倫理観等はすでに消えかけていますが元気です。 (藤猫)
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後輩との腐れ縁

ロックス海賊団の二次創作を見かけて、バレットさんのもあるかと探すと、一件もヒットせず。
悲しいので書きました。
話しのノリが、他と一緒に感じるかもしれませんが、作者の趣味です。似た様なのですいません。


突然のことでありますが、自分はどうも死んだらしい。

そう、死んだのだ。

なら、この死んだということまで自覚できている自意識と呼べるものは何なのかと言われると、簡潔な話現在生きているためだ。

どういうことだと疑問に思われるだろう。

まあ、簡単な話、自分はどうも転生と呼ばれることをしてしまったらしい。

まあ、まったく嬉しくはない。なんといっても。

 

「おいいいいいいい!!そこの五番!右足をもう少しずらせ!地雷が埋まってるから!」

「ぎゃああああああああ!」

 

遠くでも、近くでも鳴り響く爆発音に銃弾の音。吹き付ける風には炎の熱と血と何かの焼ける臭い。そうして、誰かの断末魔。

拝啓、現状そう言えるのか分かりませんが、父さん、母さん。

転生先の絶賛戦争中の国にて娘は元気にとはいきませんが生きております。

 

 

 

何か事故って死んだと思ったらどっかのスラム街でまったく知らない容姿の幼児になっとりましたまる。

見た瞬間、書いた人間の精神を疑ってしまう様な文章だが事実なのだから泣ける話だ。

今の所、死ぬ前の名前がすこーんと抜けてしまったため、服に縫い付けられていたメランと名乗っている彼女はため息を吐きたくなる。

どうも、どこぞのスラム街にいるらしいことを自覚し、次に明らかに目線が低すぎることに気づいた。丁度、近くにはうってつけの通りの水溜り。

覗いてみると、そこには深い青色の髪をした幼女がいた。

それに数秒放心した。

考えてみてほしい。

幼女になっているのだ。そりゃあ、記憶は曖昧でも幼女であったことはある。ワンチャン某名探偵かと現実逃避も出来ただろうが、容姿までがらりと変わっているのだ。

ザンバラ髪の深い青の髪に、色味の強い金の瞳。どこか険のある顔立ちは、自分の記憶の顔とは全く違っていた。

そうして思い出すのは、自分に迫る車のライト。

 

(・・・・転生しとる!)

 

それが、メランの記憶の最初であった。

 

 

メランはそのまま世界に順応した。というよりも、順応せざるをえなかったのだ。なんといっても国自体がめちゃくちゃに荒れているのだ。

どうして自分が転生してるんだとか、この躰の持ち主はなんて思考をしていられるほど余裕などなかった。

保護者もいないらしく日々の食事にも困り、残飯をあさる日々だ。

それでも、メランはなんとか生き残ることが出来た。世界でも有数の平和な国で、警戒心も無いことで有名な国民性を有しても何とかなったのは偏に転生してから異様に勘が鋭くなっていたからだ。

死の気配、とでもいうのだろうか。

自分の敵、事故、毒、そういった何かへの勘が異様に鋭くなった。スラムで生きていく上でこの力は本当にありがたかった。

 

(・・・・何とか、大人になるまでは生き延びて。この島から出なくちゃな。)

 

そんなことを考えていた矢先、スラムの端の酒場でグランドラインの単語を聞いたのだ。

それで全てを察したのだ、あ、ワンピースですかと。

 

ワンピース、もちろん女の子の大好きな衣装のことではない。

日本にいれば一度は見たことがあるだろう、大人気漫画だ。

それを知れば精神的なパンチがやって来る。

 

(・・・・あの、一見大冒険だぜ的でありながら、天竜人やら海軍の不正やら奴隷やら海賊やら厳しすぎる自然のはびこるめちゃくちゃハードな世界を生きていけと?)

 

無理くね、つんでね?

夢であってくれよと思いながら、残念なことにそれは無慈悲なまでに現実であった。

 

 

(・・・なんてことも考えてたけど。)

 

絶望的な生存率でありそうなそれでも自殺だってすることも出来ずにメランは結局のところ生きている。

メランの生きる国の名はガルツバーグと言い、ガチガチの軍事国家だ。そんな国の軍隊ガルツフォースに彼女は拾われた。

いたいけな幼女を軍隊に入れるとはどういう了見だと訴えたいが所詮は子どもだ。従うという選択肢以外は存在しなかった。

それでも、軍にいればギリギリとはいえ三食は食事が出来た。何よりも、メランは戦場を生き抜く上ではひどく優秀だった。

なんといっても、死というものへの異常な勘は確かに重宝した。

打ち込まれる銃弾の位置、歩く地面に埋まった地雷原を避け、爆弾の爆発する瞬間を見定める。彼女の所属する部隊の生き残る確率というのはまさしく奇跡的と言えた。

死に色があるのなら、戦場とはその色で塗り潰された下手くそな絵だ。

メランは、その絵の塗り残された微かな空白を歩いた。

彼女は死を知っている。断絶を、終わることを、空白を、消滅を、知っている。

それを知っているのか、知らないのか。

この世界では、それはひどく重要であったらしい。

 

(・・・・たぶん、これが見聞色なんだろうなあ。)

 

記憶の上では、覇気にはなんだか多くの型みたいなものがあった。

 

(見聞色って確か、動物の声が聞けたりとか気配に敏感になるとかそんなんだったような。)

 

ならば自分は、死というものに対して敏感になっているのだろうか。

 

(まあ、分からんのだけど。)

 

今日も今日とて、戦場で人を殺し、それでも何とか自分がリーダーのような扱いを受けている小隊を率いて基地に戻る。

海軍で下手をすれば四皇だとか億超えの賞金首に遭うことと、現状のように少なくとも目立った覇気使いやら能力者に会うことのない戦場はどちらがましなのだろうか。そんな益体もないことを考える。

斬り込みの少年兵たちは行くときに比べて明らかに減っている。

それに、慣れてしまった自分がいる。それを、まあそうだろうと受け入れている自分がいる。

一応は上に当たる大人に戦況を報告し、配給の食事を全員分貰った。

 

「おーい、飯貰って来たぞ。」

 

それにくたくたになった子供たちが歓声を上げて群がった。メランは、きっちりと贔屓なく少年たちに食料を分けていく。そうして、最後に残ったのは自分の取り分と、そうしてもう一人分。

少年たちの物欲しそうな目を振り切って、彼女は一人で集団から離れた少年の元に歩いた。

 

「キュウ、ほい、今日のご飯。」

 

メランがそういって食事を差し出すと、その少年は無言でそれをひったくり食べ始めた。

 

(どうしたもんかなあ。)

 

目の前の坊主頭の眼光の鋭い少年は、メランの悩みの種だった。

 

 

メランは殺すことにも殺されることにもほとほと慣れてしまった。

なんの戸惑いも迷いも無く、自分が死ぬとなれば躊躇なく相手を殺せるようになった。

それは、ある意味で人間の防衛反応なのか、いっそのこと精神的に壊れているのか。元より、一度味わった死というもののせいか確かにメランは少々倫理観と言うものをどこぞに落としてきたような自覚はあった。

けれど、どうしても頭の奥にこびり付いた日本での常識、良心と言えるものを手放せなかった。

この世界も、状況も間違っているのだと、昔の当たり前が叫んでも生きていくためにはそれを受け入れるほかなかった。それでも、なお、彼女は偽善的と言える振る舞いを止められなかった。

彼女は、戦場では他人が生き残るために振る舞った。リーダーのような役目を与えられても平等に振る舞った。自分の仲間になった少年たちのこれからを考えてそっと教育のようなことを施した。

それを鼻につくと、無意味だという存在もいる。事実、彼女の真っ当さ、戦場では清廉とも言える善性は嫌われることも多々あった。メラン自身、その勘の鋭さで成功させた作戦も多く、勲章を幾つか貰っていたのが拍車をかけていた。けれど、その在り方を捨てきれなかった。

それを捨てるということは、メランと名乗る自分自身を捨てることと同様であった。

何よりも、平和な世界で生きた自分には、子どもが当たり前のように死んでいくことがどうしても耐えられなかったのだ。

見捨てることが出来なかった。

自分が生きるために足掻いて敵兵を殺しながら、そのくせそれに抵抗したいと考えてしまう自己矛盾から目を逸らして。

 

「あと、これもやる。」

「・・・なんだよ。」

「今日誰よりも活躍してたしね。君のおかげで今日も生き延びたわけだし。あれだよ、ご褒美みたいなもんさ。」

 

リーダーに特別に付け加えられたソーセージを九番のパンの上に置いた。彼はそれに不審そうな目をしても結局のところそのソーセージに齧り付いた。

最近部隊に入って来た九番の少年、最年少に当たる彼は年の割には殺伐としている。いや、部隊に入っている奴らは基本的に殺伐としているのだが。

それでも入って来た九番はびっくりするほど愛想も無く、無口な少年だった。軍隊とは良くも悪くも団体行動だ。

九番はそういったものに壊滅的に合っていなかったが、それでもその少年は驚くほどに強かった。天性と言える戦いのセンスは、メランの知る軍の人間の中で誰よりも際立ったものだった。際立った強さに反発する少年兵も少なくない。同部隊でも九番はひどく悪目立ちしている。

それも仕方のない話だ。

戦場で武勲を上げるとメダルを与えられる。これは軍隊の中での待遇に関係があり、誰もが欲しがるものだ。そんな中、強い新人なんてものは目の上のたん瘤に等しいだろう。

今はメランが何かと間に入っているものの、どうなることか。

彼女は余計なお世話であるかもしれないと分かっていながらそんな心配をするのだ。

 

 

 

九番、部隊に所属する少年兵はすべからく呼ばれる名であるバレットとするが、彼にとってその少女は全てにとってひどく特異であった。

戦場では奪うことが常であった。

生きるために他人の命を奪い、飢えをしのぐために他の食料を奪う。

強く在ればどんなことも自由になる。

バレットは、何も持たぬ子どもであった。部隊にいる子どもがそうであるように、個を特定する名さえも持たぬ少年であった。唯一与えられる武器でさえも、自分だけの物でもない。

そんな中、彼は二の番号を与えられた少女に会った。

その少女は不可解で在り、不可思議であり、そうしてバレット自身が一度としてであったことのない思考を持っていた。

彼女は、当たり前のように他に己の物を与える人であった。

それは食事であったり、物資であったり、色々なものだ。

彼女はバレットの憧れるメダル持ちでありながら弱かった。ただ、逃げることにしか才のない腰抜け。

それでも彼女は与える、バレットが欲しいと思うものを何の戸惑いも無く与える。

それは、彼にとって自分の願いを踏みにじられるような、苛立つような。そのくせ、自分に微笑みかけ、その武勲を褒める、その手を。

それは、バレットの知らぬ感情だ。それは、彼にとって理解できぬ存在だ。

彼女は、誰とも違った。

戦場で生きる、自分と同じ何も持たぬその人は何かを持っていた。それが何かなんて分かりはしなかったが、それでも確かに彼女は何かに満ちていた。

二番はニコニコと笑いながら、バレットに言うのだ。

お前さんほどならメダルも容易く貰えるだろうね。

二番に何か得があるわけではない。けれど、彼女はその事実を我がことのように喜んだ。彼女は自分の功績さえも他人に差し出す。元よりさほど強いわけではなく、誰かのサポートに回ることが多かったというのもあるだろう。

彼女曰く、自分は回避しただけで戦ったのは他人だからとそう言うのだ。

自分よりも弱く、けれどバレットの欲するものを持ち、そのくせ得た物を何の躊躇いも無く放り捨てる存在。

その女は、その女だけはバレットにとってどうすればいいのか分からない存在だった。

 

ある時、バレットはある作戦でメダルを渡される直前にまで行ったことがあった。丁度、その時彼女は離れた場所で違う作戦に身を置いていた。

バレットと隊の人間との緩衝材であったメランがいなかったこと。

その全てが原因であったのだろう。

バレットは隊の少年兵たちに襲撃された。

いくらバレットが戦いの天才であっても、不意打ちにされたそれに耐えきるには彼は幼過ぎた。何よりも、さすがに味方からの同士討ちがされるなんてことを想像だってしていなかったのだ。

薄れていく意識の中で、聞こえたのは一つの憎悪に満ちた叫び声だった。

 

「強すぎるんだよお前は・・・!バケモノめ・・・!」

 

瀕死の重傷とも言えるそれを負ってなお、彼は生き残った。理由は単純で、メランが彼を助けたためだ。

作戦からの帰還時にボロボロの彼を見つけたメランは死ぬ覚悟でバレットを基地に連れ帰ったらしい。

そうして、バレットの功績を主張し、尚且つメダル持ちの権利をフルで活用して瀕死のバレットの治療に当たった。

メランは、彼女はバレットにとって不可解であった、不可思議であった。

彼女は目を覚ましたバレットに、泣きながら、安堵したように微笑んでいた。

バレットは、一度だって彼女に何かをした覚えはない。何かをもたらした覚えはない。

けれど、メランはいつだって惜しみなくバレットを助けた。

 

「隊長に許可は貰ってるから傷がある程度治るまで休んでろって。にしても君がねえ。どんな奴に負けたの?会議にかけたいからあとで報告してね。」

 

バレットは、その女に何と声を掛ければいいのか分からなかった。

意識を失う前は、確かに怒りがあった。悲しみがあった。吹き荒れる様な激情と言うものを抱えていたというのに、自分のために安堵しながら泣く女に少し驚いてしまったのだ。

休んでいいなんて言われたことは一度だってなかったし、どうして目の前の女がここまで自分にするのかもわからなかった。

だからこそ、そんなものがすんと思わず引っ込んでしまった。

ただ、たった一つ言えるのは、女の目は誰のものとも違った。

バケモノと、自分を罵る声を覚えている。自分を見る目を、覚えている。

その女の目は、戦場で見たどんな誰よりも甘い目だった。メランは元より、部隊の中では浮いていた。

バレットには理解できなかったが、彼女の纏う空気はあんまりにも優しすぎたのだろう。

平穏な国で生きた彼女は、その匂いと言えるものを消し切れなかった。

彼女の瞳が、恐怖に染まったことはない。彼女の目は、いつだってバレットを映しても恐れることも、拒絶することも無い。

その眼は、バレットの知らぬものに満ちていた。

自分の為だけでいい。

自分の勝利の為だけに他人を使い、全てを足蹴にして武勲を上げ続けた。

バレットを裏切った少年たちも一網打尽にし、メダルを略奪した。

それでも彼女はバレットを恐れることも、忌避することも無かった。

 

「見ろ。」

 

戦況は一時的に落ち着き、基地に帰って来たメランにバレットは自慢げに血の飛び散ったメダルを見せた。

それにメランは初めて浮かべる表情をした。

驚き、そうして揺らぐような動揺が手に取るように分かった。

いつも穏やかで、そうしてバレットとは全く違う女。何が違うかも分からない、けれどその女の何かを揺るがせたことに薄暗い喜びを覚えた。

見たいとずっと思っていた。

女が、戦場でよく見る様に、恐れ、叫び、慄くさまを。

 

「俺をはめた奴らが持っていたものだ。」

「殺したのかい?」

 

けれど、メランの声は思っていた以上に平坦で、静かであった。

もっと違う反応を求めていたというのに返ってきたそれにバレットは先ほどの薄暗い喜びが霧散していくことに気づく。

 

「ああ、文句は言えないだろう。」

 

淡々とそう返せば、メランは肩をすくめてそうだなと頷いた。非難の声一つは予想していたがメランの返事はその程度であった。

彼女は自分のことを窺うバレットに気づいたのか、苦笑する。

 

「別に君のことを責めようとは思ってないさ。」

「俺はそんなこと気にしてない!」

 

ぴしゃりとそう言ってもメランは特別な感慨を見せることなく上の空で頷いた。

 

「まあ、仕方がないなあ。彼らが生きていたのは君の圧倒的な強さがあってこそだ。守られている自覚も無く思い上がってなあ。」

 

それについてバレットはそうだろうと同意した。けれど、その言葉はメランという女にはあまりにも不釣り合いなように感じた。

バレットの所業によって彼女の小部隊は自分たち以外にいなくなってしまった。

恨み言の一つを、罵声のそれを、貰うものだと思っていた。けれど、彼女はそれを粛々と受け取った。

未だ十にもならない少年は、その自分よりも少しだけ年が上の彼女を前にほとほと困り果てていた。そんな時、メランはふとバレットに視線を向けた。彼女は何故か、バレットの顔を見て彼と同じようにひどく困り果てた顔をした。

何故、今更そんな顔をするのか分からない。彼女は自分の胸についていたメダルを取り、そうしてバレットに手渡した。

 

「上げるよ。」

 

予想だにしない行動にバレットはじっとメダルを見つめた。

メダルを差し出された時、頭の中にいくつもの感情が駆け巡った。施しを受けた様な憤り、自分が欲するものをぞんざいに扱われたような怒り、メダルという憧れを欲する気持ち。

けれど、それ以上にあったのは、目の前の女への無理解であった。

どうしてだ?

そのメダルには、確かに価値がある。功績をなしたという証であり、ある程度の権利が与えられるそれ。

だというのに、女は、それをあっさりとバレットに渡して見せた。

ずっとその女が分からなかった。けれど、その瞬間、目の前の女が自分とは全く違う生き物であるとまざまざと理解できた。

メランは受け取らないバレットの手を取り、そっとメダルを置いた。そうして、その場を後にした。

バレットは、そのメダルを握りしめたまま、茫然と立ちすくんだ。

 

 

胸が大きくなる年齢ってどれぐらいなんだろうか。

メランの目下の気になることとはそれである。

彼女は、幼女の躰で目覚めた頃に五、六歳ほどであったことを鑑みて十六ほどになるだろう。

年頃と言える年齢の彼女はじっと自分の胸を見る。

 

(・・・・平らだ、平野だ。)

 

思い出してほしい、ワンピースの女性の特徴を。

そうだ、巨乳だ。巨乳なのだ。けれど、メランの胸は未だに実る兆しはない。

別段、そこまで気にしてはいない、はずだ。

ただ、大きくなる前提で考えていたうえで中々にそれが来ないことに違和感を覚えてしまう。前世では、確か胸がないわけではなかったがあるわけではない感じだったはずだ。といっても、そんな記憶も遠くにある。というか、ここまで巨乳であることに執着しているのならいっそのこと貧乳であった気もしてきている。

というか、この頃自分の性別が女であったことも曖昧である。女であることに違和感がないのだが。

 

(うーん、でも巨乳で下手にスタイル良いと上の人に御呼ばれされてあっー!みたいなこともあるしこのままでいいのか?)

 

そう言った経緯で前線を離れて悠々自適に過ごしているお姉さま方もいるらしいが。

 

(まあ、戦場で人殺しまくって生き延びるのと、貞操と引き換えにおじさんたちに侍るのって言ったら侍る方がましなのか?)

 

人を殺した。殺して、殺して、殺して、誰かの尊厳を踏み続けてここにいる。

それによって生きて、食事をしている。

血の匂いに慣れた、腹から漏れ出た臓器の色にも慣れた、断末魔にも慣れた、誰かの不幸にも慣れた、不条理にも慣れた。

人を殺すのにだって慣れた。

そんな自分が、倫理観もくそもない二択について考えるだけ不毛だろう。

思い直して、メランはぼうっと基地の廊下を歩く。

そこで向かい側にメランの身の丈以上ある青年が歩いてくるのが見えた。

自分よりもずっと大柄な眼光の鋭い少年、バレット。正直な話、老け過ぎて青年にさえ見えるが、そうはいっても自分よりも年下なのだ。ならば、少年と言って差し支えがないだろう。

 

「おいっす、バレット。」

「ん。」

 

お世辞にも愛想のある返事ではないが、それでも返って来るだけましである。

常勝無敗のバレットに媚を売ろうとする人間は多いが愛想のなさと、そして恐ろしさに諦めていく。

それに加えてバレットの戦い方は結果は良いものの巻き込まれて死ぬ兵士も多いためお世辞にも好かれていない。

強いて言うなら、彼のおかげで出世したダグラス――現在は将軍だ――だけは仲がいいようだが。

 

(おかげで私ぐらいしか組める人間もいないし。)

 

回避能力に極振りしているといっていいメランぐらいしか組めない。戦いに極振りされているバレットのおかげでメランは航海技術などのもろもろについてをマスターさせられている。それについては感謝してほしいものだというのがメランの主張だ。

 

(一時はめっちゃ嫌われてたけど。)

 

数年前、メランの小隊がバレットによって全滅した日。

そのことについてメランは別段何かを思っていない。確かに、自分でも昔の価値観を捨てられていない感覚はある。

子どもが、自分も現在は子どもであるが、腹を空かせていれば何かしらやりたくなるし、出来るだけ死んでほしくはない。

それと同時に、倫理観がかっとんでいる自覚だってある。死んでしまったものはしょうがない。

だからこそ、メランはそれについて仕方がないと割り切った。

 

(・・・・バレットに守られてるって自覚はなかったんだろうなあ。)

 

昔は周りの人間のことを考えて戦っていたバレットに守られていたとメランは思っている。自分の安寧の理由を考えず、手柄に嫉妬した彼らは元よりメランが気にしていてもいつか死んだだろう。

バレットが血に濡れたメダルを差し出した時、動揺しなかったといえば嘘になる。けれど、その時のバレットの顔があんまりにも子どもの様であったから。

誰よりも強く見えた人の、幼い事実を見せつけられたせいかそれもどこかに行ってしまった。次にやってきたのは申し訳なさだ。

そんな子どもを、そんな顔をしている子どもがこんな場所にいるということへの罪悪感だ。バレットに殺された少年たちへの罪悪感だ。

もちろん、そんなことをメランが考えても仕方がない。どうしようも出来ない、それでも捨てきれなかった当たり前がメランを責める。

メランはバレットにメダルを渡した。

ずっと欲しがっていたということを思い出し、慰めの意味もあった。そうして、何となく持っていることが嫌になったというのもある。

自分が結局のところ、彼を助けず、利用し続ける大人であるという象徴だったせいだろうか。

欲しければ、持っていればいいと、そんな投げやりな考えを持っていたというのもある。

バレットはその後、メランを無視し続けた。

けれど、ある日を境にそんなこともなくなった。

 

(・・・なんでかな、理由は。)

「おい。」

 

そこまで考えて、思考をバレットの声で遮られる。視線を向けると、バレットはくいっと頭をひねってついて来いとメランに示した。彼女は珍しいこともあるものだとそれに従って歩き出した。

着いた先は、基地でもひと気のない倉庫だ。バレットは無言でそこに立ち止まっている。メランは、どうしたどうしたとバレットを見上げた。

 

「どったのさ。」

「・・・・次で、最後だ。」

「ああ、そうだね。ようやくこの国も落ち着くな。」

 

話題は次の戦争のことだ。それでようやく戦争の決着がつく。バレットのおかげで自国の勝利には疑いなどなかった。

 

「ダグラス将軍に、軍の上層部に迎え入れると言われた。」

「よかったじゃんか!いやまあ、お前さんの戦歴を考えれば当然だな。」

 

この戦争においてバレットの上げた功績は数知れずだ。上層部入りは当然だろう。というよりも遅いとさえ言えた。

けれど、仕方がない。軍の上層部が前線に出ることなどないし、バレットは前線で戦うからこそ価値がある。

 

(・・・・なら、後は大丈夫、なのかな?)

 

メランは、戦争が終わり後処理でバタバタしている隙に国を出る計画を立てていた。

数年前からこつこつと準備を進めていた。

壊れ、廃棄されるはずだった小型の船を密かに回収し、必死にこつこつと直した。食料などもすでに運び込んでいる。

メランの住む国はあまり外の情報が入ってこない。というか、海軍の庇護に入る様な加盟国なのかも怪しい。

戦争ばかりしているせいで旨味がないと海賊も立ち寄らない。武器商人は立ち寄っているようだがメランは会える立場にもない。

メランにとっては今の時代が何処に当たるかは是非とも知っておきたいところだった。

ルフィたちが何処にいるかによって原作知識、つまりはどこら辺が危険かを測る重要な情報なのだ。

といっても、この国で外の世界について知ろうとすると国外逃亡を疑われるためあまり聞き込みも上手くいかなかった。

それでも一応は船を出す先は決めている。

フーシャ村だ。

ワンピース世界でも一番に平和な東の海であり、なおかつ主人公の故郷だ。近くに信用のおけない貴族の住む町があるのは心配であるが焼き払われる危険はダントツに低いだろう。

運がよければ、まだ危険の少ない主人公を目撃できるかもしれない。危険だと分かっているが、そこら辺のミーハーな部分は残っていたりする。

 

(こいつにも居場所が出来るのか。)

 

唯一、一つだけ、心残りがあった。

誰よりも強い、寂しい子ども。あの日、裏切られて、確かに傷ついていた強者の子ども。

島を出るということは彼を置いて行くことと同義だ。自分以外にろくに会話もしなければ、関わったことも無い。

独りにすることを、心残りとした。

けれど、どうやらそれはとっくに大人になっていて、居場所もちゃんと出来るようだ。

 

(まあ、私がそんなことを気にするのはおこがましいのかね。つって、ダグラス将軍なあ。)

 

バレットは何だかんだと贔屓してくれるため懐いているようだが、メランはあまり好きではなかった。

ダグラス将軍はいかつい顔をした、野心家と言う印象の壮年の男だ。

正直な話、悪人顔であるがこの世界ではデフォルトに入るだろう。海軍しかり、海賊しかり荒事に関わる人間ならばそんなものだろう。

そうして、顔については殆どおまけのようなものでこの男、何の対策かは知らないが自分の管理内の基地に緊急用にと爆弾を仕掛けているのを知っているためだ。

敵に占領された時用にと言っているが、それ以上の思惑はあるのだろう。

それを知らされる程度に信用されていることには喜べばいいのか。

 

(まあ、やり手な人だし。バレットの利用価値、て言い方はやだけど分かってるだろうから悪いようにはしないだろう。)

 

メランもダグラス将軍の配下としてそこそこの功績もなしているし、気に入られてはいるのだが。一応、危機回避能力だけは買われている。

といっても、戦争だらけの国で善き人などが出世できる筈もないが。

肩の荷が下りたような気分でほっと息を吐く。

 

「お前は?」

「うん?」

「お前にはそう言った話は出てないのか?」

「とっくべつ、聞いてないかなあ。」

 

元より、これが終われば去る身だ。あまり気にすることではない。

 

「・・・・俺が。」

「うん?」

「ダグラス隊長に、言ってやってもいいぞ。」

 

メランの動きが止まる。

 

「・・・・なんだ、その顔。」

「だ、おま、だってさあ!」

 

メランは両手で口元を覆い、目をキラキラさせながらバレットを見ていた。

メランは、非常に感動していた。

あの、あの、人と滅多に関わらない、一匹狼状態のバレットが。どんな理由かは知らないが自分を気遣っているのだ。

なんというか、我が子の成長に感動する親の心境であった。

それはにっこにこと笑いながらメランはバレットの背を叩いた。

 

「お前なあ、んなこと気にしなくていいんだって!」

「いいのか?」

「いいよ!私としてはお前さんがそんなこと気遣ってくれたってだけ十分だしな。まあ、私はそういう役着きはたぶん性に合わないだろうし。あんまり勝手なことしてお前さんの印象が悪くなってもなんだしなあ。でも、ありがとな。」

「お前は。」

 

ニコニコ笑って断ったメランに、バレットはやっぱりどこか困った顔をする。その表情の意味をメランは察せられない。といっても、どうしたと聞いても応えることも無いのだから諦めている。

メランはそのまま気にすることなくバレットへ祝いの言葉を続けた。

 

 

 

「ええっと、将軍。それは、その。」

「バレットへの総攻撃を始めると言った。」

 

戦いが終結し、さあ後処理だと意気込んだメランにダグラス将軍はそう言い放った。メランは後方にてダグラス将軍の側に護衛の任についていた。

彼女の役目は狙撃手であり、その危険への勘を買われて護衛として存在していた。事実、その危機を救ったことは数知れず。

 

頭の中ではぐるぐると焦りが駆け巡るが、戦場生活で鍛えられた胆力はメランのポーカーフェイスを崩さなかった。

 

「あれの強さはいつかおれの地位を危ぶめるだろう。お前から漏れる可能性もあったため伝えていなかったがな。」

「・・・私も処分されるということでしょうか?」

「いや、お前は使えるからな。まだ使ってやる。ただ、一つだけ条件がある。」

 

バレットを殺せ。

 

簡潔なそれ。バレットと多くの戦況を越え、仲のよかったメランゆえに命じられたそれ。彼女はゆるりと微笑んだ。

 

「了解しました。」

 

 

(って、するわけないけどね!?)

 

メランは命じられた通り、バレットのいる、前線へと一応向かっている。

国とバレット、どちらが勝つかと言えば分かるだろう。バレットはきっと負ける。流石の常勝無敗と言えど、国とでは勝てる見込みはない。

逃げてしまえばいい。

頭の中でそう囁く声がする。そうだ、今はチャンスなのだ。

何と言っても国の全てがバレットへ向かっている。敵国だって敗戦しているのだ。今が何よりも隙がある。

船に今のうちに乗れば。

逃げてしまえばいい。こんな国、こんな場所、こんな、くそったれな世界。

残酷で、優しさのカケラだってない世界。

見なかったことにすればいい。知らないふりをすればいい。

慣れたとしても、人を殺すことには嫌気がさしていた。好きだったわけではない。

責任なんて放り出して、まだましな場所に逃げてしまえばいいと、そう囁く自分がいる。

誰に責められる謂れも無い。誰も助けてはくれなかったのに。

 

(それでもさあ、それでも!)

 

メランは、そんな声を振り切ってバレットの元に向かう。彼をどうにか救うため、国と戦うことを決意する。

 

結局の話、メランにとって一番に情があったのはバレットであった。

何故かと言われれば、積み重ねと言えたし、それと同時に彼が未だに寂しい子どもであると知ってしまっている。

あの日、バレットが同期たちに裏切られたあの日。

目を覚ました強者の子どもの、拙い表情を覚えている。途方に暮れた、悲しさを含んだ瞳を覚えている。

自分と同じ小隊の子どもたちを大事にしたかったのは事実だ。そして、彼らが死んだ理由にも納得してしまっていた。だからこそ、せめて、生き残った、その少年の事だけは大事にしたかった。その少年を、特別に大事に思っていた。その少年にだけは、幸せになってほしかった。

そうだ、そんなものだ。

メランと言う人間の中で、とっくのとうに天秤は振り切れてしまっている。

あの日、死んでいった子供たちよりも、裏切りに失望と寂しさを抱えた子どもをメランは選んでしまったのだ。

この世界は残酷だ。きっと、自分たちが生きている箱庭と同様に、それ以上にこの世界はすべからく当たり前のように生きていた人が唐突に死んでしまう様な場所だ。

それを知っている。

そんな世界だからこそ、せめて情を持ったたった一人に幸せになってほしかった。

それがどうだ、バレットが信じた男は彼を裏切った。

止めてくれ。これ以上、あの子を傷つけないでほしかった。

ただ、ただ、強かっただけの子ども。

何が悪かった、何がダメだった?あの子は唯、生きたかっただけじゃないか。

自由になるんだ、自由な生活というものをおくるんだ。それは、どんなものだろう。

自由という単語を本当の意味で理解していない、夢を見る、幼い顔を思い出す。

メランは走った。

もしも、もしも、勝てなかったとして。バレットが死んでしまっていたとしても。それでもメランは、せめて自分だけは味方でありたい。

そうでもしなければ、メランは前世で生きた自分と言う在り方を失うだろう。人が死ぬ地獄で、人の命が軽いその国で、バレットに注ぐ幸福であってほしいという祈りだけがメランという存在になってしまった彼女がたった一つだけ持ち続けることが出来た、引きずり続けた、当たり前だった。自分が何者か忘れない、唯一のよすがだった。

 

(・・・そうだ、お前のために死んでやろうじゃないか。)

 

どうせ、一度は死んだ身だ。なら、めちゃくちゃに、無意味に、好き勝手に生きてやろうじゃないか。

冷静なんて欠片だってない頭で、必死に急ぐ。

 

「バレット・・・・!」

 

せめて、せめて、一人ぐらい、あの寂しく強い子どもの味方に最期までありたかった。あの子どもを、守ってやりたかった。

 

 

 

その女は、いつだってバレットに何も求めなかった。

自分の生の中に当たり前のように存在していた女は、何故かバレットというものに何も求めなかった。

大抵の人間は、バレットを恐れる。その強さを厭う。

慕っていたダグラス将軍とて、彼が強いゆえに特別扱いした。それに何かを思ったことはなかった。

彼の世界とは、強さこそが正義だった。戦いに勝つ、それによって彼は自由に、思うままに振る舞える。

けれど、その女だけはバレットが強く在ろうと、弱く在ろうと変わらなかった。

軍隊に入った時から、今に至るまで女の態度は特別変わったことはない。

バレットが死にかけた、あの裏切りの時でさえ見捨てることなく彼を拾い上げた。そうだ、見捨ててもよかった。大抵の人間は、そんな状態の少年兵を救うことはないだろう。

けれど、メランは違った。

押し付けられたメダルを捨てることさえ出来ず、メランへの言いしれぬ苛立ちはくすぶり続けた。

彼女は、本当にいつも通り接した。見かければ挨拶をし、同じ作戦の時バレットが好き勝手に暴れても文句も言わなかった。

話しかけて来ることが鬱陶しく、苛立って殴り掛かることだってあったが彼女はそれをひらりと避ける。そんなことをされても自分に寄ってくるメランに到頭根負けして、あるとき聞いたことがある。

どうしてだと。

それに彼女は苦笑した。そんな事かと笑った。

 

誰もいなくなった、誰もが死んでしまうから。せめて、独りだけ残ったお前さんのことは大事にしたいんだ。

 

大事にしたいとは何だろうか、分からなかった。それでも、その言葉はバレットに向けられるもののなかで何よりも優しかったのだと、そう思った。

大事にされているのだと、理解できた。

それ故に、バレットはメランを厭えなかった。

独りでいい、たった一人でいい。

そう思っても、ずっと変わることなく自分に接し続けるメランを厭うことは出来なかった。

メランだけは恐れなかった、彼女だけはバレットが好き勝手に暴れようと死ななかった、自分の不得意な事を補い、役に立った。

メランだけが、裏切らなかった。

独りでいい、そう足掻くのに、当たり前のようにそこにいるメランを受け入れてしまっている自分がいる。

彼女だけは、バレットに戦うこと以外を求めた。

バレットは、自分を恐れるわけでも、戦うことを求めるのでもないメランにどうすればいいのか分からなかった。

分からなかった、それゆえに、憎むこともできなかった。だから、自由に振る舞うことにした。強者らしく、自由に、好き勝手に振る舞った。

それでもメランは変わることも無く、バレットに変わらない微笑みを浮かべるのだ。

 

 

裏切られたことに、怒りが湧いた。

ああ、ああ、将軍、将軍、あんたも俺を裏切るのか。あの、くそったれたちのように。俺を恐れるだけだった、あいつらのように。

電伝虫から吐き捨てられた台詞に、バレットは茫然とする。

戦ったじゃないか、あんたの望むように、ちゃんと言われた通りにやったじゃないか。

自由な暮らしを教えてくれるんじゃなかったのか。あんたが喜んでくれた、だから、戦った。人を殺した、恐れられることだって平気だった。

銃弾の雨が降りそそぐ、数の暴力が襲ってくる。

必死にそれに応戦しながら、無意識にあの女の顔を探した。

あいつだって裏切ったのだ!きっと、きっと、自分が将軍の甘言に喜んでいたことを嗤っていたのだろう。

茫然としたその隙に、バレットは傷つき、膝をつく。

軍の人間たちがとどめを刺そうとしたその瞬間、爆発音が響き渡った。爆発音のした方向は丁度、基地の一つがある場所だ。

そうして、次の瞬間、絶叫が響き渡る。

 

「伝令!でんれえい!!敵国の伏兵あり!敵国の伏兵あり!ただちに対処せよ!」

 

それを呼び水として辺りにはパニックが広がった。

明らかな襲撃らしい爆発とその叫び声に動揺が起こり、バレットへの攻撃の手は緩んだ。そうして、反撃が始まった。

ガシャガシャの能力を解放しながら、バレットはふと思う。

伝令のその声は、馴染み深いあの女の声によく似ていた。

 

 

次に目を覚ますと、視界に知らない木目の天井が映った。

 

「起きたのか!」

 

頭上から聞こえる声に飛び上れば、そこに見慣れた女がいた。

バレットはとっさの判断で攻撃の構えを取ろうとするが、その前にメランが叫んだ。

 

「おい、ばか、止めろ!船の上で暴れんな!」

 

その言葉に自分の立っている床が微かに揺れていること、そうして微かに潮の音が聞こえることに気づいた。

バレットはメランを押しのけ、彼女の後ろにあった扉から外に飛び出る。すると、視界は青一杯に満たされた。

ざざーんと、そんな音がよりクリアに聞こえる。

 

「どういうことだ!?俺は、確か・・・・」

「説明するから落ち着け!」

 

メランはバレットの隣りに立ち、現状を話し始めた。

 

バレットはガシャガシャの実の力を使いガルツバーグを徹底的に破壊しつくした。そのために国は、国民は滅んだのだがどうも海軍に連絡がいってしまったらしくバレットは追われる身になったらしい。

 

「お前さんが破壊しつくした後の電伝虫から聞くところによるとな。んで、お前さんは暴れたおしたあと疲労と外傷でぶっ倒れたんだよ。それを回収して、手当てした。そんで用意してたこの船に乗っけて逃亡中だよ。はあ、私も追われる身だしねえ。」

「・・・・どうしてだ?」

 

思わず飛び出たそれに、メランは気まずそうに肩を竦めた。

 

「・・・・基地の幾つかを、まあ、その爆破しまして。」

「は?」

 

バレットは自分が態勢を立て直すきっかけになった爆発を思い出す。

 

「あれは、お前が?」

「まあ、ははははは・・・・」

 

空虚な笑い声をあげながら、メランは遠い目をして海を見る。

 

「まあ、あれだよ。そんなこんなで行く場所もないし。当分は二人で彷徨いでもしようや。食料は多めに積んだし。」

 

当たり前のようにそう言ったメランの言葉に、バレットは自分を裏切った、そうして殺した男のことを思い出す。

 

信じてもいいのか?

この女が、自分の味方であるのか、裏切っていて今更手のひらを返したのか。バレットには分からない話だ。

なら、ここで殺すべきじゃないのか?

信じていた、それでも裏切られた己の心が痛む。失望し、湧いた怒りがぶり返す。

バレットを裏切った男は、死んだとき何と言っただろうか。

ガシャガシャの実を使い、踏みつぶしたどこかにいたのだろうか。

そんなバレットをじっと見た後、メランは首を傾げた。

 

「お前さんは一つ聞くけど航海術、分かるの?」

「・・・基礎は。」

「だよなあ。お前さん、習ってもずっと陸で戦い三昧だったしな。私は、ある程度の医術やら食事関係の知識に、船の動かし方も出来る。」

「雑用に駆り出されてたからな。」

「うるせえよ!どうせ、どこでもやってけるけど一人だと微妙でしたよ!器用貧乏で悪かったな!」

 

威嚇をする動物の様にメランは唸った。そうして、はあとため息を吐いた。

 

「まあ、だからあれだよ。私はそういうこの海で生きてける知識がある。お前さんは強いけど、そこらへんは足りないだろう。生きていくための知識を私は提供し、君は強さを提供する。それでどうだい?」

 

その言葉は、打算に満ちているというより、自分の逃げ道のように思えたのはなぜだろうか。

思わず黙り込んだバレットに、苦笑してメランはその手を取った。

 

「ともかく今は休むべきだ。一応瀕死の傷だったんだからな?でも、その生命力には感服するよ。」

 

取られた手の引くがままに、バレットは歩き出す。招かれるがままに、船内に入っていく。

振り払えと、殺せと、裏切られた自分が喚いていた。

その、青い髪に隠れた細い首。

自分が、今、この瞬間に手をかければへし折れる。

独りでいい。一人で、強ければそれでいい。自分以外の誰かが、いつか自分から勝手に離れ、疑い、そうして裏切るから。

分かっている、バレットの人生を振り返れば納得しかない答えだ。

それでも、バレットの手は動かなかった。

その、穏やかなだけの声に言われるがままにベッドに誘われる。

 

その女は、バレットには分からない。

女は、いつだってバレットに何も求めなかった。

いまだってそうだ。

バレットの強さなんて、ひとっ欠片だって興味がないのだと分かるのに。

自分を匿い、海軍から逃げるメランはバレットに何をしたいのだろうか。

疑う心も、悉く抱えた失望も、裏切りも、消えてはいないのに。

それでも、バレットはメランを殺せないままだ。

 





引っ越しと転職のダブルパンチのストレスで書きました。
今日もがんばります。


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今日も何とか生きています。

短めです。


 

 

「ぎゃああああああああ!」

 

絶叫が響き渡る。

 

「なんだよ、あいつ!?」

「能力者だ!海に落とせ!」

「俺の武器が!」

「無理に決まってんだろ!?あんな巨体どうやって落とせっていうんだよ!」

「おい、銃撃たれてんぞ!?」

「どこだ!?」

 

海賊たちの慌てた声がこだまする。

メランはそれを淡々と打ち抜きながら青い空を現実逃避の様に見上げたくなる。もちろん、思っただけでそんなことはしない。

手に馴染んだライフル銃の引き金を引く。

それに被さる様に、バレットの苛立った声がした。

 

「弱い!」

 

それにメランの額に青筋が浮かんだ。

 

「だから言ったでしょうが!賞金も低いし、絶対弱いって!!」

 

バレットがガシャガシャの実の能力で作った巨大な手を振りかぶり、海賊たちを叩きつぶした。

ぐちゃりと何かが潰れる様な音がした後、辺りに血が広がる。そうして、ばきりという音と共に乗っていた船の甲板に亀裂が入る。

 

「こんのあほおおおおおおおお!?」

 

拝啓、父さん、母さん。

崩れ落ちていく床と共に味わう浮遊感に身を任せ見上げた空を美しく感じます。

これからのことを心配した後輩というか、保護者気分で一緒にいる後輩がバトルジャンキー過ぎてもう嫌になりそうです。

今日も後輩の作った食えないひき肉に惹き付けられた海王類たちからカナヅチの馬鹿を回収して頑張っています。

 

 

 

ところで、バレットの能力、ガシャガシャの実というのは戦争ではそれはそれは重宝した。

なんといっても武器やらなんやらを敵から奪えることに加え、対人で合体ロボをぶつけるようなものだ。威力は計り知れない。

 

「それでも、自分の力コントロール出来なくて船の床壊して溺れるってことを何回すれば学習するのかな!?」

 

びしょびしょのバレットの頬を抓りあげつつ、同じように濡れ鼠のメランが叫ぶ。

 

「仕方がないだろうが!船での戦闘なんざ慣れてねんだよ!」

「なれてないなら慣れるまで大人しくしとけや!」

 

勢いよくメランはそう言い捨てばちんとその額をひっぱたく。反抗の一つも期待したがさすがに海水につかった後で力が出ないのだろう。

拗ねる様に顔を背けたバレットにため息を吐きながら、メランは自分の銃に視線を向ける。

メランの基本的な戦闘スタイルというものはあまり定まっていない。

基本的に見聞色の覇気を使い狙撃手をしていたがやれと言われれば接近戦もこなしたりしていた。

今、持っているライフル銃も詳しい種類までは知らない。ただ単によく使っていたタイプと思わしきものを適当にかっぱらって来ただけだ。

 

(にしても、国滅ぼして結構経ったなあ。)

 

 

 

ガルツバーグを抜け出すために船を出し、メランが真っ先に行ったのはこれからどうするかについて決めることだった。

元々、メランは平和な島にでも引っ込むことが目的であった。けれど、国まで滅ぼしてしまったのだ。少なくとも、当分の間はバレットと行動することにしていた。

けして、やけくそとかではない。

 

バレットは、強くなることを望んだ。

それをメランは、そうだろうと受け入れた。

強いこと。それがバレットにとって絶対的なアイデンティティであることはメランにも理解できることだった。

 

「なら、海賊になるのが一番だろうなあ。」

「海賊か?」

「まあ、この海で強者に当たりたいっていうならそれが一番手っ取り早いだろうなあ。海軍になるって手もあったけど。まあ、手配書回される一歩手前なわけだから無理だけどな!」

 

はっはっはと飛び出た声音が空回りしていないといえば嘘になるだろうが。

そんなこんなで行き当たりばったり以外の何ものではなくとも海賊になることを取りあえず決め、そのまま旅を続けていた。

 

 

ざざーんと絶え間なく潮の音がする。

メランは今の所嵐の気配のない航海にて、船の甲板に座り込んでいた。

メランのかっぱらった船は、一応は数人が使うことを想定された小型と中型の間という微妙な大きさだ。

独りで使うには大きいかと思っていたが、バレットのおかげでちょうどよかったと今は思っている。

といっても誤算な所は幾つかあり、バレットが戦う上では少々手狭であるのだ。

バレットの戦い方は元々その大きさとパワーによるものであって手狭な船ではそれが生かしにくい。まあ、今では一部に武器を纏わせるという一点集中でやっているが。

幸いなことに癖なのか船には過剰な武器が積み込まれていた。

 

「ダグラス・バレットかあ。」

 

メランはそうぽつりと呟き、ちらりと船の後方に視線を向けた。

もちろん、反応はない。

それに彼女は頬杖をついた。

 

名を付けようと言ったのは、メランの方だった。

軍では番号で呼ばれていたが、こうやって海賊になっていくというならば立派な名前が必要だろうと考えたのだ。メランにはすでに名前がある。

それ故に彼に自分の名前を考えることを提案したのだ。メランは、それにうきうきしていた。なんといっても、九番だとか、二番だとか、そういったもので名を呼ばれることはあまり好きではなかった。

彼を、彼だけの名で呼べることを純粋に喜んだ。もちろん、思いつかないというならば何かしら名前を考える気であった。

けれど、九番と呼ばれ続けた少年は、ダグラス・バレットと名乗ることを決めた。

何故、と思わなかったわけではない。

それはその少年にとってお世辞にも縁起のいいものではなかったはずだ。けれど、それを言うのはなんだか不躾すぎる気がした。

メランは、そうかいと一度だけ頷いた。

それは歪みに歪んだ愛着なのか、それとも呼ばれなれているからという怠惰さなのか。

メランには分からないけれど、

それでも、バレットと呼んだその瞬間、少年に苦しみがないのならそれでいいのだろう。

 

(・・・・もういっそこじれたファザコンも混じってるのか?)

 

自分を裏切り、そうして殺し返した男の苗字を名乗る気持ちはメランには推し量れなかった。

ただ、バレットが不安定であると感じている。

なんというか、戦い方が雑なのだ。

確かにバレットの戦い方は他人というものを気にしない、ワンマンなものだ。けれど、船を壊さないよう戦う技術は持っていたはずだ。

加えて、海賊の姿を見るたびに戦いを挑む様な短慮さはなかったと記憶している。

 

「それになあ。」

 

メランは早速寄った島にて手に入れた海賊の手配書に目を向ける。

そこには立派な髭の男が一人。

 

「ロジャーかよおおおおおお。」

 

悲しいことに、全くと言っていいほど知らない時代に自分は生きているようだった。

ばらりと広げた手配書には、白ひげ、シャーロット・リンリン、金獅子、そうしてゴールド・ロジャー。

今の所手に入れた有名どころの手配書だ。

 

(どうりで、ときどき聞こえる有名人の名前に聞き覚えがないわけだよ!)

 

そりゃあ知るわけないという話だ。

原作の知識がまったく、というわけではないだろうが役に立ちそうにない現在はいっそのこと放浪していた方が吉なのだろうか。

 

(・・・・ぜってえバレットの奴、ロジャーとかに会わせちゃだめだろうな。)

 

勝てる確率はゼロに近いことはメランも察せられることだ。

といっても、この広い海で彼らに会う確率など何百分の一だとも思うのだが。

メランは立ち上がり、船内に足を進めた。

 

 

 

 

バレットは狭い船でも鍛練をしていた。腕立て伏せをしながら、それでも考えることがあった。

 

ガルツバーグにて瀕死の傷を負ったバレットは当分の間休息を命じられた。バレットも瀕死の状態で無理に動くことが不毛であることを察して安静にしていた。

といっても、やることがなかったというのが一番の理由であったのだが。

軍隊で生活していたため、船での雑務は別段苦痛でもない。

バレット自身、実践したことはなくとも航海技術や船についての知識は基本部分は教育されていたため、二人でも十分であった。

つかの間の休息、と言っていいのだろうか。それでも腕立て伏せなどトレーニングは続けていた。

メランの言うことに従っていた。

何となく、何となく、疲れていたのだ。その、妙な無気力感が何なのか分からずとも。それでも、日々の雑務をこなすことで一応は落ち着いてた。

そんな時、メランが何気なく、こう言った。

 

「望んでた自由な生活の感想は?」

「は?」

それは丁度昼時で、雑務も粗方終わり昼食に用意されたサンドイッチを食べている時のことだった。

 

「自由?」

 

驚いているバレットに、メランは不思議そうな顔をする。

 

「ああ?別に特別な任務があるわけでもないし。食事の時間なんかが決まってるわけでもないし。」

 

それにバレットは固まってしまった。

彼があれほどまでに望んでいた自由というものが既に得られていることを改めて言われて戸惑ってしまったのだ。

それを察したメランは言いつくろうように口を開いた。

 

「まあ、自由って言ってもさほど豊かってわけじゃないのかな?」

(いって、まだ十、四だっけ?のバレットになに与える気だったんだろう。あの人。酒は、いや幼過ぎるだろうし。異性も、早いような気がするし。お金?)

 

そんなことを隣で考えているなど知らないバレットは自分の状態についてぼんやりと考える。

自由、今、これがそうだというのなら。

 

(・・・・なにが、変わった?)

 

確かに、任務も無い。決められた規則も無い。

けれど、それが幸福であるとはバレットには思えなかった。いや、それ以上に彼は今、ひどく落ち着かなかった。

バレットは、自分の中にあった焦燥感にようやく気付く。

ずっと、無意識に目を逸らした事実。戦うという、自分の生きがい。

胸の奥に残った、ひりつく傷跡を無視するよりもなお。

何かが足りない、そうだ、あの、あの。

自分が強者だと、示すときに感じる充実感。

生きていると、感じるそれ。

バレットはそれから今まで避けていた海賊船や海軍を襲うようになった。

戦うこと、殺し合うこと、勝利すること。

それに夢中になる。

強く、もっと、強く。

勝つことに安堵する。勝利することこそに、生きていることを確信する。

ただ、頭の奥に残る焦燥感はどこかに残り続けている。

そうして。

 

「バレット。」

 

声のする方に視線を向けると、呆れた様子のメランは皿を持って立っていた。

 

「お前さんも飽きないな。」

「何だ?」

「昼飯じゃ、昼飯。」

 

それにバレットは素直に起き上がり、皿を受け取る。温かいスープとパン。メランが軍からかっぱらったものを売った金で肉やらを買ったらしく食事はそこそこに豪華だ。

バレットはそれに口を付ける。メランはバレットの喰いっぷりににこにこと笑いながら同じように食べ始める。

それが、不幸であるとは思わない。

ただ、落ち着かない。

強くなければという在り方は彼が唯一持っていたものだ。

 

「バレット。」

 

女が名前を呼ぶ。自分を指す、彼だけを意味する音だ。

それを名乗ったのは、別段意味はない。ただ、それぐらいしか自分を呼ぶ名称が思いつかなかっただけだ。

それ以上の何かがあったのかは、彼にもよくわかっていなくても。

けれど、その名でさえも少年だけのものだった訳ではない。

強さだけが、彼だけのものだ。

それ故に、戦うことを求める。戦い続けることを、強さの証明を望まずにはいられなかった。

それを止めた瞬間、彼は彼であることを失うのだと、何となくわかっていたのだ。

海賊になろうという提案を受けいれたのは、それによってさらなる強者との戦いが出来ると分かったからだ。

隣りに座る女を見る。

今は、それでいい。

そうだ、自分は一人で戦える。

けれど、この女がいれば便利なのだ。

名を呼ばれれば、自分のいた場所を、生き方を忘れることはないから。

だから、そうだ、女と共に旅をしてもいい。

心が逸る。もっと、もっと、強い存在と戦いたいと。それだけを、考えていたいと。

もしも、そんな二人を見ていた人間がいたのなら呆れたように言っただろう。

海に落ちることも考えずに戦うそれは、引き揚げてくれる存在がいるという甘えであると。

 

 

拝啓、父さん、母さん。

何回も拝啓と言ってすいません。

というか、そうでもしないとパニックでおかしくなりそうです。

うちの後輩が、運の悪いことに同じ島に泊まっていた白ひげの船に特攻決めようとしていて今回こそ本当に死にそうですが今の所は元気です。

どうか、草葉の陰かは知りませんがあの馬鹿を無事に回収できるように見守っていてください。

 



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野良犬の庇い合い

 

 

その日、バレットとメランは海賊たちが多く集まる繁華街的な島に来ていた。

左を見ても、右を見ても、物の見事に海賊しかいない。

島の人間も、海賊が金を落とす存在と認識しており、一見して平和だ。

まあ、需要があるのなら供給が生まれるのは自然な事だろう。

海軍が見れば発狂しそうだが。

まあ、あちらも天竜人に納めるものを納めなければ守ってもくれないのだから言いっこなしかもしれない。

 

「所詮人間は資本主義の奴隷なのか。」

「お前、何言ってるんだ?」

 

雑踏の中を抜けながらバレットは胡乱な目で訳の分からないことを言う古なじみを見る

そんなことを気にした風も無くメランはくるりと振り返り、後ろにいた相棒を見た。

 

「気にしなくていいさ。それよりも、私との約束はおぼえてんの?」

「・・・戦闘は、ひとまず我慢。」

「よし。」

 

この島に来るときに、メランはなんとかバレットに一つの約束事をさせた。

食料やらの物資の調達が終わるまで他の海賊に喧嘩を売らないこと。

一度、とある島に同じように上陸していた海賊と交戦した後、物資を調達できずに散々な事になったことがあった。

その時のメランの烈火の怒り様とその後の生活について思うことがあったらしく素直に約束をした。

 

「食べ物とか手に入れた後なら喧嘩なりなんなりしていいからさ。」

「分かってる。そんなに何度も言わなくていいだろ。」

 

 

まあ、すぐに他の海賊船を襲って物資を奪ったことには目を逸らして。

メランはその言葉に満足してまた歩き出した。それにバレットはふんと息を吐き周りを見回した。

周りには、多くの海賊たちがたむろしている。そんな中、バレットは自分に幾つかの視線が向いていることに気づく。

年若い二人だけが、この島にいることに違和感を抱いているのだろう。

それと同時に鼻の利くものは、バレットの強さというものに気づいているらしく刺さる様な視線を感じる。そうして、メランにもまた視線が集まる。

それに、バレットは呆れたような目を向けた。

バレットとしても、メランに視線を向ける気持ちも分かる。

殺伐とした空気の中、メランの空気は少々平和過ぎるのだ。狼の中に羊が紛れ込んでいれば目立つのは必然だろう。

バレットはそっとメランに近づき、牽制する様に周りに視線を向ける。そうすれば、数人はそっとメランから視線をそらした。

 

「今日のご飯はどっかで食べようか。」

 

蒼い髪が揺れる。

ほんの一瞬で、殺し合いが始まるだろう喧噪の中で、聞こえて来る言葉がそれであることにバレットはふっと笑った。

 

 

その日は、本当にいい日だった。

何と言っても、バレットが大人しく荷物持ちに徹していたことだ。

おかげで何往復もせずに買い物を済ませた。そうして、強面のバレットのおかげかいつもより足元を見られなかったのは本当にありがたかった。

メランはご機嫌のまま、島に多くあるうちの酒場の一つにやって来ていた。

メランはご機嫌でジュースを頼む。別段咎めるものも法もないのだが、それでも昔の常識に引っ張られて酒というものを飲む気にはなれなかった。

バレットといえば、別段酒が好きなわけでなくメランが酒を忌避しているためか自らそれを求めることも無い。酒場の人間は、互いにジュースを頼んだ二人組に訝し気な表情をしたが料理もある程度頼んだおかげか何も言わずにその注文を受けた。

 

「いやー、今日はやることがすいすい片付いて嬉しいなあ。バレットのおかげで買い物が早くすんだよ、ありがとな。」

「俺の分もあるんだ。」

「まあ、そりゃあそうだけど。良い気分だから礼が言いたくなるのさ。」

 

何と言っても久方ぶりの平和な上陸だ。そう言いたくなるのも分かってほしいものだ。今の今まで、島への上陸と言えばバレットが暴れることがセットだ。今回のような穏やかな時間は久しぶりだ。

 

「まあ、勝負の相手は明日探そうか。聞いた話じゃあ、何人か二つ名持ちとかいるらしいし。」

「懸賞金は?」

「うん?五千万とか、ああ、億越えもいるよ。」

 

億越えという言葉にバレットはにやりと笑う。大方、手ごたえのあることを期待しているのだろう。

億越え程度ならバレットも幾度か戦っている。

 

(・・・・今回は私は参戦しなくていいよな?)

