野球人生は終わらない (中輩)
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兵藤 要――プロフィール

今晩の投稿ができるかがわからなくなったので、オリ主の能力について載せようと思います。
諸事情により感想欄でお答えしたものから少し変わっています。

また、ストーリーが進んでいけばこちらも更新すると思います。


《タイムスリップ直前のプロフィール》

学年:三年生

身長:180cm

体重:73Kg

利き手:右投左打

 

[基礎能力]

弾道:2 ミート:D パワー:D 走力:E 肩力:C 守備:B 捕球:B

 

[特殊能力]

対左投手:E キャッチャー:C 送球:C

慎重打法 選球眼 ミート多用

 

[とあるスカウト評]

 二年生からベンチには名を連ねていたが、正式なレギュラーとなったのは三年生が引退した後である。

 打順は主に下位打線を担っていたが、選球眼があり粘りのバッティングが出来るため出塁率はなかなかのものである。彼が帝王の上位打順へチャンスを繋げていたのは間違い無いだろう。

 

 守備においては、友沢君や久遠君という好投手とバッテリーを組み、磨かれた捕球技術は注目に値する。無駄のないフィールディングや安定した送球技術には彼の努力が感じられた。

 

 しかし反面、最後の大会では久遠君とバッテリーを組みピンチに陥った際に、バッテリー間のタイムを取らないなど、投手への配慮に欠けていた部分が垣間見られた。

 また、対左ピッチャーへの打率や、高校通算0本塁打である事など、打撃に関しての課題も少なからず残っている。

 

 結論として、完成度の高い高校生がひしめく《友沢世代》の選手が多数プロ志望を提出している為、彼の優先順位は決して高くはないと判断します。

 

[通信簿のコメント]

 かれこれ君とは三年の付き合いになりますね。これほど三年の間に成績が下がった生徒を私は初めて見ました。テストの順位も一年生の時は上から数えた方が早かったのに、今では下から数えればすぐに君の名前が出てきてしまいます。定期考査のたびに私が胃痛に悩まされていたのを君は知っていますか?

 君がどれだけ野球に対して真摯に取り組んでいるのかはよく見てきたつもりです。ですが、その熱を少しでも勉強へ向けてはもらえないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

《タイムスリップ後 四月一週目のプロフィール》

学年:一年生

身長:172cm

体重:60Kg

利き手:右投左打

 

[基礎能力]

弾道:1 ミート:D パワー:F 走力:E 肩力:D 守備:B 捕球:B

 

[特殊能力]

対左投手:E キャッチャー:C 送球:C

慎重打法 選球眼 ミート多用

 

[とあるスカウト評]

 兵藤 要?知りませんな。

 

[通信簿のコメント(予定)]

 君が私のクラスに入って一週間が経ちますね。一つ言わせてもらうなら授業は寝るものではありませんよ。毎回、担当の教師から私が怒られている事を君は知っていますか?

 まだ、定期考査は行われていませんが既に君の成績が心配でなりません。

 

 

 




タイムスリップによって過去の技術は引き継いだものの肉体的には一年生の頃のままなのでこのような感じになっています。
通信簿のコメントはやる予定は無かったのですが、本文の文字数が1000文字以下だったので付け足しました。


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第1章《新しい春》
プロローグ


初めてやったパワプロは13でした。
思いつきで書きました。


 

『第6巡選択希望選手』

 

 低く明瞭な声が画面越しに彼らの元にも届く。

 テレビ画面に映るのは《プロ野球ドラフト会議》。

 

 今日この日は、プロ野球を本気で目指す球児達の運命が決まる日であった。

 既に一時間以上も続いた会議は終盤に差し掛かっている。指名された者は歓喜し、未だに呼ばれぬ者は不安を隠せない。

 

 それは、甲子園常連である帝王実業高校のレギュラーであった兵藤 要(ひょうどう かなめ)も例外ではない。

 

 現に、優勝こそ出来なかったものの、彼は二回も甲子園の地に降り立っている。全国の多くの高校球児と比べても間違いなく一流と言えるプレイヤーであろう。しかし未だに彼の名前は呼ばれていない。

 同学年の友沢 亮(ともざわ りょう)久遠(くおん) ヒカルが既に指名されているのにだ。

 

津々家(つつが)バルカンズ 六道 聖(ろくどう ひじり)。捕手 聖タチバナ学園』

 

 此処でドラフトが行われる会議場が一際沸いたのが聞こえた。その理由はたった今指名された“彼女”である。今日、二人目の女性野球選手のプロ指名である。

 昨年の早川(はやかわ) あおいの例もあり、今は一段と女性選手への注目度が上がっていた。

 しかし、要はそんな事は関係無しに今の指名に驚愕していた。

 

(え、俺を指名してくれるはずじゃ……)

 

 バルカンズは要が最も期待していた球団であった。スカウトからの評価も概ね好評であり、捕手の若返りを狙っているとの噂も耳にしていた。

 そんな大本命の球団が最終指名まで自身の名を呼ばなかったのだ。僅かに残っていた余裕すら掻き消える。彼の額からは滝のような汗が流れ始めた。

 

(ちょ、これ、まずくない)

 

 幼い頃からプロ野球という世界を夢見ていた要にとって指名されないというのは非常にまずい事態である。

 プロ野球の近道だと信じて強豪である帝王実業に入学したのだ。プロ野球という舞台に立つ為に厳しい練習を耐え抜いてきたのだ。

 自分には野球しかない。その野球で生きていけないなど、この先どのように生きていけばいいのかも分からない。

 

 しかし、現実は無情なものであった。

 

 

『――以上で、プロ野球ドラフト会議を終了します』

 

 結局、兵藤 要の名前は呼ばれる事なくドラフト会議は幕を下ろした。

 まさか指名されないなどとは考えもしなかった要にとって、目の前の現実はとても受け入れられるものではない。

 

「大丈夫か兵藤」

 

 隣に座る友沢が心配そうな表情で要に声をかけた。普段は無表情で感情の機微もあまり分からない彼であるが、明らかに様子のおかしい要を気遣う。

 

「……大丈夫な訳、ないだろ」

 

 要は指名された友沢にそう吐き捨てながらその場を去っていった。その足取りはフラフラとおぼつかない。

 その後も要を励ます者や心配する者がいたが、皆の声を無視して彼はその場を後にする。

 日が沈み校舎の光だけが夜道を照らす中、帰路についた。

 

 

 ♢

 

 

「……ただいま」

 

 どうやって辿り着いたのかは思い出せないが、気が付けば自宅の入口のドアを開けていた。

 灯りは付いているのに、いつもよりも暗く感じてしまう。

 

「おかえりなさい」

 

 いつもは出迎えることのない母が玄関の前で優しい表情で立っていた。当然の事ながら母もドラフトの結果を知っているだろう。

 しかし、母は要に何も言おうとはしない。

 

「ご飯、食べる?」

 

 母の後ろに見える扉の先、キッチンのテーブルにはいつもよりも豪勢な食事が用意されている。

 本来であれば、要がプロに選ばれた祝いを行うはずであったのだろう。

 それでも何も言わぬ母の優しさが、要の心に刺さる。

 

「くッ……。はぁぁ…………いらない」

 

「……そっか」

 

 一瞬、こみ上げてきたものを爆発させそうになったが、要は必死に抑えた。分かっていたのか母もそれだけを言うとリビングへと向かって行った。

 要は拳を握りしめたまま、自室への階段を上った。

 

 

 

 自室へ入りベッドに倒れ込む要。

 彼にはもう何の気力も湧きそうになかった。この先、どうすればいいのか。

 

「俺は、プロ野球選手に……」

 

 野球を始めた小学生の頃から、要は自身の夢をそう語っていた。

 これまでの野球人生が走馬灯のように流れる。

 

 そして今日、夢が終わった。

 

 

 “野球人生の終わり”。そんな言葉が要の頭に浮かんだ。

 

 

 気が付けば、涙を流しながら要は眠りについていた。

 

 

 ♢

 

 

 ジリリッという甲高い音で要は目覚めた。

 カーテンの隙間から見える朝日が眩しくも輝いている。それに比べて要の気分は依然として暗く大荒れのままである。

 

「……休みたい」

 

 これから学校など、最悪の気分である。

 だがしかし、野球部の監督である守木 独斎(まもりぎ どくさい)は鬼のように厳しい。否、鬼そのものである。

 引退した要相手ですら、病欠でさえない休みを容認しないだろう。そんな監督のおかげもあってか、今のところ無遅刻無欠席を死守している事もまた事実であった。

 

「行くしか、ないよな」

 

 眠い目を擦りながら、高校の制服へと袖を通してゆく。意識がまだはっきりと覚醒していない為、妙にサイズの大きい制服への違和感を感じる事は無かった。

 

 

 

 一階へと降りリビングへと向かう。

 昨夜の事もあり、少なくない気まずさを感じながら母の元に向かった。

 

「あら、おはよう要。制服、似合ってるじゃない」

 

「は?」

 

 開口一番、そう言った母の言葉に目を見開く。自身の制服姿など見飽きているであろう母に褒められた理由の見当が付かない。

 母は要の様子にまだ寝ぼけていると思ったのか、ため息混じりに言葉を繋ぐ。

 

「はあ、そんなにぼーっとしてたら入学式に遅れるわよ」

 

「……んん?ニュウ、ガク、シキ、ダレノ?」

 

「アンタのに決まってるでしょうが」

 

 あまりの驚きにカタコトに言葉を発する要、その様子に呆れる母。エイプリルフールを疑いカレンダーへと視線を向ける要。

 桜の絵が載せられたカレンダーには確かに四月と書かれている。だが、今年ではない。

 

「はぁぁぁあああ――――!!??」

 

 四月の文字の上には小さく二年前の西暦年が表記されていた。

 今日は二年前の四月七日。

 

 

 兵藤 要が帝王実業高校へと入学する日であった。

 

 

 ♢

 

 

 通学路に並び咲き誇っている桜の木が、今が本当に四月であるという事を裏付けていた。歩道には何人もの新入生と見える生徒が歩いており、その中には要が顔を覚えている人物も少なからずいる。

 

「本当に、戻ったのか……?」

 

 幼い頃であればタイムマシンで過去に戻るということに少なからず憧れていた。しかし、現実にはそんな都合の良い事など存在しないという事を要は理解している。

 

「夢、なんだろうな」

 

 昨夜、ドラフトで落ちて最悪な気分で寝落ちした所までは覚えている。

 だからこそ過去をやり直すなどという都合の良い夢を見ているのだろう、と客観的に判断した。

 

「……けど、もし本当なら」

 

 自分はまた野球部に入るのだろうか。

 必死に手を伸ばしてそれでもプロ野球という舞台には届かなかったのに、まだ頑張るのか。

 とてもではないが、そんな気力は湧かない。

 

 迷いを抱く中、要は新入生達の流れに沿って見慣れた校舎の中へと進んで行った。

 

 

 

 一年C組、と書かれた用紙に要の名前があった。

 そういえば一年の時はC組だったなと要も思い出す。

 

「一年の時にクラスが一緒だったのは――」

 

 過去の記憶を探りながら自身の教室の扉を開ける。

 

「友沢」

 

 ガヤガヤと騒ぎ立つ教室に入り、一番最初に目に入った男の名を呟く。地毛の金髪に整った顔立ち、そしてクールな無表情とただ肘をつき席に座っているだけの姿であるのにやけに目立つ。

 

 友沢 亮。昨夜のドラフト会議で猪狩(いかり)カイザースからドラフト1位で指名された遊撃手。

 そして、要と“かつて”バッテリーを組んでいた相棒である。

 

 けして友達ではない。彼よりもメガネが特徴の矢部くんの方が遥かに仲が良かった。

 しかし、かつては投手と捕手という関係性であったため、同学年では誰よりも付き合いが長かった。

 だがそれも、友沢が肘を故障する前までは、の話である。

 

 相棒として友沢のオーバーワークに気付けなかった。

 未だにその後悔は、要の中で尾を引き燻っている。

 

「――まさか」

 

 そこまで考え、要は思い出す。

 二年前、要も友沢もまだ一年生である。この時は当然、友沢も投手であった。

 彼が故障したのは三年の春先。

 

 

 やり直したい事があったではないか。

 

 

 一人の投手生命を終わらせてしまった罪悪感。それはある意味、プロに行けなかった以上の後悔である。

 

「お前が友沢 亮だな」

 

 確か、二年前もこのように友沢に声をかけた記憶がある。

 あの時は、スポーツ推薦で入学したシニアの逸材へと宣戦布告をする為であった。

 

「誰だ、お前は」

 

 あの時も友沢は要を認知していなかった。

 それは当然である。要は軟式野球の出身。そもそも中学で野球をやっていた舞台が違うのだから。

 かつてはその事に激怒した要である。

 

「よく覚えとけよ、いずれはお前とバッテリーを組む男だ。俺の名前は――」

 

 これは二度目の宣言。

 しかし、その意味は異なっていた。

 

 

「兵藤 要だ!」

 

 

 今度こそ最後までお前のボールを受けてみせる。

 

 今この瞬間、その決意を固めた。

 

 兵藤 要のコンティニューが幕を上げる。

 

 




オリ主の世代が友沢世代と六道世代を混ぜて
一つ上に猪狩世代と言った感じです。

初めてのパワプロが13であった私にとって友沢のイメージはやはり投手。
久遠も同学年にいる設定なので、脱、炎上三兄弟を目指します。


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四月一週目《新入生テスト①》

センバツが中止になったと知り、いち高校野球ファンとしては残念でなりません

当事者である球児たちが一番そう思っているのは間違いないでしょうが……


 入学式が終わり、一般の生徒達は午前中での下校となる。

 しかしながら、帝王実業の野球部へと入部した者は今日からの練習となる。例外として友沢のようなスポーツ推薦で入学した者は春休みから練習に参加しているのであった。

 当然の如く、要も入学初日からの練習に参加する事になる。タイムスリップにより過去へ戻った要は、監督である守木 独斎(まもりぎ どくさい)がどれほど厳しいかを嫌でも知っていた。

 何の理由もなく練習をサボれば二度と試合で起用される事は無いだろう。

 さすがにそれは困るので、クラスのホームルームが解散した瞬間、駆け足でグラウンドへと向かう要であった。

 

 

 

 Aグラウンドに新入生を加えた部員全員が勢揃いした後、監督や先輩達の前で新入生達の自己紹介が行われていた。整列した一年生が順々に声を上げた。

 

「パワフルシニア出身!猛田 慶次(たけだ けいじ)!ボールを飛ばす距離だけは誰にも負けるつもりはねぇッス!!」

 

 パワフルシニアは地区内でも有数の強豪シニアである。その猛田と言えば打率は低いが長打力には定評のあるバッターであった。

 常にやる気に満ちたムードメーカーである反面、感情的になってしまうのがたまに傷。

 

「赤とんぼシニア出身、久遠(くおん) ヒカルです。友沢さんのような投手になりたくて入学しました!」

 

 赤とんぼシニア。他の地区であるものの全国常連のシニアである。彼は友沢とは全国大会で対戦しており、その際に野球選手として彼に惚れ込むのであった。

 投手としての平均値は高いが、メンタル面に難がある。

 

「バス停前中学出身の矢部 明雄(やべ あきお)でやんす!足には自信があるでやんす!」

 

 バス停前中学。万年一、二回戦負けの軟式野球部がある。要も中学時代に何度か彼と対戦した記憶があった。

 打撃能力は微妙だが、宣言通り類稀な走力を持っている。要としては早く左に打席を変えればいいのにとか思っていたりする。

 

「帝王シニア出身、友沢 亮(ともざわ りょう)。このチームのエースになります」

 

 要にとってはかつても聞いた友沢の啖呵。ここは並みの野球部ではない。全国常連の強豪校である帝王実業である。

 先輩達もそのチームの一員ある事にプライドがある。それにも関わらずぽっと出の後輩がこのような宣言をするのだ。当然の如く、最初は少なくない反感があった。

 かつての要も友沢のこの宣言には驚愕し、その覚悟に僅かばかりの敗北感を感じていた。

 

 

 しかし、今は違う。

 

 最後まで共に立つと決めたのだ。

 

 

「パワフル中学出身!兵藤 要(ひょうどう かなめ)!日本一の捕手になりたいと思います!」

 

 友沢以上のビックマウスに皆が驚愕する。

 周囲の新入生は「誰だあいつ?」「兵藤なんて聞いた事ねぇよ」などと騒つく。先輩達の反応は驚きを通り越し呆れる者ばかりである。

 シニアで実績を築いてきた友沢に比べて、今の要の言葉に重みは無いだろう。

 しかし、決してハッタリなどではない。

 過去の事であっても要には一つの自負がある。

 

 

 帝王の正捕手は俺“だった”のだ、と。

 

 

 守木監督の鋭い視線が、要へと向かう。

 今更、そんなものに臆する事のない彼は一切目線を逸らす事はなかった。

 何か言われるか、と覚悟した要であったが、監督は特に何も述べる事は無く、新入生の自己紹介は進んでいった。

 

 

 ♢

 

 

 新入生達の自己紹介が終わると、次は先輩達の協力のもと行われる新入生の能力テストである。

 基礎能力テストとポジション適正テストの二つが行われる。基礎能力テストは、体育の授業でも行われる体力テストを行うだけの事である。ハンドボール投げが野球ボール投げになるなどの変化はあるが、それ以外にこれと言った物は無い。

 ただし、新入部員のみで行うため、テストの回転率の早さが異常なのであった。

 

 

 

「うぇッ……気持ち悪り……」

 

 兵藤 要は一つの思い違いをしていた。

 未来の記憶を保持したまま過去へと戻る。それは所謂“強くてニューゲーム”ではないか、と少なからず考えていた。

 

 しかし、現実は違う。

 記憶はあっても、要の肉体は高校入学時のものなのだから。

 

 

 体力テストの最終種目であるシャトルランを終えた要は疲労のあまりぐったりとしていた。先程から彼は吐瀉物を吐き出さないように固く口を結んでいた。友沢に張り合ったために痛い目を見た構図である。

 先程の啖呵もあった為、他の新入生や先輩達から厳しい目で見られていた要であるが、こうなってしまうと哀れみの目を向ける者すらいた。

 

 

(あぁ、昔の俺ってこんなに体力無かったのか……)

 

 

 あまりの結果に愕然とする要。そんな彼に近寄る者が一人。

 

「まあ、そう落ち込まないでやんすよ。人間、身の丈にあった目標を持つのも大切でやんす」

 

 そう、サムズアップしながら述べたのはメガネがトレードマークの矢部である。ちなみに矢部 明雄、やはり走力に長けるのか、シャトルランでは要よりも回数が多い。

 要の“日本一”という言葉を聞き、最初は近寄りがたいと考えた矢部であったが、この醜態を見た今では躊躇いなく近寄ってきた。

 

「ああ……そうするよ……」

 

 ちょっとだけ謙虚に生きようと思った要であった。

 

 

 

「次はポジションテストに移る。内外野の者はBグラウンドへ迎え。投手及び捕手はプルペンで行う」

 

 基礎能力テストを終えて再びAグラウンドに集った新入生達に監督が指示を出す。

 ちなみに帝王実業の野球部はグラウンドを二面保有しており、基本的に一軍がA、二軍がBのグラウンドを使うような形となっている。その他にも室内練習場や屋根付きのブルペン、ウエイト室など強豪校なだけあり練習設備は全国でも随一であった。

 投手と捕手合わせて12人の選手と共にブルペンへと向かう要。そこには当然ながら友沢や久遠の姿もある。

 そして、プルペンへと入ると一人の大柄の選手が立っていた。

 

「やあ。君達が投手、捕手希望の新入生たちか」

 

 養老 孝(ようろう たかし)

 現、帝王実業の正捕手であり同時にこの強豪をまとめ上げる主将。

 要の覚えている過去では最終的には広島にドラフト3位でプロ入りした事までは覚えていた。

 

「早速だけど、キャッチャー希望の子は手をあげてもらっていいかな」

 

 養老に促され、要を含め三人の選手が手を挙げる。

 それ以外の9人の選手は皆、投手希望であった。

 

「それじゃ君達は、防具が置いてあるからそれを着ていてくれ」

 

 他の二人と共に、ブルペンのベンチに置かれたキャッチャー用の防具をつけ始める。

 慣れた手付きで着ていく要は、投手希望の者に行われている説明に耳を傾けた。

 

「これから君たちには彼ら三人の捕手の内、こちらが決めた捕手を相手に実際に投げてもらう。球種は投げる側が指定して構わない。ただし、コースに関してはキャッチャーの指示に従ってもらう。分かったかな」

 

「「はい!!」」

 

 当然であるが、要が二年前に受けたポジションテストと全く同じである。このテストは、投手の投球と捕手のキャッチングを同時に測るもの。

 当時の要は友沢と組むことはなかった。ましてやキャッチングにおいても体たらくを晒した記憶がある。

 

 しかし、それから二年。

 

 彼は友沢や久遠といった高校球界を代表する投手のボールを受けてきた。恐ろしく曲がるスライダーを何度も止めてきたのだ。

 キャッチングにだけは絶対的な自信がある。

 

 不敵な笑みを浮かべながら今か今かと試験の開始を待ちわびていた。

 

 

 ♢

 

 

 友沢 亮にとって兵藤 要は今日初めてあった人物である。

 だがしかし、既に嫌いな奴だと断言できた。

 

 彼が思い出すのは最初の邂逅。

 

『よく覚えとけよ、いずれはお前とバッテリーを組む男だ』

 

 そして次に思い出すのは先程の自己紹介

 

『日本一の捕手になりたいと思います!』

 

 

 友沢 亮が最も嫌いなことの一つは根拠の無い自信である。

 自分には誰よりも野球を努力してきたという自負がある。だからこそ努力に見合った結果を発揮していると考えていた。

 天才と言われる彼は、誰よりも努力の人間であった。

 

 だからこそ、彼のような結果の伴っていない自信は嫌悪の対象である。

 

 せめて、ある程度の成績を残しているなら。

 せめて、体力テストでそれなり以上の数字を出しているなら。

 

 根拠となる要素があるなら要の過度な自信も許せた。

 

 ましてや、あの男は日本一を目標に掲げたのだ。

 シニアで全国という舞台を見たからこそ、その険しさを友沢はまざまざと痛感した。慢心などしている余裕などない。

 

 

 兵藤 要という男を友沢 亮は否定しなければいけない、そう思った。

 

 

「次、友沢君。君には尾崎君と組んでもらうよ」

 

 養老と名乗った帝王の主将が、そのように指示をした。尾崎とはあの男の他にいたキャッチャーの一人である。

 

「すみません、キャプテン。兵藤と組んでもいいでしょうか?」

 

 友沢の思わぬ提案に驚きを示す養老。理由を尋ねようとしたものの真剣な眼差しで述べる友沢の姿に養老は折れた。

 

「……分かった。兵藤君もそれでいいかい?」

 

「勿論です」

 

 待ってましたとばかりに、目を爛々として友沢を見つめる兵藤。

 その姿に友沢はますます機嫌を悪くする。

 

「言っておくが、あれだけ言ったんだ。生半可なプレーじゃお前を認めない。絶対にだ」

 

「ああ、そうだろうな」

 

 友沢の言葉に、兵藤はそう言って不敵に笑った。

 

 

 ♢

 

 

 肩を慣らし終え、友沢はプルペンに用意されたマウンドの上に立った。

 それを確認した要はその場にしゃがんだ。

 彼の内心を一言で言うなら、ワクワクである。それもそのはず。

 

(アイツのボールを最後に受けたのは、半年以上前だな……)

 

 かつては友沢の故障によりバッテリーが解消されたのだ。

 それ以来のバッテリーである。期待と懐かしさの混じり合った感覚が要を包む。

 

「ストレート」

 

(なんだ、スライダーじゃないのか)

 

 友沢は自身の投げる球種を淡々と宣言する。その眼光が妙に鋭いが、まあ気合が入ってるのだろう、と解釈した要。

 一度、ミットをパァンと力強く叩き気合を入れた。

 

 右打者のインコース、その胸元に構える。

 

 それを確認した友沢は投球モーションに入った。ワインドアップからふわりとした柔らかい動作である。

 しかし軸足に体重が乗った瞬間、急加速し、鋭いボールが投じられた。

 

 唸りを上げるようなボールが、その勢いを失うことなく向かった。

 

 

 その直後、乾いた心地よいミットの音がプルペン内に響いた。

 

 

 構えた場所とはわずかに違うが、要はミットを動かし完璧にアジャストして見せる。

 

 ついこないだまで中学生だった友沢の130km/hは超えたであろう直球、そして、それを完全に捕球した要に周囲は驚愕した。

 友沢も自信のあったボールをここまで捉えられるとは思っていなかったのかポーカーフェイスを崩し驚きをあらわにしていた。

 

 

 一方の要は、ボールをキャッチしたままの体勢でプルプルと微小に揺れていた。

 なぜかと言うと。

 

(手のひら、マジで痛ったいんだけど……)

 

 先程も述べた通り、彼の肉体は入学当時のものである。

 それは、好投手とバッテリーを組むことによって鍛え上げられていた左手も例外ではないのであった。

 

 

 要と友沢の適正テストはまだ続く。

 

 

 




というわけで兵藤君のコンテニューの状態について説明した回になりました。
しばらくの課題は、基礎スペックの向上という感じですかね。

ちなみに私は、野球は大好きですが未経験者のため、これから描写や技術論などおかしな点がたくさん出てくると思います。
詳しい方や経験者の方々など、そう言った点に気付きましたら教えていただければ嬉しく思います。


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四月一週目《新入生テスト②》

感想やお気に入り登録ありがとうございます。
メッチャ励みになってます。


 

 友沢の右腕から投じられたボールは、ふわりと浮き上がり弧を描きながら要の元へ向かった。

 先程の直球とは違う軌道で来たボールであるが、要は難なくキャッチして見せた。

 

「ナイスボール!」

 

 要は捕球したボールを友沢に素早く返球した。それしっかりと友沢の胸元へと向かう。

 今投じられたカーブを合わせて、都度24球の投球を受けた要の左手は痺れているが、痛みそのものにはもう慣れてきた。

 

 

「次、スライダー」

(――来たか)

 

 友沢 亮の決め球(ウイニングショット)。そして、彼が肘を壊した元凶とも言うべき変化球。

 たった今受けていた24球の内訳はストレート18球、カーブ4球、シンカー2球である。

 ここまで頑なにスライダーを避けてきた友沢であったが、要のキャッチングを評価したのか、自分から投げる意思を示した。

 

 要のキャッチャー人生で最も捕るのに苦労したボールである。

 目を見開き、集中力を高め、ミットを構えた。

 

 右打者の外角。ストライクゾーンからボールゾーンに逃げる球を要求する。

 

 相変わらずのポーカーフェイスで要の構えたミットを見つめていた友沢はゆっくりと腕を上げる。

 

「クッ!」

 

 力強くボールを投じた友沢の声が漏れた。

 放たれた白球は直球と同じ軌道で外角へと向かう。初見であれば誰もがストレートと錯覚するだろう。

 しかし、要は知っている。友沢のスライダーの“キレ”を。

 

 要の予想通り、ボールはベースへ向かう直前に急激に横に横方向にスライドした。

 キレ・変化量共に既に高校クラスを逸脱したレベルの変化球である。

 

 しかしわずかにミットが流れたものの、軌道が“かつて”の友沢のボールと同じであったため、要は問題なく捕球することができた。

 

 帝王に入学し、とある“きっかけ”を経て本気でスライダーを磨いていた過去の友沢のスライダーと、入学したばかりの今のスライダー。

 

 正直、その二つに要はそこまでの差異を感じられなかった。

 

(今の段階でこの完成度という事を喜ぶべきか。それとも……)

 

 スライダーという点に関してだけ言えば、友沢という投手は此処が限界点なのかも知れない。

 自分は未来を知ってしまってる。そして、彼がどれだけスライダーにこだわっているかも知っている。

 だからこそ、その現実に悲しみを抱かずにはいられない。

 

 それでも――

 

 

「オーケー!今のなら確実に空振りが取れるぞ!」

 

(その未来を変えるために、俺は今ここにいるんじゃないのか)

 

 なら自身が折れてはいけない。今度こそ彼の相棒となると決めたのだから。

 先程から“いつも”の癖で投手を褒めながらボールを返球する要。本人は癖が出ている事に気づいてすらいない。

 そのボールを受け取った友沢は無表情なのは相変わらずだが、何か思うところがあるのか要をジッと見つめていた。

 

 ちょうどそのタイミングで手を叩く音がブルペンに響く。

 

「よし!それじゃ友沢君はここまで!クールダウンしてくれ」

 

「……はい」

 

 静かに返事をし、その場を後にする友沢。

 その背からは先程まで放たれていた威圧感は感じられなかった。

 

「じゃあ、次は久遠君!そのまま兵藤君に受けてもらってくれ!」

 

「は、はい!」

 

 養老の指示を受け、要は去っていく友沢ではなく次の相手である久遠へと意識を向けるのであった。

 

 

 ♢

 

 

 友沢はストレッチを行いながらブルペンを見つめる。ネット越しには引き続き兵藤がキャッチャーマスクを被り、久遠のボールを難なく受けていた。

 兵藤の甘い考えを否定するために、自身の実力を見せつけると意気込んで臨んだ適正テスト。結果は思い掛けないものであった。

 実績の無い無名の捕手である兵藤が、友沢の最も自信のあるスライダーすら簡単に捕球して見せたのだ。

 

 

『ナイスボール!』

 

『オーケー!今のなら確実に空振りが取れるぞ!』

 

 

 思い出すのは、自身の投球に掛けられた言葉とミットの乾いた心地良い音。無駄の無い正確なキャッチング。

 友沢の実力を十分に理解し、その上で力が引き上げられるような感覚。

 これまで組んできたキャッチャーからはそのようなものは感じられなかった。

 

(非常に不服だが、投げやすかった)

 

 第一印象が最悪であったため人としては気に入らないが、キャッチングのレベルの高さだけは認めざるをえない友沢であった。

 

 だがひとつだけ不快に思った事もある。

 最後の一球、間違いなく渾身の力を込めたスライダーを友沢は投じた。コースもキレも文句ないと友沢は思っていた。

 現に兵藤も口では褒めていたが、その一瞬前には暗い表情を浮かべていた。

 

 まるで、この程度か、と言われているような気分になった。

 おそらく此方があの捕手の実力を測っていたように、兵藤も友沢の実力を品定めしていたのだろう、と当たりをつける。

 

(次は、文句は言わせない)

 

 少なくない悔しさを滲ませながら、兵藤のキャッチングを観察する友沢であった。

 自身が兵藤とバッテリーを組む事を一切疑っていない事に、本人は気づいてはいないのであった。

 

 

 ♢

 

 

 体力テストとポジション適正テストを半日で行い、クタクタになった新入生達だけは夕方に練習が終わった。テストの手伝いを行った二・三年生達は今から練習が始まる。

 つまり一年生だけが早く帰れるのである。

 

「親睦会をしようでやんす!」

 

 と提案する者が現れても不思議ではない。

 ちなみにこの場には兵藤、矢部、猛田、それに友沢と久遠しかいない。理由は単純、他の者は先輩に目をつけられそうな友沢や兵藤とはあまり関わり合いを持ちたくないと思ったのだ。そそくさと他の一年は部室を後にして行ったのであった。

 

「おう、いいじゃねぇか!」

 

 ポジション適正テストで交友を深めた猛田は、矢部の提案に賛同する。

 だがしかし。

 

「断る。お前らと馴れ合うつもりはない」

 

「そんな事をしている暇があるなら、自主練でもした方が自分のためになるよ」

 

 案の定、拒否する友沢。それに追従する久遠の構図である。

 そんな彼らと二年も共に野球をしていた要にとってはこの結果は容易く想像ができた。

 

「兵藤君、キャッチャーでやんすよね。あの二人のピッチャーをどうにかしてほしいでやんす」

 

 なんだその無茶苦茶な理論は、と呆れる要である。

 しかし彼には、友沢及び久遠を釣り出す秘策があった。少なからず身を削る手段な為取りたくはないが、致し方ない。

 

「奢るぞ、友沢」

 

「何?」

 

 帰ろうと部室の扉に手をかけた友沢の動きが静止した。

 

「せっかくだ、久遠の分も俺が奢ろう。お前達とバッテリーを組んだ記念だ」

 

「何を勝手な事を!友沢さんも何か言って――」

 

「ならば40秒で支度しろ」

 

「え?」

 

 友沢の思わぬ発言にフリーズする久遠。矢部や猛田もまさか友沢が行く気になるとは思わなかったのか目を見開き驚いていた。

 唯一、友沢の弱点を理解している要だけは内心ほくそ笑んでいた。

 

「あ、友沢さんも行くなら僕も――」

 

「じゃあさっさと行くでやんすよ〜!!」

 

 気まずそうに小声で呟く久遠。友沢が参加する事により機嫌をよくした矢部にはその声はとどかないのであった。

 

「一緒に行こうぜ、久遠」

 

「仕方ないな……今回だけだぞ!」

 

 置いてかれそうになる久遠に要は肩を回しながらそう述べた。

 素直になれない久遠の姿に、要は少しだけ懐かしさを感じていた。

 

 

 未来では、友沢が肘を壊した事を兵藤は久遠に教えていた。

 オーバーワークを止めなかった自分のせいだと伝えたのである。

 

 三年の時に、久遠と友沢はエース争いをして互いに競い合っていた。その中で起きた友沢の故障。久遠は要へと怒りを爆発させた。

 それ以降、要と久遠のバッテリーは最悪のコンビとなり、会話すらない機械的に決められたサインを交換するだけの関係性とまでなってしまったのである。

 

 今度は違う。

 未来を変えてみせる。

 

 友沢と久遠、二人の表情を見ながら改めてそう誓う要であった。

 

 

 ♢

 

 

 日が完全に沈み照明が照らす中、二、三年生は練習に励んでいた。

 その声を聞きながら守木 独斎は監督室で静かに映像が流れるテレビ画面へと目を向けていた。

 そこに映し出されているのは、友沢 亮の投げる姿である。

 適正テストで野手の視察を行なっていた守木は、主将である養老に依頼しブルペンでの映像を録画するよう頼んでおいたのだ。

 

 彼が注目しているのは友沢ではない。

 友沢が超高校級のプレーヤーであることは、守木は十二分に理解していた。何としてでも友沢をスポーツ推薦で獲得するよう要請したのは彼なのだから。

 寧ろ、彼が注目していたのはその友沢の投球を平然とキャッチする兵藤 要の方である。

 

(兵藤 要。聞いた事がない。中学の実績も皆無に等しい。それなのにこの動き……)

 

 長年、高校野球に携わってきた守木でも評価が難しい選手であった。

 実績が無いのに、少なくともキャッチングの動きは文句無しのそれであった。

 しかし、捕手というポジションはボールを取れればいいだけのものではない。

 

(試合で試すか……どれほどの対応力を持っているか……)

 

 守木がそこまで思考した時に、コンコンと監督室のドアをノックする音が聞こえた。そちらへ目を向け僅かに口を開く。

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 扉を開け、現れたのは銀髪を真ん中で分けた青年。彼は監督に挨拶をし穏やかな表情で近づいた。

 

「検査はどうだった?」

 

「練習に復帰しても良いとの事でした」

 

「そうか」

 

 彼は数週間前にとある故障をし、チームを離れていたのである。今日も学校が終わり次第、病院へ向かい検査をしてきた。

 ようやく復帰の目処が立った事に守木は内心ホッとしていた。

 

「分かっていると思うが、お前は二軍からのスタートとなる」

 

「はい、そのつもりです」

 

 帝王実業では、故障した者は強制的に二軍となる。身体のケアを各人が徹底してほしいという守木の意図もありこのような措置をとっていた。

 

「だが、二週間後に二軍の者で練習試合を行わせようと思っている。その結果次第では即刻一軍に戻す事を約束する」

 

「分かりました」

 

 四月中に一軍へ復帰できる可能性があるのだから彼にとっては十分な提案であった。

 

「ただし、条件がある」

 

「え?」

 

 彼は監督の言葉に続きがあったのかと驚きを示した。

 守木はそのどこかの独裁者のような顔でほくそ笑む。完全に詐欺グループの親玉のそれである。

 

 

「“山口”。お前には一年の兵藤 要とバッテリーを組んでもらう。兵藤を導いて結果を残してみせろ」

 

 彼の名前は山口 賢(やまぐち けん)

 

 故障明けの帝王のエースと兵藤 要がバッテリーを組む事になった。

 未来でも無かったコンビが結成されようとしていたのである。

 

 

 




三兄弟とは言ったが、誰も犬河とは言ってない

幾つか本来の帝王実業高校との変更点があるのでさらっとお伝えします。

・主将に代わる役割である帝王制度は廃止してます。
・本来の帝王実業は男子校ですが、この世界では共学です。むさい男ばかりじゃシナリオ的につまらないかと思ったので。
・まあ後は、先輩には山口さんと例の蛇島さんもいるんですけど、それだけじゃ味気ないので出身高校不明のサクセスキャラを加えています。その内、出てきます。

引き続き、よろしくお願いします


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四月二週目《新たなるバッテリー》

前回もお伝えしましたが、この帝王実業は共学です。

ちなみに、ここからマイライフキャラが一人でます。
一応ヒロインの予定です。


 

 複数の甲高い音が部屋中に響き渡る。

 身じろぎをしながら要は、ひたすら鳴き続ける三つの目覚ましを止めて行く。

 朝練が始まる時間に起きるために目覚ましを追加したのである。

 本来、早起きは苦としていない要であるが、過去に戻ってからというものの寝つきが悪くなっていた。

 

(四月……か)

 

 要は自身のスマートフォンを開き、表示された日付にホッと胸を撫で下ろす。要が過去に戻ってから一週間が経つ。

 要は、眠ってしまえば未来に戻ってしまうのでは無いかという不安からこの一週間まともに寝付く事ができていなかった。

 入学式の次の日には寝坊し、初日から朝練を遅刻するという失態を犯したため、目覚めましを増加しようと決めたのだ。

 

「早く、準備しないとな」

 

 眠い目を擦りながら急いで支度を始める要。

 バックに愛用の黄色のミットと学校の制服を詰め込む。素早く練習着へと身を包み部屋を後にした。

 

 教科書類が昨日の授業のままである事に気づかずに、要は朝練へと向かったのであった。

 

 

 

 帝王実業の朝練は、何か特定のメニューをこなすのではなく各々が自主的に課題をこなすスタンスである。

 しかし、暗黙の了解で新入生の朝練の内容は基本的にはひたすらに走り込みである。

 

「ひぃぃぃ、もうヘトヘトでやんす」

 

「ぜぇぜぇ、さすがに疲れたぜ」

 

 延々と休みなしに続くランメニューは、ただただキツイのである。

 矢部や猛田だけでなくほとんどのものが練習を終え、必死に息を整えていた。あの友沢ですら無言で脇腹を抑えている程なのだ。二度目の経験となってしまった要も同様である。

 

 

「二軍の者、集まれ!」

 

 

 朝練の時間も間も無く終了という時に、二軍の選手が朝練に使用しているBグラウンドに守木が姿を現した。

 すぐさま新入生及び二、三年を含めた二軍メンバーは監督の元へと集合し、整列する。

 守木は全員が揃ったのを確認し、静かに口を開いた。

 

「一軍への昇格をした者を通達する。その者には今日の夕方から一軍のメニューへと参加してもらう」

 

 監督の言葉を聞き、とりわけ三年のメンバー達の間に緊張感が走る。

 帝王実業は完全なる実力主義である。最上級生でも一回も一軍のベンチに入れることなく卒業する事は珍しくない。

 この夏の時期は三年生にとって非常に大切な時期なのだ。

 

「一年 友沢 亮、貴様だ。夕方からはAグラウンドへ集合しろ、いいな?」

 

「はい」

 

 監督のまさかの言葉に、言葉にこそしないもののこの場にいる殆どの者が驚愕した。

 それもそのはず、この時期での一年生の一軍合流はこれまでの帝王実業では前例の無いものであったのだ。その歴史が、一人の天才によって塗り替えられたのである。

 しかし、要が辿ってきた過去でもこれは同じだったため、要はとりわけ驚くことはなかった。

 そして、友沢本人も当たり前だと言わんばかりに平然としていた。

 

「それともう一つ、山口の復帰が正式に決まった。今日の午後より二軍に合流する」

 

 更に続く監督の言葉を聞き二、三年は「おおッ!」と好意的な反応を示した。新入生達にとっては山口がどこの誰かはピンと来てない様子である。

 監督のいう山口が誰を指すのか分かった要は苦笑いを浮かべた。

 

(山口さんかぁ……。あの人、すぐに一軍に行ったから関わる事ほとんど無かったけど、雰囲気怖いんだよなぁ……)

 

 帽子の下から光る眼光を思い出した要。かつては先輩であり実力差もかけ離れていた山口と関わる事は無かった。

 そんな要でも、かつての帝王のメンバーに流れていたある噂を知っていた。

 

 “山口 賢は肩に爆弾を抱えている”という噂である。

 

 本人が何かを語った訳でも無い。

 しかし山口は、超高校級の実力がありながらも引退後にプロ入りもする事が無かったため、その噂だけが広まっていったのである。

 

(すぐに一軍には上がれなかったが、山口さんと組めるかもしれないな)

 

 好投手とバッテリーを組めるならキャッチャーとして学べる事も多い。それが帝王のエースなら、それは尚更だ。この機会を逃すまいと決意する要であった。

 

 

 

「しかし一軍かぁ、すげぇよな友沢。こないだとかバッティングも凄かったしよ」

 

「きっと何かズルをしてるでやんす」

 

「ズルしても一週間で一軍は無理だろうなぁ」

 

 要は猛田と矢部と共に校舎へと向かいながら談笑する。先程の監督の発表に各々の感想を述べる。付き合いの悪い友沢や久遠を除いた、この三人がよく活動を共にするメンツであった。今では昼食も共に取っている。

 

 猛田が話すように新入生が練習に参加して一週間程であるが、既に友沢は投打両面において二軍の中でも圧倒的存在感を放っていたのである。

 

「それでいて女子からモテモテなんでやんすから、神様はとことん不公平でやんす」

 

 この一週間でどうやら友沢ファンクラブなるものが出来たらしく、既に毎回の練習を何人もの女子が友沢目当てで見にきている程だ。

 矢部君の思いには少なからず同意する要である。しかし、こういう事で拗らすと矢部君が面倒なの事もまた知っている要はゆっくりと口を開いた。

 

「矢部君、帝王実業の一軍メンバーというのは一握りの選ばれた存在だ。恐らくこの地区で最も甲子園に近いのは彼等だろう」

 

「急に何を言っているでやんすか?そんな事、当然知っているでやんすよ」

 

 訝しげにこちらに問う矢部君。要はフフフと不敵に笑いながら言葉を続ける。

 

「甲子園は全国放送だ。そこで活躍すれば……ここまで言えば分かるだろう?」

 

「モテモテ……でやんす。それも全国の女子から」

 

「やってやるでやんすよ〜!!」と気合を入れる矢部君。それを焚きつけた要を猛田は呆れた様子で見つめ、一言。

 

「お前って結構酷い奴だよな」

 

「どういう意味だい、猛田」

 

 要は完全なる作り笑いを猛田へ向けた。

 過去の二年間で要が学んだ矢部君の面倒くさい時の対処法その一、無理やりポジティブシンキング作戦である。

 

 その後はすぐに予鈴のチャイムが鳴り、各々が自身の教室へと向かっていくのであった。

 

 

 ♢

 

 

 帝王実業高校は地域でも有名な進学校である。

 要もまたスポーツ推薦ではなく一般入試で帝王に入学した。彼は中学時代この学校に入学するために猛勉強したのである。その甲斐があってか入試の成績は学年トップ10という結果で入学を果たしたのだ。

 

 教師陣も兵藤 要にはとても期待していた。しかし、未来の彼は野球に打ち込み、勉学を疎かにしていった。

 加速度的に落ちていった成績表。三年になった頃にはもはや入学時の頭の良さは見る影も無くなっていた。

 

 そんな彼がタイムスリップした。さて、どうなるか。

 

 

「グー……グー……」

 

 答え、更にバカになる。

 もはや彼は授業を寝るものと捉えていた。と言うか朝練キツすぎるのに夜も寝れない彼は、昼に眠るしかないのである。

 実際、野球部の新入生の殆どは授業中は睡魔との格闘である。

 

「おい!起きろ、兵藤!」

 

「ふぁい!起きてます!」

 

「起きてると言うなら、せめて口元の涎は拭け!それにお前なんで世界史なのに現代文の教科書を開いている!?」

 

 醜態を晒す兵藤。

 その姿を後方から見ていた友沢はため息混じりな頭を抱えていた。

 

「あ、あれ?な、無い!」

 

 ようやく意識を覚醒し、慌てふためきながらバックを探る兵藤。試合中ですら彼がここまで動揺することは珍しいだろう。

 今日の記憶を思い出した要は、教科書を入れ替えていないことに気づく。

 

「先生……俺、教科書忘れてました」

 

「忘れた事よりも、それに気づいたのが授業が始まって20分以上過ぎた後である事の方が問題だ!」

 

 要の物言いに激怒する教師。当然である。

 

「もう良い!八代、兵藤に教科書を見せてやりなさい」

 

「あ、はい」

 

 教師は兵藤の隣の席である女子に声をかけた。思わぬ提案に僅かに動揺する彼女であるが、すくさま凛とした表情で返事した。

 

 彼女は、八代 麻耶(やしろ まや)

 校内でも随一の美人である。要の知っている未来では帝王実業の文化祭で行われたミスコンで三連覇という偉業を成し遂げた程である。

 つい数日前には、この女子と席が隣であるというだけで矢部君がマジギレする事態になった。勿論、うまく収めた要であるが。

 

「あの、すんません」

 

「いえ」

 

 淡々と答える八代に席を寄せる要。

 クラスの男子から鋭い視線を感じる。友沢同様、彼女も既にファンクラブが存在するという噂が流れているのであった。

 かつての記憶でも彼女とは同じクラスであったが、殆ど接点を持つことは無かった要。

 思わぬ事態に彼もまた緊張していた。

 

(別の意味で、集中できないな)

 

 教科書へ目を向けると、彼女の横顔が目に写る。

 艶やかな髪、ぱっちりとした目、桜色の唇。

 見まいとしようとしても少しだけ視界に入れてしまう。

 

(ああ、これはファンクラブがあるのも頷けるなぁ)

 

 なんとなく得心する要。

 前回はこんな事すら思わなかった。それだけ野球に打ち込んでいて、教室での出来事には興味が無かったのだ。

 しかしそれは今回も変わらない。否、変えてはいけないのだ。

 

 兵藤 要には野球しか無いのだ。

 野球をするために、自分の野球人生を、仲間の野球人生を変えるために過去にいるのだ。

 それを履き違えてはいけない。

 

 決意を固め、板書へと意識を集中し直す要。

 とりあえずもう二度と、教科書を忘れない事を固く誓ったのであった。

 

 

 ♢

 

 

「お前が兵藤か。よろしく頼む」

 

 自身へ差し出された手。

 要はその人の相変わらず鋭い目つきと低い声音に思わず笑みを浮かべながら、その手を取った。

 

「よろしくお願いします。山口さん」

 

 先程、監督からの指示を受け、バッテリーを組むことになった要と山口。早速、山口のボールを受けられるとは思っていなかった要である。

 

「早速だが、始めるぞ」

 

「はい!」

 

 山口主体で動き出すバッテリー。

 とりあえずブルペンで山口の肩を温めるためにキャッチボールから始めた。

 

 

 防具を身につけた要は、キャッチャーボックスに静かにしゃがむ。約18メートル先から山口は静かに要を見ていた。

 

「ストレートから入る」

 

 小さく述べ、投球モーションへと入った山口。

 左足が勢い良く上がり、右足に体重が乗る。ボールを持つ右手は背中側にまで持っていく。

 その体制から振り下ろされるオーバースロー。右足に溜めたエネルギーが白球へと乗る。

 

 風を切る音ともにボールが、要の構えるミットへ向かう。

 

(速い……が取れないほどではない……!)

