砕いた氷、斬られた月 (とある世界のハンター)
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砕かれた日常

 

 

 

 

 

 消えてしまった。

 何もかも。

 

 家族皆で過ごした生活。皆で一緒に食べに行ったライスカレー。辛い物がダメだって、あの時初めて知ったっけ。

 あの後、高熱でうなされる私の傍で、ずっと看病してくれた母。仕事が終わったら父が代わりにしてくれた。

 温かかった。

 

 なのに、もう無い。

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 その日は生憎の雨で、体の芯まで凍ってしまいそうな程の寒さだった。もうそろそろ春だねって、友達と話してたのは昨日の話。降るならせめて雪にして欲しいよねって、父に頼まれた御遣い先のおじさんと話してた。

 

 家に帰るとそこにあったのは、血の臭いと悲鳴が残る壁。本来そこにいる筈の父と母は形を成しておらず、流体と言っても文面上での問題は何も無かった。

 

「お前、ここの娘か。」

 

 口を開くのは、異物。本来そこにいる筈の無い化け物。その異臭漂う口からは、恐怖と、愉悦、そして空腹が感じられた。

 声が出るはずが無かった。だって、私はただの人で、この家の一人娘。食べられるだなんて、考えたこと無かった。

 

 でも、食べられるなんて事は無かった。気付いたら、目の前にいた筈の異物は頸を落としていて、代わりに立っていたのは刀を持ったお爺さん。

 

「...お前は、何がしたい?」

 

「...えっと」

 

これ()を殺す道を歩むか、それともこのまま生き続けるか。好きな方を選べ。」

 

 何を言ってるのか分からなかった。でも、このまま生き続けるなんて、私には出来ない。

 答えは一つしか無かった。

 

「これを、殺し、たいです。」

 

 雨はいつしか雪になっていた。

 唇の震えが止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 このお爺さんは龍飛魁霆(たつひかいてい)という名前らしい。異物...鬼を殺す政府非公認の組織───鬼殺隊の元隊士。今は育手、つまり鬼殺の剣士の育成者をしている。

 あの後、私は龍飛さんの家へと連れてかれた。

 

「鬼を殺す方法は二つ。陽光を浴びせるか、この刀、日輪刀で頸を斬るか。」

 

 龍飛さんの振るう刀は薄い水色をしていた。この日輪刀は、『色変わりの刀』と呼ばれているらしく、持ち主によって刃の色が変わるらしい。その色によって呼吸の流派の適正が分かるとか。

 

「呼吸の流派、とは何でしょう?」

 

「全集中の呼吸。殺す術を持ったとしても、身体能力という点で人は鬼には勝てない。だが、呼吸によって人は鬼と渡り合う身体能力を得られる。流派とは、呼吸の基本となる剣術の流派の事だ。」

 

「成程。」

 

「流派は、炎・水・風・岩・雷の五系統が基本。そこから幾つもの流派が派生している。」

 

 縁側に座っていた龍飛さんは、日輪刀を杖代わりにして立ち上がると、鞘からその刀身を月に見せるようにして抜いた。

 綺麗だった。

 龍飛さんの振るう剣筋は、素人目に見ても綺麗で、なんというか透き通っていた。

 

「儂の呼吸は『氷』。水のように柔らかくはない。お前は、本当に鬼を殺す道を選ぶか。」

 

 冷たい目をしていた。

 私は、この気持ちを鬼にぶつけたいと願った。

 

「鬼を殺します。家族の仇を、必ず。」

 

 龍飛さんは刀を鞘に納めると、私の目を見てきた。そういえば、この人が私の目をちゃんと見るのは初めてかもしれない。

 

「お前、名前は。」

 

灑津幡(さつばた) 哉恵(やえ)と言います。龍飛さん、これからよろしくお願いします。」

 

 何故か、涙が止まらなかった。震えが止まらなかった。

 本当に今日は寒い。

 

 

 

 

 

 

 



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始まる修行

 

 

 

 

 

 

 

 日が昇ると、早速鬼殺の剣士になる為の修行が始まった。先ずは走り込みからだった。

 龍飛さんの家は高い山の中腹にあって、その家から山頂までを行ったり来たりした。山は空気が薄くて息がしずらいし、何より足場が不安定で何度も転けた。日が丁度てっぺんになる頃には身体中泥だらけになっていた。

 そこからお昼ご飯を食べて、剣の稽古が始まった。チャンバラごっこを眺めていただけの私が剣なんて持ったことある筈も無く、握り方の指導から始まった。そこからは素振り。勿論、真剣では無くて木刀で。真剣を持つ程の力は私には無いそうだ。それでも木刀は重かったけれど。太刀筋が歪まぬように気を張詰めても、直ぐに歪んで正される。途中から腕が上がらなくなって、その日はそこで終わる事になった。

 

 そこからの日々はひたすらそれの繰り返しだった。朝起きて道なき道を駆け抜け、昼を挟んで腕が上がらなくなるまで素振り。道に慣れてくると、今度は山のあちこちに罠が仕掛けられた。龍飛さんは勘で避けろと言うけれど、そこまで私の勘は鋭くない。振り子の様に頭を揺らしている丸太なら音で分かるけど、音が聞こえてからじゃ避けられない。落とし穴なんて器用に隠されてるから以ての外。最初の日は身体中痣だらけで家に着いた。

 

 木刀を持つのが苦にならなくなってきたら、次は剣術の型を教え込まれた。氷の呼吸は水の呼吸が元になっているらしく、型の基本として水の呼吸の型を教わった。水の呼吸の足運びが氷の呼吸を扱う上で大切な事らしい。

 

「氷の呼吸は水のように流れる足運びから、鋭く冷たい一撃を放つのが基本。」

 

 耳にタコができる程言われた。

 水の呼吸の型はすんなりと覚えられ、十もある型を七日で身体に覚えさせた。

 

 次の修行は、真剣を持って一日中山を走り回る事。水の呼吸の型を実際に使って、罠を切り伏せてみろという事らしい。型を覚えるのは早かったが、未だ罠を避ける事の難しい私には難しい修行だと、足を踏み入れた時は思っていた。

 

━━━━全集中・水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 

 振り子の様に動く縄で吊られた幾つもの丸太を、ぶつかる寸前で斬りつけて回避して行く。全集中の呼吸を使うと体力の消費が激しいけど、実戦ではそうも言ってられない。鬼は強いから、一撃では仕留められないかもしれない。戦いが長引くと、その分体力が要る。もっともっと体力を付けないといけない。

 

━━━━全集中・水の呼吸 玖ノ型 水流飛沫・乱

 

 不安定な足場を、最小の着地面積、最短の着地時間で跳んで行く。何時もとは違う雰囲気、経験は無いけれど、少しだけ鍛えられた勘が教えてくれた。下に目をやれば案の定、凹んだ穴から無数の刃が私を見上げている。落ちれば死は確実...でも、型を完全に覚えた私なら落ちる事は無い。

 

「あっ」

 

 木から滑り落ちる事はあるかもしれないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「型を覚えたからと言って、呼吸をし続ける体力が無ければ鬼には勝てんぞ。」

 

「...はい」

 

「余所見をして負けるなど以ての外だ。」

 

「はい...」

 

 この少女(灑津幡哉恵)を預かって3ヶ月が経とうとしていた。覚えは良いから氷の呼吸の型も直ぐに覚えるだろう。問題は身体能力の面だ。腕力は氷の呼吸の性質上気にはならないだろうが、速さという点で物足りん。陸ノ型に必要な俊敏さ。桑島の所にでも向かわせてみるのもいいかもしれんな。雷の呼吸の使い手は皆足腰が鍛えられている。彼奴なら何か良い鍛え方を知っているかもしれん。今度、鎹鴉を遣わせるか。いや、その時になったらで良いか。

 

「日が暮れてきたな...飯にするか。」

 

「あ、急いで支度します。」

 

「暫く寝ておれ。出来たら呼ぶ。」

 

「...はい。」

 

 さて、今日は何を作ろうか...

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 呼吸をし続ける体力。敵と戦い続ける集中力。

 集中力は気合の問題だから、そこはなんとかなるはず。でも呼吸をし続けるのは気合じゃどうにもならないと思う。だから...

 

「ヒュウウウウウウ」

 

 全集中の呼吸を四六時中する。今は四六時中って訳にはいかないだろうけど、やり続ければいつかは出来るようになるはず。寝てる間にも出来るようになれたら強い武器になるって思う。

 ...とりあえず今は、一刻の間続けられるよう目指そう。

 

 

 

 

 

 

 

「...今のが氷の呼吸の型、ですか。」

 

 全集中の呼吸をし続ける修行を始めてから1ヶ月が経とうとしていた時に、修行が次の段階へと進んだ。この1ヶ月間、全集中の呼吸を続けながら山を駆け回ったお陰でだいぶ体力が付いた。全集中の呼吸も、少なくとも夜の間なら一日中走り回っても切れないぐらいには続けられる。

 それにしても、氷の呼吸の型はいつ見ても綺麗だ。

 

「先ずは陸ノ型以外の七つの型を身体に覚えさせろ。常中の会得も並行して行なえ。」

 

「常中...とはなんでしょう。」

 

「全集中の呼吸を四六時中続ける事だ...知らずにやっていたのか?」

 

 龍飛さんに秘密でやってた修行がバレていた。まあ育手になるような人だし、観察眼も優れているのだろうし当然と言えば当然か。

 

「...蚊が飛んでおるな。」

 

 ...夏の山に蚊が飛ぶなんて珍しくも無い事なのに。龍飛さんは何を考えているか分からない人だ。

 

 

 

 

 

 

 



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望まれた萌芽

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━氷の呼吸・壱ノ型  砕氷(さいひょう)

 

 水の呼吸・壱ノ型 水面斬りと同じ様に、腕を交差して横に薙ぎ払う。水面斬りとは違うのは踏み込みの強さ。

 

「氷の様に鋭く、水を凍らせる。」

 

 龍飛さんに何度も言われた言葉。稽古の時は、斬る前に必ず復唱する様徹底された。竹刀の空を斬る感覚が、水面斬りとは違って重いのが腕に伝わってくる。

 

 ━━━━氷の呼吸・弐ノ型  英欠達磨(えいけつだるま)

 

 次は宙では無く藁人形に向かって。

 大人と変わらぬ丈の藁人形の四肢を、左腕から左脚、右脚、右腕という様に楕円を描くような型。鬼は頸以外を斬っても直ぐに回復して生えてくるらしいけれど、これは頸を確実に斬る為の隙を作る型だと教わった。

 

 ━━━━氷の呼吸・参ノ型  颯颯(そうそう)

 

 これは突き。水の呼吸の漆ノ型・雫波紋突きとの違いは、あっちが速さを重視しているのに対してこちらは威力を重きに置いていること。

 

 ━━━━氷の呼吸・肆ノ型  篝氷山(かがりびやま)

 

 竹刀を握り直して、宙に幾つもの斬撃を放つ。自身を囲む様な斬撃は、鬼の攻撃から身を守りつつ鬼の身体を削ぎ落とすそう。

 

 ━━━━氷の呼吸・伍ノ型  萌氷種(めぐみひだね)

 

 これは砕氷と同じく横に薙ぎ払う型。砕氷と違うのは刀を両手で持っているから、砕氷よりも範囲は広いという部分。そしてもう一つ、この型から直接陸ノ型に繋げられるという事。

 次、陸ノ型を飛ばして漆ノ型。

 

 ━━━━氷の呼吸・漆ノ型  霏霏豪雪(ひひごうせつ)

 

 これは水の呼吸・拾ノ型  生々流転を元にした型。生々流転と同じ様に連続で斬撃を放ち、一撃目よりも二撃目、二撃目よりも三撃目の方が威力が強くなる性質を持っている。

 何故わざわざ型を作ったのかと龍飛さんに訊いたところ、戦闘の途中で呼吸を変えると肺にかかる負担が大きくなるかららしい。特に生々流転の様な連撃を放つ技は元々の負担が大きいらしい。龍飛さんの戦い方は氷の呼吸を主軸にして、水の呼吸も使っていたらしいから、負担の大きい生々流転は氷の呼吸で再現する必要があったのだと思う。

 

「ッス〜...」

 

 肺に中途半端に余っている気持ち悪い空気を吐き出す。生々流転の時とはやはり呼吸の勝手が違う様で、型を見て覚えたばかり、しかも昨日の今日では気持ち良く刀を振るえるはずが無かった。龍飛さんは呼吸に慣れれば違和感は消えると言っていたけれど、このむず痒さは気持ちが悪くなる。

 新鮮な空気を吸い込んだら龍飛さんの家の敷地へと戻る。昨日龍飛さんに敷地から出るなと言われたけれど、多少なら問題無い筈。見られていたらこっ酷く怒られるだろうけれど、今あの人は机に置いた紙と睨めっこしているからそうはならない。縁側から覗いてみたけれど、筆を持ったまま固まっていた。気にせず続けよう。

 

「氷の様に鋭く、水を凍らせる。」

 

 ━━━━氷の呼吸・捌ノ型  時雪(しせつ)

 

 藁人形を中心に対象を程よく切り刻んでいく。龍飛さん曰く、斬る回数は大体で良いらしい。重要なのは、斬撃の合間合間に水の呼吸・伍ノ型 干天の慈雨と同じ斬撃を入れていくこと。本来干天の慈雨は、鬼に苦痛を与えずに首を斬る技らしい。何故そんな型があるのか分からないけれど、龍飛さんはそれを攻撃に取り入れた。この型の中にある痛みの無い斬撃は、切り口を入れる為のもの。頸が硬く、簡単には斬れない鬼でも切り口さえ入れる事が出来れば可能性は出てくるという事らしい。

 

 これが陸ノ型を除いた七つの型。陸ノ型は他の型全てを完璧に覚えたら龍飛さんが教えてくれるらしい。

 

「...今、いいか?」

 

 草臥れた顔をした龍飛さんが部屋から声を掛けてきた。筆は置いてあるので、書き終えたか書くのを諦めたのだろう。

 

