シンフォギア異伝 防人れ! 風鳴一族! (とりなんこつ)
しおりを挟む

第1話 闇の中 見つめている

西暦2015年 盛夏―――。

 

 

 

広大な屋敷の片隅で、風鳴八紘は息を潜めている。

先ほどから心臓は痛いくらいに鼓動を刻み、脈も乱れに乱れていた。

古書院の押入れと空気が籠る場所にいるにも関わらず、冷や汗が止まらない。

 

―――八紘

 

地の底から響いてくるような声が、武家造りを震わせる。

 

―――八紘 どこにいる―――

 

声が反響して、近くで聞こえるのか遠くで聞こえるのかすら分からない。

ガチガチと歯の鳴る音がすぐ傍でした。

誰のものかと思ったら、自分のものだった。

 

八紘とて、護国の防人一族、風鳴直系の男子である。

肝の据わり方なぞ、そこいらの一般人の比ではない。

 

では、なにゆえに彼がそこまで怯えているのか?

 

答えは、いま彼を捜し求めている人物にある。

 

 

 

風鳴訃堂。

現風鳴家当主にして、八紘の実父。

齢は疾うに70を超えていたが、質実剛健、意気軒昂。

未だ国防の第一線で指揮を取り、その辣腕と怪物ぶりより、周辺諸国、いや、最大の同盟国からすらも、もっとも信頼され、同時にもっとも警戒される男。

 

 

 

護国不動尊 

戦涯仙人 

マスター・サイクロン

日ノ本大鬼

 

 

 

異名を羅列すればまるで武侠小説のような有様で、実態はフィクションの上を行く。

 

そんな破天荒な父が、自分を捜し求めて広大な屋敷を闊歩している。

歯の根をどうにか抑え込み、八紘は冷や汗で濡れた頭を抱え込む。

 

…くそっ、失敗だった! 夏季休暇だとしても、実家になど戻ってくるべきではなかった!

 

風鳴八紘この時二十歳。

旧帝大の法学部へ首席合格してから早二年が経過していた。

合格を機に、首都で借家暮らしをしていたのだが、ここに至り、上の兄たちが揃ってそそくさと実家を出て、盆暮れ正月程度しか戻ってこないことを痛烈に思い出している。

 

だが、後悔は先に立たない。

ここはどうにかやり過ごして―――。

 

声が遠ざかる。

引き換えに、じーじーとアブラゼミの鳴く音が聞こえてきた。

 

―――いったか?

 

ホッと胸を撫で下ろし、八紘は襖の戸を開く。

真夏の昼に関わらず、押し入れ内に比べれば、外気を涼しく感じた。

ゆっくりと立ちあがり、丸めきった腰を伸ばす。

そのまましみじみと背伸びをして、大きく息を吐き出した時だった。

 

「見つけたぞ、八紘ぉ」

 

すぐ耳元でしわがれた声。

驚愕に目を見開けば、白髪の鬼がこちらを覗き込んでいる。

 

「ち、父上…」

 

一瞬で口腔内が干上がり、唇がカサカサにひび割れた。

その息子の様子に、風鳴訃堂は満面の笑みを浮かべて、

 

「儂から逃れられると思うたか? この未熟者め」

 

そのまま八紘の腰を抱え込む。

 

「は、離して下さい!」

 

八紘は暴れるも、まるで鋼鉄の万力で挟まれたようにビクともしない。

息子を小脇に抱えたまま、ドスドスと訃堂は長い廊下を進む。

その足取りは、壮年期の人間の足取りと同じく、力強く安定している。

幾人もの使用人と行き会ったが、誰もが礼儀正しくこちらに背中を向けていた。

それもそのはず、この邸内で訃堂に逆らうどころか苦言を呈することの出来る人間など、ほとんどいない。

 

絶望の色を顔に浮かべる八紘に全く頓着せず、訃堂は嬉々として廊下の突き当たりへと至る。

一見行き止まりに見えるが、赴堂が隠しボタンを押すと、重々しく正面の壁が開いた。

その先には、地下へと至る階段が瘴気を放っている。

 

「父上! どうか御寛恕のほどをッ!」

 

必死の表情で訴える八紘。

 

「往生際の悪いやつじゃのう。観念せい」

 

ニタリと笑い、訃堂は取り合わない。

そのまま矍鑠とした足取りで階段を降りれば、だだっ広い空間が現れた。

地下にも関わらず天井は高く、その中心には幾つかの椅子が据えられただけの殺風景。

ここに至り、八紘の顔はほとんど蝋の如く白くなっている。

幼少から知ったるこの場所での苦行を思い出し、全身を(おこり)のように震わせていた。

その息子の様子に、

 

「ほう、よほど楽しみだったか?」

 

訃堂はニヤニヤといった笑みを絶やさぬまま、中心の椅子へ八紘を据えると、その両手、両足を鉄の枷で戒めて行く。

 

「これも風鳴家に生まれついたものの責務と知れ」

 

訃堂の宣告に、八紘の全細胞が悲鳴を上げていた。

幼少期からの記憶が走馬灯のように駆け巡る。

もはや息も絶え絶えの息子に、訃堂は悪魔のように囁きかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今日は初代のウルトラシリーズから始めるか? 

 それとも宇宙刑事三部作で口火を切るか? 

 ううむ、戦隊モノも捨てがたい…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ととと年甲斐もなく、そんなものを見るのは止めてくださいッ!」

 

八紘、魂の叫び。

対して、訃堂の瞳は肉食獣のように細められる。

 

「そんなもの、だとぉッ!?」

 

逆鱗に触れた。悟ったところでもはや八紘に成す術はない。

 

「八紘、貴様ッ!! 護国のために散るらんとする漢たちの物語を、そんなものとはなんとするッ!」

 

八紘は目を瞑る。

もはやこれまで、と観念した。

神仏など信じるタチではないが、心の中で強く強く祈る。

どうか次に生まれくるときは、まともな家の子供に産まれさせてください―――。

 

「あ、父ちゃん! オレが来ないうちに始めないでよー!」

 

能天気な子供の声が割って入り、八紘の心の遺言を中断させた。

 

「おお、弦か」

 

打って変わって優しげな声で、訃堂は少年の方を見る。

少年の名は風鳴弦十郎。訃堂の末子にして、今年で六歳にも関わらず、大柄な体からは逞しさすら感じられる野性児だ。

 

「すまんすまん、姿が見えなんだでの。先刻、國電(くにみつ)の手のものを呼びに行かせたはずだが…」

 

「あ、あの人って、國電爺ちゃんの部下だったの?」

 

バツの悪そうな顔をする弦十郎少年。

 

「ちょうど裏山で特訓していたんだけどさ、怪しそうな気配だったからぶっ飛ばしちゃったよ」

 

古来より、風鳴家を影から守護する緒川忍群。

その棟梁である國電の部下を一蹴してのけた弦十郎は、間違いなく防人の血筋だった。

 

善哉善哉(よきかなよきかな)

 

末子の物言いに、呵々と訃堂は笑う。

 

「國電の部下が未熟だったというだけよ。おまえは良くやった」

 

「うん!」

 

褒められ、上機嫌で弦十郎は八紘の隣のソファーへ腰を降ろす。

 

「どれ、弦。パレードのメロンソーダ味でいいかの?」

 

「うん、上等上等!」

 

父を微塵も恐れぬ言葉づかいで訃堂より飲み物を受け取る弦十郎。

栓抜きも使わず親指で蓋を外し美味そうに飲み物を口に運んでいるが、隣で脂汗を流す兄を気にする風でもない。

八紘を挟んで隣の椅子へと訃堂も腰を降ろす。

老齢にも関わらぬ巨躯の手には、こちらもラムネが握られていた。

 

「さて、いよいよ始まるぞ…」

 

嬉しそうに目を輝かせる訃堂と弦十郎。絶望的な表情で目を血走らせる八紘。

彼らの目前で、壁一面を占めた巨大スクリーンのカーテンが取り払われていく。

続いて、映像に合わせて腹の底まで震えるような盛大な爆発音が、ドルビーサウンドで再生。

軽快なスキャットともに、宙明BGMが流れ出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風鳴一族は、古来より日本国を守護するために血道を開けてきた防人の末裔。

 

そして国とは、人であり、そこで育まれた風土であり、文化が集積したものである。

 

ゆえに風鳴一族は、人を護り、土地を護り、文化を護る。

 

 

 

―――ただ、風鳴の当代の当主は、文化は文化でも、いささか日本のサブカルチャーに、それは深く深く傾倒していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息も絶え絶えに八紘が解放されたときには、日はとっぷり暮れていた。

例の秘密階段をどうにか登り切り、四つん這いでぜーぜー言っていれば、背後から暢気な声が上がってくる。

 

「やっぱりレオの特訓シーンは最高だね!」

 

「ほう? ならば今度儂と再現してみるか」

 

笑いあう弦十郎と訃堂を横目に、八紘の受けた衝撃は深刻極まりない。

特撮VTRを立て続けに見せられたのも大概だが、その合間合間に食べさせられたチープな駄菓子群が、彼の味蕾へ強烈なダメージを与えていた。

 

…なんだ、あのベッタリと上あごにへばり付き、サクサクも何も言わない甘いだけのウェハースは!

ひも付き飴なんぞ、ただの着色料の入った砂糖の塊じゃあないか!

それと、ヨーグルとかいう全然名前詐欺のチープすぎる後味と来たら…ッ!!

 

「どれ、少し遅くなったが、晩飯にするか」

 

半死半生の息子に頓着せず、訃堂がのたもう。

 

「うわ、もうこんな時間が。どうりで腹減ったぜ」

 

めしーめしー! と騒ぎ始める弦十郎には、八紘はげんなりを通り越して枯死するかと思う。

 

「…自分は、夕食は遠慮します」

 

掠れ声で言い残し、自室へ引き上げようと試みたが、訃堂がにっかりとした笑みを浮かべている。

 

「今日は馳走ぞ。いま流行りの〝じびえ〟というやつよ」

 

「いえ、私は、肉はあんまり…」

 

「若い者が肉を喰らわんでどうするッ!」

 

断言する訃堂に八紘が尻込みしていると、俄かに屋敷内が騒がしくなる。

 

「活造り用のツキノワグマが逃げたぞッ!」

 

使用人の一人が叫ぶ。

見れば廊下の向こうから、全長160cmに喃々とする巨大な熊が走ってくるではないか。

 

「父ちゃんッ!」

 

弦十郎が腕まくりをして前に出る。

 

「いや、おまえは下がっておれ」

 

赴堂は下がらせた。しかし、これは決して実子を慮ったわけではない。

 

「弦十郎よ、おまえに任せては、せっかくの夕食が粉々になるでのう」

 

言うが早いが、訃堂は迫りくる熊を一睨み。

途端に、熊の巨体は音を立てて廊下に転がる。

訃堂の眼力によって刺激された恐怖心のあまり、心臓を止め自害したのだった。

 

「も、もうしわけありません…」

 

平身低頭の料理長に、訃堂の大喝が落ちる。

 

「たわけめッ! 今日、来客があったとしたらなんとするッ!」

 

至極もっともな意見に思えるが、そもそも客人にクマの活造りを出す方がどうかしている。

いや、それ以前に、平然とそんなゲテモノを夕餉の膳に載せるのはおかしいだろう!?

 

八紘はそう強く思う。

そして外に出て暮らせば、よくよく見えてくる。

この風鳴家の異常性が。

 

もっとも肉体的な超人能力はもたないにせよ、八紘も頭脳的には十二分に常人離れしたものを持つ。

ゆえに、より深くこの一族の非常識に思いを馳せてしまうのは、ある意味負のスパイラルと言えなくもなかった。

 

「さて、さっそく解体を始めろ。せっかくの活きが下がるからのう」

 

訃堂の声に、家人たちが数人がかりでクマを持ち上げようとするも、ビクともしない。

 

「あ、オレが持っていくよ!」

 

弦十郎少年が駆け寄って、片手でひょいと200㎏はありそうなクマを持ち上げて、厨房へと運んでいく。

その光景に、使用人たちは低頭するが、決して驚いたそぶりは見せない。

つまりはこれがこの屋敷に於いての日常であり、世間的な非日常のアウターワールドである証明であった。

 

「…私は、クマ肉はあまり…」

 

青ざめた顔で八紘は言う。

仮に食べたところで胃が受け付けない自信があった。

 

「ふむ? ならば先日獲ってきた猪肉と鴨肉もあるぞ?」

 

訃堂は近所に散歩にいくような軽装で山へと入り、狩猟してくることがままある。

この国の山の恵みぞ、と嬉々と笑っているが、素手で取ってくるのはどうなのだろう? 山菜取りでもあるまいし。

 

「いえ、その、肉自体が…」

 

すると訃堂はマジマジと八紘の顔を覗き込み、

 

「少し血が足りぬようだな。やはり都会では山河の恩恵を受けづらいと見える」

 

「普段はちゃんと食事は摂っていますが」

 

「いや、いかんいかん。大和男子たるもの、たまには野卑なものを喰らわねば魂に力が入らぬものよ」

 

全く話が噛みあってないようだが、訃堂なりに息子を気遣っているらしい。

また、常日頃の食事も修行の一つと公言しているからして、老齢にも関わらず頑健そのものの肉体で迫られては、これ以上の説得は無理そうだ。

…観念するしかないのか。

八紘が、ワイルドすぎる夕食の卓に渋々着くことを了承しかけたときだった。

 

「訃堂さん。なんぞ騒がしいですなあ」

 

凛とした声が響く。

声の方を見れば、和装の麗人が立っていた。

年齢は三十歳前後に見えるが、立ち振る舞いは優雅で気品がある。

加えて、所作がいちいちなんとも艶っぽい。

 

「…琴音か」

 

訃堂が呟く。驚くべきことに、その声から威圧的なまでの強靭さは失われていた。

だけでない。その全身から迸っていた膨大な気も、一時的に丸くなっているように思われるではないか。

そんな実父の変化を横目に、ほとんど四つん這いで八紘はその麗人へと駆け寄っていた。

 

「ご無沙汰しています。()()!」

 

「あら、八紘さん。しばらく見ない内に凛々しゅうなられたこと」

 

八紘の手をとって立たせ、麗人はコロコロと笑う。

彼女のフルネームは、風鳴琴音(ことね)

何を隠そう訃堂の妻にして、息子たちの母親だ。

しかし、弦十郎六歳はともかく八紘は二十歳だ。

三十前後の見た目の彼女は、果たして彼の芳春院のように十歳前後で出産したのか。

それともいま流行りの美魔女というやつか?

 

真実を言えば、彼女は本当の魔女であると言えた。

見た目に反し、その実年齢は、なんと訃堂より二歳上である。

途轍もない大恋愛の末に二人が結ばれたとき、琴音二十歳、訃堂十八歳だったことは、子供たちも耳タコのノロケ話だ。

そして彼女は、末っ子の名が弦十郎である通り、十人もの子供を産んでいる。

さしもの訃堂も頭が上がらない、この屋敷で唯一無二の存在であった。

 

「あ、母ちゃん!」

 

厨房から戻ってきたらしい弦十郎が駆けてくる。

受け止めて、琴音はその日焼けした顔に手を添えて微笑む。

 

「弦十郎も、おっきくなりましたなあ」

 

へへへ、と鼻をこする弦十郎。

これで助かったと胸を撫で下ろす八紘。

なんとも言えない表情で佇む訃堂は、おそろしいことに恋女房を前に照れていたのかも知れない。

 

 

国防の要、風鳴一族。

鍛えに鍛えし業と力は、罪なき人と母なる故郷を護るための剣とならん。

 

鉄血の誇りゆえに只人を超越した剛力と視点を持ち、現当主の趣味は少々以上にアレだったが、いまこのとき、確かにこの場には、普通の家庭の団欒が存在した―――。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 見ているだけの きみでいいかい?

 

 

 

久しぶりに家族四人で夕餉の食卓を囲む。

訃堂と弦十郎は熊肉の焼いたものなどを健啖に平らげたが、琴音は米を砕いた粥に、焼いた山女魚を柔らかく解したものを食した。

八紘も母と同様のものを食べる。

さすがに訃堂もこの場で趣味全開の話はしない。

話題は、もっぱら時候のものと、あとは家族のものだ。

 

鼓七(こしち)さんは元気なんですかなあ」

 

「あやつは音信不通よ。しかし、便りのないのは息災な証拠というしな」

 

「…父上。鼓七兄さんなら国連防災機関(UNDRR)に出向しているでしょう? 

 どう活躍しているかなんて、Facebookを見れば済むじゃないですか」

 

八紘がそう進言すると、ジロリと訃堂は一睨みしてくる。

 

「わざわざ海外へと出て、我が国の屋台骨を支えるを由とせんのが気に食わん。

 それに、儂は横文字のものは苦手だ」

 

「訃堂さんは昔から英語が苦手でしたからなあ」

 

コロコロと母は笑っているが、父の英字嫌いは筋金入りだ。

なにせ、DVDとそのプレイヤーを扱えるようになったのはつい最近である。

それまでは、アナログなビデオデッキと、繰り返し鑑賞したために擦り切れそうなテープで趣味を楽しんでいた。

かといって頑固一徹な老害的思考の持ち主とも言い難い。

現にDVDの利便性に気づいてからは、ちゃくちゃくとコレクションはDVDやBDソフトと入れ替わりつつある。まあ、それも趣味だからこそ妥協出来ているのかも知れないが。

 

「くったー!」

 

裕に大人の三人前ほど平らげて、弦十郎はそっくり返る。

 

「まあまあ、お行儀の悪いこと」

 

琴音に口元を拭ってもらって、弦十郎はえへへと照れ笑いを浮かべた。

しかし間もなく盛大に船を漕ぎ始めたと思ったら、大口を開けて眠ってしまう。

その表情は年相応にあどけなかった。

 

「やれやれ。まだまだ弦のやつも子供だの」

 

当たり前のことを嬉しそうに呟き、訃堂は眠った弦十郎を抱き上げている。

 

「それでは私もこれで失礼します。父上、母上、おやすみなさい」

 

この機を逃さず、八紘も退出。

使用人の手を借りず弦十郎を子供部屋に寝かせて、訃堂も就寝とは至らない。

書斎に籠り、山のような書類仕事に手をつける。

そうやってどれくらい集中しただろうか。日中は煩いくらいの蝉の鳴き声と打って変わり、山中にある風鳴屋敷は水を打ったような静けさに満ちる。

とんとん、と書斎の戸が叩かれる。続いて、

 

「失礼します」

 

入ってきたのは使用人かと思えば、琴音だった。

 

「どうしたのだ?」

 

「お茶が入りましたから」

 

訃堂は眉をしかめる。

 

「そんなもの、人に任せればよかろう」

 

「この時分では、みなさん休まれましたよ」

 

苦笑する琴音に壁掛けの古時計を見れば、時刻は深夜の1時半。

 

「むう。時を過ぎるのは早いものよ」

 

思いがけず言葉には感慨が籠ってしまったらしい。琴音の笑みが大きくなる。

 

「ほんに。訃堂さんと連れあって、はや50余年ですからなあ」

 

「………」

 

訃堂は黙って茶に手を付ける。

その向かいに端座し、琴音は柔らかく微笑む。

 

「子供たちとの時間を捻出するために、仕事を後回しにしなさったのでしょう?」

 

返答替わりとばかりに、訃堂は音を立てて茶を啜り込む。

コロコロと琴音は笑う。

 

「ほんに、昔から不器用なお方…」

 

そして、立ち上がる所作さえ見せずに、ふわっと訃堂の腕の中へ身体を預けてきた。

未だ分厚い夫の胸板に頭を載せて、琴音は可笑しそうに笑う。

 

「旦那様から口説かれたんときも、たいがい不器用でしたしなあ…」

 

「む…」

 

妻を腕の中に抱き止め、訃堂は言葉に詰まる。

初めて琴音を見初めたのは彼女が18歳の時。

はっきりいって一目ぼれで、若気の至りというか、あの頃の自分の悪たれ振りを思い出せば、訃堂をして背中に冷たい汗が滲む。

翻って、今の人生に微塵も後悔はなかった。

琴音を娶ったことは人生で最大の幸福事であり、彼女が自分の子供らを産んでくれたことには心底感謝している。

 

「…琴音」

 

訃堂がすっかり白くなった眉を上げ、しかし未だ炯々とした瞳を妻へと向けた。

 

「…訃堂さん」

 

琴音も未だ衰えを見せぬ容色で、艶っぽい眼差しで見返してくる。

二つの影がゆっくりと重なろうとする寸前―――。

 

ぴしゃりッ!

 

琴音の手が、訃堂の手の甲を叩いている。

 

「まったく、悪戯が過ぎますえ?」

 

くすくすと笑いながら、琴音。

 

「…悪戯で済ませるつもりはなかったんじゃがな」

 

はぐらかされ、白髪頭をぼりぼりと掻きながら訃堂。

 

「お互いに齢を考えなさしゃんせ」

 

すくっと立ち上がりながら琴音が言う。しかしながら、見た目が三十前後の彼女がこの台詞を口にしても違和感が凄い。

 

「齢を取ったら、なおさらしっかり休まないといけまへん」

 

妖しい京ことばで言い残し、琴音はすーっと書斎を出て行く。

遠ざかる気配は感じられず、微かに彼女の着物に焚き込めめられた香だけが漂っている。

 

「やれやれ…」

 

嘆息し、訃堂は残ったお茶を飲み干す。いまさらながら、ノンカフェインの蕎麦茶だった。

琴音は本当に訃堂に休むよう注進しにきて、ついでにからかっていったものと見える。

 

「女というやつは、幾つになっても…」

 

しみじみと呟きながら、訃堂は書類仕事にけりをつけた。

自分の妻は普通ではないと重々承知しつつ、どこまでも彼女は普通の女だとも思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風鳴訃堂の朝は早い。

老齢ゆえに早くなったのではなく、若いころから毎朝5時には起床している。

日課の各種鍛錬、精神修養を終えて一時間強。

この頃になると弦十郎が起きてくるので、一緒に体操をこなす。

弦十郎は夏休みであるから、もちろんラジオ体操だ。

場所は、庭先ではなく、屋敷の裏手のだだっ広い修練場。

たかがラジオ体操といえど、されどラジオ体操。

風鳴一族が本気で挑んだ場合、周囲に人間が居れば死傷者が続出するだろう。

体操が終われば、上半身裸で乾布摩擦である。

 

「うう、なんで私まで…」

 

これには八紘もつき合わされ、家族三人、ならんで肌を擦る。

 

「見て見て八紘兄貴ー! オレ、乾布摩擦で火を熾せるんだぜー!」

 

高速で布を動かし、己の肌との摩擦で発火させ火傷一つ負わない弟に、八紘は何も言えない。

 

「ほう、見事だぞ、弦十郎。しかし、これは出来るかな?」

 

そういって訃堂が布を軽く振るえば、飛んだ衝撃波で竹藪が一閃。バサバサと数本の竹が倒れて行く。

 

「すげえ! 父ちゃん! それどーすんの?」

 

「いいか、コツはの」

 

「そんな物騒な技を六歳児へ教えないでください!」

 

八紘の常識的な叫びを無視し、非常識な二人は裏を流れる滝へとざぶりと飛び込む。

戻ってこちらに歩いてくる頃には、身体から発する気合熱で着ているものはカラカラに乾いているのだから始末に負えない。

 

「みなさん、ご飯ですよ~」

 

琴音が自ら呼びにきて、昨夜に引き続き、家族で食卓を囲んだ。

風鳴家では常在戦場の心構えで有事に備え、朝から肉類も出る。

弦十郎も訃堂も健啖にそれらを平らげ、八紘は母にならい軽めのもので済ます。

食事を終えれば弦十郎は自前の道着に袖を通し、修行だ特訓だと裏山へ。

訃堂は今日は様々な仕事や所用があり、これから都内へ向かうとのこと。

八紘も今から都内のマンションへ帰る予定だったが、

 

「ついでだ八紘、同道せい」

 

父の申し出に、八紘は少し考え込む。

今日も最高気温を更新しそうな好天の中を駅まで歩くのも億劫で、申し出を受けることにした。

 

「いってらっしゃいませ」

 

母に見送られ、訃堂と八紘の乗る黒塗りのセンチュリーは走り出す。前後は同じく黒塗りの国産車で固められていた。

センチュリーの後部座席は広く改装され、運転席との仕切りもしてあり防音性もバッチリである。

ほとんど揺れさえ感じない滑らかな走行の車内で、訃堂は手にもったBDを吟味していた。

 

「むむ、メタルヒーローにすべきか。ライダーにすべきか。

 ライダーにしても平成で攻めるか昭和で攻めるか…!!」

 

その様子を、身体ごと全力でドン引きながら眺める八紘。

赴堂が専用車にそれらの特撮ソフトを常備し、移動の最中に楽しんでいるのは国家機密に相当する極秘事項だ。

選ぶ時間が惜しいとばかりに、訃堂は再生機にDVDをセット。液晶画面には、仮面をかぶったライダーがバイクを乗り回す映像が。

このような子供向けタイトルに父が熱中する理由はわからねど、八紘はこれらは生理的に受け付けない。

幼少のころは夢中で見たものだが、長じるにつれその荒唐無稽さに気づく。

八紘は少しばかり精神的な成長が早い子供だった。

他の子供たちよりいち早くテレビ画面の幻想を脱し、現実を見るようになっていた。

ゆえに、テレビのヒーローなど作り物であると悟る。

無論、それを人前で吹聴して同年代の不興を買うような真似はしないほど智恵は回っていたが、それでも中学生の反抗期まっさかり。

未だ子供向け番組に熱心な父に、面向かって苦言を呈したことがあった。

 

『こんなの非現実的だ。だって必殺技とか人間には出来ないじゃないか!!』

 

その生意気は、一瞬で叩き潰された。

なぜなら父は、特撮ヒーローの必殺技のほとんどを、生身で実践して見せたのだから。

呆気にとられつつも、『きょ、巨大ロボとかも実際にないし…』とも負け惜しみを言った覚えがある。

父は真顔で『建設中だぞ』と答えていたが、きっと冗談だと思いたい。

 

それ以来、八紘は父の趣味に口を出すことを慎み、距離を置くと決めた。

しかしながら、顔を合わせるたびに赴堂は問答無用で距離を詰めてくる。

いくら特撮モノは肌に合わないといったところで全く取り合ってくれないので、最近は八紘も諦め気味だ。

現に今も見たくもない映像を流されているのも、炎天下を歩くよりはと妥協した結果である。

 

「…それにしても」

 

思わず八紘は呟く。

上映するまでは色々と薀蓄を垂れたりと煩い訃堂だが、いざ始まってしまえば静かに熱中している。

その横顔は、年相応で、同時に少年のようなまっすぐな眼差しすら見受けられた。

だけに八紘が苦しんでいることを、訃堂本人は知らない。

いまだ二十歳なれど八紘も風鳴の一員だ。

有形無形の恩恵を受けていると同時に、直接的にも間接的にも様々な情報に晒される立場にある。

八紘なりに分析した結果として、風鳴訃堂の人物評価は『峻烈』の一言に過ぎる。

 

神州日本を護るため鬼神とならん。

 

その言葉に一切の妥協はなく、己はひたすら厳しく律し、他者への寛大や慈悲とは無縁。

 

―――あれは、護国の鬼よ。

 

そんな風聞と、あまりにも反している目の前の父の現状。

そのギャップが八紘の理性と神経を削っている。事実、彼は若い身空で慢性的な胃炎を抱えていた。

しかし、一方で、家族として弁護したい気持ちがないわけではない。

 

いかに護国の鬼だなんだと言われようと、八紘にとっては父親だ。

血も涙も通わない人間では決してない。

特に子供のように無邪気に特撮番組に視線を注ぐ姿こそ、風鳴訃堂という人間性が体現されているのではないか。

八紘は強くそう思う。

だからといって、このことを声高に主張できないのはジレンマだったが。

 

気づけば、既に車は都内へと差し掛かっていた。

 

「止めよ」

 

不意に訃堂は指示を下す。

黒塗りの重厚な高級車が止まった前は、アニメイトだった。

 

「ついてくるか、八紘?」

 

「…遠慮します」

 

「では、まっておれ」

 

老体とは思えぬ俊敏さで赴堂は下車。

慌てて前後の護衛車から降りてきた黒服たちを引き連れて店内へと消えた訃堂は、十五分もしないで戻ってきた。

 

「待たせた」

 

冷淡な言葉と裏腹に、両手にBDBOXを抱え訃堂はホクホク顔を隠そうともしない。

 

「何も店先で買わずに、AMAZ○Nなどの通販で購入すればいいのでは?」

 

八紘は本心から忠告した。

いかに極秘事項扱いしても、当の本人がこうもフットワークも軽く量販店に出入りされては、護衛も情報部も大変だろう。

 

「何をいうかッ!」

 

訃堂は白眉を跳ね上げる。

 

「このような量販店だからこそ、客は手にとってモノを確かめることが出来る。新たな発見や掘り出し物との出会いは、このような物が大量に並ぶ場所でなければ成り立たぬと知れいッ!」

 

「それは衝動買いというんじゃないんですか?」

 

八紘は呆れつつも、訃堂の言に一理あることを認めるに吝かではない。

量販店の存在意義と強みはそこに存在するであろうし、通販業界が発達するまではそれは普通だった。

全ての買い物がいまや通販で賄えるのは便利で結構な反面、地元店舗の衰退は、そのまま地方経済の悪化や空洞化を加速する懸念が指摘されて久しい。

護国を掲げる赴堂にとっても、これは無視できない事態なのだろう。

…もっとも、単に訃堂が、通販サイト最大手のアメリカ企業を嫌っているという理由が一番かも知れないが。

 

 

「駅前でいいのか?」

 

「はい、お願いします」

 

もはや都心に達しているため、車はゆるゆると進む。

既にDVDの再生は終わっており、八紘はこの時間を色々と尋ねる機会と捉えることにした。

 

「父上は、今から霞ヶ関へ?」

 

訃堂の白眉がピクリと動く。

 

「…いや、それは後回しだ」

 

「では、どこへ?」

 

出過ぎた口をきくなッ! そう怒鳴られることを覚悟して八紘は質問を重ねる。

しかし、訃堂はむしろ穏やかな口調で教えてくれた。

 

「まずは墓参りと見舞いよ」

 

「…は?」

 

「この齢になれば、昔馴染も大分少なくなるものよ。病に伏せるものも多いしな」

 

思いもよらぬ答えに言葉を失う八紘に、訃堂は真顔を向けた。

 

「儂もそう長くないやも知れぬ。なれば、あとのことはおまえたちに託すぞ」

 

「…御冗談を」

 

この物言いには、さすがに八紘も笑顔で応じた。

父は自分たちよりよっぽど長生きしそうだ。

兄弟が集まるたびに俎上にのぼる話題である。

しかし、この会話の流れは、八紘にとっていい呼び水でもあった。

唇を舐め湿らせ、八紘は最も聞きたかった質問を口にする。

 

「では、母上は、いつまで生きられるのですか?」

 

母、琴音の旧姓は岩戸。

土御門の更に上の格式を持つ呪術師の家系である。

そんな彼女が何らかの秘術を凝らして現在の若い容姿を保っていることは、弦十郎を除く子供たちの殆どが知っていた。

そして、そんな秘術であればこそ、何かしらの反作用があることも予見している。

 

「…それは、分からぬ」

訃赴堂は答える。

 

「あれの秘術秘奥は門外不出よ。儂とて何一つ知らされておらなんだ」

 

「そんな! では、母上に何かあった場合、私たちには何も出来ぬとッ!?」

 

「落ち着け、八紘」

 

「私は落ち着いてますよ! しかし、母上も最近、起きておられる時間も少しずつ短くなっているようですし…」

 

「それは儂も承知しておる。そしてあれも承知しているだろう」

 

「私にとってはたった一人の母親なんですッ!」

 

「儂にとっても、ただ一人の女よ」

 

息子と父が睨みあう。

お互いに全く同時に視線を外したのは、車が丁度停止したからだ。

 

「八紘」

 

ドアを開け降りていこうとする息子に、訃堂は声をかける。

 

「あれに何かあれば、すぐに報せる。そして、何かあれば儂がなんとかして見せる。だから案ずるな」

 

「…信頼させて頂きます」

 

ドアが閉じる。

 

中天の太陽に照らされながら、黙って八紘は父の乗った黒塗りの車を見送った。

と思ったら、黒塗りの車が戻ってきた。後方からおっかけていた護衛車も急いでバックしている。

車は八紘の前まで戻ってくると、後部座席の窓が開いた。

訃堂が真剣な面持ちでこちらを見ていて、重々しく口を開く。

 

「八紘。先日の上映会の続きだが、再来週に行うぞ?」

 

「…はい?」

 

「余程の予定がないかぎり、必ず参加せよ。しかと命じたからな」

 

言い置いて、窓は閉じる。そして何事もなく車は走り去った。

その黒い車体が完全に見えなくなってから、ようやく八紘は身動きする。

そして思う。

 

…そうだ。もっと講義を入れて、単位を取ろう。

それでも時間が余れば、よその大学の講義へも顔を出すようにして、全ての時間を勉学で埋め尽くしてしまおう。

 

先日の地獄の上映会への出席を避けるため、勉学を言い訳にすることを決め込む八紘。

この時の血のにじむような努力というか逃避行動が後に実を結び、彼が21世紀の日本における比類ない情報官として名を残すことに繋がったのは、不幸中の幸いといっていいのか判断に苦しむところだった。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風鳴訃堂過去編 君の青春は輝いているか 

風鳴訃堂は、かの日本の命運を別けた大戦の最中に生を受けた。

翌年には、日本は全面降伏し、その戦は終焉を迎える。

赴堂のもっとも古い記憶にあるのは、その敗戦の報せを受け、血涙を流す父、雨竜(うりゅう)の姿だった。

当時、齢1歳に満たぬ訃堂の原風景はそれであった。

 

 

戦後の米国の占領政策による、日本国内の軍事設備及び機関の解体。

風鳴機関もその例にもれず、活動を停止させられる。

しかし、それは表向きの形であり、風鳴の一族は歴史の闇へと身を隠した。

再び陽の目を見る時までの臥薪嘗胆。

敗戦したとはいえ、国体は失われてはいない。

そう判断した当主風鳴雨竜は、嫡男となった訃堂へと手ずから教育を施す。

 

一族こぞって鎌倉の山奥へ押込められはしたが、その環境は訃堂にとって決して少なくない影響を与えている。

豊かな山河とその恵み。

それらあるべき姿の自然は、訃堂にとって格好の遊び場であり、故郷そのものであった。

母なる故郷に抱かれ、訃堂はすくすくと成長していく。

 

人並み外れた体格に秘められた膂力は、連綿と受け継がれた風鳴の血がなせる業か。

数えで十を幾つか超えるころには、その肉体は武人としての完成を見た。

あとは風鳴の誇りと、防人の生き様を、身を持って教えるだけ―――。

 

そう考えていた雨竜が高齢のために臥せったのもこの頃である。

訃堂は雨竜の末子であり、他の息子らは全員が大戦の最中に国に殉じていた。

生き残った他の一族も高齢者がほとんどで、訃堂へと身を持って訓示をすることも覚束ないものばかり。

 

考えあぐねた挙句、雨竜は訃堂に一人下山することを許す。

 

世間を見て、守るべき人と国をしっかりと見定めて来るのだ。

 

雨竜は、この末子が風鳴一族の歴史に残る傑物であると期待していた。

肉体もそうだが精神も頑強の一言に尽きる。彼奴ならば、世俗の毒にも染まるまい―――。

 

結果として、これが悪手だった。

喜び勇んで下山した訃堂が向いしは、やんごとなき方がおわす東京。

そこで彼の目に飛び込んできたのは、煌びやかなビル。その間を行き交うは着飾った人々。軽薄な音楽が街頭に溢れ、誰もが浮き足だって見える。

訃堂の見てきた神州日本とは違う光景がそこにはあった。

古の武人と思しき人間など影も形も見えず、そこいらにはかつての敵国の言葉は氾濫している。

まるで、母なる国土が巨大な毒虫に蚕食されているように見えたに違いない。

 

もっともこれも推測であり、訃堂の本心は決して余人には理解できるものではなかったのだろう。訃堂自身も、生涯誰にも語ることはなかった。

ただ、確かなのは、訃堂は期限が過ぎても一族の住む鎌倉へとは戻らなかったこと。

そしてこの時期、明らかに東京におけるチンピラや愚連隊の死亡者数は増加していたことが記録されている。

 

この時から数年、訃堂の消息は完全に途絶える。

その期間に起きたことを詳細に記せば、小説数冊分に相当するだろうが割愛させて頂く。

 

次にその動向が把握されたのは、やんごとなき方の下知により風鳴機関再興の命が下ったことに由来する。

雨竜が病身をおして、こちらも再編した緒川忍群の手のものを放ったとき、訃堂は京都に居た。

 

 

 

訃赴堂が京都で何をしていたのか。

こちらは打って変わって明確に記録に残されている。

京都は日本における古都であり、本来の日ノ本の神の子孫が住まう場所だ。

そこには、古の日本の佇まいと文化が色濃く残り、東の京ほど夷狄に侵されてはいない。

加えて、やんごとなき方の守護のため、国内屈指の武人たちとその末裔が居を定めている。

 

その武人たちが次々と叩きのめされていた。

道端で。道場で。路地裏で。山中で。

これはもちろん風鳴訃堂の仕業であり、この時の彼はまだ十代も半ば。

されどその体躯はすでに成人を凌駕し、その怪異な容貌から京都には鬼が出ると評判になっていた。

事実、夜にもなれば大通りの人通りは絶え、京都っ子たちは弁慶の再来かと噂しあったほど。

もっとも訃堂の破竹の暴れっぷりを鑑みれば、かの武蔵坊より源為朝といった方が相応しい。

そのことを把握した雨竜は、現代の鎮西八郎の跳梁を止めるべく、かつての同胞たちの協力を仰ぐ。

 

古来より日本国を守護する玖桜衆(くおうしゅう)

それぞれが家名に地、水、火、風、空、木、雷、土、花の名を抱く防人の一族で、そもそも風鳴もその一家に過ぎない。

先の大戦で多くの家が断絶していたが、それでも残った各家より新たに育った精鋭たちが京都へと差し向けられた。

 

その中に、後の訃堂の朋友となる藍空冥法がいたのだが、この時点で面識はあるはずもなく。

玖桜衆の手練れの連携に、さしもの訃堂も手こずる。

一対一なら決して負けはせぬ、との自負のもと、一時引いたは広大な屋敷の庭先。

美しい庭園を、月光が青く染め上げていた。

そして、真夜中にも関わらず、その東屋に訃堂は人影を見出す。

その人影が妙齢の女性であることを見定めた瞬間、訃堂は彼女に心を奪われていた。

 

この時、岩戸琴音18歳、風鳴訃堂16歳。

二人の運命の出会いを経て、日ノ本の未来も大きく変わっていく。

 

 

 

鬼の跳梁は止まった。

京の夜を震え上がらせた百鬼夜行の噂は、ある日を境にピタリと聞かれることはなくなっていた。

もちろんその正体が若干16歳の少年であることは知られるはずもなく。

されど、玖桜衆も含め日本を守護する防人たちの間では、訃堂の蛮行と、それが終息したことは周知の事実だった。

なにせ訃堂が見初めた琴音の岩戸家も、古の昔よりやんごとなき方へとお仕えしてきた一族の末裔である。その血の霊験もあらたかで、抜きんでた才と麗しい容姿を持つ琴音は、岩戸姫と呼ばれ関西の防人たちで知らぬものはなき存在だった。

 

―――かの岩戸姫が、あの鬼を慰撫したらしい。

この国の影の世界は、この噂でもちきりだった。

そして噂の当人はというと、足繁く岩戸の屋敷を訪れて平然としていた。

岩戸家としても鬼の来訪を苦々しく思っていたが、実力で妨害出来る血筋ではない。

それでも、訃堂が琴音を手籠めにするようなことがあれば、玖桜衆を頼り、更に一家の総力を挙げて呪殺の儀を執り行っていただろう。

琴音は、京のやんごとなき方の血筋である貴顕に所望され、その家に嫁ぐことが決まっていた。

もちろんそんなことを露も知らぬ訃堂は、野山で摘んだ花を携えて日参を繰り返す。

岩戸本家は、その光景を、弁慶を従えた義経を見るように静観していたに違いない。

 

訃堂が尋常ではない胆力の持ち主であるならば、琴音も女傑だった。

不器用だがあからさまな好意をぶつけてくる少年に向かい、ある日忽然と言い渡す。

 

「わたしは、既に嫁ぐ方が決まっております」

 

鬼もかくやと思われる体躯を持つ少年である。彼にその気があれば一瞬で縊り殺されるだろう。

そのことを承知して、なお平然と琴音は訃堂と向かいあっている。

 

告げられた少年はというと、一瞬だけ虚を突かれた表情をした。

しかし、間もなく鬼神もかくやという凄惨な笑みを浮かべる。

 

「いや。おまえが俺が娶る。俺の嫁となれ。俺がそう決めたのだ」

 

傲岸不遜そのものと言って良い物言いだったが、実行するだけの膂力をこの少年は秘めている。

その言葉に、琴音は嬉しげな顔も、悲しげな顔もしなかった。

芸能の神である岩戸姫の異名を持ちながら、その表情こそまるで岩のように静かに不動。

 

「邪魔するものは殺すのですか」

 

物騒な台詞を事も無げに口にする。

 

「無論だ」

 

言下に訃堂は肯定した。

 

「おまえを得るためなら、後世に残るような屍山血河を築いてみせようぞ」

 

少年の台詞に諧謔の意味は全く込められてはいない。

つまりはこれが訃堂の本気であり、彼なりの愛の告白とさえ言えただろう。

 

そんな凄惨極まりない告白を受けても、琴音は顔色一つ変えなかった。

替わりに、物憂げな表情を浮かべる。

 

「貴方が、京の街で(つわもの)たちを叩きのめしていた理由は那辺に?」

 

今度は訃堂も面食らう。

懸想する彼女が自分の京での蛮行を知るのはともかく、その理由を尋ねてくるなど想定外。

この少年にしては珍しくしばし迷い、それでもようやく口にする。

その内容は、訃堂が決して余人に語ったことのない本心。

 

「…俺より強い相手を得るためだ」

 

恵まれた体躯と隔絶した技量を持つ訃堂。

そんな訃堂は、敗戦後に逞しく立て直されていくこの国を見て、絶望していた。

誰も彼もが利便性と豊かさを蟻の如く追い求め、そこに古の日本人の矜持を見出すことは困難だった。

東京では、武も柔も眠りについて久しい。

そう感じた訃堂は古都である京都へ河岸を変え、神州にあるべき武人の姿を追い求める。

その上で、個人として自分より強い相手を求めた理由は―――負けたかった。

 

自分を叩きのめすほどの武に出会い、そして導いて欲しかった。

未熟者と叱咤し、かくあるべしという理想と未来を掲げてくれる先達を求めていた。

 

しかし、悲しきかな。それは叶わぬ願い。

個人の武という一点に限れば、今の日ノ本に、彼に比肩しうる防人は存在しないのだから。

 

そのことを薄々察し、されど希望は捨てがたく、拳を固く握りしめる訃堂。

いつの間にかその巨大な手の上に、柔らかく嫋やかな手が重ねられていた。

 

「なれば、わたしが貴方の子を産みましょう」

 

弾かれたように訃堂は顔を上げていた。

その厳つい顔は、みるみると紅潮していく。

なるほど、それは盲点だった。

自分の血を受け継ぐ子が育てば、いずれは自分を打倒する(つわもの)に育つやも知れぬ―――。

 

無論、訃堂が顔を赤らめた理由はそれだけではない。

娶るためなら邪魔するものは全て鏖殺するとの言葉が赴堂の告白であるならば、この答えは琴音なりの告白に相違ない。

気と気が通じ合った。若さの迸るままに、太い腕で琴音を抱きしめようとする寸前。

 

ぴしゃり!

 

訃堂の手の甲は、琴音のもつ扇子で打ち据えられている。

少年は傷ついたような顔つきになった。

そんな訃堂に向けて、琴音はゆるゆると言い放つ。

 

「貴方が力を振るえば、誰かが傷つきましょう。無体な傷を受ければ人が恨むが世の常。

 そして恨みは無尽の呪いを産みましょうぞ」

 

この言葉の真意に気づけぬほど、訃堂は愚鈍ではない。

琴音は、力づくで自分を手に入れようとするのは悪手であると、訃堂の覚悟を一蹴しているのだ。

だからといって、この力を振るう以外、自分には何の能がある?

懊悩する少年へ向かい、琴音は初めて笑顔を浮かべていたかも知れない。

 

「皆から祝福を受けたそのとき、わたしは貴方に心から嫁ぎましょう―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かぐや姫の難題もかくや、と思われる言葉を受けて、訃堂はひたすら思い悩む。

その思いの深さに反し、時間は無慈悲にも過ぎていく。

答えを見いだせぬまま、二人は出会ってから二巡りの年を重ねていた。

 

そしてその年。

二十歳を迎えた琴音の輿入れの日である。

もはやこの時に至れば、訃堂が岩戸姫に執心していることは知れ渡っていた。

されど、この婚姻は多分に政治的な意味合いも大きい。

古の物語に伝えられるように、身分違いの悲恋で終わるであろう。

そう半数は楽観し、残り半数は悲壮な顔つきで身支度に勤しむ。

訃堂が岩戸姫を強奪しにくる可能性が捨てきれない。むしろその可能性は高い。

だけに、玖桜衆も含めた多くの防人が京の都へと集っていた。

やんごとなき方の傍流の婚姻において、これは異例のことである。

 

秋の吉日。都の大通りを、琴音の載った輿が粛々と進む。

多くの家人を引き連れた荘厳華麗な行列に、見物客たちは酔いしれた。

護りを固める防人たちの緊張に反し、輿は婿様のおわす屋敷の前まで至る。

輿から、着飾った琴音が降り立った。

このまま何事もなく輿入れの儀は終わるかに見えたが、そんなはずもなく。

 

屋敷の門から忽然と現れるは、屋敷の当主ではない。

風鳴の紋付袴を纏った、風鳴訃堂その人だった。

前もって警戒を知らされていたため、その姿を見るなり数人の家人が躍りかかる。

しかし、皆が皆、その場でピタリと硬直したまま動けない。訃堂の眼力で射竦められたのだ。

ここに至り、警護の玖桜衆も歯噛みして見守るしかない。

既に岩戸姫は訃堂の間合いの内だ。訃堂がその気になれば、瞬殺できる距離である。

訃堂は悠然と歩みよる。その顔に浮かぶ表情は、思ったより若々しい。

ひょっとして緊張していたのでは? そう推察されたのはかなり後日のことで、いまや輿入れ行列の誰もが訃堂の一挙手一投足に注目するだけ。

 

風鳴訃堂が岩戸琴音の前に立つ。

訃堂の常人離れした巨躯との対比では、琴音の身体は消え入りそうなほど小さく見える。

 

「琴音殿」

 

訃堂は語りかける。

 

「よくよく考えたが、お前の言ってくれたことの意味はやはりよく分からん」

 

あっけらかんとした口調だったが、琴音は真剣な面持ちで耳を傾けている。

 

「だが、おまえのことは、俺が全身全霊を尽くして、護ろう」

 

訃堂の大きな手が琴音へと伸びる。

そのまま肩を掴み引き寄せると、訃堂は琴音を抱きしめていた。

 

この様相に、防人たちは一斉に腰を浮かす。

 

さては飛んで逃げるか、それとも花嫁を抱えたままま暴虐の限りを尽くすのか?

どちらにしろ、ここから逃れられる道理はないと知れ―――。

 

果たして訃堂はというと、そのまま動かなかった。

ただ、全身を使い、覆うように琴音を抱きしめてその場を動こうとしない。

 

ジリジリと時間だけが過ぎていき、ここに至りようやく防人たちは訃堂の意図に気づく。

訃堂の巨躯は、ほぼ完全に花嫁である琴音の姿を覆い隠していた。

岩のような体躯に、不動の佇まい。

それはまるで伝承の岩戸そのものが出現したかのよう。

 

この様相に、婿である貴人が奇声を上げていた。

彼も琴音の美貌に心を奪われた一人であり、輿入れ目前の花嫁が、突如現れた巨人に抱きしめられている姿を見て尋常な心持ちでいられるはずもなく。

彼は、伝家の宝刀を引き抜いて、ためらいなく訃堂の背中を斬り付ける。

次の瞬間、その刀が折れ飛ぶ。

これには見物客も度胆を抜かれた。

なおヒステリックに叫ぶ貴人の命により、家人が数人がかりで訃堂の抱きしめた腕を解こうとする。

しかし、これもビクともしない。

人を集めて力を凝らすが、夜を徹しても訃堂は不動。

 

痺れを切らした貴人は、家人に武器の使用を許可する。

幾太刀もの斬撃が容赦なく浴びせられた。

鉄矛や鎚が何度も打ち据えられた。

それらはさすがに訃堂の肌を斬り、抉り、血を滲ませる。

足もとには血だまりが出来るも、それでも訃堂は動かない。

とうとう当時の日本では珍しい重機も搬入され、機械の力を用いて引き剥がそうとすら試みられたが、訃堂は決して琴音を離そうとはしなかった。

 

そうして三日三晩も過ぎれば、京都っ子たちの見る目も変わってくる。

それこそ身体を張って花嫁を護る男。そして、不平も言わず男の腕に抱かれ続ける花嫁。

最早、誰の目にも二人の紐帯は明らかだった。

なにより、本来の婿である貴人が諦観していた。

彼自身とて、一端の男である。

訃堂のやりように呆れると同時に、訃堂ほど全身全霊を込めて女を護るというその有言実行に感服するしかなかった。

婚姻はなかったことになり、岩戸家は臍を噛む。

されど、天駆・風鳴と称された防人一族と婚姻を結ぶのも悪くはないのではないか。

岩戸一族の総意はそのように傾く。

何より、琴音を抱きしめ続ける訃堂の姿こそが、防人としての真意を体現していたのだから。

 

「もう良いぞ」

 

生ける岩戸に手を添え、声をかけたるは風鳴雨竜。

すると、ゆるゆると岩のごとき筋肉が解け、花嫁が姿を現す。

三日も男の腕の中で過ごしたにも関わらず花嫁衣裳に汚れは見当たらず、当人はと言えば、心配そうに抱きしめ続けてくれた男の頬に手を添えていた。

 

「訃堂」

 

雨竜は、文字通り血達磨となっている末子へと声をかける。

 

「今日、この時より、おまえが風鳴の当主を名乗れ」

 

雨竜の頬を滂沱の涙が伝っていた。

彼は、一番手を焼いた末息子に、輝かしいまでの風鳴家の将来を見ていた。

その背後には、緒川忍群が整然と膝をついている。

 

父と背後に付き従う緒川國電らを一瞥し、訃堂は花嫁へと視線を転じた。

額から流れる血を拭いもせず、笑いかける。

それは、まったく若者の笑顔だった。

 

 

 

 

「おまえは俺の妻だ、琴音」

 

 

 

「…はい、旦那様。末永くよろしゅうお願いします」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風鳴翼誕生秘話 陽の章 風にその名を呼んだなら

訃堂さんを揚げて落としていくスタイル


 

 

その日、風鳴本邸を訪れた八紘は、心の底から後悔していた。

訃赴堂直々に「不測の事態だ」と緊急の連絡を受けて、正直頭が真っ白になった。

つい先日、知己の葬式に出席していたこともある。

次々と不幸な考えが脳裏を巡り、八紘は取るものも取りあえず鎌倉へと車を飛ばしていた。

 

たからといって慌てず騒がず、まずは情報を収集すべきだった。

これでは情報技官の名折れではないか!

 

許されるなら、自分自身を面罵したい気持ちでいっぱいである。

それでなくても、屋敷に到着した時点で誰も上の兄たちの気配がないことで、色々と察するべきだろうに…ッ!

 

しかし、後悔はいつだって先には立たない。

八紘は、横目でそっと隣に正座する訃堂の様子を伺う。

この土壇場ですら、まったく悪びれず堂々としている様は、我が父ながら尊敬に値するのではないか。

……いやいやいや!! やっぱりどう考えても父上が悪い!

心の中で首を振りつつ、八紘は視線を戻す。

それから恐る恐る正面を見上げた。

そこには、母である琴音が端座している。

未だ若々しい外見を誇る母は、まるで花のような笑顔を浮かべていた。

 

「それで? 訃堂さんは、どこぞの女子(おなご)に手ぇ出しなさったんです?」

 

「それは…云えぬ」

 

非常に珍しく、訃堂は声に苦汁を滲ませている。

 

「卒寿も越えておさかんなことですなあ」

 

コロコロと笑う琴音。

八紘は、こんな雰囲気を放つ母の姿を見たことはなかった。

ということはすなわち。

母は怒っている。

しかも尋常ではない激怒だ。

そしてその原因は、今、部屋の隅で安らかな寝息を立てている赤子。

訃堂のご落胤である。

 

これが普通の家庭であったら。

 

『すまん母ちゃんしゃーないんや! 昔の血が騒いだんや!』などと夫は言い訳に終始し、妻は無言で包丁を持ち出したことだろう。

 

だが、生憎、防人たる風鳴一族は色々と尋常ではなかった。

 

訃堂は、表面上は微動だにせず言い訳すら口にしない。

対する琴音は、包丁ではなく日本刀を手にしていた。

 

「おいたのすぎるモノは、ちょんぎっても構いませんわな~」

 

物凄い笑顔で琴音は日本刀を抜き放つ。

刃紋に、絡みあう蜘蛛が煌めいた。

 

「ぬッ、それは儂の群蜘蛛…ッ!」

 

愛刀の切っ先を突きつけられ、さすがに訃堂も眉を顰めたが、それだけだ。

真っ直ぐ琴音を見返す瞳の奥には、実に様々な感情が行き交っていたかも知れない。

だが、それをまだ若い八紘が見通せるはずもなく。

 

「ふう」

 

琴音の溜息とともに、切っ先は下げられた。

 

「では、なぜにその子の母親に手をお出しになったんです?」

 

この問いには、さすがに訃堂の双眸にも動揺が走る。

 

「…む」

 

「む?」

 

「む、娘を作ってみたかったのだ…ッ」

 

訃堂と琴音の間に生まれし十子は全て男。

未だ防人たちの家系でも万世一系の思想は強く、その意味に於いては、琴音は十全の働きをしたと言っても良い。

そこに来てこの訃堂の言い分である。

普通の防人の妻であれば激怒したであろう物言いであったが、やはり琴音は普通ではなかった。

 

「では、そういうことにしておきましょ」

 

おそらく、訃堂は生涯に数えるほどしかない言い訳を口にしている。

逆説的に、そこには重要な意味が存在するはずだ。

それを一瞬で看破し、追及を止めた琴音は、様々な意味で夫を信頼しているのだろう。

だが、やはり女である以上、感情と理性は別のようだ。

 

「わたしより若いお相手がよろしいんでしょうなあ…」

 

それは嫌味か、はたまた嫉妬か?

しかし、未だ彼女の容色は、今年で30を超えた八紘と比べても見劣りしないもの。

その妻の前で膝頭を固く握りしめる訃堂も、先述されたとおり卒寿を迎えていたが、実に矍鑠としていた。全身から迸る精力は働き盛りの男そのものだ。

全てが冗談染みて見える光景が、風鳴一族にとっては普通の日常だった。

 

「む…」

 

歯ぎしりし、珍しく額に汗を浮かべる訃堂は、さすがに妻に対する不義理を働いた自覚がある模様。

 

「しかし父上。相手の名は言えぬとなれど、秘したままにもしておけますまい」

 

とうとう八紘が口を挟んだ。

これは別に父を見兼ねたわけではない。

訃堂の子であれば、当然八紘にとっても異母妹である。

年齢の離れた兄弟など今さらだから、ほぼ30も離れた妹であってもそれは問題ではない。

もっとも重視すべきは、この娘が風鳴とどこの家の血を引いているかである。

今や風鳴家は、日本の政治の中枢へと食い込んでいる。

ここに来ての醜聞や、家同士の諍いなどが勃発してはたまったものではない。

すると、ジロリと訃堂は一瞥してきた。

 

「その心配は無用ぞ」

 

一喝を覚悟していただけに、淡々と返され拍子抜けする八紘。

 

「娘を産み落とし、母親は力尽きている。元の家名も断絶しておるで、後顧の憂いはない」

 

八紘は驚く。

訃堂のその物言いは冷たいようで、むしろ微かな傷心さえ伺わせた。

琴音も、訃堂の声音に何か察するところがあったらしい。

 

「つまり、この娘は親戚やらなにやらといったものはおらず、天涯孤独になったと」

 

「…うむ」

 

妻の問い掛けに、訃堂は重々しく頷く。

 

「それはなんとも都合の良い話ですなあ…」

 

全くその通りなわけだが、八紘は冷静に頭を働かせている。

とりあえずは父の言を信じ、後継や相続などの法律的な問題はないとしよう。

ならば残るは感情の問題だ。むしろ正答が存在しないだけに、こちらの方が数段やっかいなわけだが。

 

「母上のお怒りはごもっともです」

 

まず、八紘は琴音の味方をする。

 

「父上は、浮気をして子を成しました。これは既に母上と夫婦である以上、言語道断の振る舞いに相違ありません」

 

甲斐性のある男は、妻だけではなく妾も囲う。

戦国時代の頃は側室という形で一般的であり、近代史においてもそれほど珍しい話ではない。

事実、風鳴の歴史に於いても、幾人もの女を娶り子を産ませていた時代がある。

その例に則れば、訃堂は外に子供を作っても咎める道理はない。

だが、訃堂自身が、妻は琴音だけと公言していた以上、もうこれはどうしようもない裏切り行為だ。

 

「ですがッ! 父上の娘が欲しかったという言葉を信じるならば、そこは母上を慮ってのことと…!!」

 

「………」

 

琴音はハッとした顔つきになった。八紘は自身の言葉が届いたことを確信する。

 

琴音の旧姓岩戸家の祖先は、貴顕の血を護り伝えるために、様々な薬学上の知識や秘術を駆使する呪術集団である。

その一子相伝とも伝えられる秘術に、古代中国より伝えられし調気胎息法を用いた秘奥が存在した。

意図的に呼吸を調整し、代謝を押さえ、神仙の域へと至る。

その秘術を持って交われば、男女陰陽の互いの気を通わせることによって双方に若さと力を与えると言う房中術の側面も持つ。

 

そうして琴音は、子を孕んでいる十月十日は別として、一年のほとんどを眠りのうちに過ごす。

一か月のうちに三日間ほど目を覚ませば良いほうで、最近は目を覚ましている時間も短くなりつつあった。

秘術は琴音の肉体的な老化を抑えるも、寿命までは伸ばしてくれない。

一人の人間が十人もの子供を産むことも、よくよく考えれば尋常な話ではないのだ。

そこに秘術が介在するとはいえ、確実にその母体は蝕まれているはず。

 

おそらく、望めば琴音は未だ子を成すことも可能だろう。

だが、訃堂より年上の彼女にとって、それは確実に寿命をすり減らす行為に他ならない。

それでも娘を欲した訃堂は、妻ではなく外部の女に子を産ませることにした。

確かに浮気ではあろうが、妻の身体に対する想いやりも存在したことは間違いない…。

 

八紘の訴えを要約すればこうなる。

母の立場を肯定した上で、父の弁護を務めてみせた。

さて、どうなる? 鬼がでるか蛇が出るか…?

 

冷や汗を流す八紘の目前で、父と母は見つめ合っている。

そして、先に視線を逸らしたのは母の方。

 

「…ま、生まれてきた子に罪はないですからなあ」

 

これで喜びも露わに相好を崩すような訃堂ではない。

相も変わらず厳しい顔付きで、ふとこちらを見てきたことに八紘は気づく。

…まさか。あの父上が、私に礼を…?

 

正座したままの男たちを置いて、琴音は腕に赤子を抱えて戻ってきた。

 

「いい機会ですし、わたしも女子(おなご)を育ててみたかったですしなあ」

 

晴れやかな笑顔を浮かべて見せたのは、訃堂に対する許しの意味もあったのだろう。

ここに至り、訃堂の厳つい肩からも少し力が抜けたような気がする。

これでめでたしめでたし―――なはずなのだが、八紘は思わず叫んでいた。

 

「ちょっと待って下さい! よもや本邸で育てるつもりなんですかッ!?」

 

「八紘さん、急に大声なんぞ出してからに。この子は訃堂さんの娘ですよ? そんなの当然ではないですか」

 

「いやいやいやいや、ちょっと待ってくださいッ!」

 

母は確かに一年の殆どを眠って過ごす。

なので、子育てはもっぱら乳母任せだった。

実際に八紘も乳母らに育ててもらい、三十路を過ぎた今でも、彼女たちと親交がある。

この業界的にも優秀な乳母が担保されているため、その点は心配していない。

八紘が心配することはただ一つ。

 

「その子は、女の子なんですよ? 男の子と違うんですよ!?」

 

「そんなん、当たり前のことと違いますか?」

 

きょとんと見返してくる母に、八紘の懸念はきっと伝わっていない。

八紘が最大限問題視しているのは、父である訃堂の趣味に他ならない。

確かに子供が男児であれば、それほど問題はなかろう。

だが、女児相手に、あんな特撮モノを四六時中見せて訃堂なりの英才教育を施した日には…!!

