ロクアカ・クロニクル《リメイク版》 (嫉妬憤怒強欲)
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プロローグ「…横暴だなぁ」

 殺風景な荒野が続いていた。

 

 かつて戦争でもあったのか、山や地面のあちこちに巨大なクレーターが開いており、察するに、凄まじい規模の戦争が行われたようだ。

 

 草木が一本も生えておらず、生き物がいた形跡もない。

 

 空は立ち込める暗雲に覆われ、今が昼か夜かも分からない。

 

 

 

 まるで時が止まったかのような静かで虚しい。

 

 

 

 そんな場所の中で、おそらく最も高いであろう岩山の頂上に、今、一人の影法師が佇んでいた。

 

 全身を赤で縁取りされた漆黒のローブで覆い隠しているが、小さく曲がった背筋、そして深く下ろしたフードの下からは白い顎髭が覗いていることから初老の男性だということがわかる。

 

 

 

”この世界は繋がった”

 

 

 

 初老の男性は、なにもない荒野を一望しながら、静かに呟く。

 

 

 

”――――と繋がった世界、まもなく――を失う世界”

 

 

 

 誰へともなく、呟く。

 

 

 

”――――全ての運命に偶然などない。これまでに起こったこと、そしてこれから起こることは全て必然によるものだ”

 

 

 初老の男性は自らの手を差し出す。

 

 瞬間、掲げていた右の掌から白い稲妻と共に矢のような二条の黒色と白色の配色をした光が螺旋を描くように走ったかと思うと、一振りの灰色の剣が握られていた。 

 

 護拳の部分には悪魔の羽を生やしたヤギのレリーフが、剣の先端には水色の眼球のようなものが施されており、切先にはギザギザ状の歯がついている。

 禍々しい形状をしたその剣は、剣というよりもむしろ鍵のようだ。

 

 

”だから――、お前が用意した物語が狂いだすのもまた必然”

 

 一人語り続ける初老の男性は口角を上げ、

 

”そしてこれは、その必然の最初の一歩だ!”

 

 なにをとち狂ったのか、鍵型の剣を自分に向け、何の躊躇もなく己の胸に―――突き刺した。

 

 それだけでは終わらなかった。 

 

 突き刺した剣は消え、初老の男性の体が光りだし、ゆっくりと…光の粒子と砕けて…崩壊していく。

 

 だが――

 

”さあ、始めようではないか。最後までつかなかった遊戯の続きを――ただし、今回は盤上が大きすぎるがな”

 

 そのまま四散して、虚空に消滅していったときもフードの下の初老の男性の顔から不敵な笑みが絶えなかったのだった。

 

 そして時は流れる。

 

 

 

 

 

♦♢♦♢

 

 

 

「zzzzz……」

「起きなさいネイサン!」

「zzzzz………ん」

 

 うたた寝していた少年に、銀髪の少女が怒りを露に声を上げて起こしにかかる。その銀髪の少女の隣にいる金髪少女は、苦笑いしてその光景を見守っている。

 

「ああ、システィーナか……おはよう」

「おはよう、じゃないわよ!貴方この学院の生徒である事を自覚しているの!?」

「してるからちゃんとここの学院の制服に袖を通してあるだろ?」

「服装のことを言ってるんじゃないわよ!だいたい貴方はいつも――(以下略」

 

 魔導大国として知られる帝政国家、アルザーノ帝国。

 この国において、400年の歴史を誇る魔術師育成の学舎であり、数多くの魔術師を目指す若者が集う名門校の一つが南部の町フェジテにある。

 

 当時の時の女王アリシア三世が創設したとされ、『魔術』の才能のある者ならば家格や階級を問わず、常に最先端の魔術を学べ、現在でも数多くの優秀な魔術師を輩出している。

 

 それがここ、『アルザーノ帝国魔術学院』である。

 

 

 ぐちぐちと説教を始める銀髪の少女の名前はシスティーナ=フィーベル。アルザーノ魔術学院の生徒であり、ネイサンと同じ教室で魔術を学ぶ学士である。

 

 魔術を学ぶ者にとっては憧れの聖地とも呼ばれているこの魔術学院に在籍している事実を若者達は誇りに思い、魔術を学んで、日々魔術の研鑽に励んでいる。

 

 その一人がシスティーナである。

 

 純銀を溶かし流したような銀髪のロングヘアと、やや吊り気味な翠玉色の瞳が特徴的な少女は、跳ねた黒髪に緑がかった水色の瞳、そして、筋骨隆々とまではいかないものの、比較的恵まれた体格が特徴的な少年ネイサン=ミラーを説教している。

 

「そうカリカリするなよぉ。こっちにも都合ってものがあるんだから」

「この誇り高き学院で居眠りする程の都合なんてあるもんですか!」

「……横暴だなぁ」

 

 システィーナは模範的で優秀な生徒だ。ただ彼女の生真面目な性格と説教で容姿は美少女でも中身は残念という残念美少女ではあるが。

 

「まぁまぁ、システィ。ネイサン君も疲れてるみたいだし…、ねぇ?」

 

 横からシスティーナを宥めに入るのはシスティーナの親友であるルミア=ティンジェル。

 

 綿毛のような柔らかなミディアムな金髪と、大きな青玉色の瞳が特徴的な少女。清楚で柔和な気質がその容姿や立ち振る舞いから匂い立ち、その清楚と整った顔立ちはまるで聖画に描かれた天使のように可憐だった。

 

「ルミア…貴方はいつも甘いのよ! こいつが夜遅くまでダラダラしてるから眠くなるのよ!」

「失礼な。昨日バイト先の上司が勝手にシフトを深夜枠に入れられたんだよ。…おかげで昨日は一睡もできてないんだよ………ふわぁ」

「あはは………大変だね」

「そんなの断ればいいんじゃない」

「無茶言うなって…そこの上司人使いが荒い上にどっかの誰かさんみたいに口うるさいから断ったりしたら後が怖いんだよぉ~」

「……ちょっと、その口うるさいどっかの誰かさんって誰の事かしら?」

「……いやぁ、それにしてもヒューイ先生なんで辞めたんだろうなぁ?」

「話を逸らすな!」

「あ、あはは………でも本当になんでやめちゃったんだろう…ヒューイ先生。それに新しい先生もまだ来ないし」

 

 怒鳴るシスティーナをスルーして、ネイサンは別の話題へとかえる。

 

 ヒューイ先生とは、元々このクラス、二年次生二組の担任をしていた人である。しかし突然退職したため、今日から非常勤の講師がやってくることになった。

 

 

 

 だが現在、授業自体は始まっているのにまだその講師の姿が現れない。

 

 

 

 その非常勤講師の事をホームルームにやって来た大陸屈指の女魔術師セリカ=アルフォネア教授曰く『まぁ、なかなか優秀な奴だよ』という前評判は早くも瓦解しそうな勢いだった。

 

 声には出さないものの、他の生徒も少なからず同じ思いを抱いていた。

 

 

 

「……確かにそうね。全く、この学院の講師として就任初日からこんな大遅刻だなんていい度胸だわ。これは生徒を代表して一言…」

 

 システィーナが怒りを露にそう息巻いていると――

 

「あー、悪ぃ悪ぃ、遅れたわー」

 

 がちゃ、と教室前方の扉がやる気のなさそうな声と共に開かれた。

 どうやらその噂の非常勤講師とやらが今、やっと到着したらしい。

 クラスの生徒皆が注目する。しかし入ってきた人物の様子は想像していたものとは全く違っていた。

 

 全身ずぶ濡れで皺だらけのシャツ。黒髪黒瞳で長身痩躯であり、目鼻立ちは整っているがそれを台無しにして余りある怠惰な目付き。一目見ただけで真面目とは縁遠いと思わせる空気を纏っている。正直、左手の手袋と抱える教本がなければこの男が講師であるとは誰も分からないだろう。

 

「あ! やっと来たわね! 初日の授業から遅れるなんて、いったいどういう……神経して……」

 

 勢い勇んで腰を浮かしたシスティーナは、しかし見覚えのある男の顔に言葉を失う。親友であるルミアも目を真ん丸に開き、口元を手で押さえていた。

 

「ってあ、あ、あああ――貴方は―ッ!?」

「違います、知りません人違いです」

「そんなわけあるかぁ!?あなたみたいな男、早々いてたまるもんですか!」

「こらこら、お嬢さん。人に指差してはいけませんって習わなかったかい?」

「ていうかあなた、なんでこんな派手に遅刻してるの!? あの状況からどうやって遅刻できるっていうの!?」

「そんなもん、遅刻だと思って切羽詰まってた矢先、実は時間にまだ余裕があるってわかってほっとして、ちょっと公園で休んでいたら本格的な居眠りになったからに決まってるだろう?」

「なんか想像以上にダメな理由だった!?」

「………ねぇなんなの、この状況? ていうか、登校時に何があった?」

「あはは……ま、まぁ朝にちょっと…ね」

 

 どうやら登校時に何かがあったらしいが、一体何をしたらあんなにシスティーナを怒らせられるんだか。

 

(あれ?ていうかアイツは確か………)

 

 ネイサンはシスティーナとコント染みたやり取りを取る青年を見据える。

 

 ネイサンはその青年のことを知っていた。正確にはバイト先にあった資料上で。

 

(あそこは去年に辞めたはずなのに………)

 

 何故この学院にいるのかネイサンが疑問に思っているのを尻目に、当の非常勤講師らしき男が教壇に立つ。チョークを手に持ち黒板に名前を書き始める。

 

「えー、グレン=レーダスです。本日から約一ヶ月間、生徒諸君の勉学の手助けをさせていただくつもりです。短い間ですが、これから一生懸命頑張っていきま……」

「挨拶はいいから、早く授業を始めてくれませんか?」

 

 苛立ちを隠そうともせず、システィーナは冷ややかに言い放った。

 

「あー、まぁ、そりゃそうだな……かったるいけど始めるか……仕事だしな……」

 

 クラス全体が静まり返り視線がグレンに注目する。静かな教室に黒板に字を書くチョークの音のみが響く。そして書かれた文字は…

 

 

 

 

 

―自習―

 

 

 

 黒板に大きく書かれたその文字に、クラス中が沈黙した。

 

「えー、本日の一限目の授業は自習にしまーす」

 

 さも当然、とばかりにグレンは宣言した。

 

「………………………………眠いから」

 

 さりげなく最悪な理由をぼそりとつぶやいてグレンは教卓に突っ伏して数十秒もしないうちに眠りについた。

 

「って、ちょおっと待てぇえええええええ―――!?」

 

 圧倒的な沈黙から我にかえったシスティーナがグレンに向かって吠える。対してネイサンは―――

 

(……なんだかよくわからんがラッキー)

 

 グレンのやる気なさと、興味無さげな死んだ魚の目のような瞳を見て、先程までの疑問がどこかへと吹き飛んでいた。

 

そして―――

 

(……寝るか)

 

 システィーナの叫び声を子守唄に、再び寝ようと机に突っ伏した。

 

「って、あんたも寝ようとするなぁあああああああ―――ッ!!!!!」

 

 それを見たシスティーナは、そうは問屋が下ろさないとばかりに分厚い教科書を両手に持って立ち上がり、大声で吠える。

 

「うるせぇなぁ……静かにしろよな」

 

 システィーナの大声で睡眠を邪魔され、目を覚ましたグレンは気だるげなまま、システィーナに一見マトモな注意をするも―――

 

「貴方がそれをいいますか!?」

「アハハ……」

 

 当然、自身を棚に上げた注意にシスティーナはツッコミを入れ、彼女の隣に座っているルミアは曖昧に笑うのであった。

 

 



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「…思いっきりダメ人間じゃないっすかーヤダー」

 現在十二時過ぎ。昼休みの時間。

 

「さてさて、なにを食いますかねぇ……」

 

 午前の授業が終わり、昼食を食べるために学院校舎本館の一階にある食堂へと足を運ぶネイサンはそう口にする。

 

「それにしても、まさか初日からあんなことやらかすとはいろんな意味でヤバいなぁ…」

 

 非常勤講師としてやってきたグレン=レーダスは最初の授業に大遅刻した挙句、授業内容は初っ端から自習という怠慢。次いで錬金術実験のため着替え中の女子生徒達を覗き、集団リンチを受けてボロ雑巾と化す。側から見る分には愉快極まりないやらかし具合である。

 何がどうしてこんなダメ人間が非常勤講師をやっているのか、この数時間で生徒達の大半がそんな疑問を抱いたであろう。

 

「まぁ、いいか。俺の知ったことじゃないし」

 

 食堂へと到着し、地鶏の香草焼きと軽めのサラダを注文して、空いているテーブルを探していると、復活していたグレンに隣から話しかけられる。

 

「なあお前、それで足りんの?」

「ん?いや、見た目より結構あるとおもうんだけど? むしろそっちのほうが多くね?」

 

 グレンが持っている木製お盆の上を見てると、地鶏の香草焼き、揚げ芋添え。ラルゴ羊のチーズとエリシャの新芽サラダ。キルア豆のトマトソース炒めなどの料理が大量に乗せられており、しかも全部大盛りであった。

 

「俺はいわゆる、やせの大食いと呼ばれる人種でな。おかげで無職のスネかじりだった頃、セリカによく嫌み言われたよ」

「スネ齧ってたって……思いっきりダメ人間じゃないっすかーヤダー」

「誰がダメ人間だ!?全く…俺程の完璧で天才的な人間は世界中探し回ってもいないと思うぜ!」

(………こいつウザ)

