稀血をよこせ、人間ども (鬼の手下)
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鬼と鬼殺隊

 その女は、日照りによる飢饉の中、まるで鬼のように、親兄弟の血肉を喰らい、一人、生き残っていた。






 思い立ったのは、たぶん五百年前。かつて私はしがない農家の娘だった。

 

 私の一族の稲は、病に耐え、日照りに耐え、僅かに残ったものを大切に増やし、より強い稲が選りすぐられ、ご先祖様から代々受け継がれてきた、というのが私の父親の弁だった。

 

 子の性質は親に似る。途中、子が予想もしないような変化をすることもあるが、その変化した子が親となったとき、不思議なもので、その変化も子孫に受け継がれることが往々にしてあるものだ。

 

 そこで、私は考えた。

 

 稀血を攫って、子どもを増やし、その中から、より美味しい血を持った者を、掛け合わせる。

 そうやって、どんどんと世代を重ねていけば、すごく美味しい血を持った人間が出来上がるのではないか、と。

 

「あらあら? 血の匂い……なかなかの絶品の匂い」

 

 これは十年に一度の逸材の匂いだ。ぜひ、うちの里に案内しないと……。

 

 申し遅れたが、私は鬼である。鬼舞辻無惨様より血を分け与えられ、人ならざる不死の肉体に、強力な術、そして圧倒的な怪力を手にした鬼である。

 人と目立って違う点といえば、その異形な見た目に、あとは食料が人の血肉なことくらい。

 不便な点は、日光を浴びたら死ぬこと。

 

 私も無惨様と同じく、夜の闇に紛れ、日々を暮らす、しがない鬼だ。

 

「あら? あなたは……」

 

 血の匂いに誘われているうちに、どうやら屋敷に迷い込んでしまっていたようだった。

 

「ひぃ……」

 

 その鬼は、か細い声を上げて、まるで怯え切ったようだった。

 鼓を体に幾つも埋め込んだような奇怪な風体をしている。私は可憐な少女の姿なのに、そんなに怯えるなんて……酷い……。

 

「稀血、わぁ……けぇ……て……っ?」

 

「……ここは……小生の縄張りだ。小生の獲物だ。……なぜ渡さなければ……」

 

「わけて?」

 

「……ひぃ……っ」

 

 鼓が一つ、小生くんの体から飛んでいく。

 鬼だから、彼の体はすぐに再生するけれど、あらあらどうも、埋め込まれていた鼓は飛んで行ったままだった。

 

「案内して?」

 

 可愛くおねだりをする。こんなに可愛い子のおねだり、無下にするのは鬼の所業だ。

 

「わかった……。案内する……」

 

 と、彼は、まだ残っている自分の身体に埋まった鼓を叩こうとする。

 

「ダメでしょ? 術使っちゃ……」

 

「なっ……」

 

 もうすでに鼓は私の手の中だ。

 

 なるほど、今気がついたが、男の眼には『下陸』と書かれている文字がバツ印で消されている。

 

 鬼たちの精鋭――十二鬼月の下っ端の下っ端、下弦の『(ろく)』になったが、その後、位を奪われた哀れな鬼だろう。

 

 一応昔は十二鬼月だった。それだけに、自分の血鬼術には自信があったのだろうが、残念だ。

 

「ちゃんと案内してね?」

 

 奪った鼓は、地面に転がし、踏みつけ、壊す。

 本当は、この分からず屋の鬼をこうしてやりたかったが、私は優しい。だから、鼓が壊れるだけで済んでいるのだ。

 

「あ……」

 

 何か虚脱感の伴った目で、壊れた鼓の残骸を、彼は眺めている。壊れた物はもういいから、私は早く案内をしてほしかった。

 

「ねぇ、やる気あるの? は・や・く!」

 

「…………」

 

 そうやって催促をしたら、今度は睨み付けられる。

 どうしてそうなってしまうのか、まるで身に覚えのない反抗的な態度だった。

 

 咄嗟に私は反論する。

 

「なに? こっちはアナタの屋敷だから、アナタをたてて案内させようとしてあげようとしてるのに……その態度は……なに? 自分で血の匂いを辿ってもいいのよ? 私一人でもできる。でも、一応、角が立つといけないから、アナタにお伺いを立ててあげてるの。階級のない下っ端のアナタに、『上弦』のこの私が、()()()()、お伺いを立ててあげてるの。それがわからない? そうね、わかったわ。それを理解することが、アナタには難しいのね! あのお方も、さぞお辛かったでしょうね……。そんなのだから十二鬼月を除名になるの――( )

 

「言わせておけば……! 小生を愚弄して……っ!! 『上弦』の『()』だろうと……許さん……!」

 

 目の前の鬼は、凄まじい怒気を放つ。思わず私の身は竦んだ。

 

「ひ……っ。あなた、アナタ……死んだわ。死んだわよ……? この私に楯突いて、許されると思っているの? もう、知らない。そうよ、そう。あなたはもう……日輪刀の刑よ。……この屋敷の周りで暴れて、鬼殺隊とか、柱とか、なすりつけてやるんだから!」

 

 鬼殺隊とは、親の敵、子の敵、兄弟の敵と、日輪刀という不死身の鬼を殺せる武器片手に、鬼を見ただけで襲ってくる集団のことだ。まるで鬼は一緒くたに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと話すら通じない異常者の集団である。

 

 柱とは、その異常者の集団の中でも強い人たちのことで、十二鬼月の『下弦』でも、『(いち)』以外なら、一対一で余裕を持って勝てるくらいの人間やめてる奴らである。

 ちなみに、私の一個上の(くらい)の『上弦』の『(いち)』は、昔、鬼殺隊にいた。そのくらい昔に、私は彼らに殺されかけたこともあった。

 

 

 

 ――は……!? 縁壱……!!

 

 

 

「貴様……っ!? それでも上弦か……! その性根、小生が叩き直してやる!!」

 

「ひっ……、ひっ……、は……っ」

 

 目の前の鬼が何か言ってるが、嫌なことを思い出したせいで過呼吸になって体が動かない。

 

 やめて……!! 縁壱……。縁壱……。首が……はんぶん。

 

 

 

 ***

 

 

 

「助けに来たわよ?」

 

 冷静に、かの鬼に捕まっていた子たちの前に出る。五人いる。結構溜め込んでるじゃないの。

 

 小生は死んだ。いや、死んでないけれど、鬼の力の根源たる血を搾り尽くしてカラカラにしたから、もう、当分、蘇らない。

 

 鬼の力は、基本、無惨様から与えられた血の力だ。だから、こう、血を抜けば、無惨様の血も抜けて、鬼の不死身の再生力もほとんどなくなる。

 

 基本、鬼同士の闘いは不毛だ。鬼は日光に当たるか、日光の力を帯びた刀――( )日輪刀で頸を切られるかしないと死なない。だから、ずっと不死身で殴り合うしかない。

 だが、鬼同士は、無惨様の意向により、群れない。会ったら戦う。共喰いする。

 

 けれども、私は何百年という年の功により、鬼は血を抜けば、行動不能にできるという知識を得ている。鬼同士の闘いでも、すぐに終わらせられる。

 鬼は、あまり美味しくないから食べない。

 

「ひっ……化け物……!?」

 

 可憐な私の姿を見て、なんだか彼らは警戒してしまっている。可愛いのに……。こんなにも可愛いのに……。私の里の男の人や女の子は、ちゃんと私のこと、別嬪さんだって言うもん。

 

「化け物じゃない……。ただの鬼よ?」

 

「鬼……っ!?」

 

 鬼という種族は伝説の中にしかいないというのが、世間一般の常識だろう。

 だが、こうして鬼は居る。

 

「そう。鬼は人の血肉を食べるのよ?」

 

「ひっ……」

 

「そして、あなたたちは、稀血……つまり、鬼のご馳走……。生きているだけで鬼を引き付けてしまうわ! 酷い話ね……あなたたちが、鬼を引き付けたせいで、両親も、兄弟も、子も、友も、愛する人も……ついでとばかりに食べられてしまう。……私は悲しいわ……」

 

「――――」

 

 各々、捕まっている子たちは反応を見せる。怯える者、涙を流す者、神仏に祈る者、いろいろだ。

 

「そこでよ、私の里に来なさい。そしたら、私が他の鬼から守ってあげるわ! 後で食べられるんじゃないかって……? 心配いらない。稀血は一人で何十人、何百人分の、鬼にとっての栄養を持っているの。毎日、血をちょっと分けてくれるだけでいいのよ。私はそれで十分。悪い話じゃないでしょう?」

 

「――――っ!!」

 

 そう話せば、人間たちは縋るような目でこちらを見る。

 どうやら、興味を持ってくれたみたいだ。

 

 だが、里に連れて行く前に、やらなければならないことがある。

 

 一人一人、私の綺麗な爪で傷付け、傷口をペロッと舐める。稀血の中でも美味しさに違いがある。だから、味見だ。

 

「この子と、この子ね。ささ、一緒に行きましょう」

 

 五人の中から二人、私は連れて行こうとする。

 

「……ちょっと待て……オレたちは……!?」

 

 残された内の一人が、そう声を上げた。

 声を上げなかった方たちは、ただひたすらに困惑しているようだった。

 

「確かに稀血には違いないけど、あまり美味しくない稀血だわ。普通の人より美味しいから、鬼が寄ってくるのは変わらないけど、仕方ないじゃない……うちの里も、限界があるのよ……全員は無理」

 

 こう、美味しい稀血を交配して、さらに美味しくがウチの里の目的だ。

 稀血の中でも下の方は、お呼びじゃない。

 

「じゃ、じゃあ……」

 

「まあ、人様に迷惑かけないよう、ひっそりと生きることね。この屋敷の鬼は私がやっつけたから、どこへなりとも行けばいいわ。さ、行きましょう?」

 

 そう言って、二人の手を引いて、行こうとする。けれども、そのうちの一人が、なぜか歩こうとはしなかった。

 

「オレ……いいよ。鬼のねぇちゃん。あの人たちを連れて行ってあげて?」

 

「……なっ、なに言ってるの!」

 

 信じられなかった。この子は、天然物じゃあ、五十年に一度の逸材だ。なんてことを言っているんだ。ありえない。

 

「だって、かわいそう……。オレ、自分だけ助かるなんて嫌だ……」

 

 私は頭を捻った。この数百年、類似した状況なら、何度かあったか。

 

「そうね……そうよ。私も悲しいわ。それでも、より鬼を引き付けやすい、あなたたち二人を連れて行くことが、ここに居るみんなが助かる見込みの高い最善の方法なの。わかる?」

 

「…………」

 

 無言で黙り込んだ。理屈はわかっても、納得できないのだろう。なら、と、残った三人に声をかける。

 

「この子の代わりに、助かりたい人はいるかしら?」

 

「…………」

 

 三人は目を泳がせる。

 我が身を犠牲に、という精神を持つ人間の代わりに助かろうとすれば、風聞が悪い。白い目で見られる。

 

 普通に生きてたって、鬼が、必ず襲ってくるとは限らないんだ。そこまでして、安全な場所に行こうとは思わない。

 

「ね。それじゃ、行きましょうか……」

 

 これ以上、なにか言われるのは面倒なので、二人は小脇に抱えて、走って抜け出す。

 私の対応力も万全だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……。はぁ……うぅ……」

 

 ひっそりと、私一人で、おちょこに入れた血を飲んで、身悶えている。私の里の真ん中にある屋敷の中だ。

 鬼だろうと、元は人。何の楽しみもなく生きていくことなどできない。

 

 鬼になってから、稀血以外の食べ物を、美味しいとは感じなくなってしまった。

 他に楽しいこともないし、娯楽といえば、こうして、美味しい血を飲むことだけだ。

 

 稀血といっても、一括りにするべきではなく、それが鬼の精神に与える効能には種類がある。長年、里で研究を重ねた結果、見えてきたものだ。

 

 今、飲んでいる血は、人間で言うところの、茶のように気分を高揚させて、頭をスッキリさせる効果がある。

 他にも、酒のように気分良く酩酊してしまうものや、(きのこ)のように感覚をごちゃ混ぜにした幸福で神秘的な超越感を得られるものもある。

 

「あ、あ……。もう、なくなってしまうのね……」

 

 甘美な時間というものは、すぐに過ぎてしまうものだ。

 私は我慢のできる鬼だから、里にいる稀血たちを今すぐ殺して食べたりしない。人間でも再生しやすい血だけをもらう。

 そうして明日に取っておくのだ。そうすれば、長く、永く、楽しめるし。

 

 増やして、供給の安定かつ、味の改良。他の鬼は、馬鹿で短絡的だから、こんなことも思いつかない。貴重な稀血を簡単に殺してしまうのだ。ああ、勿体ない。

 人間なんて、今日からあなたたちは夫婦(めおと)ですと言って、男女を同じ家に放り込めば、簡単に増えるっていうのに。

 

 ちなみに、この里では、神仏の代わりに無惨様を讃えることになっている。神や仏に祈ろうが、無惨様に祈ろうが、同じことだと私は思う。私はその無惨様の使いとして、冠婚葬祭を取り仕切っているわけだ。

 

 出産に立ち会い、元服の儀で言葉を述べ、誰と誰とを交配させるか決め、葬儀では最終的に遺体は私が処理、そして先祖の供養は私に祈ることになる。

 

「あら、お客様……?」

 

 私の結界に反応があった。

 この里を覆う、私の血鬼術で作った禍い避けの結界なのだが、こうして、私の許可なく入ってきた生き物を探知できる。

 

 大抵の生き物は殺してしまうのだけれど、今回は人のようだ。誰かが来るという予定もなかったし、迷い込んでしまったのだろうか。

 

 少しの間、動向を見守る。

 

(ハツ)()様、(ハツ)()様……!」

 

「あら……どうかしたの……?」

 

 私のお世話係の侍女が慌てた様子でやってきた。この子は里一番の美味しい血だ。味を覚えてしまったからには、この子がいないと、私はつらい、耐えられない。

 

「鬼殺隊です! 鬼殺隊が村に……! お逃げください!」

 

 鬼殺隊……か。

 なぜ彼女が鬼殺隊をわかるのかといえば、廃刀令のこの時代に、刀を携え現れるのはそれくらいしかいないからだ。そう教えた。

 

「落ち着きなさい……。ここは私の結界の中……どうにでもなるわ……ぁ?」

 

 頸を撫でる。そうだ。私は強くなったのだ。昔、鬼殺隊に追い詰められた頃の私とは違う。

 

「ですが……!? すぐそこまで」

 

 まあ、あれだ。

 情報を掴んできたっていうなら、このいかにもと言った感じの存在感を持つお屋敷にやってくるのは必然だ。

 

「ふふ、なら私が直々に出迎えてあげる」 

 

 正直、どうしてここがバレたのかよくわからない。

 とにかく、吐かせる必要があった。

 

 勇み急いで私は外へと出て行こうとする。

 

(ハツ)()様! せめて、お召し物を……っ!」

 

「え……っ。あ……。うん」

 

 血を飲んだら、体が熱くなって、脱いだのだった。血を飲むといつも、頭がおかしくなって変な行動に出てしまうから困る。

 

 侍女に服を着せてもらう。

 別に私は鬼だから、着ないで出て行っても構わないのだけれど、そしたら里の子たちの教育にはあまりよろしくないか。

 劣情を催させるような格好で出歩くのは、この里では禁忌になる。なるべく、予定通りの相手と子どもを作って貰いたいからだ。

 

「できました」

 

「いつもありがとう、()()

 

「いえ、(ハツ)()様のお世話ができて、さゆは幸せ者です」

 

 きっと、私が窮地に陥れば、この子は喜んで身を捧げるだろう。哀れなことだ。

 

 この里にいるみんなは、私がいないと自分たちは生きていけないと思っている。そして、実際にそうだ。

 私に寄りかかることでしか、命を繋げない。そういうふうに育てたから。

 

 急いで表へ出てみる。

 表では、鬼殺隊の人が里の人たちに囲まれていた。

 

 里の人たちは、包丁やら、なんやらで武装をしているようで、鬼殺隊の人は困ったように相手をしている。

 

「お前たち……っ! やめなさい!!」

 

 正直、戦いに慣れていない彼らでは相手にもならない。

 鬼殺隊は特殊な呼吸法で身体能力を強化させたりしているから、普通の人間が束になったところで、刺し違えることも難しい。

 

「……で、ですが……っ!」

 

「引き下がれと言っているのがわからないの!! 足手纏いよ? 不敬よ? この私の力を知らないわけではないでしょう!?」

 

 稀血を求めて、この里に鬼がやってくる時がある。その時に、私が力を存分に発揮して、倒しているのを見ているはずだ。

 いや、そういえば、鬼殺隊に私が殺されかけた話、口伝されて残っているような気がしないでもない。

 

 えっと、なるほど。

 もしかして、里の中では鬼より鬼殺隊の方が強いって認識なの。

 

「は……はい」

 

 なにか、哀愁漂う雰囲気を醸し出しながら、里の人たちは下がっていく。

 基本、鬼殺隊より鬼の方が強い。ただ、特殊な呼吸法を使う剣士の中に、たまに化け物が生まれるだけだ。後でちゃんと教えてあげよう。

 

「『上弦』の『()』?」

 

 私の目玉に刻まれた文字を読んで、鬼殺隊の方はそう言った。

 蝶の髪飾りをした、髪の長い綺麗な少女だった。おおよそ、戦いが好みとは思えないような、穏やかな目つきで、彼女はこちらを見つめる。

 

「『上弦』の『弐』……(ハツ)()よ? 少しお話しをしましょう?」

 

「鬼殺隊、花柱――胡蝶カナエです」

 

 彼女は恭しく、こちらに一礼をする。

 

 は……柱っ!?

 と、とにかく、なんのつもりかは知らないが、話を聞いたら口封じだ。この里に鬼殺隊が大量に押し寄せてきたら困るし。

 

「そう、胡蝶カナエね。覚えたわ……。なら、どうして、あなたはここに来たの? あなた一人なの?」

 

 基本、鬼殺隊は何人かで鬼の討伐に向かう。

 鬼は人よりも強い故に、一人で戦うのは愚の骨頂。囲んで倒すのが奴らの手口だ。

 

「鬼を倒した帰りに、人を拐う鬼を見かけたから追いかけて来たわ」

 

「えっ……!?」

 

 つけられていたの、私。

 気がつかなかった。

 人目につかないように頑張っていたのに。ここ数百年、死にかけてから鬼殺隊に気取られぬようにやってきたつもりだったのに。

 大失態なんだけど。

 

「人の命を、あなたはどう思っている? この里の人たちは、あなたにとっての何?」

 

 被った。

 彼女のその姿が、かつての私を追い詰めた、太陽の描かれた耳飾りの剣士と被る。

 

「知らない……他人の命なんて、正直、どうでも良いわ……。でも、この里の人たちは、私にとって、かけがえのない大切なものよ!!」

 

「…………」

 

 ここまで来るのに何百年とかけてきたんだ。

 質の良い稀血をここまで安定して得られるようになるのには、もう、長い道のりだった。ここを捨てて、それを今更やり直せだなんて無理だ。

 

「それを壊そうと言うのなら、容赦はしない!」

 

 手をかざす。血鬼術の準備は万端だ。

 

「…………」

 

 押し黙って、彼女はこちらを見つめる。

 

 彼女は、いつでも抜けるよう、腰に帯びたその日輪刀に手を添えていた。私が手をかざした姿を見て、彼女は日輪刀に添えた手を……は、離した。えっ?

 

「な、なんのつもり……!?」

 

 何故だか、その目には、ずっと探していたものを見つけたかのような輝きが灯っている。

 

「あなたと、もっとお話しがしたい……」

 

 何故そうなるのかがわからなかった。

 鬼と見たら、殺していくのが鬼殺隊だ。基本、会話なんてしない。話しかけても、オレは喋るのが嫌いだ、とか言って、ただ頸を淡々と刎ねていく。

 鬼の中で最近はもう、そういう噂だ。

 

「う、嘘でしょ……。なにが目的……!? 金目のモノならないわよ……ここには……!」

 

 私から、そういう情報を聞き出して、盗んでいく気なんだ、きっと。きっとそうよ、そうなのよ。

 おのれ、鬼殺隊……っ!!

 

「そうじゃないの……。私、どうしたら鬼が人間と仲良くできるか、ずっと考えてて……!」

 

「…………」

 

「最初、村人は血鬼術かなにかで操られてるんじゃないかと思ったのだけれど、あなたに会ってわかったわ。そうじゃないのね」

 

「…………」

 

「私、この村は、すごく良い村だと思うわ!」

 

 人と鬼が……あり得ない話だった。

 人は鬼にとっての食料でしかない。私がやっていることは、家畜を飼うことと同じだ。

 

 まず、家畜を飼うには、家畜にとっての最適な環境を提供しなければならない。体にも心にも負荷を与えない。そうした方が美味しくなる。それが、彼女にとって、鬼である私が歩み寄っているように、見て取れたのかも知れない。

 

 けれど、実際、生殺与奪の権は私にあるのだ。そんなもの、仲良くしているとは言えない。

 

「ねぇ、例えばの話なんだけど……。自分を簡単に殺せるような猛獣が隣にいるとするじゃない。でも、その猛獣は、自分を殺したりしない」

 

「…………」

 

「そうわかってても……。怖いじゃない? ……私は、すごく怖いわ。まるで抵抗も許さず、言葉も通じず、自分を気分次第で殺せるような相手が……」

 

「…………」

 

 頸を触る。

 もう、四百年も昔だというのに、昨日のことのように思い出せる。あの恐怖を、忘れた日はない。

 毎日のように、思い出しては動けなくなり、過呼吸に陥ったり……。忘れられるのは食事の時だけ。

 

「まるで、日の光を浴びているみたいに、私の心を焼き焦がすのよ……」

 

 なにか、憂いに満ちた目で、胡蝶カナエは私のことを見つめている。そして、そっと私に微笑みかけた。

 

「あなたはとても、優しい鬼なのね……」

 

 なんだかその言葉に、私は涙を流していた。

 

 

 

 

  ***

 

 

 

 胡蝶カナエ、不思議な子だった。

 

 その後、私は彼女のことを食事に誘った。

 一応、誘った私が食べないのも心苦しく、人間である彼女に合わせた料理も食べるが、私は血を飲む。人の血だ。種族の違いをマジマジと見せつけてやろうという魂胆だった。

 

 案の定、私の食事事情を聞いてきた彼女に、正直に答えてやったら、なぜか、血を飲むだけなのね、と感極まったように口走った。

 

 そこからは、訊かれるがままに、里の維持費の調達方法だの、昔話だのなんだのを聞かせたのだけれど、事あるごとに、彼女は私を褒めてくるのだ。

 気分が良くなった私は、私の血鬼術で腐らないようにして地下に貯蔵した何百年分の血のこととか、上弦の仲間のこととか、調子に乗って、いらないことまで喋ったような気がする。

 

 覚えているのはそこまでだ。

 あくびをして、目を擦り、私は起床する。

 

 鬼は、基本、寝ない。

 だが、昨日はおそらく酩酊する血を摂りすぎて、意識の混濁から、こうして睡眠に近い状態に陥ったのだろう。調子に乗りすぎたのだ。

 

 目が覚めて、真っ先に目に入ってきたものは、人の脚だった。血色が悪いと思ったが、繋がるべき胴体のない千切られた人の脚だったからか。

 

 なんとなく、口に運んで食べてみる。

 

「はむっ……」

 

 稀血ではない味。でもそこそこの味だから、栄養価の高い人間の女だろう。元気に鍛えた女の子って感じだ。

 

「えっ……。カナエ……ちゃん?」

 

 冷や汗が流れた。

 寝ぼけた頭が一気に覚醒する。

 昨日、招待した女の子の姿を私は探した。

 

「……あれ?」

 

 すぐに見つかる。

 床で安らかな顔で眠っているが、なんと、五体満足だった。

 

 じゃあ、これ、誰の脚なんだろう?

 もう一度、かじってみる。

 

「はむっ……」

 

 やっぱり、稀血ではない。稀血ではないということは、里の人ではないということになる。

 となると、やっぱり、候補はカナエちゃんくらいしかいないけど、もう一人、昨日、来たのかな。

 

「むむむ?」

 

 今掴んでる脚以外にも、腕が二本、足が一本、地面に転がっているのが見える。

 一つずつ、カジカジ、バリバリ、ゴクンと食べてみるが、全部同じ味だった。きっと、同一人物の物だ。

 ちゃんと人間の味だから、私がバラされたって線もない。

 

「……んぅ……」

 

 そうこうしているうちに、カナエちゃんがお目覚めだった。

 不思議現象だったが、カナエちゃんも五体満足なことだし、まあ、さして重要なことではないだろう。

 

「おはよう、カナエちゃん」

 

 時間的には、朝ではなく宵の口だが、起床したのだから、この挨拶だ。

 

「んん……おはよう……」

 

 そう言って、目を擦りながら起き上がって、彼女はこちらを見つめた。

 

「へ……?」

 

 なんか、鬼化してるんだけど……カナエちゃん。



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変わる心

 人の心は、たやすく変えられると識った――( )





 頭蓋骨の中に手を入れて、物理的に脳味噌をいじり、昨日のことを思い出す。

 あれは、昨夜のことだった。

 

 カナエちゃんと親睦を深め、私は彼女のことをとても気に入ってしまった。

 気に入ったからだ。私は私の秘密の蔵に、彼女を招待した。

 

 里の人でも、限られた者以外は立ち入りは許さない場所だから、私は相当、気分が良かったのだろう。

 その前の食事で、ちょっと酔ってたというのも原因の一つに違いない。

 

「見て……すごいでしょ……!? たくさんの血よ? 五百年、コツコツ貯めてきたんだよ……?」

 

 壺だったり、瓶だったりと、時代によって入れ物はまちまち、蓋もされているのだが、立ち込める芳潤な血の匂いが、その中に入っているものを証明する。

 並の鬼なら、蔵に入れば血の匂いで気分が良くなりすぎて動けなくなるだろう。

 

「う……確かに……すごい……。でも、血って、そんなに()つ物なの……?」

 

「ふふ、カナエちゃん。私の血鬼術の力で、腐らないんだよ? それに、固まらないようにしてる!」

 

「……っ!? そんなことができるの?」

 

「簡単。簡単。里の食糧庫の中身だって、私の力で私の生きている限り保存できるんだよ? 私ってすごいでしょ……?」

 

「…………」

 

 カナエちゃんは黙り込んだ。

 感情をうまく言葉にできないような表情で、私を見つめていた。

 

「うーん。これと、これかな……」

 

 血を選んで、持っていく。

 この蔵の中身に手をつけることは滅多にないが、来客があったし、別に良いかと気が緩んだ。

 

「……カナエちゃん。カナエちゃんはお酒飲む? 飲むなら、()()に持って来させるけど」

 

 里にあるお酒は、儀式用だ。人間は、お酒を飲むと血の味が悪くなるから、里の人には特別なとき以外は飲ませない。

 

 でも、私は飲み友達が欲しいと常々思っていた。私は特に、女の子の飲み友達が欲しかった。昔はいたけど、今は行方不明だし、上弦は、男どもか……壺だし。

 

「いえ、お酒は……」

 

「そう、なら甘酒は?」

 

「……じゃあ、いただくわ」

 

 そういえば、今、下弦に女の子がいた気がする。稀血百年分をプレゼントすれば、もしかしたら壺くらいは倒せるようになるかもしれない。

 でも、在庫減らすのは……私の努力の結晶だし……悩ましい。

 

 蔵からでて、()()を呼ぶ。

 たいてい、この時間なら、私の周りをウロウロしてるはずだ。

 

「さー、ゆー」

 

「はい、ただいま……!」

 

 どうやら、私たちのお話を聞いていたみたいだ。食糧庫に歩いて行ってくれる。

 

「あの子は……?」

 

「ふふ、あの子は、この里のとっておきなの! あの子一人で、普通の人の五百人分以上の栄養は確実にあるから、鬼にとってのお宝よ?」

 

「ご、五百っ!?」

 

 普通の稀血で五十から百人分。それと比べれば五倍以上、驚くのも止む無しだろう。

 あの子一人食べれば、鬼になりたてから、下弦くらいの強さにはなれる。まあ、食べさせないけど……。

 

 食べずとも、血の匂いを嗅ぐだけで、頭が冴えて全能感でおかしくなる。こんな子は他にいなかった。

 血を舐めての想定だから、もしかしたら、その身に秘めた栄養も、五百じゃ()かないかもしれない。

 

「ちょっと血をもらうだけでも、百人力ってこと。あの子の先祖も、あの子ほどではないけれど、そうだったの。何百年も繰り返して来たから、私が『上弦』の『弐』、なのもわかるでしょ?」

 

 普通の鬼は、地道に一人ずつ人を食べているから、その成長速度は遅々としたものだ。

 対して、稀血の里の人から血を分けてもらうことを、五百年以上繰り返してきた私は、他の鬼とは、鬼としての性能が圧倒的に違う。

 

「『上弦』の『壱』は……あなたと同じようなことをしてるの?」

 

 不意に来た質問だった。確かに私がそうやって強くなっているのなら、私より強い『上弦』の『壱』もそうしていると思うのも当然か。

 

「違うよ、カナエちゃん。『上弦』の『壱』は元々、鬼殺隊の剣士だったから、呼吸で身体能力を強化できる。生き物としての能力では、人は鬼より劣ってるけど、それでも鬼を倒せるのと一緒」

 

「……っ!?」

 

 カナエちゃんの顔が青ざめているのがわかった。

 鬼殺隊の剣士の唯一の利点だと思った技術を、敵も使える。それが、恐ろしいのかもしれない。

 

 まあ、でも、私が勝てない理由はそれだけじゃない。

 

「それに、似てるの……」

 

「似てる……?」

 

「私を昔、殺しかけた鬼殺の剣士に……そう思うと、とても怖くて動けなくなる……」

 

 話を聞けば、双子だったそうじゃないか……。酔った勢いで話してくれたけど、その話をしているときは、とても機嫌が悪そうだった。

 

「それは……。どんな……剣士だったの?」

 

「あれはもう、太陽の化身よ。()の呼吸っていう呼吸を使うのだけれど、絶対人間じゃない! おかしいもの! あの(あか)い刀に斬られたら再生しないの! あのお方も、反撃できずに逃げるしかなかったそうだし……。一瞬で、頸を斬られて、たくさんある脳も心臓も全部潰され万事休す、千八百の肉片に分裂して、八割やられたらしいのだけど、ようやく逃げたそうよ?」

 

「……え?」

 

 カナエちゃんは、目をぱちくりさせていた。

 これは無惨様が、縁壱を怖がる私に語ってくださったお話だ。そんなふうに逃げるだなんて、改めて、私は無惨様を敬服してしまった。さすがは無惨様だ。

 

「そうそう……。そこから、その剣士の寿命が尽きるまで、逃亡の日々。そして、あのお方はおっしゃったわ。あの剣士を倒すことは、天災に遭ったと思って諦めて、大人しく日銭を稼ぐのだと……」

 

「…………」

 

 これで、きっと、カナエちゃんには、無惨様がどれだけ素晴らしいお方か伝わったはずだ。

 

「ねぇ、ハツミちゃん」

 

「なに?」

 

「鬼舞辻無惨って、頸を斬られても死なないの?」

 

「そうだよ? それはいいけど、ちゃんと、様ってつけようね」

 

「え、ええ……」

 

 なんだか、カナエちゃんは遠い目をしていた。その理由は、私にはよくわからなかった。

 

「カナエちゃん?」

 

「ねぇ、無惨……様って、ハツミちゃんより強い……わよね?」

 

「え……? 血の呪いがあるから、あのお方には逆らえないけど……。でも、そういうの、考えたこともなかった……」

 

 少なくとも、真正面から向かったら勝てないだろう。無惨様と自分とをなんて、比べたこともなかった。

 

「そう……よね」

 

「あっ、でもでも、昔、さっき言った剣士に襲われたあと、あのお方の血の呪いが発動しなくなったの! 弱らせれば、私でも食べられるかも……」

 

 無惨様の血は、なかなかに美味なんだ。

 鬼から血を搾り取って、濾して、無惨様の血だけにして飲む。独特な味だけど、そうすると調子が上がって気分が良くなる。

 そういえば、元下弦のあの鼓の鬼から搾り取った分は、この蔵に置いてしまったっけ。

 

 少し飲みたくなったから、持っていこう。

 

「弱らせれば、良いのねぇっ!!」

 

 ギュッと、カナエちゃんは私の手を握った。そうした意味はわからなかったけど、なんか、友達ってかんじがして良かった。

 彼女は鬼の私にも、対等に接するのだ。それが新鮮で、心が暖かくなる。

 

 そうこうしているうちに、()()が戻って来たから、一緒にまた、ご飯を食べた部屋に戻る。

 ()()は少しだけ、カナエちゃんを睨んだあと、また私たちの目のつかないところに行ってしまった。睨んだ理由は、まだカナエちゃんを信用できていないからだろう。

 こんなにも良い子なのに。

 

 私はお猪口に血を入れて、カナエちゃんは、甘酒を入れて、二人で。

 

「乾杯!」

 

「か、乾杯」

 

 とても楽しい時間だった。

 上弦にどんな鬼がいるだとか、意味のある話は大してしなかったけれど、私はとても楽しかった。

 だからだろう。

 

「ねぇ、カナエちゃん。これからどうする?」

 

「これから……?」

 

「ふふ、そう。ここでずっと、暮らしてもいいんだよ?」

 

 カナエちゃんをここに押し留めておきたかった。

 

「……ありがとう。でも、帰らなくちゃならないの。妹もいるし、帰らないと、みんな心配してしまうわ」

 

「……っ!? カナエちゃん! この里のこと、鬼殺隊に言いふらしたりしない? 私のこと、たくさんの柱で囲んで虐めたりしない?」

 

「そんなこと、しないわ」

 

 微笑んで、彼女はそう言う。カナエちゃんがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

 カナエちゃんのことを、私はとても信頼している。

 

「ねぇ、カナエちゃん。この里は、私の血鬼術で作った結界で覆われているの。この結界はね、侵入する獣や鳥を自動的に殺す機能があるのよ。もう何百年も結界を貼ったままだから、野生の禽獣は学習をして、入ってこないの」

 

「…………」

 

「カラス、死んだわよ?」

 

「……!?」

 

 カナエちゃんの顔は青ざめてしまった。噂では、鬼殺隊は人語を解するカラスを一人一匹飼っているらしい。

 

「仕方ないわよね。私もワザとやったわけではないし……。でも、とても悪いことをしたと思うわ? ご愁傷様」

 

 鬼のために心を砕く彼女のことだ。人語を解するカラスとなると、種族の違いなど関係なく、人と同じように友達と思って接していたのかもしれない。

 

「……それなら、遺骸は? 遺骸の場所はわかる? 弔ってあげないと……」

 

「死んだ場所ならわかるけど、行ってみる? ごめんなさい……。そこにあるかは、もうわからないけど……。誰かが見つけて鳥鍋にでもしているかもしれないわ……。でも、それでも、この里では、()()()()()()()()だから、きっと、浮かばれるわ」

 

 そう話した。

 そうしたら、カナエちゃんはバッと立ち上がって、刀の鞘に手を置いて、私から距離を取った。

 

「ど、どうしたの? カナエちゃん……。そんな……急に……」

 

 まるでわからない。

 さっきまでは友達のように接していたのに、今はまるで異形を見るかのように、私のことを見つめるのだ。

 

「あなた……人を食べるの?」

 

「え……? 当たり前じゃない……そうしないと、いっ、生きていけない……っ」

 

 だって、だって、そうなんだ。そうしないと生きていけないのだから……。もう、飢えるのは嫌だ……。

 

「血を飲むだけで大丈夫って言っていたのは、なんなの?」

 

「別に……大丈夫だよ? でも遺体、里の中に埋めていたら、腐らずに墓場だらけになるし……。里の外に埋めたら埋めたで、腐って悪い瘴気が出てくるし……。燃やすと、臭いとか、煙で困るの……。やっぱり、死んだら私が骨の一欠片も、血の一滴も残さずに食べてあげるのが一番でしょ?」

 

 カナエちゃんは、苦しんだようにして、私を見た。

 ここで私を斬るべきかどうか、悩んでいるように思える。

 

「私は、あなたを――」

 

「そんなに、人を食べるのが悪いこと?」

 

 

 ――『花の呼吸』……。

 

 

 勝負は一瞬だった。

 彼女が刀を握った右腕を、私が引きちぎることで終わったのだ。

 

「……()っ……!」

 

 少し驚いて、私の手にある取れてしまった彼女の右腕を私は見つめる。

 

「ごめん……カナエちゃん……。久しぶりで、力加減ができなくて……。今、止血するね」

 

 私にとっては、呼吸を使う剣士が、これだけでここまでの損害を受けることが驚きだった。ちょっと、刀を手放してもらおうと思っただけなのに。

 やはり、あの月日の双子がおかしいのかと認識を改める。

 

「まだ……っ」

 

 カナエちゃんは左手で、落ちた刀を握って私の頸を斬りつける。けれど、『上弦』の『弐』の私の頸は、そんな苦し紛れの攻撃じゃ斬れないくらい硬い。

 

「ひ……」

 

 だが、私は頸に刃物が当たる恐怖を思い出した。あの剣士がチラついた。

 咄嗟に、無我夢中に払い除けるが、その動作で、カナエちゃんの左腕が飛んでいく。

 

「あァあ……っ」

 

 両腕がなくなったカナエちゃんは、倒れてしまう。痛みで意識を失ってもおかしくないのに、呻きながら、まだ、私を見据える。

 だが、その出血量から、もうすぐ死んでしまうことがわかった。

 

「か、カナエちゃん……!? そうだ……あのお方の血なら……! 待っててね、今すぐ助けるよ!」

 

「……っ!?」

 

 そう言ったら、初めてカナエちゃんの顔に、恐怖が灯った。

 立ち上がろうとしているが、両腕がなく、うまくいかないようだった。

 

 ちょうど蔵から持って来ていた無惨様の血に、私は幸運を感じる。それを持って、カナエちゃんのもとに駆け寄るが、カナエちゃんは、両腕がないながらも立ち上がって、私に背を向けたところだった。

 

「駄目っ!!」

 

 逃げられては困るのだから、脚を片方、奪う。そうして押し倒す。片方だけでは不揃いだから、もう一本も奪ってあげる。

 

 これで抵抗のできなくなったカナエちゃんの口に手を突っ込んで、指を喉の奥まで届かせる。

 

「うぅ――! うぅう――( )!!」

 

「我慢してね」

 

 無惨様の血を、私の腕を伝わせて流し込む。

 腕から指へと伝わることで、気道に入らず、彼女の喉から体内へと入っていく。

 それだけでは足りないと思ったから、彼女の胸に手を入れて、私の手と彼女の心臓の血管を繋ぐ。無理やりに私の血を送る。

 手が足りないが、頑張って、瓶は顎で押さえておく。

 

「あ……あ……」

 

 一通り、瓶の中身がなくなった頃だ。

 カナエちゃんの傷口が塞がっているのがわかった。

 

「ふう……。ごめんね……痛かったよね……」

 

 押さえていた瓶を落とす。胸に入れていた手を抜く。そうしてカナエちゃんの胸にできた傷口も、鬼の治癒力で徐々に塞がっていった。

 これでひとまずは安心だが、まだ完全に鬼化していないのか、傷口が塞がっただけで、腕も脚も生えてこない。

 

「う……うぅ……」

 

 カナエちゃんは、泣いているようだった。それほどまでに痛い目にあわせてしまったのだ。本当に申し訳ない。

 

「そうだ……!」

 

 カナエちゃんも鬼になったことだし、私と同じく稀血が好きに違いない。お詫びも兼ねて、美味しい血をたくさん飲ませてあげよう。

 思い立ったら行動していた。

 

 まずは、持ってきてた分からだった。

 もう一度、手を口の中に突っ込んで、飲ませる。

 

「あぅ……。あが……っ」

 

 慣れてる私だから、ちょっと酔うだけで済んでるけど、鬼になって初めてがこの美味しい血だ。きっと、痛みも忘れる素晴らしい体験ができているはず。

 

 カナエちゃんの顔を見ると、瞳孔が開いて、口もとが緩んでいるのがわかる。

 そんな幸せそうな顔を見ると、私まで幸せな気分になる。

 

「つぎっ、つぎ」

 

 空っぽになったから、瓶を替えてさらに中身を流し込む。これは、たしか、違う効能のものだった。

 

「は……っ。あ……っ」

 

 カナエちゃんは、頬を紅潮させ、眼球を左右に小刻みに震わせている。体がわずかに痙攣しているのがわかる。

 心地よく、神秘的な体験を味わっているのだろう。

 

 ゆっくりと飲ませたから時間がかかったが、なんとか空になる。瓶一つ分飲ませたのだから、当分はその幸せな世界から戻ってこれないはずだ。

 今のうちにと、私は蔵に急いだ。

 

 もう、百年分くらいあげちゃおう。

 そう思って、私は持てる限りの瓶やら甕やら壺やらを抱えて運ぶ。

 

()()の血も、持って行こうか……ぁ。喜ぶだろうな……ぁ」

 

 私の知る限りで最高の血だ。

 この味が、ただの血の味にしか感じられない人間は、本当に人生を損していると私は思う。

 カナエちゃんは、鬼にして正解だったかな。

 

「……あぅ……。あぁ……」

 

 戻ってくれば、カナエちゃんは、恍惚とした表情で、虚空に向かって喘いでいた。

 腕は肘あたり、脚は膝あたりまで生えてきたから、鬼の力もだいぶ馴染んできたようだった。

 

「ふふ、()()の血だよ……ぉ? いっぱい飲んでね!」

 

 そうして声をかけながら、喉まで注ぎ込む。

 

「は……ぁうっ。ひゃ……ぁあっ」

 

 カナエちゃんは眼を目一杯に見開いて、涙をこぼしながら、言葉にならない声で叫んだ。

 ()()の血の味に、匂いに、頭が限界まで澄み切って、感動が抑えられなくなっているのだろう。

 

 この距離だと、私まで、匂いで頭がスッとして、変になりそうだ。

 

「ふふ……。ふはっ……。ああ……楽しい……。あはっ」

 

 どんどんと血をカナエちゃんに流し込む。

 ここまで来ると、血の美味しさを理解したのか、カナエちゃんはゴクリゴクリと喉を鳴らして勢いよく血を飲み干していく。

 

 その姿に、私はとても嬉しくなって、蔵との間を何回も往復して、カナエちゃんに血を与え続けた。

 気分はもう、雛のために餌を取りに行く親鳥さながらだ。

 

 カナエちゃんに飲ませつつ、我慢できずに私も一緒に飲むものだから、フラフラとした足取りの往復になる。

 とうとう、酔い潰れて、今にいたると。

 

 周りを見渡しても、血を入れていた容器はないものだから、きっと()()や、他のこの屋敷の管理を任せている里の人が片付けて、持って行ったのだろう。

 

「は、ハツミちゃん!?」

 

 カナエちゃんは、急に頭の中に手を入れて弄り出した私に対して、心配の声をかける。

 もう、事情はわかったから、頭の中から手を抜く。私の再生力なら、一瞬で元通りだ。

 

「大丈夫だよ? それはそうと、カナエちゃん。昨日の記憶、ある?」

 

 問題はここだった。

 鬼になったばかりは、記憶が混濁していたり、幼児退行を起こしていたりすることが、よくあるらしい。

 見た限りでは、カナエちゃんは、あまり変わらないように感じる。

 

「ええ、あるわよ。この村に来て、ハツミちゃんに会って、お話をして、それから……」

 

 不意に、彼女は涙を流した。

 

 今更ながらに思ったが、鬼になってしまったことは、カナエちゃんにとって、途方に暮れてしまうような出来事なのかもしれない。

 鬼と人と仲良くと言って、区別をつけようとしない彼女だったから忘れていたが、カナエちゃんは鬼を殺す組織にいたんだった。

 

「大丈夫だよ、カナエちゃん……。私が……私が……」

 

 彼女に抱擁をする。

 私は、もう長いこと鬼だし、もう人間のことはわからないから、どうすればいいかはわからなかった。

 

 私の出来ることといえば、この里の人からもらった血を分け与えてあげることくらいだ。

 

「ハツミちゃんはあったかいね……ぇ」

 

 彼女のことを鬼にした私のことを、カナエちゃんがどう思っているかはわからない。鬼の心を読める無惨様が羨ましくなる。

 

「ねぇ、カナエちゃん……。血……飲むでしょ? 持ってくるよ!」

 

 居た堪れたくなって、私はこの場所から離れる。

 保存してある血を持ってくる短い間だけでも、少しは気分を落ち着かせられる。

 

 蔵に着くと、本当に血が百年かけて貯めた分くらい減っていて愕然とした。しかも新しい方から。

 それでも、気を取り直して血を運ぶ。

 

「あら?」

 

 血を持ってきて、部屋を覗くと、何やら()()とカナエちゃんが、話しているようだった。

 

 少し、様子をみようか――( )いや、今、カナエちゃんは鬼だった。

 

「――だから、(ハツ)()様に食べられることが救いなんです!」

 

()()! 今はまだ、カナエちゃんに近づいたら駄目!!」

 

(ハツ)()様!?」

 

「えっ、ハツミちゃん?」

 

 構わずに、私は二人の間に割って入る。

 

()()。カナエちゃんは、今は鬼。()()の血の味も知ってるから、襲われちゃう。だから、もっと離れなさい」

 

「は……はい!」

 

 返事をして、()()は退散していく。なんの話をしていたのか、まあ、とにかく、これで一安心か。

 

「ねえ、ハツミちゃん。私、襲わないわ」

 

 カナエちゃんはそう断言するが、彼女のことを訝しんで私は見つめる。

 

 試しに、持ってきた血をお猪口に注ぐ。カナエちゃんの前に置く。

 

 ジッと、カナエちゃんはお猪口を見つめる。手に取る。飲んだ。

 

「はぁ……。おいしい」

 

 満面の笑みで、カナエちゃんは口もとについた血をペロリとする。

 もうちょっと、鬼になったことを認めたくないから飲まないとか、そういう葛藤はないのだろうか。あると思ったんだけど。

 

「ねぇ、カナエちゃん。我慢できる?」

 

 目をしばたいて、カナエちゃんは、空になったお猪口と、私を交互に見つめた。

 

「無理かも……」

 

 素直なのはいいことなのだけれど、もっと、意地を張るとかないのだろうか。

 

「まあ、いいけど……。当分は、()()に近づかないこと。わかった?」

 

「うん」

 

 ()()を殺すことだけは本当にやめてほしい。まだ子供もできていないどころか、夫も決まっていないのに。

 こればっかりは、念を入れても、入れすぎることはないはずだ。

 

 気分を落ち着かせるために、血を注いで、飲む。

 ()()の血ほど強い作用ではないが頭がスッとして、目が覚める。これから活動を始める宵にはピッタリな血だろう。

 

「ハツミちゃん、ハツミちゃん」

 

「なぁに?」

 

「もう一杯、もらっていい?」

 

 物欲しげに、私の飲んでいる血を彼女は見ていた。

 鬼になると、人を食べたくなる衝動のほかに、タガが外れたように節制が利かなくなる。

 彼女がそう言うのも仕方がないことだろう。

 

「一杯だけだよ?」

 

「ありがとう!」

 

 花が咲いたような笑顔を見せるカナエちゃんだ。それを見ると、私まで嬉しくなってしまう。

 

 カナエちゃんが、血を飲んだ後だ。

 改めて、やはり、切り出さなければならない話題がある。

 

「それでさ……カナエちゃん……。鬼殺隊に……帰る?」

 

「もちろんよ。こんなことになってしまったけれど、私は柱で、鬼殺隊の一員だから、帰るわ。妹たちも心配だし。……ちゃんと誠意を込めて話せば、みんな私やハツミちゃんのことも、わかってくれるわ」

 

「あのお方、血の呪いで視界を盗み見ることもできるのだけれど……。鬼の居場所も、わかるそうよ?」

 

「え……っ?」

 

 もし、今の段階でカナエちゃんが帰ってしまえば、無惨様と、上弦みんなで乗り込んで、鬼殺隊が全滅するかもしれない。

 本来なら、鬼殺隊の肩を持つのはありえないが、これはカナエちゃんのための忠告だ。

 

「それと、あのお方は鬼の心を読むことができるのだから、忘れたというのは通用しない。訊かれたら正直に話すことね」

 

 そう言ったならば、カナエちゃんはポカンとした。

 

 なんだかこの子、最初、出会ったばかりはピリッとした感じだったのだけれど、打ち解けていくうちに、ホワホワした感じになって行っているような気がする。

 

「……鬼って、大変なのね」

 

 しみじみと感じいるようにカナエちゃんはそう言う。

 なにかと無惨様を尊敬している私ではあるが、その言葉には賛同せざるをえない部分があった。

 

 そして、彼女と話していた中で、少しだけ気になったところがあった。

 

「ねえ、カナエちゃん?」

 

「ん?」

 

「もしさ、鬼殺隊に戻れたとしてさ。食糧、どうするつもりだったの?」

 

 鬼殺隊の人たちから、少しずつもらって、というところだろうか。

 カナエちゃんはきょとんとした。

 

「ハツミちゃんのところから、分けてもらうって、駄目……?」

 

「うーぅん……。あんまり良くない」

 

「どうして? あんなにあったじゃない。ハツミちゃん一人なら、余らせる量だよね……ぇ。だから……もったいないし、それがいいと思ったんだけど」

 

 単純に疑問のように、彼女は尋ねてくる。

 確かに余らせてはいるけれど、私だって考えなしなわけじゃない。

 

「減らしたくない。もし、飢饉になったとき、お腹減るのは、いやっ……!」

 

 いつ何時、なにが起こるかわからない。食糧の備蓄はあったほうがいいはずだ。

 

「えっ……。あんなにあったのに? ハツミちゃん一人なら、何年も大丈夫だと思うけど……」

 

「むぅ……」

 

 確かに、そう言われてしまえば、私一人なら、あんなにいらないような気がしてきた。あんなに貯めて、いったい私はどうするつもりなのだろう。

 

「それで、そう。ねぇ、ハツミちゃん……。私、この村を大きくしたいの!」

 

「……へ?」

 

 今の人数でも、二人分くらいは賄えるから、別に私は大きくしたいとは思わない。余らせるって言われて、私はちょっと、へこんでるんだもの。だからこそ、カナエちゃんがなぜそう言うのかがわからなかった。

 

「そうすれば、そうやって血を鬼のみんなで分ければ、鬼も無闇に人を食べなくて済む……。鬼と人が仲良くなれるって、そう思わない?」

 

 カナエちゃんは、柔らかな笑顔でそう言う。

 まるでその言葉は、私にとって、天啓のように感じられた。

 

「カナエちゃん……! 私、応援する! 一緒に頑張ろ!」

 

 なぜ、こんな簡単なことに、今まで気がつかなかったのだろう! 鬼と人間が仲良く……本当に素晴らしい! こんなに幸せで穏やかな気持ちは初めて……!

 カナエちゃんのことが、キラキラ輝いて見える。

 

 何故だか、今のカナエちゃんを見ていると、質の良い血を飲んだときのように幸せになる。その言葉がとても素晴らしいものに思える。

 昨日まではそんなことなかったのに……。

 

「ありがとう、ハツミちゃん」

 

「ううん、こっちこそありがとう! ……私、遠回りをしていたの! カナエちゃんのおかげで、向かうべき道が見つかったわ!」

 

「……ハツミちゃんッ」

 

「カナエちゃん!」

 

 私たちは、熱い抱擁を交わす。涙を流して、お互いの絆は何者にも切れないと、私たちは悟るのだった。

 

 そこからは、一緒に血で杯を酌み交わしたり、カラスの遺骸を探して見つけて弔ったり、充実した時間が過ぎて行った。



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再会

 真実というのは、時に知らない方が幸せな時がある。




「血鬼術?」

 

 鬼になったからには、鬼の戦い方がある。カナエちゃんは呼吸を使えるから、無くても戦えるはずだけど、あったらもっと強いはずだ。

 

「そう。どんな血鬼術になるかはわからないけど、使えて損するってことはないでしょう?」

 

「でも、あれって、人間をたくさん食べないと使えないはずじゃない? ハツミちゃん」

 

 カナエちゃんは首を傾げる。

 昨日、あんなに血を飲ませたはずなのに……。カナエちゃんは忘れてしまったのだろうか。

 

「たぶん、カナエちゃんなら、強力なやつが使えると思うわ」

 

 百年かけて貯めた血を、しかも新しい方から、全部飲ませたんだから、使えないとおかしい。

 上弦のみんなみたいに、強力なやつが使えるはず。

 

「……じゃあ、やってみるけど……どうすればいいの?」

 

「えっと、こう、できそうな術を想像すれば良いの」

 

「できそうな……術?」

 

 カナエちゃんは首を傾げた。

 確かにこれじゃ、わかりづらいかもしれない。

 

「血鬼術っていうのは、自分が強く望めば、それが現れるものよ。だから、できそうな術」

 

「ええ……? そんなことでいいの?」

 

「そう、鬼は、血鬼術を使うとき、大そうなことを考えて使うわけじゃないわ。だから、そんなことでいいの」

 

「なら、うーん……。できそうな術、できそうな術……。ふう……!」

 

 カナエちゃんは目を閉じて、拳をギュッとして、プルプルと震える。

 頑張れ、頑張れ、カナエちゃん!

 

「……ああ、駄目みたい」

 

 力なくカナエちゃんは項垂れる。まあ、最初だし、そんなものだろう。

 

「ねぇ、なにしようとしたの?」

 

「蝶の翅が欲しかったの」

 

「蝶の翅?」

 

 翅を生やすなら、血鬼術というより、どちらかと言えば肉体変化だけど……。

 きっと、カナエちゃんの想像している翅は、普通じゃない特別なやつなのだろう。

 

「ほら、見て? 綺麗でしょ?」

 

 そう言って、カナエちゃんは両手を広げて羽織りを私に見せてくれる。

 

 白い布地に、まるで翅脈のような黒い線。裾に、袖には黒い縁取り、その縁取りの中には、ところどころに角ばった白い不定形の斑点が入り、その縁取りから内側に入るにつれて、白い布地に桃色、水色と薄く推移していく。

 

 まるで蝶の翅みたいだと。きれいだと思った。

 

「うん、そうだけど……。あとで、洗濯しなきゃね」

 

 ただ、ところどころ、血を吸って赤黒くなってしまっていた。

 せっかく綺麗な羽織も、これじゃあ台無しだろう。

 

「あ……そうよね……」

 

 付いている血は、おそらくカナエちゃんのものだ。あの、手足を奪ったときに、ついてしまったものだろう。

 

「ごめん……」

 

「ううん。気にしなくていいのよ」

 

 カナエちゃんは寛大な心で許してくれる。そんなに怒っていなくてよかった。

 

「そう……だね、カナエちゃん。うん、気にしない。私、気にしないよ! 洗濯は私に任せて!」

 

「じゃあ、洗濯は任せちゃおっか……」

 

「うん、任された」

 

 ちゃんと私の手で洗おう。私の血鬼術は、血の汚れを落とすことにも役に立つ。便利な血鬼術で良かった。

 

「ねぇ、ハツミちゃん。ハツミちゃんの血鬼術、見せてもらえる?」

 

 きっと、私の血鬼術を見れば何かのとっかかりになるのかもしれないと思ったのだろう。

 

「わかった。じゃあ、血鬼術を使うなら、実際に戦ってみた方が早いかもしれない」

 

「戦う……?」

 

「そ……私とね。それに、戦いの中で必死になれば、カナエちゃんもできるかもしれない」

 

 死の淵に追いやられた生き物は、一つ不必要だった感覚の扉を開けて、より強靭になる。

 この戦いでカナエちゃんのことを追い詰めれば、いけるかもしれない。

 

「なら、頑張ってみようかしら……」

 

「じゃあ、そうだね。まずは里の外に出よ?」

 

「え?」

 

「ほら、里を覆ってる結界内なら、私の血鬼術は、自由に使えちゃうわけなの。そしたら、私の血鬼術の特性上、勝負にならないから」

 

「へ? ……そう……なんだ」

 

 カナエちゃんは複雑そうな表情を浮かべる。もしかしたら、手加減をされていると思って、いい気分じゃないのかもしれない。

 

「私が結界を張るまでの約一時間、その間に、私を倒せなければ負けになるわ」

 

 だが、こっちも手加減をするわけじゃない。最初に結界の準備をして、完成するまでの時間を稼ぐ。それが私の基本の戦い方だ。

 いつも、里の中だけで戦うわけではないのだし。

 

「本当に、結界の中じゃ、勝てないの?」

 

「ええ、試してみる?」

 

 ――血鬼術『()(しょう)(けっ)(かい)(しょく)(がい)』。

 

「えっ」

 

 カナエちゃんは、力なくへたり込んで動けなくなる。

 これが私の血鬼術の力だ。

 

「どう?」

 

「……なに、したの……?」

 

「あのね、足と手の筋肉を壊して動かなくしたの。人間のままだったら、一生動かなくなる。鬼だと、すぐに治っちゃうけど、結界の中なら継続的に繰り返せば動かないままにもできるのよ?」

 

 それでも、この術には欠点がある。結界の生物感知に引っかかったものを認識して、術で攻撃する。

 感知から、術の発動までに若干の時間差があり、その間に高速で動かれたら、理論上は、この術は効かない。

 

 もっとも、そんなことできたのは、鬼も人間も含めて、私の知る限りでは、一人しかいない。

 

 あとは、そうだ。私の攻撃回数を超える速度で再生されたら手も足も出ない。だから、私よりも再生速度が速いような、極端に強い鬼には、この術は効かないことになる。

 さすが、無惨様。

 

 なんだか、こう考えると、この術、欠点が多いような気がしてきた。

 

「恐ろしい……血鬼術……。ハツミちゃん……これで何人、犠牲になったの?」

 

「カナエちゃん、私ね。殺した人数は数えないことにしているの」

 

 目を逸らす。カナエちゃんには悪いけど、誤魔化しておく。

 これは、私の沽券に関わる問題なのだ。絶対に、言いたくはない。

 

「…………」

 

 カナエちゃんは胡乱げな瞳で私を見つめる。その目には、真実が見透かされそうな気がした。

 

「も、もう、術は解いたよ……! ほら、行こ!」

 

 無理やりに話題を変える。

 これで、私の体面も保たれるというものだ。

 

「…………」

 

 なんだか、カナエちゃんは、ムスッとしていたが、私は強引に結界の外に引っ張っていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふふ、これでも『上弦』の『弐』。私、強いんだよ?」

 

 結界の外で私たちは向き合っている。

 

 カナエちゃんには、刀を持たせた。日輪刀は、危ないから置いてきて、私が肉体変化を駆使して頑張って作った刀を持たせている。

 切れ味は、日輪刀と同じ、だと思う。たぶん。自信はないけれど。一応、カナエちゃんに試し斬りをしてもらって、合格はもらった。

 

「私だって、鬼殺隊の柱だもの。負けないわ」

 

 私は首を落とされたら負け。カナエちゃんは、一時間経っても私の首を落とせなかったら勝ちだ。

 

「じゃあ、いくわ?」

 

 ――血鬼術『()()(きり)(まい)』。

 

 ――血鬼術『()()(ふう)(ろう)』。

 

 ――血鬼術『死瘴結界』。

 

 私の十八番(おはこ)、三重の血鬼術だ。

 これを真正面から破り、私の頸を刎ねられるのは、『上弦』の『壱』くらい。

 

 私の血鬼術を前に、あの縁壱も討伐を断念した。泣いて謝った。

 

 まず、肉体操作で、私の血を霧状に散布する。これで、私の周りに近づけば、血に接触することになる。

 

「これで、私には近付けない」

 

「なら……」

 

 ――『花の呼吸・肆ノ型 紅花衣』!

 

 カナエちゃんが前方に円を描くように刀を振るう。

 そのとき巻き起こった風により、私の血の霧が飛ばされる。

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』!

 

 前方に跳び、しなやかに上半身を捻り、回転で勢いをつけて私の頸を狙ってくる。

 その美しい太刀筋には、舞う花びらが幻視できる。

 

 その速さに、力強さに、正確さ、並の鬼の頸ならば、反応できずに頸を斬られて終わるだろう。

 

「でも、少し、吸ったわ」

 

 ――血鬼術『死血霧舞・(ひょう)(そう)』。

 

 この術は、血で媒介し、細胞を傷つける血鬼術。皮膚に触れただけでは大した損傷にもならない。ただ、ちょっと体の表面が火傷のように傷つき痛むだけだ。目に入れば、ちょっと失明するくらいだ。

 

 だが、これを吸えば、身体を内部から傷つけることができる。肺が傷つく。

 

「っ……!?」

 

 肺に痛みが走ったからか、カナエちゃんの動きに乱れが生じる。

 

 ただ、『上弦』の『参』の肺胞を傷つける氷の技よりは、濃度が必要で、あからさまなため、気付かれやすい。

 

 最初の刀の一振りで飛ばされて、あまり吸っていないから、動きが止まるまでではないか。それでも、十分。

 

「捕まえた!」

 

 頸もとまで来たカナエちゃんの刀を手で掴んで押さえる。わずかに動きが鈍ったからこそできたことだ。

 

 ―― 血鬼術『死覗風浪・灰降ろし』。

 

「……!?」

 

 何かを感じたのか、一瞬遅れてカナエちゃんは刀から手を離した。

 そのすぐ後、カナエちゃんの両腕が崩れていく。

 

「接触時間が短かったから、肘までで済んだわね……」

 

 カナエちゃんは地面に着地。状況を理解するまでの数秒、カナエちゃんは足を止める。

 

「間接的な接触で……まさか――( )

 

 ――血鬼術『死覗風浪・土崩れ』。

 

 気がつくやいなや、カナエちゃんは地面から跳ねるが少し遅い。今度は、カナエちゃんの脚が膝までボロボロと崩れる。

 

 カナエちゃんは、跳んでいたわずかな間で再生した手を地面に付き、逆さに着地、地面との接触は最低限に、もう一度、跳ねる。手は崩れない。

 今度は再生した足で着地し、時間をおかずに走り出した。そうすれば、脚が崩れることもない。

 

 どうやら、私の血鬼術を理解したみたいだ。

 

「ええ、長時間の間接的な接触で、相手の身体を壊す血鬼術よ?」

 

 腕を崩したのは、刀を通しての接触。脚を崩したのは地面を通しての接触。そうして血鬼術を発動した。

 間接的な接触をしている部分が離れたらやり直し。だから、走っている今のカナエちゃんには、この術は発動させられない。

 

 ――血鬼術『死血霧舞』。

 

 今のうちにと、血の霧で周りを満たしておく。

 

「また……っ!?」

 

「ふふ、こうなれば、逃げても無駄なの! なにせ、私の結界の範囲は広いわ。全力で走っても、外には出られない。私を倒すしかないの!」

 

「……あなたの血鬼術……! 悪辣すぎるわ……!」

 

「遠距離で攻撃されれば、一溜りもないのだから、そんなこと、ないわよ?」

 

 そう、『上弦』の『壱』と戦えば、月の形をした刃がたくさん降ってきて、バラバラにされる。

 普通なら、常に走ることに体力が使われて、状況を打開する策を考えるのも難しくなるというのに、走りながら月の刃を飛ばしてくる。

 

 私、あの攻撃、キライ。

 

「……遠距離で……でも、そんな技は……。やっぱり、また……」

 

 鬼だって、体力が無限にあるわけじゃない。人と比べ物にならないくらいに多いだけだ。

 走って、削られていく体力に、カナエちゃんは焦りを感じていることだろう。

 

 カナエちゃんが落とした刀を手に持ってみる。

 一応、私が作った私の一部だから、なんとなく馴染む。

 

 鬼殺隊の真似をして、呼吸をしてみるけれど、身体能力が上がったりした感覚はない。私は才能がないのだろう。

 

 このまま時間切れまで待っているのは退屈なので、投げ付けようか。刀に私の血を纏わせて構えを取る。

 

「行くわよ?」

 

「あっ、ハツミちゃん!? ちょっと待って! こっちは!」

 

 ――血鬼術『死血霧舞・(みず)(がみなり)

 

 即席の技だが、上弦の弐たる私の身体能力に飽かせた投擲だ。爆音が響き渡り、一直線にカナエちゃんに突き刺さる。突き刺さった。

 

「な……何してるのカナエちゃん!」

 

 カナエちゃんは、避けるそぶりを見せなかった。それどころか、私の刀を前に立ち塞がったのだ。

 

「がっ……あ……。ハツミちゃん……。こっちは……村の方向だよ?」

 

「あっ……」

 

 私の投げた刀を受け止め、血を吐きながらもカナエちゃんはそう諭した。

 刀に纏わせた私の血が効いてきたのか、カナエちゃんの体は傷口から崩壊を始め、力尽きたように、地面に仰向けに倒れる。

 

「ハツミちゃん……ちゃんと、注意しようね……?」

 

「わ、私の血肉で作った刀だから、ちゃんと里に着く前に解体できるもん。うん、できる」

 

「そうなの?」

 

「たぶん……」

 

 私なら、あの速度でも、そっちは里の方向だと気づいて、そこから刀の解体を……ま、間に合ったはずだ。禍い避けの結界もあることだし、うん。

 

「そ、それはともかく、カナエちゃん……! 大丈夫!?」

 

 ちょっと私の血鬼術が効きすぎて、手、足、頭を残して、胴体が消失していた。

 今更になってしまったが、血鬼術の侵食を止める。

 

「うん。なんとか、大丈夫そう……」

 

 すぐさま回復して、カナエちゃんの身体は元どおりになった。鬼だし、灰からでも甦れるから、私が血鬼術を止めなくても、復活はできただろう。

 私の血鬼術では、無惨様みたいに鬼を殺すことはできない。

 

「えっと…‥続ける?」

 

 なんとなく、私がいけないことをしてしまったようで、これ以上、続けることも憚られた。

 

「ええ、続けるわ。なんとなく、掴めてきたみたい」

 

 私のあげた刀の刀身が、桃色に変わり、花弁のような筋が通る。

 これは、血鬼術だろうか。

 

「えっ……?」

 

 次の瞬間には、カナエちゃんは私の目の前にいた。

 

 ――『花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬』!

 

 美しい連撃だった。

 舞う花弁の幻想に、花の香りまでを錯覚する太刀筋。

 一撃一撃、それぞれが、私の急所たる首を狙い、余裕を与えない。

 

 地面を通じた間接的な接触を必要とする血鬼術も、私が足を常に動かし続ければ、容易には発動できないと見抜かれたか。

 ともあれ、このままでは少しまずい。

 

 ――血鬼術『死血霧舞・融雪』。

 

 肉体変化で、血を噴出し、直接、多量に吹きかける。

 これを受ければ、私の血鬼術により、生物の身体は溶ける。

 

「そっちにはいないわ」

 

「あれ?」

 

 私は、見当違いな方向に、血を放っていた。

 気分は悪くはない。むしろ良いくらいに感じられるのだけれど、なんだか調子がおかしい気がする。

 

 ――()()()『花の呼吸・捌の型 麻の飄忽』!

 

 私の頸を正確に狙った一撃だった。

 いつもなら、問題なく反応できる速度。そうだと思ったのに、次の瞬間には、私の頸は飛んでいた。

 

「えっ……?」

 

 頸が地面に落ち切る前に、手で掴んで、くっつける。

 

「私……勝ったわ! ハツミちゃん! 勝った!」

 

 カナエちゃんは、素直に勝利を喜んでいた。

 最後の方は、まるで何が起きたのか、私には理解できなかったけど、カナエちゃんが喜んでいるなら、それで良い気がしてくる。

 

 結局、刀が少し変わったくらいで、カナエちゃんは血鬼術を使っていないみたいだったし、目的は達成できなかったかな。

 それでも、それだと、なぜ私が負けたのかがわからない。

 なにかがおかしい気がする。

 

 ……まあ、いいか。

 

「おめでとう、カナエちゃん。今のカナエちゃんなら、『上弦』の『()』くらいなら、倒せると思うよ!」

 

「……私が……『上弦』を……? 今の私なら……『上弦』も……」

 

 少し、カナエちゃんは呆然としていた。

 

 柱は『下弦』の大半より強いのだから、その柱が鬼になれば、上弦に届くのは当たり前だろう。

 あんなに血を飲ませたのだから、案外、早く、『上弦』の『参』くらいには上がってくるかもしれない。

 

「カナエちゃん……戻ろ?」

 

「そうね。……ハツミちゃん……運動したら、お腹すいてきちゃった……」

 

「私も……結構、血鬼術を使ったから、そろそろまずいかも……」

 

 栄養が足りないと、なんでもいいから人間を食べたくなってしまう。それが鬼だ。

 だから、なるべく早く、帰ってお腹を満たさないといけない。

 

 そういえば、そうだった。

 

「カナエちゃん。着く前に、これ、飲んでおいても良いよ?」

 

 懐から、水筒を取り出して渡す。中には、質の良い血が入っている。

 本来なら、いつ、無惨様に呼ばれてもいいように、携帯をしておいているものだ。

 

「いいの?」

 

「いいよ。勝ったから、景品ねっ。今日は特別」

 

「わあ、ありがとう!」

 

 そう言えば、カナエちゃんは素直に受け取ってくれる。

 お腹が空いた状態のカナエちゃんが、里の人とばったり会って、その食人衝動に耐えられるかという問題もある。ここは、渡すのが正解だろう。

 

「……あっ……え……?」

 

「どうしたの、ハツミちゃん?」

 

「私の結界に、誰かが触った気がしたの」

 

 

 

 ***

 

 

 

「止まれ、胡蝶」

 

「どうしたんですか、冨岡さん。そんな、急に……」

 

 胡蝶カナエの失踪。

 柱がいなくなることは稀ではない。己よりも強い鬼、特に『上弦』と遭遇すれば、その命を散らすこともやむなしだろう。

 ここ、百年以上、鬼殺隊は『上弦』の鬼を倒せずにいた。

 

 今の任務は、失踪した胡蝶カナエを捜索している妹の胡蝶しのぶ、その付き添いだった。

 花柱である胡蝶カナエを倒すほどの鬼であるなら、『上弦』である可能性が高い。

 

 新たに水柱が現れるまでの代理である自分が、もし『上弦』と遭遇した際、どれほど役に立つかは疑問ではあるが、胡蝶しのぶよりは、経験で勝る部分も多々ある。

 

 胡蝶しのぶは、鬼殺隊の隊士でありながら、日輪刀で唯一鬼を滅する方法である、鬼の頸を切る、ということができない。その筋力が欠けている。

 

 そのかわり、自身の開発した毒を使って鬼を殺すのだが、この毒もまだ発展途上。ある程度の強さの鬼では分解されてしまうのが関の山だった。

 おそらく、『上弦』には効かない。

 だからこそ、自身が付き添いに選ばれたのだろう。

 

 果たして、その自身も、『上弦』を相手取り、どこまで戦えるのか。

 

 ――錆兎ならば……。

 

 時を巻いて戻す術はない。

 

「どうしたんですか! 冨岡さん!」

 

 森の中を進み、(ひら)けた場所に行き当たり、目の前には村が広がっている。

 だが、違和感があった。

 

 まるで境界でも引かれたように、手前から先は雑草の一本も生えていない。

 それどころか、鳥も見えず、虫の声も聞こえない。

 異質な空間が目の前には広がっている。

 

「胡蝶……虫を捕まえてきてはくれないか……?」

 

 力の足らなさを補うために、鬼を殺すための毒を開発した、自身とは比べものにならないほど頭の良い胡蝶しのぶのことだ。

 この違和感には、もう気がついているだろう。

 

「虫……? 急になに言ってるんですか?」

 

 この現象に対して、胡蝶しのぶは、もう結論を出しているのだろう。だが、頭の足りない自分では、実際に試してみるまで、予想が正しいのかの確信を得ることができなかった。

 

「俺には必要なことだ」

 

「はぁ、なら、自分でやればいいじゃないですか」

 

「お前は蟲の呼吸を使う……」

 

「…………」

 

「虫に関しては俺より詳しい」

 

「喧嘩売ってるんですか!?」

 

 胡蝶しのぶは、怒り心頭と言ったような様子だった。

 

 蛇の呼吸を使う者は、蛇を肩に乗せている。音の呼吸を使う者は、やはり音に理解があると言う。

 だからこそ、胡蝶も虫に理解があると思ったまでだった。だが、きっと、これは間違えていたのだろう。

 

「なら、鳥でも構わない」

 

 必要なのは、生き物だった。なにも虫である必要はない。

 

 言った瞬間、胡蝶はこちらを睨み付ける。表情に怒りを浮かべるが、その数刻後、呆れに変わった。

 

「これじゃ、話が進みませんね……。はぁ……仕方がないですね……」

 

 そして、胡蝶は虫を捕まえに行った。

 

 だからと言って、やはり、胡蝶しのぶにだけ任せるわけにはいかない。

 自身も懸命に虫を探す。

 

「冨岡さん……。捕まえて来ましたよ?」

 

「やはり、胡蝶の方が早かった……」

 

「やっぱり、喧嘩売ってるんですか?」

 

「もらう」

 

 そうして、胡蝶から、虫を受け取る。

 カマキリだった。

 

 懸念を確かめるために、カマキリを、草のない境界線の先に投げつける。

 

「あっ、冨岡さん!? せっかく捕まえたのに、なにしてるんですか!?」

 

「やはりか……」

 

 境界線の中に投げつけた途端、カマキリは死んだ。

 おそらくは、特定範囲内の生物を殺す血鬼術。この境界の内側は、間違いなく鬼の縄張りだ。

 覆っているのは、目の前に広がる村一帯か。この規模の血鬼術となると、『上弦』の鬼がいることは確定だろう。

 

「やはりって、冨岡さん?」

 

「胡蝶……帰るぞ……」

 

 『上弦』の鬼がどこにいるのかわかったのならば、軽率に挑むわけにはいかない。

 次こそは、本物の柱を連れて、討伐に向かうべきだ。

 

「ちょっと待ってください! 急に帰るって……!?」

 

 姉が生死不明の状態。

 おそらくは『上弦』の鬼に殺されている。殺した仇が目の前の村にはいるかもしれない。

 

 辛いだろう。叫び出したいだろう。

 ()()()()

 

 だが、今は一時(いっとき)の感情に流されるべき時ではない。確実に、『上弦』を――( )仇を討つためには、ここは堪えるべきところだろう。

 それがわからない胡蝶しのぶではないはずだ。

 

「胡蝶、花柱の仇は必ず取る」

 

「まってください! まだ、姉さんは死んだって決まったわけじゃ!」

 

 そして、胡蝶しのぶは境界を越え、死地に向かおうとする。

 

「行くな……胡蝶!」

 

 胡蝶の腕を引っ張り、胡蝶の首を腕で固める。

 

「まってください冨岡さん! 本当になんなんですか!」

 

 これ以上、行くというのなら、無理やりにでも連れ帰る必要があった。

 自身よりも、胡蝶しのぶの方が、鬼殺隊にとって必要な存在だろう。ここで失うわけにはいかない。

 

「…………」

 

「冨岡さん!? ちゃんと説明してくださいよ! 訳がわからないじゃないですか!」

 

 姉の死を、認めたくはないのかもしれない。

 頭の良い胡蝶のことだ。本当は状況を理解しているのだろう。胡蝶の心を落ち着かせるために、一から話さなければならないか。

 

「あれは、確か、胡蝶カナエが失踪したと聞かされた時のことだ……」

 

「ちょっと、待ってください。どこから話すつもりですか……?」

 

「…………」

 

 どう説得したものか。

 

 ――錆兎ならば……。

 

 時を巻いて戻す術はない。

 

「あら……逢引って感じでもなさそうね……」

 

 声がした。

 村の方、いや、来た道の方からだった。

 

「…………」

 

 振り返る。

 女だった。

 

 夜に映える白い髪で、巫女のような装束を身に纏った、まだ顔にあどけなさの残る年頃の女だ。

 亡霊のように白い肌に、『上弦』、『弐』と書かれた眼。

 その顔に貼り付けられた笑みは、作り物のように美しく、心地が悪い。

 

「『上弦』の『弐』……!?」

 

 鬼の始祖――鬼舞辻無惨、そして『上弦』の『壱』を数えて、三番目に強い鬼。

 

 回り込まれている。

 ここは自身が足止めをし、胡蝶だけでも逃すべきだろう。

 

「胡蝶……逃げろ」

 

「冨岡さん……!?」

 

「胡蝶……?」

 

 その名前に、鬼が反応した。

 ジッと、鬼は、胡蝶しのぶのことを見つめる。

 

「…………」

 

「あっ、わかった……あなた、カナエちゃんの妹ねっ!」

 

 その名前に、胡蝶しのぶは強く反応した。

 

「姉さんを……姉さんのことを……っ! 姉さんは……っ?」

 

 予想できたことだった。胡蝶カナエは、この『上弦』の『弐』によって――( )

 

 上弦の弐は、村の方を指差した。

 

「しのぶ……会いたかった……!」

 

 聞いたことのある声だった。胡蝶カナエのものだった。

 

「あ……。あぁ……。そんな……っ!?」

 

 現実を認めたくないかのように、胡蝶しのぶはうずくまる。

 現実とは、なぜ、こう、いつも残酷で、理不尽なものなのだろうか。

 

 胡蝶カナエは鬼化していた。



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明日への代償

 花柱は鬼になり、上弦の弐に退路は塞がれている。ここは、俺が犠牲になるしかないのだろう。




 ――『水の呼吸・拾ノ型 生生流転』。

 

 ――『花の呼吸・弐ノ型 御影梅』!

 

 斬撃がぶつかり合う。

 鬼殺隊の男の人が繰り出した連撃を、カナエちゃんが捌いているという状況だ。

 

「冨岡くん。鬼殺隊の柱の仲間どうし、仲良くしましょう?」

 

「黙れ……。鬼と交わす言葉はない」

 

 カナエちゃんが出てきてから、間をおかずにこうなってしまったけど、私はどうしたら良いのだろう。

 

 カナエちゃんの妹だったか、地面にうずくまっている子にでも話しかけてみようか。

 

「しのぶちゃん……だったっけ」

 

 ――『水の呼吸・肆ノ型 打ち潮』!

 

 私の頸もとを刃が掠めた。

 少し反応が遅れたら、頸が斬られていたかもしれない。

 

 鬼殺隊の男の人は、私とカナエちゃんの妹の間に立ち塞がる。

 さっきまで、カナエちゃんと切り結んでいたのに……判断が恐ろしく早い。

 

「胡蝶……立て……! 逃げろ……」

 

「姉さんが鬼になんて……。嘘だ。絶対に嘘だ……。姉さんに限ってそんな……」

 

「胡蝶!」

 

 力なく地面に崩れ落ちるカナエちゃんの妹に声をかけるが、泣いているばかりで、立ち上がる様子はなかった。

 

「しのぶ……私は鬼になったけれど、そう悲しむことではないわ。姉さんは変わらずに姉さんよ? それに、姉さん見つけたの。まだ実現は難しいかもしれないけど、鬼と人間が仲良くする方法を!」

 

「嘘だ……。嘘だ、嘘だ、嘘だ……」

 

 そうやって、現実を否定する様は、不憫にも思えてくる。

 鬼殺隊の男は、じりじりと自身の妹に近寄るカナエちゃんを目の端で警戒しながらも、私を近づけまいとしている。

 

「ねぇ、鬼殺隊の男の人……。名前、なんていうの?」

 

「鬼に名乗るような名は持ち合わせていない――( )

 

「水柱の冨岡義勇くんよ?」

 

「…………」

 

 カナエちゃんが教えてくれた。

 柱か。どおりで強いと思った。

 

「私は(ハツ)()。『上弦』の『弐』。『壱』ではないけれど、私があのお方の次に長生きしてる鬼よ? 私は強いわ? それでも、私に挑むつもり?」

 

 縁壱の居た時代に、あの時は他の鬼狩りも強かったから、たいていの鬼はやられてしまった。だから、私が無惨様の次に長生きなのも必然だ。

 

 二対一。圧倒的にこちらが有利なのは違いない。だが、私は血鬼術を使って消耗している状態だから、出来るだけ穏便に済ませたかった。

 だからこそ、私の強さを主張して、戦わずに降伏してもらいたい。

 

「…………」

 

 冨岡義勇は、目を見開いて、警戒を強めるように、剣を握る手に力を込めた。

 どうあっても、戦うつもりか。

 

 それにしても、ここがバレてしまったわけだし、カナエちゃんみたいに話し合って決着を付けるか、幽閉するか、殺すか……。あとはそうだ……不確実であまりやりたくないけれど、頭を壊して記憶を飛ばすという方法もある。

 

「ハツミちゃん! 殺さないでね……! 冨岡くんは、私の大切な仲間だから!」

 

 カナエちゃんは、殺すなと言う。

 その声に反応して、冨岡義勇の顔に一瞬だけ動揺が走った。

 

 この男をどうしようかと考える。

 殺したら、まずカナエちゃんの機嫌を損ねるから、それはなし。やはり、生け捕りか。

 

「カナエちゃん……! 手足の一本くらいは……」

 

「私のときもそうだったけど、あんまり、そういうのは良くないと思うわ」

 

「……ダメだよね。わかってた」

 

 なら、と、治るくらいに筋肉や靭帯を壊していく方針にする。

 こっちの方が、大雑把に壊すよりも、より繊細で、集中力と時間が必要になる。

 素面でないとできないほどだ。だから、カナエちゃんを鬼にした時みたいに、酔っている状態では無理。私は何も間違ってなどいない。

 

 カナエちゃんもいるし、血の霧は、体力を使うから、今は使わず温存する。

 

 ――血鬼術『死覗風浪』。

 

 相手は、刀を構えた状態で止まっている。今が最高の機会だろう。

 

「……っ!?」

 

 咄嗟にと言ったように、冨岡義勇は地面から飛び退く。

 

「はぁ……気付くのよね……」

 

 私の血鬼術にかかる時、何か、気持ち悪いような感覚がすると言う。

 右足の指の筋を一本、動かないようにできただけ。今の一瞬では、それが限界だった。

 手加減なしなら、足首くらいまで崩せていたのに……。

 

「…………」

 

 私の攻撃の正体がわからないのか、動揺したようにこちらを見つめている。足を止めて。

 

「ふふ……良いのかしら? 足を止めて……」

 

 次は足首。

 身体を動かせば、体力を使う。体力を使えば、考えることに集中できなくなる。だからこそ、正体不明の攻撃を受けた時、足を止めてしまうのだ。

 

 今度こそ、行動不能に。

 

「……!?」

 

 気づかれ、また飛び退かれる。

 

「あぁ……もうっ……!」

 

 足首の腱を傷つけることには至ったが、切断まではいかなかった。手加減しなければ、こんなに手間はかかっていなかったのに……。ヤキモキする。

 やはり、冨岡義勇は、カナエちゃんの妹を守るように、その近くに位置取った。

 

 悲しみに打ちひしがれてか、まだカナエちゃんの妹は動こうとはしない。

 

「……胡蝶! お前にできることは、そうやって、惨めったらしくうずくまることか……!?」

 

 カナエちゃんの妹に、そう発破がかかる。私の血鬼術を受けて、焦ったのだろう。急いているのだろう。

 

「……嘘だ……」

 

「立て! 立て……胡蝶……! そのまま鬼になった姉に、そして姉を鬼にした(あだ)に食われたいのか!?」

 

「……うぅ……」

 

「冨岡くん……! 失礼よ? 私が、しのぶのこと、食べるなんて絶対にないわ!」

 

 ――『花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬』!

 

「鬼の言い分など、信用なるわけがない」

 

 ――『水の呼吸・拾壱ノ型 凪』……。

 

「く……っ。あ……っ」

 

 切り掛かったカナエちゃんだが、気がついたら、弾き返されている。

 いま、水柱が剣を振ったようには見えなかったが、カナエちゃんの攻撃は凌がれている。何が起こったのかわからない。

 

「……でも!」

 

 その正体不明の技の最中、足を止めた。今度こそ、足首の腱を完全に……。

 

 ――『水の呼吸・玖ノ型 水流飛沫・乱』。

 

 損ねた。

 さらに深く傷つけることには成功したが、もうすでにそこにはいない。

 

 水面を叩くような足音とともに、水しぶきを幻視するが、その冨岡義勇の移動速度に私の目がついていかない。

 

 ――『水の呼吸・参ノ型 流流舞い』。

 

 ――血鬼術『死血霧舞・(えん)(しょう)

 

 反射的に血を吹き出して、私に向かう攻撃に対応する。

 だが、相手は、私の出した血の霧の中、かまわずに、私の頸を斬りに迫る。

 

「……くっ……」

 

 私の血にやられ、肌が焼け、それでも刀から手を離さないのは称賛に値する。

 それでもダメだ。

 

「アナタの力では、私の頸は切れないみたいね……」

 

 水柱の日輪刀は、私の頸に少し食い込んで止まっている。

 私の血を浴びて、肌を焼かれて思うように力が出せない。だから、こうなる。

 カナエちゃんが、私の頸を切り飛ばせたのは、鬼の力があってこそだろう。

 

 ――血鬼術『死覗風浪・虫()み』。

 

 次いで、刀を通して術をかけ、腕の筋肉をズタズタにしてあげる。まあ、このくらいなら、きっと治るだろう。

 

「……ぐ……っ、う……」

 

 痛みに呻きながら、水柱は刀を抜き、私から離れる。

 外側、内側に攻撃を受けて、もう腕もほとんど動かないはずなのに、刀を手放さず、まだ戦意も衰えない。

 

「諦めた方がいいわよ? 腕も……足首も……私の血鬼術で傷付いてる。これ以上、無理に動かしたら、二度と戦えない体になる!」

 

 冨岡義勇は、そう忠告する私を無視した。

 

「逃げろ、胡蝶……。ここは俺が時間を稼ぐ……お前だけでも生きろ……胡蝶!!」

 

 それは既に、この場を死地と決めている顔だった。

 なんとしても、カナエちゃんの妹だけは逃してみせると、一つの動作も見逃さないよう、私たちを睨み付けている。

 

「冨岡……さん……」

 

 そんな柱の男の姿を目に焼き付けてから、カナエちゃんの妹は、カナエちゃんの方に目を向けた。

 

「ねぇ、しのぶ……。別にとって食ったりはしないわ? 姉さん、しのぶとは戦いたくないの」

 

「…………」

 

「ううん。本当は、しのぶに戦って欲しくないの……。鬼殺隊を辞めて、素敵な人と結婚して、普通の女の子としての幸せを手に入れて欲しい」

 

「…………」

 

「大丈夫……。私が、人と鬼が仲良くできる世界を作るから……しのぶは安心して、好きな人と家族を持って、幸せに暮らせばいいのよ……?」

 

 ――『水の呼吸・肆ノ型 打ち潮』。

 

 私の攻撃をもろに受けたというのに、まだ動く。だが、動きには精細さが欠け、カナエちゃんには簡単に避けられた。

 本当に、自分の体のことをなんとも思っていないのだろうか。この異常者は。

 

「聞くな、胡蝶! 戯れ言だッ。……逃げろ! お前が死ぬのはここじゃない……! ……戦え! 戦い続けろ! ……お前は鬼殺隊の隊士だ」

 

「私が……」

 

 カナエちゃんの妹は立ち上がった。

 そして、きつく、カナエちゃんのことを見据える。

 

「しのぶ……」

 

「……鬼と人が仲良くなんて、できるわけがない……。私たちの親は……鬼に殺されたでしょ……っ!」

 

「しのぶ……。あのね、鬼になってわかったことがあるの……。人を食べたくなるこの衝動は……とても耐えられない」

 

「…………」

 

「鬼が人を食べるのは、仕方のないことなのよ……。だからこそ――( )

 

「黙れ……っ!」

 

 ――『蟲の呼吸・蜈蚣ノ舞 百足蛇腹』!

 

「えっ……」

 

「ごめんなさい……。姉さん……」

 

 カナエちゃんの妹の刀が、カナエちゃんの喉元に突き刺さった。

 いつ刀を抜いたのかもわからない、それほどに速い攻撃だった。

 

 ただ、カナエちゃんが反応できなかった理由は、攻撃が速かったからではない。妹から攻撃を受けるとは、まるで思っていなかったからだろう。

 

 カナエちゃんの喉元からは、刀が抜かれ、そしてカナエちゃんは地面に崩れ落ちる。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……。姉さん……。ごめんなさい……」

 

 カナエちゃんの妹は、まるで全てが終わったかのように、その場に泣き崩れた。

 今の攻撃は、突きだ。鬼は、日光を浴びるか、日輪刀で首を斬られるか、無惨様に殺されるかしないと、死なない。

 それなのに――。

 

「胡蝶……! 泣くな! 悲しむな! 鬼が待ってくれると思うな……!」

 

 ――『水の呼吸・捌ノ型 滝壺』!

 

 苦し紛れの攻撃だった。

 私を寄せ付けまいとするため、大味で範囲の広い攻撃での牽制。私の頸を斬ることを既に諦めているとわかる一撃だった。

 

「冨岡さん……。すみません……」

 

 カナエちゃんを残して、カナエちゃんの妹は走り出そうとする。どうやら、一人で逃げるつもりのようだ。

 

 ――『水の呼吸・漆ノ型 雫波紋突き』。

 

 追わせまいと、水柱は、私にしつこく攻撃を仕掛けてくる。

 絶対に私をこの場所から離さない。そんな気迫が感じられる。

 今にも、カナエちゃんの妹は逃げてしまう。

 

「待って……しのぶ……。お願いだから……姉さんの話を聞いて……?」

 

「……え?」

 

 カナエちゃんは、立ち上がって、追いすがり、妹の腕を掴んだ。

 

「しのぶ……」

 

「…………」

 

 振り返って。妹は、まるで幽霊でも見るかのように、カナエちゃんのことを見つめる。

 

「しのぶ、姉さんね。人の血を飲んで……とても穏やかな気持ちになれたの。ちゃんと、満たされていれば、人を食べたくもならない。そうすれば、人間とも仲良くできるって、そう思ったの」

 

 和やかに語る姉を、妹は理解できないものを見るような目で見ていた。

 

 しばらく間を置いて、状況を理解して、ようやく、彼女は口を開く。

 

「人を食べたな……! 何人食べた……ッ!? 私の毒が効かないなんて……! 十や二十じゃ利かないでしょう……! この短期間に……ッ! 食べておいて、仲良くだなんて……! 狂ってるッ!」

 

 そうして、カナエちゃんの妹は、気でも違ったかのように、大声で喚き出した。

 

 それにしても、毒……?

 鬼に効く毒だなんて聞いたことがない。

 そんな方法で鬼を殺しているなんて、少し驚きだ。

 

「……違う……。私は……血を飲んだだけよ……!」

 

「血を飲む? いったい、何人分……!? 何人の血を飲めば、私の毒を分解できるの?」

 

「あのね、しのぶ。ハツミちゃんの村では、稀血の子を、他の鬼に襲われないように匿ってる。だから、みんなが血を分けてくれるのよ」

 

「…………」

 

 そうして、カナエちゃんは私の里の内実を話す。あんまり、言いふらされたくない情報なのだけれど。

 

「ハツミちゃんは良い鬼よ? 私の考えにも、賛同してくれたもの」

 

「……姉さんの……考え……?」

 

「そう……この村をずっと広げて……! 鬼が飢えないように、みんなから血を分けてもらうの。そうすれば、みんな、きっと仲良くできるわ」

 

「……!?」

 

 カナエちゃんの妹は、まるで理解を超えるものに出会ったかのように、絶句して、止まる。

 

 私の行動を妨害していた冨岡義勇も、それを聞いて、動揺した。

 

「どう? しのぶ。とても良い考えでしょう?」

 

 カナエちゃんは、まるで屈託のない笑顔を浮かべる。

 それを見て、カナエちゃんの妹は、カナエちゃんに掴まれた手を振り解いた。

 

「……鬼が……人間を、支配する……?」

 

「結果的に、そうなっちゃうのかもしれないけれど……鬼に殺される人間もずっと減るはずよ? ハツミちゃんも、むやみに人を食べたりしない。仲良くしているの。ね?」

 

 そう私に会話をふった。

 なんとなく、ここは話を合わせた方がいいと私は思った。

 

「そう! 私に血を分けてくれる子たちはみんな守ってあげるのよ? ちょっと、不自由はさせるけど、それでも、みんな平和に暮らしているの」

 

 私のためと、里にやってきたカナエちゃんに武装して襲いかかるくらいの子たちだ。

 私がいなければ生きていけないと、彼らは知っているから。

 

「どう、しのぶ?」

 

 そんなカナエちゃんに、カナエちゃんの妹は、後ずさって首を振る。

 

「姉さん……。姉さんは勘違いをしている……。鬼は……鬼さえいなければ、悲劇も起こらない……。守ってもらう必要もない。血を分ける必要もない! 姉さん……あなたは……あなたはここで倒さなきゃいけない……!」

 

 そう言って、カナエちゃんの妹は、カナエちゃんに向かって剣を向ける。

 

「……そう」

 

 カナエちゃんは、悲しげな表情をして、涙を流す。

 実の妹に否定をされて、悲しいのだろう。それがとても伝わってくる。

 

 それはそうとだ。

 

「ねぇ、水柱の冨岡義勇くん……。そろそろアナタも限界じゃない? ふふ、筋肉も皮膚もだいぶ傷ついて、それでも動いて……もう、カナエちゃんの妹の方に援護に回る余裕はない」

 

「…………」

 

「カナエちゃん……強いわよ? 私が、保存してた血をたくさん飲ませてあげたから、もう『上弦』くらいの力はある。それを、柱でもない妹一人が、倒せるのかしら……?」

 

「……!?」

 

 夜明けが近いのだけれど、その前に、この人は倒れるだろう。

 カナエちゃんの妹の方も、カナエちゃんがなんとかして終わりだ。少し、時間はかかったけれど、私の里もバレずに済む。

 

 いや、やっぱり……鬼殺隊の人がここ周辺で何人も消えたら不自然だろう。実際、カナエちゃんの妹たちも、カナエちゃんの消息を辿ってここに来たわけだし。

 

 でも、そうか。

 里の人たちと口裏を合わせて、私とカナエちゃんが、少しの間、雲隠れすれば、バレずに済むかな。

 

 そんな風に考えている時だった。

 

 ――『風の呼吸・壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!

 

 私の目の前を、突風が削る。

 

「ひでぇ様じゃねぇかァ。冨岡ァ……!」

 

 その男は、理性も知性もなさそうな、粗暴な面構えをしていた。

 身体中の至る所、顔にまで、沢山の傷痕を持つ、まともな生き方をしていないと一目でわかる男だった。

 

「不死川か……。逃げろ。胡蝶を連れて逃げろ。お前の相手になるような鬼ではない」

 

「チッ……御館様に言われてきてみれば、『上弦』の『弐』かァ?」

 

 新手だ。本当に、この場所を誤魔化せるか怪しくなってきた。

 

 でも、今更、この地を捨てて移転というのも……。

 結界内に籠城するのも手か……ちょうど、無惨様のところに、転移できる血鬼術を持つ子が居たし、外に出る時は、その子を頼りにさせてもらおう。

 

「不死川くん!」

 

「花柱……無事だったのか? チッ、鬼化してやがるのかァ」

 

 カナエちゃんを一目見て、粗暴な面の男はそう吐き捨てる。

 

「不死川。ここは俺がもたせる。花柱を倒せ、そして胡蝶を連れて逃げろ」

 

「気に食わねぇ。まずはコイツを殺すぞォ、冨岡ァ」

 

 そう言って、私に刀を向けてくれる。

 熱烈でいいことだ。

 

「不死川ッ! 足を止めるな!」

 

「冨岡ァ? 急に何言ってやがる!?」

 

「遅い」

 

 ――『死覗風浪・虫喰み』。

 

 もう精密にやるのはやめた。

 片足に注力して、適当に治りそうなくらいに足の筋肉を傷つける。治らなかったらごめんね、カナエちゃん。

 

「……!? チッ、そういうことかよォ」

 

 私の攻撃から、一拍ほど遅れて男が飛び退く。

 いい動きだ。カナエちゃんに、この水柱、短期間に戦って、私もだいぶわかってきた。この男、きっと、柱くらいの強さはあるだろう。

 

「『上弦』の『弐』。私は、(ハツ)()よ? アナタは?」

 

「風柱――不死(しなず)(がわ)(さね)()……テメェを殺す、男の名前だァ!」

 

「ああ、怖いこと……」

 

 水柱の冨岡義勇とは違い、この子は私と話してくれる。冨岡義勇は、私が話しかけても、まるで無視だったから、少しだけ嬉しくなる。

 

 ――『風の呼吸・肆ノ型 上昇砂塵乱』!

 

 と、余裕ではいられないかもしれない。

 振られた刀は避け切った。

 だが、刀を振ると同時に巻き起こった風、それに私の肩が削がれる。

 

「『上弦』ってのも、この程度かァ?」

 

 血を舞わせても、風に吹き飛ばされることは目に見えてわかる。相性が悪い。

 

「なら、私の頸に刃を当ててみなさい。それでわかるわ……ぁ?」

 

「上等だァ! ゴラァ!」

 

「ふふ」

 

 ――『風の呼吸・捌ノ型 初烈風切り』!

 

 そして、彼は私の頸に切りかかってくる。素直なことだ。

 周りに風を纏っているが、その風ていどでは、私の頸の硬さを超えられない。やっぱり、刃を当てないと。

 

 そして、やはり、私の頸が完全に落とされる前に、間接的な接触で、私の術がかかりきる。最初に、片足を傷つけたから、万全の状態からは威力も落ちているだろうし。

 私には、勝てない。

 

 ――『水の呼吸・拾壱ノ型 凪』。

 

 瞬間、風が凪いだ。

 

「冨岡ァ、なにしてやがる?」

 

「不死川……。この鬼の頸を斬るな」

 

 一度、受けた冨岡義勇は、私の目論見を看破し、仲間の攻撃を止めたのだった。

 

「テメェ……! 鬼を庇うってのかァ!」

 

「そんなつもりはない」

 

「なら、どういうつもりだァ! 冨岡ァ!」

 

「……不死川、俺のようにはなるな」

 

 その言葉に、風の柱は、目を白黒させる。

 言葉自体はなにも間違ってはいないのだろうが、それでは意図が伝わらないだろうと、私は思った。

 

「邪魔しようっていうならァ、押し通る!」

 

 私の目の前で、二人はケンカを始める。

 茫然と立ちすくんで、私はそれを見つめた。

 

 なんだか、私は蚊帳の外だ。

 少し暇になったから、カナエちゃんの方を覗き見する。

 

 携帯していた血はあげたけど、飢餓状態になって、妹のことを食べていないか少し心配だった。毒は、よくわからないけど、克服するのにも体力を使っただろう。

 

 飢餓状態になって家族を食べたら、鬼にした相手を逆恨みすることがある。私は、カナエちゃんに恨まれたくはなかった。

 

「しのぶ……やっとわかってくれたのね……」

 

「……姉さん」

 

 二人は、涙ながらに抱き合っていた。

 経過がまるでわからないが、仲がいいのは良いことだった。

 あれだけ否定されていたのに、どうやって、仲直りしたのだろうか。少し気になる。家族の絆とか、そこら辺かな。

 

「どけェ、冨岡ァ!」

 

「不死川、剣を収めろ。無駄な戦いはやめるべきだ」

 

 こっちはこっちで、なぜ戦っているのか。

 この、『上弦』の『弐』の私の目の前で……ちょっと、心配になる。ただ、どちらとも私の行動には目を光らせているから、油断ならない。

 

 カナエちゃんと言い、この人たちと言い、個性が強くないと、鬼殺隊って、柱にはなれないのだろうか。

 

 そう考えていると、ふらっと、カナエちゃんの方から、カナエちゃんの妹がやってきた。

 

「ふふ……あはは……。冨岡さん……。不死川さん……。姉さんに、ハツミさんは良い鬼です。帰って、御館様にそう報告しましょう? ああっ……きっと、姉さんたちが、ふは……鬼と人と仲良くできる世界を作ってくれるんです!」

 

 争っていた柱は、二人、それを聞いて手を止め、ぎょっとした表情で、カナエちゃんの妹を見つめる。

 

「頭でもおかしくなったのかァ? アイツ」

 

「……正気じゃない」

 

 二人とも、カナエちゃんの妹に起きた変化に、戸惑いを隠せない様子だった。

 

「酷いじゃないですか……ぁ。二人とも……ぉ。ふふ……私がおかしいみたいに……ぃ。私、二人のこと嫌っちゃいますよ……ぉ?」

 

 カナエちゃんの様子を窺えば、やり遂げたように、とても満足そうにしている。

 わけがわからなかった。

 

「……あっ」

 

 この混沌とした状況で、いち早く動いたのは、冨岡義勇だった。

 独特な歩法でカナエちゃんの妹のもとに近寄ると、一瞬でカナエちゃんの妹の意識を奪う。

 冨岡義勇が速かったというよりも、カナエちゃんの妹の動きが鈍かったように感じられる。

 

「冨岡くん、酷いじゃない。もうちょっと、女の子は丁寧に扱うものよ?」

 

「花柱……胡蝶になにをした……?」

 

「なにって、話し合いをしたのよ?」

 

 カナエちゃんは小首を傾げる。ジッと二人は見つめ合った。

 

「よそ見してるんじゃねェ!」

 

 ――『風の呼吸・弐ノ型 爪々・科戸風』!

 

 遮る相手がいなくなったからか、風の柱は私に攻撃をする。

 迫る風の刃を避ければ、その先には構えの動作をした風の柱がもうすでにいる。

 

「さすが柱ね」

 

「不死川……!? やめろ!」

 

 ――『風の呼吸・陸ノ型 黒風烟乱』!

 

 私の頸に刃が到達する。

 風により頸の周りの肉が削がれ、血が舞う。だが、私の頸の硬さは『上弦』で一番だ。そんなに、簡単に斬られはしない。

 

 そして、私の血鬼術が届――

 

「チッ、面倒な術だなァ!」

 

 ――かない。

 

 私が術をかけきる前に風の柱は跳んで離脱した。

 

「不死川……気付いていたのか」

 

「冨岡ァ。テメェは、もう少し、わかりやすく伝えやがれ。それと技のキレがねェ。もう限界なんだろォ?」

 

「お前の強烈な攻撃を受けたのがトドメだった」

 

「それはテメェが……」

 

 売り言葉に買い言葉と、口論が続くと思ったが、風の柱は言葉を飲み込む。

 

「…………」

 

「もういい。テメェは、そいつを連れて逃げろ。ここは俺がァ、引き受ける」

 

「だが……」

 

「俺の風なら触れずに削れる。こいつの足止めなら、俺以上はいねぇだろうがァ! それに、今のテメェは足手纏いだ」

 

 そう言い切って、私の前に立つ。

 なるほど、風の刃だけを使って、私のことをちまちま削ろうって魂胆か。確かに、足止めならこれ以上はない。

 

「すまない。不死川……」

 

「チッ……さっさと行きやがれ……。それとも、まだなにかあるのか?」

 

「……不死川。必ず生きて帰ってこい」

 

 そう言って、カナエちゃんの妹を担いだ冨岡義勇は走り去っていく。

 

「……当たり前だろうが」

 

 風の柱が睨みを利かせて、私は追うことができない。

 カナエちゃんはというと、呑気に手を振っていた。

 

「カナエちゃん、カナエちゃん! ここがバレるのは嫌だから、追って欲しいんだけど」

 

「ハツミちゃん。しのぶもわかってくれたし、御館様は物わかりの良い素敵な人だから、きっとわかってくれるわ? だからなにも、心配いらない」

 

「……そう……なんだ」

 

 おのれ、産屋敷……。

 カナエちゃんは完全に信頼している。きっと、動いてはくれないだろう。

 これが終わったら、無惨様に空間を移動する血鬼術の子を借りられるよう頼みに行こう。

 

 もう、こうなったら、この風の柱も逃しても良いのだが、どうしよう。もう帰ろうかな。

 

「チッ、『上弦』は殺せなくともォ、花柱――( )胡蝶カナエ、テメェだけは殺していく。これはァ、ケジメだ」

 

 そう言うと、風の柱は自身の腕を、刀で傷付ける。だらだらと血が流れる。

 自傷だなんて、頭がおかしくなってしまったのだろうか。傷痕が残ってしまうくらいには深い傷に思える。

 

「なんのつもり……?」

 

「猫に木天蓼、鬼には稀血……」

 

 匂いが漂う。()()の血とは毛色が異なるが、とても良い匂いだった。

 

「あ、あれ……?」

 

 なんだか、頭がフワフワとして、飲んだわけでもないのに酔っているような気分になる。

 

「俺の血の匂いで、鬼は酩酊する。稀血の中でもさらに希少な血だぜ。存分に味わえ!」

 

 カナエちゃんを見る。凄い形相で、流れる血を凝視して、今にもかぶりつきそうだった。

 とりあえず、蹴り飛ばして、匂いの届かない遠くに追いやる。このまま襲って殺してしまうというのはとても困るからだ。

 

「あぁ……とても良い、あなた……とても良いわぁ……。天然物でこれほどなんて、思ってもみなかった……ぁ」

 

 ()()のお婿さんにしてあげよう。



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親愛なる

 どうしようのない飢餓に、こらえきれない孤独。それが私の、人間だった頃の記憶。




「天然物ぉ? どういう意味だ」

 

「そのままの意味よ? 私の里では、稀血どうしを掛け合わせて、より、美味しい血の子ができるように、何世代もやって来たの」

 

「チッ、胸糞悪りィ……。家畜でも飼ってるつもりかいィ」

 

「ふふ、あなたとは、ちょっと異なるけど、匂いを嗅いだだけで頭が冴えておかしくなってしまう血を持つ子もいるのよ?」

 

 ()()のお婿さんにする。

 そう決めたが、どうやって捕らえようか。

 

 相手は風で攻撃をする風の柱。血の霧を吹き飛ばし、私を斬り付けないとなると、正直、結界の中に入れて、身体を壊すくらいしかない。

 

 ()()に苦労をかけたくはないから、手足をもぎ取るのはなし。

 苦労していると、血が美味しくなくなるのだ。

 

 だからというか、里の子が心労をかかえていれば、私にはわかる。

 悩んでいる子に、そっと声をかけて聞いてあげるのも、美味しい血を飲むために必要なことだ。

 まあ、これでも長生きをしているから、年の功で、悩みの解決もそれなりにはできると自負している。

 

 それはともかくだ。

 空を眺める。今から結界を貼るんじゃ、おそらく日の出までには間に合わない。

 

 里に誘い込むか……いや、そういえば、カナエちゃんと戦った時に貼ろうとしていた結界があった。これを使おう。

 

 逃げて行った冨岡義勇と、それに担がれて行ったカナエちゃんの妹の捜索にも使えるかとも思ったが、展開した時には範囲外か。

 それに、離れていては精密な身体の破壊はできないから、間に合ったとしても、カナエちゃんを怒らせてしまう。こっちはもう諦めよう。

 

 ――『風の呼吸・壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!

 

 狙いは私ではなかった。私の横をすり抜けて、カナエちゃんの方へと風の柱は突っ込んでいく。

 私が蹴飛ばしてから、カナエちゃんは倒れたままだ。少しまずいかもしれない。

 

 ――『死血霧舞・水雷』!

 

 肉体変化で鋭い武器を作り出して、投げつける。

 

 ――『風の呼吸・参ノ型 晴嵐風樹』!