 

『冗談抜きで嫁に出せなくなりますよ!?』

 

そう叫ばないほどの分別が、いまの八紘には存在した。

なので、表面上は穏やかに自分を取り繕い、落ち着き払って進言する。

 

「父上。母上。その娘、私の子として頂けませんか?」

 

八紘は既婚である。

相手は、それなりの身元のしっかりした家の娘で、学生の頃から付き合った末の恋愛結婚だった。

国家中枢に近い場所へと就職し、たちまち頭角を現した八紘は、風鳴機関の後押しもあり重用された。

となれば、有象無象の政治的婚姻とやらが押し寄せてきたわけだが、八紘はそれらを跳ね除けて意中の彼女との入籍を果たしている。

 

風鳴一族の中からも反対する声が上がっていたが、それらを裏で押さえ、婚姻が上手く果たされるよう父が影で奔走してくれていたのを、八紘は結婚式を挙げてから知った。

 

父に感謝をするも吝かではなく、晴れて結婚生活も順風満帆―――とはいかなかった。

結婚して七年あまりが経過しようというのに、八紘夫妻に未だ子宝に恵まれていない。

これが八紘の方に責任があればまだ救われたが、問題は妻の身体的欠陥だった。

絶対に子を成せぬとは言えない。しかし、作れる確率はほぼ0に近い。

八紘も風鳴の一族である以上、後継者を成す義務があった。その子が成せないとあらば、口嵩のない親戚が煩いことこの上ない。彼らの面子を潰してまで結婚を強硬したのだから尚更だろう。

泣きながら妻に別れを切りだされたのも一度や二度ではなかった。

そのたびに宥めては、そろそろ養子をもらうかと検討していた今日この頃だ。

だがもし、この娘を貰えるのならば。

 

「………」

 

母も父も、黙って顔を見合わせた。

八紘夫妻の事情は、二人も知悉するところだった。

この娘を頂き、八紘の妻が出産したことにすれば良い。

周囲の反応も改善され、八方丸く収まるだろう。

それに真実この娘は風鳴の血を引く子供だ。親戚連中も口を挟めまい。

 

「だが…」

 

「妻のことは、私が必ず説き伏せてみせます」

 

訃堂の言葉を八紘は封殺。

最大の難関に思われるが、妻は元々子供好きな女だ。

子を成せないと弁えている以上、この娘を実の娘と思い、慈しんでくれるはず。

 

「なら、決まりですなあ」

 

琴音が赤子を渡してくる。

受け取り、八紘の胸を不思議な感慨が満たす。

弟である九皐や弦十郎を抱き上げた時とは違う感触。

それも当たり前か。この子は女の子だ。

そして、今日から私の娘となるのだ。

 

八紘の眼鏡の奥の目が細くなる。

父親になれないと思っていた男は、急遽父になることが決まってしまった。

普通の人間であれば戸惑うところだが、やはり風鳴八紘は普通の男ではない。

この娘がどのように育つかは分からねど、精一杯の愛情を注いでやることを密かに誓う。

 

両手足を動かし、無邪気に顔が見上げてくる。こちらを信頼しきった無垢な瞳に自分が映っている。

そのことに気づいたとき、八紘の両目には自然とじんわりと涙が滲んでくる。

誤魔化すようにゴホンと咳払いをし、さっそく父親の責務を果たすべく声を上げた。

 

「では、この子の名前を…」

 

「それはもう決まっておる」

 

八紘と赤子を見守っていた訃堂が口を開く。

 

「ち、父上?」

 

さすがに抗議の声を上げようとした八紘だったが、訃堂の鋭い眼差しを受けては口を閉ざすしかない。

反論を許さぬ、それでいて万感の想いを込めた声音で、訃堂は告げた。

 

 

 

 

 

「その娘の名は『翼』よ―――」

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風鳴翼誕生秘話 陰の章 青空になる

 

 

閑散とした公園のベンチに、一人の老人が座っていた。

持った杖に両手を重ね、そこに顎を載せている。

 

その老人の前にもう一人の老人がやって来た。

驚くほどの巨躯を誇る老人である。

白い長髪をたなびかせ、顔の所々に深い皺が刻まれていたが、全身から生命力が溢れている。

背中から見れば、壮年の男にすら思われたかも知れない。

そんな精力と迫力を感じる老人だった。

 

「待たせたか」

 

巨躯の老人―――風鳴訃堂がそう声をかけた。

 

「ああ、待った。待ちくたびれたわ」

 

ベンチの老人―――藍空冥法(あいぞらみょうほう)が笑った。

 

「まあ、座れ」

 

冥法が訃堂にベンチを指し示した。

従い、訃堂は隣へと腰を降ろす。

その巨体に関わらずふわっとした体重を感じさせない挙動だった。

冥法が懐から四角い箱を引っ張り出す。箱に書かれた銘柄はゴールデンバット。

蓋を破り、一本引き出して咥えると、マッチで火を灯す。

美味そうに煙を吸って吐き出したあと、訃堂にも勧めてきた。

 

「やるか?」

 

「儂は煙草はやらん。それより、おぬしの身体に悪かろう?」

 

「最後だ。好きにさせろ」

 

取り合わず、たちまち冥法は一本を灰にする。

温かい風が吹きぬけた。

遠く、子供たちの遊ぶ声が聞こえる。

五月晴れの空は青く澄み、二人の老人を見下ろしていた。

 

「…先週、娘が逝った」

 

残った吸い口を灰皿へ擦り付け、冥法が言った。

 

「ッ!! そうか…ッ」

 

訃堂が呻くように呟く。

何人にも容赦はせぬ護国の鬼神。

そう謳われる威容が著しく減退している。

その理由を説明する前に、まずは藍空冥法と、その娘について語らねばなるまい―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藍空家は、風鳴家と同じく玖桜衆へと属する一家である。

空の名を冠する藍空家の特異性は、凶祓いに集約されている。

神州日本の中核たる貴人たちに降りかかる凶兆呪術の一切を祓う。

その代価は、盾とした己の身体。

様々な呪いに蝕まれて、藍空家の人間は代々短命を重ねていく。

藍空家が、別名『(まが)つ空』と呼ばれる所以である。

 

藍空冥法は、赴堂より五歳ほど年長であるが、訃堂と同じく若くして藍空の当主を継いでいる。

藍空も、風鳴や他の一家と同様に、先の大戦に多くの一族の命を奉じていた。

それゆえのやむを得ない世代交代ではあったが、藍空家の場合、他家とはやや事情が異なる。

彼らは、神州日本を襲った空からの凶兆を、全てその身をかけて護り抜いた。

科学によって造られ落とされた二つの太陽も例外ではない。

人の身に余る膨大な力を、霊的な力を励起して退ければ、その代償は自身の命だけでは済まされない。

物理的な破壊力は呪いへと変換され、藍空一族の子々孫々まで波及した。

終戦時に六歳であった冥法も例外ではなく、一族の血を介して全身を呪いに蝕まれている。

その呪いさえなければ、おそらく冥法は、訃堂を凌ぐほどの最強の防人として日本の影に名を遺したことだろう。元々頑健であるがゆえに、呪いに侵されても老齢まで生きてこられたとも言える。

 

藍空一族は、もはや冥法以外、その枝葉まで死に絶えている。

むろん冥法も、藍空の血を絶やさないために様々な努力を厭わなかった。

健康な若い女に子を産ませようとしたが、頑迷な呪いは子を成すことさえ阻害する。

それでも諦め切れず、訃堂の呪切の儀などの協力を得て、ようやく子を成すことが叶ったのは、彼が七十の老境に差し掛かる寸前。

訃堂と同じく精豪であったからこその快挙だったが、生まれてくれた娘にもやはり呪いは及んでいた。

先天的に盲いて生まれた娘は、虚弱体質でもあった。

外を走ることは愚か十歳までも生きられないだろう。

医者からそう告げられた冥法は、防人としての活動から一切の手を引き、娘と余生をひっそりと過ごすこと選ぶ。

一族の深い業ゆえに短命に生まれついた娘だったが、真っ直ぐ聡明に育っていく。

冥法が惜しみない私費を投じた屋敷の一室は、無菌室染みた殺風景さはあれど、優しさに満ちていた。

その部屋で娘は点字を学び、幾つもの本を読む。

本も読めないほど体調を崩した時は、冥法が一晩中付き添い、昔語りをしたものだ。

もっとも世俗的な趣味に疎い男でもある。話題は、もっぱら朋友である訃堂の武勇譚に終始したらしい。

嬉しそうに語る父の話に、いつしか娘は強く引きこまれていた。

そして願う。

 

―――日ノ本一番の防人であられる、訃堂様にあってみたい。

 

父である冥法は、驚きつつもすぐに娘の願いを快諾。

 

傲岸不遜、唯我独尊を絵に描いたような訃堂をしても、朋友の頼みを無碍には出来ぬ。

激務の合間を縫って見舞ったとき、娘は十歳。

医師の見立てを裏切り、いまだ命の炎は燃えていた。

娘は喜び、訃堂の口から直接話を聞くことをねだった。

朋友の娘を突き放すわけにも行かず、不器用なりに会話を終えた時には、次の見舞いの約束をさせられている始末。

意外な娘の押しの強さに困惑する訃堂だったが、冥法に拝まれるとやはり断ることは出来ない。

そのまま奇妙かつあまりにも歳の差のある逢瀬は、五年余り続けられていく。

予想だにしない快活さと生命力を見せる娘に、冥法が一縷の奇跡を垣間見たとて無理なからぬこと。

そして十五の誕生日。

娘は、父親に頼みごとをする。

 

我儘を言ったことのない娘だった。

生まれついた身体のことで、父を恨むことのない娘だった。

粛々と己の宿命を受け入れて、ついぞ頼みごとをしたことすらない娘の最後の頼み―――。

 

打ち明けられ、驚き、悩み、顔を歪め。

結局、冥法は娘の頼みを受け入れる。

 

その日の訃堂は、彼なりに吟味した点字本の誕生祝いを持って藍空邸を(おとな)う。

一歩邸内に足を踏み入れるなり、訃堂は立ち尽くした。

目前には、白装束を着て土下座する冥法が居た。

 

「頼む。娘の願いを叶えてやってくれ―――」

 

尋常でない態度と声音に込められた想いは、訃堂をして絶句させる。

押し黙る訃堂に対し、冥法はこう言った。

どうか娘を抱いてやってくれ、と。

 

「正気か」

 

訃堂は憤怒した。

女児を持たぬ訃堂は娘をもつ父親の気持ちなど分からぬ。

だが、朋友の言動は、逆鱗に触れるには十二分に過ぎる。

如何な目的があったとて、父が我が子を差し出すなど忘八の極み。

 

「違う」

 

顔を伏せたまま冥法は降り注ぐ怒気に抗う。

 

「これは、我が娘の望みしこと」

 

その物言いに、訃堂は今度こそ立ち尽くす。

 

「娘は自分の命数を知っている」

 

更に頭を低くして、冥法は朋友へと言い募る。

 

「その上で、娘ではなく〝女〟となって死にたいと望んでいるのだ」

 

「………」

 

訃堂は、男女の機微に疎い。若いころは商売女を抱いたことはあったが、娶った妻は琴音一人のみである。

その訃堂であっても、朋友の言葉の意味を悟らざるを得ない。

 

「…儂とおぬしの娘御と、どれだけ齢が離れていると思っている?」

 

訃堂にして珍しく歯切れも悪くなるというものだ。

 

「重々承知の上だ」

 

顔を上げて冥法。

 

「この老木のモノが、今更役に立つと思うてか?」

 

「似合わぬ謙遜はよせ。おぬしがその気になれば、もう一人や二人子は成せよう?」

 

冥法の指摘は、不躾であると同時に正鵠だった。

卒寿を越えてなお訃堂の身体は頑健。さすがに若い頃には及ばぬも、精力も旺盛である。

これは、妻である琴音との交わりにおける房中術の恩恵であったかも知れない。

 

「…なんにせよ、酔狂がすぎるぞ」

 

珍しく溜息をつく訃堂。

 

「伊達や酔狂でこのような申し出なぞするものか」

 

対して、冥法はどこまでも本気だった。

 

「儂なぞではなく、知己にもっと若い男とておろうが」

 

「貴様、おれの娘を愚弄するつもりかッ!?」

 

訃堂の返しに、とうとう冥法は声に怒気を漲らせる。

未だ防人の頂点にある男と、防人の頂点に立てたかも知れない男の目線がぶつかりあう。

その中心に氷柱でもあれば、溶けて穿たれそうなほど鋭く熱い視線だった。

先に視線を外したのは、果たしてどちらだったのだろう。

 

「…娘は、おぬしに惚れておる」

 

ポツリと冥法は呟く。

 

「それは無理もなからぬことだ。なにせ、おぬしの武勇譚を手ずから教えたのはおれだからな」

 

これが並みの娘であれば、単なる憧れであると一蹴しよう。

現実的にも祖父と孫ほどの年齢差もあろう。

だが、冥法の娘は、それを承知で訃堂に抱かれることを望んでいる。

 

そんな娘の望みを叶えようと朋友に頭を下げる、父の胸の内はいかばかりか。

 

短命の娘を守るためとはいえ、鳥籠のような部屋へと閉じ込めた。

そこで注ぎに注いだ愛情が、(いびつ)なものではないと誰が否定してくれよう?

 

…いや。歪であるは百も承知。

娘の欠けた命を補うために、冥法は自身の注いできたこと、間違っていたなど露も疑わぬ。

もしおれが間違っているというのなら、それは世俗が間違っているのだ。

鳥籠の世界に、人倫も醜聞も禁忌なんぞあるものか。

ただ、真綿のような優しさで包まれていればそれで―――。

 

そう思うがゆえに、冥法は朋友に頭を下げることに躊躇はない。

そして、その悲壮な覚悟は、確実に訃堂へと伝わっている。

 

「…儂は、琴音しか愛したことはない」

 

訃堂は言う。

 

「だが、このひと時であらば、あの娘御を愛してみせようぞ」

 

「…ッ! 感謝するッ!」

 

床に額を擦り付けんばかりの冥法の手を取り、訃堂は立ち上がらせた。

 

「仮にも儂の親父殿に、土下座させたままではおられんでな」

 

これが訃堂なりの諧謔であり、この男に一番縁遠いと思われている思いやり。

軽く笑い、一つ大きく頷き、冥法は顔から表情を消した。

そのまま後ずさりし、闇に紛れて見えなくなる。

友の気配が遠ざかったことを確認し、訃堂は娘の部屋―――鳥籠へと手をかけた。

 

「…お待ちしておりました」

 

娘の鈴のような声が出迎える。

中の灯りは、柔かな光を投げかけるランプが一つだけ。

薄闇の中でベッドに端座する娘を前に、訃堂は静かに膝を折る。

娘は、既に何も身に纏っていなかった。冷たいほど白く見えるシーツが、華奢な骨格と痩せた胸を辛うじて隠している。

美しかった。

炎が燃え尽きる寸前、一際妖しく揺らめく姿に似ていた。

 

「わたくしの申し出、理不尽と思われますか」

 

軽く息を乱しながら、娘は窺うように訃堂に言の葉を向けてくる。

 

「いいや」

 

静かに首を振り、訃堂はその壊れそうなほど小さな手を、自らの手で覆った。

 

「生きとし生けるもの皆が生きた証を求める。若いころの儂もそうだったわ」

 

その証は人それぞれによって違う。

訃堂とて、かつては自分より強い相手に敗れることを望んだ。

なぜにそれが証となるのか、その理由は誰にも理解してもらおうとは思わない。

だけに、訃堂は笑わぬ。

目前で裸で震える娘の望む証を決して笑わない。

 

訃堂の手を伝って、何かが伝播してきたのだろうか。

娘は静かに息を呑み、儚い(のぞみ)を唇の端からそっと零す。

 

「では、どうかわたしに一夜のお情けを…」

 

「いいや」

 

再度訃堂は首を振る。

盲しいた目を見張る娘の肩に手を置き、そっと告げた。

 

「今宵のおぬしは、儂の妻ぞ」

 

娘の双眸から涙が溢れるの見つつ、訃堂は壊れ物を扱うように優しく華奢な身体を組み敷いた。

月が欠けるほどの時間をかけて睦みあう。

ことが済み、褥に横たわる訃堂の頬へ、娘は小さな手を伸ばす。

 

「…やはり、思った通りのお顔ですこと」

 

顔を撫でるこそばゆい感触に眉を顰めながら、訃堂は応じた。

 

「なに、もはや儂もただの枯れたジジイよ」

 

「そんなことありませんわ」

 

くすくすと娘は身じろぎする。

 

「少なくとも今宵は、訃堂さまはわたくしの旦那さま…」

 

光の浮かばぬ濡れた目を向けてくるのは、娘ではなく確かに(つま)であった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が、訃堂と冥法の娘の一切である。

あの夜以降、訃堂は藍空邸を訪れていない。

風鳴機関を国内の日の当たる組織へ再編するという一大事業に忙殺されていたこともある。

なにより、いかに朋友の頼みとあれど、あの一夜は妻琴音への裏切りに他ならない。

訃堂なりのけじめをつけ、もはや今生の別れと考えていたのに。

 

 

「…あの夜より、一年近くも命を永らえていたとは、な」

 

息を吐き、巡らす訃堂の思いは深い。

あの華奢な娘を抱いたとき、訃堂は精を放っていた。

もしかしたら琴音を介した房中術が効を奏し、娘の命の炎に継ぎ火をしてくれたのかも知れぬ。

 

「おぬしには、いくら感謝してもし足りぬわ」

 

冥法が新たな煙草を一本咥えると同時に、一枚の紙片を手渡してくる。

 

「…これは?」

 

「おれの信頼のできる者の住処よ」

 

マッチを擦り、冥法は近所に散歩でもいくかのような口調で告げた。

 

「そこに女の赤子を預けてある」

 

「…赤子、だと?」

 

「おぬしとおれの娘の子よ」

 

「…ッッ!? ほ、本当か、それはッ!?」

 

訃堂は狼狽えていた。

朋友の稀有な反応に、冥法は笑う。

されど、次の瞬間には、ドスの利いた声で釘を刺す。

 

「おれの娘を見損なうなよ? あいつにとって、訃堂、おめえが最初で最後の男よ」

 

「………」

 

複雑な表情で黙り込む訃堂に、冥法はふーっと紫煙を吹きかける。

 

「まあ、父親だったらしっかりと責任をとってくれや。なあ?」

 

若い頃の伝法口調に戻る冥法に、訃堂は苦虫を噛み潰したような顔をしつつ頷かざるをえない。

 

「…承知した」

 

その返答を当然とばかりに、冥法は煙草を唇の端で咥え、ベンチに背中を預けている。

長閑な沈黙が二人の間に横たわった。

不意に冥法は口を開く。

 

「なあ、訃堂」

 

「なんだ?」

 

「おれは、あの子のために良かれと思ってきたことを成したつもりだ。だが、あの子は名前の通り、雛のまま巣立つこともなく逝っちまった…」

 

藍空雛子。

それが冥法の最愛の娘の名。

 

「けれどよ。不思議なことに、あいつの幸せそうな顔しか思い浮かばねえんだ。おまえの()()を腹に宿して、幸せそうに笑う顔しかよ」

 

「……」

 

「おめえの血を受け継いだ子なら、きっと呪いなんぞ断ち切って、しっかりと空に羽ばたいていってくれるに違えねえ。そうだろ?」

 

「…ああ。儂が責任を持って養育してみせよう」

 

「ありがとよ。ようやっと肩の荷が下りたぜ」

 

冥法はゆっくりと顔を上げる。

 

「名前もおめえが好きに付けてやってくれ。おれぁ、藍空の血が残ってくれりゃそれでいい―――」

 

訃堂の見つめる先で、長い戦いと苦労を重ねてきた横顔がほころんでいる。

 

「ああ、空が目に沁みやがる。…綺麗な空だ………」

 

そのまま老人二人は、ベンチに腰を降ろしたまま空を見上げていた。

 

「…冥法?」

 

訃堂の声に、朋友の唇に咥えられて煙草の長い灰が、ゆっくりと崩れた。

軽く息を呑み、訃堂は目を閉じる。

次に見開かれた双眸には、はっきりと悲しみの色が浮かんでいた。

 

「何も今日、笑ったまま逝くこともあるまいよ…」

 

藍空冥法は、既に彼岸を渡っていた。

その全身を呪いに蝕まれ、それでも笑ったまま、もっとも信頼する友の隣で静かに逝ったのだ。

 

「…御前」

 

ただならぬ気配に、護衛の数人が駆け寄ってくる。

冥法の亡骸を抱えようとする手を、訃堂は止めさせた。

 

「良い。儂が運ぶ」

 

ベンチから立ち上がり、巨躯を折り曲げ訃堂は最後の友の身体を抱き上げた。

こんなに小さかっただろうか。軽かっただろうか。

 

「…俗世のことは安心して、あの世とやらで先に酒盛りでもしているがいい」

 

呟き、友の亡骸を抱きかかえたまま、訃堂は空を見上げた。

風が吹き、ヒラヒラと鳥の羽らしきものが舞い踊る。

その様に、訃堂はまだ見ぬ我が子に『翼』の名を与えることに決めた。

 

彼の子の母は、雛のまま空を舞うことはなかった。

されど、翼があれば、空を飛ぶことは叶うだろう。

 

そして翼は風に乗り、高く高く飛ぶに違いない。

このどこまでも広がる藍色の空の果てまで。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 宇宙にきらめくエメラルド

地固めは済みましたので、そろそろはっちゃけて行きたいと思います。


 

 

「翼。どこにいる?」

 

娘を探し、八紘は風鳴本邸を闊歩する。

久方ぶりに訪れた実家は、やはり呆れるほど広い。

子供の頃にはかくれんぼをしたりと遊び場として申し分なかったが、大人になって探す方に回れば難儀なものだ。

屋敷内の部屋を粒さに見て回った八紘は、縁側から突っ掛けで庭へと出る。

皐月も終わりを迎え、濃い緑が梅雨を待ち受けるようにそよいでいた。

ふと、声が聞こえた。

声に導かれるままに裏手に回れば、茶室回りの庭園に翼を見かけた。

その翼の相手をしている厳つい大男は弦十郎だ。

庭先に、やや舌ったらずな声が響いている。

 

 

「おのれ、のいずめー! ゆるさん!」

 

「いや、それは少し違うぞ、翼。『おのれノイズめッ! ゆ゛る゛さ゛ん゛ッ!』 こうだッ!」

 

「え、と。…ゆる、ざん?」

 

「惜しいな。ゆ゛る゛ッ さ゛ん゛ッ! だ!」

 

 

 

「…何をやっているのだ、おまえたちは?」

 

思わず八紘がそう声をかけると、翼は弾かれたように顔を上げた。

 

「おとうさまッ!」

 

そのまま小走りでやって来て、八紘の書生袴へと抱きついてくる。

 

「おじさまにあそんでもらってたの」

 

にぱッと見上げてくる笑顔は愛らしい。

 

「そうか」

 

その頭を撫でる八紘。

早いもので、この娘を我が子として六年が経とうとしている。

自慢するわけではないが、気性の真っ直ぐな良い子に育ってくれたと思う。

 

「弦も済まんな」

 

八紘は弟へと視線を転じる。

 

「なあに、可愛い姪っ子の相手だ。お安い御用さ」

 

朗らかに笑う弦十郎だったが、どうも翼が八紘の本当の娘ではないことに気づいているフシがある。

いや、それは誤解で、本当は全く気付いていないのかも知れぬ。

八紘の観察眼を持ってしても、弦十郎の大器の底は見透かせなかった。

おそらく父である赴堂の形質をもっとも受け継いだ弟は、兄として誇らしくもあり、空恐ろしく思えることもある。

 

「それに、間もなく、会うことも難しくなるだろうしな」

 

バリバリと頭を掻く弦十郎を、翼は不安げに見上げた。

 

「おじさまは、どこかとおくへいっちゃうの…?」

 

「いや、そういうわけではないさ。会おうと思えばいつでも会える」

 

「?」

 

矛盾することを口にされ首を捻る翼。

そんな娘の愛らしい仕草に目を細めつつ、八紘は声をかける。

 

「辞令の交付は来月からか?」

 

「ああ。六月から、晴れて公安へ転属だよ」

 

公安警察の活動は、基本的に秘密主義で行われる。

彼らは、テロリストといった反社会分子や思想犯だけではなく、場合によっては自分の属する組織へも調査の手を伸ばす。

そして風鳴家は、いまや国家の中枢に多大な影響力を持つ一族だ。

いかに実家とはいえど、公安警察官が頻繁に出入りしては、いらぬ風聞が立ってしまうだろう。

 

「しかし…」

 

八紘としては、大学を卒業した弦十郎が警察官という職業を選択したことが、未だに信じられないでいる。

確かに兄たちに比べれば勉学の方面では劣るかも知れない。

だが、土壇場や修羅場での野生の勘とでもいうべき判断力と豪胆さは、兄弟の中でも随一だ。

防衛省に、ではなくても幹部自衛官にでもなるのかと思っていたら、警察官。しかも一般試験を受けたノンキャリである。

一度本人に、なぜに警察官の道へ? と尋ねたことがあった。本人曰く『正義のヒーローは、時として公務員に身をやつしていることがあるからな。80(エイティ)とか』。

冗談とも本気ともつかぬ回答も、八紘の中では未だに理解出来ぬ謎のままだった。

ともあれ、弦十郎はまだ24歳。厳つい容貌に風鳴家の後押しはあったにせよ、本人がよほど有能でなければこの若さでこの配属はあり得まい。

 

「そういや兄貴。俺たちを探しにきたのではないのか? 親父はもう到着したのか?」

 

弦十郎の声に我に返る。

 

「いや。父上から少し遅れるとの連絡があった」

 

本日、八紘たちが風鳴本家へと参集したのは、翼の誕生祝のためだ。

それぞれが仕事を調整して時間を作ってはいたものの、訃堂はそれもままならない。

奇しくも今年になって国連総会で特異災害と認定されたノイズ。

滅多に出現しないものの、現在の人類には攻略できない存在。ゆえに特異災害。

護国組織である風鳴機関においてもその脅威は認識されており、先史文明という古代に造り出された人造兵器であるとの見方を示していた。その根拠となるのが、世界各地に点在、発見されている聖遺物と呼ばれるオーパーツである。

 

世界情勢の不安定化が囁かれる昨今、諸々の利害は別にしても、各国間で情報の共有、少なくともそのための調整機関をつくらなければならない。

加えて、ノイズと聖遺物といった先史文明にも対処できるような専門組織としての属性も持たせる。

 

その要請を基に、風鳴機関を母体とした政府機関が設立されつつあった。

主導者は、風鳴訃堂。その老齢にも関わらず、新設機関の初代司令に着任するであろうことは間違いないとされている。

 

「…時々、俺は親父が不死身じゃないのかと思うよ」

 

しみじみという弦十郎に、八紘は苦笑するだけに留めた。

 

「ねえねえ、おとうさま! だったら、まだおじさまとあそんでいていいの?」

 

大人の会話など知ったことではないというような無邪気さで、翼は目を輝かす。

八紘が笑って頷くと、笑顔で弦十郎と一緒に駆けて行く。

その後ろ姿を眺めながら、八紘はこの子には平和な生き方をしてもらいたいと願う。

同時に、そのためにこそ自分は今の仕事に精励していることを思い出していれば世話はない。

笑みを苦笑に変える八紘の前で、弦十郎と翼は遊びを再開していた。

 

 

 

 

「あめのはばきりー! のいずはしぬ!」

 

「おおッ! いいぞ翼ぁッ!」

 

「…だからさっきから何なのだ、その遊びは?」

 

 

 

 

 

 

 

訃堂は、予定の時間よりも一時間ほど遅れて帰宅した。

この日のために覚醒していた琴音が出迎える。

 

「おかえりなさいまし」

 

「うむ」

 

「おじいさま。おかえりなさいー!」

 

妻の出迎えには重々しく頷いただけだったが、孫となっている翼の出迎えには、その目尻が垂れさがっている。

もっとも常人が見たら、『あれ? ひょっとして笑っている?』と思うレベルの動きだが、風鳴の人間にとっては空前絶後の表情の変化に映る。

本人をしても、無意識で笑み崩れているのだが、いかんせん厳つい天然石のような容貌でほぼ一世紀生きてきた訃堂である。ここに至って表情をくるくると変える術はもたず、感情を表に出すにはとことん難儀な男であった。

 

「うむ。大きくなったな、翼」

 

巨大な手が翼の頭に載せられた。すっぽりと覆われ、そのまま握りつぶされそうなのだが、翼は特に臆した様子もない。

彼女は訃堂をして「剣の天稟を持つ」と評され、手ずからの指導を受けていた。

まだ仏の子の年齢に対する修行としては、それは厳しいものだったが、翼にとって訃堂はあくまで「優しいお爺ちゃん」である。

訃堂が多忙なこともあり、剣の修行で精一杯な様で、例の趣味の教育まで施せていない。

また、弦十郎も修行を共にすることもままあり、そんな彼は特撮趣味を卒業している。

正確を記せば、特撮以外の趣味にも目覚めており、趣味のDVD観賞のジャンルはアクション、サスペンス、ホラー、ドキュメントと多岐に及ぶ。

本人は『守破離だ』などと嘯いているが、八紘としては娘を偏った趣味に染めないでくれればそれで良かった。

 

一方で、訃堂の妻である琴音や、八紘自身の妻も、翼を可愛がってくれている。

八紘家では、それこそ産みの親より深いと思われる愛情を注いでくれる妻も、風鳴家の方は敢え訪わず、差し出がましい口を挟むことはない。弁えた彼女と結婚したことを、八紘は本当に幸福に思う。

 

そんな環境で育てられた翼であれば、それこそお姫さまのようなものだ。

ましてや風鳴家において、唯一の女児である。

ところがこの娘は、よくある姫様の気ままな振る舞いは一切なく、礼儀正しく大人しい性格。

琴音と妻の躾けの賜物だろう。

その証拠、というわけでもないが、巨大な誕生ケーキに灯された蝋燭の炎を前に、「吹き消してもいいですか?」とばかりに八紘の表情を伺ってくる。

八紘が頷くと、六つの炎が一瞬で吹き消された。

大人たちの拍手が鳴り響く。

弦十郎と訃堂の拍手の振動でサイドボードの中のグラスが幾つか割れたが、誰も特に気にする様子はない。

 

満面の笑みで大人たちの祝福に応える翼に、琴音から京友禅の浴衣が贈られる。

母に合わせるように、八紘からは高級牛革の草履。

続いて、訃堂が懐から何やら桐箱のようなものを取りだす。

 

「これは、翼用に特別に作らせたものぞ…」

 

訃堂をして、珍しく得意げな様子。

翼を始め、周囲の大人たちも注視するなか、ゆっくりと桐箱は開けられた。

そこには―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼下がりの新宿御苑のベンチに、訃堂は腰を降ろしている。

特異災害対策機動部の発足にむけ、いまや霞ヶ関を常宿としている訃堂だったが、もとは鎌倉の自然の中で生まれ育った野性児だ。

都会の中で緑が恋しくなると、車を飛ばして訪れることがしばしばである。

それにしても、今日の訃堂は黄昏ていた。

理由なぞ分かりきっている。

やや暗い目つきで、訃堂は自らの手の平を覗き込んだ。

そこには、先日、翼に贈ったプレゼントが載せられている。

 

 

 

 

『これは、おまえの手に合わせて作らせたウルトラバッチのレプリカでな。特にこの赤い宝石の部分は、レッドエメラルドを加工したものを…』

 

柄にもなく興奮して力説する訃堂だったが、周囲の人間のなんとも言えない視線に気づく。

そして、肝心要の翼はというと。

 

『…いらない』

 

複雑な表情で言われてしまった。

珍しい娘のばっさりとした態度に、慌てて八紘は取り成そうとする。

 

『翼、せっかく父上が用意してくれたのだぞ? そんなことは言わずに…』

 

『だってカッコわるいんだもん』

 

子供は無邪気に、時として大人より残酷な言葉を紡ぐことがある。

唖然とする訃堂に、

 

『親父。女の子にそれはないぞ…』

 

そう言いながら弦十郎が翼に渡したのは、女児向けの魔法少女格闘アニメの変身グッズだった―――。

 

 

 

ベンチに腰を降ろしたまま、訃堂は白い眉を顰める。

 

やはり弦十郎の言うとおりに、女児には相応しくなかったのだろうか?

せっかく特注で、様々な機能も追加したというのに。

 

…だが、かくいうヤツも、儂が見せびらかした時には『すげえな親父、俺が欲しいくらいだぞ?』などと言っていたではないか!

あの愚息め。色々と落ち着いたら、たっぷりと折檻をくれてやる。

 

そう心に固く誓い、訃堂はベンチの横にウルトラバッチを置く。

そのまま軽く瞑目していると、帽子を被った子供が近づいてくるのが分かった。

薄眼を開ければ、子供はマジマジと訃堂を見つめ、それからベンチの上のバッチに気づいたようだ。

 

「うわ、じいちゃん。このバッチすげえカッコいいじゃねえかッ!!」

 

その声に、訃堂は思わず白い眉を跳ね上げている。

 

「そ、そうだろう、そうだろう。よく分かるな、小僧」

 

やはり男の子にはこのロマンが分かるのだ。

訃堂は傷心が僅かでも癒される思いを味わう。しかし、なぜか目前の子供は不満顔で叫んだ。

 

「ちがう!」

 

「…ぬ?」

 

子供は帽子を取る。長い二本の髪が、流れるように帽子から零れ落ちた。

 

「あたしは、おんなのこだッ!」

 

言われてみれば、確かに大きな瞳の女の子だった。

年のころは、翼と同じくらいか?

幼いのに整った顔立ちと銀髪が、たいそう印象的だ。

 

「これは不躾な物言いだった」

 

訃堂は素直に謝罪した。

一度申し付けらば、死して魂魄になっても働かされる。

大人には滅法厳しく、そう畏れられ揶揄される男も、子供には甘い。

むしろトロ甘いとさえ言えた。

現に今も、この少女のために、わざわざベンチの隣を懐紙で拭いて清めてやっている。

当然のように女の子は訃堂の隣へ座ると、その巨体を見上げてきた。

そして恐れる風もなく言う。

 

「さっきのバッチ、もっかいみせてくれよ」

 

訃堂が渡してやると、女の子はしげしげとバッチを空にかざしている。

 

「やべえ、キラキラしてすげえキレイだ、おほしさまみたい…」

 

その台詞は、訃堂が翼へと欲したもの。

だが、訃堂は満足していた。

少なくとも、これは、男にしか分からないロマンではない。

ならば、ウルトラバッチという儂の選定が間違っていたのか?

やはり、ちと早いと思って候補から外したが、獅子の指輪にすべきだったか。

 

あらぬ方向へ思考を飛ばす訃堂の前に、バッチが差し出される。

 

「ありがと、じいちゃん」

 

そういってくる少女に、訃堂はそっとバッチを押しやった。

 

「いや。せっかくだからくれてやろう」

 

「いいのかよ!?」

 

「おぬしを男と間違えた詫びじゃ」

 

「さんきゅー、じいちゃん!」

 

躊躇いなく受け取った少女は、さっそく胸へバッチを付けている。

微笑ましく眺める訃堂の前に、今度は二人の大人が慌てて駆け寄ってきた。

 

「す、すみません、うちの娘がご迷惑をおかけしませんでしたか?」

 

長い髪に眼鏡をかけた男だった。

痩躯と繊細そうな指先から、芸術畑で活躍する人間だと訃堂は見抜く。

 

「なに、構わんよ。この老木の話し相手になってもらっておったわ」

 

「みてみて、パパ! ママ! これもらったんだよ!」

 

少女は、母親らしき女性の方へバッチを掲げて見せる。

 

「まあまあ! ありがとうございます」

 

流暢な日本語で礼を言ってくる母親の容姿に訃堂は眉を動かす。

少女と同じ銀髪に、抜けるような白い肌。

 

ふむ、日ノ本と異なる国の生まれか。

 

なれば少女はハーフとなり、くっきりとした顔立ちも納得がいく。

 

若い頃の訃堂は、外国人を毛嫌いしていた。

母なる国土の上を闊歩するは、日本人のみと固く信じていた。

それはもはや、アーリア人の優性思想に近いものがあったかも知れない。

そんな国粋主義者の心が変化した切っ掛けとその理由を、誰が知ろう?

 

(ザビタンもアクマ族との混血児だったが、人間側に立って日本を護ったからの。

 異国の血が混じり、生まれた地は違えども、日ノ本を護るに命を張る覚悟あらば、皆、防人よ)

 

 

―――誰が知ろう?(顔を覆う

 

 

 

 

 

 

「さあ、クリス。もう一度、きちんと御礼を言いなさい」

 

父親に促され、少女はぺこりと頭を下げてくる。

 

「ふむ? それがおぬしの名か?」

 

「うん! あたしはゆきねクリスっていうんだッ!」

 

「そうか。善き名ぞ」

 

ゆるゆると訃堂は褒める。

その姿は、少なくとも雪音夫妻にとっては好々爺に見えたかも知れない。

なおぺこぺこと頭を下げる両親に連れられて、クリスはこちらを振り返るとバッチを掲げる。

 

「じいちゃん、まったなー!」

 

訃堂は腕を組み、黙って一つ頷いて見せた。

 

 

 

 

―――その約束が果たされるのは、これより数年後のこととなる。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風鳴訃堂過去編 護ることと戦うこと

 

 

訃堂と琴音の婚姻は、鎌倉の風鳴の屋敷で粛々と行われた。

参列者である岩戸家の一族の他に玖桜衆も混じり、披露の宴の格式も規模も、普通のそれではなかったと記録に残っている。

ともあれ、式が済めば、花婿花嫁にとって初夜である。

先に風呂を使い、じりじりと待つ訃堂の前に、寝所の扉が開く。

湯上りの白襦袢という艶姿に、訃堂は思わずその両肩を抱き寄せ、唇なぞ重ねようとした寸前。

 

「駄目ですよ」

 

唇の前に、琴音愛用の扇子が立ちはだかっていた。

 

「なぜだ?」

 

若い訃堂は困惑する。この期に及んでお預けでは、生殺しもいいところだ。

すると琴音は扇子で口元を隠し、目だけで笑った。

 

「わたしは、間違いなく訃堂さんの妻になりました。子を産むとの約束も、違えるつもりはありません」

 

「ならば…ッ!」

 

「けれど、今の訃堂さんとは、子供を作る気になれません。いや、作れませんなあ」

 

「………どういう意味だ?」

 

この期に及んで、まだ難題を出されるのか? 正直にいってもう遠慮したい。

ならば、いっそ力ずくで押し切るか。そもそも、据え膳喰わぬは男の恥とも言うだろうし。

 

「無理やりにでもなさるというなら、わたしは自裁させて頂きます」

 

にっこりとして、懐から護り刀を取りだす琴音。

その笑みに反して、有言実行の覚悟が伝わってきた。

やる気に冷や水をぶっかけられた格好になった訃堂は、寝具の上で憮然としてしまう。

 

「まさか、俺との婚姻そのものが、おまえにとっての方便なのか…?」

 

この男にしてありえない小心がひょっこりと顔を出す。

 

「それはありえません。先ほども言いましたが、わたしは訃堂さんの妻です」

 

琴音はなおもコロコロと笑いながら、

 

「今の訃堂さんは、子供そのものの意味もわかっておられませんから」

 

結果としてますます困惑する訃堂にもう一度笑いかけ、琴音は布団へと潜りこむ。

 

「その時になったら、一緒に子供を作りましょう」

 

あどけなくすら見える顔でそう告げると、こちらに背を向けてしまう。

たちまち安らかな寝息が寝所内を回遊。

 

「…そんな殺生な」

 

思わず零した訃堂の手は、隣合わせの布団で眠る妻へと伸びた。

 

夫婦になったのだ。何を憚る必要がある?

それに、押さえ難い若い情動もある。

風鳴の当主となったのだから跡継ぎを作る義務もあるだろう。

 

並べられるだけの理由をならべて―――訃堂の手は一旦引っ込む。

自分が妻とした琴音は、権威や格式には媚びない女傑だ。

繊細な外見に反した豪胆さを秘めているからこそ訃堂も惚れたわけで、そんな彼女が初夜の晩で自決するという可能性は全く否定出来ない。

 

妻を手籠めにした挙句に自決された、となれば、身体を張って彼女を娶った意味もなければ、末代までの笑いものではないか。

 

…いや。でも。しかし…!!

 

そんな葛藤を繰り返し、若い訃堂の初夜は更けていく。

 

 

 

 

 

 

明けて翌日。

縁側へと出た訃堂は、昇りきらぬ朝陽に、真っ赤に充血した瞳を注いでいた。

せっかくの初夜を、まったく非生産に徹夜したのである。

 

「…國電(くにみつ)

 

「はッ」

 

訃堂の呟くような小声に、すぐ目前に人の気配が生じた。

黒装束を着た緒川國電が庭先に現れた。

目前で片膝をつく國電に、訃堂は昨夜の新妻からの難題を話してきかせた。

 

「おまえはどう思う?」

 

「…はッ」

 

緒川忍群を統率し、訃堂に長く仕えることになる國電。

黒い頭巾の下の顔はなんと訃堂より若い。

この緒川の麒麟児は、女を知らぬわけではなかったが、人生経験は仕える主よりも足りていない。

そもそも閨の話を腹心の忍者に振るあたりからしてどうかしているのだが、それでも國電は訃堂の問いに答えるべく頭を巡らす。

ここで素直に『わかりませぬ』と流せないあたり、まだまだ若い。

 

「つ、つまり、奥方は殿さまに、子づくりをするにはまず子供のことを知るべしとご指摘されているのでは…?」

 

「ぬッ?」

 

「い、いえ、差し出がましい真似を…!」

 

一睨みされ慌てて平身低頭する國電。

訃堂としては別段睨んだ意味は薄く、彼の物言いに困惑していた。

 

人は赤子として生まれ、子供として育ち、大人として完成していく。

誰もが通る道であり、誰もが子供の心を弁えているのが道理ではないのか?

 

「…やはり、よく分からんなあ」

 

長い髪を訃堂はバリバリと掻きむしる。

 

「………」

 

國電も俯いて膝を突いたままだ。

やがて昇った朝陽が、庭先の主従を照らし出す。

刀で切りだしたような顔を橙に染め、ぽつりと訃堂は零す。

 

「仮に子供のことを知るらんとするなら、國電、おまえは何とする?」

 

「…はッ」

 

緒川國電は、その長い人生において訃堂に無茶振りをされたことは数えきれないが、今日のこれが嚆矢だったかも知れない。

まだ若い彼は、必死に主の期待に応えようとして、なんとか言葉を捻くりだす。

 

「模倣、という言葉がございます」

 

恭しく國電は言う。

 

「他者の動きを真似ることで、その動きをなぞり、一体化し、己がモノとする。忍びの術に限らず、あらゆる業の秘奥かと―――」

 

「つまり、俺に子供の真似事をしろというのか?」

 

「…ははッ」

 

否定とも肯定とも取れる言葉で濁し、ひたすら畏まってくる國電。

そんな彼を睨み落としながら、腕組みをして目を閉じる訃堂。

朝の静謐な空気に、雀の鳴き声だけが聞こえる。

やがて、訃堂の口が唸るように開いた。

 

「…やってみるか」

 

無茶振りする人間の結論は、やはり尋常ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

その後、鎌倉の下町を厳つい大男がそぞろ歩く姿が、子供の間で噂となる。

その容貌から、風鳴の若様は気が触れたのか? さっそく奥に愛想を尽かされたのか、との話は、風鳴一族の親戚の耳まで届くは必然。

辟易した訃堂は、東京まで足を延ばす。

まだインフラも充実したとは言えないこの1960年代において、なんと徒歩で一時間足らずで走破していたらしい。

東京はオリンピックを控え、空前絶後の高度経済成長期のただ中にある。

異国の文化が盛大に行き交い、訃堂は眉をしかめたが、毎日がお祭りのような騒ぎで訃堂が悪目立ちすることもなかった。

そんな訃堂は子供の動向を知るべく、下町行脚を繰り返す。

もともと戦後の娯楽もない田舎で幼年期を過ごした訃堂である。雨竜の厳しい躾けもあり、菓子なども滅多に口にしたことはない。

 

 

ちなみに雨竜は、琴音の輿入れに伴う引き出物の中にあった岩戸家秘伝の薬を服用していた。

それが稀に見る薬効を示し、すっかり活力を取り戻した雨竜は、往年の働きもかくやと思われる精力ぶりで、風鳴機関の再興に奔走している。次期当主のはずの訃堂がこうやってうろつける所以である―――。

 

閑話休題。

 

 

なので、訃堂は、初めて食べる下町の駄菓子には驚くしかない。

 

「…なんだ、これは」

 

味に繊細さもなく、栄養も認めがたい。見た目こそ工夫されているが、安価なだけが取り柄のこれを菓子などと言えるか!

訃堂は駄菓子を喰ったことがなかっただけで、菓子そのものを喰ったことがないわけではない。

それに、風鳴の総領息子だけに、食事は簡素であるものの、きちんとした食材で作られたものを食べていたので舌は確かだ。

まあ、そもそも本物の菓子に至らないから〝駄〟菓子なのではあるが、こんなものを嬉々と食べる子供たちに、訃堂はますます困惑を深めることになる。

それでも子供たちは元気なもので、駄菓子を齧りながらよく走る。

あちらに紙芝居が、こちらに街頭テレビが、と実に騒々しい。

もはや猥雑とさえ言える環境の中を、訃堂も子供たちに紛れて泳ぎまくる。

この時代の娯楽も急速に発展していた。

証拠に、紙芝居も少しずつその数を減らし、街頭テレビへと人気は移っていく。

映画館の数も爆発的に増加していたが、まだ子供たちが気軽に入れる場所ではなかった。

 

その手の文化的娯楽に幼少期はてんで触れる機会がなかった訃堂ではあるが、長じて街頭テレビを眺めたことはあった。

箱の中の絵が動くという衝撃もあり、外国人を日本人が叩きのめしているプロレスには興味を引かれた。

が、武を修めた彼にとっては、それはショーであり茶番でしかない。

なぜにそんなものに子供たちは熱狂するのだろうか?

理由は分からず、訃堂のその探求は、オリンピックを越えてなんと四年あまりも続く。

未だ子供が産まれぬ訃堂夫妻に、さては奥は石女(うまずめ)か? と不名誉な噂が立つも、琴音は全く気にした素振りは見せなかった。

訃堂としては憤慨して訂正したかったが、肝腎の琴音が手を出させてくれないのだからどうしようもない。

―――まったく頑なな女だ。

 

溜息をつきつつ、今日も今日とて下町を微行する訃堂。

時に、1966年7月17日。

その日、訃堂は運命と出会う。

 

空想科学特撮シリーズ。

その存在自体は、訃堂も知っていた。

大規模な予算を投じ、映画と同じクオリティを可能としたTVシリーズ。

その中に登場するのは()()たち。

ほとんどの人間が逃げまどい、最後は智恵と科学でどうにか回天する。

怪獣にかつての大戦の敵国の巨大な力を重ね見て、訃堂は興味をそそられ、同時に不快さも強く持った。

どうして誰も彼も直接殴りつけないのか不思議で仕方なかったのだ。

 

だが、今日のテレビに映る映像は違った。

白黒ではないカラーの画面の中で、銀色の巨人が怪獣を殴りつけている。

それは訃堂の思い浮かべていた光景そのものだ。

 

子供たちは歓声を上げ、訃堂も興奮を覚える。

その後、何十年に渡り続いていく特撮ヒーローが誕生したこの瞬間は、訃堂の中の価値観を大きく揺さぶる。

テレビ番組も、この光の巨人の物語に続け追い越せとばかりに様々なヒーローを誕生させた。

その人気に訃堂はふと疑問を抱く。

なぜにヒーロー番組は、子供たちに受けているのか。

勧善懲悪という骨子であれば、時代劇とそう変わらぬ。

この人気は、特撮の迫力の映像だけでは説明がつかないものだ。

 

その答えを、訃堂は光の巨人の最終回に見出した。

最終回。主人公から分離した巨人は、地球を後にして故郷である光の国へと帰って行く。

その瞬間、街頭テレビの前で、もしくは家の窓から身を乗り出し、子供たちはいっせいに空へ向かって叫ぶ。

 

『さよなら、ウルトラマーン!』

 

つまり、子供たちにとって、このヒーローの世界は、いま生きる現実の世界の延長なのだ。

光の巨人の物語に限った話ではないが、作品によっては内容に社会的な問題や風刺を滲ませた、若年には分かりづらいものもある。

それでもなお少年たちを熱狂させる理由は、リアリティ溢れるヒーローを身近に感じられたから。

尊敬できる正義の味方がそこにいる。

 

そのヒーローとて、苦悩し、苦境に陥り、それでも戦う。

そこに訃堂は作り手のメッセージを見出す。

予算や商業などの事情はあろう。

だが、当時の大人たちは体当たりで叫んでいた。

 

弱いものが虐げられてはならない。

力で無理が通されることはあってはならない―――。

 

大人たちの真剣な思いが、作品の向こうから確かに響いていた。

だけに、受け止めた子供たちはあれだけ熱狂していたのである。

 

訃堂は、この解釈は間違っていない自信があった。

同時に彼はこうも思う。

 

多くのヒーローたちは、己の身を省みず、戦いに挑む。

なんら見返りもなく、人知れず、絶望的な戦いでも、迷うこなく。

 

その姿は、まるで防人そのものではないか。

ならば、この特撮ヒーロー番組こそ、吾ら人知れず報われぬ防人たちへの応援歌―――。

 

この解釈の是非はともかく、訃堂は蒙を啓かれた心持ちだった。

 

防人も、ヒーローも、人と国の平和を護るために戦うことが共通している。

正直、訃堂は、この日ノ本という国土はともかく、人を護ることの意義を見出せていなかった。

特に戦後、大和の民としての誇りを失い、夷狄の文化を受け入れて嬉々としている人々には、唾棄すらしかねない悪感情を抱いていた。

風鳴雨竜の旧弊な教育のおかげもあっただろう。訃堂は生まれながらの国粋主義者だったと言える。

しかし、これら特撮ヒーローたちは、その意識をパラダイムシフトさせていた。

そしてその作品に熱狂する子供たちと、その作り手たちの存在も、訃堂の認識を著しく改めさせている。

 

―――この国の人々たちにも、護るべき価値は十二分にある。

 

あの日雨竜は花嫁を護る息子の姿に、防人の究極形を見た。

しかし結局のところそれは、訃堂が琴音の謎かけにたまたま最適解を見出したに過ぎない。

 

本来の訃堂が琴音との子供を求めたのも、自分より強い血筋を残すため。それこそ自分を倒せるほどの。

彼らを鍛え、この国土から夷狄の一切を抹消する。

他者から一笑に付されることをやり通すだけの膂力が訃堂にはある。

この時点の彼にとって、夷狄の文化に染まった民など大和の民ではない。

白と黒の世界しか見えていない単純すぎる二元論。

とてつもない力に反し、頭の中身はまだまだ成熟しきっていない子供と同じだ。

 

夫のそのような危うさを琴音は知悉していた。

たとえこのまま子を成したとて、人を護る本当の意味を知らねば、もとの粗暴な訃堂の数が増すだけ。

だからこそ、琴音は訃堂との初夜を拒絶したのである。

 

 

 

その日の夜遅く帰ってきた訃堂を、琴音は正装で出迎えた。

東京からひとっ走りしてきたのか息が上がっている。

だが、夫のその興奮した瞳を見た瞬間、琴音は使用人に風呂の支度を命じていた。

訃堂に風呂を使わせている間に、自身は寝化粧を施す。

 

「…人を護る意味がようやくわかったのだ」

 

濡れ髪も乾かさず寝所へ飛び込んできた訃堂を、琴音は落ち着かせるように笑いかける。

もはや夫に身を預けることに、彼女はなんの躊躇いもなかった。

 

 

その晩、二人は初めて結ばれた。

翌年には長子『笙一郎』が誕生。

それから二年置きに琴音は五人ばかり男子を出産し、大いに妻の面目を施すことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 一つの命を救うのは無限の未来を救うこと

このタイトルは、数ある特撮ソングのなかで自分が最も好きなフレーズです。




道なき道を進むトラックの荷台が盛大に跳ね上がる。

荷台にこれでもかと詰め込まれた子供たちの頭が一斉に揺れた。

衝撃でどこかをぶつけて痛みに呻く声が漏れる。それらにすすり泣きや涙声も混じっていたが、悪路を噛むタイヤの音に掻き消されてく。

子供たちの誰も彼もが悲嘆にくれていた。

そんな子供の群れに、雪音クリスも膝を抱えて蹲っている。

 

「…パパ。ママ…」

 

もう何度繰り返したか分からない呟き。

俯いた頭の中では、同じ光景が延々とループしている。

政府軍と反政府軍のどちらが最初の引き金を引いたのかなんて分からない。

彼女が憶えているのは、命からがら逃げだした建物に撃ち込まれるロケットランチャーと、爆風で吹き飛んだ扉の業火の向こうに一瞬だけ見えた両親の姿。それだけだ。

泣き崩れる彼女に対し、誰も助けの手を差し伸べる大人はいなかった。

どうにか戦火が収まったあとやってきた大人たちは、無造作に彼女をトラックの荷台へと放り込む。

荷台には、既に似たような境遇の子供たちが幾人もいた。

ここは南米バルベルデ。褐色の肌を持つ子供たちの中で、クリスの白い肌は一際映えている。

 

 

 

 

 

 

クリスの父雅律と母ソネット。

父が楽器を奏で、母が唄う。

ここバルベルデは、長い戦乱の歴史を重ね、娯楽などもほとんどない。

そこにきて国連の使節団として来訪した雪音夫妻の奏でる音楽は、どれほど人々にとって衝撃的だったことか。

皆が聞き惚れ、感極まって泣き出すものもいる。

両親の音楽は好きだったけれども、そんな観客を眺めるのもクリスは大好きだった。

パパとママが褒められてるみたいで嬉しい。あんなすごい人たちが、あたしのパパとママなんだぞ!?

周囲の同年代の子供たちの羨ましそうな視線を受けて、クリスは胸を張る。

この年頃の自己顕示欲の中に両親も含まれているのは珍しくない。

 

バルベルデは危険な場所だ。でも、僕たちと一緒にいれば安心だよ。

 

父の言葉は矛盾していたが、クリスは安全であることを心から信じていた。

なにせ父と母の音楽が響くところに優しい空間が生まれる。

誰もが心穏やかに、眠ってしまいたくなるほど落ち着いた空気が膨れ上がっていく。

この結界の中にいれば、絶対に安全。

そう思って微睡むクリスの意識は、一発の銃声で打ち砕かれる。

立て続けに鳴り響く銃声。

爆発音。

怒号。

混乱。

気づけば、全てが炎と煙のなかへと消え失せていた。

一人取り残されたクリスは思う。

パパたちと一緒にいれば安全。じゃあ、パパたちと別れたあたしは…?

 

 

「痛ッ!」

 

そこで頭を小突かれてクリスは目を覚ます。

全身に汗をかき、幌の外には太陽が熱い。

狭い荷台で、丸一昼夜は過ごしただろうか。

水だけは与えられていたが、小突かれても具合が悪そうに動けない子供が何人も。

動ける子供たちより、次々と荷台から降ろされる。

むわっとした南米特有の熱帯植物の草いきれが全身を包む。

待ち構えていた大人から順番に手枷をはめられた。手枷のそれぞれが一本の紐で繋がれている。

紐を引かれて少し歩かされる。獣道を辿り、急に視界が開けた。

茂みの中に切り拓かれたそこは、クリスは知りようもなかったが非正規政府軍のキャンプだ。

ゾロゾロと引き回される子供たちの列に、大人たちは下卑た視線を注いでくる。

まるで全身を舐めまわされているみたいに感じ、クリスは鳥肌が立った。

 

そうして連れていかれ場所は、粗末な板葺の屋根がドーム上になった建物の前。

入る前に、全員が服を剥ぎ取られる。下着も何もかもだ。

手枷をつけたまま脱ぐことはできないので、乱暴にナイフで切り裂かれた。

クリスの着ていた服はこの国の文化レベルでは最上級品で、やたら丁寧に切り裂かれて少女の羞恥心を煽る。

その果てに、服の内ポケットにしまっていたそれを見つけられ、クリスは血相を変えた。

数年前に日本で名も知らぬ老人にもらったバッチ。今でも彼女の大切な宝物。

見つけた男は、バッチの中心の赤い宝石に興味を示す。

刃先で宝石をこじくり出そうとするのを見て、思わずクリスは声を発していた。

 

「や、やめて…ッ!」

 

直後、別の男に頬を殴られた。

子供相手に容赦のない一撃で、幼い意識は飛びそうになる。

どうにか意識を維持した滲む視界には、宝石を取り外して小躍りする男がいた。

今の彼女は、唇を噛んで睨むことくらいしか出来ない。だが、そんな気力すら今の打擲で消失している。

残ったバッチは用済みとばかりに、男たちの仲間がこぞって笑いながら踏み潰していた。

涙と傷つけられた心を抱え、クリスは建物の中へと引き立てられていく。

 

薄暗い建物の中は、日本の小学校の体育館程度に広かった。

板張りの殺風景な空間は、風通しも悪く蒸し暑い。

暗さに目が慣れると、既に多くの素っ裸の子供たちが壁際に座らされているのが見えた。

手枷で一繋ぎにされたクリスたちも並ばされ、ささくれ立った板張りに腰を降ろす。

子供たちは誰もが項垂れていた。

すすり泣きを漏らすもの。

小刻みに身体を揺らすもの。

無意味にゆっくりと身体を動かすもの。

スペイン語の呟きも聞こえたが、クリスには意味が分からない。

頬のじんじんとした熱さを意識しながら、クリスは膝を抱え込む。

 

これから、あたしはどうなるんだろ…?

 

クリスはまだ十歳になったばかりだが、ある程度の知識は持っている。

男女のあれこれから、この国では子供が売買されているらしいこと。

そして、売られて買われた子供がどんな目にあうのかということも。

 

怖かった。

想像するのが怖かった。

想像すら出来なかったのが怖かった。

 

不自由な態勢のまま、クリスは膝頭に顔を埋める。

突っ伏して、努めて何も考えないでいるうちに、わずかなりとも微睡んてしまったらしい。

誰かが失禁したのか、嫌な臭いが鼻をつく。

不意に扉が開け放たれ、大人たちがドヤドヤと入ってきた。

怒号が響き、一人の子供が蹴飛ばされる。どうやら失禁していたのはその子のよう。

容赦なくその子は打ち据えられ、動かなくなった。

見せしめの効果は絶大で、他の子供たちは喋るのも動くのも止め、一斉に息を潜めている。

 

男の一人が壁際を順繰りと見回す。

そして、一人の子供を見定めると、ナイフで手枷の紐を切断。建物の真ん中まで引っ張ってくる。

痩せた女の子だった。クリスより幾分か年上に見え、胸が少し膨らんでいた。

男は、ズボンを脱ぐと、女の子に覆いかぶさった。

 

男たちの下卑た歓声と少女の悲鳴。

子供たちにとっては恐怖の二重奏だったが、それを三重にも四重にもするべく、他の男たちは別の子供たちの物色に入る。

たちまち複数の少年少女が真ん中のスペースへと引っ張り出された。

最後に残った男の一人は、ランタンのようなモノを掲げ、なおじっくりと子供たちを見回している。

その視線がクリスの上で止まった。

脅えて後ずさる少女に対し、男は舌なめずりをしながら寄ってくる。

残り物には福がある、といわんばかりの獣欲に塗れた顔に、クリスは全身の血の気が引いていくのを自覚する。

 

クリスの手枷の紐が切られた。

紐の端を掴まえた男によって、真ん中まで引っ張られていく。

クリスの色白な容色に、他の男たちは最中にも関わらず一斉に口笛を吹いた。

全身に鳥肌を立てながら、逃れようにも手枷はされたままだ。クリスは必死に前蹴りで抗う。

 

もともとが華奢なクリスと男との体格差は圧倒的で、ほとんど効果は認められない。

男はニヤニヤ笑いを浮かべていたが、突然呻く。たまたまクリスの一撃は鳩尾のいい所に入ってしまったようだ。

一瞬で怒りの形相に転じた男は、クリスの顔面に容赦ない平手の往復。

その威力と恐怖に茫然として、クリスは固まってしまう。

脅えきった少女の姿に、男はまたぞろ満面の笑みを浮かべると、いそいそとベルトを外していく。

 

クリスの茫然自失の両眼から涙が溢れた。

それは、痛みによるものか恐怖によるものかすら判然としない。

もはや目前の大人に抗う気力すら消え失せている。

恐怖と、両親への想いと、これから自分を待ち受ける理不尽な未来。様々な記憶と感情が混然一体となって、彼女の幼い脳髄を冷やしていく。

このままでは精神の崩壊を招くと判断した生存本能が心を凍てつかせようとしていた。

代償に、事が済んで正気を保たれたとしても、この少女は精神の奥深いところに、徹底的な大人に対する嫌悪を埋め込まれるのは間違いなかった。

その憎悪は、おそらく世界そのものを燃やし尽くすほど激しいものとなるだろう。

もっともそれは、彼女が生き延びられることを前提とした話。

 

当座の破滅を回避すべく、クリスの幼い肉体と精神は防衛機能を起動。

迫る男を前に、少女の中のあらゆる感情と感覚が、残酷な初めての蹂躙をやり過ごすため凍てついて行く―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――その時、不思議なことが起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なんの音だ?」

 

男の一人が腰の動きを止め、スペイン語でそういった。

気づいたのはその男だけではない。いまやはっきりと皆に聞こえる音が迫る。

これは―――落下音?

 

思い当たるのはミサイルといった対地兵器だ。

だが、思い当たったとて、迫りくる音にもはや逃げる術はない。

もう手遅れだ。そう悟った身体が、人間の反射反応で硬直する。

次の瞬間落下音は地表へと達し、建物の屋根は吹き飛ぶ。

しかし、着弾と同時に生じる爆発は起きなかった。

では、何が落ちてきたというのか?

 

誰もが、屋根を吹き飛ばされ太陽の注ぎ込むその建物の中心に、忽然と姿を現した人影を見ていた。

 

 

 

 

 

 

彼を知る立場にある政府関係者はこう言う。

 

『彼は(サイクロン)だ。彼の通った後には、ペンペン草すら生えやしない。嵐の王(マスター・サイクロン)だ」

 

 

 

 

彼を知る某国の国防関係者はこう言う。

 

『彼こそが日本のSAKIMORIのトップ。防人の防人(デフィンダーズ・デフィンダー)だ』

 

 

 

 

彼を知るとある国の武術インストラクターはこう言う。

 

『彼は武術の極致にある人です。我々武術家にとって、彼は武の北極星(ポーラスター)です』

 

 

 

 

そしていま。

宇宙に煌めく星は、地上へと降り立った。

風鳴訃堂がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――儂、参上ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高々度からの着地の衝撃を消力(シャオリー)と発剄で打ち消す。

殺しきれなかった衝撃を天頂部から逃せば、その威力に長い白髪が渦を巻くように天を衝く。

 

 

その訃堂の姿に、男の一人が震える声で呟いた。

 

 

 

白い鬼(デモニオ・ブランコ)…ッ」

 

 

 

 

鬼は、じろりと視線を巡らす。

こちらを見上げてくる全裸の少女にかつての記憶を晴れ渡らせる。

その彼女に半裸で覆いかぶさろうとする男に、一瞬で全てを察した。

 

鬼の鉄拳が唸りを上げる。

次の瞬間、男の姿は影も形もなくなっていた。

怒りの拳は、男の肉体を塵一つ残さずこの世から抹消。

いや、その威力たるや霊体にもおよび、男の魂は輪廻の輪に乗ることもなく消滅している。

物理的にも霊的にも完全に消失した男に対し、その傍にいたクリスにそよ風一つも影響を与えていないのはどういうことだろう?