 

 グレン(ダメ人間)の言葉にネイサンはウザさを感じる。

 

「それより、お前二組の生徒だったよな? 名前はええと………」

「ネイサン。ネイサン=ミラーだ。改めてよろしく、グレンの先公」

「よろしくお願いしますグレン大先生、だろ?ネイサン君」

「は?ボロ雑巾先生?」

「耳どうなってんだよ!?」

「実はさっき銀髪の生徒に頭叩かれてから耳の調子が……」

「噓つけ! さっきまで普通に会話してただろうが!」

「まあそれは置いといて、それで、俺に何か用があるから話しかけたんじゃないっすか?」

 

 話の流れをバッサリと無視して、ネイサンは理由を聞き出そうとする。

 

「……お前、俺とどっかで会ったことねえか?」

 

 

 

………。

 

――沈黙がしばらく続いた。

 

 

「……は? いきなり何言っちゃってんの? ハッ! まさか先公はそっち系の――」

「違ぇよ!!俺はノーマルだ!」

「ちょっ、来んな来んな来んな」

 

 おしりを手で押さえながらわざとらしく後ずさるネイサンにグレンは即座に否定する。

 

「じゃあなんでそんなこと聞くの?」

「いや、前の職場にいた時に見かけた気がしたんだよ」

「………前の職場、ね」

 

 既に前の職場を辞めてもう関係のない人間であるグレンに何故自分が此処にいるのか話すべきか。

 しばらくネイサンは沈黙して考え込む。

 

「う~ん、俺はアンタとは会ったことないな」  

「……そうか、俺の勘違いか……にしても」

 

 グレンはネイサンの頭をまじまじと見詰め……

 

「お前、結構髪ツンツンしてるな」

「………これでもまだマシな方だよ」

 

 ネイサンの頭髪は相当固い上にかなり跳ねやすい髪質だ。それ故に、朝起きた時はハリネズミの様になってとにかくヤバい。寝癖を直すにしてもとても時間がかかる。

 そんなコンプレックスを抱えていたネイサンには今のグレンの言葉は心にグサッときた。

 

「…………」

「?どうしたんだネイサン?」

「何でもないっすよ、ボロ雑巾先生………いや、ホモ先公」

「まだ引きずっていたのかよ!?」

 

 その後、料理ができ上がったから取りに行くという理由でグレンと別れ、食堂の端の席を陣取って食べた。

 

 

♦♢♦♢

 

 

 グレン=レーダスが非常勤講師として二組の担当を受け持って早数日。現状は初日のダメさ加減を裏切らない、むしろ悪化している。

 

 最初こそ教本を開き、判読不可能とはいえ黒板に術式や法陣を書いていた。しかし日が経つにつれ板書はなくなり、教科書の当該ページが黒板に貼り付けられ、そして今は釘と金槌で教科書そのものを黒板に打ち付けようとする始末。

 

 質問する生徒への対応も雑なことこの上なく、そのあんまりにも酷い態度にとうとうシスティーナが切れた。

 

「いい加減にしてください!」

 

 親の権威を持ち出して半ば脅迫に近い形で迫る。

 が、

 

「お父様に期待してますと、よろしくお伝え下さい!」

「な――」

 

 今のグレンにとってはむしろ好都合で、是非クビにしてくれと懇願。魔術に対する畏敬もへったくれもなかった。

 

「いやー、よかったよかった! これで一ヶ月待たずに辞められる! 白髪のお嬢さん、俺のために本当にありがとう!」

「貴方って言う人は――ッ!」

 

 魔術を心から信奉するシスティーナはこれに激昂。勢いのままに左手の手袋を投げつけていた。

 

 しん、と静まり返る教室の中、システィーナはグレンを指差し、力強く言い放った。

 その様子を注視していたクラス中から、徐々にどよめきがうねり始める。

 

「貴方にそれが受けられますか?」

「だめ! システィ、早く先生に謝って、手袋を拾って!」

 

 烈火のような視線でシスティーナはグレンを真っ直ぐに見つめる。そんなシスティーナをルミアは止めにかかる。が、システィーナは全く手袋を拾おうとはしない。

 

 古来より左手を覆う手袋を相手向かって投げつける行為は、魔術による決闘を申し込む意思表示となる。そしてこの投げつけられた手袋を相手が拾うことで決闘は成立する。

 

 魔術師というのは強大な力を持つ者達の総称であり、彼らがルール無用で争い始めれば国の一つや二つ滅びかねない。

 そこで彼らは互いの軋轢を解決するため、一つの規律を定めた。それが決闘である。心臓により近い左手の手袋を相手に投げつけ、それを相手が拾う。決闘申し込みから受諾の流れだ。

 ただしそれも帝国が法整備を進めたことにより形骸化、黴の生えた魔術儀礼の一つに過ぎない。今どき真っ向から決闘を挑む魔術師など、古き伝統を守る生粋の魔術師くらいである。

 

 ちなみにフィーベル家は魔術の名門として有名であり、古き伝統を重んじる家系であったりする。

 

「おまえ……マジか?」

 

 今までとは打って変わってトーンの低くなった声でグレンがシスティーナに尋ねる。

 

「私は本気です。その野放図な態度を改めて、真面目に授業を行ってください!」

「…辞表を書けじゃないのか?」

「もし、貴方が本当に講師を辞めたいなら、そんな要求に意味はありません」

「あっそ、そりゃ残念。だが、お前が俺に要求する以上、俺だってお前になんでも要求していいってこと、失念してねーか?」

「承知の上です」

 

 クラス中がハラハラしながら逼迫した二人の動向を見守っている。

 

「はぁ......いいぜ?」

 

 グレンは底意地悪そうに口の端を吊り上げた。床に落ちている手袋を拾い上げ、それを頭上へと放り投げる。

 

「その決闘、受けてやるよ」

 

 そして、眼前に落ちてくる手袋を横に薙いだ手で格好良くつかみ取ろうとして――失敗。

 グレンは気まずそうに手袋を拾い直した。

 

「ただし、流石にお前みたいなガキに怪我させんのは気が引けるんでね。この決闘は【ショック・ボルト】の呪文のみで決着をつけるものとする。それ以外の手段は全面禁止だ。いいな?」

「決闘のルールを決めるのは受理側に優先権があります。是非もありません」

(なるほど、【ショック・ボルト】以外禁止か。だけどアイツ確か...)

 

 ネイサンはこの決闘の勝敗をすぐさま予想する。この決闘絶対にシスティーナが勝つ。それも何回やってもグレンが勝つことはない。 

 

 グレンとシスティーナが教室を出て行ったところで、ネイサンは他の生徒たちと共に二人の背中を追っていく。

 

 

「なぁ、ネイサン。この勝負どっちが勝つと思う?」

「システィーナ」

「「それはなんでだ(かな)?」」

 

 ネイサンはクラスメイトである大柄な少年カッシュに質問されたが即座にシスティーナと断言すると、ネイサンとカッシュの近くにいたルミアも話に混ざってきた。

 

 ネイサンはグレンのことを資料で知っている。だが、そのことは他の生徒達に伝えるべきことではなかったため、それっぽい説明をする。

 

「ん~そりゃ普通にシスティーナの実力を考えたら講師相手でも充分やり合えるよ。それに呪文は1つだけだし。呪文縛ったのは多分あの先公がただ面倒くさがってすぐに決着着くようにしたんだろうよ」

「システィーナの実力を考えれば…か」

「だとしても…システィ大丈夫かな…」

「まぁ、怪我しそうになったら止めればいいハナシだし、どうなるか最後まで見届けようぜ………」

 

 

 生徒と非常勤講師による決闘の場所は学院中庭。針葉樹がぐるりと取り囲み、敷き詰められた芝生が広がる空間にて、グレンとシスティーナは十歩ほどの間合いを空けて対峙していた。

 

 決闘方法は受諾側に決める権利があり、グレンが提示した決闘の形式は先に【ショック・ボルト】を当てた方が勝ちというシンプルなものだ。

 

 

 クラスの生徒達と騒ぎを聞きつけて集まった野次馬が見守る中、緊張と不安、そして使命感を抱いたシスティーナは分が悪いと分かっていながら真っ直ぐ立ち向かう。

 

「ほら、何時でもいいぜ」

「くっ…」

 

 グレンは指を鳴らして余裕の表情だ、システィーナは緊張しているのだろう、額に汗が流れている。そして、やがて腹を決めグレンを指差し呪文を唱えた。

 

 

「行くわよ!《雷精の紫電よ》ッ!」

 

 指先から放たれた雷は真っ直ぐにグレンに向かっていき、それを避けることなく余裕な顔で受けた。

 

「ぐぎやぁぁぁぁ!!」

「え?」

 

 グレンは雷が直撃して身体をビクンと震わせる。

 

 何とか耐えるとかも無く普通に倒れる。

 何かルールを間違えた?と思っていたらグレンが起き上がる。

 

「馬鹿め!これは3回先に勝った方が勝ちだ!《雷精よ・紫電の衝撃を以》」

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

 グレンの鈍間な呪文が完成するよる先に、システィーナの方が完成しグレンに激突する。

 

 

(……考えてた通りだったな。やっぱ負けるか。まぁアレは元からこのような真っ当な戦闘には向かないタイプだから仕方が無いかな)

 

 グレンはその後も「あそこに女王陛下が!」「あっ何だあれ?もしかして天馬か?」など言葉巧みに騙したが、やはり魔術の起動は遅く 【ショック・ボルト】が当たりまくり、結局土下座をして負けを認めた。

 

 土下座をしたグレンとは言うと「魔術師じゃねーやつに魔術師のルール持ってこられては困るな」と捨て台詞を吐いて逃げていった。

 

「ネイサンの言った通りだったな。システィーナの余裕勝ちだったな」

「流石に弱すぎたね、あんな教師いてもいなくても変わらないよ」

「初等呪文ですら一節詠唱できないなんて…」

 

 カッシュやギイブル、ウェンディをはじめとした生徒たちはグレンをこれでもかと言うほど酷評する。

 

 

 

 そのあまりの情けなさから生徒からの評価は地に落ちたが、次の日もケロッとグレンは授業に現れ3日が経過する。

 

 

 



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「……だいっきらい!」

前作の『ロクでなし魔術講師ととある新人職員』は消さずに残すため、こちらの外伝作品扱いとします。


 システィーナとの決闘以降、本格的に評判が地に落ちながらもグレンの態度は変わらない。授業態度を改めるなんて殊勝な心がけはなく、今日も今日とて怠惰に惰眠を貪っている。生徒達に至っては諦めて各々で教科書を開いて勉強に打ち込んでいた。

 

「あの...先生。質問があるんですけど......」

「んあ?」

 

 ほぼ全員がグレンを無視して自習に励む中、健気にも質問をしにグレンに話しかける女子生徒が1人。だが、そんな彼女にグレンは辞書を渡すだけ渡し、再度教卓に突っ伏した。

 

「無駄よ、リン。その男は魔術の崇高さを理解出来てない。馬鹿にしているまであるわ。大丈夫、私が教えるから。一緒に崇高な魔術の高みを目指しましょう?」

 

 無下に遇われたリンに、グレンに対して愛想が尽きていたシスティーナが手を差し伸べる。そんなシスティーナとグレンを交互に見て、どうしていいか分からずに困惑するリンだったが、次は別の理由で困惑するハメになった。

 

 

「魔術って、そんなに崇高なものなのかね?」

「ふん。何を言うかと思えば。そんなの偉大で祟高なものに決まっているでしょう? もっとも、貴方のような人には理解できないでしょうけど」

「ふーん、で、何が偉大でどこが祟高なんだ?」

「……え?」

「魔術ってのは何が偉大でどこが祟高なんだ? それを聞いている」

 

 いつもなら罵倒されようが文句を言われようが、飄々とした態度を変えず無視を決め込むのがグレンという男なのだが、一体、何がその男の心の琴線に触れたのか、何故か今日はシスティーナの言葉に反応したのだ。

 

「そ、それは……」

 

 システィーナが言い淀む。確かに、周りの友人や大人達は口を揃えて「魔術は偉大だ。崇高なものだ」と言う。その“周り”には勿論システィーナ本人も入っている。が、システィーナはグレンの問いに即答できない。それはシスティーナに限らず、この場にいる全員に当てはまるだろう。

 

 だが、そこは人一倍生真面目で、魔術に対して掛け値なしの情熱を注ぐ少女、システィーナ。一呼吸置いてから考えを纏め、自信を持って返答する。

 

「魔術は、この世の真理を追求する学問よ」

「......ほう?」

「この世界の起源、構造、法則。それらを解き明かし、自分が何の為に世界に存在するのかという永遠の疑問に対する答えを導き出し、そして人がより高次の存在へと至る道を探す手段。それが魔術なの。それは、言わば神に近付く行為。だからこそ、魔術は偉大で崇高なものなのよ」

 

 無い胸を張り、システィーナは自信満々といった風に言い切った。だからこそだろう。グレンの返答に不意打ちされたのは。

 

