Fate/Kindergarten (皇緋那)
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序──ピック・チャイルドフッド・アップ

オリ鯖、オリマスターによる聖杯戦争です。原作キャラは少しだけ出てくると思います。


 師は言った。

 

「幼子は素晴らしい。無垢にして純粋、原石にして宝石。人が神の寵愛を受けている最初で最後の期間なのだ。ゆえに、この世界は幼子で構成されるべきなのだよ」

 

 なにを言いたいのかはわからなかった。生物としての機能も不十分で、守られることでなんとか生存する。人間においてはそれが十年も続くのだから、非効率的なのではないか。

 そんな問いに師は微笑んで、いつかわかる日が来るとだけ言った。

 

 彼が死した今でもその意味は理解していない。我々が幼子の姿をしているのは、そのようにあれと造られたためなんだということだけを理解した。それだけだ。

 

 年月を経た今ならば、その真意は少しだけわかった気がする。

 

 彼にとって、こどもとは本当に神の痕跡だった。侵しがたいという意味で神秘の領域であったのだ。

 それなら、人類種を神が去ったはずの世界にある一種の聖遺物へと作り替えようと考えるのは、そう屈折したものではないはず。

 

 こどもしかいない世界。それはつまり神代なのだ。

 神に成長はなく、真のこどもにもまた成長はない。星そのものを揺りかごとして、永遠に続く幼稚園(キンダーガーテン)

 成長による絶望も、老化による破滅もない世界は、きっと神秘に満ち溢れているに違いない。

 

 そんな途方もない願いを抱いてしまったのが、我々の創造主にして師である魔術師だった。

 

 叶えるためには奇跡にも匹敵する力が必要だ。生前の師と我々はその方法の捜索に時間を費やし、辿り着いたのはとある儀式だった。

 

 ──聖杯戦争。

 

 七人の何かを欲する魔術師どもが、七騎の英霊をこの世に映し、殺し合う。

 そうして最後に残った一人が万能の願望器を手に入れる。

 

 そんな夢のような儀式が極東の島国で過去に何度も行われたという。

 聖杯、そして七騎もの英霊の魂を糧にした奇跡ならば、きっと全人類をこどもに固定することも不可能ではないに違いない。

 

 だがそううまくはいかないことに、我々が聖杯戦争に参加することは叶わないまま、日本の聖杯は解体された。万能を望むのならば、聖杯の再現から始めなければならなかったのだ。

 

 我々は協力者の一族に土地を用意させ、あらゆる理論を実践し、師が死してなおさらに数多くの方法を試した。

 数え切れないほどの生贄を消費し、そこそこの年月をかけた。

 そして最も幸運なことに、十数年ほどで、我々は聖杯に匹敵する可能性のある器を用意することに成功したのである。

 

「師よ。我々は貴方の願いを叶えましょう」

 

 我々のうち、代表の一人が右腕を掲げる。その手の甲には赤い痣が浮かび上がり、願望の成就への道を示しているようだった。

 すでに七人のマスターの目星はついている。あとは七騎を揃え、そのすべてを滅ぼし、我々が師の悲願を叶えるだけだ。

 

 始めよう。幼き日へと還る戦いを。



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プロローグ
英霊召喚──セイバー


 某空港にて。イギリス発の便から軽やかな足取りで降りてきた少女がひとり。

 桃色の髪をなびかせながら、人々の行き交うド真ん中で仁王立ちしていた。

 

「これにて到着。安全運転に感謝」

 

 手を合わせ、顔も知らぬパイロットに感謝を捧げ、しばらく動かなかったかと思うと急に機敏に動き出す。彼女の身の丈、つまり140センチほどあるスーツケースを傍らに、初めての土地をズカズカ歩いていく。

 

 彼女──ベルチェ・プラドラム23歳は魔術師である。魔術協会総本山たるロンドンの時計塔に所属し、探求の徒として魔術の発展を目指している。

 ──目指しているが、今は探求はお休みして、日本旅行中だったりする。

 

「待っているがいい、まだ見ぬ強敵(とも)よ」

 

 童顔なりに精一杯真面目な顔をして、薄紫の瞳にいっぱいの輝きを宿し、ベルチェは唐突に立ち止まって右手を天に掲げた。周りの人々はいきなりの行動に驚き、視線が集まる。

 その手には、不思議な紋様が刻まれていた。一般人はただの刺青だと思うだろう。それは違う。この紋様こそ、ベルチェが日本旅行を決めた要因なのだ。

 

 日を遡り、二週間ほど前のこと──

 

 ベルチェはじっとしていられない魔術師である。

 時計塔は十二の学科に分かれているのだが、そのうち鉱石、天体、降霊、考古学と転々としてきたが、どの雰囲気もやりにくかった。特に考古学科なんて引きこもってばかりなので、ベルチェには最もない選択肢だった。いまいち琴線に触れない。

 

 そんなベルチェが、次は現代魔術科あたりに移籍しようか、なんて考えていたある日だった。

 日課のお散歩中、通りがかった柴犬に舐め回された直後、彼女は現れたのだ。

 

 雪のような白い肌と髪、透き通る赤の瞳。確か錬金術によって造られる人造人間ってこんな感じだったよな、という容姿の小さな女の子。

 その子が突然路地裏に姿を見せ、ベルチェを手招きした。そしてこう言ったのだ。

 

「お前、叶えたい願いがあるだろう。

 我々は万能の願望器を降臨させる者。

 これより日本で聖杯戦争が行われる……参加する気はないか?」

 

 怪しい勧誘だ。万能の願望器だなんて胡散臭いにもほどがある。

 だが聖杯戦争というワードを、ベルチェは聞いたことがあった。

 

 数年前、日本にあった凄い魔術的ななにかを、ロード・エルメロイII世と御三家トオサカの当主が解体した。

 その解体したものは、かつて英霊を召喚して戦わせるバトルロイヤルを開催して奪い合った代物なんだとか。

 

 それを思い出したベルチェは表情を変えず、怪しいホムンクルス少女に向かって頷いてみせる。

 

「うん、とてもしたい」

 

 動機は単純だ。

 聖杯戦争、まず響きがカッコイイ。さらに生還した人間は時計塔に何人かいると聞くが、その名前はどれもベルチェの耳によく届くそうそうたるメンツばかり。

 つまり勝てば有名人になれる。そうしたら、ベルチェは一躍スーパースター。退屈しない日々が待っているに違いない。

 

 さらに英霊を召喚できるとあっては、もうやるしかない。歴史に名を残すほどの人間に会ってみたいと思ったことは一度や二度ではないし。

 

「そうだ。それでいい」

 

 そういった軽い気持ちでの参加表明であったが、少女はベルチェを認める証として右手に触れてきた。

 すると火傷のような痛みが走り、コイツやりやがったなと思った直後、手の甲には赤黒い紋章が浮かんでいた。

 形状は一本の剣へと複雑に絡み合う拘束具に見える。

 

「カッケェ……!?」

 

「それは令呪。これでお前はサーヴァントのマスターとなる資格を得た」

 

 ──というわけで、聖杯戦争へ参加するための日本旅行である。ちゃんと下調べを行い、触媒も用意してきた。完璧だ。

 ベルチェは自信満々で電車に乗り込み、聖杯戦争が行われるという都市『霜ヶ崎市』へと向かう。

 

 ベルチェの下調べによれば、霜ヶ崎市は自然の豊かな地方中小都市である。

 大きくはない。人口も面積に対しては子どもが多いかなという程度。なんでも、児童保育施設が充実しているのが売りだそうだ。

 あとは取り立てて特徴があるわけでもなかった。山があり川があり、畑がある。

 

 このような土地にも、いや、だからこそか魔術師の手が伸びている。根城にしている一族がいるのだ。

 

 なんでも、本家聖杯戦争の行われた冬木市と比べると落ちるものの、結構な霊脈があるらしい。

 となると恐らく、その一族もグルだ。あのホムンクルス少女を鋳造したのかもしれない。聖杯戦争に参加してくるだろう。警戒対象だ。

 

 やがて霜ヶ崎市に到着して、ベルチェは緊張しながら予約したホテルに向かった。チェックインを終え、スーツケースから小箱を引っ張り出し、そしてそれだけを小脇に出発する。

 ベルチェの未成熟な胸の中はドキドキとワクワクでいっぱいだった。

 

 さて、胸を期待にふくらませながら歩き回り、夜までかかって発見したベルチェと相性のいい霊脈ポイントは川の中洲だった。

 なんだかいまいち決まらない、テンションの下がる結論だが、ベルチェは生まれついての魔術属性として水の素質を持つ。儀式は安定すると思われた。

 

 また、すでに夜は深まっていて、さらにこの中洲はちょうど橋の影になって、あたりの家屋からは見えにくかった。

 これなら神秘の秘匿的にもセーフのはず。自分に言い聞かせ、即席の祭壇を作り、用意した触媒を設置する。

 

 それは何年か前に大枚をはたいて購入した、古い騎士団の旗の切れっ端だ。

 買った理由は一目惚れだったが、八世紀ごろのフランク王国のものと推定される。きっとなにかの英雄にも通じているはずだ。

 

 続けて、鉱石科で以前使っていた宝石を溶かした液体で魔法陣を描いていく。

 消去の中に退去。退去の陣を四つ刻んで、さらに召喚の陣で囲む。

 

 あとは詠唱だ。躊躇う必要はない。殺し合いに身を投じるなんて、ベルチェにとっては些末な問題だ。

 彼女は川の水面に顔を出し、前髪を整え、それから改めて詠唱を始める。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 詠唱を初めてから、召喚を始めると魔法陣が光ってしまうので結局目立つことに気がついた。だが詠唱を止めるわけにもいかず、ベルチェはそのまま召喚の儀を続行する。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 ベルチェの体内で魔力が暴れ回っているのがわかる。迸る痛覚がそれを嫌ほど主張してくる。だが詠唱は続く。

 

「──告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 この世ならざる『座』との架け橋となるべく、少女の体は悲鳴をあげながら儀式を遂行する。毛細血管が破れて痣ができ、陣が放つ赤に照らされていた。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 

 大気から取り込まれる魔力の奔流がさらに加速する。目を開けていられない風圧と光の眩さに、ベルチェは踏ん張りどうにか耐え切った。

 そしてその光の渦の奥はどこかへと繋がり、現れるのは英雄の残影。鎧を纏い、煌めく聖剣を携えた騎士。

 

「──問おう。汝が私のマスターか?」

 

 光が収まり、あたりは再び静まり返った。同時にベルチェも我に返り、慌ててぶんぶん頷く。それにより、召喚されて現れた彼がベルチェのことをマスターと認識する。

 魔力の経路が繋がるのが感じられ、ベルチェは儀式は間違いなく成功したと確信した。

 

「よし、契約は成立だ。オレが喚ばれるってことは、アンタはたぶん変人か苦労人だと思うんだが……おい、アンタなにしてんだよ」

 

「確認している。すんすん、なるほど少年サーヴァントからは少年らしいにおいがするんだな」

 

「おいやめろ、ってか少年らしいにおいってなんだよ! くそ、そっち側の人間だったか……!」

 

 真っ先にベルチェがしたことといえば、顔を近づけて観察することだ。

 さらりとしたブラウンの髪、少し目つきのキツい顔立ち、身につけた騎士の鎧。宝石がはめて飾ってある西洋剣。

 全てにおいて繊細で完璧な造形だ。ベルチェは咄嗟に感想が出なかった。さすがはサーヴァント、カッコ良さに底が見えない。

 

「すごいな……鎧は味見しても?」

 

「なんでだよ!? アンタ、聖杯戦争のためにオレを喚んだんじゃなかったのか!?」

 

「そうだった。こほん、私はベルチェ・プラドラム。時計塔の魔術師」

 

「オレはサーヴァント、セイバーだ……まず人目につかない場所に移動しないか? 川の真ん中だぞここ、よくこんな場所で召喚したな」

 

「思ったより光った。ここが海だったら、今頃イカ取り放題だったと思う」

 

「どういう想定だよ!?」

 

 そんなセイバーとの初めての共同作業は、慌てて魔法陣や祭壇を片付け、ホテルに撤収することであった。念入りに証拠を隠滅し、触媒にした布は小箱に丁重にしまい、また小脇に抱えて川を渡った。

 

 部屋に戻り、改めて確認する。

 セイバーは茶髪の少年騎士の姿をとっている。だからといって子供時代に大活躍した英霊なのかと言われると、そうではないと言う。

 彼曰く、聖杯がどこかしら歪んでいて、全盛期が正しく算出されていないのではないか、とのこと。

 

「それで、貴方はどの騎士?」

 

「オレ個人を狙ったんじゃないのか。触媒は使ったのか?」

 

「これ」

 

 ベルチェがセイバーに見せたのは先程使用した旗の切れ端だ。彼は納得した様子で頷いた。

 

「アンタ、運がないな。かつて十二勇士が掲げた旗の切れ端を使ってオレが出てくるなんて。シャルルやローラン、オジェなんかを引いてたらもっと楽に勝ち抜けただろうに」

 

「ということはそのどれでもない?」

 

「あぁ。オレの真名は……オリヴィエって言うんだが」

 

「オリヴィエ!」

 

 セイバーが控えめに真名を告げるや否や、ベルチェは再び目を輝かせ、彼の手を取りぶんぶん上下に手を振った。

 

「オリヴィエ! オリヴィエ!」

 

「お、おい、がっかりとかしないのかよ、オレは他の奴らみたいに目立った武勇なんて」

 

「何を言う。貴方は英雄に間違いない。だってこんなにカッコイイじゃないか」

 

 彼は目を丸くし、しばしベルチェにされるがままであった。その隙に鎧の味見をされかけたのだけはさすがに止めたが。

 それからひとつ深呼吸をし、彼女の手を握り返した。そのスカイブルーの瞳に此度の主を映す。

 

「……決めた。オレがアンタの剣になる。だから一緒に戦ってくれ、ベルチェ」

 

「無論。負ける気はないし、全くしない」

 

 口を開け、にぱっと笑うベルチェ。セイバーはその姿に、かつて共に戦った仲間の顔を思い出し、つられて笑ってしまうのだった。



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英霊召喚──アサシン

 黒い手が伸びてくる。

 

 いくつもの腕、腕、腕。皮を剥がされ肉だけのもの、壊死により変色したもの、切り落とされて浮いているもの。大量の細い指が彼女へと伸びていった。

 嫌だ、やめてと泣き叫んでも、誰かに届くはずはない。ここは人の世界でなく、また腕の群れは憎悪の塊に過ぎないからだ。彼女という悪霊を喚ぶ過程で巻き込まれてしまった、誰かの見た悪夢の結晶なのだ。

 

 冷たい指が全身を這い回る。

 視界を覆い尽くした腕の群れが、おまえの居場所は暗い小さな部屋だと知らしめてくる。逃げるな、忘れるなと咽ぶ声が頭の中に染みついてくる。苦痛と絶望と死の記憶が次々と流れ込んでくる。

 自分が塗り潰されているのか、それとも鮮血の海に自分を塗りつけているのかさえわからない。

 

 聖杯が引きずり出したのは、そんな少女であった。

 

 ──某県にある霜ヶ崎市、郊外の墓地。時間は日付が変わった頃のことだ。闇に沈んだ墓地に突如眩しい光が放たれ、すぐに収まった。

 それは怪異によるものではなく、またリンの自然発火やプラズマによるものであるはずもない。召喚の儀が執り行われたのだ。

 

 儀式の実行者である女魔術師は、目の前の結果に薄気味の悪い笑みを浮かべている。闇に溶け込むような墨色の頭髪を掻き、嬉しそうに魔法陣の中央に声をかける。

 

「あ、あなた、だよね。わ、私のサーヴァント」

 

 光の晴れた後の暗闇には、病的に白く痩せ細った少女の後ろ姿がぼんやりと浮かんでいる。

 彼女は生気のない濁った瞳であらぬ方向を見つめ、ぶつぶつとなにかを呟いているばかりだ。

 

「あ、あのさ。け、契約、しないと、でしょ? ねぇ、返事、してくれてもいいんじゃ──」

 

 魔術師の女は先の問いが彼女に聴こえなかったと判断し、不用意にも左手を少女の肩に乗せようとする。

 

 次の瞬間、魔術師の左手からは親指のほかの指が消え、切断面から鮮血が迸った。

 見ると、いつの間にか少女の細い手がナイフを握っている。切っ先には血液が付着しており、そこまで認識してはじめて、魔術師は自分を襲う焼けつく痛みを味わった。

 

「──ッ!?」

 

「貴方は……(アタシ)に痛いことをするヒトなの? なら、殺さなきゃ……」

 

 魔術師は飛び退く。そんな彼女のほうを、体をねじって少女の虚ろな瞳が追った。彼女の衣服は肌の露出が多く、浮きあがった肋骨とは不釣り合いに大きく発育した胸が目につくが、今はそんなことは考えていられない。

 このままだと殺される。本能が悲鳴をあげる中、魔術師は自らの右手に浮かんでいるものを思い出した。

 

「れ、令呪を以て命ずる! やめて、話を聞いて!」

 

 聖痕の輝きが消費され、少女は一瞬だけ立ち止まった。それだけだった。濁りきった目は怯えた色のまま魔術師に迫り、ナイフの切っ先が向けられる。

 一画では足りないというのか。歯噛みしながら、二度目の命令を唱えるしかない。

 

「かっ、重ねて令呪を以て命ずる! 私の話を聞けっ!」

 

 彼女の動きが止まり、魔術師は呼吸を整え、語りかける。

 

「あ、貴女を召喚したのは私なの。つまり、ま、マスターってことになる」

 

「マスター……それって、私を殺さないヒト?」

 

「わ、私には貴女を殺せない。令呪ももう一画しかないもの。ね、ねぇ、貴女も聖杯が欲しいんでしょう?」

 

 少女は首を傾げた。

 

「わ、私と一緒に戦えば、なんでも願いが叶うの。ね、ねぇ、契約してくれない?」

 

 今度は頷いてくれたが、まだ安心できなかった。

 サーヴァントは召喚の際に聖杯から知識を与えられるはず。それなのにこんな様子で、迷わずに召喚者を殺そうとした。どういう訳だろう。魔術師は不安に襲われる。

 

 確認のため、目の前の少女のステータスを覗く。確かに彼女は自分のサーヴァントだ。クラスはアサシン。先程の話で契約は成立しているはず。

 確かに表示されるマスターの名は魔術師のもの、『レイラズ・プレストーン』となっている。

 

 レイラズは左手で胸を撫で下ろし、そのせいで着ていた白い服を血に汚す。まだ出血が止まっていなかったことを思い出した彼女は、慌てて止血を開始した。

 

「……ねぇ、マスター。私は誰なの? 私は何処なの?」

 

「ど、どういうこと? 貴女、エリザベート=バートリー(・・・・・・・・・・・・)でしょう……?」

 

 レイラズが出したその名前は『血の伯爵夫人』と称された連続殺人鬼であり、後世においては吸血鬼ともされた人物だ。数多の少女たちに凄惨な拷問を行い、殺害してきた反英霊である。

 この召喚に使われた触媒とは、そんな彼女が拷問に使用したといわれる凶器の一本だった。レイラズは追加詠唱にてアサシンのクラスを選び、エリザベートを召喚しようとしたのだ。

 その結果が、手指四本に令呪二画もの損失であったわけだが。

 

 呪われた名を耳にして、アサシンは虚ろな瞳のまま自らのマスターを見つめている。彼女の唇はひっきりなしになにかを呟き続ける。

 

「エリザベート……そう……そうだわ。私はエリザ。ラインフェルトでもローラでもカーミラでもないわ……そうよエリザ、しっかりしなさい……」

 

 聞き取るのも精一杯で、なにかに苦しめられているみたいに早口だった。だが、彼女が頭痛持ちで、誰かの悲鳴を耳にしている間だけは和らいだという逸話もある。

 そういう人物なんだろう、とレイラズは認識した。

 

「い、一応、自己紹介、しておくね。私、レイラズ・プレストーン。一族が全滅しちゃって、その再興を賭けた聖杯戦争なんだよね。私には、正直どうでもいいんだけど。貴女に会いたかっただけだから」

 

 アサシンからの返事はない。レイラズもあるとは思っていないだろう。代わりに、召喚陣の傍らに置いてあった大きな荷物から念入りに拘束されたひとりの女の子を乱雑に取り出し、アサシンに見せた。

 

「この子ね。私の一族の滅亡に関わってて──」

 

 レイラズの話を聞くことなく、アサシンの手が少女に伸びていく。濁った目は拘束された女を視認した瞬間に、彼女を獲物だと認識したらしい。

 彼女の拘束具は涙をはじめとした体液で濡れていた。レイラズとアサシンのやりとりを聞かされ、目の前の相手が殺人鬼のサーヴァントだと理解してしまっているのだ。

 

 アサシンはナイフで少女を覆う布を剥ぎ取っていき、哀れな獲物の頬を撫で、そして胸に刃を突き立てる。

 夜の墓地に悲鳴が響き、その音色にアサシンは身をぶるると震わせた。アサシンの声色が明るく変わり、彼女の表情に束の間の生気が宿る。

 

「怖いでしょう、痛いでしょう? 知っているわ。教えられてしまったもの。だからこうするの。こうするしかないの」

 

 胸から剥ぎ取られた未成熟な脂肪の塊をねぶり、鮮血を舐めとった。

 血の味も、呻く声も、歪む表情も、アサシンの下腹部を疼かせるばかり。これは魂食いではない快楽に過ぎず、彼女にとっての精神安定剤。ただの陵辱である。

 

「まだ、まだ足りないわ! ブタみたいに泣き叫んで、リスみたいに踊り狂いなさい! 惨めに死んで、私は殺人鬼エリザベートだって突きつけてよ!」

 

 もう片方の胸が摘出され、放り捨てられ、続けて刃は下腹部に伸びた。今度は子を孕むためのモノが取り出される。その次は卵子を造る器官。女を貪り尽くすような虐待が繰り返される。

 乱雑な解剖に尿道が壊れ、被害者は失禁すら許されなかった。彼女はもはや、自分が早く死ぬことを祈っていたことだろう。

 

 時折、被害者は助けを求めてレイラズに視線を向ける。だが、彼女が救いの手を差し伸べてくれるはずがない。

 

 レイラズは切り取られた人体の部品を拾い集めていた。自分の指も含めて、死霊術も修める彼女にとって、魔術師の残骸は優秀な素材足り得るからだ。

 同時にアサシンの凶行から目が離せないらしく、よく手が止まっていた。アサシンの手元を見つめる瞳は、紛れもなく憧れの視線である。

 

 やがて少女は絶命し、大量の血痕だけを残して動かなくなる。遺骸はレイラズにより回収され、後に再利用されるであろう。

 中身がバラバラになり詰めやすくなったためか、レイラズの荷物はもとより少し小さくなっていた。

 

「か、解体、ありがとう。おかげで、加工しやすくなったと思う」

 

 深く頭を下げるレイラズ。

 白い肌を返り血に汚したアサシンは、怯えながら笑っていた。主の言葉が聞こえていたのかどうか、定かではない。

 

「もっと、もっと殺さないといけないわ。だってこれは戦争なんだもの。どんなに痛くても……どんなに苦しくても……これは悪いことじゃないわ」

 

 彼女にとっての聖杯戦争とは、拷問の免罪符でしかないのだろうか。エリザベートは聖杯になにを願うのだろう。

 

 ──まあ、そのくらい、どうでもいいか。

 

 レイラズが頭に浮かべた疑念は、すぐに振り払われていった。

 

 かくして、血の伯爵夫人と、彼女に憧れる零落した魔術師の聖杯戦争(ひとごろし)が始まることになる。



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英霊召喚──アヴェンジャー

 霜ヶ崎市のとある教会に勤めるシスター、雪村(ゆきむら)小夜(さよ)は近頃嫌な夢を見る。

 自分が自分ではない誰かと混ぜ合わされて、意識が薄く伸ばされて、自分が消えていく。そんな夢だ。

 体も心も、魂までもが引き裂かれる感覚。それは現実世界でも思い出しては立ちすくみ冷や汗をかいてしまうほど恐ろしく、気味の悪いものだった。

 

「……うわ、寝汗やば」

 

 小夜はその日もその夢を見て飛び起きていた。この頃寝付きが悪く、深夜に目が覚めた挙句二度寝も出来ず、頭を抱えながら歩くのはよくあることだ。

 

 時計を見ると、針が指しているのは午前2時。朝のお祈りまではまだ時間がある。

 

 小夜は他の修道女たちを起こさないようそっと行動を開始した。

 着替えの途中で寝汗を拭き取り、部屋を出ようとし、そういえば返し忘れていたものがあったと机の上の絵本を手にとる。

 

 題名は「マッチ売りの少女」。使徒職の一環で幼稚園へ読み聞かせに赴いた際に持っていったものだ。教会の本棚に置いてあったのを借りていた。

 子供たちに聞かせるにしては悲しすぎる。けれど、昔から小夜はこの童話を嫌いになれない。

 

 誰からも助けられず、誰にも知られず、ひとり凍えて消えていった女の子。

 シスターになったのも、彼女のような子どもに手を差し伸べられるように、なんて動機だっただろうか。

 

 そんな感慨を抱きながら、絵本を片手に部屋を出る。

 まだ19歳でしかない小夜が、まだまだ暗い時間帯に独り出歩くのはよろしくない。それは本人も理解している。

 だが、自然にでも触れていないと、夢のせいで気が狂いそうだった。

 

「最近ただでさえ体調よくないのに追い討ちかけないでほしいですよ、ほんと」

 

 誰に聞かせる訳でもない嘆きをため息まじりに吐き捨て、やる事もないので花壇の花に水をやり、あとは気分を紛らすための放浪だ。

 花を眺め、月を眺め、さすがに夜は寒いので屋内に戻る。

 

 無論、教会には誰もいない。小夜が幽霊を信じていたとしても、ここは教会で彼女はシスターだ。悩みを聞いて成仏させる努力はするだろう。

 けれど、相手が生きた人間で、かつ道徳を持ち合わせていないのならそうはいかない。

 

 そして最悪なことに──この日、偶然にも教会は無人ではなかった。

 

 礼拝堂に人影があることに気がつき、小夜は怪しみながら影から様子を見た。人影は男性、それも金髪で外国人だろうか。少なくとも小夜の知っている人物ではないことは確実だ。

 

 不法侵入者。こんな深夜に、泥棒にでも入ったのか。それなら、ここはシスターとして注意しなければ。

 

 小夜は頭痛を覚えつつも、礼拝堂へと足を踏み入れようとした。

 

「──何者だ!?」

 

 なにか見えない膜に触れて破ってしまったような感覚がして、小夜は驚き目を丸くする。と同時に、男は振り向き構えた。

 

「あ、えっと、待ってくださいね。私、ここのシスターなんですけど、なにも盗らなかったら警察に通報まではしないっていうか」

 

「シスターだと? 人払いの結界を施しておいたはずだが……まさか、貴様聖堂教会の!?」

 

「えっ、なんの話ですか? 泥棒用語?」

 

 小夜には男の言葉の意味がわからなかった。彼が慌てている理由も、泥棒行為がバレたからだと思っている。

 だがそうではない。

 

 足元には首をはねてあるニワトリが数羽ほど転がっていて、床になにかしらの魔法陣が書いてある。

 実の所、この教会は霜ヶ崎の中でも龍脈がある程度集まっている土地に建っていた。男の正体とは、そこへ忍び込み、サーヴァント召喚の儀式を行おうとしていた魔術師である。

 

 そんなことをただの一般シスターである小夜が知るはずもない。首を傾げるばかりだ。

 だが魔術師の参加しようとしている儀式──聖杯戦争には目撃者の抹殺というルールが存在していた。神秘の秘匿のため、一般人は殺さなくてはならない。

 

 ゆえに男は腕を構え、魔術を放った。小夜が避けられるはずもなく、それは銃弾めいて彼女の胸を貫いた。

 

「──え?」

 

 手足に力が入らなくなり、痛みに叫ぶ間もなく小夜は倒れ伏した。

 穿たれた心臓は経験したことのないほど脈動し、そのたびに孔から大量の鮮血が溢れ出ているのがわかってしまう。

 それは夢の中で見た自分が消える感覚のようで、痛いよりも不快だ。

 

 ──私、ここで死ぬのか。

 

 霞む視界に映る絵本は、彼女の運命を象徴しているようにも見えた。

 誰にも助けられず、誰にも知られず、ひとり凍えて消えていく。

 

 ──それが雪村小夜という女の運命なら構わない。けれど、最後に幸せな幻影くらい、見せてほしかったな。

 

 そんなふうにかすかな願いを抱き、小夜は瞼を閉じようとした。

 

 直後、その願いが聞き届けられるとは知らずに。

 

「な、なんだこれは!? 馬鹿な、私はまだ詠唱もしていないんだぞ、なのになぜ起動している!?」

 

 男が鶏の血で描いていた魔法陣より、突如炎が噴き上がる。赤く、赤く、生命を肯定するように輝き、渦を巻く。

 

 その内側より現れたのは少女だった。

 ぼろぼろの服を身に纏った、小柄で痩せた哀れな童女である。

 

「──あなたが私のお父様(マスター)かしら?」

 

 炎が晴れ、彼女は幼く無邪気な笑みを見せた。

 魔術師は問いかけが自分に向けられたものだと気がつくと、大きく頷きながら答える。

 

「そ、そうだ! おまえは私のサーヴァントだ、ほら、ここに令呪が」

 

 だが、彼が答えたその瞬間だ。炎の群れが右腕を包み込み、焼き尽くした。一瞬にして炭化した腕は崩れて地面に落ち、もはや痛覚が作用することもなく、また彼の魔術回路に根付いていた聖痕はもはや跡形もない。

 

「あら? 嘘はいけないわ。令呪なんてどこにもないじゃない」

 

 遅れて状況を認識した男だったが、すでに詰んでいる(・・・・・)。直後、炎の少女の指先が彼の頬を撫でた。およそヒトの体温ではない灼熱に肌が焦げる。

 

「嘘つきさんにはおしおきしなきゃ、ね?」

 

「待っ──」

 

 言葉を遮って、彼は熱に呑まれ、瞬間的にその生を終える。残るのは灰になって崩れ落ちる肉の成れ果てだけ。

 そうして一仕事を終えた少女は、無邪気な笑顔を崩さないまま、倒れている小夜に歩み寄った。

 

「幸せな幻想(ユメ)を見たいんでしょう。私が見せてあげる。あなたが凍えていなくなる前に、暖かな(ほのお)で包んであげる」

 

 小夜は目の前の少女がなにを話しているのか聞き取れないまま、目を閉じて意識を手放した。

 

 ◇

 

 小夜が目が覚めすと、すでに日が昇っていた。天井は見慣れた自室のもので、寝転がっているのもベッドで間違いない。

 今までなにをしていたのだろう。うまく思い出せず、小夜は自分の胸を確認した。いつも通り、傷一つない綺麗なEカップである。

 

「ということは、夢オチか。最近悪夢続きでほんと嫌になる──」

 

「あら、目を覚ましたのね、お姉様(シスターさん)

 

「──っ!?」

 

 視界に飛び込んできたのは破けたフリルや傷んだ金髪だ。それは夢の中で炎より現れ、不審者を燃やして助けてくれた女の子だった。

 

「えっ? ちょ、あれって現実だったんですか? だったら私、もう心臓ぶち抜かれて死んでるはずじゃ」

 

「そこはよくわからないわ。私も魔術には詳しくないもの。でも、お姉様(シスターさん)の回路は随分と良質だから、無意識のうちに治してくれたのかも」

 

「魔術? え、私、魔法使いなんですか?」

 

 あの男もこの少女も知らない言葉をたくさん使ってくるな、と小夜は思った。聞きたいことは山ほどあり、言い出せばきりがないだろう。

 でも何よりも気になるのは、少女の正体であった。炎の中から出てきたと思ったら炎を操ったり、彼女も魔法使いなのか。

 

 そのことを聞くと、女の子はくすくす笑い、その場でくるりと回ってみせた。

 

「私はお姉様(シスターさん)のサーヴァントよ。クラスはアヴェンジャー。よろしくね」

 

「サーヴァント? アヴェンジャー……?」

 

 事情は不明ながら、あだ名で呼んでほしいなら小夜もそうしよう。首を傾げつつ、頷いた。

 ふと時計が目に入る。時刻は朝8時。すでにお祈りの時間を過ぎている。

 

「あ……私、お勤めが」

 

「あなたがあまりにも辛そうだったから、今日はゆっくり休んでいいことにしてもらったわ」

 

「あ、えっ、ありがとう、ございます」

 

 実際、体の内側が熱く、凄まじい疲労感もある。さらには四肢を動かそうとすると少し違和感を覚えてしまう。

 これだと使徒職は満足にこなせそうにない。誰かが代わってくれたのだろう。

 ここは恩情に甘え、お休みさせていただこう。

 

 小夜はそのままベッドに入り直し、アヴェンジャーの視線を感じて落ち着かないながらも、なんとか眠りにつく。

 

 『復讐者(アヴェンジャー)』。雪村小夜は知らないが、それはエクストラクラスと呼ばれる異端のサーヴァントだ。少女もまた、人々に復讐を望まれ歪められた者の一人である。

 彼女はベッドの傍らで、眠る小夜を眺め、やがて小さな声で呟いた。

 

「待っていてね、お父様(マスター)。きっと、あなたを(ころ)してみせるから」

 

 ──巻き込まれたシスターと、かわいそうな少女。ふたりが織り成す運命は、幸せな夢か、それとも凍える破滅か。



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英霊召喚──ランサー

 いつもと何も変わらない朝。日が昇る頃に起床し、定められた朝の支度を終え、少年はいつものように登校する。

 

 ここは霜ヶ崎市の北部に位置する児童養護施設の一つだ。出生のわからない子どもたちを引き取り、学校というていで育てている。

 

 少年はそんな施設で暮らす生徒のひとり。彼の役割からとって『生き物係』と呼ばれている。進んで立候補した役職でなく、余ったからそうなっただけの役割だったが。

 

 付属の寮にある自室から、いつも授業の行われる教室までは遠くない。今日も到着は5時半ぴったり。1分の遅れもない。

 

「おはよう。今日もちゃんと来たわね、根暗。さあ、行くわよ」

 

 教室にたどり着いた彼を真っ先に出迎えたのは、艶のある黒髪をくるくると巻いたツインテールにしている十歳前後の少女。子供たちのリーダー的存在である『委員長』だ。

 彼女は元々クラスの全員を指揮する役割で、生き物係にとっては遠い存在だった。

 以前なら、こんなふうに朝出迎えて挨拶をしてくれることがありえないくらい。

 

 そのため生き物係が呆気にとられていると、脛に痛みが走った。委員長に蹴られたらしい。

 

「なに呆けてるの? 私を待たせる気?」

 

 生き物係はそう言われ、今日まだ一歩も踏み込んでいない教室に背を向けた。委員長は機嫌がよくない様子で、普段より歩調が早い。

 

「なんでこんなやつに令呪が渡されるのよ……なんで優秀な私じゃないの……」

 

 委員長が勝手に歩いていく途中、ふたりの間に会話はない。恨み言に近い呟きを委員長が繰り返すだけだ。

 

 委員長の言う令呪とは、どうやら生き物係の手の甲に刻まれた紋章のことを指している。

 何の説明もないまま不思議な少女から渡されたため、生き物係には令呪という言葉の意味も、委員長の嫉妬の理由もわかっていなかったが。

 

「あんたみたいな根暗にも役割を与えてあげるなんて、先生方は優しいわよね」

 

 これまでに何度も言及してきたが、この教室において『役割』は絶対である。

 大人たちに与えられたそれぞれの生活、振る舞いを徹底しなければ、役割を剥奪されるのだ。

 クラスに役割のない人間は、つまり必要が無いということになり、不要品として廃棄されてしまう。廃棄になった者に再会できた者はいない。

 

 外部から見たなら、それはあまりに異様。管理者は気がふれているに違いないと思うことだろう。実際ふれているのかもしれない。

 しかし、檻の中の生徒(マウス)たちにとってはそれが当たり前だった。

 

 委員長は中でも優秀だと大人に認められていて、生徒たちの中では最高の権力を持つ。生き物係のような下っ端を手足のように使うことも、当然できる。

 

 彼女は少年を中庭のウサギ小屋の前に連れてきた。そして、彼の背中を蹴って中に入らせ、次の命令を下す。

 

「ウサギを2羽……そうね、ピョン太郎、ウサのすけあたりにしましょうか。これで殺しなさい」

 

 委員長の手で、ウサギ小屋の中にナイフが投げ入れられた。先日授業で使われた儀礼用のものだ。刃は落としてある。

 それでも尖端は充分鋭利で、小動物くらいなら簡単に殺せるだろう。

 

「でも……」

 

「早くしなさいよ。先生が来るまでまだ時間はあるけど、授業に遅れるなんてありえない。あんたはともかく、委員長に遅刻は許されないわ」

 

 苛立つ委員長が小屋を叩き、木が軋む音がした。生き物係は躊躇いつつも2羽のウサギを取り押さえ、もがく彼らの首を突く。

 可哀想だったけれど、少年は委員長には逆らえない。逆らってはいけないのだ。

 今までずっとお世話をしてきたウサギたちの命は、この日委員長の役に立つためなんだと自分に言い聞かせ、次の命令を待った。

 

「なにを泣いてるの? 自分の涙に価値があるとでも思って?」

 

「そんなこと……」

 

「委員長の命令に従えない生徒は私のクラスには必要ないの。わかったら黙ってウサギの血を採っておきなさい。血で魔法陣を書くわ」

 

 言われるままに、採取したウサギの血液を用いて魔法陣を描いていく。生き物係はその意味を知る由もないが、それは英霊を召喚するための陣だ。

 

 委員長は令呪が聖杯戦争への参加資格だと知っている。ゆえに、先生に選ばれたのが自らではなかったことに憤り、またこうして生き物係を使ってサーヴァントを召喚させようとしているのだ。

 

 そんなことは露知らず。生き物係は委員長に詠唱のメモ書きを渡され、その通りに儀式が始まった。

 生き物係の魔力回路が脈動し、大気のマナを大量に巻き込み、魔法陣が光を放つ。その感覚は異様で痛みを伴ったが、命令に逆らわないため、生き物係はどうにか耐えて詠唱を続けた。

 

 委員長は儀式の進む様を見て頬を上気させている。生き物係などは眼中になく、彼女が光の向こうに見ているのは、自分が大人たちに褒めちぎられる世界だった。

 

「えぇ……そう、これよ、これだわ! 間違いない、サーヴァントの召喚儀式! これを成功させたら、私は先生にもっと認められ──」

 

 その瞬間、魔法陣の中央よりこの世ならざる者が姿を現す。少女の胸を貫きながら。

 生き物係が召喚したそれは人の形をしていなかった。鋭く尖った植物の蔓であり、少女の血を啜り蠢いていた。

 

「──かはっ、な、なによ、これっ……? いやっ、やだっ、はいってこないでよ……いやっ! 私を、私をとらないで……!」

 

 蔓の群れがひとりでに動き、彼女の体に空いた穴へと飲み込まれていく。委員長の懇願も虚しく、植物は止まらない。先生に助けを求め、必死で掴んで引きずり出そうとし、だが抵抗は意味をなさなかった。

 やがて少女は白目をむいて立ったまま痙攣をはじめ、悲鳴をあげることもしなくなった。そのころには、怪植物は彼女の体内への侵入を終え、視界から消えていた。

 

 魔法陣の傍らには生き物係と、胸にぽっかりと穴の空いた委員長だけが残る。その断面からは骨の白や肉の赤が見えていたが、不思議と出血していなかった。

 

「……委員長?」

 

 不審に思って話しかけると、彼女は振り返り、胸の穴など全くないかのように平然と答えた。

 

「えぇ、私は委員長よ。なにかおかしいかしら?」

 

 そのつんとした表情も、気の強そうな声も、紛れもなく委員長のものだ。しかしそれはどこか無機質で、まるでビデオを再生しているような感覚に陥る。

 だがいずれにしても、相手は委員長に相違ないのだから、異論を持てばまた蹴られるかもしれない。生き物係はそう判断し、目の前の少女の問いかけに首を振った。

 

「それならよかったわ、マスター……いえ、生き物係?

 少し長い呼び名ね。頭文字をとっていっちゃんでいいかしら?」

 

 今までになかったほど親しげに話す委員長。

 彼女の姿を見て、生き物係の脳裏には見たことも無い表示が現れる。

 それは目の前の少女がサーヴァント、ランサーであることを示すもの。だが、聖杯戦争のことなどなにも知らない彼は、理解が追いつかないまま呆然とするしかなかった。

 

「嫌だったかしら?」

 

「う、ううん、全然そんなことないけど」

 

「じゃあいっちゃんって呼ぶわね。よろしく、いっちゃん」

 

 至近距離で覗き込まれ、彼は驚きながら委員長の振る舞いに違和感を覚えていることを隠した。

 先の儀式の意味も尋ねたりはしない。彼はそれよりも、ふと視界に入った中庭の時計に対して反応を示した。

 

「あ、も、もうこんな時間……僕、水やり、しなきゃ」

 

 気がつけば朝日が昇り、役割に定められた時間通りの行動から外れるところだった生き物係は、慌てて如雨露を取りに行く。

 だが、死んだウサギや中庭に作ってしまった血の魔法陣の後始末も必要だと気が付き、足を止めた。

 

「大丈夫よ、こっちの処理は私がやっておくから。いっちゃんは自分の仕事をやりなさい」

 

 彼は頷き、委員長の命令に従った。再び自らに与えられた仕事を行うべく動き出した。

 それを見届けた少女(ランサー)は、貼り付けたような笑顔のまま、ウサギの残骸を焼却炉へと運んでいく。

 

 少年はまだ知らない。目の前のものはすでに委員長などではない、別のナニカになってしまったことを。



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英霊召喚──バーサーカー

 霜ヶ崎という土地に入り込んだ魔術師の家系として、聖杯の設置以前から瀬古(せふる)家が存在している。

 彼らは聖杯戦争の企画者たる魔術師たちの接触に際し、聖杯の降臨という大掛かりな儀式の舞台に選ばれたことを名誉とし、快く引き受けた。

 瀬古家からマスターを輩出することを交換条件に、土地を貸し、共に聖杯の探求を行うと決めたという。

 

 そして、その数十年後。

 現在の当主である少年、瀬古春(せふるはる)の元に、聖杯戦争を行うため動いていた者が姿を現していた。

 

 相手は髪も肌も真っ白で、瞳の赤い少女だった。ストレスにより色が抜けてしまった、といった外的要因によるものではなく、元より色素が薄いゆえの容姿だろう。

 

 インターホンを鳴らしてきた彼女に対し、春は家にあげてお客として座布団を出した。これで正しい対応なのかはわからなかった。

 

「えっと……うちのひいじいちゃんの知り合いなんだっけ」

 

「厳密に言えば、ノーです。瀬古様と親交があったのは我々ではなく師であります」

 

「そ、そっか」

 

 彼女の名前は『ドロレス』という。人造人間、ホムンクルスだ。

 かつてこの土地で聖杯戦争をしようと考え、瀬古家と親交を持った魔術師の被造物。ゆえに、春の曾祖父とは直接の面識はないのかもしれない。

 

 両親とはなにか難しい話をしていたのを見た事があるものの、それは昔の話で、話の内容は覚えていない。

 

「お兄ちゃん、お茶持ってきたよ」

 

「あ、ありがとうな、明日菜(あすな)

 

「ううん。ドロレスさんは大事なお客様なんだから。ちゃんとしたお茶を淹れないと」

 

 お茶を運んできたのは、春と同じ茶の髪を、後ろでポニーテールにしている少女。

 彼女──瀬古明日菜は春の妹だ。魔術師としての腕は春よりも上で、両親が2年前に死んだ際には、まだ10歳の彼女にほとんどの魔術刻印が受け継がれた。

 春はそんな彼女の生活を支えるため、通っていた高校を中退し、今は明日菜の親代わりとして過ごしている。

 

 明日菜はドロレスの前に緑茶の入った湯呑みを置いたが、彼女が手をつける気配はない。ホムンクルスにお茶は要らなかったのだろうか。

 春の心配をよそに、ドロレスが口を開く。

 

「間もなく聖杯戦争が始まります。すでに五騎が召喚され、残る席は二つ。

 そこに、我が師と瀬古(おう)の盟約により瀬古家からマスターを擁立したい」

 

 ドロレスの視線が明日菜に向いた。

 

「そして、魔術回路の質や量は貴女の方が高いという測定結果が出ています。瀬古明日菜様、是非我々に力を貸していただきたいのですが」

 

「……! うん、私、頑張るよ!」

 

「待ってくれ。明日菜はまだ12歳、小学生なんだぞ。殺し合いに参加させるなんてありえないだろ」

 

 やる気を見せる明日菜だったが、春に声を遮られ、驚きの表情で振り向いた。

 

 彼は両親が死んだ時から、妹だけは守ると決めていた。いくら春以上に魔術の素質があるといってもまだ幼く、修練の途中だ。彼女はまだ、兄の庇護下にいなくちゃいけない。

 その考えのもと、彼は明日菜がマスターとなるのを拒否したのだ。

 

「そう言われましても……我々の一存で師と翁の盟約を破棄するわけにはいきません。どちらかには令呪を受け取っていただく必要があるのですが」

 

「俺がやる……聖杯を手に入れる。だから明日菜には関わらせないでくれ。いいな、ドロレス」

 

 ドロレスは聖杯が手に入るのなら関係がないと答える。そうだろう。彼女は師の悲願を叶えるために作られた助手であるだけで、手段は問わない。

 だが一方で、明日菜はどうも納得していないらしかった。

 

「お兄ちゃん、私より魔術は得意じゃないって」

 

「安心してくれ。明日菜のことは絶対に守るから」

 

「……もう、お兄ちゃんのわからず屋ッ!」

 

 明日菜はそう吐き捨て、走っていってしまった。乱暴にドアが閉められる音からして、自室に戻ったのだろう。

 追いかけようと立ち上がる春だったが、ドロレスが手を引いて止めた。

 

「我々も早く七騎を揃えてしまいたいのです。瀬古春様、貴方をマスターとします」

 

 そのまま令呪の譲渡が強行される。手の甲に聖痕が現れる感覚は焼けた針金のようで、思わず苦痛に表情を歪める。だがその程度、妹のためだと思えば痛くない。

 やがて痛みが消え、ドロレスが手を離した。春の手にはしっかりと令呪が刻まれており、確かにマスターとして認められたようだ。

 

「では、我々はこれで。次に会う時はあなたの使い魔も一緒だといいですね」

 

 そう言って、お茶も飲まずにドロレスは去っていった。サーヴァントは現状5騎、ということは残り一人のマスターのもとへ急いだのだろうか。

 

 ひとり居間に残された春は、ぬるくなったお茶を飲み干し、湯呑みを片付けてから居間を後にする。

 向かう先は代々受け継がれている工房だ。春の魔力とも相性がよく、何よりも触媒を取りに行かなければならない。

 

 曾祖父の代から既にドロレスたちとの交流があったため、瀬古家も独自に準備していたものがある。

 財産の何割かをはたいて買い上げたという聖遺物。全貌は春もよく知らないが、なんとインドの大英雄、アルジュナを喚ぶための触媒なんだとか。

 

 地下室へと続く階段を降りれば、そこは両親がドロレスとともに研究していた工房がある。

 薄暗い地下室に様々な魔術の道具が転がっていて、中央に鎮座する一際大きな培養槽には凍結された胎児が浮かんでいる。常人が見れば不気味な光景だ。

 

 春にとってはもはや慣れっこであったが、秘蔵の触媒がどこにあるかまでは知らない。奥の方にまで歩いていこうとして、春は開いてあった書物に触れた。

 

 その瞬間、繋がって(・・・・)しまった。

 

 魔力を通したわけでもないのに、頁に書かれていた魔法陣が輝きだし、さらには令呪がつられて疼き始める。

 何が起きているのか理解する前に、痛みは全身へと広がり、春はその場に立ち尽くして耐えるしかない。

 

 だが異常な現象はこれだけでは収まらない。凍結されているはずの培養槽が稼働し、霊脈から魔力を吸い上げ、胎児へと注ぎ込まれていくではないか。

 それはひとりでに成長をはじめ、培養槽を内側から破壊し、胎児から幼児、幼児から少女の姿となる。

 

 そうして、工房には彼女が降り立った。

 長く伸びた黒髪。純白の肌。培養液に濡れた、女性らしく発育している肢体。

 春が見惚れているうちに閉じられていた瞳が開き、紅玉(ルビー)のような赤の輝きに春の姿が映された。

 

「──あぁ。やっと会えたわ、私のお兄様」

 

 お兄様?

 頭がこんがらがる。なぜ凍結されたはずの胎児が勝手に成長し、こんな胸の大きな女の子になるのか。そして、その女の子がなぜ春のことをお兄様と呼ぶのか。

 

 気がつけば令呪から走る痛みも輝きもなくなっている。答えは見えないが、まずは目の前の少女をなんとかしないと。

 春は彼女が何の衣服もまとっていないことをやっと認識し、慌てて視線を逸らした。

 

「だ、誰だかわかんないけど、とりあえず服を……!」

 

「あら? お兄様になら見られてもいいのに……でもお兄様がそう言うなら」

 

 彼女の体の周りに、局部を隠すいくらかの布地と、金色の装身具が作られていく。魔力によって編み上げているようだ。

 腹と脚の露出は多いまま、最後の仕上げに髪をまとめてツインテールにすると、少女はくるりと回ってみせた。

 

「これでどうかしら、お兄様」

 

 現代社会にはまったく馴染めない格好だが、少女は自信満々である。春は否定することもできず、可愛い、と素直な感想をこぼすしかなかった。

 

「ホント!? よかったぁ、お兄様に気に入ってもらえて、私、嬉しいわ」

 

「あ、あのさ。さっきからお兄様お兄様って、その、初対面だと思うんだけど」

 

 これは聞いておくべきだと思った。ついさっきまで胎児だったというのにここまでの人間性や魔力の扱い方を獲得しているということは、彼女の中には別の場所で人生を送った誰かが入っている可能性がある。

 

 少女は目を丸くし、春のほうに駆け寄ってきた。

 

「私のこと、覚えてないの、お兄様」

 

「知らないよ。俺の妹は明日菜だけだ」

 

「アシュ……? ひどいわお兄様、あの子ばかり贔屓するつもり? それなら殺すしか……ぶつぶつ……」

 

「待ってくれよ、君、いったい何者なんだ?」

 

 物騒な独り言を言い始めた彼女だが、春が本当に自分のことを知らないとみると、その視線は哀れむものに変わった。

 

「かわいそうに……記憶を封印しなければならない事情があるのね。わかったわ。なら私もしなきゃ。

 私はサーヴァント、クラスはバーサーカー! 今すぐにでも全員皆殺しにしてあげるから、待っててよね、お兄様(マスター)

 

 サーヴァント。バーサーカー。

 今まで考えてばかりで気がついていなかったが、確かに目の前の彼女に魔力の経路が繋がっている。

 

 なるほど、先程令呪が光を放ったのは召喚の儀式として反応したためで、このバーサーカーが胎児に宿って現界したということか。

 春は儀式を行わずともその奇跡を体現してみせる聖杯の力に驚きつつ、バーサーカーに声をかける。

 

「あぁ……よろしく」

 

 本来ならば狂化によって理性を失っているはずのバーサーカーだというのにこうして会話が可能であるのは、彼女が特異な性質の英霊だということの証明だ。

 事実、ステータスにおいてバーサーカーの狂化ランクはEX(規格外)の値を示している。

 

 春が目指すのは明日菜を守ることである。彼女を使いこなせば、それが可能であるはず。右手でぐっと拳を握り、左手は令呪に触れ、覚悟を決めた。

 

 

 

 ──此処に七騎のサーヴァントは集結した。

 これより始まるのは聖杯戦争。血を血で洗う殺し合い。

 最後に残る少年少女は誰か。答えを知る者は、未だ誰もいない。



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サーヴァントステータス

ステータス及び一部スキルです。ネタバレ版は完結後に出ると思います。


【CLASS】セイバー

【真名】オリヴィエ

【性別】男性

【身長・体重】144cm/42kg

【属性】秩序・中庸・地

【ステータス】

筋力B

耐久A

敏捷B

魔力C

幸運C

宝具A+

 

【クラス別スキル】

対魔力:B

魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

騎乗:B-

騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

 

【保有スキル】

聖騎士の諫言:B+

無二の親友ローランを初めとしたパラディンたちに対する助言、及び戦術的な直感。

 

人間観察:C

人々を観察し、理解する技能。

Cランクであればサーヴァントに対するマスターの能力と同等のものに加え、使用されていないスキルであっても低い確率で見抜くことができる。

戦闘続行:C+

瀕死の傷でも戦闘を可能とし、死の間際まで戦うことを止めない。

 

【宝具】

無毀なる清廉(オートクレール)

ランク:A+

種別:対軍宝具

レンジ:1〜50

最大捕捉:500人

オートクレール。

オリヴィエが愛用した剣であり、元はランスロットが用いたアロンダイト。黄金や水晶にて彩られた、決して刃こぼれすることのない名剣。

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:???

種別:対軍宝具

 

『▇▇▇▇▇』

ランク:B++

種別:対軍宝具

 

【マスター】ベルチェ・プラドラム

【性別】女性

【年齢】23歳

【身長・体重】146cm/52kg

【所属等】時計塔・考古学科(移籍考え中)

 

 

【CLASS】アーチャー

【真名】

【性別】女性

【身長・体重】138cm/34kg

【属性】中立・善・地

【ステータス】

筋力A+

耐久B

敏捷B+

魔力B+

幸運C-

宝具C

 

【クラス別スキル】

対魔力:B

魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。

大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

単独行動:C

マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

ランクCならば、マスターを失っても一日間現界可能。

 

【保有スキル】

▇▇▇:C++

 

槍除けの加護:D

アーチャーにとって致命傷となる攻撃を一度だけ無効化する。

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:C+

種別:対人宝具

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:???

種別:対軍宝具

 

【マスター】ソラナン・フィアーリア

【性別】男性

【年齢】76歳

【身長・体重】170cm/60kg

【所属等】元時計塔二級講師

 

 

【CLASS】ランサー

【真名】

【性別】不明

【身長・体重】141cm/37kg(委員長のもの)

【属性】中立・中庸・地

【ステータス】

筋力C

耐久C+

敏捷E

魔力A

幸運A

宝具A++

 

【クラス別スキル】

対魔力:A

A以下の魔術は全てキャンセル。

事実上、現代の魔術師ではランサーに傷をつけられない。

 

【保有スキル】

▇▇▇:A++

 

▇▇▇▇:A

 

▇▇:EX

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:A++

種別:対▇宝具

 

【マスター】「生き物係」

【性別】男性

【年齢】10歳

【身長・体重】135cm/33kg

【所属等】孤児

 

 

【CLASS】キャスター

【真名】

【性別】女性

【身長・体重】130cm/30kg

【属性】中立・中庸・人

【ステータス】

筋力E

耐久D

敏捷E

魔力B++

幸運B+

宝具EX

 

【クラス別スキル】

陣地作成:D

魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。キャスターは自らの書斎を作るのに使用している。

 

道具作成:B

詩文を用いてアイテムを作成可能。

 

【保有スキル】

高速詠唱:C+

 

無辜の怪物:E

ロリコン扱い。幼い少女に与える物理・魔術ダメージが少し低下する。

 

夢想家:▇

 

▇▇▇▇▇▇:EX

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:EX

種別:対心宝具

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:???

種別:対心・対▇宝具

 

【マスター】ドロレス(五百八十七号)

【性別】女性

【年齢】不明

【身長・体重】131cm/28kg

【所属等】ホムンクルス

 

 

【CLASS】アサシン

【真名】エリザベート=バートリー

【性別】女性

【身長・体重】156cm/42kg

【属性】混沌・中庸・人

【ステータス】

筋力D

耐久C+

敏捷B

魔力D

幸運B

宝具C

 

【クラス別スキル】

気配遮断:B

サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

 

対魔力:D

一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

 

【保有スキル】

苦痛の宴:C

加虐体質と被虐体質の複合スキル。敵に狙われやすく、サディスティックになるほど破壊力が上昇する。また、攻撃されると防御力が上がり、攻撃すると防御力が下がる。

 

▇▇▇の▇▇:A

頭痛持ちスキルの変質。

 

拷問技術:A

卓越した拷問技術。拷問器具を使ったダメージにプラス補正がかかる。

 

戦闘続行:B+

 

【宝具】

『鮮血▇▇魔嬢』

ランク:▇

種別:対人宝具

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:B

種別:対人(自身)宝具

 

【マスター】レイラズ・プレストーン

【性別】女性

【年齢】15歳

【身長・体重】160cm/51kg

【所属等】ユグドミレニア出身

 

 

【CLASS】バーサーカー

【真名】

【性別】女性

【身長・体重】145cm/47kg

【属性】混沌・悪・天

【ステータス】

筋力A

耐久A

敏捷A+

魔力EX

幸運D-

宝具EX

 

【クラス別スキル】

狂化:EX

バーサーカーのクラス特性で、理性と引き換えに驚異的な暴力を所持者に宿すスキル。バーサーカーの場合は意思疎通が完全に成立する。

しかしマスターのことを「兄」だと信じて疑わない。兄のためならなんでもするし、兄の言うことなら基本的になんでも聞く。

 

【保有スキル】

女神の神核:EX

生まれながらに完成した女神であることを現す固有スキル。神性スキルを含む複合スキル。

あらゆる精神系の干渉を弾き、肉体成長もなく、どれだけカロリー摂取しても体型が変化しない。

純粋な神霊としての召喚ではないが、乗っ取った胎児の魂の色を染め上げているためにランクダウンしていない。

 

鮮血衝動:A+

殺戮への衝動。狂化による影響ではなく生来の性質で、発作的に人を殺したくなる。

 

▇▇▇▇:B(EX)

▇▇▇▇▇と同一の起源を持つと言われるため所持しているスキル。

 

▇▇▇:A

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:EX

種別:対▇宝具

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:EX

種別:対▇宝具

 

【マスター】瀬古春

【性別】男性

【年齢】17歳

【身長・体重】174cm/66kg

【所属等】土着の魔術師

 

 

【CLASS】アヴェンジャー

【真名】

【性別】女性

【身長・体重】138cm/31kg

【属性】混沌・中庸・人

【ステータス】

筋力E

耐久E

敏捷E

魔力EX

幸運EX

宝具EX

 

【クラス別スキル】

復讐者:D

恨み・怨念が貯まりやすい。アヴェンジャーの場合、恨みというより強迫観念に近い。

 

忘却補正:E

忘れ去られることの無い憎悪。

 

自己回復(魔力):EX

復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。魔力を毎ターン回復する。

 

道具作成:C

魔力を帯びた器具を作成するスキル。アヴェンジャーは魔術師ではないため、物体に可燃性を付与するのみに留まる。

 

陣地作成:D-

自分に有利な陣地を作り上げるスキル。

 

【保有スキル】

▇▇▇▇▇:EX

 

うたかたの夢:A++

他人の願望、幻想から生み出された生命体。不特定多数の人々に復讐者であれと望まれたゆえに強い力を有する。

 

無辜の怪物(▇):A

読者からの呪い。

 

【宝具】

陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)

ランク:C+++

種別:対人宝具

フレイム・ナイトメア。

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇』

ランク:▇

種別:対人宝具

 

【マスター】雪村小夜

【性別】女性

【年齢】18歳

【身長・体重】171cm/50kg

【所属等】教会の一般シスター



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一日目
開戦──トゥ・ザ・ビギニング(前)


 霜ヶ崎市の中心街には、一帯の支配者であるかのように建つ豪邸がある。西洋風の古屋敷で、一般人はおよそ近寄らない。否、魔術的な防御により近寄ることができない場所である。

 それはドロレスの造り主である魔術師──稀代の小児鋳造師(ロリコン)とも称された男『シヴェール・ハイジット』の工房だ。彼はこの地でドロレスたちを作り、そして望みを託した。

 

 そういった経緯もあり、ドロレスは現在、そのまま師の屋敷を根城としている。

 そこにはドロレスたちだけでなく、彼女のサーヴァントもまた潜伏していた──否、させられていた。

 

「あの。私そろそろ外に出たいのですが、構いませんよね、マスター」

 

 ソファに佇むドロレスに話しかけているのは、リボンのついたカチューシャが特徴的な金髪碧眼の幼い少女。

 サーヴァント、キャスターである。

 

 彼女はインターネット環境や作業部屋を与えられ、この屋敷から出ないように言いつけられていた。

 

「駄目なのです。インターネット上で知り合った人間と簡単に会ってはいけないと知らないのですか」

 

「でも私美少女ですし、少しくらいちやほやされに行っても問題ないのでは?」

 

「聖杯戦争が始まろうとしているのに、何を言っているのです」

 

 ドロレスは聖杯戦争の主催者にして、参加者である。

 師の願いを叶えるため、他の魔術師に令呪を与えつつ、勝利のために水面下で動いている。

 元より殺し合いは聖杯起動のための下準備に過ぎない。そのための生贄として外部の魔術師をかき集めるのがドロレスたちの仕事だった。

 

 だがそれはすでに完遂済みだ。

 令呪は七人全てのマスターに渡った。霊器盤にもすでに七つの反応がある。

 

 剣士(セイバー)弓兵(アーチャー)槍兵(ランサー)

 魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)

 

 最後の一騎についてはイレギュラーが発生した。騎兵(ライダー)ではなく復讐者(アヴェンジャー)が召喚され、当初マスターとなる予定だった魔術師が殺害されたらしい。

 だが、アヴェンジャーは消滅しておらず、他のマスターを見繕ったようだ。

 儀式には影響ない。これはドロレスたちが師の願いを叶える戦いだ。

 

 ゆえに、師が敬愛する人物であったキャスターを選んだ。なのだが。

 キャスターはそのクラスの特性上、自陣に籠り迎撃するやり方が基本になる。彼女もそれを理解していることだろう。

 そのうえで外出したいと言い出す。なぜかというと、男に囲まれて褒められたい、そして同年代の女の子と仲良く遊びたい、だそうだ。

 ドロレスには、その思考がどうしても理解できなかった。

 

「では写真! 君の写真を撮らせてくれませんか!?」

 

「またヌードモデルなのですか。五百八十七号の写真はすでに八枚ほど存在するのですが……」

 

 キャスターの要求に呆れるドロレス。だがそれで欲望を抑えてくれるのなら、限られた令呪を浪費するよりは得だろうか。

 

 そんな思考を巡らせ始めたところで、駆け足で部屋に入ってくる少女が現れる。ドロレスと瓜二つの容貌で、髪型をお団子ヘアにしていた。

 

「四百九十二号ですか。どうしたのです?」

 

「ソラナン翁から連絡でございます」

 

 運ばれてきたのは受話器である。魔術師は科学技術を嫌うが、必要とあれば使用する。回線直前の今、少しでも魔力を節約するために採用されているのだ。

 ドロレスはお団子少女より受話器を受け取り、電話の向こうの相手と話を始める。キャスターを無視して。

 

「こちら五百八十七号なのです。ソラナン翁、ご用件は?」

 

『七騎揃ったそうじゃないか。まずはおめでとう』

 

 通話の相手はしわがれた声の老人である。ドロレスがソラナン翁と呼ぶ彼は、師の旧友の一人であり、心強い協力者だ。

 

『さて本題だが、これより開戦と洒落こもうと思うのだ。

 先陣の誉れ、儂とアーチャーが貰うが、いいかね?』

 

「勿論なのです。こちらはキャスター、仕掛けるには向かないのです」

 

『うむ。では、健闘を祈ってくれ』

 

 電話がぷつりと切れて、ドロレスは深く息を吐いた。

 これより聖杯戦争が開戦する。聖堂教会への情報を遮断しているため、監督役は存在しない。ゆえに、夜の闇の中で静かに戦いが始まる。

 

「キャスター。執筆に戻るのです」

 

「えっ、私まだ写真も撮っていないしオフ会もしていないんですが」

 

「いいから。締切は今日中とするのです」

 

「そんなぁ……」

 

 内心、ドロレスの胸は高鳴っている。聖杯戦争が進められるたび、師の夢が実現へと近づくのだから。

 

 ◇

 

 サーヴァント・セイバーを召喚したベルチェ。これより聖杯戦争が始まり、熾烈な魔術戦も予想される──のだが。

 

「観光に行こう」

 

『は?』

 

「せっかくの日本旅行。サムライニンジャ探しはやらないと後悔する」

 

 思い立ったら即行動を開始するのがベルチェであった。最小限の荷物と称して財布だけを小さなバッグに移し、ホテルを飛び出して街へ繰り出していく。セイバーによる制止は、聞こえていないふりをしているらしかった。

 

『もうこの街にはサーヴァントもマスターもいる。こんなふうに出歩いてたら格好の的だぞ』

 

「引きこもって自信満々に作った工房をホテルごと爆破されるより、お散歩中に出会った敵と大立ち回りの方がカッコいい」

 

『あー、それはそうかもしれないが、にしても対策もなにもしてないじゃないかよ』

 

「まずはセイバー用の服を買おうと思う。サムライより先にうさみみパーカーを探そうか。

 あ、セーラー服がいい? それともバニー?」

 

『どういう思考で絞られた選択肢だよそれ! つーか話聞いてる!?』

 

 念話で声を荒らげるセイバー。ベルチェは彼の不満にも構わず、堂々と道の真ん中を歩いている。

 

 こうしてセイバーに対して念話でボケてはいるが、傍から見ればちょっと不思議な外国人の女の子だ。桃色の髪のベルチェは美人なのも相まってどうしても目立つ。

 

 そうして視線を注ぐ街ゆく人々の中にほかの魔術師がいたらどうしようと、セイバーは心配で気が気でなかった。

 当人はまったく気にしていない様子だが。

 

 ベルチェはホテル周辺のお土産屋集合地帯を抜けて、見かけた服飾店に迷いなく入店した。

 

 そのときセイバーはこいつマジかと思ったが、どうやらうさみみパーカーなどではなく、普通に男物の衣料を買うつもりのようだ。

 ベルチェの趣味か、少しサブカルチャーにかぶれている気がするが、現世で行動していても馴染めるだろう。

 

『おい、いいのか、こんなことに金使って? 聖杯戦争の間だけの仲だってのに』

 

「セイバーにも日本を楽しんで欲しい。貴方となら、二人旅も楽しいだろうから」

 

『アンタ、オレを口説きたいのか?』

 

「オンナノコが騎士様に憧れて悪いことはない。では、人目のないところへ行こう」

 

 ベルチェはそのまま少し歩き、誰もいなさそうな雑木林を見つけると迷いなく踏み入った。少し奥まで行けば、木々により視界が遮られるうえに薄暗い。外からはまず見えないだろう。

 

 どうやら、そこで着替えろ、ということらしい。セイバーは言われるがまま実体化したが、野外かつ女性の前で裸になるのはどうしても抵抗があり、無意識のうちにマスターに視線を向けていた。

 

「大丈夫。ローランなら脱ぐ」

 

「やめろ! 服装でアイツと同列は嫌だ!」

 

「それは置いといて。私に少年の着替えを監視する趣味はない。向こうで待っているから、終わったら──」

 

 そう言って振り返るベルチェの目の前を、なにかが高速で横切っていった。一歩踏み出すのが早ければ、脳天を貫かれていただろう高速の襲撃。木に突き刺さったそれは一本の矢だ。

 だが攻撃は終わりではない。むしろここからだ。鏃は急速に膨らみ、轟音を放ちながら爆散する。

 

 鼓膜が破れそうなほどの絶叫。人ならざる者の断末魔、とでも形容すべきだろうか。魔術刻印による強化魔術が間に合わなければ、ベルチェの脳天は割れていたかもしれない。強化がかかっていても割れそうだった。

 

 だが、あの攻撃は、敵にこちらの居場所が知れているという証明だ。

 まだ轟音のダメージの残るベルチェは身構え、セイバーは腰に携えた剣に手をかける。

 あたりに緊張が走った。

 

 相手の獲物は矢、つまり敵は弓兵か。

 ふたりは神経を研ぎ澄まし、周囲の状況を探る。ここは森であるがゆえに隠れる場所ならいくらでもある。だが、アーチャーのサーヴァントならばどれだけ先からの射撃でもおかしくない。

 

 ──来る。

 

 サーヴァントの知覚により、セイバーは主よりも早く第二波を察知し動き出した。

 そのたった数歩、瞬くよりも短い時間にて、セイバーはどうベルチェを守るのか思考を巡らせ、結論に至る。

 

 彼は飛び出し、腰の魔剣を引き抜いた。鞘から抜き放たれる瞬間より黒い霧が漏れ、光の斬撃となって木々ごと鏃を吹き飛ばす。

 

 そうして瞬く間に出来上がった破壊の跡がベルチェに認識される頃には、彼女の視界には臨戦態勢となったセイバーの後ろ姿があった。

 

「セイバー……!?」

 

「言っただろ、アンタの剣になるって」

 

「言った。とても頼もしいしカッコイイ」

 

「ありがとよ。さて、お喋りの続きは戦闘が終わってからだ。まだ相手はこっちを狙ってる」

 

 木々の消えた一画に向け、セイバーは構えている。ベルチェは頷き、周囲の魔力を探知しようと術式を行使した。

 真っ先に引っかかるのは、特大の魔力反応。サーヴァントだ。急速にベルチェたちの方へと近づいてくる。

 

 否。既に、目の前にいる。

 

「もう、お話は終わり?」

 

 そのサーヴァントは、探知を行ったベルチェがセイバーに気をつけてと語りかけるよりも先に姿を現した。

 

 雪のような白の髪に、透き通る空色の眼。手にしているのは市販の蒸留酒の瓶だ。

 彼女は幼い容姿でありながらその中身をひといきに飲み干し、あたりに投げ捨てた。

 

「じゃあ、殺すね」

 

 少女は残酷な笑顔を浮かべながら、手元に大振りの杖を出現させ、振りかぶる。セイバーは大きく踏み込み、迎撃に魔剣による逆袈裟斬りを放った。そして彼は一瞬ベルチェへと目配せをし、敵サーヴァントとの戦いに意識を戻す。

 

 ベルチェは自分は逃がされているのだと認識し、木々の陰に慌てて隠れた。その心臓は、死の恐怖と、目の前で行われる神話の戦いにどくどくと高鳴っていた。



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開戦──トゥ・ザ・ビギニング(後)

 突如現れた敵を前にして、セイバーは主が退避する猶予を作るために大きく踏み込み、打撃を受け止めんとした。

 斬り上げと振り下ろしが激突し、火花が散る。英雄譚に語られる剣と、少女の体格に似つかわしくない大振りの杖が交差する。

 

 明らかに少女の一撃は重かった。少年と化しているセイバーとて戦場を駆け抜けた騎士、力の逃がし方は心得ている。だが、そのうえで刃を通してビリビリと衝撃が伝わってくる。そのまま押しきろうとする力も、小柄な体格に似合わず異常に強い。

 

 このまま受け止めていては競り負ける。そう判断し、セイバーは後方へ跳んだ。それを追って少女もまた地面を蹴り、勢いを乗せて横薙ぎに杖を振り抜く。

 セイバーは再び受け流し、カウンターに斬撃を放った。少女は体を逸らして対応し、髪の先が切れ飛んだ。ダメージは与えられていない。

 

 続く攻撃でも二振りの武器が激突する。やはり衝撃は重い。少女が軽々と振るうには、重すぎる武器だ。だが技量はセイバーが上。セイバーは彼女の本来の武器はこの杖ではないと睨んでいた。

 

 そのまま四度目、五度目と打撃を剣が弾いていき、木々が倒れ、草花が巻き上げられていった。

 しかしまだ互いに有効打を与えられず、少女には切られた髪先以上の傷はない。

 

「へぇ。あなた、頑張り屋さんだね」

 

「そっちはずいぶん力持ちだな。だが、闇雲に振り回してちゃただの自然破壊だぜ」

 

「あなたこそ。その真っ黒な魔力のままに暴走したら、悪い子になっちゃうよ」

 

 セイバーは軽口をたたきながら、目の前のサーヴァントへと彼の持つ人間観察スキルを行使する。

 曲者揃いのシャルルマーニュ十二勇士において培われたそのスキルは、マスターに与えられる特権と同等の力を持つ。即ち、ステータスの閲覧が可能なのだ。

 

 クラスはアーチャー。先程ベルチェを襲った矢の主が恐らく彼女なのだろう。身体能力はセイバーとほぼ互角、筋力についてはそれ以上。A+という数値は人の身の限界だ。

 少なくとも、彼女は強敵とみて間違いない。

 

「そろそろ、いい?」

 

 やがて、アーチャーは退屈そうに首をかしげ、セイバーが肯定するより先に踏み出していた。思考を戦闘に引き戻し、全力で跳躍する。

 セイバーは振り下ろされる鈍器を飛び越え、上空から剣を振るった。アーチャーは魔力の矢を編み、投げつけてそれを迎撃する。

 

 鏃が炸裂し、魔剣から放たれる魔力の奔流とぶつかりあった。衝撃は相殺され爆風が吹き荒れる。その内側からセイバーが飛び出し、アーチャーへと剣を叩きつける。

 

 杖の柄が刃を止めるが、セイバーは再び跳んで距離を取ると同時に魔剣を振るった。剣に嵌め込まれた宝石が輝き、その魔力が斬撃に変換され、アーチャーを切り裂かんと飛来する。

 彼女が杖を以て迎撃し、斬撃は霧散してしまうものの、杖の被弾箇所にはわずかに傷がついている。

 

 それでも、アーチャーはセイバーの着地を狙いすぐさま動き出していた。セイバーは強力な一撃との激突を避けるため受け流す姿勢をとり、アーチャーの攻撃を最低限の接触で逸らす。

 だが、今度のアーチャーは杖での攻撃が逸らされることを計算に入れていたらしい。本命として、彼女は手元に作り出した矢を投げつけたのだ。

 

「──マスターッ!」

 

 それがベルチェを狙ったものだと悟り、セイバーは飛び込んだ。矢は既に先端が異常に膨張しており、まさに炸裂しようとしている。

 

 刃での撃墜は間に合わないと判断し、魔力の放出で相殺するために剣を構えた。

 そして、ほぼ同時にセイバーの背中に衝撃が走る。アーチャーの持つ杖だ。

 不意の一撃を喰らい体勢が崩れる。踏みとどまるための一歩で攻撃が遅れ、炸裂した断末魔が周囲の木々を破壊し、隠れていたベルチェに迫っていく。

 

 彼女は魔術により大量の鎖を召喚し壁を作ったが、相手はサーヴァントの武具である。防ぎきれずに壁ごと吹き飛ばされた。セイバーは彼女を受け止め、片手で剣をアーチャーに向けたまま語りかける。

 

「助かった。ありがとう、セイバー」

 

「おい、大丈夫かよ」

 

「正直めっちゃ痛かった。サーヴァントってすごい」

 

 炸裂の威力を殺しきれずに受けてしまったベルチェは、涼しげな顔で治癒魔術を行使している。

 だがセイバーは彼女の異常を見逃さなかった。呼吸が乱れ、額には冷や汗が滲んでいたうえ、治癒魔術もうまく作用していないようだ。

 

 考えられるのは、あの爆発に呪いの類が込められていた、という可能性。仮にそうでなくても、マスターの危機だ。今すぐに撤退すべきだろう。敵サーヴァントがそれを許してくれるとは、到底思えないが。

 

 アーチャーの投擲する矢、そして彼女の繰り出す打撃が襲ってくる中、セイバーは回避と逃亡を繰り返し、ベルチェを守ることに徹した。

 攻撃に切れ目は見えず、戦闘から離脱できるほどの隙はありそうにない。

 それに、恐らく魔力の供給が阻害されている。セイバーのステータスが低下しているのだ。

 

 ベルチェを抱えたまま、魔力も十全でない状態で、このアーチャーから逃亡しなければならない。そんな芸当ができる英霊は限られてくるだろう。

 

「ごめん、セイバー。私の体、変になってるかも。たぶん、しばらくまともに魔力供給できない」

 

「あぁ、オレも本調子が出ねえ。このままだとジリ貧だ」

 

「……うん。だから、今から令呪を使う。セイバー、一発で決めて」

 

 令呪──マスターに与えられる絶対命令権。サーヴァントを縛り付けるだけでなく、時には彼らの力を補助する役目も担う。その使用はたった三度のみ。ここでひとつ使えば残りは二つ、それしか奇跡を起こせない。

 そのことを踏まえると、セイバーには快い返事はできなかった。まだ相手は手の内をほとんど見せておらず、こっちの切り札を出すには早すぎる。

 

 しかし、セイバーが決めあぐねているうちにもアーチャーの攻撃は続く。

 

「あはっ、追いかけっこ? 負けないよ!」

 

 なにも知らぬ幼子が戯れるように、後退するセイバーを追うアーチャー。サーヴァントによる高速の追走劇は初め戦っていた森を抜け、住宅街へとさしかかろうとしている。

 そのうちに距離は詰められ、大質量の鈍器がセイバーを叩き潰そうと振り上げられ──その時、ベルチェの声が響き渡る。

 

「令呪を以て我が剣に命ず! アイツをぶっ飛ばせ!」

 

  ベルチェの右手の聖痕がひとつ解け、魔力の塊となってセイバーへと流れ込む。彼の低下したステータスを補って余りあるその燃料は、彼にアーチャーの打撃と打ち合うことを可能にさせた。

 魔剣は大杖と火花を散らし、それを押さえ込んだ。更に使い手の何十倍もあろうかという重量を制すべく輝きを増し、清廉なる魔力を溢れさせる。

 

「……そうだよな。ここで終わったらカッコ悪いって、王様に怒られちまうっての!

 高潔を謳い、我が敵を押し流せ!

 ──『無毀なる清廉(オートクレール)』ッ!」

 

 セイバーの持つ剣、オートクレール。真名解放により聖剣としての力を示すこの宝具は、決して砕けぬ刃に魔力を注ぎ込み、光の斬撃として解き放つ。

 セイバーはアーチャーの杖を押さえ込んだまま振り抜き、今までの黒く染められた呪いではなく清き奔流を迸らせた。

 

 アーチャーが杖を手放し、回避行動をとるころには既に遅かった。手放された杖は光に呑まれ、跡形もなく崩壊し、しかし三日月型の斬撃は止まらない。跳躍による退避を試みるアーチャーへと迫り、その細腕を切り飛ばす。

 

 霊核の破壊には至らずとも、この場で戦い続けるのなら致命的な傷だ。そのうえ得物を失っている。アーチャーは驚きの目を見せ、そのすぐ後には笑っていた。

 

「へぇ、さすがは十二勇士。剣からそんなの出せるんだ」

 

 オートクレールと名を聞けば、聖杯に知識を与えられたサーヴァントたちはそれが聖騎士オリヴィエの剣だと即座に認識するだろう。窮地はひとまず脱したものの、令呪を消費したうえ、真名を見抜かれている。

 

 だが、アーチャーはセイバーには思いもよらぬことを口にする。

 

「オリヴィエお兄ちゃん、せっかくだから教えてあげるね。私の名前は『イリヤ』。今度会う時は、もっと本気で遊ぼうね」

 

 そう言ってアーチャーは大きく跳躍し、視界から消えていった。

 

 一方セイバーは、弱体化させられている身で追うわけにもいかず、すぐさまその場からの撤退を余儀なくされる。他のサーヴァントに勘づかれれば、今度こそベルチェを守りきれないかもしれない。

 

 セイバーはベルチェが親指を立てたのを見るとともに、その場からすぐさま離れるべく動き出す。

 

「ありがとう、セイバー」

 

「舌、噛むぞ」

 

「噛み慣れてる。それに、謝らなくちゃいけない。私があんなところで立ち止まってたから」

 

「そういう話はナシにしようぜ。今はゆっくり休めよ、マスター」

 

「……うん。観光はあとにする」

 

 幸いサーヴァントの気配はない。高く昇った太陽のもとを駆け抜けて、戦いを終えたベルチェとセイバーはホテルに帰りつく。

 ──帰りついてから、セイバーのために買った衣服を置いてきてしまったことに気がつくのであった。

 



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兄妹──シスターズ・ブレイクダウン

 ──瀬古春は今、ものすごく気まずい空気に挟まれていた。

 元々兄ではなく自分が聖杯戦争に参加したいと考えていた妹の明日菜。そして、なぜかその明日菜を敵視する自称妹のサーヴァント、バーサーカー。ふたりが一堂に会し、机を挟んで睨み合っているからだ。

 召喚の直前、一度自室に籠ってしまった明日菜だったが、ちょうど飲み物を取りに来ていたところ、バーサーカーと出くわした。そしてバーサーカーが明日菜のことを挑発し始め、今に至る。

 

 間に座らされている春は居心地が悪いどころの話ではない。聖杯戦争に妹は巻き込まないと言った矢先にこの一触即発の空気、あまりに予想外の展開に頭痛がする。

 

「お兄ちゃん、知らない人にも『お兄様』って呼ばせるんだ。ふぅん」

 

「待ってくれ。俺が呼ばせてるんじゃない」

 

「お兄様、こんな貧相な小娘を妹にしているの? 私ももっと幼い方がよかったかしら?」

 

「明日菜は血の繋がった妹だ……」

 

 明らかに火花を散らしている明日菜とバーサーカー。自分より腕の立つ魔術師と明らかに人間よりも強靭なサーヴァントによる激突だ。それがどちらも春を兄と呼ぶ少女なのが、どこか微笑ましくもあり緊張感を醸し出してもいる。

 

 そうしてふたりが睨み合う中、ふとバーサーカーが顔をしかめた。それを明日菜が見逃すはずもなく、すぐさま噛み付いてしまう。

 

「っく、サーヴァントのくせに、なにその態度!」

 

「なんでもないわ。ただ歪で悪趣味で気味の悪い魔術式が貼りついてるなと思っただけよ。やだやだ、こんなの作るやつの家に生まれたお兄様がかわいそうだわ」

 

「なッ……私のみならず、一族の刻印を馬鹿にするの!?」

 

 机を叩き、バーサーカーに掴みかかろうとする明日菜。受け継いできた魔術刻印を馬鹿にされるのは、魔術師にとってどんな罵倒よりも屈辱だろう。

 だからといって、春よりも魔術ができるとしても、明日菜がサーヴァントに叶うはずがない。

 

 危険だと判断した春は慌てて彼女を取り押さえ、バーサーカーから引き離した。これでは、どちらがバーサーカーかわかったものではない。

 

「明日菜、抑えてくれ」

 

「お兄ちゃんまであの人の味方をするの!? 離してよっ、私からなにもかも奪ったくせに!」

 

 ──何の話だ?

