イケメンは海へ往った (勇気生命体)
しおりを挟む
ロマンス・ゴー・オン
奴隷の子
フィンは眠りについていた。浅い眠り。ほんの少しのことで目が覚めるような。
だから、身を切るような冷たさの水が体に触れるよりも先に、目を覚ますことが出来た。
「があぁあっ!!」
「ぶひゃははは!!!」
氷水が体中に染み込んで、フィンは叫び声をあげた。正確にはそう見えるように振舞ったと言うべきだった。すでに痛みはフィンの感情を揺らすような存在ではない。それらは家族のように常に寄り添っているから。苦しむ姿を見せた方が、フィンへの拷問──彼らは遊びと呼ぶ──が早く終わるので、そう見せているに過ぎない。
フィンが天竜人の奴隷になったのは五年前、彼が六歳の時だった。もう自由な人間として生きていた時代をフィンは思い出せない。
五年という長い時間をフィンが五体満足で生きられたのは、ある種の驚異的な事実だった。力もなく、知識もなく、技もなく、魅力もない男児が、そんな風に生き残れたのには理由がある。
一つは彼が目立ちすぎず、かといって彼らから粗雑に扱われすぎないような印象を与える術を先天的に取得していたこと。言うならば彼は気晴らしに遊ぶのにちょうどいい存在になったのだ。
もう一つは彼の容姿が要因だった。もちろん美しさなどではない。彼の容姿はどう言い繕っても一般のそれからは劣っている。だがそれが幸いした。もしフィンが美しい子供だったら、天竜人はそれを壊すことに喜びを見出していただろう。
天から与えられた二つの才能によって彼は生き残った。しかし、その日の違和感は才能ではなく、経験からもたらされた。
明らかに与えられる苦痛がいつもよりも少ない。自分をいたぶる天竜人の笑顔の質がいつもと違う。
──違う。
──違う。
──何かが違う。
日常の崩壊にも似た、そんな変化が封じ込まれたフィンの記憶を刺激し、いままで想起できなかった幸せの記憶が顔を覗かせた。
それは団欒の記憶。楽しい食事。母がいて、父がいて、大好きなエレファントホンマグロを食べる。食後にはもっと大好きなショートケーキを食べる。フィンはいちごが好きだった。大好きないちごは最後に食べる。
──最後に。
いちごをよけて、ケーキを食べるとき、不思議な愉悦が感じられる。楽しみは取っておくのだ。最後まで。
目の前に置かれた、不気味な果物は大好きないちごとは全く似ても似つかない。
天竜人に鞭を打たれながら、ほとんど強制的に果物を飲み下した瞬間だった。フィンはプールに投げ込まれる。
その恐怖は初めての経験だった。人並程度に泳げたはずの体を、水底の悪魔に引きずられる。体は浮上せず、肺に水が殺到する。耳には自分が立てる水の音と、天竜人の嗤い声が響き渡った。
死の直前に水から引き揚げられたフィンは、水を吐き出すのと一緒に、恐怖でゲロを吐き散らした。それを見ていた天竜人は益々大きく嗤う。息も絶え絶えとなったフィンが再び水に投げ込まれたのは、もっと嗤いたかったからに他ならない。
朦朧とした意識の中で、天竜人に食べさせられた果物が、悪魔の実と呼ばれる、特別な力を与える代わりに、永遠に海から嫌われるという摩訶不思議なものだということを聞いた。
確かに海の呪いを受けてはいたが、フィンには何の力も与えられなかった。
彼が食べさせられたヒトヒトの実は人間が食べても何の効果もない。それが分かっていたから、天竜人はフィンに悪魔の実を食べさせたのだ。抵抗する力など何も得られなかった。
だからその後の行動は、フィンの中から湧き出たものだということだった。
その男は肉体労働を主な仕事とする奴隷の一人だった。魚人で、たくましく、恐ろしいほどの怒りを湛えている。フィンが彼を選んだのは偶然だったが、後々には運命だったと考えるようになった。
誰も、フィン自身も、どのようにしてこの魚人の戒めを解いたのはわからない。ともかく魚人は逃げおおせた。フィンもまた天竜人の追求から逃げおおせた。
そして、偉大なるフィッシャー・タイガーは舞い戻り、フィンを、奴隷を開放したのだ。
*
フィンは、彼と同じようにそうなることを望んだ奴隷たちと一緒に、とある島に降ろされた。フィンの傷跡はいくらか薄くなっていた。
幸せになりたかった。大地に立ち、自由を実感した瞬間、何年振りかわからない感情が巻き起こった。
水面をのぞき込んだのは久しぶりだった。フィンにとって、水は最も恐ろしい存在になっていた。恐怖と対峙することで、平穏な世界を取り戻せるような気がしたのだ。少なくともその第一歩としたかった。
フィンは息をのんだ。水面に写った顔はどう見ても彼のものではなかった。
──イケメンだ。
──イケメンだ!
──この世のモノとは思えないイケメンがそこにいる!!