 

基本的にメランがこういった折に参戦するのは船上戦だけだ。逃げられる余裕があるのならメランは戦わない。

バレット自身がのびのびと戦いたいために邪魔になるメランが共に戦うことを良しとしない。ただ、海上にてバレットがけしかけた戦いに関しては問答無用で参戦するしかないため文句は言わないが。

というか、逃げ道がないのだから仕方がないのだが。

 

「にしても、家の船もう少し何とかしないとなあ。」

「あの船は元々漁だとかに使う奴だろう?」

「ん、まあねえ。そのせいで木造りの奴だからあんまり防御力ないしねえ。お金、貯まったら買い替えるとか、作り直してもらうのも考えないと。」

「・・・・襲うか。」

「うん!考えてることはわかるけど海の上でやるのは止めてね!?だいたい、君は襲っても船沈めるから略奪もクソも無いじゃん。」

 

それにバレットは少しだけ後味の悪い顔をして、ん、と一言だけ返事をした。拗ねた様な表情にメランはため息を吐く。

そうして、立ち上がる。

 

「まあ、今日はもう帰ろうか。行動は明日、明日な?分かったよね?」

「んな何回も言わなくても分かってる。」

 

素っ気ない返事にメランは頷きながら立ち上がる。

 

「そんじゃあ、勘定払う前にトイレに行ってくるから待っといて。」

 

バレットはそれにひらりと手を振ってこたえた。

 

 

 

「あれ?」

 

メランは用を足した後、自分たちが座っていた席に帰って来た。そうして、そこにはバレットの姿はなかった。

不思議に思っていると、店の主人が近寄って来る。

 

「連れなら出ていったぞ。」

「え、まじですか。先に帰ったのかなあ?」

 

メランはバレットの行動を不思議に思いながら店主に食事の代金を払う。首を傾げているメランに、バレットがいなくなったためか声を掛けて来る存在がいた。

 

「はっはっは!嬢ちゃん、あのガキなら今頃死んでると思うぜ?」

「は?」

 

声の主はとあるテーブルに座っている海賊の一団であった。記憶にないことからメランは自分がトイレに立っている間にやってきたらしい。

 

「ええっと、それはどういうことで?」

 

恐る恐るそう言えば、男たちはげらげらと下卑た笑い声をあげる。そうして、メランの手を掴む。

 

「そんなことより、こっちに来いよ!」

 

メランはそれに面倒事のにおいを察知し、無言で拳銃を手に取った。

 

 

 

そうして、メランは現在爆走している。

一人で白ひげの元に特攻したバトルジャンキーの後輩を助けるためだ。

 

(あああああああああ!あんの単細胞がああああああ!)

 

事の顛末は単純な話。どうも件の海賊たちは年若いというのに一人でテーブルについていたバレットに絡んだらしい。

別段、それについては構わない。というか、よくあることだ。

いつもならば、バレットも適当に伸すぐらいはしただろう。けれど、何故か、今回はその安い挑発に乗ってしまったらしい。

そんなに自分の強さに自信があるのなら、白ひげにも勝てるんだろうな、なんて。

 

「あんの馬鹿野郎が!!」

 

メランは足に力を入れて、さらに加速した。どうも、聞くところによると丁度白ひげの船がこの島に泊まっていたらしく生意気なルーキーを揶揄うタネにされたらしい。ああ、なんて運が悪いのだとメランは嘆きたくなる。そうして、そんな安い挑発に乗った馬鹿への嘆きも加えて。

 

(だいたい、あいつはこの頃焦ってる。)

 

バレットは確かにバトルジャンキーではあるが、それでも準備や仕込みをしないほど愚かではなかった。能力で船を叩き壊している時点で、そう感じることはあった。

けれど、国であったことがことだ。

気を紛らわせるために逸っているのかとも思った。けれど、何と言うのだろうか、だんだんひどくなっている気がする。

メランは背負った武器を入れた箱を背負いなおし、さらに足に力を入れた。

 

 

「くそったれ。」

 

酒場の店主は憎々しげに吐き捨てた。

彼の前には、ルーキーらしい二人組に絡んでいた海賊たちが転がっている。

 

「処理するこっちの身にもなれってんだよ。」

 

海賊たちは全員、十人弱ほどは眉間にぶち抜かれて絶命していた。

 

「おい、さっきのガキ、見たか?」

「ああ、すげえ早撃ちだったな。」

 

その場にいた海賊たちは、酒場でひと騒動起こして出て行った子どもの話を肴にしていた。

自分に絡んできた海賊たちを、少女は何の躊躇も無くまず、一人撃ち殺した。

額をぶち抜かれたのだから当たり前だ。

そうして、少女はそこから作業をするかのような気軽さで男たちの、急所を打ち抜いて行った。

 

「早業も早業だったがよ、まるで見えてるみてえに攻撃全部避けてたよな。」

「ああ、襲い掛かられてもまるで未来が見えてるみてえだったしよ。」

「最後に残った奴なんか、何吹き込んだか聞くためにわざわざ足やら腕やら打ち抜かれてたしなあ。」

「ま、そいつも結局額打ち抜かれて死んじまったがな。」

 

おお、怖い。

男たちは最後にふざけた様にそう言って、死体の転がる横でげらげらと笑い合っていた。

 

 

 

(わあーい。)

 

なんてはしゃいだ声を脳内で上げても目の前の光景は悲惨の一言に尽きる。

丁度、島の端に泊まっている巨船を見つけた。木々の間から身を潜めてそれを観察する。

そうして、その巨船の前の開けた場所にて戦っている馬鹿と、見上げる様な巨体の男。

ああ、逃げたい。

もう、何もかも見なかったことにして、船に乗って逃げたい。

 

「約束破ったの、あいつだし。」

 

そんなことを呟いてみる。けれど、どう見ても苦戦をしているだろう弟分のことを見ていればそんな感覚は薄れていく。

 

あいつは、死ぬんだろうか。

 

そんなことが頭をよぎる。

メランはそれに、首を振った。

嫌だ、ああ、嫌だ!

そんなことがあるのが、そんなことを考えた自分が、心底嫌だ。

逃げれば楽だ、無視した方が安全だ。けれど、それはメランにとって人間であることを放棄してしまうことと同義だ。

 

「もおおおおおおおおお。」

 

メランはため息を吐いて持って来た武器に手を駆けた。

 

 

 

エドワード・ニューゲートこと、白ひげと呼ばれる男は目の前のそれの攻撃を受け流す。

未だ、年若い青年と少年の間程の子どもはたった一人で白ひげに挑みがかって来た。

普段ならば、叩きだすなり、痛い目を見せるなり、殺すなり。

白ひげが何かをするほどのことはない。

けれど、その男は彼の家族を蹴散らして白ひげに戦うことを要求した。

それを彼は受けた。

そうでもしなければ止まらないと理解したためだ。

 

相手の少年は、確かに強かった。

能力者の様で持っていた武器を組み換え、時には銃撃を、時には斬撃を仕掛けて来る。それと同時に肉弾戦においても目を見張るものがある。

けれど、彼は白ひげを相手にするには力不足であった。

 

(・・・惜しいなあ。)

 

そう思ってしまうほどの実力だ。

少年、バレットと名乗ったそれは膝をつきぜーぜーと荒い息を吐いている。それを見つつ、白ひげは自分の刀を振るおうとした。

そうして、自分に向かって来る何かを認識する。白ひげはバレットに向けていたそれを振った。

眼で認識すれば、丸い砲弾のようなものを白ひげは切り裂く。それと同時に、辺りに煙が吐き出された。

 

「なんだ!?」

 

思わずそんな声が飛び出た。白ひげはとっさにグラグラの実の能力を使い、衝撃波で煙を霧散させる。

が、煙を少量は吸ったらしく、げほげほと咳がこみ上げ、ぼたぼたと涙が溢れて来る。

涙で揺らいだ視界の中で、バレットの隣に誰かが降り立つ。

 

「てめえ、余計なことしてんじゃねえよ!?」

「どの口が言ってんの!?ずたぼろの状態で完全に負けてんじゃん!バカなの!?あほじゃん、もう死にかけじゃん!」

「俺は負けてねえ!」

「すげえな、その様相で負けねえって喚く負けず嫌い嫌いじゃないけど今は殺したいほどめんどくさいな!?」

「めんどくさいならほっとけ!」

「あほか、ほっとけるならあの時、君の事なんて置いて逃げとったわ!というか、物量で押しつぶすのが得意戦法なのに、何を武器も持たずに挑んでるのかな!?」

 

現れたのは、一人の少女だ。黒にも青にも見える濃い紺の髪を揺らし、獣じみた金の瞳で白ひげを睨んでいる。

手には古いライフル銃を持っており、背に長方形の箱を背負っていた。そうして、それを乱雑な仕草でバレットの方に放り投げた。

バレットがそれを受け取り、にやりと笑って蹴り上げる様な仕草で蓋を開け、中に入っていた銃や剣を取り出す。

白ひげは涙で掠れた視界の中で、迷いなく武器を構えた。

 

「気が利くなあ、メラン!」

「うん、敵前逃亡って言葉を知らないんだね、君は!?というか、催涙弾あんまり効いてねえなあ!?」

 

せっかく軍からかっぱらったけど、目つぶしにもなんねえ!

 

無駄に威勢のいい声が辺りに響く。そんな声など聞こえていないというのにバレットは白ひげに飛びかかった。

 

戦に参戦した少女、メランは、そうはいってもあまり強いとは言えなかった。ただ、戦いにくい相手ではあった。武装色の覇気は使えないようで手に取った武器もさほど脅威ではない。ただ、まるで見えているように白ひげの攻撃を避ける。

本人の身体能力自体は、バレットに明らかに劣っていたがその動きによって能力以上の動きを見せている。

そうして、バレットへ回避のために指示を出すのだ。そのために、バレットの動きも相手するには面倒になっている。

バレットの方はメランの持って来た武器を能力で弄ったらしく、明らかに火力が増している。

白ひげは標的を変え、メランへ主な矛先を向けた。

メランは確かに優れた回避能力、おそらく見聞色の覇気使いとして高い資質を持っているのだろう。だが、その力に身体能力が追いついていないのだ。

フェイントを加えた攻撃にメランはあっさりと引っかかり、地面にそのまま叩きつけられ動かなくなる。

 

「メラン!?」

 

それにバレットが初めて動揺を見せる。微かに胸が上下しており、生きてはいるようだった。白ひげはそれに目を細めて、挑発する様に言い捨てた。

 

「どうした、俺にぐらい一人でも勝てるんだろう?」

 

それにバレットは歯を噛みしめた。

 

「くそが!」

 

バレットはそれからどんどん劣勢になっていく。それは、メランという援護役がいなくなったこともあるだろう。そうして、それと同時に、地面に倒れ伏した彼女を庇っているためだ。

動きがパターン化し、守りに徹している。

その様は、まるで野良犬同士の庇い合いに見えた。

一人でいいのだと、バレットが叫んだのは事実だろう。それは、確かに一人でいいのだと、勝てるのだと自身が思っていたようだった。

だが、今はどうだろう。

その少年は、今、勝つためにではなく、守るために足掻いている。

迷いがあるのは手に取るように分かった。

それを止めれば、もっと上手く戦える。けれど、どうしたってそれが出来なくて。

大切にしたいのかもわからない、仕方だって分からない、危うい戦い方だ。

何を急ぐのかと疑問はある。

バレットは強い、その資質は確かな経験などを積めば自分と遜色ないほどまでに強くなるだろう。

白ひげは、その子どもから自分と同じ何かを感じた。

ただ一人、味方も無く、己の為だけに力を振るうその様よ。

ああ、思い出す。多くのことを、その少年からは思い出す。

そんな風にしか、力を振るえなかった時のことを。自分が何を求めているのか、分かりもせずに暴れることしか出来なかったその時を。

 

(潮時だ。)

 

白ひげは畳みかける様にバレットに斬撃を与え、とうとうバレットも武器を消耗させられ肉薄されたあげくに吹っ飛ばされた。

そうして、今までに蓄積していたダメージのせいか、そのまま意識を失った。

白ひげはゆっくりと少年に近寄ろうとする。その時、動かなかったメランが意識を取り戻したらしく、はいずり始めた。彼女は、白ひげのことなど目に入っていない様に、バレットに近づく。

その姿は、ひどく惨めだった。白ひげはそれを無言で見つめた。

メランは、鬼気迫る様相で、バレットの元にたどり着くと彼の息を確かめた。ぜーぜーと息を荒げながら、彼女はバレットを庇うように覆いかぶさる。

その様は、ひどく、ひどく、痛ましかった。

 

「・・・・お願いです。」

 

目の前に歩いて来た白ひげを見つめて、彼女は掠れた声で言った。

 

私のことはどうしてもいいです、だから、この子だけは助けてください。

 

焦点の合っていない、今にも意識を手放しそうな目で、白ひげの方を見る。

白ひげは、似たような光景を幾度も見たと思った。

それは、弱者が弱者を庇う瞬間だ。強者に対して、無理かもしれないと思いながら、無視されると、蹂躙されると知りながら、それでも一抹の希望に縋った命乞いだ。

白ひげは、それが悉く踏みにじられる瞬間を見て来た。

白ひげの視界で、大柄な少年を庇う少女の姿が、幾重の何かに重なる。

子を庇う母のような、きょうだいを守る幼子のような、友を守る誰かのような、そんな、白ひげが幾度も見て来た蹂躙されてもなお、何かを守ろうとした誰かを重なる。

 

「・・・・それで落とし前が着くと思っているのか?」

 

普通ならば誰もがしり込みをする威圧感の混じった言葉に、メランはぐらりと揺れながら、それでもなお、必死に白ひげを見つめる。

彼女は、白ひげから目を離さなかった。

 

「おね、がいで、す・・・・・」

「なぜ、そこまでする。」

 

それは白ひげにとって純粋な疑問であった。

その二人は、そこまで庇い合うほどの何かがあるとは思えなかった。もちろん、白ひげは彼らにどんな旅があったのか知らない。けれど、そんな疑問が出てくるほどに二人はどこかちぐはぐであった。

家族と言うには親しみが足りず、友と言うには気遣いが無く、仲間と言うには好き勝手で、きょうだいというには遠く、恋人と言うには甘さが無く。

けれど、ひどく、どうしようもなくともにいるように見えた。

メランは、それに、反射的の様に、意識を手放す寸前の中、囁くように言った。

 

何も、知らないんだ、この子は。戦うことしか、知らないんだ。否定したくない、でも、もっと違うことだって世界にあって。

もっと、おいしい、ご飯を食べて。綺麗なものを見て。優しいものを、知って。

世界を、知って、ようやく自由になれた、から。

 

言葉はどんどん、掠れて、薄れていく。それでも、少女は言葉を続ける。

 

いつか、死んでしまうなら。助けて、上げられなかった、あの子たちの分も。

せめて、この子だけは。私には、この子、しか。

 

意識がとうとう飛んだのか、少女は少年の上に倒れ込む。

白ひげはそれをじっと見た。

危ういと、そう思う。そうして、惜しいとも思った。

今、殺すにはその少年は強く、そうして危うかった。自分の船にいる、遠い昔の自分の影を白ひげは見る。

白ひげは、その二人の子どもを拾い上げると無言で己の船に向かった。

 





戦闘シーンは苦手。


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お父さんはもういらない


久しぶりの投稿。



 

 

ゆらゆら、ゆらゆら、揺れている。その揺れが、なんだかひどく心地がいい。

きっと、きっと、誰もがそれに笑ってしまう。それ程までに心地がいい。

まるで、幼いころに眠った腕の中のような、揺り籠のような。

 

(・・・・ああ、このまま。)

 

その時、心地の良い揺り籠は一気に荒れ狂う何かに変わる。メランは包まっていたシーツから放り出される。

 

「あだ!?」

 

メランは突然訪れた衝撃に思わず目を覚ました。視界に映るのは、古びた木の目の天井。

そうして、周りには数個のベッド。ベッドは清潔なシーツが掛けられており、人の気配はない。

メランはそれに夢現だった思考を一気に、無理やりに覚醒させた。体の奥から鳴り響く警告音に、彼女は素早く周りを見回した。

体は鈍く、酷く怠い。まるで散々泳いだ後のだるさだった。

人の気配はない。部屋には複数のベッドと窓、そうしてドアしかない。鼻につく薬の匂いからして、どうも医務室か何かであるらしい。

 

(・・・・つって、お世辞にも穏便なタイプの人間が乗ってはないな。)

 

部屋の中は手入れはされていたものの、床に沁みついた血痕らしきものから察せられた。

メランは素早くドア近くの壁に背を着け、廊下を伺う。すると、ぞわりと軍隊生活で慣れた大勢の人間の気配を感じる。

 

「・・げえ。」

 

なれていたとはいえ、バレットとの二人きりの生活で忘れていたその感覚にメランは頭をくらくらさせながら、鈍く痛む頭に手を添えた。

それに加えて死にかけたというか、久しぶりに懐かしいとさえいる死に近づくような感覚にいささか過敏になっているようだった。四方八方からする、自分よりも強者の気配に目眩がする。

 

(・・・・私は。)

 

メランはなんとか気絶以前のことを思い出す。そうして、ここが何となしに白ひげの船であることを察した。メランは冷や汗の流れることを認識して、うわあとため息を吐く。

 

(・・・・なんでさあ。ここで台風の中心がそんな。)

 

こんなにあっさりと原作の大物に関わっていいのか。というよりも、なぜ白ひげが自分たちを拾うのか分からない。完全に自分たちは彼に喧嘩を売っていたというのに。

 

(いや、違うか。)

 

白ひげという存在の在り方を考えれば、自分たちのような存在を拾う方がずっと理解が出来る。

メランとバレットは、確かに二人で生きているけれど、自分たちを不幸であると察しても満たされないわけではない。

二人は、確かに哀れな子どもだ。

メランがバレットに感じた、美しい未来を進む道さえ閉じられた、寂しい子ども。

メランはそれに自分がここにいることに納得してしまった、受け入れてしまった。

白ひげと言う大人が感じたかもしれない、子どもたちへの憐憫をメランは理解できる。

自分の体を見る。

あの戦いでそこそこのダメージや傷を受けたはずのそれは、きちんと手当てがされているし、拘束だってされていない。それに何となく丁寧に扱われたことは理解できる。

 

(んで、バレットは?)

 

メランはそれにさっと血の気が引く。メランが拘束されていないのは分かる。自分は確かに鼻は効くが、お世辞にも強いとは言えない。けれど、バレットは?

強い、あいつはどうなっている。

メランはそれに慌ててドアを開く、何も考えずに、必死にバレットの気配を探った。それ故に、彼女は廊下を歩く存在なんてものに気づかない。

がちゃりと、開いた扉の先。

メランと彼はそれぞれに目を真ん丸にした。考えてなどいなかったからこそ、驚いて固まってしまう。

メランは、自分の目の前にいる存在に固まった。まんまるの、愛嬌を感じる眼。まるでトサカのような金の髪。どこか、パイナップルを思い出させる頭のシルエット。

メランは、それに息を飲んだ。

普段の彼女なら、戦場での習慣通り構えの一つ、手ぐらいは出ただろう。けれど、それを上回る驚きがメランを襲った。

 

(マ、マルコ・・・・・?)

 

思わず茫然と、遠いか近い未来にて不死鳥と言う二つ名を持つであろう少年の名を思い浮かべた。

 

メランはひたすら目の前の存在を凝視する。頭の中は混乱の極みだ。

だって、不死鳥のマルコである。

 

(・・・・アニメの時、オレンジ頭の死神の印象が強すぎて逆に印象に残ったなあ。)

 

グラグラ揺れる頭はひどく昔の記憶に浸る。現実逃避は自覚済みだが、そうでもしなければやってられないのだ。

 

「起きたのかい?」

 

その声はどこか弾んでいて、自分の思う印象よりもずっと幼かった。いや、目の前の少年も自分と同じほど、下手をすれば年下かもしれないのだから当たり前なのだが。

 

(ああああああ。でも、頭の中でダンディーになった君が邪魔して印象がめちゃくちゃだ。)

 

マンガ的に表現が出来るのなら、眼にぐるぐると渦巻きでも描かれていることだろう。

 

「あ、えと、その・・・」

 

メランはここで自分が何を言えばいいのか。というよりも、自分たちはこの船でどんな扱いを受けているのか。

 

「ついて来いよい。親父に会わせてやる。」

 

そんなメランの動揺など気にした風も無くマルコはくいっと指を差した。

メランはそれに理解が追い付かずにグダグダになりながら案内を始めようとする少年に話しかけた。

 

「え、あの・・・」

「何だよい?」

 

何だ、と言われても自分でも何を言えばいいのか分からない。そこで、何とか言葉を絞り出す。

 

「・・・そんな、その、あっさりとあわせーても?」

「お前みたいな弱っちい奴気にするだけ無駄だよい。」

 

ざくりと自分に何かが刺さる気がした。メランはそれはそうなのだけれど、そこそこの衝撃と言うか悲しみを覚えつつ視線を下に向ける。そんなメランのことなど気にした風も無く、マルコはため息を吐く。

 

「それに、さっさとあの馬鹿をとめてほしいねえ。」

 

マルコがそう言った瞬間、どこからかどーんと騒がしい音が聞こえる。

 

「・・・またか。」

 

呆れた声がする中で、メランはその音の方向にとっさに走り出した。

後ろから声が聞こえるが、それ以上にメランは無我夢中で走り続ける。なんとなく、その音の方に大事な昔なじみがいる気がした。

廊下にはいかつい男たちが往来していたが、メランはまるで彼らがどう動くか分かっているようにすいすいと進んでいく。そうして、辿り着いた先の扉をけたたましく開ければ、ちょうど甲板を一望できる二階のような場所にたどり着く。

さすがに久しぶりに動いたせいで息が上がっていたが、気にすることなく甲板に目を走らせる。そこには、嬉々とした顔で白ひげと戦う戦闘馬鹿が一人。

それにメランの動きが止まる。

 

「おい!お前!」

「・・・・バケツ。」

 

メランはぼそりと呟いた。

 

「バケツと、ロープってある?」

 

据わった目をした少女に、マルコは思わず口元を引くつかせた。

 

 

誰もが、とまではいかないがその日の仕事を終えた者たちの多くが甲板で起こる騒動を眺めていた。

甲板の中央には、この船の船長にして、船員たちの親父にして兄弟であるエドワード・ニューゲートと、そうして少し前に船長自身が連れて来た少年が向かい合わせにいる。

ニューゲート、白ひげは殆ど無傷に等しい。それに反して、当たり前と言えば当たり前のように少年はズタボロだ。周りには武器の破片が散乱しており、ぐらつく足を必死に踏ん張っている。

それでも、少年は不思議と笑っていた。

それに、白ひげは呆れたようにため息を吐く。

自分でも呆れてしまいそうなほどに、少年はまさしく戦闘狂であった。今でさえそうだ。白ひげが手加減しているといっても実力差は圧倒的だ。下手をすれば死ぬ。

だというのに、本当に楽しそうにそれは笑う。

 

(・・・どうしたもんか。)

 

正直言って、白ひげも少年への扱いを悩んでいる部分があった。

白ひげの船には多くの船員がいる。そんな中に放り込めばある程度、誰かとの交流や喧嘩だってする。けれど、その少年、バレットは滅多に他人と口を利くことはなかった。

まるで警戒心に満ちた獣のように他との距離を測り、声を聞くことなど滅多にない。

唯一分かるのは、少女が叫んだ名前ぐらいだ。

どんな過去があるのか、なぜ海賊になったのか。バレットは語ることはなかった。

まあ、自分の生い立ちを語るものはあまりいないためいいのだが。

バレットはまだ船に乗ってそれほど経っていないということもあるだろうが船には余り馴染んでいなかった。

そんな無愛想で、無感情極まる子どもであったバレットを何だかんだで周りは気にかけていた。

それはバレットが時折、ひどく幼い顔をするときがあったためだ。

バレットと共に連れてこられた少女、メランと言っただろうか。

それを前にすると、少年は年相応の顔をするときがある。

バレットは起き抜けにまず暴れようとしたものの、隣りのベッドで眠る少女の姿に動きを止めた。

少年はひどく焦った様子で彼女の現状を尋ねた。一応、命の別状がないことを伝えればひどく幼い顔をした。安堵に満ちた、顔をした。

白ひげ自身は、少年のそんな顔など見ていない。ただ、自分とそう変わらない年齢の船医はひどく穏やかな老いた目をしていた。

バレットは白ひげにさえも滅多に口を利かなかった。自分が何故船に乗せられたかと言う理由さえも頑なに聞こうとしなかった。

 

「・・・・あいつがおきてから聞く。どうするのか決めるなら、あいつとだ。」

 

淡々とした言葉は少年の中での絶対的なルールの様だった。白ひげはその言葉を尊重することにした。それは、おそらく少年にとって心の奥の柔らかな部分に相当するのだろう。

そうはいっても、バレットはお世辞にも良い子とは言えず、自分が負けたことがよほど悔しかったのか、白ひげを見つけるたびに挑みかかって来る。

かといって、反抗心の塊かといえば違い、食事などの分は働くとある程度の雑用もこなしている。

ちぐはぐな印象を受けはするものの、見る限りでは別段問題はない。

けれど、その熱狂に満ちた目に白ひげは嫌な感覚を覚える。

殺し合いへの熱、戦うことへの渇望。

楽しいと、さあ、もっとだと叫ぶようなその表情に危うさを覚える。

自分と同じ、何も与えられず、何も求めなかった、自分が何が欲しかったか分からない故の熱狂を少年に見出す。

別段、戦うことを好むこと自体は否定する気はない。

所詮は、白ひげだって人殺しの人でなしだ。自分とて、強者との戦いを好む感情自体がないわけではないのだから。

それでも、危ういと思うのだ。憐れみと、今にも下へと、一人で落ちていく者を眺める様な寂しさを、覚えるのだ。

白ひげは今にも崩れ落ちそうなくせに、どこか喜悦を瞳に浮かべる少年を見る。

その時だ、少年の頭にバケツがヒットした。

 

 

マルコは目の前で起きている風景に目を瞬かせた。

彼が親父と慕う男が二人の、同い年ほどの少年と少女を連れてきて少しが経った。

少女は眠り続けているため何とも言えないが、少年の方ははっきり言ってあまり好きではなかった。愛想なんてほとんどなく、いるだけで空気が辛気臭くなるようだった。

何よりも、最初は白ひげのことを殺しにきたくせに船に乗っているということ自体も面白くはなかった。

少年、バレットと言うそれは表立って白ひげに反抗することはなかったが、暇さえあれば戦いを挑む。

生意気だ、面白くない。けれど、周りの年かさ連中はバレットを気にかけている節があった。

マルコには何故、その少年を気に掛けるのか分からなかった。

そんな時だ、偶然医務室の前を歩いていると、ぴょんと少女が飛び出してきた。彼女は廊下に自分がいるなど分からなかったのだろう。驚いて、体を固めている。

それに、何となく、彼女があまり強いとは言えないことを察した。

マルコは改めて少女を見た。

青味がかった黒い髪に、満月のような金の瞳。人目を引きそうな、中々に整った容姿をしていた。目を真ん丸にして固まるその様は、お世辞にも害がありそうには見えなかった。

話しを少しすれば、明らかに人の良さそうな人間だった。

マルコは正直言って、彼女のことをそこまではっきりと見たわけではない。そんな暇がなかったというのもあるし、医務室にはバレットが入り浸っているせいでもあった。

雑務をこなすか、白ひげに戦いを挑む以外、バレットは医務室にいた。そうして、彼女の眠るベッドの横に座り込んでいるのだ。

別に、何かをすることも無い。ただ、そこにいるだけだ。

最初は船医でさえも近づくことを嫌がったが、慣れたのかそんなことは今はない。

そのせいか、船医はバレットのことを可愛い所があるという。

それ故に、マルコにとって彼女は好奇心をくすぐられる存在だった。あんなにも捻くれた男の側にいる少女というものに興味が湧いた。だからこそ、突然走り出すという突拍子もないような行動に思わず固まった。

 

(・・・・いや、すごいねえ。)

 

マルコの目の前でバケツに入った海水を徹底的にバレットにぶっ掛けている少女がいる。

 

「てめ、メラン・・・・・!」

 

力の抜けた少年は甲板にべたりと倒れている。が、その少女、メランは真顔でひたすら海水をぶっ掛け続ける。問答無用にびしょびしょになったことを確認するとメランは周りの人間など気にした風も無くその場に屈む。

 

「楽しそうだね?」

 

お世辞にも優しそうというのか、険のない声とは言えない台詞だった。マルコには背を向けているせいでメランの顔は見えないが、引きつったバレットの顔が全てを物語っている。

 

「いやあ。約束破って?人のこと巻き込んで?目が覚めてこちとらお前のことめちゃくちゃに心配してる中、本当に、楽しそうだね?」

 

棘の付いた言葉にバレットの顔は少しだけ気まずさを感じている、マルコからすれば情けなさの漂う表情をしていた。白ひげを含めてその場にいた者がメランとバレットを見つめている。

 

「約束、覚えてるよね?それは君だって・・・・」

「そろそろ勘弁してやってくれるか?」

 

上から聞こえて来た声にメランは視線を向ける。そこには、少々の埃や細かな傷のついた大男がいた。メランはそれに素早く立ち上がり、敬礼をした。

 

「止めろ、気に入らねえ。」

「失礼、軍の出なもので。上のものへの挨拶は基本的にこうなのです。改めて、感謝します。傷の手当等、色々と。」

 

メランはにこやかにそう言った。マルコはそれを目を丸くしつつ眺める。

今までの年相応さはなくなっていやに大人びたしぐさであった。

 

「・・・・来い、いろいろと話さねえといけねえことがある。」

「分かりました。ほら、バレット行くぞ。」

「てめえのせいで体に力が入らねんだよ!」

「あ、そうだ。じゃあ。」

 

メランは一番近く、追加の海水の入ったバケツを持たせたマルコに視線を向けた。

それにマルコはごめんだと口を開こうとするが。

 

「マルコ、おぶってやれ。」

「え、親父!?」

「病み上がりのそいつに途中でへばられてもごめんだろうが。」

 

そう言って背を向けて歩いて行く白ひげを見送ったマルコはでろんと転がるバレットと申し訳なさそうな顔をしたメランに視線を向けた。

そうして、逃れられないことを察して不機嫌そうに顔をしかめた。

 

「あーごめんな。」

「謝るぐらいならさいしょからするなよい。」

 

不機嫌そうなマルコにメランは苦笑する。バレットは無言でされるがままだ。

白ひげの後を追いながら、メランは掠れたことで囁いた。

 

「ご飯、食べてた?」

「・・・・ああ。」

「怪我の手当てもしてもらったんだね。」

「・・・・ああ。」

「仲良くやれてるかい?」

「・・・・慣れ合いなんてがらじゃねえ。」

「お礼は言ったかい?少なくとも、彼らにはそこまでする義理はないしね。」

「・・・・仕事はした。」

「そうか。それは、いいことだね。」

 

ぼそぼそと、声がする、二人の声がする。マルコはそれにそっと担いだバレットの顔を伺った。

その声があんまりにも幼くて。だから、どんな顔でそんな声を出しているのかと気になった。

一人でいいのだと、このままでいいのだと、そんな風に振る舞うバレットが気になった。

幼い、顔だった。

なんだか、ひどくほっとしたような、安堵した顔だった。

 

 

 

 

連れてこられた先の部屋は、その男のサイズ通り全てのスケールが違う。規格外なサイズの椅子にどかりと座った男を、メランは見つめる。

 

(・・・・でかいなあ。)

 

メランはまるで人ごとのようにそう思いながら隣りのびしょびしょの少年の隣に立った。

少年に不機嫌そうな顔でじとりと睨みつけられる。いや、分かる。

何と言っても、びしょびしょの原因は自分なのだ。

 

(いや、だって、今回はバレットが悪い。)

 

約束を破ったのは、あっちなのだ。だからといって、一応は味方とは言えない船でやるには軽率な行動だったという自覚はある。

それでも散々な目に遭ったのは事実なのだから、謝りたくはないという思いはある。

 

「・・・・・で、どうして俺たちを船に乗せた?」

 

バレットは唐突にメランを睨み付けるのを止めて、椅子に座る白ひげに聞いた。白ひげはどこか、思いつめる様な顔をした後にため息を吐く。

 

「・・・・・そうだな、要件だけを言うが。お前ら、俺の息子にならねえか?」

 

その言葉にメランは目を見開き、バレットを伺った。バレットは変わることなく不機嫌そうな顔をしていた。

 

「下らねえ。」

「くだらねえとは、ずいぶんな言い方だな。」

「くだらねえだろ。息子だ?わざわざ群れるなんざ意味のねえことしてるだろが?」

「そう言うてめえは一人じゃねえんだな?」

 

揶揄うようにそう言われ、バレットの顔が強張った。

 

「こいつは便利なだけだ!」

 

顔に羞恥の浮かんだバレットに白ひげは何故かひどく嬉しそうに笑う。

 

「グララララララ!恥じることはねえだろう。」

 

そう言って、白ひげは笑った。なんだか、ひどく楽しそうで、喜ばしいと言っている様な表情だった。

 

「そんな顔をするんじゃねえよ。恥ずかしいことなんざねえ。一人で生きるにゃ、この海は広すぎる。」

「何が言いてえんだ?」

「てめえよりもつええはずの俺も、一人で生きてなんざいねえよ。」

 

バレットはそれに目を真ん丸にした。まるで、子どものように、ひどく、ひどく、不安げな眼だった。

バレットはそれ以上に何かを言おうとするが隣に立ったメランはばっと口を塞いだ。バレットはそれにぎろりとメランを睨む。

 

「馬鹿野郎!何たてついてんだよ!?こちとら圧倒的に不利すぎるだろ!?」

「邪魔を!」

「お前は負けた!」

 

ぴしゃりとメランにそう言われ、バレットは黙り込む。不機嫌そうにそう言ったメランはバレットから体を離した。

 

「それでも生かされてる。海の上で計算外の食料を分けられてる。そこら辺はわかってるから君だって雑用なんかをしたんだろう?」

 

バレットは苦みの走った顔をした後に、くるりと白ひげに背を向けた。

 

「え。ちょっと・・・」

「・・・・雑用の時間だ。話はてめえが聞いとけ。」

「えー、それだと、話の殆ど、私の視点が入るから情報としては濁るよ?」

「かまわねえよ。」

 

慌てて引き留めるメランにそう言い捨てて、バレットはその場を去っていく。

 

「すいません。その、この手の話、あいつ苦手で。」

「いや、かまわねえよ。上品に断りを入れる奴なんざそうそういねえからな。」

「・・・・あの子は、上手くやっていましたか?」

 

思わずそんなことを聞いてしまったのは、メランの脳裏に軍で一人である少年の姿を思い出させていた。

白ひげはそれにどこか呆れた顔をする。

 

「そんな顔をするな。」

「え、そんな顔って。そんなにひどい顔してますか?」

「情けねえ顔だ。」

「ははははは、まあ。すいません。」

 

メランはそんなことを言いつつ、どうしたものかと考える。

父親、そんなものとバレットは皮肉なほどに相性が悪い。

 

(・・・・そうあってほしかった存在は、結局自分たちを裏切って。)

 

バレットがあの男を父親と思っていたかなんて知らないが。それでも、そう言った存在を男に求めていた部分があったのは事実だろう。

メランは考える、どうしたものか。

おそらく、目の前の存在は自分たちに害になることはないだろう。

白ひげと言う存在が優しいことを知っている。

信頼だって出来る。というか、あのくそみたいな原作で数少ないまともな人物だ。

 

(後でバレットと話し合うとしても。ここに居続けることにデメリットはないけれど。父親か。)

 

苦みを纏った感情が喉の奥にへばりつく。

目の前の存在は、バレットの心を癒してくれるだろうか。

彼女に取って何よりも重要なのはそれに尽きる。メランにとって一番に気にすべきなのは、バレットの幸福だ。

戦う以外、もっと別のものにも目を向けてほしい。バレットの楽しみを否定したいわけではないけれど。それでも、メランは自分にとっての幸福な人生と言うものを送ってほしいという思いを捨てきれていない。

 

(・・・・だってなあ、寂しいじゃないか。)

 

人は幸せになるために生まれて来る。

何処で聞いた言葉だろうか。けれど、それこそメランにとって何よりも考える生きる上での命題だ。

それ故に、この理不尽のくそ極まる人生で出会った、強かっただけの少年の幸福を何よりも願っている。

その幸福を、戦い続けることだと形容したくない。

美味しいものを食べて、美しいものを見て、恋だってして、家族だって作って。

そんなことを願いたくなる。

 

「てめえはどうするんだ?この船に、息子として、船員として乗るか。」

「・・・・自分は娘にはなれますけどね。」

「そこら辺はどうだっていい。てめえがどうするかだ。」

「無理やりに乗せといてこっちに選択権ってあるんですか?」

「望まねえ奴を乗せたってしかたがねえからな。」

 

メランとしては願うならこの船には乗りたくない。なんといっても、かの白ひげの船だ。それに乗ればメランの願う平穏から遠ざかるだろう。

けれど、バレットのことを考えればどうしたものか。

家族と言える存在は、バレットの痛みを癒してくれるだろうか。あの、まるで走り続けなければ死んでしまうのだと思っている様な生き方を止めてくれるだろうか。

黙り込み、考え込んでいるメランに向かって白ひげが口を開いた。

 

「・・・・軍育ちって事は、どっかの国にいたのか?」

 

世間話かは分からない。ただ、メランは素早く考える。自分たちの過去、それを話すか、話さないか。

メランは戸惑いなく、自分たちの過去を、といっても隠す部分は隠したが話した。

おそらく、その過去を知れば白ひげはより、自分たちを害する確率は下がるだろう。

案の定、白ひげはそうかと返事をしたものの明らかに眉間に皺を寄せる。

優しいなあと、そんなことをぼんやりと考える。

 

「・・・・・あなたと、もう少し早く出会えればよかったんですかね。」

 

何となし、そう言った。

その声音には、強者への恐ろしさなど欠片だってない。そこにあるのは、無邪気な賛美だった。

 

「どういう意味だ?」

「バレットはどうか知りませんが。でも、私は父親はもういらないなあと思っていまして。」

「何故だ?」

「・・・・父親が、ほしいと思ったことはありました。誰か、誰でもいいから縋りつきたくなって。悲しい時、辛い時、助けてと言える誰かが欲しかった時はありましたけど。でも、もう、それは遅いんです。」

 

助けてほしいと叫びたかった言葉は、とっくのとうに枯れ落ちて、擦り切れてしまっている。メランの救いは、もう、助けてほしいという願いも、祈りもとっくに手遅れに成り果てて。

親が欲しかった。守ってくれる人が欲しかった。

でも、それはきっと今ではない。もう、遅い。

 

(・・・・バレット、はどうだろうか。)

 

優しさでは救われないことがある。撫でられても引かない痛みがある。知らないうちに膿んで手遅れになることがある。

少なくとも、メランはとっくに諦めている。もう、それはいらないのだ。彼女に、父親はいらない。

 

「もう、私たちは諦めて大人になってしまったので。」

 

気安く朗らかにそんなことを言った。

微笑むメランに、白ひげは無言で、けれどその瞳に憐憫が宿っていた。それに、メランは優しいなあとぼんやりと思った。

 

 

白ひげはどうしたものかとため息を吐いた。

考えるのは、危ういと思った少年の側にいた少女だ。

けれど、蓋を開ければどうもなかなかに曲者であるらしかった。

彼女の眼には恐れがない。名の知れた海賊であり、なによりも少なくとも一瞬でも殺す気であった自分へあそこまで無防備に振る舞えるのは何故か。

そのくせ、どこか目の奥に冷たいものがある。

白ひげは、自分が非常に厄介な何かを拾ったと察してため息を吐いた。

 





話を書きながら、この時代ってモビーディックあったけ、マルコはまだ悪魔の実食べてないよねと確認しながら書いてます。


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白ひげ海賊団での日々について

久しぶりに。
日常の話について。


 

 

「ああ!誰だよ、ここ計算間違ってんだけど!?元のメモどこ!?」

 

メランは持っていた一枚の紙を持って怒鳴り声をあげる。

 

「は!?誰だよ、ここの計算した奴!?」

「おいいいいい!ここ、すげえ合計が違うんだけど!?」

 

そこまで狭いわけではないその部屋は船の中だがきわめて揺れが少ない場所だった。けれど、お世辞にも居心地がいいとは言えない状態だった。

というのも簡単な話。

メランは辺りを見回した。見回す先は、紙、紙、紙、紙の山だ。そこそこに広い部屋は紙で埋め尽くされた机と本棚で満たされている。

メランがいるのは、正確な名称は付いていないが、一応呼ぶならばこうだろう。

白ひげ海賊団、経理部と。

 

金銭面において、海賊というのは中々にルーズなイメージがあるだろう。

確かに、略奪など是とするならば基本的な、食料等は勘定に入れずともある程度賄える。それこそ、取引の必要がある武器などの設備面についてだけを考えればいいだろうが。

白ひげ海賊団はそうはいかない。

メンバーの殆どがそう言った一般人からの略奪を否とするものばかりだ。そのため、自分たちの資金の中からそこそこの人数の食料代など捻出しなくてはいけないわけだが。

海賊なんて職業でそこまで安定的な資金が入ってくるわけではない。それこそ、白ひげ海賊団はまだ縄張りなんてものを持っているわけでもない。

何とか他の海賊との抗争で得るものなどが殆どだ。

けれど、海賊と言うのはそれはそれは金がかかる。食事代や武器、そうして雑費など諸々だ。ただでさえ、肉体労働が多く食う奴が多いにも関わらず。

そこで出来るだけの出費などを削る為細かく金銭管理をすることにしたわけだ。

 

「なーんで、新入りの私が海賊団の帳簿なんてぎっりぎりにヤバめな面に手を出してんのかな!?」

「仕方がないだろ!?うちに帳簿の管理が出来るほどの計算能力持ってるのなんてあんましいねんだよ!」

 

その言葉が全てを物語っている。けれど、メランとしてはずっと納得も出来ていなかった。

 

元々、海賊が跋扈するこの世界では学力と言うのはそれこそ出身の島で振れ幅が大きい。きちんと、それこそ大学まで完備している様な島から、個人がしている塾があるところから、そう言った学ぶ場さえないようなキリまで様々だ。

それと同時に海賊になるもの自体が物好きか、それしか手段がなかったものが殆どであるため教養の有無などお察しだ。尚且つ、白ひげが好んで乗せるものは、社会の底でどうしようもなく足掻いていたものが殆どであるため教育を受けているか等絶望的だ。

もちろん、航海士や医者など基礎教育が出来ている者もそれ相応にいる。けれど、そう言った特殊な技術があるものは、別方面で仕事がある為帳簿の管理までさせていられない。

そのため、任せられるのは、特殊な技術を持っておらず、尚且つ計算能力を持っているものになる。

 

「だからってさー、だからってさあ!」

「無駄口叩くな。お前、前に軍にいて、書類仕事も慣れてるんなら適役だろうが。」

「嫌じゃないけど。こんなとこまで来てこれでいいのかって葛藤はあんだよ。」

 

ぼやく様にそう言いつつ、メランは目の前の食費代として使ったとして提出されたメモの代金に目を向ける。

 

「字がきったねえ!判別できるやつに書かせろや!」

「おい、最初にいった予算よりもオーバーしてるじゃねえか!この金額どっから出た!?」

「仕方ねえだろ、買い出しとか下っ端の役目なんだぞ!」

「ここの計算、全然あわねぇんだけど誰か確認してくれね!?」

「あ、当たり!マルコとバレットのメモ!」

 

メランは今日も悲喜こもごもと数字に視線を走らせた。

 

 

メランは漸く仕事が終わり船の中の廊下をふらふらと歩いていた。数時間、狭い部屋の中でなかなかの人数と共に作業をしていたせいか、気分が悪かった。

用意されていた食事もスープだけを貰い歩いていた。

 

(・・・今日はもう仕事がないし。どうしよう、自室に帰って寝ようか。)

 

そんなことを考えつつ、メランはどうしてこんなことになったのかと考える。

話は簡単で、バレットが船に残りたがったせいだ。

まあ、予想は出来ていた。バレットにとって全くと言っていいほど縁がなかった自分以上の強者の存在など絶対的に手放すはずがないと。

メランもまたバレットの願いに応じない理由も無い。元より、二人でいようと船に乗ろうと戦闘の多さが変わるわけでないのだから。

そうして、最大の難所である白ひげを親父として思うことに関しても、別にかまわないと言われた。

 

(まあ、今の所そこまで家族として扱うことへのこだわりはそこまで固まってないせいかな?)

 

周りも白ひげに戦いを挑むバレットにも、船長と他人行儀で呼ぶメランに比較的に優しい。

白ひげ海賊団での生活は別段問題はなかった。

二人とも良くも悪くも集団生活に慣れていることもある。

メランが心配していたバレットも今の所問題を起こさず過ごしている。元より、バレットは元々集団生活における分担された仕事と言うものに慣れている。且つ、仕事ぶりも真面目で、サボりも無く迅速に終わらせるため大抵の船員からは好感をもたれていたりする。

そうして、人とそこまで関わりを好まないため元よりトラブルが起こることも無い。

時折、バレットに絡んでくるものもいるが無視されれば相手も素直に引いてくれるため問題は起こっていない。

 

(まあ。海賊自体強けりゃある程度のことは赦されるし。愛想がないぐらい許容範囲内なのかなあ。)

 

メランは語らずとも馴染んでそのまま生活を続けている。彼女の印象としては意外だったのは、船に女性が乗っていることだった。男社会でさすがに目立つかと思ったが、そんな考えも杞憂だった。

そんなことを思いつつ一旦仮眠でもとろうかと振り分けられた部屋に戻ろうと思ったが、足は自然と甲板に向かう。

そう言えば今日は昔なじみに会っていなかったと、そんなことが頭に浮かんだためだ。

 

 

メランは甲板をぼやけた思考の中で彷徨う。

今日は確か、甲板の掃除以外は何もなかったはずだ。そうして、バレットのことだ。どうせ、何も無ければ甲板でトレーニングか、それともこの頃仲が良くなったらしいマルコとの組手でもしているだろうと思ったためだ。

 

「おい、メランじゃないか。」

「あ、こんちわ。」

 

声の方に目を向けると、これまた日焼けしたどう見てもその筋のおっちゃんといった二人がいた。

一人は金茶の髪をしており機嫌が良さそうににこにこと笑っている。そうして、もう一人の方が黒い髪でむすりと口を一文字に結んでいる。

 

「また相棒探してんのか?」

「そうっすよ。でも、よく分かりましたね、ユージーンさん。」

「お前さんが一人できょろきょろしてる時はたいていそうだろ?」

「まあ、そう言われるとそうなんですけど。」

 

二人は船の縁で釣りをしていたらしく、釣り竿を持っていた。

この二人はメランに船の雑用について教えてくれた教育係に当たる。金茶の髪をした方がユージーンであり、黒髪のほうがウィルという。

ユージーンは何くれとメランのことを気遣ってくれる。

その心境に関しては、メランも少々理解できる。彼女は、ユージーンの隣りにいたウィルの方を見た。

二人は幼なじみらしくずっと共に行動をしていたらしい。そのため、どうも所々で何かしらのことが被るメランとバレットのことを気遣ってくれているようだった。

 

「・・・バレットならマルコと共に居たぞ。」

「ああ、雑用が終わったから組み手でもするってさ。この頃仲良いよな、あいつら。」

(どっちかというとバレットにマルコが絡んでるだけの気も。まあ、自分と同じぐらいの友達なんてそうそう出来なかったし。いいことだよね?)