 明日菜の言葉に引っかかり、春は腕の力を緩めてしまった。隙を見た彼女に振りほどかれ、追いかけようとした頃には時すでに遅く、明日菜は玄関から出ていってしまっていた。

 呆気にとられる春だったが、突然耳に息を吹きかけられ、驚いて振り向くとバーサーカーが悪戯な笑顔を見せている。

 

「バーサーカー……? いや、何やってんだ俺、今すぐ追いかけないと」

 

「どうだっていいじゃない、あんな女。そんなことより、敵はどこにいるの? 今すぐにでも殺してくるわ」

 

 敵──その言葉で思い出す。聖杯戦争はすでに始まっているかもしれないのだ。飛び出していった先で、明日菜がサーヴァント同士の戦いに巻き込まれてしまうかもしれない。

 だが、彼女を見つけ出したところで、このバーサーカーが明日菜に謝罪するようには到底思えなかった。連れ戻すなら、春ひとりで接触すべきだ。

 

「バーサーカー、手分けして探そう。俺は敵を見つけたらすぐに呼ぶから、明日菜を見つけたら連絡するんだぞ」

 

「敵見つけたらやっちゃっていいの?」

 

「好きにしていい。だから頼む」

 

 その言葉を聞き、バーサーカーは口角を上げ、にたりと笑う。先程見せた、無邪気さとともに気品の漂うものではない。血に飢えた獣のような、本能的恐怖を感じさせる笑みだった。

 

 ◇

 

「お兄ちゃんはなにもわかってない……私のほうがうまくやれるのに……」

 

 一方、反射的に自宅を飛び出してしまった明日菜は宛てもなく彷徨いながら、兄に対する不満をぶつぶつと呟き続けていた。

 

 その形相は可愛らしい少女が往来で見せていいものではない。爪を噛みながら、額に血管を浮かび上がらせているのを見れば、不審者もそれとなく彼女を避けることであろう。

 もし今の明日菜に近寄る者がいるとすれば、事情を知る兄か──あるいは、相手を選ばない猟奇殺人鬼かもしれない。

 

「んぐっ!?」

 

 何の変哲もない住宅街を歩く中、突然路地裏に引きずり込まれ、悲鳴をあげる前に口に布を噛まされる。慣れた手つきだった。

 押さえ込まれて、ようやく自分が襲撃されていると理解した明日菜。強化の魔術を自らにかけて抵抗するが、振りほどいた直後、即座に襲撃者の銃撃が明日菜の右脚を貫いていた。

 弾痕からは血の流れる感覚と焼け付く痛みが襲う。治療魔術も上手く作用しない。

 痛い。痛い。このままだと、殺される。嫌だ。

 

「い、今の、魔術でしょ? 魔術師の子が捕まるなんて、ツイてるな、私」

 

 明日菜は息を切らしながら、自分を攫おうとした女が兄よりも年下の少女であることを認識した。

 相手は魔術のことを知っていて、手にしている拳銃の一部は──恐らく人間の──皮で装飾されている。

 左手は親指を除く四本が存在しておらず、右手の甲には木の葉のような形の赤い痣が浮かんでいた。

 

 兄の右手にあるものと形状は異なり、また大半が消費されているが、あれは紛れもなく令呪だ。つまり、相手もサーヴァントを連れている。

 

「わ、私たち、材料が足りないんだ、ご協力お願い、ね」

 

 大人しく殺されろ、と言いたいらしい。しかし、明日菜は腹に怒りと無念を抱えたまま死にたくはなかった。どうにか切り抜けられないかと、必死で頭を巡らせて、ひとつだけ思いついた。

 恐る恐る、自分を殺そうとしている相手に話しかける。

 

「……ね、ねぇ、魔術師さん。私なんかより、殺して欲しい相手がいるんだ」

 

「へぇ。どんな人?」

 

「サーヴァント。マスターは、私のお兄ちゃん」

 

 少女は目を丸くし、くつくつと不気味な声をあげ、ひとしきり笑った後に銃を下ろした。

 

「ざ、斬新な命乞いだね。初めて聞いたな。いいよ。話、聞いてあげる」

 

 少女はレイラズ・プレストーンと名乗った。名乗ったのみで、銃口は明日菜に向けられたままだ。

 明日菜はレイラズに対し、瀬古家が聖杯戦争の主催者たるドロレスと結託していることをはじめ、思いつく限りの情報を話していく。

 

「あ、そ、そうだ……確か、ドロレスの他にももう一人マスターがいて、同盟を組んでるって。でも、お兄ちゃんはまだ接触してない。今なら増援は来ないの」

 

 臆すれば殺される。そんな初めて突きつけられた殺意ばかりが頭の中を渦巻いていて、もはや自分でもなにを言っているかわからなかった。

 

「へぇ……そんなに嫌いなんだ、家族のコト」

 

「え、えぇ、そうよ! だって、お兄ちゃんがいなかったら、私、こんな体になんて!」

 

「あ。お帰り、アサシン。あ、新しい召使いが手に入ったんだ」

 

 レイラズに尋ねられるがまま吐露してしまう中、彼女は突然明日菜の背後に向かって話しかけた。振り返ろうとした途端、撃たれた脚の傷が抉られるように痛む。

 

 ──否、本当に抉られていた。明らかに太腿の一部が欠けていて、なにか赤いものを口に運ぶ白髪の女が目に入る。間違いない、明日菜から抉りとった肉片だろう。痛みよりも気味が悪くなり、そのまま吐き気に任せて吐瀉物をぶちまけてしまう。

 

 だが、アサシンと呼びかけられていた彼女はまったく明日菜を気に留めることなく、濁りきった瞳であらぬ方向を見つめ、ぶつぶつとなにかを呟き続けるばかり。

 彼女が、レイラズのサーヴァントなのだろうか。

 

「そ、それじゃあ……貴女を人質に、お兄ちゃんを殺してあげる。それでいいね?」

 

 明日菜は頷いた。脚の傷によりまっすぐ立っていられず、嘔吐のせいで口の中は酸っぱかったが、死んではいない。

 むしろ──明日菜はこれからだ。レイラズとアサシンが邪魔者を殺し、今度は明日菜が聖杯戦争に参加する。

 

 決して愉快ではない状況に置かれながらも、明日菜は無意識のうちに笑っているのだった。



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点火──リトル・マッチガール・オーバーチュア

 ──アヴェンジャーと名乗る少女に、泥棒により殺されかけたのを助けてもらってから一夜。小夜は疲労のため、ベッドの上から動けなかった。

 正確に言えばただの疲労ではなく、開きたての魔術回路を働かせすぎたことが原因らしいのだが、そもそも小夜には魔術回路とやらがなにかもわからなかった。

 

 さて、疲労困憊の状態ではシスターのお勤めなど当然できないものだ。今日の仕事は代わってもらって、寮の自室でアヴェンジャーと二人で過ごしていた。

 といってもやる事があるわけでもないので、暇潰しにニュースを見たり、窓の外を眺めてたまにやってくる雀の可愛らしさに頬を綻ばせたり。

 

 その間、身の回りのことはなぜかアヴェンジャーがやってくれていた。汗を拭き、髪を梳かし、料理を持ってきて食べさせてくれる。

 最初は甘えていた小夜だったが、出会ったばかりの少女を働かせていると思うと急激に申し訳なくなり、今から食べるぞという瞬間にやっと口に出した。

 

「はい、あーん」

 

「えっと、そこまでやっていただかなくてもいいんですが」

 

「あら、そうかしら? でもお姉様(シスターさん)にはちゃんと食べて頂かないといけないわ」

 

 アヴェンジャーはそのまま小夜の口に味噌汁を流し込んだ。今日の当番シスターさんが作ってくれた味噌汁は安心する味だ。あんなぶっ飛んだことを体験しても、世界は変わらずに回っているんだと安堵できる。

 

「あ。アヴェンジャー……さんは、その、食べないんですか?」

 

「必要ないわ。だって私はサーヴァント、食事しなくても問題ないの」

 

「はぁ……」

 

 相変わらず、アヴェンジャーの言っていることはよくわからない。でも、それにしては彼女は痩せ細っており、心配になってしまう。

 意を決して、彼女に尋ねてみることにした。

 

「えっと、サーヴァントってなんですか?」

 

 アヴェンジャーは目を丸くし、そういえば説明してなかったわ、と照れ笑いを見せた。そこには昨夜出会った時の苛烈な炎の面影はなく、幼い容姿に違わぬ無邪気な少女の姿があった。

 

 だが、彼女の口から告げられたのは、まったく知らない言葉ばかりだった。

 英霊召喚がどうとか、聖杯がどうとか。魔術師と言われても、小夜の脳内は絵本に出てくる魔法使いしか出てこない。

 曰く、あの状況で助けに現れたのは、小夜が丁度持っていたあの絵本が触媒になったかららしいが。

 

「え、えっと、ということは、アヴェンジャーさんはマッチ売りの少女本人みたいな?」

 

「そうとも言えるし、違うとも言えるわ」

 

「えっ?」

 

 アヴェンジャーについてはよくわからない。

 それよりも、明瞭な問題は小夜の置かれている状況だった。

 

「私のことはなんでもいいわ。『聖杯戦争』はもう始まっているんだもの」

 

 聖杯戦争──それはサーヴァントを従えた七人のマスターが争い、勝ち残った一人だけが願いを叶える殺し合い。

 あの泥棒はその参加者で、彼を蹴り出して小夜が参戦することになってしまったんだとか。

 昨夜の超展開だけでもお腹いっぱいなのに、小夜はすでにその聖杯戦争に巻き込まれている。

 つまり、他のサーヴァントが襲ってくるかもしれないのだ。

 

「えっと、できれば参加したくないというか、迷惑をかけたくないんですが」

 

 話を聞く限り、小夜は偶然紛れ込んでしまった異物。クッキーの髪の毛、保護フィルムの中の気泡だ。

 万が一小夜が勝ち残ったところで、小夜には命を賭けるだけの大きな望みがあるわけでもない。

 それを告げると、アヴェンジャーは悲しそうな顔をして──直後、窓の外に向かって身構えた。

 小夜が振り向くと、そこにはすでに何者かの姿がある。それはふたり組の、小夜よりずっと幼い少女だった。

 

「ま、まったく、困ったマスターだ。外に出るなと言ったかと思えば、自分を護衛しろと言い出すなんて」

 

「この個体は替えが効かないので、仕方ないのです。令呪を持たぬマスターが無意味に死亡するのは、師の望むところではないでしょうし」

 

「君の倫理観は理解しかねます」

 

 それは金髪の少女と白髪の少女。本来ならば誰も脅威などとは見なさない可愛らしい外見だ。

 しかしアヴェンジャーは違った。二人を視界に入れるなり、気配が変わる。

 すぐさま床を蹴って窓に飛び込み突き破り、教会の裏庭に降り立った。

 

「──見つけた。私のお父様」

 

「は? な、何を隠そうにも、私は独身です。娘など持った覚えなど当然ありませんが」

 

「私の炎は真っ赤な舞踏会(ランシェ)。一緒に踊りましょう?」

 

 相手の話も聞かず、アヴェンジャーが金髪の少女に飛びかかっていく。手にはいつの間にか特大のマッチが握られており、先端には大きく炎が燃えている。

 まるで松明にも見えるそれを振り回し、襲いかかるアヴェンジャー。小夜は止めようと呼びかけたが、止まる様子はない。

 

 その間、もう一方の白髪少女が小夜の傍に寄っており、人形めいた無表情で語りかけてくる。

 

「自らのサーヴァントを制御できていないのですか、乱入者のマスター」

 

「どなたですか? っていうか、あれ止めてください!」

 

「我々はドロレス。我々のサーヴァントならば問題ないのです。あのような戦い方を前に、傷つくような英霊ではありませんので」

 

 無表情のまま胸を張って宣言した。直後、金髪少女が熱い助けてと叫ぶ声が聞こえてきたし、視界の端にエプロンドレスの裾に引火しているのが映ったりしたが、少女ドロレスは無視して話を続けた。

 

「アヴェンジャーはあの通り、戦う気でいるようですが……貴方はどうなのです、シスター。命を投げ出すだけの願いを、貴方は持っているのですか?」

 

 あの金髪がアヴェンジャーと同じサーヴァントなら、こっちの白髪はそのマスター。つまり、聖杯戦争の参加者だ。彼女は小夜が自らの敵かどうかを尋ねている。

 

「あの。先にひとつ聞いてもいいですか」

 

「どうしたのですか」

 

「私が聖杯戦争から降りたら、あの子は?」

 

「無論、サーヴァントが生き残っていては脱落にはならないのです。死んでいただくことになるでしょうね」

 

 小夜はやはりそうかと納得しつつも、言葉を失った。あんなに寂しそうで痩せ細った女の子が、小夜なんかのために死ななくてはならない。

 

「それは駄目……私は、あの子を見捨てられない」

 

 ──正直なところ、自分のことなどどうでもよかった。

 けれど、あの子がマッチ売りの少女なら。あの真っ直ぐで可愛らしい少女を幸せにしてあげたいと思うのは、小夜のエゴだろうか。

 

 小夜の呟きを聞き届け、ドロレスはため息をついた。

 

「そうですか。では、ご退場を願いましょう。我々の、師の夢のために」

 

 彼女が自らの髪の毛を数本引き抜くと、それは淡く光りながら宙に浮かび、縦横に輪を作り、やがて一羽の精巧な針金細工の鷹を作り上げていく。

 美しく、そして鋭利なそれは、彼女の内にある小夜への静かな殺意を映し出している。

 

 急降下する鷹を止める手立ては小夜にはなく、ただその嘴に貫かれるしかない。小夜の脳は事実を認識していながら、無意識のうちに手を突き出している。

 魔術回路とやらが小夜にもあるのなら、あるいは奇跡が起こるかもしれない、と。

 

「な、なんか出てくださいお願いします──!」

 

 それは詠唱でもなんでもない、ただの大博打。だからこそ、強い願いは繋がった(・・・・)

 その刹那、小夜の掌から放たれた魔力の渦が針金細工を破壊する。蒼白い輝きに包み込まれた鷹は凍りつき、自らの速度に耐えきれず、すぐさま空中で崩壊し塵となったのだ。

 

 奔流にて呑み込んだものを凍結させる、氷の魔力放出。それが雪村小夜の初めて行使した『魔術』だった。

 

「……!? これは予想外なのです……キャスター! 撤退なのですよ!」

 

 小夜が自分でもなにが起きたのか理解できていないうちに、ドロレスは振り返って自らのサーヴァントを呼びつけていた。アヴェンジャーに襲われる一方だったらしく、キャスターの衣装はところどころ燃えている。

 

「逃げるのですよ、さあ早く」

 

「言われなくても逃げますよ! ああもう髪の毛焦げちゃってるし!」

 

 キャスターはなにかの呪文らしきものを呟くと、虚空から突然巨大な鷲が現れた。いや、あれは鷲ではないのだろう。人を二人乗せても悠々と飛び上がれるだろう体躯に、下半身は猛禽よりもライオンに近い。

 羽毛に覆われたその背中に乗って、キャスターとドロレスは飛び去っていってしまう。

 

「あら駄目よ、お父様(マスター)。まだ炎の夢は終わっていないわ」

 

「えっ、ちょ、待って……!」

 

 それを追ってアヴェンジャーも走り出す。キャスターに対する敵意はまったく消えていない。先程までの彼女とは別人のように残酷な笑みとともに、髪の先は炎と一体化して燃え上がっている。

 

 小夜の制止も聞かないまま、アヴェンジャーは教会の敷地を飛び越えて、どこまでも追いかけていく。

 

 小夜もまたベッドから立ち上がった。まだ足元は覚束無い。

 だけど、あの子のあり方は炎のように歪んでいて、いつ尽きてしまうともわからない。小夜よりずっと不安定だ。どうしても、放っておけなかった。

 

 小夜は走り出した。靴下のままで草を踏み、揺らめく焔を追いかけて。



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幻想──フレイム・ナイトメア

 霜ヶ崎市にある数少ない高層ビルのうち一つには、かなりの上階をワンフロアまるまる買い取って住んでいる大金持ちがいるという。

 別荘なのか、長らく不在であったその大金持ちだが、つい先日帰国していた。その名は『ソラナン・フィアーリア』──赤毛に髭を蓄えた、老齢の男である。

 

 彼は霜ヶ崎市を一望できる大窓の部屋にて、安楽椅子に腰掛け、なにやら古いアルバムを眺めている。

 そんな彼の傍らに、突如として少女が現れた。白髪に空色の瞳で、ばつの悪そうな表情をした女の子。サーヴァント、アーチャーである。

 

「おう、よく帰ったな」

 

 彼は自らのサーヴァントの帰還を認識すると、アルバムを机に放った。そこに収められている写真は、アーチャーと同年代であろう少女のものばかり。着飾ったものから全裸体のものまで、様々である。

 しかしアーチャーはアルバムに視線をやることなく、真っ先に口に出したのは謝罪であった。

 

「ごめんなさい。せっかく作ってもらった礼装、壊してしまったの」

 

「問題ないとも。あれは逸話通り、ただの堅くて重い杖。君の魔術特性を活かせるよう調整したとはいえ、英霊との戦いでは耐久できるはずがない」

 

 ソラナンは机の下に備え付けられた小さな冷蔵庫からウォッカの瓶を取り出すと、そのままアーチャーに投げ渡した。

 彼女は躊躇いなく開栓し、浴びるように飲み干してしまう。そうして瓶が完全に空になってから、主に意図を尋ねた。

 

「これは?」

 

「君はベルチェ・プラドラムに呪いを植え付け、令呪を一画消費させた。その褒美だ。

 セイバーはもう脅威足り得ない」

 

 アーチャーの宝具の一つであるあの矢には、受けた相手の魔力の流れを阻害する効果がある。いくら最優のクラスたるセイバーであろうとも、マスターがその呪いを食らい、弱体化しているのは確実。

 令呪により不意を突いて窮地を脱出されたものの、次に出会う時には確実に仕留めればいい。

 アーチャーは納得し、頷いた。

 

 ソラナンやドロレスたちにとっては、他の参加者は餌でしかない。特にドロレスは、監督を行いながらもサーヴァントを召喚し、彼女らの創造主である魔術師の願いを叶えようとしている。

 その過程を効率よく運ばせるのがアーチャーの役目だ。

 

「さてそうなると……次は他の不確定要素の排除か。現状居所が把握されているのはアヴェンジャーだが」

 

 その名を口にした途端、勢いよく扉を開け放ち、飛び込んでくる人影がある。敵襲ではない。ドロレスのうち、常にこのソラナンの工房に常備されている一人である。

 彼女は間髪入れずに報告を開始する。

 

「五百八十七号より伝令でございます。アヴェンジャーのマスターと接触し、殺害を試みましたが失敗。現在撤退中ですが、アヴェンジャーにしつこく追いかけ回されている、と」

 

「キャスターは執筆を急がせているのではなかったのか? まったくドロレス嬢も気まぐれだな、造り主に似たのかもな」

 

 ソラナンはアーチャーに目配せする。出撃だ。

 

「出番だ、アーチャー。宝具の開帳を許可する」

 

「えぇ。安心してマスター。ちゃんと殺してくるわ」

 

 無邪気に残酷な笑顔を浮かべ、少女は霊体となって部屋から消失する。残った老人は相変わらず椅子に腰掛けたままで、机上のアルバムを再び手に取った。

 

 ◇

 

 飛び去ったキャスターたちを追いかけていたアヴェンジャーだが、標的を見失うと立ち止まる。彼女を突き動かしていたものが唐突になくなってしまったみたいだった。

 一方の小夜はすでに体力の限界を迎えており、走ると言うよりよろめいている。肩で息をしつつ、なんとかアヴェンジャーの隣まで歩き、気力が尽きてへたり込む。

 

「はぁ……はぁ……やっと追いついた……」

 

「ごめんなさい。勝手に突っ走ってしまって」

 

 小夜はきょとんとしてアヴェンジャーを見た。燃え盛っていた髪の先はぼさぼさの金髪に戻り、先程までの苛烈さは纏っていない。キャスターがいなくなったから、だろうか。

 

「い、いえ全然。お知り合いとかですか?」

 

 アヴェンジャーは首を振った。

 

「でも。あの人だけは、殺さなくちゃいけないの」

 

 キャスターも同じサーヴァント。聖杯をめぐるライバルとなる存在だ。彼女が敵意を燃やすのはおかしくないかもしれない。もっとも、彼女は物理的に燃えていたのだが。

 

 聞きたいことは他にもあるが、息切れでうまく言葉に出来ない。早々に諦め、一緒に帰ろうと、アヴェンジャーの上着のぼろぼろの袖を引いた。

 

「──待って。誰か来るわ」

 

「誰かって……もしかして」

 

 サーヴァントか、と言い終わるより先に、街灯の上に立つ少女が目に入る。アヴェンジャーやキャスターと同じく小さな女の子だ。

 彼女はお人形と見間違うほどの完成された顔立ちで、素肌やインナーが透けて見えるような薄い生地のドレスを身にまとっていた。風にあおられ、薄桃色の下着がちらちらと見えていたが、気にする気配はない。

 呆然とする小夜を前に、彼女は天使の微笑みを浮かべる。

 

「こんにちは、シスターさん。そして、さよなら」

 

 小夜が可愛らしくて物騒な女の子に出会うのは、今日だけでもう四人目だった。

 

 虚空から、彼女の手の中に一本の矢が現れる。鳥を模して造型されている大振りのものだ。彼女はそれをくるくると回し、短剣を持つように構え──街灯の上から一直線に飛び込んでくる。

 それは明らかに人間を超えた速度であり、小夜の反応速度をはるかに上回る襲撃だった。

 

「危ないッ!」

 

 肩が外れそうなくらいの勢いで引っ張られて、それがアヴェンジャーに助けてもらった際の衝撃だと理解する前に、小夜は地面に倒れていた。

 すぐ横には、凶器を手に佇む少女の姿がある。腕はすでに振り上げられており、あとは振り下ろされるだけ。そこへアヴェンジャーの放つ炎が飛び込み、手ごと矢を燃やし尽くすことで時間を稼ぐ。

 

 少女の火傷はみるみるうちに修復されていくが、その数秒の間にアヴェンジャーは小夜を抱え物陰へと連れていった。

 

「あちち、火傷しちゃった。責任とって死んでくれるかしら?」

 

「それは私のお姉様(シスターさん)に触れようとした罰が当たっただけ。悪いのは貴女じゃなくって?」

 

 突如襲いかかってきた謎の少女に対し、一歩も譲らないアヴェンジャー。小夜をかばって立つその小さな背中が頼もしい。

 

「弓を持たずに矢を振り回しているけれど……あれはきっとアーチャーのサーヴァントだわ。狙い撃ちされないよう、気をつけて」

 

 そう言って、アヴェンジャーはアーチャーへと向かっていった。数十センチはある大型のマッチを手に、その先端に燃え盛る炎を掲げて。

 アーチャーがそれを迎え撃ち、飛び出した。少女と少女の距離は一気に縮められる。

 

 先に仕掛けるのはアーチャーだ。手にした矢がアヴェンジャーに突き立てられ、しかしそれをマッチで防ぐ。軸の木材に突き刺さるが貫くことは叶わず、その隙にアヴェンジャーの炎を纏った蹴りがアーチャーへと繰り出される。

 靴先が腹部にめり込んだ、かと思われたが、アーチャーは直前で受け止めていた。むしろ彼女が掴んだ足先を靴ごと握りつぶしたことにより、骨片の交じった血液が飛び散る。

 

 痛みに表情を歪ませ、相手の圧倒的な握力に驚いたアヴェンジャーの体勢が崩れた。それを好機と見たアーチャーは突き刺さった矢を力任せに引き抜き、もう一度振り下ろす。防御行動は間に合わない。

 その瞬間、いまだ流れ出ているアヴェンジャーの血液が炎へと姿を変え、彼女の体を覆い隠した。突如現れた炎熱に怯んだアーチャーはすかさず攻撃を中止して退避し、構え直す。

 

 ──聖杯戦争がおままごとなら、どんなに微笑ましかったことだろう。しかし、それは人智を超えた者同士による潰し合い。

 傷はみるみるうちに修復され、虚空から武器を生成し、血が繁吹(しぶ)き炎が踊る。

 そんな光景を前にして、小夜は呆然としているしかなかった。

 

 アヴェンジャーは破壊された脚をすぐさま作り直し、アーチャーとの更なる戦いが繰り広げられる。

 身体能力で上回るアーチャーの攻撃を、炎の障壁による奇襲を使い寸前で躱し、傷はすぐさま修復できる程度に抑えている。

 だが単純な戦闘能力の差が見え始めていた。防戦一方ながらどうにか耐えていたはずだったアヴェンジャーも、次第に止まぬ攻撃を前に押されている。

 

 このままでは押し切られてしまうだろう。アーチャーの矢に貫かれ、アヴェンジャーが地に膝をつくかもしれない。

 だからといって、小夜にはなにもできなかった。ドロレスの時は偶然冷凍ビームを出すことができたけれど、今どうやって使えばいいのかも、あのアーチャーに通じるのかも分からない。

 

 小夜がただ拳を握りしめるしか出来ない中、アーチャーは相変わらずの笑顔を浮かべている。

 

「もう、遊びは終わり。いくよ」

 

 彼女が手にした矢を掲げると、その頭上には雷雲が立ち込める。迸る雷撃は掲げられた鏃の一点に集い、そのエネルギーを循環させ、より激しく音を響かせている。

 放たれるあまりに強力な魔力の気配。小夜は息を呑んだ。あれだけの力が解放されれば、一帯は塵に還るに違いない。

 

 そんな状況を前にして、ある時、アヴェンジャーは小夜の方を振り返り、頷き、放電の音の中に叫んだ。

 

「信じるの。幸せはいつか訪れるって」

 

 その言葉とともに、アヴェンジャーの体が燃え上がる。少女の体内に秘められていた煉獄が溢れ出し、大気を巻き込み渦をなす。

 宝具──サーヴァントが持つ逸話の体現、必殺の一撃。今ここに、それが激突しようとしていた。

 

「我が名の下に荒れ狂え──『黄金を堕とすは天の雷霆(ピィエルン・グロザー)』ッ!」

 

 空高く跳躍するアーチャー。上空から投げつけられる矢は雷を纏いながら地へと迫り、やがて破裂するとともに、内包していた電撃が解き放たれる。

 それは雷神による裁きの嵐を彷彿とさせるものであり、まるで破壊を象徴するかのように降り注ぐ。

 

 だがアヴェンジャーもまた、自らの炎を解き放つ。

 

「回る回る、炎は回る。冷たい路地を温めて。

 歌う歌う、焱は歌う。それは泡沫唯の幻想。

 

 ──さぁ。ユメを見せてあげる」

 

 マッチ売りの少女の炎は、幻想を見せる。彼女が望んだ温かさを。彼女が望んだ優しさを。そして、時には、彼女が望む強さをも。

 

 自分自身を燃料とした炎の内より現れるのは、空から迫るモノと同じ雷霆である。

 地より天へと昇る彼らは上空で雷を相殺し、今まさにアーチャー目掛けて跳躍せんとするアヴェンジャーの路を作り出していた。

 大地を蹴り出して、雷鳴同士が激突し続ける空を突き進む炎。やがて彼女はアーチャーのもとへと至り、その真名を告げる。

 

「──『陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)』」

 

 炎の塊が一本の大木の形を取りながら、無防備になったアーチャーに叩きつけられた。紅蓮に飲み込まれ、白銀の少女はそのまま地へと落ちていく。

 

 彼女が地面に叩きつけられるころには、雷鳴も止み、アヴェンジャーが纏う炎ももとのように彼女の体内にしまい込まれていた。

 だが、体のほとんどが黒く焼き焦がされていながらも、アーチャーは立ち上がる。

 

「……こんなの、つまんない」

 

 逃亡する体力は残っているらしく、よろめきながらも跳躍し、破壊を免れた家屋の向こう側に消えていく。

 しかしアヴェンジャーもまた気絶寸前であるらしく、彼女は小夜に駆け寄ると、ふらり倒れかかった。

 

「……お姉様(シスターさん)、無事、かしら」

 

「わ、私は大丈夫ですけどっ、あの、アヴェンジャーさんの方が大丈夫じゃなさそうというか」

 

「いえ……少し休めばなんとかなると思うわ」

 

 そんなことを言いつつも、自分自身を燃やしていた彼女の体は下手に触れば火傷しそうなくらい熱かった。

 すぐにでも連れ帰らないと。

 

「あの、私も限界なんですよね、体力。だから早く帰って、お風呂入って、ゆっくり寝ましょう」

 

「……えぇ。そうね。あなたの居る場所が、今の私の帰る場所なのね」

 

 焼け焦げた痕の残る道の上で、少女は暖かく笑ったのだった。



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放課──クラスガール・ランナウェイ

 夕方になり、放課後のチャイムが鳴り響いた。

 生き物係の暮らしている孤児院は、正式な学校として認可されているわけではないが、やり方を踏襲している。

 そのため、夕方には『授業』が終わり、夕食を食べさせた後、それぞれの部屋に帰って眠るというのが日常だ。

 今日もそれは変わらず、生き物係は自分の部屋へと戻っていった。

 

 決められた就寝時間は18時。そのため、帰るとすぐに入浴時間とされている。生き物係はお風呂を沸かし、その間、今日あった出来事について考えていた。

 

 朝、委員長と共に行った謎の儀式。あれによって委員長の胸には風穴が空き、雰囲気が少し変わった気がする。

 

 というのも、振る舞いのほとんどはいつもの委員長なのだが、少しぎこちないのだ。

 例えば、他の子供たちへの命令が減っていた。先生や子供たちの名前を覚えていなかった。

 贄にウサギを使ったせいで先生にお説教を受けたとき、委員長が庇ってくれた。

 

 特に庇ってくれたことに関しては、先生も生き物係も驚いていた。おかげで役割は剥奪されなかったが、委員長がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか呆気にとられたのだ。

 

 そしてその違和感は、まだ重ねられていくことになる。

 

 部屋の呼び鈴が鳴り、生き物係は慌てて扉を開けた。基本的に、子供たちが勝手に外出することは禁止されていて、こんな時間にやって来るのは先生だと思ったからだ。

 だが違った。扉の向こうに立っていたのは委員長で、彼女は部屋に堂々と上がり込むと、困惑する生き物係に顔を近づけ、問いかけた。

 

「いっちゃん。貴方がどうしても叶えたい願いって、なにかしら」

 

 ──願い?

 

 そんなことは考えたことがなかった。役割から逸脱しないことがなによりの命題で、やるべきこと。それ以上のことを望んだことなどなく、どう答えればいいのかわからなかった。

 

「……無いの? へぇ。人間って、わからないものね」

 

 委員長は不思議そうに首を傾げた。

 不思議なのは、彼女の方だ。規則を破ってまでこんなことを聞きにやってきたのだから。

 生き物係がそんなことを考えているとはつゆ知らず、多少の思索の後に、委員長の声が響いた。

 

「もし聖杯を手に入れてもなにもないのなら、この子の願いを叶えればいいだけよね。えぇ、そうするわ」

 

 何かに納得したらしい彼女は、これでもう話したいことを話しきったらしかった。唖然とする生き物係をよそに、さっさと部屋から出ていこうとした。

 だが外に出ると先生に見つかるかもしれない。思わず袖を掴んで引き留めてしまい、委員長は振り返った。くるくる巻いたツインテールが揺れ、彼女のツンとつり上がった目が向けられる。

 

「安心しなさいな。いっちゃんの敵は私が倒してあげるから」

 

 その発言の意図がわからないまま、彼女は出ていってしまう。ひとり残された生き物係は、しばらく扉の前に佇んでいるばかりであった。

 

 ◇

 

 アーチャーとアヴェンジャーによる宝具の解放とその激突は、人気のない裏道に大きな痕跡を残した。それは血痕であり、破壊の痕であり、そして魔力の気配である。当然、それらは他のサーヴァントを引き寄せる。

 

 日は沈み始め、アーチャーは撤退し、小夜とアヴェンジャーはすでに教会に帰り着いているころ。

 この裏道を戦場とすべく、濃厚な血の気配を漂わせた者たちが現れる。ひとりは病的に白い肌の少女、もうひとりは胸に風穴を空けた少女。

 アサシンとランサーだ。

 

 アサシンの傍らにいた魔術師はランサーの姿を見るなり、自らは物陰に退避した。一方でアサシンはそんな自らの主の行動を気にも留めず、眼前の少女を澱んだ瞳で見つめ、そして舌なめずりをした。

 

「恐ろしい傷口だわ。胸を抉られ、骨が空気に触れるなんて……おぞましいわ」

 

 言っていることとは裏腹に、その顔は恍惚に満ちている。アサシンの加虐性にした表情に、ランサーは会話の通じる相手ではないと判断したのか、胸の風穴から()を伸ばし、一本の武器を形作った。

 

「あなたを討ち取れば、私の功績になるのよね。殺させてもらうわ──」

 

 ランサーによる宣戦布告の言葉が終わらぬうちに、アサシンは彼女に迫っていた。

 殺人鬼の手に握られた大振りなノコギリが少女の肩を切り裂こうと振り下ろされ、しかし少女の体には届かない。アサシンの腕にはランサーの胸から伸びる枝が絡みついており、軌道がずらされたのだ。

 

 その瞬間より、戦いの火蓋は切って落とされた。ランサーの振るう枝の槍がアサシンの持つ鞭を弾き飛ばし、かと思えばアサシンの鉈がランサーから伸びる枝を叩き切る。

 次々と繰り出される凶器と、体内から這い出でる植物。まったくただの人間では起こり得ない応酬を、ふたりの少女は演じ続ける。

 

 ランサーが踏み込み、アサシンの懐へと突きを繰り出す。その一撃は虚空から編み上げられた金属の拘束具に阻まれるが、本命はランサーの背中から伸びる三本の枝だ。植物に有り得ない速度で伸長し、アサシンの柔肌を狙う。

 アサシンがとったのはバックステップだ。いまだ伸びゆく木々はアサシンを狙い続けているが、ふたりの間に突如鉄人形が現れる。

 本来ならば犠牲者を杭まみれの内部に誘い込み、血液を搾り取るための残酷な人形。ただ、今は盾として、そして武器として振るわれる。

 

 鉄の乙女がアサシンにより持ち上げられ、ランサーに叩きつけられた。横からの重い殴打に対してしなやかな枝を展開し衝撃を吸収させるランサーだが、受け止めきった直後に鉄の乙女から数多の杭が伸び、彼女に襲いかかった。

 枝と杭が衝突し、互いにへし折れ、数秒後にはふたりの間には鉄人形しか残っていない。しかしランサーは退避を選ばず、むしろ踏み込んだ。

 

 鉄人形と枝の槍が激突し、火花が散らされた。ただの木ならばここで砕け散っていたことだろう。

 しかしランサーのそれは強い神秘を宿しいたがゆえに、鉄の壁を貫き、アサシンの右肩へと真っ直ぐに向かってゆく。

 

 皮膚を突き破られ、血液を散らすアサシン。その影響か鉄人形は消失し、代わりに小さなナイフを手にランサーへ飛びかかる。

 槍はより深く突き刺さるが、彼女はそれよりもランサーへの加虐を求めるように迫り、数度振り抜いたのを避けられたのち、ついに頬を裂くことに成功した。

 

 彼女はその返り血を躊躇わずに舐め取り、鋭く伸びた爪までしゃぶり、恍惚の表情を浮かべた。

 しかしアサシンの右肩には、ランサーの手にしていた槍が突き刺さり、その尖端は背中側に顔を出している。

 

 ランサーにはその思考が理解できなかった。

 明らかにアサシンの方が傷ついており、先程のナイフは掠めただけ。微量な魔力で修復できる切り傷しかついていない。

 なのに、相手の浮かべた表情は恍惚。苦痛ではなく快楽を味わっている。その意図がまったく読めず、ランサーの思考は停止してしまう。

 最小限の警戒は残していても、それはいつ攻撃態勢に入るかわからないことに対してのもの。わけのわからない相手を前に、幼いランサーは身構える他にない。

 

 戦闘は停滞していた。アサシンにも、ランサーにも、この場に新たなサーヴァントが現れる可能性など、忘れてしまっていた。

 濃厚な血の匂いに釣られ現れるものが、さらなる災厄であるとも知らず。

 

「──え?」

 

 その瞬間、ランサーの右腕は消失していた。

 否。一瞬にしてちぎり取られたのだ。いまだ血の味に浸るアサシンではなく、新たにこの戦場へと降り立った金色の影に。

 

 いくら元々ただの人間の体だったとしても、サーヴァントと同化したことでCランク相当の耐久を与えられている。だというのに、いとも容易くちぎり取られた。

 それはこの敵が並の英雄ではないことを端的に示している。

 ランサーは植物により傷口を止血しつつ、代わりの腕を形成し、新手の敵に対して最大限の警戒を払う。

 

「やっと見つけたわ。お兄様の敵で間違いないわよね?」

 

 金色の装飾を身に纏った少女──バーサーカーは、ちぎり取ったランサーの腕を投げ捨てた。



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来襲──ヴィーナス・ディヴォーション

「やっと見つけたわ。お兄様の敵で間違いないわよね?」

 

 アサシンとランサーによる戦闘の最中、突如現れた金色の装飾の少女。

 彼女が上方へと投げ捨てたことにより、ランサーのちぎられた腕が宙を舞う。断面から残っていた返り血が溢れて撒き散らされ──その落下よりも迅く、少女の姿が消失する。

 

「間違ってても殺すけれど」

 

 ランサーは襲撃を視認するより先に、自らの周囲に植物を展開した。木々で作られた壁が直後に少女のハイキックとぶつかり、砕かれる。間に合った。

 反撃のため、壁の一部から鋭い枝をいくつも伸ばすランサー。しかし伸長は少女の速度よりも襲い。わずかに蠢いた瞬間に壁を蹴って大きく跳躍した少女は、すでに上空におり、そのまま急降下しながら拳が振り下ろされる。

 

 ランサーもまた跳躍による回避を行い、それにより少女の拳は地面に叩きつけられた。小規模ながらクレーターが発生し、土塊が巻き上がる。

 

 その様は聖杯による狂乱の付与ではなく、彼女が元より苛烈さを宿していた者だと理解するに十分であった。

 ランサーは規格外の狂化スキルを持つバーサーカーという想定を弾き出し、自分ひとりでは分が悪いと判断する。

 

 だがこの場には、もう一人のサーヴァントがいる。ランサーはバーサーカーの巻き上げた土塊の雨をくぐり抜け、アサシンの元へと急いだ。

 

「あいつ、1対1じゃ規格外だわ。手を組まないかしら?」

 

 しかし、その提案も虚しく、アサシンはバーサーカーへと愚直にも向かっていってしまった。

 次々と凶器を持ち替えながら何度も何度も振り下ろしていくアサシンだが、バーサーカーはそれをかわし続け、攻撃は一度も当たらない。

 やがて反撃のためか、バーサーカーの手元には大剣が出現していた。その一薙ぎが凶器を打ち砕き、大振りな攻撃の合間に繰り出される蹴りや拳が内臓を破壊しにかかる。

 

 たった十数秒ほどの、一瞬の攻防だった。しかし、アサシンが受けた攻撃は四発。肋骨が数本、腹には大きな痣、右腕はへし折られぶらり垂れ下がっている。

 ランサーに受けた肩の傷も合わせ、アサシンはぼろぼろだ。

 

 物陰に隠れていた彼女のマスターは、自らのサーヴァントの危機に姿を現していた。自らの右手と戦闘を交互に見つめて逡巡しているのがわかる。

 ランサーは彼女のもとへ駆け寄り、声をかけた。アサシンには話が通じなかったが、マスターならば可能性はある。

 

「……っ! さ、サーヴァント……」

 

「身構えないで。私は貴方のアサシンより、あのバーサーカーが危険だと思うわ。ここは共闘しましょう?」

 

「へ、へぇ。それはありがたい、けど……使い魔を飛ばすにしても時間かかるし……アサシンは私の言うことを聞かないから、宝具の解放は彼女の自己判断。

 それに、生憎とバーサーカーのマスターはここにはいない。使い魔を飛ばそうにも時間がかかる」

 

「その時間を稼げばいいじゃない。自分のサーヴァントを無駄死にさせたくはないでしょう?」

 

 魔術師は頷くと、携行していた大きなカバンを開き、液体の詰められた瓶をいくつかランサーに手渡した。

 

「こ、これ、魔術師の心臓と脳漿をすり潰した液体。濃密な魔力をこめてあるから、アサシンに」

 

 これを飲ませれば回復する、というわけか。それを了解したランサーは、瓶を受け取ると、バーサーカーとアサシンによる戦闘の真っ只中へと飛び込んでいく。

 割って入ったランサーの攻撃にも怯まず、バーサーカーの反撃は襲い来るものの、多少の隙があればいい。

 

 ランサーが攻撃をいなしながら、アサシンに瓶を投げ渡した。その中身が人体の成れの果てだと彼女は即座に理解したらしく、涎を拭ってひといきに飲み干してしまう。

 

 バーサーカーの大剣が振り下ろされるのを避け、もう一度アサシンの方を見ると、傷の修復が始まっている。霊体の再構成とともに痣や骨折の痕跡が消え、もとの白く細い肢体が作り直されている。

 

 ランサーはその他にも、魔術師が使い魔を用いる準備に取り掛かっているのを確認し、その後はバーサーカーとの戦いに集中した。

 ランサーの体内に巣食う枝を大量に動員し、振り下ろされる大剣をどうにかせき止め、しかし横から高速で迫ってくる飛び蹴りに対応出来ず、木々の壁ごと吹き飛ばされる。

 

 しかし、体から生える植物たちは、第三以降の手足として機能する。すぐさま体勢を立て直し、すでに攻撃態勢に入っているアサシンとともに襲撃を仕掛けていく。

 槍の突撃と、鉈の投擲がバーサーカーに向かって放たれ、彼女はそれを前に笑っていた。

 

「あら、無謀な戦いが好きなのかしら? 奇遇だわ、私は貴女達みたいなのを叩き潰すのが趣味なのよ」

 

 それはアサシンと同質であるようで異なる、根底から分かり合えない張り付いた笑いだった。

 

 ◇

 

 一方、バーサーカーのマスター・春は、索敵をサーヴァントに一任し、妹探しに集中していた。

 明日菜と喧嘩した時、彼女はだいたい家を飛び出して、全力で怒りながら街を練り歩く癖がある。

 よって、明日菜の捜索する手段は、よく黄昏ている場所を巡ったり、親しい近所の人に聞き込みをしたりになる。

 

 そんな努力を続けること数時間。やっと報われてか、彼女は曲がり角でひょっこりと姿を現したのだった。

 

「……お兄ちゃんっ!」

 

 春を見るなり抱きついてくる明日菜。怖い目にでもあったのだろうか。見ると、脚に包帯を巻いており、怪我をしてしまったみたいだった。

 

「明日菜、それ」

 

「あ、これ? ううん、なんでもないの。本当だよ」

 

 包帯の真ん中、太腿に大きく血が滲んでいる。ただ転んだのではないのかもしれない。ともあれ、応急処置がしてあるのなら、あとは彼女自身の魔術などでどうにかなるだろう。

 それよりも問題なのは、彼女とバーサーカーの関係であった。バーサーカーは明日菜を見下しており、明日菜はバーサーカーのそんな態度が気に入らない。このままだと、ギクシャクしたまま戦うことになってしまう。

 

 それをなんとかするため、春には双方の説得が求められていた。

 

「な、なぁ、明日菜。バーサーカーのこと、なんだけどさ」

 

 その名前を聞いても、明日菜はきょとんとしただけだった。もっと気まずくなるかと思っていたため、意外で春の調子が狂う。

 

「いやえっと、あいつには俺から言っておくからさ。マスターの俺の言うことなら、ちゃんと聞くはずだろ?」

 

 真っ当なバーサーカーならばそうとは限らないが、彼女のステータス表記における狂化ランクは規格外を示すEX。しかも彼女の場合、影響はほぼゼロに近いという意味での規格外だ。

 普通に頼み込めば、まあなんとかなるだろう、と春は思っていた。

 

「そう簡単にいくかなぁ」

 

 明日菜は冗談めかして首を傾げた。その様子を見る限り、もうあんまり怒ってはいないらしい。

 

 春にとって、それは幸いだと思う。

 あまりお説教をせずとも、普段の明日菜なら受け入れてくれるはずだ。物分りがいいのは今までの兄妹付き合いの中でよく知っている。

 

 そうなったら、はやく一緒に帰って、バーサーカーにも話をしよう。

 春は明日菜を連れ、自宅への帰路につこうとする。

 

 だが、明日菜はその場から動こうとせず、むしろ春の方を引き止めた。

 

「……どうしたんだ?」

 

「あのね。ヘアピンをこの辺りに落としちゃったかもしれなくて」

 

 言われてやっと気がついた。いつの間にか、明日菜がよくつけている髪飾りがなくなっている。よくつけているということは彼女のお気に入りに違いない。兄として一緒に探してやらないと。

 

 春は明日菜とともに、今度は妹本人ではなくそのアクセサリーを探し始めた。地面に屈み、物陰や道の隅など、見落としのないように見て回り、しかしなかなか髪飾りは見つからない。

 そのまま数分間探し続け、ここじゃなかったんじゃないか、と思い、明日菜のほうを振り返る。

 

 ──その瞬間にはじめて、春は迫り来る魔力に気がついた。

 

「明日菜、危ないッ!」

 

 春は飛び込み、飛来するモノから妹を守ろうと、彼女を抱いてかばった。

 飛来物の正体とは、魔術による生成物にほかならない。他のマスターからの襲撃である。

 

 一度目は小規模な爆発。地面に叩きつけられる同時に破裂、強い呪いが撒き散らされ、春に降りかかる。

 二度目は数体同時に地に降り立った。それは魔術師が使う人形ではなく、ゴーレムに近い代物だ。人体を材料に作られたそれは、ほとんどが腐肉であり、まさにゾンビといった外見。

 彼らは明日菜をかばう春を標的としており、長く鋭い爪で引っ掻き、リミッターの外れた顎で噛み付いてくる。

 

「っく……大丈夫、大丈夫だからな、明日菜……!」

 

 バーサーカーのスキルによる影響だろうか。痛みや傷もあまり深くなく、呪いへの抵抗力も増している気がする。

 しかし、明日菜にその加護はない。よって、戦闘用の魔術を得手としない春は、攻撃を耐え、隙を見て逃げ出そうとするほかにできることはないのだった。

 

 ──だが、明日菜は兄に守られている間、選択を迫られていた。彼女の懐には、レイラズから渡された、黒魔術の刻んであるナイフがある。

 それを心臓に突き立てれば、兄はすぐに死に至るだろう。

 

 実のところ、先程の爆発も、今まさに春を襲っているゾンビも、レイラズの仕向けたものである。

 元々は、春からバーサーカーを引き離し、明日菜を人質として彼に令呪を使わせ、バーサーカーを自害させるという計画だった。

 

 だが、レイラズがサーヴァント同士の戦闘の跡を察知して調査に向かい、その結果バーサーカーに出くわしてしまった。

 アサシンではバーサーカーを殺しきれず、よって、マスターである春の殺害を実行すると決まったのである。

 

 ここで兄を刺し殺せば、目的は達成される。バーサーカーも消え、邪魔者はいなくなり、今度こそ明日菜がマスターとして聖杯戦争へ臨むことができる。

 だが。目の前の彼は、敵に襲われながらも明日菜を抱きしめ、大丈夫だと声をかけてくれるただ一人の兄だ。

 

 明日菜は春の殺害を躊躇った。

 そして──春を襲う脅威を取り除くため、彼のサーヴァントが現れる。

 

「お兄様! 無事かしら!?」

 

 ヒトの運動能力を遥かに超えた跳躍、そして着地と同時に叩きつけられる大剣。それはレイラズの使い魔を塵も残さず一撃の元に消し飛ばし、春は攻撃から解放される。

 

「ありがとうバーサーカー、助かったよ」

 

「えぇ、もちろん。お兄様に降りかかる火の粉はすべて、私が払ってみせるわ」

 

 バーサーカーの表情はまるで恋する乙女であった。このサーヴァントの目の前で春を刺殺しようとすれば、彼女の逆鱗に触れ、明日菜は先程の使い魔のように一瞬のうちに死亡するに違いない。

 

「ひどい傷……! 早く治療しないといけないわ、一度工房に戻りましょう?」

 

「あぁ。明日菜も帰ろう、そろそろ晩飯の時間だしさ」

 

「え……あ、うん、そうだね、お兄ちゃん」

 

 明日菜がナイフを取り出すことはないまま、彼女は帰路に着く。胸の中に、殺意と親愛を秘めたまま。



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日没──ビリーヴ

 使い魔からの視覚のフィードバックが途切れ、レイラズは舌打ちをした。

 

 共有の先は、バーサーカーのマスターである瀬古春を殺すために放った使い魔だった。死体の継ぎ接ぎを簡易的にゴーレムに仕立てあげた急増品だったが、呪いを撒き散らしながら爆発したり、一定の攻撃能力は備えていた。

 だが、バーサーカーが主の元へ駆けつけたことにより、排除は失敗していた。

 

 苛立ちの矛先は自分自身だ。自身の判断ミスが招いた結果だと自覚しているがゆえの苛立ちだった。

 

 彼と明日菜が合流してくれたことにより、バーサーカーのマスターの居所は割れていた。だが、殺しきれなかった。

 恐らく、保険のために明日菜に与えたナイフ型の礼装も使われていないだろう。バーサーカーの目の前で兄を殺せば復讐の矛先が自分に向くと、明日菜も理解しているはずだ。

 アサシンは大きなダメージを受け、しかしバーサーカーはいまだ健在。脱落は免れても、それだけだ。

 

 こうして徒に魔力と素材を浪費してしまったのは、バーサーカーを甘く見ていたせいだろう。

 アサシンとランサーの二騎を相手取る戦闘能力に、狂気の中にありながら対話を可能とする精神。

 どちらにしても、弱い英霊の理性と引き換えにステータスを強化する、というセオリーにはそぐわない。

 

 第一、アサシンが他人の話を一切聞かないため、戦略を立てマスターを狙うこともできないのだ。派手に動くべきではなかったのは明白だ。

 

 ランサーとの激突を見る限り、ただの殺人鬼とは思えないほどの白兵戦能力を見せていたが、それはそれ。

 ランサー側も戦い慣れしていないようであり、彼女の攻撃性がランサーに隙を作っただけかもしれない。

 

 レイラズはそのように、ひととおり脳内で反省した後、バーサーカーが去ったあとも睨み合うランサーとアサシンの方を見た。

 相手は一時停戦はすでに終わっていると考えているかもしれない。今すぐに激突が始まり、レイラズに枝が飛来しないとも限らない。

 苛立つ感情の八つ当たりをアサシンに託しても、二の舞になるだけだ。

 

 レイラズは深呼吸をし、自らの鞄から漂う血の匂いで心を落ち着かせると、サーヴァントたちの様子に集中する。

 そのままランサーに最大限の警戒を向けていたが──彼女の次の行動は攻撃でなく、微笑んで話しかけることだった。

 

「今日はこの辺にしておきましょう。雌雄はいずれ決するってことで」

 

「……いいの? ボロボロの相手を放っておいて」

 

「私の魔力だって有限だもの」

 

 ランサーのマスターの姿は見えないが、一方でレイラズとアサシンには死霊術による吸血に近い回復方法がある。消耗したままでは分が悪いと判断しているようだ。

 レイラズは背を向け去っていくランサーを追うことはなく、自らも撤退を選択する。

 

「わ、私たちも、行こうか」

 

 病的に細い手をとって、届かないとわかっていながら声をかけた。アサシンはぼんやりと、小さくなっていくランサーの背中を眺めてばかりだ。

 

 アサシンに付与されたスキルには、エリザベートが生来持っている慢性頭痛を元としたものがある。その効果は自分に対する精神的な干渉のほとんどを認知出来ないというものだ。

 

 令呪の影響により、辛うじてアサシンはレイラズが危害を加えてくる人間ではないと認識してくれているらしく、刃は向けない。それにこうして手を引けばついてきてくれる。

 だが、その目は濁りきり、加虐性を露わにしていない彼女はまるで人形のよう。

 レイラズの憧れていた『殺人鬼エリザベート』像とは、かなりズレている。

 

 ──けれど。

 

「やだ……置いていかないでよ」

 

 そういってレイラズの手を握り返すアサシンの姿はまるで幼い子供のようで、それもまた可愛らしい。指四本と令呪二画を支払った甲斐がある。

 

「お、置いてなんて、いかない。私たち、一緒だよ、エリザベート」

 

 レイラズが精一杯の微笑みを向け、アサシンは頷いた。その暗い瞳に映るレイラズの輪郭はぼやけている。

 これが聖杯による呪いなら、それを解くのもまた聖杯の祝福に違いない。

 

 血に塗れた少女を引き連れて、日の落ちた道を行くレイラズは、彼女のために戦おうと決意する。

 それが本当にエリザベートの救いになるのか、エリザベートの望みが何であるのか、わからないままに。

 

 ◇

 

 アーチャーと戦った後、ホテルに戻ったベルチェを待っていたのは、脳内に響く雑音と強烈な吐き気だった。

 ベッドで安静にしているはずなのに繰り返し襲ってくるそれらに対し、彼女は為す術なく、一時間おきにお手洗いに駆け込んではわずかな胃酸だけを吐き出すのを繰り返している。

 シーツも衣服も汗でぐっしょりと濡れており、霊体化しつつ見守るセイバーは心配で落ち着かない様子であった。

 

『お、おい、本当に大丈夫なのかよ!?』

 

「ちょっとヤバいかもしれない……めちゃくちゃ気持ち悪い……」

 

 原因はどう考えても、昼に受けたアーチャーの攻撃だ。矢が破裂して発生した衝撃波のあと、明らかに魔術回路の調子がおかしくなった。

 それだけでもベルチェとセイバーにとっては痛手なのに、さらにこの吐き気と頭痛。嫌がらせだろうか。

 しかし、まだセイバーをこの世に留めることはできている。それに魔力の暴走により全身が破壊されるなんて大惨事には至っていないのが不幸中の幸いだ。

 

『な、なぁマスター、オレになんとかできないか?』

 

「心配してくれるのは嬉しいけど……アーチャーを倒さないと、解呪されないと思う」

 

 サーヴァントが扱う強力な呪いに対し、現代の魔術師がどうこうしようなんて無理な話に決まっている。

 そのうえ、魔力供給が十全でない以上、いくら最優のクラスたるセイバーでもあのアーチャーには敵わないだろう。

 

「しばらくは戦況をみる。使い魔飛ばすくらいならなんとかなるし。吐くかもしれないけど」

 

 嘔吐というのは物凄く体力を使う。

 ベルチェが力尽きるのが先か、打破する方法が見つかるのが先か。

 分の悪い賭けだったが、それでこそカッコイイ。ベルチェは頭の中に響く呪われた叫びから意識を逸らすように、自分にそう言い聞かせた。

 

 ──なにがカッコイイだ、一族の面汚しめ。

 

 しかし、脳裏に浮かぶのは、なによりも聞きたくない声。思い起こされる視線は冷ややかで、誰もがベルチェに後ろ指をさし、否定する。

 そんな昔の嫌な出来事を思い出してしまうのは、きっと呪いのせいだ。そうに違いない。

 

『おいマスター、さっきより顔色悪くなってるぜ』

 

「……心配無用。がんばる」

 

 夜は深まりゆき、やがて日付が変わるだろう。夜闇に紛れ、それぞれの思惑も動き出すかもしれない。

 

「そうだ、セイバー。膝枕してくれない? それならしっかり休めそう」

 

『確かに密着すりゃ魔力供給の効率も上がるだろうが……いいのか、オレが実体化してて』

 

「癒しの方が大事」

 

 引きこもって寝ているだけで勝ち抜けるほど、聖杯戦争は甘くない。だが、今のベルチェに必要なものは体力の温存。魔力自体にはまだ余裕があるけれど、体力に余裕はない。

 

 ベルチェは口の中に残った酸っぱい胃酸を洗い流すと、すぐさまベッドの方へ戻っていく。そこには実体化したセイバーが、昼間購入した服に着替えて待っていた。

 

 赤毛の少年のすこし筋肉質な太腿に頭を乗せ、深く息を吐きながら目を閉じた。

 

 ──ひとりぼっちより、ふたりぼっちの方が寂しくない。

 セイバーが桃色の髪を撫でて見守ってくれているから、ベルチェは乱れた苦しげな呼吸をしながらも、心を落ち着かせていられたのだった。



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二日目
破却──ダウトフル・クラスガール


 昨夜、規則を破って外出していった委員長が帰ってきていた。早朝から仕事のある生き物係が教室へ赴くと、笑顔で挨拶をして出迎えてくれる。

 しかし、彼女の姿はまた一段と人から離れてしまっており、生き物係は立ち尽くした。委員長の片腕は人のものではなくなり、複雑に絡みついた植物の蔓に置き換わっていたのだ。

 

 なぜか、昨日は誰も胸の風穴を気にしていなかった。けれど、今度は隠し通せないのではないか。もしそうなったら、彼女の役割は剥奪されてしまうのではないか。

 

 そう危惧しつつも、花の水やりとウサギの餌やりをこなす生き物係。傍らに委員長も付き添って、授業が始まるまでの時間を二人きりで過ごす。

 彼女はなにも言わず、ただ仕事の補佐をするばかり。生き物係はやがて耐えられなくなり、水やりの手を止めて彼女に訊いた。

 

「あ、あの、その腕」

 

「あぁ。大丈夫よ、日常生活に支障はないわ。私がサーヴァントだって知らない相手には、普通に女の子に見えるのよ」

 

 生き物係の危惧していたことにはならないと言ってくれる彼女だが、しかし、生き物係は安心できなかった。このまま委員長の姿が失われていくことが怖かったのかもしれない。

 胸の風穴、植物の義手。いずれ、全身がすべて植物になってしまうのではないか、と。

 

 胸の内に不安を抱え、また昨日の出来事を聞くこともできていないまま、やがて授業開始の時間がやってくる。

 教室に戻り席についていると、扉を開いて先生が現れる。スキンヘッドの中年男性で、少々小太りである。

 

 生き物係は知らないが──先生と呼ばれている彼は、この聖杯戦争の仕掛け人であるドロレスに雇われ、そのおこぼれにあずかろうとしている男だった。

 彼は孤児院を与えられ、次代の魔術師たちを育成せよと命じられた。ドロレスの目的と、彼の支配欲とを効率よく満たすため、このような学校という形式になったのだ。

 

 よって、彼が定めた規則に反し、その機嫌を損ねた生徒は、役割の剥奪と称して抹消される。今までも、何人かの生徒たちが行方不明になっていた。

 

 そんな先生が委員長を別室へ呼び出したのは、最初の授業である初歩の魔術講義が終わったすぐ後だった。生き物係はこっそりと後ろをつけていき、部屋の外からその様子を覗き見る。

 

「委員長くん。どうして呼び出されたか、優秀な君ならわかるね?」

 

 委員長は首を傾げ、少し考え、思い当たる節があったのか手をぽんと叩いた。

 

「前例を鑑みるに、功績を称えられるのかしら!」

 

 机に拳が叩きつけられる。生き物係は驚き、小さく飛び上がった。

 

「規則を破っておいてよくそのようなことが言えるな」

 

 昨日、生き物係を庇ったときから、先生は委員長に目をつけていた。夜の間も彼女を監視していたとしてもおかしくない。昨日の出来事は筒抜けだったというわけだ。

 

「昨夜はなにをしていた? 君ならばこうなることくらいわかっているだろうに、わざわざ外出するなど」

 

 だが、生き物係が最も気になるところである、外での彼女の動向については把握していないらしかった。それを聞き出そうと詰めよる先生だが、委員長は答えをはぐらかす。

 

「関係ないでしょう? あなたに不利になることじゃないのは確かだけど」

 

「生意気な口を……ただの生徒が私に口答えなど」

 

「委員長にとっては先生でも、私にとってはそうじゃないもの」

 

 以前の委員長は先生に取り入ろうと、率先して彼の手伝いをし、評価につながるように行動していた。だが、今の彼女は違う。

 先生が目上だという認識も実感もないように、悪意なく彼を否定している。

 

 それに腹を立てた彼はコートの内ポケットを漁り、一枚の紙を取り出した。現代社会ではほぼ見かけない羊皮紙であり、生徒たちが孤児院へと入院すると同時に書かされる術式文書。

 

「これがあるのを忘れたか」

 

 自己強制証明(セルフギアス・スクロール)。魔術刻印が存在する限り決して解除不可能な呪いであり、死後の魂すらも束縛するという、魔術師にとって最も重い契約と言ってもいい文書だ。

 生徒たちに与えられたまだ中身のない真四角の刻印であっても、その機能が正常に作動しているのなら、強制(ギアス)による束縛は作動する。

 

 その書面には、契約が交わされた証明である血印、とうに成立しており脈動している呪術式、そして反抗を禁ずる旨が記されている。

 契約の内容に抵触した──つまり、先生に反抗したとみなされれば、例えそれが故意でなくとも呪いは起動する。

 刻印が内部から契約者を蝕み、やがて体液を噴き出して死に至ることだろう。

 それを前に、委員長は目を丸くした。

 

「ちょっと待って……えぇ、確かにそれは委員長のものみたいね」

 

「君には強制(ギアス)がかかっている。他の生徒も同様にな。

 私は昨夜、君を監視していた。生き物係の部屋に行っていたこともわかってるんだよ。

 さて、罰を与えなければならない他の生徒がいるから私はここで失礼するよ」

 

 即ち──それは、委員長への罰として生き物係を標的にすると言っているも同義であった。

 それを理解しているのかいないのか、委員長は呆然と立ち尽くし、先生は部屋を後にしようとする。

 覗き見していた生き物係は震え上がり、扉の近くから慌てて離れようとした。視線を外し、隣の教室へ駆け込もうとし、他の生徒とぶつかってお互いに倒れてしまう。

 相手の女の子の眼鏡が衝撃で廊下に飛んでしまっており、生き物係は今度はそれを取りに行こうとした。

 

 その最中で、ふと振り返り、部屋の中の委員長が視界に映る。彼女と目が合って、にこりと笑ってくれる。

 その傍らには──胸から枝を生やし、苦悶の表情を浮かべる男の姿。

 

「な、なぜだ、どうして……!?」

 

「ごめんなさい。()、契約とか苦手で。そういうの、効かないの」

 

 委員長の義手から伸びる植物は確かに男を貫いていたが、魔術刻印は起動しておらず、委員長が死に至る様子はない。

 むしろ、彼女の扱う植物たちは次々と男の体を破壊しはじめ、あたりに血をまき散らしながら、人の形をなさなくなっていく。

 悲鳴をあげる間もなく、委員長と生き物係のほかの誰にも気が付かれることなく。

 

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 

 先生がこの世から消失していく衝撃的な光景に見入っており、生き物係は眼鏡の少女に話しかけられやっと我に返った。

 彼女に助け起こされ、その時ちょうど、部屋から委員長が出てくる。

 

「あなたは……清掃委員ね。ちょうどよかったわ、少し汚してしまって。手伝ってくれないかしら」

 

「あ、はい!」

 

 助け起こしてくれた眼鏡の少女はぱたぱた走って掃除用具を取りに行った。彼女を待つ間、生き物係と委員長は再び二人きりだ。

 

 先程まで委員長がいたはずの部屋には、夥しい血痕と、一度見ただけでは人のものと認識できない肉片が落ちている。生き物係は恐る恐る、傍らの植物少女に声をかける。

 

「い、委員長……先生は……?」

 

「安心して、マスター。あなたを害するものは私が消してあげるから」

 

 やはりあれが先生の成れの果てなのだと、生き物係は理解せざるを得なかった。そしてなによりも先に、先生がいなくなったらどうすればいいのか、またしても不安が襲ってくる。

 あれからずっとそうだ。昨日の朝の儀式からずっと、不安ばかりが生き物係に付きまとう。

 

 向けられる委員長の笑顔はやはり作り物の人形のようで、寒気がして、少年は背筋を凍らせた。

 



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愛憎──シスターズ・デジール

 早朝、日が昇りきらないような時間帯。明日菜はひとり家を抜け出し、ひとりの少女と会っていた。真っ白な容姿のホムンクルス、ドロレスだ。

 令呪を授けに現れたときとは異なり、髪を結ってポニーテールにしていた。

 

 彼女を呼び出したのは明日菜のほうだ。どうしても、聞かなければならないことがある。

 

「なんの用でありますか? マスターはあなたでなく、あなたの兄のはずですが」

 

「私は知りたいことが知れればいいだけです。

 ……サーヴァントを殺して、今度は違うサーヴァントを召喚することはできるんですか」

 

 明日菜の目的はバーサーカーの排除、そして自らが聖杯戦争へと参加することだ。他のマスターからサーヴァントを奪うのは、レイラズとの接触で困難だと理解している。

 だとしたら、主催者であり監督役でもあるドロレスに取り計らい、新しい枠を用意してもらうしかない。

 

 ドロレスは考える間もなく、すぐさま言葉を返す。

 

「可能でありますよ。霊脈にダメージは残るかもしれませんが、聖杯そのものは我々の手にありますので。その場合は聖杯に還った魂を用いることになるでしょうから、少なくとも一騎の脱落が必要になるでしょうが」

 

「……! なら、もし枠が空いたら!」

 

「いいでしょう、あなたに令呪を授けるであります。

 ですが、なぜそこまでして聖杯戦争に参加を? 瀬古の家からはすでに兄上が出ているでありますよ?」

 

 少女が首を傾げ、白髪が揺れた。色の抜け落ちたような白は明日菜が一番嫌いな色だった。けれど、ドロレスが次期マスターの席を用意するという確約は明日菜の気分をよくし、苛立ちをかき消す。

 その問いも余計な詮索でしかなかったが、明日菜は答えてやることにした。

 

「私は父の作品(・・)ですから。そうしなくちゃいけないんです」

 

 明日菜はスカートをめくりあげ、太腿を露出させる。

 それは年頃の少女の細く健康的な腿ではなく、拡張された静脈が青黒い筋となって透けて見えていた。

 時折、その管の中では血液ではないなにかが動き回っており、皮膚を押し上げ不自然な隆起を形作っていた。

 

「……なるほど。瀬古家は独自に聖杯戦争への準備を進めているとは聞いていましたが、まさかそのような方法とは」

 

 ドロレスは表情こそ変えなかったが、その頬に一筋の汗が伝っているのを明日菜は見逃さなかった。彼女は話題を逸らすように咳払いをし、続ける。

 

「話は以上でありますか? 我々は自身の職務に戻りたいであります」

 

「はい、これで終わりです。私、期待して待っていますね」

 

 去っていくドロレスの背中を眺める明日菜。その顔は、今まさに昇っている朝日の下にふさわしい晴れやかであった。

 

 ◇

 

 ──そして、明日菜とドロレスの密会から数時間後。

 バーサーカーの召喚から一夜明け、瀬古家の食卓では三人が席につき、とても気まずい雰囲気の中で食事をとっていた。

 

「はい、あーん」

 

「……あの、オレ、自分で食べられるんだが」

 

「あんな穢れた女の作る料理にお兄様の手を煩わせるわけにはいかないわ」

 

 バーサーカーはれんげで春の口元に味噌汁を運び、強引にも食べさせている。そんなふうに恋人のように振る舞いつつも、明日菜のことは眼中にないどころか見下している。

 

 明日菜にとって、バーサーカーはどうしても癪に障るサーヴァントだった。父が作り上げた明日菜の体を悪趣味と蔑み、家名を貶めただけでなく、こうして兄に擦り寄っている。

 どうしようもなく目障りだった。

 

 昨日、魔術師の使い魔──恐らくレイラズのものだろう──による襲撃を受けた兄の傷は、ほとんど軽い引っかき傷や打撲で済んでいた。かけられた呪いもほとんど無力化されており、明日菜には簡単に解呪できてしまった。

 彼曰く、バーサーカーの持つマスターを護るスキルによる加護だという。

 

 加えて、バーサーカーは兄の危機を察知し、一瞬にして救援に現れた。

 それはつまり、兄を殺すことでバーサーカーを消滅させるのは困難だということを示していた。

 

 他の手を考えないと。明日菜は焼き魚をほぐして口に運びながら、バーサーカーと兄の顔を見比べていた。兄は妹の視線に首を傾げて応える。

 

「どうかしたか、明日菜?」

 

「ううん。お兄ちゃんが普通にご飯食べられてよかったな、って」

 

「あぁ。バーサーカーが呪いも物理攻撃もだいぶ軽減してくれたみたいだからな」

 

 それがなければどれだけよかったことか。そう思っても口には出さない。代わりに白米を押し込んだ。着々と食卓の料理は減っていき、二人分の空の食器が残る。

 

「ごちそうさまでした」

 

「あぁ、ごちそうさま。久しぶりに作ってもらっちゃったけど、明日菜の手料理は美味しいな」

 

 普段兄がやっているはずの家事を代わりに済ませたのは、兄が気絶したように眠ったまま起きなかったからだ。

 仕方なくやったことで褒められても、嬉しいとは思わないはず。だって相手は、昨日自分が殺そうとした相手なのだ。

 そう思ってはいても、明日菜の頬は勝手に熱くなっていて、それを見たバーサーカーが茶化してくる。

 

「あら……お兄様の褒め言葉に頬を染めるだけの人間らしさがあったのね、あなた」

 

「おいバーサーカー、そういう言葉はやめろって」

 

「はいはい。

 そうだわお兄様、まだ戦い足りないのだけど、思いっきり動いてもいいかしら?」

 

「……ああ。できれば早く勝負を決めてくれると嬉しいよ。オレの魔力にも限りがあるからさ」

 

 引き止めても意味がないとの判断なのか、春はすんなりとバーサーカーを送り出した。

 春の魔力量は平均的な魔術師のそれと大差ない。さらに彼女のクラスは狂化により魔力の消費が激しくなるバーサーカーだ。

 そのうえで彼女が好き放題の戦闘行動をとるならば、春の魔力は枯渇し、やがて吸い尽くされ死に至るだろう。

 

 今朝、傷は深くなかったのに兄がなかなか起きてこなかったのも、魔力消費のせいに違いない。

 最も、干からびて勝手に死んでくれるのなら、明日菜にとってそれでいいのかもしれないが。

 

「それじゃ行ってくるわ。首は持って帰ってきても?」

 

「捨ててきてくれ」

 

 バーサーカーなりのジョークだったのか、彼女はくすくすと笑いながら外に出ていった。

 

 これで、瀬古家には再び兄と二人きりである。

 皿を洗いながらバーサーカーを見送った明日菜は、さっさとその仕事を終わらせると、地下の工房へ降りていった兄を追った。

 暗い部屋への道を、一段一段と降りていく。

 

 地下室は明日菜が両親と出入りしていたときとほとんど変わらない。両親の遺品がほとんど手付かずで置いてある。

 以前目にしたときと変わっているのは、培養槽がひとつ割れており、内部で凍結してあった胎児が消失していることくらいか。

 

 そんな魔術道具が無造作に散乱している中で、彼は一冊の魔導書とにらめっこしている。

 

「何見てるの、お兄ちゃん」

 

「ん? あぁ、これな。昨日、これに触ったら勝手に魔力回路が奮い立って、バーサーカーを召喚したんだ」

 

 そのページに刻まれてある魔法陣は、サーヴァントの召喚に使うものではないのだが、兄がそう言うのならそうなんだろう。聖杯という奇跡の産物が関わっている以上、なにが起こるかは測りしれるものではないはず。

 

 そんなことよりも、明日菜は兄に言いたいことがあってやってきたのだった。

 

「あのねお兄ちゃん。お願いがあるんだけど」

 

 春の顔がこちらを向いた。

 

「バーサーカーを自害させてくれないかな」

 

 驚きに目を見開き、同様に瞳が揺れ動くのがわかる。妹のために戦ってきた春にとって、いきなりそんなことを言われる筋合いはないに違いない。

 だけど、それは兄がなにも知らないからだ。

 

「私の方がうまく戦える。最強のサーヴァントの触媒もあるし、新しい令呪はドロレスさんにもらえばいい。ねえ、私に代わってよ」

 

「そんなの、ダメに決まってるだろ。オレは明日菜が危険な目に遭わないようにマスターになったんだ」

 

 その前提が間違っている。明日菜は聖杯戦争のために産まれ、魔術を教えられ、体を弄られたんだから。

 ここで危険な目に遭わずのうのうと、兄の影に隠れているだけなんて、できるはずがない。

 さらに食い下がろうと思考を巡らせるが、それより先に兄の声が続く。

 

「──それにさ。バーサーカーだって、聖杯に賭ける願いがあるはずだ。そいつをオレたちの勝手で潰したら可哀想じゃないか。

 ……結局、ちゃんと話し合えてないだけだと思うんだよ。な、明日菜ももう少し付き合ってくれないか?」

 

 明日菜は言葉を失った。

 兄のことがわからなかった。使い魔にそれだけの親愛を注げる人格が。なにも知らずにそんなことを言える精神が。明日菜のことを、どこまでも理解せずにいられる心が。

 それでも心のどこかで、明日菜は彼を殺したくないと願っている。

 

「どうすればいいの……?」

 

 その場にへたり込んで、か細く呟く。

 

 指先に触れた床には、他ならぬ明日菜自身の残した古い血痕があって、無機質な照明が淀んだ赤に明日菜の顔を映し出していた。



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牢者──イン・ア・ケージ

 レイラズの意識は暗い夢の中に沈んでいた。周囲を見回しても光はなく、無機質な石の壁と天井があるばかり。他にあるものといえば鉄格子だけ。

 そんな部屋に閉じ込められる夢だった。

 

 レイラズはそれがアサシンの記憶であると考えた。

 マスターとサーヴァントは魔力のパスで繋がっており、混線してその記憶を垣間見ることがあるという。

 これは恐らく、エリザベートが晩年幽閉されていた部屋なのだろう。そう推測を立て、レイラズは傍観者のつもりで冷たい地下牢の風景を眺めていた。

 

 ──その首に、なにかが触れる。

 

「……っ、な、なに!?」

 

 予想外の感覚に驚き振り返るレイラズ。その先には暗闇と、そこから伸びる無数の土気色の腕の群れがあった。

 あるものは爪を剥がれ、あるものは皮を剥がれ、あるものは壊死してしまっている。

 たくさんの死体を扱ってきたレイラズには、その殆どが自分と同じような年代の少女のものだとわかってしまった。

 

 彼女たちがレイラズの手足を掴む。逃げようとするレイラズだが、格子の中に逃げ場はなく、後ずさるうちに壁際にまで追い詰められる。為す術なく取り押さえられ、死人の指と牢の壁の冷たさがレイラズを挟み、彼女の背中に悪寒を走らせる。

 

 どこからともなく、誰かが囁いた。

 

「冷たいの。苦しいの。痛いの。

 ねえ、あなたはどう?

 あなたも私たちと同じになればいい」

 

 ふと、闇の向こうからなにかが歩いてくる足音が聴こえた。その主は病的なほどの白い肌──他ならぬアサシンだ。白髪ではなく鮮やかな赤の髪色で、手にはノコギリが握られ、薄い唇は無邪気な少女のような笑顔の形に歪む。

 目元にはノイズが走っておりよく見えないが、混濁に淀んだあの光無い眼ではないとみえた。

 

 これがエリザベートの記憶でないのなら、一体何なのか。理解も身動きもできないまま、アサシンが眼前に迫る。

 右脚の太腿にノコギリの刃が触れた。そして、動き出す。

 肉を抉り削るためのぎざぎざがレイラズの皮膚を引き裂いて、夢の中とは思えない痛みが襲う。目の前のエリザベートが頬を染め、舌なめずりをし、まとわりつく腕たちは逃げようとするレイラズをより強く押さえつける。

 

 痛みに脳が混乱する。手に覆われた口では悲鳴をあげることも叶わない。死人の腕に絡みつかれたままで、自分が引き裂かれていくのを感じているしかない。

 

 ノコギリが骨にさしかかる。それは肉を裂かれるのとは違う感覚、違う痛み。知らず知らずのうちに涙が流れ、エリザベートはそれを舐め取り、美味しそうに咀嚼する。

 

 やがて、彼女はレイラズの口を塞ぐ手をどけると、自分の唇をレイラズの唇と重ねた。熱くて冷たい、痛くて恋しい、そんなキスだった。

 

 体の内側に響くノコギリの振動は、やがて心地よいリズムになってゆく。キスをしながら加虐を行うエリザベートは美しくも可愛らしく、痛みも愛情となってゆく。

 

 あぁ、そうか。私はこうなるために生まれてきたんだろう。

 そんな結論にたどり着き、心の中に浮かべたとき、脚が切り落とされる感覚がした。蜘蛛の子を散らすように、脚に取り付いていた腕は闇の中に消えていった。

 

 そのとき、レイラズは浮遊感を覚える。夢から浮上してしまうのだろうか。

 

 もう、終わってしまうのか。このまま殺されてもよかったのに──。

 レイラズはエリザベートに歪んだ恋をしたままで、名残惜しい悪夢から覚めていった。

 

 ◇

 

 ──レイラズ・プレストーンが己の工房にて目覚めたとき、彼女は真っ先に右の脚を確認した。ちゃんとくっついているのを見て、胸をなでおろしつつも、少し残念な気持ちになっていた。

 

 レイラズは適当な一軒家を見繕い、家主を死霊術の材料(・・)にしつつ、全域を工房に改装している。

 アサシンはその家の中を、物珍しそうに見て回っていた。

 特に元家主の娘の部屋がお気に入りのようで、並べられたアイドルグループのグッズを手に取っては、ぼんやりと眺めていたりする。

 

 彼女は今もそこにいるだろうか。無性に顔が見たくなって、部屋まで赴いてみる。すると、白髪で曇りきった瞳の、昨日と変わらぬアサシンの姿がそこにあった。

 

「お、おはよう。な、なに、してるの?」

 

 アサシンは話しかけられているのを認識できない。ゆえに、レイラズの方を振り向いてはくれても、返答はなかった。

 やはりそうかとレイラズが諦めかけたとき、ふとアサシンが声を出す。

 

「ねえ、アナタ……『アイドル』って知ってるかしら?」

 

「え? よ、よくは知らない……けど。容姿の整った人間が歌ったり踊ったりするんでしょう……?」

 

「えぇ、そう……それだけの馬鹿馬鹿しい概念よ。でも、(アタシ)、なにか忘れてるような……」

 

 アサシンが頭を押さえる。生前からの頭痛だろうか。意識の混濁と同時に発生するそれは、サーヴァントのスキルにまで昇華されたものであり、レイラズの魔術による治療は意味をなさない。

 だとしたら──今のアサシンに必要なのは、少女を拷問することだ。

 

「ま、待ってて。私、ちゃんと捕まえてくるから」

 

 ここはマスターであるレイラズが、彼女のために働く番である。手頃な女の子を探し出し、生贄として捧げるのだ。

 レイラズは急いで支度を整え、ローブの内側にいくつもの魔術礼装を用意し、外に出る。最悪、他のマスターに遭遇し魔術戦になる可能性もあるのだから。

 

 住宅街の人通りはまばらで、たまに通りがかる人間もまるで少女ではない。おじさん、おばさん、お兄さん、といった具合だ。レイラズに物珍しいものを見る目を向けるものの、こちらの眼鏡に適うものはない。

 だがレイラズにはひとつ、心当たりがあった。

 

「……見つけた」

 

 あたりに人気はなくなり、人払いの結界も軽く張り巡らせた。あとは本命を捕獲するだけだ。

 レイラズは不意討ちに拳銃を抜き放ち、家の影に向かって二発の銃弾を放った。

 一発目は壁に着弾し、内部に込めた呪いが炸裂。コンクリートを破壊するとともに、周囲にある魔術の効果を無効化する。

 続く二発目は内部より女性の毛髪を()ったものが飛び出すように仕掛けた、黒魔術で作り出した拘束弾だ。逃亡を試みる標的を逃さず縛り上げ、レイラズは生贄を手に入れた。

 

「……見つかってしまったっす」

 

 捕まえたのは白髪ショートカットの幼い少女。レイラズに令呪を与えたのとよく似た、否、髪型と話し方を除いた全てが同じである。

 

「わ、私が会ったことあるドロレスじゃ……ない、よね。あなた、何者?」

 

「この個体()ドロレスっすよ。ただ貴方に会ったのは四百九十二号、こっちは五百三号ってだけっす」

 

 同型のホムンクルスを量産している──ということか。それも、言葉から察するに五百体以上も。それをかき集めればどれだけでも拷問が楽しめるかもしれない。

 

「わ、私のこと、さっきから監視、してたでしょ?」

 

「だとしたら、どうするっすか?」

 

「目的、所属、その他もろもろ……吐いてもらう、よ」

 

「い、嫌っす! 聖杯のありかとか、キャスターの真名とか、死んでも明かさないっすからね!」

 

 もがいても拘束は外れず、むしろ強固に彼女を縛り付ける。抵抗は逆効果だ。

 

 レイラズには、五百三号がこぼした二つの事柄がひっかかっていた。

 わざわざレイラズが会ったこともないのに、キャスターの真名を死んでも明かさないと言う。裏を返せば、このドロレスはキャスターを知っている。

 この聖杯戦争を起こしている聖杯の本体を、主催者である彼女たちが確保しているのは頷ける。だが──もし、彼女たちドロレスのひとりが、マスターとして参加していたのなら。

 主催者側への探りを入れることも、必要になってくるだろう。

 

「これは……ご、拷問、しなくっちゃ、いけないよね」

 

 ドロレスは無表情だが、性格面においては感情豊かな個体であるらしい。間抜けな発言のことも併せ、レイラズは自分が幸運だとほくそ笑んだ。

 

「さあ。帰って拷問、だよ。アサシン、なにを見せてくれるかな」

 

 喚く五百三号を引きずって、レイラズは工房への帰路につく。

 愛しい愛しいエリザベートが、頭を抱えて待っていることだろうから。



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種火──アイネ・クライネ

 霜ヶ崎市内某所、教会にて。シスターの小夜は昨日の不調が嘘のように回復し、元気にお勤めを果たしていた。

 アヴェンジャーを追いかけての全力ダッシュで体力を使い果たしたことにより、寮に戻ってからは悪夢を見る暇もなくグッスリだったからである。

 よって、元気になった小夜は、いつもと同じかそれ以上に張り切って、お祈りから掃除までてきぱきこなす。

 

 小夜は、自分で言うのもなんだがまあまあ要領がいいほうだった。先輩シスターからはいいお嫁さんになると言われた。

 シスターは恋愛禁止だが、寿退社するぶんには祝福してくれるらしい。それ以前に、小夜はまったく男性に縁がないのだが。

 

 夜になって部屋に戻ると、アヴェンジャーがにこにこしながら待っている。ほかのシスターたちに気に入られたらしく、いつの間にかボロの布ではなく少しサイズの大きいお下がりを身にまとい、丁寧に梳かされた金髪はきれいなウェーブを描いていた。

 

「お帰りなさい、お姉様(シスターさん)

 

「えっと……た、ただいま」

 

 小夜が使徒職をこなしている間アヴェンジャーはどうしていたか聞くと、絵本を借りてきて、一日中読んでいたらしい。

 そのラインナップは、人魚姫、雪の女王、はだかの王様……と、アンデルセン童話ばかり。

 彼女曰く「あの人らしいお話でいっぱいね」だそうだ。彼女がマッチ売りの少女本人だというなら、アンデルセンとも知り合いだったのだろうか。

 

 同室の友人とともに自分のホームに帰り着き、小夜はシスター服を脱いでいく。その最中、話好きなルームメイトがアヴェンジャーについて話しかけてきた。

 

「ねえねえ小夜っち! あの子、どこで拾ってきたの? 産業革命期のヨーロッパ?」

 

「え、た、タイムトラベルはしてませんけど……!?」

 

「冗談だよ、冗談。でも大切にしてやりなよ〜、私たちも協力するからさ」

 

「そう、ですね」

 

「しっかし、体温高いんだねあの子! お風呂に入れたらお湯がどんどん温度上がってってさ……」

 

 それは体温が高いの範疇には収まらないと思うのだが。やっぱり炎を出せるから、深部体温が数百度とかあったりするんだろうか。

 

 とはいえ、彼女が復讐者(アヴェンジャー)なんてあだ名で呼ばれたがるのも、シスターたちは気にしていなかった。

 溶け込めているなら、小夜も気にしないことにする。

 たぶん、この街になぜかやたらと多い捨て子や孤児のうち一人だと思われているんだろう。嫌な街だが、出身不明の幼子は溶け込みやすい。

 

「あ、そうだ。小夜っち、誕生日五日後だったよね。プレゼント、なにがいい?」

 

「えっ? あ、うん。えっと……」

 

 ──そういえば、もうすぐ小夜は二十歳になる。

 嬉しいとは思わない。その日が来るたびに、小夜はそれまでの一年で自分がなにも成し遂げていないことを痛いほどに感じてしまう。誕生日は毎年憂鬱だ。

 それに、今年は特に──。

 

 そうして言葉を詰まらせる小夜よりも、目を輝かせたアヴェンジャーが反応をみせた。

 

お姉様(シスターさん)がこの世に生まれた日! それはとっても喜ばしいわ! お祝いしなきゃね!」

 

「い、いや、私、そんな大層なもんじゃないですし……」

 

「私はそんなことないと思うわよ。あなたもいつか、このために生まれたんだって思う時が来るはずなんだから」

 

 アヴェンジャーが見せるのは、炎みたいに明るい笑顔。小夜には眩しすぎて、だからこそ見捨てたくない輝き。

 誰からも見放され、最期には打ち捨てられて死んでいった童話の少女の言葉は、小夜には理解しがたいものだった。

 

「あの、どうして、そんなに信じていられるんですか?」

 

「あら?」

 

「だって……」

 

 マッチ売りの少女は報われない。打ち捨てられて死んでいく。一度死んだ少女を聖杯がこの世に呼び出したというのなら、その死を彼女も知っているはず。

 だったら、どうして瞳に炎を宿していられるのか。それがわからなくて、小夜は思わず尋ねていた。

 

「どうしてでしょうね。けど、信じることも許されない世界は、悲しすぎるわ」

 

 アヴェンジャーの考えていることは、よくわからない。いきなり炎を出しながら突っ込んでいったり、かと思えば希望に満ち溢れたことを言い出したり。彼女だけじゃない、聖杯戦争なんてものにもわからないことが多すぎる。

 

「それになにがあっても私が守るもの。安心してほしいわ」

 

「おっ、かっこいいこと言うね〜! 小夜っち、アヴェちゃんと結婚しちゃえば?」

 

 辛く苦しい世界を生きたアヴェンジャーと、何にも知らないお友達。明るくて、小夜の心をわかってくれそうにもない二人についていけなくて、黙りこくるしかなかった。

 

 ◇

 

 ──その晩、小夜は夢を見た。

 いつもの、自分が薄れていくような悪夢ではない。それは忘れかけた過去であり、記憶の奥底にある光景だった。

 

 場所は病院だったのだろうか。

 それは、幼かった小夜よりもずうっと背の高い棚が立ち並び、知らない器具が無造作に散らばった場所。

 その中央にある簡素なベッドで微睡んでいた小夜は、誰かに揺り起こされて目を覚ました。

 

「七歳のお誕生日おめでとう、お嬢さん」

 

 聴こえてくる低い声。目を開くと、そこにいたのは初老の男性だ。医師の格好はしておらず、ごつごつとした手で小夜のことを撫でてくる。

 ここはいったい何処なのか、自分は何者なのか。聞きたいことはたくさんあっても、うまく言葉が出なくて、呻き声だけが彼の耳に届いた。

 

「ぁ……あぅ、うう」

 

「君は確か……雪村さんちの子どもか。名前はどうしようか……そうだ、この曲からもらって『小夜』にしよう。

 おはよう、雪村小夜」

 

「さ、よ……?」

 

 その部屋に流れていたのはモーツァルトの小夜曲、アイネ・クライネ・ナハトムジークだった。その時、小夜は初めて『雪村小夜』になったのだ。

 名付け親となった彼は話を続ける。

 

「君を外に出すことが決まってね。あとは自由に生きるといい。金は儂が出す、成長も普通にするだろう。

 来るべきその日(・・・)まで、君は人間だよ」

 

 その時は、意味がわからないまま頷いた。十三年が経とうとしている今でも、彼がなにを言いたかったのかわかっていない。

 

 ベッドから起き上がり、言われるがままに飾り気のないワンピースを着せられ、背中を押されて、覚束無い足取りで外の世界を目指す。

 その施設の扉をくぐり、外に出た時、青い空に感動したのを覚えている。

 

 ──そこで、記憶の再生が終わる。気がつくと、小夜はなにもない空間に浮かんでいた。

 

 そうだ。小夜の中には、不明瞭な闇ばかり。

 先程の病院の景色が小夜の中にある最古の記憶だ。七歳以前のことは不思議なくらいに一切覚えておらず、あの初老の男に会ったことなどまったくない。

 高校の時に調べてもらったが、霜ヶ崎で唯一の若い雪村夫妻はすでに他界していた。

 

 そんな小夜は、どうやって自分のたどり着く場所を探せばいいのだろう。

 夢の中だというのにひどい頭痛がして、このまま割れてしまいそうで。

 

 そうやって苦しんでいるうちに、闇ばかりの空間が大きく揺れ始めた。

 小夜は現実に引き戻される。意識が浮上していって、その目蓋を開く。

 

 視界に飛び込んでくるのは、見慣れた天井と──金髪の女の子。

 

「おはよう、お姉様(シスターさん)……いえ、まだまだ日は昇らないわね。おそよう、といったところかしら?」

 

 傍らにはアヴェンジャーがいて、くすりと笑う。寝室は真っ暗で、一昨日泥棒と出会った時刻と似たような深夜だった。

 

「……アヴェンジャーさん、ずっと起きてたんですか?」

 

「いつサーヴァントに襲われるかわからないし。えぇ、今もあなたを起こしたのは、他のサーヴァントの匂いがしたからなの」

 

 曰く、彼女は文筆家の気配に敏感らしい。それを追いかけていけば、あのエプロンドレス少女ことキャスターに出会えるようだ。

 

「ごめんなさい。私、あの人だけは燃やさないといけないの……一緒に来てくれる?」

 

 小夜は逡巡ののち、頷いた。アヴェンジャーを見捨てないと誓ったのは自分自身だ。けれど、わけのわからないことだらけなのも本当だ。

 だったら、彼女の言う『このために生まれたんだって思う時』まで、歪な炎を追いかけ続けるしかないのかもしれない。

 

 ベッドから起き上がり、飾り気のないワンピースに着替え、小夜はアヴェンジャーとともにこっそり寮を抜け出した。

 頬を撫でる夜の冷たい空気は、いつもより背筋の凍るような不快感を孕んでいるようにも思えた。



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戦乱──ヒロイック・シットストーム(前)

 闇夜に浮かぶ少女たちの影。金色、銀色、白色──わずかな光を反射して輝く彼女たちの髪は、暗闇の中に忽然と現れるようにして佇んでいる。

 ドロレスが住まいキャスターが書斎を構えている邸宅より、十キロほど離れた裏山。夜中に人が近づくことなどほとんどないその場所にて、ドロレスはキャスターとアーチャーを侍らせ、あるサーヴァントを待っていた。

 

「呼ばれてちゃんと来てやったわよ。光栄に思うことね」

 

 黄金の装飾を身にまとい、艶やかな黒髪を靡かせて現れる少女──バーサーカー。彼女は瀬古春により召喚されたサーヴァントだが、ドロレスたちとは連絡をとっていない。

 むしろ、彼女を排除しようとする瀬古明日菜からの接触があった。そこから推察するに、春は彼女を制御できていないのだろう。

 

「貴女がバーサーカーで間違いないのです?」

 

「えぇ。狂戦士だなんて不名誉だけれど、確かにその器を使わせてもらったわ」

 

 狂化によって理性が喪失しているようには見えない。よって交渉の意義はあると判断し、ドロレスは話を続ける。

 

「我々はこの聖杯戦争を開催するもの。師の考えを受け継ぎ、全ての人間に永遠の若さを与えるのが目的です。

 あなたのマスターもまた、我々と志を同じくする魔術師の子孫なのです。

 我々に手を貸していただけませんか?」

 

 バーサーカーは品定めするようにじろじろと、ドロレス、キャスター、アーチャーへと次々に視線を向ける。そして、退屈そうなため息をつき──次の瞬間には、身の丈よりも大きな剣を振り上げていた。

 

 アーチャーが攻撃の気配を察知し、ドロレスとキャスターを抱きかかえて跳躍する。そのままバーサーカーの大剣は地面を抉り、先程までドロレスたちの立っていた場所には破壊の痕跡が作られる。

 

「永遠の若さですって。そんなもの、女神はとうに持っているわよ。

 もっと有意義な話をしましょう? 例えば……私は今飢えてるの。昨日殺せなかったランサーとアサシンのぶん……生贄が欲しくてたまらないのよ」

 

 血に飢えた獣を思わせるバーサーカーの歯を剥き出しにした笑顔に、ドロレスは己の失態を自覚した。

 

 聖杯戦争の主催者として、ドロレスは多数の個体(じぶん)を動員し、霜ヶ崎全域の監視を行っている。

 ドロレス同士が連絡を取り合うことで、神秘の秘匿性を守り、聖杯戦争を運営しているのだ。

 

 そのドロレスのネットワークの中から、令呪を持つ五百八十七号に情報が伝えられる。神秘の秘匿をしようともしない陣営がいる、と。

 日常生活に溶け込もうとしているランサーやアヴェンジャーよりも、殺戮の痕跡を隠滅するアサシンよりも厄介なもの。それは、マスターすら伺い知らぬところで、衝動的に殺戮を行うサーヴァント。

 それが目の前にいるバーサーカーの本性だ。ドロレスは認識を誤っていた。

 

「キャスター! アーチャー!」

 

 ドロレスが呼びかけるまでもなく、サーヴァントたちは戦闘態勢だ。キャスターの周囲には使い魔たるトランプの兵隊が侍り、アーチャーは第二宝具である矢を手にして構える。

 

「あぁ、結局こうなってしまうのですね」

 

「元々戦う予定だったでしょ。バーサーカーに話が通じるわけないんだし」

 

「いやまあそうですが……麗しいお嬢さんと戦うのは不本意でして」

 

「それ、この聖杯戦争だとセイバーとしか戦えないんじゃない?」

 

 無駄口を叩きながらアーチャーが矢を投げつけ、それを皮切りに戦況が動き出す。キャスターの指揮するトランプ兵が散開し、一斉にバーサーカーへと向かっていく。

 

 それらを大剣の一薙ぎで一掃し、バーサーカーは大地を蹴った。アーチャーのもとへ急接近し、大剣を振りかぶり、身を逸らそうとするアーチャーの側頭部に回し蹴りを浴びせ、回転の勢いを保ったまま大剣も叩き込もうとしてくる。

 そうして襲い来る鉄塊を前に、アーチャーは手元に出現させた矢を爆裂させながら地面に叩きつけ、強引に己を上空へ吹き飛ばす。だがバーサーカーも避けられたと認識すると同時に飛び上がり、アーチャーを追う。

 

 そこへ飛び込んでくるのは一羽の鷲──否、幻想種グリフォンに跨ったキャスターだ。高速の突進はバーサーカーの拳が届く前に彼女を地面に引き戻す。

 

 バーサーカーは反撃に大剣を投げつけ、グリフォンからキャスターを叩き落としたが、アーチャーが体勢を整えるのを許してしまった。

 立ち上がりながら飛来するアーチャーの矢を掴んで止め、投げ捨てて、不服そうに呟く。

 

「……不敬なサーヴァントですこと」

 

 彼女は大剣を手元に再構成し、アーチャーへと向かって斬り掛かった。射撃による迎撃はかわし、かわしきれなければ撃墜し、一気に距離を詰めていく。

 アーチャーを間合いに捉え、大剣を振り下ろす──その直前でキャスターがトランプ兵をバーサーカーの眼前に展開。割り込まれたことにより、大剣が両断したのはハートの兵隊たちだけだった。そこにアーチャーの姿はない。

 

「こっちだよ、お姉ちゃん」

 

 肉壁により姿を眩ませていた少女の声がする。振り向いたバーサーカーの目に、迫り来るいくつもの矢が映る。払い落とすべく剣を手にし、一矢を防いだ時、アーチャーの紡ぐ詠唱が響き渡り始めた。

 

「我が手の下に響き渡れ!