 

 風が巻き起こり、私の投げた武器の軌道を逸らす。

 もちろん当てるつもりはなく、足止めのために放ったのだが、しっかりとカナエちゃんの方へと向かう風の柱の邪魔をできた。

 これでカナエちゃんに余裕ができただろう。カナエちゃんが立ち上がる姿が見える。

 

「……不死川くん……。稀血だって知ってたけど……こんなに美味しそうだなんて……知らなかったわ。なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」

 

 涎を垂らしながら、足取りはとてもフラフラして、戦えるようには思えなかった。

 

「チッ……すっかり鬼になりやがって……。花柱さんよォ……!」

 

「別に鬼になることは悪いことではないわ? 最初は少し戸惑ったけど、私にとっては、すごく素敵なことだったの。仲良くしましょう、不死川くん……ぅ。あはは……私、不死川くんの血が飲みたいわ……」

 

 カナエちゃんは、千鳥足で、すっかり出来上がってしまっている。

 そんなカナエちゃんに、風の柱は容赦がなかった。

 無慈悲に刀を頸に振るう。

 

「……死ね……」

 

「……嫌……っ」

 

 だが、カナエちゃんは酔いながらも自分の刀で身を守った。

 斬撃を防いで、覚束ない足取りで、後ろへと距離を取る。

 

「チッ……」

 

「酷いじゃない、不死川くん。冨岡くんもそうだったけど、同じ柱でしょ……? 私のこと、そんなに信じられないの……ぉ? 私、傷ついちゃったわ……ぁ」

 

「ああ、そうだぜェ? 鬼の言うことなんて、信じられねぇに決まってるだろうがァ」

 

 そんな風の柱に、カナエちゃんは酔って情動の制御がまともにできなくなっているのか、泣きながら言葉を返す。

 

「酷いわ……。そんなの思い込みよ! 良い鬼か、悪い鬼かもわからないなら、柱なんてやめちゃえばいいわ……ぁ」

 

「なら、テメェは、人を喰らう悪い鬼だなァ! オレのことも、食うつもりだろうがァ。とっととくたばりやがれ」

 

「私は、血を飲むだけだものぉ……っ!」

 

 言い争いながらも、カナエちゃんは、風の柱の攻撃を捌いていた。

 

 酔っていても、対等に戦えているのは鬼の力のおかげか、ああ、それに加えて、素の実力ではカナエちゃんの方が上、なのかもしれない。

 そうでなければ、ここまで互角には戦えないだろう。それくらい酷い酔い方だった。

 

 それにしてもだ。

 私たちの足止めで、この風の柱は残ったはずなのだが、相手にしているのはカナエちゃん一人。私は放置されている。

 カナエちゃんの妹たちを追いに行っても良いのだけれど……いや、私は是が非でもこの風の柱を捕まえたい。()()のお婿さんにしたい。

 

 なるほど、私がこう思ってしまうことを、この風の柱は読んでいたのか。憎らしい。

 そんなに、()()のお婿さんになりたいのか。なりたいのか。

 

「ねえ、風の柱の不死川さん。私の里で暮らさない? 里の中だけで暮らすことになるから、少し不自由かもしれないけど、一生、食べるには困らせないわよ? 私の血鬼術で、害獣も襲って来ないし、流行病の心配もない……なにより、鬼は私が退治するから里には来ないわ! お嫁さんも、とても気立ての良い子よ? 私、とても良い提案だと思うのだけれど?」

 

「……くだらねぇ。テメェらの御託に付き合う気はねぇよォ」

 

 風の刃が飛んでくる。カナエちゃんと戦いながらも、こちらに牽制をいれるくらいの余裕はあるのか。

 

「不死川くん……。不死川くんは、とってもいい血を持ってるから、協力してくれれば、私たちの夢にも、とても近付くと思うの……ぉ。えへへ……私が味見しちゃうわ……ぁ」

 

 カナエちゃんはもうダメだった。

 風の柱の血にやられて、酔って理性がほとんど利いてなさそうだ。目の前の男を食べたくて仕方ないのだろう。

 

「花柱……。テメェはこれでぇ、終わりだぜ……ェ!」

 

「あっ……」

 

 風の柱が、カナエちゃんの刀を弾く。

 酔って、握力も落ちていたのか、カナエちゃんの刀はそのまま手からすっぽ抜けると、飛んで行った。

 

「鬼は殺す。それが昔の仲間であってもォ……絶対だァ」

 

「酷い……っ! 不死川くんの分からず屋ぁ!」

 

 丸腰になったカナエちゃんに、無慈悲な一撃を風の柱は与えようとする。

 少しまずいかと、私は援護を加えようとした。

 

「……!?」

 

 だが、その一撃を与える寸前に、風の柱はタタラを踏んで攻撃を中断する。

 

 その隙を突いて、カナエちゃんは風の柱を押し倒した。

 鬼の力に、呼吸での身体強化が組み合わさっている。呼吸だけを使う風の柱では、どうしたって力負けする。

 

「ふふ……とっても良い匂い……。食べちゃいたいくらい……。少しくらいならいい……?」

 

「テメェ……!?」

 

 言うが早いか、カナエちゃんは風の柱に齧り付いた。

 風の柱の肩口に傷ができるが、カナエちゃんはないような理性でも加減をしたのか、肩の骨まで砕けている様子はない。肉にギリギリ届いている感じだ。

 

「……んぅ。……ふぅ……」

 

 噛み切った肉をゴクリと飲み込むと、自分で付けた傷口に、カナエちゃんは口をつける。そのまま、ずるずると血を啜る。

 とてもずるい。

 

「んぐ……がぁ……。テメェ……離しやがれ」

 

「ん……はぁ。んんぅ……ふはぁ……」

 

 もがく風の柱の言葉なんか無視して、カナエちゃんは傷口に吸い付いて離れない。このまま放置すれば、ずっとくっ付いていそうだった。

 カナエちゃんを離さないと、少しまずいか。止血もしないといけなさそうだし。

 

 そうこう考えているうちに、結界が完成した。

 

 ――『死瘴結界・蝕害』。

 

 まず、風の柱を捕まえているカナエちゃんを無力化する。

 

「あ……」

 

「このォ……。鬼がァ……」

 

「や……」

 

 力の緩みを見逃さず、風の柱はカナエちゃんを突き飛ばした。傷ついた肩を押さえながら立ち上がる。

 

「テメェ……。やりやがったなァ……」

 

「あはは……不死川くん……。今、私、とっても気持ち良いの……」

 

「チッ……今度こそ、終わりだ……」

 

 そうして寝そべっているカナエちゃんに、風の柱は刀を振るおうとする。だが、ダメだ。

 

「そう、終わりね……」

 

 ――『死瘴結界・(ちょう)(きょう)』。

 

「が……」

 

 そうして、風の柱は剣を手放し、頭を押さえる。

 私の提案に乗ってくれなさそうだったし、こればっかりは仕方がない。

 

「…………」

 

「テメェ……何……しや……がった……」

 

 苦しみながら、風の柱はそう尋ねてくる。まあ、これから私の里で暮らしてくれるよしみだし、教えてあげようか。

 

「ん? 頭を壊しているの。これから、記憶を失ってもらうわ」

 

「記憶……だと……」

 

「今のままじゃ、私の里で暮らしてはくれなさそうだし……」

 

 今付いている傷は、()()に看病させてあげるんだ。そうすれば、自然と二人の仲も深まって、祝言をあげた後も、滞りなく子どもができる。

 

「ぐ……まだだ……まだ……」

 

「ふふ、もうちょっとよ? もうちょっと。余計なところを壊さないように、私、今、頑張ってるんだから」

 

「……ク……あ」

 

 地面を這いつくばりながらも、落とした刀に手を伸ばしている。

 なかなかに根性がある。見直した。

 

「危ないから、これは私が預かっておくわ」

 

 私が刀を拾うと、怖い顔で私を睨む。

 元気なことだ。

 

「ぜってぇに……テメェは……オレが……殺して……やる……」

 

「そう。頑張ってね」

 

 そう言い捨てたのを最後に、風の柱は地面に力なく伏す。これから、この子には、()()と幸せになってもらわなければいけない。

 

 もし記憶が戻ったとしよう。()()は私を信奉しているが、果たして、そんな()()と結ばれて、私を倒すという選択ができるのかどうか、見ものだ。

 

 記憶を失くしたこの子を担いで、次はカナエちゃんに声をかける。

 

「カナエちゃん……動けそう……?」

 

「ふふ、ハツミちゃん……。とっても気持ち良いの……。ずっとこうしてたい……」

 

「…………」

 

 地面に寝そべったままカナエちゃんは動こうとしなかった。意識を手放そうとしている。

 このままでは、もうすぐ昇る太陽の光により、焼き殺されてしまう。

 

「ハツミちゃん……ぅ」

 

「……はぁ」

 

 どうせ、酔ってるだけだし、頭がスッキリとする血でも飲ませれば、少しはまともになるだろう。

 とりあえず、記憶を失っているこの子を置いてきて、血を持ってこようか。

 

 ああ、後で無惨様のところに報告に行かないと。

 

 

 

 ***

 

 

 

 私は変装をした。人間への擬態である。

 ちゃんと髪も黒くしたし、今は眼に刻まれた『上弦』の『弐』の文字もなく、人間と同じ黒い瞳になっている。

 ()()に着物を着せてもらい、大人っぽくおめかしもした。

 

「月彦さん……!!」

 

 目当ての男性がやって来たから声をかける。

 ちょっと大きいお家の客間で、私は待たせてもらっていた。使用人たちは、私にとても親切だった。

 

(ハツ)()か……。何の用だ」

 

「報告があって参りました……」

 

「わかった。……部屋を移るぞ?」

 

 ついでに使用人に、寝室には誰も近付けるなと命令をなされた。

 使用人も、大した言及はしない。

 

 そうして私は寝室に連れられていく。扉を閉め、密室に。声を潜めて会話をする。

 

(ハツ)()。用件はなんだ……。くだらぬ用件で来たわけではないのだろう」

 

「はい……無惨様……」

 

 現在、無惨様は月彦と偽名を使って、小さな貿易商を営んでいた。日光を鬼が克服する道への資金集めに情報集めが主な狙いだ。

 

 私の里も、わずかばかりだが金銭的な支援をもらっている。表向きでは、私が妻で、単身、東京へと出稼ぎに向かった中、置いて来た家族のいる故郷へと仕送りをしている、ということになっているそうだ。

 

「…………」

 

「まずは、これを……」

 

 小瓶に入れた血を無惨様へと差し出す。()()のお婿さんの実弥くんの血だ。

 

 無惨様は無言で受け取る。

 まず、瓶の蓋を開け、匂いを嗅ぐ。

 

「……!? これは……!?」

 

「先日、捕えました柱の血でございます」

 

 平伏して、そう告げる。

 

 そう答えると、無惨様は瞠目して私をみつめながら、血を口に運んだ。

 まず一口、舌の上で転がして味をゆっくり堪能すれば、次は喉を鳴らして、瓶の中身を一息に流し込んだ。

 

「ふ、ふはは……。よくやった(ハツ)()! やはりお前は特別な鬼だ……。私が見込んだだけはある……」

 

「身に余るお言葉……光栄の極みにございます……」

 

 私は涙を流してしまう。こんなに褒められるだなんて、とても嬉しくてたまらない。無惨様に仕えていた今までが報われるような気分になる。

 

(ハツ)()。それはそうと、いつもの血だ。持って来ているのだろう?」

 

「はい、ここに……」

 

 私はもう一つ、小瓶を無惨様に差し出した。

 これには()()の血が入っている。

 

「フン……」

 

 私から血を受け取ると、これまた一気に飲み干した。

 目を瞑り、数秒、飲んだ血が精神にもたらす効能を楽しんでいるようだった。

 

「…………」

 

「……打ち消し合うと思ったが……なかなかに合うものだな。……(ハツ)()。お前は今まで通り、村の稀血の人間どもの、質の向上に努めるのだ」

 

「はい……無惨様」

 

「私が太陽を克服した暁には、お前の村に居を構える。(ハツ)()、昔のように穏やかに暮らそう」

 

「はい。その時を楽しみに待ち望み、日々精進に励みます」

 

 昔、縁壱にやられた後の話だ。

 無惨様を私の里に匿ったことがある。その時の暮らしを無惨様はいたく気に入ってくださり、度々、太陽を克服した後の展望を語ってくださるのだ。

 

 そうして、まだ立ち去らない私を、無惨様は訝しげに見つめる。

 

「……まだ、なにかあるのか?」

 

「無惨様……ご報告がございます……」

 

「言ってみろ」

 

 失望されるのが恐ろしい。もし、そうなら、私の命はここまででいい。

 それでも、伝えるしかない事実だ。

 

「私の里の位置が、鬼狩りどもに把握されました……」

 

「なに……っ!? なぜ、今になって見つかった……! なぜだ? お前の存在を知った者は全員殺せばよかっただろう?」

 

 無惨様は怒りをあらわにならせらるる。

 私は涙を流して釈明をする。

 

「最初やって来たのは柱でした……。鬼にして、ことなきを得たと思ったのですが、その柱を探して、また別の鬼狩りが……。倒せども、やつら、蛆虫のように涌いてくるのです……っ」

 

 私の言葉を聞いて、無惨様はその表情を怒りから同情に変えた。

 そして、おっしゃった。

 

(ハツ)()。柱は何人倒した?」

 

「はっ……。二人でございます……」

 

 カナエちゃんに、珍しい稀血の子。一応、これは倒したということでいいのだろう。倒したというよりは、味方にしたと言った方が正しいか。

 

「ならば、そのまま柱を引き付け倒せ……。なに、私の次に古い鬼のお前ならたやすいことだ」

 

「無惨様……。鬼狩りどもに、縁壱のような者がおらぬとも限りませぬ。あの男は覇気もなく、殺気もなく、一目見ただけでは強さもわからない。私は、あの男が恐ろしいのです……。もうすでに場所は割れているようで、次は確実に私を殺そうとするに違いありません……」

 

 カナエちゃんに聞いた限りでは、そんな隊士はいないということだったが、無惨様を倒すためにも、小狡い産屋敷の奴らが存在を隠している可能性があった。

 聞いた話では、私たちを倒すために、奴らは手段を選ばないそうじゃないか。今まで散々鬼を追い回して来たあの産屋敷ならやりかねない。おのれ、産屋敷……。

 

「あんな男が、そうそう居てたまるものか……。だが、場所が割れているのなら……柱が複数やって来るということもあり得る……のか。同時に相手をすれば、さすがのお前でも厳しいか……」

 

「はい。四人ほどまでならおそらくは……ですが五人以上となると……」

 

 縁壱以前に、結界の外でたくさんの柱に虐められたら、私だって生きているかはわからなかった。

 場所が分かっている以上、そうなる可能性もある。

 

 頸さえ斬られなければ、複数相手でも結界で時間切れを狙えるところが私の強みでもあるが、常に攻撃を受け続ければ地面を通した間接接触は狙えず、血の霧も風を使われれば無力。

 能力がバレている状態で、私の頸を斬れるような力を持った柱が、連携をして襲ってきたら、たいぶ怪しい。

 

「お前が死ねば……お前の村は鬼狩りどもに押さえられる……。ならばお前は結界の中に篭るのだ……結界の中ならば襲われる心配もないのだろう?」

 

「はい。無惨様……。ですが……結界の中に居るだけでは……里を維持する資金の調達がままならないのです……」

 

「…………」

 

 里の人たちに配る食糧だって、服だって、お金を払ってもらっている。

 お金の調達ができなければ、貯蓄したものでも、たかだか十数年しか里を存続できないのだ。

 

「無惨様……ぁ。私に、長距離を一瞬で移動できる能力でもあればよかったのですが……そんな能力もなく……」

 

「白々しい。鳴女を貸してほしいのだろう?」

 

「……はい」

 

 私の目論見は、心を見透かせる無惨様にはお見通しだった。

 そんな私を見て、無惨様は少しお考えになっているようだ。

 

 不興を買っていないか、私はソワソワしながら待った。

 そして、無惨様は結論をお出しになられる。

 

「……分かった。鳴女はあとで手配する。用件はそれだけか?」

 

 無惨様に、良い血が手に入ったから飲んでもらいたかったのと、遠くまで簡単に行ける血鬼術を持った鬼の子を貸してもらうの、用件はこの二つ。これで全てだ。

 

「はい……以上でございます……。では私は、これにてお暇を……」

 

「待て、(ハツ)()。血を啜り、肉を喰らい……前にも増して強くなったようだな……?」

 

「は、はい……。無惨様……」

 

 毎日、血を飲むことを欠かしていないし、里の人に死人が出れば、私はそれを喰らう。鬼として、強くなっているのは当然だろう。

 

 無惨様は、満足げに微笑んだ。

 

「ならば、前よりは耐えられるだろう……」

 

 そっと、無惨様は私のことを抱きとめる。

 

「…………」

 

 私は緊張をして、言葉が出ない。

 無惨様は私の胸元に手を入れて来る。

 

「私の血を与えてやる……」

 

「ん……あ……」

 

 心臓が潰された。

 そして私の心臓を潰した無惨様の手から、血が溢れて私の全身に流されていることがわかる。

 

「気分はどうだ……? (ハツ)()

 

「……ああ……。む、無理……。い、痛い……。痛いです」

 

 全身が悲鳴を上げていた。無惨様はいつにも増して私に血をお与えになっている。

 会うたびに無惨様は血をわけてくださっているが、今日ほどではない。

 

「いつもは加減をしてやっているのだ。その分だと思え……」

 

「うう……。死んで……しまいます……ぅ」

 

 全身が痺れるように言うことを聞かない。

 無惨様の血により、体が作り替えられていることがわかる。より鬼らしく。

 鬼になる前から、人間らしさなど捨てていた。無惨様に鬼にされて、私は救われた。だから、そうやって体が作り変わることに恐怖はない。

 

 だが、いつもよりも多い血の量に、私の本能は危機感を訴えて来る。私の身体は、肉体操作で、私の血ごと無惨様の血を排出しようとした。

 

「一滴も溢すな……」

 

「は……い……。ふぅ、はぁ……。う……ぅ、んぐ……」

 

 すんでのところで、無惨様の声かけにより愚かな行動を理性で抑え込んだ。

 大丈夫……この量の血でも、人間から一番多く栄養を摂っている私なら耐えられる。無惨様は私に与える血の量を決して見誤らない。

 

 血が体に馴染んでくる。

 こうなると、痛みもほどほどに、順応を果たし、生物としてより完全に近づけたという超越感にまどろみ、酔いしれ、興奮を感じる。

 ああ、これでまた一つ、無惨様に……。

 

「どうだ? (ハツ)()

 

「心地いいです。ひゃ……。とても幸せ……です……」

 

 こうして与えられた血の量は、鬼から搾り取った血から得られる無惨様の血の量を遥かに超える。

 人から栄養を摂るたびに、私には無惨様が血を注いでくださる。その度に無惨様は、強い鬼を作るとき以上の血を注いでくださっている。

 

「意外と耐えられるものだな……。いや、死なれても困るが……」

 

「無惨様ったら……」

 

 死なれても困ると言われて、私はとても嬉しかった。

 無惨様が、私の生死を、気にかけてくださっている。なんて私は幸せ者なのだろう。

 

「お前は、あの珠世と違い、呪いがなくとも裏切らない。私が信頼する者などお前だけだ。お前は特別な鬼だ。私はお前に期待している」

 

「そんな……私には勿体ないお言葉です……」

 

「ほう、私の言葉が間違っていると言うのか?」

 

「……間違ってなどいるはずがありません。無惨様にお褒めいただき舞い上がり、私がおかしくなったのです!」

 

 平生ならば、無惨様の言葉を否定するなど有り得ない。

 おののいて、過去の自分を振り返る。

 

「まあ、いい。だからこそ、不満なのだ……なぜ、お前ではなく、あの黒死牟が上弦の壱なのかと……」

 

「…………」

 

「お前が私を匿っていた間、あの男はどうしていた? 私のことなど気にもかけず、縁壱から逃げ回っていたそうではないか……」

 

「…………」

 

「問えば、無惨様が……巧妙にお姿をお隠しになられていたゆえ……だ。私の部下なら、私を見つけられて当然だろう……?」

 

「はい」

 

 当時を振り返る。

 私は、必死に散らばった無惨様を見つけて、安全なところまで運ぶという大役を果たしたのだ。

 

 一度は、縁壱と戦った身。

 あの男が私の里に再び襲来すれば、少し危うかった。だが、私が死ねば私の里の人たちがタダでは済まないと分かっている以上、下手な動きをしないだろうと、無惨様を里で匿ったのだった。

 

 最中、私と同じく無惨様の(そば)で仕えていた珠世ちゃんがやってきて、無惨の呪いが弱っている、一緒に無惨を倒しましょうと持ち掛けてきたが、私は本気にしなかった。

 そしたら後で、無惨様の呪いから逃れて、無惨様を倒すために活動をしていると言うのだから驚いた。

 

「早く強くなれ、(ハツ)()。そしてあの黒死牟を『上弦』の『壱』から引き摺り下ろせ……」

 

「はい、無惨様。あの『上弦』の『壱』も、縁壱も倒せるくらいに強くなって……私、無惨様のお役に立ちます……!」

 

「…………」

 

 私の宣言を聞いて、なぜか無惨様は微妙な表情をした。なぜだろうか。

 無惨様のためならば、私、どこまでも強くなれる気がする!

 

「では、無惨様。そろそろ私、お暇します」

 

 夜明けまでにいかなければならないが、ずいぶんと話し込んでしまった。

 

「待て、(ハツ)()。一日は留まっておけ……」

 

「はい……?」

 

 今まで、そんなことを言われたことはなかった。無惨様の仰ることだ。きっと、私にはおよびもつかない理由があるのだろう。

 

「血を与えたばかりだ。あまり体調が優れないだろう? その状態で帰せば、私の外聞が悪い……。最近、気がついた」

 

「なるほど……」

 

 このままなら、少し、フラついた状態で帰ることになる。通うたびに、いつもそれが続けば、無惨様が要らぬ誹りを受けるわけか。

 

「いいか? お前は私の妻だ。くれぐれも疑われることのないように振る舞え」

 

「はい、月彦さん」

 

 そこから一日、私と無惨様は仲の良い夫婦を演じた。

 使用人たちに、とても良くしてもらえたのだが、結果、帰る時間が予定よりも先に伸びてしまった。

 

 だからだろう。帰った時には、里の子どもたちが数人、行方不明になっていた。



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生まれる摩擦

 遥々やってきたのに、奥様の扱いが良くない。相手をさせたら、一晩も留めずに追い出すなんてと、最近、噂されていた。
 非難の目を避けるためにも、仲の良い夫婦を演じる必要があった。



(ハツ)()様……どうか――」

 

 無惨様の手下の移動する術で里に帰った私を待っていたのは、泣き崩れる親たちだった。

 

 子どもが行方不明になるという事件は、昔もあった。百年以上前が最後になる。無惨様に上弦の鬼が倒されたからと、無惨様のお城に呼ばれた後のことだった。

 

 子どもの好奇心というのは際限がない。言いつけを守らずに、結界の外に出ようとしてしまうというのも、結構な頻度で起こることだ。

 

 普段なら、里の外に子どもが出て行ったことも、私の能力で感知することができる。そうして、里の外へ出て、そこからさらに結界の外へ出て行かないよう、私の屋敷にいる大人たちに伝えて、連れ戻しに行ってもらう。

 それがこの里でのよくある光景だ。

 

 里の外に出ようとすれば、大人たちが駆けつける。

 大抵の子どもは、勝手に里の外に出ようと試み失敗するか、里の外に出た子どもがすぐに連れ戻されるところを目撃する。私の力をそうやって実感する。

 

 (ハツ)()様が見ているから、悪いことはできないのよ、と、子どもたちは言い聞かせられて育っている。

 

 とはいえ、私が昼間、里にいないと、子どもが里の外に出てしまっても、伝えることができない。

 結界の外に出たからと言って、そのままどこかに行く子はいない。ほとんどは帰ってくるのだから、そこまで心配はしていなかった。

 私が一日中里にいないことは十年に一度もないし、普段なら、帰って来た後で私が直々にお説教をしてあげて終わる。

 

 昼間なら、鬼に襲われはしないだろう。迷子か、あるいは獣に遭って殺されてしまったか。

 最近は、こういうこともなかったから、私も気が緩んでいた。

 

「いなくなったのは……いなほと、なえの姉妹? あとは……こうじろうくん?」

 

「いえ、いなほは無事です……。なえが……」

 

「……こうじろうのやつ……なえちゃんを連れて……」

 

 なんとなく事情は理解した。あの子たちは、味の質も近いし、仲も良かったから、将来は夫婦(めおと)にしようかなと思っていたところだ。

 

 こうじろうくんの親は、自分の子が、他人の子を巻き込んでしまったと思ったのか、罪悪感を持ってしまっているようだった。

 これはいけない。味に響く。

 

「あなたたち。子どものことがとても心配なんでしょう。それだけで苦しいのに、自分のことを責めるなんていけないわ。……大丈夫。私に任せなさい?」

 

「はい……(ハツ)()様……。どうか、なえちゃんだけでも……」

 

「お願いします……」

 

「とにかく、あなたたちは休みなさい。私が帰ってくるまで寝てないのでしょう? もう十分だから、ゆっくりお休みなさい?」

 

 迷子なら、ともかくとして、獣にやられてしまっている可能性を考えると、頭が痛い。

 死体を、私の血鬼術で探すことは難しい。とにかく、新しく結界を張って、感知。それを繰り返すしかないか。

 

 それはともかくとして、尋ねなければならない者がいた。

 その者は、私が里に来てから、隠れるように私の様子を窺っていた。

 無惨様のところに行く前に、洗濯はしたから、今は血に汚れていない綺麗な蝶の羽織りを着ている。

 

 だから、私は、そっちへと視線を向ける。

 

「……私じゃ、ないわよ?」

 

「本当に食べてない? カナエちゃん?」

 

 正直、不安だった。

 私が見ていないと、カナエちゃんが里の人を食べてしまう。そんな可能性を考えなかったわけではない。

 

 それでも、里に残して行ったのは、この子、人間の姿に擬態することが、まだ、できなかったのだ。

 仕方ないから、蔵にある血を飲んでて良いと伝えて置いて行ったのに、里の子を食べちゃうとは……。

 

「……そんな目はやめて、お願い……。本当に私じゃないわよ? 本当よ?」

 

 実弥くんに齧り付いたことを、私は忘れてはいない。とても、カナエちゃんは疑わしかった。

 

「やっぱり、血だけじゃ満足できなくなって……お肉も食べたくなっちゃったのね……。ねぇ、私の里の子のお肉は美味しかった? そうね、子どものお肉の方が、柔らかくて美味しそうだった? 女の子と男の子、どっちが美味しかった?」

 

「やめて……っ、ハツミちゃん。聞きたくない……っ。私は……食べて……ないの……」

 

 カナエちゃんは耳を塞いで蹲ってしまった。これは、もう一押しかもしれない。

 

「しっかりと、自分の胸に手を当てて、自分自身に聞いてみなさい? 私のことは騙せるかもしれないけれど、自分は騙せないわよ? 決して、なかったことにはならないの」

 

「ひ……っ」

 

 カナエちゃんは、人を殺すことを良しとしない性格なのは知っている。人間だったときは、鬼とも仲良くしたいと言っていたカナエちゃんだ。

 

 そんなカナエちゃんが、もし里の子を殺して食べていたとしたら、それはもう、とても罪悪感に囚われてしまうことなのだろう。こうして、ワナワナと震え、みんなを騙して無かったことにしたいくらい。

 

「ねぇ……カナエちゃん?」

 

「……わからないの……」

 

「えっ……?」

 

「……わからないの。酔って、記憶がなくなっちゃってて……。気がついたら、血を飲んでた場所と違うところに居て……。それで、村の子が居なくなってるって村の人たちが騒いでて……。だから、私かもって思うと……とても怖くて……」

 

 ポツリポツリと、己の罪を告白するようにカナエちゃんはそう語る。

 なるほど、記憶がなくなるくらいに飲んじゃったか。

 

「ねぇ、カナエちゃん……。そんなにお腹が空いてたの?」

 

「不死川くんの味が忘れられなくて……。酔うだけの血を少し飲むんじゃ……足りないの……っ」

 

「…………」

 

 その酔うだけの血も稀血なのだけれど。実弥くんは、カナエちゃんをこんなに我慢ができない体質にしてしまったのだ。恐ろしい子……。

 

 実際、酔うと言っても、お酒じゃないから人間で言うところの二日酔いもない。体に悪い影響はなく、むしろ酔いが覚めたら調子が良くなって強くなるくらいだ。

 やめ時がわからなくなるのも必然。というか、貯蓄を考えなければ、そこにある限り飲んでも全然問題はない。

 

 私は我慢のできる鬼だから、日々の楽しみに毎夜少し飲むくらいで大丈夫なのだが、このままでは貯蓄もカナエちゃんに飲み尽くされてしまう気がした。

 

「ハツミちゃん……っ」

 

「カナエちゃん。ねぇ、とりあえず、我慢を覚えようね……」

 

「……うぅ」

 

 我慢させると言っても、やり過ぎれば食人衝動で暴走しかねない。

 閉じ込めるか……でも、カナエちゃんの力では、大抵の物は破壊できてしまう。動かないように、結界で体を壊し続けるというのは、私もカナエちゃんも消耗して、良い結果を生まないだろうというのは想像がつく。

 

「そうだ。地面に埋めてしまえば……」

 

「ハツミちゃん……?」

 

 いくら鬼といえども、地面に埋められてしまえば、それなりの深さは必要だろうが、体を動かすこともままならないだろう。カナエちゃんの場合は、身体強化の呼吸も封じられる。

 

「今、埋めて、みんなが騒動を忘れた百年後くらいに掘り返せば……きっと里の人たちにも示しが付くわ……?」

 

「ハツミちゃん……っ!?」

 

 目印に、〝明治何年、何月、何日、胡蝶カナエ〟と石に刻んで置いておけばいいかもしれない。

 ギュッと掴んで、私はカナエちゃんのことを逃さない。

 

「ね……?」

 

「……ひっ……」

 

 まあ、それでも、まだカナエちゃんが食べたと決まったわけではない。

 

 子どもが私の不在に気付いて、今なら怒られずに済むと里の外に行ってどうにかなった可能性もある。

 

 親たちが子どもがいないと気がついたのは、日が沈んで少し経ったころ。その時まで帰ってこないのは、おかしいと、里の中を探し回ったらしい。

 

 私の結界の中の人数も、数えれば減っているから、居なくなったのは間違いない。

 惜しむらくは、無惨様との一日に浮かれていて、いなくなったことに私が気付けなかったことか。これは、仕方がない。

 

 無惨様が近くにいるだけで心が穏やかになり、私は幸せになれる。

 無惨様が隣に居るというのに、無惨様以外に意識を割くという不届きな行為は、私にはできない。

 

「ねぇ、カナエちゃん。とりあえず、里の外で迷子になっていないか、結界を新しく広げて探してみるから、少し付き合ってね」

 

「……うん……」

 

 いま、一番疑わしいのはカナエちゃんだ。この子の監視はとりあえず、続けていかなければならない。

 私の結界の中では逃げられないだろうが、万が一がある。自暴自棄になって、暴れられても困るし。

 

 結界を展開するため、里の端へと向かう。

 子どもの足では、そう遠くには行けないだろうが、念のため、広く。

 

 里の縁をぐるっと一周して、等間隔に結界を展開。一周できた頃にはちょうど一時間。最初に作った結界が出来上がる頃だ。

 

「ねぇ、ハツミちゃん……。これで見つけられなかったら、本当に私のこと、埋める?」

 

「当然よ。犯人には罰を与えないとでしょう? 冤罪だったらごめんなさい」

 

 結界の外で獣にやられている可能性もあるけれど、そしたら私には見つけることが難しい。

 嘘でも、犯人が裁かれた方が里のみんなは納得するわけだ。

 そのときは、カナエちゃんに犠牲になってもらおう。

 

「ハツミちゃん……」

 

「大丈夫。百年なんて、わりとすぐよ? 掘り起こしたら、その間に貯蔵した分の血を飲ませてあげるから……」

 

 百年、なにも食べていなければ、当然、飢餓状態になる。暴れられても困るし、ちゃんと飲ませてあげないと。

 カナエちゃんは、ゴクリと喉を鳴らした。

 

「や、約束よ? ちゃんと血、ちょうだいね」

 

 もう、カナエちゃんは覚悟を決めていた。潔きことだ。私はカナエちゃんを称賛する。

 この子、血を餌にすればなんでもしてしまうような気がする。

 

 いや、鬼なんてそんなものか。私だって、良い血を手に入れるために、こうして人間たちを里で育てているわけだし。

 今よりも素晴らしい血が手に入るのなら、無惨様の意に(もと)らないことである限りにおいて、私はなんでもしてしまう。

 

 そういう意味では、とてもカナエちゃんに、同感する。

 

「ん? 人? でも……」

 

 結界が続々と、出来上がっていくのだが、おかしい。

 

「ハツミちゃん……。見つけられたの?」

 

「……何人も、私の結界に引っかかってる」

 

「何人も……?」

 

 なんというか、これは……。

 

「見張られてる?」

 

「見張る……?」

 

 まだ、全ての結界を展開し終えたわけではないから確かなことは言えないが、里をぐるっと囲むように、人がまばらに存在する。

 

 私たちがいる場所の近くに関しては、包囲する円が欠けているあたり、もしかしたら、私たちを警戒して、気づかれないようにしているのかもしれない。

 

 結界も張ったし、とりあえず一人、行動不能にして事情でも聞いてみようか。

 

「見ていたなら、子どもたちが出て行ったかどうか知っているかもしれないわ? いきましょう、カナエちゃん」

 

「手荒な真似はダメよ。ハツミちゃん」

 

「えぇ……わかってるわ」

 

 ともかく、動けなくした一人のところに私は向かった。その最中、他の人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったから、やはり私たちは彼らに警戒されていたのだろう。

 

 見つけたのは、目、以外を口に当てた布と頭巾で隠した黒づくめの格好の怪しげな男だった。

 私の術で足をやられて、座り込んでいる。

 

「怪我をしているのかしら……。近くに里があるの……休んで行かない?」

 

「お……鬼が……」

 

 私が声をかければ、そう言って、後ずさってしまう。どうやら、私のことはバレてしまっているようだ。

 

「ハツミちゃん……このひと、(カクシ)よ?」

 

「隠……?」

 

「そう……鬼殺隊の事後処理班……。鬼殺隊の隊士になれなかった人たちが、それでも役に立ちたいから就く役割ね」

 

「へぇ……」

 

 鬼狩りもどきというわけか。

 なんで、そんなのが私の里の周りをウロウロしているのだろう。

 

 その、隠とやらは、カナエちゃんの姿を認識すると、表情を怒りに変えて、すぐさま叫んだ。

 

「胡蝶カナエ……! この、裏切り者……! 聞いたぞ、その、イカれた思想……お前は、鬼殺隊の膿だったんだ! お前なんか、地獄に堕ちてしまえ!」

 

「……っ!? どうしてそんな、酷いことを言うの? 私は、裏切ってないわ」

 

 罵声を聞いて、カナエちゃんは酷く悲しんでいるようだった。

 まだカナエちゃんは、鬼殺隊の隊員であることを捨てていないし、当然だろう。

 

「ねぇ、聞きたいことがあるのだけれど……」

 

「鬼と会話するつもりはない……」

 

「私の里の子で、行方がわからなくなった子がいるの。私の里、ずっと見てたあなた達なら、何か知っているかもしれないと思って……どうかしら?」

 

「…………」

 

 だんまりだった。

 私のことを間近で見て、汗が滲んでいるのがわかる。怯えているのがわかる。

 それでも、目には意志が灯っていた。

 

 ちょっと、この男の思惑を考える。動けなくしたのは一人だけだから、仲間に伝えて運んでもらえれば逃げられたのに、逃げなかった。

 いや、そもそも他の仲間は、私がこの男を動けなくした後、すぐに逃げたような。

 

 なら、この男の目的は……。

 

「ああ、わかった……足止めね。他の仲間が逃げる時間を稼ぐことがアナタの役目ね……。なら、そう、アナタは失格ね。足止め失格。アナタ、喋らないし、いいわ。他にもたくさん居るみたいだし、そっちに聞こうかしら」

 

「ま、待て……! は、話す……だから、他の仲間は……」

 

「ふふ、物わかりがいいわね……」

 

「……くっ……」

 

 正直に話すつもりになってくれたようだ。歩き回るハメにならずよかった。

 

「里から出た子はいなかった? 大切な子ども達なのよ? 居なくなって……親もとても悲しんで……大変なの。私もとても、悲しんでいるわ……」

 

「どうせ家族ごと食べるつもりだったんだろ……。この、鬼めっ!」

 

 相変わらずこの男は悪態しか吐かない。まあ、最後には食べるつもりだから、この男の言い分も間違ってはない。

 でも、これでは話が進まないではないか。

 

 仕方がないか。違う人たちを捕まえよう。

 

「…………」

 

「おい、待て……話す。話すから、行くな……!」

 

「次に無駄口を叩いたら、仲間の命はないと思いなさい?」

 

 これだけ脅せば、ちゃんと喋ってくれるだろう。

 そうしたら、カナエちゃんが耳打ちをしてきた。

 

「ハツミちゃん……」

 

「なに、カナエちゃん」

 

「命がないって……」

 

「ただ、ちょっと脅しただけよ?」

 

「なら……いいのだけど……」

 

 と、小声で二人で会話する。

 鬼狩りもどきの男は、怪訝な目で私たちの動向を窺っていた。

 

「それで、そう。子どもたちのことは知らない?」

 

「ふん……。子どもなら、鬼殺隊で保護したんだ。そういう話なら聞いた。鬼の縄張りからちょうど出ていたそうだ。だから、救えた」

 

「え……?」

 

 善行を語るかのように男はそう言う。私は理解ができなかった。

 確かに、私は里の人たちを食べるために育てているが、これはそういう話ではない。

 

「鬼めっ……。はは……っ。思い通りにならずに、残念だったな……っ!」

 

「今すぐ場所を吐きなさい! 早く迎えに行かないと……!」

 

「そんなこと、俺が知るか……。うまく取り繕っていたみたいだが、今ごろ、お前の本性を知らされているだろうなぁ……! くくっ、いつか、お前を殺しにやって来るぞ!」

 

 そうして、鬼狩りもどきは勝ち誇ったように笑った。

 その態度に、私は狂気を感じてしまう。やはり鬼狩りは異常者の集団だった。

 

「そうね……じゃあ、アナタを人質に交渉をしましょうか……」

 

 応じるかどうかはわからないけれど、私が思いつく限りで穏便な方法はそれだった。

 

「ハハ……そうはいかない」

 

 そう言って、男は小太刀を取り出した。なんの変哲もないただの小太刀のように見える。

 日輪刀でもない武器で、私のことは殺せはしない。

 

「そんなもの効かないわ? 諦めなさい」

 

「フン……こうするのさ……」

 

 男は、(やいば)を自らに向け、心臓に突き刺す。

 

「え……っ?」

 

「ガッ……ハ……」

 

 血を大量に流しながら、男は地面に倒れ伏した。

 

「ハツミちゃん……止血……!?」

 

「間に合わない……」

 

 たとえ心臓を貫こうが、すぐに死ねはしないのが人間だ。男は血を撒き散らしながら、苦しみに悶え、のたうち回る姿を目の前で見せる。

 

 そうして数分後、完全に息を引き取った。

 鬼殺隊というものが、すごく恐ろしく思えてくる。大人しく捕まっていれば生きられたものを、なぜ、こうして自刃を選ぶのか、私にはまるで理解ができなかった。

 しばし、放心してしまう。

 

 気がついた時には、他に居た仲間は、もう撤退している。早い。この短時間に私が少し広めに展開した結界から抜けるのは、常人には無理な速度だから、身体強化の呼吸くらいは使えるのかもしれない。

 連れ去られた子どもの手がかりを失ってしまっている。ムシャクシャする。

 

 死体から、服を剥いだ。

 

「ハツミちゃん……なにするの?」

 

「なにするって……食べるのよ?」

 

 目の前に食べ物があるなら、粗末にしてはいけないだろう。

 服を剥いた後は、頭から齧りつき、頭蓋骨を咀嚼する。あんまり、美味しくない。食べても苛立ちはおさまらない。

 

「ハ、ハツミちゃん……」

 

「カナエちゃんも、要る?」

 

 脚をもぎ取って、差し出す。

 おそるおそる、カナエちゃんは受け取ると、逡巡するが、ゆっくりと口に運んだ。

 

「思ったより、味……薄いものなのね」

 

「仕方ないでしょう? 稀血ではないもの……」

 

 カナエちゃんの舌は完全に肥えてしまっているのだろう。人間の肉なら、普通の鬼はありがたがって食べるのに、カナエちゃんにはそういう素振りが全くなかった。

 

「ねぇハツミちゃん……。血、持ってる?」

 

「持ってるけど、飲むなら、それ、食べてからに……」

 

「ううん。そうじゃなくて……ちょっと貸して?」

 

 意図が読めない。だけど、カナエちゃんの言葉を聞くと、渡した方が良い気がしてくる。

 

 昨晩、無惨様に納めたものは、出発前に特別に用意したものだから、いつ呼ばれてもいいよういつも常備していた血は残っている。

 私は血の入った水筒をカナエちゃんに渡した。

 

「……なにするつもり?」

 

「ふふふ……こうするの」

 

 水筒の血を、カナエちゃんは手に持った食べかけの脚にふりかける。

 そして、美味しい血をかけた肉に、カナエちゃんは満足そうに齧り付いた。

 

「え……っ」

 

「うーん。美味しい……」

 

 私には考えもつかない食べ方だった。カナエちゃんの食に対するこだわりに、私はとても感心してしまう。

 

 ともかく、頭はもう食べ終わった。

 両方の腕と、残った脚はカナエちゃんにあげて、私は胴体を食べる。

 

「はぁ……それにしても……子ども達、連れて行かれたなら、もう諦めるしかないかもしれないわ……」

 

「えぇ……どうして?」

 

 私の里で生まれ育った二人だ。私の里で育ったからには問題がある。

 

「流行り病はなにが原因で起こるのかはわかる?」

 

「疫病の原因なら、細菌やウイルスよ? 鬼殺隊で医療や看護もやっていたのだから、そのくらいなら、わかるわ……」

 

 〝さいきん〟や、〝ういるす〟がなんのことかは、私にはわからないが、なるほど、最近は人間も流行り病の原因がわかるようになったのか。

 私のように血鬼術も使わずに、どうやってその正体を見破ったのか少し気になるところだけれど、今は、それはいいかな。

 

「まあ、要するに、小さい生き物が、人間の中に入って、生気を奪って増えていってしまうというのが、病気の原因。だから私の血鬼術で、その小さい生き物を壊してしまえば流行り病にはかからないわ。治すこともできる」

 

「やっぱり、ハツミちゃんの血鬼術は便利よねぇ……っ」

 

 (はらわた)を食べるために、その内容物を外に絞り出す。そうすると、一緒に白い細長い虫が出てきた。気持ち悪い。

 血鬼術で、跡形も残らないくらいにボロボロに崩してやる。

 

「全部壊してしまうから、私の結界の中には、その病気をもたらす小さな生き物がいない。だから、流行り病の心配もない。だけど、どういうわけか、私の結界の中で育った子達は、その小さな生き物に弱くって、外の世界に出た時、すぐにやられてしまうの……」

 

「感染症にかからないから、免疫を得ることができない――( )いいえ……何世代もその環境の中で育ったなら、免疫機能が退化している可能性もあるのね……」

 

「…………」

 

 なんだか、私の話をカナエちゃんはとても理解しているようだった。得意げに説明してみたが、大して驚かれることもない。少しだけ寂しくなった。がっかりした。

 なにか、難しいことも言っているし……。

 

「ハツミちゃん……それって、いつ頃から気がついていたの?」

 

「だいたい四百年くらい前から……かな」

 

 それまでなんとなく察していただけだが、ちょうど、縁壱に襲われる前の時代くらいに、結界の中で育った子は病に冒され倒れやすいことを、私ははっきり認識した。

 

 流行り病の原因が何かということなら、血鬼術に使えるようになったすぐ後に気がついた。

 物を腐らせる原因が小さな生き物ということを知り、そこから、生きている人間にも小さな生き物が取り憑いてしまうことを知ったのだ。

 

「ハツミちゃん……。やっぱり……鬼と人間が仲良くできたら、素晴らしい世界が待っているわ……!」

 

 確信を得たようにカナエちゃんはそう語る。

 私との会話で、なぜそうなるのかはわからないが、カナエちゃんはとても嬉しそうだった。

 嬉しいのなら、いいことだろう。

 

「ともかく、里の周りを鬼殺隊がうろついて、拐おうとしてるって、みんなには知らせておかないとね」

 

「…………」

 

 私の言葉に、一転して、カナエちゃんの表情は曇る。

 私の里の子ども達を拐って、親もとから離すばかりか命の危機に追いやってしまった組織が自身の所属するところだったのだから、命を大切にするカナエちゃんは責任を感じてしまっているのかもしれない。

 

「カナエちゃん。カナエちゃんはなにも悪くないわ。それに、子ども達も、小さな生き物に弱いってだけで、本当に死んでしまうとも限らないし……」

 

「いえ、もとはといえば、私がここに来てしまったこのが原因のようなものだし、鬼殺隊を代表して、私から謝らせてもらいたいわ」

 

 カナエちゃんは、そう言った後、手に付いた血をペロペロと舐めた。血をかけたりしていたから、どうしても汚れてしまったのだろう。

 

 かくいう私も、内臓をほじくり出したりしながら食べたから、手が汚れてしまっている。このまま帰るのも見た目が少し良くないから、舐め取っておく。あまり美味しくない。

 

 一応、骨も残さず食べ切っておいた。

 剥いだ衣服は……持って帰ろうか。なにかの役に立つかもしれない。

 

 食べ終わった後、カナエちゃんは血の後の残る地面にそこら辺に生えていた花を添えて、両手を合わせて目を閉じ、冥福を祈るようだった。

 私も、里の人が死んで食べるときは、里のみんなの前で、食前と食後に祈りを捧げるのだけれど、今回はやらない。里の人じゃないし、やる意味もないだろう。

 

 里の子がいなくなった苛立ちと悲しみを、私はまだ消化し切れていない。

 最初にカナエちゃんに辛く当たっていたのも、苛立っていたからだ。本当に……本当に、なんでいなくなってしまったのだろう。

 

 もう今日は夜明けが近い。

 これから人間の街に探しに出ることはできない。陽が昇っている間に、遠くへ行ってしまうだろう。

 

「帰ろ、カナエちゃん」

 

「うん。そうしましょう」

 

 私たちの足取りは、とても重かった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 誘拐事件から、翌日のことだ。

 帰ったらすぐに私は里の大人達に伝令を出して、集会を開いた。各家の代表を集め、私の話を聞かせる場だ。

 

「今日集まってもらった理由は、昨日、起こった行方不明の事件のことよ?」

 

 みんなが集まったのを確認して、さっそく私は話し始めた。

 

「行方不明……ィ?」

 

「なえちゃんと、こうじろうくんのことか……」

 

「見つかったのか?」

 

 ゴソゴソと、近くの人と小声で話す声が聞こえてくる。

 みんな、心配をして気になっていたのだろう。

 

「行方不明になったのは、私の結界を出たときに、誘拐されたからだったわ」

 

「そんな……じゃあ、なえは……」

 

「誘拐だとォ?」

 

「一体どうして……」

 

 里の人たちの、騒ぐ声が大きくなる。

 これを聞けば、不安が高まってしまうことが目に見えていた。

 

「それについては、私が説明するわ」

 

 そうして、登場したのはカナエちゃんだ。

 

「だれ……?」

 

「確か、あれは、(ハツ)()様に仇なす……」

 

「屋敷に居たやつだなァ……」

 

 突然の登場に、里のみんなは困惑している。カナエちゃんは、ここに来てから日も浅いし、里の人たちがよくわかっていないのも理解できる。

 

 一応、この場のことも、少しは話し合って決めたし、大丈夫だとは思うのだけれど。

 

「まずは謝らなくてはいけないわ。ごめんなさい。この事件は、私がここに来たせいで、私の組織が起こしたことだから、心よりお詫びするわ」

 

 カナエちゃんは、そうして深く頭を下げる。

 

「…………」

 

「どういうことだ……こうじろうくんたちは……」

 

「本当に、テメェのせいなのか……ァ? だったら、許せねぇな」

 

 やはり、ここでも困惑の声が上がる。

 カナエちゃんは、そんな里の人たちを前にして、ゆっくりとよく透る声で話す。

 

「私たちは鬼殺隊――その名の通り、鬼を殺す組織なの。そして、鬼殺隊の役割は、鬼から人を守るということも含まれている。だから、ハツミちゃんから、子ども達を守ろうとしたのだと思うわ」

 

「守る? 私たちは、(ハツ)()様の庇護のもと、幸せに暮らしています!」

 

「そうだ! そうだ!」

 

「ずいぶんと勝手な言い分じゃあねぇかァ」

 

 里で暮らす人たちからの非難を、カナエちゃんは一身に浴びる。わかっていたことだ。

 それでもカナエちゃんが、たじろぐことはない。

 

「私は鬼と人が仲良くできる世界が欲しいの。私はこの村のこと、とても好きよ? 素敵だと思う。だから……鬼殺隊のみんなにも、きっと認めてもらえるから……一度、ちゃんと話し合うから」

 

「拐われた子達はどうなる……?」

 

「里の外じゃ……長くは……」

 

「よく、のうのうと……言えるなァ、テメェ」

 

 旗色が悪い。

 まあ想定の内だ。この非難一色の場でも、私が発言をすれば、どうにでもなる。

 里の人たちは、程度の差はあれ、私にとても忠実なことには違いないのだから。

 

「みんな落ち着いて……確かに病には弱いけれど、まだ死ぬと決まったわけではないわ。カナエちゃん……生きていたら、子ども達は鬼殺隊でどうなるの?」

 

「普通に暮らすこともできると思うのだけれど、たぶん、鬼と戦う鬼殺隊の隊士を目指して修行をすることになると思うわ」

 

 あの自害をした男の言い方からして、子ども達の考えが、そうなるように仕向けられてしまうことなど目に見えていた。

 私は、そう出来ることをよく知っている。

 

「そんな、得体の知れないものに……っ」

 

「チッ……子どもを拐って戦わせるとはァ、鬼殺隊ってのは、ずいぶんと外道じゃねぇか」

 

(ハツ)()様、どうにかしてあげることはできないのですか?」

 

 拐われた先に迎えに行くというのも、考えなかったわけではない。

 そのために、カナエちゃんに、連れて行かれるならばどこかと尋ねてみたが、返ってきたのは、わからないという答えだった。

 

 鬼殺隊から鬼が出たとき、情報を奪われて壊滅しないように、基本的には鬼殺隊になる前、どこで修行していたかはあまり話さないらしい。

 そもそも、カナエちゃんが鬼になったのがバレているのだから、カナエちゃんの心当たりのありそうな場所には、もう誰も居ないと想像がつく。

 

「出来る限り、私も探すわ……。けれど、難しい……」

 

(ハツ)()様でも……」

 

 ただ一つ、カナエちゃんから聞いた場所で、可能性のある場所があった。

 

 鬼殺隊、最終選別試験の場――( )藤襲山。そこでは一年中、鬼の嫌いな藤の花が、麓から中腹にかけて狂い咲いているそうだ。

 そんな場所、他には、そうそうにないだろうから、簡単には場所を変えられない。

 そして、藤の花は鬼が苦手とするから、この場所だけは変えない可能性があった。

 

 望みは薄いが、そこを狙わせてもらう。その山の頂上に、空間を移動できる血鬼術の子から転移させてもらって、結界を展開、引っかかるまでひたすら待ちだ。

 

 干渉するのは、あくまでも拐われた里の子の反応があったときに留める他ない。勘づかれて試験を変えられてしまえば、もうなんの手がかりもなくお手上げになる。それだけはダメだ。

 

「出来る限りのことは、私もするわ。だから、子どもたちが間違っても里の外に出ないよう、いつもより注意していてほしいの。これ以上、拐われないためにもね」

 

 今、出来ることと言えば、気を張って注意喚起をするくらい。やるせない思いが込み上げてくる。

 

 いっそ、人間の集落一つを人質にとれば、とも思うが、カナエちゃんに怒られるだろうし、鬼殺隊は交渉に乗らずに私を殺すことだけを考えて動くかもしれない。

 隊員が自刃するような、恐ろしい人間たちの集まりだ。どんな行動を選ぶか、私には見当がつかない。

 

「わかりました。(ハツ)()様、子どもによく言って聞かせます……」

 

「ウチも気をつけないと……。ああ、恐ろしい……」

 

 不安が燻る。

 里の中が安全ということは変わりがないのだが、それでもよろしくないことだ。

 

 ここ数百年、何事もなかったけれど、こうして脅威が身近にあるという状況は、味を悪くする可能性があった。

 

「とりあえず、今日は解散ってことで……いいよね、カナエちゃん?」

 

「う、うん」

 

 鬼殺隊について、今、できることはこのくらいしかない。

 これでカナエちゃんの気が済んだら、いいのだけど。

 

(ハツ)()様、待っていただきたい……。恐れ多いのですが、その女をこの村に(とど)めておく御つもりですか?」

 

 やはりと言うか、カナエちゃんに反感を持った者がいた。

 そう進言する人がいても仕方がないだろうことは、予想できていた。

 

「カナエちゃんはね……私が鬼にしたから、鬼殺隊に戻れないのよ。大丈夫……ちゃんと役に立ってもらうつもりだから。この里のために働いてもらうのよ。……ね?」

 

「私、頑張るわ……ぁ!」

 

 正直、このまま血を消費させるだけの生活をさせるつもりはなかった。

 里の維持費を稼いでもらわないと、私は困る。

 

 カナエちゃんは、なにを考えているのか、少し張り切っている様子だった。

 空回りにならなければいいのだけど。

 

「…………」

 

 私がそう言えば、皆は何も言ってこない。

 この村の決定権は全て私にあるのだから、当然のことだ。

 

「それじゃあ、解散。子どもたちのことを、しっかり面倒見ておきなさい……?」

 

 そうして、里のみんなはバラバラに帰っていく。

 

 そこで私は思い出した。

 みんなが帰って行く中、()()を引き止めるべく、腕を掴んだ。

 

(ハツ)()様……?」

 

 隣には、ギョッとした表情でこちらを見る実弥くんがいる。

 二人には、一緒に住んでもらっているから、こうして二人で行動しているのだろう。もしかしたら、もうそれ以上の関係かもしれないけれど。

 

「ふふ、ちょっと気になっちゃってね。実弥くんの調子はどうかしら……?」

 

(ハツ)()様……私の傷に関しましては、(ハツ)()様のご配慮の賜物で、すっかりと回復し、今や、なんのご心配も要りません」

 

「私は、()()に聞いているのだけれど?」

 

「すみません」

 

 粗暴な顔に似つかわしくない恭しい喋り方だが、()()の教育の結果だろう。

 私の前ではそういう喋り方をするように、口酸っぱく注意しているのを見た。

 

(ハツ)()様……確かに回復はしましたが、まだ、安静が必要です。どうか……」

 

「わかったわ。まだ、血を抜くのはなしね……」

 

 無惨様に持っていったあれは、傷口からちょっと貰ったものだから、まあ……。

 

 本人ではなく()()に聞いたのは、強がって嘘を教えてきそうだったからだ。

 私は正確な情報が知りたいのに。

 

 それにしても、実弥くんの身体は人間にしては、なかなかに頑丈な方だと私は思った。カナエちゃんに噛まれたところの血だって、わりとすぐに止まったし。

 

(ハツ)()様……私たちはこれで……。いつものように、お世話をできず……申し訳ありません……」

 

 ()()には実弥くんの介抱に、里の決まりを教えることを任せているから、私の身の周りの世話は外れてもらっている。

 

「いいのよ? ああ、それと、もうあなたたち、子どもを作ってもいいから……。本当は祝言の後って決まりだけど、今は祝い事っていう雰囲気じゃないし……もちろん、後でちゃんと盛大にやるわよ?」

 

 本当は明日にでもやりたかったのだけれど、拐われた子の親の傷が癒えないうちにやるのは、少し憚られた。

 今は、慰めてあげないと。

 

「は、(ハツ)()様……!?」

 

「俺たちが……!?」

 

 ()()に、実弥くんは慌てて顔を赤くする。まだ、それほど親密な関係じゃなかったのだろうか。

 

「一緒に住まわせたのは、そのためよ? 私は、お似合いだと思うのだけれど……」

 

 どっちも美味しい血を持っているし、すごく美味しい子どもができるに違いない。考えるだけでも、よだれが出る。

 あぁ、みんなの前では、そんな、はしたない姿を見せられないから、我慢しないと。

 

 二人はとてもお似合いだ。

 

(ハツ)()様が言うのなら……」

 

「さゆ、なんでテメェは納得してんだ……」

 

 私の言うことに忠実な()()に、実弥くんは戸惑っているようだった。

 

「さねみさん……。話は帰ってからじっくりしましょう……!」

 

「じっくり……ってェ、話すまでも……」

 

 そして、()()は実弥くんの肌に刻まれていた傷痕を指でなぞりながら言う。

 

「さねみさんは、逞しくて、男らしくて、かっこよくて、とても素敵な殿方だと思いますよ? そんな人と結ばれるなんて、さゆは幸せ者です」

 

「なっ……!?」

 

 はにかんで、そう言う()()に、実弥くんは目を白黒とさせる。

 ()()は、こういう粗暴な外見の子が好みなのか。少々、意外だった。

 

「さねみさん……さゆは嫌ですか?」

 

「……っ!?」

 

 そして、()()は実弥くんにピッタリと寄りかかる。実弥くんは拒まなかった。二人はもう、安泰だろう。

 

「私はお邪魔みたいね……。失礼させてもらうわ」

 

 その光景に安堵を覚えて、私は退散させてもらった。

 〝おい、待て〟とか聞こえた気がするが、気のせいだろう。

 

 そうして私は、カナエちゃんのところに戻って来たわけだが、カナエちゃんは無言で彼らのことを見つめていた。

 

「…………」

 

「カナエちゃん……。カナエちゃんは、実弥くんに私が術をかけたこと、正直、怒ると思ったんだけど……」

 

 今のカナエちゃんは、どういうわけか、実弥くんと距離を取って、なるべく近づかないようにしているようだった。

 私にはそれがよくわからなかった。

 

「最初は、どうかと思ったのだけど……私の知っている不死川くんは、あんなふうに幸せそうに笑わなかったわ……?」

 

「…………」

 

 カナエちゃんの答えはそれだった。

 なるほど、()()を相手にして、確かに実弥くんはとても楽しそうに微笑んでいる。

 

「きっと、鬼に襲われた過去を引き摺っていた……。鬼と仲良くできる世界にするのは私の務めだから、実弥くんも、もう、全部忘れて、鬼殺隊には関わらず、幸せになればいいのよ」

 

「それに、カナエちゃんは実弥くんの血を飲みたいのよね……っ?」

 

「ハツミちゃん……。意地悪言わないで……」

 

 カナエちゃんの容疑は晴れたのだが、それでもこたえているようだった。

 あれは、まあ、疑われるような状態になったカナエちゃんが悪いわけだし。

 

 どうせ一石二鳥と思っているのだろう。私を欺こうと言ったって無理だ。あの、飲み過ぎて記憶を失ったという、惨めな告白も、私は忘れてはいない。

 

 ともかくだ。

 空間の転移できる血鬼術の子、その子に最初に移動させてもらう場所は、藤襲山になりそうだった。



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間引き

 上弦の弐との戦いの傷で、身体が前のようには動かなくなった。鬼殺隊を支えるためにも、一刻も早く、本当の水柱が必要だった。


 べん、と、琵琶の音が鳴って、私たちは山の中に降り立つ。

 

「ここが藤襲山ね」

 

 鬼殺隊の最終選別の場らしい。

 ちょうど、頂上に連れて来てくれたみたいだし、さっそく私は結界の展開を始める。

 

「最終選別……。まだ数年前なのに、ずっと遠い昔のことのように感じる。とても懐かしいわ」

 

 カナエちゃんは感慨に浸っているようだった。

 

「そういえば、カナエちゃん。最終選別って、なにをするの?」

 

 最終選別の場とは聞いていたが、ここでなにを行うのかは教えてもらえていなかった。

 どうせ鬼狩りたちだ。私には想像もつかないことをしているのだろう。

 

「ここには、数人しか人を食べていない鬼たちが閉じ込められているわ。この山の中で、一週間生き残れば合格で、やっと鬼殺隊の隊員になれるの」

 

「えっ……?」

 

 過酷すぎる。

 一週間も、いつ、鬼に襲われるかわからない状況の中に放り込まれて、まともでいられる人間は、おそらく少ないだろう。

 

 私の里の子たちは、鬼にいつ襲われるかと気が気でなく、私から離れられないというのに。

 

「毎回、十数人は受けるけど、数人しか合格できないのよ」

 

「……そう。当然ね」

 

 一週間も、そんな危ない状態が続けば、鬼とか関係なく死にそうな気がしないでもない。

 こうして、異常者の集団が作られていると思えば、納得だ。

 

 そんな試験に、うちの里の子が挑めば、血に惹きつけられて鬼が群がり、私ではない鬼に食べられて死んでしまうことは目に見えていた。

 とっても美味しい実弥くんが鬼殺隊にいたのだから、もう少し稀血にも優しい試験だと思ったのだけれど、そんなことはなかった。

 

 手を打たなければならない。

 

「ハツミちゃん……? どこに行くの?」

 

「どこって……ちょっと鬼を間引きに行くのよ。このままでは、私の里の子が、私が助ける前に死んでしまうわ」

 

 結界で覆うのだから、里の子が来た当日に弱らせれば良いと思わなくもなかったが、何が起こるかはわからない。私が無惨様のもとに居る日かもしれない。

 

 念には念を入れても、損はないだろう。

 

「待って……大丈夫よ。ちゃんと管理されているし……ここの鬼たちは弱いの。試験の難易度を下げるのはダメ……っ」

 

 カナエちゃんはそんな私の手を引き、止める。

 

「離して……カナエちゃん……。私はやり遂げないとならないの」

 

 鬼殺隊の風習はわからないが、私の里の子たちを危険にさらすわけにはいかない。

 鬼殺隊がどうなろうが、私は知ったことではないのだ。里の子が、この意味のわからない試験で命を奪われないようにするためだったら、私はなんでもする。

 

「こればかりは、見過ごせないわ……。この試験は、鬼殺隊にとって、とても大切なことなの……っ」

 

「失敗したら、鬼に殺されるのでしょう! 物騒よ!」

 

「危ないと思ったら、山を降りればいいの。……ね。安全でしょ?」

 

 危ないと思った時には、もう食べられちゃっている子が大半だと思うのだけれど、どうなのだろうか。

 きっと、まず、引き際を弁える能力を身につけることから鬼狩りの養成が始まるに違いない。

 

「それにしたって、危険よ。私は死んでほしくはないの! 死ぬ可能性があるのなら、それを削ぐのが私の役目!」

 

「でも、ハツミちゃん。もし、簡単な試験にして、弱い子が隊士になって、その子を任務に向かわせるのなら、みすみす鬼に餌を与えて強くしてしまうようなものでしょう? そんなこと、許されない!」

 

 その理屈はわからなくはない。

 鬼狩りとしては、きっと正しいことをしているのだろう。

 

「それは鬼狩りの理屈よ! 私には関係ない。カナエちゃんがなんと言おうと……バレない程度に間引いてやるんだから!」

 

「待って……」

 

 カナエちゃんを振り切って、私は走る。

 すぐにカナエちゃんが追いかけてくると思ったけど、そんなことはなかった。

 

 カナエちゃんは、きっと私の言い分を理解しているのだろう。

 優しいカナエちゃんのことだ。この試験で死んでしまう子たちのことを気に病んでいないわけがない。

 

 けれど、カナエちゃんも鬼殺隊であるのだから、私の行動に苦言を呈さざるを得ないというわけか。

 難儀なことだ。

 

「でも、どうしようかしら……」

 

 鬼をどうやって殺すかが問題だった。

 日輪刀を持っているわけでもない。まあ、持っていたとしても、私には刀を扱う技術がないから、頸に打ち付けても刀の方が折れてしまうか。

 

 最悪、丸呑みにすればいいのだけれど、あれは下品だからやりたくない。

 なにか、いい方法はないのか。

 

「俺は安全に最終選別を合格したいんだよ。あんな、でかくて強そうな鬼となんて戦ってられるか!」

 

「……!?」

 

 咄嗟に身を潜める。

 頃合いが悪く、試験の途中だったのか。

 私に気付かず男の子が走り去って、闇の中に消えていった。

 

 誰かに向かって喋っているわけでもないのに説明口調。なぜ、そんなことを言いながら走っていたのか、あからさまに不自然だった。

 まあ、言った通りに強い鬼がいたのなら、間引くのが私の役目だ。その子の逃げて来た先に向かってみる。

 

 一応、バッタリ試験を受けている子に会っても大丈夫なよう、人間に擬態をしておくことを忘れない。

 

「おい、狐小娘。今は明治何年だ?」

 

「明治……何年だったっけ……えっと……」

 

 そこでは、手が身体中から生えているでっかくて強そうな鬼と、花柄の着物に、狐のお面を頭につけた女の子が対峙していた。

 

「まあいい。お前は鱗滝の弟子だろう? その面、目印なんだよ」

 

「……どうして、鱗滝先生のことを!?」

 

「知ってるさ、俺を捕らえたのは鱗滝だからな。あれは、忘れもしない四十三年前……。慶応……江戸時代、鱗滝の奴がまだ鬼狩りだった頃のことだ」

 

 人を一人、二人食べただけでは、この鬼のように、体からたくさんの手を生やすような変化はできない。せいぜい、死なずに、傷の治りが早い程度。

 

 この狭い中、四十三年も生き残って、人間を食べ続けてきたのだとわかる。

 こんなのがいれば、私の里の子は、きっと一溜りもないだろう。

 

「……そんなに、長く」

 

「この、藤の花の牢獄で、俺は生き残った。五十人は食ったさ。鱗滝の弟子も含めてな……ァ」

 

「……っ!?」

 

 女の子の表情が、目に見えて怒りに染まる。

 手をたくさん生やした鬼は、讃えよとばかりに自らの行いを笑いながら語っている。その言葉に、女の子は今にも我を失いそうだった。

 

「前の狐は、一番強かったな……(しし)色の髪をしていた。口に傷がある」

 

「……錆兎っ!?」

 

「十一、十二……お前で、十三人目だ。鱗滝の弟子は、みんな食ってやると決めている」

 

「許さないッ……。お前は……っ、お前だけは……っ!?」

 

 女の子は、涙を流しながら、怒りに任せて鬼へと向かっていく。

 拙い動きだった。呼吸で身体強化をされているとは思えないほど、ゆっくりだった。怒りで呼吸が乱れているのだろう。

 

「クフフフ……厄除の面とか言ったか? 鱗滝の天狗の面と同じ彫り方……。それを付けているせいで、お前も俺に食われる。鱗滝が殺したようなものだ……」

 

「あ……っ」

 

 鬼は、女の子の足を増やした手で掴み、逆さに吊し上げる。

 足を掴んだ腕からさらに手を生やし、女の子の腕を掴んだ。

 

「このまま、バラバラにして食ってやる……」

 

「うぅ……ごめんなさい……。鱗滝先生……」

 

 そこで私は閃いた。

 この女の子を使って、この山の鬼を倒して回ればいい。名案だと思う。

 

 そうと決まれば、やることは一つだ。

 

 ――血鬼術『死覗風浪・灰降ろし』。

 

「……なにが!?」

 

 鬼のたくさんある手を全部崩す。

 逆さ吊りにしていた手がなくなってしまったことで、女の子は地面に頭から落ちてしまう。

 その衝撃で、頭につけた狐のお面が割れ、女の子は動かなくなった。

 

 血鬼術で感知すれば、死んでいないことがわかる。気絶しているだけだろう。

 利用すると決めたのに、危うく殺してしまうところだった。不用意だった。

 

「ねぇ、あなた。この山で、強い鬼を知らない?」

 

「……!?」

 

 女の子が気絶している間に、お話をして、この山のめぼしい鬼にあたりをつける作戦だ。

 私って冴えてると思う。

 

「ねぇ、知らない? 稀血の子を食べれば、五十人分くらいの栄養にはなるだろうし、あなたより強い鬼が居てもおかしくはないと思うのだけれど」

 

「お、お前はなんだ……。人間か……?」

 

「ふふ、十二鬼月の上弦の弐よ? 今は、訳あってこの山に来ているの」

 

「……十二鬼月? 鬼なのか……なら、さっきのは術? だが、この藤の花の牢獄に、術を使う鬼は……。まさか……!? 鬼でも、出入りできる方法があるのか!」

 

 驚愕に染まった表情で、鬼は私のことを見つめる。

 そして、何故か、その表情は喜色に変わった。

 

「…………」

 

「頼む……俺をここから出してくれ! もっと人を食って、強くなって、鱗滝の奴を殺しにいく……! フフフ……弟子を食ってやったことを教えてやるんだ。どんな顔、するんだろうなァ……」

 

「私に命令するつもり?」

 

「……!?」

 

 不快だった。気持ち悪かった。

 私にそんな感情を抱かせた時点で、この鬼に未来はなかった。

 

「なに様のつもり? 鬼なら、知っていて当然の私のことも知らない。まあ、それは、こんな狭いところに閉じ込められているのだから、大目に見ないこともないけれど、態度がダメね。私の訊いたことにも答えない。少なくとも四十三年は生きたのでしょう? 質問されて答えるなんて、子供でもできることよ。わからないならわからないと言えばいい、それなのに、あなたはできない」

 

「…………」

 

「それに、もっと、こうべを垂れてへりくだるべきよ。口を開けば鱗滝、鱗滝。別に、私はあなたのこと、興味ないの。死んでほしいとも思ってる。まず私を見たら、こうしたら貴女様のお役に立てますと、おもねるべきだったわ。平伏して、どうかお役に立ちますからと心の底からこいねがうべきだったの。怖いわね、こんなところに閉じ込められていると、そんな簡単なこともわからなくなってしまうくらい、頭がおかしくなってしまうのね。同情するわ。死になさい」

 

 ――血鬼術『死覗風浪・河零れ』。

 

「アアァアァアアア!?」

 

 鬼の全身から血が滲み、こぼれていく。継続的に傷付けて、血を全部、吐き出させる血鬼術だ。

 同時に頭も壊しているから、意識なんてなくなって、決して逃れることもできずに沈黙する。

 

 血だまりを作って、干からびた鬼が残った。

 

「はぁ、こんな干物を食べるのは、趣味じゃないのよね……」

 

 そもそも、鬼は美味しくないし、血がないからさらに食べにくくなってる。

 これなら、獣の肉の方が、まだマシだろう。

 

 まあ、今回は無理に食べる必要もないけど。血は後で、結界を通して回収しておこうか。

 倒れている女の子を揺さぶる。

 

「……ん、んん」

 

「大丈夫?」

 

 女の子が目を開ける前に、再度、擬態ができているか確認する。

 感情の変化で、気づかずに解けてしまうことがあるから、度々、確認しなければならなかった。

 うん、ちゃんと擬態できている。

 

「うぅ……ん。ここは……」

 

「最終選別の試験会場よ?」

 

「……!! あの、手の鬼……異形の鬼は!?」

 

 どう答えるべきか。

 この近くには干物になった鬼しかいない。異形の鬼なんていなかった。

 

「そんな鬼、知らないわ。でも、鬼ならあそこに干からびたのが一匹いるけど」

 

「干からびた?」

 

「ほら、あそこ」

 

 そうして私は指をさす。

 全身から体液が抜けて、カラカラになった鬼が、そこには横たわっていた。

 酷い。いったい誰がこんなことを。

 

 私は用心のため、心の中まで演技する。

 

「……!? なにが……あったの……」

 

「それは、私にもわからないわ。私はただ、倒れているアナタを見つけただけだから。私にはわからないの。わからない」

 

 鬼と戦って、気を失ったと思ったら、こんな状況だ。気の毒だと思う。

 でも、あのままでは死んでいただろう。命を救ってあげたんだから、少しくらい騙されてくれてもバチは当たらないと思う。

 

「ねぇ……。あれって……本当に鬼……?」

 

「え……っ?」

 

 鬼を見て、女の子がそんなことを言い出した。理解できない。鬼じゃなきゃあれは、なんだと言うんだ。私はどうすればいいのだろう。

 

「だってだよ? 鬼なら、治らないのがおかしいし……人の死体なんじゃ……」

 

「……生きてるわよ、あれ。人間はあんな状態で生きてはいけない。日輪刀で頸を刎ねてみましょう? ね。……そうしたらハッキリするわ」

 

 こんなところで往生しているつもりはなかった。

 この子に、そこそこの数の鬼を倒してもらわなければならない。そのために、一匹あたりにかける時間は少なくしたい。

 

「…………」

 

 おそるおそる、女の子は干物になった鬼に近づいていく。

 そして、刀で数回つついて、そこから、頸を刎ねる。

 

 私の血鬼術にやられた後だから、硬さもたいしてなかっただろう。あっさりと、頭と胴が離されて、跡形もなく消えて行った。

 

「ね、鬼だったでしょう?」

 

「う、うん」

 

 私の言葉に、女の子はあまりいい表情はしなかった。なぜだろうか。私はそんなに怪しいのだろうか。

 まあ、いいや。

 

「ねぇ、私、刀をなくしちゃって、不安なのよ。少し、一緒に居てもらえない?」

 

「えっ……刀を……? じゃあ、わかった。麓まで見送ってあげるね」

 

「…………」

 

 麓には、藤の花が咲いているんだ。

 あれは匂いを嗅ぐだけでとても気持ち悪くなる。そんなものに近づきたい鬼などいない。

 

「どうしたの……? 行こう?」

 

「いえ。私は感覚が鋭くて、鬼の居場所はある程度わかるの。数日生き残るだけなら、不足はないわ」

 

「えっ?」

 

「それに、この山の鬼も日が経つごとに狩られて少なくなっていくだろうし、今日、少し、付き合ってもらうだけで十分よ?」

 

 適当に理由をでっちあげと、最悪の展開を回避する。一番いけないのは、私が上弦の弐だとバレてしまうことだ。

 そうしたら、試験の会場が変わって、本当に拐われた子を見つける手がかりがなくなってしまう。

 

「でも……降りた方がいいと思うよ……?」

 

 親切心か、女の子はそう言うが、私も退くわけにはいかない。

 

「大丈夫、こっちよ?」

 

「えっ……。えっ!?」

 

 手を引いて無理やりに連れて行くことにした。

 一分の隙もない完璧な計画だろう。

 

 私の血鬼術は、生きている物を感知して、感知したそれを壊す術だ。

 感知の主体にできるものは三つで、私の血に、私自身、それに結界――( )順に、感知できる範囲が広くなっていく。

 

 だから、結界がなくとも、間接的な接触さえしていれば、私単体でも感知は可能だ。

 

 探してみれば、一匹、二匹と鬼が見つかる。

 

「肉だァ……。人間の肉だァ」

 

「助けて!! 鬼よ!」

 

「えっ……」

 

 ――『水の呼吸・壱ノ型 水面斬り』。

 

「食わせろ……ォ。食わせろ……ォ」

 

「キャッ。やっつけて……ぇ!!」

 

「あ、うん」

 

 ――『水の呼吸・弐ノ型 水車』!

 

 あの手の鬼への苦戦は何処へやら、鬼のもとへ連れて行けば、バッサバッサと女の子は頸を刎ねる。

 

 だいぶ、倒したと思う頃だった。

 

「ねぇ、わざとだよね? さっきから、やたらと鬼と会うんだけど……」

 

「……気が付いたのね」

 

「いや……。だって、さっき、言ってたよね? 鬼の居場所がわかるって」

 

「そう……だったかしら?」

 

「…………」

 

 とぼけてみれば、女の子は、すごく呆れたような目で私のことを見つめてくる。

 

 あの時は、口から出まかせだったのだが、それを本気にするなんて、本当に困った子だ。頭は大丈夫だろうか。すこし心配になる。

 

「あっ……」

 

 結界が完成した。これで私はこの山の全てを把握することができる。

 さっそく、鬼の数を数える。

 えっと……壱、弐……減らしすぎたかもしれない。

 

「どうしたの?」

 

「うん。鬼もだいぶ斬ったし、ここの近くには、もういないわ。これで、あなたといる必要もないと思ってね」

 

「……え?」

 

 減らしすぎたということは、もうこの子の利用価値がなくなってしまったわけだ。

 私の正体に勘づかれる前に、姿を消すのがよいだろう。

 

 この子を、もう、殺してしまおうかとも思ったが、私がなにもしなければ、あの手の鬼にも殺されるような子だ。長くは生きない。

 どうせなら、カナエちゃんの言うように、私以外の鬼の成長の糧にでもなってもらった方が、無惨様もお喜びになられるだろう。

 選別の残りの日数で死ぬなら、それまでだ。

 

「そうだ……」

 

「ひゃっ!?」

 

 鬼との戦いで、女の子の頬についた擦り傷をペロリと舐める。稀血ではない。普通の血だ。

 里に連れて行く必要もないだろう。

 

「それじゃあ、私は行くわ?」

 

「えっ……。えぇ……。一緒に居た方が安全だと思うんだけど……」

 

 私に舐められ、頬についた唾液を拭いながらも、女の子はそう言った。

 しごく真っ当な意見だと思う。

 どうしたものか。とにかく、怪しまれないよう、言い訳をするしかない。

 

「別に……。鬼も減ったし、ここから生き残れないくらい弱いのなら、鬼殺隊になっても食べられて、鬼を強くしてしまうだけよ。だったら、ここで死んだ方がまし。わかったら、私に関わらないで」

 

「……!?」

 

 なかなか、異常者な感じが出ていてよかったと思う。

 女の子が、私の言動に目を白黒させているうちに、私は離れて行くことにする。

 

「じゃあ、頑張ってね」

 

「まって……!」

 

「…………」

 

 まだ、なにかあるのだろうか。

 引き止められて、離れられず、私は少し苛立ってしまう。

 

「私は真菰!! あなたは!?」

 

 そういえば、名前を言ってはいなかったか。

 だが、私は正体をバラしたくない。この子が私の正体がわからずとも、誰かにここでのことを喋ったとき、バレてしまうのはいただけない。

 

「なら、そうね……。あなたがこの最終選別を抜けて、もう一度会えたなら、教えてあげるわ」

 

 名を偽るという策も思い浮かんだが、なぜ私が、この子のために偽りの名を考えるなんて面倒なことをしなくてはならないんだ。

 はぐらかすくらいが丁度いい。もう二度と会わないだろうし。

 

「……!? わかった! 一緒に合格しようね! 約束! 絶対だよ!?」

 

「ええ……」

 

 別れ際に見た彼女の表情は、一片の曇りもない、満面の笑みだった。

 

 女の子と別れて、カナエちゃんのところへと向かう。結界の感知を使えば、すぐに居場所が割り出せる。

 

 喧嘩別れみたいになってしまっていたから、少しだけ顔が出しにくい。

 見つければ、カナエちゃんは木陰に座り込んでいた。

 

「カナエちゃん!」

 

「あっ……ハツミちゃん」

 

 私のことを見つけると、カナエちゃんはにっこりと微笑む。

 

「カナエちゃん。ずっとここに?」

 

「うん。試験の途中みたいだったから、見つからないように隠れてたのよ」

 

「そっか……」

 

 カナエちゃんのことだから、きっと、私みたいに手出しはしなかったのだろう。

 カナエちゃんの意にそぐわないことをしていたから、話している今も気まずさを感じる。

 

 だが、カナエちゃんのその表情に、私と別れる際に見せた反感はなかった。

 

「帰ろう?」

 

「そうね」

 

 待ち合わせの場所に向かう。

 来た時と同じ場所で、そこに行けば、転移の血鬼術を使える子が里とを繋いでくれる。

 後で、血を分けてあげよう。

 

「あ……っ」

 

「ん? ハツミちゃん、どうしたの?」

 

「ううん。帰る前に、私の結界を使って、血を集めておこうと思ってね!」

 

「え……結界?」

 

 空の小瓶を地面におく。

 鬼の血を搾り尽くした時に、集めて持って帰れるように、用意しているものだ。

 

「ええ、結界よ。私の結界は、まあ、わかりやすく言えば、私の分身を地面と融合させることでできているの」

 

「へぇ……」

 

 私の血鬼術は感知した生きている物を壊す術だ。結界の分身は、感知専用に作り出したものだから、血鬼術の範囲に、速度は段違い。

 私自身の場合は、感知に、物体を間接的に通さなければならないけれど、結界ならば、間になにもなくとも、その上を通り過ぎた生き物を感知、そして壊すことができる。

 

 血鬼術だから、日の光に感知が遮られるのが玉に瑕だが、大抵の場合、対象物は地面に影を落とす。なんら問題はない。

 

「だから、こんなふうにも使える」

 

 小瓶に血が溜まって行く。

 地面に染みた鬼の血を、結界に吸収させて、集めさせた。

 

 当然のことに、濾されて、集まるのは無惨様の血だけだ。

 

「そんなこともできるのね……」

 

 マジマジと、瓶の中に集められる血をカナエちゃんは見つめていた。

 

「これは肉体を変化させる応用だから、頑張ればカナエちゃんにもできるわよ?」

 

「え……っ」

 

 訝しげな目をして、カナエちゃんは瓶から私に視線を移す。

 栄養価の高い血をたくさん飲んだカナエちゃんなら、きっとできると思うのだけど。

 

「そういえば、五十人以上、人を食べたという鬼が、この山の中にいたわ。あの鬼は、手をいっぱい生やしてたっけ。カナエちゃんなら、もっといろいろできるはずなんだけど」

 

 思えば、あの鬼は不思議だった。

 外に出たいなら、地面を掘って進めばよかった。そうすれば、藤の花を避けて、ここから抜け出せるのに。

 やっぱり、頭がおかしくなってしまっていたのだろう。可哀想に。

 

「そんな鬼が……? この山の鬼は、共食いや、選別で斬られるので、たいして生き残れないはずなのに……」

 

「でも、カナエちゃん。よく考えてよ? たとえば、実弥くんくらいの稀血が試験を受けるじゃない。まかり間違って鬼に食べられちゃったら、強い鬼もできるわ」

 

「……そうねぇ。言われてみれば、そういう鬼もできるわね。御館様も、きっと何か、考えがあったんだわ!」

 

 そして、カナエちゃんは納得した。

 それでいいのかとも思ったが、これ以上、つつかないことにした。

 

 産屋敷がなにを考えているのかなんて私にはわからない。ただ、鬼殺隊が私の里の子の命を脅かしているのは間違いがなかった。

 命を粗末に扱う奴らなんて、縁壱に斬られてしまえばいいのに。

 

 嫌な思い出が蘇った。ちょっと、気分が悪くなってきたかも。

 

「帰りましょう……。琵琶の子も、待ちくたびれているかもしれないわ」

 

 約束の一時間から、許容範囲ではあると思うけれど、過ぎてしまっていた。

 少しだけ、申し訳ないことをしてしまったと思う。

 

 そうして、待ち合わせ場所に行けば、一瞬で、里とを繋げてもらえた。

 待ち構えていたのかもしれない。後でちゃんと血を渡しておこう。

 

「…………」

 

 私たちが、ちょうど里に戻ってきたところにだった。空間が繋がった、私の屋敷にだった。

 そいつは何故か、私に向かって平伏していた。

 

「お客様ね」

 

 そいつは、私の声を聞いてか、(おもて)を上げる。

 血を頭からかぶったような鬼だった。

 

「……あれ、(ハツ)()ちゃんだったか……。やぁ、いい夜だねぇ」

 

 目に刻まれたのは、『上弦』の『参』の数字。

 鬼としての格は、私の一個下。

 

「ねぇ、童磨くん。どうして、平伏なんてしていたのかしら?」

 

「いやはや、(ハツ)()ちゃんの気配が前にもまして無惨様に似ていたからね。間違えて――( )

 

「…………」

 

 頭を蹴り飛ばす。

 胴体から頭が別れて、部屋の隅に転がった。

 

「ハツミちゃん……!?」

 

 カナエちゃんが、オロオロとしている。

 だが、今はカナエちゃんへの説明よりも、突然現れた、この上弦の参へ罰を与える方が重要だった。

 

 上弦の参は、頭が胴体から離れた、こんな状況だというのに、笑顔を崩さない。

 

「いきなり手厳しいなぁ。(ハツ)()ちゃんは……」

 

 上弦の参の頭が転がった、部屋の隅に行く。

 

「私と無惨様を間違えるなんて、無礼にも程があるわよ。八つ裂きにしても足りないわ」

 

「どのように詫びたら――( )

 

「誰が喋っていいと言ったの?」

 

 頭を踏み潰す。

 まあ、鬼だから死なない。この程度なら、簡単に回復する。

 

 上弦の参が里に訪れると共に、私は夏の訪れを感じるのだった。

 こんなのでも血鬼術は有用だ。






たまじ様から推薦をいただきました。
この場を借りて、お礼を申し上げます。誠にありがとうございました。


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ごまかしの

 染みついた考えを変えることは、容易なことではないと、私は身を持って知った。



 童磨を懲らしめ終わったところで、カナエちゃんが頭を運んで胴体とくっ付ける。

 カナエちゃん。こんな奴に、なんて優しいのだろう。

 

「見ない鬼だけど、誰だい?」

 

「私は胡蝶カナエです。花柱の」

 

「柱……? なら、カナエちゃんは元鬼殺隊ってことかな? 鬼で呼吸を使うとなれば、黒死牟殿だが、それ以外に聞いたことはない。最近、鬼になったのかい?」

 

 童磨は、じっと、カナエちゃんを見定める。

 

「鬼になったのは、一週間くらい前だわ。それに、今も鬼殺隊に所属しているつもりです」

 

「ん……? ということは、鬼である俺も殺そうっていうことかい? やめておいた方がいいぜ。いくら柱が鬼の力を得たとはいえ、オレには敵うまい。俺は百年以上生きているから、呼吸があるとは言え、それで覆せる鬼の力ではないだろう?」

 

 上弦の参の位置につくくらいには、人を食べて、血鬼術を自由に操る鬼だ。今のカナエちゃんでは、倒すのも少し厳しいか。

 潜在能力はあると思うから、鬼の力が自由に使えるようになればいいのだけれど。

 

 空気が冷える。

 カナエちゃんが気まずそうだから、私は二人の会話に割り込むことにする。

 

「カナエちゃんは、鬼と人間が仲良く暮らせる世界を目指しているのよ。ね?」

 

「うん。そう……!」

 

 そうしたら、童磨は、肩の力を抜いたようだった。今まで、表情はずっと変わらず笑顔のままだ。それは今も変わらない。

 気持ち悪い。

 

「なんと、それは素晴らしいなぁ。俺は優しいから、協力してあげるぜ。これでも、俺は毎日、人間のために尽くしているんだ」

 

「……!? そうなの!?」

 

「あぁ、俺は〝万世極楽教〟の教祖なんだ。可哀想な人間たちを救ってあげてる。悩みを聞いて、それが終わったら、食べてあげるんだぜ」

 

「……えっ?」

 

 カナエちゃんの目が点になった。その気持ちも私にはわかる。

 

 何年経っても、こいつの言っている意味がわからない。生きている人を殺して、それが人助けだ。私には理解できなかった。

 誰しも、死にたいわけがないのに。

 

「カナエちゃん。この男と話しても時間の無駄よ。さっさと帰ってもらいましょう?」

 

(ハツ)()ちゃんは、いつも手厳しいなぁ。それじゃあ、遥々ここまでやってきた、俺が可哀想だ」

 

 童磨は額に手を当てて、涙を流す。

 嘘泣きに違いないのに、良く流れる涙だ。感心する。

 

 カナエちゃんに目を向けると、剣に手をかけ、今にも抜こうとしていた。

 

「童磨と、言ったかしら……。あなたの言っていることが正しいなら、私はあなたを殺さないといけない」

 

 いつになくピリピリとして、カナエちゃんは童磨と向き合っている。カナエちゃんにも、童磨のやつの考えは、理解できなかったのだろう。

 その気持ちはわかる。

 

「おいおい、カナエちゃん。鬼と人で仲良くしたいんだったら、まずは鬼どうしで仲良くするべきだろう? どうして、そんなこと言うんだい? オレはみんなと仲良くしたいだけなんだけどなぁ」

 

 童磨は、そんなことをのたまって、肩を竦めてしょんぼりとする。

 動作の一つ一つが大仰で、芝居がかって嘘くさい。こんな気持ち悪いやつが教祖だ。騙される信者は、酷く愚かだと思う。

 

「だって、殺すのでしょう? 罪もなく……殺す必要のない人たちを……!? 鬼だろうが、人だろうが、そんなの、私は許せない!!」

 

「なるほど、なるほど。でも、俺のところに来る人間は、死を怖がってる。だから、食べてあげるんだぜ。俺の一部になって永遠に生きる。こうして救ってあげなくちゃ、可哀想だろう?」

 

「意味がわからない……」

 

 全面的に、私はカナエちゃんの意見を支持する。

 私には人間のことはよくわからないけれど、生きることを望むのが普通だろう。

 食べて永遠に生きるって、わけがわからない。死んでるでしょ、それ。

 

 少なくとも、私に食べられる子たちは、そんな思想を持っていない。

 里のみんなを私が食べれば、私は強くなって、長生きして、子々孫々に渡って、末長く守ってあげることができる。

 なんだか私が人間に生かされて、利用されているみたいで、こういう考えは好きじゃないのだけれど。

 

 自分たちの子孫が、私の庇護のもと、遥か未来に渡るまで繁栄するように、彼らは私に食べられるのだ。

 

「カナエちゃん。カナエちゃんの気持ちはよくわかるけれど、こいつのことは後で考えましょう? 今は力を借りるためにここに来てもらっているのよ」

 

「ハツミちゃん……!?」

 

 カナエちゃんは、裏切り者を見るかのような目で、私のことを見る。

 そんな目で見られてしまえば、私、泣いてしまう。

 

「いやぁ、さすが(ハツ)()ちゃん。話がわかるぜ」

 

「うるさいわね。黙りなさい」

 

 そんな私を知ってか知らずか、叩かれる軽口に、私は怒った。

 無礼にもほどがあるだろう。蹴って、粉砕しておいた。

 

 私は、『()』で、童磨は、『()』だ。多少、粗雑に扱ってもなんの問題もない。むしろ、このくらいの扱いが妥当だろう。

 

「それにしても、(ハツ)()ちゃん。血の在庫をだいぶん減らしたみたいだね。なにか、嫌なことでもあったのかい? 俺で良ければ聞いてあげるぜ」

 

 なおも、不屈の精神で、私に話しかけてくる。

 相変わらず、頭おかしいんじゃないかと思う。私は、こいつが、とても、とても、苦手だった。

 

 できれば、近寄って欲しくない。

 

「というか、なんで、貴方が蔵に……」

 

「いやいや、(ハツ)()ちゃんが留守のようだったから、一つ拝借させてもらったわけだ。いつものことだろう? 前より減っているから、なにかヤケになるような出来事でもあったのかと」

 

 私の許可なく立ち入ってはならないというのに、こうも簡単に。

 私は苛立ちで臓物が焼かれるような思いだ。

 

「減った血なら、私がいただいたわ。とても美味しかったわよ?」

 

 カナエちゃんはにっこりと微笑んで、童磨に向けてそう言った。

 微笑んではいるが、血管が浮き出て、尋常ではないほどに怒っていることがわかる。

 

 童磨はカナエちゃんを二度見した。とても、いい気味だった。

 

「なるほど、なるほど。じゃあ俺も、うかうかしていられないってわけか……」

 

 童磨はふところから扇を取り出す。

 なにか一触即発といった雰囲気だが、困る。

 

「とりあえず、武器は納めて……ね。ここは私の結界の中よ? 無用な戦いをするようだったら、罰を与えなければならないのだけれど」

 

「ハツミちゃん。やっぱり、生き埋めにする……? この男を」

 

 生き埋めなんて、あの場の思いつきだ。もう数日も前のことなのに、カナエちゃんは引きずっているようだった。

 私は少し考える。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……場合によっては、そうね」

 

「それは酷い。さすがは(ハツ)()ちゃんだなぁ」

 

 どういう意味で言っているのだろうか。

 まあ、こんなやつの言葉に、いちいち構っていられない。

 

「はぁ、ともかく……行くわよ」

 

「あぁ……いつものところだね」

 

「いつものところ……?」

 

 そういえば、カナエちゃんは知らないのだった。

 鬼にはあまり関係ないことだけれど、話しておいても別に問題はないか。

 

 移動しながら、説明を始める。

 

「ええ、この里の地下には、各家に繋がるように、私の作った肉の(くだ)が張り巡らされているの」

 

「管? なんのために……?」

 

「冷気を送るためよ」

 

「…………」

 

 これだけでは、わからないか。私は説明を続けようとする。

 

「だから――」

 

「そうなのね……。そこの鬼が、冷気を操る血鬼術を使うから、みんなに夏を快適に過ごしてもらうために、必要だったのねっ」

 

「理解が早いことは、いいことだと思うわ」

 

 得意になって、説明しようとしたけれど、立つ瀬がない。

 

 各家庭に、冷気の出ずる管が設置されているのだが、ちなみに、ちょっと困ったことがある。

 管の中に物を入れてみる子がいることだ。

 

 もちろんのこと、私の力で作った管だから、物を入れてもすぐに吐き出される。

 子どもというのは、なにで楽しむかわからないもので、管に入れた物が吐き戻される様をキャッキャと喜んで見ているようだった。それが大抵の子供だった。

 

 それだけなら、まだいい。

 物なら、固形の物体なら、まだ許せる。百歩譲って、水を入れることも許そう。氷にした後、吐き出してあげるだけだ。

 だがだ、熱湯だけはダメだ。

 最初に注がれた時は、本当にビックリした。

 

 だって、夏の暑い日に、わざわざ沸かした熱湯を、冷気を出す管の中に注ぎ込むのだ。意味がわからない。

 その熱湯のせいで、吐き出す冷気が熱気に変わった。泣き付かれた。私も泣きたかった。

 

 幸い、一時間もしないうちに戻ったけれど、本当にどうしてあれほどの量の熱湯を注ぎ込んだのか、今も語り草だ。ちなみに、その子はまだ生きている。立派な親だ。

 

「確か、ここだったはずだよねぇ。(ハツ)()ちゃん」

 

「ええ……」

 

 そうこうしているうちに、着く。時間はかからない。

 私の屋敷は里の中心にあるから、効率を考えて、目的地は近くにあるのも必然となる。ほとんど庭先だ。

 

 手をかざす。

 

「……!?」

 

 地面に孔が(ひら)く。

 あとは童磨に任せればいい。

 

 ――血鬼術『結晶ノ御子』。

 

 小さな童磨が二体、氷でできあがると、孔の中に飛び込んでいった。

 

「これで今年は、もう用なしね。さっさと帰るといいわ。あぁ、一夏で砕けるのが、本当に残念ね」

 

 用がすめば、こんなやつを里に置いておく道理はない。

 永遠に砕けなければ、毎年、こんなやつに会わなくて済むのに。残念でならない。

 

「遠距離で、血鬼術を維持し続けるのも大変なのに……(ハツ)()ちゃんは無茶を言うなぁ」

 

「…………」

 

 早急に孔を閉じる。カナエちゃんが童磨のことを突き落とさんばかりの目で見ていたからだ。

 

「当然よ。分身を大して維持できないとなれば、上弦の名折れよ。死んで出直して来なさい」

 

(ハツ)()ちゃんの結界とは違うんだぜ、全く……」

 

 私の結界は、一度設置してしまえば、解かない限り残り続ける。

 血を消費するのは、主に血鬼術を使ったとき。結界自体を作るのには、それほど消耗もない。

 

「精進なさい。そうすれば、もう二度と会わなくて済むもの」

 

 一度、童磨から、お近付きの印にと、稀血の子をもらったことがある。

 最初は別に問題はなかったが、いつかから、よくわからない童磨の宗教を広めようとし始めたのだ。

 

 里には、里の風習がある。大抵はすぐに染め上げられるのだが、確固たる信念で、これに対抗してくる。

 手に負えず、童磨のところに返した、というか帰って行ったのだが、どうやらその後、すぐに童磨に食べられてしまったらしい。

 

 こんな変なやつのもとに返すなんて、悪いことをしたと思う。

 最後まで引き留めたのだけれど、教祖様にみんな救ってもらうと言って聞かなかったあの子も悪かったはずだ。

 

 確か、鬼殺隊に拐われた、なえの祖母だったか。

 思想があそこまで違うと、家族の仲も悪くなって、血の味も悪くなる。新しい発見だった。

 

 あの一件から、本当にこの男のことが苦手になった。それまでも、好ましいとは思っていなかったけど。

 

「あぁ……やっぱり我慢できない……!」

 

 なんの前触れもなく、童磨に向かって剣を向けて、カナエちゃんはそう叫んだ。

 

「急に、どうしたのかい?」

 

「アナタのような鬼は居てはいけないのっ! 命に替えても、ここで殺すわ」

 

 カナエちゃんが異常者になった……!?

 と、とめないと……。

 

「か、カナエちゃん。やめようよ。ね? こんなやつの相手をしても得なんてないよ?」

 

「ハツミちゃん。今、ここでこの男を殺さないと、多くの人たちが犠牲になる! それじゃ、私が私を許せないのよ!!」

 

 なにを言っても聞かない異常な状態だ。

 カナエちゃんも鬼殺隊だから……こうなってしまうのか……。鬼殺隊、あなおそろしや。

 この状態をおさめるには、なにか、ないか。そうだ。

 

「……カナエちゃん。言うこと聞かないと、あの琵琶の子の血鬼術で、里の外に放り出すよ?」

 

「……!?」

 

 この里の外に放り出してしまわれることほど、恐ろしいことは、カナエちゃんにはないはずだ。

 これなら、効くだろう。

 

 飢えて、人を襲う。それだけは絶対に嫌なのだから、こう言われれば、カナエちゃんは踏み留まざるを得なくなる。

 

「童磨くんも……なるべく人を食べないように、お願いできないかしら……。私の顔に免じて、ね?」

 

「いくら(ハツ)()ちゃんのお願いでも、俺はみんなを救わなきゃならないから、それはできかねるなぁ」

 

 嘘でもいいから、頷くべきだった。

 童磨は返答を間違ってしまった。残念だ。

 

「別にいいのよ? 私はあなたがどうなったって、知ったことではない。あなたの血鬼術が、有用だから、私はあなたに優しくしてあげてるの、わかる? 私が上で、あなたが下よ? それで、なんで逆らえると思っているの? 私を軽く見てる? 血戦を挑めば勝てる? 無理よ……あなたじゃ永遠に無理。せいぜい、這いつくばって、私の言うことを聞いていればよかったの。それができないって……」

 

(ハツ)()ちゃん。俺に人を殺して欲しくないというのは、そこのカナエちゃんの望みだろう? なぜ、(ハツ)()ちゃんが怒るんだい?」

 

「……なぜって、私もカナエちゃんと同じく、人と鬼が仲良くできる世界を目指しているのよ? そっちの方が絶対に良いもの」

 

「…………」

 

 どうすれば、人間と仲良くしていることになるのか、私にはよくわからない。

 カナエちゃんの望むとおりにすれば、きっと間違いはないのだろう。私にはカナエちゃんが必要だった。

 

「なに? 私の話を遮って、そんな自分で考えればわかるようなことを――( )

 

(ハツ)()ちゃん。少し良いかい?」

 

「……!」

 

 童磨は凄まじい速度で、私に、にじり寄った。

 何事かと思って、反射的に、童磨の全身を粉々にしてしまうところだった。腕一本で済んだことに感謝してほしい。

 

 残った腕で扇を使って、童磨は私に耳打ちをしてくる。

 

「おそらくそこのカナエちゃんの血鬼術は、相手の精神を操作するものじゃないかい? どうやら、(ハツ)()ちゃんは既に術中のようだ」

 

「…………」

 

「鬼同士は呪いで嫌悪感を抱くのが普通だが、それがない。始めは、いつものように(ハツ)()ちゃんが贔屓されていると思ったのだが、俺も大して嫌悪感が湧かないから、これは普通じゃないと思って、はたと気づいたわけだ」

 

 私の心が操られている?

 カナエちゃんに?

 

 冗談のような話だ。

 カナエちゃんはそんな素振りを見せたことはない。それに、上弦の弐であるこの私が、簡単に血鬼術にかけられて、操られるなんて、あり得るわけがない。

 

「ハツミちゃん。なに話してるの?」

 

 気がつけば、カナエちゃんに後ろから抱きつかれていた。

 童磨は、すでに離れたところにいる。

 

 頭がぼうっとする。記憶が飛んでいるような気がする。

 

「大した話ではないわ。それに……もう、覚えていないし……」

 

 童磨の話していたことなら、きっと、重要なことではなかったのだろう。私は忘れてしまった。

 

「それなら、いいのだけど」

 

 カナエちゃんは、私を抱きしめる力を強くする。いい匂いがする。心地良くて、もう、どうでも良くなってくる。

 

「いやぁ、参った。どうやら俺ではカナエちゃんには敵わないようだ。言うとおりに、俺は信者たちを殺さないようにしようか」

 

「……!?」

 

 私は目を丸くする。

 童磨がこんなにも素直だなんて、おかしい。

 

 なにか悪いものでも食べたのかもしれない。藤の花だとか。

 

「じゃあ俺は、お暇させてもらうぜ?」

 

 童磨はこちらに向かって背を向けると、里の外に歩いて行こうとする。

 そういえば、この里を鬼殺隊が囲んでいる可能性があるんだっけ。まあ、伝えなくても問題はないか。

 

「まって……!!」

 

 引きとめたのは、カナエちゃんだ。

 

「なんだい?」

 

「本当に人を殺さないの! 本当?」

 

 確かに童磨はすごく怪しい。

 ここで約束をしても、平然と人を食っていそうだ。

 

「あぁ、本当だよ。これからは、(ハツ)()ちゃんの真似をして、慎しやかに血だけを貰って生きていこうと思うぜ」

 

「そう……!」

 

「ただ、(ハツ)()ちゃんの真似をしても、稀血の子たちを増やすのは難しい。この里のように質の良い稀血の子は滅多にいない。俺には無理だ。ましてや、質を上げるなんて、到底……。血だけで今まで通りの強さを保てるかどうか」

 

「…………」

 

 なんだか、雲行きが怪しかった。

 これから童磨はロクでもないことを言うに違いない。

 

「きっと、人間を食べずに、力が衰え、あの方の逆鱗に触れ、俺は殺されてしまうだろう。それじゃあ、俺が可哀想すぎるぜ」

 

「さっさと、死ねば良いわ」

 

 死んだら死んだで、夏の快適さが失われて困るが、それはそれとして、こんなやつ、死ねばよかった。

 

 そういえば、無惨様も、この男は苦手だとおっしゃっていた。

 強くて、実績もあるから殺すにも殺せない。だから、口実さえできれば、きっと殺すに違いない。

 

「ねぇ、(ハツ)()ちゃん! 人を殺さないなら、血を分けてあげてもいいんじゃない?」

 

「嫌よ、こんなやつに。今でも、役に立ってるから、しかたなく年に一回だけ分けてあげてるっていうのに……」

 

「えぇ……。血を分けてあげたら、人間を食べる必要もなくって……。鬼と人が仲良くできるって……」

 

 カナエちゃんは、困った顔をした。

 確かに、その話に賛同した覚えはあるけれども、童磨は別だろう。絶対に別だ。

 

 だが、このままでは、カナエちゃんを悲しませるだけだ。仕方がない。

 

「わかったわ。月、一万円で手を打ちましょう」

 

「えっ……!?」

 

「少し高いが……お安い御用だ」

 

「えっ……!?」

 

 お家なんて、軽く買えるようなお値段なんだけど……童磨くんのところって、儲かってるのかしら。自動車とか、持ってるかもしれない。

 私も宗教で儲けてみようか……。

 

 いや、でも、今の資金調達でも忙しいし、それに加えてとなると難しい。やっぱり、あれこれ手を出すのは、私一人では無理だ。諦めよう。

 

「次に来たときは、お金を持ってくるとしようか。では、俺は帰らせてもらうよ」

 

 そうして、今度こそ童磨が帰っていく。

 もう、カナエちゃんは引きとめない。

 

「ねぇ、ハツミちゃん。本当に、払えると思う……?」

 

 童磨の後ろ姿に、そうカナエちゃんはこぼす。

 

「知らないわよ。でも、もし払うとなれば、信者が大変ね……」

 

「…………」

 

 カナエちゃんが、青い顔をする。

 人でいようが、鬼になろうが、世の中はお金だ。世知辛い。無惨様も働いていらっしゃるし……。

 

 それにしても、童磨が、また近いうちに来るのか。来ないで欲しかった。

 琵琶の子を通じて、物のやり取りをできたら良い。そうしてもらおう。

 

 

 

 ***

 

 

 

(ハツ)()様、さゆに赤ちゃんはできましたか?」

 

「……ちょっと待ってね」

 

 ()()のお腹に手を当てる。

 私の血鬼術で、つまびらかに感知をして、新しい命を探り出す。

 

「…………」

 

 緊張が走る。

 

「残念ながら、赤ちゃんはいないわ」

 

「……そんな……!? あんなに頑張ったのに……」

 

 ()()はガックリとうなだれる。

 私も、とても残念だ。一緒になって悲しんでしまう。涙が出る。

 

「昨日もやってたがァ、一日二日で出来るものなのか?」

 

 お相手の実弥くんは、氷を削って砂糖をかけたお菓子を、お匙でつつきながら、呆れを見せて私たちにそう尋ねた。

 

「出来るときは、出来るわ!」

 

 大抵は、どういうときに出来るか、周期性は決まっているものだが、ときおり、思いもしないときに出来ることがある。

 毎日の行いも、無駄ではないはず!