 

そう言ってウィルが指示した方向にメランは視線を向けてありがとうございますと言ってその場を後にした。

 

「・・・・ウィル、お前、バレットとマルコ、どっちにかける?」

 

走り去った後でユージーンは隣にいる幼なじみに声をかけた。釣り糸を垂らし、海面を見ていたウィルはなんの話題か分からずにユージーンの方を見た。

無口な昔なじみの言いたいことを察して男は口を開いた。

 

「いやな、他の奴らとメランがバレットとマルコのどっちとくっつくかって賭けてるんだよ。」

 

その言葉にウィルは下種を見る様な蔑みの目をユージーンに向ける。それに、ユージーンは慌てて取り繕うように言った。

 

「おいおい、俺が始めたわけじゃないからな?いいだろ、船の上じゃ娯楽も少ないしよ。」

「・・・・いいことじゃないだろ。」

「まあ、そうだけどなあ。」

 

そんな返答をしつつ、ユージーンはメランが歩いていった方向に目を向ける。

新しくやってきた二人組は、そんな話題が上がるほどに注目を浴びていた。

 

「にしても、船長があの子に帳簿を任せたのは意外だったな。」

「・・・実際、あの辺は人が足りていない。」

「つっても、武器の保有数だとか、帳簿みりゃあ一発だろう?そこら辺、警戒しないのかねえ?」

「だから、泳がせてるんじゃないのか?」

 

ユージーンはウィルの言葉に思わず彼の顔を見た。黒い髪の彼は、気だるそうに視線だけを向けていた。

 

「実際、何も無かったんだろう?」

「・・・そうだな。」

 

何もなかった、親父の勝ちだな。

 

そう言って、男はにやりと笑った。

 

 

「あれ、バレットは?」

「あいつなら便所に行ったぞ。」

「なら、帰って来るね。」

 

メランはそう言って、腕立て伏せをしているマルコを横目に見て船の縁の上に座る。

気分としてはすでに半分夢の中で、正直言ってすぐにでも寝てしまいたかったがそれよりも先に一度はバレットの顔を見ておきたかった。

 

(寝てる部屋も違うし。言われてる仕事が噛みあわないと午後まで会えないなんてざらだよなあ。)

 

何だかんだで白ひげ海賊団での生活はそこまで居心地が悪いわけではない。元より、中心人物が人徳者な為かあからさまに嫌がらせだとかそういったこともない。

襲撃の折、ひとしきり暴れるバレットに対して取り分を取られたとブーイングが入るものの、それさえも後輩へのからかいが混じっている。

以前のような、それこそ妬みのために陥れられるということも無く気楽だ。

バレットもむすりといつも不機嫌そうであったが、以前よりも、何と言うか、ずっと居心地が良さそうに思える。

昔と同じように、どこか輪の中から逸脱していても、それでも同じように日の下にいる様に見える。

 

(・・・あいつが居心地がいいなら、ここにいる価値も。)

 

うっつらうっつらと、メランが夢を見るようにどこか焦点の定まらない場所を見ていた。

それを見ていたマルコは腕立て伏せをしたまま口を開く。

 

「お前さん、本当にバレットのこと好きだな。」

「は?」

 

メランは夢現であった意識を少しだけ覚醒させて胡乱な目でマルコを見る。

それは何というか、明らかにこいつは何を言ってるんだという不躾な視線だった。それを察したマルコは腕立て伏せの体勢のまま勢いよく飛び上り、たんと地面に降り立った。

 

「・・・・なんで?」

 

メランは思わずそう言った。それにマルコは呆れたようにため息を吐いた。そうして、メランの隣に腰を下ろす。

 

「逆に聞くけどよ、嫌いだと思われるような態度じゃないよい?」

「まあ、そりゃあねえ。」

 

あーと言いながらメランは隣りの少年に体重をかけて凭れ掛かる。それにマルコはめんどくさそうな顔をしたが特別突き放すこともなくされるがままだ。

 

「・・・・何で急にそんなこと聞くのさ。」

 

眠たげな声の中、メランは唐突なその質問に対してそこそこ話をするようになった少年を見た。

 

 

マルコにとって、その二人組はまた変わっていた。

いや、訂正をするなら変わっているのは二人の関係性であって、二人が個として変わっているわけではない。

ダグラス・バレットのように戦闘狂の強さ主義ぐらいならばよくいたし、メランはメランで確かに海賊としては凡人で平和主義である感性も又見ないわけではない。

その少女に関しては、マルコもいい奴であるとしみじみと思うのだ。

けれど、二人でいる時だと、何ともまあこの二人は変わっている。

これといって、互いに特別な事を思っている風ではない。バレットは言われたことをこなすとさっさと鍛練をするか、それとも親父の元に行ってしまう。メランはバレットがトラブルを起こすことに関しては気にしているが基本的に放任している。

けれど、ふとした瞬間だ。

例えば、宴のさなかに誰もが酒に酔う時、何も起こらない午後の甲板、遅い夕食時、そんな時彼らはまるで臆病な獣のように近くにいる。

くっ付いているというわけでもなく、視線を交わすことも無く、隣り合って静かに何かを話している時がある。

その時だけ、まるで、二人の間の空気と言うのはまるで互いしか無いような静かなものになる。

その二人の関係性と言うのは、マルコ自身上手く表すことができない。

メランはバレットをそれはそれは気にしている。

宴の席でバレットに話しかける人間の動向と言うものを気にしているし、バレットの機嫌も心配している。だからといって、バレットへ何かしらの干渉をしたいわけではないようだった。

あまり派手な面倒事でなければ放置している。

バレットもバレットで、普段は人と口を利くことはないくせにメランが相手だとやけに饒舌になる。というよりも、派手に喧嘩をしていることはよく見ると言えば見た。

互いの垣根がやたらに低くはあるけれど、明確になんだと言われれば困る。

家族かと言われれば妙にドライだ。友人であるかと言うと近しく。恋人など論外だ。

元より、嫌な話ではあるがメランを抜けば恐らくマルコが一番にバレットと付き合いというか繋がりがあるだろう。

年が同じころであり、バレットと戦ってもそこそこ付き合えることに加え、メランが起きるまでに男の態度への苛立ちに執拗に絡んでいたせいもある。

今でも、正直言ってバレットの親父への態度は気に食わないことはそうなのだが、それでもメランへ向ける男の表情を思い出すとその気も少し収まっている。

少しだけ、少しだけ、己の親父がその男を船に乗せようと思った気持ちが分かる気がしたせいだ。

そうして、バレットに構えば必然としてメランとも話すようになった。

彼女はマルコがあまり関わったことない、温和な人間であった。

医者志望マルコと、そう言った面で知識があるメランとは共通の話題もあり、何だかんだで三人で一くくりにされていることが多くなったように思う。

けれど、時折、三人でいると時折、二人で何かを思う様な顔をするときがある。そんな時、マルコにとっては二人が変わっているなとしみじみ思うのだ。

海賊をやっているものと言うのはからっとした、単純な関係を望むものが多く、分かりやすい感情を持つ者が多いのだが。

二人の間にあるものは、他人のマルコから見ても面倒で複雑そうだった。

それ故にか、マルコは何ともなしに、メランに対してそんなことを言ったのだ。

メランはぼんやりとした目で宙を見つめていた。

 

「いや、嫌いじゃないんだけど。こう、好きっていうのも違うんだよなあ。」

 

眠そうな声でそんなことを言った。

 

「意味が分からん。」

「好意だけで成り立ってるわけじゃないんだよ。」

 

メランはそう言う。それに、マルコはしみじみとめんどくせーと思うのだ。けれど、それでも、その横顔を見ていると、その一言だけでは判断できないものがあるように見えた。

苦くて、どこかそれでも優しそうに緩んだ眼はマルコにとって理解が出来ないものだった。

まあ、面倒ならば無視してしまえばいいのだが。

それでも好奇心は煽られる。おまけに、それがマルコにとって実力は認めているもののいけ好かないバレットの弱みらしき存在だ。

揶揄いのネタになるならば是非とも知りたい。

マルコの脳裏にはいつだってむすりとしかめっ面をした同年の少年が慌てる様が浮かんだ。それを思うと、非常に愉快だった。

ぼんやりとメランの顔を見ていたマルコの耳に、声が響く。

 

「バレットー、こっちこいよお。」

 

眠いのか力のない声でメランがバレットの名前を呼んだ。メランの声を上げた方に視線を向けると、そこには物陰からこちらに歩いてくるバレットの姿があった。

のそりとした歩き方と、何故かやたら不機嫌そうな雰囲気のせいか、冬眠明けの熊の様だった。

 

「・・・・メラン、何の用だ?」

「そうだよい、お前、バレットになんか用があったのかい?」

「うん?マルコにはあるけど。」

「俺には?」

「そうそう、お前さん、医術の勉強終わったら経理部の手伝い決まったから。」

「は!?」

 

聞いていないとマルコが声をあげれば、メランの据わった目がにたりと意地悪そうに丸まった。

 

「はははははは!マルコ、君が帳簿を付けられるぐらいに計算が出来るのは割れているんだよ!すでに、ドクターと船長殿からの許可は下りている!」

「ふざけんなよ!おれあ、あの狭い部屋の中に閉じ込められて書き仕事なんてごめんだよい!大体、それならバレットだってできるだろ!?」

 

眠っていないためか妙なテンションのメランに対してマルコが抗議の声を上げた。バレットは心の底から面倒そうな顔で二人の会話を聞いていた。

 

「・・・鍛錬の時間が取れるならある程度はしてもかまわねえが。」

「バレットは駄目。」

「なんでだよい!」

「でかいから邪魔。」

 

ばっさりと切り捨てられ、マルコは思わず隣に立つ同年代の男を見た。年はさほど変わらないというのに、どう見ても自分よりも体格のいいそれを見た。

 

「あの部屋の中にバレットがいるのはさすがに窮屈だから対象から外してるんだよ。」

 

メランはにっこりと笑って、マルコの肩を叩いた。

 

「ちっこいもの同士、仲良くやろう!」

「でかいからっていいわけじゃねえ!!」

 

絶叫のうちにマルコが抗議の声をあげる中、バレットは心の底から不機嫌そうに二人のやり取りを見つめた。

 

「・・・・メラン。」

 

無口な、いつもなら動作で自分の意思を示すバレットにしては珍しく、彼はメランの名を呼んだ。マルコは、最初は口がきけない事さえ疑っていた男の声に思わず何だと視線を寄せた。と言っても、バレットの視線は言葉のままにメランに向かっている。

 

「ん?なんだい、バレット?」

 

その声は、先ほどまでの変に高揚したものではなく、どこかやっぱり眠たそうであった。

 

「俺に何か用があったんじゃねえのか?」

 

マルコは久方ぶりに聞いたバレットの言葉に、そうしてメランの用が気になって取っ組み合う形になっていた手を離して、そのまま声に耳を立てた。

メランは、あーと短く声を上げた。

 

「別に、用はないんだけどなあ。」

「は?」

「ただ、君の顔が見たかったんだよ。だから、眠かったんだけど探しててさあ。」

 

間延びした声に、マルコはなんだそれはと思う。なんだ、その、無意味で、何とも甘ったるい理由は。

マルコは次に心の底から不機嫌そうだったバレットの顔を見る。視線の先にあったバレットの、鳩が豆鉄砲を食らったような顔にふふふと笑ってしまった。

驚いて、無防備で、本当に間抜けな顔をしていた。

 

「うん、お前さん、今日も元気そうだし。満足したから、用は済んだよ。」

「・・・・くだらねえ。」

 

バレットはそう言った。その、間抜けそうな驚いた顔を消していつものしかめっ面に戻った。けれど、付き合いの短いマルコでさえも、その顔がどこか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。

バレットはそう言った後、その場に跪き腕立て伏せを始めた。

本当ならばマルコと組み手をするはずだったが、己自身もこの、なんとも生温い空気の中でする気もうせてそれをぼんやりと眺めていた。

メランはそのまま腕立て伏せを始めたバレットのことを見つめた。

そうして無言で船の縁から降り、そのままバレットの背中の上に横たわった。その突飛な行動のままマルコはもちろん、バレットさえも固まった。

 

「・・・・眠い、限界、ここで寝る。」

 

確かに華奢なメランならば、大柄なバレットの上で寝ても別段支障はないだろうが。

それでも、何故、そこで寝るのか。

 

「そんなに眠いなら部屋にかえりゃあよかっただろうが。」

「・・・・かえんの怠い。板は固い。それに、前も重しになったことあるしここでいいや。」

「てめえみたいなやせっぽち重しにならねえよ。」

 

バレットがそう言うが、メランはすでに夢の中らしく、すでに寝言半分に言葉を呟いた。

 

「いや、君の顔、みないと落ち着かなくってさ。ずっと、一緒だったのに、この頃、あんまり、顔も、見えなくて。」

 

そのままメランはすーすーと寝息を立て始める。

バレットはそれに少し黙った後、また腕立て伏せを続けた。マルコはそれに顔をしかめた。

 

「そのまますんのか?」

「重しぐらいにはなるだろ。」

先ほどまでとはだいぶ矛盾していたが、バレットはそのまま続けていた。そうして、らしくも無く、メランを起こさないためなのかその声は小さい。どうしてどこか、機嫌が良さそうに聞こえた。

それにマルコは、やっぱりこの二人の関係と言うのは欠片だって理解できないと思いつつも、別に嫌いではないのだとくああとあくびをしながら考えた。

 




感想あれば嬉しいです。


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その心をまだ知らない

そろそろ進展が欲しいような。感想戴けると嬉しいです。


それは、てっきり絶対に死なないものなのだと頑なに信じていた節が確かにあった。

 

 

微かに自分の体が揺れていることに、ふと気づいた。

その感触に、バレットはすぐに全ての感覚を覚醒させる。がばりと起き上がった先、見開いてすぐに感じたのは消毒液のつんとした臭いだ。

ダグラス・バレットはそれに顔をしかめた。

そうして、視界の向こう、自分がベッドに横たわっていたことを理解する。

 

「・・・・話をしとりゃあ、悪たれが起きたぞ。」

 

そう言ったのは白衣を着た、ひげを蓄えた偏屈そうな老人だ。そうして、その隣には鋭い目つきをした、ポニーテールの男が立っていた。

バレットはすぐに、そのポニーテールの男が強いことを理解した。バレットは防衛本能が如く、男を視界に移したと同時に拳を振るった。

 

「ビスタ、相手は頼んだぞ。」

「任された。」

 

病み上がりとしてはあり得ないような動作でバレットは完璧な動きを取った。だが、男はあっさりとその拳を鞘に納めたままの剣で受け流す。そうして、バレットを壁に押し上げた。

普段の彼であったなら避けることも可能であっただろう。けれど、白ひげとの戦いのダメージが抜けきっていない彼はそれにあっさりと屈してしまった。

 

「ほら、あまり暴れるものではないぞ。」

「くそが!放しやがれ!」

「騒ぐな。お嬢さんが起きる。」

 

そう言って男はちらりとバレットの隣りにあるベッドにちらりと意識を向けた。お嬢さん、という単語にバレットも反応する。

そうして、そこには馴染み深い紺色の髪をした少女は横たわっている。包帯を巻かれたその様は、非常に痛々しいものだった。

それに、バレットの体から力が抜け、少女へ意識が持っていかれたことを察してビスタは拘束を緩めた。

そうすると、バレットはまるで飛び跳ねる様に少女のベッドに駆け寄った。

 

「・・・メラン?」

 

何となく、ビスタはその声に少年への警戒心を緩めてしまいそうだった。それは、その声は、白ひげへの猛攻を考えてもあまりにも幼過ぎる声だった。

 

「おい、メラン、起きろ!」

 

バレットはそう言って少女の肩をゆすぶるが、それに慌ててドクターが駆け寄る。

 

「おい、止めんか!」

「じじい!メランは・・・・」

「外傷以外はなんもなっとらん。命の別状はない!ただ、疲労で寝とるだけじゃ。落ち着かんか!」

 

細身の老人から伝わる雷のような怒号にバレットは思わず固まった。ビスタはそれに同意する様に苦笑する。自分も、その偏屈そうな老人から放たれる怒号は苦手だ。

ドクターは動くのを止めて、自分よりもそこそこに背の高い少年に静かに声をかけた。

 

「彼女は唯体が休養を求めとるだけじゃ。少しすれば目を覚ます。」

安心しなさい。

 

厳しい声の次に飛んでくる柔らかな声にバレットは動揺する。

滅多に見ない、ベッドで静かに眠る少女の姿に心の奥底で何かがガタガタと揺れている。

落ち着かない、不安感が胸の中で膨らんだ。

 

(落ち着け、落ち着け!)

 

戦場で鍛え上げた鉄壁とも言える意思によってバレットは無理矢理に動揺をねじ伏せる。

彼はゆっくりとメランの首に指を滑らせた。そうすると、とっくんと、鼓動があった。命が、脈打っていた。

騒がしい胸の中が、その静かな鼓動にあわせて落ち着く気がした。

そうだ、まだ、これは息絶えていないのだ。ならば、ならば。

 

(自分がこれを守らなくてはいけない。)

 

そうして、ようやく、メランを庇うように背にして、部屋にいる他の二人を睨み付けた。

 

「・・・ここはどこだ。」

「ようやくか。ここは、お前さんが喧嘩を売った白ひげ海賊団だ。」

 

その言葉にバレットからぶわりと敵意と呼べる何かがあふれ出す。それにビスタは呆れたようにため息を吐いた。

 

「敵意があるならあの場で殺している。それよりも、目が覚めたんならついて来い。」

「このお嬢さんのことは任せていけ。」

 

そんな声も聞こえるが、バレットは頑なにメランの側からは離れない。それにビスタは呆れたようにため息を吐いた。

 

「ここが味方かもわからない者たちの船の中で、自分が万全でないことはわかるだろう。」

 

バレットは罵倒の一つでも吐き出したい気分を必死に抑えてメランのベッドから少しだけ歩みを進めた。それにビスタは上機嫌そうに微笑んで、いい子だと頷いた。

 

 

船の中を歩く間、ひっきりなしに船員たちはバレットに視線を向けた。それは、敵意から好奇心まで、多種多様だった。

けれど、バレットはそれに対して何も思わなかった。

彼にとって、そんな視線は慣れっこだった。それよりも、彼の脳内を閉めるのは、真っ白な中で眠る少女の姿だ。

落ち着かない。

バレットは指先をこすって、先ほどの少女の脈拍の感触を思い出そうとする。

生きていた。そうだ、彼女は生きていた

そんなことはわかっている。今、目の前の男について行くことこそが最善であると分かっている。船の揺れからおそらくすでに出港しているのだろう。ならば、この場で逆らうことこそが愚策だ。

それでも、今にも先ほどの部屋に戻ってメランが目覚めるまでずっと、彼女が確かに生きているのだと確かめ続けたいという衝動に駆られた。

バレットは、連れていかれるままに、逸る様な焦りを何とか捻じ曲げた。

 

 

バレットにとって、メランとはいつだって生きるという言葉そのままの存在だった。

作戦を終えて、拠点にまで戻ってくると意識せずとも人数が減っていることが分かる。もう、数年戦場にいるバレットでさえもよく見る顔など皆無だ。殆どが子どものうちに死に、大人になるまで生き残るものなどそういない。

何よりも、配属される場所など様々で顔見知りになるほど回数を重ねる前に大抵死ぬのだ。

いつも通り、一人だって見た覚えのない軍属の人間を眺めながら、バレットはぽつんとそこに立つ。

それに、何かを思うことはない。しょせん、こんな所で死ぬ程度の存在だ。

だから、バレットはそんなことを忘れてしまう。覚えている価値などない。敗者に価値はない。

そうだろう?

だから、忘れてしまうのだ。

バレットは、無意識のうちに、まばらになった人ごみの中に色を探す。

幾度、見回しても、望む色が見当たらない。

ああ、そうか。とうとう、あれも死んだのか。

それならば、忘れてしまおうか。そうだ、死んだ者は所詮無価値だ。生者に影響などないのだから。

いつだって、そうだった。なのに、バレットは人がいなくなる中で幾度も、その色を探した。

幾度も、幾度も、諦めることも、何も無く、その色を探す。

そうして、その中に、鮮やかな青が揺れた。

 

「バレット!」

 

騒がしい声が、耳を擽る。そのままに声の方に目線を向けると、馴染みの顔が小走りに自分に走り寄って来る。

髪が、まるで尻尾のように揺れていた。満月のような眼が自分にだけ向けられていた。いつの間にか強張った顔が、彼女の顔を見ればふっとほどける。

 

「ようっす。あれ、お前の部隊、結構前に作戦終わったんじゃあ?」

「・・・うるせえのがいるから、外にいただけだ。」

「へえ。でも、さっさと行かないとシャワーも浴びれないし、飯も食いっぱぐれるぞ!ほら、行こう。」

 

メランは、いつだって、生きるという言葉そのものの様だった。

自分を見て笑って、何かに怒って、どこかを見て涙を流し、苦しそうにそこにいた。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、誰もが無駄なものをそぎ落とす中で、それだけは捨てられたものを大事にしていた。

その女以上に、生きるという言葉が似合うものをバレットは知らない。

メランが生き残るたびに、バレットはどこか強張った体から力が抜けるようだった。

今日も、忘れるはずだった女の記憶を握りしめることを忘れなかった。

ああ、今日も、この女は己の中に居座っているのだと眠りに落ちる瞬間にありもしない何かを抱えているような気がした。

 

 

眠る彼女を見た時、バレットはぞっとしたのだ。

分からないけれど、言葉にすることは出来なかったけれど、それでも自分にとっての生というものががらがらと崩れ去っていく気がした。

今度こそ、彼女のことを忘れてしまう気がした。

その声も、その微笑みも、その髪が揺れる様も、全て、忘れてしまう気がした。

それの何が悪い?

いつか、何時かの時は、そんなことを望んだ気もした。背負った全てを忘れて、自分のことだけで生きて行こうと思っていた。そのはずだった。

それでも、血の通っていたはずの頬の青白さを見た時、自分の中から何かがとけだしていく様だった。何かが、欠ける。何かが、喪われていく様で。

明日から、彼女がいないのだとすれば。明日から、心と言うものを自覚した瞬間から側にいた何かを失ってしまうのならば。

 

(生きるなんざ、俺は、ただ。)

 

バレットは、彼女のことを忘れてしまったってきっと強さを追いかけるだろう。けれど、違うのだ。進む道先はある。命のつなぎ方ぐらい知っている。

けれど、いき方をバレットは知らない。

 

 

そうして、白ひげの元に連れていかれたその時、バレットはようやく何とか頭を回した。

何を望むと白ひげに問うた時、バレットはてっきり自分に戦闘員として働けと言うのかと思った。

あの男のように、自分の強さが目当てなのかと。

白ひげはそれに首を振った。

 

「いや、俺がお前を船に乗せたのはそんな理由じゃねえ。降りても構やしねえよ。まあ、あの嬢ちゃんがあの状態だからな。それに、次の島までだいぶある。それまでに決めりゃあいい。」

 

その言葉を素直に本心であるとバレットは信じた。何故って白ひげの眼は、何故だろうか。あんまりにもメランによく似ていた。

彼女と同じ、夜闇を照らすように、空にぽっかりと浮かんだ、満月のような眼があんまりにも似ていたものだから。

だから、本当に素直に、男の言葉を信じた。信じてしまった。

自分を見る、静かな瞳が、どうしたってあの少女と被ってしまったから。だから、バレットはその言葉を素直に信じた。

無意識のうちに、彼が今まで理解もせずに受け取って来た何かがその男は信じていいものだと分からせたのだ。

けれど、白ひげの代価を聞くのは止めて置いた。

それは、自分たちのこれからを決めると同等だ。バレットは今まで、無意識にでも自分がメランと共に生きて、そうしてこれからもそうであると信じて疑っていなかった。

だから、それは二人で決めるべきことだとしたのだ。

白ひげはそれに頷いた。

バレットは、見知らぬ誰かの溢れるそこで、早く彼女の元に戻りたいと息を吐いた。

 

 

また、変わり種を拾って来たものだと思ったのは記憶に新しい。

ドクターは静かに医務室の隅に座る大柄の青年と呼んでも差し支えのない少年を見た。

最初に自分に殴り込みをかけてきた少年を船に乗せると言った時、反対がなかったわけではない。けれど、大半の人間が拾われてきた少年と少女に対して、自分たちと同じものを見た。

なんだか妙に痛々しくて、何かを欠いていて、そのくせ腕っぷしだけはあって。

だからこそ、二人が船に乗ることは赦されることとなった。

ドクター自身はどちらでもよかった。古参の部類に入る彼は、白ひげという男を信用している。彼が認めたものならば構わないと。

何よりも、傷だらけの子どもを二人放っておくこと自体が嫌だったということもある。

 

(にしても、これまた歪なもんを拾って来たな。)

 

普段ならば用も無い存在が医務室に入り浸ることをドクターは良しとしていない。なんといっても緊急の時にそんなものがいれば邪魔になるだけだ。ならば、普段から追い出しておくに限る。それでも、ドクターがその少年が、眠り続ける彼女に付き添う形で医務室にいることを許可をした理由はあるのだ。

バレットが船にともかく残ると決めた時、下っ端たちの部屋に寝床は与えられた。けれど、彼は寝床はいらないと断ったのだ。

自分は一時の人間になる可能性もあるためいらないと。そうして、彼が寝床に望んだのは医務室だった。ベッドなどいらないからそこにいさせろというのが彼の願いだった。

それを是としたのは、バレットがメランを見つめる拙い顔を覚えていたためだ。だからこそ、周りを諫めてバレットがそこにいることを認めた。

 

その少年と言うのは、なんともちぐはぐな印象を受けた。

それこそ、粗野さなど海賊団に放り込んでも支障がないほどにありはした。けれど、その少年は何というか、非常にちゃんとしていた。

例えば、些細な事でも礼として会釈で反応するだとか、列が在れば割り込みをしないだとか、使ったものを片づけるだとか、掃除ができるだとか、食事の仕方が綺麗だとか。

何をそんな当たり前のことを、などと言うものがいるかもしれない。けれど、そう言った常識と言うものを知らない海賊は多い。

海賊になるような存在は大抵ろくでもない出自のものばかりだ。例えば、スラムや貧困家庭の子どもが流れに流れてなんて経歴だ。そのため、海賊団に入ってまずは風呂の入り方や掃除の仕方などを教えるなんてことは珍しくはない。

けれど、その少年はそれに比べてひどく当たり前を知っていた。

ドクターは、医務室によくいる少年といつの間にか仲が良くなり、少しだけ話すようになった。

少年は、普段の荒々しい挙動に比べて、ひどく仕草が上品だった。

例えば、食事をするとき、フォークの持ち方も綺麗で、溢しもせずにきちんと食べる。もちろん、上品と言っても貴族だとかそう言ったレベルではなく一般的なものだったが。それでも海賊家業をしている人間からすれば十分に上品だった。

だからこそ、ドクターは時折、機会を探ってそう言ったことを誰に教えられたかを聞いたことがあった。問いに答えてくれることは滅多になかったが、それでも幾度か口を開いたこともあった。

 

「メランに教わった。」

 

答えはいつだって同じだった。

ドクターは古なじみの男から聞いた少女とのやり取りを思い出す。それ故に、思うのだ。

ああ、そうか。

未だに眠り続ける少女のことを思って、考えるのだ。

お前は、この少年のことを大事にしていたのかと。

端々から理解できる、ろくでもなかった彼らの人生で、幼い少女が必死に弟分のような少年のために出来る限りのことをしてやっていたことが理解できた。

どうしようもなくて、ろくでもなくて、それでも少女が必死に少年のことを慈しんでいたことが分かるのだ。

少年はちぐはぐだ。

白ひげや船内のものと戦うその瞬間、その横顔はまるで修羅のようだった。けれど、それを抜かせばバレットは無愛想ではあるけれど、礼儀を知った勤勉な少年だった。

その、少年の零れる様な常識を見るたびに、大事にされていた過去を思う。そうして、そこまで慈しまれながら、戦いこそがすべてだと熱に酔う歪さに、苦みと悲しみを覚えるのだ。

ああ、きっと、大事にされていたのだろう。慈しまれて、くるまれて、必死に一人の少女が彼を守っていたのだろう。

少年から感じる、少しのことが少女の精一杯の愛情を示している。

それでもなお、戦うことにこそ、喜びを見出す歪さにドクターはどうしようもない苦みを覚えるのだ。

ヒーローは訪れず、けれどそのまま生き残ってしまった大人たちを知っている。

自分を慈しんでくれた誰かにさえも、大事にすることが出来ずに、ただ相手を待つことしか出来ない少年にドクターはたまらなくやるせないことだと、そんなことを感じて。

 

 

 

「あの、すいません、バレットがここに居座ってたみたいで。」

 

少女が起きた後、彼女は律儀にドクターに挨拶に訪れた。その少女も又、戦場育ちだというのにやたらと、そうだ上品で平凡だった。

背筋が伸びて、仕草自体が、何と言うか非常に穏やかだった。まるで、血の臭いなんて欠片だって知らない様に。

 

「いんや、あいつはいい子だったぞ。白ひげに喧嘩を売る以外はな。」

「あ、はははははは。それは、何と言うか、すいません。」

 

カラ笑いをして申し訳なさそうに眉を下げる少女は、何と言うか、どこまでも普通だった。

平凡で、どこかの島で、自分たちなどと縁の遠い場所で暮らしている様な、そんな匂いがした。

 

「わざわざ礼を言いに来るなんざ、律儀なこった。」

「いえ、船の上で包帯だって貴重でしょうし。それに、船にこのまま乗り続けることになったので。」

「・・・・そうか。お前たちも、家族になるのか。」

 

それにドクターは心の内で淡く微笑んだ。

その、少女と少年があの男に、優しい船長に、少しでも心を明け渡す気になったというならば、それは、少しうれしいのだと思った。きっと、二人ぼっちで生きた彼らが少しでも、他人を受け入れることができるのならば。

 

「いえ。」

 

声が、それを遮った。ドクターは声のした、少女の方に視線を向ける。

 

「家族には、なりません。ただ、あの子がそれを願ったので。」

すいません、迷惑であるのなら、出ていくことも考えています。

 

苦笑交じりにそう言った少女の顔は、本当に、なんというか平凡であった。日常のことを語る様な、そんな口調であるというのに。その声は、悲しいまでの断絶を表しているようだった。

 

 

「それで、凹んでるのか。兄弟。」

「悪いか、クソガキ。」

 

白ひげとドクターは向かい合って船長室で酒を飲んでいた。話の話題は、メランと言う少女の事だった。

白ひげよりも幾分も年上の医者は、苦々しい気持ちで酒の入ったコップを呷る。

その様を見ていた白ひげも口の中に広がる苦さを自覚してドクターに話しかける。

 

「・・・鼻たれの方が手ごわいかと思ったが。厄介なのはあの嬢ちゃんだな。」

「あの嬢ちゃんはよお、なんつうか、バレットのことを大事にしてるだろう?」

「ああ?」

「ちげえんだ。あの嬢ちゃんは、ただ、誰もあの悪たれを大事にしねえから、大事にしてるんだよ。」

守ってくれる大人がいなかったがゆえに、大人になって母のように振る舞っているのだ。

 

ドクターは少年の大事にされていたのだろうという在り方に、少女の大人への、そうして世界への失望を見出した。自分を見た、家族と言う在り方への拒絶は、明確なまでに期待をしていないというそれを示していた。

出ていきますから、そう言った苦笑した瞳の中に、冷たいまでの失望が光っていた。

 

「・・・俺はな。お前さんが、家族が欲しいつった時、なんつうか、俺もだなあって思ったんだよ。」

 

酔った男の、情けない声が響く。白ひげは無言で酒を口に流し込む。

ドクターはぼやけた思考の中で、言葉を紡いだ。

 

「帰る場所なんざ、とっくに滅びた。なら、どっか、寄る辺がなくても、どうしようもなかったクソガキどもが帰って来れればってよお。」

それでも、少女の微笑みは、まるでその在り方を嘲笑うようだった。そんなもので、救われない子どもだっているのだと。

それを求める心さえも、踏みつぶされた子どもたちの在り方に、ドクターはぐっと歯を噛みしめた。

バレットは、少女の後に医務室にやってきた。そうして、簡単にでもあるけれど、ドクターに礼を言った。メランのことを、ありがとうと。

ずっと少女に向けられていた目が、ようやく自分を認識した気がした。

ああ、それに、それに、どうしようもなく切なくてたまらなくなった。

ああ、少年のその律義さが、少女の失望から生まれたというならばそれはあまりにも寂しいのではないかと。

白ひげはそれに肩を竦めた。

 

「誰かを救えるなんざ、烏滸がましいのさ。」

 

ぽつんと、そう言った。

 

「てめえの生き方が容易く誰かを救うだとか、救えるなんて考えるのは傲慢だ。俺は何かを救いたかったわけでもねえ。ただ、家族が欲しかっただけだ。」

遠い昔、寂しい子どもがいたことを、帰る場所がなかった子どもへのせめてものはなむけとして。

 

「難儀なことを言うな。」

「あたりめえだ。俺たちは結局善く生きるしかねえんだよ。自分にとってもな。それで、変わるかどうか、救われるかを選ぶのはてめえの問題だ。」

てめえを救えるのはてめえだけなんだからな。

 

戒めのような言葉に、ドクターは苦い顔をする。

 

「難儀だな。」

「はっ!この海で、傷を持たねえ奴なんざそういねえだろう。俺たちは、やれることをするしかねえさ。」

 

それでも、例え、ここにいていいという言葉に癒える傷があることを、遠い昔一人ぼっちの子どもであった男は知っていた。

 

 

 

その船に乗って、良いことが幾つかあったとダグラス・バレットは考えていた。

まず、小舟で漂っている以上に交戦にありつけた。そうして、忌々しいことであったがバレットよりもずっと強い人間と言うのがいた。その船員たちから学ぶことは多かった。

外に出て初めて知ったが覇気と言う力があることも知れた。今の所、それを習得することを一番としている。

 

白ひげの船で、一人で過ごす中で頭から離れないことがあった。

メランは、死ぬのだろうか。

いや、違う。生きているのだから当たり前のようにあれだっていつかは死ぬだろう。弱ければ死ぬ。その少女が自分よりもずっと弱いことなんて知っている。

それでも、今回、彼女が死にかけたのは、メランの失態ではない。

あれは、最後まで、白ひげと言う存在を前にしたって最後まで裏切ることはなかった。

彼女は、バレットを裏切らなかった。

だからこそ、死んでもおかしく無いような目に遭った。

それは、死んでいたかもしれない。

何故って。

 

(俺が、弱いから。)

 

まるで鉄の塊を飲みこんだかのような、重い何かが腹に溜まる。

そうだ、弱い奴が何を得られる?弱者が何を選ぶことなんて出来ようか。

 

昔、彼女の髪が陽の光の下で、風の中で揺れているのを見たことがある。暗闇の中ではまるで真っ黒な夜のような色であるのに。何故か、陽の光を浴びると、まるで海のように鮮やかな青に見えた。波間のように、彼女の髪が揺れている様が嫌いではなかった。

自分を見つめる黄金の目が満月のように柔らかく細められるのも、命のやり取りの中で焔のように燃え盛る様を見るのは嫌いではなかった。

 

死ぬとは、それが亡くなることだ。いつか、忘れられるものに成り果ててしまうことだ。

弱いとは、それを赦すことだ。

 

白ひげと戦うのは好きだ。自分の弱さを自覚し、そうしてどうすれば強くなれるのかを解き明かしていく様だった。そうして、死の匂いがする彼女を忘れられた。

ああ、そうだ、自分はもっと強くなくては。もっと、もっと、強くならなくては。

焦燥がバレットの心を焦がす。もっと、戦いを!もっと、狂乱を!

強さがなければ、彼女はいなくなるのだ。死ねば(忘れられれば)、皆敗者なのだ。

また、裏切られる(置いていかれる)のだ。

いやだ、いやだ、腹の中でそんな声に満たされる。

それでも、彼女が起きて、そうして陽の光の下で海の様な青が揺蕩って、満月のような黄金の目が緩むのを見た時、少しだけそのやけどのような強さへの渇望が収まる気がした。

そうだ、まだ、亡くしていない。まだ、忘れてはいない。

だから、そうなる前に、もっと、もっと、強さを。

船の人間たちはバレットを鍛えてくれた。マルコと言うそれは煩いがよい組手相手になった。

けれど、時折、船に残らなければよかったと思うことがある。

 

バレットはトイレから組み手をしていたマルコの下にかえる時、メランがいつの間にかいることを見付ける。

それに無意識に掌に力が籠った。

ずっと、少女はバレットだけを見ていた。見ていてくれた。

なのに、この船に来てから、少女は時折自分以外のことを見ている時がある。そうすると、拳に、体に、無意識のうちに力が宿る。そうして、腹の座る様な苛立ちが湧きたつ。

けれど、いつだって、その苛立ちはメランの声で終わるのだ。

 

「バレット!」

 

彼女はいつだって、バレットのことを見付ける。どこにいたって、バレットを見付けるのは彼女だ。

その声を聞くと、満月の眼が自分を見ていることに気づくと、腹の中の苛立ちも消えうせて、籠った力もふっと解けていく。

それが何かは分からない。それでも、そのこわばりがなくなると、何故かほっとした。

それが何か、分からない。けれど、その考えを今は蓋をしておこうと思うのだ。

そうだ、今は強く在らねば、強く、強く在って。

そうしなければ、奪われてばかりだと、バレットは苛立つように息を吐くのだ。

 

 



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血みどろの誇り

メランの同室の人と戦闘スタイルに関して。


(・・・・寝てる。)

 

ホワイティベイは、自分の部屋に転がり込んできたそれをじっと見降ろした。

そこには、小さなベッドでまるで仔犬や子猫がするように丸まって眠る少女がいた。

 

 

ホワイティベイの部屋にその少女が転がり込んできたのは女があまりいない白ひげ海賊団では必然であった。

女の中でも一等に強いホワイティベイの部屋に割り振られたのは、少女の特異さゆえだろう。彼女にメランという名の少女を頼んだ白ひげはどこか苦い顔で、何かあればすぐに知らせる様にと伝えた。

親父の頼みに不満はない。彼女も、新しく船に転がり込んできた、けれど白ひげを親父と呼ばない少女のことは気にはなっていたのだ。

改めて話をしたメランは、別段おかしなことはない。礼儀も弁えており、よく働く。まともな子どもだ。いや、海賊にいるにしてはあまりにも真面すぎる少女だった。

 

ホワイティベイは、今、少女の領域として扱っている部屋の隅のスペースにいる。そこには、一人用のベッドに物入れ用の箱、そうして小さなサイドテーブルが置かれている。

仲間と少々遅くまで酒を飲んでいたホワイティベイは、夜も深まった時間に部屋に帰って来た。部屋には、小さな灯りだけが灯っていた。

見れば、メランの眠るベッド脇のサイドテーブルに灯りの灯ったカンテラが置かれている。どうやら、誰かしらに貰って来たのか、借りてきたようだった。

ホワイティベイはもう眠ろうと思っていたため、そのカンテラの明かりを消すために彼女に近寄った。

そうして、ベッドを覗き込み、改めて少女のことを見つめたのだ。

釣り目のせいできつい印象を持ちはしても、その顔立ちは中々に整っている。ホワイティベイは、生まれる場所さえ何とかなればいい人生が送れただろうにとお節介な事を考える。

 

(そういや、親父たちはこの子がどっかの貴族かもしれないなんて言ってたわね。)

 

ホワイティベイとしてもそう言いたくなる気持ちはわかる。

聞く限りでは、メランはバレットよりもいくつか年上であるらしい。けれど、だとしても十歳程度の子どもにしては少女はあまりにも賢しく、教育が行き届き過ぎている。

それ故に、白ひげたちはメランがどこかで高度な教育を受け、人さらいにでもあって軍事国家に売られたのではないかと予想されていた。

バレットはマルコなどと話していれば、時折身の上話のようなものを溢すが、メランはバレットに会う前のことは絶対に口にしない。

過去のことをわざわざ探りを入れるのもはばかられ、誰もメランのことを知らない。

ホワイティベイとて、話そうともしないことを探るほど無粋ではない。

 

(まあ、言う気がないなら別にかまわないけど。)

 

それはホワイティベイにとってその程度の事だった。彼女はそのまま灯りを消してさっさとベッドに横たわろうとした。その時、丁度、メランが書きつけている最中であったらしいノートがベッドから滑り落ちる。

ホワイティベイはそれを思わず拾い上げた。ぱらりと広げたページに視線が向かうが、ホワイティベイは思わず顔をしかめた。

 

「これ、なに?」

 

そんなことを呟いてしまったのは、ページに書かれていたのが見たことも無いような文字だったせいだ。

自分たちが普段使っている文字と言うものは、繋げ字の多い流線体だ。けれど、メランがノートに書きつけてあるそれは、個としてそれぞれが独立した文字だった。

どこかの島の古代文字か何かなのだろうか。

ホワイティベイはその考えに頭を傾げる。この文字が仮にどこかの島の古代文字だとしたら、この少女の生まれと言うものが余計に分からなくなる。

古代文字などという特殊な、それこそ一般的な家庭には必要のないものを教わる立場などあるのだろうか。

 

(いっそ、個人的に作った文字の可能性もあるけど。)

 

そんな考えが浮かびはした。けれど、それにしたって、個人が使う文字にしてはあまりにも個々の文字が複雑すぎる。

何かしらの法則性が存在するようで、極端に簡素な形のものから極端に複雑なものまで多種多様だ。

 

(・・・・って、人の書き物勝手に覗くなんて悪趣味ね。)

 

何故、彼女が誰にも分からないような文字で書き物をしていたか分からない。けれど、少女が何かを企んでいるとは思わなかった。

何故って、白ひげ海賊団に悪意を持つほど、少女から関心を感じなかったせいだろうか。

少女は確かに良い子ではあったけれど。それでも、他への関心と言うものをこれといって感じなかった。

愛想よく振るまっても、結局のところ、彼女の関心の全ては共にあった少年に向かっている。それを不快に感じることも無かった。それは悪意があるわけでもなく、ただ、そんな風に生きた彼女の人生と地続きであるだけだと分かるせいだろうか。

少女が共にあった少年にひたすらに心を傾ける様を青すぎると気恥ずかしくなることはあっても不愉快だと断じるものはいなかった。それは、ホワイティベイも同じだ。

ホワイティベイはそんなことを思って何となしにそのベッドの端に屈みこみ、少女の顔をじっと眺めた。普段は気配に聡い少女だが、どうやら悪意や殺意に関してはまるで見えているように過敏でも、無害なものに関してはいささか鈍い。

 

(なんていうのかしらねえ。)

 

ホワイティベイから見ても、その二人は本当に不思議だった。

例えばの話、強い男に媚を売って庇護下に入ろうとする女はいる。それは男も女も変わらないだろう。強者の庇護下に入ることを望むものはいる。

それを蔑む気はない。そう言う生き方とて存在するだけだ。

メランは、弱いわけではない。けれど、強いわけでもない。

強者に構う美しい少女のメランは、はた目から見れば庇護を求める弱者の姿だった。

けれど、ふと、二人を見ているとどちらが守られて、どちらが守っているのか分からなくなる時がある。

バレットは大抵一人だ。構われることを嫌うならばと近づくものはあまりない。彼に自分からよっていくのはメランとマルコ、そうしてドクターにビスタぐらいだ。

逆にメランは人に囲まれている。愛想がいいことにも加えて小器用な為仕事を任されていることが多い。本人も動いている方が性に合うらしく船の中を駆けまわっているのをよく見る。

まあ、少々交戦時の戦い方に引いて距離を取るものもいたが。それでも、彼女は何だかんだで可愛がられていた。

そうして、時折、周りに誰もいないときのバレットは、ふと誰かと話すメランを見ていることがある。それは、まるで子どものように稚くて、寂しくなるほどに心細そうな顔なのだ。

どちらがどちらを守っているのか。

その二人組は、彼女に取っては本当に不思議で、よくわからない繋がりがあった。バレットはホワイティベイから見ても十分に強者だ。マルコと同い年にしてすでに武装色を会得している少年は、少女に関してだけその幼さを表に出す。それでも、その関係性は嫌いではなかった。

ホワイティベイはそう思ってノートを閉じようとしたとき、傾けたせいかページが一枚だけ捲れた。

開かれたページは今までと違ってホワイティベイも理解が出来る世界共通の文字だった。

そこには、幾つかのレシピが書かれていた。そうして、その脇には彼女が一等に大事にしているらしい少年の名前と、そうしてこの頃仲良くしているのを見る見習いの少年の名前だった。

そうして、それには簡単に、これはバレットが好き、これはマルコが好きなど、丁寧に書かれている。

それは、確かに少女の滅多にさらさない、心のうちの柔らかなものだ。

少女は確かに本心をさらすことも無く、愛想はあれども誰かに自分へ踏み込ませることはあまりない。それこそ、下手をすれば寡黙で愛想の欠片も無いバレットよりもはるかに人との距離を置く子どもだった。

けれど、それでも少女に対して好感を持ってしまうのは、ノートからも垣間見える誰かへの情を好ましいと思うからだ。

メランと言う少女は、非常に大人びた子どもだった。

人との距離の取り方も、当たり障りのない扱いが上手い。それでも、そんな彼女が自分よりも歳の幼い少年に構っている様を横目に見るのは嫌いではなかった。

少女が少年に注ぐそれにつけるべき名前など分からずとも、柔らかで甘ったるいそれを誰かへ向ける様を見るのは何ともむずがゆくて。

それでも、汚い世界で子守唄のような柔らかで不器用なやり取りを愛おしいと思わなかったと言われれば嘘になる。

ホワイティベイには、その感情を理解には至れない、そんな甘ったるい感情を持つことだって想像できない。

それでも、どうか、その甘ったるい感情が穢されることも、汚されることも無いようにと祈ることぐらいはしたくなったのだ。

今だって、少女の世界はきっと広がっている。

共に会った少年以外に、もう一人、己の領域に受け入れかけている見習いとのやり取りを思い出した。

ホワイティベイはそのノートを閉じ、そうして明かりを消す。

 

「おやすみ、いい夢を。」

 

戯言のように柔らかな言葉を呟いて、彼女はそのままあくびをした。

 

 

 

たんと、まるで飛ぶように軽やかに、その少女は勢いよく船の上位部分にあるテラスの手すりから飛び降りた。

 

(・・・・恐れしらず、というか。)

 

恐れ多くも、そうして、恐れしらずな事に白ひげ海賊団に交戦を仕掛けてきた存在に対して、メランは飛んだ中、空中にて敵の背負ったどくろマークを見る。

海賊として、どこに出しても恥ずかしく無いような、右を見ても左を見ても強面だらけの集団にメランはぼんやりと思った。

丁度、戦闘自身が始まったばかりで上に意識を向けるものがいない中、甲板の上に降り立った。

 

「はっはっは!白ひげもこんなガキを乗せてるのか!なんだ、慰めるにしちゃガキじゃねえか!」

 

下卑た声を出した男にメランは無表情のまま向かっていく。ワンピースの世界に出ても恥ずかしくない、二、三メートルの大男だ。メランはそのままに男に近寄る。そうすると、男は彼女に向けて拳を振りかぶった。

己の、培ったそれが告げる。メランは心の内で数を数えてタイミングを見計らった。そうして、メランはざっと足を滑らせて止まった。そうすると、男の拳はメランの真ん前に振り下ろされた。メランは、その腕を梯子にして、男の懐に入り込む。

メランは、この頃よく使っている大振りのナイフを男の首に突き立てた。

ぐずりとした、肉に刃を突き立てる感覚。男のカエルが潰れた様な声。そうして、まるで噴水のように飛び散る鮮血。

少女の美しい顔を赤い何かが染めた。

 

「おい、何だ!?」

「あいつ、やられたぞ!」

 

始まって間もない争いの上で大男の首から飛び出るそれは、周りの意識を掻っ攫う。血しぶきを浴びるのが、可憐な容姿の少女であるならば尚更にその眼には恐れが宿る。

 

(掴みは上々。)

「こ、の、がき!」

 

流石というのか、首から血をドバドバ流しても男は闘志を燃やしたままメランに向かって叫ぶ。メランは、男の抵抗よりも先にナイフの反対側に小さめのレイピアのようなそれを手に持つ。そうして、男の目にそれを上に向けて突き刺し、脳をかき混ぜる。

そのまま、男はぐにゃりと体から力が抜け、倒れ込む。メランは男を土台にしてたんとまた飛んだ。

血みどろの少女に敵側の数人は恐れをなして、そのまま力に任せて剣や銃を向ける。

メランは体を屈めて、彼女の見聞色の覇気が教えるままに最低限の動きで攻撃を避ける。

振り下ろされる刀を体をねじってさけ、銃弾を剣ではじく。

それは、身体能力のおかげでも、かといって技術の賜物でもない。少女は、今までかいくぐりぬけてきた死線によって研ぎ澄まされた勘によって全てを避けていく。

そうして、攻撃をかわした隙に男たちの首を搔っ切り、脳を抉る。小柄な体を使って、足元を崩していく。

するり、するりと、少女が甲板を駆けていく。そうして、少女が駆けた後には、確かな数の人間の死体が転がる、血だまりが出来る。

真っ白な肌に飛び散る鮮血は、どんな人間が見ても悍ましいほどに鮮烈であった。

けれど、大抵の人間は自分が可憐な少女に恐れを抱いたことを認められず、メランに向かってくる。

メランはまるでそれを踊るように、軽やかに、飛んでは跳ねては、人を容易く殺していく。

 

(それでいい、よし、それで。)

 

メランにとっての目的は敵の数を殺すことではない。一人一人丁寧に殺していくことしか出来ない自分が出来ることなど微々たるものだ。けれど、見目の良い年端の行かない少女が淡々と人を殺していく様は動揺と言うものを誘うのだ。

男の多い海賊の中では尚更にメランの姿は目立つのだ。

メランが欲しいのは動揺だ、隙だ。メランに気を取られた瞬間に、敵は容易く味方に打ち取られていく。

囮こそがメランの目的だ。そうして、その殺し方は派手であればあるほどにいい。

少女の顔には特別な感情など乗ることはない。それは、どこをとってもメランにとっては馴染んだ日常であった。

 

 

 

「だあああああ!てめ、バレット、てめえもうちっと周りを見ろよい!」

「うるせえ!だったら俺に近づくな!」

「ちくしょう、反抗期のガキみたいなこと言いやがって!」

「てめえも俺と同い年だろうが!」

 

船の一角、そこにはやたらと騒がしい二人組がいた。

一人はそろそろ二メートルを超えようしている青年、に見える少年。そうして、もう一人は少年には劣るがそれでも背は高い少年だ。

バレット、と呼ばれた少年はくすんだ金の髪を乱雑に伸ばしている。そうして、その年にしてすでに武装色の覇気を会得していた。もう一人の少年は、まるで綿毛のようにふわふわとした金髪だ。少年、マルコは文句を言いつつもバレットの剛腕を軽業師のようにひょいっと避ける。そうして、バレットの攻撃を利用して、相手に一撃を食らわせる。マルコは、純粋な戦闘力ではバレットには劣っていたものの、その動きには目を見張るものがあった。

互いはけして認めないが、中々に上手く行動を取っているように見えた。

 

「つーか、バレット、お前悪魔の実の力つかわねえのか?」

「覇気に慣れるまで使うなってビスタとくそじじいに言われてんだよ!」

「お前、教えを受けるぐれえならもうちっと礼儀をしれよい!いつもなら、それ相応のことできてんだろう?」

「知らん!」

 

ぎゃーすかと騒ぎに騒いでいるのだが、二人の猛攻は止まらない。ある海賊は吹っ飛ばされて海に落ち、ある海賊は腹に重たい一撃を叩きこまれて動かなくなる。

けれど、二人はそんなこと気にも留めずにまるでそれこそ気心の知れた古なじみのように口喧嘩をする。

悲鳴が上がる、断末魔が響く、血しぶきが上がる。

けれど、その口喧嘩だけはやたらと高らかに、響いていた。

 

戦闘はあっさりと終わった。元より、相手の数も少なく、そうして早々と相手の船長が打ち取られたせいだろう。

 

「誰がやったんだよい?今日はやたらと早いねい。」

「ちっ。」

「拗ねんなよい。お前ばっか手柄があっちゃあ他が素寒貧だろうが。」

 

不機嫌そうなバレットを連れてマルコが呆れたようにそう言った。バレットは不完全燃焼のままのためかしかめっ面のまま甲板を歩く。そうすると、甲板の片づけをしていた数人たちが何かを見ていることに気が付く。

大方、その視線の先に今回の主役がいるのだろうと。

 

「なあ、おい。誰が相手の船長取ったんだよい?今回の主役だろう?」

「・・・ああ、マルコか。いや、そのな。」

 

話しかけられたウィルは何とも言えない顔で、また元の方向に視線をやる。マルコは遠巻きに見つめる人だかりでよく見えなかったため、それを押しのけて行く。

そうして、気づいたのは生臭さと鉄臭さだった。

それに、マルコはまたかと息を吐く。

家族の視線の先にいたのは、敵の船長だったらしい男の死体の傍らに立つ、メランだった。

その姿は、まるでペンキでもひっくり返したように赤に染まっていた。

彼女が朝に着ていた、誰かのお古であるという白いシャツがどす黒く染まっている。

ぴちゃんと、水音が立つほどにメランは血を浴びていて、そうして床には血だまりが出来ている。マルコ達に背を向けているせいでメランの後ろ姿しか見えなかった。それでも、彼女の柔らかな紺の髪が、赤黒く染まっているのは見えた。散々暴れたせいでその髪からはぴちゃんと、赤黒い何かが滴り落ちた。

それが、何となく、マルコはあまり好きではなかった。その少女が赤黒く染まるその絵が、好きではなかった。

いつもは戦いの後の熱に浮かされているというのに、その場には奇妙な沈黙が現れている。

マルコも、理解が出来る。

メランの纏う空気に触れていると、自分が海賊であることを忘れてしまいそうになる。

血の臭いも、戦いの熱気も、痛みも、刹那の悦楽も、その少女からはあまりにも遠いところにある気がした。

メランには、誰かを思う柔らかさがあった、眠たくなるような安寧があった、呆れてしまいそうなほどの善性があった。

だから、白ひげ海賊団の人間は、その安寧に微かな憧れがあった。

誰もが、寂しさを抱えている。別れの、孤独の、空しさと、明日には潰える命への、切なさと寂しさを抱えている人間が白ひげ海賊団には多い。

そんな風に生きれなかった、海賊になることでしか命を繋げなかった。

ならば、後悔したって仕方がない、帰る場所も、思い出す故郷がなくとも、それこそが生きる手段であったから。

だからこそ、その寂しさに手を差し出してくれた白ひげに、皆が感謝している。言葉に出すことはなかったとしても、世界から爪はじきにされた白いクジラを皆が愛していた。

そんな寂しさを知っているからこそ、白ひげの船員はメランとバレットの関係性に奇妙な羨望を抱いていた。

遠い昔、きっと求めていた、確かに自分にだけ寄り添ってくれる優しい温もりへの微かな憧れ。

別段、それを奪いたいというわけでも、欲しがっているわけでもない。居場所も、愛も、温もりも、与えてくれた男がいた。

自分にはそれがある。

けれど、自分たちが失った何かを、大事に大事に抱えた少女と、戸惑いがあってもそれから離れない少年の稚さを見守るのは好きだった。

そうして、そこにもう一人の少年が加わって騒ぎ出す無邪気な喧噪に、騒がしい青春を見出すことだってあった。

だからこそ、メランの血にまみれた姿に戸惑いを覚える、固まってしまう。

優しい何かが、悉くけがれてしまったようで。

マルコがどうしたものかと悩む中、バレットは戸惑いも無くさっさとメランに近寄った。

 

「おい。」

 

簡素な言葉にメランはふらふらと体を揺らして振り返った。

何もかもが抜け落ちた様な、能面のような顔がマルコ達に向けられた。

 

(・・・・嫌だねい。)

 

感情と言う感情が削げ落ち、まるでそこにあるのがメランでないかのような無機質さが目の前のそれにはあった。

いつもならば、まるで海のようにくるくると変わる表情はそこにはない。飛び散った血が、その白い肌と紺の髪を染めている。いつもならば風に靡く、光を反射して輝く青はどす黒く、濡れている。

そうして、その眼が、マルコがひどく苦手だった。

いつもの柔らかで優し気な光はどこかに消え失せて、金属のように無機質なそれは人のものでなかった。まるで、命のやり取りの上に洗練され、研ぎ澄まされた刃物のような輝きがある。

なんの機微も見受けられない人形のような凪いだ少女の中で、爛々と輝く金の瞳は獲物を見つめる獣のように自分を観察していることが分かる。

それが苦手だ。何か、少しでも、何かが違えば、その少女は自分の血で体を染めることに躊躇しないのだろうと、そんなことが分かる目が苦手だ。

 