「大丈夫です。」

 

「...そうか。」

 

 凄い悲しそうな顔をしている。薄々気付いたけど、龍飛さんって文字を書くのが苦手だったりするのだろうか。何でも卒なく熟す印象なのだけれど。

 

「今から陸ノ型を見せる。また同じようにそれを身体に覚えさせろ。」

 

「はい。」

 

「...いくぞ。」

 

 そう言って龍飛さんは、部屋から持ち出した竹刀を構えた。身体を私に向けて、そして竹刀の先を掲げるように持ち、背中に向ける。

 

 ━━━━氷の呼吸・陸ノ型  鏡花水月

 

 一瞬何をされたか分からなかった。分かったのは、気付いたら地面に倒れていたという事。

 

「昼飯を食べたら指導を始める。」

 

「...はい。」

 

 今日の龍飛さんは怒り気味な様だった。私が不甲斐ないからだろうか...もっと頑張らないと。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 現役時代は氷柱を務めていた。同時期に水柱をしていた鱗滝が鼻が利くのなら、俺は勘が鋭いのだろう。例えるなら、鬼の居場所が分かり、尚且つそいつがどの程度の強さなのかが分かる。哉恵を救えたのもこの勘のお陰だ。老体のせいで救えぬ命があったが、現役時代でそれは何度も体感してきた。もう悔やみ泣く心は無い。

 ...近いな。

 鎹鴉は既に鬼殺隊へ飛ばしてある。近くに鬼殺隊士はいようがいまいが、御館様に判断してもらわなければ余計な死体が増えるだけだろう。

 深い山は日光の届かない場所も多い。特にこの山は。鬼が好む場所だろう。並大抵の鬼なら自分で対処出来るが、今この山に居る鬼はそうでは無い。恐らく十二鬼月...柱、若しくは甲や乙のかなりのやり手でないと頸を斬るのは難しいだろう。

 

「...」

 

 少なくとも、今の哉恵では無理だ。

 技術は下手な癸よりもあるが、実戦経験の無い哉恵では簡単に殺されてしまうだろう。今は昼間だから鬼も大人しくしているのだろうが、夜になれば襲ってくるかもしれん。いや襲ってくるだろうな。明らかに近付いてきている。こちらが鬼狩りである事を分かっているのだろう。

 

「...哉恵。」

 

「ハァ、はい...」

 

 あちらも相応の覚悟で来るのだろう。それならこちらも足枷は外さねばなるまい。幼い芽は摘ませはしない。

 

「手紙を届けて貰いたい。」

 

「手紙...ですか?どちらに?」

 

「東京府の牛込區だ。近くの丘に雷の呼吸の育手、桑島慈悟郎という男が住んでいる。これがその手紙だ。」

 

「東京府...今からですか?」

 

「今からだ。今のお前なら夜になる頃には着く筈だ。泊めてもらうといいだろう。終えたらそのまま藤襲山へと向かえ。」

 

「藤襲山...ですか?」

 

「そこで鬼殺隊になる為の最終選別を行う。詳しくは桑島に聞いてくれ。」

 

「......今の私が、行っても良いのですか...?」

 

 不安そうな目をしている。だが大丈夫だ。生き抜ける。

 ...だが、氷の呼吸の使い手は俺しかいない。だから、出来ることなら細部まで仕上げたい。

 行かせたくはない。

 が、行かせなければ潰えてしまう。

 

「問題は無い。心配しているのは速さ(陸ノ型)だろう。桑島なら力になってくれる。色々聞くといい。」

 

「...分かりました。」

 

「夜は冷える。この羽織を着てくと良い。」

 

「ありがとうございます。」

 

 頭巾の付いた黒い羽織。現役時代使っていた物と同じ物だ。

 夕焼けが近付いてきた。名残惜しいが、哉恵を遠ざけなければならん。

 ...まるで、嫁入りに行く娘を送る父の様だな。現役時代の柱達なら、そう弄ってきただろう。

 

「では、行ってきます。最終選別が終わったら、此方へ戻ってきます。」

 

「...あぁ。」

 

 それも良いだろう。それが鬼狩りの活力となるのなら。

 走り出した哉恵の背中が小さくなっていく。喉が締め付けられていく。だが、そうは言ってられない。日輪刀は既に研いである。刃毀れは無い。体調は万全。

 

「これが最後の鬼狩りになるのか…」

 

 死んでいった仲間達が呼んでいる気がした。

 

 

 

 

 

 

 



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落ちた麒麟

 

 

 

 

 

 

「ふむ...」

 

 こんな夜更けに戸を叩く音が聞こえ、何奴かと警戒しておったがまさかあの龍飛の弟子だとはな。儂に手紙を持ってきたらしい。

 

「...」

 

 十二鬼月を迎え撃つ。だから弟子を譲る。氷の呼吸・陸ノ型 鏡花水月の習得が怪しい。足りないのは速さだから、そこを指導した上で最終選別へと送り出して欲しい。飲み込みは早いから知識を与えたら直ぐに覚えるだろう。

 

 ...勝手な奴じゃ。昔からそうだ。人の話をあまり聞かず、話をするのも下手。どうせこの手紙を書くのにも手こずったのだろう。

 老体を理由に鬼殺隊を辞めて育手になり、育てた隊士は娘っ子一人だけか...

 

「龍飛...」

 

 お前は残された者の気持ちを...娘っ子の気持ちを考えた上での決断か?手紙の内容を知った娘っ子は泣いておったぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 龍飛さんが死ぬ、だなんて考えられなかった。鬼は恐ろしい存在で、それでも龍飛さんならどんな鬼でも倒せる様な気がした。そこに確かな安心感があった。

 でも龍飛さんはもういない。殺されるんだ。今、私がこうして寝てる間に殺されるんだ。私が弱いせいで。悔しい。桑島さんに諭された。まだ幼いからと。でも許せない。弱い私が許せない。

 でも、それ以上に、鬼が許せない。殺す。必ず。全て、殺す。鬼は殺す。必ず。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━全集中・雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

「...!」

 

 足りない"速さ"の手本として、一度だけ見せた霹靂一閃。雷の呼吸法を流し気味に話しただけでここまでの完成度に仕上げるか...!

 

「桑島さん。」

 

「...なんじゃ?」

 

「最終選別から戻ったら、私に雷の呼吸を教えて頂けませんか?」

 

「勿論じゃ。その霹靂一閃は充分お前の武器になっておる。最終選別でも役に立つだろう。」

 

 昨日の幼さ残る娘っ子とは雰囲気が違う。吹っ切れたか、それとも鬼への怨みが強まったか...気迫は充分。間違いなく最終選別は突破するだろう。陸ノ型(速さ)も儂の目で見る限りでは問題無い。

 一度指導を加えれば、それを物にする。此奴は将来柱になるやもしれぬな...

 

「出発は明朝じゃ。飯の用意はしておくから、夕方までは自分で修行をしているといい。」

 

「ありがとうございます。」

 

 

 ...明朝、娘っ子は儂の家を発った。飯と風呂、寝ている時間以外は動き回っておった。既に常中を完全に会得しているようじゃった。隊士になる前から常中を使える者は見たことも聞いたこともない。龍飛め、とんだ逸材を見つけたものじゃ。

 

 

 

 

 

 

 



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蝶との出逢い

今回から三人称視点となります。ご了承ください。


 

 

 

 

 

 

 藤襲山。そこは鬼殺隊への入隊資格を得る為の最終選別が行われる山だ。山の周りは鬼が嫌いとする藤の花に囲まれており、常に鬼達をその中に閉じ込めている。最終選別の内容は、この地獄とも言える山の中で七日間生き抜く事だ。

 そしてここに、黒い頭巾の付いた羽織を着た少女━━━━灑津幡哉恵が到着した。腰には元鳴柱、桑島慈悟郎の日輪刀が携えられている。

 最終選別に挑む者はざっと数えて40人程度。皆若く、哉恵以外にも女子はいた。

 麓に集められた志願者達は、淡麗な女性に藤襲山、及び最終選別の説明を受けた後に山へと続く門を潜った。哉恵もその例に漏れず、なんの躊躇いも無しにその深い山へと足を踏み入れた。

 

「...」

 

 山へと入った途端、こっち、と哉恵の勘が呟いた。瞬間、哉恵の足は尋常ではない速度でその場から消えた。後ろにいた志願者達が口を開いてるのにも気付かずに走っていく。並の隊士では出せないであろう速さで山を駆けた先には、異形━━━━鬼が一体。哉恵を向いてそこに立っていた。

 足音で察していたのだろう、人間(食糧)が此方へ向かっていると。鬼は人を殺せるように飛び掛かろうとする。腕を大きく広げれば、こんな所にやってくる奴は大抵怯んでしまう。特に女ならば。

 

 ━━━━氷の呼吸"壱ノ型"  砕氷

 

 そんな浅はかな思考と共に鬼の頸は地に落ちた。地面には、口を大きく開けて間抜け面を晒す頸があっけらかんと転がっている。

 哉恵にとって初めて討ち取った鬼。大抵の者はここで喜び、そして一部の者は恨みが少しだけ晴れた気になる。だが哉恵は違った。喜びも無く、かと言って哀しみも無く、淡々とした表情で次の標的へと切り替える。落ちた頸を踏みつけ、少女はまた駆け出す。

 

 桑島の元へと向かった翌日から、異様に身体が軽かった。勘が異常なまでに冴えていた。そして哉恵の中の憎悪が身体中にまとわりついていた。それが哉恵を突き動かしていた。

 

 藤襲山は哉恵が修行として使っていた山よりも灘らかだった。場所によっては険しいが、それでも哉恵にとっては遥かに走りやすかった。僅かな期間で習得した速い移動法、呼吸を駆使して鬼の頸を斬り落とす。返り血が付いても気にせず、ただ淡々と。

 

 ━━━━氷の呼吸"伍ノ型"  萌氷種

 

 淡々と。

 

 ━━━━水の呼吸"肆ノ型"  打ち潮

 

 ただ、淡々と。

 

 

 

 

 

 

 

 山に入った時には空のてっぺんに居た太陽も、今は沈んで代わりに月が地を照らしている。

 藤襲山に閉じこめられていた鬼は、今ではその数を半分以上に減らしている。その殆どを哉恵が斬った事は言うまでもない。

 陽の光という柵が消えた事により、鬼達は昼間よりも活発に動き始める。だが、明らかに数が減っているという異常事態に、鬼達は焦燥感に背中を撫でられる。

 急いで鬼狩りを喰らわねば...という焦燥感に。

 

「...」

 

 山の彼方此方で鬼と志願者達が戦闘を行っている事を、哉恵は即座に理解した。勘ではなく、声で。遠くから、そして近くからも悲鳴が聞こえた。鬼の断末魔もあれば、喰われそうになり怯える人の声。

 

 ━━━━雷の呼吸"壱ノ型"  霹靂一閃

 

 そんな戦闘に割り込んでは、現状最も疾い技で頸を斬り落としていく。氷の呼吸を主に使っている哉恵が途中で呼吸を変えるというのは、肺に大きな負担がかかるという事だ。慣れない事、そして系統の違う呼吸なら尚更。

 しかし、哉恵は足を止めなかった。

 戦いの傍ら、怪我を負った志願者は無傷の人間に手当をするよう押し付け、次へ次へと山を回っていく。

 

 鬼が尽く滅ぼされていく中で、そんな事を気に留めない鬼が一体。鬼というには余りにも人間離れした巨大な姿。正しく異形。体は無数の手を纏い、弱点である頸は何本のもの腕で覆っている。通称、手鬼。

 そんな手鬼に挑む少女が一人。蝶の羽を思わせる白い羽織に、白い簪を身につけている。桃色の刀身は、使い手の心を表すかのように揺れていた。

 

「お前、強いなぁ。今まで食ってきた奴らよりも断然強い。」

 

(呼吸を...整えて...)

 

 少女が手鬼との戦闘を始めてから五分。手鬼の圧倒的な手数の多さ、そして腕の硬さに押されていた。斬れない程の硬さでは無いが、容易くは斬れない。楽しんでいるのだろう。幾度となく吹き飛ばされた少女の身体は、あちこちに土と汚れ、そして血が張り付いていた。

 呼吸が整った時を見計らい、手鬼の腕が一斉に少女に襲い掛かる。

 

 ━━━━花の呼吸"弐ノ型"  御影梅(みかげうめ)

 

 目の前から迫り来る無数の腕を、周囲に向けた斬撃で全て斬り落とそうとする。

 だが、それはこの五分で手鬼も理解していた。この攻防も幾度目だ。自分の攻撃は全て防がれる。

 

「遊びはこれで終わりだ。」

 

 だから、斬撃の無い場所から狙う。

 

「!」

 

 即ち、地中。

 

(嘘!避けられない!)

 

 地面から生え出た腕が、少女の片足を掴んだ。

 地面に引っ張られた少女の体はそのまま体勢を崩し、その華奢な身体は剣士から無抵抗な人間へと変わり果てる。

 

「離して!」

 

「駄目だね。もう少し遊べるかと思ったけど、そこまで強くは無い。でも折角だ、首を捻って綺麗に殺してやろう。」

 

 片足が埋まった少女は両の腕も掴まれ、そのまま手鬼の眼前へと引っこ抜かれる。喜々とした表情に、少女は藻掻く事しか出来ない。そんな事をしたところで、気持ちでは諦めずに鬼の頸を狙ったところで、圧倒的力を持つ鬼には敵わないのだが。

 手鬼の指が少女の頸を摘む。

 日輪刀は地面に落とされた。少女の目は、絶望に染まろうとしていた。

 

(しのぶ...姉さんもう駄目みたい...)

