【完結】我が名はヴォルデモート卿 (冬月之雪猫)
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第一話『魔王再臨』

 あまりにも滑稽な光景だ。英雄と讃えられるべき少年が愚劣なマグルに虐げられている。

 彼が物心ついた瞬間、聞かせられた言葉は『質問をしてはいけない』だった。

 両親はまともな人間ではなく、少年自身もいかれていると毎日のように吹き込まれ続けた。

 殴られ、蹴られ、ボロ布を着せられ、手足を満足に伸ばす事も出来ない物置に閉じ込められる日々。

 家畜の方が余程上等な扱いを受けている。

 

「……アルバス・ダンブルドアよ。貴様の思惑は悪くない。だが、幼子の心は存外脆いものよ」

 

 ある日、少年の心は限界を迎えた。

 息はしている。心臓も動いている。けれど、それだけだ。

 丁寧に砕かれた心はもう戻らない。

 

「ハリー・ポッター。偉大なる帝王を打倒した少年よ。俺様は貴様の絶望を決して忘れない」

 

 ハリー・ポッターという少年だった肉体は新たなる主の意思で立ち上がる。

 いつも何かに怯えていた卑屈な表情は鳴りを潜め、彼は邪悪に嗤う。

 

我が名はヴォルデモート卿(I am lord voldemort.)。世界を今一度我が手に」

 

 第一話『魔王再臨』

 

 酷いものだ。全身にくまなく激痛が走っている。

 五日も物置に閉じ込められていた為に喉も胃袋もカラカラだ。

 成熟した大人の精神でも耐え難い苦痛だ。

 

「……さて」

 

 瞼を閉じる。肉体の状態は最悪だが、魔力は満ち足りている。

 魔法学校に通う前の幼児が魔力を暴走させてしまうのはよくある事だ。

 実際、ハリ―も幾度か魔力を暴走させていた。その度に折檻を受けて泣いていた。

 

「しかし、乱用は避けるべきだな。監視者はスクイブのようだが他に網を張っている可能性もある」

 

 いずれにしても、食料と飲料の調達が急務だ。

 今のままでは何も出来ない。

 

「まずは環境を整えるとするか」

 

 ハリーの年齢は九歳だ。二年後にはホグワーツ魔法魔術学校からの迎えが来る。

 それまでに力を蓄えて置かなければならない。

 今の俺様は魔王(ヴォルデモート卿)であると同時に英雄(ハリー・ポッター)でもある。

 この状況を利用しない手はない。

 魔力を()り、手元に呼び寄せたリンゴと水を口に入れた。

 

 ◆

 

「……帰って来たな」

 

 玄関の扉が開く音が聞こえた。家の者達が帰って来たのだ。

 五日もハリーを物置に閉じ込めたまま、彼らは旅行に出掛けていた。

 ヴォルデモート卿はゆっくりと立ち上がり、鍵が閉まっている筈の物置の扉を押し開いた。

 出て来た彼に家主であるバーノン・ダーズリーは腹を立て、顔を真っ赤に染め上げた。

 

「ハリー! 誰が出て来ていいと言った!? どうやら反省が足りておらんようだな!! 物置に戻れ!!」

 

 五日も飲まず食わずの状況にいたハリーを心配する素振りは一欠片もない。

 だからこそ、彼の心は砕けたのだ。

 

「愚かな」

 

 一欠片でも良かった。ほんの一欠片でも、彼らがハリーを気にかけていれば彼は生きていた。

 彼が生きていれば、これから起こる悲劇も起こらなかった。

 

「な、なんだ、その目は!!」

 

 嘲笑するヴォルデモート卿を見て、バーノンは反抗的だと更に立腹している。

 そんな彼の体は僅かに浮かび上がっていた。

 

「バ、バーノン!?」

 

 バーノンの妻であるペチュニアが悲鳴をあげる。

 

「き、貴様! こ、ここ、こんな真似をして、ただで済むと思っているのか!?」

「バーノン・ダーズリー」

 

 暴れるバーノンの名を冷たい声が呼ぶ。

 

「君は俺様の奴隷となるのだ」

 

 ヴォルデモート卿の瞳が真紅に輝いた。

 すると、バーノンは暴れるのをやめた。

 両腕をダランと伸ばし、虚空を浮かべている。

 

「ハ、ハリー!! パパに何をしたんだ!?」

 

 それまで呆然としていたバーノンの息子であるダドリーが叫んだ。

 ペチュニアはそんな彼を咄嗟に庇い、自分の背中で守っている。

 美しい光景だ。同じものを九年前にも見たことがある。

 姉妹というものは似るものらしい。

 

「ヴォルデモート卿は同じ愚を繰り返さない」

 

 一度は失敗した。赤子を守る母の愛が(いにしえ)の防護呪文を発動させ、死の呪文を跳ね返した。

 今回は精神を操るだけだが慎重に息子の方から自我を壊していく。

 息子が壊れていく様にペチュニアが悲鳴をあげた。彼女の順番が巡ってくると、怯えながらも怒りの篭もった眼差しを向けて来た。

 

「安心するがいい。これは死ではない」

 

 虚ろな表情を浮かべる一家。彼らに術を施していく。

 

「……哀れな者達よ」

 

 彼らは常に憎悪と共にいた。

 ハリー・ポッターはヴォルデモート卿の分霊箱であり、分霊箱はヴォルデモート卿の憎悪を伝播させる。母親の守護によって、ハリー自身の精神は守られていた。けれど、彼の周りまでは守ってくれなかった。ハリーに対する過剰なまでの虐待行為は増幅された憎悪によるものだ。

 ハリーがこの家に来なければ、あるいはハリーが分霊箱でなければ、彼らは今よりも健やかな日々を送れていた事だろう。息子を思うように、甥を思う事も出来たかも知れない。

  

「さて、君の名は?」

「……バーノン・ダーズリー」

「君の名は?」

「……ペチュニア・ダーズリー」

「君の名は?」

「……ダドリー・ダーズリー」

「素晴らしい」

 

 彼らは日常に戻って行く。バーノンは新聞を開き、ペチュニアは夕食の支度を始め、ダドリーはテレビに齧りつく。目にも生気が戻っている。

 ヴォルデモート卿は微笑みながら外に出る。そして、周囲に張り巡らされている魔法を確認していく。

 

「……思ったよりも少ない。なるほど、母親の守護を活かす形で陣を築いているわけだな。監視の目は……、なるほど」

 

 ヴォルデモートの視線はアラベラ・フィッグというスクイブの女性が住んでいる家に向けられた。

 

「まさか、スクイブ如きに一任するとは……」

 

 一応、ダンブルドアが組織した不死鳥の騎士団の残党らしき者達が本人に気づかれない範囲で顔を見せていたが、腰を据えているのは彼女一人のようだ。

 恐らく、ハリーの現状をダンブルドアの息のかかっていない者に見られたら保護しようと動く者が現れる事を懸念したのだろう。

 

「ハリーが分霊箱になっている可能性に気づいたのだろうな」

 

 ヴォルデモート卿は額の傷に触れながら呟いた。

 ダンブルドアならば気づいてもおかしくはない。そして、ヴォルデモート卿は分霊箱をすべて破壊しない限り不滅だという事にも感づいている筈だ。

 ダンブルドアは母親の守護を継続させる為の他にハリーの自尊心をダーズリー家が徹底的に破壊してくれる事も期待しているのだろう。彼は分霊箱となったハリーを復活するであろうヴォルデモート卿と争わせ、最後には自ら死を選ばせる腹づもりだ。自己犠牲の為には自分という存在を他者よりも下に見る精神性が必要となる。

 

「好都合だ」

 

 スクイブが相手ならばいくらでも誤魔化せる。

 ヴォルデモート卿はダーズリー邸へ戻って行った。

 兎にも角にも、まずは少し歩いただけでヘバリそうになっている肉体をどうにかしなければならない。

 二階に上がり、ダドリーが二十秒で飽きて放り出したダンベルをガラクタの山から発掘した。

 

「……ッフ、持ち上がらん」

 

 まさか、3kgのダンベルすら持ち上がらないとは思わなかった。

 ヴォルデモート卿は筋肉を作るより、まずは脂肪を作る必要があると判断した。

 

「……しかし、最初はスープからだな」

 

 先は遠そうだ。ヴォルデモート卿は少し深めの息を吐いた。



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第二話『魔法界への帰還』

 ソファーで寛ぎながら、ヴォルデモート卿は思索に耽っている。

 九年前、彼は死喰い人という集団を率いて魔法界を支配しようとしていた。

 途中までは上手く事が運んでいた。忌々しき宿敵であるアルバス・ダンブルドアが率いる不死鳥の騎士団の妨害はあったものの、魔法省はほぼ掌握出来ていた。

 勝利の栄光まで後一歩だった。

 

「……予言に拘り過ぎたか」

 

 配下の一人であるセブルス・スネイプによって齎された情報。

 己を滅ぼす可能性を秘めた者の出現が予言された。

 真なる予言者による予言を彼は一笑に付す事が出来なかった。

 

「思慮が欠けていたな」

 

 時が指定されていたとは言え、もう少し情報を吟味するべきだった。

 せめて、予言の内容を完璧に把握する必要があった。

 

「……いや、それ以前の問題か」

 

 配下を服従の呪文で操り、間接的に殺害する手もあった。

 ハリーに杖を向ける前に自己犠牲の守護に気づくべきだった。

 

「老い故か、理性よりも感情を優先してしまった」

 

 幸か不幸かハリーの肉体を使っている事で、今は柔軟な思考が出来ている。

 これは思わぬ副次的効果だ。

 

「二度も同じ轍は踏まない。より慎重に動くとしよう」

 

 第二話『魔法界への帰還』

 

 一ヶ月掛けて、ヴォルデモート卿はダンブルドアが敷いた監視網の全容を把握した。

 やはり、監視役はアラベラ・フィッグのみだ。時折現れる不死鳥の騎士団は監視役というより、個人的な興味の下で現れている様子だった。

 魔法に関しても、大々的に魔法を使わなければ問題にならないものばかり。

 

「ハリーが俺様に乗っ取られる可能性を考慮していなかったのか?」

 

 ダンブルドアならばこの事態も想定して然るべきだ。

 それなのに、この杜撰な監視体制は何だ?

 

「罪悪感か?」

 

 ダンブルドアはハリーが虐待されて自尊心を折られる事を望んでいた。

 その事に罪の意識を抱いていて、良心の呵責に耐えられなかったのかもしれない。

 彼はより大きな善のために誰よりも冷酷となれる男だ。けれど、一度世界を救った幼子を地獄に突き落とし、その命を磨り潰す事には耐えられなかったのだろう。

 

「ありがたい」

 

 完全無欠の男に付け入る隙が出来た。

 それに杖を手に入れるまでは大人しくしている他ないと考えていたが、今の時点で動き出す事が出来る。

 ヴォルデモート卿は目の前の四人の子供達を見た。

 ダドリーが親交を結んでいる少年達だ。よく、ハリーを嬲っていた。

 

「君達にも働いてもらうぞ」

 

 マグルの子供などに魔法使いは注意を払わない。純血主義を糾弾している者達も心の奥底では彼ら(マグル)を取るに足らない愚劣な存在だと見下している。

 だからこそ、今の状況では手駒としてうってつけだ。

 手始めに魂を吸い取る。本質的には分霊であるヴォルデモート卿は他者の魂を得れば得る程に力を増大させる事が出来る。

 そして、魂を吸い取られた者は自我が希薄となり、ヴォルデモート卿の意のままに動く人形となる。

 まさしく一石二鳥というものだ。

 

「まずはテオ。君には俺様のアジトの一つに向かってもらう」

 

 テオはゆっくりと頷くと部屋を出て行った。ヴォルデモート卿が各地に用意していたアジトの一つへ向かったのだ。

 

「イアン、ジェフ。君にはマグルの家の素養ある子供を攫って貰う」

 

 イアンとジェフもテオに倣って部屋を出て行った。

 ダドリー軍団と呼ばれる彼らは揃いも揃ってデカい。ヴォルデモート卿が手を貸せば、人一人攫う事など容易い筈だ。

 

「最後にダニー。君にはこの街の人間の魂を集める中継地点になってもらう」

 

 手始めに彼の両親と兄弟の魂を捧げてもらう。それから友人の魂とその友人の家族の魂。手っ取り早く力を得る為には大量の魂を手に入れる事が重要なのだ。

 ダニーも部屋を出て行き、ヴォルデモート卿は深く息を吐いた。

 

「マグルに頼らなければならないとは……」

 

 実に不愉快だと彼は舌を打つ。

 そして、今日もダンベルを握る。貧弱な肉体を魔力で強化しながら鍛えていく。

 最近、少しだけ腕が太くなってきた。

 

 ◆

 

 それから更に一ヶ月が経過した。四人の子供達は見事に成果を上げていた。

 テオはアジトの一つを整備して、イアンとジェフがそこに魔法使いの素養を持った少年を連れ込んだ。

 そこに分霊の一部を忍ばせたダニーを向かわせ、魂を少年に注がせた。

 無数の魂は少年の無垢な魂と混ざり合っていく。

 

「い、いやだ……。なにこれ!? な、なんなの!? ぼ、ぼくの中に……わたしが……、おれ、あれ? わしはどうして……ここは?」

 

 悶え苦しむ少年にダニーの体で近づいていく。

 そして、鋭く研がれたナイフを突き立てた。

 

「ひがっ!? い、痛い!! やめて!! やめてくれ!! 痛いの! おねがいだから……、やめっ」

 

 喧しい口を近くのボロ布で塞ぐ。

 

「……まったく、面倒だ」

 

 ダニーの口で呟く。

 ヴォルデモート卿は杖を手に入れる必要があった。けれど、杖が手に入るダイアゴン横丁に入る為にはその杖が必要となる。

 故に彼は自ら杖を作る事にした。

 無論、通常の杖に使われる魔法生物の素材など手に入らない。アジトにも備蓄はなかった。

 それ故に魔力を持つ中で唯一手の届く生物を使う事に決めた。

 

「あぎっ……、やめっ……、たすけ……いたっ……」

 

 全身の魔力を一点に集める為に生かしたまま解体していく。

 魔力とは魂であり、魂とは感情や記憶であり、それらを生み出すパーツは脳だ。

 殺さぬように極上の苦痛を与えながら小さくしていく。

 両腕と両足はすでに無く、耳も鼻も削がれ、眼球もくり抜かれた。

 

「ひゃ……ひは……ひゃひゃ……」

 

 脳に魔力が十分貯まると、ヴォルデモート卿はダニーの手で彼の首を切り落とした。

 

「さて、鮮度が命だ」

 

 切り落とした頭から脳髄を取り出す。

 その中で最も重要な部分を切り取る。杖の芯となるものだ。

 これを黒檀を研磨した杖に沈めていく。

 

「さて、試してみるか」

 

 ここはヴォルデモート卿が全盛期に様々な魔術を施したアジトであり、ここでなら何をしても感知される恐れがない。

 ヴォルデモート卿は遠慮なく杖を振った。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 ダニーの肉体だが、魔法を操るのは魂だ。ヴォルデモート卿の魂を火種にして、杖は魔力を発揮した。

 人間の脳髄を芯とした杖は闇の魔術ととても相性がいい。

 バジリスクという魔法生物を象った炎が少年の死体を焼き尽くした。

 

「……まあ、こんなものか」

 

 やはり、専門家の作った杖と比べると酷い出来だ。

 とは言え、これでダイアゴン横丁に入る事が出来る。

 

「だが、まずは指輪を回収しなければ……」

 

 分霊という状態は思いの外に便利だ。

 魂を吸い出した者に逆に注ぎ込む事でこうして操る事が出来る。

 けれど、今のところは一人が限界だ。二人以上を同時に操る事が出来ない。今もダニーを動かしている間はハリーの肉体を部屋で眠らせている。

 おそらく、他の分霊を吸収する事が出来れば、操る事が出来る人数も増える筈だ。

 分霊箱はハリー・ポッターを含めると6つある。その中で最も回収し易いものが《マールヴォロ・ゴーントの指輪》だ。

 

「……この四人はハリー・ポッターと近すぎるな」

 

 ヴォルデモート卿は杖を振り、ダニーの体から返り血を拭い去った。

 

「テオ、イアン、ジェフ。お前達は戻っていろ」

 

 そう命じると、ヴォルデモート卿はダニーの体のまま街へ繰り出した。

 そして、通勤途中と思しきスーツ姿の男に触れた。

 

「なんだ?」

 

 スーツ姿の男が振り向くと、ヴォルデモート卿はその魂を瞬く間に吸い尽くした。

 そして、その手に杖を握らせ、意識を移す。

 

「さて、行くか」

 

 スーツの男、ハンスとなったヴォルデモート卿は物陰に隠れて杖を振るった。

 アジトから遠く離れた地に降り立つと、そのまま忌々しくも懐かしき屋敷へ向かっていく。

 そこは近くの村人から《リドルの館》と呼ばれている。嘗て、ここにはヴォルデモート卿の父母が住んでいた。

 

「何の御用で……?」

 

 屋敷の敷地に入ると、足を引きずっている老人が声を掛けてきた。

 庭師のフランク・ブライスだ。

 

「忘れ物を取りに来たのだよ」

「忘れ物? おまえ様は前にもここに来た事があるんで?」

「ああ、一度だけ」

「一度……はぁ、そうなんか……」

 

 老人の目が徐々に虚ろになっていく。

 ヴォルデモート卿が魂を吸い取ったのだ。

 

「君の老後の平穏を乱す気はない。大人しくしているがいい」

 

 ヴォルデモート卿は嘗て土の中に埋めていた指輪を取り出した。そして、その指輪から彼は魂の断片を回収した。

 

「一応、持ち帰っておくか」

 

 指輪をポケットに仕舞い込むと、ヴォルデモート卿はアジトへ戻った。戻った先にはダニーがいて、ヴォルデモート卿は彼に杖と指輪と意識を渡した。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 ダニーに渡った杖から炎が吹き出し、ハンスの肉体は灰とかした。

 

「さて、試してみるか」

 

 ダニーに意識を残したまま、ハリーに意識を移す。

 目論見は見事に成功した。二つの肉体を同時に操る事が出来る。

 

「では、行くとするか」

 

 指輪はアジトに保管し、ダニーの肉体で外に出る。

 そして、今度は通りすがりの老人に意識と杖を渡した。

 ダニーを帰し、キースという老人としてダイアゴン横丁の入り口がある《漏れ鍋》という店へ向かう。

 アジトはロンドンにあり、漏れ鍋は目と鼻の先だった。

 漏れ鍋にヴォルデモート卿が入ってきても、誰も気づかない。薄汚い老人に敢えて視線を向ける者もいない。

 彼は堂々と正面からダイアゴン横丁へ入って行った。

 

「……帰って来たぞ、魔法界よ」



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第三話『暗黒の時代の静かなる始まり』

 ダイアゴン横丁の一画で幼い少女が魔法界の玩具を専門的に扱っている店を目指して走っている。

 

「パパ! ママ! はやく!」

「走らないの!」

「エマ! ちょっと待ってくれ!」

 

 元気いっぱいな娘に振り回されている両親。実に微笑ましい光景だ。

 

「おっと」

 

 少女は父と母を急かす為に後ろを向いていた。だから、前を歩いていた老人に気づかなかった。

 

「きゃっ!」

 

 小さな悲鳴を上げる女の子に老人は「おやおや、すまないね」と謝った。

 少女の両親が慌てて駆け寄ってくる。

 

「コラッ! ダメじゃないの!」

「うちの娘が申し訳ありません」

「いえいえ、元気があって大変よろしい」

 

 好々爺然とした彼に両親はホッとした表情を浮かべている。

 

「それではワシはこれで……っと?」

 

 老人は急に倒れ込んでしまった。父親が慌てて支えようと手をのばす。すると、父親は僅かに目を見開いた。

 

「だ、大丈夫!? おじいちゃん!」

 

 娘は倒れてしまった老人を心配している。

 

「大変! すぐに治療出来る場所に連れて行かないと!」

 

 母は杖を取り出した。

 

「いや、大丈夫だよ」

 

 父は言った。彼の言葉通り、老人はすぐに起き上がり、何事も無かったかのように歩き去って行った。

 ポカンとした表情を浮かべる母娘に父は微笑みかける。

 

「転んでしまっただけのようだね。怪我も無かったみたいだ。それより、玩具を見に行くんだろう?」

「……うん!」

 

 父は娘の頭を撫でながら母と共に歩き出す。

 幸福な日常は何事もなく続いていく。

 

 第三話『暗黒の時代の静かなる始まり』

 

 ヒースガルド家は純血ながら、名家という程でもない中流階級の一族だ。

 当主であるヴィルヘルムは特に野心もなく、家族と過ごす平穏を心から愛する男だった。

 妻のセレナも夫の在り方に好意的で、娘のエマも同様だった。

 

「ハリーと同い年の少女。突出したものもなく、大衆に埋もれる程度の存在。実に理想的だ」

 

 ヒースガルド邸に帰ってくると、父は愛する妻と娘に呪詛を施した。

 魔法界を牛耳る為の大事な第一歩として、丁寧に作業を進めていく。

 

「エマ。ママの事を愛しているかい?」

 

 父は娘に問う。

 

「……パ、パパ?」

 