 

 復帰明けともあり、もう少し様子を見るかと思われた山口であるが、思った以上の速度に驚く要。

 しかし、速度で言えば三年時の友沢や久遠の方が早かったため、乾いた音を鳴らしながなら難なくキャッチして見せた。

 

(重っいな!)

 

 ミット越しに伝わるズシンとした球威。

 手に伝わる痛みは友沢のボール以上であった。

 

「ナイスボールです!」

 

 いつまでも痛みの余韻を味わっている余裕はないため、すぐさま返球する要。山口は難なく捕球した要の姿に僅かに驚きを示していた。

 

「……そのままストレートを続ける」

 

「了解です!」

 

 間髪入れずに直球を投げ続ける山口。

 コントロールが甘いボールが時折あるが、球速と球威があるため、総合的にはかなり武器になるストレートだと要は感心した。

 やがて動きを止め山口は要へと目を向けた。

 

「次、フォークで行く」

 

「はい……!」

 

 帝王実業に通っていたものなら誰もが知る。

 山口 賢の代名詞。フォークボール。落差だけなら日本一だろうと言われている。

 それを自分が受けられる。期待と緊張、半々の気持ちでこれまで以上に集中して要はミットを構えた。

 

 ストレートと殆ど同じフォームで放たれたボール。

 軌道もストレートと同じように真っ直ぐ進んだ。ミットを予定通り下方に構える要。

 しかし――

 

(これは、真っ直……ッ!?)

 

 要が真っ直ぐと勘違いしてしまう程、直線的に向かってきたボールは、突如として要の視界から消えた。

 気がつけばミットを構える要の股の間をすり抜けてボールは後方へと転がっていた。

 

「これが……山口さんのフォーク……」

 

 信じられない落差である。

 あまりの衝撃に呆然とする要。

 

 しかしかぶりを振りすぐさま立ち直って見せた。

 

 思い出したのだ、かつては()()()()()()のが普通だった事を。

 捕れなくても友沢に食らいつく事により、かつての要の捕球技術は上昇したのだ。

 絶対に捕球できないボールなど、存在しない。

 

「山口さん、もう一球お願いしてもいいですか?」

 

「ああ」

 

 

 ♢

 

 

 再開されるブルペンの景色。

 山口のボールに必死に食らいつく兵藤の姿を、守木は遠くから見つめていた。

 取れるわけがない。そもそも、あのフォークボールを取れるのは帝王では現主将の養老しかいないのだ。兵藤がすぐにフォークを取れるようになるなど守木は期待してすらいなかった。

 

 しかしそれが出来、尚且つ次の練習試合で勝利をもたらすことができるのならば。

 

(兵藤を一軍に上げる事も検討しておく必要がありそうだな)

 

 しかし、次の練習試合。

 相手は守木が思っていた以上の難敵である。二軍で勝てるかどうかは守木には分からなかった。

 なんせ相手は一週間前まで野球部が存在しないような無名高だったのだ。

 

 しかし、その学校は一週間の間に練習試合を二つ行い。二つとも圧勝していたのだ。その内、一校は昨年の地区予選ベスト16で我らが帝王実業でも決して侮れない相手である。

 この一週間で対戦校の評価は劇的に変わっていた。

 

 

 その学校の名は――聖タチバナ学園。

 

 いずれプロへも登る逸材バッテリーが、帝王へと牙を剥こうとしていた。

 

 




という訳で次回は聖タチバナ学園相手の練習試合をやろうかと思っています

ちなみに八代 麻耶はパワプロ2012ぐらいのマイライフの嫁の一人です。そして、私がマイライフにハマってしまった元凶ですね。
彼女の出身校は勝手ながら帝王実業になりました。


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四月三週目《練習試合を前に》

この話で試合を始めるつもりが……

ちなみに、聖タチバナ学園の戦力増強のために、パワプロ君を加えました。
今後も主力高にはそれっぽい選手が出てくると思います。


 

 要と山口がバッテリーを組み一週間が経った土曜日。

 帝王実業高校の二軍メンバーが使用するBグラウンドに、オレンジを基調とするユニフォームを着飾った他校のチームを迎えた。

 今日の練習試合の相手である《聖タチバナ学園高校》のメンバーである。

 部員は10人ちょっとと試合をできるかもギリギリの人数。それに加え聖タチバナのメンバーで特に目立つ二人、それを見た一部の帝王の二軍メンバーは嘲笑うように指を指した。

 

「おいおい、女子が混じってるぜ」

 

「本当に野球できんのかぁ?」

 

 彼らは河村と長谷川。共に二年生であり今日の練習試合にも出場する選手である。彼が指差す先にいるのは聖タチバナのユニフォームに身を包みアップを行なっている二人の女子である。

 要はその二人を知っている。厳密に言えば二人の未来の姿を知っているのだ。

 

 水色のショートカットをてっぺんで結んだ髪型が特徴の少女は《(たちばな) みずき》。類稀なコントロールを持つ左のサイドハンド。決め球は独特の軌道で変化するスクリュー型のボールである。

 もう一人の紫色の髪を後ろで結んでいる少女は《六道 聖(ろくどう ひじり)》である。打撃では正確なミート力を持ち、守備では高いキャッチングセンスを見せる捕手。

 聖タチバナが誇る黄金バッテリーであり、帝王実業を何度も苦しめてきた難敵であった。

 付け加えるなら後のドラフトでは二人ともプロに指名されている。

 

 それほどの実力を持つペアである事を要は知っていたが、先輩相手に伝える事は難しいため黙っていようと決めたのであった。

 

「煩わしい。いい加減口を閉じたらどうだ」

 

「はぁ?なんだよ山口ィ!」

 

 橘や六道をバカにしている河村と長谷川の元に、今日の先発である山口が現れる。山口の言葉に遠藤が反発する。

 

「女だという理由で敵を侮るのをやめろと言っているのだ。その油断で足下を掬われてしまえば、帝王の名に泥を塗るような事になりかねん。肝に銘じておけ、たとえ二軍でも我らは帝王の一員であると」

 

「その通りだよ」

 

 山口の言葉に合わせて現れたのは、三年の吉田。今日の試合のゲームキャプテンであり、普段の二軍の練習でも率先して声出しをするなど部員や監督からの人望は厚い選手である。

 

「僕たちは帝王実業のメンバーだ。たとえ相手が誰であろうと負けるわけにはいかない。だから、河村と長谷川にも全力で臨んでほしい。頼めるかい?」

 

「……分かりました」

 

「はい……」

 

「うん!それじゃあよろしく頼む。山口もほどほどにね」

 

 先発からの言葉に、内心はともかく大人しく従う河村と長谷川であった。その様子を見届けた吉田は満足そうに頷き、苦笑いを浮かべながら山口へも告げた。その言葉に山口はコクンと頷きで応える。

 

 その様子を眺めていた要はホーッと感心しているような様子であった。

 

(吉田さん。前の時はほとんど絡みなかったから知らなかったけど、頼りになるなぁ)

 

 かつての要は実力が足りず最初の半年というもののほとんど試合には出ていなかった。そのため三年である吉田があのように皆をまとめている姿を見るのはこれが初めてであった。

 

 それに加え、先ほどの山口の姿。

 彼とバッテリーを組んだ一週間で要の中の山口の印象は劇的に変わった。最初は眼光鋭い無口の怖い先輩というイメージであったが、実際にバッテリーとしてコミュニケーションを交わしていくと、彼がいかに野球に対して真摯なのかよく理解できた。また、エースとしての責任感も強くチームに対する思いも深い。

 強豪校のエースたるべき存在だと要は思っていた。

 

「思ったよりも、今日はどうにかなりそうだ」

 

 練習試合の相手校が聖タチバナと聞いてから要は内心焦っていた。彼女達の強さを知っているのは自分しかおらず、未来を知っているなどという与太話を信じてもらえるはずもない。

 自分が頑張らねば、と内心考えていた要であるが、吉田や山口の姿を見ればそれが杞憂だった事がはっきり分かる。その為、少なからずホッとしたのであった。

 

「兵藤君は、高校初の試合なのにずいぶん落ち着いてるでやんすね。オイラはさっきからお腹がキリキリするでやんすよ」

 

 兵藤の隣に現れた矢部君が羨ましそうに述べる。

 今日の試合、一番バッターで出場する矢部君は先程からトイレとベンチの往復を繰り返している。流石に初試合、緊張するのも当然である。

 ちなみに五番で出場する猛田は緊張をほぐす為に先程から猛烈にバットを振り回していた。試合前に体力が無くならないか心配である。

 

「まあ、俺たちは先輩達みたいにチームを背負うなんてまだできないし、気楽にいこうぜ。それに、なんかやらかしてもあの人達がフォローしてくれるだろうしな」

 

「うーん、まあそれもそうでやんすね」

 

 今日の練習試合、二軍とはいえ要も含め一年生でのスタメンは三人もでている。久遠も後半からの登板を監督から約束されていた。

 確かに監督は彼らに期待をして試合に出場させている。しかしそれは結果ではなく、この先の可能性を見定めるためのものだ。この機会を要はそのように判断していた。

 

(まあ、口でこう言うけど俺の場合、結果は必要だろうな)

 

 捕手はとりわけ特殊なポジションである。守備面における負担は他のポジションを遥かに凌ぐものであり、どうしても経験が必要である。

 強豪校で一年生の捕手のレギュラーなどそうはいない。

 あり得るとすれば、圧倒的なセンスの持ち主か確実的な結果を残した者に限られるだろう。

 

 今の自分は、そこを目指している。

 

 恐らく監督も要に対してそのような期待をしている。その理由は山口とバッテリーを組ませた事で明らかだ。

 間違いなくこの練習試合が終われば一軍へと復帰するであろう投手と他の捕手を差し置いて自身と組ませたのだ。

 もし、この期待に応えられるのであれば現段階での一軍昇格も可能かも知れないと要は考えている。

 

 何より思い出すのは、先週。

 友沢が一軍への昇格が告げられた日に要に述べられた言葉。

 

『先、行くぞ』

 

 無表情を崩し僅かに勝ち誇った笑みを浮かべながら友沢はそう言ったのだ。正直に言えば、彼が先に昇格した事より選手として意識された事に嬉しくなっていた要である。

 

 しかし、それで満足するつもりはない。

 

「そろそろ、だな」

 

 聖タチバナがシートノックを終えたのが見えた要は矢部君にそのように呟く。緊張した面持ちを見せる矢部君。

 

「さあ、行こうか」

 

 好戦的な笑みを浮かべた要。

 久しぶりの試合へ向けて準備を始めるのであった。

 

 

 ♢

 

 

「何アイツら!?人の事、馬鹿にしてっ!!」

 

「落ち着けみずき。いつもの事だろう」

 

 帝王の一部のメンバーが、こちらを指差している姿を見て憤るみずき。それを止めるのは相棒であるキャッチャーの聖。

 彼女が述べるように、女子である二人が男子と同じフィールドで野球をする事を馬鹿にする者は珍しくない。自身の学校の生徒達ですら彼女達の姿を見て揶揄う者がいる。

昨年から公式戦にも出場できるようになった女子選手だが、まだまだ女子選手の出場を認めている野球部は少なく、世間的には女子選手の出場が歓迎されていないのが現状であった。

 

「大丈夫、みずきちゃん達が凄いのを俺たちはよく知ってるから」

 

 二人に声をかけたのは、彼女達と同じ一年の木波 球介(きなみ きゅうすけ)。聖タチバナ野球部の監督に彼女達の入部を説得した功労者でもある。

 

「こないだみたいにさ、野球の実力で見返してやろうよ!」

 

 木波の言っているのは先週の練習試合。

 みずきと聖の姿を見て嘲った相手を点差を突き放し圧勝したのだ。

 

「木波君のくせに生意気だけど……そうね、それしか無いもんね……。よーし!コテンパンにしてやるわよッ!」

 

「やる気を取り戻してくれたのはいいが、みずきはリリーフだぞ、分かっているのか?」

 

「分かってるわよ!」

 

 木波の言葉に納得するみずき。

 彼の言葉に安堵したのか二人の調子もいつもの通りに戻る。

 

 

 彼らの前で行われる帝王野球部がシートノックを行う姿。二軍といえどそのレベルは非常に高い。

 それでもこのチームは決して劣ってはいないと木波は考える。

 

「さあ、行こうか」

 

 帝王側も準備を終え、いよいよ試合が始まる。

 

 聖タチバナ学園は今、積極的に練習試合を組んでいた。野球部のレベルアップの意味も当然あるが、それよりももっと大切な事がある。

 

 これは、存在証明。

 

 野球部の主力である橘 みずきと六道 聖。彼女達がこれからも野球に打ち込めるようにする為に、自分達の実力を周囲に認めさせる必要がある。

 

 二軍といえど相手は地区最強の帝王実業。

 彼らに勝てれば、自ずと周りの雰囲気も変わる。

 

 聖タチバナ学園にとって、この一戦は大きな意味を持っていた。

 

 

 ♢

 

 

「集合!!」

 

 球審の合図に合わせて両チームから選手が走り込む。

 グラウンドの周りには少なくないギャラリーがおり、まばらな拍手に選手達は包まれた。

 伝統ある帝王実業のOBや父兄は中々熱心な人が多く、二軍の練習試合すら見にくる者もいる。加えて今日は帝王のエースである山口 賢も投げるため、その数も結構な人数であった。

 ちなみに、今日の審判達も資格を持った帝王実業のOBだ。

 

「これから帝王実業高校と聖タチバナ学園高校の練習試合を始めます。礼!」

 

「「お願いします!!!」」

 

 両者が同時に挨拶をし、帝王側はベンチへ、先に守備に着く聖タチバナナインはグラウンドへと散って行った。

 

 

 ベンチへと戻り山口は兵藤へと声をかけた。あまり、積極的に会話をすることが無い山口が声を掛けてきたため驚く兵藤。

 

「緊張しているか?」

 

「……そこそこですかね」

 

 苦笑いを浮かべながらそう答える兵藤の姿は、山口から見てもあまり緊張しているようには見えなかった。

 高校最初の試合でも余裕がある姿は、コンビを組む山口にとっても頼もしいモノであった。

 

「山口さん。手加減とかはしなくていいんで、本気で投げてください」 

 

 その兵藤の言葉に、山口は彼とバッテリーを組んできた一週間を思い出す。山口の持ち玉であるストレートとカーブは難なく捕球できた兵藤であるが、決め球のフォークに関しては殆どが捉える事ができていなかった。

 

 その為、確かに山口の中でフォークを投げる事に躊躇いが生じていた。

 現に今も、ストレートとカーブでも十分に抑えられるだろう、と伝える為に兵藤に近寄ったのだ。

 

「まあ、取れなかったとしても――」

 

 山口は、兵藤の表情を見て、自分の考えがこのキャッチャーに対して失礼なものだったと悟った。

 

「なんとかします」

 

 キャッチャーとしてピッチャーの実力を殺すのはありえない。

 そんな兵藤のキャッチャーとしてプライドがありありと山口へ伝わっていた。

 

 

 一番バッターとして出場した矢部 明雄がバッターボックスへと入った。

 迎え撃つ聖タチバナの投手は、細身な美形の男《宇津 久志(うつ ひさし)》。

 

「プレイ!!」

 

 球審の宣言を合図に、練習試合が幕を上げた。

 

 




次からはちゃんと試合をします。
両チームのオーダーを書きます。本当は本文にて書こうと思ったのですが、書くタイミングを失ったので……見辛かったら申し訳ないです。

ちなみにフルネームのキャラは既存のキャラか、パワプロ君です。
苗字のみのキャラは、ザコプロ君です。

《帝王実業二軍メンバー》
一番矢部 明雄 一年 右投右打 中堅手
二番玉木    二年 右投左打 二塁手
三番吉田    三年 右投右打 三塁手
四番河村    二年 右投右打 一塁手
五番猛田 慶次 一年 右投右打 左翼手
六番山口 賢  二年 右投右打 投手
七番遠藤    三年 右投左打 右翼手
八番長谷川   二年 右投右打 遊撃手
九番兵藤 要  一年 右投左打 捕手


《聖タチバナ学園高校メンバー》
一番木波 球介 一年 右投左打 遊撃手
二番原 啓太  一年 右投右打 二塁手
三番六道 聖  一年 右投右打 捕手
四番大京 均  一年 右投右打 左翼手
五番戸川    二年 右投左打 一塁手
六番田村    一年 右投左打 右翼手
七番大村    二年 右投右打 中堅手
八番長山    二年 右投右打 三塁手
九番宇津 久志 一年 右投右打 投手


よろしくお願いします。



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四月三週目《VS聖タチバナ学園高校①》

試合描写って難しい
分かりづらいとか、ここをこうしろとかあれば教えてください。


 

 カキィンという金属音がグラウンドに鳴り響いた。

 音と共に白球が高々と上がっていく。一塁にいたランナーは打球の落下点を確認する事なく次の塁を目指し走った。

 

「レフト!」

 

 掛け声を聞きながらレフトの守備につく《大京 均(だいきょう ひとし)》はゆっくりと後退し、弧を描き落ちてくるボールをグローブに収めた。

 

「アウト!チェンジ!」

 

「よしっ!」

 

 聖タチバナの先発である宇津はレフトの大京がしっかりとキャッチしたのを確認し拳を握りしめた。

 審判のコールを聞き、「ナイスピー!」などと宇津を称えながらベンチへと下がってゆく聖タチバナのメンバー。和気藹々といい雰囲気でスタートを切った彼等とは対照的に、帝王実業のナインの表情は決して芳しくはない。

 

 一番の矢部は空振り三振。二番の玉木はショートゴロ。三番打者であり本日のゲームキャプテンでもある吉田がセンター前にヒットを放つものの、四番の河村がレフトフライで倒れた。

 

 弱小高と侮っていた相手に抑え込まれた。何なら河村や長谷川と言った聖タチバナのメンバーを馬鹿にしていた者達は、初回から猛攻を仕掛けて格の差を見せてやろうとすら考えていた。

 そう考えていたのに、呆気なく四人で終わった。あまり気分の良いものでは無い。

 

「チッ。案外スピードあんぞあのピッチャー」

 

 ベンチへと戻ってきた河村が忌々しそうに宇津の事を評価する。140km/h近い速球が手元までノビてくるのだ。並の投手ではない事は確かである。

 

「とにかく、切り替えてしっかり守って行こう!」

 

 二軍の試合では、監督である守木はベンチにはいない。スタメンや投手の使い方などがゲームキャプテンに指示されている。毎回の練習試合でゲームキャプテンとして任された上級生が現場の判断を全て担うのだ。そうする事によって各々が自主的に考えさせる事が狙いである。

 ちなみに守木も遠くからであるもののしっかりと練習試合を見ているのであった。

 

 ゲームキャプテンである吉田の激を受けてから守備へと散っていく帝王実業ナイン。

 

 マウンドには前もって予告されていた山口 賢が立つ。そして、彼とコンビを組みマスクをつけるのが兵藤 要。

 投球練習を行う山口。その一球一球が力強く要の構えるミットへと向かって行く。

 

「次、ラストです!」

 

 コクンと頷き、真上から投げ下ろされるボール。一段と力強いボールが鋭くミットに突き刺さる。乾いた音を奏でながらミットは一切ブレる事なく白球を捉えてみせた。

 

 投球練習が終わったのを確認し、聖タチバナの一番バッターである木波が左打席へと入った。

 要はバットを構える木波へと目を向ける。

 

(足が速く、思いっきりの良いバッターという印象である。しかしそれよりも厄介なのは、この男が聖タチバナの中心であり、活躍するとチームが乗り始める)

 

 かつての記憶で、聖タチバナとは何度か対戦している要であるため、主力の選手の情報はある程度頭に入っていた。

 木波 球介、彼はその中でも抑えておきたい選手である、と考えていた。

 

「プレイ!」

 

(ストレートを、アウトコースに)

 

 要は球審の掛け声と共に山口へサインを送る。

 山口は躊躇う事なく頷き、投球モーションへと入った。

 

 足を思いっきり上げ、ボールを握った右腕は背中に後ろにまで回し、そこから一気に上方から振り下ろす。

 “マサカリ投法”。かつての球界のレジェンドが投じていたフォームである。山口も自分が最も力を発揮できるスタイルを目指した結果、このフォームへと至ったのであった。

 

 力強く投じられたボールは、要の要求通り一直線にアウトコースへと向かっていく。

 ズンという重い音ともにミットへ収まった山口のストレート。

 その速さ、その球威に驚き、木波は手を出す事ができなかった。

 

「ストライク!」

 

(これならストレートで押せるな)

 

 確信した要は、更にストレートのサインを続ける。当然、山口も拒否する事はない。

 高めへと構えられたミット。高さあるため先程よりも手元でノビて来る直球。

 詰まるところ釣り玉に木波は手を出し、彼のバットを空を切った。

 

「ストライクツー!」

 

(カーブを、なるべく低く)

 

 140km/hを優に超えるストレートから、20km/h以上も減速したカーブが投じられた。

 思わぬ緩急に腰砕けになりながら木波はバットへと引っ掛けながら当てた。ショートを守る長谷川の元へボールがバウンドした。

 

 打球は何の変哲もないショートゴロである。しかし、ボールを取った長谷川はファーストへと視線を向け驚愕した。

 当たりが悪くとも全力で駆け抜けた木波が、ファーストベースへと詰め寄っていたからである。

 急いで送球する長谷川。ファーストの河村も最大限に身体を伸ばしボールをクローブへと収めた。

 

「アウト!」

 

 側から見れば同着、あるいは僅かにランナーの方が早かったように見えたが塁審の判定はアウト。

 内野安打スレスレのショートゴロであった。

 

(速い。いきなり塁に立たれたら危なかったな……。さて、次は……好打者の原)

 

「よろしくなぁ」

 

 マスク越しに目があった原が軽く挨拶をしてきた為、会釈する要。彼とバッターボックスでの立ち振る舞いに注目する。

 

(グリップは短い。確実に当てるつもりか)

 

 サインはやはりストレート。

 狙うは右打者である原のインロー。

 中々厳しいコースへ向かった直球であったが原は反応し流す。

 

「ファール!」

 

 ファースト方面のファールゾーンへとボールは切れた。

 更にストレートを要求する要、今度はインハイ、ボールゾーンにはずすものを要求する。

 投じられたボールに原は反応するが、途中でスイングを止めた。

 

「ボール!」

 

 3球目もストレート。アウトローへとミットを構える。

 投じられたボールをギリギリゾーンから外れていると判断し原は見送った。

 

「ストライクツー!」

 

「なッ!?」

 

 ストライクのコールに驚く原。審判にジロっと睨まれたため彼はすぐさまピッチャーへと視線を向けた。

 

(――入ったか)

 

 ボールを受けた要もわずかに外れたと思っている。

 しかし、ストライクかボールを判断をするのは球審であり、彼らがストライクだと思えばいいのだと、要は考えている。

 

 今のは言うなればフレーミングというキャッチングの技術だ。

 ゾーンギリギリのコースは審判といえど判断が難しい。ゆえにキャッチャーのミットも審判にとっては判断材料となる。

 捕球技術に長けた要は、とりわけこのストライクゾーンを広げるフレーミングを得意としていた。

 

 原が動揺している隙に直球で押す要。

 続いて山口から投じられた一球を打ち上げショートフライとなった。

 

「お願いします」

 

(来たか……六道 聖)

 

 凛とした佇まいで打席に立ったのは、聖タチバナの正捕手である六道。ミート力のある好打者であり、ささやき戦術を好む捕手であった。現に先程、打席に立った矢部も急に声をかけられ動揺していた。

 

(ささやき戦術……そう言えばいいネタがあったな)

 

 要のサインで初球からカーブを投じる山口。

 思わぬ一球に驚きながら六道は見送った。

 

「ストラーイク!」

 

「ふぅ」

 

 ゆったりと弧を描くカーブはゾーンへと入り、カウントを稼いだ。

 息を吐き再びバットを構える六道。中々集中しているように要には写った。

 

「六道さん、俺、一つ君に恨みがあるんだ」

 

「は?」

 

 突然、話し出した要にびくりとする六道。すかさず要はサインを山口へと送る。

 要求されたストレートをアウトコースへと決める山口。六道も反応したものの空振ってしまう。

 

「ストライクツー!」

 

「あ、ちなみになんで恨んでるかは教えませーん」

 

 軽い口調で言葉を続ける要。ああもう無視しようと決めた六道であった。

 

 実際は恨んでいると言うほどではないが、かつて自分が指名されるはずだったバルカンズに彼女が代わりに指名された。実力主義の世界なのだ、彼女が悪いなどとは要も思っていない。それでも、一生忘れてやる気もない。

 

 彼女が困惑するのも当然である。六道にとっては要は今日が初対面であり、会話も交わしたことがない相手から恨まれているというのだ。

 

 思った以上に効果がありほくそ笑む要。この男、性根が腐っていた。

 

 続けて出した要のサインに、山口の動きが一瞬止まる。しかし、要は頷くことにより再度、そのサインを強調した。

 

(調子がいい今だからこそ、投げてください)

 

 二つの指で挟んだボールが投じられた。

 ボールはストレートと同じ軌道で直進する。今度こそ捉えたと思った六道はバットを振るった。

 しかし、ボールはバットの遥か下を通過し、ホームベースへとワンバウンドした。

 無規則にバウンドしたボールを身体で止める要。

 

「――ッ!!」

 

「キャッチャー逸らした!」

 

 要の姿を見た聖タチバナベンチからそう声が届き、六道は振り逃げをし一塁へと走った。

 僅かにボールを後方へと転がした要であったが、すぐさま拾い一塁と投げた。

 

「アウト!チェンジ!!」

 

 六道が一塁に到達するよりも早く、要が送球したため振り逃げを失敗に終わらせた。

 塁審にコールを受け、帝王ナインはベンチへと下がる。

 早足で戻る要に山口が近寄り、グラブを構えてきた。

 

「よく止めた、兵藤」

 

「コースが良かったので、なんとかなりました」

 

 先程のワンバウンドしたフォークへの対応を褒める山口に、苦笑いを浮かべながら要は答え、山口のグラブに自身のミットを重ねた。

 

 初回を三者凡退と仕留め、最高の立ち上がりを迎えたバッテリーであった。

 

 

 ♢

 

 

 続く二回表に局面は動き出す。

 先頭の猛田は高ーいサードフライでアウトだったものの、エース山口がライト前に流し打つ。

 七番の遠藤が堅実に送りバントを決め、八番の長谷川が初球のストレートを捉えライト線へのタイムリーツーベースを決めた。

 2アウトランナー二塁という状況でバッターボックスへと立った兵藤は、先ほどの意趣返しとばかりに六道のささやき戦術に会い、ショートライナー。チャンスを生かす事は出来なかった。

 

 

 そして二回裏、引き続き山口の快投が続く。

 聖タチバナの四番、大京を力で押し切りライトフライに、そして続く戸川を空振り三振で切って取った。

 六番の田村はゴロに抑えたものの、ショートのエラーにより出塁する。しかし冷静に対処した山口・兵藤バッテリーは続く大村を空振り三振で打ち取って見せた。

 

 

 さらに三回表。

 帝王実業の上位打線がつながり、結果的に猛田がポテンヒット打点を稼ぎ、点差を更に一つ付けるのであった。

 徐々に差を広げられた聖タチバナ学園、しかし彼らもこの回で打順が一周する。本当の勝負はここからであった。

 

 

 

 三回裏

 八番の長山がサードゴロ。九番ピッチャー宇津が空振り三振に抑えられる。

 ここで先程俊足を見せた、木波へと打順が回った。

 

「お願いしますッ!」

 

 気合を入れて打席に入る木波。

 ここまで聖タチバナ学園は山口を相手に一本もヒットを打ててない。

 何としてでも出塁するという決意を抱いている木波は、先程ベンチで六道に言われた言葉を思い出す。

 

 

 

『山口さんの弱点?』

 

『うむ。先程、田村がエラーで出塁した時に確信したのだ』

 

 突如、六道に言われた言葉に驚く木波。

 そんなものがあるのなら早く教えて欲えてくれとばかりに詰め寄る木波。

 

『ち、近いぞ!は、離れろ!……コホン、あの人の弱点、それはあのフォームだ』

 

『あのダイナミックなやつが?』

 

 山口の投じた力強いボールを実際に感じた木波には、弱点というものが一つたとりとも浮かんではこなかった。

 

『ああ、力強くがそれに加えてタメがあるあのフォームは、クイックが苦手なんだろう……現に、田村が出塁した時もセットポジションではあったが投球自体は決して速くはなかった』

 

『なるほど……』

 

 六道の言葉に合点がいく木波。そこまで言われれば後はやるべき事はシンプルである。

 

『塁に出れば……』

 

『うむ、おのずと局面は動くはずだ』

 

 

 自分の最大の持ち味である足を生かす。そう決意し、バッターボックスに立つ木波。

 正面からぶつかるだけでは、今の自分たちに山口を打ち砕く力はない。

 

 ならば、強者を翻弄しろ、掻き乱せ。

 

 

「セーフティッ!?」

 

 木波はバントの構えを取り、投じられたボールが当たった瞬間、一塁へと駆け抜けた。

 絶妙な勢いで白線上を転がるボールを、サードを守る吉田も、キャッチャーである兵藤も見送った。

 

 その結果、ボールは白線の上で完全に勢いが無くなる。

 

 彼らがボールを拾っても時すでに遅く、木波は悠然と一塁ベース上へと立っていた。

 

(俺がチャンスを広げて見せる)

 

 広くリードをとる木波に、山口の牽制が入る。非常に速い牽制をする山口であるが、木波も負けじと反応し帰塁してみせた。

 

(嫌がってる。やっぱり聖ちゃんの言った通りなんだ)

 

 これなら勝算があるかもしれない。

 あれだけ凄い投手でも塁上なら五分で戦える。

 

(――投げた!走れッ!!)

 

 木波は盗塁を仕掛けた。

 走ると決めたなら、脇目も降らず走り抜く。それが自分の最大の長所なのだから。

 

(いけるッ!……え?)

 

 木波が二塁へと迫った目前。

 ベースカバーに入った選手が下方に構えるグローブに、白球が吸い込まれた。

 完璧な送球がホームから届いていた。

 

「アウトォ!!チェンジ!」

 

 塁審の宣言を聞き、木波はその場で立ち尽くしながらホームの方へと目を向ける。

 キャッチャーボックスから離れた位置に“立っている”兵藤の姿が目に映った。

 

(完全に読まれていたのか)

 

 木波と目線があった兵藤はマスク越しに不敵な笑みを浮かべながら口を動かした。

 距離があるため、何と言ったか当然聴こえないが、木波には何となく分かってしまった。

 

『甘いぞ』

 

 聖タチバナのメンバーは勘違いをしていた。

 山口があまりにも快投を見せるため、彼ばかりに意識が向いていた。

 

 だが、違った。

 

 山口は凄い。それは当然だ。

 しかし、その凄さを何倍にも高めているのが、この男なのだ。

 

 

 兵藤 要が、聖タチバナ学園に立ちはだかる。

 

 




とりあえず今のスコアは三回終わって2ー0で帝王実業が勝ってます。
聖タチはみずきちゃんがまだ投げてません。本当の勝負はそっからです。

と言うかどっちが主人公なのか分からなくなってくる。


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四月三週目《VS聖タチバナ学園高校②》

いや、長い

ほんと他のパワプロ小説書いてる方、凄いなと思います。


 

 四回表

 七番の遠藤がセンターライナーにより倒れたものの、八番、長谷川がサードの送球エラーにより出塁する。

 1アウトランナー1塁という場面で、兵藤が打席に立った。

 

 ピッチャー宇津は細身な見た目の印象通り、スタミナにはあまり自信がないのが疲労している印象が見受けられた。

 聖タチバナの正捕手である六道は、バットを構える兵藤の特徴を改めて考える。

 

(先程のショートライナーもほぼ完全にボールを捉えていた。パワーは無いが、ミートの技術は中々と見るべきか……)

 

 六道はサインを出し、宇津はすぐに頷いた。

 左バッターのインローに構えたミットに、ノビのある直球が向かう。しかし、セットポジションとなり先程までの力は感じられなくなっていた。

 

「ストライク!」

 

 ゾーンギリギリのボールを構えを崩す事なく悠然と見送った兵藤であるが、結果はストライク。

 微妙な判定であるものの、兵藤の目には一切の動揺が見られなかった。

 

「スライダー待ちか?」

 

「さて、どうだろうな」

 

「……成る程、では次はスライダーだ」

 

 六道のささやき戦術に対して軽妙に答える兵藤。

 宣言通りのスライダーをインコースから内へ曲がるように注文する六道。

 

 投げられたボールに、反応する兵藤であるがハーフスイングで止めた。スライダーはワンバウンドし完全なボール球となったからである。

 

「ボール!」

 

「次はストレートか」

 

「む……。そうだな、ストレートでいくとしよう」

 

 兵藤から声をかけられた六道。

 次に考えていた球種を告げられ驚くが、冷静に返答して見せた。サインを変更する事はない。

 

 アウトローにストレートが投げ込まれる。

 

 しかし、読み合いを制したのは兵藤であった。

 キィンと音が鳴り、ボールが金属バットに捉えられ飛ぶ。

 流し方向に飛ばしたボールは、山なりに弧を描きながからレフト線へと落ちた。兵藤の技ありのヒットである。

 しかし、レフトの大京もしっかりと対応した為、ランナーを一つ進めただけに終わった。

 

 ヒットを放ったにもかかわらず、ファーストベースの上に立つ兵藤の表情は余り良いものではなかったのが、六道の印象に残った。

 

 1アウト、ランナー1、2塁となり、続く一番の矢部はと言うと。

 

 

「やってしまったでやんす〜!!」

 

 セカンド正面のゴロとなってしまった。

 4ー6ー3のダブルプレーにより、帝王実業の四回の攻撃は無得点に終了した。

 

「よしッ!!」

 

 苦しかったイニングが続いた宇津は、珍しくガッツポーズしながら叫んだ。

 

 流れが、変わり始める。

 

 

 ♢

 

 

 四回裏

 

 

「しゃあッ!!」

 

 雄叫びを上げたのは先頭バッターとして立った原。非力ながら持ち前のミート力により何度もファウルゾーンへボールを弾く事によって、好投を続けていた山口から今日初のフォアボールをもぎ取ったのだ。

 

「すみません、タイムを」

 

 すかさずタイムを取りマウンドへと駆ける兵藤。六道や大京と言った警戒すべきバッターが続くため当然の判断である。

 

「お前の構えているところに投げ切れなかった。すまない」

 

「いえ、俺もフォークのサインを躊躇っていたので」

 

 四球を出した最後の一球を悔いる山口であるが、彼は制球よりも球威で押すタイプの投手である。僅かに外れたボールを山口の責任する事はできない。

 要も聖タチバナ学園の1巡目の打者に直球が通じていたため、キャッチングにおけるリスクのあるフォークを避けていた。

 

「此処からはフォークも混ぜていきましょう。バッター優先で確実に三振を取りに行きます」

 

「ああ、それで構わない」

 

 両者のグラブを当ててから、マウンドを離れる要。その背を見た山口は静かに口を開いた。

 

「兵藤!」

 

 その声に途上で立ち止まり、半身で振り向く要。

 

「最初に言われた通り手加減をするつもりはない。ついて来い、この俺に」

 

「はいッ!!」

 

 大きく返事をしキャッチャーボックスへと戻る要。

 一塁ベースに立つ原へと視線を向ける。

 

(原は足もあるが……先程の回、目の前で木波を刺したんだ、そう簡単には走れないはず。何より、折角の得点機、無駄にはできないだろ)

 

「お願いします」

 

 三番の六道 聖が主審へと挨拶しながらバッターボックスへと立った。

 先程の打席、六道はフォークボールを空振りし三振となっている。フォークの軌道は一度目にしている。

 

「今度は何も言わないのか?」

 

 無言を貫き思考する要に、六道から声をかけた。

 

「ネタが尽きたからな」

 

 言葉を交わしながら山口へとサインを送る。

 

「次はストレートだな、私ならそうする」

 

 ストレートのサインを。

 誘導か、本当に読まれているか、それは要には分からない。

 それでもそのまま力押しで行く。それだけの力が山口 賢という投手にはある。

 

 サインに頷いた山口はセットポジションから投球モーションへと移行した。足を振り上げ、軸足のタメを生み出すそれはセットポジションとしてかなり遅いモーションであった。

 

「スチール!」

 

「なッ!?」

 

 ファーストを守る河村の大きな掛け声に驚愕した要。彼の視線の端では次の塁へ走る原の姿が映った。

 

 先程の回、聖タチバナ一の俊足を誇る木波が仕掛けた盗塁を、要は完全に刺して見せた。

 そのためそう簡単には盗塁を仕掛けてこないと判断した要であるが。

 

 原は躊躇うことなく初球から走って見せた。

 

「ストライク!」

 

 六道が見逃したストレートはアウトハイに決まり、球審がコールする。

 それを確認し、間髪入れずにさらにサインを送る。

 

 山口から投じられたカーブにバットを合わせる六道。

 

「ファール!」

 

 六道がカットしたボールはファールゾーンへと切れた。

 

「ふぅぅ」

 

 深く息を吐く六道。

 彼女の集中力は極限まで高まっている。

 その雰囲気に要は警戒心を抱く。確実な空振りを奪う為に、決め球のサインを出す。

 

(なるべく低くお願いします。絶対に捕るので)

 

 ジェスチャーで低めへの投球を促す。

 ワンバウンドすれば捕球の難易度は上昇する。それでも一切躊躇う事なく要は、山口のフォークボールを要求した。

 

 要も目を見開き意識の全てをキャッチングへと向けた。

 

 山口の剛腕から白球が振り下ろされる。

 要求したコースよりもボールは若干高い位置にあった。しかし、山口のフォークの落差を考えれば誤差の範囲である。

 

(このコースなら確実に……いや、六道の体勢が崩れていない……!?)

 

 まさか、狙っていたのか。

 

 その言葉が要の脳裏を過った瞬間、白球をバットが捉えた金属音が鳴り響いた。

 

 

 ♢

 

 

 「ふぅぅ」

 

 深く深く息を吐く六道。

 昔から集中力にかなりの自信があった彼女には時折訪れる現象がある。

 バッターボックスに立ちピッチャーの球を捉えようとしている時、キャッチャーボックスでピッチャーの球を受けている時。

 

 いずれの場合もピッチャーのボールがスローに見えた。白球の縫い目や弧を描く軌跡が完全に目視できた。

 彼女の親友である橘 みずきはそれを“超集中モード”と名付けていた。

 

 集中のピークが、超集中モードが来た。

 流れを変えられる絶好の場面でそれは訪れたのだ。

 

 追い込まれた自身に投じられる球種が何か、六道には容易に想像ができた。

 山口の決め球であるフォークボール。

 恐らく兵藤はこのボールに関しては捕球できる絶対的確信が無い。

 

 それでも兵藤なら、躊躇う事なく山口へと要求するだろう。

 

 なぜなら。

 

(私も、そうするからだッ!!)

 

 鋭く落ちるボールを六道のバットが捉えた。

 キィンという鳴り響く金属音が、彼女が山口の決め球へボールを当てた事をなによりも証明している。

 

 

 しかし、その打球の軌道を見て六道は歯噛みした。

 

 球種もコースも自身が読み勝っていた。

 心身共に最高のコンディションでもあった。

 間違いなく120%の力を込めてバットを振り抜いた。

 

 

 しかし、山口の球威が優っていた。

 

 レフト線への鋭いゴロは、サードを守っていた吉田の横っ飛びにより捕球される。

 機転を利かせて走っていた原を三塁に進める事は出来たが、ファーストへとボールが送球され、六道自身はアウトとなってしまった。

 

 

 1アウト、ランナー3塁

 

 点差は“僅か”2点。

 

 次は四番の大京。

 

 風は、どちらに吹いているか。

 

 

 ♢

 

 

「お願いします」

 

 巨漢のわりに静かな声音で球審へと挨拶をする大京。

 要が思い出すのは第一打席、大京は山口の直球に対して反対方向に大きなフライを放った。

 結果的にはアウトになったものの、パワーは侮れないものである。

 

(ここを断てば、後の打者は脅威ではない。フォークを初球で見せましょう)

 

 聖タチバナの打線の主力は一番から四番へと固まっている。4人の爆発力はあるものの、下位打線が足を引っ張っているのは否めない。

 

 流れに乗らせない為にはこの大京を抑えることが不可欠であった。

 

 ゆえに、もう決め球を惜しむ事はしない。

 山口も要の意図が想像つく為、迷いなく頷きで答えた。

 

 大きくダイナミックなフォームから白球が投げ放たれる。

 絶妙な高さへと投じられたボール。

 

 要もミットを構えるが――

 

 

「しまッ……!!」

 

 フォークの落差に、要は一瞬ボールを見失ってしまった。

 

 ミットを擦り、飛び跳ねるボールは勢いよく後方へと転がっていった。

 痛恨の後逸である。

 

 急いでボールを確保しに駆ける要。

 しかし無情にも、ボールを拾い振り返った時には、原がホームベースへと帰還していたのであった。

 

 

 帝王実業 2―1 聖タチバナ

 

 

 帝王実業は思わぬ形で一点を失ったのであった。

 

 

 ♢

 

 

 その後、聖タチバナの攻撃は大京がセンター前にヒットを放ったものの、続く戸川がショートゴロによりゲッツーに倒れた。

 しかし、敗戦ムードが漂い始めた中で一点をもぎ取った事は、彼らにとって一筋の光明とも言えるものであった。

 

 

 五回表

 帝王も一筋縄ではない。

 三巡目に入った上位陣が猛攻を仕掛ける。二番の玉木はサード方向にボールを転がし内野安打で出塁、三番吉田がレフト線へとツーベースを放ちノーアウト、ランナー2・3塁の好機を作り出す。

 四番河村の犠牲フライ、続く五番猛田のタイムリーツーベースにより2点を返した。

 

 帝王実業 4-1 聖タチバナ

 

 帝王が意地を見せ、点差は3点に広がった。

 

 この試合を観戦する誰もが、勝負は決したと考えていた。

 

 “彼”を除いては。

 

 

 友沢 亮はこの練習試合を見る為にBグラウンドへと訪れていた。

 今日の一軍の練習が自主練メニューであり、監督も興味がある者は観戦してもいいと言っていた為である。

 ちなみに彼の他にもチラホラと一軍メンバーが観戦しているのであった。

 

「君のお友達は活躍しているかい?友沢君」

 

 穏やかな声音が友沢に声を掛ける。ゆっくりと顔を動かしそちらを見ると青髪に人の良さそうな顔が特徴の男が立っていた。

 

「蛇島先輩……俺はアイツらを友達だとは思ってません」

 

 彼の前に現れたのは二年の蛇島 桐人(へびしま きりと)

 一年の頃から一軍でレギュラーとして活躍している選手であり、打線では四番を打ち、守備では全国でも五本の指に入る内野手であると言われている。

 間違いなく帝王実業の大黒柱と言える男であった。

 

 そんな彼は友沢の物言いに笑みを浮かべながら、練習試合のスコアへと目を向けた。

 

「今、2点を追加して4―1か。どうやら、大体勝負は決まったようだね」

 

「……それはどうですかね」

 

「ん?」

 

 友沢の言葉に反応する蛇島。

 彼が一軍に上がってきてまだ一週間程であるが、その実力は蛇島も既に高く評価していた。

 そんな彼が、自分の意見を否定したのだ。

 

「聖タチバナは、まだエースを出してはいない」

 

 友沢の視線を追った先には、マウンドへと向かおうとする水色の髪の少女が見えた。

 

(アイツが出てきて、初めて聖タチバナは本領を発揮する。)

 

 友沢もシニア時代から彼女をよく知っていた。

 

 我儘で横暴。しかし、そのピッチングは誰よりも輝いていた。

 彼女が輝き出すと、チームもまた色を変える。

 

 それもまた一つのエースの形なのだろう、と忌々しげな表情を浮かべながら友沢は試合を見つめた。

 

 

 ♢

 

 

 五回表

 打ち込まれ2点を奪われた宇津は交代となった。

 1アウト、ランナー1塁という状況、これ以上の失点を避けなければいけない聖タチバナ学園は橘 みずきをマウンドへ送った。

 内野陣がマウンドへ集まる中、宇津から橘へとボールが渡される。

 

 

「すみません、みずきさん」

 

「ん?ああ、私が特別にギッタギタにしとくから任せて」

 

 みずきの言葉に苦笑いを浮かべながらベンチへと下がる宇津。

 宇津の謝罪にもどこかボーッとしている橘。すかさず木波は心配しながら声を掛ける。

 

「大丈夫、みずきちゃん?」

 

「……ねぇ、木波君」

 

 いつもと違く、しおらしい彼女の姿を見てわずかにドキッとする木波。

 

「この試合に勝ったらプリン食べたいなー」

 

「え?」

 

 何を言い出すかと思えば、いつもの如く奢れと述べる橘。これまで何度も彼女の我儘に木波は付き合わされてきた。

 

「だーかーらー、この試合に勝ったらプリンを奢ってって言ってるの!!」

 

 一気に劣勢ムードに立たされ、木波は少しだけ心が折れていた。恐らく原や大京、それに六道も勝利への自信は無いだろう。

 しかし橘は、自分たちのエースは、勝利を見つめていた。彼女の勝てるという自信がありありと此方に伝わってくる。

 

「……うん!勝って、みんなで食べに行こう!」

 

「さっすが木波君!分かってるわね!はーいみんな散った散った!後は私にどんと任せなさい!」

 

 彼女の物言いに呆れたように苦笑いを浮かべながら散っていくメンバー達。

 その姿は、敗者のそれでは無くなっていた。

 

 

 

 六道のミットを見つめる橘。

 バッターとして立つのは、散々チームを苦しめてきた帝王のエース山口。

 六道の出すサインに頷き、すぐさま投球モーションへと移行する。

 彼女はとても穏やかな笑みを浮かべていた。

 

(今日はすごく気分が良い)

 

 彼女の感情の振り幅は大きい。

 それがピッチングにもすぐに現れるのだ。

 

(勝てばプリンが食べれるからかな……ううん、違う)

 

 木波が、六道が、原が、大京が、宇津が、他のみんなが必死で帝王実業へと挑んでいた。

 そして、もぎ取った執念の一点。

 

 たかが一点に柄もなく本気で喜んでしまった自分がいた。

 ベンチで大はしゃぎした。

 相手は二軍とはいえ帝王実業。この地区では誰もが知る最強校。

 そんな相手に勝ち取った一点に、彼女は未来を見た。

 

 今日は届くか、分からない。

 けどいつか女である自分があの舞台に、甲子園に届くのではないか。

 野球部に入って初めて、そのような確信を持てた日。

 

 今の彼女は、これまでにないくらい最高に気分が良かった。

 

(私のボールを受ける聖ならすぐにわかるでしょ)

 

「ストライク!バッターアウト!!」

 

 体勢を崩しスイングをした山口。ボールは擦りもせず六道の構えるミットへと収まる。審判の力強いコールがとても心地良い。

 

(多分、今日の私最強よ)

 

 橘 みずき

 

 世代でも指折りのサウスポーがベールを脱いだ。

 

 




折角なので投手陣の現在での能力を紹介しようかと。
ちなみに現時点での能力になります。



友沢 亮(一年四月)