 

「さゆがいけないんです。さゆが、母親に向いていないから……。きっと、赤ちゃんも、さゆのことを選んでくれないんです……」

 

「まだ、そこまで落ち込む時期じゃねェだろ……」

 

「だって……さゆのお母さんは、さゆを産んで死んでしまったんです……。さゆのせいで……」

 

 あそこまで出血が酷いことは、そう滅多にない。運が悪かったのだと思う。

 

 ()()にもう両親はいない。二人とも、私に食べられた後だ。

 父は、母親が死んだすぐ後に、後追い自殺をした。止められなかった。

 

 ときおり人間は、精神に多大な負荷がかかると、心配りをする間もなく、自らで自らを死に至らしめる。

 ちなみに、男の子の方が、そうなる可能性が高い。

 

 防げずに後悔することは、たびたびだ。忘れた頃にやってくる。

 その度に悔しい思いをする。寿命で死ぬのとはわけが違う。本当ならばもっと楽しめていたはずなのに……。

 

 ()()の両親は、どちらともに質の良い血で、居なくなってしまったことに、私はたいへん悲しんだ。

 

()()。あなたが責任を感じることはないわ。あなたは私にとって、とても大切な存在なの……。あなたが生きているだけで、私はとても嬉しい……」

 

(ハツ)()様……」

 

 だから、()()には生きているだけで価値があるのだと、言い聞かせて育ててきた。

 里の子の中でも、特別に手厚く扱ってきた。

 

「実弥くんも……自分を、よく労りなさい。無茶は私が許さないわよ? 具合が悪くなったらすぐに言うの。悩みがあるのなら、()()や私に相談するの。一人で抱え込まないで……。血の味で、幸せかどうかはわかるのよ?」

 

「……はい」

 

 実弥くんは、真顔で私を見て、うなずいた。

 実弥くんも、里の仲間で、もう私にとってはとても大切な存在だ。失われたら、私は、とても悲しい。

 

「さねみさん、さねみさん。さねみさんも、さゆと同じく、とても質の良い血なんです。仲間なんです。家族になれて、さゆは嬉しい限りなんです」

 

 実弥くんの隣に座ると、()()は実弥くんの腕を胸元に引っ張って、寄り掛かった。

 

「本当に良かったのか? 俺みてェなよそ者と一緒になって……。他に惹かれてた相手はいなかったのか?」

 

 ()()の頭を撫でながら、そう実弥くんは問いかける。

 それに、()()は首を傾げた。

 

「別に……(ハツ)()様の言った相手と一緒になるのが、さゆの天命でしたから、特に他の殿方に、思い入れはありません」

 

「…………」

 

 実弥くんが、こちらを見た。

 その目付きの悪さから、睨んでいるようにも思えたが、きっと、そんなことはないのだろう。

 

「強いて、わがままを言うのなら、さゆは(ハツ)()様のように、鬼になりたかった……」

 

「鬼に……」

 

「えっ……それは、初めて聞くわね……」

 

 そんなこと、()()は一度も言っていなかった。

 稀血の子が鬼になったら、美味しさは、鬼になる前に比べて劣ってしまうから、そんなこと、考えたこともなかった。

 なんというか、雑味が入って、嫌な感じになる。不思議だ。

 

「さゆはご先祖様から、ずっと(ハツ)()様に守っていただいている……。(ハツ)()様は、ずっと格好よくて、ずっと綺麗で、さゆの憧れでした」

 

「そうか……ァ」

 

()()、とても嬉しいわ」

 

 ()()は私のことを持ち上げる。思いもよらないことを言うものだから、私は機嫌が良くなってしまう。

 

「今からでも、鬼にしてもらえば良いんじゃねェか? (ハツ)()様、確か、鬼殺隊のあの女は、(ハツ)()様が鬼にしたという話でしたよね」

 

 言っているのはカナエちゃんのことだろう。

 鬼殺隊だった頃の記憶のない実弥くんだ。軽く、そう提案した。

 

「いいんですよ。さねみさん。さゆはもう、さねみさんと一緒に生きて、死んで行くと決めたんです。子どもたちの成長を見守ったら、孫たちのことは(ハツ)()様に任せて、さゆたちはいつでも、安心して、人生の幕を引けばいいんです」

 

 笑顔で()()は実弥くんにそう説く。

 なんだか、実弥くんは呆気に取られたかのような表情で、さゆを見ていた。

 

「……本当に……良いのか……?」

 

 そう尋ねる実弥くんに、()()は少しもじもじとする。

 

「さゆはもう、さねみさんのことが好きなんです……」

 

 実弥くんは、それを聞いて、苦々しい表情をした。

 そんなことを言われて、普通なら喜んでもおかしくないはずなのに。

 

「……本当に、そうかァ? ……そう、思い込もうとしてるだけじゃねェのか?」

 

「本当にそうですよ! どうして、信じられないんですか!?」

 

「…………」

 

 ()()の抗議にも、実弥くんは納得し切れていないようだった。

 私は、一つ溜息をつく。

 

「実弥くん。あのね、()()の血の味は、アナタが来てから、前よりもとても良くなった。これは、とても幸せを感じている証拠。幸せなら、血の味が良くなるの。()()がアナタのことを好いていないなら、これはどう説明するの?」

 

 まあ、()()は、私と居るだけでも幸せを感じていたようだが、やはり人生の伴侶と育む幸せは、質が違うのだろう。

 血の味も、とても良くなった。私はとても嬉しい。

 

「……嘘じゃ――」

 

「――さねみさん……! いくら、さねみさんでも、(ハツ)()様に無礼を働くのなら、許しては置けません!!」

 

「そういうことじゃ……」

 

「あらあら……」

 

 そこからは、二人の軽い言い合いに発展する。

 これでも()()は、我が強い方だから、こうなったら一歩も引かない。

 

「だいたい、さねみさんは――( )

 

「そうじゃねぇ。だからなァ、さゆ――」

 

「――そう思いますよね、(ハツ)()様」

 

「思うわぁ。そうね……ぇ」

 

「……!? ……すみません……でした」

 

 論理的に説得を試みた実弥くんだが、適当に相槌を打っていたら、なぜだか最後には、実弥くんが悪いということで決着した。なぜだろうか。

 

「ともかく、二人とも……仲良くね」

 

「はい」

 

「わかりました」

 

 二人揃って返事をする。

 きっとこれから、二人は穏やかに暮らしていくだろう。私はそれを祝福するだけだ。

 

「さねみさん。明日も来ますよ!」

 

「さゆ、(ハツ)()様も暇じゃねェだろ? 頻度を落とした方が……」

 

「いいのよ。私もとても気になるもの……。子ども、楽しみにしているわ!」

 

 本当に楽しみでならない。

 早く出来て、産まれてくれないか。これから、どんどんと血の味の良い子が増えていく未来を想像したら、浮き足立つような気分になる。

 

 きっと、無惨様もお褒めになってくれるだろう。

 

「では、(ハツ)()様。失礼いたします」

 

 実弥くんが、あまり手を付けていなかった氷を削ったお菓子を一気にかき込んだ。

 そして、すぐに頭を抑える。

 

 その様子に、私たちはクスリと笑った。

 

「ええ、大事ないとは思うのだけれど、気をつけて帰りなさい?」

 

「わかりました」

 

 里の中には大した危険はないけれど、段差につまづいて、頭をぶつけて死んだとか、冗談にもならない。

 そんな事例があるにはあるから、馬鹿にできないところが憎い。

 

 二人を見送る。

 空になった器を片付けてもらって、私はカナエちゃんのところに向かった。

 

「ハツミちゃん……! すごいわ……世の中って、こんなにも素晴らしかったのね……っ! あぁッ、とても幸せで、全部が新しく見えるの……っ」

 

 着くや否や、カナエちゃんはそんなことを語った。

 何事かと思ったが、凍らせた血をお匙で掬って食べながら、カナエちゃんは目を輝かせている。

 いつものカナエちゃんだった。

 

 まあ、あれだ。

 この状態は、毒(きのこ)にあたって頭がおかしくなったようなものと思えば良い。吐き気もなく、体にもまるで害がないところは違うけれども。

 

 襲うといけないから、さゆに、実弥くんが、来ている間は席を外してもらっている。

 好きなようにしてもらっているけど、この有様だ。

 

「ねぇ、カナエちゃん。血、飲み過ぎじゃない?」

 

 まだまだ在庫はあるのだが、このままの消費具合では、百年後くらいに、本当に在庫がなくなってしまう。

 

「そう……かしら? でもハツミちゃん……なぜだか、とてもお腹が空くの……」

 

「え……っ?」

 

 不思議だ。

 傷を治しているわけでもないし、私みたいに血鬼術を常時発動しているわけでもないのに、そんなにお腹が減るなんて。

 

 ちなみに私は、宵、夜半(よわ)、暁に、それぞれお猪口一杯分ずつ飲むだけで済ませている。

 普通なら、それだけでも足りるはずなのだけれど。

 

「ハツミちゃんも食べない?」

 

「え、あ、うん」

 

 カナエちゃんは、笑顔で私の口もとまで、お匙を持って来る。そして、凍った血を私の口の中まで運んだ。

 

 シャリシャリと冷たい。

 これはこれで、(おもむき)があるのだと思う。

 

 飲み込めば、不思議な気分になる作用がやってくるが、私は慣れているから、それほど影響は受けない。

 

「どう?」

 

「おいしいわ。それはそうとカナエちゃん。そろそろ、働いたら良いと思うのだけれど……。人間への擬態はできるようになった?」

 

 働くと言っても、鬼の格好のまま人間たちの世界を出歩くのは普通にまずい。

 まず気味悪がられるし、なにをしていようと鬼殺隊がやってきて、悪鬼滅殺だ。鬼に厳しい世の中だと思う。

 時代によっては縁壱みたいなのが来るし。おちおち正体をさらすこともできない。

 

「ええ、ハツミちゃん! できるようになったわよ!」

 

 そう言うと、カナエちゃんの眼は普通の人間と変わらないものになる。牙も短くなって、これなら見分けがつかないだろう。

 

「すごいわ! カナエちゃん! 完璧よ!」

 

「ええ、鬼と人間が仲良くなるための活動をするためにも、避けては通れないもの。私、頑張ったわ!」

 

「カナエちゃん……偉い!」

 

 これで、カナエちゃんと私との夢に、一歩近付いたに違いない。

 

「それで、私は何をすれば良い?」

 

 当分は、簡単な仕事から任せるべきだろう。その間に、カナエちゃんにしかできないような仕事を探して、後からそれをして貰えばいい。

 

「そうね……お家をまわって、お金を集めてもらうわ」

 

「お金を……集める?」

 

「私が、どうやってお金を稼いでいるかは知っているわよね?」

 

 確か、最初にカナエちゃんがこの里を訪れた時に、カナエちゃんにそれは話したと思う。

 

「ええ、血鬼術を使って、人間ではまだ治せない病気を治してまわってるって……」

 

「そうよ!」

 

「すごいことだと思うわ。人助けだもの」

 

 別に、人間を助けているつもりはなかった。

 たかだか寿命が数年や、数十年伸びただけで、人間たちは喜んで大金をくれる。

 

 里を維持するためのお金を稼ぐには、それが一番効率が良かった。

 

「まあ、私の要求した分のお金をすぐには払えない人もいるから、その人たちから、お金を徴収してもらおうってこと」

 

「そうなのね。わかったわ」

 

 大抵は、お金を払い切る前に、別の病気にかかって、また私のお世話になる。

 そのために、目敏く身体を診たりもするが、カナエちゃんには、お金を集めてもらうだけにとどめようと思う。

 

 私の治す病気の代表は、小さな生き物によるものと、体内に栄養を吸い尽くす悪い瘤ができるもの。

 どちらも、私の血鬼術で消滅させたらどうにかなる。

 特に後者は患いやすさが子に受け継がれるようで、子々孫々にわたり、私の里の維持に貢献することになりやすい。

 

 他にも治せる病気もあるのだが、治せない病気も多くある。

 私の噂を聞いて、なんでも治せると勘違いする人間もいるから困りものだ。

 

「さしあたっては、紹介をしてまわるから……よろしくね、カナエちゃん」

 

「私も、診察なら経験があるもの。頑張るわ!」

 

 なんだか、勘違いをしているようでならなかった。



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会議

 最終選別を抜けて、生き残っていたのは、私と、手の鬼から助けた男の子だけだった。
 きっと、あの不思議な女の子は、死んでしまったのだろう。無理にでも、あのとき付いて行けば……きっと。


 ――『水の呼吸・肆ノ型 打ち潮』。

 

 ――『水の呼吸・拾壱ノ型 凪』。

 

 来る斬撃を凪によって払い除ける。

 型で打ち負け、のけぞり、そのまま真菰は尻餅をついた。

 

「俺ていどを倒せぬようで、水柱になれるものか!」

 

「…………」

 

 不満げな様子で、こちらを真菰は見つめてくる。

 

 彼女は、鱗滝先生のもとで修行した兄弟弟子である。

 久しぶりに、鱗滝先生の弟子が最終選別を突破したと聞き、任務帰りにそのまま屋敷に連れてきた。

 

 あの上弦の弐との戦いで付けられた傷も、癒えて、マシにはなったが、蝶屋敷の者たちが言うには、もう前のように動くことは難しいらしい。

 ただでさえ、自分は錆兎の代わりだ。一刻も早く、本当の水柱が必要だった。

 

 だからこそ、屋敷に連れてきて、剣を持たせ、そのまま稽古をしている。

 立ち止まっている暇などない。

 

「立ち上がれ! 今の隙に何度死ぬ!? それで、どうやって、十二鬼月の上弦を倒す!? 呼吸を絶やすな! 足を止めるな!!」

 

「ちょ、ちょっと、まって……。私、なにか、冨岡さんを怒らせるようなことをしましたか?」

 

「……!! ……!? ……? 剣を構えろ」

 

 怒ってなどはいない。

 なぜ、そんなことを言うのかわからなかった。

 

 鱗滝先生のもとで修行をして、最終選別を突破したのならば、錆兎のようになれるかもしれない。きっと、真菰は水柱にふさわしい人間になる。

 その期待の一心に、こうして任務の合間を見て、鍛えている。

 

「冨岡……さん……」

 

「あの鬼の血鬼術は、足を止めれば、脚の筋が切られるものだった。頸に刃を当てられれども斬りきれぬのならば、腕がやられるものだった」

 

 だからこそ、必要なものは、どんなときにも足を止めぬ持久力。そして、あの鬼の頸さえ斬れる力と技術。

 

 あの鬼でさえ、上弦の弐なのだ。

 更に上の上弦の壱。そして鬼の始祖――( )鬼舞辻無惨。今のままでは、到底、敵いはしないだろう。

 

「冨岡……さん……?」

 

 あれから、もうすでに時間が経ってしまった。

 胡蝶しのぶを担ぎ、不死川を置き去りにし、上弦の弐のもとから、命からがら逃げ帰った後の話だ。

 

 すぐさま、蝶屋敷に向かうことになり、療養が始まった。

 怪我をして、尚、無理をおして剣を振り、走って帰ってきたからか、数日は手を動かすこと、歩くことさえ禁止された。

 

 そして、いくら待てども、不死川は帰ってこなかった。なぜ、こうなる。不死川が帰って来てくれた方が、鬼殺隊のためになったのではないか。やはり、あのとき、不死川の意見を跳ね除けてでも、自身が残るべきだったのかもしれない。

 

 だが、いくら後悔すれども、時は戻らない。また守れなかった。俺は人に守られてばかりだった。

 

 胡蝶カナエに、不死川実弥。柱を二人失ったこと。長年、掴めなかった上弦の弐の居場所が割れたこと。

 この事態に、柱合会議が開かれることになる。

 

 椅子に車輪をつけた手押し車のようなものに載せられて、柱合会議に参加することになった。

 押していくのは胡蝶だが、胡蝶はあれからおかしくなった。

 

「ハツミさんは、人と仲良くする善い鬼なんです。姉さんは、きっと、鬼と人とが仲良くできる世界を作ってくれるんです」

 

 事あるごとに、そう触れ回る胡蝶の行動は、心を壊した人のそれに見えた。

 

 不死川は帰ってこず、胡蝶はこうなってしまった。どんな顔をして、御館様に(まみ)えればいいかわからない。

 

「御館様におかれましても、ご壮健で何よりです。ますますのご多幸、切にお祈り申し上げます」

 

 芒洋と視線を彷徨わせていれば、そんな声が聞こえた気がした。

 本来なら、この会議にも不死川がいたはずだった。花柱も、鬼にならなければきっと……。

 失われたものは多い。だというのに、自分はこうして生き残っている。

 

「冨岡! 御館様が話しかけているというのになぜ答えない!」

 

「……!?」

 

 上の空だった。

 そう言われて、ようやく御館様の姿を認識できる。

 

「冨岡!」

 

「誠に、申し訳ございません」

 

「いいんだよ、義勇。今回のことで、大変だったんだろう?」

 

「…………」

 

 返す言葉がない。

 

 胡蝶カナエだった鬼に、上弦の弐は、村で稀血を飼っていると言っていた。

 

 不死川が稀血だというのは、周囲に知れ渡った事実ではあるが、果たして、今、不死川はどうなっているのだろう。

 死んでいるのなら、まだマシかもしれない。自由を奪われ、生かされ、血を奪われるだけの存在に成り果てている可能性がある。

 

 アレらは、そういう残酷な鬼だった。普通の鬼ならば実際にやってみようと思いもしないようなことも、平気で出来てしまう。人の尊厳などを微塵も顧みない。

 だからこその十二鬼月。だからこその上弦。

 

 そんなモノたちに捕らえられている可能性のある不死川を差し置いて、自らが大変だったなど、口が裂けても言えなかった。

 

「おい、冨岡。なにか言ったらどうだ?」

 

「御館様におかれましても、ご壮健で何よりです。ますますのご多幸、切にお祈り申し上げます」

 

「……冨岡。御館様への挨拶なら……さっき」

 

「……!?」

 

 そういえば、そんな気もする。

 御館様の前で、どれほど無礼な振る舞いを自らがしているか自覚し、慚愧に囚われる。

 

 皆が痛ましい目でこちらを見ている。同情するかのような目だった。

 何故だ。

 向けられるならば、非難のはずだろう。

 

「本当によく帰って来てくれたね。義勇。しのぶ。二人が帰って来てくれたこと、たいへん嬉しく思うよ」

 

 胡蝶しのぶは、今回の柱合会議に、上弦の弐と対峙したゆえ、同席が許されていた。

 

「はい……」

 

 そう御館様は喜んでいるようだったが、きっと不死川が帰って来たほうがよほどに良かったに違いない。

 己の未熟さが嫌になる。錆兎ならば、きっと……。

 

「つきましては御館様。見つかった上弦の弐。そして、鬼化したそこの胡蝶しのぶの姉、胡蝶カナエについていかがいたしましょうか」

 

「居場所が割れているのなら、即刻、討伐に向かい、頸を刎ねるべし。どうか御館様……我々に御命令を……」

 

 そう話が進む。

 きっと、柱たる彼らなら、花柱を倒し、上弦の弐をも討ち取ってくれるだろう。

 

「まってください! 姉さんと、ハツミさんなら――( )

 

 まずい……!

 

「胡蝶!! 喋るな……!!」

 

「良い鬼なんです……!! きっと、鬼と人とが仲良くできる世界を作ってくれるはずなんです!!」

 

「…………」

 

 制止を振り切り、胡蝶がそう言い切れば、周りは静まり返った。

 そして、最初に口を開いたのは誰だったか。

 

「身内が鬼になって、鬼に情でも湧いたか?」

 

「鬼を庇うとは、隊律違反だ。即刻、断首を!」

 

「可哀想に……なんと哀れな……。早く殺して、鬼から解き放ってあげよう……」

 

 柱たちは、一同に、胡蝶しのぶの死を求めた。

 まずい。

 

「義勇。これには、訳があるんだよね?」

 

 救いの手を差し伸べたのは、御館様だった。

 さすがは御館様だろう。

 

 胡蝶は確か、鬼になった姉に刃を向けた。確かに、鬼になった肉親を殺める覚悟はできていたはずだった。

 だが、その後に、わずかに目を離した隙に、こうなってしまったのだ。

 

「はい……あれは、胡蝶カナエが行方知れずになったと聞いたときのことです――( )

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 そして、原因となった事象を、御館様や、柱の皆に誤解のないよう伝えなければならなかった。

 胡蝶の命がかかっている以上、妥協など許されない。

 

「――以上です」

 

 だいぶ長い話になったが、皆、黙して聞いてくれた。

 これで、胡蝶しのぶがどのようにして、今のようになってしまったのか、みな、理解できただろう。

 

「……上弦の弐の頸には、冨岡の派手な斬撃も通じないのか」

 

「俺の攻撃は、お前のように派手ではない。その方が強いことが、お前にはわからないのか」

 

「…………」

 

 音柱の使う呼吸は音の呼吸。

 派手な爆発を伴い、音を響かせる剣技だが、水の呼吸を使う自身は、その派手さとは無縁だった。

 

 水の呼吸の型には、派手なものがないわけでもないが、自信のある型は、派手と言うには憚れるものばかり。

 特に作り出した拾壱ノ型は、音の呼吸のように派手ではないだろう。

 

 水の呼吸はその場その場に対応できる技を出すものである。だが、習熟度を加味すれば、自身の用いる技は、派手ではない方が強かった。

 

 自身が使う呼吸以外に造詣が深いというのは珍しい。自身も他人の使う呼吸を、それほど理解していない。音柱が水の呼吸の型についてわからなくとも、何も不自然なことではなかった。

 

「義勇。つまり、しのぶは、鬼になった胡蝶カナエの血鬼術でこうなってしまったというわけかい?」

 

「はい……」

 

 掻い摘んで話せば、御館様の言う通りだ。あの変化は、もはやそうとしか思えない。

 

「御館様! 姉さんがそんなこと、するはずがありません! 姉さんはとても優しいんです! そんな姉さんが、酷いことを……!」

 

「…………」

 

 柱たちが殺気立つ。

 止めなければ、口を塞がなければ。痛みを堪え、体を動かし、胡蝶の口を手で押さえる。

 

「むぐ……っ」

 

「……!?」

 

 噛まれた。

 

 少し怯むが、それでも、口を手で蓋をすることに成功する。これでもう喋れまい。

 

「しのぶ。カナエが優しい子だというのはじゅうぶん知っているよ。鬼と仲良くできないかと憂いていたくらいに……」

 

「うぐ……むがが……」

 

「……その結果が、これか」

 

 鬼になった胡蝶カナエが得た血鬼術は、その望みを無理に叶えるものだった。

 立派な柱だった。そう思っていた。あの鬼は、胡蝶カナエの成れの果て。

 

「御館様、胡蝶しのぶの処遇はいかがに……」

 

「少し隔離をしておこう。その血鬼術が、時間が経てば解ける類いのものか、確かめる必要があるからね」

 

「わかりました」

 

「むぐぐっ……!」

 

 そして、胡蝶しのぶは幽閉される運びになった。

 柱たちを納得させる、でき得る限りの寛大な処置。さすがは御館様だった。

 

 一つ、決着がつき、もう一度、皆が御館様に視線を直す。

 それを見計らってか、御館様は口を開いた。

 

「それで……上弦の弐についてなんだけどね。調べてみたら、その鬼のような特徴を記した、鬼についての文献が見つかったんだ」

 

「……!? 本当ですか、御館様!!」

 

「本当だよ。その文献によれば、ある剣士が稀血の人間を村で飼う鬼に遭遇したそうだけど、その鬼を倒したら、その村の人間たちが滅んでしまう。だから、討伐を諦めたそうなんだ」

 

「…………」

 

 皆が一様に黙り込んだ。

 

 確かに、あの鬼が言うには、村で稀血の人間を飼い、食料にしているということだった。

 

「御館様。村の人間は稀血ゆえ、鬼に狙われやすい。冨岡の話では、それを守るという道理で人の信頼を得ていると。ならば、こちらで保護をすれば、村が滅ぶことなど……」

 

「いや、文献で書かれていた内容では、そういうことではないみたいなんだよ。村にいる人たちは、その鬼が死んでしまえば、もうわずかな寿命で、すぐに死んでしまうとね」

 

「寿命を握るとは……なんと、悪辣な術を使う鬼だ……!?」

 

 通常なら、血鬼術は、鬼が死ねば効力を失うはずだ。

 けれども、鬼が死ねば寿命が尽きる。なにか違和感のようなものを覚える。

 

 御館様の言い方。そして、術の性質を考慮すると、鬼が術で、無理に人間の寿命を伸ばしていると、そう感じとれてしまう。

 

「ああ、なんということか……。早く鬼を倒さなければ、哀れな犠牲者が増えるばかりだ……」

 

 だが、誰もそれを指摘する者はいなかった。そう考えた自分が、きっと、おかしいのだろう。

 

「だから、この鬼を倒すことは、その村に暮らす人を殺すことにつながるだろう。業を背負うことになる。無理にやらなくても構わないんだよ?」

 

「やります! 御館様! 鬼を助け、鬼の助けを得る者たちも、また同罪。我々にできることは一刻も早くその悪鬼を倒し、犠牲者を減らすことに他なりません」

 

「あああ……鬼を助けるのも罪……。その村の者たちも皆、早く救わなければ……」

 

 柱たちは満場一致で上弦の弐を倒すことに同意をした。

 

「御館様。どうか、ご命令を……胡蝶カナエに、上弦の弐を今すぐにでも……」

 

「わかった。上弦の弐は、今、この世代で倒すことにしよう。でも、少し待ってくれないかい? カナエに、実弥に、柱が欠けたばかり……上弦は柱三人に相当する。胡蝶カナエが上弦ほどの力があるのなら、柱が少なくとも六人。居場所が割れているのなら、大事をとって、八人で挑むべきなんだよ」

 

「…………」

 

 御館様の言うことはもっともだった。

 この場には、柱が足りない。

 

「ですが、御館様。柱へと育つには時間が……。それでは逃げられてしまうのでは!」

 

「大丈夫だよ……。義勇の話では、村を覆う大規模な術で守られているということだった。その強大な血鬼術に驕って、上弦の弐は()()()()()()()()()。そんな気がするんだ」

 

「…………」

 

 御館様の自信に溢れる表情に、誰も反論ができなかった。

 上弦の弐は村の場所を変えないに違いない。

 

「御館様……冨岡の話では、あの鬼は術で縄張りに踏み入るものを殺すことができます。如何様に……」

 

「隠を向かわせて、行動の規則を把握して、外に出た瞬間を狙うのが確実だろう。それを第一に……それが駄目でも、その鬼の術を破る方法は思い付いているんだよ。出来るだけ、やらせたくはないんだけれどね」

 

「…………」

 

 さすがは御館様だ。

 どうやって破るのか、まるで見当がつかないが、きっと、間違いのない方法を思いついたのだろう。

 

「できるだけ、上弦の弐の村の人たちのことを、他の剣士(こども)たちには伝えないで欲しいんだ。この業を無闇に背負わせたくはないからね」

 

「わかりました……」

 

 そうして、柱合会議は終わった。

 

 そのすぐ後に、上弦の弐の村から、二人の子どもが連れてこられた。

 同じ日に、上弦の弐たちの動向を監視していた隠たちのうち、一人が死んだ。鬼に監視が見つかり、皆が逃げるために囮になった勇敢な男だったそうだ。

 

 その場所には、おおよそ、人一人が死んでしまうだろうほどの血の滲みに、花が添えられていたそうだった。

 殺しておいて……。花を添えたのは、おそらく胡蝶カナエだろう。そのちぐはぐな行動は、鬼になるということの痛ましさをひどく見せつけてくる。

 

 その後のことだ。これは、上弦との戦いでついた怪我での療養中、蝶屋敷でのことだった。

 

「この屋敷から、出るつもりか……?」

 

「……っ!?」

 

「どこへ向かうつもりだ? まさか、あの鬼のところではないだろうな……」

 

 子どもたちだった。

 あの上弦の村から連れてきたという子どもたちだった。

 

 女子が、男児をおぶっている。

 二人とも、村から連れられてすぐに熱を出し、蝶屋敷に連れられてきた。ただの風邪、ということだったらしいが、これが治らず、こじれた。二人ともだった。

 

 話を聞けば、今まで風邪など引いたことがなかったそう。

 一人、女子の方は、今は安定し、快方に向かっているが、男児の方はまるで治る気配がないと話に聞いた。

 

「……(ハツ)()様に治してもらうんだ。このままじゃ、こうじろう()ぃは……」

 

 鬼の呪いと……。

 そう結論付けるしかないほどに、一度、小康状態に落ち着いても、すぐに悪化する。

 

「駄目だ。鬼のもとには行かせられない……」

 

 戻ったからと言って、受け入れられる補償はない。どんな罰が待っているかもわからないだろう。食べられてしまうかもしれない。

 行かせるわけにはいかなかった。

 

「やだ……っ。こうじろうにぃが死ぬなんて、やだっ……! 絶対に、絶対に……(ハツ)()様は助けてくれるんだ……!!」

 

「鬼に、助けを求めるな!! 奴らは平気で人を騙し、尊厳を踏みにじる。鬼が都合よく、こちらの意見を受け入れると思うな!!」

 

「うぅ……」

 

 辛いだろう。苦しいだろう。大切な者が目の前で死ぬ。その痛みは決して癒えることがないのかもしれない。

 だからこそ、目の前で、涙を流す少女の気持ちはよくわかる。

 

 自身もまだ、完全に病気が治っていない。だというのに、自身の背丈を超える男児を背負って、屋敷の外に出ようとしている。

 鬼に逢いに行くのでなくとも、止めていたところだ。たどり着く前に力尽きることは必定。

 

「いいんだ……なえ……。(ハツ)()様の……言いつけを守らなかった……俺が……悪い……。お前が……無理をする必要は……ないんだ……」

 

「こうじろう、にぃ……」

 

「本当に、ごめん……。巻き込んで……俺のせいで……。辛い思いをさせて……ごめん」

 

「嫌だ。嫌だ……! 助けてください…… (ハツ)()様! なんで、こうじろうにぃだけ……。(ハツ)()様! (ハツ)()様! (ハツ)()様……っ!」

 

 それは無意味な懇願だった。

 できることなら、助けてやりたい。今、あの上弦の弐を斬れば、この男児は助かるのだろうか。

 それとも、御館様の言うように、村の人間だった二人とも、寿命を迎えて死んでしまうのだろうか。

 

 だが、柱が揃わない限りはどうにもならない。これが現実か……。

 

 その男児が死んだのは、そのときから、数日過ぎたときのことだった。

 

 ――『水の呼吸・壱の型 水面斬り』。

 

 ――『水の呼吸・拾壱の型 凪』。

 

「ぐっ……」

 

「この程度で、呼吸を乱すな! もう一度、修行をし直せ戯け者! ……む?」

 

 空から、カラスがやって来た。

 どうやら、任務のようだった。

 

「冨岡さん……」

 

「まず、常に呼吸を絶やさぬように訓練をすることだ。今日はここまでだ」

 

「今日は……?」

 

「…………」

 

 隊士に成り立てと言い訳ができるといえど、まだ、練度が足りない。

 早く水柱になってもらわなければ困るのだ。時間がある時に、みっちり扱かなくては……。

 

 不死川でさえ駄目だったのだ。あの上弦に、柱の資格のない自身では、おそらく敵わない。

 だが、なにもしないわけにはいかない。少しでも、刃を届かせるためにも、鍛錬は怠れない。

 

 走りながらでも、全ての型を滞りなく繰り出せるようになる必要があった。

 

「私が……冨岡さんの、継子に……」

 

「お前を俺の継子にするわけなどない」

 

「…………」

 

 柱の資格のない自身が継子を取れるわけがない。当然だろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「このままでは、二年と生きられないわね」

 

 病気に罹っていたのは、男の子だった。

 骨の中にできた悪いものが、悪い血を作り、小さな生き物に取り憑かれたやすくなったりして、死んでしまう病気を患っているとは、私の血鬼術の感知の結果だ。

 

 男の子は、私から隠れて、母親の後ろで着物にしがみついている。

 

「お金は……」

 

 母親はそう言う。

 こうして子供が病気であることを親に告げれば、親はまず間違いなくお金のことを心配してくる。

 

「そうね……今の月の支払いのままいくと……今までの分も合わせて、七十三年というところね……」

 

「……七十……三年」

 

「そのくらいになれば、アナタは死んでいるだろうから、その子が払うということになるわね。まあ、自分の病気なのだから、自分が払うことになるのも、なにも不自然なことではないと思うのだけれど」

 

「おねがいします。どうか……息子を……」

 

「まあ、でも、よく考えた方がいいんじゃあ、ない? 私が嘘をついているかもしれないのだし」

 

 この女性の兄は、病気と言った私のことを信用せずに、死んだ。

 病気で弱った後にでも、泣いて縋って、月々にいつもより多くお金を払えば、治してあげないこともなかったのだけれど、ついぞ、私を頼ることはなかった。

 

「……滅相もございません」

 

 そんな末路を見ているからか、そんな私の軽い冗談にも、丁寧に答えてくれる。

 

「そう、じゃあ、その子をこちらへよこしなさい? すぐに済ませるわ」

 

「はい……。ほら、行きなさい……」

 

「うぅ……」

 

 おそるおそる、男の子は私に近寄ってくる。優しい笑顔を浮かべてみるが、なぜか男の子は警戒を解かなかった。

 

「……緊張してるの?」

 

「おねぇちゃんたち、くさい……」

 

「…………」

 

 くさい?

 私たちが……?

 

 着物の裾を鼻に当てる。

 うん、鬼の鋭敏な嗅覚でも、そんなくさいと言うほどの匂いは感じ取れない。きっと、この男の子がおかしいのだろう。

 

 そう思っていると、私の代わりにカナエちゃんが前にでた。

 

「あのね。病気の人を見て回るから、血の匂いがついてしまうのよ。ごめんなさい」

 

 そう言って、カナエちゃんが男の子に微笑みかけると、男の子は、顔を赤くして頷いた。

 あらあら。

 

 それにしても、血の匂いか。私にとっては、美味しそうな匂いにしか感じられないのだけれど、人間には嫌な匂いだったっけ。

 あまり、指摘されることもなかったから忘れていた。

 

「いい? 今から病気を治すわよ?」

 

「うん……」

 

 そして、私は祈りを捧げるみたいに両手を合わせる。格好だけだ。

 

 私、医者じゃない。祈祷師ということで通っている。

 

 日の光に当れないから、医者の試験は受けられない。医者の試験は、学校に行く必要があるらしいし、私には無理だった。

 もうすぐ、すごい大学や、お国の作った医者の専門学校やらを出ないと、お医者様にはなれないようになるそう。世知辛い世の中だ。

 

 一度、無惨様の伝手で今の医者の試験の問題を見せてもらったことがあるが、ちょっと私にはよくわからなかった。

 無惨様は、問題をよくお分かりになって、すごいと思った。

 

「いくわよ……?」

 

 男の子のおでこに手を当てる。

 

 ――血鬼術『死覗風浪・(こやし)抜け』。

 

「……っ!?」

 

 身体の中の悪いものを探り出して、消滅させる。まあ、体を傷つけるわけだから、それなりの負担がかかるのは当然だ。

 

 倒れかける男の子を抱きとめて支える。

 

「終わったわよ? 今日はゆっくり休みなさい?」

 

「…………」

 

 無言だった。子どもなんてこんなものだろう。

 母親のもとへと返す。

 

「来月もよろしくね……?」

 

「……はい」

 

 カナエちゃんのことは話し終わっている。お金も既に貰っているから、もういいだろう。

 カナエちゃんを連れて、私たちは外に出る。今日はこの家が最後だった。

 

 琵琶の子と待ち合わせした場所へと、夜更の人のいない道を通って進んでいく。

 

「カナエちゃん、評判良かったわね」

 

「そう……?」

 

 私の血鬼術での治療を受けたことのある家々をまわり、お金を集めてきたのだが、カナエちゃんを紹介するなり、男の子は顔を赤くしたり、ソワソワしたり、しまいには求婚までする始末。

 

 カナエちゃんは、気づいていないのか、慣れているのか、まるでそれを大したことのないように受け流していた。

 

 私だって、時に前任者の姉妹や子ども、親戚という設定で、顔を変えたり背丈を変えたりしながら、お金を集めているから、求婚をされることくらいある。

 けれど、カナエちゃんの破壊力は、私よりも凄まじかった。なぜだろうか。私だって、別嬪さんとよく褒められるのに。

 

「……うーん」

 

「ハツミちゃん。ハツミちゃんって、顔がとても広いのね。大きなお家にも診察に行っているのだもの。驚いたわ」

 

「まあ、当然でしょう? 私は長生きなの」

 

 この治療してお金をせびる事業は、だいたい戦国の世ではもうすでに始めていた。

 その頃から、代々私のお世話になっているお家もある。

 

 金払いの良いところを主に標的にしているから、自ずとそういうでっかいお家になるということだ。

 

「ねぇ、ハツミちゃん。いっそのこと、診察に行っているところの人たちには、鬼ってバラしてみたらどう? そうやって、鬼と人とが仲良くできる世界に協力してもらうの」

 

「……それって、面倒にならない?」

 

 鬼だとばれて、噂でも立てられれば、鬼狩りがやって来るのが必然だ。

 

「大丈夫よ。黙っていてって、お願いすれば良いの。私に任せて……? そうすれば、お金ももっと貰えるかもしれないし」

 

「……そう」

 

 カナエちゃん。人間を恫喝でもするつもりなのだろうか。

 

「それで、それで、他にもお金を分けてくれそうな人を紹介してもらうのよ。みんなから、稀血の子たちを沢山育てられるお金を貰うの!」

 

 上手く行くとは思えなかった。

 大抵、お金をもらうには何かしら、相手の利益になることを行わなければならない。それか脅して奪い取るか。脅したら、鬼狩りに密告される可能性が高くなるから、私はそんなことしないけど。

 

 カナエちゃんの言っていることは、よくわからなかった。

 

「カナエちゃん。お金を分けてくれそうな人って……? 簡単にお金が貰えるとも思わないのだけれど」

 

「私たちの目指す世界は素敵な世界でしょ? お金なんかじゃ簡単に手に入らないわ。だから、よく話し合えば、支援には、きっと、全力を尽くしてくれるはずよ?」

 

「……!?」

 

 私は衝撃を受ける。

 確かにカナエちゃんの言う通りだ。

 きっと、私たちの望む世界のためならば、みんな、私財を投げ打って、協力してくれるに違いない。

 

「ハツミちゃん。私に任せて! きちんと成功させてみせるわ」

 

「ええ。カナエちゃんなら、きっとうまくできるわよ!!」

 

 私には確信があった。

 そして、カナエちゃんのおかげで、カナエちゃんが減らした分の在庫の血もすぐに元通りになるに違いない。

 

「ねぇ、今日はもう終わったのでしょう。私、疲れちゃったわ。早く帰ってご飯食べたい……」

 

「え……?」

 

 挨拶まわりをしただけだ。

 屋敷を出る前もカナエちゃんは血を飲んでいた。

 そこから、疲れるようなことしてはいないはず。歩くくらいじゃ鬼は疲れない。一応、人間に擬態しているけど、それくらいじゃ、そんなにお腹は空かないはず。

 

 傷を治すか、血鬼術を使うかしないと……。

 

 カナエちゃんは、いつも人間を食べたくてどうしようもないように感じる。やっぱり、不自然だ。

 

「ハツミちゃん? どうしたの?」

 

「カナエちゃん。カナエちゃん。こっそり、血鬼術を使っていたりしない?」

 

「……? どういう意味?」

 

 その顔は、まるでなにもわかっていないというようだった。後ろめたくて何かを隠している様子ではない。

 

 カナエちゃんは、嘘を平気でつけるような性格にも思えないし、私は何年も生きて人間を見続けて来たから、ある程度の嘘は見抜ける。

 カナエちゃんは、本当になにもわかっていないようだ。

 

「カナエちゃんがそんなにお腹が減るのが、少しおかしいと思ったからなんだけど……」

 

「……おかしい……? 私が……? 鬼って、こういうものではないの?」

 

「……違うと思うのだけれど……」

 

 普通の鬼と比べれば、カナエちゃんは食べすぎだろう。まあ、たくさん食べることは無惨様も推奨しているし、悪いことではないのだけれど。

 

「……でも、私の倒して来た鬼たちは、たくさんの人間を食べていたわ。それに比べたら私なんて……」

 

「カナエちゃんは稀血の子の血を飲んでいるけど、計算したら一日に五人くらいの人間を食べる栄養と同じになるわ。一日でそこまで食べる鬼は、ほとんどいないと思うのだけれど……」

 

「……そうなの?」

 

「……そうよ?」

 

 一日に五人の調子でいなくなったら、人間たちは、かなり騒ぐと思う。一週間で三十五人、一年で千人は優に超えるわけだから、無理がある。

 

「でも、ハツミちゃん。私、人間を襲わないか、とっても不安なの。血を飲めば、お腹も満たされて、安心できて、とても幸せな気分になれる……。そうじゃなきゃ、私、生きて行けないわ……」

 

「そう」

 

 その気持ちはわからなくもない。私だって、血を飲んで忘れたい嫌なこともある。

 縁壱とか、縁壱とか、縁壱とか……。ああ、全部忘れてしまいたい……。

 

 だが、もう一度、縁壱のようなやつが現れたときのために、完全に忘れるわけにはいかなかった。

 縁壱……。

 

「村が大きくなれば、大丈夫でしょう? 私、頑張って、とっても大きくするわ! だからいいでしょう? ねぇ、お願い!」

 

「……うーん」

 

 カナエちゃんが居れば、里が大きくなるのも早そうだけれど、どうしたものか。

 ここは、やっぱり、カナエちゃんの能力開花のためにも血を飲ませ続けた方がいいのか。里の子たちが食べられないためにも、血を飲ませ続けた方がいいのか。

 どちらがいいのか私は悩んだ。

 

 なんだか、選択の余地がないような気がしてきた。

 

「だめ?」

 

「わかったわ。そのかわり、ちゃんと働くのよ?」

 

「もちろんよ! みんなが仲良くできる世界を作りあげて見せるわ!」

 

 そうして、カナエちゃんは機嫌を良くする。

 

「ちょうどかしら……」

 

 琵琶の子との待ち合わせの場所にたどり着いた。

 帰っても、里の子たちから血を貰ったり、悩みを聞いたり、私にはやることがたくさんある。

 全ては美味しい血のため。妥協なんて許されない。

 

 美味しい血が採れれば、私も満足だし、なにより、無惨様にも認めていただける。なによりの喜びで、無惨様から血を分けていただく瞬間の幸せといったら、他にない。

 

 ああ、私はなんて、幸せな鬼なのだろう。

 

 琵琶の音が鳴って、私たちは空間を移動する。

 

「……!? ……!! ……!?」

 

 縁……壱……!?

 

「…………」

 

 気付けば私は尻もちを突いて後ずさっていた。そんな私は神妙な顔で、『()()()()』に見つめられている。目が六個あるから、間違いがない。

 そうだ。縁壱が生きているはずがない。

 

「久しぶりね、巌勝くん」

 

「黒死牟だ……。無惨様より賜った尊き名……ぞんざいに扱うことなどまかりならぬ……」

 

「いいじゃない? 毎回注意されるのも億劫だから、前に無惨様に尋ねたのだけれど、別に構わないと言っていたわよ?」

 

「……そうか……」

 

 上弦の壱は、そうして黙り込んだ。無惨様が許したとなれば、指摘する必要もないのだろう。

 

 名前、一回覚えちゃうと、新しい名前になっても忘れて前のまま呼んでしまうのよね。

 里の子たちは、下の名前で呼ぶから、一生変わらなくて、なんともないのだけれど、お金をせびりに行く家の人は、結婚した女の子だと旧姓で呼んでしまう。

 

 問題はあまり起こらないのだから、いいのだけど。

 

 上弦の壱は、継国巌勝って、覚えたから、違う呼び方で呼ぶのも今更しっくりこない。

 

「ハツミちゃん……。ここは……どこかしら?」

 

 きょろきょろとカナエちゃんは、周りを見渡している。確かに、ここは私の屋敷ではない。

 

「ふふっ、カナエちゃんは、来るのが初めてでしょう! だから、教えてあげる。ここは、まことに偉大なる御方である無惨様の本拠地! その名も、()()()よ!」

 

「無限城?」

 

 正直、この城がどうなってるのか良くわからないけど、鳴女ちゃんが頑張っているらしい噂は聞いたことがある。

 

「ここでは、十二鬼月の鬼たちが集められて、無惨様の有り難いお言葉で、お説教されるのよ」

 

「……鬼って、大変なのね」

 

 そうかもしれない。けれど、私は鬼になって、とても満足な日々を送っている。

 

 また、琵琶の音がする。

 

「やあやあ、カナエちゃんじゃあないか。ということは……グハッ!!」

 

 面倒だから、私の血鬼術で粉々にしておいた。これで当分は喋れないだろう。

 

 次々に鳴る琵琶の音に、上弦の鬼が現れる。

 

「…………」

 

「猗窩座殿。いやはや元気そうでなにより……。八十年ぶりでございましょうか?」

 

 そして現れた肆と陸が会話を始めた。というより、陸が肆に一方的に語りかけているのか。

 仲が良いのは良いことだ。

 

 その会話に伍が割り込む。

 

「九十九年ぶりじゃ……。九の揃目、不吉の丁……。奇数! 恐ろしや、恐ろしや」

 

 そんな伍を、参も、陸も無視。伍も、あまり話す気はないのか、一人で恐ろしやと言っているばかりだった。

 前に集められた時から、百年以上経っているような気がするのだけど、気のせいだろうか。

 

「前に集められたときは、上弦が欠けた時……猗窩座殿が欠けたと思って、胸が躍……いえ、心配して……」

 

「…………」

 

 そういえば、そうだった。

 でも、見た限り、上弦は欠けていない。なぜ、呼ばれたのだろう。それはそうとだ。

 

「カナエちゃん。見て、玉壺よ? 玉壺はね、壺のお化けなの」

 

「えっ……?」

 

「きっと、無惨様が壺に血をお分けになったから、ああなったに違いないわ」

 

「キョキョ!?」

 

 まるで、同じ人間から鬼になったとは思えない面妖な格好を玉壺はしている。きっと、そうに違いない。

 

「ハツミちゃん。私のこと、からかってる?」

 

「え? 違うけど……。玉壺……ねぇ、そうなんでしょう?」

 

「キョ……? キョキョ……ッ」

 

 なんだか、玉壺は冷や汗を流して狼狽えていた。

 つまらない反応だった。絶対、壺のお化けなのに、どうして頷かないのだろう。

 

「欠けたのは童磨か……」

 

 上弦の『肆』がそう漏らす言葉が聞こえた。感傷に浸るような声だった。

 

「おいおい、猗窩座殿。勝手に殺さないでくれるかい? 俺はこの通り、生きているぜ?」

 

 その声に、上弦の肆が、驚いたように振り向く。

 いつの間にか復活した童磨が、上弦の肆の背後に忍び寄っていた。

 

 それにしても、こんなに話しかけられるなんて、猗窩座は上弦のみんなに人気だった。

 

「猗窩座くん。猗窩座くん。今度、私の里に来ない? 美味しい血をご馳走するわよ?」

 

「……二度と誘うなと言ったはずだ」

 

「つれないわね……」

 

 私も話しかけてみたが、この通りだ。つまらない。

 私、嫌われているのかもしれない。

 

「だったら、俺が代わりに……」

 

 血鬼術で、頭を潰した。

 

「アナタには言っていないわ」

 

 童磨には、お金払わなきゃあげないんだから。

 

「無惨様が……御見えだ……」

 

 その言葉に、上弦の皆が控える。もちろん、言われずとも、私は気付いていた。

 カナエちゃんも、ちゃんとみんなに合わせて控えている。

 

 そうして、無惨様が御目見えになって、口を開いてしまったのは、カナエちゃんだった。

 

「……御館様……?」

 

「誰が喋っていいと言った?」




 次回、胡蝶カナエ、十二鬼月に……!? 襲いくる圧迫面接……!


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血戦

 その存在を感じた時、私の心は既に屈していた。



「誰が喋っていいと言った?」

 

「……!?」

 

 それを聞いてカナエちゃんは咄嗟に口を手で抑えた。

 自らの失態に、カナエちゃんは目を白黒させてる。

 

 今のうちにと、私は無惨様のおそばに寄る。

 携帯している血を飲みやすい器に入れかえて、器を差し出したまま、無惨様の脇に控える。

 

「ふん……。私が、産屋敷に似ていると不思議のようだな? 違う。似ているとするならば、産屋敷が私に似ているのだ。かつては同じ一族だったようだが、それも千年以上も昔のこと……今やなんの繋がりもないというのに、あの産屋敷は執拗に私の命をつけ狙う。そんな狂人どもと私は、まるで違う。黒死牟……お前があのとき一族もろとも……いや、過ぎたことか……」

 

 そうして、無惨様は私から血を受け取って飲む。しばらく舌鼓を打った後、空になった容器を私に返す。

 もう一度、容器に血を注ぎ、無惨様へと差し出し、また、お飲みになられる瞬間を待ち望む。

 

「…………」

 

 カナエちゃんは、震えているようだった。無惨様の存在を感じ、身がこわばっている。怯えているようにも見える。

 きっと、その素晴らしさに感動を覚えているのだろう。

 

「勝てない、だと? お前たち、鬼狩りどもは、どうして私に勝つつもりでいるのだ? 私は、限りなく完璧に近い生物だ。私が殺されそうに見えるか?」

 

 無惨様は、あの縁壱でさえ殺しきれなかった。無惨様を殺せる人間など、この世にいるはずがない。

 無惨様は永遠に生き続ける素晴らしいお方だ。

 

「…………」

 

「答えてみろ? 私が鬼狩り風情に殺されるように見えるのか」

 

 無惨様は、カナエちゃんに発言を許していた。今日は、気分がいい日なのかもしれない。血を飲む勢いも、いつもよりいい。

 

 カナエちゃんは、何かを深く考えるように表情を歪ませたあと、わなないて、声を絞り出す。

 

「……見えま……せん。倒すなどと考えていた……私が……間違……って、いました……。無惨……様、お許しください……」

 

 カナエちゃんは大粒の涙を流していた。

 無惨様に対して発言できた感動からだろうか。それとも、鬼殺隊が無惨様に剣を向けようとしていることに心を痛めているのだろうか。

 私には、うまく推し量ることはできなかった。

 

「そんなことはどうでもいい。私は、お前のその思想に興味がある」

 

「……!?」

 

 カナエちゃんは、一瞬で顔を明るくした。

 期待を込めて、カナエちゃんは無惨様を見つめる。

 

「フン。お前たちが人間どもをどうしようと、知ったことではない。鬼狩りどもが滅び、私が太陽を克服さえできれば、お前たちは不要なのだ。美味い血を飲みながら、穏やかに永遠を過ごせれば私はそれでいい。だが、人間どもはのうのうと生きているのに、なぜ鬼である私が正体を隠さなくてはならない? 違う、違う、違う、違う。私は限りなく完璧に近い生物だ。人間どもに気を遣う必要などありはしない。お前は人間どもを掌握しろ。人間どもには黙って鬼に従うべきだと、教え込め」

 

「…………」

 

「悪く思う必要はない。人と鬼の争いがなくなるのだ。お前の望む素晴らしい世の中だ。この件は、全て、お前に任せる。()()()()()()

 

「……!!」

 

 期待していると、そんな言葉をもらえることは、上弦でも滅多にない。

 無惨様に集められた上弦のみんなは、驚いたようにカナエちゃんを見つめる。

 

「今から、上弦の陸から順に入れ替わりの血戦を挑め。私は忙しい。鳴女。終わったら知らせろ」

 

「はい……」

 

 一つ、礼をして、私は無惨様のおそばから離れる。

 そうすると、琵琶の子の血鬼術で、無惨様は退出なされた。

 

 そうして無惨様がいなくなったのを見計らってか、玉壺がカナエちゃんに近づいていく。

 

「ヒョッ、ヒョッ、ヒョ。見たところ下弦でもない。そんな鬼が上弦の陸である私に挑むなど……。ヒョヒョ……、軽くのしてあげましょう」

 

「……無惨様は血戦とおっしゃられたけれど……私はなにをすればいいの?」

 

「ヒョヒョ、鬼同士、力尽きるまで戦うのです! それが血戦! どちらが十二鬼月のその『数字』にふさわしいかッ!! 地獄を見せてあげましょう。私の作品、とくとご覧あれ!」

 

 そうして、カナエちゃんと玉壺が向き合った。

 

「頑張れー! カナエちゃん! 玉壺、早く降参した方がいいわよ?」

 

「玉壺殿! 俺もカナエちゃんが勝つと思うぜ! なにせ、無惨様にカナエちゃんは上弦に丁度いいだろうと推薦したのも俺だからな。でも、無理だと思っていても諦めない……。感動的だなぁ。くぅ……泣けてくるぜ」

 

 童磨のやつはそう言いながら、本当に涙を流していた。感動なんてしていないだろうに。

 

 それにしても、カナエちゃんがここに呼ばれたのは、童磨の報告が原因だったのか。どうりで、無惨様はなにもおっしゃられないわけだ。

 

「ヒョヒョ、好き勝手言っていればいい! 真の姿になるまでもない……」

 

「始めても、いいのかしら……?」

 

 カナエちゃんは刀を抜いて、構えをとる。

 

 ――全集中『花の呼吸』……。

 

 ヒュゥゥと呼吸の音がして、空気に緊張が満ちる。

 上弦の壱は、一対の目を細めて、その姿を見つめていた。

 

「先手は、譲りましょう。ヒョヒョ、どこからでもかかって来るがいい」

 

 この後に及んで、玉壺は余裕ぶっている。私の忠告なんてまるで無視だ。壺のくせに。

 

「カナエちゃん! やっちゃえ!」

 

「いくわよ?」

 

 ――『花の呼吸・壱ノ型――』。

 

「ヒョ……?」

 

 目で追えなかった。

 気がついたら、玉壺の頸が飛んでいる。

 

 ――血鬼術……。

 

 だが、今、カナエちゃんが持っている刀は日輪刀ではない。頸が刎ねられようと、玉壺は決して止まらない。

 かろうじて、その血鬼術を発動させようとしていた。

 

 ――『花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬』。

 

 次の瞬間に、術が完成されるよりも前に、玉壺は細切れになる。

 壺もバラバラになって、粉微塵の肉片と、血だけが残った。

 

 鬼は不死だ。日に焼かれるか、日輪刀で首を斬られるかしなければ、死なない。

 生きている肉片は、なおも再生しようとし、集まる。

 

 そんな原型を留めていない玉壺を刀でグチャグチャとしながら、カナエちゃんは困ったような表情をした。

 

「ねぇ、ハツミちゃん。これって、どれくらい続ければいいのかしら?」

 

「もう、玉壺の負けでいいんじゃない? みんなもそう思うでしょう?」

 

「…………」

 

 上弦のみんなに同意を求めるが、誰一人として頷かない。それでも、カナエちゃんの勝ちという結末を認めないという声は上がらなかったから、終わりでいいのだろう。

 

「カナエちゃん。もう玉壺は放っておいてもいいと思うわ。次は半天狗ね……」

 

「ヒィ……!?」

 

 どうやら、半天狗は、カナエちゃんに怯えているようだった。目の前で、玉壺が簡単にバラバラになる姿を見せられて、恐慌状態に陥っている。

 

「陸だったから、……次は伍……! あなたね!」

 

 そして、悲鳴にも近い声を聞いて、カナエちゃんはそちらに目を向ける。

 

「ヒィ……! 儂は必死に何年もかけて、努力し、伍の位についた身。そんな儂を追い落とすのか……!? 可哀想とは思わないのか?」

 

「でも、血戦を挑めと言われたから……悪いかもしれないけど、挑ませてもらうわ?」

 

「ヒィィィ!?」

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』!

 

 カナエちゃんは容赦なく襲い掛かった。頸と胴体が泣き別れ!

 

 半天狗は、たくさんの分身を作る血鬼術を用いる鬼だ。分身を使うという点では私と似ているかもしれない。

 

「……!?」

 

 切る度に分裂をし、同時に何体も復活して増えていく半天狗にカナエちゃんは困惑をする。

 ちょっと、私は感知の血鬼術を発動させる。本体は、カナエちゃんから離れたところ……猗窩座の後ろあたりでヒソヒソとしていた。

 

「いやぁ、カナエちゃんも半天狗殿には苦戦しているようだねぇ。猗窩座殿は、どちらが勝つと思うかい?」

 

 分身が増えるたびに一瞬で細切れにして対応するカナエちゃんを見て、童磨は猗窩座に忍び寄りながら、そう尋ねる。

 

「下弦でもない鬼が、なぜ、ここまで……」

 

「カナエちゃんは、鬼殺隊で柱をやっていたそうなんだ。今も柱のつもりらしいんだけど、鬼になって……とっくに鬼殺隊のみんなからは仲間とも思われていないだろうに……可哀想だよね」

 

「…………」

 

「もともと柱ならば、強いのも当然。それに加えて、(ハツ)()ちゃんが貯蓄していた血をたくさん飲んだそうなんだ。猗窩座殿も、(ハツ)()ちゃんに血をもらえよう頼んでみたらどうだい? ややもすると、俺にも勝てるようなるかもしれない」

 

「…………」

 

「……そうだった、猗窩座殿は女を食わないのだった。失敬失敬。(ハツ)()ちゃんは、そこらへん頓着しないから、猗窩座殿はご馳走にならないのだったか……せっかく強くなれる方法があるのに、それを選べないなんて……同情するぜ」

 

「…………」

 

 気がつけば、童磨の顔の上半分がなくなっている。

 すぐに手が出るなんて、猗窩座くんは、なんて乱暴者なのだろう。

 

 それはそうと、カナエちゃんの方を見る。

 あっちこっちに生えて来る半天狗の分身を切り刻んでいるカナエちゃんだ。人間ならとっくに体力の限界を迎えているだろうけれど、鬼であるカナエちゃんは疲れなんて知らずにまだまだ元気だった。

 

 対して半天狗は、息切れをしている。コソコソとしている本体の方を見ればわかる。

 無傷で、剣を振るだけで立ち回っているカナエちゃんに対して、半天狗は斬られる度に分身を再構築している。

 

 鬼の体力は無限ではない。だからこそ、着実に半天狗は追い詰められていた。

 

「……終わった……?」

 

 唐突に、半天狗は分身の再構築をやめる。

 このまま戦っていたら、体力が尽きて自身が負けると思っての判断だろう。

 

「か弱き儂の分身を……ォオ! 作る度に粉々にして……ェエ! 儂が可哀想だとは……思わんのか……ァアあぁああ!」

 

 そんな大声を上げて、猗窩座の後ろにいた本体が巨大化する。

 

「どういうことなの?」

 

 カナエちゃんは、別のところにいた巨大化する半天狗を見てそう言った。

 カナエちゃんは、半天狗の本体と分身の仕組みがよくわかっていなかったのかもしれない。

 

「弱い者いじめをするなァア!」

 

 そうして半天狗はカナエちゃんに向かっていく。

 消耗が激しかったのか、血鬼術を使わずに、身一つでの突貫だった。

 

 ――全集中『花の呼吸』。

 

 だが、それでもカナエちゃんには敵わなかった。

 瞬きする間もなく、巨大化した半天狗はバラバラになった。

 

「今度こそ、終わり?」

 

「ヒ、ヒィ……」

 

 バラバラになった巨大半天狗の中から、小さな半天狗がヒソヒソと抜け出し、逃げようとしている。

 この不毛な戦いを、まだやろうとしているのかと、私はちょっと呆れる。飽きてきた。

 

「もうどうしたって、半天狗は勝てないだろうから、カナエちゃんの勝ちね」

 

「ヒ……?」

 

 私は小さな半天狗を摘み上げて、そう審判を下す。

 まだ、半天狗には余力がそれなりにあるのかもしれないが、分身をあんなふうに簡単にボロボロにやられてる以上、勝てないのは明確だった。

 

「ハツミちゃん、それって……」

 

「これが半天狗の本体よ? 本体を倒さない限り死なない鬼なのだけど、鬼同士の戦いなら、先に消耗し切った方が負け。そんなこと関係ない。血鬼術頼りな分、半天狗の方が消耗が早いから、どうやったってカナエちゃんには勝てなかったのよ」

 

「ヒィ……」

 

 そんな半天狗をカナエちゃんに投げ渡す。

 カナエちゃんは、困った顔をしながら、半天狗の本体を切り刻んだ。これで上弦の伍との戦いも終わりだろう。

 

「次、猗窩座くんね」

 

 ここらへんから、カナエちゃんでも勝てるかどうかがわからなくなって来る。肆と伍の強さの差はかなり広いはずだ。

 そういえば、猗窩座くんに私が血戦を挑まれたことはないのだっけ。猗窩座くんが『参』をやっていたときは、私を飛ばして『壱』にばかり挑んでいた。今は童磨とよく遊んでいる。

 

 だから、猗窩座の正確な強さが私にはわからない。それでも、なんとなく半天狗よりかなり強そうな感じがしているのはわかる。

 

「どうやら、鬼狩りの柱だったらしいじゃないか……。お前ほどの強者が鬼になったこと、俺は感動さえ覚える」

 

「えっ?」

 

 満面の笑顔で猗窩座はカナエちゃんの前に立った。猗窩座のそのセリフに、カナエちゃんは少し驚いているようだった。

 

 私も、ちょっとビックリした。猗窩座といえば、いつも仏頂面で、大して喋らない印象を持っていたから、それが覆された気分だ。

 

「さあ、始めよう……」

 

 ――『術式展開 破壊殺・羅針』。

 

 空気が張り詰める。猗窩座は、今までの二体の鬼の比ではない強さだと、わかるくらいにだった。

 

「……いくわ!」

 

 ――全集中『花の呼吸』……!!

 

 ひと息にカナエちゃんが距離を詰める。

 頸に刀が迫ったところを上体を反らして猗窩座は躱すが、やはりカナエちゃんは速い。頸が半分切り裂かれた。

 

 腕、脚と、次々にカナエちゃんは猗窩座を切り刻んでいく。だが、猗窩座も上位の鬼だ。玉壺や半天狗などとは比べものにならない速度ですぐに再生する。

 

「俺が柱を鬼に誘っても、頷くものはいなかった。どうすれば柱は誘いに乗る?」

 

「えっと……。たぶん、無理だと思うわ。みんな、鬼に家族や仲間を殺されたりしたから、鬼のこと嫌っているのよ……」

 

「弱い者が死に、強い者が生き残る……それが自然の摂理だ。鬼に殺されたのも弱かったからだろう? 人間は鬼には決して勝てない。どうして弱者にこだわって、鬼になろうとしない?」

 

 上弦の肆の猗窩座だ。玉壺の時のように、簡単には刻めない。刀の一振りごとに、与えられる傷が浅くなっていく。確実に、カナエちゃんの速度に慣れていっている。完全に躱され切るのも時間の問題だろうとわかる。

 

「弱いとか、どうだっていいことでしょう? そんなこと、関係なく……仲良くできれば、みんな幸せだとは思わない? 鬼の力は人を幸せにできるのよ! そうやって、その代わりに血をもらえば、みんな幸せ!」

 

「強者は弱者に施しをなど与えない。俺は弱者が嫌いだ! 俺は強者が好きだぞ……カナエぇ!」

 

「……!!」

 

 その声に、カナエちゃんが、いったん引いた。すごい表情をしていた。

 

 なんというか、猗窩座って、こんな気持ち悪い奴だったのか。百年以上の付き合いになるのだけれど、私は知らなかった。知らない方が良かったかもしれない。明日から、どう接しようか。

 

「もっとだ。もっと見せてみろ!! 全ての型を……! お前の力はこんなものではないのだろう?」

 

「くっ……」

 

 ――『花の呼吸・肆ノ型 紅花衣』!

 

 カナエちゃんが一閃すると、猗窩座の両腕が削がれる。

 好機と見たのか、カナエちゃんは一気に踏み込んでいく。

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』!

 

「それはさっき見た……!!」

 

 頸を狙った一撃を、猗窩座は素早く屈み込むことで()けきる。

 

「まだ……」

 

 ――『壱ノ型』、『肆ノ型』、『弐ノ型』。

 

 次々とカナエちゃんは技を出すが、猗窩座の身体を掠めるだけで、傷を刻むには至らない。

 

 読まれ切っている。

 

「どうした……? それで終わりか?」

 

「アナタは間違っているわ! 鬼だって、人間を食べなくちゃ生きていけない! 一緒に生きることだって、できるはずよ?」

 

 ――『花の呼吸――』。

 

「くどい!!」

 

「あ……っ」

 

 カナエちゃんの振った刀が、猗窩座の拳に叩き折られる。

 甲高い音を立てて、折れた刃が地面に転がった。

 

「弱者は強者に喰われるのみだ。お前の型は全て見た。降参しろ。その刃が俺に届くことは、もう二度とない」

 

 折られた。せっかく私が作った刀なのに。私の血肉から作った、私の刀だ。

 

「…………」

 

 ――血鬼術『()()(きり)(まい)(みす)(がみなり)』。

 

 ……え!?

 

「……なっ……!?」

 

 カナエちゃんの斬撃を食らった部分から、猗窩座の体が崩れていく。私の血鬼術だった。私の血鬼術が発動していた。

 

「暴発したわ! ごめんなさい! カナエちゃんの刀、私が作ったの!!」

 

 私の血鬼術は、血を起点に接触した部分を感知することができる。私の血肉で作った刀で斬ったから、猗窩座の身体には私の血肉がわずかに付着したことになる。

 生き物を感知した後に壊す血鬼術だから、その付着した血から身体を壊していくことができるのも当然だ。

 

 急いで血鬼術を止める。

 血戦に割り込むつもりはなかった。なぜ私の血鬼術が発動したのかわからなかった。

 

「……まだ、やれるわ!」

 

 そんなことをしているうちに、カナエちゃんは折れて落ちた刃を拾って、くっつける。

 私の血肉で出来ていて、カナエちゃんが手を加えた刀だ。再生力もあって当然だろう。

 

「水が差されたが……もうお前の攻撃は見切っているぞ?」

 

「アナタのことは認めない。アナタには、絶対に負けないわ!」

 

 フゥゥゥと呼吸の音がする。

 

 ――全集中『花の呼吸・終ノ型 彼岸朱眼』!!

 

 カナエちゃんの白目の部分が赤く染まる。血の色だった。今のカナエちゃんのような配色の眼をしている鬼もたまに見はするが、それとは根本的に、何かが違うような気がする。

 

「今までとは比べものにならない闘気だ……。まだそんな型を持っていたのか」

 

「これで、倒すわ!」

 

 踏み出す。

 カナエちゃんは猗窩座に挑みかかる。

 

「だが、その闘気……。読みやすいだけだ!」

 

 カナエちゃんの攻撃に合わせて、猗窩座が拳を振るう。

 ついさっきと比べても、カナエちゃんの速度は変わっていなかった。

 その速度に慣れられ、対応されている以上、傷を与えることなど不可能。同じように刀を折られる。

 

 そう思った。

 

「……違うわ!」

 

「……なっ!?」

 

 振るわれた猗窩座の拳ごと、カナエちゃんはその胴体を袈裟斬りに両断する。

 

 もう一太刀、合間をおかずに。

 それに合わせて猗窩座もその刃を折ろうと反撃を試みるが、またその拳ごと、今度は頸が切り裂かれた。

 

 再生した腕で、斬られた部分を離れないように抑えながら、猗窩座は一度、離脱をする。

 その表情には困惑が見られた。

 

 ふと、童磨が前に一歩進み出る。

 

「猗窩座殿! 猗窩座殿は血鬼術での先読みが得意のようだが、どうやら、カナエちゃんは動体視力を強化したようだ! 猗窩座殿の先読みに合わせて、後出しで攻撃を変えていると言ってもいい。これならば、猗窩座殿では絶対に勝てまい……。俺は優しいから、これ以上は無駄だと教えてあげたが……カナエちゃん、猗窩座殿は無駄なことをするのが好きなのだ。わかってやってくれ」

 

 なるほど、カナエちゃんは動体視力を強化したのか。白目が赤くなるとそうなるのだろう。理由はよくわからないけれど、わかった。

 

「ぐっ……」

 

 猗窩座の表情に、初めて焦りが見える。そして、カナエちゃんはそんな猗窩座に微笑んだ。

 

「私は、弱者だとか、強者だとか……そんなこと関係なく、みんな仲良くできる世の中が良い!! 鬼も人も仲良くできる世の中が良い! 私はそれを叶えるの! できれば、アナタにも手を貸してほしいわ」

 

「弱者も強者も関係ない? ふざけるな……! 俺は強くならなければならない……! 強くならなければ……――( )

 

 猗窩座の動きが止まった。

 好機だった。

 

「…………」

 

 だというのに、カナエちゃんは攻撃を仕掛けない。猗窩座が動くのを待っているのだろうか。

 

 無言で猗窩座はカナエちゃんを見つめ直す。その顔には不快感が灯っている。

 

「よくも……――」

 

 その先の言葉はなかった。

 それを合図にか、カナエちゃんはもう一度動き出す。

 

「私が目指すのは、弱かろうと、強かろうと、誰でも幸せに生きられる世界! 鬼の力は、みんなの幸せを()()ためにも使えるの! きっと――( )()()()()、それを()()()()()はずよ!」

 

()()……」

 

 カナエちゃんは猗窩座を切り刻んだ。わずかに抵抗を試みる猗窩座だったが、それが敵うことはなかった。

 

「一緒に目指しましょう? みんなが仲良くできる世界を!」

 

 そうして、地面に倒れた猗窩座にカナエちゃんは手を差し伸べる。

 

 うつろな表情をして、猗窩座はそれを手に取った。

 

「俺の負けだ……」

 

 ちょっとばかし、私にはよくわからないやりとりだったけど、カナエちゃんの勝ちだった。

 

 肆まで倒したから、次は参……童磨か。

 

「いやぁ、猗窩座殿も倒すとは、さすがはカナエちゃんだ……」

 

「次はあなた?」

 

「まいった。俺は降参する」

 

「え……っ?」

 

「言っただろう? 俺ではカナエちゃんには敵わないと……」

 

「…………」

 

 童磨が降参してしまった。

 とても気味が悪い。本当に、なにを考えているのかまるでわからない。

 

「じゃあ、次はハツミちゃん!」

 

「そうね……」

 

 ついに私の番が来てしまった。あんなふうに、猗窩座も下してしまうのだ。カナエちゃんは、思ったより強いのかもしれない。

 

「もう……いい?」

 

「ええ……手加減はしないわよ?」

 

「私も……!」

 

 そうしてカナエちゃんは刀を持って、私に向かってくる。

 

「ふふっ」

 

 ――血鬼術『死障結界・蝕害』。

 

「えっ……」

 

 私の血鬼術を受けて、カナエちゃんは崩れ落ちる。

 

「ふふっ、あはは。私の勝ちよ! 隠れて結界を張っていた甲斐があったわ! さ、鳴女ちゃん。早く無惨様に報告しましょう?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 童磨以外のみんなの視線が厳しかった。

 みんながみんな、私のことを卑怯者だと言うような表情をしていた。

 

 どんな手を使ってでも、勝てばいいんだ。無惨様も、そうおっしゃっていたはず……ぐぬぬ。

 

「終わったようだな……」

 

「……!?」

 

 無惨様がお姿をお見せになる。

 そうして、無惨様のお近くに、カナエちゃんが一瞬で持っていかれた。

 

「やはり(ハツ)()には勝てなかったか……。だが、童磨を倒すとは、良くやった。貴様は今から『上弦』の『参』だ。これからは、『(しゃ)()』と名乗るがいい。褒美に私の血をふんだんに分けてやろう……」

 

「あぅ……っ!?」

 

 機嫌よく、無惨様はカナエちゃんの首筋に指を突き立てた。

 ドクドクと流れ込んでいく血だ。羨ましい……。

 

「…………」

 

 私も、と思ったが、つい数日前に血を分け与えられたばかり。今与えられても死んでしまうから、指を加えて見つめているしかない。

 羨ましい。羨ましい。羨ましい。

 

「あ……、ああ……」

 

 カナエちゃんは地面に転がって、悶えている。

 頬も上気して、瞳孔も開いて、とても幸せそうだった。

 なんだか、最初に私が血を与えた時を思い出す。あの時も、私の与えた血にカナエちゃんは夢中になっていたっけ。

 

「……あっ……」

 

 その眼球には、早くも『上弦』の『参』の文字が刻まれている。

 

 童磨、猗窩座、そしていつの間にか復活して身を潜めていた半天狗の眼の数字は一つずつ落ちて、まだ復活しきらない壺のお化けは十二鬼月でさえなくなってしまった。

 

「より一層、励み、一刻も早く私の目的を叶えることだ」

 

 これで、用が全て済んだのか、無惨様はいなくなる。

 

 地面に寝転がって、震えているカナエちゃんに、私は手を貸す。

 

「カナエちゃん。大丈夫……?」

 

「ハツミちゃん……私……今なら何でもできる気がするわ……! うふふ」

 

 とろけるような顔のまま、カナエちゃんはそう私に喋りかける。

 無惨様から、血を分けていただいた後の全能感に浸っているのだろう。

 

「……そう。カナエちゃんなら、きっと望む世界を手に入れられるわ!」

 

「少し……いいか? 沙華」

 

 そうやって、話していると、かつては上弦の参まで昇ったが、上弦の伍にまで落ちた猗窩座が近寄ってきた。

 可哀想そうな猗窩座!

 

「沙華? 沙華……。あぁっ、私のことね……。私の……! どうしたの……猗窩座くん……?」

 

「お前の目指す世界のことだ。協力すると言ったが、俺はどうすれば良い?」

 

 眼を瞬いて、カナエちゃんは考える。

 鬼は瞳が常に潤んでいるから、無意識な瞬きをしないが、カナエちゃんは感情表現のために、わざと目を瞬かせたのかもしれない。

 

「そうねぇ。人を食べずに、(ハツ)()ちゃんの村にある血を飲んで飢えを満たすこと……。あと、血はお金と交換するから、血を買うためのお金を稼ぐことね。ちゃんと、真っ当に稼ぐのよ?」

 

「……わかった。だが、俺は女は食べない。そこは……」

 

「好き嫌いはよくないわ」

 

 つい、私は口を挟む。

 猗窩座は贅沢な奴だ。食べなければ生きていけないというのに、食べられるものを選り好みする。そんなもの、直さなければならないに決まっている。

 

「そうねぇ、好き嫌いはよくないわ」

 

「…………」

 

 カナエちゃんも同意してくれた。

 私たちが正しい。猗窩座は間違ってる。純然たるこの事実に、猗窩座は黙り込んだ。

 

「でも、お金を払うんだから、ちゃんと選ばせてあげるわ?」

 

「……!? わかった」

 

「…………」

 

 カナエちゃんは甘いんだ。

 

 血を買う約束で思い出したが、そういえば童磨がもういなかった。あいつなら、しつこく絡んでくると思ったのだが、意外だ。帰るのが早い。

 

 それはそうとだ。私は、上弦の壱に用があった。私もカナエちゃんに負けてはいられない。

 カナエちゃんは、まだ猗窩座となにか話しているようだった。

 

「巌勝くん。この後、うち、寄っていかない?」

 

「……なにゆえだ……」

 

「飲んでいかない? いい血があるのよ」

 

「よかろう……。しばらくぶりに……飲み比べるのも……一興」

 

 ふふ、酔い潰れたところを襲ってやる!






 次回、魃実、敗北す!

 ちなみにこの後、玉壺は爆速で下弦の鬼を捜索し、下弦の壱になりました。


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戻らない時間

 沙華と、そう名付けた元柱の鬼は、無差別、無意識に自らの思想を心に植え付ける血鬼術を使う。やはり私には効かなかった。(ハツ)()と同じく、使いやすそうな女だった。



「……うぅ」

 

 宵の口。

 なぜか私は布団の中にいた。

 

 思い出す。えっと、上弦の壱を酔い潰れさせて襲いかかろうと画策したわけなのだ。そこまでは覚えている。

 

 結界の中に引き摺り込めば勝てるだなんて、甘い考えは私にはなかった。

 なんと言ったって、あの縁壱の双子の兄だ。結界の中で発動する私の血鬼術が擦りもしなかった縁壱の、その兄だ。

 

 弱らせて足りないなんてことはない。

 

 そういうわけで、飲み比べをした。

 調子に乗って、私は飲み過ぎてしまい、ふにゃふにゃになって、布団の中で寝かされてしまった。

 

 私を布団の中に仕舞い込んだのはあの上弦の壱である。妙なところで、あの男は律儀なんだ。

 

 酔ったところに血戦を挑むつもりだったが、失敗した。

 上弦の壱は帰ってしまったか……。そういえば、カナエちゃん。

 

「……カナエちゃんっ!?」

 

 私が見ていないと、カナエちゃんは里の子たちを食べてしまう心配があった。

 

 本人は否定するだろうけれど、それほどカナエちゃんのことを、私は信用していなかった。

 

 結界の中の人数を数える。

 

「減ってないわね……。えぇ……」

 

 それと、上弦の壱がなぜかまだ居る。

 庭でカナエちゃんと戦っている。

 

 パッと、お布団を片付けて、庭先に私は出てみる。

 

「まだ、まだ戦えるわ……!」

 

「その心意気や……よし……」

 

 上弦の壱により、カナエちゃんがボロボロにされていた。

 舞う三日月の斬撃をかわしながら、上弦の壱に近づいていくも、届かない。

 

 猗窩座を圧倒した、白目が赤くなるあの技も使っているようだったが、大量に生産された不規則な三日月の刃を前に、なす術がない。

 

 三日月の雨霰でカナエちゃんの行動を制限しながらも、上弦の壱は、にわかに距離を詰め、流麗な動作でカナエちゃんの頸を刎ねる。

 

「また……負けてしまったわ……」

 

 頸を繋げて、カナエちゃんは肩を落とす。

 私なんか、あの三日月は一個か二個くらい避けたら限界なのに、贅沢だと思った。

 

「まずは……痣を浮かばせること……。お前ほどの……実力ならば……易いはず……励め……」

 

「痣……?」

 

 痣とは、上弦の壱の頬や額にある、炎のような形のソレのことだろうか。

 

「そういえば、それに似た痣、縁壱にもあったわよね……」

 

「…………」

 

「ハツミちゃん!」

 

 ここでようやく、私の存在に気がついたようだ。いや、上弦の壱はわかっていたか。

 

「痣は……呼吸による……体温の上昇……脈拍の増加……それにより……浮かび上がる」

 

「……それって、そういうものだったのね」

 

 なんだか、私の言ったことが無視されたような気がしたけれど、気のせいだろう。上弦の壱は律儀な男だ。そんな酷い真似はしない。

 

「そして……痣とは……寿命の前借りに過ぎぬ……。痣の者は……人間であれば……例外なく……二十五を待たず死ぬ……」

 

「例外なく……? 縁壱は七十くらいまで生きたそうじゃない? 看取ったのは巌勝くんだったわよね?」

 

「…………」

 

 なぜか、上弦の壱は無言だった。

 縁壱の死亡が確認できたとき、無惨様と私は抱き合って、泣いて喜んだ。無惨様は、そのあと、自分の目で縁壱の死体を確認すると言い出したから、私も付いて行った。本当に大はしゃぎで、良い思い出だ。

 

 忘れようがない記憶だ。

 なぜ上弦の壱は黙っているのか。

 

「普通の人間なら、二十五で死ぬと言うのでしょう? 縁壱が長生きだったのなら、縁壱と血の繋がった巌勝くんも、鬼にならなくても二十五で死ななかったかも知れないわよ?」

 

「…………」

 

 少し、上弦の壱は私の言葉に表情を歪めたが、やはり何も言わなかった。

 

「えっと……痣が浮かぶと……」

 

「身体能力が上がり……回復力が異常なほど上がる……。人間でもそれほど……。鬼ならば……桁外れの力を……その身に宿らせる」

 

「へぇ……」

 

 カナエちゃんのセリフを読んだように、上弦の壱はそう答えた。

 もしかしたら、カナエちゃんに痣が浮かんだら、今度こそ私の地位が危ういかもしれない。どうしようか。

 

「試みよ……」

 

「わかったわ……」

 

 ――全集中『花の呼吸』。

 

 フゥゥゥと、カナエちゃんは深く息をする。

 結界でカナエちゃんの身体を感知して観察すると、確かに心拍数が上がっているのがわかる。

 

 数分がたった。

 

「うまくいかないわね……」

 

 心拍数、体温の上昇はわかるが、上弦の壱のような痣が浮かぶ気配はなかった。

 

「やはりか……」

 

「……?」

 

 上弦の壱は、なにか納得するように頷いている。

 痣が浮かばないような心当たりでもあるのか……。

 

「奥方さま……。日輪刀を……持ってきては……くれぬか……?」

 

「えっ……?」

 

 一応、上弦の壱には、奥方さまと呼んでもらうことにしている。……えへへ。少し粘ったら、そう言ってくれるようになったんだ。

 まあ、私の方が数字が遅いから、あんまり敬語は使われないけれど。

 

 それはそうと……日輪刀……。

 そんな危ないものを、なんに使うつもりなんだ、この侍もどきは。

 

「私の痣は……鬼との……命のやり取りにて……開花した……。温い……鬼同士の修行では……目醒めるものも……目醒めはせぬ……」

 

「えぇ……」

 

 この侍もどきは、本気でカナエちゃんと命のやり取りをするつもりなのか。

 ちょっと、信じられない。こんなところで同士討ちだ。なにを考えてるんだ。

 

「わかったわ。あのお方の役に立つのなら……」

 

 カナエちゃんは覚悟を決めたような顔で、頷いた。

 そういえば二人とも、鬼狩りだった。異常者どもの考えは、私にはわからなかった。

 

「どうなっても知らないわよ……!?」

 

 いそいそと、私は封印した日輪刀を持ってくる。桜色に染まったものと、緑色に染まったものだ。

 二つ持って来た私に、上弦の壱は目を向けた。

 

「緑……風か……。これほどの見事な色……よほどの才に恵まれた証……」

 

 そうして手に取り、刀をじっくりと見聞している。

 

「実弥くんの剣ね……」

 

「鬼には……」

 

「今までにないくらい良い味の血だったから、今も人間よ? あなたも飲んだでしょう? とても幸せに、子作りに励んでいるわ……」

 

「そうか……」

 

 納得したようで、上弦の壱は日輪刀をその手に握った。

 手に馴染ませるように、その柄を何度か握り直す。

 

 その変化は唐突だった。

 

「――っ!?」

 

 ……刃が――赫くなった。

 

 瞬間、全身に怖気が走る。

 呼び起こされるのは、私の命が失われかけた、おぞまきしきあの日。

 その赫灼は、まさに鬼殺を体現する。鬼の本能が、その刃を忌諱する。

 

「…………」

 

 そして、上弦の壱はその刀を取り落とした。

 

「…………」

 

「…………」

 

 一瞬の出来事に、みな、無言になる。

 全員が、全員、顔に汗が滲んでいる。私は気絶するかと思った。

 

 もう一度、上弦の壱は、その刀を手に握る。今度は、赫くはならずに、その深い緑色を変えなかった。

 

「今……のは……? 日輪刀は、一度色を変えたら……二度と色を変えないはずじゃ……」

 

 まず声を出したのは、事情を知らないカナエちゃんだった。

 その声に、私は正気を取り戻し、答える。

 

「私や、あのお方を殺しかけた剣と同じ。縁壱の刀は元々は黒だったけど、握るとなぜか赫くなった。あれで切られると、鬼でも再生がすごく遅いの!! それにしても、巌勝くん……巌勝くんも鬼だから……赫くしたら本能が拒んで、取り落としちゃったのね……。ああっ、残念……! ふふっ、鬼だから、全力が振るえないなんて……残念!! ああっ、安心したっ!!」

 

 それにしても、巌勝くんは、あの縁壱の双子の兄だ。刀を赫くすることも、できて当然か。

 そういえば巌勝くんは、鬼になって今まで、日輪刀ではなく自身の血肉から作られる刀しか使ってこなかったのだろう。だから、赫灼の刃が、鬼の本能に拒まれて使えなくなっていることに今の今まで気が付かなかった。

 

 巌勝くん、案外、抜けてるところがあるのかもしれない。

 

「…………」

 

 そうして上弦の壱は感慨深げに自身の刃を見つめている。

 本来の力が発揮できずに、なんて可哀想なのだろう。あぁ、惨めっ。

 

「日輪刀に……そんな秘密があったのねぇ」

 

 鬼殺隊には伝わっていなかったのか。カナエちゃんは柱だったはずなのに、それでも伝わっていないとは、もしや失伝している……?

 まあ、技術を受け継ぐとしても、この月日の兄弟がおかしかったから、後世の人間にはできなかったのだろう。安心だ。

 

 もう、こんな双子は二度と産まれて来てたまるものか。

 

「…………」

 

「そろそろ、始めても……」

 

「構わぬ……殺す気で来い……。加減はするが……隙を見せれば……殺す」

 

「わかっているわ……!」

 

 そうして、カナエちゃんは自身の刀を握り、上弦の壱に向きあう。

 

 ――『花の呼吸・壱の型――』!

 

 ――『月の呼吸・壱の型 闇月・宵の宮』。

 

「……っ!?」

 

 一瞬でカナエちゃんの右手が持っていかれる。

 なぜだか、血鬼術のはずの月の刃が、血肉で作った刀ではなく、日輪刀を振って現れた。なぜだろう。

 どうせ巌勝くんだ。考えるだけ無駄だろう。

 

 手を生やして、カナエちゃんは刀を握り直し、また斬り付けようとする。

 その僅かな間に、カナエちゃんの頸筋に刃が煌めく。

 

 本当に殺す気だわ……!?

 

 上体を反らして、日輪刀から逃れたが、続く月の刃に体勢を整える邪魔をされる。

 無理に身体を起こして、左手が飛ぶ。目から耳にかけてが切り裂かれた。

 尚もくる追撃に、鍔迫り合い。押し負け弾き飛ばされる。

 

 飛ばされた先にも、容赦なく月の刃が乱れ打たれる。日輪刀ではない攻撃は、致命傷にこそならないが、再生の一手が遅れる。

 境地に至った者同士ならば、一手でも致命的だろう。月の刃をかわしながら、再度、上弦の壱に接近する。

 

 やはりというか、血肉で作った刀ではないからだろう、月の刃の密度が低い。

 先程とは違い、思いの外、カナエちゃんはするりと抜けて、上弦の壱のもとにたどり着いた。

 

 そこから何度か切り結んだが、カナエちゃんの攻撃は上弦の壱に通る様子がなかった。

 実力差は圧倒的だ。カナエちゃんは手やら足やら目やらが何度も月の刃で持って行かれて、こっちに飛んできたりもして、頸にも幾度か刃が届いていた。

 

「あっ……」

 

 もう、ダメかと思った。

 カナエちゃんの頸筋に、上弦の壱の日輪刀が食い込む。回避も、間に合わない。

 

「……うっ」

 

 文字通り、頸の皮、一枚。

 自身の刀で、上弦の壱の刀を抑えて、繋いだ。防御が間に合っていた。

 

 今までのカナエちゃんの速度なら間に合わないはずの防御だった。飛躍的に、その速度が上がっている。

 

「見事……なり」

 

 薄い桃色の彼岸花の花弁のような模様が、カナエちゃんの頬から頸筋にかけて、浮かび上がっていた。

 すぐにカナエちゃんの防御は押し切られるが、僅かに稼いだ時間で、一度刃が通った頸が癒着していたから、ぎりぎり死なない。

 

 今までより再生が早い。これが、痣の力だろうか。

 本当に、ひやっとした。

 

「カナエちゃん! 痣が浮かんでいるわよ! やったわね!!」

 

「……!? ハツミちゃん……本当!!」

 

「ええ……右の頬に彼岸花の花びらみたいな形の桃色の痣……!」

 

「これが……確かにこれなら……」

 

 カナエちゃんは、新しい力の凄さを実感しているようだった。

 頬もほんのりと赤く、興奮しているように見える。

 

 そうやって、はしゃいでいる私たちを、少しだけ冷たい目で上弦の壱は見ていた。

 

「その感覚を忘れぬよう……。常に痣を浮かべることを……心がけろ……。痣者になるのは……通過点に過ぎず……。次は身体が……透けて見える……ところだ……」

 

「透けて……見える……」

 

「…………」

 

 意味がわからなかった。

 透けて、見える……。やっぱり、訳がわからない。

 

 上弦の壱には、透けて見えているのか。私が……。

 

「…………」

 

「冗談よね?」

 

「嘘では……ない。身体の形……筋肉や臓物の動き……血管の拡張、収縮……手に取るように……わかる……」

 

「今、私は臓物を増やしたわ。それはなに……?」

 

「脾臓……」

 

「…………」

 

 名前のよくわからない臓物を増やしたら、知らない名前が出て来たから、たぶん、間違いではないのだろう。

 こういうとき、嘘をつく男ではないのは、長い付き合いで知っているし。

 

「もう一度……問うか……?」

 

「いえ、いいわ。血鬼術では、ないのよね……」

 

「ない。人間ならば誰でも……否、才能によるが……努力で辿り着ける……境地……」

 

「……そう、なのね」

 

 人間って、すごいのね。

 

 いや、違う。おかしい。絶対に、こいつらがおかしいだけだ。普通の人間は、どんなに努力したって、身体が透けて見えたりはしない。

 まともに取り合ったらダメだ。

 

「…………」

 

 どうしたのか。カナエちゃんは、上弦の壱に背中を向けて、地面に屈み込んでいる。顔が赤い。

 

「……見えたから……どうした……? 男女の営みとは……互いに触れ……言葉を交わし……成り立つもの……」

 

「で、でも……み、見えるのでしょう? 恥ずかしいわっ……! お嫁に行けない……っ!」

 

 なるほど、確かに体内まで透けて見えるのだったら、裸も見えるのも道理か。カナエちゃんの反応はとても可愛らしい。

 

「カナエちゃん。お嫁と言うけど……鬼になった時点で貞操はあのお方に捧げたようなものよ? ね」

 

 もうすっかり、私は精神が鬼だから、恥ずかしいとか、なかった。

 

「う……うぅ……。見ないで……ぇ」

 

「これでは……修行が……できぬ……」

 

 カナエちゃんの反応に、上弦の壱はほとほと困り果てた様子だった。

 

 一応、私は尋ねてみる。

 

「巌勝くん。カナエちゃんの裸……見たの?」

 

「……。これほどの壮健で美しき女は……この四百年、今までになし……神妙なり……」

 

「う……ぐす……うぅ……」

 

 カナエちゃんは泣いてしまった。

 巌勝くん……言い訳があっただろうに、決してそれを言わなかった。その精神は、別にいいとして、褒める以外にも言うことがあったと思うのだけれど。ええ。

 

「カナエちゃん。まあ、見られてしまった以上は……折り合いをつけて生きていくしかないわ……。はぁ……面倒ね……いっそ、夫婦にでもなれば解決するのに……」

 

 鬼同士は嫌い合うようになっているから、有り得ないか。鬼で夫婦をやっていけるのなんて、私と無惨様くらいだ。

 

「かつて妻子を捨てた身……今更、妻を娶るなど……有り得ぬ……」

 

 上弦の壱はこの通りだった。

 それにしても、妻と子供がいたのか……。その話は初耳だった。

 

「いえ、ちょっと待ちなさい。あなた……子供がいたの……? 私、嫌よ、アナタみたいな人間が増えるだなんて……」

 

「何を言う……? 今や四百年も昔……我が子孫が……生きているかも……わからぬ」

 

「で……でも……」

 

 その子孫も、努力したら身体が透けて見えるに違いない。き、気持ち悪い。まかり間違っても、鬼狩りどもの仲間になっていないでください。

 本当に……巌勝くんやら、縁壱みたいなのが、いつか産まれてくるんじゃないかと、私は辛くてならない。

 

 そんなこんなとしているうちに、カナエちゃんが立ち上がる。

 

「ふぅ……いつまでも、こうしてはいられないわ……。そうね、いつも透けて見えるなら、裸を見られたって、仕方ないわね。それに、そのために使っているのではないのよね……?」

 

「筋肉、臓物の動きを見れば……次の動作もわかるゆえだ……。不意打ちも……察せる……。戦い以外で……使いはせぬ」

 

「ええ……そうね……。でも、そういう力があって、使うなら、最初から言って欲しかったわ」

 

 カナエちゃんは、怒っているようだった。

 まあ、裸を見られてしまったんだ。仕方がないだろう。

 

「自らの手を明かすなど……無粋の極み……。侮りとも取られかねぬ……」

 

「女の子に使うなら、次は絶対に言うのよ……?」

 

「あいわかった……」

 

有無を言わせない表情のカナエちゃんに、上弦の壱はうなずく。一応、カナエちゃんとしては、これでこの件に折り合いがついたのだろう。

 

 そういえばと、カナエちゃんの頬をみる。さっきはあった痣が、今はなくなっている。

 

「カナエちゃん。やっと出た痣がなくなってしまったのだけど……」

 

「え……?」

 

 カナエちゃんは頬を触る。まあ、本人には見えない場所にあるだろうから、わからないだろうけれど。

 

「体温、脈拍、共に下がれば……痣もまた消える……。常に出すには……また……鍛錬が必要……。感覚が掴めたのならば……次は易いはず……」

 

「全集中の常中と一緒ね……。わかったわ! 常に痣が出せるように鍛錬ね……!」

 

 なんだか、ちょっと頭が痛い。

 私、カナエちゃんに越されないだろうか、本格的に心配になる。

 

 結界の中ならば、まだ勝ちはあるだろうけれど、私も強くならないといけない。

 

「続けるか……? 次は……透けて……見えるやもしれぬ」

 

 もう一度、日輪刀を構えて、上弦の壱はカナエちゃんに向ける。

 透けて見えるためには、やっぱり、また命懸けの戦いをするのか。

 

「いいえ……。やめておくわ。今は、痣に慣れることに集中したいの……」

 

「そうか……」

 

 そして、上弦の壱は日輪刀を下ろした。

 まあ、一日に、命懸けの戦いを続けて、精神がもつわけがない。

 

 私も、命懸けの戦いをすれば、血鬼術が強くなったりするのだろうか。上弦の壱を改めて見直す。

 

「そういえば、巌勝くん。鬼になってから、命の危機に遭った戦いって、あった……?」

 

「……? 一度……いや、一度たりとも……ありはしない……」

 

「そう。なら、巌勝くんは……鬼になってから、あんまり強くなっていないのねっ……!」

 

「……!?!!!?」

 

 上弦の壱は、固まってしまった。すごい表情をしていた。

 

 ……うん。今なら倒せるかもしれない……。そんな気がする!

 

「くらいなさい!!」

 

 ――血鬼術『死瘴結界・蝕害』。

 

「な……!?」

 

 勝った!

 私は上弦の壱になった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 季節は冬。カナエちゃんが上弦になって、だいぶ経つ。

 ()()が来ていた。実弥くんは囲炉裏で暖を取っている。

 

(ハツ)()様……。さゆに子どもはできましたか……」

 

 毎日の恒例行事だ。

 ()()のお腹に手を当てて、新しい命を探る。

 

 ちなみに私は今、『上弦』の『弐』だ。一瞬、勝ったが、そのあとギタンギタンにされてしまった。

 どうも、私の地下にある分身が透けて見えるから、その動きを見ることで、どこを攻撃するかわかり、結界での攻撃も避けられるらしい。

 

 どこを攻撃されるかわかったところで、避けられるものではないと思うのだけれど、やっぱり巌勝くんはおかしかった。

 

「……あっ」

 

(ハツ)()様……?」

 

 ()()のお腹の中には私の感知に引っかかる生き物がいる。

 人間以外は勝手に殺す私の結界の中だ。可能性など一つしかない。

 

「おめでとう、()()。お腹に赤ちゃんがいるわ!」

 

「……!!」

 

 そう言うと、()()は泣き出しそうな勢いだった。

 

「ふふ……」

 

 私は実弥くんの方向を見て、()()の背中を軽く押す。

 

「……!?」

 

 ()()は私に一つ目配せする。それに私が頷いたら、()()はそのまま、実弥くんのところへと走っていって抱きついた。

 

「わ……。さゆ、危ねェだろ……。そんなふうに走ったら、ケガしちまうかもしれねぇ」

 

「えへへ……。さねみさん、さねみさん。さゆに赤ちゃんができました。えへへ、さねみさんの子どもですよ……?」

 

「……!? 本当か……!?」

 

(ハツ)()様、本当ですよね……っ!」

 

 今でも、はっきりと()()の中に新しい命を感じられる。

 

「ええ、間違いないわ。二人の子どもがそこに居るわよ?」

 

 実弥くんは、まじまじと()()のお腹を見つめる。透けて見えるわけでもないだろうに。信じられないと言ったような顔をしている。

 

「毎日、毎日、あれだけ頑張ったんです……ふふ。さねみさんも、さゆたちの赤ちゃんも、ずっと一緒……さゆは幸せものです」

 

「あ……あぁ」

 

 まだまだ実感がないような、そんな間の抜けたような表情を実弥くんはしていた。

 

「子どもができたのよ……実弥くんは、嬉しくない?」

 

 だから、少し意地悪をして、私はそう尋ねる。

 ちなみに、私はとても嬉しい。美味しい血を持った二人から産まれた子どもだから、どんなに美味しくなるのか……。

 

 ああ、ちゃんと血を採れるくらいまで育つには、まだ何年もかかる。産まれたら、ちょっと味見してもいいかな……。

 

「あ、あぁ……俺の子どもが……」

 

「そうですよ……っ。さねみさんの子どもです……っ。さゆのお腹に……っ!!」

 

「……そうか……ァ」

 

 ワナワナと震えだして、実弥くんは泣き出してしまった。

 

 今更だけど、記憶を消して、夫婦(めおと)にしたのは強引だったかもしれないと思う。それでも、幸せな二人を見れば、私は間違っていないのだとわかる。

 

「さねみさん、さねみさん……」

 

「さゆ……お前たちは絶対(ぜって)ェ俺が守ってやる……」

 

 ここまで言ったんだ。実弥くんが、()()や子どもを捨てて、どこかに行ってしまうことはないに違いない。私は安心した。

 

 最近はカナエちゃんが、どうやってかは知らないけれど、お金をたくさん持ってくるようになったから、()()と実弥くんには、子どもをたくさん作ってもらうつもりだ。

 

「私は用事があるから、行くわね……?」

 

 ……。

 二人は喜び合っていて、聞いていない。とっとと私は退散しよう。

 

 書き置きを残すかどうか迷ったが、面倒だったからやめた。私がいないと、気が付いても、そんなに困らないだろう。

 

「鳴女ちゃん!」

 

 琵琶の音がして景色が変わる。

 ああ、そうだ。今日は無惨様が会食のお供にと、私を連れて行くそう。今日は外行きの着物だ。

 

 人気のないところに、私は現れた。人間に擬態をして、あとは無惨様のいるお屋敷に向かうだけだ。

 さっと移動して、お屋敷の門を叩く。

 

(ハツ)()か……。来たか……」

 

「……!?」

 

 無惨様が直々にお出迎えだった。

 私が来たのは、無惨様は能力でお分かりのはずだ。だから、こうして私がくるその時を見計らって、出てくることも可能だけれど、今までそんなことはなかった。

 

「まずは着替えだ……」

 

「……え……?」

 

「中に入れ」

 

「……はい」

 

 そうして、お部屋の前まで私は無惨様に付き添われて行った。

 外行きで、誰に見られても恥ずかしくはない格好だと思っていたのだけれど、私が甘かったか……。

 

 お部屋に入ると、使用人が私を着替えさせてくれる。

 着物を脱がされて、着せられたのは西洋風の婦人服だった。

 

 青かったり、白かったりで、布が余ってフワフワした感じの服で、髪の毛も後ろで丸く纏められたりした。

 

「……ふふ、月彦さんったら……奥様のためにと、オーダーメイドで作らせたんですよ?」

 

 使用人が、そんなことを言った。私は西洋の言葉が得意ではない。

 

「おーだーめいど……?」

 

「ああ、世界でこれしかないという意味です」

 

「……っ!?」

 

 少しだけ驚いて、涙が出てしまった。

 確かに、こんなフワフワした服は、店で売ってはいない。無惨様が私のために……そう思ったら、なんだかこのフワフワとした珍妙な形の服にも愛着が湧いてくる。

 

「仲の良いご夫婦で羨ましい限りです」

 

「は、はい……っ」

 

 花の形の髪飾りをつけられて、どうやら完成したようだった。

 そのままに、無惨様のもとへと向かう。

 

「できたようだな。似合っている」

 

「はい……。ありがとうございます……」

 

 無惨様が特注したのなら、私に似合っていないはずがない。

 

 目的地まではお車で向かうようだった。

 車、車。ふふっ、私が走った方が早いっ。

 景色が流れて行く。

 

 向かった先は西洋風のお館だった。

 入っていく人もそれなりに居る。

 

 そこで、私は思い出した。

 

「つ、月彦さん……! 私、西洋の踊りはやったことが……」

 

 西洋の宴会は、舞踏をすると話に聞く。私にはまるで経験がないものだった。

 

「安心しなさい。今日は食事をするだけです」

 

「はい……」

 

 こういう、誰かの目があるときは、月彦として私にも敬語を使う時がある。たまに、つけていないときもあるけど、それは夫婦の親密さを周りに周知させるためだろう。無惨様が間違えるわけがない。

 

 念のため、結界を張る。大きさは、館を覆えるくらい。結界で感知をした人間の動きを、鬼である私の反射神経でそのまま真似すれば、もし万が一のときも私だって踊れるはずだ。

 そうでない作法だって、こうすれば簡単に学習できる。

 

(ハツ)()……わかっているな?」

 

「はい」

 

 私が会食に同席するときは、余計なことを言わず、無惨様の後ろに付き従い、常に笑顔でいる。

 私が綺麗な分だけ、無惨様が無用に舐められなくて済むから、そのために私がいるのだ。

 

 そうして会場に着くと、無惨様は、いろいろな人に挨拶をし始める。

 私は後ろをついて回って、ずっと笑顔で、無惨様に促されたことのみを答える。

 

 そうして何人も挨拶をして行って、何人目だったかだ。見たときある顔だった。

 

「この度は、ご招待いただきありがとうございました」

 

「いや、君には世話になったから、ぜひにと思ったんだ……。その方は……奥様かい?」

 

「はい……。ハツミ……」

 

 ……まずい!

 

「あ……妻のハツミです」

 

「ハツミ……? ああ……!」

 

 私がお金をせびっているおうちの人だ。

 まさか、こんなところで出会ってしまうとは……。

 

「…………」

 

「なるほど……うちの子が世話になったね……。なるほど……なるほど……やっぱり、月彦くんは病弱そうだから、そうやって知り合ったのかい?」

 

 病弱そう、という言葉に無惨様は一瞬反応を見せるが、人目の多いここでは行動をしない。

 

「故郷が同じもので……」

 

「幼馴染ということかい……? いやぁ、実直だねぇ、月彦くん」

 

「…………」

 

 そこから、いくらか話して、また違う人へと挨拶に向かう。

 改めて参加している顔ぶれを見直すと、私の知っている顔がチラホラとある。

 

 こんなこともあるのかと、一人納得していると、結界が完成した。

 

「……あっ!」

 

「……大方予想はついていたが、そういうことか」

 

 カナエちゃんの反応があった。

 なんで、こんなところにいるのか、私にはまるでわからなかった。無惨様は私の思考を読んでお分かりになった様子だった。

 

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」

 

 そんなこんなとしているうちに、会場の、一番目立つ台のところに、カナエちゃんが登場した。痣はもうだいぶ慣れたようで、数時間は継続して出せるようだが、今はなかった。

 

 本当に、何をしているのだろう、この子は……。

 会場に居るみんなは、拍手で迎える。

 

(ハツ)()……血を出せ……」

 

「……え?」

 

 こんなに沢山の人がいるというのに、無惨様は擬態を解いてしまわれた。

 

「フン……どうせこちらなど、誰も見てはいない」

 

「……た、たしかに」

 

 皆が皆、カナエちゃんの方ばかりを見ている。こちらに注意を向ける者は、どこにもいない。

 

「皆さんには、鬼を知っていただくために集まってもらいました」

 

 カナエちゃんの声が響く。会場には、どよめきが走るが、それでもカナエちゃんの方向を、食い入るように見つめているばかりだ。

 

 私には、無惨様しか目に入らない。

 

「沙華の血鬼術だ。精神を高揚、陶酔、遊離させたのち、空いた隙間に自らと同じ思想を植え付ける……珠世や姑獲鳥のものに似ているが……少し違うか。()()()()()()()()()()、人間ならば声を聞くのみでも抗いようがない。こちらなど、見向きもできぬ……。強い鬼にも効きにくいようだが、呼吸を使う剣士にもおそらく効きにくいのだろう。お前よりも黒死牟の方が効いている様子がなかったからな……。それはともかく、血を出せ……二度も言わせるな……お前はただ、私の言う事にのみ従っていればいいのだ」

 

「……はい、ただいま」

 

 血をお出しする。無惨様の言う通り、この状況ならば、大丈夫そうだ。私も無惨様に習って擬態をとった。

 

「やはり、この血はいいな……」

 

 ()()の血だった。無惨様はこの血をかなりお気に入りになられている。

 

「その事なんですが……身篭ったため、当分は……血を採ることができません……」

 

「お前のことだ、蓄えがあるのだろう……?」

 

「はい……」

 

 蓄えてばかりで、私、飲んでいない気がする。カナエちゃんにあげたり、無惨様に献上したりするばかり。

 まあ、でも、子どもの血が採れるくらいになったら、無惨様はそちらに夢中になるだろうから、その時に楽しめばいいか。

 

「それにしても子どもができたか……。相手はだれだ?」

 

「元柱の……実弥くんです」

 

「あれも美味い血だった。美味い血同士を掛け合わせて、味を良くする。お前は自分の役目をよく果たしている。未だに鬼狩りどもをのさばらせている他の()()()()とは大違いだ」

 

「ありがたきお言葉です」

 

 ああ、無惨様に褒められると、天にも昇るような気分になる。もっと褒められるように頑張ろう。

 

「褒美に私の血をやろう。飲め」

 

 空になった血を携帯していた容器に、血をたっぷりとつめると、私にそれを返した。

 

 ああ、すごく良い匂いがする。

 なみなみと容器に入っている血を見ていると、自然と瞳孔が開いてしまうのがわかる。頭からはダラダラとそれを身体に取り込むようにと指令がこぼれる。

 

 口に含み、飲み込む。

 気がつけば、容器は空。もうなくなってしまったのかと、絶望感が私を支配する。

 

「あ……んあ……んぅ……」

 

 身体がピクリと痙攣する。心地よさが全身を巡る。身体は作り替えられて、痛み、苦しみ、それを遥かに凌駕する全能感が私の頭を支配する。とても気持ちがいい。

 

 そんな感覚に浸っていると、突然に無惨様は私のことを抱きしめてくださる。

 

「お前は裏切らない。お前は特別な鬼だ。何百年も目をかけてきた甲斐があった……お前は私に最も近い存在だ」

 

「は、はい……っ」

 

「下弦の壱……いや、今は弐か……妓夫太郎たちを見て、思い付いたことだが――( )

 

 そっと、私に無惨様は耳打ちをして、続く言葉を私に告げる。私にだけに。

 私へだけの言葉だ。私にだけの……っ! 素晴らしい提案!!

 

「喜んで……っ!!」

 

 私がそう答えると、無惨様は微笑んで言った。

 

「共に永遠になろう……(ハツ)()

 

「……はい」

 

 夢のようだった。本当に私は特別なのだと実感が持てる。

 

 チラッと、カナエちゃんの方に意識を向ける。何やら、刃物で自分を斬り付けて、鬼の再生力をみんなに見せつけているようだった。

 隣には砕かれた金属の残骸がある。もともとなにかの機械だったのかもしれない。鬼の膂力を見せつけるためだろう。跡形もなかった。

 

 恐ろしい生き物がいるというのに、みんなはボケッと話を聞くばかりで、逃げる様子もない。

 

 鬼は人間よりも優れている。鬼は人間を食べる。鬼にとっての栄養が多く摂れる稀血という人間がいる。血鬼術という個体ごとの特別な力を持っている。自身は四番目に強い鬼である。

 

「鬼は人間に多くの恩恵を与えられます。鬼と人とは、仲良くだってできるんです。そのために、稀血の子を育てるために……お金が欲しいわ。私たちの素晴らしい世界のために、寄付してくれたらありがたいの! このことは、ここだけの秘密だから……よろしくね!」

 

 そう言って、カナエちゃんは話を纏める。

 無惨様が、擬態をし直していたから、私もそれに習って人間に擬態をする。

 

 そこからは、普通に食事をした。最中にカナエちゃんは、みんなからお金を集めてまわっていた。

 みんなは高そうなお財布から、たくさんのお(さつ)をカナエちゃんにあげるのだから、驚きだ。

 

 次から次へとお金を回収して、カナエちゃんは私たちのところにまわってきた。

 ちょっと、からかって遊べるかもしれない。無惨様の後ろに隠れる。

 

「寄与を――あなたは……っ!? ご無礼を……」

 

「月彦です。誰かと勘違いしているのでは……?」

 

「え……っ、あ……、はい……勘違いでした……申し訳ございません」

 

 そう言って、カナエちゃんは頭を下げた。他人のふりだ。他人のふり。こんな変なことをしているカナエちゃんの仲間だと思われるのは、無惨様も困るのだろう。

 

「私もあなたが目指す世界には興味がある。心ばかりですが、これを……」

 

「あ……ありがとうございます……っ!」

 

 無惨様は、周りに馴染む努力を怠らない。カナエちゃんが貰ったお金は、私が預かるから、私のところに支援で出しているお金を減らせば帳尻が合う。別に問題はないのだろう。

 

「この会は……あなたが……?」

 

「いえ……たくさんの人に集まってもらえればと、提案してくださった方が居て……その人の支援のおかげで(ひら)けた会です」

 

「では、そのお金は……」

 

「全て、稀血の子たちを育てる資金になります」

 

「……ほぅ」

 

 面倒ごとは人間に任せて、自身はこういう場に出ればいいだけということか。

 その手際に私は感心してしまう。私の知らないところでカナエちゃんがこんなことをやっていたとは。

 

「では、私はこれで。まだ声をかけていない人もいるので……」

 

「ええ、応援しています」

 

「……!? はいっ!」

 

 そうして、カナエちゃんは去っていくが、去り際に私はカナエちゃんの背中を突っつく。恭しい口調を心がけて、と。

 

「……ふふ」

 

「……え?」

 

「月彦さんの妻のハツミです。私も応援していますわ」

 

「え……妻……? そう……なの」

 

 カナエちゃんは私を見て、少しあたふたしているようだった。私がここに居るとは思ってもみなかったのだろう。

 

「はい。私は月彦さんの妻なんです」

 

「…………」

 

 嬉しいから自慢しておく。この設定を知っている鬼は、あまりいないから、こういうときにでも言っておかないと、もったいない。

 

「ハツミ……彼女が迷惑しているだろう?」

 

「あっ、すみません……。では、頑張ってくださいねっ」

 

「……ええ」

 

 そうして、今度こそカナエちゃんは離れていった。また、集金活動に勤しんでいる。

 

 余った時間は、顔を広めるべくか、無惨様は色々な人とお喋りしていた。私は横で、無惨様のお顔を見つめているだけの幸せな時間を過ごしていた。

 

 夜が更ける前にと、私たちは抜け出して、帰る。とても素晴らしい一夜だったと思う。

 

 帰った後、私の体は無惨様に弄り回された。これで私は、無惨様のことを完全に受け入れたことになるそうだ。

 まだ、私の鬼としての強さが足りないから、完璧ではないらしいが、それもあと数回、無惨様から血をもらえば終わり。

 私と無惨様は、二つで一つになるそうだ。私はとても嬉しかった。

 

 

 無惨様から婚姻関係を解消しようという通知が届いたのが、その数日後。資産家の娘に取り入るらしい。私は悲しくて泣いた。




 (ハツ)()様は、縁壱と兄上の差がよくわかっていません。
 ちなみに、無惨様は新上弦の参に青い彼岸花の捜索を命じるのを忘れる痛恨のミスをしています。

 原作前の鬼側はこんなところで、時間を飛ばします。冨岡さんの回想を挟んで、次回、原作。


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幸せ

 幸せが壊れる時には、いつも血の匂いがする。


 雪、吹き荒ぶ中、歩いていた。

 

 あの、上弦の弐と、鬼になった胡蝶カナエ、その討伐についての柱合会議から、もう随分と経つ。

 最近、元号が大正へと変わった。

 

 蛇柱、伊黒小芭内の加入。そして、炎柱が煉獄杏寿郎に入れ替わった。まだ八人には届かず、上弦の弐の村への襲撃の目処は立っていない。

 

 真菰は順当に育ってはいるが、まだ自身を倒せない以上、水柱には不適任だった。

 十二鬼月の下弦の後半ならば、なんとか相手になるのかもしれないが、それまで。だが、きっと自身を超えて、立派な柱にいつかなってくれるに違いない。

 

 肝心の十二鬼月だが、不死川が下弦の弐を倒して以来、下弦の一体も討伐ができていなかった。

 ここまで厳しい状況は、自身が経験した中でも初めてだった。

 

 十二鬼月――この百年、上弦どころか、下弦の壱さえ打ち倒せていない。

 このままでは、鬼の始祖たる鬼舞辻無惨に届くなど、夢のまた夢……。とにかく今は、上弦の弐、それに鬼になった花柱を目標に、柱が育つことを待つしかない。

 

 鬼になった花柱だが、その血鬼術……それを受けた胡蝶しのぶは、今は牢から解き放たれていた。

 

 あれは、胡蝶が牢に繋がれてから、数週間が経った日のことだったか。

 

 本当に血鬼術が解けていないのか、御館様に言われ、面会の機会が設けられた。

 血鬼術をかけられた後の状況を知っている自分が、判断するのに適任だという話だった。

 

 相手の血鬼術の効力がわかれば、攻略も易くなる。年数が経てば、多少は上方に修正しなければならないが、それでも情報が何もないよりはマシだった。

 

 牢に繋がれ、胡蝶は憔悴し切ったように、地面に座り込み、項垂れていた。

 だが、そんな胡蝶はこちらの存在を確認するなり、顔を上げて言った。

 

「冨岡さん。実際に会った冨岡さんならわかるのでしょう? 姉さんは姉さんのままだった……っ! 姉さんは姉さんのままでっ、人を食べない鬼で……っ、鬼と人とが仲良くできる世界にっ……ぃ、導いてくれる!! はぁ……はぁ……」

 

 声を荒らげて、肩で息をしながら、胡蝶しのぶはそう伝えてくる。

 

「胡蝶、それはお前の幻想だ。お前は血鬼術にやられ、そう思わされている」

 

「ち、違う……ぅうっ!? 姉さんは私に、そんなことはしない!!」

 

「それは、お前がそう思いたいだけだっ!!」

 

「……!?」

 

「ああ、たしかに胡蝶カナエは立派な柱だった。鬼になっても変わらない――( )自分の姉が特別な存在だと、そう思いたいのだろう? だが、現実はどうだ? 鬼になった胡蝶カナエは、自らの力に溺れ、その歪んだ思想を周りに押し付けるだけの存在に成り果てた! 現実を見ろ、胡蝶!」

 

「うぅ……冨岡さんは……っ、冨岡さんは……!! 姉さんのことをしらないから、そんなことを……!!」

 

 胡蝶カナエのことを、誰よりも知っているのは、妹である胡蝶しのぶだろう。

 この件に関していえば、自身は部外者なのかもしれない。

 

 だが、鬼になっても自分の家族は特別だ、人を食わない、そう言って食われてきた人間を数多く知っている。胡蝶もそのはずだった。

 

「胡蝶カナエのことをよく知っているのならば、もう分かっているはずだ。都合の良い理想に浸る方が楽だからそうしているのだろう? あれから、蝶屋敷の隊士が何人死んだかお前は知っているのか? お前がこうしている間にも、鬼は人を食っているぞ?」

 

「……うぅ……」

 

「お前は()()()()()()()()()で、鬼殺をやめる覚悟だったのか? お前は鬼殺隊の隊士だ、胡蝶。本当は血鬼術など、とうに解けているのだろう?」

 

 胡蝶しのぶは、自身とは違い立派な鬼殺隊の隊士だった。

 どんなに辛いことがあろうとも、立ち上がる力がある。そんな人間だったはずだ。

 

「姉さんは……姉さんは……」

 

 受けた血鬼術など、きっかけに過ぎない。今まで胡蝶が姉を語るとき、まるで本気の目をしていなかった。

 あまり対話の得意でもない自分でも、それはわかる。

 あの血鬼術を受けたばかりのおかしな様子でもない。

 

「お前は血鬼術にかかっているフリをして……腐っているだけだ。用が済んだから、俺は戻らせてもらう」

 

 血鬼術が解けているとわかれば、もうここにいる意味がなかった。

 強い胡蝶のことだ。誰が助けるでもなく、一人で立ち直るだろう。

 

「ま、待ってください……冨岡さん!」

 

 早く御館様に報告して、鬼になった胡蝶カナエの対策をしなければならない。

 だというのに、胡蝶はこちらを呼び止めた。

 

「…………」

 

 振り返ると、なぜか胡蝶はこちらを強く睨んでいる。

 なぜそうなるのかが分からなかった。余計なことを言ってしまったのかもしれない。

 

「冨岡さんは……鬼と人とが、仲良くできると思いますか……!? 姉さんの理想が、叶えられると思いますか……!?」

 

「無理な話だ。鬼が人を喰らう限りは」

 

「…………」

 

 今度こそと、この場を後にする。

 

 胡蝶カナエの理想は耐えがたいものだった。

 人を食うような存在に生殺与奪の権を握らせるなどということは、断じて認められない。

 

 血を飲むだけと、あの鬼たちは言っていたが、人間を支配した後、掌を返さないとも限らない。

 鬼が人を喰らう限りは、人は鬼に怯え続けなければならない。鬼さえ居なければ、鬼に怯える必要もない。

 

 人喰いの鬼は全て滅さなければならなかった。

 

 そこから数日後、胡蝶は牢から解き放たれた。その際に御館様と話をしたようだった。

 

 今でも鬼と人と仲良くなりたいと触れ回るのは変わらずに、鬼殺隊の中での評判は、あまり良くない。

 だが、鬼を殺す毒の開発に加え、任務でも何十体も鬼を倒している。その実績から、鬼殺隊から追放するという話はなかった。

 

 胡蝶が何を考えているのかは分からないが、きっと自らの力で前に進んでいるのだろう。

 

 それからそうだ。上弦の弐の村から連れ出した二人のうち、生き残った方。稀血の少女は、あれから鬼殺の道を進むことになった。

 風の呼吸の育手のもと、鍛錬に励んでいると風の噂で聞いている。

 

「――頑張れ……!! 頑張れ、禰豆子……!」

 

 声がする。男の声だった。悲痛な声で叫んでいた。

 その声が、意識を現実に引き戻す。

 

 走る。走らなければ間に合わない。また何も守れない。

 

「鬼になんかなるな!! しっかりするんだ! 頑張れ!」

 

 目に入る。女が少年を組み伏せている。その気配は鬼のものだった。

 刀を構える。

 鬼ならば、頸を切るのみ。

 

 近づき、そして――

 

 

 ――庇った!?