 ──『引き劈くは叫喚の聲(ソロヴェイ・クリチャーチ)』」

 

 アーチャーの手元にある一本から巻き起こる、鏃たちの連鎖爆発。矢に内包された呪いを解き放ったことにより、赤子の悲鳴にも似た絶叫を響き渡らせながら衝撃と炎がバーサーカーを襲う。その光景を前に、キャスターもドロレスも思わず耳を塞ぎ、バーサーカーは退避という判断を下す。

 跳躍による離脱を試み地面を蹴るバーサーカー。だが足元にあるのは地面ではなく、キャスターの出現させた巨大卵──ハンプティ・ダンプティだった。それを蹴り破ったことにより巻き起こる爆発がアーチャーの宝具と重なり、幾重にも折り重なってバーサーカーを呑み込んでいく。

 

 それは逃れる場所のない爆発の檻だった。キャスター程度の耐久ランクなら力尽きているだろう。

 

 ──それでもなお、バーサーカーは消滅へと至ってはいなかった。

 

「あの火力で、たったそれだけ……ですか」

 

 キャスターが驚くのも無理はない。火傷と擦り傷、装飾品の破損がいくつか見られるものの、ダメージは軽度だ。

 それでも、宝具である矢とその爆発による呪いは機能しているはず。

 

 アーチャーが飛びかかり、手にした矢を振り下ろし、突き刺そうとする。その手は掴んで阻まれ、バーサーカーの瞳がアーチャーを捉えた。

 

「なんて下品な音……これが怪鳥ソロヴェイを射抜いた矢なのね、『イリヤ・ムーロメツ』さん」

 

「あら、女神さまにお名前呼んでもらえるなんて。でもね、私が信じているのは聖伝なのよ」

 

「関係ないわ。生贄にすれば人間は人間だもの!」

 

 単純な筋力ならば弓兵──即ちロシアの大英雄、イリヤの方が上だ。ふたりのサーヴァントは腕力で拮抗し、睨み合う。

 キャスターはその補助のため召喚した兵隊を向かわせた。スペードの兵士たちが槍を手に突進していく中、それを察知したバーサーカーが掴んだ少女を大きく振り回し、勢いをつけてキャスターめがけて投げつける。

 アーチャーはトランプ兵を吹っ飛ばしながら、キャスターをクッションにして着地した。

 

「いたた……あ、キャスター。私の宝具、効いてなさそうだよ」

 

「こ、これが……アーチャー君の尻に敷かれる感覚……はっ!? そ、そうですね。恐らく彼女が女神そのものであるがゆえ、呪いのようなものでは揺らぐことはないのかと」

 

「なあんだ、残念」

 

 セイバーのマスターのようにうまくはいかなかったようだ。アーチャーはつまらなさそうにキャスターの上から立ち上がり、矢を握りしめ低く構えた。

 キャスターも立ち上がり、傍らに不気味な笑い顔の猫を作り上げ、バーサーカーの攻撃に備えさせる。

 

 だが次の瞬間、猫は突如飛来した火球により燃え尽き、空中で消滅する。目を見開いてキャスターが振り向くと、そこには今最も会いたくない相手の姿があった。

 

「昨日ぶりね、お父様。会えて(かな)しいわ」

 

「アヴェンジャー……ッ!」

 

 四人のサーヴァントが集い、戦場の夜はまだ続く──。



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戦乱──ヒロイック・シットストーム(後)

 ベルチェは己の使い魔である小鳥を飛ばし、ホテルの部屋からじっと戦況を見守っていた。気をまぎらすために童謡を延々と口ずさみ続け、日が沈んで吐き気にも慣れてきた頃、彼女はそれを見つけた。

 

 そこには四騎のサーヴァントが集い、今まさに乱戦が繰り広げられている。

 大剣やトランプの兵隊、煌々と燃え盛る炎、そしてあの忌々しい呪いの矢が飛び交い、激突と爆発を繰り返しているではないか。

 

 これは紛れもなく好機だと、ベルチェは考えた。すぐさま剣の手入れをしていたセイバーの方を振り返り、呼びつける。

 

「セイバー、出番!」

 

「……おう。アンタに負担かけない程度に頑張ってくるよ」

 

 ベルチェは親指を立てて彼を見送り、念話を用いて戦場までの道のりをナビゲートしていく。

 

 ──恐らくは、ここでアーチャーを倒すか、なにかしら呪いを低減するものを得られなければ、ベルチェは聖杯戦争から脱落することになるだろう。

 だがそんなカッコ悪いことにはならないと、彼女は勝手に思っている。

 あの少年騎士は、必ずやいい知らせを持ってくると。

 

「きっと大丈夫。きっと」

 

 己に言い聞かせ、心を平静に保つ。戦いはこれからだ。

 

 ◇

 

「あっ、熱い! 熱いですってば!」

 

 戦場に響くキャスターの声は半ば悲鳴だった。突如現れたアヴェンジャーによる猛攻、その炎が再び彼女の長い金髪に引火し、燃えながら逃げ惑っているからだ。

 次々と放たれる火球はキャスターを追い立て、休ませることは無い。しかも引火している炎は疾走によって新鮮な空気を供給され、より勢いが強くなる。

 切羽詰まったキャスターは不本意でありながらも、わざと石に躓き転がってみせた。前転を繰り返して土まみれになりながらも炎をかわし、髪の毛の鎮火に成功する。

 

「あぁまったく、せっかく可愛い服着てるのに……自慢の金髪も台無し! 私、泣きそうです!」

 

 文句と共に立ち止まり、迫り来るアヴェンジャーの方を振り向くキャスター。焦げて縮れた髪が振り乱され、目じりからは一粒の涙が宙を舞う。

 

 それがすでにキャスターの魔術であると、アヴェンジャーは気づいていなかった。

 

「──さあ、並々と満ち溢れろ!」

 

 たった一滴の雫が瞬く間に膨らんでいく。キャスターの魔術による水の召喚、壁の形成が行われる。そうして現れた壁からは、水で形作られた鳥や獣が飛び出し、アヴェンジャーの放つ炎を受け止めながら彼女に向かっていく。

 

「あら、お父様のお友達ね。私も精一杯おもてなしするわ!」

 

 アヴェンジャーは手にしたマッチを振るう。三十センチはあるそれの先端に輝く炎がより強く燃え盛り、キャスターの繰り出す水の獣を接触した瞬間に蒸発させてしまう。

 少女は踊るようにそれを繰り返し、互いに攻撃を相殺するばかりで、戦況は膠着してばかりだ。

 

「あの役立たず……!」

 

 一方、アーチャーはバーサーカーの振り回す大剣をかわしながら、舌打ちまじりに吐き捨てる。

 焦燥も当然だ。アヴェンジャーには第一宝具を破られ、バーサーカーに第二宝具は通用しなかった。特にバーサーカーについては、キャスターによる援護がなければ力で押し切られる可能性もある。

 どうにかキャスターに戻ってもらうか、この場から撤退することを考えなければ。

 

「あら、目の前にこの私がいるというのに、他の人のことを考えていていいのかしら」

 

 キャスターに向けていた思考を戻した瞬間、眼前にはバーサーカーの拳が迫っている。両腕を交差させて防御し、なんとか踏みとどまるが、本命の大剣が振り下ろされる。

 アーチャーは息をつく間もなく右方へ跳躍し、反撃に矢を投擲した。相手は片手で払ってそのまま突っ込んでくる。叩き落とされるのは予想の範疇だったが、剣による高速の突きは想定外だ。アーチャーは回避を選び、できる限りの上空へと跳躍した。

 

「そこのロリコン! 今すぐ退避!」

 

 キャスターに向けて叫びながら急速に魔力を充填していく。多少の懸念は残っていても、状況を打開するためには宝具を使う他にない。水の壁を使っていた彼女がグリフォンに切り替え、攻撃範囲から離脱していくのを確認し、アーチャーは手にした矢とそこに宿る雷を解放する。

 

「我が名の下に荒れ狂え!

 『黄金を堕とすは天の雷霆(ピィエルン・グロザー)』!」

 

 地上から追ってくるバーサーカーにとって、すでに回避は間に合わない。雷撃の雨が降り注ぎ、周囲は稲光に包まれる。

 

 それでもバーサーカーの勢いは止まらず、四肢の先が焼け焦げていながらも、彼女はアーチャーのもとに迫ってくる。大剣が振り抜かれ、鉄塊によって内臓が破壊される感覚を味わいながら、アーチャーは次の瞬間には地面へと叩きつけられていた。

 衝撃に血を吐き、アーチャーの衣服が赤く染まる。

 それでも息をついている暇はない。バーサーカーは上空からこちらに狙いを定めており、今すぐ動かなければ真っ二つだ。

 

 そこへ颯爽と現れるのがキャスターだ。彼女の乗り回しているグリフォンのしっぽはアヴェンジャーに掴まれており、下半身は炎に包まれている。

 どころか、時折アヴェンジャーからは火球が放たれ、キャスターはそれを必死にかわしているらしかった。

 どうやらアーチャーの宝具が放たれる時、アヴェンジャーもグリフォンにくっついて移動していたようで、見る限り目立ったダメージは受けていないらしい。

 

「あーっ! めっちゃ燃えてる! やばいですって! アーチャー、本当にこれでいいんですか!?」

 

「うるさい……」

 

 アヴェンジャーが宝具を避けていたのは予想外だが、むしろ好都合だ。

 目の前ではバーサーカーが上空から落下、着地と同時にこちらへ距離を詰めてくる。グリフォンと正面から激突するような軌道である。それでいい。

 

「ちょっと!? 向こうからとんでもないの来てますよ、このままだと大事故」

 

「黙って」

 

「ぐぇっ!?」

 

 アーチャーはキャスターの首元の襟を引っ掴み、グリフォンから飛び降りた。

 

 高速で飛行するグリフォンに向かって刃を振るうバーサーカー。その剣は鷲の首を刎ねるが、尾に掴まっていたアヴェンジャーからは外れた軌道だった。

 彼女は炎を放ったままバーサーカーを焼きながらすれ違い、グリフォンの消滅とともに地面に投げ出される。

 

「ほら、もう一回出す!」

 

「あ、は、はいっ! 出します!」

 

 キャスターの呼び出すそれは幻想種の模造品に過ぎないが、並の英霊では追いつけない速度を誇る。再び出現させたグリフォンに乗り、キャスターとアーチャーは戦場からの離脱を試みる。

 

「あら……逃がさないわ」

 

 追おうと動き出すアヴェンジャーだが、その手をバーサーカーが掴み、引き止める。

 

「それはこっちの台詞よ、小火(ボヤ)娘。こんな下賎な炎で女神を焼こうだなんて、ずいぶんと思い上がったわね」

 

 大量の火傷を負いつつ、冷酷な目で大剣を振り上げるバーサーカー。

 

 小さくなっていくその光景を後目に、グリフォンは飛翔し、アーチャーとキャスターは離脱してゆく。

 

 ◇

 

 小夜はずっと隠れて震えていた。昨日見せつけられた、もはや兵器どうしの戦争の域にある戦い。

 己の中にある虚無感など忘れるほどに死が間近にあって、無力な小夜は怯えるばかり。

 

 そうこうしているうちに、アヴェンジャーが殺さなければならないと言っていた少女は戦場から離れ、いなくなってしまった。

 残ったのは、傷だらけでも圧倒的な威圧感を放ち、大きな鉄の塊を振り回す少女、バーサーカーだった。アヴェンジャーが逃亡者を追いかけるのを止めたかと思うと、一発の回し蹴りでアヴェンジャーを数メートルは吹き飛ばしてしまった。

 さらに攻撃は続き、倒れているアヴェンジャーを振り回し、叩きつけ、みるみるうちに傷だらけになっていく。

 でも、小夜に助けることはできない。できるのは、どうか助けに来てくれる騎士様が現れますようにと、願うほかにない。

 

 ──その願いは、偶然にも叶えられるわけだが。

 

「その子を離せ──ッ!」

 

 飛び込んでいったのは、鎧に身を包み、きらびやかな剣を手にした少年騎士。

 黒く淀んだオーラを纏わせた斬撃によってバーサーカーを怯ませると、ぼろぼろのアヴェンジャーを拾い上げ、すぐさま跳躍してバーサーカーから距離をとる。

 

 今度は彼とバーサーカーの戦いになるのだろう。

 小夜がそう思ったその時、背後からいきなり誰かの声がした。

 

『お姉さん、こんばんは』

 

「きゃっ!? え、だ、誰!?」

 

『こっち、こっち。この鳥ちゃんの飼い主です』

 

 その高く可愛らしい声の主は一羽の小鳥──ではなく、その足にくくりつけてある小型スピーカーだった。

 

『お姉さん、あの燃えてる幼女のマスター?』

 

「……! は、はい、そうです、が」

 

 このスピーカーを介して話している人物は聖杯戦争の関係者なんだろう。小夜を殺しに来た相手かもしれない。きゅうに小鳥の小さなくちばしが凶器に見えてきて、少し後ずさる。

 

『怖がらないで。私はあの少年騎士、セイバーのマスターだ。ひとつ、取引をしないか? 鳥だけに』

 

「取引……?」

 

『私のセイバーがあなたのサーヴァントを助ける。そしたら、ひとつ私の頼みに応えてくれないだろうか』

 

 それで彼女が助けられるのなら。小夜はすぐさま頷いた。

 

『オーケイ、取引成立。では、ベルチェ特製スタンボム隊、かかれ!』

 

 スピーカーの向こうの彼女の合図で、バーサーカーとセイバーの戦況に動きがあった。

 ドローンだろうか。荷物を吊り下げた飛行物体が、上空からなにか手のひらサイズの物体を大量に降らせ──小夜はそこでスタンボムという名前を思い出し、咄嗟に目を覆う。

 瞬間、眩しすぎる光が周囲を満たした。のだと思われる。スピーカーからのもう大丈夫という合図でやっと目を覆っていた手を離したので、その間なにが起きていたのかわからない。

 

 しかし、戦場にはバーサーカーがひとり残されているだけで、セイバーとアヴェンジャーの姿はなかった。八つ当たりに何度か大剣で地面を抉り、気が済んだのか、数分後にはバーサーカーも去っていく。

 

『さて。ではこちらの要求を飲んでもらおうか。直接話そう。私は市内某所のホテルにいる。案内するよ』

 

 鳥は小夜を誘導するように飛び立った。スピーカーの向こうの女は怪しさに満ちているが、従うしかない。

 

 暗い森の中、小鳥を追いかけて、小夜は歩き出した。



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残香──リード・アス・ロード・オブ・ライト

 一羽の鳥に誘導され、某所のホテルにたどり着いた小夜。

 そこは外国人向けのホテルで、滅多に来ないが観光客はたいていここに宿泊する。訪れたことこそなかったが、ご飯が美味しいという評判は耳にしたことがある場所だった。

 つまり、特に怪しい雰囲気はない。

 

 ホテルのエントランスからは鳥ではなく、あの少年騎士──セイバーがその役割を受け継いだ。彼は丁寧にエスコートしてくれて、少し緊張はほぐれるが、まだ怯えながら扉をくぐる。

 いったいどんな怪しい人間と出会すことになるのかと思っていると、ぴょこんとピンク髪の小さい女の子が姿を現す。

 

 他のサーヴァントたちと同年代だろうか。その幼げな顔立ちには表情がなく、少しだけ近寄り難い印象を受ける。

 

「はじめまして、そしてようこそ私の城へ。私がセイバーのマスターことベルチェ・プラドラムだ」

 

「え、えと、雪村小夜です。アヴェンジャーのマスター? です……」

 

「うん、とりあえずそのへんに座って。鳥だけに」

 

 小夜はベルチェの言う通り、縮こまるように床に座った。見た目は幼い子供でも、彼女も炎とか雷が出るかもしれない。そう思うと怖くて逆らえなかった。

 するとセイバーが気を使って座布団を出してくれて、慌てて座り直すことになる。

 

「こほん。では、そこの布団をご覧ください」

 

「えっ……あ、アヴェンジャーさん!」

 

 ぼろぼろのアヴェンジャーがソファに寝かされている。満身創痍で炎が制御できていないのか、ところどころソファまで焦げていたが、呼吸は規則正しい。

 やがて彼女はぱちりと目を覚ました。無事だったみたいだ。

 

「あら、ここは? お父様は?」

 

「おはよう、お嬢さん。アーチャーとキャスターには逃げられてしまった」

 

 ベルチェの言葉を聞き、いまだ燃えていたアヴェンジャーの瞳の中の復讐の炎が収まっていく。キャスターと相対した時の苛烈な彼女ではなく、いつもの少女に戻るサインだ。

 小夜は胸を撫で下ろした。

 

「あの……それで、ベルチェさんの頼みたい事って?」

 

「ん。実のところ、私は今アーチャーによって呪われている。今も吐きそうで仕方がない」

 

 相変わらず無表情のままではあるが、顔色が悪く、はあはあと苦しそうな呼吸をしている。相当な疲労状態だ。

 それがアーチャーによるものなら、ベルチェにとって差し迫っている問題であることに間違いは無さそうだ。

 

「私はアーチャーを倒したいが、生憎と彼女とキャスターが手を組んでいる。二対一では勿論分が悪い。

 そこで、あなた達に協力を頼みたい。そちらもキャスターを狙ううえで、アーチャーが障害になるはずだ」

 

 アヴェンジャーにとって、キャスターは殺さなくてはならない相手だと言っていた。アーチャーをセイバーが引き受け、アヴェンジャーはキャスターと戦う。利害は一致している。

 それに、小夜には断る理由などなかった。

 セイバーとベルチェは、どう考えても今までぼんやりと生きてきた小夜とは違う世界の住人だ。そういった相手と一緒なら、アヴェンジャーも今より安全だろう。

 

 数秒間の思考ののち、小夜は頷いた。

 

「……わかりました。一緒に戦わせてください」

 

「嬉しい返事をありがとう。えーと、小夜でいい?」

 

「は、はい」

 

「では……小夜。ともにベストを尽くそう」

 

 小夜の名を噛み締めるように呟いたベルチェが見せたのは、それまでの真顔ではなく、嬉しそうな笑顔だった。そうやって笑うと、やっぱり年相応の幼い女の子だ。

 

「これで晴れて同盟相手。早速対アーチャー&キャスター用の作戦を……といいたいところだけど、もう夜も遅い。セイバー、送ってあげてくれる?」

 

「あぁ。レディの警護は騎士の務めだからな」

 

 時計を見ると、もう日付が変わっている。外は真っ暗で、女性が出歩くような時間ではない。

 アヴェンジャーの炎があれば、暗い道も歩けるだろうが、彼女は傷ついている。

 かといって、帰らないわけにもいかない。教会から無断で失踪したら、先輩からなんて言われるかわからないからだ。

 

「お願い……します」

 

「ふふ、騎士さんが一緒にいてくれるのね。これなら幽霊も怖くないわね」

 

 何から何までセイバーとベルチェには世話になりっぱなしだ。いつか相応のお返しをしないと。

 小夜は来た時の怯えではなく、使命感を胸に、来た道を戻っていく。

 

 ◇

 

 バーサーカーとの決裂の後、アーチャーは己のマスターのいる高層ビルへと戻っていた。

 報告するまでもなく、彼はアーチャーたちが撤退するしか無かったことを知っている。おかげで居心地が悪く、そわそわしていた。

 

 一方、相変わらず少女の写真ばかりを眺めていたソラナンは、最後のページまでたどり着くとそれを机の上に放り、アーチャーのことをまじまじと見つめはじめる。

 

「うむ……やはり、あまり幼いと興奮しないな。アーチャー、君の顔は好みなんだが……もっと成長した姿で現界できなかったのかい?」

 

「……私、これでも三十代の体なんだけどな」

 

「おっとそうだったか、こいつはデリカシーのない質問をしてしまったな。すまないね」

 

 何を言われるかと思いきや、女の好みだった。アーチャーは元々そういうふうに設計されたのだから、仕方がないことだ。別に、大人の姿がなかったとしても、なにも気にならない。そう、なにも。

 

 そんなことよりも、聖杯戦争について話すべきことはたくさんあるだろう。アーチャーは話題を変えようと、次の命令を求めた。

 

「マスター。私、次はなにをすればいいかな」

 

「そうだな……バーサーカーはもういい。放っておけ。あれは強力だが、瀬古のマスターはそこまで魔力の濃い人間ではない。いずれ自滅するだろうよ」

 

 そう言って捨て置いたセイバーは、ドロレスによればあの後アヴェンジャーを助け出したらしい。噛みつかれる可能性はまだあるはず。

 それを口に出そうとしたアーチャーを、ソラナンが制止した。

 

「あぁ、わかっているとも。あの貧乳鎖娘が粘るとは儂も予想外だった。

 だが儂らにはそれよりも優先すべき事項がある。この聖杯戦争を運営するためにな」

 

 ソラナンはドロレスたちとともに聖杯戦争を主催する側だ。聖杯そのものは手中にあり、あとは起動するための舞台を整えるのみだ。

 その整える上で必要なことなんかは、サーヴァントでしかないアーチャーにはよくわからない。いや、昔からそうだ。できることは目の前の相手をずたずたにすることくらいだった。

 それは今も変わらない。やるべきことは、立ちはだかるサーヴァントを打ちのめすことなのだから。

 

「さて。そろそろ儂も動くとするか」

 

 ソラナンは椅子から立ち上がり、机の下に設置された冷蔵庫から酒を取り出すと、アーチャーに投げ渡した。アーチャーは栓を手刀で切り落とし、中身はひといきで飲み干す。

 

「……ぷはぁ。やっぱり、アルコールは私を裏切らない」

 

 ただの酒ではほとんど酔えない体だが、美味しいものは美味しい。

 エレベーターの中へ去っていくソラナンの後ろ姿を眺めながら、アーチャーは考えることをやめ、二本目の酒瓶を引っ張り出すのだった。



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三日目
遭遇──ナチュラル・ディザスター(前)


 次の日の朝は何事も無かったかのように訪れ、小夜は毎朝のお祈りを終えると、早速今日の仕事へ取り掛かった。

 今日は孤児院で先生代わりのお手伝いをやるという。

 同年代の子供たちがたくさんいるため、アヴェンジャーも連れていくことにして、早速出発する。

 

 聞いた話によると、院長と連絡がつかないため、保育士の代理の人手として呼ばれたらしい。

 教室、と札のついた部屋に入ると、子供たちはそれぞれ決まった席についていて、まるで学校みたいだ。

 先生は先生でも、保育士代わりと教師代わりでは全然違う。小夜は急に緊張を覚えながら教壇に立った。

 

「え、えっと、あの、私、先生の、代理で来ました。ゆ、雪村、小夜……っていいます」

 

 全然ダメだ。先生らしさというものが一切出ていない。これでは笑われる、舐められるくらい覚悟した方がいいかもしれない。

 そうやって恐る恐る生徒たちを見てみると、驚くほどなんのリアクションも示していない。

 いい子たちというより、十歳前後の子供たちにしては反応がなさすぎると言うべきだ。もっと、好奇心旺盛でもいいはずなのに。

 

 すると、首を傾げる小夜の裾を引っ張り、アヴェンジャーが教室の端を指さした。

 

「……えっ!?」

 

 小夜は驚く。前髪で目の隠れた少年の隣の席に座る、ひとりの少女。その容姿は、胸に風穴が空き、そこから植物が這い出ており、片腕はその植物で編み上げられているという異形だった。

 アヴェンジャーに言われるまでもなく、あれがサーヴァントだと理解する。まさか、お仕事で赴いた孤児院にいるなんて。

 

 でもお仕事はお仕事だ。ひとまず、先生の代役はちゃんと果たさねばならない。

 

「こ、こほん。まずは授業をしないと……」

 

お姉様(せんせい)。私、私」

 

「あっ! 今日はその、お友達がお手伝いに来てくれてます! ええと、ええと」

 

「私の名前はマチよ。気軽にマチって呼んでくれると嬉しいわ。みんな、よろしくね」

 

 にこりと笑うアヴェンジャー、改めマチ。嘘の名前を名乗っているのは、あの植物少女にサーヴァントだとバレるとまずいからだろうか。

 

 そんなこんなで、小夜の一日先生体験が始まった。

 授業といっても主にやることは、各々が所持しているドリルをやらせる程度。皆が真面目に取り組んでいるのをぼんやり眺めていればそれでよく、小夜は自分で持ってきた絵本を読み返し始めるくらいには退屈であった。

 そんな状態でアヴェンジャーの出番はもちろんなく、二人して読書に勤しむ。

 

 そんな中、話しかけてくる少女がいて、小夜は慌てて顔を上げることになる。

 

「あの」

 

「あっ、は、はい! 私になにか……ッ!?」

 

 小夜はまたしても驚いた。先程その姿に仰天したばかりの植物少女が視界に飛び込んできたからだった。隣の席に座っていた前髪の長い少年を連れ、作り物のような笑い顔を浮かべている。

 

「少しお話したくて。お外、いいですか?」

 

「……!」

 

 突然のことに、咄嗟にアヴェンジャーに目配せして助けを求めた。

 

「えぇ、いいわよ。お話しましょう」

 

 すかさず代わりに答えてくれて、小夜たち四人は中庭へ出ることになった。いい子にしててね、と言い残して教室を出たが、不気味な程に静かな教室に響き渡るばかりで、誰からの返事もなかった。

 

 中庭にはウサギ小屋がある。子供たちでお世話しているのだろう。小夜はかわいいなあなんて感想を抱きつつ、植物少女たちと相対した。

 

「早速本題なんですけど……先生には、私、どう見えてますか?」

 

「ど、どうって……普通に……」

 

「見えてますよね。(ランサー)のこと」

 

 少女の胸の穴の内側がもぞもぞと動き始めたかと思うと、アヴェンジャーにいきなり突き飛ばされる。見ると、さっきまで小夜の首があった場所まで枝が伸びており、アヴェンジャーが介入しなければその鋭利な先端が喉を貫いていただろうことがうかがえた。

 つまり、彼女はこちらに明確な敵意を持っているということだ。

 

「サーヴァント、ランサーね。人のマスターにいきなり手を出すなんて、礼儀がなってないわよ」

 

「礼儀……なんのために、そんなもの。人間ってわからないものだわ」

 

 短いやり取りの後、植物少女──ランサーの体から伸びる植物の群れと、アヴェンジャーが放つ炎が激突する。無論、樹木は炎熱に耐えられない。焼き尽くされた枝はアヴェンジャーに届くことはなく、ランサーは防御さえままならない。

 

 このまま戦闘が続けば、ランサーはアヴェンジャーにより焼き尽くされるだろう。聖杯戦争が殺し合いであるがゆえに、それが正しいのかもしれない。

 

 けれど、小夜の目に映るのはサーヴァント同士の戦いだけでない。目の前で繰り広げられる戦いを、有り得ないものを見る目で呆然と眺めるほかにない少年がいる。

 小夜はその姿を見つけると、サーヴァントたちに向かって叫んだ。

 

「お願い、止まって!」

 

 突然声を張り上げたためか、ランサーもアヴェンジャーも攻撃の手を止め、小夜の方を見た。小夜はあの少年のことを見据え、問いかける。

 

「ね、ねぇ、君! 君の願いは……なに?」

 

 小夜に願うものはない。だから、あんなに幼い子供に、命を賭けるほどのものがあるのなら、その願いを踏みにじりたくない。

 そんな思いからの言葉だったが、少年は首を振って答えた。

 

「ぼ、僕には……そんなの、何もない……僕はただ、先生と委員長に従っただけで……」

 

 その答えは、最も小夜の予想にない答えだった。相手は自分と同じように、巻き込まれただけの少年だ。そして、ランサーは彼を守るように立っている。

 小夜はただでさえ頭がついていっていないというのに、よりどうすればいいのかわからず、立ち尽くしていた。

 

「……えぇ、そう! じゃあ、夢が見つかるまで戦うのは辞めましょうか!」

 

 沈黙を破ったのはアヴェンジャーだ。ランサーが驚きの目を見せる。

 

「どうして? サーヴァントが勝機を逃してまで、私たちになにを求めるの?」

 

「あなた達にも夢を知って欲しい。そう願ってはいけないかしら?」

 

 驚きの目が訝しげなものに変わる。

 

「……人間って、本当にわからないわ。勝てる相手をむざむざと見逃すなんて」

 

「人間って、そういうものよ」

 

 アヴェンジャーはそう言いながら、小夜に向かってウインクしてみせた。小夜は我に返り、少年のもとへ駆け寄ると、手を差し出した。

 

「あ、あのね。お姉さんのわがままだけど……貴方や、ランサーとは戦いたくない。

 だって、私にも貴方にも、戦う理由がないから。

 もしお姉さんのわがままに付き合ってくれるなら、握手しよう」

 

 少年は迷う間もなく小夜の手を取った。これが彼の意志よりも、ただ大人の言うことは聞かなければならないという強迫観念だとしても、これが自分の意思を持つ最初の一歩になってくれないだろうか。

 なんて──なにもない人生を送ってきた小夜の傲慢だとわかっていても、思わずにはいられなかった。

 

 ◇

 

「なるほど──そうなりましたか」

 

 ランサーの監視に当たっていたドロレスは呟いた。

 小夜がこの孤児院に向かうように依頼したのは、他でもないドロレスだ。ランサーかアヴェンジャー、どちらか一方でも脱落しないものかと期待していたが、どうやらそううまくはいかないらしい。和解か、停戦協定か、ともかく生き物と小夜は握手を交わしている。

 

 それならば──また別の手を講じよう。

 

「打つ手はありますから」

 

 アヴェンジャーとランサー、特にアヴェンジャーはキャスターにとって大きな障害になる。ランサーの真名は未だ読めず、脅威に成りうる可能性もある。

 一網打尽にできずとも、片方仕留められれば上々だろう。

 

「ですが……投入する駒は、最上級を用いましょう」

 

 師の夢を叶えるためだ。獅子は兎を狩るのにも全力を出す。

 

 計画を実行に移すため、ドロレスは己の思考を他の個体とのネットワークに乗せた。すぐにでも、他のドロレスが動き出すことだろう。



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遭遇──ナチュラル・ディザスター(後)

 女神にはとても似つかわしくない平凡な家屋にて、ひとり目覚める少女がある。

 彼女はバーサーカーのサーヴァント。その真名()は▇▇▇。マスター、否、兄を助けるために戦う女神である。

 

 そんな彼女は、まず一糸まとわぬ体を起こし、魔力で再度装身具を編み上げた。女神の神核を持つ彼女にとって、汗や老廃物といった穢れは全く関わりがない。特別な支度も必要なく、その時から活動を開始する。

 

「人と同じように眠るのがこうも不愉快とは思わなかったわ」

 

 吐き捨てるような呟き。サーヴァントたる彼女の睡眠には理由がある。

 わざわざホムンクルスの器に入り切るまでに己を削ぎ落としての現界であるため、霊体化もできず、休息なしでの活動には限界があった。

 ゆえに睡眠をとらざるを得なかったのだ。

 そのことにやり場のない苛立ちを覚えつつも、バーサーカーはリビングへと向かう。

 

「おはよう、バーサーカー」

 

 春と明日菜は先に起床していた。春はバーサーカーが戦闘を行ったことによりふらついていたため、この日も明日菜が食事を作っている。

 このような穢らわしいモノが作ったものを口に運ぶのは腹立たしいが、下働きをさせるのが有効活用なのも事実。いつでも殺すのは容易である以上、今は下女でいさせてやるべきだろう。

 

 それよりも、他のサーヴァントどもの方が先決だ。バーサーカーは席に着くこともなく、春に訊ねた。

 

「お兄様。魔力の余裕はあるのかしら」

 

「……まだ死にはしないと思う」

 

 相次ぐ失神は人間の体に大きく負担がかかっていることの証明である。バーサーカーは大量に生贄の魂を食らっているが、それでは賄いきれていないのだ。

 

 他のサーヴァントどもは殺さなければならないが、春に死なれては困る。

 むしろ一瞬の負担で済むのならば、確実に殺すために宝具の開放も視野に入れるべきか。

 

 そうしてバーサーカーが思案しているうち、春が口を開いた。

 

「なあ。バーサーカーは何のために戦ってるんだ?」

 

 料理をしている明日菜の手が止まる。そんなもの、答えるまでもなく決まっていた。

 

「あなたのためよ、お兄様」

 

 ──先の睡眠の際、瀬古春の過去を見せられた。彼の歩んできた人生には、血の気配も争いの記憶もなく、バーサーカーにとって面白みのないものだった。

 支配する土地もなく、敵対する神もいない。彼が聖杯を手にした時なにを願うのか、バーサーカーにはわからなかった。

 

 それでも兄は兄だ。魂の形でわかる。だから、自分が戦ってやらなければいけないのだ。

 

 兄妹はまだなにか言いたげだったが、バーサーカーは一枚のトーストをくわえると、いってきますの言葉もないまま、さっさと瀬古家の玄関を出て、扉をくぐった。

 

「──お待ちしておりました。バーサーカー」

 

 その先に立っていたのは、真っ白な少女。確か、昨夜女神を侮辱した女だ。さっさと視界から消してしまおうかと思ったが、彼女が先に口を開く。

 

「我々はあなたに生贄を捧げるためにやって参りました」

 

「生贄? へえ、わかってるじゃない」

 

「今すぐにでも案内いたします。なにせ、活きがいいものですから」

 

 魂はどれだけ食らっても飽きることはない。贄は多いほどいい。血は浴びるほどに気分がいい。

 仮にこの白い女の誘いが罠だったとしても、ただの英霊、ましてや人間に女神が止められるはずがない。

 

「いいわ。乗ってあげる」

 

 ◇

 

 お仕事で赴いた先でランサーたちと遭遇した小夜だったが、ふたりとは和解することができ、何事もなかったかのように仕事に戻っていた。

 仕事と言っても、教室にいてもやることがないため、ランサーのマスターの手伝いをすることにしたのだけれど。

 

 ランサーのマスターは生き物係と呼ばれているそうで、中庭で飼われているウサギや植えてある花の世話を担当しているらしい。

 一方、ランサーは委員長と呼ばれ、生徒たちのリーダー的な存在だという。

 

 中庭でウサギの餌やりを手伝いつつ、この孤児院のことをいろいろ聞いてみる。

 

「えっと、生き物係……くん? 授業ってふだんはどんなことをしてるの?」

 

「……役割の仕事か……ドリルでお勉強するか。先生が来る時は、魔術を教えてくれる」

 

「魔術?」

 

 この孤児院で一番偉い人物である『先生』は魔術師であり、彼らは魔術を教えられている。名前のない子供たちといい、明らかにここは普通の孤児院じゃない。

 どころか、この子たちは小学校に通うような年齢でありながら、まったくどこかの学校に所属している素振りを見せなかった。どうしても、先生とやらが体よく支配しているふうに聴こえてしまう。

 

 それに、魔術師が関わっているのなら、これはただの大人には解決できない問題だ。

 だとすると──彼らのことはきっと、小夜が助けてあげないといけない。小夜は誰かの役に立たなくちゃいけないのだから。

 

「その先生はどこに……あ、今は連絡がないんだったっけ。えーと、じゃあ」

 

「──! お姉様(シスターさん)、なにか来るわ!」

 

 水やりをしていたアヴェンジャーが振り向き、突然叫んだ。直後、高速で飛来するなにかが建物に突っ込み、衝撃波により窓ガラスが割れ、破壊の音が響き渡る。

 緊急事態だ。二騎のサーヴァントが先行して飛び出し、小夜は呆然とする生き物係の手を引いて駆け出した。

 

「みんな、大丈夫っ……え?」

 

 教室へ入った瞬間目に飛び込んできた光景は、小夜には受け入れられないものだった。部屋の中心で繰り広げられる三騎のサーヴァントたちの戦い。そこから逃げようとする子供たち。そして床に転がる、首と胴体が切り離された遺骸が数体。

 殺戮の実行者は間違いなかった。アヴェンジャーとランサーが食い止めようとしている相手は、小柄な体躯で大剣を振り回す少女──バーサーカーだったのだ。

 先程の飛来物もまた彼女なんだろう。

 

 バーサーカーは返り血で頬を赤く染め上げながら口角をつりあげていた。ランサーとアヴェンジャーの二騎を相手にしてなお、二人による攻撃の隙をつき逃げ惑う子供の首を刎ねてみせる。

 

 小夜は生き物係を抱いて扉の影に隠れ、息を潜める。そうするしかなかった。下手に逃げ出せば、小夜も生き物係も、床の遺骸たちと同じになってしまうから。

 

「あぁ……やっぱり、血を浴びるのはいいわね。どれだけ下賎な輩でも、血の紅は綺麗だもの」

 

 聴こえてくる声は残酷に喜びを示していた。

 アヴェンジャーが壁に叩きつけられ、切り飛ばされたランサーの植物が目の前に降ってくる。バーサーカーの凶刃は、怯え震える少女をも慈悲なく切り裂く。

 きっとこれを戦いとは言わない。これは蹂躙だ。

 

 なにもできない小夜をよそに、一人また一人と命が潰え、サーヴァントたちは傷ついていく。それでも耐えて、隠れていようとした。ひとりでに涙が溢れ、小夜の頬を伝って生き物係の髪に落ちる。

 

 しかし──絶望は訪れる。

 

「あら。まだ残ってるじゃない。美味しそうな生贄が」

 

 目の前に投げ捨てられたのは、下半身をちぎり取られたランサーだった。顔を上げるとバーサーカーと目が合った。その向こうで、アヴェンジャーも倒れているのが目に映った。

 

 死を覚悟するのは何度目だろう。何度訪れても慣れないこの瞬間に、小夜は目を瞑ろうとして。

 

「させないわ……ッ!」

 

 放り捨てられていたランサーの体、その傷口から飛び出す枝。それらは高速の槍となって、油断したバーサーカーの腿と脇腹を刺し貫いていた。

 バーサーカーは口から血を吐き、直後にはランサーの枝を掴み、引き抜きにかかった。それらは返しとなるように枝分かれしており、彼女の肉を抉るが、そんなことには構っていられないらしい。

 

 バーサーカーが鮮血を散らしながら飛び退いた。もはや、その顔には狂喜は浮かんでいない。

 

「ッ、ふざけないで……! なぜ下等な英霊ごときに、この私の体が……!」

 

 見るからに深い傷からの出血は止まらず、バーサーカーはよろめきながら撤退を選択する。

 災厄が視界から消え、まさかの展開に小夜も生き物係も呆然とする中、ランサーから伸びる植物は分かたれた上半身と下半身を繋ぎ合わせ、元のように接合してしまう。

 

「一応、なんとかなったわね。油断してくれて助かったわ」

 

「……えぇ。運が良かったのね、私たち」

 

「……! アヴェンジャーさん!」

 

 小夜は目を覚ましたらしいアヴェンジャーのもとへと駆け寄った。肌を触ると火傷しそうなほど熱く、助け起こせなかったが、首はつながっている。気を失っているだけだったらしい。

 

「えぇ、生きてるわ。もうほとんど動けないけれど」

 

「よかった……でも……」

 

 小夜もアヴェンジャーも、生き物係もランサーも無事だった。だが、他の子供たちはそうもいかない。目を逸らしたくなるのをこらえ、小夜は周囲に転がる首と胴体を数えた。その両方の数が、この教室にいた子供たちの数と一致した時、小夜は無力感に襲われる。

 

「なんにも……できなかった」

 

「小夜が気に病むことじゃないわ。あれを前にどうにかできる人間はいないもの。

 ……それは私も同じよ」

 

 アヴェンジャーは生き物係のほうへと視線を向けた。さっきまで同じ屋根の下で生活していた相手がみんな無惨な死体にされてしまった彼は、呆然と立ち尽くしていた。

 

「あ……」

 

 出かかった上っ面だけの言葉を全部飲み込んだ。小夜なんかが、彼の悲しみになにをできるのだろう。どうしてもそう考えてしまい、小夜は止まってしまう。

 

お姉様(シスターさん)。弱りきったままここに留まっては危険だわ。

 そうね……騎士さんを頼りましょう?」

 

 サーヴァントが再び襲ってきたとしたら、アヴェンジャーは動けず、ランサーだけでは守りきれないかもしれない。

 それなら、同盟関係にある陣営を頼るべき。確かにそうかもしれない。休息の時間を与えるだけでも、それが彼らの助けになるのなら。

 

 小夜は頷き、深呼吸をして、ランサーたちの方に歩み出た。



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遊戯──トラブルド・デュエル

 ホテルの朝食を吐かない程度に頂き、気を紛らすために携帯音楽プレーヤーからテクノ音楽を垂れ流しにしつつ、ベルチェは使い魔の小鳥を飛ばしていた。

 

 弱った魔術回路だが、ベルチェは支配の魔術をまあまあな得意分野としている。小鳥程度なら消費も少なく、ホテルから出ることなく偵察を続けている。

 アーチャーの手がかりが掴めれば上々。そうでなくとも、他の陣営に対し情報的に優位に立てれば、呪いによる弱体化もすぐに取り返せるかもしれない。

 

 なんて考えていたベルチェだったが、使い魔の視界とテクノ音楽に集中していたため、セイバーの呼び掛けに気が付いていなかった。肩を何度か叩かれ、やっと振り返ってイヤホンを外す。

 

「何かあった、セイバー……って、小夜。何かあったのはそっちか」

 

 振り向くと、そこにいたのはセイバーだけでなく、先日同盟を結んだシスター・小夜と、そのサーヴァントであるアヴェンジャーが立っていた。

 夕方頃にベルチェから出向こうと思っていたのだが、あちらから来てくれたようだ。

 そのうえ、ベルチェの知らない相手を引き連れている。体の随所から植物が生えたりしている女の子と、前髪が長く目が隠れている男の子だ。

 話を聞くと、植物少女はランサー、目隠れ少年は生き物係と呼ばれているらしい。

 

 小夜によると、彼女とアヴェンジャーはランサーと和解したが、直後にバーサーカーが襲来。なんとか撃退したものの、彼らの拠点だった孤児院は破壊されており、二騎ともに疲弊している。ゆえに休息のため、安全な場所を求めてやってきたんだとか。

 

 確かにベルチェの部屋には攻撃に反応する魔術が仕掛けられているし、合わせて三騎のサーヴァントが集うことになる。襲ってくるとしたら、それこそ理性のないバーサーカーくらいのものだろう。

 

「はじめまして。サーヴァント、ランサーよ。それと、私は(・・)委員長よ」

 

「よくわからないが……委員長? 私はベルチェ・プラドラムという。よろしく」

 

 ベルチェが手を差し出すと、ランサーは植物で構成された側の腕で握手に応じてくれた。体温はないが、しっかりぎゅっと握られているのが変な感覚だった。

 

「避難場所を探しているとのことだけど。私は大いに歓迎する。むしろ、人がたくさんいて賑やかな方が助かる」

 

 ひとりで黙っていると、どうしてもアーチャーの呪いの力に負けそうになる。そのためのテクノ音楽だが、誰かとわいわいできるに越したことはない。

 

「いいのかしら。小夜もそうだけど……私たちはいずれ敵になるのに」

 

「だがそれは今じゃない。万全の相手を倒した方がカッコイイに決まっている」

 

 ベルチェが決まった、という顔をしていると、ランサーは首を傾げたがそれ以上なにも言わなかった。言ってくれてもいいのに。

 

 そのまま次はマスターの方に握手を求め、彼が控えめに出す小さな手をとった。今度はちゃんと体温があり、ベルチェもそれを確かめるように優しく握る。

 

「安心するといい。ここにいる間、お姉さんは生き物係君の味方だ」

 

 怯えているのだろうか。彼は弱々しく頷いたのみだった。いずれ敵になる者だとしても、もう少し心を開いてほしいのだが。

 

「しかし、このままただ休んでいるというのもおもしろくないだろう。私も退屈で死にそうだ。

 そういうわけでセイバー、例のものを用意してもらえるか?」

 

「ん? おう」

 

 セイバーが持ってきたのは黒いチャック付きの袋。そう、これこそが日本旅行には必携だとベルチェが持ってきた逸品である。

 

「では新たに聖杯戦争を始めよう!

 この……ジャパニーズ・花札でっ!」

 

 ◇

 

 ランサーと生き物係がベルチェに受け入れて貰えたことに、小夜は胸を撫で下ろしていた。

 しかしその直後、予想だにしない方向から、安心してはいられない状況が襲ってくる。

 

 ベルチェが受け取った袋から取り出したのは花札セットだった。何を言い出すかと思えば、それで遊ぼうという話だ。

 

「なんだ、そのカードの束」

 

「花札……って?」

 

 しかし周りは一斉に首を傾げる。あんな閉鎖環境で暮らしていた生き物係やランサー、そして見るからに外国人であるセイバーとアヴェンジャー。皆、ルールを知っているはずがなかった。

 よって、ベルチェはお手本を見せるためのエキシビションマッチを提案し、その対戦相手に小夜を指名してくる。

 

「これは日本の伝統的な遊びで……口頭で説明するより、やってるのを見せるのが早いだろう。

 小夜、付き合ってくれる?」

 

「あ、は、はい」

 

 思わず頷いた。否、頷いてしまった。

 小夜は花札の存在は知っていても、どうやって遊ぶのか知らない。用語を少し聞いたことがあるかな、というくらいだ。

 それでお手本が務まるのだろうか。

 

 ──まあ、なんとかなるだろう。私、日本人だし。

 小夜はベルチェと向かいあわせで座った。その周りをサーヴァントたちと生き物係が囲む。

 

「ではまず……デッキから手札を引こう。確か七枚だったような」

 

 ベルチェの視線がこちらを向いた。小夜に確認されてもわからないのだが、彼女がいうならたぶんそうだ。頷く。

 小夜の手元にカードが七枚配られる。あぁ、この鶴とかお月様の絵柄は見たことがある。お洒落だなあ、と思う。

 ベルチェも上から七枚を手札とし、にやりと笑った。

 

「では先攻はもらった! 私のターン!

 手札からイノシシを召喚ッ!」

 

 高らかに宣言するベルチェ。場に勢いよく叩きつけられるイノシシのカード。

 そこへ座って見学していたアヴェンジャーがいきなり声を出す。

 

お姉様(シスターさん)! イノシシは強敵だけど、きっとお姉様なら大丈夫!」

 

 するとベルチェの視線がちらりと小夜を向いた。なにかを促しているらしい。

 ……イノシシと同様に、動物が書いてあるのを置けばいいのだろうか?

 

「えっと、鶴を召喚?」

 

「なに!? くっ、だが私のカードはその程度では止まらん! ゆけちょうちょ!」

 

「えっ、じゃ、じゃあ、お月様!」

 

 突然並べられた蝶に対抗し、小夜も月の札を出した。それを見てベルチェは歯噛みし、手札から一枚を選び、山札の横に置く。お花のカードだった。

 

「いい調子よ! がんばって!」

 

「くっ! だが私の猪鹿蝶コンボが完成すればこの程度……! ターンエンド!」

 

 アヴェンジャーの応援を受け、小夜もなんだか花札がわかったような気がしてきた。

 

「えと、私のターン!」

 

「うむ。ドローするがいい。こう、シュバッと」

 

 ベルチェに促され、山札から一枚を引く。地平線しか書いてないハズレカードだったので、図柄の下半分が同じお月様の下に重ねた。

 

「じゃあえっと、この……鳥さんを出します!」

 

「何の! 『あのよろし』発動! 鳥を破壊する!」

 

 小鳥が場から取り除かれ、山札の隣に置かれる。

 

「それなら……いけ、なんかすごそうな鳥さんっ!」

 

「なにっ!? フェニックス戦法だと!? くっ、嵌められたか……!」

 

「あれはフェニックス戦法! 鳥さんがより強力になって復活したのね!」

 

 アヴェンジャーによる解説が入ってもよくわからないが、小夜は戦術的なことをしたらしい。しかし残り三枚は全部葉っぱやとげとげ山しか書かれていないカードばかり。

 小夜はその三枚を一気に並べ、フェニックスの下に重ねる。

 

「え、えと、三枚のカードでフェニックスさんを強化して、ターンエンドです!」

 

「く……まさかこの私をここまで追い詰めるとはな……! だがちょうちょの回避率は35%! いくらフェニックスでも確率には抗えまい!」

 

 怪しげに笑うベルチェ。そう、まだ花札は始まったばかり。まだまだ気は抜けない……!

 

 ◇

 

「全然わからん!」

 

「ここが正念場ね! 猪鹿蝶コンボをどう凌ぐかが問題になってくるわ……!」

 

 セイバーは思わず呟いた。つられてランサーがまた首を傾げた。

 しかしアヴェンジャーは声援を送り、戦況の解説もしている。

 残る生き物係からも反応はなく、ランサーの陰に隠れてばかりだった。

 

「現代人はみんなこんな感じで遊んでるのか……?」

 

「人間の遊戯ってわからないものね……」

 

 セイバーはランサーとふたつのため息をついた。

 そこへすかさずベルチェが指をさしてくる。

 

「そこ! 花札は考えるものでは無い、感じるものだ! 小夜を見るがいい、彼女とアヴェンジャーは今適当に作った遊び方に乗っかってくれているではないか!」

 

「正しい遊び方じゃないのかよ!」

 

 大方そんなことだろうとは思った。小夜とアヴェンジャーまで乗っかってくるとは思わなかっただけで。

 

「え……い、今適当に作ったんですか!?」

 

 小夜の顔が真っ赤になる。彼女はこれが本物のルールだと思い込んでいたらしい。なんだかセイバーは罪悪感を覚えてしまった。

 

「まあ、今のは軽いジョークだ。正しいルールを教えよう。今度はボケない」

 

「……本当か?」

 

 ベルチェはランサーと生き物係を手招きし、近くに座らせた。セイバーも傍らに腰を下ろす。不安だが、己の主を信じることにしよう。

 

「さて。花札の遊び方……ここでは『こいこい』というゲームになるが、これから正しいルールを説明しよう。

 まずは札の説明だ──」

 

 ──セイバーはまだ知らない。

 彼がこの後、負けず嫌いのランサーとの激突を繰り返し、夜までこいこいを遊び倒すことになると。



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休日──アイディール・ロリータ・ピクニック

「えぇ……これならいいでしょう。これにてようやく我々の計画を作動させられる」

 

「ってことは?」

 

「外出を許可します。ただし、他のサーヴァントに遭遇した場合は逃亡すること」

 

「終わっ……たぁー!」

 

 ドロレスたちの魔術工房に響き渡る声。それはキャスターの歓喜の叫びである。

 彼女はある魔術式を完成させるまで外出禁止を言いつけられていたのだが、何度も戦闘に駆り出され、作業が進んでいなかった。

 その作業がやっと終わったのだ。召喚されてから散歩すらさせてもらえなかったキャスターにとって、この機会はまたとないチャンスだった。

 

 術式である詩文を書き記した紙はドロレスに預け、キャスターはスキップしながら己の書斎へ駆け込んだ。

 書き物机に用はない。今用があるのは秘密のクローゼットである。通販でこっそり取り寄せておいたかわいい服を詰め込んだ代物だ。

 

 勢いよくその扉を開き、新品の匂いに包まれつつ、キャスターはいろんな衣装を引っ張り出す。

 カメラのレンズは新調し、姿見の準備もオーケーだ。いつもの服装を脱ぎ捨てて、小さなファッションショーの開幕である。

 

 まず選んだのは情熱的な赤と黒のドレスだ。少し大人っぽすぎるが、それも背伸びしている感じがして愛らしい。写真を撮っておく。

 

 続けてキャスターが着替えるのはセーラー服である。うん、可愛い。まさに王道。細いおみ足とニーソックスのコントラストが完璧だ。これも欠かさず自撮りしないと。

 

 その後も、メイド服、着ぐるみパジャマ、スクール水着などなど、取っかえ引っ変えで袖を通し、ひたすらパシャリとレンズに収め、一通り試し終わるとお出かけ衣装の決断を迫られた。

 

「さすがは金髪美少女! なんでも似合ってしまいます!

 しかし、そうなると何を着て街に繰り出すか決まりませんね。

 うーん、ここはやはりトレンドを取り入れメスガキテイストに……いやいやそれは王道の幼女ではありません。やはり清楚に花柄ワンピを……ううむ……」

 

 その問題は悩み始めればキリがなく、キャスター的には最高峰の悩みどころだったが、早く決めなければせっかくの外出許可がもったいない。

 最終的にはフリル多めのワンピースという結論に達し、数多くのコスプレ衣装たちはまたクローゼットにしまい、あとは小さな肩掛け鞄といいカメラを持って出発だ。

 

「いざ! 名付けて『幼女が幼女を撮っても合法大作戦』開始ですよっ!」

 

 霜ヶ崎は不思議と子供が多い。最近はバーサーカーによる殺戮が目立ち犠牲者も多いと感じるが、生きているのはもっといる。素晴らしい。

 

 キャスターの目的は二つ。それは『男にちやほやされること』と『可愛い女の子を写真に収めまくること』だ。赴くのは人通りの多い場所と決まっている。

 

 軽やかな足取りで拠点を出発し、鼻歌まじりに住宅地を抜け、繁華街を目指した。井戸端会議中のマダムや、通りすがりの少年の視線が心地良い。キャスターもこれみよがしに髪をかきあげてみせたりして、常に得意げであった。

 

 やがて人気の通りにやってきて、多種多様なお店を見る。お金はドロレスたちから貰ったお小遣いがあるのだ。

 せっかくだし、ドロレスやアーチャーにも衣装を見繕っていってやろう。

 

「……ん? あれは」

 

 己のマスターと同盟相手のサーヴァントに似合う衣装を考えつつ歩いていると、ふとCDショップの手前で立ち止まっている男女三人が目に止まる。

 見るからにチャラそうな出で立ちの男二名、そして白髪で豊満な胸で露出の多い衣装の女の子が一名。

 彼女は気の強そうな顔立ちながら目は虚ろで、どこか放っておけない雰囲気を醸し出している。

 

「ねぇねぇキミ一人? この後俺ら遊びに行くんだけどさぁ」

 

 なんて定番の誘い文句で、男二人は白髪少女に言い寄っている。彼女は全く話を聞いていないらしく、垂れ流しになっているアイドルの新曲PVに釘付けだが、男たちが諦める気配もない。

 

 ──キャスターはその光景に腹を立て、頬をふくらませた。女性の価値がわかっていないような奴らに、あんな美少女を扱わせてなるものか。

 カメラの紐を握りしめ、意を決して彼女たちのもとに駆け寄る。

 

「あ、あ……あの。そ、そういうの、よくないと、思うんです」

 

「なんだ? このガキ」

 

 ただのガキではない。金髪美少女である。

 

「お子様はすっこんでな。オレたちはこの子と大人の遊びをするんだからよぉ」

 

「……さっ、さ、さっきから相手にされてないのに、よく言いますね。

 あはは、わ、笑っちゃいます」

 

「なんだとこのガキが! わからせてやる……!」

 

 見た目通り彼らは単純で、少しの挑発でも乗ってくる。すぐ暴力に訴えてくる。

 だが問題ない。キャスターの身体能力は普通の人間かそれ以下のレベルだが、それでもサーヴァントの端くれ。この程度のチャラ男に負けるわけがないのだ。

 キャスターは余裕の表情で金髪をかきあげ、風に靡かせ、そして思いっきり頬を殴られた。

 

「へぶっ!? なっ、なにするんですか! ありえません、こんな国宝級美少女の顔面を殴るとか!」

 

「お前が余計な口挟んだからだろうが!」

 

「したって顔面はないでしょう! 生意気幼女にしていいのはデコピンまでですよ!」

 

「生意気幼女はてめえだコラ!」

 

 なんて、チャラ男二人組とキャスターの言い争いがヒートアップしていると、今まで何もかも聞き流していた白髪少女が振り返り、光のない瞳で呟いた。

 

「折檻のやり方が違うわ……それじゃあ、ただの暴力よ。やるならもっと徹底的に……強く、甘く、痛々しく……」

 

 チャラ男たちはその言葉を聞くと怯んだ。もしかしなくてもこいつやばい奴じゃん、と。

 ここでキャスターは小柄な体格を利用し、二人の不意をつき傍らをすり抜けた。すかさず白髪少女の手を取って走り出す。

 

「行きましょうお姉さん! 私がエスコートいたしますので!」

 

 虚ろ目の彼女は抵抗することもなく手を引かれ、キャスターが疲れて立ち止まっても一言も話さなかった。

 さっきのチャラ男がもっと強引だったら危なかっただろう。だが今回は追ってくるほどの気概はなかったらしく、振り向いても美少女が二人で駆け抜けたことに驚く通行人くらいしかいない。

 

「ま、撒いた、みたいですね」

 

「……」

 

「お、お姉さんっ、ご無事ですか? あ! 私決して怪しい者ではございません! ただの一般金髪美少女ですので!」

 

「……血」

 

「へ? あ、ま、待ってくださいお姉さん、いきなり接吻はさすがに──!」

 

 一瞬にして目前に迫っていた白髪少女の唇に、焦り饒舌となるキャスター。しかし唇が重なることはなかった。その代わり、少女の舌が殴られた際に滲んでいた血液を舐めとってくる。

 

 その感覚はまったくの未知であり、新しい世界を垣間見てしまったキャスターはそのまま呆然とするしかなく、しばし沈黙が流れた。それから慌てて話題を作ろうと、再びキャスターから話しかける。

 

「……あ! えっと、お姉さん、アイドル、好きなんですか!?」

 

「アイドル……」

 

 どこを見ているかわからない瞳のまま、彼女は続ける。

 

「……わからないの。何か思い出せそうなのに。ねぇ、お願い、教えて欲しいの。アイドルって、なんなのかしら」

 

 返ってきた言葉はキャスターの予想だにしないものであった。その縋り付くような言葉を拒むことも出来ず、キャスターは言葉を返した。

 

「あくまでも私の個人的な意見ですが。

 美しく、愛されるもの。誰よりも研鑽を詰み、その努力さえも隠し通して作り上げられる至上の幻想。

 それが美少女(アイドル)だと、私は思います」

 

 キャスターが答え終えると、それを聞いた少女の瞳には少し光が戻ったように見えた。まるで、霧に隠された思い出を見つけたかのように。

 

「えぇ、そうよね。そう。だって、私は──ッ!?」

 

 だがしかし、直後に突然として彼女は頭を押さえた。光は再び消え失せ、ぎりぎりと奥歯を鳴らし、痛みに呻き、なにかに怯えるように縮こまる。

 

「い、いや、やめて……お願いっ、そこへ戻るのだけはいや……!」

 

「あ、あの、大丈夫──」

 

「触らないで……私の、私のエリザベート(・・・・・・・・)に触らないで(・・・・・・・)ッ!」

 

 いつの間にか握られていた鞭が振るわれ、手を伸ばそうとしたキャスターはまともに食らって吹き飛ばされた。その直後、白髪の少女は靄のように霧散して消えてしまう。

 その時初めて、キャスターは彼女がサーヴァントだったのだと理解した。

 

「エリザベート……ですか」

 

 衣装についた砂を払いながら、キャスターは少し後悔した。あの麗しい姿は写真に収めておきたかったのに。

 

 ◇

 

 レイラズは拠点に定めた民家にこもり、難航する礼装の構築に何度も挑んでいた。材料がうまく組み上げられず、何度目かのやり直しになる。

 

「……あ、エリザベート。お帰りなさい」

 

 どこへ行っていたのやら、姿の見えなかったレイラズのサーヴァントが実体化して現れた。いつもの通り、ぼんやりと佇むばかりで、返答はない。

 

「ま、待っててね。わ、私、必ずあなたの役に立ってみせるから」

 

 この言葉も聴こえていないだろうけれど、レイラズは心に決めたことを口に出し、薄気味悪くにたりと笑うのだった。



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来訪──カウンター・エンカウンター

「喰らえッ! 三光花見酒月見酒ッ!」

 

「な、なんですって!? この私がまたしても見誤ったというの!?」

 

 正しいこいこいの遊び方を説明した結果、一番のめり込んだのはセイバーとランサーだ。ときどきマスターと選手交代しつつも白熱する勝負を繰り広げ続け、セイバー陣営とランサー陣営はほぼ引き分けの戦績となっていた。

 そんな微笑ましい光景をアヴェンジャーとともに見守っていた小夜もまた、時間を忘れて応援に熱中していた。

 気がつけば外はもう暗い。

 

 くるる、と誰かの腹の虫が鳴って、一行に夕食の時間になったことを知らせた。どうやら生き物係少年のものらしい。

 教会に戻ればご飯はあるかもしれないが、六人全員で押しかけるわけにもいかないし、何よりあの孤児院の件を他のシスターになんと言えばいいのかがわからない。

 

「では、夕食の買い出しに行こうか」

 

 小夜が黙っていると、ベルチェが立ち上がった。しかしその足取りは覚束無いもので、よろめき、セイバーに受け止められる。

 

「おい待てマスター。フラフラのくせに外に出ようとするな」

 

「しかし、では誰がお買い物に行く。特製ベルチェ鍋をみんなで囲もうと思っていたのに」

 

「なんだその料理……いいから休んでろよ」

 

「うぅ、ベルチェ鍋……」

 

 彼女の名を冠した鍋とは一体どんなメニューなのか気になるものの、体調の悪いベルチェに無理をさせるわけにもいかない。

 幸い、このホテルのルームサービスには付属のレストランから料理を運んでくれるものがある。それを利用しよう、とアヴェンジャーが提案し、ベルチェもそれを受け入れ、彼女が電話の受話器に手をかけた。

 

 ──その瞬間、突如電話の音が鳴り響く。まだベルチェは何の操作もしていないというのに、だ。

 そのまるで見計らったかのようなタイミングに、小夜は真っ先に心霊現象を疑い、短い悲鳴をあげつつ縮こまった。

 そんな小夜をよそに、ベルチェは平然と受話器をとる。

 

「……こちらベルチェ。何者だ?」

 

『──おう、元気そうだな貧乳鎖娘。儂だよ、儂』

 

「ッ、ソラナン・フィアーリア……!」

 

 電話の向こう側から聞こえるのは老齢の男性の声だ。ベルチェよりも流暢な日本語であり、どこかで聞き覚えのある声のようにも思えた。

 

「今更私に何の用だ」

 

『なに。同じマスター同士、一度飲んでおきたいと思ってね。君のいるホテル、上層階にバーがついているだろう。そこで話そう。

 そうそう、アヴェンジャーのマスターのお嬢さんも連れてな』

 

「……待て。どこまで知っているんだ」

 

『さあな。あぁ、逃げようとは思わないことだ。儂がこうして君に電話をかけているのがどういうことか、考えればすぐにわかることだがね』

 

 それで言いたいことはすべて言い切ったのか、ソラナンと呼ばれた男は一方的に電話を切ってしまった。ベルチェはすぐさま受話器を手放し、大きな舌打ちをひとつする。

 

「誰だ? 今の爺は」

 

「元知り合いの魔術師。今の口振りだと、マスターの一人なんだと思う」

 

 マスターの一人。つまり、聖杯戦争における敵だ。しかも相手はベルチェたちの所在も、小夜のことも知っている。これが危険な状況であることは、小夜にも本能的に理解出来る。

 

「バーに来い、ねぇ。どう考えても罠だが、どうする?」

 

「あのような男に従うのは癪だが……仕方がない。罠ごと食い破ってやるとしよう。

 ──小夜。少年。それにアヴェンジャーもランサーも。巻き込んですまないが、付き合ってくれるか?」

 

 小夜が頷き、アヴェンジャーと生き物係がそれに続く。最後にランサーが、仕方なさそうに首を縦に振った。

 

 ◇

 

 霜ヶ崎唯一の外国人向けホテルであるこの建物には、上層階にバーが存在している。高級なワインや、市内の酒蔵で作られた品が提供されており、このバー目当てでホテルにやってくる客もいるとかいないとか。

 とはいえ小夜はまだ19歳と11ヶ月。お酒が飲めない年齢だ。つまり今までは、存在は知っていても、小夜にはまったく関わりのない施設であった。

 

 いつ襲われるかわからない状況に警戒を強めながらエレベーターを降り、重い扉を開くと、そこには紫を基調とした店内が広がっている。客は1人のみで、スタッフの姿も見えない。

 

「おう、ちゃんと来たようだな」

 

 唯一の客はカウンターに座っている、どこか見覚えのある赤毛の老人だ。電話から聞こえてきたのと同じ声で、彼がソラナンであるようだ。

 傍らには銀髪で空色の瞳のサーヴァント、アーチャーが腰掛け、瓶から直接お酒を飲んでいる様子だった。

 

「まあ座るといい。酒と飯は儂が奢ろう」

 

「……なんのつもりだ」

 

 ベルチェの問いに答える代わりに、彼は隣の椅子を引いて着席を促した。さらにカウンターの奥から真っ白な女の子たちが現れ、ベルチェと小夜の手を引き、ソラナンの隣に座らせようとしてくる。

 渋々その誘導に従って、ベルチェと小夜はカウンター席に着いた。

 他の面々はまた別のボックス席に案内されており、サーヴァントたちが警戒を解かずにこちらを監視してくれているのが見えた。

 

「夕食がまだだったな。好きなのを頼むといい。案ずるな、ドロレス嬢たちは料理も達者だ」

 

 小夜はスタッフらしい真っ白な女の子からメニューとお水を受け取った。どちらも、普通のレストランと変わらないものだ。ひとまず水を飲んでから、空腹を満たすためになにか頼もうと考える。

 一方、ベルチェは目の前に置かれたメニューには目もくれず、ソラナンのことを睨んでいた。

 

「まさか貴方がアーチャーのマスターだったとは。奇遇ですね、ソラナン先生(・・)……あ、間違えた。セクハラ親父」

 

 先生──つまり、ソラナンとベルチェはかつて教師と教え子の関係だったんだろうか。

 小夜はスタッフにパスタを頼むと、あとは隣で行われる会話を横から聞くことに集中する。

 

「奇遇もなにも、君をマスターに推薦したのは儂だよ。そして見込み通り、君は儂のサーヴァントに呪いを受けてなお、二つもの陣営を従えている。その点は賞賛に値すると思っているとも」

 

「……貴方もマスターではないのか」

 

「あぁ。だからこそ、対戦相手には敬意を表する。なにかおかしいかね?」

 

「なにも。私が勝手に気味悪がっているだけ」

 

 ソラナンが肩に置いてきた手を払い除け、ベルチェは嫌そうに吐き捨てた。過去になにがあったのやら、見るからに居心地が悪そうだ。

 そんな彼女に、ソラナンは一杯のグラスを差し出してくる。なみなみとワインが注がれ、照明を受けて煌めいていた。

 

「まあ飲めよ。それともジュースがよかったか?」

 

 ベルチェは苛立ちを隠さず、奪い取ってひといきに飲み干してしまう。

 

「子供扱いをやめろ。私はもう23歳だ」

 

「えっ、年上!?」

 

「……小夜、今まで年下だと思っていたのか」

 

 思わず声に出してしまったが、どうやらベルチェはとうにお酒が飲める年齢らしい。認識を改めないと。

 

「ハハッ、こいつは面白い。ロンドンにいた頃から幼児体型だからな、こいつは。

 あの頃もよくガキみたいに泣いてたもんなあ」

 

「……思い出話をしに来たんじゃないだろう、ジジイ」

 

「ああ、そうだな。今回わざわざ呼び出したのは、決闘の約束をしておこうと思ってのことだ。

 儂のアーチャーと君たちのサーヴァント、決着をつけようじゃないか」

 

 アーチャーの撃破はベルチェとセイバーにとっては最優先事項である。それを見越した上で話を持ちかけてきているのだ。目的は読めない。

 だが、ここを逃せば、ベルチェが力尽きるまでに再びアーチャーと出会えるとも限らない。

 ベルチェは小夜やセイバーたちに目配せし、少しの逡巡を経て、答える。

 

「……わかった。受けよう、その決闘」

 

「賢明だ。では、そのようにな」

 

 大量の酒瓶をカウンターに残し、ソラナンとアーチャーは立ち上がった。用を終えたのだろう。結局、彼はただセイバーとアーチャーの決闘を仕組みに来ただけなのだろうか。

 たったそれだけだとしたら、わざわざ姿を晒し、バーを貸切にまでする必要があったんだろうか。

 

 考えてもわからない謎に首を傾げていると──ふと、遠ざかっていく彼の背中に、小夜はまた既視感を覚えた。

 思わず立ち上がり、今しかないと呼びかける。

 

「あ、あの。私たち、どこかでお会い、してましたでしょうか」

 

「……それは儂を口説いているのか? いいとも、歓迎しよう」

 

「いえ、そういうことではなくて、なんていうか本当に、見覚えがあるような」

 

 うまく言語化できない小夜の問いかけに対し、ソラナンはにやりと笑ってみせる。

 

「なに。その答えはじきにわかるさ」

 

 ソラナンが指を鳴らす。その瞬間、小夜の中でなにかが目を覚ましたような気がして、直後に強い目眩が襲ってくる。

 

「え──?」

 

 小夜の体になにが起きているのだろう。立っていられないほどに意識が揺さぶられ、よろめき、誰かが受け止めてくれた感触の後、小夜は逆らえず瞼を閉じる。

 

「『来るべきその日』はもうすぐやってくるだろう。これはその準備だよ」

 

 ソラナンのその声を最後に、小夜の意識は奥底へと引きずりこまれていった。



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夢魘──メモリア

 小夜が目を覚ますと、そこには知らない天井が広がっていた。それは出鱈目にはめたジグソーパズルみたいな、ぐちゃぐちゃの光景だった。

 

 まず目を擦り、ごみが入ったわけでないことを確認する。次に周囲を見回し、床もまた天井と同様に様々な絨毯がパッチワーク状態になっているんだと認識する。

 ここまでくると、独創的を超えて悪趣味の領域にある。そんな不気味な建造物の中に、小夜はひとり倒れていたようだ。

 

 小夜はひとまず立ち上がった。不思議と体が軽い。先程目眩で倒れたばかりだったのに。

 

「……あれ? そういえば、みんなは?」

 

 周囲には誰もいなかった。あるのは静寂と、小夜を誘い込むように奥へと続く継ぎ接ぎの道だけ。歩き出すしかなく、恐る恐る踏み出す。

 

 芝生を踏みしめ、大理石で靴音を立て、コンクリートに足を滑らせかけながら、果てがあるのかもわからない道をゆく。隣には誰もおらず、聴こえるのは自分の足音と呼吸音ばかり。そんな心細い中を歩き、やがて暗く大きい広間に着いた。

 広間は真っ暗でよく見えないが、高い棚が立ち並び、なにに使うかわからない器具がたくさん転がっている気がする。

 

 意を決し、小夜は広間へと踏み込んだ。その瞬間に明かりがつき、暗くて見えなかった棚の間がよく見えるようになる。

 そこには大勢の子供たちがおり、一斉に小夜のほうを振り向いた。

 

「来た」

 

「やっと来た」

 

「おかえりなさい」

 

「また会えたね」

 

 口々に呟き出す子供たち。視界に映るどの顔にも、耳に入るどの声にも、まったく覚えがない。それなのに、彼らは小夜を知っていて、出迎えるように手を差し出してくる。

 

 やがて子供たちは立ち上がり、手を伸ばしたまま押し寄せてくる。おかえりなさい、また会えたね、と機械的に繰り返しながら、生気のない目で迫ってくる。

 

 その光景はこの世のものとは思えないほどおぞましかった。いつも見る悪夢ともまた違う、未知への恐怖。思わず後ずさり、広間から出ようとするが、いつのまにか来た道は消えている。

 そこにあるのは白い壁。縋っても出口は現れず、手を伸ばす子供たちの声が迫り来る。

 

「ひっ、い、いやっ、やめて! 来ないでぇっ!」

 

 小夜の悲鳴に、子供たちの歩みが止まる。一斉に首を傾げ、小夜に不思議そうな目を向ける。

 

「どうして?」

 

「なんで?」

 

「あなたはわたしたちと同じなのに」

 

「同じ存在」

 

「帰っておいでよ」

 

「帰っておいでよ」

 

 話が通じない。小夜は耳を塞いだ。

 

「聞きたいのはこっちなのに……貴方たちのことなんて知らないのにっ、なんなの、なんで私がこんな……っ!」

 

 抓った頬は痛い。引っ掻いた手首は血が滲む。ここは夢なのか、夢じゃないのかさえもわからない。

 

 だけど、小夜にはひとつだけ確信があった。

 小夜からあの子たちに触れたら、誰のところにも帰れなくなる、と。

 

「お姉ちゃん」

 

 誰かが袖を引っ張った。その声には聞き覚えがあった。確か、生き物係たちと同じ孤児院にいた子の声。

 振り向くと確かにその少女に違いなかった。眼鏡をかけていて、抱えている冊子も、あの時の計算ドリルだ。

 

 あぁ、でも。あの子はバーサーカーに殺されたはず。

 

「一緒に行こう?」

 

 それがどういう意味なのか、小夜には嫌でも理解出来た。衝動的に少女を振り払い、拒絶する。

 

「……ごめんね。まだ死ねないの」

 

 まだ、小夜はアヴェンジャーになにもしてやれていない。ベルチェとセイバーにもお返しができていない。生き物係とランサーを慰められていない。

 ──そしてなにより、夢が見つかっていない。

 

「来るべき日はすぐそこなのに?」

 

「……知らない、そんなもの」

 

「お姉ちゃんは私たちと同じものなのに?」

 

「わかんない、そんなこと言われたって」

 

 小夜は小夜だ。平坦な人生を送り、なにも成し遂げてこなかった人間だとしても、それなりやり残しがある。

 だから、まだ死にたくない。

 

 ──そう願った時、小夜は頭上から、僅かに吹き込む熱風を感じた。

 上を見ると、空から小さな手が伸びている。細くて、ぼろぼろの服を纏った、焼けるように熱い手。

 小夜は迷わずその手を掴む。引っ張りあげてくれる力を信じ、ぎゅっと握りしめる。

 

 そうして、そのまま体が浮く感覚がして──小夜は夢から目を覚ました。

 

「……大丈夫? お姉様(シスターさん)。ずいぶんとうなされていたようだけど」

 

「アヴェンジャーさん……っ!」

 

 気がつけばホテルのベッドの上におり、広間や子供たちは影も形もない。時計は午前の三時を指し、とうに日付が変わっている。

 そして傍らには、手を握ってくれているアヴェンジャーの姿があった。その手が自分を引っ張りあげてくれたんだと思うと、抱きつかずにはいられない。

 

「あちっ!?」

 

「あらあら。私に抱きつくと火傷しちゃうわよ?」

 

 思わず熱いと口から出てしまったけれど、その熱もまた、夢の中で感じた感覚のままだ。噛み締めていると、アヴェンジャーはなにかに気が付き、小夜の腕を指した。

 

「いつ怪我したのかしら。手首から血が出てるわよ」

 

「え? あっ、本当だ。ってことは、あれは夢じゃなかったのかな……?」

 

 よくわからない。夢の中にしては、感覚がリアルだったし、自分につけた傷がそのまま残っている。

 ソラナンが小夜にかけた魔術だったんだろうか。そもそも魔術とはなにかを知らない小夜に、考えても答えは出ない問題だった。

 

 そんな小夜のもとに、ベルチェとセイバーが姿を見せた。

 

「……ん。目覚めたか、小夜」

 

「あっ、ベルチェ、さん」

 

「呼び捨てでいい。ま、年上だということは忘れないでほしいけど」

 

 むすっと頬を膨らませるベルチェ。とても年上には見えないが、可愛らしいのは確かだ。

 

「……あっ、ごめんなさい、こんな遅い時間まで」

 

「構わない。どうせ眠れなかったし」

 

「サーヴァントは眠らなくていいからって花札に付き合わされたからな、オレ」

 

「ノリノリだったくせに」

 

 どうやら眠れずにセイバーと花札に興じていたらこんな時間になっていたらしい。ものすごい夜更かしだ。

 

「それはそれとして……小夜。なにがあった? なにか見たか?」

 

「あ、えっと……はい」

 

 小夜は見た夢のことを説明する。セイバーもベルチェも真剣な顔つきになり、アヴェンジャーは小夜のことを心配そうに見守ってくれていた。

 話終えると、ベルチェは顎に手をあて、考え始める。

 

「なるほど。白い広間に知らない子供と死んだはずの子供、か。

 私には見当もつかないが、それがただの嫌がらせでなくなにかのヒントだったなら、小夜の訪れたことのある場所かもしれないな」

 

 ベルチェの呟きに、小夜はふと引っかかりを感じた。

 小夜ではとても手の届かない高い棚に、散乱する知らない器具。白い壁と床。

 もしかして、あの広間の光景は、十三年前のあの場所ではなかろうか。

 

「あ。えっと、私が覚えてる一番古い記憶の場所に、夢の中の広間が似てるかもしれません。

 病院みたいなところで、外国人の初老のおじさんに名前をつけてもらったんですけど」

 

「……なに? それはいつの話?」

 

「十三年前です」

 

「その頃、ソラナンは時計塔講師をしながらもよく日本に通っていた。

 男の髪は赤かったか?」

 

「……はい」

 

 ベルチェは慌ててノートパソコンを電源につなげ、起動する。霜ヶ崎市内の病院を調べ、その中のひとつの情報を目にした時、ベルチェの目の色が変わった。

 

「創立者、シヴェール・ハイジット。こいつは当時のソラナンの協力者、魔術師だ」

 

「ってことは……?」

 

「ソラナンは小夜の名付け親と同一人物かもしれない。奴らは小夜の記憶を利用し、ここへ誘導しようとしていたのだろう。

 ──夜が明けたら打って出る。それまで小夜は休んでおいてくれ」

 

 あの男が小夜の名付け親であり、記憶にない小夜の過去を知る者なのだろうか。だとしたら、ソラナンとの因縁はベルチェだけでなく、小夜にもある。

 小夜は傍らのアヴェンジャーと視線を合わせ、頷きあった。



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四日目
対峙──チルドレン・アートグラフ(前)


 おそらく夜が明けただろうことを、書斎にこもっていたキャスターはパソコンのデジタル時計で認識した。書斎には窓がなく、廊下に出てやっと明るくなっているのがわかる。

 

 今日は決戦の日である。

 ドロレスたちはセイバー及びアヴェンジャーと真正面から激突することを決定し、キャスターの休暇は終わりを告げた。

 そこは別に構わない。これは聖杯戦争だ、休暇が一日あっただけでも幸運なくらいである。

 問題は、写真を満足するほど撮りきれていなかったことだった。せっかく己が己であるための趣味を満たそうと思っていたのに、まさか謎のサーヴァント相手に翻弄されてしまうとは。

 

 キャスターはそのぶん、アーチャーを撮ってやろうと考えていた。夜更けまで似合いそうな衣装を模索し、考案したいくつかの全身セットを手押し車に乗せ、彼女が待機している部屋へと運んでいく。

 

「アーチャー、入りますよ?」

 

 扉をコンコンと叩き、返答がないのでそのまま開ける。すると途端に鼻につくアルコールの匂いが漂い、キャスターは思わず顔をしかめた。

 

「うわ酒臭っ!? どれだけ呑んだんですか……!?」

 

「なんだ、キャスターか……関係ないでしょ」

 

「この部屋でマッチ擦ったら大爆発しそうですね」

 

「その時はあなたも道連れね。あなた、マッチに狙われてるもの」

 

 アーチャーの部屋には飲み干した酒類の缶や瓶が散乱していた。彼女がお酒好きなのは知っているし、サーヴァントが現世の酒で酩酊しないのは間違いない。

 キャスターはそれより衣装に酒の匂いがつくのを嫌がり、アーチャーを部屋の外へと誘った。

 

「今度はなに? ヒトの部屋を覗きに来ただけじゃなかったの?」

 

「いえ、むしろこっちが本命というか。いろいろ着てみて欲しい衣装がありまして。ぜひ撮影会をしたいといいますか」

 

「……あなた、変なサーヴァントね。私たちはマスターに従っていればいいだけなのに」

 

 アーチャーから帰ってきたのは了承でも拒絶でもなく、悲しげな瞳だった。その目がどうも引っかかって、キャスターは誘い文句よりもかけるべき言葉を脳みその中から探り、見つけ出そうとする。

 

「……君にも召喚に応じた理由があるでしょう。聖杯は願いを持たない英霊を呼び寄せません。どこかで、なにかを願っているのではありませんか?」

 

「願い……?」

 

「あ、えと、迷惑だったら申し訳ございません。ですが、あなたにも笑顔でいて欲しくって」

 

「そう」

 

 アーチャーの答えは短かった。しかし、その瞳にもう諦めたような悲しさはなく、キャスターの言葉を胸に留めてくれているらしい。

 胸を撫で下ろし、キャスターはもう一度本題を呼びかけた。

 

「それでは撮影会をしたいのですが──」

 

「だめ。相手はいつ来るかわからないんだから」

 

「そんなぁ」

 

 結果は拒否されてしまったのだが。

 

 ◇

 

「──さて。到着だ」

 

 日が昇るまで休息をとり、ホテルを出発したベルチェたち。向かった先は小夜の生まれた場所かもしれない総合病院だ。

 

 病院は霜ヶ崎で最も高い山にほど近く、住宅街の外れに突如現れるように佇んでいた。

 到着したついでにベルチェが少し調べたところ、どうやら格のある霊脈の上に建っているらしい。

 

 創立者の名が魔術師のそれであり、建物は霊脈の上。ドロレスやソラナンの魔の手が伸びているのはほぼ間違いない。彼らはそこで待ち受けているだろう。

 ベルチェは深呼吸をして、周囲の面々に問いかけた。

 

「準備はいいか?」

 

 頷きが五つ返ってくる。ベルチェもまた頷きを返し、病院の中へと踏み込んだ。

 ロビーには誰もいない。受付の看護師の姿すら見えず、照明となるべき蛍光灯が軒並み壊れており薄暗い。不気味な雰囲気に包まれており、警戒しながら進むしかない。

 どうやら病院としての機能は停止しており、魔術回路が持たない人間が近づかないよう人払いの魔術がかけてあるらしい。

 誰もいない病院は静寂に包まれており、恐怖を煽る。

 

「……ん? 少年、どうかしたか」

 

 道中、生き物係がベルチェの袖を引き、廊下の一部を指差した。

 見ると、どうやら幾重もの魔術式とかなり強固な結界が仕掛けられているらしい。人払いをしたうえで隠匿するとは、余程決闘を邪魔されたくないらしい。

 

 それをランサーが枝の一突きで破壊し、結界が解けたことで現れた階段を降り、地下通路へと潜っていく。

 同時に、迷宮めいた構造の先にいったいなにが待つのかと不安が膨らんでいく。

 中でも小夜はひときわ嫌な気配を感じているらしく、冷や汗までかいている。

 

「あ、あの、余計なこと言ってることになるかもしれませんけど……その、地下に降りてからの道のり、一緒なんです。私がきのう見た夢の、ぐちゃぐちゃな風景の迷路と」

 

「では、正解に間違いないということだな。ありがとう小夜、自信が確信に変わった。

 さっさと終わらせて、美味しいスシでも食べに行こう」

 

 ベルチェはわざと前向きに取り繕った。小夜の夢がヒントになっているとしても、待ち受けるものまで同じになるはずがない、と。

 小夜も生き物係も、少なからず不安を覚えているだろう。ベルチェ自身も、サーヴァントたちだってそうだ。それが少しでも和らぐといいのだが。

 

 警戒しつつ先行するサーヴァントたちとともに、やがて大きな広間にたどり着く。

 

 そこは真っ白で高い棚の部屋などではなく、岩に囲まれた風景だ。どうやら、ここは山の内側にできた大きな空洞らしい。どこかに穴があいているのか、風のような音が絶えずしている。

 一般人が寄り付くはずもなく、他のサーヴァントでさえも探知するのは難しいだろう場所。

 

 なるほどここが決闘の地か。ベルチェは息を飲み、広間へと足を踏み入れる。

 

「──ようこそ、セイバーにランサーにアヴェンジャー! これで一度に五つもの陣営が一堂に会するなんて圧巻だよ」

 

「御託はいい、ソラナン。姿を見せろ」

 

「あぁ見せるとも。その前に、決闘場は明るくしないとな」

 

 ソラナンが指を鳴らしただろう音が広い空洞に響き渡る。すると、壁に取り付けられた無数の松明が一斉に炎を灯し、視界は明瞭になった。

 大空洞の全貌。待ち受ける二騎のサーヴァントと、そのマスター。そして──目に映してはいけないモノ。

 

「……おい、なんだよ、アレは」

 

 大空洞の中央に鎮座するモノ。それは神々しく輝く杯でなく、おぞましく忌まわしい存在だった。

 数十メートルはあろうかという巨大な物体でありながら、その全てを構成する要素が人体である。数多くの人間を繋ぎ合わせ、強引に一つにしてあるのだろう。

 

 ──風の音は吹き込む空気ではなく、あの人体どもが苦しげに呼吸する音だったのだ。

 肉塊は絶えずどくどくと脈動し、吸気により無数の小さな肺を膨らませる。その光景は、ベルチェも、小夜も生き物係も、決してこの先忘れることのできないだろうものだった。

 

 或いは、これがただの悪趣味なオブジェであったなら、憤るのみであったかもしれない。

 だが、ソラナンは誇らしげに話してみせる。あの肉塊がなんなのか。

 

「見るがいい。あれが聖杯──我々が作り上げた、万能の願望器」

 

「なッ──」

 

「冬木の聖杯とは、第三魔法を再現したホムンクルスの魔術回路を置換したものだ。我々には一生かかっても到達できない代物さ。

 だが、このやり方ならできる。良質な回路を持つように弄った子供を何世代にも渡って大量に用意し、集合的無意識のかたまりを作り上げ、増幅した魔術回路でこの空洞すべてを覆い尽くす。

 これが、わずか数十年で完全な聖杯戦争を模倣するやり方よ」

 

 あろうことか。数え切れないほどの子供たちを生け贄──否、生け贄すら生温いほどの責め苦に晒しておいて、あれが聖杯だと。あんなモノに願いを託していたのだと。

 

 突きつけられた現実はあまりにも凄惨で、サーヴァントもマスターも、皆が立ち尽くす。

 そして、最初に異変が起きたのは小夜だった。頭を抑え、膝から崩れ落ち、苦しみに喘ぎはじめる。

 

「……っ、ぅあ、あぁっ、な、なにっ!? や、やめて、来ないで、来ないでよ……っ!」

 

お姉様(シスターさん)……!? 昨日と同じうなされ方……まさか、昨日の夢もあの聖杯の夢だったっていうの?」

 