フィンの右手が彼の右のほほに触れた。
彼が食べさせられた悪魔の実の名前を、正確な名前を実際の所、誰一人として知らなかった。
その名もヒトヒトの実モデル『イケメン』
──世紀のイケメンが生まれた。
イケイケの実の能力者にするか迷いましたが、イケメンは超人ではなく、あくまで動物の一つのなのだという方がなんか面白かったので、そのようにしました。
短編にするほどネタがまとまらなかったので、連載で投稿です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
イケメン〝は〟死なない
イケメンがいた。海の上にぽっかりと。頼りにならない小舟に乗って、イケメンが漂っている。
かのフィッシャー・タイガーが成し遂げた奴隷解放から十年以上の時が経ち、時がフィンの傷を癒すと、心は冒険へと向かった。時代の流れと共に生きるのは若者の特権であり、フィンは若者だった。
大海賊時代は荒くれ者たちを海に解き放ったが、善い心を持つ者──あるいは金のために胆力を発揮できる者──達が海から締め出されるわけではない。フィンはそう言った者たちの船に相乗りする形で、物見遊山に世界を旅していた。
もちろん、命の危険がないわけではない。フィンは何度も死にかけたし、騙されたし、たまには人さらいにつかまりそうになった。
だが、そのすべてをどうにかこうにか切り抜けて、フィンは今日まで生き残っていた。
それはひとえに彼がイケメンだったからだ。
──そんなわけはない。
彼は確かにイケメンの力を持つ悪魔の実の能力者だったが、それだけで生き残れるほどグランドラインは甘い場所ではない。では何がフィンを生き残らせたのか。
鍛えた体は普通の人間よりも機敏に動ける。経験に裏打ちされた処世術は危機を脱するには必須だ。もちろんイケメンは色々得もできる。しかし、そのどれもが、あるいはそれらすべてを総合しても、ちゃんとした仲間無しにグランドラインを生き延びるには足りない。
フィンは幸運の女神に愛されていた。イケメンだからか? 誰にもわからない。
イケメンは死なない。
とりあえず、そういう心持ちで生きることがフィンが覚えた最高の戦術、精神安定法だった。
そんなイケメンも今は一人、小舟の上だ。
フィンは今回も商船に相乗りした。今回の商人たちはケチで、下品で、ほとんど海賊まがいの連中だったが、心根は決して悪い人間ではなかった。
始めに津波が船を襲い、それで半分の船員が海に飲み込まれた。それから巨大な海獣が現れて、一息で船をひっくり返してしまった。荒れ狂う水の中、何かにつかまろうと必死に手を伸ばしたところに、小舟が舞い降り、フィンはどうにか生き残った。今回も幸運の勝利といったところだろう。
商人たちはどうなっただろうか。彼らを思うと心が痛んだ。きっと自分と同じように生き残っただろうとは、とても思えない。小舟は三隻しかなく、そのうちの一隻をフィンが一人で使っている。全員が生き残ったなんて奇跡は起きるはずがない。
フィンは小舟の中で寝転がり、空を見ていた。青い空を。
オールはすでに流されて、小舟は漂うほかにどうしようもなかった。しかし、オールがあったところで何も結果は変わらなかっただろう。実のところ、フィンはいまだに水面が苦手で、小舟の上から見るときのように、近い位置から見る水面は特に苦手だった。
──だから空を見ている。完全に現実逃避である。
そして、空を見ていたがゆえに、
最初それは、黒い星のように見えた。フィンが目を凝らす暇もなく、それはどんどん大きくなっていき、ほんのわずかな時間のうちに、それが何なのかわかる程度には近づいてきた。
──ガレオン船だ。
──ガレオン船!!?
自身が乗っている小舟と比べて、何十倍もの大きさを持つ船が、はるか上空から落ちてくるなんてことが、どうして起こるのだろうか。まったく理解できないことではあったが、グランドラインとはそういうものだった。
フィンは高鳴る心臓を何とか抑えながら、ぼんやりとガレオン船を見つめた。
「……イケメンは死なない」
そう呟いて、フィンは衝撃に備えた。そして再び、波に飲み込まれた。
頬に伝わる軽い衝撃で、フィンは目を覚ました。背中に違和感がある。どうやら何かに引っかかっているようだった。どうやら今回も幸運の女神に微笑まれたようだった。
「あ、おきた」
目の前にいる黒髪の青年が言う。見るからに快活な男で、目の下に傷がある。
「お前、なんでそんなところにいるんだ?」
「それはもちろん」フィンは微笑みを湛えて断言した。「海を漂ってたのさ──かっこよくね!」
真っ二つになったガレオン船、その中心あたりに引っかかっているイケメンは、奇妙なまでの自信を感じさせる口ぶりで言った。そんな間抜けな状態であってもイケメンは、なぜか絵になる。
「ところで、降ろしてくれると嬉しいな。あと、君の船にも乗せてもらいたい」
青年は二つ返事で了承すると、フィンをガレオン船の手すりから降ろしてくれた。
その間、フィンは青年のものだと思われる船を見ていた。ずっとぼんやりと空を見ていたせいで、それなりの船であったにも関わらず、今の今までその存在に気が付かなかった。船の帆には麦わら帽子をかぶったドクロマーク。
──海賊船だ。
ラッキーだけど、ちょいと厄介なことになったな。フィンはそう思った。
