何故か江戸時代の日本に迷い込んだので、博覧亭のお世話になってます (北乃ゆうひ/YU-Hi)
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ヴィヴィオと怪異と明烏 1

以前、コピ本で出したモノを公開。
結構なボリュームなので、数話に別けて、連載形式で公開します。
毎日更新予定なので、お付き合い頂けましたら幸いです。

読んで頂いた方々が、少しでも楽しんで貰えれば幸いです。


 

 クラナガン郊外の道路で、次元犯罪者を追いかけていた執務官は、目の前で起こったことが理解できずに目を瞬かせた。

 

「……え?」

 

 だが、思考が空白となったのは一瞬だけ。

 即座に気を取り直すと、執務官ティアナ・ランスターは目の前の相手を組み伏せる。

 

「あの娘になにをしたッ!?」

 

 自分が追いかけていた、次元犯罪者。

 罪状は古代遺失物(ロストロギア)の盗掘及び窃盗。そして密売。

 

 だからこそ、この男が何かをしたのだろうと判断し、ティアナは怒鳴りつける。

 

「し、知らないッ、分からない……ッ!!」

 

 慌てた様子で、男が首を横に振る。

 嘘を付いているような気配はない。

 

「だとしたら、今のは何?」

「俺も聞きたいッ! あんなボロ布みたいな古代遺失物(ロストロギア)――俺も知らないんだ!」

 

 こちらから逃げる男の前に立ちふさがったのは、ティアナが良く知る少女。

 少女の意図を即座に理解したティアナは、咄嗟の連携でもってこの男を追いつめた。追いつめたのだが――

 

古代遺失物(ロストロギア)よね……さっきの?」

「俺には、それ以外の可能性は思いつかねぇよ」

 

 突如現れた、小さなボロ布。

 紐に括られたそれは、少女の目の前に降りてきた。

 

 だが、その紐は天へと延びている。何もない虚空にぶらさがっていたのだ。

 そして、その布袋はその口を大きく開くと、少女を飲み込んでしまった。

 

 それに満足したのか、その布袋は天へと戻っていくように、姿を消してしまったのである。

 

「だとしたら――誰がッ、何のために……ッ!」

 

 毒づいたところで仕方がない。

 小さく息を吐いて、気を取り直し、愛銃に訊ねる。

 

「ヴィヴィオが飲まれた時の映像データは撮ってある?」

《はい。問題ありません》

「それじゃあ、まずはこいつの移送。人員の手配をお願い。それから――」

《高町一尉とノーヴェへの連絡ですね》

「ええ」

 

 うなずき、天を見上げる。

 雲一つない晴天。そこには当然、ヴィヴィオを飲み込んだ布袋なんてものの姿は存在しなかった。

 

 

     ☆

 

 

「えーっと……」

 

 呆然としながら、ヴィヴィオは周囲を見渡す。

 

 いったいここはどこなのやら。

 どこかの河川敷であることは間違いないのだが、さっきまで自分は大通りにいたハズではなかったか。

 

「冷静になろう、うん」

 

 あえて口に出して見ることで、自分に言い聞かせる。

 

「ティアナさんが追いかけてた人の進行を、妨害しようとしたのは、確か」

 

 執務官であるティアナが追いかけていたのだ。

 こちらが、追いかけられていた男を止めようと動くと、それに併せて動きを変えていたのも見た。

 

「うん。そこまでは覚えてる」

 

 よしよし――と、一人でうなずきながら、続きを思い出す。

 

「その男の人とぶつかって――」

 

 おそらく、何らかの古代遺失物(ロストロギア)だったのだろう。

 

 宙を舞う小さな布の袋が見えた。

 それが自分の方へと飛んでくると、突然その口が大きく開いて飲み込まれて――

 

「そうだ。飲み込まれて、気がついたらここにいたんだ」

 

 だとしたら、ここはあの布袋の中か、あるいはどこかへ転移したのか。

 

「とりあえず、動いた方がいいよね」

 

 ここがどこであるのか分からないが、このまま川のほとりでジッとしていても、何も始まらないだろう。

 

「自力で脱出するにしろ、救助を待つにしろ、まずはここがどこか調べないといけないしね」

 

 口に出しながら状況を整理して、するべきことをイメージする。あとは、それを順番に実行していくだけだ。

 

「よし」

 

 ――と、気合いを入れると、ヴィヴィオはその場から動き始めるのだった。

 

「……の、前に――そうだ。クリス?」

 

 返事はなく、周辺にウサギのぬいぐるみの姿はない。

 

「仕方ない、か。とにかく、やれるコトをやろう」

 

 

 そうしてヴィヴィオは知る。

 この世界のこと――

 

 

 

 

 現地世界名称・地球。

 現地歴呼称及び年数・西暦1821年。

 現地国名・日本。

 現地国内歴・文政4年。

 

 

 

 

 つまり、ここは――

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 大川(すみだがわ)に掛かる大橋(りようごくばし)

 この時代、パリやロンドンよりも賑やかで景気が良いこの街に掛かる橋の一つ。

 

 人気の少ない朝の時間、そこへ向かって歩く男が一人。

 

 まだ若いのに総白髪。濃い深緑の着物に、それより幾分か薄い緑の羽織を纏い、草履をつっかけ歩いている。人の良さそうな顔をしてはいるものの、丸い眼鏡が、知的で油断ならぬ御仁の雰囲気を醸し出していた。この男の名前は(さかき)

 この景気の良い街で、ひときわ景気の悪い貧乏見世物小屋(みせものこや)『博覧(はくらん)亭(てい)』の若旦那だ。

 

 彼の日課である朝の散歩は、途中でここへと立ち寄るのが習慣になっていた。

 

《おはよう、榊ちゃん》

「ええ、おはようさんです」

 

 いつものように挨拶を交わすと、橋姫(はしひめ)――この橋の上で命を落とし、橋の守護者となった幽霊だ――が榊の横へとやってきて、耳元に口を近づけ、耳打ちをしてくる。

 

《榊ちゃん、あれ》

 

 元より幽霊。耳打ちせずとも、声を聞けるものは少ないのだが、それでも生前の慣習によるものなのだろう。

 ともあれ、榊は彼女が指差す方へと視線を向ける。

 

《しばらく前からずっとあそこで、ああしてるのよ》

 

 そこにいるのは、金の髪をたなびかせた異人の少女。

 まだ幼いだろう少女は、橋の縁に体重をかけるように川を見下ろしている。年端もいっていない少女がするには、寂しすぎるような顔をしていた。

 

 横顔から見える翠玉色の瞳には涙で滲んで見えるのは、おそらく榊の気のせいではないはずだ。

 

《声を掛けようかとも思ったんだけど、さすがに半透明(こんな)姿で声を掛けたら、不必要に脅かしちゃうかなって》

 

「なるほど」

 

 確かに、橋姫の姿は見慣れぬものが見たら驚くだろう。

 

《良かったら、話しかけてあげてくれないかしら?》

「そうさなぁ……行く宛がねぇってんなら、少しは面倒見てやってもいいしな」

 

 元々、そういう輩と縁のあるのが榊という男だ。

 この際、一人や二人居候が増えたところで問題はないだろう。

 

 中指で眼鏡の位置を直しながら、うなずく。

 

「とはいえ、異国の言葉なんざ、俺も分からねぇがね」

 

 幼少の頃に瀕死の重傷を負った影響で総白髪となった髪を撫でながら、榊は苦笑する。

 

杉忠(すぎただ)の奴が、吉原から猪牙(ちょき)で川を下ってきたら、捕まえておいてもらえます?」

《はーい》

 

 幼なじみの悪友であれば、異国の言葉も多少使えたはずだ。この大橋でなら、吉原帰りのあの男を捕まえることができるだろう。

 そんなことを思いながら榊は少女の元へと近づき、両手を袖の中へ入れたまま、気安い調子で話しかけることにする。

 

「おはようさん」

 

 とりあえずは、声を掛けてみるしかないだろう。そう思って榊が挨拶をすると、

 

「あ、はい。おはようございます」

 

 意外にもその少女は流暢な日本語(ひのもとことば)で返事をしてきた。

 

「異人さんのようだが、こっちの言葉は使えるんだな」

「はい」

 

 うなずくと同時に、良く手入れをされているらしい金の髪がサラサラと揺れる。

 見たことのない仕立ての洋服を着ているが、それも着古された様子はなかった。

 

(となると、結構な家柄のお嬢さんなんかね?)