 

 筈だった。

 

 ━━━━雷の呼吸"壱ノ型"  霹靂一閃

 

 少女の顔を摘んでいた手鬼の腕が斬り落とされた。手鬼の顔が顰めるが、構わず次の型へと移行する。

 

 ━━━━氷の呼吸"弐ノ型"  英欠達磨

 

 今度は掴まれていた腕を解放し、そのまま地面へと降り立つ。

 

「きゃあ!」

 

 自由の身になった少女は、地面に転がりながらも直ぐに日輪刀を手に取り構える。横には助けに入った剣士、哉恵も一緒だ。

 

「お前、強いな。」

 

 手鬼が口を開いた。瞬時に強敵と見定め、腕を一つに併せる。だが動じない。今の彼女には、そんな余裕は無い。

 現状最速である慣れない霹靂一閃の多用、山中を全力疾走、そして極めつけは間髪入れずに氷の呼吸への変更。肺は今にも破裂しそうで、頭は地獄の業火にでも焼かれたかのように熱い。一瞬でも気を抜けば倒れてしまいそうで、日輪刀を握る手の感覚すらない。

 

(...鬼、を、殺す。)

 

 そんな哉恵を突き動かすのは執念。恨み。鬼という存在への敵意。

 

「隙を、作って。」

 

「分かったわ!」

 

 花の呼吸の少女は直ぐに応える。この鬼は倒さなければいけない、確固たる意志のもとに彼女も剣を握る。

 

「何をしようと無駄だァ!」

 

 一つに併さった腕が大きな一つの腕となり、全力の突きとなって二人の身体目掛けて放たれる。

 だが、花の呼吸の少女はそれを予知していたようで即座に仕掛ける。

 

 ━━━━全集中・花の呼吸"陸ノ型"  紅花衣(べにはなごろも)

 

 鋭い突きを側面から、下から上へと捻れる軌道で刃を振るう。刀はそのまま腕の先を斬り落とし、攻撃は一気に減速する。

 すかさず哉恵は腕に飛び乗り駆け出す。

 冷たい目の標的は、腕に覆われた鬼の頸。

 

「死ねぇ!!」

 

 一つに併さった腕から、触手のように生え出た無数の腕が哉恵目掛けて伸びる。だが、哉恵の足は止まらない。

 

 ━━━━氷の呼吸"漆ノ型"  霏霏豪雪

 

 腕を一つ斬り落とし、また一つ斬り落とし、斬撃の威力が着々と上がっていく。手鬼の死への階段も。

 頸までの距離、凡そ一間。歩数にして約三歩。頸の堅さに自信のあった手鬼が、死の恐怖を感じるのに要した時間はほんの一瞬。

 その一瞬、

 

(死ね。)

 

 殺意の刃が手鬼の頸を刎ねた。

 

「嘘...!」

 

 頸は月明かりに照らされながら、弧を描いて地に沈む。体は崩れ、いずれ塵となる。

 そして哉恵もまた、力無く沈んだ。氷のように冷えた目は溶けていく。朦朧とした意識の中で、誰かが必死に呼び掛ける声が聞こえる感覚だけを残して。

 

「脈も呼吸も正常...疲労による気絶、かしら。」

 

 残された少女は、周囲を警戒しつつ哉恵の肩を担ぐ。今の戦闘の音を聞き付けて、他の鬼が襲いに来るかもしれない。そう考えた彼女は、そそくさとその場から立ち去ろうとした。

 

「...」

 

 だが、彼女は優しかった。鬼にさえも情けをかける程に。

 

「...兄...ちゃん...........」

 

「...今度、貴方が生まれてくる時は、鬼になんてなりませんように。」

 

 散りゆく体の中で、寂しく伸ばされた手。優しく包み込んだ彼女の目は、慈しむような目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「......ここ、は。」

 

「あ、起きた?」

 

 哉恵の目が覚めた。陽の光が眩しく、目を細める。鉛のように重くなった体をなんとか腕の力だけで起き上がろうとすると、隣の少女が手を貸して上だけ起こされる。

 

「ここは藤襲山の端っこ。藤の花がすぐ側にあるから鬼は多分来ないわ。」

 

「そう......で、誰?」

 

「胡蝶カナエ。貴女の名前は?」

 

「灑津幡哉恵...」

 

「ふふっ。哉恵ちゃん、一昨日はありがとう。」

 

「...一昨日?」

 

「ええ。貴女、2日間も寝てたのよ。」

 

「...そう。」

 

「...ふふっ。」

 

 まだ陽の光に目が慣れていないのか、それとも眠気からか、瞼を擦る哉恵。それが可笑しく見えて、カナエはつい笑ってしまった。

 

「...何?」

 

「ううん。戦ってる時はあんなに格好良いのに、普段はこんなに可愛いんだなって思って。」

 

「...」

 

 

 

「あ、お腹空いてるわよね!はいこれ、多分食べれるわ。」

 

「うん、ありがと。」

 

 手渡された野イチゴを躊躇いなく口に放り込む。ここ半年間全くと言っていいほど甘味に触れなかったのにも関わらず、味わう間もなく胃の中へと落とし込む。

 

 

 それから3日間、哉恵はカナエと行動を共にした。その間鬼に遭遇する事は一度も無く、無事に山を降りる事が出来た。他の志願者達も同じように鬼に遭遇すること無く、無事に山を降りる事が出来たようだ。これは中々起きない事だと、鬼殺隊関係者は感心していた。

 他の志願者達は、哉恵の顔を見ると周りにワラワラと集まり感謝の言葉を述べた。幾人もの人が、哉恵に危ない所を救われていたのだ。

 

「...うん」

 

 言葉を受け取った哉恵の耳は仏桑華の様に紅く染まっていた。

 その後、志願者達は鬼殺隊からの指示を出す鎹鴉を受け取り、隊服の寸法を測って各々の育手の元へ帰る事となった。

 

「またね、哉恵ちゃん。」

 

「...」

 

 不満げに口を尖らせた哉恵はそっぽを向いて、カナエとは違う道を歩き始める。

 

「今の哉恵ちゃんも可愛いけど、哉恵ちゃんは笑ってる方が可愛いな〜!!!」

 

 大声で呼び掛けるカナエを無視して、足早に歩いていく。

 

「笑顔の哉恵ちゃんが可愛いな!!」

 

「こっち来ないで!!」

 

 

 

 

 

 

 




その後暫く追い掛けられた。


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燃え尽きた氷

 

 

 

 

 

 

 ━━━━焦げ臭い。

 ━━━━私の家はこんなにも薄汚く、醜く、そして何も無かったのだろうか。

 

 ぼうっと突っ立ったままの哉恵の眼は、酷く穢れていた。

 腰には彼女の日輪刀を携え、鬼殺隊の隊服を身にまとっている。隣には雷の呼吸の育手である桑島慈悟郎。そして鬼殺隊の裏方である隠が数名。

 最終選別を終えて早2週間。既に哉恵の元には隊服と日輪刀が支給されていた。

 

「炎の血鬼術を使う鬼、か。」

 

「はい。恐らく。」

 

 彼等がいるのは龍飛宅の庭。本来ならば、芝生が絨毯のように敷き詰められている筈の場所。しかし、今ではかろうじて焼け残りの草が産毛のように生えているだけ。そしてそれは、吹けば飛ぶ紙切れ程にしか残っていない。

 

「あと、これが......家屋の中に。」

 

 そう言って隠の一人が懐の小箱から取り出したのは、所々が爛れた手拭い。一部燃えてはいるが、大きな文字で『下  弐』と書かれていた。

 

「下弐...つまり。」

 

「ここを襲撃したのは、下弦の弐で間違いないかと。」

 

 暫しの沈黙。

隠は遺品整理を行い、桑島はただ只管に『滅』の文字を見続ける。『滅』は未だに動かない。

 桑島は場の流れを変えるように咳払いをすると、踵を返した。

 

「...儂は先に帰っておる。」

 

「...」

 

「哉恵や。」

 

「...なんでしょう。」

 

 氷が震えた。

 

「...彼奴の太刀筋は、氷のように鋭かった。」

 

「...心得ています。」

 

「...直ぐに鎹鴉が指令を出すじゃろう。歩みを止めるでないぞ。」

 

「...はい。」

 

 桑島は足を踏み出した。片手には折れたみ空色の日輪刀。

 彼の送り出すという行為はいつも恐怖が付き纏っていた。既に幾人もの剣士を育て、そして送り出している桑島だが、今回ばかりはその重みが違った。だが、その裏で期待も大きかった。たった2週間で雷の呼吸の型全てを完璧に会得するまでに至る才能。

 

(初対面の時とは大違いじゃ...)

 

「桑島さん。」

 

 雷が轟いた。咄嗟に桑島は後ろを振り向いた。

 だが、哉恵が桑島を見る事はなかった。

 

「雷の呼吸の御指導、ありがとうございました。」

 

「...うむ、達者でな。」

 

 雷が氷を育てた。否、変えた。砕いたのかもしれない。それは確実に、灑津幡哉恵という存在に大きな力を与えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の目から、涙が止まらなかった。

 第二の親の死。間近で見る死。

 彼女の心を壊すには充分だった。

 

 隠は既にその場から去っていた。残されたのは鬼殺の剣士ただ一人。

 本来なら縁側のある場所。だかもう無い。

 本来なら囲炉裏のある場所。だがもう無い。

 本来なら玄関のある場所。だがもう無い。

 本来なら家のある場所。だが、もうそこには無い。何も無い。家も、人も、安心も、拠り所も、何もかも。

 

 

 

「私の太刀筋は、氷のように鋭い。」

 

 氷が零れた。

 それは既に枯れ、瞳は氷のように鋭かった。

 

「下弦の弐...」

 

 ━━━━標的は下弦の弐。

 

「鬼は...私が。」

 

 ━━━━鬼は、私が殺す。

 

「...鎹鴉。指令を。」

 

「カァー!北ノ街ヘ迎エ!!」

 

「...承知した。」

 

 新橋色の刀が一閃、虚空を斬った。

 瞬間、灑津幡哉恵はその場から消えた。

 遺されたのは、湿った燃え滓だけだった。

 

 

 

 

 

 

 



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透徹した濁り

 

 

 

 

 

 

「コノ街ニ鬼ガ潜ンデイル!」

 

「...承知。」

 

 木々の疎らな林を抜けた先にある街。四方にある門から察するに、関所として発展してきた町だろう。遠目で見る限り、数名の警官が街を見回っている。ただの人間による誘拐事件と思い込んでいるのだろう。

 この街に鬼が潜んでいる。

 日輪刀の入った刀袋を背負い直し、哉恵は街へと続く坂を降りる。

 今は日中。雲一つない空は、まだ地上が明るい事を示していた。鬼の出る時間では無いことを理解している哉恵の足は、藤襲山の時のように早いものでは無かった。

 

「鎹鴉、何か鬼の情報は?」

 

「少女ガ消エテイル!1週間デ7人!イズレモ人通リノ少ナイ路地デダ!」

 

「なるほど...一日一人。」

 

「もし、そこの君。」

 

 門が近付いてきた所で呼び止められる。声の主は街を警備している警官だった。

 

「この街では夜な夜な少女が拐われている。もし君が一人旅をしているというなら悪い事は言わん。ここから東にある町なら夕方には着くだろう。宿を取るなら其方へ行きたまえ。」

 

 哉恵の恰好を見て、少なくとも買い物では無い事を察したのだろう。堂々たる態度で哉恵にこの街から早く立ち退くよう促した。

 

「ご忠告、どうもありがとう。それではお気を付けて。」

 

 だが、哉恵は全く臆す事無く門をくぐり抜けた。この街に泊まるにしても、東へ行くにしても、この門はくぐらなくてはならない。警官は何も疑問に思うこと無く彼女を通した。

 

 

 

 

 

 

 

 刻は夕暮れ。

 門を抜けた後、哉恵は街の構造を把握する為あちこちを駆け回った。

 この街は縦と横を分断する様に大通りが敷かれており、その先に東西南北の門が置かれている。大通りから逸れると、一気に住宅地となる。そして枝分かれしたように、閑静な路地が無数に存在している。

 北の門の先には川があり、西から東へ流れている。橋の向こうは日など射し込まないであろう深い森。東西は田んぼ道で、うんと向こうに村があるようだ。そして南は林道。哉恵が通ってきた道。

 ここで哉恵は一つの仮説を立てた。この街には廃屋と呼べるような場所は無く、そして路地は全て隈無く探した。つまり、恐らく鬼がこの街に潜んでいる事は無い。居るとするなら北の森。彼女の勘もそう言っていた。

 ならばする事は1つ。警官に見つからぬよう、北門付近での待ち伏せ。念の為、鎹鴉にはその他の門と街の中を飛び回ってもらっている。

 

 日が沈む。日中と同じく雲一つない空。

 月明かりが橋を照らす。誰もいない。

 

 一刻経った。まだ誰も通らない。

 

 さらに一刻経った。まだ影すら見せない。

 

(まだか...)

 

 哉恵の頬に汗が垂れる。腰に携えた刀に手をかける。その手には焦りが現れていた。

 確実に鬼は現れる。彼女の勘はそう囁いている。鍛えられた勘を疑う訳では無かったが、それでも不安は拭い切れなかった。

 

「!」

 

 瞬間、彼女は駆け出した。橋では無く、真逆の街の方向へと。

 

(おかしい...!北からは確実に来ていない、鎹鴉が見逃したの...?)

 

 若しくは、元々街に潜んでいたか。隅々まで探したはずだが...と焦りは止まらない哉恵。

 鬼は既に街に現れている。彼女の勘がそう囁いていた。

 通りを抜けて路地裏へ。黒い隊服は暗闇に紛れるのに丁度良く、速さも相まって誰にも見つからず勘の示す先へと辿り着いた。だが、そこには誰もいない。

 

 勘が外れた。

 

(いや)

 

 反射的に身を翻した。哉恵の顔を掠める様な突きが、過去の彼女を襲った。

 

 ━━━━氷の呼吸"伍ノ型"萌氷種

 

 刀は既に抜いていた。翻すと同時に横振りの一撃。

 

「ガァ!!」

 

 振り終える頃には、血と片腕が宙を舞っていた。そして一瞬だけ見えた斬られて先の消えた腕の断面。それは塵となって消えたが、哉恵は理解した。姿は見えないがそこに居る。そしてこの鬼は

 

(異能の鬼!)