「ああ、バレット、かあ。」

 

ぼんやりとした声でも、その声は、確かにいつもの少女の声だった。無機質であった黄金の目に、ゆるゆると、ようやく熱が通っていく。

 

「何してんだ?」

 

バレットは普段と同じように淡々とした声で少女に問いかけた。メランは、ぼんやりとした目のまま自分が殺した海賊の船長に瞳を向ける。

 

「ああ、少し、不思議で。」

 

海賊でも、今際のきわに助けを求めるのかってさあ。

 

「何に助けを求めたのかなって。」

「さあな。」

「神様かな?」

 

沈黙の中で、バレットの淡々とした声と、そうしてメランはやけに無邪気な声音が響いている。

そんなことを呟いた後、メランはゆるゆると微笑んだ。

 

「神様なんていなかったのにねえ。誰に、助けを求めたのかな。」

 

心の底から不思議そうな声だった。

そこにのしのしと見上げる様な大男が近づいてくる。

 

「派手にやったな。」

 

メランとバレットを見下げた白ひげはどこか寂しそうな声で言った。

それにメランは白ひげを見上げた。無防備な、夢を見ているような眼だった。

 

「船長。」

「・・・・今日も汚れてきやがったなメラン。さっさと洗ってこい。」

「ああ、はい。そうですね。」

 

メランはこくりと頷いて、たったと軽い足音と共にその場から去っていく。ふらり、ふらりと、まるで幽霊のような足取りだった。

 

「あいつの戦い方はそろそろ止めねえといけねえな。」

「何故だ?」

 

白ひげの台詞にバレットが不思議そうに問いかけた。白ひげはその言葉にバレットの方を見た。

 

「あいつの戦い方は、あいつが生き残るために足掻いたすえだ。あいつにとって戦場で何よりも生存効率を上げるための方法だ。なら、それを止める理由があるのか?」

 

そう言ったバレットの顔は、剣呑さも敵意もない、心のそこから不思議そうなものだった。

 

あいつが生きるために築き上げた、磨き続けた技だ。誰に恥じることもない、誰に否定される理由もない。メランが生き残った、誇るべき武器だ。

 

事実を語る少年の目は黙り混んでしまいそうなほどに澄んでいた。

 

「そうだな。」

 

白ひげはそれにゆっくりとうなずいた。

バレットの言葉通り。メランの戦い方は間違っているわけではない。

誰も彼女を助けなかった、生き残るためにあがいた末のあり方がそうならば、間違っているなどと言えるわけがない。

 

それでも白ひげは、その少女の戦い方を哀れだと思った。

少女の戦い方はまさしく、どれだけ効率的に人を殺すかという事に尽きる。

躊躇も、悲しみも、死への恐怖も、全て削ぎ落とし続けた、人を殺すという事への無関心さの象徴の様だった。

白ひげとて、人を殺した、物を盗んだ、悪行など笑えるほど積み上げた。けれど、メランの削ぎ落とされた能面のような表情を見ていると、あんまりにも悲しくなるのだ。

それを、言い表すことは出来ないけれど。

でも、徹底的に心を殺し続けた子どもの姿を、その少女に見出すのだ。

否定されて良いわけはない。

戦って、汚れて、奪うことでしか生きられなかった誰かに倫理のために死ねなどと白ひげは言えない。

それでも、無機質な黄金の目を、痛々しいと思わないわけではない。

 

「お前は、メランの戦い方は好きか?」

 

その言葉に、いかめしく顔をしかめた少年はきょとりと瞬きをした。白ひげもどうしてそんな言葉が口から転げ落ちたか分からないけれど、思いのほかその言葉は胸にしっくりと来た。

バレットは、口をかぱりと開けて、ぽつんと呟いた。

 

「・・・・くせえし、きたねえとは思う。」

 

バレットは目を伏せて、幾度も、口を開けては開いてと繰り返した。そうして、まるで自分でも何を言えばいいのか分からないというような顔をした。

 

メランには、赤は似合わねえと思う。

 

それは、どんな意味を持つ言葉だったろうか。白ひげには、その少年のどんな思いがそんな言葉を吐き出させたか分からない。けれど、少年だってきっと分かってはいなかったのだろう。

 

「そうだな、あいつには青が似合う。」

 

白ひげも、青い空の下で末っ子たちが騒ぐ風景を見るのは好きだった。少女の髪が、潮風に靡いて、太陽の光で青く輝く光景を好ましいと思っていた。

白ひげはすでに事切れた、血さえも流し切った死人を見る。

 

神様なんていないのだと、少女が言い切ったその言葉を思い出す。

神様なんていないことは知っている。自分だって、思い知らされた。それでも、人が救われるのには神様が必要でないことだって白ひげは知っている。

 

 

 

 

ざあああああ、とシャワーから流れ出るお湯にメランはほっと息を吐く。凹凸の少ない少女の体はすっかりと綺麗になった。ただ、髪についた血はかぴかぴになっており落とすのに苦労したが。

 

(・・・・血、あんまり浴びない方がいいんだけどなあ。)

 

メランは一応女性用にと隔離されているシャワー室で体を洗い流し、脱衣場に出る。体や髪を軽く拭き、用意していた服に着替える。そうして、髪を乾かしてぼんやりと考える。

メランとて、体液を経由する感染症はいくつか覚えがある。ただ、元の世界と血液型に関して違ったりするため元の世界の知識がどれほど役に立つかは分からないけれど。

それでも、血を避けるよりも次の敵を殺しに行った方が効率的であることを考えると、止めるのも惜しいと思ってしまう。

元より、メランは狙撃手を主にしていたため、近距離であるとどうしても見聞色に頼った窮境狙いが一番に生存が高いこともあるが。

 

(・・・・銃はなあ。弾丸の経費とかを考えると使いにくいし。やっぱ、居候のまま金を食いつぶすのはどうかなって思うし。)

 

そのため、メランはこの頃銃を使わずにナイフで戦闘を済ませている。いっそのこと、ウソップのようにパチンコを使うのも考えている。

 

(あれなら手数が増やせるしなあ。私の場合、避ける以外に才がないから攻撃には手数を増やしたほうがいいか。にしても散々、いろんな部隊をたらいまわしにされてたおかげかな。どんなことでもある程度できる。)

 

その順応能力を鍛えてくれた国に感謝すべきだろうか。いや、結局子どもを戦争に出してる時点でくそだと考えを改めた。

 

(・・・・でも、肉弾戦に関してはスイッチの切り方を上手くしないとなあ。)

 

メランははあとため息を吐いて、タオルを頭に被せて蹲る。

ガルツバーグでは長距離射撃を担当していたものの、近戦での戦闘だってしていた。

引き金を引く軽さも、遠くにある人影が倒れ込むのも、案外あっさり慣れはしたけれど。

それでも、直に肉を切り裂く感覚も、血しぶきを浴びるのにだって、自分に向けられる肌で理解できる憎しみにも、死にたくないと叫んだ断末魔にも、慣れることはなかった。

それは、まざまざと、メランの中で降り積もって、遠い昔の当たり前と善性を責め立てる。

どれだけ、誰かを大事にしていても。どれだけ、誰かに優しくしても。どれだけ、それがまちがっているのだと知っていても。どれだけ、どれだけ、そこに憎しみがなくても。

自分が人殺しの、罪人なのだと責め立てる。

まあ、そんなものは積み上げ続けた死体の上で悉く放り出してしまったけれど。

それでも、しばらくの間、心が死なない様に、麻痺するまでの間スイッチを切れるようにもなったのだ。

 

「今回は戦いすぎたのと、血を浴び過ぎたなあ。スイッチ切るの癖になってる・・・・・」

 

重たい気分のままそう呟いた。

スイッチを切っている間、思考が少々ぼやける。外からの情報に対して鈍くなるせいか、思考もお花畑とは言わないがぼんやりするのだ。

今ではもう、そんな必要も無い。

肉の感触だって、血の温もりだって、臓物の匂いにだって、断末魔にだって、ちゃんと慣れた。死体に居続けるのにだって慣れた。

もう、心を遠ざける必要はないのだ。それでも、癖と言うのは厄介で、どうしても戦闘が永くなるなどするとスイッチが切れてしまうのだ。

 

メランはぼんやりと覚えている、白ひげの顔を思い出した。

憐れみと悲しみを持った目だった。メランはそれを、その感情に至るまでのことを理解できる。その男の悲しみと苦悩を知っている。だからこそ、その眼には納得できる。

けれど、どうしろと言うのか。

 

(別にあんな顔をしなくてもいいのに。)

 

メランにはもう、救いも願いも、この地獄を生きていくための灯を得ている。憐れまれるほどのことはない。メランの抱えた地獄なんてよくある話なのだから。

腹の底にある罪悪感がずしりとメランの中にある。白ひげという男が善人であることをしっていればなおさらに。

 

(・・・・ああ、早めに上がらないと。バレットの奴、怪我して放置してるかもなあ。)

 

そんなことを思っても、どうしても傾いた気分のせいか、座り込んだままぼんやりと考えてしまう。

 

(何か、何か、楽しいこと考えて。あー、そう言えば今回の戦闘で船長を殺したから略奪品の取り分、貰えるかも。)

 

そんなことを思い出すと、もしかしたらもらえるか知れないお小遣いについて考えが湧き始める。

 

(お小遣い。次の島、結構大きい町があるって言ってたし。買い物でもしようか。)

 

そう思うと、思い浮かぶのはバレットが着ている服がこのごろいろいろと小さくなっていることだった。

 

(そうだ、今の服、国からかっぱらった奴だからそんなに新しいのじゃないし。旅の間に身長とか筋肉量も多くなったし。シャツとか。そうだ、お金が足りるなら軍服みたいな服を仕立ててあげようか。そうだ、靴もきつくなったって言ってたし。出来る限り、揃えてあげようか。)

 

そんなことを考えると気分が浮き立ってくる。うきうきとして、頭の中にその少年に似合いそうな服について考える。自分はあまりそう言ったセンスがないためマルコを連れて行くのもありかもしれない。

メランは立ち上がり、洗濯する服を抱えて、タオルでわしゃわしゃと髪を拭きながらシャワー室から飛び出した。

そうすると、口元には勝手に緩やかな笑みが浮かんでいた。

 

(そうだ、そうしたらマルコにもお礼をしなくちゃ。パイナップルが好きらしいから。そういうケーキとかあったら奢ってもいいし。あのくらいの年なら、お肉とかもいいかもなあ。バレットをつれて買い食いとか?でも、パイナップルがあるなら、保存の効くジャム作れるかも?膨らまし粉があれば、ホットケーキとか?パイナップルのジャムで食べたらマルコも喜んでくれるかも。そうだ、バレットにも甘いものを進めてやろうか。好みに合うかもしれない。)

 

心が弾み、彼らが喜んでくれることを考えれば、自然に気分が浮き立った。

それに、メランはほっとする。無意識のうちに安堵する。

誰かのために笑えている間は大丈夫だ。自分はきっと、そんな風に笑えている間は確かに人間なのだ。

今はまだ、自分は獣ではないのだと。

 




バレットの戦闘スタイル
基本的に殴る蹴るとかなため能力を使わない限りはそこまでスプラッタにならない。
勝つための戦い方。相手を屈服させるための戦い方。

メランの戦闘スタイル
銃とかナイフのどんなことでもある程度は出来る。出来たから生き残った。
急所狙いの暗殺術に近い。
相手を殺すための戦い方、生き残るための戦い方。
大抵血しぶきが上がるので血みどろのスプラッタ。

という感じです。


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幸福の肯定

久しぶりの投稿です。
ちょっと長くなりそうなので、きりの良いところまでです。


買い物回ですが、バレットはいません。


 

「次の町で買い物に付き合ってくれない?」

 

そんなことをメランから提案されたのは、ちょうど夕飯の時のことだった。食事の下ごしらえの当番が同じ日であった二人は早めの夕飯を食べていた。

その日は珍しくバレットは夜の見張りの当番で仮眠を取っており二人だけだった。周りの船員たちは珍しいトリオの内の二人きりを微笑ましそうに眺めていた。

 

「買い物?」

「そうそう、この前の戦闘で分け前もらったからさ。いろいろと必要なものも多いし。少し、相談したいことがあるから付き合ってくれよ。ご飯ぐらいはおごるしさ。」

「あー。」

 

マルコはそれに少しだけ考える。別段自分に損があるわけでもない。元より、次の町で欲しい本を探そうと思っていたのだ。

相談したいことと言うのもそこまで大事ではないだろう。そういった善良さに関しては信用ができる。

 

(まあ、どうせバレットもついてくるだろうしな。面倒ごとならあいつに押しつけりゃあいいよい。)

 

なんだかんだで、メランのことを押し出すとその時の機嫌は犠牲になるにしても押しに弱いのだ。

そう思って、マルコはそれに関して是とうなずいた。メランはそれに、ありがとうと機嫌良く笑い、食事を食べ始める。早めに食べて、バレットの分を確保するのだという。

マルコはそれにふーんと言いながら同じように食事を食べて、メランの後についてバレットを起こすために食堂を出た。

 

 

 

そうして、そのまま時間は過ぎ、目当ての島に着いたときだ。

マルコは早々とその日にやることを終えて、メランと共に出かけた。バレットはビスタに捕まっており、後から来るだろうとマルコは当てをつけていた。

そのまま町をあるくメランを見ていて、マルコは何気なく言った。

 

「なあ、メラン。バレットのことどっかでまったほうがいいんじゃないよい?」

「なんで?」

「あいつも買いもんあんじゃねえのか?」

「バレットは今日来ないけど?」

 

きょとりとした顔でそういったメランの顔にマルコは固まった。

 

「なんでだよい?」

「え、別に今日は私が買いたいものがあって。そのことで君に相談したくて誘っただけだけど。バレットは今日はどうするか、私は知らないよ?」

 

きょとりとしたメランのそれに、マルコの中でなんだろうか、非常に気まずい思いがこみ上げてくる。

別段、メランとバレットはそこまで常日頃から共にいるわけではない。それでも、雑用係らしく自分の仕事が終われば互いになんとなく互いの事を探していたし、食事だって当たり前のように隣に座っていたりする。

マルコはそれにくっついている立場であって、どちらかというと二つと一つという意識の方が大きいのだ。

その時、マルコの気まずさをなんと表して良いだろうか。

もちろん、別段この場にバレットがいる必要はないかもしれない。けれど、バレットのいない今、メランと二人で出かけているという事実が、なんだろうか。

非常に気まずい。マルコは、己の胸に湧き上がってくるバレットへの申し訳なさに思わず船に帰りたくさえあった。

 

「なんでそんなにバレットのこと気にするんだ?」

「いや、だって。そりゃあ。」

 

そう言われると苦しくなる。確かに、そう言われれば別にこの場にバレットがいる意味はない。ないのだが、バレットのいない場でメランと共にあることがなんとなく、だめな気がするのだ。何故かはわからないが。

 

「あいつも、買いたいもん。あったんじゃねえのかよい?」

「この前聞いたらないって言ってたし。なので、君を誘ったんだけど。」

「・・・今日、買い物に来ることはバレットには?」

「言ってないよ?」

 

マルコはうわあああと頭の中で声を上げる。

非常に気まずい。何故かわからないが、非常に気まずい。悩むマルコにメランは首をかしげたが、そのまま手をつかんだ。

 

「ほら、いくよ。今日は買い物に付き合ってもらうから。」

「いやあ、そうなんだけどよい。」

 

マルコはこのまま帰るか、すぐにでもバレットを呼びに行きたい。けれど、それはそれで変な話だろうとも感じる。

はてりはてりと首をかしげて、マルコはそのままメランに引きずられていった。

 

そのままマルコはメランに引きずられて、町を回った。

さすがは、大物をあげたばかりのメランだ。懐は温かいらしく、買ったものの総量はなかなかのものだ。

マルコは自分の手にぶら下がった品々を見て、思わず前を歩くメランに言った。

 

「おい、メラン。お前、これ全部バレットのもんじゃねえのか?」

 

メランの買ったものは彼女が着るには大きすぎる衣服だ。メランはそれに対して間延びした声で返事をする。

 

「うーん?そうだけどー?」

 

メランは変わらず町の中をきょろきょろと見回して、何かを探していた。それに、マルコははあとため息を吐いた。

おかしいと思ってはいたのだ。

なんと言っても、どうして買い物に自分を誘ったのか。頼み事といって、深くは考えなかったが散々服のデザインについて聞かれていたのだ。

それに、マルコはなんとなく、同い年ほどの少年が好むデザインを彼女が聞きたがっていたことをようやく察する。

正直言ってバレットはそこまで極端に変な衣装ではない限りはどんなものでも気にはしないだろうが。

ちらりと見ると、買いそろえたものはほとんどバレットのものだ。それでも、なんだかんだでマルコの両手が塞がるものだ。

 

(古着やらなんやらつって結構買ったが。)

 

マルコは自分の持たされた量にいろいろと察してしまった。なぜ、今日バレットがいなくてマルコがいるのか。

 

(ぜってえ、荷物持ちに連れてこられたなよい。)

 

 

バレットの性格からして、自分のものだとしても買い物に大人しくついてくるとは思わない。マルコは確かに買い物に付き合う性格ではないが、そうはいってもこの状態で荷物を放り出していくような人間ではない。

マルコはげんなりする。

女の買い物というのがどれほどまでに長くて、かつ資金があれば多くなるのかは理解している。脳裏に浮かぶのは、船の女たちや、夜の町でなじみの女と買い物をする兄貴分たちの姿だ。

バレットの分だけでこの量なのだから、メランの分の量はどうなるのか。

 

(軍資金がどれぐらいあるか、きいときゃよかった。)

 

あーあ、なんてマルコは空を仰いだ後、店の中をのぞき込み品定めをする少女をちらりと見た。

そうして、ふっと少しだけ微笑んだ。

ああ、なんだ。悪くないじゃないか。

そんな風に、買い物をして、自分の欲しい物を探す彼女は本当にどこにでもいる少女のようだった。血の臭いも、鉄の鋭さも、煙幕の煙たさも知らないほどに、普通で。

その横顔を見ていると、まあいいかと、微笑みたくなるような気分になった。

 

「マルコ、こっち!」

「へいへい。」

 

渋々と言いながら、マルコは自分の顔に浮かんだ笑みを隠す。

和やかな、風が彼の金色の髪を揺らしていた。

 

 

「あーあ。」

「そんなに疲れた溜め息つかないで欲しいんだけどねえ」

「朝から散々買い物に付き合わされたんだから、当然だよい。」

「その代り、昼食と欲しがってた医術書おごったから赦してよ。」

 

丁度、昼も過ぎた頃、二人は少しだけ商店などが建ち並んだ道から離れた広場にいた。まわりには、猫ぐらいしかいない。ベンチに隣り合わせに座り、薄いクレープのような生地に肉や野菜が挟んである軽食を食べていた。

マルコの足下にある紙袋などには、メランが数時間選んだ服と、そうして一時間は散々に粘って選んだ、これまたバレットのためのピカピカのブーツが入っている。

マルコはなんとも言えない気まずさに襲われる。というのも、現在おごられている食事はとある露店で買ったものだ。そうして、購入時、気の良い店主は同い年ほどの男女のメランたちを見てにこにこ顔で言ったのだ、ああ、お若いカップルだなあと。

それにメランは何を思ったのか、マルコの腕に手を絡めてにっこりと笑った。見目だけは良い彼女が微笑めば、それ相応に周りから視線を向けられる。

嫌がるマルコを照れていると判断したらしい店主は微笑ましそうな顔をしていた。そうして、軽く話をしていたメランはいつの間にやら昼食におまけをしてもらっていた。

マルコは、言っておくがメランという少女にそんな感情を抱いたことはない。そういった感情を向けるにはメランという少女は複雑すぎた。

マルコの感じるむずむずとしたそれは、気まずさだ。

メランという少女とそういった扱いをされるたびに、マルコの脳内には何故かバレットの姿が浮かぶ。

マルコはぐったりとしながら、午後からやってくる本番のことを考える。

女の買い物とは、かくも長いものだ。

 

「んで、午後からどうするんだよい?」

 

マルコが何気なく聞いたそれに、メランはあっさりと応えた。

 

「え、今日はもう帰るよ?」

「は?」

「もう、買いたいものは済んだからね。あ、マルコ、ほかに用でもあったのか?」

「ない、けどよい。」

 

それならいいね、メランはそう言って持っていた軽食を食べ続ける。それに、マルコは慌てて買ったものに目を向ける。

そこには、やはりバレットのものしかなかった。

 

「でも、お前、自分の服とかはいいのかよい?男もんだろ、それ?」

「でも、まだ着れるしねえ。バレットは成長期だし。よく破るから。」

 

メランはあっさりとそういった。

マルコは、それにひどくもやもやした。もちろん、金の使い方なんてメランの自由だ。そんなもの、バレットが自分で買うものだろうと思いはしても、全てメランがそうしたいからするのなら、口を挟む理由はないだろう。メランの普段の行動を考えれば、それとて納得もできる。

けれど、それ以上にもやもやした。

早々と軽食を食べ終えたメランに、マルコは言った。

 

「・・・・てめえの欲しいもんぐらいはあるだろうがよい。」

「欲しい物って、別に。服は十分あるし。下着も、大丈夫だし。食事だって十分で、武器も正直使い慣れたやつの方が・・・・」

「そういう意味じゃねえよい!」

 

ぴしゃりと言い切ったマルコに、メランは驚いたような顔をした。それに、マルコはいらいらと頭を乱雑に掻いた。

 

「てめえの楽しみと欲の話を俺はしてるんだよい!女なら、服が欲しいとか、宝石が欲しいとか、そんなもん、こうあんだろうが!?」

 

マルコは自分でも何故そんなに苛立っているのかわからなかった。ただ、漠然とした苛立ちに、メランをにらみつけた。

彼女は、それにきょとりとした顔をした。

そうして、不思議そうな顔をした。

 

「じゃあ、どうするんだい?」

 

薄く浮かんだ笑みは、まるで無邪気な少女が友人に微笑みかけるもののようだった。

血の臭いなんて、欠片だってしない。

マルコは、自分が己の仲間と、家族とともにいることを忘れてしまった。

だって、その少女が瞬きの内に浮かべた笑みと、そうしてその場を支配した空気はまるで無防備な堅気を前にしたかのような、そんな居心地の悪さがあった。

メランはそう言った後、ぴょんと椅子から立ち上がりそうしてくるりとターンをした。

彼女は、くるぶしほどのブーツに膝丈のズボン、そうして簡素なシャツにベストを着ていた。全て、小柄な彼女が着れそうなものを船からかき集めたものだ。

そんな彼女は発育の悪さも加わって鈍い人間からすると、見目の良い少年にさえ見えただろう。

彼女は、自分のズボンを少しだけつまんで見せた。

 

「そうだな、真っ白なワンピースを買ってみようか?とっても素敵な、着るだけで心が躍るようなものを。」

 

それで戦うのか?せっかく素敵なそれでさえ血に染めることしかできないのに。

 

 

メランは次に己の頬に手を添えた。

 

「愛らしくなれるように、化粧道具でも買おうか?流行の、とびっきりのものを。」

 

その上に返り血で上書きされるなら、無粋が過ぎるさ。

 

メランは次にマルコに手の甲を向けてひらりと振った。

 

「指先を宝石で飾り立てようか。美しい指輪なんて。」

 

飾り立てるほどのそれを一体誰が見てくれるんだい?

 

愛らしい少女はまるでダンスでもするようにマルコの前でくるりと回ってみせる。けれど、それに魔法をかけてくれるものはいない。

少年のようなそれがドレスに変わることもなく、彼女の手を取ってくれる王子様は現れない。

そうして、少女もそれを望んでいなかった。

メランは、マルコに対して苦笑するように肩をすくめた。

 

「求めているわけじゃないんだ。ただ、私にとって君のあげたものは今のところ、価値がないんだよ。なんと言えば良いのかな。今は、少女をやっている気分じゃなくてね。」

「・・・・なら、せめて、欲しいものぐれえあるだろう?」

「ないんだよねえ。これが。」

 

メランはそう言ってどこか悲しそうに拳を握ったマルコの隣にまた座った。

 

「・・・・私は、私の感じられる幸せってものが欲しくないのさ。私は、バレットが幸せならそれでいいんだよ。」

「意味がわからねえんだよ。」

 

それはマルコの本心だった。

痛々しいと思う。マルコの知る、普遍的な少女の望むものをあっさりと蹴り飛ばして、軽やかに微笑んだ少女。

己の幸福を、にべもなくいらないと切り捨てた少女。それを、いらないというそのあり方が、嘘ではないとわかるのだ。

嘘ではないと、そう言うにはあんまりにもその目は澄み切っていた。

包帯まみれの、下手くそな笑いをする子供のようだった。

傷なんて、かけらだってないのに。

それなのに、何故か、マルコにはそう見えた。

 

「なんて言うんだろうなあ。ただ、なあ。」

 

私は私だけの幸福を追い求めたら、きっと獣になるんだ。

 

その言葉の意味がわからなかった。思わずメランの方を見たが、彼女はどこかぼんやりとした眼で自分の足下を見ていた。

 

「・・・・自分のために生きるなら、それは結構簡単だったんだ。戦場で、自分の利益、自分の出世。追い求めれば、立ち回れたんだ。でもさあ、それは嫌だったんだよ。」

 

人は、弱者を是としたからこそ人だ。私は、強者だけが生き残るあの場所が嫌いだった。弱者が贄としてくべられる地獄を嫌悪した。

 

「だから、弱い子たちを大事にしたかった。大事にしたかったのに、なんでだろうねえ。みんな、死んでしまった。弱者であることを笠に着て、強者である無害な誰かを害そうとして。そんな時さあ、嫌になってしまったんだよ。」

「・・・・何にだよい?」

 

マルコはそう聞いた。それに、メランは肩をすくめてなんてことないように困ったように笑った。

 

世界に、かな?

 

前方、なんてことない町並みを見て、メランはやっぱり笑っていた。

 

「私は、私でありたかった。私は、人間として死にたくて。周りにも、贄としてでも、駒としてでもなく、人として生きて欲しくて。その願いは、私を私たらしめるよすがだった。私は、私であることを放棄したくはなくて。でもねえ、どうしてか守りたいと思った存在から裏切られるようで。」

 

ぶらんと、メランはまるで子供のように足を振った。

 

「獣のように生きてしまおうかとも思ったんだ。それはきっと楽だった。でも、私は人であることを忘れたくなかった。自分を忘れるのは怖かった。でも、生きることにはことごとく、疲れてしまって。人を殺して、血にまみれて、泥をかぶって、大人に飼われて。なら、生存活動と同じかと思った。」

 

でも、バレットがいた。

 

メランはその単語と共に、朗らかに微笑んだ。その笑みは、白ひげがマルコに時折向ける笑みにそっくりだった。

優しい、笑みだった。泣きたくなるように、優しい笑みだった。

 

「あの子の幸せは願えた。あの子だけは、獣のように生きても、それでも、生きたいと願って息をしていた。自由になりたいと願っていた、幸せになりたいと思っていた、誰かを好きでありたいと手を伸ばしていた。」

 

あの子の幸せを願うと、私は安心するんだ。あの子の幸せを願っている間は私は人間であることを忘れない。私は、私でいられる。獣ではないんだと、自覚していられる。

 

メランはそう言った後に立ち上がる。そうしてマルコに背を向けたまましゃべり始める。

 

「私は、私の幸せを求めてない。私は、自分の幸福だけを思った瞬間、獣に戻ってしまう気がするから。大事にしたいと思った誰かの死んだ世界で、自分の幸福に微笑んだら、私は私でいられなくなる。」

 

でも、バレットのために笑っているとさあ。あの子の幸せを願っている間も幸福なんだ、幸せなんだ。本心から。何よりも、その幸福だけは、赦される気がする。

 

メランはそう言って、くるりとマルコに振り向いた。そうして、まるで可憐な少女のように笑った。

 

「それだけ!ただ、それだけの話!ごめん、湿っぽい話をしたね。そろそろ帰ろうか。」

 

にこやかにそういったメランを見て、マルコは立ち上がった。

歯を食いしばって、そうして、ぎっとメランをにらみつけた。

 

「ここで少し、待ってろよい。」

 

そう言い捨ててマルコはその場から走り出す。メランは返事も聞かずに走って行ってしまったマルコの後ろ姿を呆然と見送った。

 

 

どれほど経ったことだろうか。

マルコは何かを握りしめて、ベンチに座って待っていたメランをに近づいた。

そうして、メランの前に拳を突き出す。

 

「君、何してるのさ。急に・・・・」

「やる。」

 

ぶっきらぼうな言葉と共にメランの手に何かを無理矢理に握らせる。それは、真っ白な紐だった。先には赤いガラス玉のようなものが添えられている。

 

「前に、頑丈な髪を括る紐が欲しいって言ったろ?やるよい。」

「え、いや。別に、適当な縄で足りるんだけど。」

「・・・・メラン。おれあよ、お前の言葉に納得できないよい。」

 

マルコはまっすぐにメランを見た。その目には、怒りが宿っていた。

 

海賊船に乗る人間というのは、どこかで何か、痛々しくて寒くて、暗いものを抱えている。それをほじくり返すものではないし、癒えるまではそっとしていくようにマルコは周りの兄貴分たちから教わっている。

それは、メランだって同じなのだろう。

自分の幸せではなく、誰かの幸せを見つめていたいという願いは別段否定されるものではないだろう。

けれど、けれどとマルコは思う。

 

「俺は、お前が何を言ってんのかよくわからねえよい。ただな、これだけは言えるよい。てめえの幸せも、不幸もバレット一人に押しつけんのは、あんまりにもあいつに対して押しつけすぎだ。」

「・・・・・その責をバレットに問う気もないし。私の幸せがどんなものか、言われる筋合いだってないだろう。私は。」

「俺は、お前の兄貴分だ!」

 

ぴしゃりと言ってのけたマルコにメランは驚いたように固まった。マルコは、メランの腕を掴み無理矢理に立たせた。そうして、鼻先がくっつくほどまでに顔を近づけた。

 

「お前は、どれほど言おうと、たとえ一時のことだとしても。俺の後に、あの船に乗ったお前は俺の妹だよい。」

 

揺るがぬ青い瞳が、黄金の瞳を見つめた。

 

マルコにだってわかる。

メランにはメランの痛みがあるのだと、癒えてはくれない傷があるのだ。メランとバレットにしか共有できない何かがあるし、自分が踏み入れてはいけないものがあるのだ。それでも、マルコは言葉を続ける。

 

「かわいくねえけど、バレットだって同じだよい。弟だ、俺の、弟だ。不器用で、無愛想で、それでも素直な弟だ。下の幸せを願わねえ兄貴がいるかよい!いいか、メラン。俺の妹に、一時期でもなったらな、お前は俺のために幸福になる義務があるんだよい。」

 

ああ、だってそうだろう。

白ひげの船は、幸せになる方法だってわからない、そんな誰かのための箱庭だ。

マルコだってそうだ。ゴミための中で生まれて、どこにも行けずに、獣のように生きていた。

獣のように生きたって良いじゃないか。人として半端でも、それでも、自分を幸せにしてやらなければ。

だって、自分だけは自分を幸せにできる。人の幸せは、当人がそうだと決めたものでしかないのなら。

 

「この世は地獄だよい。俺だって知ってる。だからよい、それなら、せめて自分だけは自分を幸せにしてやらなくちゃ。自分だけは、自分を救わなくちゃあよい。」

 

そうでなければ、あんまりにも生まれてきたことに対して不誠実すぎるじゃないか。

自分たちは、人として生まれたとして、人として生きる理由なんてどれほどある?

高尚に生きるために、くそったれな神様が自分たちに試練でも与えたというならば、人はそれぞれ平等にゴミための中から生まれてくるべきだろう。

けれど、世界はそうではない。神様なんて、いやしない。英雄は確かにいたけれど。

マルコは、人として理性を持って生きるために、善性を肯定するために生きるというならば、神というものの説いた正しさのために生まれてきたというならば、自分たちの生に意味なんてないだろう。

 

「俺たちは、幸福になるために生まれてきたんだ。そうだろう、そうじゃなきゃ、それぐらいを赦されなきゃ、あんまりにもむなしいだろうよい。」

 

例え、他人のことを踏み台にしたとして、他人の不幸を巻き起こしたとすれば、報いはやってくるのかもしれない。因果応報の言葉通りに、しっぺ返しはあるだろうと思っても。

それでも、せめて、幸福になりたいと願って、あがき続けることを肯定されなければ、あんまりにも人は救われないじゃないか。

 

「メラン、俺はお前が誰かの幸福を足蹴にでもしなけりゃあ、獣のように生きたとしても、お前のことを肯定するよい。獣のように生きることになっても良いからよい、お前が幸せであって欲しいよい。俺は、俺の妹に、幸せになって欲しい。」

 

お前がお前のために生きることを厭うなら、俺はお前を幸せにしてやる。バレットのことだってそうだ。俺は、お前の兄貴なんだ。

 

「帰るよい。俺たちの、家に帰るよい。」

 

マルコはそう言って、ベンチの辺りにあった買い物した品々を持ち上げた。そうして、片手でメランの手を握った。

引きずられるように、マルコの後ろを歩くメランは、かすれた声で言った。

 

「・・・誰にも、言わないで欲しい。」

「言わねえよい。だから、お前も兄ちゃんの言葉を覚えておけよ。」

「年なんて、ほとんど変わらないくせに。」

 

皮肉気なそれに、マルコは何も言わなかった。ただ、ゆっくりと、ただゆっくりと元いた道を歩いて行った。

 

 

(馬鹿な子だ。)

 

メランはそう思ってマルコの後ろを歩いた。彼女が、今日、本音ではあるとはいえそんなことを話したのは、結局の話、彼の同情を買いたかったからだ。自分の味方を増やしたかったからだ。

なのに、そんなことを言われてしまって、ことごとく自分の醜さを思ってしまった。

 

(いや、違う。)

 

自分は、きっと傷つけたかったのだ。だから、あんなことを、バレットにさえも言わなかったむき出しの感情を口にしたのだ。

 

愛らしいワンピースはいらない。柄でもないし、趣味でもないから。化粧なんていらない、過敏になった感覚では匂いがきつすぎる。綺麗な宝石だっていらない。動きにくいから。

薄れた記憶の内では、そこまで女であることを楽しんでいたわけではない。

動きやすい服が好きで、化粧よりも身軽な今が好ましく、宝石も欲しいとは思わない。それは、メランの純粋な趣味だ。

ただ、普通の、どこにでもいる普通の誰かの感覚さえも放り出した事実を突きつけられたことに、腹が立ったから。

メランは、手ひどいまでのしっぺ返しである真っ白な、それを握りしめて重くため息を吐いた。

 

 

メランはその日、今まで一番に心を砕かれた。

マルコとのやりとりのこともあったが、それ以上のことがあった。

 

「お前なんて嫌いだ!!」

 

買い物から帰ったメランは、早速と気を取り直してバレットに買ってきたものを差し出したのだ。けれど、とうのバレットはその買ったものを彼女の手からはたき落としたのだ。

何故と聞いた彼女に言い返したのが、その言葉で。

メランは初めて、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えたのだ。

 





バレット自身、あんまり自分の幸福を理解できてない感じなため、他人の幸福も理解できてない。
次回は初めての喧嘩回です。バレット側の話はその時です。

感想、いただけると嬉しいです。


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それを人は何という?

前回のバレットの目線。


 

「もう少し、彼女への接し方はなんとかならないのか?」

「あ?」

 

そんなことをダグラス・バレットに言ってきたのは、ゆったりと剣の手入れをしていたビスタだった。バレットは雑用を終わらせた後、個人的につけられている鍛錬の後のことだった。

特にバレットにかまっているビスタは、悠々と船の縁に腰掛けてバレットを見た。

バレットはむくりと起き上がり、じろりとビスタを見た。

こちらを見るだけで何の言葉も発しはしなかったものの、聞く姿勢は一応持つようになったのだからましにはなったのだろう。

ビスタは、港町で自分をじいっと見つめてくる野良猫を思い出した。

 

「もう少し、彼女へ優しくすることはできないのかと言っているんだ。」

「何故だ?」

「何故って、お前なあ。」

 

バレットは心の底から何故そんなことを言われるのかわかっていないという顔をしていた。

それにビスタは呆れた顔をした後、じいとバレットを見下げた。

 

「いろいろと世話になっているだろう?」

 

ビスタはじいとバレットのボタンを見た。バレットは確かに雑用はこなしているが、ほとんどは力仕事で、細かなものは全くしない。そうはいっても、得手不得手があるがそれは分担されている。

が、ボタン付けなど個々のものは自分たちで行うことになっている。

バレットは何をしてもメランにそれを頼んでいる。

 

(いっそのこと、メランが取れかけたボタンに気づいてつけてやったりしているが。)

 

何をしてもメランという少女はバレットに対してかいがいしいのだ。が、バレットというのは反対で基本的にメランに何かをしてやっているところを見たことがない。いつでも与えられることに甘受している。

 

「まあ、あの子が見返りというものを求めているとは思えないが。一方的な関係というのはよくないことだ。何かしら、礼でもしておいたほうが良いという話だ。」

とくに、どんな年齢であろうと女性というのは怖いものだからな。

 

言い含めるようなビスタの言葉にバレットはきょとりと子供のような顔をしている。それに、ビスタはなんとなく己の言ったことが全くといって良いほど響いていないことを察した。

 

 

返すとして、何を返すというのだろうか。 

バレットはぼんやりと雑用に励んでいた。荷運びを頼まれたまま、ビスタの言ったことを考える。

雑用自体は彼自らが買って出ている。彼自身、姉貴分の影響か何かしらをしている方が落ち着くため力仕事だけは細々と引き受けていた。

バレットは武器の整理で出た不要品を物置に運びながら、そんなことを考えていた。

 

(礼、あいつのうれしがること。)

 

仕事も終わり、やることもなく甲板で適当に体術に付き合ってくれそうな誰かを探した。そうして、ふと、海の果てに視線を向けた。

真っ青な、誰かを思い出す色だ。

バレットはそれに、なんとなしにビスタが彼女に贈り物でもしたらどうかと言っているのだと思った。以前、立ち寄った島で船の男たちが見目の良い女に何かしら贈り物をしていたのを見たことがある。

バレットとしては、何故あんなにも弱そうな女に高価なものをやるのか謎であった。

そうして、それに付随してその疑問を投げかけたマルコにガキだなと呆れられたことを思い出して、バレットの眉間に皺が寄る。

 

選んでもらいたいんだよ、自分をね。

 

バレットは結局の話、その話の意味を理解できていなかった。女に選ばれたとして、何があるというのだろうか。

メランもその意味をわかっているのか、苦笑してそう言うのだ。

詳しく話を聞いたバレットに、くすくすと笑ってやたらと老いた眼をする。

メラン曰く、バレットもいつか誰かに選ばれたいと何かを送る日が来るらしい。

贈り物を贈るのは、自分を望んで欲しいからなのだという。

バレットにはその意味がわからなかった。元より、愛だとか、恋だとかもピンとこない。

ただ、船の男たちは女に選ばれたくて、女とある程度の関係性を望みたくて代価を差し出していることだけはわかった。

昔、自分はダグラスに選ばれるために戦歴を上げ続けたようなものだろうか。

自分のそんな考えが正解はわからなかった。けれど、彼女がそう言うのだからそんなものだろうと納得した。

何よりも、今のところバレットには関係なさそうだと意識から外していた。

 

(俺は、メランに選ばれないといけないのか?)

 

バレットはそれにはてりと首をかしげた。それでは、順番が逆ではないだろうか。

メランがバレットを選ぶのではない。バレットがメランを選ぶのだ。

選択肢はいつだって、バレットに委ねられていた。

選ばれたいから何かを与える。それについては納得できる。

メランも、いつだってバレットに与え続けていたから。だからこそ、ビスタの言葉について考えていた。

バレットは誰だって選べる。今まで、海を渡ってきてバレットの強さに媚びも畏れもはては憧れさえも浴びてきた。

求められたことなど幾度もある。バレットは別にメランでなくとも良いのだ。

あの日、バレットに手を差し出してきたのはメランだった。バレットは、それを惰性で続けているだけだ。

あれだけが、絶望の淵でバレットの味方であり続けた。あれだけが、まだかろうじて信用ができる。それだけだ。

バレットがそんなことを考えていると、やけに顔色の悪いメランが甲板に出てきた。それに、バレットはなんとなしに声をかけようとする。

けれど、その言葉をバレットは飲み込んでしまった。

 

「・・・・あー。日光がまぶしい。」

「まじで誰だよい。領収書後から提出したやつ。」

「知らねえよおおお!つーか、朝飯食った後からぶっ通しで昼飯食いそびれたんだけど。」

「飯なあ。食う気分じゃねえよい。」

 

メランの隣にはマルコがいた。おそらく、経理部での仕事が立て込んでいたのだろう。

二人で肩を並べてそんな風に話をしているのを見ると、何だろうか。

声をかけられなかった。別に、躊躇をする理由などないというのに。

何故か、言葉がごくりと飲み込まれた。

メランはあーあと、疲れた顔をしても、それでも穏やかに笑っていた。

だから、だろうか。

まるで、切り離されたように全てが遠く感じられた。

バレットが葛藤している間にメランがいつものようにバレットを見つけて寄ってくる。そうして、その後にマルコが歩いてきた。

そのまま、メランが話をして、マルコが茶々を入れ、バレットは頷くだけだ。

いつも通り、そのままに、時間は進む。先ほどの、奇妙な断絶など何もない。そんな風に三人で話していると、幾人かが挨拶をしたり、軽く話しかけてくる。

メランはそれに、にこりと笑って返事をしていた。

メラン以外の声がする。メラン以外の誰かが自分を見ていた。メランと自分以外の誰かが、ここにいる。

それに、バレットはああと思った。

もう、とっくに、二人きりではなくなった。ただ、それだけの話だ。

 

 

 

自分のベッドに横になってぼんやりとバレットは考え込んでいた。

別段、やることがない時のことだ。雑用もあらかた終わってしまっている。

誰かしらを鍛錬に巻き込もうと思ったが、丁度そこそこに大きな島についたためにほとんどが外に出ていたり、船の整備のために忙しなく動き回っている。

かすかに耳を澄ませば、誰かの足音のようなものが聞こえる。

思えば、とっくに自分の生活にはメラン以外の誰かが入り込んでいる。久方ぶりの共同生活は以前に比べればだいぶ快適であった。

戦闘が不定期であることは不満であったが、やることをやれば何をしようとさほど文句はなかったし、誰かしらに声をかければ鍛錬はできた。

バレットは功績もあるが、その体格の良さもあり与えられた一人部屋の天井を見上げた。

以前ならば、そんな風にしているとメランの足音と波音だけが聞こえていた。

ぱたぱたと、そんな軽やかな足音とかすかな鼻歌。

けれど、今はどうだろうか。

がやがやと、がやがやと、たくさんの音がする。

別に、選ぼうと思えば、選べてしまうのだ。

自分は。そうして、きっと。

 

(あいつも。)

 

何故だろうか、ひどく、もやもやする。頭の中がぐるぐると回るようなおかしな感覚だった。

バレットはそれに起き上がる。なんとなしに、メランの顔をみたくなったのだ。

あてどなく、船の中を歩き回る。普段、メランの入り浸っている場所を回るが、とんと彼女の姿も、そうしてマルコの姿も見えなかった。

何故かと最後に甲板に出るが、二人の姿は見当たらない。

 

(どこに行きやがった?)

 

別に用があるわけでもなく、ひと目顔を見れば満足するはずだった。

 

「あん?バレットじゃねえか。珍しいな、一人か?」

 

バレットが声のする方を向くと、金髪の男が立っている。それに、バレットは頭の中からばらりと記憶を探る。

 

「・・・・ユージーンか。」

「え、意外だな。お前さん、俺の名前覚えてるのか?」

「は?一回なのりゃあ誰だって覚えるだろうが。」

 

そんなことを言えば、ユージーンはあーあなるほどと頷いた。その後に、世間話のように肩をすくめた。

 

「まあいいがな。それよりも、お前さんは行かなくて良いのか?メランとマルコの奴ら、二人で島に出かけてったけどよ。」

 

それにバレットの眼がゆっくりと見開かれた。

その時、ユージーンは世間話のようにそんなことを言ったことをひどく後悔した。その時のバレットは、怒るわけでもなく、ただ、子供のように傷ついた顔をしていた。

 

 

別段、おかしな話ではない。

バレットは広い、一日でじっくりと見て回るのは難しいだろう島の繁華街に当たる場所を見回した、人のごった返した場所は、何でも他の船からも多くの人間が物資の補給だとかにやってくるらしい。

その中を練り歩きながら、バレットはぼんやりと考える。

メランがマルコを誘って買い物に行ったのもわかる。前に、メランもバレットに個人的に必要なものがないかと聞いていたことがあった。

自分はそれを断った。だから、彼女もマルコを誘ったのだろう。

わかっている、そのぐらい、わかっている。

けれど、何故だろうか。

ひどく、ひどく、まるで全てが遠いように思えてしまった。

人の波をぬって歩く。体格が良く、お世辞にも柄の良くないバレットではあるが、海賊になれているらしい島民や同業者は気にすることもない。

いつだって、遠いのはメランの方だった。軍隊でも、人の輪に入っているのに、薄い笑みをたたえているだけで一歩下がった場所にいた。

バレットには、そのあり方がとんとわからない。

関わりたくないのなら関わらなければいい。望みさえも口にできないのなら、一人でいればいい。

そういえば、メランは困ったように肩をすくめた。

 

「私は弱いからね。」

 

そう言われれば納得しかできなかった。

バレットは、望んで一人だった。一度拒絶すれば誰も近くにいなかった。

それでも、メランだけが近くにいた。誰もと距離を取る彼女だけがバレットの側にいた。だから、それはきっと、例えば彼女が裏切るだとか、そんなことがない限りはずっとそうなのだと思っていた。

ずっと、二人きりで、弱い奴らの群れを眺めているのだと。

メランが集団の中にいても、自分を選んで駆け寄ってくるのを眺めているのだと、ずっと思っていた。

だからこそ、だろうか。近しかったメランが、ひどく遠くに感じられた。

バレットの庇護がなければ死んでしまうメラン。バレットを助けるために命をかけた女。

互いしかいなかった、国を滅ぼしたあの日。

だから、二人きりで過ごした。それで納得していた。信用できるのは、メランしかいなかった。

けれど、そうだ。

とっくのとうに互いを選び続けるような理由は、なくなってしまっていて。

自分じゃなくても船にはたくさんの庇護者がいる。彼女じゃなくても船を動かす存在も医者もコックもいる。

とっくに、二人きりは終わっていた。

 

どん、と。何かが自分の足にぶつかった。バレットは自分がそんなことにも気づかないほどに考え込んでいることに驚きながら足下を見る。

そこには、小さな子供がおもちゃを持って震えていた。遠くには慌てた様子の母親が走ってきている。

周りから小さなざわつきが生まれた。けれど、バレットはそんなこと気にもとめずに、少年に手を伸ばす。

身を固くした少年の襟元を掴み、立たせた。

 

「きいつけろ。」

 

そのまま少年を通り過ぎてバレットは道を歩いて行く。

慌てて涙目の少年に駆け寄る母親を見て、バレットはぼんやりとまた考え出す。

 

(あれは、“親子”)

 

そのまま歩いて行けば、男女の二人組、同性の二人組、老婆の手を引く子供。

たくさんの人間とすれ違う。それを見ながら、バレットは以前メランに教わったことを思い出す。

 

(恋人、家族、友人、兄弟・・・・・)

 

戦場を出てから船に飛び乗ったバレットは少々一般的な常識というものを欠いていた。そのため、メランは根気強く一般的なことをよく話して聞かせた。

この世には良くも悪くもたくさんの関係性があるらしい。

家族と一言に言っても、血のつながりがあったり、なかったりする。兄弟だってそうだ。血がつながっていたり、つながっていなくても兄弟であるらしい。

そこらへんの線引きに関してはよくわからない。

ただ、家族というのはひどく複雑なものらしい。家族という枠組みの中に、兄弟だとか、夫婦だとかそんなものが括られている。

バレットはふと、腕を組んだ男女を見て、恋人というものがあることを思い出す。

バレットは白ひげの船に乗って、なんとなしに家族というあり方を理解できる気がした。

互いに望んで、どこかに集う。

そういうものだろうか。

答え合わせをメランにしたこともある。けれど、彼女は苦笑交じりに肩をすくめた。

曰く、家族というのはそれこそ人の数ほどあり方というものがあるらしい。

 

まあ、ここのように互いに望んで、幸福のために寄り添うのだって家族だけれど。それと同時に、断ち切りたいと願いながら引きずり、縛られることしかできないのだって家族なんだよ。

 

意味がわからなかった。矛盾に満ちたその言葉にバレットは顔をしかめた。それに、メランはまた苦笑を漏らした。

 

わからないならそれでいいよ。お前さんがいつか、家族を欲しくなったら、また考えれば良いよ。なかなか出る答えではないから。

 

家族というのは複雑で、バレットにとっては無理解でありすぎた。だって、家族なんてものをバレットは知らないから。

恋人というのもよくわからない。

それの間には、恋というものがあるらしい。

 

(恋、恋、恋・・・・・)

 

人は恋人になってから、夫婦というものになり家族を作っていく場合が多いそうだ。

が、夫婦になるとその間には愛があるらしい。

 

(恋、愛・・・・・)

 

恋と何だろうか。

バレットは昔、二人きりの時、船に揺られて子守歌のように聞いていた女の言葉を思い出す。

 

恋ねえ。そうだねえ。恋とは他を求めることかなあ。己のエゴに振り回されて、それでも求め続ける心かな。

 

それにバレットは首をかしげた。

他人を求める心ならば、自分が強者を求めるそれを同じなのだろうか。それはどうも違うらしい。

ならば、愛とは何だろうか。

それも、メランは苦笑交じりに微笑んだ。

 

愛か。愛ねえ。そうだねえ。愛は、他人に与えることかな。願うように、祈るように、他人のために何かをなしてあげたいと、幸福であれという心かな。

 

それだって、やっぱりバレットにはとんとわからなかった。

顔をしかめたバレットの頭をメランはそっと撫でていた。

 

まあ、いつかわかるよ。お前さんにだって、そんなものを抱える日が来るよ。

 

バレットはただ、道を歩いて行く。道を歩いて、幾人も寄り添って歩いて行く誰かを見る。

人は関係性を基準にして、相手へのあり方を変える。

例えば、見ず知らずの誰かにしないことを、人は家族へ向ける。

白ひげの船員たちは、躊躇もなく同じ船の人間を頼る。他人を頼って、誰かと共に生きていくことを前提にしている。

その甘えこそが、家族であり、愛というものを建前にしているのだろうか。

家族とは、ある意味での共同体の名称なのだろうか。軍隊では、それぞれに役割があり、それをこなすからこそ食事や寝る場所を与えられる。

けれど、白ひげの船は確かに仕事は求められるが、それでも、そこにはどこか自分でやるという自由意志がある。

義務ではなく、意思をもつのが愛なのだろうか。

 

(なら、それなら。)

 

バレットは、ただ、人の合間を歩き続ける。ぼんやりと考えて、少年少女が自分の横を走り去っていく。そこで考える。

 

メランと己のあり方というのはいったい何なのだろうか。

 

 

メランに何かを与えられることや世話をされることに対して無自覚であったのは、彼女を守り続けていたのが自分であったからだ。

戦場でも、そうして船上でも、彼女を守り続けたのはバレットだ。例え、彼女を戦闘に巻き込んだとしても、死なせるような下手を打ったことはない。

海に出たときの約束を覚えている。

自分の強さを彼女は買った。自分は、彼女への信用を買った。

それで自分たちの世界は回っていた。自分たちのあり方に納得していた。

けれど、けれど。

白ひげの船に乗っている間、彼女を自分は守っていただろうか。その与えられたものに納得できるものを与えていただろうか。

ビスタの言葉で、それをようやく自覚した。

白ひげの人間は、彼らの関係性によって成り立った甘えによってその不平等に納得している。軍隊の人間たちは、報酬を得ていたからこそ何かを差し出した。

自分は、なぜ、メランに与えられているのだろうか。

ビスタの、礼をしておいたほうが良いという言葉を思い出す。

何も差し出せない自分。強さを求められない自分。メランに、選ばれない自分。

マルコと買い物に行った彼女。

二人で、自分の知らない話をする、彼ら。

それに、腹の底がぐるぐるとする。

メランが、己の利益だけで何かを判断するような存在ではなくとも、自分の強さを求められないそれがひどく落ち着かなくなった。

ふと、そこである店にショーウィンドウが眼に入る。それは、雑多に物が詰め込まれており、どうやら骨董品の店であるらしかった。

そこで、ふと、飾られていた装飾品に目が行った。

銀色のそれはどうも小鳥が彫り込まれており、その目には青い宝石がはめ込まれている。それに、何故か紺碧色の髪をした彼女のことを思い出す。

価格もそこまでではない。戦歴のおかげで金は十分にある。

そこで、ビスタの言葉を思いだす。

バレットは少しの間それを眺めた後、無言で店の中に入っていった。

 

 

(・・・・まあ、価値としても報酬と考えりゃいいか。)

 

バレットは小さな箱に入れられた指輪を見る。

昔、上の人間が女に装飾品を与えていたことを思い出す。といっても、彼らは何故か指輪という物をあまり与えていなかった覚えがある。首飾りだとか、そういったものが多かった記憶もあるが。

 

(まあ、これなら置き場所にも困らねえだろう。つけてりゃ、武器にもなる。)

 

バレットはそれを送ったときのメランのことを考える。

きっと。きっと、メランは眼を見開いて、驚いた顔をするだろう。そうして、黄金の瞳をきらきらさせて、大声でありがとうとはしゃいだ声を上げるはずだ。そうして、バレットが嫌になるぐらい周りに自慢して、それを肌身離さずつけているだろう。