空島が好きです。DLC同梱パックを買って、何も知らずに一週目からDLCの方に入っちゃった感じの冒険難度って感じが最高ですね。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
一つや二つは鉄板ネタが欲しい
ガレオン船に積み込まれていた棺桶やらと一緒に、フィンは海賊船に運び込まれた。グランドラインに殴りこんでくる海賊にしては人数が少ない。
これなら雑用の手が足りてないかもしれない。そういう船は労働力を対価に相乗りさせてくれることが多い。ねらい目だ。
船の甲板に優美に座ると、船員たちがフィンの前に立った。
オレンジ色の髪の女が先ほどの黒髪の青年を怒鳴りつけた。
「ルフィ! あんたまた変なの拾ってきたわけ!?」
「おう!」
「おう! じゃないわよ!! おう! じゃ!!!」
二人はわちゃわちゃと言い合いを始める。
その間にフィンはこの海賊たちに取り入るための観察を始めていた。個人が生き残るためには集団に迎合するのが、最も簡単な方法なのだ。
言い合いをする二人の内、青年は取り入りやすそうだ。ああいう腕白そうな人間は大した理由なくよそ者を迎えてくれる。逆に女の方はなかなか手ごわそうだった。ちらっとこちらを見たっきり、あとは青年に意識が集中している。ああいうタイプはイケメンに靡かない。
見るからに強そうな剣士は警戒を解くことなく、じっとフィンを睨んでいる。まずフィンの勝てる相手ではないだろう。警戒心といえば妙に長い鼻の男はフィンを強く警戒している──というよりも少し恐れてさえいるような感じだ。そして、ずいぶん離れたところに小さな鹿人間がいる。悪魔の実の能力者なのか、それともそういう種族なのかはわからなかった。
フィン自身が最も警戒しているのは、金髪の男だった。男は妙に怒気のこもった視線をフィンに送っている。しかし、黒髪の美女がフィンなど気にも留めないで棺桶の方に取り掛かると、ひどく表情筋を緩ませてそちらの方に行ってしまった。典型的な女好き。この男が悪意ある人間なら、間違いなく命の危機だ。今までもいくらでもあったことだが、イケメンが+に作用するとは限らないのだ。
「危ないところを助けていただいて、ありがとうございました」とりあえずフィンは言う。「命以外はなんでも差し上げますから、船に乗せてください」
オレンジ髪の女の耳がぴくりと動いた。損得勘定で動くタイプなのかもしれない、とフィンは思った。
しかし、女が何かを言うよりも先にルフィと呼ばれた青年が「おう、いいぞ!」と言った。あまりにあっさりと。
「ルフィ!」女がまた怒鳴る。
「いいんだ! 俺はもう決めた!」
「ありがとうございます! 船長さん!」
口ぶりから船における地位を察したフィンが素早く言う。
「実は商業船に乗っていたんですが、激しい嵐に巻き込まれ船は転覆。私はオールの流された小舟で遭難していました。それが今度は空からガレオン船! たまたま生きてたからいいものを皆さんが来てくださらなかったら、そのまま溺れ死んでたちんけな旅人なのです。かなづちの!」
「かなづち?」
かかった! 妙に芝居がかった口調で一気にまくし立てたフィンは心の中でガッツポーズをした。
この大海賊時代にたった一人で旅をする酔狂な一般人は少ない。まず基本的には海賊か賞金稼ぎを疑われるところだろう。しかも(戦闘力などまるでないとはいえ)悪魔の実の能力者ならばなおさらだ。ゆえに一番信用を得られる方法は自分から手の内をさらすことである。フィンは正真正銘の一般人だ。探られて痛い腹はない。もちろん危険もあるが、理由もなく殺してこないような相手には隠し事をする方が、後々厄介なことになりやすいものだ。
ルフィは間違いなく面白いものが大好きで、下手に喧嘩を売らなければ攻撃はしてこないタイプだと考えられた。そのためフィンは、芸人のように自分自身をアピールすることで、手の内を晒すついでに心証をよくする腹づもりなのだ。
「そう! 私はなにを隠そう、あの悪魔の実を食べた男なのです!」
その言葉で船員全員の意識がこちらに裂かれた。警戒している者もいるが、間髪入れずに言う。同時に力を解除した。
「──これが私の能力です!」
反応は様々だ。だが全員驚愕していることだけは確かだった。
「ぶ、ブサイクになったー!!!」何人かの声が重なった。
「マネマネの実みたいな能力か?」剣士がそう呟いた。
「いいえ」フィンは答える。「俺が食ったのはヒトヒトの実モデル〝イケメン〟! ゾオン系の能力者さ」
フィンは自分本来の顔のまま如何にも豪胆そうに言う──もちろん、内心は彼らに気に入られたかどうか不安でびくびくしている。
「ちなみに、イケメンになる以外、出来ることはなにもねぇ! ……だから、掃除ぐらいしか出来ることはねぇ!」
「いや、そんなに自信満々に言うことじゃねぇよ」長鼻の青年が言う。
「そんな俺だが、この船に乗せちゃあくれないか?」
「おう! いいぞ!」
ルフィがにかっと笑いながらそう言って、今度は誰も咎めなかった。オレンジ色の髪の女もため息をついただけだ。
とりあえず、フィンの命は大丈夫なようだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
海も広いな、大きいな
「すごいですねぇ。こんなありあわせでそこまでのモノを」
「へへーん。もっと褒めたたえてくれていいぜ。……ていうか、アンタさっきと口調が変わってないか?」
「イケメンにはこっちの方が似合うでしょう?」