 

 

 

 ***

 

 

 

「はつみさま、はつみさま」

 

「なあに?」

 

 そう言って近寄ってくるのは、実弥くんと()()の娘である(みの)()ちゃんだ。

 

 名前は()()が実という字を激しく推した。李は語呂の良さから私がつけて、そうなった。

 

 なぜ()()が実という字を気に入ったかは、まあ、私と実弥くんの名前からだろう。

 ちょっと、その推し具合に、実弥くんは引いていたけれど、妊娠直後ならよくあることだ。

 

「みのり、はつみさま……すき……!」

 

「そう、私も好きよ、(みの)()

 

 そして、ギュッと抱きしめる。

 

 この子の血の味はもう知っている。

 産まれて少ししてから、味見をさせてもらったのだ。

 それはもう、頭がスッと冷たくなって、それでいて意識がぼうっとする。

 

 一口だというのに、私は我を忘れてしまった。

 そのあとの記憶が欠けている。

 話によれば、笑顔のまま、定まらない視線で、ずっと座りっぱなしだったそう。

 

 鬼殺しとでも呼ぶべきか、無惨様に飲ませてもいいか、私は少し心配になった。

 

「とうとも、かあかも、きらい! つぼみのことばっかり……!」

 

 ()()と実弥くんの二人目の子供のことだ。

 弟が産まれて、あんまり構ってもらえなくなったからか、最近はよく私のところに遊びにくる。

 

「そう……? でも、ほら……小さい子は、目を離すと簡単に死んでしまうの……どうしても、心配になってしまうものよ?」

 

「はつみさまも、つぼみのほうが……いいのっ?」

 

「そうねぇ……私はとても長生きでしょう? 私にとっては二人とも、小さい子だから、二人とも、心配ってこと……」

 

「……うー」

 

 納得できないような表情だった。

 そんな(みの)()をなでてあげる。

 

「ふふ、一番がいいのねっ。まあ、あなたのことを一番に考えてくれる人は、いつか私が見繕ってあげるわ。だから安心しなさい?」

 

「……? はつみさまは?」

 

 どうやら、私の言っていることは、あまり理解されていないようだった。

 まあ、時間をかけて理解してくれればいい。

 

「そうね。じゃあ、アナタがここにいる間は……私がアナタのことを一番に考えてあげるわ?」

 

「……!? はつみさま……!」

 

 なんとか宥めすかそうとしたが、こうなってしまった。

 三人目も、もう()()のお腹の中にいるというのに、この調子だと、少し心配になる。

 

「今日は何する?」

 

「はつみさまと、おそとであそびたい!」

 

 太陽の下には出られないと、言ってあるはずなのだけれど。やはり何度も言い聞かせないと駄目なのか。

 

「ごめんね、(みの)()。私も外に出たいのだけれど、太陽の光に当たると、とても大変なことになるの。だから、そとは難しいかな」

 

 ここは日の光の当たらない部屋だ。少し薄暗いから、前まではロウソクを使っていたけれど、今は電気が通って、電気の灯りで部屋が明るい。

 

 火を使わないでも、こんなに明るくなるなんて、人間には驚かされる。血鬼術みたいだ。

 

「きょう、くもりだよ?」

 

「…………」

 

 外に、出たくない。

 曇りならば、確かに出られないこともないけれど、危険を犯したくはない。日に焼かれるか焼かれないかは雲の厚さにもよるし、いつ日が差すか怯えながら動くのは嫌だ。

 

「はつみさま……!」

 

「しかたがないわね。今日は特別よ?」

 

「やったぁ!」

 

 私は悩んだ。だが、この子がこうして目を輝かせて喜ぶ姿を見れば、この選択が間違いではないことがわかる。

 こうして毎日を幸せに生きてくれた方が、いい血になるのだ。

 

「ふふ、何をしたい?」

 

「たこあげ、したい!」

 

「凧揚げ? いいわよ。取りに行きましょう」

 

 あまり経験のない遊びだ。

 双六や花札は私の部屋に置いてあるのだけれど、さすがに凧ははなかった。

 遊び道具は一度に買って配ったりするから、備品庫には余ったものが置いてある。

 

 迷ったが、一緒に取りに行くことにした。小さい子だから、目を離した隙に何をするかはわからない。

 大抵、こういうときに子供は、備品庫に置いてあるいろいろなものに目移りをするのだけれど、今回は目当てなものに一直線だった。

 

「あがら、ないわね……」

 

 (みの)()は凧をずるずると地面に引き摺りながら、走っていた。

 かくいう私も、さっきから、凧は地面から離れない。何故だ。

 

「むぅ、みのりの、だめっ!」

 

 そうして、(みの)()は凧を地面に投げ捨てる。

 凧の方に問題があるのかと思い、何度か、備品庫の凧を交換したが、それでも上がらない。そういう問題ではないのだろう。

 

 一応、電線に引っかからないような場所を選んで遊んでいるけれど、その甲斐もなし。凧の残骸だけが積み上がるばかりだった。

 

 凧には風が大事だと、話には聞いたことがある。もちろん、無風ではない。なぜ、なぜ上がらない。

 

「あら……?」

 

 結界に鬼が入っていた。

 この気配は巌勝くんか。

 最近は、カナエちゃんに修行をつけるために、私の里に入り浸っていた。

 こんな真っ昼間から……曇りだからって、少し無用心だと思う。

 

 ちなみにカナエちゃんは、修行の末、痣をほとんど一日中現れたまま保てるようになった。透けて見えるようには、まだなっていないらしい。

 

「はつみさま……。ちがうのっ!」

 

 また、違う凧を持ってこようと、(みの)()はせっつく。

 巌勝くんのことよりも、こちらの方が重要なことだ。

 

「じゃあ、一緒にいきましょうか」

 

「えへへ……」

 

 往復すること、十回近く。

 子どもの体力では、きっと疲れてしまうから、私がおんぶをして運ぶ。

 

 備品庫で、選んで、持って、もう一度、凧揚げの場所に戻ろうとするときだった。

 

「奥方さま……すこしよろしいか……」

 

「あら、巌勝くん……どうしたの?」

 

 巌勝くんが話しかけてきた。

 この里に入り浸っていると言っても、用があるのはカナエちゃんに。私に話しかけることは、そんなにない。

 

 呼ばれ方は変わっていない。

 私は月彦さんの妻をやめて、今は愛人になった。資産家の娘に取り入り結婚したが、無惨様の説明によると、互いに形だけのものだそうだ。

 だから実質、無惨様の妻は私だ。何も変わっていない。だから、私の呼び方も変える必要はない。

 

 無惨様は折を見て殺して、私を妻に戻すとおっしゃってくれていたし……。

 あれから四年……なんの音沙汰もない。

 

 私の背中の(みの)()はというと、上弦の壱のその顔を見て、ギョッとしていた。

 

「おめめ……いっぱい……」

 

 そんな声にはさして反応を見せず、上弦の壱は用件を言う。

 

「沙華は……?」

 

「ああ……そういえば、昨日の夜から、帰ってきていないわね」

 

 お金集めでそれなりに忙しいようだし、帰ってこれない急な用事でも入ったのだろう。

 この暇人と、カナエちゃんは違った。

 

「ならば……やむなし……」

 

 なぜだか、この上弦の壱はカナエちゃんを強くしようとしていた。

 いまだに、カナエちゃんはまるで上弦の壱に敵う様子がないけれども、この男がいなければ、今ほどに強くなかったことはわかる。

 

 なぜ、この男がそんな自分の敵を作るようなことをしているのか、私にはわからなかった。

 

「はつみさま……いこ……!」

 

「ええ、そうね……」

 

 私はこの男に用事がない。

 私におぶられた(みの)()が急かす声に、私はうなずく。

 

「凧揚げか……。懐かしき……ものだ……」

 

 上弦の壱は、(みの)()の持つ凧を見つめながら呟いた。

 私は、足を止める。

 

「ねぇ……。すごくおかしな質問かと思うのだけれど、凧って、上がるものなのかしら……?」

 

 どうして、こんなものが空に上がるのか、私は不審に思ってきた。いや、空を飛ぶ船も見たことがあるし、飛んでもおかしくはないとは思うけれど、それでもやっぱり……認められない。

 

「……かしてみよ……」

 

「ええ……」

 

 促されるままに、凧を渡す。

 

 凧を受け取った巌勝くんは、クイっとして、バッとやって、そのまま数歩後退、凧が空に舞い上がった。

 

「凧を揚げることなど……さほど難しきことではない……。要領さえ掴めれば……誰にもできよう……」

 

「……!?」

 

 なんでもないことのように巌勝くんはそう言った。

 あんなに頑張ってもできなかったのに……。巌勝くんめ……。

 

 そんなことをしみじみと感じていれば、(みの)()が私の背中から降りる。

 そうして巌勝くんに近づくと、自分の持っている凧を掲げた。

 

「みのりのも、やって!」

 

「よかろう……」

 

「あ……少し待って……。電線に引っかかるといけないから、場所を移りましょう?」

 

「わかった……」

 

 障害物に引っ掛けずに、上がった凧を器用に手元に戻したら、巌勝くんは私に返す。

 なぜこんなにも簡単に凧を操れるのか、私は納得がいかないが、仕方ない。

 

 そこからそのまま(みの)()の手を引いて、開けた場所まで移動を始める。

 その途中、おもむろに巌勝くんに(みの)()が話しかけた。

 

「おめめ、いっぱい。なんで……?」

 

「鬼ゆえだ……。鬼には……目を増やすなど……容易い……」

 

「はつみさま、おめめふたつ……!」

 

 今度は私の顔を見て、そんな反応をした。

 私は少し立ち止まり、かがみ込んで、視線を揃えて微笑む。

 

「そうね、私は二つよ?」

 

「みのりとおそろい!」

 

「ええ、そうねっ」

 

 頭をなでてあげる。

 こんなことでも嬉しいのだろう。本当に幸せそうで、私も嬉しくなる。

 きっと、最高の美味しさにしてあげれるに違いない。

 

「異形の顔に……驚かぬとは……稀に見る……胆力……」

 

 あまり(みの)()には興味を見せなかった巌勝くんだが、どんな気まぐれか、(みの)()のことをそう褒める。

 

「……? みのりのとうと、かお、こわい……」

 

「そうか……」

 

 娘にそんなことを言われてしまって、実弥くんが可哀想だった。

 実弥くんは、今では穏やかな表情が多いし、出会ったときみたいに怖い顔をすることもあまりない。険がとれて、見ようによっては別人とも見違えるほどだった。

 

 ただ、まあ、顔についた傷痕が、子どもに怖さを感じさせるのかもしれない。

 

 ふたたび歩いて、あげられなかった凧たちが転がっているもとに着く。

 だぶん、巌勝くんの手にかかれば、こんな凧たちも揚げられるのだろう。

 

 着いたら、すぐに(みの)()にねだられて、巌勝くんが凧を揚げた。本当になんでもないことのようかに空に上がっていく。

 そうして、巌勝くんは(みの)()に糸巻きを渡すと、後ろから手を添えて、凧の操り方を教えていた。

 

 私は暇になったから、今度こそはと巌勝くんの真似をして、凧をあげようとしてみるが、出来なかった。

 私には才能がないのかもしれない。

 

「…………」

 

 凧をあげている二人をみつめる。

 (みの)()はすっかり巌勝くんに懐いているようだった。

 

 こんなことになるとは思わなかったけれど、別に悪いことじゃない。

 まあ、好きにやっていればいい。私も一人で勝手にやっている。

 

 しばらく揚らない私の凧を見つめて茫然としていると、少し雲の流れが怪しくなってきていると感じた。

 晴れ間が差すかもしれない。

 

 私は凧を揚げて遊んでいる二人に近づく。

 

「ねぇ、そろそろ帰りましょう? 太陽が怖いわ……」

 

「みのり、まだあそぶ……ぅ」

 

 困った。

 巌勝くんをみる。同じく困った顔をしている。

 

「わかったわ。暇な人を呼んでくるから、その人に一緒にいてもらいましょう。本当は一緒にいたいのだけれど、日が差すと無理なの……ごめんなさい。私は屋敷に帰るわ」

 

「……え……っ?」

 

 (みの)()は信じられないとばかりに私をみつめた。

 その後に、助け舟を求めるように、おそるおそる巌勝くんの方をみる。

 

「鬼ゆえ……日のもとにいることはできぬ……」

 

「……!?」

 

 そう言われ、(みの)()は顔を歪める。

 今にも泣いてしまいそうな顔だった。

 

 いったいどうして……!?

 

「み、(みの)()

 

「みのり……はつみさまと、すごろく……する」

 

 凧を投げ捨てて、(みの)()は私にギュッと抱きついてくる。

 凧は風に飛ばされる前に巌勝くんが掴んで、手繰り寄せていた。

 

「え……凧揚げはもういいの?」

 

「みのり、すごろくがいい……」

 

「そう……」

 

 少し不思議だったが、暇な大人を呼ぶ必要がないというのなら、それでいい。

 (みの)()の手を引いて、屋敷に向かおうとする。

 

「…………」

 

 (みの)()は私に手を引かれながら、もう片方の手で巌勝くんの手を引っ張っていた。

 巌勝くんも無言でついてきている。そうなるのね。

 

 散らばった凧は、後で手の空いている人に片付けさせよう。

 三人で屋敷に向かった。

 

 着いて、(みの)()の言った通り、双六(すごろく)をすることになる。やはりというか、(みの)()に連れてこられた巌勝くんも参加することになった。

 

「おかしいわよ……。これは……」

 

 巌勝くんの駒が、一番前で、終着駅手前だった。

 私は一番最後で、中間あたり。その二つ前の駅には(みの)()がいる。巌勝くんがいるのは、そのはるか先だった。

 

「ぜんぶ……ろく……」

 

 そうだ。(みの)()の言う通り、巌勝くんは、賽子(さいころ)で六の目しか出していない。

 

「イカサマしてるんじゃないでしょうね……!?」

 

 賽子を振って、ぜんぶ六だなんて、ありえない! そうとしか考えられない!

 イカサマって、どうやったらできるのか知らないけれど、絶対そうだ!

 

「双六は……望む目を出すことも……勝負の内……。イカサマなどでは……ありはせぬ……」

 

 そう言って、巌勝くんが賽子を転がすと、四が出る。過不足なく終着駅に着き、完全にあがりだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 (みの)()と二人で巌勝くんのことを呆気に取られて見つめていた。

 やはり、納得がいかない。

 

「ねぇ、巌勝くん。三よ! 三を出しなさい!」

 

「…………」

 

 無言のまま、巌勝くんが賽子を手に取って、転がす。

 一瞬の緊張の後、転がった賽子が止まる。

 

「さんだっ!」

 

 (みの)()の言った通り、その賽子は三の目を上に向けて止まっていた。

 

「…………」

 

「に! にぃだして!」

 

「見ていろ……」

 

 なんでもないふうに、巌勝くんは賽子を振って、結果、二が出る。自然な賽子の投げ方でそうなる。

 なにか特徴的な投げ方をしているとか、そんなことはなかった。

 

「みのりも、やる! にぃ出す!」

 

 そうして、(みの)()は賽子をとって、振る。五の目が出た。二は出なかった。

 

「むぅ……」

 

「励む……ことだ……」

 

 (みの)()の双六の駒を、五つ進める。まあ、二が出るよりは五の方が多く進めるから、結果的には良かったはず。

 

 今度は私が賽子を振る。一が出た。いろいろあって、二つ戻った。

 

「はつみさま……だめだめ……」

 

「ええ、そうね」

 

 (みの)()にはそう言われてしまったが、別に私は勝ちたいわけではない。

 (みの)()を楽しませるための遊びだ。負けたからといって、どうとなるわけでもない。別にいい。

 

 そのまま差が縮まることなく、(みの)()の駒が終着駅に到達した。

 私は最下位だった。

 

 私が終着駅に着くまで、二人に優しく見守られた。

 

 そこから何度か、双六で遊んだが、巌勝くんが一位で、(みの)()が二位、私が最下位という順位は変わらなかった。

 何というか、今日は運が悪い日なのだろう。

 

 (みの)()が巌勝くんに、どうしたら賽子の目が自由にだせるかコツを聞いて、練習をしている頃だった。

 

「もう、日暮れかしら……」

 

「……!?」

 

 小さな子供を抱えた実弥くんと、その後ろにくっ付いた()()が私の部屋にやって来ていた。

 

「みのり、ご飯ですよ! 帰りましょ!」

 

 二人の姿を見るなり、(みの)()は賽子を投げ捨てて、私の後ろに隠れる。

 

「やだ! みのり、はつみさまのところに、ずっといるぅ……」

 

「あらあら」

 

 それを聞いて、実弥くんは眉を顰めた。顔が怖いと、(みの)()がそう言っていたことが思い出せる。

 

「みのり。ハツミ様に、あんまり迷惑かけるんじゃねぇ」

 

「やだ。みのり、はつみさまのこどもになる」

 

 思ったよりも、頑なに(みの)()は二人に逆らおうとしていた。

 

「みのり。みのりは、さゆとさねみさんの子どもです。(はつ)()様の子どもなら、さゆ――( )

 

「――ハツミ様からも、何か言ってください」

 

 ()()の台詞を遮って、実弥くんは、私に助けを求めた。

 やれやれと言ったところか。

 

 (みの)()の頭をなでてあげる。

 

(みの)()。この屋敷には、人を食べる怖い鬼が出るわ! 本当に残念なのだけれど、帰った方がいいの」

 

 カナエちゃんと遭ってしまったら、どうなるかはわからない。私の方が強いのは当然だけれど、最近はカナエちゃんも強くなったから、本気を出されたら、止められるかは不安だった。

 

「みのり、たべられる?」

 

「ええ。みのりはとても美味しいから、殺されて食べられちゃうわ」

 

「……!?」

 

 私がそう言えば、(みの)()はすっかり怯えてしまう。

 これで、納得して帰ってくれればいい。

 

「ふふ、じゃあ、(みの)()。お(うち)に帰ってあげなさい?」

 

「はつみさま……たべられない?」

 

 必要がないのに、私の心配がされた。

 そういうことが気になってしまうのね。ええ。

 

「私のこと、食べてもあまり美味しくないの。それに、その鬼とは仲がいいからね……ぇ」

 

「……!? ……みのりより……?」

 

「同じ鬼だから……ええ……まあ……比べるものではないわ」

 

「……?」

 

 なんというか、私が鬼にしたからというか、同じ未来を目指す腐れ縁な感じだろう。

 

 お金を入れてくれるようになってから、だんだんとカナエちゃんの飲み方が酷くなってきているような気がする。

 本当にいつか我慢できなくなって、里の子を食べてしまうんじゃないかと私は心配だ。

 

 それを考えると、頭が痛くてどうしようもない。

 どうして、私の飲み友達はこんなふうなのだろう。

 

「みのり。ハツミ様と一番仲が良いのは、さゆ――( )

 

「みのり、帰るぞ」

 

 状況にそぐわないことを言い出そうとした()()を制止して、実弥くんが割り込み、促した。

 

「や、やだ。みのり、はつみさまといっしょにいたいっ」

 

「わがまま言うんじゃねぇ……。このまま連れて帰るぞ……」

 

「やぁ、だぁ」

 

 本当に今回は強情だった。テコでも動きそうにない。

 そんな(みの)()を宥めようとしているのは実弥くんばかりだ。()()はといえば、幸せそうに実弥くんにくっ付いていた。

 

 なんというか、()()は自分の子どもよりも、実弥くんの方が好きなキライがある。見ていれば、なにをするにもベッタリだった。

 

 そのおかげか、思ったより子どもができる間隔が短いから、その点は良いのだけれど……基本的にそういう場合は、疎外感を覚えるからか、子どもがあまり幸せにならないことが問題だった。

 どうしようか。

 

 まあ、今は下の子のせいで親に構ってもらえていないと(みの)()が思ってしまっている状況を解決するほうが優先だ。()()のことはそういう話が子供たちから出てきてそれからどうにかしよう。

 

(みの)()。また明日も会いましょう? 一晩よ? 一晩、我慢すればいいの。大丈夫よ?」

 

「みのり……。ずっと、いっしょがいい……」

 

 ぎゅっと(みの)()は私にしがみつく。

 困った。

 

(みの)()。夜になれば里の外に出かける用事が私にはあるの。(みの)()はまだ小さいから外に連れて行くことはできないわ。だから、ずっと一緒にいることはできないの」

 

「う……ぅ」

 

「ふふ、大丈夫。一晩なんて、(ねむ)ればすぐよ……? 朝になったら、また私のところに来ればいいわ」

 

「…………」

 

 (みの)()は黙り込んだ。

 なにか私に伝えたそうな表情だった。今までの経験から、この子がなにを言いたいのか汲み取る。

 

「そう……(みの)()は今がいいのね……。ええ、わかるわその気持ちは……。本当だったら私もあなたと一緒にいたいのだけれど、それだと、この里のお金がなくてなくなってしまうの。そうしたら、ご飯も満足に食べられなくなるわ。お腹が減って、みんな死んでしまう」

 

「はつみさま……ぁ」

 

「大丈夫よ。また明日、会えるのだもの……。それまで、少しの我慢よ……? 私も我慢して頑張るわ」

 

「…………」

 

 ギュッと(みの)()のことを抱きしめる。

 

 ふと、視線を感じた。()()が恨めしげにこちらを見ていた。

 そんな()()のことを実弥くんが呆れたように小突くと、ハッと我に帰ったように、()()は実弥くんの腕に抱きつく。

 

 なにをしているのだろう。

 

「さ、帰りましょう? 日も落ちているみたいだし、家まで送って行くわよ?」

 

「……うん」

 

 そうして、(みの)()のことをおぶる。

 そしたら、実弥くんが何か言いたげに近寄ってくる。言うまでに一瞬の迷いがあった。

 

「ハツミ様。みのりのことを甘やかしすぎじゃあ、ないですか?」

 

「……えぇ」

 

 そんなつもりはないのだけれど。私の完璧なこの対応が、間違っているとでも言いたいのだろうか。ありえない。

 

「そうですよ? (ハツ)()様はみのりのことを甘やかしすぎです」

 

 得意げに()()はそう言った。なんだか、それは納得がいかない。

 

()()。あなたの時も、同じような感じだったはずなのだけれど……? (みの)()はあなたにすごく似てるわよ?」

 

「さゆ。お前も甘やかされすぎだ」

 

「かあか……ずるい」

 

「……!? そんな……」

 

 そうして、()()は目に見えて肩を落とした。

 

 ふと、部屋の隅で静かに座っていた巌勝くんに目をやる。

 特に言いたいことはなさそうだった。

 

 まあ、巌勝くんはカナエちゃんと違って理性ある鬼だから、急に襲っては来ないだろうし、いいか。

 里一番の血の良い家族を前にしてもこの通りだ。正直、希血を前に理性を失う姿は想像できない。カナエちゃんとは大違いだ。

 

「行きましょうか……」

 

「さよなら……めだまのひと……! すごかった……」

 

「懐かしき頃を思い出す……良き日だった……。達者で過ごせ……」

 

 そうして、巌勝くんとは屋敷で別れた。

 ここでは、駄々を捏ねずに、すんなり別れてくれるから、手間がなくてよかった。

 巌勝くんには懐いてはいたが、それほどではなかったのかもしれない。

 

 そうして歩いて、(みの)()の家に着く。

 本当の別れはすぐにやってくる。

 

 別れ際、(みの)()は私に抱きついた。

 

「はつみさま……。すき……」

 

「私も好きよ。(みの)()

 

 頭を撫でてあげる。

 そうして、私は(みの)()から離れる。

 

「はつみさま……うぅ……じゃあね」

 

「ええ……さようなら……」

 

 泣き出しそうな(みの)()に別れを告げる。

 なんだか、今生の別れみたいで面白かった。ああ、子どもというのは、一瞬一瞬をとても大切に生きているのだろう。

 

 長生きしすぎている私からしてみれば、少しだけ……ほんの少しだけ羨ましいかもしれない。

 ――いや、そんなことはないか……。

 

「あらあら……?」

 

 帰り際だった。私の結界が反応をする。

 こっちの結界じゃない。鬼殺隊の最終選別の会場――( )藤襲山に張った結界。それが反応した。

 

 この反応は……なえ……?

 こうじろうくんは、近くにはいないみたいだ。

 

 あれからかなりの時間が経つ。まだ生きていたことに、感動を覚える。

 感慨に浸っている時間はない。急がないと。時間が経てば経つほどに、稀血に誘われた選別の鬼に食べられてしまう可能性が上がっていく。

 

 さっと、琵琶の子に連絡をして、空間を転移させてもらう。

 琵琶の音とともに、最終選別の会場に着いた。

 

 手っ取り早く人間に擬態して、なえのもとを目指す。

 感知は良好だ。少し歩けば、なえのもとに着ける。せっかくだから、気配を消して、後ろから近付く。少しだけ、驚かせてあげよう。

 

 うん、気付かれていない。

 目の前に、いつ鬼が出るかと緊張し、周囲を警戒しているなえが見えた。

 歩調を上げて距離を詰めて、肩を掴む。

 

「……っ!? あなたは……?」

 

「私よ、私。久しぶりね。もう四年になるの……。今までの日々がとても長く感じられるわ……。ああ、片時もあなたのことを忘れたことはなかった……。こうしてジッと耐えて待った甲斐があったものね……ああ……よかった……」

 

「…………」

 

 なえは、眉を顰めて、困惑をしている。

 

「ああ、もしかして……私のことを忘れてしまった? そうね……四年も前……子どもなら、それでもおかしくはないわよね……ええ。大丈夫。恥じることはないのよ。それとも、そうね……こっちの姿の方がわかりやすくて良いかしら」

 

 そうして、私は擬態を解く。

 

「……!?」

 

 その姿に、なえは目を見開いた。

 

「久しぶりね、なえ。元気そうで、本当に良かった。……何度、もう駄目かと思ったことか……。諦めが肝心とも言うけれど、諦めないことも、時には重要ということね。ああ、生きていてくれてとても嬉しい……さあ、帰りましょう?」

 

「『上弦』の……ッ、『弐』ぃいィイッ!」

 

 ――『風の呼吸・壱ノ型 塵旋風・削ぎ』!!

 

「……えっ?」

 

 感動の再会だというのに、私を私だと認識した瞬間になえが放ったのは斬撃だった。

 風の呼吸と言ったが、柱だった実弥くんの使っていた技よりは、幾分か(つたな)い。

 

「……っ!?」

 

 斬撃は避けて、なえの首根っこを掴んで地面に叩きつける。

 手加減、手加減。

 今は素面(すめ)だから、手加減も完璧だ。カナエちゃんの時のように、身体の一部が切り離されて飛んで行くこともない。

 

「ねぇ、なえ。私に攻撃なんて、どういうことかしら……? ああ、どうしてこんな乱暴になってしまったの……? こんなことをあなたのお母さんと、お父さんに伝えたら、きっと悲しくて泣いてしまうわ……? ああ、きっと、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「黙れ……っ! 黙れ……っ! お前が……お前が……ぁああ」

 

「そういえば、なえ、あなたに妹ができたのよ? 名前は、まいって言うの。里もお金が前よりも入ってくるようになったから、子供もたくさん育てられるようになった。あなたの姉のいなほも、祝言をあげて、今は妊娠中ね。でもやっぱり、あなたがいないから、あなたのお母さんとお父さんに、お姉さんはとても寂しい思いをしているわよ? ()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

「お前……ェエエ!!」

 

 なぜか、私の話を聞くたびに、なえは顔を赤くして激昂した。

 意味がわからなかった。

 そして、私は一番に気になったことを問いかける。

 

「そういえば……こうじろうくんは、どこかしら……? あなたと一緒に拐われたこうじろうくんよ。()()()()()()()()? しっているのなら教えて欲しいのだけれど……」

 

「……!?」

 

「ねぇ、知らない? 知らないなら、仕方ないわ……知っていると思ったのだけど……残念ね。知らないなら今は諦めるしか――( )

 

「――ふざけるなっ!! こうじろう()ぃは死んだ!! お前の呪いのせいだ!! お前の呪いのせいで、こうじろうにぃは死んだんだっ!? こうじろうにぃが死んで、私だけが生き残った! どうしてっ!? どうして私だけ……っ」

 

 呪い? なんのことだろう。呪いなんて、かけた覚えはない。私の血鬼術にそんなものはない。なにかの喩えか……それでもわからない。

 まあ、いいか。

 

「そう、こうじろうくんは死んだのね……? ええ、とても残念だわ……。ああ、とても残念……なえとは良い夫婦(めおと)になると思っていたのに……。でも、大丈夫……! ()()()()()()()()()()()()()っ。きっと、家族のみんなといれば、あなたも、幸せになれる!! 家族って素晴らしいものね」

 

「なにを言っているの……!? 残念? 殺しておいて……? それに、私の結婚相手……? それで私が幸せ……? ふざけないで……!?」

 

 なえは私に抑えつけられながらも暴れる。

 困った。

 すぐに連れて帰ろうと思ったのに、これでは帰った後も暴れられてしまうかもしれない。できればここで説得したいのだけれど。

 

「ああ……鬼狩り達に育てられたから、こんなにも悪い子になってしまったのね……」

 

「鬼……ぃ! ふざけるな……っ! 私の恩人達をっ、悪く言うな……っ!」

 

 ああ、なえは、異常者どもに躾けられてしまったのか……。拐った相手に懐くだなんて、どうかしているとしか言いようがない。

 

 きっと、家族のもとに戻れば、我を取り戻す。そうに違いない。

 

「帰りましょう、なえ。あなたは鬼狩りでなんているべきではないわ。家族のみんなが待っている……! ずっと、待っていたの! さあ……」

 

「私は、帰らない! 鬼は、みんな、滅ぼす! あなたも含めて……! 私の本当の家族は、鬼狩りのみんな!! あなたに飼われる生活なんて……二度とごめんよ!!」

 

「えぇ……」

 

 意味がわからなかった。

 なぜ、命をかけてまで、鬼を滅ぼそうとしているのか、私には理解できない。

 

 ちゃんと、家族にも会えて、幸せに生きられるだろうに。

 

 記憶を消そうか……いや、消す記憶の調整はうまくできないから、両親の記憶まで消えてしまう。

 そうなれば、なえの周りが悲しんでしまうのは必定。やっぱり、ちゃんと説得しないと……。

 

「死んでも、あなたなんかには頼らないわっ! いまさら……っ、いまさら現れて……ぇえっ! もう二度と……っ」

 

 泣きそうな顔でなえは言う。

 なにを悲しんでいるのか私にはわからなかった。里の子ならわかるのだけれど、異常者に染められた以上、私にはどうしようもない。

 

「そうだ……カナエちゃんを呼んでこよう。カナエちゃんなら、きっと、説得できるわ……!」

 

「……!?」

 

 異常者には異常者をぶつけるのがいいだろう。

 それに、カナエちゃんなら、うまく説得してくれると、確信があった。

 無惨様が言うには、こういうのに、カナエちゃんの血鬼術は最適らしいし。

 

 そうと決まれば、カナエちゃんと連絡を取らなければいけない。カナエちゃんは、今どこにいるだろう。

 

「……?」

 

 私たちのもとに、人間が近づいていた。

 明確に、こっちを目指していた鬼狩りがいる。

 

 確かに近づいていたのだが――( )声が届く範囲――( )こちらから見えない位置で、止まった。

 今はなえと大切な話をしている。邪魔をされるのは面倒だ。

 

「…………」

 

「そこに居るのでしょう? 顔くらいは見てあげるから、出てきなさい?」

 

 結界で、無力化するのは簡単だが、なんとなく興味が湧いた。どうして、迷わずにここを目指したのか、理由も聞きたい。

 

「逃げて……っ!? 見習いのあなたに勝てる相手じゃないわ……っ! 狙いは私……っ! 逃げるの! 麓まで……藤の花の向こうまで……! 走って、逃げなさい……!!」

 

 なえがそう喚く。

 まあ、逃げてくれるのならそれでいい。別に血鬼術を使わなくて済むのならば、それにこしたことはないわけだし。

 少し疑問は残るけれど、それは大したことではない。

 

「…………」

 

 ガサリと、草木を分け入る音がする。

 どうやら、隠れていた人物は、逃げるよりも姿を現すことを選んだらしい。

 

「バカ……っ」

 

 その行動に、なえはそう溢した。

 まあ、結界が張ってあるから、逃げてもそう変わらないのだけれど……。

 

「この、濃い血のにおい……。禰豆子を鬼にしたやつに似てる……! 何なんだ、お前は!」

 

 赤みがかった黒髪に、目をした少年。額には、傷痕。青みがかった緑に黒の市松模様の羽織を着ている。

 手には抜身の青い刀身。

 

「うそ……でしょ?」

 

 なにより目立つのはその耳飾り。

 花札のような形で、憎らしいほどに燦然と輝く太陽が描かれている。

 

 忘れもしない……紛れもなく、縁壱と同じ……。

 

「……っ。……!! 鳴女ちゃんっ!!」

 

 私は全力で逃げた。




 次回、VS炭治郎。
 ちなみに、魃実様は戦いません。


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価値観

 食べ納め。葬式の時、里のみんなの前で私は死んだ人を食べる。もうこの味が楽しめないことが分かると、私は悲しくて、涙を流してしまう。


「し、死ぬかと思ったわ……」

 

 琵琶の子の血鬼術によって、逃げのびた私は、すぐに無惨様の元へと向かった。

 

 約束なしで会うには、しばらく待たないといけないが、そうも言ってはいられない。

 鬼の身体能力を駆使して、屋敷に侵入する。

 

(ハツ)()……何の用だ……?」

 

 私が来ることを無惨様は察していたようで、部屋は人払いがなされていた。さすがは無惨様だ。

 

 だが、感心している余裕はない。もう一息に伝えるしかない。

 

「無惨様! 逃げましょう! 海の向こうに行けば、きっと、追っては来れないはずです……!! 今、すぐ!」

 

「……何の話だ……?」

 

 無惨様は、その綺麗なお顔に苛立ちを見せた。

 ああ、どうすればいいのだろう。

 

 早く、早く逃げないと……。今の時代なら、簡単に海の向こうに行ける。海の向こうはとても広いという。海の向こうに行けば、きっと、見つからない。それなら、怯える心配もない。昔みたいに隠れてビクビクしている必要もない。

 

「あぁ……。あぁ……!! 早くしないと……。早く……。早く……」

 

(ハツ)()。何があった? 何だという……」

 

「あぅ……!?」

 

 無惨様が、私の頭をいじくると、ついさっきの記憶が思い起こされる。ついでに縁壱のことも思い出した。

 

「……!?」

 

 無惨様は尻もちをおつきになられた。

 

「無惨様。逃げましょう!! 今なら……まだ……まだ……間に合います!」

 

 グイと無惨様の両手を掴んで迫る。

 あんなのがのさばる国に、無惨様を置いておけるわけがなかった。

 

(ハツ)()。あんなものが、そうそう産まれるわけがない。冷静に考えればわかることだ。なぜ、お前にはそれがわからない? お前は自分の村で役割を果たせ」

 

「……!?」

 

 だが、私の言葉を否定して、無惨様はそうおっしゃられた。

 確かに、耳飾りが同じだっただけで、こうして逃げて報告したのは早計だった。ああ、まだ不確かな情報で、無惨様のお手を煩わせるだなんて、どうしてこんなにも愚かなことをしてしまったのだろう。

 

「まあ、いい……」

 

 無惨様が指を鳴らした。

 同時に、鬼が二体、やってきた。女と男の鬼だった。

 

「…………」

 

「耳に花札のような飾りを付けた鬼狩りの首を持ってこい」

 

「…………」

 

「いいな?」

 

「……御意」

 

 そして、琵琶の子の血鬼術で、二体の弱そうな鬼たちは目的地に転移させられそうになる。

 私は少し待ったをかけた。

 

「ねぇ、たぶん、その男の子と一緒にいる女の子は殺しちゃダメよ? 生け捕り! 生け捕りにするのっ! お願いねっ?」

 

「女……?」

 

 首を傾げられた。

 そうだ、これでは情報が少なすぎるかもしれない。違う女の子が合流してたら、そっちも捕らえないといけないだろうし、大変だ。

 

 なえの身体的特徴を言わないと。

 私は頭を捻った。

 

「そうね……ぇ。ええ……(とし)にしたら、胸が大きい女の子よ? ええ、たぶん……」

 

 私の里の女の子は、外の子よりも胸の膨らみが大きい傾向があった。ちゃんとしたものを食べているからだと思う。それと、そう。気のせいかもしれないが、幸せな子ほど、大きくなる気がする。

 

 なえは、数年前に拐われたけれど、もうその時には十分だった。そこから順当に歳を重ねて成長しているようだったから、普通の子よりも大きさがある。

 

 これで、この弱そうな鬼たちも、なえのことがわかるはずだ。

 

「……なぜ、お前の言うことを聞かねばならぬ?」

 

「……!?」

 

 口答えをしたのは、女の子の鬼だった。

 私は困惑した。

 

 力の差がわからないのだろうか?

 隣にいた男の鬼に視線をむけてみる。

 

「…………」

 

 なんというか、肯定も否定もせず、我関さずといった雰囲気を出している。その態度には少し腹が立った。

 

 まあ……まず、私に口答えをした方からだ。

 どうして私を軽くみるのか。

 

「どうやら……アナタは自分の立場がわかっていないようね……?」

 

「……!?」

 

 腕を一本奪った。こんな鬼、これで充分だろう。

 

(ハツ)()……部屋が汚れた」

 

 私の血鬼術でチクチクと攻撃しているせいで、女の鬼の傷口からは血が流れ落ちるばかりだった。

 

「あぁ……っ、申し訳ありませんっ! この鬼が無礼なばかりにっ!? ついっ!! すぐに綺麗にします!」

 

 結界用の分身を作って広げる。

 床に染みついた血を私の分身に吸い上げさせれば、部屋は途端に綺麗になる。

 

「止まらない……!? あぁ、血が……私の血が……ぁ」

 

 一向に治らない傷に、女の鬼はうろたえているようだった。良い気味だ。

 

 その力の源は血。いくら不死の鬼といえども、血を失えばどうしようもない。

 

「……少しは反省できたかしら?」

 

「……あ……ぁ」

 

 女の鬼は、床に倒れ伏した。根性のないやつだ。

 

「ふん……」

 

 無惨様が腕を異形化させ、女の鬼に振るう。

 女の鬼は、無惨様の腕に喰われて、居なくなってしまった。まあ、あの調子だったら役に立たなかっただろうし、殺されても当然ね。

 

 私はもう一人の鬼の方を向いた。

 

「次はアナタね……」

 

「私は貴女様の御命令に従う心算でございました……」

 

 恭順の姿勢をこの鬼は示した。私の力を恐れてだろう。

 

「調子が良いわねぇ。だったら、なぜ、あの女の鬼を諫めなかったのかしら? ねぇ、私、アナタに視線を送ったわよね? その意味を察することくらい簡単だったと思うのだけれど……つまり、心の中ではあの哀れな女と同じ意見だったということよね? ああ、私は悲しいわ……」

 

「滅相もございません」

 

「あぁ……アナタも口答えをするのね……。お仕置きはしないでおこうと思ったのだけれど……酷いわ……っ、私の心遣いを無駄にするのね……」

 

「…………」

 

 男の鬼は黙り込んだ。

 さっきの女の鬼と、私は同じようにしようとする。

 

 不意に、無惨様に肩を掴まれた。

 

(ハツ)()。そのあたりにしておけ」

 

「……あっ」

 

 無惨様のお手を煩わせてしまった。

 私が無用なことをしてしまったせいだ。後悔する。

 

「矢琶羽、私の血をわけてやる。お前は今日から十二鬼月だ。これからも、いっそう私のために励め」

 

「……うぅ……ぐぁ」

 

 無惨様にぞんざいに血をかけられて、男の鬼は苦しんでいた。

 そのまま、琵琶の子の血鬼術で、目的地に送られていく。

 

 そして、私と無惨様が部屋に残った。

 

「無惨様……十二鬼月というのは……?」

 

 十二鬼月と言っても、目玉に数字は刻まれはしなかった。最近は下弦でも十二鬼月の鬼が死んだという話もない。

 

「嘘に決まっているだろう? 適当に煽てておけば、従順になってくれる。その方が都合が良いだろう、(ハツ)()

 

「はい、流石です! 無惨様!」

 

 私には思いつかない素晴らしい策謀だった。さすがは無惨様だ。

 

 あの鬼が向かったであろう結界の中に意識を向かわせる。

 あの耳飾りの剣士もこの結界で仕留められればいいのだけれど……。

 

 最初に会った時は逃げること優先だった。攻撃に意識を削いだら一瞬で頸に刃が届いている可能性もあったわけだ。

 改めて、耳飾りの剣士を探す。

 

「あら……?」

 

 見つからない。それどころか、なえの反応もない。

 

 この短時間で、結界の外に……いや、無理だろう。結界はそんなに狭くない。そうなると、なんらかの手段で私の感知を躱している?

 

 ――まさか……っ! 耳飾りの男の子が……なえを抱えて……っ、縁壱みたいに……ものすごい速度で……。

 

「…………」

 

 無惨様のお顔を伺う。

 私の思考を読んだのか、険しい表情をしていらっしゃった。

 

「まあ、いい。矢琶羽を送った。奴の視界を見ればわかることだ」

 

「はい……」

 

 私も無惨様にご一緒させてもらって、ことの成り行きを見守っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「逃げるわよ……!」

 

 手を引く。そして私は走り出そうとする。

 

「ま、待ってくれ……」

 

 私の力には引き摺られず、逆に引き止められてしまう。

 なぜ、あの鬼がこの子を見た瞬間に、血相を変えて逃げて行ったかはわからないけれど、これは好機だった。

 

 二度目はない。

 あの鬼と、自身との絶望的な力の差は、さっき、わかった。

 

「逃げるの! 山の麓まで!! アナタも見たでしょ、さっきの鬼を!」

 

「山の麓まで逃げたら、選別は失格だ。それに、さっきの鬼はなんだったんだ?」

 

 状況がわかっていないのか。いや、狙われているのは私で、この子は巻き込まれただけ。

 おかしいのは私で、この子の反応は間違いがなく普通。

 

「わかったわ。ええ、私がこの試験を降りれば済む話ね。もし、さっきの鬼に会ったらすぐに逃げる――( )

 

 ふと、男の子が付ける耳飾りが目に入った。

 燦然と輝く太陽が描かれた、花札のような耳飾りはまるで……まるで……。

 

「……?」

 

「……その耳飾り、あなた、どこで……!?」

 

 村の伝承にあったものとそっくりだった。

 ああ、一度あの女を殺す寸前まで行った鬼殺の隊士。その人が身につけていたものと同じ。

 

「これは、ずっと受け継いできた大切なものなんだ。それと、あの鬼はなんだったって、どうしてきいたことに答えないんだ?」

 

「ずっと……? もしかして……ええ……もしかして……あの女が追い詰められた時代から……? ずっと……。すごいわ! すごい! きっとあなたが、あの女を……そして鬼舞辻無惨を倒す……選ばれた人間なのねっ!」

 

「待ってくれ……俺は竈門炭治郎だ! さっきから、何を言っているのか、まるでわからない」

 

 ああ、きっと、これは運命だ。

 あの女の命もこれまで。きっと、この子が滅ぼしてくれる。

 

「ええ、私はなえよ? あの女は十二鬼月の上弦の弐。眼に刻まれていたでしょう?」

 

「十二鬼月……? 上弦……?」

 

「まあ、簡単に言えば、上から数えて三番目に強い鬼よ?」

 

「三番目……!? そんな鬼がいる中、生き残らないと、選別は合格できないのか」

 

 話が食い違った。

 この男の子は、育手にあまりよく選別のことを聞かされていないのかもしれない。

 

「そんなわけないでしょう? こんなところにいるのがおかしい! 上弦の弐は、何百年も人を食い物にして生き長らえてきた鬼よ!」

 

「何百年……!?」

 

「ええ、何百年……その時間の中で人の村を支配して、その村の人間を食べて力を付けてきた……」

 

 忌々しい鬼。

 鬼舞辻無惨に与する邪悪な鬼で、私の仇……。いつか、あの鬼を倒すために私は力を付けた。

 あの鬼にいくらか効果がある風の呼吸を習ったのも、そのため。

 

「どうしてそんな鬼が、選別にいるんだ?」

 

「私を狙ってよ……? 私はその村から逃げてきたの……鬼殺隊の人に助けてもらったわ」

 

 鬼の呪い……呪い。

 鬼殺隊の偉い人が言うには、あの鬼の力によって、村の人は村から出ると死ぬようになっているらしい。

 私が死ななかった理由は、よくわからないけれど、運が良かったからと言われた。

 

 村の人は、生きているだけであの鬼を助けている。人喰いの悪鬼に加担し、生きるだけで罪を重ねている。それ以外に、生きる道はない。あの鬼と一蓮托生の関係な以上、死ぬこと以外に救いはない。

 

 私は覚悟を決めている。

 

「鬼は藤の花が苦手なんじゃ……こんなところまで追ってくるのか……? しつこいなっ!」

 

「私が鬼殺隊になるために、選別に出るとあの鬼は予想して、ここで見張っていたのだと思うわ。この場所で選別が行われるって、バレていることになるけれど……」

 

「……!?」

 

 これは問題だ。

 十二鬼月にバレているのなら、鬼舞辻無惨にもバレていると思っていい。これからは邪魔をされ続けるに違いない。この場所ではもう選別はできなくなる。

 

 この場所が分かっていたなら、なぜ今までちょっかいを……いや、私が来るまで待っていた……?

 

「何にせよ、偉い人にこのことは報告しなくちゃならない。あの鬼の狙いは私だったから、今回は選別自体はどうってことないかもしれないけれど、アナタもあの鬼に、きっと狙われる!」

 

「俺が……どうして……」

 

「その耳飾りよ! その耳飾りは、あの女を追い詰めた伝説の鬼狩りと同じもの!! 是が非でも、あの臆病者の女はあなたを殺したいはず!!」

 

 あの女の反応を思い出す。

 最初はこの男の子を見た瞬間に逃げたと思ったけれど、違う。今ならわかる。この耳飾りを見た瞬間に逃げたのだ。

 

 あの女が、今でも鬼狩りに殺されかけた悪夢に魘されていることは、村の誰もが知っている。

 

「……!?」

 

「ねぇ、あなた。その耳飾りの他に、なにか御先祖様から受け継いでいるものってないかしら? 例えば……あの女を殺せる剣技だとか……!」

 

「神楽なら……いや……でも……」

 

 要領を得ない様子だった。

 かぐら……かぐら……聴き慣れない言葉だが、なんだろう。私の知識にはなかった。

 

「とにかく……この山から逃げるわよ! また、いつあの女が現れるかわからない。それとも、あなたは勝てるかしら……?」

 

「……!? ……気持ちなら、負けないぞ」

 

「……そう。行くわよ!」

 

 この男の子の実力はわからなかったが、逃げた方が良さそうだった。

 この男の子が、あの女を倒す力を受け継いでいるとしても、それが完成する前に、あの女と戦わせて殺されてしまえば元も子もない。

 

 手を引いて走り出す。

 今度こそ、竈門炭治郎はついて来てくれる。

 

 そうして、しばらく経った時だった。

 

「そういえば、少し気になることがあるんだ」

 

「何かしら?」

 

「この山に入った時から、あの鬼の匂いがしてた」

 

「匂い……?」

 

「俺は他人よりも鼻が良いから……」

 

「…………」

 

 鼻が良いと、遠くの匂いもわかるのだろうか。くさい匂いとかも……。

 ちょっと不便だと思った。

 

「それで、最初はあの鬼から匂ってきたのかと思ったんだ。だけど、違う……この匂い、地面からだ。この山全体の地面の下から、あの鬼の匂いがする!」

 

「山全体……!? まさか……」

 

 心当たりがあった。あの鬼の術で一定の範囲全体を覆うようなもの、一つしかない。

 結界……里を覆っていた結界が、この山を包み込んでいる。

 

 私は足を止めてしまう。

 

「どうしたんだ……!?」

 

「もう、ダメよ……。逃げられない……。ここで終わり……ああ、あの女は、私たちが慌てて逃げ回る姿を、嘲笑って見ているのよ……あぁ……」

 

 昔から、黙って村の外に出ようとしたことが何度もあった。昔から、外の世界に興味があった。

 だが、昼ならば、すぐに大人に気付かれて、帰らされ。夜ならば、あの女が直々にやって来て、家まで連れて行かれる。

 

 あの女がいない時を狙えばどうかと思ったが、そういう夜は、かえって大人たちの目が厳しかった。

 

 結界の中ならば、逃げられない。そういうふうに、私たちはあの女に知らしめられている。

 

 そして村から出ようとしても、大した罰はない。悪いことをしている私たちを、なんだかんだで許してくれる(ハツ)()様は、とても優しい人だと思っていた。

 

 わかる。私たちが悪かった。こうじろう()ぃと一緒に、村の外に出てしまった。(ハツ)()様がいないと村は慌てていたから、その隙をついた。

 

 いつもなら姉さんも一緒だけれど、姉さんが付いてきてたのは、(ハツ)()様に会いたいから。乗り気ではない姉さんを置いて行って、私たちは外に出た。

 

 ああ、不味かった。失敗だった。

 そこからは、わけもわからず大人たちに連れて行かれて、病気になって、鬼が悪だと聞かされた。

 

 (ハツ)()様の正体なんて知っていたし、私たちの血を飲んでいることも知っていた。

 葬式では、(ハツ)()様が亡骸を食べる姿を見ることになるし、それが村での普通だった。

 

 だからこそ、こうじろうにぃの病気も、きっと、村まで行けば(ハツ)()様が治してくださる。(ハツ)()様はとても優しい人だから、こんな私たちを許してくださる。

 

 そんなことは、()()()()()()。私たちなら、わかりきったことだった。

 

 

 なのに……()()()()()()()()()

 

 

 ああ、でも……全て()()()()

 こうじろうにぃが死んで、私が、こうしてのうのうと生き長らえているのも、全てあの女のせいだ。

 

 あの女の呪いせいで、こうじろうにぃは死んだ。あの鬼が悪い。あの鬼の力のせいだ。

 

 あの鬼を憎む以外に道はなかった。みんな、大切な人を殺した鬼を憎んでる。だから、私も……。

 

 ああ、憎い……。とても、憎い。

 

「なえ……!」

 

 名前が呼ばれた。手を繋いでいた。

 似ていた。

 少年が、被って見える。

 

「ごめんなさい……私が……私が……全部私が……」

 

「急に謝られても困る」

 

「私が……私がちゃんとお願いするわ……。(ハツ)()様に、あなたの命だけは助けてって……。あのお方は優しいから、たぶん、助けてくれる。命だけは……。どうなっても、きっと、命だけは助けてくれるわ!」

 

 ――今度はちゃんと! 私が……。

 

「自分一人で納得するのはやめるんだ。ちゃんと話を聞かせてくれ!」

 

 ごつりと、額に衝撃を受けた。

 

「……っ痛い」

 

「なえ、俺がいる! 諦める前に、ちゃんと二人で考えたら、一人で考えたよりも、きっと良い方法を思い付けるはずなんだ!」

 

「……無理よ。あなたには分からないの……あの鬼の恐ろしさは……」

 

 結界については、私の方が詳しい。

 こんな何も知らない男の子に話したって、何か変わるとは思えなかった。

 

「それなら教えてくれ、なえ。きっと、二人なら、なんとかなるから!」

 

 強い語気でそう詰め寄られる。

 諦めてはいけないと、その目が訴えていた。その心には冷めない熱があった。

 最後までしがみつく分からず屋だ。この男の子を見ていると、なんとかなる気がしてきてしまう。

 

「結界……あの女の血鬼術よ。たぶん、それに囲まれてる……。結界の中なら、好きな生き物を殺せる。そういう血鬼術」

 

「そんな……!?」

 

「どう、驚いた? それに、結界の中なら、好きな生き物を探せるみたいよ。私も、あなたも、その気になれば、すぐに見つけられてしまうはず」

 

 とても理不尽な血鬼術だと思う。

 だが何百年も生きて、人を食べ続けた鬼ならば、おかしくはない。この血鬼術の理不尽さは、村の歴史の重みに等しい。

 

「……何か……弱点はないのか?」

 

「一応、結界に気取られない速さで動けば、逃げられるらしいわ。けれど、鬼殺隊の上位の隊士でもその速さは無理。私たちには到底できない……」

 

「じゃあ……なんで匂いは地面の下からなんだ?」

 

 それは、わからないことだった。それでも、思い付くことならある。

 

「ええ、結界について、私はあんまり詳しくはないのだけど……地面の下に、あの女の仕掛けがあるのだと思うわ。そして、たぶんだけど、その仕掛けで感知しているのが、結界の正体ってわけ」

 

 単なる憶測に過ぎない。

 けれど、今までの情報を繋ぎ合わせて、これ以外の結論になるとは思えなかった。

 

「それなら、地面の上に遮るものがあったら……見つけられなくなったりはしないのか?」

 

「…………」

 

 村には草一つ生えていなかった。

 確かに人と地面の間を遮る物はほとんどない。

 

「……なえ!」

 

 手を差し伸べられる。

 その程度で破られる血鬼術とは思えないけれど、試してみる価値はあるかもしれない。

 

「完全に遮るのは無理だと思うわ。でも、感知までの時間が少し遅れるかもしれない! 出来るだけ植物の上を通って、速く走れば……! ダメかもしれないけれど、やってみましょう……っ! 何もしないよりはマシだわ! 走りましょう!!」

 

「わかった!」

 

 もう一度、走る。

 手を引かれて、結界の外へ。

 

 同じだ。同じだった。

 

 外の世界には辛いことしかなかった。

 ああ、それでも、外に出たかったのは私だ。

 これが私の選んだ道なんだ。

 

「なえ……濃い血の匂いが近づいてる!! 鬼の匂いだ!」

 

「……!? もう、あの女が……!?」

 

「違う……これは……違う鬼だ……!!」

 

「……!!」

 

 熱を感じる。

 

「あ……っ」

 

 とっさに炭治郎を突き飛ばすと、何かの力で身体が後ろに引っ張られる。抵抗ができない。

 

「うぐ……っ」

 

 そのまま吹き飛ばされ、後ろの木にしたたかに打ち付けられる。

 

「なえ……ぇええ!!」

 

「うぅ……。そんなに叫ばなくても、大丈夫よ……っ! それより足を止めないで!!」

 

「あ、ああ!」

 

 痛い。骨にヒビが入ったかもしれない。

 ああ、それでも、動けないことはない。

 

「ちぃ……女は殺すなという話だったが、面倒だ。意識は奪えなかったか……」

 

 そして、私たちの前に鬼が立ち塞がる。

 両の目の閉じて、その代わりか、掌に生やした目玉をこちらに向けていた。

 

「お前は……!?」

 

「花札のような耳飾りをした鬼狩り……お前だな……。お前の首を、あのお方のもとに持っていけばいい……」

 

「なんだって……」

 

「それに、そこの胸のでかい女……お前を生け捕りにしなければ……。あの頭のおかしな女に何をされるか……」

 

「……っ!? 誰が遊女よ……!!」

 

「…………」

 

「…………」

 

 胸の大きさで、とやかく言われるのは飽き飽きした。

 このくらい、村では普通だったのに。

 

 なぜか、鬼も、炭治郎も、物言いたげな表情でまじまじと私のことを見つめていた。

 

「まあ、いいわ。つまり、あなたは、あの女の使いっ走りというわけね……っ!」

 

「ふん、あんな女……あの気狂いの命令など、本来なら聞きとうない。それはそうと、この匂い……お前、稀血だな……?」

 

「…………」

 

 ああ、さっきぶつかったときの擦り傷でバレてしまったか。

 この鬼だけじゃなく、雑魚の鬼も寄ってくるかもしれない。面倒だ。

 

「なるほど、あの女が執着するわけだ。捕らえろという話だったが、儂が食らおうか……これほどの稀血ならば、あの女にも勝てるようになれるやも知れぬ……」

 

「……!? あなた、バカね」

 

 私、一人を食べたからって、それはないだろう。

 あの女は今まで村の人たちを食らってきた。村の人はみんな稀血だ。

 

 時代とともに、質がよくなっているらしいが、私一人食べたところでたかが知れているだろう。長い時間の積み重ねに勝てるはずがない。

 

「なえ、稀血ってなんだ……?」

 

 いちいち、鬼に対する知識が足りなすぎじゃないだろうか。育手はなにを……いや、私のところも剣のことばかりだったか。

 鬼については、村での話と、鬼殺隊に来てから最初にいた蝶屋敷で教えてもらった知識がほとんどだ。

 

「鬼にとって、栄養価が高い血のことよ。鬼の強さは人を食べた数で決まる。けれど稀血は一人食べれば、何十人、何百人を食べたと同じ。あの女の村では、そういう他よりも栄養価の高い人間ばかりを育てているの」

 

「な、なんだって……!?」

 

「そういう血は遺伝をするから、鬼にとっての良い血を持った人間が、未来永劫に渡って生み出されるようにって」

 

「まるで家畜じゃないか……!?」

 

 自由のない、食べられるだけの存在。そして、あの鬼が滅べば共に村も滅びる運命にある。

 

「そうね……。とても哀れなの」

 

 鬼殺隊のみんなは、私たちのことをそういう目で見た。私たちは、そういう存在だった。

 

「なるほど、面白い話を聞いた……。ならば、儂がその村に行って、そこの人間をみな食らってやろう。それはもう残酷に食らってやろう」

 

「できるものならね……」

 

 あの女の居座る村をこの鬼がどうこうできるとは思えない。

 それに――

 

 ――全集中『風の呼吸』!!

 

 呼吸による身体強化。

 この鬼は選別に本来いるはずの鬼とはわけが違う。それでもここを突破するしかない。私が倒すしかない。

 

 それに、あの女と比べれば、こんな鬼……。

 

「ふん、この儂をここで殺すというのか……? 十二鬼月であるこの儂を……」

 

「十二鬼月……!? お前もなのか……!?」

 

「恐れたか? そうだ……儂は十二鬼月だ」

 

 両目を閉じているから、目に刻まれた数字を確認することはできない。

 

「上弦……? 下弦……? 数字はいくつ? 目を開いたらどうかしら?」

 

「……何の話だ?」

 

「……え?」

 

 十二鬼月は上弦、下弦の文字に数字が目に刻まれているという話だった。もしかすると、この鬼は、それが刻まれていない。

 

「…………」

 

「あなた、十二鬼月じゃあないわねっ。そんな、すぐわかる嘘をついて、恥ずかしいとは思わないの?」

 

「……!?」

 

「鬼になると、人間と感性が変わるから? でも、やっぱり、それでも、そこまで厚かましくなれるものなのかしら?」

 

「お、おのれぇ……ぇえっ!?」

 

 鬼が掌の目玉をこちらに向けると、一つその目玉がまばたきをする。そのわずかな時間の後、体が宙に浮いていた。

 

「なえ……ぇ!!」

 

 瞬く間に空高く上がる。木の高さを超えて、麓一面に咲く藤の花が見渡せる。そして、落ちる。

 

 この高さから地面に叩き付けられれば、タダではすまない。

 

 ――『風の呼吸・伍ノ型 木枯し颪』!!

 

 技を出し、地面を叩き付ける。

 落下の衝撃を無理やり緩和する。

 

「……はぁ……!」

 

 余裕がない。あの女の結界を避けるようにだとか、言っている暇がない。

 

「次は、腕をねじ切ってやろう」

 

 そう言われた瞬間には、腕が捻れる。

 

「……うぐっ、あぁア……っ!!」

 

 念力のような血鬼術か……。

 なんにせよ、まずい。本当に腕が千切れる。

 

「……な……」

 

 腕が、落ちた。

 だが、落ちた腕は、私のものではなかった。

 落ちるとともに、その腕は崩れ、地面に吸い取られていく。

 

「……え……?」

 

 鬼の背後から奇襲を仕掛けようとしていた炭治郎も呆気に取られていた。

 落ちたのは鬼の腕だった。

 

「くそ……、これはあの気狂いの血鬼術か……っ」

 

 残った腕の掌の目玉を、後ろに忍び寄る炭治郎に向けると、炭治郎は体勢を崩して転ぶ。

 

 理由はわからないが、ねじ切れそうだった腕は楽になった。炭治郎に気を取られている隙にと接近を試みる。

 

「こっちよ……」

 

 ――『風の呼吸・弐ノ型 科戸風・爪々』!!

 

「……く……っ、再生が……」

 

 炭治郎に向けていた掌をこちらに向けると、すぐにその掌の目玉が瞬きをする。

 

「……!?」

 

 鬼に向かっていた風の刃が、目標を逸れ、あらぬ方へと飛んでいく。

 

 だが、間髪入れずに炭治郎が立ち上がり、鬼に迫る。

 

 ――『水の呼吸・壱ノ型 水面斬り』!!

 

「……ぐっ」

 

 おぼつかない足取りで、ふらつきながら鬼は攻撃を躱す。だが、遅い。相手をしているのは、炭治郎だけではない。

 

 一つ深く呼吸をする。

 

 ――『風の呼吸・捌ノ型 初烈風斬り』!!

 

 持てる力の全てをもって、最速で切りつける。

 

「しまっ……た……。ぐぅう!!」

 

 唸り声を上げながら、鬼は掌を自分の体に向ける。掌の目玉の瞬き、同時に鬼の体が飛んでいく。

 

「なによ、それ……!!」

 

 首の皮一枚分、足りない。

 

「ぐはっ……」

 

 闇雲に飛んだからか、鬼は木にぶつかって、その衝撃で頸が落ちた。

 やはり、日輪刀で頭と胴を完全に分てていないからだろう、その身体が崩れ落ちることはない。

 

「今のうちよ、炭治郎!! あの鬼の血鬼術は手の目玉が起点! 今は一つだけだから、二人で行けば、どっちかが辿り着ける!!」

 

「ああ……!!」

 

 畳みかける。

 頸が切れていても、次は顎の近くを削ぎ落とせばいい。体勢の整わないうちに、この鬼は倒す。

 

「まさか、『紅潔の矢』を自分に使うことになるとは……っ!! 儂の顔を汚い地面に付けおって……!! 許さぬ!! 許さんぞ……!!」

 

「……!?」

 

 飛ばされたのは私だった。勢いよく鬼から距離が離れていく。

 

 ――『水の呼吸・弐ノ型 水車』!!

 

 だが、鬼の頸が刻まれる。飛ばされて、遠くなっていく中、私の視界にそれを捉えた。

 

 危うかった。この鬼の腕が落ちたあの隙がなければ、私たちが二人ともやられていたかもしれない。

 

 ああ、だが、術が止まらない。

 

 ――『風の呼吸・壱ノ型 塵旋風』。

 

 ――『風の呼吸――』。

 

 ――『風の呼吸――』。

 

 型を出して、衝撃を緩和しようとするが、止まらない。

 死んでしまう……私はここで……。ああ……やっと……。

 

「なえ……!!」

 

 鬼の血鬼術に振り回されているうちに、もとの場所に戻っていた。

 見える。鬼の身体が崩れていく。それよりも早く、崩れかけの鬼の身体が地面の中に溶けていくのが。

 

 鬼の体が地面に溶け切り、同時に私は解放された。

 

「……はぁ……」

 

「大丈夫か、なえ!」

 

 鬼の体が地面に溶けていくのは……きっと……あの女の……。是が非でも、あの女は……私が死なないように……。

 

 炭治郎に手を貸され、起き上がる。

 

「ええ、行きましょう、炭治郎」

 

「わかった!」

 

 立ち止まっている暇はない。一秒でも早く、結界の外に出なければならない。

 

 型を連続して出したからか、身体が痛む。気を抜けば動かなくなりそうだった。

 外へ。結界の外へだ。

 二人で走っていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「矢琶羽……ぁああ!! なにをやってるぅうう!!」

 

 送り込んだ男の鬼が死んだ。

 私も見ていたからわかる。なぜか、なえばかりを攻撃して、耳飾りをつけた鬼狩りをなかなか殺そうとしないダメなヤツだった。

 

「なんで、死際まで、なえを殺そうとしてたのよ!! そっちじゃないでしょう!! 役立たず! 言ったことも守れないの!?」

 

 なえを血鬼術で殺そうとしていたものだから、私が結界で引導を渡す羽目になった。

 あの鬼は本当に頭がおかしすぎる鬼だった。

 

「まあ、いい。やはり、耳飾りの鬼狩りは、大した脅威ではなかった……」

 

 無惨様はそう仰った。

 偵察に向かわせた鬼の視界を覗いていた。

 あの鬼は掌の目玉で周りを見てたから、いちいち視界がぶれて見づらかった。役立たずは最初から最後まで役立たずだった。

 そこから得た結果こそがそれ。

 

 ああ、確かに、縁壱の剣技はあんなものではなかった。

 

「お、おそれながら……やつら異常者どもはなにをやってくるかわかりません。あの耳飾りの鬼狩りが、実力を隠して……殺しに来た私たちを、返り討ちに……。あの男も……見ただけでは実力がわからなかった……それと同じ可能性も……。やっぱり、逃げましょう!! 海の向こうへ!!」

 

 それでも、あの耳飾りの鬼狩りは死ななかった。やっぱり、万全を期して寿命で死ぬのを待ったほうがいい。絶対にいい。

 

(ハツ)()ィイ!! 私は何も間違えない。私に命令するつもりか?」

 

 無惨様は私を殺そうと、手を振り上げた。

 私は、頭を地面に擦り付ける。土下座をする。

 

「お願いします……! 貴方様だけでも、お逃げください!!」

 

 ここで私は死んでもいい。無惨様に拾ってもらった命だ。無惨様のためならば、この命いくらでも捧げられる。

 

 だから、どうか――

 

「…………」

 

 覚悟した死はやってこなかった。

 おそるおそる、顔をあげる。

 所在なげに腕を下ろして、呆然と私を見つめていらっしゃった。

 

「……どうか、なさいましたか?」

 

 明らかにいつもと違う。そんな様子に困惑する。

 

(ハツ)()、やはりお前は裏切らない。お前を選んで、やはり私は正しかった」

 

「……!? ……あッ」

 

 無惨様は私の頭に手を入れた。

 頭がぼうっとする。感情が麻痺していく。

 

(ハツ)()、なにも心配はいらない。あの鬼狩りならばなんの問題もない。お前は安心して、結界の中に籠もっていればいい」

 

「……はい」

 

 そうやって抱き締められると、なにをそんなに心配したのかわからなくなる。

 

 えっと、確か耳飾りをした鬼狩りがいて……なんの耳飾り……縁壱と同じ……縁壱……縁壱……。

 

「……!?」

 

「……はぁっ!? 縁壱……縁壱……。殺さなきゃ……!! あの鬼狩り……ッ!!」

 

 結界に意識を移す。

 まだいるかもしれない。無惨様のおっしゃる通り、縁壱ほどの強さじゃないのなら、私の結界からの攻撃は躱せない。

 

 なら、きっと私の感知を掻い潜った方法があるはず。

 

 さっきの鬼との戦いで、私の結界にチラチラとなえが反応してたのは感じた。あの鬼が役立たずだったから、なえを動かなくはしなかったけど、感知のときに邪魔だなと思ったものならある。

 地面に生えている植物だ。

 

 確かに生えている植物が障害になれば、私の結界の感知はわずかに遅れる。考えたこともなかったけれど、そう。盲点だった。

 

 ならばと、私は対策を考える。

 

「そうよ、私の里と同じように、植物を全部なくせばいいの!!」

 

 あの鬼狩りの選別をしている山を丸裸にすれば良い。

 あの二人がどこにいるかは感じ取れなかったから、山のてっぺんから、植物という植物を全てカケラも残さず殺し尽くしていく。

 

「これで……これで……あの鬼狩りも……!!」

 

 植物の抹殺に、すべての意識を注ぎ込む。

 これで、間違いなく、勝った。すべての植物がなくなれば、あの鬼狩りも、年貢の納め時かしら。

 

「…………」

 

「…………」

 

 私の広い結界内、そこには、あの鬼狩りも、なえの姿もありはしなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 なにかを感じたのか、炭治郎が振り返った。

 

「……!? なんなんだ……!? これは……」

 

 その声につられて、私も後ろを見た。

 

「……!?」

 

 枯れていく。いや、枯れていくなんて言葉が生易しい。私たちの後ろの植物が、跡形もなく地面に崩れ落ちていく。

 

 足を止めてはいけない。

 自生する植物を隠蓑にして、あの女の感知から逃れようとしていた。その絡繰に気付かれた……だが、これはこの方法が正しかった証拠でもある。

 

 だけれども、無茶苦茶だ。

 植物をこんなふうに消していくだなんて……。

 

「これも……あの鬼の仕業なのか……!?」

 

「ええ……違いないわ……! 走りましょう。全力で……!!」

 

「……くっ……」

 

 走る。まだ痛む体に鞭打って走る。

 

 植物の溶けた領域に捉えられては、全てが台無しになる。ここで捕まるわけにはいかない。

 

「もうすぐ……もうすぐよ!」

 

 藤の花が見える。

 安全地帯はすぐそこだった。

 

「なえ!」

 

「……!?」

 

 足がもつれる。

 あと少しだっていうのに、体が言うことをきかない。

 

 立ち上がろうと手を地面につく。けれど、腕に、足に、力が入らない。

 

「大丈夫だ! なえ! 俺が運んでいく!!」

 

 動けない私を、背負おうとする。

 

「やめなさい! あの女に勘付かれる!」

 

 私が倒れて、動けなかった瞬間にも、あの女の結界に捉えられた可能性があった。

 見捨てていくべきだった。

 

「大丈夫だ。刀を捨てて軽くなれば、そんなに速さも変わらない! それになえは、そんなに重くないぞ!」

 

 気がつけば、腰の刀がなくなっている。

 確かに刀はそれなりの重さがあるけれど、人ひとりと比べられるほど重くはない。

 炭治郎のそれは、明らかに強がりだとわかる。

 

「バカ……」

 

 なにを言っても私のことを見捨てない。この短い付き合いでも、そうわかるから、私は、そうとしか言えなかった。

 少し意識が朦朧とする。まだだというのに、私は安心してしまっている。

 

「なえ……! もうあの鬼の匂いがしない! ここなら、安全だ!」

 

 気がつけば、麓へと、藤の花の乱れ咲く中に辿り着いていた。

 

「ええ、着いた……のね……」

 

 本当に逃げ切れたのか。夢ではないのだろうか。

 また私は、外の世界に出られたんだ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 私を横に置いて、炭治郎も大の字に倒れる。

 私の分まで、限界まで走ったのだろう。

 

 私なんかのことは、見捨てれば良かった。どうせ連れ帰らせられるだけで、死にはしないんだ。頑張らなくてもよかったんだ。

 

 ああ、でも――

 

 倒れた炭治郎の首もとに腕をまわして、胸もとに引き寄せる。

 

「……!?」

 

「ありがとう」

 

 感謝を伝える。こんな私のために、ここまでしてくれた。本当に、本当に、ありえないような――( )ありがたいことだった。

 

「あら、ずいぶんと仲のいいことね?」

 

 気がつかなかった。あの女だ。藤の花の領域の外に、あの女が立っている。

 

「……っ!! 上弦の弐!!」

 

「藤の花っ! 忌々しい……。感知ができた気がしたから、来てみたの……。いつもなら、このくらいなら我慢をすればそこまでいけるのだけれど、力を使いすぎたわ……。ここにいると具合が悪くなるから、少しだけお話をしたら、帰らせてもらうわ」

 

 安全な場所にいるというのに、その存在感だけで身がすくむ。戦う力も残っていない。

 

「話って、なに? 何の用!? あなたとする話なんてっ、ないわっ!!」

 

「なえ……。本当に帰るつもりはないの? 家族がみんな、アナタの帰りを待っているわよ?」

 

「言ったでしょ!! 私の家族は鬼殺隊のみんな……! 私は家畜じゃない!」

 

 そう言い切れば、女の鬼はあからさまに困惑を目に出す。

 

「ねぇ、なえ。どうしてそんなこと言うの? 別に殺して食べるわけではないのよ?」

 

 知っている。この鬼は、自分の村の人間を、殺して食べたりは決してしない。

 ああ、でも、でも……。

 

「殺さないのか……? 人間を」

 

 反応したのは、炭治郎だった。

 そう鬼に問いかける。

 

「ええ、そうよ? 毎日血を貰って、長く永く楽しむの。子どもも作って貰って、その子どもも……そうやって永遠に血を貰うの! それに、幸せな人間の血の方が美味しいから、私の村の子たちには、みんな幸せになってもらうのよ!」

 

「なえ……本当なのか?」

 

「本当よ……」

 

 悔しい。悔しくてたまらない……。

 この鬼の語る美辞麗句は、全て本当だった。村の人たちは、この鬼に感謝しているし、私も……昔は……。

 

「それなら……血を飲むくらいだったら禰豆子も……」

 

 なぜか、炭治郎が揺らいで、納得しかけていた。

 

「ふざけないでよ!! この鬼は、鬼舞辻無惨に通じている!! いくらこの鬼が人を救ったって、鬼舞辻無惨は多くの人を殺した!! 今も殺してる!! どんなに善いことをしたって……悪い奴の味方をしたら、そいつも悪い奴よ!!」

 

「……!?」

 

 ハッとした表情をする炭治郎だった。ああ、きっと、鬼に酷い目に遭わされて、鬼殺隊になった類いの人間なのだろう。

 その原因は、鬼の始祖たる鬼舞辻無惨。上弦の弐は、その片棒を担ぐ仲間の鬼。

 

「ねぇ、なえ。あのお方を悪い風に言ってはダメよ? あのお方は、とても素晴らしい方なの。惨めな私を救ってくださった……とても素晴らしいお方よ? そんな風に言ったら、バチが当たるわ」

 

「鬼舞辻……無惨……」

 

 その言葉に、炭治郎はそう呟いて、再び警戒心を強くした。

 

「それに炭治郎……この女は……村の人を結界の中でないと生きていけなくしている。目的のためならば、手段なんて関係ないの! 今も……っ、都合が良いからそうしてるだけ!」

 

「…………」

 

 ああ、ずっと、そうだったんだ。

 今日この女に会って、理解できた。自分にとって都合が良いから、今の形をとっているだけ。他にもっと都合の良い方法があれば、この女は迷わずにその手段を取るだろう。

 

「だからっ……私たちは……。ちゃんと……自分の足で……歩かなきゃ……いけない……」

 

 この女に頼り切っていたら、いつ破滅が訪れるかもわからない。全てが委ねられ、この女の気分次第で決まる生活だ。

 

 ああ、苦しい。

 他人任せは楽だった……。何も考える必要がなかった。ただただ与えられるだけの毎日が幸せだった。

 

 けれど、あの頃の私とは違う。

 外に出てしまったから。自分の力で歩いていかなくてはならなくなったから。

 

「ねえ、なえ。そんなに苦しそうに……私も悲しい。ええ、そうね。家族に会えば、きっと楽になるわ。家族の力ってすごいもの! みんな、幸せになれるわ! それに、みんな、なえのことを待ってる!! いつでも帰ってきていいのよ?」

 

 本気で私のことを慮っていることがわかった。私たちは、そんな(ハツ)()様が大好きだった。

 

 ああ、ああ、ああ……。

 それでも、こうじろうにぃを殺した鬼だ。倒すべき鬼だ。憎むべき鬼だ。倒した結果、村がどうなろうと、鬼を助けていた時点で自業自得。

 

 覚悟は決まっている。

 

「もう……なにも……言わないでよ!! あなたがなにを言ったって、変わらないわ!! 私は帰らない!」

 

「そう……なの……」

 

 その悲しそうな表情に私の心は痛んだ。

 ああ、憎いんだ。私はこの鬼が、とても憎い……。憎い。憎い。憎い。憎いんだ……。

 

「ああ……」

 

 ため息が漏れる。

 苦しくて、苦しくてたまらない。

 

「そろそろ、限界だから、帰るわ……。なえ、どうか死なないで……。生きていれば、きっと、説得するわ! みんな、待ってるから……!」

 

 そう言い残して鬼は背を向け踵を返した。頂上の方に歩いて行った。

 私たち二人は取り残された。

 

「ねぇ、炭治郎……」

 

「なえ?」

 

 話しかける。どうしても聞いて欲しかった。

 

「あのね…… (ハツ)()様は、葬式では、遺体を食べるの」

 

「…………」

 

「だけれどね……いつも、泣いているの。泣きながら、食べているの……」

 

「…………」

 

「ああ……それでね、(ハツ)()様は、みんなの名前を、みんなのことを覚えているの。今暮らしている人ももちろん……私たちのお爺さん、お婆さん……死んでしまった御先祖様まで……全部」

 

「…………」

 

「ああ……本当にすごいお方で……うぐっ……私は尊敬していたわ……。鬼に狙われやすいみんなを、他の鬼からその力で守って……。外では、病気の人をその力で助けて……そうやって村を維持するお金を貰っていた……」

 

「…………」

 

「それでも……それでもなのよ……っ!」

 

 気がつけば、私は泣いていた。泣いて、ぐちゃぐちゃになって、私は……。

 黙って、炭治郎は、そんな私に付き合ってくれていた。

 

 一通り泣き終わって、ふと、今まで私たちが走ってきた、山の斜面が目に入った。

 

 ああ、なんてことはない。あの鬼の力を考えれば当然だろう。

 

 ――藤襲山は、禿山になった。




次回、浅草!


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接触

 地面からくる気配、触れればただでは済まないと思った。その鬼の頸を中程まで斬り裂き、気がつく。決して急所を狙われてはいなかった。その訳を、どうしても、問いたくなった。


「お侍様……っ! 強い!」

 

「修練を重ねれば、すぐにこの程度など、至れる……」

 

 賽子……? 私は、遊んでいた。賽子を使って遊んでいた。

 

 相手をしていたのは、刀を腰に携えたお侍様。……侍? この大正の世に侍? 時代遅れと言う他ないのに……。

 

「あら、巌勝くん。こんなところにいたのね?」

 

 やって来たのは、(ハツ)()さまだった。首に包帯を巻いている。(ハツ)()さまは鬼だから、怪我なんてすぐに治るはずだけど……なんで包帯なんか……。

 その表情は、緊張するように、やけにぎこちない。

 

 外は曇り。曇りだからって、普通なら、昼間、(ハツ)()さまが出歩くことはないのに、どういう風の吹き回しだろうか。

 

(ハツ)()様! あのね、お侍様、とっても強いよ!!」

 

 賽子の遊びで、お侍様に惨敗した私は、まるで親に甘える小さい子どものように、そう伝えた。

 

「そうなの? じゃあ、あわ。もう一回戦って見せて? 私はここで見ているから……」

 

 魃実様は、一つお侍様に目線を送ると、それだけでお侍様は頷いて、私の相手をしてくれるようだった。

 

「うん! じゃあ、あわ、もう一回、やる!」

 

 あわ、というのが私の名前だった。あわ、あわ……そんな名前の人は村にはいなかった気がする。

 

 賽子を振って、駒を進めて、相手と駒を取り合いながら、向こう側の陣地へと駒を辿り着かせるゲームだった。ルールの知らないゲームだった。

 

 (ハツ)()さまに見守られる中、私は慣れた手つきでお侍様と戦うが、今度も惨敗してしまう。

 

「あら……本当に強いのねぇ……」

 

「ずるい……」

 

「励むことだ……」

 

 私の恨み言にも動じず、お侍様は柔らかい表情でそう微笑みかけた。撫でてくれる。

 二人はまるで嫌味なく、優しく私に接してくれる。負けてばかりのはずなのに、不思議と楽しく、心が暖まる時間だった。

 

 それでも、負けてばかりだから、私には飽きが来てしまう。

 

「お侍様、お侍様。お侍様って、刀でいろんなの斬れるんでしょ? ねー、見せて……?」

 

 その剣術を見せてと私はねだっていた。腰に付けたままのその刀が気になったのだろう。

 

「……未熟ゆえ、人に見せられるものではなし」

 

「えー、いいでしょ……っ? ねぇ、ねぇ」

 

「…………」

 

 しつこく頼み込むと、お侍様は困った表情を見せる。

 

「そういえば、刀、腰に携えたままなのね。座ってるけど、邪魔でしょう? 外して床に置いたらどう?」

 

「…………」

 

 お侍様は、凄まじい形相で(ハツ)()さまを見つめる。その表情が、なんだか私には面白かった。

 

「ねぇ、いいでしょ! なにか斬って……! なにか……えっと……そうっ! 薪、薪でいいから!!」

 

 斬っても良さそうなものを必死に思い浮かべた私は、そうやってねだった。

 本当にお侍様は難しいような顔をしていた。

 

「あわもこんなに頼んでるんだから、別にいいんじゃない? 子どもがこんなにもせがんでるのに、相手をしてあげないだなんて……お侍様って、心がかなり狭いのね」

 

「……よかろう」

 

「やった……!!」

 

「だが、我が剣術……縁壱と比べれば、つまらぬもの」

 

「はやく、みせて……!」

 

 縁壱というのが誰かは知らなかったし、興味がなかった。私はただ、お侍様が刀を使っている姿を見られるのが嬉しかった。

 

「そう……。じゃあ、準備させてもらうわ」

 

 そうして、外に出て、(ハツ)()さまが薪をたくさん束ねて抱えて持ってくる。

 さすがは鬼の(ハツ)()さまだ。重いだろうに、まったく疲れた様子もなかった。

 

 (ハツ)()さまは薪を積み重ねて、的を作る。

 

「できたわよ!」

 

 薪の切り口がデコボコとしているからか、積み上げてできた的は少し不安定だった。私は、そんな今にも崩れそうな的をぽかんと見つめていた。本当にこんな的でいいのだろうか?

 

「では……」

 

 刀が抜かれる。

 色は――紫。日輪刀……? 刀がムラなく一色に染まり、その紫に美しささえ感じられる。

 

 ホオオオと呼吸の音がする。

 

 急に(ハツ)()さまが物陰に隠れた。(ハツ)()さまの見ている方向に視線がいく。

 炭治郎……? 炭治郎と同じ耳飾りをした、お侍様とそっくりな人がこっちを覗いているのがわかった。

 

「参る……」

 

 ――『月の呼吸・壱ノ型』……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夢を……とても懐かしい夢を見ていた気がした。

 

 目覚める。選別を終えて、私は今は育手のところに戻っていた。

 

 選別は一日で終わった。あの女のおかげで台無しになってしまったことは言うまでもない。

 

 一応、あの時生き残っていた隊士たちは皆合格になった。特別な計らいとして、私と炭治郎も合格ということにしてもらえた。

 

 曰く、上弦の弐に遭遇して生きて帰れたこと、情報を持ち帰れたこと、もうそれで、隊士の資格は十分にあるという話だった。

 

 あの上弦の弐が結界で発動した大規模な血鬼術は、山の植物を消滅させるのみで、生物――( )さらに言えば人間は、対象に選ばれてはいないようだった。

 

 結果として、いつもの選別よりも生き残りが多くなったらしいが、あの上弦の弐の血鬼術をまのあたりにして、戦意を挫いた者がほとんどだった。

 

 結局、日輪刀の材料である玉鋼を選ぶまで残ったのは、私と炭治郎を含めて五人だった。

 

 私は見ていないからわからないけれど、この五人以外にももう一人同期がいるらしい。そんな噂を聞いたが、真偽は不確かだった。

 

 玉鋼を選ぶ前には、顔の怖い男の子が、選別を仕切る女の子に乱暴を働いて、炭治郎に腕を折られたりもしたが、それ以外の問題はなく、私たちはそれぞれ玉鋼を選んで、一旦みんな育手のもとに戻って行った。

 

「なえ! 来なさい! 刀鍛冶の人が来ましたよ!」

 

「はい!」

 

 軽く身支度を整えて出て行く。

 

 選別の時の刀は育手の人からの借り物だった。炭治郎に担がれたときに、重いからと捨ててしまったから、返すことはできなかった。あの山はもうあの女の縄張りだから、取りに向かうこともできない。

 申し訳ないと伝えたけれど、命には替えられないからと涙ながらに抱きしめられただけだった。

 

 ああ、ようやく自分の刀が手に入る。なにか一人前になれたようで、心が弾んでしまう。

 

「刀を持参した……。お前がなえか?」

 

「はい!」

 

 ひょっとこのお面をした人だった。

 刀鍛冶の里は、鬼にバレるといけないから、その里の位置も、そこにいる人も、秘匿されていると言う。

 このお面もその一環で、顔がバレないためだろう。

 

「これが日輪刀だ。日輪刀の原料は――( )

 

「…………」

 

 長くなりそうだったから、適当に聞き流す。

 要するに、日輪刀は鬼を斬れる刀というわけだ。それがわかっていれば十分だろう。

 

「日輪刀は、色変わりの刀とも呼ばれている。抜いてみな。持ち主によって、色が変わる」

 

「はい!」

 

 刀が渡される。

 緊張して、胸が高鳴る。

 

 日輪刀の色、そしてその濃さは、呼吸の適正により変わるという。私の使う呼吸は風。通常なら、色は緑になる。

 

 ああ、私はいったい……どれくらい……。

 

 刀を握った。

 

「…………」

 

 刀が染まる。

 緑ではなかった。

 

 紫……闇のように深い紫……それが私の刀の色だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(ハツ)()さま。大丈夫ですか……?」

 

 ()()が私の看病に来ていた。

 あの後、私は大規模な血鬼術を使った後遺症で、里に着くなり倒れてしまった。

 

「ええ、大丈夫よ」

 

 普段なら、ご飯を食べて元気になるはずなのだけれど、藤の花の匂いをたくさん嗅いだせいか、食欲が沸かない。

 ちまちまと血を飲むばかりで、一向に回復できていなかった。

 

 こうじろうくんが死んでしまったこと、なえが無事だったことをそれぞれの家族に伝えた。

 私が帰ってくるなり、寝込んでばかりいたせいか、あまり良い状況にはなっていない。

 

 こうじろうくんの家族はまだよかった。こうじろうくんのことは、もう諦めてしまっていたようで、悲しみはしたけれど、ちゃんと今生きている家族を大切に過ごしてくれている。

 

 問題は、なえの家族だ。

 鬼殺隊に入って私に刃を向けたこと、なえを連れ戻すことに失敗をして私がこうなったこと、それを知って、責任を感じたからか、両親は自死を選んだ。

 

 幸い、死ぬ前に発見されて大事にはならなかったのだけれど、これからを考えると、私は気が滅入ってしまう。

 

 死ねば、私が食べるから、それで私が元気になればいいっていう考えなのはわかる。

 ただ、そもそも今の私では食欲があまり沸かないから、蔵の血をちまちまと飲んでいるわけなのだが、今の調子のままなら、死体を少しずつ齧ったところでという話になる。

 

 はぁ……命は大切にしてもらわないと……。

 

「ハツミちゃん。ハツミちゃん! ちゃんと説得してきたわよ!」

 

 カナエちゃんがやってきた。私が話しても、ただ罪悪感を深めるだけというところだったから、カナエちゃんに説得を任せることにした。

 

 自殺したことにして、食べてしまわないか不安だったけれど、外で一人のときも食欲を抑えられているようだし、いい加減、もう信用していいかなと思っている。疑い続けるのも面倒だし。

 

 一応、私の看病をしていた()()には下がりなさいと視線を送る。

 

「本当に……? 説得できたの?」

 

「ええ、鬼殺隊が、そんなに悪い組織じゃないって、ちゃんと納得してくれたわ!」

 

「……そ、そうね……」

 

 思ったのとは違う説得の方向だった。

 確かに、娘が鬼殺隊に入ったことを気に病んでいるのなら、鬼殺隊が悪い組織ではないと信じられれば、自殺もしなくなる。

 

 私は、自殺なんて私にとって利益にならないんだからと、そういうふうに説得するものだとばかり思っていたから、意表をつかれて少し呆れてしまう。

 

「そう! それで、この間の話なのだけど……」

 

「この間……?」

 

 首をひねる。

 なにかあっただろうか……忘れてしまっていた。

 

「ええ、人間の偉い人に、この村のことを知ってもらうのよ! いろいろと便宜を図ってもらえるという話だったから、ハツミちゃんも一緒に打ち合わせに行こうって、話していたじゃない」

 

「……あぁ、その話ね!」

 

 カナエちゃんの開いている怪しい集会の構成員と密会をする予定だったのだ。

 少し立て込んでいて、すっかり忘れてしまっていた。

 

「ハツミちゃんがこの調子じゃ……延期にするしか……」

 

 少し考える。カナエちゃんは目に見えて落ち込んでいた。

 予定を合わせるのも大変だっただろう。せっかく開いてくれたわけだし、私の調子で延期になってしまうのは心苦しい。

 

「いいえ、大丈夫よ! 行ける……行けるわ!」

 

 まさか縁壱のようなやつがいるわけでもないのに、調子が悪いくらいで私がどうこうなるわけがない。

 延期にする意味はないだろう。

 

「ハツミちゃん……。辛そうだけど、本当に大丈夫? 無理はしない方がいいわ」

 

「別に話を聞くくらいなら大丈夫よ? 戦ったりするわけではないのでしょう?」

 

「ええ……。あっ……でも、そういえば、最近は私のお話を聞く人たちに、鬼殺隊の子たちが混じっていることがあるのよ……」

 

「え……っ?」

 

 初耳だった。カナエちゃんは、なんでもないように言ったが、看過できない事態なのではないだろうか。

 大丈夫なのだろうか。

 

「ああ、鬼と人とが仲良くできるようには私がするから、鬼殺隊はやめて、幸せになるようにって、ちゃんと説得して帰しているから大丈夫よ? 私のことも、鬼殺隊のみんなに言わないようにって、一応釘を刺しているし……今のところはなんともないのだけれど……」

 

「そう……なの……」

 

 私は不安でならなかった。

 それにしても、どうして鬼殺隊が嗅ぎつけたのだろうか。カナエちゃんの仲間だから、裏切り者ということはあり得ない。

 

 ああ、そういえば、カナエちゃんの妹も鬼殺隊に居るわけだった。似ている人を見なかったかと尋ねてまわれば辿り着けるかもしれない。写真なんて便利なものも最近は出回っているのだし。

 鬼殺隊――凄まじい執念で地獄の果てまで追いかけ回す異常者どもだ。奴らならばやるだろう。

 

「それでも、今回は私の見知った顔の人たちばかりだから、鬼殺隊の子たちが混じっていることはないと思うわ」

 

「それならいいのだけど……」

 

「ごめんなさい……。不安になるようなことを言ってしまって」

 

「いいえ、そんなことないわ……」

 

 カナエちゃんが謝る必要はないだろう。悪いのは私たちの邪魔をする異常者どもだ。

 カナエちゃんに協力した方が絶対にいいだろうに……。

 

「ねぇ、ハツミちゃん。やっぱり、万全な状態で挑んだ方がいいと思うの」

 

「……えっ? 延期にするの?」

 

 ここまで話して、結局はそうなってしまうのか。

 あまり私としては納得がいかないのだけれど……。

 

 カナエちゃんは、布団で寝ている私にグッと顔を近づける。そして、優しく微笑んだ。

 

「いいえ、今夜は飲み明かしましょう? そうすれば、きっと体調も良くなるわっ!」

 

「え……っ? 今は食欲がなくて……」

 

「大丈夫よ! そういうときは、直接体内に流し込めばいいの! そういう治療法もあるのよっ! 今から血を持ってくるわ」

 

「え……っ?」

 

 そうすると、カナエちゃんはそそくさと行ってしまった。私は呆然とする。

 

「持ってきたわ……!」

 

 するとすぐに血の瓶をたくさん抱えて、カナエちゃんが戻ってきた。

 さすがは鬼の身体能力か……呼吸も合わせて、本当に早い。巌勝くんの言った痣も最近じゃずっと出ているし、カナエちゃんは本当に強くなっている。

 

「えっと……」

 

「ふ……ふぅ……。いくよ、ハツミちゃん!」

 

 カナエちゃんは、私から布団を剥がして馬乗りになった。さっき、血を取りに行く前とは違って、ほんのり顔が赤い。

 

「か、カナエちゃん、酔ってる?」

 

「酔ってないわよ……?」

 

 持ってくるときに、つまみ食いをしたのは明白だった。

 カナエちゃんは私から服も剥いで、お腹に爪を突き立てる。

 

「か、カナエちゃん……」

 

「ふふ……少しチクッとするわ?」

 

 ぐちゃりとお腹の皮膚が引き裂かれた。中身まで届くと、血がだらだらと流し込まれる。

 

「うあ……っ、んぅ……」

 

 すぐに私の身体は栄養を吸収する。身体が火照って、頭が一瞬クラッとなる。思考が白くぼんやりとしてくる。

 休まるところなしに感じていた倦怠感が、薄らと誤魔化されていくのを感じる。

 

「……? ハツミちゃんの臓器って、おかしいのね……」

 

「……んぐ……うぅ……あ……」

 

 頭が働かない。聞き取れた言葉を理解しようとするが、難しい。難しいから、諦める。頭が真っ白になっていく。そうやって、抗えない陶酔に意識が沈んでいく。

 

 そんな私を見て、カナエちゃん頷いた。

 

「直接の方が、やっぱり効きがいいのねっ! えっと、このままだと、すぐに意識がなくなりそうだから……そう! こっちね?」

 

 次も無理やり体内に注ぎ込まれる。満腹感で気持ちが悪いのに、私の身体は入ってきた血を吸収していた。

 

 頭が急激に冷たく透明になる。もう、なにもわからなくて、気を失いそうだったのに、強引な覚醒に頭がフラフラとする。

 

「カナエちゃん……!」

 

「なにかしら?」

 

「あれ……えっと……カナエちゃん……? カナエちゃん……。えっと……カナエちゃん……」

 

 意識は戻っても、思考力は戻らなかった。

 言いたいことがあったのに、次に繋がらない。名前だけ呼びかけて、そこからの言葉を忘れてしまう。結果として、カナエちゃんの名前ばかりを呼ぶはめになる。

 

「カナエちゃん……カナエちゃん……えっと、えっと……カナエちゃん」

 

「そんなに名前を呼んでくれるなんて……嬉しいわ!」

 

 カナエちゃんも血を飲んでいた。

 なにもかもが新鮮で、幸せでたまらないというような表情でうっとりとしている。

 

「か、カナエちゃん……カナエちゃん……」

 

「あぁ、ハツミちゃん、ハツミちゃん、ハツミちゃん」

 

 わけがわからなかった。

 私の拙い思考でも、今がとてもおかしなことは充分にわかる。

 

「カナエちゃん……カナエちゃん……。ああっ!? んんぅうぅ……っ!?」

 

「ハツミちゃん。えへへ、ハツミちゃんっ!」

 

 カナエちゃんは、私への血の供給を絶やさない。ごぼごぼと容器に音を立てさせて、凄まじい量を私の身体に飲み込ませる。

 

「あぁ……ああっ。うふふ、あははっ」

 

 なんだか、おかしくてたまらない。自分の手の動きや、口の動き、声一つとっても、とてもおもしろおかしい。

 一つ自分の動作を感じても、全てが新鮮、感動さえ覚える。おもしろい。自分の身体が自分のものではない気がしてくる。あぁ、楽しい。

 

「ハツミちゃん……ふふ……あぁ、ふふふっ」

 

「あはは。カナエちゃん……! ふふ、あはっ」

 

 なにがおかしいかわからないけど、私たちは笑い合う。笑い合って、笑い合って、笑い合って、もう、なにがなんだかわからなくなる。

 

「あぁ……うふふ、あぁ……。あぁ……っ!!」

 

「あはは、あはは、うふふ」

 

 楽しくて、楽しくて、時間が過ぎるのも忘れてしまうくらいだった。持ってきた血もすぐになくなってしまう。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 栄養を摂取しすぎによる、急激な身体の変化を感じる。鬼としてより強く、身体が成長していく変化だ。

 

「…………」

 

「……はぁ……」

 

 だが、血による精神の作用により、私はカナエちゃんともども倒れてしまう。カナエちゃんの意識はもうほぼなかった。

 

 なくなりそうな意識の中、私はカナエちゃんの言った会合のことを思い出す。たしか、浅草でやるのだったか……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「禰豆子! そいつから、離れろ!!」

 

「んっ!?」

 

 人間ではなかった。酷い血の匂いがした。

 

 浅草での任務だった。禰豆子から目を離してしまっていた。

 家族の仇である鬼舞辻無惨の匂いを感じ取り追いかけたからだった。だが、鬼舞辻無惨は、人間に紛れ暮らしていた。あの男は、道ゆく人を鬼に変えて、逃げて行く。

 

 なんの罪のない――( )通りかかっただけの人を、囮として鬼に変えて……。

 

 だが、今日、偶々、鬼舞辻無惨の隣を通っただけで、それだけで鬼されてしまったその男性を――( )まだ人を食べていない()()()を、決して見捨ててはいけない。見捨ててあの男を追ってはいけない。

 

 憲兵に無理に引き剥がされそうになったけれども、鬼舞辻の命を狙う珠世という女性の鬼に助けられ、一度、禰豆子のもとに戻ることになった。

 

 そして、この鬼と会った。

 

「禰豆子ちゃんって言うの? この子、口に枷をはめられて、とても可哀想だったの……。だから、とってあげようと思って……」

 

 嘘の匂いはしなかった。

 この鬼は嘘をついていない。

 この鬼が禰豆子に近付いたのは、間違いなく善意だった。

 

 羽織りを着た……蝶のような模様の羽織りを着て、頬には彼岸花のような痣がある女性の鬼……。一度、選別で会ったあの結界の鬼に近い血の匂い。近付いただけで目眩のするくらいの血の匂いだった。

 

「んー!」

 

「…………」

 

 禰豆子が近付いてくる。

 鬼は、おどおどとこちらを見つめるばかりで、攻撃をしてくるような様子はなかった。

 

「ごめんな、禰豆子、一人にして……」

 

「うー」

 

 頭を撫でる。

 眠たげに、うとうとしている禰豆子だった。それでも、反応を返してくれる禰豆子に微笑む。

 

 その間も、鬼への警戒は怠らない。

 

「あなたは……人間なのよね? その子は鬼でしょう? どうして一緒にいるのかしら……? 食べられてしまうわよ?」

 

「禰豆子は人間を食べない! それに俺たちは兄妹だから……っ!」

 

 死んでしまった花子や六太たちの分まで全部、してやれなかったことを禰豆子にはしてやるんだ。

 

「そうなの……? 人間を食べないの?」

 

「……禰豆子は、人を食べない!」

 

 女の鬼からは、哀れみの匂いがした。この鬼は、禰豆子のことを、哀れんでいる。

 

「とても美味しいのに……。今度、美味しい血をご馳走してあげるわ? ええ、いいわねっ! それがいいわ!! きっと、禰豆子ちゃんも喜んでくれるわ! ほっぺたが落ちるくらいに美味しいものね」

 

「ふざけるなっ! どうして、禰豆子のことを、お前が勝手に決めるんだ!!」

 

「……え、えぇ……」

 

 鬼は、目に見えて落ち込んでしまう。可哀想に思えてくるが、腹立たしさは変わらない。

 

「禰豆子を、お前のような人殺しの鬼と、一緒にするなっ!!」

 

「私、人殺しじゃないわ……! 人を殺したこと、ないもの!」

 

「……っ!?」

 

 嘘の匂いがしない!?

 

 おかしい。この鬼の纏う血の匂いから、食べてきた人間の数は、百や二百じゃきかないはずだ。それを殺さずに……できるのか……? できるとしたら、どうやって!?

 

「うふふ……私は(しゃ)()! あのお方から、上弦の参の位を賜っているの……! 鬼の中で、四番目に強いということよ?」

 

「……上弦の参!?」

 

 鬼が、擬態を解く。左目には上弦、右目には参の文字……言葉でだけでなく、その位が紛れもない本物だと、目に刻まれた文字からでも示される。

 

「ええ、上弦の参よ? そして、私は……鬼と人間が仲良くできる世界を目指しているのっ!! あのお方もお認めになっているわ!」

 

「鬼と……、人が……っ!?」

 

 にわかには信じられない話だった。

 鬼は人を喰らう。禰豆子以外の鬼は、皆そうだった。仲良くできればいい。そうは思いもするけれど、現実は違う。

 

 鬼は人を殺し、喰らう。だから、せめて、これ以上罪を犯さないようにと、鬼殺隊は鬼の頸を刎ねている。

 

「ええ、鬼の食人衝動は、凄まじいの。耐えられない……! 鬼になってみればわかるのだけれど、これなら、()()()()()()()()()()()()()()()と諦めるしかないわ……。でも、満たされてさえいれば違う! 満たされていれば、鬼も人間と仲良くだってできるのよ!」

 

「…………」

 

 何を言っているのかわからなかった。

 要するに、鬼が人を食べるのは仕方がないから、黙って我慢して食べられていろと、そういう理屈ではないのか。

 認められるわけがなかった。

 

「ふふ、人間には、稀血って、血を持つ子がいるの! その子たちの血なら、少しの量でも鬼は満足できる! だから、その子たちをたくさん育てて、血をもらって、ええ、もちろん、稀血じゃない子たちからは支援を貰うわ。そうすれば、稀血の子をたくさん育てられるもの。これで、鬼と人とが仲良くできる……! 素晴らしい世の中でしょう?」

 

 どうしてか、その話は頭に入ってくる。頭が冴えて、いつもより集中して聞いてしまう。気分の高まりを感じる。

 

「そ、それなら……」

 

「そうそう。それなら、鬼だって人間と一緒に生きていてもいいでしょう? 人間だけが損をするわけじゃあ、ないわぁ。血鬼術は、人を殺すだけじゃない。うまく使えば本当に便利で、時には人を救うことだってできるもの……」

 

 そう語る鬼は、恍惚とした表情を見せる。

 何故だか、この鬼の話を聞いていると、浮わつくような心になる。思考が鈍って、話を聞くことばかりしかできなくなる。

 

「…………」

 

「あなたも協力してくれたら、嬉しいわ! 協力してくれる人が多ければ多いほど、実現にも近づくっ! ええ、あなたも、鬼と人が仲良くできる世の中が良いと思っていたのよねぇ。えぇ、私にはわかる……っ、わかるわ! 私たちは仲間だったのよ? 同じ世界を目指す仲間ねっ……! だから、()()()()()、一緒に協力していきましょう!」

 

「……俺も……」

 

 この鬼の言う通り、自分もそう思っていたに違いない。

 心が溶けているような気分だった。心が溶けて、この鬼との間に、心地良い言いようのない一体感が生まれている。この鬼の言葉こそが、変えようのない自身の本心――( )

 

「んー! んー!」

 

 禰豆子が俺の腕を引っ張った。大事な話をしていたのに……煩わしい。

 

 

 ……()()()()? 誰のことが……? 禰豆子の?

 

 

「……!?」

 

 ハッとなって禰豆子を見つめる。目が醒めるような気分になる。

 俺が、禰豆子のことを煩わしいなんて思うはずがない。これは……、血鬼術?

 

「どうしたのかしら?」

 

 不思議げに上弦の参はこちらのことを見つめてくる。

 さっきまではそうではなかった。けれど、幻が消えたように、この鬼がおぞましいもののように思えてくる。

 

 一歩、退()く。

 

「間違ってる! お前のようなやり方は、間違ってるんだ! そんなふうに血鬼術を使って無理やり従わせるだなんて、認められるわけがない!!」

 

 言われたことを振り返って、この鬼の言葉にも正しいと思うところはあった。だけれども、こんなやり方、正しいわけがない。

 

 危ないところだった。この血鬼術、長男だったから気付くことができたが、次男だったら気付くことはできなかった。

 

「どうして……そんな酷いこと言うの? 私、血鬼術、使ってないわよ?」

 

「……!?」

 

「それに私、血鬼術を使えないの……」

 

 嘘の匂いがしなかった。

 だが、術を使われたのは間違いがない。俺が禰豆子のことを煩わしいだなんて、思うはずがない。

 

 まさかこの鬼は、そうだと気が付かずに、無意識に血鬼術を使っているのか!?

 

「そんな……!?」

 

「ねぇ、私に協力してほしいのよ」

 

 変わらずに鬼は笑顔で語りかけてくる。

 

「…………」

 

 この鬼は危ない。この鬼が生きていたら、きっとなにもかもが滅茶苦茶になる。

 

 どうしたらいい? さっき人を殺していないと言ったけれども、この鬼が言った通り、もし本当に人を殺していないのだったら、この鬼は殺すべきなのか?

 いや、術と同じように、もしかしたら無意識に殺して――( )

 

「ごめんなさい。時間だわ。用事があったの! そう、気が向いたら、私のところに来てくれると嬉しいわ。連絡先を渡しておくわね」

 

「あ……はい」

 

 紙を渡される。

 とっさに受けとったけれど、そこには住所らしき番号が書いてあった。その紙が、家族と同じく自身の命よりも大切なもののように思えてくる。

 

「これは、お願いなのだけど……ここでの話は、誰にも言わないで! 禰豆子ちゃんもね!」

 

「んー!」

 

「……はい……」

 

 そうお願いされたのだから、仕方がなかった。ここでのことを、誰にも言わないと、心にかたく誓う。

 

「ああ、それと……あのお方のお顔は忘れるようにって……。なんのことかはわからないけど、そう言えってハツミちゃんが……」

 

「……!?」

 

 しまった!?

 あの男の……仇の、鬼舞辻無惨の顔が、上手く思い出せなくなる。

 この鬼の血鬼術は、そういうものだ。そうだとわかっていた。この鬼は十二鬼月、鬼舞辻無惨の直属の配下……それなのに、今の今まで話を続けてしまっていた。わかったら、すぐに逃げるべきだった。

 

 せっかく見つけた仇の顔を、死んでしまったみんなの為にも、忘れるわけにはいかないんだ……!