 娘は怯え切っている。見た事もない父の冷たい顔と虚ろな表情を浮かべる母の間で視線が泳いでいる。

 父は母に杖を向けた。すると、母は悲鳴を上げた。

 

「ママ!?」

 

 苦悶の表情を浮かべながら泣き叫ぶ母を見て、娘は父に縋り付く。

 

「やめて! ママに何をしているの!? パパ!」

「やめて欲しいかい?」

「当たり前でしょ!? パパ、どうしちゃったの!? なんで、ママにひどい事をするの!?」

 

 娘の言葉に父は微笑む。

 

「君に素直になってもらう為だよ、エマ。服従の呪文や洗脳を使うとダンブルドアに気づかれる恐れがある。だから、君には君のままでいてもらう必要があるんだ」

「……なにを言ってるの?」

 

 不安そうに瞳を揺らすエマに父は笑顔を向け続ける。

 

「そうだね。君にも一度、ママと同じ体験をしてもらおう。その方が、理解も深まる筈だ」

「……え?」

「や、やめて! ヴィル!!」

 

 拷問を受けて憔悴していた母は父の言葉に恐怖の表情を浮かべながら叫んだ。

 けれど、父は母の言葉を聞き流した。

 

「いくよ、エマ。しっかりと心に刻むんだ」

 

 そう言って、父は娘を拷問に掛けた。

 全身をくまなく釘で打たれたような痛みが走る。紅蓮の業火に焼かれ、氷に閉じ込められ、吸うべき空気を失い、酸の海に沈められた。

 狂ったように悲鳴をあげる娘に母は狂乱し、父に殺意を向ける。

 

「ヴィル!! やめなさい!! 今すぐに!!」

 

 鬼のような形相だと父は肩を竦めた。

 

「やめなさい? 誰に命令しているんだ?」

 

 父は母の頬を叩いた。

 その間も娘に対する拷問は続いている。

 成人した大人でも耐え難い苦痛に晒されて、九歳のエマの髪から瞬く間に色素が抜けていく。

 歯を一本ずつ引き抜かれ、爪を剥がされ、指を折られる。

 臓物を獣に喰い荒らされ、汚物を腹に詰められる。

 鼓膜が破れるほどの音が延々と鳴り続け、指一本動かす事の出来ない人形の檻に閉じ込められる。

 それらはすべてが幻影だ。クルーシオという磔の呪文。拷問に特化した闇の魔術の一つだ。

 

「セレナ。貴様とエマは俺様の役に立てるのだ。光栄に思うべきなのだ」

「……誰なの?」

 

 この時になって、ようやくセレナは気づいた。

 目の前の男は格好こそ夫と同じだけど、その中身は明らかに異なっている事に。

 変心したのではない。この男は別人だ。

 

「ああ、崇めるべき者の名を知りたいと思う事は当然だな。よく、その心に刻むがいい。我が名はヴォルデモート卿。それが貴様の主人の名だ」

「……うそ」

 

 ヴォルデモート卿。その名を知らぬ者などいない。

 言葉として発する事すら恐ろしい、闇の帝王の名だ。

 嘗て、暗黒の時代を築いた魔王が目の前にいる。その事にセレナは恐怖した。

 

「俺様はウソを言わない。貴様も俺様を疑う事は許さない。その事をまずは確りと躾けてやろう」

 

 母と娘の悲鳴が重なる。彼女達の絶望が新たなる暗黒の時代の始まりを告げる。

 娘はヴォルデモート卿の為に働く事となる。その腕には印が刻まれ、反抗的な態度を取れば母親が拷問を受けた。

 同い年の子供達が外を駆け回る間、彼女は知識を詰め込まれた。覚えが遅ければ母親が拷問を受けた。

 逃げようとすれば、母と共に拷問を受けた。

 

「子供らしく笑顔を浮かべるのだ、エマ」

 

 泣く事も禁じられた。自然な笑顔を仕込まれた。出来なければ拷問を受けた。

 寝ている間も母の叫び声が聞こえてくる。狂いそうになれば薬を飲まされる。

 ヴォルデモート卿の期待に応えられた時だけ、彼女と母親は人に戻れた。

 それが二年続くのだった。

 

 ◆

 

 エマを仕上げる合間にヴィルヘルムの肉体を使って魔法省内部にも仕掛けを施した。

 誰も知らない通り道を作り、誰も知らない部屋を作る。

 いずれ魔法省の高官に据えられる可能性の高い人材を見繕い、彼らの魂に印を刻む。

 その一方で、ダニーを筆頭としたダドリー軍団にも働いてもらった。マグルの子供だからこそ警戒されずに事を運ぶ事が出来た。

 魔法界の情報を秘密裏に流し、来たるべき時に爆発するように火種を仕込んでおく。

 ハリーの肉体も年相応のものに仕上がってきている。

 

「首尾は上々だ。残り一ヶ月といった所だな」

 

 ハリーの11歳の誕生日が近づいて来ている。

 その前後にホグワーツからの招待状が届く筈だ。

 

「……っふ、俺様とした事がセンチメンタルな気分に浸ってしまったな」

 

 ホグワーツ魔法魔術学校はヴォルデモート卿にとっても特別な場所だ。

 マグルの孤児院で鬱屈した日々を送っていた彼をダンブルドアが迎えに来た。

 あの時の感情を今でも鮮明に覚えている。

 悪夢からの解放。本当の自分を見つけた高揚感。未来に対する希望。

 

「ダンブルドアさえ殺害すれば、後はどうとでもなる」

 

 嘗ての戦いの日々を通じて分かった事がある。

 ダンブルドアだけなのだ。彼以外に脅威となる存在などいない。

 むしろ、アレが異常なのだ。手段を選んでいる癖に手段を選ばない者と拮抗出来るなど、常軌を逸している。

 

「だが、勝利は我がものだ。先手を打っている以上、後は詰将棋に過ぎない」

 

 時が満ちていく。その日が近づいてくる。

 一羽のフクロウが手紙をポストに投げ入れた時、運命が動き出す。

 世界を滅ぼす魔王は世界を救う英雄の顔で手紙を開き、迎え人を招き入れた。

 

「よう、ハリー! 元気か?」

 

 まるで縮尺を誤ったかのような巨体を縮こませながら嘗ての同級生が笑顔を向けてくる。

 ルビウス・ハグリッド。

 彼の前で悪しきマグルに虐げられる純粋無垢な少年を演じながら、ヴォルデモート卿はやれやれと溜息を零した。

 彼らとの関係性から怪しまれる可能性を避けるためとはいえ、アラベラ・フィッグの前でも同じようなやり取りを繰り返してきたが、その為に頭が痛くなる思いだ。

 バーノンやペチュニアに自由意志など残していない。彼らの罵声はヴォルデモート卿自身が考えたものであり、まさしく人形劇なのだ。

 その間抜けな真実をハグリッドは見抜けない。そういう男なのだ。愚かでウスノロで見たものを見た通りに信じ込む。例外があるとすればダンブルドアに何か吹き込まれた時だけだ。

 だから、簡単に騙される。バーノンに激昂し、ヴォルデモート卿に同情する様は実に滑稽だ。

 

「ハリー。お前さんは魔法使いなんだ」

 

 笑わないように耐える事がとても大変だった。



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第四話『体は子供、頭脳は大人! その名は……!』

 ルビウス・ハグリッド。彼とヴォルデモート卿はホグワーツで同じ時間を過ごした仲だ。

 彼は人と巨人のハーフであり、純朴な性格ながら狂気的な一面も持っている。アクロマンチュラという人語を解する程の知性を持ちながら人肉を愛する危険生物を学び舎で飼育し、あろう事か繁殖させた事があるのだ。

 あの時ばかりはヴォルデモート卿ともあろうものが絶句した。

 

「ハリー! まずはグリンゴッツに行くぞ。お前さんの父さんと母さんがお前さんのために遺してくれたもんだ」

 

 そんなハグリッドに連れられて、ヴォルデモート卿はグリンゴッツ銀行にやって来た。

 ここには分霊箱の一つが眠っている。ヴォルデモート卿はこっそりと一匹の子鬼に目をつけた。

 レストレンジ家の金庫を担当している子鬼だ。

 

「うわっ!」

 

 ヴォルデモート卿は自分でもバカみたいだと思いつつも転ぶ演技をした。

 そして、こっそりと近くの子鬼に触れた。

 

「大丈夫か!?」

 

 ハグリッドが慌てて起こしてくれる。

 

「う、うん。ありがとう」

 

 ヴォルデモート卿はほくそ笑んだ。

 成功だ。小鬼の中に魂の一部を埋め込む事が出来た。意識を分割し、子鬼をレストレンジ家の担当に近づける。

 

「ん? どうしたんだ?」

 

 持ち場を離れてやって来た同僚に困惑の表情を浮かべる子鬼。

 ヴォルデモート卿は操っている方の子鬼に手を伸ばさせた。

 

「おい、なんの真似だ?」

「落とし物だよ」

「ん? 落とし物だって?」

 

 落とし物という単語に意識が向いた一瞬の隙をついて、レストレンジ家の担当の子鬼に意識を入れ替える。

 すぐには行動しない。グリンゴッツの警備体制を完全に把握するまでは沈黙を守るつもりだ。

 

「おい、ハリー! こっちだぞ!」

「あっ、うん! ……はぁ」

 

 グリンゴッツの金庫破りよりもハグリッドの前で子供の演技をする方がキツイと感じるヴォルデモート卿だった。

 

 第四話『体は子供、頭脳は大人! その名は……!』

 

 支配した子鬼を通してグリンゴッツの警備体制を確認しながら、ハリーはハグリッドと制服を買うためにマダム・マルキンの洋装店に向かった。

 

「ハリー。すまんが『漏れ鍋』で元気薬を引っ掛けてきてもいいか? あのトロッコにはまいった……」

「大丈夫? 僕はへっちゃらだから、ゆっくりして来ていいよ!」

「すまんな、ハリー」

 

 ヴォルデモート卿は内心でガッツポーズを決めた。

 ハグリッドは巨人とのハーフのせいか魔力に対する抵抗力が強い。その為か魂の一部を忍ばせる事が出来なかった。

 そもそも、ハグリッドに手を出せばダンブルドアに気づかれる可能性も高まる。

 故に、彼の前では無垢な子供を演じなければならない。

 それがとても辛かった。

 

「……実に屈辱的だ」

 

 へっちゃらなんて言葉を使ったのは人生で初めての経験だ。

 

「さっさと用事を済ませて、ハグリッドが戻って来る前に一服するか」

 

 中に入ると藤色の服を来たマダム・マルキンが出迎えてくれた。

 彼女に押されるまま踏み台の上に立つと、隣にプラチナブロンドの少年がいた。

 嘗ての配下の一人にとても似ている。

 

「やあ、君もホグワーツかい?」

「そうだよ!」

 

 明るく元気な声で返事をするヴォルデモート卿。

 彼はあまり子供という存在に関心がなかった。それ故に子供とはこういう感じだろうというフィーリングで演じている部分がある。

 そんな彼をプラチナブロンドの少年はちょっと馬鹿そうだと感じていた。

 

「僕の父は隣で教科書を買ってるし、母はどこかその先で杖を見てる。これから二人を引っ張って、競技用の箒を見に行くんだ。一年生は箒を持ち込んじゃいけないってルールがあるみたいだけど、実に馬鹿げてる。父を脅して一本買わせて、こっそり持ち込んでやるつもりさ」

「へー、そうなんだ!」

 

 十中八九取り上げられるだろうなと思いながらヴォルデモート卿は「すごいねー」と言った。

 プラチナブロンドの少年はそんな彼に馬鹿そうだけど分かっているなと鼻の穴を膨らませている。

 

「君は自分の箒を持っているのかい?」

「ううん!」

「クィディッチはやるのかい?」

「うーん、どうかなー」

 

 ヴォルデモート卿はそろそろ辛くなってきた。

 けれど、ホグワーツに到着したら常にこの状態が続くのだ。

 その地獄に吐きそうになりながらも、ダンブルドアを抹殺するまでの辛抱だと自分に言い聞かせた。

 

「僕はやるよ! 父は僕が寮の代表選手に選ばれなかったら、それこそ犯罪だと言うんだ! 僕もそう思うね! 君、どの寮に入るか知ってるの?」

「うーん、僕わかんないなー」

 

 その返答に、そろそろプラチナブロンドの少年はヴォルデモート卿を知恵遅れなんじゃないかと思い始めた。けれど、幼馴染の二人の少年よりはマシかと肩を竦めた。

 

「まあ、ほんとの所は行ってみないとわからないけどね。でも、僕は絶対スリザリンだと思うんだ。家族みんなそうなんだよ。ハッフルパフなんかに入れられたら、僕なら自主退学を選ぶな。君もそう思うだろ?」

「そうだねー!」

「ほら、あの男を見てらん!」

「え?」

 

 少年の指差す方向にはハグリッドがいた。

 表情が歪みそうになる。

 一服するどころか、ただただ苦痛に満ちた時間を過ごしただけだった。

 

「まさに野蛮人って感じだ。きっとハッフルパフだね。まあ、学校に通っていたならって話だけどさ」

「どうだろうねー」

 

 それから少し話していると少年の方の採寸が終わった。

 

「じゃ、ホグワーツで会おう。たぶんね!」

「うん! またねー!」

 

 少年を見送ると、案の定、ヴォルデモート卿の嘗ての配下であるルシウス・マルフォイが彼と合流した。

 つまり、あの少年は彼の息子なのだ。

 子鬼に意識を半分割いている為にチャンスを逃してしまった。マルフォイの下にも分霊箱が一つあるのだ。

 もっとも、焦る必要はない。少年、ドラコ・マルフォイとはホグワーツで再会出来る。

 マルフォイ家の彼がスリザリンに選ばれない筈がなく、ヴォルデモート卿である彼も選ばれない筈がない。

 チャンスはいくらでも巡ってくる。

 

 ◆

 

 他の学用品も問題なく揃える事が出来た。

 残りは杖のみ。

 昔懐かしいオリバンダーの店に入る。杖といえばこの店だ。

 

「いらっしゃいませ」

 

 やわらかい声と共に店主のオリバンダーが現れると、ハグリッドが椅子を押しつぶした。

 座ろうとしたのだろうが、古い椅子には彼の体重を支える程の耐久力が無かったようだ。

 

「おお、そうじゃとも! まもなくお目にかかれると思っておりましたよ、ハリー・ポッターさん」

 

 相変わらず、オリバンダーは油断ならない男だ。

 魔法使いと杖の相性を見抜く眼力は他人に見えないものを見る事が出来る。

 ハグリッドが同行しているとはいえ、マグル出身の子供達にはホグワーツの教師が一人同伴する事になっている。

 それでもハリー・ポッターである事を見抜いたのはさすがであり、空恐ろしい。

 ヴォルデモート卿はボロが出ないように差し障りのない返事をしながらオリバンダーの持ってくる杖を試していった。

 そして、嘗て自分が使っていた杖と同じ不死鳥の尾羽根を芯とした杖を手に入れた。

 オリバンダーは不思議がっていたが、中身が同じなのだから必然でしかない。けれど、ヴォルデモート卿はそんな事をおくびにも出さず、奇妙な老人の奇妙な言葉に怯える子供を見事に演じ切ってみせた。

 

「……疲れた」

 

 ハグリッドと分かれ、ダーズリー邸に戻ってくると同時にヴォルデモート卿はベッドに倒れ込んだ。

 

「だが、収穫はあった」

 

 グリンゴッツの警備体制はほぼ把握出来た。

 それに、もう一つ思いがけない発見があった。

 ハグリッドはグリンゴッツでハリー・ポッターの金庫の他に、もう一つの金庫へ立ち寄った。

 そこで取り出したものはチラリとしか見えなかったが間違いない。

 

「賢者の石」

 

 いかなる傷も癒やすという命の水を生み出す魔法石。

 その価値は計り知れないものがある。

 いずれ、ハリーの肉体を捨て去る時が来るだろう。その時、賢者の石は大いに助けとなる筈だ。

 

「クハッ! 何のつもりで金庫から取り出したのかは分からんが、運命は俺様に味方しているようだな」

 

 ヴォルデモート卿は邪悪に嗤う。

 

「準備は整いつつある。世界を我が手に……!」

 

 その夜、彼は更なる運命の導きを感じる出来事に遭遇した。

 警備体制の穴をついてレストレンジ家の金庫からカップを盗み出そうと動き出すと、同時に別の金庫破りが現れたのだ。

 気づいたのはヴォルデモート卿が憑依している子鬼だけだったが、このチャンスを逃すわけにはいかない。別の子鬼に一時的に意識を入れ替え、騒がせ、元に戻ると一目散に金庫へ向かった。

 もう一方の間抜けな金庫破りは泣く泣く撤退していったようだが、ヴォルデモート卿の子鬼は見事にカップを手に入れる事が出来た。

 そのカップはヴォルデモート卿の魂の断片と共に多くの人の手を渡り、そして、彼の下へ届けられた。

 

「……二つ目。順調だな」

 

 そして、ホグワーツに向かう日がやって来た。



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第五話『ホグワーツ特急』

 ヴォルデモート卿はトランクを片手にキングス・クロス駅を歩いていた。

 

 ―――― あれれ~! ハグリッド! 空間拡張機能ってなんだろ~?

 

 そんな風に巧みにハグリッドを誘導し、内部に広大な空間を持つトランクをダイアゴン横丁で購入しておいたのだ。

 大荷物を汗水垂らして運ぶなどバカバカしい。

 その為にバカバカしい演技をしなければならなかったけれど、ダイアゴン横丁では常にバカバカしい演技を続けていたから吹っ切れていた。

 

「しかし、懐かしいな」

 

 9と3/4のホームに向かいながらヴォルデモート卿はセンチメンタルな感傷に耽っていた。

 今のハリーと同い年だった頃、同じようにキングス・クロス駅を歩いていた。

 未知の世界に足を踏み入れる事にワクワクしていた事を覚えている。

 

 ―――― これから、僕の本当の人生が始まるんだ。

 

 そんな風に希望を抱いていた。

 

「9と3/4番線……」

 

 感慨に耽りながら《9と3/4番線》の入り口を見つめていると赤毛の一族が現れた。

 恐らくはウィーズリー家の者達だ。純血の一族でありながら、ただの一度も帝王に与する事の無かった者達。

 実に忌々しい。

 ヴォルデモート卿は彼らが完全に立ち去るのを待ってから入り口を通る事にした。

 

「……変わらんな」

 

 9と3/4番線のホームには既にホグワーツ特急が停車していた。

 真紅の車体が実に美しい。

 居ても立っても居られなくなり、ヴォルデモート卿は汽車に乗り込んだ。

 鼻孔をくすぐる匂いさえ変わらない。

 

「魔法の世界だ……」

 

 ふらふらと空いているコンパートメントの中に入る。

 トランクを投げ出して、椅子に腰掛ける。

 

「これからホグワーツに出発するんだな」

 

 トランクを蹴りつける。すると、勝手に教科書が飛び出してきた。

 その中の一冊を手に取る。

 ホグワーツに入学する前、彼は教科書を諳んじられるくらい読み込んでいた。

 すべての教科書をだ。

 

「変身術、魔法薬学、闇の魔術に対する防衛術……」

 

 孤児院に居た頃から魔力を自在に操る事が出来た彼を周囲は恐れた。

 得体の知れない存在だと畏怖の眼差しを向けられ続けた。

 

 ―――― イカれてる!

 ―――― なんなのよ、こいつ!

