Counter of the earth (坂下 千陰)
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第一話 First contact

書こう書こうと思いつつ、なかなか筆が進まずに試行錯誤を繰り返してどうにか投稿までこぎつけた次第です。元々考えていたベースが先に原作に登場しちゃったので大幅に改稿し、さらに新たなベースを考えましたがこいつも二番煎じになりそうで……苦労しました。

さぁ、始まるよ!




  西暦にして2619年。アメリカ合衆国ワシントンDCに存在する国連航空宇宙局(U-NASA)敷地内病棟のとある1室から、1人の青年がドアを開けて出て来た。身につけているタンクトップから覗く腕には発達した筋肉、全体的に均整の取れた身体は相当に鍛えこまれてきているのが一目で分かる。

 

「じゃあね、膝丸(ひざまる)さん。訓練がんばって!」

 

  中からは、声変わりもまだ済んでいない少年の声が聞こえた。その声に膝丸と呼ばれた青年は笑みを浮かべて、

 

  「おうよ! 桜人(さくらと)もがんばって体治せな。元気になったら特別に奥義教えてやるからよ!」

 

  「ホントに!?」

 

  「あぁ、約束する」

 

  ドンッと拳で胸を叩いて青年は笑う。しかし、同時に不安も抱いていた。突如現れた火星由来の脅威。AE(エイリアンエンジン)ウイルス。致死率100%の死神に桜人は罹患している。ワクチンを作るには、火星に行って近縁種もしくはそれに準ずる物を持ち帰る必要がある上に、ワクチンが無事作られてさらに間に合うという保証もない。

 

 正直な話、桜人はいつ死んだとしてもおかしくない。それでも、希望は捨てない。目の前の少年を必ず助ける。もう二度と誰も失いたくはない、と青年膝丸燈(ひざまるあかり)は改めて決意し覚悟する。

 

「……よし」

 

 訓練に戻ろうと桜人の病室から背を向けて俯き加減で歩き出した瞬間、

 

「ごめん、ちょっと良いかな?」

 

 前方から声を掛けられた。驚いて目をあげるとそこには1人の男が立っていた。茶色に染めた長めの髪をヘアピンで留めた顔付きは恐らく10代の後半。身長は高く、177cmある燈と同じか少し上か。

 

「…………?」

 

 燈の訝しむような視線に気付いたのかその少年は表情を緩ませ、

 

「あぁ、いやいや怪しい者じゃないよ。ちょっと道を聞きたくてさ。実は俺、ここに今朝着いたばかりで右も左も分からないんだ。ここは病棟で良いんだよね? これから訓練施設に用があるんだけど場所分かる? 」

 

  単に道を聞いてきただけの青年には、特に警戒すべき点も見当たらない。

 

「なんだ、それなら今から俺もそこに用があるから連れて行ってやるよ。ところでお前始めて見る顔だけど補充兵(クルー)の1人か? 」

 

  訓練施設へと歩を進めながら、適当に燈は青年に話しかける。

 

「うん。とはいっても先週手術を受けて運良く成功しただけの新参者だけどね。しかも最初っから戦力外通告ときたもんだ。まぁ、ベースがベースだししょうがないっちゃしょうがないんだけどさ。それでも、こっちは命かけたのになーんか割に合わないんだよな」

 

「まぁよ、それならアイツらと()り合う必要も無いんだぜ? 」

 

「ははっ、その点に関しては運が良かったのかな?」

 

  施設までの数分間で、青年に関する情報は大体分かった。

 

  名は、黒峰与一(くろみねよいち)。年齢は19歳で比較的燈と近いこともあってか2人が打ち解けるのにそう長い時間はかからなかった。

 

「着いたぜ与一。多分中には他の補充兵(クルー)達もいると思うから紹介してやろうか? 」

 

「そうだね、頼むよ。どうやら今回の任務は協調性が要るみたいだからさ」

 

  訓練施設のドアが開くと同時に、多数の視線が2人に集まった。手術後のリハビリをしている者や、機器を使ってトレーニングに励む者などが一様に見やる。訝しげな視線もあるが、多くは好奇に満ちたものだった。

 

「おぅ、燈。……そちらの茶髪はどちらさん? 初めて見る顔だな」

 

  ドアから一番近い場所にいた不良然としている逆立った金髪の少年が燈に気付いた。同時に、見慣れない人間がいることにも。

 

「あぁ、ちょうどいいや。与一、こいつはマルコス。年齢は16で、お前より下だから容赦無くパシッて良いぜ」

 

「そうか、じゃあマルコス。コーヒー買って来い」

 

「なんだその紹介は! つーかお前も乗っかってんじゃねえよ!? 」

 

「ふっ、いいか金髪ヤンキー、日本には年功序列って言葉があるんだぜ? 年下は年上には逆らえないんだよ」

 

「そうかよ、だがなぁ生憎と俺はメキシコ人で、ここはアメリカだ。ジャパニーズの風習に従う必要はねえ」

 

「お前の好きな物も買ってきて良いぞ」

 

「行きます! 」

 

「簡単に引っかかってんじゃないわよ」

 

  そんな声とともに、マルコスの頭をはたきながら彼の後ろから深緑色の瞳を持つ少女が現れる。

 

「んだよシーラ、別に良いだろ。労働に対価が支払われるんだぜ? お互いにイーブンだろ」

 

「はぁ……、だからあんたは単純なのよ」

 

「よお、シーラ。こいつは与一ってんだ。新しい補充兵(クルー)さ」

 

  燈がシーラと呼ばれた少女に与一を紹介し始めた。

 

「やぁ、どうもどうも。俺は黒峰与一。先週手術を受けたばかりの新参者だけど宜しくな」

 

「与一君ね、私はシーラ。そしてそこのヤンキーがマルコス、もう1人アレックスって言うのとセットで一応私の幼馴染。後は、エヴァって言う女の子がいるんだけど……」

 

 与一の自己紹介に微笑みながら、シーラも返す。

 

「おぉ、どうしたどうした。見かけねえ顔がいるな? 」

 

「多分新しい人だと思うよ」

 

「噂をすればって奴ね、紹介するわ与一君。この黒髪がアレックス、そしてその後ろにいる色白の女の子がエヴァよ」

 

  黒髪で長身の少年と、色白で小柄な少女がシーラ達に気付いて近付いてきた。

 

「ふぅん、燈にマルコス、シーラ、アレックス、そしてエヴァね。オーケー覚えた。それじゃ改めて俺は黒峰与一。出身は日本で年齢は19。後、強いて言うなら特技は弓を少々かじってるかな、これから宜しく。あぁ、それと……マルコス手を出して」

 

 そう声をかけて、与一は反射的に出したマルコスの手に財布を放る。

 

「早く飲み物買ってきてくれ。ただし、今度は6人分な。因みに俺はコーヒー、皆は何が良い? 」

 

 にやりと笑って、他の5人を見回す。

 

「よっしゃァ! じゃあ俺はコーラ」

 

 いち早く与一の考えを察したアレックスが一番に注文する。

 

「あぁ、そういうことか。ありがと与一君。じゃあ私はミルクティーで。エヴァは何にする?」

 

「え? 」

 

「だから、与一君は私達に飲み物を奢ってくれるって言ってるのよ」

 

「あ、じゃあ……私もシーラちゃんと同じものが良い、です……」

 

 ようやく合点がいったように、おどおどしながらエヴァも注文した。

 

「俺もコーラ! マルコスよろー! 」

 

「結局俺が行くのかよ! 」

 

「いいかマルコス、日本には……」

 

「ネンコウジョレツって言葉があるって言うんだろ! 分かったよ行けばいいんだろ畜生!! 」

 

「その通り!」

 

 そして与一は笑う。

 

「その変わりマルコス、釣りはお前にやるよ。仕事料だ」

 

「マルコス、行きます! 」

 

 颯爽と駆け出す彼の後ろ姿を見ながら、皆も笑い出した。基本的に彼らは善人だ。与一をすっかり受け入れた。アネックス計画の定員は既に埋まっているというのに。このタイミングで新たな人員を補充する必要は無いはずだというのにーー

 

 

 ーー火星出発まで残り1ヶ月

 

 

 

 

 



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第二話 who is she?

「あー、終わったぁ!」

 

 課されたトレーニングプログラムを終了させた与一は、食堂のテーブルに勢いよく突っ伏した。傍らに置かれていたコップの中の水がその振動に軽く揺れる。

 

「駄目だ。全然駄目だ。体力が戻らん。自分で思っている以上に体って鈍ってるもんだねえ、やれやれだよ……」

 

  独り言を言いながらコップの水を飲み干し、更に氷をがりがりと噛み砕きながら思考を巡らせる。

 

  戦力の分析。

 

  それは与一の任務において、重要なファクターを占める。特に、先程行われていた模擬戦闘訓練は貴重な情報を与えてくれた。尤も自分のトレーニングを行いながら盗み見た程度の情報だが。

 

「……それにしても、流石上位ランカーの連中は戦い慣れてんなぁ。まぁ、幹部陣とかは殆ど軍人らしいし戦闘のプロッつっても過言じゃないか。特に、一番気にしないといけないのが、あのドイツの幹部乗組員(オフィサー)か……、確かアドルフとか言ったっけ? 」

 

「そうだよ、アドルフ・ラインハルト」

 

「そうそう、そんな名前……、?」

 

 突然横合いから聞こえた声。それに対して、反射的に与一は答えた。そして一拍の間の後、

 

「はぁ!? お前誰? つーか何で俺の隣にいるんだ!」

 

「うるっさいなぁ、ここは食堂だよ? 私が何処に座ろうと勝手だろ」

 

 その声の主である褐色の少女は、喧しそうに眉を顰めながら与一の方を向いた。ふわりと微かにフルーツのような甘い香りが鼻をくすぐる。

 

「んで? うちの班長がどうかした? 」

 

「いや、別にこっちの話…ん? うちの班長? ……ふぅん、じゃあお前5班か。てことはエヴァのチームメイトって訳だ」

 

 第3次火星開発計画『アネックス計画』の人員は、世界各国から集められた補充兵(クルー)を、更に国ごとに分けた6つの班で構成されている。

 

 即ちーー

 

 日米合同第1班

 

 日米合同第2班

 

 ロシア・北欧第3班

 

 中国・アジア第4班

 

 ドイツ・南米第5班

 

 ヨーロッパ・アフリカ第6班

 

 そして、それぞれの班に選抜された幹部乗組員(オフィサー)が長として就く。

 

  今までとは比べ物にならない大規模な火星開発。そもそも、『手術』や『戦闘』などの不穏な単語(ワード)があるのは何故か。

  第3次と言うからには1次と2次は存在した。そして、そのどれもが失敗に終わった。

 21世紀に始動したこの計画の元に、火星に放たれた2種類の生物、ゴキブリと苔。それから26世紀の現代まで凡そ500年。その間に火星の過酷な環境を要因として、3億年の間その姿を変えなかったゴキブリは異常な進化を遂げた。

 

 人間並みに巨大化し、しかし強固な外皮、瞬発力、生命力など昆虫であった名残りはそのままに。そして、本能的に人間を殺す存在。

 

 通称、《テラフォーマー》

 

  一度目は、ただ虫を捕まえにいく感覚だった。

  二度目は、改造手術までしたが情報が足りなかった。

 

  結果、前者は乗組員全滅。後者は15人中生存者はたったの2人。

 

  ならば、今度こそは。

 

  成功させなければならない。備えを完全に、人類を未知のウイルスから救うために。そのためには、世界が協力する必要がある。故に、今回のミッションは首脳6ヶ国が主導で行われている。

 

  ーー表向きは、だが……

 

「あんた与一だろ、フルネームは黒峰与一だったっけ? エヴァが言ってたよ、新しい日本人の補充兵(クルー)が来たって」

 

「そうだけど、そういうお前は? 俺に何か用事でもあるのか?」

 

  探るような視線を与一は見せる。迂闊だった。先程の独り言を聞かれたくらいでどうにかなるとまでは思わないが知られないに越したことはない。少しでも外部に漏れたら、与一の任務はそれだけで破綻してしまう。それ故の警戒だ。

 

「私はイザベラ、イザベラ・R・レオン。特にこれといって用は無いよ。ただ、エヴァが言ってた日本人ってのがどんな奴か気になっただけ」

 

「ふぅん、それで感想は?」

 

「別に、これと言って普通だね。上から下まで何も変わりばえしない、平凡が服着て歩いてるって感じ」

 

「……はっきりと物を言うタイプだなお前。良いか、日本には本音と建前って言葉がーー」

 

「ただ、」

 

 与一は、何時ぞやのマルコスに対して放ったように日本の『極意』をイザベラに説こうとしたが、当のイザベラはあっさりと断ち切り、

 

「良い眼をしてる。何かを決意して、覚悟をしているようなそんな眼だ。軟弱な日本人にしては今時珍しいね」

 

 与一の肩を叩き、そう言った。

 

「言いたいことはそれだけだよ、じゃあ私はこの後トレーニングがあるから」

 

 イザベラは自分の食器を持つ。そのまま席を立ち、出口の方へ向かって行った。

 

 微かに甘い香りを残して。

 

「イザベラ、ねぇ……」

 

 今回与一が注視すべきはドイツ・南米第5班。火星のテラフォーマーに対抗するための手術『MO手術(モザイクオーガンオペレーション)』を開発した先進国、ドイツが有するチーム。聞いた話によれば、並行して独自の研究も行なっているらしい。

 

 いずれにせよ接触は避けられなかったが、このタイミングでエヴァ以外の班員とコンタクトを取る事になるとは思わなかった。まぁ、外堀は埋めておくに越したことはないが。

 

「この計画には裏切り者がいる可能性がある、だったっけ? 確かにきな臭い話だわ。ドイツ班……、どう動くかによるけど出来れば戦闘は避けたいね……」

 

  与一は、食堂から出て行くイザベラの後ろ姿を視界に入れつつ、静かにそう呟いた。

 

 

 

 

 



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第三話 a little deceive

 ーー巨大有人宇宙艦『バグズ3号』改め、『アネックス1号』は1週間後火星へ出発()ぶ。

 世界の科学技術の粋を尽くして造られた『アネックス計画』の要となるこの艦は、現在全機能の最終調整に入っていた。

 そして、残り1週間という限られた時間の中で、乗組員達もまた最終調整のため各々のトレーニングに励んでいる。

 

 UーNASA訓練棟地下の一画に設けられた射撃演習場は、長さ20メートル程の横長のテーブルを幾つかの薄い壁で仕切った8つのブースに区切られており、その最も奥、第8ブースに与一はいた。

 金属レーンに吊り下げられた、人間の上半身を模した木製のターゲット迄の距離は、目算で30メートル前後。

 丁度、弓道に置いての的までの距離と同等だ。

 射撃演習場のこのブースだけは、与一本来の訓練に使用されていた。

 

「すぅ、」

 

 短く息を吸って、止める。全ての感覚を指先に集中させ、目はただ的のみを見据える。本来、『弓道』とは的に正確に矢を射るだけではなく、矢を射る姿勢を含めて得点となるが彼の場合はより実戦向きな『弓術』を得意としているため、重きを置くのは正確さと威力。

 

 ただ、《仕留める》ためだけに放つ。

 

 ひゅんっと鋭く空気を裂く音の後に、木製の的の眉間の部分に風穴が開いた。削れた木屑が宙に舞う。

 続けて、二射目は心臓に。

 三射、四射と放つに連れて的は原形を留めなくなってきている。ひたすら矢を射る与一は全くの無表情だった。迅速に仕留めろとプログラミングされた銃座のように。その目は冷たく、空虚すら感じさせる程に。

 

 五射、六射で的は上半分が砕けた。七、八、九、十、矢を射ると言うよりも例えるなら砲撃のようだ。命中したそばから豪快な破砕音が上がっている。十一、十二射で的は完全に砕け散った。跡形も無く、下に散らばっているのはその残骸だ。

 

「くっ、…はぁ、はぁ、はぁ……!」

 

 全ての矢を射尽くすと、与一の表情が戻った。極度の集中状態だったことにより、その息は荒い。呼吸を止めていた時間は凡そ1分弱、それが今の彼が最大戦力を維持できる時間だった。

 

「ご苦労さん」

 

「!?」

 

 後ろを振り向いた途端に声をかけられた与一は、咄嗟に弓を握り直した。身体に染み付いた癖はそう簡単には抜けない。当座の人物の顔を見てようやく力を抜いた。

 

「……小町艦長、何しに来たんですか?」

 

「あれ、何か冷たい! 遅めの反抗期か? 」

 

「邪魔しに来たのなら火急的速やかに回れ右して下さい。出口はそのまま真っ直ぐ行って左です。お疲れ様でした」

 

「ちょ、待って待って! 何でそんなに追い出そうとするの? おじさんのメンタル割ともやしだからね!」

 

 与一の言葉で的確にハートを削られている大柄な中年男性。しかし、着ているスーツの上からでもその鍛え抜かれた筋肉が見て取れ、屈強な肉体はどっしりとした岩を連想させられる。

 小町小吉(こまちしょうきち)。巨大有人宇宙艦『アネックス1号』艦長にして火星探索チーム総隊長。補充兵(クルー)や、他の国から選ばれた幹部(オフィサー)を束ねる重要人物であり、要は与一の上司である。尤も、艦長に対する彼の態度からはとてもそう思えないが……

 

「まあいいや、ほれ」

 

 小吉は、スーツのポケットから取り出したブラックコーヒーの缶を与一に放る。

 

「好きだろ、コーヒー。俺の奢りだよ」

 

「やれやれチョイスが甘いですね、80点」

 

「何ゆえ!? いつもコーヒー飲んでんじゃん! 」

 

「俺が好きなのはミルク入りの無糖です」

 

  言いながらもプルタブを起こし、黒い液体を喉に流し込む。弓は脇に掛けていた。

 

「そう言えばわざわざありがとうございました。こんな特注のブース作ってもらって、まさかここまで来て弓を引けるとは思ってなかったです」

 

「ああ、別にいいぜそんな事。特注っつったって、あり合わせの部品で作った即席だしな。使い心地はどうだ? 」

 

「……実家を思い出しました」

 

  静かに呟く。その一言にはどれほどの思いが籠もっているのか。

 

「悪かった、そんなつもりはなかったんだ」

 

  小吉は、僅かに顔を歪ませる。この青年がどういう経緯でここに行き着いたのか、よく分かっているから分かり過ぎているから、彼には謝ることしか出来ない。

 

「気にしないで下さい、あれは事故だった。ただ単に運が悪かっただけなんです」

 

 与一は薄く笑う。しかし、小吉は気付いていた。それが彼の精一杯の虚勢であることに。泣いてもいいのに、叫んでもいいのにただ必死に耐えていることに。小吉からすれば目の前の青年は“まだ”19歳なのだ。

 

「さて、と。それじゃあ俺は休憩取りに行くんでここらで上がります。後、コーヒーどうもでした」

 

 それだけ言うと与一は弓を立て掛け、出口へ向かって歩き出す。ついでにそばにあったゴミ箱へ視線は向けずに手首のスナップをきかせて空き缶を投げ入れた。

 性格無比なコントロールは、彼が手にした技術の賜物だ。

 与一がドアを開けて出て行くのを見届けてから、小吉は懐からPDAを取り出し、改めて与一のプロフィールを眺め出した。

 

「……黒峰与一。『黒峰流弓術47代目当主』。確かに彼の技術(ちから)には目を見張る物があるが、唯一適合したベースを鑑みればやはりサポート要員か」

 

 幾つか画面をスクロールさせた後、電源を切ったPDAを再び懐に仕舞う。ふと、先程与一が立て掛けた弓が目に入った。何の気なしに手に取り、矢を射るように弦を引く。否、引こうとした。

 

「おいおいマジか! 」

 

 小吉の顔が驚愕に染まる。ぎりぎり、と張り詰めた弦は、鍛錬を重ねた小吉が弦を掴んだ状態から腕の筋肉全てを使ってようやく耳元に来る程の張力。とても指だけで引けるような代物ではない。

 

「あいつ、どんな腕力してんだよ…… 」

 

 小吉の額には、冷や汗が浮かんでいた。

 

 

 



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第四話 illegal works

「……別れの挨拶、か」

 

 3日は忽ちのうちに過ぎて行った。今の与一が身に付けているのは7層の合成繊維からなるアンダースーツにプロテクター、白と青を基調としたロングコート。『アネックス1号』の乗組員に支給された制服姿だ。首に下げたドッグタグのチェーンを弄びながら、桜人(さくらと)と言うAEウイルス患者の少年の病室へ出発の報告をしに行った燈を外の壁に寄りかかって待つ。

 

「お前はどうなんだ与一?」

 

 ドアを挟んで反対側の壁に同じように寄りかかっていた女性が与一に問い掛けた。

 

 ミッシェル・K・デイヴス。火星探索チーム副長兼日米合同第2班の班長であり、とある事情から『奇跡の子(ザ・ファくースト)』と呼ばれるその美女は、顔だけ与一の方を向く。

 

「そんなもんいないっすよ。寧ろ、俺が一方的に別れを告げられたっつー感じですね」

それは嘘だった。何も好き好んで弱みを見せる必要はない。

 

「……そうか、私はお前がどんな過去を持って、何故ここにいるのか知らない。どうやら、艦長はある程度知っているようだがな。だから、お前に対して偉そうに言えることなどないが、一つだけ言っておくぞ」

 

 ミッシェルは眼鏡を指で押し上げて、

 

「自分の過去が、他人を疎外する理由にはならない」

 

「!?」

 

 与一の目が見開かれる。無意識の内に拳を握り締めた。

 