 

「それじゃあ、また会いましょう?」

 

 そう言って、鬼はどこかに行ってしまう。

 もう、鬼舞辻無惨の顔を、思い出すことはかなわなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 太陽の模様の描かれた耳飾りをした少年だった。その少年を見た時、運命のうねりのようなものを感じた。

 

 継国縁壱――かつて憎きあの鬼を……鬼舞辻無惨を死の手前まで追い詰めた男。そんな彼と同じ耳飾りで、鬼になっても、人という言葉を使って気遣う優しい少年だった。

 

 あの男に、鬼舞辻に鬼にされてしまった男性と、その妻を預かり、少年を屋敷に招いた。

 

 体を弄って、鬼舞辻の呪いを外し、少量の人間の血でも生きていけるようになったこと、愈史郎を鬼にしたこと、それらを暴力ばかりを働く愈史郎を諫めながら、少年に話し、鬼が人間に戻る方法があるか、という話になった。

 

 ああ、鬼が人間になる方法は今はない。だけれども、どんな病にも治療法がある。鬼から人間に戻す方法は、必ず確立させてみせる。

 

 そのために、妹の竈門禰豆子の血、そして、鬼舞辻に近しい鬼の血――( )すなわち十二鬼月の血を採って来てほしいとお願いしたところだった。

 

「……!? これは……」

 

「この匂いは……!?」

 

 覚えのある感覚だった。

 旧友とも言っていい、鬼の血鬼術。

 

「珠世さん! 俺が囮になります! 禰豆子を連れて逃げてください!」

 

「いいえ、愈史郎……。この方たちを連れて逃げなさい! あなたの目眩しの術なら、きっと少しくらいは隠れられる。私が注意を引けば、逃げるくらいはできるはずです」

 

「珠世様……なにをおっしゃっているのですか……!?」

 

 愈史郎にも、広がった結界はその目の血鬼術で見えているはずだろう。きっと、ことの重大さはわかっている。

 

「上弦の弐です! 俺は会ったことがあるからわかる。あの鬼はまずい! 俺はあの鬼に狙われてる! 珠世さん! 俺が時間を稼ぎます! 禰豆子を連れて逃げてください!」

 

 ああ、心の優しい少年だった。

 会ったことがあるのなら、あの鬼の強さと異質さはわかっているだろうに……それでも真っ先に囮になると言い出してくれた。

 

 一度自暴自棄になり、たくさんの人を殺してしまった私とは、比べ物にならないくらい、心が綺麗な、生きるべき人間なのだろう。

 

「ええ、わかっています。けれど、足止めには、鬼である私の方が向いています。それに、少し旧友と話をしてくるだけですから……心配をしなくても大丈夫ですよ」

 

 微笑んで、そう言う。私にできることは、もうこれくらいしかない。

 

「珠世様! 何を言っているんですか! こいつもこう言ってるんだ! こいつを囮にして逃げましょう!!」

 

「…………」

 

 少し、信じられないことを愈史郎は言った。

 

「冗談です!」

 

 愈史郎は、すぐに自身の言葉を撤回する。

 

「珠世さん!」

 

 少年は、竈門炭治郎は、物言いたげな目でこちらを見つめていた。その気持ちも、少しだけなら察することができる。

 

 そういえばと、一つ謝っておかなければならないことがあったのだった。

 

「すみません。鬼を人に戻す薬は、もう作ることができないかもしれません――( )

 

「珠世さん! 必ず生きて帰ってきてください! 必ず禰豆子を、それに望まずに鬼になった人を人間に戻す方法を見つけてください! 約束です!」

 

「お前……! 珠世様に無礼だぞ!!」

 

 愈史郎は炭治郎さんを押さえつけた。どうして愈史郎は、こうも人に暴力を振るうのだろうか。

 

「わかりました。必ず、鬼を人に戻す方法を見つけましょう! 約束です。さあ、早く行って!!」

 

「くそっ……。こっちだ! これだから、俺は鬼狩りに関わるのは反対だったんだ……くそッ!」

 

 悔しげに愈史郎は炭治郎さんたちを案内する。

 奥で寝ている女性に、地下で拘束されている鬼になった男性を運んで、逃げてくれるはずだろう。

 

 一息ついて、私は表へと足を運んだ。

 

「久しぶりね。珠世ちゃん」

 

「ええ、久しぶりね、(ハツ)()

 

 上弦の弐だった。その眼に、『上弦』の『弐』と刻まれている以外、昔と変わったところはない。

 

「ハツミちゃん。知り合い?」

 

 その上弦の弐の隣に居たのは、見たことのない女の鬼だった。

 眼に『上弦』の『参』の文字。この鬼も危険か。鬼は普通群れないが、あの男の指示だろうか。

 

「昔馴染みよ? 飲み友達。悪友と言ってもいいでしょう」

 

 悪友と、そう称されるのも仕方がない。あのころの私は悪そのものだった。

 鬼舞辻に、あの男に重用されていた。それはまだいい。彼女の……(ハツ)()のところで、血を分けてもらっている、それで足りるはずなのにも飽き足らず、人を殺して回って食べていたのだ。

 

 だから、彼女のところでも、あそこの人間をたくさん殺しただの、あの人間が食べてみたら不味かっただの、そんな(はなし)しかしなかった。

 

「変わりがないのね」

 

「そう? 珠世ちゃんが居なくなってから、いろいろなことがあったのよ? 私の里の子たちも、昔と比べれば、すごく美味しくなったし……それで、私も強くなった……」

 

 確かに、昔より、よほどにその鬼としての存在の格は上がっているだろう。より、鬼舞辻に近くなったとも言える。

 

「私は鬼舞辻無惨、あの男を殺したいと思っている……」

 

「最後に会ったときも、そんなことを言っていたわね……ぇ。正直、冗談だと思って聞き流していたのだけれど、本当に居なくなって驚いたのよ?」

 

 苦々しい思い出だった。

 この子なら、この善良な鬼ならば、私に協力してくれると、あの時の私は信じ込んでいた。だって、この子は、最低なあの男を、私と同じく心の底では嫌悪していると思い込んでいた。

 

「あなたなら、私の仲間になってくれるって思っていたの。だって、あなたは人を殺したことがない。そんな善良なあなたが、他人をなんとも思わないようなあの男を、良くは思ってないって、ずっと私は信じていたわ」

 

「た、珠世ちゃん。な、なにを言っているの!? あるわよ! 私、人を殺したこと……!!」

 

 そのあからさまに動揺したような態度に、私はクスリとしてしまう。

 だって、私が人を殺した話なんかは、この子はいい顔をせずにただ相槌だけを打っていたんだ。

 

「いいえ、ないわ。昔から今に至るまで、あなたは人を誰一人として殺さずに、常に人を助けて来たの!」

 

 この子は村の子どもには、嫌な顔一つ見せず相手をしてあげていた。大人たちの相談にも真剣に乗っていて、本当に尊敬されていた。

 殺さずに、彼女が人肉を食べるのは、その命が自然に全うされてからと決まっていた。

 ああ、四百年……私が鬼舞辻から離反して、この子のもとにも行かなくなって、もう四百年になる。

 

 その間、ずっと、ずっと続けて来たんだ。

 

「意味のわからないことを言わないでっ! おかしいわよ珠世ちゃん!」

 

「あなたは、あの最低な男のもとから離れるべきだった! あの時なら、それができた!! ああ、なんで、あんな男なんかに! あぁ……あぁっ!」

 

 本当にこの子は、私なんかは比べ物にならないくらいの良い子だった。

 一緒にいるのが腹が立つくらい……それでも、一緒にいたくなるようなそんな子だった。

 

「私は、あのお方に救われたのよ! あのお方を裏切るのなら、死んだ方がましなの! ねぇ、珠世ちゃん。あのお方を殺したいなら、私を殺してからにしなさい! 絶対に、私、珠世ちゃんには殺されてあげないわ……! 私、強いもの」

 

「えぇ……」

 

 ため息が漏れる。

 彼女のそういうところだ。そういうところに呆れてしまう。

 

 鬼になれば、普通、私のように利己的で短絡的になる。

 

 私の知る限りでは、あのお方の為と、自分のことよりも鬼舞辻のことを優先する鬼はいなかった。鬼舞辻のことを慮っても、それは自分の二の次。きっと、そんな鬼は、彼女以外では今もいないだろう。

 

 どこであの男は、こんな子を拾ってきて懐かせたのか本当に不思議だった。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。今から、あのお方に謝りに行きましょう? ねっ。私も一緒に謝るわ! そうしたら、許してくれるかもしれないわ! ねぇ、そうしましょう!」

 

「いいえ、しないわ! 私はあの男を殺す! 殺すべきなの! これからあの男の犠牲になる人たちのためにもっ!」

 

 あぁ、私は私の復讐のことばかりを考えていた。

 それでも、私のためだけではない。これから犠牲になる誰かのためにもなる。きっと、それは鬼から人に戻すための薬のように……。あの耳飾りの少年の顔を思い出す。

 

「まさじろうに、ときに、よね、ね」

 

「…………」

 

 不意に彼女は名前を口に出した。一瞬、なんのことだかわからなかった。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。あなたが食べてしまった家族の名前よ? あの時はうまく誤魔化されたけれど……そんなことを言うのなら……きっと、珠世ちゃん……正直なことを言わなきゃよね?」

 

「あ……あぁ……」

 

 昔の話だ。とても昔の……。本当に私は、どうしようもない悪い鬼だった。

 

「ねぇ、珠世ちゃん……」

 

「…………」

 

 言いたくなかった。過去のことは、もう全てなかったことにしたかった。

 

()()()、ちゃん!」

 

 催促をされる。

 あぁ……あぁ……。

 

「だって……」

 

「…………」

 

「――だって、ずるかったのよ! なにが、(ハツ)()様のおかげで、長生きができます、子どもの成長を見届けることができます……よ! おかしいわ……! 私は喰い殺した!! 夫もっ! 子供もっ……ぉ! 鬼になって……っ! 鬼になったのよ……ぉおっ!! 体も……っ、心も……っぉ! ええ、そう……心もよ……!! 同じ……同じ病だったのに……ぃ。私だけ、私だけ……。あぁ……。許せなかった!!」

 

 バレないように、血の一滴も溢さないように、服ごと体に吸収した。

 美味しかった。食べて数時間は夢心地だった。身体が震えるくらいの感動だった。

 

「珠世ちゃん……」

 

「あぁ……あの男は許せない……。私を鬼にしたあの男は本当に許せない……っ!! あぁ……はぁっ……はぁっ……」

 

 なにより許せないのは私自身。愈史郎は、不治の病だから、鬼になってまで生き長らえたいかと聞き鬼にした。けれども、鬼にする以外にも方法はあった。

 

 あぁ、私が死ぬ覚悟で、この子の、(ハツ)()のもとに持ってくればよかったのだ。

 

 結局、私はあの男と同じことをしていた。

 それでいて、あの男に鬼にされた時よりも、私が鬼にした方がと、昔の自分を慰めて、満足感を得ていただけだった。

 

 最低な鬼だった。

 

「ねぇ、あのお方は太陽さえ克服すれば、ハツミちゃんの村で穏やかに過ごすって、言ってくださっているわ? 人を鬼にするのもやめるって……。あのお方の悲願を叶えることこそ、これからの犠牲を減らすことに繋がると思うの」

 

「…………」

 

 話に割り込んできたのは上弦の参だった。なんなの一体……この女は……。

 

「どんな罪も、きっと償えるわ! あのお方の悲願を少しでも早く叶えるためにも、お手伝いをすることが、あなたの役目だと思うの!」

 

 笑顔で上弦の参は語る。この鬼は、まずい……。本能がそう訴えかけてくる。それなのに、身体が動かない。

 

「どうせ、太陽を克服したって、あの男は、また、すぐ、つまらない理由で鬼を増やすに決まっているわ!」

 

 気がつけば、会話をしてしまっている。

 この鬼の言葉は、きっと、聞くべきではない。わずかな血ばかりで生きていけるように身体を改造したせいで、鬼としての力は昔よりも弱い。だからこそ、様々なものに対しての耐性も少ない。

 

 その正体はわからないが、このままでは、間違いなく、この女の何かに()()()()

 

「そうしたら、次の願いも私たちで叶えればいい。私たちが働いた分、犠牲も少なくて済むと思うの! そう思えば、私たちは素晴らしいことをしているでしょう? えぇ、素晴らしいことをしているのよ! だから……っ! あなたも一緒に! 罪を償うためにも……! より多くの人のためにも……! あのお方のもとで働きましょう!!」

 

「つ……罪……。罪……私の……私の……」

 

 あぁ、私は沢山の人を喰い殺した。取り返しのつかないことをしてしまっていた。

 

 それなのに……今更……他人のためなんかを理由にして……あぁ……心の憎しみも消えていないのに……。

 ……あぁ、きっと、あのお方のもとでもう一度働けたら、この罪も贖えるのだろう。

 

 ち、違う……。焦る。こんなことを考えるつもりはなかった。

 あの男こそが、元凶。諸悪の根源。罪を償うならばあの男だ。あんな男がのうのうと生きいていていいはずがない。

 

「罪は償えるし、頑張りは報われるわ! 鬼の力は人のために使うことができる! 鬼になったのは、鬼の始祖であるあのお方のおかげ……私たちの人を救うための力は、あのお方のおかげで……そう思えば……きっと、赦せると思うわ! 辛いでしょう……? ずっと、憎み続けるのは……もう十分に苦しんだ……楽になっていいのよ……? いいえ……私は珠世ちゃんに、楽になって欲しいの……!」

 

「赦す……? ら……楽に……、わ、私が……、はぁっ……はぁっ……」

 

 呼吸が荒くなる。

 わ、私は、私は……。

 

「私たちと一緒に――( )

 

 ――血鬼術『惑血・夢幻の香』。

 

 なにも聞きたくない。なにも見たくない。

 血鬼術を使った相手は、自分自身。

 

 もう、無理だった。あの女とは、一秒も話したくはなかった。視界に入れたくもなかった。

 

 蹲って、これで私は、難を逃れることができる。

 

 自身に使った血鬼術のせいで、時間感覚も曖昧だった。自分の殻に閉じ籠って、どれくらいこうしていただろうか。

 

「んが……っ」

 

「ふん……(しゃ)()の血鬼術に耐えかねて、自らの血鬼術で視覚に聴覚を塞いだか……。だが、それではなにもできまい。正気を失ったな、珠世」

 

 頭が掴まれる。

 頭に響く……耳を介さない、直接頭に言葉を送り込む……こんな芸当ができるのは一人しかいない。

 

「なるほど……鬼を人間に戻す薬……。それを使い、弱らせ、私を殺そうという魂胆だったか……。考えたものだ……。だが、最早そんなものは完成しない。お前の行動は無意味だった」

 

「む……無惨……! 鬼舞辻無惨……!」

 

 記憶が読まれている。この男のことだ。自身を害するものを全て排するため、どんな可能性であろうと潰す。恥知らずの臆病者だ。

 

 万が一にも、自分が殺されないために、私の記憶を好き勝手に調べまわっているのだろう。

 

「ふん……。青い彼岸花は見つけられていない……か。鬼に太陽を克服させる薬も……珠世、お前ならば、とも思ったが……役に立たないものだ……」

 

「返せ……っ! 返せ……! 私の夫を……子どもを……っぉお! 鬼舞辻無惨!!」

 

「喰い殺したのは自分だろう? 恨むのならば、自分を恨め」

 

「ふざけるな……! お前が鬼にしたせいだ! お前は必ず地獄に堕ちる!」

 

 この男がきた以上、私もこれまで……。

 不死である鬼を殺せるのはこの男。もはや観念する他ない。

 

「珠世……お前の力は役に立った。身体をいじって、弱くなっているようだが……私の血をわけてやろう……。呪いをかけ直した」

 

 せっかく、改造した身体が、もとに戻っていくのを感じる。昔のように……あの、人を殺してばかりだった頃に、戻ってしまう。

 

「いや……、いやっ……!」

 

「一度逃れたことは許してやろう。これからは私の役に立つことだ」

 

「む、無惨……! 鬼舞辻無惨……!!」

 

 呪いがかけられたならばと、名前を叫んだ。

 町じゅうに響くくらいに大きく叫ぶ。

 

「…………」

 

「無惨! 無惨!」

 

「……哀れだな、珠世。ここは無限城だ……。お前が蹲っている間に移動させてもらった。私たち以外に、お前の声を聞くものなどいない。呪いを発動させる必要などない」

 

「ん……んぁあ……あぁ……むざぁああん!!」

 

「気でも狂ったか……」

 

 呆れたように無惨は呟いた。意味がないことが分かっても、叫ばずにはいられなかった。悔しくて、悔しくて、どうしようもなかった。

 

「落ち着いて、珠世ちゃん。よしよし、落ち着いてね」

 

 いつのまにか、私が私にかけた術が解けていた。無惨以外の声が聞こえた。

 

 後ろから、抱きしめられる。慣れた手つきで、私のことを宥めようとしてくれている。(ハツ)()の声だった。

 

(しゃ)()。死なれても構わないが、せっかく生かした。……よく話しておけ」

 

「はい」

 

 琵琶の音がする。その音とともに無惨は消えて行った。

 

「……!?」

 

 そして、あの上弦の参が近づいてくる。

 この鬼は無理だ。ダメだ。今は鬼舞辻の呪いもかけ直されている。これ以上は……。

 

「ふふ、せっかくハツミちゃんが頼んで生かしてもらえたのよ? そうでなくても、自死なんて選んではいけないわ……」

 

「…………」

 

 こ、怖い……。

 身体が、震えてしまう。

 

「大丈夫よ。あなたが食べてしまった夫に、子供も、きっとアナタのことを赦しているはずよ? 鬼になったのだもの……食べてしまったことは仕方がないことよ」

 

「あの男は……あの男だけは……」

 

「あのお方のことも、赦して……そうすればきっと、私たちには新しい生が待っているわ! そんなに辛い顔をする必要も、もうなくなるの。もう……いいのよ……。アナタはじゅうぶんに頑張ったわ」

 

「……あぁ……」

 

 もう、いいのかもしれない。食べてしまった夫に子どもも……決して……私を……。

 

「死んでしまった人たちの分まで……アナタには幸せになってほしいの……。もう、恨まないで……憎まないで……。目指しましょう、鬼と人が仲良く暮らせる世界を」

 

「……えぇ……」

 

 とても楽で、幸せな気分だった。





 次回は響凱から。

 映画、観てきました。初日に観てきました。特典も貰いました。やっぱり鬼滅はいいですね。


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大切な人たち

 あの鬼を連れた鬼狩りを殴り、上弦の弐の情報を吐かせた。肋が折れたようだったが、気にするべきことではない。鬼舞辻無惨も、上弦の弐も、必ず殺す。その罪、決して許しはしない。


 新しい任務だった。

 鬼殺隊が鬼を倒しに向かうのは、被害が出て、そこに鬼がいるとわかってから。必然的に戦う鬼はそれなりの強さになる。

 

 鬼殺隊の正式な隊員と認められてからの初任務を終え、私は次の任務へとすぐに駆り出された。

 

 鎹鴉の指示に従って、歩いていたところだった。

 

「……?」

 

 黄色い奇抜な髪色の男の子が、道端に具合が悪そうに蹲っていた。

 

「俺、死ぬんだ……。次の任務で……」

 

「チュン! チュン、チュン!」

 

 雀が周りでチュンチュンとしている。

 とても珍妙な光景だった。

 

「ごめんなさい。なにをしているのかしら?」

 

 声をかける。

 私の記憶が正しければ、この子は最終選別の玉鋼を選ぶときに見かけた子だ。黄色い頭なんて滅多にいないから、たぶん、間違えはないと思う。

 

 黄色い男の子は、私の声に顔をあげる。

 

「……!? ……!!」

 

 こちらを見て、目の色を変えた。

 

「……なに、かしら……?」

 

「助けてくれよ……ぉ。結婚してくれ……ぇ」

 

「え……? え……?」

 

 急に抱きつかれる。この男はなに? ほとんど初対面でしょう? 結婚?

 意味がわからなかった。

 

「俺、すごく弱いんだ……ぁ。次の任務で死ぬんだ……。だから、結婚してくれよ……ぉ」

 

「離れなさい! あなたも鬼殺隊の隊士でしょう! 死ぬことくらい覚悟なさい!」

 

 引き剥がそうとする。思ったより力が強くて難しい。

 ここは道の真ん中。通りかかる人だっている。女の子が、関わりにならないようにか、そそくさと脇を通り抜けて行った。すごく好奇の目で見られた気がした。

 

「せめて死ぬなら……女の子と結婚してから死にたいんだ……ぁ! 結婚してくれよ……ぉ!」

 

「あぁ……もう……いい加減にしなさい! こんな道端で、みっともない!!」

 

 こんなのを見られてしまったら、恥ずかしくてたまらない。

 同じ隊服を着ているから、本当に色々と勘違いをされそうで嫌だった。

 

「なにをしているんだ?」

 

 聞き覚えのある声だった。この黄色い男の子よりも、そっちに目が行く。

 

「炭治郎!」

 

 ああ、あの最終選別を思い出す。あの時に会った、日の耳飾りの少年だった。

 

「なえ、その人は?」

 

「知らないわよ! 声をかけるなり結婚してくれって……!!」

 

「うぅ……お願いだ……ぁ」

 

 まだ懲りないようだった。本当に面倒でたまらない。

 

 私の気持ちを察したようで、炭治郎が近づくと、その黄色い子の襟を後ろから掴んで引っ張る。私から引き剥がしてくれる。

 

「なにやってるんだ! なえが困ってるだろう!」

 

「隊服……っ!? お前は最終選別の……!?」

 

 引き剥がされて、ようやく炭治郎のことに気がついたのだろうか。

 それはともかく、炭治郎に駆け寄る。炭治郎の近くだと、不思議と自分の表情が柔らかくなるのがわかる。

 

「ありがとう。炭治郎。とても困っていたの」

 

「いいんだ、なえ。困ったことがあったら、なんでも言ってくれよ。力になるから」

 

 あぁ、本当に炭治郎は優しい。一緒にいると、胸がすくような気分になる。

 

 これで引き下がればいいものを、黄色い子はなおも騒ぐ。

 

「ちょっと、待ってくれよ! なんで邪魔するんだ! お前には関係ないだろ!」

 

「なえが嫌がってる!」

 

「なえ……なえちゃんって言うのか? なえちゃんは俺のことが好きなんだ! だから、結婚してくれるんだ!」

 

「……? あなたのような意気地なし、だれが好くの?」

 

 単純に疑問だった。

 男の子は、強くて、頼りになって、自分に自信を持っている人の方がいいに決まってる。

 

「……え……? 俺のことが好きだから、声をかけてくれたんじゃ……」

 

「……? 同じ鬼殺隊として、道端で蹲っているのはみっともないから、注意しようと声をかけたのよ?」

 

「…………」

 

 黄色い男の子は黙り込んだ。

 どうして私がこの黄色い男の子を好くのかは、わからないままだったが、誤解が解けたようでよかった。

 

 炭治郎は、そんな黄色い男の子の肩に慰めるように手をかけた。

 

「大丈夫か?」

 

「なんでお前! 妙に優しいんだよ!」

 

「お前じゃない。俺は竈門炭治郎だ!」

 

「あぁ……俺は我妻善逸だよっ!」

 

 投げやり気味に自分の名前を言った黄色い男の子だった。

 

 私の自己紹介は……まぁ、いいか。炭治郎が言っていたから、それで善逸くんもわかっているようだし。

 

「さぁ、行くわよ! 鬼を倒しに! こうしている間にも、被害に遭っている人がいるかもしれないわ!」

 

「あぁ、俺、弱いんだ……。次の任務で死ぬんだ……。守ってくれよ炭治郎……ぉ」

 

「善逸、俺にはわかるぞ! 善逸が強いってこと」

 

「そんな……ぁ。俺は弱いんだよ……ぉ。選別も逃げ回ってただけだし……。気持ち悪い音がして、わけわからない内に終わってたし……」

 

「…………」

 

 選別のことはあまり思い出したいことではなかった。

 そういえば、あのとき残った五人以外は、上弦の弐の血鬼術を身近に体感して、その脅威に鬼狩りの道を諦めてしまった。あと一人のことは知らないけど、諦めずに鬼狩りでいるということは、根性だけはあるのだろう。

 

「……うぅ」

 

「頑張りなさい。応援するわ! あなたならきっとできる! きっとあなたにはその力があるわ! あなただからこそ成し遂げられるのよ!」

 

「な……なえちゃん!」

 

 善逸くんがこっちを見た。

 なにか期待をするような目で見ている。目を逸らす。

 

「行きましょう炭治郎。善逸くんもやる気になっているようだし」

 

「あぁ……!」

 

 目的地に急ぐ。一秒一秒が惜しい。早く鬼を倒して、これから鬼に襲われるかもしれない人を、助けないといけないんだ。

 

「待ってくれよ……。なえちゃん……。炭治郎……ぉ」

 

 走り出した私と炭治郎に、善逸くんが遅れて追いすがってくる。

 ちゃんと付いてきているようでよかった。

 

 しばらく走ったところだった。炭治郎が、先頭を走っていた私に並走してくる。

 改めて炭治郎を見直す。何か、箱を背負っているよう。

 

「なぁ、なえ。少し気になったんだけど、その隊服……その……」

 

 炭治郎の視線は私の胸元にあった。

 それだけで、言いたいことはわかる。

 

「えぇ、ちゃんと送ったと思ったのだけど、胸の寸法が合ってなかったのよ。おかげで留め具が閉められないの……」

 

 下から二つ留めて、もう留めるのを諦めている。無理に留めようとしたけれど、キツくて本当にだめだった。

 

「そうなのか……? 隊服は雑魚鬼の攻撃なら防げるのに、そんなふうに、胸もとが露出してるんじゃ、危なくないか? それに、首もとの留め金は閉められるんじゃないのか?」

 

「首もとのこれなら、最初の任務で壊れたわ。あまり良くはないけど、任務が入ったのだから、仕方がないわ……。後で、ちゃんと寸法の合った隊服をもらうつもりよ?」

 

「そうなのか。それじゃあ、なえは、あんまり前に出ない方がいいんだな」

 

 炭治郎は万全でない私を気遣ってくれる。

 

「いいえ。私も鬼殺隊の隊士。気遣いは嬉しいけれど、ちゃんと前に出て戦うわ」

 

 今まで私は修行をしてきたんだ。多少調子が悪いくらいで、仲間の負担を増やすわけにはいけない。

 

「わかった。でも、無理はしないんだ」

 

「ええ、わきまえてる」

 

 私は稀血だ。私が死んで食べられてしまえば、鬼はかなり力をつけることになる。力を付けた鬼によって、より多くの人が殺されてしまう可能性がある。

 

 私がやられるわけにはいかなかった。

 危ないと思ったら、すぐに撤退するつもりでいる。

 

「なぁ、じゃあ、俺が後ろに下がってても……。俺がいても、なんの役にも立たないしさぁ……」

 

 善逸が何か言っていた。

 

 それよりも、近い。鬼の気配を……ジトッと湿るような気味の悪い熱さを肌に感じる。風に流れてくる。

 

「…………」

 

 炭治郎も気付いているのか、足を早めて黙々と前に進んだ。

 

「屋敷……?」

 

 ああ、屋敷だ。木が生い茂る中、一つ屋敷が佇んでいる。

 

「血の匂いだ。でも、これは……なえと同じような血の匂いがする」

 

「え……? 私?」

 

 炭治郎がよくわからないことを言った。

 鼻がきくという話だったが、血……私と同じような血……。

 

「匂い……? それよりも、音がしないか……気持ち悪い……」

 

 そう言うのは善逸だった。

 私には聞こえない。炭治郎に視線を送り確認するけれど、同様のようだった。

 

「あ……っ」

 

 炭治郎が、何かに気がついたように振り向く。釣られてそちらに視線が移る。

 

「子ども……」

 

 男の子に、それより小さな女の子――( )二人の子供が身を寄せ合って、木の陰にいた。

 

「どうしたの? そんなところで……」

 

 ここは、女の子の私が、話をきくのにもってこいだろう。男の子よりも、子供に警戒されないはずだ。

 

「……うぅ」

 

 かなり怯えているようだった。どうにか安心させなければならない。そのために近付く。

 

「ひっ……」

 

 後退りされる。

 私でもこんなに怯えられてしまうんだ。きっと、ものすごく怖い目に遭ったのだろう。

 

 一気に距離を詰める。

 

「もう大丈夫よ。安心しなさい?」

 

 笑顔で、二人のことを包み込むように抱きしめてあげる。

 私が、夜の闇で不安な時も、こうやって……。

 

「ぐすっ……。うぁ……あぁあ」

 

 女の子が安心したように泣き出した。

 

「落ち着いて……。よしよし、落ち着いてね」

 

 撫でてあげる。頼れるような大人たちもいなくて、きっととても心細かったのだろう。

 

「うぅ……」

 

 少しだけだけれど、落ち着いてくれたようでよかった。

 

「どうして、二人はここに?」

 

 まだ話せそうな男の子に、そうやって尋ねる。やっぱり、鬼を倒すなら、情報が大切だろう。

 

「兄ちゃんが……兄ちゃんが化け物に連れて行かれたんだ……」

 

「化け物……?」

 

「夜道を歩いていたら、兄ちゃんが……」

 

 化け物というのは鬼のことだろう。

 

「化け物はこの屋敷に入ったのかしら?」

 

「うん……。兄ちゃんが、ケガしたから……血の跡を辿って、ここまで来たんだ……」

 

「その化け物の特徴ってわかるかしら? 例えば、そうね、手足がたくさんあったりだとか、その化け物が何かをすると不思議なことが起こったりだとか……」

 

「わ、わからない……暗くて、よく見えなかったから……」

 

「なんでもいいの。何かわかることがあったら教えてくれないかしら。よく思い出して……」

 

「わ、わからない……」

 

「本当になにもわからないの……?」

 

「うぅ……」

 

 男の子は、口を閉ざしてしまった。

 鬼を見たのだから、きっと何か情報を持っているに決まっている。情報があるかどうかはとても重要だ。血鬼術なんて、知っていないと本当に酷い目に遭う。

 

 あの女の結界の血鬼術も、なにも知らなければどうにもできないものだった。

 

「ねぇ、なにか教えてくれないかしら……」

 

「本当に、なにも……」

 

「なんでもいいのよ? 本当になんでもいいの。だから……」

 

「なえ……」

 

 肩を掴まれる。炭治郎にだった。

 

「なに?」

 

「その子たちは、わからないって言ってる。そんなに無理に聞き出す必要はないんじゃないか?」

 

 そうやって、制止をしてくる炭治郎に、少しだけムッとくる。

 

「だって……情報は必要よ! 確かに……私が……強引だったところはあるかもしれないけど……それでもなのよ!」

 

「……なえ。なえが任務のことを誰よりも考えていることはわかる。でも、その子たちを困らせたらダメだ」

 

 炭治郎は、私ではなく、私が問い質していたその男の子のことを見ていた。

 確かに、私の強引な問いかけに、困惑しているようだった。

 

 それを見て、ハッとなる。

 

 鬼殺隊にとって重要なのは、鬼を狩ること。それともう一つ、同じくらいに大切なことは、鬼に襲われた人を守ることだ。

 こんなふうに、鬼に怯えているこの子たちに、さらに負担を強いることは、きっと間違っているのだろう。

 

「……私が悪かったわ」

 

「その……。なにもわからなくて……ごめんなさい……」

 

 無理にしつこく尋ねた私が悪いというのに、謝られてしまう。罪悪感で私が逡巡している間に、炭治郎がその子たちに微笑み掛けた。

 

「大丈夫だ! どんな化け物だろうと、俺たちがやっつけてやる!」

 

 俯いていた女の子が、炭治郎の方を向く。

 

「ほ……ホント?」

 

「本当だ! その連れて行かれた兄ちゃんのことも、きっと助ける」

 

 連れて行かれたのが夜ならば、その連れて行かれた子は……もう……。

 それでも、炭治郎は諦めていないのだとわかる。

 

「そうと決まれば、さっさと鬼を倒しましょう。ここで往生している暇はないわ」

 

「……あぁ。行こう、善逸」

 

 鬼はこの屋敷の中。手早く倒してしまおう。

 

「ひ……っ」

 

 善逸くんは首を振った。

 行きたくないようだった。

 失望した。

 

「情けないわね……」

 

 屋敷の玄関の前に立つ。戸を開ける。事前に用意していた容器の中身を、その玄関に撒き散らす。

 

「血?」

 

「ええ、そうよ? 探しに行くのも手間だから、あっちから出てきてもらうの。私って、それなりの稀血でしょ? こうすれば簡単にお引き寄せられる。わざわざ罠の張ってあるかもしれない奥に向かうよりも、こっちの方がずっといいはずでしょう?」

 

「その容器は?」

 

「鬼殺隊に相談したら貰えたのよ。事前に私の血をとって、抗凝固剤を混ぜて、保存しておいているの」

 

 こんな形で役に立つとは、思ってもみなかったけれど、使えるものはなんでも使うべきだろう。それが、たとえ自分の血でも……鬼を殺すためなら……。

 

「そうか、わかったぞ! この匂い! きっと、あの子達の兄ちゃんも、なえと同じ稀血なんだ!」

 

「……え?」

 

 そういえば、確かにさっき、この屋敷の中から、私と同じような血の匂いがするって……。炭治郎の鼻は、そんなこともわかるのか。

 

 まあ、稀血といっても、私と比べたら、大したことはないはずだ。私の血は、鬼にとって、かなりの栄養になる。あの女も執着するくらいだ。わ、私の方が絶対にすごい。

 

「なえ……ちょっと待ってくれ……。この屋敷の奥から、薄いけど……あの上弦の弐の匂いがする……」

 

「そんな……!?」

 

 確かに、稀血と言ったら、あの女だ。

 だけれども、この屋敷にあの女がいるわけがない。この時間なら、村にいるはずだ。

 

「な、なぁ炭治郎……上弦の弐って、確か……藤襲山を丸裸にした……あの……」

 

 善逸は、それを聞くや、ガクガクと怯え始める。

 

「たぶん、この感じ……あの上弦の弐自体がいるわけじゃない……。あの結界だけだと思う……。それに、この屋敷の中からは、複数の鬼の匂いがする……」

 

 きっと、あの子達の兄を攫ったのは、あの女ではない別の鬼だろう。あの女の結界が屋敷の中にあるのは……きっと、この屋敷の鬼が前にも稀血の子を攫ったからか……。

 そういう子を助け出して、信頼させて、村の一員にさせるのが、あの女の手口だった。

 

「結界だけ……。結界だけなら、そうね……あの女もあちこちにある結界を、全て監視できているわけじゃない……。実際、あの藤襲山でも、私が山に入ってから、あの女が現れるまで、それなりに時間があった。鬼を私の血で誘き出して……踏み入れるのは一瞬……すぐに屋敷の外に出る。……それで大丈夫なはずよ」

 

「そうなのか? でも、かなり危険じゃないか?」

 

「それでも、この屋敷の鬼は、今日ここで殺す!! それだけは絶対よ!! さぁ、出てきたわよ?」

 

 影が蠢く。私の血に釣られて、鬼がまんまと姿を現す。

 

「ヘッ、ヘッ、ヘッ……。稀血……ィ、こんなところに逃げたか……俺が食ってやる……」

 

 四つん這いで動き回り、舌を長く伸ばした鬼だった。

 

「残念だけど……それはできないわ?」

 

「お前たちはなんだ? あの稀血の子どもはどこにいる?」

 

 稀血の子どもとは、あの子たちの兄のことだろう。なるほど、私の血をそれと勘違いして、ここにやって来たのか。

 

「それは私の血よ? 私も稀血なのよ。すごいでしょう? 少し垂らしたら、すぐにあなたがやってきたわ?」

 

「グッ、ヘッ、ヘッ……。これは確かに良い匂いだ。そんなところにいないで……こっちに来るんだ……。ヘッ、ヘッ……悪いようにはしないぞ……? 陽の光の下は暑いだろう? 影で涼んだらどうだ?」

 

 私のような、質の良い稀血の匂いを嗅ぐと、鬼は頭があまりよろしくなくなる。だから、こんな太陽の光が近いところにもノコノコとやってきてしまう。

 

 そんなよろしくない頭で、稀血の私を陽の光の届かぬ場所へと、誘い込もうとしている。

 

「炭治郎……」

 

 小声で合図を送る。

 

「…………」

 

 それに炭治郎は無言で頷いてくれた。そして、動くのは私だ。

 

「ええ、じゃあ、屋敷に入らせてもらうわ」

 

 屋敷へと、陽の光の届かない、影の中へと足を踏み入れる。

 

「グッ、ヘッ、ヘッ……稀血……ィイ! 食ってやる……! 死ねぇ……!」

 

 舌が伸びる。人の体なら、簡単に貫通しそうな速度だった。

 血鬼術の使えない、異形の鬼か。その単純な攻撃なら、簡単に見切れる。

 

 ――『風の呼吸・参ノ型 青嵐風樹』!

 

 伸びてくる舌を、風の刃で巻き上げて、細切れにする。風の刃で千切れ、短くなりながら、舌はこちらに進んでくるも、限界まで伸び切ったのか、私にたどり着かずに止まる。

 所詮はこの程度の鬼というわけだ。

 

「そんなのじゃ、私のことは食べられないわよ?」

 

「コイツ……ゥ! ぐっ……、まだ……――( )!?」

 

「――なえじゃない! 俺がお前の頸を斬る!」

 

 ――『水の呼吸・壱ノ型 水面斬り』!

 

「……うぐ……っ」

 

 炭治郎により、スッパリと頸が斬られ、地面に鬼の頭が落ちた。

 

 稀血の私にばかり鬼が気を取られている間に、炭治郎に頸を斬ってもらおうと、そのために送った合図だったけれど、炭治郎はしっかり理解してくれたようでよかった。

 

 鬼の体が、ボロボロと崩れて消えていく。

 

「…………」

 

 手を合わせて、炭治郎は祈っているようだった。死んだ鬼が成仏できるようにだろうか。

 

「とりあえず、離れるわよ炭治郎。屋敷の外に出るの。これで、鬼は倒せたから……あの子達のお兄さんを探すなら、あの女に知られていない善逸くんにでも任せればいいわ」

 

 炭治郎の手を引っ張って、屋敷の外に出ようとする。

 

「待ってくれ、なえ! まだ油断したらダメだ! この屋敷からは、この鬼と、上弦の弐以外の鬼の匂いがする……まだ鬼がいる!」

 

「……えっ?」

 

 ――鼓の音がした。

 

 雰囲気が変わった。何かが起きている。

 周りを見渡す。さっきは、開けっ放しだったはずの玄関の戸が、閉じていた。

 

 戸を開ける。

 この戸の向こうはたしかに外だった。そのはずなのに、繋がっているのは違う部屋だ。

 

「なえ……」

 

「してやられたわ……。さっき垂らした血の跡がないから、これは……移動系の血鬼術……? 面倒なことになったわ」

 

 血の跡がないということは、こちらには鬼は来ない。きっと、血鬼術で移動させられる前に私たちがいた出口の方に向かうだろう。

 善逸くんがうまくやってくれればいいのだけれど。

 

「どうする? さっきよりも、上弦の弐の匂いが強い……。ここはもう、結界の中央に近い……」

 

「仕方ないわ……これで最後なのだけれど……」

 

 もう一個、容器を取り出して、血を垂らす。

 これで、二つに一つの可能性で、鬼がこちらにくることになる。それだけでは、不確かだろう。

 

 さっきの鬼の舌を切って、刀にこびりついた血を隊服で拭う。

 

「なえ?」

 

「…………」

 

 左手の掌を刀で傷付ける。地面に私の血を垂らす。

 

「なえ……! なにやってるんだ!」

 

「血の量……これじゃ、向こうの玄関と同じでしょう? ちゃんと鬼にはこっちにきてもらわないと……」

 

 これで、血の匂いも、こちらの方が濃くなるはずだ。

 本当にこれでこっちに来るかはわからないけど、なにもしないよりはマシだろう。

 

「は、早く血を止めないと!!」

 

「そうね」

 

 呼吸で血の流れを抑えて血を止める。呼吸を使えば、このくらいの傷、どうってことはない。

 あとは……念のため、服を千切って布を傷口に当てておくくらいだ。

 

「そうだ! 傷薬があるんだ! 俺が師匠から貰った――( )

 

「稀血ィ……、あいつらのせいでまた取り逃した……。小生の獲物だった……。小生の縄張りだった……」

 

「お出ましね……」

 

 鬼だった。

 身体から鼓の生えた鬼だった。

 

 その威圧感、存在から放たれる熱量、並の鬼ではない。あの十二鬼月を騙った鬼よりも、圧倒的な重圧がかかる。

 

「貴様……稀血だな……?」

 

 ただ、この鬼は、不気味なほど異様に痩せ細っていた。

 

「ええ、そうよ? そして、あなたを殺しに来た……。――鬼殺隊よ!!」

 

 日輪刀を向ける。そんな私に、この鬼は不快感にか目を細める。

 

「あの女……ァア!! 小生から稀血を奪うばかりではなく……鬼殺隊まで……!! 許せぬ……!! 上弦の弐だろうと許せぬ!!」

 

「こっちは急いでいるの……! その上弦の弐のせいでね!! さっさと死になさい!!」

 

 ――全集中『風の呼吸』!!

 

 頸に目掛け、勢いに任せて刀を振るう。

 

 もらった!!

 

「ふん……」

 

 鬼が鼓を叩く。

 

「……え?」

 

 不思議な浮遊感が体を襲った。刀の軌道がブレる。鬼の頸を斬るはずだった斬撃が、空を切った。

 

「なえ! 回転した! 部屋が回転した!!」

 

 炭治郎の言う通り、部屋が回転――( )床と天井が側面に、壁が床面にある。

 鬼は本来の床に立ち、私たちには、横向きに立っているように見える。私たち二人だけが、壁に引っ張られている形だった。

 

「あの女……ァア! あの女のせいで稀血が食えなかった……。あの女のせいで何年も動けなかった……!! あの女……ァア!!」

 

 凄まじい恨みだった。空気が震えるような慟哭だった。

 私もあの女には恨みつらみがあるけれど、共感はできなかった。

 

「人を喰い殺しておいてなによ!! 全部自分のせいだと思いなさい!! 自業自得よ!! 炭治郎、行くわよ!」

 

「あぁ!!」

 

 鬼に向かう。

 

 ああ、一度だ。一度、(ハツ)()様の鬼の倒し方を見たことがある。

 

 あれは、私たちが結界の外に出ようと企んで、(ハツ)()様が止めにやってきた時のことだ。駄々をこねたら、(ハツ)()様はお優しいから、みんなには内緒にと、一緒に少しだけ外を見て回った。そのとき、鬼が私たちの血に誘われて、やってきたのだ。

 

 勝負は一瞬だった。

 鬼は(ハツ)()様の血鬼術により、血を絞り尽くされ枯れ果てた。

 

 この鬼も、きっとそうされたのだろう。今、異様に痩せ細っているのはきっとそのせい。あの時の鬼は外だったから、朝日に照らされて死んでしまったのだろうけど、この鬼は室内で、しぶとく生き残ったのだろう。

 

 あの女のことだ。きっと外に放り出すのを面倒がったに違いない。

 

 ――『風の呼吸』!!

 

 ――『水の呼吸』!!

 

「く……っ」

 

 鬼がもう一度、体に生えた鼓を叩く。また部屋が回転する。攻撃が届かない。

 何度も何度も鼓を叩かれ、部屋がグルグルと目まぐるしく回る。回る

 

 

「…………」

 

 だが、部屋は回転をするが、それ以外のことはない。こちらの攻撃が届かないが、代わりに相手の攻撃が届くことはない。

 

「なえ……このままじゃ、ダメだ! 時間を稼がれたら、上弦の弐が……!!」

 

「わかってるわよ! ねぇ、鬼のあなた! 部屋を回転させる以外の術はないの? このままじゃ、埒があかないわよ?」

 

 部屋を回転させるだけで、直接向かってくる様子のない鬼に問う。攻撃に移った隙をつけば、今の状況も打開できる可能性がある。このままなにも変わらずに、あの女に気付かれるよりはマシだった。

 

「小生の術を……! 小生の鼓……! あの女だ! あの女が壊したせいだ……ァア!!」

 

 鬼は上弦の弐に憤るばかりだった。

 

「君……! 名前は?」

 

「……!? ……響凱」

 

 なぜか炭治郎は、鬼の名前を聞く。鬼の名前なんて、どうだっていいだろうに……。

 

「なえ! だんだんわかってきた! 右肩は右、左肩は左、右脚は前、左足は後ろ回転だ!」

 

 鬼が鼓を叩く。部屋が回る。

 

「右? 左? えっと、炭治郎!! それって鬼から見て? 私たちから見て?」

 

「ぐっ……鬼から見てだ!!」

 

「わかったわ!」

 

 だが、これで少し戦いやすくなった。

 鬼は本来の力を出せずに弱体化している。今回は、それが幸いだった。

 

「ぐ……ぅ」

 

 鬼は必死に鼓を叩いて、私たちの行動を妨害しようとしている。だが、部屋が回るのにも、私も炭治郎も、もう慣れてきはじめた。

 

 鬼から見て、右回転……。鬼から見て、後ろ回転……。

 合わせて体を動かして、綺麗に着地しつつ、鬼の方向を目指す。これならば、剣が届く。

 

「炭治郎! 合わせて!」

 

 ――『風の呼吸・漆ノ型 勁風・天狗風』!!

 

 私の風の刃が、炭治郎の背中を押す。この回転する空間でも、鬼に刃が届くよう。

 

「ありがとう、なえ!! 絶対にこの刃は届かせてみせる!!」

 

 炭治郎の技により、巻き取られる風の刃。まるで水面に立つ竜巻のような、そんな光景を幻視する。

 

「ぐ……っ!?」

 

 部屋の回転が加速する。だが、炭治郎は私におされたその勢いのまま、ものともせず、鬼に向かう。

 

「行って! 炭治郎!!」

 

「響凱! 俺は人殺しの鬼は許さない!! 人を攫ったことを、許さない!!」

 

 ――『水の呼吸・陸ノ型・改 ねじれ風渦』!!

 

「……なっ!?」

 

 炭治郎の刃により、鬼の頸が斬り飛ばされる。それだけではない。纏われた風の刃により、鬼の体がバラバラに切り裂かれる。

 

 凄まじい威力だった。ぼとぼととバラバラになった鬼の身体が地面に落ちる。ようやくの決着だった。

 

「……ふぅ……」

 

 戦いを終え、炭治郎は一息つき、床に座り込む。

 

「小僧……」

 

 落ちた頸が、炭治郎へと語りかけた。

 

「…………」

 

「本来ならば、小生の血鬼術は、こんなものではなかった……」

 

「あぁ、わかってる」

 

 それは本当だろう。あの女と戦ったせいで、この鬼が本来の力を発揮できていないことはわかっていた。

 

「本来の小生ならば、お前たちなど容易く殺せたのだ……」

 

「人殺しの鬼は許さない。それでも()()()は、必ずお前の頸を斬りに来た」

 

「……。そうか……」

 

 意味のある会話だったかはわからない。それでも、なんとなくだけど、死にゆく鬼の魂が、救われて行ったような気がした。

 

「あ……そうだ……」

 

 炭治郎は懐から何かを取り出すと、すぐさま、バラバラになった鬼の体に投げつける。

 鬼の体は、日輪刀で頸を斬られたら、すぐにボロボロと崩れていく。その前になにかしておきたいことがあったのだろう。

 

 カツンと、床に当たる音がした。

 

「……え?」

 

 鬼の身体がなくなる時間が、普通よりも短い。地面に吸収されている。

 

「なえ、会いたかったわ……」

 

「ひ……っ」

 

 後ろから声がした。あの女の声だ。

 

 振り向く。私の後ろには、上弦の弐がいて……。

 

「なえ……」

 

「え……っ?」

 

 ――小さい?

 

 身長が私の胸あたりもない。確かに声はあの女だ。だが、顔も身体も子どものそれ。

 

 なぜ、こんな姿に……?

 鬼は確かに、容姿を自由に操れるようだけれど、どうして子どもの姿なんかに……。

 

 物音がする。この女とも、炭治郎とも違う方向だった。

 そこには、いた。猪の被り物をした、上半身裸の変な男だった。

 

「ギャハハハ!! 見つけたぞ! 化け物……! 屍を曝して俺がより強くなるため、高く行くための踏み台となれ!! いくぜ!!」

 

 ――我流『獣の呼吸・参ノ牙 喰い裂き』!!

 

 目の前の小さな(ハツ)()様に向かって一直線。頸に刃があたり、そして――( )頸が落ちた。

 

「え……っ?」

 

 困惑しかなかった。

 じょ、上弦の弐だ。かなりの実力がなければ、その刃が頸に通るわけがない。この猪男に、そんな実力はない。その男の身体に宿る熱量に、私の直感がそう告げている。

 

「あ……頭……頭……。頭……あったわ!!」

 

 頸を斬られた小さな(ハツ)()様は、落ちた頭を拾い上げると、そのまま頸にくっつける。

 そして満足したように笑顔になった。

 

「え……っ?」

 

 鬼は、日輪刀で頸を斬られたら死ぬ。

 なのに、この小さな(ハツ)()様は死ななかった。

 

 おかしい。絶対になにか仕掛けがある。よく見れば、その眼には、『上弦』の『弐』の文字がない。

 黄色い虹彩に、十字に引き裂かれたような瞳孔。小さい体躯。そして、頸を斬られても死なない。

 

「ギャハハ! 面白れ……ェ! 鬼なのに、頸を斬られても死なねぇのか!?」

 

「分身だからよ? 結界は、もともと私の分身だから、こうして人の姿をとることもできる……。ふふ、なえ……なえが血を垂らしてくれたでしょう? そのおかげよっ……ぉ? それに、喰い荒らされた残飯に、さっきの鬼の死体ね……。それを吸収して、この姿になったの……」

 

「…………」

 

 鬼を誘き寄せるために撒いた血……あれが仇になったのか。軽率だった。こんな芸当ができるなんて……。

 

「あぁ、それと……鼓も叩けるわよ?」

 

 どこからか、鼓を取り出してきた。

 身構える。もしや、吸収したから、さっきの鬼の血鬼術が扱えるのか……。

 

「…………」

 

 ポン、ポンと、可愛らしい鼓の音が響いた。なにも起こらない。

 

「…………」

 

 無言で小さな(ハツ)()様は、鼓を地面に転がす。踏み付けて壊す。

 

「…………」

 

「…………」

 

 皆が愕然としていた。

 

「さぁ、なえ……。里に帰りましょう? あなたの家族も待っているわ!!」

 

 何事もなかったかのように、小さな(ハツ)()様はそう言う。

 

「い、嫌よ! 帰らないって言ってるでしょう?」

 

「むぅ……。あなたが鬼殺隊に入ってしまったって、あなたの両親に伝えたら、あなたの両親はどうしたと思う?」

 

「…………」

 

「自死を選んだわ……。娘が私に刃を向けることを、決して良しとはしなかったの……あれだけ、自分の命は大切にと言っておいたのに……」

 

「……そう」

 

 村を守る(ハツ)()様に、牙を向ける私だ。そうなるのも想像がつく。

 

「今回は一命を取り留めたわ……。だけど、次はどうかわからない。一応、カナエちゃんに説得はしてもらったから……大丈夫だと思うのだけれど……なえ、早く帰ってきた方がいいわ!!」

 

「いいえ、帰らない。もう、二度と帰らないと決めたもの……」

 

「ね、ねぇ。両親が心配ではないの……」

 

 この女はわかっていない。私の覚悟を。こんなふうに、家族を人質にとるような言い方をして……。

 

「あなたを殺せば私の家族は死ぬわ!! だから、私の家族も死んでいると同然!! そう言われても、私は帰らない!!」

 

「そんな……。なえは、そんな悲しいことを言う子じゃなかったわ……。そうね……きっと、鬼殺隊がいけないの……鬼殺隊で育てられたから、こうなったのね……」

 

「また、そんな言い方!! いい加減、私の恩人を侮辱するのはやめて……!!」

 

 この女は、藤襲山から、相変わらずだった。ああ、こうやって話していても、どうしようもない。

 

「ちょっと、いいか……?」

 

 炭治郎が、私たちの話に割って入る。

 

「……ひっ……」

 

「……なにかしら?」

 

 小さな(ハツ)()様は、炭治郎を前に、私の後ろに隠れていた。

 

「……なえ、割って入ってすまない。どうしても、聞きたいことがあったんだ。上弦の弐の分身なら……珠世さんは……珠世さんは……」

 

「……? 珠世ちゃん……? 珠世ちゃんを知っているの? 珠世ちゃんなら、今、屋敷で里の人たちやあのお方のために、薬を作っていると思うわ……? 昔、私の里の人を殺して食べてしまったから、その贖罪のためにと息巻いていたわ」

 

「そう……なのか……」

 

 炭治郎の表情がわからない。安堵しているような、戸惑っているような、悲しんでいるような、そんな不思議な表情だった。

 

「珠世? 誰? 村の人を食べたって……鬼なの?」

 

 炭治郎がよくわからない。鬼に敬称をつけるのもだ。

 

「珠世さんは浅草で会った鬼で、人を食べない鬼なんだ」

 

 炭治郎はそう言った。人を食べないって……そんな鬼がいるのか……。

 

「え……? 珠世ちゃんは、すごく短い間にすごくたくさんの人を殺して食べることが得意なの……あのお方にもすごく重用されていた、すごい鬼なのよ? よく自慢してきたし……」

 

 小さな(ハツ)()様はなにか得意げな顔でそう言った。嘘をついているとは思えない顔だった。

 

「……ねぇ、炭治郎!! あなた、騙されているのね!?」

 

 優しい炭治郎のことだ。悪い女の鬼に騙されてしまったに違いない。

 

「ち、違うんだ! なえ! 信じてくれ!! 珠世さんは、過去のことを反省して、鬼を人に戻す薬を作ろうとしてくれたんだ!!」

 

「鬼を……人に……?」

 

 信じられない話だった。

 だけれども、鬼を人にしてどうする? 人を好き放題に食べて、性格のねじり曲がった鬼ばかりだ。そんなのを人に戻してどうなるのか……。

 

「そういえば、そんな薬を作っていたって話だったわねぇ……思い出したわ!! でも今は、あのお方のために、鬼が日光を克服するための薬を作ろうとしているわ!! まだ、当分できそうにないけれど……」

 

「鬼が……日光を……?」

 

「……そんな……!?」

 

 目が眩むような話だった。

 鬼が死ぬのは、日光を浴びたら……日輪刀で頸を斬られたら……。日輪刀の力は、日の光の力。もし、日光を克服しようものなら、鬼を殺せなくなるのではないか……。

 

「そんな話はいいから……ねぇ、なえ……? ダメなの……?」

 

 小さな(ハツ)()様が、私の裾を引いてそう言う。

 

「ええ……ダメね……」

 

 振り払って、炭治郎の方へと距離をとる。

 これは分身なら、本体は、今、どうしてるのだろうか。話して、時間が経ってしまっている。よくわからないけど、結界は……この分身になってなくなった? 昼間だから、本体は、来れない……?

 

 いや、あの女のことだ。結界の中に転移する術ももしかしたらあるかもしれない。藤襲山は藤の花の牢獄。その中に現れたのだから、もしかしたら、という可能性は捨て切らない。

 

 だけれども、いま、分身が引き止めているということは、本体が出張れないからに違いない。

 

「とにかく、私たちはこの屋敷から出るわ!!」

 

 剣を向ける。小さな(ハツ)()は、ムッとした顔をする。

 

「一応言うけれど、私、弱いわよ? 分身だから……さっきの鬼と同じくらいの強さよ? やめてほしいわ!」

 

 情けなかった……。いくら分身だからって、こんなにも情けないのはあんまりだ!

 

「おい! そこの女の鬼!! 勝負はまだ付いてねェ!! 頸を斬って死なねぇなら、粉々になるまで切り刻んでやる!!」

 

「ひ……っ」

 

「クッ、ハッ、ハッ、猪突猛進!」

 

「いーやー」

 

 しまいには、猪の被り物をした男に追いかけ回され、屋敷を駆け回る始末だった。

 

「ねぇ、炭治郎。さっさとここ、出ましょう」

 

「でも……あの隊士が……」

 

「絶対に大丈夫よ。(ハツ)()様だし……。それに、倒しても死なないような分身と戦ったって、意味がないでしょう?」

 

 あのお方が、人を殺す姿はあまり想像できなかった。村でも本当に優しくて……あぁ……どうして……。

 

「あぁ、わかった」

 

 入り口に向かうため、戸をあける。

 

「……!?」

 

 物が、飛んできた。咄嗟に避ける。

 

 男の子を見つけた。攫われた子だろう。酷く怯えていたようだった。

 

「…………」

 

「ねぇ、あなた。化け物に攫われた子かしら? 化け物ならもう倒したわよ?」

 

「……!? ……!!」

 

 安堵からか、涙が零れ落ちそうで、それでも堪えているのだとわかった。

 

「さぁ、帰りましょう?」

 

 三人で出口を探る。炭治郎が、鼻がきくおかげか、簡単に見つかった。どうやら、善逸くんの匂いを感じ取ったようだった。

 

「兄ちゃん!!」

 

「正一! てる子!!」

 

 出入り口で、兄妹が再会する。

 炭治郎は、それを笑顔で見守っていた。その顔を盗み見た私は、そこにどこか物悲しさを感じてしまう。

 

「なぁ、なえ……。生きているなら……家族は大切にしたほうがいいと思う」

 

 炭治郎はそう言う。本当にダメだ。炭治郎は優しすぎる。

 

「だから聞いていたでしょう? あの女が死んだら、私の家族は死ぬの。だから、もう死んだも同然よ」

 

 何度も自分に言い聞かせてきた。そうでなければ、私に鬼を斬る資格はない。

 

「なえ。諦めるな。きっと、方法がある」

 

「…………」

 

 もしあったとしても……あの村は……私の家族は……あの女を信奉している。そんな方法なんてない。ない方がいい。

 

「それに俺は、人を喰わない善い鬼なら、必ずしも殺す必要はないと思ってる。なえ、言ってただろう? (ハツ)()様は、病気の人を助けてお金を稼いでいるって……それに殺さず血だけなら……」

 

「ダメなのよ! それじゃあ……私は……みんなは……。なんで今、アナタはそんなことを言うの! あの女は殺す。絶対! 私の家族を助けるなら、あの女を倒しても、私の家族が生きている方法を考えるべきでしょう!」

 

 私の家族の話だった。そう話を持っていく、意味がわからない。

 

「だって、なえは……あの鬼のことを……(ハツ)()様のことを、家族のように思っているんだろう?」

 

「あ……あぁ……」

 

 そうだ……私は……あの女のことを……家族のように……。でも、でも、こうじろうにぃも家族同然で……死んでしまったから……その未練も……。あぁ……。

 

「グハ……ァ」

 

「……ひっ」

 

 悲鳴を上げたのは善逸だった。屋敷の二階から、男が落ちてきた。あの猪の被り物の男だった。

 

「…………」

 

「……大丈夫……なのか?」

 

 動かない。近づいて脈を確認する。ちゃんと生きているようだった。

 気絶しているだけだ。

 

 屋敷の影の中に、壊れた鼓が転がっている。さっきまではなかったから、一緒に落ちてきたのだろう。

 被り物をとる。頭に怪我が見えた。どうやら、あの鼓を頭に当てらて、気を失って落ちてきたようだ。

 

「まあ、大丈夫みたいよ?」

 

「よかった……」

 

 鬼殺隊の隊士だし、二階から落ちたくらいではどうともならないだろう。

 

「な、なぁ……。炭治郎……」

 

「どうしたんだ? 善逸……」

 

「あそこで、女の子の鬼が、こっち見てるんだけど……すっごいこっち見てるんだけど……」

 

 善逸くんが指差す先は玄関だった。

 小さな(ハツ)()様が、ジッとこっちを見てる。

 

「なえ……。私は諦めないわ……!」

 

 そんな声が、私にはよく聞こえている気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「縁壱……。縁壱……!? ヒッ……、頸が……!!」

 

 意識が覚醒する。酔い潰れて布団の中だった。頸を触る。うん、ちゃんと繋がっている……。

 

 なんだか夢を見ていたような気がする。行ったことがあるような屋敷で、なえのことを説得する夢だ。猪頭に追いかけられたような気もする。

 

(ハツ)()。ご飯よ?」

 

 珠世ちゃんがそう呼びかけた。

 

「うん。今行く……」

 

 起き上がって、歩いて、珠世ちゃんについていく。

 向かう先は食卓。

 もう、先にカナエちゃんがいた。

 

「あ、ハツミちゃん! 起きたのね!」

 

 食卓に並べられたのは、動物のお肉に、味付けとして人間の血をかけたもの。お茶漬けのように薄めた人間の血を使って浸したご飯。あとは、湯呑みに人間で言うところのお茶と同じくらいに少し意識がスッキリとする血が入れられている。

 

 よくわからないけど、カナエちゃんが作った簡単な料理だった。私だったら、こんな面倒なことはしない。普通にそのまま飲むだけだ。

 

(ハツ)()。いただきます、よ?」

 

「うん。いただきます」

 

「ふふ、召し上がれ」

 

 珠世ちゃんが来てから、何故だか、こういう料理を三人で囲んで食べることになった。

 

 肉をお箸でつまむ。

 カナエちゃんは洋食用の小刀や肉刺しを使って、器用にお肉を切って食べている。私のは、もう、小さく切られた肉だった。

 

 伊達に無惨様の妻をやっているわけじゃない。洋食器だって使えるのに。私はこんな扱いだった。

 

 ちなみに珠世ちゃんも、小さく切られた肉をお箸で摘んで食べている。仲間だった。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。珠世ちゃんは大丈夫?」

 

「ええ、(ハツ)()。調子はとても良いわ」

 

「それなら、いいのだけど……」

 

 問題がないと言うのなら、それでいい。

 

 珠世ちゃんの調子が心配になる出来事があった。

 あれは、珠世が戻ってきた後のことだ。

 

 過去のこともある。どうしようか、迷った挙げ句、わたしは珠世ちゃんを蔵に連れて行った。

 

 心を入れ替えて、無惨様のお役に立つと言うならば、昔のよしみだし、血を分けてあげないこともない。

 

 そう思ったのだけれど、蔵に連れて行った珠世ちゃんは、涎をダラダラと垂らしながら、血を飲むのを我慢していた。

 

 昔なら、蔵に入ったら、好き勝手に血を選り好んで持って行ったのに、ひたすらに我慢していた。

 

「……うぅ。……はぁ……はぁ……」

 

 珠世ちゃんの息が荒い。じゅるりとこぼれた唾液を啜る音がする。

 

「ねぇ、珠世ちゃん! 昔より、とっても血が美味しくなったの! ね、すごいでしょ!!」

 

 私の長年の成果でもある。とても自慢したかった。

 

「ふ……ぅ。は……ぁ。あぁ……あ……」

 

 珠世ちゃんは呻くばかり。あまり良い反応を返してはくれなかった。

 

「ふふ、珠世ちゃん。飲みたいでしょう? ねぇ? ねぇ?」

 

「私は……私は……の、飲みたくない……。ここまでの血は……あぁ……」

 

 珠世ちゃんの肩に触れて、身体をなぞる。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。昔と比べて、すごく弱くなったわよね……ぇ? そんなのじゃ、あのお方のお役には立てないわよ?」

 

「だって、人を殺してはいけないから……! もう、罪を重ねてはいけないから……少ない人の血でも生きていけるように身体を弄って……! 罪……? 罪を償う? それが、あのお方のお役に立つこと?」

 

 珠世ちゃんは錯乱していた。

 なんだか、戻ってきてから支離滅裂だった。

 

 こういうときは、血を飲んで、落ち着けばいい。心も体も回復できて、今の珠世ちゃんにはピッタリだと思った。

 

「ふふ……ちょっと待って……。とっておきの血があるの……!」

 

 カナエちゃんに見つかってはいけないから、少し隠れた場所に置いておいた。

 ()()と実弥くんの娘である(みの)()から、まだ子供だから、少しずつもらって貯めた血だ。硝子の小瓶一つ分しかない。

 

 見つけて、珠世ちゃんの前におく。

 

「……!?」

 

「ねぇ、飲んでいいわよ?」

 

 目を大きく見開いて、珠世ちゃんはそれを見つめる。瞳孔が大きく開く。手を伸ばそうとする。

 

「……あ……」

 

 だが、すぐに珠世ちゃんは目を背けた。

 

「どうしたの? とっても美味しい血なのよ?」

 

 容器を掴んで、グイッと珠世ちゃんの顔のそばまで近づけた。

 

「いやっ……! 飲んだら……もう、戻れなくなる……。戻る……? 何に……?」

 

 珠世ちゃんは、変わらずに支離滅裂だった。私は首を傾げる。

 

「じゃあ、いらないの? いらないなら……しまうけれど……」

 

 いらないのなら、いらないで、それでいい。せっかく戻って来たのだから、記念にとわけてあげようとしたのに、私の好意は無駄になった。

 

「ま、待って……!!」

 

 珠世ちゃんが、まるでこの世の終わりのような表情で、こっちを見ている。

 それがわかって、私はつい笑顔になる。

 

「珠世ちゃん。やっぱり欲しいんだ……!」

 

「……!?」

 

 ハッとした顔をして、珠世ちゃんは自分の口を押さえる。首を横に振る。

 

「ふふ、そうよね。もし本当に欲しくないなら、蔵からもう出て行ってしまっているはずだもの! ほら、美味しい稀血よ?」

 

「……あ……」

 

 珠世ちゃんの鼻に容器を近づけると、力が抜けたような、ぼうっとした表情になった。

 

 夢現にか、珠世ちゃんは容器を受け取って、そのまま飲み込む。

 

「え……っ?」

 

 容器ごと、珠世ちゃんは飲み込んだ。鬼は頑丈だから、容器なんてものともしないけれど、少し予想外だった。

 きっと、一滴も無駄にしないようにという心意気なのだろう。それなら、とても尊敬できる。

 

「……あぁ……ふふふ……」

 

 そして、珠世ちゃんは笑顔になる。笑顔になって、その勢いのまま、近くにあった瓶に手を出そうとする。

 

 あぁ、やっぱり、珠世ちゃんは珠世ちゃんだ。何年経とうが、昔と変わってはいない。

 

「……そっちの瓶は……えっと」

 

 珠世ちゃんの手を出そうとした血の説明をしようとした。

 

「…………」

 

 ふらっとして、珠世ちゃんが倒れる。

 

「……え?」

 

 意識がない。珠世ちゃんは意識を失ってしまった。

 顔を見れば、珠世ちゃんは幸せそうな表情のまま、目を閉じていた。

 

 ふと、顧みる。そういえば、私は、(みの)()の血をほんの少し舐めただけで、数時間、我を失っていた。

 珠世ちゃんは、茶碗一杯分くらい飲んだから、数倍の量。それに、質の良い稀血は、きっと久しぶりだろう。

 

 耐えきれずに、倒れてしまったんだ。

 

 そこからは、蔵から出して、布団に乗っけて、様子を見た。

 

「ねぇ、(ハツ)()ちゃん。大丈夫そう?」

 

 カナエちゃんが近付いてくる。ちょっと、珠世ちゃんを拾って来たためにお開きになった会議に収拾をつけて、戻って来たようだった。

 

「たぶん……大丈夫な……はずよ? 多分」

 

 なぜこうも意識がないかは、きっと、高い栄養に変化する体の負荷が大きいからだろう。

 

 だから、待った。珠世ちゃんが目覚めるのを、隣で待った。丸一日目覚めなかったから、もう嫌になった。

 

「あぁ、そうよ!」

 

 そこで、私は思い付く。鬼としての力が高ければ、体の変化もきっとものともしないはずだ。だから、きっと、無惨様の血を与えれば、どうにかなるかもしれない。

 

 だけれども、無惨様のお手を煩わせるのは論外。一応、蔵に行けば、多少は無惨様の血の蓄えがある。

 

 ただその前に、私はとても無惨様に近い鬼だ。一番近い鬼だろう。あぁ、私はあのお方にとっての一番の鬼だ。

 だから、ちょっと、私の血を、このずっと気を失っている珠世ちゃんに分けてみようと思った。

 

「我慢してね?」

 

 珠世ちゃんの胸元に、手を突き刺す。

 

「うぐ……っ」

 

 意識がないながらも、珠世ちゃんは呻いていた。

 

 そこから、血管をつないで、無理に私の血を流し込む。淀みなく、滞りなく、私の血が珠世ちゃんの身体の中を巡るのがわかる。

 

「…………」

 

 量がわからない。でも、なんとなく、そろそろかという気分になったから、手を引き抜く。

 

 珠世ちゃんを見つめて、待ってみる。

 

「……うぅ」

 

 待っていたら、珠世ちゃんは目を覚ました。私の直感は正しかった。私は、なにも間違ってなどいないのだ。

 

「珠世ちゃん!」

 

(ハツ)()?」

 

 目覚めた珠世ちゃんは、少し前とは違っていた。

 気のせいかもしれないけれど、見た目が、ほんの少し、若くなっている。それと、もう一つ。目が違った。

 

 薄い黄色の虹彩に、十字に割れた瞳孔。

 どこかで、似たようなものを見たことがある。カナエちゃんがそうだったかもしれない。今は上弦の参と刻まれていて、確認ができないから、確かなことは言えないけど……それに、私の記憶もあやふやだった。特に気にして見たわけでもないし……。

 

「珠世ちゃん。気分はどう? 血を飲んで、ずっと気を失っていたのだけど……」

 

 珠世ちゃんは、それを聞くと、惚けた顔をした。そして自分の手を見て、閉じたり開いたりを繰り返す。

 

「とてもいい気分……。なんだか、生まれ変わったみたい……」

 

「そう、それはよかったわ!」

 

 そんなことがあった。

 

 今思えば、私はカナエちゃんの会議のために浅草に行ったのだった。

 その道で、あのお方と、あのお方の新しい妻と子どもを見かけたことが始まりだった。

 つい、私は物陰に隠れて遠くからその光景を見つめていた。本当に悔しくて、涙が出そうだった。

 

 いくぶんか、そうしていれば、縁壱と同じ耳飾りを付けた男の子が無惨様の腕を掴んで、無惨様のことを脅していた。

 

 たまらず、私は駆け出そうとしたけれど、無惨様が脳内に声を響かせ、制止したのだ。

 

 今の妻がいる。前妻である私が現れたら、厄介なことになるのは間違いがない。信じてくれと言われた。

 

 今すぐに助けに向かいたい身体を抑えて、必死に見守る。そうすると、無惨様は通りかかった人を鬼に変え、みごとお逃げになったのだった。

 本当に生きた心地がしなかった。本当に素晴らしい手際だった。

 

 そうして、無惨様がご無事に逃げられたのを確認してから、私も逃げようとしたその時だった。

 珠世ちゃんが現れたのだ。

 

 そこから、カナエちゃんが、耳飾りの子と接触していたから、無惨様の今の地位がまだ使えるよう、月彦さんとしての情報を忘れさせるようにカナエちゃんにお願いをして、その後に、カナエちゃんと合流、珠世ちゃんに会いに行った。

 

 そうして、カナエちゃんが珠世ちゃんに話しかけていたら、なぜか珠世ちゃんが蹲って動かなくなるのだから、琵琶の子に頼んで、無限城まで引っ張ってもらった。

 

 無限城ならば、あの耳飾りの剣士に遭遇することはない。無惨様も安心しておいでになれる。無惨様も、珠世ちゃんのことは気になっていたようだったから、すぐにやって来ていた。

 

 そうして、珠世ちゃんが、今、私たちと一緒に食卓を囲んでいる。

 

「……こうして一緒に食事を摂っていると、なんだか……家族みたいと思わない?」

 

 カナエちゃんがそう言った。

 

「家族……っ!?」

 

 箸を止めて、反応したのは珠世ちゃんだ。わなわなと震えて、私たちを交互に見ている。

 

「家族……ちょっと縁起悪いわね……」

 

 私の家族は、空腹に耐えかねて、私が食べてしまった。珠世ちゃんも自分の家族を鬼になって食べたみたいだし、あまりいい喩えではないと思う。

 

「そう……? 私はとても良いと思ったのだけど……」

 

 笑顔で言うカナエちゃんだ。

 まあ、たしかに家族はいいものだけれど……私は二人のことを友達と思っていたし、そんな風には思わなかった。

 私は無惨様の妻でもあるし……。

 

「家族! 私は良いと思うわ……」

 

「……え……っ」

 

 珠世ちゃんが賛成した。

 珠世ちゃんは数百年前に食べた家族のことを今でも想っているのだから、こういう話は避けると思っていたのに、意外だった。

 

「そう? じゃあ、親子……というのは違うから……姉妹かしら……。私が長女ねっ!」

 

「……!?」

 

「……!!」

 

 横暴だった。いくらなんでもそれはない。私も珠世ちゃんも、カナエちゃんに目が釘付けになった。

 

「カナエちゃん。一番年下でしょう?」

 

「そういうのは関係ないわ! 長女というのは、心掛けの問題だもの。妹も居たし、私が長女なのが丁度いいと思うのよ」

 

「……カナエちゃん。カナエちゃん……結構だらしないと思うの……。目を離したら……里の子たちを食べてしまいそうだし……。すぐに酔って記憶をなくしてしまうし……。長女はやっぱり、私みたいなしっかり者でないとダメだって思うわ。それに、私が一番年上っ!」

 

 これ以上に、反論はないだろう。姉妹だと言うのなら、私が長女に違いない。

 

(ハツ)()は末っ子がいいと思うわ……」

 

「……えっ!?」

 

 珠世ちゃんの攻撃にあった。なぜ、どうして私が末っ子なんだ。

 

(ハツ)()が一番、この中では幼い……。長女なら、見た目の通り、私が適任だと思うわ。いっそ、私が母親でもいい」

 

「幼い……!! 幼いって、私の見た目のことを言っているの!? 見た目なら、変えられるのよ!? ほら!」

 

 ちょっと身長を伸ばして、大人びた感じを出す。これで三歳くらいは年上に見られるはずだ。

 

「そういうところを言っているの……」

 

「え……?」

 

 呆れた顔で言われてしまった。私の行動は、裏目に出てしまったのがわかる。悔しいから、身長をもとに戻す。

 

「あらあら……ぁ」

 

 ニコニコと、カナエちゃんは私たちのやりとりを見届けていた。

 

 結局みんな、長女がいいと主張するから、まるでまとまらない。誰が長女かは、結局、最後まで決まらなかった。

 

「それじゃあ、私たち、お揃いの髪飾りを作ってもらいましょう?」

 

 カナエちゃんがそう言う。確かに家族で揃えた物を持っているというのは多い。それに倣ってだろう。

 

「そういえば、カナエちゃん。カナエちゃんの妹と、お揃いの髪飾りよね?」

 

 思い出す。確かカナエちゃんの妹は、今のカナエちゃんと同じく蝶の髪留めをしていたはずだ。

 

「ええ、そうよ! といっても、これは蝶屋敷の子みんなで付けているのだけど……。でも、そういうふうに、私たちも、何か作ったら良いと思ったのよ?」

 

 友達でも姉妹でも、もうどちらでもいいけれど、そういうのがあると、なんだかいいかもしれない。

 

 ふと、カナエちゃんの頬の痣が目に入った。

 

「彼岸花……彼岸花の、(かんざし)はどう? ねぇ、珠世ちゃん」

 

「……良いと思うわ……素敵ね」

 

 さっきと違って、珠世ちゃんは私に同意してくれる。さっきも、こういうふうに同意してくれればよかったんだ。

 

「それなら、決まりね! 私もそれが良いと思うわ!」

 

 案外、すんなりと決まるものだ。

 長女の話とは大違いだ。

 

 ツテを辿って、彼岸花の(かんざし)は、数日で届いた。




 次回、蜘蛛山。
 意地でも一話で書き終わらせます。


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蜘蛛山の鬼

 失われてしまったから、決して取り戻すことはできない。わかりきったことだった。


「あわ」

 

 縁側に腰をかけて、私は耳飾りを付けた方のお侍様の隣に座っていた。

 

「…………」

 

「兄上は憂いている……。自らの技を継承する者がいないことを……自らの技が途絶えてしまうことを……」

 

 月の光のようにきらきらと輝く美しい剣技を見た。

 その後に、この耳飾りをつけた方のお侍様が現れると、(はつ)()さまも、あの面倒を見てくれた方のお侍様も、どこかに行ってしまった。

 

「…………」

 

「私たちは、ほんの歴史の一欠片にすぎない。私たちの才覚をしのぐ者が今にも産声を上げている。……兄上は立派なお方ゆえに、それでも未来のことを憂いていた」

 

 そこから、ついでのように、耳飾りのお侍様は、兄上と慕うその人の生い立ちを語った。

 

「…………」

 

 難しい話だった。けれども、大切な話のような気がしたから、意味がわからなくとも、必死で私はその話を聞いていた。

 

「すまない。こんな話をしてしまって……」

 

「あわ、できるよ!!」

 

 斬られた薪の残骸を持って、さっきの剣術の真似をする。

 無我夢中に木の破片を振って、耳飾りのお侍様に見せてみた。

 

 それを見て、お侍様は顔を綻ばせる。

 

「ありがとう」

 

 そう言って、耳飾りのお侍様は、私のことを撫でてくれる。それでも、なんだか、煙に巻かれているようで嫌だった。私のやったあの剣術の真似を、まるで評価してくれはしなかった。

 

「むー、あわにもできるもん!!」

 

 意固地になって、繰り返す。何回も何回も……。繰り返して、繰り返して、私にもできていると、認められようとした。

 

「…………」

 

 それを、耳飾りのお侍様は、ほうけたように見つめていた。

 

「……あっ!?」

 

 つまづいてしまう。

 すぐさま、耳飾りのお侍様は私のことを抱きとめて、転ぶ前に助けてくれた。

 

「怪我はないようだ……」

 

「むぅ」

 

 思い通りにいかなくて、腹が立つ。

 

 ふと、お侍様が私の胸元に指を当てた。

 

「呼吸の仕方がある。それぞれの身体の造りに合った呼吸の仕方だ」

 

「呼吸……?」

 

「兄上と同じ呼吸ができなければ、技は継げぬ。あわには、おそらく……」

 

 そこから先、耳飾りのお侍様は言わなかったが、私にはそれが想像できた。それがとても悔しかった。

 

「あわにも、できるもん!!」

 

 だから、跳ね除ける。もう一度、薪のかけらを持つ。知ったことではない。できると言ったら、できる。

 

「…………」

 

 私が木の棒を振る姿を、耳飾りのお侍様は、黙って見つめていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 疲れるまで、何回も何回も繰り返していた。

 

「あわ」

 

「…………」

 

 そうしてようやく、耳飾りのお侍様は口を開く。

 

「呼吸に合った身体の造りだ。技を繰り返す。道を極めた者が辿り着く場所は()()()()()()

 

「……!? わかった!!」

 

 そして私は何回も、何回も、何回も、真似をして、真似をして、真似をした。

 

「どうか、今日の日のことを忘れないでいてほしい……」

 

「うん……!!」

 

 その流麗な剣術は、記憶にずっと焼き付いていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 藤の花の家紋の家。

 かつて、鬼狩りに助けられ、そこから鬼殺隊に協力するようになった人たちの家のことだ。

 

 私たちは、その家で、休息をとることになった。

 着替えに、ご飯に、お医者様。旅館以上の待遇で迎えられた。

 

 怪我が一番酷かったのは、炭治郎。肋が数本折れていたらしい。今回の任務の前にケガをして、そのままだったようだった。言ってくれればよかったのに、ずっと我慢していたみたいだった。

 

 次に酷かったのは、猪の被り物をした男の子だった。頭蓋骨にヒビが入って、屋敷の二階から落ちた衝撃か、さらにいくつか骨にヒビが入っていたらしい。意識がなかったから、炭治郎が背負ってここまで運んできた。

 

 私も、軽症ではない。最終選別で血鬼術を使う鬼にやられて負ったケガがまだ治りかけで、そのまま動いたから、悪化していると言われた。そんなに辛くはないから大丈夫だと思ったのだけれど、まだ安静が必要のようだ。

 

 善逸くんは無傷だった。

 

 ご飯を食べて、そうして用意された部屋で眠ることになった。

 

 男の子三人は同じ部屋で、女の私は違う部屋が用意されていた。

 

「それで、なえ……。やっぱり考え直してくれないの?」

 

「……なんでいるのよ!? どうやって!?」

 

 私が部屋にくると、当然のようにそこには小さな(ハツ)()様がちょこんと布団の上に座っていた。

 

 ここに来たのはまだ外が明るいうち。それなのに、この鬼の分身がここにいるのはおかしい。つけてきたわけでもないだろうに。

 

「私は結界でもあるわけだから、地面の下でズズズっとね! この程度、お茶の子さいさいよ!」

 

「そんな……!?」

 

 なんにせよ、まずい。このまま私が、たとえば蝶屋敷のようなところに行けば、この分身もついてくる。

 分身がやってくれば、本体にも居場所が、そうすれば鬼舞辻無惨にも情報が行き渡るはずだ。十二鬼月に、全国の鬼たちがまとめてやってくるかもしれない。

 

 各個撃破ではなく総力戦。ここ百年近く上弦の鬼は倒せていない。鬼には寿命がない。上弦という強力な鬼側の戦力は、ここ百年削れてはいなかった。果たして、それで勝てるのだろうか。

 鬼殺隊の存亡に関わる事態だった。

 

「なえ……なえが戻って来ないと言うなら、私がなえを守るわ! うん、なえが生きていることが一番大切だもの!」

 

「あ、あなたに守られる筋合いはないわ!! どうしてよ! どうして今さら現れて! そんなことができるのっ!」

 

 こうじろう()ぃが死んだのは、この鬼の呪いのせい。殺しておいて、生き残った私にはこんなにも執着している。

 あぁ……なぜ、どうして私だけ……私だけ生き残ってしまったんだ……。

 

「ごめんなさい……。私がちゃんと、なえのこと、守ってあげられなかったのがいけないのよね? 私が守ってあげられたら、鬼狩りなんかになる必要もなかった……」

 

「……守る? 鬼狩りなんか? ふざけないでよ? ねぇ!?」

 

 そんなことを言ってほしいわけではなかった。

 日輪刀を取り出して、構える。

 

「な、なえ……? な、なんのつもり? 分身だから、頸を斬られても私、死なないわよ?」

 

「わかってるわ? それでも、刀で括り付けて、動かなくするくらいならできるでしょう?」

 

 このまま、好き勝手されるわけにはいかない。

 

「や、やめて、なえ! そんな酷いことしないで!!」

 

 小さな(ハツ)()様は、プルプルと震えて、部屋の隅で縮こまってしまう。

 

「…………」

 

 見た目に騙されてはいけない。

 何百年と生きてきた鬼、その分身だ。躊躇する必要なんてない。

 

「なえ……っ」

 

「…………」

 

 私の大切な人を殺したこの女が憎い。みんなは鬼に大切な人を殺された。それは私もだった。

 

 だから、鬼狩りになって、私も……。何も知らずに鬼に育てられて、幸せだった分だけ、その分だけ、みんなと同じように、苦しくても戦わなきゃならない。

 

 目を閉じれば、今でも、あの、命が失われる感覚が思い出せる。大切な人が死んでいく無力さを思い出せる。

 

「……なえ?」

 

「…………」

 

 身体が動かない。

 刀を取り落としてしまう。

 

 もう、なにもかもが遅いというのに、まだ、未練がましく……。

 

「なえ……悲しいことがあったの?」

 

「ち、違うわ……っ!」

 

 首を横に振る。

 

 だってだ。

 私は蝶屋敷で、あのとき、毎日のように祈っていた。

 どうか、(ハツ)()様が助けに来てくれますように、悪い夢でありますようにと……。

 けれど、現実は違った。こうじろうにぃは死んだ。そして、私だけ生き残った。

 

 鬼殺隊には、家族を、仲間を鬼に殺された人ばかりだ。そして、鬼はみな人を喰う悪い者。

 

 こうじろうにぃが死んだのは、鬼の呪いのせい。鬼殺隊は、私たちを救ってくれた。

 

 本当なら、結界の外に出て、ちょっと遊んだら帰るつもりだった。私が大切な人を失ったのは……鬼殺隊に保護されたから……。そう思って、鬼殺隊のみんなを恨んだ時もあった。

 

 でも、鬼殺隊のみんなは、鬼を崇める村で育てられたこんな私に、とても優しくしてくれた。

 だから私は、鬼を、大切な人を呪い殺した(ハツ)()様を、恨むことに決めた。そうでないといけなかった。

 

 それでようやく、私はみんなと一緒だった。

 それが正しいことだった。

 

 あぁ、それに、結界の外に出たのは、私自身の意思でだ。

 

 覚悟を決めたはずだった……。だから、再会したときも、迷わずに攻撃ができた……それなのに……だ。

 それなのに変わらない優しさを目の当たりにして、今さら私は躊躇している。

 

 ああ、もしかしたら、(ハツ)()さまが、みんなの目の付かないところで他の鬼のように悪いことをしていれば違うのだろう。

 

「……な、なえ?」

 

「ねぇ……どうして私を説得しようとするの? 連れ帰るなら、あの選別で会った時、すぐに無理やり連れ帰ればよかった。あなたの力なら、それができたでしょう?」

 

「なぜって……? なえが納得しないで帰ってきて、暴れられても困るでしょう? 牢に繋ぐなんて悲しいことはしたくないし……。人間の血は幸せな方が美味しいのよ!」

 

「……っ」

 

 幸せな方が美味しい。それはあの最終選別の時も言っていた話だ。

 

 あぁ……私が最初の任務で狩った鬼は、最悪な鬼だった。人の泣き叫ぶような顔が好きで、絶望した人間の肉が美味いと言うような鬼だった。

 

 鬼でない私は、人間の肉を食べないし、鬼の味覚もわからない。だから(ハツ)()さまが言っていることも、正しい意味で理解できない。

 

 最初、最終選別のとき、血の味が良くなるという意味で、(ハツ)()さまが美味しくなるとそう言ったのだと私は思った。

 

 けれど、美味しいというのはそれだけではない。

 

 (ハツ)()さまは、血の味で人間の気持ちがわかる。みんなで食べればご飯も美味しい。明るい気持ちなら、ご飯も美味しくなる。だから(ハツ)()さまは、味わった血の感情に共感して、幸せな人間の血の方が美味しいと言っているのかもしれない。

 

 なんにせよ、自分が苦しめた人間を美味いと言うような鬼とは違う。もっと、ずっと……。

 

「な、なえ……!? 大丈夫なの!?」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 ()()()

 一度落とした刀を握り直す。

 

 この鬼とは、関わらない方がいい。

 これ以上、話していると、頭がおかしくなりそうだった。

 

 気持ちが悪い。尋常じゃない量の汗が流れていることがわかる。

 

「わ、私のことは後回しに……や、休んだ方がいいと思うわ」

 

「う、うるさい!! あなたは鬼舞辻無惨の仲間!! 人間の敵! 死ぬべき存在なの!!」

 

「私はなえの味方よ! 敵じゃないわ!!」

 

「少し黙って……っ!!」

 

 油断をすると、この鬼のことを許してしまいそうで仕方がない。

 

 そ、そうだ、こうじろうにぃが死んだのはこの鬼のせいだ。そうでないといけないんだ……。

 

「なえ……本意ではないけれど……少し隠れるわ……。この姿は……少し消耗があるから……。見えなくたって私は居るわ!! できるだけ、なえのことを守るから……」

 

 そう言って、小さな(ハツ)()さまは溶けていく。床に染みるようにして、消えて行った。

 

 こんなふうに、地面の下に潜って、私たちのことを追いかけたのだろう。

 

 あぁ、私はどうすればいいんだ。

 考える時間がほしい。刀を投げ捨てて、布団の上に寝そべった。

 

「――っ!? ――――!!」

 

「……?」

 

 ふと、声が聞こえる。

 男の子たちが眠っているはずの部屋の方だった。相当に騒がしい。

 

 一人の部屋のはずなのに、私はかなり叫んでいた。それでも様子を見に来ないくらいに騒いでいるみたいだった。もう夜なのに……。

 

 あの小さな(ハツ)()さまのことはどうすればいいか、まだ決めきれていない。

 陰鬱とした心持ちで、能天気に騒いでいる彼らには、うるさいとでも文句を言おうと、男の子たちの部屋に足を運んだ。

 

「炭治郎……ぉおお! お前!! 女の子を連れて! 一緒に! キャッキャウフフと!! いいご身分だなっ!」

 

「待ってくれ……! 善逸、待ってくれ!! 禰豆子は俺の……!!」

 

「うるっさいわねぇ……! こっちまで聞こえて――( )

 

「……ム?」

 

 目が合った。

 

「鬼!? 炭治郎! 鬼がいるわよ!? とにかく……日輪刀を……っ」

 

 慌てて刀を取りに戻る。

 鬼には、日輪刀でないと対抗できない。なんでこっちにも鬼が……。

 

「待ってくれ、なえ!!」

 

「……!?」

 

 炭治郎に手を掴まれる。その行動に、何の意味があるのかよくわからない。

 

「なえ、それに善逸も……。禰豆子は俺の妹なんだ……」

 

「……!?」

 

「……妹……!? 本当なのか、炭治郎!」

 

 あの、禰豆子と呼ばれた少女は鬼だ。どこからどう見ても鬼だ。信じられない。

 

 その台詞は、鬼を庇っているものだった。

 

「なえ、禰豆子は人を食べない鬼なんだ」

 

「…………」

 

 真剣な顔で、炭治郎は私に訴えかけている。その目に私の心が軋む。

 

「ねーずこちゃーん……! アハハ……アハハ……」

 

「むー、むー」

 

 何故だか善逸くんは、気持ちの悪い動きで、その炭治郎の妹の鬼を追いかけ始めた。

 炭治郎の妹の鬼は、部屋の中をトテトテと走って、善逸から逃げ回っている。

 

「許されないわ……。鬼を庇うのは隊律違反よ? わかってる?」

 

「わかってる。でも、禰豆子は人を食べない。襲わない……。禰豆子は普通の鬼とは違うんだ。頼むから、なえ! このことは、今は! 今だけでいい! ちゃんと行動で示していくからっ! なえ! だから、今だけは見逃してくれ!」

 

 私の腕を掴んだまま、炭治郎は頭を下げた。

 

 なんとなく理解できた。

 炭治郎が、身内とはいえ、鬼を庇って……。炭治郎が鬼をやけに好意的に言っていた理由も……。いや、もしかしたらそうでなくても炭治郎は……これは考えてもキリがないか……。

 

 最終選別から、私はこの男の子に救われてきた。

 だからこそだろう。

 なんだか、疲れがドッと押し寄せて来たような気がした。

 

「そうね……わかったわ……」

 

「なえ……。ありがとう、なえ。本当にありがとう」

 

 両手で私の手を握って、炭治郎は、安堵した表情で、微笑む。

 そんな笑顔を見届けて、私は部屋に戻った。

 

 あぁ、もう何もかもがどうでもよくなる。

 

 布団に潜って、寝ようとする。向こうの部屋からは、善逸くんの声が良く響いてきた。

 

 悔しい……悔しくてたまらない……。

 炭治郎が、何の臆面もなく、家族の鬼を庇っていることだ。

 ずるいと私は思った。

 

 もう何も考えたくない。涙が流れてしまうが、関係ない。とにかく、眠ることにだけ意識を集中させる。

 

 どうしようもなかった……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なえ、入るぞ」

 

「…………」

 

 炭治郎の声がした。

 無遠慮に戸を開けて、私の寝ている部屋に入ってきた。

 

「なえ、駄目じゃないか……。もう日が暮れてるぞ? ご飯は食べないのか?」

 

 ずっと、布団の中に潜っていた私に、炭治郎は声をかける。

 

「気分じゃないの……」

 

 できるだけそっけなく答える。炭治郎とは、できるだけ話したくなかった。私のことなんて放っておいてくれればよかった。

 

「なえの具合が悪そうだったから、夕ご飯はお粥にしてもらったんだ。どうだ? 美味しそうだろう?」

 

「ご飯、持って来たの?」

 

「なえは、朝から何も食べてないんだ。いくら具合が悪いからって、ちゃんと食べた方がいい」

 

「そういうのじゃないわ……」

 

 炭治郎に背を向ける。顔を見たくなかった。

 

「そうだ。善逸が任務に行ったんだ」

 

「ええ、わかってるわ。騒がしいのが、こっちにも聞こえてきた。……一人だけ無傷だったものね。当然よ」

 

「絶対に嫌だって、柱にしがみつくものだから、引き剥がすのが大変だったんだぞ?」

 

「それは……本当に気の毒だったわね……」

 

 そんなふうにいじけている善逸くんは、簡単に想像できた。その面倒を見る炭治郎もだ。

 

「なえ……もしかして、怒ってるのか?」

 

「…………」

 

「俺が禰豆子を……鬼を連れていることを怒ってるのか?」

 

「……どうして?」

 

 的確に、嫌なところを突いてくる。わざわざ私が考えないようにしているところだった。

 

「なんとなくだけど……なえから、怒っているような、そんな匂いがしたんだ」

 

 匂い? 炭治郎は鼻が利く。だけれども、それで感情がわかるものなのだろうか?

 

 なんだか、本人に言われると、意地を張って、こうして不貞腐れている私が馬鹿らしくなってくる。

 

「ねぇ、炭治郎……少し、聞いてくれる?」

 

「……あぁ、わかった」

 

 何の話をするかもまだ言っていないのに、炭治郎は二つ返事で了承した。

 

 本当にいいのかとも思ったけれど、私は喋りたかった。語りたかった。

 

「私は鬼を崇める村で育った。そして、その村を治める鬼の名前は(ハツ)()。旱魃の魃に、果実の実で(ハツ)()と書く。鬼の始祖たる鬼舞辻の次に長生きで、何百年と人の血肉を喰らい生きながらえてきた上弦の弐」

 

「…………」

 

「私の姉の名前は、いなほで、私の名前はなえ。よく遊んだ男の子の名前はこうじろう……ね。稲穂に、苗に、麹。村では、そんなふうに作物にちなんで名前をつけられることがよくあったわ」

 

「なえ……じゃあ、なえの名前は漢字で『苗』って書くのか? 『苗』って……」

 

 炭治郎はそんなことを気にしたようだった。空に指で『苗』と文字を書く。いま気にするようなことでもないだろうに、少し私は笑ってしまう。

 

「いいえ、私は平仮名で『なえ』よ? 漢字で苗は、私のご先祖様の名前。(ハツ)()様がそう言っていたから、間違いがないわ」

 

「そうなのか……」

 

 別に同じ名前を付けてはいけないわけでもない。ただ、区別がつき易いようにと、二世代くらい前までの人とは、全く同じ名前は付けない習わしがあった。

 

「私たちは(ハツ)()様が好きだった。面倒見が良くて、困っていたら気にかけてくれる。村にいれば、飢える心配もない。お金を稼ぐ必要もない。村は、(ハツ)()様が病気の人を治して、そうやって貰ったお金で成り立っていたわ」

 

「…………」

 

「でも、村で生まれたら、村で一生暮らさないといけない。外に出てはいけない。そういう決まりで、私たちは結界の外に出ようとすれば、決まって連れ戻された」

 

「どうやっても、外には出られなかったのか?」

 

「ええ、そうよ。出たとしても(ハツ)()様が、ずっとついて来ていたわ」

 

 連れ戻しに来た(ハツ)()様に、わがままを言えば、(ハツ)()様と一緒に少し外を見て回ることもできた。それは内緒のことだった。

 

「そうなんだな……」

 

 炭治郎が、少しだけ悲しげな目をした。こういう話をすると、鬼殺隊のみんなは大体こういう顔を見せる。

 

 いつもと違って、今はその反応に言いようのない苛立たしさを感じてしまう。

 

「ち、違うわ! それでも私たちは幸せだった!! 私は今でもあの頃に戻りたいって思って……っ! 思って……? わ、私は……私は……」

 

 そんなこと、鬼殺隊のみんなの前では、口が裂けても言えなかった。そう思うことはおかしなことだった。だって、鬼に支配された家畜のような暮らしが良いだなんて、狂ってるんだ。

 

「な、なえ……」

 

「た、炭治郎! う、嘘なの。私はあの女が憎いわ。私の大切な人を殺したあの女が憎い。そうよ! あんな女の村で暮らすなんて、まっぴらごめんなのよ……! そう……!」

 

 とっさに私は取り繕う。

 あの鬼は許されない。許してはいけない。憎くて憎くてたまらない。

 

「……なえ、その……なえの大切な人を殺したっていうのは」

 

「あの女は殺したの!! あの女の結界の中で生まれ育った人間は、あの女の結界の外に出たら、数ヶ月も持たないうちに死ぬ! あの女の呪いによってね! 鬼殺隊が、どれだけ手を尽くしても、こうじろうにぃは助からなかった……」

 

 生まれたときから、あの女に人生を縛られている。村の人間は、そんな哀れな存在だった。

 

「……じゃあ……なんで、なえは生きているんだ?」

 

 炭治郎はそう問いかける。

 あぁ……それは至極真っ当な疑問だった。

 

「私もそれなりに長い時間、熱が出て、魘されたわ。でも……死ななかった。鬼殺隊の偉い人には、どうして死ななかったのか、その絡繰はわからないけど、そういう体質だったのだろうと言われたの……。私だけが……生き残った……」

 

「そうか……そうなのか……」

 

 悔しい……悔しくてたまらない。なぜ、私だけ……なぜ、私なんだ……。

 

「そう、そうよ……!! 私とこうじろうにぃは、結界の外に出て、鬼殺隊の人たちに()()()()()()()()のよ! 生き残った私は、罪を償わなくちゃいけない。悪い鬼に手を貸していたのだから……!!」

 

「…………」

 

「ねぇ、炭治郎! ()()()()、大切な人を殺した鬼が憎いでしょう!? 同じ、()()()()なのっ!! ()()()()()()よっ? 私は大切な人をあの女に殺されたから、あの女がとても憎い……っ!!」

 

 あぁ、これで……これで私のことは、誤解されない。私は今までと同じように、憎き鬼を殺すことだけを考えて生きていけばいい。

 

 それが正しいことだった。

 

 

「――なえは優しいから……みんなに合わせてくれているんだな」

 

 

 炭治郎は、そう言っていた。

 

 

「……え……っ? な、なに……? 何を言っているの……?」

 

 気がついたときには、私はそう答えている。

 

 意味がわからなかった。

 会話になっていないとすら思う。

 

「だって、なえからは……誰かを憎むような、そんな匂いはしないんだ。でも……なえ、俺は禰豆子のことを信じてる。だから、なえも……自分の信じたいものを信じればいいんだ」

 

「人間は、自分の足で歩くことができる! 自由にっ!! だから、あんな女はいらない。頼る必要もない。それに鬼舞辻無惨は討たれるべき悪……その味方なら、悪……死すべき鬼なのぉ……っ!!」

 

「それでも……なえが信じたいなら信じればいい。大丈夫だ。きっとみんなが納得できるような方法があるから……っ」

 

「みんな……? 死んだ人は帰ってこない……。だから納得もしない! あぁ……こうじろうにぃの無念は私が……はっ、はぁ……私が晴らすの……っ!」

 

「違うぞ! なえ! そんなことは、望んでない!! なえが苦しむようなことは、望んでない!!」

 

 ――俺のせいで……。なえ……。巻き込んで……辛い思いをさせて……ごめん。

 

 幻聴が聞こえた。

 こうじろうにぃは、謝っていた。確かに村の外に行こうと言い出したのはこうじろうにぃだった。けれど、そう誘われるように、村で話を吹き込んだのは私だ。唆したのは私なんだ。

 

 でも、村の外に出たのは()()()()()だった。

 こうじろうにぃが死んだのは、あの鬼のせい。あの鬼が殺したのだから、こうじろうにぃが死んだのは、()()()()()()()だった。だから、せめて仇を討って私は……。

 

「私は苦しむべき人間なの! 私が……私だけが……」

 

 私だけが生きて幸せになる。そんな都合の良いことなど、あってはならない。

 

 あぁ、確かに私は村に戻れば家族がいる。村に戻って、少し不和が起こるかもしれないけれど、(ハツ)()様が言えば私は受け入れられる。また、元の生活に戻って、私は生きて幸せに……。

 

 けれど、もう失われた人がいる。その一人がいないだけで、その生活にはもうなんの意味もない。

 

「なえ……? もしかして……死ぬつもりなのか……」

 

「…………」

 

 本当に炭治郎は痛いところを突いてくる。

 

 あの女を殺した後、仇を取った後は、村のみんなも死ぬだろうから……私も……。

 

「なえ……」

 

「そうよ? あの女が死んだら……私も死ぬわ……?」

 

 そもそも、あの女は強い。私が生きている間に、倒せるかもわからない。私の寿命が尽きる前に、叶うことではないのかもしれない。だからこそ、生半可な覚悟だと笑われるだろう。それでも、私はそう心に決めていた。そうでなくてはいけなかった。

 

「そんなのは……駄目だ……。一緒に、そんなことにならない方法を考えよう。なえっ!!」

 

 私は首を横に振る。

 目の前で大切な人を失ったあの日から、そのための私の人生になった。

 

 炭治郎の耳飾りに触れる。

 

「ねぇ、炭治郎。神楽……見せてくれないかしら? その耳飾りと一緒に受け継いだっていう……」

 

「なえ。話は終わってない」

 

「……見せてほしいわ……? ダメかしら……?」

 

 炭治郎は、不服そうな顔をしていた。

 

 私が都合の悪い話を誤魔化そうとしているのがいけないのだけれど、少しくらいは大目に見てほしかった。

 ジッと炭治郎の目を見つめる。

 

「わかった……」

 

 渋々と言ったように、炭治郎がうなずく。

 これでどうにかなったとは思っていない。炭治郎のことだ。これからもきっと掘り返してくるだろう。

 

「ありがとう……」

 

 私はお礼を言う。これから神楽を見せてくれることにだけではない。そこには、いろいろなことに対しても含めて。

 

「ここじゃ、少し狭いから……外に出たいんだ……」

 

「わかったわ……」

 

「その格好じゃ、寒くないか? 羽織り、貸してあげるぞ?」

 

「え、……あ……うん……」

 

 寝巻のままだったから、炭治郎が気遣って、羽織りをかけてくれる。

 

 ……暖かい。

 

 そして、私は炭治郎から、その神楽を、舞を見せて貰った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なんであのババアは俺たちの無事を祈るんだよ。何の関係のないババアなのに」

 

 怪我が完治して、新しい任務に行くところだった。あの藤の花の屋敷を出るとき、切り火でお清めをしてもらったのだけれど、この猪頭の伊之助くんには、わけがわからなかったようで、攻撃されたと勘違いして怒っていた。

 

 そのあとに、誇り高く、ご武運をと祈られて、どうにもこの伊之助くんには、そう祈られる意味がよくわからないようだった。

 

「何も関係ないって、世話をしてもらったじゃない。少しでも、関わった人が不幸になったり、死んでしまったら、悲しいと思わない?」

 

「思わない。……フン!」

 

「そう……」

 

 少し悲しい気持ちになった。

 

 伊之助くんのことはあまり知らない。伊之助くんとは、藤の花の家で少しだけ会話をしたくらいだ。

 炭治郎がよく話しかけていたようだったけど、山育ちで人とあまり関わっていないようだから、少し気にかけてやってくれと、炭治郎は伊之助くんのことを言っていた。

 

「なえ……。やっぱり、なえは優しいんだな……」

 

 しみじみとして、炭治郎はそんなことを言った。

 

 案の定というか、藤の花の家では、私にまとわりついていた炭治郎だ。私の決意は変わらないけど、私のためを想っていたのはよくわかった。私なんかのために、心の中では、ありがたいことだと思っていた。

 

「炭治郎。あなたの方がとても優しいわ。私なんかより、よほど」

 

「ありがとう、なえ。でも、なえ……自分のことをそんなふうに言うのはよくないぞ。それに、優しさは比べるものじゃないと思うんだ」

 

「そう……そうね……。でも、炭治郎はとても優しいわ……!」

 

「なえ……! なえもすごく優しいんだぞ?」

 

 そして、私たちはお互いのことを褒め合うことになる。そんなことになってしまったから、伊之助くんは居ずらそうな雰囲気で、私たちから顔を背けてしまう。

 

 そこから、休憩を挟みつつ、鬼がいるという目的の山まで私たちは走った。

 那田蜘蛛山。それが私たちの次の目的地だった。

 

「近いわね……」

 

 山の麓。日が暮れ、雰囲気が物々しい。

 

「なえ、あれ……」

 

 炭治郎が見ている先には、黄色い塊がいた。地面に蹲っているのだから、遠目には黄色い塊にしかみえない。

 

「はぁ……またなのね……」

 

 私は呆れてしまう。鼓の鬼の屋敷のときでもそうだった。そう簡単に、人は変わらないか……。

 

 その黄色い塊は、私たちを見つけると、全力で走り寄って来た。

 

「善逸……!!」

 

「炭治郎……ぉ! なえちゃん……! 聞いてくれよ……ぉ! あの山から、怖い感じがするから……! 俺は行きたくないって言ったんだ! そしたら、みんな、俺のことを置いて行ったんだ……!」

 

「みんな? 善逸くん。落ち着いて……。ここに来たのはあなただけじゃないの!?」

 

 何人もの隊士がこの山に任務に来ている。それならば、自ずとこの山に居る鬼は、かなり強い鬼ということになる。

 

「なえちゃん……。そうなんだ……十人くらいでこの山に、昨日の夜、来たんだ……。みんな……まだ帰ってきてなくて……」

 

「そんな……」

 

 十人。もしかしたらそれ以上、この山に隊士が集まっている。そこまでして倒せない鬼。そうなると、ここには、十二鬼月がいるかもしれない。

 

「昨日から……? 昨日からずっと、ここに蹲っていたのか……?」

 

「……うん」

 

 な、情けない。帰らなかっただけ、まだマシかもしれないけれど、それでも、ずっとあんな道の真ん中にいるのは、どうかと思う。

 

「善逸……腹、空いてないか……? ご飯はどうしたんだ……?」

 

「おにぎりがあったんだ……。それでも、もうなくなったから……」

 

 善逸くんがお腹をおさえる。

 こんなところにずっと居たわけだから、自業自得だろう。

 

「はぁ……。私の、分けてあげるわ……」

 

 藤の花の家紋の家でもらったおにぎりだった。一つだけ、とっておいてあったわけだけど、こうなるとは思わなかった。

 

「ほら……善逸……。俺のも食べていいぞ……? それに、水だ。ゆっくり食べるんだぞ?」

 

「うん……。なえちゃん……。炭治郎……。ありがと……ぉおお」

 

 涙を流しながら、善逸くんはおにぎりを食べていた。

 全くだ。

 

「フン……! 俺のは、ねぇぞッ! ……もう全部食べたッ!」

 

 なぜか自慢げにそう言う伊之助くんだった。

 

 善逸くんが食べ終わるのを待つ。その間に、山を見つめる。

 

 怪我も完治したし、不足はない。唯一不足があるとすれば、私の隊服だ。

 藤の花の家に泊まっている間に、寸法が合っていないという趣旨の手紙を添えて、正確に寸法を書き、送ったのだけれど、やってきた隊服は寸法が前と変わらないものだった。これが正しい寸法だという手紙も添えられていた。

 

 相変わらず、胸元が空いてしまう隊服だ。少し不安が残るのだけれど、今言っても、どうにもならない。

 

 鬼が居るというのなら、どんなに鬼が強くとも、この山に進むしかない。

 そして、一人でも犠牲が出る前にその鬼を倒す。それしかない。

 

 呼吸を整え、前に進むだけだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ビチャビチャと、生の肉を掻き回すような音。グチャグチャと、生の肉を()む音がする。

 

「僕に何の用?」

 

 私の本体と比べたら、それほどでもないけれど、それなりに強いだろうと思える鬼だった。

 

「これから、ここに鬼殺隊の隊士が来るのよ。いいえ、もう来ているようだけれど、新しい隊士がくるの! そこでお願いなんだけど……そこにいる、なえって、女の子は、殺さないでほしいのよ! それで、もし捕まえたら、私に譲ってほしい……!」

 

「どうして僕が、そんなお願いを聞かなきゃならないんだい?」

 

 顔をあげて、血だらけの口まわりのまま、鬼はこちらを向いていた。

 

「どうしてって、私は上弦の弐! 十二鬼月! 十二鬼月でないあなたより、よほど偉いわ!」

 

「…………」

 

 ミシリと、音がする。

 鬼は隣にあった木を拳で叩いて、幹を砕いていた。顔を見れば、どうやら怒っているようだった。

 

「……ひっ……!」

 

「僕は一刻も早く十二鬼月に戻らなくちゃならない……。あぁ……全部、母さんたちのせいだ……。母さんたちが弱いから、あの壺の鬼に負けた……。いや、あんなふうに負けるだなんて……僕の母さんじゃない……! 家族じゃない! だから、殺したんだ……!!」

 

 頭のおかしな鬼だった。早く会話を切り上げたかった。

 

「いい? なえは殺さないの! 胸が普通の子より大きな女の子だから、よろしくね!」

 

 さっさと私はこの鬼から離れようとする。

 

「あぁ、あのお方に言われたんだ……。今まで甘やかしていたが、十二鬼月でさえなくなるとは、失望した……機会を与える、人間を喰らいより強くなれって……。前の母さんは駄目だったけど……ねぇ、僕の新しい母さんにならない?」

 

「……あっ……」

 

 糸……!? 気がつけば、吊るされている。対応している暇がなかった。

 

「上弦の弐っていうのは、やっぱり嘘だったんだ……。あの上弦の弐が、こんなに弱いはずがない。姿だけは似ているから……鬼の力で真似たんだろう? それでも、こんなに小さくはなかった……」

 

「ち、違うわ! 今の私は、こんなにちんちくりんだけども……! 本体はちゃんと大きいわ! 私は分身なの! 本体なら、あなたなんてこてんこてんよ!!」

 

 もちろん、本体の私なら、こんな糸の攻撃はどうってこともない。血鬼術で、こんな鬼、すぐにカラッカラにできる。

 

 ただ、分身の私には、その血鬼術を使う体力がない。

 なえから、もう少し血をもらっておけばよかった……。

 

「うるさいなぁ……。少し黙っててくれないか?」

 

「……い……痛い……! やめて……っ、痛い!」

 

 糸が食い込んで、身体から血が流れる。

 このままではまずい。一度体勢を整えようと、身体をドロドロに崩して地面に逃げ込もうとする。

 

「へぇ……そういう血鬼術なのか……」

 

「……!?」

 

 大量の糸が飛んでくる。

 宙吊りの体勢から、崩した身体が地面に達する前に、糸で作られた繭で囲まれる。なにも身動きが取れなくなる。

 

「少し、そこで大人しくしているんだ……。抵抗をするようなら、日光で炙るから……。僕は嫌いなんだ……自分の役割をちゃんと弁えないやつは……」

 

 繭の外から声が聞こえてくる。

 悔しい……。この程度の鬼に、この私がやられるだなんて……。

 

 なえ……ごめんなさい……。また、守れない……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「よく頑張って戻ってきたね……」

 

 そう鴉を労っていた。

 強い鬼ともなれば、鬼殺隊のこともある程度は知られている。鬼殺隊が鎹鴉を使い、情報を共有していることも。

 だからこそ、鬼との戦いでは、鎹鴉も命がけだった。

 

「…………」

 

「私の剣士(こども)たちは、ほとんどやられてしまったのか……十二鬼月がいるかもしれない……柱を行かせなくては……」

 

「………」

 

 御館様はそう仰った。十二鬼月が相手となれば、一般の階級の隊士では、ほとんど相手にならない。

 

 人は鬼に敵わない。力の強さ、再生力、持久力……そのどれもを鬼は人を凌駕する。長く生きた鬼であればあるほどに……。

 

 だが、単独で十二鬼月の下弦を倒すほどの力が柱にはある。それほどの力を持った隊士が柱になる。

 

「真菰……。しのぶ……」

 

「御意」

 

「はい!」

 

 水柱として……私は十二鬼月を倒す実力は、あるのだろうか……。

 

 倒した鬼は五十を超える。

 前任である冨岡さんの推薦によって、私は水柱になった。

 

 けれども、十二鬼月を倒したわけではない。十二鬼月を倒し、柱に就任した人たちと比べると、私は見劣りしてしまう。

 それに、冨岡さんの方が強い。一度も冨岡さんには勝てていなかった。

 

 冨岡さんが引退した理由は、昔負ったという怪我だった。

 全力を出せばどうなるかわからない、そんな状態で柱を名乗るよりはと私が柱になった。

 冨岡さんの方が強いんだけど……。

 

「鬼も、人も、みんな仲良くすれば良いのに……。真菰さんもそう思いません?」

 

「……そうだね……。そうだったら良いね……」

 

 胡蝶しのぶ。

 柱だった姉が鬼になって、その鬼に精神を歪められた。そのせいで、時折こんなことを言ってしまうようになったらしい。

 

 ただ、鬼殺隊として、何体も鬼を殺して……鬼に決して情けはなかった。

 

 なんにせよ、犠牲を一人でも減らすためにも、一刻も早く向かわなければならなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「応援に来ました。階級・癸、竈門炭治郎です」

 

「……!?」

 

 隊員を見つけ、炭治郎が話しかける。まず、情報の共有が必要だった。

 善逸くんは、おにぎりを食べた後も、ごねて、けっきょく来なかった。

 

 今居るのは、炭治郎に、伊之助くんだ。

 

「同じく階級・癸、なえです。状況の説明をお願いします」

 

「だ、だめだ……。癸じゃ……何人いたって同じだ……意味がない……」

 

「意味がない……? そんなに強い鬼がこの山に……? どんな血鬼術を……?」

 

 確かに、癸は一番下の階級だ。一番下ということは、鬼殺隊でも実績が積まれていない隊士だということでもある。信用ができないというのも無理はない。

 けれど、人数は武器だ。普通なら、全く意味がないということはない。人数の有利をものともしないほどに強い鬼がいる、そういうことだろう。

 

「わ、わからない……。この山に、俺の隊は十人で入ったんだ。けど、少し経って……気付いたら……一人ずつバラバラに肉片にされてて……殺されていたんだ……」

 

「……バラバラに!?」

 

「俺は……俺は……」

 

 逃げて来たのだろう。先輩の隊士は、自責の念に駆られたような表情で俯いていた。

 

「炭治郎。私たちの手には負えない鬼が居るかもしれないわ。どうする?」

 

「いいや、なえ……。今も被害が出続けている。俺たちが向かわなければ、もっと多くの人が犠牲になるかもしれない。一刻も早く、その鬼を倒そう」

 

「そうね……」

 

 勝てるかどうか、それはその鬼と戦ってみてわかることだ。こんなところでグダグダと考えていたって仕方ない。

 

「フン……だ! 俺さえ居れば、どんな奴だろうと関係ねェ……! 俺が先に行ってやるぜ!」

 

 伊之助くんも、戦意はまるで衰えていない。

 これでは、少しでも立ち止まろうとした私が馬鹿みたいだ。

 

「ま、待ってくれよ! 癸じゃ、死にに行くようなものだ。やめた方がいい!」

 

「うるせェ! だったらお前は、そこで這いつくばってのたれ死んでろ!」

 

「ひっ……!」

 

「やめろ伊之助……」

 

 伊之助くんは、私たちを制止してくれた先輩の隊士に掴みかかって、炭治郎の抑えられていた。

 

 この賑やかさに、少しだけ気分が紛れる。

 鬼がどんな手段で攻撃をしてくるかわからない以上、気を引き締めて、警戒をして進まなければならない。だが、決して警戒が怠られるという意味ではなく、緊張がいい意味で解れる。

 

「……!?」

 

 気配がする。

 

 全員が無言になり、あたりを見渡す。

 

「へぇ……あの鬼が言っていた、なえっていう隊士は君のことか……」

 

 上だ。

 鬼が、宙に浮いて、私たちのことを見下ろしている。

 白い髪に白い肌、白い服。子どもの背丈で男の鬼。

 

「お前が……!?」

 

「あの鬼が欲しがっていたからには、何かあるんだろう? ……いいよ? あの鬼には僕の母さんになってもらうつもりだから、話してごらん? どうして、あの鬼が君のことを欲しがっていたのか」

 

 宙に浮いていた鬼が、地面に降りる。

 その動きから、何か空に足場があったように感じ取れる。

 

 目を凝らす。月の明かりを反射したような、一筋の光が空に見える。

 糸……その鬼は空に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸の上に立っていたんだ。

 

「意味がわからないわ……」

 

 あの鬼、というのは上弦の弐のことだろうか。

 だとしても、母になってもらうだなんて、本当とは思えなかった。それほどまでに親しいのなら、私のことを知っていてもおかしくはないはずなのに……。

 

「お、丁度いいくらいの鬼がいるじゃねぇか」

 

「…………」

 

 茂みから、隊服を着た男が現れる。余裕な表情で、日輪刀を構えていた。

 

「こんなガキの鬼なら、俺でも殺れるぜ」

 

「…………」

 

 この鬼が放つ威圧感は、凄まじいものだった。それなのに、ものともせずに、その隊士は語っていく。

 

「俺は安全に出世したいんだよ。出世すりゃ、上から支給される金も多くなる。隊は殆ど全滅状態だが、とりあえず俺は、そこそこの鬼一匹倒して下山するぜ」

 

 そのままに、その男は子どもの鬼めがけて剣を振りかぶる。

 

「やめろ! よせ! 君では!」

 

 先輩の隊士はそう叫んだ。

 

「……が!?」

 

 けれど、遅い。目の前の鬼が腕を振り、一瞬で挑みかかった隊士がバラバラの肉片になる。

 

 死んだのだ。

 

「…………」

 

 その一瞬の出来事に、皆が言葉を失っていた。

 

「僕はあの鬼が君のことを狙う理由を聞いているんだ。ねぇ? 早く答えなよ?」

 

 何事もなかったかのように、鬼は私にそう問いかけ直す。

 

「……それは、私が稀血だからよ?」

 

 こう答えれば、鬼は躍起になって私のことを狙ってくる。後戻りはもうできない。

 

「そうか……。今日は、僕は、運がいいみたいだ……。新しい母さんも見つかるし、これまで殺した隊士に、きっと君のことを食べれば、また十二鬼月にも戻れるだろう」

 

「……!?」

 

 この鬼は……元十二鬼月……。鼓の鬼も確かそうだった。

 十二鬼月でないのに、鬼はこんなにも簡単に隊士たちを殺せるのか……。

 

「テメェ、ごちゃごちゃうるせぇんだよ!! うおおお!」

 

「よせ、伊之助!! 一人で向かうな!!」

 

 ――『獣の呼吸・弐ノ牙 切り裂き』!!

