わたしはかつて、Vtuberだった。 (雁ヶ峰)
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かつてわたしは、
それは心から。
一年前の話だ。
正確には11か月と半月前。わたしは動画投稿・配信サイトでバーチャルライバーとしての活動を行っていた。
最大手ではないにせよ、そこそこの……中規模くらいの配信者グループに所属していた。していて、色々なことを……同じグループのみんなとやっていた。
やめた理由は単純。社会人になったから……なるから、である。当時は、なるから、という理由。
大学生だったわたしは企業に勤めることとなったため。ただそれだけの理由で、引退を選んだ。引退。引退。卒業か。わたしのいたグループは、学校という
素直に事情を打ち明けたら、グループのみんなも、わたしを好きでいてくれた人達も納得してくれたから、引き際としてはとても綺麗なものだったと思う。綺麗に、潔く。去年の三月に、わたしはVtuberを……配信者を卒業した。
わたしの……かつての名前。本名とは似ても似つかない、可愛い名前。
無論親からもらった自分の名前は好きだけれど……も、好きだけれど。同じくらい。この名前も、自分のものだと認識できるくらい、大切で大好きな名前だ。
わたしはこの名前で、よくエゴサーチをする。引退してもなお推してくれる人がいるのが、そのまま自己承認欲求に繋がるし、同時にパブリックサーチとして……わたしの大好きな可憐ちゃんを愛してくれる人がいるというのが、親心のようにうれしいのだ。
もちろん肯定的な意見ばかりではないけれど、それでもよかった。誰かの心にまだ可憐ちゃんがいる、ということが心地いいのだ。
ただ、最近。
多分、卒業から過ぎた時間が一年になろうとしているから、だろうけれど。
わたしの名前が上がる頻度が上がってきているなぁ、と感じる。かつての仲間たちの配信を見続けているから余計にそう感じるだけなのかもしれないが、いや、やっぱり、多くなっている。視聴者のコメントだけじゃなく、メンバーの口からも、わたしの名前が……しんみりと、出される。
嬉しいと思う。
半面で、"エモ"の材料にされているなぁ、と感じる。
卒業や引退にまつわる離別は、カタルシスを簡単に引き起こしてくれるある種のクスリだ。卒業者の名前を出すだけで場がしんみりするし、思いの丈を述べるだけで周囲に感傷を波及させられる。
感動はそれだけで評価を上げる。そんな、"エモ"の材料に体よく使われている、と感じるようになった。
別にそれを咎めるつもりはない。
可憐ちゃんはわたしだけれど、同時にかつての所属グループの一員でもある。ストーリーの途中で離別したキャラクターに思いを馳せる行為を誰が咎められようか。
……いちオタクとして、うん。それは"アリ"だな、と思う。
ただ。
──"あの子は、私達にとって……本当に可愛い妹のような存在だったから"
……絶対思ってないじゃん、それ。溜息に苦笑を混ぜながら、ヘッドフォンを外す。
画面の中の、かつての仲間。所属グループのメンバー。リーダーではない。メンバーの中ではクールポジション。歌が上手くて運動神経が良くて、知識量も豊富。しかしその口から飛び出る歯に衣着せぬ物言いは人によっては棘があると受け取られ、幾度となく小さな炎上……ボヤ騒ぎを経験してきた子。
同い年だ。彼女も大学生だった。一年前。
けれど、彼女は辞めなかった。どんな道に進んだのかは知らないけれど、彼女は辞めなかった。
最後にみんなで通話をしたとき、「私は辞めないけどね」と吐き捨てるように言われたのを覚えている。溜息を吐くように。非難をするように。
彼女は一言だって反対の言葉を口にしなかったけれど、応援しているとは言ってくれなかった。わたしの選択が好意的に受け止められていない事くらいわかったし、彼女の気持ちも分かったから、わたしは「うん」とだけ返して──そのまま。
だから、今。画面の向こうで配信を行っている彼女その言葉には、苦笑しか出ないのだ。
チャット欄には「エモ」とか「そうだね」とか「可憐ちゃん帰ってきて」とか……とても嬉しくて、とても無責任な言葉が流れ続けている。
わたしも。全く別名義、何の関係性も持たないアカウントを使って、チャットを送った。
「もし可憐ちゃんが帰ってきたら何て言いたい?」。読まれない前提の、意地悪で……拾いづらい質問。彼女はあまりコメントを拾わないから、絶対に読まれないだろうと思った。
──"そうですね──"
外していたヘッドフォンから、彼女の遠い声が漏れる。
慈しむような、懐かしむような、優しい声だった。
──"おかえりって、言いたいかな"
……嘘つき。
口角が上がる。そういう"路線"も取り入れていくその姿勢が、本当に好き。わたしは可憐ちゃんを含む、かつてのメンバー全員のオタクだ。箱推しである。一般の視聴者よりも理解度が深い自信があるし*1、誰よりも彼女たちを愛しているといえる。
だから、わたしの……語弊を恐れずに言うなら、可憐ちゃんの"亡き骸"さえも利用していくその姿勢は、本当に尊敬するし、憧れるし、なにより嬉しくもあった。
わたしの離別が彼女たちのためになるというのなら、本望だから。
それにしても。
「妹かぁ……みんなの中では結構上だったはずなんだけどなぁ」
大学生含む学生、社会人の入り混じったグループだったけれど、学生率が高めだった。その中の大学生だ。そこそこ、高い括り。高い部類。
自分はお姉さんとしてやっているつもりだった。でもコメント欄を見る限り、そんなことはないようで。
そんなに頼りなかったかなぁ、と。
ちょっとだけ。ちょっとだけ、口を尖らせて──わたしは配信を閉じた。そのままPCも落とす。
大学生だったあのころと違って、社会人の朝は早いのだ。毎度毎度深夜まで放送を楽しむ、なんてことはできない。
だから、ごめんね、と。
おやすみ、と。そう虚空へ呟いて──。
ピロリン、と。
SNSツールの通知音に、睡眠モードへ移行しかけていた体を起こした。
●
翌日、わたしはあるマンションの前で立ち往生していた。
高層マンションだ。入り口にはナンバーロックがあり、住民しか知らないその番号を押さないと中にすら入れない仕組み。あるいは、中から住民に開けてもらう事もできる。今回は後者の方法で入る……つもりだった。
その前での立ち往生。怪しさ満点。夢いっぱい。アソパソマソ。
実際仕事に向かうのだろう男性や子供の送り迎えだろう家族連れなどが出てきては、マンション前で立ちすくむわたしを避けるようにして通り過ぎて行った。あんまり長居すると通報される可能性まである。
自分の勤め先には午前休を貰っているのでそちらの心配はないけれど、未だ寒さの残るこの時期にあんまり外で立たせないでほしい、という切なる
ピロリン、と。音。通知音。
端末に表示された文字。「めちゃくちゃごめん」というその文字列を見て、ようやく彼女が目を覚ましたことを察する。
パシュ、という短い空圧音と共に、硬質ガラスで出来た円筒状の自動ドアが開いた。
ふぅ、とため息を一つついて、中に入る。三本のエレベーター。一番左に入って、24階を押す。
その間にも端末には「ほんとごめん」とか「申し訳なさで死にそう」とか「sorry」とか、ピロリンピロリンと通知音が連続で響く。うるさい。そろそろ。
ようやく24階に着いた頃には「ごめん、ってなんだ……?」というよくわからない文章が来ていて、少々イラっときた。
エレベーターのドアが開く。
目前に白い扉。この階のすべてが彼女のものだから、ここが玄関。インターホンを押す。
1秒と立たないうちに、扉が開いた。スライド式の自動ドア。
そこに、額を床につけた……所謂猛虎落地勢。あるいはDOGEZAの恰好をした女性が。
「おはよう、HANABiさん」
「おはようございます、陛下」
「陛下is誰」
ドアの内側に入って、靴を脱ぐ。靴箱の横のスリッパを履いて、今なお土下座をやめない女性のお尻を蹴った。もちろん軽く。雷獣のように。
女性は──PN.HANABiさんは「あたっ」と声を上げると、痛くもないだろうおしりを抑えながら立ち上がる。額が赤い。おしりよりもそっちを気にするべきだと思う。
勝手知ったるなんとやら。
廊下をずんずん進んで、たどり着いた大広間にカバンを下ろし、コートを脱いで──フッカフカのソファにダイブ。そのまま横になって、足を投げ出す。
適切な温度に保たれた部屋の中は寒空にいたわたしにとってのぬくぬくで、んーっ、と一つ伸びをする。
遅れて部屋に入ってきたHANABiさんが脱ぎ捨てられたコートをハンガーにかけるのを見て、あぁお姉さんってこういう所で出るのかなぁ、なんて感想を浮かべる。
「弁明は」
「申し訳ございませんでした」
「8時に家に来て、って言ったの誰だっけ」
「私でございます」
ふぅ。というか、はぁ。
朝弱い自覚があるのなら、もう少し遅い時間にしてくればいいものを。
うら若き乙女には色々支度があるんですけど。
「何をしてたの」
「……作業を」
「ダウト」
「MINA学の配信見てました」
「何時まで」
「……3時です」
「ダウト」
「朝5時まで見てました」
はぁ~、と。
大きくため息を吐いた。わたしが0時でセーブしたというのに、わたしより大人なこの人は……まったく。
MINA学。
ただそれを。
アーカイブも残るソレを。翌日の8時に人と会う予定のある大人が見てしまうのは、どうなのかという話。
「それで」
「はひ」
「動画の方は?」
「あ、それはもうばっちりと。完全に。完璧です。誇り持って言えます」
「うん、信用してる」
言うと、ようやくHANABiさんは安堵のため息を吐いた。
ニットに包まれた胸がたわむ。
HANABiさんは、クリエイターだ。
動画編集や音声編集、画像編集など幅広い仕事を手掛けていて、イラストもプログラムも出来る有能有能アンド有能な人。お金も結構……いや、かなり稼いでいる。ただ歌が下手。楽器はできるのに。
さらにアガリ症で、わたしのように気を許した友達の前以外ではまともに喋れないし、失言も多い。
一人で芸を極めることに向いていて、対人に向かない。そんな……まぁ、一応、あこがれの人である。
そんな彼女とわたしは、Vtuberをやっていた時代からの付き合いで、今では親友……に、なれたと思う。少なくともわたしは思っている。
こうして互いの家(主にHANABiさんの家)に行くこと・泊まる事も多く、SNSツールで話している時間も長い。完全にわたしは信を置いている。HANABiさんもまた、わたしを可愛がってくれている……ように思う。
そんなHANABiさんが、わたしにある"依頼"をしてきたのが半月前。
「曲を作ったので、歌ってほしい」そういう依頼だった。
動画、作詞作曲、イラストすべてがHANABiさんで、歌だけわたし。
当然、ちょっとした抵抗があった。
だってわたしは、かつてVtuberとして……皆凪可憐として活動していた人間だ。当然、その声は知られている。みんなの前で歌ったことだってある。だからわたしの歌声を知っている人も多数いるのだ。
そんなわたしが。卒業をしたわたしが。
またネットに声を載せていいものか、という葛藤があった。
「名義を変えて活動することの何が悪いんですか?」とは、HANABiさんの言葉だ。
クリエイターという生き物は、結構頻繁に名前を変えるらしい。複数名義を持つ人。コロコロ名前を変える人。一貫した別名義を持ち続ける人。様々。
それは得てして現在の名義との紐付けを切る意味合いであったり、視聴者の年齢層を考えての事だったり、単純に別作品・別界隈に手を出してみたくなったから、だったりと理由は様々だが、総じて。
総じて、それを咎められるようなことはないというのだ。
それを聞いて、葛藤は消えた。
皆凪可憐が卒業した事と、わたしが別の名義で歌う事は、なんら関係がないのだ。そう、知った。
だから、わたしは彼女の依頼を受けた。イニシャルさえも載せない、「歌は友人に歌ってもらいました」という旨だけを書くことにまとまり、先日収録を終え、その編集作業のすべてが終わった。
それを今日、チェックがてらに確認するため、こうして呼び出されたというわけである。
大きなテレビにアップロード前の動画が映し出される。
カッコイイ系の曲。HANABiさんの入れてくれた仮歌はそれはそれは酷いものであったが、歌詞がかっこよくて映像も雰囲気を掴みやすいものだったから、すぐにイメージを掴むことができた。
それが、結構な音量で流れ始める。
防音壁完全防備なこのマンションは、音漏れの心配をしなくていいのがズルイ。
自分の歌。
恥ずかしい、と。そうは思わない。
誇らしいと思う。そうするようにしている。
「相変わらず、歌が上手い! それに、感情の込め方が天才」
「もっと褒めたまえ」
「ははーーっ、歌馬ひひーん!」
「それは褒めてないと思う」
崇めてはいるかもしれないけど。
「HANABiさんこそ、いつみてもカッコイイ動画」
「せ、せやろか」
「バリバリの東京人がなにを」
「そ、そうでしょうか」
「言い直されましても」
これだけすごいものをつくるのに、彼女は褒められなれていない。エゴサーチをほとんどしないのも原因だとは思うけれど、もともと自己評価が限りなく低い人なのだ。
だから、と。
彼女の肩を掴んで、強制的にこっちを向かせる。
「ひ」
「HANABiさんis天才」
「ひぃっ」
「正直かなり憧れてる。かっこいい」
「うぅぅう!」
……こうやって、無理矢理褒める事で彼女の自身への評価を高めさせるのが、わたしの仕事である。ような気がしている。
「うん、ミスもなさそうだし……これ、今日あげるの?」
「あ、はい。エンコードが終わり次第、にはなりますけど」
「りょーかい。仕事から帰ってきたらすぐに見るよ」
「はい」
それだけ。
今回は、それだけ。
じゃあ、と。立ち上がる。
「お仕事、頑張ってください」
「うん。HANABiさんも、寝坊と体調には気を付けて」
「うっ!」
本当にこれだけのために呼び出して、呼び出されて……でも、そんな関係が心地いい。
わたしは。
今度はスムーズに*2エレベーターとロビーを通って、マンションを出るのだった。
●
ソレが来たのは、動画が投稿されてすぐのことだった。
通知だ。通知音を設定していない、通知。丁度携帯端末を見ていたからすぐに気づけたそれは。
「……アミちゃんかぁ」
表示された名前は、
プレビュー表示されたメッセージは短く一言、「どういうことですか」と。それだけ。それだけが書かれていた。
ここ一年間、一通の連絡さえも無かったのにね、なんて意地悪なことを思いつつ、それが当たり前だということも知っている。なんせ、わたしは社会人になると……仕事に就くといって活動をやめたのだ。その言葉の影に"忙しくなるから"という意味が隠れている事なんて簡単に察されることだろう。まだ学生だけど、聡明な子だ。こちらから落ち着いたという連絡をしていないのだから、気を遣って話しかけてはこなかったのだろう。
それの気遣いさえも突破して、問い質す衝動が生まれたという話。
投稿五分後の動画の再生数は322.と、昔のわたしを考えれば──限りなく少ない。
けれど、無名の少女が歌ったオリジナル動画だと考えれば、そこそこの回数だ。HANABiさんはあんまり宣伝をしない人だから、殊更。
それでも五分前に投稿なので、聞いた人数は限られよう。
つまり、人伝で気になったとかではなく、自分で聞いて、自分で気になって、自分で判断して……メッセージから察するに、確信して。
「どういうことですか」か。それは何に対してなんだろうね。
わたしはそのメッセージに「なにが?」と返そうとして──やめた。SNSツールすら開かない。未読無視、というやつ。
もうわたしはMINA学園projectのメンバーではないし。
もうわたしは、水鳥亜美ちゃんと友達の皆凪可憐ちゃんではないのだから。
コッコーダンゼツ。国じゃあないけど。
その時丁度、駅に着いた。電車が。
立ち上がって、電車を降りる。仕事帰りだったから。仕事帰りにポッケwi-fiで見る動画は優越感に浸れる最高の娯楽ツールである。
携帯端末にイヤホンを挿して、音楽アプリを立ち上げて、コートのポッケに突っ込む。流れる音楽は、MINA学園projectのみんなが歌った曲。ストリーミングサービスで配信されているそれから聞こえてくるみんなの声には、わたしの声は含まれていない。
わたしの卒業後に出た曲だから、仕方がない。むしろ余計な感情に邪魔されず、一般オタクとしてMINA学園projectを楽しめる神曲である。
マフラーの内側で歌詞を小さく口ずさみながら、寒空を行く。寒い。明日は懐炉を増やそう。それはそれで暑そう。というか熱そう。
ふと、大手電化製品販売店の街頭広告を見た。
大きなモニタ。映っているのは。
「
わたしじゃない、誰かの声。
MINA学園projectではなく、もっと大きな企業が運営するVtuberグループの看板。300万人の登録者を擁する彼女と彼女のグループは、とてもじゃないけどMINA学園projectでは敵わない。最大手といっても過言ではないその人気っぷりは、わたしがVtuberを志した切っ掛けでもあった。
いやまぁ、辞めたけど。
ああやって。
指をさされて、名前を認知されるくらいの存在になるのは……どれほど。
──なんて。
もう辞めたわたしにとっては、皮算用も皮算用。今は仕事が忙しい……こともないけど、特に戻りたいという意思もなかった。
夜を行く。白い息。
うー、寒い。帰ったらおこたつけてぬくぬくしよう。
小さな決意を秘めて、わたしは帰路を急いだ。
●
二周年記念の企画を用意しているらしい、というのは、一般オタクであるわたしの耳……というか目にも届いていた。MINA学園project二周年記念放送。わたしの卒業一周年が、そのままMINA学園projectの二周年でもあるのだ。
よくぞここまで、欠員一人のみで保ってきたな、とは思う。
高校受験を控えた中学生もいれば、大学受験を控えた高校生もいたし、彼女とわたしは就活。既に社会人のメンバーはまだわかるのだけど、休止せず、引退せず、よく、と。
だからこそ、ではあるのだろう。
わたしと同じく一般オタクのみんなが、「可憐ちゃん声だけ出演しないかな」とか「可憐ちゃんのFAどういう扱いになるんだろう」とか。「帰ってきてくれ」とか。
加えて否定的な意見も。また擦るのか、またお涙頂戴か? とか。
わたしも少しだけ感じていたことだからわざわざブロックはしないけど、同時に厄介なオタクなのでスクリーンショットは撮っておく。アカウントのURLも。それをExcelシートに貼り付けて……。
誰だって自分の宝物を貶されたら怒るだろう。わたしにとっては彼女らがそうだから。
ちなみに現役時代、可憐ちゃんへの誹謗中傷はすべてスルーしていた。ブロックもミュートもしない。わたしは批判されている自分とそれを見ている自分を分けられるので、一切の不快を覚えなかった。批判も否定も肯定も、エンタメの一種だから。
しかし推しへの批判は許さない。それがオタクである。
話を戻して、企画だ。二周年の企画。
いまのところ、わたしに出演依頼だの録音依頼だのは届いていない。正直に言えば当たり前である。そんな簡単に出ていたら、卒業という言葉の意味がない。
個人的にはバーチャルなんだから気軽に消えたり浮上したりしてもいいとは思うけれど、世間の風潮的には卒業は重い言葉なのだ。
……依頼されても、未読無視するだろうし。
わたしam一般人。副業オッケーな会社だからそっちは問題ないけど、わたしに問題がある。
一度無視してしまったのに、依頼だけ返事するとか……感じ悪いし。
だから、待っているオタク君たちには悪いけれど、わたしは出ません。
皆凪可憐ちゃんというキャラクターの著作権を持っているのはグループの方だから、立ち絵くらいは使われるかもしれないけれど、そこに魂はない。
……誰かが引き継いでくれるというのなら、それもまた良いとは思う。無理矢理ではなく、わたしの場合は円満だから。
まぁ、納得する人は少ないだろうけれど。
そんな。
とりとめのない、オタク側ともライバー側とも取れない思考をこねくり回しながら、お風呂にお湯がたまるまでの数分間が過ぎていくのだった。
●
火照った体をこたつの外に出して、冷凍食品を温めている時のことだった。
ピロリン、と音が鳴る。通知音が鳴ったということは、projectの誰かではない……というか、この通知音が鳴るのはHANABiさんしかいない。
忘れものでもあったのだろうか。そう思って携帯端末を手に取って、プレビューも見ずにSNSツールを開く。アミちゃんのソレに触れないように気を付けながら、HANABiさんのメッセージを確認する。
ちょっと話したいことがあります。と書かれた吹き出し型のウィンドウ。
なんだろう。チャットでは面倒なので、電話をかけてみる。1コール。2コール。3コール。
あれ、出ないじゃん──と思った矢先に、通話が繋がった音がした。
トイレにでも行っていたのかな。わたしも結構やる。メッセージ送るだけ送っておいて、作業を始める事。気付けば4時間とか経っているんだよね……。
それはともかく。
「HANABiさん、どうかした?」
──"杏さん。お話があります"
「うん、だから電話かけたんだけど」
──"そ、そうですよね。その……ですね"
よほど言いづらい事なのだろう、言い淀み方からこれは割と真剣な話っぽいな、と思って姿勢を正した。でも寒くなってきたのでこたつに足をインする。
ちなみに杏というのはわたしの本名。苗字はごついので、あんまり好きじゃなかったりしなくもない。そこまで感情はないともいう。
──"杏さんは……歌うの、好きですよね"
「うん。うん? 好きだよ?」
──"……先ほどの動画を出して、すぐのことです"
──"私の元に、一通のダイレクトメッセージが来ました"
「へぇ、もしかしてお仕事の依頼とか?」
──"……そういう風にとればそうですね。でも、依頼というよりは、スカウトが……正しいです"
ピー、と。冷凍食品が温まったことを知らせる音がした。したけど、取りに行けない。
少しだけ手が震えている。
「スカウト」
──"はい。内容は、バーチャルシンガーとして活動してみませんか、というものでした。グループに参入して、歌手として活動しないか、と"
……怖いなぁ、と思った。
HANABiさんはわたしが皆凪可憐であったことを知っている。それについての悩みも相談したし、なんなら卒業のための動画・音声編集は彼女にやってもらった。
その上で、だ。
その上で。わたしにこの話を持ってきた。
それは。
「……HANABiさん、それってさ」
──"はい"
「わたしがまだ、あの世界に戻る気があるように見える……っていうこと?」
Vtuber……バーチャルライバーとバーチャルシンガーは、似たようなもので、厳密には違う。配信を行うという点では同じだろう。違うのは、根元の部分。主軸の部分。
配信活動を主とするか、歌手活動を主とするかの違い。
──"はい"
「珍しく、言い切るね」
──"少なからず願望も含まれます。わたしは貴女に、もっと活動してほしい。わたしの技術を以て貴女をより綺麗に見せたい、という願望もあります。わたしはもっと、貴女と一緒に活動したかった"
「クリエイターとして?」
──"そうです。コミュ障で地味な私ではなく、HANABiとして。貴女に出会ったクリエイターとして"
多からずの間違いじゃないかなぁと思う。
要は、完成していないのだ。彼女の中では。わたしは元々就職するときには辞めるつもりで、いい感じに終わることができたな、と思っていたけれど。
わたしと会って、わたしの活動に寄り添い続けた彼女にとって、わたしはまだ未完成品らしい。
随分と自分勝手だな、と思う。
反面。半面。
「……嬉しい」
──"そうだと思って、お話を持ち掛けました"
「ずるいなぁ」
──"そう思います。ごめんなさい"
嬉しい。とても嬉しい。
だって、HANABiさんはわたしの憧れの人だ。なんならVtuberになる前から彼女の動画を見ていた。彼女の音楽を知っていた。出会った当初は随分とおっかなびっくりだったことを覚えている。わたしにとっては有名人だったから。
その彼女が、わたしを完成させたいと。自分勝手に、わたしの意思なんか無視して、わたしを昇華したいと言ってくれる。
……素敵なことだと思う。誇らしい事でもある。
でも。
「バレるよ、ぜったい」
──"……"
「バレて、燃えるね。スカウトしてきた人のトコのファンも、MINA学園projectのファンも敵に回して。わたしへの誹謗中傷だけならともかく、HANABiさんのトコにも来るよ。HANABiさんただでさえメンタル弱いのに、耐えられるの?」
──"……"
「HANABiさん性別明かしてないから、あることないこと書かれるよー。酷い妄想。セクハラ。全く謂れのない、知らない自分の過去。捏造偽造は当たり前。蹴落とすためだけの世界に晒される」
クリエイターが名義を変えるのは普通だと、HANABiさんは言った。
ファンに何も告げずに新しい活動を始めるのは特におかしいことではないと。
だが、今のバーチャル界隈の視聴者層は、それを許さない。
良心的な、良識的な人もいるのだろう。同じく創作活動を行っている人や、単純に理解のある人は。
だが大多数は否定的だ。批判的であり、攻撃的でもある。
まるで自分たちに断りを取らない新規活動は許さないとばかりに、声の大きい連中が跋扈している。
「耐えられる?」
──"私の心配をするんですね"
「そりゃあ、もちろん。わたしは何言われても痛くも痒くもないもん。自分に自信があるから」
──"うーん、流石です。……そうですね、しばらくはエゴサを控える事にします"
「なるほど、それは賢明。……そんなにやりたいんだ」
──"はい"
どうやら、決意は固いようで。
なら──わたしに、否定する理由はない。
「ちなみにどこのグループなの? スカウトしてきたのって」
──"DIVA Li VIVAです"
「……そ?」
──"マ、です"
DIVA Li VIVA。ディヴァリーヴィヴァ。あるいはディバリビバ。カタカナの読み仮名なんてどうでもいい。
多くのクリエイターを抱えるグループであり、その運営は企業。というか、超大手芸能事務所の一部署であるため、様々な分野・イベントに手を伸ばせる界隈最大勢力である。
そして、あの街頭広告に映っていたNYMUちゃんの所属するグループでもある。
──"杏さん。スカウトされたのは私と貴女、二人共です。どうでしょうか"
「……あー……んー……うー……」
──"配信活動をする必要はないそうです。単純に歌手としての起用ですね"
「あー……とねぇ」
言い淀みもしよう。
だってそれは。そこに、そんな大手に行ってしまうのは。
──"MINA学園projectに悪い、と思っているんですよね"
「……うん、そう。ざっつらいと」
──"まるで彼女らを見捨てたみたいだから、でしょうか"
「今日は言葉が鋭利だね。でも、まぁ、そんなところ。みんなで先のその先へ行こう、って言ってたのに……って思うと、ね」
ちょっとどころではなく、気が引ける。
MINA学園projectのみんなにとっては、余計な気遣いなのかもしれない。余計なお世話でもあるだろう。
けど、わたしだけ……というのが。より。深く。
「返事はいつまでだって?」
──"いつでもいい、との事です"
「それは今すぐに、ってことだよね」
──"まぁそうでしょうね。新メンバー発表は今期中にやってしまいたいでしょうから"
その方が春からの活動に支障が出難いから、まぁ。納得もできる。
……うだうだ悩むのもわたしらしくないし、まぁ。
負い目など、結局はわたし自身の納得だ。
「じゃあ、お願いしますって言っておいて。ウチ副業オッケーだから、面接とかオーディションの日決まったら連絡よろしくね」
──"……ありがとうございます"
「こちらこそ。これからよろしく」
──"はい"
通話が切れる。
……少しだけ体温の上昇した体はこたつが暑いらしく、汗が出るのを感じた。
こたつの電源を切って、一つ。
伸びをする。
ピーッピーッピー。
「あ」
話に夢中で気付かなかった。
冷凍食品が温まったことを知らせる音が、はやく取りに来いと言わんばかりに騒いでいる。ごめんごめん、今行くよ今。
かたつむりのようにこたつから出て、やはり火照ったままの体を冷たい床で冷ましながら、電子レンジの元へ向かう。足裏ひんやり。痛いくらい。
そして今まさに電子レンジの扉を開けようとしたところで、ピーッピーッと音が鳴った。
「今開けますっての」
開ける。ぬるーくなったパスタ。
まぁ食べられればなんでもいいか。
内袋を取ってフォークを取り出して、こたつへと持ってきて──いただきます。
「……冷めててもそこそこ美味しい」
ならばよし。
うん。
ごちそうさまでした。
〇
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それは手元から。
かつてのわたしには、前世というものが存在しなかった。
無論、仏教用語でいう所の前世ではなく、所謂"配信経験"のこと。あるいはVtuber以外の活動記録のことだ。
ほかの動画投稿サイトでの動画投稿経験、配信経験がないというのは、強みでもあり弱みでもあった。強みとは、探られる腹がないということ。弱みとは、圧倒的な知識不足であったこと。
世間は未知を嫌う。面白い・興味深い対象が現れたときに、何故自身が好奇心を掻き立てられるのか、という部分に説明がつけられないと不安になる。その不安は前歴の調査という形で解消され、そこに記録が存在すれば「だからこんなに」という説明がつくのだ。
だというのに、世間は既知も嫌う。
未知にこそ面白さを感じ、新しい人材が新しいことをやってのけると盛大に評価する。逆に既知の……誰もがやっている事を沿うだけでは、高い評価は得られない。前世が有名であったり、反対にあまり伸びなかったりした配信者だと知るなり、「こいつにはこれ以上の伸び代はない」と言わんばかりに興味を失うのだ。
だから、配信者からVtuberへ転身……彼らの用語に合わせるなら転生は、一部の者には蛇蝎のごとく嫌われ、そうでない大部分にも「ああ、それで」と、手放しでの評価対象から外される。
そういった点において、かつてのわたしは大きな強みと共に活動できた。
配信経験がないのだ。声がインターネット上に記録されていないのだから、探られ様がない。もっとも、とってつけたような捏造記録、あるいはどこの誰とも知らない人と結び付けられる事もあったが、わざわざ否定はしなかった。先も述べたように彼らは不安なのだ。不安の解消権利まで奪うつもりはない。
「何を言っているんだろうなぁ」程度の感想は、わたしに不快さを覚えさせるほどではなかったのだ。
ただ、知識不足は非常に苦労した。
一年で辞める予定だったので配信ソフトは無料の物を使用していたのだが、コレの操作が難解も難解。いやいや、簡単なほうだよ、という言葉は聞き飽きた。最終的には詳しいメンバーの子にマニュアルを作成してもらって、余計な操作をしない事を遵守することでようやく円滑な配信を可能としたのだが、ひとたびトラブルが起きればどうしようもない、お手上げ状態。
結局メンバーの子に頼って直してもらって、何が悪かったのかを教えてもらって……そんな感じだった。
思えばこういうところが"妹みたいな"に繋がっているのかなぁ、なんて思う。
VR技術に関しても同じ。何ができるのか、何ができないのか。トラッキングだのセンサーだのなんだの……。
可憐ちゃんは何もしないでじっとしてて! とリーダーの子に怒られた回数は両手足の指を以てしても足りない。要望を出しても「それはどう考えても無理でしょ」とか「もしかして魔法か何かと勘違いしてる?」とか……いやだって、VRってそういう事じゃないのだろうか。なんでもできるものだとばかり。
そんなこんなで、収録も配信もみんなを頼ってばかりだったなぁ、というのを思い出した。
わたしと中学生組以外のみんなに前世があったから、というのも大きいのだろう。かなしいかな、思い返せば思い返すほどに妹ポジションである。
という話を。
つらつらと思い返しているのは、今。ここが。
面接兼オーディション会場だから、である。
●
受かった。
ひどくあっさりとしたオーディション、面接だったなぁと思う。
まぁ元々がスカウトであるというのもあるのだが、それにしたってあっさりさっぱり。レモン汁。
内容は配信経験の有無、ボイストレーニング経験の有無。あとHANABiさんとの関係も聞かれた。付き合ってるんじゃないか疑惑があったらしい。わたしとHANABiさんは二人で一つ、みたいな形で入社するため、人間関係的な部分は気にするのだろう。
どっちもがどっちもの妹みたいな関係です、と言っておいた。姉ではないことは確かだ。
そんなHANABiさんはオーディション無しの特別枠とのことで、いやはや流石だね、と讃えてあげた。爆速で返信が来て、もともと動画編集とモデリングの枠でスカウトされたから、とか、既に作品がいっぱいあるからだよ、とか……言い訳なんだか自慢なんだかよくわからない返答だったけれど、彼女のことだからこれが精いっぱいの謙遜なんだと思う。
謙遜なんてしないで誇ってほしいな、とは思うけれど、まぁそれはそれ。
その場で合格と言われて、現在帰路である。
DIVA Li VIVAのロゴの入った名刺を渡されて、ようやく。
わたしが受けた場所を実感した。最大手の最大勢力。頭の頭痛が痛い。おっかなびっくりが後からやってくるというのは初めての経験。
マフラー越しに白い息を吐く。まだまだ寒い。
ピロン、と。通知音が鳴った。
HANABiさんからのメッセージ……ではなく、流石に設定しないとマズいだろうと思って通知音の設定をした、DIVA Li VIVAの社員さんからのメッセージだ。
社員さんというか、わたしたちのマネージャーさんというか。
「……一緒にお食事どうですか、ねぇ」
確かにまだ事務所を出てから数分と経っていない。時間もちょうどお昼時で、この辺は初めて来るから周辺地図もわからない。
ふむ。……まぁ、断る理由もないか。
お願いします、と返す。ちなみにHANABiさんは滅多に外食をしないので、多分誘ってもこない。外食どころか外出が嫌いだ、あの人は。根っからのヒッキーである。
画面を開いたまま待つこと30秒。ありがとうございます! 今どちらにいらっしゃいますか? というメッセージ。テンション高いなぁ、と若干の気後れを感じつつ、適当な場所をぱしゃりこ。地図から現在地を送信してもいいのだけど、まぁ。だいたいわかるでしょ。
わたしのメッセージに既読がついて、一分。
「お疲れ様です、杏さん、ここにいましたか」
「お疲れ様です。すみません、あまりここら辺に明るくないもので」
「いえいえ! 急なお誘いになってしまってこちらこそ申し訳ないです」
スーツを着た、メガネの……背の高い女性。
大統領秘書、という言葉を擬人化するとこの人になりそうな、そんな印象。つまりわたしが大統領。
ちなみに芸名……というかキャラクターとしての名前はHIBANaになった。HANABiさんに倣ったのだ。これ、もっと付き合ってる説加速しそう。あるいは同一人物説が。
とはいえソレを外でも呼ぶ、というのは危険オブ危険。デンジャー中のデンジャーである。なので、本名で。
「麻比奈さんは、歳、いくつなんですか? そういえば」
「あ、今年で25です」
「じゃあがっつりこっちが年下ですね。上司の見てないところではタメ口で行きましょう」
「……」
「ダメですか?」
礼節を重んじる場では重んじよう。そうじゃない場では緩くいこう。窮屈に生きるほど、生き急いではいない。
マネージャーさん……麻比奈さんは驚いたような顔でわたしを見る。まぁ面接に合格してすぐにこんなこと言いだす輩は中々。
「いえ……あぁ、ううん。そうじゃなくて、ニーナちゃんとおんなじ事を言うから、びっくりしちゃって。才能ある子はみんなマイペースなのかしらねぇ」
「ニーナちゃん? とは?」
「あー……ウチの看板娘よ」
……NYMUちゃん、本名ニーナなんだ。外国人なのか、それともあだ名なのか。なんにせよ、可愛い名前だな、と思う。
そしてこちらの要望通り敬語を取ってくれた麻比奈さん。柔軟な人みたいで良かった。堅苦しい人だと息苦しいから。
「あ、そろそろお店探さないとですよね。お昼休憩、大丈夫ですか?」
「時間は大丈夫。それより、がっつり年下ってさっき言ったけど、貴女23でしょう? 二年をがっつりなんて言わないで欲しいわ」
「小ボケのつもりだったんですけど、ガンスルーされたんだと思ってました。拾ってくれてありがとうございます」
「それと、堅苦しい言葉はそっちも取っ払ってくれる?」
「りょうかい」
んっ、と伸びをする。いやぁ肩が凝った。オーディションがあったからスーツではないのだが、こう、空気というか雰囲気というか。ふいんき(何故か変換できない)というか。ようやく緩んだ気がする。
その後、行きつけだという喫茶店を紹介してもらった。DIVA Li VIVA社員御用達、みたいな店なのだとか。所属芸能人にも理解があり、喫茶店だというのに個室まである密会をしてくれと言わんばかりのヘンな店だった。
そしてマスターはハゲだった。
喫茶店を出てすぐ麻比奈さんは仕事に戻り、わたしも今度こそ帰路に就く。麻比奈さんといるときは開かなかったSNSツールにはいくつかの通知が来ていて、その中には。
「……アミちゃん、諦めないねぇ」
通知数+10という、相手が画面の向こうの他人であれば即ブロック案件なソレを見て、溜息。すっぱりさっきり諦めてくれればこっちも気が楽なんだけどなぁ、なんて。
気負ってすらいない心で、嘯いた。
●
Vtuberにとって、ダンスは重要な要素の一つである。
3Dモデルで活動を行う以上、激しい体の動きというのは"画面映えする"ポイントの一つであり、活動の幅を広げる一要素でもある。企画にせよ、曲にせよ、なんにせよ。踊れる、というだけで選択肢は広がる。
MINA学園projectのみんなは運動神経の良い子が多かった。一人壊滅的な子がいたけど、それ以外はみんな歌って踊れるアイドルを地で行く少女たちだった。
そんな彼女らの中で、わたしは中の中。いや中の下かもしれない。ダンスは上手でも下手でもない、模倣以外の何物でもない代物だった……と思う。言われたことは出来るけど、発展はさせられないし、感動を呼び起こすものもない。
当然だ。ダンスなんて習ったことがないのだから。
幸いにして運動はそこそこできたので、レッスンを受け、なんとか。なんとか形にして、毎回汗だくで収録をしていた。既に出来るみんなは最後まで練習に付き合ってくれて、壊滅的で最初から参加しない子もずっと応援していてくれた。
いやはや、暖かい思い出であると思う。
ただ、今回。
バーチャルシンガーとして採用されたわたしは、踊る必要がないと聞いた。
歌手のMVを取る感じでのゆったりとしたそれはあっても、アイドルのように激しく踊ることはないのだと。
それをありがたい、と思っている自分がいる。
ありがたいと思っている時点で、かつてのわたしは無理をしていたのかもしれないな、とも思った。
家で、姿見の前で、かつての振り付けを軽く踊ってみて。
やっぱりダンスは向いていない。そう思った。
「……カッコイイとは思うけどね」
独り言ちる。キレッキレのダンスを踊るあの子たちは、本当にかっこいいと思う。でもやっぱり、あるのは憧れでなく称賛だった。すごいな、とは思うけど、なりたい、とは思わない。
離れてみてわかる本心、というのはこういうことなのだろうか。がむしゃらだったあのころと違って、余裕があるというのも大きいだろう。
大手のバックというのは、うん。焦りがなくて良い。
ふぅ、と一息。
明日は普通に出社なので、そろそろシャワーを浴びよう。
まぁ、なんだろう。
今思えば、MINA学園projectはアイドルだったんだなぁ、なんて。
そんなことを考えて。
●
宣伝というのは、この界隈において非常に大事な事柄である。
知られなければないのと一緒、という言葉は真理だ。どれほど努力していようが、アイデアに自信があろうが、技術があろうが。知られなければ存在しない。知識外のものは、知りたいとすら思わない。知らないのだから当たり前だ。
故に宣伝という切っ掛けは何よりも大事である。
MINA学園projectは企業のそれではなかった。projectを謳っているが、その実個人配信者のユニットのようなものなのだ。多少、他の個人よりは多く……技術関係のスタッフがいる。それは結成時に集まったクリエイター達であって、あくまで個人集団、同人サークルのようなものなのである。
そんなMINA学園projectには、広報担当らしい人間がいなかった。クリエイターとライバーのそれぞれが個別に発信ツールを持っている形で、クリエイターは基本告知をしない。
だから、わたし達が。メンバー一人一人が、宣伝を行う必要があった。
宣伝とは難しいものだ。
しつこいと嫌われる。嫌われてはいけない。宣伝は知るための切っ掛けであり、そこがマイナスの印象になると、どれほど良質なものを作ってもマイナスの先入観で入られてしまう。
プラスの、ポジティブな印象を持ってきてもらわないといけない。故に宣伝は慎重に行われた。
外部コラボ、というのが……言い方は悪いが最も手っ取り早い宣伝だ。そこで興味をひければ、コラボ先の1割くらいのファンを引き込める。
ほか、大きな大会に参加する、というのも有用な手段。それはゲームであったり、歌であったり、技術であったり。良い成績を、あるいは好印象を残せれば、それはそのまま宣伝力になる。
無理をしてはいけない。無理をして失敗して、印象を悪くすれば……それを見ていた視聴者は、しばらくはこちらに興味を示してくれない。得意なことを。楽しいと思えるものを。選択は慎重に、行動は大胆に。
MINA学園projectはメンバーがそれを徹底することで、そこそこの、中規模のファンを得ることに成功した。
「しかし超大手にはそれがいりません、と」
「まぁ、広告を打てますからね……。自社番組を持っているというのもチートです」
「すごいよね……そんなすごいとこに入ったんだ。わたしたち」
HANABiさんの部屋。
いつものソファに座って、HANABiさんの作った料理に舌鼓を打つ。
広報担当者が潤沢にいる、というのは恐ろしいなぁと。そういう話をしていた。
わたし達のことは、明日にでもDIVA Li VIVAの番組内で紹介されるらしい。話がとんとん拍子過ぎて怖いくらいだが、企画をとんとん拍子に進める事こそが企画部や実行部の仕事である。
これを普通にするのが企業だ。それが社会である。
「デビュー曲とか、決まってるの?」
「すでに9割出来てます。もともと杏さん用に書いていたものがたんまり溜まっていましたから」
「……ちなみに何曲くらい?」
「10はありますよ。まぁ、そのすべてが通るとは思っていませんから、これからも書き続けますけど」
「この前出したのもその一つ?」
「はい。ただ、あれは……その、ストレス多めです」
「不満があるってこと?」
「そうじゃなくて、……杏さんが、可憐ちゃんを辞めた事に対する……愚痴みたいな」
「ヒュウ、やっぱりHANABiさんっていい性格してるよね」
卒業一周年の前月に、辞めた本人に辞めた事に対する文句を歌わせる。なるほど、感情が込めやすいわけだ。鏡に向かって歌っていたようなものなのだから。
けど、嬉しいな。あの曲はかなり激しい曲だった。カッコイイ系の、叫びたくなる曲。
そんなに強い思いがあるんだ。なんだか、照れるね。
「そういえばあれ、50万回再生行きましたね」
「わ、そんなに? 早くない? というか多すぎない?」
「それが、NYMUさんが生配信中に言及したらしくて。大絶賛だったそうですよ」
「HANABiさんの動画が?」
「私の動画と、杏さんの歌が」
意地悪のつもりだったのに、クールに返されてしまった。HANABiさんのキョドりポイント、未だに把握しきれてないんだよなぁ。面と向かって褒めるとあんだけ動揺する癖に、世間からの評価は結構ドライに受け止めてる。
一視聴者だったころは、かなりクールな人だと思ってたくらい。あと男性だと思ってた。文章が固いから。
「期待されてる、ってことかな」
「恐らくは。……ちょっと癪ですけどね」
「NYMUちゃんに宣伝されなくても、50万くらい行けてた、って?」
「いえ、そこは無理だったと思います。私の知名度はそこまでではありませんから」
ただ、とHANABiさんは続ける。
「あの動画が上がってすぐのデビューになるのです。あの動画に彼女が言及してしまった事で、まるでHANABiとHIBANaのデビュー曲があの動画とでも言うように世間は思うでしょう。DIVA Li VIVAの作品の一部のように扱われるんです」
「でも、作詞作曲者が変わるわけじゃないじゃん?」
「……あれは可憐さんがいなくなってしまったことへの愚痴なので」
ああ。
なるほど。伝えたかった内容と伝わった内容が違う、みたいな。
込められたメッセージなんて視聴者が勝手に判断するものだ、というのはわたしの持論だけれど、HANABiさんはまた違う世界観を持っているのだろう。
そんな目的のために作った曲じゃないのに、という……まぁ、拗ねているようなものだ。
「制作秘話とか聞かれた時に話せばいいんじゃない? 可憐ちゃんのことは抜きにしてさ」
「私がインタビュアーとまともに話せるとお思いですか」
「アソレハムリダネー」
文書で聞かれるかもしれないじゃん、とは言わない。その時が来たらその時に考えればいい事だ。公式から発表してもらうものでもないし。
今度NYMUちゃんと会う機会があったら、それとなく……いや、いいかな。
いつかHANABiさんが自分でいうまで、わたしはお口チャックが正解だろう。
「そういえば今日、MINA学の方で発表ありましたね。二周年企画の」
「あー、詳しく見てなかったなぁ。なんて話だった?」
「珍しい。私に匹敵するMINA学オタクの杏さんが告知を確認していないなんて」
……いやまぁ忙しかったし。
それに……なんとなく……。
「デビュー発表されるまではソワソワしちゃってさ。これでも緊張してるんだぜい」
「嘘が下手ですねぇ。私もひとの事言えませんけど。喧嘩でもしましたか。相談、乗りますよ?」
この人、コミュ障の癖に妙に鋭いんだよなぁ。人間関係のアドバイスもできるし。ホント、かっこいい。
しかし……どうしたものか、と思う。
だってこの悩みは、自分で解決しているのだ。この蟠りを解消する方法は、単純も単純。
返信をすればいい。アミちゃんの追及に対して、一言でも。
「MINA学の誰かから何か言われましたね。……亜美ちゃん辺りでしょうか」
「怖い怖い。何故その推理力を人付き合いに活かせない」
「私、他人の考えてること大体わかるんですよ。だから、悪意に満ち溢れる世界が嫌になってしまって」
「サトリ妖怪か何か?」
「嘘ですけど」
別に本当だとしても驚かないけれど。
多彩オブ多才がこの人だ。心くらい読めるかもしれない。
「んー、まぁ、当たり。どういうことですか、だってさ」
「別に杏さんは彼女らが嫌いになったわけではないんですよね? あぁ、オタクとしての好悪ではなく、人間としての話です」
「うん、嫌いじゃないよ。好きな方。みんな優しいし、かっこいいし。また一緒に遊べたらいいな、って思ってる」
「でも、関わってほしくないんですね。今は。今のあなたは、皆凪可憐ではないから。あの人たちの仲間じゃあないから」
「そう」
そう。そうだ。
彼女らが見ているのは、皆凪可憐なのだ。わたし本人ではない。
そしてわたしは、もう違う所に向かっている。もし彼女らが、単なる大学の友達とか、地元の友達とか……最初からわたしと付き合いのある人間であればこんなには悩まない。
でも、スタートラインが違う。彼女らが走り出したところにいたのは、皆凪可憐。そして彼女はもうゴールしたのだ。
「──ああ、なるほど。返事をしてしまうと、可憐ちゃんになってしまうんですね」
「そうかも。寂寥を大事にしたいよね。失われたものが簡単に蘇る世界はあんまり好きじゃない」
「……そうですか。杏さんの中にはもう──可憐ちゃんはいないんですね」
だからわたしは、あの時亡き骸という表現をした。
だからわたしは、返事をしなかった。既読すらつけなかった。
だってそれは、もういなくなった彼女を無理矢理
「それは、ふむ。なるほど。どうしようもない、ですね。ううむ、オタクとしても解釈一致です。杏さんはMINA学のオタクですもんね。余計に"そう"なんでしょう」
「醤油・琴」
「それじゃあ、可憐ちゃんが帰ってきたら、返事をしてあげてください」
「Do善処」
それがいつになるか。
……さぁね。
会話が終わる。
食事も終わった。
先にお風呂を借りる。ウチとは月と鼈、広いお風呂だ。
いつもはシャワーだから……ううん、極楽である。
●
そのメッセージは、深夜に来た。
偶然起きていた時間。そういえば聞きそびれた、MINA学の二周年記念企画の内容を確認しようとしていた時の事。
通知。音のないそれは、MINA学の誰かから。
また亜美ちゃんだろうか、と……その表示名を見て、固まった。
その名は──かつてのわたしの、同い年の。
クールで、気の強い、あの子の名前。
プレビューされたメッセージは、短く。
──"可憐、使うから"
……ふふ、と笑ってしまった。
ふふふ。ふふふふ。
変わってないなぁ。嬉しい。
ストイックで、言葉が強くて。あの子らしい。
使う、というのは多分……エモの材料にする、という事だろう。
もとより著作権はわたしに無いし、勝手にすればいいと思う。だというのに断りを入れてきたのだ。流石である。通すところはきっちりと通す。カッコイイ。
でも。
やっぱり、既読はつけない。
可憐はわたしの手元にいないから。
「……おやすみ」
改めて。一年が経とうとしている今、遅まきながら。
おやすみ、と言った。
〇
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それは言葉から。
昨今の声優は、ルックスも気にしなければならない。
そんな、あまりにも悲しい噂が流れ始めたのは、偏に声優イベントやデジタルラジオ……ファンの前に出て、喋ること、触れ合う事が増えたからに他ならない。配信媒体の充実と、アニメ終了後に行われるアニメの名を借りた声優のバラエティー。
そこは声優自身の名を広める場所であると同時に、本来ならば裏方に徹していて良かったはずの声優が、無理矢理に表舞台に引っ張り出される晒し台でもある。
声が可愛ければ/カッコよければ顔も比例する、なんて事は無い。無論、努力で変えられる部分もあるだろう。髪型に始まる清潔感の部分は特に。メイクをすれば、底上げも出来る。しかしそれは、言い方は悪いが付け焼き刃だ。
骨格の問題。遺伝子の問題。他、アトピーやアレルギー、傷など、様々な「本人ではどうしようもない見た目の問題」を抱える人間は多い。
彼ら彼女らが演技を志す事は、認められない事なのか。
画面に出た瞬間に、誹謗中傷を受けなければならないと──評価のために、そもそも起用しないなどと。
「そんなことはありません。歌が歌えれば、声を発せられれば、文字が書ければ。絵を描ければ。技術は必要です。努力も必要です。折れない心も必要です」
お立ち台、とでもいえばいいか。
少しだけ高い台に乗った女性が、マイクに向かってしゃべっている。随分と、高尚なことだな、とは思った。
「本来必要な運は、私達が用意しましょう。私達は発信の場を用意します。そこで上手に踊れるかはあなた達次第です。バックアップはしましょう。フォローもしましょう。しかし、成功は約束しません。自分たちでつかみ取りなさい」
所謂歓迎会、のようなものである。
わたしと、他……幾人かの老若男女。別日のオーディションだったのか、それともHANABiさんのような特別枠のスカウト組か。見覚えのない人々が、この会議室らしい場所に集まっていた。
ちなみにHANABiさんはいない。なんでも、もう制作に取り掛かっているのだとか。わたし達のデビュー曲の、MVの。
「この部署……バーチャルクリエイトはまだ発足したばかりの若い部署です。そしてそれは、もっとも先を行く部署であるといえます。DIVA Li VIVAにとっての新しい風を常に吹かせている。そんな場所なのです」
要は表に出られない人間が活躍できる場ですよ、と言いたいんだろう。
……表に出られる人間の思考だな、と思った。別に、自身の容姿を嘆いているわけでも彼女を僻んでいるわけでもない。ただ、なんだかな、と。
一応、Vtuberを志した者として。バーチャルというものに感動を覚えた者として。
──気にくわないなぁ、と思った。
そんな、避難所みたいな。そういうんじゃない。もちろんそういう側面も持っているのは事実だ。自分に自信がない者が、綺麗なキャラクターを通して世界と触れ合える。それはまあ、あるのだろう。そういう目的で入ってくる者も、少なからずはいる。多からず、かもしれない。
でも、それだけじゃあないんだ。それが主目的じゃあ、ないんだ。
「私達は、あなた達の活躍を、心から願っています」
MINA学園projectに集まったみんなの思いが一つだった、などとは思っていない。この人の言うように自分の容姿になんらかの忌避があった子もいるかもしれないし、キャラクターになりたい、と思って入ってきた子もいるだろう。
そしてわたしのように、現実のその先に触れたくて──バーチャルというものに夢を見て、その門を叩いた子もいるはずだ。
わたしは、わたしの世界観においては、それが一番だ。
いつかNYMUちゃんが見せてくれた、あのキラキラしたステージ。世界が瞬時に変わって、見た目がコロコロ変わって、光が出て、空を飛んで、弾けて。
少なくとも。わたしは、ならざるを得なかったのではなくなりたくてなったんだ、と。
「HIBANaさん。HIBANaさん?」
「──……あ、はい」
「貴女の順番ですよ。自己紹介」
……古風な。なんて言葉は飲み込んだ。超大手芸能事務所。なるほど、歴史はあるらしい。
自己紹介かぁ。ウチの会社、仲良くなりたい奴だけ仲良くなれ。名前は名札あるからいいだろ、みたいなところだから、社会人になってやるのは初めてかも。
いや、まぁ、可憐ちゃんとしてなら何度もやっていたけど。
「……」
HIBANa、と呼ばれた。だから、本名ではなくキャラクターとしての自己紹介でいいのだろうか。いや、でも、詳しい設定まだ決まってないし。
軽い経歴とか言えばいい感じかな、と思って会議室の壁際に立っている麻比奈さんを見ると、気を付けの姿勢のまま右手でサムズアップしてくれた。やっぱりあの人面白いな。
とりあえず黙っていてもアレなので、お立ち台の方へ行く。なんというか、見た目が云々を言った癖にこういうコミュ障殺しみたいなことはやるんだなぁ、という感想。わたしは別にいいけど、この場にいたのがHANABiさんだったら泡吹いてたと思う。
女性の退いたお立ち台に立って、五秒くらい、思案する。
いう事。組み立てる。うん。
「初めまして。わたしはHIBANaと言います。かつては別の箱で、Vtuberとして活動していました。歌うのが好きです。喋るのはまぁまぁです。相方のHANABiとの活動が多めになりますが、手伝い得る事があれば出来る限り駆け付けますので、お気軽にご連絡ください」
……なんだかカスタマーサポートみたいになったな。
自分のワードセンスに疑問を抱きながら、マイクスタンドから一歩離れる。一礼。
そのままお立ち台を降りて、元の椅子へ戻った。
特に何を言われるという事もなく、まばらな拍手が起きたのみ。この人たち、多分バーチャルシンガーやVtuberだけじゃなくて、HANABiさんと同じようにクリエイターが大半なのかもしれない。要は他人にあんまり興味がないというコト。
麻比奈さんを見る。
b。
その後も自己紹介タイムが続いたが、驚くことにわたしのソレが長すぎたんじゃないかと思うほど、短い。ひとりひとり。名前だけ、という人もいた。仲良くする気/Zeroか? いやわたしも人の事言えないけどさ。
そして最後の一人が終わり、ようやく。
歓迎会のキモ。ぶっちゃけこれが楽しみだった──立食パーティーに移る。
●
NYMUちゃんが配信内でよく話していた事だった。
DIVA Li VIVAは社内レストランを持っていて、そこでよくパーティが行われる、と。
いやいや一流企業じゃんそれは、なんて思っていたのだが。
「……一流企業ッスわ、これは」
あくまでバーチャル事業は部署の一つ。大手芸能事務所であるここは、お金ががっぽり入っているらしい。こんなラフな格好でいるのが場違いに思えてくる。まぁ他の人も結構ラフな格好なんだけど。この時期に短パンタンクトップはどうなんだ、と思ったりもした。ラフすぎる。
あと着物の人もいた。おめかしなのか普段着なのか知らないけど、気合入りすぎだろう。……いや、わたしがおかしいのかな。そうだ、ここってオーディション……かなり狭き門なんだっけ。
「HIBANaさん、食べていますか?」
「麻比奈さん。……ああ、ここは上司の目がありますもんね」
「ふふ、咎められることは無いと思うのですが、体裁というものがありますからね」
壁際……というか窓際で一人料理に舌鼓を打っていたわたしの横に、麻比奈さんが来る。手には山盛りのサラダ。サラダオンサラダ。温サラダ?
肉も食べましょうよ、と言おうとした。言わなかった。よく見たらお皿の底面に、びっしりローストビーフが敷き詰めてあったから。凝り性だなぁ。
「ほかの人とは話ました?」
「サーモンが美味しくて」
「HIBANaさんも人と話すの苦手なんですか?」
……この場合の"も"は、麻比奈さんも人と話すのが苦手、という意味ではなく、HANABiさんもわたしも、という意味での"も"だろう。そして苦手かと問われると。
「いえ、むしろ好きですよ。知らない人と話すの。……相手に仲良くする気があれば、ですが」
「あー……」
ここでなるほど、と言わないのはプロフェッショナルである。言葉は濁したり濁さなかったりする。これが大人。近くに人がいないわけじゃあないからね。
ついでに、何人か。ちらほら。ちらっちら。
わたしを見ている人がいるのにも気付いている。一人チラッチラどころではない、熱烈な視線を送ってきている女の子がいるのだが、なんとなく面倒くさい予感がするのでガン無視中。
「まぁ、HIBANaさんとHANABiさんは特別枠と言いますか、あまり表立って他の人との絡みを見せるタイプではないので、問題ないとは思いますが……」
「自社内はなるべく仲良くしてほしいよね。スケジューリングするマネージャーさんなら特に」
「あ、いえ、そういうわけではなくて」
「ごめんなさい。HANABiさんにするような意地悪を言っちゃった。……うーん、じゃああの子。さっきからこっち見てる子、話してみようかな」
HANABiさんは、その。弄り甲斐があるから、ついつい意地悪をしたくなってしまう。HANABiさんはそれを意地悪だとわかってくれてるからいいけれど、まだ会って日が浅い人にやるべきではなかったな、と反省。麻比奈さんには立場もあるだろうし、無茶ぶりは控えめにしないとね。
「あの子……? あ」
キョロキョロと麻比奈さんが辺りを見渡して、その子に気が付く……直前か直後か。ほとんど同時。あ、と気の抜けた声を出した麻比奈さんの膝の上に素早く座ったその子……その少女は、キラキラした目と共にその口を開いた。
「お姉さんがHIBANaちゃん、だよね? これ終わったら今日カラオケいかない?」
──……。
圧よ。
少女。多分、高校生くらいかな? あるいは大学生に上がったばかりか……。とにかく恐らくわたしより年下であろうその少女は、屈託のない笑みを浮かべ、麻比奈さんの持ってきたライムジュースのストローに勝手に口をつけ、サラダ下のローストビーフを勝手に摘まみ……自由かよ。
そんな少女を膝に乗せた*1麻比奈さんは、困った顔をしながらも親戚の子をなだめるような……なんだ、優しい表情。
「それはいいけど、金髪ちゃん。君の名前は?」
「金髪ちゃん! 良いあだ名もらいました!」
「NYMUさん、声が大きいです……」
……はー。
へぇ。ほぅ。
ハ行変格不活用。
「NYMUちゃん」
「ううん、金髪ちゃん」
「NYMUちゃん」
「No、金髪ちゃん」
NYMUちゃん。だ。
まぁ、いてもおかしくはないが、歓迎会にいるのは……いや看板なんだからいてもおかしくはない。いてもおかしくはない。いてもおかしくはない……?
しかし。そしてしかし。だがしかし。
……年下だったかぁ。それで幻滅、なんてことは無いけど……同い年か、一個上くらいに思ってたな。なんでだろ。話す言葉がしっかりしてる……こともないし、行動も大胆だし……。なんでだっけ。
「OK、金髪ちゃん。わたしこの辺全然知らないから、安くて音の漏れないところでお願いね」
「任された! それでですね、お姉さん。HIBANaちゃん」
「なんだい」
うーん、なんでだろう。年上だと思ってた理由。バーチャルだから? 何がだからなの?
……一歩先にいる、という事が、年齢も上だと思っていた、って感じかなぁ。我が事ながら難解。
「あの動画、見ました。聞きました。今度コラボしよう!」
「急だね。傾斜87度くらいあるよ」
「ファンです! 今度お泊り会しよう!」
「急だね。180度くらいあるよ」
テンション高い子だな……。わたしは割とダウナーというか、可憐ちゃんの時は結構はっちゃけられていたけれど、素のテンションは割と落ち着き目というか……。いやでも、嫌いじゃない、というか。
NYMUちゃんそのまんまだな、というか。
NYMUちゃんをそのまま幼くして、髪色を青から金に変更するとこの金髪ちゃんになるんじゃないかってくらい、顔も整っていて……そういえばやっぱり外国人だったんだ。じゃあニーナちゃんっていうのが本名か。
そして、何よりその目。
世界が楽しくて仕方がないと言わんばかりの、瞳。
……3Dモデルのエフェクト的な輝きではなく、感情の現れ。
すごく、憧れる。
「ほかに歌った動画、ないの? もっと聞きたいんだけど」
「──……」
そうか。
いや、まぁ。そうか。そうだよね。あの動画でファンになった、ということは。
それまでの事は、知らなかったと。そういう事だ。
別に不思議じゃあない。この界隈は非常に視野が狭い。その箱に入り浸るとその箱がまるまる世界に見えてきて、誰もが知っているものだと思い込みがちだ。わたしはMINA学園projectのオタクだから、日本全土にMINA学園projectの名前が知れ渡っていると……まぁ20%くらい思っているけど、実際は1%にも満たない。Vtuber、バーチャルというものを知らない人の方が多いくらいだ。
そしてそれは、箱の中のライバーも同じ。
これほど大きな箱の中で、常に外の……視聴者を見なければならないNYMUちゃんが、有象無象の他箱を知らないことに何の疑問があろうか。
「
「おお~! やった! それはそれとして今日カラオケ行こうね!」
「はいはい。それと、わたしもNYMUちゃんのファンだから。そこは負けないよ」
「お? よくわからないけどこっちも負けないよ!」
HIBANaが歌った動画は、本当はまだ無い。これを言ったとバレたらHANABiさんがまた拗ねるだろうなぁ、なんて思いつつ、しかし目の前のファン第一号を悲しませるわけにもいかない。断腸の思いである。わたしはそこまで強い思いを持っていないけれど。
「それとさ、金髪ちゃん」
「うん? なぁに、お姉さん」
……ふふ。
スルーしていたけど。そう。これだよ。これ。
なーにが妹扱いだ。わたしはお姉さんなのである。見よこの純粋な目。ふふん。
「なんでもない。そうだ、金髪ちゃん。友達ってこのフロアにいる? 紹介してほしいんだけど」
「おお、いいでしょう! 安心して、お姉さんのあの動画、ディバの仲良しグループラインに共有したから! 布教だ布教だ!」
「なるほど、50万回再生はそれが理由だね」
しかしテンションの高い子である。
MINA学園projectは……聡明でしっかりした、落ち着いた子が多かったから、意外。いやNYMUちゃんがしっかりしていないとは言わないけれど。……動画を見る限り、配信を見る限りでは、結構ポンコツっぽいけど。
でも、うん。
好きだな。かっこいい。
「よし、それじゃあマネさん、お姉さんのお皿はお願いします」
「はいはい。あんまり大きい声出し過ぎないようにね」
「はーい!」
うるさいよそれは。
……これはわざとだろうなぁ。
麻比奈さんに目礼をして、席を立つ。掴まれる手。引きずられる体。
特に抵抗なく、そして。
わたしは、DIVA Li VIVAの門戸をようやく叩いたのだった。
〇
──"わたしは、みんなに出会えて。皆さんに出会えて。本当に、幸せでした。この一年間、本当に。この喜びは、この思い出は、一生忘れません"
──"今日でわたし、皆凪可憐はMINA学園projectを卒業します。いなくなります。それを、悲しんでください。存分に泣いてください。祝福してください。応援してください"
──"もうわたしは帰りません。それがわたしのけじめです。皆凪可憐の最後は──みんなに囲まれて、幸せで、それで、それで"
──"ありがとう、と。この言葉で締めくくらせていただきます"
──"ありがとう。みんな。ありがとう!"