「なんだそりゃ」
ウソップは呆れたように眉を下げ、酒樽で作った潜水スーツの最終調整に移る。フィンは言葉の通りに感心しながら、海の底を考えて身震いした。水面よりはマシだが、海底もそれなりに怖かった。
麦わらの一味がフィンのことをとりあえず船に置くことに決めた後、彼らは空から降ってきたガレオン船に関する話を始めた。いや、空の話をしたと言った方が正確だろう。
彼らはガレオン船は空にある島から落ちてきたという。素敵な話だが、フィンにはおとぎ話のように感じられた。ガレオン船にあった棺桶の中の骨はかなり昔のモノらしいが、それでもそう思った。しかし、その空島について楽しく話す麦わら海賊団の人々は好ましかった。
いや、もっとはっきりと言うべきかもしれない。フィンはもうすでに彼らのことがかなり好きになっていた。甲板の掃除──この冒険ですっかりこれが得意になった──が終わったときにお礼を言われたことや、おずおずと質問すれば快く答えてくれること、特にフィンを見下したり、虐げたりしないところが好きだった。
フィンが話しているうちにガレオン船は海の下に沈んでしまったので、彼らはそれをサルベージすることにした。そこでウソップが潜水スーツを作ることになったのだ。フィンはその手伝いに名乗りを上げた。雑用に近いことはすべてやるつもりだったが、これに関しては単に工作好きなので、作業が見たいだけだった。作業を通して、フィンとウソップとはかなり仲良くなれたようだった。
潜水スーツが完成すると、ルフィ、ゾロ、サンジの三人が海底に向かってダイブした。どうやら彼らが腕っぷしビックスリーらしい。空気供給のホースは正常に作動しているようで、彼らは無事海底に向かった。取り付けられたマイクから、元気な声が聞こえる。
ふとフィンの耳に奇妙な声が聞こえた。サルとかなんとか。明らかにマイクから発せられるものではない。
すぐに声の正体はわかった。海賊船だ。
「サ~ルベ~ジ! サルベ~ジ♪」
奇妙な歌を歌いながらこちらの船のすぐ横に止まった海賊船の中から、妙にサル顔の男が現れた。
「おい、おまえらここで何してる。ここは俺のナワバリだ」
「今度はサルみたいなやつが……」
短期間で奇妙な人間に出会いすぎたせいか、ナミがぼそりとそう言った。それに反応してマシラの視線がナミに向く。
「このマシラ様がサルみてぇだと!?」
「やばっ!」
「そんな俺はサルみてぇか!!?」
マシラと名乗ったサル顔はでろんでろんに顔を綻ばせて、そう言った。「はぁ」とナミが疑問の声を出すのが早いか、それともフィンが口を開くのが早いか。ともかくフィンは言った。
「もちろん! あなたはまさしくサルですね!」
「ちょ、ちょっと──」
「──そーか! そーか! いや、まいったなぁ! 俺はそんなにサルあがりか?」
「もちろん、サルあがりですよ! それで……マシラさんは、やはり……サルベージに?」
「おお、そうだ! なんだ? お前まさか俺のファンなのか?」
「ええ、まぁ。見学してもいいですか?」
「もちろんだ! 好きなだけ見るといい!」
マシラはそういって、何やら作業に戻ってしまった。
その光景を見て、ナミやウソップ、チョッパーがフィンの方を見た。
「……すまない。媚びれる隙があると、ついつい人に媚びてしまうんだ」
「お、おう」
「まぁ、あいつら絆されたみたいだし、ナイスフィンさん!」
「ありがとう、ナミさん」
とりあえず、船の上に残ったフィンたちは、マシラに気が付かれないように、海底に潜った三人に対して空気供給を続ける。そして、マシラがサルベージの準備が終わるのを見て、フィンは驚愕した。なんと、マシラは船に空気を吹き込んで──まったく文字通りの意味だ。彼は何らかの方法で海底の船にホースを取り付け、驚異的な肺活量を使って空気を船に送り込んだ──船を持ち上げようとしているらしい。
メリー号に残った人々がこれではルフィ達がサルベージをしているのがばれてしまうのでは、と思った。案の定、海の中で何かがあったようで、マシラは妙にかっこつけた──多分、こちらに考慮したのだろう──口上を述べると、海の中に飛び込んだ。
やばい! フィンは思ったが、すぐにやばいの意味が変わった。
船の下に巨大な影が現れる。巨大あまりに巨大。船の何倍もの大きさだ。
「あ」
フィンが息を漏らした。二つの海賊団がサルベージしようとしたガレオン船は、巨大すぎる亀に食われた。なんということだ。フィンは思ったが、口にはできなかった。驚愕が大きすぎて、まったく口が動かなかったのだ。
麦わらの一味たちは全くの反対のようで、ロビン以外はすさまじい狼狽を見せ、騒ぎまくっている。最終的にナミの意見で、三人を見捨てること方向に行った。鬼か。
船上のパニックがピークに達したとき、突然あたりが暗くなった。夜になるには早すぎる。フィンは習慣的にあたりを見回した。
そのため一人気づく。巨大な亀など比較にならない大きさの、真っ黒な巨人が近くに立っていることに。
今度は口から言葉が出た。意味など持たない悲鳴だったが、声帯が動いたのは確かだ。
「怪、物!!!」
その瞬間、海底に潜っていたルフィ達が船に飛び乗ってくる。生きていたことに安堵するだけの余裕はフィンになかった。そんなフィンの様子に気が付いた何人かが、彼の視線の先を追う。全員にその脅威が伝わるのに十秒もいらなかった。
『怪物だああああ!!』