「......で、それなんの役に立つんだ?」

「え?」

「いや、だからさ。その世界の謎とやらを解き明かして、それが俺達人間のなんの役に立つんだよ?」

「だからそれは! 人がより高次元の存在に近付くために......」

「高次元の存在って何だよ。神か?」

「そ、それは...」

「そもそもの話。魔術って人に何の恩恵をもたらすんだ? 医術は病とかから人を救うよな? 冶金技術は人に鉄をもたらしたし、農耕技術がなけりゃ人は餓死してたかもしれない。建築術のお陰で人は快適に暮らせる。術、なんて名付けられたものはそうやって、人の役に立ってるよな? でも魔術はどうだ? なんの役に立ってる? なんの役にも立ってないように感じるのは俺の気のせいか?」

 

 突然語りだしたグレンの言い分は、ほぼほぼド正論である。それ故に、システィーナは勿論、クラスのほぼ全員が押し黙るしかなかった。

 

「──ははっ、わりぃわりぃ。心配すんな、魔術もちゃーんと人の役に立ってるさ」

 

 だが、一拍置いて、グレンは急に意見をひっくり返した。その手のひら返しにまたもやクラスが呆気に取られ、そして次の瞬間にも今日何度目かすら分からない驚愕に見舞われる。

 

「例えばそう...人殺しとかな」

 

 酷薄に細められたその暗い瞳、薄ら寒く歪められた口から紡がれたその言葉は、クラス中の生徒達の背筋を一瞬にして凍らせる。

 今のグレンの姿は……普段の怠惰なグレンとはうってかわり別人と化していた。

 

「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ? 剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、立派に役に立つだろ?」

「ふざけないでッ!」

 流石に看過できなかった。魔術を無価値と断じられるならまだしも、外道におとしめられるのは我慢ならない。

「魔術はそんなんじゃない! 魔術は――」

「お前、この国の現状を見ろよ。魔導大国なんて呼ばれちゃいるが、他国から見てそれはどういう意味だ? 帝国宮廷魔導士団なんていう物騒な連中に毎年、莫大な国家予算が突っ込まれているのはなぜだ?」

「そ、それは――」

「お前の大好きな決闘にルールができたのはなんのためだ? お前らが手習う汎用の初等魔術の多くがなぜか攻性系の魔術だった意味はなんだ?」

「――それは」

「お前らの大好きな魔術が、二百年前の『魔導大戦』、四十年前の『奉神戦争』で一体、何をやらかした? 近年、この帝国で外道魔術師達が魔術を使って起こす凶悪犯罪の年間件数と、そのおぞましい内容を知ってるか?」

「――っ!」

「ほら、見ろ。今も昔も魔術と人殺しは切っても切れない腐れ縁だ。なぜかって? 他でもない魔術が人を殺すことで進化・発展してきたロクでもない技術だからだ!」

 

 流石にここまで来るとグレンの言は極論だった。確かに魔術には人を傷つける一面が数多く存在するが、決してそれだけではないのだ。

 だが、普段すっとぼけた顔のグレンが、この時だけは何かを憎むような形相でまくし立てていた。グレンの勢いに圧倒された生徒達は何一つとして反論できない。

 

「まったく…何でこんな人殺しの術をお前らみたいな若人に教えたんだろうな。俺はお前らの将来が心配だぞ、こんな魔術なんかに時間をかける暇があったらもっとマシなもんを…」

 

 ぱぁん、と乾いた音が教室に響いた。グレンをシスティーナが引っ叩いた音だった。

 

「いっ……てめっ!?」

 

 グレンは非難めいた目でシスティーナを見て、言葉を失った。

 

「何で……そんなこと言うのよ…そんなのあんまりよ」

 

 気付けば、システィーナはいつの間にか目元に涙を浮かべ、泣いていた。

 

「……だいっきらい!」

 

 そうシスティーナは言い残し教室から走り去っていく。

 

「チッ…あー、やる気でねえから今日の全部の授業は自習な」

 

 舌打ちして頭をガリガリかきながらグレンは教室を後にした。

 

 そのままグレンとシスティーナが教室に戻ってくることは無かった。

 

 

 

♦♢♦♢

 

 

 放課後。

 結局二組の沈んだ空気は回復することなく、一日が過ぎ去った。ネイサンも、皆とは少し意味合いが異なるが、その顔には明らかな影が落ちていた。だが、それも昼過ぎには元通りになっており、今はいつもと変わらない。

 そんなネイサンは石畳の街路の脇に並ぶランプ式の街路灯、そのふもとに佇んでいた。

 

「よう!ネイト!」

 

 背後から声がして振り返る。

 すると、そこにはにぃっと陽気に笑いながら、ネイサンの元に向かってくる一人の中年男性の姿があった。

 

「ひさしぶりだなぁ!元気にしてたか!?ん!?」

「ああ、毎日教室に籠ってばっかだから退屈で死にそうだよ。ビリーのほうこそ仕事上手くいってるか?」

「あったぼーよ!」

 

 そう言うと、ネイサンとネイサンをネイトと呼ぶ中年男性――ビリーはお互いハイタッチする。

 

 少し白髪交じりの黒髪をオールバックにし、濃い眉毛とチョビ髭を生やした中年男性の名はビリー=フィネガン。

 ネイサンの相棒であり、同時に師匠・保護者的存在である。

 

「わざわざお前さんから連絡してくるなんて、ホームシックか?」

「いや、もうそんな年じゃないよ。ちょっとビリーに頼みたいことがあってな」

「俺に頼み? おいおい、まさか学院に好きな子でもできたか?」

「は?」

「ハハッ!安心しろ。そっちに関しては経験豊富なこのビリー様のレクチャーを受ければどんな女の心も鷲掴みよ」

「おいおいおい、何勘違いしてるんだよ」

「え?違うの?」

「違う、そんなことのためにわざわざ呼ぶかよ」

「なんだ、つまらん」

「なんでもかんでもそっちに持っていくのは相変わらずだな」

 

 一人盛り上がっていたビリーは興味が失せたかのように独り言ちる。

 

「あのなビリー。聞いてくれ真面目に。情報部の方にまだコネがあったよな?」

「ああ、一応な。で?」

「ちょっと調べてほしい人物がいるんだ」

 

 そう言ってネイサンは一枚の紙切れを懐から取り出すと、それをビリーに渡す。文面に目を通しだしたビリーのその表情は、先程までの軽口をたたくフランクなおっさんとは違い真剣さがあった。

 

「………ヤバいのか?」

「今のところはまだ何とも言えない。怪しいかと聞かれれば怪しくないし、素行が悪いかと聞かれれば悪くはない。ただ………」

「ただ、なんだ?」

「なんか違和感があるんだよな」

 

 あの後、ルミアがシスティーナの早退を伝えに来た医務室の教員に魔術はどんなものなのか質問して返ってきた答えが更に生徒達に追い打ちをかけた。

 

『魔術は世界の真理を探究する学問ではあるが、同時に強大な力を併せ持っている。それを使えるだけで自分がなにかの特別な存在だと過信し、それ以外の一般人を家畜や泥人形のように見下す人でなし共が自身の欲望を満たすために魔術を悪用して大勢の人々が日々犠牲になっているのもまた事実だ。それだというのに、グレンはそういった魔術の暗黒面や危険性しか見ようとせず、システィーナはそれについて見て見ぬ振りをし、魔術の華々しい側面だけを宗教国家の狂信者のように神聖視して、世界真理などと言う耳に心地良いことだけを追い求める……どちらも子供だ。

 

――――特に魔術を教わって一年しか経っていない素人が全てを悟った賢者を気取っているのなら、甚だ考え違いも良いトコロである』

 

 システィーナのように魔術を神聖視している自分たちにも向けられているかのようなその発言にクラス中の生徒たちは何も言い返せなかった。

 

 そんな中、その教員の持論にはネイサンは大いに賛成していた。

 魔術というものの在り方は人それぞれ。千差万別なのだ。

 使い手を間違えてしまえば人を傷つけるものになってしまう。ましてや魔術を扱えない一般人からは不気味で恐ろしい悪魔の力。実際には人を癒す魔術も存在し、逆に人を傷つける印象を魔術も存在する。

 結局のところ、当人の使い方次第で崇高なモノにも人殺しの道具にも変化する。ようは魔術は力なのだ。

 

 

『納得しろとまでは言いませんよ。ただ、理解はしてください。魔術とは無色の力であり、道具です。あなた方が学ぶその力は、自身の意思次第で誰かを傷つける危険だってあります。貴方がたが真に立派な魔術師を目指しているのなら、それを努々忘れずに己を戒め続けてください。それが、力を使う上で背負うべき責務だと自分は思います』

 

 その教員は最後に丁寧ながらも手厳しい言葉を言い残し教室から出ていった。

 

「ふ~ん、権威主義で凝り固まった学院の教員にしては結構聡いな」

「ああ、だけどなんかおかしいだろ?そんなに聡い奴がなんで学院で教員なんかやってるんだ?」

「給料がいいからじゃないの?」

「ああ、かもな。だからこの際ハッキリさせとかないとこっちの仕事に支障が出る」

「それなら俺じゃなくてお前んとこの上司に頼めばいいんじゃないの?」

「いや、もしかしたら俺の思い違いかもしれないしな。調べさせてなにも出なかったらあとからなに言われるか……」 

「ああ………お前さんも大変だな」

「同情するなら代わってくれ」

「いや、俺はもう年だから無理があるよ」

「言ってみただけ」

 

 ネイサンと会話をしながらもビリーは文面にすべて目を通し、ネイサンに紙切れを返す。 

 

「………わかったよ。けど時間がかかるから少し待ってくれ」

「頼りにしてるよ」

「ああ、今度ゆっくり話を聞かせろよぉ」

 

 そう言ってビリーは手を振りながらネイサンの下から立ち去る。

 

「さてと、アイツの方は明日からどうなることなのやら」

 

 一人そこに留まるネイサンのその呟きを聞いたものは誰もいない。

 

 静寂と虚しさが漂う中、彼の傍にある街灯にとまっていた烏が鳴き声をあげながら飛んでいった。

 

 

 




この話は『ロクでなし魔術講師ととある新人職員』の方での三話のあたりになります。


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「興味がない奴は寝てな!」

 翌朝の授業の予鈴前。

 

「昨日はスマンかった」

「………は?」

 

 授業開始前だというのに教室に姿を現したグレンがシスティーナの下に歩み寄り、頭を下げて誰も予想していなかった言葉を発した。

 

「まあ、その、なんだ……大事なものは人それぞれっていうか……俺が魔術が大嫌いだっていうのは変わらんが……それでお前のことをどうこう言うのは、筋違いっつーか、大人気なかったとは思う。まあ、とにかく……悪かった、白猫」

「は、はぁ……白猫!?」

 

 グレンの謝罪らしい言葉に教室は騒然とする。

 昨日の今日でグレン先生に何があったのだろうか。

 グレンのバツの悪そうな声色に戸惑っていたシスティーナだが、自分が白猫などという渾名で呼ばれる事に一拍遅れて反応した。

 だが、当のグレンは腕組みをして黒板に背を預けて眼を閉じ、自身に集まるクラス中の猜疑の視線に完全無視を決め込んでいた。

やがて予鈴が鳴る。

 この時まで生徒達は遅刻はしなかったけど、立ったまま寝ているんだろうと予想していたが、グレンはそれを見事に裏切った。

 

「じゃ、授業を始める」

 

 どよめきがうねりとなって教室中を支配した。誰もが顔を見合わせる。

 

「さて、授業を始める前にお前らに一言言っておくことがある・・・・・・」

 

 教壇に立ったグレンは一呼吸置いて――

 

 

「お前らって本当に馬鹿だよな」

 

 

 

「「「はぁぁぁ???」」」

 

 期待せずとも何だかんだグレンの話を聞いていたクラスの生徒から不満の声が上がる。

 

「いやいやだってそうだろ? この十一日間お前らの授業態度見てたら分かったわ。魔術の事なんにも分かってねーんだな。やれ呪文の共通語約を教えろだの術式の書き取りだのお前ら魔術を舐めてんのか?」

「テメェに言われたくねえよ!」

「そもそも、【ショック・ボルト】程度の一節詠唱もできない三流魔術師に言われたくないね」

「まあ確かにそれを言われると耳が痛い。俺は略式詠唱だとか魔力操作のセンスが致命的に欠けてるからな」

 

 グレンは生徒達の罵詈雑言を受け止めながら、小指で耳をほじって自分の欠点をなんでもないように言いのける。

 

「だが【ショック・ボルト】程度だって? いやーほんとお前らバカだわ」

 

 グレンの煽りに一部を除くクラスのメンバーは苛立っていく。

 

「まあ、いいわ。じゃ、丁度いいから今日はその【ショック・ボルト】の呪文について話そうか。《雷精よ・紫電の衝撃以て・打ち倒せ》」

 

 グレンの左手から紫電が迸る。グレンが三節詠唱で起動した【ショック・ボルト】を見て、生徒のほとんどは軽蔑の視線をグレンへと送る。

 

「さて、これが【ショック・ボルト】の基本詠唱だ。センスのあるやつは《雷精の紫電よ》の一節詠唱が可能だ。じゃあここで問題だ」

 

《雷精よ・紫電の・衝撃以て・打ち倒せ》

 

 グレンは周りの視線を気にもせずに解説を続け、黒板に三節を四節で区切った詠唱を書く。

 

「さて、これを唱えると何が起こる?」

 

 グレンの問いかけに対して誰も答えない。わからないからではなく、なぜそんな事を聞くのかという困惑からである。

 