 

 異能の鬼━━━━血鬼術と呼ばれる術を使う鬼の事である。人を多く喰らった鬼や、一定以上の実力を備えた鬼に発現すると言われている。龍飛を襲った鬼も、そのうちの一体だ。

 存在自体は桑島から聞かされていた。藤襲山の鬼とは一線を画す存在だとも。

 

「貴様ァ...!鬼狩りかぁ......よくも...よくもオォ!!」

 

「...姿を現せ。」

 

 1歩下がって刀を構え直す哉恵。集中力は、藤襲山の時のそれと同じだった。

 だが、あの時のように刀を振るう事は無かった。先の突きの速さは霹靂一閃どころか、哉恵の反射速度に及ばず、速度では優っている。本来なら容易く頸を斬れる筈の相手だが、姿が見えない以上無闇に突っ込むのは危険だと判断した。

 

「見せる訳、ねぇだろ!!」

 

 鬼の言葉と共に、哉恵の目線の隅にあった荷車が飛んできた。鬼は逃走の為の時間稼ぎとして投げたのだろうが、哉恵からしたらそれは隙でしか無かった。

 

 ━━━━水の呼吸"捌ノ型"滝壺

 

 投げ付けられた荷車を踏み台にして飛び上がり、駆け出したばかりの鬼に向けて滝のような斬り落とし。狙いは頸では無く、鬼に向けて。

 

「グッ。」

 

 刃は届いたようで、鈍い痛みを訴える声が聞こえた。声の出処から凡その鬼の位置を特定した哉恵は、すかさず次の攻撃へと移る。

 

 ━━━━雷の呼吸"参ノ型"聚蚊成雷

 

 目にも止まらぬ速さで"そこ"を幾度となく斬りつける。斬りつけた場所から出血。血が垂れ、鬼の造形が薄らと見えてくる。脚、腹、腕、肩、そして頸。

 それを逃す訳がなかった。

 そして、それを察知出来ないほど鬼も馬鹿では無かった。

 反撃覚悟の噛み付き。姿が見えず、どのような攻撃をしようとしているかは鬼狩りには見えない。

 だが、攻撃を仕掛けられているという事を哉恵は既に察知していた。だから、次の一手を封じる。

 

 ━━━━氷の呼吸"弐ノ型"英欠達磨

 

 四肢を斬り落とすこの型は、確実に鬼を仕留める為のもの。四肢を斬り落とされ鬼に残るのは胴体と頸のみ。それだけでは体は動かない。つまり、隙だらけ。

 

(死...!)

 

 ━━━━氷の呼吸"壱ノ型"砕氷

 

 達磨の鬼は為す術もなく、鬼狩りに頸を撥ねられた。彼の瞳に最後に映ったのは、薄汚ない灰色の瞳だった。

 

 

 

 

 

 

 

「...」

 

 消えゆく胴体を見つめる哉恵。肺が締め付けられるように痛く、立っているのもやっとな状態。頭が熱く、気を抜けば今にも倒れそう。

 

(あぁ...)

 

 無性に腹が立って、死体を踏み躙った。これでもかと言う程に。

 

(あぁ...!)

 

 刀で刺した。塵屑となって消えるまで。

 

(あ゙あ゙あ゙!!!!)

 

 自然と涙が零れ落ちてきた。血に混じって消えてなくなった。

 

 足音が聞こえてきた。見回りの警官だろう。刀を鞘へと戻す頃には息は整っていた。スグにでも逃げ出せる。

 雲が出てきた。月明かりが哉恵を嫌うようにそこだけを避けて照らす。

 

「おい!そこのお前!何者だ!!」

 

 提灯を持った警官が2人。人影を見つけた途端に腰のサーベルを抜こうと構える。謎の誘拐事件の犯人だと確信したのだろう。

 

 ━━━━雷の呼吸"壱ノ型"霹靂一閃

 

 だが、提灯の明かりが同時に消えてしまい、意識は一瞬そちらへ向けられる。

 気付けば警官の目の前に居た筈の人間は、彼等の背後に立っていた。咄嗟の出来事に慄然としている大人達を宥めるように、鬼狩りは声を掛けた。

 

「誘拐犯...いえ、殺人鬼は裁かれました。それではお気を付けて。」

 

「ま、待て、それはどういう...」

 

 警官が声を掛ける間もなく、その鬼狩りは姿を消した。遺されたのは、無知な人間のみ。

 

 

 

 

 

 

 



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再会の蝶

 

 

 

 

 

 

 

 

 哉恵が最初の仕事を終えてから一年が経とうとしていた。この一年で、哉恵の鬼の討伐数は五十間近だった。階級は甲。鬼殺隊の精鋭隊士である柱を除いて、一番上の階級だ。入隊して一年でこれほどまでの功績を残す隊士は稀。そしてこの異常なまでのスピード出世は、哉恵を鬼殺隊の中でも一目置かれる存在にさせた。

『柱候補』

 その言葉が灑津幡哉恵という隊士に付けられたレッテルだ。だが本人は気にしてはいない。どうせ柱にはなるのだから、という考えを持っているからだ。

 

 柱になるには以下の条件がある。

 柱に空席がある事。

 階級が甲である事。

 鬼を五十体倒す、若しくは十二鬼月を倒す事。

 

 今の鬼殺隊の柱は空席だらけだ。

 柱の最大人数は九人であるのに対し、今の柱は五人。水柱、炎柱、魁柱、岩柱、音柱、の五つの柱。

 この席が埋まらないのは、今の鬼殺隊の全体の力量が低いが言う事を顕著にしていた。

 

 閑話休題。

 

「鎹鴉、情報。」

 

 そして今日も哉恵は、いつものように鬼狩りの仕事をしていた。今回の目的地は、地方の中心地から少し外れたそれなりに大きな街。

 

「放火魔ガコノ近辺ノ街ヲ夜ナ夜ナ襲ッテイル!ソノ場ニ居合ワセタ剣士ガ消息不明!恐ラク異能ノ鬼!」

 

「...そう。」

 

「近クノ街ニハ別ノ剣士ヲ派遣シテイル!魁柱モ派遣!」

 

「...柱?」

 

「十二鬼月の可能性が高いみたいよ。」

 

「げっ...カナエ」

 

 その言葉と共に現れたのは胡蝶カナエ。哉恵とは最終選別以来だったが、親交な関係(を築けている、と一方的に思っている)だ。

 

「哉恵ちゃーん!!」

 

 目が合うやいなや哉恵の胸に飛び込んで来るカナエを、気怠そうに躱して首根っこを掴む。はたから見たら猫と飼い主だ。

 

「...なんでここにいるの。」

 

「この任務は合同なの。来る可能性の高い街程、多くの隊士が送られるそうよ。」

 

「...そう。」

 

「あ、因みにここは私達しかいないらしいわよ。」

 

「......」

 

 その言葉に食い足りなさと欲求不満を感じた哉恵は、とぼとぼと街へ向かって歩き始めた。カナエも哉恵の足に合わせて歩く。

 

「...考えは、変わった?」

 

 程なくして哉恵が口を開いた。手にした錘を力無く地面に落とすように。

 

「...ううん。鬼は悲しい存在...藤襲山の鬼も、それから頸を斬ってきた鬼も、みんなそう。だから、仲良くなる事が出来たら頸を斬らなくて済むのに...って。」

 

「...」

 

「おかしいのは分かってる。でもね」

 

「いいよ。もう、いい...」

 

 カナエの言葉を遮るように歩く速度を上げて、ずんずんと先へ進む哉恵。つられてカナエの足も早まる。その足は、強大な嵐を前に足を竦ませるようだった。

 実際、哉恵の心の中は荒々しいもので満たされていた。だからといってそれをどこかにぶつける事は無かった。カナエの思想に対して、否定的な感情だけを持ち合わせている訳では無かったからだ。

 

「...ご飯。」

 

「...え?」

 

「ご飯行くよ。」

 

()()()のように口を尖らせた哉恵は、強引にカナエの手を引いて街へと駆け出した。体勢を崩しそうになりながらも、哉恵の速さについて行く。

 陽は斜めに首を傾げ、木々の隙間から彼女達を覗いている。少しづつだけ紅く染まるそれは、その先を見つめるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「...辛い」

 

 ずるずると勢い良く啜られた蕎麦は、哉恵の胃の中へと流れるように落ちていった。山葵入りの汁に浸かった爆弾は、辛味に慣れていない彼女の口内への爆撃に成功したのだった。目の氷は爆ぜ砕け、そして熱で溶けて水となり彼女の瞳から零れ落ちる。頬は木瓜のように赤らみ、身体が熱を帯びているのが見て取れた。

 

「大丈夫?」

 

「...多分」

 

 出された物を残す事は無く、全て平らげる頃には窓から夕陽が彼女達を照らしていた。会計を済ませて通りへと出た二人は、一先ず宿へと向かった。

 今回の任務の範囲は並々ならぬ広さである為、応援に駆けつけようとも場所によっては間に合わない距離にある所も多い。また、確実に鬼が現れるという確証も得られていない為、鬼が出るまでの間の待機場所として鬼殺隊の経費で予め宿を取っているのだ。

 

「本当に大丈夫なの?顔真っ赤じゃない。任務には就かせられないわ。」

 

「大丈夫だから...全然動けるし」

 

「ダメよ、ほらこんなに熱があるもの。」

 

「顔近い......ホントに大丈夫だって...」

 

「だーめ。此処に来る鬼が可能性は低いから、夜は私一人で動くわ。他の街に増援に呼ばれても、哉恵ちゃんは大人しくしておくこと!」

 

 敷かれた布団に寝かしつけられる哉恵。陽が沈むまでカナエに看病され、逃げ出そうにも逃げ出せずにそのまま夜になる。

 

「明日お医者さんに診てもらわないとね...」

 

「...だいぶ楽になった。ありがとう」

 

「...うん。どういたしまして。」

 

「じゃあ、行こうか」

 

「行かせませんけど???」

 

 日輪刀に手を掛けた哉恵の腕を、躊躇うことなく握り潰さんとせん勢いで捕らえたカナエは、何処からか取り出した麻縄で哉恵の身体を縛り上げた。

 

「いい?私が帰ってくるまで大人しくしておくこと!」

 

「キツい...ねぇこれ水飲めない」

 

 哉恵の言葉を無視して部屋の硝子窓を開けるカナエ。外は風の音が鳴っており、カナエの髪を微かに揺らす。

 

「行ってきます。」

 

 花傘石楠花のように爽やかな笑顔に一瞬目を奪われる。綺麗な鬼狩りは窓の縁を蹴り、持ち主に似て楚々とした刀を携えて常闇に舞う。その白い羽織は正しく蝶のよう。

 

「.........いや水飲めないって」

 

 

 

 

 

 

 



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炎の縄

 

 

 

 

 

 

 

 晩秋の常闇が、深く水色となって四周をつめたく冷やす。雲に障翳された月明かりは、その隙間から地上を覗こうと試みているよう。どうやら地上の少女に嘱目しているようだ。

 

「向こうの街ね、了解!」

 

 鎹鴉からの伝達。他の街に炎の血鬼術を使う鬼が現れたとの事。増援を呼び掛けられたらしく、外にいたカナエはすぐに其方へ駆け出した。最短ルートは、樹皮や木の芽の匂いの中を突っ切る事。彼女は躊躇うこと無く森の中へと足を踏み入れた。

 

「!」

 

 踏み入れた途端、何かがこちらを見つめている様な気がして後ろを振り返った。しかし、そこには街から森までの一本道があるだけ。そこに何者もいない。

 

(気の所為かしら...)

 

 カナエは再び森の中へと足を進めた。蝶のように華麗に木々の間を通り抜け、街へと向かう。

 

「...おろ、気付かれたと思ったんだけどな〜。」

 

 その後ろ姿を見つめる影が一つ。高い木の上から悪戯げに笑っている。

 

「まーいいや。あっちにはアイツが居るし、あーしはやりたい事やろ〜っと。」

 

 ケラケラと笑い、踵を鳴らしてそれは道の先を眺めた。その背後には、恰も舞台のサスペンションライトに当てられたように明るく照らされた街。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━(さきがけ)の呼吸"壱ノ型"慈弦断(じげんだん)

 

 空間ごと斬り裂かんとせん勢いで太刀が振るわれる。円を描くように振るわれた軌道の先は空。何もいない。

 

「また外れ〜。残念やね〜。」

 

 燃える(リング)で刀を振り回しているのは(さき)柱──虎徹(こてつ)大冴(たいが)。彼の羽織は炎に炙られ、一部燃え落ちている。

 

「チィ...ちょこまかと...!下弦の壱ィ!!」

 

 額に青筋を張って声を荒らげる。怒りの矛先はこの火事の犯人──鬼。十二鬼月の一人、下弦の壱。

 

「当てられん方に問題があるやろ。ウチ悪い?悪くないやんか。」

 

 悪を知らない純粋無垢な子供のように振る舞う鬼は、片足立ちしながらくるくると回る。家屋のてっぺんは、鬼狩りを見下ろすには丁度良い場所だった。

 

「街を燃やしておいてよくもそんな事を吐けるな...!火事場泥棒のようにこの隙に人を喰らっていたんだろう!」

 

「ん?ウチそんな事しとらんで〜。頼まれてこれやっただけやし。」

 

 頼まれて、という単語に引っ掛かりを覚える。十二鬼月に頼み事をすると言えば、鬼の頂点である鬼舞辻無惨が真っ先に思い付いた。

 

(もしや、この裏には鬼舞辻が...)