[基礎能力]
球速:139km/h コントロール:E スタミナ:C
スライダー:4 カーブ:1 シンカー:1

[特殊能力]
ポーカーフェイス 人気者


久遠 ヒカル(一年四月)

[基礎能力]
球速:138km/h コントロール:D スタミナ:D
スライダー:3 カーブ:1 Hシュート:1

[特殊能力]
対ピンチF 打たれ強さF 回復C 軽い球 変化球中心


山口 賢(二年四月)

[基礎能力]
球速:147km/h コントロール:D スタミナ:C
カーブ2 フォーク7

[特殊能力]
対ピンチB 回復C 勝ち運 ケガしにくさF


球種によってコントロールは変わりますが、概ねこんな感じかと思います。




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四月三週目《VS聖タチバナ学園高校③》

中盤戦です。
相変わらずの進みの悪さ。


 

 五回表、帝王実業は1アウトランナー1塁と言う状況であったが、聖タチバナのエースである橘 みずきが登板した事により、呆気なく攻撃が終了した。

 守備のためグラウンドへ散っていく帝王実業ナイン。3点というリードがあるものの、その表情は決して明るくは無い。

 それは先程、帝王ベンチ内にて起きた事が原因であった。

 

 

 

『か、監督!?』

 

 突如、監督である守木がベンチに姿を現した為、その場にいた全員が驚愕した。

 守木は一通り全員の顔を見た後に、山口へと視線を合わせ口を開いた。

 

『山口。貴様の実力が一軍で使えることは十分に証明された』

 

 静かに語られた内容に皆が不思議に思う。わざわざそのような事は伝える為にベンチにまで訪れたのか、と。

 

『お前は五回の守備が終わり次第、ベンチへ下がれ』

 

『な!?』

 

 監督の指示に誰もが驚きを隠せない中、ゲームキャプテンを任されている吉田が監督の思わぬ決定に異を唱える。

 吉田ですら山口を五回で交代するとは思ってはいなかったのだ。

 

『監督!相手チームも決して侮れない実力を持っています。今ここで山口を下げれば――』

 

『下げれば……何だと言うのだ?』

 

 吉田の言葉を切る守木。その眼光はいつにも増して鋭い。

 

『確かにこのまま山口が投げれば勝利できるだろう。だが、それは山口が築いた勝利であり、二軍(貴様ら)の勝利とはなり得ない』

 

 守木の言葉が突き刺さる。

 格下と侮っていた相手にたかが三点のリード。その打線もピッチャーが変わった瞬間に封殺された。

 山口が投げてれば三点あれば充分だろう、と考えていた者も少なくない。

 

『ならば、貴様ら自身の手で証明して見せろ。自分たちが帝王の一員に足るかどうかを』

 

 彼らは二軍でしかない。

 練習や試合にどれだけ真面目に取り組んでいようが、彼らは結果を残し、自分の価値を証明しない限り一軍へ上がることはできない。

 そんな彼らが、この試合で誰よりも目立っている山口が降りる事を深刻に捉えている。

 上を目指している者としては余りにも消極的である。

 自分が誰よりも目立ち勝利の立役者となる。そのようなエゴがこのチームで活躍する為には不可欠なのだ。

 

『六回からは久遠、貴様が出ろ。最後まで投げてもらうぞ』

 

『は……はい!』

 

 久遠が登板すると言うのは予定通りであったものの、本人が思っていたよりも早い回からの登板であったため驚き、若干上擦った声で久遠は返事をした。

 

『その他の守備には変更はない。帝王の名に懸けて必ず勝て。以上だ』

 

 監督の指示に何ともいえぬ表情を浮かべたままの二軍メンバー達の姿を背に、守木はその場を後にした。

 ただ、要だけは監督の指示にそれほど驚いてはいなかった。山口とバッテリーを組んでいたからこそ、その指示の本質に気づいていたのだ。

 

(好調ではあるが、山口さんにとっては復帰戦だ。無理はさせられない)

 

 それに加え、責任感の強い山口である為、誰かが止めぬ限り投げ続けることも容易に想像が出来た。

 あくまで故障明けの山口を気遣った采配である。ベンチへの発破はそのついでだろうと要は考える。

 

 かつての要は二年生から一軍へと昇格していた。

 守木が直接指示をする一軍では、このような深読みしなければ理解できない監督の指示など日常茶飯事である。

 

(まあ、さすがに公式戦はそこまででもないけど)

 

『兵藤』

 

 かつての記憶を思い出し苦笑いを浮かべる要に、山口が声をかける。相変わらず視線が鋭いが、口元の表情は少しだけ申し訳なさを感じられた。

 

『すまない、このような形で離れる事になるとはな』

 

『山口さんのせいじゃないですよ。まあ、山口さんだいぶ肩で息してましたし丁度良かったんじゃないですか』

 

『む……そのような事はない、延長があったとしても投げ続けられる』

 

『だから、あの人止めたんでしょ』

 

 山口の謝罪に軽口を述べた要。少しだけムキになる山口に呆れる彼であった。

 たった一週間のバッテリーであったが、二人の雰囲気は悪くない。

 

『まあ、次が最後なんでキッチリ決めましょうか』

 

 山口の一軍入りが確定したとあれば、現状、二軍である要とのバッテリーは解消である。

 要が一軍へと上がらない限り山口と組む事はないのだ。

 

『ふっ、お前ならすぐに一軍へと行けるはずだ。俺は最後などとは思ってはいない』

 

 内心、先程のパスボールを気にしていた要にとってこの言葉はありがたかった。

 

『必ず上がりますよ』

 

『ああ、楽しみにしている』

 

 再びグラブを合わせた二人は、守備へと向かうのであった。

 

 

 ♢

 

 

 五回裏

 聖タチバナ学園の攻撃は六番の田村から始まった。上位打線と比べて打撃では脅威とはなり得ないだろう。

 しかし、弱者には弱者の戦い方がある。

 

 弱い自分達である。

 しかし今、どちらに流れが来ているのかだけは分かった。

 

 

 

「吉田さんッ!!」

 

 声を上げた兵藤。

 その視線の先に緩やかに転がっていくボール。

 

 田村の初球ストレートを狙ったセーフティバント。

 サード方向へと転がっていったボールであるが、呆けて反応が遅れた吉田は兵藤の声を聞き、急いでボールへと向かった。

 

「くっ……」

 

 転がる白球を拾いファーストへと振り向く吉田であるが、既に田村がファーストベースを駆け抜けた後であった。

 打球の勢いが強かった為、内心ヒヤヒヤであった田村であるがベースを踏み笑みを溢した。

 

 

 続く七番打者の大村が送りバントを決める。更に八番の長山がファーストゴロながらその間に田村が好走塁を見せ、2アウトながらランナー3塁という状況になった。

 

 またしても訪れた好機にバッターボックスに立ったのは、聖タチバナ学園のエース、橘 みずき。

 バットを構える彼女は先程ネクストバッターボックスに立つ前に、自身の相棒に言われた言葉を思い出していた。

 

『みずき。誰もお前が打つ事は期待してはいないからな。思いっきり振ってくればいい』

 

(言ってくれんじゃないの、聖のくせに)

 

 六道の言葉を見返してやろうとバットを持つ手に力を込める。

 彼女のバッティングを一言で表すなら――

 

 大味である。

 

「ストラーイクッ!」

 

 通り過ぎるボールの遥か下を通過したバット。意外な事にタイミングは合っている。

 

「みずきちゃん!ボール見えてる見えてる!」

 

 一つも見えていない。

 最早バットを振り回しているだけの橘であるが、機嫌を悪くされたくないので適当にネクストバッターボックスから励ます木波である。

 

「ストライクツー!」

 

 次のボールはカーブであった。

 ボールがベースにたどり着く前にバットを振り終わっている橘。

 タイミングもクソもない。

 

「つ……次!早く投げなさいよっ!」

 

 これにはベンチも苦笑い。

 本人も顔を真っ赤にしながら次のボールを要求する。

 

(思いっきり、振り抜いてやる)

 

 苛立ちをぶつけるようにバットを振るう。

 

 手に伝わる衝撃。鳴り響く鈍い金属音。どよめく自陣ベンチ。

 

 投じられたボールが、前に飛んだ。

 

 

「は?」

 

 この場にいる誰よりも本人が一番驚いていたのは内緒である。

 

 

 ♢

 

 

「レフト!!」

 

 ふわりとした軌道を描き浮き上がる白球。

 その打球の角度は間違いなく平凡な浅めのレフトフライ。

 

 落下地点にて手を上げる猛田。

 決して処理が難しいボールではない。

 

 だがその弱々しい打球が、風に流れた。

 

「やば……ッ!」

 

 猛田が小さく呟いた時には、落ちてきたボールがグラブから溢れていた。

 後方へと急ぎ、ボールを回収する猛田。

 

「猛田ッ!!」

 

 遊撃手である長谷川が猛田の元へよりボールを要求する。すぐさま猛田は長谷川へ向けて投じた。

 ホームを確かめる長谷川であるが、既に三塁ランナーの田村は到達していた。

 だが一塁を駆け抜け二塁を目指す橘の姿を見てセカンドへと送球した。

 

「くッ……セカンド!」

 

 中継からの好送球であったものの、二塁手玉木のタッチは間に合わなかった。

 

「セーフ!」

 

 帝王実業高校 4―2 聖タチバナ学園

 

 点差を一つ縮めてなお、2アウトランナー2塁。

 そして、打順は上位へと回る。

 

 

 

「まあ、普通なら打ち取った当たりなんですけどね」

 

「簡単な打球ではなかった、猛田は責められん」

 

 すぐさまタイムを取り山口の元へ近づく要。山口のキッパリとした言葉に苦笑いを浮かべた。

 

(どうせ、ボールを前に飛ばした自分の責任だとかでも思ってるんだろうなぁ)

 

 徐々にこの責任感の強いエースの思考回路が読めるようになる要であった。

 

「分かってると思いますが、2アウトです。何一つ慌てる必要はありません」

 

 ミットで口元を隠しながら話す要。一瞬だけ二塁ベース上に立つ橘へと目を向けた。

 

「ランナーは無視してください。次で確実に仕留めます」

 

 覚悟を決める要。その目はこれまでにないほど鋭いものである。

 

「今度は絶対に止めます。信じて投げてください」

 

 

 ♢

 

 

 山口 賢は帝王実業高校のエースである。

 しかし、そのストイックさゆえに厳しい物言いになってしまう山口は、野球部員達の中にあまり親しい者はいなかった。

 例外と言えば、誰に対しても穏やかに接する帝王の主将の養老ぐらいのものである。

 

 孤高のエース。

 

 そのような言葉が似合う男であった。

 

 

 

『日本一の捕手になりたいと思います!』

 

 自身の肩の治療のため病院に通院していた山口は、その帰りに部へと立ち寄った。監督へ経過を報告するためである。

 そんな時に二軍のBグラウンドに真新しいユニフォームに身を包む新入生達が見え、懐かしい思いを抱きながら近づいた矢先、そのような宣言が聞こえたのだ。

 

 所詮は、井の中の蛙。

 中学でどのような実績を残したのかは知らないが、高校野球のレベルを甘く見ている新入生の妄言だと、山口は断じた。

 

 

 

『よろしくお願いします。山口さん』

 

 故障からの復帰直後、監督の指示により兵藤とバッテリーを組む事になった。

 初めて近くで見た兵藤の印象は、線が細く頼りない印象であった。

 やはり想像通りではないか。そう山口は思った。

 

 高校野球という厳しい舞台への認識を持っている者は、入学前からかなり身体を作っている。

 その際たる例が、たった一週間で一軍入りを決めた友沢 亮だ。加えて彼には抜群の野球センスも備わっている。あのような者がこの先チームを引っ張っていくのだ。

 それに比べて日本一の捕手を宣言したこの男はどうだ。語るまでもない。

 

 だが、兵藤の目は根拠のない自信や慢心ではなく、ただただ強い覚悟があるように見えた。

 それがどうにも印象に残った。

 

 

 

 それから一週間が経ち、練習試合の当日を迎えた。

 兵藤のキャッチングは山口も舌を巻くほどのものであり、今の段階でもチームで一二を争うレベルだと彼は評価していた。

 だが、それでも山口の投げるフォークを完璧に捕球する事は叶わなかった。

 しかし、それでもなお食らいつく兵藤の姿勢は山口も好感が持てるものであった。

 

 相手は無名の格下。

 自身の力であれば決め球を温存しても通じると判断した山口は、そのように兵藤へと進言しようとしたのであった。

 

『山口さん。手加減とかはしなくていいんで、本気で投げてください』

 

 此方の考えを見透かしたかのような言葉に、変わらぬ挑戦的な笑み。

 この一週間、山口が何度も見た姿である。

 

『まあ、取れなかったとしても――』

 

 兵藤 要は、根っからのキャッチャーだ。

 

 投手を最も輝かせ、最も強くあれるよう導く。

 

 そのような彼の覚悟を、山口はこの時に初めて感じ取った。

 

『なんとかします』

 

 既に、最初に抱いた嫌悪感は無い。

 そこには、先輩も後輩も、これまでの実績も関係無い。

 

(お前とバッテリーを組んでいれば、間違いなく俺は更に上へ目指せる)

 

 この時、山口 賢と兵藤 要は対等なバッテリーとなったのだ。

 

 

 

『今度は絶対に止めます。信じて投げてください』

 

 先程の兵藤の言葉を思い出し、山口はマウンドの上で笑みを浮かべる。そして視線の先、兵藤の出すサインに頷きにて答えた。

 そして、大きく足を持ち上げ、腕を回す。

 

(お前がそう言うんだ。疑うまでも無い)

 

 投じられたボール。

 ストレートと同じ軌道を保ちながら、急激に沈んだ。

 これまで以上の落差である。

 

 当然のように打者のバットは回り、その遥か下をボールが過ぎてゆく。

 

 そして既に聞き慣れた乾いた音が、グラウンドへ響いた。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

「らァッ!!」

 

 珍しく拳を握りしめ吠える山口。

 その視線の先には、白球を完璧にミットに収める兵藤の姿。

 

「スリーアウト、チェンジ!!」

 

(――俺が、お前を日本一のキャッチャーにしてみせよう)

 

 そう決意する山口は、兵藤とグラブを交わしながらベンチへと下がって行った。

 

 

 

 山口 賢

 

 五回 打者18人 被安打3 三振5 四死球1 失点2 自責点0

 

 

 




現在のスコアは帝王実業4―2聖タチバナです。
次からは久遠君の登板になります。
聖タチバナ戦は頑張って後二話ぐらいに収めるようにします。



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四月三週目《VS聖タチバナ学園高校④》

予定とは違う、大暴れ。
ほんと、難産でした。


 

 六回表

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

「よしっ!」

 

 八番から上位に繋がる帝王実業の打線を三者凡退に抑え、可愛らしくガッツポーズをする橘。

 空振り三振に喫した矢部は「やんす〜」と沈みながらベンチへと戻ってきた。

 

「可愛さにダマされたでやんす」

 

「ただの実力だろ……」

 

「サードゴロの兵藤君に言われたく無いでやんす」

 

「ぐ……」

 

 痛いところを突かれたと黙り込む要。

 左バッターである要には橘のサイドスローは背中からボールが現れるように見える、とても苦手な相手なのだ。

 

「んん……それより準備はいいか?久遠」

 

「……ああ」

 

 久遠の表情は要の目から見ても分かるぐらい強張っていた。

 かつての久遠も緊張しいでありプレッシャーには弱かった。三年時に要と決別して以降はそのような姿を要に見せることは無かったが、おそらくその弱さを克服する事は出来てはいなかった。

 そうした久遠の弱さに要が手を差し伸べなかった結果が、最後の夏に地区敗退に終わった原因なのだ。

 

「相手の主力も俺らと同じ一年だ。気負わず楽に行こうぜ」

 

 久遠の肩に腕を回し、安心させるような笑みで語る要。

 

 しかし久遠は、要の手を乱雑に払った。

 

 

「お前に……僕の何が分かるんだよ」

 

 そう低く呟き、久遠はマウンドへと向かって行った。

 キョトンとしながらその光景を見つめていた矢部が口を開く。

 

「随分と機嫌が悪そうでやんすね。兵藤君、何かやらかしたんじゃないんでやんすか」

 

「……ああ、そうかもしれない」

 

 要も久遠の背中を見ながら俯いてしまう。

 

 それはかつての姿、友沢の肘を壊してしまった要を拒絶した姿によく似ていたからだ。

 彼のあのような表情を見ると、かつての自身の過ちを、消してはいけない記憶を、思い出してしまう。

 

「今は違う……分かってはいるけど……」

 

 今の彼が何に苛立っているのか、分からない。

 

 分からないからこそ、怖い。

 

 

 

 投球練習を終え、マウンドへと立った久遠。

 向かい立つようにバッターボックスに立ったのは聖タチバナの二番バッターの原。

 

(さっきは粘られて四球を選ばれた。無駄球を出したくはないが……)

 

 先程の久遠の様子を思い出す要。

 感情的になり冷静さに欠けていた。かつての久遠も立ち上がりには課題があった。

 

(一球、様子を見るか)

 

 アウトコースに外れるストレートを要求する要。小さく頷いた久遠。その表情は依然として険しいものである。

 ワインドアップからのオーソドックスなオーバースロー。そのフォームは友沢のそれによく似ていた。

 

 整ったフォームからボールが投じられる。

 

 

「なッ――!」

 

(逆玉!?)

 

 驚く要を他所にボールはゾーンの真ん中へと向かって行った。

 

 その絶好球に迷いなく反応し、原はバットを振るった。

 

 快音が響く。

 

 

 ♢

 

 

 一瞬、湧き上がった自陣ベンチであったが、すぐさま静まり返った。

 原の捉えたボールは三塁線を突き抜けていくはずだったが、サードの吉田のジャンピングキャッチにより阻まれたのである。

 

「あかん、やらかしたわ〜」

 

 そう言いながらベンチへと戻ってくる原は、ネクストバッターサークルから歩き出す六道の横で止まる。

 

「相手ピッチャー調子悪そうや。行けるで、六道さん」

 

「ああ……分かった」

 

 返事をしバッターボックスへと向かう六道。

 チラッとキャッチャーボックスに佇む兵藤へと視線を向けた。

 

(先程の一球。外すつもりだったであろうボールが真ん中へ行った。私ならタイムを取るか、せめて声はかける。なのになぜ……)

 

 好調だった山口から投手が変わった。それがどのような事情によるものかは聖タチバナベンチには分からない。

 しかし、その相手の采配が自分たちへの追い風となっている事を六道は理解した。

 

(勝負はこの回。必ず、塁に出る)

 

 バットを短く持った六道。

 確実にボールを捉える構えであった。

 

「くっ……!」

 

 初球は山なりの弧を描くカーブ。ストレートを待っていた六道はこれに手が出て振るってしまう。

 

「ストライクッ!」

 

 遅い球に体勢を崩される六道であるが、冷静に久遠を見つめた。

 

(今のもコースとしては、決して良くは無かった)

 

 自分がこのピッチャーをリードするならどうするか、どうピッチングを組み立てるか六道は思案する。

 

 二球目、投られたストレートは低めにワンバウンドし外れた。

 

 そして、三球目。

 外角の甘いコースの直球だと思いバットを振るった六道。

 

 

 しかし、空を切った。

 

「ストライーク!」

 

 ストレートの軌道から大きく外へ逃げるようにスライドしたボール。

 

(スライダー……なるほど、この投手の決め球か)

 

 誰よりも冷静に、久遠 ヒカルという投手を見定める六道。

 一年生でこれほどの変化球を投げれる投手は少ないだろう。

 しかし、先程の山口に比べればスケールに欠ける。

 

「ふぅぅ」

 

 息を吐く六道。

 先程、山口のフォークにバットを当てた時と同じ境地。

 超集中モードへと至る。

 

 オーバースローから投じられた直球。

 高めに外すつもりだったであろうボールはまたしても真ん中よりへ。

 

 キィンという音ともに、白球は右中間へと抜けていった。

 

 フェンスまで転がっていくボール。必死で走りボールを拾い上げるセンターの矢部。

 

「矢部ッ!」

 

 中継に来たセカンドの玉木へとボールを投げるものの、打った六道はゆうゆうと二塁まで辿り着いていた。

 

 

 状況は1アウト、ランナー2塁。

 またしてもチャンスで回ってきた四番の大京。

 

 点差は僅か2点、もう何が起きてもおかしくはない。

 

 

 ♢

 

 

 

 中学二年の夏。

 全国大会の初戦に、久遠 ヒカルは友沢 亮と対戦した。

 

 結果は、3―2で久遠の所属する赤とんぼシニアの勝利。

 投打で孤軍奮闘した友沢のいた帝王シニアに、上級生に先鋭の揃った赤とんぼシニアが地力で勝った形となった。

 

 先発で登板した久遠は、決め球のH(高速)シュートを二度も本塁打にされた。

 一度目は自身でも甘く入ったという自覚があった。しかし、二度目のボールには少なくない自信があった。

 

 しかし、その儚い自信ごと打ち砕かれたのである。

 

 試合には勝ったが、勝負には負けた。

 

 悔しさは当然ある。

 しかし、久遠の感じたのはもっと純粋な感情であった。

 

(あの人みたいに、僕も……)

 

 その強い背中に憧れた。

 

 惹かれたのは彼の才能では無い。彼の心。

 どんな局面でも冷静であり、決して試合を諦めない。

 

 その強さに、憧れたのだ。

 

 

 その強さは、自分には持ち合わせていないものだから。

 

 彼のようになれば、いずれ。

 

 彼の背を追い続ければ、いずれ。

 

 彼と共に立てば、いずれ。

 

 そう思っていた。

 

 

 

『と、友沢さん!お久しぶりです!』

 

『久遠?』

 

 友沢とは試合を通して何度か関わる機会があった久遠は、彼が帝王実業高校に入学すると知った。

 そのため、他の高校からの推薦もあったがそれを蹴って帝王実業に一般入試で受けたのだ。

 実際に、憧れる友沢と同じグラウンドに立った時の緊張とワクワクは忘れられない。

 

『フッ、お前がいれば頼りになるな』

 

『は……はいっ!頑張ります!』

 

 彼にかけられた言葉が嬉しかった。

 弱い自分でも、友沢の力になれる、役に立てるのだ、と。

 

 いずれ、きっと。

 そう思えるだけで十分だったのだ。

 

 なのに。

 

 

 

『言っておくが、あれだけ言ったんだ。生半可なプレーじゃお前を認めない。絶対にだ』

 

『ああ、そうだろうな』

 

 適正試験でバッテリーを組んだ二人の後ろ姿は妙に様になっていた。

 

 自身は友沢の背を追いかけるだけで精一杯なのだ。いつか追いついて横に並べれば充分。そう考えていた。

 それなのに、兵藤 要は当たり前のように友沢 亮の横に立って見せた。

 

 

 

『先、行くぞ』

 

 友沢が一軍に上がる際、兵藤へと呟いた言葉。

 その言葉を兵藤だけに掛けて意味をなんとなく久遠は理解してしまった。

 友沢が自身に追いつけると期待しているのは、自分ではなく兵藤なのだ、と。

 

(僕は、お前が嫌いだ。兵藤 要)

 

 自分は憧れていたのだ。

 彼のようになりたいと、そう思っていたのだ。

 なのに、ヘラヘラと自分の才能をひけらかす兵藤が気に入らない。

 

 

 

 カキィンという甲高い金属音を聞き、目を見開く久遠。

 その視線の先にはマスクを脱ぎ驚きながら遥か後方へと視線を向ける兵藤の姿が。

 

(あれ……僕は今、何を投げた?)

 

 恐る恐る久遠は後ろを振り返った。

 

 視線の先、外野の更に先。

 

 レフトのネットフェンスの上方へと突き刺さる白球の姿が目に映った。

 

 またしても甘く入った直球を大京が完璧に捉えた。

 

 ツーランホームラン。

 ゆっくりとベースを駆け抜けてゆく大京。聖タチバナベンチはこの一打にお祭り騒ぎである。

 

 

 帝王実業高校 4―4 聖タチバナ学園高校

 

 

 試合は、振り出しへと戻った。

 

 

 ♢

 

 

 その後は相手の打ち損じにより二つのアウトをなんとか取り、攻撃へと移行することができた。

 しかし、その帝王実業ナインの雰囲気はこの試合の中で最も悪いものであった。

 

「んだよ……簡単に二点も取られやがって、謝罪の一つもねぇ」

 

「やめろ河村!」

 

 ベンチで俯いたままの久遠へと詰め寄ろうとする河村、それを吉田が制した。しかし、それでもなお河村は苛立ちを抑えられない様子である。

 

「おい!せめてこっちに顔向けたらどうだ!あぁ!?」

 

 呆然とし、素知らぬ様子の久遠にますますヒートアップする河村。その前に要が立ち。

 

「スミマセン!アレは俺の判断ミスです!」

 

 思いっきり頭を下げた。

 その姿に、河村や吉田、そして下を向いていた久遠も驚く。

 

「久遠の状態を見誤りました!声を掛けるべき場面で声を掛けなかった俺のミスです!すみませんでした!」

 

 捲し立てるように謝り、再び頭を下げる要。

 その姿に、ため息をつきながら視線を逸らす河村。

 

「はぁ……悪かったよ。一年をそこまで責めるつもりはねぇ」

 

 バッテリーは入学したての一年生なのだ。4点しか取れていない自分達が責める道理は無い。

 そう考えた河村は、一瞬だけ久遠へ視線を向け、上位から始まる打席に備えて準備を始めた。

 

 その様子に安堵する要。

 一瞬躊躇うものの、キャッチャーとしての責務を果たすために久遠の横へと座った。

 

 

「なんだ……同情のつもりか……?」

 

 項垂れる久遠は、視線だけを要に向けて呟く。その声は酷く暗いものであった。

 

「違う。言ったろ、お前を一人で戦わせた俺の責任だ」

 

 要の言葉に久遠は顔を上げる。

 その表情は険しく、要を睨みつけるようなものであった。

 

「ふざけるな……!僕が一人で戦えないとでも言うつもりか!?どこまで僕をコケにすれば――」

 

 ガタンという音にベンチの皆が驚き、二人へと振り向く。

 要が久遠の胸ぐらを掴み、壁へと押しつけたのだ。

 

「おい、落ち着け二人とも!」

 

「止めるでやんす!兵藤君!」

 

 二人を止めに入るだけで猛田と矢部。そして二、三年生も二人の元へと集まる。

 それでも要は止まらない。

 

 

 今、言わなければ絶対に届かない。

 かつてのようになってしまう。

 

 怖いが、踏み込むと決めたのだ。

 

 

「お前はキャッチャーをなんだと思ってる!?ただの的か?」

 

「……ッ!お前に……お前なんかに!何がわかるんだよ!?」

 

「いい加減にしろ!お前たち!」

 

 そして、要の胸ぐらを掴み返す久遠。

 このままでは試合にならないと判断し、ネクストバッターボックスにいた吉田も止めに入る。

 

「僕は友沢さんみたいに強いピッチャーになりたい!なのになんで……お前ばっかりッ……!!」

 

「友沢なんか関係ねぇだろうがッ!!」

 

 要の叫びに、審判たちも聖タチバナのメンバーも帝王実業のベンチの異変に気づく。

 

「すみません、少しだけ待っていてもらっても構いませんか。これ以上熱くなるようであれば止めますので」

 

 駆け付ける審判達のもとへ制止をかけたのは、アイシングを終え戻ってきた山口。

 その鋭い眼差しにたじろぐ審判達。

 

「お前はお前だろうがッ!!友沢も、山口さんも、久遠も俺にとってはバッテリーを組んだ瞬間から相棒なんだよ!!」

 

 その要の言葉に戸惑う久遠。

 

「俺はお前達の役に立ちたい!お前達を助けたい!俺にできるのは、それだけなんだよ……!!」

 

 そう言い涙を溢す要。

 

 

 かつては、そうできなかった。

 

 ただの的でしか無かった自分を変えたい。

 

 それが、兵藤 要の願い。

 

 

「なんで……お前が、泣いてるんだよ」

 

 要の姿にそれだけ呟く久遠。

 

 

「いい加減騒ぐのは止めろ。それ以上続けたいのならば、この場から去れ」

 

 低く凍てつくような声の主は、帝王実業の監督の守木である。事態を理解した彼はすぐさまベンチへと現れたのだ。

 

(やらかした)

 

 その声に一気に冷静になった要は、顔を青ざめる。

 非常に不味い事態である。

 

 かつて素行不良で退部になった選手を何何も見てきた要。下手したら自分と久遠、二人共退部すらあり得る。

 

「すみません。非は全て自分にあります。彼だけは試合を続行させてください」

 

 すぐさま立ち上がり久遠が監督へ向け謝罪をした。

 その様子に守木も「ほう」とだけ述べる。

 

「て、手を出したのは自分です!自分にも責任にはあります!すみませんでした!」

 

 要もまた謝罪する。

 二人の姿を見た守木は静かに背を向ける。

 

「向こうのベンチへ謝罪をしてこい。それで許されるならば試合を続けろ」

 

「「はい!!」」

 

 自陣の先輩たちにも謝りを入れ、駆け足で聖タチバナのメンバーの元へ向かう二人。

 結局、聖タチバナとしてもこれ以上の問題が無ければという事で了承を得たのであった。

 

 

 ♢

 

 

「ふぅぅ」

 

 プレーが再開されたものの、帝王の攻撃は橘のピッチングの前にあっけなく終わった。

 マウンドへと立ち、深く息を吐く久遠。

 

 先程、兵藤と交わした言葉を思い出す。

 

 

『お前と友沢のスライダーは別物だ』

 

 開口一番にそう述べた兵藤の言葉に、悔しさを隠せない久遠は歯を食いしばる。

 

『どっちが劣ってるとか、そういう事じゃない。要は使い方の問題だ』

 

 先程よりもずっと兵藤の言葉がスッと入ってくる。

 彼のキャッチャーとしての気持ちが少しだけ理解できたからかもしれない。

 

『お前は自分が思っているより、ずっといいピッチャーだ』

 

 

 

 目を閉じて右手に拳を作り自身の胸に当てる。

 少しでも荒立つ心を落ち着かせようとした。

 

(僕は、君が嫌いだ)

 

 すぐにその気持ちを変えることはできない。

 やはり、彼を羨ましいと思う気持ち、妬みの気持ちは変わらないのだから。

 だがしかし。

 

(けどそれ以上に、弱い自分が大っ嫌いだ)

 

 変えてみせる。

 

 “彼等”と同じ場所に立つ為に。

 

 




難しいよ久遠君。


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四月三週目《VS聖タチバナ学園高校⑤》

感想を下さった方、ありがとうございます。

また、この話を書き始めた日が3月末で、書き終わったのが今日なので、もしかしたら話の中で違和感を感じる部分があるかも知れません。

すみませんが、大目に見ていただければと思います。


 

 七回裏

 

 聖タチバナは七番の大村から始まる下位打線。

 先程、山口が登板していた時もエラーが絡んだとは言え一点をもぎ取られた。

 決して油断はできない相手である。

 

 右打席に立った大村の姿を見た要は、久遠にサインを出しミットをインコースへ構える。

 

(ぶつけるつもりで投げてこい)

 

 気弱な久遠が打者の胸元へ投げるにはそれぐらい強い気持ちがいる。

 久遠は頷き、投球フォームへと移行する。

 直線的な軌道を描きながらボールはミットへと向かう。

 

 しかし、スピードは先発であった山口には及ばない。

 目が慣れた大村は初球から迷いなく手を出した。

 

 ギュンと手元で食い込んでくるボール。

 タイミングは合ってたにも関わらず、バットに弾かれたボールは地面にバウンドした。

 

「1アウト!」

 

 地を転がる白球はサードを守る吉田の正面に転がる。

 結果は、平凡なサードゴロ。

 

「ナイスボール!その調子で行こう、久遠!」

 

 

 続くバッターは八番の長山。

 ベンチへと戻っていく大村と何か会話を交わしてから右のバッターボックスへと立った。

 

(まあ、今の詰まらせたボールについて話しているんだろうがな……)

 

 相手の久遠への警戒度が高まったのは明らかだが、要は構うことなく同じコースに同じ球種を要求する。

 

(コース、厳しく行くぞ)

 

 整ったフォームから投げれる一球。

 僅かに甘く中央へと入ってしまった。打ちごろのボールだと判断した長山はバットを力強く振るう。

 

 またしても手元で鋭く内へとボールは動いた。

 

「ファール!」

 

 バットの芯を外したボールは、ファールゾーンへと跳ねていった。

 思わぬボールの動きに長山は驚愕している。

 その反応に要はほくそ笑む。

 

(ストレートと変わらぬ速度で鋭く利き手側に変化する。正直、キャッチャーの立場としてはスライダーよりも使いやすい)

 

 高速シュート。

 シニア時代の久遠の決め球であるボールだ。友沢への憧れゆえにスライダーを磨いていた久遠であるが、習熟度で言えばこのボールの方が上なのだ。

 

 

「ファール!」

 

 更に投じられた高速シュートに食らいつく長山。

 ファールゾーンへとボールを弾いた。

 しかし、これで2ストライク。たった二球で追い込んで見せた。

 

(そして、このボールがあるからこそ……)

 

 今度は外に構える要。

 彼の示したサインに、久遠は僅かに笑みを溢した。

 

(内と外の揺さぶり。左右の二つの変化球)

 

 投じられたのスライダー。

 速度はシュートと比べれば遅いが、大きな弧を描いて曲がり落ちる。

 ゾーンの中央から隅へ変化するボールに、長山は思わずバットを振るってしまう。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

(――それだけで、お前のピッチングは何倍にも輝ける)

 

 このピッチングはかつて友沢が肘を壊し、帝王のエースとして立ち上がった久遠がたどり着いた答え。

 甲子園に出場した時に、久遠はこの組み合わせで世代No.1の打者と言われた男からも三振を奪ってみせた。

 

 球威、コントロール、そしてメンタル。

 未来の姿に比べれば、今の久遠には足りない物は沢山ある。

 

 それでも、かつての久遠には無かったものが今はある。

 

(お前には、キャッチャー()がいる)

 

 今度こそ、最後まで共に戦ってみせる。

 

 

 ♢

 

 

 その後、続くバッターである橘も抑え、下位打線ながら三者凡退にして見せた。

 八回の攻守も両ピッチャーの活躍によりスコアが動くことは無かった。

 そして同点のまま最終回を迎える。

 

 練習試合である為、延長は無い。

 つまり表の攻撃である帝王実業はこの回に得点をしなければ、彼等に勝利はない。

 しかし、好投を続ける橘を相手に帝王実業打線は打ちあぐねていた。

 

 九回、最初に打席に立つのは、兵藤 要。

 

 最後の勝負が幕を上げる。

 

 

 

「ふぅぅ」

 

 息を整えながら、橘 みずきはマウンドへと立った。

 登板した五回表途中から打たれたヒットは僅かに一本。三番の吉田がセンター前に放ったものだけである。

 

(この回を抑えれば……)

 

 あの帝王実業を相手に勝利できる確率がグンと上がる。少なくとも負けが無くなる。

 

(アウトローのストレートね。……何よ、聖。分かってるわよ)

 

 強い視線を送る六道へ、笑みを浮かべる橘。

 確実にアウトを取る。彼女達に一切の油断は無かった。

 

「ストライーク!」

 

 外角低め、ストライクゾーンの隅にボールは収まった。

 球速や球威はまだまだである橘だが、この安定したコントロールが彼女の最大の強みであった。

 

 左打席に立つ兵藤は、そのストレートに一切反応を示すことは無かった。

 

 次のボール。六道は兵藤の胸元へとミットを構える。

 

(いいわ。存分にのけ反りなさい!)

 

 インコースへと勢いよく投じられたボールにも、兵藤は容易く体を逸らして見せた。その表情は一切崩れていない。

 

「ボール!」

 

(何がしたいのよ、コイツ)

 

 相手の狙いが分からず、その気味の悪さに僅かに苛立ちを感じる橘であった。

 カウントは1―1。

 

 

 ♢

 

 

 バッターボックスに立つ兵藤を誰よりも近くで観察しているのは六道 聖。しかし、彼女をしても今の彼が何を狙っているのかは理解できなかった。

 

(インコースにスクリューだ。みずき)

 

 六道のサインに待ってましたとばかりに力強く頷く橘。

 左打席に立つ兵藤の膝下に鋭く沈むボール。先程の打席では見せなかった。

 みずきの最も自信のあるボールであり、兵藤にとっては初見であるはずのボール。

 

「な――!」

 

「ボール!」

 

 そのボールを兵藤は平然と見送ってみせた。

 九番打者でありこれまでの打席を見ても、そこまで打力は高くないと判断した六道。

 そんな相手が容易く橘の決め球を見送ったのだ、彼女の驚きも当然かもしれない。

 

(次は、インローに直球)

 

 キレのあるストレートが膝下のギリギリ、ゾーンの端に構えたミットへとボールが収まる。

 

「ストライク!」

 

 審判のコールに内心、ガッツポーズをする六道。審判によってはストライクとして取っては貰えないほどギリギリのコースだったからだ。

 

(追い込んだ。これで……ッ!)

 

 2―2となり、自分たちの有利なカウントになった。

 

 これで勝てる。

 そう確信した六道の視線の先で、兵藤が不敵に笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「何、やねん……あれ……」

 

 セカンドの守備につく原が、今起きている現象に唖然としている。

 それは聖タチバナのナインだけでなく、帝王実業のベンチにも及んでいた。

 

「ファール!」

 

 ミート力には自信がある原が、愕然とする光景。

 

「くそっ!」

 

 悪態を吐きながら橘はテンポよく投球した。

 再び鳴り響く、軽い金属音。

 

「ファールッ!」

 

 追い込まれてから、都度12球。

 

 兵藤はストライクゾーンのギリギリに制球されるボールを全てカットしてみせた。

 彼は笑みを崩すことなくボールを弾いている。

 

 

「ボール!」

 

 ワンバウンドしてしまうボール。

 この短時間で、橘の疲労は目に見えるほど明らかになっていた。

 

 そして、それはキャッチャーである六道も。

 彼女は気付いてはいない。

 

 勝負を急ぐあまり、彼女の得意とするささやき戦術を行っていないことに。

 

 ここまでなんなく帝王打線を抑えてきたバッテリーが、ここにきて初めて揺らいだ。

 

 ♢

 

 

 かつての兵藤 要の打撃評価は決して高くは無い。

 しかしながら三年時の彼は監督である守木から九番打者でありながら第二の一番打者としても評価されていた。

 

 キャッチャーとしての読み、持ち前の選球眼、並以上のミート力。

 

 そして、ひたすら行ったファールを打つ練習。

 

 その果てに手に入れた武器。

 

 どんな豪速球を持つ投手も、どんな精密な制球を持つ投手も、どんな鋭い変化球を持つ投手も、カウントというルールには縛られている。

 

 弱者であった彼が、強者に立ち向かう為の技術。

 

 カット打法こそが、かつての兵藤 要がたどり着いた答え。

 

 

 

 カランという音を立てて金属バットが地面に置かれた。

 左打席に立っていた要は、確信を持った表情でバッターボックスから離れた。

 

「ボールフォアッ!!」

 

「くっ……!」

 

 審判のコールにマウンドに立つ橘は悔しげにマウンドを蹴った。

 明らかな苛立ちに、隠せていない疲労。

 

「ふぅぅ」

 

 それは橘だけでなく、目を閉じ大きく息を吐いてどうにか心を落ち着かせようとしている六道にもはっきりと現れていた。

 

 要の知っている未来で、このバッテリーは高校最強バッテリーとも言われるあの猪狩兄弟とも正面から投げ合って見せていた。

 それ程の成長を見せるこの二人は、間違いなくこれから先の帝王実業の障害となるだろう。

 

(だが、今はまだ“若い”)

 

 経験値のみは、要に分がある。

 勝者の笑みを浮かべゆうゆうとファースベースへと向かう要。

 それを見た、橘はますます苛立った様子を見せる。

 

 これが、かつての帝王実業の九番打者 兵藤 要の真骨頂であった。

 

 

 ♢

 

 

 ネクストバッターボックスに立っていた矢部 明雄は、9回の攻撃が始まる前に兵藤と交わした会話を思い出していた。

 

 

『大丈夫か?』

 

『大丈夫な訳ないでやんす!ここでオイラ達が打ち取られたら、ウチの勝ちが無くなるでやんすよ!?』

 

 帝王実業の勝負に対する理念。

 勝利以外は無価値という考えは、時としてプレイヤーに大きなプレッシャーを与える。

 ましてや相手のピッチャーはここまで打線が手も足も出なかった橘。

 

 新入生である矢部が不安に思うのも当然であった。

 

『ここで打てなくて……た、退部とかは流石に無いでやんすよね!?』

 

『安心しろって。そんなことで退部なら、ベンチで暴れた俺と久遠の方が先に退部にさせられるでしょ』

 

 矢部を安心させようとする兵藤の言葉に、ベンチで座り体力を回復させていた久遠がビクッとなる。

 

『ま、まあそうでやんすね』

 

 それでも矢部の緊張は拭えない。

 兵藤はそんな様子である矢部に肩を回す。

 

『……ならさ、二人で点でも取っちゃうか』

 

 そんな事をサラッと言う兵藤の姿に、矢部は唖然としたのであった。

 

(まさか本当に、出塁しちゃうでやんすか)

 

 バッターボックスに向かいながら矢部は、ファーストベースへと視線を向けた。そこに立つ兵藤は矢部へと笑みを浮かべながら拳を上げるのであった。

 

(そんな期待した目で見られても困るでやんすよ)

 

 自分は彼等とは違う。

 同学年のプレイヤーが躍動するこの試合で、その事実を痛感していた。

 

 自分達より実力のある先輩達を手玉に取る相手バッテリー。

 帝王のエースである山口に認められた兵藤に、きっちり自身の役割をこなしている久遠や猛田。

 

 そんな中で、自分はさして目立つ事はなかった。

 

 

 中学でも三年間レギュラーになる事は無かった。

 試合に出場できたとしても代走での交代が殆どであった。

 

 そんな自分を変えたくて、強豪である帝王に入学したのだ。

 

 このままでは、彼等に置いていかれてしまう。

 

 最後の夏に、スタンドから彼等を応援している自分の姿がよぎった。

 

 

 

(オイラの武器はただ一つ)

 

 バッターボックスからマウンドに立つ橘を見る。その様子は快調に投げてきてこれまでとは明らかに違う。

 それに先程の打席まで自分の心を乱していた六道のささやきは聞こえない。

 

(必ず返してみせるでやんすよ。兵藤君……!!)

 

『初球は――』

 

 橘から力強く白球が投じられる。

 兵藤からの言葉を思い出しながら矢部はグリップを握りしめ、フルスイングした。

 

『――思いっきり空振ってくれ』

 

「すっ、スチール!!」

 

 矢部が体制を崩すほど振り抜いた瞬間、ファーストを守る戸川が叫んだ。

 初球から兵藤が盗塁を仕掛けたのである。

 

「なッ!?」

 

「ストラーイク!!」

 

 矢部が空振ったボールを六道はキャッチし、慌ててセカンドへと送球する。

 

「セーフ!!」

 

 しかし、兵藤のスタートが早かったため六道の送球は間に合う事はなかった。

 

 ノーアウトランナー二塁。

 誰が見ても流れが変わったのは明白である。

 好投を続けてきた橘に対して最大のチャンスが訪れた。

 

 すかさずタイムを取る聖タチバナのバッテリー。

 その様子に目を向ける事なく矢部はバッターボックスから離れた位置でバットを振るう。

 逆にセカンドベース上に立つ兵藤は不敵な笑みを浮かべながらマウンドの上に立つ二人の姿を見つめていた。

 

 彼等の狙いは――

 

 

 ♢

 

 

「なんっなのよアイツ!?ヘラヘラ笑ってっ!ムカつくわねっ!!」

 

「落ち着けみずき。それでは相手の思う壺だぞ」

 

 地団駄を踏みながら苛立ちを隠そうとしないみずきを聖は嗜める。

 

「それにあのメガネよ!!アタシのボールを本気で打てるとでも思って――」

 

「みずき」

 

 静かにされど怒気を含んだ聖の声に、癇癪をあげていたみずきも静まる。

 

「時間もかけられないから端的に言うぞ。向こうはどうにか私達を揺さぶろうとしているのだろう。だが、ランナーが出ようと点を取られない限り有利なのは私達だ」

 

 捲し立てるように述べた聖はそこで息を吐き、みずきへ僅かに笑みを浮かべる。

 

「どんと構えていこう。こんなのはピンチでも何でもない」

 

「当然よっ!さっさとアウト3つとって勝ちに行くわよッ!!」

 

 聖はみずきを言葉で縛るのはではなく焚きつけた。

 どこまでも自由であるからこそ輝ける。それが橘 みずきという投手なのだから。

 

 

 

 

 軽い音を鳴らしながらボールが三塁線をゆっくりと転がっていく。

 三塁を守っていた長山は驚きながら急いで捕球する。

 

 バッテリーがタイムを終えた後の最初のボールを矢部はバントした。

 

「くッ!ファースト!!」

 

 先程のフルスイングを見て強行策すらよぎっていた聖にとって、バントという選択肢は思いもよらぬものであった。

 素早くスタートを切っていたセカンドの兵藤は間に合わないと判断し、一塁へ投げるよう長山へと指示を出す。

 

 しかし、バッターは俊足を誇る矢部。

 

 そのスピードに焦った長山の送球が逸れる。

 一塁を守っていた戸川は間一髪でキャッチするものも、ベースから足を離してしまった。

 

 矢部は迷いのない足取りでファーストベースを駆け抜ける。

 

「セーフ!」

(――くっ、最低でもそこは取りたかったのだが)

 

 塁審の判定に聖は思わず顔をしかめる。

 彼女の思考は既に次のバッターへと映っていた。

 

 

 しかし――

 

「バッ――バックホームッ!!」

 

 誰かが叫んだ。

 聖が驚愕しながら視線を向けた時には、既に兵藤の姿が面前まで迫っていた。

 

 

 ♢

 

 

『相手の守備の穴でやんすか?』

 

 要は矢部とベンチで交わしていた会話を思い出す。

 

『ああ。二遊間を守る原と木波。バッテリーの橘と六道。一見すると内野のレベルは中々のものと言える……が、一塁を守る戸川に三塁を守る長山、この二人は対して上手くない。現に四回には長山の方が送球をエラーしてるしな』

 

『へぇ、よく見てるでやんすね』

 

 感心したように述べる矢部に要は苦笑いを浮かべながら、さらに言葉を続ける。

 

『矢部君。足が早いというのはそれだけで脅威なんだ。時として一流の選手の守備をすら乱す程にね』

 

(昔の俺は、そんな武器を持つ矢部君が羨ましかったんだ)

 

 そんなかつての思いは口に出す事なく要は打席へと向かっていった。

 

 

 

 一塁の戸川からの送球は乱れたものであったが六道はどうにか捕球する。

 そこから最低限の動きでホームベースを覆うとした。

 

「くっ……!!」

 

 要はスピードに乗ったままホームへ滑り込む。

 身体を捻り、六道のミットを躱しながらホームへと手を伸ばした。

 

 要の手がホームの端に触れた。

 しかしほぼ同着で六道のミットも要の腕を捉えていた。

 

 主審は、腕を伸ばす。

 

 

「セーフッ!!」

 

 

 九回表、二人の一年生による起死回生のバントエンドランが成功した。

 

 

 帝王実業高校 5―4 聖タチバナ学園高校

 

 均衡が崩れた。

 

 




次の話で聖タチバナ編は終わります。
まあ、エピローグですけど。

……いつ投稿できるだろう。


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四月三週目《VS聖タチバナ学園高校⑥》

感想や評価をありがとうございます。

私事ですが、最近パワプロアプリに初めて手を出しました。
今後の情報収集も兼ねてるつもりです。


 九回表、兵藤と矢部によるバントエンドランにより帝王実業は勝ち越し点を挙げた。

 ここまで聖タチバナバッテリーがどうにか保ってきた均衡が崩れる。

 

 

 その後、エースである橘 みずきのピッチングはここまでの快投が嘘のように乱れた。完全に緊張の糸が切れ、針の穴をつくような制球も影を潜めてしまった。

 その隙を二軍と言えど帝王打線が見逃す筈もなく連打を浴びる。

 

 

 帝王実業高校 7―4 聖タチバナ学園高校

 

 

 聖タチバナの裏の攻撃を残すと言えど、つい数十分前まで自身達の勝利の可能性すら見えていた聖タチバナにとってはあまりに重い三点である。

 

 ようやく守備が終わり、ベンチに戻るナインの表情は暗い。

 これまでチームを鼓舞してきた木波や快活なピッチングをしてきた橘ですら下を向き悔しげに歯を食いしばっている。

 

 最早、誰が見ても勝敗は明らか。

 聖タチバナ学園は、帝王の執念に打ち砕かれた。

 

 

 ただ一人を除いて――。

 

 九回裏、先頭バッターである大京は打席へと向かう。

 その表情は他のメンバーと違い、いつも通り落ち着いたものであった。

 フレーム越しにマウンドに立つ久遠を見据える。

 

 先程はホームランを放った。

 しかし、状態の上がってきた久遠のボールを同じように捉えられるなどという安直な考えは彼には無い。

 

「ふぅぅ」

 

 一つ息を吐く。

 

 誰よりも冷静な思考力を持つ彼は、この試合の意味を理解していた。

 相手が帝王であろうと、二軍であろうと、所詮は練習試合でしかないのだ。

 ここでの敗戦は、チームの未来には直結しない。

 

 それを理解しているからこそ、大京は過度に悲観する事はない。

 

(それでも、ただで終わるつもりは無い)

 

 橘に野球に誘われて大京は野球を始めた。

 彼女の一言が彼を変えたのだ。

 

『せっかくパワーがあるんだから筋肉付ければカッコよくなるわよ』

 

 彼女はただいつものように思ったことを口にしただけなのだろう。

 ブヨブヨに太ってカッコ悪かったことがコンプレックスだった自分にとって、変わるキッカケをくれたその言葉を大京は生涯忘れない。

 

 橘 みずきは大京にとって紛れもない恩人である。

 

 彼女が項垂れ、涙を流すまいと必死に歯を食い縛っていた。

 その姿を見て、何も思わないはずが無いのだ。

 

 

 ここから巻き返すというのは現実的では無いだろう。

 それでもただ負けて終わるのか。それとも最後の足掻きを見せるのか。

 その結果は必ず未来に繋がる。

 

 

 最後の意地を見せられるか。

 

 

 ♢

 

 

 バッターボックスに立つ大京の後ろ姿を要は冷静に観察する。

 その姿は戦意を失ったようにも、気負っているようにも見えない。これまでと同じような自然体。

 

 要の知っている未来においても、聖タチバナの四番を打つ大京はそれほど目立つ存在では無い。

 他の強豪校の四番と比較してしまえば、彼は良くも悪くも地味なのだ。

 

 しかし、敗戦濃厚なこの場面でも揺るがぬ彼の精神性は要も脅威だと思っている。

 

 精神力など高めようと思って高められるものではない。

 本来、要のような例外でもない限り、その力は生きてきた時間とこれまでの経験に依存するものなのだから。

 

 その精神性は、紛れもない才能だ。

 

(堅実に行くか。それとも……)

 

 マウンドに立つ久遠を見つめながら要は思考する。

 久遠の失投とはいえ、相手はそのボールを捉えネットに突き刺したバッター。

 わざわざ攻めに行く必要はない。

 クサイところにだけ投げさせ、良ければ打ち損じ、悪くても四球。仮に大京が出塁しても、鈍足な彼では大局には影響は及ばさない。

 

 そんな選択肢も存在する。

 

 

「フッ」

 

 要は浮かんだその思考を鼻で笑う。

 久遠の表情は、気持ちを違えていたこれまでとは違う。

 

 ただ真っ直ぐに、要のミットを見つめている。

 投手のそんな思いを無下にする捕手がいるだろうか。

 

 要は笑みを溢しつつサインを出す。

 そして右打席に立つ大京の胸元にミットを構えた。

 

(行くぞ、久遠……!!)