「この一ヶ月、お前を見ていて分かったよ。お前はいつも必ずと言っていい程1人で行動していた。食事も、訓練も、休憩を取る時も。誰かと話している時も、心の底から会話を楽しんでいない。壁を作ってんだよお前は。良いか、私達は仲間だ。それに、今回の任務はチームプレーが重要視される。お前が何を思っているのか私は知らない。だが、今のお前は“仲間”を否定している。周りを頼れ、お前には燈やマルコス、アレックス、シーラ、エヴァや艦長、それに私もいる。他にも多くのチームメイトがいるんだ。全てを1人でやり遂げられると思うな」

 

 握り締めた拳を緩ませた与一は、そのままズルズルと尻餅をついた。

 見透かされていた。確かに、燈達といるのは楽しかったが心の何処かではそれを否定していた。結局は一人なのだと達観していた。上っ面だけだったのだ。今までに感じたことのない衝撃は、彼の脳髄を貫き心の奥底まで染みて行った。

 

「すみませんでした、副長……」

 

「ふっ、別に謝る必要はない。どうやら話は終わったみたいだぞ」

 

 彼女の鋭敏な聴覚は、病室内での会話が聞こえていたようだ。数秒空いてドアから燈が出てきた。

 

「あん? どうしたんだ与一、床に座り込んでよ」

 

 出てきてすぐに、燈は与一の姿に気付く。

 

「何でもねーよ、ただあまりの有難い話に腰が抜けただけだ」

 

「?」

 

 理解を求めて、ミッシェルの方を向いても彼女は曖昧に微笑するだけで何も言わない。

 

「挨拶は済ませたか燈」

 

 そして、話題を変えるようにミッシェルは燈に話し掛ける。

 

「……はい」

 

「厳しいことを言うようだが、あまり希望的観測はするな。ただでさえ過酷な火星の任務だ、無事ウイルスのサンプルが取れたところで研究が成功し、更にワクチンが間に合う保証もない」

 

 改めて告げられた残酷な内容。だが、燈にとってはとうの昔に覚悟していた事だった。

 

「……分かってます。それでも、俺はーーこの悲しみの元を断つ。そうすればやり直せるかも知れない。何処か(・・・)で間違った俺の人生の何か(・・)を……!」

 

 ただ、前を見据える。強い意思が宿ったその瞳に映るのは燃え盛る生命の焰。

 カツンカツンと複数の足音が彼らの後ろから近付いてくる。

 

「そしてそれはーー」

 

 マルコス、アレックス、シーラ、エヴァ、そして与一が燈とミッシェルと共に歩きだした。

 

「仲間の誰もがそう思っている筈だ」

 

 燈は後ろを見ずに握り拳を挙げる。それが、出陣の合図のようにーー

 

「何の話?」

 

 マルコスの声に、

 

「ん?自分なりの勝利宣言じゃねえの? わざわざ格好良い事言おうとするからちょっと引くわ俺」

 

 与一が答える。

 

「違うわ!!」

 

 ーーーー巨大有人宇宙艦『アネックス1号』

 

 西暦2620年3月4日、地球を発つ。

 

 同日、ワシントンにて。

 

「そうか、無事発ったか()は」

 

 黒いスーツを着た部下から報告を受けた『アネックス計画』副司令官蛭間七星(ひるましちせい)はそのまま、実の兄であり、第502代日本国内閣総理大臣を務める蛭間一郎(ひるまいちろう)に電話を掛けた。

 

「もしもし兄ちゃん? ーーあぁ、出発()んだよ。これで少しはマシに対処出来るかな? うん、思い通りになんかさせないよな、自分達の利権の為だけに何の罪もない人間を喰い物にしようとする奴らなんかにはよ」

 

 既にある程度の目星は付けている。裏切るとすれば何処か。火星で奴らは必ず動きだすだろう、本来遺伝する筈がないモザイク・オーガンを始めから体に宿した奇跡の子である『ミッシェル・K・デイヴス(ザ・ファースト)』と、彼女と同じような体質を生まれ持った『膝丸燈(ザ・セカンド)』を奪取するために。

 対策は万全とは言えないが人員は配備した。そのために、本来は定員が100人であったところに滑り込ませたのだ。

 

『アネックス1号』の101人目。同時に、日本独自の計画の先兵。彼は確かに本任務のメインである対テラフォーマーの生け捕りという面には向かない。

だが、ベース生物など抜きにして対人間という面で見るならば彼の技術は最大限に戦果を得ることが出来るだろう。

 

「頼んだぞ、黒峰与一…………!」

 

電話を切り、七星は目を閉じる。与一を投入させることを含め、日本とアメリカを合同チームにすること。今の日本が出来る工作は余りにも少ない。

 

「うぼおえええええええッッ!」

 

「おーい、大丈夫か? 」

 

「今、話し……かけるな……、おええええッ!」

 

件の与一と言えば、そんな七星の思いがあるとも知らずに絶賛宇宙酔い中であったが。

 

 



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第五話 appearance

「うおえええええッ! げほっ、うえ…… 」

 

「……なぁ、いい加減お前の嘔吐BGMに用足すの嫌なんだけど〜」

 

「ぜえっ、ひゅう、…… あぁ、俺ここで死ぬかもなぁ、マルコスぅ、なんかごめんな最初会った時お前パシッちゃってさぁ……」

 

「遺言っぽいこと言ってんじゃねえよ! ゲロ吐きすぎて死にますってお前かなり死因恥ずかしい事になんだぞ!? 」

 

「……………………………」

 

 沈黙。ただ沈黙。トイレのドア一枚隔てた向こう側で、便器にしがみ付いていた与一からの応答が途絶えた。

 

「与一! まさかお前マジで……、」

 

「うぼえええええええッ! ゲッボごふっ、うぶえええええッッ!! げぼっ! ごぶえええええええッッッ!? 」

 

 今までに聞いたことが無い程の大音量で、イカしたミュージック(汚いBGM)がトイレ全体に反響した、それはもう盛大に、体内の水分が全て無くなりかねないほどの勢いを持って。

 

「与一ぃぃぃぃぃ!?」

 

 リアルにお亡くなりになられたのではなかろうかと半ば、悲鳴のような声をマルコスは挙げる。

 

「……あぁ、何か頭がふわふわする」

 

 かちゃん、とドアを開けて出てきた与一は、顔面蒼白で何処となく足元もおぼついていない。

 

「う、おぉ、生きてたか……」

 

「マルコス…俺、ちょっと外出てくるわ。そういえば、昔から乗り物苦手だったんだよな。新鮮な空気吸ってくる」

 

 それだけ言い残してふらふらとトイレを後に何処かへ向かっていく。

 

「おう、分かった。って、待て馬鹿コラ! ハッチ開けようとするな、外は宇宙だぞ! さてはお前意識飛んでるだろ!? 」

 

「大丈夫だ、今の俺なら空も飛べそうな気がする」

 

「だから飛んでんのはお前の頭だっつの! 良いから大人しくしてろ、そろそろ実力行使すんぞこの野郎」

 

「あーい、きゃーん、ふらーい! 」

 

「寝てろ!」

 

 地球を出発して1週間、与一は慣れない宇宙艦の生活によるストレスと、もともと乗り物に弱い体質が重なって重度の吐き気に悩まされていた。火星までは後32日。ゆうに1ヶ月以上はある。かなり早い段階で前途が多難な状態に追い込まれる羽目になった。これではトレーニングどころではない。真面目な話、任務に響く。

 

「あれ? 与一君は? 」

 

 シーラがトイレから戻ってきたマルコスに尋ねた。与一が一緒にいなかったからだ。

 

「ん、ああ。あいつは……星になったよ」

 

「何遠い目してどうどうと嘘ついてんのよ」

 

 突っ込みがわりに頭を軽く叩く。

 

「痛ってえな、部屋に戻って寝てるよ。顔面蒼白通り越して真っ白だぜ、死人みてえになってる」

 

「まさか、与一君があそこまで乗り物に弱かったなんてね」

 

 苦笑いを浮かべながら、シーラは手元のミネラルウォーターを口に運ぶ。

 

「そう言えば与一君って殆どトイレに篭ってばかりじゃない? 」

 

 側にいたエヴァも困ったように笑っている。確かにこの1週間、食事の時間になっても姿を見かけていなかった。何とかゼリー飲料などで栄養は取っているようだが、それでも十分ではないだろう。

 

「薬とかは持ってないのかなぁ? 」

 

「何でも市販の薬は効かないらしいよ。体質なんだって、この前死にそうな声で言ってたもん」

 

 思わず、シーラとエヴァから溜息が漏れた。普段は結構頼りになる人物だというのに、意外な弱点もあったものだ。

 

「うぅ、……もう駄目だ、乾いた地面が恋しい……」

 

 与一はと言えば、相も変わらずベッドの上で呻いていた。吐き気の無限ループは着実に彼の体力を奪っている。

 

「与一、入るぞ」

 

 と、急に声が聞こえたと思ったらトントン、ガチャッとノックの後直ぐにドアが開く。母ちゃんみたいな入り方すんなよと心の中で思いつつもそれを口にする元気もない。首だけドアの方を向くと、入って来ていたのはミッシェルだった。

 

「やれやれ、案の定だな」

 

 ベッドの上の与一を見るミッシェルの眼は、呆れと苦笑の色がある。

 

「何の用っすか、ミッシェルさん……?」

 

 弱々しい声だ。実際、今にも胃液が逆流しそうだが流石に人の、それも女性の手前故に気力で抑え込む。

 

「お前専用の薬だよ、市販の物は効かないんだろう? 念の為、地球から持ってきていて正解だった。艦長に言われるまで私自身忘れていたがな」

 

 彼女がポケットから取り出したのは数種類の錠剤が入ったプラスチック・ケース。それをベッドの脇のデスクに放り投げる。

 

「飲め、いい加減普通の飯も食わないと体が持たんぞ」

 

 夕食の時間は3時間後だ、それまでこれを飲んで寝てろ。とだけ言ってキビキビとした動作で部屋を後にする。出て行き様部屋の電気を消すのも忘れずに。

 すぐに、与一はゴソゴソと手探りでケースの蓋を開け、中の錠剤を水と共に飲み下した。そして目を閉じる。今は、とにかく回復に努める必要がある。そもそも、乗り物酔い如きで体力を消耗すること自体が論外だった。

 

 無音の世界の中で、彼の意識は徐々に薄れて行く。

 

 

「…………ッ、ん………」

 

 暗闇の中、与一は目を覚ました。どれほど時間が経ったのだろうか。枕元の時計を見るとミッシェルに言われた食事の時間より、30分早い。

 

「ぬぅ、……ふっ」

 

 ベッドに上体を起こして背筋を伸ばし、軽く首を曲げると関節がポキポキっと小気味良い音を立てた。

 

「うぁーー、大分良くなったっぽいな、文明の利器凄え。つーかこんな薬あるんだったらもうちょっと早く頂きたかったわ。あー、でもあの人忘れてたとか言ってたっけ確か」

 

 あれ程悩まされていた吐き気が嘘のように無くなっていた。この薬はこれから先も重宝するだろうと、ポケットにケースごとねじ込んでから立ち上がる。その足で意気揚々と向かうは食堂。凡そ一週間振りのまともな栄養を取りに行くために。

 

「あ、与一君。吐き気治ったの?」

 

「久し振りにまともな面見た気がするぜ」

 

 食堂に入ると、シーラや燈達が彼に気付いて声を掛ける。

 

「おう、特別調合の薬のおかげだな。もう手放せねえわ」

 

 ポケットから取り出したプラスチック・ケースを軽くシーラ達の目の前で振る。からからと乾いた音を立てて紫色やオレンジ色の錠剤がケースの中を転がった。

 

「何か毒々しい色してるわね。……まともな薬よね?」

 

「当たり前だろ。気分がハイになるってUーNASAのお墨付きだぜ? 」

 

「それ本当に大丈夫なの!? 」

 

 

 

 

 ーーーー時は過ぎて行く。

 

 

 

「よぉ、また会ったな。だがな今回は別の用事だ、真っ当な理由の元にお前に会いに来た」

 

「何、便器に向かってしみじみと喋ってんだよ」

 

 

 

 ーーーー刻一刻と戦場は近づいている。

 

 

 

 本来、与一の任務に馴れ合いは必要なかった。それは彼さえいれば遂行可能なものだったから。

 

「やっぱ風呂っつったらこれだな」

 

「全くもってその通りだと思います先生」

 

「ここまで堂々と覗きにかかるなんて呆れるというかいっそ清々しいよお前ら、…………!?」

 

「どうした与一? 」

 

「待って、シーラさん! 俺ちゃんと止めたよ! それでもこいつらが無理やり!! 」

 

「んなっ、シーラ!? つか与一テメエ独り逃げてんじゃねえよ!? 俺たち仲間だろ!! 」

 

「知るかボケェ! 俺マジで関係ねえだろうが!? 」

 

 それでも。この仲間達と出会えて良かったと心の底からそう思う。心の底からそう思える。

 

 

 地球を出発してから20日目。

 

 

「もう一回言ってみろやテメェ!! 」

 

 突然の怒声に、その場にいた全員が声がした方向を向いた。

 

 そこには一人の男性が、まるで鬼のような形相でアジア系の青年の胸倉を掴んでいた。

 

「ふっ、『もう一回同じことを言ったらブッ飛ばす』…か? 優しいねェ。侮辱されても一回までなら許してくれるのかい? 」

 

 青年は全く動じる様子も無く、胸倉を掴まれたままでもポケットの中に両手を突っ込んだままだ。口元には嘲るような笑みすら浮かんでいる。

 

「お? あの胸倉掴んでる金髪、シーラ達と同じ班じゃねえの? アメリカ人だろ? 」

 

「やれやれ、どいつもこいつもピリピリしてんなぁ…、無理もないけど。妊娠中の動物の如く気が立ってんな」

 

「ちょっとォ…、あれ止めた方が良くない? 」

 

「まあまあ落ち着けよシーラ、日本には『火事と喧嘩は江戸の花』って言葉があるんだ。こんな閉鎖された環境ならフラストレーションもたまるだろうよ。適度なガス抜きぐらいなら別段殴り合ったって良くね? そこから始まる友情だってあるかもよ? へへっ、お前強えなぁ。ふっ、お前もな…的なさ」

 

「いや、流石にそんな漫画みたいな展開はないと思うけど……」

 

 すっかり観戦モードと決め込んだ与一達。止めるどころか「いいぞ、やれやれ! 」と煽る始末。シーラが頭を抱える中、アジア系の青年は薄い笑みを口元に貼り付けたまま挑発を重ねる。

 

「いやぁ、悪かったよ。実際生まれつき口が悪くてねェ。えーっと、どの辺が勘に触ったのかな?『 お前らの母親はお前らの命を家より安く売った』…か? それとも『理由は母親がもう自分を売れなくなったから』かな? 『チ××手術野郎』? 」

 

 青年は、オブラートに包もうともしない垂れ流しの悪意がこもった侮辱を次々と並べたてて言った。

 

「あぁ、『弟は手術で楽に死ねて良かったね』って言ったんだったっけ」

 

 止めの一言。完全に頭に血が上ったアメリカ人の男性は、拳を握りしめ青年の顔面に叩き込もうと振りかぶる。

 

「止めろって! 」

 

 ーーーーバキィッ!

 

「は? 」

 

 十分に力が込められた拳は、青年にではなく、突如割り込んできた乱入者の顔面にめり込んだ。殴り掛かった本人も何が起きたのか分からないという顔をしている。

 

「……誰だあいつ? 」

 

 与一がぽつりとそう呟いた。

 

 

 

「ごめんね、うちのチームメイトがこんな怪我させちゃって。痛かったでしょ? えーっと、ロシアの……?」

 

「あっ、イワンッす! 気にしないで下さい。自分いつもこんな感じなんで! 」

 

 少年は、シーラに傷の治療をしてもらいながらにこやかにそう名乗った。額から左目に真っ直ぐ走る大きな傷が特徴的だ。

 

「後先考えずに突っ走ってばかりで、タダのアホだって良く姉ちゃんにも言われるんすよ 」

 

 にこやかな笑いが苦笑いへと変わる。それが短所なんだと言わんばかりだったがシーラはくすっと笑い

 

「それでも誰にでも出来る事じゃないよ。凄く勇気があるんだね」

 

「…………」

 

 一瞬何を言われたのか分からないというような表情のイワンだったが、直ぐに顔を真っ赤にしてボソボソと消え入りそうな声で、人として当たり前の事をしただけだ的な主旨の事を呟いた。

 

 その様子はまるで…………

 

「ハッハッハッ、分かりやすいなお前」

 

「ひ、人が一目惚れするところ初めて見た」

 

 そう、正に一目惚れのようだった。

 

「でもなぁ、イワンだったっけ? 」

 

 与一もにやにやしながら問いかける。

 

「シーラに恋するなら厳しい戦いになるぜぇ? シーラの好きな人はあの艦長だもんな」

 

 投下された爆弾は、その場の空気を一瞬で凍らせた。シーラは赤面し、エヴァは青い顔で口元に指を当て、マルコスやアレックス達もピタリと固まる。

 

「………………………あ」

 

 今になってとんでもない発言をしたことに与一は気付いた。つい口が滑ってしまったでは取り返しがつかない。

 

「あー、ディレクターここカットで。ちゃんと編集しといてね」

 

「手遅れだよ!! 」

 

「おいマルコスしっかりしろォ! 」

 

「べ、別にぃ。俺の方が男子力高いし? 」

 

「こらテメェ元凶が逃げんな与一ぃ!? 」

 

「あー、あー、聞こえなーい」

 

 脱兎の如く走り出す与一とそれを追いかけるアレックス達。騒々しい空間の中で、自然と笑いが漏れる。命懸けの任務が迫る中、ここには確かに平和な時間が存在した。

 

 

 ーーーーアネックス1号が地球を発って39日目。

 

『こちら艦長室ーー』

 

 スピーカーから流れてくるアナウンスに、与一達は雑談を止めて耳を傾ける。

 

 ついに、この時が来た。

 

『ーー間もなく火星の大気圏に入る。総員2時間後にAエリアに集合しろ』

 

 その場にいる殆どが、不安気な顔をしていた。後は、淡々と聞きいる者や、口を引き結んでスピーカーを見上げる者など、様々だ。

 

『これより装備確認後プランαに基づき、』

 

 ぽきぽきと与一は無表情で指を鳴らす。

 

『火星への着陸ミッションを開始する!! 』

 

 2時間後、全てが始まる。表向きのワクチン研究任務、そして、与一独自の任務も。

 

「ん? どうした怖いのかエヴァ? 」

 

 ふと、隣に立つエヴァが震えていることに気付いた与一は彼女に声を掛ける。

 

「……後、2時間なんだね。どうしてだろう、このまま着陸しなきゃ良いのにと思っちゃうよ。だってそうでしょ? 火星に着いたらあんな……」

 

「化け物と戦わなきゃならない、か? 」

 

 エヴァは青ざめた顔で弱々しく頷いた。

 

「あー、あれだ。別に怖がっても良いと思うぞ? あのテラフォーマーとかいう化け物と人類(俺達)の違いはな、恐怖を感じて自覚し、対処し、作戦を立てられるかどうかだ。あいつらは何も考えずただ殺しに来るだけだけどさ、俺達には意思がある。それは俺達が生まれ持った武器なのかも知れないよな。それに、こんなに仲間がいるんだぜ? お前の恐怖にも俺達皆が対処するさ、だから大丈夫だ。あんまり上手くは言えねえけど、安心しろ……て、どうした? なんかぽかーんとしてんぞ。あれか、もしかして真面目な事言ったから引いたのか? 俺だってシリアスモードの時ぐらいあるんだけど 」

 

「……え? んーん、違うよ。ただ、アドルフ班長と同じような事を言ってるからちょっと驚いちゃった」

 

「マジですか! うわー、二番煎じかよ、恥っず! ミッシェルさん意識して、ここいらでちょっと格好良い事言おうとしたらこれだ」

 

「ありがとう、何だか少し気が楽になったみたい」

 

 微笑むエヴァに、与一は少し罪悪感を感じた。彼自身が帯びた任務を隠していることに。騙すつもりもない、裏切るつもりもないが、何故か微かに胸が痛む。

 ならば、せめて誰も死なせないように立ち回るのみ。

 

 そして、

 

「必ず地球に帰還(かえ)るぞエヴァ、皆一緒にだ」

 

「……うん! 」

 

 薄く笑い、装備の再点検をするために自室へ向かう与一。

 

 ーーーー異変はその時に起きた。

 

 前方のエアロック、誰もいない筈のその部屋のドアが何故か開く。

 

「………………? 」

 

 一瞬の沈黙と共に、中から出てきた“モノ”は、

 

 ーーあり得ない。与一の顔が驚愕に染まる。

 

「何でだ」

 

 だって、だってまだ。

 

「まだ、火星には着いてねえだろうがよォォおおおおおおッッ!! 」

 

 その叫び声に、全員が振り返るが脅威を認識するには一足遅かった。そのエアロックに最も近い場所に居た1人のクルーの体を掴むと、紙を千切るかのようにいとも容易く上半身を毟り取る。

 

「…は、……え? 」

 

 咄嗟の出来事に、引き千切られたクルーも何が起きたのか理解出来ていない。そのまま這って逃げ出す彼の頭を、

 

 グシャッ

 

 肉が潰れる生々しい音を立てて、それは踏み潰した。脳漿や頭蓋骨、眼球などが周りに飛び散る。

 

「うぐ……ッ!」

 

 嘔吐する者もいる中で、それは次の獲物を探すように辺りを見回す。

 

 その筋骨隆々とした黒い身体、無機質な目、尾葉、触角。

 

 資料で、またそのクローンを訓練施設で嫌と言うほど見てきた。人間をまるで虫けらのように殺したこの悪魔の名はーーーー

 

「……テラフォーマー」

 

「う、わぁあああああああ!! 」

 

 誰かが恐怖に絶叫した。

 

「クソが! 」

 

 与一の脳内には幾つもの疑問点が浮かび上がる。

 

 いつから居た? どうやって入った? 自分達が何者なのか知っているのか?