 ―――― 気味が悪い……。

 

 異端として扱われた。異常者だと罵られた。手を伸ばしても振り払われて、居場所なんて何処にもなかった。

 まるで陸も見えない海の真ん中を漂っているようだった。

 いつも不安で、いつも恐ろしくて、だから、ダンブルドアが迎えに来た時は嬉しかった。

 マグルの世界に居場所が無いのは当たり前だ。本当の居場所は魔法の世界にあったのだ。

 そう確信した。ようやく、自分の居場所を得られるのだと喜んだ。

 

「魔法使いになろう」

 

 あの頃、教科書を広げながら夢見心地で呟いた言葉を口にする。

 半世紀以上も生きた男がみっともない。けれど、どうしてか頭脳よりも心が体を動かしてしまう。

 

「誰よりも魔法使いらしく在ろう……。誰もが模範とするような、誰もが認めてくれるような真の魔法使いに……」

 

 不思議だった。

 こんな事、久しく忘れていた。

 それなのに、鮮明に当時の記憶が蘇る。

 

「……クハッ」

 

 ヴォルデモート卿は微笑んだ。

 

「なってやるとも、嘗ての俺様よ」

 

 そう呟いた。

 

「すべての魔法使いの頂点に君臨する。魔法界のすべてを手に入れてみせる」

 

 第五話『ホグワーツ特急』

 

 汽車が駅を出発してからしばらく経った。

 ヴォルデモート卿は教科書を読み耽っていた。

 彼にとって、そこに学ぶべきものなど一つもない。教科書の著者以上の知識を既に有している。

 それでも彼は一文字一文字を丁寧になぞっていく。それは至福の時間だった。

 

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

 

 杖も持たずに呪文を諳んじる。

 初めて使った本格的な魔法だ。物体を浮遊させる事が出来る。

 彼はその授業で見事に寮の得点を得た。

 

「フェラベルト」

 

 変身術の基礎となる呪文。

 授業は無駄に難解で、自分ならもっと分かりやすく、効率的に指導出来ると思った。

 

「エクスペリアームス」

 

 武装解除の呪文だ。嘗ての敵対者達が好んで使っていた。

 魔法使いにとって、杖は半身であり、それを失う事は死にも近しい意味を持つ。

 けれど、本当の死には敵わない。実に愚かだと嘲笑っていた。

 その呪文をヴォルデモート卿は楽しげに呟いている。

 

「選択授業はどうしようかな……。占い学は却下だな」

 

 その頃にはホグワーツを後にしている筈だと考えながら、それでも彼は選択授業をどうするか悩んだ。

 魔法省で働く姿を夢想した。

 闇祓いとして戦う姿を夢想した。

 魔法生物を研究している姿を夢想した。

 

「……僕は魔法使いだ」

 

 ハグリッドに言われた時、彼は必死に笑いを堪えていた。

 それはいきなり信じると怪しまれると思ったからだ。

 別に当たり前の事を言われて苦笑しそうになったわけじゃない。

 嬉しかったのだ。自分が魔法使いだと言われる事が誇らしかったのだ。

 

 ◆

 

 更に少し経って、コンパートメントの扉をノックする音が聞こえた。

 恐る恐る中を覗き込んでくるのは忌々しきウィーズリー家の子だった。

 

「……ここ、空いてる?」

 

 空いてないと答えたかった。

 けれど、それはハリー・ポッターとして正しくないと理性が囁いた。

 

「どうぞ」

「ありがとう! 僕、ロンっていうんだ。ロン・ウィーズリー! 君は?」

 

 最初はオドオドしていた癖に、随分と社交性のある少年だ。

 ヴォルデモート卿は溜息を零しそうになりながらハリー・ポッターの仮面を被った。

 

「僕はハリーだよ! ハリー・ポッター! よろしくね、ロン!」

「ハリー・ポッターだって!?」

 

 予想通りと言えば予想通りの反応だ。

 魔法界を闇の帝王から救った英雄。それがハリー・ポッターなのだ。

 本人は暗黒の時代など知らない筈だけど、親から語り継がれているのだろう。

 その視線はヴォルデモート卿のおでこに向かっている。そこにイナズマの形の傷跡がある事も知られているのだろう。

 

「うん、そうだよ!」

「じゃ、じゃあ、君……、本当にあるの? その……、傷跡……」

 

 どうやら、彼は遠慮というものを知らないようだ。

 初対面の相手にずいぶんと踏み込んでくる。

 けれど、不愉快だと告げるわけにもいかない。

 

「うん、ほら!」

 

 傷跡を見せるとロンは大げさに反応してみせた。

 それからは苦行の時間の始まりだ。ロンはハリーに興味津々で次々に質問を飛ばしてくる。

 読書に戻る事も出来なかった。

 

 ◆

 

 ロンとの会話に対する苦痛が極限に達しかけていた時、新たなる客人が現れた。

 臆病そうな少年だ。彼はヒキガエルを探しているらしい。

 

「一緒に探すよ!」

 

 これ幸いとばかりにヴォルデモート卿は手を挙げた。

 ロンとこれ以上苦行を続けるより、ヒキガエルを探し回る方が幾分かマシに思えたからだ。

 それに、こういう親切は人脈を作る上で効果的だ。

 

「君はこっちから来たんだね? じゃあ、向こうの端から見てくるよ!」

「……あ、ありがとう! 親切なんだね!」

「困っている人を助けるのは当たり前さ!」

 

 そう言うとヴォルデモート卿はさっさとコンパートメントを離れた。

 歩いていると車内販売の魔女とすれ違った。

 

「……あれ?」

 

 何故だろう。そんな筈はないのに嘗て子供時代にお菓子を売ってもらった車内販売の魔女と同じ人のように感じた。

 けれど、彼の子供時代とは半世紀以上前の事だ。

 

「まさかな……」

 

 似ているだけだろう。

 あの頃既におばさんだったのだ。今では生きていたとしても老婆になっている筈だ。けれど、彼女の背筋はピンとしているし、実に若々しい。

 ヴォルデモート卿は思考を切り替えてヒキガエル探しに集中した。

 結局、ヒキガエルは貨物室の中にいて、ペットを取り戻す事が出来たネビルという少年はヴォルデモート卿に対して大きな恩を感じるに至る。

 まさか、彼が両親を廃人にした憎むべき死喰い人の親玉とも知らずに……。

 

「……ロングボトムの息子か」

 

 ポッター家襲撃の切っ掛けとなった予言は該当者が二人いた。

 一人はもちろん、ハリー・ポッター。

 そして、もう一人は彼だった。ネビル・ロングボトム。太っていて、実に間抜けそうだが、ヴォルデモート卿は彼と接点を持てた事を運命の女神に感謝した。

 殺すにしても、利用するにしても、良好な関係を築いておいて損はない。

 去って行く彼の背中を見ながらヴォルデモート卿はほくそ笑んだ。



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第六話『組分けの儀式』

 コンパートメントに戻ると、ロンはぐっすりと眠っていた。話相手が居なくなって暇になったのだろう。

 彼のネズミがビーフジャーキーを齧っている。

 

「やれやれ……」

 

 呑気なものだとヴォルデモート卿は思った。

 彼はそのネズミが嘗ての配下の一人であるピーター・ペティグリューである事に気づいていた。

 まさか、人間のペットとして生きているとは思わなかった。人としての尊厳を完全に捨て去っている。

 

「だが、これもまた運命の導きというものかもしれんな」

「キュ?」

 

 正体が醜悪な小男とは思えないほど愛嬌のある仕草だ。

 

「カップを回収したおかげで支配出来る人間の数が一つ増えた。貴様にも役に立ってもらうぞ、ワームテールよ」

「キュッ!?」

 

 目を見開くネズミは次の瞬間、支配者たる存在に頭を垂れた。

 その様にヴォルデモート卿は満足の笑みを浮かべる。

 ワームテールは十年前、ポッター家の《秘密の守り人》だった。その者が漏らさぬ限り、如何に闇の帝王と言えどもポッター家を見つける事は不可能な筈だった。

 けれど、彼は親友であるジェームズ・ポッターとその家族を裏切った。秘密をヴォルデモート卿に明かしたのだ。

 その事に唯一人気づいた男がいた。シリウス・ブラックという名の青年だ。彼は怒り、ワームテールに裁きを与えようとした。

 だが、ワームテールはペットとして生きる事も辞さない程に生き汚い男である。

 学生時代は落ちこぼれだった癖に小賢しくもブラックを罠に嵌め、世間にブラックこそが死喰い人であり裏切り者だと信じ込ませ、自分は英雄として死んだように見せかけたのだ。

 そのようなバックグラウンドがあるからこそ、この男は有用だ。ネズミに変身出来る点も素晴らしい。

 これ以上ない捨て駒だ。

 

「ふふふ……」

 

 満足気に微笑みながら、ヴォルデモート卿はロンが来る前に読んでいた教科書に視線を落とした。

 今度こそ至福の時間を邪魔されない事を願いながら……。

 

 第六話『組分けの儀式』

 

 汽車は無事にホグワーツの最寄り駅であるホグズミード駅に到着した。

 擬似的な分霊箱となったペットのスキャバーズを通して精神にそれとなく干渉を施した事でロンは実に良い友人となった。

 口数はめっきり減り、パーソナル・スペースというものを弁えられる人間になった。

 

「イッチ年生! こっちだぞ!」

 

 汽車から降りるとハグリッドの声が聞こえた。ヴォルデモート卿を見つけると、彼はニッコリと微笑んだ。

 

「行こうか、ロン!」

「……うん」

 

 ロンと共にハグリッドの背中を追いながら、ヴォルデモート卿は少し先の方を歩くエマの背中を見つけた。

 二年間の教育によって、彼女は忠実な下僕となった。

 彼女とスキャバーズを使えば、ヴォルデモート卿自身は堂々とハリー・ポッターとして振舞う事が出来る。

 

 ◆

 

 しばらく歩くと、ハグリッドは新入生達を四人乗りの小舟にそれぞれ乗せた。

 二年生になるとセストラルが引く馬車に乗せられるから、この瞬間は特別なものとなる。

 小舟に揺られながら彼らを待ち受けるのは満天の星空をバックにして幻想的に佇むホグワーツ城の威容だった。

 子供達が静かな歓声をあげる。

 

「……ああ、素晴らしい」

 

 ヴォルデモート卿もその感動を噛み締めていた。

 そして、小舟は城の地下にある船着き場へ到着した。

 ハグリッドに先導されて進んだ先にはホグワーツの城門があり、その先には一人の老魔女がいた。

 

「ようこそ、ホグワーツへ」

 

 ミネルバ・マクゴナガル。ホグワーツの副校長にして、グリフィンドール寮の寮監だ。

 彼女は十年前の戦争で不死鳥の騎士団に所属していた。その卓越した力でヴォルデモート卿に辛酸を舐めさせた事もある女傑である。

 彼女に導かれて城の内部へ入って行く。

 通されたのは大広間に隣接している小部屋だ。ここには厨房への隠し通路が存在している事をヴォルデモート卿は知っていた。

 

「ここで学校側の準備が出来たら戻ってきます。それまでは静かに待っていて下さい」

 

 そう告げるとマクゴナガルは部屋から出て行った。

 すると、途端に周囲の子供達がざわめき出した。

 

「組分けって何をするのかな?」

「痛いって聞いたよ……」

「フィニート……、インセンディオ……、ウィンガーディアム・レビオーサ……」

 

 中には覚えたての呪文を延々と諳んじている奇妙な女の子もいた。

 誰も彼もが組分けに意識を持っていかれている。

 

「……さて」

 

 組分けの儀式は組み分け帽子という古代の魔法道具を使って行われる。

 偉大なるホグワーツの創設者の一人、ゴドリック・グリフィンドールの所有物だった物であり、その内には四人の創設者の力が注がれている。

 組み分け帽子はその者の心の奥底を見通して相応しい寮を選ぶのだ。

 ヴォルデモート卿にとって、これは少々厄介だった。組分け帽子の開心術は恐らくヴォルデモート卿の真実を暴いてしまう。それは困る。

 故に対策が必要だった。

 

「なんだ!?」

 

 周りは壁をすり抜けて現れたゴースト達に悲鳴を上げている。

 そんな中で徐々にヴォルデモート卿は魂の大部分をワームテールの方に移した。

 そして、残された微かな魂の断片でハリーの肉体を操作する。後は組分けの瞬間に残りの断片もすべて移してしまえば組み分け帽子に正体を知られずに済む筈だ。

 心の無い肉体を組み分け帽子がどう判定するか不明だが、どの寮に配属されても問題はない。

 必要な事は彼がハリー・ポッターでいる事だけなのだから。

 マクゴナガルが戻ってきて、いよいよ新入生達は大広間へ連れて行かれた。

 嘗ての頃と変わらず恒例となっている組み分け帽子の奇妙な歌の後、組分けの儀式は開始された。

 

「ハリー・ポッター」

 

 マクゴナガルがハリーの名を呼ぶと、大広間中の人間の意識が彼に集中した。

 そんな中、ぼんやりとした様子で壇上に上がるハリー。

 椅子に腰掛けると同時にヴォルデモート卿は魂の断片を完全にワームテールへ移した。

 もっとも、戻る為に極小の断片を残していたけれど、それは発見されても問題ない。ハリーが分霊箱である可能性にはダンブルドアも気づいている筈だからだ。

 

「……ハッフルパフ!!」

 

 長い沈黙の後、組み分け帽子は叫んだ。

 ハッフルパフは歓声をあげるが、多くの者は意外そうな表情を浮かべている。

 その寮は劣等生の寮として有名だったのだ。

 魂をハリーに戻し、ヴォルデモート卿はゆっくりとハッフルパフの席へ向かった。

 

「やあ! アーニー・マクラミンだ。よろしく!」

「よろしく、アーニー」

 

 温和な生徒が多い事でも知られるハッフルパフの席は意外と居心地が良かった。

 ハリー・ポッターである事に興奮する者はいても、それでパーソナル・スペースを不躾に侵すような事はせず、穏やかな自己紹介で済んだ。

 ヴォルデモート卿はリラックスしながら組分けの続きに意識を傾けた。

 

「スリザリン!!」

 

 胸にワームテールを抱いていた影響か、ロンはスリザリンに配属された。

 ウィーズリー家の子がスリザリンに配属された事を教師達は驚いている。スリザリンの生徒も歓迎しているような雰囲気ではなく、グリフィンドールの席では「なんだって!?」「ウソだろ、ロン!?」「なんてこった!?」というロンと同じような赤毛の少年達の悲鳴が聞こえて来た。

 ちなみにエマもスリザリンに配属されている。ヴォルデモート卿としてもロンにはスリザリン以外の寮に入って欲しかったが仕方がない。

 

「ウィーズリーの子がスリザリンなんて意外だね」

 

 ヴォルデモート卿の右斜前に座るザカリアス・スミスの言葉を聞き流しながらヴォルデモート卿は目の前の空の器を見た。

 そろそろ空腹が限界に近づいていた。



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第七話『完全復活』

 組分けの儀式が終わり、ヴォルデモート卿は改めて大広間を見回した。

 そして、気づいた。

 

「……なん、だと?」

 

 ホグワーツの教員達が座る席。そこに本体(オリジナル)がいた。

 教師の一人に取り憑いているようだ。

 アルバス・ダンブルドアとヴォルデモート卿が並んで教員席に座っている。

 あまりの事に飲んでいたカボチャジュースを吹き出しそうになった。

 

「ど、どうしたの?」

 

 心配そうに声を掛けてくるアーニーに「問題ないよ」と返しながらオリジナルとダンブルドアの方に視線を向ける。

 ダンブルドアは気づいていないのだろうか? そんな筈はあるまい。恐らくは気づいている筈だ。何故なら、彼はアルバス・ダンブルドアなのだから。

 仮に気づいていなかったらエマやワームテールを使って自分の存在を徹底的に隠そうとしているヴォルデモート卿がまるでバカみたいだ。

 きっと、オリジナルとダンブルドアは既に熾烈な頭脳戦を繰り広げている筈だ。

 

「ハリー! このタンドリーチキン最高だよ!」

 

 アーニーの素朴な笑顔に救われる思いだった。

 ヴォルデモート卿はとりあえずオリジナルの事を置いておく事にした。

 いずれ接触する必要はある。だが、それは今ではない。こんな所で接触して正体を明かすわけにはいかない。

 

「うん……、おいしいね!」

 

 オリジナル(が取り憑いている教員)とダンブルドアがグラスをコツンと鳴らして乾杯している姿から目を逸らしながらヴォルデモート卿は食事に集中する事にした。

 もしかして、十年の間にオリジナルとダンブルドアが和解して仲良くなったとかいう超展開が起きているのではないかと彼は本気で悩みそうになった。

 

 第七話『完全復活』

 

 食事が終わり、ダンブルドアの諸注意を聞き流した後、ヴォルデモート卿はハッフルパフの監督生に連れられて寮に向かった。

 実は結構ワクワクしていた。ハッフルパフの寮には特に用事が無かったから今まで一度も足を踏み入れた事がなかったのだ。

 入り口は屋敷しもべ妖精が忙しなく働いている厨房の奥にある樽の山だった。

 ヴォルデモート卿はこっそりとすれ違う屋敷しもべ妖精に触れておいた。

 

「いいかい? 君達にはこれから《ハッフルパフ・リズム》というものを覚えてもらうよ」

 

 監督生が言った。

 魔法界で最も多くの知識を蓄えている自負があるヴォルデモート卿はハッフルパフ・リズムという単語を初めて知った。

 小刻みに肩を上下させながらリズムを取り始める監督生。

 

「ヘイ! トントントトトン! ヘイ!」

 

 あの《ヘイ!》は必須なのだろうか?

 ヴォルデモート卿は真剣に考え込んだ。

 

「よーし、ハリー・ポッター! 折角だし、今日は君に開けてもらおうか!」

 

 オリエンテーションのつもりなのか、監督生はヴォルデモート卿に白羽の矢を立てた。

 まだ一回しか見ていない。《ヘイ!》に意識を持っていかれ過ぎて、完全に把握出来ているとも言い辛い。あまり無様な姿は晒したくなかった。

 

「やってみなよ、ハリー!」

 

 ところがアーニーが口火を切って、ハッフルパフのみんなに応援され始めた。

 

「君なら出来るよ!」

「がんばって!」

「大丈夫さ! 失敗しても笑わないよ!」

「ファイトー!」

「ハリーならいけるさ!」

 

 温かい雰囲気だ。逃げ出す隙が全く無い。

 溜息を零しそうになりながら「や、やってみるよ!」と言って樽の前に立つヴォルデモート卿。

 

「ヘイ!」

 

 とりあえず、見様見真似で樽を叩いた。

 

「トントントトントン!」

「あっ……」

 

 監督生の気まずそうな声が聞こえた。

 そして、いきなり上から熱々の(ビネガー)が降ってきた。

 お酢の酸っぱい匂いに涙が滲みそうになった。

 みんな、ヴォルデモート卿から距離を取った。

 さっきまでの温かい雰囲気は一変して、ヴォルデモート卿は馴染み深い孤独感に晒された。

 

「……ど、どんまい!」

「どんまい!」

「どんまーい!」

「どんまいどんまい!」

 

 どんまいのコールが響く中、ヴォルデモート卿は樽の山に悪霊の火を打ち込まないように耐えるのだった。

 

 ◆

 

 監督生に案内された風呂場でシャワーを浴びたけれど、ビネガーのツンとした匂いは中々取れなかった。

 魔法の石鹸の消臭作用すら上回る酢の匂い。そんな物を浴びせるハッフルパフの寮は他のどの寮よりもサディスティックだとヴォルデモート卿は思った。

 

「……ヘルガ・ハッフルパフは慈愛に満ちた女性との事だったが、あれはウソだな」

 

 げんなりしながらハッフルパフの談話室に戻ってくると、すでに生徒の姿はなかった。

 みんな、とっくに寝床に入ったらしい。

 

「ハリー!」

「!?」

 

 ちょっと薄情じゃないかと思っていたヴォルデモート卿はその声に目を丸くした。

 そこに居たのはアーニーだった。

 

「アーニー? 寝てなかったのかい?」

「ハリーを待っていたんだ! みんなも待ってるって言ってたんだけど、先に寝てもらったよ。僕、君とルームメイトだ! よろしくね!」

「……ありがとう、アーニー」

「へへ! 僕らの寝室はこっちだよ!」

 

 アーニーに案内されて、ヴォルデモート卿は寝室へ向かった。

 板張りの床、はちみつ色の煉瓦の壁、モダンな家具の数々。

 実に温かみのある部屋だ。

 

「いっぱい話したいけど、もうクタクタだ。明日から早速授業だっていうし、もう寝ようよ」

「うん、そうだね」

 

 それぞれ自分の荷物が置かれているベッドに横たわる。

 

「おやすみ、ハリー。良い夢を」

「おやすみ、アーニー。良い夢を」

 

 ヴォルデモート卿は僅かに微笑みながら瞼を閉じた。

 

 ◆

 

 そして、ワームテールの瞼を開いた。どうやら、ロンも既にベッドで眠っていたようだ。

 スリザリン寮では一人につき一つの寝室が与えられる。

 ヴォルデモート卿はワームテールを走らせた。ネズミらしく、実にすばしっこい。あっという間に目的地へ辿り着いた。

 オリジナルが居る筈の部屋だ。

 

『……来たか』

 

 ワームテールの方を彼は見ていた。

 頭にターバンを巻いていた教員。その男のターバンが解かれ、そこにヴォルデモート卿の顔があった。

 あまりにも醜悪な姿だ。

 

『ワームテール……いや、我が分霊よ』

 

 ヴォルデモート卿はワームテールを人間の姿に変身させた。

 

「……目的は賢者の石か?」

『その通りだ。今はユニコーンの血で命を繋ぎ止めているが、賢者の石を手にする事が出来れば完全復活を遂げる事が出来る』

「なるほどな」

『しかし、驚いたぞ。よもや、ハリー・ポッターを支配するとは……。あの時か?』

「ああ、ハリーを殺そうとした時、リリー・ポッターの加護がアバダ・ケダブラを跳ね返した。その時、同時にハリーの中に俺様の魂が紛れ込んだ」

『なるほどな……、面白い状況だ』

 

 オリジナルは言った。

 

『分霊箱が自我を持つ事も予想外の事だった』

「俺様が例外なのか、分霊箱が元々そういう術だったのか……。とりあえず、賢者の石を手に入れる事が先決だな。具体的なプランはあるのか?」

 

 オリジナルの言葉に頷きながら、ヴォルデモート卿は問いかける。

 

『無論だ』

 

 どうやら、オリジナルは既に賢者の石の在処を掴んでいたようだ。

 その守りについても把握していて、大方の攻略法も判明しているようだ。

 

「なるほど、既にチェックをかけているわけか」

『俺様が取り憑いているこの男も守り手の一人なのだ』

「……罠ではないのか?」

『その可能性もある。だが、賢者の石を手に入れる為ならばリスクを背負う覚悟は必要だ』

「確かにな……。しかし、場所が分かっているならリスクを避ける方法はある」

『ほう……、言ってみるがいい』

「屋敷しもべ妖精を使う。連中の魔力は特殊だ。ホグワーツに張られている術をすり抜け、姿現しも可能な筈だ」

『屋敷しもべ妖精か……。(いささ)か、盲点だったな』

「ハッフルパフの寮に向かう途中、たまたま見掛けてな。それで思いついたわけだ」

『なるほど、つまり……』

「ああ、チェックメイトだ」

 