そんなことを考えると、不思議と心が浮き立つ気がした。

自分たちは家族ではない。自分たちは良くも悪くも、与えられるからこそ、与え返しているだけだ。

それでいい。愛も、恋も、自分には理解できない。それを、未来で出会う誰かに求めたいとも欠片だって思わなかった。

自分には、与えられ、与えるだけの誰かしかいない。それでも、幸せだ。そうだろう。そうじゃないか。

自分の手の中にある、銀の指輪がやけに重く感じた。

 

だからこそ、船へ帰る途中にある広場に座るメランを見つけた。バレットは思わず立ち止まって考える。

手の中のそれを、今渡してしまうか。それとも、船で渡すか。

どうせばれることを考えればどっちも同じだろうが。そうはいっても、相当に騒がれることを考えると今渡した方がリスクが低い気がする。

バレットはそんなことを考えながら、彼女が自分を見つけて駆け寄ってくるのをいつも通りに待った。

けれど、何故だろうか。

メランは一向に立ち上がることもなく、呆然と座り込んでいる。

確かに、建物の物陰に隠れたバレットと広場の真ん中にいるメランとの距離はそこそこにあった。けれど、いつもならば、メランは自分を見つけてくれたはずだ。

こちらを向かない彼女、自分を見つけてくれない彼女。

それが、何故か、朝と同じやたらと落ち着かない感覚を呼び覚ます。

出て行って、おいと声をかけられなかった。それは、嫌だった。

彼女が自分を見つけなくてはいけないのだと、意地のようにそこに立っていた。

その時だ。

どこからか、マルコが走ってくる。そうして、彼はメランの前に立って何かを言っている。

声は遠くてよく聞き取れない。

けれど、マルコはそんなことも知らずにメランに何かを差し出して、そうして手に握らせた。それは、白い紐の髪飾りのようだった。

メランは、自分の前に立つマルコを見ていた。バレットを見ずに、マルコを見ていた。

バレットはそれを見ていた。

自分よりも先に何かを送って、与えたマルコ。自分で彼女に走り寄り、そうして彼女に見てもらえているマルコ。

ここで、一人で指輪を握りしめている自分。そうして、彼女に駆け寄れもせず、その瞳に見てもらえない自分。

何か、落ち着かない。落ち着かなくて、それでもこちらを見ないメランをただ、見ていた。

そこで、ふと、思い出す。

考えていたことだ。

自分は、メランにとって何者だろうか。自分とメランとは何だろうか。

なら、ならば。

マルコとメランとは何だろうか。

自分たちの間に、愛はない、恋はない。それ自体を、バレットは理解していない。

ただ、あるのは利害関係と腐れ縁だけだ。互いに互いでなくともあり得たはずだ。メランは自分を大事にしたいと言った。けれど、それだって意味がわからない。それでさえも、幼い頃の戯れ言だ。

今あるのは、ただ、庇護を求めた彼女と術を求めた自分たちのあり方だけだ。

不確かで、曖昧な、それ。

名前さえもない、二人きりの繋がり。

けれど、向かい合って、何かを話す二人を見る。

彼らの間にあるのは、愛なのだろうか、恋なのだろうか。

メランの言葉を思い出す。

人は、一般的に、恋や愛を抱いた誰かを一番に優先するのだという。

 

お前も、いつかそんな誰かに出会えれば良いのにな。

 

くだらないと切り捨てた彼女の言葉を思い出す。その言葉通りならば、彼女もいつか、見つけるのだろうか。己の一番、優先すべきもの。

利害関係ではなく、感情によって選ぶ誰か。バレットよりも、違う誰かを選ぶときが、来るのだろうか。

名前さえもつけられないようなあり方しか、繋がりしかない自分たち。

バレットは急激に腹立たしくなってきた。

 

(何だ、お前もか。)

 

いつか、彼女でさえも、自分を選ばないときが来るのかもしれない。彼女でさえも、自分を裏切る日が来るのかもしれない。

けれど、今まで積み重ねてきた日々と信頼が、その怒りを冷やしていく。

半端に膨れ上がったそれのまま、バレットはその場を立ち去った。そうして、唐突に、自分の握りしめた指輪の存在が惨めになる。

バレットは、帰り道でふと、海に視線がいった。

 

 

帰ってきた彼女は、変わることなく自分に微笑んだ。そうして、嬉しげにバレットのために買ってきたという服を見せてきた。

それを見て、バレットは腹の底にたまった何かがあふれ出した。

自分を置いていったメラン、自分を見なかった彼女。そうして、メランの髪をまとめている白い組み紐に視線が行った。

いつか、いつか、彼女も自分ではない誰かから何かを与えられて、どこかにいくのだろうか。自分を裏切るのだろうか。

その、白い紐がひどく不快だった。彼女に何かを与えられることが、ひどく嫌になった。

 

「お前なんて嫌いだ!!」

 

ほとばしった声に目を見開いたメランに、バレットは少しだけほっとした。まだ、彼女にとって自分は重要な位置にいることに少しだけほっとした。

 




ビスタは純粋にバレットのことを心配してました。今回は、ちょっと墓穴を掘っただけで。
バレットはそこまで細かい常識を知らない。
指輪に関しては一番小さくて持ち運びに便利そうだったから。

感想、いただけると嬉しいです。


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泣き方さえも知らぬのです

ものすごい、お久しぶりの投稿になります、すいません。

評価、感想、ありがとうございます。。

感想、いただけると嬉しいです。


 

 

ざわつく周りに、マルコはちらりと隣を見た。

そこには、この世の終わりでも迎えたかのような少女が一人。

白い肌はくすみ、群青色の髪に艶をなくし、黄金の目はよどんでいる。

しょもしょもと食事を口に運んでいるのを見ると、こちらのほうが食欲も失せるという話だ。

 

(バレットさえ、なんとなりゃあな。)

 

マルコはため息を吐きながら隣を見た。

かれこれ、ダグラス・バレットとメランとの冷戦が始まって十数日が経とうとしていた。

 

 

バレットはメランを怒鳴りつけた後、彼女を徹底的に無視した。マルコもおかしいと声をかけたが、彼もまたバレットに拒絶される。

数少ないバレットの近しい人間であるメランへの態度に、船員たちも少しの間騒いでいた。が、マルコとメランがバレットを置いて買い物に行ったことを知ると、ああ、なるほどとなんとも言えない顔をする。

別段、メランとマルコの間に甘ったるい男女的な何かがあるわけではないと察していた。けれど、バレットの複雑な男心と言えるものを想像したものは多くいた。

自分にとって一番に近しかった誰かが世界を広げて、他と繋がるという現象は確かに複雑だろう。

その、微妙で繊細なバレットの心情を想像し、兄弟分たちはできるだけそれに触れないことを互いに決めていた。何よりも、すぐに仲直りすると思っていたのだ。

だって、メランとバレットはそういうものだった。

欠けたものを互いに補い、寂しさを慰め合う。きっと、すぐに我慢できずに破れかぶれにじゃれ合っているのだろうと。

だが、二人の、喧嘩と言っていいのかもわからないそれは思った以上に長く続いた。

バレットは以前よりもずっと無言で、黙々と仕事をし、そうして鍛錬に明け暮れる。メランやマルコとじゃれ合う時間がない分、それこそ執拗に強くなることに執着するようになっていた。

メランは仕事はしても、食事もろくにせずに、バレットの後ろをずっと目で追っている。

なんとも言えないよどんだ空気ではあるが、その一歩間違えばぐちゃぐちゃに壊してしまいそうな繊細な空気に皆で触れることができなくなっていた。

が、一番に堪えているのはマルコの方だ。何よりも、なんだかんだで一番、二人に近しい人間だ。彼もなんとかして、二人の仲を戻そうと奮闘したが、バレットはマルコのことを特に拒絶した。それこそ、殺気混じりの苛立ちを当てられるだけだ。

 

(ほかの奴らも、どうしたもんかって悩んでるみてえだが。)

 

ここまで複雑で、繊細なあり方というものに触れたこともない船員たちに何とかしろというのも残酷な話だ。

マルコはうーんと頭を抱えた。

 

 

 

メランは、どさりと、己の寝床に倒れ込んだ。上半身だけはなんとかベッドの上にのせたものの、下半身はだらりと床に落ちたままだ。

が、そこからぴくりとだって動く気力はわかなかった。

 

(べっど、めいきんぐ。)

 

本来なら、ある程度の仕事が終わればメランは居候している部屋の主であるホワイティベイのために自主的に簡単な部屋の掃除をしていた。ホワイティベイはしなくていいとは言ってくれていたが、さすがに申し訳ないとやっていたことだ。

といっても、彼女の私物に手を出さないようにしていたため、最低限のことだったが。

が、今は何もする気は起きない。何よりも、もともとすることになっていた雑用自体、顔色が悪いから休めと追い出されたぐらいだ。

 

メランは、正直に言えば、ここ数日ほどの記憶が無い。

ただ、飛び飛びの記憶では、与えられた役目だけはなしていたものの、それ以外は殆ど無意識に行動していたように思う。

が、そういったことさえも、彼女にとっては些細なことだった。

 

(ばれっとに、きらわれた。)

 

じわりと、目に涙が浮かんだ。彼女にとって、この世界に生まれてから、一番の事件が起こっていた。

何が

悪かったのか、わからない。あの日、確かに良い日になると思っていた。

バレットのために用意した、たくさんのお土産。

ああ、喜んでくれるだろうか。そうだといいなあ、あの子には、たくさんのものを与えたい。

何も、与えられなかった子どもだ。世界は、何も、あの子に与えなかったから。大人たちは、あの子から搾取ばかりだったから。

だから、自分は、半端だとしても、あの子の保護者である自分だけは、あの子に何かを与え続けていたかった。

その間は、与続けている間だけは、きっと、何者でもない自分でも、側に居られる気がした。

 

シーツを掴んで、メランはぐずぐずと泣き出した。

 

(きらわれた、きらいって、いわれた・・・・・)

 

何故、あんなことを言われたのだろうか、自分は何かをしたのだろうか。記憶の上で、彼を特に怒らせたこともなければ、何かをした覚えもない。

精神的に完全に参ってしまっていた。

 

バレットは、メランにとって、世界そのものだった。

死にたくないから生きていた。死にたくないから足掻いていた。

けれど、心のどこかで、ああ、世界よ、終わってくれと、そんなことを願っていた。

炎が飛び散る、金属が何かを貫く。それを避けて、それから逃げて。けれど、次の瞬間に自分を襲う死というものに抵抗せずに終わることだって考えていた。

生きなければいけない。生きているのだから、当たり前のように。

けれど、そのまま地獄が続くことと、それが終わることのどちらが幸福なのだろうか。

そう思っていた。そう思っていたけれど、そんなとき、絶叫を聞いた。

バレットの暴れる音だ、まるで、怪獣みたいに暴れて、悪態をつく言葉だった。

それは、ああ、それは、どうしようもなく、少年の生きてやるという決意だった。

あんまりにも、まばゆいじゃないか。あんまりにも、全うじゃないか。

己がどれほど地獄にあっても、それでも、生きてやるという意思は、生きることに絶望し欠けたメランにはあまりにもまばゆくて、そうして、愛おしかったから。

 

嫌いだ。

 

その言葉は、まるで衝撃となってメランの体をばらばらにする。己の、何かがばらばらに砕け散る気がした。

 

(・・・・ばれっと。)

 

ぼんやりと思う。

何か、ひどいことをしてしまったのだろうか。何か、不快なことをしてしまったのだろうか。

どうしたらいいのか、わからない。

 

(わたしは。)

 

嫌いだ、その言葉が反芻して、メランの中で何かが音を立てて崩れていく。

ぼたぼたと、涙が流れる。

いつぶりの涙だろうか、流れていく熱い滴を眺めていた。喉の奥が熱く、頭ががんがんと響いた。

そういえばと思い出す。思えば、ろくろく食事も取っていなかった。このまま、水を出し切って死んでしまうのだろうか。

 

(それも。いいのかなあ。)

 

太陽がない世界で生きていけないように、希望がない日々を歩んでいけないように、醜いだけの世界をさまよえないように。

それだけのためにいきたいと思ったものの居ない世界で、この残酷な世界で、自分は、生きていたって仕方が無い。

 

ああ、嫌われた。どうしてだろうか、わからないけれど。バレット、ダグラス・バレット。私の希望、私の、人間性の象徴。

君の、いらない私は、きっと。

 

「どうしたんだい。メラン!?」

 

頭上から聞こえてきた声に、メランはのろのろと頭を上げた。

 

「・・・・べい、さん。」

 

掠れた声に、喋る元気はまだあるのかと意外な気分で雪色の髪をした女性を見上げた。

 

真白の髪に、雪のように美しい肌。

そういえば、彼女は、雪に関する名前で呼ばれていた気がする。ぼんやりと、遠い昔に紙で呼んだことを思い出す。

大声が頭の中で響くのに顔をしかめれば、ホワイティベイは全てを察したのか、努めて穏やかな声を出した。

 

「あんた、大丈夫かい。ひどい顔色だよ?」

「・・・・すいません。」

 

ぼんやりとした思考のまま、謝罪だけを口にした。ホワイティベイはひどく痛々しい表情をして、メランをそっと抱き上げた。ぽすりと、ベッドの上に置いた。メランは、座らされたベッドの上で、ぶらんと足を振った。

 

「だから言っただろう。今日は休みなさいって。」

「・・・・動いてないと、落ち着かないので。」

 

掠れた声でそう言った。変わることなく、瞬きもしない眼から、ぼたぼたと涙が流れてくる。けれど、拭うことさえも億劫で、涙で揺らぐ視界はまるで夢を見ているようだった。

ホワイティベイはそっと、少女を労るように背を撫でた。

 

「・・・・バレットのことだろう?」

 

それにメランは何も言わずに、ぼんやりと床を見つめていた。そんな彼女を見つめて、ホワイティベイはためらうような仕草をした後に、口を開いた。

 

「あんた、少しは怒っていいんじゃないの?」

「おこる?」

 

まるでそんな単語を初めて聞いたかのような声音だった。事実、メランにとって現在の状態から、

怒るという単語はもっとも遠いものだった。

 

「そうだよ!あの馬鹿、あんたにどれだけしてもらってるのかわかってないんだよ!今回だって、メラン、あんたが何をしたんだい?」

 

ホワイティベイは己の抱えた苛立ちを隠すこともなく言い放った。事実、彼女からすればメランに何かしらの落ち度があるようなことなどなかった。

ズタボロになっていく少女を見ていられなかった。

だからこそ、ホワイティベイはいっそのことと思い至った。

少女は、あまりにもバレットに対して遠慮が過ぎている。ならば、いっそのこと喧嘩でもしてみればいいのではと。

たきつけるようにそう言った彼女に、メランは変わることなく涙を流しながら、首を振った。

 

「ちがう、わたしがわるいんです。」

 

ぐずぐずと、涙が流れる。ぐちゃぐちゃの思考の中で、言葉を吐く。普段の距離感など、ことごとく消え去っていった。

 

あのこは、やさしいこだから。きっと、わたしがきずつけたんだ。あのこを、わたしが。

 

痛々しい、それに、ホワイティベイの眼に怒りが宿った。

 

 

 

 

「いつまで愚図ってるんだい、あんたは!?」

 

ホワイティベイの怒号に誰もが呆然とそれを見ていた。

 

バレットがメランと、喧嘩と言って良いのかわからないが、諍いを起こしてからの定位置は甲板だった。

そこで、適当な人間の組み手に混ざり、雑用をこなしていた。雑用をサボることもなければ、組み手でやり過ぎると言うこともない。

ただ、白ひげにからむ頻度が多くなった。そうして、驚くほどに静かだった。

 

(どっちかってえと、あれがあいつの本来の姿なのか。)

 

少年は、静かだった。静かに、ただ、そこにいた。何も求めず、何も願わず、ただ、縋るように拳を振った。それだけしかないように、それだけしか知らないように。

白ひげは理解した、きっと、これがこの少年の本来の姿なのだろう。声を上げるのも、叫ぶのも、感情をあらわにするのも、全て、戦いの中だけだ。

ただ、日常の中で、その少年は、笑いもしない、怒りもしない。ただ、そこで、戦いの中の熱狂にだけ酔っている。

少年の中で、少女との繋がりを断つというのはそういうことなのだろう。

白ひげは、ぼんやりと思い出す。子どもたちの中で、きょうだいたちのなかで、家族になりきれない二人の子ども。

それでも、白ひげはかまわなかった。例え、家族になりきれなくても、幼い二人が、笑い合うのを見るのは好きだった。

そこにマルコが加わって、年相応に笑い合うのを見るのが好きだった。それが、愛おしかった。

だからこそ、それがなくなり、誰とも関わらなくなったバレットを見ていると、切なくなってしまった。

少女という存在が無くなった後の少年に残るのが、戦いへの熱狂だけしかないというのは、あまりにも、残酷ではないか。

古参の医者からも、どうにかしてやりたいと相談は受けていた。そのため、時期を見てバレットと話をすると決めていた。

 

(・・・その手間も、省けたとおもやあ、いいのか?)

 

白ひげの目の前に、ふてくされた顔をしたホワイティベイとバレットの姿があった。

二人は、甲板で大喧嘩をしたあげく、ほかの船員に止められて白ひげの前に連れてこられた。部屋には、白ひげと、そうしてホワイティベイにバレットの姿しかない。

 

「なにしてるんだ、お前ら。」

「・・・・こいつが先に突っかかってきたんだ。」

「あんたがいつまでもすねてるからだろうが!」

 

ホワイティベイの言葉に、バレットはぎろりと彼女をにらみ付ける。それにホワイティベイは黙り込んだ。出鼻をくじくような、冷たい殺気が彼から放たれる。が、すぐにホワイティベイはだんとバレットに一歩、歩みを進めた。

 

「なんだい?なら、違うってのかい?何に怒ってるのか知らないけど、メランの奴がどんな様子かわかってるんだろ?あの子、お前にひどいことしたかもしれないって、泣いてるんだよ!?」

「てめえに関係なんてねえだろうが!これは、俺とあいつの問題だ!」

「なら、せめてその理由を言ってみな!?」

 

それにバレットは唇を噛みしめた。何かを言いたそうで、けれど、何の言葉も出てこないように、そんな仕草をした。ホワイティベイは黙り込んだバレットに苛立ち、さらに言葉を続けた。

 

「この喧嘩は確かにあんたとあの子のものだ。でもね、喧嘩をするにしても、やりようってもんがあるだろうが。あんたが怒っているのなら、その理由を相手に伝えな。これじゃあ、ただの八つ当たりだろう。」

あんただって、あの子がどんな子か、わかってるだろう?

 

ホワイティベイの諭すような言葉に、バレットは目を見開いた。

 

「ろくな付き合いでもねえくせに、あいつのこと、わかってるような口をきくんじゃねえぞ!?」

「わかってないのはあんたのほうだろうが!」

「何を!?」

 

「いい加減にしろ。」

 

今すぐにでも殺し合うのではないかという剣幕の二人に、白ひげの、けして大きくない声が入り込む。二人は白ひげの方を見た。そうして、彼はホワイティベイの方を見た。

 

「少し、バレットと話をする。」

 

それに彼女は何かを言おうとしたが、すぐに口を閉じた。そうして、わかったと一言言い捨てて、部屋を出る。この場を任せてもいいぐらいには、己が親と慕う男を信頼していた。

部屋に残ったバレットは普通の人間ならば倒れていても可笑しくないほどの殺気を放って白ひげを見た。

まるで、敵を見るような目だった。けれど、ホワイティベイを見送り、改めて自分を見た、その瞳にその殺気はしぼんでいく。

 

黄金の、瞳。きらきら、きらきら、ゆらゆら、ゆらゆら。

夜に浮かんだお月さんのような、そんな瞳。その瞳を見ていると、バレットはどこか、怒りきれない自分が居ることを理解する。

だって、それは、その瞳が、あんまりにも優しいものだとわかるのだ。

ずっと、ずっと、バレットがバレットになる前から、自分の側にあった眼と同じものだ。それを前にすると、どこか怒りきれない自分が居る。それに敵意を向け続けることを拒む自分が居る。

が、今はそんな自分のことが心の底から嫌だった。脳裏に浮かんだ、同じ瞳をした少女への怒りを思い出し、バレットはその瞳を睨んだ。

ホワイティベイのように、怒りを向けられるのだと、そう思ったから。

けれど、白ひげは変わることなく穏やかな声を出した。

 

「なあ、バレット。ゆっくりでいい。」

俺に、話したいことはないか?

 

出鼻をくじかれたような気分だった。

 

 

心というものがどれほど複雑なものか、白ひげにだってわかっている。

自分が思っていることが真実でないことさえもある。自分のことでさえも、曖昧なそれをはっきりと言葉できない人間だってごまんといる。

白ひげは、その少年にも言いたいことがあるのだと理解した。けれど、上手く言葉にできないのだろう。

そう思って、そんな声をかけた。

 

「めちゃくちゃでも、何が言いたいのかわからなくてもいい。話してみろ。時間はある。誰も言わねえ。お前は、今、何を思っているんだ?」

 

それにバレットは、そんな言葉をはねのけてしまおうと思った。五月蠅い、黙れ、関係ないだろうがと。

けれど、その黄金の瞳を見ていると、少年の甘ったれた心が、未だに大人になりきれていない自分が顔を出す。

バレットは、そこそこに甘ったれなところがあった。それも仕方がない話で、彼はそれ相応に愛されて生きてきた。

どんなときだって、側に居てくれた少女に、バレットは無意識に甘えていた。

けれど、珍しくメランと喧嘩をしていたバレットは、無意識に寄る辺なさに苛まれていた。

自分に優しい、黄金の瞳。

それにだけは、バレットはどうしても、敵意を向け続けることが出来なかった。

バレットは、口を開いた。けれど、何を言えばいいのかわからない。何から、話せばいいのかもわからない。己の心を語るなんてこと、何もしてこなかったから。

それを見て、白ひげは穏やかに言った。

 

「なあ、バレット。お前は、メランに何を思っているんだ?単語でもいい、怒っているだとか、そんなことでもいい。何を、思っているんだ?」

 

それに、バレットは、おそるおそる口を開いた。

 

「・・・・俺と、あいつは、ずっと二人だった。」

 

ぽつんと吐いた言葉に、白ひげは何も言わずに、こくりと頷いた。バレットは、ぼそぼそと、言葉を吐いた。

 

「二人だった、だが、それでさえも意味なんてねえ。ただ、利害が一致してたんだ。互いに利点があった、だから、一緒に居た。」

 

弱い奴は嫌いだ。強くなければ生き残れねえんだ。なら、弱い奴にかまけてる暇なんざないだろう?結局死ぬんだ。だが、あいつは、メランは、弱いのに、ずっと、一緒だった。

 

「戦場から、一緒だったんだな。」

 

バレットはどこか気まずくて、そっと床に目を伏せて、こくりと頷いた。白ひげは促すように相づちを打った。

 

「あいつと海に一緒に出たのだってそうだった。あいつは弱いから、俺が強さを提供した。あいつのことが便利だったから、俺もそれでいいと思った。そうだ、便利だから、あいつしか、いなかったから、俺が、あいつを選んだんだ。」

 

とつとつと、少年から聞こえてくる声は、まさしく傲慢そのものだった。けれど、何故だろうか。その声に、どうしようもなく縋るような色が混ざっていた。

 

「あいつには、俺しかいないんだ。だから、あいつは俺の周りに居るんだ。そうだった!そうだろう!なのに、あいつは裏切ったんだ!」

 

その、裏切りへの声は、まるで、子どもが泣いているようだった。

 

「俺しかいないはずだったのに!俺に頼ることでしか、生きられねえのに!なのに、あいつは俺以外を選ぼうとしてるんだ!あいつが、先に裏切ったんだ!俺のことを、また、あいつだけは。あいつだけは!!」

 

だんだんと、バレットは怒りに任せて、床を蹴りつけた。駄々をこねるような幼い仕草に、白ひげは、ああと思う。

幼い子どもがそこに居た。

強いだけの、子どもだ。寂しさを、そんな言葉でしか言えない子供が、そこにいて。

白ひげは、地団駄を踏む幼子に、そっと手を差し出した。

 

「バレット、こっちに来い。」

 

彼は一瞬だけ、拒絶するかのように体をのけぞらせた。けれど、その黄金の瞳に何かを、差し出すように近寄った。

白ひげは、そっと、自分からすれば小さな肩に手を置いた。熱い、とも言えるような体温だった。

そっと、白ひげはバレットのことを見た。

 

「なあ、バレット。一つ聞くぞ。お前にとって、メランは、損得だけで誰かを選ぶような奴だったか?」

 

それにバレットは幾分か傷ついた顔をして、白ひげを見た。そうして、また、床に眼を移した。白ひげは、それが図星であるのだとわかって、穏やかな声で言った。

 

「俺はな、お前やメランと過ごしたのは、本当につかの間だ。だからこそ、わからねえこともたくさんある。でもな、あの子が、自分にとって役立つか、たたないかで、誰かを選ぶようなことをするのか?」

 

そうはいっても、白ひげは内心では彼女がそれを出来る側の人間であることも理解していた。自分を信用せずに、一歩引いた彼女は不利益になるとわかれば突き放すような非情さがあるのだろうと思った。

けれど、目の前の少年のことだけは違う。彼女の非情さや、狡猾さは、結局の話、その少年のためだ。少年の、幸福のためだ。

だからこそ、そう言った。

バレットは、変わらず、床を見つめていた。そうして、おずおずと口を開いた。

 

「・・・・・役に立つから、俺はあいつを側に置いたんだ。あいつも、俺の側に居たんだ。そうじゃなけりゃあ、一緒になんている必要なんて無いじゃねえか。」

おれとあいつは、家族でも、なんでもねえんだ。

 

その、あんまりにも幼い言葉に白ひげは大笑いをしたくなった。ああ、なんて、無垢な言葉であろうかと。

白ひげは、その少年の背中を優しく叩いた。

 

「バレット、いいか。」

人が一緒に居ることに下手な理由なんていらねえんだ。

 

それにバレットは顔を上げた。優しい、黄金の瞳を細めて微笑んだ。

 

「一緒に居たから、いる。その程度でいいんだ。俺が、船の奴らを家族というのはな、わかりやすいから。それが、俺の望む形だから。でもな、あり方になんざ、名前はいらねんだよ。」

 

バレット、聞くぞ。

 

優しい声だ。メランとは違う、低くて、静かな声だ。けれど、優しい、声だった。

 

「お前は、メランの言葉を聞いたのか?誰が一番なのか、そうして、誰の側に居たいのか。あいつの声を聞いてこい。」

本当のことは、メランにしかわからねえんだからな。

 

それに、バレットはこくりと頷いた。

 

 

 

ドアを叩く音で、メランは眼を覚ました。泣きじゃくった瞳は腫れており、しぱしぱと重たい。ぼんやりとした思考で、扉を見た。

 

(・・・・ああ、そうか。雑用かな?)

 

そんなことを思って、重たい体を引きずって行った。そうして、扉を開けた。メランは目を丸くした。そこには、散々に自分のことを避け続けた、古なじみの姿があった。

 

「ばれっと?」

 

呆然としたメランの声に、バレットは無言で、廊下の壁を背もたれにして、その場に座り込んだ。メランは、久しぶりに見る少年の姿に思考停止をしていた。

バレットは、とんとんと、自分の隣を叩いた。メランにそこへ座れと言いたいのだろうと、そこに向かった。

隣り合って、座り込んだ。女の居室が多いせいか、殆どが男である船員は滅多に廊下を通らない。だからこそ、その奇妙な二人組に突っ込むものはいない。

メランは落ち着かなくて、ちらりと、少年の顔を見た。ああ、痩せてしまったなあと言うのが感想だった。

 

「・・・・てめえは。」

 

唐突に、バレットが口を開いた。それに、メランは、ああと言った。

 

「てめえは、どうして、俺と一緒に居るんだ?」

 

何を言い出すかと身構えたその末に、そう言われて、メランは驚いた顔をした。だって、あんまりにもらしくない言葉だったからだ。

 

「・・・・どうして?」

「この船にいりゃあ、お前は、別に俺に構う理由もないだろうが。もっと、便利な奴はいるだろう。なら、お前は、お前は、俺と一緒に居る、いみなんて、ないだろうが。」

 

もっと、違うことを言いたかった気がする。けれど、バレットにとって、それが何とか言えた言葉だった。なぜ、一緒に居る。自分に構うのだ?

自分よりも強い奴は、便利なのは、たくさんいるのに。

マルコの姿を思い出した。そうだ、あれのほうがいいのだろうか、彼女は、自分よりも。

バレットの言葉に、メランは口をぽかんと開いた後、立ち上がった。

 

「おい?」

 

バレットがすっかり成長したとは言え、さすがに立ち上がった彼女なら彼のことを見上げることにはならなかった。

メランは泣きそうな顔で、それでも馬鹿だなあと言うように、下手くそな笑みを浮かべた。そうして、バレットのことを抱きしめた。柔らかな胸に、バレットは顔を埋める形になった。それに驚いて、バレットは振り払うことも出来ずに、固まってしまう。

 

「そんなの、言ったじゃないか。お前だけが、残ってくれたんだ。私を、置いていかないでくれたんだ。」

それだけだ、なあ、バレット。それだけだ。でも、それだけでいいんだ。

 

メランは、バレットを抱きしめる力を強くした。バレットは、感じる柔らかさだとか、暖かさに固まっていたが、それでも、その言葉に、そう言えばと思い出す。

そんなことを、確かに、彼女は言っていた。

 

「・・・・ここの奴らだって、そうだろう?」

「ううん。違うんだよ。バレット。お前なんだ。お前のことが、私は、誰よりも、大事なんだ。お前だけが、特別なんだ。お前だけは、私を一人にしないでいてくれた。」

お前だけが、私を、裏切らなかったんだ。

 

甘ったるい言葉だった。けれど、胸の奥ではがたがたと、振えるような何かが、それを聞くと、不思議と収まっていく気がした。

おそるおそる、自分を抱きしめる女の腰に腕を巻き付けた。

裏切らなかった、ああ、そうか。

思えば、彼女は、その女は、散々に大事にしたいと思っていた誰かに、置いていかれたのだ。

 

「俺が、特別か?」

「うん、そうだよ。ずっと、一緒だったんだ。これからも、お前が嫌でないのなら、私とお前は、ずっと、ずっと、一緒だよ。」

 

拙い声だった。拙くて、幼い声だった。けれど、バレットは己に縋り付くその女に心の底から、安堵した。

 

(そうだ、こいつもそうだ。こいつも、散々、裏切られたんだ。)

 

バレットは、その事実で、きっと彼女は裏切らないと理解した。そうだ、彼女だけが、己のことを裏切らないのだ。きっと、彼女だけは。

 

「メラン。」

「うん?」

「・・・・嫌いなんて、嘘だ。」

「うん。」

 

メランは、それに、うんうんと幾度も頷いた。わかったよ、そう言うように。

 

 

 

「・・・・・なんなんだよい。」

 

マルコはひどく納得いかないように目の前の光景を見た。そこには、ホワイティベイとメランの自室の前で眠りこけている弟妹分たち。

ちょうど、メランの見舞いにと訪れたその先で、なぜか廊下に座り込んで寝息を立てている二人を見つけた。

マルコはそれに呆れたため息をつく。どうやら、仲直りを終わったらしい。マルコは一旦、メランの部屋に入り、彼女のブランケットを拝借した。

そうして、二人にかけてやった。

 

(まったく、こんだけ船を騒がせといて、こいつらは。)

 

呆れてしまって、けれど、その事実に安堵している自分も居る。マルコは、ひょいっとメランの隣に座り込んだ。

今だけは、二人が目覚めるまで、寝かせてやっておきたかった。

 

(あーあ。手のかかる、弟と妹だよい。)

 

マルコは起きてから二人にかける言葉を考えて、にやりと笑った。

 



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女心と贈り物


幕間のような、バレットの贈り物の話。軽めです。


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「どうした、マルコ?」

 

そんなことを聞く前に、医師である男はふくれっ面の少年を見てため息をついていた。

 

 

ドクターは呆れた顔で目の前の弟子に当たる少年を見た。金の髪をした彼は、ふてくされたかのような顔で薬の整理をしていた。

 

(バレットとメランのことが落ち着いたかと思えばこれか。)

 

メランとバレットの冷戦が終わったとき、ドクターはほっとした。彼はなんだかんだでバレットという少年のことを気に入っていた。実直で素直で、荒々しいところもあるがかわいげはある。

そんな彼が寒々しく、柔らかな部分を削っている現状には思うところがあった。そうして、バレットと談笑しながら歩くメランの姿にどれだけほっとしたことだろうか。

荒れていたバレットも安定し、他の船員とも普通に話すことができるようになっていた。といっても、ホワイティベイから少々お小言はもらっていたようだが。

やれやれ末っ子どももなんとかなったかとほっとしたのつかの間、また問題が起こった。

それは、目の前の弟子のことだった。

 

「・・・・なんでもないよい。」

 

まるでなんでもないことなんて無いような顔でマルコはそう言った。今にも地団駄を踏みそうなほどにふてくされた顔をしていた。

ドクターはため息を吐きたくなる。

 

「・・・なんでもない、なんて顔はしていないぞ?」

 

大方、バレットかメランのことであろうことは予測できた。その末っ子は新しく出来た弟妹分たちに夢中でよくよく二人に構っていたし、気にかけていた。

そんなマルコのふてくされる理由なんてものは、それぐらいしか予想が出来なかった。

ドクターの言葉に、マルコはちらりと幼い表情で彼を見返した。

 

「何かあったのなら言ってみろ。そんなしけた顔を患者に見せるんじゃねえ。」

 

それにマルコは持っていた薬を棚に戻し、しょもしょもとした顔でドクターの前にやってきた。そうして、ぼそりと言った。

 

「・・・・バレットの奴が、なんでか口きいてくれねえんだよい。」

 

 

 

(・・・・・どうしたものか。)

 

その日、ビスタは困り切っていた。というのも、メランとの喧嘩が収まったと思ったバレットが、今度はマルコと諍いを起こしていると言うではないか。

放っておけばと思わなくはないのだが、そうはいっても古参のドクターから何かあったか軽くでいいから聞いて欲しいと頼まれれば嫌とは言えなかった。

丁度、バレットと戦う約束をしていたためさっさとするかと重い腰をあげたのだ。

待ち合わせをしているわけではないが、大抵甲板にいるバレットを探した。そうして、甲板の隅で何やら考え込んでいるバレットを見つけた。

 

「バレット。」

 

メランとの冷戦の間も、なんだかんだで鍛錬の約束はあった。そのため、無言のバレットとの稽古というそこそこキツい時間をビスタは過ごすことになった。

 

「ビスタか。」

「ああ、なんだ。遅れたか?」

「いや、ちげえよ。ただ。」

 

バレットは少しだけ気まずそうな表情をした後、小さな声を出した。

 

「・・・・・前は、礼儀のなってねえことした。時間を使わせてるのによ。」

 

声をかけた自分に振り返ったバレットに面を喰らった。もちろん、この船に来てからの彼もまた同じように挨拶はしていたが、メランと喧嘩をしているときなど声一つあげることもなかった。

わざわざ律儀にそう謝罪をした彼にビスタは、なんだか嬉しくなっていいやと言った。

 

「謝罪があるのならかまわんよ。」

「・・・・ん。」

 

こくりと頷いたその仕草に、バレットがなんだかんだで船の中でかわいがられている理由もわかる。

その、下手な年上よりも強い彼はなんだかんだで素直なのだ。自分よりも強いそれからの感じる奇妙な幼さを見ると構いたくなるのが心理だろう。

そうして、それにやはりビスタは少女の影を見る。その礼儀正しさだとか、幼さだとかに、己たちをけして受け入れない少女。

その少女の善良さと、いじらしさをその少年に見いだしてしまう。

 

(・・・・だからこそ、嫌えないのだろうな。)

 

どんな人間だって、拒絶し続けられれば情などというものは消えてしまうものだ。けれど、その少女に関してはいじましいと思ってしまう。少女の、少年にだけ注がれる情に、いつかの振り払われ続けた手を見てしまう。

その、マルコへの微笑みはまるで、警戒心の強い獣の試す仕草に似ていて。

ビスタは改めてほっとした。その喧嘩がなんだかんだで終わったことを。

なんとなく、ロマンチストが過ぎると自分でもわかっているが、その少年少女の淡い、優しい何かが終わることがないことにほっとしてしまうのだ。

 

「・・・・ところでよ。」

「ああ、なんだ。」

「女に物を送る時ってよ、どうすりゃいいんだ?」

 

そう言って、手の中で小箱を転がすバレットにビスタは目を丸くした。

 

 

 

マルコはその時、怒っていた。怒りながら、彼は船の中を走っていた。なんだかんだと雑用も終わり、自由になった彼は己の医術の師匠から聞いた話にまた腹を立てた。

そうして、勢いよく甲板に飛び出した。甲板の端で物思いに耽るように握った拳を眺めているバレットを見つけた。

マルコはそんなバレットに体当たりするようにその体に抱きついた。

 

「バレット!」

 

そう叫んで張り付いてきたマルコにバレットは心底面倒くさそうな顔をした。無視するようにバレットはマルコから視線をそらす。が、今回についてはそれで折れるようなマルコではなかった。

 

「てめえ、やたらと俺のこと無視するとかと思ったら、なんつう理由だよい!!」

「・・・・ビスタか。」

「なんだい、その顔は!そんなの、俺だっていいてえよい!お前になんかしたのか不安だってえのに!」

「なんかしただろうが。」

「メランに先に俺がものやったからって、俺のこと無視するのはどうなんだよい!せめて、理由の一つでも言えよい!」

 

マルコの怒り狂った声が甲板に響く。皆はその喧嘩を気にするが、あえて表立って反応しないように努めた。

なんといっても、非常に気になった。

バレットはマルコのほうを湿り気を帯びた視線で見た。

 

「・・・・・俺が、先にやるはずだったんだ。」

「知らねえよ!大体、お前、散々メランにものをもらってたんだから、もっと前にやっとくもんだろうが。」

「知らん。」

 

ぷいっとバレットはマルコから視線をそらした。マルコはその態度が気に食わず、彼の肩に乗る形でその顔をのぞき込んだ。

そのあまりに幼い仕草にマルコはお手上げというように額に手を当てた。

 

「・・・・たく、お前って奴は。どうしたら赦してくれるんだよい?」

「お前が贈ったときより、メランが喜べば赦してやる。」

「あのな、メランならお前がくれるってだけで金塊もらうよりも喜ぶぞ?」

「そういうんじゃねえ。あいつが俺のやるもん喜ぶのは当たり前だ。一番だ、じゃなきゃ意味がねえ。」

「だだっこよい!」

 

その声音は、ひどく必死だった。二人からすれば、おそらくそれ相応に必死に喧嘩をしているのだろう。

が、周りの大人たちは末っ子たちのそれに対して、笑いをこらえるように振えていた。

かわいいなあと、大部分の人間が考えていた。

なんともまあ、愛らしいことだろうか!

片方は船でも随一の強さを誇る少年、もう片方は医者見習いで飄々とした態度の少年。

海賊船などに乗っている彼らは普段、下手な大人よりも成熟した精神をしている。けれど、この喧嘩は何なのだろうか。

特に、遠くでそれを聞いていたビスタはあーあと呆れたように笑ってしまった。

 

バレットに、女に何かを贈ると言われて驚いたが、彼にとってそんな存在は一人しか居ない。何を贈るのだと見せられた指輪はなかなかに良いもののようだった。

ビスタはそれに、訳もわからず浮き足立ってしまった。よくわからない、ウキウキとした感情に、ビスタはそわそわしながら答えた。

 

「普通に普段からの礼だと言えばいいんじゃないのか?」

「・・・・マルコが先になにかやってたから普通に渡しても、あれだ、だめだろう?」

 

何がダメなのかわからないが、先を越されたと言うことだろう理解した。ビスタは、そう言えばと思い出す。

マルコとメランが買い物に行った折、バレットとの喧嘩でうやむやになっていたが、そういえばと思い出す。

普段、縄で適当にまとめてあったメランの髪にいつの間にやらしゃれた組み紐がつけられていたことを。

てっきり、珍しく彼女が自らに買ったのかと思っていたのだが。

 

「あの組み紐のことか?」

「・・・・そうだ。」

 

むすりとした顔はすねきった子どもそのものだった。ビスタはそれに笑いをこらえるのに必死になりながら、なるほどと頷いた。

 

(なるほど、マルコもなかなかやるんじゃないのか?)

 

などと一瞬考えたが、どうしたものかと同時に頭を抱えた。確かに、少年少女の色恋沙汰のにおいのする喧嘩は悪くないと思ってしまった。そういう、純情な感情はなんだかんだでよい酒のつまみになる。

だが、この状態での三角関係、いや一方的なマルコの片思いはどうなのだろうか。

 

「・・・・あー、そうだな。まあ、確かに一番というのはインパクトがあるな。」

「あんたは女にものをやるときはどうしてるんだ?」

 

それにビスタは少し悩んだ。ビスタとて、そういった色恋沙汰にとんと縁が無いわけでは無い。それ相応に遊んではいる。だが、おそらくではあるが、バレットの要求するそれと、自分の思うそれは徹底的に乖離しているだろう。

 

(下手なことを言ってこじれてしまっても困る。)

 

散々に悩んだ末に、ビスタは非常に無難な返答をした。

 

「感謝の念を伝えた上で渡せばいいんじゃないのか?いたわりというのは、それだけ人にとって印象に残るだろうしな。」

「感謝、そうか、わかった。」

 

今だけはその素直な返答がひどく不安を煽っていた。

 

 

 

後ほど、マルコに聞いたところ、組み紐にそういった甘ったるい意図はない様子だった。曰く、彼女があまりにも自分のものを買おうとしないため、戒めの意味でやったのだという。

ビスタとしては内心でほっとした。どうやら、船の中でどろどろとした関係性はない様子だったためだ。

 

「バレット、バレットもいいけどよい。少しは自分のことも気にした方がいいはずだろ?」

 

むすくれたその顔に、ああ、大分ほだされた物だと呆れた。そんなこと、自分が言えた義理でもないだろうに。ビスタとしてはさすがにバレットのすねた理由について直接に言う気になれずそこで終わってしまったけれど。

そうは言っても、さすがに伝えてあったドクターから聞いたらしいマルコは相当にお怒りのようだった。

遠目に末っ子たちの大喧嘩を見ていると、そこにメランが近づいていくのが見えた。それに、皆が固まってしまった。

どきどきと、興奮か、あせりのせいかなのかわからない胸の高鳴りを感じつつ、それを見守った。

 

「二人とも、なに喧嘩してるんだ?」

 

不思議そうなそれに二人は一瞬だけ目配せをして、まるで最初から言い交わしていたかのように言った。

 

「こいつが親父に絡みすぎだって怒ってたんだよい。」

「仕方がねえだろ。あいつが一番つええんだから。」

「ああ、なるほど。」

 

見事な連携にメランは納得したのか、一言二言言葉を交わしてまた雑用に戻っていった。

 

(・・・・・すげえ連携。)

 

呆れていいのか、感心していいのかわからずに皆はマルコとバレットを見守った。

 

「このままじゃらちがあかねえ。つまりだ、バレット。お前はメランが最も喜ぶ、贈り方をしねえ限りは納得しねえわけだな?」

 

バレットが頷くのを見た後、マルコは宣言した。

 

「よし!親父に聞きに行くよい!」

(まてまてまてまてまてまて!!!!)

 

高鳴っていた胸は別の意味合いになり、船員たちは全員で心の内でそう叫んだ。

 

「親父なら、女にももてるし、そういったことも知ってるはずだよい!」

「そうなのか?」

「そうだよい!」

 

もちろん、強く、内面も良い白ひげは女からはモテる。ただ、なんとなく、そういったことに詳しいかと言われると違うだろう。

親父を巻き込むなと皆は止めたかったが、逆に止めてしまうと、白ひげがモテないような意味合いになる気がして止められない。

二人はそのまま意気揚々と白ひげの元に向かった。船員たちは思わず、それを引き留めようか、引き留めまいかを悩んだが、それで女の喜ぶ物の贈り方をレクチャーできるかと言えば別であって。

そのまま二人は見送られることとなった。

 

 

白ひげは頭を抱えたくなった。

いや、実際に頭を抱えてしまった。目の前には、眼をきらきらさせたマルコと、そうしてどこか同じように期待をしているバレット。

 

「親父モテるから、いろんなことを知ってるだろ?」

 

そんな言葉と共にバレットとマルコが訪れたのは少し前。

全力で期待されているが、白ひげ自身、女を口説くことが得意かと言われれば違う。そう言った、女の色恋沙汰には縁があまりないたちだった。

元より、口説かずとも寄ってくることがほとんどだ。けれど、末っ子二人の、それもようやく喧嘩が終わりを告げたバレットからのその要望に関しては聞いてやりたいという親心はある。

だが、提供できる何かがあるかというと、微妙なラインである。

 

(あしらい方なら、まだ。)

 

内心で苦虫を噛みつぶすような顔をした後、白髭はおもむろに言った。

 

「・・・・バレット。いいか、女は誠実であることを求めるもんだ。」

「誠実?」

「そうだ。まあ、俺たちは男だからな。まあ、違う生き物だ。思ってもねえところで怒り狂うところもある。けどな、大抵の女は、そいつの言ったことが本当であるか、それとも嘘であるか。どれほどのことを言っているのかを求めるもんだ。」

 

お前があいつに何を思ってそれを贈るのか、素直に伝えるのが一番だ。

 

それにバレットは少しだけ何かを思うような仕草をした後にこくりと頷いた。マルコもさすがは親父だと眼をきらきらさせる。そうして、二人は連れだってばたばたと走り去っていく。

残された白ひげはほっと息をついた。

 

 

 

(・・・仲良くなったなあ。)

 

メランはそんなことを思いながら洗い立てのシーツを干していた。バレットとの喧嘩中に驚くほど不安定だった内心はだいぶ落ち着いた。

 

(もう少し、あの子離れをしないとなあ。)

 

そんなことをこの頃は思っている。この世に絶対がないことなんて、ずっと昔から知っていた。

あの子に最後まで着いている。それはきっと、メランの出来る、バレットを裏切らないと言うことだ。けれど、それを言えるほどにメランは強くもなければ、嘘つきにもなれなかった。

漠然と、さよならを言うことだって考えている。

バレットの側には、すっかりと、優しい人たちが溢れていた。

いつか、いつかでいいから、優しい人たちに会えればいい。戦場で、ぼろぼろになって願った夢はとっくに叶っていた。

フーシャ村で暮らす。そこで、静かに、ぼんやりと老いて死んでいく。死にたくない、死にたくない、あの恐怖を味わいたくない。

メランはぼんやりと青空を見た。

それでも、こんなところまで来てしまった。きっと、何よりも望んでいなかった、こんな場所まで。

 

(あの子は、もう、いいのだろうか。もう、居場所という。誰にも裏切られない約束を得たんだろうか。)

 

ならば、自分は、もういいのかもしれない。

いらないと言われることが怖い、あの子の側を離れることが怖い、一人で生きていけない自分がいる。

けれど、ずっと、闘争の中で生きていけるような覚悟が、自分にあるのだろうか。

戦わぬものに勝利はけして訪れない。けれど、元より勝利を求めぬものに、闘争は必要なのだろうか。

 

あの子、あの子、強くて、繊細で、素直なあの子。

 

メランは、バレットにいらないと言われることが怖い。

彼は自分にとって、まさしく世界そのもので、世界に捨てられることの怖さはあるだろうか。けれど、其れと同時に、自分は彼を裏切らずに最後まで側にいてやれるのだろうか、とも思う。

それならば、いっそ。いっそのこと、闘争を拒否して、お別れをしてもいいのだろうか。

 

(あの子は、優しい人に出会えたのなら。私は、どこに帰ればいいんだろうか。)

 

それはこの船なのだろうか?父などと、鼻で笑っている自分が、ここに、どこに、行くのだろうか。

ぼんやりと、そんなことを考える。

メランはぼんやりと、ずっとバレットと一緒にいることを考えていた。けれど、今回のことで考えることになった。

バレットが嫌がらない限り、ずっと一緒にいる。

それは本心だった。そうでなければ自分は生きていくことさえも放棄してしまいそうで。

けれど、この世界で、何も損なわれずにいることなんて出来るのだろうか。

いつか、自分は、あの子を置いていってしまうのだろうか。その時、あの子は、何を思うのだろうか。

 

(私は、まだ、故郷に帰りたいのだろうか。帰れるとしたら、私は。)

「メラン。」

 

唐突に名を呼ばれて驚きながら、彼女は後ろを振り返った。ふわりと、シーツが揺れていた。背後に立ったバレットは、どこか面はゆいというように落ち着きなく手を開いては握りと繰り返していた。

 

「どうしたの?」

 

バレットはどこか落ち着かないというように視線をうろうろさせた後、ぐいっとメランに近寄ってきた。

そうして、握りこんでいたらしいそれをメランに見せた。

 

「ん。」

 

それは小さな、手の大きいバレットからすれば、おもちゃのような大きさだった。メランはその動作にはてと首を傾げながら受け取った。

 

(・・・・なんだ、これ?)

 

メランとしては唐突なそれに意味がわからなかった。バレットはそんな自分をチラチラと見るものだからおそるおそる箱を空けた。

嫌がらせの類いではないという信頼の上で中を見ると、そこには可愛らしい指輪が一つ。

 

「どうしたんだい、これ?」

「・・・お前には、いつも世話になってるだろ?」

 

バレットは視線をうろうろさせながらメランに言った。そうして、どこか照れくさいというようにとつとつとしゃべり始めた。

 

「服だとか、ものだとか。買ってくるだろうが。お前は、いつも、俺を見てくれている。」

 

とつとつ、と彼はそういった後、ようやくメランを見た。

 

「お前が、喜んでくれれば、俺は多分だが。きっと、嬉しいと、思う。」

 

メランは、其れを聞いて。その言葉を聞いて、どうしようもなく、嬉しくなった。ぼたりと、いつの間にか涙がこぼれ落ちた。

その涙にバレットは目を見開いて、どうしたと慌てて聞いてくる。

 

「ちがうんだ、わたしはな、ただ。とても嬉しいんだ。」

 

メランはぼたぼたと泣きながら、それでも、嬉しいと笑った。

 

奪ってばかりの子どもだった。奪われたことしかない子どもで、いつだって、少ない自分の物を取られないように抱えていた。

メランはそれに泣きたくなった。どうにか、奪うのではなく、与えられるような人であって欲しかった。

略奪ではなく、脅しではなく、暴力ではなく。

ただ、この、広い海の中で誰かと与え、与えられて生きてくれと願って。

どこかすさんだ少年のことを思い出した。

礼を言うことを知らず、誰かから奪い、与えられることもなく、裏切られ、力を振ることしか出来ない少年。

 

(ああ、そうか。バレット。お前は、ちゃんと、誰かに何かを返せるようになったのか。)

 

与えられた何かを、返せるようになったのだ。己と他人は隔絶されていて、冷たい拒絶だけしかないような、そんな寂しいことなどはなくて。

誰かに、与えたいと思えるような人生を確かに歩んでこれたのだか。そんな人生に、自分は何かをしてやれたのか。

それが、どうしようもなく嬉しかった。

 

「バレット、ありがとうな。」

これは、私の宝物だ。

 

笑った、泣きながら、それでもメランは笑っていた。何かをしたやれた気がした。きっと、何かを渡せたのだと、そう思えた。

泣いたメランに、バレットは困惑しながら、ありがとうというそれにほっと息をついた。

 

 

「ベイさん。ドクターが呼んでましたよ。」

 

ひょっこりと自分に話しかけてきたメランにホワイティベイはああと頷いた。暗い船内の廊下で、小柄な彼女を見下ろすしたホワイティベイはふと、メランの胸元に見慣れないものを見た。

それは、銀色のチェーンでそんなものを持っていたのかと首を傾げた。

 

「あんた、そんなネックレスもってたかい?」

 

その言葉にメランはにこっと笑った。

 

「バレットがくれたんです!」

 

心の底から嬉しそうに、少女は笑った。本当に幸福そうに笑う彼女に、ホワイティベイは目を丸くしたがすぐにそうかいと頷いた。

 

「あんたも苦労させてるんだから、もうちっともらっときなよ。」

「いいえ、これだけで十分ですよ。」

 

まるで己の心臓でも撫でるようにメランがそう言った。それに、ホワイティベイはそうかいと頷いた。

 

(でも、メランを泣かせたあいつはやっぱり気にくわないね。)

 





ちなみに、バレットが贈り物をしてるとき、影で見ていたマルコは弟分の成長にちょっと泣いてた。


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路地裏にて、竜と会う

お久しぶりです。
前から書きたかった話しになります。


 

「メラーン、これでいいのかよい?」

「だな、このままの方向でいいよ。」

 

そんなことを言いながらマルコとメランは顔を見合わせた。彼らの目の前には、とあるエターナルポースだ。それに側で聞いていたダグラス・バレットは帆の操作をするためにロープを掴んでいた。

 

「いいんだな!?」

「いいよーい!」

 

それにバレットはうなずき、ロープを引いた。

見習いだけの船旅は順調に進んでいた。

 

 

 

三人が船旅に出ているのは単純に白ひげ海賊団においてのおつかいを頼まれたためだ。

メランが知る限り、まだ、白ひげ海賊団は複数の船に分かれているわけではない。どこへのおつかいだと疑問に思っていたが、どうやら白ひげの故郷関係だった。指定された島まで行き、そこに小包を届けるというものだった。

数多くいる船員達の中で三人が選ばれたのはあまり顔が売れていないためだ。

メランとマルコは活躍はしているものの、海軍や海賊達への知名度はない。バレットもまた、暴れ回っているがまだ、顔が売れるほどではなかった。

加えて、メランとバレットについては少人数での船旅に慣れていることが上げられる。そうではないマルコが選ばれたのは、二人との関係が良好であり、医療の知識を買われてのことだった。

早々とおつかいを済ませ、三人は小型の船に揺られていた。

 

「メラン、船に帰れるのはいつになるんだよい?」

「電伝虫に聞いた通りだと、もう少しかかるかな。」

「なら、このまま進んで良いんだな?」

「そうだね。ただ、どこか島に寄りたいなあ。そろそろ食料が少なくなっちゃって。」

 

三人は食堂にて机を囲み、メランの作った食事を食べていた。この船旅では戦闘員はバレット、船医がマルコ、そうして食事と航海術についてはメランが担っていた。

ひとまず、船旅は順調であった。

 

 

マルコは、師匠から言い渡された課題のために甲板にて医療書を読んでいた。けれど、ふと、顔を上げた。そこには狭い甲板にて筋トレをしているバレットの姿が見えた。

バレットは基本的に暇さえ在れば筋トレばかりしている。ちなみに、覇気のコントロールを二人でしていたのだが、船がひっくり返るから止めろとメランに叱られてから控えている。

 

(・・・トラブルもなく終って良かったよい。)

 

マルコはほっとしながら胸をなで下ろした。マルコとしては三人での船旅に、少し不安を覚えていた。メランとバレットは元より二人で船に乗っていたのだからいいが、マルコは大所帯での経験しか無い。何よりも、見習いのみで船に乗るというのも不安だった。

マルコは白ひげが何を考えているのだろうかと疑問に思っている。

ただ、運悪く海軍に見つかったあげく、負傷者が多かったためすぐに動ける人間が少なかったのが大きいのだろうが。

幸いなことになんだかんだで三人での生活は上手く言っていた。バレットはあまり先頭に立つことに興味は無いため上下関係が生まれないのが幸いだろう。

戦闘こそが娯楽であると考えるバレットもメランからの誘いならばある程度の戯れにも入ってくる。

食事の後にトランプをして遊ぶ程度には三人とも仲良くやっている。

 

「バレット、マルコ、中に入りなよ。」

 

そんなとき、ひょっこりとメランが船内から顔を出した。それにバレットは動くのを止めてメランの方を見た。

 

「どうしたんだよい?」

「なんか、雨が来る、予感が・・・・」

「お前が言うならそうなんだろう。」

 

バレットはそれに対して納得したのか頷いた。そうして大きな体を起こして、もそもそと動き出す。マルコも本を閉じて立ち上がった。

 

「嵐じゃないのか?」

「嵐まで行かないんだけど。なんか、雨が来る予感はする・・・」

「にしても便利だよな、見聞色でもそこまでわかるんだなよい。」

「精度がなあ、サイクロンとかならほぼ百発なんだけど。」

 

マルコはそれに少しだけ悔しい思いがする。喧嘩の後、メランの見聞色の精度?が上がったのだ。

というのも、雨やら嵐やらが起こるのがわかるらしい。他の兄貴分曰く、精神的な圧力からの解放で神経が過敏になったことが理由らしい。

死への恐怖からの覚醒があるため、そんなこともあるのだろう。元々、危機察知に特化していたが天気についても発揮できるようになった。

そのため、航海士連中が嬉々として技術を叩き込んでいる。

 

(俺も頑張らねえと・・・)

 

 

(・・・・えーっと、食料についての追加はこれぐらいでいいかな?)