 

 ドンッ!!

 

 突然の爆音に、機体が大きく揺れる。

 

 余りにも戦略的な破壊工作。これもこいつらがやったとしたら。

 

「……明らかに誰かが手引きしてやがるな」

 

 浮上する裏切り者の存在。

 

 真っ直ぐに此方へ向かってくるテラフォーマーを見据え、背中にエヴァを庇う。

 

「与一君! 何するつもりなの!! 」

 

 その声には答えず腕に仕込んだ“専用武器”の調子を確かめ、懐のケースを確認する。

 

「こいつは予備みたいなもんだが仕方ないか……」

 

 薬は手元にはない、あったとしても“使えない”

 

 この異常事態だ、幹部も来るだろう。だから、せめてそれまでは持ち堪える。

 

 与一は左腕を突き出し、右手を添える独特の構えを取り、無表情で迫るテラフォーマーに照準を合わせる。

 

「オラ、来いよゴキブリ。《三射》でテメエを地獄に送る! 」

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 archer

『地蜘蛛』

 

 学名を『Atypus・karschi』

 

 この蜘蛛は、どこにでもいる。基本的には地面に穴を掘り、そこに袋状の巣を作って暮らし、この巣の上を歩くダンゴムシなどを発達した鋏角で捕食する。また、比較的飢餓には強い。

 

 何か、特別な能力を持っている訳ではない。

 何か、特別な技術を持っている訳ではない。

 

 ただ、地面に穴を掘り生活する。

 

 特筆すべき能力は見られず、戦闘向きでも無いこの生物こそが公表されている与一の手術ベースになる。

 

 しかし。

 

「皆下がってろ」

 

 これから使用(つか)うのは、彼の“人間”としての技術。

 

『弓術』。

 

 ただ、敵を仕留める為だけに研鑽に研鑽を重ねてきた。

 その集大成が今、黒い悪魔に牙を剥く。

 

 ジャキッ!

 

 硬質な音と共に、彼の左腕から短い棒状の金属とプロテクターが飛び出し、丁度手の甲から腕を覆う籠手のような形を取る。

 同時に懐から取り出したケースの蓋を開けると、中には3本のこれも金属製の矢が並べられていた。ダーツに使用する矢よりも少し長いそれを1本だけ、手の甲にある溝に差し込んで引いた。

 

 カシャンと金属同士が噛み合う音は、銃のスライドを引いたに等しい。

 

 そこにあるのは、彼の左腕を軸にした小型のクロスボウだった。

 但し、それはあくまでも暗器としての意味会いが濃いため、彼のメインの武装には威力も射程距離も全く及ばない。

 それに加えて彼は生身。

 成功生存率36%の手術によって得られた恩恵すらも今は使えない状態。

 

 ーーーー勝てない事が分かっている。

 

 そして、別に勝つ必要はない。要は、負けなければそれでいい。

 

「すぅ、……」

 

 短く息を吸い、止める。呼吸すらも邪魔だ。

 

 ヒュッ!

 

 風切音の後に、銀色の流線がテラフォーマーの眉間に突き刺さる。特注のスプリングによって放たれるそれは、メインには及ばないと言えどコンクリート片に穴を開ける程度の威力なら備えていた。

 

 にも関わらず、

 

「……やっぱり効かねえか」

 

 頭に矢が刺さったまま、依然テラフォーマーは無表情のまま進撃を止めない。そもそも、痛覚が存在しないため仮に効いていたとしても生命維持活動が損なわれるまでは問題なく稼働する。

 情報では知っていた。ただ、知っているのと経験しているのとではまた別だ。

 銃火器も通用しない相手に対して、この武器は余りにも心許ない。

 

「くそッ、」

 

 僅かに冷や汗が流れ、焦燥が募る。

 部屋にさえ戻ることが出来ればそこにはあるのだ。“薬”と“武器”が。

 ただ、時間がない。薬も無しに生身の状態である程度テラフォーマーと渡り合える人材など、そうはいない。知っている中ではたった2人。『ミッシェル・K・デイヴス』と『膝丸燈』のみ。装備を取りに行って戻ってきた時には、この場に生存者はいないだろう。

 さらに、ここまで効果的な工作を仕込んで来る以上、その裏切り者達が幹部の実力を考慮に入れていない事は考えにくい。

 

 つまり。

 

 ーー艦内に侵入したテラフォーマーは他にもいる。

 

 たった1体だけなら、6人の幹部の前では一瞬たりと保たない筈だ。

 それ故の戦力の分散。

 

 脳をフルに回転させて、状況を分析していく与一。

 

「うおおおおおおおおッッ! 」

 

 だが、叫び声が思考と集中を掻き乱す。そこに一瞬の隙が出来た。すかさず、テラフォーマーは与一に掴みかかろうとする。人間の肉体など瞬時に粉微塵に出来る程の威力がある剛腕でもって。

 

「チッ! 」

 

 思わず舌打ちが出た。咄嗟に体を捻り、身を躱しつつバク転の要領で体勢を立て直す。

 少し掠ったのか、コートの繊維がふわりと宙を舞った。

 

「馬鹿野郎ォッッ! 下がってろって言っただろうが! 」

 

 叫び声をあげた人間は先日、アジア系の青年の胸倉を掴んでいたアメリカ人だった。

 何処から取り出したのか、その手には機関銃のようなものを抱えている。

 そう、与一が持つクロスボウよりも遥かに高度な道具を。

 

 そこでテラフォーマーは何故かターゲットを変えた。

 その無機質な目は、与一からアメリカ人男性へと移り変わる。

 

「……おい、どこ見てんだよゴキブリ。お前の相手は俺だろうが」

 

 それでも、止まらない。悪魔の進軍は止まらない。

 

「何ッ、でだよ!? 」

 

 テラフォーマーに、銃火器は意味を成さない。確かに、弾丸は当たっているのだ。それでも、全身から白い脂肪体を流すだけで、ただ進む。

 与一は素早く2本目の矢を装填すると、再びテラフォーマーに放った。

 やはり脳天に命中。だが、当然の如く意に介した様子もない。

 

「逃げろッ! 」

 

 しかし、その声は間に合わず。その黒い両手で無造作に男性の頭を掴み、力任せに引き千切る。

 

 ブチンッッ

 

 聞くのもおぞましい音が響いた。脊髄ごと引き抜かれた頭、首から下の体は力無く崩れ落ちる。

 

「ひィ…」

 

 今度はその引き抜いた頭をまるで鞭の様に振るい、瞬く間に2人の首を刈る。

 一切の容赦もなく、無表情にただ殺した。

 

「この、クズ野郎が……!! 」

 

 3本のうち最後の1本を装填し、今になって此方に向き直ったテラフォーマーの眉間に照準を合わせ、放つ。寸分違わず射抜きはするが、その動きが止まる気配はない。

 これで矢はもう無い。最初から懐には3本しか入っていなかったのだ。

 

 そして。

 

 与一は、左腕のクロスボウの側面を開き内蔵されていたスイッチを指で弾くように押した。

 

 カチリ、と微かに何かが噛み合わさるような音が聞こえた直後、テラフォーマーの頭部に刺さった3本の矢が一気に炸裂した。

 小規模な爆発。

 だが、テラフォーマーの頭部を吹き飛ばすには充分な威力だ。

 

 外側からの攻撃が効かないのならば、内側から破壊すれば良い。

 

『此方はアネックス一号艦長、小町小吉。現在メインのエンジンに障害が発生したため火星地表へと下降しつつある。本艦での安全な着陸は困難となったため総員直ちに脱出機格納エリアへ移動する事! 』

 

 艦内にアナウンスが流れる中、頭部を失ったテラフォーマーはゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 

「大丈夫か、エヴァ? 」

 

 与一は倒れたテラフォーマーを背に、エヴァに声を掛ける。

 

「うん、大丈夫だけど…… 」

 

 そう答えるも、与一を見る彼女の目には軽い疑念の色があった。

 “薬”も使わず、テラフォーマーを倒した。その上ランクが低いと言っていたにも関わらず、“武器”を使用した。

 

 流石に、これ以上隠し通すには無理がある。

 彼女には話すべきかも知れない。エヴァにとっても全く関係が無い訳では無いのだ。

 一瞬の逡巡の後、与一は口を開いた。

 

「エヴァ、少し大事な話をする」

 

 いつになく硬い声だ。それに少し驚いた顔をしたエヴァだが、口を結んで与一の次の言葉を待っている。

 与一に対する違和感が、彼女にそうさせたのだろう。

 

「おかしいと思わないか? 火星熱圏上部のこの艦に、何故テラフォーマーが侵入出来たのか。勘で宇宙艦に飛び移ったのか、そもそも羽ばたくことすらままならない筈だし、それ以前に酸素の問題もある」

 

 与一は、的確に疑問点を抽出し組み立てていく。その先にあるのはたった一つの結論。

 

 

「これは推測だけど、奴らを手引きした者がいる」

 

「え、……? 」

 

 あくまで推測だと念を押しつつも、最早それが確実論である事は明白だった。

 しかし、エヴァの混乱を最低限に抑えるために、あえてオブラートに包んだ言い方を取っただけだ。

 

「言っておく事はそれぐらいだ。注意しておくに越したことは無いし、後でお前らの班長に伝えておいてくれ、噂に聞いたんですけどってな。あの班長ならしっかりその可能性も念頭に入れて行動するだろ」

 

「なんでそんな事……? 」

 

 知っているのかと言わんばかりの表情に、曖昧な笑みで与一は誤魔化す。かなり遠回しだが、目的は伝えた。後は、急いで部屋に戻って装備を整える必要がある。

 

「与一君!! 」

 

 突然、エヴァは叫び声を挙げた。それはまさしく恐怖心から。

 

「……ッ、がっ……」

 

 ほぼ同時に、与一の首に衝撃が走る。とんでもない力で首を締められていることに気付いたのはその後だ。

 目線を下に向けると、黒い腕が喉を掴んでいた。

 

 頭部を吹き飛ばした筈のテラフォーマー。されど、害虫の王(ゴキブリ)は死なず。

 人型に巨大化したとは言え、元々は昆虫。体構造もその名残りを残している。

 

『食道下神経節』。

 

 胸部に存在する、テラフォーマーにとっての第2の脳とも呼ぶべきこの器官。体のコントロールはここに任されているため、例え頭部を失ったとしても酸素を取り入れる事が出来る限り活動は続くのだ。

 不意打ち、情報不足、想定外。そんな言葉で言い訳は出来ない。

 これは確実な油断、もしくは怠慢。

 

 頭を吹っ飛ばした(・・・・・・・・)くらいで安心出来るレベルの存在ではなかった筈だ。

 完全なる未知。それがテラフォーマー。

 

 酸素不足で薄れる視界の中、エヴァが必死にテラフォーマーの腕を引き剥がそうとしているのが見えた。涙目で、震えながら。

 

(せめて、薬があれば……)

 

 常に携帯しておくべきだった。与一は余りの己の警戒心の無さに歯噛みする。

 こんなところで死ぬ訳にはいかない。

 

 ーーーー帰還(かえり)を待つ者がいる。

 

「ーーちょっと下がってて」

 

 朦朧とする意識の中、そんな声が聞こえた気がした。

 一瞬後、与一の首を締め付けていた腕が床に落ちた(・・・)

 まるで、鋭利な刃物で切断されたかのような滑らかな断面が剥き出しになっている。

 

「ごふッ、ぜぇ、ひゅーー! ごほごほッ……!! 」

 

 与一は自由になった首元を押さえ、酸素を求め喘いだ。

 何が起きたのかはよく分からないが何かが起きたのだ。

 

「げほッ、げほッ、あんた……」

 

「お待たせ。うわー、凄いことになってるね、君がやったのかい? 」

 

 激しく噎せながら見たその姿は、眉目秀麗だがどうにもチャラチャラした雰囲気が拭えていない。

 

 首脳6カ国の一つ、ローマ連邦の幹部(オフィサー)『ジョセフ・G・ニュートン』その人だった。

 

「後は任せてと言いたいところだけど、もう殆ど終わってるよねこれ。君は……」

 

 マーズランキング15位以上のみが許可されている筈の“武器”を使用し、生身の状態でテラフォーマーを撃退寸前まで追いやった与一に対して、彼は一瞬先程のエヴァと同様の訝しむような目を向ける。

 

「ーーまぁ、いいや。君達は早く脱出機へ」

 

 しかし、その視線もすぐに消えた。

 

「脱出機? 」

 

「さっき艦長がアナウンスで言っていただろ? プランδだよ」

 

 ーー『プランδ』

 

 当初の計画『プランα』は、幹部や戦闘能力が高い者を中心に防衛線を張り、その中でウィルスの研究を行う予定だった。それに対して『プランδ』は緊急用。各国から集められたクルーを6つの班に分け、高速脱出機に乗って着陸する。この際、全滅を避けるためにそれぞれ別方向に射出され着陸した後、アネックス本艦の落ちた地点へ集合。

 引き続きウィルスの研究を行い、40日後に地球からの救助船で帰還する。加えてその間の各班の指揮は、6人の『幹部(オフィサー)』の判断の下で行われる。

 

「ほら、早く。そろそろここも危険だよ」

 

 ちらりとジョセフは窓の外を見る。そこには、壁や窓にびっしり貼り付いたテラフォーマーの群れがあった。一斉に外面を叩きながら内部への侵入を試みようとしている。

 

「あんたは? 」

 

「後始末。今度こそここは任せてって言わせてよ」

 

 にやりと笑って、その場に立つジョセフ。

 

「エヴァ、行くぞ」

 

 その後ろ姿を見つつ、与一はエヴァを連れて脱出機の格納庫へ向かう。

 他にも、多数のクルーが格納庫へ向かうのもあってかなり混雑していた。

 皆、パニックに陥っているようだ。

 近くまで来てから、与一は一人だけ方向を変えた。

 

「先に行っといてくれ。急用を思いだした」

 

「ちょっと、与一君! 」

 

「すぐ戻る!! 」

 

 目的地は自室。

 乱暴にドアを開けて入ると、ベッドの側の机の引き出しを探る。

 取り出したのは大小2つの銀色のケース。1つは“薬”、もう1つは予備の矢。

 そして、ベッドの下からは目当ての“物”を引っ張り出して背中のバックパックに収納する。

 準備は整った。

 戦力は揃った。

 

 もう、二度と後手には回らない。

 

「……よし、」

 

 踵を返し、今来た道を走り出す。

 

 今、ここから漸く彼の任務は始まりを迎えた。

 

 



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第七話 stand

 ーー貴方の技術(ちから)必要()る。

 

 黒峰与一宛に、UーNASA日本支局から手紙が届いたのが一週間前の事。そして今日、指定された高級ホテルのレストランに出向いた与一の前に現れた男性は、席に着くやいなやそう言った。

 

「は? 」

 

「まずは挨拶からさせて頂きたい。ーー遠路はるばるご足労頂き申し訳ありません。私は、日本国航空自衛隊三等空佐蛭間七星(ひるましちせい)。与一さん、これから貴方に話す事は重要機密となっているため、他言無用でお願いします」

 

 UーNASAは米国に本部を置く世界有数の宇宙開発機関。そんな所から呼ばれる理由は到底思い当たらない。その上に、自衛隊まで絡んできているとなるとどうにもきな臭いものがあった。

 

「……さて、与一さん。貴方の事は少々調べさせて頂きました。全世界10万人の門下生を抱える武道の名門黒峰家の47代目当主であり、〝東洋の白い死神〟と評された伝説の狙撃兵(スナイパー)黒峰逸人(くろみねいつひと)一等陸佐を父に持つ。自身も、生まれた時から武術、取り分け弓術の英才教育を受け、高校時代は全国大会で幾度も優勝を果たした。その後、防衛大学校に首席で入学したが僅か1年で退学。そしてその理由はーー 」

 

「……もういい」

 

 ぴりぴりとした空気を纏った与一は、七星の言葉を手で遮った。その顔は、不快感を無理やり押し込めたような怜悧な怒りを帯びている。

 

「茨城くんだりまで人を呼びつけ、唐突に貴方の技術(ちから)が要るとか訳の分からない事を言った挙句には、プライバシーを無視した昔話か? 下らない前置きは要らない、とっとと目的を言え」

 

 鋭い目つきで、与一は七星を睨め付けた。気が弱い者なら直ぐにその場から逃げ出しかねないプレッシャーだ。

 

「……分かりました。用件は2つ、1つは先程述べたように貴方の戦闘技術(ちから)が必要であるということ。そして、もう1つ」

 

 その圧力を一身に浴びながらも、七星は眉一つ動かさず淡々と話していく。ここで、一度区切るように間を空け、改めて与一を真っ直ぐ見てから言葉を続けた。

 

「貴方の姉を救えるかも知れません」

 

「!? 」

 

「ここからが機密事項ですが、調べた結果貴方の姉はAE(エイリアンエンジン)ウイルスと呼ばれる火星由来の特殊なDNAウイルスに感染しています。今の状況なら、このウイルスによる致死率は100%。既に、死者も出始めました。地球全土に感染が拡がるのもそう遠い事では無いでしょう。非常に危険な状態である、と言えます」

 

「………………」

 

「もう一度言います、黒峰与一さん。貴方が大学を辞めたのは看病に徹するためでしょう? 我々に協力して頂けるのならば、持てる技術の全てを使ってワクチンが作成されるまで貴方の姉の命を繋ぐ事を約束します。日本(われわれ)には、貴方のような人材が要る」

 

 七星の眼差しは固い覚悟を湛えていた。良くも悪くも日本という国を心底大事に思っているのだろう。

 黒峰与一と蛭間七星。2人の間を数秒の沈黙が支配した。

 

「……約束は守って貰う」

 

 与一の言葉に、七星は揺らぎない声音で応える。

 

「必ず」

 

「……分かった。俺は何をすれば良い? 」

 

「貴方にやって頂きたい事は3つあります」

 

 そう言って、指を1本立てる。

 

「1つ目、ある手術を受けた後火星へ出発()ぶ事。詳しくはまた後日お話ししますが、この時点で既に命を掛けることになります」

 

 そして、2本目の指を伸ばす。

 

「2つ目、我々が独自に選抜した部隊を率いる事。貴方にはその前準備として、火星での先兵になって頂く」

 

 最後の指を立てて、

 

「3つ目、そしてこれが最も重要な内容となります。本計画に置いて、貴方にはーーーー」

 

 全てを話し終わるのを待って、与一は口を開く。

 

「了解した」

 

 たった一言。しかしその一言で充分だった。この計画には、彼の命を掛ける価値がある。

 

 

 

 

 

「あれ? 何でイザベラがここにいんの? 」

 

「それはこっちの台詞だよ。あんた1班の所属だろ? 」

 

「………………」

 

「………………」

 

「ああああああ!! 行くとこ間違ったァァあああああああ!! 」

 

 プランδの発動により、各班分かれての行動へと移ったアネックス艦内。部屋に戻り、必要な物を装備してから急いで戻って来たのだが、一斉に移動する100人近い人間の波に飲まれて気が付いたら隣にイザベラがいた。

 

「どうりで艦長とかマルコスとかがいねえ訳だ!? よし、今からでも遅くない。じゃあ俺は1班に戻るから! 健闘を祈っておく、頑張れ!!」

 

「いやいやちょい待ち。もう出発なんだってば。今から班に戻る時間なんてないよ 」

 

「じゃあどうしろと!? 」

 

「乗ればいいじゃん」

 

「何に? 」

 

「これに」

 

 イザベラは5班の脱出機を親指で指して、さも当たり前のように言った。

 

「無理だろ! つーか、別の班に迷惑はかけらんないし。今からダッシュで戻るよ」

 

「良いって、あんた1人増えたぐらいどってことないよ。あたしと班長で守ってやるから」

 

「……班長って、あそこにいるさっきから冷たい目線で俺をじーっと睨んでいる人? 」

 

「そう、あんたをじーっと睨んでいる人」

 

「心なしか殺意のような物まで感じるんだが」

 

「それは気のせい。うちの班長は優しいから」

 

「…………良いから早く乗れ」

 

 ぼそり、とアドルフは無愛想に呟いた。その声色には諦めが浮かんでいる。口元は、立てたコートの襟で隠れていて表情はよく分からないが、どうやら見た目通りの冷血な人間ではないようだ。

 

「あれ、与一君? 」

 

「よぉエヴァ、さっきぶり。色々あってこの班と行動する事にしたから。事情は聞くな」

 

「要は迷子だよ」

 

「はははっ、黙ってろ」

 

「ーーとっとと席に着け」

 

 アドルフのため息交じりな指示に従い、取り敢えず一番後ろの席に与一は座る。

 ほぼ同時に、格納庫のハッチが開いた。脱出機はこれより6方向へ射出された後、また本艦へ集合となる。

 

 ドウッッ!!