●
「それで、
「……楽しくて、つい」
「杏さん、この間私にお説教しませんでしたっけ」
「しました。面目ありません」
「……この時期は寒いんですから、気を付けてくださいね」
「はぁい」
NYMUちゃんとの5時間カラオケを経て、HANABiさんの部屋。
はしゃいだ。はしゃぎ過ぎた。あとNYMUちゃんは案の定高校生だったらしく、ちょっとやばいかな、とか思っていたのだけど、同意の元だからいいよ、とのこと。良くないと思う。
渋るNYMUちゃんをなんとか帰して、ようやく帰宅したら……小鬼がいた。大鬼ほど怖くはないので。
HANABiさんはふぅとため息を吐くと、わたしの横……ソファにちょこんと座った。
「え、なになに」
「割と心配したんです。既読はつかないし、電話も出ないし。割と不安だったんです。杏さんは返事、そこそこ早い方なので」
「……心配性だなぁ。わたし、社会人だよ?」
「知ってますよ。ただ──」
……ま、わかっている。
この人は引きこもりで、コミュ障で、友達は少なくて、アガリ症で……とにかく人付き合いが下手だ。
だから、おそらく。
わたしよりも。わたしの価値観よりも、友人、親友という言葉の比重が高い。
「まぁまぁ、みなまで言いなさんな。これからはより密接な関係……相棒なワケだし、もうちょっと連絡頻度高めるからさ」
「……そうしてください」
口を尖らせて。
ぐい、とお酒を呷るHANABiさん。まぁ、一連の弱り方は酔っているが故である。この人、結構飲むんだよね。
「それで、どうでしたか。歓迎会」
「うーん、収穫は微妙だね。とりあえず部署の一番上の人はわたし嫌いかな。まだ話してみないとわからないけど、第一印象嫌い。でも責任感はありそうだし、仕事は出来そうだった。どの道わたし達が関わるのはマネージャーの麻比奈さんだけだろうから、あんまり関係ないんだろうけどね」
「お友達は出来ましたか」
「それは上々。流石はNYMUちゃんパワーというべきか、知っている名前の人とわんさか知り合いになったよ。ヘルシンキさんって女の人だったんだね」
「……ああ、合成音声作ってるあの人ですか。昔、一緒に仕事した事ありましたけど……ボイスチャットしませんから、私。知りませんでした」
こちらによたりかかってくるHANABiさん。身長がそこそこあって胸もそこそこあるので、上半身は結構重い。まぁソファの背もたれへとベクトルを流して、わたしも梅酒の缶を開けた。
ごく。ぷはぁ。
「う~……私は杏さんがほかのクリエイターに取られないか心配なんですよ……」
「なるほど、それが本音か」
「だって……あそこは私が憧れた人とかも、いるんです……杏さんを見つけたら、取られちゃったら……勝てないかもしれません」
「勝てません、とは言い切らないんだ?」
「言いませんよ、そんなこと。私自身に自信はこれっぽっちもありませんけど、私の作る作品は……杏さんで作る作品は、絶対最高のものになりますから。でも、相手も最高だったら……知名度が勝敗を分けます」
……クリエイターっていうのは複雑だねぇ。
わたしにはよくわからない世界だ。カッコイイとは思うけど、なりたいとは思わない。
もっとも、わたしだって演者として、発信者として、クリエイターであるかもしれないのだけど。
「歌」
「ん」
「歌、いっぱい歌ってください。わたしは貴女の歌と、声と、感情の表現と、……そういうのが好きなんです。わたしがファン第一号なんです。わたしが一番、あなたのすごいところをしっているんです」
「うんうん。ありがとう」
「デビュー曲も明日にはできます。私の仮歌だと、イメージがつかみづらいかもしれませんが、これは、門出の曲ではなく、世間の目を、スポットライトを──強制的に、全部。杏さんに向けさせるための……曲です」
「随分と物騒だね。それに強気」
「私は貴女と。貴女と。貴女と。貴女と。先に行きたい。行きたいんですよ。もうすぐで見えそうだったあそこに」
HANABiさんは結構飲む。けど特に強くはない。度数の高いやつをガンガン飲む癖して、すぐに酔いつぶれる。戻したり、怒ったりすることはないけど……まぁ、この通り。絡みはしてくる。
すでに上体は倒れ、わたしの膝の上でモゴモゴ言っているだけ。心配をかけたのは悪いな、と思うけど、不安を紛らわせるためにお酒を飲むのは辞めたほうが良かったんじゃないかな、と思う。
「……それと。でびゅーの、しーえむ。撮っといたので」
「はいはい、あとで見ておくから。おやすみ。ベッド行け……なそうだね」
「……」
そのまま。HANABiさんはスヤスヤと静かな寝息を立て始めた。
髪に指を通して、梳く。サラサラと流れるそれは、少しだけ明るい色をしている。
そーっと、慎重に。起こさないように*2HANABiさんの頭をソファに下ろして、毛布をかけた。部屋の温度は問題ない。一応、ソファの下にクッションを敷き詰めておく。落ちたとき痛いだろうし。
そしてイヤホンを取り出して、TVに挿した。リモコンリモコン……。あった。
わざわざCMを録画するなんて、思ったより紹介を楽しみにしていたのだろうか。わたしは別に、いつか見られればいいや程度の感覚だったんだけど。HANABiさん、本当に気合入ってるんだろうなぁ。
録画リストから──あった。
再生。ぽち。
〇
──"DIVA Li VIVAのバーチャル事業部から、新たなアーティストがデビュー!"
──"透き通る光粒の歌声、HIBANaと、常に新たな世界を創造し続けるHANABi"
──"二人の織り成す仮想世界は、現実世界のその先に、今辿り着く──!"
●
時間にして、10秒。
本当にサラっとした紹介だ。名前と、シルエット二つ。紹介になっているのかどうか怪しい。
けど。
「……へぇ、わかってるじゃん。いいね、好き」
その先。わたしが憧れた、その先に。
辿り着けるらしい。わたし達は。いいね。それは。とても。
良い。素晴らしい。やる気が出る。
「……もうわたしは帰りません。それがわたしのけじめです」
だから。
「わたしは、今から。いなくなった皆凪可憐ではなく──HIBANaとして、新しい扉を開きます」
眠ったHANABiさん以外、誰もいない空間で、宣言する。
思い出は忘れない。幸福も忘れない。感謝も忘れない。
その上で。その上に、新たな思い出を重ねよう。幸福を積もう。感謝を振り撒こう。
それが。今、わたしが行きたい場所だから。
〇
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それは刃先から。
アップロードされた動画と、流されたCM。どちらもに名を連ねるHANABiさんを繋がりに、"友人"と"HIBANa"が同一人物である、という噂が広まるのは時間の問題だった。というか、その日のうちには、その"友人"と"HIBANa"、……そして"皆凪可憐"が同一人物であろう、というまとめまで、上がっていたらしい。
すでにSNSツールには「捨てた」とか「尻軽」とか「あの時のスパチャ*1を返せ」とか……まぁ、一般的に言うココロナイコトバが沢山溢れている。
中には「まだはっきりわかったわけでもないのに、新人を叩くのはどうなのか」とか。「MINA学園projectに迷惑がかかるから名前を出すのはやめろ」とか。擁護に見せかけて、自分たちも叩きたいのを我慢しているんだ、とでも言わんばかりの投稿がちらりほらりと。
ちなみに掲示板は確認していない。あれは、見なければ見えないものだ。SNSのそれと違って流れてくるものでもないソレを、わざわざ見に行ってわざわざ批判されるほど、わたしは被虐嗜好ではない。陰での批判は存分にやればいいと思う。そのためのアンダーグラウンドだ。人間は、吐き出さなければ生きてはいられない。
誹謗中傷自体は罪だが、自身の好悪を打ち明ける分には当然の権利だ。好きだと言う者がいるのだから、嫌いだという者がいるのはおかしいことではない。ただ、それを。それを本人に聞かせるように言うのが、"傷つけたい"という意思が見え隠れするから、嫌われるという話。
アンダーグラウンドで、見えないところで。嫌いな者同士が嫌いを共有する分にはどうぞお好きに、と思う。
少なくともわたしは皆凪可憐として活動していた時に、掲示板を覗いたことは一度もなかった。
ライバーやクリエイターに留まらず、発信者が自身の発信の結果を見たい、と思う事は、それもまた当然だろう。所謂エゴサ。あるいはパブサ。しかしそのサーチ範囲は自分で見定め、セーブする必要がある。SNSツール内のみ、とか。自身の動画についたコメントのみ、とか。万人には受け入れられない、という言葉が古来よりあるにもかかわらず、万人の反応を見たがるのは発信者の悪いところだ。
見ない事。閉じる事。知らないものに感情は働かない。それは好奇心も嫌悪感も同じである。
インターネットを上手く使う、という話だ。
さて、それでもこうして、批判は出てくる。見えてくるところに。
SNSツールというものが発信ツールであるとわかっていない層も多少はいる。聞かせるつもりのなかった愚痴が聞こえてしまうこともある。そういうのはまぁ、仕方がない。無知を叩いても出てくるものは何もない。寛容に無視をするのが最もメリットのある行動だろう。わざわざブロックなどして、敵に仕立て上げる必要はない。
厄介なのは聞かせるつもりで批判を行う相手だが、自身のメンタルが弱い自信があるのなら、即ミュートするのが良い。わたしのように批判を楽しめる者でない限り、害意のある相手を視界内に入れておくことは推奨しない。
批判を楽しむ、というのは。
まぁ、自分を演者であると見ている部分が大きいのだろう、と思う。
わたしはあくまで皆凪可憐の依り代だと。1年前までは確かにここにいた皆凪可憐は、しかしもういないのだと。そして今、HIBANaという人間が、わたしに憑いたのだと。
それに向かう批判はエンターテイメントだ。劇を見ている感覚。あるいは、もっとわかりやすくいうのなら、アニメキャラクターの行動に集まる批判を、否定を、声優の立場で見ている感覚。「そういう批判が来るだろうな」「この行動は否定されるはずだ」という認識が強いから、わたしも視聴者の立場で、観客席から事を眺められる。
少なくとも今、皆凪可憐に対する「尻軽」だの「MINA学を捨てた」だの「幻滅」だの……まぁ、面白いくらい予想通りの言葉は、わたし自身には何も届いていない。可憐ちゃんが可哀想だ、という気持ちは多少ある。でもそれはわたしではないのだ。
ただし。
わたしはMINA学園projectの厄介オタクである。であるので、HANABiさんに向かう中傷投稿やMINA学園projectに対する中傷投稿に対しては、何の注意もなく、何の警告もなく、何の躊躇もなく──通報し、報告し、投稿と投稿者のアカウントのスクリーンショットを撮って、URLを保存して、ブロックする。
財宝を狙う盗掘者に対する即死トラップのようなものだ。わたし自身へのそれでないのなら、わたしは容赦しない。
……まぁ、批判を楽しめない子達に気を付けるべきことを述べるのなら。
「それで」
SNSツールに流れる「MINA学のみんなは被害者なんだから、荒らさないでください」という……かつて、自分を推してくれていたアカウントの投稿と、その投稿に対するファン同士の争いを見ながら、そんなことを考えていた。
「どうしますか、新しいモデル。可憐ちゃんと同一要素があると延焼しますよね」
「影法師がいいな」
「……影法師、というと……黒子ということですか?」
「ステージのモデルで光が当たったときだけ顔が見える、みたいなやつがいい。普段は逆光みたいになってて、顔も体の細部も見えないやつ」
「ふむ……」
いつも通り、HANABiさんのマンション。ただし、リビングではなく、仕事部屋。二台のパソコンと二枚ずつのモニタ……ディスプレイっていうんだっけ? がある、THE・プログラマーみたいな部屋。偏見だけど。
棚にはいくつもの本。イラスト関係、言語関係。他、観光旅行に図鑑など、様々な蔵書が。外出嫌いのHANABiさんが何故観光旅行の本を持っているのかというと、モデリングやイラストを描く際に参考になるから、なのだとか。
HANABiさんがパソコンに向かっていて、わたしは聞かれた事に答えるだけの時間。だから手持ち無沙汰で、SNSツールを弄っていた。ちなみにまだHIBANaとHANABiのアカウントは設立されていない。しなくていいのなら作るつもりもない。
……NYMUちゃんのアカウントや、他所属ライバーのアカウントが個別に存在する辺り、作れって言われる可能性は大きいけれど。
「作れる? 技術的に無理ならいいんだけど」
「いえ、それは大丈夫なんですけど、……邪推されないかな、って」
「させたきゃさせてあげればいいよ。考察要素なんて、物語には必須でしょ」
「まぁ通るかどうかはわかりませんけどね……。それで、その中身の顔はどうします? イメージが湧いてないんだったら、可愛い系とかカッコイイ系とかだけでこっちで仕立てますけど」
ふーむ、と思案。HANABiさんの言う通り、可憐ちゃんに共通する要素があるのはいただけない。それで成長した皆凪可憐とか言われたら、結構嫌だ。成長なんかしていないから。関係も無いし。
しかし、顔。顔かぁ。顔ねー。顔。
顔。フェイス。ハガー。
「少年っぽいのがいい。クールでダウナーな感じで」
「……まぁ、今回は配信ツールを触らないから大丈夫、です、よね」
「それはわたしがポンコツだと言いたいのかな?」
「い、いえっ、杏さんは思ったよりドライな人だな、って会った当初思いましたけど、配信中は基本何やってもそうはならんやろって方向に転がっていくなぁとか決して!」
「くっ、オタクの意見!」
「あ、あといいんですか? 少年だとお姉さん扱いされないですけど」
「……! それは困る。こまりみ深志(35)。あー、うーん、じゃあ怪しいバーテンダーみたいな感じ」
「どうしてもクールにしたいんだ、という思いは伝わりました」
皆凪可憐の衣装は基本可愛い系だった。フリフリだったり、ちょっと露出多めのアイドル衣装だったり。それはそれで楽しかったし、それはそれで輝いていたけど、うん。
要はイメチェンである。髪型変えるみたいなもんだよね。ロングからショートにする、くらいの。
「男性的なのがいいんですか?」
「そこはどっちでもいい。年上感とクール感があればいい。ピアスとか開けたい」
「それはえっちですね」
「そう。えっちなの」
オタク同士である。
とりあえず、といった風にHANABiさんがラフ画を描いていく。線の少ない絵は、さらさらと輪郭を描き始めた。正面、横。隅っこに耳。ピアスばちばち。HANABiさんの趣味なのか、色は銀と銀と黒が一つ。うーん、いいねぇ。
カツカツと液晶タブレットにペンシルが当たる音が響く。消したり戻ったりすることをほとんどせずに、それは描かれていく。長い指。身長はわたしと同じくらい。左腕の袖が少し長い。手先は隠れ、ダランと袖が下がる。眼球。碧と翠。ヘテロクロミアではなく、混ざりきっていないマーブル。
衣装は……白衣? バーテンダーどこいった。しかしHANABiさんの筆は止まらない。アシンメトリーの白衣。
描かれていく。描かれていく。
もうHANABiさんの頭の中には完成図があるのだろうか。それとも、筆の動くままに描いているだけなのか。
わからない、けれど。
「……ふぁふ」
眠いので、寝るね。
●
流石は超大手、収録機材は最上のそれ、らしい。らしいというのは専門的な話が理解できないからであるのだけど、まぁ。それなりにだだっ広いスタジオに、骨組みで囲われた壁と、複数台のカメラ。おかれているのはいくつかの椅子と台、テーブル。床にはばミリだろうテープが貼られている。
その中で、わたしは黒い生地に白い点々のついた服を着て、立っていた。このスーツ、結構体のラインが出るので恥ずかしさも多少はあるのだが、その程度なら抑え込める。
そして今回ばかりは。流石に、と。
珍しく、外出……スタジオにまで出向いているHANABiさん。彼女は周囲を気にしてしまわないようにだろう、ヘッドフォンをして、真剣な表情で端末の前に座って、何やら作業をしていた。
収録である。
なお、その場で歌う、という事はない。既に歌は別で収録済みで、それを合わせるだけだ。リズムのために、口パクのために歌うこともあるけれど、どの道音声は収音されないので、本当にどっちでもいい、が正しいだろうか。
やりやすい方でやらせてくれる。わたしの場合は、歌わない選択を取った。
デビュー作はロングトーンの多い、掻き毟るような祈りと宣戦布告、みたいな曲になった。少々の恐怖をスパイスに、荘厳と激しさを併せ持つ……ジャンルとしては、シンフォニックメタル、あるいはエピックメタル、というヤツらしい。
一切降りない、強く強く階段を踏みしめて上がっていくかのような曲調は、自然と手に、心に力が入る。
まぁ今回はMVの収録だ。結構細切れにシーンを繋げるので、一曲まるまる歌う、という部分は実はない。
MINA学園projectの時には無かった機材*2があり、中でも異質なのはこの……砂場、みたいなヤツ。リュードーショーという名前らしいのだけど、これを救い上げては手のひらから零していく、というシーンを撮り続けている。今。ナウ。ing。
撮影とは地味なものである。完成品はそれはそれは荘厳で壮大なものになるらしいのでOK。
「じゃ、一旦休憩はいりまーす!」
そんな、スタッフさんの言葉が響いた。
気付けば4時間半近く撮影を続けていたようで、いやはや、思ったより体力着いてるなぁ自分、なんて。ダンスは体力をつけるのである。今回一切踊ってないけど。
更衣室でスーツを脱いで、ラフな格好になる。すずしい。BellC。
冬の時期とはいえ、室内は適切な温度に保たれている。だからこそ、体力を使えば発熱は当たり前。暑い。そして放っておくと寒くなる事を知っているので、しっかり汗を拭く。シャワー借りちゃおうかなぁ。
「あ、いたいた。お姉さん!」
「ん……金髪ちゃん」
「はい、スポドリ」
……なんて良い子なんだろう。お姉さん君の事大好きになっちゃうよ。
NYMUちゃんが好きなオタク感情はそれとして、ニーナちゃんを好きになってしまいそうである。問答無用でお縄だろうなぁ。
「撮影、順調そうだね」
「ん、見てたの?」
「んーん。さっき聞いた。モーキャプに慣れてるし、文句は言わないけど意見はしっかり言ってくれてやりやすい、ってさ」
「へぇ。高評価だね。ありがたいこと」
「うん……。それでね」
何か。
NYMUちゃんは、言い淀む。言いづらそうに。
気を遣っている、という様相。ふむ。ふむ?
「わたしがなんで撮影に慣れてるか、ってこと?」
「う」
「その反応は、聞いたね。調べたのかな。まぁどっちでもいいけど」
スポーツドリンクを開けて、一口飲む。失われた塩分と水分が細胞の一つ一つに染み入るような……実際は胃に溜まっているだけのような、そんな感覚。
NYMUちゃんはもじもじと、キョロキョロと。挙動不審だ。
「そう、一年前に、他のトコでVtuberやっててね。なんならNYMUちゃんに憧れて、Vtuberになったんだよ」
「そ、それはありがとう!」
「お礼を言われる事じゃないけどね。それで、まぁ、辞めて。新しくディバで活動始めた感じ。だから慣れてるのさ、こーゆー撮影に」
「……じゃあ、その、さ」
何を言われるのかな、と少し期待していた。意地の悪い部分だ。わたしの。
NYMUちゃんがそんな子ではないとわかっているのに、「昔のトコはどういうとこだったの?」とか「なんで辞めちゃったの?」とか……インターネットにいる"誰かさん達"のように、MINA学園projectを過去の物であるかのように言ったり、辞めてしまったと……過失のように言うのではないかと、期待した。
「お姉さんの歌、いっぱいある、ってことだよね……?」
「……なるほどそう来るか」
これは、わたしの負けだ。わたしの期待通りにならなかったので、わたしの負け。
そしてNYMUちゃんの完全勝利である。パターニングとして追加しておかなければ。
「まぁ、そうだね。皆凪可憐って調べてくれれば、それなりの数は上がってると思うよ」
「ミナナギカレン。漢字?」
「ローマ字でも出るでしょ」
もう一口、スポーツドリンクを飲む。
そういえば、HANABiさんやMINA学のみんなの前以外で、わたしの口から可憐ちゃんの名前を出したのは初めてかもしれない。自身がそれほど気を許しているとは思っていないが……けじめでも、ついたのかね。
NYMUちゃんは携帯端末を取り出して、ミナナギカレンの文字をメモ帳に保存したらしい。チラっと見えた感じ、流石は女子高生のフリック入力速度、という感じ。わたしキーボードなんだよね。あとブラインド設定したほうがいいんじゃないかな、と思った。
「そんなに好いてくれると、嬉しいね」
「全人類聞くべきだと思う!」
「さいでっか」
圧よ。
「……んー、そろそろシャワーでも浴びてくるよ。汗かいちゃったし」
「はーい。撮影、頑張ってね」
「ありがと。あ、そうだ。スポドリのお金、あとで返すよ」
「ふふーん、先輩からの奢りなのです」
「わぁ、良い先輩だ」
そういって。
NYMUちゃんは更衣室を出て行った。うーむ、ああも好いてくれると、なんだか……圧倒されるなぁ。わたしの歌が好きなのか、HANABiさんの曲が好きなのかはわからないけど。
ちなみにわたしはHANABiさんの曲が大好きなので、出会ったその日に割と語った気がする。あの時のHANABiさんもこういう気持ちだったのかもしれない。じゃあ、世代交代じゃないけど、甘んじて受け止めなきゃね。
うかうかしていると休憩時間が終わってしまうので、シャワー室へ急ぐ。スポーツドリンクは持ったまま。
そして、誰もいない更衣室だけが残った。
●
V界隈は、中の人という言葉に非常に敏感である。
中の人。おそらくはスーツアクター、着ぐるみなどから派生した言葉だと思う。そんな中の人……バーチャルライバーに演者がいる、という事実に触れようとしないのが現状だ。「中の人とかいうな」とか「メタいこと言うな」とか……なんだろう、事実は事実として知っているけど、知らないふりをしたい、みたいな感情が読み取れる。
同じく中の人という言葉が使われがちな声優だが、アニメキャラクターと声優の関係は、イコールでライバーと演者の関係である、というわけではない。どちらかというと、ハイテンションキャラが売りの芸人が、オフでは大人しいみたいな話。
バーチャルに関係なく。配信者は多かれ少なかれキャラクターを作っているだろう。
それは偽りではなく演技だ。技術、と言ってもいい。カメラの前だから、なりたい自分を作る。そこには悪意も害意も善意も好意も発生しない。
しかし、ひとたび「中の人」というワードが出ると、「中の人なんていないよ」のような、ふざけてでも……中に人間がいることを否定するような意見が流れる。
そのくせライバーに批判が集まると、「ライバーだって人間なのだから」や「Vtuberだから何を言ってもいいとか思うなよ」とか……中の人を肯定するような意見が、ファンの間から出てくるのだ。
批判を嫌う事は良い。自分の推しが批判されたら、反論感情が湧き上がるのは当然だ。
だけどどっちかにしてほしい、とは思う。というか、わたしに寄ってこないでほしい、とは思っていた。これはわたしが批判を楽しんでいる、というのも大いに関係あるのだけど、わたしを庇うのではなく可憐ちゃんを庇ってほしいと、そう思う。
今まで味方でいてくれた人たちが、突然可憐ちゃんを置き去りにして違う所で論争を始めるのだ。その孤独さたるや。あぁ可哀想な可憐ちゃん、と思う。
もし、わたしを庇うのなら。
初めから中の人の存在を認知してほしい、とも思う。見たいものだけを見るのは大いに結構だ。だから、これは単にわたしの好悪。好き嫌い。お気持ち表明である。
「うーん、難しい所ですけどねぇ。ちなみに私は可憐ちゃんと杏さん、あとHIBANa。3人いると思ってます」
「そりゃあ良いね。現実のわたしだって多少はキャラ作ってるし」
「己は何者なのか。哲学ですねぇ。あんまり興味ないです」
「HANABiさんはコミュ障」
「ぐっさああああ」
またまた、HANABiさんの仕事部屋。
先日の収録のチェックが主な作業で、プラスして自分たちのロゴとか、表記とか、あと設定とか。その辺の固めに入っている。この作業が地味オブ地味である。ジミヘンかもしれない。
基本的にHANABiさんはヘッドフォンをしていて、マウスをカチカチしているだけ。時たまそれを外してはわたしの要望を聞いたり、気晴らしに雑談したり、違う作業をしたり。
わたしはわたしでエゴサーチ中だ。批判批評、肯定意見や完全に皆凪可憐を知らない人たちの、稀有な、素の感想。特に気に入ったやり取りを一つあげるなら。
──"こんな人どこに隠れてたんだ。ディバの人材発掘部天才かよ"
──"そいつ、元Vtuberだぞ(リンク)"
──"教えてくれてありがとう。めっちゃ気に入った"
という。批判はエンタメだと散々言ったが、もちろん肯定意見も大好物である。HIBANaとしてわたしを知って、可憐ちゃんを好いてくれるのは、二人の後方親面オタクとして嬉しい限りだ。そのままMINA学園projectのオタクになれ、という呪いをかけた。あ、魔法をかけた。
MINA学園projectはいいぞ。
「そういえば、会いましたよ。NYMUちゃん」
「ん、あぁスタジオで?」
「はい。元気いっぱいのJKでした。解釈一致」
「HANABiさんの対極だよね」
「ぐっさあああああ!!」
NYMUちゃんといえば。
そういえばこの時間に、生配信をすると言っていたな、ということを思い出した。
作業に戻ったHANABiさんを余所に、イヤホンを取り出してプラグにザク。アプリから……ああ、あったあった。
どうせ暇なので、聞くことにする。
〇
「そう! そうなの! 会いました……会っちゃいましたHIBANaさん! うらやましかろう!」
●
うるさっ。
……あぁ、音楽聞くために音量大きくしてたんだった。下げよう。
元の声がうるさいとか、それはまぁ、そうだけど。それがいいんだ。
〇
「どんな人か、っていうのはまだ言えないんだけどー、あー、でもこれは言っていいかなー、そー、あのねー、かっこいい人なんだぁ……くぅ~、かっこいいんだぁ!」
「私に無いものを持ってる人! って感じ。憧れと、嫉妬……あるかも~! 今度コラボで歌う約束取り付けたから、楽しみにしててね! いつになるかわからないけど」
「──それと」
●
一瞬。驚いた。見ていなかった画面を見るくらい、驚いた。
意思のある声、とでもいえばいいだろうか。強い……爆弾みたいな感情の籠った声だ。画面の中にいる彼女は、牙を剥くような笑顔で、凄惨に笑っていた。
普段の彼女からは想像できない──しかし、時たま。ライブの時に、時たま見せる、野心のような表情。目のギラつきが3Dモデルの奥から伝わってくる。
息を、唾を飲む。
あぁ──中の人とキャラクターを混同していたのは、わたしも同じか。
この子は──バーチャル界において常に最新を行く、最先端にいる少女なのだと。
〇
「MINA学園projectのファンにもなっちゃった……!」
●
──何を言ってくれているのか。
一瞬、爆速で流れていたコメントが止まる。素直で正直で、よろしい。そしてよろしくない。
否、批判批評を緩和させるという点では、
矛先が、彼女にも向く。庇っていますよ、と言っているようなものだ。
彼女自身にそのつもりはないのかもしれない。純粋にMINA学園projectのファンになってくれただけなのかもしれない。
けれど、今の今までHIBANaの話をしていたところにコレだ。「私は関係性を知っていて、その上でどっちも好きですよ」というのを公言したに他ならない。
そういう、みんな仲良く大団円、を好まない人間がいるのだ。
そいつらは個人の好悪に関係なく、大団円であることを嫌う。そして得てして声が大きい。
NYMUちゃんだって、今まで散々見たくもないコメントを目にしてきただろう。それを防御する方法を知っているのだとも思っている。知っていなかったらマネージャーをわたしが叱る。
だが、わたしの持ってきたそれを勝手に背負われるというのは──ああ、この感情は、そう。
癪である。
それは、わたしのものなのに。
「当面のライバルは彼女でいいですかね」
「……聞いてたんだ」
「私、常に8窓してるんですよ」
聖徳太子かな?
「ライバルねぇ」
「言い方はなんでもいいですよ。強敵。あるいは超えたい味方。もしくは憧れ。憧れは理解から最も遠い感情だ、なんていう人いますけど、そんなことはありません。憧れないと理解しようと思えませんから。そして、越えるためには憧れが必須です。越えた後も憧れ続けましょう。その憧憬がある限り、私達は失速しません」
「語るね。熱が入った?」
「これでも小説家なんですよ、私」
熱が入ったんじゃない。
火が付いたのだ。いや、HANABiさんには元から火は付いていた。今点火したのは、わたしだ。
「批判、お好きですよね。杏さん。自分のやることなす事、すべてが勝負事だと思ってますよね」
「あれ、それ話したっけ」
「ただの観察結果です。相手が想像通りの反応をしたら相手の負け。相手が予想を超えたら、それがプラスの形であれマイナスの形であれ、相手の勝ち。そういうルールのゲームで生きている」
心理学者にでもなった方がいいんじゃないだろうか。いや、この人の事だから修めている可能性もある。
すごく、嬉しい。分析されることに喜びを感じる。ましてや相手が身内なのだ。これほど楽しいことがほかにあるだろうか。
「勝ちましょうよ。全人類に」
「大きく出たね。万人には受け入れられないよ?」
「わかりきっている部分は見なきゃいいんです。見なかったらいないのと同じです」
「ヒュウ、それじゃあ全人類は1万分の1もいないんじゃない?」
「問題ないでしょう。それでも世界は美しい、ですかね」
間違いないね。
わたしなら、それでも地球は回っている、かな。
「それじゃあ、気合いれてもろて」
「いえ、もう完成しました。あとは提出だけです。次回作に移りましょう」
「そ?」
「マ」
打倒、NYMUちゃんだ。もちろん仲良くもするけど、それはそれこれはこれ。
創作談義で、夜は更けていく──。
〇
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それは瞳から。
推し、という言葉がある。
元はアイドル……主に地下アイドルだろう発祥の、一推しが語源の言葉。萌え系のアイドルが地表に出てきたことでオタク界隈に一般化したそれは、文字通り、推薦という意味だ。自身の好意あまり余って誰かに薦めたい。誰かに知ってほしい。知り合いに、身内に、誰か知らない人に。
つまるところ、単純な好意表明とは少し意味合いが違うのである。単に好意を示したいのであれば、好きといえばいいのだから。
これはあくまで、視聴者側の言葉である。視聴者が応援するために、布教するために使う言葉。
故に、配信者側がその言葉を使う人間に対し、「この人はその推しの固定客である」と認識するのはおかしな話なのだ。所謂"推し変"──推しを変える事に対して残念がったり、悲しんだり、悔やんだりするのは、筋違いというべきか。
これはチャンネルの登録者やフォロワー数などにも言える事。
チャンネルの登録も、フォローも、あくまで視聴者本意の言葉である。その人を追っていたい。その人の動向が知りたい。その人の投稿をいち早く視聴したい。これに対し、配信者側がお礼を言うのもおかしな話だし、ましてや登録してください、フォローしてくださいと懇願するのも変な話である。
あくまで配信者は発信を行う存在であり、視聴を強制する存在ではない、というコト。視聴者もまた、配信者に発信を強制する存在ではないのは言わずもがなである。
住み分け、区分け。区別でもいい。
自身が何者であるか、という哲学はおいておいて、自身がどちら側であるかの確認はしておいた方がいい。
でないと。
「……雪ちゃんは燃えるの好きだねぇ、ほんと」
溜息を吐いて、言う。言った。
こうなるのだ。所謂炎上。誰か一人が悪いというわけでもないだろう。あるいは全員が悪い。踏み込み過ぎて、自身の立ち位置を見失って、喚いて事が大きくなる。MINA学園projectにいたころは結構な頻度で見た光景。
事の発端は、南雪──わたしと同い年の彼女の、個人配信。
いくつかのコメントの中で、恐らく彼女の逆鱗に最も触れただろうそれ──"いつも曲がった事が嫌いとか言ってるくせに、身内の転生はスルーするんですね"という、まぁ、害意オンリーのコメントだ。悪意ではなく、害意。
普段はほとんどコメントなんて読まないくせに、彼女はわざわざそれを拾って。
──"新人のデビューを曲がった事などと口にできるご自身を変えてみるといいと思いますよ"
と。まぁ、結構キツい口調で言った。
害意への反論など、他の害意の誘引にほかならぬ行為である。不快になるコメントは読まない。害意の見えるコメントは無視する。自衛もせずに傷つくのは勇気ではなく無謀だと、わたしが可憐ちゃんであったときから散々言っているのだが、彼女に自身を曲げるつもりはないらしい。
反応があるのが楽しくて仕方がない。自分の言葉に配信者や視聴者が感情を動かすのが愉快でたまらない。そういう人間がいるのだ。だから無理なものは無理として、正道を貫くのは諦めなよ、と……結構な頻度で諭した覚えがある。
それでも彼女は、曲げなかった。言いたい事を言う。はっきり言う。気を遣わない。気を許さない。
配信者として発信を曲げないのは問題ない。そうあるべきだと思う。けれど、自身の言葉で視聴者が変わると思ってはいけない。人は他人の言葉では変わらない、とまで言い切るつもりはないけれど、画面の向こうの人間の言葉で簡単に変わる程、軽い信念で生きてはいないのだから。
彼女はまぁ、正義感の塊みたいな子だ。曲がった事が嫌いで、自身の益になるとしてもそれが邪道なら拒否する。損な性格。それは度々のボヤ騒ぎという形で配信に表れている。
幸いにして、というべきか。MINA学園projectのクリエイター陣は彼女に理解があったし、動画投稿サイトの使い方も心得ていた。所謂スパム、あるいは連投に対して適切なフィルターを作り、ほとんどがそれをすり抜けない。その分通常のコメントも許可されない事があるのだが、何が引っかかるのかは明記されているので、まぁ。確認しない方に非がある。
だからこそ、こうして彼女の目に入っているのは、純粋な"嫌い"である。害意のある文章だ。中身がいないソレや、こちらに欠片も興味を持たぬ荒らしではなく、彼女の事が嫌いで、嫌がらせに来ているコメントである。
──"皆凪可憐は私たちの大切な仲間です。それは何も変わりませんし、どこかの誰かとは何の関係もありません"
──"可憐が卒業した理由は彼女の最後の配信で触れています。何も知らないのであれば、知る努力をしてから批判を口にしなさい。その上で理解できないというのなら、読解力を鍛えなさい"
言葉に棘がありすぎ。そして踏み込み過ぎである。
無視するか、ブロックしてしまえばいいものを。ちなみに削除権限を持つMINA学園projectのメンバーやクリエイターが手を貸そうとすると、彼女は大層不機嫌になる。無視や排斥をしていては、誰もわかってくれないわ、なんて言って。
「……かっこいいなぁ、ホント」
辛いと思わない事は無いのだろう。何度か、相談された事もあった。
泣かない事はないのだろう。通話越しの声が枯れている事はあった。
でも、曲げたくないのだろう。ただそれだけだ。嫌だから、やらない。わがままで──頑固で。
憧れる。そうであればよかったのに、と思う事はあった。
そうではなかったから。わたしは大丈夫だったから、そこまで強い感情がなかったから。結局、わたしが憧れている人は皆、全力の人間だ。
本当に、ああいう人たちは、なんて──。
「……息苦しそうで、羨ましい」
わざわざ口にして。言葉にして。音を編んで。
思う。自認する。再認する。確認する。
NYMUちゃんも、HANABiさんも、彼女も、本当にかっこいい。ああなれたらどんなに楽しいか、と。何度も何度も、何度も思っている。
まぁ。
わたしはわたしらしく、淡白にドライに、けれど楽しく生きているのだけれど。
ふむ。
「やっぱり人は変わらないよ、雪ちゃん」
なんせわたしがこうなんだもん。
●
MVが上がった。宣伝こそあったが、
意図こそないが、ある種炎上商法に近い。注目度はかなりのもので、それが好意であれ悪意であれ、わたしの……HIBANaのデビュー曲は、投稿後3分で4万回再生を記録した。約4万人が上がった直後にそれを見た、というコト。また同じくして開設されたHANABiとHIBANaのチャンネルは、既に10万人の登録者を擁している。
DIVA Li VIVAのブランド力、というのもあるのだろう。先日上がった動画の効果もあるのだろう。
だが半数……言い過ぎか、3割くらいは銃口であると思う。それくらいの気持ちで見ていた方が、そうでなかった時が楽しい。
〇
影法師。男か女かもわからないそのキャラクターが、崩れ落ちたタワーの根元のような場所で、何も見えない何かと手を繋いで歩いている──そんな始まりをするMVは、どこかおどろおどろしく、しかし曲調の荘厳さがそれを神聖なものと錯覚させている。
影法師は歩く。明らかに誰かと手を繋いでいる。明らかに誰かに話しかけている。けれど、そこに何がいるわけでも、何が見えるわけでもない。
そうして辿り着いた場所。それはタワーの中を通っていたエレベーターだろう、巨大な鉄の箱が鎮座する空間。周囲はグチャグチャになった鉄格子が群れを成し、月明かりに照らされて牙を剥く。その中を、影法師と何かは進んでいく。エレベーターは、開いていた。中には光。
エレベーターに入る。入った。その扉が閉じる。静かに閉じた。
瞬間、カメラが引いて鉄格子が、残骸が、すべて銀の砂になる。
それでもなお、エレベーターは上に昇っていく。何を頼りにか、まっすぐ、まっすぐ。
段々と、エレベーターも形を保てなくなる。それは風化という形で現れ、上部の方から段々と崩れていく。砂になっていく。
影法師はエレベーターの中で、その砂を受け止め、指の隙間から零して──笑った。笑みが見える。一瞬だけ。月明かりだ。
そのまま昇っていく。上へ上へ。鉄箱が壊れてもなお、銀砂を伴って。
粒となるまで遠くへ消えた影法師は、しかし、何かを落とす。
カメラの捉えたそれは──片腕だけがボロボロになった、ぬいぐるみだった。
ぬいぐるみは一人、起き上がって。
優雅にカーテシーを決めて、幕が下りる。
HANABi/aNABIHという飾らない文字と、DIVA Li VIVAのロゴが浮いて、終了。
●
まぁ、邪推の余地はいくらでもあるな、と改めて思う。
むしろ多少、HANABiさんの愚痴がまだ入っているようにも見える。メッセージ性が強い。けれど、大部分はわたしの意見を聞いてもらったし、特に最後のぬいぐるみが起き上がるシーンについては、わざわざぬいぐるみの3Dモデルを作ってもらって、自分で動かした。
無論、HIBANaが影法師だ。ではぬいぐるみは。わたし。あるいは──皆凪可憐か。
と、考察されるだろう。それが予想通り、である。
実際はちょっと違う。起き上がるシーンはわたし考案だけど、落ちるシーンはHANABiさんのアイデアなのだ。そう、あのぬいぐるみはHANABiさんのなのだそうで。自身はあくまで舞台装置で、HIBANaを空へまで上げたら後は幕引きを担当する……そんなイメージ。
花火と火花の関係性。そういう話をしていた。
「そしてみんなの反応は、と……あは」
出るわ出るわ。動画に着いたコメントも、SNSの投稿も。「捨てる気満々で草」とか「流石に可哀想になってきた」とか「HIBANaって女? 声の高い男?」「どう聞いても女だろ耳詰まってんのか」とか。
いやー、いいねぇ。とてもいい。実にいい。実に面白い。
そんな予想通りの反応以外に、肯定意見も結構あったのは意外だった。声が綺麗だとか、MV怖い、曲がかっこよすぎるとか……嬉しい。コンテンツに、作品に対する感情は良いものだ。中には化け物みたいなトラッキング精度だな、という……普段DIVA Li VIVAを見ていないだろう視聴者のコメントもあって、さらに嬉しくなる。
そして。
──"惚れました"
一文。投稿直後に爆発的にgoodが押されていくそのコメントは、NYMUちゃんのもの。アクティブな子だなぁ、と思う。宣伝力の塊だから、ありがたいと言えばありがたいのだけど、HANABiさんが拗ねそうでもある。いや、別に紹介されることを嫌っているわけではないんだっけか。
なお、返信はしない。まだHIBANaの人格がしっかり定まっていないので、人格を想像でき得る文章・行動は出来るだけ取らないのが吉だ。
一貫した世界設定があった方が、視聴者を引き込みやすいというマーケティングでもある。
なお、評価はまぁ、これもまた予想通りだった。
爆発的に増える低評価。MVへの低評価ではなく、わたし……HIBANaへの低評価だろうそれは、今なお止まらない。高評価の80分の1ほどの量ではあるが、やはり多い。他のDIVA Li VIVA所属シンガー・ライバーのデビュー作よりかなり多い部類であると言える。
それを悔やむ、という事は無い。正直この高評価低評価は、高評価が100点、低評価が90点くらいに思えばいい。MVの良さが100点。わたしの行動でマイナス10点。だから低評価。その程度。
現状、この動画サイトでは検索一覧に評価が表示されないので、ほとんど意味のないものだとは思う。思うが、評価そのものは必要だとも考えている。☆5レビューしかない食べログを誰が利用するというのか、という話。
これもまた、スタンスによって受け取り方を変えればいいのだ。評価をされる側は前者に、する側は後者に。
そこまで言っておいてなんだけど。
「うーん、初動で1000は越えないのか……広報さん、宣伝足りないんじゃないかなぁ」
低評価は意外にも800を超えたあたりで失速した。再生数と高評価は依然として爆伸びしているにもかかわらず、である。それはHANABiさんとDIVA Li VIVAの技術さんの評価で、わたしの評価として800人から低評価がついたと考えれば……まぁ、そう、個人でそれと考えるなら、まぁ、満足は出来るけれど。
ああ、いけないいけない。低評価を望むような発言は控えなければ。そういう目的で作品制作を行っているわけではないのだから。
と。
その時、一件。新しい投稿があった。否、常にすさまじい量のコメントが投稿されているのだが、そのアイコンが……見覚えのありすぎるそれで、目についた、というべきか。
「いやぁ……まだ燃えるつもりなんだ。もしかしてヘイト背負おうとしてる?」
Minami yuki channel。言わずもがな、南雪。雪ちゃんだ。
──"聞いたことのない声で、圧倒されました。これからの活躍を応援しています"
うーん……。
不器用だなぁ。嘘が吐けなさすぎる。いや、ある意味で……可憐の声とは全く違う、という意味で、聞いたことのない声といったのかもしれないけれど。
確かに声の出し方は大分変えたし、低め低めを意識してる……とはいえ、ねぇ。
「……あれ、でも、珍しく気を遣ってる?」
わたしに。
……まさか。彼女がそう簡単に自分を曲げるはずもない。それができるなら、もっと楽な道があっただろうに。それができるなら、いなくなるわたしの前でも笑顔を作れただろうに。わざわざ茨の道を──……。
「ああ、だめだな。本当に。わたしじゃ一生理解できないところにいるもん」
彼女の真意が読み取れない。なんならNYMUちゃんの意図も読み取れない。
一瞬、それを。携帯端末を。手に取って、アプリを立ち上げて。
踏みとどまった。相変わらず増え続けるアミちゃんのメッセージも、一件だけ──"可憐、使うから"というプレビュー表示が出たままの彼女のメッセージも、開かない。
少なくとも今、わたしの中に可憐はいない。それをすると──HIBANaが悲しい思いをすると思うから。
だから、ごめん。
そして、応援してくれて……ありがとう。
届けるつもりのない言葉は、夜の空気に溶けていった。
●
「ねえ、お姉さん。コラボいつにする?」
「気が早いね。まだデビューしたばっかだよ、わたし」
「善は急げだよ!」
「急がば回ろうよ」
NYMUちゃんはバーチャルシンガーではなくバーチャルライバーである。DIVA Li VIVA所属のVtuber、というヤツだ。だから主な投稿動画は企画ものだったりゲームだったりと多岐にわたるのだが、その中にはもちろん歌も含まれる。
わたしは逆に主な動画投稿が歌で、時たま、他所の動画にお呼ばれする可能性がある、程度の活動スタンスだ。NYMUちゃんの言うコラボは恐らくどちらも……動画も歌も、なのだろうが、歌はともかく動画や配信はやめておいた方がいいと思っている。
要はマーケティングで、ブランディング。あのミステリアスな影法師がすぐさまそういう所に出るのは、イメージ崩壊にしかならない。わたしは否定するけれど、HANABiさん曰く「杏さんは配信上では基本コメディなので」らしく、HIBANaとはイメージのギャップが大きすぎる。
「えー。えー」
「それに、お姉さんは社会人なのです。コーコーセーが思っているより忙しいの」
「……ぶー」
「お友達、わたし以外にもいっぱいいるでしょ?」
「いるけど……なんか、気を遣われちゃってさー」
……あぁ、配信でも何度か話していたっけ。
NYMUちゃんの身内……信頼のおける友人には、自身の活動の事を話していると。
所謂身バレ。しかし、そもそも身バレはそこまで悪い事ではない。あれの何が怖いのかといえばストーカー被害がある事で、身内にバレる分にはメリットの方が大きいのだ。
……いやまぁ、配信内の発言が過激だったりする分には、耳を塞がせてもらうのだけど。
わたしもオタクだからわかる。友達が300万の登録者数を持つVtuberだって知ったら、カラオケやら旅行の予定やらを組むのが少しだけ気が引けてしまうだろうことは。そうでなくとも、守ってあげたい、みたいな気持ちが働いてしまうかもしれない。
友情には余計な感情だな、と思う。
「Vのお友達は?」
「んー、……あんまりいにゃい。本当はゲームとか好きなアニメの話とかしたいんだけど、マネさんから止められてて」
「……まぁ、相手側に耐性が出来ていないと、確かにそうかもね」
所謂バズる覚悟、というヤツ。
一気に視聴者がなだれ込んでくることに耐えられるか。今まで許されていた……あるいは寛容に見られていた行動がすべて杞憂や憂慮、警告、そして批判に変わる事実に耐えられるかどうか。一挙手一投足が簡単に、自身の想定していない場所にまで拡散され、尾ひれがつき、事実無根のレッテルを貼られる可能性に心が対応できるのかどうか。
NYMUちゃんの視聴者は、やっぱり肯定者だけではない。彼女の好意の向く先を害して、彼女に嫌がらせをしようとするやつもいるし、単純に"人気のあるものが嫌い"というどうしようもない人間もいる。
相手が同年代の……高校生や大学生になったばかりの子だと、それに耐えきれない可能性は大いにあるのだ。
そういう意味では、NYMUちゃんのマネージャーさんは素晴らしい仕事をした、と言えるだろう。
「ディバ内の友達は?」
「それがお姉さんなのです」
「他にいるでしょ?」
「いるけど……いるけど……」
少し意地悪だったかな、と反省する。
いるけど、誘えなかった。あるいは誘わなかった。その上でわたしを誘ってきたのだ。
しかしコラボ。うーん。悩ましい。歌であれば……イメージを壊す事なく行けそうではあるけれど。
「じゃあcoverでコラボしよう! 一枚絵のやつ!」
「……それが妥協点かな。うん」
「やた!」
ガッツポーズをするNYMUちゃん。そしてすぐさま携帯端末を取り出し、何やら文字を打ち始めた。
連絡だろう。報連相がしっかりしている。いや、相談せずに決めたわけではあるのだけど。
わたしも麻比奈さんとHANABiさんに連絡しないと。
「そういえばー……動画、見たよ」
「ありがとう。惚れたかい」
「うん」
はっきり言うなぁ。
いや振ったこっちが悪いんだけどさ。
「あと、皆凪可憐ちゃんの卒業の歌も聞いた」
「へぇ」
「いい曲だった。可憐ちゃんに翼が生えるシーンで、青空じゃなくて夜空だったのがすごく好き」
「ありがとう。あ、金髪ちゃん。意地悪な事聞いてもいい?」
「え、うん」
二人ともメッセージを打ちながら。
わたしは、意地悪な質問をする。
「どっちが良かった? 可憐の卒業ソングと、HIBANaのデビュー曲」
「卒業の方は悲しくなったし、昨日のやつはカッコいいって思った」
「……」
……ちぇ。
引っかからないなぁこの子。全然。どっちも良かったとか、わかんないとか、どっちか片方を上げることを期待したのに。パターニング追加不足。ううん、ある意味で、期待していたかもしれないけれど。
まぁ、この意地悪な質問の答えはそれである。良さ、などというよくわからない評価基準ではなく、何を受け取ったか、何を感じ取ったかの感想を出す。良さを聞かれているのに、という言葉も出るだろうが、そもそも論。作品に対する情動は感想のみでいいのだ。
ただ、順位をつけるために評価が存在する。新規視聴者のために評価が存在する。
「よし、連絡おっけー! それじゃ何歌おうか。好きなアニメ、なぁに、お姉さん」
「アニメ限定なの?」
「別にアニメじゃなくてもいいけど……あんまりドラマとか見ないから。お姉さんはいつも何聞いてるの?」
「オールドロックンロール」
「オールドファッション?」
「OK、アニメにしようか」
デビュー曲がシンフォニックメタルなのも、6割くらいわたしの趣味。残りはHANABiさんの趣味。わたしが激しいのが好きで、HANABiさんが荘厳なのにしたいらしかったので、折衷案である。
しかし、アニメか。
アニメ。見ないわけじゃない。けど。
「アニメだと、愛が足りないんだよね……」
「愛?」
「うん。タイアップ曲ならまだしも、アニメの主題歌を歌うなら、そのアニメに愛情がある状態で歌いたいじゃん? 歌いやすいからとか、流行ってるからって理由で、アニメ本編を見たことないのに主題歌歌うのは……ちょっと」
もにょる。
これはオタクとしての立場である。誰かの歌を歌う、というのは二次創作行為であるのだから、原曲へ、原典へのリスペクトが必要だ。
だから、その。
アニメオタクを名乗れるほど傾注した事のないわたしでは、ううん、難しい。
「……それじゃあMINA学園projectの曲とか!」
「それは蛮勇が過ぎる」
水も被らずに火事現場に突っ込んでいくつもりか。
批判は大好きだけど、わざわざ刺激してまで引き出すものではないだろう。況してやわたしを知らないNYMUちゃんの視聴者を巻き込んでまで。わたしに悪意を持っているならともかく、純粋さを汚してまで貪りたいものではない。
だから、逆に。
「NYMUちゃんの曲。デュエットカバーしよう」
「お!」
「わたし、NYMUちゃんのオタクだから。曲にも愛情がある」
「お、おう!」
「権利関係とかはマネさんズにぶん投げて、さっそくカラオケに練習しに行こう」
「おおー!! ……明日お仕事じゃないの?」
「2時間くらいに抑えよう」
セーブのできる社会人である。
●
視聴者と配信者の距離というのは非常に大切だ。
視聴者が配信者の行動を少しでも不快に感じたら。「元は良かったのだから今を直すべき」とか「もっとこうできるはずだ」とか「その行動は間違っているから正さなければ」とか──そういう事を、1㎜でも感じ始めたら、それは近づきすぎである。
距離が近くなりすぎて、親近感が湧いてしまっている。まるで自分の事のように考えてしまっている。
そういう時は一度遠ざかるべきだ。双方に不和と不利益しか生まないのだから。
という話を、昔。皆凪可憐の配信で言った事がある。
もちろんもっと言葉は柔らかかったし、べきだ、とか、である、なんて口調ではないのだけど。
それでも同じ意味の言葉を吐いて。
その日の夜、わたしは彼女──南雪と喧嘩をした。
受け入れられなかったらしい。彼女はもっと、視聴者とは密接に関わるべきだと考えていて、人と人は分かり合えるのだと、努力さえすれば理解しあえるのだと言って聞かなかった。親近感が湧くのは当然だと。視聴者は家族だと。
何を経験し、何を食べて生きていたら、こんな純粋な子が育つんだろう、と思った。大学生である。大学などという、人類の坩堝のような場所にいて、よく。よほど周囲に恵まれたのか、あるいは恵まれなかったからここまで尖ったのか。
なんにせよ、それはわたしの受け入れられる思想ではなかった。ので、言い争い。口論。口喧嘩。
その喧嘩は一週間続いた。一週間口を利かなかったわけじゃない。一週間、毎日。相手を説き伏せるために通話をして、なんなら日曜日には彼女の家に呼ばれてまで、言い争いをした。ここまでくると議論だ。討論かもしれない。お互い平行線の主張を続け、最後には。
「最後、どうなったんですか? あの時、画面越しからも伝わる険悪ムードで割とみんな萎縮していたのに、週が明けたらケロっとしてコラボするものだから、一部ではヤったんじゃないかって噂が立ってましたよ」
「それは酷いセクハラだね」
「まぁオタクなんてそんなものです。性愛のない純粋な友情が成立すると思ってませんから」
「それは酷い偏見だね」
寝っ転がったHANABiさんの背中を踏み踏みしながらの雑談。
集中高めで制作作業をした結果、背中の凝りがマズいところまで来たらしいので、わたしがマッサージをしている。なお外出嫌いのHANABiさんはマッサージ店には行こうとしないし、対人が苦手なのでマッサージ師を呼ぶようなサービスも使いたがらない。
ので、わたしの出番である。
「別に、特別なことはなかったよ。わかったわ、貴女とは絶対に分かり合えない事が、って雪ちゃんが結論付けて」
「……雪ちゃんがですます調じゃないことに違和感を覚えるオタク」
「わたしが、じゃあもう良くない? 無駄だよ無駄、この話し合い、って言って」
「杏さんだと思えばわかりますけど、可憐ちゃんだと考えるとゾっとするほど言葉が冷たいですね」
ツッコミがうるさいなぁ。強めるぞ。
「うぐ」
「じゃあ、先に。"その先"に辿り着いた方の主張が優れていた、という事で。って話で、終わった」
「ぐぐぐぐあいたたたたたたた」
「よーはライバルだよね。同い年だったし、歌動画の再生数も抜きつ抜かれつだったし」
今わたしたちがNYMUちゃんに抱いているそれとはまた別の、強敵と書いてトモと呼ぶような、ライバル。
だから、今もわたしと彼女の主張は平行線だ。戦いは続いている。そしてまだ、わたしは。
「辿り着いてないからなぁ。足掛かりはHANABiさんが持ってきてくれたけどねー」
「杏さんこれ杏さんこれ揉み返しきちゃいます痛い痛い」
「大丈夫大丈夫今まできたことないでしょ」
「それは! そうです! けど!」
まぁ、大分ほぐれたので、足を離す。
疲れみ。
「ふぅ……。んー、うー。……言っておきますけど」
「ん?」
「私はMINA学のオタクなので、雪ちゃんの歌も大好きです。ですけど、私は一切、負けるつもりはないですよ。手を抜くなんて死んでもしません。何の気遣いも何の躊躇もなく、圧倒的な差を叩きつけることになっても……杏さんは平気ですか」
……ふふふ。
かっこいいって言ってるじゃんか。ずるいよ。
「平気だけど、彼女、食らいついてくると思うから……全然差を埋められなくて、HANABiさんが自信喪失しないか心配かも」
「いい度胸です。……なんで杏さんがそっち側についてるんですか?」
「わたしもMINA学のオタクだし」
先に行くけど。
どうせ、辿り着く前に並んでくると思ってるから……折れないでね。
〇
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それは悲鳴から。
ピンポーン、と。チャイム。ベル。あるいは正解のボタン。
まぁ普通に。チャイムが鳴った。土曜日の正午のことだ。2月は下旬。まだ寒さの昂りが収まらない時期。しかも雨が降っていた。
なんだろう、と思いながら、インターホンを覗き込んだ。通販での買い物をした覚えもなければ、来客の予定もない。仕事関係は電話か社内SMSで来るし、アポイントメントも取られていない。
だから、なんだろう、と。
そこにあった顔を見て、心から「げ」という音が出た。女らしい。乙女らしさバリバリの音だ。
「やぁ、いるんだろう。知ってるよ。だって車があるからね」
にこやかに、雨合羽を着て、そのフードだけを取って。
差した傘の下に、少女を連れて。その人は。その女性は。立っていた。
MINA学園projectの最年長。
●
流石に雨の中を突っ返すほど薄情であるつもりはないので、一旦、という形で家に挙げた。何度か来た事があるからだろう、来客用のスリッパを履いて、濡れた合羽を脱衣所に干して。手を洗いうがいをして手を洗わせてうがいをさせて。手際よく効率的に最短で合理的。喋りさえしなければロボットなんじゃないかと見紛う程、テキパキとすべてを済ませ──リビングに入った。
もう一人の、彼女よりかなり幼い少女もそれに倣い、入っていく。
溜息。
仕方がないと諦めて、わたしもリビングへ向かった。
「それで、何か用ですか」
勝手にTVをつけて、ソファでくつろぐ彼女に、問う。一応お茶を淹れて彼女らの前に出す。ありがとう、ありがとうございます、の声が重なる。
遥香さんは完全にくつろぎモードで背をソファに預けているけれど、少女……
「ん、お誘いに来たのさ」
「何の?」
「ちょいと、同情をね」
遥香さんはこちらを見ずに、そう言った。
〇
──"やぁやぁ、良く集まってくれた。うんうん、私はとても嬉しいよ。元は私達姉妹だけだったこのprojectが、こうして、一つのユニットとして活動できる程にまで成長した。私達だけでは絶対に辿り着けなかったライブなんてものまで実現したんだ。心から──ありがとうを言わせてほしい"
──"だから、このライブは絶対に成功させよう。なんとしてでも。見た人全員が素晴らしかったと言う光景を、私は見たいんだ"
──"千幸。可憐。雪。梨寿。亜美。今日ばかりは全力で頼らせてもらうよ"
──"さぁ、行くぞ!"