 

 連携なんて考えずに、伊之助くんが一人で鬼に突貫していく。まずい。

 

「君とは話してないんだ。邪魔しないでよ?」

 

 伊之助くんの剣戟を迎え討ったのは、糸……糸での攻撃だった。

 

 鬼が手を振るとともに、その手から放たれる糸が鞭のようにしなり、伊之助くんの刀を防ぐ。

 

 いや、防いだだけではない。

 

「……んが!?」

 

 刀が、伊之助くんの刀が折れる。

 伊之助くんは両手に二本の刀を持っていたが、そのどちらともが、糸に触れて、中程から切り裂かれた。

 

「伊之助!!」

 

 刀が折られた。だが、勢いを衰えさせず、しなる糸は伊之助くんをなおも襲う。

 

「クソが……!」

 

 身を翻して、糸の攻撃を伊之助くんは躱す。

 

「……なら、これはどうかな……?」

 

「……ッ!」

 

 二本三本と襲う次の攻撃に、伊之助くんは、かろうじてと言ったように、避ける。連続する攻撃を避ける姿勢に無理が増え、伊之助くんは、おおよそ人間には行えるとは思えない凄まじい体勢になる。避け切る。

 

 だが、そこからの攻撃に、伊之助くんは身体の平衡を崩し、倒れる。

 

「まずい……!!」

 

 私も、炭治郎も、同時に走り出す。

 遅れてしまったが、今、援護をしなければ、伊之助くんは死んでしまう。

 

「……あ……」

 

 腕の一振り。

 横に一筋、一本のしなる糸。刀での防御は通用しない。刀の方が斬られてしまう。伏せて糸の攻撃をかわす。同時にその糸は、私の隣で走る炭治郎も襲い、回避を強要する。

 

 たった一本の糸で、私と炭治郎の二人の動きが一手遅れる。

 

「……グハ……ッ」

 

 伊之助くんが、鬼によって蹴り上げられた。

 同時に、鬼が手を翳すことにより、大量の糸が、伊之助くんのことを囲う。

 

「…………」

 

 地面には、蹴られた衝撃で外れてしまった猪の顔の被り物だけが残る。繭のようなものに、伊之助くんは閉じ込められてしまった。

 

「なによ、それ……」

 

「流石に僕も、一度に大量の人間は食べられない。こうやって、糸で包んで、中を溶解液で満たして、どろどろにして後で食べるんだ。安心しなよ? 稀血の君は、すぐに食べてあげるから」

 

「な……」

 

 とりあえず、伊之助くんがすぐに殺されないことは、不幸中の幸いか。すぐにこの鬼を倒して、助け出せばいい。

 

「前は姉さんがやっていたけど……あんな姉さんはもういらない……だから、殺した。姉さんにできることは僕にもできるんだ。ああ、早く新しい姉さんも見つけないと……」

 

「何を言っているんだ? 殺したって、家族なんだろう?」

 

 鬼は意味のわからないことを言って、すぐに炭治郎は反発をする。炭治郎は、家族をとても大切にしているからだろう。

 

「いいや、あんなのは家族じゃない。母さんも、姉さんも、父さんも、兄さんも……。あの鬼を前に僕を見捨てた。……裏切った……!! 守らなかった!! 父さんも、母さんも、家族なら子どもを守るはずだ……。兄さんも、姉さんも、下の兄弟である僕を守らなかった……」

 

「…………」

 

「だから、あんな家族もういらない……。みんな、日光で炙って殺してあげたんだ。あれだけ絆を繋いだのに……。恐怖の絆だよ? 僕に逆らえないはずだったのに……ッ!」

 

「恐怖? そんなものは絆じゃない!! 紛い物……偽物だ! 互いの強い信頼こそが絆なんだ!!」

 

 反論をする炭治郎だ。

 やっぱり、炭治郎は炭治郎だった。

 

 その炭治郎の言葉に、鬼は怒りを浮かべる。

 

「ねぇ、もう一度言ってみなよ? お前、今、なんて言ったの?」

 

 凄まじい威圧感だった。

 肩にかかる重圧は、あの鼓の鬼の比ではない。単純に抑えられていたからだろうけれど、あの上弦の弐でも、これほどの威圧感を受けたことはなかった。

 

「ああ、何度でも言ってやる! お前の絆は偽物だ!」

 

 それでも、炭治郎は啖呵を切る。

 すごい。

 その姿に、私の心は揺さぶられる。

 

「お前、刻むから……。その言葉を取り消すまで、殺さない程度に刻んで、いたぶってあげる……」

 

 鞭のようにしなる糸が、狙いを完全に炭治郎に絞ってそこに襲いかかる。

 

「……くっ」

 

 必死に避ける炭治郎だが、これでは時間の問題だった。伊之助の二の舞になってしまう。

 

 だが、炭治郎が一手に鬼の攻撃を引きつけてくれているおかげで、私は自由になる。

 炭治郎が、私に目で合図をした。

 

 ここで決めるしかない。

 一刻でも早く倒して、伊之助くんを救い出す。私が今ここでやるしかない。

 

 呼吸を深める。

 全神経を集中させて、この一撃に全てを注ぐ。

 

 

 ――()()()

 

 

 駆け出す。速く……風のように。私の人生での最高の一撃を、今ここで。

 

 

 ――『風の呼吸・捌ノ型 初烈風斬り』!!

 

 

 間違いなく最高の瞬間に、最高の刀の入り方。

 風の刃と共に、確実に私の一撃、鬼の頸を捉える。

 

「う……うぅ……っ」

 

 間違いなく、渾身の一撃だった。今までで、振ってきた中で、一番に威力があったはずの斬撃だった。

 

「君たちなんかの攻撃で、僕の頸が斬れるわけがないじゃないか。愚かだねぇ……だから、腹が立つ方を先に殺そうと思ったのに……」

 

 刃が、通らない。

 私の最高の一撃は、この鬼の頸の皮一枚も削れずに、止まっていた。

 

「まだ……!!」

 

 もう一度、剣を振るう。何度でも、何度でも、諦めるわけにはいかない。ここしかない、そんな状況だったのに、決め切れないだなんて、そんなことがあっていいはずがない。

 

「しつこいなぁ……」

 

「……うぐ……っ」

 

 刀を躱され、殴り飛ばされる。

 ミシリと音がする。感じた衝撃に痛みを感じる暇がない。血の味で口の中が満たされる。

 勢いのままに木にぶつかり、そのまま私は地面に伏す。

 

「なえ……!!」

 

 私は力になれなかった……。役に立たなかった。

 そんな私を心配する声がする。

 

「お前も、もういいよ……」

 

 炭治郎に、たくさんの蜘蛛の糸が襲う。あれでは、炭治郎は避け切れない。

 

 また、だ。また私の無力で、大切な人を失ってしまう。

 悔しくて、悔しくてたまらない。なのに、身体が動かない。

 

「……ッ!」

 

 血が飛び散る。

 また、だ。また私は失ってしまった。私ももうすぐ……。

 

「禰豆子……ぉおお!!」

 

 声がする。炭治郎の声だった。

 幻聴かとも思ったが、違う。見れば、飛び散った血は、炭治郎のものではない。その妹の鬼、禰豆子ちゃんが、炭治郎の背中の箱から飛び出して、炭治郎のことを庇ったようだった。

 

「……!!」

 

 鬼は、何故か動揺して、動きを止めている。

 

「禰豆子、禰豆子……!」

 

 炭治郎は茂みに、素早い動作で妹の鬼を隠す。すぐに茂みから出て、鬼を睨んだ。

 

「……妹は鬼になってる……それでも一緒にいる……妹は兄を庇った……身を挺して……?」

 

 ぶつぶつと喋る鬼は、気味が悪かった。

 

「……くっ……」

 

 炭治郎は、後ろが気になる素振りだが、決して鬼から目を離さない。私にも気を遣っていることがわかった。

 本当は、傷つけられた妹につきっきりでいたいだろうに、やられそうな私を慮り、こうして鬼を睨んでいる。

 

「本物の絆だ……っ! 欲しいっ!!」

 

「…………」

 

 意味がわからないことを鬼が言う。それには、炭治郎も困惑しているようだった。

 

「坊や。このまま戦えば、君たちは死ぬことになる。あの繭に包まれた子も、そこの稀血の子も、茂みに隠れている隊士も、君もだ。悲しいよね、そんなことになったら……。けど、それを回避する方法が、一つだけ……一つだけある」

 

「……なにを言ってるんだ……」

 

 今までと打って変わって、優しい口調で、諭すように、鬼が語る。それが、どうしようもなく気持ち悪い。

 

「僕は君たちの絆を見て、身体が震えた。感動した。どんな言葉も、この感動を表現できない……だから、君の妹……その妹を、僕にくれない?」

 

「……!?」

 

「大人しく渡せば、君たちの命だけは助けてあげる」

 

 狂っているとしか思えないような提案だった。今の出来事で、どうしてそうなるのかが理解できなかった。

 

「意味がわからない……」

 

 炭治郎も、私と同じだ。鬼の提案に、困惑と怒りを隠せずにいる。

 

「君の妹は、僕の妹になってもらうんだ……今から」

 

「禰豆子は物じゃない! 自分の思いに意思もある!」

 

「そうか……でも、死ぬよ? このままじゃ、全員……君も、君だけじゃなく、みんな……」

 

「……っ!?」

 

 鬼は、この場にいる隊士たちを全員人質に取った。そのせいで、炭治郎の顔に一瞬の迷いが生まれる。

 

「炭治郎! 応じる必要はないわ! 鬼殺隊の隊士はみんな、鬼との戦いで、死ぬことを覚悟している! 侮辱するな! 馬鹿なことは考えるな! 私たちの顔に! 泥を塗らないで!!」

 

「……っ!!」

 

 振り絞って、声を出す。炭治郎が、もし、妹を差し出して、助かったとして、明日から私たちは、どんな顔をして生きて行けばいいって言うんだ。

 

「うるさいなぁ……」

 

 糸が私を襲う。

 痛みでまだ立ち上がれない。身を捩って避ける。だが、完全には避け切れず、左腕に痛みが走る。少し掠ったようだった。

 

「ありがとう。なえ! そうだ……っ! どんなに脅したって、禰豆子はお前の物になんか、なりはしない!! それにお前の頸は、俺が斬る!! そして、みんなを助ける! 必ず!!」

 

「そうか……。僕に勝つつもりなのか……でも、もう()ったよ?」

 

 糸に引っ張られ、茂みから禰豆子ちゃんが引き摺り出される。そのまま、鬼の腕の中に、禰豆子ちゃんはおさめられる。

 

「んぅ……! んん……!!」

 

 禰豆子ちゃんも、無抵抗なわけでもない。鬼の腕に押さえつけられながらも、脱しようともがいていた。

 

「禰豆子を……返せ……っぇええ!」

 

 怒りのままに、炭治郎は鬼に向かっていく。斬りかかる。だが、迎え討つ糸の攻撃に、炭治郎は躱すしかない。

 その炭治郎に攻撃している隙を突いて、禰豆子ちゃんは鬼の顔を引っ掻く。

 

「……まだわからないのか……?」

 

 一瞬だった。炭治郎が回避行動を取り、目を離した一瞬で、鬼の糸に縛られ、禰豆子ちゃんは宙に釣り上げられる。

 

 炭治郎は、視界から消えた最愛の妹を探し、左右を見渡す。どろりと、空から血が流れ落ちる。それに気が付き、炭治郎は見上げる。宙に釣り上げ縛る糸が禰豆子ちゃんの体に食い込み出血していた。

 

 その姿に、炭治郎の怒りが増す。

 

「禰豆子……!!」

 

「鬼でしょ? この程度で死ぬわけじゃない。でも、もう僕の妹だから、従順になってもらおう。このまま出血させる。それでも駄目なら、日光で、少し炙る」

 

「ふざけるな……!! 禰豆子を……! お前の好きには……っ、させるものか……ぁあ!!」

 

 そのまま炭治郎、鬼に向かう。何度も、諦めずに……。

 呆れたように、鬼は糸をもう一度振るう。

 

「……な!?」

 

 外した。炭治郎への攻撃を、鬼は外す。なぜか、鬼は一瞬だがふらついていた。

 その隙に、炭治郎は鬼の懐へと入り込む。

 

 ――『水の呼吸・壱ノ型 水面斬り』!!

 

「くぅ……っ!!」

 

 頸への一閃。だが、やはり硬い。

 私の時と同じように、その頸には刃が通らない。

 

「やっぱり、君じゃ、僕には勝てない」

 

「ぐ……。が……っ」

 

 殴られ、蹴られ、炭治郎は、相当な距離を吹き飛ばされる。いくつもの木々の間をくぐり抜け、ものの数秒では、戻って来れない距離だった。

 

 そして、鬼は、私の方に顔を向ける。

 

「…………」

 

「これは、君の血だろう?」

 

「…………」

 

「君の血が気になって、気が散る。さっきは攻撃を外してしまった……。どうやら、君は早く食べないといけないみたいだ」

 

 そう言って、鬼は私に糸を振るった。

 逃がさないつもりなのだろう。蜘蛛の巣のような形の糸の壁が、前から迫ってくる。これは避けられない。

 

 私は死を悟った。

 

 

 ――()()()

 

 

 いや、そうじゃない。

 

 

 ――『水の呼吸・拾ノ型 生生流転』!!

 

 

 私の前に踊り出た炭治郎が、回転をしながら、目の前に迫る糸を切り裂く。

 糸が切れる。

 

 伊之助くんの刀を折ったこの鬼の糸は硬い。私たちの攻撃では、刀の方が折れてしまう。けれど、炭治郎は斬った。鬼の糸を斬った。

 

 そのまま、炭治郎は鬼に向かう。

 その炭治郎の技は、回転と共に、威力が上がっているようにみえる。一度離された距離を助走に使い、私を助けるために一瞬で詰め、炭治郎は諦めずに戻ってきたんだ。

 

「うぉおおお!!」

 

 いける。

 この攻撃ならば、あの鬼の頸を斬れる。このまま距離を詰めていければ、勝てる。炭治郎なら、きっと勝てる。

 

「ねぇ、糸の強度は、これが限界だと思ってる?」

 

 ――血鬼術『刻糸牢』……。

 

 鬼の操る糸が血で赤く染まる。

 血で染まった糸の牢獄が、炭治郎を八方から包み、狭まり、刻もうとする。

 

 今の回転では、この糸は……。

 あぁ、炭治郎が死んでしまう。

 

「なえ……なえって、あの耳飾りの子のことが好きなの?」

 

 炭治郎に、神楽を見せてもらったあと、小さな(ハツ)()様は、私に近寄って、そんなことを言った。

 

「…………」

 

 私は答えない。答えられないことだった。

 

 小さな(ハツ)()様は、慣れたように、私のことを軽く引っ掻くと、滲んだ血を舌で舐める。

 

「やっぱり……。なえは、あの耳飾りの子のことが、好きなのねっ!」

 

「…………」

 

 (ハツ)()様は、血の味で、人の感情がわかる。だから、こんなふうに、私の心もお見通しだ。

 

 それでも、結婚相手は(ハツ)()様が決めることだ。この小さな(ハツ)()様は、私に苦言を呈してくる。そう思った。

 

「なえ……ふふふ、いいわよっ! とてもいいわ! あの耳飾りの子と結婚しなさい? ええ、そして私の里で一生暮らすの! 子どもたちも、その子どもたちも、私が絶対に守る……二度と剣には触れさせないわ! ねっ、とてもいいでしょう?」

 

「……!?」

 

 この小さな(ハツ)()様が、そう勧めるとは思わなかった。やっぱり、(ハツ)()様はとても優しくて……私は涙を流してしまう。

 

 でも、私は村には戻らない。

 普通の女の子ならば、結婚して、子どもを産んで……そんな未来を思い描けただろう。

 

 私は、稀血だから……鬼に常に狙われる。私の子どももそうなって、不自由を味わわせてしまう。それは、駄目だ。

 藤の花の御守りも、万が一がない保証がない。身につけるのを忘れてしまったり、もしかしたら、それをものともしないような鬼が現れるかもしれない。

 

 だから、私は……私は……。

 

「大丈夫、なえ?」

 

 ただ、泣いている私は、小さな(ハツ)()様に、優しく抱き締められていた。

 

 あぁ、本当に、悔しかった。

 

「なえ、この舞は、一年、火の仕事で怪我や災いが起きないよう、一晩中、繰り返して舞って、ヒノカミ様に捧げる舞なんだ」

 

 炭治郎は、そう言って、舞を私に見せてくれる。とても綺麗な舞だった。

 

「そうなの……それを、ずっと、耳飾りと一緒に受け継いできたのね……」

 

「あぁ……俺はまだまだで、一晩中この舞を続けることができない。父さんは……身体が弱かったのに……寒い雪のなか、一晩中舞い続けることができたんだ」

 

 そう喋って、舞いながら、炭治郎は息を切らし始める。まだ舞い始めてそれほどの時間は経っていない。それでも、炭治郎の消耗具合は凄まじかった。

 

 舞には、体力を奪う激しい動きがいくつもある。それなのに、これをずっと繰り返し続けるなんて、にわかには信じられない。

 

「本当に……それを一晩中……?」

 

「息の仕方があるんだ。どれだけ動いても疲れない、呼吸の仕方が……父さんはそう言ってた」

 

 舞い続けて、確かに炭治郎は独特の呼吸で息を整えようとしていた。けれど、上手くいっていないのか、どうしても息を切らす瞬間がある。

 

「なんだか、全集中の呼吸みたいね……」

 

 私は呟く。炭治郎には、聞こえていないようだった。

 

 特別な呼吸という意味では、似たものがある。

 だけれども、全集中の呼吸は、疲れないというよりも、強い力を発揮するための呼吸だ。少し違う。

 

 炭治郎の耳飾りは、始まりの剣士のもの。その剣士が使っていた呼吸が、今、もしかしたら炭治郎に伝わっているそれなのかもしれない。そうだったらいいなと思った。

 

 炭治郎の舞いを眺める。

 見ていて飽きない。一晩中、ずっと眺めていられそうな、そんな綺麗な舞だった。

 

 あぁ、だから――

 

 

 ――『()()()()()() 円舞』!!

 

 

 赤く染まった糸を斬り裂き、炭治郎が前に進む。

 一度、見たからわかる。あの時の舞だ。呼吸も変わって、あの時の呼吸。

 

 その刀の一振りに、水ではなく、暖かい()を幻視する。

 

 血に染まった糸はけしかけられる。けれど、炭治郎はものともしない。

 糸が身体に掠り、血が流れる。そんなことは気にも留めず、目の前に立ち塞がる糸だけを斬り、炭治郎は、前へ、前へと進んでいく。目の前の絶望も、炭治郎は断ち切って……。

 

「……くっ……!」

 

 たまらずに鬼は後退する。糸を操り、炭治郎を止めようとする。だが、炭治郎は止まらない。止まらなかった。

 

 鬼への攻撃を、刀だけでもと通そうとしている。自らの身体がどうなろうとも、この鬼の頸だけは絶対に、斬る。そういう覚悟だとわかった。

 

 相討ちになる。

 

「あぁ……あぁ……」

 

 まただ。また、私は()()()()を失ってしまう。私の刃が、あの鬼の頸に届いたときもあった。だが、斬れなかった。私がもっと、強ければ……私がもっと……。悔しい。悔しくてたまらない。

 

 それでも、動け……。立て、立つんだ……。

 まだ、まだきっと、できることがある。刀を握って、もう一度、炭治郎のために、そのためだけに私は振るう。

 

 ――『風の呼吸・肆ノ型――』。

 

 違う。

 直感する。

 

 風の刃で、炭治郎のことを守ろうとした。

 けれど、私の風の刃は弱い。刀自体の斬撃よりもだ。刀を切り裂く糸には決して通じない。ましてや、あの鬼の血に染まった赤い糸は……。

 

 だから、変える。

 

 炭治郎の呼吸に、感じた。

 私の刀の色は紫、風の呼吸の緑ではない。風の呼吸は、私の身体には、きっと合っていないのだ。

 

 真似をする。炭治郎の呼吸の真似。ただ、それでは意味がない。炭治郎の呼吸も私には合っていない。

 

 もっと、自然に。()()()()()()()()()()()だ。

 

 剣の巻き起こした、風の刃が形を変える。弧の形で、()(がね)色に輝いて。

 

 ――『破鏡の舞 払暁・散残月』。

 

 糸を斬り、私の作った黄金色の刃は、炭治郎のもとへと届く。

 相討ちにはさせない。炭治郎を刻もうとする糸は、全て私の刃が断ち切っていく。

 

「斬れろ……ぉおおお!!」

 

 私たちを苦しめた、鬼の頸へと、炭治郎のその刃が届いていた。炭治郎が刀を振り抜く。目一杯に、その刀は振り抜かれていた。

 

「は……はぁ……っ、はぁ……」

 

 身体に、限界がくる。

 途中で呼吸を変えた……使ったこともない呼吸を無理に使った代償だった。

 倒れる。刀を握る手に、力が入らない。

 

 炭治郎も同じだった。水の呼吸から、ヒノカミ神楽へ、そう切り替えたせいか、力なく、地面に倒れ伏す。

 

「本当に、お前たちは目障りだ。いいよ、もう殺してあげる」

 

 だが、鬼は立っていた。

 

「は……はぁ……、はぁ……」

 

 炭治郎は、確かに刀を振り抜いた。だが、炭治郎の刀は、根本から折れている。折れた先の刃は、鬼の頸を中程まで斬り、突き刺さったままだった。

 

 鬼は、頸に刺さった刃を手で掴み、引き抜く。その折れた刃を見つめ、忌々しげに顔を歪める。

 

「お前たちは、僕に勝てない。最初から分かりきったことだったんだ……。なんの脅威も感じなかった……。あぁ、君たちは、ここで僕に殺される役割なんだ……少しは自覚したかい?」

 

 鬼は、頸に手を触れる。この鬼の再生力は、かなりのものだった。だが、炭治郎が斬った傷は、気のせいか、まるで再生が始まっていないように思える。

 

「……く……、ぐ……ぅ」

 

 炭治郎が、呻く。

 そんな炭治郎に、鬼は手に握る折れた刃を突き刺そうと、腕を振りかぶった。

 

 まだ、諦めずに炭治郎は刀を握り、呼吸の反動で動かない腕を使い、抵抗をしようとしていることがわかった。

 だけれども、それも……。

 

 

 ――()()()

 

 

 雷が轟いたかのような、そんな錯覚を受ける爆音があたりに響く。

 

 

 ――『雷の呼吸・壱ノ型 霹靂一閃』!!

 

 

「善逸……くん?」

 

「善逸……!」

 

 目にも止まらない速さだった。

 今まで見た、どんな斬撃よりも速い。そして、狙いも正確だった。

 

 炭治郎が斬り、まだ治り切っていない頸にできた鬼の傷に、吸い付くかごとくその刃が食い込んでいる。

 

 だが、相手は私たちを圧倒した鬼だ。炭治郎の渾身の一撃も耐えた鬼だ。

 骨は絶たれ、だが、まだ皮は繋がっている。

 

「驚いた……まだこんな奴が……」

 

 善逸くんでも、もうこれ以上は……。

 止まった刀の勢いに、鬼は冷静さを取り戻し始め――( )

 

 

 ――血鬼術『爆血』!!

 

 

 燃える。

 それは、禰豆子ちゃんの血だった。糸を操る鬼により、出血させられた血は、糸を伝い、善逸くんへと届いていた。

 善逸くんの刀が燃える。その勢いのままに、刀が押され、鬼の頸が宙に刎ね飛ぶ。

 

 わけが、わからなかった。

 けれど、鬼の頸は刎ねた。間違いなく、私たちの勝ちだった。

 

 血が燃えて、一緒に糸も燃えたからか、空からは禰豆子ちゃんが落ちてくる。

 

「禰豆子……!」

 

 そんな禰豆子ちゃんを、善逸くんは空中で拾い上げ、地面に下ろす。そうしたら、すぐに善逸くんも倒れてしまった。

 

 あの善逸くんの一撃は、凄まじいの一言だった。あの一撃に全てを賭したのであれば、倒れてしまうのも無理はないだろう。

 

 なんにせよ、()()()()。あとは、繭に閉じ込められた伊之助くんを助ければいい。私たちは欠けることがなく、あの鬼に勝った。死闘だった。諦めずに、戦った意味があった。

 

 犠牲はあったが、それでも……。私たちが諦めていれば、きっと、もっと多くのものが失われた。だから、少しはこれから私も胸を張れる。そんな気がした。

 

 まずは、息を整えて、動けるように――

 

 ――血鬼術『殺目籠』!!

 

 赤い糸で覆われる。その光景に、自分の目を疑ってしまう。

 

「倒したはずなのに……どうして……」

 

「僕は僕の糸で自分の頸を斬ったんだよ。お前たちに斬られる前に!!」

 

 生きて、いる。

 まだ、倒せていなかった。あれだけ死力を尽くしたのに……。動ける人間が、誰もいない。

 

 鬼は、頸と胴体を改めて繋ぐ。再生が始まる。

 

「……く……」

 

 刀を握る手に力が入らない。立ち上がることも、腕を振ることもままならない。

 

「ああ、こんなにも苛立ったのは初めてだよ……。君たちは、殺す。もう、なにも躊躇う必要もなさそうだ……」

 

 な、何か、何か手は……。

 ここまで、ここまで追い詰めたのに、こんな結末なのか……。

 

 あぁ……。

 

「私が来るまで、よくこらえたね……っ」

 

 赤い糸が断たれる。声がした。女の人の声だった。

 青い刀に、悪鬼滅殺と刻まれた文字。鬼殺隊最高戦力、その柱がそこにいた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 危うく、頸を斬られかけたが、自らの糸で頸を斬ることにより、ことなきを得た。

 あとは、体力を使い果たした、この弱い人間どもを刻めば終わるはずだった。

 

「次から次へと……」

 

「…………」

 

 目の前には女だ。背丈は、あの稀血の女よりも小さい。戦いには、おおよそ向いていないと思える女だった。

 

 これならば簡単に終わる。

 今までの戦いで、苛立ちは振り切れている。手加減をして、戦いを長引かせるような真似は決してしない。

 自身の持つ、血鬼術で跡形もなく刻むだけだ。

 

 ――血鬼術『刻糸輪転』。

 

 そして、血鬼術を放とうとする。

 だが、いない。さっきまで居たあの女は、どこにも居なかった。

 

 ――『水の呼吸・玖ノ型 水流飛沫』。

 

 血鬼術の糸を掻い潜り、気がつけば、目の前にいる。異様なほどに、速い。移動速度に長けているのか……。

 

 刀が振られる。あまりの速さに避けきれない。

 その斬撃を頸にうける。

 

「…………」

 

 だが、浅い。

 斬撃の体勢に角度、刀の振り方、どれを取ろうと今まで見た隊士とは比べものにならないほどの流麗さ。けれど、その一撃を受けもなお、生き残った。

 

「そうか……君のその小柄な体格じゃ、僕の頸は斬れない。残念だったね……いくら速くても、頸が斬れなきゃ鬼は――( )

 

 いくら呼吸で自身の身体を強化する鬼殺隊といえども、体格の影響は受ける。小柄ならば、強化されたところでたかが知れている。意味がない。勝利を確信した。

 

「…………」

 

 ――『水の呼吸・拾弐ノ型 雨垂れ』!

 

「――死なない。君じゃ僕には……。……っ!?」

 

 気がついた時にはすでに遅かった。

 視界に映る景色がぶれる。頸が地面に落ちている。

 

 わけがわからない。

 この体格で、どうやって、頸を……いや、そもそもあの浅い一撃の後、いつ刀を振った。

 

 見えるのは、刀に付いた血を払い、もう決着はついたとばかりに刀を鞘に納める小柄の隊士の姿だった。

 

 どうしてだ。意味がわからない。

 これから、あの稀血の隊士を食べて、十二鬼月に戻るはずだった。あのお方にも、もう一度認められてもらうはずだった。それなのに、それなのに……こんなところで……。

 

 認められるはずがない。

 必死に再生をさせようと試みるが、手応えがない。死ぬ。

 避けられない現実が目の前にある。

 

「かわいそうに……病気なのね……大丈夫。私が治してあげるわ!」

 

 ふと、過去を思い出した。

 患った病により、死の淵に居た自身が救われた時の言葉だ。

 

 その女は、異様なほどに濃い血の匂いを纏っていた。たった少し、会っただけなのに、薬もなく、自身の患う病気を治していった。

 

「そう……病弱な体質なのね……。これでは、私が治しても、すぐに別の病気に罹ってしまう……。さすがに、私でも体質は治せないわ……?」

 

 だが、そんな奇跡を起こすような女にも、匙を投げられる。いや、違う。病に罹る度に治してもらうことなら可能だった。だが、治療のたびに膨らむ支払い。それが一番の問題だった。

 

 積み上がった借金は、とうてい俺たち家族では人生を懸けようと払い切れる額ではなくなる。俺の子どもにも支払わせるならば、治療が続けられるという話にもなったが、まだ幼く、病弱で、子どもができると保証できるわけでもない。だから、治療は打ち切られた。

 

「かわいそうに……私が救ってあげよう」

 

 あのお方が現れて、俺はすぐに鬼になった。

 

 治療をしていたあの女は、鬼だったから、あのお方の一言で借金も全てなかったことになる。

 

 全てが上手くいくと思った。けれど、両親は喜ばなかった。

 

 人の血肉を欲する鬼になったことを、俺の両親は良しとしなかった。挙句には、父親は俺を殺そうとし、母親はそれを止めなかった。俺は返り討ちにして両親とも殺した。

 

 昔、親が子を助け、子の代わりに死んだという話を聞いた。俺はその絆に、親の愛に、感動した。

 

 だが、母親は俺のことを庇わず、父親は命を奪おうとする。きっと、俺たちの家族は偽物だったのだろう。父親に殺そうとされてから、両親のどちらともを手にかけるまではそう思っていた。

 

 違う。俺の親は、俺を殺して、罪を共に背負おうとしてくれていた。一緒に死のうとしてくれていた。

 理解したのは、両親が完全に息を引き取ってからだった。もうなにもかもが遅かった。

 

 本当に欲しいものは、もう手に入らない。

 偽物の家族を作っても、けっきょくは俺が一番強いから、守られることも庇われることもない。

 

 恐怖の絆は……あの鬼狩りの言う通り、本物の絆ではないのだろう。より強い恐怖――( )より強い鬼が現れて、脆く崩れさった。

 だけど、俺には他に方法がなかったから、失敗してもそれに縋るしかなかった。

 

 強くなればなるほどに、人間だったときの記憶は薄れる。なにがしたいのかわからなくなる。

 

「累。今日からお前は十二鬼月だ。より強くなり、私のために励むことだ」

 

 血戦を挑み、十二鬼月になったときだった。それを目にしたのは。

 

 無惨様の隣には、女の鬼がいる。それは、上弦の弐。お金で病気を治していた鬼だ。どうやら、二人で夫婦の真似事をしているようだった。羨ましかった。

 

 鬼同士で偽りだが、本当の夫婦のように見えてしまう。どうしてか、強い本物の絆を感じてしまう。俺もあそこに混ざりたかった。

 

 もっと十二鬼月として、位が上がれば、上弦になれればきっと。そう思って、俺は強くなろうとした。

 

「累。お前には、特別に群れることを、家族の真似事を許していた。目をかけていた。甘やかしていた。だが、どうだ? お前は十二鬼月でさえなくなった。失望した。……機会を与える。より多くの人間を喰らい、強くなれ……累。もう私を失望させるな」

 

 あの壺の鬼にやられ、あっけなく十二鬼月から外された。

 あのお方の不興も買ってしまった。本当に、なにをしてもうまくはいかなかった。どうしようもなかった。

 

 本物の絆に触れれば、心が癒されると思った。記憶にはなくとも、自分は両親を求めていた。

 太陽へと、決して届かない手を伸ばし、焦がれる。

 

 ふと、声が聞こえる。

 

「妹が鬼なの……? えっ! じゃあ、干天の慈雨で殺してあげるねっ」

 

「ま、待ってください! 禰豆子は……っ! 禰豆子は……っ!!」

 

 あの兄妹の絆は本物だった。もう自分が求めても手に入らないものだった。

 

 ――『水の呼吸・伍ノ型 干天の慈雨』!

 

 ――血鬼術『刻糸牢』……。

 

「……!?」

 

 最後の力で糸を動かす。

 もう二度とは手に入らないものを持った二人だ。その二人の絆が少しでも続くよう……糸を……糸を……。

 

 せめてもの、償いだった。願いだった。

 

 沢山の人を殺した俺は地獄に……ああ、俺は母さんと父さんに……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あの鬼……まだ、攻撃をして……。危なかったね……。鬼相手に最後まで気を抜くなって、また冨岡さんに怒られちゃうかな」

 

 違う。強い悲しみの匂いと、償いの匂いが、その糸から感じ取れた。その糸は、俺たちのことを守ろうとしてくれていたのだ。

 鬼の消滅とともに、糸の血鬼術も消えていく。

 

 人を殺したことは許さないけれど、ありがとうと、心の中では感謝を告げる。涙が溢れる。

 

 それでも、禰豆子のために、そちらに気をつかう余裕がない。

 

「冨岡さん! 冨岡さんならっ、きっと禰豆子のことをわかるはずです……! 禰豆子を斬るなら、冨岡さんに話してからにしてください!!」

 

 冨岡さんは、禰豆子のことを見逃し、鱗滝先生を紹介してくれた大恩人だ。

 申し訳ないけれど、禰豆子のためにも、共通の知り合いとして、ここは冨岡さんを使わせてもらうしかない。申し訳ないけど。

 

「え……? 冨岡さんなら、鬼を庇わないと思うけど……。それなりに長い付き合いだから、私にはわかるよっ!」

 

「……な……っ!?」

 

 冨岡さんは役に立たなかった。

 少しだけ、休まったから、このまま禰豆子を抱えて走ることはできる。いいや、意地でも走る。

 

 だけれども、この隊士は異次元の速度で動く。あの糸の鬼を攻撃した際もそうだった。

 この人の筋力では、あの鬼の頸を斬るには足りなかった。けれども、その速度でもって、一瞬のうちに何度も頸を斬りつけることにより、あの鬼の頸を刎ねてみせた。

 

 速度で勝負しても、勝てない。

 

「とにかくっ! その鬼の頸は、斬らせてもらうよ?」

 

 そして、刃が振われる。

 禰豆子を庇うため、強く抱きしめる。禰豆子が斬られるならば、俺も斬られる覚悟だった。

 

 金属音がする。

 覚悟した瞬間はやってこない。

 

「うふふ、ひどいじゃないですか? いたいけな鬼を一方的に斬るだなんて……」

 

「ねぇ、鬼を庇うのは隊律違反だよ?」

 

 女の人が、一人増える。

 蝶の髪飾りを付けた綺麗な女の人だった。

 

「別に庇ってはいませんよ? 少しお話がしたいだけです」

 

 そして、その人は、独特な形状の刀の先を禰豆子に向けた。

 

「…………」

 

「正直に答えてください。その鬼は人を何人殺しましたか?」

 

「禰豆子は人を殺さない! 食べない鬼なんだ! 本当だ! 信じてください!!」

 

 蝶の髪飾りの女の人は、こちらに笑顔を向けた。

 なるほどと、手のひらを叩く。

 

「わかりました。きっとその鬼は、幻覚系の血鬼術で誤魔化しているんです。あぁ、騙されてかわいそうに……。すぐに助けてあげますよ?」

 

「ち、違う……禰豆子はそんなことをしない!!」

 

 理不尽な言いがかりだった。話がしたいと言っていたけれど、これでは強引に、この人が望むような結論に持っていかれてしまう。

 

「大丈夫ですよ? 私は鬼と仲良くしたいんです。でも、人を殺した鬼は罪を償わないといけない。償ってこそ、ようやく仲良くできるはずです。その鬼も、人を殺しましたから、罪を償わせなくちゃならないでしょう? 人を殺した数だけ苦しんで、死んでもらおうということです」

 

「むちゃくちゃだ! 禰豆子は人を殺してない!!」

 

「そうですか……では、本人に聞いてみましょうか」

 

「んんー! ムー」

 

「禰豆子……! 禰豆子!」

 

 まただ。また禰豆子が奪われてしまう。まだ戻らない力では、取り返すことはできず、目の前の女の人に、縋り付くだけになってしまう。

 兄ちゃんが情けないばっかりに……ごめんよ、禰豆子……。

 

「ふふ、何人殺しましたか……? おっと、嘘はいけませんよ? これでも私は、鬼を殺せる毒を開発した、ちょっとすごい隊士なんです。人を食べただけ、毒への耐性もついていく。どのくらいの強さの毒に耐えられるか、試せばいいだけなんですから!」

 

「ムー! ムー!」

 

「しゃべらないのなら、いいですよ? まずは、ひと突き」

 

 独特の形状の刀が、禰豆子に突き刺される。この人の言う毒か、突き刺された部分から禰豆子の身体が変色していく。

 

「んぐ……っ! アガ……ッ!」

 

 痛ましい声を禰豆子が発する。こんなの、あんまりだ。

 

「ふざけるな……放せ! 禰豆子を放せ……ぇええ!」

 

「あら……? 耐えたみたいですよ? どうやら、数人の人間は食べてしまったようですね……。やっぱり、騙されていたんです」

 

 笑顔で振り返り、女の人はそう伝えてくる。その姿はどこか狂気染みていた。

 ともかく、禰豆子は人を殺していない。食べていない。このままでは勘違いが進んでしまう。

 

「違う! 禰豆子は、禰豆子は寝ることで体力を回復する特別な鬼なんだ! その毒に耐えられたのも、きっと眠ったからなんだ……!」

 

「じゃあ、もう一突きですね……っ!」

 

「お願いだから、お願いだから……やめてください!! お願いします……」

 

 これ以上は、禰豆子が死んでしまう。

 

 ――生殺与奪の権を他人に握らせるな!!

 

 冨岡さんの言葉を思い出した。意地でも動いて、禰豆子を取り返すしない。

 

「駄目だよ?」

 

「……!?」

 

 行動を読まれたのか、あの糸の鬼を倒した隊士に取り押さえられる。なにもできなくなる。

 

「ふふ、どうやらこの鬼を助けるために動いたみたいですね! これもこの鬼の血鬼術ですかねぇ」

 

「侮辱するな……ぁああ! 俺と、禰豆子の絆を!!」

 

 笑顔だった。禰豆子をいたぶりつつ、その人はこちらに笑顔を向け続けている。

 だが、ほんの一瞬、重く、苦しいほどの悲しみの匂いがした。

 

 ふと、目の前の女の人を見て、何か思い出しそうだった。どこかで似た人を見たような気がするが、誰だったかが思い出せない。

 

「伝令! 本部ヨリ! 炭治郎、禰豆子、両名ヲ拘束! 本部ニ連レ帰レ! カァー」

 

 鎹鴉の伝令だった。

 

「あっ……仕方ありませんね……」

 

 そして、禰豆子を奪った女の人は、刀をしまう。まだ、まだ禰豆子は大丈夫そうだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「累が死んだ。元下弦だ」

 

「…………」

 

 無限城、琵琶の子の血鬼術で連れてこられたが、無惨様がそうおっしゃる。

 元下弦が死んだ、それだけで呼ばれるのは珍しい。

 

 周りをみる。どうやら、他の上弦はいない。隣に巌勝くんがいるけれど、それ以外に、上弦は呼ばれてはいなかった。

 

「黒死牟、お前と同じ呼吸を扱う者が居た」

 

「申し訳……ございません……。そのような……者……存じては……」

 

「そうか……。まあ、いい。(ハツ)()、お前が奴らの試験で救った者が柱となっていた。累を殺した……」

 

「……!? 申し訳ございません、無惨様。私が至らぬばかりに……!」

 

 なえのためにと、あの山で鬼を間引いた時のあの隊士だろう。まさか、柱になるだなんて、思いもよらなかった。本当に私は愚かでどうしようもない。

 

「ふん……(ハツ)()……。お前が愚かなのは、いつものことだ……。普段の働きに免じ、今回のことは許してやろう」

 

「あ……ありがとうございます……」

 

 私は無惨様の寛大な御心に感動して、泣いてしまう。

 

「柱が一人増えようと、私にはなにも関係はない。黒死牟、お前たちは早急に鬼狩りどもを潰せ。いつも言っている。なぜ、その役割が果たせない?」

 

「申し訳……ございません……。奴らは……巧妙に……姿を隠して……」

 

「早急にだ。鬼狩りを、柱どもを殲滅せよ」

 

「はい……」

 

 琵琶の音がする。巌勝くんは無限城からいなくなった。私と無惨様だけが、この無限城に残っていた。

 

(ハツ)()

 

「はい……」

 

「珠世に、沙華だが……お前の鬼だと思っていい。もちろん……私の呪いが外れたわけではないが、お前が自由に使っていい」

 

「……!? 本当ですか!」

 

「お前は裏切らない。特別に許可しよう……」

 

「……ありがとうございます!!」

 

 そうだ。自由に命令を聞かせられるなら、二人には里の子達を食べないようになってもらおう。二人もいるから、正直、不安だったんだ。

 

 おそろいの髪飾りも買って、仲良くなったから、これからも長い付き合いでいきたい。

 

「これからも、私のために尽くせ、(ハツ)()

 

「はい、無惨様」

 

 私は永久にこのお方についていく。それが私にとって、一番大切なことだった。




 次回、柱合裁判。

 二万字とか、三万字とかで投稿するのは流石に良くないと思ったので、次回から六千字くらいで投稿の頻度を上げて頑張っていきます。

 感想返しはいつも次の話の投稿の一時間前から始めるので、感想は更新通知がわりとでも思って使ってもらっても構いません。ただ、ちゃんとこの作品の感想を書かないと運営様に怒られてしまうので気をつけてくださいね。


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柱合裁判

 人と鬼とが仲良くできる世界に……鬼は人を傷つける。殺して喰らう。そんなものは絵空事でしかないのかもしれない。私は疲れてしまっていた。




「どなたか、お知り合いでもいましたか?」

 

 鬼を連れた男の子と、鬼の女の子は、拘束され、(カクシ)に連れられて行った。

 

 御館様からの命令だったから、何か考えがあってのことだろうと思う。

 

「たぶん、同期の子なんだと思う……」

 

 鬼殺隊にいれば、知り合った人たちが死んでいくことはよくあることだ。鬼殺隊の仲間が死んでしまったら、それは悲しいことだった。

 

 鬼によって、バラバラの肉片にされた死体だった。あまり関わりがなかったけれど、私の唯一の同期だった。だから、少しだけ、特別に悲しい。

 

 だけれども、それで立ち止まるわけにはいかない。一体でも多く、一刻でも早く、鬼を倒して、悲劇を減らさなければならない。

 死んでしまったみんなの想いも連れて……。

 

「そうですか……それは残念でしたね……」

 

 胡蝶さんは、刀を使って、丸い繭のようなものを切り裂いていた。中からは、粘性の高い液体が溢れて、裸の男の子が現れる。

 

「その子は……?」

 

「まだ、息があるみたいです。良かったですね……! 隠の人たちに運んでもらいましょう」

 

 男の子の裸だから、少し見るのが恥ずかしい。

 胡蝶さんは、私と違って平常心で無機的な反応だった。やっぱり、隊士の怪我を見たりするから、そういうのにも慣れているのかもしれない。

 

 あたりに倒れていた負傷者もまとめて、隠が運んで行った。

 あとは、死体を埋葬のために運ぶだけだった。

 

「……!?」

 

 怖気がする。

 

 油断をしていた。異変が起こる。

 死体が溶けていく。

 

 転がっていた肉片が、溶け、血もろとも地面に吸われていく。消えてなくなる。

 

「これは、まだ鬼が居るのでしょうか……?」

 

 柱には召集がかかっていた。けれども、まだ、そちらには行けないかもしれない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 女の子の鬼だった。

 それは、繭の中から現れた鬼だった。

 

「あぁ……もう……今の私じゃ、ダメね……。血鬼術で、糸を溶かすのも時間がかかった……。なえ、死んでなければいいのだけれど……」

 

 隠たちの警護だった。もし、隠たちに鬼が襲いかかるようなことがあれば、鬼を斬る。それが私に師範から言いつけられた役目だった。

 

「あなたは……?」

 

「さぁ……? 鬼殺隊ね……あいにく鬼狩りと話すことはないわ……それより、なえを探さないと……」

 

「そう……」

 

 この鬼がなんなのか、考える必要はなかった。

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』。

 

 鬼の頸を落とす。

 これで、隠たちも守れる。私は、言われたことだけをやっていればいい。なにも考える必要はない。

 

「カナエちゃんと同じ剣術なのね?」

 

「……!?」

 

 カナエ……聞き覚えのある名前だった。同じ呼吸を使う人だった。私を助けて、面倒を見てくれた人だった。

 

 その人は、今、鬼になって……師範を苦しめている……。

 

「まぁ……いいわ……。私は忙しいから……アナタには構っている暇はないの……。なえを探さないと……」

 

 そう言って、その鬼は消える。

 鬼は死ぬ時、灰が崩れるようにして跡形もなく消えていく。けれど、この鬼は違う。地面に溶けるように、消えていった。

 

 鬼は日輪刀で頸を斬れば死ぬ。そうした。けれど、おそらく死んではいない。

 なえ、というのはあの稀血の……。会ったことがあるからわかる。蝶屋敷である程度、一緒に過ごした。その後に、上弦の弐に比較的有効だった風の呼吸を扱う育手のもとに、修業に行っていた。最近では同期になった。

 

 彼女は、上弦の弐の村で暮らしていたと言う。上弦の弐の村では……花柱だった胡蝶カナエが鬼に……鬼に……。

 

「まさか、今のは……上弦の弐?」

 

 最終選別でも、上弦の弐は現れたようだった。藤襲山を丸裸にしたあの鬼は、自分の村で育った女の子を追いかけていたようだった。

 

 消えてしまった以上、あの鬼は追えない。

 

「なんだ……!? なにが起きてる!?」

 

「死体が……消えた……!?」

 

 隠たちが騒ぎ始めた。

 見れば、たしかに鬼殺隊の隊士の死体は、隊服を残して消えている。

 

 不可解な現象だった。けれど、これには覚えがあった。あの最終選別のときの山で、植物が消えて行ったそれと同じ。

 食われたと直感する。

 

「師範……」

 

 もしかしたら、そちらに危機が迫るかもしれない。けれど、隠を守れという命令だった。ここから動けなかった。

 

 硬貨を投げる。

 

 表だったら、ここに残る。裏だったら――( )

 

 ――硬貨は表だった。

 

 

 

 ***

 

 

 私は……運ばれていた。

 あの糸の鬼と戦っていて……炭治郎が、あの鬼の頸を斬れなくて……善逸くんと禰豆子ちゃんであの鬼の頸が斬れて……それでも、生きてて……。

 

 ――そうだ……柱が……!

 

 思い出した。柱が現れてから、私は意識を失ってしまっていたようだった。

 それで、私は隠の人に運ばれているのだろう。

 

「ま、待って……! 私はどこに連れて行かれるの!?」

 

 慌てる。そこで思い出した。

 私には、あの小さな(ハツ)()さまがついて来ているのだった。

 

 鬼殺隊の重要な拠点に運ばれるのはまずい。

 

「起きたのか……? どこって……別におかしな場所に運ぶわけじゃないぞ? 怪我をしているだろう? 胡蝶様に言われた通りに、蝶屋敷に運ぶだけだ」

 

「だ、ダメよ……! 私はあの上弦の弐に監視されているわ! たくさんの鬼が攻めてくるかもしれない!」

 

 蝶屋敷、そこで療養している隊士の数はかなり多い。藤の花の屋敷でも、療養している隊士は居るが、そことは比べものにならないほどに、規模も、設備も違う。

 

「上弦の弐? そんなのが……いや、だとしても鬼だろう? これから夜が明ける。影を伝ったとしても、ついて来れるわけがない。大丈夫だろう」

 

「違うわ! あれは地面の下を通ってついてくる。夜だろうと昼だろうと関係ない!!」

 

「な……っ!?」

 

 事の重大さに気がついたのか、隠の人は足を止める。

 

「おやおや、ずいぶんと面白い話をしていますねっ!」

 

 声がした。それまで、まるで気がつかなかった。

 蝶の髪飾りをした女の人だ。知っている。会ったことがある。蟲柱の胡蝶しのぶだった。

 

「胡蝶様!」

 

「もしかしたら、と思ってこちらまで走って来たのでしたが、正解でしたか」

 

「それは……?」

 

「みんなの死体がね……こう、ドロってなって消えちゃったんだよ?」

 

 新しく現れた女の人だ。この人は、あの糸の鬼を倒した柱――( )青い刀だったから、水柱だろう。

 

 水柱……この人の前任の人には会ったことがある。こうじろうにぃを連れて、蝶屋敷の外に出ようとした時に、すごい剣幕で怒られたんだ。苦手だった。

 

 子どもの私が、場所もわからないのに、もう一人を背負って村に戻るなんて、無理があった。もちろん、鬼殺隊がそれを手伝うはずもない。

 あのときは、私も治りかけとはいえ、熱もあった。止めるのは人として当然だろう。場合によっては、死人が増える可能性もある。

 

 あとから、あの水柱の人の行動を蝶屋敷の人が庇ってそんなふうなことを言っていたのを思い出した。

 

 それから、まもなくして、こうじろうにぃは死んでしまったのだけれど、あの水柱の人を私は恨んではいない。ただ、それでも、苦手だった。

 

 だから、水柱というだけで、私にとっては少し抵抗がある。

 

「それで、どうして私のところに……?」

 

「ふふ、やっぱり鬼ですから、まず、稀血の子のところにやってくるはずです。それに、広範囲での死体の消失……藤襲山では植物でしたが、やり口が類似していましたから上弦の弐という可能性を考えました。そうともなれば、もう、あなたのところに来るのも必然でしょう?」

 

「…………」

 

 反論の余地のない推理だった。それにしても、あの小さな分身は、蜘蛛山でやられた隊士の死体を、どさくさに紛れて捕食してきたのか……。

 

「それでも、今ここにいる私たちでは上弦の弐に勝てません。ここは大人しく投降しましょうか。もしかしたら、生かしてくれるかもしれませんよ?」

 

「えっ?」

 

 しのぶさんのその言葉に、今の水柱の人は動揺していた。

 鬼殺隊の柱の発言とは思えなかった。

 

「ちょっと、待ってください! 今、私のことを追っているのは、上弦の弐の分身です! 本体ほど強くない。諦める必要は……」

 

「ふふ、冗談ですよ? 少し作戦があるんです。安心してください。このまま蝶屋敷に向かいます……きっと、その上弦の弐は追ってこれませんから」

 

「え……っ?」

 

 気がつけば、私はしのぶさんに背負われていた。

 

「しっかり。捕まっててください。……それと、今残っている隠の人たちは、後で伝達される道のりで来るように!!」

 

「……あっ!」

 

 跳んだ。いや、飛んだと言った方が、もはや正しいかもしれない。木の枝太い枝を蹴って、空を飛び回る。その速度は、地を駆けるどんな猛獣たちでも追いつかないだろう。風を感じる。

 

「私は柱の中でも速いのですよ? 速さ比べというわけです」

 

「たしかに……これなら……」

 

 あの分身がどんな速度で動けるかはわからなかった。けれど、こうして、木と木の間を伝って走るのは理に適っている。藤襲山でも、植物の上を通れば察知が遅れていた。

 こうして空を行けば、あの分身も私たちのことを見失ってくれるだろう。

 

 チクリと胸が痛む。なんだか、悪いことをしているような気分になった。

 首を振って、気を取り直す。こんな考えじゃ、いけない。

 

「ねえ、急に飛び出して行くから、びっくりしたんだよ?」

 

 気がついたら、今の水柱の女の人が、並走していた。この人も速い。しのぶさんは、私を背負っている分、遅くなっているだろうけれど、それでもこの速度に追いついてくるなんて、柱はやはりすごい人たちだった。

 

「真菰さんなら、ついて来れると信じていました」

 

「調子がいいんだね……」

 

 水柱の人は、非難めいた視線をしのぶさんに向けていた。しのぶさんは、ニコニコとしていてそれをものともしない。

 

 なんだか水柱のこの人には、ここに来るまでに、しのぶさんに振り回されていたような気疲れが感じ取れてしまう。少しだけ同情した。

 

 なんにせよ、これであの女の分身を振り切れるのならば、一応は安心だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「柱の前だぞ!」

 

 そう言って、起こされたのは、今回、隊律違反を起こした竈門炭治郎くんだった。

 

「…………」

 

 状況が理解できないのか、しきりにあたりを見回している。

 

「やっと起きましたか……。竈門炭治郎くん。あなたには、これから、裁判を受けてもらいます」

 

 まず始めに話しかけたのは蟲柱の胡蝶しのぶだった。その顔を見た瞬間、竈門くんの表情が怒りに変わる。

 

「禰豆子を……!! よくも……ぉおお! お前は許さない!! 絶対にだ!! あんなふうに禰豆子を痛めつけたことを! 絶対に許さない!!」

 

「あら、そう怒らないでください。これから、裁判ですから、そうなふうに感情を荒立てると、不利になってしまいますよ? 深呼吸、深呼吸」

 

「……ね、禰豆子は……!? 禰豆子はどこに……! 善逸! 伊之助! なえ!」

 

 鬼の妹の名前と共に、一緒に戦っていた子たちだろうか、その子たちの名前を叫んだ。

 

「もっとも、妹の禰豆子さんは、きっと頚を斬られるでしょうけれど。竈門くん。あなたは自分の身を案じた方がいいですよ?」

 

「な、なえ!! 禰豆子は、その箱の中にいるんだな!! よかった。本当に良かった……。なえも無事だったんだな……」

 

 胡蝶さんの話に取り合わず、少し離れた位置にいた女の子のことを見つける。胡蝶さんの話は、意図的に無視したというよりは、余裕がなく、聴こえていなかったというようだった。

 

 妹のことをまず案じてはいるが、仲間の無事を喜んでいるところを見ると、この子は、きっと優しい子なのだとわかる。

 

「鬼を連れた隊士と言うから、どんな派手なやつかと思ってきてみれば、なかなかド派手に叫ぶじゃないか……!」

 

 無駄にキラキラとした装飾をつけて、奇抜な化粧をした大柄な男の人――( )音柱の宇髄天元さんがそう言う。

 

「うむ、なるほど! これからこの少年の裁判を行うと! 裁判をする必要もないだろう。鬼を庇うなど明らかな隊律違反。それならば、鬼もろとも斬首となる。我らのみで対処可能だ」

 

 赤と橙の炎のような髪の男の人は、炎柱の煉獄杏寿朗さんだ。たしかに、単純な隊律違反ならば、こうして柱を集めて裁判など開く必要がない。

 

「で、でも、良いのかな……? 御館様が、裁判をするって……それで集まったわけだし……」

 

 勝手なことをしていいのだろうか。

 ここは御館様のご意向を汲んで、裁判を待った方がいいのではないか……。

 

「それよりも、冨岡だ……。なぜ、もう柱ではない冨岡が、今、この場にいる? この隊士について、なにか知っているとでも言うのか? 知っていて放置していたのか? なら、どう説明する? どう謝罪する? どう責任をとる? なんとか言ったらどうだ、冨岡」

 

「…………」

 

 なぜか木の上に陣取っている蛇柱の伊黒小芭内さんが、離れたところに一人でいる冨岡さんに言及した。冨岡さんは無言だった。居たことに気がつかなかった。

 

「冨岡さん!!」

 

 そういえば、この鬼を連れた少年が、冨岡さんについてなにか言っていたことを思い出した。

 

 もしかしたら、本当に冨岡さんがこの一件に関わっているのか……嫌な予感がする。

 

「あら、冨岡さんじゃないですか! そんなところにいらっしゃらないで、こっちに来たらどうですか?」

 

「俺は……柱ではない」

 

 そう言って、冨岡さんは、私たちの後ろに行った。冨岡さん……。

 呼びかけた胡蝶さんは、困惑したようだった。

 

 そのまま、胡蝶さんは、一つ、咳払いをする。

 

「気を取り直して……そうですね……。まずは頚を斬るにしても、坊やの方から話を聞きましょう。どうして鬼を庇っていたのですか?」

 

「…………」

 

「そんなに怖い顔をしないでも……。竈門炭治郎くん。私はあなたの味方ですよ? 鬼の道連れになって、あなたが死んでしまうことは、私はとても悲しいことだと思うんです」

 

 大仰に、胡蝶さんは、裾で涙を拭うふりをして、悲しみの表情を見せる。竈門くんは、ジッとそんな胡蝶さんを睨みつける。

 

「禰豆子は俺の妹なんだ! 人を食わない特別な鬼なんだ! 今までも、これからも! 禰豆子は人を食わない! 襲わない! 鬼殺隊の隊士として、禰豆子は人を守るために戦えます!!」

 

「この通り、竈門くんはこう言っていますが、きっと鬼に精神を狂わされたのでしょう。私の毒に耐えた以上、人を食っていることは明白です。もしかしたら、家族でもないのに、妹だと思わされている可能性もありますね……」

 

「ふざけるな……ぁあああ! 禰豆子は! 俺の! 妹だ……ぁああ!」

 

 竈門くんは、狂ったように怒っていた。

 そんな怒気にあてられても、胡蝶さんは笑顔のままだ。

 

 竈門くんは、こうだけれど、柱のみんなには、胡蝶さんの、竈門くんの罪をなるべく少なくしようという心遣いが伝わっていた。

 

「あぁ……可哀想に……」

 

 岩柱の悲鳴嶼行冥さんの、そんな哀れむ声が聞こえてくる。滂沱の涙を流している。

 

「…………」

 

 なにか言ってきそうだった音柱の宇髄さんは、どこか悲しそうな表情を浮かべて、ことの成り行きを見守っていた。

 

「御館様の御成です」

 

 そう声がする。

 柱の皆が御館様に控える。

 

「んが……」

 

 竈門くんは、木から降りてきた伊黒さんに、ついでとばかりに頭を押さえつけられた。事情がよくわからなかったからか、頭を上げて、御館様のことを見ていたばかりだったからだ。

 少し可哀想だったけれど、こればかりは仕方がない。

 

「おはよう、みんな……顔ぶれが変わらずに、半年に一度の柱合会議を迎えられたこと、嬉しく思うよ」

 

 御館様は病に蝕まれて、目が見えない。だから、娘のひなき様とにちか様に連れられてやってきていた。

 御館様の娘のお二人は、顔がよく似ているから、どちらがどちらかよくわからなくなる。髪飾りでしか私には判断できない。

 

「お……御館様に置かれましても……えっと……ますますの御多幸……切にお祈り申し上げます!!」

 

 恋柱の甘露寺蜜璃さんが、途中つっかえながら、言い切った。それに御館様は笑顔で頷き返す。

 

「ありがとう、蜜璃」

 

「恐れながら、御館様……。この鬼を連れた竈門炭治郎くんについて、ご説明をお願いします……」

 

 丁寧に頭を下げて、胡蝶さんが御館様に問いかけていた。

 

「そのことについてなんだけどね……炭治郎の妹の禰豆子については、こちらで承諾していたんだ。みんなにも、認めてほしいと思ってる」

 

「…………」

 

 柱の皆に動揺が走る。

 それは鬼殺隊として、例にないことだった。

 

「御館様の願いであっても、承服しかねる」

 

「俺も派手に反対する」

 

 悲鳴嶼さんと、宇髄さん。柱の就任歴の長い二人からは、真っ先に反対の声が上がる。

 

「私は……御館様の望むまま……従います……」

 

「僕は……すぐに忘れるので、どちらでも……」

 

 甘露寺さんと、霞柱の時透無一郎くんだった。そういえばこの二人は、御館様がくる前の話にあまり口を出さなかったかな。

 

「信用しない。信用しない。鬼は決して認めない」

 

「うむ。心より尊敬する御館様の頼みであるが、理解しかねる。俺も全力で反対する!」

 

 伊黒さんと、煉獄さんは反対をする。柱の中でも、反対の方が意見が多かった。

 

 それもそうだろう。鬼を倒すための鬼殺隊。大切な人や、仲間を鬼に殺された人ばかり。鬼のことは許せない。

 こうなるのは、火を見るよりも明らかだった。

 

「御館様。鬼を生かしておくことは、とても危険です。どうか、お考え直し、あの鬼を殺すことだけでもお許しください」

 

 胡蝶さんが、丁寧にお辞儀をして、そう御館様に頼み込んだ。

 

「うん……手紙を……」

 

「はい。元柱である鱗滝左近次様からいただいたものです」

 

「え……鱗滝先生……?」

 

 御館様の左側にいる子が、懐から手紙を取り出し、読み始める。

 

 内容は抜粋されて読まれたが、炭治郎が鬼である妹の禰豆子と一緒に居れるよう、頼むものだった。

 禰豆子ちゃんは、二年を超えても、その精神力で鬼の飢餓状態を乗り越えて、人を食わずに今まできたと……。

 

「…………」

 

「もしも禰豆子が人に襲いかかったときは、竈門炭治郎および、冨岡義勇、鱗滝左近次、()()が、腹を斬ってお詫びします」

 

「え……私……聞いてないよ……?」

 

 つい、口に出してしまった。

 柱が皆、私の方を見る。御館様も、どこか困ったように私の方を向いていた。

 

 とっさに振り向く。

 後ろで控えていた、冨岡さんと目が合う。その行動に合わせて、みんなが冨岡さんの方を向いていた。

 

「…………」

 

 動揺して、何か言いたげに冨岡さんはこちらを見ていた。

 言ったはずだ、あれは幻だったのか、と、聞こえてきそうな顔だった。

 

「ふっ……ふふ。あ……すみません」

 

 甘露寺さんなんて、あまりの状況に失笑してしまっている。

 

 必死に私は思い出す。

 

「鬼が人を食った。俺と鱗滝先生の庇った鬼だ。俺たち二人は責任を取って腹を斬ることになる」

 

「……え!?」

 

「もしもの話だ。そうなったら……」

 

「私も……責任をとる! 鱗滝先生が大好きだからね! それに冨岡さんのことも……。だから、一緒に責任をとるよ!」

 

「そうか……」

 

 そんな話をしたような気がする。

 冨岡さんのことだから、それで伝えた気になったのだろう。少しだけ、頭が痛くなる。

 

「なら、真菰。真菰は無関係だから、禰豆子が人を食っても、腹を斬らないということで、いいかい?」

 

 状況を見てか、御館様は、手紙の内容をそう訂正しようと提案する。その御心遣いはありがたいけれど、私には必要のないものだった。

 

「いいえ、御館様。鱗滝左近次は私の育手……私は冨岡義勇の継子でもありました。師の不始末は弟子の不始末。鱗滝左近次および、冨岡義勇が腹を斬るとき、私も責任を共にし、腹を斬ります」

 

 恭しく見えるようにお辞儀をして、私の決意を御館様に申し伝える。

 そのすぐ後に振り返り、冨岡さんに目で合図を送る。

 

 冨岡さんは、神妙な顔でこちらを見ていた。

 ついぞ、継子とは認めてもらえずに、冨岡さんは柱を引退したけれど、私は継子のつもりだった。だから、こう言った。

 

 それにしても、冨岡さんはもっと詳しく分かりやすいよう言ってくれればよかったのに……。

 

「待ってください御館様。その鬼が、人を食っていないという話でしたが、幻覚系の血鬼術で誤魔化しているというのはどうでしょうか? 手紙の一通ではなんの証明にもなりません」

 

「胡蝶の言う通りだ! それに、切腹すると言っても、それで鬼が人を殺さないわけではない! 殺された人は戻らない! 御館様!」

 

 胡蝶さんと、煉獄さんは反対する。その言葉には一理ある。

 

「確かにそうだね。ただ、禰豆子は人を殺していないこと、これから殺さないことを証明できないように、禰豆子が人を殺していること、これから殺すことも証明できない」

 

「御館様。その鬼は私の毒に耐えましたから、人を食べたことは間違いがありません。ですから……その鬼は! 人を殺しているはずなんです!」

 

「しのぶ、禰豆子は睡眠で回復をする特別な鬼なんだ。そう聞いているよ。そうである以上、毒に耐えたからと言って、人を殺して食べたことにはならないんだ」

 

「……っ!」

 

 胡蝶さんが、黙り込む。そして、怒りからか、身体が震えていた。これほどにまで怒った彼女は、珍しいように思える。

 

「みんなが納得できるように、来てもらった子がいるんだ。なえ、よろしくできるかい?」

 

「……はい。失礼します」

 

 上弦の弐の村で育ったという稀血の子だ。その子が、鬼の入った箱を持って、御館様の屋敷の中に入っていく。

 

「…………」

 

 みなが見守る中、刀を取り出して、まず掌を傷つけた。

 血が、鬼の入った箱に垂れる。

 

「炭治郎……禰豆子ちゃん……ごめん……」

 

 そう言うと、箱に一度刀を突き刺し、開けた。中からは女の子の鬼が飛び出してくる。

 

「うぅ……! うぅうう……!」

 

 竹を咥えて、そんな口からは涎が溢れている。

 

 上弦の弐の村では、より鬼にとっての効果の高い稀血が生み出されているという。

 そんな村で生まれた子だから、その血は、普通の稀血よりもよほど鬼にとって質が高いと言う話だった。きっと食欲を唆るだろう。

 

「禰豆子!!」

 

 いつの間にか、拘束を抜けて、竈門くんが前に出ていた。

 押さえつけていたはずの伊黒さんの方を見る。伊黒さんは、冨岡さんに手を掴まれて動けないよう。

 

 なんというか、冨岡さんは相変わらずの強さだった。

 

「うぅ……ぅう。うぅううう」

 

「…………」

 

 稀血の女の子は、血に濡れた手を差し出しながら、少しばかり震えていた。

 あの近さならば、もし襲われたとき、場合によっては命がないかもしれない。よくこんな役目を引き受けたと感心する。

 

「禰豆子!」

 

「……うぅううう。んっ……!」

 

 鬼の女の子が、稀血の子から顔を背ける。

 人を食わないという意思表示だった。

 

「どうなったかい?」

 

「鬼の女の子はそっぽを向きました」

 

 結果が、目の見えない御館様に伝えられる。上弦の弐の村で育った子の血が、鬼をどれほど惹きつけるか、柱なら皆あるていどは知っている。

 

「これで、禰豆子が人を襲わないという証明ができたということでいいかい?」

 

「…………」

 

 皆が黙り込んだ。

 ここまでされれば、あの女の子の鬼のことを、認めざるを得ない。

 

「待ってください御館様。今、襲わずとも、これから本性を顕し、人を喰らわぬとも限りません。どうかご決断を……」

 

「見苦しいぞ、胡蝶!!」

 

 冨岡さんが、胡蝶さんのことを制止する。それでもと、胡蝶さんは冨岡さんに反発する。

 

「ふざけないでください!! どうして冨岡さんが鬼の味方をするんですか!! 鬼とは仲良くできないんじゃなかったんですか!! 私の……私のときは……鬼に頭をおかしくされたと片付けたくせに……どうして今回もそうしないんですか!! 答えてください冨岡さん!!」

 

「……御館様の御前だ……」

 

「…………」

 

 力なく、胡蝶さんはうなだれてしまった。

 

 こんなふうに、胡蝶さんが取り乱してしまうだなんて、意外だった。

 私のように、驚いているのが柱では、ほとんどだったけれども、就任歴の長い悲鳴嶼さんに、宇髄さんは、他の柱とは違い、痛ましいものを見るような目をしていた。

 

「禰豆子が人を食わないことに、結果として四人の命がかけられている。もし、反対をする者がいるのなら、これ以上のものを差し出してもらうことになる。いいかな?」

 

「…………」

 

 御館様は有無を言わせない。

 ここまでされた以上、誰もが鬼の禰豆子ちゃんのことを認めるしかなかった。

 

「炭治郎も……。禰豆子のことをよく思わない隊士もいるだろう。だから、鬼の禰豆子が、鬼殺隊として共に戦っていけることを証明する。まずは十二鬼月を倒すことだ。そうすれば、炭治郎の言葉の重みも変わってくる」

 

「は……はい……!! 必ずや、禰豆子とともに、鬼舞辻無惨の打ち倒し、悲しみの連鎖を断ち斬ってみせます!!」

 

 平伏して、竈門くんは御館様にそう宣言してみせる。

 御館様は十二鬼月と言ったのに、鬼舞辻無惨とは、大きく出たものだった。

 

「まずは十二鬼月から倒していこうね……。鬼舞辻無惨は、今の炭治郎では倒せないから……」

 

「は、はい!」

 

 そうして、竈門くんと鬼の禰豆子ちゃん、そして稀血の子の三人が、この会議から下がることになった。

 

「ま……待ってください。せめて……監視のしやすいよう、私の屋敷で預からせてください……」

 

「え……っ!?」

 

 なおも口を挟んだ胡蝶さんに、竈門くんは驚いていた。柱の皆も、苦い顔で胡蝶さんの方を見ていた。

 御館様は、少しだけ考えるような素振りを見せる。

 

「いいよ。だけど、炭治郎に、鬼の禰豆子には、手を出さないようにね」

 

「はい……」

 

「え……っ!?」

 

 それについては、柱の誰もが反対しなかった。もし、まかり間違って、胡蝶さんに禰豆子ちゃんが殺されてしまっても、柱たちは誰も困らないというのが、その実だろう。

 

 これに関しては、冨岡さんも何も言わなかった。

 

 竈門くん、禰豆子ちゃんに、稀血の子が隠によって運ばれていく。最後、去り際にこっそりと、御館様は竈門くんに、何か喋りかけていたようだった。

 一つ、竈門くんの隊律違反について、決着がついた。

 

「俺は、柱ではないから失礼する……」

 

 そのまま冨岡さんが帰って行こうとする。

 

「待ってください冨岡さん。冨岡さんも、柱を辞めたとはいえ、まだ現役です。鬼殺隊の重要な戦力として、この会議に残った方がいいのではないでしょうか」

 

「……俺は、お前たちとは違う……」

 

 そう言って、止める胡蝶さんをものともせず、冨岡さんは去って行こうとする。

 

「義勇。しのぶの言う通りだね……。義勇には、鬼殺隊の大切な戦力として、この場に残ってもらおう」

 

「…………」

 

 御館様の言葉に、冨岡さんは渋々と言ったように足を止めた。

 

 もう一度、柱たちの後ろに控える。

 柱ではないから、遠慮してその位置なのだろうか。なんとなく、冨岡さんの行動が理解できた。

 

 そうして会議が始まる。

 柱たちの担当地区の調整。それから、隊士の質が落ちているという話。最近、辞めた後に行方をくらましてしまう隊士が多いという話。

 

 そして――( )

 

「今、柱は八人いる」

 

「…………」

 

「一人欠けているけれど、今、ここにいる柱たちは、始まりの呼吸の剣士以来の精鋭が集まっていると思っている」

 

「…………」

 

「約束だったね……柱が八人揃ったら、上弦の弐を倒しに行くと……。五百年以上前から、生きながらえてきた、強大な鬼だ」

 

「…………」

 

 そういう話だった。

 冨岡さんからも、その上弦の弐と戦うことを念頭に置いて私は鍛錬を受けた。

 

「しのぶは、事情が事情だから、この話の柱には、含まないことになっている。後一人だ」

 

「御館様! 冨岡も含めれば、柱の数も足りるのでは……!」

 

「俺は、柱ではない」

 

 後ろからは、強情なそんな声が聞こえてくる。

 冨岡さん、そんなに柱が嫌なのだろうか。冨岡さんの担当地区は、柱でもないのに二番目くらいに広かった。

 

「本人が、そう言っているから、柱には含めないことにしよう……。後一人……柱が揃ったら、上弦の弐を倒しに向かうことになる。みんな、覚悟して準備しておくように……」

 

「御意……」

 

 上弦の弐、人を家畜として扱っている邪悪な鬼。

 どんなに強い鬼でも、私たちは、必ず、鬼を滅ぼしてみせる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そろそろね……」

 

「ええ……」

 

 カナエちゃんと珠世ちゃんと、一緒に時間を待っていた。

 

 ちなみに、カナエちゃんに、珠世ちゃんは、私が自由に呪いを付け加えられるようになった。

 里の子たちを殺せないようにしようと思ったけれど、殺したときに呪いが発動するようになるだけだから、あまり意味がないことに気がついた。面倒だから、結局なにも手を加えなかった。

 

 私の鬼になったからと言って、特に変わったことはなかった。

 

 琵琶の音がなる。

 琵琶の子との約束の時間だった。

 

「ここは……!?」

 

 左眼に『下陸』と刻まれた女の子だった。琵琶の子の血鬼術によって、連れ去って来てもらった。

 他の下弦の鬼もいる。

 

 揃っているのは、下弦の陸、伍、肆。

 下弦の壱……あの壺のお化けと、下弦の弐は、無惨様がお止めになったことにより、ここに呼んでいない。

 下弦の参は、私が嫌いだから呼ばなかった。

 

 下弦の参……あの男が人間だったときの話だ。あの男は、治りそうもない病の人間に、治ったように思い込ませることが得意だった。

 思い込ませて、死にかけになったところで種を明かす。そうやって、人を絶望の底に貶めることをよくしていた男だった。

 

 でもある日、そうやって、絶望の底に貶めて、死んでしまったはずの人にばったりと会って、ぼこぼこにやられたらしい。自業自得だろう。頭が悪いんじゃないかと思った。

 それで、死にかけて、無惨様に拾われたというのだから、なんとも情けないことだ。

 

 ちなみに、その死んでしまったはずの人を治したのは私だ。だから、治す際にある程度その下弦の参になる男に関する事情は聞いていた。

 そこから無惨様に最近十二鬼月になった鬼の話を伝えられて、こう、ピンと来たわけだ。

 

 人間だった時の行動は、ちょっと、なにがしたいのかよくわからなかったし、そんな頭の弱い今の下弦の参とは気が合わないだろう。

 

「はい……。これね」

 

 珠世ちゃんが、下弦の三人に瓶を渡す。

 稀血の子の血が入った瓶だ。

 

「…………」

 

 下弦の三人は、動揺を隠せないようだった。

 私は言う。

 

「なにをしているの? 飲んでいいのよ?」

 

「……!?」

 

 そう言えば、おずおずと三人とも血を口にする。

 

 私の里でも、そこそこに良い稀血を用意してあげた。適当に配ったけれど、たぶん、女の子の下弦の子に一番良い血が渡ったようだった。

 ゴクゴクと、みんな良い飲みっぷりだった。

 

 瓶の中身を飲み切って、三人とも、私たちの方を向く。

 

「今までに味わったことのないほどの上質な血! どうして、これほどの血を私どもに!?」

 

 上弦の弐である私におもねりながらも、血の効果か、興奮したようにそう訊いてくる。

 

「別に、それほどでもないわよ? 私の里にはこれより良い血はたくさんあるわけだし」

 

「……!?」

 

 三人とも、目の色を変える。

 それは予想できたことだった。ここでカナエちゃんが前にでる。

 紙を三人に配る。

 

「この紙に書かれた住所に時間ね……。そこにある建物の中で、人間の血を売るわ。真面目に働いて、お金をたくさん稼いで持ってきてほしいの。お金がたくさんあれば、これよりもずっと良い血が買えるわ……ぁ?」

 

「これよりも……!?」

 

 カナエちゃんが、お金をたくさん持ってきて、里の子たちも増えたから、こうして下弦に血を売ることができる。

 カナエちゃんが、もう少し血を飲む量を抑えていれば、もっと早く実行できた。

 珠世ちゃんも、割と無頓着に持っていくし、調整が少し大変だった。

 

 けれど、今、里の人たちから集められる余剰な血の量から考えて、下弦の分くらいは大丈夫だろうという算段だった。

 カナエちゃんや、珠世ちゃんが、見向きもしない程度の血を売れば良いわけだし……。

 

 これを最終的に、鬼全員に広められたら、カナエちゃんの言う鬼と人とが仲良くできる世界になる。

 

 まず、下弦たちには、童磨みたく吹っかけてやるんだ。

 

「さて、もう用は済んだわね」

 

 琵琶の音がする。琵琶の子の血鬼術によって、下弦たちが帰って行った。

 

 この里で売らない理由は、鬼殺隊に見張られている可能性があるからだ。割と入り浸っている巌勝くんとは違って、下弦なんて簡単にやられてしまう。縁壱みたいなのがいなくても、柱に会っただけで死ぬのだから、情けない話だ。

 

 琵琶の子の血鬼術で、今日みたいに呼び寄せてもらってもいいだろうけど、その度に探してもらっていては大変だろうと思った。時間もかかるだろうし。

 だから、下弦たちには指定した場所に自ら足を運んでもらおうと決めたわけだ。

 

 一度目に開いた販売会では、どの下弦の鬼も、お金が足りずに用意された中で最低の質の血も買えなかった。




次回、蝶屋敷。


申し訳ございません。六千字は無理でした。短くまとめる能力がなかったです。はい。
魘夢の人間時の話は映画の特典からです。初日に行きましたからね……。

魘夢(人間時)「信じられぬものを見た……」

逃げ腰守銭奴零余子ちゃん……いや、なんでもないです……はい。


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仲間たち

 鬼と相対して、足がすくむ。動けなくなる。どれほどの鍛錬を積んだ隊士でも、実戦にならなければわからないことだった。



「なえ! 無事だったんだな!」

 

「炭治郎も!!」

 

 私たちは、互いの無事を喜び合う。

 裁判では、炭治郎が殺されてしまうのではないかと、内心、おそろしい思いをしていた。

 

 ようやくあの会議を抜けて、言葉を交わせる。ただ純粋に嬉しかった。

 

「なぁ、自分で歩けないのか?」

 

「すみません、身体中が痛くて……」

 

 炭治郎は、隠の人におぶわれていた。あの糸の鬼との戦いでの消耗が激しかったのだろう。仕方がない。

 幸い、私は普通に歩けている。

 

「なら、私が代わりに背負うわ!」

 

「いや、さすがにそれは……」

 

 隠の人は遠慮をするようだった。

 私も、疲れてはいるけれども、きっと、炭治郎ほどではない。本当にすごい動きをして、いつもとは違う呼吸で、あの糸の鬼と戦っていたのだから、このくらいは疲弊していて当然だろう。

 

 あのときは、私もいつもとは違う呼吸を使ったが、炭治郎の方が切り替えた後の時間が長かった。それがこの差に繋がっているとも考えられる。

 

 炭治郎が、ふと視線を横に送った。女の隠の人が、禰豆子ちゃんの入った箱を背負って運んでいる。

 

「なえ……ありがとうな……禰豆子のこと……」

 

「ううん、炭治郎。禰豆子ちゃんのことなら、お礼を言われる筋合いはないわ……! 私、禰豆子ちゃんが炭治郎のことを庇うところ、見ていたでしょう……?」

 

「なえ……。それに、あの鬼との戦いでも……なえが援護をしてくれなきゃ、俺は死んでしまっていたから。感謝してもしきれないんだ」

 

「あの鬼との戦いでのことなら、当然よ。その前に私は炭治郎に助けられていたし……力になれて、本当によかった!」

 

 結局は善逸くんに、それからあの柱の女の人に助けられてしまった。

 もっと、強くならなければならない。

 

 あの鬼は、元十二鬼月だった。

 あの鬼よりも強い鬼を倒せるように……私は上弦の弐を倒さなければならないのだから……もっと、強く。

 

 禰豆子ちゃんのことに関しては、思うところがないわけでもない。それでも、炭治郎と禰豆子ちゃんの絆はわかっていたから、御館様から持ちかけられて、協力することにした。

 

 炭治郎は、視線を私の手に移す。布で出血を抑えているが、禰豆子ちゃんに血を見せたために傷ついている手だった。

 

「なえ……ごめんな……。俺たちのことで、そんなふうに血を流させてしまって……」

 

「いいえ……私も刀で禰豆子ちゃんを突き刺したわ……。謝らなければならないのは、私の方。炭治郎にも、禰豆子ちゃんにも……」

 

「いや、なえ……。禰豆子が傷ついて、消耗している状態でも、なえに襲いかからないって、証明するためだったんだろう? なえがいなきゃ、禰豆子は殺されてしまっていたかもしれない。だから、なえが謝る必要はないんだぞ?」

 

 炭治郎の言うことはもっともだった。でも、どんな理由であれ、傷つけてしまったことは事実だったから、私は謝っておきたかった。

 

「ううん。ごめんなさい炭治郎……。それに、禰豆子ちゃんも……」

 

 禰豆子ちゃんの入った箱を撫でる。

 禰豆子ちゃんは鬼だ。あの女と同じ……。

 

 それが脳裏に過ってしまえば、胸にわだかまる思いを痛切に感じてしまうけれど、飲み込めないわけではない。

 

「……なえ、本当にありがとう……。もしかしたら、我を失った禰豆子に襲われてしまうかもしれない。それでもなえは、俺たちのために……本当にありがとう」

 

「…………」

 

 そこから、隠の人たちによって、私たちは蝶屋敷へと運ばれていった。

 御館様の屋敷の場所は秘匿されているから、途中の道では目隠しをされて、隠の人に連れて行かれるばかりだった。

 

 そして、蝶屋敷にたどり着く。炭治郎は、まだ身体がうまく動かないから、隠の人に背負われたままだ。

 

「ここも立派なお屋敷なんだな……」

 

 感心をしたように炭治郎は言葉を漏らした。

 

「そうね……。ここでは、傷を負った隊士が療養している。それに鬼に家族を奪われて、家を失った女の子を預かる場所でもあるわ」

 

「そういうことなら、なえも……ここで暮らしていたのか?」

 

「そうよ……すぐに、育手のところに呼吸を習いに行ったから、私は一年もいなかったけれど……」

 

 この蝶屋敷で過ごした日々に、正直、あまり良い思い出がない。

 こうじろうにぃが死んでしまった場所も……ここだから……。少しだけ、思い出して、胸にくるものがある。

 

「そうだ……それなら、なえ。なえは……あの人の……胡蝶さんのことを……なえはよく知っているのか?」

 

「あまり知らないわ……。私がこの屋敷に来たばかりのときは……牢に繋がれていたらしいし……」

 

「……? 牢にって、なにかあったのか?」

 

 答えをわずかに躊躇する。

 これは言ってもいいことなのだろうか……。いや、ここで私が言わなくとも、いつかはわかることなはずだろう。

 

「鬼になった姉を庇ったそうよ」

 

「……!? じゃ、じゃあ、あの人は……」

 

 炭治郎が目に見えて動揺しているのがわかった。

 自分と境遇を重ねてしまっているのかもしれない。

 

 しのぶさんの姉はダメで、炭治郎の妹は許されたわけだから、あの会議での取り乱しようも理解できる。

 だから、あのときのしのぶさんは禰豆子ちゃんに八つ当たりをしているようにみえた。

 

 だけれども、私だって、あの場で、あんな立場だったら、同じように取り乱してしまっていたかもしれない。

 禰豆子ちゃんのことをずるいと思う気持ちは、私もわからなくはないから、そんな姿を見て、同情をしてしまった。とても悲しかった……。

 

 しのぶさんのお姉さんは、私たちの村で鬼になったという話だったから、思うところがあって、蝶屋敷でも、あまりしのぶさんとは話はしなかった。

 今回の会議では、私は炭治郎の肩を持たせてもらったから、それに輪をかけて、顔を合わせるのが、とても気まずくてたまらなくなってしまう。

 

 しのぶさんのことは、気の毒だと思ったけれど、私は炭治郎の味方をするのだと、決めたのだ。

 

「……あぁ」

 

 蜘蛛山でのあの戦いを思い出す。

 耳飾りと共に代々受け継がれてきた神楽を使って、炭治郎は、見事逆境を跳ね除けてみせたのだ。

 

 その、稀有な巡り合わせに思い馳せ、そして私は確信する。炭治郎が、今まで何百年と倒せてこなかった鬼たちを倒し、鬼の始祖たる鬼舞辻無惨の息の根を止めることを……!!

 

「……な、なえ……?」

 

「炭治郎! あなたの力になるから!! 私のできることなら、なんだってするわ! なんだって!」

 

「なえ……。初めて会ったときもそうだったけど……どうして、なえは、突然わけのわからないことを言い出すんだ……?」

 

「……!!」

 

 涙が出る。

 炭治郎に嫌われてしまったかもしれない。言いようのない絶望感が心の内を支配していく。

 

「いや、泣かせるつもりで言ったわけじゃなくて……。え……! なんでここで降ろすんですか! ちょっと待ってください! 俺をここに置いて行かないでください!」

 

「俺たちは、蝶屋敷の人たちに事情を説明してくるから、二人はここで待ってるんだ」

 

 炭治郎と一緒にいようか、隠の人に付いて行こうか迷った私に、隠の人はそう言った。

 

 なぜ置いて行かれるのかはわからないけど、私はうんと一つ頷く。

 炭治郎を背負っていた隠の人と、禰豆子ちゃんの入った箱を背負っている隠の女の人は行ってしまった。

 

「な、なえ……ごめんな……。ごめん。本当に、悪気はなかったんだ……」

 

「私が悪いの……。全部私が……」

 

「いや! 俺の言い方が悪かったよ……。突然なんでもするなんて言われて、戸惑っただけなんだ……。そうだ! だったら、なえ! 上弦の弐のことは、俺がなんとかするから……っ、なえはその協力をしてくれたら嬉しいんだ……! なえは、死んだりしなくて大丈夫だから……っ!」

 

「…………」

 

 藤の花の家紋の家から、炭治郎とはずっとその話をしていたような気がする。もう何十回もした話だ。

 私と炭治郎の間では、話がまるで進んでいなかった。

 

「これなら、どうだ? なえ」

 

「イヤ……。あの女は、殺す。どうにもならない」

 

 ぷいと私はそっぽを向く。

 

「えぇ……」

 

 いくら炭治郎でも、その協力はできない。

 チラチラと、炭治郎の顔を見れば、とても困ったようにオロオロとしていた。目が合った。

 

「…………」

 

 目を逸らす。もう私は炭治郎の方を見ない。少し気まずくて、恥ずかしい。もしかしたら、顔が赤くなっているかもしれない。

 

「な、なえ……」

 

 あぁ……。

 もう、どうしようもない。困ったような、そんな炭治郎の声を聞くと、自分のことが情けなくてたまらなくなる。

 

 こんなふうに、拗ねてみせて、私は炭治郎の優しさに甘えているだけだった。

 

「炭治郎……」

 

「なえ……!」

 

 機嫌を悪く見せていた私から話しかけたからか、少しだけ明るい声で、炭治郎は私の名前を呼んでくれる。

 

「……炭治郎……。私ね……。あなたの力になりたいの……。こんな私で、ちゃんと力になれるかはわからないけど……そう、なんでもよ……私にできることなら、なんでもやってあげたい。炭治郎は、特別な人間だから」

 

 きっと炭治郎は、その刃を他人のために振るっていくだろう。自分の命を顧みずにだ……。だから、私は……。

 

「なえ、俺は特別な人間なんかじゃない。それに、俺のためじゃなくて……なえは……なえの……やりたいことはないのか……? ……鬼を倒す以外にもだ。そしたら、鬼を全て倒した後でも……いや、そうじゃなくても、きっと、生き甲斐になるから……!」

 

「……やりたいことって……ううん、炭治郎……私は十分に村で幸せに生きたから……もう、いいのよ……。それに、炭治郎は……もう特別な人間なの」

 

 炭治郎の隣に座り込んで、腕に抱きつく。

 

「……!!」

 

 炭治郎は、驚いたように、無言でこちらを見つめていた。

 

 そんな反応は無視して、少しだけとこのままでいる。

 暖かかった。心地よかった。

 

 あぁ……。あぁ……。

 死んでしまった私の大切な人のことを思い出す。こんなときには、苦しさで胸が締め付けられる。

 

 呼吸の一つ一つで痛みが強く沁みてきて、鼓動の一つ一つで全身へと徐々に徐々に溢れていく。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸を整える。

 否が応でも、こうやって、私のこれからの生き方が、心に刻まれていく。私の生きるべき道筋を、改めて実感させられる。

 

「なえ……」

 

 心配そうに、炭治郎は私の名前を呼んでくれる。

 その声に、私の心が安らぎはするけれど、炭治郎の声で安らいでるとわかった途端に辛さが増す。どうしようもない嫌悪感が、心の中から滲み出る。

 

「……っ!!」

 

「なえ……大丈夫だ。大丈夫だから……」

 

 気がつけば、炭治郎は私のことを抱きしめてくれていた。

 あやすように背中をさすって、私のことを落ち着かせようとしてくれている。

 

 頭がおかしくなりそうだった。どうすればいいかわからない。あの小さな(ハツ)()様に宥められていた時と同じだった。

 身体が震えて身動きが取れなくなる。悔しくて、悔しくて、情けない。

 

「炭治郎……。もう、いいわ。隠の人たちが、戻ってくるかもしれないし……こんなところ見られたら……その……恥ずかしいの……」

 

 声を絞り出す。

 こんなふうに弱って慰められているところを、何人にも見られてしまったら、本当に惨めでどうしようもなくなってしまう。

 

「……あ……っ。ごめん、なえ……。そうだな……」

 

「…………」

 

 わかってくれたのか、そうして炭治郎が、私のことを離してくれる。

 その間も、記憶に残った温もりを思い返し続け、ただ呆然としていることしかできなかった。二度と私には手に入らないものだった。

 

「あ……っ、なえ! 戻ってきたみたいだぞ!」

 

「……そうね……」

 

 炭治郎の向いている方を見れば、男の隠の人が歩いてきていることがわかる。もうかなり近くにいる。

 計ったような頃合いだ。もしかしたら、みられていたのかもしれない。

 

「悪い。表に人がいなかったから、時間がかかった」

 

「あの……禰豆子は……?」

 

 見れば禰豆子ちゃんの箱を背負った女の人の隠はいない。だから炭治郎は尋ねたのだろう。本当に炭治郎は禰豆子ちゃんを大切にしている。

 

「先に部屋に案内されてる。ほら! さっさといくぞ!!」

 

「はい!」

 

 炭治郎はまた背負われて、今度こそ蝶屋敷の中に入る。

 懐かしい。私が過ごしていたときと同じだった。ここが私の始まりの場所だった。過去を思い出せば、自然と奥歯を噛み締めてしまう。

 

 わかっている。

 今じゃない。感慨に浸るのは、全部終わってからだろう。そのときは、こうじろうにぃにも、いい報告ができるだろうから。

 

「怪我人はこちらに!!」

 

 案内に、女の子が玄関の中で待っていた。

 アオイちゃんだった。蝶屋敷で暮らしていた女の子の中では、よく話もしたし、仲も良かった。

 

「アオイちゃん! 久しぶりね!」

 

 心が弾む。

 鬼殺隊なのだから、いつ死ぬかはわからない。こうして、また、会えるのは、何事にも替えられないくらいには嬉しいことだった。

 

 そうして話しかけたから、アオイちゃんはこっちに視線を向けて――( )

 

「…………」

 

 目が合いそうになった瞬間、アオイちゃんは違う方をすぐに向いた。目を逸らされていた。

 なぜか、こっちを見てくれない。

 

「アオイちゃん!」

 

「…………」

 

「アオイちゃん!」

 

「…………」

 

 声をかけても、もう一瞥もしてくれない。さっき以上の反応は、返ってこなかった。

 

 一度はこっちを見たのだから、聴こえてはいるのだろう。聴こえてはいるのに答えない。そうすれば、私は無視をされたということになる。

 

 ……無視。

 なにか、私は、気に障るようなことをしただろうか。やっぱり、私が上弦の弐の村で育てられたことがいけないのだろうか。

 

 返ってこない反応に、私は途方に暮れてしまう。

 

「なえ……知り合いなのか……?」

 

「え、ええ……。仲が良かったと思ったけど……やっぱり……私なんか……」

 

「なえ……そんな……」

 

 いや、そういえば、会議でのことを隠の人は説明した。私が禰豆子ちゃんを庇ったことも伝わっているのだろう。

 

 鬼を庇ったから、それでアオイちゃんは怒っているのかもしれない。

 

「そ、そう! ね、ねぇ、アオイちゃん! 禰豆子ちゃんのことなら……禰豆子ちゃんはとっても良い子なのよ! 大切な兄の炭治郎のことも、身を挺して庇ったし、特別な稀血の私も襲わなかった! だから、大丈夫よ!! 御館様もそうおっしゃっていたし……」

 

「…………」

 

 それでも、アオイちゃんは私に反応を返してはくれなかった。嫌われてしまっていたみたいだった。

 

「なえが話しかけてる。どうして答えないんだ?」

 

 私が諦めかけたとき、私の代わりに炭治郎がアオイちゃんに問いかけてくれる。

 それだけで私は救われたような気分になる。

 

「…………」

 

「なぁ、どうしてなんだ?」

 

「……あなたには、関係ないことです」

 

 繰り返し尋ねる炭治郎に、アオイちゃんはどこか弱ったように、うんざりとしたような表情で、そうあしらおうとしていた。

 

「関係ないことじゃない。このまま無視されてたんじゃ、なえが可哀想だ……」

 

「炭治郎……」

 

 私はその炭治郎の心に、感動していた。炭治郎が、少し私のことを思い遣ってくれるだけでも、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

「怪我人はこちらの部屋です。私はこれで……っ」

 

「……あっ」

 

 そう言い残すと、アオイちゃんは逃げるように去って行った。私と一緒にいるのが、一秒でも嫌だというような雰囲気だった。

 少しだけ……、そう……ほんの少しだけ悲しくなる。

 

「…………」

 

「……なえ、いいのか……?」

 

「……これでいいのよ……。もともと、私はこの屋敷の人たちに、好かれる理由がなかったし……こんなもの……。そう。別に気にすることじゃないの……」

 

「友達だったんじゃないのか……?」

 

「……っ!?」

 

 確かにそうだ。友達だと、私は思っていた……。

 

「こんなままで、なえはいいのか……?」

 

「違うわ炭治郎。友達だと思っていたのは私だけだったの……。きっと、そう……。勝手に友達だって勘違いして、馴れ馴れしく話しかけたから……あんなふうに嫌われてしまったの……」

 

「なえ……それは違う。匂いだ。匂いがしたんだ。深い後悔と、苦しみの匂いだった。なえのことを、嫌っているような匂いはなかったんだ」

 

「……えっ?」

 

 わけがわからなかった。私のことを嫌っているのでなければ、どうしてアオイちゃんはあんな態度を取ったのだろう。

 

 炭治郎が、嘘をつくわけがない。だから私はそれを信じるしかないのだけれど、アオイちゃんが私を嫌っていないという実感がわかない。

 鬼殺隊のみんなには、私は嫌われて当然だったし……。

 

 アオイちゃんが、何を考えているか私には想像もつかなかった。

 

「どんな理由でこうなってるのかはわからないけど……きっと、ちゃんと話し合えば、わかり合うことだってできる。俺も協力するから……っ!」

 

 炭治郎はそう言ってくれる。本当にありがたいことだ。

 私は、このまま炭治郎に甘えてしまっていいのだろうか……。こんなふうに頼ってばかりじゃ、すごく、惨めだ。

 

「いいのよ……炭治郎……。なんにせよ、私が離れれば済む話だと思うから……それより、この部屋でしょう? 入りましょう?」

 

「なえ……」

 

 アオイちゃんに案内された部屋だ。

 中にはもう先客がいるようだった。

 

「善逸くん!」

 

「善逸!!」

 

 その黄色い髪の毛はよく目立った。私たちの呼びかけに反応して、こっち善逸くんはこっちを見た。

 

「なえちゃん! 炭治郎……。ごめんよ……ごめん……二人が戦ってたのに……俺、弱くってさ……なにもできなかった……」

 

「…………」

 

 涙を流して、善逸くんは語り続ける。

 

「本当なら…… 禰豆子ちゃんに、なえちゃんに、炭治郎に……みんなをかっこよく助けられたら……って、俺、思ったんだけどさ……俺には無理だったんだ……。俺は弱いから……死んでしまうから……隠れてることしか出来なかった……ごめん……ごめんよ……」

 

「善逸! 善逸は俺たちがやられそうになったとき、助けてくれたじゃないか! 確かにあれじゃ、あの鬼は倒せなかったけど、善逸が来てくれたおかげで、増援が間に合った。俺たちは助かったんだ。それに、すごく頼もしかったんだぞ!」

 

「そうよ! 私たちの危機に駆けつけてくれたの……もっと早く来てくれていればと思わないこともなかったけど、これ以上ない好機にすさまじい一撃を決めた! そのために隠れていたと思えば、褒められはすれど、責められる謂れはないわ。ああいう戦い方が、雷の呼吸なのねっ……」

 

 物陰に身を潜め、敵の隙を突き、最速の一太刀を鬼の頚に入れる。

 鬼は、頚を斬らなければどんな攻撃を受けても再生してしまう。だからこそ、たった一太刀で勝負を決めるその戦い方は、とても合理的で、鬼を狩るには適したものだと私は思った。

 

「そうだぞ! 善逸! すごかった!」

 

「そうよ! 善逸くん! すごかったわ!」

 

「え……っ?」

 

 善逸くんは困惑しているようだった。

 そして、なぜか心配するような目で、私たちを交互に見ていた。

 

 少し、反応が予想したものと違う。なぜだろう。

 

「そういえば、善逸……。ここにいるってことは、怪我、したのか?」

 

「そうだ……そうなんだ、炭治郎。目、覚ましたら、なんか顔隠した人たちに運ばれてて……それで……どうしてか、足がすごく痛かったんだ……。骨、折れてるって……」

 

 添え木をされ、白い包帯が巻かれた脚が目に入る。

 

 筋肉の発揮した力に、骨が耐えられなかったのだろう。やはり、それだけ無理をしなければ、あれだけの威力を出せないのか。

 雷の呼吸は、あまり見たこともないし、詳しくはないけれど、あれは凄まじい技だということくらいならわかる。

 

「そうね……。今はゆっくり休みましょう。それで怪我も治して……善逸くんなら、次の戦いでも、活躍できるに違いないわ!」

 

「次……? ひ……っ」

 

「善逸。怖がることないんだぞ? 善逸なら、きっと大丈夫だ」

 

「そうね、善逸くんなら、きっとできる」

 

 あんなふうに戦える善逸くんだ。それなら、どうしていつも自信なさげにしているのか、私にはわからなかった。

 

「だ、大体……! 俺、ずっと、隠れて縮こまってただけだし! 俺、弱いんだよ……ぉ! どうして、二人とも、俺のことをそんなに褒めるんだ!!」

 

「善逸……もしかして、あの鬼の頚に斬り込んだこと……覚えてないのか!?」

 

「……!?」

 

 驚いた表情で、善逸くんは炭治郎のことを見つめている。

 

 今までの会話で、どこか食い違っているような気が少しばかりしていたが、私は炭治郎のその言葉で、ようやくその正体を理解できる。

 

「善逸くん。頭、打ってない? もしかしたら、違うことも忘れているかもしれないわ! 一度、詳しく診てもらった方が……」

 

「俺が……おかしかったの……!?」

 

 どこか、善逸くんはうろたえたようだった。それもそうだろう。自分の記憶が失われているだなんて、恐ろしいことだ。私はそんな善逸くんに同情する。

 

「善逸くん……」

 

「善逸……」

 

 善逸くんは私たちを交互に見て、そこから少し疲れたような顔になった。

 

「俺さ……。やっぱり信じられないんだ……。なえちゃんに炭治郎が、嘘をついてないことはわかるけど……。あんなに強い鬼に、俺が立ち向かっただなんて……」

 

「…………」

 

 私は不思議だった。あれだけの力を持っていて、どうしてこうも自分に自信がないのだろう。

 いや、鬼が怖いというのはわかる。鬼に相対して、恐怖で身がすくみ、本来の力が発揮できない可能性があるということもだ。

 

「善逸! 善逸が覚えてなくても、善逸が立派に戦ったこと、俺たちがちゃんと覚えているから……っ! 絶対に忘れない! だから、善逸はもっと自分に自信を持っていいと思うぞ!!」

 

「そうよ……! きっと、これからは信じるべきよ! 私たちのことを信じて……自分のことを信じるの……!」

 

「……!?」

 

 善逸くんは目から涙を流していた。それから、目線を下に逸らした。手を硬く握っている。

 

「善逸くん……」

 

「俺、駄目なんだ……。いくら二人の言ってることが正しくったって、そんなに簡単に変われないんだ。信じられないんだ……」

 

「善逸! 俺は善逸のこと、信じてる! 今じゃなくても、善逸なら、自分のことを誇らしく思って、戦える日が必ず来るって……!」

 

「私もよ! 善逸くんは前を向いて進んでいける心を持てる! 今すぐには難しいのかもしれないけど、私も信じているわ! 必ずよ……!」

 

「なえちゃん……! 炭治郎……ぉ!!」

 

 そうやって、善逸くんは泣き縋る。

 

「うわ! 俺、関係ねぇぞ!?」

 

 炭治郎のことをおぶっていた、隠の人に泣き縋っていた。

 

「そういえば、善逸。伊之助は?」

 

 あの鬼との戦いで、繭に包まれてしまったのだった。助ける余裕のないまま、私たちはあの場所から離れてしまっていた。

 

「伊之助なら、そこで寝てるよ?」

 

「え……? あ……本当だ」

 

「…………」

 

「気がつかなかったわ……」

 

 伊之助くんのことだから、居たらもっと騒がしいんじゃないかと思っていた。

 猪の被り物をしていて表情は見えないけれど、なんだかとてもしおらしい。

 

「伊之助! 伊之助も無事で良かった! すぐ助けられなくって……ごめん……! ごめんよ……」

 

「いいよ……気にしないで……」

 

「…………」

 

 本当に、声に覇気がない。

 なんというか、伊之助くんらしくなかった。いまなら、その被り物の中が声だけ似ている別人と言われても信じてしまいそうなくらいだ。

 

「落ち込んでるのか、さっきからずっとこんな調子なんだ」

 

「……そうなのか」

 

「丸くなってて、すごく面白いんだよな。ウヒヒヒヒ」

 

 なぜか善逸くんは笑い出す。

 

「善逸は、突然どうしてそんな気持ち悪い笑い方をするんだ?」

 

「ウィヒヒ、ウィヒヒヒヒ」

 

「やっぱり、記憶を失うくらい頭を打ったから……おかしく……」

 

「そうなのか……! だったら、早く診てもらった方が……!?」

 

「ウヒ……。え……っ?」

 

 笑いが止まって、善逸くんは困惑をするように私たちを見ていた。

 

「ごめんね……弱くって……」

 

 伊之助くんが呟く。

 善逸くんのことも心配だけれど、伊之助くんも、大変なようだった。

 

「伊之助! 頑張れ……! これから強くなればいいんだ!」

 

「そうよ! 一回負けたくらいで……。生きてたんだから……! 次、活躍すればいいのよ!」

 

「伊之助! 俺は見てないけど……お前はよくやったよ!」

 

「…………」

 

 ほとんどなにもできないまま、あの糸の鬼にやられて、繭に包まれてしまったのだから、とても悔しいのだろう。

 