 アヴェンジャーの言う通りであれば、最悪の正夢だ。彼女が寄り添っていなければ、小夜はきっと耐えられない。

 この場での復帰はおそらく不可能であり、戦力を一騎ぶん失うことになる。しかし、ここでケリをつけなければ、いつチャンスが巡ってくるかもわからない。

 

「アヴェンジャー。小夜を連れて下がって。アイツらは私たちでやる。

 セイバー、ランサー。お願い、アイツらを倒して」

 

「あぁ……!」

 

「もちろんよ」

 

 セイバー、ランサー、アーチャー、そしてキャスター。四騎のサーヴァントが前へと出て、剣を抜き、矢を手にし、互いに対峙することとなる。

 そして──どくん、とひとつ、聖杯が大きく脈動したのを皮切りに、英霊たちは動き出す。



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対峙──チルドレン・アートグラフ(中)

 ──決戦の火蓋は切って落とされた。

 セイバーとアーチャーが対峙するその傍らで、ランサーとキャスターもまた、戦いの火花を散らし始める。

 

 ランサーが大きく踏み込む。彼女と相対するトランプの兵隊たちが一斉に散開し、槍や槌を振りかぶった。しかし彼らは武器を振り下ろす前に枝に貫かれ、魔力の塵となって霧散する。

 

 その塵の内側から現れるのは猛獣と幻獣だ。ライオンが牙を剥き、ユニコーンは角を突き立ててくる。

 襲い来る牙と角。身を逸らしてくぐり抜け、蹴りと同時に脚から植物を伸ばす。ライオンの腹を貫き、ユニコーンの首を吹き飛ばし、キャスターへと迫る勢いを殺さず踏み込んでいく。

 

 キャスターは己の身体能力では対応しきれない速度の突撃に対し、防御に回るしかない。ランサーによる一撃が迫る瞬間、空中に卵が現出し、ランサーの攻撃により割れると同時に爆発を起こす。

 予想外の衝撃を喰らいランサーは後方へ吹き飛ばされ、キャスターもまたそれに巻き込まれるが、彼女は飛ばされた先に大きな猫を召喚し、それをクッションとして着地。すぐさまランサーの元へトランプ兵を向かわせ、起き上がるより前に攻撃させる。

 

 だがランサーにとってその対処は容易である。体から枝を伸ばせばいいだけだ。己を取り囲んだ数体のトランプ兵を一気に刺し貫き、胸の風穴から伸ばす幹で体を支え、ランサーは平然と立ち上がった。

 

 その光景にキャスターは嘆息する。

 

 「あぁまったく、性愛の呪いの忌々しいこと。君を傷つけるのが嫌で嫌でたまらない」

 

「そういうサーヴァントなら仕方のないことよ。この聖杯戦争と相性が悪かっただけ」

 

「はいそうですかと割り切れないのが私です。主の笑顔のため、私も働かなくてはならない」

 

「じゃあ、手加減してあげないわ」

 

 ランサーから伸びる植物たちは恐るべき速度で蠢き、キャスターを取り囲むように迫っていく。グリフォンの召喚による離脱が試みられ、しかし枝を腕のように用いて己を引っ張りこんだランサーが一気に距離を詰めたことで彼女の蹴りが届き、獅子である後半身は破壊される。

 

 勢いは止まっていない。残った鷲の部分をひっ掴んだキャスターは毟った羽根を目くらましとし、さらにトランプ兵を一体生成、蹴って足場とする。枝がトランプに描かれたハートの中央を貫く頃には、そこにキャスターはいない。

 

「やりづらいわね」

 

 今度はランサーが嘆きを漏らした。二騎の距離は振り出しに戻っており、互いにダメージらしいダメージはない。

 

 決着にはまだ時間がかかるだろう。ランサーもキャスターも、そう考えていた。

 

 ◇

 

 一方、セイバーとアーチャーの激突もまた膠着状態にあった。

 

 既にいくつもの矢が放たれ、セイバーはその全ての破壊あるいは回避に成功している。だが、一方でアーチャーの負った傷もない。攻勢に出られていないのだ。

 

 再び矢を向かわせ、アーチャーは同時に自らも飛び出していく。一発目は上段、二発目は下段。そしてアーチャーの攻撃は手にした鏃を振り下ろすものだ。

 セイバーの剣が一発目を斬り、二発目は踏みつけて止め、アーチャー自身へは剣を振り上げる。激突により鏃は砕けるが、直後踏みつけた矢が炸裂し、セイバーは飛び退かざるを得なくなる。

 

 アーチャーの放つ矢は爆発する矢。そして、彼女の繰り出す近接攻撃は一撃が重い。

 セイバーにとってその双方が厄介だ。矢を叩き落とし、迫り来るアーチャー本人を警戒しつつ、その上で相手を斬らなければならない。

 魔力の供給が十全でなく、宝具の使用だけでなく、剣からの魔力放出も制限される以上、飛び込むにはリスクがありすぎた。

 

 そんな状況の中、アーチャーは攻めの手を緩めなかった。

 投擲される矢は時に不規則な軌道を描き、眼前で溜め込んだ魔力による爆発を引き起こす。さらにその煙の内側から現れ、首めがけて鋭いハイキックを放ってくる。

 だがセイバーが首を逸らしたことにより蹴りは髪に掠るのみに終わり、反撃にこちらも首を狙う黒い魔力の斬撃波を放つ。アーチャーは回避を強いられ、倒れ込むように躱すと、地面を蹴って再び間合いをとった。

 

 セイバーは宝剣の柄を握り締め、アーチャーは手元に新たな矢を生成し、次の瞬間には更なる激突が行われている。

 手にした武器がぶつかり合い、火花が散り、まるで鍔迫り合いのような押し合いとなる。

 そんな中、アーチャーは力をこめたままセイバーに語りかけた。

 

「騎士のお兄ちゃん。貴方は何を願ってここにいるの?」

 

「オレは──」

 

 それはこの決戦において、セイバーが思考を避けていた領域へと触れる問いだった。

 セイバーだって、聖杯戦争に勝ち残り、願いを叶えるために現界している。そのために剣を振るっている。

 だが、肝心の聖杯は文字通り犠牲者の塊だ。あのような忌々しいものに願いを託すなど、聖騎士の記憶が許さない。では、セイバーはなんのために戦っているのか。

 

 それを考えてしまった瞬間、アーチャーの鏃はセイバーの剣を押し退け、鎧を砕きながら左肩に深々と突き刺さる。

 すぐさまアーチャーの腕ごと蹴り飛ばしたことで、突き刺さったまま爆発されるという最悪の展開にはならなかった。しかし傷は決して浅くない。魔力で見た目を繕い、どうにか剣を握り直す。

 

「クソ、これじゃあアイツらの思うツボじゃねえか……ッ!」

 

 恐らくソラナンの狙いもここにあったのだろう。聖杯の正体を知り、それゆえに判断が鈍ればそれが命取りになる。

 こんな時、ローランやシャルルマーニュ王であったなら義憤に駆られていただろうに、オリヴィエは己の欲望と天秤にかけ、その隙を突かれている。

 

 セイバーは歯を食いしばり、揺さぶられた思考を停止させ、剣を構え直し、アーチャーに意識を集中する。

 

 だが──その瞬間、突如視界が暗転する。壁に取り付けられた松明は点っていたが、戦場に突如、現れた影があったのだ。

 

 アーチャーが振り向き、彼女だけでなく、交戦中であったランサーとキャスターもその手を止めた。

 現れたのは此処にいるはずのないまた別のサーヴァント。虚ろな瞳で白髪を揺らす殺人者。

 

「──あぁ、なんて大きな肉のかたまりかしら。あれだけあれば何回お風呂に入れるかしら」

 

「アサシン……ッ!?」

 

 彼女は巨大な建造物を具現化させ、その上に立っている。突然の乱入者に驚くサーヴァントたちのことなど眼中に無い様子で、ただ一点聖杯のことだけを見つめ、魔力を集積し加速させていく。

 

「さあ、特別サービスよ。

 暗くて冷たい私の牢獄(ステージ)に、とっておきの悲鳴(ナンバー)を響かせなさい。

 

 ──『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』」

 



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対峙──チルドレン・アートグラフ(後)

「さあ、特別サービスよ。

 暗くて冷たい私の牢獄(ステージ)に、とっておきの悲鳴(ナンバー)を響かせなさい。

 

 ──『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』」

 

 アサシン──エリザベート・バートリーが君臨するは棺の城。数多の少女が命を落とした監獄だ。

 開かれる扉より死せる者どもの怨嗟が溢れ出し、呪われた断末魔の波はサーヴァントたちの体を硬直させてゆく。

 対魔力スキルにより抵抗力が与えられているセイバーたちに対してもその効力は絶大だった。脚は完全に硬直し、手にする武器は重く、不快な叫びがこびりつく。

 

 そこへ降り注ぐのは鉈、剃刀、杭や斧の雨。刃を突き立て襲い来る凶器の数々に、サーヴァントたちは体が言うことを聞かない状態のまま対処を強いられた。

 セイバーは剣を傘にして腕や脚に刃を受けつつも凌ぎ、ランサーは己の頭上に植物の盾を何層にも渡って形成して食い止める。キャスターの召喚する肉壁は同時にアーチャーの頭上にも展開され、どうにか被害は最小限に食い止めている。

 

 ──だがそうはいかないものも存在していた。聖杯だ。

 それは刃の雨を防ぎきるには巨大すぎ、そして『幼かった』。エリザベートの犠牲者となった少女たちの恐怖を植え付けられたことで、ドロレスたちが仕掛けたはずの防御術式さえ発動しなかったのである。

 刃の雨に表皮が切り裂かれ、体液が噴出している。拍動は速くなり、逃げ場を求めて腕が蠢いた。

 

 宝具の範囲から外れて見守っていたドロレスは、すぐさまキャスターへの令呪を行使しようと動く。だが右腕を掲げた瞬間に全身が硬直してしまった。ドロレス同士で繋がっている脳波ネットワークが、不明な信号により強制停止させられたのだ。

 

 その正体はすぐさま判明する。ドロレスの目の前に姿を現したのは、墨色の長髪に、白を基調とする軍服めいた衣装の少女。アサシンのマスター、レイラズだ。

 彼女はくつくつと笑い、動けないドロレスの頬に指を滑らせた。

 

「う、うまく、いった。貴女達ドロレスを同期させている魔術式に割り込む礼装……ね、す、すごいでしょう、明日菜ちゃん」

 

 レイラズの傍らに立っていた瀬古明日菜は、突然問いかけられると渋々頷いた。彼女は恐らく無理やり従わされているだけだ。

 それよりも、レイラズが手にしている白いハーモニカの方を注意すべきだ。幼子の骨や歯で組み上げられたそれは、捕獲・解剖された五百三号の成れの果てだろう。ドロレスの動きを止めた礼装とはあの楽器で間違いないはず。

 

 ドロレスは自分が警戒を怠っていたことを後悔する。彼女の父がいくら色位の魔術師だとしても、ユグドミレニアなど零落した取るに足らぬ弱小一派だと侮っていたがゆえの想定外だ。

 

 だがドロレス側のマスターも1人ではない。すぐさまソラナンが魔術具の短剣より風の魔術を以てレイラズを狙い撃つ。対する彼女はすぐさま人骨製の蛇腹剣を抜き放ち、大きく振り抜いて相殺する。

 

「……おいたが過ぎるぜ、プレストーンの嬢ちゃん。よく考えな。

 聖杯がぶっ壊れれば、ユグドミレニアの再興も叶わない」

 

「っふふ、ふ、ふふふふふ……そんなことどうでもいいわ。私のアサシンが壊したいのなら、壊れてしまえばいいだけのこと」

 

「あぁそうかい。そう来られちゃこっちもお嬢ちゃんを消すしかないな。折角の美人を手にかけるのは心が痛むんだか」

 

「で、できるものなら、やってみせてよ、お爺さん」

 

 ソラナンが詠唱を開始する。儀礼のための短剣に嵌められたエメラルドが輝き、周囲の大気を巻き上げていく。

 

 そうして発動する嵐の魔術に対し、蛇腹剣を鞭のように振るい、激突させる。並んだ脊椎のうちひとつに書き込まれた風の術式を起動させ、逆位相の流れにより威力を一気に弱めていく。

 

 レイラズは弱まった嵐の中を己が傷つくのも構わずに駆け抜け、一気にソラナンとの距離を詰め始めた。その間にも武器を振り回し、刀身を暴れさせる。

 対するソラナンは短剣から放つ突風と魔術障壁による防御を繰り返し、猛攻をものともしない。

 

 やがて間合いは詰められ続け、二者間の距離は数十センチにまで迫った。渾身の一撃のため彼女は剣を振り上げ、ソラナンは障壁を展開すべく構える。

 

 だが次なる攻撃は刃ではなかった。

 いつの間にか、レイラズの手には楽器型の礼装ではなく拳銃が握られ、既に引き金は引かれている。ソラナンの障壁とぶつかるのは銃弾だった。

 

「ハッ、なにかと思えば戦争屋の玩具か! その程度で儂の魔術を破れるとでも思ったか!」

 

「ふふ……ど、どう、だろうね」

 

 簡易的な結界魔術を用いて構築された壁は当然銃弾を防ぎ、弾丸は四散する。しかしレイラズの本命はその中身だ。結界、さらには魔術回路を通して、ソラナン自身へと覚醒(・・)する。

 そして次にレイラズが剣を振り抜いた時──ソラナンは無抵抗のまま刃に切り裂かれた。

 脊椎の棘突起を利用した刃は肉食獣の如く皮膚を削り、肉を抉る。

 

「なっ、なぜだ──!?」

 

 魔術による防御は行われたはずだった。ソラナンの脳は確かに魔術回路へと命令を下した。しかし、現実にはなにも起こらず、斬撃をもろに食らっている。

 この現象をソラナンは理解できなかった。しかしレイラズは知っている。全て、彼女の放った魔弾の仕業なのだから。

 

 起源弾。それは悪名高き『魔術師殺し』の扱ったという礼装。存在の根底である『起源』を浴びた相手に発現させる魔弾。発現する起源によっては、一撃必殺となりうる代物だ。

 レイラズの扱うものはとある傭兵の作り上げたそれの模倣品(デッドコピー)に過ぎない。しかし、死霊術師である彼女はその魔弾を何人もの他人の死体から生成し、撃ち分けることを可能としていた。

 

 ソラナンの魔術回路を機能不全へと追い込んだのは『静止』の弾丸だった。彼は状況を理解出来ぬまま蛇腹剣に切り裂かれ、首が地に落ちると共にその生を終える。

 

「ふふふ……こ、これで、邪魔者はいなくなったね」

 

 レイラズの視線がドロレスへと向いた。ソラナンが死んだことにより、アーチャーへの令呪も不可能だ。キャスターはアサシンへの対応に追われている。状況はドロレスにとっての最悪の事態になろうとしていた。

 

 それもそのはず。

 わざわざベルチェたち一行をここへ呼び込んだのは、聖杯を見せ動揺を誘うためでもあるが、ドロレスの持つ奥の手を使うためでもあった。

 それは──聖杯に干渉し、魔力を利用するための術式。キャスターに(したた)めさせた詩文である。ドロレスたちのネットワークへと侵入したレイラズには、その存在も知られていよう。

 

 しかし、ドロレスは動けない。笑みを浮かべたレイラズが、ゆらゆらと歩み寄るのを見ている他にない。



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妄執──ワット・シュッド・アイ・ドゥ

 大空洞での戦闘から時を遡り、朝のこと。瀬古明日菜は、ひとり台所に立っていた。

 昨日はバーサーカーが負傷し、また魔力の消費が大きく春は疲弊している。よって、引き続き明日菜が家事を担当していた。

 

 聖杯戦争が始まってからずっとそうだった。明日菜は機会が訪れるまで、じっと耐えて兄とバーサーカーに尽くすしかない。

 

 全ては聖杯戦争に参加するためだ。

 そう思うと、家事は些事になる。父が遺した瀬古家のマスターとなる日は、刻一刻と近づいているはずだ。

 

 狭いキッチンから誰もいないリビングまで、無音の空間に目玉焼きを焼く音を響かせながら、明日菜はいつ訪れるとも知らない希望に想いを馳せていた。

 

 「……うん、もういい頃でしょう。では次は……確かじゃがいもが……」

 

 目玉焼きを皿に移し、冷蔵庫を開けて食材を取り出そうとする明日菜。

 

 ──その瞬間、突如なにかが砕け散る音が響き渡った。反射的にびくりと体を震わせたのち、すぐさま構える。

 明日菜は警戒しつつリビングを見回した。人影はないものの、窓ガラスが割られている。先程の音の原因はこれだろう。だが、付近に石やボールに類するものは見当たらない。

 

「侵入者……?」

 

 脳裏に過ぎった可能性を呟いた。

 だがどうやって? 瀬古家には数代前から続く強固な魔術結界が張り巡らされており、生半可な魔術では解除する前に反応し迎撃するはず。

 不可思議な現象を前に首を傾げつつ、明日菜は台所に戻ろうと一歩踏み出しかけた。

 

 ──その瞬間に感じた急激な殺気に、少女は立ち止まる。

 

「……や、やっと、気づいてくれた。ま、また会ったね、明日菜ちゃん」

 

 いつの間にか喉元にガラスの破片が突きつけられている。一歩でも歩いていれば喉を裂かれていただろう。死角から伸びてきた手とかけられた声は間違いなくレイラズのものだ。

 

「……いきなり押し掛けて何の用ですか」

 

「ふ、ふふ、そう警戒しないで。いい話を持ってきたの」

 

 喉に凶器を突きつけている状況で警戒するなと言われても不可能だ。そう思っても口には出さず、歯を食いしばって、レイラズの言ういい話とやらを待った。

 

「あ、あのね。捕まえたドロレスから、大聖杯の場所を聞き出したの」

 

 彼女の言う通りにすれば、直接大聖杯の場所へ赴ける。あわよくば、その起動を狙うこともできるだろう。

 ドロレスによる口約束などという不確かなものに縋らずとも、自分自身が実行すれば確実だ。

 明日菜は聖杯戦争に参加しなければならないのだ。より確率の高い手段を選ぶのが道理であろう。

 しかし、レイラズにとって明日菜を連れていくメリットがあるのだろうか。それを尋ねると、レイラズは凶器を突きつけたまま話す。

 

「相手はドロレスだけじゃない……万が一魔術師同士の戦闘になったら、戦力は多い方がいい」

 

 瀬古家の他にも同盟を組んで運営側に回っているマスターがいると、レイラズに告げたのは他でもない明日菜だった。

 さらに実戦用の魔術を習得しており、なおかつ言うことを聞かせられる相手を探した時、レイラズは明日菜に思い当たったのだろう。

 

「ど、どう、する? も、もちろん、拒否しても、いいけど。そうなったらこの場で──」

 

「行きます」

 

「──ふふ、迷う理由はなかった、かな。じゃあ、一緒に行こうか」

 

 そうして、明日菜は割れたガラスの破片を掃除することも、作りかけの朝食に手をつけることもなく、大空洞へと出発したのだった。

 

 ◇

 

 ──それからレイラズと明日菜はひっそりと大空洞に潜り込んだ。

 

 セイバーたちとアーチャーたちの戦闘がある程度激化するのを待ち、アサシンを放り込んで混乱を演出する。

 その隙にドロレスを支配下に置き、ソラナンを殺害し、聖杯起動のためのスクロールを手にする。この時点で、サーヴァントたちはまだアサシンの宝具に対処するので精一杯だ。

 

 それら全ての作戦を、レイラズは滞りなく進めた。そうして手に入れたのはまたとない好機である。彼女はドロレスに命令し、詩文の記された羊皮紙を自分に手渡させると、今度は明日菜のもとへ歩み寄った。

 

「こ、ここまで、うまくいくとは、思わなかったな。ねえ、明日菜ちゃん」

 

「……そうですね」

 

 明日菜にとっても予想外だ。これなら、令呪を手に入れてサーヴァントを召喚することも有り得るかもしれない。

 期待を胸に、明日菜はレイラズの言葉に頷いて答えた。

 

 対する彼女は笑顔を見せる。手にした蛇腹剣を鞭のように振るって老人の血を払い、そして振り上げ──明日菜の体に突き立てた。

 

「──え?」

 

 刃は肉を切り裂き、明日菜の体にはまるで真っ赤な襷をかけているような、生々しい裂傷が描かれる。溢れ出す体液は生暖かく、撒き散らされたそれはレイラズの手の羊皮紙にも降りかかった。

 

「かはっ、な、なんで」

 

「な、なんでって……最初からこのつもりだったに、決まってるでしょう? なにに目が眩んだのか知らないけど、ありがとう、逃げ出さないでくれて」

 

 なぜおかしいと思わなかったのか。レイラズは元からドロレスを封じるつもりであの礼装を手にしていた。なら、戦力の増強などまるで必要がなかった。

 残る可能性は黒魔術と死霊術の材料。即ち生贄だ。

 

 血を滴らせ倒れ込みながら、明日菜の血とソラナンの首を用い、術式を起動させてゆくレイラズ。アサシンの宝具を受け傷ついた聖杯はより早く脈動し、吐き散らされる赤黒い液体は明日菜にも降り掛かってくる。

 

 明日菜の意識は朦朧としていった。思い浮かぶのは父の声。敬愛する父親に告げられた、お前は聖杯に至るために生まれた子だ、必ず手に入れろと、脳裏に刻み込まれた言葉。

 兄への怒りと恋慕も、バーサーカーへの憎悪も、全部、ここで終わらせたくなかった。

 

「……さ、さあ。聖杯よ、私の呼び声に応え、私のアサシンに与えた呪いを解きなさい」

 

 レイラズが詠唱を開始し、一方で明日菜は倒れ込んだまま魔術を行使する。

 傷口から這い出てくるのは明日菜の体内で魔術回路の役目を果たしていた存在──蟲の使い魔だ。数十体がレイラズへと這い寄っていき、一斉に飛びかかる。

 彼女は突然のことに血に染った羊皮紙を取り落とした。そしてめちゃくちゃに武器を振り回して蟲から逃れようとする。

 

「っ、な、このっ、寄るなっ、穢れた虫め……!」

 

 蟲に気を取られている隙に、素早い百足型の1匹が、羊皮紙を咥えて明日菜のもとへと持ち帰った。そうだ、これでいい。レイラズのおかげで、すでに詩文は術式として機能している。明日菜が紡ぐのは簡単な詠唱と、ぶつける感情だけでいい。

 

「聖杯よ、お願い──私の願いを叶えて!」

 

「ッ!? お、お前、なんて、なんてことッ……!」

 

 明日菜の声に呼応して、聖杯が動き出す。体内の蟲たちと魔術回路が一斉に悲鳴をあげ、しかし明日菜自身にとってそれはまるで祝福であった。

 詩文は強烈な光を放ち、この世とこの世ならざる領域を繋げ、その向こうよりなにかを呼び寄せる。

 

 光が晴れそこに立っていたのは、四肢を蒼い鱗に覆われ、メイド服に身を包み、スカートからしなやかな尾を覗かせた幼い少女。

 其れは英霊の魂であり、明日菜が最も望んでいたモノ。従来のルールから逸脱した8騎目のサーヴァントだった。

 

「──サーヴァント、ルーラー(・・・・)

 なんだかいろいろ、大変なところに来てしまったようですね。

 そこのヒト。私、なにをすればいいですか?」

 

 彼女は毛先だけが黒い白髪のロングヘアを揺らし、倒れ伏す明日菜の前に屈み、鈴の鳴るような声で話しかけてくるのだった。




【CLASS】ルーラー
【真名】
【性別】女性
【身長・体重(尻尾含まず)】141cm/35kg
【属性】混沌・善・天
【ステータス】
筋力B++
耐久A
敏捷B+
魔力A
幸運D-
宝具A++

【クラス別スキル】
対魔力:EX
魔術への抵抗力。精神干渉に効果がないかわり、それ以外の魔術干渉を一切シャットアウトする。

真名看破:B
ルーラーとして召喚されることで、直接遭遇した全てのサーヴァントの真名及びステータス情報が自動的に明かされる。ただし、隠蔽能力を持つサーヴァントに対しては幸運判定が必要となる。

【保有スキル】
神性:E-
怪物に転じたためほぼ消滅している。

▇▇の獣皮:A++
ルーラーが身につけているメイド服の裏地。

▇▇:B++

【宝具】
『▇▇▇▇▇▇▇▇』
ランク:A++
種別:対神宝具

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇』
ランク:EX
種別:対▇宝具


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命令──オース・サイン

 レイラズの隙を突き、明日菜は聖杯にサーヴァントを召喚させた。裁定者(ルーラー)──聖杯戦争を管理する者として召喚されるエクストラクラスだ。本来ならば一つの陣営に与することはなく、マスターを必要とすることも無い。

 だが、そのサーヴァントは明日菜の傍らに屈み、指示を仰いだ。

 

 ──まだ間に合う。そう判断し、レイラズは不快な蟲どもより明日菜本体を優先した。複製起源弾を装填し、倒れ伏した 動かない彼女の脳天目掛け、弾丸を打ち込もうとする。

 

 だがそれが標的に届くことはない。ルーラーは顔を明日菜に向けたまま、鱗に覆われた手で銃弾を掴んで受け止める。

 そのまま一瞥もすることなく、銃弾は投げ捨てられた。

 

 サーヴァントと人間の間にある絶対的な差を見せつけられたレイラズの心には屈辱の感情が浮かぶ。

 明日菜を直接殺そうとしても、ルーラーは平然と阻止してくるに違いない。彼女は他の手を選ぶしかなく、声を張り上げた。

 

「エリザベートッ! お、お願い、あいつを殺して……!」

 

 レイラズの言葉を聞くやいなや、傷つく聖杯を呆然と見つめていたアサシンが動き出す。ルーラーへと急激に接近し、手にした槍を振り下ろす。対するルーラーはその柄を素手で掴み、アサシンを引っ張り込んで懐に蹴りを叩き込む。

 まともに衝撃を食らった少女は口から血を吐いた。よろめきながら投擲されたナイフも鱗が切っ先を弾いたことでルーラーには突き刺さらず、そのまま組み付くことを許してしまう。

 

 もがいても時すでに遅く、アサシンは側頭部から地面に激突する。ハイヒールを杭に変えて伸ばし放つ反撃の蹴りはルーラーの後頭部にヒットするが、その脚が掴まれ、肘打ちにより脛骨が叩き割られてしまう。

 

「ぁぐッ……!?」

 

 呻き声をあげ表情を歪めるアサシンに対し、ルーラーはもう一度掴んで振り回し、レイラズの方へと投げ飛ばした。アサシンはマスターを下敷きにして着地し、起き上がろうとするも折れた脚がそれを阻み、また地面に倒れてしまう。

 

「だっ、大丈夫?」

 

 レイラズが声をかけるが返事はなく、代わりに苦しそうな視線をちらりと向けるだけだった。

 アサシンは直接戦闘に向いていないクラスのサーヴァントだということを差し引いても、ルーラーの戦闘能力は高い。正面からの撃破は難しいだろう。

 そう予測を立て、レイラズはまた別の手を考え出そうと頭を回す。

 

 ──その時、ひらりとなにかがアサシンのもとへ舞い降りた。血に濡れた一枚の羊皮紙だ。それはドロレスからレイラズ、さらにレイラズから明日菜の手へと渡った聖杯への干渉を目的とした術式である。

 アサシンの手に触れた途端、書かれた詩文が光を放ち、聖杯へと影響を与え始める。

 

 その瞬間より大聖杯は動き出す。大量に備わったヒトの腕と指が引き伸ばされ、生暖かい触手となってレイラズとアサシンを絡めとり、引きずり呑み込んでしまおうとする。

 

「な、なにっ、これ……!?」

 

 剣を振り回し銃弾を放ち、持てるすべての礼装で抵抗するレイラズ。半狂乱になった彼女の懐からは銃弾や死霊術の道具がこぼれ落ちる。

 対するアサシンは虚空を見つめたまま無抵抗で、レイラズの努力も虚しく、二人の姿は聖杯の中へと消えていく。

 

「っ、こ、このっ、わ、私は、エリザベートのためにっ、か、勝たなくちゃ、勝たなくちゃ……っ!」

 

 やがて触手に閉ざされ、レイラズの嘆きは聞こえなくなっていった。

 

 ◇

 

 そうしてアサシンが視界から消えていくのを見送ると、ルーラーはまた明日菜のもとへ戻り、彼女に語りかけた。

 

「ごめんなさい。少し邪魔が入ってしまいましたね。私はなにをすればいいですか?」

 

 明日菜は確信した。彼女であれば、あるいはバーサーカーを倒せるのではないか、と。そして、この場にいる他のサーヴァントたちなど、相手にならないのではないかと。

 それを考えた時、明日菜は自然と口角が上がるのを抑えきれず、笑顔で答えることとなった。

 

「……この空洞にいるサーヴァントを倒して」

 

「ご命令ありがとうございます。ルーラー、承知いたしました」

 

 そう言って動き出すルーラー。アサシンの宝具への対処を終えたばかりのサーヴァントたちのもとへ、彼女は優雅に歩み寄っていく。

 

 その間に明日菜は這いずり、レイラズの落としていった礼装を拾い上げた。ドロレスを支配下に置くための礼装だ。それを通じ、明日菜はドロレスに命令を下す。

 まず最初に、明日菜への治療魔術の行使。レイラズにつけられた傷を塞がせた。ドロレスは無言で駆け寄り、無表情のまま錬金術を駆使し明日菜の体を治してゆく。

 礼装の効能は本物だ。ドロレスは明日菜の手駒も同然。であれば、キャスターへの命令も思うがままだ。

 

 明日菜はいいことを思いついた。にやつきが止まらないくらいに。

 

 ◇

 

 突如乱入者が刃物を降らせたかと思うと、今度は見たことのない新たなサーヴァントが現界してしまった。

 8騎目となる彼女は、アサシンを圧倒した後、真っ先にキャスターの方に向かって歩いてくるではないか。

 

 彼女は見目麗しい少女だった。手足が鱗に覆われており、爬虫類のしっぽが生えている。そこがチャームポイントなんだろう。

 先程の会話を横から聞いていたぶんには、どうやらクラスはルーラーのようだ。強敵に違いない。

 

 キャスターは赤と白、二体の騎士を並べて彼女を迎え撃った。左右から同時に騎馬が迫り、槍が振るわれる。しかしルーラーは動じない。爪と鱗を用いて二本の槍を受け流し、腕を交差させるのみで赤の騎馬の突進を受け止め、むしろ馬の首を掴んで投げ飛ばす。

 残る白の騎士も勇猛にルーラーへと向かっていくが、突撃を躱した彼女の放つボディーブローが馬を一撃で破壊し、投げ出された騎士には尾が鞭のように襲いかかり、彼は大きく吹き飛ばされた後消滅した。

 

 なるほど、生半可な召喚物では彼女を相手取るのは不可能だろう。

 強力な使い魔の召喚には多少の準備が必要だ。そう判断したキャスターは一旦後退すべくグリフォンを呼び、しかし直後、キャスターにとって予想外の声が響く。

 

「令呪を以て命ず。キャスターよ、動くな」

 

「──えっ?」

 

 目の前にルーラーという大敵がいるにも関わらず、しかも令呪を使ってまで命じることなのか。

 キャスターが疑問を抱いても、令呪の魔力には逆らえない。脚が地面に縫い止められたように動かなくなり、キャスターは仕方なくグリフォンをルーラーへと直接向かわせた。

 

 いくら速度に優れる幻想種だとしても、所詮は劣化コピー。それ以上の神秘を持ったルーラーの放つ拳の一撃で、鷲の前半身を打ち砕かれ、地に落ちて消えていく。

 

「これは……ちょっと、まずいかもですね」

 

 いくら足止めのために不思議の国の存在を呼び寄せようが、肝心のキャスター自身が動けないのでは意味がない。霊基の損傷を覚悟して、召喚術の根本にある宝具を最大解放すれば、多少はもつものが呼び寄せられるだろう。だがそれでも令呪による拘束が残り、まともに戦えるとはいえない。

 そう考えているうちにも、一歩、また一歩とルーラーが迫る。

 

 ──そこへ、一本の矢が飛来し、ルーラーを貫こうとした。強烈なハイキックにより撃墜されるが、気が逸れれば十分だ。キャスターを抱え、ルーラーから一気に距離をとる存在が現れる。

 

「アーチャー……!?」

 

「……マスターはもういない、けど。なんとなく、行かなくちゃって思ったから」

 

 アサシンの宝具による撹乱で確認出来ていなかったが、どうやらソラナンは何者かに殺害されたらしい。

 そのうえで彼女が現界しているのは、アーチャークラスに付与される単独行動スキルによるものだろう。

 ゆえに、彼女は命令でなく、己の意思で駆けつけてくれた。それを思うと、キャスターは少し嬉しくなる。

 

「それはそうと、大丈夫なのですか? あれを相手に……私、動けませんが」

 

「力持ちだから人ひとりくらい重くない。邪魔になるぶんはいつものへんてこ召喚物でカバーして。動けなくても、魔術は使えるでしょ」

 

 アーチャーはキャスターを抱えたままルーラーの前に立ち、手元に矢を生成する。対するルーラーは徒手のまま、二騎のサーヴァントを同時に相手取るつもりのようだ。

 

「お話は終わりですか? では、命令を遂行させていただきますね」

 

 メイド服のスカートの下で、少女の脚に力が込められる。同時にアーチャーも態勢を低くし、迎撃の姿勢に入る。

 

 そしてルーラーが地面を蹴った瞬間、少女たちの激突は再び始まった。



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魔手──リトル・ビーコン

 キャスターとアーチャーがルーラーとの交戦に突入する少し前のこと。アサシンの放った凶器の雨が止んだ直後だった。

 

 セイバーとアーチャーは再び武器を構え、対峙していた。先程の決戦はいつ再開されるかわからない睨み合い。まさに一触即発であった。

 しかし、少しの睨み合いの後、アーチャーは武器を下ろす。それから背後でルーラーに苦戦を強いられているキャスターを一瞥すると、あろうことかセイバーに背を向けた。

 

「私に聖杯にかける願いはないけど……アイツを守らなくちゃいけない、そんな気がする」

 

 彼女はそう呟いた。

 

 相手は敵だ。それも、セイバーのマスターを苦しめている呪いの元凶だ。ここで彼女を確実に仕留めれば、ベルチェは回復するであろう。

 だが、彼女の心は友を守ろうとしている。そんな相手を斬るのは、果たして正しいのだろうか。王ならば、親友ならばどうしただろう。

 剣を構えその躊躇いの中にいるうち、すでにアーチャーは駆け出していた。

 脳内にベルチェの呼びかけが響いて、やっと我に返る。

 

『──セイバー! あれを見て!』

 

 すぐさま振り向き、セイバーは迫り来る新たな脅威を視認する。それは聖杯にされた少年少女たちの腕が変化した触手どもであった。

 

 彼らはレイラズとアサシンを呑み込んでなお止まらず、今度は別のものに狙いを定めているらしい。

 ベルチェたちマスターのいる場所へと一直線に進んであるということは恐らく、聖杯の夢を見た張本人たる小夜を狙っているのだろうか。足りないなにかを渇望するように押し寄せているふうに見える。

 

 セイバーは余計な思考を止め、剣を構え飛び出した。そして蠢く触手めがけて振り下ろし、さらに剣から魔力の刃を飛ばし、攻撃を試みた。

 しかし触手はすぐさま再生し、勢いは衰えない。諦めず何度も斬りつけるが、焼け石に水だ。

 

 それどころか、すぐさまこちらを敵と判断し、触手の群れの矛先がセイバーへと向いた。咄嗟に迎撃するも勢いが少し減衰したのみだった。

 

「くッ……!」

 

 あわや絶体絶命かと思われた瞬間、二本の鎖が彼の体に巻き付き引っ張りあげる。ベルチェの魔術だ。

 

「悪い、助かった」

 

「マスターだから当然のこと。それよりセイバー、撤退の準備をしよう」

 

 仮にこのまま戦おうとすれば、聖杯に呑み込まれる危険性もある。仮に狙われている小夜だけを逃がしたとしても、今すぐルーラーの相手をするのは悪手とみえた。

 セイバーもすぐさま頷き、ベルチェを抱える。そして同様にマスターを抱き上げたランサー、アヴェンジャーとともに来た道を引き返すべく駆け出した。

 

 だが触手たちは諦めが悪かった。狭い地下道を埋め尽くすように、どこまでも追従してくる。

 恐らく彼らは魔力の尽きぬ限り小夜を狙ってくるだろう。そしてその魔力は、聖杯ゆえにほぼ無尽蔵と考えてもいい。ランサーが嘆く。

 

「しつこいわね。あんなになってまで、ヒトの執念が残っているのかしら」

 

 聖杯にされた子供たちは恐らく発狂している。生きたまま他人と繋ぎ合わされ、自我まで混ぜ合わされているのだから。

 そんな中で一人だけ正気のまま接続してしまった相手を見つければ、執着してくるのも不思議ではない。

 

「ここはやっぱり、やるしかないわ。

 ごめんなさい、お姉様(シスターさん)を少し預かってくださる?」

 

「了解。カモン、小夜!」

 

 ベルチェは体から展開した鎖を用いて、アヴェンジャーから小夜のことを受け取った。少女2人程度の重量、騎士たるセイバーには誤差である。

 そしてアヴェンジャーは体内から炎を滾らせ、追手に向けて解放してみせる。

 

「『陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)』」

 

 小夜のために小規模に抑えてはいるが、炎の饗宴は追手を押し留めんと現れる。地下道が明るく照らされ、人体の焼ける匂いに満ち、その中を急いだ。アヴェンジャーの宝具により勢いが弱まっているこの瞬間は好機であった。

 

 ──そうして走り続けること数分。セイバーたちはなんとか病院から脱出することに成功した。

 セイバー、ベルチェ、ランサー、生き物係、アヴェンジャー、そして小夜。誰ひとりとして欠けることなく、大空洞から逃れられたのだ。

 

 小夜も聖杯から離れたことで少し気分がよくなったのか、アヴェンジャーの肩を借りつつも自分の足で立ち上がる。

 

「……ごめんなさい。私のせいで、迷惑を」

 

「小夜はなにも悪くないだろう。あの爺が悪い。そしてあの爺は死んだ。それでこの話は終わりにしよう」

 

 アーチャーたちとの決着はつけられなかったが、それは仕方がない。もし彼女たちがルーラーから逃れられたなら、また雌雄を決すればいい。

 そう言って、ベルチェは気丈に振舞った。まだ呪いの力はまとわりついているだろうに。

 

 ひとまず、小夜を休養させるため、セイバーたち一行はホテルへ戻ることを決めた。

 空は分厚い曇り空だったが、各々の足で歩き出していこうとする。

 

 ──その瞬間だった。足元のコンクリートが崩壊し、大量の腕が出迎えるように現れたのは。

 

「なっ──!?」

 

 あまりに突然の出来事。炎によって押し止められたように思われた聖杯の執念は、ずっと機会を窺っていたのだ。警戒を解くのが早すぎた。

 そんな中、ベルチェは咄嗟に魔術を発動する。

 

「こうなったら手荒にやるしか……ッ!」

 

 ベルチェは体から鎖を伸ばし、アヴェンジャーと小夜に巻き付けた。そうしてなにかの術式を起動したかと思うと、ベルチェが己から切り離した鎖ごと、小夜とアヴェンジャーは声をあげる間もなく宙に放り出され、さらに鎖に引っ張られどこかへ飛ばされていく。

 

「これぞベルチェ式強制脱出装置、名付けて『弾丸特急連鎖(トラベル・チェイン)』だ!」

 

「言ってる場合かよ!」

 

 今まさに、ベルチェもセイバーも聖杯に呑み込まれようとしている。

 飲み込まれればどうなるかはわからない。もしかしたら、ここでセイバーたちの聖杯戦争は終わりを告げてしまうのかもしれない。

 すると傍らの少女は、おかしなことに笑顔を見せた。

 

「これは非常に我々に都合のいい仮説だが──小夜の見た夢が、意識や魂に類するものを聖杯の中に飛ばしたものだったとしたら、これもまた同様の現象ではないだろうか」

 

「聖杯の夢を見せられる、ってか? 根拠は?」

 

「ない。しかしそうだな、アヴェンジャーの言葉を借りるならば、信ずるものは報われる、と言ったところか」

 

「結局は分の悪い賭けってわけだ。まったく、オレもとんだマスターを持ったもんだ」

 

 ベルチェの見せるその笑みに、どこか懐かしい感触を覚えつつも、セイバーの視界は腕の群れに染められていく。

 

 ──その一方で、ランサーと生き物係もまた、聖杯の伸ばす魔の手に絡め取られている。抵抗もなく、沈んでいくのに身を任せるばかりだ。

 セイバーを見送った後、ベルチェは振り返って語りかける。

 

「……すまないな、少年。こんなことになってしまって」

 

 しかし、謝罪に少年は答えなかった。口を固く結んだままで、視線の先も髪に隠れて見えない。

 その様を見たランサーは植物を伸ばし、抱きしめるように彼を包み込んだ。

 

「……この先、恐らく結界が待っているわ。()の体が聖杯の材料と近いからかしら、薄らと感じるの。

 貴女の仮説、間違ってないかもね。ねぇ、いっちゃん」

 

 生き物係は口を開かなかったが、ランサーの言葉にこくりと頷いた。そうしてその言葉を最後に、少年と少女の姿は見えなくなる。



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決着──アッシュ・トゥ・アッシュ

 ──アーチャーは決して誰かに命じられた訳ではなかった。

 しかし、望まない令呪に縛られるキャスターを目にして、動かずにはいられない。セイバーとの戦いに決着をつけるよりも、彼女を守りたいと思ってしまった。

 それゆえに、アーチャーはキャスターを抱えて立っている。かつての主は死んだが、魔力のパスはキャスターにつなげている。出力は落とさない。

 

 ロングスカートを翻し、竜の少女が動き出す。構えた拳と鋭い視線が狙うはアーチャーの頸、その一点である。

 対するアーチャーも、右腕にキャスターを抱えたまま対応に出る。迫る拳を躱し、手にした矢を振るい、同時にキャスターのトランプ兵が上空から棍棒を振り下ろした。

 

 しかし矢と棍棒はルーラーの手によって軌道を修正され、互いに激突し、敗けたトランプ兵は消滅してしまった。さらにすぐさまキャスターを狙った膝蹴りが放たれ、咄嗟に召喚したウミガメの甲羅を盾とするが、甲羅は割れ、衝撃は殺しきれず伝わってくる。

 それでもアーチャーはすぐさま体勢を立て直す。地面を踏みしめ矢を投げ捨て、反撃のアッパーカットを放つのだ。

 

 拳がルーラーの顎を捉えんと迫る。しかし掌に受け止められ届かない。受け止めた相手を掌に包んだまま、もう一方の腕を振りかぶる。

 対するアーチャーがとったのは地面を勢いよく踏みつけることだ。それにより先程投げ捨てた矢が刺激され、内包していた呪いを爆発させる。

 ルーラーは攻撃を中断して回避、爆風に乗じてアーチャーもまた距離をとる。

 

 そしてその瞬間に生じる隙を逃さず、アーチャーは多量の矢を展開、一斉に射出する。ルーラーが接近を選ぶ中、対するアーチャーが真名を解放する。

 

「我が手の下に響き渡れ──『引き劈くは叫喚の聲(ソロヴェイ・クリチャーチ)』ッ!」

 

 ソロヴェイの怨嗟が引き起こす連鎖爆発。呪いが吹き荒れ、爆風が踊る。その中をルーラーは駆け抜け、一気に目標のサーヴァントたち目掛けて飛びかかる。抜けた先に待ち受けていた獅子と一角獣をむしろ蹴り飛ばして勢いを増し、次の瞬間には抱えられていたキャスターが腹を蹴りあげられ、上空へ放り出されていた。

 

 令呪の束縛は残っている。身動きを取れないまま、内臓が傷ついたことによる血を吐くキャスター。ルーラーは止めを刺すべく飛び出し、アーチャーはそれを阻止しようと矢の雨を放つ。それが躱されたとみると、すぐさまルーラーの脚に取り付き引きずり下ろそうとする。

 

「そいつから離れなさい、トカゲ!」

 

「すでに入力された命令を阻害する命令はお受けできません。それに私はトカゲではなく、ヘビです」

 

「そんなのどうだっていいわ。元より力ずくでやるつもりなんだから!」

 

 鱗に覆われた脚を掴んで振り回し、思いっきり投げ飛ばした。そうして地面にルーラーを叩きつけると、宙を舞っていた少女を受け止める。

 

「救出感謝します……ですが、このままだと恐らく私たち」

 

「アレを止めきるのは無理ね」

 

「はい……ですので、そろそろ一気に畳み掛けるべきかなぁ、と」

 

 アーチャーは頷いた。そして、着地の瞬間を狙い向かってくるルーラーのハイキックを片腕で受け止める。骨が軋むのが伝わってくるが、関係ない。腕が折れようとも戦うのが英霊だ。

 続く連撃をどうにか防ぎつつ、静かに始まるキャスターの詠唱を待つ。

 

「此処は歪曲の庭。ゆえに科学は戯言(ざれごと)、魔術は寝言。幻想こそが理にして、この目に映るものこそが真実なり。

 なればこそ『幻視者(アリス)』の名のもとに、其は影を喰らいて這い(いづ)る!

 さあおいで、『燻り狂える水蜥蜴(Frumious Bandersnatch)』!」

 

 キャスターの体に多大なる負荷をかけつつ、魔力によって構成されていく影。3メートルを越す体躯を持ち、鱗は金属のような光沢で、その黄緑の瞳はルーラーを敵として捉えていた。

 

 キャスターの宝具『虚を語る歪曲の匣(アリス・イン・ワンダーランド)』は、彼女の脳裏に広がる世界より、幻想の住人を呼び寄せる宝具である。正確にはそのものではなく複製品に過ぎないが、それでもそのランクが高いならば詠唱による励起を必要とし、彼女の負担も高くなる。

 バンダースナッチとして現れるそれ(・・)は、幻獣や神獣といったランクで測ることのできない存在だ。ゆえに、ルーラーに対抗出来る可能性を持つ。

 

 彼はルーラーを獲物とみなし、サーヴァントたち以上のスピードで動き出す。アーチャーの攻撃が避けられた瞬間、ルーラーが攻撃に移る直前に乱入し、その燻り狂う顎にて彼女の腕に食らいつく。

 さらにアーチャーはそこへ矢を投擲し、炸裂させた。ルーラーはバンダースナッチを盾にするが、彼は平たい尾を勢いよく叩きつけ、ルーラーの体勢を崩す。

 

 さらにそれを好機とみたキャスターにより、馬に乗った騎士がどこからともなく現れ、突撃を行った。正面から食らったルーラーはバンダースナッチごと跳ね飛ばされ、後方に背中から着地した。

 

 すかさずバンダースナッチは牙を離し、今度は喉に首を伸ばす。対するルーラーはその頭部を掴んで阻止し、脚力のみで起き上がると同時に追ってきていた騎士に叩きつけた。

 騎士は消えるが、バンダースナッチはまだ生きている。頭を掴まれた状態から首を伸ばし、全身を鞭のように使ってルーラーを狙う。対するルーラーも二度同じことをやられるようなサーヴァントではなく、胴を踏みつけて動きを封じる。

 

 そこを狙うのはアーチャーの『引き劈くは叫喚の聲(ソロヴェイ・クリチャーチ)』だ。ルーラーに回避を強い、回避した先にはキャスターの呼び出した幻想種グリフォンが待っている。高速の突貫を両腕でガードするルーラーだが、ソロヴェイの矢じりとバンダースナッチの牙も背後から迫っている。ルーラーは対処するばかりで攻撃に転じられていない。

 

 隙は十分。畳み掛けるなら絶好の機会である。キャスターから受け取った魔力を充填し、アーチャーは飛び上がった。

 

「頼みますよ、アーチャー!」

 

「ええ、これで決めるわ。

 我が名の下に荒れ狂え!

 ──『黄金を堕とすは天の雷霆(ピィエルン・グロザー)』ッ!」

 

 投擲された1本の矢が炸裂し、雷の雨となって降り注ぐ。範囲をルーラーのただ一点に絞り、大量の雷撃が一斉に飛来する。

 バンダースナッチとグリフォンは発動の直前にキャスターの指示を受け退いている。ルーラーにはすでに逃げ切るだけの猶予は残されていない。逃げる姿勢も見せていない。雷撃は眩く光を放ちながら、少女の眼前へとたどり着く。

 

 ──その瞬間、空間に突如『()』が現れた。

 

「第一宝具解放。

 『天雷届かぬ凪の洞(コーリュキオン・アントロン)』」

 

 孔は雷を飲み込んだ。激しい魔力の奔流は、暗闇の中に吸い込まれ、そして帰ってくることはない。

 呆然とするアーチャーとキャスターを前に、ルーラーは立ち上がった。

 

「どうやら、運が悪かったみたいですね。雷神の一撃にも迫る宝具なんて、私でなければ貫かれていたと思います。

 あくまでも、私でなければ、ですが」

 

 ダメージを受けている様子などまったくなく、彼女は柔らかな声色で語った。

 

「あなたの全力に敬意を表し、私も全力で参ります。

 ──第二宝具、限定解放。星間飛行装置、駆動」

 

 神代の気配とともに、ルーラーの頭上には黒い光が集積してゆく。やがてひとつの球になろうとするそれは、規格外の宝具に違いない。

 

 先の言葉は称賛だったのか、それとも侮辱だったのか。それをアーチャーが判断しきる前に、本能が危険信号を鳴らしていた。咄嗟にキャスターを放り投げ、驚く彼女に一瞥することもなく、アーチャーはルーラーに飛びかかる。

 

「終着削除。目標固定──」

 

「っ、させる、ものですか──!」

 

「──神託を下します」

 

 黒い光が迸る。鏃を手にした少女は飲み込まれ、光の中に消えていく。

 

 ◇

 

 ──光が晴れた後、そこにアーチャーはいなかった。呆然とするキャスターと、彼女を見下ろすルーラーがいるだけだ。聖杯は祝福するように脈動しており、たった今最初の脱落者が現れたことは想像に難くなかった。

 その様を見ていたドロレスは唖然とする他になかった。予測を超えた事象が多すぎる。アサシンが現れてから、すべてが計算外の連続だ。

 

 一方の明日菜は、激しい魔力消費による眩暈と疲労に襲われつつも、笑いを抑えられずにいる。

 兄への報復でも狙っているのだろうか。ドロレスには測りかねた。

 

 その明日菜は振り向き、にやついたままで話しかけてくる。

 

「令呪でキャスターを逃がしたらどうですか? このままだとやられちゃいますよ、私のルーラーに」

 

 ルーラーの性能は規格外だということを知り、キャスター程度が生き残っても障害にならないとの判断か。

 

 しかしこのままルーラーに襲われればキャスターとてひとたまりもないのは事実である。せめて彼女を脱出させなければ、ドロレスの師の夢は叶わない。

 このわずかな好機は、なによりもキャスターのために使うべきだ。

 

「令呪を以て命ずる。キャスター、ここから脱出せよ」

 

 令呪の魔力が彼女を突き動かし、グリフォンとともに上空へ飛翔、天井を破り外界へと離脱してゆく。

 ルーラーは追おうともせず、ただその光景を眺めているばかりであった。

 

「ちゃんと逃げられましたね。おめでとうございます。

 ああ、でも、ドロレスさんは動けないんでしたっけ。あーあ、残念」

 

 明日菜の言う通りだ。問題は、レイラズの作り上げたあの礼装だ。あれがある限り、明日菜はドロレスを支配下に置き、令呪を強制的に使わせることさえ可能なのだ。

 その状況が変わらない限り、聖杯は手に入らない。

 

 ドロレスは師のため、じっと耐え忍ぶと心に決めるのだった。



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結界内部
聖騎──シャルル・パトリキウス


EXTELLA Link未プレイの方はぜひ、今回登場する彼のビジュアルを検索してお楽しみくださいませ。


 ベルチェが目を覚ますと、目の前には一面の青空が広がっていた。

 

 どうやらここはどこかの知らない都市で、自分はそこに寝転がっているらしい。爽やかな春風がベルチェの頬を撫でている。

 柔らかな陽射しが降り注いでいて、地面は石畳だが、このまま目を閉じれば心地よく微睡むことができそうだ。

 

 だんだんなにかを考えるのが億劫になってきて、目蓋が重くなって──

 

「起きろ、マスター。オレだオレ、アンタのサーヴァント」

 

「……む?」

 

 ぼんやりする視界に鎧姿の少年が現れたことで、ベルチェはなんとか居眠りしてしまう直前で踏みとどまった。起き上がり、頬を叩いて意識をはっきりさせた。それから、どうしてこうなったのか記憶の糸を手繰る。

 

 ──ベルチェたちは大空洞から聖杯の触手に追われ、地上まで逃げていった。しかし、その直後、地面をぶち抜いて現れた不意打ちの触手に捕まり、そこで意識を失った。そのはずだ。

 本来の天気は重苦しい曇りであり、このような清々しい晴天などではなかった。

 

「となると……ここは聖杯の中なのか?」

 

 ランサーが言っていた。聖杯の奥底に結界らしき気配があると。

 なにしろ、あの聖杯は見た目こそ冒涜的だが、計り知れない莫大な魔力リソースの塊であることは確実だ。この程度の空間を維持することなど、造作もないだろう。

 

 ベルチェはセイバーの手を借りて起き上がり、付近を見回した。ランサーや生き物係の姿はない。どころか、一切の人影がない。セイバーとベルチェ、世界にふたりっきりで取り残されたようだ。

 

 また、周囲には石造りの街が広がっており、中世ヨーロッパの雰囲気を感じさせる。

 

「これはどういう結界なのだろうか」

 

「……魔術的なことはわからないが、オレにとっちゃ見慣れた景色だな」

 

 セイバーが指したのは正面にそびえ立っている豪華な宮殿である。他の建物も周りにいくつかあるけれど、明らかに目立っていた。十二勇士がひとりオリヴィエにとって、ということは、あれがかの大帝シャルルマーニュの居城ということになるのだろうか。

 

「オーケー、では善は急げだな。進もう」

 

「……行くのかよ、結局」

 

 元の世界に戻る手がかりも何も無いいま、まずすべきことといえば探索である。立ち止まっているより有益だ。

 ベルチェはセイバーを先導しながら歩き出す。石畳にパンプスの音をこつこつ立てながら、宮殿へと真っ直ぐに向かっていく。

 

「しかし本当に王がいたらどうしようか。礼儀知らずで斬り捨てられたりしないだろうか」

 

「アンタがそれを言うのか? ま、仮に王様がいたとしたら、マスターとはすぐに仲良くなれるだろうけどな」

 

「そっか。それは楽しみだ」

 

 気を紛らす雑談を交えつつ、やがて宮殿の前にたどり着くベルチェたち。衛兵の類いはまったくおらず、二人を待ちわびているかのように口を開けている。

 ベルチェは迷わず踏み込んだ。セイバーもそれに続き、静寂に靴音と鎧の金属音ばかりが響く。

 

「ええっと、王の間は?」

 

「こっちだ」

 

 セイバー曰く、奥に祭壇があり、王が待っているとすればそこらしい。彼に従い進んでいくと、ふと、その瞳がどこか憂いを帯びているように見える。

 

「どうかした?」

 

「……いや、なんでもねえよ。懐かしんでただけだ。ま、あの王様は遍歴騎士やってたからな、あんま一箇所に留まってたわけじゃないんだが」

 

 そう誤魔化すセイバーは、やはりいつもの調子ではない。なんとなくそんな気がしてならなかった。

 

 そのまま赤絨毯の上を行き、やがて大きな広間に到達する。ここまで来て、ベルチェはその世界で初めて、セイバー以外の人間の姿を目にした。

 

 整った顔立ち。黒髪に銀のメッシュ。身に纏うは白銀の鎧。その姿はまさに聖騎士の体現だと言える。

 間違いない。彼こそが十二勇士を率いるフランクの王──シャルルマーニュなのだろう。

 

 ベルチェは目を丸くし、思わず駆け出し、右手を差し出した。

 

「シャルルマーニュさんですよね!? ファンです! 握手してください!」

 

「俺のファン! いやあ嬉しいねえ、こんな可愛らしいお嬢さんに好いてもらえるなんて」

 

 ベルチェの突然の要求に、彼はわざわざ屈んで視線を合わせ、笑顔で応じてくれる。手にインナーのしなやかな感触が伝わり、一種の感動を覚える。

 さすが王様、懐が広い。

 

「お嬢さん、名前は?」

 

 そして、彼の透き通る瞳がベルチェに向けられた。目の前の圧倒的な顔面偏差値を誇る好青年に対し、さすがのベルチェもドキッときてしまう。

 一度深く吸って、吐いて、呼吸を整えた。そうして心の準備を済ませ、それから口を開く。

 

「……私はベルチェ・プラドラム。セイバー、オリヴィエの現マスター。息子さんはお元気にやってますよ、お義父さん」

 

「お義父さん!?」

 

「おぉ、マスターさんだったか。こりゃどうも、うちの息子が世話になってるみたいで」

 

「アンタの息子になった覚えはないんだが!?」

 

 先の対応からもしかしたら付き合ってくれるかもしれないと、ベルチェは少しふざけてみた。するとセイバーもシャルルマーニュも綺麗に乗ってくれる。

 それもそのはず。彼の統治した王国、即ちフランク王国の人々は『フランク』が『遠慮のない、隠し立てをしない』気質を表すようになった由来なのだ。

 ベルチェは嬉しくなった。

 

「しかし……なんで王様が聖杯の中に? サーヴァントにまでなって顔見知りと会うとか、思ってなかったんだが」

 

「あぁ、俺もだ。っていうかオリヴィエ、見ないうちにちっちゃくなったな! フィエラブラの三分の一くらいになってるぞ」

 

「巨人と比べたらだいたいの人間小さいだろうが……って、それはいいんだよ。

 なんでここに機動聖都(・・・・)があるんだ」

 

 しかし、セイバー──オリヴィエは再会を喜ぶよりも、むしろ問い詰めるような態度であった。

 対するシャルルマーニュも隠すつもりはないようで、セイバーのことを宥めつつ、窓辺を指した。

 

 駆け寄って外の景色を見ると、どうやらこの都市はなにか海のようなものの上を飛行しているらしい。今、ベルチェたちは空中要塞にいるのだ。

 

 では、その下の海とは、一体なんなのだろう?

 少し身を乗り出して目を凝らすと、それが見てはいけないモノであることがわかってしまう。

 

「……ッ、んだよ、アレは」

 

「行き場のない魂の群れ……だろうか。混ぜ合わされて発狂しているふうに見えるな」

 

 これでも時計塔の降霊学科に所属していたことのある人間だ。彼らがどれだけの苦痛を味わっているか、ある程度の想像はつく。

 

「オリヴィエ、ここはあんたのために作られた世界だ」

 

「オレの……?」

 

「あぁ。聖杯は呑み込んだ相手の願いを強引に叶えようとする。しかし、サーヴァントの魂はまだ集まりきっていない。だからこうして、できる範囲で実現しようとしてるんだろうな」

 

 セイバーの、オリヴィエの抱く願いに反応し、シャルルマーニュは呼び出されたという。

 そういえば、ベルチェはまだ彼に尋ねていなかった。なんのために聖杯を求め、召喚に応じてくれたのか。

 その答えはわからぬまま、王は見透かしたように言い放つ。

 

「悩んでるだろ、おまえ」

 

「──ッ!」

 

「オリヴィエが底抜けのイイ奴なのはよく知ってる。あぁ、あんたなら思い詰めちまうだろうさ」

 

 セイバーは目を見開いた。当たっていたのだろう。シャルルマーニュは頷き、そして腰に備えていた聖剣ジュワユーズを引き抜いた。

 

「王様ってのは導くもんだ。

 ──さあ、剣を執れ、オリヴィエ。騎士らしく、剣で語り合おうじゃねえか」

 

「……そうだったな。アンタはそういう奴だよ、シャルル!」

 

 セイバーもまた、宝剣オートクレールを手にし、構えた。刃を通じて初めて伝わることも、きっと騎士たちにはあるのだろう。

 ベルチェは対峙する二人を目の前にして、固唾を飲んで見守るしかなかった。



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剣戟──ジャスティス

 互いに聖剣を手にし、構えるはオリヴィエ──セイバーとシャルルマーニュ。二人の騎士の間に涼風が吹き抜け、前髪を揺らし、そしてその瞬間に戦いの幕が開く。

 

 先に仕掛けたのはシャルルマーニュの方だ。上段から振り下ろし、セイバーがそれを受け止める。

 現界した肉体の差によって、体格はシャルルマーニュが勝っている。しかしセイバーは斬撃を受け止めきり、踏みとどまった。

 

「アンタ……本当は戦える状態じゃないくせに……!」

 

「あぁ。今の俺はクラスすら与えられてないサーヴァント未満。だが迷ってる騎士にやられる俺じゃない。

 オリヴィエにしちゃ、反応速度が遅すぎるしな」

 

 剣に力を込めて相手を弾き飛ばし、セイバーはがむしゃらに剣を振るった。当たるはずもなく空を切り、その隙を突き氷を纏った竜巻が彼を襲う。回避しきれず吹き飛ばされ、少し離れた場所に着地する。

 

「くっ……!」

 

 すぐさま立て直し、起き上がりざまに反撃の魔力を飛ばすセイバー。対するシャルルマーニュは地の元素を纏う叩きつけにより発生した岩石でそれを防ぐ。

 ステータスには明らかな差があるが、そのうえで対応されている。さすがは勇士を束ねる王、といったところか。

 しかしセイバーも聖騎士だ。その程度で折れる人物ではない。

 追撃に相手が放つ炎に黒い魔力波をぶつけ、その軌道を辿るように走り出す。飛来する氷塊は斬り捨て、一気に距離を詰めて切りかかる。

 

 ──だが、その一撃はシャルルマーニュを傷つけない。セイバーが振り下ろす瞬間に一瞬躊躇い、その隙にジュワユーズの刀身がセイバーの鎧を叩く。鎧は砕けなかったが衝撃に体勢が崩れ、そのまま刃が首に突きつけられる。

 

「……やっぱりな。優しすぎるんだよ、おまえ」

 

 シャルルマーニュの言葉に、セイバーは答えない。突きつけられた刃に己の持つ聖剣をぶつけ上空に弾き飛ばし、魔力の刃を放つ。黒の奔流は迎撃の風の元素と打ち消し合った。

 

 上空から降ってくる愛剣を掴むシャルルマーニュ。直後、彼は踏み込み、再びセイバーと剣をぶつけあった。そのまま流れるような剣技を繰り出し、対するセイバーも技の隙から反撃にかかる。

 

 互いに衝撃を逸らし、一歩も退かない攻防が続き、ここまで互いに大きな傷はない。

 

 ──そんな剣戟の中で突如、シャルルマーニュは肩口を切り裂かんとする刃に対し、防御を捨ててみせる。

 俺を斬ってみろ、と言わんばかりに剣を下ろし、不敵な笑みを浮かべたままセイバーを見据える。

 対するセイバーはオートクレールを振り上げ、そしてそのまま止まった。歯を強く食いしばり、それでも彼を斬ることはできないと、視線を落とす。

 

 そこへ容赦なく放たれる反撃の逆袈裟斬り。ゆっくりで、非常に大振りだった。にも関わらず、セイバーは咄嗟に回避できず、身構えるのみだった。

 

「セイバーッ……!」

 

 その光景を見ていたベルチェが思わず鎖を伸ばす。セイバーの体にひっかけ、思いっきり引っ張り込む。斬撃の軌道から外れながら、彼はベルチェに引っ張られるまま、覆い被さるように倒れ込んだ。

 

「……っと、セーフ。間に合った」

 

 無い胸を撫で下ろすベルチェに、驚き目を丸くするセイバー。彼は慌ててベルチェの上から避け、地面に寝転がっているのを助け起こしてくれた。しかし、彼は口を開こうとしない。

 

 衝動的にやってしまったが、やはり出過ぎた真似だっただろうか。

 なんて不安になるベルチェに対し、シャルルマーニュは追撃ではなく、言葉を寄越してくれる。

 

「オリヴィエ。城はひとりで建てるもんじゃない。聖杯戦争も、ひとりで戦うもんじゃねえ。

 勝手に悩むくらいなら、全部話しちまえよ。俺なんかじゃなく、マスターさんにさ」

 

 ベルチェがセイバーに視線を向け、彼もまたこちらを見る。すぐにセイバーは視線を落としてしまったが、深呼吸を一度した後、か細い声が聞こえた。

 

「オレの願いは……十二勇士の冒険譚を真実にすることだ」

 

「真実……?」

 

「オレたちの時代には聖剣も、魔獣も魔女も存在しない。冒険譚は全部虚構なんだ。

 確かにオリヴィエは大帝の部下で軍人だった。でもな……あの最高のバカどもと笑いあった記憶は、真実じゃないんだ」

 

 今度はベルチェが驚く番だった。遺物として目にすることの出来る神代の残滓や数多の神秘の存在が、そして何より目の前で生き、戦うセイバーの姿が、叙事詩を歴史の中にあるものだと思わせていた。

 

 だが、彼にとってはそうではない。史実を生きたオリヴィエと、聖剣を手にしたオリヴィエは別物なのだ。そのうえ、彼はそれを理解してしまっている。

 その乖離は激しいものだろう。どれだけ楽しかった記憶だろうと、どれだけ悔しかった思い出だろうと、全てが作り話なのだから。

 

 しかし、セイバーは思い詰めた表情のまま続ける。

 

「……だけど。それは所詮オレの願望だ。

 苦しむ誰かを……聖杯にされた子供たちを助けるための願いじゃない」

 

 ──ベルチェはやっと納得した。彼はあの苦しむ魂たちを見過ごせずにいるのだ。それも、己の願いと天秤にかけるほどに。

 シャルルマーニュの言う通り、彼は優しい人間だ。少なくとも、あんなものを作る魔術師たちや、ほんの気の毒にしか思わなかったベルチェより、ずっと。

 

 しかし、ああなったものを引き剥がして元の人間に戻すなんて芸当、ベルチェ程度ではできっこない。そのうえ犠牲者は数千人単位。そんな願いは奇跡の領域と言ってもいいだろう。

 

 そう思考する途中で、ふとベルチェは思い当たる。

 ──奇跡なら、ちょうどあるじゃないか。

 

「決めた。私はセイバーの夢を応援する」

 

「おい、それじゃあ」

 

「私に願いらしい願いはない。だから、私のぶんを使って、聖杯に聖杯そのものの救済を願う。

 これで完璧じゃないか?」

 

 あれが本当に万能の願望器であれば、願望器そのものを解体し、犠牲者たちに普通の人生を送らせることだって可能なはずだ。

 

「……そんなのアリかよ」

 

「アリだとも。ルーラーを含め、我々の他には7騎のサーヴァントがいる。そのすべてと戦いたくはないが……子供たちを救いたいと願う者もまた、我々だけじゃないと思いたい」

 

 多少強引かもしれないが、どうせ目指すならできる限り最善のハッピーエンドを目指すべきだ。願いを抱えて戦うのなら、欲張りなくらいがカッコイイ。

 

「セイバー。貴方の願いを現実にしよう。私はその史書を、子供たちと共に読みたい。

 ──だから、戦ってくれるか?」

 

「……あぁまったく。断るわけがないだろ。

 改めて言わせてもらうぜ……オレはアンタの剣だ」

 

 差し出した手を互いに握りしめ、続けて拳を突き合わせ、約束とした。これで、ベルチェはセイバーと共に背負うものができた。それは嬉しいことで、胸の内がなんだか熱くなるのを感じる。

 

「話は決まったようだな」

 

 セイバーとの対話を黙って見ていたシャルルマーニュが、ついに口を開いた。そしてベルチェとセイバーの肩を同時にぽんと叩いたかと思うと、なにもない場所に向けてジュワユーズを抜き放ち、少し先の空間を斬り裂いた。

 

「よっ、と。あそこから結界の外に出られるはずだ。

 カッコイイ冒険譚、期待してるぜ」

 

 裂け目の向こうには見慣れたホテルの景色が見える。拠点への直通コースを作ってくれたようだ。

 

「行こう、セイバー」

 

「あぁ、マスター!」

 

 今のベルチェには戦う理由がある。セイバーの手を取って、彼を引っ張って、出口に駆けていく。

 

 やがて体が裂け目に触れる。吸い込まれるような感覚がして、視界は大きく変わりゆく。

 

 けれど、その中でもセイバーの手の感触は変わらなくて。

 ベルチェは外界にたどり着くまで、不思議な安心感の中にいるのだった。



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監獄──ブラッドレッド・ハート

 ──閉ざされていた目を開き、レイラズが最初に見たのは汚れた天井だった。天然の洞窟とは違う人工物の質感で、なにかの液体がこびりつき変色している。

 恐らくは乾ききった血液だろう。それもひとりぶんではなく、(おびただ)しい量だ。

 

 さらに視界の端には鉄格子が映り、レイラズはこの場所が地下牢だと理解した。

 さらに、一昨日夢に見た景色と一致していることも認識する。ということは、ここはエリザベートの居城、チェイテ城なのだろうか? 

 

 レイラズは自分の手を握っては開き、それから上体を起こし、自分の体がしっかり動くことを確認する。

 着ているコートもそのままで、衣服は乱れていない。仕込んだ礼装はいくつか紛失しているが、最低限戦闘を行えるだけは残っている。

 残念なのはドロレスたちを従えられる自信作がなくなっていたことだが、それを悔やんでもしょうがない。

 

 ついでに、儀礼用のナイフで少し腕を傷つけ、夢でないことも確かめる。切りつけた瞬間鋭い痛みを感じ、しっかり出血している。これは夢ではない。

 

 しかし、ここはどこなのだろう。レイラズは大聖杯から伸びた触手に飲み込まれた、ような。

 

「ようこそ、チェイテ城へ。歓迎するわ、レイラズ・プレストーン」

 

 振り向くとそこにいたのはひとりの少女。赤い髪をした、見知らぬ女の子だった。

 

「こうして顔を合わせるのは初めてだね。なんだか少し嬉しいかも」

 

「……あ、貴女は……?」

 

「うーん、名前は自分でも忘れちゃった。

 そうね……『ローラ』としておきましょうか。えぇ、それがいいわ」

 

 偽名として、彼女はローラを名乗った。そんな名前の知り合いは心当たりがなく、レイラズは懐疑の視線を向ける。

 

「……どうして、私の名前を知ってるの?」

 

「あの子の()で聞いていたの」

 

「……ここがチェイテ城って、本当?」

 

「正確には、当時を再現した結界ね。聖杯の中だもん、魔力をつぎ込めばどんな景色だって再現できちゃう」

 

 周囲を見ても、レイラズとローラはともに牢に入れられていることくらいしかわからない。

 濃密な魔力の気配は確かに感じるが、一方でアサシンの姿はどこにもなかった。

 

「そうピリピリしなくていいのに。ただ、あなたとお話したいって思っただけなんだから」

 

「……お話?」

 

 こんな初対面の人間と話すようなことはないはずだ。そう思いつつ、半ば睨むようにローラの顔を見た。薄暗いせいか、その姿は少しぼやけ、細部はよく見えなかった。

 レイラズは彼女が何者か、まだ掴めずにいる。

 

「──ねえ、レイラズ。エリザベートは可愛いでしょう?」

 

 そんなローラから放たれた言葉は、予想外のものだった。敵意の表明でもなければ、交渉を持ちかけているわけでもない。彼女はただ、彼女の抱く感情を言葉に乗せているだけだ。

 呆気に取られ返事をせずにいたレイラズに対し、ローラは続ける。

 

「だって、あの子はね。

 子ブタのように盲目で、子リスのようにがむしゃらで。

 子イヌのように道を間違えて、子ジカのようにか細く泣いて。

 そして、ドラゴンのように激しくて美しい。

 あんなに完全で不完全な女の子、わたしたちは他に知らない」

 

 ローラはその不明瞭な目を輝かせて語っていた。それは殺人鬼エリザベートへの恋情だ。愛を歌うには血に汚れすぎた監獄城の地下に、少女の感情たちが響く。

 そして──その感情の群れは、レイラズにも理解出来るものだった。思わず小さく頷いたのを、ローラは見逃さない。にこにこと、同意を求めてくる。

 

「そうでしょう、そうでしょう?」

 

「……う、うん。た、確かに、彼女は可愛らしいって、思うけれど」

 

 レイラズはエリザベートに憧れて彼女を召喚した。彼女の在り方は、レイラズの傀儡みたいな人生からは輝いて見えた。てらてらと光る、生暖かな鮮血の色に。

 

「ローラ、貴女は、エリザベートのなんなの」

 

 少しばかりの嫉妬を込めた問いに、目の前の少女は楽しそうにくるくる回って、レイラズから儀礼用ナイフをひったくると、自分の腕を傷つけてみせた。奇しくも今のレイラズと同じ傷だった。

 

「わたしたちはあの子にたくさんお仕置きされた。召使いだったわたしたちは、ある日エリザベートの折檻で血を流したの。こんなふうに。あぁ、もっと勢いよくなくちゃ。

 こうすれば、いいかな?」

 

 ローラは躊躇いなく、もっと深く傷をえぐった。わざわざ己の出血を悪化させるような真似をして鮮血を飛び散らし、レイラズの手の甲に付着させる。

 すると、彼女はまた嬉しそうに、その返り血をちぎったエプロンの裾で拭う。

 

「ほうら、綺麗になったでしょ?」

 

「……まさか、これって」

 

「そう。わたしたちはエリザベートの侍女で、農民の娘で、貴族の娘でもあるわ。

 彼女に殺された被害者の誰か。彼女に恋をしてしまった無名の犠牲者の成れの果て。

 それがわたしたちだもの」

 

 折檻した侍女の返り血により、エリザベートは処女の生き血こそが美貌を保つために必要なモノだと思い込んだという。ローラが実演してみせたのはそのエピソードに違いない。

 それはつまり、目の前にいる存在──幻霊『ローラ』とでも称するべき存在が、エリザベートの被害者の集合体であることを示している。

 

 なるほど。とすれば、ローラは小説『カーミラ』の主人公の名であろう。作品においてローラは、女吸血鬼に恋をした少女だ。

 同じようにエリザベートを恋慕する彼女たちが名乗るにはうってつけの名だといえる。

 

「……と、いうことは……あの子の霊基に混ざってるのは、あ、貴女たち、なのね」

 

 彼女の言動から判断すると、エリザベートの意識が混濁しているのは、大量の人間の集合体であるローラが入り込んでいるからだろう。

 そしてその予想が正しいかはすぐにわかることとなる。腕から流血したままのローラが答えを述べるからだ。

 

「そうよ、わたしたちの仕業。

 あの子が罪に向き合わないための枷なんだから」

 

 その答えを聞くや否や、レイラズは衝動的にローラへと詰め寄っていた。彼女が振り上げる前にナイフを奪い返し、エリザベートがそうするようにその胸に突き立てた。

 

「っ、痛い──」

 

「わ、私もたぶん、貴女たちと同じ、だと思う。あの子に恋をしてしまった、哀れな子ヤギ。

 だ、だからこそ……私は、貴女たちを、こうしなくちゃ」

 

「痛いわ……また、殺される、のね、わたし……」

 

 胸にナイフが突き刺さったローラは、血の海を作りながら倒れる。

 

 苦しむ彼女は本当のエリザベートじゃない。混濁も幼児退行もしていない彼女に会いたい。レイラズの中に浮かび上がったのはそういう衝動だった。

 元々、エリザベートから混濁の原因となるスキルを引き剥がすために聖杯を起動したのだ。こうするしかない。

 

 それに何より──ローラのことが羨ましかった。殺人鬼じゃなかったころのエリザベートを、レイラズが知らない彼女を、ローラの中の誰かは知っているんだから。

 

 けれど、ローラの声は今度は背後からも聞こえて来る。その細部のぼやけた姿が現れる。

 

「わたしたちをどれだけ殺しても無駄だよ。わたしたちはもうエリザベートに殺されているもの。

 この体だって誰かをベースにしただけの仮初なんだから」

 

 レイラズにも、それが無意味な行動とわかっていた。だけれど、目の前に転がる犠牲者の残りかすは、彼女に覚悟をさせるには十分な光景だった。

 

「……私も、貴女たちみたいになりたいな」

 

 ──その歪みきった呟きを以て、聖杯はローラの願いは叶えたと判断する。チェイテ城を模していた空間は崩壊し、魂の海がレイラズを再び飲み込んで、今度はどこかへ吐き出していく。

 

 もはやその最中に脳裏へと響いてくる、聖杯にされた者共の怨嗟の声など、レイラズにとっては雑音に過ぎない。

 彼女の目蓋の裏には、アサシンの姿ばかりが浮かんでいるのだから。



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再会──ブロークン・クラスガール

 ベルチェやレイラズが聖杯の中で奮闘している頃。同じように飲み込まれてしまった生き物係少年もまた、結界に囚われていた。

 

 彼が目覚めた場所は屋外だ。ふかふかした芝生が頬を撫でる感触で目が覚める。そこには知らない草原が広がっていて、生き物係はそこにぽつんとひとり寝転がっていたらしい。

 無論周囲には誰もおらず、ベルチェやセイバー、さらにはランサーの気配さえも微塵もなかった。

 

 指示を出してくれそうな相手はどこにもいない。これでは、なにをすればいいかわからない。

 そう思った生き物係はその場に座り込む。指示がないのだから動けなくて当然だと、誰かが自分を見つけてくれるのを待った。

 

 ──そのまましばらく時間が経ってからのこと。

 

「やっと見つけたわ、生きてる人間」

 

 短いスカートから覗く赤と白のストライプ。小夜のそれよりもその存在を主張する胸元。病的に白い髪色と肌色。

 その特徴的な容姿から、彼女があの大空洞での戦闘に乱入して現れたサーヴァント──アサシンであることは、見てすぐに理解出来た。

 ただ、アサシンはこんなに気の強そうな目付きや自信に満ちた表情だっただろうか。少しだけ違和感があった。

 

「あら、なんで(アタシ)がここにって顔してるわね。

 ところがそれ、ぜんっぜんわかんないのよ。なんだか嫌なことをされていたのは覚えてるんだけど……」

 

 残念ながらアサシンにもこの場所がなにかはわからないらしい。それでも、指示を出してくれる相手が現れたのだから、生き物係にとっては安心だ。

 彼は差し伸べられた手を躊躇いの欠片もなくをとり、彼女に助け起こされることを受け入れた。

 

「まったく、どこなのかしら、ここ。

 なんとなく魔力とか魔術とかの気配はするんだけど、曖昧なのよね。

 貴方、魔術師? なにかわかるかしら」

 

 魔術の授業は受けていたけれど、生き物係では魔力の気配が濃いことしかわからない。首を振って答えると、アサシンはあっさりと切り替え、次の問いを口にした。

 

「そういえば貴方、名前は?」

 

「……生き物係です」

 

「へぇ、生き物係。ウサギとか飼ってそうな名前ね」

 

 アサシンの言う通り、実際ウサギをお世話していた。だけど、その孤児院はもう壊されている。先生も生徒ももう残っていないのだ。

 

 そうして生き物係が言葉を詰まらせていると、アサシンは怪訝そうにじろじろと顔を見回し、やがて手を掴んできた。

 

「辛気臭い顔してるくらいなら歩きましょ。人間(ギャラリー)が貴方ひとりじゃ、私も歌いがいがないもの」

 

 周囲は草原で、見える影は木々のものがいくつかある程度。人の気配などなく、見知った場所にたどり着く宛などどこにもない。けれど、アサシンがそう命令するのなら、生き物係はそれに従うだけだ。

 

 ◇

 

 ──結界の中にはもうひとり、迷える少女が存在していた。親に与えられた名はなく、支配者に与えられた「委員長」の役割を己の渾名とする少女だった。

 彼女は自分の体が自分の思い通りに動くことを知り、喜んだ。数日前──聖杯戦争開幕の日より、その自由は奪われていたからだ。

 

 しかし、喜びも束の間、彼女を絶望の事実が襲った。いくら瞼を開けても、その瞳は光を映さなかったのだ。そこが草原であることを理解することさえ叶わず、ふらふらよろめいて歩いた。

 

 永遠に続く暗闇の中を這いずって、委員長はやっとなにかにぶつかった。感触から樹皮だと判断し、寄りかかって体を休める。

 

「な、なんなの、一体」

 

 ため息混じりのつぶやきで、言葉を発することは可能だと気がついた。

 しかし、それで現状がどうにかなるわけではない。元々委員長は盲目ではなく、突如光をなくした彼女は闇に怯えて縮こまるしかない。

 

 そんな彼女の本能は、しばらくすると突如悲鳴をあげた。咄嗟に体を逸らすと、風を切る音とともに樹皮へとなにかが突き刺さる。

 それは矢だろうか。鋭く、明確な殺意であることはわかる。

 

「な、なによ、なんなのよ、あなた」

 

 なにもかも見えない中、風の音すらしない世界で弓を引き絞る音がする。間違いない。誰かが、委員長のことを殺そうとしている。

 

 逃げなきゃ。そう思って飛び出そうとして、足がもつれて倒れてしまう。矢は頭上を通過して、奇跡的に助かったものの、次に助かる保証はない。

 

「い、いや、やめてっ! 誰よっ、誰なのよ、あなた……っ!」

 

 返事はない。ただ強力な魔力と殺意の気配がするばかりで、見えない狩人が何者なのか、どうして自分が狙われるのか、理解できないまま逃げ惑うしかない。

 必死に立ち上がり、がむしゃらに走って、やがて足の腱が貫かれる。

 

「いっ……!?」

 

 足の機能を奪われれば、もはや逃走は不可能だ。委員長は倒れて這いずり、すぐに太腿への更なる痛みを覚えた。

 血が出ているのがわかる。もしかしたら、このまま殺されてしまうかもしれない。そんな考えが脳裏にこびりついて、息が苦しくなる。

 

 自分がなにをしたというのだろう。生き物係を無理やり従わせて、英霊召喚なんてやらせようとしたからか。ただでさえランサーに体を奪われていたというのに、それでもまだ罰を受けなくちゃいけないのか。

 

「誰か……助けてよ……」

 

 か細い呟きの直後、委員長のもとへなにかが飛来する。

 気配は2つ。ひとつは先程から委員長を狙って放たれている矢。そしてもうひとつは──とても強くて、底抜けに明るい気配だった。

 

「なんとか間に合ったわね。

 事情はよく知らないけど……せっかく見つけたファン候補。助けさせてもらうわよ!」

 

 元気な少女の声が響き、彼女は動き出した。槍らしき武器を振り回し、一気に突撃していくのがわかる。

 

「生き物係! と、そこの貴女も! 聞かせてあげるわ、(アタシ)の歌!」

 

 少女が草を踏みしめる音とともに、すぅ、と深く息を吸い込む音がした。そして放たれるは、破壊音波としか形容のしようがない振動兵器。

 

 委員長は慌てて耳を塞いで耐えた。それでも手のひらをすり抜けて耳に突き刺さる。どうか鼓膜よ破れてくれるなと祈りつつ、その終幕を待つ。

 少女の歌が終わる頃には、どうやら狩人もこの爆音リサイタルにはたまらず逃げ出したのか、委員長に向けられていた殺意の切っ先がなくなったような気がした。

 

「アイドルのコンサートから途中で逃げるなんて、失礼な人形だこと」

 

 なんて不満そうに漏らしつつ、少女は委員長のもとに戻ってくる。視界がないぶん、魔力をよく感じ取れる。彼女はサーヴァントに違いない。

 

「あ、あなたは」

 

(アタシ)はサーヴァント、アサシンよ。そっちにいる髪の長いのが生き物係っていうらしいわ」

 

 アサシンと名乗った少女が指しているのは恐らく、ちょうど駆け寄ってくる少年のことだろう。それは委員長のよく知る魔力パターンで、すぐに目の隠れた容姿が思い浮かぶ相手だった。

 

「あ、あの、委員長、ですよね」

 

 彼の声に、力なく頷いた。



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意志──カム・トゥルー

 アサシンに連れ回され、宛もなく草原を行く生き物係。しばらく歩き続けて、彼らはやっとの思いで人影を見つけた。

 

 ひとつはまさに影そのもので構成されたかのような黒い少女である。どことなくシルエットはアーチャーに似ているが、矢を投擲ではなく弓に番えている。彼女本人ではないらしい。

 

 そしてもうひとつはというと、生き物係にとっては見慣れた少女──委員長の姿だった。

 影のアーチャーが彼女を狙っているのは明白で、委員長は逃げ惑い、なんとかすんでのところで死を免れている状況だ。

 

「やっと誰かいたわね。それにあれ……シャドウサーヴァントかしら。

 さ、助けに行くわよ!」

 

 そう言って、アサシンは真っ先に飛び込んでいってしまった。

 生き物係の身体能力ではとてもその速度に追いつけやしないが、それが命令なら従うのみだ。彼女のもとまで走り、アサシンが影のアーチャーを追い払ってしまった後、ようやく生き物係は委員長のもとへと辿り着いた。

 彼女は地面に倒れ、息も絶え絶えであった。

 

「あ、あなたは」

 

(アタシ)はサーヴァント、アサシンよ。そっちにいる髪の長いのが生き物係っていうらしいわ」

 

 彼女は少年の存在に気がついていないようにきょろきょろとあたりを見回す。その瞳は曇り、光を映していないようだった。

 それに、胸の風穴も、全身に絡みつく植物もない。本当に彼女なのか不安になって、生き物係は小さく尋ねた。

 

「あ、あの、委員長、ですよね」

 

 少女は力なく頷く。その姿は怯えていて、まるで生き物係には会いたくなかったとでも言うかのようだった。

 

 目が見えていないらしい少女は、矢の突き刺さった傷から血を流し、弱々しく震えている。

 少年は少女に触れるのをためらい、その様を呆然と見ているしかない。

 

「生き物係。貴方、治療の魔術は使えるのかしら」

 

「……え、えと、はい」

 

 先生に習った魔術には、簡単な止血の魔術も存在する。それだけでは完全に傷を治すことはできないが、応急処置なら問題なく行使可能だ。

 

「それなら早めにやりましょ。こういう傷と悪質なファンは放っておいたら大変なことになるもの」

 

 アサシンが丁寧に矢を引き抜くのに合わせて、震える少女の体に術をかけていく。

 これだけで完全に傷が塞がるわけではないが、痛みは引いたようで、委員長の顔から少しだけ辛さの色が消えた。

 

「どうして私を助けるの……?」

 

 治療を受けながら呟かれたその言葉に、生き物係は首を傾げる。それから、アサシンに尋ねたのだろうかと思って彼女の方を見た。

 

(アタシ)? なんだか気分がよかったから助けただけよ。

 でも、その子が聞きたいの、私の言葉じゃないでしょ」

 

 その言葉に対して、委員長はなにも言わなかった。本当に、生き物係がなにか言うべきなのだろうか。恐る恐る口を開いて、事実を話すことにする。

 

「僕は……アサシンさんが助けようとしたから助けました」

 

 目の前で濁った双眸を見開く委員長。歯を食いしばって、拳を握りしめて、それから弱々しく生き物係の手を振り払った。

 

「……なんでよ。こうなったのは……貴方が聖杯戦争に巻き込まれてるのは、私が召喚なんてさせたせいじゃない」

 

 生き物係は首を傾げた。委員長は自分より偉いのだから、自分が委員長の命令を聞くのは当然だ。アサシンも、彼女は強いから、生き物係の方が従うのが正しい。

 それだけのことなのに、なにが気に食わないのだろう。首を傾げて考えるけれど、よくわからないままだった。

 

「とにかく。ここから出ることを考えましょ。

 貴方たちはどうやってここに来たのかしら。私、そのへんの記憶が曖昧なのよね」

 

「聖杯に呑み込まれて……ですが」

 

「聖杯!? ってことはここ、聖杯の中なの? デジマ!?」

 

 飲み込まれる前に、委員長が中に結界の気配があると言っていた。ということは、ここがその結界なのだと推察できる。

 

「でも、聖杯って願いを叶えるものなのよね? それなら、誰かの願いを叶えたら外に出られるんじゃない?」

 

 アサシンはそう言ってみせるが、だとしても、生き物係には特に望みがない。だから、脱出の手助けになることはできないだろう。

 

「……その願いを叶えようとしているのが、必ずしも私たちの中の誰かってことも、ないと思います」

 

 アサシンに対して、委員長は呻くように言った。

 

「あの弓使い……その、私を殺そうって、すっごく思ってました。それも、願いだと思います」

 

 殺意もまた、相手を殺したいという願いだと言えるのかもしれない。生き物係は自分では思いつかなかった解釈に、委員長はやっぱり自分より偉い役割なんだと再確認した。

 

 ──だけど、それだと委員長は殺されなければならない、ということになる。

 それは、なんだか、嫌だった。

 

 生き物係は無意識のうちにその正体不明の感覚が表情に出ていたらしく、アサシンは肩に手を乗せ、笑顔を見せた。

 

「それなら、私はあの目障りなシャドウサーヴァントをぶっ飛ばすのを願っちゃおうかしら。

 そして、貴方たちふたりを臨時スタッフに任命してあげるわ。光栄に思いなさい」

 

 委員長も生き物係も、しばらくは呆然とアサシンを見ていた。けれど、彼女が長い爪でびしっと指さしてきたことで、ようやく我に返る。

 

「二人は動かないコト。それと、ちゃんと話し合っておきなさい。ここ出るまでに、ちゃんと、ね」

 

 一方的にそう話し、傷ついた委員長に手を貸して立ち上がらせると、彼女は軽やかに出発する。進む方向はあのシャドウサーヴァントが逃げていった方向だ。

 

 歩いていると、やがて急に周囲の空気が張り詰める。静かな草原に弓を引き絞る音がわずかに響いて、その瞬間にアサシンは動いた。その手元に槍を構成し、飛来する矢を弾き飛ばす。

 

「来たわね……!」

 

 すぐさま次の矢を番え引き絞る相手に対し、アサシンは突撃する選択肢をとった。だが弓使いの狙いは変わらず委員長であり、迫り来るサーヴァントには目もくれない。

 そして放たれる矢は、アサシンが出現させた鉄の棺桶──アイアン・メイデンにより防がれた。さらに彼女は棺 鉄処女を蹴って跳躍し、上空から槍を振り下ろす。

 

 弓と槍が激突し、火花が散った。二人の力は拮抗しているようで、至近距離で鍔迫り合いとなる。

 

「……なぜ邪魔をする。私は復讐を遂げなければならない」

 

「ハァ? 復讐?」

 

「盲目は殺す。そのために私は生まれたのだ。知らぬ女の器に押し込まれようが、私という神性の存在理由は変わらない」

 

 弓使いの言葉に首を傾げるアサシン。次の瞬間には槍を受け止めたまま強引に矢を番えたのを目にして、慌てて飛び上がってその一矢を回避する。

 そしてすぐさま上空からいくつかの刃物を投擲して影にも回避行動を強い、着地のタイミングに合わせて本命の音響攻撃を叩きつけて怯ませた。

 

 そうして生み出した隙を突くように、彼女は脚の間から思いっきり槍を投げつけた。咄嗟に矢による迎撃が行われるも、着弾と同時に槍が爆発を起こし、弓の少女を吹き飛ばす。

 

 彼女は衝撃をまともに食らったらしい。一度地面にバウンドしながら転がっていって、アサシンとは大きく距離が引き離されている。

 

「復讐だかなんだか知らないけど……私たち、ここから出ないといけないわ。だから、倒させてもらうわ」

 

 アサシンの手元に再び現れる槍。彼女はそれを手に、敵の元へとゆっくり歩み寄っていく。

 しかし一方で、地面に寝転がる弓使いの表情は、悔しげでも諦観のものでもなかった。

 

「そろそろ、だ」

 

 アサシンは振り返り、弓使いの視線の先にあるものを視認する。上空にあるもの──それは鍔迫り合いとなった際、空へと向けて放たれた一本の矢だ。

 それはまさに委員長の頭上へと降り注ごうとしていた。

 

「……ッ!」

 

 生き物係はその瞬間、自分と委員長が戦場のすぐ傍に立っていたことを思い出した。そして思考が追いつくより先に、体が動き出す。

 駆け出して、飛び込んで、委員長のことを突き飛ばす。少女が弾道から外れ、その代わりに矢は飛び込んでいった生き物係の太股に突き刺さる。

 

 襲ってくるのは激痛だ。けれど、その激動の一瞬を終えた時、目の前には呆然とする委員長の姿が映る。

 彼女が無傷であるとわかり、生き物係は安堵したのだった。

 

「……結果オーライね!」

 

 アサシンは冷や汗を拭って、まだ委員長への殺意を向け続けるシャドウの攻撃を叩き落とし、その胸に槍を突き刺した。それが止めとなって、影の少女はほどけて消えていく。

 

 一方、呆然としていた委員長は、状況を理解すると同時に、瞳から涙をこぼしはじめる。

 

「い、嫌……また、また私のせいじゃない。や、やめてよ……また、私から奪っていくの……?」

 

 確かに、この傷は彼女を庇ったせいかもしれない。でも──。

 

「委員長のせいじゃ、ないです。僕が、勝手にやったことですから」

 

 ──今度は、命令されてもいないのに彼女を助けなくちゃと、思考よりも先に体が動いたのだ。

 自分でもよくわからない。不思議な気分だ。でも、悪い気持ちではない。

 

 そんな生き物係の言葉に、委員長は必死に絞り出すように声を出す。

 

「ごっ、ごめんっ、なさい……ごめんなさい……っ!