誰かがそう叫んで、麦わらの一味は全力を持って、メリー号を動かした。突然始まった夜が終わるまで、絶対に止まることはなかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
DEAD OR ALIVE
「なんて日だ……」
誰かがつぶやいて、船の上の全員がそれに同意した。空から降るガレオン船、漂流したイケメン、サル、ありえない巨人。普通に生きていれば一生に一回も起きないようなことが、一日で起こったのだ。そう言いたくもなる。
しかし、それがグランドラインというものであり、麦わら海賊団もそれは了解していた。すぐに彼らは次のための行動を始める。不思議なことにフィンもその話し合いに混ざる運びとなった。同じオールを漕いだ仲になったので、何となく一味との距離感が近くなったのかもしれない。
「そうだ!! 見ろよこれ!! すげぇもん見つけた!!!」
ルフィがそう言って、瓶に詰められていた一枚の紙を全員に見えるように広げる。
『SKYPIEA』
大きくそう書かれた地図は、空島は存在すると声高に主張しているようだった。
ウソップとチョッパーが色めき立つ。他の船員も少なからず興奮した様子だった。もちろん、フィンも息をのんだ。空に浮かぶ島というロマンは、あまりに魅力的だった。
「これが空島があるっていう証拠にはならないわ。世の中にはウソの地図なんていっぱいあるんだから」
航海士であるナミがそう言って釘を刺したが、もはや船長ルフィの中では空島に行くことは決定事項であるらしく、何としても空に行きたいようだった。しかし、ログポーズが空に向いているため、空島どころかどこの島にも行くことはできない状況である。
そんな時、ロビンがナミにエターナルポーズと呼ばれる一つの島を永遠に指し続ける指針を手渡した。どうやら先ほどのマシラの船からくすねてきたようだ。ジャヤ。エターナルポーズにはそう書かれていた。
そして、厳選──詳細はあえて言うまい。少なくとも、船長を含めた何人かの船員(とフィン)は潜水スーツにくっついていた蛸を使ったサンジ特製たこ焼きを食べていた──なる話し合いの結果、空島へのログが変わるよりも先に島を離れるという条件で、ジャヤへ向かうことになったのだった。
つまり、そのジャヤで彼らとフィンは別れるということだった。
*
フィンと同じヒトヒトの実を食べたチョッパーは、医者ということもあり、悪魔の実についての研究をいくらか行っていた。フィンがそんな彼の興味深い話を聞いているうちに、船はジャヤの波止場についてしまった。
何とか今回も生きて違う島につけたな、と安心した一方で、フィンは寂しさも感じていた。こんなに楽しい一団との船旅は初めてで、ルフィ達が海賊でさえなかったら、次の島への出航にも連れて行ってほしいぐらいだ。
しかし、そうも言ってはいられない。命知らずの一般人として旅をすることがフィンの目的で、海賊と一緒に行動なんてしているところを海軍に見られれば、一緒になって捕まえられてしまうかもしれないのだ。最悪の場合、再び奴隷にされてしまうかもしれない。それだけはごめんだった。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「おう、じゃあな」
ルフィがスッキリとそう言った。すぐにジャヤに上陸したいといった具合だが、まだ止められているらしい。
「それにしてもほんとに大丈夫なのか?」
ウソップが言う。正直なところ、この海でほとんど初めて会う気のいい一般人であるフィンに、それなりの情が沸いている。そんな一般人が明らかに治安の悪い場所──どういうわけか、ジャヤは海賊でいっぱいだ──に行こうとしているのだから、心配だった。
「まぁ、私にもそれなりに処世術があるんですよ。こういう治安の悪い所は──」
フィンの顔が素早く変形し、イケメンでもブサイクでもない、やや中の上にギリギリ入りそうな容姿になった。いかにも印象に残らなそうな凡庸な顔だ。これがフィンにとっての人獣形態と言える。
「──こっちの顔で行動するとか」
「おお……なんとなく便利だな」
「これぐらいしか出来ませんけどね……んん゛!! これぐらいしか出来ないっすけど」
「なんで言い直した」サンジが微妙な顔をしながら言った。
「こっちの口調の方が顔にあってないっすか? キャラ付けっすよ、キャラ付け」
「なるほど、そうして三つの顔ごとにキャラを作ってるわけだ」
「まぁ、適当に変えんすけどね」
「変えんのかよ!」
そんなふうに和やかな雰囲気で別れは終わった。誰もフィンと一緒に行ったりしなかったのは、彼らなりに一般人が海賊と一緒にいることのリスクを考えてくれたのだと、フィンは考えた。ともかく、フィンは一人でジャヤを回った。
とにかく荒々しい街、フィンの印象は波止場で抱いたものとそう変わらなかった。海賊たちが行きかう往来を、記憶に残らぬ
仕方がないから野宿をすることにしたフィンは、まず比較的人通りの少ない場所に立っていて、受付が優しいそうなホテルを探した。もちろん、簡単な作業ではない。このモックタウンには町の人間であっても荒っぽそうな雰囲気の奴らが多い。それでも何とか条件に合いそうな女性のホテルを見つけ、誰もこちらを気にかけている者がいないところで、イケメンになる。そして、ホテルに入った。
「すみません」
「あ、はい! いらっしゃいませ!」