 

 爆音をあげて急加速する脱出機。生じるソニックブームが未だ執念深く外面に張り付いていた無数のテラフォーマーをばらばらに引き裂いた。

 

「う、おおおおおおおォォッッ!! 」

 

 強烈なGに、内臓が潰されるような不快な感覚が与一を襲う。

 

「おおおォォッッ、……おぇっ」

 

 胃の中身がシェイクされ、そろそろリバースしそうになってきた段階で着陸の態勢に入る脱出機。機体の後部からパラシュートが二つ、スピードを殺す為に開かれた。

 がりがりと地面を引っ掻くように、更に1km程進み漸く止まる。

 

「……薬、薬を飲まないと……出る」

 

 与一は呻きながら青い顔でポケットを探り、取り出したプラスチックケースから錠剤を数粒急いで飲み下した。

 

「ふぅ、……この即効性やっぱりすげぇな」

 

「何それ? 」

 

 いつの間にか隣に立っていたイザベラが、ケースを指差して聞く。

 

「ん? 生命線(ライフライン)

 

「ふーん」

 

「……興味無いなら聞くなよ」

 

「いや、ちょっと気になっただけーー」

 

『こちらは、日米合同第2班ミッシェル・K・デイヴス! 各班着陸成功の旨報告せよ! 』

 

 前方の操縦席から、通信音が聞こえる。各班連絡を取り合い、アネックス本艦を目指すのがプランδ。

 5班は戦力面から考えても、早めに他班と合流しておきたいところだ。

 しかし、ここは悪魔の縄張り。

『火星』

 戦を暗示する凶星である。

 

「あー、アドルフ班長? 」

 

「……何だ? 」

 

 外を見た与一はアドルフに話しかけた。アドルフとの最初の会話は、非常に味気ないただの現状報告となる。

 

「ヤツらです」

 

 全方位から、高速脱出機を囲むようににじり寄ってくる無数のテラフォーマー。

 その数凡そ30。

待ち伏せされていたとしか思えないタイミングだった。余りにも動きが速すぎる。

 

「完全に俺らの動きがばれてますね、どうしましょう? 」

 

「イザベラ」

 

「はい」

 

「迎撃するぞ。薬を使()って、俺と一緒に出ろ。非戦闘員は機内に待機、お前は……」

 

 そこで、アドルフは与一に視線を移した。

 

「何かあった時の為に、ここにいろ」

 

 それだけ言い残して、2人は車外に出る。

 

「何かあった時の為、か」

 

 その後ろ姿を眺めながら、与一はポケットの中のケースを指で触れつつ呟いた。

 実質、戦闘要員はあの2人のみ。他の者は不安そうな表情を浮かべてただシートに座っているだけだ。

 その中で、新参者の与一に留守を頼む理由。

 深い意味はないのか、或いはーー

 

「……これ、ばれてるんじゃね? 」

 

 黒峰与一(くろみねよいち)

 

 国籍 日本

 

 20歳 179cm 82kg

 

 MO手術(モザイクオーガンオペレーション) 〝節足動物型〟

 

 ──────地蜘蛛

 

 

『マーズ・ランキング』78位

 

 ドイツ・南米第5班、潜入完了。

 

 

 



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第八話 Go ahead

「……凄ぇ」

 

 外を眺めていた与一は、思わず感嘆の声をあげた。

 

 地に転がる無数のテラフォーマー。その中心に佇むのは、1人。

 正に電光石火の神業と言うべきか。気が付けば脱出機の周りを囲んでいたテラフォーマーは全て倒されていた。

 

 ーー圧倒的なその力。

 

 対多数戦に特化した彼の特性(のうりょく)は、(こと)制圧に関しては遺憾なく本領を発揮できる。

 

 これがドイツ・南米第5班班長。強将『アドルフ・ラインハルト』

 

 そこから少し離れた場所では、これも数体のテラフォーマーが身体を引き裂かれた状態で死んでいた。それを見下ろしながら首を曲げてストレッチを行う第5班の戦闘員『イザベラ・R・レオン』

 数10体もの害虫の王(ゴキブリ)を屠った後で、悠々と2人は機内に戻る。

 

 制圧の『アドルフ』と殲滅の『イザベラ』

 

 これがドイツ・南米第5班の精鋭の実力だった。

 

「良い子で待ってたか? 」

 

 帰ってきたイザベラはからかうように言う。

 

「よく観察()させてもらったよ」

 

 与一も一瞬だけにやりと笑ったが、真顔になってイザベラの目を真っ直ぐに見つめる。

 

「そして一つ、お前の欠点を見つけた」

 

「欠点? 」

 

 イザベラは小首を傾げ、その言葉を反芻した。

 

「お前の攻撃は直線的過ぎる。動きが単調で読み取りやすいんだ。奴ら(テラフォーマー)も馬鹿じゃないからな、直ぐに学習して有効な次の一手を打ち立ててくるぞ。……良いか? 真っ直ぐ()るだけが戦闘じゃない。騙し討ち、不意打ち、フェイント、使える手なら何でも使え。戦場じゃ卑怯もクソもない。勝った奴だけが正しいんだよ」

 

 敵は人間ではない。だから罪悪感を抱く必要も無い。

 要は害虫処理。

 ただそれだけだ。

 

「……あんた、丸で戦場を知ってるような口ぶりだね? 」

 

「さてね、ただ俺の技術は人殺しの上に成り立っているのは間違いない。何せ日本人が最も血生臭かった時代を、生き延びる(・・・・・)為だけに研鑽された物だからな」

 

 故に、もし敵がゴキブリだけでは無かった(・・・・・・・・・・・)時は手を汚すのは自分だけで良い。

 

「まぁ、それはさておき忠告したぞ。但し、基本的には命を大事に。危ないと思ったら直ぐ逃げろ。生きてりゃ勝ちだ」

 

「……与一、あんたって一体……? 」

 

 何者か、と聞きたいのだろう。

 

「…………………………………」

 

 

 その問いに与一は無言で薄く笑い、屋根ごしに上を見た。

 薄っすらと黒く染まりつつある空が拡がる。

 

 直に、火星に夜が来る。

 

 ーー夜には備えなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、分かった。悪いなアドルフ、世話になるよ」

 

「艦長、今の通信5班からっすよね? 」

 

「あぁ、与一は保護してるとさ」

 

 日米合同第一班の脱出機内で、今しがた通信を終えた小吉はマルコスの声に振り向き答えた。

 

「ったく、あの馬鹿野郎は火星にまで来て迷子になりやがって。ゴキブリにやられたのかと思ったじゃねえか 」

 

「だが、これはこれで少々まずいことになった」

 

「まずいこと……っすか? 」

 

「そうだ、ただでさえ5班は非戦闘員が多数を占めている。言っちゃなんだが、与一も元々サポート要員だからな。戦力としては見れない。となると、アドルフの負担が増すことになる。合流を急がなければ……」

 

「そう言やぁ、気になることがあるんですけど 」

 

「何だ? 」

 

 マルコスの問いに、小吉が先を促す。

 

「与一のベースって何なんすか? 艦長は戦力にならないって言いましたけどあいつ普通に戦闘訓練やってましたよね? 俺あいつとちょろっと組手しましたけど相当強かったっすよ、多分燈と同じくらいには」

 

「……そうだな、純粋な戦闘能力だけなら与一は幹部(おれら)にも近いところにいる。マルコスは弓術を知ってるか? 」

 

「ええ、弓を使う武術っすよね? アーチェリーみたいなもんでしょ? 」

 

「与一はそれの使い手だ。天才と言っていいレベルのな。あいつの学生時代はそりゃあ華々しいものだったぞ。スポーツ界であいつを知らない日本人はいないぐらいだった。まぁ、その後色々あって今は火星(ここ)に来ているが」

 

「ふぅ…ん、何か初めて聞きましたよ。あいつ自分の事は殆ど何も話さなかったですからね。それが何で戦力にならないんすか?」

 

 いつの間にか、一班のメンバー全員が小吉の方を向いていた。火星出発直前になって滑り込むように入ってきた与一の事が気になるのだろう。

 プロフィールだけ聞けば立派なものだが、絵に描いたようなエリートという“だけ”なら、そもそも命がけで火星(こんなところ)には来ない。

 

「あいつのベースは蜘蛛だ。だが、別段特別な能力や技術が有る訳じゃない。どこにでもいる地蜘蛛と呼ばれる生物、それにある事情でランキングは78位だ。いくら素体の能力が優れていようとも生身でゴキブリに正面切って殴りあう事は出来ん」

 

「それじゃあ、状況だけ見れば結構やばいって事ですよね? 」

 

「あぁ、……」

 

 僅かに立ち込める暗い雰囲気。しかし、次の瞬間にはあっさりと砕かれた。

 

「ーーま、大丈夫でしょ与一なら!」

 

 マルコスの一声が馬鹿に明るい。元気付ける為ではなく、本当に心からそう思っているのだ。

 与一の勝利を。他人に規定された序列は関係ない。所詮はただの数字。そんなもので実力が決まる訳ではないのだから。

 

「ふっ、そうだな。あいつなら負けないだろう。ーーさて、マルコス。お喋りはそろそろ終わりだ」

 

 ちらりと外を見る小吉。

 

「来ましたね。さっさと奴らぶっ飛ばして先を急ぎましょう」

 

 前方より、此方へ向かう黒い影が凡そ20。

 テラフォーマー。この星の害虫が襲って来た。

 

迎撃()るぞ、戦闘員は薬を使()て! 下位ランクの者は車の中に身を隠していろ!! 」

 

 注射器、ガム、フィルム、アンプル、煙管、粉薬。号令を受けた者達は、それぞれの薬を服用して自らの能力を解放する。

 

 戦闘態勢は整った。

 

 小吉は《オオスズメバチ》の針を出し、背後に控える数名に指示を出す。

 簡潔に、たった一言。

 

「ぶっ叩くぞ 」

 

 

 

 

 

 

 

 百発百中、必中必殺。

 

 黒峰与一の技術を評するならば、これらの言葉が当てはまるだろう。

 

 車中からの正確な狙撃により、あちこちでテラフォーマーが身を投げ出したように転がっている。

 

「食道下神経節破壊、サンプル10体捕獲完了」

 

 左腕に装備された小型のクロスボウから放たれた矢は、寸分違わずテラフォーマーの胸部に突き刺さり、続く爆発によってその動きを止めていた。

 

「前から気になってたんだけど、与一君って何で武器を持ってるの? 」

 

 後ろにいたエヴァがそう言った。他のドイツ班の面々も不思議そうに与一を見る。

 

「あぁ、それか。俺は元々後方支援要員としてこの計画に参加したからな。こいつが無かったら何も出来ない、生身で(テラフォーマー)らとやりあう訳にも行かないだろ? だから特例だってさ、己の技術を十分に発揮出来る事が条件なら、正にこいつは俺にぴったりだしな」

 

 だが。

 

「俺に出来るのはあくまで援護がメインだから、近接戦闘はイザベラ。お前に任せる」

 

 今しがた戦闘を終えて帰ってきたばかりのイザベラの肩を叩いた。

 アドルフはどちらかと言えば遠、中距離戦が得意な為、接近戦を担うのは必然的にイザベラということになる。

 

「ふふん、まあ任せなって。皆纏めてあたしが守ってやるよ! 」

 

 彼女は得意そうに胸を張って、ドイツ班のメンバーを見渡しあははと笑った。

 

「行くぞ」

 

 アドルフの操縦の元、脱出機が動き出した。

 先程、第2班から通信が入ったのが聞こえた。至急アネックス本艦へ向かって欲しいとの事。

 しかも、“ロシア”や“中国”よりも先に。

 

「流石ミッシェルさんだ。鋭いな」

 

 与一は、シートにもたれながら隣のイザベラには聞こえないようにぼそりと呟く。

 

 最も利益を得られるのは何処か。どの国よりも上に、どの国よりも先に。

 技術が欲しい、軍事力が欲しい、経済力が欲しい。各国の思惑が交錯するこの計画は、当然一枚岩では無い。

 人類全体の問題であるにも関わらず、結局は自分達の権益を考えるのが人間の常だ。

 

 だからこそ、与一が火星に投入(おく)られた。

 

 彼に与えられた任務の1つ。

『裏切り者になり得る班の監視、及びそれに対する粛清』。

 アネックス計画の足を引っ張るクソ野郎共を抹殺する日本陣営の工作員。

 

 それが黒峰与一。

 

 正義などと陳腐なものの為ではない。詰まる所は自分の為に、自らの姉を守る為に彼は日本政府の駒となった。殺戮特化のベースは、対テラフォーマーのみならず対人戦にも非常に有効。更に彼の持つ技術と合わせる事で強力無比な“力”と化す。

 

「……わっ、とと……」

 

 突然、急ブレーキがかかった。慣性の法則で与一の体がシートから浮く。

 

「何事ですか、アドルフ班長? 」

 

「……………………ついて来い」

 

 それだけ言って、脱出機を降りるアドルフ。与一も後に続いた。

 

「こいつは……… 」

 

 そこに広がる景色に目を見張る与一の隣で、アドルフは小型の通信機を取り出し報告を始めた。

 

「さっき言ってた中国ですが、全滅しています(・・・・・・・)

 

 眼前に横たわるのは、中国班のタグを付けた判別不能の焼死体。その数は17、中国班の人員と一致する。

 

「恐らくね、完全に焦げていて判別は尽きませんが見に付けているタグは第4班の物です」

 

 与一の後に降りてきたイザベラとエヴァも、驚きを隠せていない様子だった。

 しかし、怒りを滲ませつつも淡々と観察する者が1人。

 

「とうとう動き出しやがったな…………!! 」

 

 与一はぎりりと奥歯を噛み締め、低い声で唸った。額に薄っすらと青筋が浮かんでいる。

 脱出機に戻った後も、与一の静かな怒りは続く。

 

 加減は不要、情けは無用。一切の容赦無く障害は叩き潰す。

 

 その為だけに、彼は火星(ここ)にいるのだから。

 

 

 




一ヶ月以上放置していたにも関わらず、見捨てるどころかお気に入りに登録して下さった方がいました。非常に嬉しかったです、有難うございます!!
現在、中間テストを控えている身なので次も遅くなると思いますが、宜しくお付き合い下されば幸いですm(_ _)m


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第九話 let's roll

今回は、急造により文書が荒いです。


 火星の夜が深まって行く。

 次第に濃くなる闇の中を、5班の脱出機は疾走していた。火星の環境はこの500年間で随分と地球に近付いた。厚い雲に覆われた空からは、少し前から雨が降り出していた。

 そうなるとただでさえ暗い中で、ますます視界は悪くなってしまう。

 

「アドルフさん、もうかなり進みました。今日はここまでにしてそろそろ夜営に徹するべきでは? 」

 

 操縦しているアドルフの後ろに立っていた与一は、そう提案した。一応周りを監視する役目に徹していたのだが、アドルフの特性(のうりょく)の前には殆ど意味がない。脱出機に搭載されているレーダーですら、右に左に移動させた後一瞬遅れて障害物の存在を知らせる程だった。しかしながら、索敵から攻撃まで圧倒的な汎用性と制圧力を誇る彼とて人間だ。体力にも限界がある。それ故の判断だった。

 

「……あぁ、そうだな。最後にもう一回飛んで、適当な所を見つけ次第そこで休息を取る」

 

 雨足が段々と強くなっている。天井を叩く雨粒の音が響く中、与一は奇妙な胸騒ぎを覚えていた。嫌な予感とでも言うのか、生物としての原始的な本能が危機を察しているかのような奥底からくる不安感。

 

 そして、それはーーーー

 

離陸()ぶぞ、全員掴まってろ─── ン!? くそっ、何でだよッ!! 」

 

 最悪な形で的中する事になる。

 

 ギリギリでレーダーが捉えたのは巨大な影。4班が使用していた筈の脱出機。5班の脱出機を目掛けて恐らく人為的に激突してきたものだろう。外面に衝撃が走る。突然の不意打ちにコントロールを失った脱出機は、何とか態勢を立て直そうとしたアドルフの努力も虚しく、そのままのスピードで近くの巨大な穴へと転がり落ちた。

 

「うわァァああああああああああああああ!! 」

 

 交錯する悲鳴。目まぐるしく天地が入れ替わる機内。

 凄まじい勢いのまま、底にぶつかり漸く動きが止まる。

 

 ーー先手を取られた。

 

 与一の思考は瞬時にそこへ行き着いた。

 

「クソが、ここまでダイレクトに来やがるか……!」

 

 こめかみに血管を浮かび上がらせながら、この底へ叩き落とした四班の脱出機を見上げた。

 ポケットのケースを指で探り、薬を取り出す。

 

 あの4班の脱出機を操縦した者が、予想通りだった場合は先手必勝。

 迷わず、殺す。

 予想が外れていた場合は、後手必殺。

 様子を見て、対策を講じる。

 

 バァンッ!!

 

 脱出機に動きがあった。屋根を破り、現れたのは全身が異常に発達した筋肉で覆われた一般的なテラフォーマーよりも一回り巨大なテラフォーマー。両腕には縄が3本ずつ巻きつけられている。

 

 敵は、人間の裏切り者(・・・・・・・)火器を得たゴキブリ(・・・・・・・・・)か。

 

 予想は後者が正しかったようだ。

 

「チッ、……」

 

 だとしても、悠長に構えられる訳では無い。ここは暗い穴の底。逃げ場は潰され、地の利は(ゴキブリ)にある。

 つまり、奴らの次の行動はーーーー

 

 ドン! ドン!

 

 銃声が響き、5班の脱出機に穴が空いた。アドルフは、その特性(のうりょく)により次にどうなるか察知したようだがもう遅い。これで逃げる手段も失った。

 

「……アドルフさん、囲まれました」

 

 与一は、静かにそう言った。何処からともなく現れたテラフォーマーの軍勢が、徐々に包囲網を形作り始めている。その数ざっと見ただけでも凡そ300体。これまでの襲撃とは規模が完全に違う。あれは奴らに取って戦闘ではなく、威力偵察だったのだろう。

 

 つまり、ここからが本番。

 

 外敵を駆逐する為の殲滅戦の始まりだ。

 

「イザベラ、お前のやることは一つで良い。あの危険運転の木偶の坊から脱出機を奪え。与一はその援護だ。あちらのどう考えてもオーバーキルな奴らは俺が相手しよう」

 

「うすっ」

 

「了解」

 

「……反撃()くぞ」

 

 その言葉を合図に三者が動いた。

 迫り来る悪魔の軍勢、迎え討つのはたったの3人。

 単純な数で考えるならば、300対3という圧倒的な不利。物量ではまず敵わない。

 

 だが。

 

 その3人とは『アドルフ・ラインハルト』『イザベラ・R・レオン』そして、『黒峰与一』。ドイツ班が誇る精鋭に、類稀なる戦闘技術を有する後衛。

 

 アドルフが粉末を吸引し、イザベラは首筋に注射器を刺す。

 その身体は、人間の物から別の生物の物へと変化を始めた。

 

『人為変態』

 

 先進国ドイツが完成させたテラフォーマーへの対抗技術。

 人類の英知の結晶が、黒き悪魔共を打ち砕く。

 

「待ってな、良い子で」

 

 不安気なエヴァの頭をくしゃくしゃと掻き回し、イザベラは上を見据える。

 急がなければならない。いくらアドルフが対多数戦に特化した特性(のうりょく)だったとしても万能ではない。少しでも早く、確実に障害を取り去る。

 そんな軽い焦燥に駆られたイザベラの肩を掴む者がいた。

 

「落ち着けよ、冷静に考えろ。奴は、今までのテラフォーマーとは様子が違う。直線的に突っ込んだら()られるぞ」

 

「……分かってるよ」

 

「まずは様子見だ。俺が仕掛ける」

 

 黒峰与一のプロフィール上ベースとなった生物の名は地蜘蛛である。

 確かに、この生物は攻撃的な性格ではない。特筆すべき能力も持たない至って地味な生物であると言えるだろう。

 だとしても、彼は蜘蛛。当然その瞬発力、敏捷性は凄まじく、決して戦闘に向かない物ではない。

 にも関わらず、マーズランキングは78位と下位に設定されているのは何故か。

 

 本来、『MO手術』とは人間の細胞を全く異なる別の生物のそれへと強制的に組み替える技術だ。また、個々の細胞に適合する生物はそれぞれ違う。多種多様な生物をパッチテストのように選別した後、手術は行われる。

 その結果、黒峰与一の細胞に適合するベースは地蜘蛛だったと言う訳だがここである問題が発生した。彼に取って地蜘蛛ですら比較的適合率が高かった(・・・・・・・・・・・)というだけだったのだ。

 

 この突如浮上したトラブルにより、彼の変化していられる時間は極端に短い。

 

 たったの5分。

 

 これを超えると、彼の身体は拒絶反応を起こす。本来の薬の効果時間に関わらず、5分を超えた時点で自らに“中和剤”を打ち、生身の身体に戻らなければならない(・・・・・・・・・・・・・・・・)。5分間だけの蜘蛛の特性。

 

 それ故の78位。

 

 取り出したガム状の薬をがりりと噛み砕いた瞬間から、その姿は変化を始める。

 膨張する筋肉にスーツの袖は破られ、額には複数の目が形作られる。腕にはそれぞれ1本ずつ手首から硬質な刃が生えた。

 

『鋏角』

 

 地蜘蛛のそれは異様に発達しており、時として自らの腹を切り裂いてしまう程に巨大。通称、【サムライグモ】と呼ばれる所以だ。

 すぅっ、と短く鋭い呼吸の後、前を見据える。

 件のゴキブリは、此方の出方を伺うかのようにその場から動こうとしない。

 

「出遅れはしたが、次は地球側(おれたち)のターンだ。行くぞ害虫、5分だけ相手してやるよ」

 

 

 ──────『地に伏せし侍(ジグモ)」、臨戦



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第十話 liar

  暗闇の底。対峙するのは第5班とテラフォーマーの軍勢。一度降り出した雨は、ますます雨足を強めながら地面を濡らしていた。

 

「その体、どうも突然変異とかじゃねえようだな? 恐らくは動物性蛋白質。大方20年前の『バグズ2号』の遺産でも奪ったんだろ? カイコガの養殖、か……。お前の腕に巻いている縄もその副産物ってところだな。全くお前らの知能には恐れ入るぜ。次から次へと技術を奪い、使いこなしていきやがる」

 

 ざりっ、と与一の足が砂を踏み込む。

 

「だがな、例えお前らがどれだけ進化しようともどれだけ俺たちを阻もうともやることは変わらない。俺は(・・)必ずワクチンを作り、地球に帰る。そのための障害は全力で叩き潰す!! 」

 

 怒号。直後、両腕の鋏角を構え踏み込んだ足を軸に、蜘蛛の瞬発力を駆使して一気に前方へと飛び出した。

 タイムリミットは5分しかない。それまでに目の前のテラフォーマーを倒した後、数100もの軍勢に囲まれたこの状況を打開する必要がある。

 

 与一にも少なからず焦りはあった。しかし、彼は冷静だった。

 

 バァンッ!