 けれど、あの糸の鬼の攻撃を最初のある程度まで避け切ったのは素直にすごかった。

 もし私があの段階で、攻撃の癖も威力もわからずに受けていたら、刀を折られて、きっと手も足も出ずにやられていたはずだ。

 

「伊之助!」

 

「伊之助くん!」

 

「…………」

 

 必死になって、伊之助くんを励まそうとしたけれど、その日立ち直ることはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 なえは、隣の病室に行った。

 どうやら、男女は別の部屋のようだったから、あとで最初に案内してくれた子とは違う蝶屋敷の女の子が来て、連れて行かれた。

 

 伊之助は、まだ落ち込んだままだったけど、きっと立ち直ってくれるだろう。

 

「なぁ……善逸……」

 

「どうしたんだ……? 炭治郎」

 

「なえが、俺のこと……好きみたいなんだ……」

 

「え……っ!?」

 

 善逸は驚く。

 

 なえからは、一緒にいるとき、安らぎと親愛の匂いがしたんだ。懐かしい匂いだった。父さんの一緒にいた頃の母さんみたいな、そんな匂いだった。

 

 そして、どうしようもない苦悩の匂いもした。

 

「正直、俺は……どうすればいいのかわからない」

 

「は……ぁ!? 俺が必死に! 一人で! 任務に行ってるときも……ぉ! 炭治郎は、なえちゃんと! 可愛い女の子と……! 二人で楽しくキャッキャウフフですか……ぁ!? そういえば、炭治郎……ぉ! お前、俺となえちゃんの結婚、邪魔したよなぁ……? 俺から奪おう……て、そういう……ぅ!!」

 

 あの鼓の屋敷の前でのことだろう。

 善逸となえが結婚するという話には、まるで心当たりはなかったけれども、思い返せば、あのとき善逸が勝手にそんなことを言っていた気がする。たぶんきっと、そのときのことだ。

 

「違う……! 違うぞ善逸。あれは善逸の勘違いだったじゃないか……!! なえが好きなの善逸じゃなくて俺なんだ!」

 

「う、うるさい! お前のような奴は粛清だよ! 即粛清! 鬼殺隊は、お遊びで入る男女の出会いの場じゃないんだよ……ぉ!!」

 

「病室だぞ……。善逸。静かにするんだ」

 

「……知るか……! 粛清だぁ!! あっ――( )

 

 立ち上がろうとした善逸が倒れる。

 善逸は、脚の骨が折れているのだった。

 

「大丈夫か、善逸?」

 

「痛い……ぃ! すごく痛い……! うぅ……。うぅ……ぅ」

 

 布団の上をものすごい勢いで転げ回る善逸だった。

 折れた脚で立ち上がろうとするのだから、きっと激痛が走ったに違いない。

 

「善逸。善逸が、どうして怒っているのかは、よくわからないけど……怪我を悪化させるようなことはよすんだ」

 

「うぅ……。だって炭治郎が、炭治郎が……ぁ」

 

 痛みに耐えかねてか、善逸は目から涙をこぼしている。その姿はとても痛ましいものだった。

 

「善逸。ちゃんと安静にしてるんだ……。そうしないと、早くよくならないぞ?」

 

「う……ぅ。炭治郎なんて、知らない! なえちゃんとよろしくやってればいいんだ! 呪ってやる!」

 

「ぜ、善逸……。怖いこと言わないでくれよ……。正直、俺は、なえのこと、どうすればいいかわからなくて困ってるんだ」

 

 なえが抱えている問題は、すぐにどうにかなるものではないとわかる。だけれども、これが解決しなければ、なえはきっと、前に進むことはできない。

 

「どうすればいいかって、炭治郎! なえちゃんだぞ!? なえちゃん、ちょっと怖くて、世間()れしてないけど……優しいし……あんなにおっぱいの大きい子、滅多にいないのに……っ、炭治郎は……炭治郎は……っ!! く……ぅ、俺だったらすぐに結婚するのに……っ! 炭治郎め……!!」

 

「善逸。結婚するかどうかは、自分の意思だけじゃない――( )二人でちゃんと話し合って決めることなんだ。きっと、なえは……結婚はしたくないって思ってる」

 

 なえが、そう言うだろうことは簡単に想像がついた。上弦の弐を殺して死ぬと言っていて……自分のことを苦しむべきとも言っていたから、幸せになる道は、選ばないのだろう。

 

「は……ぁ!? でも、なえちゃんは、炭治郎のこと好きなんじゃないのっ!? 好きなら、結婚したいって、思うでしょ……普通」

 

「だから、どうすればいいかわからないんだ。善逸」

 

 ここで誰かを頼るのは、少し情けないかもしれないけれど、一人で考えて、なにも良い方法を思い付けないよりはずっといいだろう。

 

「炭治郎。意味わかんないよ……。だいたい……炭治郎は、なえちゃんと結婚したいわけ……?」

 

「それは……」

 

 なえが好いてくれていることはよくわかった。とても優しい子だというのもよくわかる。

 なえといると、家族のみんなといたときみたいな、心地のいい気分になれる。

 

「…………」

 

「まだよくわからない……」

 

「はぁ……? なんだよ炭治郎! 贅沢なこと言いやがって……! なえちゃんのこと、手元に置いておいて、他に良い子が現れたら、そっちに乗り換えようって……! 最低だな炭治郎!!」

 

「違う! 善逸、違うぞ! 俺には禰豆子のこともあるし……。それに善逸……俺はまだ、結婚できる歳じゃない」

 

 まだ子どもだった。

 少なくとも、一人前と認められるような年齢ではない。

 

「……じゃあ、禰豆子ちゃんのこと、俺に任せろよ。それで、炭治郎は、なえちゃんと結婚の約束をすればいい」

 

「善逸。禰豆子のことは他人に任せられることじゃないんだ。俺が頑張らなくちゃ……。でも、ありがとうな、善逸……。善逸が俺たちのこと、よく考えてくれたこと、すごく嬉しかった」

 

「…………」

 

 禰豆子のこと、今日は、なえや御館様に助けられたようなものだった。

 命をかけてくれた鱗滝さんに、冨岡さん……それに、あの水柱の女の人にも感謝をしなければ……。

 

 あの水柱の女の人は、俺たちに命をかけたというよりは、鱗滝さんに冨岡さんの二人と親しい関係だから、命をかけたようだったけれど……。

 

「わかった、善逸。禰豆子のこと、きっとなんとかするよ。そして、なえのことも……必ず幸せになってもらうんだ。うん……二人のこと、俺がちゃんとなんとかしなくちゃな……」

 

 まだ先行きは見えないけれど、きっと、なんとかなる。

 ちゃんと、なえにも話をしなくてはならない。禰豆子のことをなんとかして、俺も大人になって、その時まで、なえが変わらない気持ちでいてくれたら、きっとだ。

 

「炭治郎……ぉ」

 

「あぁ……善逸。なえとなら、幸せになれるって思うんだ」

 

「うん……そうだな……」

 

 こちらに背を向けて、善逸は泣きそうな声でそう言った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「アオイさん! アオイさんは、どうしてなえのことを無視するんですか?」

 

 とっさに身を潜める。

 私は怪我が炭治郎ほどは酷くなかったから、こうして自由な時間は炭治郎の方に足を運んでいた。

 

 そしたら今日はアオイちゃんがいて、そんなアオイちゃんに、炭治郎が話しかけていたところだった。私の話だった。

 

「いつも言っているでしょう。あなたには関係ないことです」

 

「だから、関係のない話じゃない! なえは、アオイさんのことで、心を痛めているし、それじゃ、俺も辛いんです!」

 

 炭治郎は優しいから、そんなことを言ってくれる。そんな気遣いは、本当にありがたくて、私なんかにはもったいないと思えるくらいだ。

 

「…………」

 

 アオイちゃんは、とても辛そうな表情で、炭治郎と向き合っている。

 

「そうです……アオイさん。なえが、アオイさんとは、仲が良かったって言ってたんです……! 昔のなえのこと……教えてくれませんか……?」

 

「……!?」

 

 私の昔の話を炭治郎が気にするとは思わなかった。少しだけ恥ずかしくなる。

 

 アオイちゃんは、想いを馳せるように天上をあおいで、ひとつ息をついた。

 

「あの子はこの屋敷に来たばかりのとき、一緒に来た男の子が亡くなってからは……本当に泣いてばかりだったんです……」

 

「…………」

 

 ああ、思い出す。

 大切な人を失って、私は途方に暮れてしまっていた。とうに過ぎ去った、昔の話だ。

 

「それが、私には煩わしかった。この屋敷にいる子たちは、家族を鬼に殺されて、身寄りのなくなってしまった子たちばかりですから……私も……。だから、一緒にいた男の子が死んだというのに、あの子は鬼を頼りにしていたから、本当に煩わしくて仕方がなかったんです」

 

 あの頃の私は、全てが夢で、目が覚めたら元の居場所で、元の暮らしで、夢であった悪い出来事は全て忘れてしまえればいいと、本気でそう思っていた。

 

「…………」

 

「だから、引っ叩いたんですよ……。あの男の子が死んだのは、鬼のせいだって……。どうして、そんなふうに蹲ってられるんだって……。あのときの私には、あの子のことが腹立たしくて、腹立たしくて、仕方がなかった」

 

 蝶屋敷の子たちが姉と慕っていた女の人がいた。

 その人は、柱で、とても優しく、立派な人だったらしい。

 その人は、上弦の弐の村で、鬼になったそうだった。

 

 いわば、上弦の弐は蝶屋敷の子たちにとっては、仇のような存在だった。事情も知らずにそんな上弦の弐を頼りにしていた私は、さぞ不快な存在だっただろう。

 

「…………」

 

「今じゃ……どうして……あんなことをしてしまったのだろうって……。それで、それから、短い間だったけど、私はあの子に慕われていたんです。私の後ろを……あの子は……ついて回って……」

 

 アオイちゃんは、両手で顔を抑え、蹲っていた。

 泣いて、いるのだろうか。

 

「アオイさん……」

 

「鬼を倒そうって……たくさんの人を救おうって話をして……あの子は風の呼吸の育手のもとに……それで私は水の呼吸の育手のもとに行ったけど……私は……私は……。はぁ……はぁ……」

 

 息ができずに、言葉がうまく繋がらないようだった。

 アオイちゃんは、とても苦しそうに声を漏らしていた。

 

「…………」

 

「あの子は、立派に鬼と戦っているのに……。私は最終選別で、運良く生き残っただけなんです。だから……鬼が怖くて……隊士として、戦えない……」

 

「…………」

 

「あの子に、鬼を殺す道を選ばせておきながら……私はこうなんです……! 自分だけ、楽な道に進んだ臆病者で……っ、卑怯者なんです!」

 

 堰を切ったように、アオイちゃんはそう叫ぶ。アオイちゃんの辛い気持ちが伝わってくる。

 

「アオイさん……」

 

「……合わせる……顔がない……」

 

 おそらくそれが、アオイちゃんが私を避けていた全てだったのだろう。

 なんというか、本当に私は嫌われてしまっていると思っていたから、肩透かしだった。

 

「な、なえ……?」

 

「……えっ……?」

 

 アオイちゃんの方に、まっすぐ進んでいく。

 炭治郎は、私が隠れて見ていたことを、たぶんわかっていた。わかっていたが、こんなに堂々と出てくるとは思ってなかったのだろう。それがその表情から伝わってくる。

 

 アオイちゃんは、ほうけた顔で、私に釘付けだった。

 

「覚悟なさい」

 

 目一杯に、ふりかぶる。

 

「……あっ」

 

 バチンと乾いた音が部屋中に響く。

 私が力一杯に、アオイちゃんの頬を張った音だった。

 とてもいい音がして、思った以上の力になった。そのせいか、頬を張った手にはまだジンと痛みが残っている。

 

 アオイちゃんは、赤く腫れた頬を抑えたまま、茫然と私を見ていた。

 

「な……なえ……! アオイさんにも事情があったんだ! それで、なえのことを無視していたのは俺もどうかと思うけど……なにも、そんなふうに叩かなくても……」

 

 炭治郎が、オタオタとして、私を諌めようとしてくれている。

 そんな炭治郎に、私は大丈夫と一つ微笑んでから、アオイちゃんの手を握った。

 

「アオイちゃん。私、アオイちゃんのこと……怒ってないわ!」

 

「…………」

 

 アオイちゃんは、自分で自分を責めているから、私の気持ちは関係ないのかもしれないけど……私は言っておきたかった。

 

「命を懸けて戦うのだから、怖くなったってしかたがない……。私は……アオイちゃんが死んでしまうことが悲しいわ……」

 

「わ……私は……」

 

 そうやって、震えるアオイちゃんのことを抱きしめる。

 鬼殺隊だから、立派に鬼と戦わなければならないけれど……親しい人が死んでしまうことは、とても悲しいことだ。

 

 鬼殺隊のみんなは、それを身を持って知っている。だから、私のこの気持ちも、きっと、みんなわかってくれるはずだろう。

 

「それに……アオイちゃんは鬼殺隊として立派に戦ってる! 隊士を看病する人がいなければ、鬼殺隊はやっていけない! アオイちゃんは……それをわかっているのでしょう!!」

 

「でも……なえちゃんは……。これから、鬼殺隊の剣士として……。稀血で鬼に狙われやすいのに……。それなのに……それなのに……私は……っ!!」

 

「アオイちゃんがいるから……安心して戦えるの……。もし怪我をしたら、ここに戻って休むことができる……。休まずに戦い続けることはできないから……アオイちゃんが……待っていてくれるから……!」

 

「……うう……」

 

 頭を撫でて、落ち着いてもらう。

 嫌われたと思っていたのに、私のことを考えてくれていたのだから、涙の出るくらいに嬉しかった。

 

「ありがとう……。ありがとう……アオイちゃん……」

 

 心を込めてお礼を言う。

 こんなことでは、アオイちゃんの心が救われないかもしれないけど……この気持ちはどうしても伝えておきたかった。

 

「アオイさん!」

 

「…………」

 

「俺……アオイさんの想い、ちゃんと聞いたから……! アオイさんの想いは俺が戦いに持っていくから……っ! アオイさんの分まで、なえと一緒に鬼を倒すから……!」

 

 そうやって、炭治郎もアオイちゃんのことを励ましてくれる。

 

「なえちゃん……。炭治郎さん……」

 

 アオイちゃんは、震える声で私と炭治郎の名前を呼んだ。

 アオイちゃんは涙を拭う。目の周りを赤く腫らしたまま、炭治郎の方を向いた。

 

「…………」

 

「炭治郎さん……なえちゃんのこと、よろしく頼みました……」

 

「……うん、わかってる」

 

「私の大切な()()ですから」

 

 友達と言ってもらえた。

 それが、私にとっては心の底から嬉しいことだった。

 

「アオイちゃん!」

 

 私はアオイちゃんを抱きしめる。目から涙が溢れたままだ。

 

「なえちゃん……」

 

 私たちはしばらくの間、二人で泣き続けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「えっと……珠世ちゃん……それが?」

 

 珠世ちゃんの手に持ったビンには、いくつもの赤い錠剤が入っている。

 

「血から、鬼の栄養になる成分を取り出し、固めたから……三粒で人間一人分の栄養になるわ……」

 

「へぇ……」

 

 自慢げな顔で、私にそう説明してくれる。

 

 珠世ちゃんの持ったビンの中から一粒錠剤を摘んで、口の中に放り込んだ。

 噛み砕いて、唾液に溶けていくのを飲み込む。

 

「……どう?」

 

「味気……ないわね……」

 

 そのまま血を飲むよりは、美味しくなかった。

 質の良い稀血特有の、酩酊感とか、覚醒感とか、恍惚感はまるでない。ただちょっと美味しいだけだった。

 

 一粒に栄養が詰まっているというのに、こんなにあんまり美味しくないというのは、おかしい気がしないでもない。

 

「これなら、持ち運びも楽だし、小腹が空いたときにも気楽に食べられる」

 

「ねぇ、珠世ちゃん。一粒じゃ、あんまり味気なかったけど……一ビン食べたら、美味しいかもしれないわ?」

 

 珠世ちゃんの持ったビンに手を伸ばす。

 

「ダメよ!」

 

「……あっ」

 

 手を高く上げて、珠世ちゃんは私からビンを守った。勢いよくビンを奪い去ろうとした私は、床にこける。

 

「ねぇ、私にも貰えないかしら?」

 

 いつの間にか、カナエちゃんが近寄って来ていた。珠世ちゃんが呼んだのだろうか。

 

「はい……。一粒よ?」

 

 珠世ちゃんから受け取って、カナエちゃんはその錠剤を口に含んだ。

 

「……確かに、これじゃ、あんまり美味しくないわ……。お腹もいっぱいにならないから、食べた気もしない……一ビン食べたら別かもしれないけれど……」

 

 じっとカナエちゃんは珠世ちゃんの持つビンを見つめていた。

 

「……!?」

 

 焦った顔で、珠世ちゃんは身を盾に、カナエちゃんに背を向けビンを庇う姿勢だった。

 

 だから、起き上がって私は言う。

 

「カナエちゃん。珠世ちゃんが頑張って作ったのよ? そういうふうにいっきに食べるのは良くないと思うの」

 

(ハツ)()……」

 

 珠世ちゃんが、なにかを言いたげな顔で私を見ていた。きっと、感動して言葉も思いつかないのだろう。

 

「それで、珠世ちゃん。この錠剤をなんのために作ったの?」

 

 私たちだけなら、蔵にある血を飲めば良いだけの話だし、わざわざこんな手間をかけたものを作る意味がない。何かそれとは別に意図があるのだろう。

 

「そう……。これなら、持ち運ぶとき血の匂いもあまりしない。腐りにくいし、なにより手軽に持ち運べて、一粒で簡単に鬼の飢餓衝動も抑え込める」

 

 結界の外にでれば、蔵に貯蔵した血も腐ってしまう。だから、下弦に血を売るときや、カナエちゃんが出先に血を持っていきたいときは、私の血を一滴垂らして、血鬼術を発動、腐らないようにしてから持って行くのがいつもだった。

 

 錠剤にする方が手間はかかると思うけれど、持ち運ぶときの軽さでいえば、錠剤の方が上だろう。匂いがしにくいというのもいい。

 

「これを、売るということね……」

 

 私の用意した血を買えなかった情けない下弦たちだ。

 次はもっと小分けにして、一つの値段は安くして売ろうと考えていたところだった。

 

「売るのではなくて……鬼になったばかりの人に、わけてあげたい……」

 

「…………」

 

 珠世ちゃんは、鬼になったばかりの飢餓衝動に耐えきれず、夫に子どもを食べてしまったのだった。だから、同じ思いをする人を減らしたいのだろう。

 

「お願い……! あのお方に頼んで、これを鬼になったばかりの人に、分けてあげられるよう頼めない?」

 

 珠世ちゃんにそう言われる。

 人を食べなければ、鬼殺隊もよってこないわけだし、なったばかりの弱い鬼が育つまでにやられてしまう可能性も少なくなる。

 その提案には利点があった。

 

「でも、珠世ちゃん? 太陽の克服をする薬の開発は? はかどってる?」

 

「…………」

 

 珠世ちゃんは無言だった。

 きっと、珠世ちゃんは自分の役目を放り出して、これを作っていたのだろう。

 

「珠世ちゃんの気持ちもわからないでもないけど……でも、これを作るとなると珠世ちゃんしかできないでしょう? 売るんじゃなくて、ただでみんなに配るとなると量も必要になる。珠世ちゃんには本来の役目があるし……難しいと思うの……」

 

 太陽の克服は、無惨様の本願であり、なによりも優先すべきことである。それを蔑ろにすることなどあってはならない。

 

「ハツミちゃん! 私はいいと思うわ! 要するに、これが行き渡れば、鬼もみんな飢餓衝動を抑えられて、人間と仲良くすることができるというわけでしょう? どのくらい食べればいいかわかって簡単。素晴らしいことよ……!」

 

 カナエちゃんは簡単に言うけれど、鬼みんなに行き渡るように作るには、大変なのではないだろうか。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。作るのが簡単なら、別に構わないのだけど? 私にできる?」

 

(ハツ)()には無理ね……」

 

「そう。そうよね……!」

 

 やっぱり、珠世ちゃんくらい専門知識がないと、ダメなのだろう。この件は無惨様には持ち込めない。

 

「…………」

 

 珠世ちゃんは、何かを考えている様子だった。大方、自分の意見を通せる方法を頭の中で探っているのだろう。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。こっちの粉末はなにかしら……ぁ? とても良い匂いがするわ……?」

 

 私たちが真面目な話をしているというのに、カナエちゃんはごそごそと、珠世ちゃんが作ったものを漁っていたようだった。

 

「……!? それは……っ! 絶対に口に含んだりしてはいけない!」

 

「……どうして?」

 

 その粉は赤い粉だった。珠世ちゃんがそう言ったときには、その粉末を、カナエちゃんは指先に付け、舌で舐めとっていた。

 

「あぁ……っ」

 

 それを見て珠世ちゃんは、めまいでもしたように、頭を抑えていた。

 

「……これって……とっても良い気分……ふふ……ふふ」

 

 カナエちゃんの顔には朱が刺し、目が虚ろに、その粉の入った容器を大事そうに抱えて、ちょっとずつ舐め始める。

 

「珠世ちゃん。あれ、なに?」

 

「鬼が酔う成分を抽出して、粉にしたものよ? 鬼にとって、栄養の高い成分だけを集めたものとも言えるわ」

 

「……へぇ……」

 

 酔う成分だけを分離できるなら、あの錠剤が味気ないのも納得だった。

 カナエちゃんがああなるのもよくわかる。

 

「依存性がありそうだったから……慎重に扱おうと思っていたのに」

 

「依存性……? やめられなくなるってこと……? どうせ血は飲まなきゃなのだから、大丈夫じゃないの?」

 

「……飢餓衝動に関わらず……酔わないままでいるだけで、身体が震えたり、不安でたまらなくなるのよ?」

 

「……へぇ……」

 

「……はぁ……」

 

 なんだか怖い。

 ずっと、酔いっぱなしでいなきゃいけないとか、とても大変なことだと思った。

 ふと、そこで思う。

 

「そういえばカナエちゃん。ずっと酔いっぱなしだったから、もう依存性にやられているかもしれないわ? ねぇ、きっとそうよ! 多分、今更だと思うわ!」

 

「……そうね……」

 

 疲れた返事がもどってくる。そのまま珠世ちゃんは、作業台に置いてあったビンを手に取り、中にあった血をぐいっと飲む。

 疲れた時は、やっぱり血を飲むに限るのだろう。

 

「とりあえず、カナエちゃんは運んで行った方がいい?」

 

「ええ……頼んだわ」

 

「わかった」

 

 虚ろな顔で、口元を緩ませ夢中で粉を舐めているカナエちゃんの意識を私の血鬼術で奪う。

 そのまま適当に運んで、屋敷の適当な場所に寝かせておいた。

 

 そうして珠世ちゃんのところへと、戻っていく。

 まだ、話の途中だったんだ。

 

「……!?」

 

 部屋に入ろうとしたら、珠世ちゃんが例の粉をしまっているところだった。

 私は見てしまった。

 珠世ちゃんが、ひとつまみだけ舐めてから、その容器をしまっていたところをだ。

 

「……はぁ……」

 

 珠世ちゃんは、しまってから、一つため息をついた。

 

 ちょっと、息を潜めて私は覗いたままでいる。

 しばらくして時間が経つと、珠世ちゃんはソワソワとしだした。そこから、容器をしまった場所に珠世ちゃんはおもむろに手を伸ばす。さっきしまったばかりなのに。

 

「ねぇ、珠世ちゃん。なにやってるの?」

 

「……ひっ……」

 

 珠世ちゃんは、怯えたような目で、私を見つめている。

 昔、私の村の子がいなくなった時も、こんな目をしていた気がする。あれは珠世ちゃんが食べたんだった。

 

「ねぇ……珠世ちゃん……。何か悪いことしているでしょう?」

 

「ち……違うわ……(ハツ)()。あの、ここにまた来てから……初めてもらった血を……再現しようとして……それで……」

 

「…………」

 

 実弥くんと()()の子どもの、(みの)()の血のことだろうか。

 

「ずっと……あのときの心地が頭にこびりついて離れない……っ! これじゃ、まだ足りないけど……でも、気を紛らわすくらいになるから……それで……っ!?」

 

 なぜか珠世ちゃんは、私に必死で訴えかけていた。

 それでも、私の方を向いていても、その目は虚空を見つめているようだった。もしかしたら、私ではない何か強大な敵が珠世ちゃんには見えているのかもしれない。そう思えるくらいの必死さだった。

 

「珠世ちゃん。落ち着いて……」

 

「だ、だめなの……。い、生きていけない……。あれがないと……私は……」

 

 頭を抱えて蹲っている。珠世ちゃんがおかしくなってしまった。

 

「落ち着いて、珠世ちゃん……。別に責めたりはしないわ。落ち着いて……」

 

「うぅ……」

 

 抱きしめて、なでてあげて落ち着かせる。なにに苦しんでいるかよくわからないけど、とりあえず、こうするのが一番だろう。

 

「えっと……つまり、珠世ちゃんは、酔ってないと辛いの?」

 

「…………」

 

 珠世ちゃんは、無言で首を縦に振った。

 

「それじゃあ、さっきまで、酔っているように見えなかったのは?」

 

「そこにある薬で……脳の覚醒段階を……無理に上げていたから……」

 

 珠世ちゃんが、指を指した先には、しまったものと同じような赤い粉末があった。

 

「酔いへの対策はあるってことね……。だったらなにも問題ないんじゃ――( )

 

「それも血から分離させたもの……その効果で、頭に過活動を異常なままさせているだけ……」

 

「…………」

 

 なんとなく事情はわかった。

 たぶん、頭がスッキリする血の成分を集めたのだろう。

 

 たしかに効果は打ち消しあって、まともになったと思えるだろうけど、見た目だけで、酔いは残ったままだし、そこから無理やりに意識を醒ましてさらにおかしくなってる。頭のまわり具合が、普通の時よりおかしな方向に行くのはまず間違いがない。

 

「大丈夫よ。大丈夫。少しずつ減らしていくから……」

 

「うん。頑張ってね……」

 

 少し、私のせいではないかと思った。

 たぶん、ここにまた来て初めての血が強すぎたから、こんなことになっているのだ。鮮烈な体験をしたせいに違いない。

 

 私、別にしらふだし……。一日にそれほど飲まないし。酔ってなくても平気だし。

 慣れてなかったのが問題なのだろう。

 

 そう考えると、珠世ちゃんが悪い。無惨様を倒す、とか言って居なくなって、血をあんまり飲まずに、なんか弱くなって戻ってきたわけだから。

 やっぱり珠世ちゃんが悪かった。私はなにも悪くなかった。

 

「ごめんなさい……。私のことばかりで……」

 

「いいえ、いいわ。それで……えっと……そう! 錠剤、錠剤について……」

 

 その話をしていたのだった。

 やっぱり、珠世ちゃんは日光克服の薬を作るために頑張らなきゃいけない。

 

「本当に鬼になったばかりの人に、三錠、渡すだけでいいの……。あのお方にお願いできないかしら……?」

 

「要するに、あの錠剤、珠世ちゃんが精製した酔う粉の残りカスよね……?」

 

「いいえ、副産物と言った方が正しいわ」

 

 なぜか私の言った言葉が訂正される。意味は変わってないと思うのだけれど、不思議だった。私が間違っているわけないのに。

 

「それはいいとしても、珠世ちゃん……珠世ちゃんは、あの粉を作るのをやめないのよね?」

 

「……できれば、やめたいと思っているわ」

 

「当分は無理そうだから、珠世ちゃんの今の状況はあのお方には私から説明しておく。そのときにできる余り物ということで説明すれば、まあ、なんとか、なったばかりの鬼にあげるくらいはしていただけるかもしれないわ」

 

(ハツ)()……」

 

 珠世ちゃんはバツの悪そうな顔をした。

 

「じゃあ、話の内容を細かく詰めていきましょう? まあ、この錠剤があのお方の手に渡るだけで、どう使うかはあのお方のお考え次第になるでしょうけど……」

 

 無惨様は具体的な計画と、明確な利点がなければ行動を起こしはしない。

 それにあのお方は、私よりも頭がとてもよく、偉大で合理的な考えをし、私などより正しい選択をすることができる。だから、私は、できて無惨様の素晴らしい行動の一助となることくらいだった。

 

 まあ、ここは一応、珠世ちゃんの気持ちを汲むだけ汲んで、無惨様にお口添えをしておこうというだけだ。

 

「ええ……きっと……鬼になったばかりで、家族を喰らってしまう人を減らすためにも……」

 

「でも、珠世ちゃんの言う使い道より、私は無惨様の小腹が空いたときのためのおやつとして、この赤い錠剤を渡したいわ! それが一番の使い道よ!」

 

「……え……っ?」

 

 赤い錠剤は無惨様のおやつになった。

 一応、珠世ちゃんの言った使い道も説明して、無惨様には割と好感触だったから、そういう使い方もしていると思う。










 ファンブック、買って読みました。岩柱の悲鳴嶼さんの他の柱への所感が面白かったです。
 ちなみに最初から不死川さんが、カナエさんのことを好きなんだと解釈してこの小説は書いていました。だから、大丈夫です。

 それと、ファンブックとの矛盾点ですが……。家族を回収した累の強さが思いのほか高かったことが問題ですか……。玉壺に血戦を挑もうとしていたということで、ここは一つ……。
 魃実さまは、たぶん好き嫌いなく食べ物ならなんでも食べるので、鬼が人間の食べ物を吐き戻すと言う設定も、問題ないです。間違いないです。

 二期が決まったことも嬉しいです。PVがとても良くてはしゃいでいました。


 一話で蝶屋敷が終わらなくて、申し訳ないです。
 次回、回復機能訓練。


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愛すべき

 (ハツ)()の報告によれば、珠世は愚かなことをしているようだった。あんなことを続けていれば、いずれは廃人になるだろう。もはや裏切られる可能性はなかった。


 回復機能訓練。

 ケガの療養でなまった体をもとに戻すために行われる訓練だった。

 

「…………」

 

 そして、私は薬湯でびしょびしょに頭から濡れていた。

 

「……も、もう一回!」

 

 反射機能訓練。机に並べられた沢山の湯呑み、その中の薬湯を掛け合う訓練だった。

 沢山ある湯呑みから、一つでも掴んで中身を相手に掛けたら勝ち。でも、湯呑みを掴んでる間にその湯呑みを相手に抑えられたら、その湯呑みはもう掛けられない。そういう訓練だ。

 

「はい!」

 

 アオイちゃんの掛け声がする。掛け声と共に動き出す。

 

 私と相対するのはカナヲちゃんだった。何度か会ったことはあるけど、あまり話したことはない。ずっとニコニコとしている不思議な子で、この子のことは私にはよくわからなかった。

 

 右手で、湯呑みを掴む。すでに、カナヲちゃんの左手が、湯呑みに添えられている。

 けれど今回は、右手と同時に、左手でも湯呑みを掴んでいる。今度こそと、掛けようとするが、もうカナヲちゃんの右手がその湯呑みの上にあった。

 

「きゃ……っ!?」

 

「そこまで!!」

 

 気がつけば、私はびしょ濡れだった。カナヲちゃんは最初に私の湯呑みを抑えた手で、いつの間にか新しい湯呑みを掴んでいた。薬湯を掛けられてしまっていた。

 

 もう、何十回と負けている。

 情けなくなってきてしまう。

 

 他にも訓練はあって、身体ほぐしに、全身訓練。身体ほぐしは身体をほぐすだけだからいいとして、全身訓練の鬼ごっこ――( )これは、相手の身体に触れたら勝ちの、極めて簡単なきまりだけでやっている。

 ここでも、誰もカナヲちゃんの身体には触れなかった。

 

「では、炭治郎さん!」

 

「はい!」

 

 炭治郎がカナヲちゃんの前に座る。

 私と同じで、薬湯でびしょ濡れにされ続けている炭治郎だ。今度こそはと意気込んで、臨んでいるとわかる。

 

「準備してください」

 

「…………」

 

「…………」

 

 じっと二人は机に並べられた湯呑みの茶碗を見つめている。

 

「はい!」

 

 アオイちゃんの合図によって二人は動き出す。

 勝負は一瞬だった。

 

「うわ……っ!」

 

 炭治郎は掴む湯呑みのことごとくを抑えられ、カナヲちゃんに薬湯を掛けられていた。

 本当に、圧倒的だ。

 

「今日はここまでにしておきましょう」

 

 アオイちゃんがそう言う。

 たしかにもう日が完全に暮れて、夜になってしまっている。これ以上、無理をしてもあまり良くはない。よく寝て、明日に備えるのがいいだろう。

 

「はい! ありがとうございました!」

 

「カナヲちゃんに、アオイちゃん、何回も相手をしてもらって……ありがとう。なほちゃん、きよちゃん、すみちゃんも、付き合ってくれてありがとう!」

 

「では、明日も今日と同じ時間に集まってください」

 

 そうして、私たちは解散した。

 ちなみに、善逸くんと伊之助くんはいない。カナヲちゃんに負け続けるのが気に入らずに、途中の休憩で抜けて行ってしまった。

 自分たちより小さい女の子に負け、心が傷ついて、嫌になったらしい。男の子は、面倒だなと私は思った。

 

 別に、私たちは鬼を倒すための隊士なわけだし、鬼を倒せるようになるなら、負けるとかは、あまりどうでもいい話だろう。私はそう思って、特にカナヲちゃんに負けることは気にしてはいない。

 

「炭治郎……はい、手拭い」

 

 私も炭治郎も、カナヲちゃんに薬湯を掛けられて、ずぶ濡れになってしまっている。

 風邪をひかないように、しっかりと体を拭いておく必要があった。

 

「あ……ありがとう、なえ。準備がいいんだな……」

 

「さっき、なほちゃんに、きよちゃんに、すみちゃんが、私に、炭治郎のぶんもと渡してくれたのよ」

 

「そうなのか……後でお礼、言っておかなくちゃだな……」

 

「うん……」

 

 あの、三人仲良しな子たちだ。なんだか、あの子たちは私に妙な気を回しているような気がする。三人一緒に来て、炭治郎にもと、手拭いを二枚渡してくれたんだった。

 

「カナヲ……強かったな……」

 

 炭治郎は手拭いで頭を拭きながら、今日のことを振り返っていた。私と炭治郎は、カナヲちゃんにはまるで勝てていない。本当に私たちとは次元の違う強さだった。

 

「たぶん、カナヲちゃんは全集中の常中ができるわ」

 

「常中……?」

 

 私は育手の人から話だけは聞いていたけど、炭治郎は違うのだろう。聞き慣れないと言うように、炭治郎は問いかけてくる。

 

「全集中の呼吸をずっとやる技術のことよ? できれば、基礎体力ができないときとは比べものにならないくらいに上がるという話だった」

 

「ずっと……!? 全集中の呼吸を!? ただでさえ辛いのに……」

 

「寝ているときもという話だった。きっと、それができれば、もっと強くなれる!」

 

 あの糸の鬼と戦って、思った。もっと私が強ければ……もっと力があれば……。きっと、炭治郎や禰豆子ちゃんを危険な目に遭わせることはなかっただろう。

 

 今回こそは、どうにかなったけれど、次も同じようにいくとは限らない。だから、強くならなくちゃいけない。

 

「なえ。なえは、全集中の呼吸をずっと、それをやってみたことはあるのか?」

 

「いいえ……。私は、風の呼吸が身体にあまり合っていないみたいなの。負担がかかり過ぎるから、まだ、やめておいた方がいいと言われていたわ」

 

「そうなのか……」

 

 でも、私に合った呼吸も、今回の戦いで分かったから、本格的に身体に馴染ませる訓練ができる。

 これからだ。これから、きっと私は強くなれる。

 

「ねぇ、炭治郎。炭治郎は、あの神楽……ヒノカミ神楽の呼吸で常中をやるのでしょう? 私は新しい呼吸を試すから……一緒に頑張りましょう!!」

 

「いや、俺は水の呼吸から始めてみるよ。ヒノカミ神楽は、長く舞うと本当に辛いんだ……」

 

「でも、違う呼吸の癖がつくとあまり良くないわ。炭治郎の刀の色は黒。始まりの呼吸の剣士と同じ色で、青色の水の呼吸の色ではないわ。身体に合ったヒノカミ神楽の呼吸で常中をやるのでしょう? 私も頑張るから……ねぇ、一緒に頑張りましょう!!」

 

「…………」

 

 すごい顔で炭治郎は固まっている。

 

「……?」

 

 そのあと、炭治郎は、ヒノカミ神楽で全集中の常中をやると決心してくれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 炭治郎は、本当に辛そうな顔でヒノカミ神楽を舞っている。もう長く舞っているから、呼吸も乱れて、半分はヒノカミ神楽の呼吸ができていないようだった。

 

 ただの舞ではない。舞の一つ一つの動作に合わせて、刀を振る。戦闘に用いるため、型の練習と同じように馴染ませている。

 

「そろそろ、休憩してもいいんじゃない? 三人に、差し入れもらったわ?」

 

 私の持っているカゴの中には、おにぎりにお茶が入っている。炭治郎と一緒に食べてと、さっき走っていたら、きよちゃんに、なほちゃん、すみちゃんに呼び止められて渡されたものだった。

 素直にありがたいのだけれど、やっぱり三人に、私と炭治郎のことで、変に気を回されていることは間違いがない。

 

「いつも、いつも……。本当にありがたいな……」

 

「……ええ」

 

 炭治郎は、素振りをやめて、こちらにやって来る。

 

 あの三人には、他にもいろいろ良くしてもらっていた。

 本当に頭が上がらないから、たまに炭治郎と仕事を手伝ってあげたりしている。私たちができるような力仕事だ。

 これでお礼になっていればいいのだけれど……。

 

「いただこう。ちょうど、お腹が空いていたんだ……」

 

 おしぼりで手を拭いて、炭治郎はおにぎりに手をつける。朝早く起きて鍛錬していたから、これが朝ごはんになる。

 これから、回復機能訓練もある。

 

「あ……炭治郎……。ヒノカミ神楽の呼吸が止まっているわ……!」

 

「……ゔ……っ」

 

 おにぎりを片手に、炭治郎は固まってしまった。

 休憩と言っても、全集中の呼吸をやめていいわけではない。眠っているときにもしていなくてはならないのだから、意識のある間も常に続けなくてはいけないのは当然だった。

 

「炭治郎! 頑張って……」

 

「なえ……。ヒノカミ神楽の呼吸を続けるのは、とても辛いんだ……。苦しいんだ……」

 

「炭治郎! 炭治郎が頑張ってるのは良くわかるわ! きっと、できるわ! 私、信じてるもの!」

 

「……なえ……ぇ。俺、頑張るよ……」

 

 炭治郎は必死に息を整えている。

 限界が近いようで、炭治郎は死にそうな顔だった。

 

 私も全集中の呼吸を途切れさせないように、しっかり整える。

 こうして、朝に鍛錬した後、回復機能訓練に行くから、私たちはもうその時点でボロボロだった。アオイちゃんたちは、半ば呆れながら付き合ってくれているくらいだ。

 

 もちろん、全集中の呼吸ができるように、走り込みや、素振りの基礎的な体力をあげる鍛錬も欠かさない。そうやって、肺を強くして、だんだんと全集中の常中にも耐えられる身体になっていこうという計画だった。

 

 全集中の呼吸を止めないようにしながら、おにぎりを食べる。美味しいと炭治郎と言いあって、とても穏やかなひと時だった。ごちそうさまと食べ終わって、お茶を飲んで少しだけゆったりとする。

 

 そこで私は思い出した。

 

「そういえば、こんなものをもらったわ!」

 

「どれどれ? ひょうたんか……。でも、お茶なら、こっちの容器入ってるし……そのひょうたん、(から)、みたいだな……」

 

 炭治郎の言う通り、そのひょうたんの中身はから。何かを入れて持ち運ぶために使うのではない。

 

「これを吹いて、破裂させるらしいわ!」

 

「……えっ……」

 

 炭治郎は、信じられないものを見るかのような表情をしていた。

 試しにひょうたんを叩いてみると、コツコツと音がしてとても硬かった。

 

「いくわ……!」

 

「…………」

 

 息を吹き込む。

 鼻から吸って、口から吐いて、空気をひょうたんの中に送り込むけれど、びくともしない。

 

「はぁ……。はぁ……。ダメ……ぇ」

 

 肺の方が痛くなって、今はまだ無理だと分かった。

 まだまだ、鍛錬が必要なのだろう。

 

「なえ……。大丈夫か?」

 

「うん。炭治郎もやってみる?」

 

 私の持っていたひょうたんを炭治郎に渡した。その硬さを確かめるためか、炭治郎はひょうたんをじっと見つめる。

 

「いくぞ……?」

 

「頑張って……!」

 

 必死に、炭治郎はひょうたんに息を吹き込んでいる。頑張って無理をしているから、顔が真っ赤になっていた。

 それでも、ひょうたんは割れない。

 

「ダメ、みたいだ……」

 

「……うぅ」

 

 炭治郎でも、まだ無理のよう。

 毎日、毎日特訓して、肺を強くするしかない。

 

「今日はできなかったけど、きっといつかできるように……まだまだ頑張っていくしかないんだな……」

 

 このひょうたんを破裂させることがまず最初の目標になるだろう。

 

「ねぇ、炭治郎。そろそろ特訓に戻りましょう?」

 

「あぁ……そうだな」

 

 そして私たちは休憩をやめる。

 刀を持って、また素振りを始める。今度は私も一緒にだ。

 

「じゃあ、炭治郎……」

 

「……あぁ!」

 

 炭治郎のヒノカミ神楽に合わせて、私も新しい呼吸の型を振るう。

 

 新しい呼吸。それにあった型。

 創り出すというよりは、思い出すという感覚に近い。なぜだか刀を振るうたびに、懐かしいような気分になる。

 

「…………」

 

 そして、合った。

 炭治郎のヒノカミ神楽と、すごく合う。互いに互いが干渉せず、型として最大の力が発揮できる。

 

 いや、それだけではない。

 この二つの呼吸を合わせれば、隙を埋め合い、互いの型が本来以上の力が出せる。

 

「……はっ……」

 

 若干だが、私の呼吸が乱れてしまう。

 

「……う……っ」

 

 それに釣られて炭治郎が、呼吸を乱してしまったことがわかる。

 こうして二人とも、息を乱してずれたとしても、不調和は起こらない。それがまた新しい形の連携になるだけ。意図して相手に合わせているわけではないのに、そうなってしまう。

 

 ここまでくると、もともと、こうして炭治郎と肩を並べるために創られた呼吸のような気がしてくる。

 私は身体にあった呼吸を使っているだけ。だからこそ、私は炭治郎と一緒に戦うために生まれてきたような錯覚さえ持ってしまう。

 

 炭治郎が斬りつけた敵の逃げ道を塞ぐように、私の剣の一振りが走る。

 私の無防備を守るように、炭治郎が歩を進めて刀を振るう。

 

 どの型をどんな折に出したとしても、完璧な取り合わせで、互いの動きを補い合うことができる。

 とても不思議だった。

 

「……!?」

 

「……うぐ……」

 

 炭治郎がとても苦しそうに倒れた。

 炭治郎がこうして倒れることは今日に始まったことではない。呼吸を無理に続けすぎたからだろう。

 炭治郎のヒノカミ神楽は本当に負担が大きくて大変そうだった。

 

「……大丈夫?」

 

「……あぐ……うぅ……」

 

 まるで大丈夫そうではない。近づいて、かがみこむ。

 仰向けに倒れる炭治郎の顔を覗く。うまく呼吸ができていないようだった。

 

 無理に呼吸を続けた後遺症で、こうして息ができなくなり、最悪の場合は窒息して死んでしまうというものがある。

 

 苦しそうに呻く炭治郎の口に、私の口を近づける。

 

「……ん」

 

「……あ……ぁ」

 

 炭治郎が息をできない代わりに、私の息を炭治郎の肺に吹き込む。最初に炭治郎が、息をできなくなった時はかなり焦ったけれど、今はもう慣れたものだ。

 治るまでこうしておけば、なんてことはない。とても落ち着いて対処できる。

 

「……ふぅ。……ふぅ」

 

「…………」

 

 何度か人工呼吸を繰り返して、炭治郎が落ち着いてくる。五分もこうしていれば、自力で炭治郎は息ができるようになる。

 

「……んぅ。んん……。ん……?」

 

「…………」

 

 ばっちりと目が合う。

 炭治郎が、平生なままに、唇を合わせた私の目を見つめていた。

 

「大丈夫? 息、ちゃんとできる?」

 

 炭治郎から顔を離して、口もとから溢れる唾液を舌で舐めとる。頬が熱を帯びてどうしようもない。表情だけは取り繕って、冷静なふりをする。

 

「あぁ……なんとか……。なえ、もう大丈夫だ」

 

 まだ、炭治郎は苦しそうだった。

 それでも上半身を起こして、無理な笑顔で私に微笑みかけてくれる。

 

「じゃあ、そろそろ! 時間だから、少し休憩したら、アオイちゃんたちのところに行きましょう? 今日こそは、カナヲちゃんに勝てるといいけど……」

 

 鼓動の高まりを誤魔化して、回復機能訓練へと意識を向ける。

 日を追うごとに、カナヲちゃんとの差が狭まっていることが実感できる。それは炭治郎も同じだろう。見ていても、最初の頃から動きがまるで違うのだから。

 

「……なえ」

 

「……!?」

 

 不意に暖かさを感じる。

 なぜか、私は炭治郎に抱きしめられていた。

 

「なえは、幸せになってもいいんだぞ……?」

 

 炭治郎は、わけのわからないことを言った。でも、そう、それなりの付き合いだから、炭治郎の言いたいことは私にはわかる。もう何回も繰り返してきたやり取りだから、わかってしまう。

 

「…………」

 

 私は何も言わない。

 今、私の心は正常ではないのだから、口を開いても、まともなことは言えないとわかる。頭も真っ白になって、どうすればいいかわからない。

 

「なえ……」

 

「……炭治郎……」

 

 しばらくの間、私たちは抱き合ったままだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「竈門くんは、見ない呼吸を使うのですね……」

 

「……!?」

 

 夜。屋根の上で瞑想をしているところだった。

 耳もと近く、吐息がかかるくらいの距離まで顔を近づけられて、それまでまるで気がつかなかった。

 

「頑張っていますね……」

 

 胡蝶しのぶ。

 裁判のとき、禰豆子をどうしても殺したがっていた人で、今、お世話になっているこの屋敷の主人でもあった。

 

 この人の顔を見て、思い出した。あの毒の仕込まれた刃で突き刺され、苦しんでいた禰豆子のことを。

 

「……禰豆子の! 分だ!」

 

 気がついたときには身体が動いていた。

 隣に座っている胡蝶さんには、もう頭突きをするしかない。

 

「……え!?」

 

 驚いた顔でよろけて、胡蝶さんは避けなかった。

 そのまま、胡蝶さんの頭に頭突きが入る。衝撃が響く。

 

 頭突きをうけた反動のままに、胡蝶さんは体勢を崩していた。

 

「あ……っ!」

 

「あれ?」

 

 ここは屋根の上だった。

 身を崩して、胡蝶さんが屋根の上を転がっていく。このままでは、胡蝶さんは屋根から転落して、大怪我を負ってしまう。最悪の場合、死んでしまうかもしれない。

 

「胡蝶さん!!」

 

 必死だった。

 呼吸を深めて、屋根を転がり落ちる胡蝶さんに、急いで追いつく。屋根の端に先回りをして、抱きとめる。

 

 危ないところだった。

 

「竈門くん……。とても痛いです……。これは、(とう)(がい)骨が割れているかもしれません」

 

 額から血を流しながら、そう文句を言う胡蝶さんだった。いま、屋根から転がり落ちそうだったことは、まるで気にしていないかのような物言いだった。

 

「禰豆子はきっと、それよりも痛かったはずです!」

 

「竈門くんは変わっていますね……!」

 

 なぜか、そんなことを言われてしまう。

 それはいいとして、頭突きもしたし、禰豆子を刀で突き刺したことは、これで差し引きなしで、きっといいだろう。そうなれば、胡蝶さんとのわだかまりも、もう感じられない。

 

 禰豆子。兄ちゃんが禰豆子の分、ちゃんと、やり返してやったぞ。後で禰豆子に報告しておかないと……。

 

「……そういえば、胡蝶さん。胡蝶さんは、軽いんですね! たぶん、禰豆子よりも……。ちゃんと食べていますか?」

 

 いま、屋根から転がり落ちる胡蝶さんを身体を張って抑えたわけだけれど、思った以上に軽かった。

 たしかに胡蝶さんは、身長がそこまであるわけではない。更に女性でもある。けれどそれらを考えても、異様なほどに胡蝶さんは軽い。

 

「食事なら、栄養を考えて、しっかりと摂っていますよ? 竈門くんの心配は、もっともですけど……そういう体質なんです」

 

「そうなんですか……」

 

 胡蝶さんは笑顔のままだった。

 その答えには、嘘がないとわかる。そして、どこか悔しさの匂いもした。

 

「それで……そうです……。竈門くんは、見ない呼吸を使うのですね! 新しく、作った呼吸ですか?」

 

「いいえ! ヒノカミ神楽って、言います! 胡蝶さんは知っていますか?」

 

「知りませんね。初めて聞きました」

 

 まさか、ヒノカミ神楽が戦いに使えるとは思わなかった。ヒノカミ神楽については、なえとよく話をしたんだ。

 

「代々、(うち)に伝わってきた神楽で、その時の呼吸法なんです! なえは、昔、鬼舞辻無惨を追い詰めた剣士の使っていた呼吸と同じだって、言うんです!」

 

「それは、すごいですね!」

 

 笑顔で胡蝶さんは、パチパチと拍手をする。

 なえが知っていたから、鬼殺隊の偉い人なら知っていると思ったけれど、そうではなかったみたいだった。

 

「この呼吸を、ちゃんと習得して……俺も、きっと、鬼舞辻無惨を追い詰めてみせます!!」

 

 なえも、期待してくれているから……。水の呼吸を教えてくれた、鱗滝先生には悪いけれど、こうして、ヒノカミ神楽の呼吸で常中をすることに決めたんだ。

 

「あの上弦の弐の村の子……竈門くんは、あの子とずいぶん仲がいいみたいですね……。屋敷の子たちが噂をしていましたよ?」

 

「なえは、俺に、本当によくしてくれるんです。だから、俺もなえのために……頑張っていくしかないんですよ」

 

「あら……。頑張ってくださいね?」

 

 禰豆子を人間に戻す方法も、上弦の弐をどうやって説得すればいいかも未だにわからないけれど、きっと、すべてうまくいけば、明るい未来が待っているから。

 

「そういえば、胡蝶さん。聞きました。昔、胡蝶さんは鬼になった姉を庇ったって……」

 

「……っ!?」

 

 いつも笑顔だった、胡蝶さんの表情が一変する。

 苦虫を噛み潰したような顔で、何かを恐れるような匂いもした。

 

「胡蝶さんは、悔しかったんですか? 自分のお姉さんが鬼殺隊に認められずに、禰豆子が鬼殺隊に認められることが、悔しかったんですか?」

 

 胡蝶さんは俯く。

 しばらく間を置いて、こちらに表情を見せないままに。

 

「当たり前ですよ……っ! あの時も……冨岡さんだった! 冨岡さんが、私が血鬼術にかけられておかしくなっているって……! 私の言葉になんの信憑性もないって……っ、そう言ったんです! なのに……っ、今度は鬼を庇って……! まったく、わけがわかりませんよ……」

 

 涙を堪えるような、悲痛な声だった。怒っている匂いもする。

 

 最初に禰豆子の血鬼術によって心が操られていると言った理由も、なんとなく想像がついた。

 

 そして、胡蝶さんのお姉さんは鬼だった。

 

「胡蝶さんのお姉さんは、そういう血鬼術を使うと思います」

 

 一度、あの浅草の任務の時に会った上弦の参。話すと不思議な気分になってしまったんだ。

 

 初めて胡蝶さんを目にしたとき、よく思い出せないような既視感を覚えた。

 今になってみれば、わかる。あの上弦の参と、胡蝶さんは、とてもよく似ている。姉妹と言われたなら、間違いなくそうであろう。

 

「竈門くん。竈門くんはなにを言っているんですか? 姉さんにも会ったときがないのに……! ……っ!?」

 

 ハッとした表情で、胡蝶さんはこちらを見つめた。

 そういえば、あの上弦の参には、会ったことは内緒にと言われたんだった。それを今、思い出す。

 

「……!?」

 

「会ったんですか! 姉さんと……っ!! 竈門くんは、姉さんと会ったんですか!!」

 

 肩を掴まれ、問い詰められる。

 どうすればいいかわからなかった。

 

 あの『(しゃ)()』と名乗った上弦の参とは、会ったことを言わないようにと約束をしたんだった。家族と同じくらい大切な約束だった。そんな約束を破るわけにはいかなかった。

 

「あ……会っていま……いません……!!」

 

「……!! ……!? ……??」

 

 胡蝶さんは、わけのわからないようなものを見る目でこちらを凝視している。

 

 俺は、嘘を吐くのが爆裂に下手だった。

 どうしても顔に出てしまうんだ。すみません、沙華さん……。

 

「お……俺は……。あ、会って……会って……いません!」

 

「会ったんですね!! どこで……っ! いつ……っ! 姉さんはなにをしていたんですか……!?」

 

「言えません!!」

 

「竈門くん……っ!」

 

「言えないんです!!」

 

 何度も強く詰め寄られる。

 けれど、おそらく姉妹である胡蝶さんにも、それは言うわけにはいかなかった。そういう約束なんだからだ。

 

「……っ。……わかりました。でも、竈門くん。竈門くんは、この話、他の人にはしないようにお願いしますね……。私は、大丈夫ですけど、他の人に話したら、いよいよもって裏切り者として、竈門くんは殺されてしまいますから……」

 

「……え!?」

 

「会ったことを話せない。そうなふうにして鬼を庇うのはまずいですし……姉さんは元柱ですから――( )強い。そんな鬼と密通しているとバレたら、斬首は免れませんよ?」

 

 口もとに立てた人差し指を当てて、しーっ、と胡蝶さんは喋らない方がいいことを教えてくれる。

 

 禰豆子のときは、徹底的に反対されたけれど、今はこうして助言をしてくれている。胡蝶さんは、感情のよくわからない複雑な人だった。

 

「胡蝶さんは、お姉さんのこと、信じているんですか?」

 

 だから、どうしても尋ねたくなってしまう。

 

「…………」

 

 考えるように、胡蝶さんは黙り込んだ。

 

 もしかしたら、失礼なことを聞いてしまったのかもしれないと思った。

 話によれば、姉を庇う言動をして、投獄までされているらしいから、こういう質問に答えるのには、憚られるのかもしれない。

 

「こ……胡蝶さん……」

 

「そうですね……。私は鬼を信じられない……。私の両親も、仲間も、慕ってくれた子たちも鬼に殺されていますから、心の中には鬼に対してどうしようもない嫌悪感があるんです」

 

「…………」

 

「冨岡さんは……っ、冨岡さんは言っていました……っ! 自分の姉が特別な存在だと思うなって……。別にいいじゃないですか……っ、自分の家族ぐらい、特別な存在だって思ったって……っ! 姉さんは、とても立派な人でした……鬼にも同情するくらい、優しい人でした……。人を殺しておいて、可哀想だなんて、そんな話はないのに……っ!」

 

「胡蝶さん……?」

 

 話を続けるほどに強くなる語気に尻込みをしてしまう。胡蝶さんがなにを見ているのかよくわからなかった。

 憎しみと愛情がないまぜになった匂いがする。

 

「姉さんは、言ってたんです! 鬼と人が仲良くって……でも、人を殺したら罪を償わないとでしょう? あぁ、だから、鬼を殺さないと……。姉さんの優しい世界に人殺しの鬼はいらないんです……っ! 私が正しく裁いてあげるんですよ……? 私の毒なら、人を殺した分だけ苦しんで死ぬでしょう? とても素晴らしいことを私はしていると思うんです。そうは思いませんか、竈門くん。ふふ、うふふふ……」

 

 狂っているかのようだった。

 それでも、悲しみの匂いがとても強い。本心で言っているのか、それがまるでわからなかった。

 

「胡蝶さん。俺は、禰豆子のこと、人間に戻したいと思ってるんです! 胡蝶さんも……っ! お姉さんを人間に戻したいとは思いませんか……?」

 

「竈門くん……。その必要はないんですよ? 姉さんは、特別ですから、鬼のままでも大丈夫なんです。そうでなければいけないんです……っ!!」

 

「そんな……」

 

「それに、もし鬼が人に戻るとして……そんな鬼を殺してきた……人を殺していない鬼もですよ? そんな私たちは――( )いったいなんなんでしょうか?」

 

 風が吹く。

 吹いた風で、匂いが流され、胡蝶さんの感情はわからなかった。

 

 このままではいけない。なにか言葉をかけなければいけない。

 

「……胡蝶さん! きっと鬼殺隊は間違ってない! 鬼になってしまった人も……きっと、人を殺す前に……っ、止めて欲しかったはずです……! 俺だって、もし鬼になってしまったら、そうしてほしい……! だから……っ、鬼殺隊は間違ってない!! だから……っ、鬼殺隊の人たちは――( )()()()のために戦う……立派な人たちだと思うんです……っ!!」

 

「あぁ、やっぱり……。竈門くんは、とても優しい人ですね……」

 

 胡蝶さんは、言った。風が止んで、何かを諦めるような、そんな匂いを感じてしまう。

 

「胡蝶さん。胡蝶さんは、どうして、この屋敷に俺たちを連れてきたんですか?」

 

「それは……鬼の妹さんを私が監視しやすいようにですよ? そう言ったじゃないですか……?」

 

 裁判のとき、胡蝶さんは確かにそう言っていたことを思い出す。

 

「たしかに、それもあるかもしれませんけど……怪我をしていた俺たちのこと、放っておけなかったんですよね……? だから、胡蝶さんは……とても優しい人だと思うんです……!」

 

「……!?」

 

 顔を上げて、胡蝶さんはこちらの目を見つめていた。とても綺麗な、澄んだ目だった。

 

「俺、ここで療養できて、修業にも付き合ってもらえて、とても感謝しているんですよ」

 

「あ……」

 

 あっけに取られたような顔を胡蝶さんはしている。

 

 アオイさんに、カナヲ、すみちゃんに、きよちゃんに、なほちゃん。

 本当に、みんなにはよくしてもらっていた。

 

「善逸に、伊之助は、回復機能訓練を休んでしまっているけど……俺は、俺たちのためにこうしていろいろしてくれること、とても感謝しているんです」

 

 胡蝶さんがなにを考えているかはわからなかった。とても、複雑な匂いがして、その感情も俺には汲み取り切ることができなかった。

 

「……竈門くん」

 

「はい!」

 

「休んでいる二人には、私が少し手を貸してあげましょう」

 

「……え……っ」

 

「頑張ってくださいね……?」

 

 胡蝶さんは柔らかく微笑んでいた。

 

 いつも、胡蝶さんは笑顔だったのに……なぜだか今初めて、胡蝶さんの笑顔を見たような、そんな気持ちになる。

 

 一陣の風と共に、胡蝶さんは目の前から姿を消した。俺の目には追いきれない速度だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「出陣ですか……?」

 

「胡蝶さん!」

 

「胡蝶か……!」

 

 産屋敷家で御館様から命を受け、今から出るところだった。

 

「煉獄さんに、真菰さん。柱が二人で出陣……ということは十二鬼月ですか?」

 

「いや、それがよくわからない。どうも鬼の噂話があったらしい。向かわせた隊士からは異常がなかったと、報告が帰ってくるが、皆が皆、その報告の後に行方不明になっているそうだ。胡蝶はこれをどう思う?」

 

「その話は、柱合会議でもあった……とてもきな臭いですね……」

 

 やっぱり、胡蝶さんも不思議に思っている。私には、正直、なにがなんだかわからなかった。

 

「御館様はこれを十二鬼月の仕業だと睨み、何度か隊士を送っているが、全て失敗している。それで今回、柱を送るとおっしゃっていた」

 

「でも、そうなると……人を操る類いの血鬼術が相手ですか……。とてもやっかいですね……」

 

 何度か鬼とは戦って来たが、そういう類いの血鬼術を用いる鬼とはまだ遭遇していなかった。

 それに、上弦ともなれば、単純に身体能力も高いはずだ。私が相手をできるのか、こんなことを思っていては冨岡さんに怒られてしまうかもしれないけれど、かなり不安だった。

 

「うむ。御館様の話によれば、おおかたの目星がついたのみで、その鬼の潜伏先を特定しきれていないそうだ。おそらくは長期の任務になる」

 

「一応……もし、すぐ見つけられないようであれば、私はいったん別の任務に移るんだよ……?」

 

 鬼は今ものうのうと人を喰って、被害を広げているのだから、柱を長い間、遊ばせておくわけにはいかない。

 基本的に煉獄さんが主となって現場で調査し、任務に余裕のできた他の柱がその都度に支援にまわるという形だった。

 

「そうですか。頑張ってくださいね……?」

 

「そういえば、胡蝶……その怪我は、鬼の仕業か?」

 

 煉獄さんが指摘をする。

 胡蝶さんは頭に包帯を巻いていた。十二鬼月を倒したという話を聞かないが、十二鬼月が相手でもないのに、柱が怪我をするというのは珍しい。誰かを庇ったのだろうか。

 

「いえ、竈門くんに……例の鬼を連れた隊士の子に頭突きをやられてしまいました……。鬼の禰豆子ちゃんを傷つけた分だそうです。一発くらいならと受けてみましたが、思った以上に石頭でしたね!」

 

「アッハハハハ! それは災難だったな……胡蝶」

 

 竈門くん。あの柱合会議のことを思い出す。

 

 あの会議の後、冨岡さんと話をした。

 私は怒った。すごく怒った。冨岡さんは私が切腹するかもしれなくなったことについてをとても謝っていたけれど、そこは大事なところじゃなかった。

 

 鱗滝さんに、冨岡さんは、私にとってとても大切な人だから、一緒に切腹するのは別にいい。でも、あんな無茶をするならちゃんと相談してほしかっただけなんだ。

 

「そうです! 人手が必要なら、後から竈門くんたちを合流させましょう。彼らも、頑張っていましたし……全集中の常中も、形にはなってきたみたいですから」

 

「なるほど……! 常中をか!? うむ、それはなかなかに筋がいい!」

 

 全集中の常中は、柱の入り口とも呼ばれる技術だ。私も、冨岡さんに水の呼吸を止めないようにとコッテリ絞られたことを思い出す。

 あの厳しい鍛錬があったからこそ、今の私の強さがあるということは身に沁みている。冨岡さんには、とても感謝している。

 

「そういえば、胡蝶さん。胡蝶さんはどうしてここに? 御館様から、任務で呼ばれたの?」

 

 こうして偶然、胡蝶さんと会ったわけだけれど、胡蝶さんはあまり急いだ様子がなく、私たちを引き留めていた。

 少し疑問だった。

 

「いえ、そうではなくて……。竈門くんの使う呼吸について、少し御館様に尋ねようと思って」

 

「えっ……? 水の呼吸じゃ……ないの?」

 

 竈門くんは、鱗滝先生のもとで水の呼吸を教わったと聞いている。

 だからこそ、竈門くんの使う呼吸は水の呼吸のはずなのに、どう言うことなのだろう。

 

「どうやら竈門くんは、()の呼吸を使うようですよ? 話に聞く、戦国時代の始まりの剣士と同じ呼吸だそうです」

 

「え……?」

 

 まったく違う呼吸だった。()って、火? 火の呼吸? 水、関係ないじゃん。派生させたものでもないの?

 

「なるほど……それは面白い。その少年の刀の色はなんだったか?」

 

 刀の色。呼吸の適性が現れたそれだ。

 たしか、あの子の刀は、鬼と戦っていたらしきあの場所に落ちていて――( )

 

「黒……だったと思います」

 

「黒刀か……! 黒刀は出世しないと言われるが……うむ、彼はひょっとするかもしれないな!」

 

「……むぅ」

 

 鱗滝先生から教わったというのに、別の呼吸を使って話題になっているのが、私にはあまり面白くなかった。

 鱗滝先生は、たぶん、なにも言わないだろうけれど、私が気に入らない。

 

「では……そろそろ、行こうか!」

 

「……うん」

 

 竈門くんのことは少しだけ納得いかなかったけれど、いま、いろいろ言っても仕方がないだろう。

 

「お気をつけて……」

 

 胡蝶さんに見送られて、私たちは任務に向かうことになった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「裏が出ても……表が出るまで何度でも投げ続けようと思ってたから!」

 

 ――表がでたら、カナヲは心のままに生きる。

 

 そう言われて投げられた硬貨は表だった。

 なにもかもどうでもいいから、硬貨を投げて決めていた。それを言ったら、そんなふうに言われて硬貨を投げられてしまった。

 

 小細工を疑ったけれど、何度でもと言われてしまった。何も言い返すことができなかった。

 

 胸が温かくなるのがわかる。

 いままで感じたことのない心地よさだった。

 

「あ……炭治郎……! 探したわ! ここにいたのね!」

 

「なえ!」

 

 女の子。よく炭治郎と一緒に修業をしていた、上弦の弐の村で育った女の子だった。

 

「炭治郎。なにしてるの?」

 

「お世話になったから、カナヲにお礼を言っておこうと思って……俺たち、任務だろう? また、いつ会えるかわからないから……」

 

「そうね!」

 

 炭治郎と、仲良く喋っていた。

 二人の距離はかなり近い。二人の関係は、噂をされているくらい。

 それを見ていると、なぜだか焦がれるような痛みがする。

 

「…………」

 

「カナヲちゃん! 回復機能訓練でも、相手をしてくれてありがとう! おかげで強くなれたから、すごく感謝してるわ!」

 

「……!?」

 

 手を握られる。

 発汗が止まらない。何も言葉を返すことができなかった。

 

「ふふ……カナヲちゃん強くて……けっきょく私、数回しか勝てなかった……。カナヲちゃんのこと、とっても尊敬してる。次はちゃんと良い勝負ができるように、私、頑張るから……そのときは……また相手をしてもらえるかしら?」

 

「師範の指示だったから……。私が決めることではないから……さよなら」

 

 なんとか、声を出せる。

 どうすればいいかわからない。今まで、こんなことはなかったのに。

 

「ねぇ、カナヲちゃん! カナヲちゃんも元気でね! また会いましょう! きっと、カナヲちゃんなら鬼が強くても、勝っていけるだろうから……いらない心配かもしれないけど……どうか、死なないで……!」

 

 無事を願われていた。

 ふと、この子は私が死んだら悲しいのだろうかと疑問に思う。私はこの子が死んでも……きっと、悲しまない。涙も出ない。

 なにもかもが、どうでもいいことだから。

 

「さよなら」

 

 苦手、だった。

 今、初めて思ったけれど、この子のことが苦手だった。

 本当にどうすればいいかわからなかった。

 

「炭治郎。行きましょう? 早く行かないと、鬼の被害が広がってしまうかもしれないから……!」

 

「うん、そうだな……!」

 

 そう話して、炭治郎と一緒に行ってしまう。

 

「…………」

 

 二人の後ろ姿を見ていることしかできない。なにもするべきことがわからず、途方にくれてしまう。

 

「カナヲも、元気で!!」

 

 振り返って、炭治郎は私に手を振る。

 それと一緒に、上弦の弐の村で育てられた子も振り返って、私に手を振った。

 

 わからない。なにもかもわからないけれど、頭がおかしくなりそうだった。

 

「カナヲさん! しのぶ様がお呼びです!」

 

「あっ……」

 

 こけてしまった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 浴槽を血で満たす。

 人一人が入れるくらいの小さなお風呂だ。

 だいたい人間一人分くらいの量の血で満たせば、肩まで浸かって入れるくらいにはなる。

 

 これだけで、家一軒が建つくらいの値段になるのだから、だいぶんに馬鹿げていると思う。

 それでも、最近になって生まれた月に一度の私の楽しみだった。

 

 温める必要はない。湯加減はどうでもいい。

 服を脱いで、足先から血の中に入っていく。太もも、腰、胸、肩まで浸かって、血の冷たさに僅かだが不快感を覚える。けれど、それもすぐに終わる。

 

「ん……うぅ……」

 

 少しずつ、血を全身で吸収していく。

 まず、頭がカッと熱くなる。意識がふわふわとしてきて、気分が良くなる。身体中の血管が拡張され、熱が行き渡り温まっていく。

 

「……ふぅ……」

 

 発汗。

 こうして冷たい血に浸かっているのに、()()って、全身から汗が止まらなくなるくらい暑くなるのは、とてもおかしな話だと思う。

 

「……あぁ」

 

 いい感じに酔いが回って、思考が鈍っていくのがわかる。気持ちがいい。

 ゆっくりと吸収しているから、まだ肩まで浸かれるくらいには風呂桶の血は残ってはいるけれど、今からでもなくなってしまうのがとても惜しい。

 

 飲むのもいいけれど、こうして浸かって、上質の稀血を全身で吸収していくのは格別だった。

 

 今、こうして至福の時間を味わえているのは、全て上弦の弐のおかげだった。

 いくら大金を求められるとはいえ、これほどの稀血を自分で食わずに売るだなんて、信じられないことだった。

 

 こんなふうに吸収したら酔える血は、私の長い生でも、一度お目にかかったくらい。それも、いま吸収している血よりは効能がとても薄い。

 それほど希少なものをまだまだ貯蔵していると言うのだから、上弦というのは恐ろしいものだと思う。

 

「ふふ、ふーん。ふふ、ふへへ」

 

 最初に他の下弦と集められた時は何事かと思ったけれど、今思えば、あれは天啓だった。そこで飲まされた血の味はもう忘れられない。あれほどの幸福は今までになかった。

 

 そのときの上弦の弐の言葉の通りに、駆けずり回って日銭を集めて買いに行ったが、その高さに絶望した。目の前にはこの上なく芳潤な匂いのする稀血があるというのに、手に入れることができないなんて。

 

 無理やりに奪おうとした下弦の肆は上弦の弐の血鬼術で潰されていた。相手との実力の違いもわからない。わざわざ売ってくださっているのに、この上なく愚かだったと思う。私は下弦の陸だけれど、賢いからよくわかる。

 

 そこから私は思い直して、お金集めに奔走した。ただ稼ぐのではだめだ。鬼の力を利用して、美女に化け、金持ちの男に取り入り貢がせればいい。

 あの血が手に入るなら、今までの誇りなんてどうでもよかった。少し演じれば、男なんてすぐに虜になってくれる。

 

 他の馬鹿な下弦たちにはできないことだ。

 

 その甲斐あって、二度目には、それなりの稀血が買えるほどのお金が手元にあった。

 

「……あ」

 

 そういえばと思い出す。

 湯船から、上半身を出し、床に置いた服を探る。体を這う水滴は、煩わしいから吸収して、肌は乾くから触った服は濡れたりしない。

 すぐに、赤い粉の入った容器が見つかった。

 

 今日のやりとりを思い出す。

 

「はい、お釣りね?」

 

 上弦の弐は、そう言って、私にお釣りを手渡してくる。上弦の弐自らがお金の精算をしていた。

 

「…………」

 

「今日もいっぱい買ったわね。ありがとう。いつもどおりの場所に、送っておくわ?」

 

「……はい」

 

 さすがに夜とはいえ、大量の血を手に持って運んでいくことは人の目が気になって難しいからか、荷物は送ってくれる。

 どうやら、遠くまで運べる血鬼術を持った鬼が協力してくれているようだった。

 

「ねぇ、稀血のお風呂、やった? どうだったかしら……?」

 

「もう……最高です」

 

 最初、たくさん買って、ちまちまと飲もうとしていた私に、上弦の弐は冗談まじりにそんな使い方を教えてくれた。

 興味があって、実際にやってみたら、本当に幸せな時間を過ごせた。それにも、とても感謝している。

 

「それはよかったわ! そうそう。零余子ちゃんに、今日は特別に見せたいものがあるの! これよ?」

 

「え……赤い粉……?」

 

 上弦の弐は台の上に、赤い粉の入った容器を置く。それと、薬さじに、キセルの筒のような器具があった。

 

「そう、この粉は、稀血の特別な成分を取り出したもの。あのお方がおっしゃっていたけど……粉を、こう、台に撒いて……この筒で、こうやって、肺まで行ってしまわないくらいで、鼻から吸うのがいいらしいわ?」

 

「……へぇ……」

 

 上弦の弐は、ふりだけして、実際に粉を吸っている様子はなかった。

 いまひとつ、興味が湧かない。

 

「相場はそうね……。一回分――( )この薬さじ一杯分で、一万円くらいだけど……零余子ちゃんには特別。今返したお釣りを払ってくれれば、この箱一つ分あげちゃうわよ……?」

 

「……え?」

 

 明らかにおかしい。

 箱は小さかったが、それでもその相場と、要求されている金額に二十倍以上差がある。上弦の弐は、算術ができないのだろうか。

 

 面食らった私の表情に、上弦の弐はくすりと笑う。

 

「私が零余子ちゃんのこと、気に入ってるから特別なの。さぁ、三種類あるわ? どれにする?」

 

 三箱、目の前に出される。

 どれも、同じ赤い粉だった。違いが、わからなかった。

 

「おすすめは……どれでしょうか?」

 

「うーん、零余子ちゃんが買ってるのは……酔う血だから……一緒に使うなら、夢の世界に飛んで行ける……この箱がいいわ?」

 

「じゃあ、これで……」

 

 さっき返してもらったお釣りと引き換えに、箱を渡される。

 正直なところこの粉に、相場と同じくらいの価値があるかどうか、半信半疑だった。

 

 お風呂に戻って、箱を眺める。

 薬さじを手に持って、浴槽の淵に粉を盛る。そのまま筒を持って、片方の鼻の穴を塞ぎ、粉を吸い込む。

 

「……ん……ぅ……!?」

 

 鼻の奥の粘膜で、粉が溶けたのだろう。

 そこから頭はすごく近い。身体が震える。頭まで、すぐに届いたように思える。

 ビクリと、まず身体が震える。

 

「……あぁ……」

 

 不思議な感覚だった。

 腕を動かしピシャピシャと水面を叩く。間違いなく、これは自分の腕のはずだった。思う通りに動いている。そのはずなのに、その腕が自分のものであるという感覚がなくなってしまう。ただの肉の塊とさえ思えてくる。

 

 力を抜く。全身から、自己という感覚がなくなっていく。自分の身体が自分のものかさえわからない。

 現実にいるのに、まるで夢のようで、今浸っているこの血の中に溶けてしまっている気さえする。肉体という(くびき)から解放され、水面に揺蕩う影のように、私自身の精神の居場所は、掴みどころがなくなってしまった。

 

「ふふ……あはは」

 

 幸福に支配される。この凄まじいほどの超越感にともなって、私の頭は際限ない法悦に満たされ、それに耽溺していた。

 どうしようもないくらいの心地よさに、涙や涎、そう言った体液の類いがあふれでてしまっている。

 

「うご……」

 

 気がつけば、私は浴槽にたまる血の中に、顔まで浸かってしまっていた。

 

 肺まで血が侵入してくる。

 苦しいとは思わなかった。世界と一体となるような気分で、その血を受け入れる。なんでもできる気がした。

 

 もちろん、鬼とはいえ、空気なしでは呼吸ができないから、意識が遠のいていく。

 

「……ふはぁ……」

 

 息をする。

 体が、周りの血を吸収して、口が出るほどの水位になった。同時に、肺の中の血も吸収しきったから、身体が暑くて暑くてたまらない。

 

「あはは……。あはは……」

 

 意識がどうしようもなくフワッとする。

 

 もうあれだけあった血もほぼない。

 これしかない量の血に、長い間浸かっているのはあまり優雅ではない。風呂桶の底に体を擦り付けて、いっきに吸収しきる。壁面の水滴も、全て体で拭っておいた。

 

「はぁ……あれれ……?」

 

 浴衣を羽織って、床に倒れる。

 最後に量を吸い切ったぶん、余韻が酷く残っている。まだまだ酔っていれそうだった。

 

 それにしても、まだ身体が自分のものでない気分だ。あの粉がまだ効いているのだろう。酔いと相まって、虚ろな気分になってしまう。

 

 そして、わかる。私の身体が震えている。あの粉が私に浸透させた幸福感がまだまだ強く残っている。

 まずいと思った。今までで生きてきた幸せを全て寄せ集めたとしても、今の幸福には敵わない。私の今までの生がとても味気ないものだったと確信できる。

 

「あは、あはは……!」

 

 これが、()()()()()だった。

 そして、欲も生まれる。確か、三つ箱があってそのうちの一つがこれだ。あと二つも味わってみたくなる。それに、今のこれもまた買ってしまうだろう。稀血のお風呂も捨てられない。

 

 もう、ここまで来てしまうと、普通の人間の肉で満足していた私は本当に愚かだったと思う他ない。腹が減ってどうしようもないとき以外は、きっと食べることもない。

 

 考えを巡らせる。

 お金が必要だった。こんな生活を続けるには継続的に大金を得なければいけない。そうでなければ、鬼殺隊からこそこそと隠れ、殺した人間のあまり美味くもない肉をむさぼる生活に逆戻りだ。

 

 金持ちの男を籠絡し、貢がせ金を得るのでは、きっと限界がある。

 

「あの上弦の弐に、血戦を挑んで、勝って、部下にして、私に稀血を献上させる。それしかない」

 

 あの上弦の弐は、数百年と生きているそうだから、それに何百年かかるかはわからなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「待って! 炭治郎!!」

 

 任務に向かおうとしていたはずだった。

 先に調査に向かっていた炎柱と合流との合流地点に向かっていたはずだったが、突然に炭治郎はあらぬ方向へと走り出した。

 

 一緒に任務に来ていた善逸くんや、伊之助くんを置いて、私は炭治郎のことを追っているのだけれど、私の言葉を聞いてくれる様子がない。

 

 合流地点からはもうずいぶんと離れてしまっている。どうして炭治郎が、こんな行動をとっているのか、私にはわからなかった。

 

「ここ……なのか……?」

 

 不意に、炭治郎は止まった。

 いつの間にか手に持っていた紙を見て、なにかを確認しているようだった。

 

 追いつく。

 炭治郎の肩を掴む。

 

「ねぇ、炭治郎……急にどうしたの! 走り出して……」

 

 なにかに駆り立てられるように動く炭治郎が、なによりも心配だった。

 この理解のできない現状に、どうしようもない不気味な流れを感じる。

 

「なえ……俺は、ここに来なきゃいけなかったんだ……」

 

 建物……だれかの家なのか……西洋風でそれなりに立派、お屋敷のように見える。

 

 炭治郎の言っていることがわからない。

 任務に向かっている最中にも関わらず、どうしてここに来なければならなかったのだろう。そんな理由があるのだろうか。

 

「ねぇ、炭治郎……。どういうこと? 今は、炎柱と合流をして……そこから任務をこなすって話だったんじゃ……」

 

「……約束があって……ここに来るって……。え……? 俺は……いったい……」

 

 うわごとのように呟かれる。炭治郎も炭治郎で、自分の行動が理解できていないような様子だった。

 

「と、とにかく戻るわよ! 早くみんなと合流した方がいいわ?」

 

「そ、そうだな……なえ」

 

 なぜだか、この場所には長く居てはいけない気がする。炭治郎の不可解な行動もそうだけど、なにかまずい。嫌な流れを感じる。

 

「あら……炭治郎くん? 久しぶりね! 来てくれたのね! その女の子は……?」

 

「え……?」

 

 女の人だった。

 見た瞬間に、既視感を覚える女の人。この人に似た人を、私は最近見たことがある。

 

「上弦の参!!」

 

 炭治郎が、刀を抜いて、声を上げる。

 精度の高い人間への擬態。だが、たしかに気配が、流れる温もりが人間のそれとは異なる。

 

 だが、上弦の参というのは……。

 炭治郎が見抜いたのか……いや、この女の口ぶりからすると、既知なのだろうか。

 

「ねぇ、剣は下ろして、仲良くしましょう? 鬼と人間でも関係ない。きっと、私たちは仲良くできるわ?」

 

「違うぞ! お前のように人を操って……思い通りにさせることを仲良くなんて言わないんだ! お前は間違ってる!!」

 

「……え?」

 

 噛み合う。

 今回の鬼は、人を操るという話だった。おそらくこの鬼が、その正体なのだろう。

 

 炭治郎が、急に勝手に動き出したこともこれで納得がいく。いつ、炭治郎が術にかけられたかはわからないけど、全てはこの鬼のせいだったんだ。

 

 きっと、この鬼を倒せばそれで済む。

 

「お願い! 話し合いましょう? 話し合えば、きっと互いに理解し合うこともできるわ!」

 

「なえ! この鬼の話を聞いてはダメだ!!」

 

「わかったわ!」

 

 もとより、鬼とは話す余地はない。

 鬼の理屈は、聞くだけ無駄だと分かっている。

 

「なえ……? なえちゃんって……もしかして、ハツミちゃんの村の?」

 

「……!?」

 

 私の出自を知られていた。

 この鬼が炭治郎の言う通り、上弦の参ならば、鬼は群れないと言うけれども、上弦の弐であるあの女とも交友があるのかもしれない。

 

「なえ! 合わせてくれ!」

 

 常中から、さらに呼吸を深めていく。

 走り、距離を詰める。

 

「ええ! いくわ!」

 

 一太刀、大きく水平に振るう。

 

「これって……月の……」

 

 鬼はあっけなくその刃から逃れる。それは折り込み済み。

 

 私の呼吸の特徴として、刀を振ったその場所に、三日月のような形の刃が残存する。

 だからさらにもう一つ、一振り目で刃が残ったその先へと、追い詰めるように刀を振るう。

 

 ――『破鏡の舞 厭忌月・鎖り』!

 

 逃げ場のない二連撃。

 残存する刃と、振られた刀の挟撃。普通ならば、これで終わる。

 

「これなら!」

 

「……そうねぇ」

 

 わずかな間で、鬼は最適な行動を選ぶ。

 上に跳び、私の攻撃すべてを避ける選択をする。

 

「これを! くらえ!」

 

 だが、上にはすでに炭治郎がいる。

 

 ――『ヒノカミ神楽 碧羅の天』!!

 

「……っ!?」

 

 完全な連携だった。決着がついてもおかしくないほど綺麗な形で決まっていた。

 

「く……っ!」

 

 頸へと振られた炭治郎の刀を、上弦の参の刀が防いでいる。

 刀……上弦の参は剣士なのだろうか。

 

 中空での鍔迫り合いはわずかな間だった。

 炭治郎の斬撃を防いだ上弦の参は、その斬撃の勢いまでは殺せずに、地面に叩きつけられる。

 

「あら……っ?」

 

 まだ残存していた私の刃で、上弦の参の右足に左手首が刻まれ飛んだ。

 

 明確な隙が生まれる。

 踏み込んで、刀を振るう。

 

 ――『破鏡の舞 闇月・宵の宮』!

 

 倒れた鬼に狙い澄まして、頸に刀を……。

 

「……く……ぅ」

 

「ねぇ、よく話し会いましょう?」

 

 上弦の参の刀が阻む。鬼の左手は私の刃にはね飛ばされて、今はない。右手だけの力で守られる。

 

 相手が片腕だけの力ならばと、両腕に力を込めて無理に押し切ろうとする。鬼は倒れた体勢のまま。こちらが上。並の剣士相手なら、押し切れる状況。

 だが、上弦の参はさらに左足で自身の刀の峰を抑えて、私の刀を完全に止めた。

 

「それなら!」

 

 ――『破鏡の舞 月魄災禍』!!

 

「え……っ!? それも使えるの!?」

 

 この型は刀を振らない。

 刀の微かな動きから、三日月の形の刃を放ち、敵を刻む。だからこうして鍔迫り合いで刀を止められている最中でも攻撃ができる。

 

「……あっ!?」

 

 鍔迫り合いから、勢いよく上弦の参に刀を振り抜かれる。完全にこちらが力負けをしてしまっていた。

 刃こそ、こちらの刀で防げるが、刀を振られる勢いのままに、私は強く吹き飛ばされる。

 

 代わりに刀を振らない型で放った刃が、上弦の参の右手を奪う。

 

 私を弾き飛ばした鬼は、ひとまず落ち着き、身を起こそうする。

 

「うおおおお!!」

 

 ――『ヒノカミ神楽 円舞』!!

 

 いま着地した炭治郎が、鬼にすかさず型を放つ。

 

 負けていられない。鬼に飛ばされ、地に足の付かない中空でも、私は身を捻って型を出す。

 

 ――『破鏡の舞 払暁・散残月』!!

 

 万が一、炭治郎が仕留め損なっても、私の刃が鬼の身体を切り刻み、炭治郎への追撃を許さない形だった。

 

「すごいわ! とってもいい連携ね! まさかここまでやられるとは思わなかったわ!」

 

「……なっ!?」

 

 炭治郎の刃を左手で掴んで抑えていた。私の遠距離から放った刃が、その左手を切断する。

 鬼は焦った様子も見せずに右手で今度は炭治郎の腕を掴んだ。

 

 一度奪ったはずの両手に右足。()()()と数える間もなく完全に回復している。

 再生が早すぎる。

 

「二人とも……とても息が合ってて……互いの呼吸が連携に適する形でうまく噛み合っているのかしら……? 二人でなら、きっと十二鬼月の下弦の壱も倒せるわ!」

 

 上弦の参は喜ぶようにそう言った。まるで自分は倒されないと確信している口ぶりだった。

 もし、その下弦の壱を倒せるくらいだったとしても、今はなんの慰めにもならない。

 

「ぐぅ……っ!?」

 

 腕を掴まれた炭治郎が暴れる。

 上弦の参ほどの、鬼の力だ。捻り潰されてもおかしくない。

 もう炭治郎は、刀を取り落としてしまっていた。

 

「あら……? この痣……形が変わって……。もしかして……っ!」

 

「炭治郎……ぉ!!」

 

 着地して、走る。

 今、遠距離から刃を放っても、炭治郎を盾にされてしまう恐れがあった。もう近づくしかない。

 

「ねぇ、なえちゃん。鬼狩りもいいと思うのだけど、両親が心配していたわ……? やっぱりハツミちゃんの村に帰った方がいいと思うの……」

 

「……え?」

 

 何が起こったのか分からなかった。

 気がついたときには、鬼が私の腹部にのしかかっていた。その上で私は、両手を抑えつけられている状態だった。

 

「説得したから大丈夫だったけれど……なえちゃんの両親は自死を選ぶほどに追い詰められていたわ……? ねぇ、帰りましょう?」

 

「い……いや! 帰れるわけない! だって(ハツ)()さま、こうじろうにぃを殺したんだ! 村を出たから……っ! 私は生き残ったから……っ! 私は仇をとらないと……!」

 

 このままでは、連れて行かれてしまう。

 頭がスッと冷たくなって、上弦の参の声がよく頭に通る。

 

 ふと、炭治郎が気になる。横目に確認すれば、強く握られていた腕を押さえて倒れているようだった。

 生きていて、無事でよかったと思う。

 

「……? なえちゃんと一緒に連れて行かれた子? たぶん、死んだのは、先天性の免疫不全が原因だと思うわ……? あの村は、病気のもととなる細菌やウイルスがハツミちゃんの血鬼術で存在しないの……。そうなると、病気に対する免疫機能が必要なくなるわけだから……退化してしまったわけね……」

 

「……え?」

 

 言っている意味がわからなかった。

 

 細菌やウイルスだったり、免疫だったりの話は、蝶屋敷の人たちがよく言っていた覚えがある。

 (ハツ)()さまの血鬼術は、生き物を殺す。

 この鬼の言うことは、意味のわからない呪いなんかよりも、筋が通っている。

 

「あの村の子達は、病気に対して闘えない身体なの……」

 

「う、嘘よ! だ、だって私は死ななかった! それなら! 私だって死んでいるはず……っ!」

 

「たぶん、なえちゃんは、村の外から来た人が両親か、祖父母のだれかにいるのね……。その免疫機能を運良く受け継いでいたから……生き残れたわけね!」

 

「……あ……っ」

 

 聞いたことがある。

 私の祖母は、村の外から来た人だと……。おかしな宗教を一直線に信じていた困った人だったらしい。私の生まれる前に死んだようだったけど……。

 

 思い当たる節はあった。

 だけれども、認めるわけにはいかない。だって、おかしいんだ。(ハツ)()さまの呪いで死んだのでなければいけない。

 

 私は、仇を討たなければならないのだから……。その目的がなければ私は……私は……。

 

「ハツミちゃんは、その男の子を()()()()()()わ? ねっ! 誤解がとけたのなら、もう争う理由はないでしょう?」

 

 鬼は――上弦の参は私の上から退く。その声が心に染み渡って、私にはもう戦意がなかった。

 それが分かっているのか、上弦の参は私を完全に自由にした。

 

 そこで私は、やるべきことに思い至る。

 

「そ……そうよ……? こうじろうにぃは、(ハツ)()さまが殺したんじゃない……。仇じゃなかった。鬼殺隊のみんなも……精一杯、鬼から助けようとしてくれていた。こうじろうにぃが死んだのは、私が外の世界に連れ出したから……っ! あぁ……っ! ()()()()()()()()だった!!」

 

 (ハツ)()さまを殺してから、私は死のうとしていたんだ。(ハツ)()さまを殺す必要がなくなった今、順当に順番がまわってくる。

 

 刃を自分自身に向ける。

 

 なぜ、もっと早くこうしなかったのだろう。

 どこを斬るのがいいか……首の動脈……いや、罪人はできる限り苦しんで死んだ方がいい……。ずっと苦しかったけど……楽になるわけにはいかない。最期の最期まで苦しまなければならない。なら、お腹を裂いて……ぐちゃぐちゃにして……。

 

「やめるんだ! なえ!」

 

 手を止められる。

 炭治郎にだった。

 

「は……放して!! 私だけが死ぬべき人間だったの……!! これで終わるべきなのよ! ねぇ! だから、放して!!」

 

「違う! 違うんだ!! なえ! なえは死ぬべき人間じゃない……!! 俺はなえに生きてほしい! 生きてくれよ!!」

 

「悪いのは私一人……!! (ハツ)()さまの言いつけを守らなかったのも私! 私がちゃんといい子にしてたら、()()()()()にはならなかった! 死ななければ償い切れない!」

 

「なえ! そんなに悲しいことは言わないでくれ! なえはなにも悪くない! 悪くないんだ!」

 

 放してと暴れるけれど、炭治郎は私を自由にはしてくれなかった。

 炭治郎は優しいから、私なんかのためにもこうして心を砕いてくれるだけだ。

 

「死んでしまうなんて……命を粗末に扱うものではないわ? 普通の女の子として結婚して、幸せになればいいの。だれか好きな人はいるかしら?」

 

「……え……っ?」

 

 声が、入ってくる。そうしたら、力が抜けてしまう。もやもやと霧がかかったようにうまく頭が働かない。

 私の好きな人――( )私はただただ炭治郎を見つめていた。

 

「そう! なえちゃんは、炭治郎くんが好きなのねーぇ」

 

 気がつけば、鬼によって、私の心の内が暴かれている。

 

「ふ、ふざけないでよ……。どうして……! どうしてそんな酷いことするの……!」

 

 炭治郎にだけはバレたくなかった。

 この気持ちは、私が死ぬまで心の中にだけしまっておくべきものだった。

 

「炭治郎くん。炭治郎くんは……なえちゃんはどうかしら……? 結婚したら幸せじゃない?」

 

「そう思うけど……俺は……禰豆子のことがあるから……。禰豆子を人間に戻してからじゃないと……俺が幸せになるのは……」

 

「禰豆子ちゃんのことなら、私に任せて……? ちょうど、珠世ちゃんがそういう薬を作ろうとしていたから、きっとなんとかなるわ! これで、ぜんぶ解決でしょう?」

 

「……あっ」

 

 炭治郎の耳に手を当てて、鬼はそう嘯いていた。

 それから、炭治郎はなぜか納得をしたように頷く。頷いてしまった。

 

「た、炭治郎……ぉ」

 

「なえ、結婚しよう! 俺が絶対に幸せにする! 後悔はさせないから!! これから一緒に()()()()()()!」

 

 私の手を掴んで、炭治郎はそう言う。

 

 嬉しくて、嬉しくってたまらなかった。だから、こんなこと許されていいのかとも思ってしまう。

 

「炭治郎! 好きよ……っ! とても好き!! 大好き!」

 

 口が言うことをきかなかった。

 なにが起きているのか、まるでわからなかった。

 

「なえ……ありがとう。でも、俺は頷いてほしいんだ。結婚しよう」

 

「うん……わかったわ……私、炭治郎と結婚するわ! 幸せになる!」

 

 抱き合って、とても幸せになった。

 心がふわふわとして、私自身がなにを言っているかわからない。私の口を誰かが勝手に使っている気さえする。それでも私は幸せだった。

 

「あぁ……よかった。本当によかったわ……ぁ。二人が幸せだと、私まで幸せな気分になるの……本当によかった……」

 

 鬼はそう言って、私たちを祝福していた。

 

「えへへ……」

 

 祝福をされて、私はとても幸せだった。

 




 小ネタ
 炭治郎はヒノカミ神楽を無理に鍛えたので、原作のこの時期よりは少し弱いです。
 しのぶさんはストレスで栄養がうまく吸収できないため、三十七キロです。
 カナヲ様にはごめんなさいしながら書いていました。
 (ハツ)()様は、下弦たちをカモだと思って接してます。
 日の呼吸と月の呼吸は、この作品では、使い手の練度が同じくらいならすごい連携力を発揮するという設定です。
 現在の上弦の参の方は、玉壺に圧勝したので、玉壺のことを甘く見ています。



 次回、ウキウキ新婚生活。
 本当だったら、十万字でじっくり書きたいのですが、それではテンポが悪いので一話で終わると思います。



 稀血を育てる系の鬼の小説、増えないかなぁと思ってます。


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夢のような


 少し力をつけたからって、実力差もわからずに〝血戦〟を挑んでくる鬼がいた。その鬼を吸収し、力を得たから、前々から考えていた、列車との融合に手を出すことにした。




「炭治郎! 好きよ? 好き!」

 

 私たちは結婚した。

 結婚と言っても、お役所に認められるような形のものではない。それは、年齢が足りずに無理。だからみんなに結婚したと挨拶にまわっただけだ。そこから一緒に暮らしている。

 

「なえ、俺も好きだぞ……?」

 

「……えへへ」

 

 好きだと言ったら好きと返ってくる。

 何度も何度もくどいくらい繰り返しているけれど、炭治郎は嫌な顔せずそう答えてくれる。私は幸せだった。

 

 今は上弦の参の沙華さんから、住む場所を用意してもらっている。

 (ハツ)()様にはまだ会いたくなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいで、合わせる顔がない。いつかはと思うのだけれど、今ひとつ踏ん切りがつかずにいる。

 

 沙華さんは私の気持ちを汲んでくれて、気が済むまでここに居てもいいと用意されたお(うち)だった。今はそうやって暮らしている。

 

 そしてそう。私たちが結婚するにあたってまずやったこと、それは墓参りだった。

 

「炭治郎ちゃん……? 炭治郎ちゃんなの?」

 

「あ……! お久しぶり!」

 

 炭治郎の育ったお家に向かうときに、村落を通った。そうしたら、知り合いなのだろうか、すれ違った女の人に炭治郎が話しかけられていた。

 

「炭治郎ちゃん……。長い間、見なかったけど……帰って来たの……? 一家惨殺って……」

 

「今回は墓参りに戻って来たんです。報告しなくちゃいけないことがあって……」

 

 炭治郎が私の方に視線を向ける。そうしたら話題が、炭治郎のことから私のことへと移り変わる。

 

「その女の子は?」

 

「なえです。俺たち、結婚することにしたんです。父さんと母さんに、伝えなくちゃならないから……」

 

「まあ!」

 

 こんなふうにして、周りの人に伝わっていくとなると、なんだか恥ずかしい気持ちになる。

 

「炭治郎っ! 炭治郎なのか!?」

 

 そうやって話し込んでいれば、炭治郎の名前を呼びながら、駆け寄ってくる男の子がいた。

 

「あぁ、そうだぞ。俺は竈門炭治郎だ」

 

「一家惨殺って聞いて……! 炭治郎も、もう炭を売りに来なくなったから、心配してたんだ……っ!」

 

 そして寄って来たのはその男の子だけではない。

 

「炭治郎? 炭治郎がいるのか?」

 

「炭治郎! 本当に戻って来たの!?」

 

 男の人に、女の人。老人に、若い子も……。

 わらわらと炭治郎の周りに人が集まってくる。みんながみんな、炭治郎のことを心配していたようだった。

 

 たくさんの人たちに、私たちはもみくちゃにされてしまう。

 みんなが炭治郎が戻って来たことに喜んでいて、炭治郎の人の良さがよくわかった。なんとなく、私は嬉しくなってしまう。

 

 炭治郎の家族の話から、今までなにをしていたか、だとかそういう話になる。

 素直に鬼殺隊と答えるわけにはいかず、炭治郎は困ってしまっていたから、みんなを守る仕事と私が答えておいた。

 

「結婚するって、どうやって出会ったの?」

 

「仕事が一緒で……」

 

「どこで暮らすの? もう戻ってこない?」

 

「それは……なえの両親とよく相談して決めようと思ってます」

 

 根掘り葉掘りと、私たちの事情も聞かれてしまう。

 炭治郎は、丁寧に答えていった。私にも、家族事情だとか、いろいろと聞かれるから、頑張って答えていく。

 

 半刻ほどすれば、その質問攻めも、ひと段落する。

 

「そうだ。何か手伝えることは……」

 

 そう炭治郎がみんなへときいた。

 

「すまない。そうだなぁ……障子を張り替えてくれないか? 終わったら、お茶でもどうだ?」

 

「はい!」

 

「うちは今日人手がなくて……水汲みを手伝ってほしい。もらいものだけど、いいお菓子があるの」

 

「はい!」

 

 そうやって、みんなの困ったことを炭治郎は手伝おうとしてしまう。

 とても優しい炭治郎だ。

 

「炭治郎……私もやるわ!」

 

「なえ、なえは休んでていいんだぞ?」

 

「いいえ! やるわ! 私もみんなの力になりたい」

 

「そうか……ありがとうな、なえ」

 

「うん!」

 

 炭治郎によくしてくれていたみんなだから、挨拶もかねて、その人たちのことを知っておきたかった。

 一軒一軒、手伝いにまわるけれど、みんなからお礼に食べ物とか、手ぬぐいの一式だったりとか、生活に必要なものをいろいろともらってしまう。

 

 たぶん、みんなは渡すだけだと断られると思ったから、何か手伝ってもらって、お礼にと渡してくれたんだと思う。

 みんなとてもいい人たちだった。

 

「ごめんな、なえ。遅くなっちゃって」

 

「ううん。急げば日が暮れるまでには大丈夫そうだから。それにしても……みんな、いい人たちだったわね」

 

「うん、そうだな」

 

 炭治郎と、笑い合って、話をしながら、私たちは歩いて行った。

 お墓に参り、それから炭治郎の家にという予定だ。炭治郎の家は数年だれも使っていないという話だったから、掃除が少し大変かもしれない。

 

「……あれ?」

 

 偶然目に入った。道を外れた場所だった。花畑と言っていいのか、一面に咲く花があった。

 何というか、みたことのない花だった。

 

「この花、全然咲かないんだ……母さんは確か、年に数日、わずかな時間にしか咲かないって言ってた」

 

「青い……これは彼岸花……? 綺麗……」

 

 花には詳しくないけれど、お話に聞いたことがある。

 昔のことだから詳しくは忘れてしまったけれど、御伽噺のように私の村では青い彼岸花について語られていた。こんなところで目にできるとは思わなかった。

 

「なえ、少しここで休憩しないか?」

 

 花に見とれていると、炭治郎がそんな提案をしてくれる。私のことをおもいやってだろう。

 

「ううん。ゆっくりしてたら日がくれてしまうわ。急いでいきましょう? 滅多に咲かないのでも、今度は墓参りのついでじゃなくて、この花を見に、また来年くればいいし」

 

「それもそうだな……」

 

 時間に余裕があるときに、また。そうやって来年の話をする。

 なんだか、今からでも楽しみだ。予定が先であるほど、ずっと、わくわくとできるから、嬉しい。

 

「来年、楽しみにしてるわ……っ」

 

「うん、そうだな。また一緒に来よう」

 

 そうして、青い彼岸花の花畑から離れて、炭治郎の両親のお墓に向かった。

 

「あぁ、ここだここだ」

 

 炭治郎の家の近く。

 他の場所より一際目立って花が育っている。夕暮れの赤い光が悲しく花を照らしていた。埋められた死体が栄養となって、植物が育つ話を聞いたことがある。

 

「…………」

 

「立派なお墓が建てられたら良かったんだけど……」

 

 埋葬したのは炭治郎だ。

 家族のみんなが殺された後、禰豆子ちゃんが鬼になって、その時の炭治郎は、とてもではないけれど余裕がなかったのだろう。

 

 家族のことを思い出してか、炭治郎は切なげな表情をした。

 

「…………」

 

 手を繋ぐ。

 かけられる言葉はなかったけれど。

 

「……――っ」

 

 炭治郎がこちらに顔を向ける。わずかながら驚いたよう。

 

「…………」

 

 見つめあって、私は少しだけ微笑む。そうすると、炭治郎は柔らかい表情になった。

 

「父さん。母さん。……俺たち、結婚することにしたんだ。きっと、二人で幸せになるから……!! 禰豆子のことも、信頼できる人に任せてある。なにも心配いらない。竹雄、花子、茂、六太……兄ちゃん、お前たちの分も、ちゃんと幸せになるから……」

 

「炭治郎のことを、ずっと支えていきますから……! こんな不束者ですけれど……どうかお願いします……」

 

 そうやって、亡くなってしまった炭治郎の家族へとお参りをする。

 どうか、炭治郎のことは私に任せてほしい。寂しい思いはきっとさせないから。

 私は誓ってそう言った。

 

 お墓参りを終わらせて、やることは家の掃除だった。数年使っていない家だから、埃が積もってしまっている。

 暗くて、全部はできなかったから、寝る場所を綺麗にするだけで一旦お終いになった。

 

「炭治郎……」

 

「なえ……ありがとう。本当にありがとうな……」

 

 一緒の布団で、私たちは寄り添ってお話をする。

 

「そういえば、炭治郎、兄弟がたくさんいたのね……禰豆子ちゃんもだから……六人……」

 

「そうか……? 六人くらいなら、そうでもないと思うけど……」

 

「……そうなの……? 私の村では二人か、多くても三人だったわ……」

 

 村から外に行くこともなかったし、子どもの数は、(ハツ)()様が稼いで持ってきたご飯の量によっていたんだと思う。

 それでもだいたい二人は兄弟がいたし、外から子どもを引き入れてきたりしていた。村の人の数は間違いなく増えていた。

 たぶん、(ハツ)()様の稼ぐ量は、毎年増えているということなのだろう。

 

 そういえば、選別での(ハツ)()様の話を思い出したが、私にはまだ見ぬ妹がいるということだった。

 思い出して、村に戻るのが少しだけ不安になる。

 

「じゃあ、なえ……。俺たちはどうしようか……? 何人がいい?」

 

 そう炭治郎に聞かれて、少し私は思い出した。

 

「炭治郎……炭治郎の痣は呼吸のせいかもしれないって、沙華さんが言っていたわ。もし、そうだとしたら、炭治郎は二十五までしか生きられないって」

 

 呼吸を極めた先にあるものについて、私たちは教えてもらっていた。

 鬼殺隊でそんな話は聞いたことがなかったけれど、人とは思えないほどの力に代償があるということに、納得する部分もあった。

 

「なえ、心配しなくても、きっと大丈夫だ。俺、まだ、冨岡さんや、真菰さん……柱の人たちみたいに強くなかったし……。それに、この痣も弟を庇ってできたものだろう?」

 

「でも……っ! もし、もしよ? そうだとしたら、炭治郎……私たちに子どもができたとして……ひぃ、ふぃ、みぃ……すぐにできたとしても十に足らずに……大人になるのを見届けずに死んでしまう……! それって、悲しいことよ」

 

「なえ、俺は大丈夫だから……」

 

「でも……っ」

 

 炭治郎は私をあやすように撫でる。

 言いたいことはいろいろあった。そんな私を見て、炭治郎は微笑む。

 

「たとえ二十五で死ぬとしても、今考えたってどうしようもない話だろう? だから、俺たちは……今を精一杯生きる。きっとそうすれば、長生きしたって、二十五で死んだって、後悔のないはずだから」

 

「炭治郎……」

 

 あぁ……言われて、少しだけ冷静になった。

 私たちは、今できることをやるしかない。そんな当たり前の話だった。

 

「なえ……?」

 

 ぐっと、炭治郎に近づく。

 この、今にも肌の触れ合いそうな距離は、とてつもなく恥ずかしい。

 

「ねぇ、炭治郎……好きよ?」

 

「俺もだよ、なえ」

 

「うん……。んぅ」

 

 胸の高鳴りのやまないままに口づけを。

 痺れるように血が巡って、ゾクリと身体が震えてしまう。

 

「なえ……」

 

「炭治郎……」

 

 これ以上の幸せは、耐えられない。きっとおかしくなってしまう。

 私は反射的に炭治郎のことを拒絶してしまいそうだ。

 

 でも、私たちは、夫婦になるから。

 拒むかわりに、強く抱きしめる。溢れた幸福に、頭がくらりと視界が明るく感じられる。

 

「……あぁ」

 

 とても幸せに、溶けていくような夜だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……んぅ……」

 

 眠い。とても私は眠かった。

 

「なえ、なえ……。こんなところで寝てしまってはいけないわよ?」

 

「あ……(ハツ)()様……!?」

 

 ハッとなって目を覚ます。

 記憶がおぼつかない。私は今までなにをしていたのだろうか。

 

「まぁ、もう夜も更けってしまっているから、眠いのはしかたがないわ。おぶっていきましょうか……」

 

「い、いえ……そんな……!」

 

 ようやく私は、今までのことを思い出した。

 (ハツ)()様に無理を言って、村の外で遊ばせてもらっていたんだ。

 

 村には植物の一つも生えていないから、草花や、木、木に()るもの、虫や鳥、小さな動物なんかも、物珍しく見て回っていた。

 

 悪戯心から、勝手に抜け出して……そんなことをしても、いつも(ハツ)()様がやってくる。

 (ハツ)()様はお優しいから、いつも、特別にちょっとだけねと、村の外を見て回らせてくれる。

 

「そうね……ぇ。じゃあ、私は今日はおしまいって、こうじろうくんを呼んできましょうか。なえはちょっとここで待ってなさい」

 

「はい……!」

 

 そう言って、(ハツ)()様は森の奥に姿を消す。

 今日は満月だった。木々の隙間から差し込む月明かりで、昼間ほどではないけれども、夜はとても明るかった。

 

 すぐに帰って来ると思ったのだけど、なかなか(ハツ)()様は戻ってこない。

 待ちくたびれて、じっとしているのにも、少し飽きてきたところだった。

 

「…………」

 

(ハツ)()様……?」

 

 がさごそと、草むらを掻き分ける音がする。

 そちらを向く。けれど、違和感があった。(ハツ)()様が、さっき、行った方向とは、違う方向のようだったから。

 

「ぐふふ……今日は運がいい……。稀血……稀血だ……」

 

「ひ……っ」

 

 口からみっともないほどに涎を垂らした男だった。ただ、普通の人間とは違い、額からは一本の鋭い角が生えているよう。開いた口からは鋭い牙が覗く。

 

「はは……怯えろ……! 人間は怯えた方が(うま)くなる……。はは……踊り喰いだ……! 生きたまま喰らってやろう」

 

 男の伸ばす手は何かに覆われていた。鱗だろうか――( )光沢があって、月明かりを鈍く反射し、その男が異形の存在であるのだと、嫌に主張している。

 

「……く……」

 

 とっさに腰に手を回す。刀を抜こうとするが、そこにはない。

 

 

 ――か……刀……?

 

 

 私の触ったことのある刃物は包丁くらい。そもそも、そんな武器になるようなものは、村にはないはずだった。

 

 なんにせよ、このままでは殺されてしまう。

 鬼の手は、もう目前。人間の腕力では、鬼に敵わないことは知っていた。

 (ハツ)()様は……。

 

「喰らってやる……ぅ!!」

 

「お前の相手は……こっちだ……!」

 

 ――『ヒノカミ神楽 円舞』!!

