きゃんっ!」
ぎゅっと尻尾を握られて引っ張られる。なんてことをするんだ、俺のふわもこな尻尾に禿げでも出来たらどう責任を取ってくれるというのか。
「なによ、文句あるの!? 吼えてないでなんか言ってみなさいよ」
犬に対する言葉とは思えないほどの暴言である。
このお嬢は、外面はとてもおしとやかだが、中身はコレだ。
この分だと番い……じゃなかった、彼氏が出来るのは当分先になりそうだと、思わず遠い目をしていると、思いっきり睨まれた。
「もうあったま来た!
今日こそは、連れて帰ってやるんだからっ……!」
トモダチであり天敵と言った理由は、これである。
一応神様となったのだから“誰にも飼われない”ことを信条としている俺に、この少女はとてもひどいことをするのだ。『極上の食材を使った料理を餌として誘き出したり』、『良いかおりのするシャンプーで洗って、丁寧にブラッシングしてくれたり』して、俺を居つかせようとする。挙句の果てには、“シロ”と勝手に命名してくれたので、いつしかそれが広がり冬木市での俺の名前は“シロ”となった。
「相変わらずポアっとした顔しちゃって。
……アンタは良いわねえ。呑気でいられて」
ひどい言い草であるけれど、その目がちょっぴり寂しそうに見えたから、特別に足に擦り寄ってあげた。するときょとんとした顔になり、すぐに嬉しそうな笑顔が咲く。
すると、少女からぽんっと“幸せの証”である桃色の玉が現れ、すうと俺の体に入っていく。これは“幸玉”というのだそうだ。例え些細なことであっても、人が幸福を感じた証で、俺や筆神たちにしか見えないものらしい。これを集めると良いことがあると、桜の精霊が言っていたっけ。
「シロ、帰るわよ」
「わんっ」
こうして俺の長い散歩は、誰かが迎えに来てくれることによって終了する。
何処に行っても誰かしらと遭遇するのだから、不思議なものである。
神様となってわかったことは、神様というのは高貴な存在であるけれど、身近な存在であるということだ。人間に紛れて生活していたり、人間の家で寛いでいたりと、何よりも近く何よりも遠い存在なのかもしれない。
「今日はどうしましょうか。
思いっきりお肉が食べたい気分なのよねえ、アタシ」
「わふんっ!」
「でしょ? アンタもそうだと思ったわ。
でも今日はアイツいないし、……ううんどうしようかしら」
「わんわん」
「アタシに料理をしろって? アンタ何様のつもりよ」
古い町並みが続く通りを2人で……1人と1匹で歩いていると、何だか懐かしいような気持ちになるのは何故だろう。ノスタルジックに浸るとはこのことか。
オレンジ色に染まる夕暮れの時は、もの悲しく、うつくしい。
迫り来る宵闇を背に、不思議と成立する会話を続けていると、不意に立ち止まった少女はくるりと振り返り俺の前に立った。
手を後ろに組んで、俺と目を合わせるその姿は……。
うん、もう完全にヒロインである。
「ま、まあ……どうしても、アンタが食べたいっていうんなら……。
特別につくってあげなくもないけど」
ああ、もう完全にヒロインである。
なんで俺この姿をしているのだろうと思うけれど、この姿じゃなかったら相手もしてくれないんだろうなあ。本当に、この世は無情である。
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