 

 地面が爆ぜる。その勢いのまま、両腕の鋏角を振るってテラフォーマーを切り裂く────────

 

 と見せかけてバックステップで素早く距離を取る。

 瞬間、目の前を凄まじい早さで黒い物が横切った。空気を裂いて唸るテラフォーマーの剛腕は、まともに食らえば一瞬で挽肉になりかねないほどの威力を感じさせた。

 

 俗に言う『筋肉達磨は動きが鈍い』。

 これは正しくない。実際、瞬発力には筋肉の増強が必要不可欠。蛋白質によって強化されたこのテラフォーマーはその点非常に厄介である。

 

 ゴキブリ特有の強固な外皮、スピード、生命力を兼ね備え、尚且つそこにパワーすらも上乗せさせた。

 まともにやりあっては勝率は限りなく低い。総合的なポテンシャルでは上回っている相手を降すにはテクニックの勝負。

 

 空を切った剛腕を、更に追撃とばかりに振りかぶるテラフォーマー。

 

「……ッ! 」

 

 二撃、三撃。ギリギリで身を捻り、躱す度にスーツの繊維が弾けて宙に舞う。擦るだけで肉が削られて血が垂れている。

 テラフォーマーは、ただ殺す。そこに高尚な理由は無い。

 本能なのか、明確な殺意を持ってなのか。

 

「ハァッ、ハァッ……!」

 

 与一は、バンッと地面を踏んで跳躍。バク宙の要領で大きく間合いを取り、息を整える。

 テラフォーマーには痛覚が無い。その上、疲れを知らない。防戦一方では此方が不利。ここまでの戦闘でゆうに2分は経っている。ただでさえ、時間のディスアドバンテージがある中で今の状況は非常にまずい。

 蜘蛛だからといって勝てる保証はないが、人間に戻ったらまず間違いなく死ぬ。

 運良く退避できたとしても、他の班員にこいつは任せられない。率直な話、イザベラでも殺されるだろう。

 敵の力量は良く理解した。戦力差は余りにも大きい。

 

 ならば、どうするか。

 

 数も力も勝る相手に、たった一つ勝てる武器があるとしたら。

 

 ーー恐怖を感じ、考え、対処する。

 

 与一は、横目でちらりとアドルフの方を伺う。元々群を抜いて制圧能力が高い『闇を裂く雷神(デンキウナギ)』の特性に加え、専用武器である『対テラフォーマー受電式スタン手裏剣“レイン・ハード”』により効率良く大多数を仕留めていた。もう暫くは持つ筈だ。

 次いで、5班の脱出機を。イザベラを護衛に置いておけば通常のテラフォーマーの襲撃程度なら退けられる。

 

「ふ──ッ、今度はこっちの番だ害虫(ゴキブリ)。人間の技術を見せてやるよッ! 」

 

 ここで初めて与一が攻勢に出た。地蜘蛛本来の特性は『穴を掘る』事。

 数多い蜘蛛の中でも、地蜘蛛ほど土を自在にする蜘蛛はいない。

 地を大きく蹴り上げて砂埃を起こし、テラフォーマーの視界を奪うとそのまま穴を掘る。

 

 数度砂埃を上げて視界を覆いつつ出来たのは、急造の落とし穴だが地蜘蛛の性質はそれだけでは無い。

 

 砂が収まりテラフォーマーの姿が見えた瞬間を見計らい、蜘蛛の瞬発力を最大限に使って足元に転がっていた石を数個蹴り飛ばす。

 挑発も兼ねた威嚇射撃だ。

 

「来い、来いよ。そのまま真っ直ぐだ。俺はここにいるぜ」

 

 タイムリミットが迫る中、これがテラフォーマーを仕留める最後の機会。

 

 与一を見つけたテラフォーマーは一歩、もう一歩と近づく。罠の可能性を警戒するよりも、人間を殺すという本能の方が強いようだ。

 

 異常なまでの人間に対する敵対心。それが、今この場においてはプラスに働く要素となっている。

 

「じ…じぎ、じじょ…」

 

 だが、動きが止まった。

 

 人体など、その一撃をもって粉々に粉砕できる剛腕。振り抜けば捕らえられる距離までテラフォーマーは来た。そこで、奴は一つの疑問を持つことになる。

 何故、この人間(虫ケラ)は一歩も動こうとしないのか。先程はちょこまかと小うるさく跳ね回っていたにも関わらずここにきて、なお落ち着いているのはどういう訳か。

 なまじ人に近付いた為に、害虫(テラフォーマー)達は知能を得た。小賢しくも、状況を分析する力を手に入れた。

 

 だからこそ、殺すよりも先に閃いてしまった。

 

 何かは分からないが何かがある、と。

 

 テラフォーマーが次に取った行動は───

 

 バン!!

 

「なっ、……!? 」

 

 その場で上空へと跳躍()んだ。

 それは“思考”ではなくただの“判断”に過ぎない。

 このまま近付けば何かが起きる、かと言って退く訳も無い。ピンポイントでこの人間のみを殺すにはどうすれば良いか。

 しかし、その判断は最も的確に穴を突いた。

 

 与一が造りだしたのは落とし穴。もちろん、対象が地面に立っていないとそれは機能しない。

 

「ちッ、読まれたか」

 

 あらゆる戦闘の中で、人間が最も対処し辛いのは空からの攻撃。上空は完全な死角に入る上に、気付いた所で防ぎようがないからだ。

 加えて間が悪い事に─────

 

「がッ、……ごふっ!? 」

 

 ───タイムリミット

 

 身体が拒絶反応を起こし、口から鮮血が迸る。

 体調を考慮した上で、時間には多少の差異はあれどせいぜいもって後2、30秒程だろうか。

 更には、上空から飛来するテラフォーマー。重力と自身の体重もあいまって、その拳の威力は絶大なものとなっているだろう。

 

「じょうじ!! 」

 

 テラフォーマーに感情は存在しないが、その声はある種の勝利の確信を感じさせた。

 躊躇いなく振り降ろされる黒腕。耐久力、防御力に優れたベースではない与一に取って当たれば即ち死だ。

 吐血により、態勢が崩れた与一。回避ももう間に合わない。

 

 ボッ!!

 

 空気が爆ぜ、テラフォーマーの拳が与一を捕らえた。

 

 

 ───ギチィ

 

「ーー馬鹿じゃねェのか? 」

 

「じょ!? 」

 

 その腕が、与一の頭上で静止している。疑問に思ったテラフォーマーの視線の先には、幾重にも蜘蛛の糸が巻き付けられた己の腕。知っての通り、蜘蛛が紡ぎ出す糸は非常に強靭。鉛筆程の太さに撚り合わすとジェット機ですら繋ぎ止めると言われる。

 だが、その勢いを完全に殺す事は出来なかった。糸を持つ与一の右腕は、筋繊維がズタズタに裂かれている。

 

「はぁ、はぁ…ふ───ッ! 不思議そうだなゴキブリ? お前の判断は半分正解だ。俺の落とし穴を避けるために跳躍()び上がった所まではな」

 

 右腕を庇うように左腕を添えて、右足を軸に身体を半回転。その遠心力を利用して、

 

「オラァ!! 」

 

 先程、掘った落とし穴に頭から投げ入れる。糸に引っ張られたテラフォーマーの腕は、その勢いのまま肘から千切れた。

 そして、先述した通り地蜘蛛の性質は穴を掘るだけではない。彼らは掘った穴に自らの糸を用いた袋状の巣を作る。

 同様、与一はこの穴にも糸を張り巡らせていたのだ。

 

「そして、お前がそこに犬神家の一族宜しく突き刺さってんのは俺“自身”に近付いたからだ。真っ正面からかち合おうが、空から攻めようが俺に取っては同じなんだよ。最終的に触れさえすれば一本()れる」

 

 

 それは、彼の技術(のうりょく)特性(のうりょく)が合わさる事で始めて行使出来る戦闘術。

 糸で絡め取り、動きを止めた後捩じ伏せる。上下左右どこから攻めようとも、彼に死角は無い。

 

「言ったろ? 人間の技術を見せてやるってな」

 

「じ、ぎ……ぎぃぃぃぃ!! 」

 

 どれだけ暴れようとも糸は切れず、寧ろその分だけ絡みつく。

 

「じ、じじじじじ……」

 

 全く身動きが取れないテラフォーマー。動作が緩慢になり、やがて止まった。彼の脳内は今の状況をどう捉えているのか、分かる術は無い。

 

 ──────サンプル1体、捕獲。

 

 

「取り敢えずお前はそこで化石みてえに固まってろ、目障りだ」

 

 それだけ言い捨てて、与一は懐から注射器を取り出した。昆虫型用の薬に似ているがこれが“中和剤”。

 そのまま首筋に突き立てて薬液を注入すると、徐々にその体が人間の物へと変化していく。

 

「あー、痛てて。くそっ、利き腕がやられたか」

 

 血が滴る右腕には力が入らず、だらんと垂れていた。左腕で支えながらアドルフやイザベラの様子を見るために後ろを振り向く。

 

「あ? 」

 

 戦いは終わってはいなかった。今、ここには数百ものテラフォーマーが存在する。1体倒した所で奴らには関係ない。アドルフが撃ち漏らした1体が与一の背後に迫っていた。振り向いた瞬間、与一はテラフォーマーと目が合う。余りにも無機質な目だ。与一が人間に戻ったタイミングを狙ったのかどうかは分からないが、奴らにとって人間は殺すべき存在。

 

 そこから先は多量に分泌されるアドレナリンの影響か、全てが与一の目にはスローモーションに見えた。テラフォーマーの動きも、自分の動きも。垂直に振り降ろされる手刀。頭から両断するつもりなのだろうか。恐るべきは、与一の反射神経。コンマ数秒で咄嗟に身を捻り、回避行動に移る。

 結果だけ述べるならば、致命傷は避け得た。

 

 しかし、

 

「与一ぃぃぃぃぃぃぃ!! 」

 

 その右腕を犠牲にして。

与一の姿を見たイザベラが悲鳴を上げた。エヴァも青ざめた顔で口に手を当てている。5班の面々も皆、冷静さを欠きパニックに陥っているようだ。

 

「…………………!! 」

 

 宙を舞う自分の右腕を視界に収めながらも、与一は冷静だった。続いて止血の為に左腕で脇の下の血管を思い切り押さえる。右腕は肘から下が切断されていた。

 

「じょうじ」

 

「全く、次から次へとちょっとラブコールが熱烈すぎやしないか? 」

 

 軽口を叩くも、耐え難い激痛は容赦ない。冷や汗がその額を流れ落ちる。

 

「与一!! 今助けにーー」

 

「来るな!! 」

 

 イザベラの声を遮るように与一は怒鳴った。

 

「お前が抜けたら誰がエヴァ達を守るんだ!? お前はそこにいろ、絶対に俺に何が起きようとも自分達の安全を最優先に考えろ!! 」

 

「与一君!」

 

 エヴァの悲痛な叫び声も聞こえたが、今度は反応しない。既に、視線は目前のテラフォーマーを捉えている。

 

「……黙ってろよ、何とかするさ」

 

 

 ぼそりと呟いた与一は残った左腕をポケットに突っ込む。

 

「悪いな、皆……」

 

 ──────最早、隠し通す意味はない。

 

「手負いの俺なら殺れるってか? 害虫風情が舐めるなよ……」

 

 取り出した物を口に放り込み、思い切り噛み砕くと再びその身体が変化を始める。

 

 その姿は当然ながら人間ではなかった。

 だが、その姿は蜘蛛でもなかった。

 

「生憎と、俺の命はそんなに容易くはない」

 

 人類対害虫。

 その戦況は今、この瞬間に間違いなく変わった。

 

 

 

 



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第十一話 ignition

 ──────それは、机上の空論の筈だった。理論的には可能かも知れないが、ただでさえ低い成功率。試す材料は腐る程有るが、“数打てば当たる”を実現するにはコスト面の問題がある。

 

 馬鹿げている、あり得ない。

 

 そう思われていた。“彼”が現れるまでは───────

 

 

 

 

「第2ラウンドだ、ゴキブリ共」

 

 噛み砕いたのは“カプセル”。それは、今までの“蜘蛛”では無かった。増してや節足動物ですら無い。

 

 《植物型》

 

 多種多様な生物の特性を操る事が出来るMO手術の中でも、非常に珍しいベースである。

 与一の顔には、薄緑色の線が縦に数本浮かび上がった。手の甲には鋭い棘が生え、髪の毛は逆立ちこれも薄緑色に変化している。

 

「ぐっ……!」

 

 ズボァッ!!

 

 失われた右腕に意識を集中させると、同じように棘が生えた新しい腕が顕現する。

 2、3回握り調子を確かめてから前を向く。何事も無かったかのように。

 

 ──────有毒植物

 

 地球上に存在する植物は、凡そ30万種。

 その中に、他生物に害を及ぼす種が確かに在る。

 外敵への対抗策として、彼等は苛烈なまでの毒性を自らに宿した。

 時には、命すらも容易に刈り取る程に。

 

 その植物が有する毒性はストロファンチジン

 

 しかし、薬と毒は表裏一体。その植物に含まれる成分は、強心剤の原料にもなる。

 

 ──────世界4大矢毒に名を連ね、サバンナの王者(ゾウ)ですら瞬時に心臓を停止させる驚異的な力。

 

 それでいてその毒は種子にしか宿らず、抽出方法は現地のごく限られた人々しか知らないと言われる。

 本来の防衛機能である毒性を、何故自由に発揮出来ないのか。

 地球に燃え盛る200万種の生命の焔は、かくも奇妙な進化を遂げるものだ。

 

 アフリカ原産、キョウチクトウ科キンリュウカ属

 

 ──────ストロファンツス・グラツス

 

 凡そ数秒で対象を葬り去る死神である。

 

「悪いが、この特性(のうりょく)は捕獲には向かないんでねーー」

 

 此方を無言で見据えるアドルフの気配を背後に感じながら、1体、また1体と目前のテラフォーマーの数が瞬く間に増えて行く。

 与一を危険だと感じたのか、それとも単純にアドルフよりも簡単に攻略出来ると考えたのか。

 テラフォーマーの考えは人間には分からない。

 故に、簡潔に目的のみを述べる。

 

 

「ーー纏めて殲滅(ころ)す」

 

 ──────『古老の兵装(ストロファンツス)』、掃討

 

 

「じょう!! 」

 

 テラフォーマーの目的も、もちろん与一を殺す事である。

 一声鳴いて、一斉に走り出す。その数ざっと10体。

 自分に向かってくる群れに対して、与一は無言で背中のバックパックに手を伸ばした。

 

 彼本来の“武装”を完了させる為に。

 

 取り出したのは彼の“専用武器”。

 

 黒峰与一を黒峰与一たらしめるその武器は一丁のクロスボウ。腕に仕込んでいた物とは射程もサイズも威力も段違い。精々が暗器レベルであれ程の戦果を挙げていたにも関わらず、与一の本領はこれから始まる。

 腰には専用の矢を入れたホルダーを装着し、右腕でクロスボウを構えた。

 

 対テラフォーマー弾頭転換式クロスボウ

 名を、『弓張月』

 

 工夫もひねりもなくただ突っ込んで来るだけのテラフォーマーの群れを前に、与一は薄く嗤った。それは殺意に満ちた冷たい笑みだ。

 彼自身は基本的に善人ではあるが、別段穏やかな人間では無い。一瞬だけ、凶暴性を垣間見せながら右手で構えたクロスボウの引き金を引く。

 ヒュンッ!

 鋭い風切り音と共に矢が射出された。

 

 狙ったのは食道下神経節。ここを破壊すればテラフォーマーは動きを止める。が、彼の特性はそれだけでは終わらない。

 

 ーー必ず殺す。

 

「じょっ! 」

 

 先頭の一体が自らの胸部に穿たれた穴を見た直後、白目を向いてその巨体は崩れ落ちた。

 

 2、3、4、5。

 

 連射機能を備えたクロスボウにより張られた弾幕は、瞬く間にその矢の本数分だけテラフォーマーを討ち取っていく。

 

「ターゲットが向こうから勝手に来るってんだから、こんなイージーな狙撃ゲームも無いな」

 

 殺戮に特化した非常に強力な特性に、それを最大限に活かす武器、そしてその武器を自在に操る技術。

 今の彼にテラフォーマーの10体や20体程度大した脅威にはならない。

 

「イザベラァ!! 」

 

「!? 」

 

 半ば呆然と成り行きを見ていたイザベラは、与一の声に弾かれるように反応した。

 

「3分だ! 3分で他の班員(みんな)を4班の脱出機まで連れて行け!! お前の特性(のうりょく)なら出来るだろ!! 色々腑に落ちないだろうが、事情諸々は後で話す! 今は急いで安全な場所へ移動しろ!! 」

 

 武器の理論(セオリー)は、歴史上頻繁に切り替わってきた。

 単純な話、間合いが広いものが有利になる。

 素手よりも棍棒、棍棒よりも刀、刀よりも槍。

 

 そして、槍よりも弓。

 

 圧倒的なリーチから敵を一方的に殺戮出来るその兵器は、銃火器が発明されるまで戦場を思う様蹂躙してきた。

 それ故に、『弓術』とは如何に素早く正確に対象を仕留められるかに重きを置いて発展してきた武術だ。

 

「そろそろ時間稼ぎは充分か……」

 

 与一は手早く矢を装填し直すとそう呟いた。

 最初からこの数相手に勝てるとは思っていない。目的は鏖殺ではなく、脱出。

 アドルフの特性は自らも感電する諸刃の剣だ。そう多用は出来ないし、長時間の戦闘は不得手だろう。

 他の班員はイザベラに避難させた。後は、アドルフと共にここを脱出する。

 

「………ッ! 」

 

 死ぬ事を恐れないテラフォーマーは、退く事を知らない。殺しても殺しても次から次へと襲いかかる。手術で強化されているとは言え此方の体力も無限では無い。疲労は確実に蓄積されていく。その集中力が揺らいだ一瞬の隙をついて、1体が迫る。

 斃したテラフォーマーの真後ろに隠れていたのだろう。

 

 加えて、そのタイミングでーー

 

 カチンッ

 

 矢が切れた。

 

 目算で装填していたため、ここでズレが生じてしまったのだ。

 好機とばかりに一瞬で距離を詰め、顔面目掛けて腕を突き出す。

 しかし、その先に与一はいなかった。

 

「近距離なら弓は役に立たないとでも思ったか? 」

 

 声は横から聞こえる。単純な足捌きの一つだが、熟練者が行うとまるで消えたように見える。テラフォーマーからすれば、自分の真横に相手が一瞬で移動したように思っただろう。

 

「じょ! 」

 

「遅ッ、せえ!! 」

 

 テラフォーマーが右腕を突き出す前に、ホルダーから取り出した矢をそのまま突き立てる。内包された毒は、遺憾なくその猛威を奮った。

 口から泡を吹いて倒れるテラフォーマー。

 

「『黒峰家』」は、戦の世を生き延びる為に技の研鑽を欠かさなかった。近付かれたぐらいで死ぬようなら意味がない。寧ろ、近付かれた分当てやすくなるだけだ」

 

 弓術をベースにありとあらゆる武術を取り込み、昇華させたのが黒峰式武術。10万人の頂点は伊達ではない。

 死屍累々。

 夥しい数のテラフォーマーが、与一の周りに転がっていた。

 その全てが死体だった。この特性を出した以上、生け捕りなど甘い事にはならない。

 対テラフォーマー、そして対人戦闘を前提としたベースは、確実に対象の息の根を止める。

 

「アドルフさん!! 」

 

 与一は、未だ戦闘を続けるアドルフの元へと走る。

 振り向いた彼の視線が、怜悧に与一を射抜いた。

 そこに浮かぶのは疑念。だが、それも当然。与一とて、この状況ですんなりと信用されるとは思っていない。

 それでも。

 

「俺と一緒にここを脱出して下さい!! 他の班員(みんな)は上に避難させてます。恐らく襲撃はこれで終わりじゃない。直ぐに第2陣が来るでしょう。時間が無い! 」

 

「……お前が、俺の班に潜り込んだ目的は何だ? 」

 

 接近してきたテラフォーマーに電撃を纏わせた拳を打ち込み、殴り飛ばしながらアドルフはそこで始めて口を開いた。

 答え次第では、今すぐ殺す。その目はそう言っていた。

 

「……あなたと他の班員を死なせないためです」

 

 その言葉には、少しの揺らぎも無い。

 その心には、何の偽りも無い。

 

 ーー必ず、仲間と共に生きて帰還(かえ)る。

 

「……分かった、行くぞ」

 

 与一の言葉を、彼がどう受け取ったのかは分からない。

 だが、少なくともその目からは既に殺意が消えていた。

 

 

 

 

 

 

 同日、アメリカ合衆国ワシントンD.C.