 

 胸中で首を傾げながらも、まずは話をしてみるべきだろうと、榊は彼女へ笑い掛けた。

 

「さっきからずっとここから川を見てたんでね。ちょいと気になったんだが、何か見えるんで?」

「いえ、そういうワケじゃないんですけど」

 

 彼女は首を横に振って、困ったような笑みを浮かべた。

 

 よく見れば、左右の瞳の色が違う。

 先ほど見た翠玉色の瞳と逆の目は、紅玉色をしていた。

 

 その双眸と金の髪、ついでに容姿とも相俟って、神秘の一つでも幻視しそうなほどべっぴんである。

 

(金の髪の異人さんってだけで珍しいのに、左右で色の違う目となりゃ……声を掛けたのが、俺で良かったな、これは)

 

 妖怪や動物のみならず、見目(みめ)珍しい姿の人間をすぐに見世物として展示しようとする商売敵の顔を思い出しながら、胸中で苦笑する。

 異人さんであることを差し引いても、その見た目の麗しさは、見世小屋連中のみならず吉原界隈からも引く手あまたであろう。

 

(もっとも、それらに手を引かれりゃ、まともな最後は待っちゃいないだろうがね)

 

 世知辛い世の中に、榊が胸中で苦笑していると、少女が小さく口を開く。

 

「気がつくと、この橋の近くにいたんです――って言ったら信じます?」

 

 異人の少女は、そう告げる。

 

「ん? そいつは、どういうことだい?」

「ですよね」

 

 聞き返されるのは覚悟の上であったようで、少女は言葉を選ぶようにしながら、榊に答える。

 女性(にょしょう)伊達らに岡っ引きなんぞをやっている知人が、罪人の追いかけていた。それに手を貸すつもりで、罪人の前に立ちはだかったところ、罪人が持っていたと思われる布袋が大きな口を開いて少女を飲み込んだという。

 

 飲み込まれたと思ったら、今度はこの橋の近くにいたそうな。

 

「信じて、もらえないかもしれないですけど」

 

 寂しそうにそう付け加えるのを聞きながら、榊は下顎を撫でた。

 

「その布袋。もしかしたら、罪人の持ち物(モン)じゃ無かったかもしれねぇな」

「え?」

 

 少女が置かれている状況を漠然と理解した榊は一つうなずく。

 

「ま、なにはともあれだ。こうやって俺が声を掛けたのも何かの縁だろう」

 

 彼女を元の場所に返す手段はまだ思いつかないが、だからとて、榊は彼女をこのまま放っておく気もない。

 

「腹は減ってないかい?

 大したもてなしは出来ねぇが、朝飯を一人分くらい増やすのは問題じゃあねぇからな。

 お前さんの話、飯でも食いながら、もうちょい詳しく話をしてくれねぇかい?」

 

 出来るだけ警戒されないように気をつけた態度で告げたたつもりだったが、少女は目を凝らしこちらを吟味するような顔をしている。

 

(知人が岡っ引きって話だかんな。まぁこういうクセも身に付くか)

 

 ましてや、突然見知らぬ土地に飛ばされたのだ。小さな親切すら、疑って掛かってしまうのも無理はないだろう。

 だから――というわけではないが、榊は名乗る。

 

「俺はしがない見世物小屋、博覧亭(はくらんてい)の榊って(もん)だ。

 ああ――見世と言っても警戒しねぇでくれよ。別にお前さんを見世物にする気はねぇからな」

 

 まだ二十になってから数年しか経っていないのに、完全に真っ白にな自分の髪の毛を撫でながら、榊はからからと笑う。

 

「人と変わった姿してると、奇異に見られるのが世の常だが、見られてる方は気分よかねぇもんな」

 

 それがきっかけになったのだろう。

 少女の(かげ)っていた顔に、ようやく明かりが灯った。

 

「私はヴィヴィオです。その、お言葉に甘えてよろしいでしょうか?」

「ああ、遠慮なさんな」

 

 一つうなずき、それから苦笑する。

 

「しかし何だな、お前さんにゃ悪いが、異人さんの名前はどうにも発音がし辛ぇな」

 

 呼べなくはないが言いづらい。何か良い呼び方はないものか、と榊は思案する。

 

「えっと……人によっては、私のことをヴィヴィって呼びますが……」

「んー……びび、びびか。そうだな。そっちのが幾分か呼びやすい」

 

 何度かそれを口に出し、納得するように榊は笑う。

 

「それじゃあ、うちの見世に案内しようか。腹が減っちまうと人間悲観的になっていけねぇ」

 

 そう言って榊は歩き始める。

 

「ちょいと歩くが、ついてきてくれ、()()()

 

 少しだけ彼女はキョトンとしてから、ややして自分が呼ばれたのだと理解したのだろう。

 

「はーい。よろしくおねがいしまーす」

 

 ようやく見せた年相応の笑顔でうなずくと、榊の横に並んで歩く。

 

こうして、おびびの博覧亭での生活が始まりを告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法と怪異が作り出した奇妙な出会いの物語

 

 

 

魔法少女リリカルなのはViVid

 

×

 

怪異 いかさま博覧亭

 

 

 

『ヴィヴィオと怪異と明烏』

 

 

 

ヴィヴィオのお江戸生活――はじまります

 

 

 

 

 



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ヴィヴィオと怪異と明烏 2

 

     1.

 

「はやてちゃん、これって……」

「せやな。茶袋(ちゃぶくろ)っぽいなー……」

 

 ティアナから見せてもらった映像を見ながら、なのはとはやては首を傾げる。

 

「日本の高知や長野辺りをメインに発生する怪異だよね……?」

 

 それがなぜミッドチルダなどにいて、あまつさえヴィヴィオを飲み込んだりしたのだろうか。

 

「とりあえず、知り合いの専門家に聞いてみるしかないかな」

 

 娘のことは心配だが、いくら心配したところでどうしようもない。

 故になのはは、今自分が出来ることを確実にやっていくしかないと、自分に言い聞かせている。

 

「神隠しの一種っちゅうはこういうのかもしれへんな。

 別の世界に飛ばされとる可能性もあるやろうから、こっちはその辺りを調べてみるな」

「うん。ありがとうはやてちゃん」

 

 とにかく、ヴィヴィオが無事であることを、今は祈るしかない。

 そう思いながら、二人はもう一度、ヴィヴィオが飲み込まれるシーンを再生する。

 

「はやてちゃん、止めて」

「ん?」

 

 一時停止された動画をじっと見つめながら、なのはが画面の一部を指さした。

 

「ここ。茶袋の表面――漢字で何か書いてない?」

 

「ほんまや。これ、何とか綺麗に拡大出来へんかな?」

 それがヴィヴィオを助けられるヒントになると信じて――

 

 

 

    ☆

 

 

 

「おびびちゃ~ん、そのお皿とって~」

「はーい。(よもぎ)ちゃん、これでいい?」

「うん、それ~」

 

 榊に拾われて数日。

 

 元々人見知りなどしないおびびは、すっかりここの住人達と仲良くなっていた。

 その中でも、博覧亭最年少の少女、蓬とは特に仲が良く、一緒に遊んだり、家事をしたり、内職したりと割といつも一緒にいた。

 

 そんな蓬とおびびが台所で仲良くドタバタしてるのを横目に、榊と、その幼馴染みで絵描きの蓮花(れんげ)がお茶をしていた。

 

「茶袋?」

「ああ。おびびから話を聞いた限りだとな。一番、近い怪異はそれだろう」

「茶袋ってあれでしょ? (ちゃ)(ぶくろ)とも呼ばれる――空からなんかお茶を煎じる袋がぶら下がってきて、さわると病気になっちゃうとかいう妖怪」

 

 聞いてくる蓮花にうなずきながら、榊は茶を啜り補足する。

 