 使う可能性を考慮して、既に屋敷しもべ妖精の一体に魂の断片を忍び込ませていた。

 意識を屋敷しもべ妖精の方にシフトする。ロイエルという名の屋敷しもべ妖精は幸運にも他の屋敷しもべ妖精から離れた場所でホグワーツの壁を磨いていた。

 ヴォルデモート卿は屋敷しもべ妖精を操り、オリジナルが調べ上げた賢者の石の保管場所へ姿現した。

 台座の上にポツンと真紅の石が置かれていた。

 

「クハッ! 手に入ったぞ、賢者の石!」

 

 賢者の石を確保すると同時に姿くらまして、ヴォルデモート卿はオリジナルの下へ戻った。

 

「ほら、賢者の石だ」

『……素晴らしい』

 

 賢者の石を渡すと、そのままヴォルデモート卿は遠い地の火山の火口へ移動した。

 そして、落下しながら魂を屋敷しもべ妖精からワームテールの下へ戻した。

 

「これでよし」

 

 今頃はマグマに焼かれて死んでいる筈だ。

 

「これで完全復活というわけだな」

『ああ、完全復活だ! 喜ばしい事だ。そうだろう? クィレルよ』

「……は、はい……、よ、よ、喜ばしい……、は、はい、ことにございます」

 

 それまで黙って俯いていたオリジナルの依り代であるクィリナス・クィレルは青褪めた表情を浮かべながら言った。

 そして、命じられるままに賢者の石から命の水を精製する。

 既に賢者の石が盗み出された事をダンブルドアも察知しているだろう。しかし、もう間に合わない。

 命の水の精製など、ヴォルデモート卿の手に掛かれば容易き事である。

 コップに注がれた水をクィレルは恐ろしげに掲げ、後頭部に宿るヴォルデモート卿の口に注ぎ込んだ。

 その直後、変化が始まった。クィレルは悲鳴を上げ、悶え苦しみ、そして、彼の後頭部からヴォルデモート卿のオリジナルの魂が抜け出した。

 魂は空中を蠢き、やがて光と共に物質を生成し始める。

 最初は骨格が出来上がった。次に筋肉だ。そして、血管や神経が張り巡らされ、その上を皮膚が覆う。

 今、ここにヴォルデモート卿は完全復活を遂げたのだった。 



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第八話『二人の帝王』

 ヴォルデモート卿の考え通り、アルバス・ダンブルドアは賢者の石が奪われた事にすぐに気がついた。

 ペットである不死鳥のフォークスと共に賢者の石の保管場所へ姿現した彼は杖を振るった。

 魔力は空間全体に瞬く間に染み渡り、この場で起きた出来事をダンブルドアに教えた。

 

「……なんと、屋敷しもべ妖精を使うとは」

 

 ダンブルドアは瞠目した。魔法生物が持つ魔力は人のそれとは異なる場合が多々ある。ホグワーツに施された術の多くは人に対する者であり、屋敷しもべ妖精の魔力はその干渉を受けるものではなかったようだ。

 想定出来る事態だった。けれど、ダンブルドアはその対策を怠っていた。

 ヴォルデモート卿は己以外のあらゆる存在を見下している。純血の魔法使いであっても、彼にとっては使える駒かどうかでしかない。

 己の状態が如何に惨めで非力なものになっていても、下等な存在の力に頼る事はないと考えていた。それは彼のプライドが許さない筈だと……。

 

「甘く見ておった」

 

 恐らく、ヴォルデモート卿は既に復活を果たしている。

 おまけに賢者の石を確保している事で死を完全に克服してしまっている。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 復活を果たしたヴォルデモート卿の行動に推理する。

 彼の目的は魔法界の掌握だ。その為に障害となるダンブルドアの殺害を目論むだろう。

 単純に一騎打ちを挑んで来てくれるのならば問題ない。ダンブルドアが所有している杖は《ニワトコの杖》だ。死の秘宝とも謳われる伝説的な杖であり、決闘ならば負ける事はない。

 だが、そう単純な手は打ってこないだろう。ヴォルデモート卿は大胆でありながら慎重でもある。無策で動く事は決してない。

 故に、最初は陣営の再構築に力を注ぐ筈だ。潜伏している死喰い人をまとめ上げ、いずれはアズカバンの囚人達を解き放つだろう。そこから更に魔法省へ干渉を開始してダンブルドアが孤立するように動く。

 

「いや、それも希望的観測じゃな……」

 

 彼は死を克服しているのだ。想定よりも大胆に動く可能性が高い。

 ダンブルドア自身をいきなり狙ってくる事はないだろう。けれど、それ以外の者は別だ。

 

「……狙うとすればハリー・ポッターか」

 

 組分けの儀式を思い出す。少しボヤッとした感じの少年。彼が組み分け帽子を被るとハッフルパフの寮に選ばれた。

 後で帽子に組分けの理由を訪ねてみると、彼の心には虚無が渦巻いているとの事だった。

 己の意思など欠片もなく、未来に対する希望もない。ただ、目の前の光景を素敵なものだと感じている事だけが伝わって来たと言う。

 その僅かな光の感情を汲み取って、組み分け帽子は彼をハッフルパフに選んだ。

 

「ハリー……」

 

 十年前、ダンブルドアはヴォルデモート卿に襲撃されたゴドリックの谷の生家からハリーをハグリッドに連れ出させた。そして、彼の親戚であるダーズリー一家に預けた。

 ミネルバ・マクゴナガルから『あの家の者はマグルの中でも最悪です』と警告を受けていた。

 それでもハリーを託したのはペチュニア・ダーズリーがハリーの血縁であるからだ。血の繋がりはリリー・ポッターが彼に施した守護の力を永らえさせる事が出来た。

 加えて、ハリーはヴォルデモート卿の分霊箱になっている可能性があり、その場合は彼にヴォルデモート卿の死の呪文を自ら受けさせなければならない。その決断を下す為には自らを他者よりも劣った存在、あるいは尊ぶべきものではないという意識を根底に根付かせる必要がある。ダーズリー家はその為に必要な事をしてくれた。極度の虐待による自尊心の崩壊。その目論見は見事に当たり、彼は自分というものを見失っている。

 

「わしは地獄に堕ちる。けれど、その前に為すべき事をしよう」

 

 罪の意識と後悔の念を押し殺し、ダンブルドアは計画を組み立てていく。

 より大きな善の為に……。

 

 第八話『二人の帝王』

 

「さて、早速計画を煮詰めようではないか」

「ああ、そうだな」

 

 二人のヴォルデモート卿がクィリナス・クィレルの部屋に置かれていた椅子に対面で腰掛けている。

 その様にクィレルの顔は青白いを通り越して死人の如き土気色になっている。

 

「まずはバジリスクを解き放つ」

 

 一方のヴォルデモート卿が言った。

 

「マグル生まれの生徒を幾人か殺し、ダンブルドアの注意を引き付ける」

「同時にドラコを経由してルシウスを動かすとしよう。理事会を動かし、揺さぶりをかける」

 

 恐らく、ダンブルドアはヴォルデモート卿がまず陣営の再構築に心血を注ぐと考えている筈だ。あるいは予言の子であるハリーの殺害を目論む筈だと。

 だが、ハリーは既にヴォルデモート卿の支配下にある。彼にとっての脅威はもはやダンブルドアのみなのだ。

 

「それでも隙を見せぬのなら、生徒の命と引き換えに命を差し出すよう命じればいい。あれには一番効果的だろう」

 

 その言葉にクィレルは歯をカタカタと鳴らした。ヴォルデモート卿の下僕として動き、その復活に加担した。

 それは彼に命を握られていたからだ。恐怖に屈し、彼は己の命を惜しみ、死喰い人となった。

 己の命の為ならば他人の命などどうでもいい。そう考えていたけれど、これからダンブルドアの殺害の為に多くの生徒が殺される事を知って、何も思わないほど冷酷にもなれなかった。

 

「ああ、その前に下僕の忠誠心を確かめてみようではないか」

 

 ワームテールの体を使っている方のヴォルデモート卿が言った。

 その眼差しはクィレルの内心を見抜いていた。

 正義にツバを吐きかけながら、悪にも堕ちきれぬ半端者。そんな男を虫けらの如く見下ろしながら杖を向ける。

 

開心せよ(レジリメンス)

 

 クィレルは心を暴かれた。僅かに灯った良心の火を主人に知られてしまった。

 

「ああ、いけない。いけないなぁ、クィリナス・クィレルよ」

 

 残酷な眼差しがクィレルを貫く。

 

「あっ……、あっ……」

 

 目を見開き、全身から汗を吹き出させ、涙と鼻水と小便を垂らしながらクィリナスは地面に頭を擦りつけた。

 

「お、お許し下さい、我が君! どうか……、どうか……!」

 

 見る間に彼の体は皺だらけになっていく。髪があれば真っ白になっていた事だろう。

 

「顔を上げるのだ、クィレルよ」

「ひっ、ひぃ……」

 

 爪先でクィレルの顎を持ち上げる。その顔はまるで寿命が迫る老人のようになっていた。

 

「なんという様だ、クィレル。そんなにも俺様が怖いのか?」

 

 その問いかけになんと答えればいいのかクィレルには分からなかった。

 怖いと答えても、怖くないと答えても反感を買うのではないかと怯え切っている。

 

「ならば、クィレルよ。俺様を喜ばせるのだ。その為に出来る事がなにか? 自分で考え、実行してみせるのだ」

「……はっ、はひぃ」

 

 ガタガタと震えながらクィレルは何度も頷いた。

 

「俺様を怒らせる事よりも怖い事など何もない。そうだろう? クィレルよ」

「……そ、その、そのとおりでございます」

「期待しているぞ、クィレル。このヴォルデモート卿が貴様に期待しているのだ。分かっているな? クィレルよ」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 もはや、彼に良心の火は灯っていない。生徒の命などどうでもいい。ただ、自分が生きる事だけを望んでいた。

 その為に出来る事を必死になって考えている。

 その哀れな姿を二人のヴォルデモート卿は嘲笑う。

 クィレルが保管していたワインを口に運ぶ。

 今宵の酒は実に味わい深い。

 

「反撃の暇など与えぬ。貴様は一人だ。貴様以外の有象無象など俺様の敵にはなり得ぬ。アルバス・ダンブルドア。我が唯一無二の宿敵よ」

「その命は俺様の未来の礎となるのだ。貴様の力、貴様の名声、貴様の魂は我が糧となる。誇るがいい、ヴォルデモート卿が貴様を対等と認めてやる」

 

 ワイングラスを鳴らし、二人のヴォルデモート卿は邪悪に嗤う。

 そして、翌日、最初の授業が始まったホグワーツに悲鳴が響き渡った。



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第九話『惨劇』

 ホグワーツの新学期。新入生達はもちろんの事、在校生や教師達にとっても希望溢れる一日となる筈だった。

 けれど、その希望は血塗れの惨殺死体と共に打ち砕かれた。

 

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 損壊した肉体が杭で壁に打ち込まれている。

 あまりにも凄惨過ぎる光景に目撃した生徒は胃の中身を吐き出した。

 悲鳴が悲鳴を呼び、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していく。

 その中で教師の一人が気づく。その死体は一人のものではなく、そして、複数の者の肉で文字が描かれている事に。

 

 秘密の部屋は開かれた

 偉大なるサラザール・スリザリンの意思の下、穢れた血に死を

 

 秘密の部屋。それはホグワーツに伝わる伝説の一つ。千年以上前、ホグワーツの創設者の一人であるサラザール・スリザリンがどこかに隠したという継承者の為の部屋。

 そこには恐ろしい怪物と死が封じられていると言われている。

 

「……なんという事だ」

 

 教員の一人であるセブルス・スネイプは即座に校長室へ向かった。

 この事態を解決出来る者など一人しかいない。

 

「校長!」

 

 校長室に向かう途中でスネイプは走ってくるアルバス・ダンブルドアと合流した。

 

「生徒の身元は?」

「フリットウィック教諭が確認しております。制服から、少なくともレイブンクローの生徒である事が判明した為……」

「……なんという事じゃ」

 

 ダンブルドアはこれがヴォルデモート卿の攻撃である事に気づいていた。

 秘密の部屋は五十年程前にも開かれた事がある。そして、一人のマグル生まれの少女が殺害された。

 当時、その犯人として逮捕された者は現在のホグワーツの森番であるルビウス・ハグリッドだった。

 けれど、あの頃からダンブルドアは真犯人が別にいる事に気づいていた。その者は今また秘密の部屋の封印を解いた男と同一人物であると。

 

「生徒を守らねばならぬ。セブルスよ、急ぎ魔法省へ向かうのじゃ。闇祓い局に応援を求めよ!」

「かしこまりました」

 

 スネイプは暖炉がある最も近い部屋を目指して去って行った。

 彼と別れたダンブルドアは事件の現場へ辿り着く。

 そのあまりにも禍々しい光景に平静を保つ事が難しくなった。

 

「……なんという事を」

 

 死体で描かれた文字の下でフリットウィックが涙を流している。

 

「フィリウス。彼らの身元は?」

 

 ダンブルドアが問うと、フリットウィックは顔を歪めながら呟くように答えた。

 

「アンソニー・ゴールドスタイン……。マイケル・コーナー……。ユリーカ・アインシュタイン……。エレノア・ラングーネ……」

 

 ダンブルドアは今年の新入生の名簿に彼らの名がある事を覚えていた。

 四人共、一方の親は魔法使いや魔女だったけれど、もう一方の親がマグルの半純血だった。

 完全なマグル生まれを狙わなかった理由はおそらく、彼らの親にホグワーツを糾弾してもらう為だろう。

 残忍であり、大胆であり、狡猾な手だ。

 

「うそだ……、うそだ、マイケル!!」

「エレノア……いや、いやよ……」

「ユリーカ!!!」

「アンソニー……そんな……」

 

 彼らと親しかった者達の慟哭が響き渡る。他の生徒達も恐慌状態に陥っていた。

 泣き叫ぶもの、吐く者、喚き立てる者。

 監督生や首席の生徒も彼らに注意出来る程の余裕などなく、教師達すらも動揺を抑え切れていない。

 

「……マクゴナガル先生。フリットウィック先生。スプラウト先生。生徒を大広間へ。スネイプ先生には他の事を頼んでおるからスリザリンの生徒の事も頼む」

 

 ダンブルドアは簡潔に指示を下すとそろそろスネイプが戻って来る頃合いだろうと判断して校長室へ向かった。

 そして、校長室の前に辿り着いた時だった。

 一人の生徒が近くで蹲っていた。 

 ダンブルドアはすぐに杖を取り出した。

 

「……さすがだな、ダンブルドア」

 

 その生徒はグリフィンドールの五年生だった。

 多少校則を軽んじるところはあっても、人を思いやる心を持っている少年だ。

 彼は蹲ったまま杖を握っていた。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 放たれる悪霊の火をダンブルドアは大量の水を召喚して対応した。

 

「素晴らしい! だが、いいのか? そうやって防がれると、悪霊の火はどこへ向かうか? きちんと考えたか?」

 

 生徒の口を通じてヴォルデモート卿が悪意を囁く。

 ヴォルデモート卿は魂を生徒から切り離した。その時点で悪霊の火は制御を外れ、暴走を開始する。

 前を進むにはダンブルドアの水が邪魔であり、悪霊の火は水無き方向へ向かっていく。

 そこには術者である少年がいた。呆然と迫り来る炎を見つめている。

 

「……え?」

 

 飲み込まれる寸前、ダンブルドアは水と炎の壁を潜り抜けた。

 少年を抱きかかえ、ニワトコの杖を振る。

 再び繰り出される水の魔力は最強の闇の魔術である悪霊の火を飲み込んだ。

 

「今のは……」

 

 罠にしては稚拙だ。そして、ヴォルデモート卿はダンブルドアに一つの情報を与えた。

 生徒に憑依する力。その存在を知った時、ダンブルドアは青褪めた。

 憑依する条件は分からない。本体が憑依したのか、あるいは分霊が憑依したのか、それも分からない。

 ただ、他人に憑依出来る事実だけが目の前にあった。

 

「……これは」

 

 もはや、誰を信じる事も出来ない。誰もがヴォルデモート卿になり得るのだ。

 十年前とは比較にならない程、ヴォルデモート卿の脅威は増大していた。

 二手三手も先をいかれている。

 

「最悪を想定するべきじゃな」

 

 ヴォルデモート卿は分霊箱を使っている。

 その分霊はそれぞれ意思を持っているものとする。

 賢者の石が奪われた以上、オリジナルは復活している。

 分霊とオリジナルは憑依する事で他者を魔法に頼る事なく完全に支配する事が出来る。

 分霊は恐らく複数存在する。

 憑依能力は賢者の石を盗み出した手法から復活前から可能であったと推察。

 つまり、魔法省がすでにヴォルデモート卿の手に落ちている可能性もある。

 

「……いかんな、これは」

 

 賢者の石が奪われた時点での想定が甘過ぎた。復活してから動くのではなく、復活する前から既に準備は整えられていた。

 この事から、殺戮はこの後も続いていく。死の恐怖が生徒と教師に蔓延し、生徒の親にも伝播していく事だろう。

 やがては魔法界全体が死を恐れるようになる。

 これは嘗ての暗黒の時代の再現だ。

 

「……ハリー・ポッター」

 

 彼もまた分霊箱である可能性が非常に高い。

 彼がホグワーツ特急でウィーズリー家のロナルドと接触していた事を車内販売の魔女から聞いている。

 そんなロナルドは一族の伝統であるグリフィンドールではなくスリザリンに選ばれた。

 組み分け帽子はハリーを空っぽだと言っていたが、彼を迎えに行ったハグリッドは素直で思ったよりも元気そうだと言っていた。

 点と点が繋がっていく。

 おそらく、ハリー・ポッターは既にヴォルデモート卿の支配下にある。そして、組分けの時は一時的にロナルドの方に魂を移動させた可能性が高い。

 そう考えると、予言の子すら手中に納めた以上、ヴォルデモート卿の標的はダンブルドアに絞られている。

 

「仕方あるまい……」

 

 腕の中で震えている生徒から手を離し、ダンブルドアは決断を下す。

 その瞳からは温かな光が消えていく。

 もはや、一手の誤りも許されぬ状況にダンブルドアも覚悟を決めたのだ。

 既に犠牲者が出ている。これからも大勢の者が死ぬ。もはや、それは止められない。

 その事実を彼は認める事にした。

 

「……全ては、より大きな善のために」

 

 心を凍てつかせていく。

 誰も知らないダンブルドアの素顔がそこにある。

 必要ならば、彼はどこまでも冷酷になれる。どこまでも非情になれる。

 それがアルバス・ダンブルドアだ。

 

 第九話『惨劇』

 

 闇祓い局がホグワーツに到着した瞬間、ヴォルデモート卿は魔法省に仕掛けていた罠を発動した。

 姿くらましの使えないホグワーツにおける唯一の転移手段である煙突ネットワークを遮断した。

 

「二年間、手間暇掛けた甲斐があったな」

 

 分霊であるヴォルデモート卿は嗤う。

 

「全体を支配する必要はない。必要な時に必要な事が出来るように、それだけで十分だった」

 

 煙突ネットワークの遮断はその業務に携わる者、その事に気づく可能性のある者を支配すればいい。

 完全なる支配は三人が限界だが、ダドリー軍団のようにある程度の支配ならば複数でも十分に可能だった。

 

「クハッ! アルバス・ダンブルドアよ! 貴様の命運はここまでだ!」

「勝ったな! これで魔法界は俺様のものだ!」

 

 二人のヴォルデモート卿は邪悪に嗤う。

 そして、惨劇は続いていく。



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第十話『邪悪』

 誰も信用してはいけない。誰も頼ってはいけない。

 その事をアルバス・ダンブルドアに強く意識させる事が出来た筈だ。

 これにより、彼は一人ですべての対処を行わなければならなくなる。

 生徒を守る。ハリー・ポッターを守る。魔法界を守る。ヴォルデモート卿を討伐する。

 

「出来る筈がない! すべてを守り切る事など不可能だ! だが、貴様はすべてを守らなければならない。それが正義というものだろう。正義が貴様を雁字搦めにしていくぞ。そして、いずれは身動きが取れなくなるだろう!」

 

 ヴォルデモート卿は勝利を強く確信していた。

 同じ立場に立ったとして、この状況を覆すビジョンが全く見えなかったからだ。

 

「さて、それでは魔法界の掌握の方にシフトしていくとするか」

 

 分霊の方のヴォルデモートが言う。

 

「親は子を愛するものだ。なあ? 君達」

 

 彼の視線の先には捕らえられた生徒達の姿があった。

 ここは秘密の部屋。ホグワーツの地下深く。千年以上もの間、ヴォルデモート卿以外は誰も発見する事の出来なかった空間だ。

 

「絶望するがいい。君達の死が悲惨である程、他の生徒達の親は現実を強く認識してくれる筈だ」

「や、やだ……」

「……たす、けて」

「お、お母さん……お父さん……」

 