 

「……そろそろ火星で最初の1日が終わる頃か。彼ら(・・)の動きはどうなっている?」

 

「通信によりますと既に火星を目視出来る距離にあるそうです。恐らく、後数時間程かと」

 

「そうか、何とか合流出来そうだな。間に合えば良いが……」

 

「火星での事は、彼らに任せるしかありません。我々は我々のやるべきことを」

 

 会話する人影は、正面に見えるドアの前で止まった。

 

「分かっている。ここから先は俺の出番だ」

 

「それでは参りましょうか、総理(・・)

 

 開かれたドアの先は、地球上でのもう1つの戦場。

 そこには、既に5人の人間が座っていた。

 

「───さて、プランδだそうで」

 

 一人が口を開く。

 

 ドイツ、中国、アメリカ、ロシア、ローマ連邦、そして日本。

 

 各国の首脳が顔を揃え、血を見ることがない最もクリーンな殺し合いが始まる。

 

 

 



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第十ニ話 purpose

 地表に青い太陽が昇る。火星で、最初の夜が明けたのだ。

 4班の脱出機に乗った5班のメンバーには、一応の損害は見られず全員無傷だと言えよう。にも関わらず、車内には重苦しい空気が充ちていた。

 彼らの視線は一箇所に注がれている。

 

 そこにあるのは、実に様々な感情。

 

『何故、自分たちを騙していたのか』

 

『この班に潜り込んだ目的は何だ』

 

 しかし、彼によって窮地を脱したのも事実。仮に、彼を敵と認識するならば自分たちを助ける理由が見当たらない。

 かと言って、信用出来るかどうかも分からない。少なくとも、彼のプロフィールに偽装があったこともまた事実なのだから。

 

 5班の班員はそういうジレンマに悩んでいた。与一に対してどう言葉をかけるべきか誰もが思案していた中、車内に電子音が響く。だが、この車自体に通信は入っていない。

 出処はもっと別の何か。

 

『───符丁(パス)の照合を求めます。“SNSK24685Z329”』

 

「“JSPD5423KK9”、状況を説明しろ」

 

『承認しました、黒峰班長(チーフ)。此方は現在火星の大気圏に突入、凡そ一時間後に着陸予定。現在時刻は地球時間で○六○○、○七○○時より5分以内の誤差でミッションを始めます』

 

「了解。所定のポイントにて合流する」

 

 涼やかな女性の声に応答する与一。床に直に座った彼は、耳に装着した通信機にて会話していた。先程の電子音もこの通信機の受信音だったのだろう。

 皆が与一を見つめる中、通信を切った彼は冷静に操縦席のアドルフの元へと向かう。

 

「アドルフさん」

 

「……何だ? 」

 

「進路の変更を願います。この地点より南西方面に50Km移動して下さい」

 

「今は、アネックス本艦に向かうのが最重要項目だが? 」

 

「俺を信じて下さい。そこで何もかも話します。俺の正体も、目的も。俺自身が信じられないのならば、俺の昨日の行動を信じて欲しい。俺は貴方方の敵ではない。敵にはならない。絶対に」

 

 黒峰与一に与えられた任務の一つ。

 

『裏切り者になり得る班の監視、及び粛清』

 

 第5班はその対象にはならない。それが彼の判断だった。《国》には様々な思惑があれど、《人》はその限りではない。

 ドイツ・南米第5班、『アドルフ・ラインハルト』。この人物は信頼に足る。そして、決して失ってはいけない人間。

 

 ならば、全ての障害は片っぱしから打ち砕く。

 その為には、合流しなければならない。

 新たな戦力と───黒峰与一の“部隊”と。

 

「…………………………………………」

 

「…………………………………………」

 

 両者共長い沈黙。ただでさえ感情を見せないアドルフの内面を推し量るのは難しい。

 

「あ〜〜〜〜もう! 何時まで見つめあってんだよそこの2人!!」

 

 突然の大声に、与一の心臓が跳ね上がった。

 一番後ろに座っていたイザベラがいつの間にか背後に立っている。

 

「こんな所でぐだぐだ言ったって先に進まないじゃん! アドルフ班長、私は与一を信じますよ。こいつが私達に隠し事をしていたとしても、私達は昨日与一に助けられました。こいつがいなかったら私達は全員死んでいたかも知れない。確かに嘘がありました。でも、与一は私達の恩人であることに間違いは無いです。班長だって本当は感謝してるんでしょ!? 素直になって下さいよ! 感情論が嫌だって言うんなら、今の私達にはこいつの技術が必要です! 加えて、戦力としても貴重な人材です! これなら納得出来ますか? 」

 

 思わぬ伏兵に与一も戸惑う。まさか、正面切って信じると言われるとは思ってもみなかった。

 故に、どうすれば良いのか分からない。謝るべきか、礼を言うべきか。

 

「イザベラ、お前……」

 

 振り向いたイザベラと目が合った。

 

 ーー続く言葉は何も無い。

 

 それよりも先に、警報音が鳴り響き出したからだ。

 人間の本能的な恐怖を煽るような低い振動音。

 先程の通信機からだった。

 

 与一の顔色が変わる。

 この音は、聞きたく無かった。強張る指で、受信スイッチを入れる。

 

 ──────緊急警報(コンディ・レッド)

 

 

『……班長(チーフ)、奴らです! テラフォーマーが……』

 

 ガガッ!

 

 そこまで聞こえた所で、通信が途絶えた。外部から強制的に切られたようだ。恐らくは機器が破壊されたのだろう。

 

「どういうことだ……? 」

 

 時間から考えて、彼らは現在火星熱圏上部付近に居るはずだ。

 先のアネックス1号の件と比べても不可解。あの時は、恐らくは手引きする者がいたのだろう。

 だが、今回は違う。日本主導の極秘任務だ。

 

 何らかの手段を用いて奴ら(テラフォーマー)が乗り込んだか、又はさらなる裏切り者の存在か。

 いずれにせよ、一刻も早く合流地点に向かう必要が出来た。

 最悪の可能性も考慮に入れなければならない。

 火星(ここ)では、命の価値など紙切れ同然なのだから。

 一秒後には死んでいる。それはあり得ない話ではないのだ。

 

 思考を次の段階(ステージ)へ。

 もしも、彼らが全滅した場合は信頼出来る他班と合流しアネックス本艦へ急行する。

 

 ──────アネックス計画には裏切り者がいる。

 

 これは、既に予想は出来ていた。

 裏切るとすれば何処かすらも、もう分かっていた。

 

 だが、対処する事が出来ない。糾弾する事も出来ない。決定的な証拠が無かった。

 それに何よりも、地球で殴り合えば核戦争(せんそう)が起きる。力の差は歴然。かつての大国アメリカは、日本は、余りにも力を失い過ぎた。

 

 火星で何かが起きるなら、火星で食い止めるしかない。表向きは国同士が協力し合う事になっている。そこで何が起きようと地球で問題とはならない。

 裏切りが成功しようとしまいとだ。

 

 アネックス1号が打ち上げられた翌日。日本の種子島宇宙センターは気象衛星(・・・・)を打ち上げていた。

 

 

 

 

「この辺りの筈だが……」

 

 与一は岩場に立ち、双眼鏡で上空を見上げていた。一方的に通信が切られて数10分が経過している。そろそろ肉眼で確認出来る筈だ。傍らにはイザベラ。他の班員は、近くに止めた脱出機内に待機させてその護衛にアドルフが就いている。

 

「……見えた」

 

 始め小さな点ぐらいだったものが段々と細部が見える程に大きくなっていく。

 つまり、飛んでいるのではなく落ちている。しかし、外側には目立った外傷は無い。

 

「あれは……緊急補助システムが作動しているな」

 

 それは、メインエンジンに支障をきたした場合に自動で減速、着陸する為のシステム。

 

「うわぁ……」

 

 イザベラが感嘆の声を挙げた。もう双眼鏡が必要ない高度にまで達している。

 

 UーNASA日本支局所属、超高速有人宇宙艦『太刀風』

 

 耐久力を捨て、スピードに特化した全体的にシャープなそのフォルムは何処となく日本刀の刃に似ていた。

 

「イザベラ、薬を離すなよ」

 

 艦を目前にして、与一は硬い声でそう言った。通信の内容は、テラフォーマーからの襲撃を示した。

 確実に、この艦の中に奴らがいる。

 緊急補助システムの性能により、『太刀風』は静かに地に降り立った。巻き上げる風が与一とイザベラの髪を煽る。

 

 ガスが抜ける音を立て、側面にあるエアロックがゆっくりと開いていく。

 与一は、ポケットからケースを取り出した。

 イザベラも注射器を右手に握り締めている。

 

 数秒か、或いはもっと短い時間だったかも知れない。

 

「あーあ、全く偉い目に遭いましたね」

 

「同感、ゴキブリの汚い汁が付いた。早く洗いたい」

 

「いやぁ、疲れたねえ? 」

 

「あんた何もやってねえだろ! 」

 

 聞こえてきたのは人間の声。見えたのは複数の人影。

 そして、外に出て来たのは7人の人間だった。その内の何人かはテラフォーマーの死骸を抱えている。

 頭を叩き潰されたもの、全身を引き裂かれたもの、口から涎を垂らして事切れているもの等様々だ。

 それらを打ち捨てて、全員が与一の前に整列した。真ん中にいた欧米系の若い女性が一歩前に進み出る。

 

「黒峰班長(チーフ)、現在時刻は○七○五。日米合同戦略的特殊行動部隊『第0班(スカッド・ゼロ)』。当刻より、ミッションを開始します」

 

 流麗な声は、あの通信機から聞こえていた声だった。

 日本が主導し、アメリカが人材を提供した。限りある力の中で、最大限に効果を発揮させるための対抗策。日米合同の精鋭7名は、全員が戦闘員だ。

 彼等こそが、もう一つの勢力。

 

 この時点で、火星のパワーバランスは大きく変化した。

 

 

 

 

 




なかなかに時間がかかりました。ここでちょっと区切りをおきまして、次回は番外編にします。与一の高校時代を書くつもりです。それと久しぶりにオリジナル小説を執筆しようかなと思っています。異能バトルものが好きでして、多分題材はそれになるでしょう。
ではでは、また次回に。


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PERSONAL DATA

『黒峰 与一(クロミネ ヨイチ)』 ♂

 

 ▫︎ 国籍 :日本

 

 ▫︎ 20歳 179cm 82kg

 

 ▫︎『マーズ・ランキング』 78位 手術ベース:節足動物型 《地蜘蛛》

 

 ▫︎ 好きな食べもの:寿司(特にサーモン)、生パスタ、コーヒー

 

 ▫︎ 好きなもの:映画、温泉

 

 ▫︎ 嫌いなもの:人混み、騒音、時間にルーズな人間、一定以上のスピードが出る乗り物

 

 ▫︎瞳の色:薄い茶色

 

  ▫︎血液型:A型

 

 ▫︎誕生日:4月12日(牡羊座)

 

 ▫︎使用武具:撹乱用内蔵型簡易クロスボウ『(あずさ)

 

 小さな会社を経営する比較的裕福な家庭に生まれ、中学生で弓道、高校生でアーチェリーに転じた後、1年目で全国大会優勝を果たした。将来を嘱望されたアスリートで、オリンピックの代表候補に挙げられる程の優秀な選手だったが、暴力事件を起こし永久除籍処分を受ける。大学の推薦も取り消され、周りの風評に耐えられず高校を退学。その後は自力で大検を取得し、大学へ進学するが両親が交通事故で死亡する。残された財産は、会ったこともない親戚とやらに管理の名目で根こそぎ取られたたため、人生に行き詰まり火星任務を後方支援要員として承諾。因みにかなりの健啖家。一人っ子。

 

 

 

 

 

 

 TRUE PROFILE

 

 ▫︎『黒峰 与一(くろみね よいち)』♂

 

 ▫︎国籍:日本

 

 ▫︎20歳 179cm 82kg

 

 ▫︎『マーズ・ランキング』推定5位(同率)

 手術ベース:節足動物型《地蜘蛛》×植物型《ストロファンツス》

 

 ▫︎専用武器(非公式)

 :対テラフォーマー弾頭転換式クロスボウ『弓張月(ゆみはりづき)

 

 戦国時代に端を発する武道の名門『黒峰家』に生を受け、幼い頃から弓術を始めとした様々な武術を仕込まれる。父は陸上自衛官で狙撃のエキスパートでもあった。生まれて直ぐに母親は病死。父も12歳の頃、共に旅行に訪れたアメリカでテロに巻き込まれ死亡。彼と姉だけ生き残る。日本に帰国後13歳で黒峰家の47代目当主となり、高校時代に1年生にして弓道の全国大会で優勝を果たす。後、幾度も優勝を残す。黒峰家は日本の軍事の中枢に君臨する一族であるため、自身も自衛官に成るべく防衛大学へと首席で入学。しかし、目の前で父親が銃で撃たれたのを見たせいか銃器がトラウマとなっていた事が分かると同時に、3歳上の姉がA.Eウイルスに感染したため1年で退学。姉の命を救う為にU-NASAのスカウトを受けた。

 戦闘スタイルは主に弓術であるが、黒峰家はありとあらゆる武術を取り入れ、昇華させてきたため近接戦闘も不得手ではない。また頭の回転が速く、取り分け分析能力に優れている。性格は基本的に温厚。但し、時折凶暴性が垣間見える。加えて頭に血が上れば上るほど返って冷静になる性格の持ち主。因みにアルコールには弱い。

 

 

 

 

 

 




ここでうちの主人公のプロフィールをば。一応偽装された状態でのプロフィールと本当のプロフィールの2種類書きました。因みに身長、体重、経歴以外は殆ど僕と同じにしました。こっちの方が考えやすかったので。後、書く予定である番外編ですが明るい内容と暗い内容どちらが良いでしょうかね? 暗い方は恐らくマジで暗いです。うちの主人公がダークです。明るい方はまぁ、普通の高校生活を書くつもりです。


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第十三話 turning point

前回の投稿から約1年……生きてます。番外編書こうとしたけど筆が進まず、普通に進めました。でもいつかは番外編書きたいです。


 地球時間にして、4月13日午前7時5分。この時をもって日本主導の極秘任務が始まった。

 

「時間ぴったりとは行かなかったが、取り敢えず間に合いはしたな。総員、装備を整えた後は当初の予定通りーー」

 

 薬が入ったケースを懐にしまい、

 

「ーードイツ班と合流する」

 

「「「Yes,sir!」」」

 

 目の前に整列した7人の男女を前に、きびきびとした動作で指示を飛ばす。

 行動は迅速に。

 火星(ここ)奴等(テラフォーマー)の領土で、自分達は侵入者だ。奴等は害を与える以外の目的でアプローチは仕掛けてこない。

 

「イザベラ、お前は先に車に戻ってろ。俺は少しやる事がある」

 

「あ、うん……」

 

 イザベラも注射器をしまうと、脱出機へと向かって行った。何の疑問も抱かず素直に従ったという事は少なくともイザベラからは信用されているのだろう。

 

「ちょっと、よいっちゃん。あの子誰? まさか彼女? ちょっと、お姉さんにも紹介しなさいよ!」

 

「誰がよいっちゃんですか、言われなくとも紹介はしますよ。これからはドイツ班と行動を共にするんですから」

 

 気安い調子で話し掛けて来たのは、東洋系の顔立ちをしたポニーテールの若い女性。

 

 花町美桜(はなまちみお)

 

 艶のある黒髪、通った鼻筋、切れ長の目。一見美人だが、その軽い雰囲気と大雑把な性格で損をしている残念美人である。

 

「期待しているリアクションはそんなんじゃないんだけどなぁ。よいっちゃんのそう言う事務的なところ私嫌い」

 

「……花町さん、これは遊びじゃないんですよ。もう少し厳正な態度で臨んで下さい」

 

 怜悧な声を彼女に向けたのは、今度は欧米系の女性。ブロンドのセミロングにアイスブルーの目は、まるで銃に取り付けられたレーザーのように鋭く美桜を捉えていた。立ち居振る舞い全てに無駄がなく、有能な秘書を思わせるその女性はアメリカ軍からの派遣としてこの計画に参加している。

 日米合同の特別チーム『第0班(スカッド・ゼロ)」の副官。

 

 エマ=ライトフォード

 

「堅いなぁエマちゃんは。私の事は花町さんじゃなくて美桜ちゃんって呼んでよ」

 

 にやりと笑って全く動じる様子がない美桜に対し、溜息を吐くエマ。真反対の性格であるこの女性を、エマは特に苦手に思っていた。

 

「……時間が無いんです。さっさと始めましょう。エマ、損害は? 」

 

「はい。艦内に進入してきたテラフォーマーは7体。それぞれの無力化には成功。人的損害は0、また各員の薬及び装備も同様に無事ですが艦のメインエンジンの損壊が激しく、修復は不可能です」

 

「想定内だ、この艦はここで破棄する。持ち込んだ物資は運び出した後、艦内に爆薬を設置。ゴキブリ共に我々のテクノロジーを欠片も残すな。全てを5分で終わらせろ。状況開始! 」

 

 号令と同時に素早く動き出す7人。何が求められ、そして何を為すべきかを最短ルートで導き出す。それぞれ性格は様々だが、彼等は日米から選出された精鋭チーム。正しくプロフェッショナルである。

 

 きっかり5分後。

 

 空気を切り裂く轟音と爆炎が、艦を一瞬で包んだ。

 それはまるで狼煙。

 そして、それは人類側の明確な反撃の合図となる。

 

 

 

 

 

「……それでは約束通り此方の事情を話します」

 

 走行する脱出機の車内。外は、地球から持ち込んだ軽武装小型移動機『(ふくろう)』にそれぞれ乗って追従する0班のメンバーが固めている。与一は、横に副官のエマを従えた状態でアドルフの目を見据える。

 

「もう気付いていると思いますが、俺はこの班にわざと潜り込みました。それが、俺自身の任務に関わる事だったからです」

 

 与一に与えられた任務の内の1つ。『火星に置ける戦力のパワーバランスの調整』

 

「単刀直入に言うと、このアネックス計画には裏切り者が存在します。人類を救う為の計画を、自分達の利益の為だけに利用しようとする外道共が。そして、それが何国(どこ)かも大体は予測出来ています」

 

 与一に与えられた任務の内の1つ。『火星に置いて裏切り者となり得る班の監視、又はその粛清』

 

「我々は日本と米国が共同で戦闘に長けた(・・・・・・)人材を提供した特別チーム。正確には日米合同戦略的特殊行動部隊『第0班(スカッド・ゼロ)』。我々の目的は、アネックス計画を正しい方向へと戻す事です。貴方方には、これから我々と共同戦線を張ってもらいましょう。ーー裏切り者共を叩き潰す為に」

 

 それは提案と言うより、もはや強制。その言葉には有無を言わせぬ圧力があった。どんな手を使ってでも計画は遂行させなければならない。

 何としても救いたい女性(ヒト)がいる。その為だけに火星に来たのだ。

 

「……何故ドイツ班(俺達)なんだ? 」

 

日米側(我々)に少しでも有利な戦力が欲しい。特に貴方の特性(のうりょく)は貴重だ。制圧、戦闘能力共に申し分ない。任務遂行のためにも火星での生存確率は少しでも上げておきたい。ーーと言うのが建前です。本音を言えば、貴方方を死なせたくないんですよ。少なくとも避けられた筈の争いではね、ただでさえテラフォーマーだけでも厄介なのに、人間同士で足を引っ張り合うなんて馬鹿らしいとは思いませんか? 」

 

 一瞬の静寂。駆け引きも、腹の探り合いももう必要無い筈だ。

 

「馬鹿らしい、か。確かにそうだな。……良いだろう、お前達と同調しよう。此方としても戦力の増強は望ましい。それに、少なくともお前は裏切り者では無いようだ」

 

「御協力感謝します。とにかく今はアネックス本艦へ向かいます。恐らく、奴等はもう動き出す筈です。頃合を見るなら正に今だ。我々を火星でバラバラに引き離し、テラフォーマーを嗾け、疲弊させる事には成功した。だとすれば次に奴等が取る行動はーー」

 

班長(チーフ)!」

 

 与一の耳元の無線機に緊迫した声が入ると同時に、外を固めていた『(ふくろう)』の一機が煙を吹きながら墜落していった。

 

 突然の襲撃。こうなる事は予測済みだった。だからこそ護衛と索敵の意味を込めて、班員を外に置いていたのだ。

 問題なのは、その襲撃が全く見えなかった事(・・・・・・・・・)。予測に対応が追いつかなかった事。

 

「ジェイムスが撃墜()とされました!! 」

 

 襲撃者はヒュンッと鋭く空気を裂いて、急停止し空中に留まった。此方の様子を確かめるかのように。

 テラフォーマー。それは火星の脅威。奴等は人類同士の内輪揉めなど気には止めない。ただ殺す、須く殺す。

 

(はや)い……」

 

 従来のテラフォーマーにはありえない飛行能力。急襲してきたその個体は、一言で表すなら異形そのものだった。黒い甲皮には独特の斑模様が走り、空気を叩き重い音を発生させている巨大な羽はそもそもゴキブリには無い。無機質な目の代わりには複眼。異常に筋肉が発達したテラフォーマーもいたが、この個体は根本的に違っている。

 

「あれは20年前のバグズ2号計画のデータにあった。当時のクルーの1人『トシオ・ブライト』の手術ベースとなった生物、魔物の名を冠する昆虫……」

 