「これはひどい。全滅か?」

「その呪文はまともに起動しませんよ。何かしらの形で失敗しますね」

「んな事は分かってるんだよ。俺が言いたいのはその失敗がどんな形で起こるのかをきいてんだよ」

 

 眼鏡をかけた知的な少年ギイブルが負けじと応戦するも、グレンの切り返しにギイブルは打ちひしがれたかのように、何も言えなくなってしまう。

 

「そんなこと言ったって、何が起こるか分かるはずなんてありませんわ! 結果はランダムに決まってますわ!」

「ランダム!?お前らこの術、究めたんじゃないの!? ぎゃはははははははっ!」

(うわぁ…前から思ってたけど人をイラつかせる才能だけは本当にピカイチだな……)

 

 ひたすら人を小馬鹿にするように大笑いするグレンを見て、ギイブルやウェンディを初めとする生徒達は青筋を立てる。

 

「さてと、次は誰に……よしネイサン、お前答えてみろ。答えられなかったら一カ月間の昼飯はお前の奢りだからな?」

「はぁ?なんで俺だけ理不尽なことに……」

「うるせぇ、一昨日の決闘から陰でボロ雑巾先生なんて不名誉な渾名で呼んでるの知ってるからな。これはその仕返しだ!」

「……子供か」

「グレン先生あなたと言う人は!」

「別に良いだろう? 俺は講師でこれは授業なんだからさぁ? 何処か間違っているか?白猫?」

「う!そ、それは……」

(俺知ってるよ。こういうの職権乱用だって)

 

 システィーナ達は悪人みたいな笑みを浮かべるグレンの横暴な態度に呆れて大人気ないと思いながらもネイサンに同情をしていた。しかし次の瞬間、ネイサンのある行動でグレンやシスティーナ達の予想とは全く違う結果となった。

 

「はぁ、まぁいいや……右に曲がる、でしょ?」 

「へ?」

「「え?」」

 

 グレンやクラスの全員はすっとぼけた声を出していた。どうやらこの展開は誰も予想は出来なかったみたいだった。

 

「ん?…どったの急に黙っちゃって、俺なんか間違えた? ほら、実際にやってみせるよ」

 

 言ってネイサンは四節詠唱で【ショック・ボルト】を発動させる。すると、放たれた電撃はネイサンの言った通り、大きく弧を描くように右折し、壁へと着弾した。

 

「な?」

「あ、あぁ……正解だ……」

 

 グレンはネイサンがまさか答えを言い当てるなんて思っていなかったのか、口を開けてポカーンとしていた。

 

「じゃ、じゃあ次だ。《雷・精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》。これは?」

「射程が3分の1になる」

「……せ、正解。じゃあ《雷精よ・紫電以て・撃ち倒せ》は?」

「出力が落ちてめっちゃ弱い電流が出る。腰や肩のマッサージに向いている」

「え、マジで? 今度試してみよ…じゃなくて正解だ……まぁとにかく、極めたっつーなら、これくらいはできねぇとな?一人はできてるようだが……チィ!、面白くねぇな! 後、俺の昼飯分‼︎」

「……全問正解したのに解せぬ」

 

 クラス全員を置き去りにしたグレンとネイサンのやり取り。あのシスティーナでさえ、唯々呆然としている。

 

「てかネイサン、お前もしかして即興改変も出来たりすんのか?」

「ん? まあ多少は。えっと例えば…《ちょっと寒いから・暖を・取ろうか》」

 

 ネイサンはグレンの問いかけに答えるように、呪文とも言えない一言をゆっくりと唱える。すると、ポンと、手のひらに小さな火種が灯りだしたのだ。それを見たグレンは感心を、生徒達は驚愕を顕にする。

 

「ほう?んなふざけた改変にもかかわらず威力は本来の【ファイア・トーチ】以上かよ。お前見た目に反して実は天才か?」

「見た目は余計だっつうの………別に俺は天才なんて大層なもんじゃないっすよ。世話になった人がたまたまそういうのに詳しかったってだけ、もし教わってなかったら俺も周りと一緒でだんまりだった……それに、問題の魔術文法と魔術公式なんて完璧には理解・記憶はできてないよ」

「ま、真の意味で魔術の文法と公式を完璧に理解するってのは不可能だ。単純に寿命が足りないからな」

 

 ネイサンとグレンのやりとりに周りの生徒達をおいてけぼりにされそうになったが、グレンは今度は生徒達に話を振る。

 

「そもそも、お前らおかしいとは思わねえのかよ。こんな意味不明な本の内容覚えて変な言葉を口にするだけで不思議現象が起こるかわかってんの? 常識で考えておかしいだろこんなの」

「そ、それは術式が世界の法則に干渉をして――」

「とか言うんだろ?わかってる。じゃあ、魔術式って? 式って言うからには人が理解できる、人が作った文字や数式に記号の羅列だ。人間が作ったものがなんでんな不思議現象を起こせる? なんでそんなものを覚えて、更に一見何の関係もない呪文を唱えて魔術が起動する? 考えたことねえのかよ? って、ねえんだろうな。それがこの世界の当たり前だ」

 

 グレンの言う通り、生徒達は魔術式を覚え習得した呪文の数を競い、誇ってきた。根本的な事を突き詰め考える余裕は今まで無かった。

 

「ーで、さっきネイサンがやったみたいに、呪文の改変自体は文法と公式を覚えれば、難しくは無い。 お前らは、魔術は真理を追い求める学問だ何だ言っているが、それは違う。 魔術ってのは、人の心を突き詰めたもんだ」

 

 いつに無く真剣な眼差しをクラス全体に向けて、まるで本物の講師のように振る舞うグレン。

 このクラスで、グレンを『無能』と罵る者は既にいない。

 目の前の非常勤講師は、大変優秀な魔術講師だと、認識したのだ。

 

「今のお前らは、単に魔術が使えるだけの魔術使いに他ならない。 魔術師は、自分に足りない物を認識し補う努力をするものだ。 それをこの教科書は、覚えろだの詰め込めだの……アホか」

 

 グレンは肩をすくめて、呆れ返ったように鼻を鳴らしながら手に持っていた教科書を窓の外へと放り投げた。

 

「じゃあ、今からお前達に、その魔術のど基礎を教えてやるよ。興味がない奴は寝てな!」

 

 そうグレンが言ったのを皮切りに教室内全員の雰囲気がガラリと変わり集中して目の前の講師の授業を聞こうと変わっていた。

 

「おいネイサン、今日の授業、俺と一緒に教えろ」

「………は?」

「ちなみに断ったら欠席扱いにすんぞ」

「えぇー」

 

 結局、ネイサンは渋々と捕捉程度でグレンと一緒に教える事となった。

 

 

♦♢♦♢

 

 

 同時刻。

 一筋の光も差さない暗闇の中を一つのランプの灯が照らしていた。

 ランプはオーク材の巨大な円卓の中央に置かれており、その円卓の周りを囲むように質素な椅子が七人分均等に据え付けられている。

 ただ空席が目立つ。

 全員が揃っていない中、今席に座る影は二つだけだ。

 

「計画の方に抜かりはないな?」

「ああ……一応は、な」

 

 まるで影法師のように、頭の先から足の先まで赤で縁取りされた漆黒のローブに身を包んだ二人の人物。

 一見するとまるで違いなどないような二人だが、最初に口を開いた男が身動ぎ一つしないのに対し、もう一人の男は対照的に大袈裟な身振りのおかげで、その違いは一目瞭然だった。

 

「一応だと?」

「ああ。”アイツ”からの報告だと例の講師が急に辞めた上、後から来た例の新人が初日から怠けてたおかげで授業がかなり遅れてしまったらしい」

「例の新人………あの魔女の差し金か。このタイミングで目の上のたんこぶが二つも増えるとはな……まるでこちらを邪魔しているようで腹が立つ」

「ハハッ、そうカッカするな。偶にはそういうこともあるってハナシさ」

 

 軽薄そうな男は肩をすくめて、おどけてみせる。

 

「………まあいい。幸い片割れはしばらく学院には戻ってこない。こちらの存在には気づいていない合間にやるのが得策だ」

「となると動くべきはやはり……」

「ああ、計画実行予定日はやはり、件の魔術学会開催の日だ。その日、学院の主要な教授、講師格の魔術師達は全員魔術学院を出払う。一部のクラスの生徒達だけが、魔術学院に来ることになるが奴の動きに気付くことはないだろう」

「……確かに。そのために”アイツ”をあそこに送り込んだからな。だが、その来ることになっているクラスの中に”例の小娘”がいる。となると、”蛇ども”も動きだすかもしれないぞ?」

「計画を延長すればいいだけの話だ。もとより今回の作戦で奴を選んだのは不測の事態があったときの保険のためでもある」

「………流石だな。俺が余計な心配をする必要はなかったってハナシか。じゃ、俺も進めるか」

 

 そう言って軽薄そうな男は席を立ち、闇の中へと歩を進める。

 

 その時、今まで席で隠れていた男の背中があらわになった。

 

 ローブの背中に刺繍された、狐頭を戯画化した奇妙な紋章。

 

 

 それがこれから学院で起きることを楽しみにしているかのように、口角を大きく上げていた。

 

 

 





おまけ



「お前らは、魔術は真理を追い求める学問だ何だ言っているが、それは違う。 魔術ってのは、人の心を突き詰めたもんだ」
(ふー言うことカッケー、見た目滑稽)


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「アナタの新しい行先は……あの世です」

フィボナッチさん、ムックんさん、寒空さん、金持ちになりたいさん
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 ダメ講師グレン、覚醒。

 その報せは瞬く間に学院内に広がっていった。噂が噂を呼び、他所のクラスの生徒たちも空いている時間に、グレンの授業に潜り込むようになり、そして皆、その授業の質の高さに驚嘆した。そして日を追うごとに今まで空席だった席が他のクラスからの飛び入り参加の生徒で埋まり、いつしか立ち見で受ける生徒が出始め、グレンと同じくらいの年頃の若手の講師の中の数人がグレンの授業に参加して、グレンの教え方や魔術理論を学ぼうとするぐらいだ。

 

 こうして数十日で地のどん底まで落ちていたグレンの評価が同じくらいの日時でそれこそ天に昇るような勢いで上昇していった。

 

 そして、そんなグレンの高度な授業を後押ししているのが変わり者のネイサンである。グレンが事あるごとにネイサンを名指しで質問し、ネイサンが渋々ながらも(めんどくさがって知らんふりをすると、『ネイサンは欠席か』とグレンから欠席扱いにされそうになったため)それに答える事でより一層分かりやすくなっていた。

 当然その結果としてネイサンに質問してくる学生も出てくるわけで大忙しになり、毎回授業時間の終わりくらいになるとヘトヘトになるのであった。

 

 

「なんてこと……やられたわ」

 

 システィーナが顔を手で覆って深くため息をついていた。

 

「認めたくないけど……人間としては最悪だけど……講師としては本当にすごい奴だわ。……人間としては最悪だけど!!」

「あはは、板書は私が取ってあるから後で見せてあげるね?システィ」

「ありがとうルミア……しかしまぁ、良い授業してくれるのはいいんだけど、ホントあのねじ曲がった性格だけは何とかならないかしら?」

 

 システィーナがここまで言うのにはもちろん理由がある。

 先ほどの授業、板書を取りきってない内に黒板を消されてしまったのだ。グレンの100パーセントの悪意によって。もっとも、黒板を消している最中に爪で黒板を引っかいてしまったときの当の本人の様子はとても滑稽であったが。

 

「それに、ネイサンがあんなに物知りなら真面目に授業しなさいっての……いつも変にふざけたりして…」

「まあまあシスティ、ネイサン君にもきっと事情があるかもしれないよ?」

「…あいつに事情なんてものがあるのかしら。それより、ルミアはいつもあいつに肩を持つわね?」

「え、そ、そうかなぁ? あ、そう言えばネイサンく……ん?」

 

 ルミアがネイサンの方を見るが、既にネイサンは教室を後にしていた。

 

「あれ? ネイサン君は?」

「そういえば居ないわね? 講義の時には居たんだけど…? ネイサンがどうかしたの、ルミア?」

「ううん。なんでもない…」

「?」

 

 システィーナは首を傾げるしかなかった。

 

 

♦♢♦♢

 

 

「はぁ………疲れた」

 

 授業が終わった時間帯。質問してくる生徒達からようやく解放され、緊急避難的措置として学院の屋上に逃げ込んでいた。

 

「まさか仕事を掛け持ちになるとはな………やれやれ、こりゃあ特別労働手当でももらわんと割に合わんな」

 

 鉄柵に寄りかかり、閑散とした風景を遠目に眺めながらふと呟く。

 

「それより、思ったよりも良い方向に転がってくれたな」

 

 この数日間グレン=レーダスのことを観察してみたところ、結果として特に問題はなかった。

 前の職場にいた時に起きた事件以降一時は堕ちていたが、今いるグレンは生徒達を教え導き、時に揶揄い、時にやはり生来のダメさ加減を発揮する魔術講師であった。最初は死んで腐った魚のような目も、今は死んで一日経った魚のような目をしている。

 

「やっぱあいつは裏よりも表の方がよっぽど性に合ってるよ。あとはこのまま何事もなく平穏に終わって任務終了といきたいもんだぜ」

 

 

 そうぼやきながら屋上を後にしようと鉄柵から離れた。

 

 

 