 

信じられないとばかりに大きく目を見張るクリスに、訃堂は笑いかける。

 

「久しぶりだな」

 

全裸のクリスが飛びついてきた。

太い首に腕を回して涙腺を全開にする彼女の泣き声を耳に、しっかと片手で抱き止めながら、訃堂は鬼へと立ち返る。

 

 

 

 

それから、その場所を中心にした半径10㎞圏内は、絶望的なまでの正義の狩場と化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪音クリスにとっての僥倖は、彼女がさらわれた当日、特異災害対策機動部総司令として訃堂が米国を訪問していたこと。

直々にとある聖遺物の受け取りに出向いていたわけだが、米国嫌いを公言している彼にとって奇跡的なことである。

訃堂自身としても、虫の報せということを意識したわけではないだろう。しかし受け渡しの米国はノースダコタ州を訪れてた際に、日本から緊急連絡が。

それは、かつてバッチをくれてやった雪音クリスからのエマージェンシーコールを受信したとの連絡。

クリスには言ってなかったが、あのバッチは翼の誘拐といった危急の事態に備え、宝石の部分を押し込むと自動的に居場所が発信される仕組みになっている。

その連絡を受け、眉を顰める訃堂。

訃堂をして、外国における同胞の働きは気に留めている。

雪音クリスの両親が国際使節としてバルベルデを訪れていた詳細は知らねど、つい先日内戦に巻き込まれて亡くなったことは、日本のどのマスコミより早く把握して心を痛めていた。

そこにきて、クリスが持っていたバッチが起動したとて、すわクリスの生存の保証には繋がらない。誰かが彼女の死体から持ち出した可能性もある。

だが、通信機能も備えたそれが『や、やめて…ッ!』という少女の日本語の声を拾っていたことに、訃堂はその可能性を除外する。

身を翻した訃堂は、基地司令を恫喝。

日本から送られてきた座標を基に、ICBMの弾頭を抜いて替わりに自分が乗り込んだものを撃ちださせている。

座標の直上でミサイルから飛び出した訃堂は、押し寄せる対空砲火の雨あられを素手で捌き、クリスの救出へと馳せ参じた。

羅列してしまえば、実に単純な話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルベルデにおける訃堂無双は、一瞬の軍事的空白地帯を産み、その間に国連主導のアメリカ軍が突入。多くの戦災孤児の救出に成功している。

この事態にバルベルデ政府は、〝強盗しておいて証拠を見つけたと騒いでいるようなものだ〟と強い非難声明を発表。特に撃ち込まれたミサイルに対して大きな苦情を上げた。

 

対してアメリカは、加害者の立場にも関わらず〝一発だけなら誤射かも知れない〟と日本の政治家のような言を左右している。実際のところ、多くの戦災孤児の救出という実績に国連の後ろ盾もあったことがあり、何もかもが政治的な灰色で幕が引かれていた。

 

訃堂のバルベルデの活躍は国際的にも公にはされなかったが、無罪放逐とはいかず、特異災害対策機動部総司令を更迭された。日本としては、アメリカに対する最大限の謝罪であり譲歩であった。

総司令の後釜には、末子の風鳴弦十郎が推挙され着任した。

 

なお、訃堂とともに帰国した雪音クリスは、風鳴家の猶子となっている。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 父よ 母よ 妹よ

 

 

雪音クリスを伴い帰国した訃堂。

鎌倉の本家へと赴くと、覚醒した琴音が出迎えてきた。

 

「今度はどこぞの鳥籠から掻っ攫ってきなさったんです?」

 

クリスの姿を認めてからの琴音の言に、赴堂はヒヤリとする。

もっとも琴音としては、訃堂の南米での大暴れを耳にして釘を刺しているだけのつもりだ。

 

「は、初めましてッ。雪音クリスですッ」

 

張りつめた空気を感じつつ、クリスは彼女なりに全力の礼儀を発して挨拶。

 

「こちらこそ初めまして。訃堂さんの妻の琴音です」

 

幼い緊張を柔らかく受け止め、琴音も挨拶を返す。

琴音の若々しい容貌に、クリスは大きく目を見張った。

そのままマジマジと訃堂と琴音を見比べている。

 

―――強いて弁護すれば、クリスは非常に緊張していた。

目前の光景を、両親から教えられた偏った知識で読み解こうとし、緊張のあまり色々と脳内で短絡したらしい。

結果として、クリスは、訃堂と琴音両名に語りかけるように言葉を発している。

 

「…2号さん?」

 

この物言いに、訃堂の脳裏に『上手い! 技の1号、力の2号ってか? ってやかましいわッ!』というセルフボケセルフツッコミをする琴音の姿が浮かぶ。

それは本来的にも絶対にあり得ない光景で、いかに訃堂がクリスの物言いに動揺していたかの証左になるだろう。

 

「…そういわれても仕方ないかも知れませんなあ」

 

穏やかに琴音は応じるも、クリスとしてはその笑ってない瞳に感じるところがあったらしい。

 

「あ、ごめん! じゃなくて、すみません! その…ッ」

 

狼狽するクリスに、

 

「クリスさん、でいいですね? 少しばかり、言葉づかいとか礼儀とか勉強せにゃならんと違います?」

 

琴音はにっこりと笑いかけた。

 

「私が手ずから仕込んで差し上げましょ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、風鳴弦十郎は鎌倉の実家へと車を飛ばしていた。

特異災害対策機動部総司令へと着任し、実に久方ぶりの休暇である。

 

「まったく…」

 

だが、弦十郎はハンドルを操作しながら疲労混じりの溜息を吐く。

隣の助手席には、様々な資料が山積みにされていた。

父の更迭を受けての全く緊急な着任だったため、引き継ぎなども万全とはいえない。

今日も休暇とはなっていたが、実家であの親父と色々と顔を突き合わせて話をしなければならないと思うとうんざりだ。

しかも、今回の交代劇自体が訃堂の独断専行が原因とあっては、弦十郎をしても不満の一つもぶつけたいところである。

 

―――さすがに文句を言うくらい許されるだろう。

 

そう覚悟を決めて本邸の門を潜った弦十郎を、琴音が出迎えてくれた。

 

「あら、弦十郎さん。お帰りなさいです」

 

「は。ご無沙汰しています、母上」

 

そう挨拶した弦十郎だったが、母の隣にいる小柄な影に目を見張る。

上品そうな和服を着た雪音クリスだった。

 

弦十郎をして、今回の交代劇の元となった雪音クリスの救出とその顛末は把握している。

身寄りのないクリスを、風鳴家の猶子にするということも聞き及んではいたが、施設はなくても、てっきり親族のどこかの家にでも預けるのかと思っていたのに。

 

「ほら、クリスさんも挨拶しなさい」

 

琴音に促され、クリスはおずおずと弦十郎の巨体を見上げるようにして言った。

 

「そ、その。お帰りなさいまし、弦十郎さま…」

 

「違いますよ、クリスさん。弦十郎はあなたの兄でありんす」

 

指摘され、軽く息を吸い込んでクリスは言い直す。

 

「お、お帰りなさい、弦十郎兄さま…」

 

その物言いに、弦十郎は思わず目を剥いてしまう。

彼をして、年上の兄、それこそ親子ほど年の離れた兄をそう呼んだことはある。

だが、末っ子であるからして、そう呼ばれたことは全くない。

その初めての呼びかけが、しかも可愛らしい女の子から、だとおッ!?

 

もっともこの時、弦十郎は29歳でクリスは10歳。

親子ほどに齢が離れた、と表現するのも微妙な年齢差だ。

なによりクリス自身が、見た目も猛々しい巨漢を年の離れた兄と見做すことに、大きな違和感を抱いている。

 

「うむッ、その、なんだ。…これからよろしくな、クリス」

 

「は、はい。こちらこそ…」

 

「ここは我が家だと思って遠慮なく(くつろ)いでくれ」

 

息子の物言いに、琴音は破顔。

 

「寛ぐも何も、クリスさんはわたしの娘になったからここが実家ですえ?」

 

たちまち顔を伏せる弦十郎は、自分が間抜けなことを口にしたとの自覚があるからだろう。

あとはそそくさと玄関で靴を脱ぎ、行ってしまう。

その後ろ姿を見て、クリスは呟く。

 

「…わたし、嫌われたんでしょうか」

 

「さあて、どうでしょ?」

 

口元を扇子で隠しながら琴音はわざとらしく首を傾げている。

 

 

この後の弦十郎は、東京の有名店のケーキなどを携えては休暇のたびに豆々しく実家へ帰って来ることになる。

このあからさまな行動は、クリスが適合者であると判断され、彼女が首都へ居を移すまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

日も昇りきらぬうちに目を覚ました訃堂は、身支度を整えると庭先に出る。

散策がてらゆっくりと見て回り、気づいた箇所は素手で剪定。

それも済むとその足で本邸の裏山へ入る。

新鮮な山木の霊気を全身に浴び、道なき道を散歩するような足取りで進めば滝に行き会った。

軽く水面に拳を突き入れれば、たちまち山魚が数匹浮かんでくる。

それらを木串に差し、指をパチンと鳴らして発火させた焚火で炙る。

塩も何も利かせてない焼き魚を美味そうに平らげ、訃堂は朝食を済ませた。

琴音が覚醒していない時期の食事など、好き勝手なものだ。

 

もっともこのような訃堂の振る舞いは、ここ何十年ぶりのことである。

霞ヶ関と鎌倉を忙しく往復し、ゆっくりとプライベートで食事を摂る時間もなく、もしくは格式ばった会食ばかり口にしていた。

日本の国防に携わるものとしては当然の仕儀であると納得していた日々。

それがこうやって長閑な昔に戻っている理由は、先日特異災害対策機動部総司令を更迭されたからに他ならない。

如何に雪音クリスの救出のためとはいえ、米国に大きな借りを作ってしまったことを訃堂は自覚している。

それを清算するためにも、自身は国防の一線を退く必要があった。

同盟国であるアメリカにとって、日本の訃堂は存在すること自体が脅威である。

ましてや今回の一件で、その特異性と破壊力が証明されてしまった。

 

単身、ミサイルで目標点に到着。かつ、任意の対象の破壊及び救出。

いうなれば、超小型で被害範囲をコントロール出来るクリーンな核兵器のようなものだ。

 

アメリカとしては、そんな存在が矢面にいるだけで落ち着かない。なので日本国としては訃堂を表舞台から退けて、そのような手段を用いることはないと誠意を示したわけだ。

だからといって訃堂が大人しくしているかという保証もないわけで、事実、政府からは監視の者が幾人も訃堂の周囲に配置されていた。

むしろそのくらい、訃堂は緒川忍群の手によって把握済みである。

あからさまに過ぎるくらい分かり易い配置は、監視というより「どうか大人しくしていてくれ」との嘆願に思われた。

 

「ふん」

 

監視の目に鼻を鳴らしつつ、訃堂は屋敷の敷地内へと戻る。

 

「御前。失礼します」

 

声に振り向けば、緒川総司が立っていた。

先代の國電の引退を受けて次期統領となった経緯は、訃堂と弦十郎の関係性に良く似ていた。

同時に、総司もまだ若い。

実のところ、國電も岩戸家の所縁の娘を娶り、晩年になって子供を成している。

まだ三十路前後と見られる総司の隣には、更に若い男が立っていた。

スーツを着ているものの、その柔和そうな顔立ちから書生のような印象を与えてくる。

 

「お初にお目にかかります。緒川慎次と申します」

 

「ふむ。おぬしが噂に聞く國電の次男坊か」

 

―――あやつは、総司に勝るとも劣らぬ天稟を持っていまする。

訃堂は、酒を酌み交わしながら嬉しそうに語る國電を思い出している。

 

「本日より、慎次も御前のお膝元に…」

 

言い差す総司の言を、訃堂は遮る。

 

「いや、儂ではなく、弦十郎へと仕えさせよ」

 

本来であれば、特異災害対策機動部の司令部付きとして召し抱える予定だった。

訃堂が解任された以上、弦十郎に仕えさせるが道理だろう。

 

「…はッ」

 

主の意向を一瞬で理解した総司は、弟ともども畏まる。

 

「ああ、だが一つ」

 

そのまま下がろうとする緒川兄弟を、訃堂は呼び止めていた。

 

「どうか翼のことを気にかけてやってくれ」

 

先日、風鳴翼が適合者であることが判明している。

歌により聖遺物の欠片を励起し、身に纏う戦士の素養。

日本政府の極秘中の極秘の研究とその成果は別にして、訃堂は溜息をつきたい思いに駆られている。

儂の血を引いたからには、戦いを避けられないさだめか―――。

 

ゆえに、特例とでもいうべき下知を緒川慎次へと下す。

それは、かつての朋友との魂の盟約であったかも知れない。

 

「はい。この身に替えましても」

 

頷く若々しい顔に、頷き返す。

 

生涯初めてとも思える気楽な時期を過ごしながら、訃堂はある予感を覚えていた。

この国は、近い将来、未曾有の困難に見舞われるであろう。

着々と次世代の防人たちも育つ中、果たして凌ぎ切れるかどうか。

 

ひと時の平和の中で、深く憂う訃堂。

彼のこのような予感は外れたことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い返せば、この事件はその先触れであったかも知れない。

考古学者である天羽夫妻。

彼らの聖遺物発掘チームとしての活動は、日本政府のバックアップの上で行われていた。

新たな聖遺物の発見された当日、たまたま遊びにきていた天羽家の娘たち。

彼女たちも発掘チームと同じ悲劇に見舞われている。

突如出現したノイズによる発掘チームの虐殺。

生存者は、天羽家の長女、天羽奏一人のみ。

 

おっとり刀で駆けつけた特異災害対策機動部二課に保護された天羽奏は、いま本部の地下で拘束されていた。

 

「あたしにノイズを殺させろッッ!!」

 

奏は叫ぶ。

14歳という年頃に対しては恵まれた身長に引き締まった筋肉。

事実彼女は万能型の天才だった。

鼻歌混じりで中学生の陸上記録を塗り替え、そのことを鼻にもかけない。

性格も明朗で、サバサバしている。

いずれ、何かしらのジャンルで大成するだろう。

彼女を知るものの誰もがそう思い、羨むことなく応援したくなる女の子。

 

だが、それももはや過去の話だ。

今の彼女は、家族を殺された恨みに胸を滾らせ、秘められていたスペックも将来も全て捧げようとしている。

もし仮にここに悪魔が現れて、魂と引き換えに力を渡すと言えば、彼女は躊躇いもなく渡したことだろう。

だが現れたのは悪魔ではなく、総司令風鳴弦十郎だった。

弦十郎は、発掘現場で何があったかと問い質したりはしない。

保護して本部へ搬送中にそう訊ねようとした二課の職員は、あるものは腕をへし折られ、あるものは噛み付かれて出血していた。

狂犬のようになった彼女は、今は椅子に両手足を固定され、歯をガチガチと鳴らして威嚇してくる。

 

「アンタたちに、ノイズを倒す力があるのか? なかったらそれでも構わないッ! なんでもいい、武器をかしてくれッ! そしてあたしに、ノイズを! ノイズを皆殺しにさせろぉッ!」

 

そのあまりにも痛々しい様子に、弦十郎はそっと奏の頭を胸に掻き抱こうと試みる。

しかしその寸前、悪魔より恐ろしい存在が室内へと忍びいって来た。

 

「―――その娘御が、最後の生き残りか」

 

その日に風鳴訃堂が特異災害対策機動部に足を運んでいたのは、偶然だったのだろうか?

 

「親父…」

 

絶句する弦十郎を押しのけて、訃堂は奏の前に立つ。

 

「な、なんなんだ、このジジイはッ!?」

 

その迫力に一瞬飲まれるも、たちまち悪口雑言を並べる奏。

対して、訃堂はしゃらくさそうな笑みを浮かべている。

 

「なんとも活きのよい娘だな。しかも、面立ちも悪くない」

 

対峙する二人の様子に、ハラハラと見守っていた本部付きのオペレーター友里あおいが弦十郎へ囁きかけた。

 

「司令…」

 

「しッ。ここは親父に任せてみよう」

 

見守る態勢に入った弦十郎の目前で、不意に腹の底まで揺さぶる大喝が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その顔は何だッ!? 

 

 その目は何だッ!? 

 

 その涙は何だッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

あまりの迫力に、室内にいた特機部二の職員は弦十郎を除いて全員が腰を抜かし、天羽奏も茫然としていた。

それでも気を取り直して睨み返してくる奏に、訃堂は満足げに頷く。

 

「なるほど。大した胆力よ。しからば―――」

 

奏は、目前に地獄の門が開くのを幻視した。

しかし彼女は、心の中で躊躇いなくその門を開け放つ。

 

「儂と来るが良い。おまえを一端の(つわもの)へと鍛えてやろう」

 

これまた躊躇いもなく奏が頷いた瞬間、彼女の両手足を拘束していた鉄枷が弾け飛ぶ。

訃堂が神速の腕を振るったことは、弦十郎だけが見極めていた。

 

「そういうことだ弦十郎。この娘は、儂が預かる」

 

「あ、ああ…」

 

弦十郎が呻くことしか出来ない以上、他に誰も止められるはずもなく。

一方で、痛む手足を摩りながら、天羽奏は事態の解析を開始。

訃堂の後について、硬質の廊下を歩きながら思考を巡らす。

 

このジジイの正体はわからねど、まずは自分は身軽になった。

とりあえず、ついていくフリをして、この建物を出たところで…。

 

「言っておくが、逃げようなどと考えぬほうは良いぞ?」

 

背中を向けたままの訃堂の台詞にギクリとする。

自分の思考を見透かされていたかのタイミングに驚きはしたが、相手はデカいけれど老人だ。

いっそ後ろから頭でもぶんなぐって…!

 

そう考えた瞬間、全身が凍てつく。

意志に反して、まったく足が動いてくれない。

くそッ、どういうことだ…ッ!?

 

呻く奏に、訃堂は振り返って鋭い眼光を向けてくる。

 

「ほう。喪心する程度の気を放ったつもりだったのだが…」

 

丹前の懐から腕を出し白い髭をしごく訃堂に、奏は悟る。

彼女の野性の勘はこういっていた。

 

―――目前にいる老人は、ただの人間じゃあない。人の形をした何かだ。

 

「くッ…」

 

ノイズをぶち殺して死ぬのは構わない。

でも、この老人に抗ったところで、自分はただ無為に死を迎えるだけだ。

 

「…わ、わかったよ。とりあえずは逃げようとか考えないって」

 

震える声でそういうと、ピタリと全身を戒める感覚はなくなった。

 

「約束は違えるなよ?」

 

再び背を向ける訃堂の後ろ姿に、不承不承の表情の奏は着いて歩く。

建物を出ると、目前に黒塗りの車が停車していた。

当然のように訃堂が乗り込み、奏も続く。

車は音もなく走り出す。

 

「…どこに連れていこうってんだ?」

 

「儂の家だ」

 

車中の会話はそれっきりだった。

やがて車は鎌倉の風鳴本邸へと到着。

琴音は目覚めておらず、使用人たちが出迎えた。

でっけえ家だな、とばかりに無遠慮に視線をバラまく奏の先で、一人の少女が慌てて柱の陰に身を隠した。それが雪音クリスであることなど、今の奏には知りようもない。

 

黙ってついてこい、とばかりに訃堂は邸内を進む。

あとに続く奏の前に、行き止まりの壁が現れる。

 

どういうこった? と目を見張っていると、訃堂が壁のボタンを置す。

すると、ゆっくりと壁がせり上がり、地下へと至る階段が出現した。

 

「まずは、おまえの心の持ち用から鍛えねばな」

 

心なしかウキウキとした口調で訃堂が言う。ほぼ初対面でそんな機微など分からない奏は、地下室へ連れていかれることに若干ビビりつつ、それでも虚勢を張った。

 

「なんだよ? NHKの教育番組でも見せてくれるのか?」

 

「ふむ。似たようなものだな。それを見て、おぬしは(つわもの)としての心構えと防人のなんたるかを学ぶのだ」

 

それなりに学業でも優秀な成績を修めている彼女は、防人という単語に聞き覚えがある。確か、奈良時代の僻地を守る兵士みたいなもんだよな…?

 

それらの知識と乏しい情報を寄りあわせ、奏は地下で何かしらの映像を見せられることを確信。

そして、おそらく、小学校の頃に見せられた交通安全教室とかの類のオリジナル映像なのでは?

 

…まあ、こういう年寄りって、やたら毒気のない教条的なものを好むんだよなー。

 

奏の推測は、前半は概ね正しいが、後半は激しく間違っている。

そんなこともつゆ知らずに階段へ足を踏み入れようとして、最後の最後で彼女の野性の勘は囁いた。

 

―――()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

その直感の命じるままに見直せば、まさにこの地下へと続く階段は、地獄への門が口を開けているように見えてくる。

 

「…へッ、上等だぜ!」

 

しかし、敢えて奏は己の勘を裏切ることを選択。

常人がノイズを殺すことなど不可能。

だがその常識を覆し、あたしは悉くノイズをぶち殺してやる。

絶対に、父さんと母さん、妹の仇を討つ! 絶対にだッ!

 

奏は地下への道を一歩踏み出す。

後から訃堂が入ってきて、入口の扉は閉ざされた。

間接照明の点けられた決して長くない階段を降りながら、奏は鎌首をもたげてきた不安を振り払う。

もう二度と後戻りはしない決めた。彼女は努めて明るい声を張り上げた。

 

「と、ところでジイさん、一体何時間くらいあるんだよ、その映像?」

 

すると背後で指を折々数える気配。

 

「そうじゃの。初代から80まで数えると…」

 

「……初代? 80?」

 

「345話、一話30分計算として、ざっと172時間といったところかの」

 

「………は?」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 その心が熱くなるもの 

雪音クリスが風鳴家に引き取られ一か月ほど過ぎた。

 

外国人を母に持つ彼女の家庭は、ほとんどが洋式だった。

ここに来て純和風建築の風鳴の屋敷と、その広大な敷地に、ただただクリスは驚くだけ。

純国産のイグサの畳や、障子や襖といった紙質に触るのも、最初はおっかなびっくりだった。

 

それでも子供であるクリスの順応性は高い。

最初は難儀していた和服もそれなりに着こなせるようになり、正座にも慣れた。

礼儀作法や言葉遣いといったものは、琴音の起きている時は彼女直々に、彼女が眠っている時は女中頭から仕込まれる。

箸の使い方や食事、特に和食の作法などには困惑させられたけれど、日本舞踊や茶道といった分野はそれほど苦にならなかった。

先生代わりにとなってくれた女中頭の立ち振る舞いは見事だったし、手ずからお茶を淹れてくれた琴音の所作は綺麗だった。憧れて、自分もあんな風に振る舞いたいと思う。

 

そしてもっともクリスの性分に会っていたのは、和弓である。

風鳴邸の敷地内には武道場もあり、隣には弓道場もあった。

そこで訃堂から直々に弓の引き方を習い、筋が良いとの太鼓判を貰っていた。

 

そんなこんなで風鳴家での生活は、やたらとキッチリしていて少し窮屈だったけれど、クリスが不満をいう道理はない。

身寄りのない自分を引き取ってくれたという大恩もあるし、バルベルデに比べれば何百倍もマシだ。あのまま助けられなかったらと思うとゾッとする。

 

実際に、布団に入った途端、その夢を見て跳ね起きたことがある。

眠れずスンスンと泣いていると、音もなく訃堂が現れた。

そのまま真夜中の邸内を歩いてどこに連れていかれるのかと思ったら、例の秘密の地下室。

映画館もかくやと思われる映像設備で、派手な子供向けの特撮DVDを見せられた。

 

「琴音には内緒だぞ」

 

そういって訃堂が渡してくれた駄菓子の味を、クリスは生涯忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

二か月も過ぎた頃、ようやくクリスは地元の小学校へ通うようになる。

勉強の遅れをたちまち取り戻した彼女は、琴音仕込みの立ち振る舞いもあり、清楚で大人しい転校生と思われていた。

幼少の頃はやんちゃな彼女だったけど、恩義のある風鳴家に迷惑はかけられないと分別をつけられるようになっている。

元々ハーフで見た目も良いクリスに、清楚で奥ゆかしい態度が加われば、まさに鬼に金棒。

本人の全く預かり知らぬところで、男子たちからの人気は相当なものがあったようだ。

 

そして、彼女と初めて顔を合わせたのもこの頃だった。

 

「私の娘の翼だ」

 

八紘から紹介された少女を、クリスは見覚えがあった。

たびたび風鳴の本邸で見かけてはいたが、いずれもクリスは習い事の最中で声をかわしたことすらない。

これは、クリスが最低限の礼儀作法を覚えるまでは意図的に遭遇させないようにしていた風鳴家の気遣いだったが、彼女がそのことに気づくのはずいぶん後のことになる。

 

自分より一つ年上だという翼に、仕込まれた礼儀に則り、クリスは丁寧に頭を下げる。

 

「お初にお目にかかります、翼さま。雪音クリスと申します」

 

返事はない。おそるおそる頭をあげれば翼はきょとんとした表情。

 

「あ、あの…?」

 

何か気に障ったのだろうか。

動揺するクリスに、翼は笑顔で真っ直ぐ手を伸ばしてくる。

 

「翼でいいわよ」

 

「…え?」

 

「わたしもクリスって呼ぶね?」

 

予想外のフレンドリーさに面食らい、クリスは助けを求めるように周囲を見回す。

すると、逞しい大きな手が頭に載せられた。

 

「翼は、親族の中に同年代の子供がいないんだ。だからクリスが友達になってやるといい」

 

弦十郎が笑顔で見下ろしてくる。

それから八紘の様子も伺うと、笑顔のまま無言で頷かれた。

 

「…え、と。つ、翼さん?」

 

「つ・ば・さ!」

 

「…翼」

 

「うん。クリス、よろしくね」

 

日本で初めて出来た同年代の友達。

我知らず、頬が柔らかく緩んでいる。

 

それでもクリスは心の中で自分を戒めた。

わたしはこの家に貰われてきた子なんだから、と。

 

少なくとも、この人に対等に接しちゃいけない。

一歩下がって、お仕えするつもりでいなきゃ―――。

 

けれど、ぎゅっと握ってきた掌は、思いのほか温かくて。

 

そんなクリスだったが、翌年の年賀の会で、その覚悟は裏切られる。

翼と揃いの振袖を着せられたのはともかく、クリスのために用意されたのは上座の席。

これには、参列者のほとんどが目を剥いた。

クリスが猶子なことは周知されてはいただけに、ざわめく親族たち。

この扱いは、まるで直系の末子ではないか!

その通りとばかりにクリスの隣には弦十郎が座し、周囲に「俺の妹になんか文句でもあんのかゴルァ」とオーラを振りまいていた。

そのうえ最奥では訃堂が睨みを利かせているものだから、誰も面向かって異論や文句を口にできるはずもなく。

 

実際に何歳なのかよく分からない訃堂夫妻。

年の離れすぎた弦十郎たち義理の兄。

猶子になった自分にとって姪に相当する一歳年上の翼。

 

何とも奇妙な立ち位置にいると自覚しつつ、新年を迎えた風鳴家で、クリスは確かに温かい幸せの中にいた。

 

 

 

 

 

 

あっという間に一年が経ち、クリスも11歳の年。

風鳴家の生活に馴染みはすれど狎れることはなく、日々感謝を胸に学業に励んでいた。

そんな時、訃堂が一人の女の子を連れて帰ってきたらしい。

なぜに仮定形かと言えば、クリスが気づいたとき、その少女は風鳴の屋敷にいたからだ。

後で知ったことだが、どうも例の地下室に一週間ほど籠りっぱなしだったようだ。

そこを出てから、訃堂相手に鍛錬を積んでいた様子。

 

他ならぬ自分を助けたせいで訃堂が隠居に追い込まれたことを、クリスは知っていた。

だけに、活き活きと女の子の相手をしている訃堂の姿を嬉しく思う。

同時に、自分に構ってくれないことに少しだけ焼き餅も焼いている。

ここいらの心の動きは、全く年頃の少女と言うしかない。

 

そしてその日。

クリスは、特異災害対策機動部の本部へといた。

どういう理由か分からないが翼と一緒に連れてこられた。

翼と別れ、別の部屋に案内されれば、そこには弦十郎と訃堂がいてホッとする。

椅子を勧められて、ようやく部屋を見回す余裕が出来た。

幾つものディスプレイが並び、たくさんの人がキーボードを叩いていた。

その中で、白衣を着て頭がチョコファウンテンみたいな眼鏡の女の人が一際目を引く。

クリスの視線に気づいたのか、眼鏡の女の人がこちらにやってきた。

 

「あら? あなたが雪音クリスちゃん?」

 

「は、はい」

 

「わたしは櫻井了子っていうのよん。よろしくね~」

 

手を掴まれてぶんぶん振られながら握手された。

 

「は、はあ」

 

クリスの人生に於いて、こんなテンションの大人は見たことがなかった。

呆気にとられていると、ほっぺたをプニプニと挟まれる。

 

「う~ん、すっごい餅肌なくせに、この銀髪はイタリア系? 絵に描いたみたいな黄金比のハイブリッドね。これは弦十郎くんが自慢するだけのことがあるわ~」

 

クリスがされるがままでいると、眉根を寄せた弦十郎がやってきた。

 

「了子くん。うちのクリスをあまりからかわないでくれないか?」

 

「んまッ! 清純可憐な可愛い妹に、年増女の毒気をあてるなってことかしらッ!」

 

「いや、そんなことは言ってないが…」

 

「まったく失礼しちゃうわねッ!」

 

ぷりぷりしながら櫻井了子は行ってしまう。

茫然として見送るしかないクリスに、弦十郎は苦笑い。

 

「ちょっと独特なテンションの女性でな。まあ、根は悪い人ではないから安心してくれ」

 

弦十郎に曖昧な笑顔で応じて、クリスはもういちど櫻井了子の背中を追う。

 

「OK。準備は済んだみたいね。さっそく始めましょう」

 

コンソールに向かいあう横顔は、先ほどの軽薄さもない真剣そのもの。言われた通り、オンオフの人格の変化が激しい人らしい。

室内の全員の視線が正面の巨大なガラスに注がれた。

分厚い強化ガラスは、隣室を完全にモニターできるようになっている。

その隣室はトレーニングルームだとのことだが、まるで体育館みたいに天井も高くて広い。

 

その中央に、一人の人影が出てくる。

長い赤髪が燃えるように揺れていた。

身体にフィットしたボディスーツを着た天羽奏だ。

クリスはその顔に見覚えはあったが、彼女の名前を知ったのは、今日この日だった。

 

その対面に、もう一人の人影が姿を現す。

クリスは思わず腰を浮かして叫んでいた。

 

「翼ッ!?」

 

天羽奏と風鳴翼が対峙している。

 

「なんだ、クリスは知らなかったのか? 今日は二人の模擬戦をする手筈になっていたのだが」

 

弦十郎の言に、そんなの聞いていないッ! と叫びたかった。

それでも面向かって口ごたえなどできないクリスは、ハラハラといった視線を翼に注ぐ。

 

相手となる天羽奏は、不敵な笑みを浮かべて長い棍棒を肩に担いでいる。

対する翼は、木刀のようなものを腰に佩いていた。

 

クリスは弓で翼は剣だったが、二人は訃堂に師事するいわば兄弟弟子のようなものだ。

風鳴の道場で一緒に稽古に励んだことも一切ではない。

 

弓を教えられるまでクリスはほとんど武道を学んだことはなかった。

だが、曲りなりにも少しでも齧ってしまえば、それなりに見えてくるものがある。

 

―――翼は強い。

 

幼少の頃から重ねてきた鍛錬のせいか、平素の足運びからして見事なものだ。

剣を振れば重心にブレはなく、その動きは力強く、美しくさえある。

事実、お互いに剣を用いた試合であれば、あの弦十郎にさえ引けを取らない。

おそらく、同年代で日本で彼女に勝てるものはいないのではないか。

 

対する奏の方は若干年上に見えた。伴い、背丈や手足の長さも違う。

けれど、それぐらいの差は、翼の技量が埋めてくれるはず。

 

だからきっと翼は勝つ!

 

クリスは手を握りしめている。

同時に、掌にじっとりと汗を掻いていた。

それはなぜ? 

そう思う意識を、敢えて振り払う。

そんなことはあり得ないはずだ。

天羽奏の方が翼より強そうに見えるなんて。

 

「始めッ」

 

スピーカー越しに弦十郎の声が響く。

 

すかさず翼が仕掛けた。

木刀を抜き放ち、すり足で間合いを詰める。

牽制はない。間合いに入るなり剣風を解き放つ。

 

ガガガガッ! という連打音は、翼の一瞬で放った連撃の数。

同時にそれは、相手に受け止められたことも意味する。

 

「ひょ~! なかなかのスピードじゃん!」

 

棍を振り回し、奏が口笛を吹く。

翼が軽く眉を顰めた。

あっさりと連撃を防がれたためか、それとも奏の軽薄な態度が気に障ったのか。

しかし、気を取り直したように、流れるような足さばきで奏へと肉薄。

そこから振るわれる刃は、圧倒的な鋭さを誇る風にクリスの目には映る。

その証拠とばかりに、奏は捌くのが手一杯という様子で押されていた。

 

「なるほど、大したもんだ」

 

軽口を叩く奏に、翼の剣が鋭さを増す。

 

「だが、綺麗すぎる」

 

「!?」

 

翼の足の甲が踏まれていた。

すかさず踏みつけた足へ棍棒を突き立てようとする奏。

どうにか翼は足を引っこ抜いてそれを回避し、外れた棍棒は床を突く。

 

「くッ、卑怯よッ」

 

翼の口がそう動いたのだろうか。

そうクリスが思った時には、奏の反撃が開始されていた。

目にも止まらぬ棍の乱撃が翼の足もとを襲う。

本来、剣道における足もとへの攻撃は反則行為である。

だが、翼が習っているのは剣術であり、そこは現代スポーツと一線を画くしていた。

ゆえに、足もとの攻撃にも対処する術があるはずなのだが、予想以上の奏の攻勢に躱すので精一杯。

それでも攻撃のパターンや相手の呼吸を把握した翼は、虎視眈々と反撃の隙を伺う。

 

大振りの一撃が地面を穿つ。

その機を逃がしてなるものか、と踏み込んだ翼を、下からの鋭い一撃が襲った。

先の大振りは奏がわざと見せた隙。

空振りして地面に突き立てた棍の先端を、彼女は勢いよく蹴り上げている。

半円を描くように跳ね上がる思いもがけない一撃。

それでもどうにか躱した翼はさすがだが、すぐ目前に奏の顔が迫る。

 

「おるらぁッ!!」

 

容赦のない頭突きが炸裂。

凄まじい威力のそれを額に受けて、翼は仰向けにひっくり返った。

そんな翼に奏は馬乗り。

すかさず素手の拳を叩き下ろす。

どうにか翼も木刀で遮ろうとするが、マウントポジションからの乱打を前に弾き飛ばされてしまう。

 

「くッ…!」

 

翼もある程度の体術は修めていた。しかし、体格差もあり、この体勢に持ち込まれてはどう考えても逆転は不可能。

奏を素人と見くびっていた油断もあるだろが、それ以上に奏自身が強かった。翼が剣の天才だとすれば、天羽奏は鋭い野性の勘を持つ天性的な喧嘩巧者。

 

「おらおらおらッ! 参ったといえ!」

 

容赦なく拳を降ろし続けながら奏が怒鳴る。

 

「…卑怯なあなたに、参ったなんていわないッ!」

 

頬を腫らせて涙を流し、それでも気丈に言い返す翼。

その物言いに奏の顔色が変わる。

 

「ッ! ノイズ相手に卑怯もクソもあるかよッ!!」

 

叩き付ける拳の勢いが増している。

それを眼にした瞬間、クリスは椅子を蹴立てて立ち上がっていた。

勢いそのままにモニタールームを飛び出す。

 

天羽奏がなんでノイズなんて単語を口にしたかなんて分からない。

そんなの知ったことじゃない。

 

ただ見ていられなかった。

自分が美しいと思った存在が、一方的に蹂躙される姿など。

自分の恩人の孫が、ひどい目に合っている姿など。

 

だが、それらも全て雑多な想いだ。

 

クリスは、トレーニングルームの扉を開け放つ。

こちらに気づかず翼を殴り続ける奏の背中へ全力で飛びつく。

同時に、心の底からの想いを、彼女は絶叫していた。

 

()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

「な、なんだッ!?」

 

これには奏も面食らったようで、クリスにタックルされたままゴロゴロと転がってしまう。

その結果、幸か不幸か、今度はクリスが奏に馬乗りになる格好に。

躊躇うことなくクリスは拳を振り下ろす。

あっさりと受け止められ、この衝撃だけで殴ることに慣れてない彼女は手首を挫く。

だが、そんな痛みなど知ったことか、とばかりにクリスは更に殴る。引っ掻く。抓る。

とうとう噛み付けば、辟易したように奏は上体を起こす。

体格差もあり、それだけでクリスはあっさりと放りだされ、床にひっくり返った。

しかしすかさず立ち上がり、涙目で奏を睨みつける。

 

「あ、あたしの友達をいじめるなッ!!」

 

「…なんだ、おまえ?」

 

「あたしが翼を守るんだッ!」

 

呆れたよう表情をしていた奏の顔が一変した。

浮かんでいるのは、誰にでも分かる怒りの形相。

その怒気に、クリスの足が震える。それでも精一杯背筋を伸ばして足に力を込めた。

絶対に逃げないと全身で表現するクリスに、奏の声はいっそ酷薄なまでに冷たく響く。

 

「よわっちいクセに、誰かを守るなんて口にしてんじゃねえッ!」

 

「…ひッ…」

 

「守る力がないなら、敵を相手に立ち塞がっても無駄に死ぬだけだろうがッ!」

 

怒りのままに奏は拳を振るう。

震えながらも、クリスは守るために一歩踏み出す。

たまたまタイミングが悪かった、といえば語弊はあるかも知れない。

相手は動かないかへたり込むと考えていた奏の拳は、ちょうど突っ込む形になったクリスの頬にクリーンヒットしていた。

ハッとした顔つきになる奏の顔を見た瞬間、クリスは鼻血を噴いて宙を飛ぶ。

強烈な痛みに視界は真っ白に染まる。勢いそのままに地面に打ち付けられて、幼い意識が途絶えると思われた寸前―――身体ごと受け止められた。

 

歌が聞こえた。

とても綺麗で艶やかな旋律。そしてその声の主を、クリスは誰よりも知っている。

 

翼が立ち上がっていた。

彼女の全身は、まるで鎧のようなものに覆われている。

抱きかかえられるような格好でその変化を見上げたクリスは、眩しそうに眼を細める。

そうだ。いつだってヒーローは、絶対絶命のピンチに現れるんだ―――。

 

痛みで明滅する視界には、ベソをかいている翼。

ヒーローがそんな顔しないで、大丈夫、とばかりに頷いて見せれば、彼女は涙を拭った。それからそっと床にクリスを横たえる。

 

「へえ、カッコいいじゃん。それ、何のコスプレ…」

 

奏の軽口は途中で中断された。

彼女の目前には、翼が立っている。

いや、出現していた。

尋常なスピードじゃあない。まるで瞬間移動だ。

そう思ったのとほぼ同時に、頬に強烈な平手打ちを喰らい、奏は後方へ吹っ飛ぶ。

 

「…よくもクリスを殴ったわね…ッ!」

 

全身に怒りを滲ませる翼。

倒れずどうにか踏みとどまれたのは、もはや奏の意地に近い。

ただの平手打ちに見えて、身体の芯まで痺れるような凄まじい一撃だった。気を抜けば、腰から膝へと連鎖して砕けてしまいそう。

この圧倒的な力を前に、天羽奏の顔には喜びが浮かんでいる。

 

…そうか。これか。これがそうなんだなッ!?

 

そんな彼女の様子を、交戦の意志ありと翼が見做したのはいわば当然である。

翼が無造作に腕を振るう。

すると、たちまちそこには剣が生成された。

木刀ではなく、抜き身の刃を持つ長刀。

 

「風鳴翼! 推して参るッ!」

 

剣を構え、翼は一歩踏み出す。

友を酷い目にあわせた卑怯者を倒すべく。

 

「いいぜッ、きなッ!」

 

拳を構え、奏は震える足腰に筋金を通す。

目前に迫る巨大な力を我が物にせんと。

 

二つの影がぶつかり合うと思われたその時。

 

「そこまでッ!」

 

訃堂の大喝が二人をその場に釘づけにした。

そして、実際に彼女たちは動けくなっている。

 

「か、身体が…ッ!?」

 

二人とも肉体には何も物理的な拘束を受けてはいない。

だが、二人の影には、深々とクナイが突き刺さっていた。

近くには、右手の指にクナイを挟みながら立つ青年がいる。

 

「…緒川さん!?」

 

翼が驚きの声を上げたのは、今日初めて緒川慎次の正体を知ったからに他ならない。

 

現代忍法影縫いを行使されて身動きが出来ない二人の前に、訃堂がやってくる。

 

訃堂は翼を見て言う。

 

「翼。ようやく纏えるようになったではないか」

 

「…お爺さま」

 

それから訃堂は奏へ視線を転じた。

 

「役目、ご苦労」

 

「…けッ」

 

そっぽを向く奏。

ここに至り、今日の模擬戦の真意を悟れないほど翼は愚鈍ではない。

目前の赤髪の少女は、自分のシンフォギアシステムの起動させるための当て馬だったのだ。

 

だが、そんなことよりも。

 

「…クリス!」

 

影縫いを振りほどき、翼は友の元へと走る。

翼の勝利を確信した笑顔のままクリスは失神していた。

その様子に翼はたちまち涙目に戻ると、周囲に助けを求め始める。

急いで駆け寄ってきたスタッフとクリスを担架へ乗せると、一緒に医務室へと走っていく。

音もなく緒川もそのあとを追えば、トレーニングルームに残されるは訃堂と奏のみ。

 

「ったく。いくら命令でも後味が悪いぜ、隊長?」

 

馴れ馴れしく隊長呼ばわりしてくる奏に、訃堂は頓着しない。むしろ少し嬉しそうな様子すら見受けられた。

 

「なに、それも修行よ。誰かが鬼軍曹役をこなさねばな」

 

「そりゃそうかも知れないけどよ…」

 

ブツブツいう奏に、大きな影が被さってくる。

見上げた先には風鳴弦十郎がいた。

 

「…親父。いくら黙って見てろと言われてもあれは…」

 

奏と同様の苦言を呈してくる弦十郎を、訃堂は取り合わない。ジロリと一瞥しただけで、奏の方へと声を投げる。

 

「今日から、この愚息に師事せい」

 

「ええ? あたしの修行はまだ中途半端じゃなかったのかよ!?」

 

「おまえには防人の心構えは仕込んだ。あとは実戦と実践あるのみよ」

 

言い置いて、訃堂はそっけないとも思える動作で背を向けた。

遠ざかっていく巨大な背中を眺める奏に、弦十郎の声が降ってくる。

 

「親父の推薦ならば仕方ない。特異災害対策機動部として、改めて君を歓迎しよう」

 

「ああ。こちらこそよろしく頼むぜ。隊長も驚く特訓をして鍛えてくれんだろ?」

 

「そうさなあ。俺の可愛い姪っ子と妹をボコボコにしてくれた礼はせんとなあ…」

 

「は、はは、お手柔らかに…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスが目を覚ますと、翼が泣きながらその手を握っていた。

 

「私はもっと強くなる。強くなるから…ッ!」

 

翼の気持ちを嬉しく思いつつ、クリスの脳裏には奏の言葉が棘のように突き刺さっている。

 

『守る力がないなら、敵を相手に立ち塞がっても無駄に死ぬだけだろうがッ!』

 

…わたしも強くなろう。

うん。翼を守れるくらい強くなるんだ―――。

 

二人の少女が互いを掛け替えのない友と認めたこの日。

以降、翼は髪を短く切りそろえ、祖父や叔父の口調を真似するようになる。

 

 

 

 

 

 

そして―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これを見て弦十郎くん。翼ちゃんのついでと思ってモニターしていたデータなんだけど…」

 

「ッ! 間違いないのか?」

 

「ええ。データ上は見事な適合係数よ。そのままシンフォギアを起動できそうなくらい」

 

「…そんなバカなッ! クリスも適合者だとぉッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 満たされるものを探して

このクリスは風鳴の一族だから色々とセーフってことで





朝六時に目を覚ましたクリスは、眠い目を擦りながら洗面所へといく。

まずはヘアバンドをしてぬるま湯で洗顔。たっぷりと泡立てたクリームを塗ってから、やさしく洗い流す。

タオルで拭いて化粧水を擦り込んで、大きな鏡を背伸びして覗き込んだ。

長く伸ばすようにした髪は、最近やたらとフワフワになってきている。

良かった、寝癖はついていない。

らっきー、と心の中で呟いてクリスは自室へと戻る。

パジャマを脱いで見上げた壁に掛けてあるのは、卸し立ての制服。

さっそくブラウスから袖を通し、胸のボタンを留めようとしたところで思わず声が出た。

 

「…うそ」

 

胸が窮屈に感じる。一か月前に採寸したばかりなのに。

 

…最近、どんどん大きくなるなあ。恥ずかしい…。

 

胸の大きさは女性にとってのステータスになるとの噂は聞いていた。けれど、まだ12歳のクリスにとっては悪目立ちする材料でしかなく、恥ずかしさの方が先に立つ。

結局、少し無理してどうにかボタンを留め、スカートを身に着ける。

それにネクタイだけを締めて、クリスは自室を出た。

 

火の気のないキッチンに来たクリスは、こちらも真新しいエプロンを身に着けて、長い髪を三角巾で覆う。

冷蔵庫を開け、しばし物色。

 

青物はアスパラガスをソテーして、お味噌汁の具はネギだけでいいかな?

 

二つのコンロの片方で鍋に湯を沸かし、もう片方でフライパンを熱する。

メインはベーコンエッグにしよう。ベーコンはうんと厚切りで。

手際よくアスパラガス、ネギ、ベーコンと刻んでいき、片手で卵を三つ割る。

フライパンにベーコンを入れて、出てきた油でアスパラガス、目玉焼きを焼けば、メインディッシュの出来上がりだ。

それを大皿に盛りつけ、ダシ入り味噌をといた味噌汁の味見をすれば、ちょうどご飯の炊きあがりを知らせるアラームが。

 

「…よしッ」

 

三角巾を外して次にクリスは向かったのは、弦十郎の寝室だ。

 

「おはようございます。ご飯ができましたよ」

 

軽くノックをして声をかけるも、返事はない。

 

「ご飯ですよ~」

 

更にノックを何度か繰り返しても、やはり梨のつぶて。

埒が開かぬと判断したクリスがドアを開ければ、空気の振動が彼女の小さな身体を揺さぶった。

電気のついてない薄暗い部屋の床には服が散らばっていて、その先のベッドの上では弦十郎が高い鼾の真っ最中。

 

「…もう」

 

衣類を拾いながらベッドへと歩み寄ったクリスは、布団から出ている岩の塊のような肩を揺さぶる。

 

「朝ですよ。ご飯出来てますよ。起きてください」

 

んあ? と鼾が止まった。

頭を掻き掻き、なんだクリスか、と弦十郎は上体を起こす。

その拍子に布団がずり落ちて、クリスは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

 

「兄さん! 前、前…ッ」

 

「ん? おっと、これは失礼した」

 

トランクス一丁でベッドに寝ていた弦十郎は、クリスの拾ってくれた服に手を伸ばす。

布団の中で皺だらけのスラックスを履いてから、ベッド脇へと降り立った。

 

「おはよう、クリス。…って、なんでまだ横を向いているんだ?」

 

なお顔を真っ赤にしたままのクリスに弦十郎は尋ねる。

 

「う、上着も着てくださいッ」

 

「ふむ?」

 

まるで彫刻のような逞しい筋肉で覆われた上半身を自分で見下ろし、これも見苦しかったかな? と首を捻る弦十郎。

しかし、妹がそういうのであれば否応もない。

いつもの赤シャツを着れば、ようやくクリスは前を向いてくれた。

 

「ご飯が出来てますから、早く顔を洗ってきてくださいねッ」

 

なぜか早口で告げて部屋を出ていってしまう。

その様子に、ああ、妹も年頃か、と恐竜のように鈍い弦十郎もようやく理解。

失敗したなあと軽く後悔しつつ、改めて新しいスラックスに履き替えた。

それから洗面所で顔を洗い髭もあたる。

鏡を見て身形を整えてからキッチンへ赴けば、クリスはさっそくご飯とみそ汁をよそってくれた。

根深汁の匂いに、腹が派手な音を立てた。大皿の厚切りベーコンの目玉焼きもボリュームたっぷりで美味そうである。

さっそく箸を伸ばそうとすると、鳥そぼろの入った小鉢がそっと押しやられてきた。

弦十郎の体格は人一倍のタンパク質を必要とする。それを見越したクリスの細やかな心遣い。

思わず弦十郎はしみじみと呟いてしまった。

 

「すまんなあ、こんなおさんどんまでさせて」

 

「いいえ。わたしが居候させてもらっている身ですから、そのくらい…」

 

この春、クリスが通うようになったのは、私立リディアン音楽院。

小中高一貫の私立学院で、遠方から来た学生のために寮も完備してある。

にも関わらず、クリスが弦十郎宅へいるのはどういう理由か?

 

私立リディアン音楽院は、実は特異災害対策機動部の管理下にある一種の選別施設だ。

もちろん学院としての機能は存在する。

つまりは音楽院という表の看板で音楽的素養のある生徒たちを集めて、実際には授業などに様々なテストを紛れ込ませ、ある適合性をもった人材を識別、管理するのが本当の目的だ。

その能力を先天的に持つ人間などそうそういないと思われたが、実はクリスはその能力者に該当した。

ならばリディアンに通うのは当然であったが、やはり寮でなく弦十郎宅にいる説明にはなっていない。

 

「…別に居候させているつもりはないんだがな」

 

リディアンの寮は、学院から少し離れた場所にあった。

基本的に一部屋を二人で、学年別の生徒たちで使うことになる。

既に適合者としての能力が確定しているクリスの場合、放課後に様々な実験や検査が予定されていた。

それらが長引けば帰りは遅くなるだろうし、そうなれば同居者がいるのは色々と都合の悪い部分が出てくる。

この同居者も適合者であれば問題ないだろうが、そんな人材はそうそういないのは先述したとおり。

事実、クリスより一年早く入学した翼も、寮ではなく近くのマンションから通っていた。

適合者の諸々は、日本政府内でもトップシークレット中のトップシークレットだ。

ならばクリスにもセキリュティの充実した住まいを、と弦十郎が過保護っぷりを発揮して探し回っていたが、(弦十郎基準で)なかなかしっくりくる物件が見当たらない。

そこでふと、

 

『俺の官舎はどうだ?』

 

と何気なく提案してみた。

 

弦十郎に与えられた官舎は、独身にも関わらず3LDKの家族用。

仮にも組織のトップであるという福利厚生の意味合いもあっただろうが、正直持て余していた。

だいたい、本部に泊まることもざらにある。

そういう意味でも部屋自体を遊ばせているのと同様だし、そもそもが特異災害対策機動部の職員用の官舎である。そこらのマンションのセキュリティなぞ比較にもならない。

 

『まあ、こんなおっさんと一緒に暮らすのは嫌だろうなあ』

 

自分で提案しておいてそうオチをつけた弦十郎だったが、どっこいクリスは素直に頷いていた。

 

『はい、よろしくお願いします』

 

にっこりと微笑まれて、もう弦十郎に拒む理由はない。

これは、あれだ、やっぱり不安なんだろうな。俺が傍に居た方が安心できるってことなんだろう、うん。

なぜか自分を納得させるのに手こずりつつ、弦十郎はさっそくクリスの荷物を抱えて引っ越しの手配。

諸々の手続きも国家権力のおかげでスムーズに済み、晴れて四月からの中学校生活をクリスはスタートさせようとしている。

 

「それじゃあ行ってきます」

 

肩を並べてドアから出たにも関わらず、クリスは無人の家にぺこりと頭を下げて挨拶。

その様子を微笑ましく眺めながら、弦十郎はクリスの服装を褒めた。

 

「よく似合っているぞ、クリス」

 

「…そうですか?」

 

はにかむように小首を傾げるクリスだったが、リディアンの制服はまるでオーダーメイドのように彼女の雰囲気にぴったりだ。

最上階の自宅から一階まで降りる道すがら、官舎住みの職員たちと行き会う。

いちいちクリスは彼らに「おはようございます」と頭を下げると、ほぼ全員が笑顔で挨拶を返してくれる。

この官舎内にクリスが住み始めたことは周知されていた。

もともとクリスの愛らしい外見は、おもに男性職員の間で非常な人気を誇っていたが、こと官舎内においてはその上限を完全に限界突破している。

朝にクリスに挨拶をしてもらえると幸せになれる、などとラッキーシンボル的な扱いをするのはまだマシな方で、中には彼女を一目見るためだけに、わざわざ登校時間に合わせて待ち構えようとする者も出る始末。

 

自分のことにはとことん鈍い弦十郎だったが、クリスがこのように人気を集めていることは把握していた。

俺の妹は可愛いからな、と内心では鼻高々で、部下たちに対して比較的寛容である。

 

連中とて防人だ。もてはやしても、不埒なことを考えるやつはいないだろう。

まあ、そんなやつがいたら俺が許さんがな。

 

それに万が一、この官舎にいるクリスが何者からか狙われたとき。

ここに住まう彼らは、職務以上の心意気を発揮してクリスを護る盾になってくれるに違いない。

クリスにとって安全な住まいという一点において、ここは間違いなく日本でも一、二を争うだろう―――。

 

「…本当に、俺は出席しては駄目なのか?」

 

愛車を運転しながら、弦十郎は情けない声を助手席のクリスへと向けた。

 

「だって兄さんはお仕事があるでしょう?」

 

クリスは笑う。

 

「それに、わたしも、いつまでも甘えていられません」

 

もともと戦乱で両親を失ったクリスは、風鳴家の猶子となって様々な便宜を図ってもらっていることを強く実感している。だからこそ、いつまでもその恩恵にあずかってばかりもいられない。

そんなクリスの考えているであろうことが手に取るようにわかるだけに、弦十郎は辛い。

もっと頼って、甘えて欲しいのにと思っている。

 

―――おまえはまだ子供なんだから。

 

仮にそう口にしてしまえば、せっかくの彼女の想いに水を差すことになってしまう。

悩む弦十郎こそ、感情が過保護の領域を完全に逸脱しているのだが、本人は全く自覚していなかった。

 

「…おまえの入学式、本当に見たかったぞ」

 

未練たらしく、それでも諦めの言葉を口にする弦十郎に、クリスは花が咲くような笑顔を向けてきた。

 

「だから兄さんには、一番最初に制服姿を見てもらったじゃないですか」

 

ブラウスこそ窮屈になったが、ブレザーは三年間着ること見越して大きいものを買っていた。

だぼっとした袖口から小さな指だけを覗かせて、クリスは弦十郎に軽く両手を広げてみせる。

彼女としては、敬愛する義兄に、口にした台詞以上の意味を込めたつもりはない。

しかし、弦十郎にとって義妹のこの仕草は、致命的なまでのクリティカルヒット。

何もない平坦な地面で、車が軽くバウンドする。

 

「きゃッ」

 

「す、すまん」

 

小さな悲鳴を上げたクリスに詫びておいて、弦十郎はどうにか平静な声を絞り出す。

 

「…そ、そいつは光栄だなッ」

 

クリスは笑顔のまま「はい」と元気な返事。

 

 

 

 

車は校門前に止まった。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

「うむ。いってこい!」

 

クリスを送りだし、弦十郎はハンドルに顔を伏せた。

その表情は決して部下に見せられないほどニヤけまくっている。

部下といえば、そうかこれがあれか? 藤尭の言うところの『萌え』というやつなのか?

 

新たな観念を獲得して顔を上げれば、クリスが友人らしき生徒から声をかけられている。察するに小学校の同級生のようだ。

その後ろ姿を眺めて、弦十郎は大きく頷く。

 

やはり俺の妹の可愛さは、どの新入生よりも群を抜いているッ!

むう。ここはやはり、こっそり入学式に忍び込んで参列を…。

 

そもそもの勤務先の本部は学院の直下にある。

ならば、少しくらい遅れても問題はないはず。

そう判断し、視線を巡らせた弦十郎は大きく目を見開いた。

なんと紋付き袴の正装をした風鳴訃堂が校門を潜っていくところ。

その胸のところにある名札を超人的な視力で読み取り、弦十郎は思わず呻いてしまう。

 

「…ずるいぞ、親父…」

 

訃堂の名札にはこう記してあった。『私立リディアン音楽院終身名誉理事長』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、訃堂による理事長の挨拶。

 

 

 

「本日、ここに集いし新入生とその保護者の方々に、謹んでお祝い申し上げる。

 そして、理事長である儂から、この学園で学ぼうとする若人に贈る言葉は五つだけだ。

 

 

 一つ、腹ペコのまま学校に行かぬこと

 一つ、天気の良い日に布団をほすこと

 一つ、道を歩く時には車に気をつけること

 一つ、他人の力を頼りにしないこと

 一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと

 

 

 以上である」

 

 

 

 

この言葉は初等部の生徒には比較的素直に受け入れられたが、中等部と高等部の新入生たちは盛大に首を捻りまくった模様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式も終わり、クリスはリディアンの校舎を出て中庭を歩く。

他の新入生もぞろぞろといて、皆して明日からの学園生活の始まりに、不安と期待で胸を高鳴らせている。

そんなクリスの背後から、軽やかな足取りが近づいてきた。

その気配に気づいて振り向いたとたん、正面から抱きつかれる。

 

「クリスッ!」

 

私立リディアン音楽院中等部二回生となった風鳴翼だ。

 

「つ、翼」

 

狼狽えるクリスの首を抱え込むようにして翼は破顔。

 

「うむッ! 思った通りここの制服が似合っているではないかッ!」

 

まるで弦十郎のような男前な口調に反し、クリスの頭を撫でつける手は優しく丁寧なことこの上ない。

その物言いと態度のギャップに、見ていた在校生たちから驚きの声が上がる。

 

後ろ髪を肩口までのボブカットにし、頭頂部には短いサイドテール。

加えて翼の凛とした佇まいと言動から、蒼姫、もしくは蒼の王子という異名が、リディアン中等部高等部はおろか、近隣の中学校、高校までにも浸透していた。

 

その蒼姫が、ここまで相好を崩す相手は一体…?

たちまち注目を浴びることになったクリスも、その可憐な容姿から、銀姫の異名を賜わることになる。

 

「ちょっとやめて、翼。苦しいよ…」

 

良いように弄られていたクリスだったが、あまりにも執拗な翼のスキンシップに悲鳴を上げた。

 

「う。す、すまない。クリスがあまりにも可愛かったものだから…」

 

「もう…」

 

ぷうっと頬を膨らませるクリスの顔が真っ赤なのは、周囲の視線を集めてしまったことが恥ずかしくて仕方ないから。

風鳴家での二年あまりの薫陶は、かつてのガキ大将みたいな少女を、すっかり引っ込み思案な性格に改変していた。

 

「相変わらずあっちーな、二人とも」

 

その声に反射的に翼が身構え、クリスを庇うように前に出た。

翼の肩越しにクリスが送る視線の先には、リディアン高等部一回生の天羽奏が立っている。

 

「…何用ですか、天羽先輩? こちらは中等部ですが」

 

翼の声は冷え切っている。

 

「つれねえなあ。せっかく入学祝いに出向いて来たってのによ」

 

笑う奏に屈託はない。

かつて、クリスの頬を全力でぶん殴った彼女は、あのあとすぐに謝罪に訪れていた。

 

『色々と熱くなっちまっていた。本当にごめん。あたしが悪かった』

 

元々の模擬戦自体が、わざと翼の激発を誘って適合係数を高めようという実験の一端との説明を受けていた。その上で深々と頭を下げられては、クリスとしては許すしかないと思う。

ところが当事者以上に激昂したのが翼である。

涙声でぎゃんぎゃんと奏を罵ってから、いま今日に至るまで、蟠りは解消されていないようだ。

 

「………」

 

厳しい表情で睨みつけてくる翼に半ば呆れながら、奏は翼の肩越しにクリスに挨拶。

 

「よっ、雪音。入学おめでとさん」

 

「…どうもありがとうございます」

 

ちなみに奏もクリスと呼びたいのだが、翼の猛烈な抗議を受けて雪音呼ばわりを余儀なくされていた。翼曰く『クリスをクリスって呼んでいいのは私だけなのッ!』

 

「ま、今日から一緒の学校に通うんだ。仲良くやろうぜ」

 

そういってクリスに片手を差し出してくる奏に、周囲から驚きの声が上がる。

翼に比して、いやそれ以上に天羽奏はリディアンの有名人だ。

才気煥発、スポーツ万能、成績優秀。

恵まれた体に、姉御肌の性格から、同級生たちからの信任も厚く、慕う後輩も数多い。

その赤毛から赤姫という異名が、こちらも翼と同様に近隣に鳴り響いていた。

 

そんな赤姫が、初対面で気安く手を伸ばす新入生とは一体…?

 

奏の手を握り返しながら、クリスはやはり顔を赤らめる。本当に目立つのは苦手になってしまった。

クリスの様子に、奏は悪戯っぽい顔付きになって耳打ち。

 

「これからアイドルデビューするんだぜ? そんなことで真っ赤になってちゃ、この先おねーさんは心配だな~」

 

「………ッ!」

 

ハッとした顔になるクリスを押しのけて、翼が噛みついた。

 

「奏ッ! それは最重要機密でしょッ!?」

 

「おまえ、人を先輩呼ばわりしたと思ったら呼び流しか? 本当に一貫性がないなー」

 

「そういう話をしているんじゃないッ!」

 

ぎゃいぎゃい言い合いを始める蒼姫と赤姫。

これももはやリディアンの名物的な光景で、こうなったらもう止められない。

誰もがハラハラとして見守る中、二人の制服の袖がくいくいと引っ張られた。

なんだよ? と歯を剥く勢いで振り向いた双姫の先にはクリスがいる。

 

「…そんなギャーギャーいう翼は怖いからきらい…」

 

「うぐッ!?」

 

「奏も、もうチーズケーキ焼いてあげないよ…?」

 

「ッ!? わ、わかった、あたしが悪かったッ!」

 

一瞬で事態を収拾してのけたクリスに、またぞろ在校生たちの視線が集中する。

あの子は何者ッ!?

その視線に耐えかね、とうとうクリスは顔を真っ赤にしたままその場から遁走。

 

「ちょ、ちょっとクリス?」

 

「おい、どこへ行くんだ?」

 

わけが分からずそのあとを全力でついてくる蒼と赤の姫。

その二人に「来ないで!」とも言えず、クリスはひたすら無言で逃げ回るしかなかった。

 

 

その後、この三人のよく分からない追いかけっこをする姿は、新たなリディアン名物の一つに数えられることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 限界チャレンジャー

シンフォギア・システム。

FG式回天特機装束の正式名称である。

 

この世界で発見される異端技術(ブラック・アート)で造られた聖遺物は、そのほとんどが完全な状態で見つかることはない。

発見されるのはその一部、もしくは欠片程度で、かつての能力の残滓を推察する程度が精々である。

しかし、基底状態にあるそれらは、歌の力によって励起することが可能なことが判明。それこそが『櫻井理論』であり、歌の力によって励起した聖遺物の欠片を鎧に変換、歌い手に纏わせることにより、対ノイズ戦闘に特効を発揮できる可能性が高い。

その報告は、特異災害ノイズに成す術がなかった人類にとっての希望の光であり、現憲法に抵触しかねない戦闘力は、日本政府を盛大なジレンマへと陥れる。

結局、シンフォギア・システムの不安定さを逆手に取り、政府は櫻井理論ごと秘匿。

不確かな特殊兵装で未だ実験段階にあり、確かな戦果が実証されていない現時点では世界に対する発表を差し控える、との建前を統一見解としてた。

 

シンフォギア・システムの開発者である櫻井了子自身、この日本政府の玉虫色の態度を責めるつもりはない。

希少な聖遺物の欠片を利用した理論は提唱したものの、そのシンフォギアを纏える人材―――適合者そのものも大変希少なのだ。

資質自体を持ち合わせている者はそれなりにいるが、それがシンフォギアを着装できるレベルまでとなると、ほとんど存在しないと言っても良いレベル。

たまさか先天性の第一種適合者である風鳴翼がいたからこそ、この日本国における櫻井理論の研究は一足飛びで飛躍し、完成を見ている。

しかし、その対象が一人では心元ない。

仕方なく、後天的に適合係数を引き上げる制御薬の開発も同時並行で行っていた櫻井了子だったが、ここにきて新たな適合者の雪音クリスの発見と参入は嬉しい誤算だった。クリスの義兄兼保護者を自認するのが、組織トップの風鳴弦十郎というのも予想外だったけれど。

 

翼とクリスという云わば二本柱を手中にしたことにより、了子の研究体制にも余裕と伸び代が生じた。

おかげで、後天的な適合者のための制御薬『LiNKER』の開発、改修に傾注出来ている。

しかし、改修を重ねたとしても、現時点でこの制御薬は人体にとっての劇薬だ。

いくら本人が望んでいるとはいえ、LiNKERを注入された天羽奏の凄惨な様子に、了子をして顔を背けたくなることもある。

 

『ぐあああああああああッ!』

 

雪音クリスが適合者としての才能を発見された直後。彼女がリディアンに入学する二年前。

翼との対峙を経て、シンフォギアの強大な力と可能性に憑りつかれた奏は、自身を後天的適合者にするよう志願していた。

 

ノイズを殺せる力を。

そのためなら、どんな苦痛も乗り越えてみせる。

 

強化ガラス越しに実験室で展開された酸鼻を極める光景を、翼とクリスも見ていた。

鳴り響く警告アラーム。

職員たちが止めるよう差し伸べる手を振り払い、血を吐き、血の涙を流し、天羽奏は吠える。

文字通りの七孔噴血に、翼とクリスは互いを抱きしめあい脅えていた。

 

『もっとだ! もっと薬を寄越しやがれ!』

 

まだ14歳の彼女の狂態を、弦十郎は腕組みをしたまま凝視している。

爪の食い込んだ腕から流れる血が、彼の心情を代弁していた。

だが、そんな感情を抜きにして、適合者の確保は組織における最優先事項だ。

冷酷なまでの需要と供給の一致。

 

この時点で、奏の壮絶な過去を、翼とクリスも聞いていた。

だけにノイズを憎む気持ちは理解できた。けれど、ここまで強い執念を抱くことは出来るだろうか?