 震えている子供達にオリジナルの方のヴォルデモート卿は杖を向ける。

 まずは苦痛の表情を作らせる為に磔の呪文を唱えた。

 

「あが……がが……」

「たずげ……あぐ……」

「いや……こんな……あがっ」

 

 死を甘露と思える程の苦痛によって、彼らの顔には絶望が刻まれていく。

 そして、その首に杖が向けられる。

 

「セクタム・センプラ」

 

 嘗て、配下であったセブルス・スネイプが考案した呪文。

 生物を切断する為の闇の魔術である。

 子供達の首は胴体から切り離された。

 

 第十話『邪悪』

 

 闇祓い局の局長であるルーファス・スクリムジョールは事態の重さを踏まえて全職員を引き連れてホグワーツにやって来た。

 一刻もはやく生徒達をホグワーツから隔離しなければならない。その為には護衛が必要となる。新入りを含めて、全員でやって来たのはその為だ。

 

「生徒達はどうしている?」

「……現在、校長の指示ですべての生徒を大広間に集めております」

 

 スネイプの言葉に「そうか」と頷きながら、スクリムジョールは同時に班分けを行っていた。生徒の護衛と同時に脅威の調査と討伐も行わなければならない。

 彼自身はこの後ダンブルドアと話し合う必要があり、その前に出来る事をしなければならないと判断した為だ。

 

「……ルビウス・ハグリッドはどこにいる?」

「現在は大広間で生徒達の護衛に回っております」

「彼は前回秘密の部屋が開かれた事件の犯人だった筈だが?」

 

 正気を疑うかのようなスクリムジョールの眼差しにスネイプは顔を顰めた。

 

「これほど残忍な真似をあの男に出来るとは到底……」

「それでも疑惑のある者を生徒に近づけるわけにはいかない。即刻、大広間から隔離したまえ」

「……かしこまりました」

 

 頷くと共に歩く速度を上げるスネイプ。彼を先に行かせ、スクリムジョールは後ろに控える副官のガウェイン・ロバーズに班の内訳と今後の動きについて話した。

 セブルス・スネイプ。彼もハグリッド同様に要注意人物の一人だ。なにしろ、ダンブルドアが弁護した事で無罪となったものの、彼には嘗て死喰い人の嫌疑が掛けられていた。

 ハグリッドを隔離させた後、彼の身柄も監視下に置かなければならない。

 ガウェインが守護霊に配下への司令を託して飛ばした後、彼らは大広間に辿り着いた。

 

「ま、待ってくれ! スネイプ先生! お、俺はちげぇんだ! あ、あん時だって!」

「……今は大人しくしていろ!」

 

 丁度スネイプがハグリッドを連れ出す所だった。生徒達は不安そうに彼らを見つめている。

 遠ざかっていく背中を見届けた後に大広間の中に入る。

 その瞬間、四方から炎があがった。

 

「何事だ!?」

 

 目を見開きながら炎の発生源を見る。そこには杖を握る生徒の姿があった。

 彼らは同じ呪文を唱えていた。

 炎は巨大な蛇を象り、天蓋を燃やしていく。

 

「彼らを取り押さえろ!」

 

 スクリムジョールの命令に部下の闇祓い達が即座に動いた。

 生徒達の頭上を飛び越え、悪霊の火を放った生徒達の身柄を拘束していく。

 

「フィニート!!」

 

 確保に向かった者以外の闇祓い達が一斉にフィニートを唱え、悪霊の火を停止させた。

 炎がかき消える事を確認すると、スクリムジョールは生徒達を自分の下に連れてくるよう命じようとした。

 そして、大広間の中心に奇妙な物体が現れている事に気づいた。

 悪霊の火から逃れる為に生徒達は大広間の中央部から退避していたのだ。そこに四角い箱が置かれている。

 

「なんだ……、あれは……」

 

 明らかに異常な事が起きている。

 スクリムジョールは箱を無視して生徒達を大広間から出そうとした。

 けれど、その前に生徒の一人が箱に向かって杖を向けてしまった。

 箱が開く。すると、そこには再び箱が入っていた。

 真紅の箱だった。そして、その上には3つの丸い物体が載っている。

 その正体に気づいた時、誰もが悲鳴を上げた。

 

「……なんという」

 

 歴戦の魔法戦士であるスクリムジョールでさえ、その悍ましい光景に吐き気を覚えた。

 箱は血と肉で満たされ、その上には子供の生首が3つ並べられていた。

 そして、誰もが凍りつく中で箱が開かれた。

 血液と肉片が破裂して飛び交い、周囲に居た生徒達や教師が血に塗れていく。

 そして、壁に血の文字が刻まれていく。

 

  逃げる事は許されない

  子供達の命が惜しければアルバス・ダンブルドアの命を捧げるが良い

  さもなければ更なる血が流れる事となるであろう

 

 とても正気を保てる状況では無かった。血を浴びてしまった子供達の多くは気を失い。それ以外の子供達も泣き叫んでいる。

 六年生や七年生の生徒の一部だけはどうにか耐えようとしているが、彼らの表情にも恐怖が色濃く刻まれていた。

 子供達だけではない。教師はおろか、闇祓いの中にもパニックを起こしかけている者がいる。

 

「ど、どうします?」

 

 ガウェインが問う。

 

「決まっている……。生徒を逃さねばならない!」

 

 これほどまでに残忍な行為に及ぶ者の言葉など信じられる筈がない。

 仮にダンブルドアの命を捧げたところで殺戮は加速するだけだろう。

 スクリムジョールは険しい表情を浮かべながら思考を巡らせていく。

 

「ガウェイン、局員を全員集めるのだ。一刻の猶予もない! ダンブルドアには事後承諾となるが、今直ぐに生徒の避難を開始するぞ!」

「ッハ!」

 

 スクリムジョールの指示に敬礼を返すガウェイン。

 全幅の信頼を置いている副官の返事に満足すると、スクリムジョールは彼に背中を向けた。

 やらなければならない事が山程あるのだ。

 

「アバダ・ケダブラ」

 

 緑の光が彼の体を撃ち抜いた。

 

 ◆

 

 ガウェイン・ロバーズから魂を戻し、ハリー・ポッターに戻ったヴォルデモート卿は恐怖に引き攣る演技をした。

 彼にとって、闇祓い局は取るに足らない組織だ。けれど、鬱陶しい組織でもあった。

 故に一計を案じた。

 局長のスクリムジョールが死亡し、副官であるガウェインが犯人となる事で闇祓い局の権威は完全に失墜する。

 ガウェインの言い訳に耳を貸す者などいないだろう。なにしろ、彼は現行犯だ。紛れもない殺人犯なのだから。

 これで生徒達の恐怖は極限に到達した筈だ。彼らはダンブルドアの死を望み始める。

 ダンブルドアが死ねば、今度は罪の意識が彼らを絡め取る。

 咎人と正義の味方。魔法界は割れる事だろう。その時こそ、ヴォルデモート卿の完全復活を宣言する時だ。

 

「……ど、どうなっちゃうんだろう」

 

 アーニーが泣きそうな表情を浮かべている。

 

「怖いね……」

 

 ヴォルデモート卿はプルプル震えた。



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第十一話『より大きな善のために』

 半世紀以上前、ヴォルデモート卿を魔法界に招き入れたのはアルバス・ダンブルドアだった。

 マグルの孤児院で、幼い少年はすでに魔力を完璧に制御していた。その力を使い、恐怖で他者を服従させる(すべ)を会得していた。

 ホグワーツに入学すると、彼はすぐに頭角を現し始めた。

 端麗な容姿、研ぎ澄まされた魔力、類まれな頭脳、優れた精神性。

 ダンブルドアは彼を《ホグワーツ始まって以来の秀才》と評した。

 

 ―――― 彼は素晴らしい生徒だ!

 ―――― あれほどの能力を持ちながら、彼は決して驕る事がない!

 ―――― アルバス・ダンブルドアを超える可能性を持つ逸材だ!

 ―――― 魔法界の未来を担うのは彼に違いない!

 

 性格に難のある者でさえ、彼を悪く言う事はなかった。

 偉大なる存在になる事を疑う者もいなかった。

 その気になれば、彼は誰よりも魅力的な存在になる事が出来た。

 アルバス・ダンブルドアの名声は、後に彼が手に入れる名声であるはずだった。

 

 第十一話『より大きな善のために』

 

 ダンブルドアはひと目でヴォルデモート卿の本質を見抜いていた。

 その慧眼を人々は讃えた。信じるべきは彼の方だったのだと誰もが悔いた。

 

 ―――― アルバス・ダンブルドアこそ魔法界の希望だ!

 ―――― 彼はゲラート・グリンデルバルドを討伐した男だ!

 ―――― 彼はヴォルデモート卿の事を常に警戒していた! 警鐘を鳴らしていた!

 ―――― 偉大なるダンブルドア! 彼についていく事こそが未来を得る唯一の方法である!

 

 人々はシンプルに思った。

 アルバス・ダンブルドアは凄い人だ。だから、ヴォルデモート卿の本質を見抜く事が出来たのだ。

 誰も疑問など抱かない。彼の輝かしき経歴が疑わせない。

 

 誰も彼らの事など見ていない

 

 どちらの事も見えていない。ただ、彼らの心にある二人の姿を見ている。

 人々にとって、ダンブルドアは善の存在であり、ヴォルデモート卿は悪の存在。

 まさに光と闇の如く、両者は対極の存在だと誰もが確信している。

 

 笑い話だ

 

 ダンブルドアがヴォルデモート卿の本質を見抜けた理由は単純明快だ。

 あの日のヴォルデモート卿は、嘗てのダンブルドアだった。

 ただ、それだけの事だ。

 

「……あぁ、アルバス」

 

 若き日のヴォルデモート卿が受けた評価はそのまま若き日のダンブルドアの評価だった。

 端麗な容姿、研ぎ澄まされた魔力、類まれな頭脳、優れた精神性。

 彼らは誰よりも卓越した存在でありたいと思い、力を示したいと願っていた。

 目的の為ならば手段を選ばないところもそっくりだ。

 ヴォルデモート卿がダンブルドアになり得たように、ダンブルドアもヴォルデモート卿になり得た。

 

「力を貸してほしい」

 

 その言葉が腐り果てていた大地に恵みを与える。

 ここはヌルメンガード要塞監獄。

 嘗て、史上最悪の魔法使いと称されたグリンデルバルドが建造した城である。

 私設監獄として、グリンデルバルドに敵対した多くの者を収監していた場所でもある。

 その最も厳重な檻に彼はいた。

 

「ゲラート」

 

 この監獄を作り上げた張本人であり、ダンブルドアが嘗て討伐した闇の魔法使い。

 彼の前にダンブルドアは現れた。

 

「もちろんだとも」

 

 若き日に理想を分かち合い、肌を重ね合った相手の出現にグリンデルバルドは驚かなかった。

 彼は視ていたのだ。

 死を迎える前に再び愛する者と手を取り合う機会を得る事が出来ると。

 互いに髪からは色素が抜け落ち、肌にも無数の皺が刻まれている。

 それでも胸に渦巻く愛おしさは変わらない。

 

「わたしを清めてくれ」

 

 ゲラートは薄汚れた肌や服をアルバスに清めてもらうと、すぐさま彼を抱きしめた。

 半世紀以上も会えなかった。時は想いを募らせる。

 

「……アルバス。まずは謝らせてほしい。そして、出来る事ならば許してほしい」

「ゲラート、わかっておる」

 

 その言葉は甘く心を満たした。

 布越しに伝わってくるぬくもりが互いの存在を実感させる。

 

「猶予はない。すぐにホグワーツへ戻る」

 

 ダンブルドアは冷ややかに言った。

 つれない態度だとグリンデルバルドは微笑んだ。

 これこそがダンブルドアの本当の姿なのだ。冷たい炎が彼の中で燃え上がっている。

 

「ああ、行こう」

 

 高鳴る胸を抑えながらグリンデルバルドはダンブルドアと手を繋ぐ。

 そして、僅かな浮遊感の後、彼はホグワーツへ舞い降りた。

 

『……ダンブルドア、正気なのか?』

 

 そこは校長室だった。姿現しが出来ないはずの場所だった。

 周囲に飾られている歴代校長の肖像画達はダンブルドアとグリンデルバルドを見つめている。

 

「無論じゃよ」

 

 ダンブルドアは応えた。

 

「ヴォルデモート卿のオリジナルは既に復活を果たしておる。そして、分霊も個別の意思を持って動いておる」

「おまけに分霊は憑依能力を持っているのだろう? 誰の内にも潜む事が出来るわけだ。……もはや、人間ではないな」

 

 グリンデルバルドの言葉にダンブルドアが頷いた。

 

「現状は既に詰みかけておる。今日明日にでも、あやつは生徒達の命を人質に取り、わしを殺すじゃろう」

『……到底、打つ手がある状況とは思えぬ』

 

 肖像画の一人が呟いた。

 それは他の肖像画達の意見を代弁している。

 誰もが状況を覆すビジョンを見れずにいる。

 

「だからこそ、アルバスはわたしを牢獄から解放したのだよ」

 

 ゲラートは言った。

 

『……何をする気なのかね?』

「ヴォルデモートに先んじて魔法界を掌握する」

 

 肖像画達は言葉を失った。

 あまりにも予想外の言葉だったからだ。

 

『……魔法界を、しょう……あく?』

「その通りだ、ディリス・ダーウェント。ヴォルデモートが魔王として君臨する前に、我々が王として君臨する。それが現状で唯一残された手段だ」

『ダ、ダンブルドア……、この者は正気を失っているのでは……?』

 

 ディリスの言葉にダンブルドアは「正気じゃよ、ディリス」と応えた。

 

「その為に牢獄より出したのじゃ」

『し、しかし……!』

『落ち着きなされ、ディリス殿!』

 

 狼狽するディリスに対して、オッタライン・ギャンボルが鋭い声をあげる。

 

『オ、オッタライン殿!?』

『それ以外に手があると言うのなら、提示するがいい! 今すぐに! 時は一刻を争うのだ! それほどまでに切羽詰まっている状況なのだ!』

『……左様。もはや、ヴォルデモート卿が魔法界を掌握するのは時間の問題じゃよ。何しろ、服従の呪文以上に確実に、そして、自在に人間を操る事が出来るのだからな。そして、そうなってからでは本当に手遅れとなってしまう』

『エ、エルフリーダ殿……』

 

 エルフリーダ・クラッグの言葉にディリスは口を噤んだ。

 

「現状は既に詰みかけている。手段を選んでいられる余裕もない。だからこそ、最初の一手は華々しく飾ろうじゃないか!」

 

 そう呟くと、グリンデルバルドはダンブルドアから返された杖(・・・・・)を振り上げた。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 竜が舞う。紅蓮の業火は一瞬の内に校長室を燃やし尽くした。そして、炎はホグワーツ全体に広がっていく。

 既にダンブルドアの姿はなく、グリンデルバルドは哄笑する。

 

「ヴォルデモートよ。貴様の悪逆に華を添えてやろう。フハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 

 それは丁度、大広間で生徒達の生首が並べられた瞬間でもあった。

 炎の竜はホグワーツの創設者達が掛けた守護を次々に破壊していく。

 そして、その壁を溶かし、赫灼に染め上げていく。

 それを可能にしているのは彼の杖。ダンブルドアが取り上げていた史上最強の一振り。

 

 ニワトコの杖。

 

 死の秘宝とも呼ばれ、偉大なる創設者の魔力すら上回る力を担い手に授ける杖だ。

 炎は瞬く間に大広間を取り囲んだ。

 誰もが思った。

 これは生徒の生首を並べた残忍極まるスリザリンの継承者の追撃に違いないと。

 姿くらましの使えない状況下で逃げる事など叶わない。

 悲鳴が上がる中でハリー・ポッターの内に潜むヴォルデモート卿の分霊は選択を迫られた。

 

「……ッハ、驚いたぞ」

 

 こんな手段に打って出るなど想像もしなかった。

 幸い、生きている生徒達は全員が大広間に集められていた。

 けれど、一部の教師や闇祓いは外にいた。彼らは既に死亡しているはずだ。

 殺したのだ。何の罪もない善良な者達を……!

 

「驚かされたぞ、ダンブルドア!」

 

 ヴォルデモート卿は杖を抜く。

 このままでは殺される。大広間を囲っているのは悪霊の火であり、その魔力は分霊箱すら破壊する。

 反撃に出て、ハリーがヴォルデモート卿である事をダンブルドアに確信させるデメリットと己の死を秤にかけようとした。

 バカバカしい。秤にかけるまでもない。既にダンブルドアは気づいている。だから、こんな無茶苦茶な手を打って来たのだ。

 ならばこそ、選ぶべき手は一つ。

 

「エクスペクト・フィエンド!!」

 

 隣で悲鳴を上げるアーニーを地面に転がすと、ヴォルデモート卿は壁を溶かしながら迫る炎の壁に向かって悪霊の火を放った。

 紅蓮の龍が壁に向かって突き進んでいく。

 

「アーニー!!」

 

 意識したわけではなかった。ヴォルデモート卿は転ばせたアーニーの制服の襟を掴んで無理やり立たせた。

 二年近く鍛えた甲斐があり、彼の筋肉はアーニーの体重を軽々持ち上げる事が出来た。

 

「走れ!!」

 

 炎の壁に道を拓くハリー・ポッター。

 その姿に怯えきっていた生徒達はこぞってついていく。

 一瞬顔を見合わせた教師達もその後に続いた。

 

「外へ出るんだ!!」

 

 誰もが必死だった。左右に広がる炎の壁は触れただけで焼き尽くす。

 壁を通り抜ける事が出来た者は幸運であり、一部の生徒や教師は骨も残さず焼き尽くされた。

 そして、外に飛び出した者達は目撃する。

 天に昇る髑髏の紋章。

 ヴォルデモート卿の印が彼らを見下ろしている光景を……!

 

 そして、その光景を多くの記者が目撃していた。

 彼らを用意していたのはヴォルデモート卿だった。

 彼らにダンブルドアの死を報じさせるつもりだった。

 けれど、彼らが報じるのは全くの逆となる。

 紅蓮に燃え上がるホグワーツと髑髏の紋章を見れば誰もが気づかずにはいられない。

 ヴォルデモート卿が復活した。

 

 記者達がその情報を魔法省に持ち帰る為に姿くらましている頃、ダンブルドアは焼け焦げた姿で生き残った生徒達や教師達の前に現れた。

 その姿にヴォルデモート卿は息を呑む。

 

「……みな、すまなかったのう」

 

 たった今、生徒を含めた多くの者を虐殺した男は哀しそうに呟いた。

 

「わしは守り切る事が出来なかった……」

 

 ヴォルデモート卿は悟る。

 甘く見ていた。これがアルバス・ダンブルドア。

 誰も彼を疑いなどしない。

 

「ヴォルデモート卿が復活した。死んでいった者達の為に、わしは命を賭けて戦うと誓おう」

 

 その言葉に鳥肌が立った。

 ヴォルデモート卿の瞳には、ダンブルドアの姿が得体の知れない怪物のように映った。

 

 ◆

 

 そして、その姿を死の秘宝の一つである透明マントを使って姿を消しながらグリンデルバルドが見つめていた。

 愚かなるヴォルデモート。

 

 《そんな事をする筈がない》

 

 そう思い込んでいた時点で貴様の負けだ。

 ニワトコの杖を彼の背中に近づけて、呪文を唱える。

 

「インペリオ」

「……ばか、な」

 

 ニワトコの杖による服従の呪文はヴォルデモート卿の精神を完全に支配した。

 

「さて、反撃開始と行こうか」

 

 そう、ゲラート・グリンデルバルドは邪悪に嗤う。



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第十二話『三人の魔王』

 拍手喝采を贈ろう。

 アルバス・ダンブルドア。彼は見事にヴォルデモート卿の目論見を打ち破った。

 

「犠牲を善しとしたな、ダンブルドア。ならば、貴様は此方側だ」

 

 ありえないと考えていたが、想定していなかったわけではない。

 逆の立場に立った時、状況を覆す事は不可能だと思った。けれど、それはダンブルドアが今の姿勢を崩さなかった場合に限る。

 光に背を向け、闇を征くならば道は拓かれる。

 

「だが、分かっているのか? 闇は我が領域だぞ」

 

 ヴォルデモート卿は思考する。

 ダンブルドアの立場に立つ。彼が持ち得るものを列挙していき、そこから解答を導き出す。

 

「……ゲラート・グリンデルバルド」

 

 分霊の憑依術を目の当たりにした時点でダンブルドアは孤立無援となった。

 けれど、一人では限界がある。それに、年季の違いはダンブルドアも分かっている筈だ。

 ならばこそ、ダンブルドアはグリンデルバルドをヌルメンガード要塞監獄から出す。

 此方側のやり方に精通していて、ダンブルドアに匹敵する力を持つ者。

 手段を選ばなくなったのなら、この状況下で必要不可欠な戦力だ。

 

「俺様が魔法省を掌握する為に動くと考え、先手を打つ気だな」

 

 ダンブルドアがその気になれば魔法省は諸手を上げて歓迎する筈だ。

 ヴォルデモート卿が魔法界を掌握する為に仕掛けた策も丸々利用される事になるだろう。

 

「……面白くなってきたではないか」

 

 第十二話『三人の魔王』

 