「土佐なんかにいる茶袋はそう言われてるな。まぁそのあたりが有名すぎるんだが」

 

 もっとも、茶袋自体が非常に名前の通りが悪い妖怪なので、その中で有名と言われても微妙ではある。

 

「もちろん、土佐以外での目撃例もある。

 だがな、どうにも土佐以外で目撃されたものは、証言が一致しないんだよな」

「どういうコト?」

 

 羊羹(ようかん)をかじり、蓮花が首を傾げる。

 

「うーん……」

 

 榊は天を仰ぎ、一番わかりやすいだろう例をいくつか思い浮かべた。

 

「類似の怪異である薬缶吊(やかんづる)や、馬ノ首(うまのさがり)なんかの、見た目の不一致は除いた、あくまでも茶袋に限定した話な」

 

 そう前置き、蓮花がうなずいたのを見てから、榊は語る。

 

「曰く、触れたら大金持ちになったが長生き出来なかった。

 曰く、触れたら時間を逆行し過去をわずかな間、覗き見れた。

 曰く、自分の命と引き替えに死者が蘇った。

 ……とまぁそんな感じで」

「本気で、怪異の内容が一致しないのね」

 

 呆れたような顔をしながら、蓮華は羊羹を飲み込んで、お茶を啜った。

 榊は茶で口を湿してから続ける。

 

「だが、ここから察するに、茶袋という妖怪ないし怪異は、一つではないのかもしれないというコトだ」

「ああ、猫とかと同じってコト?

 茶袋という見た目はともかく、黒いのやら茶色いのやら、三毛やらがいる――みたいな?」

「そういうコトだな。とはいえ、恐らくだが、厄を与えるという部分は共通してるんじゃねぇかな」

「長生き出来なかったり、自分の命と引き替えに……って部分?」

「ああ。そう考えると、茶袋の中には厄と引き替えに願いを叶えてくれるやつもいるのかもしれない」

 

 榊がそう答えた瞬間、蓮花は自分の胸へと手を当てる。

 

「なるほど」

 

 自分で揉めるほどの質量すらないそこを撫でる幼なじみの姿を、見て見ぬふりしながら榊は続けた。

 

「願いを叶える種類の茶袋は、その願いの難易度に応じた厄を与えるんだろう。

 願ったものの命と引き替えに死者が生き返るなんていうのは、そのもっともたるやだろうな」

「……なるほど……」

 

 そこの脂肪は、命と引き替えにしても欲しいものなのか――という疑問は茶菓子に変えて、榊は茶と共に飲み込むと、天井を見上げるのだった。

 

 

     ☆

 

 

「お? 新しい奉公人(ほうこうにん)は異人さんか?

 着物姿も結構似合ってるじゃないか」

 

 坊主頭に筋肉質のガッチリした体躯の男が、気さくな様子でおびびに話しかけてくる。

 

「ありがとうございます。ヴィヴィオって言います。呼びづらかったら、榊さん達みたいにおびびと呼んでください」

「ああ、よろしくなおびび。

 俺は杉忠(すぎただ)(コイツ)の幼なじみで親ゆ……」

「悪友だ」

 

 自己紹介の途中で、すかさず榊が口を挟む。

 

「……だ、そうだ」

 

 それに苦笑してから、今度は一緒に連れてきた若い男を呼んだ。

 

「榊達も初めましてだったよな。

 俺ンとこの店のお得意先、中島屋の次期旦那。源一朗だ」

「どうも、源一郎と申します」

 

 紹介されて、彼はペコリとお辞儀をする。

 

 綺麗な身なりをきっちり着こなしたような、立ち姿だけで生真面目さがにじみ出ているような――源一郎はそういう男のようだ。

 やや痩せぎすで、ひょろりとした印象を受ける堅物――ある意味、杉忠の真逆を行く出で立ちである。

 

 ただ、不思議とおびびは、彼をどこかで見たことがある気がする。

 

 そんな彼に、杉忠は榊達を紹介する。

 

「ここ博覧亭は貧乏な見世物小屋だがな。若旦那の榊は、かなり知恵が働くし、妖怪や怪異に造形が深い。

 顔を覚えておくと、ここらで商売する際に、厄介事が起きてもで相談に乗ってくれるし、内容によっちゃゼニ次第で解決してくれぜ」

「杉忠。もうちょいマシな紹介の仕方は出来ねぇのかい」

 

 そう言って榊は苦笑はするが、否定はしない。

 

「とりあえず、杉忠も源一郎さんも、あがっていくといい。元々、何か用があるんだろう?」

 

 榊が二人を招き入れ、二人も履き物を脱いで居間へとあがある。

 そんな中で、おびびがじーっと源一郎の顔を見ていた。

 

「おびびさん……でしたか。あっしの顔に何か?」

「あー……いえ。少々、知り合いの横顔に似ていたものでして」

「そうでしたか」

 

 とりたてて、気にはしない様子で、彼は招かれるままに中へと入っていく。

 

(何となくゲンヤさんの若い頃って、こんな感じだったのかなーって思ったけど……そういえば、ご先祖様は日本人なんだっけ?)

 

 中島屋の次期旦那と言われていた。

 それが彼の家のことを示すのだとしたら、案外、この人がナカジマ家のご先祖様なのかもしれない。

 

「おびびちゃ~ん、どうしたの~?」

 

 それから、蓬ののんびりとした声を聞いて顔を上げた。

 

「ううん。何でもない。ちょっとした考えごとが湧いただけ」

「そっか~。私で相談に乗れるコトがあったら、相談してね~」

「うん。ありがとう」

 

 おびびと蓬は二人ではにかみ合いながら、仲良く居間へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 杉忠が源一郎を連れて、博覧亭に来た日の翌日。

 

 見返り柳を左手に見る、衣紋坂(えもんざか)の入り口で、着物の衣紋(えり)を正した(のち)に、衣紋坂(そこ)より続く五十間道(ごじっかんどう)を進み行く。そうして道を名前の通りに五十間(約九十一メートル)ほど歩けば、辿り着くのは大きな門。その門の名はその名の通り大門(おおもん)だ。

 

「江戸観光っつったら、やっぱここだろ」

 

 そう言って、杉忠は頭を撫でながら笑う。

 

「ここの入り口はここしかないから、中島の若旦那にも、おびびにも忠告しとくな」

 

 門をくぐりながら、杉忠は二人へと告げた。

 

「色々と決まり事の多い遊び場でな。

 帰り方もちゃんと後で教えてやるから、途中で勝手に帰ろうとしないでくれよ。決まり事を守らず帰ろうとすると、ここの門でひどい目に遭うぜ」

 

 その忠告を聞きながら、おびびは胸中で苦笑する。

 杉忠の表情は、いたずらを仕掛けている時の八神司令の顔そっくりなのだ。

 

(これは、源一郎さんへのいたずら、かな?)

 

 チラリと、源一郎の横顔を見る。

 真面目な顔でうなずいている辺り、恐らくは信じている。

 

(まぁいいか)

 

 せっかく杉忠が観光案内をしてくれているのだ。

 

 イタズラや冗談を含めた案内であろうとも、そこに悪意もないだろうし、陥れるようなことをする人ではないだろう。

 そんな人であれば、そもそも榊が友人――悪友と言っていたが――付き合いを続けているハズがない。

 

 最終的にはネタバラシをしつつ、笑って終える落としどころまで考えていることだろう。

 

 ならば、おびびとしてはそれを楽しむだけである。

 そうして、杉忠に連れられて二人はその遊び場とやらに足を踏み入れる。

 

 ここは吉原(よしはら)――現代であったのならば、十八歳未満の立ち入りは制限されること請け合いの遊び場所。現代風の俗っぽい言い方をすれば風俗街。

 

 おびびを連れてくること自体が間違っている場所であった。

 

 

 

 



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ヴィヴィオと怪異と明烏 3

 

  さて――時間は、少しだけ遡る。

 

 昨日、源一郎と共に杉忠がやってきた時のこと。

 おびびや蓬、蓮花が源一郎の話相手をしている間に、榊は杉忠を自室に呼んで、少しばかり二人で話をしていた。

 