 

翼としては、畏敬を越えて尊敬の想いを抱く。クリスを殴ったことは許してないけれど、そこまでの覚悟を見せられては、身体に流れる防人の血が穏やかではいられない。

 

クリスとしては、ああ、この人も自分と同じだと思う。理不尽に両親を奪われた想いを共有すると同時に、クリス自身も考えるところがある。

天羽奏は、ノイズという明確な復讐の対象者がいる。

では、雪音クリスの復讐の対象は? 

強いて言えば、それはあの戦乱の国で銃を取る大人たちだ。

しかし、風鳴家での教育を経て、戦争とは政治経済文化が絡んだ単一色なものではないことを学んでいる。例え復讐を志しても、相手はあまりにも漠然としてその範疇も捉えどころはない。

両親を殺されたことに復讐心がないとは言わないが、もはやクリスの中では、理不尽は理不尽のまま記憶に収まっているような状態だった。

 

ともあれ、この二人は、天羽奏に同情し、その覚悟に感嘆していた。

元々が優しい娘たちであれば、奏に手を差し伸べて協力するに吝かではない。

ごく自然に仲間と見做した彼女が、血反吐に塗れてとうとう予定された適合係数に達してシンフォギア・システムを稼働させた際には、二人揃って喝采を上げたものだ。

 

これで、特異災害対策機動部に所属する適合者は3名。

アンチ・ノイズ・プロテクター、シンフォギアを纏うことが可能な戦士たち。

年端もいかぬ彼女たちを得て、ようやく計画は次の段階へとシフトしていくことになる。

それは―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたしたちをアイドルデビューさせるなんて、正気かよダンナ?」

 

極秘裏に集められたミーティングで一通りの説明を受けた奏は、開口一番そう言った。

 

「真面目も真面目、大真面目だぞ」

 

弦十郎は全く動じることなく受けて立つ。

 

「そもそもがフォニックゲインが重要なのだ」

 

聖遺物は歌の力によって励起する。その力こそフォニックゲインという形で測定されていた。

ゆえに、翼、クリス、奏の三人には、歌唱の訓練が施されている。

シンフォギアがそのフォニックゲインで力を増す以上、当然のことだろう。

 

「だからといって、私たちはまだ中学生なのですが…」

 

戸惑う声を上げたのは、当時ピカピカのリディアン中等部一回生の翼。

この頃にはだいぶ男性口調が板につき、伸ばした背筋もピンとして古武士のような貫録さえ感じさせる。

 

「ま、中学生でアイドルデビューした前例も多いだろうけどよ」

 

制服のポケットに忍ばせていたあんぱんを取りだして豪快に齧りながら奏。

15歳で中等部三年生となった奏は、一年前と比べて更に身体が大きくなっている。

すらりと伸びた手足も形よく、仄かな色気さえ漂わせる彼女は成長期真っ盛り。このところ腹が減って仕方ないとパンを食べる手を止めない。

 

「なにも今すぐというつもりはない。まずはレッスンに励んでいてくれ」

 

浮かない顔をする翼と奏に、弦十郎は当然だと思う。

少々生臭い話をすれば、彼女たちにかけられている国費は半端ない。

それらの代償に、ノイズ戦という対価が求められているわけだが、それだけでは覚束ないレベル。

そこで発案された苦肉の策が、これら適合者、いや、シンフォギア装者たちにアイドル活動をさせ収益を得ようという手法。

冷静に考えれば芸能活動など博打に近いが、背景には国家権力もある。

それに、翼も奏も、見た目的にはかなりハイレベルの美少女だ。

成功する可能性は高いと関係者たちは見込んでいた。

 

「でもなあ~」

 

なお渋りながら、頭の後ろで腕を組む奏。

同じように渋い表情で考えこんでいた翼だったが、ふと弦十郎の方を向いた。

 

「叔父さま」

 

「ん?」

 

「私は、クリスと一緒だったらやってもいいですッ」

 

これには、わたしは関係ないよね…?とゆっくりお茶を啜っていたクリスが噴きだした。

 

「なななにいっているの、翼ッ!?」

 

紙コップを放り出して詰め寄れば、翼は物凄い笑顔。

 

「うん。私はクリスとやりたい! クリスと一緒にみんなの前で唄ってみたいッ!」

 

思わず絶句するクリスの全身に、奏の声が覆いかぶさってくる。

 

「そりゃあいいなッ! 確かに雪音も一緒なら心強いぜッ!」

 

実はこの三人で、一番歌唱力が高いのはクリスである。

演奏家の父と声楽家の母をもつ音楽家のサラブレッドだから当然のことだろう。

なお、この時点で一番歌唱力が低いというか、一番アレなのは翼だった。

あらゆる歌に妙にコブシを利かせる唄い方をしてしまう彼女は、父である八紘の演歌趣味に染まっている。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ、二人とも!」

 

この時ばかりはと意気投合する翼と奏に、クリスは慌てて手を振ってみせる。

 

二人とも、普段はケンカばかりしているくせにッ。

 

不満と困惑の眼差しで弦十郎に助けを求めれば、むしろ義理の兄は力強く頷いていた。

 

「そうだな、クリスも一緒の方が絶対に人気が出るだろうなッ!」

 

彼ほど義理の妹の可愛らしさを確信している人間はいなかっただろう。

 

「ねえ、クリス。一緒にやろう?」

 

親友の懇願。

 

「うむ。それもアリだな。大いにアリだ」

 

敬愛する義兄からの期待の眼差し。 

 

「なー、頼むよー。一緒にやろーぜー」

 

最近得た年上の友人の有無を言わせぬ同調圧力。

 

このトライアングルアタックから、今のクリスがどうして逃げられよう?

 

かくして特機部二の歌姫育成プロジェクトタイトル

『ツヴァイウイング』(仮)

は、

『トライウイング』(仮)へと書き換えられることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

リディアン音楽院は初等部と中等部は給食が提供されている。

あまり食が太くないクリスは、早々に済ませ中庭のベンチにいた。

教室にいれば、いつも周囲に級友たちが絶えない彼女であるが、ベンチには一人きり。

その理由は間もなく判明。

 

「クリスッ!」

 

たったったと翼が駆けてくる。

彼女も昼食を済ませたらしく、軽やかな動作でベンチの隣へと腰を降ろす。

昼食後のひと時を、こうやって二人で過ごすのが通例になっていた。

そして他の生徒たちも、蒼姫と銀姫の邂逅を邪魔するつもりはないようだ。

ただ、中等部のマンガ研究会と美術部の一部が、激しく興奮しながらそんな二人を遠目にスケッチする姿が散見されたが、ただちに影響はない。

 

何をするわけでもなく、二人並んでベンチに座る。

それだけで絵になる光景だったが、今日は翼がうつらうつらしながらクリスの肩へと頭を載せてきた。

 

「…翼?」

 

「肩を貸してもらっていい? 夕べ、あまり寝てなくて…」

 

シンフォギアを纏った翼と奏は、昨年より実戦へと投入されていた。

先日の真夜中過ぎにノイズ発生のアラームを受け、弦十郎がマンションを飛び出していったのをクリスは憶えている。

 

「うん。いいよ。お疲れさま」

 

「ありがとう…」

 

語尾がすーすーといった寝息に変わる。

肩の重さを心地よく感じながら、クリスはゆっくりと空を見上げた。

 

小春日和の陽光は温かく、頬を撫でる風は柔らかい。

ここは平和な日本だけど、空の青さだけは変わらない。

あの南米のバルベルデと。

 

もう二年も経つんだ―――。

 

深い感慨がクリスの中へと去来する。

 

両親を失ったのが二年前。訃堂に救われたのが二年前。

それから、たった二年。されど二年。

 

自分を取り巻く環境は、本当に大きく変わった。

両親を失った悲しみは、今も完全に整理されたわけじゃない。

けれど、今、間違いなくわたしは幸せの中にいる。

風鳴の家の人は優しくて。親友にも恵まれて。

 

―――だけに、クリスは不安になる。

 

未だにクリスは夜中に跳ね起きることがある。

つい先日も、急に飛び起きて、怖くて怖くて朝まで眠れなくなった。

 

すると気づいた弦十郎が音もなくやってきて、一晩中色々な話を聞かせてくれたり、テレビでコメディ映画を一緒に観てくれたりした。

これだけでも、クリスは弦十郎の家に住まわせてもらっていることに深く感謝している。けれど、おそらく弦十郎はクリスが怯えていた本当の理由に気づいていない。

 

クリスが真に怯えているのは、バルベルデでろくでもない大人たちに襲われそうになった体験ではなかった。

 

両親を戦火に奪われ、風鳴訃堂に救われた。

両親を失った悲しみの次に得た、膨大な幸運。

その現実が、クリスの理性に囁きかける。

 

もしかして、パパとママが死んだから、わたしはこんなにも今は幸せなの?

じゃあパパとママが生きていたら、わたしは―――。

 

聡いクリスは、そんな仮定は無意味なことだと気づいている。

同時に幼い彼女は、両親を犠牲にしたからこそ今の幸せを手中に出来たのではと思い悩む。

 

ゆっくりと空から視線を隣の親友へと移し、クリスは心の中で問い掛ける。

 

ねえ、翼。

こんなわたしが、あなたの親友でいいの?

 

いきなり頭の上に手を置かれる感触。

思わず首をすくめると、隣にふわりと腰を降ろす赤い髪の上級生。

 

「ようよう、なに難しい顔してるんだい、子猫ちゃん? 」

 

「カナデ…」

 

彼女のこのテンションの高さには、クリスをして辟易してしまうことが多い。

当の奏も、敢えて空気を読まない大胆さで、制服のポケットから菓子パンを取りだしてむしゃむしゃと咀嚼。

 

「いやあ、昼飯に弁当喰ったんだけど、ここに来るまでまた腹減ってさあ!」

 

リディアンの高等部は、中等部とは別の敷地にある。

言っていることは分かるけれど、何を言いたいのか分からない。

 

「そんなこと訊いてないよ…」

 

さすがにクリスが小声で呟けば、ぺろりと菓子パンを平らげた指を舐めて、にいっと奏は笑った。

 

「あたしも昨日は殆ど徹夜でノイズをぶっ飛ばしてたんだけどさ」

 

「それは知っている」

 

「だから、すっげー眠いんだよなー」

 

言うなり、クリスの空いている肩に頭を載せてくる奏。

 

「ちょッ…!」

 

「おまえ、本当にやーらかくて、良い匂いするなあ…」

 

「やめてよ、恥ずかしいよ…!」

 

「翼ばっかりずりーぞー…?」

 

語尾にはもう寝息が重なっていた。

左肩に翼、右肩に奏を載せて、クリスは動けない。

 

…二人とも疲れているのは分かっているけれども―――!

 

だからといって、そこで振り払えないのが今のクリスのクリスたる所以。

遠目にも、驚きやニヤニヤといった視線がこちらを見ているのが分かる。

赤面した顔を伏せて、クリスはどうにかやり過ごすしかない。

 

そして昼休みも終わり、予鈴が鳴った。

 

ガバッと顔を上げる翼に、ようやくこれで解放されるとクリスが胸を撫で下ろしたのも束の間、対面の奏も目を覚ます。

寝起きで余計幼く見えていた翼の表情が、みるみると険しくなる。

クリスの止める間もあらば、

 

「奏! なんであなたがここにいるッ!?」

 

「…うっせーな。そんな怒鳴らなくても聞こえてるって」

 

「いいから私の質問に答えろッ!」

 

「なんだよ、あたしが中等部に遊びに来て悪いってのか?」

 

「それは悪くない。だがッ!」

 

そこで翼はクリスの肩をがばっと抱き寄せて、

 

「クリスは私専用の枕なのだッ!」

 

慎ましやかな胸を張る翼を、奏は鼻で笑う。

 

「あのなあ、せめて有機物で呼んでやれよ」

 

「む? ならば、肉枕…いやいや生き枕…ッ?」

 

「だから枕から離れろやッ」

 

ひたすら頭の悪い不毛な言い争いに、誰よりも早くクリスが悲鳴を上げた。

 

「いい加減にして、二人ともッ!」

 

そのままぷいっと横を向けば、たちまち狼狽える翼と奏がいる。

 

「あ、ごめん、クリス。怒った…?」

 

「悪ぃ悪ぃ。…だから枕じゃなくて別のものに例えろって」

 

「…そういうことじゃない…ッ!」

 

完全に機嫌を悪くしたクリスを、翼と奏は本鈴が鳴っても宥め続ける。

そこには、凛とした蒼姫や剛毅な赤姫の姿は欠片も存在しない。

 

 

しかして、この三人を合わせて、『銀と赤と蒼の三姫』と呼ばれるようになったかと言えば―――それは否。

 

かつて周囲の女学生と近隣の男子学生の憧憬の眼差しを欲しいままにした翼と奏はその株を大暴落させ、相対的にクリスが株を爆上げした結果、彼女たちはこう呼ばれるようになった。

 

『銀姫とリトマス試験紙』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 Follow The Sun

「きゃッ!」

 

クリスが悲鳴を上げて飛び退る。

半瞬遅れて彼女がいた場所をノイズが襲う。

 

「このッ!」

 

一瞬で間合いを詰めた翼が、そのノイズを横なぎで消し炭に変える。

 

「クリス! 大丈夫ッ!?」

 

「う、うんッ」

 

そう返事をしたものの、クリスの顔色は真っ青だった。

燃える炎。立ち込める黒煙。樹木の焼ける臭い。人工物の焼ける臭い。そして、人の焼ける臭い―――。

それらはクリスの過去の記憶を容赦なく刺激してくる。

両親を失った、数年前のバルベルデの惨状を。

 

『戦えないなら、せめて大声で歌を唄いやがれッ!』

 

ヘッドセットの通信機越しに奏の怒鳴り声。

 

「ッ! そんな言い方ッ!」

 

翼が瞬間沸騰するも、奏は返事をしない。

聞こえてくるのは彼女の激しい息遣いと裂帛の気合。

 

…ここは紛れもない戦場(いくさば)だ。

悠長に構えている暇などないッ!

 

戦士へと立ち戻った翼は、クリスに一瞬だけ心配そうな瞳を向けてから宙へ飛ぶ。

空中で幾つもの小柄を雨のように降らす技は《千ノ落涙》。

親友の後ろ姿を眼に、クリスも自分が出来ることをするべく背筋を伸ばす。

 

戦場に不釣り合いなほど穏やかな旋律。クリスの唇から紡がれる歌。

歌はシンフォギアのバリア・コーティングを高め、装者へのノイズの攻撃をほぼ無効化する。

同時に、歌声の響く範囲内であれば、ノイズそのものを変質させ、炭素転換能力を低減させる効果を及ぼす。

もっともこれは低減であって無効化ではない。普通の人間にとっては致命傷になるリスクを僅かなりでも下げる程度だ。

それでもクリスは声のかぎり唄う。

市街に突如現れたノイズに対し、自衛隊が迎撃に出撃してた。

今までにない数のノイズにシンフォギア装者たちにも出撃要請が下される。

それはクリスにとっての初陣でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

特異災害対策機動部の本部でも、装者たちの活躍はモニターされていた。

オペレーターたちが忙しくアシストの声を飛ばす中、腕組みをして仁王立ちをしている総司令、風鳴弦十郎がそわそわと落ち着かない。

ついにはスッと踵を返し、発令所を出ていこうとするところで、技術主任櫻井了子から肩を掴まれる。

 

「どこに行くのかしら、弦十郎クン?」

 

「い、いや、ちょっと小用に…」

 

「本当は、クリスちゃんを助けにいくつもりなんでしょ?」

 

「…後生だ、了子くん! どうか見逃してくれッ!」

 

大男が卑屈に身体を折り曲げて両手を合わせてくる。

その姿に、了子はやれやれと溜息をつく。

 

「あなたがいっても、ノイズ相手にどうしようもないでしょうに」

 

「し、しかし…!」

 

「いいから黙ってみてなさいな。そもそも、あの子たちはそんなヤワな子たちじゃないでしょ?」

 

「そうかも知れんが…」

 

煮え切らない態度の総司令のケツに、了子はミドルキックを決める。

 

「あなたがあの子たちを信じてやらなくて、誰が信じるのッ!」

 

痛む右足に涙目になりながら了子は一喝。

すると、ようやく弦十郎の背筋がしゃんと伸びた。

 

「…そうだな。その通りだな」

 

「司令ならもっと腰を落ち着けて踏ん反り返ってなさいな」

 

「全くだ。ありがとう、了子くん」

 

何事かと振り返ってくる部下たちに、なんでもないと応じた弦十郎は再びモニターの前に立つ。

その大きな背中を見送り、まったくシスコンなんだから、などと櫻井了子は言わない。

替わりに、誰にも聞こえないような小声でそっと呟く。

 

「…このくらい切り抜けて貰わなきゃ、張り合いがないわよ―――」

 

その瞳は、金色に染まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスは唄う。

彼女の纏うシンフォギアは、狩猟神ウルの弓の欠片が基となったイチイバル。

赤を基調とした艶のある色は、かつて訃堂に貰ったバッヂのレッドエメラルドに似ている。

そして手にもつアームドギアは弓だ。

現在の彼女のもっとも慣れ親しんだ武器。

ノイズ目がけて既に何本が射っていたが、一本として当たらなかった。

 

戦闘シミュレーションは何度も繰り返していたのに、本当の戦場ではわたしは役立たずだ…!

 

悔やんでも、泣いても、この場では意味はない。

だからクリスは、奏に言われたとおり、精一杯唄い続ける。

そんな彼女の目前に展開される光景は、控えめにいって地獄絵図だ。

崩壊した建物。傷ついた車両。

そしてその瓦礫に飛び散った血の跡。

戦禍の音に耳を澄ませば、そこには助けを求める人間の声が混じっていただろう。

だが、広大な戦場で、クリスにはその声を全て掬い上げることなど出来やしない。

なのに、燃える炎の向こうに、ゆらりとその人影が現れたのははっきりと見えた。

 

小さな女の子が泣いている。

煤に塗れ、「お父さんお母さん」と叫んでいる口の動きがクリスには分かる。

 

その光景に、クリスの記憶が強烈なフラッシュバック。

 

あれは、わたしだ。

バルベルデでパパとママを失った直後のわたし―――!!

 

しかし、その女の子は幻影ではなかった。証拠とばかりに彼女の背後から一体のノイズが近づいている。

 

「ッ!!」

 

クリスは走る。女の子を救うために。いや、過去の自分を救うために。

けれど、あまりにも距離は離れている。間に合わないッ…!

 

半ば無意識でクリスは弓を番えていた。

脳裏に、訃堂の声が響く。

 

『心を平らにし、息を吸いながら引き絞る。気合とともに狙って放てば、世に外れる道理なし』

 

習った通りに、引き絞る。だが、悠長に狙いを定めている暇などなかった。

 

「お願い、当たってッッ!」

 

クリスは矢を放つ。

赤い流星のように尾を引く軌跡は、女の子に覆いかぶさろうとしていたノイズを見事に射抜いていた。

 

「…やった!?」

 

自分でも信じられない気持ちのまま、クリスは女の子のもとへと達していた。

目の前でノイズを蹴散らされへたり込む女の子を抱き寄せる。

 

「もう大丈夫だよ? 安心して」

 

すると、女の子はクリスの首に腕を回し、盛大に泣きはじめた。

クリスは既視感に襲われていた。

きっとバルベルデで訃堂に助けてもらった自分もこんな風だったのだろう。

ゆっくりと身体を離すと、クリスは女の子へと微笑みかけた。

 

「それじゃ、お姉ちゃんは、もっとノイズをやっつけてくるから」

 

最後に女の子の頭を撫でて、やってきた二課の職員へと手渡す。

そうしてから、クリスは改めて戦場へと向き合う。

 

燃える炎は、まるで空まで焦がすよう。

燃え尽きそうな空に、二人の友の歌が流れ続けている。

彼女たちは唄いながら戦っている。

だったら、わたしも、もう唄うだけじゃいられない!

 

「翼! カナデ! わたしも行くよ! もう足手まといになんかならないッ!」

 

『ッ! 了解クリス! 無理しないでねッ!』

 

『ったりめーだ! おっせえんだよ、おまえはッ!』

 

ヘッドセットから流れてくる友の声を耳に、歌を再開したクリスは流麗な動きで矢を次々と射る。

迷いのない一射は、それぞれが百発百中。

一つの矢で三体のノイズを一気に貫通させる腕前まで披露するも、それでもノイズの数は膨大。

かつてないフォニックゲインの高まりを意識しながら、クリスは弓を燃える空へと目がけて構える。

今なら出来る。きっと出来るはずだ。

平らな心で弓を引き、渾身の歌の力を込めて放つ、クリス初めての必殺技。

 

「《SOUL STEAL BLADE》!!」

 

放たれた矢は空に吸い込まれ見えなくなる。しかし天に光が煌めいた次の瞬間、今度は空から無数の矢が五月雨のように降り注ぐ。

翼の《千ノ落涙》より広範囲かつ、ノイズ以外の生命体は避けて地面に突き立つ超絶技。

 

『ひゅ~♪』

 

奏の称賛の口笛。

 

『よしッ!』

 

弦十郎のガッツポーズを取る声。

 

『こんなの、いつの間に…ッ!?』

 

感嘆と驚愕の声を上げる翼を遠目に見つけ、クリスは笑いかける。

 

「今度はわたしがみんなを守る番だよッ」

 

 

 

 

 

 

 

戦いは終わった。

ノイズは全て駆逐され、ようやく火の粉も収まった街では、生存者の救助が行われている。

運ばれて行くは痛みに悶絶する人。もしくは二度と物言わぬ人たち。

その光景に、クリスは唇を噛む。

…もっと自分が早く戦えていたら…!!

そんな彼女の頭がポンと叩かれた。

 

「しけた顔してんじゃねえよ」

 

「カナデ…」

 

「助けられなかった人を悔やむより、助けられた人がいたこと誇れ。そして、今度はもっと上手くやるって気合を入れるんだ」

 

先に戦場に立った戦士としての言葉は重みがある。

 

「うん…」

 

奏なりの励ましを受け止めて頷くクリスに、翼もやってきた。

 

「クリス! 凄かったな、あの技は!」

 

手放しでクリスの弓技を褒めたあと、翼は隣にいる奏を見る。

 

「…あー、奏も凄かったぞ、色々と。特にあの槍から螺旋状の剣風を飛ばすやつなど…」

 

クリスだけ褒めてはバランスが悪いと思ったのだろう。

不器用な翼からの称賛を、奏は苦笑して受け取る。

 

「ありがとよ。でも、おまえたちに比べて、バンバン大技を連発しちゃすぐガス欠になっちまう。いわば制限時間付きで、ウルトラマンと一緒だな」

 

「正直、その例えの意味が分からないのだが…」

 

困惑する翼は、風鳴の直系であるにも関わらず、未だ訃堂の趣味の洗礼を受けていない。

多少はその洗礼を受けていたクリスは奏の言っていることは理解できたけれど、あえて反応せず空を見上げる。

先ほどまでの苛烈な戦闘の空気を洗い流すように、どこまでも青かった。

 

「――と。あたしらも救助と片付けを手伝おうぜ」

 

奏が瓦礫へと走って行く。

半瞬遅れて翼とクリスも彼女の背中を追った。

シンフォギアは、対ノイズにおける防御力が全てではない。纏った人間の身体能力を飛躍的に上昇させる。

クリスだけでも、大の大人の二人分くらいの働きが出来るし、三人協力すれば重機並みの出力が出せる。

巨大な瓦礫が取り除かれ、下から一人の自衛官が救出された。

同僚に肩を支えられながら、その自衛官は三人の装者を眩しげに見上げる。

 

「ずっと歌が聞こえていた。だから、諦めなかった」

 

その言葉にクリスは報われる思いだった。

直接褒められてわけではない。けれど、自分が唄ったことが無駄ではなかったことが分かった。それがなにより嬉しい。

 

「…シンフォギアを使うために歌を唄うってのは当然だと思っていたけどな」

 

ポツリと奏は言う。

 

「でも、その歌が誰かを勇気づけられるってんなら、歌手になるってのも悪くないのかも知れない」

 

「…ああ。そうかも知れない」

 

翼が応じる。

 

「…うん」

 

控えめにクリスも頷く。

すると奏は、二人に背中を向けた。

きっと柄にもないことを言って照れくさいんだろう。

そう推察し、こっそり笑いあう翼とクリス。

だから二人は気づかない。

奏の顔が、一瞬険しく歪んだことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、もう一つの初陣―――。

 

 

 

「クリス。まだなの?」

 

ステージ衣装に着替えた翼が試着室へと声を投げる。

 

「雪音ー。早く出て来いよー。こちとらいい加減待ちくたびれたぜー」

 

ソファーに腰を降ろし遠慮なく大あくびをする奏も、煌びやかなステージ衣装を纏っていた。

すると、ようやく試着室のカーテンが動く。

往生際も悪く、胴体を覆って顔だけをクリスが覗かせていた。

 

「だってッ! こんなの…ッ!」

 

「いつまでカマトトぶってんだ、おまえは?」

 

とうとう痺れを切らしたらしく、奏が立ち上がって歩いて行く。

そうして強引にクリスの腕を掴むと、試着室から引っ張りだす。

 

「きゃッ!?」

 

クリスの短い悲鳴に続き、

 

「おお…」

 

と複数の感嘆の声が上がる。

 

「すっごい似合ってるわよ~! 弦十郎クンはどう思う?」

 

櫻井了子にそう振られるも、弦十郎の返事まではタイムラグがあった。

完全に義妹に見惚れていた弦十郎は、ゴホンと軽く咳払いをしてから、なるべく重々しく頷く。

 

「…すこぶる似合っているぞ、クリス」

 

対するクリスは顔を真っ赤にしていたが、決して義兄の称賛に照れていたわけではない。

 

「でも! でも! 太腿が剥き出しで、こんな短いスカート…!」

 

必死でベリーミニのスカートの裾を掴んで下に引っ張るクリスは涙目。

 

「なーに言ってんだよ。下にはスパッツを履いているだろーが」

 

「きゃッ!?」

 

ペロリとスカートをまくり上げられ、クリスは悲鳴を上げる。

 

「だいたいシンフォギアの時は、もっとすげえカッコしてるじゃねーか、お互いに」

 

そういって自分のスカートをバサバサする奏の背中を、

 

「~~~ッッ!!!」

 

涙目で顔を真っ赤したクリスがポカポカと叩く。

 

「だからといって、はしたないぞ奏」

 

クリスのあまりにも可愛すぎる反応に、諌める翼も覇気を欠いている。

それは彼女の叔父も同様で、年甲斐もなく顔を真っ赤にした弦十郎はあらぬ方向に顔を向けていた。

 

「と、とりあえず、みんな衣装の方は問題ないかしら?」

 

場の空気を取りなすように友里あおいが声を上げる。

司令部付きの彼女は、装者のオペレートは勿論、組織の内外の様々なパイプ役も担う貴重な人材だ。

この『トライウイング』プロジェクトは未だ極秘扱いのため、衣装合わせはしても、制作者へのコーディネートやオーダーは今のところ彼女が窓口になっている。

 

「うん。あたしは問題ないな」

 

「私も問題ありません」

 

奏と翼が頷く横で、クリスはおずおずと手をあげている。

 

「あら? クリスちゃん、どうしたのかしら?」

 

友里が訊ねたが、クリスはなぜかモジモジして顔を伏せてしまう。

その様子にピンときた友里は、彼女の肩を抱きかかえるようにして部屋の隅へ。

 

「クリスちゃん、言いづらいことがあるんでしょ?」

 

「…はい。実は…」

 

ぼそぼそとクリスに耳打ちされて、友里は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「胸が苦しいですって!? 確か一週間前に採寸したばかりじゃ…!」

 

「と、友里さん! 声が! 声が…ッ!」

 

「あ、ご、ごめんなさい…」

 

またぞろ真っ赤な顔で涙目になるクリスに友里は謝罪。

 

「…それで? どれくらい育ったのかしら?」

 

「…それは…」

 

再度ぼそぼそと耳打ちされ、友里は魂の絶叫。

 

「…D!? 十三歳でDぃいいいいいッ!?」

 

「友里さんッッッ!!」

 

なおこの時、弦十郎の両耳には、櫻井了子が全力全開で人差し指を突っ込んでいた模様。

 

「ったく、そんなんでガタガタいうないッ」

 

奏が部屋の隅で蹲るクリスの元へとやってきた。

 

「どうしても苦しいってんならよ」

 

いきなりクリスの衣裳のピッチリ閉じた前ボタンを二個ほど外す。

 

「な、なにするのカナデッ!」

 

悲鳴を上げるクリスに奏は取り合わない。

 

「そうやって胸の谷間を見せてヤローどもを誘惑してやればいいのさ」

 

自分自身も豊かな胸を張ってカラカラと笑っている。

 

「それが嫌だったら、せいぜい歌で魅せてやるんだよ。あたしらがどんな格好してようが気にならないほど聞き惚れちまう歌でな」

 

「そう! 奏の言うとおりだぞ、クリス!」

 

拳を握って力説する翼の胸は、悲しいほどに摩擦係数が低かった。

…まだ14歳だし! まだまだ成長期だし!

 

「とにかく、これで戦闘準備が出来たってわけだな」

 

そうのたまう奏にとって、このステージ衣装はシンフォギアと同様の戦闘服なのだろう。

緊張した面持ちで翼が頷けば、どうにか落ち着きを取り戻したクリスも倣う。

 

歌のレッスンに加え、ダンスの振り付けといった猛特訓も終えた彼女ら三人。

後の日本のミュージックシーンを大きく塗り替える新生ユニット。

その名も『トライウイング』は、来週のデビューを控えていた。

 

 

 

「ところでさ、やっぱり決めポーズって必要だと思わないか?」

 

「…は?」

 

「…はい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっしゃ行くぞ! キシャー!(荒ぶる鷹のポーズ)」

 

 

「くッ! この片手片足を水平に伸ばすポーズは苦しい上に屈辱的! だが、この屈辱、今の私には心地良い…ッ!!」

 

 

「…なんでわたしがバルパンサーなの…?」

 

 

 

 

 

 

 

 




良い子のみんなッ!

「追魂奪命剣」と「サンバルカンのポーズ」をそれぞれ検索してみようッ!

お兄さんとの約束だッ!





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 熱い正義の魂

満を持してデビューした新ユニット『トライウイング』。

その人気は、軽々と関係者の予想を超越していた。

 

モデル体型でアグレッシブな天羽奏。

中性的で凛とした雰囲気とキレのある動きを見せる風鳴翼。

そしてコケティッシュで清楚な妹キャラの雪音クリス。

 

ある意味、それぞれが需要のツボを押さえたキャラの三人は、その上でずば抜けた歌唱力まで持っている。

これで売れるなという方が無理な相談だろう。

 

デビュー曲『逆光のフリューゲル』はたちまち音楽配信のトップ10へランクインを果たし、彼女らのピンナップを同封したCDは、メディアディスク冬の時代にも関わらず爆売れ。

 

この誤算に、特災害対策機動部は嬉しい悲鳴を上げていた。

 

「いやあ、youtubeのPVの再生も凄いですよ~」

 

ホクホク顔で藤尭朔也が報告してくる。トライウイングの動画編集は彼が担当していたから、その喜びもひとしおだろう。

 

関連グッズも売れに売れ、各種メディアからもインタビューやテレビ出演の依頼が殺到していたが、今のところ大幅に露出を制限していた。

初プロジェクトであり、予想以上の人気が制御が出来なくなってしまう懸念がある。また、性急すぎる展開を忌避しているのには、多分に弦十郎の私情も混じっていた。

本来的には、三人ともまだ学生だ。必要以上に彼女たちのプライベートを削るのは、まったく弦十郎の本意ではない。

 

今のところ、装者の秘匿性の方面からも上層部の考えと弦十郎のそれは一致していたが、加熱するトライウイング人気にどれだけ押さえが効くか、予断を許さぬところだった。

なにせ、肝腎の組織内部の(たが)も外れ気味である。

職員がグッズを優先的に購入したりするのはまだ可愛いほうで、三人に個人的にサインを求めようとしたり、一緒に写真を撮ろうとする職員も出現。

これにはさすがに弦十郎も部下たちの手綱を引き締める必要性を認めざるを得ない。

 

綱紀粛正の意味も含め、装者用に、急遽、関係者以外立ち入り禁止の特別フロアが用意された。

それなりに厳重なセキリュティを本部内に準備しなければならないことに溜息をつきつつ、待機室へ弦十郎が赴くと、ちょうど翼とクリスが課題へと勤しんでいるところ。

アイドル活動にシンフォギア装者という二足のわらじ、もとい二馬力で働く二人だが、未だ中学生で義務教育を受けなければならない身だ。

出席日数こそ、学院のタレントコースに所属しているのでアイドル活動自体もカウントするというウルトラCな解釈でどうにかしているが、学生の本分である学業ばかりはどうにもならない。テストは、下駄を履かせられることはなくキッチリと受けている。

 

「はいはい、頑張れ頑張れー」

 

アイスコーヒーなぞを啜り、雑誌片手に無責任に囃し立てる奏は、まったく他人事の涼しい顔。

一応高校生である彼女は義務教育から解放されている。

本人も『取りあえず卒業できりゃあいいや』と吹聴しているクセに、勉強もしていないわりに成績も優秀なものだから色々と手に負えない。

適合係数以外は、万能型天才の天羽奏であった。

 

「おうッ、頑張っているな、おまえたちッ」

 

弦十郎もそう声をかけると、シャープペン片手の翼とクリスは反応。

 

「叔父さま」

 

「兄さん」

 

見上げてくる顔は、心なしか疲労の色が濃い。

二人とも、まだ中学生の身空で不憫な…。

弦十郎の鼻の奥がツンと熱くなる。

誤魔化すように鼻をすすり、弦十郎は努めて明るい顔で言った。

 

「ときに、今日の予定はどうなっている?」

 

「本日は、17時からダンスのレッスンの予定ですね」

 

二人の代わりに答えたのは、スーツを着た緒川慎次だ。

彼は、弦十郎直々に『トライウイング』のマネージャーに任命されていた。

司令という立場で身軽に動けぬ弦十郎としては、最大限の配慮である。

緒川自身の人品と有能さも去ることながら、特機部二内で、曲がりなりにも弦十郎とスパーリングが成立する人材は彼しかいない。

 

「ふむ。では、その後は?」

 

「20時以降は、今のところ予定は…」

 

緒川の返事を訊き、弦十郎は大きく手を打ち鳴らす。

 

「よしッ! 今晩は、みんなで美味いものでも喰いに行くかッ!」

 

「マジかよ、ダンナッ!? あたしが焼き肉がいいな、焼き肉ッ!」

 

真っ先に食いついてくる奏は、ほとんど体育会系男子高校生のノリである。

 

「…焼肉、ですか…?」

 

対して、渋い顔をするのは翼。

同調するような顔つきになるクリスも見て、弦十郎は困惑する。

 

「なんだ、二人とも肉は嫌いか?」

 

弦十郎自身は体育会系というより、スタミナをつけるときは肉だ! という単純な脳筋者。

 

「…えっと。兄さん、わたしたちもお肉は嫌いじゃないんだけど…」

 

苦笑いで言ってくるクリスに首を捻っていると、こっそりと緒川が耳打ちしてきた。

この年頃の女の子は、あまり臭いが強烈な食べものや、衣類や髪に臭いがつくことを嫌がるそうな。

そう言われてみれば、三人とも制服姿である。レッスン終了後に改めて着替えるのはともかく、制服ではない衣類の準備などには余計な手間や時間もかかってしまう。

クリスが言い淀んでいるのは、つまりはそういうことなのだろう。

 

しかし、弦十郎はニッカリと笑う。

 

「安心しろ。おまえたちが行ったことがないような上品なところに連れていってやるさ」

 

「え~? そんなモン喰って、力がつくのかよ~」

 

間髪入れずブー垂れてくる奏にも、弦十郎は笑みを向けた。

 

「VIP用の名店だ。完全個室で、目の前で肉やら海鮮やらを調理してくれるんだが、これが絶品でな。

 そして店主のポリシーが空気もご馳走ということで、完璧な空調で身体に臭いがつくことはない」

 

翼とクリスが顔を見合わせている。

 

「…それなら…」

 

代表しておずおずと翼が賛同の意を示せば、奏は立ち上がって小躍りするようにステップを踏む。

 

「ひゃっはー! 肉だ肉だーッ!」

 

その様子を微笑ましく思いながら、弦十郎は宣言する。

 

「そういうわけだ。三人とも、今日はもう少し頑張ってくれッ!」

 

 

 

 

 

 

 

その店は繁華街の外れにあり、看板も何もかけられていない。

本来なら一年先まで予約で埋まっている店だったが、弦十郎は様々な伝手を、それこそ公安警察時代の伝手まで駆使して、急遽入店できるよう取り付けていた。

明るく落ち着いた瀟洒な店内は、評判通り無臭だった。

 

「いらっしゃいませ」

 

恰幅の良い調理人兼店主に、弦十郎は自分と緒川も含めた五人分のコースを注文。

新鮮な刺身のカルパッチョから始まり、メインはじっくりと一時間かけて焼き上げたステーキ。

奏は「美味ぇ美味ぇ!」を連呼しながら、追加で幾つか肉を焼いてもらう。

クリスは「…おいしいッ!」と眼を見張り、上品な箸使いで口元を覆って見せる。

そして翼は「…21時過ぎには食べないようにしているけど、セーフだから! まだ20時59分だからッ!」となにやら自身のポリシーと激しく葛藤していた。

 

「ふい~! 喰った喰った!」

 

〆に店主オリジナルの牛丼とシーフードカレーを頼み、デザートも二人前平らげて、奏は満足気な声を上げる。

 

「本当に美味しかったですッ」

 

眼を輝かせ力説してくる翼とクリスに、弦十郎は報われる思いを味わう。

だが、そこで十分に責務を果たせたかというと微妙だ。

俺には、こうやって美味いものを食べさせる程度のことしか出来ない、と内心で忸怩たるものがある。

それでも、三人とも活力を取り戻してくれたのは何よりだった。

 

「どおれ、帰るか。早く帰ってぐっすり寝て、明日に備えんとな」

 

来た時と同様、弦十郎の愛車のランクルで戻ろうとしたのだが、奏が一人乗り込んでこない。

 

「ダンナ、悪いな。せっかくだけど、腹ごなしに少し走って帰るわ」

 

「…タフだな、奏は」

 

呆れてみせる翼だったが、赤毛の彼女が体力お化けな点は見習わなければならないと思っている。

じっと奏の目を見てから弦十郎は頷く。

 

「そうか。気をつけてな」

 

「あいよ。翼も雪音もおやすみな」

 

手を振る奏に見送られ、弦十郎は車を発進させた。

 

その大きな車のバックライトが見えなくなってから、奏は腰に手を当てる。

 

「さて、と」

 

周囲を見回した奏は、路肩に黒塗りの車が停まっているのを発見。

躊躇なくその車に近づいた彼女は、いきなり後部座席のドアを開けて乗り込んだ。

これに驚いたのは、ハンドルを握る黒服と助手席の黒服たち。

助手席にいたほうは勢いよく振り返ってくる。

 

「な―――」

 

「アンタら、特機部二の護衛だろ?」

 

奏の指摘は正鵠で、この二人は装者専属のエージェントたち。

彼女らの知らぬところで、常に何人もの護衛たちが目を光らせている。

弦十郎があっさりと奏を放置して帰った理由でもあるのだが、狼狽える黒服の一人に、奏は「ん?」と顔を顰める。

 

「ああ、アンタか! いやあ、その節は悪いことしたなあ」

 

彼女は、その黒服に見覚えがあった。なにせ二年以上前に特機部二に保護されたとき、腕をへし折ってやった当人である。

訃堂に諭されたのち、怪我を負わせた彼らには念入りに謝罪に訪れていた奏は、その顔を忘れていない。

 

「こうやってもう護衛任務につけるってのは、完全に回復したってことだろ? あー、良かったー」

 

そういってペタペタと腕を触られ黒服は更に狼狽える。

装者であり、今をときめく『トライウイング』の一翼からこうもあっけらかんと触れられ捲ったのだから仕方のない反応かも知れない。

 

「あの時の詫びの続きってわけじゃないんだけどさ」

 

一転して、奏は殊勝な顔付きになる。

 

「ちーっとばっか、深夜のドライブと洒落込んでくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、風鳴訃堂は本邸の座敷に座し、書見台に立てかけた本を読んでいた。

 

「―――ふむ」

 

一つ頷き、訃堂は本を閉じた。表紙のタイトルは『貞観政要』だったが、中身は『円谷プロ全怪獣図鑑』だったりする。

パタン、と本を閉じる音に続き、すーっと障子戸が開く。

訃堂が視線を向けると、そこには天羽奏が立っていた。

 

「隊長。護衛も何もいないみたいだけど、大丈夫なのか?」

 

ずけずけと座敷へ上り込んできて、開口一番そんなことを言う。

対する訃堂は軽く鼻を鳴らして答えない。

 

実のところ、屋敷の周囲には常に緒川忍群の手練れを配置している。

訃堂は彼らにこう命じていた。

()()()()()()()()()()()()()()

訃堂としては、妻琴音の眠る屋敷で、彼女の眠りを破る騒動を起こすのは全くの本意ではない。

つまりこれは、奏は、手練れの忍びたちが無音で瞬殺出来ないほどの実力を身に着けたことを意味する。

 

「夜討ちでないなら、何用があって参った?」

 

訃堂なりの諧謔なのだが、現実的にはなかなか洒落になっていない。

彼にこの世から退場してもらいたいと願う世界各地の勢力は、おそらく両手足の指でも数えきれないだろう。

 

「………」

 

無言で奏は訃堂の対面へと正座。

思いつめたような顔を上げるなり、こんなことを言ってくる

 

「―――あたしには、才能がない」

 

それは、シンフォギア装者としての一点に集約されているのは自明だった。

勉強でも、スポーツでも、他の分野であれば天羽奏は同世代と隔絶している。

だが、その一点こそが、ノイズを皆殺しにして根絶やしにしてやるという彼女にとっての最重要事項。

 

「翼と雪音が羨ましくて仕方がなくなることがあるんだよ」

 

後天的適合者である奏はシンフォギアを纏えるものの、その総合出力は先天的適合者の翼とクリスには遥かに及ばない。

どうにか持ち前の戦闘センスと勘で凌いでいるが、闇雲に技を振るえばたちまち消耗してしまう。

もっとノイズを倒せ! と命じる心と裏腹に、無理を通せばあっという間にシンフォギアは解除されるだろう。

彼女がそんな弱気を吐露するのは、隊長と敬う訃堂だけ。

 

「例えるなら、アイツらは初期のセブンで、あたしは初期のレオみたいなもんなんだ…」

 

「ふむ」

 

分からない人には全く分からない例えも、訃堂にはピンと来たらしい。

訃堂は立ち上がる。

大鷲のような威容を誇る巨躯を見上げ、奏は呟く。

 

「…隊長?」

 

「ついてこい」

 

言い捨てて、座敷を出ていく訃堂。

全く足音を立てない歩法に、奏が慌てて後を追えば、着いた先は例の地下室。

 

「おぬしの懸念は、儂も重々承知していた」

 

「隊長…」

 

そこで訃堂は、奏に一枚のDVDを指し示す。

 

「これを見れば、その懸念を回天させられるやも知れぬ」

 

「!!」

 

無言で「見るか?」と尋ねてくる訃堂に、奏は力強く頷いた。

 

「望むところだ。もっとノイズをぶっ殺せる力を得られるなら、あたしは…ッ!」

 

訃堂も頷き、DVDの再生ボタンを押した。

 

 

 

―――二時間後。

 

 

 

「はッ、ははははッ! これだ! これだよ! これなら、今まで以上に、もっとノイズをぶっ殺せる!」

 

狂気じみた笑みを浮かべる奏がいる。

 

「されど、そのための修練はなかなかに辛いものになるぞ?」

 

「望むところさッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、彼女ら三人がとある有名な遊園地にいたのは、決して営業ではない。

『トライウイング』がデビューして半年あまり。

ようやく得た貴重な休日の一日に、奏は仲間二人をデートに誘っていた。

 

「わあ…!」

 

帽子を目深に被った翼とクリスが声を上げる。

二人とも、遊園地に来るのは久しぶりだ。

幼いころ両親に手を引かれて訪れた記憶が蘇る。

今はともかく、二人の幼少時代は、間違いなく幸福の内にあった。

 

「ほらよ。奢りだ」

 

無造作に奏が渡してきたのは、遊園地内のフリーパス。

これを使えば、どんな遊具も乗り放題遊び放題だ。

 

「…いいの?」

 

思わず見返してしまうクリスに、

 

「構わねえさ。言いだしっぺはあたしだしよ」

 

翼とクリスは目を合わせて頷き合う。

さあ、なにから行こう?

瞳を輝かせる二人の肩は、しかし奏からむんずと掴まれる。

 

「待て待て。まず行くのはあっちだぜ?」

 

奏の指さす方向。

この遊園地の名物である、高低差アジア最大のスペシャルジェットコースター。

 

「…冗談よね?」

 

翼の顔が引き攣っている。

 

「なんだよ、怖気づいているのか?」

 

「い、いや、そんなことはないぞッ!?」

 

「だいたいシンフォギアを着ているときは、もっと高いところから落ちてるじゃねえか」

 

続いて奏はクリスへと視線を転じた。

熱い眼差しは、彼女の十八番の同調圧力。

 

「…えーと、せっかくだから、わたしも乗ってみたい、かな?」

 

「よっし決まりだ。さっそく行こうぜッ!」

 

二人の肩を抱え込み、奏は受け付けへ直行。

そして、おっかなびっくり乗り込んだ三人の結果は。

 

「…こりゃ、かなり目とか三半規管にくるな」

 

奏の言に、クリスは全く同意だった。

 

「でも、結構楽しかったよ…?」

 

そういうクリスの横で、翼は青い顔。

 

「お、思ったより、大したことはなかったぞ、うんッ!」

 

すると、奏は満面の笑みを浮かべて頷く。

 

「よし。それじゃあ、もう一回行ってみっか」

 

「…え?」

 

「ノルマは、一人最低十回な!」

 

「ええッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

結局、翼は三回目でギブアップ。

クリスも六回目で限界だった。

 

「あんだよ、だらしねえなあ」

 

ベンチでへたり込む二人に向けてそう言った後、奏は一人で乗り込んだらしい。

 

「…クリス?」

 

「なあに、翼?」

 

「観覧車、行かない?」

 

「…賛成」

 

結局、二人はこっそり抜け出して、ジェットコースター以外のアトラクションを満喫。

奏は一人、時間の許す限りジェットコースターを乗り続けたらしい。

 

「…これも特訓だぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

「Project:Nですか…」

 

緒川の言に、弦十郎は腕組みをしたまま強く頷く。

シンフォギアは、基底状態の聖遺物の欠片を、歌の力によって励起する技術だ。

適合係数も去ることながら、装者個人のフォニックゲインも重要な起動ファクターとなる。

 

では、欠片でさえ励起するのにそれなりののフォニックゲインが必要であるとするならば、()()()()()を励起するには、どれだけ膨大なフォニックゲインが必要になるのだろう?

ざっと試算したところで、およそ10万人分のフォニックゲインが必要なことが判明。

当然、装者個人でその熱量を捻出することは不可能。

 

そこでかねてより発案されたていたことこそ、『トライウイング』プロジェクトの二義的な目的となる。

ライブ会場でオーディエンスと一体化することにより、フォニックゲインは飛躍的にその数値を増すことが判明していた。

つまりは、10万人も収容可能な会場を用意し、その上で獲得したフォニックゲインを完全聖遺物へと注入、起動を行う。

 

完全聖遺物は、現代において完全なオーパーツである。その秘められた能力は、既存の技術のブレイクスルーを促す可能性が見込まれていた。

それでなくても特機部二としては、ノイズ攻略への更なる糸口が求められていた。この際、シンフォギアの強化に繋がってくれるだけでも僥倖だ。

昨今の、あからさまなノイズの出現率が増加している状況において、それは一刻を争う急務でもある。

 

「それで、ライブ会場なのですが、建設中の『ウラヌス・ガーデン』が最有力候補に挙がっています」

 

緒川の報告に、弦十郎は顎を撫でる。

 

「あの空中スタジアムか…」

 

最新の建築技術を持って建設中の、ビルの合間に浮かぶ天空の城。

三つの翼が羽ばたく場所としては、この上ない舞台と言えるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

時は、無慈悲なまでに流れ続ける。

 

 

『トライウイング』の歴史的な大規模公演まで、およそ一年余り。

 

 

奏、翼、クリスの三人が、かつてない未曾有の災害にまみえるまで、残り一年余り―――

 

 

 

 




いよいよ、シンフォギア本編への端緒に至ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 我ら思う、故に我ら在り

~オープニング・ナレーション

 

櫻井了子ことフィーネは、永遠の刹那に存在する巫女である。

彼女が恋をしたのは、人類の創造主エンキである。

エンキに告白するために、統一言語を取り戻すべく、フィーネは輪廻転生を繰り返すのだ!

 

 

 

 

 

 

 

かつて地球という星に降り立ったカストディアン。

彼らは大地に人類という自分らの姿に良く似た生き物を解き放つ。

比類ない寵愛を受け、人類は文明を築き、目覚ましい成長と進化を遂げた。

フィーネは、それら人類を代表し、カストディアンの神託を受ける巫女だった。

創造主の言葉を聞けることだけでも無常の喜びを覚えていた彼女だったが、ふと神の一柱に恋心を抱く。

大それたことと自戒しつつも、その心は止められない。

いよいよ胸の内を打ち明けようとしたその時。

―――神々は消えた。

同時に、創造主と語り合うことさえ出来た統一言語も失われた。

共通の言葉を奪われた人類は、意思の疎通もままならない。

産まれた軋轢は誤解を生み、誤解は怒りを呼び、怒りは血を求めた。

地球全土で勃発した戦争は、多くの古代叙事詩や神話として後の時代へと伝えられる。

高度な文明は失われ、超技術は散逸した。

この時に作られたものの多くが、数千年の時を経て聖遺物としての歴史を積み重ねられていくことになる。

栄華を極めた都は焼かれ、崩落していく時代を嘆きながら、それでもフィーネは恋慕の想いを忘れらなかった。

残された超技術を結集し、彼女はリンカーネション・システムを構築する。

自分の遺伝子を持つ次世代に、己の記憶を保ったまま人格を転写する禁忌の装置。

 

生きたままその装置へと身を投じた彼女が覚醒したのは、荒野の果てだった。

複数の人間と、家畜と思しき動物が数頭いるだけのコミュニティ。

火を熾し、獲物を狩り、夜は闇に脅えて過ごす。

 

人類同士の戦争は、文明を大きく後退させていた。

予想通りと嘆きつつ、フィーネの長い旅路が始まる。

 

 

紀元前、西暦に至る人類史において、多くの偉人英雄が存在したのは世界史を紐解けば自明だろう。

その何割かがフィーネである。

彼女は、ある時は苛烈な女王に、ある時は傾国の美女に、ある時は博識の少女に、と幾つもの時代と姿を移り歩く。

彼女の当座の目的は、後退した文明の復興だ。

人類の科学力と文明レベルを底上げしなければ、とてもカストディアンが住処としていた月までには至れない。

細心の注意と、計算された大胆さを持って、彼女は記憶の中にある先史文明の技術の種を撒く。

とても一代で成せる事業ではない。撒いた種が芽吹くのを待つ必要もある。

だが、彼女の存在と彼女がもたらしたものが、人類史においてどれだけのブレイクスルーを与えたことだろう?

結果として、より多くの人が死ぬことになってもフィーネには何の躊躇いもない。

統一言語が奪われた以上、人は争うものだと彼女は割り切っている。

その最たるものが、先史文明の遺産でもあるあの『ノイズ』だろう。

人類が造り出した、人類にとって最悪の対人兵器。同時に、殺したノイズも殺された人間も炭に返るのだから、どこまでも星に優しい。

何世代もかけ、フィーネは己の計画を続けていく。

前世の記憶を持っていたとして、覚醒した彼女はただの人間だ。

少なくとも、その肉体は百年も持たず寿命を迎える。そして、同時代に、フィーネは二人存在することはない。

 

彼女は根気よく研究を重ね、計画の道筋を立てていく。

自分で成せない場合は、次の時代の自分へ。

記憶を積み重ね、思いを積み重ね。

かつての胸を焦がす気持ちだけは、決して冷めることはなく。

 

そうやって連綿と次世代に思いを受け継がせる行為こそが、人類の歴史の歩みそのものであることを、彼女自身はついぞ気づくことはなかった。

 

そして、この時代のフィーネとして櫻井了子は覚醒した。

覚醒後、了子とフィーネの意識は混然一体となる。

自分の計画を阻害しそうなシンフォギア・システムを開発したのも、多分に了子の人格に引っ張られたからに他ならない。

いや、実際にフィーネも楽しんでいたかも知れない。

この時代に至るまで繰り返してきた転生人生の中でも、あえて敵対する陣営に有利な差配をしたことがある。

その反動でイレギュラーな因子が発生することを期待した部分もあったが、単純にワンサイドゲームに終始するのは味気ない。永遠の刹那を生きる身にとって、いや、だからこそ、分かりきった結末で時代を(けみ)するのは詰まらなすぎる。

もっとも、大元の計画が頓挫するような不確定要素にまで至らせるつもりはない。

不穏な芽は、目につく端から摘んできた。

 

―――そのつもりだったのに。

 

特異災害対策機動部二課技術主任。

それが現在の櫻井了子の肩書である。

そんな彼女の視線の先には、特異災害対策機動部総司令がいた。

 

風鳴弦十郎。

 

その姓、風鳴は、神州日本を守護する防人の一族。

 

フィーネ=櫻井了子をして、人類の規格外と認める男の一人だ。

歴史上、様々な英雄に身をやつし、同じような英雄を見てきたフィーネであったが、この男は過去の彼らと比べても何ら遜色はなかった。

もしかしたら、人類が造られる折に組み込まれた創造主の遺伝子を色濃く引いているのかも知れない。もっとも現在の技術でそれを確認する術はなかったが。

むしろ、このような異能の人間が、一族を形成して連綿と極東の国に根を張っていたことに、フィーネは驚いている。

何千年と積み重ねた知識はあれど、今のフィーネはただの人間だ。

膂力でなど、とても太刀打ちできるものではない。

であれば、権謀術数を駆使するしかなかった。

日本国の秘密組織に属しつつ、組織内の情報と自分が持てる技術の一部分を、フィーネは米国などの他国へと提供している。

徒手空拳でとても国などは動かせない。

だが、己の立場と情報を使い、翻弄することが出来れば。

国同士の綱引きを意図的に発生させ、自分は高みから結果だけを得るのが最上。

最悪、どちらの陣営に転んでも大丈夫なように保険も利かせてあった。

 

にも関わらず、この風鳴一族は、フィーネにとっての不確定要素(ガーヘッジ)のまま。

 

弦十郎だけでも正直お腹いっぱいなのに、その上にはあの風鳴訃堂がいる。

今は国防の第一線を引いたとはいえ、日本の黒幕(フィクサー)と呼ばれた男。

彼の立ち位置こそ、フィーネがかつての幾つもの時代で担ってきたポジションである。

親近感を覚える一方で、割と頻繁に特機部二の本部へ出入りしていることに眉を顰めざるを得ない。

訃堂自身も規格外人類であるとフィーネは見抜いていた。

そんな不確定要素が、すぐ近くに二つもあるなど、生じる不安は二乗どころの騒ぎではない。

しかし。

それはそれで、やりようがある。

二つの強力な存在が同じ陣営にあれば脅威そのものだが、その片方だけでも叛意させることが出来れば良い。

同等の存在を互いにぶつけ合い、脅威度は限りなくゼロに下げることが可能だ。

まずのフィーネの策謀は、訃堂と弦十郎の間に不和の種を撒くこと。

赴堂の厳粛苛烈な性格からして、親子間の仲はあまり良くなさそうだ。

 

推察してフィーネ=櫻井了子はほくそ笑む。

歴史上、実の親子ほど、骨肉相食む話はない。

 

風鳴訃堂は、特異災害対策機動部総司令を更迭され、後進を息子である弦十郎へ譲った。

なので、本来的に赴堂はもはや影響力を持たないはずなのだが、なぜか本部へ用意されている訃堂の個室へ、特機部二創生期のメンバーは報告に赴くのが定例化していた。

今日も、櫻井了子は、訃堂の個室へと足を運ぶ。

シンフォギア・システムの開発、進行の頃から報告を重ね、信任を得ているという自負がある。

さすがに訃堂の前では、櫻井了子のお茶らけたパーソナリティーも影を潜めていた。

一応神妙に、シンフォギア・システムとLiNKERに関する改修結果の報告を済ませる。

鋭い目つきでレポートを一瞥し、訃堂は重々しく頷いた。

これは「承知した」「もう行って良いぞ」という合図だったのだが、了子は動かない。

 

「…どうした?」

 

顔を上げてくる訃堂に、了子はゆっくりと眼鏡を押し上げる。

 

「歌が世界を救うと思われますか?」

 

そう質問した彼女の瞳は金色に変わっていた。特製の偏光眼鏡で見えていないはずだが、訃堂の視線は全て見透かすようで、了子は背筋に冷たい汗を掻く。

だが、そのスリルを味わうように、了子は顔に笑みさえ浮かべていた。

実はこの質問を、了子は弦十郎にもしてきている。

訊かれた弦十郎は「無論だ。俺は心の底から信じているぞ」と予想通りの返答。

 

対して、訃堂はどう答えるだろう?

了子の知る限りでは、風鳴訃堂は超のつくリアリストだ。

いかにこの歌という意味がシンフォギアとの関連を仄めかしていても、歌などといった目に見えない不確かなものに加え、世界を救うという大仰な物言いは全く好みではないはず。

一喝されるであろうことを想定内に、弦十郎の答えを提示して、二人の不和を煽る。

多くの時代を権謀で駆けてきたフィーネにとって、ここからが腕の見せ所。

―――そのはずだった。

 

「無論だ。歌は世界を救うだろう」

 

「…え?」

 

「例えば、ブラジルでは、日本の特撮ソングが日本語のまま盛大に唄われていると聞く。フィリピンでは当時の軍事政権を倒したのは日本の子供向け番組の歌という流言飛語まで飛び交ったらしく、今でもその歌い手が赴けば国賓待遇で迎えられるそうな」

 

「…そ、そうなんですか?」

 

「まっこと魂の込められた歌は、言語を越えて世界に響くものよ…」

 

「ア、ハイ」

 

もし仮に、ここで了子が興味を示す素振りでも見せたら?