 

「隙だらけやで。」

 

 ━━━━血鬼術"炎縄"

 

「ぐっ」

 

 虎徹の意識が逸れたのを下弦の鬼が見逃す筈が無く、血鬼術を発動して鬼狩りを狙う。

 ロープの様に伸びる炎が鬼狩りの腕を掴み、そのまま宙へと放り投げた。

 

 ━━━━魁の呼吸"壱ノ型"慈弦断

 

「ふんっ!!」

 

 空中で繰り広げられる剣と拳のぶつかり合い。

 重力を味方に付けたとは言え、体勢の整っていない状態では鬼狩りに分が悪く、弾き飛ばされてしまった。

 だがそれで終わる訳は無く、下弦の壱が地面に降りるとほぼ同時に地を蹴った。

 

 ━━━━魁の呼吸"肆ノ型"神速・長曽祢虎徹

 

 瞬時に己の最高速まで加速し、すれ違いざまに鬼の頸を撥ねようとする。しかし、下弦の壱はそれを目視した後に"炎縄"で刃を止めた。

 

「折角の好機やったのに、残念やね。」

 

「ぬかせ、まだまだこれからだ。」

 

 縄を弾いて鬼を蹴り飛ばす。刀を握り直し、柱は再び前を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「ありがと、鴉。」

 

「気ニスルナ。休ムノモ隊士ノ務メダ。」

 

 カナエが部屋を飛び出してから半刻後、哉恵は鎹鴉に手を借りて縄から抜け出ていた。だからといって刀を携えて駆け出す訳ではなく、言い付け通りに大人しくしていた。

 まだ顔は赤く、熱が引いていないようだった。

 

(...あの時もそうだったな。)

 

 ライスカレーを食べた後に熱を出した幼い頃の哉恵。あの時は本当に死んでしまうのではと、枕を濡らしていた事を思い出して口が綻ぶ。

 

(...カナエ)

 

 窓の先にふと目線が行った。窓から見える景色、最も明るいのは『天』では無く『地』だった。遠くの街は赤く染まり、そこだけが夕焼けのように照らされていた。

 

「...行クノカ?」

 

「...行く。」

 

 刀を杖代わりにして立ち上がると、頭に篭った熱が目眩を引き起こして哉恵を倒れさせようとする。壁に寄りかかって息を整えると、今度は刀を腰に携えて立ち上がった。身体はまだ熱く、動いていいような体調では無い。

 

「仇討チヲシテ何ニナル?」

 

 そんな哉恵の前に鎹鴉が立ち塞がった。彼女の師の事は、哉恵の下に送られる前に話として聞いていた。しかし、鴉である彼に人間の感情は理解できなかった。フラフラの身体を引きずってまで、鬼を狩ろうとするその執念が。

 

「...まだ、決まった訳じゃない。」

 

 鴉への視線を外した哉恵の目には悲憤が募っていた。

 

(今の私には...力がある。)

 

 横顔は瞋恚の表情を剥き出しにし、『炎の血鬼術を使う鬼』に殺意の照準を定める。鎹鴉の持ってきた草履を履き、彼女もまた窓の縁へ足をかける。

 

 瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 街が爆ぜた。

 

 

 

 

 

 

 




大正コソコソ話。
血鬼術"炎縄"は、鬼が作り出した縄状の炎の血鬼術。戦闘の際は片手で縄を持って戦うが、持たなくとも自分の意思で動す事が可能。


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燃ゆる氷

 

 

 

 

 

 

 

「チィ!今度はなんだよ!!」

 

 口に溜まった血を吐き出しながら轟音に疑問を浮かべる虎徹。怒りのヒートゲージは限界を知らず、それでも冷静に鬼の頸を狙った斬撃を繰り出す。

 

「あっちも始まったんやなー。」

 

「おい!余所見すんな!」

 

「ええ〜。余所見してても避けられるんやから別に良くない?」

 

 別に太刀筋が悪い訳では無い。型としての完成度は完璧と言える。単純に圧倒的な力の差故、躱されてしまうのだ。

 

 ━━━━魁の呼吸"弐ノ型"高速三段突き

 

「おっ、いい速さやね〜。」

 

 並の剣士では目で追えない程の速さで下段、中段、上段へ突きを放つ。だが間一髪の所で避けられ、刀の引き際に合わせて蹴り飛ばされた。

 

「ぐっ...」

 

「ん〜、どーしよっかな〜」

 

 口に手を当てて何かを考える下弦の壱。銀色に揺れる髪は、それだけでこの鬼をあどけない少女のように見せる。

 

「他の鬼狩りが居たらちょっとは楽しくなるんだろうけどな、もう食べちゃったし...」

 

「てんめぇ.........!!」

 

 ━━━━花の呼吸"伍ノ型"徒の芍薬

 

 火炎の中から九連撃。隙だらけ、更に意識外からの攻撃に髪を一部切り落とされた下弦の壱は、炎縄を地面に叩きつけ、その衝撃で跳ね上がりその場から一旦離れる。

 

「階級丙!胡蝶カナエ、増援に来ました!」

 

 所々羽が爛れた蝶が舞い降りた。凜乎とした瞳は、刃と同じような切れ味をしている。

 

「へぇ、良い水の匂いやね......いいわ。ウチは下弦の壱 驟雨。相手したげる。」

 

 キュートアグレッションに駆られた鬼は、炎縄を握り直してその蝶と向かい合う。動物の甘噛みに当たるそれは、人間が受けるには切れ味が良すぎる。

 好奇の目を向けられたカナエもまた、刀を握り直すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「コッチダ!早ク逃ゲロ!!」

 

 火事に見舞われた街は悲鳴と混乱の大合唱だ。街の彼方此方で怒号に泣き声。暴れ出す大男に祈り出す老婆。

 

 ━━━━水の呼吸"肆ノ型"打ち潮

 

「こっちです!早く!!」

 

 そんな状況で慌てない人間が一人、哉恵だ。

 焼けて倒壊した建物を斬り飛ばし、火の壁を切り崩す。そうして街の外まで出来た道を住人達は波のように押し寄せて逃げていく。

 

「うっ...」

 

 この熱気もあってか、更に哉恵の身体の熱は高まっていく。熱のせいか、勘──第六感が機能していない。ここだと思った場所には何も無い事が幾度もあった。だからといって足を休めること無く、まだ逃げ切れていない人間を探す。

 

.........助けて......

 

 声が聞こえた。助けを求める声だ。年端もいかない少女の声。

 哉恵の足は真っ先に其方へ向かった。

 

「どこにいるの!!返事して!!」

 

 木製の家屋しか無かったその通りは全て燃え崩れ、辺りは火の海と化していた。

 

「助けて...」

 

 声の主は家屋の下敷きになっていた。顔は伏せて見えないが、三つ編みの少女。押し潰されてるその姿は、見てるだけでも痛々しい。もう死んでるのではないかと思ってしまう程に。

 

「大丈夫、今助けるから。」

 

 ━━━━氷の呼吸"壱ノ型"砕氷

 

 刀を抜き、横一閃の斬撃。氷の波は炎の角材を吹き飛ばし、その()()を露わにした。

 

「助けてよぉ〜」

 

 ━━━━雷の呼吸"肆ノ型"遠雷

 

 斬撃が飛んだと思わせる程、伸びる斬撃が其れを襲った。片腕を捥ぎ取るに至ったそれは、時を同じくして向こうに吹き飛ばされている。

 

「あーしが此処燃やしてから16人。これ食べた人間の数。分かる?鬼狩り。あんたは無力な人間なの。せめて戦いぐらいでは私を楽しませてくれよな。」

 

「それはコッチの台詞だ...」

 

 火の粉と木屑を払い落とし、折れた角材と炎の原っぱから立ち上がる。瞳の先は鬼の頸、刀の先も鬼の頸を見つめる。

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・撓り穿ち"

 

 ━━━━氷の呼吸"参ノ型"颯颯

 

 仔牛を飲み込もうとするアナコンダのように真っ直ぐ突き進む炎と、鋭い氷の刃がぶつかり合う。

 

「はははは!!コッチはそこそこ出来そうやんな!」

 

 拮抗したと思われた炎と氷は、鬼の濁った笑い声と共に呆気なく散った。氷は砕かれ、炎の蛇は哉恵の頬を掠めて背後のボロ木を貫いた。

 

 ━━━━氷の呼吸"伍ノ型"萌氷種

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・山巓彎き(さんてんびき)"

 

 炎縄が伸びきったのを見切って真っ直ぐ駆け出す哉恵。前方の攻撃範囲に定評のある萌氷種を放つも、跳ね返った炎縄が哉恵の身体を貫かんとする勢いで直撃し、それは失敗に終わる。

 

「がっ......」

 

 痛みのせいか、はたまたその熱のせいか地面に倒れ込んでしまう。

 

「あらら、もうコレで終わりなん......ってうわ、すごい熱。こんなんでよう戦おうと思ったね...早う家に帰っておねんねしな。」

 

「黙れ...鬼のくせに」

 

 家なんて無い。寝るベッドも、看病してくれる親もいない。そんな現実を振り払うように刃を振るうも、素手で簡単に止められ呆気なく奪われてしまう。刀を鞘に納めると、鬼はそれを哉恵の手元に投げ捨てる。

 

「そんな気ィ落とさんでえーよ。ウチ下弦の弐やから、普通に強いねん。」

 

「下弦...弐?」

 

 下弦の弐、炎を操る。

 

「そ、こんな身体で少しでも打ち合えた君すごいよ。ホント。尊敬する。まぁ前食べた氷の鬼狩りの方が良かったけど...爺さんの癖に強かった。うん。とりあえず見逃したげるから、次会った時やろ。」

 

 氷の鬼狩り。

 

 点と点が結ばれていく。いや、薄らと紡がれていた糸が強固なものとなっていく。

 一年前の情景が脳裏に浮かび上がる。拾ってもらった、剣を教わった、一緒に生活を共にした、送り出された。

 

 

 

 

 

 

 

「...氷の鬼狩り(龍飛さん)を喰ったのは、お前か。」

 

「え、そう言ったやん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新橋色の刀身が鞘から顔を覗かせた。その瞳は濁った白。待雪草のように頭を垂れるそれは、子供じみた鬼の顔を火種として爆ぜた。

 

「お前は...私が殺す!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 



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滴る狼

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・巡輪(めぐり)"

 

 ━━━━氷の呼吸"弐ノ型"英欠達磨

 

 螺旋を描く炎と、弧を描く氷がぶつかり合う。突貫力、そして素の実力で勝る炎は揺らめき余裕の表情を見せる。

 

「氷が粗いなぁ。どしたん、なんならさっきのが強かったちゃうん?まああの爺さんには及ばんけど」

 

「あああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!」

 

 哉恵の瞳は怨嗟の色に染まっていた。声を荒らげ、身体の熱は限界を知らずに更に上がっていく。そんな哉恵の一撃一撃を確実に受け止め、そして砕く下弦の弐。病人であることを気遣っていた一面はもうそこには無く、ただの人喰い鬼としての彼女が戦況の手網を握っていた。

 

「おらっ!」

 

「ガッ!」

 

 右足を軸にした回し蹴りで哉恵の腹を蹴り飛ばす。その顔は、この熱さの中でも涼し気なものだった。

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・撓り穿ち"

 

 ━━━━氷の呼吸"漆ノ型"霏霏豪雪

 

 距離が離れたのを好機とし、足りない火力を補う為の連撃の構え。初撃を去なし気味に弾き、折り返しの"山巓彎"も振り返りざまに斬り伏せた。

 

「おぉ、やっぱそれ凄いんやな。」

 

 流石の下弦の弐も焦りを見せたか、という事ではない。只の関心。焦燥感など感じさせず、落ち着いた動きで縄を手繰り寄せる。

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・巡輪"

 

 地面に打ち付けられた炎が、回転状の牢獄となって哉恵の行く手を阻む。だが哉恵は止まる事無く突き進む。三撃目、四撃目、五撃目、その剣は止まることを知らない。縄を断ち切らんとする。

 

「足元がお留守やよ。」

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・眩廻(くるめまわり)"

 

 縄の先が哉恵の足を掴んだ。その熱さに哉恵は顔を顰めるが、それより先に身体は宙に浮いていた。空中で円を描いた鬼狩りは、下弦の鬼に向けて投げ飛ばされる。それを彼女が両手で受け止める筈も無く、右拳をがっしりと握り締める。

 

「っらァ!」

 

 腰を入れた一撃は哉恵の下腹部を捉えた。

 その一撃は、意識を刈り取るには充分過ぎる威力だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「うをおおお!!!」

 

 ━━━━魁の呼吸"伍ノ型"壬生狼(みぶろう)狩り

 

 ━━━━血鬼術"炎縄"

 

 赤い線と白い閃光の衝突。燃える炎の先に映るのは魁柱。炎を背にするのは下弦の壱、驟雨。大太刀は天から地へと放たれ、勢いをつけたそれは炎縄を切断するに至った。

 

 ━━━━花の呼吸"肆ノ型"紅花衣

 

 追い討ちをかけるようにカナエの剣は振るわれる。敢えて晒された頸に刃が触れるも、頸を数センチ抉ったところで止められてしまう。

 

「くっ...」

 

 ━━━━魁の呼吸"壱ノ型"慈弦断

 

 間髪入れずにカナエの横から刃が飛ぶ。カナエの刃と対になるように切り込んだそれは、簡単に炎の縄で包み込められた。

 

さっき(伍ノ型)のじゃないと斬れへんみたいやなぁ。まあもうさせんけど。こっち(花の剣士)は力が足りひんみたいやし.........そろそろ飽きたな。」

 

 今までの浮ついた軽薄さは一気に吹き飛び、そこだけが重力が強まったように押し潰される気配に圧倒された。何百トンもの水を全身で浴びているような感覚だった。空気は震え、髪が揺れる。暑さではない汗が頬を通って滴り落ちた。

 

(違う...)

 

 カナエは気付いた。これが汗では無いことを。それは虎徹も同じだった。

 

「雨...?」

 

 先刻まで空は確かに晴れていた。雨の匂いはしなかった筈だと、虎徹の頭の中では疑問符が生まれる。

 

「あめあめふれふれ母さんが〜」

 

 雨は次第に強まり、この惨劇を文字通り水に流した。驟雨は我関せずといった態度で、手頃な角材を椅子がわりにして雨が降る様を日向ぼっこするかのように見つめる。

 

(今が好機!)