♦♢♦♢

 

 

 次の日。

 

 本日から学院の教授陣や講師達は、揃って帝国北部地方にある帝都オルランドで開催される帝国総合魔術学会に出席するため学院からいなくなり、それに合わせて学院は五日間休校になる。

 本来なら守衛を残して学院は蛻の殻になるはずであったのだが、例外が存在している。

 

 一ヶ月前に退職したヒューイ=ルイセンによって授業が遅延していた二組はこの五日間も授業が入っている。

 

 だが、二組の担任である当の本人はというと………

 

「うぉおおおおおおお!? 遅刻、遅刻ぅうううううううッ!?」

 

 学院へと続く道中を叫び声をあげながら全力疾走していた。ポケット内にある時計の針は授業開始時間を過ぎていることを示している。正真正銘の寝坊による遅刻だった。 

 

「くそう! 人型全自動目覚まし時計が昨夜から帝都に出かけていたのを忘れてた!」

 

 パンを口にくわえ、必死に足を動かし、ひたすら駆ける。

 

「つーか、なんで休校日にわざわざ授業なぞやんなきゃならんのだ!?だから働きたくなかったんだよっ! ええい、無職万歳!」

 

 とにかく遅刻はまずい!遅刻したら小うるさいのが一人いるのだ。今は一刻も早く学院に辿り着くのが先決である。上手く行けば、なんとかぎりぎり間に合うかもしれない。グレンは居候しているセリカの屋敷から学院までの道のりをひたすら駆け抜けた。表通りを突っ切り、いくつかの路地裏を通り抜け、再び表通りへ復帰する。そして学院への目印となるいつもの十字路に辿り着いた時。グレンは異変に気づき、ふと、脚を止めていた。

 

「……っ!?」

 

 人っ子一人いない。朝とはいえこの時間帯なら、この十字路には行き交っているはずの一般市民の姿が見当たらなかった。辺りも夜の森みたいにひどく静まり返っており、違和感がありすぎる。

 

「こいつはまさか……」

 

 周囲の要所に微かな魔力痕跡を感じた。

 

 これは人払いの結界だ。この構成ではわずかな時間しか効力を発揮しないだろうが、結界の有効時間中は精神防御力の低い一般市民は、この十字路を中心とした一帯から無意識の内に排除されるだろう。 

 

 『なぜ、こんなものが、ここに?』という疑念と共に湧き上がる、危機感がちりちりとこめかみを 焦がすような感覚。グレンは感覚を研ぎ澄ませ、周囲に油断なく意識を払う。そして、グレンは十字路のある一角へ、突き刺すように鋭い視線を向けた。

 

「出てきな。そこでこそこそしてんのはバレバレだぜ?」

 

 すると――

 

「ほう……わかりましたか? たかが第三階梯(トレデ)の三流魔術師と聞いていましたが……いやはや、なかなか鋭いじゃありませんか」 

 

空間が蜃気楼のように揺らぎ、その揺らぎの中から染み出るように男が現れた。ブラウンの癖っ毛が特徴的な、年齢不詳の小男だった。

 

「まずは見事、と褒めておきましょうか。ですが……アナタ、どうしてそっちを向いているのです?私はこっちですよ?」

「……………………別に」

 

 グレンは気まずそうに自分の背後に出現した男へと改めて振り返る。

 

「ええーと。一体、どこのどちら様でございましょうかね?」

「いえいえ、名乗るほどの者ではございません」

「用がないなら、どいてくださいませんかね?俺、急いでいるんですけど?」

「ははは、大丈夫大丈夫。急ぐ必要はありませんよ?アナタは焦らず、ゆっくりとお向かい下さい」

 

 噛み合わない男の言葉に、グレンは露骨に眉をひそめた。

 

「あのな……時間がないっつってんだろ、聞こえてんのか?」

「だから、大丈夫ですよ。 アナタの行先はもう変更されたのですから」

「はぁ?」

 

 

 

 

 

 

「そう、アナタの新しい行先は……あの世です」

 

「――っ!?」

 

 一瞬、グレンが虚を突かれた瞬間、小男の呪文詠唱が始まった。

 

「《穢れよ・爛れよ・――」

 

(や、やべ――ッ!?)

 

 場に高まっていく魔力を肌に感じ、グレンの全身から冷や汗が一気に噴き出した。先手を許してしまった。警戒を怠ったつもりはないが、これほどまでに問答無用の相手とは予想外だった。こうなればグレンの三節詠唱ではどんな対抗呪文(カウンター・スペル)も間に合わない。

 

(しかも、あの呪文は――)

 

 とある致命的な威力を持つ、二つの魔術の複合呪文。しかも極限まで呪文が切り詰められている。呪文の複合や切り詰めができるのは超一流の魔術師の証だ。 

 

「――朽ち果てよ》」

 

 小男の呪文が三節で完成する。その術式に秘められた恐るべき力が今、ここに解放される――

 

 

♢♦♢

 

 

 午前10時30分。

 学院の医務室では1人の新人教員、クリストファー=セラードは、1人医療器具の手入れをしていた。

 

 クリストファーは赴任して二か月しか経っておらず、準備が間に合わなかったということで学会には出席しないことになっており、その代わり、万が一のことがあっては困るということもあり、その間のみ医務室の管理を任されていた。

 

 

 手荷物の黒カバンの中にあった大小さまざまな手術用のメスと鉗子は砥石で研ぎ、注射針は内部などを水で洗って、アルコールで消毒する。そして、それらを机に並べ、陽の光に当てて乾燥させていた。 

 

 他にもブラッシング洗浄、浸漬洗浄、チューブ洗浄などを入念に行い、長い時間を経てようやくすべての器具の手入れが終ろうと――――

 

「ん?」 

 

―――していたところで、妙な違和感を覚えて動きを止める。

 

 張り詰めた空気を肌で感じ、手にしたメスから視線を離して窓の方へ向けると、そこで彼の視界に何かが映った。

 

 学院敷地のアーチ型の正門前を覆っていた見えない壁のようなものが硝子の如く割れる光景を。

 そして割れた箇所を通り道に、複数人の黒装束の男たちが学院の敷地内に踏み込む様を。

 

「…なんだ?」 

 

 正門に張られていた壁は学院側から登録されていない者や、立ち入り許可を受けていない者の進入を阻む結界だった。学院を取り囲むように張られたそれがどれほど高度な魔導セキュリティなのかは、クリストファーも理解している。

 

 だが、数人がそのセキュリティを難なく攻略して侵入してきた。

 これはただ事ではない。

 嫌な予感がしたクリストファーは、生徒たちがいる二年次生二組に向かおうと医務室を出る。

 

 

 

 だが―――

 

「なんだよ。まだ職員が残っていたのか」

 

 右に曲がると、そこには守衛の恰好をした男がいた。

 

 後ろ髪が白髪に混じっている黒髪、左頬の大きな傷跡、少し顎鬚が生えている40代後半といったような風貌の男だった。まるで小馬鹿にしたような嘲りと憐れみが入り混じっているような、そんな目をしている。

 

「……誰ですか貴方は?」

「ん?誰って、俺はここの守衛だが―――」

「嘘ですね。この学院の守衛はこの時間帯、正門前のすぐ隣に据えられている守衛所で待機しているはずですし、自分は貴方の顔を見たことがありません」

「ありゃ? もうバレちまったか。あの弱っちい連中相手だと上手く騙せてたのになァ……」

「もう一度聞きます。いったい貴方はどこの誰で何が目的ですか?」

「おいおい、質問は一つずつにしてくれよ? まったくせっかちな坊やだな。心配せずとも質問の答えは順を追って説明してやるよ」

 

 クリストファーは男に尋ねると、偽の守衛はニヤリと口を歪める。その強面な外見と裏腹に飄々としており、僅かに殺気を出していた。

 

「まず、俺がどこの何者か? 俺の名は《魔弾》のヴラム。世間で言うテロリスト、帝国の女王にケンカ売る『天の智慧研究会』に所属しているおっかない魔術師の1人だ」

「なっ…『天の智慧研究会』!?」

「まだ半信半疑の様だな?ならその証拠にホラ、この洒落たマークを彫ってるだろ?」

 

 そう言って偽の守衛―――《魔弾》のヴラムは袖を捲る。

 その腕には『天の智慧研究会』のトレードマークである、蛇が絡みついた短剣の刺青が彫られていた。

 

 『天の智慧研究会』

 アルザーノ帝国に蔓延る最古の魔術結社の一つ。魔術を極める為なら何をやっても良い、どんな犠牲を払っても許されるといった思考を持ち、蹂躙を愉しみ、虐殺を好む外道魔術師達の組織である。《大導師》という謎の人物を指導者に、歴史の中で常に帝国政府と血を血で洗う抗争を続けてきた最悪のテロリスト集団、魔術界の最暗部。

 

「そして、次に何が目的でここに来たのか? 答えは簡単。組織の命令でこの天下に名高い魔術学院は俺たちが占拠しに来た。既に俺の仲間があの弱っちくて可哀想な守衛サンを全員始末したあと、厄介な結界をブッ壊して入ってきている頃合いだ。ちなみにこの服はあいつらより先に潜入するために守衛の1人から頂いたものだ。変装のために簡単な変身魔術を使ったんだが………あの連中、たいしたことないな。まったく気がついてなかったよ」

(なんてことだ………)

 

 ヴラムの仲間というのは、先程門をくぐってきた例の男たちの事だろう。

 

 クリストファーは嫌な予感が的中してしまった事を悟り、ヴラムからゆっくりと後ずさった。

 

「………ここにいる生徒たちはどうするつもりですか?」

 

 やけに冷静な事を聞きながら、クリストファーは更に一歩後ずさる。だが廊下の壁に背がぶつかってしまい、逃げ場がなくなる。

 

「心配せずともガキどもの皆殺しは計画に入っていない。逆らわなければ危害を加えることはないよ」

「なら――――」

「だが、ガキどもを解放するつもりはない」

「なっ…!?」

「せっかく卵とはいえ活きの良い若い魔術師達が大量に手に入るんだ。ここでの用事が済んだからハイさよならなんてつまらな過ぎじゃないか?…それに組織にはガキどもを実験材料にしたいって言ってる連中がいるしな。心配せずとも髪の毛一本も無駄にせずに惨たらしく有効活用させてもらうよ」

(外道が……)

 

 こらえ難い悪寒と共に、クリストファーは目の前の男に生理的嫌悪感を覚える。

 

「だがまあ、お前はある意味幸せ者だよ。なんせこれから自分が死ぬ理由を知りながら苦痛なく死ねるんだからな」

 

 そう言ってヴラムは懐からエングレーブのような刻印が刻まれた回転式拳銃―――魔銃ペネトレイターを取り出し、話のシメを行った。

 

「さて、少し話が長くなっちまったが大体の筋書きはこうだ。『由緒正しきアルザーノ帝国魔術学院は、世界最強の魔術師セリカ=アルフォネアが不在の間に無様にも極悪非道のテロリストに襲撃を受けました。そして気づいた時にはすでに遅く、学院にいた未来ある子供たちは皆連れ去れて実験材料にされてしまいました。彼らには助かる方法なんてものはなに1つありませんでした』とさ!」

 

 クリストファーの鼻先に向かって、話が終わると同時に引き金を引いた。

 

 

 バアン!

 

 

 銃声が廊下を鋭く響き渡る。どこまでも。どこまでも遠くへ。

 

 



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「ほんと、面倒な役目はいつも俺だ」

「……遅い! ここ最近真面目にやってると思ったら、これなんだから、もう!」

 

 懐中時計を握り締めてぷりぷりと怒るシスティーナ。ここ数日は極めて真面目に授業を執り行っており、密かに見直していたというのに遅刻。僅かとはいえ落胆を覚えずにはいられなかった。

 

 現在10時55分。本日の授業開始予定時間は10時30分。すでに25分が経過している。

 なのに、まだグレンは教室に姿を見せていない。つまりは、遅刻だ。

 

「でも、珍しいよね。ここずっと遅刻しないように頑張ってたのに……」

「まさか今日が休校日だと勘違いしてるんじゃないでしょうね?」

「あはは、それはいくらなんでもない……よね?」

 

 ルミアをして断言できないあたり、グレンの人望の厚さが窺えた。

 

「あーあ、やっぱりダメな奴はダメなんだわ……よし、今日こそ一言言ってやるわ」

「あはは。今日こそ、じゃなくて、今日も、じゃないかな?システィ」

「細かいことはいいの!」

 

 不機嫌そうに頬杖をついてシスティーナは周囲を見渡した。

 今日も今日とて教室は一杯。席に空きがないため立ち見の生徒が教室後方に集まっており、人口密度が凄まじいことになっている。全員が全員、グレンの授業目当てでここに集っていた。

 

「はぁ〜やだなぁ〜なんだかなぁ〜」

 

 そしてその中にいる、ぐでぇ〜とどこまでもやる気なさそうに机に突っ伏すネイサンに目が留まった。

 