おそらく彼女の今後の予定は大幅な修正を余儀なくされていただろう。

あの秘密の地下室という魔窟へ連行されたとすれば、フィーネといえども精神的に無傷ではいられなかったに違い。

だが、実現されなかった以上この仮定は無意味だ。

了子は這う這うの体で訃堂の個室を辞し、更なる不確定要素を積み重ねたことに頭痛を覚えることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いよいよだな…」

 

「うん…」

 

ガウンを被り、部屋の隅で膝を抱えて蹲る風鳴翼と雪音クリスがいる。

二人ともガウンの下はそれは煌びやかな衣装なのだが、反して顔色は冴えない。

そんな二人に陽気な声が降ってくる。

 

「なんだよ、緊張してんのか?」

 

同じくガウンを来た天羽奏だった。

 

「当たり前でしょ」

 

翼はそう応じたが、クリスは顔を上げただけ。

これから10万人もの大観衆の前でライブを敢行するのだ。緊張するなという方が無理な相談だろう。

 

「つっても、前にはもうちっと小さな箱でもしたことあるだろ? 1万人だっけ? それの10倍と考えりゃいいじゃん」

 

奏の物言いは呑気なものだ。

当然、

 

「そんな単純なものじゃないでしょ…?」

 

クリスが苦言を呈する。

10万人に、二つの視線。合計20万の視線に晒されるのだ。

ぶるるとクリスは小さな身体を震わせる。

 

「ねえ、翼? おかしなところはない?」

 

ガウンを脱ぎ、クリスは衣装のチェックを要求。

 

「うん、大丈夫。…次、私も見てもらっていいかな?」

 

今度は翼の格好をクリスが点検。

さっきからお互いに同じことを延々と繰り返してるので、さすがに奏も呆れ顔。

 

「ノイズと戦っている時の方がよっぽど緊張するだろ?」

 

「それとこれとは別!」

 

仲良くハモって断言する二人だったが、すぐに翼が顔を曇らせた。

 

「ところで、奏、身体の調子は…?」

 

「あん? すこぶる絶好調だぜ!!」

 

そういって腕をぐるぐる回す奏に、クリスも心配顔を向けた。

今日のライブに向けて、奏はLiNKERの投薬を止めている。

以前から、制御薬の影響で喀血や鼻血をよく出す奏だったが、今日は4時間を超える長丁場だ。

最中にそんなことにならないよう、この日に向けて制限していたものの、それはそれで離脱症状的なものが出現。

投薬しなければしないで喀血や鼻血が出る様子に、LiNKERはつくづく劇薬であることを思い知らされる。

もっとも今の奏は離脱症状も収まり、本人の言うとおり快調のようだ。

 

「三人とも、準備はどうだ?」

 

控室のドアが開き、風鳴弦十郎が姿を現す。

いつもの赤シャツ一枚ではなく、同色のジャケットを着ていることが、今日という日が特別であることを主張していた。

 

「兄さん…」

 

顔を向けてくるクリスの姿を見て、弦十郎は破顔。

 

「うむ。その衣装も良く似合っているぞ」

 

照れるクリスから、弦十郎は姪っ子へと視線を向ける。

 

「翼も頼むぞ。今日は『ウラヌス・ガーデン』のこけら落としでもあるからな」

 

「う…。叔父さまは、そうやってまたプレッシャーを…!」

 

眉を寄せる翼の肩を笑いながら叩き、奏は弦十郎へと確認。

 

「それよかダンナ。このライブが終わったあとの約束、忘れてないだろうな?」

 

弦十郎は苦笑して答える。

 

「ああ、任せておけ。廻らない寿司だろうが、帝国ホテルのフルコースだろうが、なんでも食べ放題でご馳走するさ」

 

「よっしゃッ!」

 

パチッと指を鳴らす奏。

それを待ち構えていたように控室に忍び込んでくる一人の影。

 

「みなさん。そろそろ時間ですよ」

 

マネージャー緒川慎次の柔らかい声に、

 

「待ってましたッ!」

 

奏は颯爽とガウンを脱ぐ。

翼とクリスも頷きあってガウンを脱いでいる。

 

「…今日は、本当に頼むぞ、三人とも」

 

見送る弦十郎の顔は、一転して神妙なものになる。

トライウイング結成二年の節目の超大規模ライブ。

そしてその影で行われる完全聖遺物の起動実験。

今日のライブの結果によって、人類の未来が大きく変わるかも知れない。

 

「大丈夫さ、ステージの上はまかせとけッ!」

 

奏が笑顔で請け負い。

 

「常在戦場の心持ちで、頑張ってきます」

 

力強く翼が頷き。

 

「兄さん、行ってきます」

 

クリスが精一杯の笑みを浮かべていた。

 

応じて、弦十郎も大きく声を張り上げる。

 

「思い切り唄ってこいッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し時間は遡り、会場の外。

入場待ちの客でごった返すウラヌス・ガーデンを見上げる道路で、一人の少女が途方にくれていた。

彼女の名前は立花響。

耳に携帯電話を当てて、周囲の喧騒に負けない大声を張り上げる。

 

「未来ッ? いまどこ? わたしもう会場だよー!」

 

『ごめん。わたしちょっと行けなくなっちゃった…ッ』

 

「えぇーーーっ!? どうして!? 今日のライブって未来が誘ったんだよーッ」

 

『盛岡の叔母さんが怪我をして…。お父さんが今から車を出すって…』

 

「…じゃあ、仕方ないね…」

 

『ごめん。本当にごめんね…』

 

友人との通話を終え、響は盛大にぼやく。

 

「わたしって、呪われてるかも~」

 

だが、そこで彼女はぶんぶんと頭を振る。

未来が応募してくれたとはいえ、本来的にトライウイングのチケットなど激レアだ。

今日の10万人規模のライブだって、抽選倍率は相当なものだったと聞く。

 

「せっかくだし、楽しまなきゃ損だよね!」

 

気を取り直した響は、ライブ会場へのエレベーターに乗り込む。

到着したフロアで、まずは人混みを掻き分けて物販コーナーへ。

そこで定石通りのサイリウムとパンフレットを購入。

ぱらぱらとパンフレットを捲り、トライウイングの三人の全身写真を見つけた。

 

「う~ん、やっぱりクリスちゃんは可愛いなあッ!」

 

三人娘の中で、彼女は雪音クリスが一番推し。

小柄で愛らしい姿は保護欲をそそり、とても中学二年生の自分より一歳上とは思えない。

もう一度じっくりとクリスの写真を眺め、それから響は自分の胸をぺたぺたと触る。

 

「………」

 

とても自分より一歳上とは思えなかった。

 

「っと、早く席にいかなきゃ」

 

取りだしたチケットを片手に響は会場内へと足を踏み入れた。

 

「わあ…ッ!」

 

10万人のキャパを誇る広さに、内装は新品で豪華極まりない。

満面の笑みを浮かべ、響は思う。

 

 

「しっかり見て、未来へのお土産話にしようっと!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――役者は出揃った。かくして惨劇(グランギニョル)の幕は開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 心を突き刺す必死の悲鳴

 

 

Project:N。

それは日本政府の所有する第四の聖遺物、『青銅の蛇(ネフシュタン)』の鎧の頭文字を取ったものである。

第一から第三までの聖遺物は、それぞれガングニール、天羽ノ斬、イチイバルだが、それらはいずれも欠片でしかない。

その中で、ネフシュタンの鎧は別格だった。経年劣化の見られない、おそらく世界で数えるほどしか存在しない完全聖遺物。

旧約聖書の伝承からその能力は類推されてはいたが、ひとたび励起すれば強力なエネルギーを発生させることは疑いなかった。

鎧の名を冠する通り、現在全世界を悩ませている特異災害に対する特効も見込まれる、現代では作成不可能な異端技術を用いられた規格外品だ。

少なくとも、現行の科学に対して、新たな叡智、示唆をもたらしてくれることだろう。

 

「よーし、最終チェック終了! こっちも準備万端よん!」

 

櫻井了子の声に、弦十郎は席へ着く。

 

「いよいよだな、了子くん」

 

隣の席へ来た了子に声を向ければ、彼女も興奮していた。

 

「本当にそうね。上手く行けば、これでわたしの長年の研究も報われるってもんよ」

 

「違いない」

 

笑顔で頷いて弦十郎はインカムを起動させる。相手は緒川慎次だ。

 

「そちらも大丈夫か?」

 

『はい、もうすぐ開幕ですね』

 

「では、三人をよろしく頼む」

 

『了解しました』

 

 

 

 

 

通信を切り、緒川はトライウイングを振り返った。

三人ともガウンを脱ぎ捨てており、ミニドレスを模した衣装から健康そうな四肢が伸びている。

 

「間もなく時間です。みなさん、準備はよろしいですか?」

 

緒川の声に三人は頷いた。

すかさず奏が左右の腕に翼とクリスの首を抱え込む。

 

「いよいよだな。二人とも、覚悟はいいな?」

 

「応ッ!」

 

「…うんッ!」

 

「よっしゃ、いい返事だ」

 

笑いながら奏は二人の目を覗き込んで、言う。

 

「あたしたちは双つの翼に大きな尾羽。この三つの翼があれば、空どころか宇宙の果てまでだって飛んで行けるッ!」

 

いつも通りの奏の前口上。

普段のライブなら、大袈裟だよと笑うクリスだったが、今日ばかりは笑わない。

笑顔の中でも真剣な奏の瞳には、歌を唄うことが嬉しくて仕方がない喜びが溢れている。

 

「そうだッ! 私たちは三人で『トライウイング』なんだからなッ!」

 

翼の声に、三人同時にハイタッチ。

もはや、迷いもない。畏れもない。

三つの翼が揃えばどこまでも飛んで行けるという言葉は、決して比喩ではないとクリスは思う。

 

盛大なイントロが鳴り響く。

それぞれが(ウイング)であることを証明するように、三人は次々と宙へと身を躍らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立花響は緊張していた。

友人である小日向未来はそばにおらず、大観衆の中でたった一人。右を見ても左を見ても、誰も知らない人ばかり。

加えて、彼女はライブイベントそのものが初体験。

開幕を報せるベルが鳴り響き、場内が一瞬で暗くなったときは、「あ、映画が始まるときみたい」との感想を抱く。

続いて盛大なイントロが流れ始めたことにも、映画館みたいだなあという思いを強くする。

だが、中央にスポットライトが注がれた瞬間、響は目を見張った。

光の柱の中をたくさんの羽が舞い落ちている。

 

「うわあ…ッ!」

 

続いて、その羽の中を、三つの光が螺旋を描きながら降下してきたのには度胆を抜かれた。

それぞれの光が、天羽奏、風鳴翼、雪音クリス。

どういう仕掛けが分からないが、宙を滑空してきた三人はふわりと空中の特設ステージ上に降り立つ。

ド派手なレーザー演出と共にどよめく観衆。その声を跳ね除けるように高まるBGM。

立体的な音響を浴び、観衆のざわめきは歓声へと変わった。

たちまち三色のサイリウムが煌めく。

響も慌ててサイリウムを灯し、会場のコールに合わせて必死に手を振る。

そうしている間にも、スタジアムの天井ドームは全開。

爽やかな大気で注入されたライブ会場から、今度は逆に三つの歌声が天空へと溢れて行く。

 

「…すごい!」

 

思わず響は呟く。

 

テレビ画面ではない。

同じ空間で、同じ空気の中で、ダイレクトに聞く歌声。

それは、響の感性を大いに揺さぶっていた。

 

CDで聞くのとも、テレビで見るのとも全然違う。

何度も繰り返し聞いたことのある曲のはずなのに、全く新鮮な歌に聞こえる。

 

響は繰り返し呟いていた。

 

「音楽って、すごい…!」

 

だけではない。ステージ上の三人のダイナミックなパフォーマンスにも、響は目を奪われっ放しだ。

 

(ドキドキして、目が離せない…! すごいよ! これがライブなんだ!)

 

会場のボルテージは鰻登りで上昇していく。

響も無我夢中でその熱に身を任せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

場面は変わり、スタジアムの下層にある『ネフシュタンの鎧』の起動実験場。

 

 

「フォニックゲイン、想定内の伸び率を示していますッ」

 

「成功、みたいね」

 

了子の声。

 

「…ふー」

 

司令席の弦十郎は胸を撫で下ろす。

 

「お疲れさま~」

 

その様子を苦笑して見やる了子。

それを皮切りに、室内の研究員たちは一斉に歓声を上げている。

 

「やったぁあッ!」

 

「成功だわッ!」

 

喜ぶ部下たちを横目に、弦十郎は正面モニターのライブ映像へと視線を注ぐ。

その傍らで表示されるフォニックゲインのメーターと、映像内の盛り上がりは完全にリンクしている。

 

―――相変わらずうちのクリスは可愛いなッ。

 

などと職務外の感想を抱く弦十郎の眺める映像が切り替わる。

モニター内では奏が額の汗を拭い捨て、片手を高々と上げていた。

 

『よっしゃ、もういっちょ行くぞーッ!』

 

オーディエンスを煽る。

連動して跳ね上がるフォニックゲインのメーター。

 

次の瞬間、盛大なアラート音が鳴り響く。

 

「どうしたッ!?」

 

「じょ、上昇するエネルギー内圧にセーフティが持ちこたえられません!」

 

弦十郎の問い掛けに、職員の声は悲鳴に近い。

 

「なんだとッ!?」

 

「…まさか。想定以上のフォニックゲインが…!?」

 

了子が椅子を蹴立てて立ち上がっていた。

そのままネフシュタンの鎧の方へ走っていく彼女に、

 

「お、おい、了子くん! 待つんだ…!!」

 

弦十郎が呼び止めようとしたその時。

 

「このままでは聖遺物が起動…ッ、いえ、暴走しますッッ!!」

 

研究員の絶叫が響き渡り、視界が真っ白に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッッッ!?」

 

盛大な爆発音がスタジアムを震わせる。

その振動に思わずふらついたクリスを、翼が受け止めてくれた。

 

「あ、ありがとう、翼…」

 

礼を言うクリスの肩を支えながら、翼は険しい表情で周囲に視線を飛ばしている。

 

「おい、何がどうなってるんだッ!?」

 

奏もそばへとやってきた。だが、彼女の疑問に二人も答えられるわけもない。

誰もがスタジアムの中央を吹き飛ばした大爆発に、パニックに襲われている。

爆破の衝撃で吹き飛び、横たわる人々。

その姿を認め、思わず息をのむ翼とクリス両名の隣で、奏はハッと顔を上げた。

 

「…ノイズが来るッ!」

 

彼女の野性の勘が示した通りに、茜色に染まる空に浮かぶノイズの群れ。

同時に爆発跡からもノイズが溢れ、スタジアム内の恐怖とパニックは軽々と上書きされて行く。

 

「ノイズだーーーッ!」

 

方々で上がる叫び声。

我先に逃げ出そうとする観客へ、ノイズは容赦なく襲い掛かる。

 

「逃げろーッ!」

 

「誰か、助けてーッ!」

 

「嫌だッ、死にたくないーーーッ!」

 

悲鳴と怒号の阿鼻叫喚の地獄絵図の中で、次々とノイズと人間が炭化していく。

逃げまどう人々を前に、なぜにここにノイズがッ!? などと悠長に詮索している暇はない。

 

「司令ッ!? 叔父さまッ!」

 

即座にインカムに翼は訴えるも不通。

 

「行くぞッ」

 

奏は二人へと顔を向けて、

 

「この場で、やつらと戦える武器を持つのはあたしたちだけだッ!」

 

叫ぶなり、ステージの上から身を躍らせていた。

続いたのはクリス。彼女はノイズに襲われる人々にかつての自分の姿を重ねている。

最後になった翼は、今まで命令されてからの行動に慣れ過ぎていたため。

だが、友が戦うというならば、もはや躊躇うことはない。

 

 

Croitzal ronzell Gungnir zizzl……

 

 

 

奏が纏うガングニールは、北欧神話の主神が振るった戦場における必勝の槍。

彼女が振るえば、トライウイングに於いても比類ない一番槍だ。

 

「うおああああッ!」

 

一振りで三体のノイズを蹴散らし、突進しながら更に数体のノイズを屠る。

その勢いそのままに宙に舞えば、槍の先端の空気が渦を巻く。

 

「喰らいやがれッ!」

 

《LAST∞MEREOR》

 

ガングニールの穂先から旋風が走り、周囲の空間ごとノイズを削り取る。

大技を放って着地した奏に他のノイズが襲いかかるが、背後から飛んできた赤い矢にたちまち射抜かれた。

 

「カナデ! 先走らないでッ!」

 

「わーってるよッ!」

 

クリスの援護に乱暴に応じて、奏の双眸は真っ直ぐ前を見つめている。

一呼吸してる間にも、人々がノイズの犠牲になっていた。

ノイズに秩序ある行動はない。

ただ目前にいる人間に襲い掛かるだけ。

そして襲い掛かる人間は、老若男女関係ない。

 

「嫌! いやあッ! おねえちゃん!!」

 

姉妹らしき女の子の一人がノイズに飲み込まれて消えた。

残された一人にもノイズが迫り、奏が駆けつけるも間一髪で間に合わない。

 

「…やだっ! 死にたくない…ッ!!」

 

目前で、小さな身体が炭へと変わっていく。

伸ばした手がつかめたのは、風に散り行く一欠片の塵だけ。

 

「…ッ!!」

 

視界が真っ赤に染まる。

 

「…うぉおおおおおおおおおッ!」

 

奏は吠えた。

 

クソったれ! 絶対ぶっ殺してやるノイズのクソ虫どもォオオオッ!

 

大きく槍を振りかぶったその時、身体ごと視界に割り込んでくる青いシンフォギア。

 

「落ち着け! 頭に血が昇れば敵の思うツボだぞッ!」

 

天羽ノ斬を横薙ぎに一閃させる翼の登場に、奏の怒りは一時的に行き場を見失う。

 

敵。ああノイズは、皆殺しにするべき敵だ。それで間違いない。

落ち着け、あたし。それで間違いはないんだ。

 

「ありがとよ、翼。おかげで頭が冷えた」

 

フッと笑う翼と交差するように身体を入れ替え穂先を見舞う。

 

「まずは逃げ遅れた連中を避難させるんだ。お楽しみはそれから。だろ?」

 

偽悪的な台詞と一緒に奏は槍を突き出す。

 

「ああ、その通りだッ! 私たちは人々を護る盾! 防人なのだらかなッ!」

 

縦横無尽に刃を展開させながら、翼の進撃は止まらない。

背後ではクリスも無言のうちに頷き、弓に三本もの矢を一気に番える。

放たれた三本は、宙を飛びながらそれぞれが更に細分化し、複数のノイズを消し飛ばす。

まるで櫛の歯が欠けるようにノイズの群れが減少したが、たちまちその隙間に他のノイズが合流する。

三人のシンフォギア装者が死力を尽くしても、一定のラインを維持するので精一杯。

 

「それでもッ! 観客が全員避難できれば私たちの勝ちだ…ッ!」

 

翼はそう勝ち筋を見定めた。

ノイズは出現から一定時間が経過すれば自壊するという特性がある。

いかに膨大な数のノイズとはいえ、周囲に獲物となる人間がいなければ、いたずらに時を費やして消え去るしかない。

自壊して数を減らしたノイズの残りも潰せば、それが勝利だ。

その意図は当然クリスにも伝わっている。

援護に飛来する矢の勢いが増すのを感じながら、最前線で戦う奏の片頬に浮かぶ笑み。

 

翼のやつ、ダンナみたいなこといいやがって! 雪音も頼もしくてたまらねえッ!

 

その弦十郎らと連絡を取れないのも不安だったが、奏は一人別の焦燥に襲われていた。 

身体が重い。

連日のLiNKER断ちは、ここに来て奏の適合係数をじりじりと減退させている。

適合係数を得るために痛みを伴う。

そして、適合係数が足りずにシンフォギアを纏い続けるのも著しい痛みを齎す。

痛みを気力でねじ伏せるも、持ち上げる槍に勢いがない。

まんまと懐に飛び込まれたノイズは、前蹴りを見舞ってどうにか吹き飛ばす。

 

「大丈夫か、奏ッ!?」

 

ヘッドセット越しに心配そうな声を向けてくる翼も、決して余裕があるわけではなかった。

三つの翼が羽ばたき、どうにか持ちこたえている現状。

だが、その一つの翼の力は尽きようとしている。

かつて光の巨人のような時間制限付きと自身を揶揄した奏だったが、この絶体絶命の状況では皮肉にすらなっていない。

奏の勢いが減ずるのを感じ、翼とクリスが手数を増やす。

二人が先天的適合者といえど、無限の体力を持つわけではない。戦えば消耗していく。

このまま行けば、どちらにしろジリ貧だ。

ならば、まだ時間があるうちに、何か手を考えねぇと…!

 

奏は目を凝らす。

相も変わらず討った端からどこからともなく現れるノイズたち。

彼女の焦りと裏腹に、時間はジリジリと過ぎ去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ぐっ、みんな無事か?」

 

弦十郎は身じろぎする。

薄眼を開ければ、もうもうと粉塵の舞う視界に、煤だらけの顔で涙目の研究員たち。

 

「司令こそ…ッ!」

 

女性研究員の声はほとんど泣き声だ。

聖遺物のエネルギーが暴走した瞬間、弦十郎は手近にいる研究員たちを己の影に入るよう引っ張り集めた。

神速の勢いそのままに、押し寄せるエネルギー破に対し渾身の鉄山靠。

自らの肉体を盾として、傘のように気合の防壁を展開し、部下の面々を護り抜いた。

代償に、広い背中は大きく焼けただれている。足腰にも力が入らず、立ち上がれそうもない。

 

「…そうだッ! 了子くん? 了子くんはどこだ!?」

 

見える範囲に、あの特徴的な髪型はいない。

背中の痛みを堪えながら、弦十郎は懸命に首を捻る。

彼の視線の先では、宙に浮いた鎧が発光していた。

 

「あれは…ッ」

 

その呟きは、新たな崩落した天井の中に、弦十郎ごと飲まれて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタジアムの惨状にフィーネは一人快哉を上げる。

ここまでは全てが予定通りに進んでいた。

 

ネフシュタンの鎧の起動。

起動に伴うエネルギーの暴走。

 

全てが想定内。

 

実験を提案して取り仕切ってきたのが櫻井了子なわけだから、試験段階で安全弁(セーフティー)の数値を敢えて低く見積もるなど、いくらでも細工が出来た。

そして爆発が起きたらどうなるか。

こちらばかりは確実性は高くないことを見込んでいたが、不確定要素であるところの風鳴弦十郎は、笑えるほど予想通りの行動を取ってくれた。

部下を護るために己の身を盾にして、著しく戦闘能力を減殺している。

ドサクサまぎれに通信設備も破壊できたから、彼自身も含めて司令塔としての能力はなくなったに等しい。

もう一つの不確定要素である緒川慎次に関しては、独自に観客の避難誘導を展開していたのでフィーネは無視することに決めた。

 

最大の不確定要素である風鳴訃堂は、現在、永田町で広木威椎防衛大臣と個人的な会談の最中である。

この騒ぎに気付いたとて、永田町から距離もある上に、車道は渋滞している。空の移動手段も、裏から手を回して潰していた。広木防衛大臣自身が今回の実験を危険視していたこともあるし、軽々に会談の場を離れられるとも思えない。

仮にこの場に駆けつけられたとして、ノイズ相手では訃堂とて成す術はないはずだ。

 

 

結果として出来上がったのは、フィーネにとってのゲーム盤。

スタジアムは文字通りの彼女のための闘技場。

 

配置する駒は、ノイズの大群。

相対するは、三つのシンフォギア。

 

フィーネの肉体は、あくまで普通の人間の肉体の範疇を越えない。

彼女を永遠の刹那の巫女として足らしめているのは、延々と蓄積された知識と、一つの切り札。

先史文明期に人類が相争い産み出した自律兵器ノイズ。

それはバビロニアの宝物庫という異空間に無数に存在する。

現世界で報告されるノイズの出現は、たまたま宝物庫と世界がつながったことに由来する。

 

フィーネは、その偶然を必然とする超常手段を身に着けていた。

彼女の手にかかれば、任意で何体ものノイズを指定した場所へと出現させることが可能。

ゆえに、シンフォギアが実働を始めた時点で、日本国内に出現したノイズは全てフィーネの手によるもの。

シンフォギアの能力とその限界値を見極めるためのシミュレーションは、櫻井了子の研究者としての探究心と、フィーネの趣味の混合物(ハイブリッド)となる。

 

その成果は、この日の遊戯へと収斂された。

 

際限なく出現させるノイズに、装者たちはどう抗う?

その果てに、どんな予想外の輝きを見せてくれるのだろう?

 

フィーネの黄金色の瞳は、叙事詩の英雄譚に焦がれる乙女のようでいて、大量のお気に入りのオモチャで遊ぶ子供にも似ていた。

それぞれの陣営に玩具を配置し、それらを戦い合わせながら自分なりのストーリーを構築して盛り上げていく。

時には激しく玩具同士をぶつけ合い、破損させてしまうこともあるだろう。

しまった、と思うかも知れない。少しだけ後悔してしまうかも知れない。

だが、決して気に病むことはない。

なぜなら、その玩具を作ったのはフィーネ自身なのだから。

壊れたら直せばいい。もしくはまた作ればいい。

その程度の思い入れと、その程度の認識しか、彼女の中には存在しないのだ。

 

 

先ほど鎧の回収も済ませ、目的の殆どは果たした。

だから、あとはせいぜい私を愉しませて。

追い詰められた人類の、命の輝きを見せてちょうだい―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…絶唱だ」

 

奏のその呟きは、不吉な響きを帯びて翼とクリスの耳朶を打つ。

 

 

 

―――絶唱。

それは装者自身の命を歌と燃やして放つ、シンフォギア最大最高の攻撃手段。

 

過日、三人とも櫻井了子にその説明を受けている。

延々と危険性を説かれて、奏は一言。

 

『ウルトラダイナマイトみたいなもんか』

 

『正直、その例えの意味が良く分からないのだが…」

 

翼のツッコミは相変わらずだったが、意味が理解できたクリスには、十二分すぎるほど危険性は伝わっている―――。

 

 

 

「本気でいっているの!?」

 

先に翼に激昂され、クリスは出遅れてしまう。

 

「本気も本気さ。見ろ」

 

戦いながら、奏はノイズの群れを指し示す。

 

「倒しても倒しても切がねえ。これは明らかにおかしいだろう?」

 

その言い分は、翼もクリスも理解していた。

今日のこれは前代未聞の大量発生だとしても、その波が止まらないことに違和感しかない。

 

「つまりは、このノイズを発生させている何かが、群れの向こうにあるってこった」

 

それが原因であるのなら、取り除くことによってこれ以上のノイズの加勢を防げるはず。

だが、この分厚い層とも見える群れを突破するのは、現状の三人に残された力では不可能。

 

「…それで、絶唱」

 

クリスは呟く。

絶唱は比類ない破壊力を産むと聞いていた。

けれど、一度も誰も使ったこともない技に賭けるなんて…!

 

「このままじゃあたしらは磨り潰されるだけだッ!」

 

クリスの思考を先取りするように奏は叫ぶ。

 

「なら、私が絶唱を使うッ!」

 

翼が負けじと叫び返した。

絶唱を放った際のフィードバックは、装者自身を傷つける。適合係数が低ければ低いほどその値は大きくなることを聞いている。

 

「ううんッ! だったらわたしが!」

 

クリスも声を上げた。

奏は後天的な適合者であり、今の彼女は長期間LiNKERを断っている。そんな状態で絶唱を放てば、間違いなく命は…ッ!

 

「おいおい、二人ともあたしの出番を取るなって」

 

修羅場の最中にも関わらず、奏の暢気な声。

 

「あたしはもうすぐ時間切れだ。仮におまえら二人が絶唱をぶっぱした後で、あたしに原因を突き止める力は残っちゃいねえんだよ」

 

「でもッ!」と翼は叫ぶ。

 

「安心しろ。死ぬつもりはねえよ。…仮に死んでも、あとはおまえらに託せるしな」

 

「そんなこと、冗談でも言わないでッ!」とクリスの悲鳴。

 

「悪ぃ悪ぃ。でも、頼むから撃たせてくれよ。もう、ギアを纏っているのも限界なんだ…ッ!」

 

「………ッッッ!」

 

状況は刻一刻と悪化している。

こんな時、指示を仰ぐ逞しい司令とは音信不通。

ならば、決めなければならない。

彼女ら三人で、決めなければならない―――。

 

 

 

 

「…十秒だけ時間を稼ぐッ! その間に準備をしてッ!」

 

意を決した声で翼の剣が奔る。

 

「! ああ、頼むぜッ!」

 

呼応するように一旦後退して、態勢の立て直しを図る奏。

 

「翼ぁッ!」

 

クリスの抗議の声は悲鳴に似ていた。

しかし、翼は毅然と言い返す。

 

「私は何も諦めていない。三人が一番生き残れる確率が高い手段を選ぶだけッ!」

 

「…ッ!」

 

クリスは、涙目の視線を親友から奏へと移す。

新たに生成した矢を引き絞り、彼女は涙声をもう一人の親友へと向けた。

 

「…絶対に無事じゃなきゃ、もう二度とチーズケーキ焼いてあげないんだからッ!!」

 

「ひゅ~、そりゃおっかねえな!」

 

軽口で応じておいて、奏の内心は泣きそうだ。

こんな自分にも信頼できる仲間がいる。自分の身を案じて、心から心配してくれる仲間がいる。

他にも弦十郎や緒川といった大人たちの顔も脳裏に浮かび、一番最後に浮かんだのは訃堂の姿だった。

 

…悪いな、隊長。特訓が無駄になっちまったよ。あれが使えりゃなんとかなったかも知れないな。

でも、ここにいない隊長も悪いんだぜ…?

 

悪態に載せた別れの挨拶を済ませ、奏は両足に力を入れて大地に立つ。

胸に手を当てて、大きく息を吸い込み―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天羽奏の様子を眺めるフィーネの顔が歓喜に染まる。

彼女はおそらく絶唱を使おうとしている!

人の命の燃え尽きるときの閃光を、いまこそ――――!

 

自身はネフシュタンの鎧に護られたフィーネとって、この光景は映画のクライマックスを見ている感覚に近い。

だが、これが映画であるならば。

彼女の意識(がめん)の外で、小さな小さな不確定要素が動いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立花響は逃げ遅れた。

ノイズの出現に観客は我先にと出口へ殺到した。響も一応行こうとはしたのだが、弾き飛ばされ転んでいるうちに、出口はもう一つの修羅場と化している。

一刻も早く逃げようと観客が殺到した結果、無秩序な殴り合いが発生し怪我を負う人間も多数。

シンフォギア装者三人の活躍で、多くの観客が救われた結果であるとすれば、皮肉な話だ。

 

響の眼から見ても、出口からすぐ外に出るのは無理そうだ。

そこでどこかに身を隠してでもいればいいのだが、響は装者たちの戦いを目撃してしまった。

赤い鎧を着た女の子。

あんな小さな子が戦っているのに、わたしは逃げるだけなのッ?

イチイバルの装者が一番推しの雪音クリスだとは露知らず、響は他の取り残された人たちを助けるために奔走。

親とはぐれた女の子の手を引き、ずれた座席に足を挟まれて動けない男の人を引っ張り出す。

怖くないと言えば嘘になる。

けれど、胸にはかつてないほどの勇気が沸いていた。

なぜなら、スタジアム内にずっと歌が響いていたから。

 

そうやって動き回り、いよいよ自分も逃げなくちゃと響は観客席を走る。

不意にその一部分が、爆発の衝撃からか急に崩落。響はスタジアムの広場へと放りだされる形に。

 

「…いたたたッ」

 

立ち上がろうとして痛みが走る。どうやら足を捻ったらしい。

ふと気配を感じて顔を上げれば、無数のノイズがこちら目がけて突進してくる。

 

「ひッ!」

 

胸の勇気も一瞬で蒸発し、硬直する響。

その時、凛とした声が聞こえた。

 

「ばかッ! そこで何やっている!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に観客席から転がり落ちてきた少女に、奏は息を飲む。

気づいたノイズが少女目がけて殺到するのを見て、絶唱の準備を中断して彼女は駆け出していた。

 

「ばかッ! そこで何やっている!」

 

少女を襲おうとしていたノイズをどうにか蹴散らすも、別のノイズの注意を引く結果となってしまう。

複数のノイズが一斉にその矛先を向けてきた。

 

「奏ッ!?」

 

絶唱を撃つ時間を作るために奮闘していた翼とクリスは、すぐに切り替えては動けない。

奏へ向けられる別のノイズグループの一斉攻撃。躱せないことはないが、そうすれば背後の少女は一瞬で死ぬ。

 

「うおおおおおおおおおおおおッ!」

 

奏は槍のアームドギアを回転させ、その猛攻をどうにか凌ごうと試みる。

だが、その瞬間、ちょうど訪れる時間切れ。

纏うガングニールはその光沢を失う。

もはや鎧の形状の維持も困難なほど脆弱になったシンフォギアは、ノイズの攻撃を弾き返すどころか削られ、砕かれた。

勢いそのままに、砕かれたガングニールの破片が、奏が庇う背後の少女へと突き刺さる寸前―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「動くなよ、小娘」

 

響は、背後からその声を聞いた。

次の瞬間、背中の中心から胸をへとふわっとした感触が通り抜ける。

その感触に反し、響の胸から強烈な衝撃波が生じると、迫りくるガングニールの欠片を吹き飛ばす。

 

背中からの浸透勁で命を救ってもらったことも理解できず、響はきょとんとした顔で背後を振り返る。

そこには、巌のような巨躯の老人が立っていた。

 

響は、この老人の名は知らない。

だが、シンフォギア装者たちは知っている。

 

風鳴訃堂がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 TAKE ME HIGHER!!

 

 

突然の訃堂の出現に、フィーネは目を剥く。

いったいどうやって? 交通手段は全て潰したはず。

まさか元から会場内に潜んでいたのか…!?

 

かつて神々に仕えた巫女フィーネであったが、リンカーネーション・システムで人間の生を渡り歩いた結果、その常識も人間拠りになっていた。

だからといって、普通に誰が信じられよう?

(よわい)百にも喃々(なんなん)とする老人が、路上を疾駆し、ビルを飛び越えて、この空中の殺戮舞台へ辿りついたなど。

 

しかし、長い時を経てきた老獪さから、一瞬でフィーネは思考を立て直す。

風鳴訃堂とはいえ、素手ではノイズに触れることすら叶わない。

如何な超人であれ、人であれば対人兵器のノイズに敵うはずはないのだ。それは自明を通り越してもはや哲学的な摂理。

 

ならば、これは訃堂を抹殺する絶好の機会ではないか?

普段は、周囲に忍者の手練れを配して隙を見せない訃堂である。

もし成し遂げれば、米国を始めとした諸外国へと大きな貸しを作ることが出来るはず。

 

今さら現れて小手先を弄したとて、私の絶対有利は変わらない…!

 

満面の笑みを浮かべ、フィーネは全てを鏖殺すべく新たなノイズを召喚した。

 

 

 

 

 

 

突然の訃堂の出現に唖然としたのは、シンフォギア装者たちも一緒だった。

ボロボロの身体を引きずり、奏は訃堂を見上げる。

 

…遅いぜ、隊長。

 

そう視線に込めたつもりだが、訃堂は微動だにしない。

 

『遅くなった』

『済まなかった』

 

そのような言葉を訃堂は決して口にしない。

 

替わりとばかりに、太い腕が翻る。

咄嗟に飛んできたものを受け止めた奏の手には、直接注入できるカートリッジ式のLiNKER。

躊躇いもなくプシッと首筋へ打ち付けて、奏は眉を顰める。

体内に異物を注入する感覚。全身に電気のようにビリビリと走る激痛は、どうやったって慣れるものじゃない。

 

けれど、これのおかげでまた戦える…!!

 

それを証明するが如く、ボロボロだったガングニールのシンフォギアは、形と色を取り戻していく。

 

これで奏はどうにか戦線へと復帰。

されど目前のノイズの群れは、更にその数を増していた。群れ全体が膨れ上がるように続々と湧き出してくる。

 

奏はチラリと訃堂の隣でへたり込む少女―――立花響へと視線を向けた。

 

…コイツを逃がしている暇はないか。

 

それから訃堂へ視線を戻せば、その巨躯はすぐ奏の目前に来ていた。

力強い眼差しが自分を見下ろしている。

 

やれるか。

 

白眉の中の強い眼差しは、無言でそう問いかけてくる。

 

ああ、やるさ。やらいでか!

 

覚悟を決めて頷き返せば、訃堂の引き結ばれた唇がゆっくりと動いた。

 

「〝奏〟」

 

「………!!」

 

奏は震える。

 

訃堂は身内以外の人間の名を呼ぶことなど滅多にない。

奏も特訓を受けている頃から今日にいたるまで、ずっと『小娘』呼ばわりされていた。

 

そんな隊長が、あたしの名前を呼んでくれた。

それはつまり。

 

…あたしを、いっぱしの戦士と認めてくれたのか?

 

大きな感動が、彼女の全身を揺らしている。

家族を殺された復讐のためにノイズを皆殺しにしてやると誓った。

誰もが無謀だと窘める中、この人はそのための特訓を施してくれた。

結果として、あたしはノイズをぶち殺せる力を手に入れることが出来た。

 

奏にとって至極当然の積み重ねも、他者から見れば命懸けの綱渡り。

 

別に理解して貰わなくても構わない。これは、あたしの、あたしだけの復讐(アベンジャー)の物語だ。

 

そう思っていたのに。

それで構わなかったのに。

 

目の前のこの人は、あたしのやり方、生き方を認めてくれているんだ…!

 

隊長と呼ぶのは、彼女の偽悪の発露であっても、敬う気持ちは存在する。

おそらく、人生で最も尊敬の気持ちを抱いた相手が、自分を認めてくれた。

その嬉しさで、胸の内は膨れ上がり、はち切れそうになる。

それらが両目から溢れ出す寸前、奏は涙を飲み下し、威勢よく訃堂を見返していた。

無言の勇壮な返事に、赴堂も力強く頷き返してくれる。

 

「死ぬでないぞ」

 

「合点承知の助さぁ!」

 

奏はガングニールの槍を自らの顔の前に持ってくる。

構えるままにひたすら気分は昂揚してたまらない。自分の中の力が、かつてないほど活性化しているのをを感じる。

今ならいける。

今なら、真っ直ぐ、空の果てまで飛んで行けそうだ。

そんなイメージそのままに、彼女は心の底から歌を唄う。

 

 

Gatrandis babel ziggurat edenal…

 

 

そのフレーズを耳にして、迫りくるノイズを蹴散らしながら翼は血相を変えた。

 

 

Emustolronzen fine el baral zizzl…

 

 

クリスも同様だが、間断なく矢を放ち続ける彼女にそちらを向く余裕もない。

 

「いけない奏! 唄ってはダメーッ!!」

 

奏は再び絶唱を撃とうとしている。そう確信した翼の魂の絶叫。

果たして奏は、ノイズへ向けて命を燃やす最終手段を―――行使していない。

 

「…ッ!?」

 

振り返り、二人の目を見張る先。

真正面に槍を両手で構え、その握り手ごと真っ直ぐと額に当てる奏がいる。

すると、彼女の纏うプロテクターが変形した。

肩の部分が、足の部分が、それぞれが伸長、巨大化して、赤毛の少女の身体を、余すことなく覆い隠していく。

それは、もはやガングニールの形ではなかった。直立する奏は、長方形のひと塊へと成り果てた。そのフォルムに翼は直刀を幻視する。

反りはなく、刃の幅は広い。

奏が全身をシンフォギアで覆い尽くしたその姿は、無骨であれど一振りの刀と呼ぶに相応しい形。

 

大地に直立する大刀に、いつの間にか諸肌を脱いだ赴堂が手をかける。

大質量を無造作に宙に浮かせたと思えば、奏の脛の部分を空中で掴む。

そこは大刀の柄に相当する部分で、訃堂はその無骨な刀を高々と持ち上げた。

 

「むうん!」

 

ゆったりと八相に構える姿に、恐ろしいほどの鬼気が満ちる。

とても老齢とは思えぬ筋肉が隆起した次の瞬間、大刀は薙ぎ払われていた。

生まれるはスダジアムを駆け抜ける一筋の剣風。

風が吹き抜けたあとに、ノイズの群れのおよそ1/3が消失。

 

凄まじいまでの斬撃に、誰もが―――フィーネでさえ―――驚愕に動けない。

自らがもたらした沈黙を破るように、訃堂は大刀を天へ掲げた。

 

 

 

 

 

 

 

「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よッ!」

 

 

 

 

 

持った刀の切っ先をノイズへと突きつけ、吠える。

 

 

 

 

 

「これぞ、FG式回天特機装束転身斬艦刀なりッ!!」

 

 

 

 

 

シンフォギアはノイズの位相差障壁という絶対防御を調律し、こちらの世界への出現率を固定して撃滅する。

ゆえに、ノイズを倒せるのはシンフォギア装者だけ。

装者自身は武器を使わなくても、拳や蹴りで、極端な話、身体のどの部分をブチ当ててもノイズを倒すことは可能だ。

だからといって、装者そのものを只人が振り回してノイズを叩き潰すなど、一体誰が予想できよう!?

 

されど、これが奏と訃堂の切札。

ノイズ滅殺の大願のために、今日の今日まで特訓を重ね、温存していた超絶秘技。

 

長大な剣と化した奏を構えたまま、訃堂はノイズ目がけて突進。

そうして訃堂が振るったのは、左右袈裟斬りの二刀のみ。

雲霞の如きノイズの群れは全て消し飛んだ。

一振りで1/3ならば、残り二振りで全滅するは必然。

 

スタジアムに静かな風が吹く。

炭と化した人もノイズも吹き散らされ、先ほどまでの惨状が幻のよう。

 

「ッ! そこかッ!」

 

巨大な刀を地面に突き立て、訃堂は懐から小刀を投じる。

小刀はスタジアムの分厚い内壁を貫通したが、それだけだ。

 

「…手ごたえはあったのだが」

 

呟く訃堂の隣で、刀に転身した奏の身体を覆っていたシンフォギアが剥落して行く。

全てがボロボロと砂のように崩れ落ちると、後にはステージ衣装に戻った奏が横たわるのみ。

 

「か、奏ッ!?」

 

「…カナデッ!!」

 

アームドギアを放り出して翼とクリスは駆け寄った。

訃堂の足元で、真っ青な顔の奏は微動だにしない。

 

「奏ッ! 目を覚まして!」

 

「お願いカナデッ! 目を開けてぇッ!!」

 

二人とも涙を流していることにすら気づかず、奏の身体を抱き起す。

泣きながら彼女の剥き出しの肩を揺する。そうやって親友の魂を取り戻そうとするかのように。

 

すると。

 

「…がふっ!」

 

口から血の塊を吐き出して、奏はゆっくりと薄目を開けた。

 

「…へ、へへ。よう、おまえら…」

 

「奏ぇッ!!」

 

翼がその身体を抱きしめ、クリスは口元を押さえてその場へとぺたりと女の子座り。

 

「よ、良かった。良かったようぅ…」

 

その三人を静かに訃堂は見下ろす。

橙色の空は黒く染まり、幾つもの星が瞬いていた。

 

 

 

 

 

そして、その光景を、ぽかーんと口を全力全開で眺めていた立花響。

バカみたいな大口に、宙から何かの欠片が落ちてきたのと、冷たい夜風に首筋を撫でられ彼女がぶるぶると全身を震わせたタイミングは全く同じ。

その拍子に口の中のものを飲み込んでしまい、たちまちごほごほと咳き込む響。

「ぺっ、ペッ!」と吐き出そうとしたが、どうやら少し飲み込んでしまったようだ。

 

自分が飲み込んだものが、訃堂が先ほど宙へ吹き飛ばしたガングニールの欠片であることを、今の彼女は知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬおッ!」

 

気合と共に、瓦礫が吹き飛ぶ。

その下から弦十郎以下、特機部二の研究班が這い出してきた。

 

「大丈夫ですか、司令…?」

 

研究員の一人が気遣わしげな声をかけてくれるが、弦十郎は大きく頷く。

 

「生憎と、身体は頑丈な方でな」

 

背中の痛みを誤魔化してそう笑えば、研究員の笑顔は引き攣っている。

弦十郎は、背部に重度の熱傷を受けつつも、身を呈して瓦礫の崩落からも研究員たちを護っていた。

研究員の顔付きは、頑丈とかそういうレベルを超越していることに驚いているのだが、弦十郎には全く自覚はない。

どうにか歩けるほどに体力が回復しているのも、もはや化け物と形容しても良いだろう。

が、命を助けて貰った手前、研究員の誰もがそのことを指摘できずにいる。

 

最後の一人を陥没した穴から引き揚げ、弦十郎は皆の無事を確認。それから急にハッとした顔つきになる。

 

「そ、そうだ! 了子くん!? 了子くんはどこだッ!」

 

慌てて周囲を見回せば、積み重なった瓦礫の奥から櫻井了子が姿を現す。

自慢の巻き髪も崩落した彼女は、長い髪を引きずりながら歩いてくる。

白衣姿は全身煤に塗れ、横腹を押さえていた。

そこに血が滲んでいることを認めた弦十郎は、自分の身体の痛みを忘れて了子へと駆け寄る。

ふらりと了子の身体が傾く。床に倒れ込むギリギリで、弦十郎の太い腕が抱き上げた。

 

「大丈夫か! しっかりしろ了子くんッ!」

 

青ざめた顔で弦十郎を見上げる了子。

 

「あはは…。わたしもドジっちゃったみたい…」

 

そう言って、彼女は弦十郎の腕の中で意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は後日談となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブ会場の惨劇。

死者、行方不明者の総数、8547人(内、ノイズによる死傷者はおよそ3000人と推定)。

緒川慎次の影縫い、分身を駆使した避難誘導の成果も空しく、ノイズや爆発事故と関係ない要因で大小の怪我を負った人もカウントすれば、その被害数は30000人にも及ぶ。

その中に、『トライウイング』の天羽奏も重症者としてカウントされていた。

このことを受け、『トライウイング』は無期限の活動休止を宣言。

解散こそはしてないものの、三つの翼が空を舞う姿が見られないことは、多くのファンを嘆かせた。

 

 

また、このライブの影で極秘裏に行われていた完全聖遺物の実験は一応の成功を見たが、起動時に多量の破壊エネルギーを放射。

これが惨劇の端緒になったのか、大量のノイズの出現したタイミングは偶然であるのか、今なお調査中である。

また、起動後の聖遺物『ネフシュタンの鎧』は、爆発の混乱に紛れ、何者かに強奪された。

こちらも併せて調査が指示されていたが、全ては極秘裏に行われている。

 

 

そして訃堂の振るった『FG式回天特機装束転身斬艦刀』は、転身した奏の受けたダメージも鑑みた結果、通常運用は困難として封印指定を受けることとなった。

その正式名称は『Symphogear(シンフォギア) Solid(ソリッド) Changed(チェンジド) Arms(アームズ)』略称『S2CA』として特機部二の極秘ファイルに記載されている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

傷付きながらも天羽奏はその命を永らえた。

翼は、友が救われたことを喜び、護るために更に自分を高めようと心に誓う。

そしてクリスは、歌を唄うことの素晴らしさと、その怖さに思いを馳せるようになる。

 

今、三つの魂は、その翼を休めている。

彼女たちが再び羽ばたくまで、およそ二年の月日を待たねばならない。

 

そしてその切欠は、ライブ会場で助けたあの少女によってもたらされる―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トライウイング編 完

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

今作キャラクター設定


作者の覚書も兼ねて、まとめてみました。
なので、読み飛ばしてもらっても全然かまいません。
また、書いてある内容と続編の内容に矛盾が生じるかも知れませんけれど、あくまで現段階の覚書程度ということで了承して頂ければ幸いです。


 

 

風鳴訃堂

 

国防の要、防人一族風鳴家現当主

生まれながらの国粋主義者で自己中だったが、特撮番組を見て人の優しさに目覚めた男。

訃堂チョップは空を飛び、訃堂イヤーは岩砕くを地で行く超人。

特撮番組に並ならぬ情熱と深い造詣を持つ。

かつて八紘に、そこまで思い入れがあるなら、自分で番組をプロデュースしてみては? と勧められるも、あくまで自分は消費者であるとの立場を固守。下手な口出しをして、連綿と続いてきた特撮文化の流れを歪めることを何より危惧しているが、最近の番組ではCGが多用されていることには、ひそかに眉をしかめていたり。

時代の移り変わりだと承知しているからこそ、秘密の地下室で駄菓子を口に、危険なんぞ知ったこっちゃねえ! とばかりの爆発シーン満載の過去作品を鑑賞するのを楽しみにしている。

子供にはトロ甘い反面、大人には厳しい。特にOTONAと見込んだ相手にはかなりの無茶振りをするが、それは見込んでいるからこそ。見込まれた方はとんだ災難である。OTONAに成りきれずドロップアウトをした人材も多数いたとか。

文句なしの作中最強の一角。

全盛期のお訃堂さんは、この星の意志が認めるほどの最強存在だったあばれはっちゃく。

 

好きな特撮キャラ

初代マン ビッグワン ドギー・クルーガー

 

 

 

風鳴琴音

 

訃堂の姉さん女房にしてオリキャラ。

普通に原作を推察するに、訃堂の息子たちは異母兄弟の可能性が高い。

それでは家庭内不和のもと、と思って呪術やら何やらを盛って一婦制に持っていったら、文字通りの美魔女的な感じに。ロリババアも候補にあったけど、絵面的に妖怪にしか見えないので止め。

若さと多産の代償に、彼女の人生の大半は睡眠の内にあるという残酷さがあるけれど、敢えて焦点は合わせず。

京都出身だが作者がまったく知識がないので適当な京都弁モドキを口にする。

訃堂が唯一頭が上がらない存在であるならば、彼女も今作の最強の一角である。

 

好きな特撮キャラ。

…それはなんぞ美味しい食べ物のことですか?

 

 

 

風鳴弦十郎

 

訃堂の末っ子。

飯食って映画みて寝るだけで強くなる超人だが、その根底には少年時代に見せられた数々のヒーロー番組あり。

訃堂の形質をもっとも受け継ぎ、殺す気で挑めば訃堂を倒しうるかも知れない唯一の存在。しかし、根底には母親ゆずりの優しさがあるため、冷酷になりきれず最後の拳は鈍るだろう。同時にそれは、彼が訃堂にはなれないことの証明でもある。

WライダーならぬW訃堂で動き回られると手に負えないし、ある意味彼はこの作品の最終安全弁と言えるかも。

自分に向けられる評価や感情にはとことん鈍く、意外と自己評価は低い。

本人は至って実直な熱血漢であり好漢なのだが、最近クリスに向ける愛情がきょうだいを通り越して父親以上に微妙なのも本人に自覚なし。櫻井了子? なにそれ、美味しいの?

 

好きな特撮キャラ

80 静弦太郎 大門豊

 

 

 

風鳴八紘

 

訃堂の第八子?

訃堂夫妻の関係が良好なため、自分の妻のNTRルートが潰えて比較的関係は良好。

ただし、幼少の頃見せられた特撮番組が半ばトラウマになっているため、どうしても苦手意識が先に立つ。

血が繋がらないながらも翼をゲットし、家庭では良いパパ。ジェイソン・ステイサムの声で演歌を歌うのが特技であり、幼少の翼はこの影響をもろに受け、アイドルデビュー前に矯正するのに時間がかかったという設定がある。

風鳴一族で珍しく全てのステータスが知能に全振りされていて、自身を一族の中でもっとも常識人を自認。

未登場だが、暁切歌を『1切歌=1常識人』との単位にすれば、八紘は500万切歌ほどの常識人である。

ただし、0にいくらかけても0なことを、彼自身知らない。

作中でも苦労人であり、慢性的な胃炎を抱えているが、それを表情に出さない強さを持っている(そのほうがカッコいいと本人も思っている。

 

共感を覚える特撮キャラ

トリヤマ・ジュウキチ補佐官

 

 

 

風鳴翼

 

訃堂の実子で真の末子であるが、歪んだ背景を持たないため、すくすくと真っ直ぐ育っていく。

八紘を本当の父と慕っており、同時に彼の努力により、訃堂の趣味の魔の手から逃れられている一族でも唯一の存在だが、いつ陥落するか予断を許さない。

かつて自分の不甲斐なさからクリスをぶん殴られたことが衝撃的で、その後、自分を高めるために、叔父や祖父の男口調を真似するも、女の子らしさも結構出る。

未だ防人にもアイドルにもなりきれない彼女は、作中において文字どおりの中性の立場にある。

同時に、微妙に他者に依存したり甘える性格になってしまっているが、奏を欠いたことにより強い防人形態へと進化していく、はず。

クリスが大好き。奏に対しては当初は隔意を抱いていたが、数々の修羅場を潜り抜け信頼できる友と認めている。原作より髪は短く背は少し小さい。胸は大幅に小さい。

緒川に師事するのも原作通りだが、クリスに嫌われるのはイヤだから片付けはしっかり出来る子に。

最終的には、明るい性格もそのままに、落ち着いたメンタルと安定した戦闘力で、胸が貧弱以外は最強になる主人公の予定。

 

 

好きな特撮キャラ

タイガージョー(カッコいい…

 

 

 

雪音クリス

 

原作のクリスが両親を失うのは避けられないけど、すぐに保護され普通に育てられたら、というのが今作のクリスのコンセプト。

しかし、肝心の引き取り手の家が普通でなかったことで色々と魔改造を受けて、大和撫子に。

うん、でもまあ、普通の家でしっかり躾けされれば、クリスはこうなった可能性が高いと思う。

反面、彼女の原作での魅力的な性格や口調、食事マナーの悪さは、あのバルベルデで地獄を見なければ形成されなかったのではと考えると、つくづく業の深いキャラだとも思う。

とりあえずXDで雪音クリスanotherが出てくれたので、イメージ的にはまんまアレという感じでまとまる。原作よりちょっぴり身長も高く、全体的に丸く柔らかい印象あり。頭髪も軽くウェーブがかかっている。

料理も出来て、特にチーズケーキを焼くのが得意。食事の作法から日本舞踊、茶道、生け花と一通り出来て、人当りもよく奥ゆかしく、誰にでも優しく接するクリス究極進化形態(アルティメットモード)。可愛く、とにかく可愛く。

翼は無二の親友で、奏も親友だと思っている。

弦十郎に向ける感情はあくまで信頼できる兄の範疇に収まっているが、将来的には未定。

 

好きな特撮キャラ

ロボット8ちゃん(かわいい…  カメバズーカ(かわいい…

 

 

 

 

天羽奏

 

ノイズ絶対殺すウーマン。

恵まれた体、歌唱力、獣じみた勘を持つ万能選手。

本人もノイズが絡まなければ、何かしらで大成した才能の塊。

訃堂の薫陶も厚く、某レオの影響から彼を隊長と慕う。

早い段階での死にざまや将来の嘱望されっぷり、回想の常連から、おまえはキルヒアイスかッ!って原作に突っ込んだけど、色々考えてみれば適合係数以外は、登場した装者たちの中でぶっちぎりのスペックの持ち主では? と思う。

訃堂とは精神的な弟子の関係。なので死亡フラグも脳筋&脳筋でへし折ってみる。

けれど、ライブ会場の惨劇で彼女が重傷を負ったのは間違いなく、続編での立ち位置は、彼女にとって微妙かつ美味しいものになる予定。

 

好きな特撮キャラ

レオ モロボシダン隊長

 

 

 

櫻井了子/フィーネ

 

原作ではフィーネに了子の人格は全て喰われたということだが、今作では融合している。

いわばフィーネであり櫻井了子でもあって、演じることはなくTPOで人格や思考法を切り替えている。

こう書くと行動的に破綻しそうな部分も出てきそうだが、フィーネとしての目的を最優先事項に設定し、了子の目的意識を一段下にすることによって、矛盾は最小限に納められるようにしている。

シンフォギアの開発、運用が行われていることこそ、櫻井了子の意識が消えていないという証明。

転生を繰り返し、今回でようやく月を破壊する目途が立ちそうやー、と思った矢先、立ちはだかる防人一族に、あれ? この時代ヤバすぎ…? と最近気づきはじめた。おそらく今作での一番の苦労人。

 

好きな特撮キャラ

キバーラ 妖怪フタクチオンナ

 

 

 

立花響

 

原作の主人公…なのだが、今作のスポットは風鳴一族なので、色々と割りを喰う感じに。

それでも融合症例となってシンフォギアを纏うことになるのだが、胸にガングニールの欠片を受けるのではなく、欠片を飲み込んで胃袋と融合という、うっそだっろう? ってな展開で装者に。

まあ、今作はシリアスなとこはシリアスにはなるけれど、基本的な部分はギャグ時空ですしお寿司。

同時に、今作の二義コンセプトである『鬱展開なんて誰得』の恩恵を一番受けるかも知れないのだけれど、それはそれで原作の彼女の魅力を半減させやしないかと頭の痛いところ。

性格も原作準拠。彼女の今作における立ち位置や存在自体は、色々な意味で原作をなぞらない可能性が高い思われるが、それはシンフォギア異伝ってことで。

 

好きな特撮キャラ

ツインテール(おいしそう…

 

 

 

 

 

 

 

 

少しだけ次回予告

 

 

 

 

 

「あなたに奏の代わりなんて務まらないッ!」

 

                  「護る力がないなら、護るなんて言わないでッ!」

 

          「おいおい、ひでぇな。勝手にあたしを殺すなよ」

 

 

 

 

 

「ええええッ!? わたしが、トライウイングになるんですかッ!?」

 

 

 

シンフォギア異伝 防人(さきも)れ! 風鳴一族!

 

新章『新たなる翼』編  COMING SOON……

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『新たなる翼』編 第1話 誰かが助けを求めてる

 

 

開かれた教室の窓から、柔らかな風が流れ込んでいる。

ポカポカとした陽光も気持ち良く、誰もが眠気を催す五時限目。

にも関わらず、私立リディアン音楽院高等部普通科A組の教室には、ピリピリとした空気が張りつめていた。

尋常でない気を発散しているのは、腰に手を当てて顔を引き攣らせている女性担任教師。

その彼女の正面には、なんとも申し訳なさそうな顔付きで、両手に饅頭を持った女生徒が立っていた。

所々汚れた制服を着た立花響である。

 

「…立花さん。今日は、一体何の日か分かっていますか?」

 

「は、はい! えーと、新学期の初日…ですよね」

 

「その大切な初日に、お昼過ぎまで来なかったのは、サボっていたということでいいのかしら?」

 

「いいえッ! 決してサボったわけじゃありませんッ!」

 

眉をヒクヒクとさせる担任に、響は毅然と顔を上げる。

 

「今日、学校に来る途中、木に登って降りられない猫ちゃんを見つけたんですッ! どうにか木に登って助けたら、首輪に住所が書いてあったので、そこまで届けに行きました! そのあと、見知らぬ外人さんに駅の場所を聞かれたので連れていって、それから学校に戻るところで、坂道でおばあちゃんが荷物を落としたんですよね! なのでおばあちゃんの荷物を拾ってあげてそのままお家まで荷物をもってあげてッ!」

 

むしろ誇らしげに響は言う。

 

「そして、これがご褒美に貰ったお饅頭ですッ!」

 

途端にぐ~ッ! と盛大なお腹の音が鳴った。躊躇うことなく響は饅頭にかぶりつき、丸々一個を一口で頬張る。

 

「立花さんッ!?」

 

激昂する教師に、響はもぐもぐごくんと飲み下して、

 

「す、すみません! お昼食べ損ねちゃってッ!」

 

「そういうこと言っているんじゃありませんッ!」

 

叱責にきょとんとしてしまう響だったが、間もなく納得した表情を浮かべながら片手を差し出している。

 

「ひょっとして先生もお饅頭欲しかったり? いいですよ、すっごく美味しいですよ!」

 

「~~~ッッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…は~、入学初日から先生に目を付けられちゃったよ~。わたしって呪われてるのかも~」

 

学生寮に戻るなりそういって床にひっくり返る親友を、小日向未来は呆れ顔で眺める。

 

「あんなの、先生でなくても怒るよ? 遅刻したってレベルの遅刻でもないし、100%響が悪いんじゃない」

 

「え゛~? 未来までそういうこというの~? わたしは人助けしてたんだよ~?」

 

「響のは度が過ぎているんだよ。その調子じゃ、学校に通う時間もなくなっちゃう」

 

「ん~、でも人助けはわたしの趣味みたいなもんだしね~。ま、学校の勉強は、改めて未来に教えてもらえばいいし!」

 

「…言っておくけどね、ノートを写すのはいいけれど、宿題を写すのはナシだからね?」

 

「ええッ!?」

 

うう、やっぱわたしって呪われている~、と、今度はテーブルに突っ伏して頭を抱える響を眺めながら、未来は苦笑を浮かべるしかない。

響は、昔から向う見ずの無鉄砲なところがある。誰かが傍で支えてやらないと、とんでもないことをしでかしかねない。

同時に未来は、響の新品の制服がもう汚れていることを嬉しく思う。

自分で度が過ぎていると指摘したけれど、響の人助けは本物だ。

困っている人を見つけたら、損得抜きで駆けつけて必ず力になろうとする。

今のこの時代において、それはどれほど真っ直ぐで貴重な個性だろう?

そんな彼女と親友であるとお互いに認め合えてることが、小日向未来にとっては何よりも誇らしい。

 

「ほら、響、制服脱いで。軽く汚れを落としてクリーニングに出さなきゃ」

 

「あ、はいはい」

 

テーブルから顔を上げ、あっさりと響は制服を脱ぐ。

橙色のブラに包まれた胸は年齢相応に豊かで、腰もしっかりとくびれている。

おへそ丸出しで、うっすら腹筋さえ見えそうなお腹が盛大な音を響かせた。

 

「ああ~! そういえばお昼はお饅頭以外何も食べてなかった~! 腹ペコで死にそうだよ~!」

 

「はいはい。あまり材料の買い置きはないけど、出来るだけたくさん夕ご飯作るから」

 

「ありがとう未来~ッ! やっぱり未来はわたしの最高の陽だまりだよ~ッ!」

 

下着姿で抱きついてくる響を、未来は頬を赤らめながら抱きしめ返す。

陽だまりとおさんどんにどういう関係があるの? なんて疑問は些細なことだと思いながら。

 

 

 

 

 

千切りにした大根を丸々一本使ったサラダは青紫蘇ドレッシングで和えて。大皿いっぱいに千キャベツを敷いて熱々の豚バラ肉の生姜焼きをのせる。大鉢に粉ふき芋を入れて、だし巻卵も作って、味噌汁の具はワカメと豆腐をたっぷりと。

夕食としてテーブルの上に広げたそれらを、響は健啖に平らげていく。

 

「うんッ! おいしいッ! やっぱり未来の作る料理は最高だねッ!」

 

「嬉しいけど、もっとゆっくり食べなよ、響」

 

「無理! 美味しすぎて箸が止まらないもんッ!!」

 

その言葉通り、よっぽどお腹が空いていたらしい。たちまち半分ほどの量を胃袋に納めて、ようやく響も会話をする余裕が出てくる。

 

「あー、そういえば、明日発売だよね、翼さんの新曲ッ! 忘れないで買わなきゃッ」

 

テーブルの横に置かれた雑誌の裏表紙を箸で指さす響。

 

「もう、行儀悪いよ。…でも、いまどきCDで発売って」

 

「えへへー、初回特典とか封入特典が凄いんですよ、奥さん」

 

からかってくる響に、未来は取り合わない。

 

「でも、響は、翼さんに憧れてリディアンに入学したんでしょ?」

 

自分で口にしておいて、未来は心が曇るのを感じる。

 

いまや、日本のトップアーティストへと上り詰めた風鳴翼。

その前身は、かつて絶大な人気を誇った音楽ユニット『トライウイング』の一翼だ。

そしてトライウイングと言えば、切っても切り離せないのが二年前のライブ会場の惨劇。

()()()()()()()()()()()()()()()()が原因で、約9000人の死者を出した大惨事。

急遽ライブに行けなくなった未来に対し、響は一人で入場していた。

親友を誘った手前のこともあったが、叔母の見舞いで家族で盛岡への途上にあった未来は、このニュースを耳にして騒然としたものだ。

自分では良く覚えてないのだけれど、父の運転する車の中で盛大に泣き叫んだらしい。

そのあとのことも記憶になくて、はっきりと覚えているのは電話越しに聞いた響からの『無事だよ』との報告の声。

ライブの収容人数は10万人で、9000人の死者が出たとすれば大雑把な死亡率は10%。10人に1人の死亡者の中に親友が入ってなかったことを、未来は心の底から何者かに感謝している。

だが、その惨劇から戻ってきた響は変わっていた。

昔から思いやりの強い子だと思っていたけれど、より積極的に人助けに奔走するようになっている。

ライブ会場で何かあったの? と未来が訊いても、響は笑って答えてくれない。

それでもしつこく尋ねたとき、たった一度だけ答えてくれたことを未来は憶えている。

それは―――。

 

『『トライウイング』は、正義の味方だったんだよ―――』

 

 

 

「…うーん、翼さんに憧れて、っていうよりは、『トライウイング』に憧れてってのが正解なんだよねー」

 

(しんゆう)の声が未来を現実へと引き戻す。

 

「それでも凄いよ。良く入学出来たものだと思うよ?」

 

リディアンの入学試験は決して簡単なものではない。結構難しい筆記試験に、歌の実技試験もある。

響の学力はお世辞にも良くはないし、歌だってそれほど上手じゃなかったような。

まあ、一緒に受けたわたしがそんな偉そうなこと言える義理じゃないんだけど…。

 

「でも、せっかく入学したのに、翼さんの影も形も見当たらないんですけどー?」

 

風鳴翼は、リディアン高等部三回生のタレントコースに在籍している。

学園側もそのことを積極的にアピールし、生徒集めの看板としてた。

響以外にも彼女に憧れて入学する生徒も多い。

 

「それは翼さんはトップアーティストだからね。忙しくて学校にはなかなか来られないんじゃない?」

 

「だったら、クリスちゃんはどうかな? 未来は見かけなかったッ?」

 

雪音クリスもかつての『トライウイング』の一人。今は芸能活動を休止し、普通に学生としてリディアンに在籍しているとか。

 

「そういえばお昼休みに中庭に人だかりが出来ていたけど、あれが雪音さんかな?」

 

「えーッ!! だったら教えてよ、未来ッ!」

 

「あっきれた。響が登校したのはお昼過ぎじゃないッ」

 

「あ、そっかー!」

 

あははと頭を掻く響だけれど、トライウイングの中で一推しが雪音クリスであることを未来は知っていた。

未来は脳裏に雪音クリスの姿を思い浮かべる。

ハーフだという端麗な容姿に、軽くウェーブのかかった銀髪。そして何より…。

未来は箸をおいて、自分の胸へと手を当てる。

 

「………」

 

「未来?」

 

「ねえ? 響もやっぱり胸が」

 

「なあに?」

 

「う、ううん、なんでもない…ッ」

 

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立花響が私立リディアン音楽院へ入学した理由はトライウイングに憧れてというのが大きな一つとなるが、更にもう一つ切実な理由も存在する。

それが判明するのは、四時限目のチャイムが終わって間もなく―――。

 

「さあ、ご飯だご飯!」

 

ほとんど一番乗りで食堂に飛び込んだ響は、まずは丼にご飯をチョモランマ盛り。それからトレイに載る限りの大皿を敷いて、そこにもおかずを山のように盛り付けていく。

 

「いたっだきまーす!」

 

後続の生徒たちが目を見張るなか、凄まじい勢いでそれらを平らげて行く響。

向かいの席に未来が自分のトレイを持って着席する頃には、全ての皿が空になっている。

 

「よーし、二回目行こうっと♪」

 

日本全国に私立学園は数あれど、昼食にビュッフェを提供するところはそう多くない。

このリディアンはその数少ない学舎の一つであった。

中学三年生になったあたりから、どういうわけか響の食事摂取量が飛躍的に増加。

学校の給食だけでは賄いきれず、こっそり弁当を持参してたほど。

それでも六時限目の終了と同時に鳴るお腹の音は、響と未来の母校では知らぬ者のいないほどの笑い話である。

他にも、近隣の大盛り爆盛り食べ放題の店に軒並み名前を連ねていたことは、響が地元を離れたがっていた一因なのではないだろうか?