 急発進、急停止、ホバリング、急旋回。桁外れの飛行性能は、未だ人類が辿り着けない世界。食性は肉食、気性は獰猛。その名は、

 

鬼蜻蜓(オニヤンマ)か……、厄介なのが盗用(うば)われたな」

 

班長(チーフ)、行きますか? 」

 

 懐に手を入れたエマが臨戦態勢へと入る。

 

 後ろからは、停止した脱出機を目掛けて走ってくるテラフォーマーの集団。前には鬼蜻蜓のバグズ型テラフォーマー。鬼蜻蜓の速度にはこの機では到底対抗できない。

 

「数は凡そ100体程度、警戒すべきはあの鬼蜻蜓型テラフォーマー。向こうに逃がす気は無いなら、ここで叩くしか無い。それに--」

 

 車内から下を見て、苦笑いを浮かべる与一。そこには先程落とされた『梟』の残骸の横で、既に変態を終えているジェイムスがいた。

 

「無事か、ジェイムス」

 

「問題ありません、サー」

 

 額に青筋を浮かべ、全身を漆黒の装甲で覆った大男は向かってくるテラフォーマーの軍勢の前にただ立つ。

 

「エマ、服薬(つか)え」

 

 与一は、傍らのエマにそう伝え自らもカプセル型の変身薬を噛み砕く。

 

「総員、変態!! 」

 

「「「Sir,yes sir!! 」」」

 

 注射器、アンプル剤、パッチ、煙管。命令を受けた0班全員が即座に変態を始める。

 

「エマ、あの鬼蜻蜓を任せられるか? 」

 

「了解しました」

 

「アドルフさん達は車内で休息を兼ねて待機していて下さい。我々が出撃します。イザベラもいいな? 」

 

 完璧な迎撃態勢。0班は全員が軍隊、警察出身者で編成された特別チーム。戦闘に特化しているといっても良い。

 マーズランキングこそ非公式ながらそれぞれが上位15名と肩を並べる程の実力者達。

 

「敵の数は凡そ100体、不確定因子が1体。作戦コードは02、生け捕る必要は無い。纏めて殲滅(ころ)せ!! 」

 

「「「Sir,yes sir!! 」」」

 



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第十四話 strike

「………あんたは行かないの? 」

 

「私? 私は君達の護衛だもの。それにあの数相手にするのも面倒だしね、来たのを潰す方が簡単じゃない? 」

 

 イザベラの問いに、1人機内に残っていた美桜はマニキュアを塗った指に息を吹きかけながら外をちらりと見た。

 

「ま、ああいうゴリゴリな戦闘は肉体派に任せてさ。私達はのんびりしとこうよ、ガールズトークでもする? 」

 

 そのどこか気の抜けた飄々とした態度は自信か、はたまた油断か。しかし、こちらを見てにやりと笑ったその目にイザベラは背筋を震わせた。言うなれば本能から来る恐怖。遺伝子に刻まれた生物としての情報が軽い警報を発しているようだった。

 

「後10分もすれば終わると思うから、リラックスリラックス。私だってプロなんだからちゃんと周りは見えてるよ。何かあったら守ってあげるから安心しなさい」

 

 そう言われてからイザベラは、彼女の動きに一分の隙もない事に気付いた。ふざけたような口調ながら意識は全体に向いている。片手は既に懐に入れており、即座に対応出来るようにしている。イザベラは彼女の過去を知らないが、その動作一つ取っても明らかに戦いに慣れている事が分かった。

 

「ねぇ、あんたらって与一の部下なんだよね? 」

 

「うん、そうだよ。皆警察とか軍隊出身の戦闘屋。因みに私は元陸自。心強いでしょ? 私としても君達と無事に合流出来て良かったよ、なんか裏でごたごたしててさ、妨害とかあったし。もう言うけど、この計画一筋縄じゃないからね。色んな国が関わると色んな思惑が出る訳よ、全く面倒くさいったらありゃしない」

 

 重要事項を、まるで世間話のような気安さで喋る。イザベラのような一般クルーは、この計画が人類を救う計画だと信じて火星に来た。しかし、結局は人間が立てた計画である以上、どうしても人間の欲望とは切り離せないのだ。

 

「つー事で私達が火星に派遣されたの。裏切者をぶっ潰して本来の目的を達成しようってね。シンプルでしょ? でも最初はびっくりしたよ、なんせリーダーが未成年だったんだから。弟に従ってるようなものじゃん。まぁ、よいっちゃんが黒峰家の人間って分かったら納得できたけどね」

 

「……黒峰家? 与一の家ってそんなに凄い所なのか? 」

 

「正直半端じゃないよ。1000年前から存在するめちゃくちゃ古い武術家の一族で、常に日本の軍事の中枢に君臨し続けている。要は自衛隊(私たち)のトップってこと。それとは別に全世界に10万人の門下生がいるし、軍事関係にもコネクションがあるし、財力も権力も持っている漫画とかに出て来そうな家だよ。そこの現当主がよいっちゃん。そんなエリートが何でこの作戦に参加してるのかは分からないけどね。よっぽどの理由があるんでしょ」

 

「--少し喋りすぎですよ、花町さん」

 

 美桜がそこまで話したところで、凛とした声が遮った。

 

「おっと、エマちゃんか。思ったより早かったね、もう終わったの? 」

 

「いえ、取り逃がしました。やはり、ベースの相性とは一長一短のようですね。折角班長(チーフ)から任されたのに不甲斐ないです……」

 

 戻ってきたエマは美桜の問いかけに悔しさを滲ませながら伏し目がちに答えた。破れた袖から覗く白い腕には、幾つか傷が付き血が軽く流れている。全くの無傷という訳にはいかなかったようだ。

 

「ところで、そこの彼女に何か話されていたようですが余り人のプライバシーに立ち入るものではありませんよ」

 

「別にそんなつもりはないけどなぁ、て言うか私よいっちゃんが何でこの作戦に参加したのか知らないし」

 

「……ほう、そうでしたか。知らないんですか、なるほどなるほど」

 

「ん? 何々ちょっと笑っちゃってる? エマちゃんは知ってるのかな? 」

 

「えぇ、まぁ。上司の事を知ってこそ副官は務まるものですので」

 

 ですが、一区切り空けてエマは言う。

 

「決して面白い理由ではありません」

 

 その一言には、込められた言葉以上の何かを感じさせた。

 

「それ言っちゃうと、私達も大体面白い理由じゃないじゃん。全てを投げ打ってでも成し遂げなければならない事があるのは皆同じでしょ。私はよいっちゃんの事情になんて興味ないし。実際、大切なのは今何をすべきかだよね。過去は戻らないけど、未来ならどうにでも出来るんだよ 」

 

 そして、美桜は唇の端を軽く曲げて笑う。

 

「よし、シリアスモードはここでお終い。エマちゃんもおいでよ、一緒にお喋りしよ? まずは、エマちゃんがよいっちゃんの事をどう思っているのか! ! 」

 

「な、何を言っているんですか!? 」

 

 

 

 ─────────同日、U-NASA日本支局。

 

「しばらくだったな、七星君 」

 

 来客用の応接室。革張りのソファに座るスーツ姿の初老の男性は、テーブルを挟んで向かい側に座る蛭間七星を見てそう言った。

 男性は恐らく還暦は過ぎているようだが、その体は無駄のない筋肉で覆われているのが服の上からでも見て取れる。立ち居振る舞いに隙がなく、鋭い目付きは猛禽類を思わせた。

 

「はい、お久しぶりです。しかし、事前にご連絡下されば出迎えにあがりましたものを。突然ですので驚きました」

 

「それはすまなかった、まぁ用件は2つだ。直ぐに済む」

 

 男性は、出されたティーカップの紅茶を一口飲んでから手元の鞄から一冊のファイルを取り出した。

 

「1つ目はこれだ。君に頼まれていた“戦力”の件だが、取り敢えず此方からは10人出そう。詳しい情報はこのファイルに記載されている」

 

「!? ……ご協力に感謝します。これ程の人材はなかなかいない」

 

「私が直に選抜した、腕は保障する」

 

 手渡されたファイルを一瞥した七星の表情が一瞬で変わった。特殊な状況に対応出来る(・・・・・・・・・・・)エキスパートは限られている。これで万全を期したという訳ではないが、ある程度は凌げるだろう。

 

「2つ目の用件だが、あいつ(・・・)は上手く立ち回れているか? どうもあいつは昔から腹芸が苦手な奴でな。全く嘘がつけない。パワーゲームにはいささか役者不足だろう 」

 

「逆に言うならば、彼は嘘を極端に嫌う。裏切者の存在が明確であるこの作戦上寧ろ適任だと思います。卓越した戦闘力、柔軟な思考力、あの若さでこの2つを手にしているとは流石の英才教育という事ですか?」

 

「ふん、まだまだあいつは未熟者だ。感情論で物事を考える節がある。まったく、そのように育てた覚えはないんだがな」

 

 切り捨てるような発言ながらも、男性の顔に浮かぶのは苦笑い。鋭い目付きも若干柔らかくなり、口で言う程に憎らしくは無いのだろう。

 

「それでも、彼の技術は貴重なものです。人間性も含め申し分ない。後は、どうにか生きて帰ってきてくれれば……! 」

 

 七星は手を組み合わせて、眉間に皺を寄せる。ただでさえ達成率が低いミッション、少なからず死者も出るだろう。

 しかし、尽くせる手は尽くした。もう、天命を待つしかないのだ。

 

「安心しろ、あいつは必ず帰ってくる。そうしなければならない理由があるからな。第一この私が全てを叩き込んだ男だぞ。この程度で死んで貰っては一族の名折れだ」

 

 ふんっと鼻で笑うと、紅茶を一気に飲み干して男性は立ち上がった。

 

「それではな、用は済んだ。私は帰らせて頂こう」

 

「お送りいたします、黒峰統合幕僚長」

 

「元、だ七星君。今はしがない隠居に過ぎん。とはいえ不肖の馬鹿孫が何の断りもなく火星に行ったせいで、当主としての業務は私に降りかかってきたがな。しかし、問題はあのニュートンの一族が既に動き出している事だ。300年も前に袂は分かったがしつこいのは今も昔も変わらんな」

 

 その時、男性の鋭い目付きが一瞬だけますます鋭くなりまた元に戻った。僅かな表情の変化を七星は見逃さない。

 

 相当苛ついておられるようだ、と心の中で呟いた七星は先に立って応接室のドアを開けた。

 

「どうぞ」

 

「あぁ、ありがとう。--七星君」

 

「はい? 」

 

 応えた七星に、男性はにやりと笑ってこう告げた。

 

何かあったら(・・・・・・)私にも声をかけてくれ。最近デスクワークが多くてな、いかんせん体が鈍って仕方がない」

 

「ありがとうございます、頼りにしていますよ秋水さん」

 

 七星も苦笑しながらそう返す。

 

 初老の男性の名は『黒峰秋水(くろみねしゅうすい)

 

 ──────────黒峰家先々代当主。

 

そして、戦を極めし黒峰一族の現総帥。

 



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外伝 Mars_ranking

外伝です、少々長くなりそうなので2つに分けました。この話は本誌で読んだ事はあるのですが、記憶が定かではないので矛盾する点があると思います、ご了承下さい。


 ────────マーズ・ランキング。

 

 対テラフォーマー戦闘における捕獲、及び制圧能力を基準にアネックス1号全船員(クルー)を便宜上序列化したもの。その中でも上位陣、特に艦長を含めた主要加盟国から選抜された幹部(オフィサー)は最早人類側の兵器と呼んでも遜色ない。また、U-NASAは幹部(オフィサー)とランキング上位陣がいれば下位ランクの者を守りながら任務を遂行可能だと考えている。

 

 

 

 

 

「--電気鰻、タスマニアンキングクラブに大雀蜂、爆弾蟻に大蓑蛾……。流石に強力な生物(ベース)が揃っている」

 

 2619年、ワシントンD.C。U-NASA本部内研究棟に複数あるオフィスの一室。

 与一は、デスクに腰を預けるようにして何枚かのファイリングされた資料に目を通していた。

 

「あくまでもこれは非公式に、だ。間違っても外部に漏らしてくれるなよ。本来なら君に見せるだけでも懲罰物なんだ」

 

 そう言ったのは、この部屋の主であるセルフレームの眼鏡を掛けた東洋系の細身の女性。彼女は与一の隣で黙々とノートパソコンを叩き続けていた。

 

古賀真冬(こがまふゆ)

 

 次世代型のM.O手術(モザイク・オーガン・オペレーション)を研究する特殊セクションに所属する技術者で、与一の手術を担当した人物だ。実年齢は32歳だが、その顔付きは若々しくジャケットにジーンズというラフな服装も相まって大学生ぐらいにも見える。

 

「分かってますって、俺はここではただの一般クルー。過ぎた情報を漏らしてしまうと逆に俺が怪しまれますから」

 

 アネックス計画全クルーの簡単なプロフィールと、手術ベースが記載されたそのファイルはそれだけでも通常なら機密文書にあたる。

 そもそもアネックス計画自体が、詳細は完全に伏せられた極秘計画だ。

 

『火星由来の致死率100パーセントの特殊なウイルスが地球に蔓延する前に、根元である火星に向かいワクチンを採取する』

 

 公になれば全世界がパニックになる事は想像に難くない。だからこそ秘密裏に研究し、秘密裏に収束させる必要がある。

 

「しかしまぁ、手術ベースだけ見るならば君も相当に強力だがな。まさか、まだ実験段階にあった手術方式が最初の被験者で成功するとは思わなかった。理論上の成功確率は未だ10%以下だ。随分と分が悪いギャンブルに乗ったものだと感心しているよ。金も、地位もある君が何故この計画に参加したのかは興味の外だが、これで実用化までのルートを一気に短縮出来た。後はそうだな、せいぜい火星で死なないように頑張ってくれ」

 

 そこで古賀はノートパソコンを叩く手を止めて、傍のコーヒーカップからコーヒーを一口飲むと僅かに眉を顰める。

 

「……君が持って来るコーヒーは香りといいコクといい余り好きにはなれんな」

 

 その言葉に苦笑しながら、与一はファイルをデスクに置いた。

 

「コピ・ルアクに文句付ける人はなかなかいないんですがね……それ一杯で何10ドルすると思ってんですか」

 

「高価な物が美味いとは限らないだろう、大体コピ・ルアクが高価なのは味ではなくその希少性にある。私は元々が貧乏舌なものでね、コーヒーはインスタントでも充分に満足できる」

 

「なら次来るときは自販機の缶コーヒーでも持ってきますよ」

 

「そうしてくれ、ミルク入りの無糖ならなお良い」

 

 淡々と返す彼女の口調にも与一は慣れていた。機嫌が悪いという訳ではない。元から感情の起伏が少ないのだ。彼女を一言で表すとするなら冷静沈着なデータ至上主義者。その点で古賀は正しく科学者なのだろう。

 

「--さて、」

 

 作業を終えたのか、古賀はパソコンの電源を落とすとそこで初めて与一の目を見た。

 

「本題に入るとしよう。今回君を呼び出したのはその資料の件と、他に幾つかの連絡事項があるからだ」

 

「連絡事項、ですか? 」

 

「そうだな、まずはこれを見て欲しい」

 

 デスクの引き出しから大型のタブレット端末を取り出すと、スイッチを押して画面を与一の方へ向けた。

 

「丁度今から始まるようだ」

 

 モニターの中で無数に区切られた映像は、リアルタイムで行われている何かを撮影している。

 

「これは、テラフォーマー……? 」

 

「U-NASAが研究用に保管しているクローンだ。火星のテラフォーマーより数段パワーは落としてある。とは言っても充分脅威である事には変わりないがな」

 

 そこに映し出された物は2つ。1つは火星の巨大殺人ゴキブリ、通称テラフォーマー。黒光りする甲皮に無機質な目、触覚、尻には尾葉。昆虫であった名残を残しつつ、人間大にまで進化したそれは独特の嫌悪感を沸き立たせる。

 

「それと、人間か? 」

 

 もう1つはテラフォーマーとそれぞれ対峙する人間達。誰1人面識は無いが、身に付けている制服から全員アネックスクルーで間違い無いだろう。

 

「彼らは先日行われた体力テストで、アネックスクルーの上位30人に選ばれた人材だ。手術ベース、及び個体の基礎能力を考慮してアネックス1号の戦闘員として活動する事になっている」

 

 映像の中では、各々が既に人為変態を始めていた。翼が生える者、牙が生える者、腕が肥大化する者。実に多種多様な様相である。

 20年前の昆虫の遺伝子を組み込む旧式人体改造手術、通称『バグズ手術』の一歩先。昆虫のみならず地球に存在する全生物をベースに使用可能な新方式、『M.O手術』を受けた彼らは様々な特性(とくしゅのうりょく)を有している。『昆虫型』は更に固く、強力に。それ以外のベース生物も昆虫型の強みを残したまま、其々の能力を使用できるようになった。

 

「そして、今から行われるのが彼らがどこまで戦えるかを見る実戦テスト。この結果を元にマーズ・ランキングの順位を決定していく」

 

「マーズ・ランキング? 」

 

 マーズ・ランキング。聞き慣れない単語に与一は眉を顰めた。

 

「ああ、そう言えば君は知らなかったな。正しくは、火星環境下における対テラフォーマー制圧能力のランキング、略してM.A.R.S.ランキングだ。アネックスクルー総員100名を対象に訓練プログラム、シミュレーションの結果等を判断基準として順位づける。あくまでも便宜上序列化したものだが、ある程度の能力値の目安としては分かりやすいだろう」

 

「つまり、数字が上になればなるほど強い、と? 」

 

「少し違う。測られるのは制圧能力であって戦闘能力ではない。サンプルは生け捕りが基本だからな、ただ殺してしまえば良いというわけではない。逆に言えば、ランキングが低くとも戦闘能力が高い者もいる。過度に強力なベースが使用されていれば、このケースが当てはまる」

 

 --過度に強力なベース。

 

 それを聞いて、与一は真っ先にミッシェル副長を思い浮かべた。彼女の手術に使用されたベース生物は爆弾蟻。殺傷能力は群を抜くものがあるが、生かして捕らえることは苦手分野だろう。

 

「君のテストはまた後日行う。これを見て予習でもしておくといい」

 

 画面の中のテラフォーマーは、火星にいるものとは違う。あくまでも人工的に造られたクローンである。そう理解していても、やはり嫌悪感は変わらない。それは本能に遺伝子レベルで刻まれた敵対関係。

 奴らは人間を殺す。

 理由はなく、意味もなく、ただ殺す。

 

 地球の人間は思いもよらない。普段何も考えずに殺している害虫が、寧ろ襲ってくるなどと。

 地球の人間は知る由もない。火星には悪魔がいる。イカれた進化を遂げた害虫の王(テラフォーマー)が。

 

「いくら戦闘要員とはいえ、急に実戦形式にして大丈夫なんですか? 中には民間出身者もいるでしょうに」

 

「万が一の時に備えて、テラフォーマーの胸部には小型の爆弾が仕込まれている。貴重なM.O手術者を訓練で失う訳にはいかないからな」

 

 ──────それは最低限の安全は確保された戦闘。

 

 但し。

 

 決められたフィールドで決められた通りに進んだらの話だ。

 

「!?」

 

 画面にノイズが走るのと、オフィス内に警報が鳴り響くのは殆ど同じだった。

 独特の重低音が脅威を表す。明らかに異常事態だ。

 

「--これは? 」

 

「……まずい、テラフォーマーのクローンが複数体放たれている!」

 

 咄嗟にタブレットを使用し、いくつかの監視カメラの映像を確認していた古賀が叫んだ。

 

「……なるほど、色々疑問点はありますが取りあえずは事態の収拾が最優先ですね」

 

 それだけで生物兵器となるクローンを保有する以上は、管理体制もガチガチのセキュリティーで縛られている。

 奴らが自発的に脱走したとは考えにくい。

 残る原因はつまり、人為的な工作。

 

「対応は? 今行っているテストを中止してアネックスクルーに応援を頼むのはどうです? 」

 

 現状、もっともベターな解決方法を与一は提示した。

 実験を行っているのは戦闘員。彼らなら対抗策に成り得る。

 

「残念ながらその案は却下だ……」

 

 古賀は、苦虫を噛み潰したような厳しい表情でタブレットから顔を上げた。

 

「クローンに仕込んだ爆弾が起動しないようだ。この実験は中止できない、彼らは最後まで戦うしかない」

 

 次々に起こる不測の事態。思考を巡らし有効な一手を探る。このままでは確実に死人が出る。もしも、U-NASAの敷地からクローンが脱走すればそれこそ大惨事だ。何とかここでケリをつけなければならない。

 

「軍隊に救援を要請している。多少時間はかかるがやむを得ない。少々の犠牲には目を瞑ろう」

 

「--古賀さん、薬はありますか? 」

 

「まさか、君が行くつもりか? 止めておけ、リスクが高すぎる。君の存在はまだ明かすべきではない。多くは知らされていないが君にはアネックス計画でやることがあるんだろう? その為に手術も極秘に行ったんだ。大人しくここで救援を待て。ここならテラフォーマーの襲撃にも耐えられる。危険を犯して迎撃に行くのは、非合理的だ」

 

「しかし、……」

 

 与一に続ける言葉はない。正論と言えば正論。天秤にかけるにはデメリットの方が大きすぎた。

 

「……まぁ、ここまでが建前の話だ。どうせどれだけ言ったところで君は行くのだろう? 昔からそうだったからな」

 

 ため息を吐きながら、古賀はデスクに取り付けられていたボタンを押す。

 オフィスの角から微かに機械音がし、壁の一部がせり上がると中にはロッカーのようなものがあった。

 