 

 口パクにて告げる要の言葉に久遠は静かに頷いた。

 

 バッテリーも覚悟を決めた。

 

 最後の勝負――意地と意地のぶつかり合いが幕を上げる。

 

 

 ♢

 

 

 カーンという音と共に白球は打ち上がる。

 久遠が投じたボールは、内側に鋭く変化する高速シュート。

 僅かにゾーンを外れたそれを、大京は腕をたたみアジャストしたのである。

 

「ファール!!」

 

 大きな弧を描いた打球はレフト線を割り、ファールゾーンのネットに突き刺さる。

 またホームランを打たれてしまったかと思った久遠は打球の行方に安堵した。

 

(次は外にスライダーか)

 

 兵藤のサインに久遠は迷いなく肯く。

 ワインドアップから力強く振りかぶる。

 

 友沢から教わったスライダー。

 久遠としてはシュートよりも自信のあるボールである。

 

 兵藤の構えるミットへ向かったボール、大京も釣られてバットを動かす。

 しかし、外に逃げるように変化したボール、大京のバットは止まった。

 

「なっ……!」

 

「ボール!」

 

 コースもキレも自信のあったスライダーが見極められた。

 その事実に久遠は驚きを隠せない。

 兵藤は躊躇う様子なく間髪入れずにサインを出す。

 

(インハイのストレート、釣り玉)

 

 中途半端な場所にボールが行ってしまえば、大京は見逃さないだろう。

 久遠は自身の球質が軽い事を知っている。力勝負で勝てるなどとは思っていない。

 

 確実に外す必要がある。

 

 力強く振るったボールは久遠の意思とは違い、真ん中高めへと向かう。

 思わぬボールに大京のバットが動いた。

 低い摩擦音を鳴らしバットを掠ったボールは、主審の頭の上を通過し、バックネットに当たる。

 

「ファール!」

 

 意地を見せる大京。

 表情の変化は乏しいが、その眼だけはギラギラと久遠を見ていた。

 

「ふぅぅ」

 

 久遠は目を瞑り深く息を吐く。

 自分でもわかるほど身体が強張っている。

 心の内でバッターとの真剣勝負を楽しんでいる投手としての自分と、打たれる事への不安が鬩ぎ合っている。

 

 それでも僅かに今は、投手としての本能が勝っていた。

 兵藤とバッテリーを組んでから、不思議と自分の力が引き上げられているような感覚があった。

 自分はもっと先へ行けるんじゃないか。それこそ、あの憧れる彼に追いつく事もできるんじゃないか。

 

 そんな思いが、生まれる。

 

 兵藤はインコースにミットを構える。

 交わしたサインの内容に久遠は僅かに笑みを浮かべた。

 

 

 

 久遠はかつて全国常連と言われる赤とんぼシニアに入っていた。

 頼りになる先輩達。厳しくも正当な評価をするコーチ陣。整った練習環境。

 そして、尊敬するプレイヤーにも出会えた。

 野球に集中でき充実した三年だったと久遠も思っている。

 

 しかし、結果が求められるその環境は、常にプレッシャーと隣り合わせでもあった。

 いつしか周囲の期待が怖くなった。

 マウンドに立ちたくない、そんな思いすら抱くこともあった。

 

 

 進路を決めるときも、自分が本当に野球を続けたいと思っているか自信がなかった。

 友沢が帝王実業に入学すると聞いたとき、自分に来ていた推薦を蹴ってでも帝王実業に入学することを決めた。

 友沢への憧れが決め手であったのは間違いない。

 

 それでも推薦を断ったのは、赤とんぼシニアのエースという期待を背負いたくはなかったという思いがあったことは否定できない。

 

 

 

 

 18.44m先にある兵藤のミットにのみ視線を向ける。

 それに目を向けるだけで、かつてあったプレッシャーは薄れてゆく。

 

 

『お前はお前だろうがッ!!友沢も、山口さんも、久遠も俺にとってはバッテリーを組んだ瞬間から相棒なんだよ!!』

 

(――相棒、か)

 

 マウンドは孤独な場所だと思っていた。

 一人で戦う事だけが強さだと思っていた。

 

(打たれたら、君のせいだからな)

 

 心の中で冗談交じりに呟く。

 だが最早、兵藤のサインが間違っているなど微塵も思っていない。

 

 久遠は脱力しゆらりと振りかぶる。

 大京の胸元に投げ込むのは、最も自信のある球種。

 

 それは、内角を抉るスライダー。

 大京の体めがけて向かってきたボールが急激に変化し、ストライクゾーンに侵入しようとする。

 思わぬ軌道に大京は反応できず、ボールを見逃がした。

 

 兵藤がキャッチした位置を見るならストライクかボールかきわどいところである。

 

 一瞬の静寂が、グラウンドを包む。

 久遠には兵藤がマスク越しにほくそ笑んでいるのが見えた。

 

 

「ストライク!バッターアウト!!」

 

 

 大京は主審のコールに天を仰ぐ。

 対する久遠は余韻を噛みしめるように小さく拳を握った。

 

「久遠!」

 

 兵藤は久遠を呼び掛けながらボールを返球する。

 

「ナイスピー!あと二つキッチリ抑えよう!」

 

 笑顔を浮かべる兵藤の言葉に久遠は気恥ずかしげに顔を背け、小さな頷きで応えた。

 

(僕は、弱い)

 

 投手としての能力の問題ではない。メンタルの問題である。

 一朝一夕で解決する事は無いだろう。

 

 だが、それでも。

 

(だから僕に、力を貸してくれ。兵藤)

 

 自身の弱さを認めた彼は、これまでとは違う。

 

 投手としての才能は間違いなく本物である。

 仮に、そこに心が伴うなら――

 

 久遠 ヒカルの物語は本当の意味で、動き始めたのであった。

 

 

 ♢

 

 

「おや、最後までは見ないのかい?」

 

 帝王実業の不動のセカンドである蛇島 桐人(へびしま きりと)は側にいた後輩が動き出そうとしたのを見て、穏やかに声をかけた。

 

「見るべきものは全て見たので。……少し走って来ます」

 

 帝王実業の期待のルーキーである友沢 亮は蛇島にそれだけを告げランニングへと向かう。

 観察眼の鋭い蛇島は普段は表情の変化が乏しい友沢が僅かに喜色を浮かべているのを見逃さなかった。

 

「……一軍のメンバーを見てもつまらなそうな表情をしていた君が、この程度のレベルの試合に何を見たんだろうね」

 

 友沢と会話していた時のような穏やかさから一転、蛇島は心底つまらなそうに目の前のグラウンドへと目を向けた。

 

(こんな弱小チームに苦戦しているから、お前らはいつまで経っても二軍なんだよ)

 

 蛇島の同級生も何人もこの試合ではプレーしている。

 普段顔を合わせれば、人の良いようなフリをする蛇島であるが、内心は下手なプレイヤーを毛嫌いしていた。

 まあ、自分より実力のあるプレイヤーも嫌いな為、性根からどうしようもないのだが。

 

 そんな彼が一人の選手に目を向ける。

 一年生ながらグラウンドの中心となっているプレイヤー。打撃は凡庸だが、彼の捕球技術には守備に長ける蛇島も一定の評価を下していた。

 

「兵藤 要か……ククク。一軍に上がったとしても精々足は引っ張るなよ」

 

 彼のこの試合での活躍は、一年生という事を加味するなら充分に一軍に値するものだと蛇島は見ている。

 だが、一軍と二軍ではレベルが明らかに違う。

 

 一軍初昇格の一年は大抵、数週間で降格する。

 実力も体力も一軍についていけないからだ。

 

 そんな弱者の絶望の表情を見るのが、蛇島の密かな楽しみでもあった。

 本当にどうしようもない奴である。

 

 

 ♢

 

 

「アウト!ゲームセット!!」

 

 主審の宣言により、両者の命運が決した。

 

 

 帝王実業高校 7-4 聖タチバナ学園高校

 

 

 九回裏、聖タチバナのスコアが動く事はなかった。

 久遠の前に三者凡退、これまでの善戦が嘘のように呆気ない幕切れであった。

 肩を落とす聖タチバナナイン。橘も最初のような元気は無い。

 

「みんな……ちゃんと並ぼう」

 

 主将である木波はそう静かに声をかけた。

 その目は前を向いている。

 

 これが、弱小校である自分たちの現在地。

 勢いだけで勝てるほど、帝王は甘くはなかった。

 

 木波に続くように聖タチバナのメンバーがグラウンドの中央に集った。

 対面するように帝王のメンバーも整列する。彼等の顔つきは最初のような侮りは無い。

 

「7対4で帝王実業高校の勝利!礼!」

 

「「ありがとうございましたッ!!」」

 

 いつの間にか増えていたギャラリーの拍手がグラウンドに響き渡る。

 誰も思っていなかった程の好ゲーム。

 観ている者とっては決して悪くない試合であった。

 

 だからこそ真剣にプレーしている者には、この結果はより堪えるのだ。

 

 

 

「兵藤!」

 

 六道 聖はこの試合で散々自チームを翻弄した同学年のキャッチャーへと握手を促すように声を掛けた。

 

「六道さん?」

 

 不思議そうに振り向いた兵藤は、聖の差し出す手に気づき、その握手に応じた。

 聖は試合中からずっと彼に尋ねたかった事を聞く事にしていたのだ。

 

「呼び捨てで構わないぞ。……そんな事より試合中、お前は私を恨んでいると言ってたな……私に覚えはないが、仮に非があるのなら謝りたいのだが……」

 

 生真面目な性格ゆえに、兵藤のトラッシュトークを本気で受け取る聖。

 その姿に、兵藤は思わず吹き出してしまう。

 

「ブフッ!……そんなに気にしてたのか?」

 

「わ、笑い事ではないだろうっ!人に嫌われていると言われて気分の良い者なんているか!」

 

 大変ご立腹な様子の聖に兵藤は苦笑いを浮かべながら頭を掻く。

 

「ごめんごめん……大したアレでは無かったから気にしないで欲しかったんだけどさ。まぁなんて言うか、個人的な妬みみたいなヤツだ。六道に一切、非はないよ」

 

「妬みだと?アレほどの実力のあるお前が私の何を妬むと言うのだ……。お前に勝ってるものなど、私には一つも無い――」

 

 試合に負けネガティブな思考に陥った六道は呟くように思いを口に出す。

 捕手として橘をサポートし切れなかった自身の不甲斐なさが、兵藤という捕手と比較してしまい、余計に膨らんでしまう。

 

「――俺にあのじゃじゃ馬を乗りこなせる自信はないな」

 

「は?」

 

 兵藤の言葉を聖はすぐに理解する事は出来なかった。

 そんな聖に兵藤は穏やかな表情で語りかける。

 

「橘 みずきというピッチャーは他の誰でもない、お前を選んだんだ」

 

 聖は橘の勧誘に応えて聖タチバナに入学した。

 彼女は橘に選ばれたのだ。

 

「それは同性だからなどと言う小さな理由ではない筈だ。お前が勝手に自分は相応しく無いなんて考えるなら、お前を選んだ橘に失礼だと思わないか?」

 

「……そう、だな」

 

 それでも納得のいかない六道に、兵藤は小さくため息をついた。

 

「……言い方は悪いけどさ。二軍とはいえたかだか発足一ヶ月のチームには負けないよ、ウチは」

 

 兵藤の言葉にキッと睨む聖。

 ますます大きなため息で返された。

 

「これからなんだよ、お前達は。橘と六道のバッテリーも、木波も宇津も原も大京も厄介なのはこの先だ」

 

 まるで未来を見ているかのように述べる兵藤。

 不思議とその言葉には説得力を感じてしまう。

 

「……俺は夏までに一軍の正捕手の座を取ってみせる。そのままグズグズしてるようなら公式戦でも勝つのは俺たちだ」

 

 その言葉に聖は顔を上げる。

 兵藤もあくまで発破をかけるつもりなのだろう。それでもこれ以上、弱さを晒したくはない。

 

「次は私たちが勝つ。必ず……!」

 

 聖の表情に満足そうな笑みを浮かべた兵藤は、彼女の両肩に手を置いた。

 

「よーし!ならこれで解散解散っと。グラウンドの中央でいつまでもくっちゃべってんの俺らだけだから。さっさと君はフラフラっとどこかに消えた自分たちのエースでも探してきなさい。ほら、それもキャッチャーの役目だよ!」

 

「なっ……!?」

 

 捲し立てるように言う兵藤の言葉に聖は周りを見回す。

 両軍ベンチまで戻っている状況で会話を続けていたのだ。皆が二人に注目している。

 あえて指摘しなかった帝王OBの審判も人が悪い。

 

 兵藤は聖の両肩を押しクルリと反転させ、そのまま背中を押す。

 聖は恥ずかしさに赤面しながらチラッと背後の兵藤へも視線を向けた。

 

「次は、甲子園を賭けて戦おう」

 

 試合中に何度も見せた不敵な笑みを浮かべ兵藤は自陣ベンチへと下がっていった。

 

 甲子園。

 

 その単語が、聖の思いを強くする。

 昨年から女子選手の高校野球への参加が認められるようになった。

 

 それでもかの地に降り立った女子選手はいない。

 

 その夢を橘と叶えようと決めたのだ。

 

 強くならなければいけない。

 

 今度こそ彼らに勝つ為に。

 

 

 

 

 

 帝王の校舎裏の水飲み場で橘は一人何度も顔を洗っていた。

 

「こんな顔……絶対に見せられない……!」

 

 試合終了時から堪えてきた涙が先ほどから止まらない。

 所詮は練習試合。シニアを経験しているみずきは、これまでも何度も敗北を経験している。

 それでもここまで感情が昂ることはこれまでなかった。

 

「なんで……止まってくれないのよ……!!」

 

 発足一ヶ月のチーム。

 

 自分がわがままを言って呆れられることもある。

 まだまだ頼りにならないと思う事も少なくない。

 

 それでも、橘 みずきはこのチームが好きなのだ。

 

 

「……いい加減、戻らないとみんな余計な心配を――」

 

 そんな事を呟くみずきの頭にファサっとタオルが放られる。

 思わず顔を上げるみずきの視線の先には、シニアで見慣れていた金髪が目に映った。

 

「――なんでアンタがこんなとこにいるのよ。友沢」

 

「俺はここの生徒だ。校舎にいて悪い事は一つも無い」

 

 橘 みずきと友沢 亮。

 

 シニア時代から続く犬猿の仲の二人が再会を果たした。

 

 




やっと終わった(白目)

皆さんの納得のいく終わり方では無かったかと思いますが、良ければ感想をお聞かせください。
次からの参考にします。


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四月三週目《それぞれの決意》

いつも読んでいただきありがとうございます。

一応、注意です。
本来、帝王実業にはいないはずのキャラが一軍メンバーとしています。

よろしくお願いします。


 

 聖タチバナ学園との練習試合を終えた要は久遠とともにいの一番に監督室へと訪れていた。

 それは、先ほどの試合の最中に二人が起こした騒ぎについて謝罪するためであった。

 

「「すみませんでした!」」

 

 相変わらず機嫌の悪そうな表情を浮かべる守木の前で頭を下げる二人。

 守木はその鋭い眼光で二人の顔を見る。本人としては観察しているつもりなのだが、目つきが悪いため睨んでいるようにしか見えない。

 少なくない間を置いてから守木が口を開いた。

 

「次は無い。……分かったか?」

 

「「はいっ!!」」

 

 守木は厳しい口調で忠告を述べた。

 

 要と久遠がまだ入学したての選手であったからこそ示された温情である。本来であれば何らかのペナルティが発生してもおかしくない問題である。

 次また何か問題を起こせば守木も容赦はしないだろう。守木の言葉を肝に銘じる要であった。

 

「……分かればいい。久遠、貴様は戻っていい。兵藤にはまだ話がある」

 

「は、はい。失礼します」

 

 一歩下がった久遠は、一瞬だけ要と視線を合わせてから監督室を後にした。

 久遠が退出し、監督室は更に静けさに包まれる。

 かつての記憶も含め、要が守木とマンツーマンで接する機会はそこまで多くはなかった。その為、この場に一人で立っているだけで少なくない緊張を感じてしまう。

 

「3打数1安打1四球。課題はやはり打撃だな」

 

 守木がおもむろに呟いた野手成績。

 誰の成績かは聞くまでもない。

 

「……はい」

 

 要はわずかに悔し気に頷く。

 この試合での一軍昇格を目指していた要にとっては、せめてもう一本まともな当たりが欲しかったところである。

 

「――だが」

 

 そこで言葉を切った守木は真っ直ぐに要へと視線を合わせる。

 

「守備での貢献度、最後の走塁。総合的に見れば決して悪くはない。特に後半、調子のよくなかった筈の久遠を上手くリードし試合を作ってみせた。貴様がいなければ、今日の勝利は成しえなかっただろう」

 

 要も思っていなかったほどの大絶賛であった。

 本来、守木は選手をないがしろにすることはないものの、言葉で褒めるということをするタイプではない。

 

「今日の結果を顧みて、仮ではあるが貴様を一軍へ昇格することを決めた」

 

「え……は、はい!」

 

 守木の決定に驚きつつ返事をする要。

 その口元は、わずかに呆けながらも喜色を隠せてはいない。そんな要の姿に釘を刺すように守木は言葉を続ける。

 

「あくまでも仮だ。結果を出せなければすぐに降格してもらう。いいな?」

 

「――はい……!!」

 

 その言葉に決意を固めた要は、守木の視線に臆することなく返答して見せた。

 要の表情を確認した守木は視線を切り話を先へ進める。

 

「ふん……毎年、ウチはゴールデンウイークの長期連休を用いて遠征試合を行っている」

 

 甲子園の常連校である帝王実業は他県の強豪校との繋がりもある為、連休や夏休みなどの期間を用いてよく遠征を行うのだ。

 とりわけ夏の本戦が近づくこの時期は、甲子園でも名の知れた名門校とも試合を組む事も珍しくはない。

 

「遠征に参加し、相応の結果を残せば一軍の地位も確約しよう」

 

(確か、今年のゴールデンウィークは6連休だったよな……)

 

「……ちなみに何校と試合組んでるんですか?」

「5校だ」

 

(6日で5試合って中々ハードだなぁ)

 

 今日の練習試合でもクタクタになっている要。

 現時点では十分な体力もない要である為、守木の言う日程には思わず苦笑いを浮かべる。

 

「……言っておくが、毎回貴様に出番があるわけではないからな」

 

(そりゃ当然でしょ)

 

 内心そう思うが決して口には出さない。

 そんな事をすれば今度こそ自分の立場が危ういし、そもそも軽口を言い合えるような間柄でもない。

 

 要の心情を知ってか知らずか、守木はため息をつきながら口を開いた。

 

「……はぁ。一軍で活躍したければ打撃を磨け。あの程度の投手は全国にはごまんといる。そもそも貴様が最後に見せたカット打法。今後あれを認めるつもりはない」

 

(なッ……!?)

 

 守木の言葉に衝撃を受ける要。

 カット打法は()()()()()が打撃面においてたどり着いた答えであり奥の手でもある。

 そこには血の滲むような努力がある。そうやすやすと手放せるものでは無い。

 

 納得のいかない様子の要に守木ははっきりと告げる。

 

「――かつて甲子園に出場した選手に、カット打法を武器にした者がいた。その技術の高さに世間は沸いたが、審判団は相手投手を消耗させるカット打法をフェアでは無いと見なした。スイングが少なければバントとして扱うという話まで出たものだ」

 

 その話は要も知っている。

 そもそもスイングとバントの境界線は曖昧であり、その匙は審判にゆだねられている。

 だからこそ要も最終打席まで切らなかった手札なのだ。かつての要が知っている守木は、要のカット打法を否定することはなかった。

 

 なのに何故、今回は――

 

「儂はその審判団の判断を肯定するつもりも否定するつもりもない。だが、あれは諸刃の剣だ。貴様がどのような思いで努力を重ねてきたかは儂にはわからん。だが、そのような努力も主審の判断一つで泡沫に帰するような代物なのだ」

 

(そんなことは分かっている。けど、まともに立ち向かっても歯が立たなかったから、俺はッ……!!)

 

 帝王実業の正捕手として必死に努力した過去がある。

 兵藤の代になったとき、打線は友沢に頼りっきりになってしまった。彼の負担を少しでも減らすために兵藤は必死に努力したのだ。

 全ては帝王の勝利のために、そう思ってきたのだ。

 

「あれ程のミート力がありながらなぜ前に飛ばす努力をしない?貴様のそれは未来無き努力だ。後の無い三年ならいざ知らず――」

 

 守木は正面から要を見据える。

 目つきは悪いが、彼の目の色は紛れもない教育者のものであった。

 

「貴様の帝王実業(この場所)での野球はまだ始まったばかりだろう」

 

(あ……)

 

「自身を高める努力をしろ。常に考える事を怠るな。その先に――貴様の目指す()()()()()()に至る事ができる」

 

(この人、まさか本気で……)

 

 それは入部初日に要がした宣言。

 直接それを否定する者こそいなかったが、多くの者がそれを聞いた時に呆れていたのを要は知ってる。裏で馬鹿にしてる者すらいたかも知れない。

 実力で見返してやればいい、要自身もそれぐらいにしか思っていなかった。

 

 けど、この守木 独斎(まもりぎ どくさい)という男は、要の宣言を一方的に戯言とは思わなかったのだ。

 日本一の捕手。要がそこを目指すからこそ、今まで以上の苦難の道を守木は用意する。

 

 

 全ては、要が目指す場所へ至る為に。

 

 

 守木の思いを理解し、僅かに温かいものが溢れそうになる。

 それをグッと抑えて要はより決意を固めた目で守木へ視線を合わせた。

 

「はいッ!!」

 

(必ず、この人の期待に応えてみせる)

 

 腹は括った。

 新たな武器を手に入れて過去の自分を――否、

 

 

 未来の自分を凌駕する、と。

 

 

 ♢

 

 

 帝王実業高校の校舎を背に帰路につく聖タチバナのメンバー。

 夕焼けに照らされる彼らは俯いたまま会話を交わす事なく歩き続ける。

 

 時間が経てば経つほど、先程の敗戦への実感が湧いてくる。

 あの時ミスをしなければ、もっとこうできたのではないか。そんな後悔の思いが強まっていく。

 

 何より痛感したのは、強豪校との明確な差。

 基礎的な野球技術。メンバーの層。勝利への執念。

 相手が二軍といえど、自分たちが劣っていたモノをあげればキリがない。

 公式戦では、更に上の一軍のメンバーが出てくる。

 彼らを超えない限り、甲子園という舞台にたどり着くことはできない。

 

 この先、必死に努力したとしても勝てる気がしない。

 そんな暗い思いが彼らを包む。

 

 先頭を歩くみずきには、ひしひしと彼らの思いが伝わってきた。

 涙で目元の赤みの残る彼女もまた、本音を言えば彼らと同じ思いであった。

 それでも――

 

 

『無様な負けっぷりだったな』

 

 

 先程、思わぬ人物にかけられた言葉。

 付き合いはそれなりに長いが、気に喰わない人物である。はっきり言えば嫌いですらある。

 それでも傷心の人間にわざわざ傷つける言葉を述べるようなロクでもない人間ではないという信頼はあった。

 

 そんな彼が掛けた遠回しな“発破”。

 

 

「あぁ〜あ。いつまで辛気くさい顔してんのよ、アンタ達」

 

 半身で後ろへ振り向くみずき。

 その目は呆れたような様子であった。

 

「み、みずきちゃん、今はさすがにさ。ねっ?」

 

 いつものような物言いをし始めたみずきを宥めようとする木波。

 みずきはそんな木波の言葉を無視しながらズカズカと彼らの前に歩み寄った。

 

「……確かに、今日は負けたわ。完膚なきまでにアタシ達の負け」

 

 僅か一つの失点が、快投を続けてきた彼女の流れを変えた。

 たかだか三点という失点に、ほぼ全員の心が折れた。

 試合が決する前に、聖タチバナは負けていたのだ。

 

 生来の負けず嫌いであるはずの彼女が、認めざるをえない敗北。

 

 

 

 

『お前、試合終わる前に諦めてたろ』

 

 気に入らない彼が、みずきの感情を見透かしたように告げる。

 

『――ッ!うるさい……!なんで、アンタにそんな事言われなきゃいけないのよ!』

 

 友沢の言葉に憤り、感情のままみずきは彼を睨みつける。

 みずきの姿にも友沢は変わることなくいつも通りのポーカーフェイスであり、それが更に彼女の感情を逆撫でした。

 

『その程度じゃ、夏もウチと当たることすらなく負けるぞ』

 

『だから、なんでアンタなんかにッ――!!』

 

 そこでみずきの言葉が止まる。

 無表情ながらもその目は、友沢のみずきに対する失望がありありと感じられた。

 性格は合わない。最早、犬猿の仲とも言うべき関係性である。

 

 それでも互いに、野球選手としての一定の敬意だけはあった。

 しかし友沢の目は、その敬意すらも最早不要であると訴えていた。

 

『……聖タチバナのエースはお前だろ。お前が折れればチームが崩れるのは明白な筈だ』

 

 友沢と橘。

 シニアでは何度も対戦した。互いがチームを背負うエースとして。

 

 友沢は、攻守に渡る圧倒的なプレーでチームを背負った。

 橘は、華麗な投球術とどんな相手でも勝気に攻める姿勢でチームを支えた。

 

 自分とは毛色の違うエースであるからこそ期待していたし、高校野球というステージでも対戦したいと思っていた。

 

『お前、何のためにマウンドに上がった?』

 

 だからこそ、友沢は彼女がこの試合で“全て”を出し切っていない事にも腹が立っていた。

 

 

 

 

「――けど、ここでグズグズしてても何も変わらないわ」

 

 みずきの決意の籠もった目を見て、彼らは息を呑んだ。

 

「今度こそアイツらに勝ちたい。勝って甲子園に行きたい」

 

 創設一年目の野球部。

 多くの者が分不相応な夢と笑うのだろう。

 

「この先、どこの誰が相手だとしてもどんなに追い込まれても、アタシはもう絶対に逃げない」

 

 それは、決意。

 高校野球というステージにおいて、聖タチバナ野球部は若輩者である。

 この先、幾多の壁が彼女達に立ちはだかるだろう。

 

 それでも、エースである自分だけは諦めない。

 

「――だから」

 

 みずきが浮かべる表情。

 いつもとは違う、微かな笑み。

 

「みんな、アタシについて来て」

 

 彼女の言葉を聞き、彼らにあった迷いは消えた。

 エースの調子が戻ったのを見届けた、女房役はみずきの言葉に首を振った。

 

「私はキャッチャーだ。もう、みずきにばかり背負わせるつもりはない」

 

 バッテリーを組む者として。

 

「六道さんの言うとおりや。僕らも後ろを守ってんやから」

 

 バックを守る者として。

 

「フッ。みずきさん、私にも活躍の場は分けてください」

 

 共にマウンドに立つ者として。

 

「次は、必ず打ってみせます」

 

 四番を任せられた者として。

 

「うん。野球は9人でやるスポーツだからね。みんなで行こう」

 

 主将として。

 

 

 そんな彼らの決意の言葉。

 それを聞いた彼女は目を閉じて、先程あった彼を思い出す。

 

 シニア時代、彼は一人でチームを背負っていた。

 

 一人の野球選手として、その姿に憧れた。

 その憧れを否定する為に、彼には強く当たり続けた。

 

 思えば、初めに声をかけたのはみずきの側であった。

 

(――多分、アタシはアンタとは違う。アタシはみんながいるからエースになれるんだ)

 

 みずきは目の前では原や木波が「よっしゃー!やったるでー!」「うぉぉぉ!!」と気合を入れ直している。

 その姿を宇津や大京が苦笑いを浮かべながら見守っていた。

 

「ねぇ、聖」

 

「む、なんだ?みずき」

 

 隣に立つ六道に声をかけるみずき。

 

「やっぱりアタシ。このチームが好き」

 

 みずきのそんな素直な言葉に、六道は驚き僅かに目を見開く。

 そして、六道もまた穏やかに笑った。

 

「うむ。私もそう思っていたところだ」

 

 彼女たちの意思は固まった。

 このチームで甲子園に行く、と。

 

 

「帰ったらさ、試したいボールがあるんだけど付き合ってくれる?」

 

 そんなみずきの言葉に、相棒である六道は迷うことなく応じた。

 

 

 ♢

 

 

「ふぅ……」

 

 守木との対話を終え、監督室を退出した要。

 威圧感のある監督とマンツーマンであった為、その緊張から解かれた事により僅かに息が漏れる。

 

「……さて、どうするか」

 

 先程の守木の弁に納得してしまった要であるが、カット打法という武器が使えない以上、新しいバッティングスタイルを模索する必要がある。

 

 それは容易な道ではない。

 下手をすれば三年掛けても、辿り着かないかもしれない。

 

(遠征までは二週間もない)

 

 遠征での結果を求められている要。

 それだけではない。

 今の自分は、かつてよりも力の無い肉体である。今日の練習試合で放ったヒットも、要の感触としては外野の後方までは飛んだかと思ったが、結果はレフト前方への当たり。

 今の要にはパワーが足りないのだ。

 

(何かきっかけぐらいは掴みたいな……)

 

「お疲れ様。兵藤」

 

「はい。お疲れ様です、山――えっ!?」

 

 背後から“聞き覚えのある声”があった。

 要は振り返りながらその声に応じるが、その視線の先にいた相手は要の知らない人物であった。

 

「……えっと……あの……どちら様、ですか……?」

 

 要の前にいたのは、銀色の長髪を後ろで結んだ優男風のイケメンであった。

 帝王実業のユニフォームを身に纏ってこそいるが、この様な容姿をした選手は要の記憶には無い。

 声とガタイこそ要の想像していた人物と同じであり その事がより一層要を困惑を困惑させていた。

 

「……ふふっ。さすがの兵藤でも今の僕の姿じゃわからないか」

 

 戸惑っている要の姿を見て、目の前でイケメンは思わず吹き出してしまう。

 そしてその男はおもむろに鞄から野球帽を取り出し、装着した。

 

「――は……?はぁぁぁッ!!??や、山口さんっ!?」

 

 帽子を被った瞬間、先程までの穏やかな姿から一変し鋭い眼光と威圧感を纏った要の知っている山口が姿を現した。

 その変貌に、口をあんぐりと開き驚愕する要。

 

「どうだ。――驚いたかい?」

 

 帽子を外しながら話す山口。

 外した瞬間に雰囲気が一変し話し方が穏やかなものに変化する。

 

「そ、そりゃ、驚きますよ。別人じゃないっすか。なんで話し方すら変わるんですか」

 

「まあ僕にとって“コレ”はスイッチのオンオフみたいなモノだからね」

 

 手に持つ帽子を示しながら山口は語る。

 

(いや、“僕”って……な、慣れねぇ)

 

 顔を引きつらせる要。

 かつての記憶を持っている彼でも、これはあまりに想定外の出来事であった。

 ふと、彼に伝えるべき事を思い出す要。

 

「――あ、そういえば。俺、一軍に上がる事になりましたよ」

 

 軽い口調で述べる要。

 あまりはしゃぎ過ぎるのも子供っぽいと思い、落ち着いたフリをしながら山口に伝えた。

 

「本当かっ!?やったじゃないか!おめでとう!兵藤!」

 

 要の報告に自分のことのように喜ぶ山口。

 山口とバッテリーを組んでまだ一週間しか経っていないが、確かな絆をそこに感じている要であった。

 

「まだ仮ですけどね。遠征で結果を残さなきゃ即降格なんで」

 

「それはみんな同じさ。一軍にいる限り常に結果が問われる。それが、上に立つ者の責任だ」

 

 山口の言葉は穏やかな声音であるものの、強い覚悟を感じさせるものであった。そんな山口の言葉に、要は笑みを浮かべる。

 

(こう言うところは、帽子があってもなくても同じなんだな)

 

「――山口さん。一つ聞きたいことがあったんですけど」

 

「ん?なにかな」

 

 兵藤が聞きたかったこと、それは兵藤の今後の課題について。

 

「今の一軍のメンバーで、一番バッティング上手い人って誰ですかね?」

 

 かつての要が一軍に合流したのは山口の代が引退した後である。

 今の一軍のメンバーに関してはあまり詳しくは知らないのだ。

 

 帝王の一軍ともなれば全国トップクラスの実力を持つ者も少なくない。

 要は少しでも技術を盗むために、情報を得ようと思ったのだ。

 

「単純な成績なら四番を任せられている蛇島が抜けているだろうな。けど、蛇島はスラッガータイプのバッターだからね、あまり兵藤の参考にはならないと思う。ミートに一番長けているのは――」

 

 要の意図を理解した山口は、とあるプレイヤーの名前を思い出した。要に向けその名を告げようとした時、目の前を見た山口は言葉を止めた。

 

「よぉ山口。ようやく一軍に戻るらしいな」

 

 唯我独尊、我が道を進む男、それでも蛇島と共に全国最強の二遊間を敷く天才遊撃手。

 赤のオールバックに緑のヘアバンドが特徴の男が、要と山口に前に現れた。

 

「ああ、久しぶりだね。中之島」

 

(――そうか。この人がいたんだ)

 

 その名を聞き、さすがの要も思い出す。

 天才的なミート技術に、矢部君を上回るほどの走力。

 実際のプレーを見たのはスタンドからであったが、その衝撃は今も覚えている。

 

 彼こそが帝王実業不動のリードオフマン、中之島 幸宏(なかのしま ゆきひろ)である。

 

 

 





という訳で帝王実業高校には一切関係のない中之島君が帝王のメンバーに加入しました。
理由としては単純に蛇島と友沢だけでは一軍のサクセスキャラが少ないなと思ったからです。
なぜ中之島かという疑問もあると思います。
理由は単純です。セカンドの蛇島に対抗できるショートがストーリー上必要だったんです。

引き続きよろしくお願いします。


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四月四週目《一軍合流》

感想や評価、お気に入り登録をありがとうございます。
ちょっと駆け足感のある一話です。



 

 

「――んん……あれ、まだ暗いな」

 

 上半身を起こし、枕元に置いてあったスマホで時刻を確認する。

 普段はアラームに叩き起こされている彼だが、今日は予定よりも1時間以上も早く目を覚ました。

 それにも関わらず、これまでにないぐらいスッキリとした目覚めである。

 

「いやぁ……ほんとよく寝たなぁ」

 

 両腕を持ち上げ、その場で伸びをする要。

 タイムスリップ後、彼はあまり夜に眠れずにいた。今がただの夢でしかなく、目を覚ませば本来の時間に戻ってしまうのではないかという恐怖があったからだ。

 

 しかし昨晩は聖タチバナとの練習試合で疲れ果て、不安など考える間もなく泥のように眠りについた。

 

「……少し、走るか」

 

 いつもより少しだけ気分良く起き上がった要は、ランニングウェアに袖を通し部屋を出た。

 

 

 

 

「げぇっ……!?」

 

「ん?……ハァ」

 

 要が早朝ランニングを始めてわずか数分後、ランニングを兼ねた新聞配達のアルバイトを行う友沢と出会った。

 驚きの言葉を上げる要。それに気づいた友沢はため息を吐いた。

 

「……朝からバイトか」

 

「ちゃんと監督には許可を取っている。何も問題は無い筈だ」

 

 帝王実業高校の野球部員は原則的にアルバイトは厳禁である。

 しかし、友沢は家庭の事情により例外的に許されていた。それでも部活と学業に加えてアルバイトという、二足の草鞋ならぬ三足の草鞋生活は決して楽なものでは無いだろう。

 

(前は、正直そこまで気に留める余裕はなかったが……)

 

「……」

 

 要が友沢の顔を見ながら思いを馳せていると、友沢は話すことはもうないとばかりに無言で再び走り出した。ハイペースながら次々と新聞を投函していく。

 しかし彼は走り出してすぐに後ろを振り返りながら動きを止めた。

 

「おい。なぜ着いてくる?」

 

「……俺もそっちに走ろうと思ってたんだよ」

 

 一瞬、わりと本気で嫌そうな顔をした友沢であるがため息をついてから再び走り出した。

 要の体感として、友沢のペースが先程よりも上がった。

 そして対抗するように要も速度を上げた。

 

 

 

 

「……ハァ、ハァ……オェッ」

 

「……ッ……クッ……」

 

 友沢が最後の一件へ配達を終えた瞬間、二人はその場で脇腹を抑えながら動きを止め、必死に息を整えようとする。

 結局、要は友沢のコースに着いて行ったのだが、二人は無駄に負けず嫌いが作用しどんどんペースを上げていった。

 最早それダッシュだろというペースで進んでいった結果が今である。

 

「……ハァ……お前、いつもこんなところまで……走ってんのか?」

 

「ふぅ……距離が無ければ練習にならないだろ」

 

 いやお前の場合、練習じゃなくてアルバイトだろというツッコミは心の内に留めておいた要。

 しかし、練習という言葉であることを思いだす。

 

「――って今日朝練あるじゃねぇかッ!!」

 

 要はすぐさまスマホで時間を確認する。

 5時20分。本来の起床時間まで後10分である。此処から一度、家に戻り今度は学校へ向かうのだ。

 かなりギリギリな時間である。

 

「時間やべぇから帰るわ!またッ!!」

 

 それだけ告げ反対方向へと急いで走り出す要。その背中に友沢は再びため息を吐く。

 

「兵藤!」

 

 去りゆく背中に友沢は声をかけた。

 その声に要は足を止め、半身だけ後ろへ振り向く。

 

「一軍に上がったそうだな」

 

「は?いやお前。それ誰に聞いて――」

 

 友沢の思わぬ発言に要は困惑する。

 昇格や降格など選手の異動に関しての話は、本人は事前に知っているものの、チーム全体への通達は監督自らが行うものである。

 兵藤も昨日、山口には伝えたがそれはある程度の信頼あってのものであり、無闇矢鱈に広めることはしなかった。

 

「――今日、投げるからな」

 

 そんな要の疑問も完全に無視した友沢の言葉。

 その意味をすぐに理解する要。

 

「おう。楽しみにしてるわ」

 

 投げてやるから受けろ。

 そう言わんばかりの友沢の言葉に要は笑みを浮かべて答えた。

 

 

 

 

 どうにか朝練までに間に合った要。しかしながら先程の早朝ランニングならぬ早朝ダッシュにより既にクタクタであったのに、そこから体力作りのために朝練でランメニューが課せられた為、練習が終わる頃には完全に疲労困憊であった。

 ちなみに要や山口の一軍昇格はチーム全体にはまだ発表されていない為、朝練は今までと同じ二軍のものに参加した。

 

「――昨日の練習試合を踏まえ、一軍に昇格した者を通達する」

 

 朝練を終えたタイミングでBグラウンドに現れた守木により二軍メンバーは集合をかけられ、くだんの件についての通達が行われた。

 

「一年の兵藤、二年の山口、三年の吉田。以上の3名は午後より一軍の練習に参加しろ」

 

 守備により存在感を見せた兵藤。

 故障からの復帰戦ながら好投した山口。

 個人としてもゲームリーダーとしても安定した活躍を見せた吉田。

 

 紛れもなく昨日の試合の中心にいた選手たちである。この人選に対する不満を声に出す者はいない。

 しかしながら三年生を中心に、一年生の兵藤が選ばれたことに納得する者が少ないのもまた事実であった。

 

「肝に銘じておけ。選ばれた者には此処にいるすべての者が納得するような結果を残す責任があると」

 

 公式戦に出場できるのは一軍の選手だけ。

 その席には限りがある。強豪である帝王では三年間努力してもなお、一軍に上がれないものは少なくない。

 だからこそ一軍で戦う選手には、チーム全体を背負う責任が求められるのだ。

 

 決意を胸に、更に上のステージで彼等は戦う。

 

 

 ♢

 

 

 「……ここで下人は老婆の言葉を聞き――」

 教科書を片手に説明する現代文の教師は黒板に白チョーク走らせる。

 それをノートにメモする彼女は僅かにチラッと隣に目を向けた。

 

(今日は起きてるんだ)

 

 ある意味、珍しい光景であった。

 彼女の記憶では、隣の席に座る兵藤という名前の生徒はこれまでほぼ全ての授業で居眠りをしており、机に涎を垂らしていた姿を見たことも少なくない。

 

 彼女――八代 麻耶はこれまで隣の生徒にあまり良い印象は持っていなかった。

 

 

 

 昨日。彼女は仮入部している演劇部での練習が終わった後に、部活の先輩に誘われて野球部の練習試合を観にいった。

 当初は、友沢のファンクラブに入っている先輩が彼の活躍を見たいがために行ったのだが、目的の友沢が出場することはなかった。

 

 ミーハーである先輩が試合に飽き始める中、麻耶はある事に驚いた。

 

『……女の子の選手もいるんですね』

 

『へぇー!けどさすがに人数合わせとかじゃない?』

 

 野球は男のスポーツという考えをどこか待っていた彼女にとって二人の女子選手の活躍は目を引くものであった。

 

『――あ』

 

 二人の女子選手のこともあり試合に目を向けていた麻耶は偶然見覚えるのある彼が選手として出場している事に気づき、思わず声を出す。

 

(……あの人も野球部なんだ)

 

 正直に言えば意外だと彼女は思った。

 彼の普段の印象は何に対しても無気力なものに見えた。

 この学校の野球部はかなり強いという話を麻耶も知っている。そんなチームの一人に彼がいて、真剣に野球を行っている姿はとても同一人物とは思えなかった。

 

『なになに麻耶ちゃん気になる子でもいたのかな?』

 

 麻耶の様子の変化に気がついた先輩は茶化すように彼女に詰め寄る。

 

『……そんな事じゃないです』

 

『えー?今、一瞬間があったよー?』

 

 はしゃぐ先輩を他所に麻耶は試合を観続ける。

 二人の女子選手もそれを迎え撃つ彼も、本気の目で戦っている。

 

(別にこれはそんな感情じゃない)

 

 心の内で先程の先輩から言われた言葉を否定する。

 普段の彼の姿と野球に打ち込む彼の姿。一見、相反するように見えるそれが。

 

(ただ、羨ましいと思ったんだ)

 

 他の全てを切り捨てても一つの事に打ち込む姿。

 その姿は、今の彼女にはとても眩しく映った。

 

(もう私は、あんな目はできないから)

 

 一つの挫折により彼女は惑いの中にいた。

 八代 麻耶の時間はいまだ止まったままである。

 

 

 ♢

 

 

「まさか友沢の次に兵藤が一軍に上がっとはなぁ」

 

「ぐぬぬ……ほんとだったらオイラも一軍入りしてモテモテになる予定だったでやんすのに」

 

 昼休みの時間となり要は猛田と矢部と共に昼食を摂っていた。

 ちなみに場所は要のクラスである。

 その理由は――

 

「そんな事より。やっぱりあの二人は今日も可愛いでやんす」

 

 矢部の視線の先には仲良く談笑しながら話す二人の女子生徒がいた。

 一人は既にこのクラスのマドンナ的存在となりつつある八代 麻耶。

 もう一人もこれまた美人。

 凛とした雰囲気のある八代とは対照的なゆるふわ系な美少女である。

 

 須神 絵久(すがみ えく)

 

 矢部の聞いた噂では野球部のマネージャーになろうとしたのだが、帝王実業の野球部自体がマネージャーの加入を認めていなかったため、入部できなかったとのこと。

 ちなみにこの噂を聞いた矢部は大荒れであった。監督への不満を半日間、要に呟き続けた。

 

「ってかよ兵藤。お前全然食ってねぇな。そんなんで午後練持つのかよ」

 

 重箱に敷き詰められた弁当をかきこむ猛田の前で要はボーッとしており自身の弁当に殆ど手をつけていない。

 どこかいつもと様子の違う彼に、さすがの猛田も声をかけた。

 

「なあ猛田」

 

 更に暗くなる要の表情。

 これには美少女に見惚れていた矢部も要の方に目を向ける。

 

「俺は今日、久しぶりに真面目に授業を受けました。ですが――」

 

「いやなんで敬語」

 

 突然の口調の変化にツッコミを入れる猛田。

 それを無視しした要は顔を手で覆った。

 

「なにも……なにも分かりませんでした……!!」

 

 今日の要は一限目から四限目まで真面目に受けた。

 全ての時間を寝ずに過ごし、板書をしっかりとノートに記したのだ。

 それでも授業の内容が全然分からなかった。

 

「いつも寝てたんだから当たり前でやんす」

 

 もっともである。

 

 

 

 

「お、来たか。新入生テスト以来だね、兵藤」

 

「よろしくお願いします」

 

 放課後となり一軍に合流するためにAグランドへ向かった要。

 グランドの入り口立っていた主将の養老 孝と挨拶を交わしていると更に後ろからガタイの良い二人の選手が現れる。

 

「おーお前が兵藤か。俺は副キャプテンの下井 九郎(しもい くろう)だ。ピッチャーだからバッテリーを組むこともあるだろう。よろしくなぁ」

 

「む、昨日中之島が言っていた奴か。俺は下井と同じ副キャプテンの江久瀬 恋太郎(えくせ れんたろう)だ。期待している」

 

 穏やかな声音で話すのは帝王の“元”エースである下井。エースの座こそ二年の山口に奪われたものの、どんな局面でも安定した結果を残すピッチャーである。

 対照的に厳しい雰囲気のある方が江久瀬。内外野で複数のポジションを守れるユーリティプレイヤーあり、打線でもクリーンナップを担っていた。

 この三人こそ、名実共にチームを牽引する選手達である。

 

 

 しかし、要には一つ気になった事があった。

 

「あの、中之島さんが……」

 

「ん?ああ、結構いろんな奴に話してたな山口と兵藤が一軍に上がること」

 

(ああ。そう言う事……)

 

 今朝出会った友沢もなぜか要が一軍に上がることを知っていた。

 その元凶が誰なのか、ようやく合点がいったのだ。

 

「一軍入りが嬉しかったのはわかるが、あまり話を広めるなよ」

 

「……はい」

 

 江久瀬から釘を刺される。

 一軍のプレイヤーは公式戦に出場するため人数が決められている。つまり、要が一軍に上がれば、二軍に落ちた者もいるという事だ。

 非常にデリケートな問題であるため、過度に他の選手を刺激しないよう注意する必要がある、筈なのだが。

 

「はぁ……」

 

 思わず天を見上げながら要は昨日の出来事を思い出していた。

 

 

 

 

『よぉ山口。ようやく一軍に戻るらしいな』

 

『ああ、久しぶりだね。中之島』

 

 親しげに挨拶を交わす山口と中之島。その隣で要は静かに二人の様子を見ていた。

 

『へっ。相変わらず帽子がねぇと締まらない顔つきだな』

 

『ふふ、自覚はあるさ。それより中之島、彼を君に紹介したかったんだ』

 

 そう述べた山口は要の背を軽く押し、中之島の前に立たせる。

 

『明日から一軍に上がる事になった兵藤です。よろしくお願いします』

 

 自己紹介をする要であるが、ジロっと要の方を見て黙っている中之島。少なくない間を置いてから彼は口を開いた。

 

『……聞いたことねぇな。一年か?』

 

『はい!山口さんから中之島さんのバッティングが凄いと聞いたので、ぜひコツなどを聞ければと思いまして……』

 

 せっかく山口がアシストしてくれたため、要はこの機会を逃すまいと中之島に話を伺う。

 だが――。

 

『あ?嫌だわ。なんでこの俺がお前に教えなきゃいけねぇんだよ』

 

 そんな要の要望もバッサリと切り捨てられる。

 その後、山口からも中之島に頼むのだが、聞く耳を持つことはなかった。

 

 

 

(いくら面倒臭いと思ってても、そこまではっきり言わなくていいだろ。それでも先輩かっ!)