ともあれ大食漢ならぬ大食娘である響にとって、リディアンの昼食は他の高校に比べてすこぶる魅力的に見えたことは間違いなかった。

 

「ごはん&ごはん♪ ごはん&ごはん~♪」

 

自作の鼻歌を唄いつつ丼飯を盛り付ける響に食堂はざわめいたが、生憎と原因はそれだけではなかった。

ざわめきは入口の方からも聞こえている。

何事かと響もそちらを向けば、級友らを引き連れた風鳴翼が入ってくるところ。

そしてその隣には、見目も鮮やかな銀髪の少女が仲良く付き添っている。雪音クリスであった。

中等部時代から蒼姫、銀姫と呼ばれた二人が歩いてくる様子に、ペタペタとご飯をよそっていた響も、思わず手を止めて見惚れてしまう。

すると、二人は響の前で足を止め、大きく目を見張った。

富士山のように盛りつけられたご飯と響を見比べて、風鳴翼は無言でほっぺたあたりを指さす。

ご飯粒がへばり付いていることに気づき思わず頬を赤らめる響の口元を、雪音クリスが苦笑しながらハンカチで拭ってくれた。

これが、響にとって待ちに待った憧れの人たちとの再会だった―――。

 

 

 

 

 

 

放課後、寮に帰りつくなり立花響は悶絶する。

 

「うがーーーーーーーッ! 最悪だよッ! 絶対翼さんにもクリスちゃんにも変な子だって思われたッ!!」

 

「うーん、それはわたしでも弁護の余地はないかな…」

 

「未来までそんなこというのーッ!?」

 

苦笑する親友に抗議の声をあげはしたものの、響の内心は別の部分でがっかりしていた。

 

―――やっぱり、わたしのことなんか二人とも覚えてないのかな。

 

二年前のライブ会場の惨劇。

何やら鎧みたいなものを着てノイズと戦っていたのはトライウイングの三人で、自分を庇ってくれたのは天羽奏で間違いないと思う。

 

でっかいお爺ちゃんがノイズを全部ぶっ飛ばした後。

わらわらとやってきた黒服の人たちに、響はどこかに連れて行かれた。

そこで、見たことは決して口にしちゃいけない誰にも話しちゃいけない、という誓約書にサインをさせられた。違反したら、最悪刑務所に入ることになるかもとの説明を受けている。

どうにか解放された時にはもう日付も変わっていて、呼ばれたらしい両親が迎えに来てくれていた。

 

返してもらった携帯電話を見たら、未来からの着信のオンパレード。

夜も遅いけど…とおそるおそるかけた未来の番号の向こうで、親友は盛大な安堵の声とともに号泣してくれた。

 

なので、ライブ会場で目撃したことを、響は未来にも喋っていない。

一度だけしつこく追及され、『トライウイングは正義の味方だった』と口を滑らせてしまったけれど、黒服の人たちは来ないからギリギリセーフなのかな? と思う。

 

同時に、未来に誤解を与えているとすれば、立花響はアーティストとしての『トライウイング』へと憧れているわけではなかった。あの時、あの場で、ノイズと果敢に戦っていた戦士としての『トライウイング』に心を奪われている。

人類にとっての天敵、特異災害ノイズを蹴散らし、多くの人の命を救った雄姿は、年頃の少女にとって強烈なインパクトと憧憬を刻み込んでいる。

彼女たちに少しでも追い付かんと思う心根は、響の人助けに拍車がかかった所以だ。

 

「それより、響。翼さんのCDって今日発売じゃなかった?」

 

「…え?」

 

「限定版って、そんなに多く発売されてるのかな?」

 

「わわわッ! ごめん、未来! ちょっと買い物に行ってきます~!」

 

スニーカーをつっかけ、響は制服のまま学生寮を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの坂を駆けくだり、響は商店街を目指す。

学校帰りの学生、買い物かごをぶら下げたお母さん、様々な人と行き会う。

まずは目に付いた大手メディアショップへ駆け込むと、つい先ほど初回限定盤は完売したという。

 

「うわ~! 遅かった~~!!」

 

あまりにも落ち込む響に同情した店員が、コンビニにならまだ残っているかもと教えてくれた。

アドバイス通りに繁華街を走り回り、響はとうとう一番外れのコンビニまでやってくる。

店の表のガラス越しに限定盤のCDが飾られていることに思わず笑みを浮かべた響だったが、ふとその表情が真顔に戻る。

 

夕方の冷たい風が吹く。

どこか、懐かしい臭いがした。

それは郷愁を思い起こすものではない。

想起させるのは、あの時の()()―――。

 

人の声が聞こえない。

人の気配を感じない。

 

思わず周囲を見回し、響はその臭いと共に過去の記憶を甦らせた。

道路に、コンビニの中に、無造作に転がる塵の塊。

それらは人の形をしていて、風にサラサラと散っている。

 

―――ノイズ!?

 

響が身構えるのと、女の子の泣き声が聞こえたのは同時だった。

 

「おかあさ~ん!!」

 

数メートル先に小さな女の子。そして左右の路地裏から、わらわらと沸いてくる小型ノイズ。

 

―――なんでこんなところにノイズが?

 

そう思う前に響は走る。迷うことなく。

女の子を抱き上げ、全力全開で後退。

しかし、逃げようとする道は塞がれており、響は仕方なくノイズのいない路地裏へ。

女の子の手を引いて、川へ飛び込み、狭い道を通り抜け、とにかくノイズのいない方向へ。

 

「しまった~! シェルターから離れた場所へ来ちゃったよ~!」

 

坂道を駆けながら思わずそう声を漏らせば、繋いだ手がぎゅっと握られる。

 

「あ、ごめんごめん。大丈夫だよ! 絶対お姉ちゃんが護るからねッ!」

 

女の子に安心させるように微笑みかけ、響は本気も本気だ。

しかし無秩序な逃走は、彼女を思いも寄らぬ方向へと誘う。

追い詰められた工場の一角。

そんの燃料タンクの上へと梯子を使って昇り切り、首に掴まった女の子を置いて、どうにか一息―――とは至らない。

広い燃料タンクの平面の上には、既にたくさんのノイズが待ち構えていた。

下からもノイズがわらわらと上がってくる。もはや逃げ場はない。

 

「おねえちゃん―――ッ!」

 

すがりついてくる女の子を庇いながら、響は必死で頭を巡らす。

傍目にも絶対絶命のピンチ。

だけど、響の頭には、諦めるという文字は存在しない。

絶対なんとかなる。

自分では無理なときは、きっと誰かが助けてくる。あの日のトライウイングのように。

そして、わたしは、必ず陽だまり(みく)の元へと帰るんだ―――!

 

グルルッ! と周囲に場違いの音が響く。

 

なにこれッ!?

 

思わず響はあたりを見回すも、どこから聞こえてきた音なのか分からない。

 

グルルルッ!

 

とまた音が響いた。

まるで獣のような唸り声に、ようやく響も気づく。

 

「うっそ。これ、わたしのお腹の音…ッ!?」

 

音は止まらない。空腹を報せる音ではない。本当に獣のような声は、まるでバイクのアイドリング音のようにどんどん加速していく。

思わず制服の裾をめくり上げた響は、自分の腹部が発光していることを確認。

ついには、おへそあたりから眩い光が溢れて―――。

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。特異災害対策機動部二課発令所。

 

「街中に展開するノイズの追跡中ですッ! …これはッ!?」

 

モニターを凝視する藤尭朔也に続き、櫻井了子が顔色を変えた。

 

「アウフヴァッヘン波形が観測されたのッ!?」

 

次の瞬間、発令所内にアラートが鳴り響き、巨大なディスプレイに大きなアルファベットが表示される。

それを見た総司令風鳴弦十郎は、思わず立ち上がっていた。

 

「馬鹿なッ! ガングニール、だとッ!?」

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 必ずそこに辿りつく

 

 

 

 

「な、何が起こっているの!?」

 

自分のお腹が謎の光を放ったことに、一番驚いているのは当の響だった。

光が眩しくて目を開けていられないだけではない。

お腹の奥の奥から、凄まじい熱気が噴きだしてくる。

その熱さは、もはや痛みさえ感じさせるレベルで―――。

 

「があッ!?」

 

何かが腹部から飛び出した。

光で真っ白に染まる世界で、飛び出した何かが、自分の両手足、それから胴体を覆っていくのを響は感じる。

何やらガチャガチャン! といった機械音に続き、排気音が轟く。

プシューっという煙に包まれながら自分を見下ろして、響は素っ頓狂な声を上げた。

 

「な、なにこれーッ!?」

 

いつの間にか、黄と黒のツートンカラーの鎧のようなものが装着されていた。

同時に響は思い出す。これ、トライウイングのみんなも着ていたのに似ている…?

 

「うわ、おねえちゃん、かっこいいー!」

 

女の子の声で我に返る。

その称賛は嬉しかったけれど、ノイズが迫りくる中で悠長にポーズを決めている暇はない。

 

「こっちへ!」

 

女の子を抱き上げて、同時に響の口から歌が溢れ出す。彼女自身そのことに気づく余裕もなく、唄いながらノイズの群れを見回していた。

狭い燃料タンクの上の四方はノイズに囲まれていて逃げ場はない。

 

いや、一つだけ、あるッ!

 

女の子を抱えたまま響は跳躍。

だがそのジャンプは、彼女の思惑を超えたレバー上入力のようなスーパー大ジャンプ。

 

「わわわッ!?」

 

予想以上の巨大な放物線を描くことになった響は、斜め前方にあったビルの壁面に女の子を庇うようにして背中から衝突。

 

…あれ? 痛くない…ッ!?

 

そう思いつつ、重力に引かれて地面へと墜落。

こちらも女の子を庇いながら両足で着地。

衝撃に、アスファルトの道路が放射状に陥没するも、やはりほとんど痛みはない。

 

「どーなってるの、これ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぜ、ガングニールの反応が…?」

 

特異災害機動部二課発令所。

モニターを凝視する櫻井了子の横で、風鳴弦十郎は矢継ぎ早の指示を飛ばす。

 

「至急、翼とクリスに連絡して現場へ急行させろッ!」

 

「ですが司令! 二人とも、先ほど和歌山沖での戦闘が終わったばかりで…!」

 

友里あおいが悲鳴じみた報告をしてくる。

 

「可能な範囲で急がせるんだッ! 藤尭ァッ!」

 

「了解! ランデブーポイントの調整に入ります! …しかし、この距離では間にあうかどうか…ッ!」

 

モニターの中では、女の子を抱えたまま逃げまどう少女の姿が小さく動いている。

孤軍奮闘はしているものの、ノイズの数はあまりにも多かった。

おまけに場所がよりによって危険物満載の工業地帯とあっては、自衛隊を要請しても迂闊に発砲することも出来そうにない。

 

「…くッ」

 

短く呟き、弦十郎はくるりとモニターへ背を向けた。

 

「司令ッ! どちらへ?」

 

気づいた友里が声をかける。

 

「…俺が撃って出る」

 

「まさかッ!」

 

「司令がッ!?」

 

驚愕する二人の側近の声を背中に聞き、弦十郎が発令所を出て行こうとしたその時―――。

 

『ちょいと待ってくれよ、ダンナ』

 

新たな声が発令所内に響いた。

 

「おうッ?! その声はッ!」

 

『こんなことで、総司令さまが直々に出張ることもないだろッ?』

 

大型モニターの中にウインドウが開き、そこに映るのは赤毛をたなびかせ不敵な笑みを浮かべる若い女。

かつての『トライウイング』不動のセンターだった天羽奏だ。

 

「奏かッ!? いま、どこにいるッ!?」

 

『こっちは間もなく現着予定さ』

 

「だが、今のおまえは…ッ!」

 

『安心しな。ギアは使えなくても、二人が来るくらいまでの時間は稼いでやるよ!』

 

弦十郎は少しだけ考え込む素振りを見せたが、毅然と顔を上げる。

 

「わかったッ! 頼むが、くれぐれも無茶だけはしてくれるなよッ!」

 

『合点承知ッ!』

 

画像は消え、通信から流れるエキゾーストが長い音を引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わわわわッ!」

 

工業地帯の命懸けのチェイスはまだ続いている。

女の子を抱えたまま響は疾駆しているのだが、どこの横道へ逃げてもノイズが待ち構えていた。

ならばと空を飛べば、響はよくても女の子には結構な衝撃を与えてしまうので多用は出来ない。

更に言ってしまうと、響自身、急に自分が身に着けた力を持て余していた。

全力で動けば振り切れるかも知れない。けれどそうした場合、腕の中の女の子は生卵のように割れてしまいそうな直感がある。

 

「…くそッ!」

 

そもそも唄いながら動き回るということ自体が、慣れない身には苦行となる。

息を切らせば歌を唄えず、歌が唄えなければ身体が超人的な動きをしてくれない。

 

(このままジリジリと追い詰められちゃうの…?)

 

諦めてこそはいないものの、濃い疲弊の色を浮かべる響の耳に、遠く排気音が聞こえた。

それは徐々に近づいてきたかと思えば、ノイズの隙間を縫うような鋭角なドリフトを決め、響の前に停車。

クリーム色の三菱ジープだ。幌はなく、フルオープンの座席から、夜であるにも関わらずサングラスをかけた赤毛の女がこちらを見下ろしている。

 

「乗りな、嬢ちゃんッ!」

 

この時点で否応はない。

 

「は、はいッ!」

 

まずは女の子を後部座席へとほうり上げ、響自身も飛び乗った。

 

「よしッ! しっかり掴まってなッ!」

 

言うが早いが赤毛の女はシフトレバーをセカンドへブッコんでアクセルを全開。

直列4気筒OHCICターボディーゼルエンジンが唸りを上げる。

神速のギアチェンジで一気にスピードを上げ、巧みなハンドルさばきを駆使し、ジープはたちまちノイズの群れから遠ざかる。

 

「…ぷはーッ! 助かった…ッ!」

 

思わず響が座席にそっくり返れば、運転席からは挑発的な声。

 

「はッ! そうは問屋が卸さないみたいだぜッ!?」

 

大通りを疾駆するジープの前方にはまたもやノイズの群れ。

その中でも一際目を引くのは、緑色の巨人のような大型ノイズ。

 

「わわわッ! 右にもッ! 左にもッ! 逃げなきゃッ!」

 

「慌てなさんなッ!」

 

不敵な声とサングラスに、街灯の光が反射している。

 

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありッてな!」

 

ジープは更に真正面へ向けて加速。

 

「うっそでしょーッ!?」

 

思わず響が女の子に覆いかぶされば、ジープはノイズの隙間と隙間をタイトロープダッシュ。

ほんの数瞬前通った場所をノイズが次々と飛び交う様は、まるで水族館のイルカショーのジャンプアーチのようだ。

凄まじいハンドリングを披露し、たちまちジープは巨大ノイズの足元へと達する。

更に加速を重ね、踏みつぶそうと高々と上げられた足の下をくぐるように、響一向を載せたジープは駆け抜けていた。

 

「ひゃっはーッ!」

 

ノリノリの声と一緒にジープは工業地帯を脱出。

 

「…凄い」

 

海岸沿いの国道ひた走るジープの後部座席で、響はようやく周囲を観察する余裕が出てくる。

 

「も、もしかして、天羽奏さんですか?」

 

ハンドルを握り赤毛をたなびかせる彼女のシルエットは、響に見覚えがあるもの。

 

「お? あたしのことを知っているのか?」

 

「もちろん! 『トライウイング』の絶対的エースにしてレッドウーマン! ですよね!?」

 

「レッドウーマンってのは初耳なんだけど…」

 

天羽奏が苦笑している雰囲気。

 

「二年前の事故で大怪我したってニュース流れてから、心配してましたッ! あれからさっぱり見かけないから、同級生なんか死んじゃったんじゃないかって噂も…!」

 

「おいおい、ひでぇな。勝手にあたしを殺すなよ。こんな風にピンピンしてるさ」

 

「も、もちろんわたしは噂なんか信じてませんでしたよッ!?」

 

「そりゃありがとよ」

 

興奮気味に力説する響に奏はバックミラー越しに笑顔は向けるも、その表情は一瞬で凍りつく。

 

「掴まれッ!」

 

言うなりハンドルを切れば、すぐ隣を飛行型のノイズが槍のように通過。

そのタイミングで逆方向から来たノイズも避けようとした結果、タイヤはグリップ力を失う。結果、ジープは盛大にスピン。

 

「しくったッ!」

 

奏の絶叫を聞いて、ほとんど響は条件反射で車外へと飛び出していた。

回転する車の側面へと取りつき、足と地面の摩擦でブレーキをかける。

 

「どっせーい!!」

 

アスファルトの上に盛大な火花が散る。

ずんッ! と重々しい衝撃が走ったが、乗車している人間は無傷だ。

響の機転でどうにかジープはガードレールへの衝突を免れるも、代償に響はジープとレールの間に挟まれる格好に。

身動きが出来ない響の視界を、次々とノイズが埋めていく。

 

「くッ! 奏さん! その子を連れて早く…ッ!」

 

響の必死の声に、天羽奏はサングラスを外して空を仰ぎ見る。

 

「いや、もう大丈夫だ」

 

「な、何言ってるんですかッ! 早く逃げて下さいよッ!」

 

「今度こそ正真正銘の騎兵隊のお出ましだぜッ」

 

「へ?」

 

釣られるように響も空を見上げた。

キラリ、とまるで星のような小さな光が瞬くのが見えたと思った次の瞬間、空から降り注ぐ無数の真紅の矢、矢、矢。

土砂降りのように降ってくる矢の数々は次々とノイズへと突き刺さり、たちまち駆逐していく。

それどころかジープの周囲に突き立った矢はそのまま消えることはなく、簡易な防壁のようなものまで形成する。

ただただ呆気にとられる響の視線の先で、こちらに追い付こうとしていた巨大ノイズもこれまた巨大な剣で両断されているのが見えた。

 

「な、何がどうなって…?」

 

眼を白黒させる響の前に、赤と蒼の二つの影が降り立つ。

 

「大丈夫か、奏ッ!?」

 

「カナデ、無茶しすぎだよッ!」

 

未だガードレールとジープに挟まれたままという間抜けな格好だったが、二人の姿を認めて響は感無量だ。

ずっと憧れてきた存在が、いま、確かに目の前にいるのだから。

 

「ワリィワリィ。ま、おまえたちが来るまでの繋ぎ要員ってことで」

 

「まったく…」

 

腰に手を当てて呆れて見せるのは、蒼い鎧に刀のようなものを引っさげた風鳴翼。

 

「ところで、こっちの車に挟まれているのは? …あら?」

 

赤い鎧に弓を携えこちらを見てくるのは雪音クリスで、彼女はどうやら響に見覚えがあったらしい。

なので響は元気に挨拶。

 

「お二人とも、ご無沙汰しています! わたしは、立花響ですッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上空をライトを点けたヘリコプターが飛んでいた。

その下で黒塗りの車両が並び、何やら天幕のようなものが張られている。

天幕の中では折り畳み椅子に座らされた女の子が、ジャンパーを羽織らせてもらって飲み物を飲んでいた。

そして響はというと、ひん曲がったガードレールの上に腰を降ろし、すっきりとした表情でその光景を眺めている。

 

とにかく、あの子を助けられて良かった―――。

 

「はい、どうぞ。温かいもの」

 

気づけば、目の前に制服姿のお姉さん。彼女の差し出してくれた紙コップを遠慮なく受け取り、響は礼を言う。

 

「あ、あったかいもの、どうもです」

 

柔かい香気が鼻腔をくすぐる。

ふーふーと冷まして一口飲めば、何とも言えない芳醇な旨味が口の中に溢れた。

こんな美味しいコーヒー、生まれて始めて飲んだよ!

その瞬間。

湧き上がってくる感動を押しのけるように、響の胃袋は盛大に鳴動。

未だ夕飯も食べておらず、強烈な空腹を意識すると同時に、響の身体を鎧っていたものは淡い光とともに消え去る。

 

「え? え?」

 

驚いて腰を抜かしてしまう響は制服姿に戻っていた。

そんな彼女は後方へ倒れ込む寸前、誰かに受け止められる。

 

「…あれ?」

 

振り向けば、そこには風鳴翼が立っていた。

 

「あ、ありがとうございますッ」

 

思わず礼を言う響に、翼はなんとも複雑な表情を浮かべている。

しかし、憧れの人に受け止められた響は、興奮してそれどころではない。翼もリディアンの制服姿なことにも気づかないほど。

 

そんな二人の目前で、女の子が椅子から立ち上がっていた。

そのまま走って天幕を飛び出す。

 

「ママッ!」

 

「ああ、良かった! 無事だったのね!」

 

母親らしい女性が女の子を抱き止めている。

その光景を微笑ましく眺める響の前で、先ほど温かいものを渡してくれた制服姿のお姉さんが親子に話しかけた。

 

「それでは、この同意書に目を通してサインしていただけますでしょうか?」

 

「え…?」

 

「本件は国家特別機密事項に該当するため情報漏えいの防止という観点から、 あなたの言動及び言論の発信には、今後一部の制限が加えられることになります。 特に、外国政府への通謀が確認されますと…」

 

その説明は響にとって懐かしい覚えがある。

 

そうそう二年前、わたしもこんな風に説明されたっけ…。

でも、今回は二回目だし、同じ説明を受けなくてもいいよね?

 

「それじゃあ、わたしはそろそろ。お腹も減ったし、未来も心配しているだろうし…」

 

翼たちとこのまま別れてしまうのは名残惜しいが、未来を心配させ、万が一怒らせてしまったりしたらそちらの方がよっぽど怖い。

 

愛想笑いを浮かべて立ち去ろうとした響だったが、振り返った目前には柔和そうな男性が立っている。

 

「すみません。あなたを拘束させて頂きます」

 

柔らかい声でそう告げられた途端、響は自分の両腕にゴツイ手枷が嵌められていることに気づく。

 

「え? え? なんで? どうして? いつの間にッ!?」

 

思わず狼狽える響の頭を、ポンと誰かが叩いた。

その手の主を辿れば、天羽奏が笑っている。

 

「さあて、期待の新人ちゃんを、我らが特異災害対策機動部二課へとご招待だッ!」

 

有無を言わせず黒塗りの車の後部座席に放り込まれる。

 

「ちょ、ちょっと待って~! せめて未来に連絡を~!」

 

響の哀れな叫びは、当然のように忖度されることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? ここってリディアンじゃ?」

 

車が到着したのは、なんと在学している私立リディアン音楽院。

夜の九時も回り、人気のない敷地内を歩かされ辿りついたのは教員棟だ。

例の物腰の柔らかそうな男性が先導し、次に風鳴翼が続く。

その後に雪音クリスがいたが、彼女の後を歩く響も、さすがにこの雰囲気で気軽に話しかける気にはなれない。

最後尾を天羽奏が歩いているのだが、彼女が左腕に持つ松葉杖をつく音が、カツンカツンと夜の学園に響いている。

 

…そっか。車に乗っている時は気づかなかったけれど、奏さんは足を悪くしたんだ。

だから、トライウイングとして復帰できないんだ…。

 

響がそんなことを考えているうちに、一向は教員棟の奥まった場所へと到着。

両サイドに開いたドアは、教員専用のエレベータであることは響も知っていた。

 

上に行くのかなあ?

 

暢気に構えている響に、男の人は彼女の手をとって近くの持ち手へと摑まえさせた。

 

「危ないですから、しっかりと掴まっていて下さいね」

 

「え?」

 

意味が分からずそれなりに広いエレベーター内を見回せば、壁際に立つそれぞれがしっかりと持ち手に手をかけている。

 

「え? え? 危ないって…?」

 

訊ねた瞬間、全身の血が一斉に下に持って行かれるような強烈なG。

 

「どおおおおおおおおおおおおおッ!?」

 

ようやく響も、このエレベーターが猛烈な勢いで地下へと降下していることを理解。

 

「あ、あははは…」

 

狼狽えてしまった恥ずかしさを誤魔化すように愛想笑いを浮かべれば、

 

「初めての人はびっくりするのは仕方ないかも…」

 

雪音クリスが微笑を浮かべて見返してくれた。

 

「ま、要は慣れさ。慣れ」

 

天羽奏はむしろ楽しんでいるような余裕さえ伺える。

ただ一人風鳴翼だけが、「この程度で狼狽えるなど…」と苦言のようなものを呟いていたが、憧れのクリスと眼があった響は気づくどころではない。

ついでに、エレベーターの外に謎の紋様が描かれた異様な空間が存在したことも、全く認識出来ていなかった。

 

うわー、本当にクリスちゃんって可愛いなッッ…!!

 

ひたすらクリスに見惚れていれば、エレベーターはどうやら目的地に到着した様子。

ドアが開くなり、幾つものクラッカーが鳴らされ、響は驚くよりもきょとんとしてしまう。

 

「ようこそ! 人類最後の砦、特異対策機動部二課へ!」

 

赤シャツを着た大男がやたらフレンドリーな笑みで出迎えてくれたのも、響にとって完全に想定外。

フリーズするしかない響に、今度は奇妙な髪型をした女性が近づいてくる。

ピンクの眼鏡に白衣を着た女性は、初対面にも関わらず響のパーソナルスペースを粉砕。

馴れ馴れしいとさえ言える仕草で制服ごと響の首を抱え込むと、自前のスマホを取りだして斜め上にかざす。

 

「さあさあ、笑って笑って。お近づきの印に、2ショットの写真を撮りましょ」

 

そう言われ、反射的に身を引いてしまう響。

 

「い、嫌ですよぉ! 手錠をしたままの写真だなんて…きっと悲しい思い出として残っちゃいます!」

 

自分の発言を皮切りに、ようやく響の中で現状の異常さが認識されていく。

どうやら自分が歓迎されている雰囲気はともかく、でかでかと『熱烈歓迎! 立花響さま!』という看板に違和感を抱いた。

トライウイングの三人は別にしても、どうしてこの人たちはわたしの名前まで知っているの?

 

「まあ、我々の殆どが君と直接顔を合わせるのは初めてだが、君のことは以前のデータに残っていたのだよ」

 

響の不審を察したのか、赤シャツの大男が苦笑しながら言ってくる。

 

「データ…?」

 

「二年前のライブ会場の生存者の立花響くん。君のことだろう?」

 

ここにきて、トライウイングに会えたことで浮かれきっていた響の頭も、ようやく正常に状況の処理を開始。

 

そういえばさっき、女の子とお母さんへ女性職員が説明してたの、二回目だって思ったっけ。

二年前の人たちと、今日の人たちが同じ組織に勤めているなら、二年前のわたしの記録は残っているよね…。

 

 

 

 

 

当たり前のことを当たり前に認識する響から少し離れた場所で、翼とクリスが小声で会話を交わしている。

 

「…そうか! あの時、奏に助けられた子の名も確か立花響…ッ!」

 

「正直に言えばね、わたしも今日、本人から言われるまで思い出せなかったよ」

 

「ふうむ。確かに面影はある。それにしても良く育ったものだな。正直、うらやま…いやいやけしからんッ!」

 

「…翼、どの部分を見て言っているの?」

 

 

 

 

 

 

 

「御無礼しました」

 

手枷を外してくれた優男は緒川慎次と名乗ってくれた。

自由になった手をぶらぶらさせている響に、赤シャツの大男が言ってくる。

 

「では、改めて自己紹介だ。俺は風鳴弦十郎。ここの責任者をしている」

 

その隣で、眼鏡に独特な髪型をした女性も、これ見よがしに豊満な胸を張った。

 

「そして私は―――デキる女と評判の櫻井了子。よろしくね」

 

「はあ。こちらこそよろしくお願いします」

 

とりあえず、礼儀に則り響はぺこりと頭を下げる。

 

「君をここへ呼んだのは他でもない。協力を要請したいことがあるのだ」

 

弦十郎の言葉に、

 

「協力って……はッ!?」

 

響の脳裏に展開されるは、急に溢れ出した光と鎧。そしてもたらされた謎の力。

 

「教えて下さい! あれはなんなんですかッ!?」

 

喰い気味に訴えてくる響に、櫻井了子はスッと右手の指を二本立てる。

 

「あなたの質問に答えるためにも、二つばかりお願いがあるの。最初の一つは今日のことは誰にも内緒」

 

言いながら、またしても響のパーソナルスペースを踏破する了子。

響の腰を引き寄せながら、耳元へ甘く囁くように声を潜める。

 

「もう一つは…とりあえず脱いでもらいましょっか」

 

「…え? うぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 胸につけてるマークは流星

 

 

 

 

「あ~、これからわたし、どうなっちゃうんだろう…?」

 

放課後の教室。

自席に突っ伏し、冷たい机にほっぺたを押し付けて、立花響はそっと呟く。

 

「なに黄昏てんの、ビッキー」

 

その声に顔を上げれば、安藤創世がにこやかにこちらを見下ろしていた。

 

「あ、安藤さん…」

 

覚えた公式は瞬時に忘れても、一度覚えたクラスメートの名は決して忘れない響である。

 

「ねえ? これからみんなで『ふらわー』行かない?」

 

「ふらわー?」

 

「駅前のお好み焼き屋さんです。美味しいと評判ですよ」

 

と、こちらは寺島詩織。

 

「…あ、ごめん。実は、今日もちょっと用事が…」

 

「また呼び出し? あんたってばアニメみたいな生き様してるわね」

 

板場弓美が呆れたような声を上げる。

そんな三人組の背後にそっと隠れるようにして未来がこちらを伺っていることが、響の心を曇らしていた。

 

(未来…怒っているよね…)

 

昨夜はだいぶ遅くに解放され、送ってもらった寮に着いたのは23時過ぎ。

未来が夜食のおにぎりを用意してくれていたのは嬉しかったけれど、何があったのかろくろく説明も出来なかった。

結局、ブスッとした顔の未来と眼も合わせられなくて、背中を向けたままあまり眠れず夜が明けている。

 

(でも、尋ねられても誰にも言っちゃいけないって言われているんだもん…!!)

 

響にも言い分はあるのだが、その言い分こそを口にしてはいけないジレンマ。

 

「仕方ない、じゃあまた今度誘ってあげるね」

 

「それじゃあ」

 

「まったねー」

 

三人はそう挨拶し、未来を引き連れて行ってしまう。

 

「はあ~~…。わたしって、やっぱ呪われてるのかなあ…?」

 

誰もいなくなった教室で深々と溜息をつく響。

すると、不意にに小春日和を思わせる柔らかい声が降ってきた。

 

「…立花さん?」

 

反射的に顔を上げ、教室の入り口に立つその声の主を見た瞬間、たちまち響の表情は晴れ渡る。

 

「あ、クリスちゃ~ん!!」

 

喜色満面の笑みを浮かべ、ご主人様と丸三日会えなかった犬のような勢いで響は教室の出口へと駆けつける。

その勢いに思わず身を引きそうになったけれど、クリスはどうにか笑顔と立ち位置を維持。

 

「きょ、今日もね? 重要参考人として本部まで一緒に来てもらいたいんだけど…?」

 

「はいッ! 喜んでッ!」

 

 

 

 

教員棟の例のエレベーターに乗り込んだあとも、響の上機嫌は止まらない。

 

「ねえねえ! クリスちゃんって、やっぱりまたトライウイングで復活しないの?」

 

「う、うん。ちょっとその質問はノーコメントかな…」

 

「あ、そっか、トライウイングも秘密組織の一つだから、そりゃ言えるわきゃないよねッ!」

 

なにやら勝手にうんうんと頷く響。

 

「あれ? でも、翼さんはソロ活動を続けているわけだよね? …そういえば今日は翼さんはッ!?」

 

「翼はちょっと用事が…」

 

「そうだッ、思いだしたッ! 昨日のニュースで、なんかイギリスの大手レコード会社からオファーが来たっていってたよね! それじゃあ忙しいわけだッ!」

 

一人で騒いで一人で納得している響にクリスは苦笑するしかない。

だが、一転して真剣な面持ちになった彼女は、小柄な背筋を伸ばして胸を張る。

 

「あの、立花さん?」

 

「あ、はいはい。なあに、クリスちゃん?」

 

「わたしは、あなたより一学年上で年上なんです」

 

「うん! 知ってるよ!」

 

「…年長者には、敬意をもった態度と言葉づかいをする必要があるとは思いませんか?」

 

クリス自身、幼少は奔放な性分だったが、その後は風鳴本家でみっちりと仕込まれている。

なので礼儀作法には一家言とはいわなくとも、それなりに拘りがあった。

だからといって響のこの態度を面向かって叱責したり怒鳴りつけたりはしない。

ひたすらニコニコとした眼差しで見つめ続けるというクリスのこの行為は、翼と奏をしてもっとも恐れる無言のプレッシャー攻撃。

これにはさしもの響もハッとして、それからバツの悪そうな顔付きになる。

 

「あッ、そうか! …じゃなくて、そうですよね…!」

 

慌てて訂正してくる様子を、根は素直な子なんだな、と微笑ましく眺めるクリス。

 

「わかってくれた、立花さん?」

 

「はいッ! わかっりました! 了解です、()()()()()()!」

 

「………えーと」

 

 

 

 

 

 

 

リディアン音楽院の地下深くに位置する特異災害対策機動部二課の本部。

連れていかれた部屋には、先日に倣って風鳴弦十郎と櫻井了子、天羽奏がいた。

加えて、発令所付きのスタッフということで、改めて友里あおいと藤尭朔也の紹介を受ける。

 

「さっそくだけど響ちゃん。これを見てくれる?」

 

了子がディスプレイに表示した映像は、先日自分が受けた身体検査の結果らしい。

 

「…なんですか、このわたしのお腹のところに『ぶわぶわッ』てなっているのは?」

 

響自身、健康優良児で通っていて健康診断に引っかかったことはない。

にも関わらず、表示された映像は見たことがなかった。

 

「これはねえ、聖遺物の欠片が細胞レベルで融合しちゃっているみたいなのよ」

 

「…せいいぶつ?」

 

そこから櫻井了子の説明が始まる。

聖遺物、異端技術、先史文明、櫻井理論、シンフォギア云々。

 

「というわけで、響ちゃんの胃袋と融合しちゃっているのは、そこの奏ちゃんのシンフォギア『ガングニール』の欠片みたいね。心当りはある? たぶん、二年前のライブ会場のことだけど」

 

「心当たりって言われても……あ」

 

あのライブ会場で、壮絶な結末を前に座り込むことしか出来なかった自分。

その最後の最後で、何かを飲み込んでむせたことを響は思い出す。

まさかあれが? とそのことを伝えると、弦十郎は難しい顔。

 

「そんな偶然があり得るものだろうか…?」

 

「事実は小説より奇なりよ、弦十郎クン」

 

了子の口にした格言はまさに的を射ていた。

そもそもが超常の存在を扱う政府機関に精勤している身で、万分の一の偶然や奇跡に近い出来事に対面するなど日常茶飯事。

そこの司令である俺が偶然だなんだと不思議がっていてどうするよ。

 

気を取り直し、弦十郎は響へと尋ねた。

 

「時に立花響くん。君に取り得る選択は二つだ」

 

「はい」

 

「一つは、身体から聖遺物の欠片を取り除き、日常へと帰る」

 

「す、すみません! それって安全安心に取り除けるんですかね…?」

 

「うーん、胃袋を丸々摘出する感じかな。命に別状はないけれど、今後は食事制限がかかるかしら?」

 

了子の説明に、響は血相を変えた。

 

「い、いやですよ! わたしは食べることが何より好きなんですからッ!」

 

「とはいえ、このまま取り除かねばどうなるかも危険度が未知数なのだが」

 

「そこは、どうにか安全に取り除けるようにお願いしますッ!」

 

両手を合わせて拝んでくる響に、弦十郎と了子は顔を見合わせる。

 

「取りあえず、取り除く方向で検討、努力することを約束しよう」

 

「ほ、本当ですか! ありがとうございますッ!」

 

「その替わりといってはなんだが、もう一つの選択を提示させて欲しい」

 

弦十郎は親指でディスプレイを指さす。

そこには、例の鎧のようなものを纏って逃げまどう自分の姿が映っていた。

 

「…確か、あの鎧、シンフォギアとか…?」

 

「そうだ。現状でノイズに対抗しうる、人類唯一の希望なのだッ!」

 

響の目前に大きな掌が差し出される。

 

「人類を護るため、君の力を貸してはくれまいか?」

 

その弦十郎の台詞に、響は血が逆流するような興奮を味わう。

脳裏に浮かぶは二年前のトライウイングが奮戦する姿。

彼女たちの雄姿に憧れリディアンへと進学を決めたものの、まさか本当に肩を並べて戦えることになるなんて…ッ!

 

「こ、こちらこそ、よろしくお願いしますッ!」

 

迷うことない響の即答に、提案した弦十郎の方が面食らう。

 

「…一応、命懸けのことになるのだが?」

 

「分かってます! 誰かを護るためならば、精一杯頑張りますッ!」

 

「う、うむ。こちらこそよろしく頼むぞ」

 

一応笑顔で応じつつ、弦十郎は内心で眉をひそめている。

 

誰かのために命を賭けて挑む。

防人としての覚悟を培ってきた我々ならともかく、一介の女子高生がこのような即答をするなど、(いびつ)ではないか?

 

そんな一抹の不安は、部下たちも共感するところがあったらしい。

 

「ところで立花さん。さっきの櫻井女史からの説明で理解できなかったところはあるかい?」

 

「少しでも疑問に思ったところがあれば、なんでも聞いてちょうだい」

 

藤尭と友里が口ぐちに響へと語りかける。

 

「…疑問ですかぁ」

 

と響は腕組みをして考える素振りを見せたが、

 

「ってゆーか! 説明されたことがぜーんぶわかりませんでしたッ!」

 

てへへとばかりに後頭部に手を当てて豪快に笑う。

思わず顔を見合わせる藤尭と友里に、

 

「あはは、わたしってバカだから~ッ!」

 

屈託のないストレートな回答は、ある意味非常に彼女らしい。

 

そんな響に向かって部屋を揺らすような大喝が轟いたのは、まさにその時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その顔は何だッ!? 

 

 その目は何だッ!? 

 

 その涙は何だッ!?」

 

 

 

 

 

 

「…なに言っているのかますますもってわかりませんッ!?」 

 

 

 

 

 

 

 

 

響の反応に、喝破した天羽奏はニヤリと笑う。

 

「なあ、ダンナ? この子の新人研修はあたしに任せてくれないか?」

 

「…おまえがか?」

 

「そもそものダンナは忙しいだろうし、こんなかで一番暇しているのはあたしだろ?」

 

「ふうむ」

 

考え込む弦十郎から奏は響へと視線を転じる。

 

「初見で言い返してくるたあ、なかなか見どころのあるルーキーだよ。こういう手合いは最初が肝心だからな」

 

「はあ、どうも…」

 

奏にニッコリとされて、もしかして褒められている? なんて響は考えている。

 

「とりあえず、場所はあの屋敷で構わないだろ? この間、特機部二(ここ)で買い上げたってやつ」

 

「あそこか? まあ、構わないが…」

 

弦十郎と奏が何やら会話を交わしているが、響は今一つ以上に飲み込めない。

わたしはこれからどこに連れていかれるんだろ…?

所在なさげに視線を彷徨わせていると、いきなり周辺のディスプレイに赤文字が流れ、アラートが鳴り響く。

 

「! どうやらノイズが出現したようです!」

 

言い置いて、友里と藤尭は発令所目指して駆け出していた。

 

「よし、クリスッ! 緊急出動の準備だッ!」

 

「はいッ」

 

同じく駆け出す弦十郎とクリスを見て、響も後を追おうとしたが、その襟首を掴まれる。

 

「な、なにするんですかッ!?」

 

響の制服の襟をつかんだまま奏は笑う。

 

「おまえさんはこっちだよ」

 

「で、でもッ! わたしも戦わないと…ッ!」

 

「あれくらいの数なら雪音一人で十分さ。いざとなれば翼も駆けつけてくるだろうから大丈夫だって」

 

奏は有無を言わさず、そのままずるずると響を引っ張って行く。

 

そして五分後。

本部を出た響は、奏の運転する例のジープに乗せられていた。

 

「クリスちゃん、大丈夫かな…。やっぱりわたしも行ったほうが…」

 

響の心配そうな呟きを歯牙にもかけず、奏は車を駐車場へと滑り込ませた。

 

「…ここで研修とかするんですか?」

 

業務用スーパーと書かれた看板を見上げ目を白黒させる響に、買い物カゴが飛んでくる。

 

「あたしは料理とかさっぱりだからさ。おまえも喰いたいものがあったら適当に選んでくれや」

 

そう言う奏自身も買い物カコをぶら下げていた。

響のお腹が軽く鳴る。

そういえばもうそろそろ夕方だ。

 

「…じゃ、遠慮なく」

 

ここ数年ですっかり大食い娘と化した響にとって、業務スーパーや激安スーパーはすっかり馴染みの場所。

勝手知ったるなんとやらで、次々と食べ物をカゴに放り込む。

二人揃ってレジに並べば、奏のカゴはカップめんやら冷凍食品が詰め込まれていた。

対して響の方はというと、天然酵母のパンが2斤にハムとスライスチーズ。大福餅に冷凍さぬきうどん。まさに炭水化物&炭水化物のてんこ盛りだが、奏を驚愕させたのはデザートも確保されていたこと。

 

「1リットルパックのプリンはまあ分かるけどよ、1kgのホイップクリームなんて何に使うんだ?」

 

「え? 美味しいですよね、ホイップクリーム! わたしはそのまま飲めますよ!」

 

「…まあ、いいけどよ」

 

一般家庭では一週間は持ちそうな量の食糧を後部座席へと詰め込み、ジープは発車。

次に着いたのは、なんとも古風な門構え。

 

「ここは…?」

 

尋ねる響。

 

「うちの組織の所有物さ」

 

「へえ~」

 

感心しながら門を潜れば、かなり広い敷地に武家屋敷風の建築物が見えた。

 

「見てないでちょっち荷物を運んでくれないか?」

 

「あ、はいはい」

 

奏は杖をついて不自由な身のよう。山のような荷物のほとんどを響が抱え、屋敷の中へと上り込む。

 

「お邪魔しま~す…」

 

外見に反し、内装はかなりリフォームされていた。

十畳の和室には、大きなテレビも設置。

きょろきょろする響をちゃぶ台の前に座らせて、奏は何やら壁の棚を物色中。

 

「あの~、これから何をするんでしょうか…?」

 

「あん? ちょいとおまえさんに、戦士の心意気を映像で見て学んでもらおうと思ってな」

 

陽気な返事をしてくる奏は何やら嬉しそう。

その様子に、響も緊張が取れてくるのを感じる。

 

これは、あれだ。入学式のガイダンス映像みたいなものを見せられるんだ、きっと。

 

「でも、出来れば、あまり遅くならないうちに帰りたいかな~なんて…」

 

「ははは、なに言ってんだおまえ。明日は土曜日で学校は休みだろ?」

 

「休みですけど、日曜は未来とお買い物に行く約束が…」

 

「とりあえず、あまり時間がないからな。セブンとレオで勘弁してやろう」

 

訴えは速やかに無視された上に、聴き慣れないワードに響は首を捻る。

 

「…せぶん? れお?」

 

「そうだ。セブンが全49話で、レオが全51話。二つ合わせて丁度100話だわな」

 

「…えーと、なんだかよく分かりませんが、今日のところは帰らせてもらうわけには…」

 

そろそろと後ずさりする響の肩を、奏はガッチリと掴んで離さない。

 

「大丈夫、喰いものもしっかりと買い込んだだろ?」

 

その奏の様子に、響の生存本能が警鐘を鳴らす。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

「…分かりました。でも、本当にあまり遅くならないようにお願いしたいんですけど…」

 

観念した響が不承不承そう申し出れば、奏は指を折々物凄い笑顔を浮かべている。

 

「ざっと50時間だけど、土日ぶっ続けて見りゃ余裕余裕♪」

 

「…うぇええええええええええ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週末が明けて、月曜日の早朝。

 

「響!? どうしたの? 何があったの!?」

 

ボロボロの姿で学生寮へ戻ってきた響を、未来は全力全開の心配顔で出迎た。

 

「…ごめん。少し眠らせて」

 

半ば足を引きずるようにして部屋へあがるなり、響はリビングのテーブルに突っ伏してたちまち爆睡。

 

「ねえ、響! 何があったの、ねえ!」

 

一生懸命肩を揺らすも、まるで起きる気配がない。

苦しそうな寝息に混じり「ガッツ星人こわい…」「円盤生物こわい…」「プニョはやめてぇえ…」と意味不明な寝言が聞こえてきた。

ぷにょ? と未来は首は捻るも、土日の二日間にわたって心配に心配を重ねた身としては、さすがに腹が立ってくる。

 

「起きなよ、響! わたしと買い物の約束すっぽかしたでしょ! 何かいうことはないの?」

 

「…うう、ごめんごめん…むにゃむにゃ…」

 

「今度のこと座流星群ッ! 一緒に流れ星を見ようって約束はさすがに忘れてないよね!?」

 

響が土日何をしていたか気にはなるし、ショッピングの約束をすっぽかされたのも忘れていない。

けれど、この一緒に流れ星を見ることだけは、どうしても譲れない。ずっと前から二人で計画していたことで、そこでお互いに盛大に願い事をしようねって約束したじゃない!

 

すると、いきなり響がガバッと顔を上げた。未来の肩を掴むと、真っ直ぐ目を覗き込んでくる。

寝ぼけ眼ではない真剣な瞳で見つめられ、未来の心臓が跳ね上がる。

 

「未来…」

 

「ちょ、ちょっと響、何? 何なの…?」

 

「未来、わたしは、わたしはね、人間じゃないんだ。オリオン座のペテルギウスから来た食欲魔人なんだよ」

 

「うん…うん?」

 

「西の空に、明けの明星が輝く頃、一つの光が宇宙へ飛んでいく。それがわたしなんだよ」

 

言うなり、響が覆いかぶさってくる。

 

「きゃ!?」

 

響に組み敷かれる格好になった未来は、顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「だ、だめだよ、響ッ! こんなのッ、朝から…ッ!!」

 

―――それでも響が望むなら。

身体の力を抜いてギュッと目をつむる未来。

覚悟完了した彼女に反し、響に動きはなかった。

先端まで真っ赤に染めた耳に聞こえるは、ぐーぐーといったイビキの音のみ。

 

「………響?」

 

身体を揺するも、返答は相も変わらずイビキだけ。

 

「………」

 

もそもそと親友の身体の下から抜け出した未来は、頬を赤らめたままドキドキする心臓の上で両手を組む。

 

「…なんなの、もうッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 光のオーロラ身に纏い

 

 

 

永遠の刹那を生きる巫女フィーネ。

その存在と名は人の歴史と共にあり、時の権力者の間でまことしやかに申し伝えられている。

彼女ほど歴史に伝承を残した個人は存在しない。

同時に、彼女に関わった人々はすべからく同じ命題を抱く。

 

―――彼女(フィーネ)は人類にとっての味方なのか? 敵なのか?

 

フィーネ個人としては、そのどちらでもない、と回答するしかない。

彼女の目的を達成するためには人類の発展と協力は不可欠。

その為ならば多くの人を導き救うことに躊躇はない。

同時に目的を邪魔する存在であれば、誰であろうと容赦せず殲滅してきた。

 

フィーネにとっての人類は、言うなれば道具であり手駒だ。

仮に道具(にんげん)をアップグレードして素晴らしい恩恵を受けたと喜ばれても、それは副産物のようなもの。

彼女の目的の一助になるかどうか。それだけが唯一の判断基準だ。

 

しかし、歴史的側面、または人類史を角度を変えて鑑みれば、フィーネは紛れもない英雄でもある。

 

もっともそう称されとて、フィーネは一笑に付しただろう。

 

もはや私は人間の領域に存在しない。

かつての神代の巫女―――只人であった頃の精神など、疾うに超越している。

 

ゆえに、人が幾ら死のうと心を動かされることはない。

ノイズを使役することにもなんら罪悪感もなかった。

 

この達観した心情こそ、恋焦がれた神の隣に達する(きざはし)だと、彼女は頑なに信じている。

 

 

 

翻って今の憑代たる櫻井了子の個性は、そのほとんどが了子のオリジナルである。

一口に融合といっても、純然と混ざり合うのには時間がかかるのだ。

なので人格を切り替えることでフィーネと了子を演じ分ける格好を選択していたが、なかなかどうしてお互いにフィードバックしあったり共有する部分も多い。

特にフィーネの感じる喜怒哀楽などは、了子経由で増幅して受けとっていた。

了子のこの妙な性格とテンションの高さには、神たらんとするフィーネをして辟易するしかない。

 

―――こやつが稀代の天才科学者であることは間違いないのだが。(なにがし)と天才は紙一重というヤツか?

 

 

 

しかし今。

そんな事情を抜きにして、フィーネは興奮していた。

この昂ぶりは櫻井了子も同調(シンクロ)している。二つの人格を通して見つめるモニターの先に、その原因が表示されていた。

 

『融合症例第一号 立花響』

 

聖遺物と人体の融合。

それはフィーネですら実現不可能な技術。いや、発想になかったというべきか。

そんな偶然の産物がすぐ目の前に存在し、自分はそれを精査出来る立場にある。

フィーネの興味も加味されて、櫻井了子が発奮したのも無理なからぬ話だ。

 

「うーん、普通だったら拒絶反応が起きるはずなのにね~」

 

コーヒーの入ったマグカップ片手に、了子は独りごちる。

そもそもの聖遺物は道具(アイテム)でしかない。フォニックゲインで励起し、かつ使い手があってこそ、その真価を発揮する。

その理論を基に了子が開発したのがシンフォギア・システムだ。

 

(基底状態にある聖遺物が有機物と結びつくなんて、端から可能性として除外していたのだけれど…)

 

「どうだ、了子くん? 響くんの希望は叶えられそうか?」

 

すぐ隣に風鳴弦十郎が立っていた。

ずば抜けた巨体の持ち主であるにも関わらず全く気配を感じさせない。

不快さにフィーネは眉を顰めたが、今の主人格である櫻井了子はいつものことと朗らかに笑う。

 

「うーん、安全に除去するとなると、ちょっち難しいわねえ。どちらにしろ胃の一部は切らなきゃ駄目だろうし…」

 

「では、このまま除去しなかった場合に想定される弊害は?」

 

「それも未知数。だって世界初の症例だもの」

 

ふうむ、と弦十郎は太い腕を組んで考え込んでいる。

この巨漢は秘密組織の総司令という割には誠実なところがあり、正義とかいうものの存在を頑なに信じ、体現しようとしている。

人という種の愚劣極まりない暗部を身を持って知り尽くしたフィーネとしては、青臭く嘲笑の対象でしかない。

だが、今の主人格はあくまで櫻井了子だ。

 

「とりあえず融合して二年間は健康に問題はなかったみたいだから、このままなら害はない筈よ」

 

軽い口調に反し、内容自体は厳しい指摘。

 

「このままなら、か…」

 

弦十郎は重々しく呟く。

ガングニールの欠片を励起してシンフォギアを纏う。この行為が、より融合を進行させてしまう可能性は高かった。

だからといってシンフォギア装者は宝石より貴重である。戦力的にも、研究対象としても、立花響を野放しには出来ない。

 

「今のところ命に関わるわけではないし…。しばらくは様子を見たいってのが研究者としての本音かな」

 

「…分かった。本人にも出来るだけ安全に除去する手段を探すと約束したしな。その方面でも進めてくれ」

 

「うん、りょーかい」

 

真剣な眼差しをモニターに注いでいた了子だったか、そこで一転してお茶らけた表情になる。

 

「ところで翼ちゃんは? 今日は久しぶりにオフじゃなかったっけ?」

 

「うむ。奏たちの様子を見に行きながら、クリスとデートだそうだ」

 

「へ~、女の子同士、相変わらず仲のよろしいことで♪」

 

「まあ、少しばかり仲が良すぎる気もするがな」

 

「…ちなみに弦十郎クンは、クリスちゃんが彼氏を連れてきたら、どうする?」

 

苦笑を浮かべていた弦十郎の顔が一瞬で引き攣った。

 

「は、はははッ、まだアイツは16歳だぞ? それがいきなり彼氏など…」

 

「世間一般でいったらJKの二年生にもなったら合コンはなくてもグループ交際くらいするんじゃない?」

 

フィーネの影響なのか、了子の言い回しも微妙に古臭い。

 

「ク、クリスが合コンにグループ交際など…ッ!?」

 

「女子高の方がそういうのはお盛んっても聞くし」

 

「そ、そうなのかッ!? いや、うちのクリスに限ってそんなことは…!」

 

弦十郎をからかって遊ぶのは、了子に許された特権であり趣味である。

鋼鉄超人と渾名される巨漢が狼狽えまくる姿はなかなかの見物だったが、あまり長く続けば暑苦しい。

 

「少しは落ち着きなさいな。クリスちゃんたち装者の動向はモニターしているでしょ? それに護衛の人たちからも何も報告は上がってきてないじゃない」

 

実際、シンフォギアとその装者は国家機密である。情報漏洩の観点からも、周囲の警備体制は半端なものではない。

それらの監視の目を掻い潜って不純異性交遊などまず不可能だ。考えてみれば当たり前の話である。

ようやくからかわれたことに気づいた弦十郎。

だが、先ほどまでの醜態は存在しなかったかのような振る舞いで、顎に指をあてて考え込んでいる。

 

「仮にクリスが彼氏を連れてきたとすれば…」

 

「すれば?」

 

これはこれで面白そうな展開なので、付き合ってやる情けが了子にも存在した。

果たして弦十郎は真剣な眼差しで言ってくる。

 

「まず、身元調査だな。当人のプロフィールももちろんだが、三親等まで遡って、過去の犯罪歴や思想傾向などを徹底的に検証する。むろん各種資産や住所の確認も必要だな。

それから周囲の評判や交友関係をあたり、普段の言動を精査した上で、どれだけクリスのことを想っているかしっかりと本人の口から語ってもらうつもりだ。そしてもし、単なる遊びなどと抜かしたら…」

 

「ごめんなさい、促した私がバカだったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…むッ、ここか?」

 

翼が足を止めた。

並んで歩いていたクリスも、一緒に門を見上げる。

ここは都内の閑静な住宅街にある屋敷の前。

立派な門構えと左右に広がる塀の長さから、敷地は相当広そうだ。

古色泰然とした上土門に見えて、最新のセキュリティカメラも巧妙に仕込まれている。

表札に『風鳴』の書体も勇ましいが、特異災害機動部二課で買い上げた施設で間違いなかった。

 

「へえ。大きなお屋敷なんだね」

 

クリスが呟けば、翼は破顔。

 

「ここなら、私とクリス、叔父様も一緒に暮らしても十分なほど広いなッ!」

 

親友の意気込みに、クリスは曖昧な微笑で応じる。

『リディアンを卒業したら一緒に住もう!』と翼が常々口にしているのだが、実家に戻ると思っている八紘の心情も考えると、なかなか即答は難しい。

肩を並べて門を潜れば、正面には大きな武家屋敷。

左右には広く庭も取られ、ちょっとした運動場以上のスペースだ。

特機部二としては、エージェントたちの訓練場や合宿所を想定しているので当然かも知れない。

そんな風に眺めながら歩いていると、盛大なエンジン音が近づいてくる。

 

「…?」

 

眼を見張る二人の前に、庭を突っ切って人影が飛び出してくる。空手の道着のようなものを着た立花響だ。

 

「どわわわわわ~ッ!!」

 

悲鳴を上げて逃げ回る彼女の背後を、クリーム色のジープが追いかけてくる。

 

「タチバナーッ! 逃げるなーッ! 逃げるんじゃなーいッ!」

 

運転手は、なぜか笑顔を浮かべた天羽奏。

 

「隊長ォ!」

 

対して全力全開で表情を引き攣らせる響。

 

「逃げるなーッ! こっちへこーいッ!」

 

「無茶いわないで下さいよッ!」

 

横っ跳びでかわした響に、ジープはUターン。立ち上がって逃げる響へと追いすがって横づけで併走。

 

「逃げるなッ! 向かってこいッ!」

 

ハンドルを操りながら、奏はハリセンでビシバシと響を叩いている。

 

 

 

「…あれは、何の訓練なんだ?」

 

目前の光景に翼が首を捻りつつ突っ込めば、

 

「…なんだろうね?」

 

無茶な元ネタを知りつつも、クリスは敢えて知らないフリ。

だけにあまりに響が不憫に思え、クリスは大きく声を張り上げていた。

 

「カナデー! 差し入れだよー!」

 

庭先にジープのフルブレーキ音が響く。

泣きべそをかく響の目前で停車したジープの運転席から、奏は杖を突いて降り立った。

 

「よう、二人とも! 良く来たなあ!」

 

笑顔を浮かべてやってきた奏は、客人たちを屋敷の縁側へと誘う。

 

「叔父様から伺ってはいたが、ずっと籠って訓練していたのか?」

 

縁側に腰を降ろし、翼が言う。

 

「ああ。タチバナ隊員もなかなか見どころがあるからな。こっちもつい熱が入っちまう」

 

隊員…? と首を捻る翼の前に、紅茶の入ったマグカップが差し出される。

クリスの淹れてくれたそれを運んできた響は、泥だらけの道着のままで唇を尖らせる。

 

「見どころがあるって言われてもあんな特訓止めてくださいよ! 死んでしまいますッ!」

 

響の訴えに奏は苦笑で応じた。

 

「おまえに足りないのはハングリーさだ。生きることに貪欲にならなきゃ、誰も護れねーんだよ」

 

中々に含蓄のある言葉に思われたが、直後に響のお腹が盛大な音を立てたので色々と台無しとなる。

 

「…その腹ペコ(ハングリー)じゃないんだけどな」

 

これには翼とクリスも笑ったので、響は赤面。憧れの人たちの前で醜態を晒してしまったのだから、当然だろう。

 

「立花さん、どうぞ」

 

そんな響に、クリスは切り分けたチーズケーキを差し出す。

 

「うわッ! ありがとうございます!」

 

「これは雪音の手作りの逸品さ。あたしの大好物で滅茶苦茶美味いぞー」

 

「うぇ?! クリスちゃんのお手製なの? もったいな美味しいー!」

 

咀嚼と称賛を同時にしてくる器用な響に、クリスは呆気にとられる。

 

「もっと味わって食べなさい」

 

ジロリと翼に睨まれるも、響は全く意に介さず残ったケーキへと視線を注いで、

 

「あの~、お替りを…?」

 

「はい、どうぞ」

 

揉み手をしてくる響に、クリスはにっこりと笑ってもう一切れのケーキを渡していた。

 

「しかし、まあ…、どうにかなりそうなのか?」

 

上品に紅茶を啜りつつ翼が訊ねれば、奏は豪快に一気飲みして答える。

 

「ああ。実戦の投入に関しては、ダンナの了解も取り付けている。櫻井女史にもインカムの調整もお願いしているし」

 

二人の視線は、チーズケーキをパクつく響へと注がれた。

ここに来て発見された四人目のシンフォギア装者にして、新たなガングニールの担い手。

 

「これで、晴れてトライウイングも新生ってことさ」

 

サバサバという奏に、翼は疑問をぶつけていた。かねてから思っていた疑問を。

 

「…奏は、蟠りを覚えたりしないのか?」

 

かつて、奏、翼、クリスの三人でトライウイングだった。

その座をあっさりと後進へ譲り渡すことに、何も感じることはないのか?