 ずっと、言いたくて、でも、言えなくって……!」

 

 きっとそれが、今の委員長にとってなによりも叶えたいことだったんだろう。

 自分にすがりついて、泣きじゃくる少女。生き物係はその手を優しく握る。

 

 ──その瞬間から、結界は崩壊を始めた。役目を終えたがゆえに、現実に戻る時が来たのだ。

 世界が鏡みたいに割れていき、やがて地面もなくなって、体は下へ下へと落ちていく。アサシンの姿も遠ざかっていき、もう声も届かない。聴こえるのは、傍らの少女の泣き声と、荒い呼吸の音だった。

 

 ふと下を見ると、光がみえた。その先には血に染め上げられた孤児院の景色があって、きっとそこに行き着くんだろうと思えた。

 



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五日目
暗雲──アンクリア・セレナーデ


 ベルチェの魔術で彼女の宿泊するホテルの一室まで吹き飛ばされた小夜とアヴェンジャー。

 聖杯の魔の手を逃れた彼女たちは、呑み込まれた同盟相手の帰りを待つしかなかった。

 

 理由は単純だ。小夜の体調が優れず、とても外を出歩ける状態になかったからである。

 

 小夜の脳裏には恐怖と不快感がこびりついていた。眠ろうとすると、聖杯にされた子供たちの腕が迫ってくる悪夢を見た。

 耳鳴りや頭痛や倦怠感も当然のように付き纏ってくる。アヴェンジャーと出会う以前からそのような兆候はあったにしても、ここまでのものじゃなかった。

 

 ──それでも、あの地下空洞で感じた、地獄を味わったかのような感覚よりはまだマシだけれど。

 

 そのまま夜が訪れ、また去っていき、朝になった。ベルチェとは連絡がつかないまま、聖杯戦争はついに五日目へと突入する。

 

お姉様(シスターさん)……大丈夫……?」

 

「……えと、だいぶ、楽になりましたよ」

 

 アヴェンジャーは心配そうに付き添って、健気に看病してくれている。今だって汗を拭いてくれているし、助けてもらってばっかりだ。

 そんな彼女に対して苦しいと答えるのは、とっても申し訳なくて、小夜は嘘をついた。

 

 ──その時、いきなり部屋の扉が開く。

 

「ただいま帰還致した」

 

「戻ったぜ……っ!?」

 

 現れたのはずっと待っていた相手──ベルチェとセイバーだ。小夜はその姿を見るなり安堵して、胸を撫で下ろす。

 しかしその時やっと気がついた。小夜は体を拭かれている真っ最中。つまり、下着しか身にまとっていない、ということに。

 

 この場にいる唯一の異性であるセイバーは慌ててそっぽを向き、顔を隠した。慌てて普段着を着用しようとし、よろめいたのをアヴェンジャーに支えてもらったりしながらも、改めてふたりを出迎える。

 

「え、えと、おかえりなさいです……」

 

「お、おう、戻ったぜ」

 

 なんだか気まずい空気になってしまった。

 シスター同士の共同生活に慣れていたぶん、小夜の警戒心が足りていなかったかもしれない。セイバーはなにも悪くないのだ。

 

「えっと、その、なんかいろいろあったみたいですけど、そっちは大丈夫だったんですか?」

 

「ま、まあ、なんとかな。ベルチェに助けてもらったからな」

 

 話題を変えようと、セイバーと互いにぎこちない会話を交わす。

 そんな小夜のことをじろじろ見回して、ずっと黙っていたベルチェが口を開いた。

 

「小夜。体調は大丈夫?」

 

「え、あ、はい。その、動けないほどではないので」

 

「……あのジジイが置き土産になにか仕掛けていったかもしれない。私も腕がいいほうではないが、診察させてくれないか?」

 

 また上辺を取り繕った小夜だったが、善意の提案は断りきれない。隣にいるアヴェンジャーの顔を見ると、やはり心配そうな表情だった。

 

「……お願いします」

 

「お願いされた。では、少しお風呂場を借りようか──」

 

 ◇

 

 ベルチェの提案による診察を受け入れた小夜。どうしてお風呂場に行く必要があるのかと、彼女に言われるまま服を脱ぎながら考えていた。

 

 すると、気がつけばベルチェも服を脱いでいる。金属のアクセサリーが擦れて高い音を立てながら籠に収められていき、彼女の素肌が露わとなっていく。

 

 ベルチェは小夜より年上らしいが、発育の面ではやはり年端もゆかない少女にしか見えない。

 だけど、魔術師らしく、一般人とは少し違うこともあった。

 背中に不思議な紋様が描かれており、それを取り囲むように縫った跡があるのだ。

 

「ベルチェ……さん。それって」

 

「ん? あぁ。これは魔術刻印で、このへんは手術痕だな。ここからも出せるぞ」

 

 じゃらりと音を立て、不思議な紋様から十数センチぶん鎖が飛び出した。彼女に促されて触ってみると、人肌に温まっている。

 

 このように、ベルチェの魔術は鎖を用いたものだ。これらは武器や拘束具としてだけでなく、センサーとしても使用することができる……らしい。

 

 そこまで聴いて、小夜は素朴な疑問を口にする。

 

「それで、どうして裸になる必要が……?」

 

「鎖と素肌を密着させた方がわかりやすい……あと、疲れたからシャワーを浴びたかっただけともいう。

 なにより──」

 

 ベルチェはわざとらしく言葉を溜め、小夜が尋ねるのを待っているかのようだ。

 

「なにより……なんですか?」

 

「日本の漫画作品曰く、女子の友達同士では胸の揉み合いっこをするらしい。

 というわけで、裸の付き合いを所望する!」

 

 なにが「というわけ」なのかはわからないが、真剣な顔でびしっと指をさすベルチェを前に、ここまで来て断れない。

 小夜が言い淀んでいる間に、さっきの人肌に温まっている鎖が伸びてきて、全身に絡みついてくる。

 

「さっきのは冗談だったんだが……まあ、こうした方が早く済むのは事実だから安心してくれ。

 さて、申し訳ないが、少し我慢を頼む」

 

 そう言って目を閉じた彼女は、よくわからない英語やドイツ語らしいことをいくつも呟き始めた。

 これが詠唱というやつだろうか。なんというか、とてもそれっぽい。

 だけど、それがずっと続いていると、なんだか葬式のお経みたいにも聴こえてくる。

 

 やがてベルチェがお経を唱えるのをやめると、小夜の体に巻きついた鎖が外れる。魔術による診察が完了したようだ。

 

「ど、どう、でした?」

 

「……自律神経の一部がうまく機能していないな」

 

 診断結果には、まずよく聞く言葉が出てきた。確かに、自律神経が狂っていると耳鳴りや頭痛や倦怠感といった症状があらわれるらしい。

 

「ストレスですかね、あはは……」

 

 冗談めかして言ってみる。けれど、ベルチェは乗ってこなかった。代わりに神妙な顔をして、躊躇いながら続きを話す。

 

「これは……貴方に告げるべきではないのかもしれない。けれど、己の体がどうなっているのか、知りたいならこのまま聞いてくれ」

 

 彼女がそう言うのなら、ただストレスでやられているわけではないのだろう。

 だけど、きっとこれは知っておかなければならないことだ。これからも、誰かの役に立ちたいんだと思い続けるのなら。

 

 少しの沈黙の後に、少女はまた口を開いた。

 

「結論から言おう。貴方の体は、恐らくもってあと数日だろう」

 

 その言葉を聞いても、小夜はあまり驚かなかった。心のどこかで薄々勘づいていたんだと思う。

 

「そうですか」

 

「……やけに反応が薄いな。もっと驚いたっていいのに」

 

「なんとなく、わかってましたから」

 

 笑ってごまかす小夜に、ベルチェは悲しそうに目を逸らした。

 

「えと、その、それで、私が死んじゃうのはどうして……ですか? こう、病気とか、あったり?」

 

「……いや。そんな生物学的な話じゃない。貴方の体内に聖杯の器が溶けているからだろう」

 

 彼女は彼女なりの推測を語った。

 

 小夜は七歳までを過ごした病院で、恐らくはソラナンによって、聖杯の器となるものを埋め込まれた。

 器とは、大聖杯に繋がる端末であり、脱落したサーヴァントの魂を回収し保管するものだという。

 その機能を補助するため、聖杯と繋がり器が起動した瞬間から、徐々に生体機能が奪われていくのではないか。

 

 ──ベルチェにそこまで話してもらって、なんとなく理解した。

 

「私……あの子たちと同じになるって、ことですよね」

 

 小夜もまた、聖杯にされた子供たちの一人だったんだろう。夢の中で、彼らが『小夜も同じ』だと言っていた意味がやっとわかった。

 それは杯になって死んでいく、その運命のことを言っていたんだ。

 

「……どうか、悲観しないでくれ。私は聖杯にされた彼らを、願望器の力で救えるはずだと信じている。きっと小夜もなんとかなるはずだ」

 

 ベルチェは小夜の手を握り、そう言ってくれた。だけど、小夜の手よりも、彼女の小さな手の方が震えていた。

 小夜は幸せ者だ。出会ったばかりの彼女に、そんな感情を抱いてもらえるんだから。

 

「シャワー、浴びませんか? 裸の付き合い、してみたいです」

 

「……すまない。これじゃあ、私の方が慰められてしまっているな」

 

 小夜がハンドルをひねると、シャワーヘッドから冷たい水が降り注ぐ。

まるで、空を閉ざす暗雲から降り注ぐ冷たい雨に打たれているみたいだった。



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決意──メイク・アップ・チェインズ・マインド

 暗い雰囲気になってしまったのをなんとかするため、ベルチェはボケを捻出しながら小夜の全身を洗っていった。

 

 動画で得た知識から日本の美容院ごっこをしてみたり、体の色んな部位を褒め倒してみたり、駄洒落でスベったのをくすぐってごまかしたり。

 特にくすぐりの効果は絶大だった。と思う。ベルチェ渾身のギャグには気がついてくれない小夜だが、くすぐりには弱いらしく、出会ってから初めての大笑いを引き出すことができた。

 

 なんて女の子同時の戯れを交えつつ、ベルチェが小夜の背中を流していた時、彼女はふと口を開いた。

 

「あの。私の、体のことなんですけど」

 

 ベルチェの手が止まった。

 

「アヴェンジャーさんには、伝えないでもらってもいいですか……?」

 

「……それはどうして?」

 

「これ以上心配をかけたくないんです。ただでさえ、たくさん頑張ってもらってるのに」

 

 それは小夜なりの優しさなんだろう。彼女がそういうのなら、ベルチェが下手に口を出すことじゃない。

 

「わかった。このことは、私と小夜だけの秘密だ」

 

 彼女の背中では水滴がきらきら輝いている。それはとても綺麗な光景で、だけど、同時に目の前の少女が儚く消えてしまいそうな、そんな心地にさせるものでもあった。

 

 ◇

 

 シャワーを終え、じゃらじゃらしたアクセサリーも全部付け直して、ベルチェは小夜とともにサーヴァントたちのところに戻った。

 こっちのふたりは結構仲がいいみたいで、聞き上手なアヴェンジャーはセイバーの苦労話を楽しそうに聞いていたようだ。

 ふたりはこちらに気がつくと、話を中断して結果を尋ねる。

 

お姉様(シスターさん)、大丈夫そうかしら……?」

 

「あぁ、そこも交えて今からいろいろ話そうと思う。小夜も、それでいい?」

 

「はい。大丈夫です」

 

 ベルチェとセイバーの方針は、シャルルマーニュのおかげで改めて決まった。けれど、新たに出てきたのは小夜の問題だ。彼女のことも含めて、もう一度これからについて確認すべきだろう。

 

「まず第一に小夜の体だが──」

 

 小夜に言われた通り、詳細までは話さない。ソラナンの爺にやられた魔術的なダメージが残っている、なんて嘘をついた。

 それを聞くアヴェンジャーは本当に心配そうで、小夜が申し訳なくなるのもわかる気がした。

 

「あ、そういえば、私たちの同盟って、ベルチェさんがアーチャーの呪いを受けてたからですよね」

 

「そうだな」

 

「じゃあ、アーチャーが倒された今、同盟解消になるんじゃ……?」

 

 小夜は恐る恐る言い出した。確かにそう言ったような気もする。ベルチェはすっかり忘れていた。

 とはいえ、アーチャーの件が解決したとしても、問題はまだまだ山積みである。

 

「同盟は継続しよう。小夜の体のこともあるし……特大の不安要素はバーサーカーとルーラーだ。特に強力なこの2騎が健在である以上、一緒に行動しなければ危険極まりない」

 

「よかった……あ、いえ、なにもよくありませんけど、ベルチェさんたちとは戦いたくないなって……」

 

 胸を撫で下ろしてすぐに取り繕う小夜。ベルチェも同じ気持ちである。彼女は大切な友人だ。できることならば、戦いたくなどない。

 

「同盟といや、ランサーとマスターの坊主の姿を見てねえな。聖杯から脱出できたのか?」

 

「わからない。捜索はすべきだろう。彼らも友人だからな」

 

 ベルチェとセイバーはあの騎士のおかげで脱出できたものの、同じく聖杯に呑まれたランサー陣営及びアサシン陣営については消息が不明なままだ。

 難敵がまだまだ控えているのだから、どうにか再び接触、できることなら助力を得たいところだ。

 

お姉様(シスターさん)はどう?」

 

「えと、私ですか? その……生き物係くんたちのことは放っておけませんし、手遅れになる前に合流したいですけど……」

 

「では、他の陣営との接触を優先事項としよう。セイバー、アヴェンジャー、異論は?」

 

「ないぜ」

 

「ないわ」

 

「うむ。では、そのようにいこう。

 そうだ、せっかくだから、ひとつ気合いを入れないか?」

 

 これで方針は決まった、というところで、ひとつ提案をした。

 それから、ベルチェの小さな手と、小夜の綺麗な手と、セイバーの鎧に包まれた手に、アヴェンジャーのとっても熱い手──みんなを重ねて、掛け声とともに気合いをいれる。

 掛け声は特に意味を持たないただの大声だったが、それでいい。沈んでいた気分を持ち直させるには十分だ。

 

 考えなければならないことはたくさんある。心が苦しくなる現実が目の前にある。

 だけど、それがかえって、ベルチェに生きている実感をもたらしているようにも思える。なにも考えずにふらふらしていた時計塔時代とは大違いだ。

 

 この数日で、譲れないものがいくつもできた。戦友も友人も、誰かを助けたい思いも。

 例え聖杯戦争の中でベルチェが倒れ、この異国の地で死したとしても、それはきっと確かなことなのだ。

 

 ベルチェはひとりで不思議と感慨を抱き、それから一旦息抜きのためベッドに腰掛けた。

 

「……なあ、ベルチェ」

 

 さりげなくその隣にやってくるセイバー。立ったまま話しかける彼の顔を見上げると、なにやら少し照れているようだ。

 

「どうした、セイバー?」

 

「は、話があるんだよ」

 

「なるほど。では、隣に座るといい」

 

「……いいのか、オレが乙女のベッドに座って」

 

「ホテルだからノーカン」

 

「そういうもんなのか……?」

 

 遠慮がちに座るセイバー。さて、彼が照れるほどの話とは、一体なんのことだろうか。もしかして恋バナだろうか。

 

「あのさ……これ、なんだけどよ」

 

 そう言って差し出されたのは、きらびやかに装飾がされた角笛だ。本体は美しい象牙色をしており──手に取ってみると、実際に象の牙で作られているようだった。角笛ではなく、牙笛が正しかったらしい。

 

「なんだ、このとてもカッコイイ代物は?」

 

「そいつはオレの第3宝具だ。本当はローランの奴の所持品なんだが」

 

 ローランの持つ象牙の笛といえば、それは彼らの最期の戦いにおいて、援軍を頼むために使われた代物に違いない。なるほど、宝具に昇華されていても疑問は抱かない。

 だけど、それをベルチェに渡してしまってもいいのだろうか。

 

「なぜこれを私に?」

 

「そいつは、オレには真名解放できないんだ。そりゃそうだ、元々オレの持ち物じゃないからな。

 だけど、ローラン──つまり、オレの戦友なら話は別だ」

 

 なるほど。この笛はセイバーが戦友と認めた相手が持たなければ真価を発揮できない宝具だということか。

 

「そういうことなら私に任せろ」

 

 精一杯、胸を張って答えた。それを見て彼は珍しく、柔らかな安堵の表情を浮かべ、ベルチェに見られていることに気がつくとすぐさま頬を赤らめ顔を逸らした。耳まで紅潮している。

 

 それもそのはず。この宝具を渡すということは、彼がベルチェを戦友として認めたということ。照れくさくなるのも当然か。

 それに──ベルチェがどこか落ち込んだ気分でいたところに、気を使ってくれたのかも。

 

「……ありがとう、セイバー。大事に使わせてもらうよ」

 

「お、おう」

 

 改めて礼を言った。返事は顔を逸らしたままだったが、それもそれでまた、彼らしいのかもしれない。



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溺水──マーダラーズ・リビドー

すこし短いですが、キリがいいので投稿します。


 レイラズは夢を見ていた。それは今まで辿ってきた己自身の夢であり、取るに足らない零落した魔術師の記録だった。

 

 ──彼女が0歳の時、彼女の『父』は死んだ。

 一族の長であった『父』は色位を持つ魔術師で、飛び抜けた才能と政治手腕で強力なリーダーシップを執っていた。

 名はダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。

 冬木市での第三次聖杯戦争にも参加し、執念で生きながらえていた男だったらしい。

 

 そんな彼の死の原因となったのは、ルーマニアのトゥリファスで起きた魔術師同士の抗争だ。

 協会の尖兵に一族を総動員して対抗し、多くの犠牲を出し、そして敗北した。中には出奔する者も現れ、被害は壊滅的であった。

 

 そうしてリーダーを失い、窮地に立たされたのがユグドミレニアの一族だ。

 いくつもの魔術師の家系が、一人の優秀な魔術師のもとに寄り集まってできた有象無象の集合体だったユグドミレニアは、その魔術師の死によって瓦解する。

 

 しかし、魔術師には遺したものがあった。その中に、魂を喰らい糧にするはずだった新生児が含まれていた。幸い彼女は一定の魔術回路を備えており、一族の人間たちはプレストーンの家名と魔術刻印を継がせると決定した。

 

 そうして、レイラズ・プレストーンが生まれた。

 黒魔術と死霊術を教え、おまえはユグドミレニアを再興させるのだと教えこみ、忌み嫌っていたはずの魔術使いの技術でさえも取り込んで、彼らはレイラズを強力な魔術師に育て上げていった。

 

 だが一方で、レイラズの人間性は歪んでいった。黒魔術と死霊術という陰鬱な環境に加え、元々『素質』があったんだろう。

 書籍で目にした殺人者エリザベート、そしてその凶行に憧れ、傾倒していった。彼女のやり方を真似しようと、一族の人間をたくさん消費していった。

 

 初めて殺したのは世話役だった。自分に近い存在だったからこそ、その壊れていく様は新鮮で。そして、こんなものか、と思ってしまった。

 彼女の亡骸からはいろんな道具を作ったし、その道具もまたたくさんの魔術師の血を吸った。もう被害者の名前なんて覚えていない。

 

 けれどレイラズにとって、それらはもはやどうでもいいことだった。ふと夢に見ても、なにも思うことはない。

 だって、エリザベートは、もう自分の傍らにいるんだから。

 

 俯瞰して眺める風景のようだった記憶たちの海から離れ、レイラズは浮上していく。その先にあるのは現実の世界。

 ユグドミレニアはとうに無く、しかし愛しいサーヴァントの存在する、愛すべき世界だ。

 

 ◇

 

 ──目を覚ますと、レイラズは隠れ家のベッドに体を横たえていた。上体を起こして目を擦り、どうやら結界から脱出できたようだと認識する。

 聖杯戦争五日目にして自分の経歴なんてつまらないものを夢に見るとは思わなかったが、そんなことはどうでもいい。

 

 手首を見ると、自分がつけた傷があった。さらに、所持していた礼装がいくつもなくなっている。

 大空洞や聖杯内部での出来事は、確かに現実だったのだ。

 

 とは言っても、それらは別に気にしなくてもいいことだ。礼装ならまた作ればいいだけのこと。サーヴァントを得た瀬古明日菜とも、いずれまた相見えることになるだろう。

 

 それよりも周囲を見回して、レイラズは何かが足りないように思っていた。

 

「エリザベート……どこなの……?」

 

 己のサーヴァントの真名を口にする。彼女がいなければ、レイラズの聖杯戦争には意味が無い。立ち上がって部屋を出ていき、他の部屋を探して回り、やがていつも通り子供部屋に佇む彼女を発見する。

 どうやら、またアイドルとやらのグッズを眺めていたらしい。

 

「よかっ、た……」

 

 彼女も聖杯に呑み込まれていたはずだが、脱出できたのだろう。安堵に大きなため息をつき、その音にアサシンが振り向く。

 彼女の目は虚ろなままで、変わらずその意識は混濁している。ローラの影響は抜けていない。それでもまた彼女に会えた安心が勝っていた。

 

「だ、大丈夫、だった?」

 

 問いかけても反応はない。じっと、見つめ返してくるだけだ。

 けれど、その濁った瞳を見ていると、レイラズの心の奥から、ふつふつと欲望が湧き上がってくるような感覚がする。

 

 ──レイラズも、ローラのように、彼女の魂に存在を刻みつけたい。

 もしそうできたら、どれだけ幸せなことだろう。想像するだけで、腹の底が疼いてたまらなかった。

 

 そんな衝動に突き動かされて、レイラズはアサシンを抱き締めた。色素の抜けた長髪が揺れ、ふわりと、華やかな香りが漂った。

 それだけで、自分の心臓の拍動が早くなっているのがわかる。肌と肌を隔てる衣服がもどかしい。頬や耳が熱くなって、胸が息苦しくなってくる。

 

「……?」

 

 アサシンは首を傾げた。幼い子どものようにきょとんとして、じっとレイラズの顔を見つめていた。

 

 だけど、そんな彼女が、ある時ひとつ舌なめずりをする。鮮やかな紅の舌が唇の上を這い、唾液は唇をきらめかせる。

 そのときから、アサシンは幼児へと退行した存在ではなく、淫蕩に耽った快楽主義者としての側面を見せた。

 レイラズの欲望を理解し、優しく唇を重ねてくれたのだ。

 

 ──血の味のしないキスは、初めてだった。甘酸っぱくて、ずっと味わっていたい、そんな感触がした。

 

「あ、あの、ね、エリザベート」

 

「言わなくてもいいわ。わかってるもの」

 

 彼女は手を引いて、レイラズを(ねや)に誘う。そして当然のようにレイラズの衣服を引き裂いて、自分もまた衣装をはずした。

 余さず肌を露わとさせ、今度は本当に隔てるもののない状態で抱き合う。ふたりの体温が共有されて、ゆっくりと、同じ温度に近づいていく。

 

 あぁ、これが彼女の温かさで、彼女の匂いで、彼女の色なのだ。感覚のすべてがエリザベートに塗りつぶされていくかのようで心地よく、レイラズの体は震えていた。

 

「いいのよ。(アタシ)に溺れなさい。貴方のためのステージにしてあげるから」

 

 それは虚ろで、だからこそ美しい微笑みだった。

 

 静かな部屋に、ふたりぶんの乱れた呼吸と、抑えようともしない嬌声が響く。やがてそこに水の音が交わって、そして──。



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溜息──モピー・ロリータ・ウォーリー

 ここ数日、霜ヶ崎市ではガス爆発や行方不明事件、または殺人事件が相次いで発生している。

 それらが聖杯戦争によって引き起こされたことなど知らぬ一般人たちにとって、それらは日常を乱す異常な出来事に違いない。しかも頻発していると来れば、偶発的では済まされないと感じる人間もいるだろうか。

 

 だが、それでも人通りの多い場所には変わらず人々集っており、賑わいを見せていた。

 多様なジャンルの娯楽に関する店や喫茶店などが立ち並ぶこの通りも、またその一つだ。

 自分には関係ないと思うのが人間の心理なんだろう。家族連れからチャラ男まで、さまざまな人々が行き交っている。

 

 そんな街の通りを、たったひとりでとぼとぼと歩く女の子がいた。

 リボンのついたカチューシャを身につけて、エプロンドレスに身を包み、しましまのニーソックスを履いた、金髪の女の子。まるで絵本から飛び出してきたかのような、大衆的なイメージの『不思議の国のアリス』そのものといった格好だ。

 

 ──その正体は、サーヴァント・キャスターにほかならない。

 

 彼女は令呪により大空洞から脱出した。しかし、それからはマスターからの連絡もなく、辛うじて魔力供給でその生存が確認できるのみ。

 同盟相手も失い、頼れるアテはない。彼女は途方にくれていたのである。

 

「はぁ……」

 

 いつもの彼女なら、道を歩くだけでも、己の整った容姿をこれでもかと見せつけるように振舞っていただろう。

 しかし、現在はその真逆である。周囲の空気が淀んで見えるほどの暗い表情で、頼りなくよろよろ歩いている。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「……ご、ご心配なく」

 

 心配して話しかけてくれた女性に対しても、この通りほとんど反応を示さない。

 ここでどれだけ褒め言葉を投げかけたとしても、きっと同じように短い返答しか返さず、会話を続けようとしないだろう。

 

 そして万が一、偶然通りがかったチャラ男が顔見知りだった場合も、彼女の沈んだ表情に変わりはなかった。

 

「おいお前、この間の生意気なガキじゃねぇか」

 

 彼は、かつてアサシンにナンパを仕掛け、キャスターに阻止されたチャラ男の片割れだった。

 容姿が整っている上に非常に目立つ格好のキャスターが、姿を覚えられていないはずがなかったのだ。

 

「一昨日はよくも邪魔してくれたな」

 

「はぁ……そっ、その節はどうも……」

 

「どうもじゃねえ! 俺に顔面殴られたの忘れたのか!」

 

「い、いえ、覚えていますが……その、ちょっと、今そういう気分じゃないので……」

 

 そう言って、キャスターはこの日幾度目かのため息をついた。自信満々だったあの時とは事情が違う。守るべき女の子もいないし。

 それをチャラ男もなんとなく察しただろうか。彼の視線は好戦的なものから、心配を含むものになった。

 

「まさか……お前、あの女に逃げられたのか?」

 

「な、なんでそうなるんですか。た、確かに逃げられましたが、そっちは別に堪えてませんよ」

 

 発想がチャラ男らしいというかなんというか。言われてみればアサシンの写真を撮れなかったのは未だに後悔があるが……。

 

「ならどうした? 俺でよければ話聞こうか?」

 

 彼がかけてきたのは予想外に優しい言葉だった。もっと面白がったりするかと思いきや、相談に乗ろうとしている。

 彼が実は優しい人だというのなら、少しくらい話してしまってもいいかも──なんて、危うく乗っかりそうになったところで踏みとどまった。

 待てよ、こいつは見知らぬ女の子にいきなり声をかけるような男だぞ。これも手口のひとつに違いない。

 

「……な、ナンパですか? あらやだ、いくら私が金髪美少女だからって」

 

「いや、普通に親切心だけど。ガキが落ち込んでたら見てて気分悪いだろ」

 

「あっはい、そうですか」

 

 そこまで親身になれるのに、なぜ初対面の子どもを殴ったのだろうか。目の前の男の二面性を垣間見た気がして怖くなりつつ、ふと、キャスターは己の精神状態が少し回復しているのではないかと気がついた。

 元々キャスターは社交的な人物だ。人と話した方が楽になるのは自然な流れである。

 

 せっかくチャラ男が優しさを見せたのだ。いっそのこと、ここはナンパにひっかかり、相談事してやるのも悪くない。

 結局のところそういう結論に至って、キャスターは路肩の縁石に腰掛け、全部は無理でも、一部だけ吐き出すことにした。

 

「私、仲良しの相方がいたんです。私に負けず劣らずの美少女だったんですけどね」

 

 アーチャーのサーヴァント──真名はイリヤ・ムーロメツ。真っ白で無垢な、小さな英雄。

 キャスターが引きずっているのは彼女のことだ。

 彼女はルーラーと戦い、そして散っていった。圧倒的な強さを誇る相手を前にして、キャスターを庇って、である。

 

 ──散ってしまったことが悲しいのではない。人はいずれ死ぬし、サーヴァントだっていつかは消えていく存在だ。

 だけど、だからこそ、キャスターは彼女に笑っていて欲しかった。心から、楽しいと思ってほしかったのだが。

 

「私、誰かの笑顔を見るが好きなんです。そのためにお話を書いたりなんかしちゃったりして……。

 だから、彼女の笑顔もいつか見られたらいいなと思っていたんです。

 でも、それはもう叶わない。だって、あの子はもう……」

 

 聖杯戦争やサーヴァントなどといった具体的な語句を避けながらも、キャスターは男に心中を語った。

 

 すると彼はやがて目頭を押さえて震えだし、やがてポケットから取り出したハンカチで涙を拭うようになっていた。これまた予想外の反応だ。

 

「うぅっ……お前、生意気だけど、健気だな……! ごめんな、一昨日は殴ったりして……さっきも喧嘩売るようなこと言って」

 

「えっ、そうやって謝られると、なんか、その、逆に気持ち悪いっていうか」

 

 わからせてやる、とか言ってた一昨日の彼はいったい何処へ行ってしまったのだろう。

 

 ──とはいえ、こうして言語化すると、確かに心も軽くなる。落ち込んでいても仕方がない、なんて気分になってくる。

 

 なら、今ここで決めよう。アーチャーのぶんまで、子どもたちを笑顔にするんだ。

 それがキャスターに与えられた使命であり、これからはそのために戦う。

 

「えぇ、そうしましょう。あの子のためにも、笑顔に満ち溢れた世界を作らなければ」

 

 キャスターはおもむろに立ち上がって、頷いた。

 それから傍らにいる、いまだハンカチで涙を拭いている男に礼を言う。彼のおかげで、色々と楽になったのだ。

 

「え、えっと、ありがとう、ございました?」

 

「おう、頑張れよ。えっと……そういや、名前聞いてなかったっけな」

 

 そういえば、お互いに名を名乗ってすらいなかった。しかしクラス名でキャスターと答えるのも変だ。

 

 そうなると、ここはやはり、こう答えるべきだろう。

 

「私は──『不思議の国のアリス』。アリスって、呼んでくださいな」

 

 ふわりとエプロンドレスの裾を翻しながら名乗り、そのまま男の反応を窺うことなく、キャスターは歩き出す。

 

 そうだ、これがやりたかったのだ。

 彼はどんな風に感じただろう。やっぱり見惚れていただろうか。それを想像しながら歩いていると、街ゆく人々の視線も心地いい。

 

 ──思い出した。これが、正しい自分の在り方だ。

 愛嬌を振り撒いて、みんなを笑わせる。自分がアリスになっていたのには、きっとそういう意味がある。

 

 自分でもなんだか本調子が戻ってきたような気がして、キャスターの足取りはとっても軽かった。

 

 マスターの安否は未だ不明で、すでに同盟相手は脱落してしまった。孤立無援の窮地状態だ。

 だがそれでも、やるべきことは決まっている。これより始まるのは、笑顔のための聖杯戦争である。

 

「まずは……そうですね。奥の手は用意しておきましょうか。使わずに済むことを祈りますが、私より強いサーヴァントはたくさんいますからね。そうと決まれば、さっそく書斎にこもって執筆作業に入らねば!」

 

 先程までの暗い表情とはうってかわって、明るい陽の光を受け、少女は通りを歩く。



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転調──シスターズ・ホーミング(前)

 昨日、春が目を覚ました時、すでに事件は起こっていた。

 現場は瀬古家の1階だ。窓が叩き割られ、リビングに破片が散らばっていて、キッチンには調理途中で放棄されたらしい食べ物が冷めて残されていた。

 

 それからというもの、家中どころか街中を探し回っても明日菜の姿はなく、連絡もつかないまま、時だけが過ぎていった。

 それから丸一日が過ぎても明日菜からの連絡はなく、いまだ彼女は帰宅していない。

 

「どうしよう……なにか事件に巻き込まれたんじゃ……」

 

 今は聖杯戦争の真っ只中である。すぐにでも明日菜を見つけ出すべきだ。

 

 しかしとうに日は落ちており、外に出て探し回るには危険だと、バーサーカーに制止された。

 結果、彼はその制止を受け入れつつも気が気でなく、落ち着かないままひたすら室内をうろつくほかなかったのである。

 

「はぁ……これで何度目? お兄様もいい加減、あの子は勝手に帰ってくるって思わないかしら」

 

 バーサーカーはため息をついて、明日菜の失踪などどうでもいいと吐き捨てる。

 

 だが、そう言ってはいられない。明日菜は12歳。まだまだ幼く、兄が守ってやらなければならない年齢だ。

 それに、春は昔から彼女のために生きてきた。それは今でも変わらない。

 

 なんて言って聞かせても、バーサーカーの主義主張もまた、簡単に変わるものではなかった。

 

「そんなこと言ったって……放蕩妹探しばかりしてたら、勝てる戦も起こせないわよ」

 

「わかってるよ。だから、明日菜は俺が一人で探す。バーサーカーには気にせず戦って欲しい」

 

「……それが無意味だって言ってるの」

 

 ぽつりと呟かれた一言は春を驚かせる。

 彼だってバーサーカーを蔑ろにしたいわけではない。彼女のことは尊重しようと考えている。

 だけど、それでもバーサーカーは不満を抱いているように見える。特に明日菜のことで、だ。

 

「……まだ一匹も獲物を仕留められていない駄目な女神だけど……私だって神霊級サーヴァントだわ。女神の直感は神託と思いなさい。

 あの子、貴方に隠し事してるわよ」

 

「明日菜だって年頃の女の子だよ。俺に知られたくないことくらい、あるだろ」

 

 バーサーカーは歯を食いしばり、強く拳を握り、衝動的にすぐ傍にあった机を殴りつける。現代の木材が女神の一撃に耐えられるはずもなく、いとも簡単に割れて砕け散ってしまった。

 彼女もまた焦っている。それはきっと、一昨日にランサーから受けたという傷が癒えていないことから来るものでもあっただろう。

 

「……お兄様ってば、いつもいつもあの子ばかり。そんなにあの子が大事? 私よりも? 本当に?

 ねぇ、答えて?」

 

 詰め寄ってくる少女。小柄でも強大な力を秘める彼女は、人間の放つそれとはまた違う気迫を伴っている。

 それでも嘘はつけない。春は己の本心を話すべきだ。

 

「……大事なんだよ、明日菜のことが。父さんも母さんも、あいつのことを頼むって言ってたんだ」

 

「親なんかの言葉が大切なの?」

 

「大切だよ。神様にはわからないのかもしれないけど」

 

 少女は言葉を続けなかった。そうして静かでありながら、爪を噛み、瞳から光を失わせていた。

 

「……そっか。そうなの。ふぅん。

 私なんか……どうでもいいんだ」

 

 その声色には怒りよりも寂しさが感じられて、春はきゅうに胸が苦しくなる。しかし、彼女との反発も、また明日菜のためだ。自分に言い聞かせ、なんとか思考を続ける。

 

「……ごめんな、バーサーカー。俺を心配してくれるのは嬉しいんだ。だから、今日はもう家から出ないよ」

 

 取り繕っても無駄だとはわかっている。この言葉は自己満足の正当化だ。明日菜のことしか頭にないくせに、こんなことを口走る。

 なんて、自分を嘲った直後、誰かの声が部屋に響いた。

 

「──ほんと。人の心がわからないお兄ちゃん」

 

 聞き覚えのある幼い声だった。振り向くと、割れた窓から、風が吹き込むと同時に少女たちの影が現れる。

 

「明日菜……!」

 

 彼女は同年代の女の子に抱えられている。春の知らない、メイド服に身を包んだ女の子だ。

 彼女との出会いが明日菜になにかをもたらしたのか、明日菜は笑顔でいた。聖杯戦争が始まってから見せなかった、余裕を含んだ表情だった。

 

「よかった、無事だったんだな。その子は友達か? 夜も遅いし、うちに泊まっていくか?」

 

 何はともあれ、明日菜が無事に帰ってきたのならそれでいい。魔術の勉強ばかりで学校も休みがちだった彼女に同年代の友達ができたのも、春にとっては嬉しいことだった。

 

 明日菜は女の子の腕の中から床に降り立って、くすりと笑う。

 

「夜遅くまで出かけて、知らないお友達まで連れてきたのに、叱ったりしないんだ。お兄ちゃんは優しいね」

 

「なにか事情があったんだろ? でも、またこういうことが起きたらお説教だからな」

 

「ふふっ、そんな心配、もうしなくていいのに」

 

 明日菜の言葉の真意が測りかねて、春が首を傾げる。すると明日菜は傍らの少女の肩に手を置いて──そして、その直後だった。

 

「ッ、お兄様!」

 

 バーサーカーは春を庇うように飛び込んだ。咄嗟に腕をクロスさせて防御の姿勢をとり、繰り出される膝蹴りを受け止める。少女の柔肌同士がぶつかりあって、巻き起こるのは不釣り合いな衝撃波だった。

 

「残念、勘づかれてしまったようですね」

 

「……やっぱり。サーヴァントだったのね、あんた」

 

 激突したその瞬間の姿勢のまま、バーサーカーと短く言葉を交わした少女。彼女は跳躍して明日菜の隣に戻り、スカートの裾を軽く手で払った。

 

「これが私のサーヴァント、ルーラーよ。

 お兄ちゃん、私はもうあなたと同じマスターなの。聖杯戦争の敵同士なの。

 だから、心置き無く潰し合いましょう?」

 

「っ、待ってくれ、明日菜──」

 

「お兄様が答えるまでもないわ。言われなくたってそのつもりだもの」

 

 春の言葉を遮ったバーサーカーの答えに対し、ルーラーは身構え、明日菜はまた嬉しそうな顔をする。

 

「そうこなくっちゃ。

 さぁルーラー、命令よ。バーサーカーを倒しなさい」

 

「承知いたしました」

 

 彼女はゆっくりとした歩調で歩み出てくる。そのスカートから覗いた蒼い龍鱗の尻尾を優雅にくねらせながら、どこか非人間的な鋭い双眸でバーサーカーを捉えている。

 対するバーサーカーも低い姿勢で構え、瞳を血走らせ、いつでもルーラーを迎撃する準備が整っている。

 

 そして夜のそよ風がふわりと居間に吹き込んできて、それをきっかけに、双方のサーヴァントが同時に動き出す。

 

 少女たちの姿が見えなくなったかと思うと、ふたりは衝撃波を起こしながら再び現れた。ふたりの繰り出した拳同士が激突し、互いに皮膚と血管が裂け血が滲んでいながらも、全く退こうとしていない。

 

 ルーラーがすぐさま次の攻撃態勢に入り、バーサーカーも回避と反撃に備える。放たれるハイキックを体を逸らしてかわし、体が戻ろうとするのを利用して頭突きを放つ。

 ルーラーはそれを伸ばした尻尾で受けきって、バーサーカーを押し返した。よろめいた隙を逃さず、さらに飛び蹴りが打ち込まれる。

 だが、衝撃を腹に喰らいつつも、バーサーカーの腕はルーラーの脚をしっかりと掴んでいる。

 

 脚を掴まれてもルーラーには尻尾があった。しなやかな尾による強烈な殴打を首に受け、バーサーカーは怯み、ルーラーを離してしまう。

 それでも彼女は反撃に、掴んでいた足首を力任せにへし折ってダメージを与えようとする。

 可愛らしいパンプスが脱げ、鱗がいくつか剥がれ落ち、少量の血液とともに床に落ちた。

 

 ルーラーはすぐさま魔力を動員し、霊体を作り直す。だがそれが、今度はバーサーカーが攻勢に出るための隙となる。

 彼女は魔力にて大剣を編み上げ、天井の照明や家財道具を巻き込みながら振り下ろした。ルーラーは寸前で回避し、フローリングが破壊される。

 

 戦いはとうに、春なんかには止められない領域のものだ。なんとか春は声を張り上げようとする。

 

「明日菜! 確かに聖杯は父さんの、一族の悲願だ! でも、兄妹で争う必要なんてないじゃないか!」

 

 マスターが彼女なのだから、きっとわかってくれるはず。ルーラーを引き止めてくれるはず。

 

「……本当、そういうところ。だから人の心がわからないって言われるんだよ、お兄ちゃん」

 

 春の勝手な淡い期待は、簡単に裏切られることとなる。

 

 明日菜はボロボロになっている服を脱ぎ捨て、その体に刻まれた多くの縫い跡と傷痕、そしてそこから這い出すおぞましき虫の群れを見せつけた。

 それらは間違いなく明日菜の体内から現れるものだ。その白い肌に浮かぶ血管は、内側を這い回る虫によって強引に拡張され、不自然に膨らんでいる。

 

「あ、明日菜、それは」

 

「なにも知らないお兄ちゃんに教えてあげる。お父様が私に刻みつけた、魔術ってやつを」

 

 呆然とする春に、虫たちの影がにじり寄る。

 ──バーサーカーとルーラーの戦いが繰り広げられる横で、マスター同士の逃れ得ぬ戦いが始まろうとしていた。



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転調──シスターズ・ホーミング(後)

 グロテスクな虫の群れが押し寄せ、春の風の魔術が押し返されていく。明日菜の小柄な体内に収まりきるとは思えない物量を前に、彼の苦し紛れの抵抗は敗北を迎える。

 術式が崩壊し、生成されていた風の刃が消え去ると、同時に羽虫の大群が春の体を包む。数え切れないほどの羽音に、気が狂いそうになりながら、必死に手で振り払って明日菜を呼ぶ。

 

 その様を、滑稽なダンスを眺めるように見ていた明日菜は、やがて口を開いた。羽音に掻き消されつつも、その声はかすかに耳に届く。

 

「そんなので私を守るなんて言ってたの? お兄ちゃん、お父様がなにをしてたのかも知らないくせに」

 

「父さんが……!?」

 

「いまから教えてあげるね。はい、どうぞ」

 

 明日菜の指示を受け、羽虫の群れが一斉に春から離れた。そして下着姿の彼女がくすりと笑うと同時に、傷口から一匹の虫が飛び出した。

 それは春の元へと飛来して、口の中に潜り込んでくる。そうして喉の奥へと進んでいこうとする虫の存在に胃の中身を吐き戻しそうになるのを抑え、強引に飲み下した。

 

 その瞬間から、春の脳裏に景色が流れ始める。

 それは春の知らない瀬古家の歴史。そして、知ることのできなかった、明日菜の歩んできた人生だった。

 

「いってらっしゃい、お兄ちゃん。たくさん……味わってね」

 

 ◇

 

 ──この霜ヶ崎市で聖杯戦争が行われると決定されてから、瀬古家の人間たちは冬木で起きた聖杯戦争のことを調べあげていった。

 中でも先代の当主──春と明日菜の父である男は熱心に記録を漁った。必ずや聖杯を手に入れ根源へと至るため、勝利のための手段を手に入れようと考えたのだ。

 

 そして辿り着いたのが、冬木の御三家のひとつ『間桐』である。彼らは虫の使い魔を用いる魔術を専門とする家だった。刻印蟲と呼ばれる虫を体内に宿し、擬似的に魔術回路として扱わせることも可能としていた。

 残念ながらその虫魔術の使い手は断絶していたが、瀬古の当主はその秘法に目をつけた。

 

 魔術回路の多くない瀬古家の人間がより確実に勝つために、刻印蟲を用いて魔術回路を増設する。強力なサーヴァントを扱うための体に作り替えるのだ。

 

 そして4年前。明日菜がまだ8歳の時だった。彼女を地下の工房に連れ込んだ当主は、妻と共に、ついに娘に施術をすると決めたのだった。

 

『や、やだ、なに、するの? お父様……』

 

『いいか明日菜。耐えるんだ。お前は聖杯戦争に勝たなければならない。そのために、どれだけ苦しくても耐えなさい』

 

 春の脳裏に流れる景色は明日菜の記憶。即ち、彼女の感じた恐怖の再演だ。

 

 目を血走らせた父親に、眼前に突きつけられるおぞましい虫。手足は縛り付けられ、衣服は剥ぎ取られ、虫どもは周囲を取り囲んでいる。

 

『お母様……? お父様はなにをしているの? 私はどうなるの? ……ねぇ、どうしてなにも言ってくれないの? ねぇ!』

 

 母は見ているだけで、どれだけ呼んでもなにもしてくれない。

 

『すべては勝利のためなんだ……!』

 

 魔術も常識も習い始めたばかりの明日菜には、それがなにを意味しているのかも理解できなかった。わからないまま、肌に冷たいメスが突き立てられた。

 

 明日菜の体には虫が縫い込まれていく。魔術による痛覚麻痺を受け、自分の皮が、肉が切り開かれて、そして異物がねじこまれるのを呆然と眺めた。

 父の言うことを聞いて、それが必要なことなんだと、歯を食いしばって耐えた。

 

 ──それからというもの、明日菜は数日ごとに両親による施術を受け続けた。

 体中が縫い跡だらけになって、体内は虫に埋め尽くされて、時に虫の死骸によって鬱血し腐り落ちた部位や器官ができると、ホムンクルスのものと強引に入れ替えて生存させられた。

 日に日に体が自分のものではなくなっていき、それがどうしようもなく怖くって。

 

 なのに、傍らにいたはずの兄は、なにも気が付かないままだった。

 

 そして2年ほどの時が経って、10歳になった時。明日菜は恐怖から、ついに行動を起こす。

 いつものように手足を縛り付けられ、両親が施術を行おうとするその瞬間、自分の意思で虫を動かしたのだ。

 施術に集中していたふたりの不意をつき、追い詰めるのは簡単だった。虫たちに命令すれば、簡単に人の腕も脚もちぎれてしまったし、枷を外させることも出来た。

 

『や、やめなさい、やめるんだ明日菜……我々はまだ死ぬわけには……根源に、根源に至らなければ……』

 

 なんて喚き散らして、両親は明日菜に殺された。最期まで明日菜のことなんて、心配してくれないままだった。

 彼らにとって、明日菜はその程度の存在だったんだろう。

 

『……あーあ、やっちゃった』

 

 そうして、瀬古家の魔術刻印は明日菜に受け継がれた。彼女に残ったのは、虫がもたらす苦痛と、聖杯戦争への参加という使命だけだった。

 

 ◇

 

 ──春の意識が現実に戻ってくる。視界には、目の前に立つひとりの少女が映っている。その体には、先程見た記憶の中と同じ、痛々しい縫い跡がいくつも刻まれていた。

 

「……嘘、だろ」

 

 明日菜のことを守っているつもりで、まるで守れてなんかいなかった。彼女のことをなにも知らないまま、のうのうと生きていた。

 それがどうしようもない後悔の念となって春に襲いかかる。自分は明日菜にどれだけ憎まれても仕方がないと思ってしまうほどに。

 

 崩れ落ちる春を前に、明日菜は優しく声をかけてくる。

 

「これでお兄ちゃんにもわかったでしょ?」

 

 少女は歩み寄り、その縫い跡だらけの体で、春のことを抱きしめた。

 

「……ご、ごめん、明日菜っ、俺は、俺は……!」

 

「ううん、いいの。謝ってもらおうと思って見せたんじゃないから。

 私の体は傷だらけだけど、蟲たちだって魔術の手助けをしてくれるし、痛いのももう慣れたし……もうサーヴァントだって手に入れたんだよ。

 お兄ちゃんが無理しなくたって、私は勝てるよ。大丈夫」

 

 その声色はとっても優しくて、その手はとっても温かくて。なんだか、聖杯戦争が始まる前の明日菜が帰ってきたような気分になれる。

 彼女はこれで許してくれるのだろうか。あれだけ辛いことがあって、春は支えることができなかったのに。

 

「明日菜は、優しいな──」

 

 だけど、呟いたその直後。春の胸に鋭い痛みが走る。

 

「──え?」

 

 刺突と同時に起動し、脈動する術式。春の胸に突き立つ小さなナイフの刀身には黒魔術らしき魔法陣が刻まれ、被害者自身の血を媒介として臓器の破壊を開始する。

 

「がっ、ァ、ぁア……ッ!?」

 

「よかった、通じた。お兄ちゃんを殺すにはバーサーカーのスキルが邪魔だったんだけど……さすがレイラズさんの魔法陣。ちゃんと準備すれば、加護を貫通してくれたね」

 

 全身の内臓が鈍い痛みで危機を訴えている。しかしそれに為す術はない。小さなナイフが起こした魔術式は、その役割を淡々と遂行する。即ち、春の殺害という役割を。

 

「お兄ちゃんが悪いんだよ。私、別にお兄ちゃんを恨んでたわけじゃないんだから。その証拠に、お父様もお母様も殺したけど、お兄ちゃんは生かしてあげたでしょ?」

 

「っ、だったら、なんで」

 

「聖杯戦争の邪魔をするから。私は勝ち抜いて、聖杯を手に入れなきゃいけないの。その邪魔をするなら、お兄ちゃんだって、消すしかないよね」

 

 彼女は優しい声色のまま、雄弁に語った。それは自分に言い聞かせるようでもあり、それが心からの本音なのかは、わからなかった。

 

「……さようなら、お兄ちゃん」

 

 春の脚から力が抜ける。彼は床に倒れ伏し、そのまま四肢を動かせず、胸からどくどくと血が流れ出るのを感じているだけだった。



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葬送──シスター・イズ・ラフター

 目の前でマスターが苦しみ、そして卑しい女の手で胸を刺し貫かれたのを、バーサーカーは自らの目で確かに視認した。

 

「お兄様──」

 

 彼女にとって、敬愛する兄を害する者は最優先で排除しなければならない。そのために体の向きを変え、脚に一気に力をこめる。

 

 だが、先程まで戦っていた相手も健在である。すでにバーサーカーを倒せとの命令を受けているルーラーが、背を向けて無事で済ますはずがなかった。力のこめられたふくらはぎを踏みつけ叩き折って、ルーラーが攻撃を仕掛けてくる。

 小細工の一切ない右ストレート。単純な破壊力がバーサーカーの頬を襲い、防御が間に合わないまま衝撃をくらう。

 

「……っ、私の邪魔をするなんて……!」

 

 バーサーカーは先の拳で欠けた奥歯の破片を吐き出しながら、ルーラーを睨みつけた。彼女がその眼光に怯むことはない。

 

「私はまだここに立っていますよ。よそ見は、しないほうがよろしいかと」

 

 むしろその口から飛び出すのは挑発だった。バーサーカーは脚部を最低限修復しつつ、歯を食いしばり、殴りかからずにはいられなかった。

 

「うるさい……ッ!」

 

 どこの誰とも知らぬ蜥蜴擬(トカゲモド)きに、兄を失う苦しみがわかってなるものか。

 衝動的に繰り出した拳を三度続けて受け流され、苦し紛れの回し蹴りも叩きつける竜尾がへし折ってくる。応急処置でくっつけただけの脛骨は簡単に壊れ、機動力は奪われる。

 

「くっ、この、どきなさい……ッ!」

 

 すぐ隣にあった棚を引っ掴んで、咄嗟にルーラーへ向かって投げつける。乗っていた花瓶が割れ、おさめられていた書籍がばらまかれる。

 

 ほんの少しでも目くらましになればいい。ルーラーが飛来物を尾で払っている間に、折られていない脚で床を蹴って、マスターのもとへと急いだ。

 ルーラーは、追いかけては来ないらしい。

 

「お兄様……?」

 

「……バー、サーカー、か」

 

「えぇ、私よ、お兄様」

 

 バーサーカーは己の手が血に塗れることも気に留めず、マスターの上体を抱き起こした。

 出血量や体温から判断するに、もう長くはないだろう。バーサーカーのスキルによって軽減されていようが、恐らくこれは内側から作動して自壊をもたらす術式だ。ただの人間を殺すには十分にもすぎる。

 彼自身もそのことを理解しているのか、彼は助けを乞うことはなく、死にゆくことを受け入れている様子だった。

 

 ただ、彼に心残りがあるとすれば、やはりあの卑しい女のことだろう。霞む視界でしきりにそちらを気にしており、バーサーカーは不快に思った。

 

「未練かしら、お兄様」

 

「……あぁ、まあ、そうなんだろうな」

 

 自分を殺した相手のことなど、案ずる必要があるはずがなかろうに。バーサーカーは無意識のうちに顔をしかめていた。そして、それを隠すように、彼のことを抱きしめた。

 彼の肉体はもう温度を失いつつあるというのに、どくどくと流れ出る血は生暖かかった。

 

「もういいのよ。お兄様は、戦わなくて」

 

 もう、妹のことを守ろうとする必要も無い。だって、彼はこれから死ぬのだから。

 

 彼は答えない。代わりに、震える右手をか弱く動かした。

 手の甲に刻まれているのは、まだ消費されていない紋様。サーヴァントへの絶対命令権──令呪だ。

 

「……令呪を以て命ずる」

 

「はい、お兄様」

 

 兄だった男が紡ぐ最期の願い。女神として、それを聞き届けてやらないわけにはいかない。どうせバーサーカーとて、このままマスターを喪い消滅するのだから。

 

 けれど、彼はそれを否定するように呟いた。

 

「明日菜と契約を結べ」

 

「──はい?」

 

 意味がわからなかった。サーヴァントの譲渡? まさか、自分を殺した相手に?

 バーサーカーが理解出来ずに呆然とする中、令呪は輝き、確かに魔力の流れを変革しようとする。

 

「重ねて令呪を以て命ずる」

 

「……待って、待ちなさい」

 

「明日菜に、従え」

 

「待ちなさいと、言っているでしょう……!?」

 

 体が言うことを聞かない。二画もの令呪を構成していた魔力がバーサーカーを縛り、振り向かせる。その先で、明日菜もまた驚きの表情を見せている。

 だが、やがて男の言葉の意味を理解し、にたりと笑った彼女は、手を伸ばしてきた。

 抗えないまま、バーサーカーはその手をとってしまう。それはまるで、今までの主従を塗りつぶす行為のように見えた。

 

「……これが、最後の令呪だ。

 ──明日菜を、よろしく頼む」

 

 バーサーカーの精神に生じた嫌悪感など露知らず、男は最期にそう言い残した。律儀にも全ての令呪を使い尽くし、最後の一画がほどけて宙に消えていくと、役目を終えたかのようにその生涯を終えていた。

 

 彼との契約が消失し、魔力のパスは忌まわしき女からのものに変わる。その瞬間、バーサーカーを縛り付けていた令呪の重圧が軽くなった。

 

 戦闘による破壊の爪痕が残る室内に、静寂が満ちる。バーサーカーは言葉を喪い、ルーラーは敢えてなにも話そうとせず、やがて沈黙を破るのは明日菜だった。

 

「──あは、あははっ、あっはははは! まさか、こんなことになるなんて! 本当に、本当に馬鹿なお兄ちゃん!

 あはははっ、あはっ、ひぃ、ひぃ……はぁ、お腹いたいくらい笑っちゃうわ!」

 

 腹を抱えて笑いながら、明日菜はソファに寝転んだ。すかさずルーラーが動き出し、明日菜の体にブランケットを優しくかける。

 

「こちらをどうぞ」

 

「はぁ、はぁ……ありがと、ルーラー。ついでに、床の片付けもやっておいてくれない?

 あと、死体の処理も」

 

「かしこまりました」

 

 メイドは淡々と業務をこなすのみだ。もはやバーサーカーを敵と認識していない。明日菜の護衛として警戒を敷く気配もなく、その明日菜もソファを堂々と占有するのみだ。

 その隙だらけの姿を前にしても、バーサーカーはその首を狙うことすらできない。バーサーカーの霊基に刻まれた『兄に従う』という行動原理が、その思考の邪魔をする。

 

「あ、そうだ、バーサーカー」

 

「……なに、よ」

 

「いくらいっぱいいるとはいっても、私の魔力も虫の数も有限だから……ルーラーの分から少しを回して、そこにおまけをつけたくらいで現界してもらおうかな」

 

 契約が成立した時点から、明らかにバーサーカーに供給される魔力は少なかった。

 恐らく、現在バーサーカーとパスが繋がっているのは一部の蟲どもだ。これでは十全な戦闘能力を発揮できず、その辺のサーヴァントでさえ殺しきれない。

 

 それも当然。本来、複数体のサーヴァントを一人のマスターが従えるなど、悪手にほかならない。供給できる魔力に限りがあり、必然的に出力が低下してしまうからだ。

 

 けれど、明日菜の場合はすでにルーラーという最高戦力が存在する。バーサーカーはあくまで、兄の置き土産に過ぎない。

 戦闘行動もろくにできないような魔力量で現世に縛り付ける。なるほど、女神に対する冒涜としては上出来だ。

 

「この私を……使い捨てる気……?」

 

 明日菜は首を振った。

 

「そう簡単には捨てないよ。今まで私を見下してきたぶんは返してもらうんだから」

 

 女神と人間ではランクが違うだけのことだというのに、どうやら彼女はそれを根に持っているらしい。

 ──けれど、その矮小な人間の、ただ一人を殺せないのが今のバーサーカーであった。それがどうしても歯がゆく、明日菜が笑う度、拳を強く握ることになる。

 

「あははっ、その顔……私が見たかった顔だよ、それ。

 あ、もしかして……あなたを好き勝手できるなら、お兄ちゃんも少しは役に立ったってことになるのかなぁ?」

 

 なんて首を傾げ、おどけてみせる明日菜。

 

 しかし、ふとその体がぴくりと震える。体内の刻印蟲の蠢動だ。肉体に彼らを住まわせる明日菜の皮膚は、不自然に隆起したり、ぎちぎちというおぞましい音を鳴らしている。

 

 それは明日菜にとってはとうに慣れた苦痛だろう。だが、大きく魔力を消費されるなどの刺激がなければ、蠢動は起こらない。

 突然のことに周囲を見回し、彼女はその原因を探る。

 

「っ、いったい、なにが」

 

「第二宝具、限定展開。真名封鎖、目標固定、終着削除──」

 

「ちょっ、ちょっと待って、ルーラー! な、なにしてるの!?」

 

 見回すとすぐに、黒い光球が視界に飛び込んでくる。メイド服の少女が、今まさに大量の魔力を消費せんとしているところである。

 慌てて尋ねる明日菜に対し、ルーラーは宝具の限定解放を止め、マスターに視線を向けた。

 

「なに、と言われましても、死体処理ですが」

 

「なんで宝具を?」

 

「近隣住民に不審がられないためにどうすべきかと考えました。

 結論として、遺骨も残らぬほどの火力で焼けばいいかと。ついでに家庭ゴミや瓦礫も一気に飛ばせますよ。

 そう考えると、炎ってすごいですね」

 

「……メイドの格好の割には、パワー系なんだね、ルーラー」

 

「私のクラスは従者(サーヴァント)ではなく調停者(ルーラー)ですので。

 では、燃やしても?」

 

「あ、うん、それはいいよ」

 

 ルーラーは詠唱に戻り、直後、暗黒の球が男の遺体と、周囲に集められた木片やガラス片たちのもとに放たれる。

 ごく小規模に限定された展開ではあれど、宝具には間違いない。圧縮された高エネルギーが一斉に照射され、あたりに衝撃波が迸り、照明の明るさを掻き消す暗黒の光で満たされていく。

 

「きゃっ!?」

 

 出力の落ちているバーサーカーでは、耐えきれずに尻もちをついてしまった。明日菜も同様で、衝撃波によってソファが倒れ、そのまま投げ出される。

 

 だが暗黒が晴れた時、確かにそこには集積された破片の群れも男の遺体も存在しない。そこにいるのは、自慢げに胸を張るルーラーがいるのみだ。

 

「ふふん、どうですか、この素晴らしい仕上がりは!」

 

 肝心の本人は、衝撃波が周囲を荒らして、結局掃除の手間を増やしていることは、まったく眼中に無いらしかった。



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月夜──クラスガール・アンド・プラント

短めです。


 生き物係は暗い部屋で目を覚ました。瞼をこすって、硬い床から起き上がろうとして、左脚の太股に力をこめたとたん、痛みが走った。

 そこには矢傷があって、幸い血は止まっていたけれど、生き物係は片脚を引きずらなければならないらしい。

 

 改めて、周囲を確認する。ここはずっと生き物係の通ってきた教室だ。血痕や破壊の痕跡が色濃く残り、死臭が立ち込めている。

 けれども、そこがバーサーカーにより壊滅した孤児院だと、生き物係にはすぐにわかってしまう。

 

 生き物係の記憶では、先程までは昼間の草原の中で、アサシンと委員長とともに行動していたはずだ。

 だが、時刻はとうに夜で、ここは屋内だ。アサシンの姿もどこにもなく、結界の中からは脱出できているみたいだ。

 背中と腰が少し痛いのは、目覚めるずっとこの硬い床に寝ていたからだろうか。

 

 それから月明かりを頼りに周囲を見回すと、割れた窓の傍らで、夜空を眺める少女が佇んでいた。少年はひとまず、彼女のもとへとよろよろと歩み寄った。

 けれど、その最中でバランスを崩し、受け止めてもらうことになってしまう。

 

「……っと、これでセーフね。いっちゃん、大丈夫?」

 

「う、うん」

 

「よかった」

 

 抱きとめてくれた彼女の瞳には、下弦の月の影と、生き物係の姿が映っている。

 生き物係は彼女の声に頷いて答えた。彼女は安心してくれたらしく、胸を撫で下ろす。

 

 ──そうして動いた腕に視線が行って、違和感に気がついた。その腕は植物が絡み合って作られており、人肌のものではない。そして、胸元には生々しく風穴が空いている。

 

「あら、ここ、怪我してるじゃない。応急処置だけでも、やっておかなくちゃね」

 

 そう言って、彼女は体から生えた植物から葉っぱをちぎって傷に当て、伸ばした蔓を巻き付けて包帯代わりとした。

 

 そうして処置を終え、委員長はまた空を見上げる。雲の切れ間から、下弦の月が顔を出している。

 

「気がついたらこんな時間になっちゃってたわね。門限、とっくに過ぎちゃってるわ。

 ま、もう私たちを縛る先生はいないから、関係ないけど」

 

 すでに月が傾くほどの時間帯だった。こんな時間に起きているなんて、生き物係にとっては初めての経験だ。規則に従っている生きてかぎり、夜更かしなんてありえなかったから。

 

 生き物係は少女の隣に立つように、窓辺に近寄った。叩き割られた窓からは、夜の風が吹いてくる。冷たくて、夜闇がまとわりついてくるみたいだった。

 

 空では、月を隠そうとするようにゆっくり雲が流れている。その光景を見ていると、なんだか不安になって、生き物係は呟いた。

 

「みんな、まだ、戦うのかな」

 

「えぇ。聖杯戦争はまだ終わってないもの。夜が明けたら、また戦いが始まるでしょうね」

 

 小夜も、マチも、ベルチェも、セイバーも、みんなまた武器を手に取るんだろう。断末魔が響いて、刃が降り注ぐ、そんな戦場に戻るんだろう。

 そう思うと、夜明けなんて来なければいいのに、と思ってしまう。

 

「心配なの?」

 

「うん」

 

 バーサーカーに自分と同じ孤児が死んでいくのを目の前で見た。

 大空洞で、得体の知れない構造物にされた子供たちのことも見た。

 

 今の生き物係が抱いているのは、大切な人たちにはそうなってほしくない、という気持ちだ。

 

「……ふぅん。やっぱり、人間ってそうなのかしら」

 

 何気なく少女がこぼした言葉。それを聞いて、なにかがひっかかって、少し考える。

 

 やがて、無意識のうちに呟いてしまった。

 

「あの。委員長はどこ、ですか?」

 

 ふと口に出してしまった言葉に、目の前の少女は笑顔のまま、動きが止まった。

 

 ──でも、話していてわかったことがある。結界の中で出会った委員長と、今こうしてここにいる彼女とは、きっと違う心を持っている。

 

 少女が、一拍おいてから口を開く。

 

「どうしたの? 私は委員長よ(・・・・・・)?」

 

「あ、えっと、そういう意味じゃなくて……その、また別に委員長がいたような気がして……」

 

「それは──」

 

 少女にとって答えたくないことだったのか、彼女は言葉を一度詰まらせ、深呼吸をしてから続きを口にした。

 

「──そうよね。あなただって、聖杯戦争を戦っているんだもの。話さないのは、おかしいわね」

 

 植物に覆われた少女は、自分を嘲るようにくすりと笑ってから、話を始めようとする。

 

「まず、だけど……こうして話してる『私』は人間じゃあないの。なんというか、植物の幽霊……みたいな?」

 

 生き物係は首を傾げた。人間ではないような発言は、時たましていたように思うけれど、植物の幽霊ってどういうことだろう。

 

「いきなりここから入るべきじゃなかったわね。えーと、どこから話せばいいのかしら」

 

 それからしばらく、生き物係は黙って彼女のする話を聞いていた。時々相槌をうつ程度で、深く聞こうとは思わなかった。

 

 彼女の口から飛び出すのは、生き物係の知ることの出来なかった事柄ばかりだ。

 彼女の本体は体にまとわりついた植物のほうで、それが『ランサー』のサーヴァントであること。

 召喚された瞬間、委員長の体を奪ってしまったこと。委員長の意識は、体の主導権を奪われて奥底に追いやられていること。

 そして、彼女は誰かの体を借りなければ、サーヴァントとして成立していられない、ということ。

 

 思い返せば、委員長に違和感を覚えるようになったのは、あの儀式をやらされた時だ。血で描いた魔法陣から飛び出した植物が委員長の胸を貫いてから、彼女は別モノ(・・・)になっていたのだ。

 

「それを伝えたら、あなたがどう思うのかわからなくて……その、ずっと黙っていて、ごめんなさい。

 やっぱりこんなの駄目よね。体はちゃんと治して委員長に返すわ……約束する」

 

 そう言いつつも、ランサーは視線を落としていた。

 

 委員長に体を返すということは、ランサーが体から出ていくということ。ランサーのサーヴァントはいなくなり、生き物係も聖杯戦争からは脱落することになる、

 だけど、彼女をこのままにしていいのだろうか。

 

 生き物係は咄嗟に彼女の手をとった。植物に覆われたその腕に体温はないけれど、どこか暖かかった。

 

「その、うまく言えないけど……僕も、小夜さんやベルチェさんたちの力になりたい。僕には戦えないけれど、ランサーにはそれができる……でしょ」

 

 ランサーは目を丸くして驚いた様子を見せながら、小さく頷く。

 

「聖杯戦争とか、願いとか、まだよくわかんないけど……きっと、また委員長に会った時、僕が戦ったって胸を張って言えるようにしたい。

 だから、手を貸して、ランサー」

 

 思うままに感情を吐き出した。泣きながら謝ってくれたあの子に、僕は誰かの命令じゃなく、自分の意思で戦ったんだって言えるように。

 

 すると、ランサーは目元から涙をひとすじ零しながら、嬉しそうな顔をして、返答を口にする。

 

「えぇ。サーヴァント、ランサー。この枝はあなたのために振るいましょう。

 ──あ、そうだわ。忠誠のあかしに、真名を教えておかないとね」

 

 返答の後、思いついたことを話すランサー。すると彼女がいきなり顔を近づけてきて、生き物係は少し驚いた。そして、耳元で彼女が囁く。

 

「……いい? 私の名前はね──」



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六日目
家路──ステイ・ウィズ・ユー


 結局昨日はどのマスターの手がかりも見つからないまま夜になり、ベルチェと小夜は危険を避けるために探索を中断した。

 そして訪れた翌朝、小夜はアヴェンジャーとともに、ホテルを出発してしばらく歩き、見慣れた場所にまでやってきた。

 

 ここは、霜ヶ崎にある修道院の一つだ。小夜が修道女として在籍している施設で、教会が付属して建てられている。この街では一番立派な宗教施設だが、築数十年ほどであり、割と最近建てられたんだとか。

 思えば、小夜はシスターになる前の7歳の時から、ここに住まわせてもらっている。もう12年間もの間お世話になっているのだ。それで見慣れないはずがない。

 

 だからといって、堂々と入っていく勇気がないのが、今の小夜であった。

 ここ数日、小夜は使徒のおつとめを完全にさぼってしまっている。それどころか寮の部屋にも帰らず、行方不明になっていたりもする。

 

「……怒られるだろうなあ」

 

 小夜は小夜でいろんなことがあったとはいえ、それは聖杯戦争の部外者にはわからないことである。

 聖職者の中には厳しい人も当然いるわけで、叱られる覚悟はしておかなければならなかった。

 

「それも小夜のことを心配してくれてるってことよ」

 

「そうかもしれませんけど……うぅ、うちの院長さん、怒らせたら怖いって噂なんですよ……」

 

「ふふ、きっと愛情深いひとなんだわ、その院長さん」

 

「そうなんでしょうか……?」

 

 こんな調子で、アヴェンジャーはずっとにこにこしている。でもそんな彼女と話していると、少しは覚悟が出来てきたような気分になれる。

 

 ここで勇気を出して、思い切って踏み込むべきなのだ。

 とはいえ、今はあまり神父さんや院長さんに会いたくないのも事実。小夜は教会の門ではなく、裏口の扉をこんこんと叩き、誰かが出迎えてくれるのを待った。

 

 するとほんの数秒後から、ばたばたと忙しない足音が聞こえてきて、やがて勢いよく扉が開かれる。

 そしてその直後、その扉を開いた本人が、勢いあまって飛び出し、地面に顔から倒れ込んだ。

 

 そのままピクリとも動かず、心配になって、小夜はその傍に屈んで声をかける。

 

「……あ、あの、大丈夫ですか?」

 

「その声は……もしやっ!」

 

「ふぇえっ!?」

 

 今まで動いていなかったはずが、いきなり勢いよく回転して仰向けとなり、上体を起こす少女。驚いた小夜が尻餅をつくのを見て、胸を張って続けた。

 

「ホントに小夜っちだ! やっぱり、そろそろ帰ってくる気はしてたんだよね〜」

 

「え、えっと、その」

 

「めっちゃ心配してたんだよ? あの真面目な小夜が家出なんてなにかがあったに違いないって、みんな大騒ぎでさ」

 

「そ、それはその、ごめんなさい……」

 

「いやいや謝ることじゃないって! 無事に帰ってきてくれたんだからさ!

 あっ、アヴェちゃんもおひさ! 元気してた?」

 

「えぇ、もちろんとっても元気だわ!」

 

「ならよし!」

 

 炸裂する元気いっぱいマシンガントーク。彼女は小夜のルームメイトで、お喋り好きで、真っ赤なツインテールの女の子。名前は『マドカ』という。

 彼女は小夜よりも3、4歳ほど歳下なのだが、同時期にこの修道院へとやってきたため、小さい頃から仲がいいのだ。

 

 素早く立ち上がった彼女は小夜に手を貸して立たせてくれ、そのまま修道院の中に迎え入れてくれた。

 

「私、ちょうど休憩中でさ。話し相手もいないし暇だな〜と思ってたから、タイミングばっちしだったよ」

 

「マドカちゃんの方は、お稽古順調ですか?」

 

「もちろん! このまま師匠も越えちゃうよ!」

 

 彼女がなにかの稽古をつけてもらっている、ということは知っている。その内容は頑なに教えてくれないが、うまくいっているようで安心する。

 

 通りすがりに覗いてみた部屋も、廊下の風景も、壁に掛かった知らない名画も、全くと言っていいほど変わりない。小夜にとってこの数日は目まぐるしいものだったけど、マドカや他のシスターたちは日常生活を送っていたんだろう。

 そのまま誰ともすれ違うことなく、二人で使っていた部屋に到着した。彼女に促され、マドカとテーブルを挟んで向かい合って座る。

 

「ほい、熱々のホットココア二人前」

 

「あ、ありがとう、マドカちゃん」

 

「気が利くのね!」

 

 小夜の隣にちょこんと座るアヴェンジャーは、ありがたくホットココアに口をつける。彼女が熱がる様子もなく飲んでいるので、小夜も早速飲んでみることにした。

 コップの取っ手を持ち、湯気の立ち上るそれを唇に近づけた。

 

「熱っ……!」

 

 触れたとたん、想定より熱くて、思わず口を離してしまう。

 

「小夜っちってば、熱々って言ったのに」

 

「うぅ、アヴェンジャーさんが遠慮なく飲んでるからいけるかと……」

 

「あらお姉様(シスターさん)、残念ながら私は特別製なのよ。

 マドカさん、おかわりをくださる?」

 

「あいよー!」

 

 彼女の体内には炎が燃え盛り、体温も人間のそれよりずっと高い。そのことをすっかり失念していた。

 けれど、こうしてマッチ売りの少女が温かいココアを堪能しているんだと思うと、なんだか感慨深いものがある。何せ、彼女は本当は路地裏で凍えていた女の子なんだから。

 

 そうしてアヴェンジャーを見ながら微笑ましいなあ、なんて小夜は思っていた。

 その目の前にマドカが座り、さっきまでの気持ちのいい笑顔とはまた違う、真面目な顔を見せる。

 

「……それで? 訳があって出ていって、用ができたから帰ってきたんでしょ」

 

「あ、えと、うん……」

 

 マドカの言う通り、戻ってきたのはまたここで暮らすためではなかった。

 

「その、大したことじゃないんですけど……うちって、新聞取ってましたよね」

 

「好きなヒトがいるからねー」

 

「あの、それを4日分、少し借りられないかな……って、思って」

 

「そんなことでいいの? まあそれなら、かけあってみるけど」

 

「あっ、ありがとう、ございます」

 

 マドカは首をかしげた。小夜だって思う。このインターネット全盛の時代に、わざわざ新聞を情報収集の手段にしようとするなんて。

 言い出しっぺのベルチェが、小夜が修道院に顔を出せるよう、気を使ってくれただけなんだと思う。

 

 じゃあもらってくるね、とマドカが席を外し、部屋にはアヴェンジャーと小夜がふたりきりになった。小夜はちゃんと吹き冷ましてからココアを飲んで、その優しい甘さに思わず頬をほころばせる。

 

「帰ってきてよかったみたいね。だってお姉様(シスターさん)、一昨日からずっと険しい顔ばっかりしてたんだもの」

 

 確かに、この数日は息をつく暇もなかった。過去の自分のこと、聖杯のこと、そしてこれからのこと。不安がいくつもあって、そのうえ体はボロボロで、こうして安らぐ時間もなかったのだ。

 ベルチェもマドカも、なんとなくそれを察して、この時間を用意してくれたんだろうか。

 

「ふふっ、なんだかとってもいいわね。ここがあなたの帰る場所なんだわ」

 

 アヴェンジャーのそんな言葉を聞きながら飲むココアは、とっても甘くて、あたたかい。

 

 そんな時間をゆっくりと過ごしているうち、ばたばたと忙しないマドカの足音が戻ってくる。帰ってきた彼女の手には数日分の新聞があって、小夜の目の前に並べてくれる。

 それらの見出しは、ほとんどが不審な殺人事件だの爆発事故だの、物騒にも過ぎることばっかりだ。

 

「これが四日前のやつ。で、こっちに行くほど新しいやつだよ」

 

「ありがとうございます……!」

 

 これでベルチェに頼まれたことは達成した。あとはこれを持ち帰って、彼女に渡せばいい。

 マドカに礼を言い、新聞を手に取って、小夜は立ち上がろうとした。

 

「待って。行くんでしょ、小夜っち」

 

 それを引き止められて、振り返る。

 

「これも、持っていってほしいな」

 

 そう言って彼女が机の上に置いたのは、1本の細い長剣だ。刃渡りもいつも見ている包丁より大きくて、持ち歩いているのが見つかったら即銃刀法に引っかかりそうなサイズだった。

 

「えっと、それは……?」

 

黒鍵(こっけん)っていってね。投げたり刺したりする武器だよ。吸血鬼とか幽霊とかによく効くんだ。

 護身用に持っててよ。もしかしたら、役に立ってくれるかもしれないしさ」

 

 どうしてマドカがそんなものを持ち出してきたのかはわからないが、聖杯戦争なんてものに身を投じている小夜にとって、戦える武器があるに越したことはない。

 マドカは小夜の上着の内側に黒鍵を仕込んでくれ、これでよし、と肩を叩いた。

 

「小夜っち、アヴェちゃん。ふたりとも、行ってらっしゃい。

 明日は小夜っちの誕生日パーティーやるから、必ず帰ってきてね」

 

「……はい」

 

 小夜は頷き、マドカは微笑み手を振った。

 

 ──誕生日。明日で小夜は20歳になる。ずっと忘れていた。いや、無意識のうちに、認識しないようにしていたのかもしれない。

 

 明日の今頃、自分がどうなっているかはわからない。けれど、きっと願いは叶えていると信じたい。

 

「行きましょう、お姉様(シスターさん)

 

「……はい、アヴェンジャーさん」

 

 互いの名を呼んで、手を取り合って、少女たちは運命へと歩き出す。



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捜鎖──ブルースカイ・ハミングウィンド

「あ、あの、戻りました」

 

 ノートパソコンに向かっていたベルチェは振り向き、小夜が帰ってきたことを視認する。顔色はやはり優れないものの、少し気が楽になったのか、表情は昨夜より険しくない。

 

「おかえり。お友達には会えた?」

 

「はい、元気そうでした」

 

「それはよかった」

 

 彼女が教会へ行くことで気が紛れるかと思い頼んだことだったが、どうやら成功のようだ。

 

 これから聖杯戦争は終局へと向かっていくだろう。ただでさえ体を蝕まれている小夜を、ずっと張り詰めた戦場に置いておくわけにはいかない。

 ベルチェにとって彼女は大切な友人なんだから。

 

 さて、ここからは情報を整理する時間である。小夜から新聞を受け取り、そこに書かれた物騒な事件を、地図にメモしていくのだ。

 土地勘のない霜ヶ崎の地図とにらめっこしつつ、小夜のサポートも受けながら、まとめていく。

 

 その様子を見守るのはセイバーとアヴェンジャー。時に、彼らが起こした戦闘の余波も爆発事故として処理されており、その情報も踏まえ、ベルチェお手製のシールを貼り付ける。

 

「この爆発……ガスってことになってますけど、アヴェンジャーさんとアーチャーが戦った時のだと思います」

 

「では、炎シールと弓シールだな」

 

「そういえば、その直前にキャスターが修道院に来ました」

 

「教会あたりに杖のシール……っと」

 

 交戦と殺人事件、あるいはガス爆発などの情報を記していけば、聖杯戦争の動向がわかる。ひいては、他陣営の行動範囲も把握出来るかもしれない。

 それを期待しての作業だ。しかし、想定以上に殺人事件や行方不明者が多く、メモ内容は急激に増えていく。

 

 その途中で、ふとセイバーが地図の中のある範囲を指さした。

 

「このあたりのメモ……『女性の行方不明者が最後に目撃された場所』って割合が多くないか。

 他は無差別に殺してるみたいだけど、こっちはそれとは違う。明らかになにかが潜んでる」

 

「なるほど……では、もう少しネットで調べてみよう」

 

 噂というものは恐ろしいものだ。すぐさま蔓延し、完全に取り除くのは不可能である。

 それに、たとえ聖杯戦争の監督役だろうと、こうも事件が多いと揉み消しきれないのだろう。

 

 SNSや掲示板サイトを見る限り、確かにここ数日になってから噂が立っているのがわかる。以前からこの土地に住まう怪異とか殺人鬼よりも、魔術師かサーヴァントである確率が高い。

 

 と、そこまでの推察をみんなに話したベルチェに、セイバーが問いかけた。

 

「で……魔術師かサーヴァントだとして、誰がここに潜んでるっていうんだ?」

 

 ベルチェはにやりと笑う。そこも含めて、すでに推理はしてあるのだ。

 

「セイバー、アサシンの宝具を覚えているか?」

 

「あ? えっと……確か、バートリなんとかエルジェーベト……」

 

「そうだ。『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』。

 バートリ・エルジェーベトといえば、有名な殺人鬼だろう。処女の生き血を浴槽に溜めてそこに浸かった、なんて逸話がある」

 

「なるほどな。宝具がそのまま真名なら女子供を狙って当然、それ以外の英霊でも殺人鬼に縁深いってわけだな」

 

 つまり、この地区にはアサシンが拠点を置いていることが考えられる。それ以上絞り込むことは不可能だが、あとは現地で探せばいい。

 

「ってことは、その場所に行くのね」

 

「あぁ。だけど、今回は手分けをしよう」

 

 現状、仮想敵として置くべきはバーサーカー及びルーラーだ。どちらも規格外の能力を持ち、セイバーとアヴェンジャーの2騎で撃破するのは難しいだろう。

 残る3騎──ランサー、キャスター、アサシンのうち、可能な限り引き入れておきたい。

 

 それに、仮にアサシンがエリザベートだったとすれば、相手は殺人鬼。小夜のような根からの善人と話し合って、分かり合えるタイプじゃないだろう。彼女は別のサーヴァントの捜索にあたらせたほうがいい。

 

「小夜たちは生き物係少年が帰ってきていることを期待して、孤児院を確認してくれ」

 

「……わかりました。二人を連れて、戻ってきますね」

 

「あぁ……っと、そうだ。敵サーヴァントと出会ったら無理せず逃げること。小夜はまだ本調子じゃないんだからな」

 

「あっ、はい……ですよね、はい」

 

 釘を刺しておいた方が、小夜も無理をしないように心がけてくれることだろう。

 

 四人揃って部屋を出て、しっかり部屋の鍵を閉め、あとは二手に分かれて出発だ。

 どうかここからうまくいくことを祈りつつ、ベルチェたちは外へ踏み出していく。

 

 ◇

 

 ──アサシンが潜んでいるとアタリをつけた地区へ、ベルチェとセイバーは歩いて数十分ほどで到着した。

 その光景は一見何の変哲もない住宅街だ。しかし、電柱には行方不明者の目撃情報を求める貼り紙がいくつもあり、異常性が垣間見えている。

 

「それで? どうやって探し出すんだ。まさかローラー作戦とか言わないよな」

 

「さすがにそれはない。安心したまえ、私にはこれがあるのだよ」

 

 自信満々にベルチェが懐から取り出すのは、複雑に絡まった鎖の塊である。太く短い蛇のような形をしており、魔術の影響からかウネウネ動いていた。

 

「こいつは使い魔『ツチノコ1号』。日本に伝わる幻獣から名付けさせてもらった」

 

「……どういう能力があるんだ?」

 

「他人の魔力を嗅ぎつけるんだ。魔術をくらったり、強い気配を感じると私に座標がわかるようになっている」

 

 ツチノコ1号を地面に離してやると、小さく金属音をたてながら、蛇行して道を行き始める。人間の歩行速度とだいたい同じくらいのスピードだ。意外と速い。

 

「これだけ元気に動くということは、近くに結界かなにかがあるはず。ついていってみよう」

 

「あぁ。後ろの警戒は任せとけ」

 

 一心不乱に突き進んでいるツチノコ1号に誘導されながら、ベルチェとセイバーは歩き続ける。すれ違う人影はなく、ふたりの間にも会話はない。響くのはカラスの鳴き声と、歩くふたりの足音と、ツチノコ1号が鳴らす金属音だけだ。

 

 その沈黙を破り、ふとベルチェが言葉をこぼした。

 

「ねぇ、セイバー。魔術師というより、これでは超能力探偵じゃないか。アンパンとミルクが欲しくなってくる」

 

「この世の中、超能力探偵の方が珍しくていいんじゃねえか」

 

「……ふふっ、そうかも」

 

 ベルチェは少しにやついた。セイバーがジョークに乗っかってくれたのが嬉しかったんだと思う。

 そうだ、このくらい肩の力が抜けていてこそのベルチェ・プラドラムだ。弱気じゃなく、気楽にいこう。

 頬を叩いて自分に言い聞かせ、歩み続ける。

 