●
懐かしいものを見せられている。小さいとはいえ一つのライブスタジオを使って行った、Vtuberイベントがあった。言わずもがなMINA学園projectのライブだ。と言ってもトークライブ……歌+トーク+歌+トーク+トーク+歌という形式の、どちらかと言えばトークの方が長いそのイベントは、しっかり、成功に終わった。
そのライブ映像だ。技術班の誰かが撮ったのだろうその映像は、ダイジェスト版として期間限定で動画投稿サイトに上がっていたこともあったっけ。
スクリーンに映る少女たちは、なるほど。一歩離れれば離れるほどわかる──アイドルだな、という印象。
「リーダーから」
「……」
「リーダーから、連絡……来ていないだろう? 今日家に行くって言ったら、可憐の名であの子を呼ばないようにね、って釘を刺されたよ」
遥香さんは最年長だけど、リーダーじゃない。
リーダーは高校生の子だった。千幸ちゃん。でも、まとめ役はこの人だった、という話。
やれやれと肩をすくめた彼女の横で、梨寿ちゃんが肘でその脇腹を突っついた。
「あの子はもう割り切ってたよ。可憐はもういないんだから、あの子の家に行ったってしょうがない、ってさ。うんうん、同意も同意。そう思うよ。あの可愛らしい、コロコロと笑う可憐はもういないんだろうさ」
「……本題は?」
「雪といいお前さんといい、雑談を嫌う癖は直した方がいいぞぅ、世渡りのためにはさ。……まぁ、最初に言った通りだよ。お誘いに来たのさ。同情をね」
「それがどういうことか、と聞いています」
「今。うち……MINA学園projectの士気、ああモチベーションって言った方が分かりやすいかな? とにかく雰囲気はお通夜ムードというか、少々ピリピリし始めていてね。こんな状況で二周年記念をやっても楽しいそれにならないだろうし、何より視聴者に抜けてしまうだろう?」
だからさぁ、と。
行動の合理性に反して、発言の迂回が酷すぎるその人は、ゆったり、たっぷり間を取って、言う。
「喧嘩を売ってくれないかな。動画でも配信でも呟きでもなんでもいいよ。名指しで、ウチの子らが焚き付けられるようなことをさ。
「わざわざわたしの嫌いな言葉選びをする辺り、結構深刻っぽそうですね」
「そりゃあもう! なんせ、年少組がお前さんの卒業を納得していなかったのは……納得できていなかったのは、ひとえに私達年長組のフォロー不足だ。ぶっちゃけて言えば、雪は"あんな"だから頼れないし、リーダーだって自分の受験もあっていっぱいいっぱいだった。本来は私が何とかしなきゃいけなかった事なのに、楽観していた結果がコレさ。ほんと、情けない」
遥香さんは言う。まるで懺悔でもするかのように、独り言のように。
でもどこか芝居がかっているというか。声質がふざけているように聞こえる損な声をしているというか。お笑い芸人に向いていそうな声というか。
だから、感情が一切伝わってこなくて……この人は、本当に苦手。
「年少組がお前さんとすっきり袂を分かれられるような、キッツい言葉を吐いてやってくれないか。可憐で返事をするのが嫌なんだろ? 可憐として見られている状態で意思を、言葉を演じるのが嫌なんだ。知ってるさ。何度も相談された。それでいいのかって。私は演じている事しかできないけれど、それでいいのかって言われたね。だから、可憐じゃなくていい。HIBANaっていうんだろう? お前さんの新しい名前。いや、新しいなんて言うのはお前さんが嫌がるね。お前さんの、別の名前。HIBANa。頼むよ。お願いだよ」
スラスラと言葉が紡がれる。どもる事も、考える事もなく。まるで台本でもあるかのように。
ないのだろう。だけど、どうしても思えてしまう。感情がこもっていないと思ってしまう。
一つ。溜息を吐いた。違う。吸うから──深呼吸。
「断ります。それは、HIBANaのイメージを損ねますから」
「じゃあ、ここで頼む。録音された声を公開しない事を誓う。誓約書を書いてもいい。あの子らに声を届けてやってほしい」
まるで断られる事が分かっていたかのように。
わたしの批判を楽しむそれとは違うけれど、この人もまた、相手の行動をあらかじめ予測している。わたしがこの人を苦手としているのは、あるいは。単なる同族嫌悪なのかもしれない。
同族、というにはあまりにも──この人の方が、才能にあふれているけれど。
「梨寿」
「……」
「……お願いします」
こちらが黙ると見るや否や、妹にも頭を下げさせて。明らかにこっちが悪者だ。その程度の事に心折られる程優しいつもりはない。どころか、少しイライラしているところはある。やめてほしい、と思った。
頭を下げる、なんて。──まるでこっちが上にいるみたいじゃないか。
「余計なお世話だと、考えないんですか」
「考えている。その上でのお節介だよ。知っている。余計なことをしていると心から思っている。でも、必要な事だと。必要になると、考えている」
「今、わたしの中の遥香さんの印象、最悪にまで落ちてますよ」
「だろうね。私もお前さんの立場になってみたら、こんなことするヤツ大っ嫌いだ。今すぐにでも目の前からいなくなれと思うだろう。勝手にへりくだりやがって、と。そう思う」
わかっているなら、なぜ止めないのか。
決まっている。
「……二日。待ってください。わたしの声を出すか、HIBANaの声を出すか。"こちら"で相談してから決めます。わたしの一存で決められる事ではありませんから」
「それでいい。ありがとう」
「これが最高ですか。遥香さん。あなたの想像した、わたしの譲歩は」
「ああ。それ以上はいらなかったし、それ以下だったらもう少し粘っていた」
本当に。本当に。苦手。
手玉に取られているような感覚が。オタクとしてはMINA学園projectで一番好きな人なのに、わたしとしては一番苦手。
ゆっくりと頭を上げた二人。さっきまでの真剣な目はどこへやら、安堵とふざけを綯交ぜにしたかのような表情の遥香さんと、思いつめた顔の梨寿ちゃん。年少組のフォローというのなら、自分の妹のフォローを一番にすればいいのに、と思った。
「ん? あぁ、梨寿がこんな難しい顔をしているのは、お前さんをなんて呼べばいいかわからないからだよ」
「──……ああ」
ああ。そういう。なるほど。確かに。
この二人には本名を教えていないし、わたしは皆凪可憐ではなくなった。今でこそNYMUちゃんがわたしを"お姉さん"と呼んでくれているが、かつてわたしがMINA学園projectにいた頃にわたしを"お姉さん"と呼んでいた子は一人だっていない。
故に。今、梨寿ちゃんの目の前にいるのは、誰とも知れぬ、名前のわからぬ誰かだ。
「HIBANaと、呼んでくれればいい。今のわたしはそれだから」
「……嫌だけど、わかりました」
「フォロー、出来ていないようですけど?」
「したさ。だから物分かりが良いだろう? する前は、なんとしてでもって、引き戻すと言って聞かなかったからね」
「諦めてません」
「物分かり、良くないけど?」
「管轄外だ」
何が管轄外だ。
本当に。適当しか言わない人だ。
「HIBANa……さん。言いたい事があります」
「別に、呼び捨ててでもいいけどね」
「私はまだ中学生で、難しい事はわかりません。その、お仕事が忙しいとか、あると思います。でも戻ってきてほしいって思います。今も思ってます。だから、言いたい事と、聞きたい事があるんです」
「聞くだけは聞くけど、答えるかどうかは別だよ」
「言いたいことから言います。あの動画、見ました。二つとも見ました。聞いたんです。お姉ちゃんと一緒に聞きました。凄かったですね。本当に、綺麗でした。この人は可憐ちゃんじゃない、って感じたことが本当に嫌でした。今日会うまで、別人だと思いたかった。今目の前にいるのに、嫌です。涙が出そうになるくらい」
声は震えていた。姉の遥香さんと違って、なんと情動の籠っている声か。胸の締め付けられるような声は、オーディエンスに感動を呼ぶことだろう。わたしにはあんまり届かないのだけど。
その横で遥香さんがやれやれと肩をすくめているのが、感動を薄れさせている要因だと思う。
「聞きたいことは二つあります」
「うん。まぁ、聞くだけは聞くよ」
「一つ目。正直に言ってください」
梨寿ちゃんは、ひと呼吸置いた。
「嫌ですか。戻ってきてほしい、と言われるのは。帰ってきてほしいと言われるのは。嫌ですか」
──……。
本当、聡明な子だなぁ。
「何も感じない」
「……っ」
「言われているのは可憐だからね。梨寿ちゃんも、MINA学のみんなも、ファンの人達も。わたしやHIBANaに戻ってきてほしい、帰ってきてほしいって言ってないでしょ? ただ、まぁ」
中学生に言うには、言葉の棘がありすぎるか。
ゆっくり吟味する。さて、語彙語彙。
「わたしはもうわかんないんだよね。可憐の気持ち。これでわかってくれる?」
「……そう、ですか」
「うん。だから多分、二つ目の聞きたい事っていうのも、これで答えになるよね」
「お前さん、自分がされて嫌なことは他人にしない、って言葉知ってるかい?」
……これかぁ。
ああ、やっぱりそうだ。だから、本当に同族嫌悪なんだ。
「──ありがとう、ございました」
「偉いね。お礼が言えるんだ。感情、グチャグチャだろうに」
「良い子に育っただろう?」
「遥香さんとは似ても似つかないね」
「あっはっは」
ぽんぽん、と梨寿ちゃんの頭を叩く……撫でる遥香さん。
元々、MINA学園projectはこの姉妹が始めたものだった。そこにクリエイターやわたし達ライバーが集まって、一つのユニットとなって世に名乗りを上げた。
……感謝の念はある。大いにある。わたしがあの時遥香さんにDMを入れなければ、彼女がそれを受けなければ。今のわたしはここにいない。HANABiさんにも出会えていなかっただろうし、就職先さえも違っていたかもしれない。今も昔も変わらず苦手だけど、人生における恩師を選べというのなら、迷わずにこの人を選ぶだろう。
HANABiさんは恩師というか、半分家族。
「お、凄いね」
「何がですか?」
「ほら、丁度雨が上がった」
言われて外を見てみれば、確かに。
雨が上がっている。物語のような展開は、しかし。
「いつから上がってましたか?」
「梨寿が話し始めた時には」
ニヤニヤとしながら。
本当、苦手。
●
HIBANaのアカウントを開設した。SNSに。HANABiさんのアカウントは既にあるので、プロフィール欄にDIVA Li VIVAの文字を追加するだけでいい。
遥香さんの"お願い"に答えるにせよ答えないにせよ、やはり作る必要があったらしく、渋々の開設となった。外部からのDMや通知の設定などを一通りして、とりあえずDIVA Li VIVA関係の人達をフォローしていく。開設後10分と経たぬうちに1.3万人のフォロワー。これはすぐにでも可憐を抜くだろうなぁ。
「最初の投稿、なんにします? ミステリアスなイメージがいいんですよね」
「うーん。どうしようかなーって思ってる。ほら、さっき話した喧嘩売ってくれって話。あれがあるからー」
「おや、杏さん受けるつもりあるんですか? てっきり突っぱねるのかと」
「無かったら持ってこないでしょ。……HIBANaとしてのブランディングと、MINA学オタクが二周年記念を成功させたいという気持ちを今天秤にかけてる」
「それは難題ですね」
「六波羅」
「探題ですね」
なお、新人Vtuberがよく設置しがちな匿名投稿ポストは設置していない。あれは掲示板と何も変わらない。匿名の文化を自身のコンテンツに組み込むのは、一つとして利点がないと思っている。批判も肯定も否定も同情も、匿名である必要が一切ない。自身を認知されたくないのなら、悪意も好意も伝えなくていい。義務ではないのだから。
何よりそんなものを設置したら、自身の活動を他人のアイデアに任せることになるじゃないか。発信者である以上、発想の部分くらいは己が根元でありたいと思う。
「ほら、MV撮ったとき、結構不敵に笑ったじゃん? あそこから拡大解釈すると、ミステリアス且つ利己的で裏で糸引いてる……こう、黒幕キャラに行けると思うんだよね」
「あー……。OPで手を広げて首をかしげて三日月形の笑みを浮かべている感じの」
「そうそれ」
オタクなので、抽象的なアニメのOPで話が通じる。アニメオタクじゃなくても出来る通常スキル。
アシンメトリーの白衣と影法師、ぬいぐるみを持っている事など、悪役に持っていきやすい要素がそろっている。
「でもそれ、NYMUちゃんとコラボしづらくなりません? 元気・光属性みたいな子じゃないですか」
「光と影って感じの一枚絵、お願いします」
「私が描くんですね。知ってましたけど」
「お金は出るので。DIVA Li VIVAから」
「便利ですねぇ自社コラボ」
本当に。余計な契約がいらない。マネージャーさんに投げるだけでいいとか、楽にも程がある。
そして、うん。
天秤は傾いた。
「まぁ、遥香ちゃんと千幸ちゃん以外が沈んだ顔の二周年記念イベントとか見たくないですからねぇ」
「そして丁度麻比奈さんからOKが来た」
「あれ、今決めたんじゃないんですか?」
「いやいや、どうするにせよ許可関係の連絡はしといて損はないでしょ」
「流石、デビュー後一番目の歌配信が権利関係でお蔵入りになった伝説を」
「あれは誤BANなのでノーカン」
権利関係は早め早めが一番なのだ。既に自分の声が企業のコンテンツになっているのだから、確認を取るのは当たり前。……まぁ麻比奈さんの返信メッセージは「あ、問題ありませんよー」という驚くほど軽いものだったのだが。
なお、HANABiさんの言う伝説の誤BAN配信の時の録画だが、実はまだ手元にあったりする。これはまぁ、いつか。身内で、お酒でも飲みながらね。
「え、今スルーしましたけど、声でやるんですか? 投稿じゃなく」
「一つ目の投稿が声のみの方がインパクトあると思わない?」
「んー……まぁ、文字だとどうしても私の言葉が入ってしまいそうですし、杏さんの文章だとボロが出そうですし」
「出ないが?」
というわけで。
「レコ部屋借りるよ」
「暖房付けてくださいね。冷えるので」
「ノイズ乗らない?」
「乗りませんよ。誰の部屋だと思ってるんですか」
……確かに。杞憂だった。
それじゃあ。
〇
──"ワタシに"
──"ワタシに、言うのか"
──"ワタシに、言うのか、君たちは"
──"ワタシに死ねと、そう言うのか、君たちは"
──"嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ"
──"お願いだ──ワタシを──殺さないで──!"
●
ボイスメモの形を取って投稿されたソレは、真っ黒な画面に響く……悲哀の感情をこれでもかと込めたもの。歌い上げるように音階を取って、祈るように苦しみながら、伝えるべきものを込める。
これはファンへのメッセージではなく、彼女らへのメッセージ。だけど、同時にHIBANaが──あの影法師が、こういうキャラクターであることを決定づけるパッケージだ。
そして、気付いてはいるだろうけど、納品報告として。
SNSツールのダイレクトメッセージで、HIBANaのアカウントから実灘遥香のアカウントへ、言葉を送る。
──"これでいい?"
──"ウチには、伝わった。ありがとう。でも、言葉が欲しい。あの子達を突き放してほしい"
──"図々しい"
──"ありがとう"
なんだって、作品の解説を己でやらなければいけないのか。
そんなものは自分たちで解釈してくれ、と思う。
思いながら、送る。
──"戻ってきてほしいと。帰ってきてほしいと、可憐に言うっていうことはさ"
──"HIBANaに死んでほしいと、いなくなってほしいって言う事だって、わかってる?"
──"これでいいかな"
──"十分だ。今度、何かで対価を支払う"
それには返事をしないで、閉じる。
まぁ、なんだろうね。わたしは今、HIBANaだから。それが決別だよ。
●
HIBANaのファンアートが描かれ始めた。特にタグ付けはしなかったので、皆が各々にHIBANaの名とイラストを上げているのだけど、いやはや、やっぱり絵が描ける人はすごいな、と思う。HANABiさんもイラストレーターだけど、やっぱりHANABiさんにはHANABiさんの作風がある。タッチ、というヤツ。
それがイラストレーターそれぞれにぞれぞれあるのだ。各々のタッチで、影法師が描かれている。圧巻。嬉しいコトだ。
そしてすさまじい想像力である。
あのMVにおいて、HIBANaの顔は一瞬しか映らない。それも口元だけだ。それまではずっと真っ黒で、わたしの言うアシンメトリーの白衣でさえ真っ黒に染まっている。
だというのに、恐らく形からだろう、それを見抜く人がちらほらいた。"黒い"ではなく"暗い"白衣を着た、真黒の──髑髏。骸骨。流石に顔の細部までは妄想になってしまうのだろう、それならば描かない方が"らしい"と判断したのか、その顔は骨しかなく──そして、すべてが涙を流していた。
あのボイスメモからの想像だろうけど、ちゃんと悲哀を受け取ってくれた事に喜びを覚える。
なお、悪意があるのかなんなのかは知らないけど、HIBANaに可憐の衣装を着せたイラストを描く人もいた。スルーするけど、絵は上手いと思うよ。
しかし、なんだろう。
どうにも……肯定ムードだな、と感じた。
あのボイスメモだって、取り様によれば邪推ができる。ネットにおける批判にお気持ち表明を出した、という風にだって受け取れるはずなのに、そういう風に見ている人が存外少ないのが、意外だった。
動画投稿サイトのコメントも、かなり落ち着いてきている。評価の声が高くなっているのだ。
「そりゃあ、良い曲やしなぁ。いいモン見せられたら、感想を形に残しときたくなるのが人間ってモンよ」
「悪感情が良感情に劣るとは思えないです」
「ひねくれてんなぁ。素直に喜んだ方が人生楽しいぞ~?」
DIVA Li VIVAの休憩スペース。土日に予定が無かったらとりあえずDIVA Li VIVAの事務所に行ってみる、という習慣をつけることにした。まだ入社したてということもあって、人脈づくり……というか、ある程度の出会いは必要だと思う。孤立しないと得られないものより、孤立しなくても得られるものの方が大衆受けがいい。
そんな邪な考えで来たそのスペースに、ギターを持った女性がいた。
春藤、という名前で活動している作曲家兼ギタリストの人で、MINA学園projectやDIVA Li VIVAの活動する動画投稿サイトとは別の、もう少しアングラ寄りの動画投稿サイトで演奏動画を上げていた人だ。首から上をカメラに映さないスタイルで、アパートの一室のような所でギターをかき鳴らす姿は、視聴者にカッコイイと思わせるソレがあった。
「嬉しいんですけどね。もう少し注目度があってもいいのにな、っていう」
「十分やんか。上目指し過ぎと違うか?」
「目的地はてっぺんのその先ですから」
「かぁ~、そりゃあかっけぇなぁ」
春藤さんは関西弁……なのかどうかわからない話し方で、座っているのにギターを肩から降ろすことなく、なんなら話の途中にジャラァンとかやったりしている。わたしは楽器ができないので実感はないのだが、それ重くないんだろうか。
「弾いてみるか?」
「出来ない事はしない主義です」
「てっぺんに行くのは出来るってことか」
「勿論」
紙コップから梅昆布茶をズズ……と飲む。美味しい。
自分の家じゃ絶対にいれないけど、無料で飲めるサーバーに置いてあったら飲んでしまうもの第一位。しょっぱあったかうま味。ズズーっ。
「大層な自信やけど、そやったら自分の曲歌ってみんか? ロック、好きだって聞いたで」
「口軽いなぁ」
「嘘つけんからなぁあの子」
気を付けないと。まぁ隠す事でもないからいいんだけど。
しかし、ふむ。コラボ……というか、春藤さんはライバーではなくクリエイター側のギタリストなので、普通にボーカル依頼のようなものか。
確かにわたしはロックが好きだ。オールドロックンロールとメタルが好きだ。付随する激しいロックが基本好きである。
「頷きたい」
「頷いてくれんのか」
「HANABiさんが泣くかもしれない」
「なんじゃそら」
そう思うのもまぁ無理はない。わたしとHANABiさんは他のボーカルと作曲者の関係から見れば、少々重すぎる関係だというのはわかっている。正確にはHANABiさんがめちゃくちゃ重いのだという事はわかっている。
わかっているが、ううむ、わたしあの人のあの在り方が好きなんだよな……。
「じゃあHANABiも巻き込むか」
「あれ、知ってるんですか?」
「昔一緒に仕事した事があってな。所謂"歌い手"の大合唱のヤツでさ」
「へぇ」
知らなかった。オタク敗北。
不思議はない。HANABiさんも、そのアングラ寄りの動画投稿サイト出身だから。
でも、知り合いなら……いけるかも。
「ちょっとHANABiさんと相談してみますね」
「おうおう、頼むわ。ついでに今フレンド送っといたわ」
「はーい」
フレンドリー&スムーズ。円滑なコミュニケーションの取れる人間は仕事がしやすいね。
うん、こういう出会いがあるのなら。
これからも、ちょくちょく顔を出すのはアリだな、と。結論付けた。
〇
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それは翼から。
謙遜が美徳であるなどと、欠片も思っていない。
歌が上手いと言われたらありがとうと返すし、声が綺麗だと言われたら嬉しいと返す。そんなことはない、なんて絶対に言わない。まだまだだよ、なんて口が裂けても言わない。
だって、わたしなら。
わたしなら、自分が褒めた相手が素直に称賛を受け取らないなんて──不快だ。不快。嫌だ。嫌いだ。だって、褒めているのはわたしだから。わたしが褒めているのだ。わたしが讃えているのだ。それを、そんなことはない、などと。
否定をするな。わたしの感性を、わたしの感想を。
そう思う。だから、わたしは謙遜をしない。相手に謙遜をさせたくない。
……HANABiさんに出会ってから、この感覚はより強くなった。
HANABiさんは凄い。イラストを描ける。楽器が出来る。音声編集もできる。文章も書けるし、動画編集も出来る。いくらかまだ出来ない事はあるけれど、自分の作品の幅を広げるための努力は決して怠らないし、それを苦にも思っていない。無理矢理覚えているのではないのだ。自身に習得できる自信があるから、貪欲に技能を求める。
わたしには無いものだった。才能という言葉で置き換える事が出来るほどの自信。自分はなんでも出来るのだという、どこまでも傲慢な才覚。
わたしとて、自身の得意な分野──それは歌にまつろうあれこれであれば、自信がある。それについて遜るつもりはないし、真実劣るつもりもない。しかし、出来ない事は出来ない。
だから、わたしはわたしに出来ない事が出来る人を、心から尊敬する。憧れるし、称賛するし、評価する。
HANABiさんはその最たる人なのだ。
感覚としてはわたしと同じなのだろう。つまり、わたしにとっての歌。彼女にとっての得意分野が──"創作"というジャンルそのものであるのだ。彼女は自らが歌う事以外の表現方法において、絶対の自信を持っている。
だというのに。
だというのに、彼女は面と向かって褒められると、それを覆す。世間からの評価であれば、礼は言えども誇りさえしない彼女は、しかし。わたしが褒めると、決まってそんなことはないと言うのだ。
少々。多少。否、多大に──不愉快だった。それは。親友と言えど、身内だからこそ、受け入れられないスタンスだった。わたしはわたしに自信がある。わたしはわたしの感覚が素晴らしいものであると信仰している。だから、わたしの感覚を否定するHANABiさんが──許せなかった。
まぁ。
許せなかった、である。許せない時期があった、とも言い換えられる。
「懐かしいですね。初めての喧嘩でしたっけ、それ」
「うん。会ってから半年も経ってなかったよね」
「いきなり冷たい声で、"ねぇ、それやめてくれない?"なんて言ってくるものですから、割と焦りましたよ」
「嘘。"……あぁ、嫌いなんですね。こういうの"って言ったじゃん」
「い、言ってませんけど!?」
都合、真っ赤なウソである。欠片も真実が混じっていないから堂々と言える。
初めての喧嘩だった。意気投合して、HANABiさんのマンションに入り浸るようになってからの、初めての喧嘩。といっても一日と経たず……というかその場で終了したそれだけど、久しぶりの"不快"という感覚は……なかなか、心地の良いものだった。
身内にでないと。相手が発信者でないと。わざわざ怒ったりしないから。
「でも今でも謙遜するよね、HANABiさん」
「これでも治ってきた方なんですよ? 杏さん以外になら、褒められたときはちゃんと嬉しく思うようにしました」
「あぁ、そこに関しては平行線だからね」
パズルのピースのような話。わたしが、自身に出来ない事が出来る人を尊敬しているように、HANABiさんもまた、自身に出来ない事……理解さえ出来ないという歌が出来るわたしを、心から尊敬していた、というコトなのだ。
HANABiさんにとって、自身の才能……創作という得意分野のすべてを以てしても、わたしの歌には到底及ばないと。そう感じていたから、わたしに。とりわけわたしに褒められた場合のみ、否定をしていたのだと。
「これは、私の感性ですから」
「平行線だね。理解が得られないと理解しているのだから、それ以上は求めないよ」
そういう意味でも、わたしとHANABiさんは比重の高い相棒だと思う。互いが互いに欠けた最高を持っていて、その欠けた部分が他の尖った部分と丁度合致した。パズル。あるいは、ニコイチ。互いに1.5。
故にもうHANABiさんを許せないとは思わない。そして互いに補える部分が明確になったから、よりわたし達は仲良くなったのだ。
「それで、春藤さんの件はオッケーで返していいの?」
「……険悪になってもいいのなら」
「仲悪いの? 春藤さん側はそういう風には見えなかったけど」
「いえ、その……作曲家同士の合作って、傷の付けあいなんですよ。モース硬度式なんですよ」
「合作してる時に空気悪くなるって普通じゃない? わたし、雪ちゃんとデュエット出すとき終始喧嘩してたよ」
「理解があるのなら、大丈夫です。あ、わたしはチャットのみの参加でお願いします」
あぁ、仲が悪いわけではないけど、良いわけでもないらしい。そういう風にしてるから同業者からも性別知らないとか言われるんだと思う。まぁ性別なんて、どっちでもいいのは事実なのだけど。
先日フレンドになった春藤さんへ、SNSツールでOKを返す。とはいえスケジュール調整はマネージャーさんの仕事で、わたし達が勝手に決めるものではない。NYMUちゃんとのカバー収録もあるし、くわえて近々PV……MVではなくDIVA Li VIVAのとあるPVに関する撮影をお願いしたい、という話も来ていて、結構忙しいのだ。
平日はわたし、普通に仕事だし。夜な夜な、こうしてHANABiさんの部屋に寝泊まりに来ているとはいえ、だけど。
「そういえば一枚絵できましたよ。折角なんで、SNSで蔓延してる泣いた髑髏を随所にあしらってみました」
「流石」
「あんまりグロテスク寄りの絵って描かないんですけど、面白いですね、人体の図解本って」
「新しく買ったの? HANABiさんなら、無くても描けそうなのに」
「描けますよ。でも、折角先人が見本を残してくれているんですから、イチから私の中に構築するより、上澄みを模倣した方が早いじゃないですか。アレンジもしやすいですし」
「オリジナルに拘らないのはHANABiさんの強みだね……」
自身の作品を高めると判断した表現は積極的に取り入れる。この人が新しい技術の習得にそこまで長い時間をかけないのは、こういう基本姿勢に由来するのだろう。
「完全オリジナルって利点ほとんどないですよ。井の中の蛙大海を知らずってやつです。全世界の海を泳ぎ切った蛙の方が、私は好きですね。強い個体です」
「浸透圧で死んじゃわない?」
「克服した個体なんでしょうねぇ」
それは既に蛙ではないような。
「オリジナリティというのは、沢山の……無数の他者の作品を自身に読み込ませて、いるものといらないものを分別して、アクセントとして自身のアイデアを加えたものを言うんです。そうすることで、自身の発想が何と似ているか、何と違うのか。異質なのか、平凡なのか。そういう世間の基準、みたいなものが見えてきますからね」
「世界中の音楽を熟知していたら、全く新しい音楽が作れる?」
「もう残ってないんじゃないですか? 多分100年くらい前までに出尽くしましたよ。あとはアレンジの世界です。"新しさ"ではなく"違和感"を目指すのが現代のクリエイターですよ」
視聴者はそれを新しさと錯覚してくれますからね。
なんて。HANABiさんは、少し悪そうに笑う。悪そうというか──愉快そうに。
「まったく違う文化の……宇宙人やら異世界人やらが来てくれれば、創作文化は新しいステージに行けると思いますけど、現状の文化基盤から生まれる芸術創作のシンギュラリティはもう来ないんじゃないですかねぇ」
「HANABiさんでも無理?」
「無理かどうかは知りませんけど、やりません。本当に新しいものって、その時代においては評価低いんですよ。後世において評価されることはありますけど。私が杏さんと目指したいのは、今の最高のその先です。正直、私が死んだ後の評価とかどうでもいいですから」
「それは確かに」
終わった後の評価を気にする程、わたしも焦ってはいない。
「死んだ後に何かに生まれ変わって、わたしの評価を眺められるなら話は別だけどね」
「転生してもエゴサするんですか。まぁ私もすると思いますけど」
「芸術家とか哲学者はみんな生まれ変わったらエゴサしそう。自己顕示欲しかないじゃん、歴史に名を遺すクリエイターって」
「偏見が酷すぎる」
あ、そういえば。とHANABiさんは手を叩いた。
PCに向かっていた体を椅子ごとくるりと回して、言う。
問う。
「杏さん、もし生まれなおす事が出来たら。人生をやり直すことが出来たら。どんな人生を歩みたいですか?」
「世界を半分くれてやる系?」
「この間SNSで話題になってたんですよ。心理テストです」
高校生の昼休みみたいな話題振りである。しかも入学直後。まだ仲良くなり切れていない時間。
……くわえて、多分これ心理テストじゃないなぁ。
「やり直したくないね。わたしは今の人間関係をリセットしてまで得られるものがあるとは思えない」
「おお……!」
「わかった。相性テスト」
「はい。ちなみに私だったら、もっと早く杏さんにコンタクトを取る、という人生を歩みますね」
「相性は?」
「親密度0%です。相性最悪」
「へぇ、良いね」
じゃあやっぱり、ニコイチだ。
同じ感性を持つ二人より、違う感性の二人の方が、幅も広いだろう。HANABiさんもそれが狙いだったらしく、嬉しそうに笑っている。わかってて聞いたのだ。ずるい人。
ずるい人だ。本当に。
本当に──可愛らしい人だと思う。思った。
思っただけ。
●
バーチャルの世界というのは、基本的には肯定意見の世界だ。
害意を持って侵入してくる者もちらほらいるが、あくまで基本の話。視聴者と呼ばれる人たちと、ライバーと呼ばれる人たち。それらは互いにリスペクトしあって、好き合って世界を形成している。
それはかつてアングラ寄りの動画投稿サイトにあった"コミュニティ"という文化と同じもの。こちらでいうチャンネルの主と、それを囲う視聴者。今や世界中にあるオープンな生配信・生放送においても、同様の文化が見られる。
所謂、内輪ノリというヤツ。
自身に関係する創作へのハッシュタグを決めたり、アニメラジオのようなオリジナル挨拶を作ったり。
それは決して悪い事ではない……というか、むしろ積極的にやった方が良いとわたしは思っている。
新規視聴者の獲得は大事であるけれど、それに向けたコンテンツというのは、既存視聴者にとっては酷くつまらないものになりがちである。ゲームの中盤にいきなり序盤のチュートリアルが挿し込まれる感じ、と言えばわかるだろうか。
すでに出来上がった雰囲気に水を差すような、折角獲得した視聴者を手放すようなコンテンツ作りでは、本末転倒であるのだ。
これは前に述べた宣伝力にも関係する話。
呼び込むのは外でだけ。内側では魅せる事に集中する。それが内輪ノリというもので、囲いというものになる。大事なのはその空気感を「楽しそうだ」と思わせるコト。内輪ノリを含めてコンテンツ化し、自身でコントロールすることである。
あるいはわたしが皆凪可憐であった時にやっていたような──視聴者の名前を覚える、という事も。
一対一の個チャでもない限り、発信者に対して視聴者の数が多くなるのは当たり前だ。というか、基本的には一対多。その多が十だったり百だったり千だったり万だったりの差はあれど、沢山の視聴者を相手にするのが発信者というものである。
だから全員を覚える事は無理だ──と、思われがち。
実際は。まぁ、得意不得意はあるだろうけど。
案外、覚えている。覚えられる。しっかり見ていれば。
このアイコンの名前を当てろ、みたいなクイズに答えられる自信はないけれど、この人が自身の配信に来たことがあるかどうか、くらいは漠然と、ぼんやりと、曖昧に、覚えているものだ。
そうなってくると、今度は自身の無意識がその名前のコメントを多く拾い始める。印象に残るコメントを残す視聴者側の技術もあるのだろう。そういうコメントを残してくれる時点で、その視聴者の囲いは成功しているのだが。
ともかく、そうして発信者がコメントを拾い始めると、今度は視聴者側が気持ちよくなる。他者との会話なんて自己顕示欲の満たし合いに他ならない。親しさの度合いによって、満ちる度合いも変わってくるが。
名前を覚える。それが"内輪"の形成に必要な要素の一つになるのである。
「……まぁ、それが反転したらどうなるか、って話だよね」
MINA学園projectの配信。先日家に来た遥香さんと梨寿ちゃんのコラボ配信。
あの二人は姉妹だけど、キャラクターとしての苗字は違う。最初は姉妹だと明かしていなかったためだ。一周年記念の時に明かしてからは、視聴者もそういうものだ、と受け入れてくれているけれど。
3Dモデルを用いた生配信。流石に動画収録の機材より幾分かグレードの劣るのだろうカメラでは、結構な頻度でモデルの崩壊が起きる。それもまたご愛敬。
さて、今。
遥香さんと梨寿ちゃんは、二周年記念にやりたいこと、についての雑談を行っている。視聴者の意見も取り入れていくというヤツで、来場者数は1.3万人と、それなりに多い。
その、流れていくチャット欄。
ものの見事に。
「その三点リーダはどういう意味なんだろうね」
見たことある人ばっかりだった。
今はそんな流れじゃないというのに、可憐の名前を出す人が。「ナギさん……」「可憐ちゃん……」と名前だけを投稿する人ばかりが。
続くのは戻ってきてほしい、なのか。帰ってきてほしい、なのか。
本当に──。
「愛されてるねぇ、可憐」
なんともまぁ、可哀想に。そう思った。
〇
──"さて、もうすぐ二周年記念が迫っているわけだけれど、歌はやるとして、他なんだ。私は罰ゲームのある……敗者の出る企画をやりたいのだが、何か良いアイデアはあるかな"
──"運動会。うんうん、梨寿が確定罰ゲームだね。クイズ大会。うんうん、梨寿が確定罰ゲームだね。凸待ち? あー、敗者は出ないけど、それは良いアイデアかもしれない"
──"逆凸……ゲスト? おいおい、これは私達の二周年記念だぜ? 外部に目を向けすぎじゃあないか?"
──"それとも──誰か、呼んでほしいやつでもいるのかい?"
●
ぶっこむなぁ、と。遥香さんは、ニヤニヤした笑みを浮かべて言う。彼女の意思がわたしに向いていないと、何故だろうか。めちゃくちゃカッコよく見える。これはわたしの感性というよりオタクの感性だ。強キャラ感がパない。っぱねー。
ヒッヒッヒ、という魔女か何かと聞き紛う引き笑い。その笑いは、隣にいた梨寿ちゃんの肘鉄によって強制的に黙らされた。ドゴッという音がして、遥香さんのモデルが斜めに捻じれたまま停止する。あぁ、見えてはいけない部分が見えてしまっている。まぁ、モデルの中身は空洞なのだ。
カメラ前に戻ってきたのだろう*1、よっこいしょういち、と遥香さんが体を取り戻す。
──"冗談だ冗談。ああでも、これだけは言っておこう。君たちが呼べと言ったんだからな、とね。言質は取ったぞ、と"
──"ひひ、二周年記念なのに、まったく関係ないヤツが来ても文句言うなよ?"
嬉しそうに。
楽しそうに。
笑う。その不穏さに、コメントは「え?」とか「もしかして……」とか「実現できるの?」とか。まぁ、様々。困惑と期待。あと杞憂かな? どの道、その思考の先にいるのは皆凪可憐か、あるいはHIBANaなのだろうけど。
まぁ、多分。違う。
この人は。本当に。本当に、まったく関係のない、何の関係もないヤツを呼ぶ気なんだと思う。それが実灘遥香という人間だ。本当に関係のない人を呼んで、「だからしっかり釘を刺しただろう。文句を言うなよ、ってさ」なんて言って、笑うのだ。
──"驚けよ、諸君。私は君たちが思っているよりすごいヤツなんだぜ"
遥香さんは、あるいはどこぞの影法師よりも深く、高く、口角を上げて微笑んだ。
●
どうやっても、終わりというものは来る。
企業所属のライバーというのはそれが案外明確だ。個人のライバーは言ってしまえば気分次第で活動をやめるから、本人次第では半永久的に続けられるし、ちょっと嫌なことがあった程度で辞める事もある。
しかし企業ライバーはそうではない。無論嫌なことがあって、あるいは生活面に支障があっての活動休止はあるだろうけれど、基本、企業に属するライバーは契約によって終わりが定められている。
バーチャル界隈はまだ若く、いくつかある企業もまたベンチャーであることが多い。
そのため、企業のライバーはほとんどが一年契約で、続ける気があれば更新で、という風な形を取っている所が多いだろう。
一年。一年だ。
一年後には大学へ行くから。一年間だけなら頑張れそうだから。一年後には、就職をするから。
ひとつの区切りとしての、契約。
「だから、もうすぐ一周年ですね、ってコメントが……微妙にストレスなんですよ」
「現実を突きつけられるから」
「そうです。正直V始めてから、人生楽しくて。最初はゲームやってればお金貰える、みたいな浅はかな考えだったんですけど、最近は……なんだろ、人に見られて、肯定されて、認識されてるってのがめちゃくちゃ楽しいんです」
「でも、もうすぐ終わっちゃう」
「うっ……」
DIVA Li VIVAの休憩スペース。
そこに、暗い顔をした少女が座っていたので、とりあえず話を聞いてみることにした。あそこまで思いつめていたら、流石のわたしでも声を掛ける。
少女は高校生らしく、学年は三。大学受験はもう受かったとのことだったが、それはストレスの解放にはならなかったらしい。
「まだ発表してないの? 辞めるって」
「……言い出せないんです。怖くて……だってみんなは多分、引き留めてくれるし、でも、無理に笑って送り出してもくれる。怖い。今のままがよかった。終わりなんて考えない方が、ずっと」
肩を抱いて。少女は震える。
一年の契約。それを更新するという事は、続けるという事。
「続ける選択肢は取れないの?」
「……受かった大学は、寮制なんです。第二志望だったから」
「んー」
「言い出さないといけないのはわかってるんです。最後まで言わずに、手紙だけ残して……っていうのは、ちょっと、自分としては、みんなに不義理だから」
「不義理」
不義理と来たか。
随分と、配信活動に救われたらしい。まぁ多感な時期だ。悩みが視聴者を通じて解決することもある。あるいは、配信を行うという……違う自分に本来の自分が感化されて、本来の自分が変わることもある。
「……HIBANaさんは」
「そうだよ。一回辞めて、新しく活動してる」
「……前の……ファンの人達に、何か思う所か……ないんですか?」
「思う所? それは、申し訳ない、とか……そういうこと?」
「……はい」
申し訳ない、ねぇ。
「全く。わたしは視聴者のために活動していたわけじゃないし、視聴者もわたしのために見に来ていたわけじゃないと思ってるから。どっちが上とか下とかないでしょ?」
だから。
「君が覚えてる感謝とか、義理とか。それは大いにぶつけてやればいいと思う。視聴者を沢山泣かせて、君もたっぷり泣きなさいな。でも、申し訳なさはいらないと思う。言い訳をする事なんて何もないし、後ろめたくなる必要もない」
だって。
「楽しかったんでしょ? ならいいじゃん。楽しかった事が終わるのは、誰だってつらいし誰だって嫌だよ。嫌だってみんなに言って、つらいって訴えて、ありがとうって言ってお別れをする。最後は楽しく終わりたいとか、最後は笑って終わりたいとか、カッコつけようとするから悩むのさ」
いいかい。
「終わりを楽しむんだよ。悲しい事も寂しい事も、嫌だって感情もエンターテイメント。納得なんてしなくていいよ。時間の流れを恨むと良い。それがすべて、君の魅力になる」
ついつい楽しくなっちゃって、語りすぎた感じはある。
少女はポカンとした顔でわたしを見つめて。わたしは喋りすぎて口が乾いたのでアイスティーを飲んで。
これだけ表情が豊かな子だ。この子の視聴者も、それを求めてきているのだろうし。
「……辞めたくないです」
「うん」
「辞めたくないんです。もっと続けていたい」
「うん」
「嫌なんです。みんなと離れたくない……!」
「うん」
とうとう、涙が零れた。悩んでいたのだろう。秘めていたのだろう。
でも、わたしは少女の頭を撫でたり、背中をさすったりはしない。
ここで慰めるのは──あまりにも。
勿体ない、と思ったから。
「この後、撮影とか入ってるの?」
「い、いいえ……」
「そ。じゃあ今日は帰りなさいな。家に帰って、ベッドの上じゃなくて、パソコンの前に座って悩むと良いよ。君じゃなく、配信者として悩むと良い。それで、出てきた答えを選ぶと良い」
「……なんだか胡散臭い占い師みたいですね」
「憧れる?」
「いいえ、全くです」
へぇ、強がるじゃん。
いいね、ちょっと評価高いよ。ニジュウマルをあげよう。
……まぁ、人生の先達として、これくらいならね。なんならこの子も転生するかもねぇ、なんて。
その時は是非、対談しよう。
「HIBANaさん」
「うん?」
「曲、聞かせてもらいますね。帰ったら」
「ヘビロテしてくれていいよ」
Good Luck.若者。
応援しているよ。
〇
──"ということで、ボクは三月を持ってVtuberを引退します。多分卒業配信でもガン泣きするんで、よろしくお願いします"
──"それと、相談に乗ってくれた諸先輩方及び後輩ちゃん"
──"ありがとうございました"
〇
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それは目線から。
自治と杞憂は、コンテンツの成長において切っても切れないワードである。
視聴者が増えてくれば増えてくる程、そういうヤツが現れる……という認識をされがちであるが、そういうヤツはそもそもそういうヤツ、という方が正しい。これについてはほとんど運だ。そういうヤツに序盤に目を付けられてしまったら、新規視聴者の獲得が難しくなる。配信者が窘められれば多少は改善もしようが、新人である内は自治も杞憂も大事な視聴者と誤認しがちで、中々注意喚起が出来ない事も多いだろう。
彼らは自身らの認識──感覚が他と違う事に気付いていない。
"推し本人のために推している"という感覚があるのだ。だから、嫌な意見に噛みついて推しを守ろうとしたり、推しが燃えないようにコントロールしようとしたりする。視聴が自分のためでなく、配信者のためになっている典型例。これもまた、踏み込み過ぎ。
今、MINA学園projectの配信ではまさにそんな……彼女らのためを思って視聴をしている誰かさん達による、大論争が繰り広げられていた。
●
「……」
「……」
HANABiさんの仕事部屋で、今日も作品制作に精を出す。
といってもわたしは片耳イヤホン、HANABiさんも片耳ワイヤレスホンと、半分くらいは視聴に体を向けているから、集中力はそこまででもないのだけど。あぁ、HANABiさんに関しては、動画を見ながら音楽を聴きながらゲームをやりながら絵を描きながら文章を考えながら動画編集をしながらTVを見ながらお菓子を食べていたりする事がよくあるので、あれでも集中は出来ているのかもしれないけれど。
視聴しているのは、MINA学園projectの配信……の、アーカイブ。
とてもじゃないが。
とてもじゃないが、今のMINA学園projectの生配信を見る気にはなれなかった。彼女らに非は一切ない。見る気になれないのは、チャットのせい。
「荒れてますねえ」
「上位チャットしか見てない」
「名前を出すのをやめろとか、ちゃんと清算してからイベントやってくださいとか、単純に面白くないからやめろとか、初期の頃の方が好きだったとか……」
あーあー、とHANABiさんはマウスホイールをぐりぐりやりながら、呆れたような声を出す。
アーカイブ化して上位チャット*1を見ていないと、オタク精神上色々とキツい。別にこの視聴アカウントは可憐でもHIBANaでもない、何の関係もないアカウントなので誰をブロックしようと特に影響はでないのだが、単純に目にいれたくないという話である。
単純な荒らしや否定であれば、特に何も感じない。何も覚えないのだが、こういうファン同士の争いは……見た事のある名前が沢山いるから尚更に、冷たい感情が湧き上がってきてしまって純粋に配信を楽しめなくなってしまう。可哀想だという感情が出てきてしまう。
だから、生配信ではなくアーカイブで、見えない状態での視聴をしているのだが。
「しかし、いつになっても遥香ちゃんと雪ちゃんは恐れを知りませんねぇ」
「遥香さんは楽しんでるだろうけど、雪ちゃんは多分辛く思っていると思うので一緒にしないで欲しい」
「厄介オタク!」
やはり遥香さんからの連絡は来ていない。アミちゃんからのメッセージも止んだし、千幸ちゃんと雪ちゃん、梨寿ちゃんは動きなし。演者としては、もう終わりかな、なんて思っている。先ほどあったコメントに倣うのなら、清算はしたかな、という。
コメント欄は凄惨たる有様だけど。
「メンバーもやっちゃってますから、流れ的にもうどうしようもないんですかねぇ」
「メンバーは"自分たちは大丈夫だ"っていう謎の自信を持ちがちだからね。特別感は省みる事を忘れさせるドラッグだよ」
「お金払ってるから許される、みたいな認識の」
「それが無意識でね」
お金って怖いね。
「明日、NYMUちゃんとの収録日ですけど、モチベ大丈夫です?」
「そりはだいじぶ」
「そりはよかたです」
ソーリーソーリー。
目に見えて不満顔だったかな、気を付けよう。
そういえば、荒れまくっているMINA学園projectの配信とは打って変わって、HIBANaに関する投稿は静かなものである。自治と杞憂をする"見た事のあるアカウント"を先ほど槍玉に挙げはしたが、ちゃんと、といえばいいのか。
"元気にしてるなら、それでいいや"という、HIBANaの名前も出さなければ、ファボやRTによる空リプですらない、このアカウントがかつて可憐推しをしていた、という事を知らなければ何に対しての投稿なのかわからないそれを見て、ありがとう、と思ったり。
HIBANaのデビュー前まで可憐のファンアートを描いてくれていた絵師が、当たり前のようにHIBANaのファンアートを描いていてくれたり。
それは素直に、嬉しいと思う。
「いいですね」
「うん?」
「なんか。みんな、感情で動いてるんだなぁって。私も感情で動きがちですけど、客観視すると……たくさんの人が、自分を律せずに言葉を吐き出して、誰かを傷つける事を厭わない」
「野性的だね」
「はい。人間らしくてとても興味深いです」
コンテンツだ。あるいは、研究対象か。
オタクとしてではなくクリエイターとして。あるいは勉強家として。人間は理性の生き物だ、という言葉を真っ向から否定する様相が、面白いという感情。概念。
倫理観や価値観を切り離して思考ができると、そういう側面も見えてくる。なんとも、まぁ。
「第三者が一番悪辣って話だよね」
「火事を対岸で眺めているだけの人間なんて、ロクな性格じゃあないことは確かですよ」
それはそう。部分的にそう。
「あの頃の純粋なHANABiさんはどこへ行ってしまったんだろうね」
「私、杏さんより年上なんですけどね」
あの頃っていつだよ、という話。
●
反対に、というと少々語弊があるけれど、コンテンツには擁護……もう一歩踏み込んで、信者という言葉も付き物である。並んで、配信者を教祖、とも。
とりわけ日本人は宗教に対するイメージがマイナスになりがちなので、これら二つは揶揄に使われがちではあるのだが、実際、配信と宗教の類似点は大いにあると思う。
宗教……特に教会というのは、普通であることが求められる。
特別ではいけない。特別だと、手を差し伸べてもらえる存在ではないと思われてしまう。手の届かない存在だと認識されて、敬遠されてしまう。
劣っていてはいけない。粗があれば同等だと思われてしまう。自分たちと同等だと、頼る必要のないものと認識されて、見向きもされなくなる。
故に、なんでもない必要がある。普通である必要があるのだ。誰もが異端を持ち、誰もが辛苦を持っている。だからこそ、なんでもないものを見ると、心が惹かれる。拠り所として機能する。上でも下でもないから、心が安らぐ。
配信者。とりわけ生配信を行うライバーは、これに似ている。
特別感はあろう。特別なことができる者の集団ではあるのだろう。だが、欠点や欠落も多く、とても人間らしい。中身が演者なので当然だが、それは"創作物のキャラクター"や"特別な面だけを見せる動画投稿者"には中々見られないものだ。
完璧に釣り合っているわけではない。完全に均衡がとれているわけではない。
だが、それが。そのプラスマイナスが、なんでもなさに通ずると……そう思う。
普通なのだ。彼らは。特技があって、苦手があって、会話が出来る。
その点においては、ライバーは他の何よりも効率的な存在であると言えるだろう。
「好き、ってことをね。言うようにしてるんだ」
言う。発する。発言する。NYMUちゃんは、恥ずかしそうに、ではなく。嬉しそうに。
少しだけ、誇るように。
「前も言ったみたいに、あんまり他の子に対しては好きって言えないから、その分。音楽とか、アニメとか、ゲームとか、服とか、天気とか、色とか……好きだと思うものを、ちゃんと、配信で好きって。そう言うようにしてる」
隠さない事を自慢しているわけではなく、好きだと言うことを喜んでいる。凄い、と思ったし。憧れる、と思ったけれど……それ以上に。
恐ろしいと思った。無理だと。この子の世界観に、わたしは立ち向かえない。
「怖くない? 自分を晒す事」
「怖くないよ? 私さ、知ってもらう事が好きなんだと思う。自分の好きなもの。自分の思ってること。やりたい事とか、行きたい場所とか」
「金髪ちゃんは……NYMUちゃんなんだね」
「知らなかったの?」
……わたしとは、全く別の星で生きてきたのだろう。いや、どちらかというとわたしの方が異星人か。
少しくらいのキャラ作りはしている。配信ではもっとはしゃいでいるし、もっと声を伸ばすし。だけど、素の部分。パーソナルな部分をさらけ出す事に、躊躇がない。──容赦がない。
これは勇気のあるなしとか、臆病とか、そういう話じゃあない。
演じる必要がないほど──この子自身が。この子の人格そのものが、コンテンツになるという価値を。
「お姉さんは、好きな色ってある?」
「……好きな色」
皆凪可憐の衣装は、白いのが多かった。白とオレンジ、アクセントに深緑。でもそれはわたしの趣味じゃなくて、モデラーの趣味。HANABiさんではなく、MINA学園projectのクリエイターが作り上げたモデル。
HIBANaは真っ黒だ。影法師が良いと言ったのはわたし。だけど、影法師が良かったのであって真っ黒が好きというわけじゃあない。
好きな色。
「……無いかなぁ。色に対して、好きという概念が働かないというか」
「好きな食べ物とか」
「それも、特にないなぁ。強いて言えば美味しいものが好き」
「好きな天気は?」
「天気予報通りの天気」
自分の事をつまらない人間だ、とは思わない。単純に興味のある物以外に対して、好悪の感情がないだけだから。その分音楽に関しては強いこだわりがあるし、バーチャルについては長時間語れる、と思う。
それを、可哀想と思うだろうか。わたしを、助けてあげたいと思うだろうか。彼女は。
彼女は。
「じゃあ、お姉さん。私の事、好きですか」
「好きだよ。金髪ちゃんも、NYMUちゃんもね」
「やっぱり」
──ああ。そうか。だから。
「私ね、お姉さん。Vtuber始める前は、普通の子だったのです。配信もしないし、歌も録らないし、面白い事もやらないし。当たり前なんだけど、当たり前だった……普通だった」
わたしがNYMUちゃんに憧れた理由。
心が惹かれた理由。
この子が、界隈最大のファンを擁している理由。
「やっぱりすごいよ、金髪ちゃん。金髪ちゃんは、今でも普通を続けていられるんだね」
「うん。今の私にとって、今の私が普通なんだって、知ってるんだ」
凄くて、怖い。
あまりにも──眩しい。余りにも、尊い。特別なのだ。わたしは。わたしが演じているものは。わたしは、可憐も、HIBANaも、特別として演じていた。優劣じゃない。善悪じゃない。ただ、だから、という理由。
わたしもまた、普通に惹かれる人間だった。
「普通と特別の中間って何だと思う?」
「うーん……最高、かな」
「いいね。じゃあ、それで行こう」
最高のものを作ろう。それが、わたしとNYMUちゃんの中間であるのなら。
●
──"異種族系Vtuberって9割が設定らしいな"という投稿を見て、思わずいいねを押した。
Vtuber、加えてバーチャルシンガーにも、人間じゃない人がチラホラいる。まぁ、設定。キャラクターとしての設定だ。バーチャルの良い所として、やっぱりモデルの多様さは外せない。人間ではありえない身長になったり、泡みたいになったり、分身したり、耳や尻尾が生えたり。
それらはすべてロールプレイという形で行われ、例えば尻尾の感覚。例えば変身の苦労。人間社会への不満など、「この種族だったらそういう事に不満があるだろうな」ということを、あらかじめ設定しておく。中にはリアルタイムで……喋りながら設定を考えて、それを矛盾なく整えられる天才もいるけれど、基礎の基礎のような下地は作っておくのが何かと便利だ。
HIBANaは影法師で、ファンアートから涙を流す髑髏の設定が加えられた。逆輸入というやつだ。これは使える、とHANABiさんが思ったらしく、設定画に髑髏時の姿が描き加えられていた。
「ボイスメモで使ったワタシっていうちょっと変な発音の一人称、どういうイメージで選びました?」
「んー……いにしえのドラキュラ伯爵、みたいな」
「なるほど」
HIBANaは配信活動をしない。だから、そこまで細かに作る必要はない……と思うだろう。思う人もいるだろう。
しかし、わたしもHANABiさんも──オタクだ。オタクは凝り性。
「折角だから動画のストーリー感とか出したいですよね。個人的にはあの動画はデビュー曲にして最終局面ってイメージです」
「じゃあタワーに辿り着くまでの道筋が次回作だね。それで、なんでタワーに行くかっていうのはまだ明かさない感じで」
「時に杏さん、確かスクリームできましたよね」
「出来るけど」
「次の、めちゃくちゃ悲しい感じにして、入れましょう」
「り」
こんな風に、設定を決めながら次回作の構想も立てていく。既に曲は出来上がっているらしいが、そこはHANABiさん。フレキシブルに要素を増減できる。その分ある程度練習した後の変更だとわたしへの負担がものすごいのだが、そこはそれ。より良い物を作るのに、苦労はいくらしたって良い。
「家族関係はどうします? あの何もない空間にいたの、誰にするとか」
「あれ、ぬいぐるみじゃないの?」
「ぬいぐるみでももちろん良いです。……ぬいぐるみにするのが一番丸いですかね」
「家族は、もう覚えていない、がいいかなぁ。その方が喪失の悲しみが大きそう」
「了解です」
イラストを一つ描くたびに三面図まで描いて、小物であればモデルに手を出す。効率がいいのか悪いのか、少なくともHANABiさんの中では楽らしい手法で小物の3Dデータが作られていく。
指輪の装飾までしっかりやる。綿密に。綺麗に。
金属加工の技術を持たなくても金属光沢のある指輪が作れる。材料もいらなければ設備もいらない。モデリングというのは、バーチャルというのは、本当に凄くて──冒涜的だ。
「時代劇の映画で、武士の刀っていう小道具を用意するとき、わざわざ刀匠に一本一本打ってもらうと思います?」
「まさか」
「つまりはそういう事です。材質は金属光沢のあるものならなんでも。音は後からの付けたし。形は適当。流石に八百万の神々も、3Dモデルには宿りませんよ。まぁ凄まじく上手く出来た作品をして神が宿る、なんて言う事はありますけども」
「替えが利くから貴重じゃない?」
「替えが利くってことは、需要があるってことです。世界に一本しかない伝説の剣を戦いで使えますか? 耐久値の概念アリで。無理ですよね。勿体ないと思ってしまう。勿体ないと思った時点で、物の価値は無になります。そんなものは売ってしまった方がいいですね。誰かほしい人がいるでしょうから」
ただの球体だった灰色が、段々と形を持っていく。これは、ブローチだろうか。灰色のブローチ。一目でわかるレプリカ。いや、元の物がないのだから、偽物ですらない。
それは膨らませられたり削られたりを繰り返し、だんだんはっきりとした形になる。ディティールがしっかりする。
「職人が必要とされるのは、その人じゃないと作れないからです。職人の信念とか、歴史とか、伝統とか、そういうのは別に必要ありません。それを芸術と捉えるなら話は別ですよ? そういう人はそういう価値観があるので放っておいて問題ありません。とにかく、職人の技術を何かで代用できるのなら、職人に頼る必要がないんです」
縁の部分が黄色に塗られた。チープな黄色。しかしそれは、オレンジや白、メッシュなどが付け足されて……黄色から、金に近づいていく。ツヤ。光沢。影。そして、傷。
材質だけでなく、歴史まで作られる。仮想とはそういうものだと。
「ものづくりの技術って、大体の部分が耐久力とか、鋭敏さとか、まぁ硬さがメインになりがちなんですよ。硬度です。硬いだけじゃなくて、柔らかいも含む、硬度。ところがバーチャルには硬さの概念が必要ありません。モデルとして強固かどうか、って概念はありますけど、現実の硬度とは全くの別概念です」
今度は宝石の部分。緑色をベースに、透明感と奥行き、グラデーション。研磨された宝石の艶やかさも、縁付近の削れ具合も、周囲の映り込みも。さらに仄かなグロウ……光を発する仕様を加え、それ自体に何かが宿るように見せる。
「ですから、人類が培ってきたものづくりの技術は、ほぼ全て、バーチャルで簡単に再現可能です。昨今のVtuberのステージは読み込みなんかの関係上ベタ塗り……アニメチックになりがちですけど、楽をせずにリアリティを追求すれば、ほとんど現実と変わらない物体を作れますよ。その分時間はかかりますけど」
縁の金属に何やら文字を刻むHANABiさん。
作り上げられたそれは、大きさの微調整ののち、ぬいぐるみの首へと付けられた。エメラルドだろうか、大粒の宝石がついたブローチだ。
「限られた材料で再現を努力する小道具さん達も凄いとは思いますけどね。ただ、その努力をスキップできるのがバーチャルというだけで。どっちがいいかは知りませんけど、こっちの方が楽ですから。苦労しないで作られたものに価値はない、なんて言う人には時代遅れのレッテルを貼ってあげますよ。バーチャルは見た目の世界ですからね。結果がすべてです」
「苦労して結果が得られたらそれでいいし、苦労しないで結果が得られても別にいいって話であってる?」
「苦労しないで結果が得られる技術をVR界隈は評価する、が一番近いですかねぇ」
スパゲッティが煙たがられる、みたいなもんですよと、HANABiさんは笑う。
作られたブローチが再度出現する。それはコピーされ、増やされていく。他のエフェクトをかけたり、色相を変えてみたり、明るい場所や暗い場所で見てみたり。
本来は倍々の工程が必要なソレを。
「本来できない事が出来るのがバーチャルだって事ですよ。異種族の誕生も技術の短縮も同じことです」
「なるほど」
「これと似たものをHIBANaにもつけようと思うんですけど、杏さんって何色が好きなんですか?」
唐突に来た。
NYMUちゃんにも聞かれた。同じことを言う。
「……そこ、穴にしよう。金属部分は残して、空洞。そのままHIBANaの体も空洞で」
「ふむ。なるほど、それは……いいですね」
やめた。好きな色は無い、と答えるより、こっちのほうが良いと思った。
だって、折角バーチャルなんだし。無色の宝石はあると思うけど、胸骨に大穴が開いている人は中々いなそうだ。耳や口にピアス穴を開けている人くらいはいるだろうけど。
そこには無が嵌っているのだろうか。
「そもそも人間にします?」
「……デュラハンとか良いなって思ってる」
「ほう。影法師で、デュラハーン。影が晴れたら髑髏で、その髑髏もぽろりと落ちて……あ、じゃあ胸骨の穴から声が出ている風にします?」
「どっちも動くようにしよう。ただ、胸骨の穴の方は縦横変えて、少ししか動かないようにして」
どんどん設定が増えていく。もはや文化祭の前準備だ。ノリはしたけど、胸元の穴から声が出るってちょっとキモち悪くないか、とか思ってない。まったく。これっぽちも。欠片も。メイビー。
可憐の時に使っていたASMR用マイクで音を収録したら面白そうだな、とか思ったり。普通のスピーカーだと音の再現が出来なそうだなぁ、とか思ったり。
「ストーリーの方はこちらで書いてしまっても問題ありませんか?」
「うん。お任せする」
「了解です」
わたしはあんまり、ストーリー性というものにこだわりがない。わたしの歌を聞いて、聞いた人が勝手に何かを受け取って、勝手に背景とかを想像してくれればいい。HANABiさんの事だから伏線だの示唆だのをいっぱい仕込むつもりなんだろうけど、まぁそういうのは頭の良い人にお任せする。
出来る人が出来る事をやればいいと思う。
「NYMUちゃんとのコラボ、チェック終了して提出済みなんで、多分明日か明後日には投稿できると思います」
「ん」
「MINA学園projectの二周年記念もあと少しで開催ですね。リアタイするんですか?」
「んー……まだかんがえちう」
「もしリアタイするんだったら、ウチで見てってください。例の巨大液晶がようやく使えそうで割とウキウキしています」
「行けたら行く」
「来ない奴じゃないですか」
なんだろう、胸騒ぎがする、というか。
どうにも──わたしとMINA学園projectの縁が切れていなそう、というか。
遥香さんが、あんまりにも素直すぎて怪しい、というか。
もやもやした第六感のようなものを抱えて、あと眠いので、二月最後の日は静かに更けていくのだった。
〇
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それは。
NYMUちゃんとのコラボ動画が上がった。
初動再生数は上々。流石はNYMUちゃんの知名度、といったところか。加え、評価も凄まじく、評判もいい。
そして、まぁ。
「新人の宣伝のために無理矢理絡まされてNYMUちゃん可哀想」「やっぱ運営の意図が透けてると純粋に楽しめなくなるよなー」「NYMUにすり寄ってくるな」「NYMUファン吸収する気満々じゃん」「こっちは頑張って住み分けしようとしてるのに、コラボとかしないでほしい」「転生半月でほかの女に手を出すのか」「今のところディバの汚点にしかなってなくね? やめたら?」「皆凪可憐って誰? 無名のやつ出すなよ」
見本市である。
一部だけを抜粋したけれど、もちろんこれの何倍もの批判が集まっている。他、セクハラコメントも多数あった。そういうのはこの動画投稿サイトのポリシー違反に引っ掛けられるので、普通に通報を入れる。どこぞの匿名掲示板と違い*1、この動画投稿サイトの規約が存外厳しいという事を知らない人が多すぎるとは思っている。まぁ、規約を読まずに同意する人ばかりだからね。
見るからに捨てだろうアカウントも多数あったけれど、それ以上に目についたのは、MINA学園projectでよく見る名前。そりゃあそうだ。だってNYMUちゃんのファンの大多数はわたしになんて興味がない。HIBANaを絡めて批判する人は、わたしとNYMUちゃんの双方を知っている人になる。
片方を批判するために片方の擁護に回るのは、まぁ、フェイクニュースの流布や炎上の鎮火、他、情報の隠蔽など……とにかく不都合な真実がある場合によく見られる光景だ。そういうのは意図的であるけれど、こっちは無意識……というか、下位互換。"嫌い"をこき下ろすには、"好き"を持ち上げないと表現し得ない人間は結構いる。
NYMUちゃんだけを見たいのに、という層もいるだろう。それはNYMUちゃん側のファン。興味がないものに対して攻撃的で排他的になりがちなのは、知的生命体のサガだろう。人間だけじゃなく、ほとんどの動物が突然目の前に現れた"知らないモノ"に対して攻撃的だ。自身のパーソナルスペースから除去しようとしたり、威嚇したり、自分以外の仲間を先に行かせたり。
とにかく"未知に触れてストレスを覚えたくない"という感情は、まぁまぁ当然のもの。
自らがそういう行動をしていないか心配であれば、無理矢理にでもほかの側面に愛を持ってみる事だ。ニュースで流れる事件。SNSで叩かれている誰か。片一方に愛を持ち、相手を不快に思うのなら、相手を愛していると自己暗示をかけて考えてみると、違う真実が見えてくるかもしれない。
ま、オタクというのは愛の強い生き物だ。愛の強い生き物をオタクと呼ぶ、といった方が正確か。
そういう習性なのだ、と思うと面白くも思えてくるだろう。これに共感出来たら、おめでとう、批判を楽しむ感覚のステップを掴み始めているという事だ。第一歩、というヤツ。
なお、傾向が強いのがオタクであるというだけで、未知を排斥せんとするのはオタクだろうがそうでなかろうが関係なく同じである。不快をスリルに誤認して、自ら未知を求めに行く特異個体もいるようだけど。冒険家、というのがそれだ。
「お姉さんは、高いとこ得意? ジェットコースターとか」
「苦手。落ちたくなる」
「怖いんじゃないんだ」
「無意識に落ちようとする自分が怖い」
お疲れさまでしたの会、みたいな。なんとNYMUちゃんの家にお呼ばれして、プチパーチー。である。高校生の女の子の家に行くという一大イベント。NYMUちゃんのファンに刺されるかもしれない。そいつが本当にファンなのかどうかはわからないが。
ちなみにNYMUちゃんの家族はNYMUちゃんが最大規模のファンを擁するVtuberであることを知っているので*2、わたしが来ることはすんなり受け入れてくれたらしい。なんならわたしの歌を車の中で聞いたりしているらしい。ありがとうございます。
結構な頻度でNYMUちゃんはコラボ相手を家に呼ぶ。人によってはお泊り会配信なんてこともしている。HIBANaは配信活動を行わない、という事をNYMUちゃんにも伝えてあるし、流石に今配信をするとチャット欄がセクハラで埋まりそうなので、今回は自重する流れとなった。
「ほんとに泊っていかないの?」
「ワタクシシャカイジン」
「むぅ」
三月一日。日曜日だ。せめて昨日であれば考えない事もなかったけど、今日は無理。そもそも着替えなんか持ってきていないし。
NYMUちゃんは不満そうだが、もうすぐ春休みに入る高校生と違って社会人の三月は忙しいのです。確定申告終わってない奴がいるんです。わたしはそれを催促しなきゃいけないんです。
「わかってないけどわかった……じゃあ、乾杯しよっか」
「ん。それじゃ、収録お疲れ様でした」
「かんぱーい!」
こつん、とプラスチック製のグラスをぶつけ合う。もちろんお酒ではなく、ジュースで。余談だけど、NYMUちゃんのお母さんはイタリアの人らしく、そのままの見た目でVtuberになれそうな美女だった。耳が長かったらエルフかと思うくらい。日本語はあんまり上手ではないとのこと。わたしもイタリア語はあんまり上手じゃないのでお相子。
それにしても。
「ニコニコだね、金髪ちゃん」
「だって、推しが家に来たのです」
「オタクだね、金髪ちゃん」
好きなものを好きと言うようにしている、と言っていたっけ。
表情にもそれが表れるから、この子は可愛らしいのだろうなぁ。なんて。
「あのすっごい絵を描いてくれたHANABiさんにも来て欲しかったなー」
「あの人は仕事以外では外出しないから……今も作品制作してるんじゃないかなぁ」
「お休みしないの?」
「多分なんかアーカイブとか動画とか見ながらやってると思うよ。娯楽が仕事になってるわけでも、趣味が仕事になってるわけでも、その反対になってるわけでもなく……あの人は全部並列なんだよね。娯楽と仕事と趣味を同時に出来る」
「ほへー……」
正しい反応である。わたしも初めて仕事場を見たときは、何やってんだこの人と思った。
本人曰く、それが一番集中できるらしい。マルチタスクだから、余ったタスクを他で埋めないと要らない事を考えてしまうらしく、集中したいことに集中できないのだとか。シングルタスクとマルチタスクはそれぞれに一長一短である、というコト。
忙しくないと、追い詰められないとやる気が出ない人間みたいなものだ。きしかいせい。
「そろそろお菓子を開けたいと思うのですが、お姉さん」
「なんでも食べるよ。美味しい物なら」
「MINA学のMVを点けてもいいですか」
「素晴らしい事考えるね君。いいよ」
感嘆なのか皮肉なのかは受け取り手次第である。
NYMUちゃんの部屋にある小さなテレビ。それをリモコンで操作して……最近のテレビって動画サイトが見られるのか。
慣れた手つきでリモコンの十字ボタンで操作をするNYMUちゃん。流石にオタク用アカウントは分けているらしく、アカウント名は見覚えのない文字列だ。一応覚えておこう。
「気のせいでなければこれは可憐のソロ曲なんだけど」
「MINA学のファンになったのはホントだよ。でも、私はお姉さんのファンなのです。なので最初にお姉さんの曲を聴いてから、MINA学の曲を聴くというルーチンなのです」
「サイデッカー」
そんならしょんない。
自慢げに話されちゃあ敵わない。可愛らしい。
NYMUちゃんはコードの長いイヤホンをテレビ脇から引っ張ってきて、それを両耳につけようとして……止まった。片方を外して、イヤホンを見て、わたしを見て、イヤホンを見て──それをティッシュで拭く。
で、それを。
「聞く?」
「むしろ歌おうか?」
「え!?」
わたしは可憐ではないけれど、別に可憐の歌は歌える。歌声が似るかどうかはわからないけど。既に世に出された歌というコンテンツをわたしが歌うのはカラオケとなんら変わらない。むしろ完璧に覚えている分気持ちよく歌えるまである。流石に一般邸宅で大声を出すわけにはいかないからボリュームは絞るけど。
NYMUちゃんは何度も何度もイヤホンとわたしを交互に見て、「いや……」とか「でも……」とか「いやいや!」とか「でも、でも!」とか「EAR」とか「DEMO」とか呟いている。最後のは嘘。捏造。
「い、今は……可憐ちゃんを聞きたいので!」
「苦渋の決断だね。……わたしも、久しぶりに聞くかぁ」
「じゃあ、はい」
はい、と。
イヤホンの片方を渡される。あのこれ、反対側なんだけど。
……わざとだろうか。なら仕方がない。
わたしは左耳に、NYMUちゃんは右耳にイヤホンをつける。テレビに向かってわたしが左側に、NYMUちゃんが右側に座っていたので、必然。肩を寄せ合って、引っ付くような形での視聴になった。
これほど近づいてもNYMUちゃんは何も言ってこない。あれ、邪な発想に至ったのわたしだけ説。自戒。モーセ。
「可憐ちゃんの──最後の曲」
「ほんとに好きなんだね。わたしも嬉しいよ」
「うん『誕情』っていうタイトルも好き」
『誕情』。
それが、最後の曲。皆凪可憐の最後の曲のタイトル。
MINA学園を卒業する歌。飛び立ち、羽ばたく歌。最後を祝い、送り出し、祈りを上げる曲だ。
作詞はわたし。作曲伴奏動画制作mixはHANABiさん。
静かに再生が開始されたソレは、初めはレクイエムのようなゆったりとした、神聖さを感じさせるそれ。高音のロングトーンが長時間響き渡り、彼女のために用意されたすべてをカメラに収めてから、その声の発信源へ帰ってくる。
一瞬暗転。直後、音色が増えに増えて一気に激しくなる。
NYMUちゃんはイヤホンをしていない方の耳を塞ぎ、イヤホンを耳に押し付け、食い入るようにMVを見ていた。込めた思いは……ありがとう。そして、さようなら、だったはずだ。またね、にしなかったのは、再会する気がなかったから。別の世界へ旅立つような気持ちだったはず。
さようなら、は別に良くない言葉ではないのだ。離別を恐れる気持ちはわかるけれど、散々悲しんで、枯れるほど泣いて、心から感謝をするのが離別というもの。悲哀は悪感情ではない。悲しいと思える時に悲しいと感じられるのは素敵なことだと知っている。
自然と。笑みがこぼれた。
零したのは、わたしだ。なんだか久しぶりに、可憐を近くに感じた気がする。やっぱりわたしはあの子が好きらしい。好きなもの、苦手なものがちゃんとあって、よく笑うあの子が。可愛らしい名前の、可愛らしい少女。
あの子はわたしではない。わたしはもうあの子じゃない。
けれど、何も。
わざわざわたしから──あの子を突き放すようなことは、しなくていいのだ。乞われる事の億劫さに避けてしまっていたのかもしれないけれど。わたしだって、可憐を愛してもいいのだから。
「──"生まれ昇る 望まれて 惜しまれて 飛んでいく"」
作詞をする時、生まれ落ちる、という表現を避けた事を覚えている。わたしはもう落ちてはこない。飛んで行ったまま、帰って来はしない。可能性を期待しないでほしい。続きを望まないで欲しい。
わたしがいなくなるという悲しみを、精いっぱい楽しんでほしい。十分に感じてほしい。
ああ。やっぱり、音楽というものは凄い。
初めて聞いた時の感情を。それを映した憧憬を。記憶を、心を。
思い出すことができる。心が覚えていたことを。
そしてそれは、波及する。
「……」
左目から一筋の涙を流すNYMUちゃんを見て、思った。
あの時のわたしは、皆凪可憐は、ちゃんと。誰かに感動を与えられる存在だったのだと。知っていたけれど、初めて今、自認した。
そういう部分ではまだ、バーチャルは現実に劣っているのだろう。肌に感じて、自覚をする。感覚器の再現。触覚を再現するスーツでも、そういう"空気の変化"のようなものはまだ手の届かぬ領域だ。いずれ届く領域かもしれないけれど、今はまだ。
手のひらを見る。指の動き。口の動き。眼球の動き。トラッキングの精度は日増しに良くなっていっている。技術は常に進化し続けている。それでもまだ届かない領域があり、それを何万年も前から実装している現実があるという事が、とても、とても──焦がれて仕方がない。
わたしの目指す、現実のその先。仮想空間はまだ現実の再現さえ成し得ていない。現実と全く同じものを作って、その上に"先"を重ねる。わたし自身に感動を呼び起こせるものがあると、知った。だから後は、媒体の問題。進んだ気がするのだ。一歩。目標に。憧れに。夢に。その、先に。
「……ふぅ、良い曲でした……」
「──ありがとう、金髪ちゃん。いい気付きがあった」
凄味が出てしまわないように気を付ける。端的に表すなら、興奮している。あぁ、なんて楽しい事だろう。やはりこの子と出会えたのは──わたしにとって、とても良い事柄だったらしい。言葉では人間は変わらない。出会い、それを受けて何を思うか。自身の意識と向き合わなければ、人間は気付きを得られない。
感謝をする。
「よくわからないけど、どういたしまして!」
「うん。どうやらお姉さんは、金髪ちゃんと一緒にいると良い事がたくさんあるみたい」
「え? じゃあずっと一緒にいる?」
「縁が続く限りは一緒にいよう。今日は帰るけどね」
「ちぇ」
その後は、一緒にMINA学のMVを見るなどして盛り上がった。
なんだか高校生の頃に戻ったような──楽しい時間だった。まる。
●
DIVA Li VIVAの休憩スペースへ行くための廊下で、その人に出会った。
車椅子に座った女性。年のころは30かそこら。電動のものらしいそれを器用に運転していて、付き人の姿は見えない。
「こんばんは」
「ん……
お嬢さん。お嬢さんと来ましたか。それはとても小さな子に使う言葉ではないでしょうか。
「あぁ、いや、お嬢さんなんて歳じゃなかったか。申し訳ないね、目が良くなくて」
「大丈夫です。じゃあそれ、自動運転なんですか?」
「いや、覚えてるだけさ。目が悪くなる前から、車椅子だったからね」
どうやら相当、長い間ここに勤めているらしい。すれ違うスタッフさん達が挨拶をして通り過ぎていく。偉い人だったりする?