フィンは自身の幸運に感謝した。表情、目線、声の上ずり具合、これは完全に面食いの反応だ。優しく微笑んで、頭を少し下げた。
「部屋は空いてますか?」
「は、はい! いくつか開いております!」
「……もしかして、海賊が泊っています?」
受付は一瞬顔をしかめ、言葉に詰まった。フィンはわざとらしくがっくりとうなだれた。
「やっぱりかぁ……そうですよね」
「申し訳ございません」受付は小さな声で言う。「でも、多分どこのホテルも同じような状況ですよ」
「そうですよねぇ」
「そうですねぇ」
フィンは少し考える素振りをした後、何かを思いついたように顔を上げた。
「ここら辺に森とか、とにかく野宿できそうな場所はありませんか?」
「え! でも危ないですよ!」
それから少し、受付はいかに野宿が危険で、いかにこのホテルが安全かを解いてくれた──フィンはイケメンになったことを少し後悔した。海賊たちは町の住人にあまり手を出さないらしい。それなら、普通の顔で雇ってくれと頼んだ方がよかったかもしれない。しかし、後の祭りだ。受付はフィンへの説得が不可能だと察すると、あきらめて色々教えてくれた。
「……ということで、森には食べられるものくらいあると思いますが、入ることはおすすめしませんね」
「なるほど、ありがとうございました……あの」
「はい、なんでしょう?」
「非常に厚かましいお願いではあるのですが、いくらか払いますので、何か食料などを分けてはいただけませんか?」
フィンの狙い通り、まったくの無料で受付はわずかな食糧と新聞紙、ジャヤの地図をくれた。それらを捨てて、他のホテルに自分を売り込みに行く手もあったが、結局は野宿をすることに決め、フィンはモックタウンから離れ、ジャヤの反対側へと向かった。そちら側には町もなく、よほどの変わり者しかいないらしい。
フィンは危険と言われた森からやや離れた場所を拠点と決め、薪を集め、新聞紙を絞って火種を作る。その時、知っている顔が現れた。
麦わらのルフィ、懸賞金3000万ベリー。
フィンはその手配書をしばらく見つめた。だが結局、激しさを増し始めた炎の中に、投げ込んでしまった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
かっこいいとはこういうことさ
まだ朝までは時間があるにもかかわらず、フィンは目覚めた。少しの間、うずくまったままであたりの気配を探り、特に何の気配もしないことを確認してから、無造作に体を起こす。
珍しいな。フィンは思った。彼は何かが近づいたり、起きようという心構えをもっていれば、目を覚ますことがあるものの、基本的には太陽が昇るまで目を覚ますことはない。
起きてしまったのならしょうがないので、朝が来るまで散歩をすることにした。朝が来たら、もう一度町に行って、今度は商船が来るまで働かせてもらおう。
透き通った夜だったが、静かな夜ではなかった。生き物たちの音や風の音が鳴っている。フィンはその中を歩いている。どんな気まぐれだったのか、彼は海の方まで歩を進めた。ゆったりとした波の音が聞こえる。
しばらく動かずに水平線を見て、しゃがみ込んで水面をのぞき込む。なんだか今なら、それを克服できるような気がしたのだ。
「うわ! なんだこのイケメン!! ……あ、俺か」
フィンはため息をついた。水面をのぞくといつだって俺ではない俺がいる。しかも、水の中に居るような息苦しさも感じるのだ。鏡ならば前者だけで済むのに。最悪だ。
フィンは立ち上がり踵を返した。冒険はしたいが海が好きなわけではない。この世がもっと巨大な陸地で出来ていたら、歩いて世界を回ることが出来るのに。そう思うことが、もはや日課のようになっている。
そうして、少し不貞腐れたように内地に戻るフィンだったが、自然のざわめきの中に人の雄叫びのように聞こえるものが混じると、即座に近くにあった木の陰に身を隠した。
「ルフィ船長……!?」
雄たけびを上げながら走っていたのは、つい昼に別れた明るい一団の長だった。その顔はメリー号に乗っていた時に浮かべた、どの表情とも違う。怒りの表情だ。
彼はすさまじい速度でフィンを横切っていった。恐らく町向かったのだ。しかし、どうしていったのかがわからない。もっともどうして町に行ったかなど、フィンには関係のないことだった。
そう、関係のないことなのだ。
それでも、フィンの足はルフィを追って町に向かった。彼が三千万ベリーの賞金首だということは知っていたのに、フィンは止まらなかった。速度を落とすことさえしなかった。
町に着くとすでに騒ぎが起こっており、そこら中に海賊の姿──どいつもこいつも同じ方向を見上げていた──が見える。顔を彼本来のものに戻しながら、出来るだけ人目に付かないように、視線を上げる。
ある建物の屋根の上に彼がいた。ルフィと向かい合っているもう一人のこともフィンは知っている。ハイエナのベラミー、五千五百万の賞金首。つまり、ルフィよりも危険な男だ。
衝動的にルフィへ何か叫びそうになったが、フィンはそれを抑え込んだ。目立てば死ぬことになるのは明白だった。そして、状況は彼が何をするよりも先に動いた。
二人の立っていた建物が崩れる。ルフィは屋根ごと宙に投げ出されたようだった。ベラミーは、彼の食べた悪魔の実の力である、バネの力を利用して縦横無尽に飛び回る。凄まじい速度。フィンの目には残像しか映らない。そんな男の最初の一撃を、ルフィは崩れゆく屋根を足場とし、地面に向かって思いきり飛ぶことで回避した。驚異的な反射神経と身体能力だが、ベラミーは止まらない。