「あんたね……学院に来てからそればっかり言ってるじゃない」

「だってさ……休みの日までこき使われなきゃいけないなんて拷問もいいところだよ。ねぇそろそろ俺ぐれていい?しばらく登校拒否して良い?」

「だめに決まってるでしょ! それに、グレン先生の授業を受けられるのもあと何回かしかないのよ?」

「ん~?おやおやぁ?」

「な、なによ?」

「いやぁ、最初はあんなに嫌ってたのに随分とまぁ懐いてるようで…」

「なっ!? ネイサン、貴方何を言っているの!?私とグレン先生はそんな仲じゃあ……」

「あっ、それは私も思ってた!でも、グレン先生とシスティが仲良くなってくれて良かったよ!」

「ちょ、ちょっと‼︎ ルミアまで!? 何でそういう結論なっているのよ!私はあんな奴と仲良くなった覚えは全く、これっぽっちも、ないんですけど!もう……何でこうなったのかしら?」

「さぁ、何でだっけ?」

「貴方のせいよ!」

 

 そんなこんなでいつものコント染みたやり取りが始まろうとした時、

 

 

 突然教室の扉が無造作に開かれ、新たな人の気配が現れた。

 

 バァンッ!!と乱暴に教室の前扉が開いて、チンピラ風の男と紳士然とした男、後から続くローブ姿の男が何人か入ってきた。

 

「ちぃーっす。ジャマするぜー」

 

 軽薄そうな声で挨拶するチンピラ風の男を見て、クラスがざわめきだす。見たことのない人物だ。後ろで静かに控えている紳士然とした男も同様。

 

「あー、ここかー。いやいや皆さん、勉強熱心なことでゴクローサマー! 応援してるぞ若者よ!」 

 

 巫山戯た口調でそんなことを宣うチンピラに教室内がどよめく。誰が見ても怪しい不審人物二人組。何故このような輩が学院内に侵入しているのか、疑念を抱きながら正義感の強いシスティーナが立ち上がる。

 

「ちょっと貴方達、一体何者なんですか?ここがアルザーノ帝国魔術学院だと理解してますか? 部外者は立ち入り禁止ですよ? そもそもどうやって入ってきたんですか。門は守衛の方が立っているはずですよね?」

「おいおい、質問は一つずつにしてくれよ?オレ、君達みたいに学がねーんだからさ!まず、オレ達の正体ね。テロリストってやつかな?要は女王陛下サマにケンカ売る怖ーいお兄サン達ってワケ」

「は?」

「で、ココに入った方法。あの弱っちくて可哀想な守衛サンをブッ殺して、あの厄介な結界をブッ壊して、そんでお邪魔させていただいたのさ?どう?オーケイ?」

 

 クラス中のどよめきが強くなる。

 

「ふざけないで下さい! 真面目に答えて!」

「大マジなんだけどなぁ~」

 

 チンピラ風の男はおどけて、大仰に両手を開いた。

 

「この学院で守衛を務めている方は戦闘訓練を受けた魔術師です!貴方達みたいな人にそう簡単にやられるわけないし、この学院の結界は超一流と呼ばれる魔術師にだって破ることはできないんですよ!?」

「あー、そうなの?天下に名高い魔術学院もたいしたことねーのな。がっかりだわー。」

「……あまりそのようなふざけた態度を取るようなら、こちらにも考えがありますよ?」

「え?何?何?どんな考え?教えて?教えて?」

「……っ!貴方達を気絶させて、警備官に引き渡します!それが嫌なら早くこの学院から出て行って…」

「きゃー、ボク達、捕まっちゃうの!?いやーん!」

 

 一向に出て行く気配を見せない二人に、システィーナは覚悟を決めた。

 

「警告はしましたからね?」

 

 指先を男に向け――黒魔【ショック・ボルト】の呪文を唱える。

 

「≪雷精の――≫」

「≪ズドン≫」

 

 だが、チンピラ風の男が唱えたふざけた呪文の方が圧倒的に早く完成していた。

 

 ヒュン! と空気が切り裂かれる音が響く。刹那の時間に一条の閃光がシスティーナの頬を掠め、背後の壁に小さな穴が穿たれた。

 

 呆けるシスティーナに男は三度魔術を放つ。それぞれ首、腰、肩を掠めて三つの閃光が駆け抜けた。目にも留まらぬ雷光の線。背後の壁に穿たれた四つの小さな穴。それら全てが男の使用した魔術の正体を物語っている。

 

「そんな……い、今のは……【ライトニング・ピアス】!?」

 

 黒魔【ライトニング・ピアス】。学生が手習う汎用魔術ではない、軍用の攻性呪文であり、殺傷性の高い危険な術だ。しかも巫山戯た言動の癖して男の詠唱は恐ろしく短く、術行使の技量の高さが窺えた。生徒達では天地が引っ繰り返っても敵わないだろう。

 

 今まで目にする機会もなかった危険な魔術を間近で放たれたシスティーナは先の勢いは完全に萎み、恐怖のあまりその場に座り込んでしまった。

 

「さーて、煩いのが静かになったところで自己紹介しよっか。オレ達は俗に言うテロリストでーす。この学院はオレ達が占拠したのでー、今から君達は人質ね。大人しくしててねー? 逆らったら容赦なくブッ殺してくから」

 

 物騒な脅迫に教室内は静まり返る。突然の展開に理解が追いついていないのだ。

 だが時間が経てば嫌でも理解する。

 その時、

 

バアン!

 

「あ?」

 

 今度は校舎のどこからか銃声の音が鳴り、教室にいる者たちの耳朶を震わせた。

 

「今の銃声だよな?」

「ってことはヴラムのおっさんが誰か殺ったのか?」

 

 男たちが会話しているのを尻目に、度重なる恐怖に生徒達は一斉にパニックに陥り騒ぎ出す。

 

「うるせぇ、黙れガキ共。殺すぞ」

 

 指先を頭上に向けて詠唱、放たれた一発の雷光が天井に穴を開ける。殺気を合わせた威嚇に生徒達は強制的に沈黙して恐怖に震え始めた。

 

「よーしよし、良い子だ。良い子ついでに訊きたいことがあるんだけどさ、こんなかでルミアちゃんって女の子いるかな? いたら返事してー? もしくは知ってる人は教えてー?」

 

 男の問いに生徒達は恐怖と困惑の表情で互いに顔を見合わせる。どうしてこの場面でルミアが名指しされるのか分からない。だが不幸なことに名前が出たことで数人の生徒が条件反射的に動きかけてしまった。

 

 チンピラ男はそんな生徒達の挙動を目敏く拾い、動いた生徒達に対して脅しをかけ始める。みんな、男の纏う恐ろしい圧力に震え、酷い者は涙を流していた。誰もがこの地獄の時間が早く過ぎ去ってほしいと願っていた。

 

 そんな中、ルミアは拳を握り締め、覚悟を決めたような表情をしていた。先ほどからシスティーナが目配せをしてくれているが、自分のせいで誰かを傷つけるわけにはいかない。ルミアにこのまま黙り込む選択肢はなかった。

 

 そして怯えながらも立ち上がったシスティーナへ指先が向けられた瞬間、ルミアは自ら名乗り出た。

 

 それからの展開は、ダークコートの男――レイクがルミアを連れ去った後、ジンは教室に残された生徒達全員を【マジック・ローブ】で縛り上げ、呪文の起動を封じる【スペル・シール】の魔術をかけ、完全に無力化した。

 

 一作業が終わった後、何を思ったかバンダナの男――ジンはシスティーナを連れて教室を出ると、見張りを何人か残してロックの魔術で教室に鍵をかけ、生徒達を完全に閉じ込めた。

 

 

 

 

 

 2組の教室内は、早朝の騒がしい時とは違い、完全にお通夜のような雰囲気になっていた。だが、拘束されている生徒の中で、ネイサンだけは一人冷静でいた。

 

(まさかここにあのクソテロリストが押しかけてくるとはな…ホント最悪)

 

 男たちのローブに刺繡されている、短剣に絡みつく蛇の紋からあの忌むべき組織『天の知恵研究会』であることを確認した。

 

 天の智慧研究会。

 アルザーノ帝国に蔓延る魔術結社の一つ。魔術を極める為なら何をやっても良い。どんな犠牲を払っても許される、外道魔術師達の組織である。

歴史の中で常に帝国政府と血を血で洗う抗争を続けてきた最悪のテロリスト集団、魔術界の最暗部。

 そんなロクでもない連中が生徒達をこのまま放置しておくわけがない。

 教室にいる約五十人くらいの生徒達は皆魔術師の卵だ。

 用がすめば最悪全員実験素体にされること間違いない。

 

(やるしかないか………)

 

 今残っているのは先程の二人に比べて弱そうな男が教室内に一人、外に三人だけだ。

 

 

「すみません、トイレに行きたいんですけど」

「あ?オイ、誰の許可を得て立ってる。殺されたくなければ大人しく座っておけ」

 

 ネイサンがむくりと立ち上がり、男に話しかけるが突っぱねられる。

 

「いいじゃないトイレくらい。こっちはどうせ魔術使えないんだから」

「座れって言ってるだろ」

 

 天の智慧研究会の男の忠告を無視して、ネイサンはゆっくりと近づいて行く。一方男の方は面倒だと考えながらも一人くらい見せしめの意味を込めて殺しておいた方がいいかもしれないと考え直した。

 

 そして、彼は自身の右手をネイサンへと向ける。適当にいたぶってから殺せば、自分達の仲間が行っている準備が終わるまでのいい暇つぶしになるだろうと、そう信じて。

 

「《雷帝――」

 

 軍用魔術の【ライトニング・ピアス】を詠唱しようとした瞬間、ネイサンは再び抗議の声を上げた。

 

「だからぁ、俺は今魔術使えないんだって!」

 

 言い終わった時には、ネイサンが一瞬で男との距離を詰め、男の喉元、丁度喉仏の下あたりに、”拘束が解けた腕”で、人差し指と中指を揃えてズブリとめり込ませた。

 

「残念でした」

「――――っっっ!」

 

 声にならない悲鳴が上がった。完全に不意を突いて放たれた一撃で男は詠唱を中断し、両手で喉元を押さえながら身を蹲らせる。

 

「…やっぱ魔術師は喉が命だよな? どんなに魔術を究めても、詠唱するための喉が使えなければ発動できないし…」

「テ――メェ…!」

「まっ、言っても意味ないだろうからお休み」

「がっ!?」

 

 ネイサンから放たれた蹴り上げがピンポイントで男の顎を揺らす。

 

「先ずは一人目、と」

 

 蹴りの衝撃で男は完全に意識を奪われ、床に崩れ落ちた薄く開いた瞼の下に白目を覗かせていた。

 

 

「え? 何だ今の」

「一瞬でわからなかった」

「ね、ネイサンが倒したのか?」

 

 教室内にいた見張りが一瞬でやられたことに、怯え切っていた生徒たちは呆然としていた。

 

「さて、と………皆拘束を解くけど静かにしてろよ?」

「ね、ネイサン…………お前」

「ごめん。ちょっと怖がらせちゃって」

 

 別のことに軽く謝って生徒達を拘束している【スペルシール】を【ディスペル・フォース】で解いていく。

 

「よし、これで魔術を起動できるはずだ」

「た、助かった。それよりネイサン、何だったんだよさっきの?それに、いつの間に拘束を解いたんだ?」

「ん? ああ、実はさっき拘束される前にポケットに剃刀を隠しといたんだ」

「か、剃刀?」

「あいつらめんどくさがってボディチェックをしていなかったからな。あとは隙を見て【スペルシール】を切っていたんだよ」

「え、えー」

「まぁ…そんなことはいいんだよ。これで動けるけど、ここにいろ。下手に動かれたら流石に手が回らないし、俺は二人を助けに行かないといけないから」

「お前、一人で行くつもりかよ!?」

「そうですわ! 相手はテロリスト! 殺されてしまいますわ!」

 

 同じクラスのカッシュとウェンディがネイサンを止めようと小声ながらも声を飛ばすもネイサンは心配させないように優しく告げる。

 

「大丈夫だ。あいつらは俺達のこと完全に下に見てる。そこを狙っていけばこっちの勝ちさ」

「は?」

「え?」

 

 生徒達はその言葉に目を丸くする。

 

「だから安心しろ。二人は必ず連れ戻すから」

 

 そう言ってネイサンは窓から静かに外に出た。

 

 

 

 

 

(さてと、皆にはああいったが厄介だな。ルミアだけならまだしも、システィーナまで連れ出すとか予想外だわ。テロリストっていっても所詮はクズの集まりか)

 

 ネイサンの予定ではルミアの後を追いつつ敵の人数を把握、一人で十分制圧可能であれば実行するつもりだった。しかしここで厄介なのが人質だ。それもシスティーナが連れ出されたことで三つに分かれてしまったのである。

 

(教室の外にいる見張りをなんとかしなきゃいけないし………それにさっきの銃声も気になる……)

 

 ネイサンがどうしようかと悩んでいるとふと遠見の魔術が一人の男を捉えた。

 

(……! まったく、何処で寄り道していたんだあの馬鹿は)

 

 グレンであった。

 確認するとグレンはシスティーナが連れ去られた部屋へと向かっている形となっている。

 

「システィーナはアイツに任せよう。あの足なら事に及ぶ前には到着できるはずだ。頼んだぜ……《愚者》」

 

 システィーナはグレンに任せ、ネイサンは行動を開始する。

 

「ほんと、面倒な役目はいつも俺だ」

 

 制服の懐に手を突っ込み、真ん中に穴のあいた金属製の小さな円盤を取り出す。それは圧縮の魔術によって縮小されたチャクラムであり、魔術を解除すればあっという間に元の大きさに戻る。外側にはいくつものルーン文字が刻まれた刃、内側には十字型の持ち手がついた大きなチャクラムが、ネイサンの右手に握られる。