「珍しく厄介事じゃねぇのかい?」

「まぁな。厄介っちゃ厄介だが、お前に頼めるような厄介じゃねぇさ」

 

 実際、杉忠が言うには本当にただ榊へ挨拶にきただけだと言う。

 

「少し話をしてわかったと思うがね、あの若旦那は堅物で有名なんだ」

「お前と正反対だよな」

「まぁな。そこに異論はねぇよ」

 

 言うと思った――と苦笑して、杉忠は肩を竦めた。

 

「女遊びなんてもってのほか。ただひたすら本を読むか、商いを覚えるか、あるいは神事を詣でるか――それ以外に興味がねぇときている」

「そりゃまた絵に書いたような御仁で。まるで日向屋(ひゅうがや)時次郎(ときじろう)さな。どっちの方が堅物だい?」

「どっちかといやぁ時次郎なのは間違いねぇが、多助(たすけ)役として俺に白羽の矢が立ったって言や、納得するか?」

「なるほど。納得以外の言葉がねぇや」

 

 呆れ顔でうなずきながら、榊は訊ねる。

 

「そんで日向屋から春日屋(かすがや)に鞍替えさせろと、大旦那からでも頼まれたってところか?」

「そんな大層なもんじゃねぇよ。

 堅物すぎて世間知らずじゃ商いもままならねぇってんで、地元から少し離れた両国広小路(ここいら)で、遊びと絡んだ商売を教えてやってはくれってなもんさ」

 

 口ではそう言うが、顔は多助になる気満々である。

 

「甘納豆をヤケ喰いするハメにはならねぇように気をつけな」

 

 そう言ってから、榊は少し天井を見上げる。

 そのまま、ふと脳裏によぎったことを頼むべきか否かで思案した。

 

「んあー……」

「どうした?」

 

 杉忠に訊ねられて、顔を降ろした榊は言いづらそうに口を開く。

 

「明日の観光案内なんだがよ。おびびも一緒に連れていってはくれねぇかと思ってな」

「ん? そりゃ構わないが――なんでだ?」

「まぁここに来てから、まだロクに遊ばせてやってねぇってのが一つ」

 

 榊のその言い方に、杉忠の眉毛がぴくりと動いた。

 

「おびびはあの容姿だからな。ちょいと、周囲からよろしくない視線が集まってるんだよ」

「それがどうして、俺の観光案内と通じるんだ?」

「どうせ多助になるんだろう?

 なら、ちょいとおびびっていう葉っぱを、森へ連れて言って欲しいってな」

「なるほど。すでに手がついてるって印象付けるわけかい」

 

 実際は買い手がいる必要はない。

 ただ、特定の遊廓に出入りしている姿があれば、それだけで牽制になるのである。

 

「ま、手を貸してくれそうな見世もあるしな。そういうコトなら引き受ける」

 

 うなずく杉忠に、悪ぃなと礼を告げてから、榊は付け加える。

 

「ついで……って言うわけじゃねぇんだが、おびびは護衛として優秀だ」

「は?」

「ありゃ武芸の類を身につけてると、俺は見てる。教えてやらぁ軽業だってすぐに覚えちまいそうだ。

 そんなわけで力技で襲いかかるような輩なら、割と余裕で返り討ちに出来そうだ」

「なんだ、そこまで気づいてたのか」

 

 杉忠は無精で伸びた顎髭を撫でながら、苦笑する。

 その様子に、自分の考えが間違っていなかったと確信した榊は眼鏡を光らせた。

 

「二重の依頼なんだろう?

 多助になるだけでなく、助けになってくれってな。犯人に目星はついてるんかい?」

「それがまったく。怪しい候補はいくつかいるが、こっちからは手を出せねぇってところか。

 まぁだからこその吉原だけどな。武器の類は持ち込めねぇあの場所は、そういう輩に対しては安全だ」

「違ぇねぇ」

 

 そう苦笑しあった後で、榊はひとつうなずいた。

 

「それじゃあ、明日は予定してる調べ物のついでに、お前さんの方の調べ物もやっておくとしますかね」

「いいのか? 怪異じゃねぇんだぞ?」

「お互いさまってな。ほどほどで手を引くさ」

 

 榊は小さく息を吐く。

 

「それに、そっちの調べ物の方が、予定してる調べ物よか簡単に片づきそうではあるんだよな」

「そうか。そんじゃあ頼むわ。おびびの観光案内は引き受ける」

「ああ、頼む。

 そんでまぁ頼んでおいてなんだが、あくまで預かってる余所の娘だかんな。悪い遊びは教えねぇでやってくれ」

「さて、どうだろうな」

 

 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる杉忠。

 

 それを見て、頼む相手を間違えたかもしれない――と、榊は思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

    ☆

 

 

 

 

 ――現代。ミッドチルダ。

 

「正直、先祖代々のお墓って言われても私にはピンとこないんですけどね」

 

 ノーヴェは頭を掻きながら、墓地の歩道を歩いていく。

 その後ろを歩いているのは、なのはとはやて、それからヴィヴィオのデバイスであるウサギのぬいぐるみクリス。

 

「そら、そうやろな」

 

 彼女の過去を考えれば、そういう反応も仕方はないだろうと、はやてはうなずく。

 

「それでもそれがヴィヴィオがどこへ行ったのかを調べるヒントになるっていうなら、どこへだって案内しますけど」

「ありがとう」

 

 そうして、ノーヴェの案内で、彼女の家の墓前へとやってくる。

 

「……さて」

 

 まずは、お参りをしてから、墓石に書かれた代々の名前を確認していく。

 一つ一つ丁寧に読み上げていくなのはを見ながら、ノーヴェがはやてに訊ねた。

 

「でも、本当に書いてあったんですか?

 ヴィヴィオを飲み込んだ布袋に」

「間違いあらへんよ。

 ミッドチルダに和名の名字は少なくはないと言うても、そう被るコトはあらへんからな。

 中島と書かれてたら、高確率でノーヴェの家の関係やと思ったんよ」

「はやてちゃん、あったよ」

「ほんま?」

 

 なのはが指さす、墓石に彫られた名前。

 それは――

 

「ゲンイチロウ・ナカジマ。この人だね」

「せやね。この人が、ヴィヴィオを飲み込んだ原因の一つなんは間違いない」

 

 あとは、この人がどうしてヴィヴィオを飲み込むような原因を作ったのかを調べる必要がある。

 

「なんか、すみません。うちのご先祖様が、今になって、なのはさん達に迷惑かけてるみたいで」

「別に、ノーヴェが謝るコトじゃないでしょ?」

「そうかもしれませんけど……」

 

 何やらバツの悪そうな顔をするノーヴェに、なのはは苦笑する。

 そこへ――

 

《その通りです。全てはあっしが原因です》

「……え?」

 

 聞きなれない男性の声が、割って入って来た。

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 杉忠に連れられて通りを歩いていると、すれ違う人の多くは綺麗な女性だった。

 建物の二階の窓などから顔を出してる人も、みんなめかしこんでいる女性ばかりだ。

 

「なんだかここは、綺麗な人がいっぱいいるんですねー」

 

 などと、のんきな感想を口にしながら、おびびはこの場所がどんな所なのか、だいたい想像がついてきた。

 

(はやてさんとか好きそうだけど、ヴィヴィオはここに来ていいのでしょうか?)