「お姉さんは何をしてる人なんですか?」
「脚本家さ。といっても、今は休業中。今日は事務に書類を出しに来たんだよ。傷病手当金申請書、ってやつ」
「脚本家」
「たまに映画の監督なんかもするけどねぇ」
相当に偉い人っぽい。まぁ、だからと言って遜ったりはしないのだけど。
上下関係の拗れ程度で干される会社だというのなら、わたしは潔く辞める所存である。どうやらそうでないようで安心だけれど。
「事務まで一緒に行きますよ。その後お茶しませんか?」
「はは、なんだいそりゃ、ナンパかい?」
「知らない人に声掛けるの好きなんですよ」
だからここの休憩スペースは、結構……というかかなり好き。色んな人が来て、色んな人が話をしてくれるから。別に職業の話を聞きたいわけじゃない。単純に、自身と別の個体がどういう考えを持っているのか、というのを見るのが好きなだけ。
だから老若男女、悩んでいても困っていても、とりあえず声を掛けてみる。事務所内だから安全性が保たれている、というのも大きいかも。流石に街中でやったりはしない。
「……とことん良い子と見た。いいね、じゃあとっとと済ませて、お茶をするとしようか」
「良い子かどうかはわかりませんけど、素敵な出会いになることは保証しますよ」
「それは私のセリフだねぇ」
くつくつと笑う女性。電動音を響かせて動き出す車椅子の速度に合わせて、わたしもゆっくりと歩き始める。道中、北川須美子という名前で、いくつかの作品を聞いた。中には知っているものもあったけれど、大多数は知らないもの。わたしがあんまり映画を見ないというのが大きいけれど、北川さん曰く「世間で有名になる映画ってのは極々一部、氷山の一角も一角なのさ。数百人にしか知られずに埋もれていった映画なんて、星の数ほどあるよ」とのことで、知らなくても大丈夫さ、と言われた。
北川さんはそういう細かなものを沢山手掛けていて、休業中の今も制作を続けているらしい。
事務の人に北川さんの持ってきた書類を提出し、わたしたちは休憩スペースへと向かう。向かった。
適当なところに座って、一息。
「そういえば、お嬢さん。名前、聞いてなかったね。あぁ、本名でなくて、芸名でいいよ」
「HIBANaといいます。バーチャルクリエイト事業部所属の」
「……へぇ。そりゃあ。──あぁ、なんて巡り合わせだい」
「?」
北川さんは。少し声を震わせて。
言う。溜息……というよりは、感動だろうか。
わたしを知っている?
「……ちょっとさ、愚痴、じゃあないんだけどね。私の話を聞いてくれないかい」
「はい。それを聞きたくて、お誘いしました」
「ふふ、ありがとう」
握力がないのか、震える手で紙コップからお茶を飲む北川さん。それをゆっくりとテーブルに置きなおして、尚も痙攣を続ける指先を反対の手でさすりながら、口を開いた。
「私はね、見ての通り……病を患っているんだ。症状は全身に広がる麻痺……今はまだ脳には達していないけれど、悪化すれば何も考えられなくなるかもしれないらしい。無論、治療は続けているけれどね」
発症したのは、二年ほど前でさ。
最初は足だけだった。腰から下の感覚がなくなったのが始まり。そこから段々、麻痺は広がってきて、今は両腕も顔の一部も、思うように動かない。これで痛みがなかったら、まぁ耐えられたかもしれないけれど、痛むんだ。凄くね。常に痛くて──とても、生きるのが辛くなってしまった。
苦しくなっちゃってね。痛い、という事は……疲れるんだ。とても。そして、疲れるのも嫌になる。疲れるという事が億劫になるし、痛くて疲れるから、もう、休めない。休む行為が疲れてしまう。
北川さんは言う。腕を掻き抱いて。体を震わせて。
歯を食いしばっているのかもしれない。でも、その顎はカタカタと音を鳴らすばかりで、力を入れ続けられないのが見て取れる。
あれ、でも。
「それでも、創作を止めない理由はなんですか?」
作品は作り続けていると言っていた。辛いだろう。痛いのだろう。
それでも止めない理由は。
「なんで止めないのか、とか。逆にどうしたら止めるのか、とか……そういうのは、考えたことがないねぇ」
震えていた顎が音を止める。そして。痙攣。違う。少しだけ、口角が上がる。笑う、という行為さえも、エネルギーを多量に消費するのだろう。
それでも北川さんは笑って、言う。
「続ける理由がいっぱいあるんだよ。結局私は、物語を書いていたいだけなんだって。死にそうになるたび、死にたくなるたび思い出すんだ」
──。
ああ。そうか。
だから、雪ちゃんは。あの子は止めないのか。止まらないのか。
「……そんな折にね、私はお嬢さんたちのような……色彩豊かなキャラクターが生きている世界を知った。痛みが続く間は何もできないから、映画や動画を見るくらいしかやることがなかったから、たまたま。偶然、知ったのさ。そういう世界があるって」
アニメだってみるし、配信を行う人たちがいるのは知っていたけれど、実際に見るのは初めてで、そこで初めてVtuberという言葉も知った。新鮮だったよ。"そういう手法もあるのか!"ってね。すぐに一本書いたさ。痛みが弱まっている時間に少しずつ、書き上げたさ。参考資料にいろいろ見て漁った。
いろんなのがいるね。やっている事は似通っているやつも多いけれど、たまに天才みたいなやつがいる。これは発展させられる土壌だと思った。
全く違う国のお祭りを毎日見ているような感覚だったよ。面白かった。
……ただ、なんだ。私は存外心の狭いヤツでさ。
そういうのを追っていると、たまに目につくんだ。「このコンテンツは万病に効く」だの「癌が治った」だの……。まぁ、実際のところ。当たり前だけど、効かなかったよ。流石にさ。無理だったよ。どれだけ良い物を見たところで、どれだけ美しい歌を聞いたところで、痛みは変わらないし苦しいのも軽くなんない。
もちろん、ふざけて言っている事はわかってる。でも、ダメだった。
健康なやつらがそういう言葉を発しているのを見るたび、軽い殺意さえ覚えたね。ニヤけ顔で私達の代弁者みたいな顔をしやがって、って。自分の器の小ささに悲しくなったさ。本当に。
「ただ、まぁ、なんだ」
言う。彼女は、今までの沈痛な顔を、少しだけ──柔らかくして。
わたしの目を見て。視界の定まっていないだろうその目を、確実にこちらに向けて言うのだ。
「病気には、効かないけれど……"死ぬには惜しいな"と思わせる程度の効果はあったよ。何度も、何度もね。スポーツ選手が子供たちに希望を与える、なんて話は創作としてよくあるけれど……お嬢さん達みたいなのも、十分」
誰かを救っている、救える存在になっているのさ。
ありがとうよ。
「……うん」
「──だから、伝えといてくれないか?」
北川さんは。優しく、諭すような声でいうのだ。
「それだけは、お嬢さんにしか出来ないだろ。HIBANa宛じゃなくて、お嬢さん宛」
ありがとう、って。私を助けてくれて、ありがとう、って。
可憐さんに、言っといてくれ。
●
HANABiさんの家ではなく、自分の家。ベッドで横になって、読書灯だけを点けて。
思った。考えた。考える。最近あった二つの事。
わたしのスタンスは、あんまり変わっていない。思想も変わっていない。
でも、いくつかの気付きがあった。それによって──靄が晴れた。
そうだ。
わたしは可憐ではない。皆凪可憐ではない。だから、可憐の気持ちにはなれない。
けれど、恐らく誰よりも──可憐をわかっていて。
可憐の言葉を伝えられるのは、メッセンジャーになりうるのは、わたししかいないのだという事に気付いた。彼女に言葉を届けられるのは、わたししかいないという事を気付かされた。
それは、なんて──。
「……格好つけないで言うなら、うん」
エモ、だね。
エモーション。これこそが──情動。
感情を思い出した、なんて。結局格好つけて言ってみて。
わたしは、SNSツールを立ち上げた。自身の名前を再入力する。
〇
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決まるまでは。
バーチャル界隈はまだまだ若いコンテンツだ。だから、新規層……バーチャルどころか、配信や動画というものに初めて触れる人達が多数入ってくる。入ってきてもらうために、一部のVtuberやバーチャルシンガーが地上波へ進出しているのだから、それは成果と言えるだろう。
だから当然、そういう"新規層"は、マナーや暗黙の了解と呼ぶべきものに疎い。
よく目にするのは伝書鳩行為。あるいは、他所での推しの宣伝だろうか。教えてあげたい、探す手間を省いてあげたい、などの節介。もしくは、自らが知っている知識を配信者が知らないストレスから来る忍耐力の欠如。あらゆるところで好きになったものを語りたくて仕方がないというTPOの欠如。
所謂古参……配信や動画に長く浸ってきた人々の全てがそれを守れているとは言い難いが、すくなくともある程度は浸透しているだろうそれを、"新規層"は知らない。
だから配信者は注意喚起を行う。
自らのファンを自らのコンテンツと認識するようになると、彼らの暴挙、あるいは暴走が自らの過失のように思えてきて、頻繁に注意喚起を行うのだ。
その時にいた"新規層"は納得してくれるだろう。あるいは、理解をしようとしてくれるだろう。しかし次の"新規層"が同じ道を辿る。こればかりはどうしようもない事だ。新規層の参入の見込めないエンドコンテンツであれば完全途絶も成し得たやもしれないが、成長を続けるコンテンツにマナーを浸透させるのは難しいを通り越して無理である。
無論やらなければ増え続けるのはわかりきったことではあるのだが。
それよりも、注意喚起への反応の方が、危惧すべきである。配信者の行う注意喚起に対して、「優しい」だの「流石」だのと持ち上げをしている視聴者がいるのだ。簡単に言ってしまえば空気を読め、というヤツ。これは内輪の全肯定とは違う。肯定ではなく無視である。
配信者の言葉を全て無視して、自分の言いたい事だけを言う。配信のチャットがSNSの投稿と同等になっているのが見て取れる。
そういう話はしていないんだけどなぁ、と。かつて何度思ったことだろうか。
注意喚起だけではない。
たとえばNYMUちゃんが"MINA学園projectはいいなぁ"と言ったとしよう。それに対し、「NYMUちゃんの方がかわいいよ」だの「NYMUちゃんも同じくらい良いよ」だのと彼らは言うのだ。二工程。NYMUちゃんがMINA学園projectを好きだ、という、"みんなと共有したかった感情"を否定して、無視をして、自分の好みを伝えようとする。
それに気付いていない、という事が何よりも恐ろしい話だ。日常的に配信者と触れ合うようになればなるほど、その傾向は強くなる。好きが有り余って相手が見えなくなっているのだ。相手の意思が、相手の言葉が。
褒める事だけでなく、理解をしてあげてほしいと、そう思う。
「Vtuberという文化が出てきた当初は、VtuberのVはVoidのV、なんて言われたこともありましたよ。相手は人間ではないのだから、空っぽ。中身がない相手になら中身のない言葉を投げても問題ないだろう、なんて」
「心無い話だね」
「神を心にして無
「
神仏習合。
「個人的には、いいね、というのがとてつもなく悪い文化だと思いますねぇ。favorite. これのせいで、称賛の価値が激下がりしてるんですよ。お金を使わなくても称賛出来てしまう時代なんです」
「お金を払う事でしか作品を称賛出来なくなれば、"称賛をする価値"は上がるだろうね」
「特に数が見えるものは、お金を払わずとも"私は称賛をしたんだ"という実感が得られてしまいます。そういうのが無かった時代と比べて、確実に"すごい"や"いいね"という言葉の価値は下がっているんですよ」
いくら高価な芸術品だとしても、誰もが湯水のように大金を使えて、且つそれが尽きないというのなら、芸術品の"高価である"という価値は消えてしまう。
"高価"が存在していられるのは、その金額を出せる者が少ない、という事に依存しきっているのだから。
後に残るのは無二であるという価値。しかし人類は、それの所有権を奪い合う方法を"争い"か"金銭"以外に知らないのだ。金銭の価値が消えてしまえば、あとは争うしか方法がない。
故にSNSや動画投稿サイトで、度々論争が起きる。「どちらが優れているか」の論争が。
もうみんな分からなくなっているのだ。物の基準。価値の概念が。
「VRコンテンツもとっととアートのインフラ整備しないと、あらゆるものの価値がなくなっちゃいますねぇ。VRコンテンツは無二である、という部分さえ保ち切れていないのが現状です。複製、簡単ですからね。一次性が認められるようにならないと。二次コンテンツ、三次コンテンツに制限をかけられるようになってくれないと。VRコンテンツにおけるクリエイターの価値さえ下がってしまいます」
クリエイターだって、お金稼げないと生活は出来ませんからねえ。呆れたように言う。
"良い物"を作り得るクリエイターがいなくなった後に残るのは、"粗のある物"を作る、片手間のクリエイターだろう。SNSやイラスト投稿サイトに落書きを上げる者。web小説を投稿する者。習作の音源を上げる者。"良い物"は目に見えるところから姿を消し、残るのは"粗のある物"だけになる。
まぁ、それもいいとは思う。手に届くものが"粗のある物"だけになれば、そこに新たな価値基準が生まれるだろう。ほとんどの人間がかつては"良い物"があったのだ、という事を忘れるのだ。知っているのは、価値あるものに金銭という称賛を払い得る者達だけ。
インターネットでは既に、それは起き始めている。転載行為によって起きる価値の低下だ。力量のあるイラストレーターや作家は早々に有料コンテンツに移行し始めている。有料コンテンツというインフラが整備された事が、とりあえずの救済措置として機能しているのだ。
わたし達の活動する動画投稿サイトもいずれ有料化し、無料などでは見られなくなる時代も来るやもしれない。現状ではそれも仕方ないだろう。動画投稿サイトの運営とてクリエイターだ。転載や広告のブロックなどで価値を薄められては、重い腰を上げざるを得ない。
「アートというのは、"無二であること"に重きが置かれます。人気小説家の文章や発想を、AIが完全に再現し、新作まで作れるようになったら、その小説家はもう評価されないでしょう。複製されたAIがご家庭に一台、鼠算式に作品を生み出してくれますから。歌手も同じですよ。合成音声が完全に違和感のない領域までくれば、限られた音域しか出せない人間よりも作品の幅が広く、且つ複製可能。評価は消えます」
今、杏さんの歌声は、杏さんにしか出せないから評価されているんです。
わたしの声が、歌が好きだと言ってくれたHANABiさんが、冷静に言う。だってこれは、事実だから。
「歴史的価値を評価する場合も同じですよ。過去にあったもの。過去にしかないもの。その時代の土、材質。戦争があったから火薬が紛れているとか、作者の皮質が紛れているとか。でもそういうのは、結局"無二であること"に落ち着きます。今の技術で上回るものは作れましょう、似せたものは作れましょうが、同じ時間、同じ環境を経たものというのは作りえませんから」
「でもそれって、保存状態に依存しない? どんなに昔のものでも、ボロボロだと価値が下がるでしょ」
「完全状態である事に越したことは無いでしょうね。歴史的価値も、学術的価値も、跳ね上がります。なんでだと思います?」
「調べられることが増えるから」
「まぁ、それもあります。状態が良ければ良いほど、多くを調べられるし多くを試せる。実用の価値ですね。でも、それだけじゃないんです。モノ、というのは、たとえどんなものであれ、この世に存在する物質は、すべて。風化するんです。劣化するんです」
時間の流れで壊れるから。失われるから。もう手に入らなくなるから。
だからこそ、保存状態の良い物は価値が高い。失われるまでの時間がより長いものを評価する。それは前にHANABiさんの言っていたものづくりの技術……耐久性、堅固さを目指してきた技術の歴史にも通ずる事だ。
無論、撃墜された戦闘機の破片や沈没した船舶など、壊れている事が"元"である場合もあるけれど。
「その点も、VRコンテンツは危険なんですよねぇ。データとして保管
「機材が壊れたり、データが破損したりはすると思う」
「どこにも出していないコンテンツなら無二は保たれますよ。でも、アップロードした時点で膨大なネットの海に記録されますから。インフラが整っていない今、少し知識を聞きかじった人でも簡単にデータを抜いて、複製してしまえるんです。ただそのインフラが整ったところで、いつまでも残り続けるもの、に対する価値は果たして現在と同じかどうか、という所ですね。今手に入れなくてもいいや、となられたら、どうしようもありません」
わたし達は表現者だ。作品を表現する。今、無二を示す。
でもそれが、この先。誰もがわたしと同じものを表現できる世界になったら。
「……まぁ、いいんじゃない? わたしは別に。他の仕事をして、誰もが同じことを出来る中で、いつも通り歌を歌うよ。歌で表現したいことがあるから歌ってるんだよね。たまたまそれを、誰かが聞いてくれているだけ」
「お金がないと、クオリティは保てないですよ?」
「良いと思う。クオリティや同じものがある、程度の事で、わたしが見えなくなるのなら、それでいいと思う。それが価値だよ。価値がなくなる、って事は、価値の基準が変わるってことでしょ?」
そうなったらただ、わたし達が時代遅れになっただけだ。
価値を保ちたいなら流行に乗ればいい。わたしは自分の表現を保ちたい。
「HANABiさんが時代に乗っかっていっても、わたしはこっちに残るよ。それは、ごめんね」
「……」
疲れたように体を椅子に預けていたユラユラしていたHANABiさんが、止まった。
作曲なんか出来ない。出来ると思えない。わたしに出来るのは、結局歌だけだ。ならまぁ、誰もいなくなった場所で、一人楽しく歌っていよう。それで十分、楽しいだろうから。
「──常に前を行きましょう」
「うん。誰もが真似できるなら。わたし達より先に行こうとするのなら」
「そうでした。忘れていました。ではわたし達は、誰よりも先に行きましょう。世に出た直後であれば、無二です。その後の価値は薄れましょうが、そんなものはどうでもいい。現在を生きましょう。刹那的に在りましょう」
体を起こして、こっちを向いた。
お金はまぁ、別で稼げばいいよ。しょうがない。そうなってしまったのなら、仕方がない。今はそうじゃないからそうしているけれど、そうなってしまったのなら、諦めよう。
ただ、いつでも。
常に最高のものを作り続けるのなら。"最前最高のものを作り続ける"という無二の価値は、失われない。
失われないように、続ければいい。
「元の話はなんだっけ?」
「いいねが悪い文化、という話ですね」
「記憶力がいいね」
何を称賛するべきなのかを、少しだけ、考えてみる事にした。
●
炎上を経験するたびにファンや登録者数、フォロワーを増やし、しっかりと人気を博しているアイドル……という肩書を貼り付けられた人に出会った。DIVA Li VIVAの休憩スペース。バーチャル事業部ではなく、アイドル事業の一部署に所属するその人は、喜怒哀楽の激しすぎる人だった。
「そういうわけでね、HIBANaちゃん。私は天才らしいのよ。実は天才なんじゃないか、って言われてるの。SNSで。さっきまで散々叩いてたくせに、それが落ち着いたらコレよコレ。手首ドリルかって話よね」
「ホテルから未成年と一緒に出てきたところを激写されたんでしたっけ。よく鎮火しましたね」
「未成年も何も従妹よ従妹!? 従妹とホテルから出てくるのに何か問題ある!?」
「無いですけど、情報提供者の見出しに踊らされるのがSNSですからね。事実確認もせずに本人へ凸するのは獣の本能でも見ているようで、面白くはありますけど」
「何言ってるのか全く分からないけど、まぁ、そうなの。鎮火したのよ。そうしたら今度は褒め言葉ばっかり。当然私は調子に乗るわけよ。私も自分を天才だと思ったわ。どんな苦難も乗り越えて、常にアイドルであり続ける姿にみんなは心惹かれたんだ、ってね」
彼女は胸を張る。事務所内の休憩スペースである。市井の目のないここで、しかし彼女は露出度の高い、ともすれば衣装なんじゃないかと疑うような服装だった。
自信の程か。あるいは。
「……多分私は、このまま調子に乗って、また炎上するわ。余計な事を言うのかもしれないし、余計なことをするのかもしれない。色んな人と仲良くなって、色んな人に嫌われて。それを気にしないで、楽しく生きられるのよ」
「貴女は、違うんですね」
「うん……。そんなワケ、ないじゃん。って。思ってる自分がいるわ。私は、嫌われることが怖いし、好かれる事も同じだけ怖い。どんどん離れていくの。私が。私と私が。外を向いて胸を張っている私と、内を向いて縮こまっている私が、どんどん別人になっていくのよ」
突然しゅんとして。肩を掻き抱いて。
二面性。二律背反。多重人格ほどではないけれど、演じる事に強迫観念を抱いてしまっている。
わたしのように故意に作っているのではなく、そうでなくてはいられない、という状態。
「自分は天才だと思うわ。面白い事が出来るし、歌も上手い。顔も良い。スタイルだって抜群。綺麗になる事への努力は欠かしていないし、誰とでも仲良くなれる。誰にでも愛される自信がある。だって私は、可愛いから」
「でも、その自信の根拠がないんですね」
「……多分、そうだわ。私は自分の事を可愛いと思っているけれど、世界が私の事を可愛いと思っているかはわからない。実感がないの。天才だと信じているけれど、世界から見て、私は、酷くちっぽけで……誰も私なんて見てなくて、どこかで陰口をたたかれていて、誰にも覚えられていないんじゃないかって。思ってる。たまに感じる、じゃなくて、ずっと思ってる」
強く握りしめられた右の拳と、弱く震える握りこめていない左手。
彼女は知らないのだ。基準を。世界を知らない内に評価されてしまったから、自信の根拠が見つけられない。可愛さも頭の良さも、歌の上手さもコミュニケーション能力も、どれほどが高くてどれほどが低いのかがわかっていない。幼少から育て上げるべきそれが、偶然、残酷にも育たなかった。
「やばいの。まずいの。わからないけど、どんどん離れていくの。制御が出来ないのよ。明るい私がどんどん暴走していくのを、私は後ろから、やめて、やめてって叫んでるのに、私はどんどん前に行くの。歩いていくの。走っていくの。絶対そこは危険なのに、知らないって。気にしないって。とても、怖い」
「……もう一人の自分、嫌いですか?」
「いいえ。好き。大好き。だって私には絶対なれないから。あんなに明るくは振舞えない。あんなに冷静には考えられない。大好きなのよ。ちゃんと、自分だってわかるから。自分が好きであることを否定したくないし、自分の事を否定したくないから、好きっていうのよ」
「ならいいんじゃないですか? 自分が愛せるなら、他人も愛せますよ。多分あなたは、他人が見れていないんです。自分のことで精いっぱいだから、余裕がないんです。でも、それなら」
制御できないのなら、軛を解いてしまうのもアリだと思う。散々叩かれて、散々卑下して、沢山愛されて欲しい。明るい貴女だけでなく、暗い貴女も見せるのだ。それが、魅力になる。
だって貴女は、世界が自身を愛していると信じているのでしょう。
「……嫌よ。怖いもの」
「じゃあ怖いと思ったことは、わたしにでも話してください。吐き出せれば少しは軽くなりましょう。もちろん貴女のマネージャーさんも巻き込みましょう。そのケアをするのがマネージャーさんですから。いいんですよ。別に。怖くたって。怖いですよ、人にさらけ出すのは。だってそれは、弱点なんだから」
わたしも怖いから、自分を見せずに殻を作っているのかもしれない。自衛だ。それでいいと思う。
「尊敬しますよ。片方でも自分を見せられる事。凄いです。──あぁ、今。出来ましたね、基準。少なくとも貴女は、自分を見せる事において、わたしよりも上ですよ」
「あなたの価値がわからないわ」
「それは勝手に調べてください。わたしを低いと感じたら、わたしよりも上っぽい人と友達になってください。その人が褒めてくれたらもっと調子に乗って、もっと上っぽい人と友達になりましょう。あなたが勝てないと感じる人が現れるまで友達を増やしてください。それで、現れなかったら、貴女は根拠を持って世界で一番愛されていると思えるでしょうから」
芸術品も実用品も、複製が可能な時代だけど。
未だに人間は。人間の性格という魅力は、まだ複製に至っていない。
彼女はそれを、しっかりと武器に出来ている。
「……もし、そうなったら」
「はい」
「そう思えるようになったら……また、私はここに戻ってきて、貴女にありがとう、って言うわ。出来るようになるまで、うっかり口を滑らせて言ってしまわないように気を付ける」
「良い人だから、簡単に口を滑らせてしまいそうですね」
「……相談。乗ってくれて、ありがとね」
「……」
「いいのよ、"う"を言ってないもの!」
それでいいのか。
まぁいいけど。
「ついでにぶいちゅーばー? というのにも興味が湧いたわ。ぶいちゅーばーに、私より可愛い子がいないか挑戦しに行くのもありね!」
「ええ、頑張ってください」
「……ありがとね。本当に」
「はい」
真面目で善性な人間ほど、自責の念は強く、誇り高いものである。
●
「生贄のために、大量殺人を犯した狂信者キャラに向かって、──"命を何だと思ってるんだ!"みたいなことをいう主人公がいるけれど、私はそれを見るたびに思うんだ。その狂信者キャラにとって、神にくべる贄として最上の価値を持つものは何か、と考えたとき、それが命だったんだろう、ってね。だからむしろああいう狂信者キャラ程、命を誰よりも大事にしているんじゃないかな」
「来訪者に対する一言目がそれでいいんですか」
「勿論。雪に返信をしたそうじゃないか。久しぶりに張り詰めていないあの子をみたよ。ありがとう、と一応言っておこうか?」
「勝手に雪ちゃんの代弁をしないで欲しいです」
「はは、そこは変わらないか。何かしらの出会いがあって、価値観が少しでも変化したのかと思ったんだが」
「わたしが狂信者って言いたいんですか?」
「君は狂信者であり神でもあるだろう? 信奉しているのは自分自身じゃないか」
「それはまぁ認めます」
遥香さんの家にいる。来た。
一応菓子折りを持って。尚、遥香さんが目当てじゃない。
「梨寿ちゃん、今学校ですか?」
「うむ。まぁ半日だ。正午過ぎには帰ってくるよ」
「アミちゃんも来ますか?」
「多分。私は予言者ではないからね、未確定にしておくよ」
「アミちゃんが来る予定はありますか?」
「あるよ、今日は
回りくどいんだよこの人。
飲み込んだ言葉は、しかし顔に出ている自信がある。
とりあえず入りなよ、と促され、ようやく玄関口から脱した。インターホンを押して、扉が開いてすぐにあの問答である。消費カロリーが大きすぎる。
「しかし、随分と眉間の皺が取れたものだ。良い出会いに恵まれたかい」
「そんなにしかめっ面でした?」
「いや全然?」
右手をグーの形に握りしめるなどした。
「……まぁ、そうです。良い出会い、いっぱいありました。環境が変わると色々な人に出会えますね」
「海外に行くと世界が変わる、というのはそれの拡大版だね。環境も文化も変わるから、出会いの規模が大きすぎて価値観や世界観までも変貌する」
「実現、しませんでしたね」
「MINA学園projectのみんなでハワイに行こうってアレかい?」
「与太話でしたけど」
「ハワイは日本人ばっかだから環境が変わるかどうかはわからないが、ふむ。別にいいんじゃないか? 可憐でなくHIBANaでも、旅行には行けるだろ。私と何日も一緒にいたいのかどうかは別として」
「一日でも嫌ですね」
「はは、辛辣だ」
リビングにはまだ炬燵があって、ほれほれ、と座ることを促されたので、素直に座る。
まぁ、これくらいの好意は素直に受け取ろう。いくら苦手とはいえ。
しかし、現時刻11:30。少々早く来過ぎたか、この人と同じ空間に30分以上いるのはキツいものがある。配信ならまだしも……。
「じゃあ配信するか?」
「事務所の許可とブランディングイメージにより却下です」
「もっとフレンドリーなキャラでデビューしてくれればよかったんだが」
「影法師ですからね」
「じゃあ私だけ配信するから、時折声を入れてくれる、でもいいぞ」
「わたしis企業勢。My声is有料コンテンツ」
「HIBANaでも可憐でもない声作れるだろ?」
「……」
作れる、けども。
「視聴者は案外賢いですよ」
「視聴者は案外気にしないさ」
「ボロが出る可能性があるのでNGです」
「あー、まぁお前さんは配信関係じゃポンコツだからなぁ」
何故そこで引くのか。それじゃあしょうがない、じゃないんだよ。
挑発も入っているのだろうけど、まるでわたしが本当にボロ出し人間みたいな反応やめろ。
「しかし、それならどうするんだ。30分プラスアルファ。下校時間を考えて、あと一時間くらいはあるぞ」
「……ゲームとか」
「激弱だろ、お前さん。MINA学のゲームイベント万年最下位」
「それは可憐だし。わたしじゃないし」
「じゃあ本気でやっていいか?」
「……」
これが、仲の良い子であれば。パーソナルトークや流行り、他愛のない話に持ち込めた。余裕で二時間くらいは消費できる自信がある。わたしとて年頃の女の子なので、そういうトークは出来る。
けど。
この人相手だと……正直無理だ。苦手意識が強すぎる。
「んー。じゃあ、そうだな。一時間……カラオケにでも行かないか? 近場にいいのがあるんだ」
「カラオケ」
「空オーケストラだ」
「戻さなくていいですけど、カラオケ」
ふむ。30分刻みで強制終了させられるし、いいかもしれない。
色々。損得勘定。メリット計算。
「行きましょう。少なくとも雑談地獄よりは良さそう」
「お前さん、私の事苦手過ぎだろう」
「過去を省みていただければ」
じゃあ、行こうか。と。
立ち上がる。炬燵から出ると、まだ寒い。寒暖差の不便さよ。世界が完全にVRに移行したら気温差を消してもらいたい。季節が消失するだろうけど必要な犠牲だ。
「……何してるんですか?」
「ちょっと連絡をね。部外者のお前さんに話せないが、二周年記念イベントに関するヤツさ」
「ああ。……まぁその件のために訪ねてきたんですけどね」
「わかってるわかってる」
まぁ、ちょっと。
所用である。
そうしてわたしたちは、カラオケに向かった。
〇
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掴むまでは。
気まずい空気……にはならなかった。
カラオケというのは片方が歌っていればもう片方が予約を入れる、食事をするなどしていて、基本的に雑談どころか会話が生まれない。三人以上がいれば話は別だが、双方が双方好きな歌のジャンルが違うのであれば、歌詞がわからなくて笑ってしまうとか、タイミングが掴めないとか、余計なハモりを入れるとか、あんまりない。
わたしはメタルとオールドロックンロール。遥香さんは90'シティポップスや演歌、邦楽全般が好きで、曲被りもなかった。
20分。それくらいの時が経った時だった。
ノックされた。ドアが。注文されたスナック系とおつまみ系の料理は既に来ていて、時間が迫っている事は内線にかかってくるはずなので、何事かと。思った。思って、見た。遥香さんを。あるいは、わたし達の声に聞き覚えがあって、という可能性も無きにしも非ずだったが、先ほどお手洗いに行った限りではここの防音性は十分に良い。聞こえるはずがない。
だから、誰だ、と。
遥香さんは。
「私が呼んでおいたんだ。私と二人っきりは、嫌だろう?」
ニヤニヤしながら、言う。言った。
直後、ドアが開く。自動ドアではないし、こちらから開けたわけでもないので、外から開かれたそれは。その、ドアノブを握っていたのは。
「あ……」
「……」
ベージュの長髪。スラっと伸びた上体と、丁寧に切り揃えられながらもしっかりと装飾された爪。青が好きだと言っていた。深い青が好きだと。その爪が、ドアノブに注目していたわたしの視界に落ちる。
未だ冬だというのに、どこか春のような薄着。暑がり。ああ。結構、覚えているものだ。
雪ちゃん。雪ちゃんだ。
南雪が、そこにいた。
●
ちょっと連絡があるから、お二人さんで話しといてくれ。あぁ、30分延長しておいたから安心してくれ。
そんな。無責任というか身勝手というか、相手にするのも面倒くさいと思ってしまうような事を言って、遥香さんは部屋を出て行った。遥香さんの置いていったカバンの中に入っていたボイスレコーダーの電源を切る。
油断も隙もない。
残された二人。わたし達。久しぶりだ。本当に、一年と二ヶ月ぶりかなぁ。
「まずは、久しぶり。また会えて嬉しいよ」
「……ええ、本当に。私も嬉しいわ。HIBANa、と。呼んだ方が良いのよね?」
「ありがとう」
先日HANABiさんも言っていたけれど、確かに、配信で作っているキャラ……ですます調で、少しだけ硬い印象を与えるその話し方と打って変わって、彼女の素の喋り方は物腰の柔らかな丁寧なソレである。彼女本人を知らない人間からすれば、違和感と言われても不思議ではないか。
そもそもの話。皆凪可憐と南雪は、お互いがお互いのキャラ設定をしているから、キャラクター設定自体はすべて頭に入っているのだけど。
「……」
「……あー」
「何を話したらいいのか、わからないわ」
「わたしも。あんまりこうやって、穏やかに話す事無かったもんね」
「ええ、会う度に喧嘩していた……というか、議論をするために会う約束をしていたのよね、私達は」
「直接言いたい事があるからオフラインコラボ、って事何回もあったねぇ」
懐かしい話だと。懐かしむことができるのが、やはり、嬉しい。
彼女との思い出はほぼすべてが争いだ。言葉か文面かの違いくらいで、ずっと言い争いをしていた。本当に、心から価値観が合わないのだ。遥香さんのようにソリが合わないのではなく、大事にする部分が対極にあるという感じ。
それが。
それが、なんとも心地良い。心地良かった。
今こうしておだやかに話している、なんて。一年と少し前のわたし達には想像しえなかっただろう。
「とりあえず歌わない? さっき検索してびっくりしたんだけど、可憐と雪ちゃんのデュエット曲登録されてたんだよね」
「あぁ……MINA学のオリジナル曲は参賀さん*1が手掛けていたでしょう。それで、ファンのみんなから歌えるようにしてほしいっていう要望が多くて、著作元の参賀さんがOKを出したから、それなりの量が登録されているはずよ」
「デュエット、人気だったんだ」
「連絡をしなくてごめんなさい。貴女が卒業した後の事だったのよ」
「そのおかげで今歌えるわけだけど、謝る必要ある?」
マイクを差し出して、問う。
わたしも、雪ちゃんも。歌うのが好きだ。わたし達はちゃんと、一つだけ。合わせられるものがある。
カラオケに来て雑談ばかり、ってのもつまらないし。
「長らくこの曲は歌っていなかったから、しっかり出来るか不安だけど……頑張るわ」
雪ちゃんは、マイクを受け取った。
ああ、久しぶりだ。こうして並ぶ事が。背丈もはほとんど一緒。声量も同等。声質はわたしが高めで、雪ちゃんが低め。肺活量も同じくらいで──ああ、ああ。
クリエイターとしての相棒はHANABiさんだ。だけど、事デュエットにおいては。まだ組んだばかりのNYMUちゃんよりも、やはりしっくりくる。信頼がある。
「久しぶりね。だから、格好良く行くわ」
「いいね、激しく行こう」
スイッチが入る、とでもいえばいいのか。先ほどまでの不安な表情はどこへやら。そこにいるのは、紛れもなくMINA学園projectの誇る歌姫だった。歌姫呼びすると恥ずかしがるけど。
曲が流れ始める。タイトルを、『
歌おう。
●
ぱちぱちぱち、と。
歌い終わりの感傷が満ちる部屋に、拍手が響く。ドア。開いている。
開けたのはもちろん、遥香さんだ。
「いやぁ、熱唱! 熱唱だったね、どうだい蟠りは解けたかい?」
「お帰り願います」
「遥香さん、お帰りなさい」
「うんうん雪は優しいねぇ」
優しすぎる。もっと突き放していいよ雪ちゃん。
……そして遥香さんの後ろにいる、二人。ああ、そういうことか。二周年記念の連絡なんて、全部嘘っぱちか。遥香さんの家を出る前のそれも、さっきのも。
ここにみんなを呼び寄せるためか。
「お邪魔します、雪さん、HIBANaさん」
「……」
「ああ、中学校は半日で終わりなのね。遥香さん、予約は……」
「人数が増える事は伝えてあったからね。問題は無いよ」
「……」
沈黙、二名。
わたしと、アミちゃんだ。わたしは用意周到過ぎる遥香さんへの無言の抗議。アミちゃんは……わたしか。まぁ、散々無視したからなぁ。
「アミちゃん」
「……」
「メッセージ。無視してごめんね」
閉まったドアの前で立ったままのアミちゃん。遥香さんと梨寿ちゃんはいそいそとソファの方へ行った。というか避難した。
さて、どうしたものか。
「可憐」
「もう可憐じゃないよ」
「……でも、今。HIBANaでもないですよね。あの変な真っ黒いのじゃないじゃないですか」
「それは確かにそうかもしれないね」
「じゃあ今、誰ですか」
「本名言えって言ってる?」
別にいいけど、今更自己紹介する?
「……わかりました。HIBANaって呼びます。メッセージ無視も別にいいです。酷いことを言っていたのは、私でした」
「それじゃあ、何をそんなに怒っているのか、教えて欲しいな」
「怒ってません。悲しいだけです」
「悲しいの?」
「……可憐はもう、いないんですね。仲間が死んでしまった事を悲しく思います」
ああ、やっぱり。
それを。そのために来たんだ。今日は。わたしは。
それを謝るために、来たんだ。
「アミちゃん」
「はい」
「ごめんね。わたしも、色々言われて面倒になってた。可憐はもうわたしじゃないし、わたしは可憐として何かを考える事が出来ない。MINA学のみんなを仲間だって思うのが、自然にできなくなってる。それは、わたしの演技スタンスの話ね。自己暗示みたいなものでやってるからさ、そこはもう、どうしても無理」
ただね。
「可憐に言葉を届ける事は出来るし、可憐の言葉を伝える事は出来ると思う。可憐は死んじゃったかもしれない。もういないよ。でも、まぁ、みんなバーチャルなんでしょ? じゃあ、天国の声が聞こえたって別に不思議はないよね。そういうの、沢山いるじゃん?」
「……子供だましでなんとかなると思ってます?」
「半分は。言葉じゃ人は変われないよ。だから、変わらなくていいよ、アミちゃんも梨寿ちゃんも。わたしを可憐と同一視したって、別にいいよ。わたしが"この言葉はわたし宛てじゃないね、可憐に言っておこう"って勝手にやるからさ」
「もう半分は?」
「信じてるよ。可憐でなくなったわたしとも、また仲良くしてくれるってさ。わたしが可憐の価値観や世界観を伝えるメッセンジャーになる事を
前者は屁理屈だ。仮想の存在だから、死者の声が聞こえてもおかしくはないだろう、という話。
後者はお願いだ。MINA学のみんなには馴染みのない誰かさんが、可憐の中継になってもいいですか、というお願い。
どうにかして、"もういない存在"から、"直接は声の届けられない存在"にまで、可憐を引き戻す。
「だから、ごめん。わたしから否定してしまったけれど、わたしはもう可憐を否定しないから、アミちゃんも、みんなも。可憐をまた認めてあげてくれないかな」
謝る。過ちを認める。
彼女はまだ亡き骸でなく、いうなれば魂の状態だ。Vの中の人を魂と表現する人もいるけれど──わたしは。キャラクターにこそ、キャラクターの人格にこそ、魂があると考える。わたし達は精神で、魂ではない。可憐の魂はまだ、空を泳いでいる。
「言葉が難しいです……」
「要約すると、"わたしを可憐と見ないで欲しいのは変わらないけど、可憐にしたい話をわたしにぶつけるのは構わないし、わたし自身とも仲良くしてくれると嬉しい"って感じかね?」
「癪だけど大体それであってます」
「一言多いねぇ」
自分の理解者が遥香さんであることが何よりも悔しい。
そして。
「……じゃあ」
「うん」
「また、会えて……嬉しい、って。言ってもいいんですか」
「うん」
「可憐が卒業してしまって寂しかったと。家族がいなくなった気分だったと。言っても、声に出しても、良いんですか」
「嬉しい、と言うよ。彼女ならね」
ありがとう。嬉しい。嬉しいわ。って。
コロコロと笑いながら言うはずだ。今までごめんなさいね、と言って。
「わかりました。じゃあ、HIBANaさんを……いえ、HIBANaさん。改めまして、これからよろしくお願いします。仲良くしてください。またみんなでこうやって集まって、どっか遊びに行きましょう」
「その時は千幸ちゃんも一緒にね」
「……あの配信廃人が旅行に来るかどうかは……」
「わたしが声を出さなきゃ良いでしょ」
「旅行配信をしろと」
こんな感じで。
人間関係というのは拗れると面倒くさいけれど──拗れきる前に解いてしまえば、元に戻す事だって出来るワケだ。それが元であるかどうかはまぁ、みんなの感性次第だろうか。
少なくともわたしは、これでいいと思った。
「それじゃあカラオケ五時間コースでいいか?」
「じゃあわたし、各所に連絡いれてくるね」
「注文しますね」
これがいわゆる、ハッピーエンドかな?
●
という風に終わるのであれば、物語としてはまぁ、アリなのかもしれない。
大団円の終了。みんなが幸せで終わり。
これからも物語は続いていく、と。綴る事をやめたら、そうなるのだろう。
「まぁ、そう上手く行かないのが世間一般ですねぇ」
「裏側が解決したところで、表側は荒れたまんまだからね」
「何かお話ありました? 二周年記念イベントについて」
「ううん。あっても受ける義理はないし」
五時間と+一時間の延長を経てようやく解散したリーダー以外のカラオケ大会は、かなりの盛り上がりを見せて終了した。その間に仕事の話題は一切出てこなかった。あの場においては、わたし含めてバーチャル要素のない、本当にただのカラオケ大会だったと言えるだろう。
じゃあ、またね。そう言って、お開き。
雪ちゃんは"次会うときは、口喧嘩しましょう。少し物足りないわ"なんて言ってたっけ。
「何見てるの?」
「知り合いのイラストレーターが契約関係のトラブルでプチ炎上中ですねぇ。相互フォローの友人のよしみで受けた依頼が、通常価格より低くしてあげたみたいで。それを通常価格だと思った友人が他の人に自慢。殺到した依頼に提示した価格が聞いていた話と違う、と怒られて、サンプルのラフ画と契約内容を晒され、"こんな絵でこんな価格を取るのはおかしい"と謳う誰かさん達大集合。擁護と批判と野次馬で大乱闘」
「うわぁ」
"善意で仕事を受ける"というのは、なにも良い事を生まない。善意を理由にするなら仕事ではなく趣味だ。金銭の発生が事をややこしくする。それが趣味でなく仕事だと言い張りたいのなら、善意などというあやふやな付加価値を取っ払って、正当価格で応対するべきだ。
と、いう話を部外者であるわたしがしても、それは第三者の野次馬と変わらない。こういうのは当人同士が解決するのが一番なのだが、その当人……イラストレーターと友人は別に争っていないのだろう。
「絵柄が好きで依頼しようとした人達が、"こんな絵"扱いをした誰かさんと言い争いをしていたり、正当価格を知らない人達が、この価格なら妥当だろって空リプした人に噛みついていたり……」
「うわぁ」
阿鼻叫喚地獄だ。随分と香ばしい。
SNSで、単純に意見を投稿する事と誰かの返信として投稿する事で、同じ内容でも意味合いが違ってしまう、という事を知らない層があるように思う。勿論故意のもあるだろうけど、それは一旦除外。
流れてくるニュースや事件に対し、思ったことをそのまま投稿する。それを、まるで返信欄をコメント欄のように扱って、独り言をぶつけている。彼らにとってそれは独り言なのだ。だから遠慮なんかないし、慮る相手もいない。
でも、それは機能として、返信だから。
結果、返信を返信だと思っている人たちとぶつかって、"独り言に難癖をつけられた人"と"意見に反論しようとした人"との喧嘩が始まる。
「まぁどんな酷いものであれ、契約内容をSNSに晒すって行為自体が目につきますけどねぇ。いじめられたからいじめ返すって事じゃないですか。同害復讐法ですか」
「その件がどういう形に終わったとしても、契約内容漏らした人と仕事をしたいとは思えないね」
「そして今回に関しては別に酷くないんですよねぇ。相場で見ても特に不思議のない価格です。高くもなく低くもない。やっぱりこの件、私じゃどうしようもないですねぇ」
そう言って、ブラウザを閉じるHANABiさん。
少し気になるけれど、わたしが関わるべくもない。
「下手に手を出して飛び火でもされたら困りますからね。もう私達は企業勢ですし」
「また対岸の火事?」
「今回は沖合の火事ですかねぇ」
時間が経てば、鎮火するだろうから。
……諸共沈没、という結果で。
●
「HIBANaさん」
「麻比奈さん。お疲れ様です」
「お疲れ様です」
DIVA Li VIVAの休憩スペース。いつも通り誰かいないかな、とくつろいでいたら、声を掛けられた。少しお話しませんか、と言われ、了承する。
麻比奈さんは休憩スペースのテーブルにノートパソコンを広げると、何かを準備し始める。
「何の件ですか?」
「この間お話しした、PVの件ですね。HIBANaとHANABiのプロモーション且つバーチャルクリエイト事業部の所属ライバー・クリエイターの紹介のために、数秒の映像を撮りたいそうです。HIBANaさん達がデビューをする時、紹介映像が出たと思うのですが、それと似たものだと思ってください」
「ああ、自社番組の」
「はい、それです」
雑誌でいう所の表紙を飾らせてもらえる、という事らしい。光栄なことだな、と思うほどまだ愛社精神が育っていないのだけど、良い事ではあると思う。
日程について聞かれたけれど、変わらず、平日昼は仕事で土日祝+平日夜の開き。
そう伝えると、麻比奈さんは驚いた顔をする。
「どうしました?」
「いえ、私はてっきりNYMUちゃんとのコラボが入っているものだとばかり……すみません、勘違いしてスケジューリングしていました。少々修正しますね」
「NYMUちゃんとのコラボ? は、終わりましたよ。カバーの件ですよね?」
行き違いがあったのかな? でも、あのコラボ日程自体麻比奈さんとあちらのマネージャーさんが決めたものだから、忘れているとは思えないんだけど。
「いえ、その件でなく、外部での共演が三月二十五日にある、と……あの子が間違えているのかしら」
「……」
……はっはーん。
三月二十五日ね。その日は、MINA学園projectの二周年記念イベントの当日じゃないか。そこに、わたしの知らないNYMUちゃんとのコラボ。
はっはーん。
「いえ、その日はやっぱり空けておいてください。PVは他の日に撮りましょう」
「……ああ、そういう……ごめんなさい、HIBANaさんの楽しみを奪ってしまったかもしれません」
「わたしサプライズというものがきら……苦手なので、むしろありがたいです。カウンター、何か考えておきます」
「ああ、良かった。HIBANaさん、案外悪い人ですね」
「性格が悪いのは認めます」
こういうのをやる人、わたしの周囲では一人しかいないし。
性格悪い人には性格悪い事をぶつけるのが一番だ。
「それでは失礼します。決定した収録日は追って連絡しますので」
「はい。お疲れ様です」
麻比奈さんは用件を済ませると長居をすることなく去っていった。仕事人め。お茶の一杯でも飲んでいけばいいものを。
……わたしの卒業日一周年も、もうすぐという事だ。
さて、とりあえずHANABiさんにリアタイ出来ない事を連絡しないとね。
●
創作に必要なものはいつだってただ一つ、"初期衝動"である。
一番に得た感傷。最初に飛来した情動。それらは火薬となり、積み重なる事で溜まっていく。着火剤は、それを誰かに押し付けたい、表現したいという心だ。自己顕示欲。承認欲求。
火を点けると、爆発的に"初期衝動"は消費されていく。伝えたいメッセージがあっただけなのに、なぁなぁに曲を作るようになってしまったり。書き記したい言葉があっただけなのに、どのようにすれば評価を得られるか、アクセス数を稼げるかを考えるようになってしまったり。
"初期衝動"がなくなった火は持続しない。残るのは燃えカスだけだ。燃えカスだけが、自分を大きく見せるように宙を舞う。
忘れない事だ。自分が初めに何をしたかったのか。何をやりたくてはじめたのか。
何が自分の、根底にあるのか。
「それが、ロックなんだよ!!」
「わかります。そうですよね、その青臭さが、アツさが、ロックです。そうです。そうです。わかります!」
「流石やHIBANaァ! そんじゃ、もっと激しくいくぞ!」
春藤さんとの収録。DIVA Li VIVAの収録スタジオで行われているそれは、ものっすごいロックだった。わたしの元からのロック好きと、春藤さんの爆音ギター。作った歌はそれとして、とりあえずなんかアツい曲一個歌いましょう、という話で始まったこの熱唱合戦は、ヒートアップにヒートアップを重ねていた。
わたしはドライである自覚がある。けれど、音楽に関しては。一家言あるつもりだ。強い思いがあるつもりだ。好きなものが少ないからこそ、一点集中に好きが詰まっている。
仕事だから仕方ない、とばかりにレコーディングに来ているHANABiさんが、ガラスの向こうで少し引いた顔をしている。HANABiさんはわたしの歌を好きと言ってくれるけれど、別にこういうアツイノリが好きなわけじゃない。ダウナーな人だからね。
歌う曲は日本におけるヴィジュアル系の代名詞みたいなバンドの真っ赤な曲である。
ロックはロックでもハードロックだけど、うむ。
良い。やっぱりこういう激しいヤツが本当に向いている。可愛い系やポップなのは雪ちゃんが得意。本人のキャラがクール系なのでギャップが人気。
可憐は柔らかい口調なのに、歌うと激しかったりスクリーム連発したりするので、そこのギャップ人気もあったなぁ。
「ハッハ、最高だなアンタ!」
わたしは歌っているので喋れないけれど、笑みを返す。歌には自信がある。謙遜しない。最高であることを肯定する。今、この場が、この刹那において、最高であることを肯定する。
ああ──楽しい。
わたしは、歌う事が、楽しいのだ。
一曲歌って、その後収録作業に入った。
既に曲は出来ている。連日連夜、というほどではないにせよ、そこそこの頻度で社内メッセージツールによる大激論が繰り広げられていた。作曲のプロ二人の間に入っても特に良い事は無いので、完全お任せ。わたしは出来ない事はしない。
そんな感じで完成した曲は、一般的にオルタナティヴ・メタルと呼ばれるもの。激しいのがそんなに好きじゃないHANABiさんと、激しいのが大好きな春藤さんの作曲センスが鎬を削りあった結果である。
HIBANaのイメージを損なわず、且つわたしの好きなものだ。やる気も上がる。
既に喉のエンジンは十分に暖まっている。
大きく深呼吸をして──歌う。
歌い上げる。奏上する。
一曲、歌い終わって。
「ふむ……おいHANABi、ここ」
「今直してますから詰め寄ってこないでください」
「すまん、ちょっと変更したいんやが」
「はい、わかりました」
もちろんそれだけじゃ終わらない。
歌ってみて、何かしっくりこない部分を、何故しっくりこないのかを考えて、直す。直したものがしっくりこない事はよくあるし、何十回も直して、最初に録ったものがしっくりくる場合もある。
初期位置を忘れないようにしながら、リテイクを何度も重ねる。その後エディットして、音量調整をして、チェックを重ねて、ようやく世に出せる。
「HIBANa、もう少しこう……目的地をしっかりもてんか?」
「わたしは空が目的地なんですが」
「ああ、それでか……どうにも、ふわふわしとる。歌い上げるんやなくて、歌を噛み砕いてぶつけるんや。その方が、事ロックにおいては激しくなる」
「……とりあえずそっちでやってみますけど、譲りませんからね」
「ガンガンぶつかってこい。遠慮なんかすんな、曲が廃る」
「上等です」
「春藤さんも、最後鳴らすのやめませんか。余韻が勿体ない」
「鳴らした後の余韻を楽しむのが」
「パキっとした方が良いと思います。さっきのハードロックに引きずられてるんじゃないですか?」
「なんやと?」
我の強いクリエイターの合作なんて喧嘩の連続だ。仲良しこよしにはならない。結果的に良い物が出来るのなら、どんな傷でも負おう。どんな刃も持とう。
HANABiさんが調整を終えたらしく、曲がかかり始める。
もう一回。
もう一回。もう一回。繰り返す。繰り返して、削り合って、強い物を作る。
受け入れる気なんて一切ない。ただ、捩じ伏せられるまで超攻撃的に表現をする。
争って、争って、争って──笑う。
楽しいと。ああ、これは、最高だと。
これをしたい。彼女と彼女たちと、これをやりたかった。
……ちょうどいい機会が、もうすぐあるじゃないか。
〇
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見つかるまでは。
皆凪可憐として活動をしていた時に、こんな批判を受けた事がある。
──"バーチャルである必要、ある?"