 やがてとある一軒家の前で、ツチノコ1号の動きが止まった。ベルチェの脳裏にこの場所の座標情報が流れ込んでくる。

 ということは、ここにアサシンのマスターがいるのだろう。見る限り周囲の家と大差ない一般邸宅だが、そこを根城にしている可能性は高い。

 

「行こう」

 

 ツチノコ1号を拾って懐にしまいこみ、ベルチェは玄関先に立った。警戒は怠らないようにしつつ、震える指で呼び鈴を押す。

 

 ──その瞬間、住宅街に銃声が鳴り響き、ベルチェの体が浮き上がった。セイバーに抱えられているのを理解したのは、彼の腕がみぞおちのあたりにあるのに気がついてからだった。

 

「……よ、よくもまあ、敵マスターの家に堂々と現れて、インターフォンなんて押せるのね」

 

「こちらとしては、それが戦意のない証明になるかと思ったのだが」

 

 襲ってきたのは女魔術師だ。手にした拳銃からは魔力の気配が色濃く漂っており、ただの凶器ではなく、カスタムされた代物だろうことがわかる。

 

 彼女がアサシンのマスターか。だとしたら、サーヴァント単体で現れるよりも話は早いだろう。セイバーに抱えられたまま、対話を試みる。

 

「貴方がアサシンのマスターだろう。こちらはのサーヴァントはセイバー。私の名はベルチェ・プラドラムという。時計塔所属の魔術師だ」

 

「……ふ、ふふ、そのベルチェさんが、いまさらなんだっていうの? なにかの交渉のつもりかしら」

 

「無論、同盟だ。ルーラーとバーサーカーといった強敵が残っている以上、戦力が必要だ。そのため、アサシンの力を貸してほしい」

 

 そう簡単に承諾を得られるとは思っていない。それでも当たってみる価値はあるはずだ。彼女が銃口を下ろす気配はないが、ベルチェは固唾を飲んで彼女の返事を待つ。

 

 「──さない」

 

「……?」

 

「渡さない。あの子は誰にも……渡さない……!」

 

 再び響く銃声。銃弾はセイバーの剣が防ぐが、ここでは引鉄が引かれたことに意味がある。彼女がベルチェたちとの共闘を拒んだ、ということだ。

 

 さらに直後、ベルチェめがけてナイフが投擲される。突き刺さる前に鎖を展開して受け止めたが、飛来した方向を見ると、民家の窓を叩き割って這い出てくる人影がある。アサシンだ。

 彼女は夢遊病者のようにゆらゆらと、マスターの元へ向かっていく。その最中も、不規則に何度か凶器の投擲を繰り返し、セイバーは魔術師の銃弾と同時に対処を強いられた。

 

 まず銃撃に剣で対処し、それからアサシンの放った鉈を飛んでかわし、続く二発の弾丸をベルチェの鎖が絡め取って止め、飛来する大型のナイフは剣により叩き落とされた。

 そんな防戦の中、ベルチェは汗を拭いながら呟く。

 

「……まずいな。こっちも話が通じない手合いだったか……セイバー、撤退しよう」

 

「あぁ、こっちも同意見だ。軽くて頼れるとはいえ、マスター抱えたままじゃどこまでやれるかわかんねぇからな」

 

 無理に説得しようとしても、アサシンとそのマスターはこちらにさらに強い殺意を向けてくるだけだろう。ふたりの虚ろな目を見ればわかる。

 

「そうと決まれば……『弾丸特急連鎖(トラベル・チェイン)』ッ!」

 

 箒を使った飛行魔術を転用し、鎖を手繰り寄せるが如く楔を打った地点にまで吹っ飛んでいく。それがベルチェの緊急脱出魔術だ。

 セイバーごと自分を鎖でぐるぐる巻きにし、『弾丸特急連鎖(トラベル・チェイン)』の名を叫ぶと同時に起動。弾丸や凶器が襲ってくるのもものともせず、金属の塊が高速で宙を舞う。

 

「……うまく、いかなかった。こういうこともあるだろうが……戦力が少ないなら、今後の戦略はきちんと練らなければならなくなってくる」

 

 アサシンを引き入れるのには失敗した。ランサーは小夜がうまくいっていることを祈るしかなく、残るキャスターに至っては全く消息不明だ。

 難敵にぶつかっていくとなれば、この状況では不安が残るだろう。

 それでも、手持ちのカードでなんとかするしかないのが戦いというものだ。気を取り直していかなければ。

 

 ベルチェは改めて、高速で飛ぶ鎖塊の中から、地上を眺めている。速すぎて、なにがなんだかわからない。

 

「見てみて、セイバー。ほら、綺麗な景色」

 

「いや、これじゃなんにもわかんないだろ……しっかし、すげぇ速いな。アストルフォの奴がヒポグリフ乗り回してるが、こんな感じなのか」

 

「まあ、爽快だろう。それに鎖に包まれてるから、舌を噛んだり強風で前髪が乱れたりしない」

 

「緊急脱出魔術で前髪気にしてる場合かよ!」

 

 ベルチェとセイバーは空をゆく。風の中で、お互いにしか聴こえない声を交わしながら。



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散華──スター・ドロップ・モーニング

「おはようございます」

 

「えぇ、おはよう」

 

 朝日の見えない、曇りきった朝。それでも明日菜にとっては爽やかな朝だ。

 なんたって、昨日最大の邪魔者が明日菜の手の中に堕ちたのだ。これほど清々しく眠れた夜は今までにないくらいだった。

 

 そんないい気分の明日菜が起きてきたとき、台所から返事をしたのはルーラーだ。当然、両親も兄ももういない。迎えてくれるのはサーヴァントだけだ。

 朝食は最近ずっと明日菜の担当だったが、今日からはルーラーが作ってくれるのだろうか。

 

 明日菜はひとまず、食卓に腰掛けた。居心地が悪そうに座っているバーサーカーの向かいの椅子を、わざと選んで。

 

「ルーラー、お料理できるの?」

 

「命令されたなら実行します」

 

「じゃあ、お願い」

 

 言われた通り、彼女はメイド服のエプロンの紐を結び直し、袖をまくりあげ、作業を開始する。彼女がいつどこの英霊かは知らないが、ああ言うってことは家事も得意なんだろう。確証はない。

 

 そちらの方は放っておいて、明日菜はフレンドリーな笑顔を作りながらバーサーカーに視線を向けた。そうすると、今度はバーサーカーの方が目をそらす。

 

「マスターに対してそんな態度でいいの?」

 

「……私の主はあんたなんかじゃないわ」

 

 彼女の目は反抗的だ。けれど、今の明日菜には、それすらも滑稽に見える。

 

「へぇ。その主になんて言われたんだっけ、教えてくれる?」

 

「それ、は……あんたに、従え、って……」

 

「よくできました。いい子だね、バーサーカー」

 

「……ッ!」

 

 以前のバーサーカーなら、気に食わないことがあればすぐさま明日菜の殺害に出ただろう。それに本来なら、いくら令呪でも神霊級のサーヴァントに抽象的な命令をここまで聞かせることは出来ない。

 

 だが、彼女の場合、その成り立ちからして『兄の言うことに従う』女神だ。その存在の根底を、自ら狂わせることは不可能である。

 それを利用すれば、こうして明日菜が彼女をいいように扱うこともできる、というわけだ。

 

 確認を終えたところで、明日菜は計画を実行に移そうと決めた。

 

「そんないい子のバーサーカーちゃんに命令だよ。

 ──『どれだけ苦しくても耐えなさい』」

 

 屈辱に奥歯が砕けそうなほど歯噛みしていたバーサーカーは、明日菜の言葉を不審がり、後ずさって身構える。

 そんな彼女を前に、明日菜は立ち上がって上着を脱ぎ捨て、スカートをばさばさとはためかせた。

 体内から現れるのは蟲どもだ。背中の皮膚を突き破って無数の羽虫が飛び立ち、スカートの中から落ちてくるのは百足や蚯蚓たち。一瞬にしてとても食卓には似つかわしくない光景が広がった。

 

「な、なんのつもりよ……虫なんて穢らわしいものをこの私の目の前に……!」

 

「『動くな』。この子たちの可愛さ、今からたくさん教えてあげるから」

 

 明日菜の命令に従わざるを得ないバーサーカーは、今まで戦闘で見せていた苛烈さはどこへやら、なすがまま虫たちに群がられていく。

 

 刻印蟲たちは明日菜の魔術回路そのものに近い。ならば、バーサーカーにもそれを取り込ませれば、実質的に彼女への魔力供給となる。

 それに、彼女は地下工房にあった凍結胎児を利用して誕生した擬似サーヴァント。その肉体に弄り回し、明日菜と同じようにしてしまうことはできるはずだ。

 

 実際は、わざわざそんな方法を取る必要はない。これは無意味な嫌がらせに過ぎない。ただ明日菜がバーサーカーを陵辱したいだけだ。

 でも、これは聖杯戦争のため。そう思っていた方が、ずっと気分がいい。

 

「い、嫌っ、こないで! 私は女神なのよ!? 私の体はお兄様のためにあるの! それなのに、こんな、こんな──」

 

 泣き叫ぶ少女の体を這い回り、そしてその衣服の内側へと潜り込み、虫たちは彼女の陵辱を開始する。

 バーサーカーが泣き叫ぶ声はとっても愉快で、そして、いつか明日菜自身があげた泣き声に似ていた。

 

「できました、どうぞ」

 

「あら。丁度良かった、たくさん虫を出したから、お腹が減ってたの」

 

 明日菜は改めて食卓についた。そして、バーサーカーが虫に犯される姿と悲鳴を楽しみながら、ルーラーに配膳されたフレンチトーストを口に運ぶのだった。

 

「……う、甘くないしべちゃべちゃ」

 

 残念ながら、その出来はお世辞にも良いとはいえないものだったが。

 

 ◇

 

 ドロレス五百八十七号はキャスターのマスターである。

 しかし、レイラズが製作した礼装によりネットワークの主導権を奪われ、さらにその礼装が明日菜の手に渡ったことで、彼女のあやつり人形に等しい状況となっていた。

 

 丸一日を要してどうにか非常回線を作り、キャスターへの念話を確立させたが、他のドロレスの個体が明日菜に利用されていることには変わりない。

 このままでは、恐らく、聖杯戦争の主導権を握られたまま戦いは終着へと向かってしまう。

 

 それだけは、なんとしても避けたかった。

 例え瀬古の現当主だったとしても、聖杯はドロレスの師の夢のために作られたもの。土地を貸しただけの魔術師が、勝手に根源への到達程度に使っていいものではない。

 

『──キャスター、聞こえるです?』

 

 明日菜が刻印蟲の魔術を行使している間は、影響力が少し弱まる。その隙を狙い、ドロレスはキャスターへと念話を繋げた。

 

『……我がマスター? 本物ですか?』

 

『はい、本物なのです。現在は瀬古家の地下工房に監禁状態なのです』

 

 ドロレスにはどうにかしてここから脱出する必要がある。あるのだが、明日菜の手には礼装、さらにルーラーとバーサーカーという最強クラスの駒が存在している。

 現状、キャスター単騎では間違いなく攻略不可能だろう。

 

『今すぐ助けに来いとは言いません。これより、我々は瀬古明日菜に打って出させます。キャスターは他のサーヴァントの元へ行き、片方だけでも撃破できるように努めてください』

 

 五百七十号がアサシンとセイバーを、四百九十九号がランサーを捜索するアヴェンジャーを捕捉している。

 

 この情報を明日菜に渡せば、彼女は動き出すはず。

 さらに、今のいい気になっている彼女なら、サーヴァントの力をひけらかすいい機会だと、戦力を分散させてくれる可能性さえある。

 

 キャスターの助力により3対1の状況に持ち込めれば、明日菜のサーヴァントのうち片方を撃破するにまで到れるだろうか。

 大きな賭けとなるが、ドロレスには選択肢がない。できることを、やれるうちにやる他にないのだ。

 

『わかりました。では、私はどちらかの援軍に向かいましょう』

 

 キャスターの同意があれば、あとはドロレスが作戦を開始するだけだ。明日菜が接続している侵入礼装に、それぞれのサーヴァントたちの映像を流し込んでやる。

 

 作戦開始だ。思い通りに動いてくれることを祈って、ドロレスは静かに反撃へと出る。

 

 ◇

 

「──ん。ドロレスが他のサーヴァントの居所を見つけたみたい」

 

「では、出立ですか?」

 

「うん」

 

 美味しくないフレンチトーストを完食した明日菜は、食器を歩く洗って片付けると、ドロレスから手に入れた情報を元に動き出す。

 ルーラーを連れ、今まで屈辱を味わわせてきた相手に逆襲するのだ。

 

「待ってなさい……レイラズ・プレストーン。

 あぁそうだ、もう片方のどうでもいい奴は、バーサーカーちゃんにお任せするね」

 

 そうとだけ言いつけ、明日菜はルーラーとともに出発していった。リビングには、バーサーカーがひとり残される。

 

 蟲になぶられ、すっかりぐちゃぐちゃにされてしまったバーサーカーは、虚ろな瞳で己と蟲の体液にまみれ、壁に力なく寄りかかっていた。

 割れた窓から入ってくる風が体を撫でるたび、不快感に体が震える。

 

 けれど、明日菜の命令のため、脚に力の入らないまま、攻撃に出るしかない。

 

「……お兄、様」

 

 すがりつくために思い浮かべる顔は霞んでいる。かつてのマスターの名がなんだったのか、もう思い出せやしない。

 それでも、彼が残した『明日菜に従え』という枷は確かに少女を縛り、もはや狂戦士とは誰も思わぬような足取りで、ふらふらと歩かせるのだった。



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恋慕──レイラズ・プレストーン

「……ちっ」

 

 レイラズは曇り空を見上げながら、恨めしげに舌打ちをした。視線の先にはカラス1匹すらいない。敵は空中へ脱出してしまい、とうに見えなくなっていた。

 

 聖杯戦争六日目にして、レイラズとアサシンが拠点としていた民家に、サーヴァントが現れた。クラスは……もう覚えていない。どうでもいい。

 抱えられていたマスターの名前も、覚える必要もない。どうせ知らぬ魔術師だ。

 

 それより、敵陣営にこの場所を知られたことが問題だった。せっかく今までずっとエリザベートと過ごしてきたのに、離れなければならないなんて。

 

「ご、ごめんね、エリザベート」

 

 エリザベートはこの家にあったライブDVDなんかが気に入ってる様子だった。

 それにレイラズにとっても、初めてエリザベートと体を重ねた場所だ。半ばこれだけ見つからなかった場所だけに、思い入れも生まれてしまう。

 

 元々すぐに捨てられるように民家を選んだというのに、この調子では意味がない。はやく切り替えて、礼装と材料をさっさと整理してしまわないと。

 屋内に戻ろうと、扉に向かって早足で歩き出す。そんなレイラズの袖の端を掴んで、アサシンが引き止めた。

 

「えっ、エリザベート……?」

 

 首をかしげるレイラズの墨色の髪を、アサシンの青白い手が撫でた。驚いて彼女の顔を見ると、優しく、微笑んでいる。

 きっと、慰めてくれているのだ。その理由までは理解していないかもしれない。幼い少女が、泣いている妹をあやすように。

 それがアサシンの──今のエリザベートの見せる、優しさなのだ。

 

 もう少しだけ、甘えていてもいいだろうか。結界により往来に人はなく、さっきのサーヴァントは、またしばらくここには現れないだろうから。

 

 レイラズは屋内へ戻るのをやめ、アサシンの華奢な体を抱きしめた。冷たくて、鉄のにおいがする。色の抜けた髪が顔をくすぐって、それだけで、昨日の鮮烈な初夜が思い出された。

 

 その青ざめてなお瑞々しい唇に触れたい。また、あの夜のように、彼女に溺れたい。

 

 レイラズはそのまま、アサシンの唇と自分の唇を重ね合わそうと、顔を近づける。柔らかな彼女の体と自分が触れ合って、彼女の感触のことしか考えられなくなって──

 

 ──その時、わずかに風を切る音がした。

 

 直後、アサシンがレイラズを押し退ける。突然のことに驚くレイラズをよそに、彼女は己の左腕で飛来する存在を受け止めんとする。

 それは敵対者の蹴りの一撃だ。彼女の細腕は簡単にあらぬ方向へと折れ曲がり、肉は弾け飛んでしまう。

 露出する白い骨はどこか綺麗で、飛び散る肉片と血液の紅はエリザベートを彩った。そんな眼前の光景を、レイラズは少しの間理解できないでいた。

 

 ふたりだけの静かな花園に現れる異物。それは蒼い鱗のしなやかな尾を生やした少女──ルーラーと、そのマスターである明日菜の姿だ。

 不意の一撃でアサシンの左腕を破壊したルーラーは、明日菜が現れると彼女の傍らへと跳躍していった。そのメイド服の裾とパンプスはアサシンの返り血に染まり、しかし涼しい顔で明日菜の隣に立っている。

 

 ようやく状況を飲み込んで、レイラズは敵襲に怒りを燃やした。上着の内側に手を突っ込んで、拳銃を掴み、身構える。

 

「ッ、あ、貴女……わ、私の、アサシンを……!」

 

「ごめんね、邪魔しちゃったよね。せっかくサーヴァントとイチャついてたのに」

 

「ふ、ふざけるな……ッ!」

 

 激情のまま、レイラズは躊躇いなく引鉄を引いた。しかし銃弾は明日菜に届く前に、割り込んだルーラーが踏みつけ、強引に止める。当然、仕込まれた誰かの起源は発動しない。

 そのままセミオートによる連射を行い、六発の弾丸を使い尽くしても、明日菜もルーラーも一滴の血すらも流さぬままだった。

 

 銃声が止んで、硝煙が立ちのぼる中、住宅街は沈黙に包まれる。そして互いの陣営ともに動きを見せないまま数秒の時が流れ、やがて明日菜が口を開く。

 

「これで終わり? あぁそう。じゃあ今度はこっちの番ね。

 ルーラー。アサシンを殺しなさい。彼女の目の前で、呆気なく」

 

 今まで利用されていたことへの意趣返しとして、明日菜が選んだのはアサシンを脱落させることだ。他ならぬレイラズの目の前で。

 命令を受けたルーラーは動き出す。対するアサシンも、眼前の彼女が拷問対象であるという認識より、再構成させた腕に大斧を握り締め、飛び出していく。

 

「だ、だめ……っ!」

 

「安心して。アサシンを殺すまで、あなたは殺さないから。私を使い潰そうとした報いを受けるまで……ね」

 

 ただでさえ直接戦闘に向かないステータスのアサシンでは、ルーラーには勝てない。それは大空洞の戦いで思い知らされている。

 だからこそ、明日菜はこうして、わざわざマスターを見逃すような真似をしているのだ。

 

 引き留めようとするレイラズの声は届かない。戦闘の開幕を告げたのは、ルーラーの回し蹴りであり、アサシンの手にあった斧の刃が砕けて宙を舞っていた。

 

 残った柄で殴り掛かるのを、ルーラーは素手で掴み受け止める。そしてその瞬間に腹部への膝蹴りが放たれ、アサシンの体に突き刺さる。

 その瞬間、彼女は咄嗟に己の腹に何重にも巻き付けられた荒縄を生成する。縄を衝撃を抑えるクッションとし、反撃にその両端をルーラーの脚に巻き付けるのだ。

 一瞬動きを止めることに成功はしても、ルーラーには竜の尾がある。尾で体を支えれば、片脚が封じられていても、ハイキックを放つことは可能だ。

 

 アサシンの端正な顔が、頬に叩きつけられるパンプスのつま先で歪む。砕かれた歯の欠片が血液とともに地面に散らばった。

 だが、アサシンは痛みでは止まらない。ルーラーに掴まれていた柄を手放し、次の瞬間にはすでに次の凶器を握っている。ルーラーが振り上げた脚の太ももへ、下方から何本もの釘を突き刺し、貫かせる。

 そしてもう一方の縄が絡まった脚は、その縄に締め上げられ、そのうちアサシンが上からバットで殴りつけたことによって大腿骨がへし折られる。

 

 両脚の傷ついたルーラーは不利だ。折られた脚を縛る縄に手をかけ、力任せにひきちぎるが、その間にアサシンの振るった大型の鉈が頭蓋を襲う。破壊には至らずとも、頭皮が切れ、血液が額を伝う。

 

 そして縄が千切られた直後、ルーラーは自分の体を尾で支えるのをやめ、地面に寝転がった。馬乗りになって頭部を狙おうとするアサシンに対し、ルーラーは単純な殴打で迎撃する。

 そして、彼女の胸元に叩きつけられた正拳突きはアサシンを後方へ仰け反らせ、その瞬間ルーラーは下半身の霊体を再構成する。すぐさま尾をバネにして飛び上がり、上から尾を叩きつける。

 

 先程頭部に振り下ろした鉈を受け止めるために用いるアサシンだが、簡単に破壊され、衝撃を食らう。バランスを崩し倒れかけたところへ、休む間もなくルーラーのパンチが襲ってくる。

 

 凶器を盾に使って凌ぎ、反撃で傷を与えても、ルーラーの肉弾攻撃はいくつも襲い来る。それはアサシンの側も同様だ。いくらダメージを食らおうと、相手に傷を負わせようと刃を振り下ろす。

 

 だが身体能力の差は歴然だ。アサシンが必死に食らいつこうと、ルーラーの肉体は人間のそれよりも頑丈である。

 霊体の再構成では見た目と筋肉機能が繕われるのみでダメージは蓄積しているはずだが、彼女にはその蓄積も見られぬままだ。

 互いの血液が飛び散り、傷ついていく中で、やがてアサシンが押されはじめ、傷の増える速度も上昇してゆく。

 

 そんな状況を打破するため、そのうちにアサシンは打って出る。

 ルーラーの胸を蹴りつけて瞬間的に距離を取り、魔力をかき集めて真名を叫ぶ。

 

「はぁ、はぁっ……!

 『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』っ!!」

 

 発動するのは彼女の宝具。監獄城が顕現し、凶器の雨が降り注ぐ。それに対し、ルーラーは眉ひとつ動かさず、彼女もまた真名を告げる。

 

「第一宝具、解放。

 ──『天雷届かぬ凪の洞(コーリュキオン・アントロン)』」

 

 溢れ出る怨嗟と拷問死の具現すら、ルーラーが虚空に召喚した孔に飲み込まれ、消えていく。どれだけ降らせようと、結果は同じだった。やがてアサシン側が力尽き、監獄城は消失し、洞窟はその口を閉じる。

 

「嘘っ……!?」

 

 目の前の光景に、驚きを隠せないアサシン。倒れ込んだ彼女のもとへルーラーが迫り、拳は振り上げられた。

 

「さて。終わりに、しましょうか」

 

 その言葉に、戦闘を見届けていた明日菜はにやりと笑い、レイラズは──思わず、駆け出していた。

 

「だめ……まって……や、やだ、私の、私のエリザベートを……とらないで……!」

 

 ──その言葉を、命令と捉えたのだろうか。ルーラーは、わざと構えたまま一呼吸置いた。そして、駆け込んだ彼女がアサシンとルーラーの間に割り込んだ瞬間、その拳はレイラズの腹部を貫いた。

 

「か、はッ──」

 

 大量の血液を吐き、口元を赤く染めながら、倒れる少女。幸運にも、彼女は想い人に向かって倒れ、受け止められた。

 

 レイラズの視界に、血で汚れたエリザベートの顔が映る。それでも彼女は美しく、彼女の腕の中で死ねるのなら、それでいいかとさえ思えた。

 

 けれど、レイラズは欲張りだ。せっかく死ぬのなら、もう一つだけ、願いがあった。

 彼女の右手の紋様──令呪の最後の一画が輝きだし、彼女のその願いは、エリザベートへと届けられようとする。

 

「れ、令呪をもって、命ずるわ……エリザベート・バートリー……私を、殺して……?」

 

 令呪を構成する魔力は、死に瀕するレイラズを眺めたまま黙っていたエリザベートを兇行へと走らせる。

 

 少女の衣服は剥ぎとられ、少しだけ膨らんだ胸には長い爪が突き立てられた。

 それから、裂いた肉の向こう、肋骨を剥がした先にある、まだ拍動している心臓が、彼女のその手で掴み──引きちぎられる。

 

 大量の血液が流れ出る中、まだ動く新鮮なソレを、エリザベートは迷わず口に入れる。舌で触れて、動きが止まってしまう前に飲み下して。レイラズの心臓は、エリザベートの体に収められる。

 

「……ふ、ふふ……これで、私の全部……ココロも、カラダも……イノチさえも……エリザベート(あなた)のもの、だ……ね……」

 

 そんなふうに言い遺し、少女は息絶える。その死に顔は、これ以上ないほど幸福に包まれたものであった。



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残歌──リバイバル・ライヴズ

 レイラズの死によって、ルーラーとアサシンの戦闘は幕を下ろした。彼女は自分のサーヴァントをかばい、さらにはあろうことか令呪を使ってまでアサシンに自分を殺させた。

 明日菜には、意味がわからなかった。

 

 聖杯は手に入らず、プレストーンの血脈は断絶した。マスターを失ったアサシンはこのまま消滅するだろう。

 それなのに、アサシンの腕の中で脱力するレイラズの遺骸は、とても幸せそうな表情をしている。

 

 ──思い出すのは、兄のことだ。彼は自分が殺されようとしているのに、明日菜のことばかりを案じ、バーサーカーを譲り渡した。

 彼らが何を考え、何を思いながら死んでいったのか。不思議でならなかった。

 

「馬鹿はお兄ちゃんだけじゃなかったってこと……?」

 

 首を傾げるしかなく、誰かが答えを教えてくれるわけでもない。晴れないもやが心の中に住み着くのを感じながら、明日菜はルーラーを呼び戻す。

 

「ルーラー。もう、このまま消えるサーヴァントの相手なんかしなくたって……」

 

 だが、明日菜が言い終わらないうち、ルーラーは再び身構えた。理由は単純。アサシンが再び立ち上がったからだ。

 彼女の瞳は虚ろだった。けれど、確かにその眼孔はルーラーに向けられている。闘志は潰えていない。

 

「ふん……悪あがきなんて、見苦しい。止めを刺してあげて」

 

「命令を了解しました」

 

 明日菜の言う通り、ルーラーはアサシンへと飛びかかる。

 相手はマスターを失ったサーヴァント。ルーラーが一撃を加えれば、それで終わりだ。危険視する必要はどこにもない。

 ルーラーの振り抜く拳はアサシンを砕く──その、はずだった。

 

 そこにあるのはエリザベートが発明したといわれる処刑道具、アイアン・メイデン。彼女はそれを盾として、攻撃を受け止めていた。一撃ごとに鉄板が凹んでいき、しかし彼女へは拳は届いていない。

 

「……迷い込んだ少女には、罠を」

 

 アサシンが呟いた。

 

「行き過ぎた幻想には、罪を」

 

 どくん、と。アサシンの心臓が脈打つのが、明日菜にも聴こえたような気がした。

 彼女の呟く言葉の意味はわからない。だが、それはまるで、何かの詠唱のようで。

 

「朽ち果てた吸血鬼には──痛くて、冷たい罰を。

かわいそうな死妖姫(パニッシュメント・フォー・カーミラ)』」

 

 真名が告げられるとともに、今までルーラーを押しとどめていたアイアン・メイデンが動き出す。扉が開かれ、錆びた釘たちが飛び出し、金属は流動する。そうして、いくつかのパーツが作り上げられていく。

 

 竜の角、翼、尾、そして大きな爪。それらはアサシンを取り囲み、やがて装着されてはじめる。機械部品を取り付けるように、鉄釘が飛来し突き刺さり、それぞれのパーツを固定していくのだ。

 側頭部。肩甲骨。尾骶骨。両腕。変形したアイアン・メイデンを纏い、少女は吸血鬼へと変貌してゆく。

 

「──サーヴァント界最大のヒットナンバー……聞かせてあげる……!」

 

 爪を振りかざし、アサシンはルーラーへ飛びかかっていく。起動した宝具の影響によってステータスが上昇しているとしても、元より二騎の差は圧倒的だ。ルーラーが受け止めるのは造作もなく、鉄の爪は掴まれ、彼女はアサシンを投げ飛ばそうと力をこめる。

 

 だがアサシンの戦力もそれだけではない。周囲に無数の釘を生成し、ルーラー目掛けて降り注がせ、彼女に回避を強いた。そして跳躍するルーラーを追い、再び爪を振り下ろす。

 ハイキックに押し返され、それでももう一方の腕で迫り、それも躱された先に釘の群れを射出し、ついにそのうちの1本がルーラーの頬を傷つけた。

 

「なるほど……ではこうしましょうか!」

 

 回避の勢いのまま距離をとろうとする体に急ブレーキをかけ、ルーラーは体を回転させた。ロングスカートがめくれ上がり、純白の下着よりもさらに奥より伸びた、蒼い竜の尾による打撃が繰り出される。

 

「恥ずかしいけど、乗ってあげるわ……!」

 

 対するアサシンもくるりと回って、横縞の下着を露わにしながらも、迫り来る相手に吸血鬼の金属の尾を激突させた。

 

 鞭のようにしなる互いの尾は、双方共に主の意のままに操られ、何度もぶつかりあった。神秘に勝る竜の鱗を前に、鉄の処女は傷ついていく。

 そして、大きく振りかぶった渾身の一撃を前に、衝撃をくらったアサシンの体は吹き飛ばされた。反撃に再び釘を放つが、ルーラーの尾の一薙ぎに叩き落とされてしまった。

 

「先程よりも基礎的な身体能力が向上しているようですが……それだけでしょうか」

 

 目の前の敵をルーラーがそう評すると、アサシンは吹き飛ばされながらも地面に爪を突き刺し、強引に体を止める。そしてもう一方の腕で地を叩いて砕き、反動で宙に飛び上がった。

 そこから放つのは、彼女に殺された被害者たちの悲鳴。刃となって降り注ぐ、断末魔の嵐。

 

「『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』っ!」

 

 展開する範囲を絞り込んだ真名解放により、いくつもの凶器たちがルーラー目掛けて射出されてゆく。その中を縫うように走るルーラーは、自らを追尾してくるものは打撃で叩き壊し、一気にアサシンとの距離を詰めていく。

 

 そして最後に大きく地面を蹴って、飛来するナイフを踏みつけ足場としながら、彼女は一気に飛び込んでくる。拳を振りかぶって、そのままアサシンの顔面に叩き込もうとする。

 

 その瞬間に1本の釘が射出され、ルーラーの頬を狙った。それはほとんど当たるはずのない軌道であったが、ルーラーの気を一瞬でも逸らすことには成功していた。

 次の瞬間、ストレートパンチを放とうとするルーラーを、アサシンの両腕の巨大な鉄爪が襲う。

 

「……この程度」

 

 ルーラーは構えを解かず、そのまま拳を打ち込んだ。両爪の同時攻撃と衝撃は相殺され、続けて懐へ踏み込んでくるルーラーに対しアサシンは無防備になる。退避も間に合わないまま、ルーラーのハイキックが腹部へ突き刺さった。

 

 少女の体は簡単に破壊された。

 腹に詰まっていた消化管が、開放された背中側から溢れ出る。逆流した血液は口から吐き出され、皮膚も肉も失った風穴からもまた体液が流れ出る。

 

 ルーラーはそれで、勝負は決したと判断した。奇しくもマスターと同じように、ルーラーの攻撃によって腹部を破壊されたアサシン。主の死んだ今、ここまで足掻いただけでも十分だろう。

 鉄処女の鎧を纏ったまま膝から崩れ落ちる彼女を見届けて、ルーラーは背を向けた。

 

「想像以上に手こずりましたが……そうですね。きっとこれほど孤独でなかったなら、貴女は私を下せたことでしょう」

 

 明日菜の元へ戻るため、歩き出すルーラー。

 

 ──しかし、その耳に、まだかすかな音が響く。それは心臓が脈打つような音。そして、金属が擦れ、アサシンが動き出そうとする音だった。

 

「──ッ!?」

 

 想定外の復帰。それは吸血鬼の在り方によるものだった。いくら肉体を破壊されようと、彼らは不死者。人間を殺すつもりでは殺せない。

 振り下ろされた爪を、ルーラーは咄嗟に受け止めた。そして、驚きに見開いた目を平常に戻し、むしろ微笑んでみせた。

 

「なるほど。貴女はそういう存在だったというわけですか。

 不死者など、私の時代に現れた覚えはありませんが……そうですね、焼き尽くせば死ぬでしょうか」

 

 ルーラーは明日菜の魔力を吸い上げ、集束させてゆく。そうして解放されるのは彼女の第二宝具。すべてを焼き尽くす黒き炎は、少女の無機質な通告により、アサシン目掛けて放たれる。

 

「第二宝具、限定展開。真名封鎖、目標固定、終着削除──!」

 

 吸血鬼を飲み込んだ炎は鉄を融かし、肉を灼き骨を焦がし、慈悲なく炭化させてゆく。たった少しの間にサーヴァントの肉体さえも破壊し尽くし、ここにルーラーとアサシンの戦いは決着を迎えた。

 

 ルーラーは肩で息をしつつ、明日菜の元へ戻ってくる。

 

「申し訳ありません。呆気なくという命令、果たせませんでした」

 

「……そ、そのくらい、気にしないよ。でも……これで残りのサーヴァントは6騎、かぁ」

 

 明日菜は己の体内に、魔力を吸い上げられて蠢く刻印蟲たちの存在を確かに感じながら、レイラズのいた拠点を後にする。

 

 ◇

 

 ──肉を焼き尽くされてなお、アサシンは生き延びていた。常人なら何度でも痛みだけでショック死しているような激痛を味わわされながらも、彼女の意識は保たれていた。

 

 宝具『かわいそうな死妖姫(パニッシュメント・フォー・カーミラ)』が与える不死性は、即ちエリザベートへの()だった。

 ゆえに、痛覚を鋭敏化し、その死を許さない。彼女が手にかけてきた被害者たちの幻霊が、エリザベートを許すまで、罰は終わらない。

 

 やがて、時間をかけて少しずつ、エリザベートの霊核は作り直され、鉄の処女を纏ったままの彼女が、打ち捨てられた死体のそばに現れる。

 

「……アンコール、ね。

 いいわ。アナタたちが望んでるんだもの。(アタシ)、また歌うわよ」

 

 少女は宛もなく歩き出した。

 かつて自分が、命と心を奪った観客達に応えるために。



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炎樹──レクイエム

 小夜が数日ぶりに訪れた孤児院の様子は、あの日に破壊されてから変わっていないようだった。

 修道院のおつとめの一環として訪れた孤児院。ここにはかつてバーサーカーが襲撃し、たくさんの子供たちが命を落とした過去がある。

 小夜は何も出来なかった後悔も、バーサーカーに対して覚えた恐怖も、鮮明に覚えていた。

 

 孤児院の敷地に踏み入ると、まだ鉄の匂いが充満していて、死臭も漂っていた。けれど、近所の住人がそのことで騒ぎ立てることもなかったようだ。警察がやってきた気配もなく、本当にバーサーカー以来誰も訪れていないかのようにも思える。

 

 以前よりも魔術に触れたからか、なんとなく、この孤児院が見えない壁で隔離されているのがわかる。きっと、誰も踏み入らなかったのはそのためだ。

 この状況では、生き物係もランサーも、本当にここにいるのかは定かではない。

 

 そんな風に少しだけ不安になりつつ、小夜は歩いた。アヴェンジャーも周囲を警戒しており、やがて、中庭に人影を見つけ、身構える。

 

「あれは……」

 

 前髪で目元を隠した少年と、体に植物の絡みついた少女。間違いない、生き物係とランサーだ。

 彼らはシャベルを手に、中庭を掘り起こしては、なにかを埋めていっているようだった。

 

「……お墓ね、あれ」

 

 アヴェンジャーはすぐさま察したらしく、ぽつりと口にした。確かに、埋め戻して少し盛り上がった土の上に、木の枝で作られた簡素な墓標が立っていたし、生き物係は惨殺された子供の腐りかけた遺骸をせっせと運んでいた。

 まだ幼いふたりは今、同年代の子供たちを埋めているのだ。それがどうしようもなく異常な光景であることは小夜にだってわかる。

 

 それがどうしても見ていられなくなって、小夜は思わず飛び出した。何も言わず着いてきてくれるアヴェンジャーとともに、2人の前に姿を見せることになる。

 

「あ……小夜、お姉さん」

 

 土葬のためにシャベルを動かす手を止めて、生き物係は小夜の名を呼んだ。覚えてもらえていた安心感と共に、少年のそのあまりに寂しそうな表情に、小夜は言葉を詰まらせた。

 そんな小夜が次の言葉を見つけるよりも先に、ランサーが口を開いた。

 

「見ての通り、私たちはお墓を作ってるのよ。あの日は、弔ってやる暇もなかったし。

 彼女たちは委員長と一緒に過ごしていた仲間だもの。お別れくらい、出来る限りやらなくちゃ」

 

 それが、彼女たちなりの答えなんだろう。小夜はあの時の無力感を思い出し、拳を強く握りしめながら、口を開いた。

 

「あ、あの──」

 

「小夜お姉さん」

 

「えっ、あ、は、はい、小夜お姉さん……です」

 

 ランサーに向かって手を差し出そうとしたところで、背後から慣れない敬称で呼ばれ、しどろもどろになりながら振り返った。小夜を呼んだのは生き物係だ。

 

「僕たちも、小夜お姉さんやマチさんと一緒に戦わせてくれませんか。皆さんの力になりたいんです」

 

 小夜は驚く。以前の生き物係から受けた印象と、その言葉が結びつかなかったからだ。彼はただ人の命令に従っているだけのようで、こうして自分から申し出てくるとは思っていなかった。

 けれど、2人と同盟を結ぼうとしていたのは小夜も同じことだ。拒否する理由はどこにもない。

 

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 小夜の答えに生き物係が手を差し出してくれて、小夜も迷わずその手を握る。ずっとシャベルを握っていたからか、彼の手は真っ赤になっていた。

 

「それじゃ、私たちも握手しましょうか、ランサーさん」

 

「えぇ。サーヴァント同士も仲良くしなくちゃね」

 

 傍らでは、アヴェンジャーとランサーも仲良く手を取り合っている。しかし、アヴェンジャーの体温が高すぎたのか、ランサーは数秒で「熱い」と言い出し、手を離さざるを得なくなる。

 やはり、植物と炎では相性がよくないのだろう。

 

「あら……ごめんなさい。そうよね、ランサーさんは植物使いだもの」

 

「いくら炎使いでも体温高すぎると思うわ。冬場とか、隣にいるだけで暖房になりそう」

 

「ふふ、そうね。凍えないための体だもの。日本の冬がどうかはわからないけど、デンマークの冬なら越せるのよ?」

 

 アヴェンジャーはマッチ売りの少女にしかできないブラックジョークをかまし、ランサーは苦笑いをした。今のは小夜だって苦笑いするしかないと思う。

 ともかく、サーヴァント同士の仲も悪くないようだし、後は彼らを連れてベルチェのところに戻るべきだ。

 

 けれど、その前に。

 

「あの。やっぱり、お手伝いさせてくれませんか? ほんの少しだけですが、私も一応先生をした身ですから」

 

 言おうとして言えなかったことを改めて話した。そしてそれから、生き物係もランサーも、快く受け入れてくれた。シャベルを受け取って、作業開始だ。

 せっせと、シャベルを地面に突き立て、中庭に小さな墓穴を作りはじめる。

 

 とは言え、小夜の体はボロボロで、とても肉体労働をずっとしていられる体ではなかった。結局ランサーによる制止が入り、しばらく休憩することになる。

 

「手伝ってくれるのは嬉しいけど……無理はしないで。

 前から思ってたけど、あなた、ちょっと空回り気味なところあるんじゃない?」

 

「う、ごめんなさい……」

 

 否定できない。特にルール不明花札の件。それに、今は体の不調に焦りを感じてしまっているかもしれない。

 

「謝る必要なんてないのよ?

 むしろ謝るのはこっちだわ。私って、生で食べると毒だから、お薬にはなれないのよね。

 まあ、気持ちくらいは受け取って」

 

 若枝を伸ばし、手のようにうまく使って、ランサーは水筒を渡してくれた。ありがたく受け取って、中の水を喉に流し込む。これだけでも、少しは回復できるだろうか。

 

「……ぷは。ありがとう、ございます」

 

 そうして、小夜は見学という形になりながら、子供たちの埋葬は続いていく。

 

 ──そこに不穏な影が忍び寄っていると真っ先に気がついたのは、見学していた小夜だった。

 

「っ、皆さん、危ない……っ!」

 

 中庭の墓標たちをいくつも薙ぎ倒しながら、飛来するのは一振りの大剣だ。ランサーが小夜を、アヴェンジャーが生き物係を咄嗟に抱え、孤児院の屋根に飛び移って回避する。

 大剣は孤児院の壁を粉砕し、やっとその勢いを止めた。

 

「みんなのお墓を……」

 

 ランサーは歯を食いしばり、怒りを露としている。一方で、彼女に抱えられた小夜は、身を乗り出して飛来した大剣の存在を確認する。

 その2メートルにも迫る巨大な武器には、見覚えがある。間違いない。あれを振るっていたのは、金色の装身具を纏った少女。

 

「ランサーさん! あの武器、バーサーカーの……!」

 

「……やっぱりね」

 

 こんな人間をなんとも思っていないようなことをする奴、いないもの──そんなランサーの言葉が響く中、土煙の向こうから、ひとりのサーヴァントが現れる。小夜の確信した通り、それはバーサーカーの襲来だった。

 

 しかし、バーサーカーはどこかおかしかった。黒いツインテールを揺らし、よろめくように歩いていて、以前の彼女とは雰囲気が違う。

 そのまま先程投げつけた大剣を拾い上げ、また担ぎ、小夜たちの方へ顔を向けた。その虚ろな瞳からは、うまく感情が見て取れなかった。

 

 そしてバーサーカーが脚に力をこめた瞬間、ランサーとアヴェンジャーも動き出す。真っ先に少し離れた場所に、抱えていた互いのマスターを放り投げ、すかさずランサーが木々のクッションを作り着地させてくれる。

 

 そこからは、サーヴァント同士の激突だ。追跡してくるバーサーカーに尖った枝の群れと火球を放ち、対する敵も大剣でそれらを薙ぎ払って追跡を続ける。

 アヴェンジャーもランサーも、以前バーサーカーに苦い思いをさせられている。明確な勝算はなく、ただ2人を信じるしかない。

 

「また会ったわね、バーサーカー! 油断して私に食らった傷はもう癒えたかしら!」

 

 ランサーの挑発に、バーサーカーは答えない。ただ、圧倒的な身体能力で彼女との距離を詰め、無感情に蹴りを叩き込んでくるだけ。

 

 吹き飛ばされたランサーだったが、地面に叩きつけられそうになるのをアヴェンジャーが受け止めた。さらに彼女は燃え盛るマッチ数本を投擲して牽制する。

 

 相変わらず大剣は簡単に炎を掻き消してマッチを吹き飛ばすが、わずかに勢いは衰えた。その間に体勢を立て直したランサーが飛来するバーサーカーの周囲を囲むように枝を展開し、一気に突き刺しにかかる。

 彼女が空中で振り回す大剣はそのほとんどを破壊するが、しかし対応しきれず、懐にまで潜り込んできた3本のうち2本を肘打ちや膝蹴りで叩き折り、最後の1本を回避すべく体を逸らす。

 

 だが、ランサーの意のままに成長する枝は、これを好機と見てバーサーカーの脇腹へ一直線に伸びていく。尖端はその白い肌を傷つけ、血を流させる。

 

「……ッ!」

 

「やっぱり……私の攻撃は効くみたいね、女神様?」

 

 ランサーの持つスキル──『神殺し』により、神霊であるバーサーカーにはかすり傷でも深刻なダメージになり得るのだ。

 

 それを知ったバーサーカーは、やはりランサーを重点的に狙おうとする。大きく踏み込んで、手にした剣を振りかぶり、攻撃に出る。

 その瞬間を、アヴェンジャーは待っていた。

 

「回る回る、炎は回る。冷たい路地を温めて。

 歌う歌う、焱は歌う。それは泡沫唯の幻想。

 さぁ。ユメを見せてあげる。

 『陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)』!」

 

 バーサーカーの死角から放たれる、燃え盛る炎。1本の樹を象ったそれは、少女へと叩きつけられるべく、上空から迫っていく。

 上空からの赤い輝きに気がついた頃にはもう遅い。すでに振りかぶっている以上、回避は間に合わない。あとは振り下ろすだけだ。だがアヴェンジャーの炎は膨大で、もはや薙ぎ払うだけでは掻き消せない。

 

 これで少しでもダメージが与えられるはず。小夜も、生き物係も、ランサーやアヴェンジャーでさえもそう思っていた。

 そこへバーサーカーのとった選択肢は、今まで全く行ってこなかった、宝具の真名解放だった。

 

「お兄様の敵は皆殺し。例えそれが死であっても変わらないわ。

 ── 『冥王殺戮す恋獄の熱(デス・フォー・ザ・デス)』」

 

 大剣が放つドス黒い輝きは、たった一度剣を振り下ろすだけで、アヴェンジャーの放つ膨大な炎を切り裂いてみせる。

 切り裂かれた炎は、直撃するはずだったバーサーカーだけを焼くことなく、周囲の自然を焼き尽くし、芝生を灰にした。

 

「……なるほど、迫り来る『死』を殺すため宝具ね。兄を愛し、兄のために死神を殺した女神。

 バーサーカー。いえ──女神『アナト』。厄介な相手だわ」

 

 アヴェンジャーの宝具は、彼女が最期に点火したマッチとその陽炎に由来するもの。つまり、彼女の死と密接に結びついている。死すら殺戮する女神の剣には、通じないのかもしれない。

 

 攻め手をひとつ封じられた以上、アヴェンジャーとランサーは身構えながら、どうにか思考を回す。

 ランサーの攻撃が通じることはわかっている。活路はどこかにあるはずだ。

 

 やがて再び動き出すバーサーカーを前に、サーヴァントたちの乱舞はまだ続く。



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穿孔──サーヴァント・ランサー

 正午ごろ、霜ヶ崎市周辺では未確認飛行物体の目撃が相次いだ。それらはいずれも、獅子の後半身を持つ鷹に跨って飛行する、金髪の女の子のものだった。

 

 ──無論、未確認飛行物体とされたのは、グリフォンに乗って空路を行っていたキャスターだ。一般人に目撃される可能性を度外視し、市街地の上空を思いっきり突っ切っていたからだった。

 

 セイバー及びアサシンと合流し、ルーラーを迎え撃つ予定だったキャスター。

 しかし、当のセイバーとアサシンの交渉は彼女が割って入る間もなく決裂し、そのうえアサシンは単独でルーラーと激突。結果、マスターが死亡し、宝具の効果によって生き延びたアサシンも行方を眩ませた。

 

 よって、キャスターは大きく予定を変更しなければならなかった。息を潜めて敵襲をやり過ごし、すぐさま全力でアヴェンジャーの方へと急いだ。

 

 キャスターとしては、アヴェンジャーは少し苦手だ。可愛いのに炎が熱苦しいし、可愛いのにこちらを見るなり襲ってくるし。

 それでも、この状況ならさすがに協力してくれるはずだ。なんて期待を抱きつつ、全速力での飛行を続ける。

 

「今度こそ、うまくいってくれるといいのですが……」

 

 なんて呟いた瞬間、目的地の方角から凄まじい音がした。建物が壊れたり、炎が吹き上がったりする音だった。

 つまり、すでにアヴェンジャーは何者かと交戦している。そして恐らく、それはバーサーカーだ。

 

「っく……! どうか、間に合いますように……!」

 

 ◇

 

「アナト……?」

 

 ランサーがバーサーカーの正体として告げたその名前は、小夜にはさっぱり覚えがないものだった。

 小夜だって、さすがに少しくらいは神の名前は知っている。ゼウスとか、アテナとか。どうやら、そういう神話の神様ではないらしい。

 わからないままでいる小夜に、隣にいた生き物係が教えてくれる。

 

「アナトはウガリット神話の女神さまです。バアル神とは兄妹で夫婦って関係です」

 

 バアル、なら聞いたことがある。というか、小夜は修道女であるがゆえ、聖書の内容は覚えている。バアルは異教徒の神の名前として、その中に何度か登場していた。著者に嫌われていたのか、いずれも否定的に描かれてはいたが。

 

「その……アナトさんは、何をする女神様なんですか?」

 

「愛と戦いを司るそうです。兄のバアルのために、立ちはだかる怪物や神々をことごとく倒したとか……」

 

 なんて、悠長に話している間に、戦場と化した中庭では再び激闘が始まっている。

 その正体をランサーに指摘されても、バーサーカーは何か応えることなく、暴虐を振り撒くためだけに動き出す。

 

 地面を叩きつけるように蹴ったかと思うと、次の瞬間にはランサーのすぐ隣で剣を構えるバーサーカーの姿があった。そこへ仕掛けてあった植物の罠が作動し、壁が展開され、一瞬だけながら剣を押し留める。

 それだけなら防ぎきれず、剣はランサーを襲ったことだろう。だが、靴裏から炎をスラスターのように噴射しながらアヴェンジャーが飛び込んでいき、彼女を抱いて、剣の軌道から離脱させる。

 

「お願い、行って!」

 

 その離脱と同時にアヴェンジャーが放つのは白鳥を象った炎だ。

 振り下ろしたばかりの剣は間に合わず、バーサーカーはその一撃を防御行動をとらずに受けた。

 そうして爆発が巻き起こり、黒煙が舞う。

 

 その煙の中からは、やがて皮膚と布地が少し焦げただけのバーサーカーが現れる。やはり直撃させてもこの程度のダメージでは足りていない。

 

 バーサーカーの標的は一直線、ランサーである。己に傷を与えられる相手を重点的に狙って当然だ。

 アヴェンジャーはそれを阻止すべく進路上に割って入り、手のひらのスラスター噴射を迫ってくる敵に向ける。

 

 対して、相手は炎に飛び込んだ。炎熱に頭髪は縮み、皮膚は焼けていく。それでも、その勢いは止まらない。

 このやり方では無理だと判断し、アヴェンジャーは炎を止め、咄嗟に左腕でランサーを突き飛ばす。

 

 その瞬間、バーサーカーの斬撃が肉を断った。

 

「ふふ、残念だったわね。それ、私なの」

 

 刃が叩き斬ったのはランサーの体ではなく、アヴェンジャーの左腕だ。傷口は即座に焼き塞がれ、出血はない。

 その背後からランサーが飛び出して、一気に大量の枝を動員し、バーサーカーを取り囲む。本命の木の槍を手に、彼女は決着をつけようとする。

 

「これでも喰らいなさい……ッ!?」

 

 対するバーサーカーは、手にしていた大剣を投げ捨て、手を伸ばす。枝が皮膚を裂くのも構わず、突き出される槍を掴み、渾身の力でランサーを引き寄せる。

 

 彼女を待ち受けるのは、バーサーカーの拳だ。避ける間もなく左眼の眼窩へと突き刺さり、周辺の骨を破壊しながら眼球が潰されてしまう。

 そして向かってくる枝たちは掴んだランサーを振り回してへし折って、バーサーカーはランサーへの徹底的な攻撃を開始する。彼女を地面に叩きつけ、防御のために展開される植物ごと踏み抜いて肋骨と肺を砕き、委員長の肉体が破壊されていく。

 

「『陽炎の(フレイム)──」

 

 アヴェンジャーは宝具を用いて助け出そうと身構えた。しかしバーサーカーはそれを察知するや否や、満身創痍のランサーを乱雑に掴み、掲げる。

 

 ──ランサーの本体は植物。このまま炎の宝具を放てば、味方を焼き尽くしてしまう。バーサーカーは、彼女を盾にするつもりだ。

 

 それを理解した瞬間、アヴェンジャーの動きが止まった。真名解放を躊躇い、集中させた炎の魔力は不発に終わり、下唇を噛んだ。

 

 そこへ、バーサーカーはランサーを投げ捨てながら突っ込んでくる。迎撃に出ようとするが構えるのが遅れ、炎を放っても時すでに遅かった。

 飛び蹴りは彼女を壊しにかかり、衝撃に耐えかねた体はそのまま後方に飛ばされていく。

 

 孤児院の外壁に背中を打ちつけ、壁が崩れるのを感じながら、喉奥から込み上げてくる熱い液体を吐き出した。口を押さえた右手が真っ赤に染まっていた。

 

 しかも先の衝撃で脊髄が傷ついたのか、アヴェンジャーの脚は立ち上がろうにも言うことを聞かなかった。

 投げ捨てられたランサーもボロボロで、動く気配はない。

 

 邪魔なサーヴァントがもう動かないのなら、あとはマスターを殺すだけだ。バーサーカーはアヴェンジャーにもランサーにも背を向けて、小夜と生き物係の元へ赴こうと歩き出す。

 

「お願い、立って……ランサー(・・・・)!」

 

 目の前の絶望に呆然としていた小夜は、生き物係の叫びで我に返る。そして、彼の右手に刻まれた紋様が輝いていることに気がついた。

 令呪の魔力が動員され、ランサーの体を見せかけだけでありながら回復させる。

 

「……えぇ、立つわ。いっちゃんのために戦うって、決めたもの」

 

 植物で作った外骨格でボロボロの体を補助し、無理やり立たせて、ランサーはまだ戦おうとしている。

 バーサーカーとて、目の前に邪魔する者がいるなら容赦をする必要はない。腹部を蹴りつけ、よろめいた瞬間にもまたキックを浴びせ、浮いた体を掴んで地面に叩きつける。

 

 それでもランサーはまだ生きている。その枝を掴んでいる腕に絡ませ、逃げようとする彼女を一気に自分の体に縛り付けて拘束する。力任せに引きちぎられても、すぐさま次の枝を巻き付けていく。

 

「私は……約束のひとつもできなかった、ただの木に過ぎないわ。私を握ったあいつは殺されたし……今だって、借り物の体をこんなに傷つけてるわ……」

 

 息を切らしながら、少女は──否、少女に取りついた植物は語っていた。それは、本当は感情も知性もない、ただ一本の枝であった彼女の、きっと二度と得ることのない思いだった。

 

「……だから、こそ。今度はもう私の使い手を不幸になんてさせない。戦いたいと言ったあの子の、力になりたい」

 

 委員長の肉体は修復されていく。胸の風穴は再生する骨や肉で埋められて、失った腕も、潰された目も、みんな元に戻っていくように。

 

「だから……最後にあなたに教えてあげるわ、私の名前。神を殺し、光を殺し、終末を呼んだ、ただ1本のヤドリギの名前をね」

 

 宿主としていた少女の肉体を切り離し、バーサーカーを拘束する枝だけとなったランサーが選んだのは、彼女を貫く槍となることだ。

 彼女は1本の枝となり、バーサーカーの心臓を刺し穿つ。神殺しの名のもとに、神核を砕く。

 

「我が名は 『宿命を貫く金枝(ミストルティン)』。

 あの子のサーヴァント──ランサーよ」

 



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銀河──フォゲット・ザ・サニティ

 バーサーカーの意識は、その瞬間にようやく鮮明となった。

 

 明日菜の蟲に汚されてからずっと、自ら混濁して、現実を直視することから逃げるしかなかった。

 英霊のサイズまで押し込められ、しかもホムンクルスの肉体という狭い器では、そうするほかになかった。

 

 それがやっと、ランサーに心臓を貫かれた瞬間に、全てを思い出す。急に肩の荷がおりたようだった。神殺しがもたらす痛みと神核の喪失は、彼女の覚醒を促したのだ。

 

 ──はるか昔。地球に哺乳類が現れるよりも以前に、銀河を指して『女神』と呼称する文明があった。彼らは生存可能領域を『アシュタレト』と名付け、人型の銀河を誕生させた。

 それと同時に──彼らは宇宙災害にも女神の名を与えた。文明では太刀打ちできない存在を、厄災の擬人化として人型に押し込めた。

 

 それが原型の『アナト』。人間では、まるで手の届かない規格外の存在。

 それほどの存在をサーヴァントとして現界させるためには、ただの災害に余計な物を大量に与え、人格ある存在にデザインし直す必要があった。

 

 バーサーカーのマスターは、お兄様(バアル)の生まれ変わりなどではない。

 それは『アナト』がサーヴァントとして現界するために被せられた認識の枷。この世に生まれ落ちるために必要だった契約だ。

 

 古代文明が女神に押し込めたものから力を削ぎ落として神霊という皮におさめ、さらに一側面だけを抽出。

 そこに精神性の固定という制約、及びホムンクルスを用いた擬似サーヴァント化を加え、規模を縮小した。

 これだけの過程を経て、やっと召喚されたのだ。

 

 この世界には、お兄様(バアル)も、姉妹(アシュタレト)も存在しない。

 だが彼女は災害だ。災害は時も場所も選ばず現れる。無差別に、蹂躙を繰り返すために。

 

 令呪による強制も。聖杯戦争への願いも。この世界の理も、人類も、兄も妹も、なにもかもが関係ない。

 

 それを理解した瞬間から、明日菜との契約は途切れた。後は残ったものを災害へ還元し、齎すだけ。なにもかも、焼き払ってしまえばいい。ここに在るのはただ──光だけでいい。

 

 だって、この世界には、お兄様がいないんだから。

 

 ◇

 

 ランサーがバーサーカーの心臓を貫いてから少しの間、その場のなにもかもが一切の動きを見せないまま、辺りは静寂に満たされていた。それを破ったのは、他ならぬバーサーカーだった。

 

 バーサーカーの肉体は、心臓を喪ってからしばらくすると、急激に発熱、発光を開始する。

 彼女に突き刺さった植物は、別れを告げる間もなく簡単に焼き尽くされて灰と化した。

 それでもなお、行き場のないエネルギーたちが漏れ始める。周囲の空気が熱されて超高温となり、芝生が自然発火を開始している。

 

「な、なに? なにが起きてるんですか?」

 

 小夜はうろたえるしかない。バーサーカーは確かに心臓を貫かれたはずなのに、どうしてまだ立っていて、爆発寸前のように輝き始めたのか。意味がわからない。

 

 ただわかるのは、バーサーカーの近くで気を失って倒れている委員長と、深刻なダメージにより動けないアヴェンジャーが危ないことだった。

 

「いっ、生き物係くん!」

 

「……っ、はい!」

 

 ランサーの消失を受け入れている暇はない。自分たちで動かなければ、わけがわからないうちにあの超高温の中で溶けている。

 小夜は体に鞭打って、アヴェンジャーを迎えに行く。彼女を持ち上げ、背負い、できるだけバーサーカーから離れるべく全力で走る。

 

 隣を見ると、生き物係少年も委員長の回収には成功したようだ。けど、バーサーカーの発熱も発光も止まっていない。太陽が地上にもう1つできたかと錯覚するほど、孤児院の中庭は光の中に沈んでいる。

 

 やがて、バーサーカーの残骸がひとりでに浮き上がり、ぶつぶつと何かを呟きはじめる。その表情は全くの無感情で、声色も淡々としていた。

 

「極超新星、展開。原始領域、臨界」

 

 小夜にとっては知らない単語まみれだが、危険は肌で感じ取れる。とにかく、今は孤児院から離れようとするしかない。

 

「終わりは一瞬、ひかりは悠久」

 

お姉様(シスターさん)、来るわ! 跳んで!」

 

「えっ、え、はいっ、と、跳びますっ!」

 

 アヴェンジャーに言われるまま、自分はいけるぞと全力で思い込みながら、生き物係と委員長も抱えて地面を蹴った。

 すると腕と脚になにか力の流れが集っていく感じがして、気がつくと本来の跳躍力を遥かに超えた大ジャンプを遂げている。

 

 だが、そのことに感動している余裕はどこにもなかった。すぐ後に、さっきまで小夜たちが走っていた場所へ、すべてを飲み込み破壊するエネルギーの塊が放出される。

 

「『流れ逝く新星は凡て貴方の為に(ハイパーノヴァ・ヴィーナス)』」

 

 バーサーカーが人差し指の先から放つのは、小夜の視界の一切が白に包まれるほどの光の奔流。星の終わりを体現した輝きの災害。

 サーヴァントの霊基に押し込められたことでごく小規模に抑えられていたとしても、小夜がそのことを知る由はない。それを察することもできない。

 光が叩きつけられたその後には、瓦礫すら残っていなかったからだ。

 

 光が晴れると、小夜たちは重力のまま地面に衝突する形で着地し、その破壊の痕を目の当たりにする。

 光の通り過ぎた場所だけ、見事になにも残っていないのだ。1本の小枝、1個の小石さえ落ちていない。

 これを食らっていれば、人間はおろか、サーヴァントでさえ瞬間的に蒸発させられてしまう。

 

 そして──その圧倒的な熱量は、一度きりのものではない。バーサーカーは再び失った心臓から光を放ち、極大のエネルギーを収束させてゆく。

 目の前の彼女は魔力の核融合炉のようなモノ。壊れるまで、いつまでも新星爆発を繰り返すのだろう。

 

 先程と変わらぬ威力で、二撃目が世界に傷をもたらす。子供たちのために作った墓標をなぎ倒し、なにも知らぬ人々の邸宅が光の中に消えていく。

 

「あんなの……放っておけば、街どころか文明ごと駆逐されちゃうわ……!」

 

 アヴェンジャーの言葉に、小夜はなにも言えなかった。あれだけの火力を見せつけられれば、現代兵器なんか相手にならないのはすぐにわかる。

 

 さっきだって、あの消し飛ばされた家には、なにも知らない一般人が日常生活を送っていたはずだ。それが、理不尽に消し去られた。小夜はなにもできない。

 

 心に再び虚無感が押し寄せる。自分は結局なにもしなかった。できなかった。

 ランサーは消え、アヴェンジャーは動けない。彼女に対抗出来る力は、もう残っていない。

 

お姉様(シスターさん)。諦めちゃだめ。信じるの」

 

 背中の方から、アヴェンジャーの声がする。けれど、なにを信じればいいのかわからない。

 生き物係少年も、気を失っている委員長も、助けたいとは思っている。だけど、小夜になにができるのだろう。

 

 視界の端では、バーサーカーがこちらを指さしている。まるで終わりを告げるようだった。

 

 小夜は歯噛みして、悔しげに目を瞑り──そこへ、ひとつの影が飛来する。高速で突っ込んできたそれは地面に激突し、衝撃で小夜たちのことを吹っ飛ばした。

 

「きゃっ……!?」

 

 悲鳴をあげた瞬間、またしてもバーサーカーの光線が輝いた。今の何者かの激突のおかげで軌道から外れ、小夜たちは皆助かったらしい。

 

「あぁ、よかった! どうにか間に合ったようですね」

 

 一体誰がそんなことをしたのかと顔を上げると、立っていたのは絵本から飛び出したかのような女の子──キャスターだった。

 

「あとは私がどうにかします。お任せ下さいな」

 

 そう言って、キャスターは光を充填した状態のバーサーカーへ向かって歩き出す。見るからに無謀で、小夜の背中でアヴェンジャーが震えているようだった。

 

 ◇

 

「さて。さすがに(キャスター)では、アレをなんとかするのは不可能ですね」

 

 目の前で荒れ狂うバーサーカーは、もはや英霊でも神霊でもなく、現象に近い。物理的にあの依代の体を破壊しなければ、融合炉と化した彼女は止められないだろう。

 

 そんなものを相手取るのに、ただでさえ戦えない作家を駆り出すのは間違っている。

 そのくらい、キャスター自身は嫌ほど理解している。

 

 だからこそ──これから取る方法は大博打にして、奥の手中の奥の手。聖杯戦争という場では、本来使われることのない異端の手段だ。

 

 その行使を決めたキャスターは、バーサーカーに向かって無防備にも歩み寄っていった。

 

「美しい光だ。きっと人々は、君を勝手に讃え、勝手に崇め、勝手に滅んでいったことでしょう」

 

 無論、近寄る者があるのなら、バーサーカーは無感情にそれを撃つだけだ。エネルギーの収束は止まらない。

 

「えぇ、そうでしょうね。災害が人の話を聞くなんてありえない。君のような存在は、そこにあるだけなんだから」

 

 キャスターの語りかける言葉に、応える者は誰もいない。詠唱は淡々と告げられていく。それでも、キャスターは言葉を止めなかった。

 

「君は過酷だ。現世に存在するには、あまりに理不尽で、あまりに多くを殺しすぎる」

 

「『流れ逝く新星は凡て貴方の為に(ハイパーノヴァ・ヴィーナス)』」

 

 そして、幾度目かの真名の解放が行われる時が来る。その名が告げられ、ついにキャスター目掛けて光線が放たれる。

 対するキャスターは、いつの間にか手にしていた一冊の本を破り捨てる。ばらばらになったページが周囲を舞い、迫り来る光に向かって飛んでいく。

 

 ただの紙ならば燃え尽きるだけだ。けれど、それは呪文の刻まれた頁。光を押し留め──否、そのすべてを吸い上げ、リソースとして使い回す。

 無論、そんな方法はあまりに強引で、術式に限界が訪れた瞬間に破綻するに決まっている。それでも、キャスターはその無理を通そうとする。

 

「……バーサーカー。私は君が嫌いです。いくら君が美しくても、君がいては皆が笑顔になれない。

 だから、私は私を作り替える。君を否定できる宇宙を、ここに作り上げる」

 

 光を変換したエネルギーの使い途は彼女自身だ。術式はキャスターの霊基に手を加え、大量のリソースによって新たなサーヴァントを完成させてゆく。

 

 纏っていたドレスは分解され、代わりに動物とも植物ともつかない異形が溢れ出て、互いに結合しあい、1枚のワンピースを禍々しく形作る。

 そして碧眼は赤く染まり、真っ白な肌は病的な蒼白に変わる。どこからともなく滑稽なフルートの音が鳴り響き、霊基が再臨させられたことを告げた。

 

 光が晴れる頃には、そこにキャスターはいない(・・・・・・・・・)

 

「美少女には美少女を。狂気には狂気を。そして、宇宙にはまた別の宇宙を。

 キャスター改め、降臨者(フォーリナー)。真名はルイス・キャロル。

 さあ、一緒にユメを見ましょう──?」

 



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喪失──エンド・オブ・ナイトメア

 規格外の熱量を持ったバーサーカーの宝具。それを受け止めきって、少女は小夜たちの前に新たな姿を見せた。そして、続く言葉でその正体を明かす。

 

 ──フォーリナー、ルイス・キャロル。

 

 キャロルといえば、かの『不思議の国のアリス』の作者として有名だ。

 確かに金髪碧眼の少女という姿はよく描かれるアリスのイメージそのものだったし、扱う手下も『不思議の国』にゆかりのものばかりだった。

 

 そんな彼女は今、グロテスクな異形のドレスに身を包み、赤に染まった瞳でバーサーカーを見据えている。

 対するバーサーカーも、己の宝具が受け切られたことさえ気に留める様子はなく、すでに次の一撃のためにエネルギーの充填を開始していた。

 

 静寂の中に、フォーリナーの足音と、どこからともなく単調で気の狂いそうな笛の音が響いてくる。

 そこへ、彼女はなにかの詠唱を交ぜる。

 

「此処は白痴の庭。万象は(から)の夢、あらゆる過酷は悪い夢。

 我は全ての幼子を揺り起こし、この手に抱く者。

 沸き立つ原初よ。無明の玉座より万象を映さぬ眼を開きたもう」

 

 フォーリナーが言葉を紡ぐたび、フルートの音がか細くなって、消えていく。それにつれてドレスの一部となった異形たちが蠢き、ぼこぼこと泡立ちはじめ、やがてスカートからは不定形の触手が伸びていく。

 

 やがて触手の群れはバーサーカーを取り囲んだ。妖しく揺らめきながら、フォーリナーが告げるのに合わせ、ゆっくりと躙り寄る。

 

「不思議の国にあってはならぬ君へ。私から、別れの詩を贈ります。

 題名は──『夢みる皇の夢みる愛麗絲(アリス・イン・カオスコスモス)』」

 

 フォーリナーの告げたその言葉を号令として、触手たちがバーサーカーを飲み込む。バーサーカーが抵抗し『流れ逝く新星は凡て貴方の為に』を放っても、触手に触れた瞬間にエネルギーが消失し、為す術なく追い込まれていく。

 

 逃げ出そうとしても、とうに逃げ場はない。フォーリナーの尖兵が彼女の肌に触れると、その部位は空間ごと削り取られるが如く消失し、出血さえも怒らない。

 その様はまるで、キャンバスに描いた絵に消しゴムをかけるようで。あれだけの猛威を振るっていたバーサーカーが、あまりにも呆気なく、この世界から消えていった。

 

「お兄、さ──」

 

 虚ろに呟かれた言葉が最後まで紡がれることなく。

 また1騎、聖杯戦争からサーヴァントが消え去ったのだった。

 

 ──戦いにも満たない一方的な読み聞かせ(・・・・・)を終え、フォーリナーは小夜たちのほうに振り向く。

 

 そんな彼女に対し、小夜は思わず身構えた。生き物係も同様に、まだ目覚めない委員長を庇うように立っている。

 それを見て、フォーリナーが見せたのは、慌てて敵対の意志を否定することだった。

 

「あっ、わ、私、あなた方に危害を加えるつもりはありませんよ! 彼女は少し、目に余るというか、私の主義に非常に反する存在だったものでして!」

 

 弁明する彼女は、その恐ろしい見た目とは裏腹におろおろしていて、それを見ている小夜の方まで恥ずかしくなってくる。

 その様子からは、少なくとも敵意は感じられない。アヴェンジャーはまだ警戒を解かず、彼女を睨んでいるけれど。

 

「……あっ、その、なんといいますか、アレ……そう、マスター! マスターが待っていますので、私はこれで……」

 

 そのことに気がついたフォーリナーはぎょっとして、ばつが悪そうに背を向けた。

 

「……っ!?」

 

 ──その瞬間。小夜は自分の中に何かが入ってくるような激しい異物感に襲われた。

 この感覚は知っている。一昨夜に味わわされた、小夜の体が告げる終結へのカウントダウンだ。死したサーヴァントの魂が小聖杯に格納されるたび、小夜の体は生命維持を放棄していく。

 今度はなにが奪われていくのだろうか。答えは自ずと明かされる。

 

「あれ……?」

 

 体から力が抜けていく。急な脱力に耐えきれず、座っている体勢からそのまま倒れ込んで、生き物係少年に支えられた。

 ごめんねとありがとうを言いながら慌てて立ち上がろうとするけれど、手足がうまく動かない。

 

お姉様(シスターさん)? どうしたの?」

 

「大丈夫ですか……?」

 

「あ、は、はい。少し、疲れちゃったんですかね」

 

 やけに鮮明な小夜の思考は、不思議と納得していた。次に自分から奪われていくのは自由なんだ、と。

 

「……あ、あの。少し、お時間いただけませんか?」

 

 突然、フォーリナーの声がした。なんとか目玉だけを動かして、確かに彼女が戻ってきてくれていることを視認する。

 

「悪いようにはいたしません。ただ、君の体が心配でして」

 

 小夜はフォーリナーの言葉に頷こうと思ったが、首も動かず、代わりにお願いしますの言葉を口にした。

 そこへ、噛み付く寸前の動物のような表情だったアヴェンジャーが声を出す。

 

「……お父様(マスター)。わかっているでしょう、私たちは聖杯戦争の敵同士なの。

 彼女は私の大事な人よ。あなたに触れさせるわけにはいかないわ!」

 

「ですが、彼女の体には異常が起きています。私がこの場で最も魔術的な治療が可能ということも考慮していただきたい」

 

「でも……」

 

 言い返そうとするアヴェンジャーだったが、フォーリナーとしばらく見つめあった後、引き下がった。わかったわ、という短い承諾の言葉を最後に、黙って見守っていてくれる。

 

 そうして許可を得て、フォーリナーの手が小夜の脚に触れた。体は動かないのに、確かに暖かさは感じられる。それがまた不気味だった。

 そして、少し触れているだけで、フォーリナーは驚いた顔をする。

 

「これは……異常というより、そうなるために設計されたような……君は、もしかして」

 

 彼女が言いたいことはわかる。小夜の中に小聖杯があることを理解したんだろう。けれどアヴェンジャーにはそのことを告げてほしくなかった。だから、小夜はフォーリナーを熱心に見つめた。察してくれることを信じて。

 

「……そうですか。では、その場しのぎですが、対処法をお教えします」

 

 どうやら、わかってくれたようだった。それから代わりにフォーリナーが耳打ちで話してくれたのは、魔力の使い方だ。

 

 腕そのものを動かすのではなく、内側を流れる力を動かす。無意識のうちに肉体に下していた命令を、魔術回路へのものに置き換える。

 そういったイメージに従ってやってみると、やがて小夜の思う通りに指が動かせた。

 

 要領をつかめば、あとは早い。再び立ち上がれるまで、時間はそうかからなかった。

 

「……! あ、ありがとう、ございます。その、またしても助けてもらっちゃって申し訳ないっていうか」

 

「いいんですよ。君のような美しい女性には笑顔が似合う。それだけのことです」

 

 フォーリナーはそう言って優しく微笑んでみせた後、指を鳴らしてまた不思議な生き物を召喚する。グリフォンに代わる乗り物なんだろう。

 それは大型のコウモリのようだ。とても馬面で、体長は数メートルもあり、体表が鱗に覆われている。

 

 こんなキャラクター、『アリス』にいただろうか。

 小夜は首を傾げつつ、フォーリナーを乗せて飛び去っていくコウモリを見送った。



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想起──ザ・メモリー・ユー・ワー

 ベルチェたちが行動を開始してからたった数時間のうちに聖杯戦争は急展開を迎えた。

 

 ルーラーによるアサシンの襲撃。

 バーサーカーの孤児院強襲。

 

 強大なサーヴァントが双方共に動き出し、一気に勝負へと乗り出した。その結果として、たった数時間のうちにいくつもの脱落者が出たのだった。

 

 ベルチェとの同盟を拒絶し、マスターを失ったアサシン。暴虐の限りを尽くし倒されたバーサーカー。そして、生き物係を守ったランサー。

 3つもの陣営が消え、残ったのは4つだけだった。この調子なら、明日にも聖杯戦争が決着するのかもしれない。

 

 そんな激動の時間が終わり、街に静穏が戻った午後4時ごろ。ホテルの一室にて、ひとりの少女が目を覚ました。

 

「ここって……ホテル、よね……?」

 

 ソファの上に寝かされていた彼女は、起き上がると、おぼろげな記憶を辿りながら周囲を見回した。

 すると安心したような顔で立っている人影が二つ、目に入る。

 

「っ、委員長! よかった……!」

 

 彼──生き物係が安堵の表情になって、胸を撫で下ろしたのを見て、委員長は思い出した。

 自分はずっと、ランサーのサーヴァントに脳と体の主導権を奪われていたんだと。

 ランサーが体を使っていた間の記憶も、しっかり残っている。使っていたのはあくまで同じ脳だったということだろう。ランサーが生き物係のため必死に戦っていたのが、鮮明に思い出せる。

 

 ──ミストルティン。それは北欧神話において、盲目の神ヘズが投げ、光の神バルドルを殺したというヤドリギだ。ミストルティンは幼さゆえに、世界で唯一バルドルを傷つけないという誓いを結べなかったという。

 人々に愛された光の神を害するために利用された彼女だからこそ、同じように幼さから利用され続けた生き物係の元に召喚されたのだろうか。

 

 そうして委員長が自分の中の自分ではない記憶を思い返していると、今度は生き物係の隣にいた少女が歩み寄ってくる。それに伴って、彼女の体から伸びた鉄製の鎖がじゃらりと音をたてた。

 

「はじめまして、委員長。私は……」

 

「知ってるわ。ベルチェでしょ。ランサーの記憶も残ってるから、セイバーのマスターだってことも知ってるわ」

 

「そうか。なら話が早い。体は大丈夫?」

 

「……えぇ。なにも、おかしいところはないわ」

 

 体に異常はなく、むしろ調子がいいようにさえ思える。寄生植物に奪われていたのが嘘のようだ。

 いや。記憶を辿ればむしろ、ランサーはそうなるように尽力していた。委員長の体を勝手に奪った罪滅ぼしとして、彼女は魔力を治療に用いていたのだ。

 

 それを理解した時思わず、彼女は少年のことを呼んだ。

 

「えと、生き物係」

 

「……? なんですか、委員長」

 

「ランサーはきっと満足しているわ。私も貴方も、こうして無事でいるんだもの」

 

 痛みも辛い記憶も楽しい思い出も、彼女の紡いだ全部を知る身として、そう伝えておかなければならないと感じた。

 少年は驚きの表情を見せ、それから急に微笑んで、頷いた。そうだったらいいと、座に還った1本のヤドリギに思いを馳せながら。

 

「さて、と。私たちは今日、これ以上は行動しないことにしよう。小夜とアヴェンジャーにもそう伝えてある。君たちもゆっくり休んでくれ」

 

 そう話すベルチェの体に、彼女の周囲にある鎖が吸い込まれていく。やがてその全てが体内に戻されると、ベルチェは二人に背を向け他の部屋に赴こうとする。

 

「……待ってください」

 

 そんなベルチェを、生き物係が引き止めた。

 

「ベルチェさんも小夜お姉さんも……明日になったら、また戦うんですか」

 

「……あぁ。私はセイバーのマスターで、小夜の友達だ。彼にも彼女にも叶えたいことがある。だから、それを手伝うまでだ」

 

 ベルチェの答えは、背を向けたまま振り向かずに告げられる。いつもの彼女とは違う、落ち着き払った声色だった。

 

 けれどそのすぐ後、さっきまでの落ち着きが嘘のように朗らかな彼女の声が響いた。

 

「ふたりとも、魔術師としてやっていく気はあるか?」

 

「私は続けたい、けれど……どうしてそんなことを聞くのかしら?」

 

「いやなに。全部終わったら、一緒にロンドンへ行こうというお誘いだ。魔術協会なら、正しく研究に打ち込むことができるだろう」

 

 孤児院はすでになく、二人にこの先の行き場はない。ベルチェが一緒なら、ロンドンまで飛んでしまったって、誰も止めやしない。

 

 そしてなにより、その約束は戦場へと赴く彼女を繋ぎ止める鎖になるはず。

 生き物係と委員長は顔を突き合わせ、互いに頷き、彼女の提案を呑んだ。

 

「約束ですよ、ベルチェさん」

 

「あぁ。お姉さんとの約束だ」

 

 ベルチェは再び歩き出す。生き物係と委員長から離れ、壁に寄りかかりながら待つセイバーの方に。

 合流した二人が肩を並べる後ろ姿は、委員長からはどうしてか、とても遠くにいるように見えた。

 

「……アンタを嘘つきにはしないぜ、マスター」

 

「あぁ、信じてるとも。貴方が私を信じてくれるように」

 

 ◇

 

 バーサーカーを消滅させた後、フォーリナーは特に行き場所があるわけでもなく、路地裏でひとり座り込んでいた。

 人から逸脱するほどの蒼白の肌の少女がそうしている光景は異常だが、人通りもほとんどなく、路地を覗き込む物好きもいない。誰も彼女に気が付かないまま通り過ぎていく。

 

 そんな雑踏から離れた場所で、フォーリナーはひとりの女性のことばかり考えていた。

 アヴェンジャーのマスター。名前は確か──雪村小夜。

 

 この感情は、恋煩いや敵視から来る警戒ではない。

 彼女の体に触れたとき、魔術の素養があるフォーリナーは気がついてしまったのだ。

 

 彼女の体内には小聖杯が存在している。脱落したサーヴァントたちの魂を受け止める、大聖杯と繋がった器が体に溶け込んでいる。

 

 そのうえ、小夜の体はただの人間とは異なっていた。その器がサーヴァントで満たされていくたび、肉体を徐々に魔術回路へと変換していく構造になったいるのだ。

 すでに神経系や筋系の多くが機能しておらず、常に魔術を行使して強引に補っている状況だ。

 このまま他のサーヴァントの魂が彼女の中に入っていったなら、やがて人間としての機能は全てが魔術回路に還元され、人格も魔術礼装の一部となるだろう。大聖杯にされた子供たちと同じように。

 

「……いけませんね。こんなことを考えていても仕方がないことくらい、わかっているつもりなんですが」

 

 これは聖杯戦争だ。誰もが笑顔でいられるはずがない。願いを叶えるためには、他人を蹴落とす必要がある。

 すでにバーサーカーを消し去った。どころか、助けられなかったものは数え切れないほどあるし、聖杯そのものだって苦しむ子供たちだ。

 今更、たったひとりの犠牲を躊躇う必要があるだろうか。

 

 けれども、フォーリナーの脳裏には笑顔にできなかった少女のことがちらついて仕方がなかった。

 かつて自分のことを守り、光の中に消えた少女──アーチャー。死にゆくとわかっていながら突き進んだ彼女の勇姿を思い起こすと、どうしても小夜のことを捨て置けない。

 

「あぁもう、よくない傾向だ。こんなとき、アリスはどうすべきなのでしょう」

 

 フォーリナーに宿った神性には人格などなく、虚空に祈っても問うても答えは得られない。

 大きなため息をついて、薄暗い路地裏で、灰色の世界を見上げる。

 

 そんな時──いきなりマスターの声が頭の中に響いた。

 

『明日こそ決着をつけるのです。準備をしておくのです』

 

 聖杯戦争は終幕へと走り出す。果たして、フォーリナーは最後に笑っているだろうか。それとも──。



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七日目
夜風──アイ・ワズ・ボーン・トゥ


 まだ日は昇らない未明の空の月が、鮮やかに室内を照らす夜。

 すでに日付は変わっていて、皆が寝静まっている中で、小夜は目が覚めてしまった。

 

「……今日の悪夢は、ちょっと趣が違いましたね」

 

 このところずっと、小夜はうなされて夜中に起床する羽目になっている。

 体が引き裂かれる感覚がしたり、知らない子供たちにどこかへ連れ去られそうになったりと、そのバリエーションは様々だが、今日見たようなものは初めてだった。

 

 それは──自分が死んで、金色の杯になってしまう夢。

 悪夢には慣れたものだけど、体の中の小聖杯とこの身体機能の不調を思うと、ひょっとして予知夢なのかと考えてしまう。

 

 このまま寝転がっていても眠れない。どころか、ネガティブなことをたくさん考えてしまう。少し、夜風にでもあたってこよう。

 動かない筋肉を魔力で強引に動かして、小夜はベッドから起き上がった。

 

「けほ、けほっ……」

 

 歩き出す前に何気なく咳をする。すると、吐息を受け止めた手に赤い水滴が付着する。見ると、どうやらそれは血であるらしかった。

 

「呼吸器から血を吐くってかなり危ないって聞きますよね。でも、思ったより苦しくないかも」

 

 ふと漏らした感想は落ち着いていて、自分でも動揺していないのが不思議だった。

 

 ──あぁ。やっぱり、私死ぬんだな。

 

 それは冷たく重い現実だったけれど、小夜の肉体はあまりにも急激に壊れていく。まるで生きることを体が諦めているみたいで、そんな現実を受け入れるしかなかった。

 

 止まった足を動かして、洗面所で血痕が見えなくなるまで手を洗って、また咳き込んで、流し台に飛び散った血液をもう一度洗った。

 

 そんなことを何度か繰り返した後にようやく気管の違和感が収まって、ふと頬を夜風が撫でていることに気がついた。

 

 振り向くと、いつの間にか窓が空いており、人影が立っている。月明かりに照らされたその肌は青白く、金髪は風になびいていた。

 予想外の来客に、小夜は目を丸くする。

 

「えと、確か、フォーリナー、さん……?」

 

「はい。フォーリナー、ルイス・キャロルです。覚えていていただけて光栄です」

 

 頭を下げる彼女に、小夜もつられてお辞儀をした。その後、彼女は髪を指でいじったりしてためらいつつ、本題に入ろうとする。

 

「……そ、その。ひとつ尋ねたいことがあって、ここへ来たのですが」

 

「なんですか……?」

 

「小夜さんは、聖杯戦争を続けたいですか?」

 

 このまま聖杯戦争が続けば、間違いなく小夜は死ぬ。フォーリナーはそれをわかっていて尋ねているのだ。

 小夜は今一度、考える必要がある。この先何のために戦うのか。戦うべきなのか。

 

「逃げ道はあります。君が生きたいとさえ言ってくれたなら、私が君をこの聖杯戦争から解放しますから。

 君の体にある小聖杯も、地下にある大聖杯もなかったことにしてみせます。

 だからどうか、この手を」

 

 邪神のドレスが誘うように蠢き、彼女の青白く小さな手が差し伸べられる。

 この手を取れば、もしかすると、小夜はもう不調に悩まされなくていいのかもしれない。今すぐ教会に戻って、今まで通りの生活ができるのかもしれない。

 

「私は君たちの笑顔が見たい。このままで、君は笑っていられますか?」

 

 フォーリナーの言葉を耳にして小夜の脳裏に浮かぶのは、アヴェンジャーの姿と、今までの悪夢の光景たちだった。

 数えきれないくらいたくさんの、笑顔になれなかった子供たちを見てきた。後悔も、無力感も、恐怖も痛みも、今でも鮮明に思い出せる。

 

 だからこそ、小夜は答えた。

 

「ごめんなさい、フォーリナーさん。お気持ちは嬉しいです。

 でも、私、戦います。私は……みんなを笑顔にしたい。こんな私でも、誰かを笑わせられるんだって、証明したい」

 

「……生き延びた先には、そんな機会などたくさんあるでしょう。それでも、ですか?」

 

「私はきっと、生きるために生まれてきたんじゃ、ありませんから」

 

 初めからこうなることは決まっていたんだ。絵本を何度開いても展開が変わるなど有り得ないように。

 

「そう、ですか」

 

 フォーリナーは悲しげに引き下がった。小夜が決めたことを尊重してくれるんだろう。納得しきった様子ではないけれど、強硬手段に出ようとはしない。

 

「……えぇ、きっと、君はそういう女性なのでしょうね。私に咎める権利はありませんし──っ、熱ぅ!?」

 

 目を閉じて噛み締めるように語り出すフォーリナーを、突如飛来した火球が襲った。全く避ける間もなく、露出した脇腹に直撃し、青白い肌に赤みがさす。

 

お姉様(シスターさん)から離れなさい!」

 

 火球を放ったのはアヴェンジャーだ。驚いて呆然とする小夜の前に現れた彼女は、こちらを庇い、フォーリナーを警戒するように立つ。

 

「あっ、アヴェンジャーさん。動けるようになったんですね」

 

「えぇ、魔力は潤沢だもの。

 それで……お父様(マスター)。彼女に何の用だったのかしら?」

 

 火力こそ室内ゆえにいつもより控えめだが、彼女は両手のひらに炎を燻らせて戦闘態勢だ。小夜からすると、フォーリナーはあまり敵のように思えないのだけど、やはり作家と登場人物では仲が悪いということだろうか。

 

「彼女への用事は終わりました。あとは君たちサーヴァントへの用事です。

 ……出てきたらどうですか、セイバー?」

 

「……ッチ、後ろから刺す隙を窺ってたんだがな」

 

 フォーリナーに言われ、ベルチェが眠る寝室の扉の前に少年が姿を現す。彼は腰に備えた剣の柄に手をかけており、こちらもフォーリナーへの警戒は解いていない。

 フォーリナーもそれを指摘せず、話は本題へと移っていく。

 

「私たちは、ルーラー陣営への総攻撃を考えています」

 

 ルーラー。小夜は彼女が現界した時は呻いていて、ほとんどその姿を覚えていない。けれど、ベルチェによればアーチャーやアサシンを一方的に追い込んだというサーヴァントだ。

 

「私たちの誰が一騎打ちを挑んだとしても、恐らく彼女の力の前に消え去るのが宿命でしょう。

 純粋な戦闘能力では、明らかに私なんかより上ですしね」

 

「で、一緒に戦おうってか?」

 

「はい。私は彼女の手の内も知っていますし、手を取り合ってくれるのならお教えしますよ」

 

 フォーリナーの言葉に、アヴェンジャーとセイバーはただでは頷かない。アヴェンジャーに関してはフォーリナーに対する不信、あるいは敵対心のせいだろう。

 対してセイバーは、ベルチェの意見がなければ判断できないとして、同意を避ける。

 

 本来なら、そこで話し合いは終わるはずだ。これ以上互いに歩み寄ろうとしていない。

 けれど、そこへ小夜は思わず声を出した。

 

「あの。私にできることがあれば、させてくれませんか」

 