 

 その疑問を口にしないのは、一緒に歩いている杉忠と源一郎を思ってのことだ。

 

「あの、杉忠さん。ここは……」

 

 生真面目でこういうことに疎そうな源一郎も、さすがに堪付いてきているようだが――

 

「お、あそこだ。あそこ」

 

 こんな感じで、杉忠は上手いこと源一郎の声をかわしていく。

 

「邪魔するぜー」

「…………」

 

 何やら難しい顔をする源一郎の横顔におびびは苦笑する。

 それから、入るのをためらっている源一郎の手を取り、

 

「行きましょう。源一郎さん」

 

 おびびは子供だからよく分かりませんという顔で、その手を引きながら杉忠の後に続いた。

 

「おや、杉サマじゃないかい。いらっしゃい。今、狭霧(さぎり)を呼ぶね」

「いや、ちょいと待ってくれ」

 

 キセルを吹かしていた女楼主(おんなろうしゅ)が、杉忠が贔屓している花魁(おいらん)を呼ぼうと腰を上げようとするのを、杉忠は制した。

 

「実は仕事のお得意様から、多助役を頼まれてね」

「へー」

 

 楼主の顔色が変わる。

 

「そっちの嬢ちゃんが、時次郎様かい?」

「いやいや。こっちはまた別件。

 時次郎役は、その子に手を引かれてる旦那さ」

「あの、杉忠さん……」

「いらっしゃい、旦那。杉サマの紹介だっていうなら、うんと良くするよ」

 

 源一郎が何か言おうとしたのを遮って、楼主が威勢良く笑う。

 

「若旦那は先に遊んでてくれや。

 俺はちょいと、楼主と話があるんでな。おびびもちょいと俺につきあってくれ」

「いや、あの……」

 

 綺麗な女性達が三人ほど、彼を囲んで微笑する。

 

「さぁ、そうぞ」

「二階にご案内しますわ」

「まずは杉サマが来るまで楽しみましょう」

 

 ぐいぐいと、押されて引かれて(あゆ)まされ、源一郎はそのまま階段の上へと消えていく。

 そうして、源一郎が二階の一室まで通されただろう頃合いに、楼主がキセルを口から離し、紫煙をくぐらせた。

 

「いくら杉サマの頼みでも、厄介事は勘弁だよ?」

「さすがの嗅覚。つってもまぁ、多助役を頼まれたってのも本当なんだけどな」

「なら、若旦那は上手いこと骨抜きにしてやらないとね」

「骨抜き役の稼ぎ頭が引き抜かれちまっても知らねぇぜ?」

「そん時はそん時さね」

 

 二人して悪い顔をする姿を、おびびは困ったような笑顔で見守っていると、杉忠が親指をおびびに向けた。

 

「それで、本題はこの子なんだけどな」

「ああ。べっぴんな異人さんだねぇ……こりゃ、将来絶対良い女になるよ」

「ありがとうございます」

 

 掛け無しの絶賛に、おびびは思わず照れてしまう。

 

「この子がどうしたんだい?」

「知り合いがちょいとワケあって親御さんから預かってるんだが、この容姿だろう?」

「ははーん……ロクでもないのに目を付けられたんだね」

 

 合点がいったと、楼主がうなずく。

 

「なのでまぁ……悪いんだがちょいとここで禿(かむろ)のフリをさせて欲しいってワケだ」

「禿?」

 

 杉忠の横で、おびびが首を傾げると、楼主が説明してくれる。

 

「まだ客を取る許可が出てない花魁の見習いのコトさ。まぁ仕事は主に雑用だけどね。

 お嬢ちゃんくらい見てくれが良いなら、引込禿(ひきこみかむろ)としても充分通用するだろうね」

 

 ちなみに、引込禿とは、将来的に稼ぎ頭になるだろうと見込まれる禿のことだそうである。雑用よりも、花魁としての英才教育が施されるのだとか。

 

「それがどうして、私を守るコトになるんですか?」

「その辺りはちと説明が難しいんだが……」

 

 杉忠は頬を掻きながら、どう説明したものかと思案していると、おびびの表情が急に鋭くなった。

 

「おびび?」

 

 一瞬、訝しむが、杉忠は即座にその意味を理解する。

 

「おいおい。まさか、大門を越えてきた奴がいるのか?」

「……たぶん。大門をくぐった時に怪しい気配のほとんどは消えたんですけど、諦めてない人がいたみたいです」

 

 その言葉に、楼主が眉の溝を深くする。

 

「どこの馬鹿だいそれは。おびびくらいの歳の子が、吉原に来るってのは、身売り先が決まったってコトだと理解出来るだろうに」

「え? 私、売られたんですかッ!?」

「落ち着けおびび。売ったフリだよ。それでお前さんを(かどわ)かして金にしようって連中は振り落とせたハズだったんだが……」

 

 杉忠の言葉に小さく安堵してから、改めてその言葉を吟味する。

 

「それってつまり、私以外を狙ってるってコトですか?」

 

 おびびの疑問に対して、杉忠はすぐに答えない。

 難しい顔をする彼と、眉間に皺を寄せている楼主の顔を見比べながら、おびびはもう一つ、思いついたことを口にする。

 

「最初から、吉原(ここ)で事を起こすのを目的にしてたりして……」

 

 それで何かピンと来たのか、楼主が皮肉げな笑みを杉忠に向けた。

 

「杉サマ。あんた、お得意さまにハメられたんじゃないのかい?」

 

 チッと杉忠は舌打ちをする。

 

「狙われてるって話は聞いていたが、まさか吉原でやらかそうとするなんてな……俺より、良い賄賂握らせてるやつがいたってコトか」

 

 杉忠は禿頭をガリガリと掻いて、うめく。

 

「杉忠さんは、源一郎さんのところへ」

「おびび、お前さんはどうするんだ?」

「屋根に上がります。

 あの……無理を承知でお訪ねしますけど、源一郎さんがいる部屋を見てる人から、気づかれないように屋根に上がれる場所とかあります?」

 

 その言葉に、楼主が目を見開く。

 

「正気かい?

 お嬢ちゃんにあの旦那を守る理由でも?」

「だいたい二百年後くらいに、あの人の子孫とその関係者のみなさんに、命を救ってもらう予定ですので……その義理と、お礼ですかね」

 

 殊更に面を食らったような顔をするが、何か気づいたように楼主は笑った。

 

「お嬢ちゃんを預かってる御仁ってのは、博覧亭の若旦那かい?」

「はい。そうですが?」

「納得したよ。あの旦那にゃ、二度も世話になってるからね。ちゃんと礼はしとかないといけないねぇ……」

 

 うんうんと、うなずくと、楼主は立ち上がる。

 

「杉サマはお嬢ちゃんの言う通り、さっきの旦那のところへ行きな」

 

 楼主は近くにいた禿を呼び、杉忠を案内するよう指示をする。

 

「お嬢ちゃんはこっちだ。

 暴れるのは構いやしないが、見世の中でってのは避けてくれ。ついでに――」

「建物を傷つけるのも極力気をつけますね」

「ああ、そうしておくれ」

 

 何やら楽しそうに、楼主はうなずく。

 

「いやぁ勿体ないねぇ……。

 絶対に美人になるだろうし、誰に対しても物怖じはしない。

 頭もキレるし、口もうまそうだし、腕までも立つってんなら、花魁兼用心棒としてうちに欲しいくらいだ。

 通常の引込禿を買う額の倍を出しても惜しくはないねぇ」

 

「えっと……買いぶりすぎかと……」

 

 大絶賛されているというのは分かるのだが、人身売買の価格を引き合いにだされるというのは、些か複雑な気持ちである。

 

「人の見る目には自信があるんだがねぇ」

 

 ニヤリと笑って、楼主は告げる。

 

「良い女になれるってのは保証するよ。

 今のままの生き方を貫けるってんなら、お嬢ちゃんは本当にね。

 女として綺麗なまま、下手な男よりも格好良くなれる」

 

 それは本当に確信を持った言葉のようで、おびびもうれしいような恥ずかしいような、何ともいえない顔をする。

 

「照れる必要はないさね。胸を張って生きていきな」

 

 そうして――

 

「ついたよ。この部屋さ」

 

 おびびが指定した条件を満たす部屋へと、辿り着いた。 

 

 

 

 



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ヴィヴィオと怪異と明烏 4

 

 杉忠が、おびびと源一郎を連れて出掛けた後、榊は見世の外へと出てとある場所へと向かう。

 それは榊がおびびと出会った場所――大橋へだ。

 

(おびびがこの近くに居たのは、ここらが境界だから――なんだろうかね)

 

 橋は異界へと繋がっているという話がある。

 

 元々、川を挟んだあちらとこちら、それを繋ぐものだからだ。

 そして、川とは三途。隔てているのは生と死だ。故に橋の向こうとこちらは別世界。

 

 その在り方を体言するかのように、榊はこの大橋で怪異と遭遇することが少なくもない。

 

「まぁ、ある意味おびびもその一つかね」

 