 

 昨日の一幕を思い出し、思わず苛立ちを表す要。

 

「兵藤」

 

「ん……友沢か」

 

 要が呼びかけに応じ後ろを振り向くと友沢が近寄ってきた。

 

「さっそく投げるぞ」

 

「おう」

 

 友沢と肩を並べながら一軍用のブルペンへ向かう。

 要は久しぶりの感覚に少しだけ笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 パァンという乾いた音がブルペン内に響く。

 力強いボールにミットを動かすことなく要はアジャストしてみせた。

 

(アレから僅か三週間)

 

 友沢とバッテリーを組んだのは、新入生テスト以来である。

 二軍で山口とバッテリーを組んだ経験は、要にとってとりわけ大きなものであった。

 短期間で球威のあるボールに対応できるようになったからだ。

 未だにボールを受ける左手には僅かに痺れが走るが入学当初よりは大幅に緩和された。

 間違いなく要の実力も高まっているが――。

 

 ズパァンと更に力のある直球がミッドに突き刺さる。

 捕球してなおミッドの中で暴れ、左手に余韻を残す。

 

(まさかこんなにも早く……)

 

 要ですら想定以上の成長。

 体感ではあるが――球速が140km/hの大台に乗っているのは間違いない。球威もキレも高校生としては充分過ぎる水準に至っていた。

 

 

 一人の天才は一人の捕手と出会うことにより、かつて以上の速度で成長していた。

 

 

 ♢

 

 

 日が暮れて全体練習が終わる。

 本来であればこの後一軍メンバーの殆どが自主練習に移行するのであるが、今日は監督より事前に指示を受けていた為、一軍メンバーはミーティングルームに集った。

 このミーティングルームは一軍メンバー専用の施設であり、試合前のオーダーや作戦が指示される。

 

「……揃ったか」

 

 守木は一軍メンバー20名が全員集まったのを確認し口を開いた。

 

「来週からは遠征試合が控えている。五試合あるが、全てに勝利する義務が貴様らにはある」

 

 相手は間違いなく全国屈指の強豪校ばかり。

 それでも帝王に敗北は許されない。

 

「その為に初戦は大きな意味を持つだろう。ゆえに一週間前ではあるが、初戦のオーダーを発表する。選ばれた者は心しておけ」

 

 守木の言葉を受け、顔つきが変わる一同。

 その様子を確認した守木はオーダーをホワイトボードに記していく。

 

 

 一番 中之島 ショート

 二番 養老 ファースト

 三番 江久瀬 ライト

 四番 蛇島 セカンド

 五番 友沢 ピッチャー

 六番 沖田 センター

 七番 吉田 サード

 八番 遊佐 レフト

 九番 兵藤 キャッチャー

 

 

「なっ……!?」

 

「マジか……」

 

 書かれたオーダーを見て、少なからずざわつきが起きた。

 それもそのはず大事な初戦と言いながら、守木の采配はかなり大胆なものであったからだ。

 

「見てわかる通り先発バッテリーは一年の二人だ。チーム全体で支えろ」

 

 一年以上もの間正捕手を務めた養老が一塁に行き、新参者である兵藤がその役割を務める。

 その衝撃はチームにと大きく全員の視線が兵藤へと注がれた。

 

「最後に初戦の相手を発表する」

 

 再び皆が守木へと視線を向けた。

 

「千葉の大漁水産高校だ」

 

 春のセンバツにも出場した強豪校。

 エース松崎率いる守備力の高いチームであるものの、ここぞという場面での打線の爆発力も侮れない。

 

 全国クラスの相手に兵藤と友沢がどこまで通用するか、今試されようとしていた。

 

 

 

「おい。一年坊」

 

 衝撃のミーティングを終え、徐々に皆が自主練を始めようとグラウンドへ戻っていった。

 全体練習で中々疲れていた要だが、予想外の人物から声がかかる。

 

「……中之島さん」

 

「先輩命令だ。俺の練習に付き合え」

 

 相変わらず横暴な態度である中之島。

 一度は拒まれた相手からの思わぬ指名を要は受けた。

 

 

 




パワプロ11の帝王大学のメンバーである江久瀬と下井を三年生として出しました。
本来の設定ですと、山口より年下である二人ですが貫禄があるので最上級生になりました。

次は大漁水産高校との試合になるはずです。


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四月五週目《VS大漁水産高校①》

お気に入りや評価、感想をありがとうございます。
ちょっと嬉しくなって後半とかテンション上がって変なノリになった気がします。


 

 黒を基調としたカラーのバスが市民球場の駐車場に到着する。

 車両から降りてきた一団。伝統の黒をメインとしたユニフォーム、その左胸には《帝王》の二文字が刻まれていた。

 

「けっこう暑っちいなァ」

 

 登る太陽を見上げる中之島は額に滲む汗を拭った。

 その後ろを兵藤が歩いていた。二人分の荷物を持って。

 

「……重っ」

 

「ア?なんか言ったか?」

 

「いえ」

 

 中之島の分の荷物持ちをさせられる兵藤。

 彼の目は完全に死んでいた。

 

「――中之島。兵藤もスターティングだ。ムダな負担をかけるな」

 

 帽子を被った山口が要をパシリにする中之島に苦言を呈した。

 そんな救世主の登場に兵藤の目は光を取り戻す。

 

「じゃあお前が荷物持ってくれんのかよ」

 

「それぐらい自分で持て」

 

 中之島の言葉に呆れ果てる山口。

 眼光鋭く睨みつける山口の姿に根負けした中之島は「チッ」と舌打ちをしてから兵藤から自身の荷物を奪った。

 

 

 

「ピリピリしてるな。中之島」

 

 遠巻きでその様子を見ていた三年生陣。一人先を歩いていく中之島の姿を見ながら下井はそう呟いた。

 

「中之島が兵藤に絡むのは養老、お前がスタメンマスクから外れたことが原因だろう。アイツはお前の事を慕っていたからな」

 

 断言する江久瀬は養老を見つめるが、その視線にも彼は苦笑いを浮かべるだけである。

 

 一年の頃から一軍にいた中之島は実力は高かったものの、独善的な性格が周囲との軋轢を生んでいた。そんな中之島にも養老は穏やかに接し続けた。その結果、中之島は養老に心を許すようになっていた。

 

「まあ今まで監督の采配に驚くことは沢山あったけど……さすがに今回のはどっちに転がるか、わからないよな」

 

 友沢と兵藤の一年生バッテリー。

 投手である下井はブルペンで彼等の姿をよく見ていた。

 下井の目から見ても友沢のピッチングや兵藤のキャッチャーとしての能力は一軍の水準に届いてる。

 しかし、彼等には経験もチームからの信頼もない。

 

 彼等がスタメンであるということがこの試合の最大の不安要素であることは拭えない。

 

「兵藤の件については俺が監督に提案したんだ」

 

「な……!?」

 

「ど、どういう事だ!!養老ッ!?」

 

 養老の思わぬ発言に驚愕する副主将の二人。

 

「――俺たちが引退した後、一番負担を強いられるのは間違いなく兵藤だ」

 

 穏やかな表情から一転、真剣な表情で山口と共に歩く兵藤の背中を見つめる養老。

 

「山口、友沢、そして二軍の久遠。超高校級の資質を秘める三投手を導いていかないといけないからだ。彼等のポテンシャルを最大限に引き出せるキャッチャーが必要なんだ」

 

 山口と友沢を言わずもがな、二軍の選手である久遠にも目を向けているあたりさすが主将だと江久瀬は改めて感心した。

 下井はピッチャーとしてキャッチャーの重要性を理解しているため静かに頷いた。

 

「だからこそ俺たちがまだいる今、兵藤には色々と模索してほしいんだ」

 

(ああ……。そう言うのを聞くと次で最後なのを実感するなぁ)

 

 帝王の未来を見つめる養老の言葉に下井は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。江久瀬も同じような思いを抱いていたのか静かに目を瞑る。

 彼等の反応に小さく笑みを浮かべた養老は更に言葉を続けた。

 

「それに、中之島だっていつまでも子どものままじゃない。何が重要なのかはアイツだって分かっている筈さ」

 

 中之島の事をチームで一番よく知ってる養老だからこそ彼を強く信頼していた。

 

 

 ♢

 

 

 練習試合を始める前に、帝王実業のシートノックが行われていた。

 バッテリーを除けば現状のベストメンバーである事もあり、その守備のスピードとクオリティは全国随一のレベルにあった。

 

 その中でもとりわけ二遊間は異彩を放つ。

 セカンドを守る蛇島 桐人とショートを守る中之島 幸宏。

 守備だけでなく打撃などプレイヤーとしての総合力の高さを称し、彼等は二年生ながら“日本一の二遊間”と呼ばれていた。

 

 現状でも帝王実業の柱とも言える二人であるが――

 

 

「おい蛇野郎!そんな遅ぇトスじゃ二つ取れねぇぞ!」

 

「貴方こそもう少しカバーを早くしてくれませんかね。やる気あるんですか?」

 

 二人の相性はすこぶる悪いのであった。

 別に問題のある守備ではない。ただ二人の理想が高すぎるだけなのだ。

 

 最初は中之島が一方的に蛇島に指摘するだけだったのだが、外面だけは良い蛇島も途中から堪忍袋の尾が切れたのか中之島に応戦するようになった。

 

(胡散クセェ蛇野郎が)

 

(いずれ潰してやる……)

 

 両者、内心では舌打ちを打ちながらハイレベルな守備を繰り広げていく。

 

 

 

 

「やっぱさすがの貫禄だっぺ、帝王サン」

 

 帝王の本日の対戦相手である大漁水産高校のエース松崎(まつざき) トミオは目の前で行われる帝王のシートノックに対して感心するように述べた。

 

「ああ、そうだな。……けど俺たちだってセンバツで強豪校と戦ってきたんだ」

 

 松崎の言葉に反応したのは彼と同学年でバッテリーを組む二年の船橋。

 大漁水産高校は春のセンバツでベスト8まで勝ち残った。逆に帝王実業は今年のセンバツには出場していない。

 

 今、どちらのチームの方が“格”は上か。

 

「甲子園で得た熱。全部をぶつけてやろうぜ」

 

 女房役である船橋は松崎に拳を突き出す。

 

「ああ。勿論だっぺ!」

 

 日焼けた顔に笑みを浮かべながら松崎は力強く拳を重ねた。

 

 甲子園という大舞台を経験し今まさに勢いに乗る大漁水産高校。

 帝王はいかにしてそれを受け止めるのか。

 

 ゴールデンウィーク初日。

 帝王実業高校にとってこの一週間の最初の山場を迎えようとしていた。

 

 

 ♢

 

 

 一回表

 

 帝王実業は後攻のため先に守備につく。

 野球は試合を決することができる裏攻めが有利だと良く言われる。しかしながら統計学上では五分、あるいは先攻有利という指標すらあるため一概にはそうは言えない。

 

 しかし、今日の試合に関して一つ言えるのは先攻後攻を決めるジャンケンを制したのは大漁水産の側であるということ。

 

「ふぅ」

 

(自信があるのか。それとも早いうちに叩くつもりなのか)

 

 要は大漁水産サイドのベンチへと目を向けながらキャッチャーマスクを付け直す。

 相手ベンチから視線を切り、正面のマウンドに立つ友沢へと目を向ける。

 

(投球練習でもボールは走ってた。今の友沢が全国クラスにどこまで通じるか……)

 

「よろしく」

 

 思案する要の視線の横で大漁水産の一番バッターである三浦が左打席に入った。

 大漁水産についてはセンバツでの映像があったためそれなりに情報を掴んでいる要であるが、他県のチームの大漁水産はかつての要が直接対峙したことが無い相手である。

 聖タチバナ戦と比べると持っている情報は足りない。

 

(――見極めろ。それが俺の仕事だ)

 

 友沢に素早くサインを交わし、頷いた彼はプレートに足をつけた。

 

「プレイボール!!」

 

 審判のコールと共にワインドアップから力強い直球が放たれた。

 

「ストライクッ!!」

 

 バシィという音を鳴らしながらアウトコースに構えた要のミットにボールが突き刺さる。

 コース、キレ共に初球としては文句無しの一球。

 

 この一球を見送った三浦は目を見開き少なからず驚いている様子。それは大漁水産高校のベンチも同様であった。

 この試合が始まる直前までどことなく相手ベンチに漂っていた一年生バッテリーへの侮り。その雰囲気が消失した。

 

「――勘違いしてるなら先に言っておきます。俺らねじ伏せに来てるんで」

 

「……へぇ、言ってくれんな一年」

 

 要の言葉に青筋を立てる三浦。

 その反応に内心ニヤリとする要。

 

(高めボールゾーンにストレート)

 

 要求通りに高さの釣り球。

 一瞬、ピクリと反応した三浦であるがそのスイングは中途で止まった。

 

「ボールッ!」

 

(そこで止まるか。さすがは全国区)

 

 三浦を心の内で称賛しながら要は再びインコースに構える。

 

(多少甘くても良い。ボールのキレで押すッ!)

 

 そのサインを見て友沢は少しだけ深く頷きを示した。

 お手本のようなオーバースローからボールが投じられる。

 

 その軌道を見た三浦は甘いストレートと判断しバットを力強く振り抜く。

 しかし、ボールは急激に変化しバットの下を滑り落ちてゆく。

 

「ストライクツーッ!!」

 

 ストレートと同じフォーム、同じ軌道から鋭く変化するスライダー。

 その完成度は一年生ながら既に並の投手を遥かに凌ぐものであった。

 

(ストレートとスライダー。この二つの球種のコンビネーションが友沢のピッチングの生命線)

 

 この二つを活かすために残りの球種が存在する。

 先ほどのスライダーに三浦が衝撃を受けているのをよそに、間髪入れずにサインを送った。

 

(アウトローにシンカーを)

 

 左バッターにとって逃げるように変化するシンカー。変化量もあり十二分に空振りも取れる球種である。

 

「んぐッ!」

 

 アウトコースからボールゾーンに変化するシンカーを三浦は体勢を崩しながらであるがバットの先に当てて見せた。

 鋭いゴロであるが、ボールの行方はサード守る吉田の正面。

 

「アウトッ!」

 

 打球の勢いもあったことにより悠々と一つ目のアウトを取れた。

 

「ふぅぅ」

 

 要は息を大きく吐きながら自陣ベンチへ下がる三浦へと目を向けた。

 

(――初見で“それ”に対応するか)

 

 それは要だけが気がついているもの。

 

 改めて要は大漁水産高校の打撃陣への警戒を高めた。

 

 

 ♢

 

 

「ボールフォアッ!!」

 

「ヘッ!」

 

 一回表、大漁水産打線を三者凡退で切った帝王実業は裏の攻撃へと移る。

 そして早速、先頭バッターである中之島が四球を見極めた。

 獰猛な笑みを浮かべる中之島は一塁へ向かいながらベンチに座る守木へ視線を向ける。それに対して一度守木は頷きで答えた。

 

 

 

 帝王の二番バッターは主将の養老 孝。

 右打席に立つ養老は視線の右端に映る中之島の姿に苦笑いを浮かべた。

 

(相変わらず強気なリードだ。相手キャッチャーには心底同情するよ、全く)

 

 ちなみにベンチに座る兵藤もこの中之島の動きには嫌な顔を浮かべていた。

 

 牽制を挟む松崎だが素早い反応で帰塁する中之島。

 そして中之島はすぐさま大きなリードを取った。背中越しに伝わるランナーの気配に松崎の集中力は削られる。

 

 

「スチールッ!」

 

 ようやくホームへボールが投じられた瞬間、中之島は疾風の如く駆け出した。

 あれだけ牽制を入れられてなお初球盗塁(スチール)である。

 

 しかし、中之島により集中力を削られた松崎は元々の制球力も相まってワンバウンドのボールを投じてしまった。

 結果的にキャッチャーは二塁に投げることすらできずに中之島の盗塁を許した。

 

 

 

「ファーストッ!」

 

 三塁線に絶妙なコースにボールが転がり、サードを守っていた橋本が捕球する。

 キャッチャーの船橋は、二塁ランナーの中之島が三塁到達直前なのを見、諦めてバントを決めた養老からアウトを取った。

 

 

 状況は1アウト・ランナー三塁。

 続く打者は三番の江久瀬。

 

 キィンという甲高い音と共にボールは右中間へと弾き返した。

 松崎の150km/hを超えるストレートにも力負けしないスイング。

 

「アウトッ!!」

 

 しかしこれは良い当りではあったもののセンターを守っていた三浦のダイビングキャッチによりアウトになる。

 だが体勢を立て直してからの送球では間に合うはずもなく、中之島がタッチアップを決めてホームへ生還した。

 

 

 

 ガギィィンという先ほどの江久瀬の打席以上の音がグラウンドに響き渡る。

 松崎は視界から一瞬でボールが消え反射的に後方を振り返った。

 初球を打った四番の蛇島は打球の方向を確認することなくゆっくりと走り出す。

 その打球の行方を確認した塁審は持ち上げた腕を上方で回した。

 

 レフトスタンド上段へと突き刺さるソロホームランが炸裂した。

 

 

 帝王実業高校 2―0 大漁水産高校

 

 

 甲子園で剛腕を唸らせた松崎 トミオを相手に先取点を奪って見せた。

 

 例え相手がセンバツ出場校であろうと、例え相手が無名校であろうと。

 常勝を宿命付けられた彼等は相手を完膚なきまでに叩き潰す。

 

 常に苛烈に攻め続け王座に触れる者を焼き尽くす。

 

 これが、帝王の戦いである。

 

 




とりあえず試合は初回から帝王が二点先取という感じです。
話の中で載せられなかった大漁水産高校のオーダーを載せておきます。
(松崎以外はいつも通りザコプロ君です)


《大漁水産高校オーダー》
一番 三浦 センター 左投左打 三年生
二番 佐々木 ショート 右投右打 二年生
三番 吉岡 レフト 右投右打 三年生
四番 船橋 キャッチャー 右投左打 二年生
五番 松崎 トミオ ピッチャー 右投右打 二年生
六番 熊谷 ファースト 右投右打 三年生
七番 橋本 サード 右投左打 二年生
八番 岡本 ライト 右投左打 三年生
九番 柳 セカンド 右投右打 二年生



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四月五週目《VS大漁水産高校②》

この話ではオリジナルの設定が含まれます。
あと名ばかりのサブタイトルです。


 

 一回裏、江久瀬の犠牲フライと蛇島のソロアーチにより二点を先取した帝王実業。続く五番の友沢がセンター前にヒットを放ち出塁したものの後続を絶たれ、それ以上の点が動くことはなかった。

 

 

 二回表

 大漁水産は中軸である四番から始まる打順。

 先制された大漁水産にとってこの回は相手に試合の流れを渡さないためにも簡単に終わるわけにはいかないが――。

 

 

 左打席に立つ船橋は弧を描きながらホームへ向かうボールを力強く振り抜いた。

 

「――くそっ」

 

 自身が放った打球の軌道を見て船橋は悔しげに呟いた。

 甘めに入ったカーブを狙った一打であったが一球前のストレートの残像があったため、タイミングがズレた。

 大きく打ち上がったボール。打球を追いライト線沿いへ向かっていた江久瀬の足が止まる。

 

「アウトッ!!」

 

 

 

 続くバッターは五番の松崎 トミオ。

 甲子園でもホームランを放った程の長打力があるため要も注意しているバッターの一人である。

 

(甘く入ればもっていかれるからな)

 

 要のサインに頷いた友沢は振りかぶる。

 右打席に立つ松崎のインローに伸びのあるストレートが突き刺さった。

 

「ストライクッ!」

 

「うぉっ!これで一年生だっぺか……」

 

 全国を経験している松崎ですら驚愕する完成度。

 その上で間違いなく今日の友沢は絶好調と言えるコンディションであった。

 

(次、アウトコースにストレート)

 

 要のサインに頷いた友沢は力強くボールを投じた。

 キィンという音を鳴らし松崎の振るったバットの上部を擦ったボールは後方のバックネットに向かっていった。

 

「ファール!」

 

「くっ……」

 

 少しだけ悔しげな表情を浮かべる松崎。

 要は友沢とサインを交わし、続けてアウトコースにミッドを構えた。

 

(お前の最も自信のあるボールを投げてこいっ!)

 

「ふっ!」

 

 友沢はより力を込めてボールを投じようとし思わず声が漏れた。

 先ほどの直球と同じ軌道でアウトコースにボールが向かい、当然の如く松崎はバットを振るう。

 

 だが、それは急激に松崎の視界から消えた。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

 松崎の振り抜いたバットの遥か下。

 ベースにワンバウンドするほどの急激な変化を見せたボールが要のミッドに納められていた。

 キャッチした要すら驚愕するほどのキレを見せ松崎を三振に取った。

 

 

 あっという間にツーアウト。

 

 先に先制され、攻撃は一年生バッテリーに封じられている。

 まだ序盤も序盤であるが、センバツ出場校であるという自負が打ち砕かれてゆく感覚。

 このままではいけないという焦り。

 

 しかし――。

 

「ストライークバッターアウトッ!スリーアウトチェンジ!!」

 

 五・六番を連続三振で抑えた友沢。

 グラウンドに目を向ける全員が彼の活躍に驚愕する中、当の本人は涼しい顔をしたままベンチへ戻っていった。

 

 そんな友沢を他所にバッテリーを組んでいた要はキャッチャーボックスからすぐに立ち上がらずに友沢の背中を見ていた。

 

 

 

 二回裏

 

 八番を打つ遊佐は松崎の球威のある直球に力負けしセカンドフライとなった。

 そしてラストバッターである要の打席となる。

 

 状況は1アウト、ランナー無し。

 大漁水産高校を相手に畳み掛けるためにもここで要が出塁し上位の打順に回すことには大きな意味があった。

 打席に立ちマウンドに立つ松崎と視線を交差させた要。

 

 要は新たな課題を持ってこの打席に立っていた。

 

 

 ♢

 

 

『先輩命令だ。俺の練習に付き合え』

 

 遠征へ向けたミーティングを終え、中之島は要に向けそのような傍若無人な態度で声をかけてきた。

 

『いや、なんで俺ですか?』

 

『……ただの気まぐれだ。いいからさっさと行くぞっ!』

 

 要の疑問に一瞬だけ間を開け口を開く中之島。

 それて納得のいかない様子の要を力強くで引っ張っていった。

 

 

 

『……これ全部ですか?』

 

 要が中之島に連れられて向かったのは一軍専用の屋内練習場。

 中之島に指示され要が用意したのは籠いっぱいの硬球。それも籠は一つではない。

 要が中之島に命じられたことは彼のバッティングに合わせてトスを投げろというものであった。

 

『あ?なんだ文句あんのか?』

 

『いえ……ただ意外と練習する人なんだと……』

 

『お前……俺にどんなイメージを持ってやがる』

 

 中之島の人を寄せ付けない雰囲気に加え、二年生ながらチームの絶対的支柱とも言える実力。

 勝手なイメージであるが要は中之島という男は才能だけでここまできたのだろうと思っていた。

 

『時間もねぇ、さっさと始めんぞ。とりあえず横から投げろ』

 

『は、はい』

 

 

 その後、要は中之島に命じられるまま横からだけではなく背後からもボールを投げたり、コースも地面スレスレのものから中之島の頭上に迫るものまで様々なトスを行った。

 中之島はほとんどのボールにアジャストし確実に振り抜いていた。

 静かな練習場に一定のリズムで打撃音のみが木霊し続ける。

 

 

『ハァハァ……くそッ!』

 

 だがこの自主練を始めてしばらくが立ち、さすがの中之島も肩で息をし始め、集中力を途切れさせてゆく。

 

『もう一球だ。同じところに投げろ!』

 

 中之島の背後からインローに際にトスを出す。

 背後から現れるボールを今度こそ完璧に捉え正面のネットに向けて弾き飛ばした。

 そこで中之島は要に次のトスを命じることはなくはなかった。

 滝のような汗を流しどうにかバットを支えにしながら必死に呼吸を整えていた。

 

『――どうして、そこまでやるんですか?』

 

 思わず要の口から出た言葉。

 

 現段階でも間違えなくプロに行ける実力を持っている。

 要の目から見ても中之島の才覚なら並の努力で十二分に大成できると思えた。

 それにも関わらず彼を突き動かしている原動力はなんなのか。

 

『……ガキの頃の俺はサッカーの方が好きだった』

 

『え?』

 

 唐突なカミングアウトに驚く要。

 そんな要の反応を気にすることもなく中之島は言葉を続ける。

 

『昔から足が速かったからかサッカークラブじゃエースだった。逆に野球は足が速ぇだけじゃ勝てなくてな。一つも楽しいなんざ思わなかった』

 

 幼い頃から運動神経抜群だった中之島は野球とサッカーの両方を習っていた。

 近年では野球よりもサッカーの方が人気があった事もあり、幼い頃の中之島にとって簡単にヒーローになれたサッカーはとても魅力的なものだった。

 

『――けど一人だけ野球選手でもカッケーと思った選手がいたんだ。俺はあの人のような選手になりたくてサッカーを辞めた。ついでにピッチャーだったポジションもショートにコンバートした』

 

 日本のアマチュア野球において実力の高い者、センスのある者はピッチャーを経験している。それは若い年代であればあるほど顕著である。

 なぜならピッチャーというポジションが日本野球にとっての最も花形な場所だからだ。

 中之島ほどの実力があればピッチャーを勧められてもなんら不思議ではないだろう。

 

『……その選手は?』

 

『日本で活躍してアメリカに行ったが……けど向こうじゃ全然歯が立たなかったそうだ』

 

 僅かに暗い表情を見せた中之島。

 ここまででようやく要も中之島が誰について述べていたのかは大方見当がついていた。

 その日本では超一流の遊撃手であった選手がアメリカではまともな出番すら与えられなかった。そんな事実が中之島は自分の事のように悔しかったのだろう。

 

『それもあってか、いつしかアメリカじゃ日本人内野手は大成しないなんてほざく奴まで出てくるようになった』

 

 中之島は心の底からの嫌悪を吐き出すかのような表情を浮かべる。

 アメリカという野球における世界最高峰の舞台に幾人もの日本人選手が挑戦してきた。それでも成功と呼べる実績を残せたのはほんの一握りであり、大半は投手である。

 

 とりわけ内野手は一瞬の判断力が問われるポジションである。

 身体能力で不利な日本人の選手には瞬間的な選択肢が少ないのは事実と言わざる終えないだろう。

 

『――だから、俺は決めた』

 

 要は中之島を目の色を見て僅かに驚きを現した。

 

 その目は誰よりも純粋で野球に対してとても――

 

 

『そんなくだらねぇ定説はこの俺がひっくり返してやるってな』

 

 

 挑戦的な笑みを浮かべ、そう宣言する中之島。

 要はようやく理解する。

 

 既に高校最高峰の遊撃手である彼は、自分よりも遥かに高い頂を目指していたという事実を。

 

(きっとそれは茨の道だ)

 

 もしかしたらサッカーという道に進んだ方が更に上のステージに駆け上がれたかもしれない。

 もしかしたらピッチャーという道に進んでいれば今頃はエースナンバーを背負っていたかもしれない。

 

 それ程の才覚の持ち主なのだ。中之島 幸宏という男は。

 

 しかし天才が選んだ道は、憧れを超える道。

 

 天が彼に与えた道ではなく、彼自身が生み出した道。

 

(そうか。この人にとってバッティングは……)

 

 確かに中之島のバッティングセンスは並のプレイヤーよりも遥かに優れたものだろう。

 しかしそれ以上の(才能)を彼は持っていた。

 

(証明なんだ、自分の選んだ道の)

 

 誰も成し得なかった道を進むために彼は自分の最大の才能ではないものを磨くのだ。

 

 絶対的な頂点に至るために。

 

 

 

『お前、昨日俺に聞いたよな。バッティングのコツが聞きてぇって』

 

 中之島は少しだけ遠くを見るかのように言葉を続けた。

 

『話聞きゃ上手くなんなら誰も苦労しねぇ。技術なんてのはなテメェで必死こいて練習してテメェで他人から盗むしかねぇんだよ』

 

 彼の背景を知ったからこそ重い言葉である。

 中之島自身がそうやってバッティングを磨いてきたのだろう。

 

『俺はお前の練習には付き合ってやるつもりはねぇ。だが、俺の練習にはいつでも付き合わせてやってもいいぜ』

 

 変わらぬ横暴な態度である。

 先程までの要ならならほぼ間違いなく断ろうとした提案であろう。

 

 要は中之島に向けて頭を下げる。

 それは僅かでも野球選手として彼を軽く見てしまった事への謝罪。

 

 そして――

 

『全力で技術を盗ませていただくので、よろしくお願いします』

 

 それは宣言。

 中之島という教材から学び自身の技術の糧とするという。

 

『ハッ、やれるもんならやってみろ』

 

 要の態度に中之島も笑みを浮かべてそう答えた。

 

 

 それからの時間、主に基本のメニューを終えた自主練のタイミングで要は中之島の後ろについて行くようになった。

 中之島の自主練は単純なトスバッティングからバランスボールにまたがりながらボールを打つなど実に様々である。

 

 それを見るたび自身に足りないものを痛感するばかりの要であったが、すぐに応用できるものはほとんど無かった。

 改めて中之島がいかにバッティングというものを積み上げてきたのかを実感したのであった。

 

 

 だからこそ直前に迫った大漁水産高校戦での打席で意識する事を一つに絞った。

 

 

 ♢

 

 

 ――状況は1アウトランナー無し。

 

 バッターボックスから見る松崎 トミオの姿はそのガタイの良さに加え、甲子園を経験した強豪校のエースたる風格があった。

 

(俺がこの人をリードするなら……)

 

 要は自分をキャッチャーの視点に置いて思考する。

 

 初回に2点を奪われたエース。

 しかしこの二回は幸先よく1アウトを奪えた。

 このまま2アウトに持ち込み上位の打線を迎えたい。

 

(何より打席に立つのは九番バッターの一年)

 

 キャッチャーのサインに頷いたのであろう松崎はワインドアップから投球フォームに移行する。

 力強く投じたられたボールは唸りを上げながらストライクゾーンへと向かってきた。

 

(ただ……強く)

 

 一週間の間、自主練を共にした中之島。

 彼のバッティングを見て最初に印象に残ったのは、どんな難しいボールでも体制を崩さずにバットを振り抜いていたこと。

 

 鍛え抜かれた柔軟かつ強靭な下半身が彼のバッティングを支えていた。

 

 しかしそこはすぐには改善できない。

 なら今意識すべき事は何か。

 

(強く振り抜く……!!)

 

 キィンという金属バット特有の音と共に打球はセンター前に飛んでいった。

 初球ストライクを欲しがり、アウトコースの真ん中寄りにきた甘い直球を要は確実に捉えてみせた。

 

 

 

「ふぅ……読みが当たったとはいえ……」

 

 悠々と一塁に到達した要は、ボソッと周りに聞こえるか聞こえない程度の声量で呟いた。

 

 それは結果が伴った事への僅かばかりの安堵であった。

 

 今までの要は、極端に空振りを恐れていた。

 ボールに当てにいきファールゾーンへ退くカット打法がその顕著な例である。

 

 しかしバットを振り抜けば空振りの率は間違いなく上がる。

 

 それに加えて相手ピッチャーは自身よりも格上。

 

(ちょっと痺れた。コースが甘くなきゃ内野を越えられなかった)

 

 バッティンググローブを外しながら要は手を振るった。

 金属バット越しに伝わるボールの力はかつての記憶も含めこれまでに要が対戦したピッチャーの中でも一、二を争うものであった。

 

 それほどのピッチャーを相手取りリスクを犯す事は不安がある。

 しかしそれを乗り越えなければ更に上には登れない。

 

(とりあえず繋いだんで。見せてもらいますよ、貴方が築き上げてきたものを――)

 

 要はバッターボックスに入る中之島へ視線を向けた。

 その視線に気がついた中之島がいつものように強気な笑みを浮かべたのは要も容易に想像できたのである。

 

 

 ♢

 

 

「ハッ。悪かねぇな」

 

 ネクストバッターボックスから見守っていた中之島は兵藤の一打をそう評した。

 ボールに対してアジャストしなければセンター返しはできない。

 初球から攻めていった点を含め、概ね中之島の兵藤に対する評価は悪いものでは無かった。

 

 まあ、本人には絶対に言わないが。

 

「――だが、その一打には報いてやるよ」

 

 中之島は右打席に立ちバットを高く後方に構えた。

 

 松崎が力強く投じたボールは中之島の懐へと向かってきた。

 のけ反りながら中之島はその初球を避けた。

 

「ボールッ!」

 

(相変わらず荒れてやがるがセットだと球威が落ちてんな)

 

 松崎はキャッチャーのサインに頷き一瞬だけ一塁に立つ兵藤へと視線を向けてからボールを投じた。

 ゆったりとした放物線を描くボールはストライクゾーンのギリギリに吸い込まれてゆく。

 

「ウラッ!!」

 

 ストレートと30km/h以上も球速差のあるスローカーブであるが、中之島は体制を崩されることなくファールゾーンへとボールを弾き飛ばした。

 

「ファール!」

 

(次で撃ち抜いてやる)

 

 一度バッターボックスから離れた中之島は親指でヘルメットのつばを持ち上げる。

 それは一塁ランナーである兵藤へ向けたメッセージ。

 

 サインを確認した松崎が投球モーションに入った瞬間。

 

「スチールッ!」

 

 ランナーである要が走り出した。

 外角の端を通り抜けようかというストレートをギリギリまで引き付けた中之島は流し打った。

 鋭い打球はライト線ギリギリのフェアゾーンに落ちる。

 ライトを守る岡本が打球を追うがフェンス際までボールは転がっていった。

 

「突っ走れッ!!」

 

 走塁をしながら外野の守備の遅れを見抜いた中之島は三塁に到達しようとしていた兵藤へ向けて叫ぶ。

 その声を聞いた兵藤は迷うことなくホームへ向けて駆け出した。

 

「ランナー!ホームッ!」

 

 そんな大漁水産守備陣の声が聞こえた中之島は不敵な笑みを浮かべて加速した。

 守備で出遅れたライトの岡本であるがさすがは甲子園出場校。そこから好返球がホームへと向かい、兵藤がホームへ到達する前にキャッチャー船橋のミッドに収まる。

 それ同着で兵藤はホームに頭から突っ込んでいった。

 

 

 勝負を決めたのは、コンマ数秒の差。

 

 

「セーフッ!!」

 

 失速することなく塁間を駆け抜けた兵藤の走塁が、大漁水産の守備よりも一瞬だけ早かった。

 そして攻防の間に中之島も三塁にまで到達してみせた。

 

 

「中之島さんッ!」

 

 三塁ベース上に立つ中之島に向けガッツポーズをする兵藤。

 それを見た中之島はプイッと兵藤を無視した。

 

 明後日の方向を見る中之島であるが、彼は薄く笑みを浮かべ誰にも聞こえない声音で口を開いた。

 

「――ナイスランだ。兵藤」

 

 

 中之島 幸宏という天才が兵藤 要という凡才を認めた瞬間でもあった。

 

 




ちゃんと選手能力を載せて行こうと思います。

中之島 幸宏(二年四月)

[基礎能力]
弾道:3 ミート:S パワー:C 走力:A 肩力:C 守備力:B 捕球:D

[特殊能力]
チャンス:A 盗塁:B 走塁:B 送球:E アベレージヒッター 流し打ち


松崎 トミオ(二年四月)

[投手基礎能力]
球速:153km/h コントロール:F スタミナ:B
スローカーブ:5

[投手特殊能力]
ノビB 回復G 重い球 逃げ球 速球中心

[野手基礎能力]
弾:3 打:F 力:C 走:F 肩:B 守:G 捕:G



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四月五週目《VS大漁水産高校③》

久々に書いたので面白く無いかもしれません(直球)



 

 二回裏

 帝王実業高校は1アウトランナー三塁という状況であったが、後続である養老と江久瀬が共に内野フライで打ち取られたため、更なる追加点がスコアボードに加えられる事はなかった。

 二回終了時で帝王実業が既に三点先取していた。

 

 甲子園という舞台でもよく名前を聞く二校の練習試合ともありギャラリーもこの一戦を楽しみにしていたのだが蓋を開けてみれば序盤から帝王の攻勢という展開である。

 

「帝王強ぇ。これでセンバツ出てねぇとかどんだけレベル高いんだよ東京地区」

 

「つーか松崎。甲子園とは別人じゃね?」

 

 特にセンバツでも好投を見せた松崎に対しては観客も期待していため、今日の投球には少なからず批判があった。

 

「まあセンバツに出場したチームは夏に勝てないってよく聞くしなぁ」

 

 そんな観客達の中でも冷静な目でグラウンドを見つめ続ける一人の男がいた。

 青色のキャップに口元の髭が印象的なその男は、時折メモを取りながらこの一戦に目を向けている。

 

「……ふむ。松崎君の荒れ球は良い時は武器になるが、あそこまでストライクとボールがはっきりしていれば抑えるのも容易ではないか。だが――」

 

 男の名は、影山 秀路(かげやま しゅうろ)

 成績低迷しているプロ野球チーム《津々家バルカンズ》の再興を担うために雇われたスカウトである。

 

「先程打たれたものの中之島君に投じた一球。そして養老君と江久瀬君を打ち取ったボールも厳しいコースにストレートを投げ込めていた。あのコースにアレだけ力のあるボールが来れば打てるバッターは限られるだろう」

 

 これまで長年に渡ってアマチュア野球のプレイヤー達を見定めてきた影山だからこそ分かる視点がある。

 彼が目を向けるのは守備につく帝王ナイン。

 

「――むしろ気になるのは帝王実業の一年生バッテリー。シニア時代から注目されてきた友沢君はいざ知らず」

 

 マウンドから友沢が力強くボールを投じ、キャッチャーである選手が難なく捕球してみせた。

 

「兵藤君、か」

 

(先程の初球を狙い打ったバッティングに加えて無駄のないキャッチング。一年生ということを加味すれば十分すぎる実力だが……)

 

 フム、と僅かばかり考える様子を見せる影山。

 

(これだけの実力があれば中学時代でも少しは話題に上がりそうなものだ……)

 

 そこまで考えて影山は笑みを溢しながら首を振った。

 

(経歴だけに目を止めてしまうのはスカウト失格だな――)

 

 影山は自身が愛用するメモ帳、その白紙のページを開く。そして素早くその上にペンを走らせる。

 

 兵藤 要という名が新たに記されたのであった。

 

 

 ♢

 

 

 三回表。

 帝王実業バッテリーは先頭である七番の橋本をサードゴロに打ち取る。しかし続く左打者の近藤に今日初の被安打を許した。

 

 状況は1アウト、ランナー1塁。

 大漁水産高校にとってはようやく掴んだ好機である。

 要は相手ベンチで監督から指示を仰ぐ九番打者の柳を見つめた。

 

(相手にとってはここは最低でも一点は奪いたい場面だ。どう来る……?)

 

 バッターボックスへ小走りに向かう柳から視線を切りマウンドに立つ友沢へジェスチャーを送る。

 

(お前は打者(バッター)集中でいい)

 

 元よりそのつもりなのか友沢は変わらぬ表情のまま頷きで答えた。いつも通りの彼の姿にほくそ笑みながら要はキャッチャーボックスの中でしゃがむ。

 

「プレイッ!」

 

(アウトローに直球だ)

 

 審判のコールと共に要は友沢にサインを伝え、右打者である柳から最も遠い位置にミットを構えた。

 投じられた白球は僅かに外れたコースを進む。要が冷静にフレーミングをする体制に入ろうとした瞬間、バッターボックスの柳のバットが鋭く振り抜かれた。

 

「ファールッ!」

 

 キィンという金属音とともに弾かれたボールはライト線から切れフェンスに突き刺さる。

 ボールの行方が分かった瞬間、要は相手ベンチの監督の表情へと視線を向ける。

 

(特に変化は無しか)

 

 要は確認を終えすぐに友沢にサインを交わす。

 相手監督からも打者からも現状で読み取れる情報はほぼ無い。それでもキャッチャーに決断を迷うことは許されない。

 ましてやキャッチャーの迷いがピッチャーに伝わることなどあってはならないのだ。

 

 友沢から投じられた二球目は外へ逃げていくスライダー。柳がこれに手を出さなかったためカウントは1ストライク1ボールとなった。

 

(リアクション的に見送ったってよりかは手が出なかったって感じか)

 

 柳の表情の変化を読み取り要は冷静に分析する。そしてまたすぐにサインを送った。

 要のサインに友沢はポーカーフェイスを崩し僅かに目を見開いてから頷いた。

 

 投じられたのはインコース。柳の体感からすれば身体にぶつかるのでは無いかと思うようなコース。

 

 “そこ”からボールは鋭く抉り、要の構えるミッドに突き刺さった。

 

「ストライクツー!!」

 

 インコースへのスライダー。

 キレ味鋭い友沢のボールは右打者のフロントドアとして投じられる事によりさらに強烈な一球となる。初見ではまず捉えられない、要や養老がそれほどの自信を持って断言できる一球であった。

 

(本音を言えば……あまりスライダーに頼りすぎるのもアレなんだけどな)

 

 友沢のスライダーと言えば、やはり要が懸念するのは彼の肘である。多投させて壊してしまえば元も子もない。

 しかし友沢の肘に負荷をかけているのがスライダーだけである、とは要は考えていなかった。要が気になるのはむしろ他の球種であるのだが――。

 

(とにかく追い込んだ。次で、“決める”)

 

 周りに視線を向けた後、要はすばやくサインを出す。

 サインを受けとった友沢はすぐにピッチングに移行した。その瞬間、ファーストを守る養老から鋭い叫びが飛ぶ。

 

「スチールッ!!」

 

 走者の動きに合わせるように柳はバットを傾ける。

 彼らの狙いは帝王ナインの守備シフトの穴をつくスリーバント。

 内野陣はバッターの動きに驚き目を剥いた。

 

 しかし――。

 

 腰を上げミットをバットの届かない外へ構え直す要だけは打者の動きにほくそ笑んでいた。

 

「なっ!?」

 

 驚きながらも必死に手を伸ばしボールを追う柳だが、外側のポールゾーンを通過したそれに彼のバットが届くことはない。

 

「ストライク!バッターアウトッ!」

 

 体制を整えていた要はボールをキャッチしすぐさま二塁へ投じる。真っ直ぐに近い弧を描く白球は一直線にセカンドベースで待ち構える中之島のグラブへと吸い込まれた。

 

「アウトッ!チェンジ!!」

 

 不意をついた筈のランナーを呆気なく刺した要は悠々と自陣ベンチへと戻る。

 

「ナイス送球だったな。兵藤」

 

「ありがとうございます。中之島さんがすぐにカバーに入ってくれたので迷わずに投げられました」

 

 ベンチへと戻った要に養老が声をかけてくる。

 

「ところで……あのスリーバントだけど、もしかして読んでいたのかい?」

 

 最後の友沢の一球。それは完全に外側に外されたものであった。

 内野を守る者もボールを投じた友沢ですらバントを予期していなかった状況で、要はまるで相手の動きを分かっていたかのように大きく外すサインを選んだ。

 その意図が養老は気になったのだ。

 

「正直、直感としか言いようが無いんですけど……相手が“あの”タイミングで何かを仕掛けるのは分かりました」

 

「……どうやって分かったんだい?」

 

「いや、普通にバッターとかランナー、相手ベンチの様子を見てたぐらいですけど……」

 

 キャッチャーとしてはあくまで当然の仕事だとばかりに述べる要。

 しかし相手は全国常連校である。見え見えの仕掛けなどしてはこない。現に内野を守っていた他の者は少なからず驚きの反応を示していた。

 

 それを瞬時に察知できる観察眼を有する高校生捕手が日本に何人いるか――。

 

「……」

 

「……あの、大丈夫っすか?」

 

「――あ、ああ……ありがとう。参考になったよ」

 

 養老は僅かに強張った表情をしたまま、要の元を後にする。要は不思議そうにいつもとは違う主将の姿を見送った。

 

 

 ♢

 

 

 三回裏。

 帝王実業は先程、ソロホームランを放った四番である蛇島から始まる打順であったが、松崎の荒れ球が徐々にコースに収まり始め三者凡退に抑えられる。

 

 四回表。

 最高の形で前の回を抑えた大漁水産高校はその勢いのままに二巡目の打順に入った。

 一番の左打者である三浦が内野安打で出塁し、二番の佐々木が堅実に送りバントを決める。この試合に入り、初めて友沢は得点圏のランナーを背負う形となった。

 

 

 

「ボールフォアッ!」

 

「しゃあッ!!」

 

 二巡目に入ったこともあり友沢のボールは大漁水産打線に見極められつつあった。今のボールもギリギリのコースであったが三番の吉岡は冷静に見られて今日初の四球を出してしまった。

 

 1アウト・ランナー1・2塁。

 

 ここに来て兵藤はすかさずタイムを取り、マウンドでロージンに触れる友沢の前に向かってきた。

 

「……何の用だ?」

 

 別にタイムを取る必要はないだろと言わんばかりの友沢。相変わらずな物言いにこれには兵藤も苦笑いである。

 

「次は四番の船橋だ。さっきの打席も外野に良い当たりを飛ばされてる」

 

「……何が言いたい?」

 

 友沢も逆方向に鋭い当たりを飛ばした相手の四番の印象は強い。

 

「お前はどうしたいのかと思ってさ」

 

「勝負一択だ。それ以外はあり得ない」

 

 それでも彼の中で勝負を避ける選択肢は存在しなかった。

 友沢の断言に兵藤は初めから分かっていたかのように笑みを浮かべた。

 

「オーケー。なら、当たって砕けるつもりで行くか」

 

「砕けるつもりなど更々ない」

 

 軽く会話を交わし、兵藤はキャッチャーボックスへ戻っていくが、彼は不意に足を止め振り返った。

 

「やっぱ、お前のボール受けてるのめちゃくちゃ楽しいわ」

 

 いつもとはどこか違う笑みを浮かべた兵藤はそれだけ述べて今度こそ定位置へと戻って行った。

 

「……変なやつだな」

 

(最初からそうだった)

 

『よく覚えとけよ、いずれはお前とバッテリーを組む男だ』

 

 彼と最初に出会った教室での一幕。

 友沢は兵藤から一方的な宣言を受けた。

 

 

「ストライク!」

 

 左打席に立つ船橋の内角に友沢の投じたボールが一直線に収まる。兵藤のミットは“あの時”から変わることなく正確な捕球を見せている。

 

(初めてバッテリーを組んで、ようやくお前がどんな選手なのか理解できた)

 

 新入生テストの際に兵藤とバッテリーを組んだ友沢。あの時の25球は友沢が兵藤という選手の評価を改めるには充分なものだった。

 

 

「ファールッ!」

 

 速球の次に投じられた緩いカーブを船橋はどうにかファールゾーンへ弾いた。ここまで兵藤のサインに友沢は一度たりとも首を振ってはいない。

 

(お前は、いったいどれだけ先にいるんだ?)