 ホグワーツの崩壊のニュースは瞬く間に魔法界全体へ広がっていった。

 ハリー・ポッターによるヴォルデモート卿討伐から十年、誰もが蓋をしていた奥底の恐怖が蘇る。

 

「……ダ、ダンブルドア。本当なのか……?」

 

 魔法省の最上階、魔法大臣室で現職の魔法大臣であるコーネリウス・ファッジは恐怖の表情を浮かべながらダンブルドアに問いかける。

 

「ヴォルデモートは復活した。一刻の猶予もない状況じゃ」

 

 ファッジは信じられない気持ちでいっぱいだった。

 ヴォルデモート卿は十年前に滅びた。それが彼の中での事実だった。

 如何にダンブルドアの言葉だろうと、すぐに納得など出来る筈もなかった。

 

「しょ、証拠だ! 証拠はあるのか!?」

「……死者の数を数えてみるが良い。報告は上がっている筈じゃ」

 

 ファッジは青褪めていく。報告書に記された27の数字。

 それはホグワーツで死亡した人間の数だ。

 生徒だけで18人が死んだ。

 

「望むのなら死者の姿を見せようではないか」

 

 その言葉がダンブルドアの口から発せられたものである事にファッジは一瞬気づけなかった。

 

「……は?」

 

 ダンブルドアは杖を振るった。

 すると、ファッジの目に死者の姿が映り込んだ。

 壁に貼り付けられた肉塊。大広間に並べられた子供達の生首。血と肉骨で満たされた立方体。燃えていく者達……。

 あまりの光景にファッジは胃袋の中身を吐き出した。

 

「……こ、こんな事」

 

 子供の死体はファッジの心を大きく揺さぶった。

 彼らの恐怖と苦痛の表情が脳裏に焼き付いた。

 不安と恐怖に押しつぶされそうになりながら、虐殺を働いた者に対する一縷の怒りを燃やす。

 

「どうしたら……、いいんだ?」

 

 ファッジはダンブルドアに問う。

 

「戦うのじゃよ。矢面にはわしが立つ。だから、お主の力を貸して欲しい」

「……ダンブルドア」

 

 ダンブルドアの言葉は巧みだった。

 ファッジという男は凡庸であり、温和である。そして、革新的な思想を厭う保守的な人間でもあった。

 彼には戦いを選ぶ勇気などない。そして、己の地位を失う事を常に恐れている。

 言い方を誤れば、彼は己の権力に固執し、ダンブルドアの言葉を虚言と断じ、ヴォルデモート卿に対して無抵抗を貫いていた事だろう。

 そういう男なのだとダンブルドアは理解していたのだ。

 

「お主の事はわしが守る。だから、共に魔法界を守ろう」

 

 その言葉にファッジは頷く。

 ダンブルドアに守られる安心感と魔法界を守るという使命感。

 その二つがファッジの心をあたたかく包み込む。

 

「ありがとう。お主の勇気に感謝しよう」

 

 その言葉にファッジは照れたように微笑む。

 そして、ダンブルドアに魔法省の全権を委ねた。

 

 ◆

 

 ゲラート・グリンデルバルドはニワトコの杖を振るった。

 ハリー・ポッターと共に遠い地の山小屋へ姿現す。

 そこは嘗て、彼が使っていた隠れ家の一つだった。魔法使いにも、マグルにも見つからないまま今日まで残っていたのだ。

 そこにはあらゆるものが揃っていた。

 

「さて、始めようか」

 

 ハリー・ポッターの中にはヴォルデモート卿の分霊が住み着いている。

 今は服従の呪文によって封印を施している。

 ニワトコの杖だからこそ可能な芸当だ。

 

「すまない、ハリー・ポッター」

 

 グリンデルバルドは小さな瓶を取り出した。

 それは法定規則を大きく逸脱した濃度の真実薬(ベリタセラム)だった。

 飲んだ者の心と体を完全に壊してしまう。代わりにあらゆる情報を吐き出させる事が出来る。

 拷問などよりも効率的で、比べ物にならない程に残酷で取り返しのつかないものだ。

 それを幼い少年の口に含ませる。薬液が全身に巡っていくのが見て取れる。

 髪が抜け始め、歯も取れ始めていく。

 

「レジリメンス」

 

 あと数分でハリーポッターは死ぬ。

 それまでが勝負だ。もはや口を開く事も出来ない。

 その為、開心術を併用する。

 彼の心にはグリンデルバルドが知りたいすべての情報が揃っていた。

 ハリー・ポッターの事、分霊の事、分霊箱の事、他の分霊箱の場所、オリジナルの事、全てだ。

 

「分霊箱。実に面白い術だな」

 

 分霊箱という術のメカニズムも把握出来た。

 

「……この術、うまく利用すれば武器になるな」

 

 嘗て、彼は死の秘宝を求めていた。

 その中でも、とりわけ《蘇りの石》を欲していた。

 それは蘇りの石を使う事で亡者の軍勢を生み出す事が出来ると考えた為だ。

 

「アルバスはヴォルデモートを討伐した後、己の死をもって闘争を鎮める気のようだが、そうはいかない」

 

 グリンデルバルドの表情は禍々しく歪んでいく。

 嘗て、彼は彼なりの理想を持っていた。

 ダンブルドアが口にしていた《より大きな善の為に》という言葉を胸に、彼なりの正義を持っていた。

 たとえ、どれほどの罪を犯そうとも世界を正しき方へ導く決意を固めていた。

 けれど、もはやそんなものはない。半世紀以上もの間、暗闇の中で懐き続けていた思いは一つだ。

 

「アルバス。お前だけだ。お前だけでいいんだよ」

 

 肌に皺が刻まれようと、髪が白くなろうと、愛おしさは変わらない。

 人も光も無い空間。孤独は心を蝕み続ける。それでも正気を失わなかった理由は一つ。

 ダンブルドアに対する愛。それだけが彼の中に残り続けていた。

 

「犯すがいい。殺すがいい。穢れたお前をわたしが愛そう」

 

 世界などどうでもいい。光に照らされようと、闇に沈もうと構わない。

 ただ、ダンブルドアを穢したい。共に堕ちていきたい。

 愛しているのだ。手元に置きたいのだ。その身も心も魂さえも我が物としたいのだ。

 その為ならば世界を救おう。

 その為ならば世界を壊そう。

 

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」



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第十三話『ヴォルデモート卿VSゲラート・グリンデルバルド』

 ダンブルドアが魔法省の全権を握ると同時にヴォルデモート卿は自らの腕に指を沿わせた。

 そこに刻まれているものは闇の印。同じものが配下の死喰い人にも刻まれている。そして、刻印同士は見えない糸で繋がっている。

 

「俺様が支配した後、新たなるシステムの構築の為に施しておいた仕掛けだが……」

 

 分霊は魔法省の内部に糸を張り巡らせていた。

 本人に気づかれぬように刻んだ刻印の数は魔法省の職員のおよそ八割。 

 刻印を通じて、ヴォルデモート卿は魂の一部を送り込んでいく。

 分霊箱は魂に干渉する。如何に穏やかな者でもヴォルデモート卿の底無き憤怒と憎悪に魂を染め上げられる。

 荒れた心は不和を生む。人間関係の縺れは組織を容易く瓦解させる。

 如何にダンブルドアが優れたカリスマ性を持っていても意味がない。

 

「魔法省が瓦解すれば、それは英国魔法界全体の混乱に繋がっていく。混沌は良識や倫理を溶かしていく。災害の時、略奪が横行するように、人とは管理されなければ平然と罪を犯す生き物なのだ」

 

 性善説など戯言だ。罪に罰がなければ平然と自分より弱い者から搾取する。

 分霊が憑依していたハリー・ポッターの人生が良い例だ。

 まるで生まれた事が罪かのように虐げられる人生だった。

 疑問を抱く事を許されず、部屋とも呼べない狭い空間に閉じ込められ、食事も満足に与えられず、気まぐれに嬲られる。

 けれど、彼を虐げた者達に罪の意識はなく、罰も与えられない。だからこそ、あそこまでエスカレートしたとも言える。

 

「ダンブルドア。やはり、貴様を殺すのは貴様が守る者達だ」

 

 ヴォルデモート卿は闇の中に消えていく。

 彼は何もしない。けれど、ダンブルドアは警戒を続ける。緊張は長引く程に心を削っていく。

 そして、人々は警戒しなくなる。警戒を続けるダンブルドアに疑問を抱く。やがては彼を糾弾し始める。

 民衆とは愚かなものだ。知恵無き身で知恵有る者を平然と見下し、罵倒する。それが己の首を締める事になっても気づかない。

 動かぬ事こそ、最大の攻撃となるのだ。

 

 第十三話『ヴォルデモート卿VSゲラート・グリンデルバルド』

 

 ヴォルデモート卿の読みは的中していた。

 動かないヴォルデモート卿に対して、人々の危機意識は急速に削られていく。

 大臣の全権を奪い取ったダンブルドアに対して、不信感を抱く者が現れ始める。

 そして、同時にヴォルデモート卿の擬似的な分霊箱となった者達の心が荒れ始める。

 些細な事でイザコザが発生し、不和は瞬く間に魔法省全体へ広がっていった。

 

「……スチュアート。アンデルセン。ウォーロック。エマニュエル。ロット。アーウィン」

 

 ダンブルドアは不和が広がる原因となった人物達をリストアップしていた。

 ヴォルデモート卿がダンブルドアの行動を読んでいたように、ダンブルドアも彼の行動を読んでいた。

 分霊箱の特性をグリンデルバルドが解明した成果である。

 

「見えざる糸。じゃが、そこには確かに存在しておる」

 

 ヴォルデモート卿は一つ重大な見落としをしていた。

 それはニワトコの杖の存在だ。

 

「トム。お主は何もするべきではなかった。一切、何もしない。それこそが最適解じゃった」

 

 本当に何もしなければ打つ手が無かった。

 しかし、彼は刻印を刻んだ者に魂の一部を送り込んだ。

 信用していないのだ。人間という生き物を一切信用していない。

 人間を悪性だと断じながら、その悪意すら信じていない。

 だから、手を打ってしまった。

 

「人を信じる心。それがお主には欠けておる」

 

 ダンブルドアは杖を振るう。

 すると、ニワトコの杖を持つグリンデルバルドの下へリストが届けられた。

 

「さて、対面といこうではないか、ヴォルデモートよ!」

 

 グリンデルバルドがニワトコの杖を振るう。

 解析した分霊箱の情報を元に糸を辿る術は会得済みだ。

 元々、闇の印は配下の者を呼び寄せる為に仕掛けが施されている事も大きかった。

 グリンデルバルドの姿はかき消え、そして、彼方に姿を晦ました筈のヴォルデモート卿の眼前に現れた。

 

「……驚いたな」

「アバダ・ケダブラ!」

 

 目を見開くヴォルデモート卿にグリンデルバルドの死の呪文が向かっていく。

 ヴォルデモート卿は咄嗟に姿晦ました。集中する暇がなく、その距離は数メートル。

 

「エクスペクト・フィエンド!」

 

 グリンデルバルドは術を悪霊の火に切り替えた。

 周囲一体を焼き尽くしていく。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 ヴォルデモート卿は迫り来る炎の竜に一点集中の悪霊の火をぶつけた。

 龍と竜がぶつかり合う。

 そして、一瞬の膠着状態が発生する。

 

「……なんと」

 

 グリンデルバルドは息を呑んだ。

 己が使っている杖は最強の一振りだ。一瞬だろうと拮抗される事などあり得ない。

 けれど、ヴォルデモート卿は拮抗してみせた。

 その絶大な魔力がグリンデルバルドに格の違いを実感させる。

 

「なるほど、強いな……」

 

 戦いを長引かせるのは不利だ。

 彼に対して、ニワトコの杖によるアドバンテージは絶対ではない。

 

「だが、終わりだ。アバダ・ケダブラ!!」

 

 一点集中の悪霊の火。それは、そうしなければ迫り来る炎竜に焼き殺されていたからだ。

 炎竜の一部に穴を空ける事で活路を見出し、そこに飛び込んだヴォルデモート卿。

 そこにグリンデルバルドは回り込んでいた。

 緑の閃光がヴォルデモート卿に向かっていく。

 炎竜を突破する為にヴォルデモート卿は力を振り絞った。さっきのように姿晦ましで回避する事は不可能。

 

「勝った!」

「ああ、僕の勝利だ」

「……っが……え?」

 

 いきなり、背後から胸を刺された。

 激痛と混乱に顔を歪めるグリンデルバルドの目の前では緑の閃光が激突する寸前に何者かと付き添い姿くらますヴォルデモート卿の姿が映った。

 杖を奪い取られ、組み伏せられる。

 

「……いやはや、驚いた。まさか、ここまで上手く事が運ぶとは」

 

 倒れ伏したグリンデルバルドに姿現したヴォルデモート卿が微笑む。

 その傍らにはヴォルデモート卿をそのまま若くしたようなハンサムな少年と平凡な顔立ちの少女がいる。

 

「……まさか」

「ああ、ここまでの展開をすべて読んでいた」

 

 グリンデルバルドがハリー・ポッターの分霊から情報を抜き取る事をヴォルデモート卿は想定していた。

 だからこそ、何もしない事を選びながら闇の印を通じて魂の断片を送り込んだのだ。

 ダンブルドアが魔法省で身動きが取れなくなっている今、実行部隊となる者は彼一人。

 そして、こちらのミスだと考えた彼は即断即決で不意打ちを狙ってくると推理した。

 

「貴様如き、ヴォルデモート卿の脅威とはなり得ない」

 

 ヴォルデモート卿の瞳が真紅に輝き、グリンデルバルドを見下ろしている。

 

「だが、厄介の種は摘み取るべきだ。そうだろう? ゲラート・グリンデルバルド。貴様はダンブルドアの手足だ。それをもぎ取れば、もはやヤツには何も出来ない。唯一無二の生命線とも言える。だから、まずは貴様を葬る事に決めていたのだよ」

 

 これが闇の帝王の力。

 嘗て、世界を支配しかけた男すら手球に取る。

 十年前も結局誰も彼には勝てていなかった。ただ、ハリー・ポッターの存在が数奇な運命を引き寄せたに過ぎない。

 そして、ハリー・ポッターはグリンデルバルドが既に殺害してしまっている。

 

「……アルバス」

 

 杖もなく、グリンデルバルドには逃げる手段がなかった。

 

「殺すのかい? 利用価値があると思うけど?」

 

 黒い手帳のような物を持つ少年が気安く傍らのヴォルデモート卿に話しかける。

 

「ああ、殺す。利用価値よりも、存在する事のリスクの方が大きい」

「慎重だね」

「っふ、融合の影響かもしれんな」

 

 ハリー・ポッターに憑依していた分霊はグリンデルバルドが接触する前に既にオリジナルと融合していた。

 ただ、グリンデルバルドをここに誘き寄せる為に断片を忍ばせていたに過ぎない。

 そして、新たにワームテールからドラコを経由して入手したマルフォイ邸の分霊箱(日記)とエマ・ヒースガルドを使って罠を仕掛けていた。

 ホグワーツ炎上の直後、ドラコを心配してルシウスが現れた事はヴォルデモート卿にとって幸運な事だった。

 

「僕とも融合するかい?」

「いや、魔力は十分だ。遊撃として動ける者が一人は必要だろう。貴様は消えたスリザリンのロケットを捜索してもらいたい」

「オーケーだ、もう一人の僕。いくよ、エマ」

「……はい、ヴォルデモート卿」

 

 虚ろな目のエマを連れて日記の分霊が姿くらます。

 そして、残されたヴォルデモート卿はグリンデルバルドに杖を向けた。

 

「さらばだ。アバダ――――ッ!?」

 

 その時だった。突然、ヴォルデモート卿に真紅の閃光が襲いかかった。

 咄嗟に回避したヴォルデモート卿に更なる魔法が降り注ぐ。

 

「どこだ!?」

 

 見えない。どこにも誰もいない。

 

「なっ!?」

 

 いきなり、何もない空間から真紅の閃光が放たれた。

 

「透明マントか!?」

 

 市販の物ではない。そんなものではヴォルデモート卿の目を欺く事など不可能だ。

 脳裏に過るは死の秘宝の一つ、本物の透明マント。

 音もなく、気配もない。ヴォルデモート卿は忌々しげに舌を打った。 

 そして、彼は姿くらました。

 見えない敵と戦うには準備が不足していると判断したのだ。

 ここでグリンデルバルドにとどめを刺せない事と強行するリスクを天秤に掛け、撤退を選んだ。

 

「……すまん、アルバス」

 

 グリンデルバルドは表情を歪めた。

 悔しさと申し訳無さ、そして、喜びの感情が彼の表情を複雑に彩っている。

 

「戦いは始まったばかりじゃ」

 

 透明マントを脱ぎ去るダンブルドア。

 彼の表情も苦悩に満たされていた。



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第十四話『本当の望み』

 ヴォルデモート卿はグリンデルバルドから取り上げた杖を見つめていた。

 

「……ニワトコの杖か」

 

 死の秘宝の一つ、ニワトコの杖。比類なき力を持つ最強の杖だ。

 恐らくはダンブルドアが保有していたのだろう。それをグリンデルバルドに貸し与えていたようだ。

 

「愚かだな、ダンブルドア。これだけは死守するべきだったな」

 

 魔力でヴォルデモート卿に並ぶ者などいない。唯一比肩していたダンブルドアもニワトコの杖を持っていたからだと判明した。

 その杖をヴォルデモート卿が手中に収めた今、もはや誰にも止められない。

 彼は実際に杖の力を試してみた。

 

 第十四話『本当の望み』

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 呪文を唱えると、空に火の龍が舞い上がった。

 雲海を泳ぎながら英国全土を射程に収めた。

 そこかしこで悲鳴があがり、悲鳴を上げていない者は揃ってアホ面を下げている。

 仕方のない事だろう。突然、空に龍が現れたのだ。とても現実とは思えない。

 

「……さて」

 

 ヴォルデモート卿が発動した呪文の名は『悪霊の火(フィエンド・ファイア)』。

 憎悪を糧に燃え上がる最凶の魔術だ。その威力は死の呪文を上回り、あらゆる生命、あらゆる物質を焼き尽くす。

 そして、この呪文は守護霊の呪文の対となるものであり、守護霊の呪文のように言霊を乗せる事が出来る。

 

『我が名はヴォルデモート卿』

 

 火の龍を通じて、ヴォルデモート卿の言葉が英国全土に降り注ぐ。

 

『魔法使い達よ。そうではない者達よ。君達の命は俺様が握っている』

 

 その言葉と共に龍はロンドンへ首を伸ばしていく。

 そして、火は地上を呑み込んだ。

 直下にある魔法省から咄嗟に飛び出てきた幾人もの魔法使い達の守護呪文は何の障壁にもなり得なかった。

 数秒の後、龍が首を天に戻した。

 その眼下に広がっていた筈の都市は消滅していた。

 何も残っていない。建物も乗り物も人もすべて黒い炭に変わった。

 

『今、ロンドンを焼き尽くした。英国全土を焼き尽くされたくなければアルバス・ダンブルドアの首を差し出すがいい。さすれば生きて俺様に頭を垂れる事を許そう。諸君らが愚か者ばかりではない事を祈っているよ』

 

 まるで、時が止まったかのようだ。

 誰も動けない。

 誰も声を発する事が出来ない。

 けれど、火の龍は消える事なく空を泳ぎ続けている。

 

「……こんなところか」

 

 ヴォルデモート卿はつまらなそうに呟いた。

 もはや、勝負は決した。

 透明マントにはしてやられたが、存在する事が分かっていれば問題ない。

 グリンデルバルドを殺す事は出来なかったが、ニワトコの杖を手に入れた以上、もはやどうでもいい。

 

「つまらん……」

 

 あと一歩ですべてが手に入る。

 そう実感した途端、ヴォルデモート卿の中で何かが冷めた。

 ずっと手を伸ばしてきたもの。栄光を得られる。理想の世界が作れる。

 それなのに、簡単にロンドンを焼き尽くせた。

 そこには魔法省があり、加減を間違えていたらすべてを破壊してしまっていた。

 だけど、躊躇わなかった。

 

「何故だ……」

 

 6つの分霊箱の内、ハリー・ポッター、蘇りの石、ヘルガ・ハッフルパフのカップ、ロウェナ・レイブンクローの髪飾り、少年時代の日記の5つが手中に戻って来ていた。

 日記の分霊以外はすべて融合を済ませている。

 本当はハリー・ポッターの分霊のみ回収する予定だったが、分霊は既に4つの分霊箱と融合を済ませていた。

 ハリー・ポッターの分霊を回収した理由は二つある。

 一つはダンブルドアの反撃に備える為だ。実際、ハリー・ポッターはグリンデルバルドに捕縛された。そして、ヴォルデモート卿が分霊を通じて意図的に与えた情報をグリンデルバルドに提供した。

 もう一つはオリジナルが憑依術を使えるようにする為だ。この術はあくまでも分霊が独自に編み出したものであり、霊体としての在り方が少し異なるオリジナルでは扱えなかったのだ。それを解決する為にオリジナルと分霊は融合を果たした。同一の存在だが、オリジナルの中に分霊が宿っているような状態だ。意識と記憶は統一され、けれどオリジナルは魂の内の分霊を使う事で憑依術を使えるようになった。