 独りごちて、橋姫の元へと歩む。

 

《あら、榊ちゃん。どうしたの?》

「いえ。おびび以降、他に変わった異邦人はなかったですかね?」

《そうねぇ……今のところは――って、あ》

「あ?」

 

 何かを見つけたように、橋姫は橋の中央を指さした。

 

「……?」

 

 ゆっくりと榊はその指さす方へと身体を向けると――

 

「……ッ!?」

 

 そこには、古ぼけた小さな布の袋がひとつ。

 何も存在しないはずの天から、ぶら下がっていた。

 

「ちゃ、ちゃ、ちゃ……茶袋だーッ!!」

 

 それはそれは、大層嬉しそうな顔をして、榊は茶袋に飛びつこうとする。

 

 だが、榊がそれに触れるよりも先に、袋はペッと何かを吐き出した。

 吐き出された何かは榊の顔に直撃する。

 

「ぐえ」

 

 それから、茶袋はそれを吐き出し終えると、空へと消えていってしまう。

 

「くそー……せっかく茶袋に会えたっていうのに」

 

 顔を押さえながら榊がうめくと、橋姫は思わず苦笑する。

 

《あれって、触ると病に冒されるんじゃ……》

「茶袋の呪いによる病……体験してみたいじゃないですかーッ!!」

《…………》

 

 顔を輝かせて拳を握ってみせる榊に、橋姫は一歩後ろへと後ずさった。

 それはそれとして――

 

「あの茶袋……文字が書いてあったな……」

 

 中島源一郎之祈願在中(ナカジマゲンイチロウノキガンザイチユウ)

 

 読み間違えでなければ、そう書いてあった。

 どうして、その名前が書かれていたのかは、推測出来ないわけでもないが――

 

「ところで、茶袋は何を吐き出したんだ?」

 

 榊は何かがぶつかった額をなでながら、周囲を見渡す。

 

《これじゃないかしら》

 

 橋姫が指さすところにあったのは、

 

「うさぎ……?」

《かわいいお人形ね》

 

 そう。うさぎを模したと思われる人形だ。

 

「何だこりゃ?」

 

 首を傾げると、うさぎの人形はひとりでに立ち上がる。

 

「うわー」

 

 榊は再び目を輝かせて、そいつを抱き上げた。

 

「茶袋が吐き出した付喪神(つくもかみ)ッ!」

 

 その行動を見ている橋姫が呆れているが、妖怪馬鹿は気にしちゃいない。

 急に抱きしめられて戸惑っている人形に、ふと橋姫が訊ねる。

 

《うさぎのお人形ちゃん。あなた、おびびちゃん――えーっと、びびおちゃんだったかしら――って知ってる?》

 すると、そのうさぎは激しく首を上下に動かす。

 

「チッ、すでに主人付きか」

《人さらいみたいなコト言わないの、まったくもう》

 

 呆れ顔の橋姫はさておいて、榊はうさぎを顔の高さにまで持ち上げて訊ねる。

 

「そんでお前さん、おびびを助けに迎えに来たってコトでいいかい?」

 

 訊ねると、人形は首を横に振った。

 

「ん? 違うんで?」

 

 身振り手振りで必死に何かを伝えようとしてくるのを見ていると、不思議と内容が理解できる。

 

「伝言? おびびにかい?」

 

 他にも伝言を預かってきていることを伝えようとしてくる様子で、パタパタと動く。

 

「ん? 俺にも伝言があるんかい?」

 

 どうやら人目の付かない場所で、その伝言を見せたいそうだ。

 

「なら一度見世に戻るかね。ちょいと人形のフリしててもらえるかい?」

 

 ピッと右手を額の上辺りでナナメにおいてから、人形のフリをしてくれるのだった。

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 屋根の上に登ると、すぐ側の別の建物から、源一郎の部屋を狙っている輩を見つけた。

 恐らくは屋根づたいに、こちらの建物へと移って、屋根から彼のいる部屋へ飛び込むつもりだろう。

 

(だったら……)

 

 おびびは息を潜めて、相手の死角を位置取る。

 

 刺客が屋根づたいにこの建物へと移ってきて、源一郎の部屋の辺りで足を止めた。

 そこから、窓でも蹴破るつもりなのだろうが、そうはいかない。

 

 こっそりと、相手の足にバインドを仕掛ける。

 

 刺客が飛び降りようと動こうとして、足が動かないことに驚愕している気配を確認すると、おびびは息を押し殺したまま、刺客の背後に体当たりをした。

 すでにバインドは解除している。刺客とともに屋根の上から身体を投げる形になるが、魔法による姿勢制御と慣性補正を行って、華麗に着地してみせた。

 

 必要があれば刺客にも、魔法で落下を押さえるつもりだったが、相手は空中で姿勢を正して着地してみせる。

 

「あれで終わるつもりだったんですが」

「なかなか悪くはなかったが、な」

 

 刺客がおびびを確認して、構える。

 

「気配の消し方。足に対する拘束。躊躇わず、自らを屋根から投げる胆力――()っぱなどと侮る気はないぞ」

 

 おびびは自分の失態に胸中で舌打ちをした。

 背後からの魔法で意識を刈り取ってしまうべきだった。

 

 この警戒の仕方――明らかにプロの類い。

 

 だが、そんなことなどおくびに出さず、おびびは自分の拳を打ち付けあってから、構えた。

 

「守る為のこの拳です。

 初手を失策(しくじ)ったからといって、退(しりぞ)くような鍛え方はされていません」

 

 白昼の吉原の大通り。

 禿にしか見えぬ少女と、吉原にあってなおまともと思えぬ空気を纏う男が、拳と刃(たがいのえもの)を構えて睨み合う――

 

 

 

 

 

 おびびと賊とが技を交える光景をみながら、源一郎はただひたすらに、どうしてこうなったのかを考えていた。

 

 堅物で融通が利かないからと言わえているが、だからとて頭の巡りが悪いというワケではない。

 いくら父に言われたからとはいえ、杉忠と共に両国広小路まで来るのは気が進まなかった。

 

 それでも、ここまで付き合ったのは、ひとえに自分が誰かしらに嫌がらせを受けている自覚があったからだ。

 

 源一郎の兄弟は多い。家の跡取りになるのは長男である源一郎に半ば決まっているとはいえ、商人としての才覚があるのは次男の方だ。

 

 父も母も、親類も、みな次男を贔屓する。

 だが、世間体というものもあるからか、跡継ぎの話が出れば源一郎にする予定だと皆が言う。

 

 身内を疑うのは嫌ではあったが、辻褄があってしまう事柄が多く、苦心していたところに、今回の話があった。

 僅か数日とはいえ、実家を離れることで、状況を冷静に分析しなおせるのでは無いかと思ったのだ。

 

 しかし結果はこれだ。

 

 父か弟か――恐らく身内に雇われだろう刺客が、自分を襲撃してきた。

 

 事前に察知したおびびがそれを防いでくれたとはいえ、杉忠と、杉忠の馴染みのこの見世に多大な迷惑をかけている。

 

「あっしなんて、いない方が世のためになったんでございましょうかね」

 

 思わず、そんな言葉が口をつく。

 次の瞬間――

 

「……ッ!?」

 

 右の頬に衝撃が走り、徐々に熱を帯びていく。

 見れば見世の遊女の一人が、平手を打った姿勢のまま、源一郎を睨んでいた。

 

 その横で、振り上げた拳を所在なさげにおろす杉忠の姿もある。

 この遊女が自分を叩かなければ、杉忠に殴られていたのだろう。

 

 だが――

 

「なぜ?」

「旦那が何を思ってその言葉を口にしたかはわかりゃんせん。ですが――」

 

 そこで言葉を切り、おびびを示す。

 

「その言葉、あの子に失礼と思わんのかや?