 

「別にあたしの中のガングニールは失われたわけじゃない。それに…」

 

奏は笑いながら握った拳を差し出す。

 

「魂は、常におまえたちと一緒にある。だったら素敵で無敵だろ?」

 

「…そうだな」

 

同じく握った拳を打ち付け、翼も笑ってみせる。

新たな仲間と入れ替わったところで、かつての三人の歌と戦いの日々は決して色あせることはないのだ。

 

(―――そうか。もしかして一番蟠りを持っていたのは、私自身だったのかも知れないな)

 

自戒しつつ、翼も立花響に関して、認識を改める必要を感じている。

こういってはなんだが、立花響は市井の人間だ。

防人の血筋でもなければ、必要に迫られて武器をとることになったわけではない。

その上で、偶然にも戦える力を手に入れている。

ノイズと戦えるという、希少極まりない力を。

 

だからといって、そんな人間をすぐに戦場へと投入することは出来ない。

偶然に得た力であればこそ、戦う動機が必要になる。

確かな覚悟がなければ、戦場で戦うことはおろか生き延びることさえ不可能。

引いては、それは一緒に戦うものの足枷になる可能性すら存在するのだ。

 

(ならば、先達として導かねばなるまい)

 

かつての自分であれば、足手まといは戦場に出てくるな! と一刀両断にしていたかも知れない。

しかし、共に戦う戦士として、仲間として教導するのも、防人としての立派な務めだと翼は認識も新たにしていた。

もはや自分は幼い頃のままではいられない。ただ剣を振るうだけではなく、父を、叔父を、もっと見習わなければ。

振るう剣の数が増えれば、より多くの無辜なる人たちを護ることが出来るのだから。

 

「―――なあ、立花」

 

さっそく防人の心構えでも説くかと、翼がそう声をかけた時だった。

 

「あーッ! てめえ、一人で半ラウンド以上も喰いやがってッ!」

 

奏の素っ頓狂な声。

 

「えへへ、あんまり美味しかったもんで、つい…」

 

さっぱり悪びれてない声で響が後頭部を掻いている。

いつの間にか消失したケーキにクリスが呆気にとられている前で、奏は響の襟首を掴むと庭先へと放り出す。

 

「腹は満たされただろ?  そんじゃあ、精神的に腹ペコ(ハングリー)になってもらおうか」

 

地面にへたり込む響に向かって、すごい笑顔で言っている。

 

「えーっと、頭の方ももうお腹いっぱいかなーって…?」

 

「休憩終わり! 特訓再開ッ!」

 

言うなり、奏はジープへと乗り込む。

盛大にエンジンを轟かせ、「ひーん!」と泣き叫ぶ響を追ってジープは庭の奥へと消えていく。

その姿を見送り、翼はやや茫然と呟いた。

 

「…私の教導は、また今度でいいか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特異災害機動部二課のトレーニングルームの中心に、立花響がいた。

 

『それじゃあ、響ちゃん。シンフォギアを装着してみて』

 

スピーカー越しの隣室からの指示に、響は大きく頷く。

 

「了解です!」

 

意識を集中すると胸の内から歌のフレーズが浮かんでくる。

それを口にした途端、お腹の奥から熱と光が溢れた。

光が収まれば、黄色と黒のツートンカラーのシンフォギアが身体を鎧っていた。これが彼女のガングニール。

目前に出現した仮想ノイズに響は拳を振るう。

綺麗な型どおりではないが、腰の入ったなかなか良い突きだ。

たちまち数体を拳で粉砕し、背後から迫るノイズへとトラースキックを決めている。

 

「ふむ。なかなか様になっているじゃないか」

 

隣室のモニタールームで、弦十郎は響の戦闘をそう評した。

 

「だろ? 運動神経は悪くないから、結構仕込み甲斐があったぜ。まあ、後々はダンナからも矯正してやってもらうけどさ」

 

嬉しそうに奏は答えたものの、響はどういうわけかアームドギアの生成が出来ずにいる。

素手での戦闘に於いて、弦十郎に比肩する存在は特機部二はいない。

取りあえずのケンカ殺法は伝授したものの、奏が後の教導を弦十郎に頼む所以である。

 

「それは承諾したが、なぜにアームドギアの生成が出来ないのだろうか…」

 

「響ちゃんの心理上の問題ね」

 

弦十郎の疑問に、了子が応じる。

 

「アームドギアは装者本人の心の持ち用を形にするのよ。響ちゃんは武器なんて扱ったことのない普通の子なんだから、当然じゃないかしら?」

 

「むう…」

 

武器があった方が戦闘の応用範囲は広がる。だからといって付け焼刃で身に着けさせたところで、どこまで効果的なものか。

 

「それより、当座の重要な問題が一つあるわ」

 

了子の指がコンソールの上で踊り、一つの映像が表示される。

それは、響の身体が発光しシンフォギアを纏う瞬間の映像だった。

 

「これが…どうしたというのだ?」

 

首を捻る弦十郎。

 

「結構眩しいよな、これって」

 

奏の言に、了子は大きく頷く。

 

「そう。奏ちゃんの言うとおり、直視すれば失明しかねないほどの強烈な閃光なの。それの意味するところは…」

 

モニター上の映像が切り替わる。

今度は、奏、翼、クリス、それぞれがシンフォギアを纏う映像だった。

 

「弦十郎クン、この三人と響ちゃんの違いが分かる?」

 

「三人とも…何か光の球に包まれているように見えるが」

 

「そう。これがバリア・フィールド。シンフォギアの着装時に装者を護るために展開される守護領域なの」

 

了子の答えを聴き、弦十郎の顔色が変わった。

 

「すると、響くんはッ!」

 

「彼女はあくまで融合症例だわ。いくらシンフォギアの欠片を励起しているとはいえ、シンフォギア・システムの恩恵まであずかれていないのよ」

 

つまり、櫻井了子の作成した完全なシンフォギアであれば、着装時にバリア・フィールドは生成される。

しかし、シンフォギアの欠片を宿し、融合症例として起動する立花響には、バリア・フィールドが生成されない。

 

「本当はこの全身から発散される光の方が本来的なもので、私がそれをバリアの形に落とし込んでいるんだけどね…」

 

「なんてことだ…ッ」

 

弦十郎は唸る。

シンフォギアを起動し、着装するまで1秒にも満たない短時間だ。

だがそれは、ごく短時間ながらも無防備な状態を作ってしまうことも意味する。

 

「変身出来ないよう邪魔されちまうってことか? それって邪道だろ?」

 

「といってもノイズにお約束が存在しない以上、そういうことだろうな」 

 

奏と弦十郎が良く分からない会話を交わしている横で、了子はトレーニングルームへと指示を飛ばす。

 

「ちょっと響ちゃん、ギアを解除して貰える?」

 

『あ、はい。了解ですッ!』

 

発光し、響の格好はリディアンの制服姿に戻っている。

 

「ありがと。んじゃ、そこで、さっき私が渡した携帯端末、今も持っている?」

 

『はい、ありますよー』

 

「それじゃ、それをお腹の上あたりに乗せて、横のボタンを押してちょうだい」

 

『こうですか…?』

 

トレーニングルームで、響がバックルのように腰前に長方形の携帯端末を持ってくる。

ボタンを押した途端、その端末からベルトが飛び出し、細い腰へと巻き付く。

 

「おおおッ!?」

 

これには弦十郎と奏が揃って目を剥いた。

 

「OK。じゃあ、もっかいギアを纏ってみて」

 

『わっかりました』

 

響の口から澄んだ歌声が流れ、彼女の腹部から光が溢れ出す。

周囲の目を眩ますように飛散するかと思われた光は、腰のベルトの内側へと吸収。

続いて、彼女を中心に円形の光が展開された。見紛うことなきバリア・フィールドだ。

 

「どう? システムが組み込めないなら、後付のデバイスでエネルギーを調整してバリア・フィールドを生成できるようにしてみたんだけど」

 

天才の面目躍如とばかりに豊かな胸を張る了子だったが、血相を変えた弦十郎と奏が詰め寄ってきて面喰らう。

 

「りょ、了子くん! あれを一つ、どうか俺にも作ってくれまいかッ!!」

 

「櫻井女史! あたしもあたしもーッ!」

 

「…何いってるのよ、二人とも? オモチャじゃないのよ?」

 

弦十郎・奏「(´・ω・`)」

 

 

 

 

 

 

 




レオの特訓動画はまとめてネットにアップされているけど、平成ウルトラマン世代には地獄の光景だゾ(ミカボイス





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 怒りの電流迸る

「どうだ? しっかりと聞こえるだろう?」

 

天羽奏が、自分専用のレシーバーへ手を添えている。

すると、発令所の巨大モニターの中の立花響が答えた。

 

『はい! 感度りょーこーです!』

 

ぶんぶんと両手を交差させるように振る響。

そんな彼女の目前には、ノイズの群れが迫っている。

 

「よし、いけ、タチバナ!」

 

『了解ですッ!』

 

奏の叱咤に、響はノイズの群れに突撃。

 

『うりゃあッ!』

 

気合を込めた正拳突きが見事ノイズを粉砕。

 

「タチバナ、後ろだッ!」

 

『はいッ!』

 

奏の指示に、響はすかさず後ろ蹴りを繰り出す。

背後から迫ったノイズもそれで薙ぎ払われた。

矢継ぎ早に飛ばされる奏の声に響も良く応え、たちまちモニター内のノイズの群れは駆逐されていく。

 

「…大したものだな」

 

遠慮なく感嘆の声を漏らす弦十郎へ、奏は笑いかける。

 

「とまあ、しばらくはあたしのアシスト付きで何とかするよ。補助輪みたいなもんさ。すぐに必要なくなるだろうけどな」

 

「うむ。圧倒的に戦闘経験の足りない響くんのためだ。止むをえまい」

 

口では如何にも仕方ないという風を気取っていたが、弦十郎は内心で舌を巻いていた。

いかに特機部二のカメラが現場で稼働しているとはいえ、視覚情報のみでの奏の現状把握能力は驚嘆に値する。

また、それに間髪入れず応える響の反射能力も尋常ではなかった。

まさに人馬一体という風情で、弦十郎をして、俺は彼女たちの能力を見誤っていたのか? と唸らせるほど。

 

(―――響くんの加入は、図らずも大幅な戦力増強になったのかも知れん)

 

少なからず戦慄を込めて弦十郎が見やるモニター上で、響の戦闘はまだ続いていた。

 

奏が叫ぶ。

 

「タチバナ! チェーンパンチだッ!」

 

『はいッ! …はいッ!?』

 

「よし、トドメの速射破壊銃!」

 

『そんな装備ありませんよぉッ!?』

 

画面内で悲鳴を上げる響。

 

「いやあ、一度やってみたかったんだよな、これ♪」

 

レシーバー片手にニヤニヤ笑いをしている奏に、先達者としても弦十郎は突っ込まずにはいられない。

 

「………おまえは秘密刑事かッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして出撃から発令所へと帰投した響は、初陣としての賞賛もそこそこに、更なる驚きをもって出迎えられることになる。

 

「ええ!? わたしがトライウイングになるんですかッ!?」

 

「そうだ。どうか歌手としても、俺たちに力を貸してはくれまいか?」

 

「で、でも! わたしはそんなアイドル活動なんて…!」

 

突然の申し出に狼狽えまくる響。

そんな彼女の頭をポンと叩くのはもちろん奏だ。

 

「なに、そんな怖気づくこともないさ」

 

「…隊長」

 

「そもそもおまえはトライウイングに憧れてたんだろ? 絶好の機会じゃねえか」

 

「だけど…」

 

響は言い淀む。彼女が憧れたのは、あのライブ会場の惨状のさなかで人々を守るために活躍していた三つの翼だ。

こうやってシンフォギアを纏えるようになったのだから、あの夢は十分に達成されているように思う。

 

「おまえはリズム感はあるしルックスだって悪くない。そんでリディアンに合格できるくらいなら、歌だってイケてるはずだ。余裕だって」

 

かつてのトップアーティストからの惜しみない賞賛は、響の顔を大いに赤面させることになる。

 

「翼とクリスからは既に了解を得てある」

 

弦十郎も、響の中の最後の懸念を振り払うように告げた。

 

「その上で、どうか引き受けてもらえないだろうか?」

 

人前でパフォーマンスを披露することになることは、この際置いておく。

もともとが人から頼られることに喜びを覚えるのが立花響という少女の本質だ。

多少状況に流されやすいというか、お調子者なことも否定できないが、ここに至り、彼女に断るという選択肢は存在しない。

 

「…わっかりました! わたしがお役に立てるなら、喜んで!」

 

「うむ。感謝するぞ、響くん」

 

弦十郎が大きくに頷く横に、スッと新たな影が現れた。

 

「それでは、早急に立花さんのご実家を訪問して、ご両親からの了解も得るようにしましょう」

 

スケジュール帖片手の緒川慎次は、眼鏡をかけたマネージャーモード。

 

「響くんのご両親への挨拶だが、それは俺が赴こう」

 

「司令ご自身がですか?」

 

弦十郎の申し出は、緒川をして少なからず驚いているよう。

プロジェクトユニット『トライウイング』は、特機部二のダミー会社として設立された芸能プロダクションの預かりとなる。

マネージャーの緒川を始めとした特機部二から出向しているスタッフも含め、一応の社長も存在した。

その代表を差し置いて、特機部二の総司令である弦十郎がわざわざ立花家を訪問すると宣言したのだ。

 

「師匠が来るんですか?」

 

武術の師として弦十郎をそう呼び分ける響も、驚いた顔をしている。

目を白黒させる弟子に向かって弦十郎は破顔した。

 

「うむ。できるだけ早いうちにお邪魔させてもらうことにしよう!」

 

 

 

 

 

そして翌日の放課後には、都内の立花家のリビングに弦十郎と響の姿を見出すことが出来る。

 

「お初にお目にかかります。自分の名は風鳴弦十郎と申します」

 

「こ、これはこれはご丁寧に…」

 

出迎えたのは響の父である立花洸だ。

先日のうちにアポイントメントが取れた結果、彼はきちんと定時退社をして出迎えてくれた。

筋骨隆々の巨躯に圧倒されている立花夫妻を前に、弦十郎は居住まいを正すと説明を開始。

 

「…うちの響が歌手デビューするんですかッ!?」

 

驚きも露わにする洸。隣ではその妻も同じ表情をしている。

響くんは母親似だな、などと益体もないな感想を抱く弦十郎を後目に、立花夫妻の視線は娘の方へと。

 

「響、おまえ、歌手なんてできるのかい?」

 

両親をして、響が地元を離れて全寮制のリディアンへ進学したことには察するところがあった。

食欲魔人と化した一人娘が、日々上昇し続ける立花家のエンゲル係数を懸念してのこと―――というのは冗談にしても、あの日のライブ会場で彼女は将来を決定づける何かに触れたのではないか?

 

その予想はある意味当たっていたのでは、と立花夫妻は今日、淡い確信を抱く。

だとしても、高校入学して半年も経たないうちにデビューとは、色々と早すぎるだろう。

 

「…ううん。大丈夫だよ、お父さんお母さん。わたしは、やります。やってみせます!」

 

「でも、テレビにも出るんだろ? 恥ずかしくはないのかい?」

 

「そ、そりゃあ恥ずかしいけれど、翼さんもクリスちゃんも一緒だし!」

 

娘の力強い眼差しを受けて、洸はばりばりと後頭部を掻いた。

 

「やっぱり、血は争えないものなのかなあ…」

 

「え?」

 

「実は僕も若いころ、笛のお兄さんをやっていて、テレビに出ていたことがあってね」

 

「ええッ? そうなのッ!?」

 

娘の驚きの声を受けて、照れ臭そうに表情を崩す洸がいる。

 

「まあね。あまり有名じゃなかったし、結婚を機に転職して辞めたんだけどね」

 

「ほえー、初耳だよー! お母さんも知ってたんだよね!?」

 

和気藹々と盛り上がる立花家。

その後は話題が昨今の芸能事情などにもシフトするも、立花夫妻と弦十郎はほぼ同年代である。

共感できる話題も多く、非常に和んだ雰囲気となった。

挙句夕食まで振舞われ、遠慮なくご馳走になる弦十郎である。

久々に母親の手料理を堪能して満足げにはしゃぐ響を横目に、ふと洸の表情が翳ったのを弦十郎は見逃さない。

 

「…僕にとって、響は大切な一人娘でしてね…」

 

ビールの入ったグラスを傾けながらの呟きには万感の思いが込められている。

なにせ、かつてのライブ会場の惨劇から生きて帰った娘のことを喜ぶあまり、周囲に吹聴して顰蹙を買ったほどの子煩悩の彼である。

取引先の社長の娘も同じくあの惨劇からの生還者で、二人は意気投合。結果として大口の取引をまとめる格好となり、洸が出世コースに乗ったことは、まさに禍福は糾える縄の如し、というやつだろう。

 

そんな調査部の報告書を思い浮かべつつ、弦十郎は大きく頭を下げる。

 

「娘さんの安全は、必ず自分たちが護って見せます」

 

響の両親が懸念するところの惨劇は、いまだ記憶に生々しいものだ。

その不安を払拭するためにも、弦十郎は自身の体格といった外見も計算に入れている。

実際のところ、凡百の男と弦十郎のような偉丈夫、そのどちらも安全を確約したとして、後者に大いに軍配があがるのは疑う余地もない。

お飾りの芸能プロダクション社長ではなく、弦十郎が直々に出張ってきた理由の一つはこれであった。

 

一方で、響がシンフォギアを纏って戦っていることは、両親にも伝えていない。むしろ伝えられなかった。

FG式回天特機装束は国家機密中の国家機密である。

一度でも知ってしまえば、市井の人間は生活に大きな制限を受けかねない。

むろんそれらに関わりなく、立花家は護衛対象となってはいる。万が一でも人質になどされてしまえば、響の活動が大きく掣肘されてしまう。

 

立花夫妻にとって、響が大切な娘であることは語るまでもない。

その娘を、人類を守るためとはいえノイズ相手に戦わせている。

そしてそのことを家族に伝えることは許されていない。

 

弦十郎の下げた頭の中は、それらに対する申し訳なさで埋め尽くされている。

ゆえに、立花一家に対する誠心誠意の礼儀を尽くす意味での、弦十郎本人の訪問であった。

先ほど口にした通り、最大限に響の身は守る覚悟であるし、立花一家の安寧な生活にも出来得る限りの便宜を図る覚悟である。

だが、それらを面向かって伝えられないもどかしさ。

同時に幾ら実利を尽くしたところで、免罪符足りえないことも承知していた。

 

家族の与り知らぬところで響に命を賭けさせている。

娘を持たない弦十郎に、親が子を思う気持ちは分かぬ。

それでも良心を切り刻まれるような痛みを胸に、弦十郎の頭はより一層深く下げられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「そこ! 立花ッ! ステップの切り替えが甘いぞッ!」

 

遠慮のない翼の叱咤の声が飛ぶ。

 

「立花さん。そこのコーラスの部分は、もう一オクターブくらい下げた声で…」

 

クリスも言動こそ柔らかかったが、適当では妥協させない厳しさを発揮している。

 

「は、はいッ! もう一度お願いしますッ!」

 

そして響も良く喰らいついていた。

 

新生『トライウイング』のお披露目も迫り、レッスンもいよいよ佳境にある。

 

 

「―――この分であれば、どうにか間に合いそうだな」

 

太い二の腕を組んで、弦十郎はレッスンルームの三人を見渡した。

 

「な? あたしの見込んだ通り、筋はいいだろ?」

 

隣には、我が事のように笑みを浮かべる奏がいる。

 

「…おまえは、何も蟠りはないのか?」

 

思わず弦十郎はそう問い掛けていた。過日、姪ッ子が、奏に向かって同じ質問をしたことなど知る由もなく。

 

「なあに、いわゆる世代交代ってやつさ。ダンナだって、隊長と代替わりしただろ?」

 

奏は屈託がない。

彼女が隊長と慕う弦十郎の実父風鳴訃堂は、極力自身の影響力を分散させようと腐心しているフシがある。

もっともこれは弦十郎が直感的に感じていることであって、傍目には日本国における訃堂の影響力はいまだ絶大なままだ。

 

「あたしも隊長と同じく、裏方でいいんだよ」

 

レッスンに励む三人を眩しげに見やる奏。

その眼差しの内容は、弦十郎をしても見通せなかった。

一度でもステージで喝采を浴びた人間は、その栄光を決して忘れがたいとも聞く。

 

(いや。それは俺が詮索するものではあるまいよ)

 

結局、弦十郎は曖昧に首を振り、独り言のようにつぶやく。

 

「…まあ、おまえがそれでいいなら、構わないが」

 

ふと背中を叩かれた。

振り向けば櫻井了子が立っている。

トレードマークのピンクフレームの眼鏡を押上げ、もう片方の手の指は丸の形のOKサイン。

 

「各会場の設備設置もなんとかなりそうよん♪」

 

「―――そうか」

 

深く頷く弦十郎の全身に、緊張が漲る。

新生トライウイングの発表とそのお披露目は、過日のライブ会場と同規模のものを予定していた。

その裏で、収束したフォニックゲインを用い聖遺物を起動させる実験を行うところも同一である。

今回、励起の対象となっている完全聖遺物は、欧州より日本へと譲渡された不朽不滅の剣【デュランダル】。

 

「この実験が上手くいけば、状況は劇的に回天するはずだ。絶対に成功させるぞ、諸君ッ!」

 

集めた部下たちを前に鼓舞する弦十郎。

三々五々に部下が散っていく中で、最後には何故か響が一人残っている。

そんな彼女は、なんとも困惑した顔つきで弦十郎へと訴えかけてきた。

 

「…あの~、師匠?」

 

「おう! どうした響くん?」

 

「あの、ですね。わたしがトライウイングとしてデビューすることは、友達にも打ち明けちゃっていいものなんですかねーって…」

 

「ふむ」

 

シンフォギア装者であることは国家機密だが、アーティストとしてのトライウイングは公明正大に視聴者の耳目に晒される予定である。

 

「デビューライブまで出来れば秘密にしておいてもらいたいところだが…」

 

弦十郎がそう答えると、響は心底困った表情を浮かべて、

 

「…実は未来が…、あ、未来は寮でも同じ部屋のわたしの大親友なんですけどねッ! 最近はレッスンでわたしの帰りが遅いから、すごく機嫌悪くて…」

 

「なんと。そうだったのか?」

 

立花響のデータバンクの中に、確か親友とカテゴライズされた小日向未来という名前。

思い出しつつ弦十郎は自分が至らなかったことを反省。

言われるより先に、同室者という存在を配慮すべきだった。

弦十郎は腕を組んで軽く宙を睨む。

 

「…時に、響くん。その未来くんは、口が堅いほうか?」

 

「え? は、はい。たぶん」

 

「あまり吹聴しないと約束して貰えるなら、伝えてもらって構わないぞ」

 

響の顔はぱああっと明るくなった。

 

「わっかりました! ありがとうございますッ!」

 

あからさまに肩の荷が降りたような足取りで響は身を翻す。

その姿を苦笑して見送りつつ、人の口に戸は立てられないことも弦十郎は承知していた。

 

おそらく、響がトライウイングとしてデビューすることは学園内に知れ渡るだろう。

だが、リディアンは芸能コースを有する学園であるし、外部に漏れたとて、立花響という少女はもともとが無名の存在である。

何もかもが未知数な彼女を付け回す週刊誌もおそらくあるまい。まあ、一課には苦労を増やすかも知れんが…。

 

そこまで考えて、弦十郎の脳裏からその話題の優先順位は大きく後退。

なにせ他にも考えなければならないことが山ほどある。伊達に総司令をしているわけではないのだ。

 

 

―――そんな風に多くの楽観も含めた弦十郎の予想は、すぐ翌日には大きく覆えされることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日。

乞われて個室で会うことにした響の隣には、初めて目にする黒髪の少女がいた。

脳内のファイルを捲り、弦十郎は少女が小日向未来であることを確信する。

リディアンの寮における響の同室者であり、曰く彼女の大親友。

しかしなぜにそんな彼女が今日、一緒に?

 

「…あなたが、トライウイングの所属する会社の社長さんですか?」

 

「う、うむ」

 

頷きつつ響を見れば、バツの悪そうな表情。

おそらく、トライウイングの新メンバーとしてデビューする話をするにあたり、弦十郎が社長であるとの説明もしてしまったと推測される。

響の両親には自己紹介した手前、彼女の親友に対してもダミーの社長を立てるのは不自然かつ不義理だろう。

そう判断した弦十郎は、素直に名乗ることにする。

 

「俺の名は風鳴弦十郎という。君のいうとおり、トライウイング関連の総責任者の立場にあるものだ」

 

「それじゃあ、弦十郎さん。お願いがあります」

 

物怖じせず見上げてくる未来の眼差しは真剣極まりない。

 

(…そういえば、この娘も響くんのライブ会場からの帰還を大喜びしたらしいな)

 

一課の調査報告を思い返し、弦十郎は次の未来の言動を予想する。

 

未だ記憶に鮮明なライブ会場の惨劇を憂い、響のトライウイングとしてのデビューに反対するか。

もしくは、それに伴う何かしらの厳しい抗議か?

 

「…響を、本当にトライウイングとしてデビューさせるんですか?」

 

「ああ、そのつもりだ」

 

「だったら―――!!」

 

どのような抗議や叱責も受け止めるため胸襟を開く弦十郎に対し、小日向未来の反応は予想の斜め上を行く。

 

「―――だったら、ファンクラブも作られるわけですよね!?」

 

「あ、ああ。おそらく出来るのではないかな…?」

 

「私にナンバー1の会員権を! 無理だったらせめて一桁ナンバーでお願いしますッ!!」

 

「お、おう?」

 

「それとですね! 非公式のファンクラブの方を立ち上げても、何も問題はないですよね!?」

 

「そ、それも構わないと思うが、できれば企画部の連中とも話しあってもらえれば…」

 

「実はもう、いくつかグッズを作ってみたんですッ!」

 

未来が横に巨大な紙袋を持ってきていたことを、弦十郎は遅ればせながら気づく。

紙袋の中身がテーブルの上にぶちまけられた。

ロゴの入ったタオルや団扇を皮切りに、恥ずかし気な表情を浮かべる響のプロマイドやピンバッジなどの造形も凝りに凝っている。

本人のデフォルメされた顔がプリントされたTシャツやトレーナーの造りも見事で、詩集や色紙に手形といった若干意味不明なものも散見されるも、すべてがプロ顔負けで、とても高校生の娘が作ったものとは思えない。

 

「これは、見事だな…」

 

思わず弦十郎が呻けば、物凄い笑顔を浮かべたまま未来は更に踏み込んできた。

 

「正規販売品と競合しない範囲で頒布させてもらっていいですか? いいですよね!? なんなら、この試作品を正規品のラインに乗せてもらっても…」

 

「わ、わかった。のちほど検討させてもらおう」

 

「よろしくお願いしますッ!」

 

勢いに押され、なんだかよく分からないうちに頷いてしまう弦十郎。

対する未来は、

 

「ああ、とうとう私の響がアイドルデビューするんだ…!」

 

両手を前で握って、何とも言えない恍惚の表情を浮かべている。

 

 

 

 

かくして、立花響のトライウイングデビューにあたり、新人にも関わらずその物販の品ぞろえは異様なまでに充実したものとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと色々あって間が空いてしまってすみません。

そんでもって今回は洸の中の人ネタと、一度やってみたかったザボーガーネタです。
なお、響が変形して防人を乗せる予定はございません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 BABY DON DON 輝け!

「うう、緊張するよ~」

 

ガウンを着込んだ響は、珍しく椅子に蹲っていた。

 

「なーにカチコチに固まってんだ、おまえは?」

 

その肩をバンバンと叩く天羽奏は黒いスーツを着ていて、服装だけなら特機部二のエージェントに準じている。

 

「そ、そんなこといっても…!」

 

ワタワタと狼狽する響の姿を眺め、クリスの胸には懐かしさが去来していた。

 

「…二年前のわたしたちも、立花さんみたいだったね」

 

「そうか? 私たちはもっとシャンとしていたと思うが…」

 

首を捻る翼に、クリスはあはは…と少し笑うだけにとどめた。

正直に言えば、響ほどでないにせよクリスも緊張していた。旧トライウイングと活動してから、彼女にも二年間余りのブランクが存在する。

 

一方の翼はソロで活動を続けており、着実に経験を積みつつあった。

翻って過去の醜態は、彼女の中で無意識に改変されているであろうことは想像に難くない。

 

「今日は、大丈夫だよね?」

 

クリスが訊ねた。

トライウイングの新生ライブということで、業界は騒然としている。

正式にライブイベントが公表されたときは、ネットでも検索のトレンド1位となっていた。

天羽奏の復活は成らず、新たなメンバーの加入という点は悲喜こもごもというか、だいぶ落胆する声が聞かれたものの、雪音クリスの復帰は大喝采とともに迎えられている。

なにせ翼がスマホでそのような情報を仕入れては、せっせとクリスに見せにくるくらいだ。

『やっぱりクリスは人気者だなッ!』と我が事のように喜んで薄い胸を張る親友は嬉しかったけれど、ゆえにクリスに対するプレッシャーになっていることに気づいたかどうか。

だが、当のクリスも、今日デビューとなる響を見ることで、相対的に落ち着くことが出来ている。

 

(先輩としてしっかりと振舞わなきゃ)

 

ごく当たり前に内心でそう誓う彼女は、精神的にもだいぶ成長しているのだが、本人は無自覚だった。

 

「大丈夫さ。二年前とは、何もかも違う」

 

力強く頷く翼は、二年前に比して明らかに頼りがいがあった。

歌手活動に努める一方で、彼女は自己鍛錬を欠かしていない。

学生、歌手、装者と三つの草鞋を履き分けてなお、剣の切れ味は増している。

 

「そうだね」

 

頷き返すクリスも、あれから芸能活動に従事していない分、鍛錬に力を入れていた。

弓だけではなく、緒川や弦十郎に師事し近接格闘も習得している。

全ては、人類を守るため。大切な人たちを守るために―――。

 

「おうッ! 準備はいいか、おまえたちッ!」

 

「し、師匠!」

 

ガチガチの動作で立ち上がった響に、

 

「叔父さま」

 

「兄さん」

 

といった声が続く。

新たな三つの翼(トライウイング)を見回し、弦十郎は場の空気を和らげるように笑った。

 

「今日の試みで、そこまで緊張することもあるまい?」

 

そう言ってから、太い腕で背後の会場を指し示す。

本来、待機室が設けられてしかるべきだが、彼、彼女たちの目前には、ステージが大きく広がっていた。

つまりはステージ側からトライウイングたちの姿は丸見えなのだが、歓声一つ聞こえなかった。

なぜなら、客席はほぼ無人。ライブ開始を前にスタッフが忙しく行き交うだけ。

だが、これから行われるのはリハーサルではない。正真正銘のライブだ。

では、なぜに会場がこのような状態になっているのかと言えば―――。

 

「いくらライブビューイングだからって、何万人もの人から見られるわけですよねッ!?」

 

響の悲鳴じみた訴えが、現状を過不足なく説明していた。

 

かつてのライブ会場の惨劇は、業界関係者にとって半ばトラウマになっている。

また、前回と同様に聖遺物の起動実験を行おうとしている特機部二においても、再度同じ惨状が起きるのではないかとの懸念が存在した。

以前と同様の規模の惨状が展開されるのは、観客の命を守るため、トライウイングの命脈を保つために絶対に避けねばならない。

 

その対抗策として考え出されたのが、主たるライブ会場は無観客とし、全国各地のライブ会場や映画館にライブビューイングで配信するという大規模な采配だった。

各会場には巨大モニター、もしくはスクリーンを配置し、トライウイングのいるスタジアムにも幾つもの巨大モニターを設置して、会場のオーディエンスの反応を映す。

この処置である程度の安全性を担保することは可能にしても、聖遺物に対するフォニックゲインの確保はどうすればいいのか。

 

フォニックゲインとは、人が歌によって高められた際に発する一種の生態波動と推定されている。

当然ながら、同じ空間にいなければフォニックゲインの採集は無理だ。モニター越しやスピーカー越しに変換して受け取れるものではない。

その為に聴衆が一か所に集められたのが以前にトライウイングがライブを行ったウラヌスガーデンであり、全国各地にオーディエンスを散らせてしまっては起動実験は不可能ではないか。

 

この矛盾を、特機部二は大規模かつ何ともアナログな方法で突破する。

なんと、日本各地の会場からエアダクトを引いて、物理的に会場の空気を収集することにしたのだ。

主たるライブ会場も、富士の裾野の空き地へ確保。その地下へと聖遺物の起動施設を潜ませ、仮にノイズの出現があっても被害を最小限に留めるために努力を惜しまない。

 

また、ネフシュタンの鎧の強奪者の再襲来に備え、今日のライブ当日にはなんとあの風鳴訃堂が直々にデュランダルを携えて会場入りしているという布陣である。

図らずも弦十郎が立花夫妻に確約した通り、装者たちの身を護るという意味でも、これ以上の備えは考えられなかった。

 

「実際に何万人もと同じ空間にいることに比べれば、全然マシだろうよ」

 

苦笑する奏に、クリスは全く同感。

でも…と口を窄める響を諫めたは翼だった。

 

「奏の言う通り僥倖だと思うんだ。実際に、直接オーディエンスの視線に晒されるのは、想像以上に心身に応えるぞ?」

 

現在進行形で芸能界で活躍している翼の台詞は重みがある。

また、響に向ける口調や振る舞いが男性調で統一されているのは、先輩として防人としてかくあるべしという彼女の表明なのかも知れない。

 

「まあ、響くんがどうしてもというなら、こちら側から見えるモニターを停止するのも吝かではないが…」

 

顎髭を撫でる弦十郎に、

 

「それじゃあ単にレッスンしてんのと変わらねーじゃんかよ、ダンナ」

 

翼やクリスに先駆けて、奏がそう言ってくれた。

ライブは、歌い手と聴衆が同じ空間で一体化することに醍醐味があると思う。

今回のライブビューイング方式は止む無しとはいえ、聴衆の反応が分からないまま一方的にこちらのパフォーマンスを披露するのには、翼とクリスをしても不安と不満を覚えるところだった。

 

「で、でもですよ!? わたしに対するその…悪口とか…」

 

指を胸の前で突き合わせ、響はごにょごにょと呟く。

トライウイングにおいて絶対的なセンターを保持したあの天羽奏に成り代わる一翼。

生半な技能では務まらず、不細工なパフォーマンスをしようものなら新人とて容赦なく罵倒されるかも知れない。

そんな響の自己評価の低さと懸念はクリスが一番共感出来るところだったが、あの時と同じように豪快に笑い飛ばしてくれる奏がいる。

 

「そんな心配はいらねーって! お前は厳しいレッスンもこなしたし、しっかり可愛いぜ?」

 

「う…」

 

「このあたしが太鼓判を押してやるッ。もっと自信をもって大丈夫だッ!」

 

朗らかに笑う奏は、相手の心に火を点けるという能力に長けているとクリスは思う。“勇気”という火を。

 

「それでも踏ん張れそうもねえってんなら、あの子のためだけに歌ってやれよ」

 

奏の鋭くも優しい眼差しは、客席に向けられた。

観客はほぼ無人と表したが、絶無ではない。

会場を維持するためのスタッフはもちろん、若干名のトライウイング関係者も存在する。

その大半が業務に邁進する中で、たった一人客席の端も端から心配そうな視線をこちらに向けてくる少女がいる。

 

「未来…!」

 

「響…!」 

 

束の間見つめあい、響が奏へと戻した視線には、不安はあれど畏れはなくなっていた。

 

「わかった…わかりました! わたしには最高の陽だまりがついてたんですね! だから、へいきへっちゃらですッ!」

 

 

 

 

 

その光景を腕組みして見守る弦十郎に、横から翼がそっと訊ねてきた。

 

「…一般人の彼女を会場内に許容して良いのですか、叔父さま?」

 

「あ、ああ。別にシンフォギアを見せるわけではないからな」

 

さすがに本人のスマホや、一体どこで調達してきたのか業務用の撮影機材などは全て没収している。

だが、弦十郎の返答を僅かにでも言い淀ませたのは、ひとえに小日向未来という少女の言動に由来していた。

響からトライウイングになることを伝えられ、弦十郎からは非公式ファンクラブの立ち上げを許可された彼女の行動は迅速を極めた。

たちまちリディアン音楽院を中心に結成された立花響ファンクラブは、非公式ながらその会員数は120人を越える。

にも関わらず、今日のデビューライヴ当日に至るまで、非公式ファンクラブ及び関係者から、立花響に関する情報の一切がネットに流出した形跡が見られない。

情報管理と操作を専門とする特異災害対策機動部一課をして首を捻らざるを得ないこの現状は、非公式ファンクラブの初代にして絶対永久終身会長たる小日向未来の手腕によるものではないのか?

 

―――百人を越える人間の口に閂させる鉄の結束は、一体どうやって産み出されたものか見当もつかず、興味も尽きない。

 

一課から受けたその報告を念頭に、弦十郎の視線も自然と鋭くならざるを得ない。

 

(俺は根本的に響くんの周辺環境に対する認識を大きく見誤っていたのかも知れん)

 

弦十郎の脳裏で、その懸念が囁くような産声を上げていた。

だが、それと正面から相対するための時間は与えられていない。

 

『司令。そろそろ時間です』

 

インカムより友里あおいの声。

 

「…分かった。すぐにコントロールセンターへと向かう」

 

間もなく始まる前例のない壮大的かつ実験的なライブ。同時に行われる、二度目の完全聖遺物の起動実験。

その前には、ささやかな私的な違和感など些末なものと脳裏からすっぱりと除外した。

力強い足取りで弦十郎はライブ会場を後にする。

 

彼の懸念が確信へと変わるのには、今少しの時間を要することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チャンネル接続完了しました。モニターに出ます!」

 

藤尭朔也の声に、コントロールセンターの面々は目前の巨大スクリーンに注目。

そこには複数のモニターが表示されており、映っているのは普段と違ってノイズではない。

日本各地のコンサート会場や映画館のライブ映像であり、そのほとんどの客席が埋まっていた。

今か今かと開幕を開幕を待ち構える興奮は、画面越しでも伝わってくるよう。

これは過日のトライウイングの人気の証左であり、同時に伝説となった三人に新たに成り代わろうとする立花響の緊張も分かろうというものだ。

 

「音響スタンバイOKです。フォニックゲイン採集機構も問題なく稼働しています」

 

「うむ」

 

最終報告に重々しく頷いて、弦十郎は組んでいた腕をほどく。

 

「これより、聖遺物起動実験(project:D)および新生トライウイングのライブを開催するッ!」

 

総司令の気合の入った声と同時に、ライブ会場には盛大なBGMが流れる。

縦横無尽に七色のスポットライトが交錯するステージ。

極彩色に染め上げられた壇上は、一転して暗転。BGMも停止。

静寂で満ちる暗闇に、直上から降り注ぐ三本のスポットライト。

光の柱のそれぞれに三つの人影が姿を現す。

呼応するように、日本全国のライブビューイング会場からモニター越しに伝わってくる大歓声。

 

まず歓声に後押しされるように輪郭を露わにしたのは、紛れもないトライウイングの蒼き羽、風鳴翼だ。

サファイアブルーのドレスから細く引き締まった足も大胆に、細い喉を反らして高らかな旋律を天空へと放つ。

 

続いて姿を現したのは、かつてのトライウイングの永遠の妹分と称された雪音クリス。

二年前より若干背が伸びている彼女だったが、まだ初々しさとあどけなさは失われていない。

ルビーレッドの艶のあるドレスを纏い、軽く目を伏せて低音の歌を紡ぐ姿は、どこか物憂げで庇護欲をそそる。

 

最後に壇上に浮かびあがったのは、今日この日加わることになる新生トライウイングの新たな翼、立花響。

イエロートパーズのミニドレスを纏った彼女の姿に向けられたのは、歓声半分、どよめき半分。

モニター越しにもその空気に飲み込まれそうに思えたが、笑顔のまま歯を食いしばった彼女は、のびやかな中音域の声を張り、プレッシャーへと抗う。

 

自己紹介替わりにの三つのハーモニーを披露した三人に、一転してアップテンポの音楽が降り注ぐ。

軽快な足さばきでシンクロしたダンスを開始する新生トライウイングに、更なる歓声が惜しみなく向けられた。

急激に騒がしくなるモニターを注視する弦十郎を始めとした特機部二のスタッフ一同。

ひゅ~♪ という口笛に振り向けば、奏が笑顔を浮かべている。

 

「あいつらやるじゃん!」

 

彼女の忌憚のない賞賛が示す通り、特訓に特訓を重ねてきたパフォーマンスは見事なまでに結実している。

若干、響の動きにぎこちなさが感じられたが、初めての舞台としては十分に及第点だろう。

 

「フォニックゲインの収集を開始しますッ!」

 

友里の声に続き、各会場でエアコントローラーが全開で稼働する。

物理的に会場に空気を運ぶというアナログな手法なため、メーターゲージに反映されるまでのタイムラグは否めない。

じりじりと待つことしばし。

 

「各会場のエアの流入を確認ッ!」

 

その報告に半瞬遅れてメーターの明滅に激しい変動が。

 

「…成功です! フォニックゲインの検知に成功しましたッ!」

 

とりあえずの第一目的の成功に、沸きあがるコントロールルーム。

モニター上のオーディエンスとは別の歓声の中で、手元のディスプレイを覗き込んでいた藤尭が不意に「あれッ!?」という声を上げたのを弦十郎は見逃さない。

 

「どうしたッ?」

 

「いえ、その…、日本各地から流入されたフォニックゲインが確認される直前に、既に相当量のフォニックゲインが検知されているみたいで…」

 

しきりに目を擦り、見間違いかな? とディスプレイを見直す藤尭。その表情は疲労が濃い。

 

「それは、想定内のものではないのか?」

 

会場にいるスタッフこそトライウイングの歌をダイレクトに耳にすることになる。

彼らからも相応のフォニックゲインが励起されるのは自然な流れといえるだろう。

 

「ですが、無観客でこんな明確な指向性をもった300人分に相当するフォニックゲインなんて…」

 

「ならば、何かしらの見間違いがセンサーの不具合だろう」

 

そういって弦十郎は藤尭の背中を叩く。

 

「ここ連日の激務で疲れているだろうが、もうひと踏ん張り頼む」

 

「…はいッ!」

 

部下を激励しておいて、大型モニターに向きなおった弦十郎の眉がわずかに歪む。

無観客を想定している会場に、ただ一人滞在を許可した民間人がいたことを思い出したのだ。

立花響の大親友とされるあの少女を。

 

(…いや、そんな、まさかな)

 

自身の中の疑念をねじ伏せ、弦十郎は気合を込めてモニターを見つめ直す。

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして小日向未来は、広大なライブ会場のカメラに映らない舞台袖で、ほとんど齧りつくような勢いで親友の初ステージに視線を注いでいる。

 

「キャー! 響、キャー!」

 

全力全開で黄色い歓声を上げる彼女の出で立ちは大きく変わっていた。

背中に大きく響のデフォルメされた笑顔の描かれた法被を着込み、振り回している両手の団扇は、『響』の文字と本人の顔写真のリバーシブル。

両腕に七色に光るサイリウムがぐるりと巻かれている姿はさながらガングニールのガントレットの如く、首に翻るマフラーにはピンクの糸で『HIBIKI TACHIBANA』の文字が踊っていた。

額に巻かれた『響♡LOVE』のハチマキも勇ましく、その左右にペンライトが差し込まれている様相はなんだか八墓村じみていたが、ドン引きどころか誰も咎める人はいなかった。

 

だが、初めての舞台ということで緊張しまくりの響はともかく、舞台袖に視線をやる余裕があった翼とクリスは、ライブ終了後に未来の姿をこう評している。

 

彼女のシルエットは、まるでシンフォギアを纏っているみたいだった、と。

 

 

 

 

 

 

「フォニックゲイン、規定値に到達しそうよ」

 

 

ライブも最高潮を迎える中、聖遺物起動実験も佳境を迎えていた。

スタッフたちの視線を集めるは、完全聖遺物【デュランダル】。

その表面が発光し、七色の光を循環させ始めたのを見届け、櫻井了子の静かな声が流れた。

 

「―――デュランダルの起動を確認。実験は成功ね」

 

スタッフが歓声を上げようとして、それぞれが思いとどまる。

二年前の轍を踏んでたまるかとばかりに目まぐるしくコンソールを操っていた藤尭が、緊張を維持したまま報告した。

 

「周辺に、ノイズの反応は認められませんッ!」

 

なお油断なく全ての職員が身構える中、大きな気配が動く。

 

「―――ふんッ」

 

鼻を鳴らし、実験室を退室していくは風鳴訃堂。周囲に脅威がないことを確信してのことだろう。

各種センサー類よりよほど信頼のおけるこの首魁の行動に、今度こそ特機部二の総員が胸を撫でおろした。

 

「お疲れ、了子くん」

 

弦十郎の差し出してきた手を、了子は握り返す。

 

「ありがと。これで少しでも二年前の汚名は返上出来たかしら?」

 

「どうだろうな。だが、未だあの時の鎧の行方は不明だ。デュランダルの警備には細心の注意は払わねば…」

 

「ま、きっと今回の警備を見れば強奪になんて来ないでしょうね」

 

前回の襲撃を見越しての風鳴訃堂の布陣であるが、それ以外の配置も万全を期している。

万が一再度の襲撃があった場合、逆撃どころか捕縛することを視野に特機部二の面々はこの日に挑んでいた。

 

「なるほど。違いないな」

 

破顔する弦十郎。

その厳つい笑顔に微笑み返しながら、当事者が襲撃しないって決めたんだから当然でしょと内心で了子は呟く。

また、本来ならば忌々しいシチュエーションにも関わらず彼女が心から笑顔を浮かべている理由は、フィーネとしての最終目標においてデュランダルの存在は決定的な要素となるからだ。

加えて、自身の施した細工のことも考えれば、大声で笑いだしたい衝動にすら駆られている。

 

フィーネこと櫻井了子は、今回のフォニックゲインを収集しての実験にあたり、集めたその一部を別の場所へ誘導し、秘密裡にもう一つの聖遺物の起動に成功していた。

ノイズを自在に操れるようになるという【ソロモンの杖】。

自分たちの実験が更なる脅威を生み出していることに気づかない特機部二の面々は、いっそ滑稽ですらある。

ほくそ笑みつつその総司令の様子を伺えば、弦十郎は大型モニターへと視線を戻していた。

 

「…やはり、うちのクリスは可愛いなッ!」

 

一仕事終えた達成感からか漏れてしまったであろう、他愛もない独り言。

その能天気な声に微かな苛立ちを覚えつつ、あくまで笑顔を維持したままフィーネは思う。

 

これで【矛】と【盾】は揃った。

そろそろこの時代でのフィナーレと行きましょう―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新生トライウイングについて語ろうスレ3

 

 

 

70:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 22:58:59 ID:hyNwZmcX5k

 

やっぱりトライウイングは (*゚∀゚*)イイネ!!

 

 

71:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 22:59:50 ID:zrWSwHMep3

 

翼さんは凛々しい。クリスちゃんは俺の嫁。

 

 

 

72:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:00:01 ID:8rx9aPK1lj

 

クリスちゃんならオレの隣で寝てるけど?

 

 

 

 

73:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:00:32 ID:AR0BUptRrm

 

おまえら二人ともリアル空気嫁www

 

 

 

 

74:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:01:29 ID:uaZDZ0LYtC

 

しっかし、おまえら的に、あのヒビキって子どうよ?

 

 

 

75:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:03:12 ID:hdHH1RfT4X

 

俺はけっこう好きー

 

 

 

76:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:04:05 ID:DYQyJM65AO

 

んー、翼さん以上、クリスちゃん未満?

 

 

 

77:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:04:21 ID:ByYTWDnbZi

 

wwwwwwwwwwwwwww

 

 

78:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:04:49 ID:Dq5E0oDddY

 

( ゚∀゚)o彡゚ オッパイ オッパイ

 

 

 

79:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:05:08 ID:R0r9XoS7Ej

 

正直微妙じゃね? 歌もルックスも天羽奏に劣っているとゆーか

 

 

 

80:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:05:59 ID:QZsRkG3Wge

 

おまえら目ぇくさってんのか? 可愛くねーよ全然

 

 

81:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:06:32 ID:ABCiZHU4rE

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

82:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:06:40 ID:6GiKx6JboS

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

83:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:06:51 ID:Jk5C4elcwS

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

84:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:07:08 ID:YEhc0jsniN

 

いや、全然。二人と比べたら中の下じゃね?

 

 

 

85:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:07:15 ID:9AyuhVKvOy

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

86:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:07:22 ID:T9Hq2EdbJu

 

なんだ、うぜえな。かわいくねーよ、

 

 

 

87:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:07:38 ID:4H0Q6IxTQM

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

88:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:07:45 ID:dpsncHUiGY

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

89:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:07:55 ID:qvtYT1YpqS

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

90:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:08:08 ID:MJuAdLlsVY

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

91:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:08:15 ID:wvqjM8iPB6

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

92:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:08:27 ID:JhVmAcuoYK

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

93:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:08:36 ID:GJqtbqH2vV

 

なにこれ、新手のスクリプト?

 

 

94:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:08:47 ID:508GupoV1V

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

95:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:08:55 ID:ZPj90Ldr8l

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

96:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:09:06 ID:VKzc9hGV0l

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

97:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:09:18 ID:AaXe1nDFZM

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

98:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:09:25 ID:O0Lmj6GR4G

 

なにこれ、こわい

 

 

99:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:09:39 ID:Uk6KFpFoGt

 

スーパーハカーのせっしゃの出番ですぞでゅふふこぽぉwww

 

 

 

100:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:09:46 ID:6O566prpoJ

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

101:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:09:58 ID:U7H3nuTGhB

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

 

 

 

~~~~~~~~中略~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

 

252:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:16:06 ID:iBoFw4nVjW

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

253:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:16:21 ID:Uk6KFpFoGt

 

くぁwせdrftgyふじこlp

 

 

 

254:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:16:34 ID:NpO5lQaA4N

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

255:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:16:46 ID:YPMdUpguMB

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

256:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:16:50 ID:PK7H9Y5Aic

 

Uk6KFpFoGtどした?

 

 

257:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:17:06 ID:VYyNISske7

 

返事がない、ただのしかばねのようだ…

 

 

 

258:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:17:18 ID:mwjMuye7Kp

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

259:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:17:26 ID:C3Fhx68Xkr

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

260:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:17:37 ID:Q1D7JCjU8t

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

 

~~~~~~~~中略~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

998:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:36:14 ID:pjg71fK48w

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

999:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:36:28 ID:E22Mrdc55B

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

1000:空を飛べない名無しさん 2045/X/X 23:36:39 ID:QDcFq6A

 

ヒビキかわいいよヒビキ

 

 

 

1001 :1001:Over 1000 Thread

このスレッドは1000を超えました。

もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

 

 

 

 

 

 




なんかおまけとして書いたつもりの最後がホラーっぽくなっちゃったのでみんなして叫びましょう。
助けてグリッドマーン!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 キミが望む未来すでに In your hands

今回は箸休め的な回ってことで






 

新生トライウイングのライブより、一夜と一日明けた月曜日。

立花響は、リディアン音楽院へと元気に登校している。

 

前日となる日曜日は、初ライブの熱も引き切らないままに、各種のインタビューや写真撮影に忙殺された。

ぐったりとして寮へ送ってもらったのはだいぶ時間も遅かったけれど、未来はご飯を作って待ってくれていた。

テーブルの上に乗り切れないほどのご馳走は比喩ではなく、昨晩の食べきれなかった残りを朝食で響は食べてきている。

一緒にお風呂に入ったあとマッサージまでしてくれた親友の気遣いは嬉しかったけれど、自分がベッドに入ったあとも、買ったばかりのノートPCで未来は夜遅くまで何かしていた様子。

それでも朝はいつも通りに起こしてくれたし、そんなに夜更かししたわけでもないみたい―――。

 

そんな風にぼんやりと物思いに耽る響。

彼女が気の抜けた表情をしているのにはもう一つ理由がある。

曲がりなりにもあのトライウイングの一翼としてデビューしたのだ。登校したらクラスメートたちに騒がれるのではないか。

そんなおっかなびっくりで校門をくぐった響だったが、拍子抜けするくらい周囲の反応は薄い。

 

(まあ、翼さんやクリスちゃんに比べたら、わたしは下っ端だしね~)

 

ちょっぴり残念な気持ちをもあるけれど、響としてはホッとしている。

 

 

 

 

ちょうど四時限目終了のチャイムが鳴った。

 

「響は先に食べておいて」

 

未来はそう言い残して、パタパタと教室を飛び出していく。

 

クラス委員の仕事でもあるのかな?

ちゃらんぽらんなわたしと違って、未来はとっても頼りがいがあるからね~。

 

親友を手放しで称揚しておいて、響もいそいそと教室を出た。

目指す場所は例によって学院のカフェテリアで、今日も今日とてバイキングのそれぞれをトレイの上にチョモランンマ盛り。

 

「いっただきま~す!」

 

行儀よく両手を合わせ、豪快かつ最速に食べ物を殲滅。

 

「よ~し、二回目に行こ♪」

 

ほっぺたにご飯粒をつけたまま、響が腰を浮かしかけたときだった。

 

「響ッ!」

 

親友に腕を掴まれる。

 

「ど、どうしたの、未来?」

 

「もうお昼ごはんは食べたよね? 済んだよね? うん行こう!」

 

「え? え?」

 

有無を言わせず腕を引きずられ、カフェテリアから外の廊下へ。

まだまだ昼食に未練たっぷりの響に頓着せず、未来が引っ張っていったのは家庭科室などがある第二校舎。

その一番奥まった教室の前まで連れていかれて、響は首を捻る。

 

「あれ? ここって使われてない部屋じゃあ…」

 

同時に、その中から何やら人の気配がしたのには戸惑ってしまう。

 

「いいから入って。主役の響がこなきゃどうしようもないんだから!」

 

「え? どういう意味?」

 

勢いよく扉が開かれた。

中にいた生徒たちが一斉に振り返ってきて、響は面喰らう。

ましてや全員が盛大な拍手を始めたものだから、まるで理解が追い付かない。

 

「あの、未来?」

 

「いいから、ほら!」

 

親友にぐいぐい背中を押される。

教室の中の人並みが割れ、その先に設置されたものに響は目を大きく見開く。

奥に設置された白いテーブル。

その上に吊るされた看板には、こう記されていた。

 

【トライウイングのニュースター ☆ 立花響サイン会場】

 

 

「あ…」

 

口をぱくぱくさせたまま、有無を言わさず最奥の机の前に着席させられる響。

途端に、盛大な歓声と熱気が降り注ぐ。

 

「歌もダンスも凄かったね!」

 

「最高でしたッ!」

 

「ファンですッ!」

 

一気に詰めかけてくる女生徒たち。

 

「はい、そこ、列を乱さない! 一直線に並んで並んで!」

 

聞き覚えのある声の方を向けば、安藤創世がせっせと列の整理をしていた。

 

「へい、らっしゃい! ビッキーグッズは色々取り揃えてあるよ! おすすめはアニメ調のオリジナルTシャツね!」

 

部屋の壁沿いにある売店では、板場弓美が客引きにいそしんでいる。

 

「はい、御釣りは600円ですね。あと、こちらがサインと握手の引換券になります」

 

そしてせっせとグッズ販売をする寺島詩織。

 

「…あの、未来?」

 

キャーキャーいっている自分のファンらしき生徒たちを前に隣の未来を振り仰げば、親友は物凄い笑顔を湛えていた。

 

「ほら、響。ファンの人たちにサインと握手をしてあげよ?」

 

 

 

 

 

「…う~、手が痛いよ~」

 

放課後。

響は手首をプラプラさせながらの涙声。

昼休みのサイン会で、色紙やグッズにサインをしまくった代償だ。

後半に至っては完全にゲシュタルト崩壊して、自分でも正しくサイン出来たか全く自信はない。

あの場の異常なまでの盛り上がりと熱気は、その主役たる響にしても夢のよう。

ましてや、昼休み終了の予鈴が鳴ったとたん、一斉に粛々と、それこそまるで潮が引くようにファンたちは解散したのだからなおさらだろう。

 

「お疲れさま、響」

 

隣を歩く未来が労ってくれるも、

 

「…もしかして、明日の昼休みも?」

 

「もちろん! サービスしてあげなきゃ。ファンあってのアイドルだからね」

 

「マジですか…ッ!」

 

げんなりとした表情になる響。

もっとも、アイドルデビューするのはこういう事だといわれてしまえばぐうの音も出ない。

しかし、それなりに覚悟は決めていたとはいえ、こんなことが毎日続くとなると…。

 

「あと、今日は響はオフなんだっけ?」

 

「う、うん」

 

未来の声に弾かれたように顔を上げ、響は頷く。

 

さすがに今日くらいはゆっくりと休んでくれ。

先日の最後のインタビューが終了したあと、弦十郎が直々にトライウイングの三人を労ってくれていた。

 

「あ、それじゃ未来、久しぶりにデートしよ!! まずはふらわーにお好み焼きを食べに行ってさ!」

 

そういうと、親友は蕩けそうな笑顔を浮かべてくれる。

 

「喜んで。響、いっぱい食べていっぱい遊ぼうね♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は飛んで翌日の放課後。

立花響と小日向未来の姿は、リディアン音楽院の地下にある特異災害対策機動部の施設内にある。

 

「へえ~、リディアンの地下にこんな建物があったんだ~…」

 

「未来と一緒にここを歩いているなんて、なんかこそばゆいね」

 

響は若干はしゃいでいるが、本来的に完全に部外者である小日向未来が特機部二の基地への出入りは許可されていない。

なのになぜ彼女はここにいるのか?

 

「お、立花か」

 

「あ、翼さん! クリスちゃん! それに師匠も!」

 

自販機の前の談話コーナーに三人を見つけ、響は小走りで駆け寄った。

それから真っ先に弦十郎へ向かってペコリと頭を下げている。

 

「このたびは、その、色々とすみませんでしたッ!」

 

響が頭を下げる理由は、自分がシンフォギア装者であることが未来にバレたからである。

 

先日の放課後、ウキウキで二人がふらわーのある商店街に達したとたん鳴り響いたノイズ警報。

響は生来の人助け根性を発揮し、人々の避難誘導を実行したまでは良かったが、すわノイズをぶん殴ろうにも未来に装者であることをバラすわけにはいかない。

それでも一旦避難した振りをして…と画策していたら、近くの崩落したビルの一階で、逃げ遅れたらしいふらわーのおばちゃんを発見。

気絶しているおばちゃんの直上にはノイズがいて、それが音に反応すると看破した未来も凄かったけれど、『自分が囮になるからその隙におばちゃんを助けて』との申し出に面食らう。

『響はもうみんなのアイドルなんだから』とスマホ画面に表示するや否や、未来は元陸上部仕込みの猛ダッシュ。

親友の思い切りの良すぎる行動に呆気にとられるも、響はすかさず変身、もとい聖詠。

抱えたおばちゃんを駆け付けた緒川に託し、未来が引き付けたノイズへと追いすがって殲滅。

目前でノイズをワンパンした響に、助けられた未来が礼もそこそこに様々な追及したのは当然の流れ。

親友の凄まじい剣幕に洗いざらいゲロる寸前で、おっとり刀でかけつけてきた弦十郎に響が泣きついた結果、未来は特例的な外部協力者として特機部二関連の情報を得られる身分を獲得していた。

 

「…まあ、不可抗力というやつだな。止むをえまいよ」

 

弦十郎は頬を掻く。

そう言っておきながら、未来くんには早晩バレただろうな、とも確信していた。

そしてそんな確信をしている自分に、なぜだろう? と内心で首を捻っている。

 

「かなり司令も無茶を通してくれたようだからな。ぞんぶんに感謝するように」

 

厳しい顔つきの翼が腕組みをしたまま言う。シルエットの違いはあれど、それは普段の弦十郎の佇まいによく似ていた。

 

「それはもう。本当にありがとうございましたッ」

 

「ありがとうございましたッ」

 

響と未来が揃って頭を下げたところで、ようやく翼は破顔。

 

「ともあれ、小日向といったな? 私たちは君の協力と勇気に感謝し、特機部二へ歓迎するッ!」

 

それは本来俺の台詞なんだがな、と弦十郎は苦笑する。

 

「これからよろしくね、小日向さん」

 

クリスも挨拶をしつつ歓迎の握手。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

未来もにこやかに握手に応じるも、一瞬だけひやりとした感触にクリスは慄く。

―――響は渡さないから!

そんな声が聞こえたような気がする。

マジマジと未来を見直すも、彼女は穏やかで暖かな笑顔を浮かべていた。まるで陽だまりのように。

 

「あら~、みんなして集まってガールズトークの真っ最中かしら♪」

 

陽気な声が響く。廊下を歩いてきたのは、ピンクのフェティッシュな私服に白衣を纏い、うず高く盛り上げた髪型の櫻井了子。

 

「う~ん。可愛い女の子がぞくぞくと増えて大変結構♪」

 

「ガールズとはいうが、俺の存在を無視しないでほしいところなのだが…」

 

苦言を呈する弦十郎を、了子は華麗にスルー。

 

「了子さんもそういうの興味あるんですか~ッ?」

 

さっそく響が食いつけば、

 

「モチのロン! 私のガールズトーク百裂拳を受ければ、人体の内部から脳天直撃SE〇Aサターンよん♪」

 

「なんか一子相伝の必殺技みたい…」

 

未来は、たはは…と笑う。

 

「了子さんの恋バナッ!? きっと最終決戦で主人公がヒロインに正体を明かして、明けの明星が光るころには空へと帰らないといけない、大人で切ない恋物語~♪」

 

響が腰をフリフリ悶えながら口にした台詞には誰も突っ込まず、了子はどこか遠くを見るように目を細める。

 

「―――遠い昔の話になるわね。こう見えても、呆れるほど一途なんだから~」

 

赤くなった頬に手を当てる了子に、響と未来は「お~!」拳を握って興奮状態。

 

「意外でした。櫻井女史は、恋というより研究一筋かと」

 

やや茫然とした表情を浮かべたのは翼。

 

「命短し恋せよ乙女、っていうじゃない?」

 

対して了子はぷるん! と豊かな胸を張る。

 

「それに、女の子の恋する気持ちってのは、すごいパワーなんだから~」

 

「…女の子、とな?」

 

思わずそう呟く弦十郎に、了子のノーモーションの裏拳が炸裂。

 

「おいおい、危ないな了子くん」

 

あっさり受け止めた弦十郎を無視し、了子は言葉を続ける。

 

「私が聖遺物の研究を始めたのも、そもそも…」

 

そこまで語り、了子は響と未来両名の興味津々の視線を注がれていることに気づく。

なぜか急に気恥ずかしくなった了子は、急ブレーキをかけつつ緩やかに方向転換。

 

「ま、まあ、私も忙しいから、こんな場所で油を売ってられないわ」

 

「…そもそも話に割り込んできたのは了子くんの方ではないのか?」

 

またしてもの弦十郎の呟きに、今度はサンダル履きの後ろ蹴りを放つ了子。

もちろんこれもあっさり受け止められた。

 

「と、兎にも角にも出来る女の条件は、どれだけいい恋をしているかに尽きるわけよ!