 小夜の体にはタイムリミットが迫っている。アヴェンジャーには申し訳ないけれど、フォーリナーも交えて立ち向かっていけるなら、これは逃してはいけない好機だ。

 アヴェンジャーが目を丸くし、他のサーヴァントもいきなり発言した小夜の顔を見る。それら視線に対し、小夜は大丈夫だと目で答えようとした。

 

お姉様(シスターさん)……」

 

「セイバーさん。ベルチェさんのこと、起こしてきますね。ちょっと申し訳ないですけど」

 

「お、おう」

 

 小夜は立ち上がって、セイバーの背後にある扉を開き、ベルチェのもとへ赴こうとする。寝込みを襲われないために鎖が張り巡らせてある中を潜りながら、彼女のところに歩いていく。

 

「……なぁ。アンタのマスターって、最初からあんな感じだったか?」

 

 何の気なしに呟かれたセイバーの言葉に、アヴェンジャーは答えることができないでいた。小夜は、ベルチェを起こすまで、そのことに気が付きもしなかった。



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心音──ブレイク・ザ・サイレンス

 レイラズと交戦した後ゆっくり眠っていた明日菜は、朝になってようやく自分のベッドから起き上がった。寝惚けた目を擦りながら、リビングへと歩き出す。

 

 そうして辿り着く先に、明日菜のことを待つ人間はいるはずがなかった。目に入る人影は、黙って部屋の隅に立っているルーラーだけだ。

 

「……ねぇ、バーサーカーは?」

 

「消失したと聞きました。昨夜、他でもない貴方から」

 

 そういえば──彼女に繋いでいた魔力のパスは、昨日の時点で切れていたんだったか。

 家に戻ってから彼女の消滅に気がついたものの、一度眠って起きたら忘れてしまっていたらしい。

 

「まぁ……元から手駒として期待なんてしてなかったし。もっと嫌がることしてやろうと思ってたのにってくらいの感想かな」

 

 誰に聞かれているわけでもない明日菜の呟きに、ルーラーからの反応はない。そのせいで自分への言い訳みたいに聞こえて、明日菜は居心地の悪さを感じた。

 明日菜が認めていないだけで、本当はその通りただの言い訳だったけれど。

 

 彼女は雰囲気に耐えかねてソファに座る。部屋には相変わらず静寂が立ち込めていた。

 家具は一昨日の戦闘でほとんど壊れており、その静寂を紛らすものはない。

 

「いってきまーす!」

 

 割れた窓に応急処置のためにカーテンを貼り付けた向こうからは、登校中の小学生の声がする。静まりきった部屋には、無邪気で甲高い声がよく響く。

 

 それを聞く明日菜はと言えば、聖杯戦争が始まってから一切学校には行っていない。無意味な外出は危険を招くからだ。

 なにも知らずに外をふらふらと歩く相手とは違う。明日菜は学生などである以前に魔術師。しかも、今となってはルーラーのマスターだ。これでいい。

 

 自分に言い聞かせても耳に入ってくる声に、やがて明日菜は思い切って立ち上がる。

 しかし、その瞬間に目の前が真っ白になって、脚から力が抜ける。昨日の戦闘で虫に血を食われすぎたのが、まだ回復しきっていなかったのだ。

 

 そうして抗えずに倒れこむ明日菜を、なにかが受け止めた。

 花のような、太陽光にさらした布団のような、不思議と甘い香りが鼻腔を満たす。

 

「……ルー、ラー?」

 

「はい、ルーラーです」

 

 視界が晴れると、自分が彼女の胸に受け止められていたことがわかる。明日菜の頬にはちょうどルーラーの胸の感触が伝わっていて、その膨らみかけで未成熟な柔らかさが手に取るようにわかってしまった。

 

 そして離れる間もなく、立ちくらみで倒れかけた明日菜のことを、ルーラーは抱きしめてくる。

 彼女の体温が高いのか、鱗に覆われた腕は意外にも暖かかった。

 

「……貴女の心音が聴こえます。少し乱れているようですね。命令外ですが、休まれた方がいいと判断します」

 

 明日菜にもルーラーの心音が聴こえる。どくん、どくん、と力強く脈打っている。これがサーヴァントの……竜の心臓。皮と肉と骨で隔てた先に、強大な魔力炉が存在するのだ。

 なんて心音に気をとられていると、彼女は明日菜を抱きしめたまま歩き出し、そのままソファに座ると、赤ん坊にするように頭をゆっくり撫でてくる。

 

「ね、ねぇ、あのさ」

 

「貴女は休んでいるといいでしょう。私にも子供がいましたから、こういうことに抵抗はありませんし」

 

「えっ、子供いたの……っていや、そうじゃなくて……」

 

 幼い姿とのギャップに惑わされ、遠慮する間もなく明日菜はあやされ始めていた。そして、それが想像していたより心地よく、彼女に身を委ねてしまいそうになる。

 

 密着していると聴こえてくるルーラーの心音は、明日菜の意識から外の雑音を忘れさせるには十分だった。

 

 もう少しくらい、こうしていてもいいだろうか。虫たちを住まわせているこの体には、常人より休息が必要なんだから。

 

「……汝を縛る臍の緒は砕け散る。汝が去ったその後に」

 

「え?」

 

「占いのようなものでしょうか。私にできることは、このくらいしかありませんので」

 

 意味深で、しかしその真意のわからない発言だったが、預言のようなものだろうか。一度首を傾げたあと、明日菜はまた体をルーラーに委ねた。

 

 ──そんな明日菜を聖杯戦争へと引き戻すように、彼女を抱えたままのルーラーが突然跳躍する。慌てて目を開くと、窓代わりに張ってあった布が破られ、そこからいくつかの触手が顔を出して蠢いている。

 直後、触手たちは布を容易く引き裂き、その向こうにいた少女を室内へと招き入れた。

 

「あなた……キャスター……?」

 

 顔立ちに彼女の面影はあるが、服装もエプロンドレスではなくおぞましい肉塊で、肌は蒼白、瞳は赤い。

 

「えぇ、元々は。ですが、私はもはやキャスタークラスではありません。フォーリナーとお呼びください」

 

「フォーリナー……?」

 

 彼女が名乗ったクラスの名を、明日菜は知らなかった。三騎士でも四騎でもなく、例外である裁定者や復讐者でもない。

 

 警戒を兼ね、明日菜はポケットに手を突っ込んで、しまい込んでいたハーモニカを掴む。

 これはレイラズがドロレスを材料に作り上げた、彼女たちの共有意識にアクセスするための礼装だ。ドロレスはキャスターのマスター。彼女の残った一画の令呪を使えば、キャスターに自害を強要することすら可能のはず。

 

 しかし、ドロレスのネットワークに接続した瞬間、明日菜の脳に異常なまでの負荷がかかる。痛覚や不快感や快楽が一斉に押し寄せ、彼女の思考を破壊する。

 

「──ぁ、っく、や、やめ……な、なに、これ……ぇえっ……!?」

 

 脳の処理能力を超えた感覚に、頭を押さえて苦しむしかできない明日菜。

 彼女に知る術はないが──この時、ドロレスたちはすべての感覚を彼女にリンクさせ、刃物や薬品による自傷、果ては性的な行為まで思いつく限りをばらばらに行っていた。彼女の支配から脱する、この瞬間を待っていたのだ。

 

「る、ルーラー……ッ、それ、壊して、おねがっ、お願い……!」

 

 明日菜はハーモニカを投げ捨て、呻きながらもルーラーに指示をする。彼女が言われるままに踏み壊すと、押し寄せていた感覚から解放され、やっと息をつく。

 だがその瞬間を待っていたのはフォーリナーだ。即座に触手を操ってルーラーを攻撃させ、その腕の中の明日菜を狙う。

 

 対するルーラーが家具を障害物として利用し回避を繰り返す中、フォーリナーは話す。

 

「どうやらマスターの作戦はうまくいったようですね。

 ……明日菜さんには私から謝罪いたします。苦しい思いをさせてしまい申し訳ない」

 

「どの口がそんなこと……! ルーラー、私を地下室に連れてって!」

 

 この家の地下には、ドロレスのうち目の前のフォーリナーのマスターである個体が監禁されている。彼女を直接殺せば、この襲撃も終わるはず。

 

 命令の通り、ルーラーは明日菜を地下室へ続く階段の方へ放り投げた。

 受身をとるのには失敗し、体を強かに打ち付けるが、先ほどのオーバーフローで痛覚が麻痺しているのか、痛みは感じない。脚にもうまく力が入らないが、できる限り素早く起き上がり、駆け出した。

 

 そんな明日菜の脚を絡めとる、冷たい金属の感覚。足を掬われ、またしても転倒した明日菜が目にしたのは、小柄で桃色の髪をした少女の姿。

 彼女は確か、セイバーのマスター。ベルチェといったか。

 

「こ、この三流魔術師っ! 私の邪魔をしないでよ!」

 

「悪いが三流でも譲れないものはあるのでね。魔術対決にでも付き合ってもらおうか」

 

 袖やスカートの内側から複数の鎖を伸ばすベルチェ。明日菜も体内から戦闘用の刻印蟲を解放し、彼らが皮膚を突き破るのを感じながら、目の前の敵を見据える。

 

 そうして互いの魔術の結晶が狭い廊下を埋め尽くし、戦いの幕が上がろうとしていた。



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大嵐──ドリーム・トゥ・ジ・エンド

 ドロレスの仕掛けた作戦は成功し、明日菜が所持している礼装はルーラーが破壊した。これで、フォーリナーを縛る令呪は、明日菜の手の内からこぼれ出たと言える。

 

 残るはルーラー。最大の強敵だ。まだ作戦は完了していない。彼女を打ち倒すことこそが、こうして強引に瀬古邸に襲撃をかけた目的なのだから。

 

「遥かなる夢の都より扉を越え……空夢の指し示す道に従え……」

 

 フォーリナーは数節ほどの短い詠唱を繰り返し、全身真っ黒で顔のない悪魔や、体を鱗に覆われた馬面の鳥をいくつもルーラーへと向かわせる。しかし、そのいずれもが彼女の前では一撃で絶命し、霧散していった。

 使い魔だけでは時間稼ぎにならないとみて、ワンピースの裾を触手に変じさせて攻撃とする。しかし同時に襲いかかった三本をすべてくぐり抜けられ、飛来するルーラーは蹴りを放った。

 対するフォーリナーが咄嗟に紡ぐ詠唱はその場に食屍鬼(グール)を喚び、肉盾として耐え凌ごうとするものの、ルーラーの脚は容易く彼を破壊する。

 

「なんと出鱈目な……あっ、やば……っ!?」

 

 使い魔が破壊されてゆく光景に目を丸くしながら、バックステップによる退避を試みるフォーリナー。

 ルーラーはそんな彼女を逃がさない。竜の爪がしっかりとフォーリナーのワンピースを掴み、力尽くで引き戻し、そのうえで腹部に拳が叩き込まれる。

 

 少女の小さな体は大きく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられると、脱力したまま地面に落ちる。フォーリナーは口から血を吐いて、己の内臓が傷つけられたことを確かに認識する。

 

「げほっ、げほっ……これは、いくつか破裂してるやつですね。さすがに直接戦闘では敵いませんか……!」

 

 霊基を作り直しても、キャロル自体は神秘を宿していない普通の人間だ。フォーリナーの肉体のステータスランクはいずれも最低クラスであり、真っ向からルーラーの攻撃を受けて無事ですむわけがない。

 消滅を免れただけ幸運だったと言えよう。

 

 目の前には迫り来るルーラー。彼女の靴がこつこつと音を立てる。フォーリナーは内臓の損傷が激しく、思うように動けない。

 まるでアーチャーを失ったあの時のような状況に、フォーリナーは奥歯を強く噛んだ。そして悔しげに二度、自分の寄りかかっている壁を拳で叩いた。

 

 それを合図に、物陰から2つの人影が動き出す。

 

「高潔を謳い、我が敵を押し流せ! 『無毀なる清廉(オートクレール)』ッ!」

 

「回る回る、炎は回る── 『陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)』」

 

 放たれるのは光り輝く魔力の刃と、炎にて形作られた深紅の剣だ。

 セイバーとアヴェンジャーによる宝具の解放に対し、ルーラーは接近を察知して振り向き、大穴の宝具『天雷届かぬ凪の洞(コーリュキオン・アントロン)』の行使によって対処する。

 刃も炎も吸い込まれ、展開された穴の内部に爆音を響かせつつも、ルーラーは表情ひとつ変えようとしなかった。

 

 しかし、2騎の宝具とて負けてはいない。やがて空間に大口を開けたルーラーの宝具は、過負荷により維持できなくなっていく。

 淵が歪み、魔力を殺しきれずに煙を吐くようになり、最後には急激に縮小されていく。吸い込めなかった炎と刃がルーラーを襲い、着弾とともに爆炎と爆風を起こし、周囲の家具を破壊する。

 

 ルーラーはその勢いでキッチンまで飛ばされていったが、平然と着地し、再びフォーリナーたちの前に姿を見せる。

 2騎ぶんの宝具を同時に受けたものの、コーリュキオン洞窟がその威力を大きく減衰させたがゆえに、彼女はいまだ健在だ。

 

 そんな彼女の四肢に、今度は忍び寄っていた影が襲いかかる。フォーリナーの差し向けた触手たちだ。両腕に絡みつき、動きを封じようと試みる。手首を縛りあげ、次は足首だと蠢き、その時既に手首の拘束は力ずくで引きちぎられていた。

 そのまま足首へと向かっていた者も踏み潰され、フォーリナーによる拘束は失敗に終わる。

 

 続けて戦いを挑むのはセイバーだ。触手を踏み殺したルーラーに剣を構えて斬りかかり、振り下ろし、回避されても攻撃の手を緩めない。

 

「んの……優雅に避けやがって! なんとか言ったらどうだよッ!」

 

「戦闘中に饒舌になれとは、命令されておりません」

 

 聖剣を振りかざし、自分に身体能力で勝るルーラーへと食らいつく

 セイバーの斬撃を回避し、時に龍鱗に覆われた表皮で受け流していくルーラー。

 

 それが繰り返されること十数度目。跳んでセイバーの攻撃を避けたルーラーへ、今度は何発もの火球が飛来する。アヴェンジャーの仕業だろう。

 

 それらはただ多量に放たれたのみで、威力はさして強くなかった。ルーラーがかき消そうとすれば、簡単に掻き消える。事実、尾を一度振り抜いただけで消えてなくなった。

 

 しかし、本命はそんな弱い火の玉ではない。それを囮にしている隙にフォーリナーが立ち上がり、セイバーに思いっきり背中を蹴ってもらい、ルーラーのほうへ飛んでいく。

 

 退避の間に合わなかったルーラーの体には触手が絡みついた。そのうえでフォーリナーが彼女を押し倒し、握りしめていたなにかをその口にねじ込んだ。

 

「……!? むぐっ、いっ、たい何を……!?」

 

「今のは私特別製の毒リンゴです。君のために用意したんですから、味わってください」

 

 咄嗟のことにフォーリナーを振り払うことを優先したせいか、ルーラーはそれを飲み込んでしまう。それを見届けると、フォーリナーはさらに1枚の羊皮紙を取り出し、手をかざして魔術式を起動させる。魔力を通した瞬間、緻密に綴られた大量の文字が詠唱となり、彼女の手に雷を作り上げる。

 

「……君の力、少しばかり借りますよ。

 喰らいなさい、雷神模倣術式『イリヤ』──ッ!」

 

 フォーリナーがその手から雷を解放し、圧縮された雷霆がルーラーの胸を貫いた。一瞬、周囲は雷霆から放たれる光に眩しく包まれた。

 

 ──フォーリナーは、ルーラーを正攻法で倒すのは難しいと判断し、その生前の死因をなぞろうと考えた。

 

 女神に匹敵する強大さ、竜の姿、そして『コーリュキオン洞窟(アントロン)』。

 フォーリナーがそこから導き出した真名は、ギリシャ神話最大の怪物『テュポン』。

 母は大地母神ガイア。父は奈落そのものであるタルタロス。天を衝くほどの巨体で、蛇体を持つといわれる怪物。

 最高神ゼウスと激しい戦いを繰り広げ、一度は彼を倒しコーリュキオン洞窟に監禁したほどの強大な存在だ。

 

 そんなテュポンは騙されて願いの叶わなくなる『無常の果実』を食べた後、ゼウスの雷霆によって敗北したという。

 フォーリナーはそれをなぞり、果実と雷霆という手段を選んだのだった。

 

 光が晴れた後、フォーリナーの目には、焼け焦げた布と、自分の下で倒れているルーラーの姿が映る。

 それを目の前には勝利を確信し、フォーリナーの触手たちは脱力し、彼女自身は胸を撫で下ろそうとしていた。

 

「これで……やっと……」

 

「──いいえ。残念ですが、私はまだ死んでいませんよ」

 

 フォーリナーの腕を掴む竜の爪。その力は強く、簡単には振り払えない。すぐに尺骨と橈骨が破砕され、彼女の手はぶらんと垂れ下がる。

 

「ひっ、わ、私の手がっ……と、というか、な、なんで……!?」

 

「答えは簡単ですよ。私は、貴女が殺そうとした怪物(テュポン)ではないからです」

 

 根本的に読み間違えていたのだ。それで果実と雷霆が意味を成すわけがない。

 

「ならば……君は、一体……?」

 

(テュポン)は私をこう呼びました。

『デルピュネー』、と。

 女神(ヘラ)は私をこう呼びました。

 『ピュートーン』、と。

 貴女たちも好きに呼ぶといい。私はそのいずれでもあるのですから」

 

 デルピュネー。先程語ったテュポンがゼウスを監禁した際に、コーリュキオン洞窟の番人となった半人半竜の女怪。

 ピュートーン。アポロンとアルテミスの母レトを襲った大蛇であり、テュポンの乳母だったともされる雌蛇。

 その2つは同一の存在であり、それがルーラーの正体だという。

 

 つまらところ──フォーリナーは、賭けに負けたのだ。

 それを理解した彼女は、呆然とするしかなかった。ピュートーンを殺した太陽神の矢など、ここにあるはずがないのだから。正攻法を使おうとしても、フォーリナーの詠唱が終わるより前に首を折られて終わりだ。

 

「あ、はは……ごめんなさい、アーチャー。私は……」

 

「──駄目よ。作者が諦めたら、誰が物語を完結させるの?」

 

 その言葉と共に、炎がルーラーに降り注ぐ。彼女はフォーリナーを炎に向かって投げ飛ばし、着弾点から離脱する。炎の中に放り込まれたフォーリナーは熱さに包まれるが、不思議と霊体は損傷せず、暖炉にあたっているようにさえ感じられた。

 

 顔を上げると、立っているのはアヴェンジャーだ。

 

お父様(マスター)のこと、信用しきったわけじゃないわ。だけど、こんなところでお話を放り投げるなんて、童話(ナーサリー・ライム)一部(ひとり)として放っておけないんだもの」

 

 目を合わせようとはしないアヴェンジャーに、フォーリナーが吃って言葉を返せないうちに、セイバーも傍らに立ち、手を差し伸べてくれる。

 

「オレだって叶えたい夢がある。そいつを掴むために、今はアンタの手が必要だ。

 アンタにもあるんだろ? 夢ってやつがさ」

 

 フォーリナーは少しだけ躊躇って、その後にセイバーの手を掴んだ。全ての子供たちを、笑顔にするために。



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縛鎖──ウェイク・アップ・ガールズ

非常に更新が遅れてしまいました。申し訳ありません。


 瀬古家の地下には、魔術工房が広がっている。無論魔術による防護も幾重にも行われている。例えば、触れれば弾き飛ばされるような加工とか、見えない壁だ。

 それらを、自分に宿る大量の魔力を流し込んで強引に突破し、小夜は地下室に足を踏み入れていた。

 

 水槽やよくわからない器具がいくつも並び、ときおり虫がカサカサと音を立てて通り過ぎていく、薄暗い空間。

 以前の小夜ならば、こんな場所には寄り付きたがらなかっただろう。今ここにいるのは、ドロレスの救出作戦のためである。

 

「ここに、いるんだよね……?」

 

 サーヴァントたちとベルチェが囮と足止め係になっている間に、小夜はドロレスを見つけないといけない。

 

 あの雪のような白い姿と、お人形のような端正な顔立ちは、簡単に思い出せる。見つかったらすぐにわかるはずなのだが。

 薄暗い空間に目を慣らしながら、奥へ奥へと歩いていく。

 

「……やっと、来たのですね」

 

 やがて見つけた女の子は、手錠で柱に繋がれていた。小夜は手錠にかかっていた魔術を壊して解錠し、彼女を自由の身とする。

 

「よかったのです。これで、五百八十七号はここを出られるのですよ。ありがとうなのです」

 

「いえ、私は大したことは……それより、早く逃げなくちゃ!」

 

 小夜はドロレスの手を引いて、来た道を戻って地下室から出ようとする。

 けれど、ドロレスは彼女を引き戻しながら、にやりと笑う。

 

「お礼を受け取るがいいですよ、雪村小夜……いいえ。小聖杯さん!」

 

 ドロレスの白い肌に魔術回路が浮かび上がり、脈動を開始する。小夜の視界は光に沈み、意識は薄らいでいく──。

 

 ◇

 

 サーヴァントたちが交戦する一方、地下室へと向かう廊下では少女同士が睨み合っている。押し通ろうとする明日菜。その前に立ちはだかるベルチェ。

 互いに敵対する魔術師であり、聖杯戦争のマスターだ。

 

 すでに廊下には鎖と蟲の群れが展開され、状況は一触即発。張り詰めた空気の中、ふたりの少女は視線を交わし、そして明日菜が痺れを切らして叫ぶ。

 

「お願い、私の蟲たち……あいつを殺して……喰い尽くして……ッ!」

 

 礼装をレイラズから奪い、ルーラーを手にして、せっかく聖杯に近づいていたというのに。これ以上邪魔されてたまるかと、明日菜は叫ぶ。その叫びに呼応し、蟲の群れが奮い立ち、ベルチェ目掛けて羽音を響かせる。

 

 対するベルチェは表情を変えないまま、呼吸を整え、行動を開始した。

 くるくると踊るように駆け回り、迫り来る敵襲をくぐり抜け、なびく鎖で敵を打つ。

 

 だが、それだけではキリがない。蟲の数は視界に映るだけでも無数。明日菜の中にあとどれだけ巣食っているかもわからない。

 ベルチェは刻印を励起させ、鎖に新たな指令を下す。

 

「──拘束無くして自由無く、自由無くして拘束無し。雨は天に昇り、花は天より地へと咲く!

 流動(Couler)研磨(Affiler)──『一刀両断交鎖(サーベル・チェイン)』!」

 

 今まで彼女が振り回していた鎖たちは、起動された術式によって主の両腕に巻きつき、その姿を変える。ベルチェが両腕に輝かせるのは、鈍色の手甲と白銀の刃だ。

 飛来していた数匹を一振で裂いて落とし、仕掛けられる針や角の攻撃をかわし、そのまま軽やかに明日菜の方へと向かっていく。

 

 倒す蟲は最小限でいい。狙うのは本体だ。彼女がマスターである以上、その令呪を切り落とせば、ルーラーは止まるはずだ。

 明日菜もベルチェの狙いに気がついたのか、次第に蟲を防御に回し始める。狭い廊下を塞ぐように蟲を配置し、両腕の刃だけでは対応しきれない壁を作る。

 

「これなら……合わせて3メートルもあれば足りるか」

 

 対するベルチェは、スカートの内側から鎖を飛ばした。わずかに眉間へ皺を寄せながら、やがて腕の刃でそれらを切り離し、今度はまた異なる魔術の行使にかかる。

 

流動(Couler)発破(Exploser)──『絨毯爆撃音鎖(ノーベル・チェイン)』!」

 

 鎖は再び姿を変える。赤熱し、膨れ上がり、炎と衝撃波を放ちながら破裂する。爆炎に蟲たちは焼け尽くされて、衝撃に明日菜は吹き飛ばされ、床に背中を打ちつける。

 

 そしてベルチェは炎の中を突っ切り、崩れゆく蟲の壁の向こうへと飛び込んでいった。煙の中を抜けて目に映るのは体勢を崩した明日菜だ。焦る彼女に先んじて鎖を放って拘束し、刃の切っ先を突きつける。

 

「……っ、こんな三流に、私の蟲が……!」

 

「あぁ、そうだ。貴女の魔術は突破された。観念して令呪の場所を教えるといい。命までは奪わないさ」

 

 四肢の自由を封じるように縛り上げられており、明日菜はもがいても脱出は叶わない。ベルチェの不意を突き殺してしまおうと残っていた蟲に指示を出すも、察知した彼女の刃の一閃に斬り捨てられる。

 

 これで、明日菜が飛ばした蟲は爆発と斬撃により全滅状態。体内に残ったものもわずかでしかない。

 もう無理だと悟り、明日菜は奥歯を強く噛み締め、感情を吐き出すしかなかった。

 

「……何が、命は奪わないよ。もうお兄ちゃんも、お父様もお母様もいないんだ……私が殺したから。

 令呪なんてどこにもない。あいつが従順じゃなかったら、私はただの魔力袋。

 それなのに、聖杯戦争にも敗けて生きていろって……?

 ふざけないでよッ! なにもないのに生きていたって、辛いだけなのに……!」

 

 感情を吐き出す少女を前に、ベルチェは用意していた脅迫の言葉を噛み潰した。刃を下ろし、彼女の傍らに屈んで、明日菜に向けた言葉を返す。

 

「……なおさら殺せなくなった。代わりに少し、話をしようか」

 

「はぁ……!? なに言ってるの、あなた?」

 

 ここは戦場。リビングでは、いまだにサーヴァントたちが刃を交わしているだろう。明日菜が令呪を持っていれば、この瞬間にルーラーを呼び寄せていたに違いない。

 けれど、ベルチェは急に深呼吸をして、喚く明日菜にも構わず話し始める。

 

「プラドラム家はベルチェで三代目。新興の一族だった。貴族に交渉したんだかなんだか知らないが、分けてもらった破片で威張ってた弱小錬金術師だ」

 

 己の家に誇りがないかのように話すベルチェ。その態度が気に入らず、明日菜は自分がこんな相手に負けたのかと苛立った。もっとも、苛立ちを表に出したところで状況は好転しないのだが。

 

「だが、いくら貰った元が偉くとも、残念ながら最初から向いていなかったんだろう。二代目、私の母の時点で、魔術回路は減っていた。

 ……それを知って、母上もお爺様も焦っていたんだろうな」

 

 ベルチェは寂しそうに呟いた。その横顔は隙だらけだったが、明日菜は不思議と、体内の蟲を不意打ちに遣わすことも忘れて、それの姿を見つめていた。その、どこかで見覚えがあるような表情を。

 

「先代は私に新しい魔術を試そうとした。魔術回路の強引な増設のためにホムンクルスの体を移植したり……名門から生殖用のホムンクルスとか持ってきた時もあったな。とにかく、そこに私の意思が反映されるわけもなかった。

 だから私は逃げ出した。調整中の刻印を背負って、宛もなくな」

 

 ──その話を聞かされて、明日菜は気がついた。ベルチェの表情に覚えた既視感の正体は、他でもない自分自身だったんだと。

 明日菜は体に蟲を縫い込まれた。きっと明日菜の方が痛かったし、苦しかった。ベルチェは親を殺していないし、兄弟も殺していない。苦しみは明日菜がずっと上だ。

 

「……なにが言いたいわけ。不幸自慢がしたくて、こんなことしてるの?」

 

「まさか。まず、貴女の人生の方が凄惨だ。私の人生じゃあ不幸自慢になっちゃいないくらい、目を見ればわかる。

 だけど……なにもないと思い込むのはよくない。私もそうだったからな」

 

 そう言ってベルチェの向けてくる視線に、明日菜は思わず目を逸らし、歯を食いしばる。

 思い出したのは兄の瞳。明日菜を解放する気配も、己の目的を譲る気もない。それなのに、明日菜をじっと見つめてくる。

 それは温かくて、温かいのに邪魔で仕方がなくて、気持ち悪い。

 明日菜は不快感を表情に露わにしながら、抵抗は諦めていた。

 

 そんな彼女の耳に、風を切る音が届く。

 顔を上げると、ベルチェの腕の刃が、針金細工の猛禽を両断したところであった。

 

 猛禽は息絶え、一本の白髪となってばらばらになる。

 

「え、私を、助け……?」

 

「殺すわけにはいかないと言ったろう。それはそれとして……ドロレス。これはなんのつもりだ? 作戦が完遂するまでは同盟ではなかったのか?」

 

 ベルチェが睨む先に、ひとりの少女の人影。白髪で赤い瞳、小柄な体躯。間違いなくドロレスだ。

 しかし、右手に令呪はなく、手首には己でつけただろう切り傷がある。なにより、髪型がロングヘアだ。監禁されている個体とは別個体だろう。

 

「あらあら。お二人が仲良くなった、そのお祝いですわよ。

 せっかくですもの、仲良し同士、ここで消えていただくというのはどうでしょう」

 

「やはりこうなってしまうわけか……残念だが、その提案は却下だ」

 

 ドロレスがまた己の髪を介して魔術を発動し、ベルチェは腕に装着された刃を構える。

 ふたりは互いに集中しており、また、ベルチェによる拘束も緩んでいる。

 

 ──今しかない。

 

 明日菜は自分に絡みつく鎖を、蟲のうち複数匹を使い、一斉に壊させた。

 無論、気がついたベルチェは振り向くが、その隙を狙ってドロレスの攻撃が開始された。彼女の毛髪は長剣を形作り、それをベルチェへと振るっている。

 

 ベルチェの鎖は防御に回され、明日菜は拘束から解き放たれて走り出す。残っている手札は、ルーラーしかない。彼女のもとへ急がないと。

 

 背後でベルチェとドロレスが得物をぶつけあう音を聞きながら、明日菜は必死に廊下を駆けていく。

 最後に残った聖杯の夢と、自分の手駒に縋りつくために。



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前進──キー・イン・ザ・ハート

『セイバー、そっちはどう?』

 

 フォーリナーからの援護を受け、ルーラーへと刃を振るうセイバー。その脳裏に、突然マスターの声が響いた。

 迫ってくる竜の尾を聖剣でどうにか受け止めつつ、主からの念話に応える。

 

『作戦こそ失敗したが、ルーラーの真名がわかった。こっからが正念場だ』

 

『それはよかった……と言いたいところだが、こちらは状況が変わった。

 今から言うことを他のサーヴァントにも話してくれ。ルーラーにもだ、頼む』

 

 セイバーは迫り来る攻撃の嵐を避け、アヴェンジャーによる火炎を横目にベルチェの話を聞いた。

 現在、ベルチェは同盟相手だったはずのドロレスに襲撃され、応戦しているらしい。

 同時に、ドロレスの解放のために地下室へ向かった小夜からの連絡が途絶えているらしい。

 

『……待てよ、小夜は一人で地下室に向かったんだろ。そっちは大丈夫なのか!?』

 

『わからないが、ドロレスに襲われている可能性は高い。至急アヴェンジャーを向かわせてくれ』

 

 セイバーはそれを聞くやいなや、アヴェンジャーの放つ火球が燃え盛る音に負けないよう、声を張り上げた。

 

「アヴェンジャー! 小夜のとこに向かってくれ!」

 

「……え? お姉様(シスターさん)はドロレスの解放を担当してたんじゃ……っ、まさか」

 

 アヴェンジャーがフォーリナーの顔を見る。だがどうやら、驚いているのは彼女も同じであるようだ。ドロレスからの連絡などなかったとみえる。

 

「そんな、まだルーラーの討伐も完了していないというのに……? なぜ我が主は好機をふいにするような真似を……」

 

 フォーリナーは考えようとするが、ルーラーの尻尾が彼女の顔のすぐ横をかすめ、思考は中断された。慌てて身構え、セイバーも剣の切っ先をルーラーへと向けた。

 

「……とにかく、ベルチェが攻撃されてるのは事実だ。アイツ自身はなんとかなるかもしれないが、小夜に無理はさせられないんだろ?」

 

「え、えぇ。アヴェンジャー、先へ行ってください。我々はここで彼女を食い止め──」

 

「ありがとう、お言葉に甘えるわ」

 

 身構えたフォーリナーが言い終わらないうちに、彼女の目の前を炎が通り過ぎていった。火炎を纏い、壁紙や床板を焦がしながら駆けていくアヴェンジャー。それを見送る間もなく、セイバーとフォーリナーは肩を並べて敵を見据えた。

 

 ルーラーはアヴェンジャーを追う気配はなく、二騎の視線に応えるように見つめ返し、そして拳を振りかぶり──

 

「ルーラー! 命令! 戦闘を止めて、私を連れて脱出しなさい!」

 

 ──背後から響いた主の声を聞くや否や、その拳を止めた。

 

「承知致しました」

 

 ルーラーは踏み込んだ足で強引に床を蹴り、後方へ跳んで明日菜を抱き上げ、次の瞬間には全速力で逃亡を開始している。もはやセイバーもフォーリナーも眼中にないのか、無防備な背中が視界に映る。

 

 だが、追って斬りかかってもセイバーの速度では足りず、剣先は空を切った。

 さらにフォーリナーは追撃のためにシャンタクを放ったが、竜尾に叩き落とされ、そのままルーラーと明日菜の姿は見えなくなっていった。

 

 けれど、呆気にとられている暇はない。ふたりのマスターはまだ戦っている。しかも、隣に立つサーヴァントのマスターと。

 

 セイバーとフォーリナーはそのことを理解していながら、互いに顔を合わせ、地下室へと続く道を駆け出した。

 今は手を取り合うと決めた相手だ。まずは、ドロレスに真意を尋ねないと。

 

 ◇

 

お姉様(シスターさん)ッ!」

 

 炎が燃え盛る音とともに、階段を転がり落ちるように突き進み、地下室へと乱入したアヴェンジャー。

 彼女が放った炎が薄暗い地下室を照らし、その状況を視認させる。

 

 意識を失っているのか、ドロレスに寄りかかる小夜。そして、アヴェンジャーに気がつくと、嫌そうな顔をしたドロレス。

 明らかな非常事態に、アヴェンジャーを取り囲む炎はより勢いを増し、ひっきりなしに響く火花の散る音が彼女の警戒心を象徴している。

 

「……ルーラーとの戦いはどうしたのです? あのまま戦っていれば、最大の難敵を倒せたでしょうに」

 

お姉様(シスターさん)から離れて」

 

「嫌なのです。これはやっと手に入れた、我々の欲しかったモノなのですから」

 

「ふざけないで。お姉様(シスターさん)はモノなんかじゃないわ」

 

 威嚇代わりに小さな火球を放ち、ドロレスの髪の先を焦がす。しかし彼女は動じずに、首をかしげてみせた。

 

「そんな怖い顔をして、なにを的はずれなことを言っているのです?」

 

 会話がすれ違っている。アヴェンジャーの見ている相手と、ドロレスの見ている相手が違う。

 なんとなく、そんな気配がして、アヴェンジャーは改めて話す。

 

「……雪村小夜を返して」

 

「あぁ、そういうことですか。

 それなら、我々に言わないでほしいのです。雪村小夜なら、もうここにはいないのですよ」

 

 しかし、ドロレスが口にしたのはまだ要領を得ない返答だった。アヴェンジャーは攻撃態勢のまま、ドロレスに再び問いかける。

 

「どういう意味かしら」

 

「間もなく小聖杯は完成する、ということなのですよ。小夜の肉体に組み込んだ術式は滞りなく、彼女という人間を分解して小聖杯へと作り直しているのです。

 本来ならばサーヴァントが集まるごとに変換されていく仕組みでしたが……我々はどうしても小聖杯が欲しかったのですよ」

 

 声色の端々には、嬉しいという感情が見え隠れしていた。その言葉を受け、アヴェンジャーの動きは止まる。

 

「小聖杯……やっぱり、そういうことなのね」

 

 ご丁寧にもドロレスが告げた事実を前に、アヴェンジャーの中で、ひとつの微かな予感が真実となってしまった。

 

 聖杯にされた子供たちの夢を見ていたことも。

 小夜の体に不調が続いていたことも。

 不自然に魔力供給が増大していたことも。

 

 彼女がサーヴァントの魂を受け止める器であり、聖杯戦争が進む度に人間から遠ざかっていくのだとしたら、辻褄があってしまう。

 アヴェンジャーは今までずっと、小夜を殺すために戦ってきたようなものだ。

 何せ、願いを叶えるために必要な器の完成とは、彼女の人格の崩壊──つまり、脳神経全ての魔術回路への変換を意味するのだから。

 

「……でも」

 

 それでも、アヴェンジャーの心に燃える、決して報われなかったマッチ(きぼう)の灯火は、消えようとしなかった。

 

「でも、信じるの。その先に幸せが待っているんだって、信じなきゃ」

 

 愛を信じなかったあの人(作者)に、教えてあげるように。

 

 深呼吸をひとつしたアヴェンジャーは炎を放つ。竜を模したそれは大きくうねり、地下工房の魔術道具の破壊を繰り返しながら、ドロレスへと襲いかかりはじめる。

 対する彼女は少し対応が遅れるが、なわとかかわし、アヴェンジャーに対して叫び出す。

 

「なんなのですか! これはもう雪村小夜じゃないのですよ、ここに人格は残ってないのですよ!?」

 

「そんなこと関係ないわ。燃え尽きたってマッチはマッチ。朽ち果てたって人は人なの!」

 

 炎の竜はなおもドロレスを追い、狭い地下室には逃げ場がなく、彼女は仕方なくありったけの魔術防御で炎を耐えぬこうとする。無論、アヴェンジャーだって小夜の肉体を焼き尽くしたいわけがない。

 火力はそう高くなく、小夜のシスター服の上着が焼け落ち、その内側に仕込んであった細身の長剣が転がり落ちるに留まった。

 そして──その細身の長剣は、偶然にも、脱力したままの小夜の足先を、わずかに傷つける。

 

 そんなことに誰かが気がつくこともないまま、炎は晴れる。ドロレスは咳き込み、アヴェンジャーはその隙に小夜の体を奪い返そうと動き出す。

 

『──アヴェンジャー、さん』

 

 その瞬間、魔力のパスを通じて、わずかに声が聴こえた。アヴェンジャーの中に直接流れ込むそれは、まぎれもなく小夜の声だった。

 

お姉様(シスターさん)……!?』

 

『お願いです。その剣で……私の、心臓を刺してくれませんか』

 

『なにを……いえ、わかったわ。あなたを信じる』

 

 アヴェンジャーは床に落ちた長剣──黒鍵を認識し、それがなにかしらの霊的な力を持つものだと理解する。そして、脳裏に響いた言葉に従って、拾い上げた黒鍵を振り上げ、小夜の首元に突き刺した。

 深々と沈み込んでいった刃は、恐らく心臓へと到達し、彼女の肉と血管をいくつも引き裂いただろう。

 

「いったい、なにをしているのです? そんなの、無意味な残骸の損壊に過ぎないのです」

 

 アヴェンジャーの不可解な行動を訝しがりながらも、ドロレスはアヴェンジャーをかわし、地下室からの脱出のために階段へと向かっている。

 だがアヴェンジャーがそれを追うまでもなく、その足取りは止められる。ドロレスの足は突如発生した冷気により氷漬けにされ、階段を登る前に倒れ込んでしまう。

 小夜の肉体は放り出され、床を転がった。

 

「……っ!? な、なんなのです、この氷……?」

 

 間違いなく、炎に包まれたアヴェンジャーではない。では一体誰が、こんな氷の魔術を使うだろう? 

 思い当たる可能性は、ひとつだった。

 

「まさか──」

 

「その、まさか、だと思います」

 

 目の前に転がっていた、人の残骸だったはずの肉体から声がした。そして彼女はぎこちないながらも立ち上がって、ドロレスを見下ろした。

 

「な、なぜ、小聖杯はすでに貴女の人格を……!」

 

「マドカちゃんにもらった黒鍵の刃がかすったとき……引き伸ばされてなくなったはずの私が、少しだけ元に戻ったんです。

 だから、これなら復活できるんじゃないかなって。アヴェンジャーさんに、お願いしたんです」

 

 黒鍵は小夜に突き刺さったままで、同時に彼女の心臓は穴を穿たれつつも動いている。

 

「黒鍵、人の体の摂理を上書きする概念武装ですか……でも、そんなことできるはずがないのです! 

 小聖杯の魔力はそんなことまでできるって言うのです……!?」

 

 本来ならば、人ならざる身と化した吸血鬼を浄化し、消滅させるための武装だ。

 しかし、小聖杯はその武装を、ヒトへと戻す願いと解釈した。いや、それはただ黒鍵の機能に対する解釈ではない。小聖杯へと刃を突き刺したアヴェンジャーの願いを叶えたのだ。

 

 それは不可能を可能とする、聖杯の力の片鱗。

 ドロレスは聖杯への羨望をより募らせながら、恨めしげに小夜を睨めあげた。



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命輝──スティル・チェインド

 火花が散って、金属音が響く。ドロレスの振るう剣を受け止めたことで、ベルチェの腕へと鎖越しに衝撃が伝わってくる。

 骨にまで響いた衝撃は、およそ少女の体躯に出せるものではない。やはりドロレスも強力は魔術師だと、ベルチェは思い知らされた気分だ。

 

 直後、針金の猛禽が数羽、一斉に襲撃してくる。腕に備えた刃で迎え撃つが、その隙にドロレス自身の振るう剣が襲い来る。

 

 またしても、廊下に金属音が重くこだまする。

 今ので何度目の激突だろう。手にした武器だけでなく自律式の使い魔も用い、荒々しく仕掛けてくるドロレスに対し、ベルチェは防戦を強いられていた。

 

 ──明日菜には逃げられ、セイバーに状況を話し終えた後、ベルチェの背後はアヴェンジャーが通り過ぎた。

 小夜のことは、無事を祈るしかない。今は目の前の敵と戦う、それだけだ。

 

「──捕まえた」

 

 八度目の剣戟にて、戦況が動く。ドロレスの振るう剣に、ベルチェの背中へと繋がる鎖が絡みついている。

 だがドロレスは焦らない。ベルチェがドロレスを捕まえているということは、ドロレスがベルチェを捕まえていると同義だ。

 

 自律する猛禽型の使い魔は4体。一斉に突撃が開始され、ベルチェは鎖の盾を全方位に要求される。

 

 待っていたのはこの瞬間だ。限界まで引き付け、背中の鎖を分離させながら跳躍する。起動するのは『絨毯爆撃音鎖(ノーベル・チェイン)』。切り離された金属は蓄積された魔力を暴走させ、光とともに衝撃を放つ。

 ドロレスはその輝きに危険を感じ取り、剣を捨て後退する。衝撃に包まれた剣は砕け、使い魔たちは燃え尽き、壁紙は焦げ付いた。

 

 ドロレスへの直撃は逃したが、得物も使い魔も一掃した。これを好機と見て、左腕に巻きついた鎖を解き、先端のサーベルを鎖鎌のように操り、攻撃として向かわせる。

 しかしドロレスも徒手のままではなく、はためくスカートの内側から再び剣を抜き放つ。あらかじめ仕込んであった毛髪からの錬成だ。

 飛来するサーベルを防ぐと、彼女は鎖を掴んで手繰り寄せた。無論、その根はベルチェへと繋がっている。魔術によって強化された膂力に負けよろめくと、視界の端には振りかぶったドロレスの姿が見える。

 

 そんな全力での振り下ろしを片腕で防御しようとして、右腕のサーベルは砕かれた。幸い切断や骨折には至っていないものの、衝撃で手が痺れているのがわかる。

 だが振り下ろした直後は当然隙になる。左腕の鎖を巻き直し、攻撃へと転じた。

 

 頸を狙った初撃は外れ、ドロレスの反撃の回し蹴りも空を切る。続く刺突は長剣での切り上げによって中断せざるを得ず、その切り上げもベルチェが攻撃を中断して回避したことで彼女を切り裂くことなく終わった。

 

「しぶといですわね。ルーラーのマスターは逃がしてしまいましたし……我々としても、あまり長引かせるつもりもないですのに」

 

「それはこっちのセリフでもある。私だって貴方の素振り練習に付き合いたいわけじゃないんだがな」

 

 アヴェンジャーは小夜のもとへ間に合っただろうか。逃げた明日菜はどうなったろう。セイバーは? フォーリナーは? 

 予定外の対戦相手を前に、武器は構えたまま、ベルチェの思考は心配で満ちる。

 

「えぇ。ですから、もう少し人手が欲しいところですわね」

 

「人手、だと?」

 

 ドロレスの言葉の意味を、ベルチェは一瞬考えてしまった。だが、その時には既に、背後からの気配に気づくべきだったのだ。

 振り返った視界に、ドロレスの青白い針金細工の凶器と、それを手にする少女が映るころには、すでに脇腹に痛みが走っていた。

 

 それは──今まで対峙していた少女と同じ『ドロレス』である。しかし、髪型はショートヘアであり、意識を共有した別個体に過ぎない。

 ドロレスが群体めいた性質を持っている以上、予想しうる不意打ちだ。思考を余計なことに割いたせいだろう。そのぶん、警戒しておけば。

 

 ベルチェとて、まったく対策していないわけではない。傷口から反撃に鎖を展開し、突き刺した少女をすぐさま捕縛する。

 しかしそれはあくまでカウンター。傷を受けたのは確かであり、痛みは現実のものだ。

 

「……ッ、これはこれは、まったく酷い油断だ。貴方が複数いる(……)ことくらい、理解してるつもりだったんだが……!」

 

 出血も損傷も、幸い生命に関わるほどではない。短期決戦に持ち込めば、消耗も抑えられるはず。

 ベルチェを傷つけた方のドロレスには複雑に鎖が絡み、完全に身動きは取れないだろう。彼女に止めを刺すよりも、もう一人のドロレスを迎え撃つのが先だ。

 サーベルを砕かれた後に残った右腕の鎖に魔力を込めて、炸裂の準備を整えながら殴り掛かる。

 

流動(Couler)発破(Exploser)! 『絨毯爆撃(ノーベル)──」

 

「生命維持機能停止。全機能、転換。全回路、起動」

 

「──連鎖(チェイン)』ッ!」

 

 爆裂を伴う右ストレート。だがその出力を上回る防壁に防がれ、衝撃はドロレスへと届かない。

 そして煙が晴れると共に、視界にはドロレスの手元で輝く光熱の球が映る。

 

「さあ。これが、我々のうち一人分(……)ですわ」

 

 ベルチェの生み出すそれよりも遥かにエネルギーを宿したそれは、小夜と同じ原理の魔術式だ。鎖によって拘束されていた個体は既に生命活動を停止し、すべてを魔術回路に変換されている。

 そのことを察するとともに、残った肉体を縛っていたものを己から切り離し、中の遺骸ごとドロレスへと投げつける。

 

 それだけでは、あれを耐え切るにはまだ足りない。人体ひとつぶんの盾で、人体ひとつぶんの魔力砲撃を耐えるのは不可能だ。

 ベルチェは自分の体を鎖で包み込もうとし、その時にはすでに視界は光に染め上げられており、次の瞬間には思わず目を瞑っていた。

 

 ──けれど、破壊音のひとつすらあたりには響かぬまま、光が晴れた。ドロレスの命を燃料とした砲撃は、暗澹たる不定形の触手の群れに消し飛ばされていた。

 

「フォーリナー……それにセイバー? なぜここに」

 

 目を丸くするベルチェは、いつの間にか、本来の砲撃の軌道から離れた場所でセイバーに抱えられていた。

 そして、ドロレスの攻撃を受け止めたのはフォーリナーだ。

 

「ルーラーが逃げてったからだよ。余計なお世話かと思ったが、このぶんだと役に立てたみたいだな」

 

「べっ、ベルチェ嬢……! 無事でよかった……それで! マスター、今はベルチェ嬢や小夜さんと戦うべきときではありません。

 どうか、刃を収めていただけないでしょうか」

 

 ルーラーの脅威は誰よりもフォーリナーが知っている。最優先で倒すべき、最大の敵だったはずだ。それを目の前にして、ドロレスは裏切った。恐らく、彼女でさえも知らされていない行為だったんだろう。

 自分のサーヴァントに詰め寄られ、ドロレスはくつくつと笑ってみせる。

 

「ちょっとした嫉妬と、大きな使命感ですわ。第三魔法起動のため、確実に聖杯の器を手にしておきたかったのです。

 それだけの動機じゃ、納得してもらえないかしら。

 あぁ、もういいですわよ。生きているうちの回収は、諦めますから」

 

 そう言って首を傾げたかと思うと、彼女は右手を天に掲げた。稲妻のように魔力が迸り、その手の甲には赤黒い紋様が、1画だけ描かれていく。

 

「ドロレス六百号へのマスター権移譲、完了。五百八十七号も、もう用済みですわね」

 

 独り言を吐き捨てて、少女の笑顔はフォーリナーへと向いた。

 

「さあ、フォーリナー。行きましょう、全ての幼女(ヒト)の笑顔のために」

 

 呆気にとられていたフォーリナーだったが、少し時間を置いて、小さく答えた。

 

「……はい」

 

 全ての子供達の笑顔。ドロレスもフォーリナーも、夢の辿り着く場所は同じなんだろう。

 彼女は戦意を見せず背を向けたドロレスに対し、不信感を抱きつつも、その後を歩いていく他にない。

 激戦の末に崩れた壁の外へ、小さな影ふたつは消えていった。

 

「アイツ……あれでいいのかよ」

 

 揺れ動くフォーリナーを前にしたセイバーの呟きは、戦火の去った廊下に転がり、誰も拾うことなく消えていった。

 

 それから少しして、ばたばた足音がして、地下室の方角から小夜たちが駆け寄ってくるのが見えた。

 

「ベルチェさん! だ、大丈夫ですか!? ドロレスさんがいきなり動かなくなって、私なにもしてないのに死んじゃったのかなって思って、それで……」

 

「小夜こそ、なんだその剣。思いっきり首から刺さってるけど、大丈夫なのか?」

 

「えっと……刺さってるから、大丈夫? みたいな? 

 そのへんも含めて話すので……いったん、戻りませんか?」

 

「……あぁ、そうしよう」

 

 ベルチェも大きく消耗しているし、家主の逃げたボロボロの家をアジトにする必要も趣味もない。

 撤退を決めて、ベルチェたちは瀬古の家を後にする。

 

 未明の計画の時は、最後の戦場となることを願っていたが、そうもいかないらしい。

 それに、気にかかる少女がまた一人増えてしまった。

 

「……瀬古明日菜。彼女とはまた、話をしないとな」

 



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始動──ザ・ブッキング

 生き物係が目を覚ました時、カーテンの開かれた部屋が眩しく、反射的に目を瞑ってしまった。

 明るさに慣らしながら、彼は壁掛けの時計を確認する。とうに日は高く昇っており、朝どころか、もうお昼時だ。

 

「やっと起きたのね」

 

 そう呟きながら寝室に顔を出したのは、くるくると巻いたツインテールが特徴的な女の子──委員長だ。

 生き物係はベッドから起き上がって、彼女に促されながら、いくつかの身支度をしていった。

 

「もう私たちには役割もない。お昼まで寝てたって、誰も怒らないわ。

 それに……昨日はいろいろあったから。疲れてたって、仕方ないわよ」

 

 委員長はそんなことを言いながら、生き物係の歯磨きと洗顔をじっと見つめていた。とてもやりにくかったが、タオルを用意したり、助かったのは確かだった。

 

「お昼はもう頼んであるの。ホテルのレストランから持ってきてくれるようにね。

 あなたの好みはよくわからないけど、とりあえずハンバーグにしておいたわ」

 

 生き物係がなにも言わなくても、彼女が色々とやってくれている。こうして委員長が世話を焼いてくれるなんて、なんだか不思議な気分だった。

 母親と一緒に暮らしていると、こういう感覚なんだろうか。

 

「……なに? 言いたいことがあるような視線してるけど」

 

「あ、いや、お母さんみたいだなって」

 

「……そう」

 

 会話は長く続かず、昼食が届くのを待つ間、二人の間には時計の音とカラスの鳴き声だけが響いていた。

 しばらくすると、二人前の昼食が届き、生き物係と委員長は向かい合って座った。

 食卓になっても、委員長は自らなにか言おうとはしないで、黙々と食事を続けている。

 

 そんな中、生き物係は今まで聞いてこなかった質問を投げかけた。

 

「あの、ベルチェさんたちは?」

 

「聖杯戦争に向かったわ。きっと、決着をつけるつもりよ」

 

 既にベルチェと小夜が出発してから2時間以上が経った、らしい。生き物係はその間も眠っていた、というだけの話だった。

 

「……もうランサーはいないわ。残念だけどね。だから、私たちは聖杯戦争には関係ない。

 今は、ここで祈ってるしかないのよ」

 

 生き物係は聖杯戦争から脱落した。バーサーカーの心臓を貫いて、ヤドリギの彼女は役目を終えた。今の生き物係は、もはやマスターではないのだ。

 

「でも……」

 

 ベルチェも小夜も、生き物係と委員長を助けてくれた存在だ。できることなら、その願いの手助けをしたい。

 

 少年は己の右手を見た。

 そこには輝きを失いながらも、いまだ刻まれている令呪がある。

 サーヴァントとの接続は失われており、その強力な術式は生き物係ではとても利用などできる代物ではない。けれど、ランサーと共に戦った証として、彼の心に焼きついた紋様だった。

 

「箸、止まってるわよ」

 

「……あっ、うん」

 

 考え事ばかりでは、せっかくの昼食が冷めてしまう。そう委員長に促され、生き物係はまた食事に手をつけはじめた。その間もずっと、思考は聖杯戦争のことばかりで、味はほとんどわからないままだったけれど。

 

 そんな中で、ふと、委員長が呟く。

 

「……どうしてもやりたいことがあるって感じね。

 えぇ、いいわよ、いくらでも付き合うわ。一緒に考えましょう。

 私にだって、もうあなたしか残ってないんだもの」

 

 まだなにも頼んでいなかったけれど、生き物係の考えていることは見透かされていたようだ。仕方なさそうに話す彼女にはありがとうの言葉を返した。

 

「ふんっ、礼なんて求めてないけど──」

 

 がしゃん。

 

 照れくさそうに委員長が話すのを遮るように響いたのは、金属製のなにかが床に落ちたらしい音だった。

 生き物係は食器を置き、様子を見に行く。するとそこには鎖が絡み合って作られた、太く短い蛇のようなものがくねっていた。

 

「これって、ベルチェさんの?」

 

 委員長は蛇を拾い上げ、まじまじと見つめはじめた。その間も、どこかへ向かおうとしているのかばたばたと動いていて、まるで生きているようだ。

 

「これ……強い魔力に反応する、使い魔みたいなものね。ベルチェが置いていったんだわ。

 でも、どうして急に……?」

 

 鎖の使い魔が再び床に置かれると、それはすぐさま窓の方へと向かっていった。なにか、強い魔力を感じ取ったのだろうか。

 

 もしかしたら、ベルチェたちが戻ってきたのかもしれない。

 そんな希望的観測に突き動かされ、生き物係が窓辺に駆け寄って、外を見た。

 

 視界に映るのは何の変哲もない街並みと、そして──その中に佇む、ひとつの異様な影。鋼鉄の棺を身にまとった少女、だろうか。

 

 彼女が向ける虚ろな目に覚えはなくとも、その真っ白な髪と、豊満な体には覚えがある。

 

「あれって、もしかして──!」

 

 生き物係は委員長の手をとって、部屋を飛び出した。ルームキーのことは飛び出すギリギリで思い出して、机の上にあったのを引っ掴んでまた走り出した。

 

「ちょ、ちょっと! いきなりなに!?」

 

「間違いないよ。あの人なら、きっと!」

 

 ◇

 

 死ぬことは許されず、観客の一人も見つけられぬまま、少女──アサシンはさ迷っていた。

 腕に付けられた巨大な爪と、鋼鉄の尾を引きずって、自分が舞うべき舞台を求めて、ただ歩き続けていたのだ。

 

「……痛い。痛い、わ」

 

 宝具の発動によって鋭敏化された感覚は、風が皮膚を撫でることさえ痛みと認識していた。

 しかし同時に、宝具は魔力の気配を感知する能力もまた鋭くさせ、彼女の放浪に目的地を与えていたのだった。

 

 漂う魔力の匂いを追って、戦場の痕跡と、サーヴァントが通り過ぎた残り香を頼りに、やがて一軒のホテルにまで辿り着いたのだ。

 

 すると、ホテルの中から、知っている顔が飛び出してくるのが見えて、アサシンはそちらに目を向けた。

 

「あ、アサシンさんっ!」

 

「その鬱陶しい前髪……もしかして、あの時の臨時スタッフ!?」

 

 呼び起こされたのは、一度聖杯に取り込まれ、どうにかして脱出した記憶だ。その中に、この少年とこの少女がいたはず。

 

「あ、生憎ですけど。

 私も彼ももうマスターじゃありませんし、ここに他のサーヴァントはいませんよ」

 

 少女の方は、怯えるでも死にたがるでもなく、警戒する素振りを見せた。

 

「安心しなさい。今の(アタシ)は事務所フリーなんだから。ここに来たのも偶然よ」

 

 アサシンの言葉を聞いても、委員長の方は警戒を解いていない。少しでも敵対するのなら、いつでも逃げられるように身構えている。

 

 対して生き物係はというと、以前のただ指示を待つのではなく、しっかりとアサシンを見据え、自分から声を出した。

 

「あ、あの、アサシンさん。フリーだっていうなら……また、僕たちのために歌ってくれませんか」

 

「なっ、なに言ってるの!? また聖杯戦争に飛び込むつもり……?」

 

 驚く彼女に、生き物係は静かに答えた。

 

「……うん。それが、いま僕がやりたいことなんだ」

 

 それを聞かされて、さらに眼差しを向けられて、委員長はたじろぎ、引き下がった。

 そして生き物係の目はアサシンの方に向き、視線が重なる。

 

「……助けたい人がいるんです。力を、貸してくれませんか?」

 

 アサシンは宝具の力によって、消えることを許されていない。つまり、魔力を供給される必要はない。

 だけど、だからといって──お仕事を、断る理由もなかった。

 

「いいわ、出演したげる。でも魔力(ギャラ)はきっちりいただくから、覚悟してね?」

 

 彼が頷くのを見届けて、鉄爪に覆われた手の代わりに、鋼鉄の尻尾を差し出した。

 彼の右手と尻尾の先で握手を交わした瞬間、令呪は輝きを放ち、確かに契約は成立する。

 

「それで、ステージはどこかしら?」

 

「それがその……まだ見つかってない、と言いますか」

 

 スタッフとしては、まだまだヒヨっ子の新人のようだったけれど。



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決意──ファウンダリング

「なんで……なんで私がこんな目に……ッ!」

 

 感情に任せて、明日菜はコンクリートの壁を殴りつけた。弱った少女の非力な拳は痛む。壁には、まるで何も起きていない。

 

 ──瀬古邸から逃げ出した明日菜とルーラーは、目に付いた適当な民家に押し入って潜伏先としていた。

 住人は何人かいたようだが、すべて虫に食わせて養分とした。ベルチェ相手に消耗させられた以上、魔力は少しでも回復したかったからだ。結局ほとんど魔力の足しにはならなかったが、決して八つ当たりなんかじゃない。

 

 逃亡という選択は、明日菜にとって最悪の手段だった。

 もうすぐ聖杯が手に入るはずだったのに、もうすぐ両親の言いつけのとおりになったのに、その夢から引き離された。

 

「もう、私にはなんにもないのに……」

 

 気がつけば、全部自分から切り捨ててしまっていた。

 手元に残ったものは悔しさと、苛立ちばかり。せめて、サーヴァントの一騎だけでも滅ぼせていればよかったものを、それさえできなかった。

 

 ふと振り返ると、ルーラーがなにも言わず、なにを考えているのかもわからない瞳でこちらを見つめていた。

 

「……なによ、その目は。どうせあなたも、私から奪っていくんでしょ……なにもかも!」

 

 ルーラーは、一度たりとも明日菜を裏切ったことはない。どころか、彼女の意に従わなかったことさえなかった。

 それでも、今の明日菜には、彼女にも敵意を向けるしかできなかった。

 

 そんな明日菜の目に、変わらず意図の読めない瞳が向けられる。たじろいだ明日菜とルーラーの間にはしばし静寂が立ち込めて、少しするとルーラーから口を開く。

 

「──掟とは」

 

「……掟とは、なによ」

 

「主を滅ぼすためのものではありません。

 人々に安寧を齎し……主と共に歩むためにある。

 私がなにかを奪うなど、有り得ません」

 

 そう告げるルーラーの視線からは、少なくとも、悪意や敵意は感じられない。明日菜はなにも言えなくなって、歯を食いしばりながら、彼女から目を逸らした。

 そんな明日菜の頬を、竜の手のひらが捕まえて、無理やり首を戻された。

 

「命令外ですが……訂正を、ひとつ。

 あなたにはなにも残っていないわけではありません。ここに、私が残っています」

 

 ベルチェに負けたのは明日菜だけだ。サーヴァントがいる限り、聖杯戦争には負けていない。明日菜はその程度のことさえも忘れていたのだ。

 

「ルーラー……」

 

 彼女は今までだって、どんなサーヴァントにも優勢に戦ってきた。朝の襲撃の時だって、セイバーとアヴェンジャーとフォーリナーを一斉に相手にしていたのだ。

 ここから先だってきっと、彼女なら勝ってくれる。

 そう思うと、苛立つ心も落ち着いていった。聖杯を手にする術はある。全部、ルーラーが叶えてくれるんだ。

 

 明日菜はそっと、自分の頬にあてられたルーラーの両手を握り、彼女に向かって頷いた。

 

「あなたなら、あなたと一緒なら……きっと……」

 

 聖杯を手に入れられる。お父様もお母様も、喜んでくれる。

 この時明日菜が浮かべた笑顔は、年相応に幼気(いたいけ)だった。

 

 ◇

 

 暗い地の底で蠢くのは、死ぬことすら許されないまま脈動する子供たち(・・・・)

 実に千人以上もの人間を用いたこの聖杯は、正しく稼働し、サーヴァントたちを殺し合わせている。

 

 その聖杯が佇む空洞に、フォーリナーと複数体のドロレスが集まっていた。

 そのうち何体かの監督担当が指揮をとり、他のドロレスたちは作業員として、聖杯に対してなにかの干渉を開始しようとしているらしい。

 

 フォーリナーはその光景をぼんやりと眺めながら、時折目に留まる聖杯に縫い込まれた少年少女の姿は見て見ぬふりをして、洞窟の冷たい岩壁に寄りかかっていた。

 

 そんな中で、背後からいきなり声をかけられる。

 

「我々は今、第三魔法を全ての人間にかけ続けるように、聖杯を加工しているのですわ」

 

 聞いてもいないのに作業の内容を教えてきたのは、新たに令呪を受け継ぎマスターとなった「ですわ」口調のドロレスだった。かつてのマスターだった「なのです」口調の個体は、朝の戦闘で停止してしまったらしかった。

 

「この方法で……本当に世界すべての人間を、笑顔にできるんでしょうか」

 

「もちろんですわ。我らが師が夢見た楽園が、ついに実現されるのですわ!」

 

 マスターは目の前で、楽しそうにくるくると回ってみせる。ほとんど表情を変えないドロレスだが、今だけは笑顔に満ちている。

 

 第三魔法──魂の物質化によって、人々は肉体を不要とし、不滅となるだろう。そんな世界で、子供達はドロレスのように笑っているのだろうか。

 それはフォーリナーにはわからない。けれど、確かにわかるのは、そこに雪村小夜とマッチ売りの少女の姿がないことだった。

 

「私は……」

 

 どうしても決意が揺らぐのは、その二人のことが脳裏にこびりついているからだった。

 

 思い出すのは、ルーラーから助け出された時に包まれた、アヴェンジャーの炎の暖かさ。そして、彼女にかけられた言葉。

 

 ──こんなところで物語を終えるなんて、許さない。

 

 彼女もまた寓話(ナーサリー・ライム)として、燃え尽きるまで物語を描くのだろう。雪村小夜だってそうに違いない。

 

「私は……私には」

 

 きっと、ルイス・キャロルの幻影は、彼女たちを心から笑わせたいのだ。

 冷たい路地裏で力なく笑っていた、マッチ売りの少女を。

 己が消えゆくことを知ってなお突き進む、儚き修道女を。

 

 だったら、取るべき答えは決まっている。最後に彼女たちが笑っているためには──フォーリナーとドロレスは、一番の邪魔者なんだから。

 

「どうかしたのですか、フォーリナ──」

 

「ごめん、なさい」

 

「──?」

 

 衣服から飛び出した触手は、滞りなく少女の上半身を消し飛ばした。先程までマスターだった残骸が、生命を失い崩れ落ちる。

 腹部があったはずの場所から体液が流れ、無造作に転がり落ちているその様は、それがとうに生命を失っていることを感じさせた。

 いくらドロレス同士が魔術回路をリンクさせていると言えど、直接サーヴァントと繋がっているのは令呪を持つ一人だけ。令呪ごと消え失せた今、フォーリナーは消滅を待つだけだ。

 

 罪悪感を覚えないはずがない。さっきまで笑顔で、可愛らしく踊っていた少女を、フォーリナーは己の意思で死なせたのだ。

 肩で息をしながら、その様を眺めているばかりだった。

 

「──令呪を以て命じますわ」

 

 その時、大空洞に響いたのは、有り得ないはずの命令の声だった。振り向いて、そこに立っていたのは右手を掲げ、その甲に刻まれた紋様を輝かせるドロレスの姿だった。

 

「考えるのを、やめてくださいませ」

 

 すうっと透き通るように、フォーリナーの中にあった疑念が消えていく。どうしてこうなったのか、理解することを脳が放棄している。知覚は正常だが、そこからなにも感じ取れない。

 

「ぁ、わ、わた、あ──」

 

 うまく言語を発することもできず、うめくフォーリナー。対するドロレスはすぐに、今度は左腕の袖を捲りあげて見せた。

 右手の令呪は使い切っても、彼女は聖杯戦争の主催者だ。アーチャーのマスターが使うことなく遺した令呪を持ち出したとて、不思議ではなかった。

 もっとも、今のフォーリナーには、それが令呪であることさえほとんど理解できなかったが。

 

「重ねて令呪を以て命じます。微睡みなさい、フォーリナー」

 

 瞼が重くなる。思考はキャンセルされ、意識は薄れゆく。それに呼応するかのように、ドレスを形成する肉塊はぶくぶくと湧き上がり、ルイス・キャロルを飲み込んでいく。

 

「う、ぁ、あう……」

 

 眠りに落ちていく中で、最後に少女は手を伸ばした。そうして、虚空の中に、一匹のウサギを生み出した。

 それは慌てた様子で走り出し、膨れ上がる渾沌から逃れ、地下通路からどこかへ走り去っていく。

 

 ドロレスはそれを追おうとはせず、眼前で膨れ上がる白痴かつ遥かなる肉塊を前に、高らかに笑っていた。

 

「頑張ってくださいな、ウサギさん。哀れな小聖杯(アリス)を、我々のところまで導いてくださいませ」



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追想──ブレイクダウン・デイ

 子供たちを使った聖杯が完成するよりも、数十年も前のこと。その時代から既に、魔術師たちは霜ヶ崎に出入りしていた。

 土地を支配していた瀬古家と交渉し、山の麓に建つ病院を手に入れて、彼らは実験に取り掛かっていたのだ。

 

 ドロレスはその、病院の皮を被った魔術工房で生まれた。そこで生まれて、そこで育って、師と共に生きていた。

 

 そして──あの時。

 ドロレスは師に呼ばれ、病院から地下へと続く階段をぱたぱた走り、慌てて彼の元へ向かっていった。

 迷路のように続く地中の通路を急ぎ、天然の空洞へと足を踏み入れた。

 

「我が師……シヴェール様。三百一号、ただ今到着いたしました」

 

「あぁ、来たね、ドロレス。えらいぞ」

 

 空洞の中に立っていた三人の男のうちひとりが、ドロレスの到着に気がついて振り返り、頭を撫でてくれた。

 彼がドロレスの造物主──シヴェール・ハイジット。聖杯戦争を起こすべく研究を開始した、言わば元凶たる男だ。

 

「ずいぶんとホムンクルスを甘やかすじゃないか、シヴェール。

 世継ぎもこいつと作ったらどうだ?」

 

「馬鹿を言うな。彼女にそんな余計な機能は載せていない。

 それに、幼女に手を出すのは僕のポリシーに反する」

 

「わかってるわかってる。冗談だよ、冗談」

 

 笑いながら軽口をたたく赤毛の男はソラナン・フィアーリア。彼は後にアーチャーのマスターとして聖杯戦争に参加することになる。

 ドロレスは彼と師の話している内容はよくわからなかったが、ソラナンの視線が苦手で、思わずシヴェールの後ろに隠れていた。

 

 そして、そんなやり取りには興味を示さず、残る一人はただ大広間に鎮座するものを見つめている。

 彼の名はダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。多くの魔術師を抱えるユグドミレニアの長にして、かつて冬木で起きた聖杯戦争で戦った人物だった。

 

 彼の引き連れてきた太った錬金術師はアインツベルンより技術供与を受けており、シヴェールとともにドロレスを設計した。

 ドロレスからして産みの親の親玉、つまりは祖父ということになるのだろうか。

 

「……ここからだ、我らの聖杯戦争は。

 冬の聖女を再現することが叶わないのなら、他の方法を選ぶまで」

 

 ダーニックの呟きに、残る2名の魔術師たちも頷いた。そして、シヴェールはドロレスのほうを振り返り、また髪を撫で、微笑みかけた。

 

「今から大事な実験を開始する。ドロレス、君が鍵だ。僕らが聖杯を手にするため……どうか、耐えて欲しい」

 

 ドロレスは頷いた。そして、大空洞の中央に設置された、大きな肉の塊を見た。

 それは白髪で赤い瞳の幼い少女で構成されていた。手足や胴を繋ぎ合わされ、強引にひとつにされた肉塊だ。三百の脳と心臓を持ち、どくどくと全身を脈打たせている。

 

 この日──魔術師たちは、群体として設計したホムンクルス「ドロレス」のうち百体を連結し、巨大なひとつの魔術回路とする実験を行っていた。

 

 それも、今回が初めてではない。すでに何度かの失敗を経ており、二百号までの彼女たちは廃棄されている。

 中には、脳神経が焼き切れた個体も、全身が四散した個体も、異形への変化をはじめ処分された個体もいた。

 

 だが、今度は同じような失敗は犯さないと信じ、緻密な修正を重ね、魔術師たちは奇跡に挑むのだ。

 

「では……始めようか」

 

 ダーニックが詠唱をはじめ、魔術式が脈動する。肉の塊がうごめいて、その内部の回路が起動する。

 

 同時に、ドロレスの脳にも急激な違和感が生じた。まるで意識が希釈されていくようで、立っていられなくなり、脚から力が抜けていく。

 巨大かつ純粋な魔術回路として駆動させるため、人間としての機能は切り捨てられていくのだ。直接連結されていない個体であっても、ドロレスの意識は繋がっており、どうしても引きずられる。

 

 だが、ここで耐えきったなら、大聖杯のシステムはドロレスが全て掌握したも同然。この先に待ち受ける聖杯戦争は、ドロレスの掌の上で行われることになる。

 ゆえに、三百一号は連結されなかったのだから。だから、三百一号が停止するわけにはいかなかった。

 

 歯を食いしばり、自分に対しての魔術を何重にも展開した。シヴェールも補助に入り、自律して動かなくなった臓器や筋肉の運動は魔術で補い、過負荷に死滅する脳細胞はすぐさま代替品を錬成していった。

 三百一号は踏みとどまっていたのだ。

 

 だが──他のドロレスはそうもいかなかった。一ヶ所が破裂したのを皮切りに、次々と異常事態を発生させ、ドロレスに痛みと死の感触を残して機能を停止していった。

 聖杯という奇跡へと辿り着くはずの魔術回路たちは、簡単に破綻し、壊れ、やがてただの残骸になってしまった。

 

「やはり駄目か」

 

 詠唱を終えたダーニックが吐き捨て、ソラナンは首を振って、シヴェールは悲しげな表情で三百一号を撫でた。

 三百一号は聖杯になり損なった個体たちとは異なり、死んではおらず、意識も辛うじて保っていた。

 ただ、自分は魔術師たちの期待に応えられなかったのだという事実があるばかりだった。

 

「……ドロレスを使う方法にはもう無理があるだろうな。数を増やしたところで、自壊して終わりだ」

 

 ダーニックの言葉が、ドロレスの意識に突き刺さる。

 

「あぁ、だろうな。次の候補は……まるで魔術系統も魂の形も異なる魔術師の寄せ集めがいいだろう。

 ときにシヴェール、おまえの魔術は確か──」

 

 それを受けたソラナンの発言を、ドロレスは聞こうともしていなかった。脳裏では何度も、自分の前に突きつけられた限界が反響して、離れてくれなかったからだった。

 

 我々では、聖杯に──師の求める奇跡には、決してなれないのだ。

 



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出発──トゥ・ザ・ラスト

 ルーラーたちとの激戦を終え、ベルチェたちは拠点としているホテルの一室にまで戻ってきていた。

 聖杯戦争が水面下で行われていても、人々の生活はそう変わらない。従業員や宿泊客が行き交う様を見ると、漠然とそんな感想が浮かんでくる。

 そして同時に、この戦いが終わった後、皆が日常に戻れるといいな、なんて思ったりして。

 

「……無理だと分かっていても、願わずにはいられないな」

 

 小夜たちを先導して廊下を歩きながら、ベルチェは呟く。傍らでそれを聞くセイバーは常に警戒態勢でなにも言わなかったが、少しだけ、頷いてくれたようにも見えた。

 

 やがて宿泊している部屋に到着し、インターホンを押すと、おかえりなさいの声と共に生き物係が出迎えてくれた。

 

「ベルチェさん、小夜さん……! よかった、無事で……えっ、小夜さん、その首の……」

 

「あぁ、ただいま。悪いが、まだ戦いは終わってないんだ。この後で説明をする。それでいいかな」

 

「そうよ。あのいけ好かないヘビ娘も生きてるわ、きっと」

 

「ご明察だ、ルーラーは取り逃し……ッ!?」

 

 生き物係を宥めながら、小夜とアヴェンジャーはソファに座り、ベルチェも一息つこうと適当な椅子に腰かけようとした。

 その時、かけられた声の正体にやっと気がつく。

 

 部屋に堂々と居座る見慣れない影。それは巨大な爪と長い尾を銀色に輝かせた、明らかに異様な存在だ。

 なぜその違和感に部屋に入った瞬間気付けなかったのか──恐らく、アサシンの気配遮断スキルだろう。

 ベルチェは歯を食いしばりながら鎖を展開し、セイバーは剣を引き抜き構えた。

 

「少年、下がってろ!」

 

「あ、ま、待ってくださいセイバーさん! 違うんです!」

 

「違う……? 確かに武装が前より増えた気がするが、なにが違うんだ」

 

「アサシンさんは、僕と契約したんです」

 

 その発言に、セイバーもベルチェも目を丸くした。少年は聖杯戦争に巻き込まれただけだというのに、今更どうして、殺人鬼のサーヴァントと組む必要があったのか。

 アサシンは後ろから生き物係に密着し、鉄の尾を彼の頬にそっと添わせはじめる。

 

この子(スタッフ)の言う通りよ。(アタシ)を雇ったのはこの子自身の意思なんだから。

 なんでも、貴方たちを助けたいんですって」

 

「少年、本当なのか?」

 

「はい。僕の魔力とこの令呪で……どうしても、皆さんの手助けをしたかったんです」

 

 バーサーカーによる暴虐を目の当たりにしてきた彼は、ベルチェたちに死んで欲しくないと思っている。

 ベルチェだってそうだ。死にたくないし、セイバーも小夜もアヴェンジャーも、生き物係も委員長もなくしたくない存在だ。

 ベルチェが彼と同じ状況でアサシンに会ったなら、きっと同じ手段を執るだろう。

 

「……わかった。よろしく頼むよ」

 

「いいのかよ? ……いや、マスターがそう言うなら、オレは止めねえけどよ」

 

 セイバーは剣を鞘に納めると、代わりに腕を組んで怪訝な目でアサシンを見るようになる。対するアサシンの方は、特に気にしている様子もなく、にこやかに答えた。

 

「えぇ、こちらこそ。(アタシ)と同じ戦場(ステージ)に立つ栄光をあげるわ」

 

 そう言って、アサシンは握手の代わりに尻尾を差し出してきた。

 

 どういう意味かわからなかったベルチェは、とりあえず先端に人差し指を合わせて、某宇宙人映画のポスターみたいな感じにしてみる。

 すると、控えめなタッチが存外お気に召したのか、アサシンは尻尾でベルチェの指を何度もツンツンし始めていた。

 

「あら、握手の代わりにと思ったのだけど、これもこれで絆! って感じするわね。

 今度から握手会の代わりに尻尾タッチ会にしようかしら?」

 

「尻尾タッチ会ではファンとアイドルが触れ合う面積が少ないのでは」

 

「それもそうだわ。でもこの手で握手とか、全身握りつぶしちゃわないかしら。

 そうだわ! むしろ握りつぶし会とかどうかしら?」

 

「なるほど! その手があったか! 

 鍛えられたファンなら喜ぶこと間違いなし!」

 

 ベルチェとアサシンの会話を横で聞いていたセイバーは、この時密かに、自分の嫌な気配が的中していることを確信していた。

 ──彼女が、かつての同僚のようなポンコツであることを。

 

「な、なぁ、マスター。説明するんじゃなかったか?」

 

「そうだった、そうだった。申し訳ないが、握りつぶし会の検討はまた今度に」

 

「そうね。今はアイ活よりも聖杯戦争だものね」

 

 セイバーは心の中で、ツッコまない、ツッコまないからな、と自分に念を押していたのだった。

 

 改めてベルチェは椅子に腰掛け、皆をテーブルの周囲に呼び集めると、今まであったことを話し始める。

 ベルチェからはルーラーの真名と、ドロレスの裏切り。

 小夜からは、首の黒鍵のことと、小聖杯のこと。

 生き物係たちに対しても隠し立てせず、真実が伝えられた。

 

「そんな……小夜さんが……」

 

「……理屈は理解できるわ。小聖杯のことも、知識としては聞いたことあったし。

 でも、納得はできないわよ、そんなの」

 

 当然、衝撃的なのは小夜の体のことだ。生き物係は信じられない様子で、委員長は胸糞悪そうに歯噛みする。

 だが、そんな彼らに向かって声をかけたのは、他でもない小夜自身だった。

 

「私のことは大丈夫です。信じていれば、きっとなんとかなりますから。

 それよりも……倒すべき相手のことを考えましょう」

 

「あのちびっ子とヘビっ娘が残る敵、だったわね」

 

 アサシンの言う通り、残る敵は2騎。正体不明の力を宿した存在と、神話に語られる大蛇の魔物。どちらも恐ろしい敵と言う他ない。

 

 けれど、ベルチェの目には、皆が真剣な目をして、対策や作戦を考え出そうとしている姿が映っている。頼もしい友人たちだ。

 なんの根拠もない直感でしかなかったが、ベルチェには、とても負ける気はしていなかった。

 

「──あっ」

 

 そんな張り詰めた空気の中で、緊張からはほど遠い声がした。声の主は小夜だ。

 

「あの、さっき廊下で拾ったんです、このぬいぐるみ。誰かの落し物でしょうか?」

 

 彼女が抱えて取り出したのは、時計を持った白ウサギのぬいぐるみだ。体躯の小さいベルチェであれば、抱き枕にしてちょうどいいくらいの大きさである。

 そして、その姿を数秒ほど見つめると、ようやくその存在が放つ弱い魔力を感じ取れるようになる。

 どうやら委員長やアサシンにもわかったようで、委員長は目を細め、アサシンは首をかしげていた。

 

「……? 小夜、本当にそれ、さっき廊下で拾ったのか?」

 

「え、はい。そうですが……」

 

 かちり。

 

「えっ、な、なんか変なとこ押しちゃいましたか!?」

 

 小夜の手が何の気なしに、布製の時計に触れたとたん、スイッチを押し込んだような音がした。そしてただの布であるはずの時計の針が高速で回り、12時ちょうどを指して止まると、なにかの仕掛けが起動する。

 

『──このメッセージが届いている時、私の精神はもうこの世にはないでしょう……なんて、この入り、やってみたかったんですよね。

 あー、あー、聴こえてますか? 私です、私』

 

 当然鳴り響いたのはフォーリナーの声だった。あたりを見回しても、彼女の姿はない。フォーリナーは録音テープ代わりに、このウサギのぬいぐるみを届けたのだ。

 

『えー、本題だけ話しちゃいますね。

 私の肉体の主導権を奪われました。現在、外なる神からコソッと借りた権能が暴走している状態です。

 あれが聖杯と融合したなら……材料にされた子供たちの魂は消失し、私のマスターの夢が実現することでしょう』

 

「……っ!」

 

『ですが、まだ止められます。結局霊基は私のものですから。直接ぶっ倒せばいいんです』

 

 ドロレスたちも、フォーリナーも、大聖杯の元にいる。そして、彼らを止めなければ、子供たちを助けることはできない。

 彼女の言葉が正しいのなら、彼女は、マスターを止めてほしいのだろうか。その意図の全てがわからない以上、罠の可能性は捨てきれなかった。

 

 けれど、場が静まり返り、小夜が立ち上がろうとした時、再びフォーリナーの声が響く。

 

『それと──マッチ売りの君へ。どうか、この物語の結末を、いつか話して聴かせてほしい。

 いつか、どこかで出会えたら──』

 

 音声はぷつんと途切れ、ウサギのぬいぐるみはぼろぼろと急速に崩れていく。すると、それを見届けた後、真っ先に動いたのはアヴェンジャーだった。

 

「……ずるい人ね、あのお父様(マスター)ってば。

 えぇ、いいわ、信じるわよ。この物語、ハッピーエンドにしましょ?」

 

「──はい、アヴェンジャーさん!」

 

 アヴェンジャーは笑顔で小夜の手を取った。それに、小夜もまた、勇ましく答えた。

 

「ハッピーエンド。素晴らしいじゃないか。な、セイバー」

 

「だな。その通りにしてやろうぜ」

 

 目的地は決まった。となれば、あとは出発あるのみ。ベルチェもセイバーの手をひいて、彼女らの隣に駆け寄った。

 

「あ、あの、僕も頑張ります……!」

 

「マスターじゃないからって、黙って待ってなんていられないわ」

 

「──出演者は揃ったようね。それじゃあ行きましょう、本番ステージ!」

 

 そうして並んだ4人の後を追って、少年少女と吸血鬼もまた戦いに赴こうと駆け出す。

 

 そして、サーヴァントに抱えられながら、窓辺より飛び出していき──やがて、窓の開け放たれたホテルの一室からは、その後ろ姿さえ見えなくなっていった。



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驀進──ゴー・ストレート

 サーヴァントに抱えられて街をゆき、ベルチェたちはすぐに町外れの病院へと到着した。

 人ひとりいない駐車場には、三日前に空けられた穴がぽっかりと口を広げており、不穏な空気が周囲を満たしていた。

 

 この病院の裏山の内部に、聖杯が安置されている大空洞が存在している。つまり、この先に、ドロレスとフォーリナーが待ち受けているのだ。

 

 ベルチェは深吸をして、セイバーは自分の頬を叩き、気持ちを入れ直す。

 ここから先は敵の総本山。一度踏み入れたからといって安心はできない領域だ。

 

「皆、気をつけて進もう」

 

 先頭をゆくベルチェの言葉に、少年少女たちは互いに頷きあい、行先に目を向ける。

 まず敷地へと踏み入れる前に、強固に張られた魔術結界が行方を阻んでいる。そして、奥に見える建物には何人かのドロレスたちの影が見え隠れしていた。

 当然、侵入者への対策も強化されているらしい。時間がない以上、あまり構ってもいられないが──

 

「ッ、来るわ、伏せて!」

 

 委員長が叫ぶと同時に、空気が震えているのが肌でわかった。

 アサシンは近くにいた生き物係と委員長を爪で覆い隠し、アヴェンジャーとセイバーは己のマスターを庇う。そして周囲に強い衝撃波を撒き散らしながら、上空を通過するエネルギーの塊が視界に映る。

 

「あれは……ッ!?」

 

 あの黒い竜はルーラーの第二宝具で間違いないだろう。

 それは病院を包む結界を簡単に食い破り、少しも勢いを落とすことなく建物へと着弾する。大規模な爆発が巻き起こり、跡形もなく着弾地点の存在すべてを消し飛ばしていく。

 凄まじい破壊音が響き渡り、光が辺りを飲み込む。衝撃波がやっと収まるころには、施設のほとんどが消し飛んで、ほんのわずかな瓦礫を残すのみであった。屋内で待ち構えていたドロレスは間違いなく全滅だろう。

 

 そして、その爆発の跡には、地下空洞へと続く道が露出しているのが見えた。

 だからといって、素直にあの場所まで行けるはずはないのだが。

 

「焼却、完了。ですが、こちらには敵性サーヴァントが存在しています。

 どうしますか? 命令を」

 

「排除して、ルーラー」

 

「承りました」

 

 駐車場に降り立った少女──ルーラーは、抱えていた明日菜を下ろし、その命令を聞き届けた。

 彼女は聖杯の元へと急ぐベルチェたちの前に立ちはだかり、マスターの命令のままに戦闘態勢に入った。そして──拳を構えたと思った瞬間に、こちらへ向かって飛び込んでくる。

 

 肉眼では捉えきれない速度の攻撃。ただの人間の集団であれば、この時点で死んでいる。だが、ベルチェには戦友がいる。

 

「……マスター。出番だろ」

 

 既に剣を抜いて、少年騎士が短く呟く。あぁ、そうだ。ここで友人のため戦わずして、ベルチェはベルチェではいられない。

 それに瀬古明日菜とは、話をつけなくてはならないのだ。

 

「ルーラーは私とセイバーが引き受ける」

 

 状況は一刻を争っているうえ、ルーラーは強敵だ。全員でまともにやり合っていたら、間に合うはずもない。

 ここは敵を引き受けるのが、最高にカッコいい女だというわけだ。

 

「待ちなさいよ。(アタシ)、あの藪ヘビに因縁があるわ。だからっ、手伝わせなさいよね……っ!」

 

 アサシンはそう言うと同時に、ルーラーの繰り出す拳を鉄爪にて受け止め、反撃に尾を叩きつける。ルーラーにはあと少しの所でかわされてしまうが、彼女に再び距離をとらせた。

 

 セイバーと肩を並べ、戦場へと躍り出るアサシン。

 ベルチェがそのマスター、つまり後方の少年たちの方へと目を向けると、生き物係と委員長も頷いた。

 頼もしい友人を持ったものだと、ベルチェは思わずにやついた。

 

「さて……小夜! アヴェンジャー! 今回も非常事態だ、手荒に行くぞ!」

 

「はいっ、お願いします!」

 

「派手に行きましょう!」

 

流動(Couler)驀進(Rouler)! 『弾丸特急連鎖(トラベル・チェイン)』!