 

 ━━━━魁の呼吸"伍ノ型"壬生狼狩り

 

 動かない驟雨に対して隙ありと判断した虎徹。しかし、カナエはそれが悪手である事を理解した。哉恵程では無いが、彼女の勘は当たる。だがもう遅い。

 

 ━━━━血鬼術"影虎"

 

 空を舞う狼を、地を這う虎が噛み殺した。

 腹を貫かれた柱は、それとしての機能を失った。

 

「魁柱さん!」

 

 カナエが駆け寄る頃には、既に息絶えていた。

 

「こっちはこんなんやしな〜。他の血鬼術も使っちゃったし、怒りそうだよな〜。う〜ん、う〜ん...」

 

 口に指を当てて考える驟雨。彼女の頭の中にあるのは、下弦の弐との約束を破ってしまった事だけ。

 

「あっち言って謝るかなぁ...うん。使うなって言われてたしなぁ。」

 

 ━━━━花の呼吸"肆ノ型"紅花衣

 

 柱の死。それはあまりにも呆気ないものだった。

 胡蝶カナエは今までに人の死を幾度か見てきた。初めて鬼に襲われた時。そして鬼殺隊に入隊してからの一年間。人の死に直面した時に動揺を表に出す事は無くなってきた。だが、柱という大きな存在が、簡単に砕け散った様を見てしまった彼女の精神状態は並々ならない状態だった。

 

「手土産でも持っていけば許してくれるかな。」

 

 だから、いとも容易くその刃を受け止められてしまった。

 蝶の羽根を摘んだ瞳は、明らかに自分とは違う存在であることをカナエに実感させた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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氷の鏡

 

 

 

 

 

 灑津幡哉恵は夢を見ていた。深い夢だ。

 開いた舞台に暗幕が掛かっている。スポットライトは何一つとして付いておらず、瞼の裏と違いが分からない程。舞台の上には哉恵がただ立っているだけ。

 

「哉恵。」

 

 声が聞こえた。忘れる筈のない、師の声だ。

 

「龍飛さん!」

 

 姿が見えた。哉恵の目の前には、あの頃と変わらぬ姿。いつもと変わらぬ厳しい顔つき。だが、どこか安心しきった、それでいて落ち着かなさを感じさせた。

 

「...下弦の弐、奴は自分が認めた相手に名を名乗るそうだ。」

 

「龍飛さん、私話したい事が」

 

「哉恵。」

 

 氷に罅が入った。

 

「俺は聞いた。お主は聞いたか。」

 

「...いえ。申し訳ありません。不甲斐ない弟子で。」

 

「気を落とすな。今のお前なら、いや今だからこそ奴に認められる。頸も斬れる。」

 

 また、氷に罅が入った。

 

「氷のように鋭く、水を凍らせろ。」

 

「...はい。」

 

「今日は、一段と月が綺麗だな。」

 

 その言葉と共に大きな亀裂が龍飛に入った。肩から腰までの線。

 

「龍飛さん!!」

 

「...哉恵。」

 

 氷の波紋が広がった。

 

「不甲斐ない師匠で、すまない。お前を鬼狩りに引き込んだのは俺だ。俺のせいで辛い思いをさせてしまった。」

 

 龍飛の足が宵闇に消えていく。暗幕の沼に沈むようだ。

 

「そんな、龍飛さん。私が、私が弱いせいで」

 

「哉恵。」

 

 溶けて水になった氷が再び凍った。

 

「剣を握れ。忘れるな、鬼はお前の大切な物を奪っていくものだ。恨みを、後悔を原動力としろ。お前なら全ての鬼を狩れる筈だ。」

 

「...龍飛さん。」

 

 確かに、哉恵は今までそれを原動力としていた。龍飛の言葉は、彼女の鬼狩りとしての今まで踏み締めた道を振り返させるものだった。

 

「...龍飛さん。」

 

 哉恵の瞳が閉じた。そして開いた。初めて鬼を狩った時の、この世界全てを恨むような顔では無く、寧ろ手を差し伸べる優しい蝶の様に、彩やかな笑みを浮かべていた。

 

「鬼を斬らなくて済むのなら、それもまた良いと、私は思います。」

 

 龍飛がどういう反応をしたのか、哉恵には分からなかった。ただ、闇の中で龍飛の口元が微かに動いたのは事実だ。

 

 ────氷のように鋭く、水を凍らせろ

 

 ────月明かりの刃は、一撃必殺の技

 

 哉恵に叩き込まれた、龍飛の言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 哉恵の目が覚めた。既に暗幕は炎に差し替えられ、宵闇の中に映る影は憎き鬼へと変わっていた。

 

「ん〜、あ、起きた?ウチもう帰るから、君も帰っていいよ。氷の技も見飽きたし、また数十年後にでも逢おう。」

 

「...月。」

 

 哉恵の身体は月の明かりを求めた。雲は全て流れ、空は眷属を連れた月の独壇場になっていた。月明かりを受けて、寝そべっていた哉恵の身体は動いた。熱で重くなった、否、異常な高熱を体に宿した不自由ない身体が立ち上がった。

 

「...あーしの名前は楓哇(ふわ)。アンタは。」

 

「灑津幡哉恵。氷の鬼狩り、お前を斬って柱になる鬼狩り。」

 

 優しい熱を灯した鬼狩りは再び剣を握った。新橋色の刀。瞳は何色にも染まっていない。白だ。真っ直ぐな白だ。

 

 ━━━━氷の呼吸"参ノ型"颯颯

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・撓り穿ち"

 

 突き刺さる氷は、炎を抉り縄を弾き返した。

 

「嘘やん!」

 

 ━━━━氷の呼吸"壱ノ型"砕氷

 

 足の血液に酸素が送られる。踏み込む感覚と共に、今度は血管が上り腕へと酸素が送られた。

 両腕を交差させ、狙うのは頸。

 

 ━━━━血鬼術"炎縄・蜘蛛鎌ノ巣"

 

 斬られた縄を投げ捨てた楓哇は、新たに炎縄を創り出した。背中から六本の縄を生やし、指揮者のように腕を振って蜘蛛の巣に似た模様の壁に身を隠す。焦燥感に駆られた彼女は今までの余裕のあった鬼でも、優しさを見せた鬼でも無かった。鬼狩りに怯える鬼だった。

 

(あかん破られる...!)

 

 波のように拡がる氷は、楓哇の予想通りに壁を突き破った。しかし、楓哇は壁が壊れる寸前に剣の届かない間合いまで下がっていた。

 

「単発で一番強いのはそれやろ。連撃(漆ノ型)は強くなるけど時間掛かるからな、疲れた所をぐさって一発やで。」

 

「......月。」

 

「なんでか知らんけど、あの爺さんよりも今の君は強いよ。でも技の型、七個全部覚えた。もう全部対処出来るで。」

 

 氷の呼吸

 壱ノ型 砕氷

 弐ノ型 英欠達磨

 参ノ型 颯颯

 肆ノ型 篝氷山

 伍ノ型 萌氷種

 陸ノ型

 漆ノ型 霏霏豪雪

 捌ノ型 時雪

 

(龍飛さんは、陸ノ型を見せてない...)

 

 陸ノ型は一撃必殺の型。一度見せてしまえば、頭の回る鬼なら二度目は効かないだろう。しかし、初見なら避けられない。

 龍飛はこれを見越していたのだろう。

 

(でも、下弦の弐なら初見で破るかもしれない。)

 

 哉恵は羽織の頭巾を被ると刀を構え直した。片手ではなく両手で握り、刃先は鬼とは逆に向ける。

 

(これを、霹靂一閃の速さでやれるとしたら...)

 

 今の哉恵が、ここで呼吸を変えてしまえば戦闘の続行は不可能。変えなくとも、ものの数分で使い物にならなくなる事は彼女が1番理解していた。

 だから彼女は、この一撃に全てを賭ける事にした。対処出来ない速さで、尚且つ目の前の鬼が見た事ない技。

 

 ────筋肉、血管の隅から隅を意識して空気と血を巡らせる

 

 桑島の教えだ。速さを会得する為に、初めに叩き込まれた。

 

 ────月明かりの刃は、一撃必殺の技

 

 瞬間、哉恵は飛び上がった。一気に最高速まで駆け上がり、月を背にして刀を振り翳す。

 

 ────何を

 

 楓哇は炎を伸ばした。六本の縄は真っ直ぐに突っ込んでくる哉恵の胸を、腹を、脳漿をぶちまける勢いだ。手加減無し、本気の一撃。

 

 ━━━━氷の呼吸"陸ノ型"鏡花水月

 

 瞬間、刃に月明かりが反射した。

 

 楓哇の意識は其方に向いた。

 

「...次生まれてくる時は、幸せに生きて。」

 

 だから、楓哇の頸は、優しく地に落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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氷の柱

 

 

 

 

 

 

 宵闇に紛れる隊服、顔を隠すための頭巾。刃に映る月明かりで眩ませ、一瞬の隙をつく。

 人間は斜めの動きは追いづらく、眩ませた隙に斜めに移動して頸を撥ねる。

 これが陸ノ型 鏡花水月だ。

 

「...凄。」

 

 倦怠感で仰向けになる哉恵に、楓哇は賞賛の気持ちで胸がいっぱいだった。もし此処が誰もいない色鮮やかな花畑だったとしたら、彼女は快哉を叫んでいた事であろう。それ程までに楓哇の心は快いものだった。

 

「...私はお前を許さない。」

 

「なのに、あーしの幸せを願うん?」

 

「...来世のお前と今のお前は違うから。」

 

 哉恵の顔は楓哇には見えなかった。だが、微笑が口角に浮かんでいる事が口振りから受け取れた。

 

「...そう。」

 

 楓哇もまた、唇を剃り返して笑った。その端から消えていく様を、哉恵が見る事は無かった。

 

「あ〜あ、楓哇死んじゃった。」

 

 一難去ってまた一難。安堵する間もなく、鬼が空を飛んで舞い降りた。

 

「哉恵ちゃん!!」

 

 驟雨に抱えられたカナエは、彼女の腕を振り切って哉恵の元に駆け寄った。鬼の登場に一切反応を示さない哉恵の姿に、カナエは魁柱を重ねていた。

 

(呼吸、はある。熱が酷い...肋骨が折れてる...他にも怪我してる所はある.....けど、生きてる。)

 

 ほっと息をつく間もなく、カナエの背中に悪寒が走った。血の匂いがした。振り向くと、驟雨が自身の腕を引きちぎっていたのだ。

 

「血は返す...安らかに眠れ、楓哇。」

 

 その顔は今にも泣き出してしまいそうで、鬼というよりは人間のするべき顔だった。

 

「...水の匂い。冷たい。氷、と雷雨の匂い。んー...君も足りんな。良い水なんやけど。」

 

 驟雨は踵を返した。()をうんと伸ばすと、再び宙へと駆け上がる。格下の人間と、動けない人間に一切興味を示さずに西を目指して空を泳いでいってしまった。

 

「......友達に、なれたかも。」

 

 人間らしさを見せたあの横顔を思い出しながら、蝶は氷に優しく触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「...お館様?」

 

 哉恵が下弦の弐を撃破してから二週間が経った。彼女は今、藤の花の家紋の屋敷で療養生活を送っていた。藤の花の家紋の家は、昔鬼殺隊に命を助けられた恩返しとして無償で彼等の手助けをしてくれるのである。

 

「そう。哉恵ちゃん十二鬼月を倒したから柱に昇格するじゃない?だから今度の柱合会議で、お館様と柱の皆さんと顔合わせしなきゃいけないって、悲鳴嶼さんが。」

 

「悲鳴嶼さん...って、カナエを助けたって言う岩柱の?」

 

「そう!」

 

 お館様...という存在、哉恵は前々から聞いていた。鬼殺隊をまとめる当主であると。そんな人物に会うと考えると、哉恵の胃は締め付けられるばかりだ。

 

「姉さん!次の任務があるんじゃないの!?」

 

 ドタドタと音を鳴らして襖を開けたのは、カナエの妹、胡蝶しのぶ。医学に精通している彼女は、哉恵の体質を解析する為に此処に泊まっていた。

 

「もう終わらせたわよ?ほら、また眉間にしわ寄せてる。しのぶは笑顔が似合うと姉さん思うな〜。」

 

「ちょ、頬っぺ触らないで、やめてって姉さん!」

 

 微笑ましい姉妹のやり取りを背景に、哉恵は思考の海に飛び込んでいた。

 

 下弦の弐との戦闘時、高熱とは思えない程の動き。何時もよりも身体は軽く、そして倍以上に強かった事を目覚めた後に自覚した。その事を話したカナエに、質問という名のお叱りを食らった事は言うまでもない。泣きじゃくるカナエの対処は、二度としたくないと哉恵は心に強く刻んだ。

 

「そもそも!なんで辛い物食べたらあんなに熱が上がるんですか貴方は!」

 

 気付けばしのぶの怒りの矛先が哉恵に変わっていた。あの姉には勝てなかったようだ。

 しのぶの言う通り、原因はそれだった。しかしそれはまだ分からない事だらけ。原因と結果の間、その過程は未知の領域だった。

 それについて、哉恵はこう結論付けた。

 

「強くなれるなら、別に問題なくない?」

 

「あります!!」

 

 しのぶはお気に召さないようだった。

 

「鬼殺隊は時に休む事も必要なんです!分かります?具合が悪いなら働かなくてもいいんです。休めるんです。大人しくしとくべきなんです!それなのに貴方ときたら、そんな体を引き摺って外に出て!挙句の果てに鬼と戦う!良いですか?熱があるなら下がるまで大人しくしておくんです!子供でも分かりますよこんな事。馬鹿なんですか貴方。馬鹿なんですか貴方!!ちょっと聞いてます!?」

 

「...善処します。」

 

「とにかく、辛い物を食べるのは禁止です。絶対ですからね!!」

 

「はい。」

 

 心にも思っていない言葉を吐いた哉恵は布団に包まった。だがすぐに外気を浴びる事になった。

 

「何してるの哉恵ちゃん。柱合会議は今日よ?」

 

「...え。」

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

(だから嫌だ...カナエと一緒にいるのは)

 

 新調した隊服に袖を通した哉恵は、お館様の住まう産屋敷邸へと連れてこられていた。案内するのは隠。場所は秘匿されており、彼等無しでは此処へ辿り着く事は叶わない。

 

(面倒事も押し付けられたし...)