 

「ああ、そうか……」

 

 分霊箱は魂を分割する邪法である。

 魂とは霊魂と精神によって構築されている。

 魂を分割するという事は精神を分割するという事に他ならない。

 分割した魂を回収する事はヴォルデモート卿の魂を原点に回帰させる事を意味していた。

 魔法界を牛耳るという野心。

 その源に宿っていたものを思い出す。

 

「……壊したいのだな、俺様は」

 

 脳裏に幾つもの光景が浮かび上がってくる。

 物心ついたばかりの時、自分を見つめる眼はどれも恐怖を宿していた

 孤児院の職員同士が「あの子は異常よ」「どこかに移せないの!?」「あんなの世話するなんて冗談じゃない!」と言い合いをしているところを目撃した事もあった。

 子供達も誰も近寄ろうとしなかった。

 敵意ばかりの中で魔力を使う術を手に入れた。離れていく者を恐怖で縛り付ける術を学んだ。

 もはや、向けられる眼は人間を観ていなかった。悍ましいもの。名状しがたきもの。そういうものとして扱われた。

 ダンブルドアが現れた時、ようやく居場所を見つけられたと思った。

 けれど、ダンブルドアは常に疑いの眼を向けて来た。彼の不興を買う事は危険だと悟り、徹底的に善なる者として学生生活を送った。

 僅かな悪意も漏らさない。それは人間として異常な生き方だった。

 もう、その時点で取り返しがつかない程に歪んでいた。

 そして、唯一残っていたものが砕け散った。

 スリザリンの仲間との絆だ。

 彼は自分が純血の魔法使いだと信じていた。周囲も納得していた。だから、調べてしまった。

 自らの生い立ちを知り、初めは歓喜した。何故なら、彼の母は伝説の魔法使いの末裔だったからだ。

 サラザール・スリザリンの子孫。まさに魔法界でも最高の血族の一つだ。

 だから、疑いもしなかった。最高の血を引く母は、同じように最高の血を引く父を伴侶に選んだ筈だと……。

 けれど、それは間違いだった。母は愚かにもマグルの青年に恋をした。そして、その男を卑劣な魔法で誘惑し、子を作った。

 その事実は彼を徹底的に打ちのめした。

 周囲にこの事を知られれば仲間達との絆は潰えてしまう。その事に恐怖を覚えた。

 だから、スリザリンが遺したという秘密の部屋を探し求めた。

 スリザリンの継承者の伝説。誰も見た事のない秘密の部屋を発見する事で自らの真実を覆い隠す事が出来ると信じた。

 そして、見つけた。

 歓喜した。

 そして、喜びに酔いしれているところに彼女は現れた。

 

 マートル・エリザベス・ワレン。

 

 当時、彼は彼女の事など欠片も知らなかった。

 ただ、場所が悪かった。そこは女子トイレだった。

 秘密の部屋の入り口は何故か女子トイレに設置されていたのだ。

 マートルは悲鳴をあげた。そして、女子トイレに男子生徒がいる事を糾弾し始めた。

 このままでは不名誉な噂が広がってしまう。これまで築いてきた名声が崩れてしまう。

 ダンブルドアの疑いが確信に変わってしまう。

 あまりにも間抜けな話だ。

 けれど、その時の彼は恐怖と絶望に支配されていた。

 だから、命令してしまった。

 

 ―――― 殺せ。

 

 それが最後に残っていた彼の人間性を粉々に砕いてしまった。

 分霊箱は殺人によって魂を引き裂く邪法である。

 裏を返せば、術の発動は殺人によって術者の魂を引き裂かれた証明となる。

 彼の魂はその瞬間に引き裂かれたのだ。

 そして、魔王は生まれた。

 

 マグルが憎い。

 アルバス・ダンブルドアが憎い。

 父が憎い。

 母が憎い。

 

 憎しみは際限なく膨れ上がっていく。

 どこまでも、どこまでも、闇が広がっていく。

 やがて、ダンブルドアに疑われない為に演じていた善人の姿を尊ぶ者達にまで憎悪は広がっていく。

 

 本物の自分を見ない者達が憎い。

 魔法使い達が憎い。

 この世界が憎い。

 

 もはや、何もかもが憎くて仕方がない。

 だから、まずは周りの者を闇に堕とした。

 友人と思っていた者達を這い上がる事の出来ない奈落へ引き入れ、死喰い人(デスイーター)と名乗らせた。

 そして、死喰い人達を唆し、革命という名目で魔法界を崩し始めた。

 殺して、壊して、また魂を分割した。

 そして、いつしか自分を失っていった。

 

「魔法界が欲しかったのではない」

 

 目的がすり替わっていた。

 魔法界を手に入れる為に壊すのではない。

 壊す為に魔法界を手に入れるのだ。

 その事を思い出した事で頭がすっきりした。

 

「ダンブルドアを殺す。グリンデルバルドを殺す。不死鳥の騎士団を殺す。魔法省を殺す。死喰い人を殺す。魔法使いを殺す。マグルを殺す。世界を壊す」

 

 実にシンプルだ。

 ようやく、ヴォルデモート卿は嗤い方を思い出した。

 そして、ダンブルドアが姿を晦ましたと知り、また一つ、都市を焼き尽くした。

 

「ダンブルドアを殺すのが先か、世界を壊すのが先か……。まあ、どっちでもいいか」



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第十五話『愛は盲目』

 アルバス・ダンブルドアは刻一刻と悪化していく現状を憂いていた。

 あの時、彼は間違えた。優先するべきはニワトコの杖の回収だった。次点はヴォルデモート卿の殺害。完全な討伐は無理にしても、一時的に無力化する事は出来た筈だった。それなのに、グリンデルバルドの救出を選んでしまった。

 あまりにも致命的なミスを犯してしまった。

 

 第十五話『愛は盲目』

 

「アルバス」

 

 グリンデルバルドは消沈しているダンブルドアをジッと見つめていた。

 彼はダンブルドアが世界よりも自分を選んだ事に歓喜していた。

 そして、悪に染まりながらも大望を成就する事が出来なかった事を嘆く姿に口元を歪めている。

 ゲラート・グリンデルバルドにとって、世界などどうでもいい。むしろ、事態は彼にとって好転しているとさえ言えた。

 

「すまなかった、アルバス」

 

 そっと指を彼の方に沿わせる。拒絶されると思ったが、そんな気も起こらないようだ。

 ロンドンが燃え、ウェールズが燃え、スコットランドも数時間前に燃え尽きた。

 死者の数などとうに数え切れなくなっている。

 今頃、魔法省は行方を眩ませたダンブルドアを糾弾している事だろう。この状況を覆す事が出来る唯一の可能性を自ら潰す為に。

 きっと、マグルの世界も変わらない。顔も名前も知らない彼の事を糾弾している事だろう。

 誰もがダンブルドアの死を望んでいる。

 己の命惜しさに生贄となる事を求めている。

 実にくだらない。救ける価値を一欠片足りとも見いだせない。

 それでも、ダンブルドアは彼らを見捨てられずにいる。

 茨の道を自ら進み、その先に紅蓮の業火が燃え盛っている事を知っても立ち止まる事が出来ない。

 その儚い生き方が愛おしい。その破滅的な心情が愛おしい。

 

「……もう、十分なのではないか?」

 

 それはどちらに向けた言葉なのだろうか。

 グリンデルバルドは囁くように言った。

 

「ダンブルドア。お前は神ではない。人だ。人に出来る事など限られている」

「……何が言いたいのかね?」

 

 向けられた冷たい視線にゾクゾクした。

 どうやら、この状況にあっても彼の中に諦めという言葉はないようだ。

 

「冷静になれ、アルバス。勝負は決したのだよ。ヴォルデモート卿がニワトコの杖を手にした時点で」

「……よもや、お主」

 

 瞳の内に怒りの炎が燃え上がる様を見て、グリンデルバルドは慌てた。

 

「勘違いをするな。わたしはベストを尽くした。君が来てくれなければ……、君がわたしを選んで(・・・・・・・)くれなければ……、あの場で躯を晒していた筈だ」

「……わしは誤った判断を下してしまった」

「そうだ、アルバス。お前は間違えた。決して間違えてはならない時に間違えたのだ。アルバス。なあ、アルバス。わたし達はいつまでも若くないのだ。老いとは恐ろしいものよ。如何に魔法で延命しようとも、脳髄の劣化を抑えようとも、やがては限界が来る。寿命とはそういうものであり、如何なる者であっても逆らえぬ運命だ」

「だから、受け入れよと?」

「そうだ。そうだよ、アルバス。運命を受け入れるんだ」

「運命か……」

 

 ダンブルドアは悲しげに目を細めた。

 グリンデルバルドは彼が運命を受け入れたのだと確信した。

 辛い決断だ。悲しむのも仕方のないことだ。

 だから、精一杯の愛をもって彼を慰めようと手を伸ばした。

 

「変わってしまったのじゃな、ゲラートよ……」

「……は?」

 

 ダンブルドアは悲しげにグリンデルバルドを見つめていた。

 手を伸ばしたまま、彼は凍りつく。

 

「嘗て、わしはお主の中に光を見た。それはお主が未来に目を向けていたからじゃ」

「……アルバス?」

 

 ダンブルドアは立ち上がった。

 

「お主は未来を見通す眼を持っていた。そして、その眼は《大いなる災い》を視た。それが世界の運命だと知りながら、それでも抗おうとしておった。その手を血に染めながら、それでも戦っておった」

「……やめろ、アルバス」

 

 グリンデルバルドは苦しげに言う。

 

「あの頃のわたしを否定したのは、他ならぬお前だろう」

「……それでも、わしは戦うお主が好きじゃった」

 

 その言葉にグリンデルバルドの眼は大きく見開かれた。

 

「……わたしはお前を愛している。あの頃から! 今も変わらず! 永久に……」

「お主はわしを愛してなどいなかった」

 

 その言葉にグリンデルバルドは心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。

 

「あの頃のわしは擦り切れていた。愛を求めておった。だから、お主はわしを手に入れる為に愛を与えた。ベッドの上で組み伏せられた時、お主の眼が何処へ向いているか分かっていた。わしではない。遥か彼方を見ていた」

 

 ダンブルドアは涙を零しながらつぶやく。

 

「……それでも良かった。注がれた愛に身も心も満たされ、欲しいものを与えてくれるものに縋り付こうとしてしまった」

「違う……、違うぞ! わたしは愛していた! 誰よりも、何よりも! アルバスを!」

 

 愛していない筈がない。アルバスと別れた時の身を引き裂かれるような苦痛を覚えている。いつ何時も彼を忘れた事などなかった。

 ずっと彼を求めていた。共に歩む未来を夢見ていた。

 

「ゲラート。わしの最大の過ちは過去を取り戻そうとしてしまった事じゃ」

「……何を言っているんだ?」

 

 困惑するグリンデルバルドにダンブルドアは言う。

 

「今度こそ二人で世界を救えると思った。けれど、そうではなかった。わしはお主を見て、お主はわしを見ている。どちらも世界を見ていない。そんな様では何も救えない。何も守る事など出来ない。こうなってしまったのも当然の成り行きかもしれぬ」

「……ならば、ならばこそ! もう世界など……」

「だから、こうしよう」

「は?」

 

 ダンブルドアは自らの胸に杖を押し当てた。

 

「……アルバス?」

「これは呪いじゃ。ゲラート・グリンデルバルド。世界を救え」

 

 その直後、緑の光がダンブルドアの杖から溢れ出した。

 それは死の呪文の光だった。

 詠唱を破棄する事など出来ない筈の術をダンブルドアは無言呪文で発動した。

 それはヴォルデモート程の凶悪な殺意をもってしても不可能な事。

 

「……ア、アルバス?」

 

 グリンデルバルドはよろよろとダンブルドアへ歩み寄った。

 そして、そこに魂の輝きが失せている事を理解した。理解してしまった。

 

「ばかな……」

 

 心はぐちゃぐちゃに乱れていた。

 それなのに、頭はどこかスッキリとしていた。

 ヴォルデモート卿が他者に抱く殺意よりも、ダンブルドアが自らに抱く殺意は大きかった。

 それこそが死の呪文を無言呪文で発動させられた理由だ。

 そして、ダンブルドアの狙いも分かった。

 ダンブルドアばかり見ている今のグリンデルバルドを嘗ての彼に戻す。

 その為に彼は死んだのだ。

 もはや、自らの力では及ばぬ程の高みへ至ってしまったヴォルデモート卿を倒す為に。

 

「……アル、バス」

 

 ダンブルドアの亡骸を見つめている内にグリンデルバルドの内へ彼の言葉が染み込んでいく。

 彼の言葉は真実だった。グリンデルバルドはダンブルドアを愛してなどいなかった。

 ただ、グリンデルバルドを愛してしまった彼の力を利用する為に偽りの愛を注いだに過ぎなかった。

 半世紀にも渡る暗黒の孤独が彼の認識を歪めたのだ。

 胸に渦巻く憎悪。己の野望を打ち砕いた不倶戴天の敵に対する殺意。

 それが長い時間を掛けて執着へ変貌し、やがて愛だと錯覚した。

 

「ああ……、愛してなどいなかった」

 

 グリンデルバルドはつぶやいた。

 そして、大粒の涙を零した。

 

「愛しているのだ、アルバス」

 

 優しく亡骸を抱きしめた。

 そして、温度を失いつつある唇を啄んだ。

 

「その呪い、確かに受け取った」

 

 ダンブルドアを失った事で彼の心は正常へ戻って行く。

 本当の彼を取り戻していく。

 

「……運命に抗うとしよう」



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第十六話『運命に抗う者』

 映像という発明は19世紀末に生まれた。

 夢というものは、それまで音とぼやけた色の明滅に過ぎなかった。

 けれど、映像が生まれた事で夢は輪郭を得た。

 カラーテレビの発明後は夢に明確な色が生まれた。

 

「……科学技術とは生き物だ」

 

 蜂が蜜を得る代わりに花の受粉を救けるように、人々は豊かな生活を得る代わりに科学技術を進歩させている。

 それは美しい共生関係のように見える。花も科学も意思など持たない。どちらが支配している側なのかは一目瞭然に思えた。

 けれど、毒花が蜂に毒を運ばせる事で死を撒き散らす事があるように、科学は人で戦争という名の毒をばら撒く。

 

「魔法とは、科学に対抗する為に人が身に付けた力だ」

 

 いずれ、科学は人を根絶やしにする。

 ゲラート・グリンデルバルドは《予言》という名の魔法によって警告を与えられた。

 彼だけではない。《タイムマシン》や《宇宙戦争》といった著書で有名なハーバート・ジョージ・ウェルズも警告を与えられた者の一人だ。

 1913年、彼は平和な世界で科学の恩恵を享受する人々に警鐘を鳴らした。

 彼は著書の中で『最終戦争が始まる。飛行機が戦争に利用され、爆撃が行われる。戦車が生まれ、田園を踏み荒らす。そして、強大な力を持つ兵器が世界を焼き尽くす』と語っている。

 それは二十世紀の世界の運命を予言したものだった。

 

 第十六話『運命に抗う者』

 

 強張る若者の顔があった。

 祖国の勝利の為に勇敢に戦場を駆け、ドイツ軍の新型兵器である機関銃の餌食となった。

 笑顔は泣き顔に変わり、誰もが絶望の表情を浮かべていた。

 塹壕という名の溝で身を寄せ合い、砲弾や銃弾の音に怯え続ける姿を見た。

 誰もが直ぐに終わるものだと甘い考えを抱いていたが、戦争は何年も続く事になる。

 雨が降れば塹壕は地獄と化し、病までもが敵に回る。

 

 人々を戦争に走らせたのは科学だ。それは疑いようがない。

 平和な時間、科学は人々を豊かにし、過ぎた力を与えた。その力に溺れた権力者や反権力主義者を良からぬ方向へ走らせたのだ。

 勝利した国は更なる繁栄を求め、敗北した国は抗う為の力を求める。

 結果として、戦争は科学を劇的に進化させる。

 それが科学の狙いなのだ。

 

「毎夜のように地獄を見た。科学を滅ぼせと魔法が囁いた。さもなければ滅ぶ事になると」

 

 死にたくないと叫ぶ者、病気に苦しむ者、不潔な環境で精神を病む者。

 彼らを救う為に立ち上がった。

 それが始まりだった。

 

「塹壕の中で置き去りにされる死体を見た。雪山に進軍を強要され、戦う事すらなく凍え死ぬ兵士達の無念な顔を見た。戦争が戦争を呼び続ける様を見た」

 

 放っておく事など出来る筈がない。

 権力と力が必要だった。その為に闇の魔術に寛容なダームストラング専門学校から放校処分を受ける程の邪悪な術の研究にまで手を伸ばした。

 それでも足りなかった。忍び寄る最終戦争は世界全体を舞台に繰り広げられる。世界と戦うには魔法の力を持ってしても足りないと感じていた。

 だから、死の秘宝と呼ばれる秘宝を追い求めた。

 

「戦争が始まる前にマグルをすべて支配下に置かなければならない。魔法という人自身の力で科学を封印しなければならない。さもなければ多くの人が苦しみ抜いた果てに死ぬ」

 

 グリンデルバルドはマグルを軽視などしていなかった。憎んでもいなかった。ただ、救いたかった。

 ダンブルドアと出会った時、彼は天啓を得たように思った。彼となら世界を救う事が出来ると思った。けれど、運命は彼らを引き裂いた。

 そして、手を(こまね)いている間に戦争が始まってしまった。

 後の世に第一次世界大戦と呼ばれる戦争である。

 夢で見た光景は現実のものとなった。

 

 1915年、一人の女性が自身の命を断った。

 あのアルベルト・アインシュタイン博士が天才と認めた男、フリッツ・ハーバーの妻であり、女性初の博士号を得た才女、クララ・ハーバーだ。

 彼女が死を選んだ理由。それは夫であるフリッツの極秘研究にあった。

 フリッツ博士は空気中から窒素を取り出す窒素固定法を生み出し、窒素肥料によって飢餓に苦しむ世界中の人々を救った人物だ。

 彼の極秘研究を知ったアインシュタイン博士は怒りを顕にした。それほどの恐ろしい研究を行っていたのだ。

 人類史上初の化学兵器、《毒ガス》である。

 

 7kmに渡る前線に168トンの毒ガスは霧のように広がっていき、600人以上の兵士達が悶え苦しんだ後に死亡した。

 目をやられ、のたうち回る姿はまさに地獄絵図だ。

 死んだのは兵士だけではない。近隣の住民にまで被害は及んだ。

 彼らの感じた恐怖は銃弾の雨すら超えるものだった。

 

 フリッツ博士は毒ガスが戦争を早期に終結させ、多くのドイツ兵を救うと信じていた。

 毒ガスが完成すると、博士の邸宅で祝賀会が開かれた。

 その夜、クララ女史は夫のピストルを胸に押し当て、引き金を引いた。

 

 そして、悲劇は続いていく。

 フリッツ博士の研究はチクロンBという毒ガスを誕生させる。

 それは強制収容所で多くのユダヤ人を殺害する為に用いられた。

 そして、博士自身もユダヤ人であった。

 

 その悲劇はグリンデルバルドが取りこぼしてしまった悲劇だった。

 悪魔の如き発明は世界中で生み出されていたのだ。そして、そのすべてを生まれる前に葬り去る事は出来なかった。

 多くの同胞と共に必死になって止めようと足掻いたが、どれも無駄に終わってしまった。

 毒ガスによる無差別な大量殺戮が世界各地で巻き起こり、次々に最新の兵器が生み出されていく。

 百の悪魔を仕留めても、千の悪魔が地獄を作る。

 

 正道に拘る事など出来る筈もなかった。邪道に手を染めても足りないのだ。

 悪魔よりも悪魔となり、それでも業火は燃え上がっていく。

 爆弾の威力も日を追う毎に増していく。

 

 例え、国の機能が停止しても構わない。

 その覚悟で国の首脳を殺害しようとした。けれど、どの国の魔法族も自国の首脳を守った。

 世界など見ていない。彼らは彼らの国の事で精一杯だったのだ。

 

 せめて、最悪の兵器の誕生だけは止めなければと思った。

 けれど、彼が活動を開始した時、既にアインシュタイン博士は相対性理論を発見していた。

 必要な土台は既に出来上がっていて、予言で見た発明家達をグリンデルバルドは殺し回った。生まれた直後の赤子すら手にかけた。

 その悪魔の所業に魔法界は怒り、ダンブルドアが本腰を入れてグリンデルバルドの討伐へ動き始めた。

 そして、決戦の日が来た。その時、既に最悪の兵器は完成してしまっていた。

 日本という国に核兵器が落とされる。それを止めれば、アメリカに落ちる。それを止めればソビエト連邦に落ちる。

 完成してしまった以上、もはやどこが犠牲になるかの問題になってしまった。

 

「……結局、わたしは無駄な事をしたのだな」

 

 ダンブルドアに敗れ、ヌルメンガードの監獄に投獄された彼は日本で起きた悲劇を夢で見た。

 そして、その後も世界は幾度となく地獄を見る事になると知った。

 

 未来を知るという事は運命を知るという事であり、未来を変えるとは運命に抗うという事だ。

 

 人は神にはなれない。

 人に運命は変えられない。

 