町の中のありとあらゆる場所を足蹴にして、ベラミーは飛び回った。フィンにはもう残像すら見えない。そのため、フィンの瞳はまっすぐとルフィだけを捉えていた。
「友達だって!!? ハハッハハハ!!!」
「400年前の先祖のホラを信じ続ける、生粋のバカ一族だ!!!」
「何が空島!!? 何が黄金郷!!!? 夢見る時代は終わったんだ、海賊の恥さらし共!!!!」
ベラミーが嗤う。フィンは、自身と別れた後でどんなことがあったのかはわからなかったものの、ともかくルフィ達は本気で空に行くつもりだということを知った。ベラミーがさらに加速している。友達のために戦っていることを知った。ベラミーがルフィに向かって跳んでいく。フィンは、なぜかその小さな一言だけ聞き取ることが出来た。
「パンチのうち方を知ってるかって……?」
ベラミーが地面に叩きつけられる。たった一撃の拳。その一撃で、五千五百万の恐ろしい海賊は動かなくなった。
*
「はぁはぁ……! はぁ……ルフィ船長!!」
「ん……? あ! フィンじゃねぇか! どうして、お前こんな森の中にいるんだ?」
「町での……はぁ、騒ぎを……はぁ、はぁ……オエ」
「落ち着け落ち着け」
「行くん、ですね……!!!」
「ん?」
「本当に……空島に……!!!!」
「おう」
「そうか……そうなんですか…………見送らせてもらえますか?」
「おう、いいぞ」
*
不思議な感覚だった。麦わら海賊団を見送った次の日。どういうわけか、フィンはまた海賊団の世話になっていた。
猿山連合軍は三人のボスから構成された、サルベージを主な目的とする海賊団である。そのボスの一人は、フィンが煽てたサル顔のマシラだ。他にショウジョウとモンブラン・クリケットという人物が率いており、彼らが麦わら海賊団を空に送った協力者だった。
ロマンを好む性質こそがフィンが受け入れられた要因であり、彼らを結ぶ要因であるために、ルフィ達が出発した後も、誰も眠らずに空島について話し続けた。空島の話、黄金郷の話、そこにある世にも美しい黄金の鐘の話。フィンが質問すれば、彼らは楽しそうに語る。そんな彼らが好ましくて、フィンも思いつく限りの疑問をぶつけた。
ある頃から、フィンや猿山連合軍のすべての者たちは、海岸に出て、海を見つめるようになった。麦わら海賊団が向かった方を見て、誰もが静かに何かを待つように佇んだ。フィンも海を見た。いくらかの嫌悪感を持つのは変わらない。それでも、海と空の境目は美しかった。
そして、それは訪れる。遠くから聞こえる鐘の音。空から聞こえる
モンブラン・クリケット曰、積帝雲と呼ばれる厚い雲──フィンが麦わら海賊団と共に体験した夜の正体だ──に浮かぶ巨人は、はるか上空にいる人間に強い日光が当たることで現れる。巨大な影であるらしい。
心臓が高鳴る。その音も鐘の音に溶けていく。フィンは涙を流した。
空を包んだ積帝雲に、ルフィの姿がくっきりと写っていた。
*
「ほんとに行っちまうのか?」
「ええ、クリケットさん。商船も来ましたしね」
「そうか」
「もうちょっとゆっくりしてもいいんじゃねぇか?」
すっかり仲良くなったマシラが言ったが、フィンは柔らかな笑みを浮かべながら首を振った。
「空島に行くんだろう? だったらここの方が都合がいいだろう?」ショウジョウが言う。
「先にどうしてもやらなきゃならないことがあるんですよ」
「水面の克服なら手伝ってやるぜ?」
「それもですけど……他にもあるんですよ。こっちはやらなきゃ……男が廃る」
「……そうか」クリケットがつぶやくように言った。「なら、仕方ねえな!!」
その言葉にマシラやショウジョウも強くうなずく。フィンは価値観を共有できることがうれしくて、笑みをこぼした。
自分が求めるものに、まっすぐと突き進んでいくルフィの姿を見て、フィンは己の小ささとかっこ悪さを知った。
死はかつてと変わらず彼のそばにいたが、十数年の幸せな日々が彼を少し臆病にしていたことに気が付かなかったのだ。ルフィの手によってそれに気づかされた時、フィンは本当に行きたかった場所を思い出した。
ある種の因縁の場所である、魚人島だ。人さらい、レッドライン、天竜人、フィッシャー。すべての過去がそれらに通じている。自分はそれから逃げている。そんなかっこ悪いことがあるだろうか。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「ああ、達者でやれよ」
「はい……また!!」
マシラの笑顔に押され、ショウジョウの声に勇気づけられ、クリケットの心意気で勢いづいた体で、フィンはジャヤを出た。そして、フィンは、己の中のけじめをつけるための旅を始めるのだった。
結局、空島にはついていかなかった主人公でした。ということで、第一章終了です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
海の上の町
水の都
荒くれ者の島であるジャヤから、魚人島を目指して出発してから早数か月。フィンは自身の心境の変化以上に、世界の変化を感じていた。その変化の中心にいるのが、フィンのあこがれの男、麦わらのルフィである。