 

「君が新しい柱か?」

 

 肩を落として歩いていると声を掛けられた。

 隠に連れてこられた場所は、巨大な屋敷の庭と思しき場所。既に三人の男が横並びになっていた。

 

「...そうです。灑津幡哉恵と言います。」

 

「私は岩柱、悲鳴嶼行冥だ。」

 

 哉恵が見上げる程の巨体を持ち合わせた柱、悲鳴嶼行冥。僧を思わせる数珠と、『南無阿弥陀仏』と書かれた羽織。そして盲目なのか、その目に瞳は無かった。

 

「お前が新しい柱か。かなり地味じゃねぇか。ホントに下弦の弐を倒したのか?」

 

「...」

 

 次に声を掛けたのは筋肉質で派手な男。こちらもまた哉恵が見上げる程に大きい。

 

「お館様のお成りだ。静かにしろ。」

 

 最後に陰気臭い男が口を開いた。派手な男は曖昧な返事をして屋敷に向けて跪いた。他の二人も同様。哉恵も同じように、屋敷に向けて跪く。

 

「よく来たね、私の可愛い剣士達。顔を上げなさい。」

 

 襖の奥から現れたのは、肌の白い男。皮膚の白さは気質の良さを表すよう。彼が鬼殺隊当主、産屋敷耀哉。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい。どうだった?」

 

 石階段を登り終えると、西日が痛いくらいに哉恵の目を刺す。昼間の柱合会議を終え、晴れて柱に就任できた哉恵は宛てがわれた屋敷へと向かっていた。屋敷の前では既に胡蝶姉妹が出揃っており、哉恵の帰りを待っていたようだ。

 

「...治療所の件、伝えてきた。優秀な医師(しのぶ)の事はお館様の耳にも入ってたから、明日には器具を買う為の資金が送られてくるそう。」

 

 カナエに頼まれたのは、治療所の設立だった。今まで鬼殺隊員が怪我をした場合は、藤の花の家か一般の医療所での治療しか行く宛てが無かった。前者の場合、医療器具が揃っていない事もある為、状況によっては知識のある人間の元へ行かなければならない。しかし、後者の場合は鬼という存在を知らない人間である事が多い。何かと不便だった訳だ。

 だからしのぶはこう思っていた。鬼殺隊専用の医療機関を作れば良いのでは無いかと。

 

「...態々ありがとうございます。氷柱様。」

 

「こちらこそ。」

 

 深深と頭を下げるしのぶの横を通り過ぎた哉恵は、お腹を鳴らして屋敷の門をくぐる。緊張が切れたのか、膝頭から力が抜けて、水の中を歩くかのような足取りで家の敷居を跨いだ。カナエは哉恵を追うように敷居を跨ぎ、しのぶもそれに続いた。

 氷柱、という言葉に、哉恵の頬は明らんでいた。

 

 

 

 

 

 



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降り出す時雨

 

 

 

 

 

 

 

「月が綺麗ねぇ。」

 

 冬の空に真っ白な月。その光は、刀身に移る彼女の横顔そっくりの切れ味。

 

「十五夜はとっくに過ぎてるけれど。」

 

 縁側には哉恵とカナエが二人。しのぶは部屋で目録を記している。刀の手入れをする哉恵を尻目に、カナエは満月を眺める。青白い満月。

 

「良いじゃない。月はいつ見ても綺麗だもの。」

 

「そう。」

 

 刀の手入れを終えた哉恵は、鞘に納めて傍に置いた。そうして白い息を吐いた後、口を開いた。

 

「...話って何。」

 

「...えっとね、屋敷を使って良いって言ってくれたじゃない?お礼してないなって思って。」

 

「違うでしょ。」

 

 淡紅藤の瞳が揺れた。真っ白な瞳はカナエから目を離さず、上っ面の言葉ではなく彼女の本心を見つめるものだった。

 

「...うん。」

 

 本当に言いたい事はこれでは無い。

 

「...下弦を倒したあの夜、私凄い怒ってたの。」

 

 一息ついてからカナエが口を開いた。悲しみが零れる彼女に、心当たりのある哉恵は弱りきった顔で頭を下げた。

 

「...ごめんなさい。」

 

「ううん。違う、違うの。哉恵ちゃんに怒ってるんじゃないの。」

 

 込み上げてくる悲しみを拭き取りながら、哉恵に頭を上げるように手で促す。疑問を浮かべる哉恵の瞳に、今度はカナエが向き合った。

 

「私は、目の前で人を死なせてしまった...」

 

「...魁柱。」

 

 カナエは静かに頷いた。

 

「人はいつか死んでしまうもの。鬼殺隊に入る前から覚悟はしていたわ。」

 

 神妙な顔付きで話すカナエに、哉恵も姿勢を正す。

 

「隊士なら、死ぬ覚悟は出来てたのかもしれない。でも、それでも私は人を救う為に鬼殺隊に入ったから......」

 

「隊士も救いたい。」

 

 涙で遮られた言葉を紡ぐ哉恵。カナエはそれに頷いた。

 

「でも、私にその力は無い......ねぇ、どうしたらいいのかな、私...」

 

 怒り、悲しみ。似て非なる感情がカナエの腕に伝わった。血が滲む程強く握り締めた拳は、カナエの強さと弱さを感じさせる。

 

「藤襲山でカナエは言ったよね...鬼は元は人間だった。それなのに人を喰らい太陽を恐れる...そんな鬼を倒したら、悲しみの連鎖が切れる。」

 

 カナエの手に自らの手を重ねる。白く美しい手。

 

「.........柱になれる力があれば、その夢を実現できるんじゃないかな。」

 

「...つまり、もっと強くなれって事ね。」

 

 雨は上がった。女性的な笑い声を零すカナエに、哉恵も釣られて口角が上がる。人を励ますという行為を、彼女は滅多にしてこなかった。こういうのには、どうにも慣れてない。

 

「ふふっ...前の哉恵ちゃんより、今の哉恵ちゃんの方が好きだな、私。何かあった?」

 

「...さぁ。」

 

 鬼に対する気持ち。

 あれだけ鬼に対しての憎悪を侍らせ、そしてそれを辺りに振り撒いていた彼女は、ほんの少しだけ彼等の存在を許容してしまった事を胸の内に隠そうとする。熱を出した時に看病してくれた母と、熱を心配してくれた楓哇を重ねてしまった夢の中の自分に、喜びとほんの少しの怒りを拳に乗せて殴り続ける。

 

(前の哉恵ちゃんなら、この夢を応援するなんて事絶対にしなかったのに。)

 

 冬の空は青く冷たい。藤の匂いが香る屋敷を照らす月明かりが、優しく二人を包み込む。

 

「月が綺麗だね。」

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「だから〜、下弦辞めさせてくださいって。」

 

 無限城━━━━鬼の始祖である鬼舞辻無惨が棲う城。鳴女と呼ばれる鬼の血鬼術でしか出入り出来ない城に、鬼が三体。鳴女、驟雨、そして鬼舞辻。

 

「...」

 

「うんともすんとも言わないんすね。」

 

 本来、鬼と鬼舞辻は絶対的な上下関係だ。十二鬼月であろうとも、それは変わらない。敬意を払わない鬼など、彼の機嫌を損ねてしまい頸を刎ねられてしまう。

 だが彼はそれをしなかった。ひたすらに心の内の憤懣を噛み潰すのみ。

 

「...それを断ったら、お前はどうするつもりだ。」

 

「え?そりゃあもう力ずくで辞めますよ。」

 

 鬼舞辻の言葉に快活な表情で応える驟雨。鳴女は彼女の言葉に狂気を、そして恐怖を感じた。

 

「楓哇に誘われて入ったようなものですし、あいつが居なくなったら此処にいる意味ないんです〜」

 

「...そうか。」

 

 鬼舞辻の表情から感情が抜け落ちていく。他の鬼であれば、恐らく容赦なく殺していたであろう。しかし鬼舞辻はそれをしなかった。彼女を特に気に入ってるから、という訳では無い。

 

「...好きにしろ。」

 

「ありがとうございます!」

 

 驟雨の右眼に刻まれていた『下弦 弐』の文字は過去のものとなった。晴れて自由の身となった驟雨は、鳴女に一声かけて無限城を後にした。

 

「...」

 

 驟雨が去った後に、鬼舞辻も姿を消した。彼は人間世界に溶け込んで生きている。表の姿を全うしに向かったか、はたまた人を喰らいに出掛けたのか。鳴女の知る事ではなかった。

 

『それでは御機嫌よう。()()()。』

 

 驟雨の去り際に残した言葉が、彼女の頭の中を駆け巡った。

 

 

 

 

 

 

 



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紡ぐ氷

 

 

 

 

 

 

 

「...継子?」

 

 哉恵が氷柱に就任してから半年が経った。並の隊士とは比べ物にならない程の業務量の多さに、最初は哉恵も手間取っていたが既に慣れたようだ。氷屋敷改め鬼殺隊専用診療所、日中という名の休息を、彼女はそこで過ごしていた。

 

「そう。今此処で療養してる子が居るんだけど、氷の呼吸に興味あるらしいの。一緒に任務に行ったけど結構いい腕してたわ。柱なんだし、作ってみたらって思って。」

 

 継子───柱に実力を見出された直弟子にあたる隊士の事。柱の控えとして育てられる隊士。

 

(継子...ねぇ)

 

 興味が無い訳では無かった。しかし、教えるとなるとどうにも気が乗らない。

 

「...まぁ、会ってみるか。」

 

 ━━━━雷の呼吸"伍ノ型"熱界雷

 

 上昇気流にも似た軌道の斬撃が、咄嗟に受け身の体勢を取ったカナエを撃ち上げる。

 

「吹っ飛ばしながら言わないでほしいのだけど。」

 

 ひらりと舞って難なく着地する。この半年間、カナエはこうして任務の合間に哉恵と打ち込み稽古を行っていた。今では階級は甲となり、更に実力も甲の中では頭一つ抜けているという状態だ。

 

 道着から隊服に着替えた彼女達は、稽古場を後にした。稽古場から病室迄は遠くはない。雑談の花が枯れ落ちるよりも前に彼女達はそこに着いた。

 

「はいはーい。」

 

 ノックをすると元気な少女の声が帰ってきた。彼女がそうなのだろうと哉恵は直ぐに理解した。扉を開けると、その声の主が身体を起こして待っていた。

 

「あ、カナエさん!こんにちは!」

 

「こんにちは、真菰ちゃん。怪我の方は大丈夫?」

 

「はい!カナエさんの救援が速かったお陰で、大事には至らなかったそうです!」

 

「そう...良かった。」

 

 少しだけ、陰り。

 

「ところで、其方の方は。」

 

 真菰の視線はカナエから哉恵へと移る。

 

「氷柱、灑津幡哉恵。」

 

 白い瞳、碧い瞳。氷と水。

 水を凍らせる氷が、彼女の水を包み込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

「氷の様に鋭く、水を凍らす。」

 

「...まだ踏み込みが甘い。もう一度。」

 

 数日後、氷屋敷の庭に隊士が二人。哉恵と真菰だ。あの後、真菰から継子にして欲しいという申し出を受け、一言返事で了承した哉恵は真菰を継子にした。継子を作ったものの、他の柱は()()()継子を作っておらず、相談する宛も無いため、とりあえず今は師の真似事をしている。

 

(身体に水の呼吸が染み付いてる...まだ、柔い)

 

 水はどんな形にもなれる。氷はその揺れ動く水を停止させ、鋭く磨き上げたもの。元は柔らかいが、氷は堅く、剛いのだ。

 

「休憩にしましょうか。」

 

「はいぃ...」

 

 手拭いを片手に縁側でぐったりとする真菰。二人が出会ってから日は浅いが、彼女達の仲は悪くはなかった。少なくとも、互いに嫌悪感は抱いていなかった。真菰は哉恵の事を尊敬し、哉恵は真菰の実力を認めていた。

 

「...師匠は、なんで鬼殺隊に入ろうと思ったんですか?」

 

 夏特有の蒸し暑い風が靡いた。

 

「...親、そして師の仇の為...だった。真菰はどうして?」

 

「私は一人だったところを育手の方に拾われて、そこで剣を教えられました。恩返しも兼ねて、ここに。」

 

「そう。」

 

「その時に氷の呼吸について聞いたんです!『お前はいつか、腕力という壁にぶつかるだろう。水から派生した氷は水よりも剛いから、機会があったら教わるといいだろう』って。今いる氷の呼吸の使い手は、哉恵さんだけですから。」

 

「...そうね。」

 

 不意に寂しさが哉恵の心を過ぎった。鬼への恨みが消えた訳では無かったが、彼女が今刀を握る理由は『救い』だった。だけども、失ったものは救えない。それが彼女の心を冷たくさせる。

 

「だからこそ、私は氷柱を名乗ってる。」

 

(呼吸を紡ぐ事が、龍飛さんの救いになるなら...)