その時にやっていたことは確か、クイズ大会だった。MINA学園project総出のクイズ大会。映像が流れて、挙手をして答える。そういうもの。
批判。あるいは、疑問か。少なくとも否定ではなかったのかもしれない。確かにそうなのだ。わたし達のやっていたクイズ大会。さらには普段の活動。他Vtuberのやっている活動も、そのほとんどが、バーチャルである必要が全くない。
クイズ。運動会。ドッキリ。ゲームの実況。雑談。歌。その他諸々。
かつての、さらに前のわたしのように、バーチャルに夢を見ている人間であれば。あるいは、普通の動画投稿者との違いを求めている者であれば。なんだこれは、と思うだろう。だって、何も変わらない。現実の延長線上どころか、現実にさえ届いていない。
あるいは沢山のモデラーやプログラマの集うVRコンテンツであれば話は違ったのだろうけれど、現状のVtuberの9割が、現実で出来る事をバーチャルでやっている。
バーチャルに関する機材はお金がかかるし、普通の撮影に比べて電気代も跳ね上がるというのに、だ。現実に劣る事を、現実より高いお金を使ってやっている。
実践面でも、金銭面でも、バーチャルである必要があるのか、と問われたら──無い、と答えるだろう。
そして、必要がある必要はない、とも言うだろう。
無駄なもの程。役に立たないもの程。美しいのだ。綺麗で、面白くて、興味深い。芸術なのだから、当たり前だ。実用と芸術には明確な隔たりがあり、決定的な溝がある。それは娯楽であるというただ一点。知性を少しでもつけた生命が遊ぶという事を覚えるのなら、地球上で最も知性のある人間は最も遊ぶ生物であると言えるだろう。
娯楽を楽しめるのが人間だ。遊びを受け入れられるのが人間だ。
ならば、何よりも必要のないもので構成された今のバーチャル界は、極めて純粋な娯楽の世界であると言える。
「そもそもオタク文化ってのがソレよねー。無駄無駄無駄アンド無駄。必要ないことを突き詰めて、役に立たないものを敷き詰めて、誰も得しない踊りを踊ってるのがオタク文化よ。ああ、いいえ、誰も得しない、じゃないか。同好の士以外は得しない、が正しいわね」
「サブカルチャー。あるいはアンダーグラウンドはそれが普通でしたからね」
「ま、水面に顔を出し過ぎたのよ。一部のバカが調子に乗って浮上するもんだから、陸地生物の漁師たちが深海に興味を持ってしまったわ。マスコミやらブロガーやら、そういうのがね。それらが深海を漁ってみたらまぁびっくり! ザックザクの金貨が眠っていたのよ」
「精巧な偽造金貨ですね」
「そう。気付いた時にはもう遅いわ。オタク文化という偽造金貨が水面下に戻ろうと必死で回りを抑えても、網目は容赦なく偽造金貨を捉えるわ。お金儲けに散々使われて、話題性に散々使われて、最終的にメッキを剥がされちゃうの。そして言われるのよ。"なんだこの価値のないものは!"ってね」
「価値のないもので楽しむ事を楽しんでいたのに、価値があると勘違いされて、価値を求めてきた人に罵倒される。誰が……何が悪かったんだと思います?」
「そりゃ、水面に顔を出した事よ。粛々と、静々とやってればよかったのに、ちょっと自己顕示欲有り余って公共の場でブレイクダンスするもんだから、あとは共倒れ。本当にバカよね~」
右手の人差し指で毛先を弄りながら、女性は言う。左手で端末を弄っていて、目線はそちら。わたしの方を見ることは無い。
例によって休憩スペース。ただし今回はHANABiさん同伴という珍しいケース。PVの件で映像収録のため、ということで呼ばれたHANABiさんは、先ほど麻比奈さんに呼ばれて席を外している。
それを見越していたかのように、HANABiさんが完全に見えなくなってからスッとわたしの隣に座ってきたのがこの人だ。
「エゴサです?」
「まさか。ファッションデザイナーなんて、自分の名前はほとんど売れないものよ。パブサはすることあるけど、エゴサなんてしないわよ。今やってるのはね、ブロック」
「石片?」
「コンクリじゃないわよ。ブロックよ。アカウントブロック。趣味なのよね~」
久しぶりに自分より捻くれた人に会った気がする。
「こう、不快になるものをブロックして、見えなくすることが気持ちいいのよね。排他欲求の満了と言えばいいのかしら、わざわざ悪意の集まってそうな場所に行って、否定と擁護を見て、言葉が強いな、って感じた人を片っ端からブロックするの。気持ちいいわよ。ホラ、昔テレビでごみ屋敷の掃除をする、みたいなのあったじゃない? あれを手軽に出来る感じ」
「あー……」
「SNSは悪意の温床だし、いくら潰しても後から後からゴミが湧いて出てくるから絶好の場所なのよねー。ついでにストレスも獲得できるわ。ストレスが溜まれば、創作意欲が湧いてくるものじゃない?」
「いますよね、そういう人。ストレスの発散と創作が結びついてる人」
「あら、貴女は違うんだ。残念。ちなみに今のやり取りをSNS上でやってたら、私は貴女の事即ブロックしてるかなー」
「意見が合わない時点でブロックなんですね」
「そりゃそうよ。ブロックが趣味になったのはそもそも強すぎる排斥欲のせいだもの。究極の世界を作りたいわ。どうせ趣味なのだから、自分と同じ意見だけを集めて、推しの行動を眺めていたい。あの頃はストレスを感じたくなくて、今後ストレスになりそうなものを全て、あらかじめシャットアウトしていたのよ。そうしたらいつの間にか」
「目的と手段が入れ替わったと」
「臭い物に蓋をする、というのは人間として普通の事だと思うけどね。嫌なものを見たくないのは人間として当然よ。嫌なものを見ないために嫌なものを見に行く私は、非人間かもしれないけれど」
相変わらずこちらに目線を向けず、肩を竦める999Pさん。
批判を楽しむために批判的な言葉が吐ける人間をとっておくわたしと違って、この人はガンガンに消費するのだ。どうせまた湧いて出てくる事を知っているから。捻くれてるなぁ。
「五十歩百歩って知ってる?」
「合わせて百五十歩ですね」
「距離的には百歩よ。スタートラインは同じなんだから」
確かに。言い負かされた。
ちなみにもうわたしはこの人が好きである。大好きである。
「……貴女ならこの感覚わかるかしら。ほら、いるでしょ。否定をするにも称賛をするにも、一文付け足す人。"何々とかいう奴と違って、誰々なら安心だわ"とか"少しは反省したかと思ったけど、やっぱコイツ嫌いだわ"、とか"面白いけど全体的に設定が下手"とか"色使いがちょっとベタすぎるしパっと見の印象も薄め。限定的な場所でしか着れないし必要布量に対して用途少なすぎる。まぁ斬新な試みだとは思うから高評価つけとくね"とか……」
「私怨入ってませんか?」
「そういう、自分の好き嫌いを表現するためにほかの要素を持ってきたり"少し褒めておけば否定しても許されるでしょ感"を出したり、批判を行うためにほかの何かを持ち上げたり貶したり。そういう、余計な感情が乗ってると、どうにも楽しめないのよね、ブロックが」
「わたしはそういうの好きですねぇ。隠したいだろう部分が見えて楽しくなる」
「……こう、悪意を持って接したいなら、もっと正直になりなさいよ、って思わない? 嫌いなものは嫌いと言っていいのよ。それは当然の意見だわブロックはするけれど。何々だから嫌い、とか、どうこうだから苦手、とか。見ていてイライラするのよね。嫌い! 好き! だけの世界で良くない?」
「わたしはむしろその世界嫌です。二極じゃないですか。好きになれない、嫌いになれないはイコールで嫌い、好き、というわけじゃないんですよ。色んな感情の、ギリギリ
そこで、ようやく。
999Pさんはこちらを向いた。
「そ。じゃあ私、貴女の事やっぱり嫌いね。意見が合わないもの」
「わたしは999Pさんの事大好きになっちゃいました。後でフォローしておきますね」
「貴女だと判断した瞬間にブロックするけど良い?」
「もちろん。当然の権利かと?」
HANABiさんとも、最初にこういう話をした。似ているようで、根底の違う価値観や世界観。絶対に相容れないものがあって、だからわたし達は一緒にいる。互いにとって有益で、互いにはない発想が出てくる事を知っているから、互いが互いを必要としている。
999Pさんは自己完結しているから、わたしに欲するものが無かったのだろう。
「芸名、なんだっけ?」
「HIBANaですね」
「ん。とりあえず曲聞いてから判断するわ。不快が勝ったら、わたしは貴女の曲を一生聞かないでしょうね」
「問題ありません。歌には自信がありますから」
「不快が勝らないって事?」
「はい」
「大した自信ね。好き嫌い以前に、人として苦手だわ、貴女」
わたしは笑っていて、999Pさんはジト目……というか、薄目。
いいなぁ、この人。自分に正直だ。
「えーと、HIBANaさんと……999Pさん? 随分と険悪な雰囲気ですけど……」
「おかえりなさい、麻比奈さん」
「休憩も十分取ったし、私はここらで失礼するわ。妹の同棲相手がどんな人かわかったし。悪いことは言わないから、距離を取った方がいいわよ。ロクな奴じゃないわ」
そう言って、999Pさんは去っていった。五十歩百歩って知ってます? なんて言葉は投げかけない。
「その」
「楽しく談笑をしていただけだから、気にしないでください。それより、収録の話はどうなりました?」
「あ、はい。スタジオが取れたので、今から撮影です」
「わかりました。HANABiさん、行こうか」
「……はい」
999Pさんの去っていった方を睨みつけるHANABiさん。まぁ、その辺なんかありそうだけど、仕事場なので突っ込まないし掘り下げない。ほら行くよ。
その手を引いて、こちらをチラチラと気遣う麻比奈さんの後をついていく。あれ、というかHANABiさんが……だから、999Pさん少なくともアラサー……凄いな、全然見えなかった。最初に来た時美大生かと思ったくらい。わざとなのかな、あのベレー帽被った古のオタク女子ファッションは。
しかし、世界は狭いものである。
●
"知らない事"を楽しむのは情報社会で生きるにおいて必要なスキルであると思っている。
見逃すことが嫌い、知らない事があるのが怖い。それらは楽しみを奪われるのが怖い、という恐怖心に基づいていると考えられる。
たとえば映画やアニメのCパート。おまけ、というものを溢したくない。後から知る事のできるものだとしても、今知りたい。誰よりも早く知っておきたい。自らが知る事のできる、できたはずの情報を、後から教えられたり知れなかったことを嘆きたくない。
そういう、勿体ない精神の反転、みたいなものが、今の世界には蔓延しているように思うのだ。
だからわたし達の活動する動画投稿サイトにおいても、有料会員限定、みたいなものに忌避を抱いている人間が多いし、アーカイブが残らない事に対して文句を言う人間が多い。目に見えた手に入らないものが気に入らない。
「重要な設定や情報が載っているらしいスピンオフ作品とか、好きになってしまったゲームシリーズの販売終了した一作目とか、見ていた人しか覚えていない幻の配信とか。手の届かないものじゃなくても、手の届かないものでも、"知らない方が面白いもの"ってあると思うんだよね」
──"偏執的なコレクターの事をオタクって言うのよ。知らなかった?"
「自分の世界に未知があった方が面白くない? 調べたらわかってしまうかもしれないけれど、放置しておけば永遠に謎の領域」
──"不快でしょ、知らない事なんて。永遠に見なくて済む、見たいと思わないで済む情報ならわかるけれど"
「ううん、もっと身近。好きな作品の、愛している作品の、一部だけ。ずっと見えない部分があるという状況」
──"ならアンタはオタクじゃないのよ。妄執に憑りつかれないオタクが存在するはずがないわ。あるいは、ただの中二病ね。冷やかしてるオレカッケーってヤツ?"
「クリエイターなんて全員中二病でしょ。だって自分の世界を作ってるんだよ? 神様じゃん?」
──"今全クリエイターを敵に回したわね"
「中二病を蔑称として使っている方が悪いよ。自分の中から出て行ってしまいそうな思春期の塊、みたいなものを必死で繋ぎ止めているのがわたし達だもん。むしろかくあるべきだよね」
──"……なんでこんなのと通話してるんだろ、私"
あれから、999Pさんとは友達になった。なれた。
あの後一通、社内SMS*1で"良い歌だったわ"とだけ来て、直後にSNSアプリのフレンドコードが送られてきたのだ。
そこから、結構頻繁に通話をしている。
敬語も取れて、大分ラフになった。相変わらず険悪なのはご愛敬である。ご愛敬だと思っているのはわたしだけかもしれないけど。
「今何してるの?」
──"デザイン画のアタリをねー。どーにもスランプ気味というか、創作意欲が湧かないのよね"
「ということは、わたしとの会話はストレスじゃないんだね」
──"めっちゃ創作意欲湧いたわ"
……これ、遥香さんに見られたら"随分と
人にされて嫌なことはするな、だっけ。ごもっとも。
──"アンタは何してるの?"
「999Pさんと通話してる」
──"それ以外よ"
「特に何も……あ、やっぱりHANABiさんと同じでマルチタスクなんだね」
──"アレと一緒にされるのは遺憾よね……私、あの子ほど余裕無いつもりないから"
「なんで姉妹で活動しなかったの?」
──"姉妹はもれなく全員仲が良いとか思ってる?"
少なくとも妹の相方を見定めに来るくらいには仲が良いものだとばかり。
──"やることないなら、ちょっと手伝ってよ。今からラフ画送るから、好きに着色して。細かく塗る必要はないわ"
「お絵描きソフトなんかないけど」
──"今どきどんなPCにもペイントツールくらい入ってるでしょ"
「……開いたことないなぁ」
──"これDLして、コピペでも開いてもどっちでもいいからペイントツール上に置いて、上から色塗りして上書きしてここに送信してくれればいいから"
「難しい」
──"は?"
わたしは出来ない事はやらない。
ので、触ったことのないツールに対しては本気でやり方が分からない。何度千幸ちゃんに"お願いだから余計なことはしないで!"と怒られた事か……。
──"……難しい事言ってないでしょ。あぁ、じゃあ、画像右クリックして保存するを選んで適当なとこにいれてペイントツールの左上のタブ押して開くっていうのがあるからそれ押して保存した画像を選んで開くを押しなさい"
「一度にいっぱい言われてもわからないでーす」
──"アンタ、極度の食わず嫌いね。食わず苦手、というべきか。得意な事が得意過ぎて、得意じゃない事が嫌いなのね"
「多分そう。今保存したよ。次は?」
──"ペイントツールを開く"
「どこにあるかわかんないんだけど?」
──"検索窓……虫眼鏡みたいなマークない? もしくはチャットみたいなコメントを送れる場所"
「あった」
──"そこにペイントって打ち込んで……"
そうやって。
999Pさんは、意外にも……と言ったら失礼だけど、懇切丁寧に色々教えてくれた。なんだろう、HANABiさんにも時折感じてはいたけれど、凄く……お姉さんっぽい。今凄い姉を感じている。姉力。アネリキ。アネリキー。
ある意味で、HANABiさんがなんでも出来てしまったから、教えを乞うという行為をする機会に恵まれなかった、というべきか。配信中はリアルタイムで忙しいし、収録中も慌ただしく忙しい。配信を行うまでパソコンにあんまり触れてこなかったわたしにとって、こうやってゆったりと教えてもらう、というのは経験上無いことで、とても楽しいのだ。
──"うん、デザインはゴミね。やらない方が良いわ"
「酷くない?」
──"色を塗ってみて、って言って渡されたロングドレスを真っ黒に塗る精神に対する感想はゴミで十分よ。魔女か悪女役しか着ないわ、こんなの"
「かっこよくない?」
──"せめて少しくらいのアクセントをつけなさい。真っ黒は流石に精神の閉塞を感じるわ"
「かっこよくない?」
──"特定の選択肢を選ばないと会話が進まないNPCみたいになってるわよ"
「かっこいいよ」
──"とうとう断言したわね。救いようがないわ"
HANABiさんなら絶対カッコイイと言ってくれるのに。
……いや、HANABiさんなら同意した後で、自分で煮詰めている間に段々と色々な色味が追加されていくだろう。
──"歌が素晴らしいのは認めるわ。だからこうして付き合ってるのだし。だけどそれ以外がポンコツね。話しててわかったわ。世話係がいないとダメね、アンタ"
「一人暮らしだけど」
──"生活の話じゃないわよ。創作活動の話。アンタの場合ブレーキとかアクセルとかの話じゃなくて、ハンドルが取れてるから、車に乗せない、っていう選択肢を取れるヤツが近くにいないと暴走必至ね"
「HANABiさんが自動操縦の車作ってくれるから」
──"バカね。あの子が作るのは自動操縦のロケットよ。それも着地の事を一切考えてないヤツ。作る事で精いっぱいだから、それがどういう結果を生むのかが考えられない。やりたい事しか見えてないのよ"
「その爆心地で被害状況を眺めてニヤニヤしてるのがわたし」
──"どっちも救いようがないのね。しかもそれをわかっててつるんでる。極めて性格が悪いわ"
「オリゴ糖」
──"せめて先にありがとうを言いなさい"
直感的にわかる。多分この人とは、HANABiさんのように家に入り浸る、などをすると長続きしない。通話越しでギリギリ保っていられる距離だ。近すぎるとわたしが調子に乗ってしまうし、遠すぎればふとしたある日に999Pさんはわたしを完全にブロックするだろう。
これは良い出会いだな、と思った。
──"それにしても、キャラ作りが酷いわね。アンタの前世。前世のファンが今のアンタを見たら卒倒するんじゃない?"
「999Pさんも配信者は素であるべき派?」
──"……ごめんなさい、そんなことは無かったわ。それは謝る。必要よね、需要と供給は。顧客の要望を叶えるのがサービスの原点か"
「そんな高尚な意図はないけど」
──"じゃあなんでこんなキャラ作りをしてるのよ。別人じゃない"
「MINA学メンバーの南雪ちゃんって子がいるんだけど、その子とお互いのキャラクターの設定を決めたんだよね。喋り方とか好きなものとか。それに準拠してるよ、皆凪可憐は」
──"随分と恐ろしい話ね。そんな簡単な設定とやらで作り上げた人格で、よく一年間耐えられたものだわ。何年もそのキャラクターを担当した声優だって、まだ人格がつかみ切れていない、なんてことはよくあるのに"
「キャラクターになりきって文章を書いたり歌を歌ってみたりするといいよ。一日、その子で生活してみる。自分を真っ白にして、上からペタペタ貼り付ける感じ」
──"それ、元の自分がわからなくなりそうね。地声を忘れちゃう、みたいなヤツ"
「そうなったら元の自分を貼り付ければよくない?」
自分の性格とか、好みとか。
そういうパーソナルデータみたいなものを、書き出しておけばいい。自己暗示をするのだ、戻るためのキーは何かしら必要である。これこそ中二病、と言われそうだけど、まぁその通りだと思う。出来る出来ないは出来ると思い込めるかどうかによる。どれだけお金を積まれてもバンジージャンプが出来ない人もいるし、直前に楽し気な動画を見ていたから、なんて理由で高所恐怖症の人がスカイダイビングを楽しめたりする。
思い込んで、思い込む。
演技とはそういうものだと思う。そうじゃないと、感情なんて伝わらないとも。
「999Pさんも、やってみるといいかも? 創作意欲がドロドロ溢れ出てくる自分を思い描いて、自分がそれなんだって思い込む」
──"なんでオノマトペがドロドロなのよ"
「煮詰めてるんでしょ?」
──"……確かに?"
今回はわたしの勝ちということで。
スッと出てきたアイデア以外、やりたくて溜め込んでいたアイデアなんて、大体ドロドロしてると思う。だからこそ深みが出るのだとも。一晩寝かせたらコクの出るカレー見たいなものだ。
「通話してると作業が進まないっていうのなら、断腸の思いで通話切るけど」
──"それは問題ないわ。その程度で進まなくなる程私の筆は脆くないし"
「それはよかった。通話を続けたい、という事でいい感じ?」
──"そうは言ってないわ。好意的に解釈しないでくれる?"
「悪意的に解釈すると、わたしとの通話は"通話をしている"以外の理由で筆が進まなくなっているって事かな」
──"自分より悪辣なものを見て気分を害している可能性は無きにしも非ずね"
「どんぐりの背比べって知ってる?」
──"残念、微妙に意味が違うわ。勉強不足ね"
「じゃあ大同小異」
──"80点"
会話が楽しい、という感覚がある。
HANABiさんとのそれも楽しい。でもHANABiさんは割といじられキャラというか……力関係が結構一方的な雑談になりがち。なのだけれど。
999Pさんは、こっちが殴ると倍の力で殴り返してくるから、新鮮だった。
「良い物を見れば創作意欲も湧くかも。わたしの歌を聞くといいよ」
──"それはアリだけど、他、オススメない? 身内贔屓あってもいいわよ、布教したいものを教えて"
「MINA学とNYMUちゃんかな」
──"アンタの前世のトコと、ニーム? ああ、なんか聞いたことあるわね。社内で"
「エヌワイエムユーでNYMUちゃん」
──"ふーん、最初に聞くならこれ、ってのあったらリンク貼ってくれない?"
「リンクを、貼る……?」
──"またかぁ"
「流石に嘘だよ。概要欄とか弄らなきゃいけなかったし」
大きなため息を吐いた999Pさんとの通話グループに、オススメと思う動画を10件くらい貼り付ける。
──"最初に聞くならこれ、ってのがあったら、って言ったはずなんだけど"
「一番とか選べないよ」
──"一番は選べるけどそれ以外を聞かれないのが嫌だから混ぜて送った"
「正解です」
負けが続くなぁ。とても楽しい。
既に時間は深夜1時を回っているけれど、明日普通に仕事だけど、物凄く楽しい。
──"まぁとりあえず全部聞いてみるわ"
「うん」
──"だから今日の通話は終わりね"
「えー」
──"明日も創作意欲が湧かなかったら通話してあげるわ。ま、あんまりやりすぎるとあの子が拗ねるわよ。あの子、重いから"
「それはそう。部分的にそう」
──"10割よ。私は経験者だもの"
……姉妹で活動してない理由って、そういう?
じゃ、ね。と言って。
一方的に通話は切られてしまった。
寝るかぁ。
……もし姉というものがわたしにいたら、あんな感じなのかなぁ、なんて。
とても普通な感想を抱いて、一日が終わった。
〇
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霞むまでは。
HIBANaのアカウントに投稿されている例の慟哭動画には、いくつもの返信がついている。
SNSアプリの仕様によって不適切な返信は下の方へ追いやられているのだが、まぁ不快なものを目に入れるだけでストレス、という人もいるので必要な処置であろう。
その返信というのが、大まかに分けて四つ。
皆凪可憐の名前を出すだけのもの。皆凪可憐の名を出し、MINA学園projectとの蟠りとやらを清算してください、という要望。動画に対する感想。厨二乙等のほとんど意味をなさない投稿。
随分と、大事らしいな。と思う。
過ちだと思ったら。目に余る行為をしたな、と思ったのなら。見放すべきだ。コメント程度では何も変えられない。何の気持ちも伝わらない。文章に対し、それほどまでの強い感情を持っていない。
転生前に戻ってほしい。あるいは、応援したいから面倒ごとを解決してください、という要望を、本当に聞き入れると思っているのか、甚だ疑問である。他人の声が信念を変えるほどの部分にまで届くなど、熱血系の見過ぎではないかと思う。
無理だ。諦めるといい。
少なくとも視聴者の言葉では変わらない。文句を言う前に、陳情を垂れる前に、見放してしまうのが一番だ。貴女のためを思っての事ですよ、などという押し付けは、あまりに目に余る。君の大事だった推しはもう戻ってこない。過去の輝かしい記録で楽しむか、他を見つけるべきだ。
プラス方面でもマイナス方面でも、相手をコントロールしようとした時点でファンではなくなっている事を自覚してほしい。落ちる奴はとことん、どこまでも落ちていくから、それを救う必要はない。手を掴むな。落ちるのを眺めるといい。いつか自らが真上を見上げて、帰りたいと思う日が来るのなら、それが反省であり後悔になるのだから。
どう頑張っても、HIBANaというキャラクターを受け入れられない人達。余程愛が強かったのだろう。余程楽しい思い出だったのだろう。そうであれば、続かない過去を楽しんでほしいと思う。心から思う。無理に応援する必要はないし、応援したいから変わってください、など本末転倒にも程がある。
──"前にも言ったでしょ。オタクっていうのは偏執的なコレクターなの。自分のコレクションが自壊する事に耐えられないのよ"
「"前の貴女の方が好きでした"って言われても、はいそうですか、以外返す言葉ないよね」
──"ストレスを溜めておくことが出来ないのよ。文句を言わないと心が壊れてしまう。感情の整理が壊滅的に下手。推しなんてものを作る依存者に、アンタの感覚はわからないわ"
「999Pさんもそうなの?」
──"当たり前じゃない。推しが変わったらSNSで散々文句を垂れるわ。エゴサ避けはするけどね。そして、たとえ元推しだったとしてもブロックするわ。先に不快な返信を全員ブロックしてからね"
「勿体ない。炎上しかけてる配信者なんて、批判と悪意の温床だよ。悪意は湧いて出るかもしれないけど、配信者はそこそこ有限だと思うんだ」
──"ブロックする楽しみの方が大きいわ"
それなら仕方がない。
まぁ、吐き出すのは良い事だ。そういうのを吐き出す人間であるという識別が出来る。本心を何も言わずに拡散だけをするアカウントより、わたしは好き。むしろそういうのは怖いと思うくらいだ。
──"アンタ、その批判好き、配信で言った事あるの?"
「まさか。こういうのは自分だけで楽しむものだよ。言うとしても、身内。性格悪いんですよねわたし! なんて、イメージダウン以外の何物でもない言葉を配信なんて場所に載せるわけないじゃん」
──"ふーん。意外だわ。だって、言った方が批判は集まるじゃない"
「養殖の批判を食べても美味しくないでしょ。あくまで自然を装わないと。批判を楽しんでる、なんてことは全く知られないようにしながら、何も効いていないフリをして、謝りもせずに突き進むのが一番だよ」
──"効いていないフリ? なんだ、少しは傷ついているのね"
「楽しさと痛みは別物じゃない? 面白いな、と思うし楽しいな、と思うし興味深いな、と思うけれど、ああ悲しいなぁとは思うよ。それで活動を止めるほど響かないってだけで」
──"痛いけど、痛いだけ、って事か。まぁそれについては私も同じね。不快だけど、不快なだけ。だからわざわざ見に行くのだし"
「否定が心に響くと思っている時点で、大分優しいよね。対立煽りとかは響かないと知ってるから、他の勢力やほかの配信者をぶつけようとしてるんだろうけど」
──"まさか当人達が裏で楽しくカラオケ大会をしている、なんて思ってないのでしょうね。仲良しこよしの発想が出てこない人間にとって、それを想像しろっていうのは酷な話か"
想像力の限界の話だ。まず悪意から想像する人間が、配信で険悪な雰囲気だった彼らが裏で普通に打ち上げをしている、なんて話を考えることはない。逆に善意から想像する人間は、配信で険悪になったから裏でも冷え切っている、とは考えないのだろう。"善良なファン"とやらが善意から想像する人間とは限らないワケで。
良くも悪くも見えている面しか見えないのが、配信というものだ。
そういう意味では、わたしと雪ちゃんも随分と勘違いされていたように思う。同い年で歌が上手いから、余程仲が良いと。ライバルの関係で頻繁にどちらかの家に泊まりに行っていたから、姉妹か双子のようなものだと。そう思われていた。そういうファンアートをよく見かけたし、セクハラだと思わないでもないカップリングとやらでよくわたしと雪ちゃんが組まされていた。
実際のところは、口論をするために相手を呼び出しては相容れない事を知ってさらにヒートアップ、というのを繰り返していただけであるのだけど。
配信にまでその空気を引きずってしまったのが一回だけあった、というだけで、ファンの見えない所で散々めったら激論を繰り広げている。仲の良い姉妹どころか、仇敵たる異教徒だろうか。
「配信で素を晒す事ほど、怖いことは無いよ。わたしはそれが怖いからずっと演技してるわけだし」
──"キャラ作りは用心深さの表れでもあるのね。じゃあ、配信で批判に触れるヤツは強がってるのかと思ってたけど、どっちかというと弱がってる、って方が正しいのかしらね"
「弱点晒してわたしはここが弱いので攻撃しないでください! っていうヤツ? オープン戦法だね、それは。そして攻撃を躊躇してくれる人なんていないと思うよ。むしろこぞって叩き始める」
──"アンタは何を言われたら一番傷つくの?"
……なんだろう。
自信がある事に対しての批判を受けても、良さがわからないのは残念だね、と思う。可哀想だね、と思う事もあるくらい、性格は捻じ曲がっている。自信過剰に生きている方が楽しいからね。
わたし自身に言われて、傷つくこと。考える。うーん。ぽくぽく。うーん。
「うーん。とりあえず最近で一番傷ついたのは"デザインがゴミ"かなぁ」
──"事実よ。否定じゃないわ"
「まぁ、そういう。得意じゃない事が嫌いだから、得意じゃない事を無理矢理やらされて、それにダメ出しされると傷付く。拗ねる」
──"ああ、まぁそうよね。傷つかないためにやらない事を選んでいるんだから、そうか"
「昔誰が上手にサムネイル作れるか選手権をしてビリだったんだけど、その時ノリとはいえ凄まじい量のダメ出しがみんなから来て三日くらい拗ねてた」
──"ちなみにどんなの?"
「真っ黒い背景の前に可憐が立ってるやつ」
──"精神の異常を疑うわ"
「同じようなことをみんなから言われた」
得意じゃない事は本当に得意じゃない。出来ない事をやらされるのが苦痛だ。だって出来ないんだもん。得意なことをしていたいと思うのは当然だと思う。踊りとか仕事みたいな、やらなきゃどうにもならない事ならなんとかできるんだけど。
それにしたって、懇切丁寧なマニュアルがあってこそだ。
「そういう意味では、こうやって文句垂れてる人は視聴者向いてないと思うよ。言いたい事あるなら発信者になった方が良いもん」
──"それはそうね。どこにでもいるわ。読者に向いていない奴。視聴者に向いてない奴。消費者に向いていない奴。往々にして自覚がないのよ。何故って、発信者側をやったことが無いから。自分が得意である自覚がない"
「一回やってみればいいのにね」
──"鏡を見る事をオススメするわ"
「芸術系は一通りやったよ。やらされた。習い事ってやつ。お試しで一か月だけ、みたいなのいっぱいやった。歌以外ダメだったけどね」
──"幼少期の経験は大事ね。成功体験が無いとその後の人格形成に支障を来すわ"
「鏡を見る事をオススメするよ」
引き分け。
あるいは、痛み分け。
「HANABiさんは?」
──"あの子は、昔から天才の類よ。なんでも出来たわ。なんでも出来たけど、成功した、という感覚が無いから、いつも焦っていたわね。努力が足りないって。滑稽だったわ。唯一歌の授業の時だけ、落ち着いていたわね。先生が頑張れば褒めてくれるって"
「自分の創作に自信を持ち始めたのはいつから?」
──"さぁ……私が家を出て、次に会った時にはああなってたわ。あの手に負えない感じにね"
「HANABiさんの事、好き?」
──"さぁ、家族に対する感情なんて、良くも悪くも絆以外はないでしょ。好きでも嫌いでもないわ。面倒くさいとは思うけれど、それだけよ"
「ふぅん。いいなぁ、姉妹」
──"今のどこに羨ましがる要素があったか教えてくれる? 治すわ"
「わざわざ作らなくても、誰かと繋がりがあるって良くない? 他人がパーソナルスペースにいる感覚。自分以外の価値観と会話するのって楽しいよ。だから羨ましい」
──"持たざる者の意見ね。持つ者とは相容れない価値観だわ"
「だろうね。相互理解なんて出来ないよ。だから楽しいワケで」
無駄なことをする、と思っている。諦めたほうが建設的だよ、と思っている。皆凪可憐を求める声に対して、諦観を覚えている。
だからこそ、面白いと思う。楽しいと思う。無駄なことをする人たちが理解できないから、愛おしい。可愛らしい。
──"性悪"
「傷ついた」
──"いつか貴女の歌に飽きて、晴れてブロックできる日が来る事を願っているわ"
「Good Luck.」
──"うるさい"
わたしの歌に飽きるにはまず、HANABiさんの曲に飽きないといけないことをわかっているのだろうか。面倒くさがりながらも世話を焼いているっぽいこの人が。出来るとは思えない。
そして何より、わたしだって精進を怠るつもりはないから、999Pさんとは永遠に友達である自信がある。
──"ああ、そうそう。一つ聞きたいんだけど、いいかしら"
「なに?」
──"アンタ、苦手なものってあるの? 虫とか爬虫類とか"
「うーん。毒のある生き物は嫌いかなー。死んじゃうし」
──"見た目では?"
「見た目……キラキラしたものはあんまり好きじゃないかなぁ。触りたくなる」
──"なるほど"
「なんで?」
──"ま、敵情視察よ"
敵情とは。戦争中かな?
──"ちょっと創作意欲湧いたから、この辺で落ちるわ。またね"
「また通話してくれるんだ」
──"気が向いたらね"
わぁい。
●
VR機材というのは、いくつか種類がある。最上位のソレ……値段も維持費も馬鹿にならないそれであれば、ほぼすべての動きをトラッキング出来るし、少しグレードを落としてもクリエイターの努力と撮影時の努力で結構何とかなる*1。
さらにグレードを下げて、モデルの崩壊が頻繁に起こるものの卓上で使えるものもあり、Vtuberは配信においてその卓上カメラで配信を行っている者が大体である……と思う。他は色々と手が出ないから。
その他モデルではなくイラスト……いくつもの層を重ねたイラストを対応部位によって動かして、"動くイラスト"という形で配信を行う者もいる。費用的には多分これが一番安いかな。パソコンによっては内部カメラでも動かそうと思えば動かせる。*2
MINA学園projectは全員が3Dモデルを持っていて、それぞれがWebカメラを使用しての配信を初めから行えていたので、その"動くイラスト"というものが用意される事が無かった。キービジュアルは存在していたけれど、正直あんまり使わなかった。少なくともわたしは。*3
なので、DIVA Li VIVAの"動くイラスト"クリエイターの人にHIBANaの"動くイラスト"を見せられても、どこを直した方が良いでしょうか、と言われても、わからない、と答えるしかなかった。
「2Dモデルですか……ぶっちゃけ何に使うんだ、っていう疑問は杏さんも持ったと思うんですけど、何か聞いてますか?」
「なんか、対談イベント? で使うらしい?」
「出るんですか?」
「社長がお呼びらしい」
げ、という顔をするHANABiさん。わたしも聞いた時にはげ、という顔をした。
社長だ、なんて。DIVA Li VIVAの社長。それはつまり、それはつまることである。つまるところ、つまりそういうことである。
「……何かしましたか、杏さん」
「わかんないんだよね。なんというか、麻比奈さんがちょっと焦り顔で話持ってきてさ。とりあえず動くイラストを用意しているから日にち空けてください、って」
「えぇ……また燃えません、それ」
「セクハラがやばそうだよね」
社長に取り入っている(意訳)という事が大量に書かれるに違いない。
まだ入って一ヶ月経ち切っていないところにコレだ。あるいは社長とやらがわたしに恨みでもあるのかもしれない。
「知れないけど、納期明日までだから直してほしい所だけ言ってほしいんだって」
「随分と急な……これ、飲み会の席とかで冗談で言ったやつが決まっちゃった、みたいなヤツじゃないですかね」
「"そうだ、新人と絡んでみるとか言うのはどうかね!"」
「"わかりました、予定組んでおきます"」
「まぁ企業がそんなことで動いちゃったら目も当てられないんだけどねー」
あははは。
はは。
「社長の名前、覚えておいた方が良いヤツ?」
「覚えておいた方が良いヤツですね」
「非常に面倒くさいとか言っていいヤツ?」
「口を慎むべきヤツですね」
「断った方が良いヤツ?」
「断れないヤツですね」
うわぁ。
面倒くさいなぁ、って。休憩スペースで社長と話す、というのなら大歓迎だ。ウェルカムだ。是非とも話したい。
けど配信で話すのは……色々作らないといけないなぁ。
というか配信はしないでいいっていう話でスカウトされたんじゃなかったのか。契約不履行みたいな話で蹴ってもいいんじゃないかコレ。
「ちなみにですけど、DIVA Li VIVAの放送予定一覧に枠がありますね」
「パワハラじゃない?」
「メリット計算しましょう」
「百害あって一利なし」
「量子コンピュータ並みの速度と正確性ですね」
配信で話そうものなら、今作っているHIBANaのブランディングイメージが崩れる。それはわたしがポンコツだからとかボロを出すからとかそういう話じゃなくて、単純に世界が合わないのだ。バーチャルとリアルには明確な隔たりがあり、その境界を歩くライバーも居る事はいるけれど、HIBANaはがっつりファンタジー寄り。
且つ、HIBANaのキャラクターでは雑談をしても面白くならないという自信がある。可憐とは違うのだ。
「実際、蹴るのはアリかもしれません。覚えが悪くなるとか、まぁ些細な問題ですね。息苦しくなったら抜けましょう」
「……ちょっと待ってね」
一応、ちゃんと考えてみる。
批判はどうでもいい。セクハラもまぁ、そもそもそういう関係のワードはミュートにしているので問題はあんまりない。HIBANaのイメージ崩壊。これが最大のデメリットだ。
逆にメリットは、社長と話す機会が得られる事。そして宣伝効果か。普段表に出てこない社長が出てくる、というだけである程度の客寄せパンダにはなろう。そこにHIBANaが追加されれば、まぁまぁ、そこそこの宣伝力はある。
マーケティングという面において、引き込むにはうってつけではある。
ただし、好意的な印象を与えられればの話。
MINA学園projectで実施していたような、コラボ先では得意なことしかしない、という手法が今回は使えない。否応なく雑談という場に引き出される。それが、果たしてどんな意味を持つか。
……うーん。うーううん。うーぅぅぅうううぅううん。
「ガッチガチにキャラ作っていけば、いける……と思う。今からHIBANaになりきっていれば、ある程度は、って感じかな」
「わかりました。今修正案全部書き出したんで、2Dモデルのことは考えなくて大丈夫です。キャラ設定、詰めましょうか」
「流石」
HANABiさんはわたしに出来ないとわかっている事を全部やってくれる。話している途中でも、話しながら全て終わらせてくれる。凄い。それでいてこちらの意見が必要だと思ったときはちゃんと聞いてくれるし、ボケにも付き合ってくれる。
大分、かなり依存している自覚はある。一人でも生きていけるけど、HANABiさんがいるとついつい頼ってしまうのだ。
「……でもHIBANaの世界で社長を面白くできる自信がない」
「面白くならなかったらそれでいいんです。あっちも学習するでしょう」
「こっちが怪我しなければいいか……」
「あっちの無茶振りですからね。火傷してもらいましょう」
全力で全責任をあっちに押し付ける方向で話が固まっていく。世界バリバリに出して、下手なツッコミやボケを出来なくしよう、とか。台本こっちで書いて持って行って無理矢理納得させよう、とか。最悪険悪な雰囲気出して配信終了を早めよう、とか。
ロクでもない話ばかりだ。しかし、やる気のない企画なんてこんなものである。言葉のエンターテイメントはその道のプロに任せればいいのだ。わたし達のやることじゃない。
「コメントはまぁ、荒れるでしょうから、気にしなくてもいいです。無自覚荒らしと故意荒らしがぶつかり合って、いい具合に混沌になるでしょう」
「ちょっと煽る?」
「いえ、余計な事はしない方が良いかと。HIBANaはそういう煽動とは無縁であった方がいいです」
「そうじゃなくて、社長を」
「……一応相手は社長なんですよ。私達より人生経験積んでます。軽い挑発には乗って来ませんよ」
「流石に嘗め過ぎか」
「はい。狸を相手にするつもりで構えたほうが良いかと」
……ちょっと楽しみになってきた自分がいる。
割と。
遥香さんという例外を除いて、みんな。わたしの周りにいた人は、素直な人が多かった。腹黒い人が少なかった。それと話す、という行為を。
なんだか、楽しみにしている自分がいる。
「社長の事勝手に腹黒設定しましたけど、普通の人の可能性もありますからね?」
「誰かを蹴落として、のし上がってきたのが社長って生き物じゃないの?」
「偏見が酷すぎる」
「狸は狸でも金平狸の可能性もあるのか」
「キンペイタヌキってなんですか」
「優しい狸」
ともかく。
「……うん、じゃあ、ちょっと今日は帰るね。あんまり通話とかチャットとか飛ばさないでくれると嬉しい。優しく返せる自信がない」
「はい。2Dモデルは私が提出しておきますよ。細かい話も聞いてきます」
「助かるバスカヴィル」
「何日くらいかかりますか?」
「一日で十分だよ。多分」
明日が土曜日で良かった。
自己暗示にもってこいだ。
「じゃ、早ければ日曜日」
「はい。お気をつけてお帰りください」
そうして、久しぶりに。
金曜日の夜。わたしは、HANABiさんの家に泊まらずに帰るのだった。
●
耳栓をして、アイマスクをつけて、ベッドに横になる。
完全に遮断できるわけではない。HANABiさんのマンションのように防音室があればまた違ったのかもしれないけど、ウチにそんなものはない。一戸建てだけど、普通の民家である。
だから耳栓とアイマスクという便利グッズでもって、疑似的な無音空間に入る。情報の入力を遮断して、内側に集中する。
別に。
特別なことをするわけじゃない。
この状態で自分がHIBANaであると思い込み続けるだけ。
思い込み続けながら眠るだけ。
何度か、役者の人の話を聞いたことがある。台本がボロボロになるまで読み込む人。鏡に向かって自己紹介を続ける人。身振り手振りを大仰にやって、体に覚え込ませる人。
全部自己暗示だ。自分がこの役である、という事をなんとかして自分に誤認させる。ともすれば"何やってるんだっけ"となってしまいがちな理性を捩じ伏せて、自分を役で上塗りする。
一度自分を忘れる。好きなもの。人。楽しい思い出。嫌な思い出。
忘れる、というよりしまう、という方が正しいか。折りたたんで小さくして、引き出しにしまってしまう。ピアニストに始まる演奏家というのには"憑依型"と呼ばれる人たちがいるようだけれど、ほとんどそれと同じだ。己が作り上げる世界に入り込むのではなく受け入れる。こっちに寄せる。
そうすることで。
ようやく──わたしは。ワタシは。
自分を、HIBANaであると信じ込める。
〇
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零すまでは。
人間は感情を維持し続ける事を得意としていない。
怒り続けるにも、喜び続けるにも膨大なエネルギーを必要とする。常に感情を発露するというのは非常に難しく、非常に疲労するのである。
同時に、怒りも喜びもしないというのは、
適度に怒る。適度に喜ぶ。且つ、続けない。
そのコントラストを総称して、健全な精神と呼ぶ。
「まぁ、その。恥ずかしい話ですけどね。小さい頃の私は随分と……その、自意識高めだったといいますか」
まぁ、その。変な話、なんでも出来たんですよね。出来ちゃったんです。ある程度じゃなく、一番まで。一等賞が取れちゃったんです。それで、みんな最初は凄いね、とか。上手いね、とか。言ってくれるんですけど、段々"褒める事"に飽きちゃったのか、当たり前のようになってしまって。
私は私で、飽きてました。面白くなかったんですよ。世界に彩りがない、と言えばいいんですかね。嫌な事が、出来ない事が何もないから、出来ても嬉しくない。一日の始まりと一日の終わりの感情が同じなんです。つまらない。何をしても同じ。波風の立たない心。
……今思い返して喋ってるだけで大分恥ずかしいんですが、まぁ、そんな感じでした。子供の頃は。
楽しいと思う事が無いと、感情に起伏が生まれません。ずっと平行なんです。感情って、プラスにもマイナスにも振れ幅があるから、それらに分けられた記憶が引っかかって想起されるんですよ。でも私にはそれが無かった。ぜーんぶ、同じ思い出。コンクールで最優秀賞を取った事と朝ごはんを食べた記憶が等価なんです。
唯一、姉だけが。
姉だけが、私を
だから、姉と話すことが。姉と一緒にいる時間が大好きでした。
あの人と話していれば、私は嫌な思いが出来るんです。嫌な思いが出来ると、驚くことに成功が嬉しくなるんです。考えなければいけない事が発生して、努力が出来るんです。
姉の服飾デザイナーになる、という夢を聞いた時、じゃあ私もクリエイター……デザインとか、イラストとかの道に進もうと決めました。二割、とか。半ば、とかじゃなく、十割嫌がらせです。姉と違う道に進んで、姉の"嫌い"が受け取れなくなるのが、世界がまた平坦に戻るのが怖くて、私は姉と同じ道に進むことにしたんですから。
けれど、どうしても埋められないものがありました。
年齢です。
姉は私より先に家を出て行ってしまって、一人暮らしを始めてしまった。
極度に姉に依存していた私は焦りました。どうしよう、と思いました。その頃には、さらに幅広いジャンル……創作関連はほとんど出来るようになっていて、学生でしたけど商業依頼も頻繁に来るくらい、成功していたんです。
成功って楽しいんですよ。嫌な思い出があると、心から楽しめるんです。
でもこれが。今楽しめている忙しいすべてが、無味に。無色に戻ったら、と思うと……恐ろしくて。
怖くなって、私はたくさんの扉を開きました。どこかに嫌な思いが出来るものがないか、って。無意識に創作関係、デザイン関係ばかりを調べていましたね。私の中の姉の存在はとても大きかった。
そうして見つけたのが、Vtuberというものでした。
Vtuberは、凄いんですよ。だって創り上げられたものが、"作品"ではなく"人間"なんです。キャラクターではなく、生きた人間を創る事が出来る。創って、磨き上げる事が出来る。人間の、魂の創作なんてやったことが無かったし、今までの知識が一切役に立たない完全に新しい創作だと思いました。
……実際は、それよりももう少し薄味でした。
2Dモデルや3Dモデルの制作を依頼された時も、楽曲の依頼をされた時も、今までとおんなじだな、って思いました。思っちゃいました。若い世界だから競争相手もほとんどいなくて、嫌な思いをすることがほとんどない。正直、あんまり楽しくなかったですね。期待値が大きかった分、失望も大きかった。
そんな時ですよ。貴女から依頼があったのは。
最初はまたか、なんて思ってました。MINA学の事も皆凪可憐の事も知りませんでしたからね。いえ、目には入っていましたけど、凡百のそれと同じだろうって思ってました。どうせ、私が手を出せるのはそこまでなんだ、って。
杏さん。貴女が最初、私に何て言ったか覚えてますか?
"ああ、うん。なんか絶望的に価値観が合わないっぽいので、長話はしないようにしましょう。それがお互いのためです"って言ったんですよ。
私は、嬉しかった。ああ、いた! って思いました。私が貴女を相棒にしたいと思ったのは、そんな邪な思いが始まりなんです。姉の代替品。姉と同じくらい、私と合わない人。
あの日からずっと。私は毎日が楽しいんです。ああ、嫌な思いをしている、というわけではないですよ。ただ新鮮なだけ。沢山の価値観を理解して、様々な世界観を取り入れている私の前で、全く異質の、一切理解できない……何が面白いのかわからない価値観を吐き出し続ける貴女が、とても興味深い。
思想だけじゃない。歌もそう。意味が分からないくらい、感情が伝わってくる。私の世界に無いものが、私一人では生み出せないものが、歌声の一つですべて覆い尽くしてくれる。私の人生は、今まで生きてきた轍はなんだったんだと思うくらい、貴女の行動に感動しているんです。
随分と屈折していると、私も思います。
そんな価値観を持っている貴女はVtuberとして活動していて、自分に出来ない事が出来る人、を欲していました。私は、貴女を逃したくなかった。姉は多分、私と一緒にはいてくれないでしょう。でも貴女は。貴女は、私を傍に置いてくれると思いました。貴女の傍でなら、私はもっと成功できると直感しました。
そして、その成功を喜べると。貴女と共になら、向上心を持てると。もっと、もっと、もっとその先を見たいと、
……だから、申し訳ありません。謝ります。
私は、究極的には、Vtuberというものに。バーチャルというものに、拘りがない。貴女と作品を作り続けたいという意思は強くあれど、それがあれば何でもいいとすら思っている。
こんな話を聞いてもまだ、私と一緒に活動を続けてくれますか。
「……」
昨日、999Pさんと話していた時に話題に出た、HANABiさんがめちゃくちゃ重くなった理由。考えてもわかるはずがなかったので、直接HANABiさんに聞いてみたら、なんだろう、物凄く重いものが返ってきた。
999Pさん、"私が出て行って戻ってきたときにはああだった"って言ってたけど、999Pさんが出て行ったことが原因だとは……。ああいや、原因自体はもっと別の所にあるのか。出て行ったのは、爆発した切っ掛けかな。
さて、沈痛な面持ちでいるHANABiさんに、なんと声をかけたものか、と思う。
わたしはむしろ、ほとんど何も出来ない子だった。習い事を色々させられそうになって、悉くがお試し期間で"無理だな"と感じる壊滅さ加減で。唯一出来た歌のレッスンにだけ通わせてもらって、今がある。小さい頃は自分に自信なんて無かったし、合唱コンクールはあっても一人が優勝! なんて扱いをされる大会は無かったから、明確な成功体験は無い。
歌が好きで、歌えるのが好きで、歌を褒められるのが好きで、歌うのが好きで。
それだけだった。それでよかった。
年齢が上がっても同じ。むしろそれを誇るようになった。喜ぶようにした。だって喜ぶと、もっと褒めてくれるのだ。思春期の自己顕示欲はほとんどそれで解消していたように思う。素直に喜ぶと、周りも楽しくなって、もっと褒めてくれる。しめしめ、と思っていた。
さらに年齢が上がると、"褒めてくれるみんな"と"褒められている自分"を完全に舞台の上、ステージ上のものとして眺められるようになった。劇を見ている気分。わたしはずっと、拍手をしている。
Vtuberになって批判というものに触れるようになってからも、同じ。"批判するみんな"と"批判されるわたし"の劇。むしろ演目が増えて嬉しかったし、面白いと感じるようになった。それが今の趣味の原点。
「まぁ、いいんじゃない? わたしは変わらずバーチャルの、現実のその先を目指すし。HANABiさんは目的地が見えてないって事でしょ? 目的地がどこでもいい、って感じか。その考えはわたしにはわからないし、正直今まで語ってた"その先"って言葉に厚みは無かったんだね、とか思ったりしなくもないけど、どうせ言葉でしかないわけで」
支障がない。関係がない。
わたしの目指す"その先"に行くための足掛かりをくれて、自動操縦のロケットを作ってくれて、わたしと共に在りたいと思ってくれるのなら、それだけでいい。何も問題がない。
みんながみんな同じ場所を見ている船なんて、すぐに沈むだろう。船そのものを第一に考えられる人がいないと、船長は前を目指せない。
「あぁ……はぁ、安心しました。こんな黒歴史、人に話すものじゃないですし、何より杏さんに話すのだけは避けたかった」
「そういえば気になったんだけどさ、というか最近のHANABiさんの行動見てても思うんだけどさ」
「はい?」
「アガリ症って、もしかして嘘?」
引きこもりなのは本当だろう。
でも、どうにも。今HANABiさんの語ったエピソードに、アガリ症になるようなイベントが無かった。仕事でDIVA Li VIVAに来ている時も、特に焦らずに話す事が出来ていた。億劫には感じているのだろうけど、無理、というほどでもない。そう感じる。
「まぁ、半分、嘘です。というか、嘘は……結構吐いてます。杏さんを引き留めるために、私が杏さんを必要としている、ということをアピールするために、吐いている嘘がいくつかあります」
「あぁ、そうなんだ。別にいいけど。もう半分は?」
「……以前、他人の考えている事が分かる、みたいな話をしましたよね」
「まさか本当に」
「超能力的なソレで読めるわけじゃないんですよ。でも、この人は今までこういう事を話していたし、話しがちだから、次に来るとしたらこの話題で、こういう結論だろうな、っていうのが会話をしている最中に導き出せるんです。だから、その……非常に面白くない。随時ネタバレしてくるんですよ、私の脳」
探偵にでもなった方がいいのではないか。
「だからMINA学見るときも、沢山作業しながら見ます。その、申し訳ないとは思うんですけど、MINA学の皆さんが次に何を言うか、どんな発表をするのか、どんなリアクションをするのか、っていうのは眺めているだけだとわかってしまって楽しくないので、推理を行ってしまうタスクを作業で埋めながらでないと楽しめないんですね」
「難儀だね」
「杏さんはその推理が上手く行かなくて、楽しいんです。キャラを作って話しているから、だけじゃなく、思考と言動が別々の人、みたいな印象を受けます。杏さんの普段の行動を省みれば言うはずの事を言わなかったり、明らかに思っていない事をポロっと口から零したり」
「ニホニウム」
「別に全く関係ないことを言えとは言ってないんです」
あんまり、自覚がない。
そんなに複雑な人間だろうか。まぁ、強いて言えば。キャラクターを被ったときに、本体も変わった……というべきだろう、可憐の思考や価値観、HIBANaの思考や世界観がわたしに混じっているな、と感じる事はある。
些細なことだ。成長と同じ。
「他にもいっぱいいると思うけどね。キャラ作ってる人なんて」
「はい。でも、出会えませんでしたから。私の世界において、初めて姉以外で私の前に現れたのが杏さんだった、というだけです。知らないものは存在しません。出会えなかった誰かのことなんて、私は知りませんから」
「タマゴから出てきた雛が一番初めに見たものを親鳥と思い込む的なソレ?」
「……遺憾ですけど、まぁそういうことです」
遺憾のかんだね。
それは随分と、楽しそうだと思う。初めに見つけたものを愛して、それがなくなったら次のものに愛を注ぐ。なんて一途なんだろう、と思う。
「ちなみにわたし、最近毎夜毎夜999Pさんと通話してるんだけど」
「……」
「目に見えて不機嫌になったね。それが嫌な思い?」
「……確かにそうですけど、そうですか。はい。そうですか。わかりました。はい。ちょっと、どころでなく、はい、イラっと来ましたね」
意地悪が過ぎたかな、と思った。
HANABiさんに対しても、999Pさんに対しても。
「じゃあ、今日は帰らないでください」
「明日仕事なんだけど」
「帰ったら姉と通話するんでしょう?」
藪からスティック。藪スネイク。
余計な事をした。……いやまぁ、最近HANABiさんのマンションに泊まる事が少なかったから、良いか。別に。なんたって、HANABiさんのクローゼットの中にわたしの着替えが用意してあるくらいには、頻繁に寝泊まりをしている。困りはしない。起きる時間に気を付ける必要があるくらいか。
「それじゃ、ゆっくりさせてもらうよ」
「はい。お風呂沸かしてきますね」
「はーい」
HANABiさんが浴室の方へ行ったのを見て、ササっと携帯端末のSNSアプリを起動。999Pさんに"今日は通話ナシ"の旨を送信。
それをしまって、ソファに背を預ける。
なんだか。
まぁ、なんだろうね。
言い当てられて、悪い気はしない、という感じ。
●
「ねぇ、お姉さん」
「なんだいニムソン君」
「にむそん?」
「なんでもないので忘れてください」
DIVA Li VIVAの収録スタジオ。PV撮影の件+社長対談の件で呼ばれたわたしは、同じく撮影の準備待ちをしていたNYMUちゃんの隣に座っていた。と言っても雑談をメインにしているわけではなく、どちらも携帯端末を触っていて、言葉数は少ない。
「なんでみんな謝るんだろうね」
「謝罪のない世界をご所望?」
「ああ、えと、そうじゃなくてね。"見に行ってあげられなくてごめんね"とか"その日は仕事があるからアーカイブを見ます、すみません"とか……謝る必要ないのにな、って思う」
ああ。
まぁ、それは簡単な話というか。彼らは"見に行ってあげている"という感覚を無意識に持ってしまっているから、そういう事を宣う。のだが、それを正直に、こんないたいけな少女にぶつけていいものか。自分の性格がコレである事は自覚しているので、出来るだけ言葉は選びたい所。
「あー、ほら。授業参観」
「授業参観?」
「そう。あと、運動会とか。よくあるじゃん、共働きの両親とかが、子供に向かって"見に行ってあげられなくてごめんね"って言うやつ」
「なるほど?」
「みんな見に来てね、みたいな社交辞……宣伝を真に受け……素直な人が、リクエストに応えられなくてごめんね、っていう感じかな。ほら、授業参観に自分の両親がいないと拗ねちゃう子、いるでしょ? 金髪ちゃんはそう見られてるんだよ」
「子供っぽいってことですか!」
「子供じゃん」
柔らかく言うと、こんな感じだと思う。
後方親面というか、後方親族面というか。推しの"見に来て欲しい"に応えられない事が謝罪に繋がる、というのは、なんともまぁ、責任の重心がどこを向いているんだとツッコミたくもなるが。
「じゃあ深夜配信やってる時に、"先に寝ますごめんなさい!"って言う人は?」
「大体同じだよ。キャンプとかで、家族でカードゲームをしているとしよう。トランプなんかをね。でもお母さんが眠くなっちゃって、"ごめんね、私は先に寝かせてもらうわ"って言って先に寝る。子供は口を尖らせるだろうね」
「それが私か!」
「寝ます、なんて水を差さないで、勝手に寝てくれればいいのに、とは思うけどね」
配信者としては、無理をしないでくれ、と思う。無理に見られたって特に嬉しかないやい、と。
視聴者としてそういうコメントを見ると、知らんがな、と思う。勝手に寝なさいよ、と。
「……そんなに子供っぽいかなぁ」
「うん」
「がーん」
子供っぽさは、子供である内は魅力だ。大人になっても魅力として確立させている人たちもいるけど、あれは才能。子供っぽいことを自然体で表現できるのは子供のうちだけなのだから、それを前面に押し出せばいい。
なんて話は、わたしではなくNYMUちゃんのマネさんが散々しているはずである。だからああいう動画スタイルなんだろうし。
「じゃ、じゃあ、私がクイズとか間違えた時に流れる"ごめんね"っていうのも!」
「NYMUさん、お願いしますー」
あ、という顔のNYMUちゃんにヒラヒラと手を振る。
彼女ははーい、と元気な返事を返して、スタジオの中央の方へ早足で向かっていった。
NYMUちゃん、その"ごめんね"の意味はまぁ、君が感じている通りだよ。
●
既にHANABiさんから詳しい話は聞いてあるので、今回は対談コンセプトとか、他に誰がいるのかとか、わたしが聞いておいた方が良い部分の話になる。
麻比奈さんと一対一、ではなく、DIVA Li VIVAに入る時に高尚な話をしていた上司の女性も同伴で、企画説明が行われている。大体は知っている事、だったけど、一点。
「生歌って本気で言ってます?」
「無理ですか?」
「無理じゃないですけど、どうしてもカラオケ大会みたいになりますよ。いや、もう少し広い部屋なら声も張れますけど、こんな狭い部屋じゃ音の跳ね返り酷いし、何よりうるさいですよ」
「ふむ」
世に出される歌、というのはしっかりした場所で、しっかりした機材で録っているものだ。部屋の広さで音質は激変するし、マイクとの距離やマイクの種類、周囲に人間大の生物がいるというだけでも響きが違ってくる。
歌には自信がある、と何度も言うけれど、劣悪な環境で歌ったものが最高の環境で歌ったものに勝るとは思っていない。況してやそれが配信に乗るなど、考えたくもない。
「じゃあレコーディングスタジオで対談しますか?」
「レコ室近くの会議室で対談して、歌だけ移動、また戻ってくるのが最善だと思います。レコ室での対談だと、今度は音が抜けて音量バランスが難しいです」
「そこは音声さんに頑張ってもらう、というのは……」
「生配信で社長にかかわるコンテンツでなんでそんな博打をしようとするんですか。音声さんの心労がすごい」
「社長はぶっつけ本番、行き当たりばったり、当たって砕けろが好きな方なのでね」
「マジカー」
もしやDIVA Li VIVAって泥船か?