 ここは私たちに任せて先に行け──ッ!」

 

 鎖を巻き付け、切り離し、目的の方向にぶっ飛ばした。突き進む鎖は、サーヴァントたちの戦場を突っ切り、地下へ続く穴に彼女たちを送り届けていく。

 

「逃げられるとでも……」

 

「逃げられるさ。なんたって、私の鎖は速いから!」

 

 そして、ベルチェは小夜たちを追おうとする明日菜へと鎖を飛ばし、絡みつかせる。

 彼女の視線はベルチェへと向いて、互いに身構えた。

 

「あなた……また、私たちの聖杯戦争を邪魔するんだ。わかった、わかったよ、殺してあげる。うん、そうだ、そうしなくっちゃ……!」

 

 その言葉が開戦の合図となって、一斉に少女たちの体は脈動する。

 蟲の群れと鎖の群れが外界へ飛び出して、二人もまた戦へと身を投じていく。

 

 ◇

 

 ベルチェの鎖に導かれ、小夜とアヴェンジャーは洞窟の入口に飛び込んだ。空気は一転して冷たく、ここからでも既にフォーリナーの気配が感じられる。空気は淀んでいて、吸い込むたびに脳裏に言い知れぬ不快感が顔を覗かせる。

 

 それでも小夜は強く拳を握って、傍らの炎の少女と共に歩き出す。洞窟に靴音が響き渡り、変わらない景色の中、奥へ奥へと進んでいく。

 

 ふと、そんな中に少女の声が響いた。

 

「──ねぇ、お姉様(シスターさん)

 

「はい、シスターですが……なんですか?」

 

「お誕生日、おめでとう」

 

 小夜はきょとんとして、少し考えてから、合点がいったように苦笑いした。

 

「そういえば今日でしたね、誕生日」

 

「自分で忘れてたの?」

 

「いえ……まあ忘れてたんですが、その、いろいろありすぎてですね」

 

 当然、小夜にとってこの一週間は激動の連続であった。元より小夜は自分の誕生日をあまり嬉しく思っていなかったのもあって、すっかり忘れてしまっていたのだった。

 教会では、きっと主役が行方不明のまま誕生パーティーの日を迎え、困っているに違いない。みんな迷惑していることだろう。

 

「もう。そんなんじゃ、お友達もどう祝っていいかわからないじゃない」

 

「……お祝いなんて、いいんですよ。だって、私は」

 

 小夜が言いかけたその言葉を遮るように、アヴェンジャーは歩調を速めて前に出る。そして小夜の瞳を見つめて、彼女の歩みを止めた。

 

「駄目よ。それ以上、言ったら」

 

「あの、アヴェンジャーさん? は、早くしなきゃ」

 

「──私は。絶対に、諦めないんだから。お姉様(シスターさん)と一緒のハッピーエンド」

 

 アヴェンジャーが小夜の手をとる。いつ触れても、彼女の手は温かく、小夜の冷えきった指先を人間に戻してくれるようだった。

 

「そんな……ありがとう、ございます。ええと、その……あの時助けてくれたのがアヴェンジャーさんでよかったなって、心から思います」

 

 そうして笑顔を向け、小夜は手を繋いだまま、アヴェンジャーに導かれて駆け出した。

 重苦しくなってゆく空気も、頭の片隅によぎるやり残しも、みんな振り切って、洞窟に駆ける足音を響かせた。

 先に進む度に、外界からの光が届かなくなってゆくのにも構わずに。



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決戦──ドゥ・アズ・ワン・イズ・トールド

「ハァッ!」

 

 甲高い音を立て、セイバーの構える聖剣とぶつかり合うのはルーラーの拳だ。竜鱗に覆われた拳は叩き切れず、すかさず刃が高く蹴りあげられ、セイバーは踵落としを両腕で防ぐことになる。

 

 鎧越しにも伝わる破壊力は、骨にヒビが入りそうなほどだ。それでも耐え切って、お返しに大きく切り払い、腹部を狙った。

 

「甘いですよ」

 

 剣を振り抜いた時、すでに目の前に少女の姿はない。ただ側頭部への衝撃が走り、セイバーはよろめいた。

 

 蹴りを食らったのは明白だ。次の攻撃に備えろ──心の中で己に指示を出しながら、セイバーはわずかな風の音を頼りに振り向き、剣を構える。

 

 視界が追いつくころには、ルーラーの構えられた拳が目に入る。今にも振り抜かれようとするそれを前に、彼は歯を食いしばるが、それはセイバーのもとまで届かなかった。

 

「ここは(アタシ)戦場(ステージ)よ。忘れたのかしら?」

 

 アサシンの声がしたかと思うと、ルーラーは突如現れた石造りの壁に突っ込んで、瓦礫を作りながら勢いを殺された。

 彼女がよろめきながら周囲の状況を確認しようとした瞬間に、また声が続く。

 

「『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』ッ!」

 

 ルーラーの行く手を阻んだのは、アサシンの出現させた監獄城だった。返り血の壁と拷問器具に満ちたその内部はまさに彼女の領土。

 吹き抜けの上階より見下ろすアサシンの指揮により、壁に掛けられていた大量の凶器たちが一斉に動き出し、雨のように降り注ぐ。

 無論、ルーラーの身体能力はそれらの間を縫うように回避することを可能とする。しかし、凶器はアサシンの扱うものだけではない。彼女のウインクを合図として、セイバーも一気に魔力を解放する。

 

「オレを忘れてもらっちゃ困るぜ……ッ!」

 

 監獄城の壁ごと敵を呑み込まんと聖剣の輝きが押し寄せる。直前に察知し、凶器を受けるのにも構わず跳躍するが、回避はアサシンが許さない。彼女はルーラーに抱きつき、そのままセイバーの宝具へと引きずり落とす。ルーラーが抵抗にアサシンの腹部を拳で貫いても、その腕は緩まない。

 

「アンタも参加させたげるわ、いい声で啼きなさい……!」

 

「──第一宝具解放、『天雷届かぬ凪の洞(コーリュキオン・アントロン)』」

 

 ルーラーはアサシンを振り払うより、宝具の解放を選んだ。聖剣の奔流を空間に開く孔へと呑み込ませながら、体勢を整えアサシンに組み付き、そのまま地面に叩きつける。少女の首は本来の可動域を外れて曲げられ、あたりに嫌な音が響く。

 

 続けて己の宝具が無効化されたことで飛び込むしかないセイバーの斬撃をかわし、飛来する魔力の刃を尾で振り払い、そのまま尾を叩きつける。

 吹き飛ばされていくセイバー。追撃に飛び出そうと構えるルーラー。そこへ、地に伏していたアサシンの腕がルーラーの脚を掴み、握りつぶしにかかる。

 

「確かに頚椎は折ったはずでしたが」

 

「首が折れたくらいじゃ、私は止められないわ」

 

 あらぬ方向へと曲がっていた首はすでに治っている。対するルーラーは左脚を掴まれ、そして折られていた。

 セイバーが体勢を建て直し、魔力の刃を何発も繰り出しながら向かってくる。回避できないルーラーはそれらを拳で弾き、続くアサシンの殴打をも受けきるが、ついに聖剣の切っ先が彼女を捉えた。

 腕の先、竜鱗の隙間に抉り込むように突き刺し、そのまま刃に魔力を纏わせる。黒の魔力から聖なる純白へと精錬されゆく様を前に、ルーラーは動けぬまま、無表情のままで己も状況の打開へと動く。

 

「高潔を謳い、我が敵を押し流せ──」

 

「第二宝具、限定展開」

 

「『無毀なる清廉(オートクレール)』ッ!」

 

 ぶつかり合うエネルギーとエネルギーが炸裂し、辺りに爆炎が巻き起こる。3騎のサーヴァントは避ける間もなく巻き込まれ、その肉体にいくつもの傷を負う。

 セイバーの皮膚が裂け、ルーラーの鱗が剥がれ落ち、アサシンの血が宙を舞った。しかし爆炎が晴れた時、誰一人倒れてはいない。

 

 ルーラーは右腕の表皮がほぼ残っておらず、肉も灼かれたことでほとんど白骨化している状態だった。指は小指や中指が欠け落ちており、被害は大きく見える。

 また、焦げたメイド服の下に見える肌にも火傷と裂傷が目立つ。

 

「くそ……捨て身でかかってこれかよ……!」

 

 しかし、セイバーも少なからずダメージを受けている。両腕は焦げており、様々な場所で皮膚が裂けて血を流している。

 間近で宝具の激突に巻き込まれたアサシンも同様に傷だらけであり、彼女の側頭部に備わった金属の角の片方は折れてしまっていた。

 

「まだ戦は終わっていない。そうでしょう」

 

 ルーラーの攻撃は容赦なく続く。間一髪で放たれるハイキックをかわしながら、セイバーは剣を握り直した。

 

 ◇

 

 ──サーヴァントたちの戦いが続く横で、マスター同士ではすでに決着がついていた。

 四肢を鎖に巻き付かれ、身動きの取れない明日菜。それを見下ろすベルチェ。結果は一目瞭然だ。

 

 明日菜の体が吐き出す蟲たちは、以前より物量も少なく、単体での戦闘能力も低い代物であった。

 彼女は限界を迎えつつあるのだろう。ベルチェにとってもその対処は容易で、何度かの回避を繰り返した後、隙を狙い彼女の四肢を縛り上げるだけで戦いは決着したのだった。

 

「放してっ、放してよッ!」

 

 そう喚き散らしながらベルチェを睨んではいるものの、もがいても鎖は解けず、蟲を放ち抵抗することすらできていない。

 ベルチェはそんな彼女へ、止めを刺すのではなく、再び語りかける。

 

「……明日菜」

 

 マスターである明日菜が死ねば、セイバーとアサシンによる攻略を待つことなく、ルーラーは消滅する。そうしてベルチェたちは、小夜の元へと急ぐことができるだろう。

 

 だが、ベルチェはそうはしない。それだけは選べない手段だった。目の前で泣いている女の子が──かつての、自分自身に見えたから。

 

「明日菜。私に貴女の命を奪うつもりはない。また、話をさせてくれないか」

 

「……ッ、なにそれ、情けのつもり!?」

 

 ベルチェは頷き、その素振りを見た明日菜がさらに吠える。

 

「それなら……それならッ、殺してよ!

 お父様もお母様もお兄ちゃんも、みんなみんな私が殺したんだ……ルーラーまでいなくなったら、私、私っ、誰の言うことを聞けばいいの!?

 聖杯戦争に敗けた先で、どうしたらいいっていうのよ!?」

 

 そんな明日菜の叫びが、あたりに響き渡る。そして、その様を後方で見ていたひとりの少年が声を張り上げた。

 

「そんなの、誰も教えてくれないよ!

 人の言うことを聞くだけじゃ……わかんないことだって、見えないことだって、いっぱいあるんだ。

 自分の想いを……見つけなくちゃ」

 

 予想外に生き物係が答えたことで、明日菜は驚きの目で彼の方に目を向ける。少年が彼女へと返す視線は、ズレることなくその瞳を捉えていた。

 

「……っ、自分の、なんて、そんなの……あるわけないじゃない……」

 

 歯を食いしばり、威勢を失っても、明日菜はその言葉を受け入れていなかった。そんな彼女に対して、ベルチェは体を抱き起こし、ほほ笑みかける。

 

「これから探していけばいい。生きてさえいれば……好機はいくらでもあるさ。

 私だってそうだったんだから」

 

 ベルチェの笑みを前にして、明日菜は黙りこくって目線を落とし、少し考えてから、頷こうとした。ベルチェも展開していた鎖をおさめ、明日菜の拘束をゆるめようとした。

 

 ──その瞬間を狙って、銀色の鳥が1羽、少女たちの体を貫いた。

 

「……ッ!?」

 

 振り向いた先には瓦礫の山。そして、よろめきながらそこに立っていた白髪の少女が、今まさにその生命活動を停止しようとしている瞬間だった、

 

「任務……遂、行。こちら五百九十号……セイバーと、ルーラーの、マスターを……」

 

 ルーラーの第二宝具の限定展開を生き残り、瓦礫より這い出て、最期の力を振り絞っての行動だったのだろう。

 彼女が使い魔に託した一撃は、過たずベルチェと明日菜の胸を貫いていた。

 

 咄嗟に体内の鎖を操作し、どうにか止血を試みるが、傷は深く、出血も多い。

 だがそれよりも、目の前の少女が心配であった。やっと、もしかしたら通じあえたかもしれないその瞬間に、裏切られるように受けた傷。

 それはその目を恐怖に染め上げて、感情を口から垂れ流しにさせるには十分すぎた。

 

「あ、い、いや……し、死にたくない、死にたくない! こんな、こんなことになるくらいなら……ルーラー、命令よ……全部、全部っ、消し飛ばして……!」

 

「承知いたしました」

 

 その声は確かに聞き届けられる。

 ただ入力された命令に従う存在である(ルーラー)は、明日菜の魔力をすべて吸い上げ、己の持てる最大の火力を以て命令に応えようとしていた。

 

「──第二宝具、完全解放」

 

 渦巻き始めるのは極大のエネルギー。かつて星を墜とすために作られた、文字通りの対()宝具。

 その圧倒的な輝きが、戦場に招かれようとしていた。



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終着──ラスト・オリファント

 ──明日菜の意識は薄れゆく。痛みの中に沈んでいって、流れる血を止める術もなく、ただ深くへと落ちていく。

 

「っ、は、早く、治療を……!」

 

 駆け寄ってきたのは明日菜に楯突いた少年で、どうにか明日菜の胸の傷を治そうと尽力しているようだった。

 自分だけでも逃げればいいものを。このまま明日菜なんかに構っていれば、二人仲良くルーラーの宝具で消し飛ぶことだろう。

 

「なんで……」

 

「あっ、しゃ、喋っちゃだめですよ。傷が……」

 

「どうせ傷だけ治したところで……私、もう、死ぬんだけど」

 

 それに──ルーラーが吸い上げている魔力は、蟲が明日菜を貪って作り上げるものだ。

 彼女の第二宝具が完全に解放されようという今、明日菜は体内の蟲たちによって自分が喰われているのがよくわかる。

 

 治療なんてしたところで、意味が無い。すでに筋肉組織や神経が食い尽くされはじめており、四肢はまるで動かなかった。

 

「でも……まだ、助かるかもしれませんから」

 

 事実を教えられたはずなのに、少年は治療を続けている。拙い医療魔術で、どうにか明日菜の命をこの世に留めようとしている。

 本当に、意味がわからなかった。

 

「なんで……そんなこと、できるの。

 このままここにいたら、貴方も……」

 

「これが僕のやりたいことだからです」

 

 ──たった、それだけで、他人のために自分を危険に晒せるのか。

 

 瀬古春も、女神アナトも、レイラズ・プレストーンも、ベルチェ・プラドラムも。

 みんな、誰かのために命を賭けていた。

 

 彼らも同じように、自分のやりたいことに従ったのだろうか。

 

 だとしたら。

 

「……羨ましいなあ」

 

 最後にそう呟いて、少女は親の言いつけを守ることを諦めた。そうして、肩の荷が降りたように安らかに目を閉じて、そのまま再び開くことはなかった。

 

 ◇

 

 傷を受けた主の名を叫ぶ間もなく、セイバーの目の前には災厄が形作られつつあった。黒く渦巻く力の塊が徐々に膨れ上がっていき、1体の大蛇になろうとしている。

 それを目にした途端に、彼の人間観察スキルは確かにその情報を手に入れる。

 

 それはEXランク──即ち規格外の、対星宝具。

 

「第二宝具、完全解放──」

 

 死に瀕した明日菜の命令を受け、動き出すルーラー。真名を告げない限定展開であれば、セイバーでもどうにか死なないことはできた。だが、マスターの生命にすら構わず魔力を吸い尽くして放たれるこの一撃は、消えずにいられるかどうかさえわからない。

 

 放たれる前、今のうちに決着をつけるしかないだろう。

 そう判断して、アサシンとともに彼女に接近戦を仕掛ける。真っ先に繰り出した突きは空を切った。アサシンの爪は彼女には届かなかった。ルーラーはひらり、ひらりとかわし続け、反撃にセイバーを蹴り飛ばした。

 

「がッ……!」

 

 耐えきれず、大きく吹っ飛ばされるセイバー。彼の行き着く先は、奇しくも傷ついたマスターのすぐ傍であった。

 セイバーもボロボロだったが、人はサーヴァントよりずっと脆い。ましてや、心臓近くに穴を開けられ、どくどくと血液を溢れさせている彼女は、とても戦える状況には見えなかった。

 

 委員長は必死で治療に当たっているようだが、傷は深く、ベルチェの息は荒い。

 セイバーはそんな彼女の傍らで、聖剣オートクレールを杖に立ち上がる。

 

「……また(……)負けてたまるかよ。二度も親友を失くすなんて……嫌に、決まってんだろうが……ッ!」

 

 彼は叫び、もう一度ルーラーへと向かっていく。だが剣はルーラーには届かないまま、時は過ぎていく。あのエネルギー塊から溢れ出た稲妻に体が焼け焦げ、ルーラーの拳に片目を潰され、それでもセイバーは立ち上がろうとしていた。

 

 そんな彼の姿に呼応するように、ベルチェは己のコートの内側から、誰かが呼ぶような魔力の波長を感じ取った。

 うまく動かせない手で掴んで、引っ張り出す。

 

「どうしたのよ、って……笛?」

 

 委員長は治療を続けつつも、ベルチェの取り出したものに首を傾げた。

 

 姿を見せたのは、きらびやかに装飾の施された、象牙の笛だ。セイバーに預けられた第三の宝具である。

 状況を打破できるかはわからない。だが、それはセイバーの戦友が、かつて窮地に立たされた時に吹き鳴らしたもの。今は、他の誰でもなく、ベルチェが使うしかない代物だった。

 

「……お願いだ。セイバーを、助けてくれ……ッ!」

 

 祈りをこめ、傷口が開くのも構わずに、力いっぱい音色を轟かせる。牙笛の音は戦場を満たし、重く響き渡った。

 

 だが、それまでだ。それ以上何かが起こる気配はなく、どころか、その残響をかき消すように、ルーラーの手の上で黒の渦がバチバチと音をたて始める。

 

「時は来ました。此処に、審判を下します。

 星間飛行装置、駆動。

 登録終着地点、削除。

 (そら)の果てまで追い立てよ、我が真なる躯! 

 ──『汝、月を喰らう神判(ジャッジメント・ピューティアー)』」

 

 ルーラーの頭上に再現された神代の怪物。それは太陽神と月女神の母たるレトを喰らおうとした大蛇・ピュートーンの現世への再誕だ。

 全てを飲み込む黒き破壊の渦となり、天へと昇り、そして地へと迫り来る。

 周囲の空気は震え、余波だけで瓦礫はさらに砕け、満身創痍のサーヴァントは立ってすらいられない。

 

 そんな存在が轟音を放ちながら、上空より向かってくるのを、その場の少年少女たちは呆然と見つめるしかできなかった。

 

 だが──突如現れた一人の男が、それを迎え撃った。

 

 輝きを放つ剣が振り上げられ、大蛇と激突を始める。莫大な破壊なエネルギーを持つはずのピュートーンと接触しながらも、彼が手にした剣は傷つかない。彼の体は引き裂かれず、鎧が砕け、金色の髪がなびくだけ。

 刃は突き進む大蛇の首を逸らし、その進路を変え、青空へと打ち返す。

 

 軌道を狂わされたピュートーンは、空中を暴れ狂い、やがて連なった裏山のうち1つへと着弾すると、その全てを覆い尽くすほどの衝撃波を放ち、山ひとつを消し飛ばした。

 周囲の山々も木々を焼かれ大きく削られており、直撃した山の跡地はクレーターと化している。

 

 大蛇を迎え撃った青年はその様を見届けると、何事も無かったかのように着地した。

 セイバー・オリヴィエの前に現れたのは、懐かしい顔。聖剣デュランダルを手にし、上半身になにも纏っていなくても涼しい顔をする、そんな男。

 

「悪いなオリヴィエ、遅くなっちまった」

 

「……ったく。美味しいとこ持っていきやがって……ローラン」

 

 彼の手を借りて、オリヴィエは立ち上がった。

 

 一方で、目の前で起きた出来事を理解出来ず、呆然とするベルチェたち。そんな彼女の傍らに、鎧の足音を立てながら、新たな人影が現れる。

 

 桃色の髪を結んだ可憐な姿の騎士。

 輝く盾を携えた女騎士。

 そして、聖杯の内側で出会った、あの時の爽やかで、カッコいい王様。

 

「貴方、たちは……」

 

「確かに聞き届けたぜ、『王喚びの牙(ラスト・オリファント)』の音とアンタの祈り。

 さあ──援軍、シャルルマーニュが到着だ!」

 

「ボクとブラちゃんもいるよ! さあ、ボクは勇士がひとり、アストルフォ! 反撃開始だ!」

 

「王の騎士として、このブラダマンテ、全霊を尽くさせていただきます!」

 

 ベルチェが吹き鳴らした牙笛の宝具『王喚びの牙(ラスト・オリファント)』とは、死に瀕したマスターとサーヴァントの元へ伝説に名を刻まれた勇士を顕現させるもの。

 その力は4人の騎士へと仮初の肉体を与えたのだ。

 

「なんだかよくわかんないけど、賑やかなフェスになってきたじゃない。飛び入り参加も歓迎してあげる。

 ……アイドルは、そろそろ休憩ね。いい加減、踊り疲れたわ……」

 

 纏う鉄処女の鎧が破損しているため、不格好な歩き方になりつつも、アサシンは笑顔を見せ、マスターたちの待つ場所に撤退していった。

 

 よって、5騎のサーヴァントがここに集い、並び立つこととなる。いずれもシャルルマーニュの伝説に語られた、高名な聖騎士である。

 対峙するはルーラーだ。彼女は予想外の援軍に対しても驚く様子はなく、ただ再び拳を構え、飛び込んでくるのみ。

 その様を見たシャルルマーニュはオリヴィエに視線を送り、彼もそれに頷いた。

 

「一気に決めるぜ、みんな!」

 

 オリヴィエの指示に、勇士たちは一斉に動き出す。竜の怪物たるルーラーを倒し、主に勝利を齎すための、騎士の戦いが始まった。

 

 真っ先に迎え撃つのはブラダマンテだ。拳を振り上げるルーラーの前へ立ちはだかると同時に、その輝きを解放する。

 

「先陣を切らせていただきます──螺旋交錯、全身全霊ッ!

目映きは閃光の魔盾(ブークリエ・デ・アトラント)』──!」

 

 光はルーラーの視界を奪い、がむしゃらに振り下ろした拳は空を切る。直後、襲い来るのはブラダマンテの突進だ。魔盾が直撃し、ルーラーは耐える間もなく押し返される。

 

「アーちゃん! 次、お願い!」

 

「オーライ、オーライ! 次は大蛇捕りの時間にしようか!

 行っくぞー! 『僥倖の拘引網(ヴルカーノ・カリゴランテ)』!」

 

 その先で待ち構えているのは、鞭剣の包囲網だった。縦横無尽に張り巡らされた刃の中へと放り込まれ、ルーラーの全身を斬撃が襲う。

 竜鱗と言えど、度重なる攻撃によって次第に傷つき始めていた。ルーラーはそんな状況に、焦るでもなく、愉しむでもなく、ただ冷徹に魔力を集中させる。

 

「……第二宝具、再充填──」

 

「──させるかよ。

 永続不変の輝き、千変無限の彩り! 我ら騎士の伝説を、栄光を此処に! 

王勇を示せ、遍く世を巡る十二の輝剣(ジュワユーズ・オルドル)』」

 

 ルーラーの宝具の威力は知っている。であれば、彼女に反撃に出るだけの息をつかせるわけがない。アストルフォの繰り出す斬撃が止む頃には、既にシャルルマーニュの周囲に十二の輝剣が展開されていた。

 彼が真名を開放するとともに、ジュワユーズと輝剣からは光波熱線が迸る。聖騎士帝の一撃がルーラーを焼き、魔力を集中する隙を与えない。

 

 それは光が晴れても同様だ。ルーラーは瞬時に、右手の先にいずれ破壊の渦となる小さな魔力塊を展開するが、騎士はそれを見逃さない。

 

「『不毀の極聖(デュランダル)』──!」

 

 真っ直ぐに投擲された一振の聖剣が、その右腕を切り落とす。切り離された細腕は地に落ち、魔力塊は宙に放り出される。

 ルーラーの血液が溢れ出し、彼女はその瞬間だけ目を丸くした。

 

 しかし、ルーラーも、その戦意の炎まだ消えていない。その小さな球を尾で受け止め、再び宝具の展開を試みている。

 その様を前に、騎士たちの視線は一斉にオリヴィエへと向いた。

 

「最後はお前が決めろ!」

 

「あぁ……!」

 

 勇士たちが繋げたバトンを受け取るように、少年は刃を構える。その輝きは、漆黒でも、純白でもない。いつか訪れる落陽、黄昏の輝きであった。

 

「栄光に花束を。騎士道に永遠を。そして人の旅路に──どうか終末の祝福を!

清め喰らう不滅の終剣(オートクレール・ソワレ)』ッ!」

 

 ルーラーが最後の抵抗に放った黒の渦を呑み込んで、黄昏は彼女の体を包む。それは物語の終わりを示す光だった。

 

「……申し訳、ありません、クロノス様、ヘラ様……テュポーン、様。私は、命令を、ひとつも──」

 

 虚空になにかを呟こうとしながらも、ルーラーの体は粒子へと還元され、消滅してゆく。オートクレールが放つ浄化の輝きに身を任せ、彼女の聖杯戦争は此処に終わりを告げた。

 その静かな最期を見届け、辺りには静寂が立ち込める。

 

「勝った、のか……?」

 

 ベルチェがぽつりと呟くと、アストルフォはブラダマンテとハイタッチしてみせて、シャルルマーニュやローランは彼女に微笑む。

 

 そして、オリヴィエは彼女の元へと駆け寄って、傍らに屈んだ。

 

「セイ、バー。よく、やったな……カッコ、よかった、ぞ」

 

「あぁ。ありがとよ、マスター」

 

 セイバーは、微笑むベルチェの口元の血を拭い、様々な感情の混じりあった目で彼女の姿を見ていた。委員長の必死の施術の甲斐なく、夥しい血が流れ出ており、もはやベルチェの生存は絶望的であった。

 

「なあ、少年……明日菜は、どうだ……?」

 

 ベルチェは明日菜の治療をしようとしていた生き物係にそう尋ね、彼が首を振って答えると、そうか、とだけ返す。

 

「あぁ……すまないな、セイバー。もう、なにも、成し遂げられそうにないぞ」

 

「……十分だろ。ルーラーを倒せたのは、アンタがみんなを呼んでくれたお陰だ」

 

「ふ、ふふ。そうか……あぁ、貴方に言われると……そんな気が、するな」

 

「間違いないさ。アンタは、カッコよかったぜ」

 

 目を閉じ、脱力するベルチェ。冷たくなりゆく彼女の手をとり、跪くセイバー。

 その光景は穏やかで、静かな最後だった。



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結末──リトルガール・ウィズ・マッチ

 委員長が懸命に医療魔術をかけても、ベルチェは二度と目を開けなかった。

 その体は冷たくなっていき、これ以上の治療は無意味だと、委員長は行使をやめた。

 

 明日菜のことも助けられないままで、ルーラーは撃破しても、その場には傷ついた少女の遺骸が残されている。

 

「ごめんなさい……」

 

 委員長はベルチェの遺体に向かって謝罪の言葉をこぼしていた。それに意味がないとはわかっていながらも、唇が無意識のうちに動いていた。

 彼女には、ベルチェのことはよくわからない。ほとんど接することなく、彼女は遠い場所へ行ってしまった。それが悔しかったのかもしれなかった。

 

「……謝らなくていいさ」

 

 委員長に声をかけたのはセイバーだ。マスターを失い、魔力の供給の途絶えた彼の体は消滅を始めている。

 

「ここにいる全員……やれることは全部やった。そのうえで守れないものも、犠牲も、いつだって付き物だ。

 だから、謝る必要なんてない」

 

 委員長は聖騎士の言葉に頷き、それどうにか涙を抑えようと目元を拭う。セイバーもそれ以上は触れなかった。

 

「オレたちも時間みたいだな」

 

 消滅の時が迫っているのは、セイバーの宝具によって召喚された勇士たちも同様だった。既に肉体から光の粒子が立ち上っている。

 

「さ、帰ろうぜ、オリヴィエ」

 

「……あぁ」

 

 ローランがオリヴィエに肩を貸し、からかうアストルフォをブラダマンテが止め、彼らをシャルルマーニュが先導する。

 

 その輝かしき騎士たちの後ろ姿の中に、ふと、少年少女はベルチェの姿を見た。

 彼女は彼らの後を追うように歩き、最後に手を振ったかと思うと、一際強い光が辺りを満たす。

 視界が戻る頃には、いつの間にか、騎士たちもベルチェの姿も消えていた。

 

 彼らの去った後の戦場には、爽やかな風が吹き、生き物係の目の前で、もう動かない少女の髪が揺れていたのだった。

 

 その様を呆然と見ていた生き物係の背中を、アサシンが押す。

 

「そろそろ休憩時間も終わりにしなきゃね。まだ、助けたい人はいるんでしょ」

 

 まだ全てが終わったわけじゃない。きっと洞窟の先で、小夜はまだ戦っている。アサシンの肉体も、彼女を生かす宝具の力ゆえか修復されつつあり、なにより心が折れる気配はない。

 

「……うん。行かなくちゃ」

 

 生き物係は自分の我儘を叶えるために、魔嬢と少女を連れて走り出す。今度は間に合いますように、と心の中で祈りながら。

 

 ◇

 

 暗い地下道を抜け、小夜とアヴェンジャーは大空洞へと辿り着く。その目に飛び込んできたのは、泡立ちながら増殖してゆくかつてフォーリナーだった肉塊と、飲み込まれつつある人体の塊──聖杯。そしてそれを、礼拝堂で神を仰ぐように見つめるドロレスの姿だった。

 あまりにもおぞましい光景であれど、立ち止まる暇はない。小夜は走り出そうと、脚に魔力を回す。

 

「……っ、駄目ッ!」

 

 駆け出しそうになった小夜を後方へ投げ飛ばすように、アヴェンジャーは彼女を止めた。そして、その場に残った彼女へと、肉塊から細く触手が伸びていた。

 

 ──それがアヴェンジャーの腕に触れた瞬間、エーテルが削り取られ、そこから肉が消失する。描いたを消すように、滞りなく、少女の体が抉られた。

 

「……っ、この程度!」

 

 片腕を持っていかれた傷口を、アヴェンジャーは己の炎によって焼き塞ぐ。

 そう深刻なダメージでこそないが、アヴェンジャーが止めずあのまま小夜が駆け出していたら、ああなっていたのが小夜の体だっただろう。

 ただ少し触れられただけで命が奪われることは、想像に難くなかった。

 

 そんな規格外の存在が膨れ上がり、渦を巻く中で、恍惚とその様を眺めていたドロレスだが、こちらに気がついたらしく振り向いた。

 

「喜びなさい、小聖杯。我々の願いはようやく叶いますわ」

 

 掲げられた両腕には令呪の痕跡が見える。そして恍惚に染まったその瞳には、周囲を埋め尽くした肉の色が生々しく映っている。

 そんな彼女が指を鳴らすと、小夜たちの周囲を残ったドロレスの個体が取り囲む。当然ながら、簡単に辿り着かせてくれる気はないらしい。

 そして──ドロレスが1人でも生き残ったなら、フォーリナーと再び契約を結び、彼女の願いが叶えるだろう。

 

「……アヴェンジャーさん。最後の賭け……付き合って、くれますか?」

 

 小夜はアヴェンジャーに視線を送る。彼女は躊躇い、唇を噛みながらも、頷きを返してくれた。すると、小夜は身構え、ドロレスの言葉に応えた。

 

「言っておきますけど。

 小聖杯(わたし)、貴方なんかに使われるつもりありませんから」

 

 小夜は言葉とともに、強く踏み込み、地面を蹴った。同時にアヴェンジャーが構え、炎を噴き上げる。

 

「回る回る、炎は回る。冷たい路地を温めて。

 歌う歌う、焱は歌う。それは泡沫唯の幻想。

 さぁ。ユメを見せてあげる──『陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)』」

 

 アヴェンジャーから放たれた炎は、流星を模して一直線にドロレスへと向かっていく。その一部が消失させられながらも、小夜の進むべき道を切り開いていった。

 

 触れられればそれだけで簡単に死が見える触手どもだが、幸いなことに、その能力は先端にしか存在しない。全方位を包めば根元が焼け落ち、魔力の途絶えた触手は死滅する。

 よって──炎に導かれて進む小夜には、決して届かなかった。

 

 そうして、聖杯の元へとたどり着いた小夜を待っていたのは、ドロレスの錬金術。真っ白で巨大な拳が振り下ろされ、小夜はそれをどうにか回避する。

 顔を上げると、ドロレスは突如現れた純白の巨人の方に乗っている。今まで散ってきた者たちの毛髪を使った特大の使い魔だろう。

 そして、触手たちもドロレスの指示を受けて、周囲から何度も小夜を狙ってくる。殴打と触手を何度もかわすうち、逃げ場は狭まっていく。

 

「動いて、私の体っ!」

 

 肉体を聖杯の魔力で強引に励起し、地面を蹴りつける。筋力の限界を超えさせるために魔力を噴射し、上空への脱出を決行したのだ。

 そして足元に作り上げた防壁を蹴って跳び、一気にドロレスの元へと向かっていく。

 

「ふふ……ふふふっ、そんなに正直に向かってくるなんて、消し飛ばしてくださいと言っているようなものでしてよ!」

 

 その瞬間、巨人の胴を貫きながら触手が飛び出した。咄嗟に魔力を回して障壁を展開しても、触れた瞬間に消し飛ばされては意味が無い。

 内側に仕込まれているとは想像もしていなかったがゆえに、対応しきれず、小夜の体へと、渾沌が迫る。

 

「『鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)』」

 

 そこへ響いたのは歌姫の放つ刃の群れ。フォーリナーを押しのけるように展開された拷問の城が、数多くの凶器を飛ばし、小夜の眼前に迫った敵を貫いた。

 触手が弾け、ドロレスも裂傷を負い、巨人の脚が解けてバランスを崩す。

 

 膝をついた彼女らへ迫るのは小夜だ。その眼は変わらず真っ直ぐドロレスを捉え、今にも貫こうとしていた。

 

「っ、たかが数百人のために、我々の夢を、全人類の救済を、無下にするというのですか!?」

 

「私が見たかったのは……その、たかが数百人の笑顔ですから」

 

 小夜は己の首元に突き刺さった黒鍵を引き抜き、落下する勢いを乗せて、ドロレスの首に振り下ろす。肉が断たれ、頸椎が砕ける感触がする。

 

 それだけではない。小夜が概念武装たる黒鍵の刃に込めたのは、その魂まで破壊するという願い。ドロレスとなった全てのホムンクルスが共有する無意識領域を砕くための魔術。

 それは群体がゆえに六百度生誕したドロレスたちに訪れる、六百度目の死であった。

 

 そして同時に──その剣を引き抜くとはつまり、小夜の肉体に刻まれた魔術式の再起動を意味する。肉体を還元し、小聖杯の器とするそれだ。

 少女の肉体は分解され、魔術回路だけを再構成しながら、雪村小夜が消えていく。

 

「これで……私にもなにかできたんだって、言えるかな」

 

 最後に浮かべた満足そうな笑顔が解けていって、少女の消えたその場所には、手放された黒鍵と、黄金色の器だけが残っていた。

 

 ◇

 

 ──生き物係がその場所へと駆け込んだ時、既に事は結末へと向かっていた。

 小夜はまさにドロレスへと飛びかかっており、ドロレスもまた得体の知れない触手によって彼女を迎撃していた。

 そのまま放っておけば、小夜は触手に呑まれていただろう。アサシンの宝具による援護は、きっと間違っていなかったはずだ。

 

 けれど。生き物係は、またしても目の前で消える人を見てしまった。

 

 肉の塊が大空洞を埋め尽くす中、アヴェンジャーの周囲には抜け殻となったドロレスの体がいくつも転がっている。

 けれど、小夜の姿はすでにどこにもない。ただ輝きを放つ杯が遠くに見えるだけだった。

 

「……お疲れ様、雪村小夜。私の……大事なお姉様(シスターさん)

 

 片腕を失ったアヴェンジャーは祈りを捧げていた。その表情は寂しげで、寒くなんかないのに、なんだか凍えているように見えた。

 

「でも、まだ……」

 

 周囲で蠢く邪神の先触れが立てる不快な音が、嫌でも生き物係を現実に引き戻していた。

 ドロレスの死を以てしても、増殖したフォーリナーはまだ消えていない。

 魔力供給が途絶えたどころか、大聖杯という最大の供給先を手に入れようとしている。

 

「いいのよ、貴方はもう戦わなくて」

 

 生き物係の思考を遮ってそう言うと、アヴェンジャーは歩き出した。彼女の人格と肉体が消失しても、小夜からの魔力供給は未だ続いているのだろうか。彼女が光に包まれることはなく、しかし、その歩みはどこか遠くへ行こうとしているとしか思えなかった。

 

「わかってたわ。いずれこうなることくらい。どれだけ信じても、裏切られることくらい、知っていたの」

 

 フォーリナーの触手たちは彼女を敵と認識し、襲撃を開始する。それでも彼女は歩みを続け、語り続けた。

 

「私はマッチ売りの少女。誰からも助けられないで、ひとり凍えて消えていく。かわいそうな女の子の物語。

 だから、貴方に、その最後の1ページを読ませてあげる」

 

 アヴェンジャーの体から広がり始めるのは、復讐の炎ではない。路地裏に吹き込む冷たい風が、岩肌を撫で、かつて彼女が見た雪景色に塗り替えていく。

 

 それは大晦日、流れ星の夜の風景。マッチ売りの少女として迎えた最期を描く固有結界。

 

「『やがて星がふる夜(メリーバッドエンド)』」

 

 少女はフォーリナーを抱き締めた。そして彼女たちの体は光に包まれ、消滅をはじめていた。肉塊はもはや膨張も抵抗も忘れ去り、ただ静かにその消滅を受け入れているかのようだった。

 

 アンデルセンの描いた愛も希望も否定する結末は、あらゆる神秘を剥ぎ取り、無色の力へと帰す。それは外宇宙の存在の片鱗でさえ平等に、結末に引きずり込む。

 そうして、小夜と同じようにその体を分解されながらも、少女はぽつりと呟いた。

 

「──おしまい」

 

 彼女がフォーリナーとともに消えると、冷たい路地の風景が岩肌に戻る。

 薄暗い空洞に残ったのは、生き物係たちと、脈動する聖杯と、金色に輝く杯であった。

 

 最後の1人のマスターは、その金色の光へと歩み寄り、恐る恐る手に取った。暖かな感触が手に伝わって、手の中にあっても、それは優しく輝きを放っていた。

 

『聖杯戦争の勝者さん。貴方は何を望みますか?』

 

「僕の……僕の願いは」

 

 生き物係はただ、ベルチェを、小夜を、自分を助けようとしてくれた人を助けたかっただけだった。

 けれど、ふたりとも戦いの中でその命を失った。

 生き物係が知っているのは、この戦いに命を賭けていた彼女たちの抱いていた望みだけだ。

 

 せめて、それだけでも叶えたい。

 今の彼には、その他に託す願いなどなかった。

 

 ──そして。聖杯はその願いを、確かに聞き届けた。



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エピローグ
結──フェイト・キンダーガーテン


 日がやっと昇りきった朝の時間に、少年は目を覚ます。布団から這い出て、カーテンを開き、まだ冷たい朝の空気を肌に感じながら顔を洗って歯を磨く。

 そんないつもと変わらない身支度を終えると、少年は自室を後にする。

 

 扉を開くと、壁に寄りかかっている少女に出迎えられた。今日も身支度が終わるのを待っていてくれたらしい。

 

「おはよう、委員長」

 

「えぇ、おはよう……って、髪跳ねてるじゃない。ちゃんと直しなさいよね」

 

「あっ、うん、ありがとう」

 

 委員長に髪を整えられ、改めて、ふたりは廊下を歩き出した。

 

 ──聖杯戦争の終結から20日と少し経ち、戦いを生き延びた2人、生き物係と委員長は、新たに作られた児童施設で生活を送っていた。

 1ヶ月もしない間に施設が整備されるにまで至ったのは、雪村小夜が所属していた修道院による補助があったからだ。

 今も、修道院のシスターが手伝いに来てくれている。

 

「ふたりとも、おはよう! 朝ごはんはちゃんとできてるよ〜」

 

 廊下を抜けた先の大部屋に入ると、キッチンから響く明るい声が耳に届き、揺れる赤のツインテールが目に映った。

 

 彼女は最も尽力してくれたシスターであり、名前はマドカ。小夜とは仲が良く、幼い頃から一緒に暮らした姉妹のような相手だったという少女だった。

 本当なら小学校に通っているべき年齢である生き物係と委員長が、たった二人の力でやっていけるわけがない。彼女の助力はなによりも有難いものだった。

 使用されていない建物を、身寄りのない彼らのために改修することになったのも、マドカが神父に直訴してやってもらったことだとか。

 

 生き物係はそんなことを考え、マドカに深く感謝しながら、彼女の用意してくれたシチューとパンを、数多くのテーブルに並べていく。

 大鍋から立ち上る美味しそうなホワイトシチューの匂いには、生き物係も涎を飲み込んだ。

 

 そのまま準備を進めていって、やがて起きてくる時間になると、眠たげな目をこすりながらも、次々と子どもたちが姿を現す。彼らは生き物係たちよりも年下に見え、まだ小学校にも通っていないような年頃だ。

 それぞれが席に着いて、配膳が終わると、生き物係たちも自分の椅子に腰掛ける。そして、一斉に食材への感謝の挨拶をする。

 

「いただきます」

 

 ──この施設は孤児院になっている。マドカの他は皆、戸籍すら存在しない子どもたちだ。

 

 それも当然のことだろう。ここにいる子どもたちは皆、聖杯戦争が終結するまでは、ヒトとしての形すら成していなかった。

 その体を繋ぎ合わされて、聖杯にされていたのだから。

 

 今こうして、彼らがマドカの料理を食べているのは、生き物係が聖杯に願ったからだ。

 聖杯の材料となった子どもたちの救済。彼が聖杯に託したのは、そんな願いだった。

 

「マドカちゃん、おかわり!」

 

「はいはーい!」

 

 美味しそうに朝食を頬張るみんなの笑顔を見ると、無意識のうちに、生き物係も釣られて笑っていた。

 

 朝食の後は片付けを経て、彼らは思い思いに遊ぶ時間になる。その間に、生き物係たちはまた別の準備をはじめていた。

 

 ──今日はこの施設に、ロンドンからの来訪者がやってくることになっている。

 使う機会のなかった応接間だが、これを機に整備しなければならないだろう。分担して掃除や改装を進め、作業に集中することになる。

 

 そして、時刻が10時を回り少し過ぎた頃、ついに呼び鈴が鳴った。3人は出迎えに向かい、扉を開くと、そこに立っていたのは3つの人影。うち1つはよく知っているものだった。

 

「なんでアサシンがお客さんと一緒に……?」

 

「道案内よ。不本意だけどね」

 

 サーヴァントであるアサシンは、聖杯がなくなっても、生き物係や委員長の魔力と宝具の力で現界を続けている。

 そんな彼女は、道端で偶然来客に遭遇し、ここまで連れてきたという。

 

 一方、来客の方は、マドカとそう変わらない年の少女であるようだった。

 傍らには全ての肌が銀色の、恐らく水銀で作られた人型の存在が控えている。

 

「はじめまして。視察に来たエルメロイだが……聖杯戦争の勝者、とやらは君でいいのかな」

 

「えっ、そ、それは、えっと」

 

 生き物係はただ、守られて生き残っただけだ。勝者だと名乗ってしまっていいのだろうか。

 なんて葛藤が湧き上がってきて、言葉を返せずにいると、委員長が代わりにエルメロイさんを応接室へと案内すると言ってくれ、一行は応接間のソファに腰掛けた。

 

「え、えっと、委員長、この人……」

 

「知ってるわ。『エルメロイの姫君』……現時計塔のロード、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。メイドに見えるのは魔術礼装よ」

 

 来客の少女──ライネスはただ座るだけで気品を漂わせており、やんごとなき身分の人物だろうことはうかがえる。

 それもそのはず。生き物係の知る範囲でも、時計塔と言えば魔術師の総本山たる魔術協会の最大勢力であり、ロードはその中でも凄く偉い人だ。

 

「ご紹介ありがとう、わざわざ自己紹介する手間が省けたよ」

 

「でもどうしてそんな人がここに……?」

 

「我が兄の代理だ。行方不明者と奇妙な噂を追っていて、この街に行き着いたんだが……少し忙しくてね。

 他の時計塔の連中に察知される前に動かないとまずいから、ちょうど手の空いていた私が来たわけだ」

 

 万が一そのやり方が多くの人々に知られ、聖杯戦争が乱発する状況になっては困るからね、と続けるライネス。

 ドロレスのように人の命をなんとも思っていない奴は、魔術師には珍しくないらしく、そんな相手にこの聖杯戦争の情報が伝わったらどうなるか。

 特に──子どもたちを加工して聖杯を造れるという事実を知られたら。その先は考えたくもない可能性だ。

 

「さて、と。ここからが本題だ。現在、ドロレスたちの起こした聖杯戦争について詳しく知っているのは君たちだけ……これはいいだろう?」

 

 サーヴァントもマスターも、聖杯戦争に関わった人間は他にはもうどこにもいない。目の前で多くの命が失われるのを見てきた生き物係には、嫌でもわかってしまう事実だった。

 

「御三家の与り知らぬところで起きた聖杯戦争の詳細なんて、魔術師が欲しがるに決まっている。奴らは手段も選ばないだろう。

 ──そこで、選択肢がいくつか出てくる。

 ひとつはこのまま聖堂教会に管理されるか。この場合、君のサーヴァントは吸血種だ。そこの代行者は見過ごしても、他の人間は黙っていないだろうね」

 

「……え、そうなの」

 

 アサシン自身もそのあたりは詳しくないようだが、ふとマドカのことを見ると、ライネスの言葉に深く頷いた。

 

「エリちゃんの存在が知られたら、私なんかより強いのがぶっ殺しにすっ飛んでくるよ。

 本来、聖堂教会って吸血鬼皆殺し! って人の集まりみたいなものだし」

 

 そんなマドカの話を受けて、今度は委員長がライネスへと視線を返した。

 

「……だったら、どうすればいいんですか?」

 

 すると、彼女の口角が上がる。

 

「時計塔に入学するのさ。

 我々の手の届く範囲にいるのなら守るのも隠すのも簡単になる……それに」

 

「行きます」

 

 ライネスの話を遮って、生き物係は答えた。思い出したのは、ベルチェとの約束。全部が終わったらロンドンへ行こうという誘いだった。

 一緒に、という約束は果たせなかったけれど、魔術の世界へと足を踏み入れたら、自分が彼女の生きた証になれる気がして、話に乗らずにはいられなかった。

 

「えぇ、もちろん、私もついていくわ。貴方のこと、放っておけないし」

 

「そうね。(アタシ)も神父に追いかけ回されるのはゴメンだし」

 

 生き物係に続き、委員長もアサシンも提案を受け入れる。そして最後に、生き物係の視線がマドカへと向くと、彼女は首を振った。

 

「私はシスターだから、そっちには行けないよ。それに……きっと小夜っちなら、ずっと子どもたちの面倒見るって言うはずだから」

 

 20歳の誕生日を目前として、帰ってくることはなかった友人を想いながら、マドカはそう話す。その表情に心苦しくなるけれど、場の雰囲気を切り替えるように、ライネスが声をあげた。

 

「よし、では今すぐ支度を始めよう。出発は今夜だ」

 

「えっ、今夜? でも、飛行機とか」

 

「あらかじめ取っておいた。乗ってくれると思っていたからね!」

 

 ──そうして、生き物係たちは慌てて、またしても準備に取り掛かって、少ない荷物をまとめはじめる。形見や、アサシンのアイドル活動の残骸を身の丈ほどのスーツケースに詰め込んで、新しい人生への期待を胸に募らせていく。

 

 その夜、飛び立つイギリス行の旅客機には、長い前髪の奥で目を輝かせる少年と、その傍らで微笑む少女の姿があるのだった。




これにて子どもたちの物語「Fate/kindergarten」完結となります。お楽しみいただけたなら嬉しいです。
次回からはサーヴァント設定を掲載したいと思っております。
約1年にわたっての連載でしたが、ご愛読いただきありがとうございました。


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サーヴァントマテリアル
設定集【ネタバレ注意】


8騎ぶんのサーヴァントステータスです。
ネタバレ要素満載なので、本編読了後の閲覧を強くおすすめいたします。


 ☆セイバー

【CLASS】セイバー

【マスター】ベルチェ・プラドラム

【真名】オリヴィエ

【性別】男性

【出典】ローランの歌

【地域】フランス

【身長・体重】144cm/42kg

【属性】秩序・中庸・地

【ステータス】

 筋力B

 耐久A

 敏捷B

 魔力C

 幸運C

 宝具A+

 

【クラス別スキル】

 対魔力:B

 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

 騎乗:B-

 騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

 

【保有スキル】

 聖騎士の諫言:B+

 無二の親友ローランを初めとしたパラディンたちに対する助言、及び戦術的な直感。

 自らと味方の対軍宝具に関する判定に有利な補正を得る。彼が能力を知り尽くした相手ならばより効果は上昇する。

 

 人間観察:C

 人々を観察し、理解する技能。

 Cランクであればサーヴァントに対するマスターの能力と同等のものに加え、使用されていないスキルであっても低い確率で見抜くことができる。

 変人揃いの十二勇士において、彼らの能力を把握し運用するうちに身についた。

 

 戦闘続行:C+

 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、死の間際まで戦うことを止めない。

 

【宝具】

無毀なる清廉(オートクレール)

 ランク:A+

 種別:対軍宝具

 レンジ:1〜50

 最大捕捉:500人

 オートクレール。

 オリヴィエが愛用した剣であり、元はランスロットが用いたアロンダイト。黄金や水晶にて彩られた、決して刃こぼれすることのない名剣。

 宝石には魔力が貯蔵されており、それを使用した剣戟も可能であるが、ランスロットが同胞の騎士を斬った際に魔剣となっているため、必ず黒い瘴気の魔力として発動する。オリヴィエはそれを分析、制御しているという。

 ただし、逸話によりローランとは決着がつかず、デュランダルとはいくらぶつけあっても互いに傷がない。

 

清め喰らう不滅の終剣(オートクレール・ソワレ)

 ランク:A++

 種別:対軍宝具

 レンジ:1〜500

 最大補足:1000人

 オートクレール・ソワレ。

 円卓の騎士と十二勇士──二つの騎士物語の終焉を見届けた剣の力を解放するもの。刀身に込められた魔力を集中させ、極大の光の断層を形成し、究極の斬撃を放つ。

 アロンダイト本来の真名解放とは異なり「対神・対英雄宝具」としての側面を併せ持ち、神話や物語に語られる存在に対する特攻効果がある。

 また、オリヴィエが傷ついているほどに他の宝具やスキルへの抵抗力、破壊力が上昇する。

 

王喚びの牙(ラスト・オリファント)

 ランク:B++

 種別:対軍宝具

 レンジ:1〜99

 最大捕捉:1000人

 ラスト・オリファント。

 親友ローランがロンスヴォーの戦いにて携帯していた象牙の笛。きらびやかな装飾が施されている。

 その音色は英霊の座より王の威光を呼び寄せる。つまり、サーヴァントとしてシャルルマーニュたち勇士を召喚する。その時、魔力はこの宝具より供出され、効力はオリヴィエの消滅まで継続する。

 本来はローランの所持物であり、彼は使用を敗戦の直前まで拒否したため、オリヴィエには真名解放を行えない。彼の親友と認められた人物が、死に瀕して初めて、真名の解放が可能になる宝具。

 

【人物】

『剣士』のサーヴァント。

 真名はオリヴィエ。シャルルマーニュ十二勇士きっての常識人にして智将。彼らの面倒なノリを押し付けられてきた人物。嫌そうな態度とは裏腹にむしろ楽しんでいる節がある。ツンデレ気質。

 

 ローランの歌において語られる彼の活躍はそう多くはない。最後の戦いであるロンスヴォーにおいては、致命傷を受けてなお敵将を討ち取るなど獅子奮迅の活躍を見せたとされる。

 

 だが、Fate世界において勇士たちの活躍の殆どは真実ではない。オリヴィエもまた、実在の人物ではあれど、巨人や聖剣などとは無縁な大帝の部下であった。

 偏屈な王も脱ぐローランも理性蒸発アストルフォもみんな大好きなオリヴィエだが、それらの記憶や冒険譚が事実ではないことも理解しており、その乖離には複雑な思いを抱いている様子。

 

【特技】ボケにブレーキをかけること

【好きな物】王様と同僚

【苦手な物】無謀な戦い

【天敵】シャルルマーニュ

【一人称】オレ

【二人称】アンタ

【三人称】アイツ

 

【因縁キャラ】

 〇ベルチェ

 マスターにして戦友。その独特なノリに対し、十二勇士にいてもおかしくないと思っている。

 

 〇ローラン

 親友。デュランダルとオートクレールで三日三晩斬り合ったり、妹を嫁にやったりした。脱ぐのはどうかと思っている。

 

 〇アストルフォ

 同僚。一緒にいると迷惑極まりないが楽しい奴。性根が真っ直ぐなため、ポンコツだが信頼できる奴。ポンコツだが。

 

 〇ブラダマンテ

 同僚。基本的にはいい子だし、勇士ではまともな方なのだが、恋人関連になるとどうも手が付けられない。

 

 〇シャルルマーニュ

 王様。主として尊敬しているが、面倒なノリを押し付けるのはやめていただきたい。

 

 〇ランスロット

 愛剣のかつての持ち主。実は憧れの的。

 

 ──────

 

 ☆アーチャー

【CLASS】アーチャー

【マスター】ソラナン・フィアーリア

【真名】イリヤ・ムーロメツ

【性別】女性

【出典】ヴィリーナ

【地域】ロシア

【身長・体重】138cm/34kg

【属性】中立・善・地

【ステータス】

 筋力A+

 耐久B

 敏捷B+

 魔力B+

 幸運C-

 宝具C

 

【クラス別スキル】

 対魔力:B

 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。

 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

 単独行動:C

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

 ランクCならば、マスターを失っても一日間現界可能。

 

【保有スキル】

 命の泡:C++

 兄弟となった巨人スヴャトゴルの生命があふれだしたもの。アーチャーに巨人の膂力と勇気を与えている。筋力ステータスを上昇させ、精神干渉に対する抵抗力を得る。

 

 槍除けの加護:D

 ボドソコリニクに寝込みを襲われた際、彼の槍を逸らした十字架。アーチャーにとって致命傷となる攻撃を一度だけ無効化する。

 

【宝具】

引き劈くは叫喚の聲(ソロヴェイ・クリチャーチ)

 ランク:C+

 種別:対人宝具

 レンジ:0〜30

 最大捕捉:1人

 ソロヴェイ・クリチャーチ。

 怪鳥に変身すると言われた盗賊、ソロヴェイを射抜いた逸話が宝具となったもの。ソロヴェイの力を宿しており、相手を自動追尾することができる無尽蔵の矢。呪いを宿しており、呪いのエネルギーによる過負荷をかけることで爆発を起こすことも可能。

 真名解放により、召喚している矢を連鎖的に爆発させ、周囲に破壊音波を撒き散らす。

 また、この宝具による呪いを受けた者には、魔力回路の異常や身体的な負荷、およびフラッシュバックなどさまざまな症状が現れる。解除する手段はイリヤの消滅のみ。

 

黄金を堕とすは天の雷霆(ピィエルン・グロザー)

 ランク:A

 種別:対軍宝具

 レンジ:1〜100

 最大補足:500人

 ピィエルン・グロザー。

 イリヤの持つ雷神ぺルーンの特性を宿し、真名解放によりトール神の『悉く打ち砕く雷神の槌』にも似た破壊の効果をもたらす宝具。

 由来は「ぺルーンのような一矢」で黄金の装飾を砕き、売り払った逸話。

 矢へと雷の魔力を込め、投擲と同時に炸裂させ、一気に解放する。雷の雨。

 

【人物】

『弓兵』のサーヴァント。

 色素が薄く幼い少女英雄。好奇心旺盛で、無邪気に悪魔のような性質を示す。大酒飲み。

 

 真名はイリヤ・ムーロメツ。ヴィリーナに語られる大英雄。生まれてから30年もの間手足が動かず、言葉も話せなかったが、通りすがりの老人によって怪力を得たと語られる。

 

 kindergartenの歴史における彼女は魔術回路や筋力を調整されたホムンクルス。

 錬金術師であった彼女の両親が30年間鋳造を続け、通りすがりの魔術師たちにより調整を施されたことで完成した傑作である。

 

 イリヤは旅立ちの後、巨人種スヴャトゴルとの出会いと別れを経て彼の力を受け継ぎ、ソロヴェイを初めとした様々な怪物を退治している。

 活動限界まで太陽公ウラジーミルに仕え勇猛に戦い、最期は祈りを捧げ石像になったとされている。

 

【特技】怪力

【好きな物】お酒

【苦手な物】年上のお姉さん

【天敵】ベルチェ

【一人称】私

【二人称】あなた

【三人称】彼/彼女

 

【因縁キャラ】

 〇ソラナン

 マスター。あまり好きなタイプの人間ではないが、酒をぐびぐび飲ませてくれたことには感謝している。

 

 〇ルイス・キャロル

 同盟相手だったサーヴァント。生まれてからずっと戦士として扱われてきたため、彼女の接し方は新鮮だったようだ。

 

 〇ロシア系サーヴァント

 彼女以降の英霊を勝手に弟・妹と捉えている節がある。お姉さん面する。

 

 〇イリヤスフィール

 イリヤの名を持つホムンクルス。

 彼女のようなユスティーツァモデルとアーチャーでは用途が大きく異なるため、完全に他人の空似。

 万が一、どこかの星見台で魔法少女や複合神性になった彼女と出会えば、本人も混乱する。

 

 ──────

 

 ☆ランサー

【CLASS】ランサー

【マスター】生き物係

【真名】ミストルティン

【性別】不明

【出典】北欧神話

【地域】北欧

【身長・体重】141cm/37kg ※委員長のもの

【属性】中立・中庸・地

【ステータス】

 筋力C

 耐久C+

 敏捷E

 魔力A

 幸運A

 宝具A++

 

【クラス別スキル】

 対魔力:A

 A以下の魔術は全てキャンセル。

 事実上、現代の魔術師ではランサーに傷をつけられない。

 

【保有スキル】

 神殺し:A++

 光の神・バルドルを貫き殺害するのに使われた木そのものである。神を殺す武具としてのミストルティンはあらゆる加護を貫く最高峰の魔槍とも言える。

 

 誓約破棄:A

 誓約による制限、強化を受け付けることができない。また、ランサーにより傷を負った者は誓約による強化や加護を無効化される。

 

 寄生:EX

 人間ではなく、単体で生存する生命ではないがゆえに、他人の肉体を奪いエーテルに置換、擬似的にサーヴァント化させることができる。

 寄生されたものは元がサーヴァントであれ人間であれ「ミストルティンを投げる者」とされ、B〜Cランク相当の神性を与えられる。

 また、サーヴァントと契約していない一般人に対しては、視覚を欺きミストルティンの存在を隠蔽することが可能。

 

【宝具】

宿命を貫く金枝(ミストルティン)

 ランク:A++

 種別:対神宝具

 レンジ:1〜20

 最大捕捉:1人

 ミストルティン。

 ランサーそのものである、神を貫いたヤドリギ。矢であるとも、剣であるとも伝えられ、あらゆる武器という可能性を内包した神殺しの枝。

 真名の解放により、対象を殺すために最も適した形が宿主の記憶から選択され、変形。対象へと飛来し、神核を破壊する。

 神性やそれに類するものを保持する者に対する特攻・即死効果を有し、また契約破棄スキルによる加護の無効化を可能とする高位の「神殺し」。

 

【人物】

『槍兵』のサーヴァント。

 生物を飲み込み、サーヴァントとして再構成する怪奇植物。

 己を召喚したマスター・生き物係とは、言われるがままに従う──即ち盲目である点がヘズと重なったことによる縁で召喚された。

 

 寄生先の脳を動かすことで人間と同じだけの知性があるように見せるが、その精神年齢は幼く、人間に対する不理解も多い。

 だが、感情に触れれば柔軟に成長する特徴も持っており、非人間だが話の通じない類いでは無い。

 

 真名はミストルティン。神代に生えていた1本のヤドリギ。

 バルドルを貫き、ラグナロクを招いた幼い枝であり、フリッグによるバルドルを傷つけない契約を唯一行えなかった新芽が英霊化したもの。

 媒体によりどのような武器であるかは異なるが、ミストルティンはそのものが神殺しの宝具へと昇華されている。

 

【特技】特になし

【好きな物】特になし

【苦手な物】特になし

【天敵】マッチ売りの少女

【一人称】宿主に準ずる

【二人称】宿主に準ずる

【三人称】宿主に準ずる

 

【因縁キャラ】

 〇生き物係

 マスター。最初はなんとなく守らなくちゃいけない相手。本編完結後は一緒に成長した相手。

 

 〇委員長

 宿主。彼女の脳を通じて感情を覚えたからこそ、ミストルティンは彼女の体と意識を修復し返却した。なお、寄生後、委員長の魔術特性は植物を操るものに変化している。

 

 〇ヘズ

 ロキに利用され、己を武器として使ったことで殺された神霊。

 

 〇ヴァーリ

 聖杯内部の結界にて、ヘズを殺した相手として擬似的に再現された神霊。

 

 ──────

 

 ☆アヴェンジャー

【CLASS】アヴェンジャー

【マスター】雪村小夜

【真名】マッチ売りの少女

【性別】女性

【出典】マッチ売りの少女

【地域】デンマーク

【身長・体重】138cm/31kg

【属性】混沌・中庸・人

【ステータス】

 筋力E

 耐久E

 敏捷E

 魔力EX

 幸運EX

 宝具EX

 

【クラス別スキル】

 復讐者:D

 恨み・怨念が貯まりやすい。彼女はそうあれと願われただけであるため、恨みというより強迫観念に近い。

 

 忘却補正:E

 忘れ去られることの無い憎悪。無名の不幸な少女としてはあまりに有名になりすぎたため、ランクは非常に低い。

 

 自己回復(魔力):EX

 復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。魔力を毎ターン回復する。EXランクのアヴェンジャーは、寓話の呪いスキルの影響があるかぎり、単独行動スキルにも近い効力を発揮する。

 

 道具作成:C

 魔力を帯びた器具を作成するスキルだが、彼女は魔術師ではないため物体に可燃性(魔力の炎を発生させる発火術式)を内包させるに留まっている。

 

 陣地作成:D-

 魔術師として自分に有利な陣地を作り上げるスキル。

 

【保有スキル】

 寓話の呪い:EX

 逸話に縛り付けられている。誰にも救いの手を差し伸べられず、路地裏で凍えて眠ることを運命づけられてしまっている。

 

 うたかたの夢:A++

 他人の願望、幻想から生み出された生命体。不特定多数の人々に復讐者であれと望まれたゆえに強い力を有するが、復讐の相手を持たない彼女にそれは果たせない。

 

 無辜の怪物(焔):A

 読者からの呪い。少女の身体は常に内側から焼き焦がされており、もはや彼女が凍えることは無い。

 

【宝具】

陽炎の幻想(フレイム・ナイトメア)

 ランク:C+++

 種別:対人宝具

 レンジ:1〜5

 最大捕捉:30人

 フレイム・ナイトメア。

 マッチ売りの少女が炎の中に見た幻影を由来とする宝具。

 彼女自身を巨大なマッチに見たてて炎を起こし、望むものを形作る宝具。魔力の許す限りの焔にて、自分ごと相手を焼き尽くすための宝具。

 寓話の呪いにより彼女が焼け死ぬことはないが、使用時に大きなダメージを受けることは避けられない。

 

やがて星がふる夜(メリーバッドエンド)

 ランク:EX

 種別:対人宝具

 レンジ:0

 最大捕捉:1〜

 メリーバッドエンド。

 固有結界。全部を終わりにして、幸せの中凍えて眠りにつく宝具。

 彼女の起源は『不幸』。幸福を信じながら、必ずその結果にはたどり着かない。ゆえに、彼女の宝具は周囲を『マッチ売りの少女のラストシーン』に塗り替える固有結界となった。

 定められた結末は、愛という神秘も幸福という奇跡も破壊し、冷たく寂しい夜に眠らせる。

 即ち、お互いの持つ魔術や神秘による加護、呪いなどを無効化した上で、自身を含めた結界内部の存在をエーテルへと還元する。

 

【人物】

『復讐者』のサーヴァント。

 アンデルセンの童話『マッチ売りの少女』の主人公である。

 

 本来は英霊に満たない幻霊。しかしながら、当時のデンマークで貧困に喘いでいた少女たちの魂によって霊格が補強され、作者アンデルセンがそのモデルとした少女を中核として現界してしまった。

 

『マッチ売りの少女』『復讐者』という2重の殻を被せられており、在り方は歪められている。望まれた通り『作家』への強い敵対心を持ち、殺さなければという強い強迫観念に囚われている。

 

 Fate世界における彼女は、アンデルセンの知り合いである富豪に娶られた後、七日と経たずに無惨な遺体となって打ち捨てられていたという。

 だが、その根底にあるものは、未だに慈愛と希望。

 悲惨な末路を辿った記憶を抱いて、復讐に染め上げられて、それでもなお彼女は信じているのだ。

 ──いつか皆が幸せになれる日が来る、と。

 

【特技】笑顔

【好きな物】暖かくて楽しい場所、みんなの幸せ

【苦手な物】寒くて寂しい夜

【天敵】エリザベート

【一人称】私

【二人称】貴方

【三人称】あの人

 

【因縁キャラ】

 〇小夜

 マスター。同じ末路を辿ってしまったヒト。次の召喚があるとすれば、きっと彼女のことを後悔として憶えている。

 

 〇アンデルセン

 マッチ売りの少女としては父親のような存在。植え付けられた復讐心の矛先であり、燃やさなければならない相手。

 かつて彼と語り合った少女の記憶においては──死の間際にふと顔が浮かび、最期の言葉が彼への謝罪となったくらいには、大切な人。

 

 〇ジャック(殺)、ナーサリー、ジャンヌ・オルタ・サンタ・リリィ、バニヤン

 少しずつ似通った部分を持った、子供のサーヴァントたち。どこかで出会えたらすぐに打ち解ける。その場合、少しお姉さんぶるマッチ売りが見られるかもしれない。

 

 〇作家系サーヴァント

 アヴェンジャーである限り、復讐心を向けずにはいられない。書斎や原稿に放火してまわる。

 

 ──────

 

 ☆アサシン

【CLASS】アサシン

【マスター】レイラズ・プレストーン→生き物係

【真名】エリザベート・バートリー

【性別】女性

【出典】史実、『カーミラ』

【地域】ハンガリー

【身長・体重】156cm/42kg

【属性】混沌・中庸・人

【ステータス】

 筋力D

 耐久C+

 敏捷B

 魔力D

 幸運B

 宝具C

 

【クラス別スキル】

 気配遮断:B

 サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

 

 対魔力:D

 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

 

【保有スキル】

 苦痛の宴:C

 加虐体質と被虐体質の複合スキル。敵に狙われやすく、サディスティックになるほど破壊力が上昇する。また、攻撃されると防御力が上がり、攻撃すると防御力が下がる。

 

 ローラの偏愛:A

 頭痛持ちスキルの変質。幻霊ローラを由来とするスキル。

 意識がはっきりとしていない。あらゆる精神干渉を無効化する。また、彼女は相手が誰に向かって話しかけているのか理解できないため、意思の疎通が難しい。

 拷問を行っている間は頭痛から解放され、自身をエリザベートとして認識するため、このスキルは無効化される。

 

 拷問技術:A

 卓越した拷問技術。拷問器具を使ったダメージにプラス補正がかかる。

 

 戦闘続行:B+

 戦闘を続行する為の能力。決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。エリザベートの場合は、"何度負けても懲りずに現れる"能力となっている。

 

【宝具】

鮮血棺獄魔嬢(バートリ・アルドザット・エルジェーベト)

 ランク:E+++

 種別:対人宝具

 レンジ:3〜60

 最大捕捉:1000人

 バートリ・アルドザット・エルジェーベト。

 エリザベートの宝具『鮮血魔嬢』が変質したもの。

 幻霊が混ざりこんだことにより、本来のチェイテ城ではなく『被害者が幻視した恐怖の象徴』が発現する。それによりランクはE+++という一種のバグ表示となっている。

 監獄より怨嗟の声が溢れ出し、大量の凶器となって降り注ぐもの。

 暗い檻の中、迫り来る刃、血の海──それは贄となり死した少女たちが末期に見た風景。そして、エリザベートが日常としていた風景である。

 

かわいそうな死妖姫(パニッシュメント・フォー・カーミラ)

 ランク:B

 種別:対人(自身)宝具

 レンジ:-

 最大捕捉:1人

 パニッシュメント・フォー・カーミラ。

 カーミラの宝具『幻想の鉄処女』が変質したもの。凶行を繰り返したエリザベートへ与えられる罰の具現化であり、内部に存在する名も残っていない被害者の悲鳴とも言える。

 自らの身体を吸血鬼カーミラとする、ヴラド三世の『鮮血の伝承』に似た宝具。アイアンメイデンが変型し、竜の角、尻尾、翼、爪を形成。エリザベートの体に突き刺さることで装着される。

 発動中は全ステータスがランクアップし、痛覚が鋭敏化する。

 また、彼女がどれだけ痛くとも、どれだけ傷つこうとも、この拷問が終わるまで死ぬことは許されない。霊核を破壊されても消滅しなくなる。

 

【人物】

『暗殺者』のサーヴァント。

 真名は『エリザベート・バートリー』。

 十六世紀のハンガリーに生まれた貴族の娘。多数の少女を拷問にかけ、その鮮血を浴びたとされる大量殺人鬼。怪奇文学作品『カーミラ』に登場する吸血鬼のモデルともされる。

 Fateシリーズにおいては、竜の血を引いたドラ娘として登場している。

 

 今回の現界では、竜の血を引くエリザベートでもなく、吸血鬼カーミラでもない、殺人鬼としての側面を強調して召喚された。

 淫蕩に耽り、召使への凶行を始めていたころのエリザベートの姿であり、言わばエリザベートとカーミラの中間地点。

 

 また、今回召喚されたのはエリザベートだけではなく、小説カーミラの主人公にして、殺された被害者たちの集合体である幻霊『ローラ』もまた付随する形で現界している。

 ローラは絶えずエリザベートに対して被害者の記憶や苦痛を与え、精神を幼児退行させている。また、月の裏側や聖杯探索などで得た記憶は封じ込められており、ローラが付随している間は思い出すことができない。

 

 見た目は髪の色が抜け、身体は痩せ細り、しかし胸だけは発育したエリザベート。ランサー及びバーサーカー時とは現界した年齢が異なるため、生娘ではない。

 

【特技】もちろん……あれ? なんだった、かしら? 

【好きな物】きれいなもの

【苦手な物】暗くて狭いところ

【天敵】ローラ

【一人称】(アタシ)

【二人称】貴方

【三人称】アイツ

 

【因縁キャラ】

 〇レイラズ

 マスター。彼女はエリザベートに対して恋慕の情を抱いていたが、最後までエリザベートとして彼女と話すことはなかった。

 しかし聖杯戦争終了後も彼女のことは覚えており、チェイテに小さな墓標を建てたとか。

 

 〇ローラ

 かつて殺した、名前も覚えていない誰か。彼女の抱いていた恋情により、エリザベートは意識の混濁を伴う現界となった。

 聖杯戦争終了後は、彼女らに許されるまで現界を続けることになる。

 

 〇エリザベート(ランサー)

 生娘だったころ。婚前の自分。この頃に比べると、髪の色素が抜け、胸がすごく大きくなり、ちょっと痩せた。

 鉢合わせた場合「えっ、私ドラゴンだったの!?」と驚くこと間違いなし。

 

 〇カーミラ

 もう少し後の自分。混濁していなければエリザベート寄りである彼女にとっては天敵とも言える存在か。

 鉢合わせた場合、まだ身長が伸びることに驚くこと間違いなし。

 

 〇メカエリチャン

 第二宝具発動時は鋼鉄の爪や尻尾で戦うため、親近感が湧かないでもない。

 

 〇生き物係、委員長

 臨時スタッフたち。やる気を評価しており、何かと気にかけている。

 

 ──────

 

 ☆バーサーカー

【CLASS】バーサーカー

【マスター】瀬古春

【真名】アナト

【性別】女性

【出典】ウガリット神話

【地域】シリア

【身長・体重】145cm/47kg

【属性】混沌・悪・天

【ステータス】

 筋力A

 耐久A

 敏捷A+

 魔力EX

 幸運D-

 宝具EX

 

【クラス別スキル】

 狂化:EX

 バーサーカーのクラス特性で、理性と引き換えに驚異的な暴力を所持者に宿すスキル。アナトの場合は意思疎通が完全に成立する。ほとんど機能しておらず、ステータスもアナト本来の攻撃性の表れである。

 しかしマスターのことをバアル神の化身、つまり「お兄様」だと信じて疑わない。お兄様のためならなんでもするし、お兄様の言うことなら基本的になんでも聞く。

 

【保有スキル】

 女神の神核:EX

 生まれながらに完成した女神であることを現す固有スキル。神性スキルを含む複合スキル。

 あらゆる精神系の干渉を弾き、肉体成長もなく、どれだけカロリー摂取しても体型が変化しない。

 また、アナトにおける神核はその攻撃性を抑え込むための枷である。女神としての核を喪った時、彼女は本性を現すであろう。

 

 鮮血衝動:A+

 殺戮への衝動。狂化による影響ではなく生来の性質で、発作的に人を殺したくなる。

 

 美の顕現:B(EX)

 イシュタルと同一の起源を持つと言われるため所持しているスキル。魅了系を中枢として様々な効果をもたらす。

 ただし、肉体を乗っ取り強引に現界しているためランクダウンしている。

 

 王の盾:A

 王権の守護者としての側面。主に対魔力スキルを付与するスキル。Dランク以下のマスターへの魔術攻撃を無効化、それ以上の攻撃も軽減する。

 

【宝具】

冥王殺戮す恋獄の熱(デス・フォー・ザ・デス)

 ランク:EX

 種別:対死宝具

 レンジ:0

 最大捕捉:1人

 デス・フォー・ザ・デス。

 彼女が死神モートを一刀のもとに殺し、死体を焼き、臼でひき、ふるいにかけ、畑にまき鳥獣の餌にした逸話の具現。

『死』『災厄』という概念に対する特攻を持った大剣。死神を殺したという神秘を纏っているため、人に死を与えうる存在に対しては一方的な両断が可能。

 この真名はアナトが勝手にいじったものであり、本当は別の名前がある。

 

流れ逝く新星は凡て貴方の為に(ハイパーノヴァ・ヴィーナス)

 ランク:EX

 種別:対星宝具

 レンジ:0〜不明

 最大捕捉:1人〜不明

 ハイパーノヴァ・ヴィーナス。

 自分に押し付けられた攻撃性を解放する宝具。局所的に宇宙災害──ビッグバン以来最大の爆発現象たるガンマ線バーストを召喚し、破壊の限りを尽くす。

 このビームはオリジナルの『アナト』そのものとも言え、全開で使用すれば霊基だけでなく座や聖杯、地球まで壊滅させかねない。

 今回の霊基ではごくごく一部のみの限定展開としてA++ランク相当にまで抑えられている。

 こちらも勝手にいじった真名。

 

【人物像】

『狂戦士』のサーヴァント。

 凍結されたホムンクルスの未熟児に乗り移り、急成長させて強引に現界した神霊の一部分。

 マスターをバアルの化身だと思い込むことを枷として受け入れたことによってサーヴァント化した、規格外の存在。

 

 海の神、死神、怪物、悪魔。兄の敵となるものはなんでも殺した逸話でいっぱいの排除型エンシェントヤンデレ。

 その正体は残虐性の化身とも言うべきもの。金星の女神に通ずるイシュタルやアシュタレトといった神霊の攻撃性や殺戮衝動を一手に引き受けて生まれた分かり合えないエイリアン。

 

 人類が生まれるよりはるか昔、女神とは生存可能領域を指したが、彼女においては少し異なる。人に大して発生する攻撃性、牙を剥く銀河。即ち人の形をした宇宙災害こそがアナトの本質である。

 ブラックホール。太陽フレア。ガンマ線バースト。

 アナトはそれらおよそ超文明の脅威足り得る現象を神として畏敬したものであり、金星の女神とは表裏一体でありながら別モノ。

 

 座に登録されているアナトとは、決して滅ばぬ災害として、未だに形を持たない銀河の破片。『バアルを愛する者』という殻を被せられた、エネルギーの塊。

 さらにそこからいろいろな権能を削ぎ落とし、また魂の色を持たない凍結胎児を媒体とすることで肉体を獲得。サーヴァントとして強引に顕現した。

 

【特技】お兄様の敵の排除

【好きな物】お兄様、血

【苦手な物】我慢

【天敵】バアル

【一人称】私

【二人称】貴方

【三人称】あいつ

 

【因縁キャラ】

 〇春

 マスター。アナトとして現界する際、彼をバアルと誤認するという霊基の枷をかけられていた。

 

 〇明日菜

 マスターの妹。春をバアルと誤認したため、なら彼女はアシュタレトだろうと思い、めちゃくちゃ見下していた。

 

 〇S・イシュタル、アシュタレト

 サーヴァントとしての仮想人格を構築する際に参考にした相手。

 表裏一体の神格。生存可能領域が信仰を受けるためには、不可能領域が存在しなければならない。

 

 〇ファラオ系サーヴァント

 アナトはエジプト神話においても戦いの神として登場しており、王権の守護者ともされている。特にオジマンディアスは娘であり妃であるベントアナトの名の意味が『アナトの娘』だったりする。

 なので、アナトである限り、味方である彼らには優しい。

 

 ──────

 

 ☆キャスター/フォーリナー

【CLASS】キャスター→フォーリナー

【マスター】ドロレス

【真名】ルイス・キャロル

【性別】女性

【出典】史実

【地域】イギリス

【身長・体重】130cm/30kg

【属性】中立・中庸・人

【ステータス】

 筋力E

 耐久D

 敏捷E

 魔力B++

 幸運B+

 宝具EX

 

【クラス別スキル】

 陣地作成:D

 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。キャロルは自らの書斎を作るのに使用している。

 

 道具作成:B

 詩文を用いてアイテムを作成可能。

 

 領域外の生命:EX

 外なる宇宙、虚空からの降臨者。 邪神に魅入られ、その権能の片鱗を身に宿して揮うもの。

 幻想の住人に宿ったのは現実世界を夢にみる魔皇である。

 

【保有スキル】

 高速詠唱:C-

 即興で詩を作るのに役立つスキル。

 

 無辜の怪物:E

 ロリコン扱い。このスキルにより、本来慈愛を持って成立する存在でありながら性愛を持つ者として定義されているため、ジレンマに苦しんでいる。

 また、幼い少女に与える物理・魔術ダメージが少し低下する。

 

 夢想家:A+

 外宇宙に触れて得た狂気を飲み干し、己の内部に体系化して巣食わせていることの証明であるスキル。

 キャロルはこのスキルと第一宝具を併用することで、幻夢郷ドリームランドへの接続を可能とする。

 

【宝具】

虚を語る歪曲の匣(アリス・イン・ワンダーランド)

 ランク:EX

 種別:対心宝具

 レンジ:0

 最大捕捉:1人

 アリス・イン・ワンダーランド。

 彼が本物のアリスに聞かせた即興の物語。未だ世界で広く愛される名著。

 即興の物語であるがゆえに、宝具へと昇華された原典は即ち彼の脳である。

 無意識の奥底に広がる幻夢郷から、幻想種や合成獣を現実に呼び寄せる宝具。

 限定的な投射のため、現れる存在は逸話や本物の魔獣よりもランクダウンしている。参照元が規格外の邪神であった場合は、再現可能な最大値で出力するため、詠唱による励起が必要。

 

夢みる皇の夢みる愛麗絲(アリス・イン・カオスコスモス)

 ランク:EX

 種別:対心・対界宝具

 レンジ:??? 

 最大捕捉:??? 

 アリス・イン・カオスコスモス。

 隠された第二宝具。世界の中に『夢』を定義し、目醒めをもたらす宝具。狂った楽団の音色が消えゆくとともに虚空の王の断片が現れ、触れた存在を時間軸ごと削除する。

 鏡の国のアリスにて投げかけられた問いを元とした宝具であるが、現実世界を夢として見る白痴の存在──即ち外宇宙そのものとの接続により、際限のない性質を示す。

 

【人物】

『魔術師』──否、『降臨者』のサーヴァント。

 真名はルイス・キャロル。

 かの有名な不思議の国のアリスの作者が、作中に登場する主人公アリスの姿で召喚されたというサーヴァント。

 

 しかし彼女はチャールズ・ルトウィッジ・ドジソン本人ではなく、ルイス・キャロルというペンネームに対する信仰と幻想が生み出した架空の存在。

 キャロル神話ともいうべき逸話を内包し、さらにはアリスそのものと融合してしまった。

 

 また、ドジソンが図らずも言い当ててしまった『世界を夢にみる王の存在』と『人間の無意識に存在する夢の世界』に繋ぎ合わされているため、外宇宙との接続者でもある。

 

 繋がった相手は外宇宙そのものとも言える白痴の魔王。向こう側から肉体を奪うことも、権能を譲り渡すこともない。よって、キャロルから魔王への信仰も存在せず、神性スキルも付与されていない。

 

 少女は人々を深く愛し、尊敬し、その笑顔と幸福のために言葉を紡ぐ。狂気の中にありながら、そこにあるのは純粋な人類愛。

 

【特技】写真撮影

【好きな物】女性全般、子供

【苦手な物】人前

【天敵】マッチ売りの少女

【隠し属性】人

【一人称】私

【二人称】貴方

【三人称】あの方

 

【因縁キャラ】

 〇ドロレス

 マスター。たくさんいるので、これはハーレムなんじゃないかと思っている。

 

 〇イリヤ・ムロウメツ

 同盟相手。笑顔を見られなかった相手。笑ったら絶対に可愛いのに、勿体ない女の子。

 

 〇ナーサリー・ライム

 どこかで出会ったなら、『アリス』が『英雄である童話』のメインエッセンスとなっていることに驚き、感謝する。

 また、それはそれとしてかわいいので、衣装を着てくれ、写真を撮らせてくれと言い出す。

 

 〇BB(水着)

 なんだか他人のような気がしない。独断専行が多い部下の気配がする。

 見た目は好きなんだけど、近寄り難い。こっそり盗撮する。

 

 ○アビゲイル

 なんだか他人のような気がしない。息子だか孫だかの気配がする。

 色んなお洋服が似合うと思うので、写真撮って並べたい。

 水着で顕現した彼女とは、幻夢郷への接続を可能とするという共通点があったりする。

 

 ──────

 

 ☆ルーラー

【CLASS】ルーラー

【マスター】瀬古明日菜

【真名】デルピュネー

【性別】女性

【出典】ギリシャ神話

【地域】ギリシャ

【身長・体重】141cm/35kg

【属性】混沌・善・天

【ステータス】

 筋力B++

 耐久A

 敏捷B+

 魔力A

 幸運D-

 宝具A++

 

【クラス別スキル】

 対魔力:EX

 魔術への抵抗力。精神干渉に効果がないかわり、それ以外の魔術干渉を一切シャットアウトする。

 

 真名看破:B

 ルーラーとして召喚されることで、直接遭遇した全てのサーヴァントの真名及びステータス情報が自動的に明かされる。ただし、隠蔽能力を持つサーヴァントに対しては幸運判定が必要となる。

 

 神明裁決:-

 裁定者として正しく召喚されていないため、令呪は所持していない。

 

【保有スキル】

 神性:E-

 怪物に転じたためほぼ消滅している。

 

 封神の獣皮:EX

 ゼウスの腱を包んだ熊の皮。衣装の裏地として使用している。神性を持つ相手からのダメージを大きく軽減する。

 

 神託:B++

 暗号めいた言葉で神託を与える。多少、受け手の広い解釈を必要とするものの、内容は未来予知である。

 本来は権能クラスの能力だが、霊格が落ちているため、彼女自身も内容がわかっておらず、断片的に留まる。

 

【宝具】

天雷届かぬ凪の洞(コーリュキオン・アントロン)

 ランク:A++

 種別:対神宝具

 レンジ:100

 最大捕捉:1000人

 コーリュキオン・アントロン。

 テュポーンがゼウスとの戦いに勝利した際、彼を封じた洞窟の名。デルピュネーはその洞窟の番人として神話に登場する。

 宝具として昇華された洞窟は空間に現出する奈落の孔である。宝具に換算してBランク以下の攻撃を完全に無効化し、魔力リソースへと変換、ルーラーが使用できる形にする。

 特にゼウスを封じた逸話のため神性を帯びた攻撃や電気エネルギーには強い耐性を持ち、A++ランクでも威力を大幅に減衰し、吸収することが可能。

 

汝、月を喰らう神判(ジャッジメント・ピューティアー)

 ランク:EX

 種別:対星宝具

 レンジ:??? 

 最大捕捉:??? 

 ジャッジメント・ピューティアー。

 ピュートーンがアルテミスの出産を妨害した逸話が昇華された宝具。

 宙にピュートーンの擬似真体を作り上げ、そのエネルギー波を収束して放つ。月であるアルテミスを目標とした、まさに対『星』宝具。

 オルテュギュアー島まで目標を追い立て、それを阻むものはすべて食い散らす。ただし、オルテュギュアー島はとうに存在しなくなった浮島であるため、神代でもなければどこまでも獲物を追い続ける。

 主神ゼウスに匹敵するとも言われるアルテミスの宝具『汝、星を穿つ黄金(シューティングスター・オルテュギュアー)』に対抗するため、オリジナルであれば機神の真体を破壊することさえ可能にするほどの威力を秘めている。

 サーヴァントの枠に押し込めた場合、出力は大幅に低下するものの、その破壊力は絶大。

 

【人物】

『裁定者』のサーヴァント。

 求められるままに女神となり、怪物となり、そして滅ぼされた存在。

 人間と接触する期間が短かったため、他の機神に比べると人格が希薄。己を他人の命令を実行するものだと機械的に定義している。

 

 ルーラー適性は女神テミス、及び同一視されるユースティティアに由来するもの。他に適性を持つクラスは主に『ゲートキーパー』など。

 

 本作の歴史においては、デルピュネー、ピュートーン、そして女神テミスはすべて同一存在である。

 

 テミスは『掟』を司る女神。元々はクロノス率いるティターン神族に属していた艦船だった。ティタノマキアにてゼウスがクロノスを破った後、オリュンポスの機神たちの星間航行に同行。地球に到着してからは、デルポイの神託所を任されていた。

 この際、アストライアを初めとする複数の土着の神々にクリロノミアを与え、自分の息子、娘としている。

 

 ゼウスがアポロンやアルテミスの真体の改修を元々土着の神だったレートーに依頼した際、それに嫉妬したヘラがテミスの真体を改造。大蛇の怪物に変貌させ、レートーを襲撃するように指示。しかしアポロンが迎撃し、これを撃破した。

 ──これが『ピュートーン』としての彼女である。テミスを失った神託所はアポロンが支配することとなった。

 

 それからまた長い時が経ち、テュポーンの時代。

 神託所で破壊されたまま眠っていた彼女を、テュポーンが手駒として修復し、捕らえてコリュキオン洞窟に監禁しているゼウスの番人とした。

 この時、デルポイの神託所の名からテュポーンが名付けたのが『デルピュネー』だった。

 しかし、彼女はヘルメスとパーンに騙され、ゼウスの救出を許してしまう。それをきっかけとして、テュポーンは劣勢となり、ついにはゼウスとの戦いに敗北してしまった。

 

 その後の彼女の消息ははっきりしていない。

 ただしテミスの名は後世にも登場するため、神霊として活動していたか、あるいは名を利用されていたことは推測できる。

 

 サーヴァントとして現界する場合、神霊を直接召喚することは不可能であるため、怪物デルピュネーとしての側面が強く強調されて召喚される。

 そのため、テュポーンが作成した際の幼い半竜の少女の姿をとっており、テミスとしての権能や神性のほぼ全てを喪っている。

 

【特技】命令を実行する

【好きな物】頼られること

【苦手な物】嘘を吐く人間と嘘を吐く神

【天敵】ヘルメス

【一人称】私

【二人称】貴方/貴女

【三人称】彼/彼女

 

【因縁キャラ】

 〇明日菜

 マスター。命令してくれる人の一人としか捉えていないため、人間Aくらいの認識。

 

 〇ヘルメス

 天敵にしてトラウマ。自分が彼に騙されたことでテュポーンが敗北した、という後悔は、未だによく覚えているんだとか。

 

 〇アポロン

 自分を破壊した相手。彼にとってはなにか思うところがあったのか、ピュートーンを葬った際にその名を競技会に残すなどしている。

 

 〇テュポーン

 壊れた彼女を修復し、デルピュネーとした存在。実質、彼によって幼女にされた。

 番人としてゼウスを封じていられなかったことが彼の敗北の原因となったため、申し訳なく思っている。

 

 〇アストライア

 ゼウスとテミスの娘とされることもあるし、ローマ神話のユースティティアを通じて同一視されることもある女神。

 融通がきかないシステムじみたところは似ている母娘。



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