 ガールズたちも、どこかいつかでいい恋なさいね」

 

半ば無理やり話をまとめて立ち去ろうとした了子だったが、響の声が影縫いのごとく彼女の足を縫い留めた。

 

「あれ? わたしは、師匠と了子さんがお付き合いしているとばっかり思ってたんですけど!?」

 

「な、なななに言っているのよ、響ちゃん!」

 

了子は思わず裏返った声を上げてしまう。

 

「違うんですか? 二人はお似合いだから、てっきり…」

 

狼狽する了子から、皆の視線は弦十郎へと向けられた。

我知らず頬を染めた了子も恐る恐る視線を転じた先で、弦十郎の浮かべる表情は良くも悪くも珍しいもの。

 

「………」

 

照れるわけでもなく、顔を赤くするわけでもなく、彼はひたすら茫然としていた。

おそらく、完全に虚を突かれた人間とはこのような表情を浮かべるのではないか。

正に寝耳に水と言わんばかりのリアクションは、取りも直さず了子との関係をこれ以上もないほど雄弁に否定していた。

 

「わ、私はあんまりゴリゴリのマッチョ体型の男は好みじゃないのよね~」

 

フォローすらしてくれない巨漢に、了子は大人の対応で話を有耶無耶にもっていくことを選択。

だが、そのプロセスで、なぜ弦十郎の隣に佇んでいた雪音クリスに話を振ってしまったのだろう? それは彼女自身も良く分からない心の動き。

 

「ね? クリスちゃんも、こんなゴリマッチョな男の人は苦手でしょ?」

 

すると、クリスは一瞬きょとんとして、それからおずおずと言ってくる。

 

「べ、別にわたしは兄さんみたいな体型な人は苦手じゃ…」

 

「ええええええええええええええええッ!」

 

素っ頓狂な声を上げたのはもちろん響。しかし彼女の驚きは、恋バナとは別の次元にある。

 

「し、師匠とクリスちゃんって兄妹だったんですかッ!?」

 

「む? 言ってなかったかな?」

 

ようやく気を取り直したらしい弦十郎が応じる。

 

「で、でもでもでも! こういっちゃなんですけれど、あんまり似てないとゆーか…」

 

「わたしは、兄さんの義理の妹なの」

 

自分の失言に気づいたクリスが慌てて口を挟む。

 

「そして、クリスは私の無二の親友で叔母さんなのだ!」

 

おまけに翼がクリスの華奢な肩に腕を回したものだから、もうこの時点で響の理解力は限界突破。

 

「翼、叔母さんはひどいよ…」

 

苦言を呈するクリスにそれを宥める翼。

 

「え、えーとえーと? 義理の妹で叔母さんで翼さんの師匠…?」

 

必死に現状を理解しようとして頭脳回路はショート寸前の響。

響の隣でハンカチで仰ぐ未来に、そんな彼女らを苦笑交じりでしかし温かく見守る弦十郎。

 

そんな愉快な輪から、そっと櫻井了子は身を翻す。

いつもの掴みどころのない笑顔のまま廊下を曲がり、誰も人影がないことを確認すらせずに硬質の壁を蹴り上げている。

それからハッと周囲を見回す彼女の行動は、まったく普段通りではなかった。

動悸を押さえるように豊かな胸の中心に手を押し当てて、次に彼女の唇から漏れた台詞は酷く自虐的なもの。

 

「全く、何を動揺している? ―――そうか。そういうことか」

 

頬が斜めに吊り上がる。まるで自分に語り掛けるように唇は動き続ける。

 

「それがおまえの望みか。なるほどな」

 

何かを納得したらしく、伏せられた顔は上げられた。

 

「この感情―――不快だな。この上なく不快で、それでいて懐かしい。ならば―――」

 

櫻井了子は笑う。櫻井了子であったものは笑う。凄惨な表情で笑う。

 

「ならば、あの兄妹は、出来るだけ凄惨に殺してやることにしよう」

 

その双眸は金色に変わっていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 輝きは君の中に

 

 

『…私自身、フィーネがしてきたことの正邪曲直についてを評する言葉は持たない。

 けれど、彼女がその生涯を通じて目指してきた計画に対しては、並々ならぬ興味を抱いたことを明確に断言できる。

 人類の創造主たるアヌンナキとの再邂逅。

 仮初にも聖遺物の研究者たる身としては、まさにその根源に至る行為であり、究極的な目標といって良い。

 それを果たすために、幾つもの魂の器を渡り歩いたフィーネの執念。有史以前からこの星の時間に刻まれた彼女の行動を思えば、気が遠くなるような思いだ。

 長い時を経てなお目的を見失わない強靭さ。何者の犠牲をも―――己自身さえ―――厭わぬ執念。

 自分の立場を弁え、その権謀術数は国家を相手にしても引けをとらなかったほどである。

 これを妄執と断定してしまえるほど、彼女が冷静さを失っていたとも思えない。

 しかし、ここで、相対的に大きな矛盾が生じている。

 

 確かにこの時代に、彼女の願望を叶えるための舞台は整ったといえる。

 だが、それを叶えるために、なぜこの瞬間を選んだのだろう?

 

 彼女の閲してきた時間を思えば、ほんの十数年など誤差に等しいのではないか。

 にも関わらず、これ以上ないほどの不確定要素を孕んだ状況において、彼女は最終計画を始動させてしまった。

 

 フィーネが性急とも思える行動に踏み切った総合的な原因に関しては後述する。

 しかし、おそらくその切っ掛けは…。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

――――――――――――――――― 

 

 

特機部二の発令所の巨大モニターの中で、獅子奮迅の活躍をする立花響がいる。

 

「前回の戦闘データに比べ、立花さんの適合係数が飛躍的に増大しています!」

 

藤尭のその報告を耳にしながら、総司令である風鳴弦十郎は呻いた。

 

「これは、三日会わざれば、というやつか…?」

 

確かに適合係数が高ければ高いほどシンフォギアの戦闘力は増す。

だとしても、響の動きの切れの良さは尋常ではなかった。

 

「色々と吹っ切れたみたいだな。素質はあるとは思ったけれど、こうまでイケるヤツだとは思わなかったぜ」

 

弦十郎の巨漢の隣で、あの天羽奏すら舌を巻いている。

 

「これは、翼ちゃんもクリスちゃんもウカウカしてられないわね」

 

櫻井了子をしても手放し賞賛の様子。

そんな研究部主任に対し、弦十郎は軽く目配せ。

こくりと頷く了子のディスプレイに表示されているバイタルデータ。

響の胃袋には第三聖遺物『ガングニール』が侵食している。それを了子は個別でモニターしているわけだが、顔を上げた彼女はにっこりと笑った。

 

「こちらも大丈夫みたいね」

 

侵食の進行はないみたい―――との無言の続きに、弦十郎は「そうか」とホッと胸を撫でおろしている。

 

つまり、響は非常に安定していると言えた。

それは対ノイズ戦に限らず、新生トライウイングとしての活動にも反映されている。

デビュー当時はあからさまに強張っていた力みも取れた自然体。

加えて、ただひたすらに真っすぐ明るい笑顔は、オーディエンスにとって見ているだけで元気になれてお腹まで空いてくるというオマケ付きである。

結果として、響の人気は急上昇。関連グッズの売り上げも上々。ライブ会場の飲食物の販売量も増加している。

風鳴翼のファンは女性層が多く、雪音クリスは男性層が多い。

ちょうど半々のファン層を誇る響は、それはそれで興味深く、こと新生トライウイングにおいてバランスの取れた存在なのかも知れなかった。

 

では、響が急速に輝きを増している理由は―――。

 

発令所の視線が、モニター前で手を握り締める少女へと注がれる。

小日向未来。

立花響のルームメイトにして、彼女にとっての大親友。

響がトライウイングとしてデビューして間もなく、装者であることも未来にバレている。

結果として、それが功を奏していた。

何も親友に隠し事がなくなった響は、非常に伸び伸びとその自由の翼を羽ばたかせている。

まさに『もう何も怖くない!』状態なのだろう。

逆説的に、普段からどれだけストレスを受けていたんやねん! という中々に怖い考察も成立するわけだが…。

 

そんな未来であるが、特機部二に特別外部協力者としてに出入りを許可されるや否や、率先して響のマネージメントを務めるようになっていた。

放課後、響のダンスや歌のレッスンなどにも、もれなく付随している。

どこで調達してきたのか緒川と同じスーツに眼鏡姿でトライウイングに付いて回る未来は、響が喜んでいるので黙認されていた。

 

「…だが、発令所内への出入りまでは認めたつもりはないんだがなあ…」

 

弦十郎はぼやく。

響がシンフォギアを纏って出撃するのにまでは、さすがに一緒にはいけない。

ならば、響の戦っている姿を見守りたい!

そんな少女の強い思いは、いつの間にか発令所のモニター前の片隅に陣取る形で結実している。

本来なら機密中の機密で、外部協力者でも立ち入り禁止の発令所。

にも関わらず、未来が自分のポジションを確保していることに、弦十郎は疑問と戦慄を禁じ得ない。

こと響に関して、未来は成り振り構わなくなる。

その謎の突破力は、弦十郎を始めとした特機部二内部の大人たちでも太刀打ち出来そうもなかった。

 

(ひょっとしたら未来くんはあの『微笑みの爆弾』に匹敵するスペックの持ち主やも…?)

 

未来を追い出すことを諦め、あらぬ方向へ思考を飛ばす弦十郎がいる。

 

「最後のノイズの一体の殲滅を完了しましたッ!」

 

「お、おう! 装者たちの帰投を急がせてくれ。調査員は残留し、引き続き周辺の警戒に当たるとともに、情報検索を実施しろ!」

 

了解です! と返事をしてくる友里に、弦十郎は、いかんいかん集中しろと己を戒める。

そんな彼は、もう一人の直属の部下が神妙な表情を浮かべていることに気づいた。

 

「どうした、藤尭?」

 

「…いえ。断言できたものでないんですが」

 

渋い声と表情をする藤尭だったが、弦十郎は笑って促す。

 

「構わんぞ。おまえの頭脳を俺は何より信頼している。おまえが違和感を抱いたとすれば、それは俺の違和感だ」

 

言われて、少しだけ顔を嬉しそうに綻ばせ藤尭は報告。

 

「今回のノイズの発生と動きに、何か作為的なものを感じたんです」

 

「作為的、とな?」

 

弦十郎は太い眉を顰める。

有史以来、自然発生してきたとされるノイズ。

しかし、二年前のライブ会場の惨劇や、こと近年の首都圏内のノイズ発生率を鑑みれば、誰かが人為的に召喚しているであろうことは予測されていた。

それを承知して藤尭は続ける。

 

「まるで、ノイズに何かしらの目的意識を持たせようとしているような…」

 

「つまりは“敵”は、ノイズを操る方法を確立したということか?」

 

ノイズは、現れた周辺の人間を無差別に襲う。

超古代の対人兵器と目されるノイズの行動原理と機能はそう解析されていた。

だが、もし仮に、ノイズを戦術的に運用することが可能であれば…?

 

「それは、確かなのか、藤尭?」

 

「すみませんが、オレが感じた違和感からそう推論されるだけで、断言までには」

 

多少自信なさげに項垂れる藤尭だったが、彼の頭脳には過去のノイズの出現パターン、時刻、自壊数、殺害数、種類などといった全てのデータが理路整然と詰め込まれていると聞く。

 

「むう…」

 

難しい顔で腕を組む弦十郎を、自席の櫻井了子は少なからぬ戦慄を持って眺めていた。

藤尭の推測通り、今日のノイズの出現は聖遺物【ソロモンの杖】の実戦を意図したもの。

極力不自然さを排しての戦術行動のようなものを取らせたつもりだったが、その僅かな綻びからたちまち真意を推測されてしまった。

 

(彼奴らめ、侮れぬな…)

 

忌々し気に呟くフィーネに反し、櫻井了子の胸に沸きあがる仲間意識と誇らしさ。

毎度の矛盾する感情を噛み殺し、フィーネは今後の考察を続ける。

 

(米国の要請を突っぱねて久しい。が、さすがにソロモンの杖を渡したことまであの国は言うまい)

 

最終計画の準備がほぼ完了した今、フィーネとしては世界最大の軍事国家とつるんでいる意味も旨味も存在しない。

いい加減に斬り捨てを図っているが、おそらく向うも何かしら感づいているはずだ。

もちろん、その為の対策と準備も怠りないが…。

 

「…君はどう思う、了子くん?」

 

「!? え、えーとなんだっけ?」

 

不覚とばかりにフィーネは臍を噛む。このような不意の問い掛けは、人格のスイッチの切り替えがスムーズにいかず困難なのだ。

狼狽してしまう了子の前を、小柄な影が横切ったのは幸運だったかも知れない。

 

「響が帰ってくる! お迎えにいかなきゃ!」

 

小日向未来が発令所を飛び出していく。

元陸上部仕込みの軽快な走りに、扉もあいたおかげで発令所内の空気も大きくかき回された。

おかげで了子も態勢を整え直すことが出来ている。

彼女は眼鏡を指で押上げながら笑ってみせた。

 

「そうね。響ちゃんたちも帰投してきたみたいだし、その話はみんなで温かいものでも飲んでからにしましょう。ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「響、おかえりッ!」

 

「未来、ただいまッ!」

 

たたたッ、とお互いに駆け寄った二人は、そのまま両手を絡め合っている。

 

「ったく、二人ともお熱いこって」

 

頭の後ろに腕を組みながら奏がぼやいたのも無理もない。

元々帰投した直後を出迎えたくせに、響たちが一旦シャワーを浴びるため別れてからの再会でもこのテンションの高さなのである。

 

「…翼も、最初の頃は出撃して戻ってくるたびにこんなテンションだったよ?」

 

クスクスと笑うクリスがいる。

 

「そうだったか…?」

 

翼はなんだか微妙な表情。

ともあれ、出撃後のお疲れ様会よろしく、装者たち一堂は、本部内の談話コーナーに結集していた。

全員に自販機で購入した飲み物が回され、唯一の非装者である未来はさっそくテーブルの上に置いた箱を開けている。

 

「ちょっとレモンタルトを作ってきたんですけど…」

 

「うわー、美味しそうー!」

 

全力ではしゃぐ響であったが、食欲魔人である彼女は、クリスがそっと持っていたバスケットをテーブル下に隠したのを見逃さない。 

 

「あ、ひょっとしてクリスちゃんも何か持ってきてくれたのッ!?」

 

「え? あの、これは…!」

 

慌てるクリスだったが、

 

「お? 雪音のチーズケーキだろ? 久しぶりだなッ」

 

奏も意外と食い意地が張っていたことを思い出す。

 

「…良かったら」

 

テーブルの上におずおずと手製のチーズケーキを並べるクリス。

 

「クリスちゃんのチーズケーキも、めちゃくちゃ美味しいんだよ~」

 

またまたはしゃぐ響に、未来はにっこりと笑いかける。

 

「どちらが美味しいか、しっかりと味わって食べてね?」

 

優しい声音に、ひっそりと氷の針が含まれていたように感じたのクリスだけだろうか。

思わず助けを求めるように隣の翼を見れば、彼女は二つのケーキを前に葛藤中。

 

「むう。二つも食べればカロリーオーバー。ならば、半々? いやいやさっき戦闘をしてきたばかりだから、多少多く栄養を取っても…!!」

 

「………」

 

肝腎な時に頼りにならない親友から視線を戻し、クリスは自分の前に置かれたレモンタルトを見下ろす。

 

「さあ、雪音さん。どうぞ」

 

未来ににっこり微笑まれては、さすがに遠慮するわけにもいかない。

おそるおそる口へと運べば、蜂蜜とレモンの爽やかな甘みが口いっぱいに広がる。

 

「…美味しい」

 

思わず呟けば、

 

「良かった~」

 

ぱちぱちと手を打ち鳴らして喜ぶ未来。

その無邪気な様は、クリスはさっき感じたのは錯覚かな? と思ってしまうほど。

 

「えーと、小日向さん。良かったらレシピを…」

 

「ごめんなさい。私のレシピは全部響専用だから」

 

未来がにっこりと拒絶。

 

「え?」

 

思わず凍り付くクリス。周囲を見回すも、他の仲間のそれぞれは二つのケーキと格闘中で聞こえていない様子。

 

「はい、響、ケーキお替りどうぞ」

 

「ありがと、未来~!」

 

まるで先ほどのやりとりがなかったかのように喜色満面で響の給仕をする未来がいる。

…さっきのは空耳? ううん、空耳じゃなかったよね?

 

何が何やらまるで訳が分からない。

分からないままにクリスはこう呟くしかなかった。

 

「…こわいよう」

 

 

 

 

 

なお、現時点において

 

 

立花響

 

→風鳴翼  「かっこいい憧れです!」

 

→雪音クリス「可愛い! 大好きです!」

 

 

 

  

風鳴翼

 

→雪音クリス「今日も可愛いぞ!」

 

→立花響  「なかなか見どころのあるヤツだなッ!」

 

 

 

 

雪音クリス

 

→立花響  「うん、頑張っていると思うよ?」

 

→小日向未来「なんか怖い…」

 

 

 

 

小日向未来

 

→風鳴翼  「(部分的に)勝った!」

 

→雪音クリス「ま、負けた…。で、でも響は渡さないもん!」

 

 

 

 

天羽奏

 

「レモンタルトうめー!」

 

「チーズケーキうめー!」

 

 

 

 

 

一部微妙な空気を醸し出すガールズばかりのお茶会は続けられている。

そんな中、レモンタルトとチーズケーキを二切れずつ平らげた天羽奏が顔を上げた。

 

「あ、隊長ッ!」

 

彼女の視線の先。廊下を歩く巨大な姿は風鳴訃堂だった。

 

「む?」

 

足を止めた訃堂の前に、率先して天羽奏が駆け寄る。

 

「隊長が本部にいるのは珍しいじゃん!」

 

続いた翼がペコリと頭を下げた。

 

「お祖父さま、ご無沙汰しております」

 

その横で同じように頭を下げるクリス。彼女にとって訃堂は義理の父に当たるが、響の前でそう口にすればまたややこしいことになるのは目に見えている。

 

そして次にやってきてのはその響であって、彼女も翼に倣って頭を下げていた。

 

「こんにちは、()()()!」

 

奏を隊長と仰ぐ響にとって、奏が師と仰ぐ訃堂をそう呼び分けているらしい。

 

「あの…こちらの方は?」

 

最後の未来がおそるおそる訊ねれば、

 

「ああ、特機部二の前司令だよ、隊長は」

 

「そして私の祖父でもある」

 

「わたしの命の恩人だよ~」

 

三者三用の返答だったが、どれが未来にとって一番有益な情報だったかは記すまでもない。

 

「そうでしたかッ! その節は、うちの響が大変お世話に…」

 

やけに所帯じみた物言いで、それでも深々と頭を下げてくる少女に、さすがの怪物訃堂もリアクションの選択に困っている気配。

そんな未来は、親友を助けてもらった恩義を力に変えて、ここでも謎の突破力を発揮する。

 

「いま、ちょうどみんなでお茶しているんです! 良かったらご一緒しませんかッ!?」

 

 

 

 

 

 

談話コーナーの長椅子の真ん中に訃堂が座す。

その左右に奏と翼。更にその左右に響とクリス。

対面には、甲斐甲斐しく新たなケーキを切り出して、訃堂の前に差し出す未来。

 

両手に花どころではないこの稀有なシチュエーションと光景に、遠目に目撃した特機部二の職員はもれなく卒倒し、施設内モニターで観察した職員の殆どが医務室で神経洗浄を受けたという。

 

そして年ごろの女の子たちに囲まれた訃堂はというと―――苦い表情をしつつ、内心は満更でもなかった。

証拠に、

 

「どうしました、お祖父さま?」

 

「いや、儂ではない儂がどこかで喝采を上げたような気がしてな」

 

「?」

 

声音はいつになく柔らかい。

女子供は、彼にとっての庇護対象である。

極限まで鍛え上げたと仮定して、女性が筋力で男性に勝ることはない。

ゆえに戦いの矢面に立つのは男の仕事であると自認していた。

もっとも完全な男尊女卑思想の持主ではないことは、特撮戦隊シリーズの愛好者であることより明らかであろう。

 

「…おぬしたちには苦労を掛けるな」

 

珍しいことこの上ない労いにも、万感の思いが籠る。

シンフォギアは女性にしか纏うことが出来ない。

生物的に完全体である女性云々との説明も受けていたが、忸怩たるものは拭えない。

せめて弦十郎が、それでなくても儂自身が纏えれば、ノイズなど一顧だにしないのだが。

 

「構わねーよ、隊長。そいつは役割分担ってやつだぜ?」

 

奏が笑う。

 

「シンフォギアを纏えるからこそ、防人として出来ることの幅が増えていると思っています!」

 

意気込む翼に、隣で静かに頷くクリス。

 

「え、えーと、良く分からないけれど、これからも精一杯人助けを頑張りますッ!」

 

ある意味ブレない響の言に、訃堂は深く頷いた。

人を厄災より助け守り抜く人間こそ、防人と呼ばれる存在なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、空前絶後のお茶会より数日後。

クリスは一人、発令所へと呼び出されていた。

 

「“フィーネ”の件だ」

 

開口一番の弦十郎のその言に、クリスは息を飲む。

同時に、発令所には直近の職員しかいないことに気づいている。

 

フィーネ。

 

それは超古代文明の落とし子。

人類史に幾度もパラダイムシフトを齎した英雄。同時に虐殺者。

永遠の刹那を生きる魔女―――。

 

国家間で実しやかに申し送られる超極秘事項。

ノイズの発生との関連性と周辺諸外国の情勢を鑑みるに、現代の舞台裏にもフィーネが暗躍していると弦十郎ら特機部二は推測。

奏、翼、クリスら三人の装者たちにもその情報は共有されていた。

 

「米国からのリークでな。日本国内に、彼女のアジトが存在するらしい」

 

それは、ライブ会場の惨劇はもとより、最近の国内の異常なノイズ発生率の裏付けにもなる。

つまりは、フィーネはノイズを操り、日本国内で何かしらを目論んでいるということだ。

 

今から弦十郎は二課の職員を率いてアジトへ踏み込む予定だという。

突撃に際しノイズの突然の出現も予想される。

その備えに、シンフォギア装者であるクリスへの同道の命令だった。

 

本日、翼はトライウイング再結成前にしていたソロ活動の関連で、イギリスのプロモーターと顔合わせ。

まだフィーネ関連の情報を伝えてない響は本部へ予備待機させれば、残る人選的にクリスしかいない。

 

「わかりました」

 

快諾するクリスに、弦十郎が「では行くか」と司令席から腰を上げその時。

ひたすら明るくおちゃらけた声が響く。

 

「あ、私も一緒に行くわよん♪」

 

櫻井了子が勢いよく手を上げていた。

この申し出に面食らう弦十郎に、

 

「だってフィーネのアジトでしょ? 古代知識や聖遺物関連がいっぱいじゃない」

 

「い、いや、了子くんはまずは安全が確保されてからで…」

 

「それ関連の罠が仕掛けてあるなら、解除するのは専門知識がある人間じゃなきゃ、駄目じゃない?」

 

もっともな物言いに思えて、何かしらの違和感が酷かった。

なにせ、言い出しっぺの櫻井了子が驚いている。

なにより。

 

彼女の中のフィーネが一番驚いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 愛が欲しければ誤解を恐れずに

かつて、特機部二の主要メンバーが集まって話し合ったことがある。

 

「“敵”は、おそらくノイズを操る術を確立しているはずだ」

 

総司令である風鳴弦十郎が重々しく口を開く。

 

世界規模的な見地に立てば、ノイズの発生率は決して高くない。

各国からの報告を分析しても、一般人が通り魔に遭遇する確率より低いのは自明だ。

しかし、ここ数年、こと日本国内においての発生確率は尋常ではなかった。

どうしても偶然とは思えない数値に、背後に何かしらの意図を感じることから、そんな漠然としたものを含めて弦十郎が“敵”と称する所以である。

 

「ん~、その意見には、ちょっち異議ありね~」

 

苦言を呈したのは、研究部主任でありシンフォギア開発責任者でもある櫻井了子。

 

「なんだよ、了子さん。敵なんていないって言うつもりかッ?」

 

気色ばんだのは、当時は訃堂の薫陶を受けたばかりの天羽奏だった。

両親と妹をノイズに殺された彼女にとって、あの悪意を偶然と片付けられてはたまったものではない。

 

「奏ちゃん、そう噛みつかないでよ。私が言いたいのは、ノイズを操る技術ってとこ」

 

「確かに、ノイズを自在に操る術があれば、要人の暗殺とかに事欠きませんね…」

 

フォローのつもりか、さらっと物騒なことを口にする友里あおい。

ノイズが持つ位相差障壁という対物理防御によって、現代兵器の効果は限りなく薄い。

加えて、無機物を透過することも可能なのだから、もし単独で目的別に運用されれば、世界中のVIPは警備体制を一新しなければならなくなるだろう。

 

「そういうコトね。だから敵は、決してノイズを自由自在に操作できるわけじゃない。いわば、爆弾を投げ込んでいるみたいなものじゃないのかしら?」

 

ノイズという爆弾を投下し、破裂させる。

ノイズの量によって被害の範囲はある程度コントロールできるかも知れないが、ピンポイントの標的だけを狙ったり、細かい座標への誘導などが出来るわけではないのだろう。

 

「過去のデータを照らし合わせると、了子さんの仮説が一番しっくりきますよ」

 

藤尭の発言に、了子はにっこりと頷く。

なにせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…へッ。どっちにしろ、見つけたら必ず落とし前をつけさせてやる…ッ!」

 

パチン、と拳と掌を打ち合わせる奏がいる。

ノイズを全てブチ殺すと公言している彼女だ。

もし使役している黒幕がいたとしたら、何を差し置いても許せない相手となる。

その剣幕に、

 

「あら奏ちゃん、怖い怖い」

 

などと空気を読まずに笑う了子がいた。

あまりのあっけらかんとした様子に毒気を抜かれた格好になる奏に、「その意気は買うが、敵の正体が確定されるまはとっておけ」と弦十郎も朗らかに笑う。

 

そんな彼、彼女らが属しているのが、特異災害機動部二課。

日本政府直属の特殊機関でありながら、その雰囲気はとても秘密組織とは思えぬ。

事実、櫻井了子の中に存在するフィーネも首を捻っている。

 

(まったく、剣呑なのか呑気なのかわからぬ連中よ)

 

それをさて置くにしても、現代の依り代たる櫻井了子が、こうも明け透けと自らの手の内を晒す様に、フィーネは違和感を覚えていた。

敵を欺くにはまず味方からよん♪ などと中国の故事を持ち出されても、正直意味不明である。

 

(まあ、良い。生きるには戯れ言も必要だろう)

 

ただひたすら目的のためだけに邁進するのであれば、それは現象と変わらない。

長い年月を経たフィーネだからこそ、人の営みには諧謔は無くてはならないものだと心得ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――だが、これは流石に戯れが過ぎるのではないか?

 

 

時は流れて今日。

フィーネのアジトが発見されたということで、特機部二はメンバーを選定し強襲を掛ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

もはや計画は最終段階へと至り、米国の力も必要とはしない。

研究成果のデータはほとんど破棄し、連中の追及を断ち切るべくアジトである施設には爆薬も設置済み。

あとは踏み込んできた侵入者もろとも、文字通り煙に巻くのがフィーネの算段。

 

想定外なのは、そのフィーネの依り代たる櫻井了子が、まさに現場へ向かおうとした弦十郎らたちに対し、自らも同道を申し出たこと。

自身に対する猜疑の目を逸らすため、という意味においてはこれ以上にない選択かも知れない。

だが、この時の櫻井了子の胸中にあるものは、打算ではなくただの感情。

上位人格として融合しているフィーネとして不可思議なその心の動きは、されど了子本人が一緒に行くと口に出してしまった以上撤回できるわけもなく。

 

(…まあ、良い。いざとなれば)

 

そう考えるフィーネを宿したまま、了子を含めた特機部二のメンバーは車に分乗し岬にある瀟洒な洋館の前へ。

 

「…素敵」

 

見上げて、雪音クリスが感嘆の声を上げている。

 

「そうね。クリスちゃんみたいなお嬢様が住むにはぴったりじゃない?」

 

にこやかに了子は言う。

 

「…そんな! わたしは別にお嬢様なんかじゃ…!」

 

あからさまに狼狽えるクリスに対し、弦十郎は屈託がない。

 

「ふむ? クリスはこんな洋風の建物の方が好みなのか?」

 

「だから別にそういうことじゃなくて…」

 

凄まじい身長差でじゃれあうきょうだいだったが、部下からの「準備が出来ました」との声に弦十郎の表情は一瞬で引き締まる。

 

「クリス、油断するなよ」

 

「兄さんこそ、気を付けて」

 

そんな二人のあとに続き、了子も洋館の前に立つ。

 

「―――クリア」

 

先行している部下は、調査部の緒川仕込みだ。

実に精密かつ慎重な手つきで、屋敷の中のクリアリングを行っていく。

 

「…正直、もっと研究施設的なものを想像していたのだが」

 

リビングともホールともつかない広い部屋の中心に立ち、弦十郎はそう呟く。

高い天井にはシャンデリアが輝き、テーブルなどの調度も一級品だ。

このまま迎賓館としても機能しそうな内装は、フィーネのアジトとして似つかわしいものなのだろうか?

 

「まあまあ。この手の場所は、地下に研究設備があるってのがお約束よん♪」

 

陽気に断言する了子の声を、フィーネは影でせせら笑う。

 

「なるほど。まあ、悪の秘密結社というものも大抵そうだな」

 

一人納得してうんうんと頷く弦十郎に、フィーネは影で鼻白む。

 

そんな中で、クリスは油断なく周囲に視線を飛ばすも、やや気はそぞろだ。

弦十郎の言った通り、内装は豪華絢爛なうえ、クリスもそこはそれ乙女である。

アンティーク家具や、そこに飾られているマイセンの絵皿などに興味をそそられている様子。

それに、何か異常があれば真っ先に反応するであろう弦十郎が落ち着いているのだ。

クリスの中で年相応の好奇心が鎌首をもたげたのも、裏を返せば弦十郎への信頼の現れに他ならない。

 

全く見た目が隔絶したきょうだいを、笑顔で眺める了子がいる。

ただし、眼鏡のフレームの奥の瞳は笑っていない。

何かを見定めるように、了子はきょうだいたちへと近づく。

向うもこちらへ近づいてきて―――まさに、今が絶好の位置。

綺麗に三人の立ち位置が正三角形を描いたその瞬間に、了子は起爆スイッチを押す。

 

爆音と爆風が吹き荒れる最中で、弦十郎はその太い腕を二人へと伸ばす。

 

「クリス! 了子くん!」

 

右腕でクリスを胸に掻き抱き、しかし了子も抱き寄せようとした左腕は宙を掴む。

 

「ッ!?」

 

崩落する視界に呑まれて消えた白衣姿に、弦十郎はクリスを抱きしめたまま息を呑むしかない。

落ちてきた天井を手で支え持ち、土埃が収まるのを待つ。

視界が晴れるのを待たず、弦十郎は悲壮な誰何の声を放つ。

 

「了子くんッ! どこにいるんだ、了子くん!」

 

返答はない。

その替わりに、前方の中空に浮かぶ人影が。

 

「…了子さん?」

 

この声はクリスのもの。

クリスの視線を辿り、弦十郎も見た。

何やら鎧のようなものを纏って宙に浮かぶ櫻井了子の姿を。

 

「了子くん、君は一体…ッ!」

 

弦十郎のあまりに月並みな台詞から、彼がいかに動揺していたのか伺い知れる。

 

宙に浮かび、瞼を閉じたまま櫻井了子はうっすらと笑う。

髪留めを外し、盛られていた髪が大きく背中へと滑り落ちている。

 

『弦十郎くん』

 

間違いなく櫻井了子の声だった。

しかし、まったく別人のような違和感を抱いたのは弦十郎だけだったのか?

 

『―――カ・ディンギルで会いましょう』

 

「了子くんッ!」

 

こちらに向かって一歩踏み出してくる弦十郎に、了子は目を見開いた。

黄金の瞳に、唇に皮肉げな笑みが浮かぶ。

そのまま鎧姿の彼女は、崩落した天井の隙間から空へと飛んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地下施設を全て吹き飛ばすほどの爆発の中でも、調査に赴いた防人たちはみな無事だった。

しかし、弦十郎を始めとした帰投した全員が、一様にして沈痛な表情を浮かべている。

 

「…マジで了子さんが黒幕だったってのかよ…?」

 

奏が茫然と呟く。黒幕をぶっ殺すと息巻いていた彼女をしてこの反応。

受けた衝撃の深さはただ事ではないのだろう。

それは他の装者や職員も同様だ。

 

「…本当に櫻井女史が…?」

 

駆け付けた翼も弦十郎へ訴えている。

 

「俺も信じたくないが…おそらく事実だ」

 

答える弦十郎の表情は苦渋に満ちている。

櫻井了子を同僚として心底信頼していた。同じ釜の飯を食った仲間だと思っていた。

彼女が裏切っていたなどと、信じたくなかった。

 

だが、同時に彼女が裏切り者であるとすれば色々と腑に落ちる部分も出てくるものだから、弦十郎はますます憮然としてしまう。

 

ノイズをバラ撒く黒幕の存在を肯定しつつ、その情報を精査する立場に本人がいた。

自身に疑惑の目が向かないよう、いくらでも調整できたことだろう。

そして、ネフシュタンの鎧の強奪に関しても、こちらの手を全て読まれていたに違いない…。

 

「カ・ディンギルという単語を検索していますが、ゲームの攻略サイトぐらいしかヒットしませんね…」

 

自席のPCを操りながら藤尭は言う。

おそらく櫻井了子とコミュニケーションを取る機会が多かった彼は、一般職員より動揺していただろうが、業務をすることにより平静を保とうしているフシが見受けられた。

 

「司令。了子さんの専用端末にこのようなデータが」

 

友里も同様に職務に邁進することで己を律しているらしい。

弦十郎はモニターに表示された文字を読む。

 

「『カ・ディンギル―――古代シュメール語で「高み」を意味し、転じて空を仰ぐ高い塔を意味する』か…」

 

呟きはそのまま疑問へと変化する。

そのカ・ディンギルとは結局のところどの場所や建物を指しているのだ?

そして、別れ際の彼女の台詞『カ・ディンギルで会いましょう』の真意は?

 

「師匠~ッッ!」

 

更に思考を勧めようとした弦十郎の耳に、未来を伴った立花響の声が飛び込んでくる。

 

「さ、さっき電話で聞いたんですけどねッ! 了子さんがせんしぶんめい? の巫女とか、裏切ったとか、どういうことなんですか!?」

 

「ああ…」

 

そういえば、響くんに対しては、フィーネの情報を下ろしていなかったな。

思い出した弦十郎は、改めて現状も含めて説明を行うことにした。

それはとりもなおさず、発令所に集められた職員の意識をまとめることになる。

 

 

 

 

 

「…つまり、了子さんはノイズを操ったり、聖遺物を強奪したり、色んな事件の犯人だってことなんですかッ!?」

 

「おそらくその可能性は高いと思われる」

 

「そんなの信じられませんッ! 了子さんの中にいるフィーネって人に操られているだけじゃあ…ッ!!」

 

「………」

 

響の指摘は純粋だ。だけに、ここに集まった全ての人間の心に突き刺さる。

あの陽気で屈託のないキャラクターが、すべて操られていたものとは思えない。あれこそが唯一無二の櫻井了子のパーソナリティだろう。

だがそう肯定することは、今までの事件の数々に、櫻井了子自身の意思が関わっていたことの証明にもなってしまう。

 

「じゃなきゃおかしいですよ! ノイズを操るのに、ノイズを倒すシンフォギアを作るなんて矛盾してますッ!!」

 

「ッッ!!」

 

今度の響の声に、弦十郎は精神の中で大きく仰け反っていた。

彼女の指摘を鑑みれば、了子の行動に一貫性がなくなる。これは了子が操られていた証拠と言えるかも知れない。

だが、それも踏まえて更に考えを推し進めれば、豪胆な弦十郎をして戦慄を覚えずにはいられない。

 

よもや、シンフォギアの作成すらフィーネの掌の上なのか―――?

 

もしこの仮説が正しければ、今後の戦闘行動そのものが大きな危険を伴うことになる。

 

「そ、そうだッ! あれは了子さん本人じゃないんじゃねえか!? 了子さんに似せて作られたロボットのニセ了子とかッ!! そう、サロメ星人が作ったみたいによッ! 」

 

「あ、ああッ、それは俺も考えなくはなかったが…」

 

良く分からない会話を始めた奏と弦十郎を、友里は冷ややかに一瞥。

 

「さっきロストするまでのモニターしていた生体情報は間違いなく了子さんのものよ?」

 

「…すまん、取り乱した」

 

珍しくバツの悪そうな顔つきになる弦十郎の前に、おずおずと進み出てくる小柄な影がある。

何やら深刻そうな表情のクリスだった。

 

「わたしは、了子さんはフィーネであって、フィーネは了子さんでもあるんだと思う…」

 

「ふむ」

 

根拠は? などと弦十郎はクリスに問わない。

自覚はないのだが、彼はこの義妹に対し無条件な理解を示すことがしばしばある。

 

「つまりは融合している、ということか?」

 

「けれど、必ずしも一つに混ぜ合わさっているわけじゃなんじゃないかな? だから行動にも一貫性が感じられなかったり…」 

 

そのクリスの言に、発令所の全員がハッとした顔になる。

真実は未だ分からない。

だけに、クリスの言った通りに定義すれば、この段階で櫻井了子は明確な裏切り者とは言えない。

仲間意識と感情の板挟みになるくらいなら、一旦そう考えて思考を棚上げした方が建設的なことに皆が気づいたのだ。

 

「なるほど。了子くんの意識上にフィーネが浮き沈みしているというわけか」

 

「わたしもクリスちゃんの意見に賛成ですッ!」

 

食い気味でクリスの意見に乗っかってくる響。

 

「それでなくても、了子さんはわたしのお腹からガングニールの欠片を取り除いてくれるって約束してくれたんですよ…ッ!」

 

半ばべそをかく響の肩にそっと手が載せられた。翼だった。

 

「私もクリスと意見を同じくします。櫻井女史の中にフィーネがいるのならば、引きずり出して成敗してやりましょうッ!!」

 

敢えて芝居がかった台詞を口にしているのも、皆の気持ちを鼓舞するためだろう。

 

「良く言ったタチバナ隊員ッ! 闇落ちした仲間を助けるのはヒーローもののお約束だからなッ!」

 

グシグシと響の頭を掻きまわす奏の台詞に関しては、誰も突っ込むものはいなかった。

 

ここに至り、弦十郎の表情から迷いが吹っ切れる。

 

「よしッ! 当座の目的は了子くんの行方の捜索と身柄の確保だッ!」

 

力強く突き出した手に、発令所内の職員の全てが動きだす。

『フィーネ』と言及しないのは、弦十郎もあくまで了子を仲間として認識しているゆえ。

にわかに活気を帯びた発令所の中で、装者たちも気合を入れる。

そんな中、ただ一人クリスだけが浮かない顔をしているのに、弦十郎は気づく。

 

「…どうした?」

 

優し気に弦十郎は尋ねた。

了子が遁走した瞬間に自分と一緒に居合わせた彼女が、おそらく一番ショックを受けているのだろうと見当をつけての声音。

声をかけられたクリスは、予想通り何か言いにくそうにモジモジとしている。

それでも覚悟を決めたように顔を上げると、おずおずと訴えてきた。

 

「兄さん。了子さんはきっと―――」

 

その語尾に、「司令ッ!」と部下の呼び声が重なる。

 

「おう、きっと俺たちの手で正気に戻してやろうッ」

 

名残惜し気に言いおいて、足早で弦十郎はクリスの前から身を翻してしまう。

 

「あ…ッ!」

 

クリスは手を伸ばし、後を追おうとしてその足は二、三歩進んだところで止まった。

なぜ、言わなきゃ、と思ったことを中断してしまったのだろう?

それは彼女自身にもよく分からない心の動き。

 

誰でも自分のことは良く見えないものだ。

反面、他者の心理の方が良く見えることも往々にしてある。

 

クリスとて、純粋培養温室育ちのお嬢様というわけではない。

年相応にラブレターを貰ったこともあるし、クラスの女子とも恋バナにも興じている。

少女漫画だって読むし、恋愛ドラマだって嗜むのだ。

 

そんな彼女をして、櫻井了子が風鳴弦十郎へ好意を抱いてであろうことを薄々察していた。

普段の了子の言動が言動である。おそらく特機部二でもわずかな女性陣しか感づいていないだろう。

 

であればこそクリスは気づいてしまう。

なぜ櫻井了子があの時あの場所で、己の正体を晒す行動に出たのか?

 

「…あの時、わたしと了子さんは、兄さんのすぐ側にいた…」

 

小声でクリスは呟く。

爆発する瞬間、まさしく二人は弦十郎からそれぞれ等距離に立っていた。

弦十郎がまっさきに二人を庇おうとしたのは当然として、彼が一番最初に手を伸ばしたのはクリスだった。

了子は生身で、クリス自身はシンフォギアを纏えるというのに。

つまり、風鳴弦十郎にとって、優先順位が高いのは…。

 

そこまで考えて、クリスはぶんぶんと首を振る。

 

(ううん、きっと兄さんのことだから、わたしを子供だと思って…)

 

常日頃、大人と子供の対比を用い、装者たちに気を遣う言動をする弦十郎だ。

まずは何より子供を守ろうとクリスを優先した可能性が高い。

 

だが、了子=フィーネはそうは取らなかった。

彼女は、相手が自分を一番大切なものと認識していないことを悟る。

ゆえにきっぱりと未練を断ち切る意味でも、正体を晒し袂を分かつことを選択したのではないのだろか…。

 

(なら逆に、兄さんが了子さんの方へ先に手を伸ばしていたら?)

 

櫻井了子は今も発令所で仲間たち朗らかに笑いを交わし合っていたのだろうか。

そんな彼女は、笑顔で弦十郎へと歩みより、弦十郎もそんな彼女を受けいれて笑っている。

周囲から「お似合いだよ」と囃し立てる祝福の声。

それは平和で、微笑ましくて、安心できる光景だった。

 

(―――なのに、なんでだろう。胸が痛い…)

 

「どうしたのクリス?」

 

気づけば、翼が心配そうにこちらを覗き込んできていた。

 

「う、ううん。なんでもないよ?」

 

応じた笑顔と裏腹に、クリスはさっきまでの推論を全て胸の内へ納めることを選択する。

その際に生じた後ろめたい思いと甘痒い痛みは、今まで生きてきて初めて感じたもの。

 

クリスは翼に手を引かれ、大人たちへと背を向ける。

自身の中に生まれた感情の呼び方を、まだ彼女は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 どんな危険に傷つくことがあっても

 

 

突如東京上空周辺に出現した四つの大型ノイズの巨影に、発令所内にアラートが鳴り響く。

 

「目標は、東京スカイタワーのようですッ!」

 

藤尭の報告に弦十郎は眉を顰める。

 

「カ・ディンギルが塔を意味するとすれば、スカイタワーはまさにそのものではないでしょうかッ?」

 

「スカイタワーは、俺たち二課が活動している動画、電波情報制御を統括する役割を担っている…か」

 

自分に言い聞かせるようにそう呟いてから、弦十郎は改めて待機していた装者たちへと命令を飛ばす。

 

「よしッ! 装者全員、スカイタワーへと急行せよッ!」

 

「了解ッ!」

 

翼を先頭に、クリス、響とその後に続く。

輸送用ヘリの発進も指示しつつ、弦十郎は今度は胸中で呟いた。

 

(例え罠だとしても…ッ)

 

一方で、特機部二の司令として、ノイズを倒すことだけが仕事ではない。

 

「避難命令の発令に併せ、自衛隊と協力して市民のシェルターへの避難誘導を行えッ!!」

 

大型飛行ノイズから投下された無数のノイズが、数え切れぬほどの光点となってモニターいっぱいに広がっている。

 

「了解ッ!」

 

「第十八区より第二四区のシェルターを緊急解放開始しますッ!」

 

あっという間に鉄火場と化した発令所内で、自分の立ち位置が定まらない少女が二人。

一人は小日向未来で、聡い彼女はオペレーターたちの邪魔にならないよう部屋の隅でじっとしている。

ただ、その双眸だけが心配そうにモニターへと注がれていた。

もう一人は天羽奏で、弦十郎は彼女に対し声を掛けている。

 

「おう、奏ッ」

 

「なんだ、どうした旦那ッ! なんでも言ってくれッ」

 

応じる奏は待ち構えていた猟犬のように獰猛かつ嬉しそう。

意気込む彼女に苦笑しつつ、弦十郎はその肩に腕を回すようにして声を潜める。

 

「済まないが、今から親父を連れてきてくれないか?」

 

「隊長を…ッ?」

 

てっきり出撃を命じられると思っていたのかやや拍子抜けした表情になる奏。

 

「うむッ。今なら親父は鎌倉の屋敷にいるはずだ。ヘリを出そうにも今は対ノイズに集中しなければならん」

 

「道路だって渋滞しているぜ?」

 

「そこはそれ、おまえのドラテクでなんとかなるだろう?」

 

ニッと弦十郎は笑ってから、

 

「―――頼む」

 

一転して真剣な表情で訴えている。

そしてこの意気に応じない天羽奏など、天羽奏ではない。

 

「分かった。確かに引き受けたさ」

 

この期に及んでなぜ? などと奏は問わない。

しかしこの先待ち受けるだろう修羅場の予感に軽く身震いした彼女は、つかつかと杖を突きながら発令所を飛び出していく。

 

それを見送った弦十郎だったが、彼をして訃堂を頼る明確な理由もまた存在しなかった。

ただ彼の野生の勘だけが、実父の力を借りる機会があるやも知れぬ、そう告げている。

 

思えばこれが分水嶺の瞬間だったのかも知れない。

後年になり、弦十郎はしみじみと回想する。

もしあの時、親父を呼んでいなかったらどうなっていただろう?

もちろんそう思いを馳せたとて過去は変わるはずもなく、先述した通り遥か未来の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

装者たちを載せたヘリコプターは、スカイタワーを目指し疾走する。

巨大な飛行ノイズはそのまま大型輸送機の役割を担うように、無数のノイズの投下を続けていた。

 

「なんてことを…ッ!」

 

逃げ惑う人々たちを眼下に、翼はキッと唇を噛む。

 

「もう十分です! 我らはここで降下しますッ!」

 

ですが…ッ! と懸念を示すパイロットの言動を無視し、翼はドアを開け放つ。

吹き込んでくる風に負けないよう、後に控える二人へ檄を飛ばす。

 

「クリスッ、立花ッ! 打合せ通りにいくぞッ!」

 

「了解だよ、翼!」

 

「わっかりましたッ!」

 

次の瞬間、三人は三つの大いなる翼となって宙へと舞っていた。

響く聖詠。

シンフォギアを纏う光を流星のように棚引かせ、すかさず翼は抜刀。

 

「《蒼ノ一閃》!!」

 

長大な斬撃波が、今まさに人に覆いかぶさろうとしていたノイズの群れを薙ぎ払う。

 

「うぉおおお!!」

 

響も空中でノイズの数体を蹴り渡りながら地面へと着地。

 

そんな二人に狙いを定めたように飛行型ノイズが襲い掛かる。

槍状に変形した鋭い降下攻撃は、更に鋭い斜めからの矢じりで射貫かれた。

 

「空中の敵は任せてッ!」

 

アームドギアである弓に矢を番えながら、クリスは一人高層ビルの先端へ立つ。

 

「任せたッ!」

 

ニヤリと笑って翼は地を這うノイズたちに縦横無尽に刃を振るう。

空中のノイズの存在を全く無視しているのは、クリスに対する絶大な信頼の現れに他ならない。

 

「クリスちゃん、無理しないでねッ!」

 

そんな声を上げつつも、響の動きも一言で表せば獅子奮迅。

見る見るノイズは蹴散らされていくが、ともかく広範囲に投下されたノイズを一気に殲滅させるのは物理的に不可能だ。

もっともノイズには自壊機能が存在するため、ある程度の時間を持ちこたえればその数も減るだろう。

だとすれば問題は―――。

 

クリスはキッと宙を睨む。

大型空中ノイズは、いまも淡々とノイズをばら撒き続けている。

 

「ならば―――元から断つだけッ!」

 

胸の奥の生じた新たな甘痒い気持ち。

自分でも今まで感じたことのない、それでも温かい感情。

その正体は分からねど、クリスは自身の中のフォニックゲインがかつてないほど高まっていることに気づいている。

全身が高揚していくままに歌を唄い、その力を両手のアームドギアへと収束させていく。

弓型のそれは、さらに節を伸長し、同時に番えるための矢も長大化。

 

今ならやれる! 出来る気がするッ!

 

翼と日々鍛錬を重ねて考案してきた《SOUL STEAL BLADE》に続く第二の絶技。

 

ギリギリと矢を引き絞り、裂ぱくの気合とともにクリスは放つ。

 

「《GOLDEN ALLOW》!!」

 

キサイガイヒメの神話になぞらえた一撃は、的確に大型飛行ノイズの一体を射貫いた。

だがその一撃はそれだけにとどまらない。

射貫いた勢いはそのままに、黄金の軌跡を残しながら、他の大型飛行ノイズも次々と撃沈していく。

そしてトドメとばかり太陽を目指すように垂直上昇し、散華。

飛び散った黄金の光のそれぞれが小さな矢となり、空中に展開していた小型の飛行ノイズに襲い掛かれば、見上げる先には澄み切った空が望めるのみ。

 

「…すごい…ッ!!」

 

響はあんぐりと口を開け、

 

「さすがだな、クリスッ!」

 

翼は我が事のように喜びを露わにする。

取り合えずの脅威が去ったかに見えて、急遽着信音を奏でたのは響の腰の変身デバイス件通話端末。

ディスプレイに表示された名前を見て、響は血相を変える。

 

「どうしたの、未来!?」

 

『響ィッ!? 今、リディアンがノイズに襲われて…ッッ!!』

 

そこで通信は断絶。

すかさず翼は自身のギアの通話デバイスを使用するも不通。

 

「…本部がノイズに襲われているのかッ!」

 

即ちそれは、自分たちの学び舎であるリディアン音楽院が襲撃されているということ。

そもそもの本部は地下にあるにせよ、学院にはまだ生徒たちもいたはずだ。

シェルターへの避難誘導などを行っているのは間違いないが、ノイズに対抗できるシンフォギア装者は今ここに全員揃っている。

 

未だ地上に落ちたノイズは殲滅しきれていない。

翼はリーダーとして叫ぶ。

 

「行って、クリスッ! この場は、私と立花でなんとかするッ!」

 

空中のノイズが殲滅された以上、イチイバルの遠距攻撃能力は必須ではない。

単純に戦闘能力のバランスとしても、リディアンにいる奏のフォローをクリスに任せ、まだ戦闘経験の浅い響と自分が組んだ方が良いとの翼は判断を下す。

加えて、場所的にクリスが一番リディアンに近かった。

 

「…分かったッ!」

 

翼の意思をクリスは一瞬で理解する。すかさず身を翻す赤いシンフォギア。

名残惜し気に見送った響を翼は叱り飛ばす。

 

「小日向が心配なのはわかるが気を散らすなッ! さっさとこちらのノイズを倒してクリスのあとを追うぞッ!」

 

「…はいッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第七隔壁が作動しませんッ!」

 

「予備回路を使えッ! 避難誘導を急がせろッ!」

 

特機部二の発令所内に、矢継ぎ早の指示を仰ぐ声と命令が飛ぶ。

翼が懸念を示した通り、ノイズに有用なシンフォギア装者は今は本部に存在しない。

となれば、出来ることはひたすら防衛に徹するしかないわけだが、ノイズの物量の前には駆けつけてきた自衛隊の隊員たちも後退を余儀なくされている。

それでも装者が戻って来てくれれば。

 

唯一の希望を胸に、特異災害対策部は一丸となって被害を最小に留めるために奮戦中。

ほぼすべての職員の意識が外である地表に向けられる中、本部地下の最奥の通路を進む影がある。

亜麻色の髪に黄金の鎧をまとった櫻井了子――もとい永遠の刹那を生きる巫女フィーネだ。

 

「―――待て」

 

その声に、フィーネは悠然と振り返る。口角はわずかに吊り上がったのは、声をかけてきた相手が誰であるか承知しているからに他ならない。

 

「ほう。いつ気付いた?」

 

薄く笑ったままのフィーネに、

 

「世迷言を」

 

総司令風鳴弦十郎は言下に吐き捨てる。

 

「スカイタワーへの誘導自体、欺瞞だとは気づいていた。本部を急襲するに至って確信したさ」

 

今まで明確に特機部二に対した攻撃行動を取ってこなかったフィーネだ。

となれば、この急襲自体もフェイクであり、フィーネの目的は別に存在するのは自明。

 

「俺たちだって馬鹿じゃない。いと高き塔、カ・ディンギル。だが地上には目ぼしいところにそんな高い構造物は存在しない。ならば―――地下ならばどうだ?」

 

そう告げる弦十郎の背後から、スッと緒川慎次が姿を現す。

黒服の腹心より、わざとらしく書類を受け取って弦十郎は軽く視線を走らせる。

 

二課(うち)の情報の流出に資材の私的流用。大元の設計段階から従事者にも疑問を抱かせずこれほどのものを建築するとはな」

 

リディアン音楽院から特機部二本部へ至る長大なエレベータシャフト。

秘密裡に調査させていた緒川の報告を受け、弦十郎はこれこそがカ・ディンギルであると確信する。

 

であればこそ、彼は疑問に思わずにはいられない。

 

『―――カ・ディンギルで会いましょう』

 

なぜに彼女はこのようなヒントを口にした?

ゆえに弦十郎は、疑問を声音に乗せて相手へと向けた。

 

「いったいこのような塔を使って何をしようというのだ? なあ、了子くん…」

 

「私をその名で呼ぶなッ!!」

 

弾けた怒気は、フィーネ自身も驚くほどの大音声。

 

「私は永遠の刹那を生きる巫女、フィーネ! 櫻井了子だと? あやつの精神は私が全て喰いつくしたわッ!」

 

断言した台詞は欺瞞。事実として、フィーネと櫻井了子の意識は、未だ一体となっていない。

互いの記憶や認識を、上位人格であるフィーネが支配下に置く格好だが、抱え込んだ思惑や細やかな感情の機微まで知りえるわけではない。

決して櫻井了子の全てを知悉できるわけでもないのだ。

 

無論、感情も一体化していない。

が、感情だからこそ共有しやすく、引きずられることが往々にして存在する。

つまるところ今のフィーネの怒りの根源は、櫻井了子のものであると断言しても良い。

そのはずなのに、フィーネ自身も完全に激怒していた。

自分でも不制御な怒りを、やんぬるかなとばかりにフィーネは権能に乗せて振るう。

クリスタルを連ねたムチ状の必殺の一撃は、硬質の床を豆腐のように抉り迫る。しかしあっさりと弦十郎の拳に弾かれた。

 

「ならばッ!」

 

次にフィーネが構えたのは、秘匿していた『ソロモンの杖』。

一度起動さえしてしまえば、誰の手によってもノイズを自在に召喚し操ることが可能な完全聖遺物。

この場にシンフォギア装者が存在しない以上、相手が人間であれば必殺の切り札になる。

そう。

相手が()()()()()()()()

 

「そおいッ!」

 

床の瓦礫の一つを弦十郎は蹴り上げる。

浮かんだそれに更に回し蹴りを当てれば、銃弾に等しい威力で飛んだそれはフィーネの手から杖を弾き飛ばす。

 

「ちいッ!」

 

弾かれた杖がそのまま天井へと突き刺ささるのを横目に、フィーネは飛び込んできた弦十郎の攻撃を躱した。

ギリギリで躱したはずの一撃は、ネフシュタンの鎧の表面に盛大な亀裂を生じさせている。

見る見る修復されていく完全聖遺物の能力を把握してなお、フィーネは弦十郎の膂力に戦慄していた。

かつての風鳴訃堂の活躍を目の当たりにしていたからこそ警戒したのが功を奏している。にも関わらず、この威力。

 

(やはりかつてのアヌンナキによる人類創生の際のイレギュラー因子の発露か…?)

 

研究者らしき見識が脳裏を掠めたのも一瞬のことで、フィーネには対抗策が存在した。

出鱈目で規格外な風鳴一族を間近に観察してきた果ての、この場における最適解。

 

フィーネは、二本の鎖を天井へと向けて放つ。

 

「くらえッ!」

 

天井を潜り進んだ鎖の一撃は、身構える弦十郎の斜め後方から射出。

 

「むッ!?」

 

死角からの一撃を難なく弾く弦十郎。

弾かれた鎖は天井へと引き戻され、また見えない角度から襲い掛かる。

苛烈な攻撃ではあるが、とても弦十郎へとダメージには繋がらない。その場に足止めするのが精々だ。

ゆえに間断ない攻撃の一瞬の隙を突き、弦十郎は床を蹴る。

盛大に抉った床の欠片を後に、弦十郎は猛スピードでフィーネへと肉薄。

 

「正気に戻れ、了子くんッ!」

 

固めた拳が狙うは、この期に及んで剥き出しの顔面ではなく鎧の中心。

だが、その拳が届くことはなかった。

天井の崩落音と、拳がピタリと止まったのはほぼ同時。

瓦礫とともにフィーネの目前に落ちてきたものに、弦十郎は戦慄する。

 

「弦十郎さん……!」

 

鎖に絡めとられ、苦し気に訴えてくるのは小日向未来だった。

先ほどのフィーネの天井からの攻撃自体が一種の陽動。

二本の鎖を駆使したと思わせておいてその実は一本の鎖の攻撃に終始し、もう一本は密かに床を抉り続け、発令所にいた未来のもとへ。

 

「…くッ」

 

弦十郎は拳を納めざるを得ない。

人質が、仮に特機部二の職員の誰かであれば、弦十郎は拳を引かなかっただろう。

ここに集められた大人の誰もが防人としての気構えを持っており、少なくとも職務に準ずる覚悟を持っているはずだ。

だが、小日向未来は違う。彼女は普通の一般人だ。

加えて、親友である立花響のことも鑑みれば、弦十郎にとってこれほど有用な人質はいないだろう。

 

「………」

 

弦十郎は数歩下がって距離を取る。

背後で銃を構える緒川にも手を振り、下げさせた。

それから安心させるよう、朗らかな笑顔を未来へと向ける。

 

「安心しろ、未来くん。絶対に助けてやるからな」

 

涙目で震える未来を手元に、フィーネは己の策が成ったことを確信。

 

「ではまず、キサマの端末を渡して貰おうか」

 

デュランダルの格納されているエリアは最機密だ。櫻井了子のアクセスIDは凍結されているだろうから、弦十郎のものを活用するつもりである。

 

「…分かった」

 

懐から取り出した携帯端末を、床の上を滑らす形で渡してくる弦十郎。

それを足で受け止め、フィーネは次の要求を示す。

 

「いいか、そこを動いてくれるなよ?」

 

出し抜けの鎖の一撃が弦十郎を襲う。

赤いシャツが破れるも、しかし弦十郎の肌には傷一つついていない。彼の得意とする硬気功である。

 

「その妙な技を使うなッ!」

 

いらただしげに言ってのけるフィーネに、弦十郎は溜息をついてその場にどっかと胡坐をかく。

 

「…好きにしろ」

 

再び鎖が振り下ろされた。

肉が弾け、血飛沫が天井を染めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駆け付けたリディアン音楽院では、自衛隊による必死の遅延後退が行われていた。

 

「…酷い」

 

いくつもの炭化した塊は、かつて人だったものの馴れの果て。

すかさずクリスは己の中の歌を高め、次々と矢を射っていく。

どうにかノイズの姿が見えなくなるほどに討ち散らかしたあたりで、通信モジュールに発令所からの声が。

 

『クリスちゃ……司令が…地下………ッ」

 

未だ通信妨害は完全に払拭されていないらしい。途切れ途切れの通話から、クリスは明敏な頭脳と勘を存分に働かせる。

 

総司令である弦十郎が地下へと出向いた。

元々特機部二が地下にある以上、更に地下といえばデュランダルといった完全聖遺物、人類にとってのオーパーツを厳重に封印する保管施設を指しているのは間違いない。

そして、かつて聖遺物の一つであるネフシュタンの鎧は強奪されており、デュランダルの起動に際し特機部二も最大限の警戒態勢を敷いた過去がある。

そして、ネフシュタンの鎧を強奪したのはフィーネである以上、きっと弦十郎はそれを迎え撃つべく発令所を離れたに違いない。

 

クリスは学園内に駆け込む。

屋内に残ったノイズを蹴散らしながら彼女が辿り着いたのは、本部へ直通するためのエレベーターの前。

しかしボタンを押すも、エレベーターの動く気配はなかった。

時間が惜しいとばかりにクリスは扉をこじ開ける。

案の定そこにエレベーターは存在せず、下も見えないほど深いシャフトから吹きあがってくる風がクリスの前髪を揺らした。

 

「えいッ!」

 

躊躇うことなくクリスはシャフトに身を躍らせていた。

長い髪をなびかせて、スカイダイビングのように地下の奥深くへと落ちていく。

その過程で、普段は目の前を通り過ぎていくだけのシャフトの内部に、クリスは不思議な感覚を味わう。

最先端の科学を用いられているにも関わらず、その壁面に描れた紋様からは多分にエキゾチックというか呪術的なニュアンスを感じる。

 

…いけないいけない。今は、一刻でも早く駆けつけることに集中しなきゃ。

 

自戒を込めてそう呟きつつ、クリスは義兄である弦十郎の能力に全幅の信頼を置いている。

おそらくあの兄に勝てる人類は存在しないのではないか。

にも拘わらず、不思議とクリスは胸騒ぎを覚えていた。

ざわつくその感覚は、かつて覚えがあるもの。

そう、風鳴翼と天羽奏が初めて一騎打ちしたときのような―――。

 

「やッ!」

 

空中で矢を真下へ射出し落下スピードを殺す。

更に壁面に突き刺して、それを踏み折りながら柔らかく最下層へと着地。

砕けた矢の粒子を纏いながら、クリスは正面の通路を疾駆する。

確か、このまま真っすぐ行けば、デュランダルの保管されている場所につくはず。

 

「ッ!?」

 

クリスの足が急停止する。

スミレ色の瞳が大きく見開かれ、通路の真ん中に倒れ伏したものを見つめていた。

 

そんな、まさか…ッッ!!

 

それが何であるか理解した瞬間、彼女の口も大きく開かれた。

余りにも想像外の光景に、声なき悲鳴が迸る。

 

兄さん……ッ!

 

床には弦十郎が横たわっていた。

トレードマークである赤シャツも、着ているのか分からないほど全身を血に染めて。

 

驚愕に震えるクリスの視界に、こちらに半身を向けたフィーネの姿が映る。

その姿を認めた刹那、クリスの中の怒りが着火した。

かつて翼を守るために奏へと向けたものと同様に。いや、それ以上の激しさで。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

彼女の中に秘められた最も狂暴な本能。

原初の怒りを剥き出しにし、クリスは弓を引き絞る。

幸か不幸か、彼女の迫る角度からは人質にとられた小日向未来の姿が見えなかった。

ゆえに復讐の一撃は、遠慮呵責のない全力全開。

 

「なんだとッ!?」

 

気付いたフィーネでさえ一瞬飲まれかけるクリスの怒りの攻撃。

文字通りの矢継ぎ早に繰り出される攻撃は、人質を提示する暇さえ与えてくれない。

 

「くッ! 差し出がましい小娘風情がしゃしゃり出おってッ!」

 

鎖で迎撃するフィーネもまた、怒りに震えていた。

ゆえに、未来を戒めていた拘束が緩む。

そしてその一瞬の隙を見逃す緒川慎次ではない。

 

「ッ!?」

 

フィーネは目を見張る。

クリスの猛攻を凌いだと思えば、戒めていたはずの鎖の中の未来は丸太に替わっていたのだ。

 

「クリスさん! ここは一旦引きましょう!」

 

未来を抱えた緒川の声を背に、クリスは凄まじい目つきでフィーネを睨みつけていた。

しかしすぐに泣きそうな表情で足元の弦十郎へ視線と落とすと、その巨体を担ぎ上げようとする。

 

「…逃してなるものかッ!」

 

そう叫ぶフィーネの目前に、白煙が弾ける。

完全に視界が漂白され、煙が晴れ渡るころには、緒川もクリスの姿も消えていた。

あとには弦十郎が倒れていたと思しき場所に夥しい血痕が残るのみ。

 

「何とも古典的な手を…ッ」

 

忌々し気に歯噛みするフィーネだったが、すぐにその表情は緩む。

 

「まあ、良い。散々に痛めつけてやった上に鍵は手に入れたのだからな」

 

弦十郎を容赦なく打擲したことにより、だいぶ溜飲が下がっていた。

それはなぜ? 

理由を敢えて明確にせず、フィーネは転がったままの弦十郎の端末を拾い上げる。

認証セキリュティにかざし、開錠。

 

分厚い複合重合金製の扉が音を立てて開けば、その奥に鎮座するのは七色の光を脈動させる不朽不滅の剣。

デュランダルを見上げ、フィーネは会心の笑みを浮かべる。

 

 

 

これで最強の剣と最強の鎧がわが手に落ちた。

今生でこそ月を穿ち、バラルの呪詛を解放して見せようぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。