 

メランは紙袋を抱えて中身を確認した。彼女はその時、とある島の道を歩いていた。それは見習い三人衆での船旅でのことだ。本来ならば、大物に関してはバレットとマルコが買いに行き、メランは船番をしていたのだが。帰ってきた二人に確認すればどうやら買い忘れがあるようだった。

入れ替わりでメランがそれを買いに来たのだ。男二人はメラン一人で行かせるのには渋ったが、戦える技術もしっかり心得ているのだからメランを見送った。

 

(にしても、あいつら小舟だからって襲ってきてくれてラッキー。)

 

メランは少し前に襲撃してきた海賊達のおかげでぬくぬくの懐にほくほくした。ただ、今回の島に関してはさほど治安が良いとは言えないのだ。さっさと準備を終らせて出発しなければ。そう思って、メランは道を歩く。

その時、がしゃんと、何かが倒れるような音がした。

メランはなんだとその方向に視線を向けた。そこには、二人の子供がいた。お世辞にも清潔とは言いがたい格好だ。

着ている服は黄ばみ、肌は黒ずみ、髪の毛はぼさぼさだ。島の治安からしておそらく浮浪児だろう。普段のメランならばそっと目をそらしていた。

それにまた、前世での良心だとか常識が騒ぐが、己に出来ることと出来ないことの境ぐらいは理解している。

そうだ、だから、その時だってそっと目をそらそうとした。けれど、メランにはその二人の様相が見えてしまう。

 

それは、きっと間違いだった。

 

金の髪をしていた。くすんだそれはざんばら髪で、脂ぎっていた。どうも残飯をあさっていたらしく、メランが聞いたのはそれが入っていたバケツが倒れた音のようだった。

ただ、おかしいのはその服だ。遠目だったせいで素材まではわからないが、デザインがあまりにも上品すぎる。どこかで拾ってきたにしては、二人の子供にあまりにもサイズが合いすぎている。

だから、そんな疑問が頭を擡げて、思わず立ち止まってしまった。

かつん。

靴の音が響いた。それに二人はメランを見た。

 

(あ。)

 

子供の一人は眼が前髪で隠れているせいでよく見えない。ただ、もう一人、その子供を守るように躍り出たそれ。

その子供には、見覚えがあった。何の変哲も無いかもしれなくて、それでも、一つだけやたらと目に着いた、サングラス。

 

(ああ、知っているよ。)

 

固まり、そうして、その二人の子供を凝視した。いつかに、白ひげ海賊団のように、紙の上で狂ったように笑った男。紙の上で、兄の業に苦しみ、正そうとして、そうして一人の少年への哀れみで全てを捨てて走った男。

殺そうとして、それも出来ず、結局殺された男。愛した少年のために笑って、お別れをした男。

この世に悉く、むごい仕打ち受け、それでも、父の願った人に寄り添いたいという思いを抱えた人。

 

正義も、悪も、違いは無く。ただのそれぞれの価値観でしかないと言った男。

この世界の頂上で人を見下し、己達だけを人と思った、肥え太り、腹を地面に擦るように飛んでいる竜の一族。

父の善良性により、全てを失い、破綻させ、最後には愛した者を悉く殺した、ひとりぼっちの夜叉。

 

だからこそ、喉の奥から吐き出した。

 

「・・・ドンキホーテ。」

 

その言葉に二人の子供は脱兎のごとく逃げ出した。

 

 

 

ドンキホーテ・ドフラミンゴは慌てていた。右手には弟のロシナンテの手を掴み、すっかり慣れてしまった路地裏を急いでいた。家の密集した地域であるそこは、地元民でも迷ってしまう。ドフラミンゴは密かに己しかわからない跡をつけ、まるで己の庭でも歩くかのようにすいすいと道を進んだ。

 

母の病気が酷くなり、せめて、何かを食べさせてやろうとゴミをあさっていた。その時だ、自分たちを凝視する存在がいた。

最初はゴミをあさる自分たちを叱責でもするのかと思った。けれど、その女は心底驚いたような顔で、そうして、自分たちの姓名を口にした。

ああ、ばれた!

 

また追われる。また、自分たちを追い立てる存在が現れた。ここまでようやく逃げたのに、自分たちの正体がばれてしまった。

 

(母上は病気で動かせない、どうする?)

 

ドフラミンゴは頭の中でそんなことをぐるぐると考える。その時だ、右手が急に引っ張れるような感覚がした。それにドフラミンゴの体は傾いだ。

尻餅をつき、後ろを見れば、自分についてこれなかったロシナンテが泣いていた。転んだせいか、泣き虫な弟はえんえんと泣いている。

それにドフラミンゴは後方を見た。そこには女の姿はない。

ドフラミンゴは今はとロシナンテの背を撫でた。

 

「大丈夫かえ?」

 

この頃、天龍人の特徴らしい語尾を抑えるようにしているが、咄嗟のことで出てしまった。

 

「あにうえ・・・・」

 

えーんと情けない弟の背中を撫でて、傷を見た。どうやらくじいたのか、足首が腫れている。

ドフラミンゴはそれに弟を背負って帰ることをすぐに判断した。さほど年の差が無いとはいえ、すぐにここから離れた方が良い。

自分が弟を守らなくてはいけない。強迫観念のようにそう思ってドフラミンゴはロシナンテに背を向けようとした。

 

「・・・くじいたのか。」

 

頭上から聞こえた声に、ドフラミンゴはとっさにナイフを突き出した。けれど、話しかけてきた存在はドフラミンゴの腕を掴み、あっさりとナイフを奪い取ってしまった。

 

ピカピカと光る、お月さんがドフラミンゴを見ていた。幼いとき、あれが欲しいと散々に駄々をこねた綺麗な、綺麗な、夜空にぽっかりと浮かんだお月様。

まるで夜のような深い色が帳のように下りていた。

そこには女がいた。まるで、夜がそこに立っているかのような印象を受ける。

 

「お、お前、なんだえ!?」

 

ドフラミンゴはナイフを奪われたことに動揺した。武器はない、自分一人ならば逃げられただろう。けれど、女の足下には弟がいる。

ドフラミンゴは咄嗟に体を屈めた。そうして、後ろ手で石を掴む。タイミングを見極めて女に殴りかかることを決意した。

女は、何を思ったのか、ロシナンテと目線を合わせるように膝を突いた。持っていた紙袋を置き、ロシナンテを足を取った。

 

「くじいたな。」

 

ぼやくようにそう言って、女は紙袋から包帯を取り出した。暴力を振うわけでも、罵倒をするわけでもなく、黙って怪我の手当を始めた。

女は強ばった顔でそのまま手を進めた。包帯を巻き、ロシナンテの足を固定した。そうして、彼女はそのままロシナンテを抱き上げた。ロシナンテは固まったまま、女を見上げた。

 

「ロ、ロシーになにするんだえ!?」

「・・・怪我をしたから送っていくよ。ほら、おうちはどこだい?」

 

それにドフラミンゴは固まった。家に連れて行けない。けれど、女の腕の中には弟がいる。どうする?

ぐるぐると考え込んでいると、ロシナンテの腹が盛大になった。それにロシナンテはびくりと体を震わせたが、女は少しだけ考え込んだ後、器用に紙袋からリンゴを取り出した。そうして、それをロシナンテに渡した。

そうして、ドフラミンゴにもまた、リンゴを一つ渡した。

 

「食べるといい。」

「え、な、なんだえ!?」

 

唐突に差し出されたそれにドフラミンゴは固まった。ロシナンテは空腹で我慢できなかったのかしゃくしゃくとすごい勢いでかぶり付いた。

 

「ロシー!」

 

ドフラミンゴは慌ててロシナンテに声をかけるが、弟は腹が満たされて満足そうな顔をしていた。それに女は微かに笑った。そのピカピカ光るお月さんはふっと緩んで三日月のようになった。

今までの、しんと静まった表情が柔らかくなっているのを見ると、ドフラミンゴは少しだけ目の前のそれへの警戒心が薄まってしまう。

 

「・・・それも食べながらでいいから、道案内を頼むよ。」

 

そう言って女はそのまますたすたと適当に歩き出す。このままではロシナンテを連れて行かれると慌てたドフラミンゴはその女を現在の住居に連れて行くことを決めた。

ドフラミンゴはちらりと、その女を見た。

 

何かが違った。

聖地で、自分に向けられていた、媚びだとか、恐れだとか、親愛だとか、そういったものでもなく。

聖地を出た後の、憎しみだとか、悲しみだとか、怒りだとかではない。

どれとも違う何かを女は持っていた。持って、ドフラミンゴを見ていた。

 

 

 

(・・・・どうしよおおおおおお!)

 

メランは軍でだとか、白ひげ海賊団で鍛えられたポーカーフェイスを引っさげて子供を二人連れて歩いた。

淡々と勧めているようで、実際の所、頭の中は荒れ狂っていた。

 

(関わるべきじゃないんだよ!)

 

わかっている。この子供は天竜人で、きっと、白ひげ海賊団では受け入れられない。下手をすれば、ドフラミンゴたちによくすれば、ヘイトを買ってしまう可能性がある。彼の白ひげ海賊団と敵対関係を築くのは避けたい。

けれど、あのとき、彼らがそうであると理解した時、咄嗟に追いかけてしまったのだ。無視が出来なかったのだ。

脳裏では、彼らが行う非道を思い出す。ひどく、吐き気がするような、散々たる悲劇を思い出す。

ここで関わってどうするというのだ?

その悲劇を止めてやるのだという気概でもあるのか?

 

(笑えるな、そんな考え。)

 

自分に何が出来るのだろうか。ここで、何をして、ドフラミンゴの考えを止めるというのだろうか。

 

(いや、いっそのこと。)

 

ちらりと、小さな頭を見た。元々が大柄なせいか、幼くともがたいがいい。

けれど、簡単に殺せる。

頭をたたき付けてもいい、その柔い肉にナイフを突き立ててもいい、その細い首を絞め殺してもいい。

メランの脳裏には、二人の少年を殺す方法を思い浮かべる。ロシナンテのほうを殺す必要は無いだろうが、できるだけ懸念事項を消しておきたい。

いや、子供だけでなく、彼らの両親さえも殺しておいた方が簡単じゃないのか?

ああ、そうだ。

それが、最善だ。それこそが、何よりも楽な道だ。この場で簡単に全てが杞憂だと肩の力が抜けるだろう。ドフラミンゴのなしたことのせいで割を食うのはごめんだ。それで、バレットに何か被害が来る可能性もある。

だから、自分は。

 

「ねえ。」

 

幼い声に体が固まった。

 

「あ、ああ、なんだい?」

 

声の主は腕の中の幼い少年。それはもちもちとしたほっぺたを緩めてメランに話しかけた。

 

「お名前、なーに?」

「・・・・私は、メランという名前だよ。」

「メラン?」

「そうなの?ぼくはね、ろしーだよ。」

「ロシー!そいつに変なことを教えるな!」

「でも、あにうえ・・・・」

「ほら、怒るな。これは礼儀としてそう言っただけだ。」

 

そう言って、メランは二人を促した。そうして、腹の中で叫んでいた。

 

今、自分は何を思った?

今、自分は、この、何もなしていない。ただ、そう生まれただけの子供に、何を思った?

 

(吐き気がするじゃねえかよ!)

 

腹の中で膿んだ心が吐き気を及ぼす。己が感じた、心がわめき立てる。ああ、遠い昔の善性が、メランをメランたらしめる生き方が、己の中で自分を罵倒する。

ああ、だめだ。自分は、それでは、自分は。

あの日、己の保身のためだけに、自分たちを殺そうとしたダグラスとどれほど違うのか。

 

「あ、おうち。」

 

ロシナンテの声にメランは顔を上げた。周りは、この島のゴミ置き場になっているだろう、場所だった。周りにはゴミの山で、酷い匂いがした。そこに、隠れるようなあばら屋が建っていた。

メランはためらいもなく、その扉を開いた。

中には、汚れ、やつれ、それでもどこか所作に上品さを感じる男性と、顔色の悪い女がベッドに横たわっていた。

 

「・・・だ、誰だい?」

「落ちぶれたものですね、ホーミング聖。」

 

その言葉に男は顔を強ばらせた。

 



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笑えよ、善性だけを抱えた愚か者


メランとホーミング聖ノ話しになります。バレットたちはお休みです。

感想、評価ありがとうございます。
感想いただけましたらありがたいです。


メランは周りを見回した。

ああ、これが、神をかたるものたちの末路なのか。

メランの脳裏には紙の上で踊った、まるで神のように振る舞う人間程度。

 

 

「き、君は・・・」

「私が驚かせてしまったため、お子に怪我をさせてしまいました。詫びにと来た次第です。」

「あ、いいえ!こちらこそ、連れてきていただいて。」

 

それにメランの眉間に皺が寄った。ああ。嫌になるほどまでに、真っ当な反応じゃないか。

メランはロシナンテをそっと床に下ろした。幼い少年はてとてととホーミングのほうに歩いて言った。それにドフラミンゴも続いた。

 

「ちちうえ、りんごもらった!」

「そ、そうなのかい。」

 

ホーミングはロシナンテを抱き留めた。ドフラミンゴもまたその腕に抱きついた。三人は無表情で仁王立ちをするメランを警戒するように見ていた。

その時、部屋の隅に置かれたベッドからうめき声がした。それにホーミングたちはベッドに駆け寄った。

 

(・・・ああ、そうか。奥さん、まだ生きてるのか。)

 

まるで古ぼけた白黒映画を眺めているような気分だった。つまらない、オチを知っている映画の二回目を見ている気分だ。

 

(死ぬんだな、あの人。)

 

げほげほと咳き込む声がした。その夫と子供二人が縋り付くように女の背中を撫でていた。ああ、さっさと帰ろう。

関係ないのだ。

そうだ、さっさと帰ろう。待っている、この世よりも大事なあの子、優しい兄貴分。

こんなよくある悲劇、無視してもいい。

だってそうだ。天竜人が作り出した悲劇の方がよっぽど悲惨だ。

因果応報、そうだろう?

そうなのだ。

 

(そのはずなんだ。)

 

「母上!」

 

子供の、声がした。それに振り向いてしまった。ああ、泣いている。いつかに、国を滅ぼす男。いつかに、兄を止めるために死んでしまう青年。

そうして、己の善性によって息子に殺される男。

ああ、だめだ。

やっぱりだめだ。

メランは後ずさった足を、奥に向けた。

それはだめだと、遠い昔の自分が言った。

 

「おい、おまえら、どけてくれ。」

 

それにホーミングたちは驚いた顔をしてメランを見上げた。

 

 

 

ホーミングは固まっていた。唐突に息子達を連れてきたメランという少女は、まるで冬の終わりのような子供だった。

しんと静まりかえった雪原のようで、その下で春を前にした芽吹きのような苛烈さがその黄金の瞳から漏れ出ていた。

メランは三人をともかくどかせると、ベッドに横たわる女の手を取った。

 

「は、母上になにするんだえ!?」

「病状を診るんだ。ひっついててもいいから邪魔するな。」

 

ドスをきかせてそう言えば、ドフラミンゴは怯えたような顔をしたが、メランの腰に抱きついた。

後ろでホーミングがおろおろとしていた。

 

「・・・・あ、なたは。」

「しんどいならしゃべるな。」

(医療は怪我専門だが。勉強してて良かった。)

 

メランは脈を取り、喉などを見た。病状からして、風邪をこじらせた末の肺炎であるだろうと当たりをつけた。

 

(本当ならもっと本格的な医者に診せた方が良い。私も自信を持って診断を下せない。)

 

メランはそう思いつつ、応急処置のために、幸いなことに買った物資に入っていた熱冷ましの薬と、栄養のために果物をすりおろしてやった。

 

(・・・いや、ほんとになにやってんだろう。)

 

メランはゴミための中、適当に見つけてきた鍋を洗い、その場でせっせと簡単なスープを作っていた。メランはそれを器に装い、少しだけ冷ました。

 

「ほら、熱いから。気をつけなさい。」

 

ロシナンテとドフラミンゴは渡されたそれをきらきらとした眼で見つめた。クンと香る優しげな匂いによだれを垂らした。

それをメランは皮肉そうに笑った。

ああ、惨めな話じゃないか。

こんな、ゴミ溜めの中で。こんな、腐敗臭の漂う、この場所で。こんな貧相なスープに喜ぶ彼らは本当ならばこの世の宝のように、何もかもを与えられているはずだったのに。

彼らはすぐにスープを平らげてしまった。そうして、おかわりを要求した。メランは彼らの器にもういっぱいスープを装い、そうして、もう一つ器を手渡した。

 

「お前さん達の母君に持っていっておやり。薬のために腹に何か、いれておかないといけないからな。」

 

子どもたちは久方ぶりに母親にまともなものを食べさせられるとウキウキしながらあばら屋に入っていった。

メランは目の前で気まずそうにスープの入った器を見つめるホーミングを見た。それにメランは意味も無く鍋の中身をかき混ぜた。

 

「・・・・なあ。」

「え、あ、な、なんだい!?」

 

わたわたと慌てるホーミングにメランは淡々と言葉を投げかけた。

 

「なんで、わざわざ聖地を離れたんだ?」

「あなたは、私が何者であるのか、知っているんだね・・・」

「答えろ。あんた、わかってるだろう。自分たちがこの世界で、どう思われているのか。」

 

それにホーミングは視線を下ろした。それにメランは腹の中でふつふつと怒りがわき上がってきた。

あの、まろい頬を思い出す。幼い少年二人。

彼らは確かに業の深い血統に生まれたのだろう。そうであるとして、彼らの罪は何だろうか。ドフラミンゴ、ああ、そうだ。

彼は良くも悪くも天竜人らしいあり方をしていたのだろう。けれど、それでも、彼らの罪とは、何なのだろうか。

生まれは変えられない、やってしまったことはなくならない。人はその中で生きていかなければいけない。

だとして、その業を支払う必要はあったのだろうか。

考えるのだ、いつだって、いくども、幾度も、考えるのだ。

 

「自分たちが何をしてきたのか、見てきただろう。ホーミング、あんたがしていなかったとして、それで他の天竜人は奴隷に何をした?あんたらのいう下々に何をしていた?どうして、わからなかったんだ。」

 

メランは顔を覆った。自分が何を思っているのか、わからなかった。何を言いたいのか、目の前のそれに怒っているのかさえも曖昧で。

 

「何故、下りてきた。そうだ、竜を騙る人間よ。己が人間でしかないとわかっているのならば。自分たちがした悪逆の意味を、なぜ、わからなかったんだ。」

 

掠れるような声でそう言った。その時、何故か、ホーミングが自分に近づいてくるのがわかった。それはひどくおろおろしていて、どうすればいいのかわからないのか、メランの周りを犬のようにうろついていた。

メランはそれに何か、馬鹿らしくなって顔から手を離した。

さすがはドフラミンゴとロシナンテの父親だ。彼は非常に大柄だった。それを丸めて、小さなメランを見ていた。

彼はなぜか、嬉しそうだった。本当に心の底から嬉しそうだったのだ。

 

(ああ、ああ、ふざけるな!)

 

見ろよ、この地獄を!

お前達が始めた地獄だろうに。お前達が嘲笑った末の悲劇だろうに。お前達が、お前達が、散々に上に立つという義務を放棄した結末で。

どうして、その地獄で、今まで散々なるものたちのツケを払うはずの、あんたが、どうして、笑っているんだよ。

 

ホーミングはメランの前に腰を落ち着けた。

 

「・・・・その、昔、とても綺麗な歌声の。ああ、奴隷を、父が買ってきたんだ。」

 

ホーミングはひどく落ち着かなさそうな顔で、ぽつりと言った。

 

「とても綺麗な声だったんだ。その声を皆が称えた。私もとても好きだった。好きで、とても、好きで。奴隷であった皆も彼女のことが好きだったんだと思うよ。その時、私は、思ったんだ。」

 

なら、私には何が出来るんだろうって。

 

ホーミングはまるで劣等生の子供がテストの点を誤魔化すかのような、そうして、不相応なものを抱えて苦しむように、胸を撫でていた。

 

「皆が皆、私を愛してくれていた。同胞の彼らは、たくさんの贈り物、食事、衣服に、宝石におもちゃ。与えられて私は、ふと、思ったんだ。こうやって与えられる私には、いったいどんな価値があるんだろうと。」

 

それは天竜人であるホーミングにはあまりにも突然生まれた感覚だった。

けれど、ホーミングは幾度も、周りによって価値があるものたちについて見せつけられた。

そうして、思ったのだ。

神であると名乗る自分たちは、結局の話、なにもできないじゃないか、と。

 

美しい歌声を持たず、何かを倒せる強さはなく、賢しき知性は無く、目が眩むような美しさは存在せず。

 

ああ、なんだ。

神なんておこがましい。

高らかに笑う同胞達。価値ある者を無碍に扱うみんな。

自分たちは、どうしようもなく、醜いまでに人間じゃないか。

 

それを知って、ホーミングはなんとか周りを変えようとした。

自分たちは人間だ。だから、同じ人間を奴隷のように扱うなんておかしいじゃないか。

それを周りの人間は散々に無碍に扱った。

 

何を言う。我らは神、人をどう扱おうと、神に逆らう方が間違っている。

 

ホーミングは疲れてしまった。

聞き入れられないことに、同胞達の傲慢さに、行われる非道に、重ねられる愚かさに。

自分たちは人間だ。

こんな悪逆は赦されない。こんな、愚かさは赦されない。

出て行こう、自分はここでは生きられない。自分はもう、自分たちが神であるなんて夢を見続けることも、その愚かさを背負い続けていくことも出来ない。

ただ、静かに暮らしたかった。ただ、誰の悲鳴も、誰の叫ぶ声も、下卑た笑い声も、聞かない生活を。

その、愚かな竜の名を放棄したかった。

 

 

ああ、人々が笑っている。

日々を生きている。

泥に汚れた手で何かを育て、生きるために戦い、誰かと共に、誰かを大事にして生きている。

ああ、自分たちは違う。

傷つけば血が流れ、腹を空かせ、眠る自分たちはどうしようもなく人間なのに。

なのに、どうして、神であるなんて名乗れるのだろうか。

 

そうだ、人になろう。自分を間違いだという同胞に、自分が人になることを示してみよう。

何かが変わるのかもしれない、そうだ、どうか、何かが変わるはずなのだ。

 

「・・・・私は、人が好きだったよ。自分が人だとわかって、私は、君達の輪に入りたかった。ただの人間として、人間の輪に入りたかった。同じように善き者を称え、美しいものを賛美し、優しい誰かに微笑みたかった。そうだ。なのに、私は。私たちがしたことを理解していなかった。その悪逆を自分で見ておきながら、私は、私だけは違うのだと、変わる事なき傲慢さで、家族を巻き込んでしまった!」

 

ホーミングは自分の愚かさを、その少女に懺悔した。今、少女が自分たちにとって何者であるのか、わからない。

けれど、ホーミングは、少女に感謝したかったのだ。

 

「・・・ありがとう。」

 

掠れた声でホーミングは言った。

 

「・・・なんで、礼なんて言うんだ。」

 

苦悶の顔をした、メランにホーミングはそれでも微笑んだ。

ああ、だって礼が言いたかった。ありがとうと言いたかった。

ああ、だって、そうだろう。

 

「君は、私を人間だと言ってくれたからだよ。」

 

メランはそれに目を見開いた。

 

地上に降りてきて、ホーミングは自分の愚かさを理解した。ホーミングは誰のことも虐げたくなかった。だから、天竜人を止めた。

けれど、人々はそうでなかった。彼らは自分たちに怒りを向けた。それは当然だったのだろう。

けれど、ホーミングはずっと思っていた。

人々はホーミングを天竜人とした。天竜人はホーミングを愚かな同胞であると嗤った。

ただ、ホーミングは人間でありたかった。人間として、人と共に生きていたかった。

メランは初めて、ホーミングを叱ってくれたのだ。人間として、ただ、その愚かさを叱ってくれた。

 

ホーミングはおそるおそる、メランの、その、堅くなった手を握った。

 

「ありがとう。私を人間と言ってくれて。天竜人たちの行いを、間違いだと、私に言ってくれて。」

ああ、本当に、ありがとう。

 

ホーミングは微笑んだ。自分の家族を不幸にしてしまった。自分の行いがどれほどまでに愚かであったのか、ホーミングは確かに理解していた。

けれど、ホーミングは嬉しかったのだ。

ずっと、抱えた違和感、己の世界に対して抱いてしまった疑心はずっとホーミングを苦しめていたから。

彼女がきっと初めてだった。

ただ、真っ向から、彼女は天竜人を人だと言ってくれたから。彼らの行いを悪逆だと、ホーミングを人として怒りを向けてくれたから。

ホーミングを人だと言ってくれた。

それは、いつかに、その違和感に苦しんだ、ホーミングへの確かな救いであったのだと。

 

 

ああ、何故に泣く、天に座したるはずだったもの!

メランは己の手を取ったその男を見つめた。どうだ、どうだ、見るがいい。

この愚直なるまでの善性を!人に憧れた、神になれなかった、素朴なる善性を!

 

メランの中でガンガンと頭痛がした。

帰らなくてはいけないのだ。そうだ、自分を待つ人たちがいる。ならば、こんな愚かもの、さっさと放り出してしまえば良い。

 

なのに、なのに、メランの中で、メランがいつかに生きた前世がその男を見てがなり立てるのだ。

これは善なる者だ、これは良き者だ、これは肯定されるべきあり方だ、これは、これは、自分が、メランが是とするべきものである!

 

わかっているのだ。確かにそのホーミングは愚かであったはずなのだ。

けれど、けれど、その善性は、弱者を弱者たらしめるこの世界の構造を否としたあり方は肯定されるべきものであるはずなのだ。

メランの中で、前世から積み上げた、善性がメランを見ていた。

これの死を許容すべきではない、これの否定を赦してはいけない、これのあり方を罵倒などするものか!

 

わかっている。あのとき、ドフラミンゴとあった時、あのとき、自分はその場を立ち去るベきだった。だって、わかっていたはずだ。

彼らの過去を知っている自分、それを見捨てたその瞬間、メランは自分を自分たらしめる善性を放棄する。

それは自分にとって紛れもない破滅に他ならないのだ。

 

(ああ、だめだ。わかってる。こんなものを背負い込む資格も、強さも、余裕もない。)

 

わかっている。けれど、メランは目の前で、自分の愚かしさに後悔し、人であることへの肯定をうれしがる男に、死んで欲しくないと思ってしまった。

ドフラミンゴたちのはしゃぐ声がする。

ああ、子供だ、子供なのだ。彼らだって、いつかに、傷つけられた、子供であったのだ。脳裏に自分が死んで欲しくないと考えた、一人の少年の姿が思い浮かんだ。

メランは目の前の男の手を、そっと握った。

決意するように、怒るように、そうして、何もかもに諦めるように。

自分の腰にあるポーチに入れたいくつかの海図。とある場所への道順がかき込まれている。

以前、とある島で手に入れたものだ。

賭けだ。これはどうしようもない、愚かな賭けだ。けれど、ホーミングを救うために後ろ盾になってくれそうな存在を、メランは数人、検討をつけた。

 

「・・・・ホーミング、あんたは賭けに乗れるか?」

「賭け、かい?」

 

ポーチからメランは一つの行き先を告げるそれを取り出した。それはゴア王国と書かれた海図。

 

「破天荒な、げんこつ野郎なら、希望ぐらいは抱けるだろうさ。」

 



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指切り


感想、評価、ありがとうございます。
感想等、またいただけましたら嬉しいです。

エターナルポースについてはすみません。修正しておきます。


 

 

「おい、メランのやつ、見つかったかよい?」

「いや、だめだ。」

 

ダグラス・バレットとマルコはほとほと困り果てた顔をした。彼らはすでに日も落ちかけ、人通りも少なくなった町中を探し回っていた。

メランが買い物に行った後、待てど暮らせど帰ってこない。基本的に寄り道などしないメランがこんなにも遅いなんて普段ならばありえないことだ。

バレットは目立つため、マルコが探しに出かけたがまったくと言っていいほど見つからない。そのため、短時間だけと二人で探しに出かけたのだ。

メランが向かったはずの店に聞いてもすでに買い物を終えた後のことだった。

 

「・・・・ここ、確かにめちゃくちゃ治安が良い訳じゃねえけど。」

「いや、あいつの危機察知能力はたけえ。あいつが自分がやられるような存在と出会って逃げ切れねえはずがねえ。」

 

それにマルコも頷いた。メランは愛想は良くとも根っこの部分で警戒心も高い。相当の事が無い限り上手くやるはずだ。

けれど、今、メランの普段では考えられない状態にマルコは動揺していた。

当たりは暗くなり、飲み屋などのせいか、柄の悪い人間は見え始めた。それにバレットとマルコは焦り始める。

 

「どうするよい!」

「騒ぐな!」

 

マルコはどうしたものかとバレットの回りをぐるぐると回り始める。

元々は落ち着かないときのメランの癖であったが、この頃はマルコにまで移ってしまった。時折、仁王立ちするバレットの周りをマルコとメランがぐるぐると犬のように回っていることがあった。

 

「・・・何してるの。」

 

道の真ん中で騒いでいた二人はその声に顔を上げた。そこにいたのは、疲れ切った顔をしたメランだった。

それにマルコは顔を輝かせてメランに飛びついた。

 

「心配したよい!お前、どこに行ってたんだ!?」

 

ぐりぐりとメランの頬に幼子のように頬ずりをするマルコに彼女はあーとなんとも言えない声を上げた。

その後を追ってバレットが走り寄ってきた。マルコを首にぶら下げたメランの頬に手を添えた。

 

「どこに行ってたんだ。マルコが五月蠅かったんだぞ。」

「俺だけじゃねえだろ!?」

「・・・ああ、そうだね。遅くなったよ。」

 

メランは疲れたようにそう言って、視線を地面に向けた。マルコとバレットはそれに不信感を抱いた。メランの様子は気もそぞろで、何か、他に気になっているようにしか見えなかった。

 

「まあ、いいよい。それより、早く帰ろうぜ。あ、腹も減ったしなんか食ってくか?」

「旅費大丈夫なのか?」

「俺のへそくり使うよい。」

 

マルコはメランの首から手を離し、賑わっている店を指さした。バレットとマルコはそっと歩き出したがメランは何故かそこに立ち止まっていた。

ふと、バレットは気づいた。

出て行ったときにはきっちりと結い上げられていた髪が解けていた。長い髪が風に揺れていた。

もう、日が暮れてしまって夜が来ていた。近くの店から零れる光がメランのことを照らしていた。背中から光を受けて立つメランはバレットたちと歩いて行こうとしなかった。

 

「どうかしたのか?」

 

バレットがメランに声をかけた。メランは必死に笑おうとして口元を引きつらせた。けれど、バレットとマルコの顔を見て諦めたように顔を伏せた。

そうして、淡く笑みを浮かべた。

町々の店の光によって紺の髪は深みのある青色に輝いている。黄金の瞳を細めてメランは口を開いた。

 

「私は、船を下りるよ。」

 

それにバレットとマルコは固まった。それにマルコは食いつくようにメランの方を見た。

 

「どうしたんだよい!」

「・・・ごめん。」

「ごめんじゃねえ、何かあったのか?」

 

メランは黙り込んだ。マルコはどうしたんだと言葉を続けた。

マルコは慌てていた。だって、メランが今更船を下りる理由がない。元より、メランが船にいるのはバレットがいるからだ。けれど、今はメランも白ひげ海賊団での生活を居心地よさそうにしている。

思い出しても、今更居心地の良いモビー・ディック号を下りる理由がなかった。それにメランはいつもの困ったとき特有の愛想笑いを浮かべた。

楽しいだとか、そんなものではなくて、ただ、どういった表情を浮かべれば良いのかわからずに浮かべた仮面のような笑みだった。

マルコがどう声をかければ良いのかと悩んでいるとき、横にいたバレットが飛び出るようにメランに近づいた。そうして、ぎちりと、音がしそうな勢いでメランの腕を掴んだ。

 

「・・・・なに考えてる。」

 

マルコは慌てた。メランがガラス細工のように脆くなどなく、荒くれ者の中でも平然と生きていけるほどに頑丈であることは知っている。けれど、バレットの強さを考えて、メランの棒きれのような腕を掴んでいるのを見ると心臓に悪い。

 

「おい、バレット、そんなに怒るなよい!」

「ただ、やることが出来たんだ。居候の分際で勝手なことをしようとしてる。けじめはつけないと。」

「なら、俺も下りるぞ。」

「バレット!?」

 

マルコの慌てた声がするのも気にならなかった。

それほどまでにバレットは怒っていた。

だって、バレットに相談もなく、メランはどこかに行こうとしている。バレットのことわりもなく、置いていこうとしている。バレットのことを、一人にしようとしている。

それは違う、それは間違いだ。

バレットは腹の中で膨らんだ熱のようにそれを吐き出すように息を吐いた。

 

「・・・だめだ。バレット、お前はこのまま船にいるんだ。」

「ふざけてるのか!?」

 

怒鳴り声を上げて、バレットはメランのことをにらみ付けた。メランは笑みを消して、気まずそうに顔をしかめた。

 

「俺はお前の特別なんだろう!?」

 

叫ぶような言葉が当たりに響いた。遠目に見える酒場の光がマルコにはまぶしく見えた。夜の賑わいの中、バレットの怒鳴り声も早い酔っ払いの喧噪と誰も見向きもしなかった。

 

「お前が言ったんだ。お前にとって、俺は誰よりも特別なんだって。なら、なんで俺とお前が別れなきゃいけねえんだ!」

 

バレットはメランのことを揺すぶった。メランはそれに凪いだ瞳でバレットを見返した。

 

「何とか言えよ、お前もか。あいつと同じなのか?もう、俺は用済みなのか?おい、なんとか言えよ!?」

 

バレットは腹の中でぐるぐると混乱と言えるものが荒ぶっていた

 

どうしよう?

 

まるで子供のように混乱の中に彼はいた。

これだけは信じて良いのだ。これだけは、何のためらいもなく、当たり前のように側にいてくれるはずだったのに。

もしも、これが裏切るとするのなら、自分は何を信じれば良いのだ?

これが信じられない存在ならば、マルコも、白ひげさえも、信じられなくなってしまう。

どこかで何かが崩れ落ちるような音がした。何かが、かちゃんと壊れてしまうような音。

淀んだ瞳でバレットは伏せられた金の瞳を見返した。

マルコも目の前で繰り広げられるそれに慌てた。メランの言葉にバレットがどれほど混乱しているのか理解して、どうしたのものかと悩む。

マルコはバレットをかわいがっているし、兄貴分としてそれ相応のことをしてきた自負はある。

けれど、マルコはバレットにとって一番でないことぐらいはわかっていた。

それは寂しいことだとか、悲しいことではなくて、しかたがないことだ。いつかは、その傷だらけの獣じみた少年が自分に懐いてくれることは願っていたけれど。

バレットの動揺や混乱を、マルコでは落ち着かせることは出来ない。

二人の間をマルコはうろうろさせていた。

その時だ、少女はやっと顔を上げてバレットの顔に手を添えた。

 

「まさか、お前は私にとって何よりも大事だよ。この世の中で、何よりも。」

 

ピカピカの、金の瞳は変わらなくて。小さな、白い手から伝わる温度にほっとした。それにバレットは少しだけ強ばった体を解いた。

ああ、そうだ、落ち着くんだ。

これが自分を裏切るはずがないのだ。

これは、これは、自分だけのものなのだ。自分が選んだ、ものなのだ。

バレットの怒気が収まるのを見て、マルコがおそるおそる問いかけた。

 

「なら、どうしたんだ?お前がそんな、親父に対して不義理をするなんてよい。」

 

不義理、という言葉にメランは気まずそうな顔をした。メランは礼儀というものをわきまえている。それは彼女にとって何よりも効く言葉だと理解していた。

それにマルコは重ねるように言った。

 

「親父だって、お前が船を下りようとしてるなんて聞いたら悲しむぞ。船の奴らもお前に構ってたろ?何かあったのなら聞かせてくれよい?」

 

それにメランは迷うような仕草をした後に、口を開いた。それにマルコは内心でガッツポーズをした。自分に説得は出来なくとも、理由さえ聞けば船の家族がなんとかしてくれる。

自分に出来ないことは出来る奴に任せるのが是だ。

 

「・・・・とっておきの厄ネタを拾った。私は、彼らを安全だと思える人間に預けに行く。」

「厄ネタ?」

「ああ、とびっきりのさ。それこそ、そうだ。この世界の、そうだ、悉くの全ての人間に蔑まれるような、厄ネタだ。」

「なんでそんなもんを・・・・」

 

マルコはメランがバレットと、それこそ彼女にとって全てのような少年をわざわざ切り捨ててまで関わるもの。

マルコはメランの過去にそれが関係があるのだろうかと踏んだ。

 

「ならよ、それこそ親父に頼めばいいよい!どんな奴か、わかんねえけど。それでも、大丈夫だよい!」

「ダメだ!」

 

マルコの言葉にメランは珍しく声を荒げた。マルコとバレットは驚いたように目を丸くした。メランは、己の片腕を締め上げるように握った。

 

「だめだ、違う。そうじゃないんだ。マルコ、君達だって、彼らのことを否定する。彼らを庇うこと自体が、彼らを救いたいと、救われて欲しいと思う心こそが、何よりもおぞましいまでにエドワード・ニューゲートへの裏切りになる。」

 

メランは顔を両手で覆い、懺悔するようにそう言った。そうして、そのまま首を振り、二人を見た。

 

「だから、バレット、マルコ、私はここで抜ける。巻き込むわけにはいかない。」

「・・・メラン、なら、お前は何でそこまでしようとするんだ?」

 

バレットの言葉にメランは視線を上げた。そうして、ぽつりぽつりと口を開いた。

 

「私は、昔、楽園みたいに優しい世界から転げ落ちたんだ。だから、今は不幸だとか、そんな話じゃなくて。ただ、彼らは、どこか私と同じで。」

 

メランは手を、血がにじむほどに握りしめた。

 

なあ、間違うことは悪なのか。とても愚かなことをしたんだ。でも、それでも、どれだけ間違っていても、その善性は否定されて欲しくないんだ。

 

バレットはメランの顔を凝視した。

メランは今まで、見たことの無いような顔をしていた。

まるで、いつかの島で見た、迷子の子供のような顔。

 

「だから、これは道理だとか、義理だとか、そういう話じゃなくて、私の矜恃の話なんだ。それに巻き込めないんだ。だから、ごめん、ここでお別れだ。」

「それは、俺よりも大事なことなのか。」

 

バレットは、その言葉がどれだけ傲慢に聞こえるかなんて察しもせずにそう言った。それにメランは苦笑した。

そんなことが言えるようになったのは、よいことなのだろうと。

だから、メランはためらいもなく、バレットに微笑んだ。

 

「いいや、この世の中で誰よりも、ダグラス・バレット、私はお前のことが大事だよ。でも、ここで、彼らを見捨ててしまったその瞬間、君を大事にしていたメランは死ぬんだ。メランはきっと、己の中に生まれた矛盾で壊れてしまうから。」

 

メランはそっと、バレットの頬に手を添えた。

 

「バレット、もう、わかるだろう。あの船の人たちは、お前を裏切ることはないよ。船長さんだって、そうだ。だから、もう、私がいなくたって大丈夫だ。」

 

メランはそう言ってバレットから手を離し、そうして、後ろに一歩下がった。

 

「だめだ。これからは全部私が勝手にすることだ。君を関わらせるわけにはいかない、船長さんたちや、マルコだって。これは私だけが背負わなくちゃいけない。」

「メラン、てめえ、そんなの!!」

 

バレットが激高して叫ぼうとしたとき、パアンと、盛大な音がした。その方向を見ると、そこにいたのは手を鳴らしたマルコ。

 

「よし!なら、俺たちは遭難したことにするよい!」

「え、何言ってるの?」

「だから、親父達にばれたくないんだろ?なら、航海に失敗したことにして、船が壊れたって言って時間を稼ぐ。」

「私は、君達に関わって欲しくないって!」

「メラン、俺の言ったこと、覚えてるか?」

 

それにメランは戸惑った顔をした。その顔をマルコはじっと見た。

 

「言ったぞ、お前は俺の妹だって。もしもの話、お前がその厄ネタで何かあったとき、あの船の人間がお前のことを無視すると思うのか?」

「それは・・・」

「お前がこれからどうするのか、俺は知らないよい。だけどよ、それを全部、お前が背負い込めるのか?」

 

それにメランは黙った。メランも、自分がある程度の事は出来るが、ドンキホーテ一家のことをどれだけ守れるかわからない。

航海をしたことがない彼らには過酷な旅になるのは想像できる。バレットの強さや、マルコの船医としての知識は欲しい。

けれど、全てがばれたとき、何が起こるのか、わからない。バレットはいい。彼は地獄で生まれたけれど、天竜人という存在の意味を本当の意味で理解していないからだ。

白ひげ海賊団には言えない。彼らの正体を明かさずに船に乗せるなんてリスキーなこともできない。

高々、一船員のためにそんな我が儘など言えるはずもない。

そうして、それがばれたとき、彼らにどれほど憎まれるのか。それを、メランは耐えられないだろう。

そうして、マルコは?

マルコは、事実を知った特、彼らを赦すのだろうか。メランのことを、赦すのだろうか?

もしも、自分を蔑んだとして、それはその時だ。

けれど、もしも、ドンキホーテ一家の誰かを傷つけたとき、きっと、メランはマルコを嫌ってしまうから。

それだけは、それは、嫌だった。

そうして、白ひげ海賊団の中に天竜人を庇った人間がいると知ったとき。海賊団などというものにいるもので、彼らへの怒りや憎しみを持たない者は少ないだろう。

黙ったメランに、マルコは続けた。

 

「大体、預けに行くっていっても、船はどうするんだよい?確かに、この島はそう小さくねえから調達は出来るだろうが、お前のへそくりだけで船を用意できないだろう?」

 

ぐうの音も出ないそれにメランは黙り込んだ、本音としてはすぐにもこの島は出たい。この島でのことがわからないが、漫画の中で彼らを火あぶりにしたことを考えれば早いことに越したことはない。

 

「でも。」

「メラン、なら、約束するよい。」

 

マルコはそれに小指を差し出した。その仕草に驚いた。それは、メランが以前に教えた、彼女の生きていた世界での約束の仕草だ。

 

「ほら、お前が言ってたろ。指切り。針千本飲むのは嫌だから、約束するよい。何があっても、お前の味方になってやるから。」

だから、そんな顔で、そんな死にそうな顔でさようならをしないで欲しい。

 

マルコは、知っているつもりだ。目の前の少女は、賢しいことぐらい。敵を作らず、距離を取って、ちゃんと生きていける程度の知恵だとか、賢しさを持っている。

けれど、どこかで、生きていきたいとなどと思っていないことぐらい。

わかっているのだ。どこか、生を繋いでいくためのことをふとした瞬間に放り出してしまいそうな危うさがある。

 

「お前、一人で生きていけねえだろう?」

 

言外に、バレットと離れられるのかと問えば、メランは目を丸くした。ああ、そうだろう。生きる理由を他人に委ねてしまっているお前が、一人でなんて生きていけないくせにと。

呆れたようにそう言えば、メランは目を伏せた。

ああ、面倒なことだ。そんなにも、それに執着することはないだろう。下りたいという人間に縋り付く理由なんて無い。

でも、やっぱり、マルコは目の前の少女が好きなのだ。

強かで、拒絶していた、それでも、少女の柔い心を知っている。

マルコはバレットとメランのことが好きだった、三人で騒ぐ日々を愛していた。

今、ここで、メランやバレットと分かれたとき、マルコはきっと後悔する。彼らと違えた選択を後悔する。

自分の提案がどれほどまでに自分を受け入れてくれた親父や、家族への不義理になるかわかっている。

けれど、その選択肢しかなかった。

メランに無理矢理に問い詰めて、そのまま姿をくらますようなことをされる方が恐ろしかった。

 

(旅の最中に事情を聞いて親父に報告する方がいい。今、離れて、俺たちの知らないところで何かが起こる方が不利益になる。)

 

差し出した指にメランが黙っていると、唐突にバレットがメランとマルコを抱き上げた。

 

「「うえ!?」

 

バレットは二人を肩に乗せた。未だ、体格ができあがっていない二人ならば、バレットの肩に十分座れた。

 

「なにすんだよい!?」

「マルコ、てめえ、何一人で背負い込もうとしてるんだ?共犯だってんなら、俺だってそうだ。」

 

メランをマルコはバランスを取るために、バレットの頭や首に抱きついた。そんな二人に、バレットはそっと指を指しだした。

 

「・・・・仲間はずれにするな。」

 

その言葉に二人はなんだか笑ってしまった。あまりにもらしくない仕草だったから。だから、メランは頷いた。

本当に、何もかもがばれたとき、全ては自分の責であると懺悔する覚悟はしている。

この海で、一人で何かをやり遂げられる何かなんて持っていないから。

だから、メランはそっとバレットの小指に自分の指を絡めた。マルコもそれに倣った。

 

「嘘をついたら、針千本飲ます、指切った!」

 

自分たちは悪い子だ。だって、これから、恩人である彼にひどい不義理をするのだ。それでも、メランは味方がいる今が、ひどく嬉しいと思ってしまっていた。

 



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厳しい女


お久しぶりです。短めです。


 

 

目覚まし時計の音がした。それにドンキホーテ・ドフラミンゴは目を覚まして、慌てて起き上がった。そうして、隣で眠る弟を揺すり起こした。

 

「ロシー!時間!」

「・・・おはよう、あにうえ。」

「おはよう!」

 

ドフラミンゴは弟のロシナンテの目が覚めるように、できるだけ大きな声で挨拶をした。そうして、ぴょんとベッドから下りて着替えをする。ついでに弟の着替えも手伝ってやる。ちらりと同じ部屋の父と母のベッドを見れば、すでに二人の姿はなかった。

ドフラミンゴは転びそうになる弟を支えながら短い廊下を急いだ。

 

「おはよう!」

 

そう言って目的の部屋に飛び込むと、そこには先に起きていたらしい、父母。

 

「おはよう、ドフィにロシー。」

「母上、父上、おはよう。」

「おはよお。」

 

ドフラミンゴとロシナンテが間延びしながら返事としていると、横から声がした。

 

「二人とも、さっさと席に着け。朝飯だ。」

 

それにドフラミンゴは声の方を見た。そこにいたのは、一人の少女は。深い青の髪に、自分の髪と同じような金の瞳をしたそれは二人を食卓に呼び寄せた。

それを確認すれば、少女、メランの号令と共に食事が始まった。

 

 

ドフラミンゴがその船に乗ってから数週間ほどが過ぎた。

正直に言えば、その生活は以前の暮らしに比べればずっとましだった。

ドンキホーテ一家以外の船員達は、聖地から下りてから一番に優しくしてくれた。

特に、医師見習いのマルコという少年のおかげで、母の病気はすっかりよくなった。それだけで、ドフラミンゴの中でのマルコへの印象は悪いものではなくなった。

次にはバレットについてだが。バレットのこともドフラミンゴは気に入っていた。なんといっても強いのだ。一度だけ見た戦闘はまさしく、少年の心を魅了するには十分などほどに強かった。

それは、例えば、いつかに見た武人といえるような技術。それと同時に、まるで怪獣のような理不尽な強さ。それは少年の心を掴むには十分なものだった。

といっても、バレットは無口で正直に言えば非常に怖かった。曰く、そう年が変わらないと聞いていても怖いのだ。

暖かい食事や寝具も、以前に比べればずっと良い。

そうだ、ましになっている。残飯をあさることもなく、唐突な暴力に怯える必要も無い。

 

たった一人だけを除いて。

 

「ドフラミンゴ、手が止まっているぞ。」

「う、うるさい!」

 

目の前の、海色の女を除けばの話だが。

 

 

正直に言えば、ドフラミンゴはメランの船に乗ることには反対であった。また、お人好しの父親が騙されてしまったのだろう。

自分たちを取り巻く環境、そうして、自分たちの立場についてドフラミンゴは早々と覚っていた。

自分たちがすでに崇められ、恐怖される立場から引きずり落とされたのだと。その原因が父であることも覚っていた。

けれど、ドフラミンゴにとってそれでも父は大好きな人だった。

この男のせいでという気持ちと、それでも大好きだという気持ちは半々で。割り切れない気持ちがぐらぐらと揺れていた。

そんなとき、父であるホーミングから島を出るという提案があったとき、ドフラミンゴは反対した。母親は病気で、下手に動かしたくなかったのだ。

けれど、そんなのものはメランによって見事に打ち切られた。

 

「嫌もくそも、受け付けん。行くぞ。」

 

そう言ったメランはドフラミンゴとロシナンテを担ぎ上げて、そのまま船に放り込んだわけだ。

乗った船でドフラミンゴは例えば残飯をあさるような惨めな目に遭うことはなかったし、風呂にも毎日ではなかったが入ることも出来た。

それが破格の扱いであることぐらい、ドフラミンゴにだってわかっている。

天竜人というそれがどれだけ嫌われているのか、とっくに理解していたからだ。

 

「くそが!!」

「ドフラミンゴ、へばるには早い!」

 

その言葉にドフラミンゴは立ち上がった。目の前にいるのはメランで、彼らがいるのは水などの補給のために、そうして、メラン曰くもうすぐやってくる嵐に備えるために訪れた無人島の浜辺でのことだった。

ドフラミンゴの体はぼろぼろだった。打撲に、傷だってついている。何故って、簡単な話だ。

メランがドフラミンゴに走ってくる。それが、彼女の本気であることを悟り、ドフラミンゴは足に力を入れた。

振りかぶられた足をドフラミンゴは躱した。

 

「よし!その調子だ!」

 

ドフラミンゴはメランから体術というものを叩き込まれていた。

 

 

ドフラミンゴはメランが嫌いだ。

それは様々な理由がある。

例えば、彼女は父母を船でこき使っている。

特に、父であるホーミングには雑務の仕方を叩き込んでいた。

 

「・・・あの人が料理を覚えるのが先か、それともキッチンが全焼するのが先か。」

 

そんなことをメランがぼやいているのを聞いた。

それでも、少しずつであるが父の仕事ぶりは上がっている。今までの人生でまったく縁が無かったが故の経験不足は、回数をこなせばある程度慣れるのだ。何より、のんびりとしており、真面目で勉強が好きである彼はこの頃は栄養などについても勉強している。父は、そんな生活が楽しいらしい。

 

「きっと、私はこう生きていたかったんだ。」

 

そういってランプの光の中で微笑む父は、ドフラミンゴが見た中で一番に生き生きとしていた。

メランはホーミングになんとか手に職をつけさせようとしていた。それと同時に、世界的な常識も教え込んでいた。

病気が治った母にもメランは仕事を課した。それがドフラミンゴには気に入らない。元気な父ならまだしも、か弱い母に何をさせるのだろうかと。

それを、一度抗議したこともある。けれど、メランはそれをはねのけた。

 

「あの人も出来ることを増やした方が良い。生きると言うことはそういうことだから。」

 

癪に触るが、母はそんな生活を楽しんでいた。病気がよくなって、父と一緒に楽しそうに生活を学んでいる。

母は繕い物をよくした。元々、刺繍の腕のよかった母にメランはほっとした様子だった。

 

「緻密な刺繍が出来るなら、それだけで売り物になる。」

「こんな腕でもいいのかしら?」

「ああ、これだけ精巧なら十分だろう。」

 

母はメランと話すことを楽しんでいた、いいや、父もまたメランと話すのが楽しそうであったし、下手をすれば二人ともバレットとマルコにだって平気で話しかけていた。

ドフラミンゴは何故、そんなにもあっさりとメラン達を信用できるのかわからなかった。確かに、ドフラミンゴたちを苦しめるのなら、わざわざこんな、人として扱うような手間をかける必要も無いだろう。

それでも、ドフラミンゴは信じられなかった。だから、感謝だとか、好ましいと思っても、できるだけ距離は保っていた。

 

「ドフラミンゴ!」

 

そんな怒声が当たり前になったのはいつからか。

メランはドフラミンゴの大好きな父と母を容赦なく叱った。そうして、何よりも叱られるのはドフラミンゴだった。

怒声も上げたし、容赦なくげんこつも、果てには尻だって叩かれた。父母は慰めてはくれたけれど、やっぱりメランの味方だった。それも仕方が無い。

メランが怒るのは、ドフラミンゴが我が儘を言ったときだとか、いたずらをしたときぐらいだった。

ただ、諭すように叱るホーミングたちのそれに比べてメランのそれは暴力だって伴う。

はっきり言おう。

メランが、ドフラミンゴは怖かった。叱られると、思わず背筋が伸びて、うなだれてしまう。プライドの高いドフラミンゴには耐えられない事実だった。

そうして、もう一つ、メランのことが嫌いな理由があった。それは、メランはドフラミンゴに戦う術を叩き込もうとしていた。

島などの広々とした場所に行けば、メランはドフラミンゴを相手に組み手と言えるものとした。

 

「この世界の理不尽さは知っているだろう。だから、今度はあらがう術を持ちなさい。」

 

それがメランの言葉だった。最初はホーミングもさせられていたが、悲しいかな、彼には戦う才と言えるものが皆無だった。

そのため、今ではドフラミンゴ一人がメランの相手をしている。戦う術と言っても、ドフラミンゴが習っているのは何かあったときの逃げ方だとか、攻撃の避け方、受け身の仕方などだ。

バレットやマルコも講師役に考えられたが、二人とも手加減が下手くそで、ドフラミンゴを手違いで殺してしまうと早々に首となった。

 

ドフラミンゴはメランにそれはそれは痛めつけられた。

 

「いいか、まずは避けること、子どものお前じゃ立ち回りが難しい場合が多々ある。だから、避けて、死角から足下を崩すことを考えるんだ。」

 

何故、自分だけと思わないわけではない。ただ、ドフラミンゴ自身、家族の中で自分ぐらいしか闘争心といえるものを持っていないことは理解していた。

だからといって、己に厳しく接するメランが嫌いだった。

自分以外の家族がメランを慕っていたのも面白くなかった。

ただ、嫌いではある。嫌いではあるのに。

 

「よし、よくできたな。」

 

時折、そうやって褒めてくれることがあった。

 

メランは厳しい。それこそ、ドフラミンゴに対して容赦は無い。

けれど、そんなことをマルコに愚痴れば苦笑交じりに頭を撫でられるばかりだった。

 

「どっちかって言うと、あいつはお前さんのことが心配なんだろうよい。」

 

嘘だと言えば、やっぱりマルコは苦笑する。メランは自分の前ではあまりに笑わない。厳しく顔をしかめるばかりだ。

ただ、バレットやマルコの前では笑っている。だから、ドフラミンゴはその女が自分のことを嫌いなのだと思うのに。

 

それでも、メランがドフラミンゴを褒めるときがある。そんなとき、メランは笑いはしないのに、己の父や母と同じような、ひどく優しい眼をするときがある。

だから、嫌いだと思うし、見返してやると思うのに。その目を見ると、なんだか、そわそわしてしまう。

暖かな湯に浸かって、体を温めているような、そんな感覚がした。

 

 

ドフラミンゴは、メランがわからない。

彼女は船に乗ってからドフラミンゴにすぐに、天竜人であったことはけして言わないようにと釘を刺した。

 

「ばかにしてんのか?そんなこと、言うはずがないだろ!?」

「お前はプライドが高いし、時々、語尾にえがついてるときがあるぞ。お前がその年で弟を守るように立ち回れる程度に頭が良いのは知ってる。ただ、自覚はしておきなさい。」

 

そう言われると、ドフラミンゴも覚えがあるために黙り込むしかなかった。マルコとバレットはドフラミンゴたちを没落した貴族だと思っているようだった。

けれど、だからこそわからない。

マルコとバレットに話をしていないことから、おそらく彼らは天竜人に対して良い感情は持っていないのだろう。

けれど、それならばメランはどうなのだ?