「まぁ、タレントがそこまで嫌がるなら、そういう方向で話を進めるか。ちなみにライブスタジオならどうだ?」
「……まぁそれなら行けなくもないですけど、わざわざ一時間の対談のためにライブの準備するの面倒じゃないですか?」
「面倒を自社だから、という理由で簡潔にできるのが大手の良い所だ。覚えておくと良い」
「苦労するのは末端ってわけですね」
「中々言うじゃないか。まぁ、苦労するのが我々の仕事さ。タレントに最良の状態でコンテンツを作ってもらうためなら、我々は尽力を怠らない。今回に関してはすまないと思っているんだ、これでも。あの破天荒な社長は我々……というか、私も手を焼いている」
「それぐらいの行動力が無いと社長になんてなれないんですかね」
「まぁ、それはあるだろうな。行動力の塊だ。見習う所は多い。呆れるところも多いが」
ふぅ、とため息を吐く上司の人。
第一印象、嫌い。第二印象、苦労人。
ああいうスピーチは言葉が強くなるものだ。もしかしたら、やる気を引き出すために思ってもいない事を言っていた可能性はあるな、と思った。引き出すどころか削がれたわけだけれど。
「原坂さん*1は、ここ長いんですか?」
「長くも短くもない、といった感じだ。五年を長いと感じるか短いと感じるかは人に依るだろう。私は、普通だと思っている」
「どうしてバーチャルクリエイト事業部に?」
「企画したのが私だからさ。打診した、というべきか。こういうコンテンツは踏切が大事だ。できるだけ早く展開しておいた方が、必ず益になる。芸能事務所、あるいは芸能人というのは、そうでない者達と離れすぎていると昨今は感じていてね。無論、そうあるべきだ、という者もいるだろうが、もう少しファンと……視聴者との距離を縮めても良いと思うのさ。君は、どう思う?」
「共感出来かねますね。距離を詰めたってメリットはありませんよ。どっちもが損をするだけかと?」
「手厳しいな。元Vtuberの君がそう言うということは、デメリットが多かったのか?」
「原坂さんがお笑い番組を見ている時に、"うーん詰まらないな、チャンネルを変えよう"と思ったとして、それがテレビの中の芸人に透けて、"は? 面白くないとか、なんだとお前"って詰め寄ってきたり、"面白くないかぁ……そうかぁ"、って目に見えて落ち込んだりしたら、嫌じゃないですか?」
今のVtuberは、大体そういう事をしている。視聴者との距離が近すぎて、批判ではない感想までも拾って落ち込んだり怒ったりを繰り返す。エゴサ、というのはどこまでも悪い文化だ。少なくとも精神衛生上は。健全な心を持つ者が飲んでいい薬ではない。
そうでなくとも、配信という行為は視聴者との距離が近い。配信の距離に慣れた視聴者だけではないのが今なのだ。"今"。テレビ感覚で配信を見て、テレビ感覚で言葉を吐いて、それが配信者を傷つける。悪気が無いのだ。だって、今まではテレビに言葉を発しても届かなかったから。ただの所感に過ぎなかったのだから。
テレビ放送と配信は全く別物である、ということに気付けない人が多すぎる。何故気付けないか、って。それはもちろん、配信者側も放送のような感覚でやっているからだ。ゲーム実況なんかが最たる例だろう。指示をされたくない、というのは放送でありたい欲求だ。指示をする、所謂指示厨は、テレビの向こうのスポーツ中継に対して"今だ!"とか"そこだ!"とか"あぁ、なんで!"とか、そういう感想を言っているに過ぎない。
配信である以上。自ら視聴者との距離を詰めた以上、配信というスタイルに合った距離を考えなければ、すれ違いが起きるのは当然である。
「なるほど、テレビと配信の違いか」
「所属タレントの全員が全員、何の躊躇もオブラートもない否定を見て何も思わないのであれば問題は無いと思いますけどね」
「そんな冷血集団は人気が出ないだろうな……」
ぐさ。
「……それでも、私は視聴者との距離を縮めたいと思う。高級感を失くしたいんだ。同じ目線に立って見られる芸術、というものを作りたい」
「そういうのももちろんアリだと思いますよ。ただ、全員に求めないで欲しいというだけで」
「ああ、わかっている……と、言いたいところだが、今回の対談が、ソレか」
「はい」
高級感を失くしたい。大いに結構だ。巻き込まないで欲しいとも思う。
折角ミステリアスなキャラクターを作ったのだ。何故味方に心臓を狙撃されなければならないのか。
……高級感とやらを失くしたその先に、何が待っているかは知らない。みんなで仲良く共倒れ、以外の道を選べるよう、幸運を祈る。グッドラックだ。楽しみにしていよう。
「うむ、君と話せて良かったよ。いや、実を言うと、入社歓迎会の時の冷たい目がどうにも忘れられなくてね、少しだけ、苦手に思っていた」
「そんな目してましたか」
「ああ、酷くつまらないと目が語っていたよ」
「もう少し隠すように精進します」
わたしの気が抜けていたか、この人の目が聡いかのどっちかだろう。後者である気がしないでもない。随分と苦労をしてきたようだし、わたしなんかより人生経験は積んでいるのだろう。
オタク文化に疎い、というだけ。
「苦労をかけるが、なんとか相手をしてやって欲しい。社長はあれでいて、皆から慕われている」
「はい。善処します」
まぁ、嫌いではなくなったかな。
話してみるのは大事だと、再認した。
好きになるのも、嫌いになるのも。
〇
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認めるまでは。
心から悲しい、という感情に恵まれる機会は、中々無い。人生には付き物という印象深いソレは、しかし、得難いものであるのだ。
テレビで可哀想な話を見て。小説や漫画で悲しい話を読んで。感情の詰まった悲しい歌を聞いて。
泣くことはあるのだろう。涙をこぼし、嗚咽を漏らす事はあるのだろう。
だけどそれは、心から悲しい、というわけではない。可哀想だと同情して。悲しい気持ちにアテられて。呼び起こされたそれが苦しくて。悔しくて、もどかしくて、後ろめたくて。泣く。泣くのだろう。間接的に何かを挟んで、悲しい
心から、人が心から悲しいとそう感じるのは、決まって離別の時である。
家族や友人、ペットとの死別。恋人や親友との離別。一方的に好きだった、手の届かぬ誰かの引退。
もう会えない、という事実にこそ、人は心から悲しむ。会えない。続かない。終わり。終焉ではなく、終端。悔しいではない。苦しいでもない。憎いでも、つらいでもない。
悲しい。悲の感情に、自ら会いに行くことが出来ない。望んで得る事の出来ない、稀有な感情である。
だって。
悲しみを得るには、愛がある必要がある。離別を悲しいと思うのは、相手に愛があったからだ。愛、というロマンチックな言葉に忌避があるのなら、執着心でも構わない。いつまでも自分の世界に在ってほしい、という独占欲でも構わない。
離れたくない。嫌だ。死んでほしくない。嫌だ。辞めてほしくない。嫌だ。
そういう、"自分のため"の感情があって、それを向けられる相手がいて、ようやく。人は悲しみを得る事が出来る。己一人では得られないし、得ようと思って得られるわけもない。離別を意図的に起こすような者は数に数えたくないので除外。
だから、そういう意味では。
その得難い感情を。稀有で、中々巡り合えない感情を、比較的多い頻度で、且つ多様に得られる場所として……配信という場所は、恵まれている、と言えるだろう。
入れ替わりの激しい世界だ。長く続けることが難しく、そもそも長く続けるつもりのないものも多い。インスタントに愛を覚える事が出来るし、同じように離別にも巡り合える。無論、それを望んで視聴をしている者は限りなく少ないだろう。大勢は、大多数は愛を覚えるに留まっている。留まる事が出来ている。
それはまた、名を変えて、推しという言葉になって。
悲しみは悪感情ではない。悲しいと思う事は良い事だ。だってそれは、少なくとも。悲しいと思う人の心に、愛されていた誰かの記憶が残っているということだから。悲しい、と思うのは、弔いなのだ。死別に限らず、二つの間にあった感情の弔い。潰えた、消えたものの鎮魂。
悲しいと思う。悲しいと思う。悲しいと思って、悲しいと思え。泣かなくてもいい。泣くのは悲しくてつらいからだ。悲しくて苦しいからだ。泣かなくていい。悲しいと思う事を、思っている事を実感する。
悲しみを、感情として楽しむ。
「やっぱり、みんながみんな、いつまでもいるわけじゃないんだね」
「まぁね」
引退の発表があった。前に会った配信者の子もそうだけど、季節の変わり目たるこの時期は、バーチャルが未だ依存している現実の変わり目でもある。肉体を持つ以上完全移行のままならぬ人類はまだ、リアルの事情を無いものとしては扱えない。
わたしのように、就職をするとか。あの子のように、寮に入るとか。契約が切れたから、とか。節目だと思ったから、だとか。生活かもしれないし、気分かもしれないし、やむにやまれぬ事情があったのかもしれない。
視聴者にはわからない事実が、そこにある。それを説明するかどうかは配信者の勝手だし、詮索をしたところで解決するはずもない。
NYMUちゃんは落ち込んだ顔をしていた。
まぁ、つまるところ、推しが引退するらしいのだ。死別も離別も引退も、悲しみに貴賎なし。愛の重さなどという言葉があるが、体積は変わっても材質が変わるわけではないのが愛だ。どれもが等しく、悲しみを生む。
「私がVtuberになろうと思った切っ掛けだったんだよね」
「わたしにとっての金髪ちゃんみたいなものか」
ああ、それは悲しいだろう。
NYMUちゃんの推しだという人は、企業でなく個人で活動する人で、登録者数もNYMUちゃんには遠く及ばない。動画数もそこまで多いわけでなく、再生数も四桁のものが多い。
しかし、その付加価値は愛に干渉しない。人気じゃなくても好き。みんなに受け入れられなくても、関係なく、わたしは好きだ、というのが愛で、推しだ。
「悲しい?」
「うん」
「泣く?」
「ううん、取っておく」
……杞憂か。悲しいことを、悲しいと自覚して、悲しめる子だった。
なら問題は無い。彼女の推しの引退配信、あるいは最後の言葉で、しっかりと悲しめるだろう。
「バーチャルライバーってさ」
「……」
「辞めるメリットないんだよね。いやまぁ、余程の不祥事で炎上したとかでメンタル死んでるってんなら話は別だけどさ。究極的に、バーチャルライバーは辞めるメリットが無い。顔割れてる普通の配信者だと、古風社会の日本じゃやっかみを受ける可能性があるってのはあるかもしれないけど、バーチャルライバーはほんと、配信におけるデメリットが無いんだよね」
結局、声なんてものは、性格なんてものは作れるのだ。わたしのように、あるいは誰もがやっているだろう、聞き取りやすく少し声を上ずらせる、程度でもいい。
有名である事にデメリットの少ない海の向こうの国々であれば、それもまた違ったのかもしれない。顔が割れている、あるいは売れている事が社会でメリットになるのならば、まだ。
日本は、まぁ、顔が広く知られているのはデメリットにしかならない。建前と本音を分ける社会はしかし、外聞を気にしないものに対して酷く厳しい。狭く、村社会が基となった監視社会において、顔で名を判断できる、というのは格好の的にしかならないのだ。悪意の的に。
その点、Vtuber……というかバーチャルライバーは、そのデメリットが無い。顔が割れていないというだけで十二分に払拭できる。それを臆病などと罵る人間も少なからずいるが、無謀と臆病の見分けもつかない人間の言葉など、耳に入れる必要がない。自身の知見のなさを露呈しているだけだ。
続けるデメリットが無い事は、しかし辞めるメリットが無い事と同義ではないだろう。
その上で再度言うけれど、バーチャルライバーは辞めるメリットが無い。引退を宣言するメリットが無い。
配信は義務ではない。究極的に言えば、一年に一度。あるいは五年、十年に一度しか配信をしなくたって、問題は無いのだ。辞める、と言わなければ。引退をする、と言わなければ、いつ再開したっていいし、また休止したって良い。
気が向いた時にだけ配信をして、気が向いた時にだけSNSで言葉を発して、気が向かなかったらやらない、を選べる。顔が割れていないのだから、どこかで遊んでいたとしても何を言われることもないだろう。
もしかしたらファンは離れるかもしれないし、忘れてしまうかもしれない。けれど、それがなんだと言うのか。配信をすることに、何の支障もない。バーチャルライバーがバーチャルライバーである事実に何の干渉もしない。何の影響も与えない。
そして、ファンとは。あるいはオタクとは、失われていなければ、欠片程度の興味を持ち続けているものである。長らく配信をしていなかったライバーが配信を取れば、見に行こうかな、くらいは思う。後で見ようかな、くらいは思う。だって、珍しいから。興味で。好奇心で。懐古心で。嬉しさで。
全員が戻ってくるわけではない。それでも、誰かは戻ってくる。あるいは、新しい人が入ってくる。続ける限りは、見向きもされないことは無い。
もちろん提供できるコンテンツがあればこその話だ。何も喋らない、自分が面白いとも思っていないそれを押し売りしていたところで人気がでるはずもない。それは続けていたって続けていなくたって、休止していたって毎日配信していたって、同じこと。
それを提供できなくなったので辞めたい、と思う事はあるのだろう。失望されたくないという自己防衛で辞める事はあるのだろう。わたしはそれをメリットであるとは思わないが、まぁ、思う人もいるかもしれない、という事はわかっている。
だが、辞めたいと思っても、辞めない選択肢を取って、デメリットが無いと。何度も言おう。
続けるメリットがあって、続けるデメリットが無い。それがVtuber、あるいはバーチャルライバーというものだ。
「だからね、金髪ちゃん」
損得勘定で、メリット計算で。すべてが益に傾いているのに、辞める事を選んだのだとしたら、それは。
「続ける気が無かった。辞める事を決めていた。そして、もう一つ」
あるいは、IFの可能性。無いとは言い切れない。そんなつもりは欠片も無かったけど、もし背中を押されていたら、などというIFは、いくらでも建てられる。
「素敵な出会いがあったんじゃないかな。自らの価値観を変えるような──新しい出会いがさ」
辞めるメリットのないVtuberを辞めてでも、やりたい事が出来たのだろう、と。何か──並行して活動できない何かを始めたくて、どうしてもやりたい事があって、辞めたのだろうと。
悲しくていい。別れを惜しむのは当然だ。引き留めて良い。それは愛情だ。相手を泣かせてしまったって、良い。それが人間関係というものだ。少なからず、配信者も視聴者へ愛を持っていただろうから。
悲しんで嘆いて、嫌がって引き留めて、そうしてやってきた離別をまた悲しんで。
それで、さようなら、をしたら。
「お元気で、っていうんだ。離別の時には必ずね」
どこの宗教でも、死後の健やかさを願う。天国でもお元気で。黄泉の国でも健やかに。離別であればなおさらに、病気しないようにね、とか。元気でね、とか。再会を望んでいるから、ではない。ただ、相手が健やかである事が嬉しい。だって、健やかであれば、健やかであると思えれば──愛は続くのだから。
離別はコンテンツの終端かもしれないけれど、愛の終端ではない。引退しても推し続ける、なんて人はたくさんいる。亡くなった人を尚も愛し続ける人がたくさんいる。
「お姉さんは」
「うん」
「お姉さんは、言われて……嫌だった言葉って、ある? ファンの人達に」
「嫌だった言葉は無いよ。好きじゃない言葉はあるけどね」
「それは何?」
それは。
「辞めちゃった、って言葉。"推しがいるんだけど、辞めちゃったんだよね"、とか。"引退してしまって悲しい"、とか」
「……」
「そんなさ、人が。わたしが。望んで辞めた事を──過失みたいに言わないでよね、って」
まるで間違いを犯したかのようじゃないか。まるで過ちのようじゃないか。
わたしは辞めるつもりで辞めたし、皆凪可憐を自ら手放した。それはわたしにとって、決して嫌な思い出なんかじゃない。ありがとう、と思っている。皆凪可憐を愛してくれてありがとうと思っている。皆凪可憐でなくなることを悲しいと思っている。
けど、後悔はしていないし、最善の選択をしたと信じている。
もう活動をしていない、という事を言われるのは構わない。事実だし、真実だ。わたしだって皆凪可憐は活動しているか、と問われたら"していない"と、なんでもなく、サラっと答えるだろう。
でも"引退しちゃったの?"とか"辞めてしまったんですか?"とか。残念がられるのが、とても、好きじゃない。とても、だ。気に障る、と言い換えてもいい。
「言葉の綾だとか、揚げ足取りだ、とか。そう言う人もいるだろうけどね。そんな意思はないぞ、って。でも、発信は受け取り手によって意味の変わるものだからさ。わたし達の歌とか、配信とか。言葉もね。発信者の意思がすべて伝わるわけじゃない。受け取り手が何を思うか。どう解釈をするかで、勝手に意味が付けられちゃう」
だから、わたしは。
その過失みたいな言葉を、そう受け取るという話。わたしの話で、わたしだけの話かもしれないけれど。
わたしは。わたしは。わたしは。わたしは。
それが──好きじゃない。
「それでも、嫌ではない。だってそれには愛がある。可憐に向けられた愛は、可憐が受け取るべきもので、だからそれをわたしが嫌がるなんてことはあり得ない。子供に向けられたプレゼントを親が掠め取るようなものだよ。渡されたプレゼントの中身にわたしの好悪はあれど、取り上げるなんてことはしない。伝えないなんてことはしない」
ただ、好きじゃないだけ。
「金髪ちゃんの推しがどういう人か、わたし知らないからさ。これはわたしの話」
「ううん、いいの。いいのです。私は、引退する気がなくて。引退する人の気持ちはわからないし、どうして引退しちゃうの、って思ってしまうけれど、そうなんだね。絶対、じゃないんだろうけど、ヤなことがあって、引退しちゃう、じゃなくて。良い事があって──引退を選んだ、かもしれないんだ」
あくまでわたしの話だ。全部が全部じゃない。やむに已まれぬ事情──病や事故、資金の問題など、色々な事情があるかもしれない。だからそれは、金髪ちゃんが自分で見極める事。
「あ……じゃあ、言われて嬉しい事は何?」
「今も悲しい。まだつらい。受け入れられない。実感がわかない」
「……それだけ?」
「さっきも言ったけど。その後に、元気でね。って。元気にしてると良いな、って」
"推しが引退して今も悲しいんだよね"と言ってる人がいた。"ずっと引きずってる。辞めた事を受け入れられない"と言う人がいた。
ありがとうと思う。嬉しいと思う。わたしはその言葉が好きだと、思う。
視聴者よりもよっぽど我儘なのが配信者だ。わたしは、わたしの中では皆凪可憐はあそこで止まっているけれど、みんなの中では続いていて欲しい。成長しない。時間は進まない。けれど、続いていて欲しい。
「是非とも、長く。長く長く長く長く長く。ずっと、ずぅーっと、悲しみを楽しんでほしい。わたしが作り上げた、最後のコンテンツだもの。皆凪可憐が残し与えた最後の感情を、ずっと味わってほしい」
「ずっと悲しいの?」
「ずっと悲しくて良いのさ。その悲しみは墓場まで、冥府にまで持って行って欲しいよね。地獄の窯の縁で推しについて語ってほしいし、天国の泉の畔で推しについて大激論を繰り広げてほしい」
「それは少し見てみたいかも」
「立ち直んなくていいんだよ。悲しくたって他に愛は持てるし、二つの悲しみを並行して持つことも出来る。ずっと悲しめ、視聴者。わたしは先に行く」
そして可憐を好きと言え。言った仲間と食事を囲め。囲んだ誰かと友情を結べ。
ラブアンドピース。推し活は世界を救う。まぁ宗教戦争も起きるだろうけど。
「酷いんだね、お姉さん」
「惚れたかい?」
「ううん、元から」
こだまでしょうか?
「お姉さんは、また引退するの?」
「デビューから一ヶ月と経ってない後輩に向けて随分な言葉だね」
「ひとの契約内容知らないもん」
「……まぁ、辞めるつもりはないよ。今回の契約は、年数制限が無い。正式所属だからね。ま、辞めたくなったら辞めると思うけど……」
少なくとも。
「けど?」
君を──。
いや、これは心中吐露じゃなく、言葉で紡いだ方が良いか。
「金髪ちゃん。いや、NYMUちゃんを超えるまでは、辞めないかな。勝手にライバル視させてもらってるからね」
「私も止まる気はないよ?」
わぁ。
まさか言い返してくるとは思ってなかった。カッコイイ子だな、本当に。
いつか、見た。あの目だ。野心に溢れた瞳。
「じゃあ、互いに互いの引退を悲しめるよう、勝負だね。どっちが先に悲しむか」
「先に悲しむか、って……先の人が悲しんだら相手は引退してるんだから、先も後もないよ?」
「いいんだよ、なんでも。勝負の形を取ってれば」
悲しむことを楽しむように。
悲しまれることを、存分に楽しめるように。
わたし達は、先に行こう。
●
ゲームが苦手である。
機械が苦手ともいうけど、殊更にゲームが苦手である。ゲーム。あるいは、試合。対人ゲーム。
時間制限のないパズルゲームなら出来る。けれど、勝負要素の──勝ち負けの概念のあるゲームが、本当に苦手である。
「苦手な事は私も知ってますし、苦手であると公言しているにもかかわらず、なぜ挑んできたんですか……」
「面白そうだったから」
「面白いですか、今」
「全然……」
まぁ当たり前の話なのだが、わたしとHANABiさんは何もずっと創作活動をしている、というわけではない。HANABiさんはわたしから死角になっている所で何かを弄っているようにも見えるけど、それは見なかったことにする。知らなかったことにする。
こうやって、普通に。お菓子を食べたりご飯を食べたり、ゲームをすることだってあるのだ。
「しかも格ゲー。こんな実力が明白になりやすいものを何故チョイスしたんですか。杏さんぶっぱも出来ないくらいゲーム下手なのに。ぶっぱに下手も何もないというごもっともな意見が出てきそうなくらい、ゲームという概念を扱うのが下手なのに」
「……まぁ、勝てるとは欠片も思ってないし、多分面白くないだろうな、と思ってたよ」
「面白そうだったとは」
「そういう日もあるよね」
HANABiさんを観察する。
わたしに勝利した事を、何でもないという風にしているHANABiさんを。……事実なんでもないのだろう。これじゃあサンプルになりえないか。
「実験ですか?」
「なぜ分かった」
「こっちの眼球の動きとか、口元とかを注視してますからね。私の反応を見ている、といったところでしょうか。しかし、目的がいまいちわかりませんね」
「んー、まぁ、簡単に言うと、負けたくて」
敗北を知りたくて。
「……それは、俺より強いヤツに会いに行く、というアレですか」
「そーじゃないよ。それなら多分、CPUと戦っても負けられるだろうし」
「大海を知ってる蛙だ……!」
「なんていうか、ちょっと欲しい感情があったんだよね。HIBANaを作るのに必要な感情、というか」
「ふむ」
途端、先ほどまでより真面目な顔になるHANABiさん。ごめんね、休憩時間に仕事の話を持ち込んで。
「具体的には、どういう?」
「勝者が喜ばなかった時の敗者の気持ち」
「……」
勝負ごとにおいて、必ず勝者と敗者が生まれる。
何故か。謙遜とかいう概念の蔓延る社会では、勝者があんまり喜びすぎると揶揄されがちで、敗者に気を遣え、などという意味の分からない文句が飛ぶ事もあるのだが、全く理解できないこの概念下において、勝者が全く喜ばなかったら敗者はどんな気持ちになるのか、というものを実感したかった。
が、残念ながら、わたしの……敗者の実力が酷すぎて、勝負にならなかった。HANABiさんが喜ばないのではなく、誰がやっても喜ばないと思う。悲しみ。
「あー……うーん、私と杏さんの実力が拮抗していて、少しだけ私が勝っている事……?」
「無いよね」
「まぁ、はっきり言ってしまえば」
「無いよね」
「まぁ、はっきり言ってしまいますけど」
「無いよね」
「あるって言ってほしいんでしょうけど無いですね」
知ってたけども。
知ってるけどもさ。
しかし、どうしたものか。実際わたしは歌以外何もない。ほぼ全てぽんこつである。勝負事、というので、且つ喜ばない人を知らない。
「なぜそれが必要なんですか?」
「HIBANaってほら、国を滅ぼされた王様、みたいな設定にしたじゃん? 愛する人も死んじゃって、敵国が恨めしい。なのに、恨めしい恨めしいとしていたら、いつの間にか敵国も周辺諸国も人間も、全部が全部滅んでなくなっちゃった、って」
深夜テンション等々で決まったこの設定は、わたしにはない感情をいくつか取り入れる必要があった。
その最たるものが、形を成せない悔しさ。
「わたし、悔しいと思ったら言うし。ちゃんと吐き出せるからさ。悔しいかわからない、って感覚がわかんないんだよね。勝者が喜んでくれないと、敗者は感情を形成出来ない。行き場がないんじゃなくて、形にならない悔しさ」
「……なるほど。杏さんが褒められたら喜べ、と言っているのは、そちらも考えてのことなんですね」
「そこまで繋げて考えてるわけじゃないけどね。何かがあったら、感情が発露する。勝者が喜んだら敗者も心から悔しいを吐き出せる。けど、勝者が喜びもしない、なんでもないようにしてると、不思議と、悔しさが薄れちゃう……と、わたしは考えているんだ。そうであってほしいと思っている、が正しいかな」
それを感じたい。悔しい。恨めしい。リトライを望む。その感情が解けてしまった時に、虚脱。実感するには似たもので代用する必要があった。まさか本当に王様になって国を滅ぼしてもらって全世界に全滅してもらうワケにはいかないからね。
「雪さんに頼むのはダメなんですか?」
「歌唱勝負って事? 勝負つかないよ」
「いえ、それ以外で」
「わたし、歌以外で雪ちゃんと戦える要素ないよ?」
雪ちゃんは教養もあってダンスも出来て家事が得意で。
認める気はさらさらないのだけど、あくまで、あくまで客観視をすると、MINA学園projectにおける最上のポンコツは皆凪可憐である。基本、何やってもダメなのが皆凪可憐だ。何故か本人は自信満々なのだが。
「生活面は知りませんけど、ダンスは出来ていたじゃないですか」
「膨大な反復練習あってこそだからね、アレは。激しいヤツじゃなかったし。もっとすごいの踊るなら、アミちゃんと雪ちゃんと千幸ちゃんと遥香さんだけになるよ、ダンスは」
「梨寿ちゃん……」
「わたし以上に運動できない子がいるとはまさかまさか」
しかし、どうしたものか。
NYMUちゃんはアレでいて*1運動得意だし、999Pさんに勝負事してくださいなんて言えるわけもない。春藤さん他DIVA Li VIVAの人達はそもそも芸達者だ。いやわたしも社員なんだけど。
「あー……その」
「何か思いついたようだねハナソン君」
「杏ムズさん、あんまり、私からは言いたくないんですけど……その感情を持っていそうな人、心当たりがあります」
「ほう。言ってみたまえワトBi君」
「姉ですよ、ホー杏さん。勝負事は頼めないでしょうけど、姉なら……その、幼少の頃の自意識高めだった私に散々負けてますから」
ああ。
そうか。傷口を抉るようなことにはなるけれど、そういえばそうだった。
「ハナビッシュ君、連絡してもいいだろうか」
「ッシュ? ……ああ、hamishですか。じゃあヒバナムさん、仕方ないので許可します」
ジェームズだと語感が合わないので仕方ない。
許可が取れたので*2、メッセージを入れる。既読は付かない。まぁお昼だからね。仕事中の可能性の方が高い。
「それじゃ、ちょっと出勤してくるよ」
「はい。いってらっしゃい」
「ハンバーグを所望する」
「材料が無いので材料買ってきてください」
「はぁい」
ちなみにこの後に"わかったよママ"などと続けると、HANABiさんはちょっと拗ねる。
気にすることでは全くないと思うけれど、彼女は割とわたしより年上であることをちょっとだけ少しだけほんのりちょみっと2mmくらい、気にしている。
同い年に生まれたかったそうだ。
「じゃ、行ってきます」
そういって。
わたしは、HANABiさんのマンションを後にした。
〇
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綻ぶまでは。
二次創作は、黒である。
限りなく黒に近いグレー、だの。暗黙の了解で許されている、だの。そんなことを宣う輩が蔓延っているが、完璧に、一分の隙も無く、端から端までブラックだ。盗作である。
少なくとも、商業展開を行っているほとんどの作品においては、そうである。許されているのではなく、見逃されているだけ。あるいは知らないフリをしていてくれるだけで、決してグレーなわけではない。
二次創作はほとんどの場合において、益を生まない。稀に二次創作から原作を購入する、所謂"購買意欲を促進する"ケースも存在するが、大体の視聴者は二次創作から得られる情報で満足してしまうし、原作よりも二次創作が好き、などと宣う輩まで出てくる始末だ。
コンテンツの内容を掠め取り、愛があるから、リスペクトだから、などと言いながら、原作者の発想と努力の上澄みをあたかも自身の手柄のように公開し、誇示する。それが二次創作だ。
内、その盗作が広がりすぎて、手の施し様が無くなってしまったもののいくつかは、ならばせめてそれを益にしようと、ガイドラインを設定している。二次創作におけるガイドライン。読まない、などという選択の許されぬ絶対の規範。
それさえも無視する輩については、もう、地獄に落ちろ、以外の言葉は無い。
そんな、二次創作という悪い文化の蔓延ってしまっている中、Vtuberはそれを完全に益にする方向で動いた好例と言えるだろう。
初めから、二次創作のガイドラインを設定していた。あるいはタグを決める事で、管理しやすくした。初めから規範が存在していて、それを付ける事が内輪の雰囲気づくりになるのであれば、ファンと称される人間は好んでそれを使う。何故なら使った方が認知されるし、その輪にすんなりと入り込めるから。加えて、宣伝力にもなる。
二次創作をする事が自らの宣伝に、さらには原作*1の宣伝にもなる。今までのソレと違うのは、Vtuberが一人の人間相当の情報量を有している事。相手が発想やストーリーのみの存在ではないから、二次創作だけでは到底表しきれない事に起因する。
もっとも、二次創作だけしか知らないままでいい、という層が完全に消えるわけではない。どの世界にも一定数いる"そういう人達"については気にしても仕方がない。文字通りどうしようもないからだ。
加え、タグ付けをしない……認知されたくない方の二次創作者についても、どうしようもない。ガイドラインの順守さえしているならば放っておいて問題ないし、していないのであれば容赦なく通報するべきだ。然るべき場所に。昨今のSNSやイラスト投稿サイトはその辺の権利関係の規約がしっかりしているので、通報・報告が入ればすぐに対応するだろう。
「切り抜き文化も同じよね。少し編集を加えたからって許されるものではないし、我が物顔で切り抜きの宣伝をしているのを見ると反吐が出るわ」
「努力すれば善悪はどうあれ評価されるのが世間だよ。結果が出なくても努力は美しいらしい」
「結果が犯罪でも頑張った人が報われなかったら可哀想になるのよね。素晴らしい根性論だわ。素晴らしすぎて全部燃やしたくなる」
「切り抜きも、どんだけ閲覧促進したってわざわざ元動画に飛ぶ人は少ないし、元動画に飛ぶ人は元々視聴者なんだよね。公式が切り抜きを出すのならともかく、どこの誰とも知れない人がやるのは何の曇りもなく許可されていない二次創作だよ。悪意があるのなら、誹謗中傷でお縄だね」
例のごとく、休憩スペース。しかし、いるのはわたしと999Pさんだけ、ではない。
「でも、ウチの放送に来るコメントで"切り抜きから来ました"とか"切り抜きでNYMUちゃんの事知りました!"って言うのよく見るよ?」
「その切り抜き動画が無かったら、元の動画やアーカイブに辿り着いていたでしょうね。切り抜きで好きになるって事は、元から好きになる素質はあったのよ。中間に切り抜き動画があったというだけ」
「元のソレより切り抜きの方が有名、っていう状況がもう残念なんだけどね。まぁ、そもそもあっちのサイトは転載と違法アップロードの温床だったから、今に始まった事じゃないんだけどね」
「たまに生放送でお世話になるけど、あんまり使ったことないなぁ」
999Pさんの対面にNYMUちゃん。そして。
「いやぁ、手厳し手厳し。まぁその通りなんやけどな。あそこで原作だの権利だのを気にしとるヤツはおらんかったし、消されたものが再アップロードされれば不死鳥だの負けないだのと持て囃されてお祭り騒ぎ。モラルなんてもんは存在しないアンダーグラウンドがあっこや」
「誰かが炎上すれば蠅のように集るのは当たり前。それを揶揄する動画を作って、心から馬鹿にして、言いたいことを隠しもせずに言う。こっちのサイトと比べて唯一勝っていたのは匿名性の無さかしらね」
「一週間で復活するとはいえ、消せば消えたからなぁ。アカウントを取る手段が当時は限られていた、ってのもあるんやろけど、嫌がらせをする事にそこまで大した熱量を持っていたヤツがいなかったし、NGワードの設定が容易だったっていうのはデカいやろなぁ」
「うぅ、難しい話だ……」
「金髪ちゃんはあんまり聞かなくていいよ昔の話だし」
わたしの対面に春藤さん。元はわたしと999Pさんだけだったここに、なんでかフラフラと集まってきたこの二人を合わせて四人。なーぜかそのまま雑談中である。
しかし金髪ちゃんに聞かせるには聊か言葉がキツい……いやわたしも全然遠慮してないんだけど。
「そういえばNYMUちゃんって限定放送は何やってるの?」
「メンバーさんの?」
「うん」
「うーん、まだ歌詞とか覚えきってない歌の練習とか、名前はもちろん伏せるけど旅行の話とか、あんまり面白くならなそうな企画とか……」
「へぇ、ちゃんとしとるんやなぁ。ファンを大事にするタイプか」
「最初は何をすればいいのかわかんなかったんだけど、マネージャーさんに聞いたらこういうのするといいかもしれませんね、って言ってくれて」
「マネージャー教育がしっかりしてる会社は良い会社よね」
有料会員限定放送、というのがある。
放送は有料会員にしか見る事は出来ず、基本的に内容の口外もNG。有料会員になるファンは大きく分けて二種類あるだろう。即ち、推しを応援したくて会員になった者と、有料コンテンツが見たくて会員になった者。
どちらも限定放送を見ることには変わりないかもしれないが、切っ掛けが違うだけでスタンスも変わる。
前者は"別に放送しなくてもいい、こっちが払いたいだけだから"、と言う。彼らは内容そのものに対して頓着が無いし、頻度や時間も気にしない。お金を払っている事、が称賛であり応援であり彼らにとっての推し活であるから、それで見られるものや情報はおまけ程度の感覚でしかない。
後者は内容をとことん気にする。"内容が見たくてお金を払っているのだから"、と言って頻度や時間に文句をつけるし、内容に興味が無ければすぐに退会するだろう。
そしてそれは、有料会員
前者に分類される有料会員ではないファンは、"応援はしてるけどお金は出さないし、有料コンテンツも勝手にやっていたらいい"と。そこまで入れ込んでいない。あるいは、金銭と応援、推しを全く別物として考えている。それは悪い事ではないし、なんならそれが普通である。HANABiさんの嫌う代償のない評価システムのままにはなってしまうけれど、現状にある"普通"はこれだ。
そして後者。
後者に分類される有料会員ではないファンは、どこまでも救いようがない。内容をとことん気にするから、"限定放送ばかりやっていたらコンテンツが閉じる"だの"限定ばかりやるようになったら終わり"だの、自分が金銭を払えない、払わない事をなんとかして正当化するし、それでも内容が気になるから開示しろと要求する。コンテンツが無料で公開される事に慣れ過ぎた現代人の末路、という所だろうか。
「"見えているのに手に入れられないもの"が余程気に食わないのでしょうね。無課金が課金してる人間に勝てないと、"無課金を捨てた"だの"結局課金ゲー"だのとかいうヤツ。滑稽よね。自分は代償を支払いたくないけれど、代償を支払っている人間が得をするのは許せないのよ」
「ゲームに関しちゃ基本無料、なんて謳っとるのが悪いと思うんけどなぁ。どこぞの大手MMOはちゃんと一部無料と書いとるし、まるで全体が無料であるかのように宣伝しておいて金を支払わんとまともにプレイできない、なんてのは不条理だと言いたくなる気持ちもわからんでもない」
「それには同意するわ。マーケティングとして基本無料と書いた方が求心力があるから、なのだろうけれど、余計よね。見事な誘蛾灯だわ。そのせいで店全体の評価を下げているくらいには、見事」
「あ、蛾って実は蝶と同じ虫で、全体の90%が蛾なんだよ! 綺麗な蝶は10%しかいないんだって!」
「……天然よね。私には、凄まじい皮肉に聞こえたけど」
「心が汚れてる奴は皮肉や嫌味に聞こえるやろなぁ」
多分NYMUちゃんはわかっていないだろうけど。
「最近ゲームで習ったのです」
「ゲームが学習教材なのね。時代に追いつけそうにないわ」
「ゲームっちゅーんは成功体験が手軽に学べるツールとして極めて優秀やからなぁ。しっかり方向性を決めて努力しないと没個性的な性能になる、とか。物事には至るべき基準値というものがあり、それを見極める事が大切、とか。ゲームから学べることは大いにある」
「標準語に戻ってるけどいいの?」
「おっとっと」
やっぱり春藤さん関西人じゃないんだ……。
「ゲーム、って。そういえば金髪ちゃんゲーム実況やってたっけ」
「うん。配信ではやらないけどねー。動画でまとめて出すんだ」
「それが良いわ。ゲーム実況は配信に向いていないもの」
先日原坂さんに話したように、テレビ放送と配信の違いの話だ。
ゲーム実況はそもそもが動画より生まれた文化である。投稿者がストレスになるだろう部分をカットして編集を加えたものだった。それがいつしか生放送になり、配信というスタイルに落ち着いている。確かに生の反応を楽しむ、という点ではVtuberに合っている題材なのだが、声が届いてしまう生配信だと配信寄りになってしまう。
ゲーム実況はテレビ放送寄りのコンテンツだ。声の届かぬコンテンツだからこそ、映える。
「ゲーム実況なぁ。あんまり好きじゃないんよなぁ」
「わたしも、昔は好きじゃなかった」
「二次創作だからね、ゲーム実況も。公式が許可してやっているものならともかく、あの頃のゲーム実況は純粋な権利侵害だったわ。発売元に許可を求める、なんて愚行は出来なかったのだし」
「ダメなの?」
ダメというか。
好きじゃない、というか。
「配信で好きなゲームをやりたい。配信で好きなゲームをみんなに紹介したい、っていうのはまぁ、理解できるよ。わたしはゲームやらないから完全に理解できているかはわからないけど、まぁわかる。それの善悪は今は置いておくとして、ファンは"推しの話についていきたい"、"推しと一緒に盛り上がりたい"っていう理由で同じ映画やゲームを購入する人も少なからずいるから、ユーザー増加の貢献にも、少しだけは繋がっているんだろう、けど……」
「ファンの購入基準が複雑なのがアカンねや。配信者が中途半端に上手かったら、もどかしくて"自分ならもっとできるわ"って理由で購入するヤツもおるやろけど、爽快感を含む面白さが伝わらなかったら"あんまり面白くなさそうだからええや"となる。上手過ぎたら"自分がやらんでもええか"、"見てるだけで十分や"となるし、下手過ぎたらそもそも見られん。耐久配信が購買意欲につながる事は滅多にない」
アレは要はレビューなのだ。
面白そうに、楽しそうにプレイするのが高評価。それを上手く魅せるのが購買意欲を増進させる良いレビュー。詰まらなそうに、楽しくなさそうにプレイするのは低評価。魅せる事さえ失敗すれば、通販における"レビューを見て買うのをやめた"が発生する。配信者本人が最高評価をつけていようとも、だ。
そして、プレイ中の姿がどう見えるか、というのは視聴者に委ねられている。余程PRの上手い人でないと、良いレビューは書けない。
「……」
「逆に言えば、そのめちゃくちゃなレビューでも買いたい、と。やってみたい、と。HIBANaの言うように"推しと同じ目線が見てみたい!"、"推しの宣伝するものを使ってみたい!"なんちゅー熱心なファンにはダイレクトアタックや。そんなんは各配信者についとるファンの一割にも満たんやろけど、だからこそ規模が大きければ大きいほど数も増える」
「各所に怒られそうな単純計算を言うけど、10万人の登録者のVtuberが発揮できる集客効果が一万人。新規ユーザーが一万人増やせるとして、金髪ちゃんは300万人だから30万人の新規ユーザーを増やせるわけだね」
「登録者全員が視聴者ならコメントなんざ早すぎて見られんやろなぁ」
「だから単純計算だってば」
登録者数の暴力、というべきか。
視聴者が多いという事実を余すことなく利用できるのは、そういうゲームや日用品の宣伝だろう。まぁ、もっとも。300万人のうち270万人はそのゲームをやらなくなるワケだから、それを損失と捉えるかどうかは……やっぱり好きにはなれないかなぁ、という感じ。
言わないけどね。
「全体的に見れば、別に何とも思わない。けど、嫌いなのは一部だけいるわ」
「一部」
「新しく出た、あるいは新しく発見したゲームに対して、"配信して、動画にして面白いかどうか"、"配信に出来るかどうか"で購入基準を決めるヤツ。いるでしょ。私はアレが大嫌い」
「あー」
「コンテンツに対しての姿勢がなってないわ。二次創作の中でも最悪の部類ね。流行っているから、あるいは求められたから、なんて理由で二次創作をするなんて、唾棄すべき事案だわ」
通過儀礼だとか、罰ゲームだとか。わたしもあんまり好きじゃない。
結局ああいうのはゲームという触媒を使って実況者、Vtuberを面白く魅せようとしているだけだ。ゲームに対する感情なんか欠片もない。コンテンツに対して何の愛着も持っていない二次創作。
「ついでに言うと、ゲームの紹介がしたくて実況をしている、と公言するヤツも嫌い。"公式のためなんですよ"感。大方Vtuber本人を求めるファンの要望と、配信者としての布教したい心の折衷案なのでしょうけれど、レビューにわざわざ"これは買ってほしくて書いてます!"って載せるヤツがいる? そんなのはわかってるのよ」
「少しでも新規ユーザーを増やすためとかじゃない?」
「心にも思ってない事を言うものじゃないわ」
まぁ、そうだ。
人は言葉じゃ変わらない。出会い、気付きが無いと変わらない。
言われて、ではなく自らがやりたい、と思わなければ、それが購買意欲になりえない。購入意欲は芽生えない。
金銭が絡むのだ。画面の向こうと自身の欲求、どちらを信頼しているかなど考えるまでもない。
「……高校生の前でする話じゃあ、ないわね」
「随分今更やなぁ。なぁNYMU、この姉さん達怖いなぁ」
「怖くないけど……みんな、ちゃんと考えてるんだなぁ、って思った」
「金髪ちゃん、これはあくまで……わたし達三人がゲーム実況が好きじゃない、という前提なことを忘れないで欲しい。最近のゲームは配信をしていいよ、って販売元が販売時から言っているのもあるから、そういうのは企業側が"これは集客効果になるな"と判断して出してるわけで。だから今までの話は全く気にする必要がないよ。わたし達の好き嫌いの話だから」
「別に私は実況そのものが嫌いとは言ってないけど」
わたし達などより企業の販売部や商品展開予想の方が遥かに優れている。当たり前だ。そこが配信を許可したというのなら、それが良い結果を生むと判断した、という事である。
それに対しての好悪はあれど、商品戦略に対して何かを言うつもりはない。実況という文化を取り込むというのなら、それを傍で眺めさせてもらうだけだ。
「さて、そろそろ金髪ちゃんは家に帰った方がいいなじゃないかなってお姉さん思うんだ」
「え? あ、もう21時!?」
「労基が襲ってくる」
「あんまり遅くなると親御さんも心配するからねー。あ、春藤さんも帰る?」
「ほな、上がらせてもらいますわ。途中まで一緒に帰るか、NYMU」
「うん!」
立ち上がってコートを纏う春藤さん。見てなかったけどずっとギター引っ提げてたんだ……。重くないのだろうか。
そんな春藤さんの横にならぶNYMUちゃん。いやはや、ちっちゃいなこの子。本当に高校生か。
「気を付けんと職質されてまうなぁ」
「そんなに子供じゃないよ!」
「深夜に高校生連れて歩いてたら普通にアウトでしょ」
「おお怖い怖い」
うひひひ、と笑って。
春藤さんはNYMUちゃんと仲良く帰っていった。あの二人、元から知り合いっぽかったけど、何で知り合ったんだろう。接点あるのかな。
「……さて、邪魔者はいなくなった、と言おうかしら?」
「邪魔者じゃないけど、まぁ聞かせる話でもなかったからね」
ようやく、向き直る。
相変わらずこちらの顔を見ない999Pさん。そんな彼女に、話を切り出した。
●
「勝者が喜ばなかった時の敗者の気持ち、ね……アンタ、デリカシーって知ってる?」
「知ってる。デリシャスなお菓子だよね」
「まぁ意味は間違ってないわ」
珍味、という意味がある。
「……まぁ、いいわ。いくつかあったのよ。まず、最初は、怒りよね。別にあの子に向けたものじゃなく、自分への。習い事、コンクール、大会。色んなもので負けるたびに、どうしてああしなかったんだ、って。どうしてもっと考えなかったんだ、って。どうしてどうしてどうして。悔恨が有り余って怒りになっていたのよ。最初の頃はね」
「嫉妬、ではなかったんだね」
「嫉妬は劣っているものがするのよ。私はあの子に勝てた事は無いけれど、決して劣ってはいなかったわ。劣っているとは、欠片も思わなかった。負けたのは自身がミスをしたせいであって、素質は、才能は、発想は同等、あるいは私の方が勝っていると信じていた。信仰していた、と言ってもいいくらい」
随分な自信家だ、と思った。
わたしも相当である自負があるけれど、子供の頃からそうだったわけじゃない。素直に凄いと思う。
「でも、その内。怒りは哀れみに転じたわ。哀れみ。憐れみ。なんて可哀想な子だろう、と思うようになった。あの子は何をしても楽しくなさそうだったし、出来る事が出来ても嬉しくなさそうだった。私が劣っているのではなく、あの子が私に劣っているのだと気づくのにそう時間はかからなかったわ」
「凄まじい……」
「そして、私は自分より劣っている人間が嫌いよ。喜ぶべき時に喜べない欠陥人間が嫌いだし、持て余す才能を人生に役立てられない愚鈍さも嫌い。大嫌いだったわ。でも、そうして嫌い続けていたら、あの子は喜んだのよ。おかしな話よね。その時点で哀れみは消えたわ」
999Pさんから出てくるHANABiさんの話は、わたしの持つHANABiさんのイメージよりも狂気的というか……まるで。
「別の生き物みたいだ、と思ったわ。価値観とか世界観の違いじゃすまされない。全く違う判断基準を持つ生物。まぁペットみたいなものよね。猫に速度が負けたからと言って自分への怒りなんか湧かないし、犬が言葉をしゃべれない事に憐みなんか覚えないわ」
「その時点で、でもコンクールなんかは勝ててなかったの?」
「ええ、そうね。あの子は必ず一番。私は二番か三番。あの子は変わらず喜ばなかったわ。そして私は」
言葉を切る999Pさん。どうやら、ここが答えらしい。
なんだろう。やるせなさか。憎しさか。虚脱感か。
「──とても、楽しかったわ」
「え」
「だってそうでしょう? あの子は喜べなくて、私は楽しいのよ。素敵な話よね。少なくとも私があの子に嫌悪を向けなければ、あの子は喜べない。あの子は得しない。私は今でもあの子が嫌いよ。多少人間らしくなったとはいえ。ずっと、嫌い。私が嫌がる事であの子が得をするのが、嫌だった。私が損することであの子が得をするのが許せなかった。私は世界の中心にいるわ。私が得をして、あの子が損をする事が無いのなら、せめて。私には何も起こらず、あの子だけが損をする方が良いと、判断した」
だから楽しむ事にしたわ。私が平凡である事を。
私が今後一生、妹に勝てない事を。
「どう? これでも仲の良い姉妹だなんて言えるかしら」
「……仲が良いかはわからないけど、随分と似てる姉妹だなぁ、とは思うよ」
屈折具合が。
「そう、ありがとう。似ていると言われて悪い気はしないわ。良い気もしないけれど」
「何も感じてないって事だね」
「ええ、そう。それで、参考になった? なるとは思えないけれど」
「ああ……うん──」
考える。
HIBANaに"変化のない永遠を楽しむ"という概念があるかどうか。"孤独を楽しむ"という概念があるかどうか。自らが変わらないまま、恨めしいものだけが滅びたのだという事実を、楽しめるかどうか。
わたしは。
ワタシは。ああ。そう、なら。いや。だが。
「……参考には、ならなかったかな」
「でしょうね。私とあの子のケースは特殊よ。何故なら、勝者と敗者の間にいびつな絆があるのだもの。良い意味じゃないわ。切り離せない首輪。他人ではない事が、どこまでも私達を捻じ曲げている」
「そうだね。ごめんね、999Pさん。折角話してくれたけど、どうにもHIBANaはお気に召さないみたい」
「問題ないわ。さっきも言ったけれど、私は自分より劣っている人間が嫌いよ。大嫌い。その点、アンタの9割は嫌いね。話しているだけで苦痛」
「残りの1割は?」
「好きよ。アンタの歌だけは、私に劣っていない。なら話す価値はあるし、その1割は他の9割を覆い尽くすわ」
「それは良かった。わたしも999Pさんのこと好きだからね」
人間として、自分より捻くれている人間を愛さないはずもない。
何よりわたしの価値観に無い言葉を吐ける人間を、わたしが逃すはずがない。
「HANABiが嫉妬するわ」
「HANABiさんとはもう家族みたいなものだから」
「へぇ、それじゃ、私はアンタの姑かしら?」
「え? いやいや妹だよ。末妹でしょ? もしくは真ん中」
「……」
え?
「ま、その辺に首を突っ込む気はないわ。夜が遅くて危ないのはアンタも一緒なんだから、早く帰りなさいよ?」
「あ、うん。……うん?」
うん。
え?
〇
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贖うまでは。
未だに、迷っていた。
社長との対談の日は明日だというのに。すでに台本は渡されているし、15分程度とはいえ社長とも顔合わせをした。原坂さんの言う人物像より少しだけ落ち着いているように見えたけど、はてさて、といったところか。
SNSではわたし……というかHIBANaと社長対談の話について、思った通りのセクハラが多数。「もう手を出したのか」「会うヤツ全員食う女」とか「MINA学もNYMUも落とされてる」とか。中傷はHANABiさんにも及び、「HANABiはたくさんのVtuberを奴隷にしている」だの「MINA学にしつこく絡んだと思えばメンバーの一人を引退まで追い込み、そいつに新規活動をさせて売名、今度は大手に絡んで地位を奪おうとしている」なんて投稿もあった。
最後の投稿に関しては多方からの指摘、返信が行われ、炎上。投稿者は投稿を削除、その後アカウントを消している。まぁスクリーンショットは撮ったけど。
しかし確実にHIBANa・皆凪可憐を中傷するコメントは減ってきている。対談の話が出たときに爆発的に増えたそれも、しかし総量で見ればHIBANaのデビュー時よりもかなり少ない。飽いてきた、というのはあるのだろうな、と思う。
Vtuber、バーチャルライバーは当然、わたし達だけではない。今や一万人近いバーチャルライバーが存在し、それぞれが何かしらの汚点を抱えていたり、あるいは語り尽くせない程の美点があったりする。中傷だけをしたくてこの界隈に入り浸る者ならばまだしも、普段は普通に配信や動画を見ていて、稀に批判や中傷を行う者達であればいつまでもこちらに構っている暇はないのだ。
学生の春休みの近い今、長時間配信を行うライバーも増えてきている。それが、こちらへ向けられる目を逸らす結果となっているのだろう。
であれば尚更に、明日の対談で披露される"HIBANaというキャラクター性"に欠けたものがあってはいけない。
わたし達としてはそろそろ、皆凪可憐に対して熱くなる心をHIBANaに向けてもらいたいのだから。これから商品展開などもあることだし。
だから、出会いを求めてDIVA Li VIVAの休憩スペースに来た。
いつも通り。しかし、時間は平日の昼。午前で上がらせてもらった。午前で仕事を上がって正午から別の会社に出勤する辺り、余程勤勉であろう。わたし。
「あら」
「こんにちは」
「こんにちは」
待つこと30分で、来た。
スラっとした手足。洋風の顔立ち。茶というにはかなり鮮やかな──赤毛。
「地毛よ?」
「へえ」
「ねぇ、ちょっと話さない?」
願ってもない事だった。
頷く。とても背の高い女性。どこか──雑誌で見た事があるような気がしないでもない。
「私、ミレニア。あなたは?」
「HIBANaといいます」
●
「モデルさん、なんですね」
「ええ。見えない?」
「綺麗に気を遣っているんだな、というのはわかります」
「答えになってない。ずるいのね」
人差し指の第二関節を口元に当てて笑うミレニアさん。上品、という風にも見えるが、そもそもの文化の違いのような気もする。赤いネイル。爪の片側にのみ、交互に並ぶ黒い点がデザインされている。
ミレニアさんはモデル業をする人らしい。他、たまにタレントとしてバラエティ番組に出る事もあると。
「聞かないの?」
「聞いてほしくなさそうなので」
「そう。じゃあ自分から話す。私はスコットランドと日本のハーフ」
「そうですか」
あんまり。
ハーフという単語が好きではない。ダブルだのミックスだのという言葉も好きではない。
「意外。日本人は全員純血主義だと思ってた」
「文化的にはそうですよ。他国と隔絶したレベルの超純血主義。だから他人種に対して偏見を持つほどの興味が無いし、分け隔てなく接する事が出来る」
「個人的は?」
「一切の興味が無いですね。なんせ、わたし達はそういう肉体に縛られた時代を抜けつつある」
人種や性別より、言語の壁の方が問題だ。学ぶ気がなければ超越できない壁が横たわっている。
見た目程度簡単に変えられる世界において、もっとも必要とされるのは知識であり言葉だ。そういう話をSNSなんかで見るたびに、時代遅れな事だ、と思っている。
「変な人」
「そうですね」
「血液型」
「AB型ですね」
「私は知らない」
「変な人って言われたかったんですね」
「そう。バレた」
血液型は調べておいて困ることは無い。輸血の時のスムーズな選択に必要になるから。
ちなみに、わたしは血液型によって性格が変わる、という話について、"そうであってほしいな"とは思っている。だってロマンではないか。血液。星座。誕生日。星のめぐりや並び、組み合わせ、地球の角度や月の位置、月と太陽の位置関係。血液の過去に何がいたのか──そういうものが人格に影響を及ぼす、なんて。
その方が面白い。その方がきっと、楽しい。
「夢、ある?」
「現実のその先へ」
「私は、復讐」
「物騒ですね」
「そう思う?」
およそ日常で聞かない言葉が出てきた。復讐。リベンジ。
何を。いや誰に。どうして。
「本当は、俳優になるはずだった。でも落とされた。から、復讐」
「審査員に?」
「そう。見返すの。その程度の審美眼。可哀想に。言うつもり」
「……なるほど」
随分とまぁ、良い性格をしている。自信家、という面もあるのだろうけど、それ以上に反骨精神が強すぎる。だけど。だけど。
「そのオーディション、他にいましたか、受けに来た人」
「二人いた。二人とも、受かった」
「喜んでいましたか」
「……私を慰めに来た。から、怒った」
あぁ、そうなのか。怒りなのか。虚脱ではなく、やるせなさではなく──やはり、怒りなのか。
999PさんがHANABiさんの話をしている時に行っていた、己へ向けた怒りとは違う。確実に、明確に、他者へ向けた怒り。
「私を蹴落とした。私の幸せを奪った。なら、おかしい。笑っていなければおかしい。だって、あの子達が笑っていなければ。私は。私の人生は。これまでの努力は。意味がない。私には怒る権利がある。勝って喜ばない人に。勝って敗者を気遣うような奴に。私の人生が無為にされた事が、怒れて、憎くて、仕方がない」
「その子たちはもう、俳優として活躍を?」
「……一人はそう。もう一人は……辞めた。つらくなった。そう言っていた」
それは。
ああ、なんとも。
「私を足蹴にした時点で、あの子達の幸福は決定事項。それを覆すのであれば、私はあの審査員を許さない。それなら私が幸せになっていた。やりたいことをやっていた。あの審査員の、劣った眼のせいで、必要のない不幸が増えた」
結果論だ。確実に、完全に。そして、逆恨みでもある。オーディションとはそういう場所だし、審査員も全員を選ぶことは出来ない。誰かを落とす必要があり、その時点においてはミレニアさんを落とす決定をした、というだけの話。
しかしそれは、大局の視点だ。登場人物──ミレニアさんにとってはそうではないし、その辞めた子にとってもそうではないのだろう。勿論、審査員にとっても、今も活躍するという子にとっても。
「だから、復讐。私が幸せになって、劣化した眼だという事実を突きつけて、自信を喪失させる。悪いと思う?」
「随分と熱量のある人だな、とは思います」
「答えになってない。本当にずるいのね」
ああ、でも。
やっぱり──怒りなのか。そうか。
だって今も、この人は怒りのみで動いている。ずっとだろう。それがいつのオーディションなのかは知らないけれど、ずっと。怒り続けるには膨大なエネルギーがいる。ミレニアさんは、健全な精神とは言い難い。言い難い、けれど。
ああ、それは。いつまでも解消されないのであれば、そうであると、そうなのだと。
納得した。
「ありがとうございます」
「夢、叶うといい」
「お互い様ですね」
それでいいのだと、理解した。
〇
──"ワタシは、憎い"
──"ワタシの国を滅ぼした奴らが"
──"ワタシは憎い"
──"ワタシの家族を奪ったアレらが"
──"憎いのだ。何故、滅んだ。ワタシからすべてを奪ったというのに、何故──繁栄を手にしなかった"
──"ああ、怒りが身を焦がす。何故。何故。ならば、なんのために、ワタシ達が在ったのか"
──"潰さないでくれ。ワタシ達の意味を"
●
当日になった。
対談の、当日。配信をするには聊か早い時間帯──18時から、それは行われる。
チャットには超遅延モードが導入され、そこまでコメントが目に入ることは無い場所にモニターが設置されている。じゃあ配信じゃなくて動画撮ればよかったじゃないか、と思わないでもない。
わたしは2Dモデル──全体が黒い人間らしきなにかの上半身で、ブローチのあるべき場所には穴。透過されたそこには、背景画像が映っている。常にもやもやとした黒い粒子の揺らめきに包まれていて、瞬きに連動して影が晴れ、ピアスをしている耳が見える仕組み。この手の"動くイラスト"にはありがちなカラクリだそうだ。
カメラやマイクなどの準備が行われている。わたし達は邪魔をしないよう舞台の隅へ。達。だから、わたし以外。つまり社長も、既にいる。手の外側に文字盤のある腕時計。時計のブランドはあんまり詳しくないけど、見間違いでなければアウトドアに用いる耐久性の高いソレだったように見える。
社長は。その女性は、わたしの目線に気付くとニッタァと笑みを浮かべた。
「ん? なんだ、欲しいのか? 買ってやろうか?」
「結構です」
……まぁ、先日の打ち合わせで、大体の人となりは掴めているので驚きはしない。
この人は凄まじくフレンドリーだ。そして奢り癖があるらしい。身内に対してのみ貢ぎ癖もあるらしい。社長……というかCEOとしてそれはどうなんだ、と思う。やっぱり泥船か?
勿論の話、出ているお金は会社のソレではなくこの人のポケットマネーであるのだが。
「ちぇ、最近の若者は欲望を前に出すという事を知らんなぁ。もっとアレが欲しいコレが欲しいと言っていいんだぞ?」
「時計を付けるほど時間に追われていないので」
「この時計は温度湿度付近の風速、さらには装着者の脈拍まで測れるぞ!」
「測ってどうするんですか?」
「楽しい」
子供か。
「随分と楽しくなさそうだな。私との会話は嫌いか?」
「配信という行為が憂鬱なだけです」
「それは大変だ。我々はエンターテイメントを商品にしているのだから、所属タレントが楽しいを感じられなければ意味がない。仕方ない。中止にするか」
「──」
挑発か、と思った。
違う。この人、本当に止めるつもりだ。行動力があるとかそういう話じゃない。思考と行動が一緒だ。
「エンターテイメントを売りにするのであれば、待ってくれている視聴者の期待をふいにする方が不利益なんじゃないですか?」
「わかってないな。全然わかってない。商品を買うかどうかもわからん大多数と、このまま続ければ必ず壊れる商品。どっちを優先するか。簡単だ、商品の修理を優先する。何故なら、壊れかけの商品を見て買おうと思う客はいないからだ」
「……それはつまり、大多数を優先するために、先に少数を優先すると。そういう事ですか」
「少数というか、個人だな。君個人を優先する必要があると判断した。だから、配信は中止にしよう」
……矛盾している。そんな大層な意思があるのなら、初めから呼ぶなと思う。
ただ、興味は。その度合いは、上がった。
「いえ、やりましょう」
「無理しなくていいぞ」
「配信の憂鬱程度より、貴女と一時間話す事の興味の方が勝りました。他者の目が気にならない程に」
「ふむ。まぁ、やりたいというのなら止めはしない。おーい! 準備まだかー!」
イァやってんすからぉとなっくしとってください! という声が音声さんから届いた。肩を竦めて目を丸めて口を尖らせる社長。あぁ、いつも怒られてるのか……。
「あーんなに怒んなくてもいいじゃんなぁ」
「とばっちりでわたしまで怒られるの嫌なんでもう少し大人しくしといてください」
「何故ウチに入ってくる新人はみんな気が強いんだ……おいよおいよ、もっと礼儀正しくて小動物みたいなカワイイ子が入ってこないものか……」
「セクハラですか」
「やめたまえその言葉を簡単に使うのは! 昨今目が厳しいんだから!」
それはまぁ、そう。
あまりに過敏な人たちにとって、この世界は、というか人間はハラスメント以外を発しない生物なのだそうで、そういう人たちには早い所すべてがAIに管理されたディストピア世界に移動することをオススメする。
わたしのは半分以上冗談だけど、それも受け取り手次第。この場にいる誰かが真に受けたら、よくない話になるかもしれない。少し反省する。
っびーでーっまったぁ! という音声さんの声。準備出来ました。ちゃんと発音してほしい。ちなみにさっきのは、今やってるんですから大人しくしておいてください、だと思う。じっべーわ。
少し遠くなるけど、ラジオ収録用のスタジオで録ればよかったんじゃないか感は否めない。対談するならそれ専用の設備があっただろうに。まぁ結構歩かないといけないから時間はかかるんだけども。
「さて、行くか」
「はい」
ライブスタジオの舞台に設置された長テーブルにつく。対面。互いの間にカメラがある。社長はそのまま、わたしは"動くイラスト"用のツールを噛んで、配信に乗る。
配信用ツールに試験的に写されたソレ──影法師。瞬きや口角の上下で、揺らめき、隠されているものが見える。2Dモデラーの仕事の速さ。そしてクオリティ。感服です。
っしんっめまー! という声。
もう突っ込まないが、この人は普段からこういう話し方なのだろうか。日常的なコミュニケーションに困りそうだ。っせーたー。
久しぶりの配信だ。凡そ一年ぶり──もうすぐ一年になる。
さぁ、被ろう。可憐ではなく、HIBANaを。息を吸う。
●
「よろしく」
「ああ」
存分にキャラ作りをしていい、と言われているし、そっちのブランディングを壊す意思はない、と言われているため、しっかり尊大に返す。社長であろうと関係ない、のではなく、そういう打ち合わせをしたから問題ない、である。勘違いしてはいけない。
のだが、既にコメントでは「敬語使え」だの「公式の場なんだからもう少ししっかりしたらどうなんですか?」だの「ああ、じゃねえよ」だの……。まぁ、批判というには些か幼稚だけれど、やっぱりHIBANaが嫌いな人が多い事を確認して、少しだけ口角を上げた。
「いやぁ、今回は呼び出しに応じてくれてありがたい! 最近堅苦ノッポが熱を持って話すバーチャル事業に興味が湧いてね。一番若いのと話してみたくなったんだ」
「ああ、構わない。ワタシも自らを飼う主人の顔を見るのは楽しみであったからな」
「はっはっは、飼うと来たか。これは手厳しい。私達は君達の羽ばたく場を作っているのであって、首輪をつけた覚えはないのだけどね」
わたしがコメントを見たがっている事に気付いたのか、スタッフさんがモニタの位置をズラしてくれた。
「HIBANaが敬語使わないのはそういう設定だろ」「何コイツうざ」「新人の癖に生意気すぎるだろ」「うわー、これ見てて疲れるやつだは」「普通にイラつく」など、来た来た、冷静になってないときの生の反応。今回わたしが配信ソフトを動かす役目が無くて本当に良かった。ただでさえ疎いのに、こうやってコメントに集中しながら動かすもんだからトラブルが起きる。
批判と擁護、心情吐露。来場者数がまだまだ少ないからこの程度だけど、これからどんどん増えるだろう。
少し気になったのは、転生関係の揶揄よりHIBANaという新人に対しての文句が多い事。もしかして運営さんがタイムアウトしているのだろうか。
「気に障るか?」
「いや、全然。それより、君の話が聞きたいんだ。君は、このDIVA Li VIVAに何を求める?」
急な話題転換。もちろんカンペが出ている。
求めるもなにも、わたしはスカウトだ。さらに言えば、切っ掛けはHANABiさんがやりたいという意思を見せた事。求めるものなど。
「足だ」
「足。移動手段ってことかい?」
「そうだ。広くあるため。遠くへ行くため。集団に属する目的というのは、個人の限界を超えるため以外の理由を持たぬ。手広いのだろう?」
「そうさな、アイドルも芸人もモデルも音楽家もイラストレーターもライバーもプログラマーも、他にも沢山の表現者がウチにはいる。君の足掛けになりそうかい?」
「あぁ、踏み台にさせてもらおう」
「へぇ?」
飼い主でないのなら、リードを付けられていないのであれば。そちらが高みを目指すのを止めたと判断したその瞬間に、ワタシ達はそこを踏み台にし、さらに高みへと昇っていくだろう。手放したくないのなら、躍進を怠らない事だ。
「アナタの、理念を聞かせてほしい。行動を起こすにたる理由。信条。あるか」
「んー、理念ときたか。ふむ。そうだね……私と、COOのテル、堅苦ノッポは幼馴染でね。といっても歳は全然違うんだけど。それで、まぁその三人は町一番の悪ガキだったわけさ。まぁ比べた事なんかないから、町一番かどうかなんてわからないけど」
「ほう」
「で、まぁなんやかんやあって会社を立ち上げることになるんだけど、私はこの通りの性格で、初めはタレントになろうとしたんだ。兼業でもよかった。なんでもできると思ってたからね」
なんやかんやあって、の部分が聞きたいと思った。というかさっきから出てる堅苦ノッポ、多分原坂さんのことなんだけど、視聴者に伝わっている……とは思えないんだよな。原坂さんのことなんか知らないだろうし。視聴者に優しくする気はないのだけど、優しくない配信だな、と思う。
あ、テロップ入れてくれた。なんだスタッフ有能か?
「そんな私の前に、凄いヤツが現れたんだ」
「……」
「そんな冷たい目をしないで欲しい。その人は凄い人だったんだよ。aliaという。ウチの看板歌手さ」
「名は、知っている」
「ありがとう。aliaはね、私にこう言ったんだ。"たとえ会社が潰れても、あなたが路頭に迷っても、必ず私が傍にいる。私が歌で、アナタを世界に連れていく。私から出せるものがコレだとして、あなたは私に何を出せる?"ってさ。身勝手だろ? 勝手だろ? それで、簡単に、私はaliaに惚れてしまったんだ。コロっとね」
楽しそうに話す社長。「強引過ぎる」とか「惚れやすすぎだろ」とか「アィヤって結婚してたっけ?」とか……完全に持ってかれている。
「私は答えたよ。"じゃあ私は足場を用意するよ"って。"君が世界に羽ばたいていけるように、私を世界に連れて行ってくれるように、どこまでも高い木を育てて足場を作る。羽を休める止まり木をね"って返した。あ、勿論かなり脚色してるよ? 意訳だよ意訳。思い出は美化されるものだろ?」
「……足場か」
「そう! だから、今、私は面白いな、と思ったんだ。だって私がaliaに用意すると言ったものを、君が欲しているなんてさ! 私の理念を聞いたね。私の理念は、高く高くを飛ぶ表現者たちのために、降りなくてもいい止まり木を作る事だ。努力して上げた高度を落とさなくていいように、私達も上へ行く。お眼鏡に適ったかい?」
目を閉じる。ああ、それは。
素晴らしいと思った。
だから。
「素晴らしい」
言った。思ったから、声に出して、言う。
「良かった。じゃあ、私からも聞いていいかな。君が歌う理由を。君が、高みを目指す理由を」
そろそろ次の話題に行って、というカンペが出ているけれど、社長はそれを無視して言う。頭を抱える皆さん。ごめんなさい、わたしもあんまり巻けないです。
一瞬コメントが見えた。「ピアスえっっっっ」。ナイスだ君。拍手を送ろう。
「ワタシは、先を目指している。高みの、さらに先だ。世界を遥か高みから見下ろして、現実を遥か先から見渡して、ワタシは問いたい事がある」
「問いたい事?」
「まだ語るべきではない。無いが、すべての問いは歌に込めている。ワタシは一つの世界として、一国の王として、かつてあった誰かの意思として。答えを得なければならない。そのために、止まるわけにはいかないのだ」
今、無意識に言葉が出た。答えを得なければならない。
答え、とは。なんだ。かつてあった誰かの意思。わたしは、何を求めている?