最強の海賊であった白ひげと、海軍との戦争に殴りこんだ麦わらのルフィは、散々戦争を引っ掻き回した後、撤退。さらには後日、マリンフォードに元七武海や海賊王の右腕と共に乗り込み、16点鐘と呼ばれる儀礼的な行動──新しい時代の訪れを表すらしい──して逃げるという、とんでもない行動をしでかしたらしい。
このことについて、フィンは彼が嫌いな世界政府へ喧嘩を売ったことへの痛快さと、しでかしたことへの恐れと、少しの恨みが混ざった複雑な感想を抱いた。それでも、憧れを持っていることに違いはない。
時代が恐ろしい速度で変わっていっている。その変化はフィンのような一般人にも影響していた。以前のように、労働力を対価として船に乗せてくれる商船が少なくなっている。そもそもとして、民間の船が海に出ること自体が少なくなっていた。戦争以後、海賊の動きが活発になっているのだ。そうなると、自分の船を持たないフィンのようなものは一つの島に留まらなくてはいけなくなる。だが幸運なことに、フィンには違う島に行くことの出来る選択肢が与えられていた。
それこそが、海を走る列車。〝海列車〟『パシフィック・トム』である。フィンはいま、その海列車に乗っていた。
海列車が煙を吐きながら進んでいく。一体どうやって動いているのかはわからなかったが、ともかく面白い乗り物だった。これに乗るために美食の町『プッチ』で何千枚もの皿を洗っただけあったというものだ。
車窓から覗くと見える水面は、激しく波打っていて、顔が映る余地などまるでありはしない。それだけでもフィンにはこの乗り物が最高の乗り物に思える。目的地である水の都『ウォーターセブン』へは、まだ時間がかかるようだったが、まるで苦にならない。海だらけの景色は長くみていられはしないが、奇抜で面白いことは確かだ。
ふと思い立って、フィンは、昼飯用にプッチで買っていた弁当を、この海列車の中で食べてしまうことにした。きっと、ただでさえうまい弁当をさらにおいしく食べることが出来るだろう。フィンが弁当を取り出そうとカバンの中に手を突っ込んだとき、手が触れたのは紐でまとめられた紙束だった。思わずそれらを引っ張り出したフィンは、丁重に紙束を開くと、何かを確かめるように頷いた。
それらは、いまや一味全員が賞金首となった麦わらの一味の手配書である。フィンはこれらを旅のお守り代わりに持っていた。正直、要らぬ諍いを引っ張ってきそうだとも思うが、ジャヤを出てからのフィンは憧れのルフィのように少し自分に正直に──もっときちんと言えば適度にバカに──なろうと決めた。なので、このお守りもその考えに基づいたものなのだ。
麦わら海賊団の手配書を見ることに満足したフィンは、再びそれらを紐でまとめ、カバンの中にしまった。そして、今度こそ弁当を引っ張り出す。
ウォーターセブンに着く間、フィンはゆっくりと弁当を味わった。
*
「ここがウォーターセブン!」
海列車から降りると、そこはずいぶんと活気づいた町だった。一つの巨大な噴水ような形をした水の都は、この世のどんな町よりも水を利用して生活しているらしい。
少し歩くと、その謳い文句が本当だということがすぐに分かった。この町はありとあらゆる場所に水路が通っているようで、プッチでも見かけた奇妙な生き物──ブルという──が、馬が馬車を引くように、引っ張ている船を主な移動手段としているらしかった。
それにしても綺麗な町だと、フィンは思った。もちろんその綺麗さで水嫌いが治った、なんて都合のいいことは起きなかったが、これだけ水の多い場所で生活すれば、そのうちこの嫌悪感を克服できるのでは、とは思っている。実際、精神的な修行もこのウォーターセブンにやってきた理由の一つだ。他にも、海列車で移動できる場所で最も魚人島に近いという理由もある。
しかし、最大の理由はそのどちらでもない。
「おお、本当にやってる」
フィンは少し大通りを逸れたところに行き、そこで何人もの男たちが家を建て直しているところを発見した。話に聞いた通りである。
曰、このウォーターセブンでは、数か月前に起こった超巨大津波による被害が、未だ完全に修復されておらず、とにかく人手が足りない状況らしい。市長であり、巨大な造船会社を経営しているアイスバーグ氏は、雇用している船大工たちすらも復興の手伝いに回しているという話だ。
フィンの最大の目的こそが、このアイスバーグ氏が経営するガレーラカンパニーであった。雇ってくれる上に、宿や飯もつく。しかも、船を持っていたり、買いに来たりする者たちが集まってくるので、魚人島への足を確保できる可能性まであるのだ。これ以上の好条件の仕事はまずないだろう。
しかし、フィンの財布にはそれなりの余裕があった。つまり、一日二日で消えるはずのないこの仕事に飛びつくような真似はしないということだ。フィンは踵を返した。まずは観光。そう決めていた。プッチではウォーターセブンには水水肉と呼ばれる特産品があり、これがまたとてもうまいと評判だった。フィンはバカになって考えてみた。めっちゃ食べたい。いの一番に食べに行くべきだ。そのあとは目についたものを食べ歩きしよう。
一瞬、冷静なフィンが、『おい! 考えなしに動くと、いざって時に痛い目見るぞ!』と言った。フィンはバカになろうと決めていたので、無視を決め込んだ。そして、肉を求めて足を進める。
ルフィ船長でも同じようにしただろう。そう思った。実際、その考えは間違っていない。
後悔は全くもって先に立たぬものである。
目次 感想へのリンク しおりを挟む