 

『お前はどうしたいのかと思ってさ』

 

『やっぱ、お前のボール受けてるのめちゃくちゃ楽しいわ』

 

(これほどの相手を前に、俺に楽しんでいる余裕なんてない)

 

 それも当然である。

 友沢は表面にこそ見せてないがこれが高校初の対外試合。彼にも少なくない緊張があった。

 しかし、対する兵藤にはそれが一切感じられなかったのだ。

 

 

 

「セカンッ!!」

 

 奏でられた金属音共に兵動は素早く声を上げる。鋭いゴロが一二塁間を目指しグラウンドを駆け抜ける。

 薄く目を見開いた蛇島は打球を読み切っていたのか、どちらかと言えば一塁寄りに転がる白球を完璧に捕球した。

 

「寄越せ蛇野郎ッ!」

 

「……チッ」

 

 蛇島の送球を受け取った中之島がすぐさま一塁の養老にボールを投じ、4-6-3のダブルプレーが成立した。

 大漁水産は掴みかけた好機を逃したのである。

 

 内野陣のファインプレーにベンチメンバーが沸く中、友沢はベンチでプロテクターを外す兵藤の姿を見つめていた。

 

(これも、お前の読み通りなのか?)

 

 兵藤 要はこれまで友沢がバッテリーを組んできた捕手の誰とも違う存在であった。

 チームに恵まれなかった彼にとって自分よりも上だと思えるキャッチャーに出会うのはこれが初めてである。

 

(きっと……お前が正しいんだろう……)

 

 これまでバッテリーの主導はピッチャーだと思っていた。その考えが崩されていく。

 それはまるで自分のピッチングが飲み込まれてゆくような感覚。

 

(それでも、俺は……)

 

 彼にも譲れないものがある。

 

 歯車は徐々に――。

 

 

 ♢

 

 

 四回裏。

 先程の回から調子を上げ始めた松崎の投球を前に、帝王実業は七番、八番と呆気なくねじ伏せられた。

 そして2アウトで打席に立つのは九番の要。

 

 

「……ぐっ!」

 

 唸る豪速球にタイミングが合わず空振る。

 

「ストライクツー!」

 

 初球も同じようなストレートに振り遅れて空振り、呆気なく二球で追い込まれてしまう。

 

「ふぅぅ……」

 

(もっと早く……もっと鋭く……)

 

 息を吐きながらバットを握る手に更に力を込めた。

 

 空気を切り裂くように投じられた三球目。そのボールは一直線に内角の厳しいコースへ向かった。

 

(強く、振り抜くッ!!)

 

 今日の試合での目標である力強いスイング。球威のある松崎の直球を要はフルスイングで迎えうつ。

 

 ガギィという鈍い金属音と共に打球は“転がった”。

 

 結果は、目に見えて明らかであった。

 

 完全に勢いの死んだボール。マウンドに立つ松崎の元にたどり着いたのはボテボテのゴロ。

 鋭くバットを振り抜いたとはいえ根本でボールを捉えてしまったため、当然の結果であった。

 

「アウトッ!チェンジッ!!」

 

 必死にファーストへと直走る要であったが間に合うはずもなく簡単にアウトに終わった。

 不甲斐なさに歯を食い縛りながらベンチへ戻る要。

 

「ハッハッハ!バッティングはそんなに甘いもんじゃねぇぞ!小僧!」

 

 後輩の凡打をネクストサークルから嘲笑う中之島。平常運転である。普段の要なら少しくらい彼に苛立った表情を向けるのだが――。

 

「……そっすね」

 

「……あ?」

 

 中之島の側を横切り急いでプロテクターを付け始める要。

 その“左手”は剛球の余韻を残すかのように小刻みに震えていた。

 

 

 歯車は完全に動きを止めた。

 

 




今更ながら……遠征編のメインはそもそもこの試合じゃないんですよね。


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四月五週目《VS大漁水産高校④》

 
なんとか書けました。
ちょっと長めです。
 


 

 五回表

 徐々に流れに乗りつつある大漁水産高校の攻撃。先頭バッターは中核的存在である松崎トミオ。クリーンナップを担い長打力もある彼はバッテリーにとって四番の船橋に次ぐ警戒対象であったが――。

 

 

 

「ボールフォア!」

 

「しゃあッ!!」

 

 審判のコールに松崎は雄叫びを上げ、一塁へと小走りで向かっていった。

 フルカウントまで粘られてからの四球(フォアボール)。ボールを収めたままのミットを要は呆然と見つめていた。

 

「兵藤!」

 

「……わ、わりぃっ!」

 

 友沢から促された要は焦りながらボールを返球する。

 要は自身の動揺を隠すかのようにキャッチャーマスクを被り直す。

 

「……」

 

「……ッ!」

 

右打席に立った六番打者の熊谷と目が合い、要は咄嗟に視線を逸らしてしまう。

 

(やべぇ……)

 

「プレイッ!」

 

 審判のコールと共に要は友沢へサインを送りミットを構えた。僅かに目を見開いた友沢であったがすぐに投球モーションへと移行する。

 力強く投じられたボールはアウトコースの隅へと向かう。

 完璧な捕球大勢であるにも関わらずいつもとは違う鈍い音を響かせてキャッチした要。ミットも止めることができず外側に流れてしまう。

 

「ボール!」

 

 捕手のキャッチングの技術はストライクゾーンの大きさに影響を与える。際どいコースの判定には、キャッチャーのミットの位置も審判の考慮の一つとなるからだ。

 これまで何度か要が見せてきたフレーミング。それは投手の調子を底上げすることに陰ながら貢献していた。

 

 そのフレーミングが機能しない。あるいはまともにキャッチングが()()()()()()であれば、どうなるか――。

 

 その落差は如実に現れてしまう。

 

 

 

 

「キャッチャー逸らしたッ!」

「走れ熊谷!!」

 

 大漁水産ベンチから上がる叫び。その声に反応した熊谷はすぐさま一塁へ向かい走り出す。

 

(くそッ……!)

 

 要は自身の失態に苛立ちながらバックネットにまで転がってしまった白球を追いかける。

 先程同様、打者をフルカウントまで追い詰めたものの、空振りを奪うために投じさせたスライダーを要は弾いてしまったのだ。

 

「ナイスラン!熊谷!」

 

 湧き立つ大漁水産ベンチ。

 要は失ったボールを急いで回収するが間に合うことはなく、相手の振り逃げを許してしまう。

 

 ノーアウト・ランナー1・2塁。

 流れは、明らかに大漁水産高校に傾きつつある。

 

(これ以上……)

 

 悔し気に歯を食い縛る要。マスク越しに出塁しているランナーへと鋭い視線を向けた。

 

(足引っ張ってたまるか……!)

 

 ()()()()()()()()を無理やり押さえつけるかのように握りしめた。

 

 

 ♢

 

 

 “彼”の調子に一番最初に違和感を述べたのはベンチから試合を見つめていた山口。それは先日の練習試合を経て、信頼を築いた相手だからこそ直ぐに気が付いたものであった。

 

(ミットが流れている。明らかに先程までの兵藤のキャッチングとは違う……)

 

 山口は立ち上がり、鋭い目つきで試合を見つめている守木の横に立つ。

 

「監督。兵藤の様子が先程までとは違うように見受けられます。何かしらアクシデントがあったのかと」

 

「……」

 

 山口の進言を受けても守木は黙然とグラウンドへ目を向け続けた。ほとんどの選手であれば守木の黙殺されれば黙って引き下がるが、山口は毅然とした態度で言葉を続ける。

 

「仮に故障などであれば取り返しが付きません。一度、様子を見るべき――」

 

「故障などはしておらん。理由は明白だ」

 

 一度、戦列を離れた経験を持つ山口だからこそ今の兵藤を状態を深く案じるが、その言葉を守木は切り捨てた。

 

「それに、どちらを取るかは奴らが決めることだ」

 

「それはどういう――ッ!?」

 

 守木の意味深な発言について山口が更に問おうとした時、快音がグラウンドに響き渡った。すぐさま振り返る山口。

 その視線の先に映ったのは、ライトのライン際に落ちる打球の軌跡。そして悠々と本塁に帰塁する二塁ランナーの姿であった。

 

 

 帝王実業高校 3―1 大漁水産高校

 

 

 点差はまだある、が。

 捕手の不調は本人のみの問題では済まないのだ。

 

 

 崩壊の足音がすぐ側まで迫っていた。

 

 

 ♢

 

 

 これまでとても一年生とは思えない安定したピッチングを見せてきた友沢であったが、ここに来て制球が乱れ始める。そして甲子園の舞台でも戦った百戦錬磨の大漁水産打線が明確な失投を見逃すはずもない。

 

 状況はノーアウト、ランナーは2・3塁。

 

 地力が試される中盤戦である。

 ならば先に崩れ始めるのは当然、力の劣るものである。

 

「ふぅぅ……」

 

 マウンドの上で大きく息を吐き呼吸を整える友沢。これまで飛ばしてきたツケも出てくる頃合いだが、それ以上に初失点のダメージが疲労をより蓄積させていた。

 

(アウトコースにストレート……幾らなんでも偏りが過ぎるぞ)

 

 ここに来て初めて兵藤のサインに首を振る友沢。前の回までは友沢が畏怖を抱くようなリードをしていた兵藤であるのだが、ここに来て明らかに集中力を欠いている。

 今しがた痛打されたボールをそのまま投げるなど彼には正気の沙汰とは思えない。

 

 何度か両者の間でやりとりが続き、ようやく投げるボールが決まる。

 

(お前に何があったかなど……“俺”には関係がない)

 

 兵藤の指示するリード。ミットの構え方。そして連続するキャッチングミス。先程までとは別人のような姿に、さすがの友沢も兵藤の変化に気がついていた。

 

 それでも友沢から兵藤に歩み寄ることはしない。

 

(“俺”は……こんな所で立ち止まるわけにはいかないんだ)

 

 友沢の脳裏に過るのは、病院の白いベットで眠る母の姿。まだ幼い弟と妹の姿。

 家族のために、友沢 亮は何があろうとプロ野球選手にならなければならない。

 

(このボールを磨き上げて“俺”は――)

 

 友沢が投じるのは最も自信のあるボールであるスライダー。既にプロ級とも呼ばれる決め球であるが、本人の理想には届いていない。

 

 それでも彼の決意は、揺るがない。

 

(“俺”はプロになる……!!)

 

 力強く投じられたスライダー。

 七番の左打者である近藤にとって向かってくるような軌道なボールであるが、近藤はそれを分かっていたかのようにゆったりと流し打った。

 

「サードッ!!」

 

 三遊間を鋭く突き進むゴロ。

 兵藤の叫びに反応した吉田の横っ飛びにより白球はグラブに収まった。二軍上がりながら一軍選手と遜色無い守備を見せる吉田である。

 これにはさすがに二人のランナーも動くことができず帰塁した。

 

 確実にバッターをアウトに取って、流れを取り戻す。

 

 そのはずであったが――。

 

 吉田の送球はファーストを守る養老の遥か上を通過していった。養老が急いでボールを拾いに向かうが間に合うはずもなく、それぞれランナーの進塁を許す結果となった。

 

 

 帝王実業高校 3―2 大漁水産高校

 

 

 ランナー1・3塁。未だノーアウトであった。

 

 

 ♢

 

 

「――スクイズッ!?」

 

 九番バッターの柳の打席。柳は初球のストレートを三塁方向の絶妙な位置に転がした。虚をつく大漁水産のアクションに三塁を守る吉田はすぐには反応できていない。

 

(くそ……!!)

 

 すかさずホームへ詰め寄る三塁ランナー。本塁をカバーするため要はその場を離れられない。

 

 だが、誰もが動けない状況でただ一人、すぐに動き出した者がいた。

 

(なッ……友沢――!?)

 

 これまでの無表情から一転、気迫を感じさせる表情でボールを追う友沢。彼は投球を終えた瞬間、一直線に転がるボールへと向かっていたのだ。

 

「取れッ――!」

 

 素手でボールを掴み取った友沢は、そのまま兵藤へと素早くトスをする。

 もう一点もやらない。そのような決意を力強いプレーで見せた友沢。

 

 友沢からのトスと共に三塁ランナーの橋本が面前まで迫っている。

 本塁の前で送球を受け取る要。橋本は要を避けるために体を捻りながらスライディングを行った。

 

(――間に合えッ!!)

 

 要はすぐさま身体を反転させ、ベースへ向かう橋本の手にミットを伸ばす。

 側から見れば同着である両者。

 

 間近で鋭い視線を向けていた主審は、ゆっくりと両手を広げた。

 

「セーフッ!」

 

「しゃあッ!!」 

 

(くッ……!)

 

 本塁に帰還した橋本はガッツポーズを上げ喜びを爆発させた。それを横目に要は歯を食い縛る。

 

 

 帝王実業高校 3―3 大漁水産高校

 

 

 アウト一つすら取れていないにも関わらず、遂には追い付かれてしまった。要の連続するミスがこの状況の引鉄となっているのは誰が見ても明らかだが。

 

 それでもベンチに座る守木は不動を貫いている。彼の鋭い眼光はただ真っ直ぐと要へ向けられていた。

 

 

 

 

 キィンという強い金属音。

 左打席に立っていた三浦は初球に投じられたシンカーを鋭くセンターに弾き返す。

 友沢が投球モーションに移行した瞬間、1塁と2塁にいたランナーは同時に動き出していた。

 センター沖田のボールが中継の中之島に渡る時には2塁にいた近藤は悠々とホームベースを踏んだ。

 

 まさかの初球ヒットエンドラン。ここに来て大漁水産高校の勝負強さが光る。

 

 

 帝王実業高校 3―4 大漁水産高校

 

 

 アウト一つがあまりに遠い。

 ここまで途切れなく攻撃が続くのはさすがの帝王実業のメンバーでも精神がすり減らされてゆく。

 特にバッターと向かい合い続ける友沢は、表情にこそ出さないがかなりキツい筈である。

 

(くそッ……どうにかしないとマジでヤべェ……!!)

 

「スチール!!」

 

 友沢から初球が投じられた瞬間、ファーストを守る養老が叫ぶ。

 

「ストライク!」

 

(――“ここ”で確実に一つ殺るッ!!)

 

 二番の佐々木が見逃したボールをキャッチし、要は素早く送球へと移行する。そしてすぐさまセカンドのカバーへと動いた中之島へ向かい白球を投じる。

 

 直線的な軌道を描いたボールは中之島のクラブに収まる。だが激しい形相を浮かべる中之島は二塁へ向かうランナーは目を向ける事なく要のいる本塁へと鋭い視線を向けていた。

 

「――馬鹿野郎ォ!!」

 

 激情を示す中之島からボールが返ってくる。彼が憤りを示す意味がすぐには理解できなかった要であるが、視線を左側に向けた瞬間、何が起こっているのかをようやく把握した。

 

(ダ、ダブルスチールッ!?)

 

 面前まで迫る三塁ランナーの柳。

 彼は要が二塁にしか目線が向かっていないことを正確に見抜き、送球の体制に入った瞬間に迷いなくスタートを切ったのだ。

 慌てた中之島からの返球が高かったこともあり、要は柳にタッチすることもできない。審判は躊躇うことなく手を広げる。

 

「セーフッ!」

 

 

 帝王実業高校 3―5 大漁水産高校

 

 

 無情の追加点が入る。

 アウトは一つも奪えてはいない。

 

 己の無力さを痛感する要。そしてそれ以上に、バッテリーを組む友沢に、チームに迷惑をかけている事が許せなかった。

 

 そんな時、これまでベンチで静観を貫いていた守木がゆっくりと立ち上がる。その眼光はいつにも増して威圧感があるように感じられた。

 

「交代だ。兵藤」

 

 低く告げられる言葉。指揮官の選択に要は悔しさを滲ませるように拳を握る。

 

(……監督の判断も当然だ。今の俺が、グラウンドに残る方が迷惑だ……)

 

 自分で納得してしまうほど、この回の要のプレーは不甲斐ないものであった。

 それでも、拳を握る力を弱めることはしない。

 

(くそっ……やっぱ悔しいな……)

 

 ベンチへと向かう兵藤の目には薄らと涙が流れていた。

 そんな要の背を相変わらずの無表情で見つめる友沢。そんな彼にも指揮官からの指示が飛ぶ。

 

「友沢。貴様はレフトに入れ」

 

 監督の命に一瞬だけ目を見開く友沢であるが、彼も彼で自分のプレーに思うところがあるため大人しく従う。

 

 

 その後、要の代わりに一塁を守っていた養老がキャッチャーボックスに入る。そして友沢の代わりに下井がマウンドに上がった。

 急遽、交代することになった下井。二塁ランナーこそホームへ帰してしまうものの、安定したピッチングでどうにか後続を断ってみせた。

 

 だが――。

 

 

 帝王実業高校 3―6 大漁水産高校

 

 

 大漁水産高校に流れが向かいつつある状況で、一挙6失点はあまりに大きすぎるダメージであった。

 

 

 ベンチで俯く要。

 彼は震える左手を抑えながら自分のいないグラウンドを見つめる。

 悔しさに歯を食い縛る彼はベンチへ下がる際に、守木と交わした会話を思い出す。

 

 

 

 

『貴様には失望したぞ。兵藤』

 

 これまでにないほど冷然とした表情を浮かべる守木。自分自身で落ち込んでいる状況でこの言葉は要に中々突き刺さるものがあった。

 彼は、要が隠す左手を指差しながら更に言葉を重ねる。

 

『その左手。先程、松崎のボールを打った瞬間から違和感があったことを自分で気がついていた筈だ』

 

 守木は、兵藤に訪れていた異常をその原因までも初めから見抜いていた。その上であえて静観を貫いていたのだ。

 

『貴様ならすぐにそれがプレーに支障をきたすものであると分かっただろう。何故それを此方に告げなかった?』

 

 守木の問いに兵藤は答えられない。

 その感情は、キャッチャーにとって不要なものだと理解しているからだ。

 

(俺は、あの場所を離れたくなかった……もし離れてしまえば……)

 

 思い浮かべるのは、ここまでバッテリーを組んだ彼のピッチング。

 実戦では久しぶりに彼とバッテリーを組むため、それはとても楽しく、彼のピッチングには誇らしくも感じていた。

 

 それでも彼のピッチングは余りに出来過ぎていた。強豪である大漁水産打線にここまで通じるとは要も思ってはいなかった。

 それだけでは無い。この一週間、バッテリーを組んでいて、彼のプレーを見ていて痛感した才能の差。

 

(……俺は、お前に追いつけなくなるんじゃないか……そう、思ってしまったんだ)

 

 それは友沢を好敵手(ライバル)だと思っているからこそ抱いてしまった感情。間違いなくそれが今回、チームの足を引っ張ってしまった。

 

 悔しげに顔を歪ませる要を他所に、守木はハッキリと告げた。

 

『今回の遠征。残りの試合は貴様に出番を与えない。大人しく他の者のプレーから学べ』

 

 

 ♢

 

 

 その後、帝王実業はどうにか一点差まで迫るもののギアを上げる松崎の前にあと一本が出ず、気がつけば最終回にたどり着いてしまった。

 

 

 帝王実業高校 6―7 大漁水産高校

 

 

 九回裏

 帝王実業は七番の吉田から始まる下位打線。七番、八番と呆気なく凡退に終わるが、兵藤と代わりファーストの守備についた田村が意地のセンター返しを放った。

 

 状況は2アウト・ランナー1塁。

 

 バッターボックスに向かうのは今日5打席目の中之島。彼は一瞬だけベンチで俯き続ける兵藤へと視線を向けた。

 

(おーおー。一丁前に落ち込んでやがる。まあ、あんだけ無様晒せば当然だわな)

 

 中之島はベンチにいる兵藤へ向けてゆっくりと指を伸ばした。その目にはいつもの嘲りはない。

 兵藤は中之島の突然の行動に少なくない驚きを見せていた。

 

(――だがな、テメェに立ち止まってる余裕なんざねぇんだよ)

 

 中之島は思い出す。

 丁度一週間前、兵藤が一軍に上がった日に受けた嘆願を――。

 

 

 ♢

 

 

『養老さん。話って何すか?』

 

『わざわざ呼び出して済まない。中之島』

 

 昼休み。頼みがあると言われて中之島は主将である養老から屋上に呼び出されていた。

 傍若無人を貫く中之島であるが、唯一この養老の事だけは慕っているため、大人しく指示に従っているのだ。

 

『昨日、二軍の兵藤と会ったそうだね。彼について、中之島はどう思った?』

 

 養老からの質問に中之島は意図が分からず顔をしかめたが、自身の感じた印象をそのまま伝える。

 

『そもそも身体は出来てねぇし、バッティングを舐めた態度が気にいらねぇってぐらいっすかね』

 

『な、なるほど……』

 

 中之島の容赦のない評価にさすがの養老も苦笑いを浮かべる。毎度のことであるが、中之島は実力を認めていない者に対しての評価は著しく低い。

 

『……中之島。少しでいい兵藤に目をかけてやってはくれないか?』

 

『は……?いや、何で俺がっすか?それこそポジションが同じ養老さんが――』

 

 そこで、中之島の言葉は止まる。

 養老の表情を見て、彼が何故、自身に頼むのかを理解してしまったのだ。

 

『すまない。頼む、中之島』

 

 複雑な表情を浮かべる養老。

 養老のそれは、中之島がこれまで見てきた穏やかな主将の姿ではない。

 

 それは一人のプレイヤーとして悔しさを滲ませた表情である。

 

 同じ捕手として養老は兵藤を恐れている。彼が成長し帝王の正捕手として相応しい存在となれば、必然的にポジションを退くのは彼なのだ。

 

 それでも中之島に兵藤を任せたのは、かろうじて残る主将としての責任感から。

 

 初めて見る養老の姿に、中之島は首を縦に振るほかなかった。

 

 

 ♢

 

 

(――最初は聖人みてぇな人だと思った)

 

 バッターボックスに立つ中之島。

 彼はその性格ゆえに入学した時から何度も軋轢を生み出していた。先輩にすら容赦なく罵声を述べる中之島をよく思っている者はほぼ皆無であった。

 

『中之島。ナイスカバーだ。助かった!』

 

 ただ一人、養老だけは最初から変わらずに中之島に接していた。

 彼と関わるうちに中之島は独善的なプレーを控えるようになり、チームにも認められてゆくようになった。

 

(アンタもしっかり人間だったんだな)

 

 実際に意識して見てみれば養老が兵藤を意識しているのは明らかであった。

 

(当然だ。今年で、最後なんだからな)

 

 中之島が養老とプレーできる時間は残り少ない。

 彼の本心としても兵藤よりも養老にマスクを被って欲しいと思っている。

 

 それでも今日、グラウンドに立って確信してしまった。

 

(今日は“逆の意味”で作用しちまったようだが――)

 

 兵藤が崩れた瞬間、内野陣の動きが明らかに悪くなった。強烈な個の力を持つ中之島や蛇島にはそこまで影響はなかったが、サードの吉田やファーストの養老のリズムは明らかに悪くなっていた。

 

(グラウンド全体に及ぼす影響力……少なくとも養老さんがキャッチャーの時には一度も感じた事がねぇ感覚があった)

 

 ()()()()()()

 それは実戦で初めて感じられた感覚。

 

(グラウンドはアイツが支配してやがった)

 

 バッテリー間だけではなく、守備陣全体に及ぼす力。

 その力がプラスに作用すればどうなるか。それを中之島というプレイヤーは見てしまいたくなった。

 

(兵藤。テメェに期待してる人がいる。立ち止まってる暇なんかねぇぞ)

 

 兵藤の見つめる先で、中之島は力強く踏み込んだ。

 九回でなお衰えることのない松崎の直球が向かう。

 

 そこで中之島は獰猛な笑みを浮かべ、力強くバットを振り抜いた。

 快音がグラウンド一帯に響き渡った。

 

「らぁッ!!!」

 

 振り抜いたバットを投げ中之島は力強く吠える。

 ライナー性の打球は一直線にレフトスタンドに突き刺さった。

 

(刮目しろ、この俺が中之島だ……!!)

 

 ダイヤモンドを駆け抜ける中之島。

 その姿は、確かに兵藤の目に刻まれた。

 

 

 帝王実業高校 8―7 大漁水産高校

 

 

 試合をひっくり返す逆転サヨナラツーランホームランにより帝王実業高校は辛くも遠征初日を勝利で飾ったのだった。

 

 




いやー無事終わりました。
五回の描写長すぎましたな。


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四月五週目《バッテリーの形》

 
 新年あけましておめでとうございます(今年初投稿)
 
 遅くなり申し訳ないです。
 正直、かなり中途半端なところで長期間、更新止まったたので書くのがキツかったです(自分自身もこの話で何を書きたかったのすら曖昧になってるレベル)
 色々とアレなのですが、読んでいただけれたら幸いです。



 

 大漁水産高校との練習試合を辛くも勝利で終えた帝王実業一行は、野球部専用のバスに乗り、本日泊まるホテルへと移動した。

 試合そのものが昼過ぎから始まった事もあり、バスがホテルに到着したのは日が沈みかける夕刻となっていた。

 

「明日も早朝から移動がある。試合に出た者はよく身体を休ませておくように」

 

 主将である養老の言葉を最後に各自、事前に伝えられていた部屋に向かう。養老とその場に残っていた下井は、険しい表情を浮かべたままの友沢と兵藤へと目を向けた。

 

(一年同士だからってあの二人を同室にしたのはマズったかなぁ……)

 

 今日、帝王実業一行が止まる部屋は全て二人部屋であった。一軍に合流したばかりの一年生が先輩と部屋で二人っきりというのは、なかなかリラックスできないだろうという配慮もあり、養老達は友沢と兵藤を同室に割り振ったのだが。

 先程の試合でバッテリーが崩れて以降、友沢と兵藤の間に会話は一切ない。

 

(うーん……途中までは悪くはなかったんだけど。なんかバッテリーそのものが、噛み合ってなかった感じなんだよな)

 

 下井は養老と江久瀬と共に、兵藤の初陣である聖タチバナ学園との練習試合を見ていた。

 その時に、兵藤が見せた山口や久遠とのバッテリーとしての親和性。両者の力を引き出し合う素晴らしい関係性だと養老や下井も感心していた。

 

 だが、今日の一戦ではこれまでのようなバッテリー間の結びつきは感じられなかった。

 確かに、バッテリーにも相性というものは存在する。プロの世界ではピッチャーに応じてキャッチャーを替える事も少なくないが――。

 

(けど、相性悪いって感じもしないんだよなぁ……)

 

 下井の目から見て、あの二人のバッテリーはまだまだポテンシャルを発揮してないように見えた。

 彼は、自身の最も信頼する捕手である養老に意見を聞くために声をかける。

 

「養老、ちょっといいか?」

 

「ん?どうした下井」

 

「兵藤の件なんだが――」

 

 穏やかな表情で振り向く養老であったが、兵藤の名前を聞きその表情は一転して険しいものとなる。

 思いもよらない彼の変化に下井は驚きのあまり言葉を止めてしまう。

 

「……下井、その話は部屋についてからでもいいか?」

 

 養老はそれだけを告げ、歩き出す。

 二年以上の付き合いである下井ですら、養老のあのような姿は見たことがない。

 

(まさか……お前が……)

 

 養老の垣間見せたそれは、不安と焦り。

 そして、下から登り詰めようとする者を蹴落としてしまいたいという衝動。

 

 それは()()()()()()()()()()()()が、山口へと抱いていた感情と同じものであった。

 

 

 ♢

 

 

 事前に割り当てられた部屋に着いた二人であったが、部屋に着くなり友沢は荷物を置き、ランニングウェアへと袖を通し始めた。

 

「……まさか、今から走ってくるのか?」

 

「本当は九回まで投げるはずだったんだ。大して疲労などしてない」

 

「ぐっ……」

 

 五回でも充分投げたろと言いたい兵藤であったが、痛いところを突かれてしまい何も返す事ができない。

 だが、ここまで一切の会話が無かった相手と話せた事もあり、彼は意を決して友沢に伝えたかった言葉を述べる。

 

「その……悪かった、お前を巻き込んじまって」

 

 兵藤からの思わぬ謝罪に目を見開き驚きを示す友沢。彼は僅かに間を開けてからゆっくりと口を開いた。

 

「……別に、お前がどうこうと言う問題ではない。俺が打たれなければ良かった。ただ、それだけだ」

 

 もう話すことはない、とばかりにイヤホンを耳につけた友沢はそのまま部屋を後にする。

 

「…………くそっ」

 

 残された兵藤は顔を俯かせ、静かに悔しさを吐き出した。

 

 

 

 ホテルの廊下を歩く友沢。

 その動きは普段より僅かに重い。兵藤にあのように述べたが、実際には少なくない疲労を感じていた。それでも身体を動かしたいと思ったのは、今は何も考えたくは無かったから。

 

 今日の試合での自身の醜態。そして、兵藤が先程浮かべた悲壮な表情。思い出すたびに複雑な苛立ちが込み上げてくる。

 

(今日の結果を、アイツのせいにしたいと思う自分がいる)

 

 側から見ても兵藤の不調が大量失点に繋がったのは明らかであった。実際に、彼に責任を転換し友沢を励ましてきた者もいた。

 しかし、友沢亮はそれを認められない――否、認めてはいけないのだ。

 

 もし仮に、兵藤が全責任を負うなら、彼のピッチングが他者の調子に左右される程度のものであるという事を認めることになるからだ。

 

(――そんな事は、認められない)

 

 友沢が目指すのは、投打で圧倒的なプレイヤーになること。

 それも、()()()()()()()()()

 

(俺は……“俺”だけの絶対的なピッチングを手に入れる)

 

 拳を握り、覚悟を強める。

 

「こんなところで、躓いてたまるか……!」

 

 決意を胸に、ホテルのロビーまでたどり着いた友沢であったが、思わぬ人物に呼び止められる。

 

「――何処へ行く気だ、友沢」

 

「……山口さん」

 

 そこに居たのは、普段とは違い帽子を被っていないにも関わらず鋭い視線を向ける山口であった?

 友沢の格好を見て、山口は一度ため息をついたから静かに口を開く。

 

「……丁度いい、少し話さないか?」

 

 エースナンバーを背負っている者として、今の友沢に何を伝えるのか。

 

 

 ♢

 

 

 俯いたままベッドに腰掛ける要。彼は時折、左の掌を握ったり広げたりして状態を確認していた。

 

(……もう、痺れはない)

 

 ベンチでしばらく大人しくしている間に掌の感覚は十分に戻っていた。はぁ、と大きなため息をつきながら要は天井を見上げる。

 

(マジで……何したんだよ、俺)

 

 目を瞑り、先程の試合を振り返る。

 五回表に自身のコンディションを監督に告げなかった点は論外として、今日の自身の打席を思い起こす。

 

(二打数一安打……最初の打席は初球ストレートにヤマ張って上手くヒットに出来たから良いとして……問題は、二打席目……)

 

 二打席目に投じられた三球共に直球。簡単に2ストライクまで追い込まれた状況でインコースの厳しいボールに要は手を出した。

 

「……見逃せば、ぎりボールだったろうが」

 

 悔しげに歯噛みしながら彼は呟く。

 選球眼にはそれなりに自信があったからこそ、無理矢理ボール球に手を出してしまった自分が許せなかった。

 

(そんなに、焦ってたのかよ……)

 

 投打で躍動する友沢の姿を見て、捕手としてではなく一人の選手としての感情が如実に現れてしまった。

 彼と並び立つ必要があった。あのような悲劇を起こさないために。もう一人では戦わせないと決めたのだ。それなのに――――。

 

(くそっ……なんで、俺は――)

 

 そんな時、彼の脇に置かれていたスマホがヴーヴーとベッドの上で振動し始めた。画面を見てみると、意外な人物からの着信であった。

 

「久遠……?」

 

 先日の聖タチバナ学園との一戦を経て、久遠と連絡先を交換した要であったが、彼方から連絡が来るとは思いもよらなかった。

 一瞬だけ戸惑うものの要はゆっくりと着信に応じた。

 

「もしもし、どうした久遠?」

 

『突然悪い。今、大丈夫か?』

 

「ああ、練習試合も終わってホテルに来てるからな。そんなに長くなきゃ大丈夫だ。と言うか、二軍(そっち)も今日、試合だったんだろ?」

 

 ゴールデンウィークの間に練習試合を組むのは何も一軍メンバーだけではない。むしろ遠征で一軍がいないこの期間は、二面のグラウンドを二軍メンバーだけで目一杯使う事が出来る。それに二軍には一軍の倍以上の人数の選手がいるため二面同時に練習試合を行う事も珍しくない。

 そのため、練習試合への出場機会が増えるこの時期は二軍メンバーにとっても貴重な期間なのだ。

 

『ああ……そのことで、兵藤に相談したい事があったんだ』

 

「俺に?お前が?」

 

 久遠の用件が予想外なものであり、思わず驚きを示す要。

 

『……なんだよ、そんなに意外か?』

 

「ふふっ……いや、悪い……お前からそんな事を言われる日が来るとは思わなかったからさ」

 

 かつての過去では、バッテリーを組んでいても相談など碌に受けたことがない。久遠の場合、そう言ったものは憧れている友沢に聞くことが殆どであったが、それ以上に久遠と要の関係が致命的にまで崩壊していたからだろう。

 だからこそ、彼とかつてとは違う関係性を築く事が出来ている事実が嬉しかった。

 

『大ゲサな奴だな……。確かに()()()()僕なら兵藤に相談するなんて選択肢は無かった、と思う。けど――』

 

「……!」

 

『僕は、強くなりたい。“君たち”に追いつくために。そのためならくだらないプライドなんて捨てる』

 

 決意を現す久遠の言葉を聞き、要は内心で一つ息を吐いた。その顔に浮かべるのは一つの気づきと自身の過ちへの反省

 

(あぁ……そうか、そうだよな。お前は……いや、お前らも、そして俺も、()()()()()()()()()()()

 

 なまじ未来を知っているからこそ、要は無意識的に昔と今の彼等を比較していた。

 だからこそ、予想よりも早い友沢の成長に焦ったし、久遠の今の言葉に心底驚いた。

 だが違うのだ。彼等は、今を全力で駆けている。

 

(俺は久遠を、友沢を知った気でいた。俺は本当に、“今の”二人を見ていたか?信頼を築くように努めていたか?)

 

 自身への問いかけ。

 バッテリーの信頼関係は一朝一夕では生まれない。幾ら要の中にはかつての二年半と言う時間があったとしても彼等にとってはたかだか一ヶ月前に出会った捕手でしか無いのだ。

 

(はぁ……そんな当たり前な事にも気づけないなんて……そりゃあ、アイツも一人で戦おうとするよな)

 

 内心で再びため息をつきながら、要は前を向く――否、向かなければならない。要のキャッチャーとしての矜持がそのままで終わる事を許さない。

 今の彼等とバッテリーとして強い関係性を築くには、一から積み上げていく必要がある。

 

(……ほんとにキャッチャー失格だな、俺)

 

「久遠」

 

 反省と共に要もまた決意する。

 

「――教えてくれ、今のお前のことを」

 

 本当の意味で、今の彼等の相棒(キャッチャー)となることを。

 

『あ、ああ、今日の練習試合で投げたんだけど――――』

 

 そのために、まず今は久遠の話に耳を傾ける事に専念するのであった。

 

 

 ♢

 

 

「――それで、今日はどうだった?全国レベルの相手に実際に投げてみて」

 

 ホテルの外のベンチに腰掛ける山口と友沢。

 先程、自販機で山口が購入したスポーツドリンクに口をつける友沢は僅かに間を置いてから口を開いた。

 

「……素直にレベルが高いと思いました。ゾーンの見極め、スイングスピード、走塁の判断……そんな細かいプレーを見ても、中学(シニア)とは比べ物になりません」

 

「ああ。そんな相手に高校初の実戦でよく投げていたよ、お前は」

 

「……ですが、打たれては意味がない」

 

 山口の賞賛に納得のいかない様子である友沢は静かに否定する。

 

「守備のミスも絡んだ失点だ、お前だけが責任を負う必要はない」

 

「……山口さんも、俺と同じ立場だったらそんな言い訳を使うんですか」

 

 山口の言葉に冷たく反論する友沢。

 そんな後輩の言葉を受けてもむしろ山口は余裕のある笑みを浮かべる。

 

「いや、言わないな。マウンドに立つならばチームの責任を全て背負って投げるのがエース()の務めだ」

 

「なら」

 

「――だからこそ、俺が投げていればキャッチャー(兵藤)を一人にさせはしなかった。そんな後悔を抱いてはいるがな」

 

 それは今日の試合をベンチで見守っていたエースの本音。

 彼の言葉に友沢はキッと鋭い視線を向ける。

 

「……言葉の意味が分かりません」

 

「――初回から四回にかけての投球は文句のつけようの無いものだったろう。だが五回、兵藤のキャッチングミスで流れが悪くなった。ベンチにいた俺が兵藤の異変に気がついたぐらいだ。目の前に立つお前ならすぐに分かったんじゃないのか?」

 

「……。」

 

 山口の問いに友沢は答えない――否、答えられない。山口の述べる言葉が紛れもなく事実であるからだ。

 

「別に自分のコンディションを顧みずにグラウンドに居続けた兵藤を擁護するわけでは無い。だがお前はあの時、兵藤に声をかけるなり、間を取るなり出来たはずだ。しかし、お前はそれをしなかった」

 

 山口の鋭い眼光と視線が交差する。

 

「――お前はあの瞬間、兵藤を見限ったんじゃないか?」

 

「――!」

 

 山口が確信を持って放った言葉に友沢は僅かに目を見開く。

 

「少なくとも俺には、あの時のお前のピッチングは自分一人の力のみでねじ伏せようとする傲慢なものに見えた」

 

 ベンチから見ていた彼でもハッキリとわかる友沢の変化。おそらくそれは、山口だけでなく守木監督にも伝わっていたことだろう。

 

「責任感を持つことと、独りよがりになることはまるで違う。例えこの先、お前がどれほど成長しようと、そのような考え方で投げる投手にこのチームのエースの座は譲らん」

 

「……ッ!」

 

 同じ投手として友沢に期待していた山口だからこそ、今日の五回の内容には少なく無い不満があった。

 山口の厳しい指摘に友沢は顔を顰める。納得まではしていなくとも思うところはある様子の友沢の姿を隣で見て、山口は小さくため息をついてから口を開いた。

 

「……だが、お前の気持ちも全く分からない訳では無い。かつての俺もお前のように一人で抱え込んでいた」

 

 静かに語る山口は自身の右肩に触れながら夜空を見上げる。その表情や雰囲気は先程の鋭いものとは打って変わり、何処か儚げな印象もあった。

 

「……帝王に入学した時、俺の決め球であるフォークを捕れるキャッチャーはチームにいなかった。あの養老先輩もそれなりに時間を要したほどだ。だからだろうな……あの時の俺は、ボールを投げるたびに右肩に生じていた違和感を誰にも言えなかったんだ。それで――」

 

 その先の顛末を友沢は、実際に()()()()

 

 

 

 昨年の秋季大会、準決勝。

 東東京地区の帝王実業と西東京地区のあかつき大附属高校の対決となった一戦。当時、両校からほぼ同条件での推薦の話が来ていた友沢は進路の参考になると思い、その試合を観戦していたのだ。

 

 そこで彼が見たのは、帝王のエースである山口 賢とあかつきのエースである猪狩 守の壮絶な投げ合い。

 特に、後にセンバツを制するあかつき十傑を相手にしながらスコアボードに0を刻み続ける山口の熱投には友沢も少なからず心を動かされた。

 

 だが決着は突然、訪れた。

 試合も終盤に差し掛かったところで山口が突如、右肩を押さえながらマウンドに崩れ落ちたのだ。

 あまりに突然の事態に選手達も観客も騒然としているなか、身動きが取れない山口が担架で運ばれていった。

 

 結局、後に出た投手があかつき十傑を止めることも出来ず、帝王はあかつきに完敗した。

 

 

 

「――幸い、選手生命が絶たれる事はなかったが、暫くはボールを握る事も許されなかった。それで焦って復帰を早めてな、春先にも一度、痛めてしまった」

 

「……今は、もう問題ないんですか?」

 

「監督と医師から夏の本戦までは球数も制限されているが、今のところは特に問題ない、が……二度目に故障した時はさすがに、右腕が重く感じたさ」

 

 今こそ冷静に振り返っている山口であったが、またいつ激痛が襲ってくるかが分からない彼の心中は決して穏やかなものではなかっただろう。

 

「――そんな時だ。俺は監督の命で、兵藤とバッテリーを組むことになった」

 

 ほんの僅かに微笑を溢す山口。

 

「アイツは、兵藤は……他のほとんどのキャッチャー達とは違い、必死に俺のボールに食らいついてきた」

 

 養老以外の誰にも正確な捕球を許さなかった山口の決め球、フォークボール。日本一の落差を誇るそのボールは打者に絶望を、捕手に挫折を与えて来た。

 そんななか、兵藤は必死に食らい付いた。そして元々の経験値があったとは言え、立ったの一週間で高い精度で捕球することが出来るようになったのだ。

 

「――その時、俺は救われたんだ。マウンドが孤独な場所ではないと初めて知ることができた」

 

「……。」

 

 投手の全てを引き出そうとしてくれる兵藤の存在に、孤高のエースであった山口は初めてバッテリーというものを理解した。

 

「だから決めたのだ。兵藤が日本一のキャッチャーを目指すなら、俺がその道を切り開こうと。そのために、この右腕を振るうことを」

 

 兵藤と出会い、信頼を築くことによって、山口の右腕にあった重さが――迷いが消えたのだ。

 

 例えこの先、右腕がどうなろうと――。

 

 そのような断固たる決意を持って、山口は兵藤の構えるミッドに向けて己が腕を振るう。

 

「……。」

 

 山口の言葉を受け黙考する友沢の肩に山口は手を置いた。

 

「とりあえず一度、兵藤とよく話すと言い。同学年である以上、これからもお前達二人がバッテリーを組むことがあるだろうからな」

 

「……はい、分かりました」

 

 友沢は山口の言葉の全てに同意したわけじゃない。

 それでも彼の助言を聞き入れた。それは何故か――。

 

(……少しだけ、ほんの少しだけだが……俺は羨ましいと思った。あの山口さんがそこまで言える関係性を)

 

 友沢 亮は野球を初めてからずっと他者と比べて突出した才能を持っていた。だからこそ、投打において独りで戦い続けた彼は知らない。

 本物の信頼を、背中を預けられる仲間の存在を、まだ彼は知らないのであった。

 

 

 ♢

 

 

「…………。」

 

 用意されていた部屋で守木は無言で明日の練習試合でのオーダーを組んでいた。彼の前に広げられていた紙には、この時期に一軍に合流した二人の一年生の名前はない。

 今日の試合での内容を踏まえ、明日は二人ともベンチから動かすつもりはない。兵藤に至ってはあの時の言葉通り、遠征では試合に出場させるつもりはなかった。

 

 そんな時、コンコンと守木の部屋の扉がノックされる。

 

「入れ」

 

 静かな声音で守木が許可を出すと扉が開かれる。

 

「失礼します。遅くにすみません」

 

「構わん。何のようだ、養老」

 

 守木の部屋を訪ねたのは主将である養老。

 彼はいつもの穏やかな表情とは打って変わって、険しい表情で守木を見ていた。

 

「――兵藤の事で、一つお願いがあって来ました」

 

 覚悟を持った表情で養老はさらに言葉を続けた。

 

 




 
 次の次で、遠征でのメインを書き始められます。
 今年の抱負は遠征編を完結させる事です(どの口が言ってんだ)。

 頑張ります。ちなみに次の話のタイトルは、四月五週目〈堕ちた名門〉です。よろしくお願いします。


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四月五週目《堕ちた名門》

 
いやー難産難産。
前回の話で感想と評価をいただけたので頑張れました。ありがとうございます。




 

 久遠との通話を終えた要。

 ホッと一つ息を吐きながら着信記録の残るスマホ画面へと目を向ける。先程、久遠から尋ねられた言葉を思い出し要は少しだけ笑みを浮かべた。

 

『――キャッチャーの君から見て、今の僕に一番必要なのは何だ?』

 