「ふむ、歌に込められた問いか。じゃあそれは、今から聞ける、という事でいいのかな」
「──あぁ、披露しよう」
やっとカンペを読んだ社長が、言う。笑って。
モニタに蓋絵が敷かれ、準備中の文字が出る。音声が切られた。
「ふぅ……」
「いやぁ、凄いね、演者というのは。本当に別人になったかと思ったぞ。私も様々な俳優を見ているけれど、君は特別な部類だ。目の奥の意思まで変えられる辺り、自己暗示などをやっているな?」
「あぁ、はい。完全に自身をHIBANaだと誤認しています」
「自己暗示は危険だから止めた方が良いぞ、という普通のお説教は君には要らなそうだ。スイッチの切り替えが上手いな。素の自分は思い出せるか?」
「いいえ」
「なるほど、危険領域を既に超えているのか。なんなら今すぐにでも社内カウンセラーに診せたい所だけど、それを苦脳に思っていない上に自覚があるなら問題は無いだろう!」
水を飲みながら、そんなことを喋る。その間にマイクスタンドなどがテキパキと用意されていく。なんでこの人配信中より裏の方が多少は威厳のある喋り方になるんだろう。逆のほうが良いのでは? なんて。
素の自分は思い出せるか、という質問。鋭いな、と思った。そうだ。だって、最初は批判なんて楽しめなかったのだから──批判を劇としてみるようになった時点で、批判を楽しめる自分、というキャラクターを作って演じているに過ぎない。褒められたことを素直に喜べる自分のアレンジ。
そして素の部分にいた、歌が好きなだけの無個性ちゃんは、押しつぶされて死んだ。
「感動をするために、君の歌は今まで一度も聞いてこなかった。aliaを超える自信はあるか?」
「自信しかありませんね」
「大言壮語でないことを祈る」
給水を終えて、マイクの前に立つ。観客はいない。音声さんやカメラさんなどのスタッフさんはいるけれど、目に見える観客は一人もいない。いるのは、画面の向こうの誰かだけ。
蓋絵が外される。"動くイラスト"がわたしの顔を捉え、HIBANaに意思が宿った。
デビュー曲だ。
「『ヒアモリの塔』」
さぁ、成れ。
●
「君はカンガルーの肉を食べた事があるか?」
「ないです」
「カバは?」
「ないです」
「ワニならどうだ」
「ないですね。あんまり食べ物に興味が無いので」
対談は終わった。万事滞りなく、というにはかなり巻いたけど、配信トラブルは無く、来場者数も上々。否定や批判の数は最後の頃にはほとんどなくなっていて、やはりタイムアウトなりなんなりをスタッフさんがやってしまったのだろうことが伺える。そういう反応を返すから、批判にもなっていない連投やスパムとかが湧くんだけどな、なんて思ったりしなくもない。
「そりゃあ勿体ないな。私の若い頃なんかは、金が入るたびに珍味を巡って旅行していたぞ」
「おひとりで?」
「まさか。テルと堅苦ノッポがいつも一緒だった。私達は大の仲良しでね。堅苦ノッポがウチに入社してきたときは、テルとハイタッチをして喜んだものだ。一度は離別したというのに」
「離別?」
「音楽性の違い、というやつだ。私達はアーティストではないが。違うものをプロデュースしたかったんだと。五年前にひょっこり戻ってきて、しっかり実力をつけていたよ。今では知っての通りだ」
「へえ」
あんまり興味が無いけれど、なんだか複雑な話がありそうだ。
そういえばコメントで出ていたけれど。
「aliaさんに惚れたと言ってましたけど、ご結婚は?」
「一回はしたよ。でも、一年で離婚した。喧嘩したわけじゃないぞ。夫婦という仲ではない方が良い、と思っただけだ。aliaは他の人と結婚して、今は子育て中だよ」
「ずっと傍にいてくれるのでは?」
「結婚と傍にいるのは同義じゃない。彼女は今でもDIVA Li VIVA所属で、看板歌手だ。それで十分だろう」
そんなものか。
まぁ、そうだ。純粋な友情、あるいは親愛というものは存在する。
「それより、君だ君。バーチャルシンガーより、普通に歌手になった方が良いんじゃないか? 君なら売れるぞ。私が保証する」
「いえ、結構です。バーチャルシンガーであるのには、理由があるので」
「さっき言ってた問いの事か?」
「それはHIBANaの話です。わたしは、現実のその先を見てみたい。相棒と約束しているんですよ。そこへ行く、って。そして──ライバルとも、対決中です」
たまに、いる。バーチャルシンガーなんかをやるくらいなら、歌手になったらいいのに、という人。ましてやそれを、栄転などという人までいる。
違うのだ。歌手になれなかったからバーチャルシンガーであるわけでもないし、バーチャルシンガーで成功したら歌手になりたいと思うわけでもない。アングラ寄りのサイトにいた所謂"歌い手"であれば話は違っただろうけれど、わたし達は、あくまで。
バーチャルシンガーであるために、バーチャルシンガーをやっている。
「なるほど、ライバルか。良い響きだ。その子は、君くらい歌が上手いのか」
「ほぼ同等かと」
「ふむ。なるほど。aliaと同レベルが、二人もいるか」
「アナタが探していないだけで、歌の上手い人なんてそこらじゅうに沢山いますよ。わたしが一番である、というだけの話です」
「あぁ、aliaも言っていたよ。"ほかに目を向ける暇があるなら、私を見なさい。私が一番なのだから、私だけを見ていればすべてを見渡せるわ"ってね。はは、似ている。今度会わせてみたいくらいだ」
「今日帰ったら曲聞いてみますね」
「本当に知らなかったのか!? 名前だけは、というのは演技だとばかり……社内SNSに全曲送りつけるぞ!」
「いやそれは怖い」
それは怖い。
推し愛が強すぎる。離婚した理由ってまさかこれじゃないだろうね。
「そういえば、ヒアモリの塔ってどういう意味なんだ。ひめゆりの塔くらいしか知らんぞ」
「ヒモロギの意味でも調べてください」
「あぁ……そういう字か。なるほど」
「意外に知識量がある」
意外なんて言っちゃあ失礼だろうけど。
「君の意思を確認せず、呼び出してしまってすまなかった」
「いきなりなんですか」
「いや、行き当たりばったり、当たって砕けろがモットーな私だがね、ああ、見えていたさ。送信されていたコメント。君はいくらかしがらみを抱えていて、悪意の的にあるようだ。企画をした当初は、それを知らなかった。君が配信を嫌った理由はそれか」
「……」
さて、と。
悩みどころだ。利益不利益を考えよう。このまま素直に違います、ボロを出すのが怖かっただけで、批判や悪意自体は好んでいます、というべきか。それとも、そうです、わたしはもう、嫌な思いをしたくはないので、というべきか。
いや考えるまでもなかった。外聞もプラス。
「まぁ、そういう事です。そこまで気に病んだりはしませんけどね。それでも……わたしは、配信をするには厄介な人たちに目を付けられすぎている。生の声って、怖いですから」
「ああ、そうだろう。所属タレントを守るどころか、矢面に立たせてしまった。今回ばかりは本当に反省している。改めて、すまなかった」
「ありがとうございます」
顔を上げてください、みたいな事は言わない。言わないけど、社長は勝手に上げた。
笑顔。ん?
「だからこれからは動画でどうだ。ほれ、他のバーチャルクリエイトの連中も誘って、大雑談大会とか」
「倍の倍になってますね。嫌です」
「動画なら見たくないだろうコメントは消せるぞ! うちのチェック班は優秀だ!」
「あなた忙しいのでは? 加えて、なんですか雑談大会って。何をするんですか」
「雑談」
「でしょうね」
そうじゃない。
そういうことじゃない。
「HIBANaであんまり雑談したくないんですよ。ストーリー部分はMVで見せたいので」
「ふむ……なら、短時間のゲストとして呼ぶのはアリか?」
「……相方と要相談ですね」
「そうだ、その相方は来ないのか」
「創作関係の仕事ならともかく、雑談には来ないと思いますよ。VCでもチャット参加だと思います」
「引きこもりか?」
「yes」
ナンデワカッタンダロウ。
冗談はさておき、この人HANABiさんと相性悪そうだな、という感じがしている。価値観云々の話じゃなくて、かなり目にこの人面倒くさいのだ。HANABiさんも999Pさんも効率重視タイプだから、こういう人あんまり好きじゃないと思う。
「それを無理に引っ張り出すのは可哀想だな。よし、じゃあやはり私と今度珍しい肉を食べに行こう」
「何が"じゃあ"なのか」
「良いから食事を奢らせろ。怒るぞ」
「理不尽が過ぎる」
まぁ。ただでご飯食べられるなら、それに越したことは無いか。
食費が浮く。……いいのかわたし。そんな甘い考えで。相手社長だぞ。
いいや。
「今からどうですか?」
「ノリ気だな。ちょいと早いが、夕飯を食べに行くか」
「よろしくお願いします」
時刻は19時。
HANABiさんに今日は夕飯いらない、という連絡をしつつ、わたしと社長は夜の街へと消えていった。
〇
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貫くまでは。
「私は二次創作、好きですよ」
HANABiさんは言う。
「前にも言いましたけど、完全オリジナルなんてものはもう作れないと思ってます。世界中のあらゆる創作に触れずに生きていくのは難しい。必ずどっかで影響を受けますからね。それは小さなころに読んだ絵本であったり、学生時代に覚え込まされた合唱曲の歌詞であったり、初めて自分で選んだ洋服のデザインであったり」
いいですか、杏さん。
この世にあるすべての創作は、すべて『現実の二次創作』です。ノンフィクションや時代劇なんかは公言しているようなものですが、フィクション……SFだってラブコメだって、現実にアレンジを加えた二次創作です。アレンジの度合いは違いますけどね。
事実は小説より奇なり、なんて言葉がありますけど、そんなのは当たり前です。創作は人間の考え得る範囲でしか出来ません。しかし、偶然の絡む事実においては考え得る範囲を超える事が出来ます。あ、ペンキ零した絵画が偶然名画になった、とかは絵師の実力ではなく偶然の実力、つまり奇の類です。
そして、そういう"起きてほしい偶然"を意図的に組み込んで描き上げたものを創作と呼びます。つまり、現実がベースにあって、そこに"起きてほしい偶然"というアレンジをしたものになるわけですね。
良い言い方をするとアレンジです。良い言い方をしないと二次創作です。
普通の創作が何故二次創作呼ばわりされないのかと言えば、もちろん著作元たる現実が損をしないからです。人間には完全オリジナルはもう作れないと思いますが、現実は作り得ます。むしろ常に完全なオリジナルを生産出来ているからこそ、二次創作で損をしない、とも言えるでしょうね。
「ま、生まれたときから無菌室の真っ白い無音の部屋で育った人間の描く"外の風景"であれば、完全オリジナルに成り得るかもしれませんが……、いえ、それは"何もない事"の二次創作になるだけですね」
先人の知恵に倣う、という行為も二次創作です。過去の失敗を原作に、改良を加えて新しく公開する。それが自作であればスピンオフですかね。人間の技術は二次創作の連続ですよ。ヒトの人格だって二次創作の可能性があります。誰だって、どこかで誰かの影響を受けているでしょう。
杏さんの好む"出会いでしか人は変われない"というのも、"出会った誰か"というn次創作のn次創作として自身の人格を書き換えているにすぎません。皆凪可憐やHIBANaもまた、杏さん+何か、あるいは杏さん+設定の二次創作です。
二次創作、という言葉が広すぎるのが悪いとは思いますけどね。
洋楽みたいなものです。内に対して外、という意味で、邦楽と洋楽にジャンル分けされていますけど、邦楽だって細分されたジャンルがあり、洋楽に至っては邦楽の何千、何倍ものジャンルがありますよね。それを自己紹介なんかで"洋楽が好きなんだ"、なんて吹聴した日には、"何言ってるんだコイツ"案件ですよ。
認識しているものが違うんです。私が今言った"二次創作が好き"における二次創作の例は挙げました。私はあらゆる創作を二次創作と認識しているから、私の好きなものを指す二次創作が好きです。
杏さんは著作元やクリエイターが損をする二次創作を"二次創作"と呼んでいるから、二次創作が苦手です。
「そろそろ"二次創作"がゲシュタルト崩壊してきましたか?」
「大分」
「大手町3-1-1ですね」
ですから、とHANABiさんは続ける。
二次創作がすべて盗作なのではなく、盗作はすべて二次創作、が正しいですね。勿論事実として、インターネット上には盗作としか言えない二次創作が蔓延っていますよ。しかし前者がすべてであるかのように言ってしまうには、気に障る方々もいらっしゃいますからね。
「大丈夫、人目に付くところでは言わないから」
「ええ、それがいいかと」
わたしは意見を変えないけれど。
まぁ、そういう見方もあるのだろう。
●
久しぶりにテレビを点けた。無理矢理ライブのDVDを見せられた時以来か。じゃあ久しぶりでもないか。
チャンネルを、初めて見るバラエティ番組を流すところに変える。そこのひな壇に、綺麗に手足をそろえて座るミレニアさんがいた。
知らず、おぉ、という言葉が出る。
Vtuberを一年やって、今はバーチャルシンガーをやっている身分なれど、"テレビに出ている"という感覚は薄い。DIVA Li VIVAのコマーシャルには一瞬出演したし、次のにも出るとはいえ、明確な参加者としてのそれではない。
だからこうして、テレビ出演者の彼女を見ると、おぉ、という感嘆が漏れるのだ。
それに、気のせいでなければ。
MCの人の前に座って、挑戦的な笑みを浮かべているのは……いつぞやの炎上アイドルの人。尊大に。カメラ越しに見てわかる"私自信あります"感は、あの人の特徴と言ってもいいだろうもの。ミレニアさんも相当なソレだったけれど、この人のはもっと食い気味だ。他人のパーソナルスペースにがっつり侵入して、"どうだ私は可愛かろう!"と言ってくるような……厚顔無恥の擬人化のような。
恥知らず、というのは、言い換えれば誇り高いということだ。自分を好きでいるためには、自分を高く誇るためには、根本。矜持の根っこのところは自身を信じている必要がある。そこだけは、恥を知ってはいけない。いついかなる時も自らを信じ続ける事こそが、誇りと自信を生み出してくれる。
ある種。否、一種の最高到達点として、エンターテイナーのあるべき姿だと思う。裏側での姿など関係ない。視聴者にとっては見えるものがすべてだ。苦悩などない。艱難などない。恐怖心など欠片もない彼女が、世間にとっての全て。弱みを見せないからこそ、高みであり続けられる。
……HIBANaが配信をしないようにするのも、やはりそういう目的が繋がってくるからだ。ああいう対談は、結局HIBANaのパーソナルな部分を探られやすい。配信という視聴者と近い空間においては、近づいてしか見えない何かを見せてしまう可能性がある。
遠くから眺めていて欲しい。そう、思う。
あるいはミレニアさんの夢のように。目的を達したその暁には──その時に、初めて。少しだけ自分を出すのもいいかもしれない。それがいつになるかは、わからないけれど。
「そういえば」
──"欲しいものが出来たか?"
「いえ、ailaさんの歌聞いたんですよ」
──"おぉ!"
三月二十四日。MINA学園projectの二周年記念イベントの前日である今日だが、何故かわたしは社長と通話をしている。あれから本当に全曲送りつけてきや……送りつけてきた社長と何故か通話をするようになり、何故か999Pさんよりも頻度が高くなって、何故かわたしもそれを許しているのだ。何故か。
別に嫌ではないのだが、仕事は忙しくないのか、とか。何故一社員にここまで構うんだ、とか。まぁ言わないけど。
──"どっちが上だと思う?"
「どっちが上だと思いますか?」
──"質問しているのはこっちだぞ"
「そうですね」
──"甲乙つけがたい。初めてだ、この感覚は"
「ありがとうございます」
そもそも歌っている歌のジャンルが違うから、単純比較なんて出来ない。喉の使い方も違うし、年齢差などもある。声質も違う。それでも社長がこう言えるのは、社長として数多の"上手い歌手"を見てきたからか。あるいは、わたしとは違う判断基準を持って甲乙と言っているのか。
結局わたしはあんまりパソコンを触ってこなかった人間なので、昔から触っていた人間より知識が浅い。意欲的に調べるようにはしているものの、あんまり変な……海外のサイトやサウンド系のアプリは入れないようにしているので*1、どうしても今活動している動画投稿サイトが情報収集源になってしまう。
無論このサイトのジャンル量は相当だろうけど、実際にプロデュースする側ではまた視点も違うだろう。
「とりあえず好きにはなりましたよ」
──"そうだろうそうだろう!"
「特にこのonlyingというの。読み方があっているかわからないけれど、気に入りました」
──"あぁ、これはね。彼女の結婚祝いに私が贈った曲なのさ"
「へえ」
特にそういう印象は受けなかったけれど。
祝い事の曲にしては、随分と激しい。わたし好みのロック調。
──"君にも一曲贈ろうか"
「ボーカル依頼ですか?」
──"いや、プレゼントだ"
「この春風という曲は、門出の曲ですか?」
──"おかえり、の意味だな"
「このfall flatという曲は、旅立ちの曲ですか?」
──"失恋の歌だな"
「じゃあ、プレゼントは要りません。どうにも解釈不一致が激しそうです」
──"そのようだ。創作観自体が違うようだな"
HANABiさんとわたしも価値観の相違が激しいけれど、曲に対する解釈一致は大きい。それはわたしが、もともとHANABiさんの曲を好んで聞いていたから、というのも大きいだろう。好きな曲がHANABiさん色に染まっている。
無論、ロックが好きなのはわたしの生来の方だ。HANABiさんの曲を好きになる前から好きだった、というだけの話。
社長の作る曲はどれも凄いとは思うのだけど、音の方向が違うというか、向いている場所が違うように感じる。聞かせてもらった曲*2はどれもailaさんに向けて作ったものだから当たり前なのだろうけど、それだけではない違和があった。
「さて、そろそろマネージャーさんに連絡する事があるので、切りますよ」
──"えー"
「子供か」
──"ふん、仕事でもない時にふんぞり返ってなどいられるか"
「仕事でもない時に上司と通話しなければならないわたしの心労を汲み取ってくれませんか」
──"楽しんでいるだろう"
「パワハラですか?」
──"だからハラスメントという言葉を気軽に使うな! 今時怖いんだぞお前知らないわけでもないだろ!"
「サウハラですか?」
──"なんだサウハラって。パラサウロロフスか"
「パラサウロロフスこそなんですか。サウハラはサウンドハラスメントですよ声がうるさいって言ってるんです」
──"恐竜だ"
「そうですか」
知らんがな。
──"まぁ、わかった。マネージャーもそう遅くまではいないだろうからな。わかった。仕方ない。じゃあ切るぞ。切るぞ!"
「切りますねこっちから」
切った。
気に入られた、という事だろうか。それとも、他の人にもこうなのか。多少、うざったるいな、とは思う。まぁ思うだけだ。言わないし、気に障るわけでもない。面倒なだけ。
それじゃあ、と。明日の予定を、麻比奈さんに聞くことにしよう。
●
皮肉を皮肉として受け取らなければ、そこに乗せられていた感情はどこへ行くのか。
配信に付くコメントというのは、直接的な悪意も多数あれど、皮肉や嫌味といった間接的な悪意も存在する。有名どころでいえば"お気持ち表明"だろうか。他、"お子様"だとか"お察し"だとか、随分と尊重した言葉の裏面に軽蔑を込めているように思う。"カッコよすぎて笑う"なんてのもある。
ただそれを、そのままの意味で受け取ってみる、というのは、中々に楽しいものだ。
だってそうすると、批判的なそれがすべて褒め言葉に変わる。発信とはすべて受け取り手次第だと再三言っているけれど、故にこそわざわざ相手の意思まで汲み取ってやる必要はない。
素直が一番!
「世間はそれをバカというのよ」
「バカな方が人生楽しいですよ」
「それはそうかもね」
DIVA Li VIVAの休憩スペース、ではない。
元からこの日は撮影……NYMUちゃんとのコラボが入っていたので、収録スタジオになる。
モーションキャプチャー用のスーツを身に着け、軽く準備運動をしていたわたしの横に999Pさんが来ていた。なんでもとある3D衣装のデザインを担当したらしい。わたしの、ではない。
NYMUちゃんも同じようにスーツを身に纏っていて、これまた同じく柔軟運動の最中。随分と体の柔らかい子だ。わたしとは大違いである。
「音声さん、いつもより多いですね」
「バカな方が人生楽しいわよ」
「それはそうですね」
別に激しい運動をするわけではないのだが、撮影というのは時に思わぬ偶然……あるいは事故で怪我をする可能性がある。柔軟や準備運動は何をするにも大切だ。体のスイッチを切り替える、という意味でも。
自信を持つ。自信を生む。わたしがわたしでなく、HIBANaであるための自覚を備える。
深呼吸。
まぁ、そのためにわざわざ対談でキャラクター性を見せつけたのだ。不慮の事故とはいえ、良い機会であったのは確かだった。そういうキャラクターである、というのが視聴者の一割にでも伝わっていれば十分。
NYMUちゃんの撮影が始まる。そこに、ゆっくりと。
歩いていく。揺らめく黒いシェーダーを纏い、白衣の何者かが。
そして、元気に最近あったことについて喋るNYMUちゃんを──背後から、縊いた。勿論力は入れない。両腕を彼女の胸元で交差させ、抱き着くように、憑りつくように。
これはまた散々燃えそうだな、とは思っている。可憐の時はイメージダウンを出来るだけ避けていた分、かなり楽しくなってきているな、と自己分析。
わたしとて不正や不祥事の炎上を楽しむのはよろしくないと思う。思えるだけの倫理観は育っているけれど、特に問題のない事で、周囲が勝手に騒いで燃える分にはエンターテイメントだと考える。豊かな妄想力を酒の肴に眺めるのがいい。お酒そこまで飲まないけど。
そのままの体勢で止まる。スタッフさんから合図があるまではこのままだ。映像技術の方でわたしの纏っている影のようなソレがNYMUちゃんを取り込んで、さらにはカメラまで取り込む、という段取りで、その編集のために多めに時間を取っている。
今回は音声込みの撮影のため、雑談は出来ない。NYMUちゃんの肩に体重をかけないように気を付けながら、待つこと三分程。
はいオッケーでーす! の声。
「ふぅ」
「どきどきした……」
「途中、何度か倒れそうだったね……」
人に寄り添いながら、その人に体重をかけないで止まっている、というのは結構難しい。動かないようにするのに手いっぱいになると、寄り添っている感……縊いている感じが出ないし、あんまりくっつきすぎるとNYMUちゃんが動いてしまう。
一発で行ければいいけど、はてさて。
次行きまーす、とのこと。一発OKだったようだ。まぁ後々悪かったら別撮りになるんだろうけど。
影が晴れるとどこかの古城……廃墟と化した城にいる、というシーンになるため、わたしは何段も重ねられた木の台の上に置かれた椅子に座り、足を組む。NYMUちゃんは元いた位置でしゃがみこむ。
スーツ以外の小道具にはマーカーがついていないため、映像には映らない。既に用意されているステージ、玉座や階段、カーペットや壁などといったものはモデルとしてモニタの中に存在しているため、撮影の合間合間に位置を確認している。まぁ動画として出す場合の最終調整は後々行えるため、壁の中に入ってしまっていても修正は利くのだが。
「久しぶりだな、アナタと会うのは」
「え? この間一緒に歌ったばかりだよ?」
「ああ、アナタにとっては、そうだろう。そう思うのだろう」
正直な話、NYMUちゃんとHIBANaでは属する世界が全く違う。NYMUちゃんもそこそこファンタジーな見た目をしているけれど、もっと明るめの……ポップでフワフワでわーい! な感じのファンタジーだ。陰鬱で渇ききったHIBANaのソレの対極にある世界。
が、NYMUちゃんは多数の自社コラボで、割とそういう経験はしてきている。わたしのような超絶シリアスなタイプにも、ゲラの凄い飛びぬけてはっちゃけた人とも合わせられるのがNYMUちゃんの良い所だ。故にこうやって、わたしの世界の方にNYMUちゃんに飛び込んでもらう形となった。
「ああ──長い年月が経ったよ。アナタが来てくれて良かった。何か、アナタにあげられるものはないだろうか」
「うーんとね。じゃあ、やってほしいことがあるんだ」
「ほう?」
この先の台本は、NYMUちゃんがわたしに"目を瞑ってほしい"と言い、カメラも暗転。カメラ映像はまるで瞼が開くように光を取り戻し、その先にいたNYMUちゃんの大人ver.みたいな人に微笑みかけられ、再度映像がブレる。このあたりの映像については後々挿し込まれるので今は気にしないでいい。
鮮明になった視界には、NYMUちゃんの姿は無く。しかしそこは廃墟でない、活気あふれる街。周囲を見渡して目を凝らすと、遠くの民家の屋根にNYMUちゃんがいて、そこへ歩き出すところから、『ヒアモリの塔』のピアノアレンジが流れ出す……というものになっている。
「目を瞑ってほしいな」
「ああ、いいだろう」
目を瞑る。
はい、オッケーです。そのまま目を瞑っていてください! と言われた。そんなことあるわけがないのだが、まぁ従う。失礼しますね、とは技術さん。耳にイヤホンが付けられる。胸元のマイクも別のものに替えられた。
そしてまた、再開した。
「じゃあ、目を開けて!」
NYMUちゃんの声に、目を開ける。
変わらぬスタジオの光景。しかしモニターの中には、廃墟の古城ではなく活気あふれる街並みが広がっていた。
そして。
──"さぁ、捧げよう。
ああ、やっぱりか、と思った。
イヤホンから流れてくる、遥香さんの声。サプライズを用意している、というのはわかっていたし、全く関係のないヤツを呼ぶというのも、HIBANaであれば納得は出来る。視聴者は納得しないだろうけど。
転生先と転生元のコラボだ。おそらくあちらのコメントでは「大丈夫なのか」とか「いいのか?」とか……そういうコメントが咲いている事だろう。
何が大丈夫じゃないのか。
「──夢を掴め」
──"夢を掴もう!"
だから、言う。冒頭の台詞部分を、HIBANaの声で言う。
結局、転生が嫌われるのは──捨てたと。見捨てられたと思うからだ。転生した事実を認めず、過去を隠さんとするからだ。それ以外の理由も勿論存在するが、元ファンが批判者と化するのは、それが大きな理由だと思っている。
故に、認めよう。記憶の摩耗したHIBANaは、皆凪可憐と全く関係がなく。そうでありながら、HIBANaには、ワタシには、影響を及ぼした誰かが存在する事を。
「──皆で、進め」
──"皆で進もう!"
知らない言葉を紡ぐ。知るはずの無い言葉が流れる。
そしてそれは──確実に、あちらにも届いている。
「──早く来い、ワタシのいる所まで」
──"行こう、先の先まで!"
かつて共に組んでいた円陣を思い出す。前は六人だった。今は、五人だ。フォーメーションも変わっている。六芒星は五芒星へと転じ、星になった。
高みへ行くには持って来いだ。花火よりも高い位置に、星はあるのだから。
通話が切れる。
「おーい、王様! 早くこっちまで来てー!」
そのタイミングで、NYMUちゃんが少し離れたところに作られた台の上で、大きく手を振った。
ゆっくりと立ち上がり、台を降りる。ゆっくり、ゆっくり。まるで足の重さが無いように。まるで体の重さが無いように。少しずつ、NYMUちゃんの元へ近づいていく。
「あぁ、アナタは、とても活力のある魂をしているようだ」
「ありがとう!」
「それで、今度はどこへ連れて行ってくれるのか」
『ヒアモリの塔』は流れていない。ならば、まだ台本に無いことが起きる。
NYMUちゃんは台の上から降りて、ワタシを指さした。
違う。
後ろだ。
「……」
そこに、いた。今さっき。イヤホンの向こうから聞こえていた声の持ち主達が。MINA学のスタジオとDIVA Li VIVAのスタジオは車で一時間くらいの距離にある。瞬間移動でもしない限り、この一瞬で移動できる距離ではない。
だから、最初から。
彼女らは──DIVA Li VIVAの収録スタジオにいた、という事だ。
「やぁ王様。いつぶりかな?」
「これは、夢か」
「そうだ。これは君の夢だ。NYMUの力に便乗させてもらったよ」
「ならば、アナタ達は」
「幻影のようなものさ。過去ではないし、未来でもない。好きだろう、そういうの」
カンペが出る。HANABiさんと社長、原坂さんが許可を出している、だって。へぇ。そういえば言ってたね、あなたに吐いている嘘がいくつかある、って。
だって、そうか。そうだよね。一番。最初に出した、HANABiさんからの依頼で歌った動画。あれは、可憐がいなくなってしまった事への愚痴だった。愚痴だ。そうだ。彼女は、今でも──未練がある。散々彼女の天才性を聞かされたけれど、もしかしたら。手を付けた作品で、初めて未完成に終わった作品だったりするのだろうか。可憐。皆凪可憐が。
ああ、そんなにも公私混同をするのか。知らなかった。わたしの価値観では、それは許されない。けれど、どうだ。それは──新しいと、錯覚できる。未完成だから、無理矢理手を加える、なんて。「戻ってきてほしい」とか「帰ってきてほしい」とかいう人たちと、まるで同じじゃないか。
違う。まるで、じゃなくて。同じなんだ。あの人は。本当に。同じ。
「この身はもう、動かない。ヒトのそれではない。だが、声は残っている」
「十分さ」
「アナタ達は、ワタシをなんと呼ぶ?」
「HIBANa。散るように生きなよ。名前らしく」
言ってくれる。
そして、今まで話していた遥香さんの後ろから、懐かしい顔が現れた。
「いなくなった人に、戻ってきてほしいなんて言うのは、残酷だって思うよ。そんな、足を引っ張るような事、したくない。同情を誘うような事、したくない。だから、戻ってきて、なんて言わないよ。可憐に、戻ってきて、なんて言わない」
とうとう名前を出した。しかも、ワタシに向かってだ。この場の映像がどれほど残るのかはしらないけれど、少なくともあっちでの生放送……二周年記念イベントでのアーカイブには残るだろう。編集で消そうにも、恐らく何千人の記憶に残る。
それをやってのけるのは、度胸か。あるいは、余程人生を楽しく過ごせる人間か。
あぁ、これが褒め言葉になるのが、リーダーだった。
「一緒に歌ってよ、HIBANaさん。あなたが歌ったことのない歌を、一緒に」
HIBANaが歌ったことのない歌。
つまり、可憐の卒業後に出た歌──ではない。あれは五人で歌うための譜割になっている。この場で。即興で。練習もなく、やるというのなら、それは。
あぁ、コメントが気になる。もっと杏らしさを取り戻さないと、HIBANa色が強くなりすぎる。批判を見るのは、自己暗示を解くためのキーのようなものなのに。独白さえもHIBANaに影響されている気がする。
「アナタは、どうする」
「私は踊るよ。そこに、好きな人がいたんだ。完璧」
用もなく事務所にいたのはその練習か。高校生の癖に遅い時間までいたのを咎めた事もあったし、撮影が無いと言っていたくせに休憩スペースにいたのを見る事もあった。
ダンスはそんなに簡単なものではないけれど、可憐のパートに関してはそこまでの難しさは無い。ポテンシャル差が存在するから、あまり足を上げたり跳んだりするものは与えられなかった。だからと言って、そんなすぐに覚えられるものではないはずなのに。
あぁ、もうこれはどうしようもない。相手は生放送だ。収録のようにうだうだと考え込んでいる時間は無い。カットが出来ないのだから、即断即決がキモだ。
サプライズが来るのはわかっていた。聞かされそうなものをピックアップして、HIBANaで発声する練習もした。それで終わりだと思っていたけど。
「わかった。歌おう」
「ありがとう!」
モニターに映る、NYMUちゃんの衣装が変わる。いつものどこか未来チックな衣装から──どこか鉱石を思わせる、キラキラした衣装。MINA学園project全員の衣装との共通点を持ちつつ、アレンジの加えられたソレは、あの人の作品だろう。アレンジ。アレンジだ。
声を吐く。息ではない。声を、深く深く吐いて──吸う。
まぁ、なんだ。
わたしはかつて、Vtuberだった。
そして今、ワタシはバーチャルシンガーとなった。
その時々の、全力を尽くす。ならばシンガーとして、強く歌おう。
「『空が零した夢』」
わたしの目的地が、空である理由を。
〇
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まで。
「デジャヴってあるじゃん」
「はあ」
「既視感って言った方が良い?」
「いえ、デジャビュはわかりますけど」
「今日の行動、起こったことを全て記録することが出来たとして、それを明日の自分にARで体験させた場合、一日の全てにデジャヴを覚えることが出来るのかどうか」
「出来ないんじゃないですか? 人間、案外些細なことは覚えていないものですよ。鳥が飛び立つだけでも新しい発見に見えますからね」
「木から猿が落ちると万有引力」
「林檎の川流れ」
そこから生まれたアップルジョン。
「それで、デジャビュがどうかしたんですか?」
「今二周年記念イベントのアーカイブ見てるんだけどさ」
「あぁ」
「まさか本当に使うとは思わなかったよね」
──"可憐、使うから"
あのメッセージが、まさか本当に文字通りだとは思わないだろう。思い出などのエモ材料として使うものだとばかり思っていたら。
──"私は故人の葬式でしんみりするのが一番苦手でね。騒いで、楽しそうにして、そいつの今までを笑いながら語り合って、弔いたいタイプなのさ"
──"別に可憐は死んだわけではないですよ、遥香さん"
──"おっとコイツぁ失礼。というワケで用意しました皆凪可憐の身体ァ!"
「MINA学園projectのモデルは全員身内のクリエイターが作ってたから、著作権も所有権もあっちにある。そして通す必要のない許可もわたしから取ってある。文句を言われる筋合いがないから、じゃあやろう。そんな感じか」
「見た目が完全に同じ中身の違う存在を作れるのがバーチャルの良い所ですね」
「再現CGだったね。思い出を振り返るという名の」
──"どうだ……悔しかろう。ふっふっふ、みんなの愛した可憐の身体がココにあるぞぅ。ひぇっひぇっひぇっ、こんなところを触ってみたり、めくってみたり"
──"蹴りますよ"
──"蹴ってから言うんじゃない!"
「セクハラ、になるんだろうか」
「どうなんですかね。等身大フィギュアみたいなものですし、ならないんじゃないですか?」
「等身大フィギュアがまずもうセクハラでは?」
「さもありなん」
何もない真っ白い空間。地平。しかし地平線は無い。空が無いのだから、境界線は生まれない。
そこで五人。少女たちが、見えない椅子に座っている。中心にはT字に手足を伸ばした中身のないモデル……皆凪可憐の姿が。
「それで、それがデジャビュとどう繋がるんですか?」
「いやぁ、これ最初も最初、配信をする前の話なんだけどね。クリエイターの人に"ちょっと動いてみてください"って言われてみんなで3Dモデルのテストをしたときがあって。で、わたしだけ上手く行かなかった事があったんだよね」
「ああ、まぁトラッキング技術はまだまだ進歩の甘い技術ですからね。上手く行かないときはとことん上手く行きません」
「五、六回。やり直したんだ。その時も遥香さんはわたし……というか皆凪可憐の身体に重なってみたりスカートをめくったりお腹周りをくすぐったりしてたな、って」
「小学生ですか。というかそれデジャビュではなくないですか。デジャビュって、実感したことが無いものを過去に実感したことがあるかのように感じる事ですよ」
「……じゃあ今の話ナシで」
「ペアー」
セクハラを敢行する遥香さんに、コメント欄は「さすはる」だの「手つきがオヤジ」だの「あら^~」だのの声。あんまり"不謹慎"だとか"ふざけるな"だとかのコメントは無い。上位チャットではないにも関わらず、だ。これより前、HIBANaの所に凸をしに行ったシーンでは、「いいのか」「大丈夫なのか」「どっちにも迷惑だろ」とか「まだ擦るのかよ」とか流れていたにも拘らず、である。
どういう心境の変化か。
あるいは、中身あるHIBANaと中身無い可憐での区別をつけているのかもしれない。
「ちなみにこの再現CGもどき、杏さんは覚えありますか?」
「うん。割と忠実。まぁ動画残ってるの多いからね。オフで遊んだやつとかは、客観視するのは結構新鮮」
「大学生ってブランコではしゃげるんですね」
「いや乗るでしょ。あったら」
「口笛が何故遠くまで聞こえるのかとか言ってそうですね」
「あの山には人がいないからだよ。ポストアポカリプスの少女」
「(post)A(poca)L(y)PS(e)の少女ですね」
街中では遠くまで聞こえない。
そして大学生はブランコではしゃげると思う。というか、箸が落ちるだけではしゃげるのが大学生だ。鬱屈とした義務教育と鬱々とした社会生活の間で数年限りの余暇を過ごす生き物だから。課題とレポートと単位と卒論からその時だけは目を背け、目の前にあるもので心から騒ぎ倒して最終的に"なんで昨日の自分は遊んだんだバカ!"となるのが大学生である。
「まぁ、なんだろうね。ちょっと安心はあるよ」
「MINA学のファンは今でも好きですよ、可憐ちゃんのこと」
「うん。なんか、伝わった」
SNSという悪意の出やすい土壌と、配信という自身を隠しやすい場所という違いはあるのだろうけど、少なくとも見覚えのあるアイコンや名前達が本心を隠そうと思うくらいには、あるいは今だけは否定を潜めようとするくらいには、MINA学は愛されていたらしい。皆凪可憐は、好まれていたらしい。
それを手のひら返しだとは思わない。
一人の人間の中に否定も肯定もあっていいと思う。否定しかしない人間についてはノータッチとする。
──"可憐は考え込むときに人差し指を舐めるよね"
──"最初はタバコ吸ってるんじゃないか、とか言われてたよねー"
──"唇を触る癖のある人は結構いますけど、舐めるまでいくのは初めて見ました"
──"私がクリスマスプレゼントにおしゃぶりを選んだ理由がわかってくれただろうか"
──"そのプレゼントは私に回ってきましたけどね……"
「そんな癖ある?」
「あります。最初見たとき、あ、これキャラ付けじゃなかったんだ、って思いました」
「何故教えてくれなかったのか2文字で」
「悦楽」
もう隠そうともしないのか。
……普通に恥ずかしいな。気を付けよう。
「昨日のドッキリもそうだけど、他になんか隠してる事ある?」
「いっぱいあります」
「怒らないからちょっと言ってみて」
「社長にHIBANaの話をしたのは私です」
「怒るよ?」
「対談の話は私じゃないですよ。ただ、私が初めてDIVA Li VIVAのスタジオに行った時、廊下ですれ違いまして。新人か、と聞かれたのではい、と。同期で気になるやつはいるか、と突然聞かれたため、HIBANaと答えました。他に同期知りませんし」
「他は」
「姉さんには、一緒に住んでる人がいると紹介しました」
「住んでないよ」
「見栄です」
「……見栄なら仕方ない」
「あとエゴサも自重してません。全部知ってます」
「それに関しては、HANABiさんが平気ならそれでいいよ」
「"可憐ちゃん……"という三点リーダ付きのコメントも結構頻繁にしてます」
「本当に未練タラタラなんだね」
なんなんだこの人。
いや、社長の事以外はプライベートっちゃプライベートだから、話してないのは当然かもしれないけれど。別に隠し事のない関係が最高の信頼関係、というわけでもないワケで。
「NYMUちゃんのMINA学風アレンジ衣装ですが、デザインは姉さんでモデリングは私です」
「姉妹協力じゃん。仲良し」
「ええ、私達は仲の良い姉妹なんです。姉さんは認めてくれませんが」
「嫌な思いが出来るって言ってなかった?」
「嫌な思いが出来る事と仲の良い事は両立しますから」
「そうかなぁ」
少なくとも999Pさん側は……。あれ、でも"一緒に住んでる人がいる"って紹介してすぐに相手を確かめに来るのは……ん、やっぱり仲が良いのか……な?
良さはともかく、愛情はありそうだ。それが親愛なのかペット愛なのかはわからないけど。
「私はそれより、"全く関係ないヤツ"枠がHIBANaでなかったことの方が驚きですけどね」
「その辺は噛んでないんだ」
「今回私がやったのは、遥香さんから来たNYMUちゃんの衣装アレンジモデルの制作依頼とHANABi/aNABIHブランドのイメージ崩壊を防ぐためのシナリオ作り、麻比奈さんへの取次くらいですからね。MINA学の方には一切かかわってません」
「ネタバレが嫌だから?」
「関係ないからですよ。何度かMINA学園projectさんの曲を作ったことはありますし、編曲もしましたけど、個人的な深いつながりを持つのは杏さんだけです。部外者ですよ、私」
それはまぁ、そうか。
いうなれば一般人だ。企画立案や進行にまで噛むことは無いか。
「結局アレは誰だったんだろうね」
「考察沢山出てますね。HIBANa説もありますけど、あんまり信じられていない模様」
「わたしも聞き覚えのあるようなないような声で、本気でわかんないんだよね」
「Vtuber関係者じゃない可能性までありますから」
「遥香さんの友人Aとかだったらお手上げだね」
「女性ではあろう、ということしかわかってませんから」
──"全く関係のないヤツを呼ぶと言っただろう。ん? あの王様か? あの王様は何の関係もないけどどっか関係のある気がするヤツだよ。全く関係のないヤツじゃない"
──"私達も知らないんだよねー"
──"知っていると言えば知っているのですが……こんな所に来る人じゃないといいますか"
「雪ちゃんの発言から、有名人らしい、ってのはわかるんだよね。もしくは偉い人」
「わざわざモデル作ってましたからね。顔は隠されていましたけど」
「新メンバーか、ともコメントで言われてたね。本人が否定したけど」
「スタジオ、ディバのスタジオのままで撮影したらしいですから、杏さんは会っている可能性があるんですけどねぇ」
「知らない人いっぱいいるからなぁ。いつものスタッフさんの倍は人数いたから、一人知らない人が増えてたってワカランヌ」
「ワカラジェンヌ」
どこか。
どこかで、聞いた事があるような、気がしないでもないような、という声。最近会った人達、ではない。どこかで聞いた事があって、でも直接話したことが無いような声をしていた。
そんな可憐の再現CG卒業一周年のコーナー、全く関係のないヤツを呼んでみたのコーナーも束の間、二周年記念イベントはだんだんと締めに入り始める。歌やらコラボやら、雑談やらASMRやら何やらとやってきたけれど、最後に何が残っているのか、知らない。ネタバレを見ないようにしていた。ちなみに可憐の身体はまだ置いてある。うつ伏せ横向き。しっかり管理しろ。
「私は結末知ってるので、作業に移りますね」
「うん」
片耳だけになっていたイヤホンを両耳につけて。
見る。
〇
──"さて、そろそろおしまいの時間が近づいてきた。可憐追悼のコーナーでも言ったけどね、私は終わりというものに対してしんみりするのが嫌いなんだ"
──"可憐ちゃんは死んでないってば"
──"言葉の綾だよリーダー。いいだろ、ありがとうとかこれからも応援して、とか。いらないいらない。そういうエモ系に走るのはちょっと面白くないと思ってるんだ。死んでないっていうんなら、尚更にね"
──"だからさぁ、楽しく行こう。というワケで、スタッフゥ~!"
──"あ! 可憐の身体に入った!"
──"フッフッフ、今日まで実灘遥香を応援してくれたみんな、ありがとう! これからも応援してくれ! そして、今日から! たまに皆凪可憐の身体も使うから、やってほしいポーズとかやってほしい表情とかあったら言ってくれ!"
──"ありがとうとかこれからも応援してとかいらないんじゃなかったの……"
──"何を言ってるんだ亜美。応援は大事だぞ。応援なくしてはやっていけないだろう"
──"じゃあ、私は遥香さんの身体、入ってみますね"
──"カオスになるから! カオスになるから!"
──"リーダーにもなってみたいです"
──"梨寿ちゃんはストップ役でしょ!"
──"ふぃー、いやぁ、遊んだ遊んだ"
──"……"
──"……ん? アレ?"
──"──なんで六人全員が動いてるんだ?"
●
「……まさかホラー展開だとは」
「雪山で遭難した人が四隅で隣の人の肩を叩き合って一打二打三打……一打足りない!! ってなるやつですね」
「井戸から出てきた女性が"私、綺麗?"って言いながら電話をかけてる背後に羊さんがいるヤツ?」
「毎回最後には赤い洗面器を被った人が出てきますね」
エモで終わるのが気に入らないから、わちゃわちゃで終わるのだとばかり思っていたら、ホラー展開だった。まぁ映像上はホラーでも、スタジオでは誰かマイクを点けていないスタッフなんかが動いていたのだろうけれど、千幸ちゃんがよくボロを出さなかったな、と。わたしもあの場にいたら声を掛けてしまっていた自信がある。
「初めの頃は、割と禁忌だと思ってましたよ、ああいうの」
「肉体の入れ替え?」
「だってメタじゃないですか」
それはそうだ。結構やっているVtuberを見かけるけど、それはつまりキャラクターをキャラクターとして認めているようなものである。配信者は勿論2Dモデルや3Dモデルをモデルとして認識しているだろうけど、視聴者はそうではない。正確には認識こそすれど、知らないフリをしたい、というものだ。
そのメタ視点は、ある意味で転生と同じものである。外側と中身が違う、という事。そのもの。
と、考えられてしまいがちである。「いいのか」とか「なんか嫌だな」とか、うまく言えないけど不快感がある、みたいなコメントをする人が感じているのはコレだと思う。
「バーチャル住民がモデルで配信をしている、って考えなら大丈夫なんだよ」
「中身もバーチャルである、という考えですね」
「回りくどオブ回りくどいけどね」
2DモデルのVtuberはこの設定を使いがちな気がする。行動範囲が限られているから、そういう設定にした方がやりやすいのだろう。3Dモデルは良くも悪くも人型である場合が多いため、そのままその人、という風に捉えられがちだ。
複数のモデルを使い分けるVtuberもいるのだ。精神につき肉体一つ、という考えは損しか生まないと思うのだが、まぁそういうこだわり、あるいは一途なのも面白くはある。
「そういえば春藤さんとの曲、仕上げ終わりましたよ」
「あ、まだ出せてなかったんだっけ」
「まぁ今回はボーカル依頼という形ですからね。アップするのもウチじゃありませんし」
「結局HIBANaとして出した曲って、『ヒアモリの塔』とNYMUちゃんのcoverだけなんだよね」
「新曲、出来てますよ」
あんまりバンバン、高頻度で動画を出すのはどうなのか、とは思っている。一ヶ月に一曲ペースでも一年に十二個だ。ただHANABiさんの出したいものが10個以上あるという話だし、やっぱり精力的にやった方が良いのか。
歌メインのVtuber、知り合いにいないからなぁ。
「出すタイミングは考えるとしても、録っておくに越したことはありませんよ」
「それは、そうだね」
どの職業においても腐らない在庫というのは非常に大事である。わたしもHANABiさんもスランプというものに出会ったことは無いが、体調などの面で制作が難しくなることもあろう。だからこそ、録り溜めはしておいて損はない。
まぁ、なんだ。可憐が愛されているのがわかった分、少しだけ。ほんの少しだけ、彼女へ割いていたリソースをHIBANaに戻すべきなのだろう。後方保護者面から、ようやく手を放し。彼女はまだMINA学の中にいるのだと。卒業をしたメンバー、という肩書きで、残っているのだと。
そういう風に思えるのなら──わたしが関わるべくもない。
「そういえば、可憐さんはMINA学園を卒業したワケですよね」
「うん」
「どこへ行くんですかね。職に就くのか、旅に出るのか」
「設定上は読書が好き、ってなってたね。本でも書くんじゃない?」
「読書好きがすべて作家になると思ったら大間違いですよ……」
まぁ、それを想像するのも一興か。一人のオタクとして、可憐のファンとして。
ちなみに読書好き、という設定は……というか好みは、雪ちゃんの好みそのままである。わたしはあんまり本を読まないし。アニメも映画もドラマもそこまで見ない。ずっと音楽ばかり聴いている。もしくは動画視聴。
……とことん雑談に向いていない趣味嗜好だけど、まぁ、口先だけで適当を言うのは得意だから。
「……んー、そろそろお風呂もらおうかなぁ」
「はい、どうぞ」
「一緒に入る?」
「……」
「なーんて。流石に狭いよ。じゃ、お先~」
もし、可憐が作家だというのなら。
HIBANaは詩人だろうなぁ、なんて思った。詩集とか出してそう。
●
バーチャルライバーっていうけど、言うほどVRしていないじゃん。と、揶揄されることがある。
……まぁ、これは避けては通れぬ話である。バーチャルライバーの9割が現実で出来る事をバーチャルでやっている、という話は前にしたけれど、そもそもここでいうバーチャルはVR的なVirtualではない、という所に踏み込んでおく。
単にモデルを用いただけの配信では。単にモーションキャプチャーを付けて動画を撮るだけでは。それはただ映像が変わるだけで、仮想かと問われると非常に苦い顔をせざるを得ない。
仮想現実。あるいは人工的に作られた現実の事をVR……VirtualRealityと呼ぶ。VRとは技術の名であり、Virtual単体だと『事実上』、とか『実質』、とかいう意味だ。"実際は違うけど実質現実みたいなもの"、をVirtualRealityと呼ぶ。
さて、バーチャルライバーはどうであろうか。実際は違うけど実質ライバーみたいなもの、だろうか。
勿論違う。実際もそうだし本質ライバーである。みたいなものではなく、配信者そのもの。かつてのわたしが、仮想空間というものに夢を抱いたように。違うのだ。配信をする事や、モデルを用いて雑談を行うその姿がバーチャルかと問われたら、わたしは首を横に振る。
最近は、極一部で、VRを技術として扱うVtuberが出てきている事は知っている。未だすべての視聴者の手元にVR機器が存在し得ない事が普及しない原因ではあるのはわかっている。だが、HMDを被って仮想現実を目の当たりにし、視覚と聴覚だけでも完全に取り込んだ、VRのコンテンツが本来の形を、少しでも思い出させてくれるコンテンツが。
対話を行ったり、散歩をしたり、景色を楽しんだり。家にいては体験し得ない現実を、実質として体験させてくれるコンテンツが、少しずつ、出始めている。
スクリーンに映像を映す、ではない。現実に映像を投影するARでもない。
すべてが仮想の中で、仮想の身体を持つ相手と仮想現実を実体験する。それがVRというものだ。
ライバーも、シンガーも、それはそのままで、VRという技術をコミュニケーションのツールとして扱う。もし現在のように普通の動画配信者とバーチャル存在を分ける区別があるとするならば、そのツールを使う気があるかどうか。ただそれだけだ。
その垣根が、どこまでも勿体ないと、そう思う。
その世界で。今の動画という形ではない、わたしも視聴者もVR技術を用いたその世界で、また歌を歌いたい。視覚だけでなく、聴覚だけでなく。五感すべてを取り込んだ場所で、歌を。空気が変わる、という"実質"を、感情が波のように伝わる"実質"を、創りたい。
「波及する感情こそ、仮想かもしれませんね」
「じゃあ歌は、音楽は、感情の再現が出来るわけだ」
「会話ですらできますから。エモ、というのはソレですよ。仮想的な情念」
「あるいは夢かな」
「そうかもしれません」
そういう意味では。
わたしが、Vtuberであったことを"かつて"と表現したのは──そうでなくなる日を無意識に望んでいたからかもしれない。
HIBANaの欲した答え。
「そういえば、杏さん」
「うん?」
「可憐ちゃんの名前って、杏さんの事を言ってるんですか?」
「ん。まぁ、そうだよ」
それは、最初の最初の話。
あの場に集まった、Vtuberをやってみたい、と言った四人。やろうとしていた姉妹。
キャラクターの名前を決める時に、自らのハンドルネームや好きなものなどから共通点を探し、名前を作り上げた。
だから、皆凪可憐はわたしなのだ。
「意外?」
「まぁ、はい。自分をとことん隠していた杏さんが、それをするのが意外ですね」
「最初は批判なんか受けてなかったからね。今のわたしとは、そもそもの部分が違うよ」
「なるほど……?」
だから、まぁ。
あの頃のわたしは、ただ褒められたかっただけ、という話。
随分とスレてしまったなぁ、なんて。
「HANABiさんは?」
「私は本名花火ですから」
「……マジか」
「嘘ですよ」
なんなんだこの人。
〇
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先へ。
あの場所に
高校生である彼女をリーダーに据えよう、と言ったのは、遥香さんだった。
MINA学園projectは元々姉妹で活動をする予定だった二人を基礎に作られたユニットであるのだから、その姉の方をリーダーにする、というのが最もしっくり来ると、そう思っていた。けれど、遥香さんが"リーダーは柄じゃないんだ"と辞退。わたしはそもそもリーダーには向いていない性格で、アミちゃん梨寿ちゃんは年少で責任が重い。
よって雪ちゃんか千幸ちゃん。そのどちらかを、リーダーにしよう、という話で纏まっていた。
雪ちゃんは、正義感の強い、まっすぐな性格だった。正義感。あるいは、正道を行く、と言った方がいいか。強い心。不屈で、諦めが悪くて、頑固で、粘り強くて、根性のある子。
千幸ちゃんは、頭の回転が早くて、少しだけ感情を抑えがちで、周りが見れて、人の意見がしっかり聞ける子。
どちらも、自分がリーダーになりたいとは言わなかった。
だから遥香さんは進言したんだろう。千幸ちゃんがリーダーであった方が、"うまく回りそうだ"と。そう言った。
リーダーを決めない、という手もあったけれど、外部コラボをする際や意見が分かれた際など、権力的なそれでなくとも"一番"がいたほうが何かと便利なのだ。年も真ん中目で、適任だった。責任はある。肩代わりできると言っても、リーダーであるという重責は、名前は、しっかりとストレスになるはずだ。
それでも、彼女は受けた。その進言を。
それが必要なことであると、判断したのだ。
「改めて──久しぶりだね」
「うん。久しぶり。大学は受かった?」
「受かったよ。もうすぐ、新生活が始まる」
「続けるんだ?」
「続けるよ。ずっと。やめたくなるまでは、続ける」
つまるところ。
今まで、一切。心の底から、やめたくなった事は。一度も。
「身長が変わってないからかなぁ。全然、変わった感じがしないや。HIBANa、でいいのかな。カリンさんの方が良い?」
「HIBANaでいいよ。ありがとう。そして、身長は0.000005km伸びたよ」
「じゃあ全然変わってないね」
コロコロと笑う彼女──千幸ちゃん。皆凪可憐であった時こそリーダーと呼んでいたけれど、卒業してからは普通に千幸ちゃん呼びだから、違和はない。千幸ちゃんだ。ほとんど──配信でキャラを作っていない、千幸ちゃん。わたしは勿論、雪ちゃんや遥香さんでさえ口調を変えたり言葉選びを変えたりしているのに、この子は素のままだ。NYMUちゃんのようにテンションが変わるわけでもない。
等身大、と呼ぶには変な感じだけれど、まるで画面の中からそのまま出てきたような子、というのが──初対面。そして、今なお彼女に抱く、印象。
「少しだけ、弱音を出してもいい?」
「いいよ」
「うん。私ね、実は悲しかったんだ。悲しかった、っていうか。今も、ずっと悲しい。みんなに帰ってきてとか戻ってきてとか言わないようにね、って言っておきながら……私はずっと悲しかったんだ。ずっと一緒にいられると思ってた」
「学園は卒業するものじゃない?」
「わかってる。私が悲しかったのは、その後。落ち着いたら連絡くれるかな、と思ってたら……一年間。ほぼ一年間、一切の連絡がないんだもん。"ああ、あれで縁が切れちゃったんだなぁ"って。思ったよ」
……それはまぁ、こっちの落ち度かもしれない。
わたしが可憐の存在を認められるようになったのは、つい最近のことだ。求められすぎて、億劫になっていた。感傷に浸されすぎて、忌避感が生まれていた。だからそれまでは一切の連絡をせず──皆凪可憐を封印していた。
それが。それは。傍から見れば。というか──メンバーのみんなから見れば。
縁を切ったと。そう思われても仕方がない。実際、彼女を認めるまでは、そのつもりだったのかもしれない。
「だから、"聞いたことがありすぎる声がいた"っていうのを亜美ちゃんからDMでもらった時ね。ソレを聞いた時、もしかしたら、って思った。思っちゃった。完全な一般人になってたら、もう会えないかもしれない。会えない可能性の方がゼッタイ高い。だけど、もし。少しでも……違う名前でも活動をしてくれるなら、また会えるのかな、って。縁はまだ切れてないのかなって。希望を持った」
「受験シーズンに余計な事考えちゃダメじゃん」
「受験シーズンに歌動画出す方が悪いよ」
「理不尽だなぁ」
笑う。希望。そう言われて、少しだけ……なんだろう、嬉しいと思う自分がいた。
だから、そうか。彼女は。千幸ちゃんは。
この子は、わたしを見ているんだ。可憐を通してわたしを見ている誰かでも、わたしを可憐と見て接していたみんなとも違う。この子は、わたしそのものに繋がりを感じていた。
糾弾するでもなく。引き戻そうとするのでもなく。
演者だ。わたしは。どこまでも。どこからも。端から端まで、演者だった。視聴者には演者ではなく役を見てほしいと思うし、むしろ触れてほしくないと思うけれど……彼女は、何だろう。
かつての仲間。友人、ではない。それよりももう少し深くて、でも遠い関係。
「そうしたら今度は、でっかい所でデビューしたでしょ? あの時思ったんだ。切れそうだった縁が、少しずつ太くなっていってる、って。オカルトだって笑う?」
「その方が面白いね、って言う」
「うん。そう言うって知ってた。それでね、HIBANa。その太くなっていっている縁は、私が望めば望むほど……頑張れば頑張る程、太くて、強くて……近くなっていくって。そう思った。思う事にした。そしたらね、大学入試、受かったんだ」
「それは関係ないと思う」
「やっぱり?」
「心の拠り所にするのは良い事だと思うけどね。不安を拭えるのなら、ちょっと誇大妄想入ってたって宗教とそう変わらないよ。安心感は必要だし」
「出た、久しぶりのよくわからない話」
「適当言うの大好きだからね」
仲の良い人と会話すると、どうしても詩的になってしまう。リズムが乗ればポエムコア。吟遊詩人の才能があるかもしれない。楽器は出来ないので殴打用。
「でも、そう。結構……目標に出来た。落ちたら多分、配信なんかやってる余裕ないだろうし。勿論大学でも勉強するよ? でも、心の余裕みたいなのがないと色々大変だろうし。HIBANaに会いたい、って。それだけで、ずっと暗かった、不安だった受験勉強に、光が差したんだ」
「何か報酬をもらってもいいヤツ?」
「何が欲しい?」
「高校生に集る程大人止めちゃいないよ」
「ハグならどう?」
「何故欲しいと思ったのか」
構わず抱き着いてくる千幸ちゃんを、受け止める。
なんだね。そんなに……寂しかったのか。一年。一年か。そうか。わたしは……忙しかったから、体感3ヶ月くらいの感覚だったけど。高校生はまた、違うか。勉強で早く感じるかもしれないし、空白で長く感じるかもしれないし。
なんにせよ。これで、目標達成、なのかな。
「雪ちゃんがね」
「ん」
「"私は辞めないけどね"って……言っちゃった事、凄く後悔してた。正しくありたい、って思ってたのに、自分の心はこんなにも醜かったって。最低な人間だった、って。ずっと言ってた」
「わたしももっと早くに言うべきだったと思ってるよ。違うか。最初から。辞めるつもりで入った、って。言うべきだった」
「そんな事言ったら、遠慮しちゃってたかも。こんなに仲良くなれたかなぁ」
「なれたよ。わたし以外の誰かがそれを言っていたら、わたしは距離を置いただろうけど。みんなは、むしろ距離を詰めてきたよ。縁が切れそうだった、ってさっき言ったけどさ。切ろうと思ってたよ。切られると思ってたからね」
だって、裏切りだ。
わたしは辞めるつもりだった。満足して辞めた。その事実に、卒業をした事そのものに、何の悔いも無い。個人的に。わたしのみの完結で、自己として。円満だ。大団円クラスのハッピーエンドだった。
でも、MINA学園project総体としてみたら、裏切りだ。あるいは、欠落か。
メンバーが卒業した、という負債はどうあれ残る。卒業できる場所であるというステータスもつくかもしれないけれど、この若い業界においては、そのステータスはあまり意味をなさない。
もっと人数の多い箱であれば。卒業も引退も、悲しいけれどよくある事、であるような箱であれば、違ったのだろう。でも六人だ。クリエイター陣を入れても十二人。一人が抜ける、というのは……身を裂かれる思いだったのかもしれない。わたしにはその痛みを理解することは出来ないけれど、ショックはあったのだろう。
今までずっと、視聴者の話をしてきた。視聴者の事を、その反応を見て、色々考えていた。
だからずっと、みんなの事は無視していた。
「ありがとうね。無いものとして扱わないでくれてさ。場がしんみりするから、名前を出しちゃいけない人、みたいにしないでくれてさ。みんな、結構頻繁に名前を出してくれて。可憐を完全に忘れずにいられたのは、みんなのおかげだと思うよ」
「それは、みんながいる時に言おうよ」
「それはそう。でもホラ、千幸ちゃんはリーダーだから」
代表だから。持っているでしょう。みんなの気持ち。
前にも述べたけれど、エモの材料に使うのは、オタクとしてはアリだ。ならば加えて、エモの材料でなく。単純に、思い出話を話すのは、本当に嬉しい。視聴者は勝手にしんみりするかもしれないし、勝手に悲しむのかもしれないけれど、発信は受け取り手で変わる。それは同時に受け取り手が受け取った感情など、発信者は持っていなかったかもしれない、という事だ。
すべての視聴者が"そう"受け取ったことも、もしかしたら。わたしだけは、"そう"受け取らないでいられたかもしれない。あるいは可憐をもっと早くに認めていられたら。
「でも、辞めた事は本当に後悔していないし──皆凪可憐をみんなの許に預けられた事を、誇らしく思う」
「娘さんを、お預かりいたします」
「娘なのかなぁ。どちらかというと、会ったことのない姉妹、って感じだけど」
「実はね、私。
「いきなりだね」
カリン、というのは。わたしが皆凪可憐になる前に使っていた、ハンドルネーム。とあるコミュニティに集った十人。二人は配信者。四人は候補者。四人はクリエイター。候補者は配信者となり、クリエイターは二人が追加で参加した。
相変わらず。HIBANa以外のハンドルネームは、全部本名と関係がある。特定が余裕過ぎる脆弱セキュリティ。
「演技っていうの。私は出来ない。全く別の人になりきって、同じはずの声が別人に聞こえるし、性格も趣味も違って、同じ質問をしても違う答えが返ってきて、それがあらかじめ考えたものじゃなくて。"キャラになって考える"っていうのは、凄く憧れた。ゲームのスキルみたいだな、って思ってた」
「ゲームタイトルは?」
「カリンの塔」
「随分攻めたね」
詳しくは知らない。
「何にもなかったよ」
「……まぁ、思春期はどっちかだよね。全能感か──無力感か。どっちかに振りきれる」
「頭が良くて、ダンスの振り付けを考えられて、いつもどっからか面白いお話を持ってくる遥香さん。運動神経抜群で、六人の中でダンスが一番踊れて、でも泣き虫な亜美ちゃん。お絵描きが上手くて、遥香さんと同じくダンスの振り付けをいっぱい知ってて、しっかりしてる梨寿ちゃん」
「運動神経は壊滅的だったけど」
「それが可愛いんだよ? ……雪ちゃんは、とってもカッコよかった。どこまでもまっすぐで、"凛としている"ってこういう人の事を言うんだな、って思った。芸術全般、家事全般。なんでも出来る人だ、って」
「本人は何も極められないのよ、って言ってたけどね。器用貧乏が悩みだったって」
「知ってる。私には作れない、すっごく美味しい料理を出された後に、でもレストランで出すような味にはならないから、って落ち込んでた。何を言ってるんだろう、とは……ちょっと思った」
「流石」
あの正義感の塊は完璧主義者というか、目標地点がめちゃくちゃ高い。富士山を一息で飛び越えられない事を悔やむような人間だ。自身に満足する事柄があるのかどうか。歌でさえ、ずっと上を目指している。
「何にもないなぁ、って。ずっと思ってた。みんなキャラ濃いなぁって思ってたし。遥香さんがリーダーっていう目立つものを渡してくれた時は、同情されてるのかも、って思った」
「あの人に同情という感情があると?」
「無いんじゃないかなぁ」
「良かった。幻覚を見ているのかと」
同情を誘いに来たくせに、自分は持っていないのだ。
図々しいにも程がある。まぁ、結果。彼女が訪ねてきてくれたから。こうなっている。遥香さんが訪ねてきてくれなかったら……今、みんなとこうして親交を戻すことが出来ているかどうかは、わからない。
疲れないのかな、とは思う。
「その時はまだ遥香さんの事よく知らなかったから、そう思ってた。リーダー属性を付け足せば、特徴のない私に特徴が出来るからなんじゃないかな、って。……実際の所は、本当に違ったのかはわからない。私は初めてリーダーっていうのをやったんだ。学校ではそういうの、やらなかったから。初めて。初めて、やって。向いてる、って。思えるようになった」
「前を向くようになったよね。明るくなったってわけじゃなくて、顔を上げるようになった」
「そんなに俯いてた?」
「雰囲気」
……なんか前に、遥香さんと同じようなやりとりをした気がする。これがデジャヴか。理解した。
「みんなの意見を集める事がね、楽しくなったんだ。正しいんじゃなくて、良い道を探すことが楽しくなった。リーダーって呼ばれるのも嬉しいし、相談を受けるのも凄く嬉しくて、楽しかった。これが向いている事なんだって。生まれて初めて。"向いている"って感覚に出会った」
「向いてる事、ね」
わたしなら、歌。演技は自然と培ったものだ。だから向き不向きじゃないように思う。
自覚が無いだけ、かもしれないけど。
「だから遥香さんにはすごく感謝してるし、MINA学園projectでVtuberになれたことが本当に良かった」
「まるで引退をするかのような話だぁ」
「しないよ」
焦ってでもなく。断言する。
ヒュウ。随分と、強くなった。
「最初は羨ましかった。段々楽しくなって、誇らしくなって──寂しくなった」
「感情七変化だね。グラデーションにしては荒いかな」
「それで、今嬉しいよ。嬉しいし、楽しいし、誇らしい」
「羨ましいと寂しいはどっかへ行った?」
「ううん。可憐ちゃんがいない事、寂しいし。HIBANaが大きなトコであんなに凄い歌を歌っているのが羨ましい」
「グラデーションから合成になったね」
「全部の色を混ぜるとどうなるんだっけ」
「色なら黒だし光なら白」
「どっちが好き?」
「HIBANaは影法師」
「でも火花は光でしょ?」
じゃあ、どっちもで。
すごく。豊かになったらしい。良い事だ。
「千幸ちゃんの名前って、そのままだったよね。たくさんの幸せが欲しい、って」
「雪ちゃんと被ったときはどうしようかって話になったけど、込められた意味が違うからいい、ってなったね」
「今、幸せ?」
「すっごく」
「いいね」
ようやく、体を離す千幸ちゃん。
長い長いハグだった。寒い日にはちょうどいいくらい、温かくなった。暖かくなったかもしれない。
「そういえば自分の苗字、書けるようになった?」
「うん。もう間違えないよ」
「見習いは脱出できたかい、
「全然。ずっとみんなに教えてもらってる。これからも引っ張っていくつもりだけど、みんなを見失うことは無いよ」
「うん。頑張ってくれたまえ」
「また会える?」
「いつでも会えるし、いつでも連絡してきてよ。また深夜まるっきり通話とかしよう。平日はダメだけどね」
「……本当に、また会えてよかった。可憐ちゃん。カリンさん。HIBANa。それじゃ、またね」
「また」
言って、別れる。
別たれる。道は分かれて、けれど、永遠に交わらないわけでもない。区画開発が激しいのだろう。思わぬところでぶつかるし、上下ですれ違うかもしれない。
ならばそれを、わたし達は縁と呼ぼう。
切れていなくて。切らなくて。
本当に良かった。
●
小さなことで怒る事が、人生を楽しく生きるコツである、と言った人がいた。
寛容に受け入れる事。受け止め、優しく返す事。それらはすべて"我慢"であり、"ストレス"であると。何事もスパイクを起こすより、日常的に消費していくのが健康的であると、そう言っていた。
小さな事で、怒る。ならば、小さな事で喜ぶのもまた、健康的なのだろう。
花が咲いていたから。鳥が鳴いたから。ふと、懐かしい記憶を思い出せたから。喜ぶことを我慢しない。溜め込まない。喜びをストレスにしてしまわないよう、適度に吐き出す。
誰がそれを言ったのか。
……ああ。だから、それを言ったのは、わたしでも、わたしでも、ワタシでもない。
「良かった。怒り続けていたあなたは、悲しみ続けていたあなたは。喜べるようになったんだ。喜びを、耐えなくて済むようになったんだ」
「……アナタか」
「うん。今度はちゃんと、久しぶりだね。王様。前は連れてきてもらったから──連れ出すよ。今から、私のいるところへ」
後ろから、腕を回される。
あぁ、と感嘆が漏れた。感嘆か。愛憎か。哀愁か。
割れていく。パネルの一枚が落ちるように、廃墟の古城が。壊れていく。消えていく。
「勝手な事をするけれど、怒るかな」
「──あぁ、怒ろう。そして、喜ぼう。あの出会いこそが、小さく、小さく、小さく──素晴らしいものであったことを」
そして──。
●
撮影が終わった。
あのドッキリの時に撮った映像の続きでありながら、かなりの時間が経過した設定のシーン。生放送で行われたHIBANaとMINA学園projectの歌コラボ&NYMUちゃんとのダンスコラボはしかし、MINA学園project側のコンテンツになっている。
こちら側では、彼女らは幻影で。
それに繋がる撮影を、今終えた。
「お疲れ様」
「あ、お疲れ様ー」
スタジオ横の更衣室で座っていたNYMUちゃんに、スポーツドリンクを渡す。いつかのお礼。先輩からの奢りに、年長者からの奢りで返す。
わたしもNYMUちゃんももう撮影が入っていないため、スーツの中の薄着……これも後々脱ぐのだけど、温度の保たれた更衣室ではちょうどいいくらいの涼しさのコレで、少しだけ休憩をする。
「お姉さん」
「うん」
「名前、杏っていうんだね」
「HANABiさんか、麻比奈さんとの会話を聞いたね?」
「聞いちゃった」
盗み聞きとは悪い子だ。
「金髪ちゃんは、ニーナちゃんだよね」
「え! なんで知ってるの?」
「麻比奈さんがポロっと」
出会った時には知っていたワケで。
随分と今更だ。
「ぬ……前マネさんめ……!」
「前マネさん?」
「うん。DIVA Li VIVAに入ったばっかの時は、私のマネージャーさんだった。途中から今の人になったんだ」
「へえ。じゃあ色々知ってるわけだ」
「プライバシーの侵害だー!」
「聞かない聞かない。直接話してくれるでしょ?」
「……うん」
マネージャーさん側もそんなの話したら仕事に関わる。守秘義務あるだろうし。
しかし、前はNYMUちゃんのマネージャー。ふむ。麻比奈さんは結構前からいるのかもしれないな。
「それで、わたしの名前がどうかしたの?」
「お姉さん。私は結構頭が良いのです」
「へぇ、衝撃の事実」
「そんなに?」
「オタク的意見で言えばアホの子だよね」
「ひどすぎる」
元気っ子がアホの子なのは相場。
「で」
「ゴホン。それで、お姉さんにドッキリを仕掛ける時、実灘さんからこんな話を聞きました。お姉さんはデビューするとき、皆凪可憐と皆影蓮菜という名前でかなり迷っていた、と」
「プライバシーの欠片もない人だねあの人」
「打ち合わせの時とか、ダンスの練習をする時とか、結構お話したのです。色々聞いちゃった」
「結びなおされた縁が早くも切れそうだよ」
「それで、それで。わたしは頭が良いのです。皆凪可憐と皆影蓮菜には、共通点がありました!」
……。
まぁ、わかりやすい。
「皆の字、なんて言わないよね」
「うん。言わない。頭が良いので!!!」
「天才!」
「わーい!」
本当にこの子高校生なんだろうか。幼稚園児では?