 身体を張って、旦那を守ろうとしとりますえ」

「それが分からないんです。

 あっしとあの子は昨日会ったばかりの仲。身体を張ってまであっしを守る必要なんて――」

「理屈じゃねーんだろ」

 

 腕を組み、杉忠が告げる。

 

「おびびが自分で言っていただろ。

 守る為の拳だ――ってさ。守りたいと思ったものを守る。彼女はその為に拳を握ってるんだろうさ」

「……なるほど。それを理解出来ないから、あっしは堅物で融通の利かない奴だと(あざけ)られるのかもしれませんね」

 

 思いこみ、決め込み、それしか考えられなくなるから、視野が狭まる。

 

 護りたいから護る――それだけの理由で身体を張って誰かを守ろうとする。そんな人間がいるだなんて、想像もしたことがなかった。

 

 一直線にしか進めないから融通が利かないのではなく、自分は、わき道が見えないから一直線にしか進めなかっただけだ。

 横道を分かってて一直線に進むのと、横道を知らずに進むのでは大違いなのだ。

 

 ――ここに至ってようやくそれに気が付くことが出来た。

 

 そんな時、

 

「杉サマ、あの……あれ、なんですか?」

 

 遊女の一人が、何かを指さして杉忠に訊ねる。

 その指が示す先にあるのは――

 

()(ふくろ)……ですかね?」

 

 杉忠の代わりに、源一郎が答える。

 

「あんな何にもない場所に……どうやってぶら下がってるの?」

 

 遊女のもっともな疑問に、源一郎も首を傾げた。

 

「ありゃ、茶袋って怪異だ……やばいぞ、出現場所が最悪すぎるッ!」

 

 杉忠は身を乗り出して、おびびへと警告する。

 

「おびび、天からぶら下がってる茶袋には気をつけろッ! 触った奴を病に冒す怪異だッ!!」

 

 声をあげながら、杉忠は妖怪馬鹿の幼なじみに感謝する。

 あの枯れススキこと榊から、話のタネとして聞かされたことがなければ、杉忠も存在を疑問に思っていただろう。

 

「はいッ!」

「警告痛みいる!」

 

 だが、あれだけの大声だ。

 その警告は、おびびだけでなく、刺客に耳にも当然入る。

 

 そして二人は茶袋の存在を駆け引きに取り入れながら、再び技を交わし合う。

 

「とっとと、あっしを殺そうとすればいいものを……」

「それをすれば、おびびが確実にその隙を狙うって、あいつも分かってる。だから、まずはおびびを何とかしようとしてるのさ」

 

 故に何とか拮抗していられるのだと杉忠は言う。とはいえ、いつまでも拮抗は続かない。

 なぜならば、刺客の方が僅かばかり上手だったからだ。

 

「しまった……ッ!」

 

 おびびの隙をついて、刺客の膝が彼女の水月(みぞおち)にめり込む。

 

「……ぁッ……!」

 

 喉の奥から空気を漏らすおびびの頭を捕まえた。

 

「あいつ、おびびを茶袋に……!」

 

 歯ぎしりをする杉忠の横で、源一郎が覚悟を決める。

 

「先ほど、あっしの頬を叩いたお嬢さん」

「え、あ……あの、先ほどは失礼を」

「いえ――むしろ礼が言わせていただきます。

 もし可能なら、改めて吉原遊びをあっしにご教授していただきたい」

 

 そうして、源一郎は一方的にそう告げると、地面を蹴る。

 それの背を見送る遊女――粉雪の顔を見た杉忠は、源一郎は間違いなく時次郎であったと確信するのだった。

 

 

 



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ヴィヴィオと怪異と明烏 5

 

「これでお前はもう邪魔は出来ぬだろうよ」

 

 刺客はおびびを、茶袋へ向けて放り投げる。

 

 そこへ、源一郎が割って入ると、おびびを受け止めた。

 だが、その勢いまでは殺せず、源一郎は後ろへと倒れ込む。

 

 そんな中で、おびびだけは茶袋に触れさせまいと、強引に脇へと投げた。

 

「あ……」

「おびびさん。あっしなんぞの為にありがとうございました」

 

 源一郎の背中が、茶袋に触れる。

 

 次の瞬間――茶袋はその姿を大きくして、口を開くと、源一郎を飲み込んでしまった。

 誰もが呆然とする中で、おびびは即座に気を持ち直して、賊へと強烈な蹴りを見舞う。

 

「ちッ」

 

 彼はそれを舌打ちしながらも、後ろへ飛んで威力を散らした。

 

「源一郎さんは飲まれちゃいました。どうしますか、刺客さん?」

 

 相手の目的は源一郎。その目的が消失したなら、ここでお開き――と、そういう思いが、おびびにはあった。

 するすると、天へと登っていく茶袋と、おびびの間で視線を往復させる刺客。

 

「この状況で冷静なのだな」

「この状況だから冷静にならないといけません」

 

 その言葉にうなずくと、賊は構えた。

 

「小娘。お前の命はここで断つ。

 放置しておけば、やがて俺のような仕事をするものの障害になりかねない」

「賞賛と受け取ります。ちっとも嬉しくありませんが」

 

 二人が、再び睨み合いを始めると、

 

「茶袋ッ! (ゲン)サマと天へ登ると言うんなら、わっちも共にさせてくりゃれッ!」

「粉雪姉様ッ、何をッ!?」

 

 二階の窓から身を乗り出した粉雪と呼ばれた遊女は、他の遊女達の制止振り切って、茶袋に向かって飛びついた。

 直後、源一郎を飲み込んだ時と同じように、巨大化して口を開くと、粉雪もその口で飲み込んでしまう。

 

 やがて茶袋は、もはや誰も届かない高さまで登っていくと、ゆっくりとおの姿を消していく。

 立て続けの出来事で、睨み合いをしている二人以外は呆然としている中で、新たな声が割ってはいる。

 

「少しばかり遅れちまったか」

 

 声の主は博覧亭の若旦那。何やらその手にうさぎらしき人形を抱えてやってくる。

 

「榊?」

「行ってこい。ご主人様を助けてこいッ!」

 

 信じられないことに、その人形はこくりと一つうなずいた。

 

「おびびッ、お届けものだッ、受け取れぇぇぇ――ッ!!」

 

 榊は力の限りに叫んで、力の限りその人形をぶん投げる。

 当のおびびは、刺客から視線をはずさないまま、左手を人形の方へと向けている。

 

「クリス……ッ! セットアップッ!!」

 

 その手にくりすと呼ばれた人形が触れると、おびびは虹色の光に包まれて、視界が晴れた時には大人の姿へと成長していた。

 

「な……」

 杉忠も、遊女も、見物人達も、そして賊までもが――みな驚愕に包まれている中、おびびは自慢の俊足で刺客の背後を取ると、強烈な一撃を決めて、戦いは決着を迎えるのだった。 

 

 

 

     ☆

     

 

 

 事件の真相はさておいて。

 

 榊は刺客をその筋へと引き渡しに行き――ついでにちょいとイカサマつかって脅したら、雇い主やら色々吐いてくれたので、色々解決した。

 杉忠は源一郎の飲食代と、粉雪の身請け代を支払った。もっとも、身請け代に対しては、かなり甘めに見てもらえたので助かった――とは杉忠の弁である。

 

 おびびの大人姿への変身に関しては、おびびを気に入ってしまった楼主が、見世のみんなと共にうまいこと誤魔化してくれることとあいなった。

 その代わり、おびびは両国広小路へと来た際に、時間がある時には必ず楼主に顔を見せにくるようにと約束することとなったのだが。

 

 さて、そんなこんなでドタバタして、源一郎が茶袋に飲み込まれてから数日後の博覧亭。

 

「さて、どっから説明すりゃいいんだい?」

 

 居間であぐらを組み、両手を袖の中に入れた榊が、杉忠に訊ねる。

 

「おびびが二百年後から来たってのは本当か?」

「ああ、間違いなさそうだ」

「にわかに信じられんが……」

 

 榊の返答を吟味するように、杉忠はお茶を口に含む。

 

「ついでだから付け加えるが、おびびをこの時代へと呼び寄せたのは、中島屋の若旦那が残した願いだ」

 

 乾いた口の中をお茶で湿して、榊は続ける。

 

「先日の茶袋は病を撒く怪異ではなく、人の寿命と引き替えに願いを叶える怪異だったのさ」

「話が見えねぇな」

 

 訝る杉忠に、榊はゆっくりと語る。。

 

「あの瞬間の旦那の願いは、おびびの故郷を見てみたいってなもんだったらしい。

 見てくれからして異人さんだからな。海の向こうの子だって事くらいは漠然と考えていたんだろうよ。

 茶袋もそれを軽く考えて、願いを引き受けた。だが、茶袋からしても旦那にしても、それが大誤算だったわけなんだが」

「大誤算? おびびは海の向こうどころか、海どころか空の向こう生まれとでも言う気か?」

「ああ」

 

 冗談で言っただろう杉忠の言葉に、榊があっさりとうなずく。

 さすがの杉忠の動きも止まる。

 

「まじで?」

「まじで」

 

 平然と茶をすする榊の姿に、それが真実であると納得したのか、杉忠はうなずきながら、次の疑問を口にした。

 

「……それで、何が誤算だったんだ?