 投手に頼られるというのは、やはり捕手にとっては一番の喜びである。

 それもかつては仲違いしていた久遠が相手となれば要がニヤけてしまうのも仕方がないのかもしれない。

 

(……今、思っている事は伝えた。後は久遠自身がどう乗り越えていくか、だな)

 

 要は久遠の成長を楽しみにしつつ意識を切り替える。

 

(――やっぱ、負けられないな)

 

 自分自身もこんな所では躓いていられない。久遠の変化に要も活が入る。

 丁度そんな事を要が考えていた時に部屋の扉が開き、友沢が部屋に戻って来た。

 

「友沢」

 

 呼びかけられた彼は真っ直ぐに要へと目を向ける。

 

「――兵藤。お前に、聞きたいことがある」

 

「……ああ、いいぜ」

 

 先程、この部屋を出て行った時とは明らかに違う様子である友沢。この短時間で何があったのか疑問にも思うが、それ以上に友沢と話し合う時間を持てる事は、要にとっても本意であるため二つ返事で了承する。

 

 後に、帝王実業の正バッテリーとなる二人の、腹を割った話し合いが始まる。

 

 

 ♢

 

 

 自身のベットに腰掛ける友沢。彼の向かい側のベットに座る兵藤は少しの間を置いてから友沢に尋ねた。

 

「それで、俺に聞きたい事って何?」

 

「…………。」

 

 兵藤からの問いに友沢はすぐには答えず、僅かに黙考する様子を見せてから静かに口を開いた。

 

「お前にとって……バッテリーとは何だ?」

 

 友沢の投げかけた質問が意外なものだったのか、目を見開き驚きを示す兵藤。

 

「……いきなり難しい質問だな。当然、言葉の意味を知りたいって事じゃ無いんだろ?」

 

「俺が知りたいのは、お前がバッテリーという関係性に対してどのような考え方を持っているかだ」

 

 先程の山口との会話で彼は、兵藤と出会い救われたと言っていた。その意味を友沢は求めていた。本当に、バッテリーの絆、仲間との信頼は必要なものなのかどうかを。

 友沢の問いに、兵藤は腕を組み考える素振りを見せてから口を開いた。

 

「そうだなぁ……まあ、理想はやっぱ互いに高め合える関係性だろうな」

 

「高め会う、か」

 

「ああ。お互いが常に高い要求を持ってること。コイツなら投げ込んで当たり前だ、コイツなら捕って当たり前だ。そんな信頼関係を投手とは築いていきたい」

 

 兵藤の言葉を聞き、友沢は考えるように目を閉じた。

 そんな彼の脳裏に過るのは、かつての中学時代(シニア)での光景。自身がキャプテンとなった中学最後の年の一つの出来事を思い出した。

 

 

 

 友沢が所属していた“帝王シニア”は弱小でこそ無かったものの、彼が加入するまでは全国に上がるほどのポテンシャルは無いチームであった。だが、一年時から四番でエースとして友沢が活躍し、帝王シニアは一気に躍進する事となった。

 そして全国での知名度も得るまでに至り、迎えた友沢の中学時代(シニア)ラストイヤー。彼は、チームのキャプテンに選ばれ、責任感を持って仲間を鼓舞していた。今度こそ全国の頂点へチームを導く、そんな強い思い持って練習に励んでいた。

 

 だが――。

 

 

『――そんな動きでは全国どころか地区予選で負けるぞ!もっと集中しろ!』

 

 ある練習の最中。公式戦が近い事もあり、友沢はチームメイトの守備のミスを強く叱責した。当然、注意された彼が意識を改めて集中してくれると思っていた友沢であったが、本人の反応は予想とは違うものであった。

 

『…………。』

 

『――おい、聞いてるのか!?』

 

 無言で反応を示さない彼に、友沢は声を上げながら近づく。

 そんな友沢の姿に彼は、あからさまなため息をつきながら言葉を吐く。

 

『……はぁ。あのさぁ毎回毎回、全国全国ってよぉ。勝手にお前の目標を押し付けてくんなよ』

 

『なっ……!?』

 

 彼は心底、迷惑気な表情で友沢にそう述べた。

 この態度には、さすがの友沢も驚きを隠せない。

 

『みんながみんな、お前みたいにガチでやってる訳じゃねぇんだよ。そもそも――』

 

 同期であり、二年以上の付き合いのある男の思いがけない本音。

 そんな男が最後に友沢に向けて放つ言葉。それを、男の浮かべる表情から音と聞き取る前に彼が友沢に向けて何を思ってるかを理解してしまった。

 

『俺たち凡人がお前みたいな天才のレベルについてける訳ねぇだろ……嫌味かよ』

 

 才能――。

 それはこれまで何度も様々な人間が、良くも悪くも友沢を評してきた言葉。その言葉だけは、友沢に許せるものでは無かった。

 

 

 客観的に見ても、確かに友沢 亮は野球の才に恵まれているだろう。

 だが同時に彼はこれまで人生の大半を野球のために費やしてきた。惜しみない努力を重ねてきた。

 自身の野球の実力は、圧倒的な努力量に裏打ちされているという確固たる自負を持っていた。

 

 ゆえに赤の他人ならいざ知らず、二年もの間、少なからず自身の努力を見てきたはずのチームメイトの言葉、そして周りで同様の視線で此方を見ていた他のチームメイトの姿は友沢にとって許しがたいものであった。

 そこで彼はチームメイトと自身の意識の差を理解し、仲間と肩を並べることを諦めた。

 

 一人で、個の力で、チームを勝利に導くと決めたのであった。

 

 結果的に最後の年、帝王シニアは全国の舞台に上がることはなかった。

 敗因はチームメイトのエラーによる失点。投げていた友沢に自責点がつく事なく彼のシニアでの戦いは幕を下ろしたのであった。

 

 

 

 過去の光景を思い出していた友沢は目を開け、兵藤へと更に問いを投げかけるために彼を真っ直ぐに見つめた。

 

「――お前は……本当に信頼など築けると思っているのか?仲間と呼べる関係性になれたとしても所詮は他人だ。相手が本当は何を考えているかなんてわからない。それでも、お前はそんな綺麗事を言えるのか?」

 

 これまで以上に真剣な表情を浮かべる友沢。

 その姿に、兵藤も覚悟を決めたように自身の思いを告げる。

 

「……たしかに、簡単なことじゃない。相手の心なんて分からないし、こっちから寄り添っても撥ね付けられる事だってある。だけど――」

 

 その兵藤の言葉には重みがあった。語る言葉の裏に実際に経験してきた苦悩が友沢にも感じ取れた。けど、兵藤の目を見ると彼が見つめているのが、その苦悩の先なのだと友沢ははっきりと分かった。いや――。

 

「――俺は()()諦めたくない」

 

「……!」

 

 ――()()()()()()()()のだ。自分と兵藤の何が違うのか、を。

 

(こいつは……兵藤は、折れなかった。いや違う……折れても、また立ち上がったんだ)

 

 友沢の中学時代(シニア)の時にそれを捨ててしまったように。

 兵藤にもかつての未来で取り溢してしまったものがある。

 

 例え、やり直す機会(チャンス)を得たからと言って誰しもが迷いなく進めるわけでは無い。覚悟が無ければ人は走ることはできないだろう。

 

 だが、兵藤にはそれがあった。

 

「だからこそ、俺はお前と最高のバッテリーになりたいんだ」

 

 友沢と仲間(バッテリー)となる覚悟が彼にはあったのだ。

 

(ああ……そう、か。)

 

 そこで彼は、先程山口に言われた言葉を思い出す。

 

『責任感を持つことと、独りよがりになることはまるで違う。例えこの先、お前がどれほど成長しようと、そのような考え方で投げる投手にこのチームのエースの座は譲らん』

 

 その言葉の全てを納得することはできなかった。

 けど兵藤の本音に触れ、自身のかつての過ちを理解した。

 

「…………俺は――」

 

(見限っていたんだな……初めから)

 

 かつてのチームメイトの姿を思い浮かべる。

 かつての彼の言葉を聞き、裏切られたと友沢は思った。けど、違ったのだ。

 

(……俺からアイツらに寄り添った事は無かった)

 

 元より歩み寄る事を怠ったのは友沢自身だった。

 一の言葉ではなく、十の結果で彼はチームの中心にいた。だがそれでは、信頼を築いていく事はできない。心からの仲間とはなれない。

 

 友沢は確かにチームのことを思っていた。その思いを少しでも言葉にしていれば、結果は変わっていたかもしれない。

 

 一つ息を吐いてから、友沢は自身の思いの丈を言葉にした。

 

「――自分の力で勝てば良いと思っていた。他が弱くても、俺が打って守れば良いと思っていた。けど、おまえの目指すものは違うんだな」

 

 エースで四番という形でチームに勝利をもたらしてきた友沢。だが彼一人に依存するそれは、チーム全体を強くするものとはならなかった。

 

「ああ。たしかに、個の力は大事だと思う。俺も強くなりたくて帝王に来た。けどさ最強の九人よりも、最強で最高に信頼し合ってる九人の方が絶対強いだろ。ならさ、俺はそこを目指したい」

 

 友沢の意見に言葉を重ねつつも兵藤は自身の思い描く理想を述べる。

 笑みを浮かべ迷いなくそう述べる兵藤の姿に、友沢も釣られるように小さな笑みを浮かべた。

 

「……よりによって、このチームでそこを目指すのか。まったくと言って良いほどイメージが湧かないぞ」

 

 帝王実業の理念は、一人一人の個の強化。チームプレイというのは二の次である。高い実力のあるチームであるが、全員が同じ方向を向いているとは言えないが――。

 

「でも目指す分には自由だろ?」

 

(フッ、お気楽なやつだ、簡単に言ってくれる……けど、俺にはないものをきっとコイツは持ってる。なら――)

 

 あっけらかんと述べる兵藤に、内心で呆れたように呟く友沢であるが、その表情はこれまでに無いほど穏やかなものであった。

 

「――兵藤」

 

 友沢が呼びかける。

 それは覚悟を決めたような強い声音であった。

 

「俺は何としてもプロになる。そのために、高校野球では頂点に立ちたい」

 

 友沢が帝王実業に入学したのは、プロのステージに至るため、その目標は決して変わる事はない。だが――。

 

「――お前は、俺について来れるか?」

 

 共に高め合える存在がいる。

 兵藤となら自分一人ではたどり着けないステージに至れる、そのような確信を持ってそれを問うた。

 彼の期待に、兵藤は試合の際に見せるような不敵な笑みで応じる。

 

「あの時に言ったろ?俺の目標は日本一のキャッチャーになる事だ。むしろお前の方こそ油断してると追い抜くからな」

 

「フッ……ああ、俺も負けるつもりは毛頭ない」

 

 両者の覚悟が固まる。

 目指す先が定まり、ようやく二人はバッテリーとしてのスタートラインを切ったのであった。

 

 

 ♢

 

 

 大漁水産高校に辛勝した翌日、帝王実業高校は神奈川県に移動し、この遠征の大一番と目されている相手、昨年夏の甲子園ベスト4の海東学院高校と練習試合を行った。打線の良い相手であったが下井と山口の継投により、2失点に抑え5―2で勝利する。

 更に遠征は続き、大京近工業高校や一芸大附属高校などの関東大会常連校にも勝利を収めた帝王実業は、四連勝でゴールデンウィーク遠征の最終盤を迎えていた。

 

 だがその間、守木の宣言通り兵藤に試合への出場機会が与えられなかった。そして友沢も代打での出場はあったものの、投手での起用は一切なかった。

 

 

 バッテリーとしてのチャンスを欲してる二人は、試合に出れない鬱憤を晴らすように、夕方の空いた時間はホテルの近くの広めの公園でピッチング練習を行っていた。

 

 パシンと綺麗にミットに収めてキャッチする要。彼はボールの軌道に満足気に頷いた。

 

「――うん。いい感じだと思うぜ」

 

「いや、実際にバッターに投げてみるまでは何とも言えないな」

 

(相変わらず要求が高いやつだな……まあ、けど試してみたい気持ちは分からなくないけどな)

 

 友沢の納得してない様子に呆れる要だが、本心ではこの()()()()()()()()()にバッターがどのような反応するかが気になっていた。

 

(――と言っても、やっぱ遠征中に俺と友沢が組む事はないよなぁ)

 

 守木から遠征期間は試合に出さないと告げられた要。

 実際に初戦以外はまるっきり出番が無かったため、この件に関しての監督の意思が固いことは要にもはっきりと伝わる。

 

(それ以上に、俺が一軍に残れるかも厳しいよなぁ……)

 

 前回の試合でやらかしているため、今後の自身の去就に不安を少なくない不安を感じていたが――。

 

「おーい、兵藤ー!友沢ー!」

 

 更に次のボールを友沢が投じようとしたところで背後から呼びかけられる。 

 要が振り向くと、そこには穏やかな笑みを浮かべる下井の姿があった。彼は此方が気がつくとゆっくりと近づいてきた。

 

「丁度二人でいてくれて良かったわ。監督が呼んでるぜ、二人ともな」

 

「……!」

 

「監督が……けど、どうして――」

 

 最終戦を明日に控えたこのタイミングで呼ばれる理由など一つしか思い当たらないが――。訝しげに尋ねようとする要であったが、下井の表情を見て言葉を止めてしまう。

 

「ま、とりあえず急いで行ってみろな」

 

 明らかに二人が監督に呼び出された理由を知ってる様子の下井であったが、笑みを浮かべる彼の目だけは少しだけ悲しげなものであったのを要は見逃さなかった。

 

 

 

「「失礼します」」

 

 すぐさま守木の部屋へと向かった要と友沢。

 彼の部屋に入るなり、椅子に鎮座していた守木の鋭い視線が二人に向けて飛ぶ。相変わらず独特の威圧感のある守木。あの友沢も彼の前では僅かにポーカーフェイスを崩してしまう。

 

「…………。」

 

 大人しく守木の前で彼が言葉を発するのを待つ二人だが、すぐにその口は開かれない。

 やがて、手元にある資料へと目を向けたところで彼は静かに声を発した。

 

「貴様らを明日の練習試合でもう一度だけ試す」

 

(――やっぱそうか。けど、なんでだ……?)

 

 このタイミングで監督の部屋に二人まとめて呼ばれた時点で要は、守木の用件を察していた。

 友沢だけならともかく、遠征初日に試合に出場させない旨を告げられた要に本当にもう一度チャンスが与えられるとは思ってもみなかった。

 

(この人が、自分の意見を曲げるなんてそうそう無い)

 

 かつてあった未来で二年半の間、守木の元にいた要だからこそ今回の監督の変化が例外的なものであると考えていた。

 

()()()()()()……俺の知らないところで、監督の意思を覆すだけの()()()

 

 それが何かは要にもわからない。だが、このチャンスは要自身の力で得たものではないと言うことだけは、はっきりと理解していた。

 

「――だが、貴様らを出場させる上で一つ条件を課す」

 

(……ま、ですよね)

 

 やはり、タダでチャンスを与えるほど守木という男は甘くはない。

 

「儂が求めるものはただ一つ、勝利という結果のみだ。だが仮に明日の試合で敗北するようなことがあれば、貴様等を二軍に落とす。夏が終わるまでは一軍に昇格もさせん」

 

(な――ッ!?)

 

 予想以上の厳しい条件に驚愕する二人。

 要はすかさず口を開く。

 

「監督ッ!俺はともかく友沢は結果を残しています!幾らなんでもその条件は――」

 

「それは貴様の決める事ではない」

 

 要の反論の言葉を守木は遮り、友沢の方へと顔を向ける。

 

「――友沢。この夏は外野で出場しろと言われたら貴様は納得するか?」

 

 守木の問い掛けに、友沢は迷わず首を振った。

 

「俺はピッチャーです。他のポジションをメインで守るつもりはありません」

 

「ならば貴様が使えるという事を明日の試合で証明しろ」

 

「はい、勿論です」

 

 守木の定める条件に同意する友沢。

 結果の分かりきっていた二人のやりとりを見て、要は諦めたように苦笑いを浮かべた。

 

「あとは貴様だけだ、兵藤」

 

(はぁ……投手が強気でいるのに捕手()が退くわけにはいかねぇだろ)

 

 内心で呆れたようにため息をつく要であったが、彼は覚悟を持った瞳で守木と視線を交差させる。

 

「――俺たちがチームを勝利に導きます」

 

 要の強気な宣言に守木は特に反応を示す事なく瞼を閉じ、僅かな間を置いてから口を開いた。

 

「……貴様らも把握しているだろうが明日もまた油断の出来ん相手だ。近年こそ成績は振るわんようだが、それでもかつては甲子園を沸かせていた名門――」

 

 明日の相手は、東京地区と同等の激戦区で鎬を削る古豪。

 大漁水産高校と同等以上の実力を有する強豪校に要と友沢のバッテリーは挑もうとしていた。

 

 

 ♢

 

 

 夕日に照らされたグラウンドに、風を切る鋭い音が響く。

 広々としたその場所では、藍色の長髪が特徴の青年が独りでバットを振っていた。

 

「……。」

 

 青年は声を発する事なく黙々とスイングを続ける。その一振り一振りの奏でる響音こそが彼がスラッガーたる証左でもあった。

 そんな彼に近づく二つの影が――。

 

「――まーた一人でバット振ってたのかよ、才賀(さいが)

 

 坊主頭の青年が呆れたように才賀と呼ばれた彼に声をかける。だがそんな彼も自身のバットを脇に抱えており、一緒に練習する気満々の様子であった。

 

「……穂波か」

 

「あ、僕もいますよ才賀さん」

 

 才賀が穂波と呼んだ彼の後ろからヒョコッと小柄な青年が姿を表す。

 

「小平が一緒に練習したいってさ」

 

「だって幾ら明日が練習試合でも先輩たち帰るの早過ぎるんですもん」

 

 小平と呼ばれた青年は全体練習の短さに不満を呈した。才賀や穂波も言葉にこそしないものの小平の意見には同意であった。

 微妙な空気に穂波は少しだけ慌てたように別な話題を持ち出した。

 

「……そういや、明日の試合って帝王実業が相手なんだろ?帝王って言えば、噂じゃあの友沢が入学したって聞いたぜ」

 

「有名な方なんですか?」

 

「俺と才賀がシニアの時に全国で対戦したピッチャーなんだ。エグいスライダー投げてきてさ、才賀が思いっきり三振してな〜」

 

「内角のボールに驚いて尻餅ついたお前に言われたくはないな」

 

 穂波の軽口に才賀はバットを振る手を止め反論する。

 そんな二人のやりとりに小平は心底に意外そうに目を丸くした。

 

「お二人って同じチームだったんですね」

 

「ん?あーそっか、()()()()()()()()じゃ最初の挨拶の時から別だもんな、知らなくて当然だよな」

 

 頭を掻きながら穂波は才賀との関係性を小平に説明する。

 

「俺と才賀はシニアどころかリトルから一緒なんだよ。俗に言う幼馴染ってやつだな。そう言う意味じゃもう一人今まで一緒にやってきた奴がいるんだけど、まあ色々あってそいつだけ別の高校に行ったんだけどな……」

 

 複雑な表情で言葉を濁す穂波は、一度被りを振ってからあからさまなため息をつき話を戻す。

 

「はぁ〜才賀は四番なのに俺はベンチ外かぁ、いつの間にこんなに差がついたのやら。小平もスタメンだし羨ましいなぁ〜」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。穂波さんならすぐにスタメンになれますって」

 

 明日の練習試合に出場する才賀と小平であるが、穂波はベンチにも登録されていない。それは、選手をエリート組と雑草組に分けるこのチームの方針が壁となっていた。

 実力と実績を兼ね備えている穂波だが、彼は推薦ではなく一般で入学したためにチャンスがほぼ皆無な雑草組に振り分けられてしまった。

 

 だが――。

 

「ああ、夏までには必ずレギュラーになってみせる」

 

 それでも彼は、前を向いていた。

 

「……。」

 

 そんな幼馴染の言葉を聞いて、才賀はまたバットを振り始める。それに釣られるように二人も素振りを始めた。

 三人のルーキーは他に誰も残っていないグランドで静かに己の牙を研ぐのであった。

 

 

 彼等こそ、明日の帝王実業高校の対戦相手である瞬鋭(しゅんえい)高校。

 

 かつては甲子園を賑わせた強豪校であったが、今は見る影も無い。

 毎年それなりに予選を勝ち上がるが甲子園には届かない野球部を多くの者はこう呼んだ。

 

 ――堕ちた名門、と。

 

 




 
 ようやく小難しい話が終わったZE。
 次からは試合に入ります!試合描写書きたかったので頑張ります!

 次回タイトルは五月一週目《VS瞬鋭高校①》です。

 第一章の聖タチバナ戦に続く山場だと思ってるので期待していただければと思います!
 


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五月一週目《VS瞬鋭高校①》

 
 試合描写になると私の執筆は3倍に加速します(嘘)
 


 

 翌日。太陽も中天まで登り、初夏らしい爽やかな陽気の中、瞬鋭高校のグランドでは現在、練習試合の対戦相手である帝王実業ナインのシートノックが行われていた。

 面前で繰り広げられるハイレベルな守備の様子を見て、自陣ベンチで待機する瞬鋭ナインは各々の感想を述べる。

 

「へー、やっぱレベル高ぇな」

 

「あれ?先発は山口じゃねぇのかよ。見たかったのによ日本一のフォーク」

 

「はっ、お前じゃ打てるわけねぇだろ。なあ烏丸(からすま)

 

 緩い雰囲気で会話がなされるベンチ内。

 烏丸と呼ばれたベンチに腰掛ける赤髪の青年は吐き捨てるように言葉を返した。

 

「――相手がどこの誰だろうが関係ねぇ。オレ様が抑えて勝つ、それだけだ」

 

 烏丸はそれだけを述べ、シートノックを行なっている帝王ナインへ鋭い視線を向ける。そんな彼の左手には常にボールが握られていた。

 

「ヒュー、やっぱエース様は言うことが違うなー!」

 

「才賀も小平も相手が帝王だからってビビんじゃねぇぞー!」

 

「はは……」

 

 茶化すように騒ぐチームメイト達。話を振られた小平は彼等の緩みきった雰囲気に乾いた笑みを浮かべる。

 

「……ふん」

 

 自身のバットを持ったまま集中力を高めていた才賀も心底呆れた様子で息を吐いた。

 練習試合とは言え、一切締まりがなくバラバラな雰囲気。

 これが、堕ちた名門と呼ばれる瞬鋭高校の現在地であった。

 

 

 ♢

 

 

「整列!」

 

 主審の声に従い両チームが自陣ベンチから勢いよく飛び出す。

 球児達へ向けて少なくないギャラリーが拍手を送る。近年の結果はともかく、高校野球界ではよく名の知れた両校の対戦であるためこの一戦への注目度は高い。

 

「これより瞬鋭高校対帝王実業高校の試合を始めます。礼ッ!」

 

「「よろしくお願いします!!」」

 

 挨拶を終え、後攻である帝王ナインは自身の守備位置に移動する。キャッチャーボックスに立った兵藤にグラブを着けていない養老が軽く声をかけた。

 

「しっかりな、兵藤」

 

「はい!」

 

 それだけを述べて養老はベンチへと下がって行った。その背中を兵藤は何とも言えない表情で見つめるのであった。

 

 

 

「……。」

 

 友沢と兵藤の間で行われる投球練習を養老はベンチから静かに見つめていた。そんな彼に、いつもと変わらぬ穏やかな笑みで下井が声をかけた。

 

「しっかり声出そうぜ、養老。ベンチにいてもみんなが主将(お前)を見てる」

 

「下井……ああ、そうだな」

 

 下井の言葉に養老はグラウンドに目を向けたまま応じる。そして彼は少しだけいつもとは違う表情で口を開いた。

 

「下井」

 

「ん?」

 

 養老が浮かべるそれは、まるで重荷が無くなったようなホッとしたような微笑み。

 

「ありがとうな。お前のおかげで色々と吹っ切れた」

 

「おう」

 

 彼のやりとりの意味を知る者はベンチで試合開始を待ち侘びる本人たちと監督である守木、そしてライトの守備につく江久瀬のみ。

 養老がグラウンドではなく、ベンチにいる理由も彼等だけが知るものであった。

 

 

「――さあ、始まるぞ」

 

 バッテリー間の投球練習が終わったのを見た養老が静かに呟いた。

 ベンチから主将が見つめるなか、遠征最終日の練習試合が幕を上げる。

 

 

 ♢

 

 

 キャッチャーボックスにて屈みながら要は、マウンドに立つ友沢の姿を見つめた。

 

(――投球練習のボールはなかなかに走っていたな。これなら強気でいけそうだ)

 

「よろしくお願いします」

 

 要が今日の配球を思考していると、瞬鋭の一番打者である小平(こだいら) 日向(ひなた)が左打席に立った。

 

(小柄で線も細め……足はありそうだけど長打の可能性は一度捨てるか)

 

 対戦経験の無い相手であるため、まずは小平の体格から推測を立ててゆく。

 

(ベタだが、様子見のアウトロー。外れても構わない、低めに攻めろ)

 

 友沢にサインを送る。彼が頷きで応じたのを確認してから要は外角低めのゾーンギリギリにミットを構えた。

 

「プレイボール!」

 

 主審のコールと共に友沢はワインドアップを振りかぶる。

 安定したフォームから力強いボールが投じられた瞬間、小平は地面を強く踏み込んだ。

 

(こいつ、アウトコースにヤマ張って――!)

 

 キィンという金属音と共に白球は三遊間に転がってゆく。

 バッターの小平はすぐさま一塁へと走り出した。

 

「く……!」

 

 どちらかと言えば三塁寄りの打球であったが、サードを守る吉田の反応が遅れる。白球は彼の横を通り過ぎてゆくが――。

 

「――ナメんなッ!」

 

 踏み込んだ小平の動きから即座に予測した中之島が外野へ抜けるかと言う打球に追いつく。逆シングルで捕球したボールをジャンピングスローでファーストへと投じる。

 中之島の投じたボールはワンバウンドでファーストを守る高川のグラブへと収まるが――。

 

「セーフ!」

 

 ベースを駆け抜けた小平の走塁が僅かに勝る。

 初球内野安打という形で瞬鋭はノーアウトのランナーを作った。

 

「……チッ、やるじゃねぇか」

 

 中之島が舌打ちながら守備位置へと戻る。その様子を眺めながら要は次のプレイへと思考してゆく。

 

(初球から振っていく積極的な姿勢……足の速さは想定内だが、走ってくる事は十分考えられるな)

 

 小平の反応が見れたのが初球のみと言う事もあり、バッターボックス思いっきりの良い印象が焼きつく。

 

「友沢!まずは、アウト一つ確実に取っていこう!」

 

 声をかけて投手を慌てさせないように要は促す。友沢もまた特に表情が変わることなく頷いた。

 

 続いて二番打者である宮城が右バッターボックスに立つ。彼は初めからバットを寝かせて構えた。

 その姿に要は目を細めつつ、次のサインを友沢に伝える。

 

(――お前は、バッター集中で良い)

 

 友沢は頷きと共に素早いクイックから、ミットが構えられた高めのボールゾーンに投げ込む。

 ボールが投じられた瞬間、バッターの宮城はバントの構えを解き、バスターしたが――。

 

「ストライク!」

 

 高めの力強いボールはバットは掠ることなく構えられたミットに収まった。

 

(――戻りが甘ぇぞ……!)

 

 そして要はキャッチした瞬間、素早く一塁へとボールを投じる。

 ランナーである小平は思わぬ送球に慌てたようにファーストベースと手を伸ばした。

 

「セーフ」

 

「ッ……!」

 

 ファーストの高川も小平をタッチしていたが、小平も間一発のところでベースに触れていた。

 悔しげな表情を浮かべる高川だが、送球した要は落ち着いた様子でキャッチャーボックスに戻った。

 

(別にこれで刺せるなんて思っちゃいない)

 

 一塁へ送球した段階で要の目的は達成されるている。

 これは、ランナーに対する警鐘。

 

 走者(お前)捕手()が見てるぞ、という明確な意思表示。

 

「さて……」

 

(まずは一つ、取りに行こうか)

 

 要は友沢にサインを送り、ミットを外角に構える。

 投じられたのは弧を描くカーブ。

 

「クッ……!」

 

 初球と緩急差に体制を崩しながら宮城はどうにかバットに当てる。ファースト方向へとスライスした打球はそのままラインを割った。

 

「ファール!」

 

(無駄球は無しだ……これで決める)

 

 要はすぐさまサインを交わしバッターに考える隙を与えない。続けてアウトコースに構えられたミットに友沢は一層力強くボールを投げ込む。

 

「シッ……!!」

 

 直球の軌道から外に逃げていくスライダーにバッターは呆気なく空振った。

 

「ストライーク!バッターアウト!」

 

 結果的にバッテリーは、三球三振でファーストアウトを取ってみせた。

 

 

 ♢

 

 

 三番打者である高松が右打席に立つなか、友沢はネクストバッターボックスに姿を現した長髪の青年へと目を向けた。

 

(――アイツは、一度シニアで対戦したな……同い年で四番、か)

 

 次のバッターである才賀への警戒を高めながら友沢は視線を切り、要のサインを確認する。そして彼は僅かに目を見開きながら頷く。

 

(おい、いきなり試すのか……)

 

 友沢の反応を見透かしていたかのようにミットを構える兵藤は笑みを浮かべる。その様子に呆れつつも友沢は兵藤の構えるインコースへとボールを投じた。

 右バッターの内角へと向かうボールに、バッターの高松は身体を反らして躱す。

 

「ボール!」

 

 思わぬ軌道に高松は首を傾げ、一度タイムを取りながらバッターボックスから外れる。彼は数度の素振りをしてから再度、打席に立った。

 

 サインを交わし、友沢が次に投じたのは外角のストレート。

 多少コースが甘かったものの球威のあるボールに高松は手が出ず、見逃す。

 

「ストライク!」

 

 1ボール1ストライクの並行カウント。兵藤は迷いなく次のサインを送る。

 

「……。」

 

 友沢は一瞬だけランナーに視線を向けてからボールを投じる。指先から離れたボールはゆったりとした弧を描き、兵藤の構えたミットより僅かに高いコースに向かった。

 

「スチール!」

 

 小平が走り出したのを確認し、ファーストを守る高川が声を上げる。

 

「ぐぬッ……!」

 

 くぐもった声を上げながらバットを振り抜いた高松。弾かれたボールはライト沿いを鋭く転がり、ファーストベース正面へのゴロとなる。

 打球をキャッチした高川がセカンドへと目を向け、ボールを投じようとするが――。

 

「ファースト!!」

 

 兵藤がファーストへと指を差しながら叫ぶ。

 それを聞いた高川は兵藤の指示を受け入れ、セカンド目前だった小平を諦めファーストベースを踏んだ。

 

「アウト!」

 

 2アウトながら、果敢に走った事により小平は得点圏に到達する。

 そしてここで、バッターは四番に――。

 

 試合は、初回から山場を迎えようとしていた。

 

 

 ♢

 

 

「……。」

 

 無表情で左打席についた瞬鋭の四番。漂わせる彼の雰囲気に要も警戒を強める。

 

(コイツはさすがに知ってる……才賀(さいが) 侑人(ゆうと)。俺らと同世代のスラッガーであり、確か二年後はキャットハンズのドラ1で選ばれてたな)

 

 要の知ってるかつての未来で、この才賀は超高校級スラッガーとして特集を組まれるほどの存在であった。それこそ打者としての評価は野手専念時の友沢を上回るほど。

 

(相手が相手だ。気合い入れてくぞ……!)

 

 要は、友沢がサインに応じたのを確認してからインコースにミットを構える。

 一直線に内角に向かうボールに才賀のバッドが動く。だがボールがベース付近で横に変化し、才賀は勢いよく空振った。

 

「ストライク!」

 

 空気を切り裂く力強いスイングに要は呆れたように苦笑いを浮かべる。

 

(おいおいホントに同級生(タメ)かよ……ストレートならヤバかったろ)

 

「――ふぅ」

 

 才賀は一度、小さく息を吐いてから再びバッターボックスに立つ。一分の隙もない構えから彼の集中力が高まっている様子が伝わる。

 続く二球目、要は中腰でミットを構えた。

 

(中途半端なところだと叩かれる……完全に外せよ……!)

 

 友沢から投じられたのは高めのボールゾーンへ向かう釣り球。

 だが、才賀ピクリとも反応する事なくそのボールを見送ってみせた。

 

「ボール」

 

(選球眼も良いな。確実に一発で仕留める気か。なら――)

 

 要は、()()()()()()()()()()サインを友沢に送る。ここで投げるのか、と言った様子の友沢であるが要に迷いはない。

 

アウトロー(此処)に投げ込んでこい……!)

 

 外角に投じられる一球。

 先程の直球と同等の速度のボールに才賀はバットを振ったが――。

 

 その一球は、急激に手元で沈んだ。

 

「ッ――!?」

 

 甲高い金属音を上げた白球は鋭く転がり――。

 

「……。」

 

 好反応を見せた友沢のクラブに勢いよく収まった。そのまま彼はファーストへと送球する。

 

「アウトッ!チェンジ!」

 

「よしっ……!」

 

 塁審のコールを聞き、要はミットを叩き自陣ベンチへ戻る。

 一方の才賀はライン上で足を止め、ヘルメットを外しながら呟いた。

 

「今のは……ツーシームか」

 

 凡打に仕留めた一球に当たりをつける才賀。次は仕留める、そのような決意の持った瞳で彼もまたベンチへと向かうのであった。

 

 

 ♢

 

 

『――改善点、だと?』

 

『……怒るなよって俺は言ったからな』

 

 要が述べた意見に凄む友沢。

 友沢を嗜めようとする要だが、友沢の機嫌はよろしくない。

 

『別に怒ってはいない。ただ、俺が納得する説明をしろ』

 

『難しい注文だな、おい』

 

 彼の態度に呆れる要だが、静かに友沢のピッチングについて自身の思っている事を述べ始めた。

 

『……今日の大漁水産との試合で全国レベルの打線の対応力の高さがわかった。けど、ストレート、カーブ、そしてスライダーは十二分に通用していた。けど一つだけ、ほとんど通用しなかった球種がある』

 

『――シンカー、か』

 

 消去法での答え合わせだが、友沢にも少なからず思い当たる節はあった。

 

『ああ。特に左バッターの外角に投げたシンカーは初見でも悉く見極められていた』

 

『……!』

 

『正直に言わせてもえば、練習で組んだ時からシンカーは投げる時に肩の開きが早い印象があった。多分、曲げようとする意思が強いからなんだろうけど……』

 

 要の本音を聞き、友沢はそっぽを向きながら問う。

 

『……なんで、そう思った時に言わなかった?』

 

『打者の反応を見たかったってのもあるけど……まあ、どうせ取り合ってくれないだろうなって気持ちが方が強かったな』

 

『ぐっ……』

 

 図星な様子の友沢は言葉を詰まらせる。

 そんな彼の様子を見ながら要は思考してゆく。

 

(手首を捻ろうとするのは普通に投げては曲がらないからか、あるいは負担が大きいから……。多分だけど、友沢のフォームはシュート系とかシンカー系のボールを投げるのに適さないのかも)

 

 友沢のフォームはあくまで一般的なオーバースロー。だがプロ野球などを見ていくと、シンカーの使用率はサイドスローの投手の方が多い。シンカーの投げ方も色々とあるが、上投げからオーソドックスなシンカーを投げる際は、大概、手首や肘への負担が大きくなりやすい。

 

(だけどそのフォームが逆に、あのキレのあるスライダーを生み出してるとも言える……だが、一つだけ疑問が残る)

 

 思考を深めてゆく要は、かつての友沢の姿を思い出す。

 

(――俺が未来で組んだ友沢は普通にシンカーを投げていた。フォームにも違和感が無かったが……まさか……)

 

 未来の彼の姿から答えを得られると思っていた要であったが、そこである事に気づいてしまう。

 

(俺が組んだ頃には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()肘が悲鳴をあげなくなったから……逆に普通にシンカーを投げられていた、とか)

 

 痛みという身体が発する信号を、かつての友沢は越えてしまった。未来の友沢の肘が壊れた原因はスライダーだけではない。このシンカーもまたしっかりと投げようとすれば肘に必要以上の負荷のかかるボールなのだ。

 

 そうと分かってしまえば、相方として早急に改善を促す必要がある。

 

『――友沢。一つ提案がある』

 

『なんだ』

 

『…………あった、これを見てくれ』

 

 疑問を呈する友沢を前に、要は自身のスマホを持ち出して画面をスライドしていく。そしてあるページで指先を止めて、画面に映る記事を見せた。

 

『――神童(しんどう) 裕二郎(ゆうじろう)、か』

 

 友沢は、そのネットの記事に大々的に映された人物の名前を述べた。

 

『おう、何年か前のパワスポの記事。神童さんがアメリカンリーグで完全試合した時のやつ』

 

 神童 裕二郎。

 日米の両方で完全試合を成し遂げた投手。日本が生んだ世界のエースと呼ばれた男。だが近年はケガに苦しみ、引退説が浮上している。

 そんな神童の記事を要が見せたのには理由がある。

 

『この記事には、あの人の決め球であるツーシームの投げ方が紹介されてるんだ』

 

『……シンカーの代わりにそれを投げろと?』

 

『物は試しに良いだろ?それにツーシームの投げ方はストレート一緒だから特別難しいってわけでもない。けどバッターは誤認して芯を外しやすい。覚えて損は無いと思うぜ』

 

 要に説得される事には僅かに納得のいかない様子の友沢であったが、神童という思わぬビッグネームが出てきた事により少なくない興味を示した。

 

『……とりあえず一度見せてみろ……話はそれからだ』

 

 要からスマホを渡された友沢は齧り付くようにその記事を目で追うのであった。

 

 結果的に、友沢はツーシームの練習を快諾した。

 だがここで思わぬ出来事が。元からシンカーを投げていた影響ゆえか、縫い目(シーム)に沿わせるように握る事により、通常以上に沈むツーシームを会得。

 言わば、ストレートのリリースから高速シンカーのように変化するツーシームを習得したのである。

 

 提案者である要ですら予想もできなかったそのボール。その変化は、友沢のスライダーや山口のフォークを捕った要が初見でミットから溢すほどのものであった。

 

 新たな武器を提げて友沢 亮の飛躍は加速していく。

 

 




 と言うわけで友沢がツーシームを覚えましたので、彼のステータスを更新します。ついでに才賀と小平のも載せます。


友沢 亮(五月一週目)

[基礎能力]
球速:141km/h コントロール:48E スタミナ:58D
スライダー:4 カーブ:1 シンキングツーシーム:2

[特殊能力]
打たれ強さ:C ポーカーフェイス 人気者


才賀 侑人(五月一週目)

[基礎能力]
弾道:4 ミート:60C パワー:72B 走力:50D 肩力:55D 守備:52D 捕球:58D

[特殊能力]
送球:C パワーヒッター 固め打ち 選球眼


小平 日向(五月一週目)

[基礎能力]
弾道:2 ミート:60C パワー:48E 走力:63C 肩力:54D 守備:60C 捕球:54D

[特殊能力]
走塁:B 送球:C 流し打ち 内野安打○ 積極守備


 最後に瞬鋭のオーダーを載せます(帝王のこの試合のオーダーは次の話で載せます、タブンネ)。いつもの如くフルネームが既存キャラ、苗字だけがザコプロ君達です(ただし強豪校の設定なのでザコプロ君の能力は平均D〜Cぐらいあるイメージで)。

一番 小平 日向 左打 二塁手 一年
二番 宮城 右打 右翼手 三年
三番 高松 右打 中堅手 三年
四番 才賀 侑人 左打 三塁手 一年
五番 烏丸 剛充 右打 投手 二年
六番 白石 右打 一塁手 二年
七番 高峰 左打 遊撃手 三年
八番 香川 右打 捕手 三年
九番 戸村 左打 左翼手 一年


 と、こんな感じで本編では説明しきれなかった部分を説明させていただきました。
 次回からは、瞬鋭戦が本格的に動くので期待していただければと思います。

 


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五月一週目《VS瞬鋭高校②》

 祝20話と勝手に思い込んでいたら過ぎていました……。
 とりあえず瞬鋭戦の続きになります。

 ※あと、オリジナル設定があります。暖かく見守っていただければ幸いです。
 


 

 帝王実業高校と瞬鋭高校の一戦。

 甲子園でも上位の結果を残したこともある両チームの練習試合という事もあり、観衆の人数も徐々に増え始める。

 

「いや序盤からバチバチだな」

 

「やっぱ才賀のスイングエグいな〜」

 

「でも、向こうのピッチャーのスライダーも相当キレてるだろ」

 

 とりわけ最序盤から見せた一年生同士の対決は、この一戦への観衆の期待を高めるものとなった。

 

「……。」

 

 盛り上がる彼等の隅で穂波は静かに試合の様子を眺めていた。

 

(くそっ……やっぱ試合出たいな……)

 

 悔しげな笑みを僅かに見せる穂波は内心で呟く。フィールドに出ている彼等との差に、穂波が肩を落としていると背後から快活な声音が聞こえた。

 

「――いたいた!お〜い穂波せんぱ〜い!!」

 

「ん?あ、静火ちゃん!」

 

 小走りで穂波の元に来たオレンジ色の髪を結んだ少女の名は、木場(きば) 静火(しずか)。彼と才賀のもう一人のチームメイトであった男の妹であり、彼女もまた穂波にとっては幼馴染とも言うべき一人である。

 

「ホントに来たんだね」

 

「えへへ、そりゃ来ますよ〜。久しぶりに先輩に会いたかったですし〜」

 

 と、このように側から見てもわかるような穂波にゾッコンである静火なのだが――。

 

「うん、そうだね。才賀も静火ちゃんが見に来てくれたって知ったら喜ぶと思うよ」

 

「はぁぁ……ソウデスネ」

 

 その思いは、全くと言って良いほど穂波には届いていなかった。

 ガックリと肩を落とす彼女の様子に気づかない穂波は、投球練習を行う瞬鋭バッテリーへと視線を送ったまま彼女にある事を尋ねた。

 

「……ところで、木場は元気?」

 

 穂波の投げかけた問い。彼が指す“木場”の姿を思い出して少し呆れた様子で静火は答えた。

 

「元気すぎるぐらいですよ〜。朝から晩まで野球ばっかりで」

 

「ふふ、アイツらしいや」

 

 容易に想像がつく姿に穂波も笑みを零す。

 一緒に微笑みを浮かべていた静火であったが、時折“兄”が見せる姿を思い出し呟く。

 

「……でも少しだけ、先輩達と一緒じゃなくなって寂しそうにしてる時もあります」

 

「……そっか」

 

 静火の言葉に穂波は僅かに俯く。

 

「……ごめんね、静火ちゃん」

 

「ううん、穂波さんが謝る必要なんて無いですって。お兄ちゃんも自分で選んで二人と違う高校に行くって決めたんで……だから悪いのは全部、お兄ちゃんです」

 

 謝る穂波の言葉に静火は首を振りながら断言する。

 

「それ、静火ちゃんが言ってたアイツが知ったら本気で落ち込みそうだな」

 

 静火の最後の一言に穂波は苦笑いを浮かべながらそう答えた。

 

 

 

 そんな穏やかな会話をする二人を更に後方から隠れて見つめる者達がいた。

 

「――おい木場。俺たちはさっきから何をしてんだ?」

 

「静かにしろ!アイツらの会話がよく聞こえねぇだろ!」

 

 呆れた様子で尋ねる隣の彼を注意するのはオレンジ色の髪を逆立てた青年。

 

「はぁ……瞬鋭の偵察に行くって言ったから俺は着いてきたのに、何でこんな端っこであのカップルの様子をコソコソ監視して――」

 

 ため息を吐きながら述べていた彼だが、唐突にドゴッという鈍い音が鳴るほどの拳を受ける。利き手ではない右手で殴るあたりはしっかりしている、

 

「ちょおま……いきなり殴っ――!?」

 

「うるせぇ!二度と俺の前でアイツらをカップルなんて呼ぶんじゃねぇ!」

 

 突然のことに驚く彼を他所に、木場と呼ばれた青年は激怒する。そしてすぐさま彼は、穏やかに試合を見守る二人の男女へと視線を戻した。

 

「はぁぁ……」

 

「おいおい、幾らなんでも近づき過ぎだろ……」や「穂波、テメェ……」などと呟きながら見つめる木場の姿に、隣の彼は諦めたように天を見上げた。

 

 背後で二人の様子を見つめる彼こそが静火の兄であり、そして瞬鋭高校の同地区である覇堂(はどう)高校の一年生エース木場(きば) 嵐士(あらし)である。

 ついでに彼は、重度のシスコンでもあった。

 

 一癖あるギャラリーが見守るなか、帝王実業高校と瞬鋭高校の練習試合を進んでゆくのであった。

 

 

 ♢

 

 

 一回裏

 帝王実業高校の初回の攻撃。打席に立つのは不動のリードオフマン中之島。

 対する瞬鋭高校のマウンドに上がったのは、左のエース烏丸。

 

「ファールッ!」

 

「しつけぇ……!」

 

 甲高い金属音と共に白球が勢いよくファールゾーンに突き刺さる。

 苛立つ烏丸の様子に中之島は獰猛な笑みを浮かべながらバットを構えた。ツーストライクに追い込まれてから彼はかれこれ四球粘っている。

 

(――初回から粘られると気分悪ぃだろ?特にテメェみたいなピッチャーはよ)

 

 一番打者の役割は何も出塁だけでは無い。

 同地区ではない他県の相手である以上、互いに得ている情報は少ない。ゆえに、ピッチャーの調子、球種などを探り、より早く情報を引き出す事が序盤戦の鍵を握るのだ。

 

(……ストレートはある程度見た。あとは、スライダーだな。まあ――)

 

 中之島はグリップを握る手に力を込める。

 

(――甘ぇとこ来たら持ってくけどな)

 

「……。」

 

 キャッチャーである香川のサインに烏丸が頷く。左腕を後ろから振り下ろすダイナミックなフォームから投じられたのは140km/h後半の真っ直ぐ。

 そのボールは一直線に中之島の胸元を抉るように向かう。

 

「ッ……!」

 

 タイミング合わせてバットを振るう中之島であったが――。

 

「チッ……」

 

 舌打ちながら見守る中之島の視線の先で、打球は詰まりながら浮き上がり、セカンドを守る小平のグラブの中に収まった。

 

(クロスファイヤー、か……思った以上に球威があったな)

 

 ベンチに戻る中之島に、ネクストバッターボックスに向かう江久瀬が声をかけた。

 

「――結構スピードありそうだな」

 

「手元でノビて来るんで少し厄介すね」

 

 簡潔に情報を共有し中之島はベンチに下がる。

 江久瀬がサークル内で見守るなか、二番バッターの沖田はショートゴロに倒れた。

 バッターボックスへ向かう短い道のりで江久瀬は思考を固めてゆく。

 

(――ストレートの球速は常時140前後と言ったところか。今のところ見せた変化球はカットボールのような速度のスライダーのみ)

 

「ふぅ」

 

 息を吐き集中力を高めながら打席に立つ江久瀬。彼は一瞬だけチラッとベンチに声を上げる養老へと視線を向けた。

 

(……とにかく、向こうが初回からチャンスを作った以上、此方が簡単に三人で終わるわけにはいかないな)

 

 ベンチから視線を切った江久瀬は、マウンドに立つ烏丸の姿を見つめてバットを構えた。

 そしてサインの決まった烏丸も動き出す。ワインドアップから左腕が唸り、角度のついた直球が江久瀬の懐を抉った。

 

「ストライク!」

 

(――ッ……中之島を打ち取ったクロスファイヤーか)

 

 インコースの厳しいコースに決められたボールに江久瀬は手が出ない。

 彼の反応を見た瞬鋭キャッチャーは烏丸に続けてインコースを要求する。頷く烏丸も迷いなく江久瀬の内角にボールを投じた。

 

 だが、同様のコースに向かうボールに江久瀬も今度は反応する。

 

(――捉えた……!)