「ふっふっふ。二つの名前をローマ字に直すと、なんと同じ文字が使われているのです!! 世紀の大発見……!」
「まぁ、そうだよ。アナグラム。アルス・マグナ」
「ある……?」
「MINANAGI KARENとMINAKAGE RENNAは、アナグラムで合ってる」
そうだ。
そして。
「お姉さんの名前は杏。ANNを引いて、残る文字が──お姉さんの本名であると、推測しました!」
「ゴツい苗字だから、あんまり可愛くないんだけどね」
そう。
皆凪可憐と皆影蓮菜は、
脆弱セキュリティ。
「正解?」
「うん、正解」
「じゃあ、私も私の名前を教えてもいいですか」
「教えたいの?」
ぐい、と身を乗り出して。
言う。聞いてくる。言ってもいいか、聞く。
「教えたい。教えて──Vtuberとしてじゃなく、私として、お姉さんの隣に行きたい」
「隣? 今も随分隣だけど」
「お友達に……なってください」
何故か手を差し出して、頭を下げるNYMUちゃん。
……まぁ、心の壁があったのは認める。わたしはとことん排他的な性格だから、友人だの友達だの上っ面を並べておいて、そこまでは踏み込まない人間だ。それを。NYMUちゃんは、入ってくると。入って来たいと、言いたいのか。
ああ。なら。
「うん、いいよ。友達になろう。教えてくれるかな、名前」
名前とは、相手を認めるために呼ぶのではない。
相手に認めてもらうために、呼びかけるものだ。わたしを。わたし本人を。ずっと隠していた芯の部分を。
「アニーナ・マージリンって言います。これからよろしくお願いします!」
「ほんとに?」
「うん。だから、運命だと思った」
「惜しいね、Kが無い」
「う」
「全く一緒より、ちょっとくらい違った方が良いよ」
さて、と立ち上がる。
「どこ行くの?」
「シャワーだよ。一緒に入る?」
「え」
「なーんて、冗談。流石に狭いよ」
……この流れもなんかやった気がする。デジャヴ二個目。
とりあえず。
久しぶりに、本名を教えた友達が増えた事を──喜ぼう。
「早く浴びて、早く帰りなよ。風邪を引いたら元も子もないからね」
手をヒラヒラ振って。
わたしは、シャワー室へ入るのだった。
〇
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さぁ行こう
「私は、自分にあまり自信が無かったわ。出来る事しか出来ない。出来ない事が出来なかった。それが、心から悔しくて、心から嫌で……心から、怖かった。いつか捨てられるんじゃないかって。いつか見捨てられるんじゃないかって。いつか、もういいよ、って。突き放されるんじゃないか、って……ね」
「基本ネガティブだよね、雪ちゃん」
「……貴女は本当にポジティブで、羨ましいわ。最初に意見がすれ違った時、"あぁ、この人は無敵なんだ"って思った。あらゆるものを自己にとってポジティブな要素であると考えられる、私には絶対に無理な思考をしていて、あまりにも眩しいって。そう思った」
ずっと。対抗心があったわ。
そう、雪ちゃんは言う。
「同い年で、自己紹介の時の得意な事も同じ。歌だった。むしろそれ以外に得意なことは無いと言っていたわよね。本当に。最初は、ずっと嫉妬していたわ。絶対に見せなかった……見せたくなかったけれど、本当に、ずっと。ずっと。ずっと嫉妬してたのよ。"なんでこんな、何にも出来ない子が、こんなにもポジティブなんだろう"って。"なんであんなに幸せそうなんだろう"って。私はちっとも、幸せになれないのに」
「まぁ、"物事の楽しみ方"みたいなものを知らなそうな子だな、とは思ってたよ」
「ええ、そう。私はあの頃、楽しむ事が苦手だった。嫌っていたかもしれない。MINA学園projectに応募したのだって、そんな自分を変えたかった、っていうのが二割くらいはあるわ」
「残り八割は?」
「インフルエンサーになるのに手っ取り早いと思ったのが、六割」
「アイドル好きが二割?」
「……そう」
なるほど。
結構、利用する気満々だったというか。自らの正しさを押し通すために、必要なものが何かを知っていたのか。
「貴女は大学生になってから、PCに触れたのだったかしら」
「ううん。Vtuberになってからだね。それまではずっと携帯端末」
「……それが信じられないくらい、私は結構な時間……PCに触れていたわ。情報の収集やプレゼンをする時に必要不可欠で、創作をする際にも何かと必要になるものだから」
「それでよくその性格でいられたね」
「……そう、思うわよね。ええ、私もそう思う」
悪意の温床で。よく。
「気に入らなかった、というだけなのよ。多分だけれどね。悪意や害意が当たり前になっているインターネットが、許せなかった。でも、単なるインターネットを使用しているだけの人間が何を言ったって……SNSやブログやらで何を言ったって、だれも見向きもしないわ。誰にも声を届けられないし、何の説得力も生み出せない」
「じゃあ、有名になるしかないね」
「そう。私は私の声を通すために、有名になる手段を得る事にしたわ。でも、不誠実を、不祥事を為して有名になっても意味は無いし、自分一人で面白い事をやる自信はなかった。ネガティブなのはその通りなのよ。自分が楽しむ事を苦手としているのに、誰かを楽しませることなんて考えられるはずがないの」
雪ちゃんは言いたいことがある時は雑談配信を、それ以外の時は、意外にもゲーム実況をしている。個人的に思う所はあれど、事実としてそれをやっている雪ちゃんは、それなりの人気がある。そういう、なんだろう、倫理観系統のゲームをよくやるので人気の半面コメント欄は嵐なのだが。
楽しいことは、基本遥香さんが考えていた。楽しい方へは、千幸ちゃんが導いてくれていた。
だから、怠惰。惰性。怠っていたのだろう。わたしも、雪ちゃんも。楽しさを自ら生み出すという行為を。
「そんな折に、MINA学園projectが募集をかけていた。天啓だったわ。私の目に付く場所で、Vtuberユニットの募集。ユニットだもの。箱推しが出来てくれば、私の声も届きやすくなると……全部、打算だった。正しい事、だの。正義、だの言っておいて。私は……こういう人間なのよ」
「わたしがVtuberを目指したのだって、ちゃんと夢があったからだけど、MINA学園projectに愛着があるわけじゃなかったよ。一応、就職までに実現できればいいな、程度の熱意だったし。結局それは実現しなかったけど、十分、満足できたから辞めた。VtuberやMINA学園projectにしっかり熱意を持っているのは遥香さんと梨寿ちゃんくらいじゃない?」
「……そうね。そうなのかもしれないわ。それでも、私は……こういう自分がとても嫌いだった。自分を嫌いながら、段々と増えていく視聴者に何かを掴んでいると勘違いして、言いたいことを言い始めたわ。間違っている事を間違っていると。正しいことなのに塞ぎ込むのは違うと。叩くものを、褒めるものを分別しなさい、と」
「配信を見に来てる人は"説教されに来てるわけじゃない"ってなるだろうね。配信内容がラベリングされてないのが生配信の悪い所だよ」
それに対し、"じゃあ見なければいいじゃないか"と言う反論を、誰かが必ず行う。でもその人だって、説教を見に来ているわけじゃない。"何事かを話す雪ちゃん"を見に来ているのであって、内容は特に聞いていない。ただ、"何事かを話す雪ちゃん"を否定されたから噛みついているだけだ。説教を見に来ている人間なんか、極々一部もいないだろう。
じゃあラベリングすればいいのか、と言われると、それも違う。そういうのがあるとわかった途端、他人の思いを踏みにじる事で快感を得ている奴らがこぞって集まりだす。馬鹿にすることが気持ちよくて仕方がない連中がお祭り騒ぎをしだす。
それは、自衛手段を持たない配信者にとっては毒にしかならない。異文化の残虐なお祭りを見せられているようなものだ。
しかし雪ちゃんは、それを敢行した。
雑談の後に、【言いたいことを言います】とか【許せない事がありました】とか、誰がどう見ても荒れそうな文言を毎回つけるようになったのだ。何度か、わたしや遥香さん、千幸ちゃんが諫める事があったけれど、それを"大丈夫よ"と、断った。
「だって私は、それを……そういう、"荒れるから正しいことが言えない"というインターネットの現状が嫌で、インフルエンサーになろうとしたのだもの。貴女の言う通り、視聴者には私の話を聞く気なんて、私の言葉を聞き入れる気なんて、欠片も無かったのでしょう事はわかっていたわ。聞いてくれる人は、そもそもわかっている人で。わかっていない……わかる気が一切ない人が、大多数であることくらい。知ってた」
「……ああ、なるほど。関係ない、というか。そうじゃない、のか」
「ええ、そうよ。わかってない人が大多数だとして。私の言葉の一切が届かないのだとして。……それが、諦める理由になるか、と問われたら、そんなことはないわ。根競べ、というものよ。私は、絶対に折れないし絶対に退かない。私の言葉を聞き入れる気が無い人達は、どの程度の覚悟があるのか、って。飽きていなくなっても、また来ても、スナック感覚でも、粘着して中傷を続けても」
私は絶対に折れない。諦めない。常に全力で、わかってくれるまで話し続ける。
強く。言う。
事実など、関係が無い。そんなことは知っている。だからなんだ。それが、私が言葉を失う理由になると思っているのか。
雪ちゃんは。言う。
「それが私のエンターテイメントよ。私は言いたいことを言い続ける。それが気に入らない人は私を叩き続けるし、面白がっている人は私で遊び続ける。互いに身勝手。関係が無いわ。口の中に銃口を突き入れて、私の思う正義を撃つのよ」
「いきなり物騒になったね」
「貴女に倣ったわ。こういう比喩表現は、貴女が得意だったもの」
そんな物騒なことは言いません。
「……貴女は、違った。最初から対話に意味が無いと言っていたし、自分の意見を言う事も無かった。いえ、言った事はあったけれど、あったとしても……酷く諦めたものだった。最初は、"どんな風に生きたらこんなにも無気力な人間が生まれるのだろう"と思っていたわ。ポジティブだけど、熱意が無い。前向きだけど、誰も見ていない。視聴者というものを、"一個一個の人間"ではなく"一括りのコンテンツ"にしか見ていない」
名前は覚える。個人は認識する。
けれど、総体にしか見ていない。視聴者という存在を、概念としてしか認識していない。
わたしの世界は酷くシンプルだ。基本、相手と自分しかない。複雑なものがなにもない。だからこそ、判断基準という点において他の人間とのズレが生じる。本来であれば中間にあるそれが、こっちかあっち、そのどちらかにしかない。
「許せなかった。悪意を受け入れて、害意を放し飼いにしている貴女が許せなかった。頻繁にエゴサーチをして、傷ついて、傷ついている自分を面白そうに観察して。悪意で、害意で得をしていたわ。貴女は。私よりも遥かにインターネットの使用歴が浅いクセに、この土壌に誰よりも適応していた。許せなかった。本当に許せなかった。そして──ズルい、と思ったわ」
「わたしは楽な方を選んだだけだよ」
「それに嫉妬しているのよ。いい、ここからは、私の特に醜い部分だから」
「聞くから、安心して」
「……ええ。私はね。私より出来る事の少ない人間が、幸せそうなのが──許せないの。だって、私が幸せじゃない。正義感なんかじゃないわ。嫉妬よ。全部嫉妬。嫉妬狂い。悪意も害意も、随分と楽しそうに人を傷つけるわ。人間を貶す事で騒げる。倫理を欠如する事が、知識を身に着けない事が、道徳心を学ばない事が、あんなにも人を楽しそうにするのか、って」
ああ、やっぱり。
溜め込んでいたなぁ、これは。ずっと折れないなんて。生物として無理だ。ストレスは根性でなんとかなる類のものではない。しっかりとした疲労。精神の疲弊。取り除かなければ、発散しなければ、命にまで係わる事もあるくらいの。
「私に対してだけじゃない。綺麗な絵を描ける人が、何も出来ない誰かに貶されて、幸せを奪われているのが心から許せなかった。苦労をして、努力をして、その末に結果を掴み取った人が、何もしていない誰かの心無い言葉で傷ついているのが嫌で嫌で仕方が無かった。それを為した誰かが、まるで大将首を取ったかのように騒いでいるのが。まるで世界を救ったかのようにニヤついているのが」
幸せを得る人間が、違う。
雪ちゃんは──酷く暗い顔をして、言う。冷たい声だ。底冷えする瞳。
こんなものを隠していたのか。ああ、そうだ。雪ちゃんは決して、わたしに。演技が出来る事が羨ましいとは、言っていない。そんなところまで──同じか。
「ずっとよ。ずっと対抗心があった。私達はほとんど同じで、でも絶対に私の方が出来る事が多い。私の方が絶対に、色々なことを為せる。私の方が絶対に──幸せになれる権利があるのに」
私は幸せじゃなくて、貴女はずっと幸せそうだった。
「貴女に酷いことを言ってしまったと、リーダーに言ったわ。でも、それだって……本心じゃない。そう思っているのは確かだし、罪悪感もあるけれど……でも、あの言葉はやっぱり、心の底から出たものなのよ。ずるいじゃない。一人だけ、幸せのまま。私達に影を落として、視聴者を散々悲しませて、自分だけ幸せにどこかへ行く、なんて。ずるいわ。嫉妬するわ。許せない。心から、許せない。許せない。許せない」
「……」
「貴女が歌以外の何もかもを得意としていないという事は、一年と経たずに確信に変わった。何をしても失敗して、すぐにトラブルを呼び込んで、周りに助けてもらわないと、何もできない。でも楽しそうだった。違いを探したわ。何故、って。何故って。何故って。なんで、あんな何も出来ない子が、私よりも──
今までずっと、言葉を選んでいた。
優劣という単語を出さないように気を付けていたのだろうことは伝わっている。
それを覆すほどの激情だ。今なお雪ちゃんは──私に、そういう感情を向けているのだろう。
震える手がずっと握りしめられている。
「対抗心だったわ。何度も言うけれど。私は、ずっと。貴女に勝りたかった。貴女が幸せで、私が不幸せであることが嫌だった。視聴者に言うように、私は貴女に言ったのよ。"私はやめないけどね"って。私は折れない。辞めない。退かない。諦めない。貴女はVtuberを辞めるのだから、失う。私は続けるのだから、失わない。それなのに、それなのに、それなのに! 最後の最後まで、貴女は幸せだった。そのまま、私の前からいなくなった」
激情だ。激しく。苛烈で、鮮血のように噴き出る感情。
勝手にクールな人だと思っていた。正義感の塊だけど、いつも冷静な人だと思っていた。突っかかりはするけれど、感情的にならないし、言葉も荒げない、凄い人だと──勝手に思っていた。
違うのだ。
この人は。この子は。もっともっと──幼い。清濁を併せて吞むくらいならば、大人にならなくていいと。我慢をするから、ストレスに耐えるから、絶対に濁だけは飲み込んでなるものかと。
熱い──狂うような熱量を持った、意志の人。
「貴女にメッセージを送ったときも、意趣返しだった。貴女がHIBANaとしてデビューをしたとき、また、置いていかれたと感じた。失ったはずの貴女は先を掴んでいた。今度はなんとか追いつけるかもしれない場所ではなく、観察のしようがない遠くへ行ってしまった。焦ったわ。とても。震えたわ。凄く」
「"もし帰ってきたら、おかえりって、言いたいかな"って言ってたのは、そういう事か。嘘じゃなかったんだね」
「聞いていたのね。そうよ。貴女が近くにいてくれれば、まだ。私はこの嫉妬を……向ける先を、掴むことが出来る。酷い話だと自分でも思うわ。この暗い物をぶつけるために、貴女にいてほしい、だなんて」
「酷い話だね」
でも。
嘘じゃなく、本心だった、というのは。
その言葉自体はあまり好きじゃないけれど──なんだろう、少しだけ。
ずっと刺さっていたトゲが、とれたような気がする。
「『ヒアモリの塔』にコメントくれたのはなんで?」
「……純粋な気持ちは、二割。反応を返してほしいという思いが、三割。今ここで繋がりを見せておけば、いずれ……また貴女と相見えることが出来るんじゃないか、という打算、五割」
「八割打算だね」
「ええ、そう。卒業した時のままの貴女なら、もしかしたら、と。そう思っていたわ。でも、今回貴女が作り上げたキャラクターは、完璧に、そういう打算の類を打ち砕くものだった。一切の反応を返さない。可憐よりも徹底した無視。この子はまた、出来ない事を増やして──尚幸せを掴んだのだと。狂いそうになったわ。嫉妬で」
「……心境は、変わった?」
少し落ち着いた雪ちゃんに問いかける。
握りしめられすぎて白くなってしまった手はようやく解かれ、しかしくっきりと爪の痕が残っている。
「あまり、変わっていないわ。でも、あのカラオケで、一緒に歌った時。少しだけわかる事があった。貴女は……歌、という部分においては、ほぼ私と同じところにいる。そこだけは対等だと。今の所は、優劣のつけようがない程、拮抗している」
「嬉しいね。雪ちゃんは嬉しいと思える?」
「ええ、思えるわ。だから、歌っている時だけは。その時だけは、貴女が幸せでもいいと思えるの。歌っている間だけは、貴女が許せるようになったわ」
「基本的に一曲四分そこらじゃん」
「四分そこらだけ、貴女を許せるようになった、ということよ」
それは。なんとも。
……随分な進歩なのだろう。ずっとずっと、許せなかったのならば。
僅かでも心休まる期間があるというのなら、それは喜ばしいことだ。
「歌唱の技量については、もっと前からそれは知っていたけれど、遠くなって初めてわかったの。遠くなって、近づいて、許せる部分が少しはあるって。傲慢な考えよ。わかってるわ」
「傲慢でいいでしょ。何様であろうよ。雪ちゃんの世界観で言えば、何でもできる人が一番偉くて、幸せってことなんでしょ? 幸せな人が幸せじゃない人を見下すのは当たり前だって、歴史が言ってるよ」
「その肯定は受け取れないわ。私にとって傲慢は悪い事よ。謙虚をこそ正しいものだと思っている。貴女が肯定したからと言って、それは変わらないわ」
「自戒はするけど抑えられないんだ。人間だね」
傲慢であれ、というのは。わたしの世界観だ。どうせ隠せない悪性が人間にはある。誰も彼もが他人を愚かと見下している。時たまそうでない子が現れて、時代が時代なら聖女だのと呼ばれ、そして必ず損をする。
周囲が守ってくれなければ、必ず。自衛が出来る者ならば、傲慢を従える。
「……ああ、こういうのが嫌なんだっけ?」
「受け入れて戦わない所。本当に許せないわ。今その口に、手を突っ込んでしまおうかと思ったわ。喋れないように舌根を掴んでしまおうと」
「さっきから比喩が物騒じゃない? というか今の比喩じゃなくて、実行手段じゃない?」
「貴女の影響よ」
絶対違う。
「貴女の意見は到底受け入れられないし、意見を言わないのも嫌よ。かといって、簡単に受け入れて達観しているのも許せない」
「八方塞がりだ」
「だから、絶対に貴女とは分かり合えない。平行線よ。仲違いをする気はないし、絶縁なんてもっての外だけれど、仲良しこよしは出来ない。これから多分、誰かが企画した旅行に行ったり、またカラオケに寄ったりするかもしれないけど、一緒に手を繋いで、というのは絶対に無理」
「トマトとゼリーだね」
「……そうね。気もウマも合わないけれど、競い合いましょう」
和解は、やっぱり無理だそうで。
わたしは雪ちゃんの事好きだし、すごいなぁと思うけど、半面、生き辛そうな世界観だなぁと思っているし、諦めたほうがいいよ、と思っている。だから、やっぱりわたしからも平行線だ。
平行線だ。絶対に交わらない。けれど、互いの事は見える。共にはいけないけれど、互いは認められる。
「またね、が良い? それとも」
「首を洗って待っていなさい、が良いわ。お互いに」
「……さっきからなーんか言葉選びが物騒だなぁ、って」
「気のせいよ。あるいは、闘争本能のようなものかもね」
「少年漫画みたいだ」
「読むの?」
「ううん。偏見」
握手はしない。
ただ、笑い合う。和気藹々としたそれというには、些か挑発的な──歯を見せ牙を剥かんとする、威嚇行為。
「それじゃ、いつまでもうかうかしているようなら──素っ首もらいにいくわ」
「そっちこそ、おちおち眠っていたら、真っ先に寝首を搔きに行くよ」
怖い怖い。
ああ、でも、わたしは。
やっぱりこの関係が、心地良い。どれほどの嫉妬を向けられても──人間らしいあの子が、大好きだ。
いつまでもライバルでいてね、雪ちゃん。
●
「身体測定、しませんか」
「Why?」
「何故、と聞かれましても……したいからです」
梨寿ちゃんはもじもじとしながら言う。
何故。もしかして、何かストレスが。あの遥香さんと四六時中一緒にいれば気を違えてしまうのもわからなくはない。
「可憐さんが抜けた事で、メンバーの運動神経格差が激しくなりました。HIBANaさん、責任を取って参考記録を残してください」
「……二周年記念イベントで運動会をやった結果、前は可憐がいたことで曖昧になっていた梨寿の運動できなさ加減が浮き彫りになってて、自分だけ万年最下位の運動できないレッテルが嫌すぎるから、記録としてだけでも可憐のソレを残してもらって、それにさえ勝てれば言い訳が出来る」
「アミちゃん翻訳ありがとう」
ストレスで壊れてしまったのは間違いないが、遥香さんが原因ではなく可憐が原因だった。いや企画したのは遥香さんなんだから、やっぱり原因はあの人だ。
「前身体測定大会みたいなのやらなかったっけ、企画で」
「やりましたけど、あれはVR重きというか、可動モデルをどこまで遠くに飛ばせるか、とか、上空から落ちてくるピンポン玉を上手く体で受け止められるか、とか……ちょっとバラエティ味だったじゃないですか」
「あぁ、何故か後ろに飛ぶアレね」
「可憐と梨寿だけです。後ろに飛ばすのは」
ふん。
「今回のはガチ身体測定だったんですよ。だから、お願いします。HIBANaさん、身体測定してください!」
「……えぇ~」
「嫌そう!」
そりゃ嫌だよ。
そうでなくとも、可憐の身体能力……あー、どうだっけ。どの程度でやってたかなぁ。
「まさかとは思うのですが、身体能力も演技で……?」
「自分よりすごいことは出来ないけど、出来ないフリをするのは出来るからね。正直、vs梨寿ちゃんであれば大差をつけて勝てると思うよ」
「まぁ可憐は下手とは言え一応ダンスもできたし」
「やっぱり下手だと思ってたんだ……」
あ、やば、という顔をするアミちゃん。
……知ってたからいいし。別に。
「……いいんです! 一つでも勝てるものがあればいいんです!」
「うぇ~……まぁ、やってあげてもいいけど、文句は言わないでね」
「ありがとうございます!」
……気が乗らないなぁ。
流石にDIVA Li VIVAのスタジオを使うわけにはいかなかったため、久しぶりに。
久しぶりに……MINA学園projectのスタジオに入った。クリエイターの一人が所有するスタジオ。使いたい放題ということではないけれど、普通のレンタルスタジオに比べて格段に早く安く快適に使える場所だ。
そしてそこに、置いてあった。
記念イベントで使ったままなのか、そのまま、学生時代を思い出す器具の数々が。
「……うわぁ、久しぶりだ」
「久しぶりと、思えるんですか?」
「いやまぁ、演技のキャラクターは自己と別人格だけど、記憶自体が分裂するわけじゃないからね。そこまで行ったら多重人格だよ。だから普通に、久しぶり」
「参賀さんと
「んー、あとで挨拶だけしようかな。お世話になったのは事実だし」
何も言わずにスタジオだけ借りて帰る、というのは流石に不誠実だ。積もる話こそないけれど、挨拶くらいはしておくのが社会人だろう。
「じゃあ、まずは握力測定からです!」
「梨寿ちゃんは何gだったの?」
「……馬鹿にし過ぎではないでしょうか?」
いつになくハイテンションだった梨寿ちゃんが、一瞬で冷える。ごめんて。
「梨寿は7㎏。私は42㎏でした」
「ん、んん? 梨寿ちゃんの7㎏を小馬鹿にしてやろうと身構えていた矢先に何か変なものが聞こえてきたぞぅ。アミちゃんなんだって?」
「左手が40㎏、右手が44㎏でした」
「ゴリラですよ痛い痛い痛い!」
ゴリラのリの辺りで、アミちゃんが梨寿ちゃんの肩に手を置いて、ラの辺りでそれを握りしめた。……44㎏って、男子高校生の平均くらいじゃないっけ。
こわ。
「とりあえずやってみるけど……多分普通に7㎏は超えるからね?」
「つべこべ言わずに早くやってくださいです」
「何故煽ってくるのか」
……心置きなく、この子を泣かそうと決めた。
●
「それで、結果はどうだったんですか?」
「……握力と腹筋と反復横跳び以外、負けた」
「よっっっっっっっっっっっっわ」
「そんなに言うんならHANABiさんもやってよ……!」
「あ、もしかして私が運動の出来ない系クリエイターだと思ってます? 運動は健康維持に必要ですからね、結構運動するんですよ、室内でですけど」
「嘘つき。そんな器具みたことないよ」
「じゃあここに来てください」
椅子の横。HANABiさんの座る横の地面を指さして、ここ、と。
素直に行く。
「よ、と」
「わ!?」
……久しぶりに大声が出た。
まさかいきなり足を払われるなんて思っていない。そして、浮遊感。
仰向けの姿勢。お尻と背中、首にかけてに抵抗。
「軽いですね。随分」
「……」
所謂、姫抱き。もう少し砕くのなら──お姫様抱っこ。
一切の不安定感無く、HANABiさんはわたしを持ち上げている。
「これで証明になりますか?」
「なったからおろしてください」
「前、言いましたよね。私は昔、何でもできたって。芸術関連だけじゃないんですよ。運動も得意でした。姉もそうですね。運動が苦手だから創作へ行ったのではなく、創作が好きだから運動の道に行かなかっただけです。私の場合は嫌がらせ100%ですけど」
「おろしてください」
「社会人だから。忙しいから。通勤で十分運動しているから。そんな甘い考えだから、中学生に負けるんです。運動は良いですよ。脳の酸素を一旦減らして、そこから回復した時のインスピレーションは他と比べ物になりません。これでも毎朝カーテンを開けて日光を浴びる、みたいな事もしているんですよ。クリエイターにとって、健康は何よりも大事ですからね」
「おろしてー。っていうか前寝坊してたじゃん」
「寝坊はしますよ。十分な睡眠時間を取らないと体が弱ってしまうから。約束があったのに寝坊したのは悪いと思ってます。反省もしてます。ごめんなさい」
「HANABiさん?」
「……すみません、ちょっとした悪戯心です。こうして持ってみると、杏さん、凄く小さいんですね。子供みたいです」
「謝っておきながら一切降ろさないのは何故」
「よいしょ」
ようやく、降ろしてくれた。
地に足がついた。足に地面が引っ付いた。ジャンプすれば地球の位置が変わる。
地動ならぬ天動ならぬ自動説。
「運動関係の器具は私室に置いてありますよ。入れた事ありませんから、知らないでしょうけど」
「このマンションまだ部屋があるのか……」
「鍵かかってるので入れませんから、探しても無駄ですよ」
「運動器具以外、何があるの?」
聞くと、HANABiさんは一度口を開いて、閉じて、すぼませて、目を左、右、上、とやって、再度此方を向いた。
「……まぁ、オタクの趣味ですよ。杏さんに見せるものじゃ、ありません」
なんだろう。特大ポスターとかかな。
MINA学園projectはグッズ展開をしているけど、始めたのはわたしが卒業した後だ。だから、わたしはそういうオタクグッズ? というものをよく知らない。
コミックマーケットというものの存在は知っているけれど、行ったことは無い。
「杏さんにはまだ早いです」
「?」
以降、HANABiさんは何も語ってくれなかった。
〇
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現実のその先へ。
「やぁ、今回はお世話になったね」
そう言って、遥香さんは軽く手を上げた。
椅子に座って。スタジオの端っこだ。ドッキリに神経でも使っていたのか、それとも違うスタジオだから一応緊張があったのか。
「まぁ後者だよ。大手のスタジオはすごいね、やっぱり。どうも気後れしてしまう」
「単純に連絡手回し下準備で寝てなかっただけじゃないんですか?」
「そういう事をするヤツに見えるかい?」
「わたしは遥香さんの事すごく苦手ですけど、手回しが良いのは尊敬してますよ」
「それじゃ、そういう事にしておいてくれていいよ。尊敬されるなら素直に受け取ろう」
遥香さんは。でも、ちっとも嬉しくなさそうに、言う。
この人は、とにかく心配性だ。余計な気を回しまくるし、余計なお世話を焼きまくる。無駄になるのは別に問題ないけれど、足りなかった場合を酷く恐れる。かなり年の離れた妹……梨寿ちゃんの事を最優先に考えていて、しかしそれを表に出すことは滅多にない。
「お前さんが入って、一年。お前さんが抜けて、一年。どちらの……苦労の比重が高いと思う?」
「さぁ。わたしが抜けた後じゃないですか?」
「正解だ。随分と、苦労をした。正直な話をするとね、皆凪可憐は──わたしの計画を全部抜けて、トラブルばっかりを引き起こすヤツで、苦手だったんだ。折角組み立てた段取りも、徹夜して練った企画も、思ったようにはいかない。面白い事を引き起こすヤツっていうんならブラックボックス枠として採用できるけどね、皆凪可憐は違った。無論面白い事も引き起こせるけど、ほとんどが失敗だ。放送がグダグダしたり、時には中止にする必要があったり。本当に、手を焼いたよ」
「もうしわけなすび」
「心にも思っていない謝罪をありがとう。でも、ヘンな話……すべてが上手く行かない時の方が、気が楽だった。だって、すべてを用意して、すべてを動かして、それで"面白くなかった"と言われた日には……あぁ、とてもつらいからね」
「わたしのせいに出来た、という事ですか」
「平たく言えば」
確かに、わたし以外の子は、台本通りに動ける子だ。いやわたしだって台本くらいは読み込むけれど、出来ないものは出来ない。主に配信ソフトの操作とか、VR機器の調整とか、絵心とか、運ゲーとか。
遥香さんが何か企画を組む度、想定外の事態……あるいは、想定しうる最悪の事態を引き抜いて、しかも解決能力がないと来たものだから、相当迷惑をかけていたに違いない。わたしに任せる方が悪い、とも思っている。反省の色がない。
「だから、助かっては……いたんだろう。ストレスの種であると同時に、他者からの、いや、視聴者からの視線に対する壁になってくれていた。加えて、裏でその性格だろ? 私は視聴者を大事にするクチだからね、これでも。お前さんのように一切合切を切り捨てるようなヤツにはならないようにしよう、と……反面教師のようにさせてもらっていたよ」
「それは光栄でございますね」
「ああ──本当に。どうして、お前さんみたいなのがMINA学園projectに来たのか。不思議でならなかったよ。神様を呪ったね。そして、奇跡の巡り合わせに感謝した。でも、そうだね。嬉しい事に……お前さんが抜けてから、リーダーや雪が私を気遣うようになったんだ。ああ、心苦しくてたまらないよ」
矛盾している。ように見えるのだろう。
事実を見れば嬉しいけれど、自身は心苦しい。神様を呪うような出来事だったけれど、巡り合わせには感謝しかない。客観と主観の入り混じる性格は、物事への正確な評価と感情を完全に分けてしまう。
MINA学園projectに関する事。方針について、わたしはほとんど口を出さなかった。付き従うだけ。SNSで陳情を垂れる事は少しだけあったけれど、特に遥香さんとは衝突しなかった。わたしが言ったのは、他者に映る心情の切っ掛けの話くらい。
「どっちも年下なんだよ。声には出さないけど、年少組も私を心配している。それくらい伝わってくる。梨寿なんか、事あるごとに大丈夫か、って目を向けてくるんだ。本当に……辛い。他者に心配をかけるのが、ストレスで仕方がない。もっと伸び伸びとしていて欲しいのに、どうして私なんかを見るんだ」
「無理をしているからじゃないですか。すべてを思い通りに、とか言ってますけど、そんな才能ないですよ。無理をしているのなら。努力で覆せるものじゃない。遥香さんは、そこ止まりなんです」
「知ってるさ。それくらいの自己分析は出来る」
「でも独り立ちしてほしいわけではない」
「……あぁ、難儀な性格だよ。自分のことながら」
苦く笑う。自身の両腕がそんなにたくさんのものを抱えられるように出来ていないと知っているのに、誰かに助けてもらう事が苦痛で仕方がない。一人で生きていくには十二分。五人を活かすには、あまりに足りなかった。
あるいはわたしのように、初めから
「世話を焼きたがりなんだ。嫌な思いをしてほしくない。危ない目に遭ってほしくない。守りたい。折角、ようやく、私達を夢の世界へ連れて行ってくれる大切な仲間に出会えたんだ。それを大事に思うのは当然だろ。どれだけ苦手でも、お前さんの卒業は嫌だった。本気で嫌だったんだぞ」
「でも、遥香さんには大分前から相談してたじゃないですか」
「だからだよ。卒業の半年前に聞かされて、本当に本当に本当に嫌だった。嫌だったさ。大切な仲間の離別を嬉しがる程人間をやめていない。……でも、お前さんにはお前さんの道があるし、それが就職だというのなら……止める権利が一切無い。この先、メンバーの誰かが学業や就職で引退をする事になっても、止められない。怖くてたまらないよ。お前さんという前例がある以上、誰が言い出すかわからない」
遥香さんは、初めから社会人だった。最年長。だが、他の子は皆学生。不安になるのもわかる。
わたしの世界観を言うなら、あらゆる物事には終わりがあって然るべきだし、終わりがある方が好きだ。いつまでも惰性で続けるより、はっきりきっぱり終わってしまった方が美しいと思う。
HANABiさんに言わせれば、角度の違いだろう。わたしはVtuberというものをコンテンツとしてしか見ていないけれど、遥香さんはもっと……人生のようなものと同義と捉えている。だから、終わりが。死が怖い。
「なぁ、HIBANa。いや、カリンと呼ぼうか。私はお前さんがDMをくれた時、本当に嬉しかった。知ってるか? 募集に対して一番にDMをくれたのはお前さんなんだよ。私の認識では、私と梨寿を除けばお前さんが最古参だった。カリン。私はお前さんに、勝手な……信頼みたいなものを抱いていたんだ」
「……それを言うなら、スイレンさん。わたしも、貴女に信頼がありましたよ。この人なら……わたしが何をしても、何をやってしまっても、必ずいい方向に持って行ってくれる、って。この人なら安心して任せられるし──任せていけると、思ってました」
懐かしい名前で呼び合う。キャラクターの名前が決まっていないときの、コミュニティサイトにおけるハンドルネーム。あのサイトのアカウントはもう消した。アカウントを消す前に投稿の類も全て消したから、この名前の繋がりを知っているのはもうわたし達しかいない。
そして、ある種。
互いにVtuberになっていない時の……ずっと探り合っていた時期の感情が残る名前だ。だから、というか、それでも。
その時から、わたしは。この人を信頼していた。
「買い被りでしたかね」
「挑発に乗るようなヤツに見えるかい?」
「わたしは遥香さんの事すごく苦手ですけど、最後までやり通そうとする所は尊敬してますよ」
「……その流れにされたら、素直に受け取るしかないじゃないか。だが、どうするね。このまま続けて──私が折れてしまったら」
「折れちゃっていいんじゃないですか? その時は千幸ちゃんも雪ちゃんも、アミちゃんも梨寿ちゃんも、遥香さんを見捨てると思いますから」
「心にも思っていない戯言をありがとう。もしそうなったら、お前さんは何をしてくれるね? 私にはそこそこの恩義があるだろう」
「"お疲れ様でーす"ってメッセージを送ります」
「素晴らしい恩返しだ。涙が出るね」
目元を拭う動作をする遥香さん。芝居がかっていて、嘘くさくて。
まぁ、本心なのだろうけれど。
「泣き言を声に出したのは、一年ぶりだよ」
「わたしにしか言わないんですか。それはどうも光栄な事で」
「だってお前さんは私を心配しないだろう?」
信頼、ねぇ。
なんとも複雑な。
「部外者のお前さんにこんな話をするんだ。信頼の証として受け取ってくれ」
「いらな」
「じゃあお前さんの胸骨の穴に捻じ込むよ」
「妙に細かい設定を知っている……」
「おいおい、コラボ相手の事を私が調べないとでも?」
「可憐の身長は?」
「152cm」
「梨寿ちゃんの握力は?」
「左7㎏、右9㎏」
「参賀さんが月に飲み会で使える最高料金は?」
「7万」
「あげすぎじゃない?」
「奥方曰くスーツのクリーニング代を含むのだとさ」
それにしたって一ヶ月七万はぶるじょわじー。
「じゃあ、わたしの嫌いなものは?」
「……知らないな。お前さん、苦手なものはたくさんあると言っていたけれど、嫌いなものは……人かい?」
「最近嫌いになった人がいましたけど、話してみたら好きになりましたね」
「ふむ。MINA学園projectを古いだの、過去の、だのと言われる事」
「あぁ、それは嫌いですね。聞きたいのは嫌いなものですけど」
「相手が素直に称賛を受け取らない事」
「嫌いな事ですね。ものじゃないです」
「ドッキリ」
「事。もの」
「得意じゃない事」
「こも」
わかっているのかわかっていないのか、わざわざ事ばかりを挙げてくる。まぁドッキリについては"もの"であったかもしれないけれど、そういう事を言いたいのではない。
「うーん、だってお前さん、自分大好きだろ?」
「大好き」
「MINA学園projectのメンバーでもないし、視聴者でもない」
「そうですね」
「食べ物の好みもない」
「はい」
「あるとすれば……概念的なものか。いや、概念的なものは事か?」
一拍。
「わからんな」
「時間切れです」
「実はありません、とかいうオチはやめてくれよ?」
「実はありません」
やめない。
「随分と時間を無駄にした」
「可憐を思い出せましたか?」
「ああ。そうか。そういうことか。お前さん、今私の嫌がる事を……私を心配して、私に気を遣ったな?」
「だって遥香さん、つらそうだったから」
「本当に最悪だなお前さんは。こんなののどこに惚れ込んだんだあの子は」
「あの子isどの子」
「馬に蹴られたくはないさ」
だから、言う。
「頼らなければ仲間じゃないとか、背中を預けてこそのメンバーだとか、そういう面倒くさい事は言いません。遥香さんはそのまま気を配って気を絞って気を引き締めて、ボッキリ折れちゃうといいです。貴女の事なんて誰も心配しませんし、誰も構ってはくれません。みんな貴女を見捨ててどっかへ行きます。なんならわたしの所へくるかもしれない」
「お前さんがカウンセラーだったら即刻クビだな」
「わたしはカウンセラーじゃないので」
背負うのは結構だ。勝手にしてほしい。折れるのは結構だ。勝手にしてほしい。弱音を吐くのも、愚痴を言うのも、勝手にすればいい。
変革は必ずしも良い事を起こすわけではないし、進まなくちゃいけないなんて決まりも無い。そのままで、そのまま。人は言葉では変われず、気付きがなければ変わることは無い。なれば、わたしとの再会は遥香さんにとっての出会いではなく、ただの清算に過ぎない。
再三言おう。わたしは遥香さんが苦手だ。言葉を先回りする所も、用意周到なところも──内心、そうやってウダウダグダグダ悩みぬいている所も。本当に苦手。
「だから、言います。わたしが抱くこの苦手という感情は、同族嫌悪であると。わたしは用意周到ではないし、うだうだぐだぐだ悩まないけれど、わたし達は似た者同士であると」
だったら。
「遥香さんは幸せになれますよ。だってわたし、今幸せですから」
その幸せとやらが、何を指しているのかまでは知らない。人には人の幸せがあろう。忙しくすることこそが幸せな人もいるし、何もない休日にパンケーキのひとかけらを食べるのが幸せな人もいる。
だから大丈夫だと、突き放す。
「悩んでいる旧知の相手に向かって、悩んだままでいろ、だって? ほとほと、残酷な奴だな。礼は言っておくよ。地獄で待っていてくれ」
「ヤです。わたしは天国行きなので」
「引きずり降ろしてやる」
会話は何も解決しない。勝手に何か気付きを得る人はいるだろうけれど、そもそもわたしの入る余地がない人には何の得にもならない。
ただ、吐いた弱音の分。少しだけ、入り込む隙間はあったのかもしれないけれど。
それが幸いであれば。
「カリン。可憐。HIBANa。名前も知らないお前さん。初めて言うし、一回しか言わないぞ」
「はい。さようなら」
「ああ、さよならだ。これから何度会う事があっても、ここで決別だ。せいぜい楽しく過ごしてくれ」
「色々お世話になりました。本当に、ありがとうございました。お元気で」
あとはもう、どっちもそっぽ向いて。
これで──お別れのお話は、終わり。
それは再会の名と、理解のラベルと、和気藹々のレッテルで色鮮やかに装飾を施した、彼女たちとの離別の物語。
この話に続きは無く。この先は描かれず。期待された和解は訪れず。
それを肯定できる自分を、嬉しく思う。
●
「背水の陣というのはね、火事場の馬鹿力、みたいな意味ではないの。囮として最高の役割、という意味なのよ」
「いきなり何の話ですか」
「馬鹿に付ける薬はないって事よ」
「いきなり何の話ですか」
DIVA Li VIVAの休憩スペース……ではなく、HANABiさんのマンション。
そこに、いた。
不機嫌な顔を隠そうともしないHANABiさんと、不機嫌な顔を隠そうともしない999Pさんが。
これは来るタイミングを間違えましたね。
「それで、何故999Pさんがここに?」
「妹の家に来る姉がそんなにおかしい?」
「姉妹いないんで」
「そ。無知は罪よ」
理不尽が過ぎる。
「HANABiさん。弁明は」
「べ、弁明ってなんですか。私は別に悪事を働いたわけではないのですが……」
「どうせ姉妹SNSでなんか言ったんじゃ?」
「いつになく鋭い!?」
「ちなみに発端は私よ。発破かけたのに言い渋るから、こうして焚き付けに来たワケ」
「?」
どちらもが不機嫌そうに──しかし、999Pさんは少しだけニヤついていて、HANABiさんは少しだけ俯いていて。力関係はそのまんまらしい。
「アンタ、NYMUと仲良いわよね。本名も教えてくれて、友達から始めるって言ってくれたー、ってはしゃいでたわ」
「口かっるいなぁあの子本当に」
「ええ、すぐに喋ると思ったから問い詰めたのよ。10分くらいくすぐったらすぐに吐いてくれたわ」
「サイテーだった。疑ってごめん金髪ちゃん」
999Pさんは友達いるのだろうか。こんな性格で。
……いるんだろうなぁ。良い人だし。……良い人?
「それで、その日の夜に送ったメッセージ。見た? NYMUからのメッセージ」
「ああ、なんか削除されてたやつ? 見てないよ」
「ほぅら、言ったでしょう。コイツ基本返信遅いから、通知来てもすぐには見ないって」
「……得意げにならないで。普通にウザい」
うわぁ。タメ語のHANABiさん、新鮮。
「まだ入り込める余地はあるわ。とっとと決心なさい。ウザいのはアンタよ。いつまでもうじうじと悩んで。気持ち悪いったらありゃしない。毎夜毎夜、くっだらない相談される身にもなりなさい」
「余計なお世話って知らない? 本当に、黙っててよね……」
「私は馬の脚を後ろから跳ね上げるのが好きなのよ。犬が食わないなら私が食べるわ」
「……」
999Pさんが喋るたびに、HANABiさんが不機嫌になっていく。これ、わたし帰った方がいいのかな?
「何帰ろうとしてんのよ。どう見たってアンタありきの話でしょ。バカなの?」
「えぇー……」
「アンタが言わないなら私が言ってあげてもいいわ。可哀相な妹を助けるありがたい姉の言葉でね」
「言ったら、本気で怒る」
「勝手にすれば? アンタが怒ったところで何ができるのよ。それとも殴り合いでもする? いいわよ、かかってきなさい。みっともない所を存分に見せて、失望されるといいわ」
あの。
帰ってもよろしいでしょうか。
「大人しくしてないと、縛り付けるわよ。色々な縛り方が出来るわ。ファッションデザイナーを舐めない方が身のためよ」
「縛り方に種類があるんですか」
「この脳内花畑の話に耳を傾けないでください、杏さん。……言います。言います。言うから、本当に黙ってて、お姉ちゃん」
お姉ちゃん呼びなんだ。
……いいなぁ、お姉ちゃん。欲しい。
「……あのですね、杏さん。その……NYMUちゃ……NYMUさんから、告白を受けた、というのは……本当なんですか」
「告白? いや、受けてないけど」
「友達から始めてください、と。言われませんでしたか」
「それは言われた。わたしの中の友達のラインって凄まじく手前だからさ。久しぶりに本名を知っている友達が出来たのは、素直に嬉しいよ。その話?」
「……その話であり、その話ではありません。いいですか、杏さん。NYMUさんは、貴女が好きなんだそうです」
「知ってる。言われたし。わたしも好き」
「意味が分かっていない……という事は、ないですよね。杏さん。わかってて……無視を決め込んでいる」
……。
まぁ。
そうだ。別に、ずっと。わかっていた。人の敵意を好む人間が、人の好意に疎いなど。人間観察が好きなヤツが、身内の感情の機微に気付かないなど。
あり得ない。
だから、NYMUちゃんがわたしに向けていたそれが、LIKEを通り越してLOVEであることくらい。
知っていた。知っていて無視をした。彼女がまだ高校生だという、倫理観的な問題。彼女のその気持ちが本当に恋愛感情なのか、彼女自身にもわかっていないだろうという、保険的な問題。性別はどうでもいい。好きになった人がどちらであったか、というだけで、どちらの性別だから好きになる、という事はない。
わたしの世界は酷くシンプルだ。勝ちか負けか。自分か相手か。そこに種類などない。
いくつかの問題を経て、それでも尚、というのなら。
全然。普通に。なんでもなく。
「受け入れるつもりはあったよ。付き合うという事に、結婚という事にそこまでの重要性を覚えていないけれど、それを相手が求めるのなら──わたしが彼女に好意を持っている限りは、それを叶えることも吝かじゃない。インターネットの向こうの誰かさんの言葉なんてどうでもいいし、周囲の目線なんて気にならない。わたしはそのつもりはあったよ。言ってこないから、無視してるけどね」
NYMUちゃんはしかし、ギリギリのところで
友達から始めてください、という言葉選びをしたし、恐らく告白が入っていたのだろうメッセージをわたしが見ない内に消した。
それはつまり、未だ──なんらかのしがらみが、彼女の中にあるという事だ。
急かす気はない。わたしから何かをするほど、わたしは恋愛に対しての熱量を持っていない。
「催促はしないよ。求めもしない。わたしは歌にしか愛を注いでいない。それを奪いたいと言うのなら、相応の犠牲は必要だよ。プライドだの、羞恥だの、恋愛観だの。何が注がれるのかは知らないけどね」
HANABiさんがわたしに抱く感情なんて、とっくのとうに知っている。
相棒という間柄を越えたソレがあることなんて。彼女の曲を歌ってみれば、すぐにわかる。
それでも。
申し訳ないけれど、わたしは、そういう誰かを愛する、という感情に……それほどのリソースを割いていない。申し訳ないけれど。なんなら──心から、どうでもいい。
それが、わたしの夢を阻害するというのなら。
それが、わたしの目的地への道筋を阻むと言うのなら。
容赦なく切り捨てるだろう。
「……知っています。杏さんは、こういう事に興味がない事くらい。私だって元々はそっちでした。杏さんに執着するまでは、こんな感情……唾棄に値すると思っていました。でも、自分では制御が利かないんですよ。止められないんです」
さながら幽鬼のように。
自らの目を手で覆い隠して、言う。
「好きなんですよ。杏さん。私は貴女が好きなんです。愛している。愛してしまっている」
「でも、しがらみがあるんだね」
「……悔しいです。本当に、心から悔しい。だって、もし、この愛が。この恋が。この好きが──届いてしまったら」
HANABiさんは手を震わせて、言う。抑えきれない怒りをなんとか制御するように。耐え難い恐れをなんとか鎮めるように。言う。
「私は、私の、私の創作に──支障が出る」
ああ。
「私は杏さんのように、人格の切り貼りなんて出来ないから。恋愛する自分と創作をする自分を分けられる気がしない。出来ると思えない! 私は、今の私なら、創作だけにすべてを割ける私なら、最高のものが創れる! 創り得る! 自信ではなく確信が、ある。あります。私は、この私なら、杏さんを……HIBANaを最高に磨き上げることが出来るんです」
それは、紛れもない──欲だ。欲。強欲。
創作者ならば必ずいつかは目の当たりにする、完成の二文字。自身の思う最高。今までの苦労が報われる終端。目に見えた頂。手の届く財宝。
これを前にして。完璧に見えている道筋を見て。
別の欲に、足を掬われる、などと。
「……杏さんに感情が入ってしまえば、HIBANaという作品に対する熱情が薄まるでしょう。作品に余計な……愛恋という感情が乗ってしまう。一曲であれば、わからないかもしれない。けれど、何曲も何曲も出していくうちに、誰かが気付き始める。これは誰かに向けたラブソングで、世界を魅了するためのものではないという事に。それは。それは──ああ」
考え得る限り、最大の屈辱です。
そう、言う。目を覆っていた手を取ったHANABiさんの目は──怒りに燃えていた。
悲しみではない。怒りだ。怒っていた。
「考えられない。私は、もう表現者になってしまった。完成を諦める、という事が……出来ません。それを知っていて、私はあのスカウトを受けた。杏さんを誘いました。全部知っていた。無理だって。私が、この想いを遂げられないって、こと、くらい──」
その時、ずっと黙っていた999Pさんが口を開く。出るのは、言葉──ではなく、溜息。
はぁ~~、と。深く深く、深く深いため息を一つ。
「バカね」
「……」
「こんな生き物が私の妹だなんて、反吐が出る。いつものマルチタスクはどうしたのよ。感情は一つしか持てないとか、型落ちにも程がある。いっそ死んだ方がマシね」
「……」
「アンタも、悪かったわね。私はもう少しまっすぐな……ちゃんとした告白が聞けると思って、アンタを帰さなかった。忘れて忘れて。アンタに言っても仕方のないことをわざわざ演技ったらしく話して、何になるのよ。ゴミよゴミ。時間を取らせたわ。帰っていいわよ」
……いいなぁ、と思う。
姉妹仲は悪いと言っていた。どこがだろう、と。なんて仲の良い姉妹だろう、と。思う。
すぐさま慰めにかかるなんて。微笑ましい。
「……」
「ほら。コイツ、私みたいに優しくないわ。割と最低の部類ね。酷い女。悪いことは言わないから距離を取った方がいい、と言ったわよね。あの時。ロクなヤツじゃない、って。これでわかったでしょ」
「……本当に、何も……言わないんですね。杏さん」
言わない。
名前も呼ばない。声もかけない。
それを酷いと思うのは勝手だし、悲しいと思うのも勝手だ。好きにしてほしい。
わたしはそれを咎めるほどの熱量を持たない。
「好いていても、いいですか」
「いいよ」
「一緒にいても、いいですか」
「いいよ」
質問には答えよう。
勿論大歓迎だ。わたしはHANABiさんの創作物が大好きだから。勿論、HANABiさん本人も好き。
「愛を告げなくとも、いいですか」
「いいよ」
「貴女に尽くさなくても、いいですか」
「いいよ」
欲した覚えもないけれど、それをしたかったのだろう。
だから、わたしが許す。彼女自身が許せないというのなら、わたしが許してあげよう。それくらいはしてあげる。それくらいの仲ではあると思っている。
「──私が、貴女を諦めても、いいですか」
「ダメ」
許さない。わたしという作品を諦める事を、決して許さない。
わたしをこちらの世界に引き戻した責任を。どこまでも取ってもらう。だから、それだけは許さない。わたしに夢を見せた責任を。わたしに──出会いと離別を与えた責任を。
貴女には、最後の最後まで取ってもらう。わたしは絶対に許さない。
「悪い女に捕まったわね、ほんと。NYMUといいアンタといい、世話が焼けるわ」
それは心から。思う。それは手元から。伸びる。それは言葉から。漏れ出る。
それは刃先から。鈍く。それは瞳から。微かに。それは悲鳴から。僅かに。
それは翼から抜け落ちて──それは目線から、感じ取れるもの。
「それは、なんでしょうか」
「考えるまでも……ありません。それは、光です。心が決まるまでは。手元を掴むまでは。言葉が見つかるまでは。刃先が霞行くまでは。瞳から零すまでは。悲鳴であると、認めるまでは。翼が綻ぶまでは。目線で贖うまでは」
花火と火花。どちらもが刹那に散り、しかし余りにも美しく咲き誇る光の花。
夜空を明るく照らすのであれば、神羅万象あらゆるものにおいて、もっとも親しまれ、感動を残す現実逃避。
すべてが
なれど、すべてが共に、貫き通せるのならば。
「杏さん。貴女が私を許してくれるまで、私はこの激情に苦しみます。共にいてくれますか」
「いいよ。でも、NYMUちゃんが先を越したら諦めてね」
「いえ、奪い取ります。NYMUさんには悪いですけど、私は往生際の悪い女なので」
わぁ、モテモテだぁ。
「先へ行きましょう。私達の目指したあの場所に。NYMUさんはまだまだ先にいますし、MINA学の皆さんもすぐに追いついてきますよ」
「999Pさんも一緒に行く?」
「バカね、私の事は無視すればいいのよ。それでも掬ってくれるというのなら、全力で巣食わせてもらうわ」
「お姉ちゃんはいらない」
「それこそバカね。妹と姉の縁は切り離せないわ」
「じゃあ、そういう事で」
まぁ。
というところで、わたしの綴る、彼女と彼女たちとの出会いの物語は、終幕を終える。
何も成し得ていないのは当たり前だ。彼女はまだデビューしたばかりで、未来は不確定。追いついてしまった物語の先など書けるはずもない。
わたしはもう、役目を終えて。
HIBANaがその後を継ぐ。
わたしはここに筆を置く。
どうか、彼女の行く末に幸あらんことを。
雁ヶ峰杏を主人公としたこの物語に、ささやかなる祝福を。
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