「薬はあるにはあるが出来れば使うな。必要以上に体に負担をかける必要はない。これを持っていけ、今日君を呼んだ目的はそもそもこいつだ」

 

 入っていたのは一丁のクロスボウ。その隣の銀色のケースには専用の矢が詰まっている。

 

「名は、弓張月。君の特性を最大限に活用できるよう幾つかのギミックが施されている。君の為に造られた君専用の武器だ。試用も兼ねてこいつを使え」

 

 手にとってみれば異様に馴染む。自分の為に造られたとは正に言ったものだ。恐らく、サイズも重量も本体の構成も緻密な計算が成されているのだろう。本来なら与一の得意な得物は和弓だが、対テラフォーマー戦闘においては嵩張る上に威力も足りない。しかし、彼は修練を重ねたお陰で大抵の武器なら扱える。そこで専用武器を比較的弓に近いものにしたのはU-NASA側の配慮だった。

 

「薬は2種類渡しておく。だが、あくまでもこれは最終手段だ。そして、使うにしてももう一つのベースは避けろ。あれはまだ体に馴染んではいない。基本はその武器と、己の技術のみで戦え。君にとっては決して不可能な話では無い筈だ」

 

 手渡された薬は一つはカプセル。もう一つはガム状の物。それぞれ植物型と節足動物型だ。

 

「いいか、30分だ。30分以内に状況を終了させろ。監視カメラの類はこちらで停止させておく。隠密行動を念頭に置き、最重要項目は脱走したテラフォーマーの抹殺。誰にも姿を見られずに、例え見られたとしても顔を覚えられないように」

 

「了解しました」

 

 2種類の薬を懐に入れ、腰に矢を入れたホルダーを装着してクロスボウを手に取った。

 U-NASAのセキュリティシステムを騙せるリミットは30分。

 短期決戦の即時制圧だ。

 

「はぁ、全くもって不本意だ。君はもっと賢く生きるべきだよ。だが仕方ないな、君をそういう風にしたのは私にも原因がある」

 

 苦笑いを浮かべ、古賀は真っ直ぐ与一を見つめた。

 

「そうですね、先生(・・)にはお世話になりました」

 

 それに答えるように与一も薄く笑う。

 

「やれやれ、厄介な教え子を持ったものだよ。それでは、」

 

 そこで一拍空け、

 

「--戦闘行動を許可する」

 



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外伝 Mars_ranking 2

「--無茶だ!! 現状、成功率は人間に対しては10%にも満たない! それも理論上だけであって、未だ成功例はないんだ!! そんなものただの人体実験でしかない! 彼は簡単に使い潰して良いような人間じゃないだろう!?」

 

「落ち着いて下さい、博士(ドクター)。それは最初から貴女の術式を使用した場合の数値です。一段階目は通常のMO手術を施します。36%の壁を乗り越えた後なら成功率は格段に上がるでしょう。それに、これは彼の意思でもあります。何としてでもワクチンを作る、その為に必要な事は何でもする、と。彼の覚悟は相当なものですよ。だからこそ博士(ドクター)、貴女の研究データが必要なんです。どうか協力して頂きたい」

 

「ッ!? 」

 

 ─────彼の意思である。

 

 その言葉に古賀真冬は揺らいだ。彼の事はよく知っていた。知り過ぎているからこそ、最早止める事は不可能だという事も悟った。

 自分よりも他人を優先する程に優しく、それ故に危うく、そして強情なかつての教え子。

 彼は正しく有言実行。

 やると言ったら必ずやる。

 

 目を瞑り、ふぅ、と諦めとも呆れともつかない深い溜め息を吐いた後、再び開いた古賀の目が蛭間七星を鋭く射抜いた。

 

「───良いだろう。ただし、一つ条件がある」

 

「何でしょう? 」

 

 殺風景な研究室内で、空気がピンと張り詰めた。古賀と七星の視線が交錯する。

 

「彼の、黒峰与一(・・・・)の手術は私が担当する。これは彼を生き延びさせる為の必要措置だ。必ず呑んでもらう」

 

 黒峰与一が命を賭す覚悟を決めたのなら、最早何も言うことはない。

 それならば、彼の願いを叶える為に持てる力を全て尽くす。それが、古賀真冬の決意だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────事態発生から5分後。

 

 緊急警報は未だ鳴り止まない。

 混乱を極める棟内で、人混みを縫うように与一は疾走していた。

 目的地は警報の発生源。今回の実験を主導、管理していたフロア。

 スーツ姿で片手にクロスボウを持って走る彼の姿は、はたから見れば異様ではあるがこのパニックの状況が有利に働いている。焦燥と不安が支配するこの空間では、誰も与一の事を気にとめる余裕は無いようだ。但し、もしここに実験用テラフォーマーが現れた場合、その被害も最大のものとなる。

 故に、一刻も早く元を叩かなければならない。

 

「1体、2体の話じゃない。放たれたのは複数だと古賀さんは言っていた。今のところ救援は期待できない状況だとすると……どこまでやれるか」

 

 殆ど無意識の内に上着の内ポケットに手を入れ、中のケースに指で触れる。

 そこにあるのは2種類の切り札。

 本来なら、使うべきではない。ただそこにあるというだけで精神的に余裕を持たせる意味として所持する。

 

 しかし、与一は自覚していた。

 

 --恐らく自分は服薬(つか)うだろう。

 

 本来の細胞を壊して、他生物の細胞を構築するMO手術は人間として1度死ぬと考えても良い。絶大な効力を得られる反面、身体に与える負担も相応に重い。細胞分裂には限界数がある以上、比喩ではなく使用するたびに寿命を消費する。つまりはハイリスクハイリターンな戦術。

 

 ここはまだ地球、ミッションのステージは遠い火星。

 

 これは最早感情論だ。非合理的なのは百も承知の上。

 偽善的だと笑わば笑え。護りたいものがあるからこそ、命を賭けた。見捨てる事など出来はしない。

 

「古賀さん、ここに至るまでの道順でテラフォーマーの姿は見当たりません。俺はそろそろ次のフロアに入ります。正面ゲートをロックして下さい。多少なりとも防護策にはなるでしょう」

 

 耳元の通信機のスイッチを入れると、手短に用件のみを伝える。

 

『了解した。此方で済ませておく。くどいようだが、30分を1秒でも経過した時点で強制的に帰還させるぞ、これは命令だ。くれぐれもリミットは遵守するように』

 

「--すみません」

 

 返答の代わりに漏らしたのは何の脈絡もない一言。

 

『馬鹿ッ! まさか!? 』

 

 しかし、全てを察するにはその一言で充分だった。

 いつもは平坦な彼女の口調が、初めて感情的な色を見せる。

 

「後でいくらでも謝ります。成すべきことを成した後に」

 

 そして返答を待たずに通信機の電源を落とした。

 与一の視線は目の前の廊下に移り、そしてその先を見据える。

 

「……出やがったな」

 

 前方20メートル程先、廊下の角を曲がってきたのは漆黒の異形。

 生理的な嫌悪感を与えるそのフォルムは、これまでの生物の常識を逸脱した存在。

 化け物じみた害虫の王、テラフォーマー。

 

「じ」

 

「じぎ」

 

「じょ」

 

 低く、こすり合わせるような鳴き声。

 やはり、1体では無い。2体、3体。もはや、この敷地に何体放たれているのか想像もつかなかった。

 

「どうせ、言葉も通じないだろうから勝手に言わせてもらうが。……テメェら、俺の背後には一歩も通さねえぞ。纏めてここでブチ殺す」

 

 精神的なスイッチを戦闘態勢に移す。奥底に内包された攻撃性を表に出す。

 

 右手に携えた弓張月を、素早く構えてトリガーを引く。特注のスプリングから放たれた金属矢は空気を裂き、先頭のテラフォーマーの眉間を射抜いた。

 一拍空けて、炸裂。生じた爆発のエネルギーが、その頭部を丸ごと吹き飛ばす。

 

 彼専用の武器。正式には対テラフォーマー弾頭転換式クロスボウ、『弓張月』。特別に加工された弾頭を付け替える事で、様々な効果を生み出す。撹乱、脱出、奇襲、暗殺。あらゆる局面に対応可能な装備。しかし、あくまで試作品。最初の性能テストが実戦方式になるとは開発者も考えつかなかったことだろう。

 

「一発ずつしか撃てないのは、微妙にピーキーな装備だな。改良の余地ありと古賀さんに報告しておくか」

 

 与一は、躊躇わずに弓張月を床に落とした。再装填するまでの僅かな時間が命取り。頭部を失って崩折れたテラフォーマーの死体を構わず踏み潰し、残りの2体が迫る。

 ここからは単純な接近戦。純粋な戦闘能力がものをいう。

 

 与一は拳を前方に突き出し、腰を僅かに落とした。

 全身の感覚器官を最大限に使い、テラフォーマーの動きの先を読む。脅威的な身体能力は、見てから反応するのでは間に合わない。

 1秒後の未来を予測するのが、生存の決め手。

 

「ふっ、」

 

 最初のテラフォーマーの攻撃を一歩退く事でぎりぎりで回避する。顔面を狙って放たれた拳が鼻先を掠め、髪の毛が数本宙に舞った。

 しかし、それにも眉一つ動かさず次の行動に移る。右拳を空いた胸部に軽く当てると同時に、一歩退いた脚を踏み締め、得られたエネルギーを背筋で増幅させた後、右拳より放つ。

 

「フンッ!! 」

 それは八極の一手に似ていた。

 

 全身の筋肉運動による無駄のないエネルギーの循環。最小の動きで最大の効果を生み出す。

 

 ドンッ!と肉を叩く湿った音が響き、白眼を向いたテラフォーマーが一瞬硬直した後その場に倒れた。

 

 一撃必殺。

 

 続いて、その背後から飛びかかるようにして襲いかかるテラフォーマーの懐にあえて飛び込むことで、距離感を崩す。

 直後に伸びきった腕を掴み、腰を捻ると自身の足でテラフォーマーの足を軽く蹴り上げた。

 慣性の法則を利用した投げ技。腕を掴まれたまま地面に叩きつけられたテラフォーマーは、自身の運動エネルギーと重力による加速、そして2メートル近い重量をもろに背中で受けることになる。

 人間ならば、息が詰まり昏倒する程の勢いだがテラフォーマー相手ではここで終わりではない。

 痛覚が存在しないため、ダメージを認識しない奴等は依然行動可能だ。

 

「フンッ!」

 

 グシャッ!!

 

 なおも動こうとするテラフォーマーの喉元を踏み潰し、息の根を止める。

 

 ここまで、凡そ10秒余り。

 

「……思っていたよりも遥かに強い。1体ずつならまだいけるが複数相手にするとなると、正直厳しいな」

 

 生物としての種が違う、パワーもスピードもタフネスも桁違いな化物を相手にするには、生身ではどうしても分が悪い。

 唯一の救いとしては動きが雑な事。常に直線的な攻撃しか仕掛けて来ないので、行動も予測しやすい。

 しかし、もしここに知能が加われば。

 戦略、戦術を奴等が理解し、行動のパターンを変えることになれば。

 人類の勝ちの目は極めて少なくなる。

 

 残り時間は22分と40秒。腕時計のタイマーを合わせ、先程から耳元でコール音を響かせている通信機を握り潰した。

 このフロアさえ抜ければ目的地までは直通できる。遮蔽物もないため、待ち伏せの心配も必要ない。

 逆を言えば、発生源に最も近いこのフロアは敵の数もまた最も多い。

 

 しかし。

 

「行くか」

 

 逡巡すらも時間の無駄。不安要素を並べ立てればきりがない。故に先手必勝。障害は一切合切叩き潰す。

 ネクタイを解き、ジャケットも脱ぎ捨て、機動力を確保。

 ここから先は対多数戦。薬はすぐにでも使えるようにポケットに入れ、与一は渦中へと踏み出した。

 

 

 




今回はここまでです。ここで区切らないと流れ的にストーリーの続きが書けなくなりますのでご容赦下さい。中途半端なストーリーと盛り上がらない内容で、もしも今作品を楽しみにしていて下さる方々には大変申し訳ないです。加えて不定期更新であることもお詫び申し上げます。


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外伝 Mars_ranking 3

「……やばい、完ッ全に迷った。どこよここ? 」

 

 警報が鳴り響く施設内の一角。異常事態の発生は明らかであるが、そう呟いた人物の口調には差し迫った危機に対する恐怖も焦りの色すらも感じられなかった。ただ単に現状を把握していないだけなのか、把握して尚動じない程の胆力の持ち主なのか。

 ダークスーツを着用し、その上からこれも黒いロングコートを羽織った若い女性だった。背中の中程まで伸びている髪を無造作に纏め、化粧っ気は感じられないが、しかしその顔立ちは確実に美人の部類に入るであろう。

 

「あーもう! さっきから何かビービー鳴っててうるさいし目的地には辿り着かないし最悪なんだけど? 大体案内がいるからとか言ってたくせに誰も迎えに来なかったじゃん。くそー、あいつ帰ったら絶対シメてやるぅ! 」

 

 ぶつぶつ言いながら、彼女は取り敢えず今来た道を引き返そうと身を翻し

 

「───────へ? 」

 

 間の抜けた声が漏れる。振り向いたそこに"それ"はいた。

 

 黒光りする2メートル近い異形。人間のように見えるが、明らかに人間ではない。無機質な目、尾葉、頭部からは触覚が生えた化け物。生身の人間など紙を破るかのように容易く引き千切れる程の剛力を有し、かつ無条件で人間を殺しに来る存在。害虫の王、『テラフォーマー』。

 ここにいるのはそのクローンに過ぎないが、それでも充分な脅威だ。

 

「じょうじ! 」

 

 クローンは一声鳴くと、さも当然のように女性の頭を叩き割ろうと手刀を振り下ろした。

 

 ドン!!

 

 しかし、それよりも一瞬早くクローンの巨体が重い音を立てて後ろへ吹き飛ぶ。

 

「ふぇ、何? どうなってんの? 」

 

 そしてまた一瞬遅れて、クローンに蹴りを叩き込んだ人物も空中で体勢を整えて着地した。

 

「ふゥゥゥゥッ!! 」

 

 鋭く息を吐き、与一は背後の女性を庇うように立つと後ろを振り返らずに指示を飛ばす。

 

「この道を急いで戻れ! 二つ目の角を曲がると別のフロアへのゲートが見える。ロックがかかっているからパスコードを入力して中へ避難しろ!! コードは9581だ。他には何も考えるな、何も聞くな。 質問に答えている暇は無い。死にたくなかったら言う通りに動け!! 」

 

「りょ、了解です! 」

 

 弾かれたように女性は走り出した。理解が早いと言うよりは理解が追いついていないと言う方が正しいだろう。

 何となく生命の危険を感じる。ならば生存本能に従っておこう、とそれぐらいの感覚だ。そして現状ではそれが最善。与一としても避難を補助するのが精一杯だった。誰も見捨てる気は無いが、敵が敵だけに護りながらの戦闘は正直不可能だ。立ち上がろうとするクローンから目を離さず、脳内では既に次の一手を考える。

 いくつかの攻撃パターンを予測して迎撃態勢を整えておくのだ。

 

「……どうした、ゴキブリ野郎。そんなにさっきの人間が気になるか? 」

 

 しかし、起き上がったクローンの視線は今しがた自らに攻撃を加えた与一ではなくその背後に向けられていた。

 それは思考ではなく、判断だったのだろう。即ち、より殺しやすい方へと標的をシフトさせる。

 クローンは乱入者である与一ではなく、先程の女性を追いかけようと走り出した。

 

 しかし、

 

「それも予測の範囲内だ!! 」

 

 脇をすり抜ける一歩前で、与一は己の脚でクローンの脚を刈るように払う。

 

「フンッッ!! 」

 

 バランスを崩して倒れた所で頭を思いっきり踏み砕く。

 無駄がない、極めて流麗な動き。

 対象を効率良く破壊する事に焦点を置き、研鑽に研鑽を重ねた戦闘技術。

 敵は人間ではないが、人間の形をしている。その点で対抗する術はある。

 

「はぁッ、はぁッ、はぁッ……! 」

 

 与一はその場の壁にもたれかかるように背を預け、乱れた呼吸を整える。彼の後ろに動くものは無い。敵は悉く息の根を止めた。

 ある程度の戦果は得たと言っても良い。だが、もちろん此方も無傷で済んではいない。戦闘に次ぐ戦闘。体のあちこちから流血し、痛まない場所などなかった。恐らく数カ所は骨が折れているか罅が入っている。内臓へのダメージも看過出来ない。加えて極度な集中状態を維持し続けて来たために精神の消耗も激しく、体力はもはや限界。既に満身創痍だ。

 

「あの〜〜〜〜!! ちょっと聞きたいことがぁ! 」

 

「!? 」

 

 聞こえて来た突然の大声。

 咄嗟に振り返り、声の主を確かめると与一は思わず舌打ちをした。視線の先、数10メートル程離れた所に逃げた筈の女性が走って戻って来ているのが見えたからだ。

 

 

「あんた馬鹿か! 状況見えてないのかよ! 早く逃げろって言ったろうが!? 」

 

 思わず怒鳴るも、次の瞬間その表情が凍る。

 

 カラン、と。

 

 女性のすぐ後ろに、天井から何かが落ちた。

 それは金属製の通風孔カバー。

 そして、黒光りする何かがちらりと見える。

 

 初めから考えておくべきだった。余りにも単純で直線的な行動パターンしか無かった為に見逃していた。

 

 --伏兵の可能性。

 

 ここから女性までは軽く2、30メートルは離れている。生身では間に合わない。

 手元にある切り札の内、必要なのは人間を超えるスピード。

 即ち、"蜘蛛"の特性(のうりょく)

 

 判断は一瞬だった、躊躇いはなかった。

 

 "人為変態"

 

 ガム状の変身薬を口の中に放り込み、噛み砕く。

 直後、腕の筋肉が膨張しスーツの袖を破った。手首には鋭い硬質の刃が、額には複数の目が顕現する。

 足元を踏み抜き、加速。次の瞬間には女性の背後に着地し剛腕を振り下ろそうとしたテラフォーマーの頭部が切断されていた。

 一拍遅れて、纏った空気が突風のように吹き抜ける。

 

「わっ、」

 

 その風に煽られて女性は尻餅をついた。

 

 ここまで、全てが数秒足らず。

 

「……えーと……? 」

 

 何が起きたのか、白昼夢でも見たかのような表情の女性は、与一の後ろ姿を見上げている。

 与一の今の姿は明らかに人間ではない、崩折れたテラフォーマーと合わせて2つの異形を見比べながら何を言おうか考えているようだ。

 

「……さっきも言ったが、今すぐここから離れろ。見た感じあんた外部の人間だろ? 現状、全てが最高機密だ。こいつの正体も俺の姿もな。だから全て忘れろ。あんたは何も見なかった。平穏な生活に戻りたいならそれが最善だ」

 

 与一はそれだけ言い残して、消えるようにその場を去る。

 やむを得なかったとは言え、蜘蛛への変態は悪手だった。このベース生物は、与一の細胞に無理矢理あてがったようなものだ。

 それ故に、身体への負担は通常の人為変態より遥かに高かった。外傷はある程度治癒するが、それを差し引いてもデメリットの方が確実に大きい。

 

 

 

「あー、行っちゃった。聞きたいことがあったのになぁ」

 

 与一が消えた方向を見ながら女性は残念そうに呟く。

 そして、諦めたように今来た道を戻ろうと踵を返した。

 

「ん?」

 

 振り向いたその先、まさに目の前。ソイツはいた。

 

 何の事はない、伏兵は一体では無かった。そこに立っていたのは地面に転がっている異形と全く同じ姿。

 感情を湛えない無機質な目が女性を捉える。

 先に降り立った同族が駆除されるのを見て、それは恐らく判断した。

 

 つまり、自分にとっての脅威が去るのを待ったのだ。

 

 今の女性を守るものはもうない。逃げる場所もない。そもそも、テラフォーマーの身体能力にただの人間は逃げる事すら叶わない。

 

「じょうッ!」

 

 テラフォーマーは女性の首を引き千切ろうと躊躇なく摑みかかる。

 

 与一にとって、これは間違いなく誤算だった。

 そして、

 

 --テラフォーマーにとっても同じく誤算だった。

 

「?」

 

 ぼとり、と伸ばしたその腕が床に落ちた。テラフォーマーに痛覚はない、それ故唐突に腕の感覚が失われた事に疑問を感じた。

 鋭利な刃物で切断されたように滑らかな断面を晒し、疑問はその動きを少しの間止める。

 

「……邪魔なんだけど? 」

 

 次の瞬間には、テラフォーマーの頭部は横に六当分され、それぞれがぼとぼとと床に落ちた。頭を失い、ぐらりとよろめく胴体に、その女性は巨大な鉤爪が生えた腕で貫手を叩き込むと手首を軽く捻った。胸部に風穴を開けられた胴体は既にただの肉塊と化し、そのまま崩れ落ちる。

 

「ったくもう、汚ったないなぁ、お腹空いてるんだから余計な仕事させないでよね。大体テストの後に顔合わせがあるって言うから来たのに、何なんだよもう! 明らかに連絡の不備じゃん! ジェイムスの奴、今夜は絶対回らないお寿司奢らせてやる、3人分は食べてやる。覚悟しろよ」

 

 

 女性は『ジェイムス』という人物に怒りの声を上げながら、手にこびりついたテラフォーマーの体液を拭い取ったハンカチを床に投げ捨ててから面倒くさそうに歩き始めた。

 

「あー、イライラする! 古賀博士の研究室はどこだーー!!」

 

 

 



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