 

 それが本人の望む事かは今となっては分からない。だが、哉恵の勘はそうだと告げる。

 

「じゃあ、再開しましょうか。」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 




大正コソコソ話
隊士が柱として就任する際、柱の名前を決めるのは本来お館様だが、哉恵の時は命名権は哉恵に委ねられた。今は亡き師を思い、氷柱と名付ける。
音柱がよく氷柱(つらら)といじってくる。


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熱情の眼

 

 

 

 

「うまい!うまい!」

 

「美味い!美味い!」

 

「真菰、真似しない。」

 

 真菰が継子となって数週間が経過した。初めは氷の呼吸のコツを掴めなかった真菰も、粗はあれど実践に使えるレベルまでに磨き上げていた。

 

 閑話休題。

 

 ここはある町の定食屋。氷柱である哉恵と真菰は任務を受け、共にこの町に来ていた。さらに、今回の任務にはもう一人隊士が居る。

 

(階級甲、元炎柱の息子で次期柱として名高い隊士...煉獄杏寿郎。)

 

 その実力は柱にも引け劣らない。柱の力を見た者達は、皆口を揃えてそう言うという話だ。

 カナエの言っていたことを思い出しながら、山葵入りの汁に漬け込んだ蕎麦を、一気に飲み込んだ。

 

「今回の相手は下弦の肆。こちら側()としては、煉獄に頸を斬ってもらいたい。」

 

 現在の柱は岩柱、音柱、そして氷柱の三人。前回の柱合会議で、柱の少なさが隊士の士気の低下に繋がっているのでは無いか、という話が出た。柱として最古参である悲鳴嶼曰く、隊士全体としての実力は年々低下している様だと。柱に成り得る隊士を、早急に柱として迎え入れる。それが柱としての意向だった。

 

「承知した!しかし氷柱殿、もしそれが原因で一般人を危険に晒す事になるのであれば、俺は一般人を優先する。そこは了承して欲しい。」

 

「勿論。でなければ、私は貴方を柱として認めない。」

 

「そうか、なら良かった!」

 

 見開かれた双眸の奥には、情熱的な正義が映る。炎のように熱く快活な表情は、隊士達の闘志を滾らせるに違いない。

 彼は柱になるべき人物だと、哉恵は勘ではなく肌で感じ取った。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

 この町の近辺に鬼が潜んでいる。夜な夜な人々が行方不明となっており、そのせいか、ここは昼間から活気のない物静かな町となっていた。町は三方を田圃に、そして残りの一方を山に囲まれている。昔は鉱山だったが、直ぐに資源が尽きて棄てられたのだと、町民は教えてくれた。

 

「既に送り込んだ隊士達が廃鉱内で交戦した後、殆どが死亡。生き残った隊士は日の出ている内に外に逃げれたらしい。皆それなりの実力は備わっている隊士だったが、鎹鴉曰く、血鬼術を使用している様子は見られなかったそう。」

 

(実力があった...とは言っても、全員刀を折られる程度の実力か。)

 

 生き残った隊士達の刀は全て折れていた。隠により回収され、応急処置を施された後に哉恵と入れ替わる形で屋敷に運ばれていた。

 

「...つまり、肉体を強化する類の血鬼術という事ですか?」

 

 何時もの調子よりも抑えられた声で真菰が口を開いた。真菰が十二鬼月と相見えるのはこれが初めてだ。顔や肩に力が入っている。煉獄も唇を固く結んでおり、その瞳に不安が映ってる様に見える。

 

「断定は出来ないけれど、恐らくそう。頭の片隅に置いといて。」

 

「承知した。」

「了解」

 

 現在、彼等は町を出て山を登っていた。町で戦うか山で戦うかを考えた時、町民を危険に晒す訳にはいかないという煉獄の意見に賛同して、哉恵は後者を選んだ。

 

「...深呼吸。刀を構えて。」

 

 ゴツゴツとした山道を進むと、月がよく見える開けた場所に出た。廃鉱が大きく口を開けているのがよく見える。奥は引き込まれそうな程の闇。暗澹とした洞窟には、それだけではない雰囲気があった。哉恵の言葉と共に刀を抜く二人。煉獄の髪が揺らいだ。

 

「おっほほ、まーた鬼狩りか。」

 

 左の瞳に『下弦の肆』。間違いなく、彼が今回の標的。

 

「煉獄、真菰。いくよ。」

 

 ━━━━雷の呼吸"壱ノ型"霹靂一閃

 

 最初に仕掛けたのは哉恵。狙うのは頸、では無く胴体。袈裟斬りにするのは、頸を斬る程では無いにしても鬼には有効な手段だ。ダメージは大きく、回復も腕や足を斬り落とすよりも遅い。

 

「中々速いな。お前、柱か?」

 

「師匠!」

 

 だが、その一撃がそれを切り裂くことは無かった。

 哉恵の身体が洞窟の口の前で止まった時、折れた刃先が荒れた山肌に突き刺さる音が響いた。

 

「っ、気を付けて。コイツの体、異常に硬い!!」

 

 ────例えるなら、鋼。

 

 折れた刃を取り出して、哉恵は受ける体勢に入った。女とは言え、仮にも柱。身体は高熱を出しながらも本調子で、普段よりも筋力は増している。太刀筋に違和感も無い。眼は標的を視認しつつ、心では状況整理を行っていく。

 

「はは、刀が無けりゃお前ら人間は俺を殺せねえもんな。迂闊に手も出せないだろ。」

 

 自らの肉体に自信があるのか、頸を守る素振りは見せず、寧ろ斬ってくださいと言わんばかりに両手を広げ、身体の力を抜いている。戦う前から勝負に勝っていると、そう思っているのだろう。それが彼の根底にある思考なのだろう。

 

「要は、朝日が出るまで粘れば良いという訳だな。」

 

 戦闘に入ってから、一度も口を開かなかった煉獄が下弦の肆に問いかけた。鬼の弱点は頸だけでは無い。陽の光ならば、灼いて鬼を殺す事も可能だ。昼の穏やかだった眉は、寄せられて確固とした熱を帯びている。

 

「ほー確かに。俺の唯一と言っても良い弱点だそれは。でもその前にお前らを殺して、俺はまた穴蔵に戻るよ。人間は疲れるけど、俺は疲れないからな。戦ったってジリ貧になるだけだ。」

 

 今はまだ日を跨いですらいない。現在の三人で、常に受け身の態勢を取りながら日の出まで時間を稼げるかと言われたら、不可能だ。哉恵を含め、三人はそう理解した。

 頬を流れる汗が顎まで伝って、重力に従って乾いた地面に染み込む。各々構えを取りながら、鬼の攻撃を待つ。このまま雨が降ろうとも、待ち続ける心構えだ。

 

 ────でも、この鬼の力が中級程度の鬼なら、もしかしたら耐えられるかも

 

 真菰の脳裏に、そんな想いが過ぎった。

 

「っ、たァ!」

 

 ━━━━全集中・水の呼吸"陸ノ型"ねじれ渦

 

 しかし、真菰の甘い考えはあっさりと崩れてしまった。真菰に向けて突き出された下弦の肆の拳。彼女はそれを往なしで対処しようとしたが、それは彼女が今まで戦ってきた鬼のどれよりも鋭く、力負けしてしまう。

 

「ぐっ。」

 

 故に、尻もちを着いてしまった。そこからの鬼の反応速度は速かった。

 

 ━━━━雷の呼吸"壱ノ型"霹靂一閃

 

 頸を狙った一撃も、簡単に弾かれてしまう。柱の斬撃など無かったことにする様に、鬼の拳は真菰目掛けて放たれる。

 

 ━━━━炎の呼吸・奥義"玖ノ型"煉獄

 

「時間を稼いでくれたお陰だ!すまない!」

 

 鋼にすら思えた鬼の身体は、赤き赫刀によって抉られ、そして頸を斬られた。

 

 玖ノ型 煉獄は、炎の呼吸で最も正面の敵の身体にダメージを与えられる技だ。しかしその反面、身体を止めた状態から、息を整えなければその効果を発揮する事は出来ない。

 哉恵と真菰は、事前に炎の呼吸の型について煉獄から聞いていた。十二鬼月と戦うにあたって、情報の共有はしておいて損は無い。

 

「煉獄...いや、炎柱。お疲れ様。」

 

 熱き双眸は、月明かりに負けない程輝いている。登りの不安で曇った瞳は拭われ、彼が柱であると示すようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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迷える唐蝶

 

 

 

 

 

 

「お釣りで好きな物買ってきていいですけど、なるべく早く帰ってきてくださいね。」

 

「「は〜い!」」

 

 煉獄が炎柱となってから半年が経っていた。この半年の間に、鬼殺隊診療所の面々は各々成長していた。

 カナエは鬼の討伐数が50体を越え、柱として認められ、花柱に就いた。屋敷は作らず、変わらず哉恵の元で暮らしている。

 真菰は階級が己に上がり、氷の呼吸の型の練度を上げている。最近は、全集中の呼吸・常中を会得しようと切磋琢磨している。

 今まで鬼の頸を斬れなかったしのぶだったが、鬼にも効く毒の開発に成功し、独自の呼吸を編み出している最中だ。時間の空いた時は哉恵やカナエに稽古をつけてもらっている。

 

 それだけでは無い。診療所に新たなメンバーが増えた。

 栗花落カナヲ。身売りされそうになっていたところを胡蝶姉妹によって助けられ、そのまま此処に引き取られた。自分の意思を持っておらず、何事も言われなければ動けない静かな少女。

 神崎アオイ。最終選別を突破したものの、鬼に恐れ戦き刀を棄ててしまった少女。行く宛てもなく彷徨っていた彼女だったが、哉恵が診療所の新たなメンバーとして半ば強制的に連れて来た。本人は此処での仕事が気に入ったようで、しのぶが任務に出ている間は彼女が主となって動いている。

 すみ、きよ、なほ。村の殆どが鬼に喰われた中、なんとか生き残った少女達。鬼に喰われそうになったところを、すんでのところでカナエに救われる。身寄りが無いため、彼女が引き取った。幼いながらも、診療所のメンバーとして必死に働いている。

 

 閑話休題。

 

「いつもより運ばれてくる隊士の方が多くて、在庫が尽きそうなんです。今日のうちは大丈夫だと思いますけど、ちゃんと連れ帰ってきて下さいね。哉恵さん。」

 

「大丈夫。」

 

「ちょっと、なんで私には言ってくれないの?」

 

「姉さんが一番心配なんです。いつもふわふわして、柱なんだからちゃんとしてよ。」

 

 飼い猫が噛み付く様な目で妹に詰め寄るカナエ。そんな姉を一蹴りして、しのぶはそれを哉恵に突き返した。

 

「お願いしますね。」

 

 そう言い残して、しのぶは駆け足で隊士の元へ戻っていく。人の多さに手を焼いているようだ。

 

「...これ、私達追い出されたみた「言わないの。気付いてないからカナエ。」

 

 実際、診療所もとい氷屋敷に住まう人間で、哉恵と真菰の医療の知識はからっきしだ。並の鬼殺隊員程度の知識しか持ち合わせていない。カナエは知識はあるのだが、そのふわふわした性格故にしのぶの気が散る様だ。

 

「それじゃあ行きましょうか!」

 

 カナエの掲げた左腕に、哉恵は頷いて返した。門を抜け、彼女達は駆け出す。夕陽の見つめる先、薄らと群青色に染まりつつある空は、夜の始まりを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷から街までは遠くは無い。彼女達ほどの実力があれば、店仕舞いするよりも早くそこに辿り着くのは造作もないことだ。空はインクをぶちまけた様に黒く染まり、月の明かりだけが彼女達の道を示していた。

 

「結局何も買えませんでしたねー。」

 

 肩を落として歩く姿は、欲しい玩具を買い与えてもらえずに不貞腐れる子供と変わらぬそれだった。

 

「また今度買いに行きましょ。」

 

 眉を垂れて宥めるカナエ。背中には、包帯や消毒液の入った瓶等が入った風呂敷を背負っている。他の二人も同様だ。

 

「...真菰。私とカナエの分を持って先に戻ってて。」

 

「はいっ!...って、これ使いっ走りじゃないですか私!」

 

「上官命令。」

 

「なっ...師匠の鬼!悪魔!人でなし!いつか酷い目に遭いますよ!!」

 

 これも修行の一環だと付け足し、カナエと自身の風呂敷を投げ渡す。今の哉恵には、西洋の悪魔の様な尻尾が生えてる様に見えた。豆粒程の大きさになるまで真菰の罵詈雑言は続いたが、耳を塞いだ哉恵には聞こえていないようだった。

 

「よかったのかしら...」

 

「いいの。私の継子だから。」

 

 肩を並べて歩き始める二人。月明かりが花を翳らす。自ら光を遮る様に、哉恵は見えた。

 

「...また悩み事?」

 

 切り出したのは哉恵。瞳の奥には舎利別の様に優しい水が広がっていた。蝶は砂糖水を好む。その優しさに、踏み潰された葩卉の袋の紐を解いた。

 

「...バレた?」

 

「勘だけど。あれからずっと引き摺ってる感じがしてる。」

 

 苦しさを紛らわす様に笑ってみるが、それでも喉の締め付けは拭いきれない。

 

「私、柱になっても満足できなかったみたい。」

 

「...というと?」

 

「柱になって初めての任務、あの時はすっごく強くなった気でいたの。人も、鬼も、隊士も、皆に手を伸ばせるくらい強くなったって。」

 

「それって確か。」

 

「なほ達の村でね。血の匂いが酷かった。肢体が転がってて、着物と隊服と...」

 

「言わなくていい。」

 

 燦然とした、涙が身体を四肢の先から冷やしている。哀惜、嗚咽。震える身体を抑え、縋る様に哉恵の胸元に飛び込んだ。途切れ途切れの言葉は流れ、新たに紡がれる。

 

「皆助けるなんて無理な話...少しでも救えるだけ凄いって、隠の人は言ってたけど......助けたかったなぁ。」

 

 顔を埋めて咽ぶ彼女は、その強さ故の弱さに振り回されている。その強さ故に、自らの限界に気付いている。

 

「...カナエは強いよ。もっと強くなれる。」

 

 優しく抱き締める。暖かい身体。

 

「今は、泣いていいから。」

 

「うん...私、もっと強くなって、助けるから...」

 

 

 

「...じゃあ」

 

 嫌な予感がした。カナエの背後から感じるそれは一度だけ出会った事のある気配。

 

「今、私を助けて。」

 

 黒で塗りたくった白地に明るいスポットライト。

 

「久し振り...って言っても、冷たい君は初めましてやね。名前、教えてくれる?」

 

 翼を生やし、紅を頬に施している彼女の名は驟雨。()下弦の壱。

 

 

 

 

 

 

 



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