 

 まるでそれは、太陽のように。

 暗闇で閉ざされそうな人生を、救う日の出の光だった。

 

「あが……っ、鬼狩り……ぃ」

 

 鬼の頚が飛ぶ。

 そして、消えていく。太陽の光に燃やされてしまったかのように、灰になるように、鬼の身体は消えていく。

 

「そこの君。大丈夫だった……?」

 

 耳に日の出の描かれた花札のような飾りがまず目についた。

 黒と緑の市松模様の羽織。やや、赤みがかった黒髪に、同じ色の眼。

 なんというか、みているだけで正直で、暖かい心になれるような雰囲気の少年だった。

 

「……うぅ。怖かった……ぁ」

 

「……え……?」

 

 思わず私は抱きついてしまっていた。

 鬼を倒した男の子は、困惑してしまっている。それでも、怖い思いをしたのだから、不安でたまらず、誰かに縋りたかった。

 

 見ず知らずの人だけれども、こうして抱きしめていると、どこか安心できるような、そんな気分になれる。

 

「あら……? 私の出番はなかったようね?」

 

(ハツ)()様……!?」

 

 少し遅れて、(ハツ)()様がやってきていた。

 (ハツ)()様だから、この男の子が駆けつけなくても、きっと、間に合っていただろうとはわかる。

 

「お……鬼……!? 上弦の弐!?」

 

 私を助けてくれた男の子は、(ハツ)()様を見た瞬間に、刀を構えていた。

 

「え……その耳飾り……! ひ……っ。……あっ、私……なにも悪いことはしていないわ……!! ゆ、許して……」

 

 なぜか、(ハツ)()様はうろたえて、数歩距離を取る。

 そんな(ハツ)()様の態度に、耳飾りの少年は困惑しているよう。

 

(ハツ)()様は、私たちのことを守ってくれてるの! 本当!」

 

 私は二人の間に入って、仲をとり持とうとする。(ハツ)()様のことは大好きだし、男の子は私を救ってくれた恩人でもある。

 二人が戦うなんてこと、私は嫌だった。

 

「なえ……。ありがとう……なえ……。とてもいい子……。こんなにもいい子に育っていただなんて……私、感動したわ……。今度、お願いをきいてあげる」

 

(ハツ)()様……」

 

 (ハツ)()様は、目尻に涙を浮かべながら、私を抱きしめて、頭を撫でてくれていた。

 

「稀血……。稀血なのに……襲わないのか……?」

 

 私を助けてくれた彼は、困ったように私たち二人を見ている。

 (ハツ)()様が他の鬼とは違うからだろう。

 

 村で聞いた話だと、外にいる鬼は私たちのことを見るや、なりふり構わず襲ってくるそう。

 そろは私たちが、村から出ずに暮らしている理由の一つでもある。

 

「それは、そうよ。血をもらってるのだから、ずっと、長生きしてもらって、永い年月をかけて味わい尽くすの……。この子の親も、その親も……そうね……なえは先祖を辿ると五百年以上になるかしら……? そうやって、私たちは生きてきたわ」

 

「え……?」

 

 耳飾りの子は見るからに動揺していた。(ハツ)()様が特別だということは私たちには当たり前のことなのだけれど、この子にとってみれば、(ハツ)()様とは今会ったばかりで、わからないこと。

 もう一押し何かがあれば、説得できるかもしれない。

 

「そう! そうよ! (ハツ)()様は病気の人を治しているの。不治の病も、(ハツ)()様なら、治すことができるから……今までたくさんの人が(ハツ)()様に救われてきた……!」

 

「……そうなのか? それだったら、それはとても凄いことだ。本当にそうなのか?」

 

「え……? まぁ、そうよ。お金を稼げるからやってるだけだけど……」

 

 その(ハツ)()様の答えを聞いて、耳飾りの少年は刀を下ろした。

 

「俺は竈門炭治郎だ」

 

「私は(ハツ)()。上弦の弐の(ハツ)()

 

「えっと……私はなえ……!」

 

 そんなふうに自己紹介をみんなでする。

 張り詰めた雰囲気が、和やかになって、私はとても安心した。

 

 

「――それで、そこのあなたは誰かしら? あなたも鬼狩り?」

 

 

 振り返って、(ハツ)()様が問いかける。

 

「……!?」

 

 その(ハツ)()様の声に反応してだろう。木の影から飛び出す女の子の姿が見える。

 

 ――血鬼術『死覗風浪・土崩れ』。

 

「あ……転んだ」

 

 女の子は、足をもつれさせてしまったようで、前のめりに倒れこむ。とても痛そうな転び方だった。

 

「だ、大丈夫か……?」

 

 すぐさま歩み寄る炭治郎だった。

 手を差し伸べて、優しく転んだ女の子を助け起こしている。

 

「知り合い……?」

 

「いや、知らない子だ」

 

 炭治郎が知らない子となれば、一般人がここに迷い込んでしまったのだろうか。

 

 (ハツ)()様は、その女の子をじっとくまなく観察しているよう。その後に首を傾げる。

 

「……あら? あなたがその大事そうに握りしめている――( )(きり)かしら……。鬼の気配がするわね」

 

「な、なによ……! こんなの聞いてない……! 話が違うじゃない!!」

 

 女の子はよくわからないことを言いながら、錯乱して騒いでしまっている。

 私と炭治郎では、手をつけられないような状態だった。

 

「あら? これは……下弦くらい強い鬼……。ここを狙っているの……? 協力しているのなら、詳しく話を聞かせてもらおうかしら?」

 

「ひ……っ、知らないわ。知らない……! 私は何も知らない……! 鬼なんて知らない!」

 

「嘘だ……」

 

 炭治郎が声を漏らした。

 炭治郎は鼻が良くて、匂いで嘘かどうかがわかるから、その言葉は信用できる。

 

「……え?」

 

 違和感があった。さっき出会ったばかりで、炭治郎が鼻がいいなんて話をした覚えがなかった。

 いや、でも、そういう話をした記憶が、私にはある。きっと、どこかでしていたはずだ。これは間違いがない。

 人生で一番大切な人のことを、忘れられるはずがないのだから。

 

「うーん、どうしましょうか……? ちょっと閉じ込めて、お話を聞いた方がいいかしら? 知ってることは全て正直に話した方が身のためよ?」

 

「知らない……! 私は知らない!!」

 

「ねぇ、じゃあ、私とその鬼、どっちが怖いかしら?」

 

「ひ……っ」

 

 女の子は見てわかるくらいに震えて、怯えている。

 でも、私のいつも見ている(ハツ)()様だったから、どうしてそんなに怖がっているのかわからなかった。

 

「答えるのなら、早くしたほうがいいわ……ぁ? 殺しはしないけれど……ねぇ……。ちょっとくらいなら痛い目に遭ってもらうことになるかも……」

 

 (ハツ)()様は女の子に向けて手をかざした。

 

「ま、待って……! 言うわっ、言う! ここは夢の世界なの! そこの女の子の夢の……! でも、あの鬼にとって、都合の良い夢のはずでしょ……どうして私がこんな目に……!!」

 

「ふふ……残念だけれど、それは知っていることなの」

 

 世界が溶けていく。その(ハツ)()様の言葉と共に、森の木々が、草花が、そして私の隣にいた炭治郎が溶けていった。

 

 残ったのは、私に(ハツ)()様、目の前に倒れる女の子だ。

 木々がなくなり、透き通った夜空が見える。満天の星々は輝いて、煌々と満月の光が私たちを照らしていた。

 足もとは血の海。深く飲み込まれてしまいそうなほどの朱が波打ち、夜空との境まで続いている。

 

「…………」

 

「私のなえを摘み食いしようとする悪い鬼がいたのだから、この血鬼術に割り込ませてもらったわ」

 

 そう喋っているうちに、いつも見る(ハツ)()様から、見慣れない子どもの姿へと変わっていった。

 

(ハツ)()様……?」

 

「そうね……なえ……。そろそろ思い出さないかしら?」

 

 そう言って、(ハツ)()様は私の額へと指を当てる。

 

 

 ***

 

 

「これが、列車なのか……?」

 

「ええ、思ったより大きいわねぇ……」

 

 炭治郎のお家に泊まって、そこから帰るときのことだ。私たちは、列車に乗ることにした。

 

 歩いても別によかったのだけれど、あるときふと列車の広告が目に入って、昔、(ハツ)()様から外の世界のお話を聞いたときのことを思い出した。

 (ハツ)()様は、船、自動車、列車といった乗り物について、何かと語ることがあった。

 

 それを炭治郎に話したら、これを機に乗ってみようということになった。

 鬼殺隊のときは余裕がなくてそんな話もできなかったけれども、今は違う。だから、こうして二人でやってきたわけだ。

 

「無限列車……。えっと、これに乗ればいいんだな……」

 

「ええ、そのはずよ。まぁ、間違っていても気長に旅をすればいいわけだし」

 

「それもそうか……」

 

 炭治郎の後ろについて、私は汽車の中に足を踏み入れる。

 

「へぇ、中はこうなっているのね」

 

「たくさん人が乗ってるな」

 

「そうね……」

 

 中にはいろんな人が乗っている。

 若い夫婦だったり、学生さんだったり……視線をさまよわせていると、上の方にある棚に、少し背伸びをして荷物を置こうしているお年寄りの方が目に入った。

 

「あ……っ、手伝います」

 

「私も……」

 

 すぐさま駆け寄って、手助けをする。

 困っている人がいれば力になる。私は炭治郎のそんな優しいところがとても好きだった。

 

「すまないねぇ……」

 

「いえ……そんな」

 

 荷物を棚にしまい終わって、そのお年寄りの人へと向き直る。

 お年寄りの方は、少しだけ興味深げに私たちを見比べていた。

 

「なかなか若いようだけど……夫婦かい?」

 

「はい。ふふ、一緒になったばかりで……」

 

 炭治郎の腕を掴んでぎゅっと抱き寄せる。

 そうしたら、炭治郎は私へと顔を向け、微笑みかけた。そんな小さな触れ合いでも、とても私は嬉しかった。

 

「だったら、こんな老ぼれになんか構ってないで、二人で旅を楽しむんだ。行った、行った」

 

 呆れたような顔で、お年寄りの方は私たちのことをシッシッと追い払う。

 惚気たようなものだから、少し悪いことをしてしまったかもしれない。

 

「行きましょう、炭治郎?」

 

「あぁ……」

 

 空いている席を探して、前の車両へと移動する。

 一両、二両と混んでいるようで見つからなかった。

 

 そんなふうにして歩いていると、突然、揺れが起こる。

 

「きゃっ……」

 

 完全に油断していたから、体勢を崩して倒れてしまいそうになる。

 とっさに転ばないよう身を捩ろうとしたけれど、その必要はないようだった。

 

「おっと……大丈夫か? なえ?」

 

「うん……ありがとう……炭治郎」

 

 気がつけば、炭治郎に体を預ける格好だった。こうして密着すると、私たちの関係を思い出して、少しだけ、恥ずかしさを感じてしまう。

 

 そのまま、体を起こす。

 また、転びそうにならないように、炭治郎の羽織の裾を摘んだまま、歩いていく。

 

 そこから大して時間も経たずに、座れそうな席も、すぐに見つかった。

 

「あら……? なえじゃない……!」

 

「え……っ!」

 

 小さな女の子が、一人座っていた。覚えのある顔だった。

 いつか見た小さな(ハツ)()様だ。

 

「うぅ……なえ……っ! 探したのよ!! どこかに行ってしまったから……私……私……」

 

 泣きながら私の胸に飛び込んできた。

 よしよしと頭を撫でる。この(ハツ)()様は小さな子どもの姿だから、きっと、迷子になっていた妹をあやしているように見えるだろう。それがなんだか不思議な感覚だった。

 

「えっと……どうしてここに……?」

 

「なえを探してふらふらしていたわ……。でも……もう見つからないと思ったから、こうやって汽車に揺られてうちひしがれていたの」

 

「そ、そう……」

 

 別れたのはあの蜘蛛山での任務の時。あれからも、この小さな(ハツ)()様が私たちのことを探していたのだとしたら、かなりの時間が経って、一人でいたのだろう。

 悪いことをしてしまったと胸が痛んだ。

 

「なえは……? 鬼殺隊のお仕事?」

 

「そうじゃなくて……今日はちょっと列車に乗ってみたくなって……」

 

「そう……。そうよね……。私も、そういうときあるわ……ぁ」

 

 そう言いながら、どこか遠い目だった。

 

 私が乗ってみたくなったのは、(ハツ)()様のお話を聞いたからだった。

 (ハツ)()様は私たちに乗り物の話をよくしてくださっていたから、乗り物に乗るのが好きなのかもしれない。

 

「でも、こんな偶然あるなんて……」

 

 同じ列車に乗り合わせてしまったわけだけれど、私たちも今日たまたまこれに乗ったわけだし、普通ならこんなことない。

 

「それでなんだけど……その耳飾りの子は、なえと一緒なのね……」

 

 若干、気まずそうにして、小さな(ハツ)()様は炭治郎へと視線を向ける。

 そんな仕草に、(ハツ)()様は炭治郎が苦手だということを思い出した。

 

「はい、俺たち、結婚することにして」

 

「結婚……!? なら、里のみんなでお祝いしなくちゃじゃない……! なえのお家は古くからあって、里の中でも立場の高いほうだから……里を挙げてかしら?」

 

「いや……でも……私……みんなに合わせる顔がないから……。ひっそりとでも……」

 

 出て行って、(ハツ)()様に刀を向けたわけだし。申し訳なくてたまらない。

 こんな私が、みんなに祝ってもらえる資格があるとは思わなかった。

 

「里のみんなは、なえのことを心配していたし……きっと、幸せになるなら祝ってあげたいと思っているはずだけれど」

 

「……うぅ……」

 

「なえ……俺は、沢山の人に祝ってもらえるのなら、それはきっと、すごくありがたいことだと思うんだ。きっと、なえのこと、みんな悪く思ってないと思うから」

 

「炭治郎……」

 

 私が嫌だと言えば、炭治郎はきっと頷いてくれるであろう。

 だから、これは助言なのであって、決めるのは私なのだ。

 

「それに俺は、禰豆子が結婚するのだったら、そのときは、全力で祝ってあげたいぞ?」

 

 少し切なげに微笑んで、炭治郎はそう言い切る。

 炭治郎は、本当に家族思いだ。その家族には、これからきっと私のことも含まれるのだと思うと、胸が暖かくなる。

 

 

「――切符を拝見します……」

 

 

 ふらっと、鉄道の従業員の制服を着た男の人が、私たちの話しているところへと、近づいてきていた。

 どこか体調が悪いのか、顔色が良くないよう。

 

「あ……はい……。切符ですね……」

 

 炭治郎はしまっていた切符を取り出し、車掌さんへと手渡す。

 そういえばと思って、私は小さな(ハツ)()様に尋ねる。

 

(ハツ)()様は、切符って……」

 

「ちゃんとあるわよ……? これ……! 落としてないわ!」

 

「……へぇ」

 

 見れば、子ども用の切符のよう。子どもの姿だから、仕方ないのかもしれない。

 

 地面に溶けてやり過ごす可能性も考えたけれど、(ハツ)()様はちゃんと切符を買っているようだった。

 少しでも疑ってしまった自分が恥ずかしい。

 

「見て……! なえ……! ほら……、これが前に乗った列車の切符で、これがその前……」

 

 窓枠の縁に、楽しげに切符を並べ始めた。

 私たちを見失ってから、ずいぶんといろんな列車に乗っていたことがわかる。その子どものように無邪気な姿に、気が抜けてしまう。

 

「すごいな……。でも、お金はどうやって……?」

 

 炭治郎は、興味深げに並べられた切符を覗きこんでいた。

 たしかに、この小さな(ハツ)()様は、あの鬼の屋敷の結界から生まれたはず。であれば、お金を持っているというのは、少し辻褄が合わない。

 

「ふふ、鼓を叩いてみたわ。夕方あたりに影の中でね。みんながおひねりをくれたの。意外な才能があったみたい」

 

「そうなの……?」

 

「えぇ……」

 

 私と炭治郎が思い出した記憶は同じだろう。鬼の屋敷で、この小さな(ハツ)()様は、鼓を踏み壊していたはずだ。

 今度は鼓が良いように使われてしまっている。

 

 人を喰らって殺した鬼に同情するつもりはないけれど、それでもこんな不条理なら、あの鬼が浮かばれないと私は思った。

 

「切符を……」

 

「あ……はい」

 

 話が長くなってしまっていたから、その切れ間に車掌さんが切符をと、催促をする。すぐに手渡した。

 

 待たせてしまって申し訳ないばかりだった。

 

「……あれ……なえ?」

 

 そうして、猛烈に眠気が襲ってくる。

 昨晩はあまり眠れなかったのと、疲れが原因だろうか。そのまま私はうたた寝をして――( )

 

 

 

 ***

 

 

 

 ――目覚める。

 

 女の子から、(ハツ)()様が覚醒のための条件を聞き出し、私は鬼の血鬼術から逃れることに成功した。

 

「た……炭治郎は……」

 

 起きて、すぐに炭治郎の姿を探す。

 周りを見渡せば、私にかけられたものと同じ血鬼術によるものか、車両にいる皆が眠っている姿が見えた。

 

「なえ、なえも起きたんだな……!」

 

「炭治郎……!」

 

 私は(ハツ)()様の助けがあったから、目覚めることに成功したけれど、炭治郎は自分の力で鬼の血鬼術を跳ね除けたよう。

 

 共に鬼の血鬼術から抜け出せたことを、ゆっくりと喜び合いたかったところだが、そうもいかない。

 

「私は、夢を見せてもらうの! 幸せな夢を……!」

 

 大きな声で、自然と目がそちらを向く。

 私の夢の中に入っていた女の子だ。

 

 夢で持っていたのと同じ、錐のような何かを持って、私たちを威嚇していた。

 捕まっていた夢の中では、私たちの質問に素直に答えてくれていたけれど、自由を取り戻した以上はと、武器を持って私たちに立ち向かっているのだろう。

 

「やめなさい! そんなことをしても、あなたが怪我をするだけ!!」

 

 彼女は一般人。身体能力では、『呼吸』を使える私たちに敵うわけがない。

 怪我をさせないために、なんとか言葉だけでの説得を試みる。

 

「あんたも起きたのなら、加勢しなさい! 結核だか、なんだか知らないけど……! 幸せな夢を見せてもらうんでしょ……!!」

 

「俺は……」

 

 座席の影から姿を(あらわ)す青年がいた。

 その青年の立ち姿は弱々しく、覇気がまるで感じ取れない。病気というのは本当なのだろう。

 

「ねぇ、炭治郎……。結核って、風邪の仲間……?」

 

「……結核……? ごめん、なえ……俺にはなえの聞きたいことがよくわからない」

 

 医療の話だから、炭治郎は詳しくなくても仕方がない。むしろ、蝶屋敷でお世話になっていた私が知っていなくちゃいけないことだ。

 

 あのときは、鬼を日輪刀で倒すことばかりが頭にあって、あまり詳しく普通の病のことを私は学ばなかった。

 大まかな知識ばかりで、個々の病気の詳細について、まるで覚えていない。それが今になって、どうしても悔やまれる。

 

「えっと、結核は悪い生きものが取り憑いて起こる病だから、うつるわよ?」

 

 小さな(ハツ)()様は、私の言いたいことを完璧に汲み取って、的確に答えを伝えてくれる。

 

(ハツ)()様……! だったら、お願い。その人の病を治して……!」

 

「……え? たしかに私の血鬼術なら、治すこともできるけれど……」

 

 やっぱりだ。

 沙華さんの話によれば、(ハツ)()様の血鬼術は生き物を殺す術。生き物を殺すと言ってしまえば物騒だが、病気の原因である小さな生き物を殺せば、人を救うことだってできる。

 

 ずっと(ハツ)()様は、そうやって人を救ってきたんだ。

 

「治る……!? この病気が治るのか?」

 

「あなたに命令をしている鬼は夢を自由に操る鬼でしょう? 鬼は特別な術を使えるの。その特別な術に、病気を治す術があってもおかしくはないでしょう?」

 

「不治の病だって……。この病気が治るなんて……」

 

 信じられないといった顔で、青年は膝から崩れ落ちていた。感極まってか、目からは滂沱の涙を流している。

 

「な、なによ! そんな……っ、そんなの……っ、私が馬鹿みたいじゃない……。病気が治るなら、幸せな夢はもう必要ないってこと……っ? 私が……私だけが……。どうして……?」

 

 声を荒げて、女の子は自身の不幸を嘆いていた。

 そんな、一人だけ取り残されてしまった姿は見るに堪えないものでもある。

 

「ねぇ、今確認したのだけど……夢を見せる鬼って、下弦の鬼でしょ? 目に下と数字が刻まれている」

 

「たしかに目には文字があった……」

 

 小さい(ハツ)()様の質問に、結核の青年が答える。

 (ハツ)()様も鬼だけれど、今回の夢の鬼について、何か心当たりがあったのだろうか。

 

「そうねぇ……」

 

 そうして頷いて、錯乱していた女の子に目をやる。

 

「な……なによ……!!」

 

「あれは、人を騙したり、約束を破ったりするのが好きな鬼よ? 正直、私にはなんでそんなことをするのかわからないけれど、きっとあなたも騙されているのじゃない?」

 

「ふ……ふざけないで……私が騙されている……? た、たしかにあの男は……、そう……、だけれども。いえ……そうかもしれない……。わ、私は騙されていたの? 騙されているの……? でも、騙されているとしても、私は……。私は――( )っ」

 

 錐のような武器を堅く握って、女の子は私たちを強く睨みつける。

 もう自棄になっているとしか思えなかった。

 

 なんとなく、その表情からわかる。

 この先の人生には、楽しいことなど待っていないのだから、幸せな夢を見せてもらえなくても、ダメでもともと。

 自分の身など、未来など、もうどうでもいいと思っているのかもしれない。

 

「ダメだろうっ、それは……! そんなに悲しいことはやめるんだ……!!」

 

 炭治郎が叫ぶ。

 炭治郎は、匂いで感情まで察せられるから、彼女の考えていることが、私よりも深くわかったのかもしれない。

 

「うるさいわ……!! あんたになにがわかるの……っ!!」

 

 女の子は、当たり前のように炭治郎の言葉を撥ね付ける。

 だから、伝えなければならないことが、私にはあった。

 

「いい加減にしてよ……もう……。炭治郎はねぇ……家族を鬼に殺されたの……! 炭治郎の家族は惨殺されて、唯一残った妹は鬼になった……!! それでも、炭治郎は……復讐のためじゃなくてっ、妹を人間に戻すために! なによりも……っ、自分と同じで悲しい思いをしてしまう人を少しでも減らす為に……その刀を取ったの……! あなたにはわかる? その気持ちが……っ!」

 

「なえ……」

 

 炭治郎はわずかな間だけ振り返って、切なげな顔を私に見せる。

 炭治郎なら、自分の不幸を引き合いに出したりはしないことはわかっていた。

 

「う、うるさい……うるさいわ……!!」

 

「みんなが立派に生きれるわけじゃないって、私にはわかる。でも……でもよ……!」

 

 どうしても、過去に引き摺られてしまう。辛くて前に進めなくなる。

 人生というのは、たまにそういうときがある。それに誰しも、悲しみを糧に、そこから前に進んで行けるとは限らない。

 私はそれをよく知っていた。

 

 そんなときに、救いがわずかでもあるのならば、それを信じるしかなくなってしまう。進んでいる道も見えなくなる。

 

「な、なによ! なんであんたが泣いているのよ!」

 

「だ、だって……! あなたがそんなふうに辛そうな顔をするからよ! 悲しいじゃない! 痛いじゃない。見ているだけでわかってしまうくらいなのよ?」

 

 目の前の女の子の顔を見ていると、胸が痛くなってどうしようもない。

 苦しさが、込み上げてくる。

 

「だ、だったら……私の幸せな夢の為に……っ!」

 

 女の子は、私に向けてか、錐のような武器を振り上げる。

 

 すぐさま私を庇うように炭治郎は前に出ていた。

 当然のように、私を守ろうとしてくれていることが嬉しかった。

 

「なえ……!」

 

「いいのよ……炭治郎」

 

 そんな炭治郎を制止する。それは必要のないことだと、私は直感していたから。

 

 じっと、真っ正面から、女の子の目だけを見つめる。それだけで、よかったのだから。

 

「はぁ……馬鹿みたい……」

 

 手放された武器は、カランと床を転がる音を立てる。

 女の子は、呆れたように肩をすくめて、脱力したまま床に座り込んでいた。

 

「ふふふ……ごめんなさい」

 

 目の前の女の子にも、炭治郎にも、(ハツ)()様にも。私には、謝らなければいけない人がたくさんいた。

 いろいろな意味を含めての謝罪の言葉だった。

 

「……よかった……」

 

 女の子の仲間だった青年が、安堵をしたような表情で、女の子の肩に軽く手を乗せた。

 それを嫌そうに女の子は振り払って、立ち上がる。

 

「それで、あの男を倒しに行くの?」

 

 鬼殺隊として働いていないとはいえ、日輪刀は隠し持っていた。

 法律で帯刀はご法度だけれど、私は稀血だ。血の匂いが鬼を誘ってしまう以上、自衛のために日輪刀を持つしかない。

 

 日輪刀があるのだから、今から人を喰い殺そうとする鬼を私たちが放っておけるわけがなかった。

 

「そうよ。きっと、このままでは、たくさんの人が殺されてしまうから……」

 

「なえ! じゃあ、行こう! 他の車両がどうなってるかわからない。きっと急いだ方がいい」

 

「あ……ちょっと待って……」

 

 小さな(ハツ)()様は、私たちを引き止めていた。

 

「どうしたんだ?」

 

「そこの結核の人……私、今、治せないわ」

 

「え……?」

 

 (ハツ)()様の血鬼術なら、治すことができるはずだ。

 さっき病も治せるって、言っていたはずだし。

 

「ちょっと今は体力が足りないのよ。病気を治す血鬼術は繊細なの。十分に余力がなければ、間違えて身体をボロボロにしてしまう可能性があるわ。今の私は小鼓を叩くことしかできないと思ってもらって構わない」

 

「じゃ、じゃあ、後で本体にあってもらうなら……」

 

「それでもいいと思うけど……。なにが起こるかわからないでしょ? もしかしたら、明日急変するかもしれないし。可能性は少ないけれど、ありえないことではない。それでいいかしら? 私は責任を取らないわよ?」 

 

 たしかに、(ハツ)()様の言っていることは正しい。

 今日大丈夫だからといって、明日も無事でいられる保証なんてない。

 

「じゃ、じゃあ私の血を使って……! 私の血なら……!」

 

 私一人で、人間数百人分だったはずだ。

 この小さい(ハツ)()様も、きっとそれで術を使えるようになる。

 

「ふふ……なえ。そんな必要はないわ……。あのね――( )

 

 悪戯っぽい笑顔を浮かべて、(ハツ)()様は私に耳打ちをする。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おはよう……。まだ寝ててもよかったのに……」

 

「お前が……っ!!」

 

 炭治郎が鬼と向き合う姿が見える。第二車両の屋根の上に二人はいる。

 眼に『下参』と刻まれた鬼。十二鬼月の下弦の参だ。

 小さな(ハツ)()様の血鬼術で、鬼の位置は把握済みだったから、風下の第二車両と第三車両の連結部で、気取られないよう私は待機し、見守っていた。

 

「せっかく、幸せな夢を見せてあげてたのに……。幸せだったよね? 死んだ家族が生き返って、結婚の祝福もされて……。それとも、家族が惨殺される夢の方がよかった?」

 

「お前は許さない……!! 人の心を弄ぶようなお前は……っ、絶対に!!」

 

 ――『ヒノカミ神楽 円舞』!!

 

 怒りのままに、炭治郎は刃を振るった。

 強い感情のこもった斬撃を、鬼は、宙に飛び、悠々と躱し――( )

 

 ――血鬼術『強制昏倒睡眠の囁き』。

 

 鬼の伸ばした手から、口が開く。

 

 その手の口から、声が響――( )「お眠りィィ」――村の外で出会った炭治郎は、一度村の中を見ておきたいと、私たちに付いてきていた。炭治郎は、鬼殺隊という組織で、悪い鬼を倒しているという話だ。外の世界に興味がある、こうじろう(にい)は、炭治郎を質問攻めにして。それから、私は炭治郎の刀を引き抜き、それで自身の首を斬った――( )いて、私は眠ってしまっていたようだった。

 

 どうやら、あの手の口の声を聞くと、眠ってしまうよう。

 覚醒のための条件は、夢の中で死ぬこと。列車の座席で眠ってしまっていたときと同じだった。

 おかげで血鬼術にかけられたことに気がつければ、すぐに目を覚ますことができる。

 

 とりあえず、戦闘をしていない私は、不要に眠ってしまわないよう、耳を塞いだ。

 

 戦闘を、一つ一つの鬼の動作に注意しながら観察する。

 何度も繰り返し、鬼は手の口から、眠りに誘う血鬼術を使っているようだけれど、炭治郎はものともしない。

 血鬼術を使われた瞬間、たしかに眠り、たたらをふむ。けれども、すぐさま覚醒し、次の瞬間には刃を振るう。夢の中では、一瞬で夢だと気がつき、炭治郎は自害しているのだろう。

 

「……っ!?」

 

 自身の血鬼術が通じない絡繰がわかったのか、鬼がたじろいでいるとわかった。鬼は信じられないといった顔で、炭治郎を凝視している。

 私も夢の中で、自死したからわかる。連続であれをやるのは、相当な胆力が必要だ。本当に炭治郎は凄いのだと思うと共に、心配になる。

 

 炭治郎の勢いに押され、鬼はジリジリと後退している。

 

「今だ! なえ……!!」

 

「しまった……稀血の……」

 

「もらったわ!!」

 

 刀を握り、躍り出る。

 鬼の背後から、力を込めて、刀を――( )「お眠りィィ」――あれから何度か炭治郎は私たちの村へとやってきていた。その度に、私は炭治郎を出迎えに行って、お話をする。そんなふうに親睦を深めていって、ついには恋仲になった。父や母、姉に、(ハツ)()様、こうじろうにいも、みんなに私たちは祝福をされて、祝言をあげる。今日はそんな幸せな日だ。私は炭治郎のしまった刀で、自分の首を斬る――振るう。

 

 ――『破鏡の舞 厭忌月・銷り』!

 

「ぐ……っ」

 

 舞うような二連撃に、三日月のような形の刃。鬼の足に腕が切断される。

 かろうじて、鬼は上空に逃れ、私の間合いから離脱することに成功した。

 

 だが、その先には、すでに炭治郎が待ち構えている。

 

「幸せは、これから……っ、俺たち自身で掴むものだ……っ! 俺たちは、そう信じられる!! だから、お前の夢なんて必要ない!! 人の心を、なにもかも思い通りにできると、お前は間違っていたんだ!! だから、絶対に、俺たちはお前に負けない!」

 

 ――『ヒノカミ神楽 碧羅の天』!!

 

 鬼は、私と炭治郎の二人に対応しきることはできなかった。

 炭治郎の振り下ろした刃により、胴体が真っ二つになる。

 

 手、足と、胴体、バラバラになって、鬼は車両の屋根の上に落ちる。

 落ちた鬼のその首に、炭治郎は刃を添えた。

 

 身動きの取れない鬼は、その刃に、焦りの顔をまるでみせない。うすら笑いを浮かべて囁く。

 

「別にいいよ? 特別に教えてあげよう。俺は頚を斬られても死なないんだ」

 

「あらあら? 本当にそうかしら?」

 

 ズズっと、車両の屋根に、小さな(ハツ)()様が生えてくるようにして姿をあらわす。

 

「……上弦の弐……!?」

 

「愚かね……ぇ。列車と融合しようとしたのでしょう? まぁ、でも、そういう術については、私の方が、()()・よ? ふふ、私の結界に阻まれて、失敗しているのにも気がつかないなんてねぇ……」 

 

「分身のはず……そんなものに俺が……」

 

「分身とは言っても、私は結界そのものでもあるわけだから……ねぇ……。ふふ、列車との融合は中途半端で私が阻止。融合しようとしていたから、こっちの戦闘にも全力は無理だったのでしょうね。ねぇ、本気を出せずにやられるって、どんな気持ちかしら? ねぇ、ねぇ、相当に未練よね? 残念よね? あぁ……せめて最後は、自分に向けて幸せな夢の血鬼術でもかけるかしら? そのくらいの時間なら、待ってあげてもいいわよ? いい術を持ってよかったわね? 可哀想に……ぃ」

 

「……っ!? 分身だろうと……お前だけはぁ……! お前だけは……道連れにでも……!!」

 

「〝血戦〟ね? 今、あのお方に許可をもらったわ? あなたは私が吸収していいって……」

 

「……あ……」

 

 大きな花びらのようなものが、列車の屋根から、鬼を囲むように生える。鬼の近くにいた炭治郎は、飛び退いて逃れるが、バラバラになった鬼は、抵抗もできずに囲まれてしまう。

 その花びらの内側には、小さな歯のようにも見える出っ張りが連なり、ひたすらに不気味だった。

 

「いただきます」

 

 がばりと閉じて、中に鬼を閉じ込める。

 そのまま、蕾の形のまま、ズブズブと列車の屋根の中に、そのなにかは溶けていった。

 

「終わったの……?」

 

「ええ……終わったわよ。いま、結界の中であの男の鬼の力を吸い取ってるところ。でも、流石は下弦ね。このままだと、ちょっと頭にあれの考えが影響してきそう。後で絞りかすは捨てておいた方がいいかしら」

 

 小さな(ハツ)()様の身長は伸びているようだった。まだ幼さは抜けないけれど、さっきよりも大きくなったように思える。

 

 姿は自由に変えられると思うのだけれど、下弦の鬼を吸収して得た余力を見た目に使ったのだろう。

 

(ハツ)()様……ありがとう」

 

「じゃあ、私はあの男の人を治してくるわ?」

 

 そう言って、小さな(ハツ)()様は列車に溶けて消えてしまった。

 

 もう戦いは終わりでいいのだろう。力を抜いて、一つ落ち着く。

 

「なんというか……思ったより、弱かったわね……」

 

 十二鬼月という話だったが、あれでは、あの蜘蛛山の鬼の方が強かったかもしれない。

 あれから強くなっとはいえ、あのときは、伊之助くんと、私、炭治郎、それに善逸くんに禰豆子ちゃん……たくさんで挑んでも倒しきれなかったから。

 

「きっと、列車と融合できていたら、俺たちの手に負えないことになっていたのかもしれない……」

 

「そうね……」

 

 小さな(ハツ)()様は、全力を出せていなかったとそう言っていた。

 もし、全力だったら、もっと苦戦してしまったはずだ。今回は小さな(ハツ)()様がいて、運が良かったとしか言いようがない。

 

「あの分身……この列車で最初にあった時に思ったけど……血の匂いが濃くなってた。前に別れたときよりも、強くなってた」

 

「強く……? 人を食べているということなの?」

 

「いや、多分、鬼を取り込んでいっているんだと思う。そういう匂いだった」

 

 鬼は共食いをする。

 鬼舞辻は、鬼が群れることを嫌い、そういう呪いをかけているという話だった。

 小さな(ハツ)()様が、そうやって強くなっていっているのに、おかしなところはなにもない。十分に納得できる

 

「そういえば、炭治郎。炭治郎は、どんな夢を見せられたの?」

 

 気になってしまった。

 炭治郎へとあの鬼の見せた偽りの幸せに、少しだけだけれど、興味があった。

 

「俺たちの家族が殺されていなくて、禰豆子も鬼じゃない。それで、俺たちは炭売りをしたまま暮らしていて……。そう……なえも居たんだぞ? 俺たちのことを手伝ってくれていて……それで、結婚することになった。みんなから、祝福されるんだ」

 

「…………」

 

 そう語る炭治郎は、どこか寂しそうだった。目には涙を溜めているようにさえ見える。

 

「でも……夢の中でも、なえは凄かった。夢ってわかったら、こんなところにいるなって、俺のことすごく強く引っ叩いたんだぞ? 夢の中のはずなのに、すごく痛かったんだ」

 

「なによ、それ……」

 

「夢の中のみんなも、俺のことを頑張れって送り出してくれたから、俺は夢から醒めることができた。そういう夢だった。みんな暖かかったなぁ」

 

 手を繋ぐ。

 温もりを伝えたかった。

 

「あの鬼の血鬼術は、夢の中に引き留めるためのものだったから、炭治郎の心の中の家族が、きっと、炭治郎のことを守ってくれたのね」

 

「うん、そうだな……。そうだといいな……」

 

 たとえそばに居なくたって、心の中で支えてくれている。そんな炭治郎の家族は、とても素敵だと思った。

 

「ええ、きっと」

 

 だから、私も、そんな家族になりたいと思った。

 

「なえ、じゃあ、なえはどんな夢を見たんだ?」

 

 当然のように、私の夢の話になる。

 聞かれるのに、抵抗はない。むしろ、炭治郎になら、話しておきたいくらいだった。

 

「そうね……村の中での暮らしが続いていて、村の外に出た時に、鬼に襲われるの。そこを、鬼殺隊の炭治郎が助けてくれて…… (ハツ)()様を鬼殺隊が認めてくれる。そこから炭治郎が、ずっと私たちの村に通って……私と仲良くなって……私たちは結婚するの」

 

「そうなんだな……」

 

「もし、なにかが掛け違えていたら、ありえたかもしれないって……そんな悲しい夢だったわ」

 

「…………」

 

 けれど時間は巻き戻らない。

 これからある未来を大切にしていくことしか、私たちにはできないのだから。

 

「帰りましょう、炭治郎」

 

 過去に想いを馳せた後には、立ち上がって、歩いていく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 沙華さんに会って、炭治郎と将来を誓い合ったところにあったお屋敷は、沙華さんの所有していた建物で、中では昔罪を犯して捕まった人たちが、罪を償った後に働いているそうだった。

 そこで、私たちも仕事をさせてもらっていた。

 

 

 私が定期的に血をあげれば、私の血は鬼にとっては万金に値するから、仕事はしなくていいという話だったけれども、なにもしないのは忍びなかった。

 だから、私たちは働かせてもらっている。

 

 今は休憩している時間だった。

 

「鬼になれ、炭治郎」

 

「ならない」

 

「人間は、弱い、脆い、儚い。強い鬼こそが人間を守るものだと俺は悟った。共に鬼となり、人を守り続けよう。強くなければ、大切なものさえ守れないのだから……」

 

「たしかに、人を守るのは立派だ。鬼じゃないとできないことがあることもわかる。でも、俺は鬼になるつもりはない。鬼になったら、きっと大切な人に置いていかれるばかりになってしまうから……。それに、人間だって、そんなに弱くないんだぞ?」

 

 炭治郎に、鬼にならないかと、しつこく誘ってくる鬼がいた。

 そこそこに中途半端な人間への擬態の鬼だ。相当な強さの武人だと、気配や、普段の足運びからもわかる。

 

 ちなみに、今は小さな(ハツ)()様はいない。小さな(ハツ)()様には、なえが鬼殺隊にいないのなら、もう少しゆっくりしていくと言われたから、あの列車で別れてきた。

 

「炭治郎、お前は人を守るために戦っていたと聞いた。だが、人は死ぬ。お前がいなくなった後、だれが人を守っていくというのだ? 炭治郎、お前はその志のままに、不死の鬼となるべきだ」

 

「別に俺じゃなくてもいいんだ。俺がいなくなっても、きっと、俺の意思を受け継いでくれる人がいると思うから……。人は不滅ではないけれど、人の思いはいつまでも生きているから。……うん。そんなに心配をしなくても、きっと、大丈夫だ」

 

 その炭治郎の言葉に、鬼は不満げな顔をしていた。

 

「俺はお前が頷くまで、何度でもやってくるぞ?」

 

「うん、また」

 

「…………」

 

 鬼の脚力で、颯爽と去って行った。

 炭治郎は、それを笑顔で見送っている。

 

 正直、しつこいように思うけれど、あの鬼のことを炭治郎は悪く思ってはいないようだったから、別にいいのだろう。

 

「さて、俺たちも仕事に戻ろう……」

 

「そうね」

 

 私たちは立ち上がった。

 ちょうどその時だった。

 

「なるほど、耳飾りの剣士が沙華の血鬼術で捕らえられたという話だったが、やはり大したことなどなかった。やはり、あのような男の再来などではなかった」

 

「お前は……っ!?」

 

 仕立ての良い西洋の男の人がよく着ている服の男が、いつのまにか、近くの椅子に座っていた。

 

「わざわざ、私自身で出向く必要もなかったか……」

 

「む、無惨……!! 鬼舞辻無惨……!」

 

 声を張り上げて、炭治郎は叫んだ。

 炭治郎の家族を殺し、禰豆子ちゃんを鬼に変えた張本人だった。(ハツ)()様が敬愛してやまないお方でもある。

 

「…………」

 

「俺たちの家族を……! たくさんの罪なき人を殺しておいて……っ! お前は罪を償うべきだ……!」

 

 炭治郎のその声に、鬼舞辻は、帽子を目深に被る。

 

「私のことをだれが罰する? 鬼である私を……。神や仏は、この千年生きてきて、見たことがない。これでどうして私が罰せられる?」

 

「……無惨、お前は……! 鬼である限り、お前は人間だったはずだ!」

 

「私は完璧な生物だ。人間などではない」

 

「完璧な……っ?」

 

「大災に家族を奪われようと、それに罰を与えようとするものなどいないというのに。自分の命が助かったのならそれでじゅうぶんだろう。死んだ人間が蘇ることなどないのだから、大人しく日銭を稼いで暮らせば良い」

 

 炭治郎は、不快感を顔へと露わにしていた。

 対して、鬼舞辻は、特になにも思ったような素振りもなく、冷徹な表情のままだ。

 

「でも、大災っていうのなら、河が溢れないために、堤防を築いたり……地震だったら、それに耐えられるお家を作ったり……対策はすると思うわ……?」

 

「……その対策が、私を殺そうとすることだとでも言うのか……? 鬼狩り程度に殺されるほど、私が貧弱に見えるというのか?」

 

 鬼舞辻の雰囲気が一気に剣呑になる。

 特になにも考えずに、思ったことをつい言ってしまったが、まずかったかもしれない。

 

「な、え……駄目よ? 言葉が足りないわ? なえは、これ以上鬼を増やされて、人間が死んでしまうのは悲しいから……このお方の日光の克服のお手伝いをしたいと言いたいのよね? ね?」

 

「ふん、(ハツ)()か……」

 

 鬼舞辻の後ろから、(ハツ)()様が姿を見せる。分身ではなく本体の(ハツ)()様だった。

 その(ハツ)()様の登場で、鬼舞辻の雰囲気が、若干だが、穏やかになる。

 

「ね? そうでしょう? なえ?」

 

「え……っ」

 

「日光を克服さえすれば、貴方様は鬼を増やしたりしないと、前、カナエちゃんは、なえに教えていたんです」

 

 カナエ……蝶屋敷にかつていた、蟲柱のしのぶさんのお姉さんの名前だった。鬼になったって話だったけど、そんな名前の鬼とは会ったことがない。

 

(ハツ)()……お前は……。まぁ、いい。鬼狩りごときに私が殺せるはずがない……。とうに死んだ人間を理由に、できもしない復讐で命を落とす鬼狩りどもは……やはり異常者だ」

 

「無惨……! お前は存在してはならない生物だ!」

 

 語気を強めた炭治郎の言葉を受けて、動揺もせずに鬼舞辻は私を指さした。

 

「そこの稀血の女は、(ハツ)()の村の女だったか。(ハツ)()の村の女ならば、先祖が(ハツ)()に救われている。(ハツ)()に救われたのならば、力を与えた私が救ったも同然だろう。私がいなかったのなら、その女は存在すらしなかった。身内が死んだからなんだという? 新しい家族ができたのだろう? お前は、その恩人である私に感謝をしながら生きていけばいい」

 

「確かに……なえのことには感謝する。だけど、俺の家族を殺したこと……今まで、たくさんの人を殺してきたことは絶対に許さない!! 罪を償うまで……絶対にだ!」

 

 鬼舞辻の主張を受け入れながらも、炭治郎は譲らなかった。炭治郎は、必ず、一歩も退かないとわかる。

 

「……罪を償うって、なに? 具体的にはどうすればいいかしら? 私にできることなら、私が代わりにやってあげるけど……」

 

「えっ……?」

 

 割って入った(ハツ)()様に、炭治郎は困惑した。

 (ハツ)()様は、自身を鬼にした鬼舞辻のことをすごく尊敬していたから、そう言ってしまうのも当然なのかもしれない。

 

「ふん。これ以上、話を続ける意味はないな。私は忙しい。話は終わりだ」

 

 炭治郎の言葉には答えず、鬼舞辻は、背中を向ける。もう、こちらを見てはいない。

 

「ま、待て……っ!」

 

「この方はお忙しいの。お話の相手なら、私がするけれど?」

 

 鬼舞辻に追い縋る炭治郎を、(ハツ)()様が引き留める。

 そうやって(ハツ)()様に気を取られているうちに、鬼舞辻はどこかに姿を消してしまった。

 

「鬼舞辻無惨! そうやって、自分の罪を人に押しつけて……! そんなことで、許されると思うな……! お前は必ず、報いを受ける!!」

 

 届いているかどうかもわからない虚空に向けて、炭治郎は叫ぶ。

 炭治郎の気持ちはわかる。けれど、(ハツ)()様の事情を知る私は、あまり強く炭治郎の味方をできなかった。

 

 この場から、鬼舞辻がいなくなり、(ハツ)()様だけが残る。

 

「なえ……久しぶりね……」

 

「…………」

 

 気まずい。

 改めて(ハツ)()様に会ってみて、言いようのない気まずさに襲われる。

 

「耳飾りの子……炭治郎くんだったかしら? 貴方も……。できれば、うん、できれば仲良くしたいと私は思っているわ?」

 

「俺も、仲良くできればと思っています」

 

「そう……! そうね、仲良くしましょう? 仲良く。……仲良く」

 

 今ひとつ、(ハツ)()様は歯切れが悪かった。その視線は、炭治郎の付けた耳飾りにある。(ハツ)()様を追い詰めたという剣士のことを思い出しているのかもしれない。

 

「…………」

 

 私からも、何か言い出さないといけないことはわかるが、勇気が出せずに言葉が出ない。

 

「カナエちゃんが、こそこそしていたから、不審に思って問い詰めたら……。はぁ……なえのこと、私に言わずに独り占めにしようとしていたのだから、困ったものだわ……。なんにせよ、もう、危険な目に遭わなくて済むのだから、安心ね……帰りましょう?」

 

「え……っ?」

 

 分身から、聞いたのではないようだった。

 あの分身は、列車でのんびりしていくとは言っていたが、本体への連絡ものんびりしているとしか思えないセリフだった。

 

「……ふふ、帰りましょう。なえのこと、連れて行ったら、みんなきっと驚くわ。こんなに大きくなったし、綺麗になったのだから、ね?」

 

「ま、待ってください……。急に言われても、まだ、心の準備が……」

 

 村にはどうしようもなく帰りがたい。

 それではいけないのはわかるけれど、できれば、ここで一生を終えたいくらいの心持ちだ。

 

「みんな待ってるわよ?」

 

「で、でも……今更私が帰っても……」

 

 埋めようのない、時間の空白がある。

 私がいなくなってから、そのままというのもあり得ない話だろう。このままでいた方が、いいのではないかとさえ思ってしまう。

 

「わかったわ。ちょっとだけ待つ。覚悟ができるまで、毎日様子を見に来るから、いい?」

 

「毎日……?」

 

 私のために、そこまでしてもらえるのは、嬉しかったけど、心苦しくもなった。

 (ハツ)()様には、今になってだけれど、とても迷惑をかけていると思う。

 

「じゃあ、私も帰るわ。最近は忙しくてね?」

 

 手を振って、にこやかな顔を私に見せる。

 それを見ると、どうしても私は心が痛んだ。

 

(ハツ)()様……」

 

 ずっと、私は先延ばしにしている。それはわかっている。

 

「またね、なえ」

 

 だけど、きっと、次があるから。まだ、人生は続くのだから。

 いつか、ちゃんと向き合って、伝えなくてはならないことがたくさんある。

 

 (ハツ)()様は、もう、帰ってしまった。

 

「なえ、よかったのか?」

 

 隣で見届けていた炭治郎は、そう尋ねてくる。

 

「きっと、大丈夫……今度は、ちゃんと、ありがとうって言えるから……」

 

 まずはお礼から、たくさん迷惑をかけてしまったけれど、まずはそこから始めなければいけなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 朝。

 隣では炭治郎が眠っている。

 

 いつもは炭治郎の方が起きるのが早いけれど今日は私の方が早かったようだった。

 

「炭治郎……朝だよ?」

 

 耳もとで囁く。

 こんなふうに起こすのは珍しいから、少しだけ心が湧き立ってしまう。

 

「うぅ……なえ……」

 

「う……?」

 

 寝起きの炭治郎に、その隣には、禰豆子ちゃんが眠っていて……。

 

「え、禰豆子ちゃん?」

 

 ここには、いないはずの禰豆子ちゃんだった。禰豆子ちゃんは、沙華さんに任せていたはずだった。

 

「うー」

 

 禰豆子ちゃんが起き上がる。私の声で、目を覚ましてしまったようだった。

 そのまま、おもむろに、炭治郎へと禰豆子ちゃんは両手を乗せる。

 

「…………」

 

「……むー!!」

 

 燃えた。

 炭治郎が、燃えた。

 

「……えっ?」

 

 この炎は、蜘蛛山のときの禰豆子ちゃんの血鬼術……。一度しか見ていないし、あのときは意識が朦朧としていたけれど、多分そうだ。

 

 その炎で、禰豆子ちゃんは炭治郎を燃やしている。

 

「むぅ……。むー! むーぅ!!」

 

「ね、禰豆子ちゃん!? どうして……!? 炭治郎は禰豆子ちゃんのこと、とても大切に思っているわ? どうして……? あ……っ、私にばかり構って、禰豆子ちゃんに構ってあげられなかったのがいけないの? でも、だったら、燃やすなら、私にして……!」

 

 あんなにも、仲のいい兄妹だったのに、わけがわからなかった。

 

「うー……」

 

 火が収まる。禰豆子ちゃんは、力を使い果たしたようで、眠たげな顔になる。

 

「なえ……!!」

 

「え……っ、炭治郎?」

 

 炭治郎が起き上がった。

 無事だった。無傷だった。

 

「帰ろう。鬼殺隊に」

 

 






 小ネタ

 炭治郎にかかった魘夢の血鬼術は、魘夢が原作よりも少しだけ弱いのと、小さな(ハツ)()様がいることにより、結果的に原作より弱まってます。
 (ハツ)()様が乗り物が好きなのは、新しい物好きな無惨様の気まぐれで、乗せてもらったことがあったからで、そのときのことを思い出してます。
 魘夢がなかなか再生しないのは炭治郎に斬られたからと、(ハツ)()様の結界の力の相乗効果です。
 (ハツ)()様は、急に炭治郎が縁壱みたいになって襲ってくることを恐れているので、いつでも無惨様の盾になれるように頑張ってます。分裂して逃げる一瞬でも稼げるように、すごく頑張ってました。


 ちょっとプロット変えました。無限列車編じゃなくて下弦掃討編をやろうとしてましたけどなくなりました。ご容赦ください。


 次回、猗窩座。


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上弦の鬼

 禰豆子のおかげで術が解けた。心を操る血鬼術だ。一刻も早く、ここから……あの上弦の参から逃げなければ……。みんなにこのことを伝えなければ……。




「なえ、鬼殺隊に帰ろう」

 

 炭治郎に手を握られ、そう言われた。

 突然のことでわけがわからなかった。

 

「ええ、わかったわ」

 

 わからなかったけど、頷いておく。妻は夫の言うことによく従うべきだと、最近は(ハツ)()様に言って聞かされていたからだった。

 (ハツ)()様は妻としての心得を、私に語ってくれている。

 

「そうだ。禰豆子……なえにも……!」

 

「うー、うぅ」

 

 禰豆子ちゃんは炭治郎の呼びかけに首を横に振る。障子の貼られた窓から差し込む朝日に、身を守るためか、布団の中へと潜り込んでいた。

 

「そんな……。でも、そうか……そうだったな……」

 

 炭治郎は、何か納得したような表情で頷いていた。

 

「むん」

 

「あぁ、禰豆子の箱は……あそこだったか。今、持ってくるから、ちょっと待っていてくれ」

 

 そう言って、炭治郎は禰豆子ちゃんが、日に当たらないように移動するための箱を取ってくる。

 禰豆子ちゃんを布団の中から箱の中へと移動させ、炭治郎は箱を担いだ。

 

「なえ、行こう」

 

「ま、待って……? 寝巻きのままでしょう? せめて着替えて行きましょうよ?」

 

 この格好のまま、外に出るのは流石に恥ずかしい。中には、寝巻きのまま外に出ても、何も感じないような、だらしない人もいるけど、私はそこまでふてぶてしくはない。

 

「それはダメだ。一刻も早く、ここから出たほうがいい」

 

「え……ぇ?」

 

「玄関まで……いや、窓から出よう。服は……持って行って、人目のつかないところで着替えるしかないか……草履を取りに行くのも危ない……新しいものを買わないと……。とにかく、ここから早く出ないとダメなんだ」

 

「え? ……え?」

 

 とにかく一秒も惜しいと言った様子の炭治郎だった。

 その危機迫るような様子に、私は今ひとつ付いていけずにあたふたとする。

 

「行こう……!!」

 

 手を引かれる。

 そのままに、部屋の外に出ようとしたところだった。

 

「ねぇ、禰豆子ちゃん知らないかしら?」

 

 後ろから声をかけられる。

 沙華さんだった。

 

 部屋の戸を開けたけれども、障子窓から障子越しに差し込んだ弱い朝日に軽く炙られて、手で顔を庇いながら壁に隠れている。

 

「ね、ね……禰豆子は……」

 

「うん、連れてくるなり走って行ってしまったのだけれど、そういうことなのね……ぇ! そんなに、お兄ちゃんが恋しかったのかしら。久しぶりに会わせてあげようと思っていたのだけど」

 

 炭治郎が誤魔化そうとして、変な顔になりそうになっていたが、言い切る前に沙華さんは禰豆子ちゃんの居場所を察していた。

 

「そういえば沙華さん。禰豆子ちゃんを人間に戻す話は……」

 

「あぁ、それなら珠世ちゃんが研究を進めていてくれているわ。でも、他にも珠世ちゃんは、頑張っていることがあるから、少しだけ後回しになってしまっているところもあるわね……ぇ。私も手伝えたら良かったのだけれど、こっちはこっちで忙しくて……」

 

「そんな……」

 

 鬼に寿命は存在しない。話に出てきた珠世さんは、(ハツ)()様によれば、もう四百年以上、生きているらしい。鬼の中では(ハツ)()様の次に長生きだとか。

 

 なんとなく、そんなふうに後回しにされていったら、ずっと、禰豆子ちゃんが人間に戻る方法が、見つけ出されない気がしてくる。

 

「で、でも……きっと炭治郎くんが生きているうちには、なんとかなると思うわ……! いいえ、してみせる!」

 

 私の顔から考えを読んだのか、沙華さんは、そう強く言い切った。

 沙華さんに、そう言われると、根拠はないが、大丈夫そうな気分になって、安心できてしまう。

 

「そうだって、炭治郎」

 

「あ、あぁ……」

 

 振り返って、炭治郎をみるが、なぜか怖い顔をしていた。

 私には今の炭治郎の気持ちがよくわからなかった。

 

「そう、(ハツ)()ちゃんが言っていたけれど、禰豆子ちゃん、血を全然飲まないの。珠世ちゃんは、睡眠をとって回復しているから大丈夫だって、言っていたけれど、私は心配で……」

 

「心配……?」

 

「だってそうでしょう? 鬼は空腹だと、人間がとても美味しく見えるの。あの空腹は理性じゃとても耐えられない。私もそうだけれど、そうならないように、血を飲んで、いつもお腹を満たしている。それなのに、禰豆子ちゃん、美味しい血を飲ませようとしても、すごく拒むって」

 

「当たり前だ……! 禰豆子は人を喰わなくたって生きていける! 好き好んで、人間の血なんか飲むはずがない!!」

 

 すごい剣幕で、炭治郎が沙華さんに反論していた。

 私と沙華さんは驚いて、炭治郎の方を見つめてしまう。

 

「炭治郎……今日、何か変よ?」

 

 炭治郎が、私たちにこうして声をあららげることは今までなかった。まるで、悪い鬼を相手にしているときのようだ。

 寝巻きで、靴も履かずに外に出ようとしたり、今日の炭治郎は絶対におかしかった。

 

「いや、なえ、これは……」

 

 炭治郎は、自分でも驚いたように動揺していた。

 数歩、後ずさっている。

 

「そう! 血で思い出したのだけれど……なえちゃんの血、美味しかったわよ……。すごくね。ハツミちゃんの村の中でも特別に美味しかった」

 

「え……? そんなに?」

 

 意外だった。

 たしかに私のおうちは、(ハツ)()様の村でそれなりの歴史がある。厳選に厳選を重ねられて、今に繋がっているとは聞いた話だ。

 

 けれども、私の姉と私は同じくらいのはずだったし、味の良さであれば、十分に替えが利くはずだ。村で一番の稀血といえば()()さんだし、私たちはそれほどではなかった。

 

「とても良かった。ききめも、一際強くって……なんでもできる気分になって、もう少しで太陽の下にでて、焼かれるところだった……昼間から飲んではダメね……」

 

「え……っ?」

 

 たしかに、鬼を狩る際に、私の血の匂いで、鬼の頭がおかしくなるのは、何度か体験していた。けれど、実際飲むとそこまで強力な効果が働くというのは、私も知らないことだった。

 

「とにかく、すごい血よ……? たぶんそういう意識の解離を及ぼす作用だったら、一番強かった……」

 

「え……あ、ありがとう……。ありがとうございます……えへへ」

 

 そんなふうに血を褒められるのは嬉しいことだった。

 村では、血のいい人間が(ハツ)()さまによって贔屓されていた。だからこそ、誇らしいことだ。

 一番という響きも、なんとなくいい。

 

「な、なえ……!!」

 

「炭治郎……?」

 

 炭治郎が私のことを抱きしめていた。

 そして、キツい目で沙華さんのことを見つめている。

 

「え……炭治郎くん……? えっと、これは……信用されていないのね……。私は食べないわ! ハツミちゃんが吹き込んだのかしら?」

 

 困った顔を沙華さんはする。

 (ハツ)()さまが、早く私たちを村に引き取りたい理由に、沙華さんが、私のことをこっそりと食べてしまわないか、心配だというものがあった。

 私は、特に心配をしていないのだけれど、炭治郎はそうではないのかもしれない。

 

「炭治郎……確かに(ハツ)()さまはああ言っていたけど……そんなふうに警戒するのは失礼じゃ……」

 

「いいえ、いいわ。私はお邪魔みたいだから……ふふ、二人とも、禰豆子ちゃんとは仲良くねっ」

 

 沙華さんは、そう言うと、一瞬で去っていった。

 私は詳しくはわからないけれど、昼間はこの館で書類仕事をしていて忙しいみたいだった。

 

「あ……危なかった……」

 

 沙華さんが居なくなって、炭治郎からは、緊張が解けたように力が抜けていた。

 

「ねぇ、炭治郎……沙華さんにはよくしてもらってるし、今のは流石に失礼だったんじゃない?」

 

 住まわせてもらっている恩もあるし、仕事だってさせてもらっている。(ハツ)()さまは、ああは言っていたけれど、そもそも人の意見に左右されるなんて、私の好きな炭治郎らしくない。

 

「いや、とにかく急がないと……! なえ! 掴まってるんだ!」

 

「え……!?」

 

 私は炭治郎に抱きかかえられる。

 どうしてこんなことをされるのかわからなかった。

 

「いくぞ……!」

 

 動揺しているうちにも、窓を炭治郎は蹴破って、外へと出てしまう。

 

 

 

 ***

 

 

 

「善逸……! そんなところに!!」

 

「炭治郎!?」

 

 なえと一緒に、屋敷を出たけれど、ふと風に流れてきた匂いを感じた。

 覚えのある匂いに振り返ってみると、屋敷の屋根の上に善逸がしゃがみ込んでいた。

 

「善逸……! どうしてここが……!」

 

 なえを抱きかかえたまま、善逸のいる天井の上へと飛び移る。

 太陽の下だから、鬼はもう追っては来れない。

 

「炭治郎に、なえちゃんも……! 急にいなくなるから……っ、心配して探したんだぞっ!」

 

「すまない、善逸。迷惑をかけてしまって……俺たちは上弦の参に捕まっていたんだ」

 

「捕まってた……!? じょ、じょ、じょ……上弦の参に……!! そんなに強い鬼から逃げて……よく無事に……」

 

「え……? 沙華さんは良い鬼よ?」

 

「良い鬼……!? 良い鬼って、禰豆子ちゃんみたいな……? でも……上弦じゃ」

 

「……善逸……! ちょっとこっちに……!」

 

 なえを置いて、善逸の手を引っ張って離れる。

 なえには聞かれたくない話だった。

 

「痛っ……何するんだよ炭治郎!」

 

「すまない、善逸。なえは今、上弦の参の血鬼術で心を操られているんだ。禰豆子の燃える血のおかげで、俺は正気に戻れたけど、なえはまだ操られたままだから……」

 

「心を……! じゃあ、俺たちが追っていた鬼って……その上弦の参……!! い、い、い、嫌だ、嫌だ、嫌だ……俺は死にたくない……ぃいい!」

 

 善逸は蹲って、錯乱してしまっている。

 なえは、首を傾げながら、俺たちを見つめていた。

 

「それでだ、善逸。落ち着け。落ち着いて、聞いてくれ。なえは今、精神の状態が不安定だから、すぐに血鬼術を解くわけにはいかない。どこかで落ち着かないとなんだ」

 

 俺にかかった血鬼術が解けてから、なえに同じことをと禰豆子に頼んで、断られてしまった理由はおそらくそれだった。

 一刻を争う状況の中では、あの、自ら死を選んだ精神状態に戻ってしまうのは、まずい。

 

「じゃ、じゃあ炭治郎たちは、どこかで一旦休まないとなんだな……。でも、煉獄さん……あぁ、炎の柱の人は行っちゃったよ?」

 

「行っちゃった……!?」

 

 善逸は、表の玄関を指差す。

 

「うん、正面から……伊之助と一緒に……」

 

「え……っ!? 正面から……?」

 

「正面から」

 

「まずい!! 善逸! 手短に言うが、上弦の参は元々鬼殺隊の柱だった人なんだ。柱が鬼になった! 身体能力も強化されてる! 血鬼術も使える! だから柱でも、一人じゃ、勝てない。多分、勝てない! 伊之助がいても難しい! 増援に行かなきゃ!」

 

 持ってきた刀を握る。

 隊服を着てはいなかったが、一秒でも惜しい状況だった。

 

 今にも、伊之助や、炎柱の煉獄さんは、さっきまでの俺たちのように、心を操られているかもしれない。

 それだけは何としても防がなければいけない。

 

「増援って……でも俺は、この館に鬼が潜伏しているかもしれないって言われて、鬼の居場所を見つけるため、こうして裏手から回って、こっそりと侵入するところだったんだ」

 

「そうなのか?」

 

「炭治郎、それに今は昼間だろう? 鬼は昼間に戦うことは避けるだろうし、さすがに門前払いなんじゃないか? 煉獄さんもそう言っていたし……。この屋敷の人たちは、鬼に操られているみたいだったし」

 

 善逸の言うことは尤もだった。

 玄関にいる人間に煉獄さんが追い払われ、戻ってくる可能性の方が高い。なら、その時に情報を伝えればいい。

 そこから、十分に人数を揃えて、なえにかかった血鬼術を解いた後、上弦の参と戦う。

 

 それが一番のはずだ。

 

「でも、善逸、一応、見に行った方が……」

 

「……待ってくれ、炭治郎。真菰さんが違う任務でいなくなるから、もうすぐ代わりに柱が一人くるって、だから、それまで待った方が……確か名前は……――っ!?」

 

「あ――っ!?」

 

 轟音が響いた。

 屋敷の玄関が崩れていた。血の匂いが流れてくる。

 

 

 

 ***

 

 

 

「その練り上げられた闘気! 柱だな!」

 

「この屋敷に十二鬼月のいる可能性が高いと思って、来てみれば……正面で上弦の鬼が警備をしているとは、よもやよもやだ……」

 

 支給された制服の上着に帽子を脱ぎ捨て、人間への擬態を解く。

 この沙華の管理する館で、人に紛れ、日銭を稼ぎ、その銭でもって、あのいけ好かない上弦の弐から血を買い過ごしていた。

 

「こいつが上弦の鬼だって……! どうして人間に紛れて働いてやがるんだ!」

 

「猪頭少年。待機命令だ。ここは俺一人で戦う」

 

 あれは猪の被り物か。

 鬼殺隊の隊士であるようだが、柱よりもずいぶんと弱い。これから始まる戦いには、足手纏いにしかならないだろう。

 

「俺は猗窩座だ。お前、名は何という?」

 

「煉獄杏寿郎だ!」

 

「そうか、杏寿郎……すばらしい提案がある。とてもすばらしい提案だ。お前も鬼にならないか?」

 

「ならない」

 

 即答をされる。

 今まで、鬼殺隊の柱で、この提案に頷いた者はいなかった。

 

「人間は弱く儚い。強くなければ、ただ奪われるだけ。強くなければ、なにも守ることができない。鬼になれ、杏寿郎」

 

「俺はどんな理由であろうとも、鬼にはならない」

 

「そうか、ではここから居なくなれ。俺は人を殺すのはやめた。どうしても去らぬというのなら、俺は警備の仕事を果たし、お前の相手をする……が、できれば殺したくはない」

 

 俺の拳は本来であれば、人を守るための拳だった。

 それを思い出したのは、沙華とのあの『血戦』の際にだった。

 

 今更思い出して、何になるとも思いはしたが、沙華により、道が示される。

 人を守るためにこの力が使えると。

 

「人を殺すのをやめた? お前は多くの罪なき人の命を奪い、上弦になったのだろう? 鬼の言うことなど信用ならない。失われた命は戻らない。犠牲となる人間を一人でも減らすためにも、退くことなどできない。俺がお前の頚を斬る」

 

 刀を抜き、杏寿郎は構える。

 すさまじい闘気だ。至高の領域に近い。

 

「やむを得ぬ。相手をしようか。杏寿郎……お前ほどの強者と相見えたこと、俺は幸運に思うぞ!」

 

 ――血鬼術『術式展開 破壊殺・羅針』!!

 

 血鬼術を用い、杏寿郎からくる攻撃に備える。

 できれば、殺したくはないが、相手は柱だ。そうもいかないだろう。

 

「はぁああ……!」

 

 ――『炎の呼吸・壱ノ型 不知火』!

 

「速いな。さすがは柱だ」

 

 頚を狙った斬撃を腕で弾き飛ばす。

 刀と拳の撃ち合いとなり、血が飛び散るが問題はない。この程度の傷、すぐに治る。

 頚を切られない限りは全て擦り傷だ。

 

「……くっ……」

 

 殴る拳を杏寿郎は刀で防いだ。

 さすがの反応速度だが、繰り返していけば疲労が溜まり、集中が途切れる。体が言うことを利かなくなっていく。

 やはり人間は脆い。鬼には勝てない。

 

「炎の柱は今まで殺したことがなかった。退け、杏寿郎。退くのなら命までは取りはしない」

 

 大きく飛び退く。

 

 ――『破壊殺・空式』。

 

 宙空を殴り、衝撃を届かせる。

 血鬼術ではあるものの、強化した鬼の筋力で、ただ(くう)を殴っているのみ。それだけで、攻撃が、遠く離れた杏寿郎へと届いている。

 鬼となれば、それだけで戦いの幅が広がるということだ。

 

「うぐっ……!」

 

 やはりこれも、杏寿郎は刀で受ける。

 衝撃が届くまでの速度は一瞬にも満たないというのに。良い反応だ。

 

「ヒャハ……!!」

 

 そのまま空式を乱打する。

 近づかなければ、頚を斬ることもできないだろう。このままじわじわと体力を奪い、無力化する。戦意を挫いたら、表に放り投げればいい。

 

 その後に、死のうが死ぬまいが、そこまで構う必要はない。今まで女の隊士にやってきたことと同じだ。

 このままならば、そうなるだろう。

 

 ――『炎の呼吸・肆ノ型 盛炎のうねり』。

 

 大きく刀を振り、杏寿郎は『空式』の衝撃をまとめて弾いてみせる。

 

「答えろ! ここには心を操れる鬼がいるはずだ。鬼殺隊の隊員が、もう十数名も行方不明となっている。その異能の鬼はお前なのか?」

 

 次の瞬間には、肉薄している。

 今まで戦ってきた柱よりも、その判断力は研ぎ澄まされているか。

 

 ――『炎の呼吸・参ノ型 気炎万象』。

 

 続く斬撃を拳で抑える。

 

「杏寿郎! 俺が人の心を操る……そんな術を使うように見えるか?」

 

「うむ、見えん。であれば、鬼は群れないはずだが、ここにはお前以外の鬼がいるのか……? 鬼舞辻の計略か?」

 

「そんなことは、今はいいだろう。俺に集中しろ。でなければ死んでしまう。死んでしまうぞ杏寿郎」

 

 鬼が基本的な習性から逸脱した行動をとっている時、あのお方の意思が絡むことが多い。

 杏寿郎は、それを指摘していた。

 

 鬼殺隊として、あの方の動向は気をつかうべきことであるというのはわかる。

 しかし、今、この戦いにおいては、それは雑念でしか――( )

 

 ――猗窩座くん、聞こえてる?

 

「うぉおぉおお!」

 

「ぐ……っ!」

 

 一瞬だが、集中が乱れる。

 杏寿郎の素晴らしい一撃に左手の肘から先が切断されてしまっていた。

 

 すぐさま腕を再生させ、続く斬撃を殴り、逸らす。

 

 ――猗窩座くん? 聞こえてるよね? 無視してるの?

 

 ――『炎の呼吸・弐ノ型 昇り炎天』。

 

 完璧な体勢から打ち出される杏寿郎の型に、感嘆の声が漏れる。

 右腕が刀によって、縦に引き裂かれた。

 

 すさまじい威力の一撃だ。

 鬼の硬い骨でさえ、こうも簡単に切り裂かれるとは……今までに戦ってきた柱の中でも、杏寿郎は一二を争う強さだろう。

 

「…………」

 

「その強さ、技の冴え……死んでしまうには惜しい。やはり、鬼になれ杏寿郎……鬼になれば、永遠にその技を高めていくことさえできる」

 

「はぁあぁああ!」

 

 返答は剣だった。

 やはり、どうしても杏寿郎は頷かない。俺と同じく武を道を究ているというのに、理解のできない考え方――( )

 

 ――猗窩座殿。カナエちゃんから猗窩座殿が無視をして困っていると今、連絡があった。無惨様から猗窩座殿との脳内の対話は必要がない限りは控えるようにと確か昔お達しがあったが、カナエちゃんの窮状に、ここは俺が一肩脱いでやろうと思い、今、猗窩座殿に脳内の対話を試みているゆえ、許されることだろう。俺は優しいから、困っているカナエちゃんを放っておけないのだ。

 

 杏寿郎の刀を袈裟懸けに受ける。とっさに掴み反らせなければ、頚に刃が届いていた。

 やはり迷いがあっては、容易にその刀を無傷で防ぎ切ることはかなわないか。

 

「しかし、悲しいな。杏寿郎。その素晴らしい斬撃も、もうすでに癒えてしまった。鬼であれば、いくら骨が断たれようと、内臓が切り裂かれようとも全て擦り傷。瞬きの内に治る」

 

「…………」

 

「人は簡単に死ぬ。老いる……。杏寿郎。弱い人間のままでは、守りたいものも守れない。弱者のままでは、守られる者のままだ。鬼となり、強くなれ杏寿郎」

 

「それは違う……! 強さとは肉体だけを指す言葉ではない!! 人は老いるからこそ……死ぬからこそ……その心に灯る強さがある! 人間は決して弱くない!!」

 

 竈門炭治郎も、人は弱くないと、同じことを言っていたか。鬼にならぬ者は、みな、口を揃えてそう言う。

 

 ――『炎の呼吸・伍ノ型 炎虎』!

 

 その言葉を証明するように、杏寿郎の攻撃は苛烈さを増――( )

 

 ――全く猗窩座殿。猗窩座殿は女性の扱いがなっていないのだ。おおかた柱とでも戦闘をしているのであろうが、男たるもの合間を作り返答をするのが礼儀だろう。このまま無視を続けてしまえば、後々拗れて面倒なことになるのは目に見えているというのに……いや、俺よりも弱い猗窩座殿には返答をする合間を作る技量がなかったか。いやはや、すまないことを言ってしまった。できないのならば仕方ないだろう。俺は優しいから、猗窩座殿の代わりにそうカナエちゃんに伝えておくぜ。

 

「くぅ……っ!!」

 

 いい加減鬱陶しい。これでは杏寿郎に集中できない。

 

 ――『破壊殺・乱式』!!

 

 広範囲に渡る拳撃で、杏寿郎の斬撃を受ける。

 余波により、空間が震え、伝わった衝撃により建物が崩れ始める。

 

 後退し、瓦礫から逃れる。

 降る瓦礫の下にいた杏寿郎は、刀を振るい、瓦礫を切り裂くことにより、その身を守った。

 

 わずかばかり余裕が生まれる。

 

 ――猗窩座くん! 戦闘中だって……! 今、すごい音がしたけど大丈夫?

 

 沙華! わざわざ話しかけずとも、視界を共有すれば良い。

 

 ――えっ? だって、もし猗窩座くんが人に見られたくないようなことをしていたら気まずいし。常識的に、まず、事前に断りを入れないとでしょ?

 

 気遣いなど不要だ! ともかく今、杏寿郎と戦っている。炎柱だ。

 

 ――煉獄くん? 槇寿郎さんの後を継いで炎柱になったのね……!

 

 殺すには惜しい……。

 沙華、来れるか? お前ならば説得も容易いはずだ。

 

 ――ごめんなさい。今、ちょっと、いい気分で……もしかしたら、他にも柱の増援が来るかもしれないけど……来たとしても、まだこっちには来させないで。

 

 …………。

 

「なっ……」

 

 ジリと目玉が焼ける。この痛みは太陽の光――( )太陽の光!?

 なにが起きている……っ!?

 

 屋敷は崩れ、玄関のあった場所には陽光が差し込んでいるが、天井が落ちたのは、屋敷全体から見れば一部だけだ。廊下のここは、影の中のはずだ。

 まさか、ここにも――

 

「はぁあああ!!」

 

 ――『炎の呼吸・壱ノ型 不知火』!!

 

 理解不能な現象に、一瞬だが、体がこわばった。

 頚へと、杏寿郎の刃がかかる。既にかかっている。

 

 目玉を焼いた日の光はもうない。

 そうか、刀か。日のもとにいた杏寿郎は、刀に陽光を反射させ、俺の右目を焦がしたのだ。

 

「ぐ……ぬ……っ!」

 

 刃が食い込み、中程まで頚を斬り裂かれる。

 手で掴み、刃を止めるが、杏寿郎の勢いは、それでは止まらない。

 

「はぁああぁああぁああ!!」

 

「うぉおオオおォおおオ!!」

 

 ならば殺して止める以外に方法はない。

 左の手で刃を抑えながら、右の拳で杏寿郎の顔へと殴りかかる。

 

「く……っ!」

 

 それを杏寿郎は左の手で掴み止める。

 だが、これで杏寿郎が刀に力を込める手は片手になる。

 

「杏寿郎!! やはり人間は弱い。純粋な腕力の勝負ならば、鬼が負けることはない!!」

 

 なんとか、杏寿郎の刀を頚から逸らすことに成功する。

 とっさに離れる杏寿郎に、追撃を放つ。

 

 ――『破壊殺・脚式 流閃群光』!!

 

「ぐぅ……!!」

 

 刀で防がれるが、蹴りの勢いのままに杏寿郎は吹き飛び、距離が開く。このまま『空式』を叩き込み、沙華の体調が戻るまでの時間を稼ぐ。

 沙華さえ来ればどうとでもなる。

 

 この時間から酔い潰れているのは、あの女の悪癖だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鎹鴉からの伝達があった。

 煉獄が上弦の伍と戦闘をしている。もとより、煉獄との共同任務に入れ替わりで向かうはずであったが、より、急がなければならない。

 

 時に建物の屋根の上を通りながらも、直線で向かってきたが、たどり着いたのは建物の裏手だ。

 正面側では煉獄が戦っているのだろう。衝撃がここまで響いてくる。

 

 迂回して、表に回るか、あるいは、屋根の上を通って……いや、煉獄のことを考えるならば、屋敷に侵入し、中の人間を避難させた後に向かう方がいいか。

 煉獄ほどの男が、すぐに鬼に殺されるということはないだろう。今は日が出ているゆえ、退避も難しくはない。

 

 鬼殺隊は、鬼を狩るだけでなく、人命の救出も優先するべき使命だった。

 中の人間は鬼の術中にあり、心を操られているという話であったから、気を失わせて無理やりに運ぶことになる。

 

 人間の気配が付近にないことを確認し、壁に穴を開ける。

 さらに深くまで、人の気配がないか探るが、誰一人としているようには感じられない。まるでもぬけの殻だ。

 既に避難は済ませているのかもしれぬ。

 

 であれば、煉獄の援護へと、急ぎ、向かうだけだった。

 

「……っ!?」

 

 気配がする。

 人ではない。されども、懐かしい気配に足音だった。

 

「え……!?」

 

「カナエ……変わり果てたな……」

 

 鎹鴉により、上弦の鬼が二体以上いる可能性については聞いていた。

 胡蝶カナエは、鬼となった際、その心を狂わす血鬼術で、しのぶを苦しめたことも知っている。悲惨としか言い表せないような、しのぶの叫びも幾度となく聞いてきた。

 

 あぁ、心を惑わす血鬼術の鬼と聞いた際には、まずカナエのことが頭に浮かんだ。

 こうなることは覚悟をしてきた。

 

「悲鳴嶼さん……?」

 

「あぁ……南無阿弥陀仏」

 

 仏へと祈る。

 胡蝶姉妹の残酷な運命を思い、涙が溢れ出る。

 

「猗窩座くん……いえ……方向が違うわ。悲鳴嶼さん! お久しぶりです」

 

 声を弾ませながら、鬼はこちらへと話しかけてくる。

 しのぶが術にかけられた状況からは、血鬼術の発動の条件は類推できなかった。

 

 その声にも注意を払う。

 相手は上弦。警戒をしてしすぎるということはない。

 

「…………」

 

「どうですか? ゆっくりお茶でもしながら、お話をしませんか?」

 

 まるで敵意を感じさせない立ち振る舞いは、鬼となる前と同じだった。

 その記憶と変わらない仕草により、頷きかけるが、相手は鬼だ。席を共にし、茶などできるはずがない。

 

「カナエよ、なぜ鬼となった……?」

 

 かねてより疑問であった。

 カナエほどの立派な柱が、なぜ鬼に堕ちたのか……。

 

 人を殺すしかない鬼の道を憐れみ、自らの両親を殺した鬼さえも憐れむ。鬼から解き放つために鬼たちの首を刎ねてきた。

 胡蝶カナエはそんな人間だった。

 

「えっと……あのときは……。ちょっとした掛け違いで……四肢を全てもがれてあのお方の血をそそがれたわね……」

 

「……っ!?」

 

 きっと、カナエは鬼となることを拒んだに違いない。惨い仕打ちだ。

 そうして、鬼にされてしまったのならば、納得がいくというものだった。

 

「でも、鬼と人が仲良く暮らす方法がわかったからこそ、意味のあることだったわ。鬼になってみないとわからないことがあったもの。お腹が減ったらいけないわ。人間に血を分けてくれる子をたくさん増やすの!」

 

「人間は家畜ではない!」

 

 鬼となり、胡蝶カナエの考え方が、捻り曲がっていると感じられた。

 人を食わぬ鬼――竈門禰豆子がいるならばと、頭によぎったが、あれは奇跡でしかない。

 

 十二鬼月とまでなった胡蝶カナエは、やはり討つ他ないのであろう。

 

「悲鳴嶼さん、どうかわかってください……!」

 

「……お前たちには育手を紹介するべきではなかった……」

 

 しのぶと、カナエに育手を紹介したのは私だ。こんな悲劇を齎した責任は、全て私にあると言ってもいい。

 私が、この鬼の頚を落とす。それが責務か。

 

「悲鳴嶼さん! ふざけないでください! それは……それだけは言ってほしくなかった……!!」

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

 

 上弦との一対一での遭遇は、普通ならば最悪の類いに入る出来事であるが、今は昼だ。状況が良い。

 胡蝶カナエを鬼から解放する絶好の機会でもある。

 

 正しい呼吸に、筋力の増強を合わせ、瞬発的な力を発揮させる。

 

 ――『岩の呼吸・参ノ型 岩軀の膚』!

 

 鎖で繋がれた、棘のついた鉄球と斧を振り回しながら、鬼へと迫る。

 

「悲鳴嶼さん……!? くぅ……っ」

 

 連続攻撃を鬼は剣のみで捌いている。

 攻撃を受ける際に、ふらつきがあった。一撃ごとに、わずかずつながら、鬼は体勢を崩している。

 

 このままならば、勝てる。

 なんの苦戦もなく、上弦の鬼に勝ててしまう。いや、花柱だった頃に比べれば、明らかに動きに冴えがない。

 理由はわからないが、この鬼は本調子ではないようにさえ思えてしまう。

 

「あぁ……」

 

 連続した攻撃から、鎖を引き、次の型へと繋いでいく。

 

 ――『岩の呼吸・壱ノ型 蛇紋岩・双極』。

 

 上弦の鬼が、こんなもののはずがない。

 だが、本調子でないならば、そのままに仕留めてしまえればいい。煉獄も戦っている。早く援護に行かなければ。

 

「く……っ」

 

 斧と鉄球との同時攻撃に、鉄球を刀で弾きつつ、斧を屈みかわしていた。

 持ち替え、次の手を打つ。

 

「…………」

 

「……あっ」

 

 鎖を鬼の頚へと巻き付ける。

 このまま捻じ切る。

 

 この武器は、鎖でさえ純度の高い猩々緋砂鉄。このように鎖に絡まれ頚を千切り落とされれば、宿った太陽の力により、鬼は生きてはいられない。

 決着が付く。

 

「な……っ」

 

 しかし、相手は上弦であった。

 自らの体格を目にも止まらぬ速度で小さくすることにより、隙間を作り、抜けた。

 次の瞬間には、元の体に戻っているゆえ、並のものには何事が起こったのか、理解できないであろう。

 

「ふぅ……危なかった」

 

 普通の鬼ならば、おそらくは出来ない。

 その上弦の自らの肉体を操作する技量に、舌を巻く他ない。

 

「……くっ」

 

「悲鳴嶼さん……わかってください! 私、悲鳴嶼さんにはとても恩を感じていて……だから……!」

 

 胡蝶姉妹を鬼から救ったのは私であった。

 両親は既に食い殺された後で、救えたのは幼い二人だけであった。

 

 ――『花の呼吸・弐ノ型 御影梅』!

 

 斧、鉄球、鎖と、襲いくる攻撃を鬼は次々と弾く。

 動きの鋭さが、一段上がったように感じられる。明らかにまずいとわかる。

 

「…………」

 

 煉獄の援護に行けるなどという、甘い考えは捨てる他ない。

 ここは煉獄を信じ、目の前の鬼に集中する。

 

 先の攻撃で、仕留めきれなかったのは大きな痛手になるかもしれない。次に同じ機会が巡ってくるとは、まず思わない方がいいだろう。

 

「あぁ、やっと酔いが覚めてきたわ……」

 

 気がつけば眼前にいる。

 尋常ならざる身のこなしだ。鎖を手繰り寄せ、繋がる斧を手元に、迫る刀を防ぎ競り合う。腕を切り落とすための鬼の太刀筋であった。

 

「酩酊する稀血とは、不死川のものか……?」

 

「……? 不死川くんのは、もっとすごいけど……だから、みんなほしくて、あまり勝手に持ってきたら良くないの」

 

「不死川は……生きているのか……!?」

 

「うん。生きているわ。子どもが二人……いえ、三人目が出来たって話を最近聞いたし、とても幸せに過ごしているわ……!」

 

「鬼とは……ここまで……」

 

 不死川が自ら鬼に従うはずがない。

 胡蝶カナエは、四肢を切断され、無理やりに鬼とされたという。そんな残酷な仕打ちをした鬼に囚われたのだ。ならば不死川も……。

 

 しかし、生きてさえいれば……。生きてさえいれば、まだ……希望は……。

 

「えっと……誤解があると思うわ……。武器を捨てて話し合いましょうよ?」

 

 上弦の鬼の、並外れた膂力で振られる剣との衝撃に、大きく斧が上へと弾かれる。その鬼の言葉を聞いた瞬間に、右手に籠る力がわずかに緩んでいた。

 斧が手元から、弾き飛ばされている。

 

「それが、血鬼術か……」

 

 左手で鉄球を手繰り、鬼の攻撃を凌ぎながらも、その術の悪辣さを理解する。

 

 会話など、するつもりはなかった。細心の注意を向けているはずだった。

 そのはずであるが、話をしようと言われて話をしてしまった。武器を捨ててと言われて、手に籠る力が緩んだ。

 

 既に術中に嵌っている。

 このままでは、時間が経つほどに、鬼の言うことにしか、体が利かなくなる。決着は急ぐ他ない。

 

「血鬼術……? 私、血鬼術を使えないわ?」

 

 その声色に、嘘の気配は感じられない。

 けれども、これは術で間違いがない。鬼となり、繕うすべを覚え、小狡くなってしまったのであろう。

 

「あぁ……」

 

 この鬼は必ず、滅する。

 

 鎖を引き、弾かれた斧を再び自らのもとへ。弾かれた先では、館の壁に刺さっていた。引き抜いたことで、壁に穴ができ、陽光がわずかながらに差し込む。そのような空気の流れを肌が感じた。

 太陽が差し込むのは後ろからか。

 

 ついで、鬼の背後へと逸らされた鉄球を引き戻す。

 

 ――『花の呼吸・伍ノ型 徒の芍薬』。

 

 ――『岩の呼吸・肆ノ型 流紋岩・遠征』。

 

 両手で掴んだ鎖で鬼の斬撃の数々を凌ぎながらも、右手を振り、自身の背後から、引き戻した斧を、鬼の頚へと向かわせている。

 鬼は、それを蹴り上げ逸らした。

 同時に鬼の背後から来る鉄球もある。鬼は振り向かず、剣の柄を鉄球へと当て、軌道をずらす。その動作に澱みがない。

 

 最初とは別人のような動きだ。隙がまるで見当たらない。

 柱であった頃と比べ、鬼として身体能力が上がっただけでない。この動きならば、剣士としての力量さえ上がっている。

 

 鬼にさえならなければ、鬼殺隊の柱として、しのぶと共に頼もしい存在となったであろう。

 そう思えるだけに、虚しさが込み上げる。

 

 ただ戦うだけでは、間違いなく、この鬼には勝てない。

 今よりも、大きく空間を使い、鉄球に、斧を振るうことを意識する。

 壁や、柱にぶつかるが、構いはしない。

 

「……? 攻撃が大雑把になっているけれど……疲れたのなら休憩しましょう? お話を聞いて欲しいんです」

 

「南無阿弥陀仏……話すことなど、ありはしない」

 

 念仏を唱え、心を強く保つ。

 鬼の言葉に釣られそうな自身の体を叱咤し、戦闘にのみ集中する。

 斧と鉄球を、休まず振るう。

 

「あ……すみません、悲鳴嶼さん。私、あっちに援護に行かないとなので、とりあえず……」

 

 再び、接近を許す。

 大味となったこちらの攻撃を、身のこなしだけで躱しながら、鬼は刃を振るっていた。急所を狙う攻撃に鎖を構えるが、次の瞬間に鬼は剣を手放している。

 

「……!?」

 

 鬼の両手が、私の頭の両脇に伸ばされている。

 このままでは、頭が砕かれるか。斧を操り、鬼の腕の一本を切断する。

 

「……聴力を、片方」

 

 残った腕の一本の、人差し指の爪が伸び、私の耳に突き刺さる。

 鼓膜まで、突き刺さったが、飛び退き、それ以上は届かせない。右耳から、生暖かい血の感触が流れていく。

 

「……くっ」

 

「悲鳴嶼さん。もうやめましょう。耳が片方聞こえなくなれば、距離感がわからなくなる。いくら悲鳴嶼さんでも、これ以上は、戦えない。だから、もうやめましょう」

 

 私は目が見えない。

 だからこそ、鎖から鳴る音の反響を聞き分け、空間を把握していた。片耳では、それがどれほどの距離から来た音なのか、把握することができない。

 

 いや、音は振動でもある。そうどこかで聞いたことがあった。話していたのはしのぶだったか。

 身体の感覚を研ぎ澄まし、空気の揺れを肌で感じる。距離感を把握を試みる。今、やらなければ。できなければ死ぬ。それだけの話だ。

 

 ――『花の呼吸・陸ノ型 渦桃』!

 

 鬼は、全身の力を込めた一撃を、こちらの武器へとぶつけて来た。

 聴力の不調に、対応が遅れてしまう。のけぞってしまう。衝撃に手が痺れ、両手から、鎖が抜ける。

 

 落ち着け。まず、落ち着け。

 

「ふっ……」

 

 体勢を立て直す。息を整えると共に、鎖を踏みつけ、鉄球を落とす。

 

 ――『岩の呼吸・弐ノ型 天面砕き』。

 

 飛び退き、鬼がかわしたとわかる。そのまま、鎖を蹴り上げ、もう一度、手に持つ。

 

「片方聞こえないはずなのに、ここまでの動き……」

 

「はぁああぁあ!!」

 

 ――『岩の呼吸・伍ノ型 瓦輪刑部』。

 

 飛び上がり、後退をしながら、斧を投擲し、鬼の頚を狙う。

 さらには、また、鉄球を大きく振り回す。

 

「でも、やっぱり、さっきよりも精彩さに……。――えっ!?」

 

 大きく屋敷の壁が崩れる。

 こちらの背後から、太陽が顔を出す。

 鬼は、とっさにか、逃げ場を探し後ろへと振り向くが、その先には私の斧が回っている。

 

 ここで倒さなければ。カナエに、これ以上罪を重ねさせてはならない。

 

「うぉおおお」

 

 鎖を操る。

 鬼に斧は弾かれてしまったが、その行く道を鎖が塞ぐ。

 

「ま、まずいわ……!? 攻撃が大振り過ぎると思っていたけど、このためだった……。一気に壁を崩すために……っ、逃げ場が……」

 

 後ろへと逃げようとした鬼は、無理だと悟り、身を翻し、こちらを鋭く見つめている。

 逃げ道など、もはやありはしない。このまま日の光に焦がれ、死ぬのみ。

 

 ――『花の呼吸・漆ノ型 雲衝き菖蒲・穿ち』。

 

「な……っ!?」

 

 突き技だった。

 今までの中で最速の一撃。反応ができなかった。腹にその刀が突き刺さる。

 急所は突かれていない。貫かれているが、これならば、まだ戦える範囲の傷。

 

「ごめんなさい。悲鳴嶼さん。これしか思い浮かばなくて……」

 

 太陽は私の背にある。

 鬼は、それなりに上背があるとはいえ、女。私の体格は、他の者とも比べても、一際大きいものだった。

 

 結果として、私の体を日差しの盾にし、あさましくも鬼は生き残った。

 

「はぁああぁあ!!」

 

 だが、同時に好機でもある。

 私の影の範囲でのみしか鬼は動けない。斧を手元に、鬼の頚へと振り下ろす。

 

「うぅ……っ!?」

 

 硬い。一筋縄では頸は斬れない。

 

 鬼は頚に斧を受けながらも、私に突き刺した剣の柄を両手で握り、私を日の光からの盾にしたまま、私ごと影の中へと動こうとしている。

 鉄球を、床に、その下の地面に沈ませ、(いかり)のようにし、鎖を腕に巻き付け握り、この場に自身の体を固定する。死のうとも、ここを離れるつもりはない。

 

「――ッ――ァア――!!」

 

 もはや叫びは声にならない。

 この鬼を殺すために、そのために力を斧へと、今の一瞬に込める。

 

「あぁ……っ」

 

 ――血鬼術『宿血・桜乱』。

 

 ふわりと、花の香りがする。

 力が、抜ける。鬼の刀に刺された場所から、何かが広がっていく。まずい。『呼吸』を使い、抑える。

 

 完全にまわりきる前に、この鬼の頚を斬る。

 斧に力を――

 

 

「――がはっ!?」

 

 一瞬だが、気を失っていた。

 倒れている。手には斧を握ったまま。

 

 音だ。鎖の音を鳴らし、周囲の把握を試みる。鬼が、前に倒れている。近い。頚は繋がっている……頚……。

 

 鬼の頚に、斧を振るう。

 刃がかち合う音。刀により防がれている。

 

「はぁ……っ、悲鳴嶼さん。はぁ……っ、危なかった……。あのままだったら……悲鳴嶼さんに、痣が……」

 

 意識を失った理由は、この刀か……。毒……それにしては、苦しみがない。

 ……なんにせよ『呼吸』を意識する。その何かの巡りを遅らせる。

 

「……くっ……」

 

 千載一遇の好機を二度逃した。

 消耗が激しい。鬼は、顔に疲れを見せてはいるものの、持ち直すまで数秒もいらない。人間は、体力の回復にも時間がかかる。傷もすぐには塞がらない。

 

 であろうとも、まだ、諦めない。ここで諦めてはならない。

 鬼殺隊のため、人々のため、そして、胡蝶カナエのためにも、気力を振り絞る。これ以上、この鬼により、悲しむ人間を決して増やしなどはしない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

「いくら攻撃しようと無駄だ、杏寿郎。太陽のもとに、離脱を繰り返し、休息を挟んでいるようだが、そんなふうにちまちまと攻撃をするようでは、鬼には勝てない。鬼の傷はすぐに治る。諦めろ杏寿郎」

 

「俺は諦めない!」

 

 いつまで繰り返せば気が済む。

 無駄だというのが、なぜわからない。

 

 もう一人、援護にやって来ていた柱と沙華が戦っていると煩わしい声で伝達があった。

 

「全て無駄だ。鬼は人には勝てはしない。応援にやって来た柱は、沙華が相手をしている。あの女は俺よりも強い。すぐに倒し、こちらへとやってくるだろう。時間を稼ごうとも意味はない。全て終わりだ」

 

 あの女は強い。剣士としての技量に、厄介な血鬼術。酔いが醒め次第、柱を倒し、すぐにこちらへの援護にくる。

 

 杏寿郎には、致命傷こそない。だが、肋の何本かは折れ、受けた拳に、ひどくあちこちが内出血をしている。

 明らかに満身創痍。

 

「俺は俺の責務を全うする」

 

 杏寿郎の刀を握る腕に力がこもったことがわかる。

 左の腕は、蹴りを防いだことにより、骨にヒビが……いや、折れている可能性すらあった。しかし、その動作に澱みがない。

 

「その身体で、追い詰められてなお、そこまでの闘気……。精神力。やはり、鬼となれ杏寿郎」

 

「はぁああああ!!」

 

 ――『炎の呼吸・奥義・玖ノ型 煉獄』!

 

 壁や柱を破壊しながら杏寿郎は迫る。

 

 おそらくは、渾身の一撃だろう。このままだらだらと戦っていても、援軍はない。勝てはしない。

 だからこそ、残りの力の全てを、この一撃にかけて来た。

 

「ハハッ……!」

 

 ――『破壊殺・滅式』!!

 

 ならば、相応の技で相手をするのが礼儀であろう。

 迫り来る煉獄の最高の一撃を両手で受ける。

 

「うぉおおお!!」

 

 勢いを防がれてか、煉獄は刀を振り直す。同時に殴りかかり、拳と刀がぶつかる。簡単に骨ごと拳は刀に裂かれる。

 

 次の狙いは頚だ。

 鬼は頚を斬られなければ死なない。その攻撃は読めていた。

 

 無事な腕で刀を掴み、頚を斬る一撃から、逸らす。

 しかし右肩からの袈裟がけ、胸に刀が届いて、さらに杏寿郎は、切り返す。への逆字に、胸から上を削ぎ落とす狙いか。頚が胴体から離れれば、鬼は死ぬ。

 いい判断だ。

 

 だが、杏寿郎がその斬撃を振り抜く前に、右の肩口から胸までの傷が癒えてしまう。

 頚が胴から離れる前に、癒着すれば、鬼は死なない。

 

「あぁ……」

 

 杏寿郎の隙だらけな胴体に、拳を叩き込む。

 もはや手加減などしてはいられない。杏寿郎に対し、敬意に欠く行為だろう。これほどの洗練された技を見せられたの――( )

 

 腕が切断されている。

 威力が落とされた。これは煉獄の攻撃ではない。

 斧……? 飛んできたのか……?

 

 それは背後からの声だった。

 

「煉獄!」

 

「悲鳴嶼さん!」

 

 悲鳴嶼……? それは沙華の戦っていた柱だろう。

 なぜ、ここにいる。意味がわからない。あの沙華が、やられたのか?

 

 うるさく脳内に話しかけてきた酔いどれ女だ。何も言わずに死ぬなど考えられない。

 

 振り向く。

 

「え、猗窩座くん!?」

 

「沙華! どうなっている!?」

 

 背中合わせの形だった。互いに、柱相手で、ここまで後退してきたということか。

 だが、二対二の構図だ。同士討ちを考えないでいい鬼の方が、多対多では有利のはずだ。

 

 こうなったのは、偶然か。ただでさえ、人間は弱い。それなのに、こちらに運までも味方をしたのか。

 

 煉獄の背後で崩落していく天井が見える。青い空が顔を出す。煉獄は攻撃に建物の壁や柱を何度か巻き込んでいたことを思い出す。

 

 いや、まさか――沙華の方へと振り向く。

 

 同じく、建物が壊され、曇りのない空が見える。

 

 ――そうか!? しまった……っ!?

 

「沙華……!! 柱を守れ!!」

 

「えっ、柱……? 悲鳴嶼さんと、煉獄くん……?」

 

 沙華がとぼけた返答をしているうちにも、杏寿郎が跳んでいた。

 

 狙いはこちらではない。

 わずかばかりに残っている、屋根を支える建物の柱だ。

 天井が落ちる。

 

 ならば落ちる瓦礫を掴み、傘にしながら違う影へと入ればいい。

 それならば、かろうじて生きながらえることができる。

 

「な……っ!?」

 

 あの武器は……なんだ……?

 鎖に繋がれた鉄球が、落ちる瓦礫を吹き飛ばそうとしていた。

 そうなれば、もはや完全に野晒し。太陽から身を隠す術がない。

 

 まずい。まずい。まずい。まずい。

 

 なぜ、追い詰められている?

 上弦の鬼は柱よりも遥かに強い。柱が二人に対し、上弦が二人。普通ならば、負ける可能性などありはしない。

 

 今が昼だからか? いや、そんなことは理由にはならない。制約があろうとも、鬼は人間などより遥かに強い。

 

 人間は弱いと油断していた。万が一にも、殺されるはずがないとたかを括り、慢心してしまっていた。

 

 太陽の光が差す。

 

 

 死ぬ――!?

 

 

 次の瞬間には、視界が完全に黒で埋め尽くされていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 熾烈な戦いが終わり、煉獄さんは息を整えていた。

 

「逃げられた……」

 

「…………」

 

 まるで、手の出せない戦いだった。援護にきたつもりだったのに、遠目に、建物の中で戦う二人を見つめることしかできなかった。

 

 鬼は、逃げた。

 地面からは、肉の塊のようなものが生えて来て、二人を守った。地面の下へと、鬼は逃げて行った。

 

 匂いでわかる。

 あれは、上弦の弐……(ハツ)()さんの力だった。

 そのあとの、上弦の弐の大規模な血鬼術の発動には、二人は鬼の消えた場所から大きく離れてそれをかわしていた。

 

「あと一歩。あと一歩で……上弦の鬼を二体殺せた……。何百年とない好機を……私は……私は……、ものにできなかったのか……!?」

 

 岩柱の悲鳴嶼さんは、悔いるように、感情をあらわにしている。

 

「と、とにかく二人とも……傷の手当てを……」

 

「君は……」

 

 ハッと気がついたように、二人はこちらへと振り向く。

 

「えっと、竈門炭治郎です」

 

 名前を言う。

 そうすると、二人は思い出したように頷く。

 

「竈門……あの鬼を連れた……そういえば、行方不明と聞いていたが……」

 

 善逸や伊之助は、煉獄さんと一緒に任務にあたっていたんだ。本来ならば、そこに俺たちも行くはずだった。だから、煉獄さんは俺たちがいなくなったことを知っていた。

 

「いえ、それは……上弦の参の血鬼術に、今朝まで心を操られていて……。でも、禰豆子の……禰豆子の燃える血のおかげで、血鬼術は解けて……それで、逃げ出したんです」

 

「燃える血……? あの鬼の心を操る血鬼術に対抗するすべが……? それは実にめでたいことだな」

 

「煉獄……まだ、この哀れな子どもが嘘をついている可能性もある。御館様に判断を仰ぐべきだ」

 

「……っ……」

 

 信用をされていない。

 それでも、よかった。あの戦いの中、二人が生き残ってくれて、本当によかった。

 

「竈門少年。行方知れずになったのは、もう一人いたと聞いているが……」

 

「なえなら、屋敷にいたみんなの避難に」

 

 なえは、屋敷の崩壊に気がついて、中から避難して出てきた人を誘導するために、今はいない。

 今の状態では、鬼を庇ってしまいそうだったから、いったん遠ざける必要があった。

 

 時間を置いて、隠の人たちがやってくる。

 怪我人の傷の手当てに、片付け。

 

 一応のためか、俺となえは拘束されて、鬼殺隊へと連れて行かれることになった。

 

 

 ***

 

 

 無限城。

 

 いるのは、私に、猗窩座、カナエちゃん、琵琶の子に、無惨様。

 

「猗窩座……沙華……。お前たちは何をしている?」

 

「申し訳ございません、無惨様。申し開きもございません」

 

 低頭平身で、猗窩座くんに、カナエちゃんは謝っていた。

 

(ハツ)()が助けたから、よかったものの、そうでなければ、確実に殺されていた。上弦が二人いてだ……なぜ、柱二人程度に殺されかける? 理解できない」

 

「ぐふっ……」

 

 無惨様のお怒りに触れたせいで、二人とも、細胞が内側から破壊されている。

 とても痛そうだ。

 

「沙華……お前の使命はなんだ……?」

 

「……鬼と人とが仲良くなれる世界を作ることです。悲鳴嶼さん……全然、私の話を聞いてくれなくて……。悲しくて悲しくて……」

 

 カナエちゃんは、涙を流して、しくしくとすごく悲しんでいた。とても可哀想だった。

 

「ふん、例の呼吸に阻害されたか。鬼狩りというのは、忌々しい。であれば、お前の素晴らしい行いを無理にでも語り聞かせればよかった。動けなくした後でも構わない。お前ならば、奴らの考えを変えることも、それほど難しくはなかったはずだ」

 

「うぅ……」

 

「お前の人死にを避ける考えが、邪魔となったか。万一にでも、柱の男の死を恐れて、攻撃が緩み、手足を奪うことさえできなかったか? まぁ、こちらはいい」

 

「…………」

 

 無惨様は、あからさまに面倒そうな顔をしながら、カナエちゃんから顔を背ける。童磨への対応と、やや似ているような気がする。

 

「猗窩座……鬼が人間に勝って当然だというのに、お前はなにをしていた? 日の光を恐れ、無様にも後退し、危機を作った。柱をその場に押しとどめることもできないと言うのか? あとわずかで、沙華の相手をしていた柱は、手に落ちたというのに……時間を稼ぐことさえできない。上弦も落ちたものだ。お前が上弦の参ではなく、よかった」

 

「……っ!?」

 

「お前には失望した」

 

 猗窩座は怒りに震えている。

 なんに対して怒っているのかはよくわからないけど、無惨様に対してじゃないことはわかる。そうだったら殺されているし。

 

(ハツ)()。沙華はお前に任せている。よく言って聞かせろ」

 

「はい、無惨様」

 

 そう言い残して、無惨様は去られてしまった。

 

「…………」

 

 猗窩座は呆然と虚空を見つめている。

 そんな猗窩座は放っておいて、私は泣いてばかりのカナエちゃんの隣に座る。

 

「カナエちゃん、泣かないで……っ!」

 

「だって悲鳴嶼さん。私としのぶを助けてくれた恩人なのよ? それなのに、戦うことしかできなかった……」

 

 カナエちゃんはもともと鬼狩りの柱だった。だから、そういう、関係の深い人と戦うことになってしまうのは、当然だろう。

 

「カナエちゃんには私がいるわ? 大丈夫よ? よしよし」

 

「ハツミちゃん!」

 

 カナエちゃんは抱きついてくる。

 そういえば、聞かなきゃいけないことがあった。

 

「ねぇ、カナエちゃん。それはいいのだけれど、なえと炭治郎くんはどうなったの? あの屋敷、壊れちゃったんでしょ?」

 

「あ……たぶん、鬼殺隊に連れて行かれるわ!」

 

「これって、逆戻り……?」

 

 せっかく、憎き鬼狩りから、なえを取り返したというのに、また連れて行かれてしまう。

 すさまじい疲労感を心に感じる。なえの両親にも、最近はカナエちゃんのところでなえが、どんな様子か言って聞かせてあげてたわけだし、面目が立たない。

 

(ハツ)()ちゃん。大丈夫。鬼殺隊は、そんなに悪いところではないから」

 

「で、でも、なえは……鬼殺隊で、聞き分けの悪い子になってしまったわ。せっかくもとに戻ったのに……また鬼狩りに……」

 

(ハツ)()ちゃん。大丈夫」

 

 カナエちゃんがこんなにも強く大丈夫と言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。

 次こそは、ちゃんと説得して連れて帰ろうと、心に決めた。

 

 なえのことは、あの耳飾りの子がきっと守ってくれると信じておこう。

 

「それはそれとして、カナエちゃん……酔って十分な力を発揮できなかったでしょ?」

 

「……えっ? そんなことないわ……ぁ?」

 

 私がこれから言うことをカナエちゃんは察したのか、目が泳いで、顔には汗が滲んでいた。

 

「酔い潰れているから、まだこちらには来させるなと言っていた」

 

 こちらを向かずに、猗窩座が独り言のようにそう呟いた声が聞こえる。

 

「え……っ、猗窩座くん……! あれは……!」

 

「こういうのが続くとよくないから、少し我慢を覚えよっか。カナエちゃん」

 

「……うぅ。ひどいわハツミちゃん……。悲しいから、気分を紛らわせるために、少し飲もうと思っていたのに……。鬼よ……っ、鬼……」

 

「カナエちゃんも鬼でしょ……? なにを言っているの?」

 

 カナエちゃんは、悲しすぎて、頭がおかしくなったのかもしれない。

 

 お腹を満たすだけなら、珠世ちゃんの作った味気ない錠剤がある。お腹が減りすぎて、里の子どもたちを襲うってことはないだろう。

 とりあえず、今回の上弦の鬼として、不甲斐ない結果について、お仕置きをしておかないといけなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 カナエちゃんと、猗窩座が柱に負けそうになって、時間はあまり経たない。

 忙しそうにいろんなところへと行っていたカナエちゃんは、今は無気力にぐでっとしている。

 稀血がないと何もやる気が出ないらしい。

 

 珠世ちゃんは、耳飾りの子の妹の禰豆子ちゃんの血を、閉じ籠って研究している。

 

「あら? お客様かしら? そんな予定はなかったわよね……?」

 

 私の里の結界が見知らぬ人間を感知した。

 迷い込んだのか。

 

 今はお昼だ。

 だからといって、私は屋敷から動けないわけではない。屋根だけの通路があって、昼間でも里の中なら大抵の場所に行けるようになっている。

 

 どんな人が迷い込んだのか、近くへ行って見てみよう。そう思って、足を運んだ。

 

 あれは()()……?

 

「えっと、見ない顔ですよね。(ハツ)()様への用事ですか? なら、案内をしますけど」

 

「え……っ?」

 

 遠目に見るが、男の子だ。

 左右の髪を刈り上げてる……顔つき……歳の割には体格のいい男の子だった。

 

 ジッと二人を見つめる。見知らぬ男の子は、誰かに似ているような気がした。

 

(ハツ)()様のお屋敷なら……」

 

「いや、そこには用事がねぇ……。人を探していて……」

 

「人を……?」

 

 人探し……私が攫って来た稀血の子の親族かなにかだろうか。

 私のこの里は、人間には滅多に見つからないけれど、そうやって人探しで尋ねてくる人がいなかったわけじゃない。あれは百年くらい前だったか、長くやっていれば、まぁ、そういうこともある。

 

「こんなところ……早く兄ちゃんを連れ戻さないと……」

 

「……? ご兄弟が……? でも、ここはいいところですよ?」

 

「あぁ? テメエなに言ってやがる。こんなところで鬼に飼われて、家畜みてぇな生活……っ!!」

 

 男の子は、強引に()()に怒鳴り散らした。

 ()()の顔が真っ赤になる。

 

「ちゃんと(ハツ)()様は()()たちのことを考えてくださってるんです。それをなにもわからないあなたが悪く言うなんて……!!」

 

「知らねぇよ、鬼のことなんか……! とにかく、兄ちゃんを探さないと。……っ!?」

 

 ()()が男の子の腕を掴んだ。

 

「行かせません! (ハツ)()様の素晴らしさをわかるまでは!!」

 

 ()()は、どうしてか、ときおりそういう苛烈なところがあった。

 

 里で一番で、私がとても甘やかして育ててきた。それは間違いない。そして、誰に似たのか、一つのことに気を取られるとあまり周りに目が行かなくなる。

 

「邪魔だ。どけよ……っ!」

 

「あ……っ」

 

 男の子によって、()()は強く押されてしまう。このままだと転ぶ。見た目ではまだわかりにくいけれど、()()は今、お腹の中に子どもがいる。

 

 まずい。

 日光が邪魔で、手助けができない。いま、あんなふうに転んでしまうと、お腹の子がとても危険だ。

 

 どうにかできないか……。

 結界で緩衝材を……影のでき方がまずい。なにか、何か方法が……。

 

 ――風が吹く。

 

「人の女房に手ェ出して……ただで帰れると思ってねェよなァ!!」

 

「さねみさん!」

 

 実弥くんが、ふんわりと()()のことを抱きとめていた。

 

「え……っ、兄ちゃん……?」

 

 え……っ?

 

 

 

 

 




 小ネタ
 猗窩座の警備の制服はカナエさんお手製です。
 カナエさんは猗窩座に無視をされて、最初はハツミちゃんに助けを求めましたが、「童磨を差し向ければ一発よ!」というアドバイスを聞いて、実行しました。
 死にかけた際のカナエさんの血鬼術の発動は、悲鳴嶼の痣の発現を妨害するためのものでした。たぶん、恩人に死んで欲しくないという強い想いにより発動しました。感動的です。
 無惨様は、沙華が死ぬと血鬼術が解け、鬼のことが広く周知されてしまう可能性に思い至り、少しだけ焦りました。もう叱責するのも面倒になって最後は猗窩座に八つ当たりしました。



 次回、玄弥の決断。さらには御館様と炭治郎、なえがお話しします。

 アニメは終わってしまいましたが、遊郭編にたどりつくまで、まだちょっとかかりそうです。




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