彼女の言動からして、メランは最初からドフラミンゴとロシナンテの顔を見て、自分たちが天竜人であることを知っていたはずだ。

彼女は、いったい、いつから自分たちの顔を知っていたのだ?

もちろん、ドフラミンゴとて一度だって聖地の外に出たことがないわけではない。だが、子どもであるドフラミンゴの警備は厳重で、そう、多くの人間に出会ったことはないはずだ。

けれど、メランは一目で、自分たちの正体を見破った。

いいや、彼女はドフラミンゴの父親の名前さえも事前に知っていたのだ。

それよりも、ドフラミンゴには気になる発言があった。

 

私は天国のような場所から、転がり落ちたことがある。

 

その発言は?

そうして、メランは何故かやたらと父に対して同情的な振る舞いが見える。いいや、自分たちを抱え込むのがどれだけリスキーなのか、わかっているはずだ。

マルコたちの発言を聞く上で、父母は彼らが海賊なのではないかと言っていた。海賊なんて、世界政府側である自分たちのことはひとしおに憎いはずだ。

ならば、なぜ、メランは自分たちと活動し、そうして、衣食住を提供するのだろうか。

何よりも、信用できる存在に預けに行くと彼女は言うが、どうして、そんな手間をかけるのだろうかと考える。

 

(・・・もしかしたら。)

 

ドフラミンゴは扱き倒された後、べたりと地面に転がって女を見た。その静かな瞳に、ドフラミンゴは少しだけ予測を立てた。

 

(こいつも、もしかしたら、俺たちと同じ・・・)

 

天に座した竜が転げ落ちたというのだろうか?

 

 

 

「なあ、メラン。」

「なんだい?」

 

その日、ドフラミンゴはメランと共に芋の皮むきを行っていた。食べ盛りのマルコとバレットのためにせっせとかさ増しのための芋を剥いていた。

その日は、大分料理になれ始めた父親が一品任せて貰えたのだと喜んでいたのを思い出す。

そうして、母親は今、マルコと共に洗濯物を干していて。その横ではバレットが食事の足しにと釣りをしていた。

自分と弟はメランと共に食事の下ごしらえをしていた。弟はまだ幼く、ドジなため、洗濯したらしいタオルをちまちまと畳んでいた。

 

「じょうず?」

「ああ、じょうずだな。」

 

あまりにも穏やかな空間だった。外で、バレットにも臆さずに話しかける母とマルコの声がした。それが、あまりにも、たくさんに場違いで、今までのことから逸脱していて。

だから、思わず、ドフラミンゴはその女に聞いた。

 

「なんで、俺たちのこと、助けたんだ?」

 

それにメランの手が止まった。ドフラミンゴは慌ててメランを見た。彼女は、いつも通り厳しい顔をしていた。厳しい顔をしていたけれど、怒っているわけではなかった。

 

彼女はそっと芋を置いて、体をドフラミンゴに向けた。それにドフラミンゴも持っていた芋を置いた。

不思議と、その時、メランの怒りを買っただとか、ひどいことをされるなんて思わなかった。

彼女はゆっくりと口をあけた。

 

「・・・・ドフラミンゴ。私はな、この世界の正しさって言うのは、暴力だと思っている。誰よりも腕っ節が強いこと。それは、お前にもわかるだろう?」

 

それにドフラミンゴは頷いた。

ドフラミンゴの世界が今まで優しかったのは、偏に彼が強いものに、権力に守られていたからで。

そうして、それを肯定しているのはどこまでも武力であった。

自分を傷つけた存在の言葉を聞いていれば、その程度のことは察せられた。

 

「この世界の権力も、そうして、海賊達の影響力も全てが強さによって保証されている。それを間違いだとは思わない。例え、人間達が理性的に動いても、それ以上の脅威がこの世界にはたくさんあるから。」

 

お前は、父が憎いかい?

 

静かな声だった。凪いだ、冬の海のような声だった。それにドフラミンゴは考え込んでしまう。

散々に苦労した。母は病に倒れ、そうして、家は焼かれた。弟は残飯をあさった。

それが全て父のせいであるのだと、ドフラミンゴにだってわかっている。

守る盾を失い、散々に恨まれている自分たちはこの世界で死ぬことを望まれているのだと、散々に思い知らされた。

 

「わからない。」

 

ドフラミンゴは呟いた。それでも、それでも、やっぱり、ドフラミンゴは父のことが好きであると思ってしまっていた。

それは最悪を体験する前にメランに助けられたと言うこともある。けれど、それでも、ドフラミンゴには愛されていたという自負があったものだから。

憎いのだと、嫌いなのだと、堂々と言うことが出来なかった。それに、メランが小さく頷いた。

 

「・・・・お前の父は、そうだな。敗北者だ。人間の全てが平等で、それを証明しようとして、悉く敗北した。お前の父は弱かった。世界にそれを認めさせる強さを持たなかった。でもな、私は、お前の父の、素朴な善性こそ。正義なのだと信じたいんだ。」

「違う、父上は、ただ、愚かなだけだ。」

 

ドフラミンゴは歯を食いしばって、吐き捨てた。ロシナンテはメランとドフラミンゴの間に漂う、冷たい空気を感じ取って、オロオロする。

けれど、メランはドフラミンゴの頬を両手で覆った。

 

「・・・そうだ。ああ、そうだ。愚かなことだ。強者であるというのに、自分の正義の証明に弱者の元に下りたって。そうして、味方になりたかった弱者にお前達は散々に迫害をされたな。」

「なら、間違ってるえ!そうだえ!父上の、せいで、母上とロシーは死にかけた!」

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ。」

 

ドフラミンゴの怒りにメランは真っ向から言葉をかけた。

 

「そうだな、愚かだ。そのせいで、お前達はとても危険な目に遭った。だからこそ、お前の怒りは正当だ。愛した誰かが死んでしまうかもしれない。その危機を見て、お前が父を蔑むのは当たり前だ。それでも、な。」

 

私は、お前の父の善性を正しいのだと思いたいんだよ。

 

掠れた声だった。なんでそんなことを言うのだろうか。

 

ドフラミンゴは父が敗北者であることを理解している。

強くなくては正しさを貫き通すこともできない。ドフラミンゴの父は、自ら強さを放棄したから。

 

だから、自分たちは不正義であり、そうして、どこまでも間違っているのだ。あの日、自分たちに憎悪を向けた下界と蔑んだ誰かのそれにドフラミンゴは悟ったから。

 

 

なのに、どうしてだと思う。

その、ドフラミンゴを見つめる強者は、自分よりも強いそれは父の不正義を正しいと言うのだ。

 

「お前には理解できないのかもしれない。私の、この、肯定も、祈りもお前にはわからないかもしれない。でも、これだけは覚えておいてほしい。

お前を地獄に突き落としたのがお前の父の愚かさ、そうして弱さであるならば。

私がお前たちに差し出した手はホーミングという男の願いへの敬意である。

 

それだけを覚えておいてくれ。」

 

そんなことを女は言った。まるで、祈るように、そうであることを心底信じているように言うものだから。

ドフラミンゴは何を言えばいいのかわからなくなってしまった。

その言葉の意味をドフラミンゴは理解できなかった。

 

 

ドフラミンゴはメランにどう接すればいいかわからなかった。メランはドフラミンゴへの接し方を変えることはなかった。

だから、どうすればいいのかわからなかった。

その日も、ドフラミンゴはメランと共に買い出しに行った。

 

「へえ、なんだ。変わったのがいるな。」

 

その顔を、ドフラミンゴは知っていた。

ゴールド・ロジャー。

この世で最も有名な海賊がドフラミンゴの目の前にいた。

 

 

 

 

 

 

 



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バレットと愚かな大人たち

バレットとドンキホーテ夫妻について。
少し短め、次で進展します。前回の続き、ではないです。

感想いただけましたら嬉しいです。


ダグラス・バレットはその日も船の甲板で体を鍛えていた。さすがに狭いそこで実戦と同じということは出来ない、

だからこそ、簡単なトレーニングを行っていたのだが。

 

「バレット君。」

 

それにバレットはびくりと体を震わせた。その様はまさしく怯えているという表現が似合っていた。バレットが振り返ったその先にいたのは、ゆるくふわっとした印象を受ける夫婦がいた。

 

「ご飯の時間ですよ。」

「今日のは自信作だよ。」

 

バレットはそれにううと心の中で呻きながらこくりと頷いた。

 

 

 

バレットは正直に言うのならば、そこまでメランが執着するというのならばてっきり、そうだ。自分のような少年でも連れてくるのかと思った。

けれど、連れてきたのはどう見てもそれからは乖離した4人組だった。

マルコもマルコで驚いていたが、夫であるらしい男が背負っていた女を見てすぐに思考を切り替えた。

幸いなことにその女、ドルネシアは軽い肺炎だったそうで、そこまで重症ではなかったらしくすぐに落ち着いた。

夫の方のホーミングという男はオロオロしており、なんともまあ情けない印象を受けた。

 

(すぐに死にそうだな。)

 

戦場を生き抜いてきたバレットの感想なんてそんなものだった。

 

「いいか、バレット。あの一家がお前さんのことを怒らせることはないだろうから。ああ、ドフラミンゴのことで何かあったら私に言ってくれたらいい。ただ、一つだけ、覚えていてくれ。」

お前は絶対に、彼らに触れるなよ。

 

おかしな事を言われていると自覚のあったバレットははてりと首を傾げた。それにマルコも不思議そうな顔をしていた。

 

「お前、もう少し言い方なんとかならないのかよい?」

「・・・そうだね。悪かったよ。でもなあ。なあ、バレット。君、時々、激励とかの意味で他人の肩とか背中とかを叩くときあるだろう?」

「・・・ああ。」

 

バレットはこくりと頷いた。白ひげ海賊団に入ってから学んだ関わり方だ。バレット自身、メランやマルコのように言葉を尽くすことは苦手だが、そう言った手荒い方法ならばなんとか出来た。

 

「お前さんがそれと同じぐらいの勢いであの人たちの肩を叩いたら、たぶん骨が折れる。」

 

それにバレットの目が点になった。

確かに当初は海賊団の人間を吹っ飛ばすこともあったが、今ではそんなことはない。確かに痛がられることはあるがその程度だ。

マルコがそれに恐る恐るという体でメランに問うた。

 

「いや、待て。んなことはねえだろう?」

「あのな、マルコ。この子、戦場育ちプラス私以外とまともに関わってこなかったプラス物理的な接触が戦闘ぐらいしかしてこなかった。その答えは?」

「一般人と、関わったことが、ない?」

「話したことはあっても、一般の人を殴ったりとかはなかったから。」

 

二人は顔を見合わせて、バレットを見た。バレットは二人のその顔に恐る恐る聞いた。

 

「・・・そんなに、脆いのか?あの程度で骨が折れるのか?」

 

その問いに二人は渋い顔で頷いた。それにバレットは思わず背後に宇宙を背負った。

え、人間ってそんなに脆いのか?

 

それからバレットはその家族が恐ろしくて仕方が無い。

自分が軽く小突いただけで骨が折れるかもしれないような生物と共同生活をしているのだ。常に足下を子猫が動き回っているかのような緊張感がある。が、幸いなことにバレットが彼らに関わる理由は無い。

彼はそれならばといつも通りにすごそうと思っていたのだが、そうはいかなかった。

 

「バレット君、おはよう。」

「ご飯、出来てるよ。」

「・・・・ああ。」

 

その家族の両親、つまりはホーミングとドルネシアは非常に人なつこかった。

バレットが来るとニコニコしながら話しかけてくる。

マルコなど、普通の人間なら裸足で逃げ出すお前に寄っていくのだから大したものだと言っていた。

非常に失礼だが、バレット自身、そんなにも人に好かれる見目ではないことぐらいは自覚している。だが、二人はバレットはもちろん、マルコにもメランにもニコニコと笑いながら寄っていった。

バレットに話しかけてくるのも偏にくだらない雑談だ。

会ったことがない人種だった。こんな人間がこの世にはいるのだろうかと思った。

 

善良そうで、優しげで、他人の言葉を聞いて、否定することも無い。

 

バレットはそれに、なんとなく、もしも、メランが戦場だとかそんなところではないどこかで生まれればこんな風になっていたのではないかと、そう思えるような二人だった。

彼らには悪意はないし、世間知らずであるが故の無礼があっても、彼らは基本的に善良だった。

メランに育てられたバレットはそんな彼らを邪見に扱うことも出来ず、さりとてなんと答えて良いのかわからず、軽く頷くぐらいで対応している。

けれど、バレットとしてはそれらと向き合うだけで緊張するし、ハラハラする。自分が何気なく動かした手とぶつかって怪我でもしたらどうすればいいのだろうか?

 

そうして、何よりも困り果てるのが。

 

(また来やがった。)

 

バレットは背後からする視線に居心地の悪さを覚える。

 

(なあ、すごいだろ?)

(うん、すごい。)

 

そう言ってバレットの背後で楽しそうな声を上げるのは、ちんまりとした子どもが二人。

いいや、子どもと言うよりも幼児というのが正しい。

バレットはその二人、ドフラミンゴとロシナンテが特に苦手だった。

 

何と言っても彼らは小さく、そうして脆い。大人であるホーミングたちがそれぐらいであるなら、その子どもである二人はもっと脆いはずだ。

バレットは彼らを間違えて蹴飛ばして、内臓が破裂する想像を幾度もするぐらいにはドフラミンゴとロシナンテの近くに行きたくは無かった。

何よりも、その目だ。

 

なんというか、その目で見られると、背中がむずむずするのだと。

すごいだとか、かっこいいとか、そう言った含みが背中にばしばし当たっているような心地がした。

バレットの強さを白ひげ海賊団は認めてくれたけれど、そんな真っ直ぐな視線を寄越してくるものはいなかった。

故郷では妬みの含んだものがあっても、意味合いなど察してしかるべきだろう。

バレットはそのため二人に関わることは滅多に無かった。何と話しかけて良いかもわからないし、理由も無かったのだから。

 

「・・・おそらく、没落した貴族だろうねえ。」

「貴族?」

「そういや、お前さん、貴族になんて会ったことねえよなよい?」

 

それにバレットは頷いた。メランからもちろん、言聞かせられていた。この世には、世界政府に認められた特権階級、例えば加盟国の王族などがいるのだと。

 

「なんだあ、天竜人ってのもいるんだろう?」

「・・・いっとくがねえ、バレット。そいつらには絶対に近寄るなよ。」

「そんなにか?」

「前を横切っただけで死刑確定だ。抵抗すりゃあバスターコール。わかるな?」

 

それにバレットは眉間に皺を寄せた。彼でさえも、なんとなく横暴であるように感じられた。

 

「そいつら、そんなにつええのか?」

「天竜人自体はそこまでじゃねえよい。ただ、あれだ。政府にたてつけねえって話だ。」

 

それにバレットは不満そうな顔をした。なんだか納得がいかない。

 

優秀な存在は多くのものを得るべきだ。それは良くも悪くも実力主義の戦場で理解したことだ。

けれど、バレットの知るホーミングというそれはお世辞にもそういった優秀さは感じられなかった。バレットはその日、洗濯物を干しているホーミングを見た。小さな甲板だ。すぐにそれのことは見つけられた。

自分を見つめるバレットにホーミングは心の底から嬉しそうに微笑んだ。それにバレットは思わず顔をしかめた。

バレットを信用しているのだろう。当たり前だ、そうでなければこれがこの船に乗っているはずがない。

バレットは見れば見るほどにその男をなぜそんなにもメランが気に入っているのかわからない。

メランは今まで、バレットが最優先だった。何をしても彼女は己を優先していた。けれど、そこで疑問が残るのは、目の前のそれ。

何故、それをメランが助けようとしているのかわからない。

 

(・・・あいつは、ただ。)

 

メランにマルコとバレットも問うたのだ。何故だと、そう。

それにメランはどこか苦い顔をして、囁くように言った。

似ていたんだ。

 

何に似ていたのだろうか。

何を、そんなに気になるのだろうか。バレットは目の前のそれをじっと見た。それにホーミングは不思議そうな顔でバレットを見る。

確かにそれは善良だ。けれど、それ以上でも以下でもない。それには、何の価値があるんだろう?

 

「お前、貴族だったんだよな?」

「・・・・そうだね。そんな、ものかな?」

 

苦みの走ったそれに、バレットは気にしなかった。貴族というのは成るのも無理ならば、止めるのも難しいものらしい。ならば、嫌なことでもあるのだろう。

 

「なんつーか、お前みたいなのでも貴族になれるなんて不公平だな。」

 

それは何の悪気も無い言葉だった。素直な、バレットの本心だった。それにホーミングは目を見開き、そうして、そうだねと頷いた

 

「私も、そう思うよ。」

 

そう言ったときの男は、なんだか、いつものにこにこと笑う男とはまったく違えて見えた。なんだか、見つめるのが恐ろしくなるような、そんな深い目を、していて。

ホーミングはそのままとつとつと語り始める。初めて会ったときには背中まであった長い髪は、メランによって切られて肩ほどまである。

 

「それでもねえ。私は、どうしても、自分たちのことが間違っているように思えてならなかったんだ。」

「間違い?」

「そうだなあ。バレット君。バレット君はとても強いよね?」

「?ああ、強いぞ。」

 

バレットは何を当たり前のことを聞いてきたそれをふしぎに思いながら、頷いた。それにホーミングはそうだねえと頷いた。

ばさりと、洗濯物を干しながらホーミングは言葉を続けた。

 

「でも、出来ないことだってあるだろう?例えば、メラン君のように航海術は出来ないし、マルコ君のように医術も出来ない。誰だって、きっと、宝物のように美しいものを持っている。」

でもねえ、と男は悲しそうに笑った。

 

「以前の私は、何も、輝くものなんて一つだって持っていなかった。なのに、私の周りにいた人も、そうして、同胞達はそれでいいと言うんだよ。存在するだけで、価値があるんだと。私はね、私は、きっと。」

それをとても恥じていた。

 

掠れた声で言った男の瞳は、少しだけ、白ひげに似ていた。

とても、苦くて、悲しそうで、その瞳は何かを見たことのある瞳だ。何かを、何か、空しいものを見た、瞳をしていた。

 

「何者にでもなれたんだ。望めば、なんでも手に入った。なのに、なのに、私たちは愚かで、怠惰だった。ただ、何者にもならずにそこにいて。私たちは人間だったのに。どうしようもなく、人間だったのに。なのに、よりよきものであることを放棄した。私は、そんなことを恥じたんだ。」

 

だから、とホーミングは愚かなほどに悲しそうに微笑んだ。

 

「私は彼らと同じになりたくなかった。宝物のようなものを、持つ努力もせずに、己に価値があるのだと。自分たちがよきものであると思う、彼らと。」

 

その言葉の意味を、バレットはよく理解が出来なかった。ただ、彼がそれを血反吐を吐くような思いで言っているのだと思った。その、悲しそうなそれに、バレットはなんだか男のことを慰めたくなった。

 

「・・・・お前の、作る飯、この頃は上手いと思うぞ。」

「ふふふ、それは嬉しいなあ。」

 

ホーミングは顔をほころばせて頷いた。そうして、バレットの顔をのぞき込むように見ながら言った。

 

「バレット君、私はね。人間は独りでは生きていけないのだと思うよ。」

「一人で?」

「そうだよ。この船だって、メラン君やマルコ君がいるからこそ、そうして、君が守ってくれるからだと、私は思う。誰もが、自分の役割をなして、欠けながらでもここにいる。私は、そんな輪の中に入れて、嬉しいんだ。」

 

ホーミングは笑った。よかったと、間違えていなかったと。それを、心底嬉しそうに笑った。それにバレットは、男の言葉があまりにもすがすがしいものだから。

だから、それに頷いてやりたくなった。

何故だろうか、ホーミングのその様に、バレットは、ホーミングというそれを強いと思ったものだから。

 

「お前の、あれだ、嫁の作った服は見事だった。」

「そうだろう?彼女の刺繍の腕は昔から、見事でね。」

 

とつとつと、バレットがそう言えばホーミングは心の底から嬉しそうな顔をして、頷くものだから。

バレットはぼんやりと考える。

 

(俺が、ここにいるのは、メランがいたからなのか?)

 

 

 

「あら、バレット君。」

「ああ。」

 

バレットは目の前の女にぐったりと息を吐きたくなった。何故って、バレットはその女、ドルネシアというそれが何よりも苦手だった。

自分の腕ほどしか無いような胴体だとか、それは殆ど彼にとってのひ弱さの象徴で、自分がぶつかるとバラバラになるのではないかと密かに疑っていた。

 

「バレット君はやんちゃねえ。ほら、あなたの服を縫っていたところなの。」

「そうか。」

 

自分に臆さず話しかけてくるそれのことがバレットは苦手だ。けれど、それと同時に、無碍にも出来なかった。

その女のことを、メランは何よりも気に入っていたようだった。

柔い女を前にすると、メランもまた姦しくなる。自分にはよく理解できない、雑談と言えるものを何時間も手仕事と共にするのだ。

マルコ曰く、女とは本来そんなものらしい。そう言ったとき、メランはひどく、朗らかな顔をしているときがある。

それはバレットにとって、あまり見たことがない類いのそれだった。それを羨ましいと思うことはない。

何故って、それはメランが庇護に置くべきものを前にしたときに浮かべる笑みだった。

柔らかくて、弱い存在を前にしたとき、少しだけ緊張を解くような瞬間のそれ。

 

「なあ、楽しいか、今?」

「あら、どうして?」

「あんたって、前はいろんな奴らにかしずかれて苦労もしなくてよかったんだろう?なら、今って大変じゃねえのか?」

 

それは当たり前のような疑問だった。だって、そうだろう。バレットは、ホーミングの言葉に納得しても、疑問だった。

誰だって、苦労のない生活を望むのが当たり前だ。だって、辛いのも、苦しいのも、嫌だろう?

それにドルネシアは手を止めた。そうして、淡く微笑んだ。

 

「ねえ、バレット君。確かに、前の方が楽だったわあ。でもね、私、今の生活の方が気に入ってるの。」

人の悲鳴を、聞かなくていいから。

 

その言葉にバレットは顔をしかめた。何を言っているのだろうか。目の前のそれは、それからもっとも遠い場所にいるはずなのに。

 

「私のいたところはねえ。自分たちが一番えらくて、そうして、尊いと思ってる人ばかりで。だから、自分たち以外を人だと思っていないから。ひどいこともたくさんできるのお。」

 

散歩をすると、誰かの泣き叫ぶ声を聞いた。鞭で打たれることが怖くて人形のように笑っている不気味なそれを知っている。痛めつけるのが楽しいと、血の臭いがどこからかしていて。

 

「私ねえ、耐えられなかったのお。」

 

間延びした声はどこまでも生々しい。生々しくて、疲れ切った女はただバレットを見ていた。バレットは夢でも見ているんじゃないかと思った。

その女からは、何よりも、遠いもののように思っていたものが、それから語られるものだから。

へんてこな夢を、見ている気分だった。

それに女は、ドルネシアは、バレットに微笑んだ。

 

「だから、ほっとしてるのお。もう、ね。人を遊びで撃つことを止めてもいいしぃ、誰かの悲鳴を滑稽だって笑わなくていいしぃ。私ねえ、ずっと、苦しかったから。」

生まれてから、ずっと。私の周りに、人間なんていなかったの。

 

とても、壮絶なそれを、女は淡々と語った。語って、静かに言った。

 

「感謝しているわ。メランちゃんには、とても言い様がないほどに感謝しているの。あの子はね、私たちのことを笑わなかったわ。私たちを、人間と言ってくれた。夫のことを、愚かだと言わなかった。」

私、ようやく、楽しいと思うことで笑えるの。悲しいことで悲しいと言えるの。怒っていいの。だから、嬉しいわ。

 

夢を見るような赤い瞳を細めて、ドルネシアは笑った。そうして、バレットに言った。

 

「あなたは優しい人ねえ。」

私のためにそんな顔をしてくれて。

 

バレットはその時、自分がどんな顔をしているのか、とんとわからなかった。

 

 

ドンキホーテ一族はバレットにとって不思議で仕方が無かった。幼すぎるロシナンテと、そうして、警戒心の強いドフラミンゴは置いておいても。

二人の両親は、時折、ひどく、深い瞳をするのだ。深くて、ぞっとするぐらい静かな瞳をする。

それはバレットにとって会ったことがない人間だった。

毛並みが良いというのはこう言ったものなのだろうと。けれど、その瞳の奥にある、奇妙な苦さは彼にとってよく知らないものだった。

ただ、なんとなくではあるけれど、ホーミングという男と、ドルネシアという人間はどうも、弱くは無いのだろうとそれだけは理解した。

 



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Who are you?

お久しぶりです、ちょっと短めになります。
感想、評価ありがとうございます。感想いただけましたら嬉しいです。


 

 

「・・・ドフラミンゴ、私の側を離れるなよ。」

「わかってる!」

 

メランのそれにドフラミンゴは思いっきり顔をしかめた。

 

 

その日、そこそこの規模の島をドフラミンゴたちは訪れていた。なんでも、島の反対側は普通の町なのだが、反対側は繁華街で有り、海賊達の巣窟になっているそうだ。

ドフラミンゴたちは現在、普通の町の方にやってきていた。

 

「本当なら、出来れば寄りたくないんだが。」

 

その日の買い出しにはメランと、そうしてドフラミンゴしかいなかった。普段ならば、金の使い方や物価を知るために父であるホーミングや、荷物持ちとしてダグラス・バレットも同行するのだが。

その日はメランとドフラミンゴだけだった。

理由は、繁華街の方に悪名高い海賊が来ているそうだ。ドフラミンゴは誰のことなのか知らされていなかったが、メラン達が接触をひどく嫌がっていたために彼らと敵対している海賊でもいるのだろうと予想はしていた。

そのため、できるだけ身軽に動けるようにということと、あまり顔が売れていないらしいメランが行くことになった。

 

「最低限の物だけ買ってさっさと帰るからな?」

「わかってるって言ってるだろうが!」

「・・・そうだな、すまん。どうしても落ち着かなくて。」

 

メランの不安げなそれにドフラミンゴは本当に、その顔を合わせたくない存在というのが厄介なのかを理解した。

そのまま、買い出し自体は滞りなく進んだ。幾つかの薬と、調味料を買い、帰路につく。

今回、買い物の支払いなどはドフラミンゴが行った。金銭を使う練習を彼もしなければいけないだろうと、メランが行わせたのだ。

 

「これは、買った。これも・・・」

 

ぶつぶつと渡されたメモを確認するドフラミンゴにメランは少しだけ息を吐いた。

 

「・・・ドフラミンゴ。」

 

声をかければ、その少年は恐る恐ると振り返った。

 

「少しだけ、寄り道していくか?」

 

 

 

それは、幼い少年と、そうして生きることに真摯であろうとする竜達への甘やかしだった。長い間、船に揺られてストレスも溜まっているだろうと、メランは菓子でも買って帰ろうと提案をした。

それにドフラミンゴはにこにこと笑い、母と弟が好きな菓子の話をしていた。

そういった所は、心底、幼い子どもであるのだ。それに、メランはそっと視線を地面に這わせた。

 

(私は、いったい、どれだけを、変えているんだろうか。)

 

本来ならば、この子どもは今頃、ゴミ溜めの中で生きていて、その母である暢気な女は死んでいて、楽しそうに笑うその父は息子に殺されているはずだった。

 

後悔しているのか?

メランはぼんやりと、その己の中に広がる問いかけに首を振った。

そんなものはない。

それを救ったことは、メラン自身の肯定のために必要なことだった。ただ、ドフラミンゴは必要だった。それは、主人公達への問いかけで有り、この世の不条理をどこまでもエンターテイメントとして彩る存在。

 

(お前は、これからどう生きていくんだろうか。)

 

誰が言ったのだろうか。

子どもとは、誰にも称えられる聖者としての可能性と、どこまでも残酷に人々に唾棄されるべき悪党の可能性を孕んでいるのだと。それ故に、人生とは美しく、楽しいのだと。

 

弾むような足取りは、やはりどこまでも幼い子どもだ。けれど、それはいつかに、散々に誰かに嫌われるのだろうか。

それをやるせないと思う自分は傲慢なのだろうかと、メランは思う。

 

(私がいることでお前の先は変わるのか。それとも、私がいても何も変わらないのか。)

 

メラン自身、いわゆる原作を直接的に変えられたという自覚はない。彼女の知らない筋書きが確実に変わろうとしていても、知らないのだから当たり前なのだが。

 

「おい、どうしたんだ?」

「・・・いいや。なんでもない。」

 

メランのそれにドフラミンゴは不思議そうな顔をしたが、彼女はそれを無視した。今は、土産を何にするか、それだけを考えれば良いだろうと。

 

 

(くそが!)

「おい、急にどうしたんだ!?」

「黙ってろ!」

 

メランは慌てて路地にその身を隠していた。視線の先、大通りにはそうだ、赤い髪の少年がいた。

 

(赤髪だと?くそ、子どもだからこっちの町まで来たのか!)

「ドフラミンゴ、すぐに船に帰るぞ。」

「はあ、なんでだえ!?菓子は?」

「・・・・それは次の機会だ。」

(子どもとは言え海賊だ。保護者の存在は薄いが。警戒するに越したことはない。)

「やだ!」

「はあ!?」

 

メランは己の腕の中で珍しく暴れて自分を睨む少年に驚いた。

メランがドフラミンゴにわかりやすく威圧的に、そうして、厳しく接してきたのは、少年の生意気な在り方を正すのと同時に、上下関係を叩き込むためだ。

咄嗟の時、ドフラミンゴの傲慢さは彼の命を危うくすることぐらい、メランにだってわかっていたことだ。

それ故に、ドフラミンゴがそうやって己に反抗したことに驚いてしまった。

 

「ロシーと母上に土産を買って帰るんだ!」

「今はそんなときじゃないんだ!」

「お前が言ったんだろう!」

「ドンキホーテ・ドフラミンゴ、私の言葉が聞けないのか?」

 

わざと圧を出すように言えば、子どもは怯えた様子を見せる。そんなとき、メランはぞわりと、背筋に寒気を覚えた。

 

(・・・やってしまった。)

 

メランの見聞色の覇気は高いレベルを有しているのは確かだ。けれど、それはあくまでメランにとって敵意を持っていたり、常時殺気でも放っていたりする者が対象になる。

メランは理解する。まるで、猛獣を前にした幼子のような精神で、近づいてくる存在に足がすくんでいた。

 

「メラン?」

「おい、ドフィ・・・・」

 

歯が鳴る、体がすくむ、一言を発するのも辛い。路地裏をのぞき込むように、何かが自分たちをのぞき込む。

目の前で自分の背後を見て、怯えるドフラミンゴの姿が見えた。

 

「おお、なんだあ。聞き慣れねえのが聞こえてきたと思ったが。」

 

メランは上手く動かない体に渇を入れて、切実に、そうでないことを願った。

けれど、後ろにいたのは、ここには絶対来ないであろうと思っていた、偉丈夫。

 

「へえ、なんだ。変わったのがいるな。」

(なんで、いるんだよ!)

 

ゴール・D・ロジャーがその島に滞在しているのは知っていた。けれど、今後の後悔を考えれば、どうしても買っておかねばならない物があった。

 

(こちらに来る可能性なんてないと思ってたのに!)

「あ、あ、なん、で・・・・」

「うん、ほう、こいつは、また。だが、このノイズみてえなのの正体は。」

 

メランはその、目が己に向けられることを理解した。直接的に己に向けられたその瞳に、メランは目の前の男の脅威といえる感覚を理解した。

 

ロジャーの目的は?なぜここにいる?自分たちをどうするんだ?いいや、ドフラミンゴの正体はばれているのか?目の前のそれを刺激しない方法は?白ひげ海賊団に迷惑がかかる可能性は?

 

頭の中でぐるぐると駆け回る懸念事項。けれど、それよりも先に、メランは自分が何をすべきか判断し、行動に移した。

メランは何のためらいもなく、ドフラミンゴの服を掴み、そうして放り投げた。そうして、叫ぶ。

 

「振り返るな!走れ!!」

 

足音が聞こえる。

 

(ドフラミンゴは逃がした。後は・・・・)

「おいおい、んな逃がさなくてもいいじゃねえか。」

「・・・残念ながら、あんたを前にしてびびらねえ奴なんざいないと思いますがね。ゴール・D・ロジャー殿。」

 

皮肉交じりにそう言えば、何故かロジャーは驚いたような顔をした。それにメランが何故だと眉間に皺を寄せるが、ロジャーは愉快そうに笑った。

 

「はっはっはっは!お前、その名前をどこで知ったんだ?」

「何を・・・・」

「政府はな、俺の名前を間違えて、ゴールド・ロジャーつって公表してんだよ。」

おい、がきんちょ、どこでそれを知ったんだ?

 

しまった。

メランは己の失態を恥じた。いいや、恥じる暇など無い。メランはその場に持っていた煙幕を叩きつけた。辺りに煙が立ち上る。それに乗じてメランはその場から離れようと足を動かした。

今、自分を捕獲しようとしてか、ロジャーの動きは確実に彼女の見聞色に反応していた。

侮っていたのだ、予測できれば避けられるなんて、そんな甘ったれたことを。

体に衝撃が走った、叩きつけられる感触が体にまざまざと広がる。

 

「やべ!」

 

そんな声と共にメランの思考はブラックアウトした。

 

 

 

(ああ。)

 

珍しいなと思った。メランはぼんやりと夢うつつでそんなことを考えた。

父の背中に、背負われている。暖かくて、大きな背中にメランは前世の夢を見ているのだと思った。

もう、顔も、名前も、どう読んでいたのかも思い出せない父なのだと、何故か思った。

だって、その背中はひどく安心するものなのだ。

きっと、守ってくれるのだと、きっと、なんの憂いも抱かなくていいのだと、そんな確信をくれる。

 

(・・・・今まで、見なかったのになあ。)

 

意外だと、掠れた思考で考えて、それでも久方ぶりの父の気配にメランは淡く微笑んだ。

 

おとうさん。

 

ぼんやりと、そう呼んだ。それに、その背中が大げさに震えた。その仕草が可笑しくて、メランは笑いながらもう一度言った。

 

おとうさん、だいすき。

 

それにやっぱりその背中は動揺するように強ばった気がした。けれど、その不器用さが愛おしくて、メランは淡く微笑みながらまた眠りに落ちていった。

 

 

 

「・・・だから、ダメに決まってるだろうが!!」

「いいじゃねえか!」

 

何かの怒鳴り声に眼を覚ました。体中がずきずきと、全体的に痛んでいた。ゆっくりと目を開くと、まったく知らない天井があった。

 

「お前な!」

「お!眼を覚ましたぞ!」

 

メランは自分が何やら、上等なソファか何かに寝かされてることを理解した。ベルベットの、肌触りのいいそれにメランは起き上がり、声の方を見た。

 

「よしよし、体は大丈夫かあ?」

「お前が吹っ飛ばしたんだろうが!」

 

目の前にいたのは、メランには見覚えのある男が二人。一人は、先ほど会ったゴール・D・ロジャー。もう一人は、その相棒であるシルバーズ・レイリー。

 

メランはそれに痛む体に鞭を打ち、二人から離れた場所に飛んだ。そうして、腰に差したはずのタガーに手を伸ばそうとしたが、そこにはあるはずのものがない。

 

「すまないが、お嬢さん。武器に関しては取り上げさせて貰っている。」

「・・・・ほう、歓迎と言うにはなかなか手荒なことをしたな。」

 

メランが周りを見回すと、どうも船長室のような部屋であることを理解した。それにメランは自分がオーロ・ジャクソン号にいることを理解した。

 

「それについてはすまないな。だが、こちらとしても不本意で。」

「おい、お前、名前なんていうんだ?」

 

レイリーのそれに被せるようにロジャーが言った。メランは顔をしかめた。

 

「名乗る理由もないはずだ。何よりも、あなたは私をどうする気だ?」

 

メランが白ひげ海賊団に滞在している間、目の前のそれを接触する機会はなかった。そうして、未だ手配書も作られていない。ならば、彼らにとって自分をわざわざ船に招き入れる意味は何だ?

そう思っていたメランにロジャーが楽しそうに言った。

 

「何言ってんだ、娘の名前を知らねえ親なんていねえだろうが。」

 

メランははあ?と顔に書かれていそうな表情でロジャーを見た。そうして、それにレイリーが頭を抱えてため息を吐いた。

 

「娘?」

「ああ!俺の娘だ!」

 

メランは完全にしらけた目をして、無言で二人に背を向けた。

 

「おつかれっしたー。」

 

やる気の無いバイトのようなそれに、ロジャーが慌ててメランを引き留める。

 

「おい、どこ行くんだよ!」

「どこでもねえよ!帰るんだよ!」

「俺の娘なんだから、お前の家はここだろうが!」

「娘じゃねえよ!何をどうしてそんなんになってんだよ!?私は、あんたと縁もゆかりもねえんですよ!!」

 

目の前のそれへの警戒心なんて放り捨てて、メランは己の腰を掴んだ大男に怒鳴った。そうして、レイリーに矛先を変えた。

 

「シルバーズ・レイリー。あんたの船長だろうが、なんとかしてくれ!」

「はあ、お嬢さん。何とかしようと、今まで話をしていたんだがね。それがどうしても聞かないんだよ。」

「何言ってんだ。お前が言ったんだろうが。」

「何を・・・・」

「お前が。俺のことを。お父さんってよ。」

 

それにメランは目を見開いた。

あの夢、そうだ、あの夢は現実で。自分はこの男の背に揺られていたと言うことで。

目の前の破天荒なそれを父と間違えたことにメランはどうしようもなくショックを受けてしまい。思わず固まった。

 

「だからって本当に娘にするなんて出来るはずがないだろうが!」

「やだ!!」

「子どもか!」

「そう決めたんだ!いいじゃねえか!お前も言われてみろよ。」

 

ロジャーは鼻の下をこすりながら、良い笑顔で言った。

 

「お父さんって女の子に言われるの、いいぞ。」

「言ってることが気色悪い親父みたいだぞ?」

 

そんなことを無視して、ロジャーは上機嫌でメランを俵担ぎにした。

 

「うおっ!?」

「そうと決まりゃあ、船の奴らに紹介するぞ!」

「おいいいいい!離せ!私は受け入れていない!父親なんて何言ってるんだ!?」

 

メランは必死に暴れるが、海賊王なんて呼ばれる男の拘束から逃れられるはずもない。レイリーはそれを呆れた顔でついて行く。

 

「おい!お前ら!」

 

メランは甲板に着くまで、これ以上無いほどに暴れたが、ロジャーはどこ吹く風でそのまま歩き続ける。息切れの中、出た甲板には多くの船員達がいた。

その中には、メランもよく知る未来の四皇もいた。

暴れすぎて息切れをしている中で、ロジャーが言った。

 

「見ろ、こいつ、俺の娘にするからな!今日から船に乗るぞ!」

「はあ!?」

「おいおい、まじか!」

「いつの間に娘なんて作ってたんだよ!?」

 

その言葉にわらわらと群がってくる船員に、メランは等々かちぎれながら、ロジャーの耳を引っ張った。

 

「おい、ごら放せ!」

「いててててててて!!暴れんなよ!」

「暴れるわ!急に攫われて、娘にするとか意味のわからんこと言われて、キレん奴がいるなら連れてこい!大体、お父さんって呼ばれたいだけなら他に適任がいるだろうが!!」

 

船員達は、ロジャーにそこまでする少女を恐れるものや、笑う者など様々だ。ロジャーは耳を引っ張られながら言った。

 

「いいや!俺はお前が気に入ったんだよ!」

「何を・・・」

「お前は。俺が見てきた中で一番、聞いたことのねえ声がする。」

 

それにメランは動きを止めた。

 

「いいじゃねえ、おもしれえ。ここまで旅を続けて、こんな、知らねえことに会えるなんて思ってなかったぞ!俺は、お前がなんなのか、気になるんだよ!」

 

Who are you?

 

それは、何よりも、メランにする問いの中で彼女にとって知られることを恐れているものだった。

お前は何だ?

 

「私は、そんな、何者でも。」

「いいや、わかる。何かが、お前にノイズをかけてやがる。お前が何かであることを隠そうってな。」

 

目が、己を黄昏色のそれが、己を見ている。

知らない、自分が何者であるのかなんて、そんなこと、知るはずがない。教えて欲しいぐらいだ。

どうして、自分は生きているのかを、メランが誰よりも。

 

唐突に、ずっと恐れていた、胸の内をのぞき込まれ、メランはその男を見つめた。けれど、ロジャーはにっかりと笑って、そうして言った。

 

「何よりも、だ。お前はこんなにおもしれえのに、なんでそんなにつまんねえ顔してんだよ。」

 

そういって、ロジャーはメランのことを持ち上げた。まるで、幼い子どもをあやすように、ロジャーはメランに笑いかけたのだ。

 

「安心しろよ、娘。俺もさほど時間があるわけじゃねえが。こんなにも面白そうなお前が、そんなしらけた顔して、死にそうな顔してるなんざ間違ってるだろう?」

 

ロジャーのそれを理解できる船員はいなかった。ただ。彼がそう言うのなら、きっと、意味があるのだろうと、船長を信頼する彼らは黙って聞いていた。

 

「なあ、お前、俺と一緒に来いよ!せっかくそうやって息してんだ。そんな退屈な顔してねえで、俺と来い!」

 

メランはそれに黙り込んだ。だって、どんな顔をして良いのか、わからなかった。

間違っている?そんな死にそうな顔で?

 

「そんなこと、許されるはずがない!」

 

叩きつけるように言ったそれに、甲板に沈黙が走った。

 

「許されるはずがない!何を持ってそれが許される!?退屈な顔?退屈を感じることだって、私には許されるはずがない!」

前世の善性が、彼女にがなり立てる。

血の染みた手が、彼女を嘲笑っている。

どんな権利がある?何を持って許される?獣のごとく、生きたいと、それだけのために、大義もなく、ただ、ただ、人を殺し続けた己に。

 

「自分の幸せなんて、私に許されるはずがない。」

 

茫然と、まるで、今にも泣き出しそうなメランにロジャーは不機嫌そうな顔をした。そうして、ずいっと顔をのぞき込んだ。

そうして、笑うのだ。

 

「いいじゃねえか!」

 

何故って?

 

「そっちのほうが、楽しいに決まってるだろう!?」

 

メランはそれに、ああと思う。

それは、ダグラス・バレットのようなメランのことを慰めた蝋燭の光ではなく。

それは、白髭のようなメランの冷え切った体を慰めるたき火の熱ではなく。

それは、マルコのようにメランに寄り添ってくれるカンテラのささやかさではなく。

 

まるで、何もかも、燃やし尽くして、全てを新しく変えてしまうような豪火のような熱だった。

 



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正しさの証明

感想や評価などありがとうございます。
ドフラミンゴとホーミングの話しになります。

感想いただけましたらうれしいです。


どうして?

ドンキホーテ・ドフラミンゴは、全速力で元来た道を走り抜ける。

脳裏には、世間知らずなドフラミンゴさえも知っている大物海賊の顔だ。

それが同じ島にいることは知っていた。けれど、繁華街がある反対側から出ることはないだろうと言っているのだって聞いた。

どうして、それがこの島にいるのだ?

そう思うと同時に、思い浮かぶのは、一人の女の後ろ姿。

 

逃げろ、逃げろ!

 

その言葉が、耳の奥で反響する。

どうして?

脳裏にあるのは、それだけで。

 

「どうして、庇ったんだよ!」

 

わからない、わからない、その意味を頭が拒否する。それでも、ドフラミンゴは女が叫んだその言葉のままに走る。

 

 

 

「ドフィ?」

 

その日、ホーミングはその日、船で留守番をしていた。丁度、日が傾き、もうすぐ夕方が来るだろうと時間だ。干していた洗濯物を取り込んでいたとき、町の方から走ってくる息子の姿を見つけた。ホーミングは慌てて船から飛び降りて、息子を迎えに行った。

 

「ドフィ、どうしたんだい?それに、メランはどうしたんだ?」

 

慌てた父のそれに、ドフラミンゴは荒い息のまま答えた。

 

「メランが、メランが!」

 

ただ泣きじゃくる息子をホーミングは慌てて船に連れ帰った。

 

 

「ロジャーが!?」

 

話を聞いたマルコが頭を抱える。もちろん、彼とてオーロ・ジャクソン号が来ているのも知っていた。だからこそ、万が一を考えてマルコは船に残ったのだ。

おそらく、主戦力は全員繁華街の方に向かうだろう。それと同時に、メラン達が向かったのはおそらく下っ端で、暴れて名が知れているダグラス・バレットは無理でも、メランならば誰に会っても切り抜けられると思ったためだ。

 

「・・・・メランは、帰ってないのか?」

「はい、まだ。この子だけ。」

 

バレットは黙り込んだまま、部屋に座っている。マルコにとって怒りのままに飛び出していかないことだけはありがたかった。

 

(どうする?)

 

マルコは悩むように顔を歪めた。

 

「・・・・ドフラミンゴ。」

 

マルコのそれにドフラミンゴは肩をふるわせた。ドフラミンゴの肩を抱きしめたドルネシアが不安そうにマルコを見た。

それにマルコは安心させるように首を振る。

 

「ロジャーがどんな様子だったのか、知りたいんだよい。」

「ですが、海賊として相当名前が。」

「まあ、地雷を踏まなきゃ、乱暴なことなんてしねえ。それに、あっちはメランのことを知らねえだろうからな。ただな、あの警戒心のたけえメランが帰ってきてねえのが気になる。」

 

そうだ、ゴール・D・ロジャーは確かに気安い方ではあるが、それはそれとしてただメランが男の興味を引く理由がわからない。

バレットならばわかる。ロジャーにとってわかりやすい、面白そうな存在だろう。

 

「ロジャーに会ったとき、何か言ってなかったか?」

 

それにドフラミンゴは肩をふるわせた。

 

「どうかしたのか?」

 

マルコの言葉にドフラミンゴの中でロジャーの言葉が反芻する。

 

変わったのがいるな。

 

その言葉の意味。メランではない。彼女はどこまでも、見た目だけならば変わったなんて言葉は似合わない。

ならば、ならば、変わった、異端者であると示されたのは誰なのか?

 

 

声が、耳の奥でこだまする。ずっと、こだまする。

それは怨嗟の声だ、それは憎しみの言葉だ、それは、それは、自分たちを害する悪意だ。

 

あの男が、かの海賊が狙っていたのは自分たちだ。

この世界の異端者であると、それが、自分が興味を引いた。

言えない、言えるわけがない。

ようやく、母も元気になって、弟も殴られることもなく過ごせるというのに。

 

いいか、けして自分の正体を言ってはいけない。それは、マルコも、そうしてバレットにもだ。

わかるな?

ドンキホーテ・ドフラミンゴ、お前は賢い。己たちの存在、それがこの世界にとってなんであるのか。お前はもう理解しているのだろう。

 

わかっている、わかっている。

わかっているから、黙っていた。

 

マルコは自分たちに優しくしてくれた。きっと、母の病気を治してくれたのも、父のことを気遣ってくれたのも、マルコは優しかった。

 

海賊は恐ろしい。彼らは下々の民の中で、際だって下劣で愚かで、醜い。

そう、聞いた。

けれど、どうだろうか。

正体を知らないとして、それでも、縁もゆかりもない自分たちに彼は優しかった。

正体を知らせれば、どうなる?

豹変する人間の恐ろしさを知っている。狂って、歪んで、憎んで、自分を見る目を覚えている。

だから、だから、言えない。言えるわけ無い。

もう、あんな、あんなこと。

 

ドフラミンゴ。

 

なのに、母の腕の中で、震えている自分の耳には、声が、聞こえるのだ。

 

厳しくて、怖くて、冷たくて。

気にくわない、嫌な、奴。

 

ねえ、どうして?

心の中で聞いた。

いいや、ずっと、どうしてと問い続けていた。天竜人がどんな風に思われているのか十分に理解していた。

だから、その女が、自分たちにここまで心を砕くのか。

ずっと、問うていた。

哀れだった?悲劇自体が憎かった?いいや、もっと違う理由だった?

 

ホーミングの持った、自分たちの不幸の始まり、けれど、その女はその父の愚かさこそが自分たちを助けた理由だと言った。

意味がわからない。

なあ、どうして?

どうして、助けたんだ?

 

なのに、なのに、それでも。

 

行こう、この世界は地獄だけれど。

 

あの日、ゴミ溜めの中で、あばら屋を開けた自分たちに海色の髪をした女が手を差し出した。

 

それでも、お前はまだ悪い子じゃないのなら。

 

厳しくて、怖くて、冷たくて。

頬を、ぼたぼたと、暖かい何かが流れていく。

 

「ドフィ?」

 

母の声がする。父が、心配そうに己の背中を撫でてくれている。

 

見捨ててしまえ、黙り込んでしまえ、だって、あんなに目にあいたくなんてないだろう?