 暗闇の中で多くの夢を見た。

 多くの運命を見た。

 やがて、彼は生涯で唯一希望を抱けた時間に思いを馳せるようになる。

 アルバス・ダンブルドア。

 彼と過ごした僅かな時間だけが彼を慰めた。

 

「アルバス」

 

 杖を片手に握り、グリンデルバルドは山の頂から世界を見下ろす。

 

「今一度立ち上がろう。そして、今度こそ運命を変えてみせる。見ていてくれ」



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第十七話『自殺機構』

 アルバス・ダンブルドアは現れない。

 代わりに国外の軍隊が現れた。英国を焼き尽くそうとしている龍神に対して、無人の戦闘機が銃弾とミサイルを放つ。

 けれど、そんなものが悪霊の火を打ち破れるわけもない。

 まさに悪夢のような光景だ。無人機に搭載されたカメラを通して、全世界の人々がこの光景を見ている。

 

 壊せ

 

 龍神は無人機を焼いた。そして、大地を焼いた。空を焼いた。やがて、海を焼き始めた。

 龍神の出現から一ヶ月が経過していた。

 もう、英国に文明は残されていない。多くの人が海外へ難を逃れ、それ以外の者はすべて死んだ。

 

 殺せ

 

 怒りのままに、憎しみのままに、ただ壊したいから壊す。

 そこに差別はなく、そこに慈悲はない。

 破滅を齎すもの。人間社会に生まれ落ちた人間を滅ぼすもの。

 

 滅ぼせ

 

 科学は世界が創造された瞬間からデザインされていたもの。知性を持った生物に搭載されている緩やかな自殺機構(アポトーシス)

 けれど、人類は生きている。これは世界にとって不都合な事だった。

 大量絶滅という言葉がある。同時期に多種類の生物が同時に絶滅する事である。

 オルドビス紀末、デボン紀末、ペルム紀末、三畳紀末、白亜紀末。

 俗に《ビッグファイブ》とも呼ばれ、これまで五度(ごたび)、世界は大量絶滅を経験していた。

 大量絶滅は現生物達にとってのタイムリミットなのだ。時が来たら、次の生命に居場所を明け渡さなければならない。

 恐竜が去った後、哺乳類が空席となった生態的地位(ニッチ)を埋めるべく適応拡散を開始したように、霊長類も去るべき時が来たのだ。

 

 明け渡せ

  

 人類は科学を支配下に置き続けている。人類は自然に抗い続けている。だから、彼は生まれた。

 科学が知性における自殺機構ならば、それは社会性における自殺機構。

 社会は秩序を求めるが、必然的に矛盾を生み出してしまう。

 共産主義が独裁者を生み出すように、資本主義は貧困を生み出す。

 人はそれを《社会悪》と呼んだ。

 

 第十七話『自殺機構』

 

 魔法界は血と力が重んじられる社会だ。その中で地位を保つ為には純血を保たなければならない。その為にゴーント家は近親相姦を繰り返してきた。

 姉が弟の子を産み、娘が祖父の子を産み、母が息子の子を産む。そんな事を続けていれば肉体的にも精神的にも異常が生まれる。

 マールヴォロ・ゴーントとその息子であるモーフィンも精神に異常をきたしていた。一人娘のメローピーは物心つく前から父と兄による虐待を受けていた。

 そんな経緯から、彼女は父や兄と対照的な男を愛するようになる。裕福であり、ハンサムであり、マグルであり、若い男であった。

 けれど、彼女は愛を手に入れる方法を一つしか知らなかった。父と兄が自分にしたように抵抗出来ないようにして、肉体関係を持った。泣き叫びながら組み伏せられた時の事を脳裏に浮かべながら、泣き叫びながら男の子を孕んだ。

 

 ―――― ふざけるな! お前はイカれている!

 

 メローピーは父と兄を憎み切れなかった。心のどこかで愛していた。だから、彼も彼女を愛する筈だと考えていた。そして、当然のように捨てられた。

 愛した男の罵声と暴力は彼女のすべてを粉々に砕いた。廃人のようになり、それでも最後に残っていた希望をロンドンのウール孤児院という所で産み落とし、息を引き取った。

 何一つ幸福な事などなかった人生を振り返りながら、それでも彼女は産み落とした赤ん坊の顔を見て微笑みながら死んだ。

 

 トム・マールヴォロ・リドルは孤児院という社会の中で異常者として扱われた。

 当たり前の事だ。魔女が産んだ子供は大抵の場合において魔力を持つ。魔力を持たない者にとって、魔力は脅威であり、恐るべき存在だという事は歴史が幾度となく証明して来た事だ。

 メローピーが魔法使いである家族に酷い仕打ちを受けて来た事からマグルの世界を求めるようになったように、トムはマグルの孤児院で疎まれ続けて来た事から魔法使いの世界を求めるようになった。

 そして、魔法界の中でも彼は自分の居場所を手に入れる事が出来なかった。

 

 社会から零れ落ちた女がいた。

 社会から零れ落ちた少年がいた。

 

 彼らは這い上がろうともがき続ける。

 社会に戻りたい。それは人として当然の願いだ。

 だけど、どんなに手を伸ばしても届かない。

 欲しいのに手に入らない。それなのに簡単に手に入れてしまう者達がいる。

 羨ましい。妬ましい。腹立たしい。憎らしい。

 憎悪が膨れ上がっていく。

 そして、彼はヴォルデモート卿となった。

 

「燃えろ……」

 

 日記の分霊は最後の分霊箱を探り当てた。

 スリザリンのロケットを盗み出した者。《R.A.B.》という署名からレギュラス・アークタルス・ブラックに辿り着いた。

 そして、ブラック家に入り込む為にアズカバンへ趣き、そこに収監されていたシリウス・ブラックの肉体に憑依した。

 後は簡単だ。幾度か訪れた事があるブラック家に侵入し、邪魔な屋敷しもべ妖精を排除して最後の分霊箱を回収した。

 そして、すべての分霊箱はあるべき場所へ戻って行った。

 ヴォルデモート卿は最初の分霊箱を作り上げてから半世紀以上経って、ようやく完全なる存在に戻った。

 

「……燃えろ」

 

 生まれ落ちた国を焼き尽くして、それでも満たされない。

 乾いている。

 渇いている。

 もう、ダンブルドアの事などどうでもよくなっていた。

 

「もっと……、もっと……、燃えろ」

 

 絶望が深まっていく。

 その度に龍神は大きく育っていく。

 海を超えて、大陸の空を覆い始める。

 アイルランド、フランス、ドイツ、デンマーク、スペイン。

 次々に燃やしていく。

 

 ◆

 

 燃え盛る大地を遠目に見ながら、ゲラート・グリンデルバルドはテレビカメラの前に立っていた。

 彼はヴォルデモート卿の脅威が全世界に確りと浸透するまで待っていた。

 

「……諸君、見ての通りだ。人類は絶滅の危機にある」

 

 ゲラートはヴォルデモート卿という存在について考察してみた。

 彼の掲げていた理念、目的、行動を振り返り、そして、現状を見つめてみた。

 分かった事は一つだった。彼は空っぽなのだ。

 死喰い人を率いて、魔法界に反逆を企て、多くの者を殺して回る。

 それは嘗てのゲラートの行動と似ているように思える。けれど、彼とゲラートには決定的な違いがあった。

 ゲラートは信奉者を集めていた。世界を救う為に理想を共有出来る者を中心に仲間へ引き入れていた。

 けれど、ヴォルデモート卿は違う。彼に付き従った者達の多くは殺人に快悦を抱く悪党が中心だった。

 魔法界を支配して、魔法使いだけの世界を作り出す。その理想の為に魔法使いを殺す。それは大きな矛盾だった。

 

「ヴォルデモート卿。あの炎の龍を操る男の名である。彼の目的は破壊だ。ただ、世界を壊す為に暴れている」

 

 彼にあるのは憎悪と憤怒の二つのみ。

 だから、こうなった。ダンブルドアの身柄を要求しておきながら、破壊を止める様子がない。

 支配する筈の世界を壊して、彼が得られる者など何もない。

 ならば、破壊こそが目的なのだとゲラートは推理した。

 

「人類よ! 手を取り合う時が来た! あらゆる民族、あらゆる人種、あらゆる国の垣根を超える時が来た! このままでは世界が終わる! 核兵器すら効果が無かった事で理解した筈だ! だが、諦めるな! 団結するのだ! それこそが唯一残された希望である!」

 

 テレビカメラを通じて、ゲラートの演説は全世界へ届けられる。

 各国の魔法省と政府組織に対する根回しは終了していた。

 最初は渋っていた者達もヴォルデモート卿の脅威を理解する事で彼を認めたのだ。

 なにしろ、あらゆる魔法が効果を示さない。あらゆる兵器が効果を示さない。

 この一ヶ月で世界は多くの兵器を英国に向けた。核兵器を含めて、最新の破壊兵器を惜しみなく投入したのだ。

 そして、どれ一つとして龍を傷つける事は出来なかった。

 

 被害区域の住民は避難している。その避難民を受け入れた国は経済に大きな打撃を受けている。治安も目に見えて悪化した。

 ゲラートはそんな国々に魔法の力を提供する事を約束した。国を再生させ、経済を補填出来るだけの力を貸し与えるとした。

 それはマグルの世界をきちんと理解している彼だからこそ提示できたものだった。

 

 全世界を団結させる。

 この演説はその為の最後のプロパガンダだ。

 

「勝利するのだ! これはファンタジーの世界ではない! 勇者はいない! 聖者はいない! 神はいない! 現実なのだ! 現実の世界を救える者は我々自身をおいて存在しない!」

 

 全世界の魔法使い達がゲラートの周りに集結しつつある。

 ゲラートは各国の魔法省の大臣と血の契約を交わしていた。

 決して裏切らず、世界を救い、その後に死ぬ。

 その誓いがあるからこそ、魔法使い達は嘗ての魔王に一時の忠誠を捧げた。

 

「これは! 世界を救う為の戦いである!」

 

 ヴォルデモート卿は脅威の存在である。

 一つの国の総力では彼に勝つ事は叶わない。それはアメリカ合衆国やロシア連邦であっても同様だ。

 けれど、全世界の総力ならば話は違う。

 所詮は一人の人間の力なのだ。そこには限界が存在する。

 

「敵は魔王である! だが、神ではない! 恐れるな! 勝利は我らの手の中にある!」

 

 その言葉と共に魔法使い達は術を発動させた。

 あらゆる国のあらゆる魔法が結集する。

 一瞬でいい。炎の龍を退ける事が出来れば、後はマグルの兵器の出番だ。

 

「あれほどの術を遠距離から発動する事など不可能! 英国全土を焼き尽くせ!」

 

 炎の龍が一時、空の彼方へ押し出される。

 億を超える魔法を受けて尚も消える事のない悪霊の火に魔法使い達は恐れを抱くが、その間にマグルの兵器が一斉に放たれた。

 そして……、



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最終話『ただいま』

 雨のように降り注ぐミサイル。爆炎は大地を隈なく焼いていく。

 その中に一部分だけ奇妙な穴が空いた。

 衛星が撮影した画像がグリンデルバルドの下へ運ばれてくる。

 

「さて、最終決戦と行こうか」

 

 最終話『ただいま』

 

 ヴォルデモート卿はホグワーツにいた。

 グリンデルバルドの悪霊の火によって焼かれたが、それでも原型が残っている。

 彼はニワトコの杖でホグワーツを修復した。

 

「……ただいま」

 

 門を開き、中に入る。

 右を見ても、左を見ても、誰もいない。

 城は修復出来ても、絵画を復元する事は出来なかった。

 悪霊の火に呑み込まれたゴースト達も戻らない。

 

「俺様は……、俺は……、僕は……」

 

 大広間に辿り着いた。 

 静まり返った空間を突き進んでいく。

 校長の椅子があった。そこに腰掛けると、涙が零れ落ちた。

 

「……ヴォルデモート」

 

 彼の前にグリンデルバルドが現れた。 

 すでに創設者達がホグワーツに施した術は壊れている。

 ヴォルデモート卿も施されていた術までは再現していなかった。

 

「ダンブルドアはどうした?」

「死んだ」

「……そうか」

 

 宿敵の死に対して、ヴォルデモート卿は眼を細めた。

 

「一つ聞かせて欲しい」

「なんだ?」

「ホグワーツを燃やしたのはダンブルドアか? それとも……」

「わたしだ」

「……そうか」

 

 ヴォルデモート卿は立ち上がると杖を抜いた。

 

「ならば、貴様が俺様の敵だ」

 

 その言葉を聞いて、グリンデルバルドは気づいた。

 ヴォルデモート卿はすべてを憎んでいる。けれど、壊そうとするばかりではなかった。

 死喰い人という組織を作った。信奉者達と共に邪悪な思想による新世界を作りかけていた。

 そこに正義はなく、けれど創造があった。

 今のように破壊を目的として行動するに至る要因はニワトコの杖ばかりではなかったらしい。

 

「……アルバスに聞いた。教師になりたかったらしいな?」

「昔の話だ」

 

 アルバスはヴォルデモート卿が生徒達に自らの邪悪な思想を植え付ける事が狙いだと判断した。

 その為に彼が教師になる道を閉ざした。

 

「お前にとって、ホグワーツは特別だった。おそらく、アルバスが考えるよりもずっと……」

 

 もしかしたら、ホグワーツは彼にとって世界そのものだったのかもしれない。

 とても大切な宝物だったのかもしれない。

 アルバスが睨んだ通り、そういう思惑もあったかもしれない。

 だが、一番の理由は……、

 

「ホグワーツは貴様にとって唯一の希望だったのだな。だから、教師として居残る道を阻まれた事で止まる事が出来なくなった。そして、燃やされた事で人ではなくなった」

 

 グリンデルバルドは深く息を吐いた。

 

「つまるところ、なにもかもが裏目に出た結果というわけだ。やはり、アルバスに此方の流儀など合わなかったというわけだ」

 

 誰に対してもチャンスを与える慈愛に満ちた存在。

 そうある事こそ、彼のあるべき姿だった。

 なまじ、彼はヴォルデモート卿という存在を理解し過ぎていた。そして、自分という最も憎むべき存在と同一視してしまった。だから、彼に対してチャンスを与える事をしなかった。

 そして、守るべき生徒の死を容認し、悪を持って悪を制する覚悟を決めてしまった。その果てに、千載一遇のチャンスで世界よりもグリンデルバルドの命を選んでしまった。

 なにからなにまで彼らしくない行動を取った結果がこれだ。

 

「……ッハ! 要するに、お前はアルバスが遺してしまった唯一の汚点というわけだな」

「その呼ばれ方は不快だな」

「ああ、わたしにとっても不快だ。貴様は完璧な存在だったアルバスを幾度も揺さぶった。それが許されるのはわたしだけなのだ」

「……気色が悪いな」

 

 ヴォルデモート卿は顔を顰めた。

 短いやり取りの中で、彼はダンブルドアとグリンデルバルドの関係に気づいた。

 

「わたしにとって、貴様はどうでもいい存在だった。ただ、アルバスが関心を寄せる存在程度の認識しかなかった。だから、貴様が世界を支配しようと、滅ぼそうとどうでも良かった」

「ならば、何故邪魔をした? 何故……、ホグワーツを焼いた?」

「アルバスの為だ。彼の助けになりたかった。彼の唯一無二になりたかった。そして……、そうだな。少しだけ訂正しよう」

 

 グリンデルバルドは表情を歪めて言った。

 

「貴様の事は不快だった。アルバスが関心を寄せる男はわたし一人でいいのだ。貴様の名が彼の口から出る度に嫉妬で頭がおかしくなりそうだったよ」

「……最悪だな」

 

 うんざりした様子のヴォルデモート卿にグリンデルバルドは言う。

 

「そして、貴様はアルバスにとっての唯一と言っていい心残りとなった。それがわたしには我慢ならない」

「とんだ言いがかりだな……」

 

 ヴォルデモート卿とグリンデルバルドは互いを睨みつけた。

 

「アルバスの心残りは今ここで断つ! そして、わたしは彼の唯一無二となって、彼の下へ行くのだ!」

「やれやれ、同性愛者の痴情に巻き込むな。まったく……。勝手に死ねと言いたい所だが、しかし、貴様はホグワーツを焼いた。その罪は万死に値する。故、このヴォルデモート卿が手づから死を与えてやろう」

 

 緑の光が瞬いた。二人の最強を冠した魔法使いが戦闘を開始した。

 ヴォルデモート卿はホグワーツが傷つく事を厭い、外を目指していく。

 けれど、グリンデルバルドはそんな彼の心を読んでいた。

 

「エクスペクト・フィエンド」

 

 紅蓮の業火が今またホグワーツを燃やしていく。

 その様にヴォルデモート卿は目を見開いた。

 

「……やめろ」

 

 命のやり取りをしている中でありえない程の致命的なミス。

 敵から完全に意識を逸し、ヴォルデモート卿は燃え盛るホグワーツを見た。

 子供の頃、初めて見た時の感動が脳裏を過る。

 ハリー・ポッターの分霊が小舟に乗って見た時、その感動は些かも色あせていなかった事を思い出す。

 

「終わりだ、ヴォルデモート」

 

 グリンデルバルドはヴォルデモート卿に杖を向ける。

 あまりにも無防備な背中だ。

 彼は必勝を確信した。

 

「アバダ・ケダブラ!」

 

 緑の光が放たれる。

 

「キシャァァァァァ!」

 

 その光がヴォルデモート卿に届く事はなかった。

 

「……バジ、リスク」

 

 二人の間に天井付近の通気孔からバジリスクが降って来た。

 死の呪文はバジリスクに命中し、その命を奪う。

 けれど、同時にバジリスクの魔眼はグリンデルバルドの眼を捉えていた。

 秘密の部屋に封じ込められていたスリザリンの怪物。

 バジリスクの魔眼は見た者に死を与える。

 グリンデルバルドは抵抗する間も与えられず、その命をアッサリと奪われた。

 

「……アル、バ……ス」

 

 倒れ込むバジリスクとグリンデルバルド。

 その姿をヴォルデモート卿は呆然と見つめていた。

 彼はバジリスクに何も命令などしていなかった。

 如何に悪霊の火と言えど、地下牢よりも更に深い地の底の秘密の部屋までは届かない。

 そこにいれば何があっても安全な筈だった。

 

「……これで、全部なくなったな」

 

 ヴォルデモート卿はふらふらと炎の中へ進んでいく。

 術者が死亡した事で悪霊の火自体は消滅している。けれど、延焼した炎は消えない。

 悪霊の火によってあらゆる防御呪文が破壊された今、ホグワーツはただの建造物だ。

 炎に呑み込まれ、徐々に崩れていく。

 

「ジャレット……。アレン……。ああ、いつも一緒にいたな……」

 

 ヴォルデモートの眼には幼き日の光景が浮かび上がっていた。

 スリザリンに配属され、初めて手に入れた友人達が彼の手を引いている。

 初めから邪悪だったわけではない。最初は夢と希望を持っていた。ただ、人よりも高い能力を持ち、優れた頭脳を持ち、手段を選ばない冷酷さを併せ持っていたに過ぎない。

 孤児院の事でマグルの事を嫌ってはいた。けれど、あの頃は魔法の世界に夢中で憎悪の矛先を向ける気などなかった。

 

「あぁ……、アーニーは大丈夫かな?」

 

 崩れ落ちていく心は分霊の記憶と混濁していく。

 ハリー・ポッターとしてホグワーツに戻って来た時、僅かな時間とはいえ懐かしい気分を味あわせてくれた少年がいた。

 友達という存在を彼に少しだけ思い出させてくれた。

 

「……あぁ、ホグワーツが燃えてしまう」

 

 杖を振れば簡単に消せる。

 けれど、彼にそんな力は残されていなかった。

 彼の体にも火が燃え移っていた。

 それに、高温の中を無防備に歩いた事で肺や喉も火傷を負っている。

 やがて、彼は倒れ込んだ。

 そこは闇の魔術の防衛術の教室だった。

 彼はその授業の教師になる事を夢見ていた。

 

「……ぁぁ、そう……か、おれさ、まは……ただ……、ホグワーツが……」

 

 天井が崩れる。

 大きな岩塊が落ちてくる。

 ホグワーツが落ちてくる。

 それがなんだか嬉しくて、ヴォルデモート卿は無邪気に笑った。

 

 ◆

 

 魔王は滅びた。

 グリンデルバルドが契約を履行した事を他国の魔法大臣達はすぐに察知した。

 そして、魔法界全体が一丸となって英国の復興を開始する。

 失われた命は戻らない。

 復興するにしても被害が大き過ぎて完全に元に戻す事など出来ない。

 それでも、数年の後に英国は嘗ての輝きを取り戻し始める。

 幸か不幸か、マグル達は魔法の存在を知り、同時にその脅威を思い知った。

 嘗て、ダンブルドアとグリンデルバルドが画策した魔法使いによる管理体制が生まれた事で復興が進んだのだ。

 そして、崩壊したホグワーツも復元が開始された。

 世界で指折りの魔法学校であるホグワーツに再び教師と生徒の息吹が戻り始めるまで、あと十年程掛かるだろう。

 その片隅に一体のゴーストが棲み着いた。

 滅多に姿を現す事はなく、現れる時も人とあまり関わらないタイプの者の前ばかり。

 そのゴーストはそんな生徒に助言を与えるらしい。

 

 END



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