 

「じゃあ……行くか」

 

 意識を完全に切り替えてネイサンは、教室の見張りをしている三人組を狙って全力で駆けだした。

 

 

 

 




少し短くなりました。
見張りの三人組視点の話を『ロクでなし魔術講師ととある新人職員』の第5話で見れます。
ですが、ネタバレも含まれますので先にこちらの作品の第一章がすんでからそちらを読むことをお勧めします。


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「早速新手のお出ましか」

 烏たちが群れを成して空を羽ばたいていた。

 

 ここしばらくは気持ち良いを通り越して恨めしいくらいに青色しかなかったフェジテの空を、白から灰へとグラデーションを描く雲が徐々に侵食していく。

 やがて紗を引いたような薄い雲から、暗幕のように重い雲に変わっていき、アルザーノ帝国魔術学院を照らす日差しを遮っていた。

 

 

「おい、ちょっとトイレ行ってくるからここ頼むわ」

 

 東館二階の廊下、二組の教室の扉の前にいる黒装束の一人が、残る二人に要求する。

 

「待て、勝手に持ち場を離れるな」

「構やしねえよ。あのロープはそう簡単に外せねえさ。第一、ガキどもの見張りと見回りをする必要ねえだろうがよ」

「しょうがないだろ。あの生真面目なレイクの命令なんだからよ」

 

  学院の魔導セキュリティを破って校舎に侵入した天の智慧研究会の外道魔術師達は、既に二組の教室を制圧していた。

 

 仲間の一人であるジンが威嚇で三度も乱射した軍用魔術【ライトニング・ピアス】と、彼の何人もの人間を殺した者だけが放てる本物の殺気に、耐性のない生徒達は恐怖に呑まれてしまった。

 そして、生徒達が怯えて動けないでいる中、リーダー格であるレイクがルミアを連れ去った後、ジンと他の三人は教室に残された生徒達全員を【マジック・ローブ】で縛り上げ、呪文の起動を封じる【スペル・シール】の魔術をかけ、完全に無力化した。

 後はロックの魔術で教室に鍵をかけ、用事がすむまで生徒達を完全に閉じ込めるだけでよかった。

 

 だがすぐに計画外のことが起こってしまった。

 一作業が終わった後、何を思ったかジンはシスティーナを連れて教室を出ていってしまったのだ。

 

 その上、生徒たちを拘束している途中で校舎のどこかから銃声のような音が鳴り響き、先行していたヴラムからの連絡が取れなくなっていた。

 それからすぐに通信用の結晶石越しにレイクから『警戒を怠るな』という命令が下ったのだが………彼らにはまったく緊張感がなかった。

 

 故に教室の中で仲間が一人無力化されていることに全く気付いていない。

 

「俺はあの《竜帝》に逆らう勇気なんかねえよ。命令違反なんかしちまったら確実に殺されちまう」

「それ言えてる。ジンの奴、ホント馬鹿だよな」

「けどよ、流石にトイレ休憩ぐらいで命令違反にはならないだろ?」

「まあ、確かにな…」

「あっ、それなら俺も念の為行っとくわ」

「解った解った…なるべく早く済ませるんだぞ」

「はいはい」 

 

 そう言って黒装束の二人が廊下を歩き出し、幅の広い折返し階段を昇って行ったところで二人の姿が見えなくなった。

 

 残された一人が、去り行く背中に呼びかける。 

 

「おい、どこに便所があるか解ってるんだろうな?」

 

 しかし、仲間たちからの返事がない。

 

「おい、返事ぐらい……」

 

 自分も階段を昇って呼びかけるが、彼は状況がおかしい事に気が付いた。

 先程二人で向かった筈なのに、三階には一人しか立っていなかった。

 

「ん? おい、あいつは何処に行った?」

 

 金色の髪がツンツンと逆立っている男は消えた仲間の居場所を尋ねるが、やはり返事は戻ってこなかった。

 

「おい、どうした!」

 

 三階の廊下の仲間は全身をカタカタと震わせている。そして、ようやく声を絞り出して答えた。

 

「き………消えた………」

「は?」

 

 近くの窓に背を向けながら、男はなおもガクガクと震えている。

 

「消えたんだよ、こう、何かが後ろを通り過ぎたと思って振り返ったらもういな………」

「おい! 後ろ!」

 

 金髪の男が唐突に悲鳴を叫ぶ。

 等間隔に並ぶ廊下の窓の一つ、仲間の立っている後ろの窓に、黒い人影が映ったのだ。

 室内の何かが反射したわけではない。そもそもその窓は最大限に開かれているのだから。

 

 

 

♦♢♦♢

 

 

 

 

(おいおいおい、突然上から爆音が聞こえたと思えば………いったい何がどうなってやがんだ?)

 

 廊下の隅に隠れる一人の少年がいた。

 

 ネイサンである。

 ネイサンは教室を出てすぐ、廊下の見張りの不意を突こうと動こうとしたが、思わぬ乱入者によって状況が変わった。

 

 東館三階の様子を遠見の魔術――黒魔【アキュレイト・スコープ】で確認する。

 

 変わり果てた三階の廊下。

 大きな穴が開いた壁、引火した床の絨毯、廊下に立つ黒い煙。

 火の手がそこかしこに散乱し、それらが燃える時に出る煙で視界を大きく曇らせる。

 

 その中を黒い影のような『何か』がテロリスト達を引き裂く瞬間が、ネイサンの右目のまぶたの裏に広がった。

 

「っ!?」

 

 黒い『何か』は、所々破れ千切れた漆黒の襤褸布をローブのように羽織り、身体のラインが見えない。大きなフードを深くかぶって隠した顔は、闇に覆われて明確に見えない。だが代わりに眼と思われる二つの光が松明の火の様に爛々と、そして不敵に赤く輝かせていた。

 

 その黒衣の人物を見るなり、ネイサンは目を大きく見開いた。

 

(なんであいつが……『シャドウ』が生きてやがる?)

 

 

――――シャドウ。

 

 それは、三年前に起こった三百人以上の領民失踪と同じ時期に突如現れた神出鬼没の連続殺人鬼の異名である。

 

 彼の本名や年齢、犯行の動機、そのフードの下の素顔を誰も知らない。

 

 黒いローブをたなびかせ、帝国各地で魔術の探究のためならば他の一切を犠牲にすることも厭わない外道魔術師を多く殺害。

 そこには容赦、手心というものが一切無く、現場に対象の肉片と異常なまでの大量の血だまりを作るその殺し方は、帝国にいる魔術師たちに大きな恐怖を植え付けた。 

 人がやったとは思えない凄惨な手口で死神の如き恐怖を撒き散らすその存在を人々は恐れ、何時しか影そのものを纏っているかのようなその姿に因んで『シャドウ』と呼ぶようになった。

 

 帝国政府、特に国軍省の傘下にある帝国宮廷魔導士団特務分室はその実力に目を付け、戦力増強の為に捕らえようと何度も試みたが、その都度戦闘になり、あの手この手で逃げられていた。

 

 だが一年前の嵐の夜、豪雨が降り注ぎ、風が吹き荒れる橋の上で、ある執行官との戦闘の末に『シャドウ』は敗北。隙をついた執行官が放った大量の銃弾が『シャドウ』の胸と腹部を貫通して、その拍子に『シャドウ』自身は荒れ狂う河の中へと吸い込まれていった。

 

 その後調査隊が河を調査をしても遺体が発見されず、あの致命傷の状態で生きている筈がないということですぐに正体不明のまま『死亡認定』されたのだが………

 

(……向こうも軍の目を欺く術を持ってたってことか)

 

 シャドウは足元に横たわるテロリストの死体を容赦なく蹴り上げ、炎の中へと放り込んだ。

 炎が燃え移り、死体に容赦なく纏わりつく。

 服が先に燃え、その下の肌と飛び出している臓物は見る間に炎で焼け爛れ、悪臭を放ちながら崩れていく。

 

(うわぁ…外道魔術師に対してのえげつなさは資料通りだなオイ)

 

 ネイサンは内心焦る。

 

 天の智慧研究会が何故ルミアを攫ったのか理由は不明だが絶対にロクなことではない。

 助ける時間が遅れれば遅れるほどルミアを助け出せる可能性が低くなっていく。

 そんな切迫した状況の中、そこに何故だか知らないが、死んだと思われていた連続殺人鬼が乱入してきた。前者は確実に敵だが、後者の方は全く分からない。

 

(どうする?向こうはまだこっちに気付いていない。なら――)

 

 纏めて始末するか?

 そう考えた矢先、背後から人の気配を感じ取った。

 

「っ!?」

 

 ネイサンは反射的に素早く振り返りながらチャクラムを振り下ろす。

 だが刃先が相手の首元に差し掛かる寸でのところでピタリと動きを止めた。

 

「ってあれ?あんたは………」

「………随分と物騒なものをお持ちですね」

 

 ネイサンの背後にいたその人物は、医務室に在中している新人教員クリストファー=セラードであった。

 

「なんであんたがここにいる?二組の担任以外の教員は皆帝都に行ってるはずだが」

「…自分の場合は赴任してまだ二か月しか経っていないため代わりに医務室の管理を任されていたんです。そしたら急に現れた銃を持った男に危うく殺されそうになりましたが、間一髪のところで突然現れた黒いローブの人物に助けられてここまで来れたんですよ」

「黒いローブの人物?シャドウのことを言ってるのか?」

「そんな名前かまでは分かりませんよ。それより、いい加減それ下ろしてもらえませんか?」

「え?あ、ああ……すまん」

 

 クリストファーに指摘されて、ネイサンはチャクラムを下ろす。

 普段からそんなに話す機会がないため、”どこか冷めた変わり者”ぐらいしか周りに認識されていない彼は、自らの首元に刃物が当てられても動揺の様子を見せなかった。

 

 それが逆に彼に対しての不信感を募らせる。

 

 この魔術学院の魔導セキュリティは高度で、学院側から登録されていない者や、立ち入り許可を受けていない者の進入を阻むようになっている筈だが、テロリスト達に容易く突破され、完全に掌握されている状態だ。

 

 状況から察するに――

 

(――いるな。裏切り者が)

 

 学院の教授や講師達。特に教授格かそれに準ずる能力を持つ講師が怪しい。

 それはグレン以外に学院に残っているクリストファーも容疑者に入るため今の話を鵜吞みにするわけにはいかない。

 だが単純に結界の術式の情報を横流しして後は実行犯に任せるって手もあるため、魔術学会で帝都にいる教員たちを除外するのも早計過ぎる。

 

「………その顔、自分が連中を招いたと疑ってるようですね」

「………まあ、状況が状況だけにな」

 

 ネイサンの表情から自分が疑われていることを読み取ったクリストファーはため息をついた後、僅かに表情を歪めた。

 

「………はあ。どう説明してもすぐには信じてはもらえないでしょうが、これだけははっきり言っておきます。仮に自分がどこかの団体に所属していたとしても、あんなロクでなしの人でなし共がいるところは死んでも御免だ。あの連中がクズなら、きっとそれを率いる指導者はそれ以上のごみクズ野郎でしょうね」

「おおう。随分とはっきり言うね。気にいった」

 

 天の智慧研究会の構成員の殆どは、下っ端のチンピラ程度であっても指導者である大導師に対する忠義は非常に厚く、その異常なまでの忠誠心は洗脳の域にまで達している。

 その構成員たちが学院にいる状況で、クリストファーは明らかにテロリストに喧嘩を売るような発言をしたために、ネイサンの中で彼は黒からグレーへと変わる。

 

(どうする?こいつを信じて教室に押し込んでおくか?それともことが治まるまで眠ってもらうか?)

 

 クリストファーへの対応に悩んでいたその時―――不意に途轍もない破砕音で学院が震えた。

 

「「ッ!?」」

 

 ネイサンは驚きながらも、即座に【アキュレイト・スコープ】を再起動して音がした西館の方を見据える。

 

 そこに映ったのは満身創痍にあるグレンとシスティーナ、2人に近づくダークコートの男―――レイクと呼ばれた男。更には三人の下に向けて疾走する影の姿だった。

 

「―――ッ」

「え?ちょ、ちょっと――」

 

 それを確認したネイサンは直ぐに遠見を解除し、クリストファーを放置して高速移動【疾風脚(シュトロム)】を発動。廊下を破壊する勢いで蹴り抜き、窓を突き破って風のようにその場から消え去った。

 

 

 

 あのときルミアを連れて行ったのはリーダー格のレイクだ。

 グレンとシスティーナを助けるついでにレイクをボコって吐かせることができれば、ルミアの居場所がわかり、裏切り者が誰かもわかる。まさしく一石三鳥だ。

 

 だが、それはシャドウがレイクを殺す前に確保できればの話だ。影が本物のシャドウなら確実に外道魔術師を容赦なく殺す。死んだあとじゃ何の情報も得られない。

 

(なにがなんでもシャドウより先にアイツをとっ捕まえなきゃ――)

 

 学院校舎は本館の東西に東館と西館が翼を広げるように、屈折して隣接する構造を取っており、東館から西館まで礼儀正しく廊下を通るようじゃ時間がかかる。そのためショートカットとして、一度窓から外に出て、直接西館に向かうしかない。

 

(このまま一気に行くぜ!)