このお人好し達はこのまま黙っていたって自分たちを見捨てないだろう?

 

わかっている、そんなこと、わかっている。

ドフラミンゴの頬を、温かなそれが流れていく。

抱きしめた母の体は、すっかり、柔らかくて、温かなそれに戻っていた。

 

私は、お前に幸せになって欲しいと思う。だから、一緒に行こう。

 

この世界がどうして自分に冷たくて、厳しいか、わかっていたのに。

それでも、その女は、誰よりも自分たちに優しかったから。

ああ、だから、思ってしまった。愚かだと、馬鹿なことだと、思っていたのに。

それなのに。

 

脳裏に、サングラスの硝子に、微笑む女が、海色の髪と、月色の瞳としたそれが、これ以上無いぐらいに優しく笑っていたものだから。

 

裏切りたくない。あの、優しい女を、裏切りたくなかった。

 

「お゛れの、お゛れたちの、せいだ。」

 

その言葉にマルコたちの視線がドフラミンゴに向けられる。それに恐怖を覚える。きっと、その目が憎悪に濡れると、父と母たちを危険にさらすのだと、そう思っても。

ドフラミンゴはどうしても、あの女を裏切りたくなかった。

 

「ゴールド・ロジャーが、言ったんだ。変わったのがいるって。それは、俺たちが・・・・」

 

それにホーミングも、そうして、ドルネシアも何も言わなかった。自分たちのせいだと、その幼子が言ったとき、ゴールド・ロジャーが何故、メランたちに声をかけたのか理解できた。

自分たちの正体をさらすことの意味はわかっていた。

けれど、それでも、止めることなど出来なかった。

 

メランのしてくれたことが、どんなことかわかっていればなおさらに。

 

「言うな。」

 

自分たちの言葉が止められたことにドフラミンゴたちは驚いた。

 

「おい、バレット!」

「別に言う必要はねえだろう。」

「言う必要がねえって!」

「メランは、聞くなって言っただろう。」

 

バレットは熱のない声でそう言った。それにマルコは一瞬だけ言葉を無くす。けれど、すぐに言葉を荒げた。

 

「確かに、メランはそう言ったよい!そうは言っても、今、メランが帰ってこないことはロジャーが関わってる可能性が高いよい!その理由がわからなければ、動くのは!」

「俺が行く。」

「はあああああああああああ!?」

 

マルコは度肝を抜かれた。

バレットは別段、どうだってないというように立ち上がった。

 

「お、おま!何言ってるのかわかってるのかよい!?」

「何がだ?」

「いいか!ロジャーは親父と同等の強さを持ってるんだぞ!?お前は確かに強いよい!だがな、親父に勝てねえお前に、何が出来るんだ?」

「何が出来るかじゃねえ、仲間に手え出されてお前は黙って見ておくのか?」

 

バレットのそれにマルコは目を見開いた。バレットはそう言った後、マルコのことをじっと見た。

 

「メランがいなくなった理由が、ロジャーって海賊に関係してるのか、決まったわけじゃねえだろう。それに、だ。そいつらが何者だからって理由でメランが攫われたとして、だ。理由がわかって解決することでもねえだろう。」

「・・・・この状況で。メランが帰ってこねえ理由はそれだけのはずだ。」

「わざわざあいつが聞くなって言ってんだ。なら、聞く必要がねえ。理由が何だろうと、俺たちがすることは変わらねえだろう。」

 

マルコは大きくため息をついた。それは確かに道理だ。

例え、目の前の彼らのせいでロジャーがメランを攫ったとして。

負の面で彼らがロジャーの怒りを買ったと言うことはありえない。そうであるのなら、ロジャーという男の性格からしてこんなまどろっこしいまねをしない。

ならば、良くも悪くもロジャーの興味を引くようなことがあるとして、理由を知ってもどうしようもない。

 

(いいや、だが!そうであるとして、ロジャー海賊団に勝てる可能性がない。自分の興味を引いた存在を、ロジャーが手放す可能性もねえよい!)

 

どうする?

メランが逃げだすことは、いいや、あの海賊団から逃げ出せるほどの力量がそれにあるのか?

 

「・・・・聞かないのか?」

 

悩んでいるマルコにホーミングが言葉をかけた。それにマルコは、その、怯えて、けれど、罪悪感に塗れた瞳。

 

「私たちは、その。」

 

それにマルコはああ、と頭が冷える気分だった。その表情にバレットも理解するように頷いた。

 

聞かないでくれ。彼らが何者であるのか、それだけは聞かないでくれ。

何故?

たった一つだけ言えるのは、私は彼らに幸せになって欲しいんだ。私を信じてくれ。

 

「ああ、そうだった。」

「マルコ君?」

「きかねえよい。」

「え?」

「妹が、信じてくれって言ったんだ。あいつのことを信じて、お前らが何者か聞かねえよ。少なくとも、おれあ、あんたが気の良いおっさんだってわかってるからねい。」

 

ホーミングたちは目を見開いた。それにマルコはバレットを見る。

 

「・・・行くのか?」

「ああ、行く。俺が暴れりゃ、あいつが逃げる隙はできる。」

「お前なら、逃げるぐらいの余裕があるか。失敗したらどうする気だ?」

 

それにバレットは少しだけ覚悟を決めた顔をした。

 

「・・・・白ひげのおっさんに頼る。」

 

それにマルコはがちりと固まった。

本音を言えば、絶対にしたくないことだった。

親父を名乗る彼が怒ったらどうなるのか?

もちろん、めちゃくちゃに怖いのだ。

理由を話せば、ある程度こちらのことも汲んでくれるだろうが。それはそれとして、叱られるのは確実だ。

おまけに、親父だけではない、年長者組に勝手に行動したことや難破して連絡が取れないと心配をかけたこと。

絶対的にひどく叱られるだろう。

けれど、自分たちの手に余ることではあると理解も出来る。

 

「いいか、俺が行く。それで、夜明けまで帰らなかったら船に向かえ。」

「お前、ロジャーに。」

「信じろ。」

 

短いそれにマルコと、そうしてバレットの視線が重なる。それに、ああ、それに。

二人はうなずき合った。

バレットはそのまま、部屋から出ていった。

 

「マルコ君!バレット君は!」

「・・・・ホーミングのおっさんは休んどけ。他の奴もだ。夜明けにはここを出る。安心しろ、あんたたちだってわかるだろう?あいつはつええからな。」

 

マルコはそう言った後、ドフラミンゴに視線を合わせるように微笑んだ。

 

「安心しろ。」

「でも・・・・」

「何も心配しなくていいよい。」

だから、そんな顔をするなよい。

 

マルコはそう言った後、そのまま準備のために部屋を出て行く。

 

「はーうえ?メランのおねえちゃんは?」

 

今まで黙っていたロシナンテが不安のために口を開く。

それにドフラミンゴはさらに泣きそうな顔で床に視線を向けた。

 

それに、その光景にホーミングは少しだけ、姿勢を正した。ぐっと、背筋を伸ばして、そうして、天井に視線を向ける。

そこには、今ではすっかり馴染んでしまった天井がある。

淡く笑った。

ホーミングは、それに、静かに微笑んだ。

 

「・・・・皆、少し、話を聞いてくれるかい?」

 

ホーミングは蹲った自分の家族に話しかける。それに三人はホーミングの方を見た。

ホーミングはそれに、微笑んだ。やっぱり、微笑んだ。

淡い金の髪に、赤い瞳。

愛しい存在だ。愛しくて、傲慢なことにこんな地獄に連れてきてしまった。

それを、後悔して、けれど、やっぱりここまで共に来れたことに嬉しいなんて思ってしまって。

 

「私はこれからバレット君を追いかけるよ。」

「あなた!」

「父上、どういうことだ!?」

「・・・・海賊、ゴールド・ロジャーのことは知っている。ひどく凶暴で、そうして、今、この海でもっとも勢いのある海賊だ。おそらく、あの島の経路で私たちのことを、いいや、ドフィのことを知ったのだろう。なら、少なくとも、目的の存在がいれば取引材料にはなるはずだ。」

「そんなことを、だって、父上が・・・・」

 

ホーミングはドフラミンゴの頭をそっと撫でた。あやすように抱きしめた。しっかり者の長男は、まぬけな自分のせいでひどく苦労させて、甘えてくれることもなかった。

ホーミングは自分の妻を見た。自分のせいで、ひどく苦労させて、けれど、あの地獄で、ようやく得た理解者の存在にホーミングは微笑みかけた。

 

「行かれるのですか?」

「ああ、すまない、とても、苦労ばかりかけて。」

「・・・・どうしても、ですか?」

 

それにホーミングは淡く笑うだけで済ませる。そうして、次にロシナンテが裾を引く。

 

「ちーうえ?どこか、いくの?」

 

ホーミングはそれに、ドフラミンゴと、そうしてロシナンテの肩を抱きしめた。

 

「ドフィ、ロシー、もしかしたら、少し難しいと思うかも知れない。けれど、よく、聞いておくれ。」

 

ホーミングは話をしようと思った。これが、きっと最後だから。

 

「お前達は、私のことを愚かだと思っているかも知れないね。私の、愚かで傲慢な考えのせいで散々に苦労をかけたね。」

 

それにドフラミンゴは黙り込む、その言葉は確かに事実だった。

事実で、どうしようもなく、事実で。黙り込んだドフラミンゴにホーミングは淡く微笑んだ。

 

「・・・・私も愚かなことをしたと思った。そのせいで、お前はとても酷い目にあった。でもね、一つだけ、覚えておいて欲しいんだ。」

私はね、後悔していないんだ。

 

その言葉にドフラミンゴは顔を上げた。怒りだとか、恨みだとか、そういった感情ではなくて、ただ、どんな顔をしているのだろうかと。

それだけが、気になって。

 

ホーミングは、笑っていた。これ以上無いほどに清々しい笑みを浮かべていた。そうして、ドフラミンゴを見て目を細めた。

 

「海に来て、私たちは散々に酷いことをしていて。だからこそ、人々の怒りは正当だった。私はその意味を理解していなかった。でもね、後悔だけはしない。」

「どうして?」

「・・・・それでも、あの子は、私を人と言ってくれたから。」

 

それに、それに、ドフラミンゴはなんと言えば良かったのだろうか。

 

お前は人間だ。どうしようもなく、痛みを負い、飢え、苦しむ心を抱えているお前は、どうしようもなく人間だ。

 

頭の中で、こだまする、一人の少女の冷たい、けれど泣きたくなるほど優しい声。

 

「ドフラミンゴ、メランはお前に優しかったかい?」

「・・・・優しかった。」

「私たちがどんな存在であるか知ってなお、あの子は優しかっただろう?」

「・・・・ああ。」

「酷いことをしてくる人々は多くいた。でもね、それでも、私を人と言ってくれた。私たちを、人として、あの子は扱ってくれた。何の地位も、価値もない私たちを人だと言ってくれた。」

私は、これから死ぬだろう。それでもね、これだけは覚えておいて欲しい。

 

ホーミングは、ドフラミンゴとロシナンテ、そうして、妻であるドルネシアを抱きしめた。

 

「私は、けして、後悔していない。お前達に苦労をかけて、それでも、後悔は出来ない。私たちのために命を賭けてくれた、あの子のために後悔だけは出来ないから。ドフィ、ロシー、お前達は私のことを恨むだろう、憎むだろう。けれど、それでいい。でも、これだけは覚えておいて欲しい。どうか、あの子の善意に、幸せになって欲しいと願ってくれた正しさに、どうか報いる子であってほしい。」

 

ドフラミンゴは、それに、自分から離れていくホーミングを茫然と見送った。

 

「ちーうえ、どうしたの?あにうえ、かなしいの?」

 

意味を理解できていないロシナンテがそう不思議そうに言った。それに母がロシナンテを抱きしめて、声を殺して泣いている。

ドフラミンゴはそれに、どれほど茫然としていただろうか。

 

父が憎い。そうだ、だって、そのためにこんな所まで来てしまって、母までも苦しんで。

父のせいで、父の、せいで。

そう思うのに、脳裏に浮ぶ、女が笑う度に、会えてよかったと思ってしまう。

 

同胞であった天竜人は、結局自分たちを見捨てた。自分たちだけでも聖地に戻して欲しいという父の願いを切り捨てた。

この世界の下々の存在は、ドフラミンゴを、ただ天竜人というだけでなぶり尽くした。

 

憎いのだ、嫌いだ、全てが、きっと。

なのに、なのに、間違っていたはずなのに。

 

ドフラミンゴ。

聞こえない。

ドフラミンゴ、お前、手先が器用だな。

知らない、自分はそんなことをする身分ではない。

ドフラミンゴ、強くなれ。

違う、自分は戦うことなんてするはずがない。

ドフラミンゴ、覚えておいてくれ。

 

知らない、聞こえない!違う、違う!父は愚かだった!自分たちは無力だった。そうだ、人であっただろう。ああ、こんなにも権力を引っぺがされれば何の価値もなくなって落ちていくだけの我らよ!

笑えるだろう、この世界の頂点が、その名前を剥ぎ取られれば何の意味もなくなって!

父は敗者だ。自分たちの強さである権力を放り出し、そのくせ、自分の願いである、この世は平等に人間であるなんて理想を振りかざして、結局負けたのだ。

憎んで、いたのだ。確かに、父のことを、それでも。

けれど、そう思う度に、脳裏に、ただ、優しげな声が響くのだ。

 

それでも、私はお前に。

 

海色の髪がたなびいていた。光の角度で、濃く、淡く、変わる美しい髪をしていた。そうして、月のように柔らかな瞳が自分を見ていた。

 

幸せになって欲しいと思うんだ。

 

ああ、綺麗だと、そう、思ってしまった。

そうだ、ドフラミンゴは、もう、父を真っ向から否定できなかった。

 

なんの価値もない自分たちに手を差し出した人。ただ、愚かな理想論を振りかざした父の善性を理由に命を賭けた女。

全てに見捨てられてなお、自分たちを見捨てなかったのは、この世のクズである人間だったのだから。

 

ああ、ドフラミンゴは泣いた。父のことを見送った。父は、確かに負けたのだ。その弱さによって、その素朴と言える善性は敗北した。

けれど、父の、後悔していないという言葉を、そうして、清々しい笑みを思い出す。

それでも、父の願いは穢されなかった。そうだ、父は負けたのかも知れない。けれど、父は己の願いは正しかったと証明したのだ。

一人の、少女がそれを、証明したから。

 

父はこれから死ぬのだろう。ただ、自分の願いを是とした少女に誠実であるために。自分の正しさに殉じて死ぬことを決めたのだ。

けれど、ドフラミンゴはそれを止められなかった。

だって、それは、ホーミングの正しさを否定してしまうことだったから。

誠実でありたかった、そうだ、自分の幸せを、なんの報いも期待せずに願ってくれた少女にそうありたいと思ったのはドフラミンゴだって同じだったから。

 

 

 

ホーミングは、ふらふらと、町を歩いた。なんとか、マルコにばれなかったことをほっとして、それでも、すでに夜にさしかかった世界を歩いて行く。

 

怖い。

ただ、怖い。

がたがたと、体が震えた。だって、それだって当たり前だ。

 

自分はこれから死ぬのだから。ならば、何を怖がらない事なんてあるのだろうか?

 

怖い、怖い、一歩ずつ死に近づいていると如実に理解できるから。

けれど、ああ、ホーミングは笑っていた。

泣きながら、それでも、ホーミングは笑っていた。

だって、怖くて、それと同時に嬉しかった。

 

「私は、逃げなかった!」

 

ずっと、逃げていた。目の前に広まる地獄の中で、響く悲鳴、虐げられる誰か、ずっとずっとそれが怖くて、逃げ続けた。

耳をふさいで、対話は無意味で、何も変わらなくて。いいや、過剰な言葉を発して、騎士団に睨まれたこともあった。

逃げていた。ずっと、ある意味で自分は逃げていた。戦うことを避け続けた。

逃げ続けた先で、家族に地獄を見せてしまった。それを、後悔していた。

ああ、人間だった。自分も、世界の人々も、きっと、すべからく人間で。

けれど、それを自分は表面的なことしか理解していなかった。

間違えていたと、ああ、こんな父親ですまないと思ってしまった。

 

「行こう、ホーミング。どうせ、どこに行こうと地獄なら、命を使い切るまで走るんだ!生き残って、お前の正しさを証明しろ!」

 

渇を入れた少女の言葉にホーミングは生きた。生かされた。彼女に報いるために必死に生きた。

己を人間だと言ってくれた彼女、自分の息子を庇ったあの子。

 

「私は、そうだ、私は、人間として死ぬんだ!」

 

ああ、それが嬉しくてたまらない。いつかに、否定され続けた願い。ずっと、間違いで、愚かだった祈り。

それでも、その瞬間、自分を人と言ってくれたあの子のために覚悟を決めた時、ホーミングはようやく家族に言えた。

 

後悔していないと。

 

そうだ、後悔はしない。後悔は出来ない。その願いのために命を賭けてくれたあの子に報いるために。

死ぬのが怖い、進むのが恐ろしい。けれど、それでもホーミングは歩いた。

そうだ、この歩みは死ぬためのものではない。死ぬために、ホーミングは歩いているのではない。彼は人間として生きるために、メランに報いるために男は歩いた。

 

「メラン、君ならばきっとこうするだろうから。」

 

ホーミングは泣いた、怖くて。ホーミングは笑った、愛しい家族にせめて己の抱いた願いを証明できたと、そう思ったから。

 



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敵対者たちの邂逅

お久しぶりです。

いいところで切りました。感想いただけましたら嬉しいです。


 

帰らないと。

 

(そう、思うのに。)

 

メランはその時、自分を攫った、ゴール・D・ロジャーの船長室の片隅で膝を抱えて蹲っていた。

そんなことも考えていると、きいと扉が開く音がした。そちらに視線を向けると、赤い髪の少年と、青い髪の少年が恐る恐ると入ってきた。

その存在に、メランは何か、取り繕う気力も失せて口を開く。

 

「・・・・シャンクスにバギーか。」

「え、なんで知ってんの、俺らの名前!」

「おい、シャンクス!話しかけんなよ!」

 

赤い髪の少年が素直に驚く隣で、水色の髪の少年が怯えるように言った。メランはそれに、うろんな瞳を向ける。

昔、漫画の中で見た少年達そのものに、特別な感慨は浮ばなかった。

 

「でもよ、バギー。こいつ、船長の娘なんだろ?」

「ロジャー船長が勝手に言ってるだけだろ!?」

 

そう言いつつ、バギーは持ってきた食事をメランの近くに恐る恐る置いた。まるで、好奇心に負ける子猫のような仕草だった。

骨付き肉だとか海賊らしいそれをメランは戸惑いながら見つめる。

 

「なあ、食べねえの?」

「・・・すまん、食べる気にならない。」

 

いい匂いは確かにしていたが、お世辞にも食欲は出てこない。それにバギーが不機嫌そうな顔をする。

 

「はあ?何、軟弱なこと言ってるんだよ?」

「海賊の船に攫われてすぐ、もりもり食べられると思うのか?」

 

そういうと、バギーもさすがに同意したのか黙り込む。そこで、ぐーとっ盛大に腹の鳴る音がした。

 

「へ、へへへへへ・・・・」

 

腹の音の主であるシャンクスは照れたように頭を掻いた。それに、バギーが体をぷるぷるさせて叫んだ。

 

「しゃあんくす!!てめえ、締まらねえだろうが!?」

「しかたねえじゃん!腹減ってるんだよ!」

「だからってなあ!!」

「ふ、ふふふふふふふ・・・・・」

 

突然聞こえたささやかな笑い声に、バギーとシャンクスは声の方を向いた。

そこには、今まで沈んで、まるで暗い海のように陰気な空気を纏った少女は可憐に笑う姿があった。

 

「お腹が空いたのかい?なら、持ってきてくれたものは君が食べるといい。」

「え、いいのか?」

「おい!それは、こいつに食わせろって船長が!」

 

メランににじり寄っていくシャンクスをバギーが止めるが、それに、少女は薄く微笑んだ。

 

「それなら、一緒に食べよう。それなら、言い訳だって立つだろう?」

 

それにシャンクスは瞳をキラキラさせていそいそとメランの隣に座った。それに、バギーは頭を抱えた。

 

 

 

メランという少女のことが、バギーは面白くないと思っていた。

突然、父親代わりと言っていいロジャー船長が連れてきた、おまけに娘にするなんて言われる存在のことを面白いなんて思えるはずがない。

ちらりと隣を見れば、それはメランのためにと持ってきた食事に舌鼓を打つシャンクスのことを見つめていた。

 

その瞳が、バギーはなんだか苦手だった。

その瞳は、なんだか、とても柔らかいのだ。

その瞳にある何かを、バギーは知らない。それを言葉にするような感覚がない。

 

「バギー、君は食べないのかい?」

「そうだぞ、うまいぞ!」

 

暢気しているシャンクスにバギーは頭を抱えたくなった。

 

「お前な!」

 

口を開いたバギーの口の中に、ほいっとシャンクスがハムを一切れ放り込んだ。

むぐりとそれを中途半端に飲み込んだバギーは盛大にむせ込んだ。

 

「うえ!げほ、げっほ!!」

 

それに自分の手元に水が持たされる。そうして、背中がさすられた。

 

「お前、喉に詰まるに決まってるだろ!?ほら、大丈夫か?」

 

水でハムを飲み下して、そうして、上を向いた。そこには、やはり自分のことを心配そうに見つめる女がいた。

その態度がやはり、バギーには理解できなかった。

 

 

 

ぼんやりと目の前の少年二人をメランは見つめた。彼らはぎゃーぎゃーと騒がしくしている。それに、メランは自分の弟分と兄貴分のことを思い出す。

 

それに帰らなければと思うのに。

腰が重い。いいや、違う。

ただ、動こうとすると、一人の男の笑みが自分を引き留める。

 

行こう、なんて。

ああ、どうして、こんなにもその言葉に惹かれてしまうのだろうか?

 

それは赦しの言葉ではない。それは、慰めの言葉ではない。

それは、放棄の言葉だ。

 

己の罪と、己の罰を忘れて放蕩に浸るためのものだ。

それは、メランにとって苦しみを与えるだけだ。

その、はずなのだ。

なのに、どうしてだろうか。

 

(あの男と共に見る世界は、どんなものだろう。)

 

それは禁忌だ。それは、考えてさえいけないことなのに。

なのに、それが頭の中で、その男の向こうに漫画の中で笑った少年のことを思い出してしまう。

太陽のように、あの世界で、輝かんばかりに希望を引き連れて、絶望を吹っ飛ばして、夢の果てに走る少年。

 

ああ、と。

 

わからない。

許されていいとは思わない。幸せになって考えられない。

なのに、まるで張り付いたように、己の足が動かない。

 

「なあ。」

「なんだ?」

 

シャンクスから話しかけられて、メランは返事をする。

 

「お前、船長の娘なのか?」

「・・・違う。あの人の気まぐれだ。本当に、どうしたもんか。」

「えーなんでだよ、船長の娘とかすっげえ楽しいのに。」

「・・・はっ、御免被りたい。」

「はあ!?なんだよ、それ、お前、船長に失礼だろ!?」

 

メランの返事にバギーが不機嫌そうに言った。それにメランは居心地が悪いというように肩をすくめた。

 

「そんな資格は、私には無い。」

 

それにシャンクスとバギーの顔に驚きが浮んだ。そんなことを、メランは気にとめずに、口を開いた。

 

「な、なんだよ、資格って?」

 

シャンクスのそれに、メランは一度目をつむった。

 

「・・・・いいや、ただ。私には、大事なものがある。」

 

メランはぽろりと己の口から零れだしたそれに、思った以上に違和感がなくて。そうして、しっくりきた。

そうして、おもむろに立ち上がった。

 

「お、おい、どうしたんだよ?」

「便所か?」

 

二人の少年が立ち上がる気配を感じながら、メランはその言葉にああ、と重かった腰が軽くなった。

 

(何を考えているんだろうか。)

 

そうだ、自分は、そんな資格は無い。

誰かを愛して、誰かの幸福な記憶の一部になる資格など無い。それを、いつかに平穏で、柔らかな世界の中で、殺すこと、奪うこと、見捨てることを悪と教えられた自分はそんな資格をとっくに失っていた。

 

ちらりと、メランは後ろにいた二人を見た。

メランからすれば、彼らは罪人だ。人を殺して、少なくとも秩序側である存在を害する彼らは悪い子だ。

けれど、ある意味で彼らをそうしているのは、世界自身で。

割り切って、そうして、それでもいいと罪を許すのが賢いのだと知っている。

けれど、無理だ。

無理なのだ。

だから、メランはそっと、男の言葉に震えた己の心を握りつぶした。

 

「ああ、トイレ。どこか、教えてくれないか?」

 

 

 

その日、船上で行われていた宴で、シルバーズ・レイリーは頭を抱えていた。

原因は、己の隣で機嫌よさそうに笑う、彼の船長だ。

 

「ほんっとうに、あの子を乗せるのか?」

「おお、決めた!俺の娘にする!」

「お前な!それがどんな意味かわかってるのか!?」

 

ゴール・D・ロジャーの名前は現在、海にとどろいている。そんな男に娘がいたなんて知れれば、どうなるのか。

 

「・・・バギーやシャンクスには、そんなことを言ったことは無いだろ?」

 

喧噪から離れているとは言え、誰が聞いているとも限らないとそう密やかな声で言えば、ロジャーは少しだけ考えるような仕草をした。

 

「いやなあ、あいつらは、まあな。でもなあ、あいつはなあ。」

 

ロジャーはまるで、自分でもわからないというように悩ましいというような顔をする。

 

「・・・・なんかよお、そこまで、あいつには言わねえと逃げる気が、した?」

 

ようやくそう言ったロジャーに、レイリーはドン引きした。

 

「お、お前、さすがに年が・・・・」

「そういう意味じゃねえよ!!ただなあ、なーんか、気になるんだよ。」

「声が聞こえない、か?」

「ああ。」

 

ロジャーはよく声が聞こえると言っていた。それは、気配であったり、他人の心情であったり。

それを見聞色という、人が鍛え抜いた先の超感覚の一種であるらしいが。それが人並み外れてより高いものであることを知っている。

そんなロジャーが認識できないものなんて、あるのだろうか?

 

「・・・あやしいだろう?」

「いや、そんなんじゃねえんだ。ただ、わからねえんだ。」

 

ロジャーはそう言った後、にやりと笑った。

 

「おもしれえだろう!?」

 

レイリーはその言葉に、全ての事を諦めた。

面白い、それだけで男を止める事を理解できたせいだろう。

 

「はあ、仕方が無いか。」

 

レイリーは諦めたように肩を落としたその時。

ロジャーがにやりと笑って立ち上がった。

 

「お、レイリー、客が来たぞ!」

 

それと同時に、船に何かが飛び込んできた。

だんと、重量のある音と共に、飛び立ったそれに、今まで宴を楽しんでいたクルー達が臨戦態勢に入り、そうして、ためらいもなく飛び込んできた存在に襲いかかる。

が、それはあっさりと、少なくともロジャーの船に乗っている上澄みと言っていい彼らを吹っ飛ばした。

 

「おい!止めろ!俺の客人だ!」

 

心底楽しそうなロジャーの声にクルー達は動きを止めた。

レイリーは船に飛び込んできた存在に目を向けた。

そこにいたのは、大柄であれど、まだそう年端もいかない少年だった。顔つきは確かにいかめしかったが、何か、その表情と言えるのだろうか、どこか幼い。

金の髪に、きっちりと着込んだそれは、ロジャーを見て吐き捨てるように言った。

 

「てめえが、ゴールド・ロジャーか?」

「おお、そうだ。お前は誰だ?海賊の船に乗り込んでくるんだ。覚悟があるんだろ?」

 

ロジャーの楽しそうな声と共に、少年はギラつく瞳で吐き捨てた。

 

「てめえが攫った女を返して貰いに来た。」

 

爆発的な殺気が、少年から吹き出した。それに、レイリーの視界の隅でぶっ倒れる仲間の姿が映った。

そうして、それと同時に、少年の周りに転がった武器が浮かび上がり、そうして、がちゃりと組み上がっていく。

 

「悪魔の実の、能力者か!」

 

レイリーは目の前の少年が、相当の実力者であることを理解した。それ故に構えを取ろうとした。けれど、それをロジャーがレイリーを制止する。

レイリーが何をと男の方を見た。それに、ロジャーはあっさりと言ってのけた。

 

「俺の娘のことか!?」

「な。」

 

(((何言ってんだ、この人はぁーーーー!!??)))

 

もちろん、ロジャーがそう言っていたのは皆知っている。けれど、目の前の、明らかに目の前のそれに言う言葉ではないだろう?

というか、自分の身内を攫われてキレてるそれに言うことでは無いはずだ。ある程度の仲ならば少女とロジャーの関係だって知るか、察しぐらいはつくだろう。

なによりも、レイリーでさえも、警戒すべきと判断したそれに、そんなことを言っている場合か?

レイリーは目の前のそれが激高して襲いかかってくることさえ予想した。

けれど、予想に反して、その少年は戸惑った顔をして、悪魔の実の能力でくみ上げた武器を下げた。

 

「・・・・メランの、父親?」

 

茫然としたそれに、皆があんぐりと口を開けた。

 

「おお、そうだ!父ちゃんだ!」

 

意気揚々と言ったそれに、その少年は、戸惑いを覚えたような顔をして、そうして、おずおずとロジャーに頭を下げた、

 

「め、メランには、いつも世話になっている。ダグラス・バレット、だ。」

 

行儀良く、おずおずと、戸惑いつつそう言ったそれに船上にて衝撃が走る。

 

(((し、信じたー!!??)

 

あり得ないそれにレイリーは、何か、頭痛さえ感じ始めた。

 

 

「お、そうか。礼儀が出来てるな。お前は、メランの仲間か?」

 

ロジャーは今まで教えて貰えず、呼べもしなかった名前を喜々として呼んだ。

レイリーはお前、知りもしなかったくせによくそんなことを言えるなと呆れながら、少年、ダグラス・バレットに視線を向けた。

 

「ああ、その、ガキの頃から世話になってる。色々と、その、だからよ。あいつに、父親なんているなんて知らなかったんだ・・・」

「そりゃあ、仕方がねえな!それなら、付き合いも長いのか?」

「・・・・物心ついた頃には。」

 

 

レイリーは久方ぶりにやってきた動揺にどうしたものかと悩んでしまう。

そんなに素直に信じていいのか?

あんなに強敵感を出していたのに、あっさりと信じて仕舞ったことに驚いていた。

歴戦の戦士といっていいほどの空気感を纏いながら、驚くほどに素直な質感にどう対処すべきか悩んでしまう。

思わず周りをみると、周りのクルー達もどうしたものかと固まっていた。

バレットは礼儀正しく、あくまで海賊基準だが、ロジャーに接している。

 

バレットは訥々と、自分たちが幼い頃から共にいること、事情があって共に海に出たこと、そうして、メランのことは孤児だと思っていたことなどを話した。

レイリーは頭を抱えたくなった。

 

信じるな!

 

その場にいた人間の心はそれ、一つだった。

何をこんな、やっすい嘘に引っかかっている?

けれど、ロジャーがいる手前入っていくのもためらわれた。

 

ロジャーはというと、頑なに何も話さない少女の情報を入手できてほくほくしていた。

が、さすがに止めるべきだろうとレイリーが動こうとしたときだ。バレットは、顔を伏せた。

 

「・・・・あんたは、あいつを、連れて行っちまうのか?」

 

掠れた声は、なんだろうか。

 

とても、とても、とても、それは、もしかすればシャンクスやバギーよりも、ずっと、幼い声だった。

 

「家族ってのは、大抵の、それこそ己のために切り捨てることがあっても、大事にするもんなんだろう?」

あいつは、誰かを大事にする奴だ。なら、あんたがあいつの父親なら。あいつは、あんたと一緒に行きたいって思ってるのか?

 

それは、なんだか、レイリーの心を切なくさせた。

そう、慈悲のある人間ではないとして。

けれど、幼い少年達を育てている彼としても、いいや、強者としての自負と空気を持っている少年のその声音はどこか心をざわつかせた。

 

そんなもの、甘ったれたそんな感情なんて抱えているなんて嘘のようなくせに、その少女への恋しさと、そのくせ、少女の幸せを邪魔したくないといういじましさがあったものだから。

だから、レイリーはロジャーの嘘にさすがに罪悪感を覚える。

 

「ロジャー、お前・・・・」

「バレット!!

 

この船に乗っている人間にしては、可憐な声音がそこで飛び込んできた。青い、何かがレイリーの視界に入った。

 

「メラン!」

 

目を見開いた少年は己に飛び込んできた少女に目を見開いた。

 

「お前、どうしてここに!?」

「メラン・・・」

 

怪我はないかとメランはバレットの顔を撫でて確認した。少女の姿にバレットはほっとした顔をしたが、すぐに悲しそうな顔になる。

 

「・・・メラン、よかったな。」

「は、何がだ?」

「父、親が、見つかったんだな?」

 

それにメランの顔が強ばった、というか、目の端がぴくぴくと震えた。

 

「攫われたと思ってたが、そうじゃないんだな。だから、お前は、ロジャーと・・・」

「クソ野郎!バレットになに吹き込んでいるんだ!?」

「は?」

 

振り返ったメランの前でロジャーはシャンクスとバギーと話していた。

 

「逃げられたのか?」

「ごめん船長!」

「トイレだって言われて、まかれちゃって・・・・」

「おい!話を聞けよ!」

「嘘なんて言ってねえ!俺は、お前の父親だ!そう決めた!」

「決めた、じゃねえよ!見ず知らずのおっさんに父親になられる私のことを考えろ!海賊やってるのとは別のベクトルでやべえ奴じゃねえか!?」

「んだよ、お前が先に・・・・」

 

そんなことを言っているとき、ロジャーは自分に振り下ろされた刃を、引き抜いた己の剣で受け止めた。ガキンと、金属質のものがぶつかり合う音がした。

 

メランはそれに、己の背後で圧倒的な殺意と呼べる何かが吹き出るのを感じた。少しだけふらつく感じがしたが、慣れたものだ。

 

「てめえ、ロジャー・・・・・」

 

メランが振り向いた先では、耳を赤くした弟分が般若の顔でロジャーに斬りかかっていた。

 

「くだらねえ、嘘吐きやがって!!」

「バレット、やめ・・・・!」

 

メランはその瞬間、自分が頭上に放り投げられたことを理解した。ぐるりと、バレットと、ロジャーが下にいる。

 

「すまないね!お嬢さん?」

「離せ!!シルバーズ・レイリー!バレットが!」

 

受け止めたレイリーは申し訳なさそうにメランを受け止めた。そうして、暴れるメランを拘束する。それに、レイリーは申し訳なさそうな顔をして、目の前の戦いを見つめる。

 

「君が行って何になる。それに、安心していい。」

 

レイリーは目の前のそれに視線を向けた。

 

「あれは、ああいった奴のことは殺さないからな。」

 

 

ロジャーとバレットの戦いは、それこそ、目の止まらぬ動きだった。

バレットは強かった。確かに、海賊王になる男とやり合っているのだから。その若さを考えれば破格だろう。

けれど、あまりにも足りない。

経験も、覇気も強さも、あまりにも足りていなかった。

 

甲板にて崩れ落ちるバレットに、メランが足掻く。

 

「おい、止めろ!そいつに手を出すな!」

「おいおい、海賊船にやってきて、それでおしまいはねえだろう?」

 

そういって、ロジャーは這いつくばったバレットに近寄ろうとした。その時だ。

 

「お、おやめください・・・・!」

 

か細い声と、荒い息、そうして、間抜けな足音が聞こえてくる。それに、ロジャーとバレットの戦いに夢中になっていた人間達は船に忍び込んできた存在にようやく気づいた。

それは、バレットの元に向かい、そうして、庇うように彼の背中に手を置いた。

 

それは、金の髪に、赤い瞳をした、上品な顔立ちをした中年の男だ。あまりにも、それこそ、メランよりもなお、海賊船に不似合いな男だった。

 

「ホーミング・・・・!?」

 

メランが掠れた声でそう言った声は、掠れて消えていく。

ロジャーは、その男の顔に、少しだけ驚いた顔をした。

 

 



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人の言葉

お久しぶりです。
ちょっと短め。


原作時間でのフラミンゴさんの動きを考えてたときに、IFでメランとバレットの遺児を育てるドフィの話しを考えて湿ってるなあと思いつつ、いつか番外編で書いてみたいなあと思ってます。


誰もが、自分に視線を向けていることを理解した。

それに、それだけで、ドンキホーテ・ホーミングの足はすくんだ。いいや、殺気混じりのそれの中で、本音を言えば漏らしてしまいそうだった。

場違いのように、ああ、トイレに行っておけてよかったなあ、なんて馬鹿のように考えた。

 

 

メランは目を見開いて、そうして、暴れた。

 

「ホーミング!お前、何故来た!?逃げろ!お前が来ていい場所じゃない!わかってるだろう!?」

 

メランは力の限り、シルバーズ・レイリーの腕の中で暴れた。

 

「ほら、暴れるな!」

レイリーはそう言いつつ、やってきた男を見た。ゴール・D・ロジャーと、負けているとはいえ、そこまで戦い続けられる少年との戦いに船員達が気を取られていたのだろう。

レイリーは見張り番を後で叱らねばと考える。

 

(・・・普通の、人間だな。)

 

レイリーはまじまじとその男を見た。なんといっても、今をときめくロジャー海賊団にどんな理由があるにせよ、飛び込んできたのだ。

どんな奴だと少しだけわくわくして観察したが、何だろうか、

正直、がっかりした。

体は震えている、体つきも鍛えたものではない。確かに、この場で気絶もせずに戦いに割って入ったのは感服すべきだろうが、それだけだ。

それは、何故、こんな所にいるのだろうか。

いいや、この少女は、何故、そんなにも男を庇うのだろうか?

 

「・・・・・てめえ、海賊同士の戦いに首を突っ込んでくるってことの意味、わかってるのか?」

 

ロジャーがそう言って軽く殺気を出した。それは、レイリーからすればそよ風の、からかいや、脅し程度の意味合いだ。けれど、男には相当の威圧感があったのか、がたがたと震え始める。

それにバレットは体に渇を入れるように立ち上がった。

 

「おい、さがってろ、おっさん・・・」

「バレット君、君、そんなに大けがで!」

「お前が前に出ても変わらねえだろうが!」

 

バレットはそう言って、ホーミングの前に出た。それにホーミングは体のことを気遣って止めるが、バレットは煩わしそうに押しのける。

それにロジャーは静かな目をしてバレットを見た。

それに、バレットは不思議な気分になる。

その男は、なんだか。出会っても間もないためにそんなに知っているわけではないけれど。

なんだか、荒ぶる海のような、気まぐれに吹く潮風のような男だった。

けれど、今、その時だけはしんと、静まりかえった目をしていた。

 

夏の、カラッと晴れて、騒がしくて、魚たちが踊るような海だったのに。

違ったなあと、暢気に考えてしまった。

 

凪いだ冬の海だと思った。

なんだか、冬の、どんよりした雲が少しだけ開けて、光が注がれるような、凪の海。

 

「・・・・おう、クソガキ、てめえそれを庇いながら俺とやり合えるなんて思ってねえだろうな?」

「やるしかねえだろうが。」

 

バレットは揺るがずにそう言った。出来ないだろうとは理解している。けれど、そうしなくてはいけないのならば、そうするだけだ。

それに何か、男はかすかな苛立ち混じりに言った。

 

「・・・・てめえはそいつが何なのか分かってるのか?」

「てめえは知ってるのか?」

 

バレットははてと思う。バレットは正直、今になってもホーミングという男の業を理解していない。

彼にとっては世界の構造というものへの実感がわかなかった。天竜人というそれが手ひどい蹂躙者であるとして、地獄と地続きの世界で生きていた彼にとって、あまりにも、当たり前の存在であったせいだろうか。

 

理不尽に搾取を行う存在がなんて当たり前のようにあるのだろう。

バレットは、理不尽を理不尽だと思っていない。

それが当然である彼には、マルコやメランの語る特権階級の悪徳さを理解していなかった。

 

不思議そうな、幼いそのバレットの様子にロジャーは珍しく笑みを消して、ちらりと赤い髪、そうして、青い髪の少年の方を視線だけを向けた。

 

「そいつ自身じゃ覚えはねえが。似たような顔を、見たことがあってな。」

「ああ、元、貴族だっけか?そんなのに会うことなんてあるんだな。」

 

バレットはなんだか意外そうにそう言った。

ホーミングもまた、それにロジャーの視線の先に目を向けた。そうして、ホーミングはひいと上げそうになった悲鳴を飲み込んだ。

わかった、理解した、恐れた。

だって、視線の先にいた、赤い髪の、少年。

その顔に、ホーミングは覚えがあった。それ故に、やはりと理解した。

目の前のそれが、自分のことを知っているのだと。

静かなその声。それに、近くにいたレイリーは何が言いたいのか察した。

 

シャンクスに向けた視線、そうして、その言葉、バレットの発言。

一つの可能性に行き着いた。

 

まさか?

いいや、ありえるのか?

ぐるぐると考えたその時、ロジャーは口を開いた。

 

「・・・そこまでする理由は何だ?」

 

ざわつきが聞こえる。何をそんなに、その、ひ弱な男にロジャーが関心を向けるのか。

元貴族、まあ、あり得ない話ではない。

政府への敵対存在がいないとして、貴族という特権階級が落ちぶれないわけではない。共食いというのはどこにだって存在する。

けれど、今まであまりな、冷ややかなその空気を向けるほどの理由は何だと船員達はざわつく。

 

「あ?理由?」

「お前がそこまでして、そいつを庇う理由だよ。どうも、うちの娘もなんでかご執心のようじゃあるが。お前がそこまでする理由は何だ?」

 

威圧感のある声音を聞いて、バレットは、それに素直に何故を考える。

改めてそう問われて、確かに、と頷いた。

何故、それを庇おうとする?

以前ならば、盾にするぐらいはしたというのに。

 

何故?何故?何故?

 

心の内で問いかけた。それに応える必要なんてないのだろう。けれど、男のその目。

冬の、冷たい空気の中でみた、凪の海。

 

なんだか、それには答えなければと思った。

何故?

メランがそう願っているから?船で一応は世話になったから?情が沸いたから?

答えならばいくらでもあって、けれど、口に出たのはまったく違った。

 

「こいつと俺は同じだからだ。」

 

それにロジャーは珍しく、心底驚いたような顔をした。

なんだか、バレットはそれに、ああこいつは多分こんな顔を滅多にしないのだろうなあと思った。

 

「同じ?同じ、だと?」

 

ホーミングでさえも驚いた顔をした。同じ?いいや、同じではない、けして、同じであるはずなんて。

メランでさえも驚いた顔をした。

 

(バレット、お前・・・・)

 

バレットは口にした言葉に驚きながら、すとんと己の中で納得という感覚が染み渡った。

 

「こいつも、俺も同じだ。せめえところで違うどっかにいきたがってた。いきかたなんて知りもしねえのに。それで、散々な目にもあった。おい、ゴールド・ロジャー。」

 

海賊ってのは、自由な生き物なんだろう?

 

バレットはロジャーを見た。

昔、メランに聞いた。

海賊ってのは、どんな存在だ、と。

 

秩序の外側の生き物、世界の庇護からの逸脱者。ああ、でも、そうだな。

 

メランは少しだけ笑って、懐かしむように言った。

 

「きっと、この世で最も自由な奴らが背負う肩書き、かな?」

 

それに、バレットは、いいなあと思った。

自由、それをバレットは知らないけれど。もう、父親のように慕った男に裏切られたとき、なんだかもういいかと目をそらしていたけれど。

 

少女の言った、自由という単語が溜まらなく清々しい音として聞こえた。

 

「生まれでも、生まれた場所でも、しがらみでも、なんでもねえ。人は平等だと、そんなことの証明に、天から飛び出した男なんざこの世でも最も自由じゃねえか!」

 

バレットは、絶望的な状況なのに、何故か愉快になって笑った。

バレットだって、ホーミングの願いが愚かなことはわかっている。

人は平等ではない、命には貴賤が存在する。それを、この世の頂点であるはずの座にありながらそれは飛び出したというのだ。

 

馬鹿だ、大馬鹿だ、最大の愚か者だ!

でも、バレットは思うのだ。それは、きっと、メランと同じ者なのだ。

何が、かはわからない。けれど、それはメランと似た生き物なのだ。

 

「そんな奴に肩入れしねえなんざ、海賊の名折れだろう!?」

 

笑って見せた。愉快で、軽やかで、バレットは改めてダンと足踏みをした。

そうだ、だから、守るのだ。

だから、こいつに生きて欲しいと思うのだ。

 

細くておもちゃみたいな指をした女の笑顔を思い出す。生意気な子どものことを思い出す。小さくて本当に人間か疑ってしまう末を思い出す、

そうして、自分をまるで、尊いもののように見つめる、メランと少しだけ似ている男を庇ってバレットは笑う。

 

「メランと、ホーミングのおっさんをつれて帰んだよ!理由なんざそれだけでいいはずだ!」

 

レイリーは茫然とする。だって、そうだろう?

バレットの口ぶりからして、ホーミングの正体に真の意味で気づいていないのだろう。

けれど、ありえないと思う。

そうであるとして、天竜人を、己と同じだと、そんなことを言える存在なんて今までいるはずがないだろう?

 

だんと、また音がした。それにレイリーは正気に戻る。

腕の中で、口をふさいだメランのことを伺った。メランは、ただ、茫然とバレットのことを見つめていた。

レイリーはともかく少女が大人しくしていたことを理解して、ロジャーの動きを伺った。

 

ロジャーはぎらぎらとした目でバレットを見た。

 

「・・・てめえで海賊名乗ったんだ。なら、海賊の流儀もわかってるだろう?望むものは奪ってなんぼだろ?」

 

その言葉に、ロジャーとバレットは改めて構えを取った。

それに船員達は二人の殺し合いが再開されるのだろうと思った。けれど、それには邪魔が入る。

たんと、軽い足音がした。それと同時に、バレットの目の前に一つの影が躍り出た。

 

「ホーミング!お前!」

「バレット君、これは、私のせいだ。」

 

震えているのに、何故か、ホーミングの声には妙な力があった。それに思わずバレットは黙り込む。

元々、誰かに従う人生だったバレットと、誰かに命じることが当たり前のホーミングとは、ある意味で相性が良すぎた。

その命令し慣れた声音に、バレットは黙り込む。

ホーミングは改めて目の前の男を見た。それにロジャーは静かに見下ろした。

 

「てめえ、何考えてやがる?」

 

それにホーミングの体が小刻みに震える。

ああ、恐ろしい。

恐ろしい、けれど、ホーミングはその威圧感と殺気に耐えた。

幸運だったのは、ロジャーが殺気を最低限に抑えていたこと、ホーミングというそれが案外殺気というものに慣れていたこと、そうして、ホーミングの覚悟が決まっていたことだろうか。

それは、腐っても、天夜叉などと謳われた男の父で、そうして、己の過ちで息子に殺されることを是とする程度の肝は据わっていた。

 

怖かった、恐ろしかった、気を手放して、倒れてしまいたかった。

けれど、それではダメだ。

ここに来た理由も、義理も、ホーミングにはあった。

 

だから、ホーミングはぐっと背筋を伸ばして、男を見た。

ゴールド・ロジャー。

世間知らずのホーミングでさえも知っている、この世で最も凶悪な男。

ああ、なんて、威圧感だろうか?

 

(私たちよりも、よほど、王という言葉がふさわしい。)

 

なんてことを思って、ああ、それを考えられるほどの余裕があることに安堵した。

ホーミングはそれに、その場に座り込み、そうして深々と頭を下げた。

それにロジャーの目が見開かれた。

ホーミングはそんなことはわからない。けれど、床に額を付けて、そうして、震える声で話し始めた。

 

「あ、あなたは、私がなんであるのか、わかってらっしゃるのだと思います。」

 

少しだけ、つっかえながらホーミングは続けた。

 

「私のことは、どうなさってくださっても、構いません。こ、殺して、くださっても、どうしても、構いません。ですので、お願いです。」

彼女と、バレット君のことを返してあげてください。

 

それに船に確実に、さざ波のようにざわめきが広がる。

だって、そうだろう。

貴族とは、どれだけプライドが高いなんて有名で。海賊なんてものになった人間達の出身なんてろくでもない国が多い。

ならば、その上に立つ人間ももちろんろくでもない。

それ故に、だ。

それは元、貴族であるらしい。ロジャーの反応からして確かだろう。

けれど、そんな存在が、頭を下げて血が繋がっているわけでもないらしい子どもの命乞いをしている。

 

自分の命を引き換えにして!

 

レイリーは茫然とする。いいや、それが、予想通りであるはずならば、自分は夢を見ているのだろうか?

そんな、こと。

悪夢のような、いつかを思い出す。

赤い髪の少年を拾ったあの日のことを。

悪夢のような、人を人とは思わない、そんないつかの記憶を掘り起こす。

それは、本当に、天に座した竜だというのか?

 

「てめえは、自分が何を言ってるのか、わかっているのか?」

 

ロジャーの声音に、怒りはない。けれど、男から聞いたことのない、寒々しい声音に船の人間は震える。それに、ホーミングは震えを大きくした。

けれど、己を奮い立たせて声を上げた。

 

「わかっています!わかっていなければ、ここに来ることなどないでしょう。」

 

ホーミングは喉の奥が塞がったかのような、何かが詰まったかのように、そんな、苦しい感覚に襲われた。

けれど、気絶などせずに、なんとか意識を保つ。

先ほどよりも、濃い、といえる殺気がロジャーからあふれ出した。

 

「何故だ?」

 

ロジャーはやはり、凪いだ海のような声で問うた。それに、ホーミングは、ああ、彼の顔を見なくてはと思った。

何故だろうか?

そんな風に、何故か思った。

きっと、それが誠実な、ことなのだと思った。

自分が身の程知らずの願いをするのなら、誠実でなければと思った。

ホーミングはゆっくりとではあるが、顔を上げた。

 

恐ろしかった。

ああ、鬼がいると思った。

黒い鬼が、自分を見ていた。

怖い、恐ろしい、逃げ出したい。

けれど、ダメだ、そうだ、決めただろう?

 

人として、生きて、死ぬのだと。

 

「わ、私は、愚かなことをしました。自分の立場に納得できず、人を、人として思わない周りを、嫌悪、しました。言葉で語ろうと、行動で示そうと、全てが無意味でした。ならば、と。ならば、私の全てを、かけて、証明を、しました。」

 

ホーミングは、ぼたぼたと涙が零れた。それは、恐怖のせいでもあった。それと同時に、彼は、己の同胞達への、恥の感情で涙が流れた。

 

「全てを、捨てて。けれど、私は愚かだった!私の、無知さで、私は私の最愛を危険にさらし、殺しかけてしまった!私は、私は、それに、同胞達の言葉が真実だと、命に貴賤はなく、人は誰しも平等だなんて、愚かなことだと、諦めかけてしまった!」

 

ぼたぼたと、ホーミングの瞳から、涙が零れた。

愚かだった、無知だった。

自分の願いが、敗北した瞬間、ホーミングは自分が間違いであったのだと、理解しようとして。

 

「けれど、あの子だけは、メラン君だけは、私の願いを間違いではないと、言ってくれた!」

 

涙が零れた、視界がかすんで、水面のようにゆらいでいた。

怖い、恐ろしい。けれどホーミングはその、黒い瞳を見上げた。黒い髪を、した、男を見た。

 

「助けてくれました!私に生きる術を教えてくれました!守ってくれました!彼女は、私に、私なんてものに、幸せになって欲しいと、言ってくれました!」

 

叫ぶ言葉が、船にこだまする。それに皆、何も言えない。

一人の男が、今、命をかけて、叫んでいる。だから、その言葉を、皆聞いた。

 

「私はとても罪深い、深い業を背負って、多くの義務を理解せず、放り出してしまった!私は、敗北したのでしょう!人とは誰しもが平等であると、それは、あまりにも弱者の願いでしかなかった!ですが、それを、正しいと、一人の少女が、命をかけて肯定をしてくれた!」

 

ホーミングは立ち上がった。

そうして、ロジャーに向かい合った。

ああ、恐ろしい。涙があふれる、体が震える。まるで子鹿のように情けなく、ホーミングは震えていた。

まるで、竜でも前にしたかのような心地だった。

けれど、ホーミングは、せめてと思った。

叫ばなければ、少女の価値を証明しなければと思った。

背筋を伸ばして、一人の男に向かい合う。

ああ、そうだ。

目の前にいるのは、己と同じ、人間だ。

 

「命をかけて、助けてくれた恩人のために、己の命をかけられもせずに、何を人と言えましょうか!」

 

それに、ロジャーが武器を振り上げた。

それに、ホーミングは叫んだ。

恐怖で、そうして、安堵で。

バレットの焦った声が聞こえる。視界の隅に、少女が目を見開いていた。

それでも、ホーミングは良かったと思った。

少なくとも、自分は、人間として死ぬのだと。

 

だーんと、床に、何かが突き立てられた。

 

その衝撃でホーミングはその場にへなへなと座り込んだ。

 

「ふ、ははははははははははははははははははははははははは!!」

 

高らかな、これ以上無いほどの、爽やかな笑い声が響いた。それに、今までのことなんて忘れて、皆がぽかーんと口を開く。

そうして、ロジャーはへたり込んだ、男ににかっと、笑った。

 

「気に入った!」

一緒に酒でも飲まねえか?

 

それにホーミングは馬鹿みたいに、ああ、太陽みたいに笑う男だとそんなことを考えた。

 

それを少女が見ていた。

ぼたぼたと、まるで、夢を見るような目で、涙を流しながら、ただ、見ていた。

 



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