 空の向こうっていってもよ。おびびの故郷には行けたんなら、願いは叶ったようなもんだろう?」

「まぁな。一緒に飲まれた粉雪さんと、くらながんって(みやこ)で幸せに過ごしたそうだ」

「ますます分からん。誤算ってなんなんだよ?」

「あの茶袋は、自分の腹の中へと飲み込んだ相手の願いを叶え、その願いの料金分の寿命喰らうと、再び日本のどこかへとぶら下がる。

 そうして生きている(もの)()らしいんだが、困ったコトに、源一郎から代金としての寿命を奪った後で、日本に帰れなくなったらしい」

「跳べたのにか?」

「どうやって跳んだのかは自分でもわからないんだと」

「そりゃ難儀」

 

 だが、そこまで行くと杉忠も大筋が掴めてくる。

 

「だから若旦那は、願いを追加したわけか。

 おびびが生まれ、自分を助けてくれた頃の年頃になったら、この時代の両国へ連れていってくれ、と」

「そういうこった。

 鶏が先か、卵が先かって話になっちまうが、そうやって循環が始まっちまったらしい」

「……ん? 待てよ。だが、おびびはどうやって帰るんだ? 日本へ戻ることが茶袋の望みなら、おびびと一緒にここへ飛んできた時点で、茶袋は目的を達したわけだろう? いなくなっちまうんじゃねぇのか?」

 

 杉忠のもっともな疑問に対して、榊はくっくっくっと喉の奥で笑う。

 

「なんだよ?」

「いや、笑っちまう話なんだよ。そこんところはよ」

 

 残ったお茶を飲み干して、榊は告げる。

 

「おびびが生まれるまで、今から二百年は必要なわけだ。

 それまで茶袋は、中島屋の若旦那と一緒に生活してたそうだ。怪異ちゃ怪異だが、家の中でぶら下がってる分にゃ、不思議はねぇ。

 そうやって、二百年もの間、中島一族を見守ってるうちにな、愛着が湧いちまったんだと。

 だが、寿命は前払いで、日本へ帰る手段を与えられている。そういう存在である以上、願いは叶えなくちゃなんねぇ。

 だから、おびびは飲み込んだし、願いの力で、おびびと若旦那が出会えるこの時代のこの瞬間に吐き出した。

 さて、いざ元の時代の日本で何をしようかっていうと、くらながんに帰りてぇと思っちまったそうでな。

 旅立つ自分と、若旦那達を見送った後は、おびびの持つ妖力を寿命の代わりちょいと借りて、一緒にくらながんへと戻るんだと。

 茶袋はこれからも、くらながんで繁栄していく中島一族を若旦那夫婦の幽霊と一緒に見守っていくらしい」

「そりゃ、確かに笑い話だ」

 

 笑いながら杉忠は、お茶を一気に飲み干した。

 

「そんで榊。お前はどうして、そんな話を顛末まで含めて知ってやがるんだ?」

「さすが杉忠。そこに気づくか」

 

 榊がそう苦笑すると、彼の着物の懐がもぞもぞと動きはじめて――

 

「うおっ!?」

 

 そこから、うさぎの人形が顔を出した。

 

「そりゃ、おびびのだろう?」

「こいつの頭の中には色んなものを記録できるらしくてな、二百年後の旦那の言伝(ことづて)で真相が全部記録されてたんだ、俺宛にな」

「なんだよ、本人からのネタばらしかい」

 

 面白くなさそうに嘆息してから、杉忠は顔をあげた。

 

「待て。人形がいるなら、おびびはどうした?」

「いますよ?」

 

 杉忠が首を傾げた時、ひょっこりとおびびが台所から顔を出した。

 

「帰れるんだろう? 帰らなかったのか?」

「いつでも帰れるんだったら、もう少し観光していこうと思いまして」

 

 無邪気な笑顔を浮かべるおびびに、杉忠は毒っ気を抜かれたような心地で、肩を竦めた。

 

「親御さんに心配はかけるなよ?」

「大丈夫です。二人いる母、どっちにもちゃんと許可はもらいましたから」

 

 そこまでしてるなら、もう杉忠は何も言えない。

「そんな訳で、博覧亭でもう少しお世話になりますので、クリス共々よろしくお願いしますね」

「おう。こちらこそよろしくな」

 

 ぺこりとお辞儀するおびびとくりす。

 それに杉忠は笑って手を振る。

 

「あ、そうだ。源一郎さんの幽霊から、杉忠さん宛に贈り物があったんでした」

「お?」

 

 おびびがくりすに何かをお願いすると、何もないところが波打って、そこから一つ袋がでてくる。

 

「これがかい?」

「何だいそりゃ?」

 

 取り出した袋をおびびから手渡されると、しげしげと杉忠は見る。

 触ったことのない感触の袋に、見慣れない文字が書かれた何か。

 

 袋の中身はどうにも見慣れたもののような気がしないでもないが……。

 

 興味があるのか、榊も脇からそれをのぞき込み――

 

「甘納豆だそうです」

 

 おびびが快活な調子で告げた。

 瞬間、榊は思い切り吹き出した。

 

「あの旦那……冗談を言えるようになったんだな」

「まったくだ。わざわざ未来から届けてくるんじゃねーよ。こうなったら、ありがたくヤケ喰いしてやるよ。このやろう」

 

 言葉の割には、楽しそうに杉忠はうめくのだった。

 

 

 こうして、博覧亭のにぎやかな日常に、少しだけおびびが混ざることにあいなった。

 もっとも、その少しの間に、毎度毎度騒動が起きるわけだから、おびびもおびびで大変なのかもしれないが。

 

 まぁ、そいつはまた別のお話。

 

 ちなみに、クラナガン製の甘納豆は、杉忠と博覧亭のみんなで美味しく頂いたそうな。

 

 

 ――ってなところで、おあとがよろしいようで。ここいらで〆といたしやしょう。では。

 

 

《Vivio in Hakuran-tei - closde.》

 

 





=コピー本当時のあとがき=

 毎度お手に取って頂きありがとうございます。北乃ゆうひです。今回は博覧亭のおまけページに倣い、ちょいとばかりうんちくをば。

 明烏(あけがらす)。元々は浄瑠璃の新内節演目で正式なタイトルは「明烏夢泡雪」。遊郭が舞台の心中モノのラブロマンス。時次郎ってのは、その主人公の名前です。

 あまりに人気だったもんだから、文政2年頃にエロパロが流行りまくったそうな。遊郭モノなのに浄瑠璃中じゃ濡れ場がねぇってんで、絵なり文章なりで書いてやろうじゃねぇかって連中がいっぱいいたらしい。

 その後でエロ以外のコメディ系のパロも流行し、そのパロネタをベースに作られたのが、八代目桂文楽が得意として有名な落語「明烏」。多助はこちらの登場人物の名前ってわけだ。

 昔から日本人は日本人だったという話。本書作中の年代だとコメディ版明鳥が流行ってるかどうか微妙な時期ですが、歴史的観点よりネタを優先した次第。

 そんな感じで今回は、時間もページもギリギリなので、この辺りで失礼します。
 読んで下さった皆様に、最大級の感謝を(ありがとう)
《20:38 / 11 / 10 / 2015 / End Roll - closde.》

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 そんなワケで、ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

 最後まで読んで下さった方々が、少しでも楽しんで頂けたのなら幸いです。



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