 

 内角攻めを読んでいた江久瀬は肘をたたみながらバットを振り抜くが――。

 

(な……!そこから更に――)

 

 江久瀬の想像以上にボールは内角を抉ってきた。

 振るったバットの上方を掠ったボールはバックネットに勢いよく突き刺さる。

 

「ファール!」

 

(――なるほど……今のが烏丸のスライダー。ストレートと変わらぬ速度であの変化か……たしかに、中之島が厄介だと言うだけある)

 

 右打者の内角を抉り詰まらせ、左打者には外角逃げる変化で空振りを取れる烏丸の高速スライダー。球速差の小さいストレートと混ぜられてしまえば、帝王打線でも捉えるのは容易では無い。

 

(ならば、なおさら調子づかせるわけにはいかんな……早々に叩く……!)

 

 冷静にバットを構える江久瀬の姿を見た烏丸は僅かに口を開いた。

 

「チッ……仕方ねぇな」

 

 本人以外の誰にも聞こえないような声量で呟いてから烏丸はモーションに移行した。烏丸の指先から投じられたのは外角へのボール。内角を続けてからの外角という非常に効果的な配球である、が――。

 

(コースが甘い……!今度こそ打ち抜いて――)

 

 甘めのコースに投じられたボールに力強くバットを振るった江久瀬であったが、“そこ”で彼を白球を見失う。

 

(消え――ッ!?)

 

 ボールは江久瀬のバットに当たることなく、鋭くベースの上に()()()

 

「ストライーク!バッターアウト!スリーアウトチェンジ!」

 

 体制を崩す程の空振りをした江久瀬は膝をつきながら、マウンドに立つ烏丸へと目を向ける。

 江久瀬に気がついた彼は顎を上げて見下ろすような視線を送ってからベンチへと戻っていった。

 

(くっ……まさか横だけじゃなく……縦のスライダーまで投げられるとは)

 

 140km/h後半の直球に縦横に変化するスライダー。これこそが烏丸(からすま) 剛充(たけみつ)の真骨頂。

 

 帝王の初回は、烏丸の好投を前に三者凡退に倒れたのであった。

 

 

 ♢

 

 

 二回表

 瞬鋭の最初の打者はエース烏丸。サウスポーでありながら彼は迷いなく右バッターボックスに入った。

 キャッチャーボックスからバットを構える烏丸の姿を見た要は思考する。

 

(左投げなのに右打ち、か……余程バッティングに自信があるのか……)

 

 通常、右利きの選手が左バッターに転向することは珍しく無い。だが反面、左利きの選手が右打席に転向する事は皆無に等しい。なぜなら左打席の方が一塁への距離が近く出塁の可能性が上がるからだ。

 ゆえにあえて右バッターに転向するメリットは殆どない。

 

(――あるいは元の利き腕が右腕、とか)

 

 右利きの投手が故障などが原因でサウスポーに転向した可能性もあるが、繊細なコントロールを要する投手の左右の変更は、打席の変更と比にならない難易度である。選手としてモノになるにはそれこそ数年単位は覚悟しなければならない。

 

(……どうあれ、相手はエースでクリーンナップ。集中して行くぞ、友沢)

 

 サインを交わし終え、友沢がモーションに移行する。ワインドアップから投じられた真っ直ぐがミットの構えられた外角へと向かう。

 そこに、ギリギリまで引きつけた烏丸の鋭いスイングが振られた。響音と共に弾かれた打球は一塁手の頭の上を越えるが――。

 

「ファール!」

 

 打球は勢いよくラインを割りファールグラウンドのネットに突き刺さった。逆方向でありながら力強い打球に、要は内心で一つ息を吐いた。

 

(ふぅ……もう少し中に来てたらヤバかったな。才賀だけじゃない、この人も厄介なバッターだ……なら――)

 

 サインを告げ、要は再び外にミットを構えた。

 

(出し惜しみはしない。全力でねじ伏せる……!)

 

 友沢から投じられたのは、一球目のストレートと同じコースから外に逃げるスライダー。初見ならまず見極めのつかないボールであるが――。

 

(――な……!?)

 

「ボール」

 

 烏丸のバットは一切動く事なく、友沢のスライダーを見極めてみせた。

 驚愕する要は嘲笑うような笑みを浮かべる烏丸と一瞬だけ視線を交差させる。

 

(くそッ……初球から手を出してきたから強引に振ってくるのかと思ったら……配球読んでくるタイプか)

 

 落ち着きを取り戻すように要は自身のキャッチャーマスクに触れ、僅かに目を閉ざす。

 

(――相手が俺のリードを読もうとしてくるなら、俺はその裏をかく。捕手(キャッチャー)が駆け引きで負けるにはいかねぇだろ……!)

 

 要は躊躇いなくサインを要求した。

 捕手の迷いは投手にも伝わってしまう。だからこそ、要はより自信のあるような姿勢を友沢に見せた。

 

 要が構えたのはインコース。

 そしてそれは烏丸の狙っていたコースでもあった。

 

「シッ……!」

 

「ッ――!?」

 

 友沢の指先から投じられたボールは烏丸の身体に迫るように向かう。その軌道にすぐさま身体を引いた烏丸であったが、ボールは急激な変化を見せてゾーンの隅を掠った。

 

「ストライーク!」

 

「なっ……!?」

 

 見逃した烏丸はギリギリのコースの判定に思わず主審の方へと振り返るが、当然判定が覆る事はない。

 

(インスラ、よく投げ込んでくれたぜ。これなら――)

 

 要のサインに頷いた友沢が振りかぶる。彼の目に映るミットは再び外角に構えられた。

 烏丸もゾーンに迫るボールにバットを力強く振るう。一球目と同様の外角の直球であったが――。

 

 今度は、バットが届かない。

 

「ストライクバッターアウト!!」

 

 内角を抉られ腰が引けたスイングではアウトローのストレートを捉える事はできなかった。

 

「くそが……」

 

 そんな極小の呟きを吐き捨てベンチへと戻る烏丸。

 どうにか読み合いを制した要はマウンドに立つ友沢に強めの返球をする。

 

「ナイスボール友沢!このまま二つキッチリ抑えよう!」

 

 ボールを受け取った友沢は頷きで応じマウンドに戻る。

 

 帝王バッテリーは、続く六番の白石をセカンドゴロに打ち取り、更に七番の高峰も空振りに仕留める。

 この回を三者凡退に抑えた事により、瞬鋭有利となりかけた流れを引き戻したのであった。

 

 

 ♢

 

 

 二回裏

 帝王実業高校は四番の蛇島からの打順。糸目で穏やかな表情で打席に立つ彼であるが、その醸し出す雰囲気は生粋のスラッガーのもの。

 烏丸は左手に握るでボールを転がしながら蛇島を観察する。

 

(――才賀クラスか、下手したらそれ以上……チッ、一番バッターのヤツといい厄介なのが多い)

 

 烏丸はキャッチャーのサインに一度首を振り、新たに出されたサインに頷いてから振り上げた。投じられたボールは真ん中低めへと行く。

 

「……!」

 

 ゾーンへと向かおうとするボールに蛇島はピクッと反応するがバットを止める。

 すると、ボールは急激にベースにワンバウンドするように落ちた。先程、江久瀬を三振に仕留めた縦のスライダーである。

 

「ボール!」

 

(撒き餌には食いつかねぇか、なら――)

 

 サインが決まり、キャッチャーはインコースに構える。

 

(これなら、どうだッ……!!)

 

 対角線上に蛇島の内角に迫るクロスファイヤー。

 懐に迫るボールに肘をたたみ振り抜く蛇島。

 

 ガギィンという激しい金属音が響き、打ち上がる白球。その軌跡は――。

 

「ファール!」

 

 レフト方向のファールネットの高さを超える大ファールであった。

 

(へえ、差し込んでたがあそこまで飛ばすかよ)

 

 蛇島の打球にも烏丸は一切怯む事はない。

 キャッチャーのサインに頷き彼は迷いなくボールを放った。

 

 それは、アウトローに投じられた直球――。

 

「……くッ!」

 

 ――の軌道から外に変化するシュート。

 引きつけてバットを振った蛇島であったが、芯を外された打球はセカンドの小平の前に転がる平凡なゴロとなる。

 

「アウト!」

 

 結果的に呆気なくアウトとなった蛇島は僅かに歯噛みしながらベンチへと引き返す。

 そして続くバッターは五番打者である先発の友沢。

 

「よろしくお願いします」

 

 両打ちである友沢だが、相手がサウスポーと言うこともあり今回は右打席に立った。

 

(てめぇには、さっきの借りを返さねぇとな)

 

 キャッチャーは初球から内角に構える。投じるのは烏丸の最も自信のあるクロスファイヤー。

 球威のあるストレートに友沢も負けじと鋭いスイングを振るう。キィンと甲高い音ともに跳ねた白球は、バックネットに弾かれる。

 

「ファール!」

 

(チッ、こいつもか……)

 

 ファールとは言え初見で当てた友沢に僅かに苛立つ烏丸。彼の脳裏に過るのは対戦した中之島や蛇島、そして身近にいる才賀の姿。

 自分の実力に絶対的な自信を持つ烏丸であったが、同時に彼は自信を喰らい尽くしかねない才能の存在に敏感であった。

 

(許せねぇな……)

 

 ましてや面前に立つ友沢は、年齢で言えば一個下。敗北すれば言い訳のできない相手である。だからこそ烏丸は全力でねじ伏せに行くことを決める。

 

 そして続くボール。バッテリーが決めたコースは再度、インコースであった。

 

「――らァッ!!」

 

 声をもらしながら投じられた一球がまたしても友沢の内角に迫る。

 バットを合わせる友沢であっが、ボールの軌道は更に内側を切り裂かんと変化する。

 

「ストライク!」

 

 振われたバットに掠ることも許さずボールはミットに収まった。

 二球で追い込んだバッテリーは、すぐさまサインを決める。そして烏丸もワインドアップではなくクイックからボールを投じた。

 

「――ッ!?」

 

 タイミングをズラされ、かつ三球続けて内角に迫るボールに友沢も思わず手を出してしまう。

 ボールは振われたバットの遥か上を通過し中腰で構えるキャッチャーのミットに吸い込まれた。

 

「ストライク!バッターアウト!」

 

 四番、五番と打ち取った烏丸は勢いに乗り、六番の高川もファーストフライに抑えた。

 

 

 続く三回表、好投を続ける烏丸に負けじと友沢もギアを上げる。

 八番から始まる瞬鋭の攻撃を相手に、友沢が凡打二つで下位打線を抑えた。そして先程、初球から内野安打を許した一番の小平に打席が回るが、バットに当てさせることなく空振り三振で打ち取り、三回も三者凡退で終える。

 

 そして三回裏。帝王の下位打線を相手に投げる烏丸は、一人目の吉田をセカンドゴロにに打ち取ったものの、続く遊佐の内角を攻め過ぎてデッドボールを当てる。

 思わぬ形で初めてのランナーを出した帝王実業の次の打者は九番の兵藤。1アウト1塁と言うこともありバントを警戒するバッテリーに揺さぶりをかける兵藤であったが、最終的にはインコースの直球を詰まらせて併殺打となり、チャンスを生かす事は出来なかった。

 

 

 投手戦となった序盤を終え、スコアが動かぬまま試合は中盤に。

 互いに打線が二巡目に突入し、攻防は激しさを増してゆく。

 

 




 
烏丸のステータスと前回載せなかった帝王実業のオーダーを載せます。

烏丸 剛充(五月一週目)

[基礎能力]
球速:149km/h コントロール:D55 スタミナ:S90
Hスライダー:5 Vスライダー:5 シュート:1

[特殊能力]
打たれ強さ:A ノビ:B 回復:C 打球反応◯ 短気 力配分


[帝王実業高校オーダー]
一番 中之島 幸宏 右打 遊撃手 二年生
二番 沖田 左打 中堅手 三年生
三番 江久瀬 恋太郎 右打 右翼手 三年生
四番 蛇島 桐人 右打 二塁手 二年生
五番 友沢 亮 両打 投手 一年生
六番 高川 左打 一塁手 三年生
七番 吉田 右打 三塁手 三年生
八番 遊佐 右打 遊撃手 二年生
九番 兵藤 要 左打 捕手 一年生

こんな感じになります。
次からは瞬鋭戦の中盤となりますのでよろしくお願いします。
 
 


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五月一週目《VS瞬鋭高校③》

 
 某野球系小説を書いてるハーメルン作家様がスコアボード導入しててすごく格好よかったので真似してしみました。
 見づらかったり、評判が悪ければ速攻やめるので教えてください。

瞬鋭0000 0
帝王実業000 0


 四回表からです。よろしくお願いします。
 


 

 四回表

 二巡目に突入し、友沢のボールにも対応を見せ始める瞬鋭打線であったが――。

 

「――ストライクッ!バッターアウト!!」

 

 兵藤の巧みなリードにより的を絞らせず、二番宮城を内野フライに三番高松を空振り三振に抑える。

 簡単に二つのアウトを取ったところで迎え撃つのは四番の才賀。一打席目とは違い、ランナーのいない状況で瞬鋭の主砲と勝負できるこの状況はバッテリーにとっては最大の好条件であった。

 

「……よろしくお願いします」

 

「――ッ!」

 

 静かに打席についた才賀。

 打席から発せられる才賀の威圧感を受け、友沢の背に冷たいものが流れる。

 

「ふぅぅ……」

 

 だが、友沢もまた息を大きく吐き、集中力を高めることにより才賀のプレッシャーを跳ね除ける。そして兵藤のサインを確認し、投球モーションへと移行する。

 

(――アウトローにツーシーム)

 

 ワインドアップから振りかぶり、兵藤のミットへと投げ込む。

 前の打席で打ち取ったコースよりも更に遠い場所で沈むように変化するボールに、才賀は引き寄せてバットを振るう。

 

「く……!!」

 

 鋭い金属音と共に弾かれた打球に、友沢は反射的に背後を振り返る。

 弾かれた打球はサードの吉田の頭を遥かに越えたものの、スライスしてゆきレフト線のラインを割った。

 

「ファール!」

 

 タイミングこそズレたものの才賀は確実に友沢のボールにアジャストし始める。

 サインが決まり、再度アウトコースへと投じようとする友沢であるが――。

 

「ッ……!」

 

 ボールが指に引っかかってしまい、ベースに届く前にワンバウンドしてしまう。

 

「ボール!」

 

(くそっ……余計な力が入ってるな)

 

 友沢は一度間を取り、ロジンバックに手をつける。

 

 そして兵藤のサインを確認し、友沢はボールを投じた。指先から離れたボールはゆったりとした弧を描く軌道で才賀の外角へと向かう。

 

「……。」

 

 ゾーンのギリギリに投げ込まれるボールに僅かに反応する才賀だが、そのバットは動きを止める。

 

「ストライーク!」

 

「……!」

 

 ボールだと判断し見送った才賀は主審の判断に驚きを示す。

 その後ろでほくそ笑む兵藤。彼のフレーミングがゾーンを僅かに広げる形となった。

 これで1―2。バッテリー有利のカウントに。

 

(――ここでインコース)

 

 腕を振れというジェスチャーと共に兵藤は才賀の内角に構えた。

 

「ンッ!!」

 

 声を上げながら友沢はより一層力強く腕を振るう。

 勢いよく胸元に迫るボールに才賀も遅れながらバットを始動させたが――。

 

 才賀のバットは中途で動きを止めた。

 友沢の真っ直ぐが要のミットに収まるが――。

 

「ボール!」

 

 才賀のバットはハーフスイングで止まり、見送られたインハイのストレートも僅かに高めに外れる。

 2―2の平行カウント。依然としてバッテリー優勢のカウントに変わりはない。

 だが、三振が取れた場面で取りきれなかったと言うのはバッテリーにも少なくないダメージがある。そんな漂う不安を振り払うように友沢は腕を振りかぶった。

 

(――見極められるなら、此方はボールのキレで押し切る……!!)

 

 切るように投じられたのは、友沢のウイニングショットであるスライダー。

 真ん中から膝下へと鋭い変化を見せる軌道。

 

 まさしく友沢の渾身の一球。それを――。

 

 才賀は、完璧に捉えた。

 

 轟音を響かせた白球に、友沢はすぐさま後ろを振り返る。

 

 だが彼の目に映ったのは、ネットフェンスに突き刺さる打球。

 

 四番の一発で、瞬鋭が先制を決めた。

 

 

 ♢

 

 

 ダイヤモンドを一周する才賀。彼はホームベースを踏む際に一瞬だけ要へと視線を向けた。

 

「……。」

 

 特に何かを語ることなく才賀は沸き立つ自陣ベンチへと戻る。

 特に気にすることなく要はマスクを外し主審へ向けて口を開いた。

 

「……すみません。タイムをお願いします」

 

 マウンドに立つ友沢は悔しげな表情を浮かべて拳を握りしめていた。

 そんな彼の姿を見て、要はどう声をかけるべきかを思慮する。

 

(コイツの性格的に励ましても逆効果だよな……)

 

 プレイヤーとしてのプライドのある友沢が慰めの言葉を素直に受け入れるとは考えにくい。ならばどうするか――。

 

『――お前は、俺について来れるか?』

 

 思い出すのは、腹の底を語り合った時間。友沢が投げかけた問いかけ。

 彼の目指す先は遥かに高い場所。

 ならば、此方もより高い要求を突きつける必要がある。

 

「――最後のはボール一個分高かった。アレじゃ才賀は抑えきれない」

 

「……そうか」

 

 ハッキリと述べられる指摘に友沢は静かにそう返した。

 そんな彼に要は不敵な笑みを浮かべながら語る。

 

「頂点を目指してるんだろ?なら、見せてくれよ。お前の目指してる先を」

 

 それは、挑発とも言うべき発破。

 要の言葉に、友沢の瞳も鋭さを増してゆく。

 

「――ああ、当然だ」

 

 そうハッキリとした声音で友沢は答えた。

 

「おう、期待してるぜ」

 

 笑みを浮かべたままそれだけを告げ、要はマウンドから離れる。彼は、キャッチャーボックスへと向かいながら軽く素振りをしながら待つ烏丸へと視線を向けた。

 

(……打たれた直後のピッチャーの心境は、当然この人も理解してる。正直、この局面で一番対戦したく無いバッターだな)

 

 このような拮抗した局面であればあるほど、失点やホームランは投手の集中力が切れやすい。

 投手としての経験豊富で駆け引きにも長けた烏丸であれば、確実にこの打席は狙ってくるだろう。

 

(――勝負は、どちらが裏をかけるか)

 

 要はサインを送った後、アウトコースのボールゾーンにミットを構えた。

 

(……とりあえず一球、ストレートで様子見だな)

 

 この一球で探るのは、一発を打たれた後の友沢のコンディションと烏丸の狙い球である。

 友沢が振りかぶる。だが指先から投じられたボールは――。

 

「ッ……!!」

 

 要が構えた場所とはかけ離れた、高めに抜けるボール球。咄嗟に飛び上がりながら要は抜けていくボールをキャッチした。

 

「ボール!」

 

 本来、ランナーのいない場面で難しいボールを無理に捕球する必要はないが――。

 

「ボール来てるぞ、友沢!」

 

 要は鼓舞しながらボールを返球する。ボールを受け取る友沢に向けて、要はプロテクターの上に拳を叩くようなジェスチャーを見せる。

 

(――球威はある。コースは気にせずに強気で攻めよう)

 

 頷いた友沢は投球モーションへと移行する。だが力強く投じられた一球はゾーンに真ん中へ向かう。

 烏丸は狙っていたかのように大きく踏み込み、バットを振るったが――。

 

 ボールはベース近くで大きく外へと逃げていき、烏丸のバットに掠ることも許さなかった。

 

「ストライク!」

 

 一打席目では見極めていた烏丸が思わず手を出してしまうほどのキレ。それは友沢の集中力が戻ってきている何よりの証拠であった。

 

「ナイスボール、いい感じだぞ!」

 

 要は言葉をかけながら強い返球でボールを返球した。そしてキャッチャーボックスから要は烏丸の表情を観察した。

 

(……空振った時に明らかに表情が歪んだ、なら――)

 

 要が構えるのは再びアウトコース。

 友沢はワインドアップからモーションへと移る。

 

(腕を緩ませるな、最後まで投げ切れ!)

 

 振り下ろされた腕から投げられたのは、ゆったりとした軌跡を描くカーブ。

 打ち気を逸らすようなボールにタイミングを外された烏丸は無理矢理バットを振るったが――。

 

「ファール!」

 

「くッ……!!」

 

 一塁線を切る打球に烏丸はあからさまに表情を崩す。

 

(イラついてるな……想定外のことが起こると弱いタイプか)

 

 先程までは飄々とプレーしていた烏丸だが、今は手に取るように感情が読み取れた。

 

(――これで決めよう)

 

 そして要がサインを送り、友沢は迷いなく頷いた。

 

 18.44mに描かれるのは一直線の軌跡。

 

 指にかかったストレートが烏丸の内角低めに突き刺さる。

 

「バッターアウトッ!スリーアウト、チェーンジ!!」

 

 乾いたミットの音色と共に主審の力強いコールが響き渡った。

 帝王バッテリーは最小失点で四回を切り抜けた。

 

 

 ♢

 

 

 四回裏

 帝王は一番からの好打順。中之島と烏丸の二打席目の勝負に注目が集まるが――。

 

「ボールフォア!」

 

「チッ……!」

 

 フルカウントまで持ち込んだものの最後は高めに外れ、先頭バッターからいきなり歩かせてしまった烏丸。明らかに先程の打席の結果を引きずっている様子である。

 

「……。」

 

 一塁に着き、プロテクターを外す中之島はマウンドに立つ烏丸を見つめる。

 

(さっきまでゾーンに収まってたボールが荒れ始めた。少し、揺さぶるか)

 

 左利きの投手にとって真正面となる一塁ベースから、不敵な笑みを溢す中之島が大きなリードを取った。

 

「このッ……!」

 

 烏丸の牽制に中之島も即座に反応して帰塁する。そして、烏丸の手にボールが戻るとすぐにまたベースから距離を置く。

 塁上から放たれる中之島のプレッシャーに烏丸も苛立ちを隠せない様子。

 

(――さて、そろそろか)

 

 二度、三度と牽制を挟まれたところで中之島は二歩分ベースに近い場所でリードを取る。そして打席に立つ二番打者の沖田に合図を送った。

 烏丸が初球を投じたタイミングで中之島は完璧なスタートを切る。

 

「スチール!」

 

 ファーストを守る白石が声を上げるなか、ホームへと迫るストレートに合わせて沖田はバットを寝かせた。白球は軽い音色と共に弾かれ三塁方面に転がる。

 セーフティ気味のバントエンドランに三塁を守る才賀は慌てたように捕球に向かった。

 

「――くっ、ファースト!」

 

 好スタートを切った中之島が既に二塁に到達しかけているのを見て、確実にアウト一つを取るためにキャッチャーの香川はファーストへの送球を指示した。

 

 ――その瞬間、中之島は更に加速する。

 

「なッ――!?」

 

「ランナー、サード!!」

 

「おい、ファーストいそ――ッ!?」

 

 バントを捕球し一塁へとボールを送球した才賀。中之島の好スタートに対して二塁のベースカバーに入った遊撃手の高峰。そして、思わぬ攻撃に反応の遅れた烏丸。

 慌てふためく瞬鋭守備陣の視線の先には、誰もカバーに入っていない無人の三塁ベースがあった。

 

「――いい感じに混乱してくれたな。お陰で、楽に進めたぜ」

 

 両手を腰に当て、悠々と三塁ベースの上に立つ中之島。

 アウトカウント一つで帝王は大きなチャンスを迎えた。

 

 

 

 瞬鋭バッテリーがマウンドで言葉を交わしているなか、三番打者である江久瀬は両手で握るバットを見つめて集中力を高めていた。

 

「ふぅぅ」

 

 状況は1点ビバインドで1アウト・ランナー三塁。どんな形でも点を取らなければいけない、と言う状況は場数を踏んでいる江久瀬であってもも少なくない緊張があった。

 

(……アイツらならば不安など感じないのだろうな)

 

 彼の脳裏に過るのは才覚ある後輩達。強気でプレーする彼等の姿は頼もしくあるものの、同時に自分の凡庸さを突きつけられているような気分にもなる。

 

 江久瀬 恋太郎は秀才であった。

 間違いなく野球の才能は人並み以上にあった。努力も惜しむことはなかった。

 彼が一年の頃の秋、新チームでは四番に選ばれるだけの実力を持っていた。今後の帝王を牽引していくのは自分自身なのだ、と本気で思っていた。

 

 そう、現二年生(彼等)が入学してくるまでは――。

 

 

「プレイ!」

 

 主審のコールと共に烏丸はセットから左腕を唸らせる。

 初球は内角に迫るクロスファイヤー。ゾーンギリギリのボールに江久瀬はバットを止める。だが――。

 

「ストライーク!」

 

「ッ……!」

 

 どちらとも取れるコースであったが、判定はストライク。ファーストストライクを取れたこともあり、烏丸も徐々に落ち着きを取り始める。

 

(……中之島ならば転がすだけで帰れる。無理して捉える必要も――ッ!!)

 

 思考しようとする江久瀬であるが、烏丸がクイックで投じたことによりタイミングを外され、思わずバットを動かしてしまう。

 

「んぐッ……!!」

 

「ファール!!」

 

 何とかファールゾーンに打球を飛ばし難を逃れるが、これで追い込まれてしまう。

 

(くっ……このままでは――)

 

 

 

 何もできずに打席を終えてしまう。そんな不安を浮かべる江久瀬が思い出したの、昨夜に養老から受けた頼み。

 

『――明日の試合。俺はベンチにいることになった。下井も先発では無いから、副キャプテンであるお前にチームをまとめて欲しい』

 

『……。』

 

 いつもと変わらない穏やかな表情で告げる養老。なぜ彼が試合に出ないのかはすぐに見当がついた。

 

『……そこまでなのか、兵藤は?お前は本当にそれで良いのか?俺たちがどれだけ三年間必死にやってきたと――』

 

『江久瀬』

 

 養老は複雑な笑みを浮かべながら江久瀬の言葉を遮る。

 

『――監督には俺が頼んだんだ。後悔しないために。この先、どんな結果になろうと納得できるようにするために』

 

 そんな言葉を吐く養老であったが、その瞳に奥に浮かべる悔しさを江久瀬は見逃さなかった。

 

 

 

 ベンチにある養老に視線を向けた江久瀬はグリップを握る手により一層力を込めた。

 

(――養老)

 

 リズムを取り戻した様子の烏丸は迷いなく内角へ向けて投げ込む。

 迫り来るボールに、江久瀬の身体が反応するが――。

 

「――ッ!」

 

 内側に切れ込んできた軌道に江久瀬のバットが中途で止まる。

 

「ボール!!」

 

(――確かに、俺たちにはアイツらほどの才能はない)

 

 江久瀬は四番の座を蛇島に渡し、下井は山口にエースナンバーを譲った。そして養老もまた――。

 嫌でも突きつけられる持って生まれたものの差。

 

(だが、俺たちはアイツらよりもこのチームで努力を費やしてきたんだ)

 

 アウトコースに投じられた一球に江久瀬は力強く踏み込む。

 

(――納得など、簡単に出来るわけがないだろ!!)

 

 鋭くベースに向かって落ちるボールを、江久瀬はバットの先で捉えた。

 

「なッ……!!」

 

 打球は勢いよく烏丸の足元を抜け、二遊間を破る。

 センターを守る高松がボールを拾う頃には、中之島は余裕を持って本塁に生還した。

 

「らァッ!!」

 

 雄叫びをあげガッツポーズをする江久瀬は、突き上げた拳を自陣ベンチにいる養老へと向けた。

 

 江久瀬のタイムリーヒットにより、帝王は試合を振り出しに戻すことに成功したのであった。

 




 
 当初は、この話の半分で描こうと思っていたエピソードでまるまる1話使いました(本当は六回ぐらいまでは行く予定だった……)

 それはともかく、簡単なアンケートを実施していたので答えていただければ嬉しです。


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五月一週目《VS瞬鋭高校④》

 
 アンケートの結果を省みて、とりあえず18時に投稿してみました。

瞬鋭0001 1
帝王実業0001 1


 四回裏 1アウト・ランナー1塁の状況です。
 


 

 四回裏

 同点タイムリーを放った江久瀬を1塁に置いた状況で、続くバッターは四番の蛇島。更に畳み掛けたい帝王打撃陣であったが、烏丸はクサイところにボールを投げ四番との勝負を避ける。

 四球で蛇島を歩かせ、1アウト・ランナー1・2塁と言う場面で打席に立つのはピッチャーの友沢。

 勝ち越しのチャンスに友沢は初球から一二塁間に鋭い打球を放つが――。

 

「しゃあッ!ゲッツー!!」

 

「ナイスだ、小平!!」

 

 良い位置にいたセカンドの小平が打球を処理し、4・6・3の併殺打に。

 この回の帝王の攻撃は同点止まりで終わった。

 

 

 

 五回表

 試合も中盤になり徐々に疲労が見え始める友沢は、先頭打者の六番白石に粘られフォアボールを許す。続く七番の高峰をサードゴロに打ち取るものの進塁打となりランナーは2塁へ。更に続く八番の香川が三遊間を破るヒットを放ち、局面は1アウト・ランナー1・3塁に。

 

 ――だが、ピンチを迎えた場面で友沢も粘りを見せる。

 

「ットライーク!バッターアウトッ!!」

 

 フルカウントからスライダーをゾーンに決め、九番の戸村を見逃し三振に仕留めた。

 2アウトまで漕ぎつけたところで瞬鋭の打線は三巡目に。打席に立つのは先程、好守を見せた小平。

 

(…一打席目はアウトローの直球を叩き付けられ内野安打。二打席目はスライダーで三振、か……なら――)

 

 ここまでの小平との対戦を振り返りながら、要は配球を決める。

 サインを交わし、友沢はセットから投球モーションに移行し、ボールを投じる。

 指先から離れた白球は、山なりの軌道を描きながら小平の外角へと向かうが――。

 

「ボール!」

 

 初球のカーブは僅かにコースを外れる。

 小平にも平然と見送られたため、彼の狙い球も読めない。要はチラッと一塁ランナーに視線を送ってから、友沢とサインを交わす。

 

(――アウトコースに真っ直ぐを)

 

 友沢はクイックから要求通りのアウトコースへとストレートを投じる。だがその瞬間――。

 

「スチール!」

 

(――ッ!ここで走って来るか!!)

 

 一塁を守る高川がファーストランナーの香川が動き出したのを見て声を上げる。

 打席に立つ小平も高川の香川の盗塁をアシストするようにバットを振るう。

 

「ットライーク!」

 

(間に合うかッ――!?)

 

 バットの軌道を通り過ぎミットに収まった白球を、要はすぐさま右手に持ち替える。ランナーが好スタートを切った事もあり刺せるかはかなり際どい。

 

 二塁のカバーに入った中之島へ向けて右腕を振りかぶる要――その瞬間、三塁側の吉田から声が上がる。

 

「……ら、ランナー、スタートッ!!」

 

 三塁ランナー白石のディレードスチール。

 

「――ッ!させねぇッ!!」

 

 腕を振るい切った要であるが、白球は手のひらの中に収まったまま。三塁ランナーの動きに反応し、咄嗟に二塁への送球をキャンセルしてみせた。

 

「――な、マジか!?」

 

 奇策を封じられ慌てたように帰塁する白石。

 要もすかさずサードの吉田へ向けて送球した。

 

「ッ、セーフ!」

 

 間一髪で白石の手がベースに届く。際どいタイミングであったがタッチプレーであったため、アウトにすることは出来なかったが――。

 

(これで、少しはこっちにも流れが来る。大漁水産戦(前の試合)で痛い目見といて良かったぜ。ともかく――)

 

 サインを交わし、要は小平の内角に構える。

 

(ランナーの茶々入れは無くなった。確実にバッターを仕留めるぞ)

 

「くッ!!」

 

 友沢は歯を食いしばりながら渾身のストレートを投じる。

 インハイの甘いところに来たボールに小平も力強く踏み込んだ。

 

 キィンという軽い金属音と共に打球は浮き上がった。

 

「――セカンッ!!」

 

 要の指差す先で蛇島がほぼ定位置で捕球体制に入り、難なく白球をキャッチした。

 

「スリーアウト!チェンジッ!!」

 

 ピンチを乗り切り、小さく拳を握った友沢は小走りでベンチに戻った。

 

 

 

 五回裏

 帝王実業は六番の高川から下位に向かう打順。

 だが、先程の回とは一転して太々しさの戻った烏丸の投球の前には下位の打者では手も足も出ない様子。

 

「ナイスピッチ。最後はよく投げ込んでくれたよ」

 

 そんななか、ベンチの奥に座り休息を取る友沢に要はドリンクを渡しながら声をかけた。

 

「はぁはぁ……ああ……」

 

 ドリンクを受け取る友沢の反応は薄い。

 息を整えようとする彼の姿に、要は僅かに顔を顰めた。

 

(汗が凄いな……ここまで飛ばして来ただけあってさすがに消耗が激しい)

 

 体力の限界も近い友沢をどうリードしていくか、要は思考を巡らしてゆく。

 

(……せめて、ベンチで少しでも休めると良いんだけど――)

 

 そんな、ほのか期待を抱きながらグラウンドを見つめる要だが、彼の期待とは裏腹に烏丸は快投を披露する。

 

 

「ストライーク、バッターアウト!スリーアウトチェンジッ!!」

 

 結果は六番、七番、八番の下位打線を三者凡退。ものの数分で帝王実業の攻撃を終わらせた。

 

(……くそ、終わんの早すぎだろ)

 

 ネクストバッターボックスで待っていた要はプロテクターを着けながら思わず悪態をついてしまう。要は悔しげに顔を歪めながら、帽子を脱ぎながら自陣ベンチに戻る烏丸の姿を目で追った。

 

烏丸(あの人)は、これまで下位の打者は打たせて取り、中之島さんや蛇島さんのような上位のバッターはあからさまに警戒しながら投げていた。けど、この回――)

 

 要が思い浮かべるのは、今までとは違う五回裏の烏丸のピッチング。六番の高川を空振り三振、七番の吉田をショートゴロ、八番の遊佐を見逃し三振とし、打者三人中二人から三振を奪った。

 下位の打者には手を抜いていた烏丸が一転して全力でねじ伏せに来たのだ。

 

(あの人もここが勝負所だと分かっているんだ……だから力を惜しまなかった)

 

 ここまで拮抗した投手戦を見せて来たが、友沢の方は側から見てもガス欠寸前である。加えて、次の六回表は先程ホームランを放った才賀に確実に打順が回る。そんな全体の流れを読んで、烏丸は速攻で帝王の攻撃を終わらせたのだ。

 

(――投球術にスタミナの使い方、ここ一番での集中力、そして全体の流れを読む力……くそっ、こんなピッチャーが何で甲子園も出てねぇんだよ)

 

 改めて感じる烏丸のレベルの高さに思わず苦笑いを浮かべてしまう要。

 

(……ただ唯一、弱点があるとすれば――)

 

 そんな格上である烏丸も完璧ではない。

 先程、四回に一度だけリズムを崩している。そこでランナーを出した事により、江久瀬の同点打に繋がった。

 なぜ烏丸のリズムが崩れたのか、それは――。

 

(やっぱ勝つには、()()()の出来次第か)

 

 この一戦に勝つためのポイントを見定めた要はプロテクターを着け終え、グラウンドへと戻った。

 

 

 

 六回表

 瞬鋭は二番の宮城から始まる上位打線。

 だが、迎え撃つ友沢は先程の回以上の制球難に苦しむ。

 

「――ッ!!」

 

 キィンという音とも打球はセンター前に綺麗に弾かれる。カウント0―2となり甘く入ったストレートを宮城に痛打され、状況はノーアウト・ランナー1塁。

 打席に立つのは、三番の高松。

 

「くッ……!」

 

「ボール!」

 

 初球。兵藤がインコースに要求したストレートは高松のバントの構えを見せる揺さぶりを受け、外に大きく外れた。

 続く二球目。外角のスライダーが枠にギリギリ収まり、カウントは1―1に。

 

 そして三球目。

 再びバントの構えを見せた高松のインローにツーシームを投げ込むが――。

 

「――サードッ!!」

 

 高松はバスターに切り替え、懐に迫る白球を強引に引っ張った。

 だが打球は三塁の吉田の正面。5・4・3の併殺を取れるかに思えた打球であったが――。

 

「しまっ――」

 

 か細い声を漏らす吉田。ここに来て痛恨のファンブルをしてしまう。急いで二塁に投げるべきか、それとも確実に一塁に投げるべきか、そのような迷いが手元を狂わせた。

 結果的には、オールセーフ。ノーアウト・1・2塁というピンチでバッテリーは再び四番の才賀に挑まざるおえなくなった。

 

「――すみません、タイムを」

 

 絶体絶命とも言うべきピンチを前に、要は友沢の立つマウンドへ再び行く。

 

 共に窮地を乗り越えるために――。

 

 

 ♢

 

 

「すまん、友沢ッ!」

 

「はぁ……はぁ……い、え……」

 

 先程エラーをし、ピンチを拡大させてしまった吉田が友沢に頭を下げる。

 荒い呼吸を続ける友沢は軽く手を挙げ、問題ないという意思を吉田に示した。

 

(簡単に出塁を許したのは俺だ……それもよりによって次のバッターは――)

 

 友沢の視界の端に映るのはネクストバッターボックスから歩いてくる才賀の姿。

 先程の打席、才賀にはウイニングショットであるスライダーを完璧に捉えられた。多少コースが甘かったとは言え、球威で押し切れなかった時点で実力差は明白である。

 

中学(シニア)の時は、アレだけ上手く内角のボールを捌けてはいなかった……)

 

 パワー、ミート技術、選球眼など凡ゆる点でこれまで友沢が対戦して来たバッターとは一線を貸す実力を有すまで成長を遂げた。

 それこそ、友沢の自信を折りかねないほどに――。

 

(今の俺では、才賀には……)

 

 突きつけられた敗北感に疲労も重なれば、友沢と言えどメンタルは限りなくマイナス寄りになる。

 そんな時に脳裏に過ぎってしまうのは――。

 

『――儂が求めるものはただ一つ、勝利という結果のみだ。だが仮に明日の試合で敗北するようなことがあれば、貴様等を二軍に落とす。夏が終わるまでは一軍に昇格もさせん』

 

 守木からバッテリーに告げられた厳しい条件。

 監督の言葉を思い出し、友沢は自身の不甲斐なさに歯を食いしばる。

 

(俺だけが二軍に落ちるなら納得できる……だが――)

 

 結果を残せなかった自分が下に落ちる事は諦めがつく。

 

(兵藤は、俺の力を引き出そうとしてくれた……アイツがいなければもっと点を取られてもおかしくは無かった)

 

 実力不足の己が、ここまで投げることができたのは捕手(兵藤)がいてくれたから――。

 

(兵藤は一軍に残るべき人材だ……今、俺が大人しくベンチに下がれば――)

 

 友沢の中にあった火が消えかけていた。そんな時――。

 

「――すみません。タイムを」

 

 兵藤はピンチの状況とは思えないほど、余裕のある笑みで友沢へと歩み寄った。

 

 

 

「なかなか厳しい状況になりましたな」

 

「……悪い」

 

 ヘラヘラとしながら述べる兵藤に友沢は素直に謝罪をした。

 まさか謝られるとは思っていなかった兵藤は目を見開く。

 

「……謝るなよ。むしろこんな状況でも監督が動かないって事は、それだけ俺たちが信頼されてるって事だろ」

 

 試合の流れを決めかねない分水嶺。

 そんな状況でも交代をさせようとしない守木であるが、それを信頼と捉える事は今の友沢には出来なかった。

 

「――兵藤。お前は、こんな状況でどうして笑っていられる?何が、お前をそこまで強くしているんだ」

 

 友沢の問いかけ。

 本来、試合の最中にすべき話では無いが、友沢の瞳から何かを感じた兵藤は自身の本音を告げる。

 

「俺だって怖ぇよ。あんなのが同学年(タメ)なんて信じられないし。けど――」

 

 それは、紛れもない兵藤の本心。

 

「俺は一人じゃ無い……捕手()には投手(お前)がいる。だから、戦えるんだ」

 

 告げられたその言葉に、友沢は――。

 

(――どうして、お前は……お前の言葉は俺を奮い立たせるんだ)

 

 無理だと諦めてしまった、その筈なのに――。

 

(お前の隣に立ちたいと、そう思ってしまう)

 

 身体の奥底に熱いものが蘇る。

 重かった筈の手足が少しだけ軽くなった気がした。

 

「……才賀を抑えられると思うか、俺に」

 

「ったく、何度も言わせんな。俺()()に、だ」

 

 友沢の問いに、不敵な笑みを浮かべて答える要。彼は友沢に向けてミットを差し出しながら告げた。

 

「お前は俺のミットだけ見て迷わず投げ込んで来ればいい」

 

 向けられたミットに、友沢も自身のグラブを重ねる。

 

「ああ……分かった」

 

 バッテリーは覚悟を決め、再び才賀に挑む決意を固めた。

 

 

 

 兵藤とサインを交わし、友沢は打席に立つ才賀を迎え撃つ。

 

(凄まじい集中力だ……だが――)

 

 これまで以上の威圧感を正面から受け止める友沢であるが、彼はその先を見つめ、微かに笑みを溢した。

 

(やっぱり、ミット()が大きいな)

 

 軸足をプレートにつけ、膝を上げる。

 

(俺だけなら……ここまで辿り着けなかった)

 

 グラブの中にある白球は人差し指と中指が一本の縫い目にかけられていた。

 

(お前がいてくれて良かった)

 

 前足が踏み込まれ、全身の力が振るわれる指先に乗る。

 

(――ありがとう)

 

 投じられたのは、先程ホームランを放たれたインコースへのスライダー。

 

 その一球は、先程以上のキレで――。

 

「ットライーク!!」

 

 バットに掠る事も許さず、才賀の内角を抉った。

 

 

 ♢

 

 

 その一球を受け取った要は、僅かな興奮と共に鳥肌を立たせていた。

 

(――ここで、今日イチのスライダー。冗談抜きで震えたぜ)

 

「ナイスボールッ!!」

 

 鼓舞するためではなく、心の底からの賞賛を込めてボールを返球する要。

 

(――ファーストストライクは取れた。これで勝負になる)

 

 続いて要が構えるのは、アウトコース。空いている彼の右手は、この試合で何度も示してきた腕を触れというジェスチャーを行う。

 

(緩急を付けるとは言え、腕は緩ませるなよ)

 

 二球目は外角に投じられたのは山なりに線を描くカーブ。

 才賀もピクッと反応をしますが、僅かにボールゾーンであるためバットは動かない。初球を振ったとは言え、彼の選球眼は揺るがない。

 

(やっぱゾーンで勝負するしか無いか……なら――)

 

 続けてアウトコースに要は構える。

 頷きで応じた友沢から迷いなく振るわれたボールは、外角のボールゾーンから――。

 

「ッ……!」

 

 急激にストライクゾーンに食い込んでくるスライダー。

 ボールゾーンから侵入してくるバックドアのボールに、才賀も咄嗟に反応し無理矢理バットを当てた。

 

「ファールッ!」

 

 打球はファールゾーンを勢いよく走り抜ける。

 これで、カウントは1―2。追い込んだ上にボール球にも余裕があり、バッテリー有利の状況。

 

(――遊び球は無しだ。此処に投げ込んで来い……!!)

 

 笑みを浮かべる要が求めたサインは、胸元へのストレート。

 駆け引き無しの真っ向勝負に友沢も釣られて笑みを溢す。

 

「ぐッ――!!」

 

 歯を食いしばりながら友沢が投じるは文字通り、全身全霊の一球。

 一直線の軌道を描きながら内角に迫る直球に、才賀も全力でバットを振り抜いた。

 

 ガギィンという衝撃音と共にライト方向へと飛ぶ打球。

 グラウンドに立つナイン。見守る観衆が上空を見上げるなか、ライトの守備につく江久瀬の足がネット際で止まった。

 

「――アウトッ!!」

 

「ランナー、タッチアップッ!」

 

 球威で押し切り、才賀をライトフライに打ち取ったが――瞬鋭のメンバーもタダで終わらせない。

 二塁ランナーである宮城が捕球と共にスタートを切った。

 

「蛇島ッ!」

 

 キャッチと共に江久瀬は即座に中継の蛇島に送球するが――。

 

「チッ……」

 

 既に辿り着いたランナーの姿を見て蛇島は静かに舌打つ。

 

 四番である才賀を抑えたが、状況は1アウト・ランナー1・3塁。未だピンチを脱したわけではない。

 

 ――だが、此処で要が動く。

 

「は……?」

 

 キャッチャーボックスから立ち上がり、内野陣にブロックサインを示す要の姿に中之島が驚きの声を上げる。

 それもその筈、ベンチに座る守木からは何もサインが出ていない。あくまで選手達の判断に委ねられている状況なのだ。

 

 これはつまり、要の独断。

 二つのアウトを取るためのゲッツーシフトで構える内野陣に、絶対に一点を奪わせない前進守備を指示した。

 

 戸惑いを示す内野陣に向けて、前に出ろと言わんばかりにもう一度サインを強調する要。

 

「はっ、生意気だな。小僧が」

 

 呆れたような笑みを浮かべて前に出た中之島。彼に促されるように他の内野手も前進守備に移った。

 

「友沢!此処で取るぞッ!」

 

「……!」

 

 要が内野陣を動かしたのは、友沢に示すため――。

 

(――投手(お前)は、一人じゃない)

 

 そんな彼等の姿を見て嘲笑うような笑みを浮かべた烏丸が打席に立った。

 

「俺も舐められたもんだな……あんなヘロヘロのピッチャーに本気で抑えられると思ってんのか?」

 

「本気ですよ、俺もアイツも」

 

 即座に言葉を返した要に烏丸は「チッ」と忌々しげに舌打つ。

 あからさまに苛立ちながらバットを握った烏丸の後ろ姿を、要は一瞬だけ見てからサインを交わした。

 

(――ここまで、この人には温存してきた一球……!)

 

「ッ……!!」

 

 友沢から投げられたボールは、一直線に烏丸の内角に向かい――。

 

「くそ、がッ――!!」

 

 ベース直前で急激に沈む。

 感情に任せて無理矢理引っ張ろうとした烏丸の打球は芯を外され、前に走り出した中之島のもとへ。

 

「――しっかり取れよ、兵藤ォッ!!」

 

 素手で捕球した中之島はそのままホームに立つ要へと送球する。

 

「アウトッ!」

 

「高川さんッ!!」

 

 ボールを受け取った要はホームに突っ込もうとした宮城をタッチし、更に素早く一塁ベースに足をつけた高川へと送球する。

 

 烏丸の足と要の送球、ほぼ同着であったが――。

 

「――スリーアウトッ!チェンジッ!!」

 

 フォースプレーを競り勝ったのは要。

 

 ノーアウトのピンチを切り抜けた二人は――。

 

「「らァッ!!」」

 

 同時に吠えながらガッツポーズをするのであった。

 

 中盤最大の山場を越え、試合は終盤へと差し掛かる。

 

 




 
 一応、話の終わりにもスコアボードあった方が分かりやすいかなと思ったので載せます。もし、やかましいと思う方は教えていただければ嬉しいです。

瞬鋭000100 1
帝王実業00010 1


 次回は六回裏の帝王実業の攻撃からです。
 よろしくお願いします。



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