 

 窓から飛び出したネイサンは黒魔【ラピッド・ストリーム】を起動させる。激流を身に纏って、機動力を爆発的に向上させたその身体は宙を舞い、一瞬で半分の距離を詰めた。

 

(あともう一息!)

 

 次で西館に辿り着くため、再び【ラピッド・ストリーム】を起動させようと呪文を唱えようとしたその時――――虚空から発せられた一条の紫の紫電がネイサンに襲いかかった。

 

「―――ッ!」

 

 ネイサンはすぐさま詠唱を中断し、体を捻らせてその雷閃―――【ライトニング・ピアス】を躱し、チャクラムをフリスビーのように投げつける。

 時速100キロを超えるほどの高速で飛来した円盤が、雷閃が飛んできた方向へと飛んでいく。すると西館の数十メトラ手前の何もない筈の場所でガァンッ――と硬い物同士が打ち合う音が鳴り、火花が散った。

 

「チッ、早速新手のお出ましか」

 

 術の起動を妨害され、ネイサンが地面に降り立つ間に、チャクラムはブーメランのようにUターンし、ネイサンの手に戻る。すぐにネイサンは武器を構えながら、何もないその場所へと突き刺すように鋭い視線を向けた。

 

 空間が揺らぎ、その揺らぎの中から【セルフ・トランスパレント】で透明となっていた黒い外套に身を包んだ年齢不詳、性別不明の人物が行く手を阻むように現れた。

 フードを目深に被り、顔には白い無貌の仮面をつけている。

 

『今のを避けるとは………学生にしてはいい反応だな』

 

 仮面の奥から、くぐもった声が響く。高く低く殷々と響くその声は、老人か若者か、あるいは男か女かすら定かではない。

 

『いや。そんな玩具を持ち歩いている時点でただの学生じゃないな………何者だ?』

「ちょっとでかいフリスビーを持ったヤンチャな学生ですがなにか?」

 

 仮面の人物の問いかけにネイサンは適当に流す。

 

『…まあいい。どのみちここから先通すわけにいかない。死にたくなければここを立ち去れ――――なんて言ってもどうせ無理にでも押し通るつもりだろうからここで消えてもらう』

 

 仮面の人物がパチンと指を打ち鳴らすと、無数の光の線が猛速度で地面を走った。

 仮面の人物とネイサンを取り囲むように立方体の結界が瞬時に構築され、そびえ立つ光の障壁が外界とを切り離す。同時に周囲の風の流れと音が届かなくなった。

 

『この結界には認識阻害と音を遮蔽する術式が施されている。だからたとえお前がここで死のうと……誰もそのことには気付かない』

「あれ?なんか俺相手に勝つ前提で話進めてるみたいだけど、俺の聞き間違いか?」

「いいや、聞き間違いじゃない。お前は、この私には勝てない」 

「へえ、そうかい――《じゃあ・試してみるか》?」

 

 呪文改変による黒魔【ブレイズ・バースト】。収束熱エネルギーの球体を放ち、着弾地点を爆炎と爆圧で薙ぎ払う強力な軍用呪文だ。

 不敵に告げながら息を吸うように呪文改変を行ったネイサンだが、敵も一筋縄で勝てる相手ではなかった。

 

『ふん――』

 

 火球が当たる寸前に仮面の人物の姿が突然消えた。

 【グラビティ・コントロール】か【フィジカル・ブースト】でも付呪しているのか、火球が爆裂したときには仮面の人物は空高く跳躍しており、指先をネイサンに向けていた。

 

「っ!?」

 

 ネイサンは本能的に後方へとバックする。 

 同時に指先から一条の雷光が先程までのネイサンがいた場所へと迸り、地面に小さな穴が穿たれた。 

 

「マジかよ……」

 

 術者のその技量にネイサンは舌を巻く。

 

(時間差起動(ディレイ・ブート)が使えるとか反則だろ)

 

 仮面の人物は呪文を唱えることなく、【ライトニング・ピアス】を放った。

 予め呪文を唱えておき、後は任意のタイミングで起動する高等技法。それが時間差起動。

 それを当たり前のように使った仮面の人物の技量に驚きを隠せない。

 

『まだだ。《雷よ》《一手》《二手》《三手》』

「人に指を指すのは失礼だぞ!」

 

 仮面の人物が結界の壁を交互に蹴って、めまぐるしく跳び回りながら呪文を唱える。

 空気を引き裂いて、真空を切り裂いて、三条の雷光が急所へと迫ってきた。

 仮面の人物の追撃により放たれる【ライトニング・ピアス】を、ネイサンは【疾風脚】の連続起動によってよける。

 

『どうした?その手に持ってる玩具はただの飾りか?』

「好き勝手言ってくれちゃって…まぁ!」

 

 チャクラムを投擲する。

 ところがまったく見当違いの方向へ曲がっていく。ミスショットだ。

 だが、チャクラムは結界の壁で跳ね返り、まっすぐ仮面の人物に向かう。

 仮面の人物は空中回転でそれを避け、空中で指先をネイサンに向けた。

 

『《雷――』 

「≪霧散しろ≫」

 

 仮面の人物の詠唱が完成するよりも早くネイサンの指先が動き、一節詠唱が完成していた。

 その瞬間、仮面の人物の指先に生まれかけていた雷光が、ぱぁんと音を立てて弾け、魔力の残滓となって空間に散華した。

 

 黒魔【トライ・バニッシュ】。空間に内在する炎熱、冷気、電撃といった三属エネルギーをゼロ基底状態へ強制的に戻して打ち消す、対抗呪文(カウンター・スペル)だ。

 

「《かぁ・らぁ・のぉ~・こいつを喰らいな》!」

『っ!?』

 

 すかさずネイサンが、黒魔【ブレイズ・バースト】の即効改変呪文を四節ルーンで詠唱していた。

 ネイサンの五本の指先から火の粉が生まれ、まるで触れると弾けてしまう鳳仙花の実のように仮面の人物へと投げ放たれる。

 

『《光の障壁よ》!』

 

 焼き殺さんと殺到する炎から、後方へとバックして距離を離そうとする。だが避け切れないと判断した仮面の人物は、自らの身を守るために咄嗟に対抗呪文【フォース・シールド】を唱えた。

 手のひらで受け止めるが如く突き出した腕のその前に、光の六角形模様が半球状に並ぶ魔力障壁が眼前にて展開される。

 

 火の粉と障壁がぶつかり合う。阻まれる火の粉が衝突と共に唸りのような轟音と火花を散らし、あぶれた余波は自身の周囲を蹂躙する。

 

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。

 

 やがて爆裂の前に障壁が破れ、煙があがる。

 煙に紛れてネイサンが仮面の人物との距離を一気に詰め寄っていた。

 

 結界の壁を跳ね回っていたチャクラムを手にし、手斧のように振りかぶる。

 

 が――

 

 バゴゥッ!

 

 体を反らしてそのまま後ろに倒す。さらにバク転を駆使してサマーソルトキックを放つ。仮面の人物の足はそれを弾いた。

 

「ち――」

 

 ネイサンは勢いのままチャクラムを手から離し、勢いに任せてそのまま、素人の目では追えない速度のジャブを数発繰り出した。身体を半身に、やや猫背に、両の手の甲を相手に向けてわずかに回転させる――古式拳闘に似た構えだ。

 

 

 だが最初の一撃がヒットしようかというその瞬間、仮面の人物は通常ではありえない方法で躱して見せた。

 

「っ!?」

 

 ネイサンの表情が驚愕に見開かれる。

 連発のジャブに対して、仮面の人物は文字通り跳んできた。バク転を終えて接地するや否や、予備動作なしでジャンプしてきたのだ。膝を使わず足首とつま先だけで跳んでみせ、ネイサンの頭上を一回転し、ネイサンの背後に着地する。

 

 振り向きざまに拳を放とうとしたが、その視界の隅に雷光を捉え、慌ててその場にしゃがみ込んだ。その直後、ネイサンの頭上を紫の紫電が掠め、髪の毛が何本か舞った。

 

「……やってくれたな。まだスペル・ストックを残してたか」

 

 後ろへと跳び下がり、互いの間合いが離れる。

 

「随分とアクロバティックなことで……おたく、魔術師らしくねーな」

  

 仮面の人物の動きは素人のものではない。精密な狙撃力のうえに高い機動力と柔軟な体術を持ち合わせている。

 魔術師は接近戦を嫌う。剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くせる。だから精神修練で培う魔術の下に置きたがる。

 この仮面の人物もネイサンも魔術師から外れた別のものだった。

 

『どうした?先程までの勢いはどこにいった?』

「好き勝手言ってくれちゃって………おたく何者?魔術至上主義と歪んだ選民思想に凝り固まったあの組織におたくみたいなのがいるなんて聞いたことがないよ」

『そういうお前は分かりやすいな。アレンジが加わってはいるが、今のはれっきとした帝国式軍隊格闘術だった。加えて、チャクラムを使った接近戦を好んでいる……………まさか奴の正体がお前みたいな子供だったとはな。帝国宮廷魔導士団特務分室の執行官、ナンバー12』

「――――へぇ?俺のことを知ってるのか」

 

 途端。ネイサンの雰囲気が変わる。先程までの飄々とした感じは失せ、ネイサンから途轍もない殺気が溢れていた。

 

「だが気付くのはちょっと遅すぎたな」

 

 ネイサンが手をかざすと、呼応するように仮面の人物の足元に魔術方陣が浮かび上がる。

 

『っ!?』

 

 仮面の人物がすぐさまバク宙をして方陣から離れた瞬間、魔術方陣は赤く熱を帯び、轟!と巨大な炎の渦となった。

 

『ふん………何かと思えば、私にはこんな罠なぞ効かん』

「おっと、そういうのはちゃんと周りを見てから言いな」

『!?』

 

 仮面の下で目が大きく見開かれる。

 辺りを見渡すと、壁、天井、地面と、結界内の至る所に先程と同じような方陣が展開されていた。

 

『いつの間にこんなに………!』

「実はおたくの攻撃を避けている間にこっそり仕込ませてもらったんだよ」

『馬鹿な………最初からだと!?』

「ああ。俺をこんな結界に閉じ込めたあの瞬間から、とっくに勝負は決まってたんだよ」

 

 天井から展開された圧倒的火勢の烈火が渦を巻き、帯状になって、仮面の人物の腕、胴、足をまるで蛇のように猛速度で伝い走り、絡みついて、締め上げていく。そして、絶叫を上げる間もなく、全身を完全に炎で縛りつけられたまま引っ張られ、宙に逆さに吊るされた。

 

 その姿は総数二十二枚からなるアルカナの一つに記されている神の子を十字架刑に追いやった裏切り者、第十三使徒ユーダの最後の瞬間を連想させる。

 

 

「じゃあな。顔も分からない誰かさん」

 

 身動きの取れない仮面の人物へと炎が降りかかった。

 

『がああああああ!!』

 

 仮面の人物の体が炎に包ままれ、吹き飛んでいた体は衝撃により相殺されその場で制止する。しかし体に浴びせられた炎は確実に仮面の人物の身体を灼いていく。

 

 

 そして、最後には仮面の人物は塵一つ残らずにこの世界から消え去っていた。

 

 

 



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「…悪いが、お前らの相手は俺だ」

 帝国宮廷魔道士団特務分室───

 「帝国の力の象徴」である精鋭魔導士の集まりである帝国宮廷魔導士団の中でも主に魔術がらみの特殊任務や国家機密クラスの事案の対処を行う部署。

 《愚者》や《星》、《戦車》といった大アルカナにちなんだコードネームが付けられるメンバーには“全てが高次元に優れている”スーパーオールラウンダー”か、“何か一つが凄まじく尖っている”変化球といった“普通に優れている”程度のとは別格の人材が求められる。

 

 だが完全実力主義をとるあまり、時に過激な者や頭の壊れた者も入室する。

 その結果、何年か前にある女執行官が歪んだ選民思想や老化に対する焦りから偽りの「永遠者」であるリッチへと転生、村を一つ滅ぼし送り込まれた3名の同僚をも罠にはめて殺害するという不祥事を招くこととなる。

 国軍省はなんとか彼女を内々に処理したのだが、どこからか魔導省や行政省などの反国軍省派に情報が漏れ、特務分室の人材採用基準や規律などの問題を今まで黙認してきたツケが回っただの、特務分室の管轄を別にするべきでは?そう唱える者も散見されるようになる。

 当然部署を手放したくない国軍省参謀本部は五年も続く論争の末、反国軍省に加わらず中立の立場にいた帝国保安局情報調査室長官からの提案をのむこととなった。

 

・特務分室の執行官の一人に他の執行官たちを監視させるということ。

・もし執行官が帝国にあだなす敵勢力に手を貸すなどの反逆行為が発覚した場合、即刻処理する。

・その執行官の選抜は帝国保安局情報調査室が担当し、採用基準は過激な思想を持たず、裏切りを嫌い、なおかつ人格に問題のない者とする。能力よりも人格面を優先し、仮に能力が高くともこの二つに当てはまらないものは失格とする。

・選抜者の個人情報は保安局情報調査室の室長と担当官、特務分室の室長以外には一切公開しない。

・以上の取り決めは非公式のものとし、記録には残さないこととする。 

 

 

 頭の固い軍の幹部がこれでもかというぐらいに譲歩したこの案に、反国軍省派はなんとか納得しつつも、無理矢理希望者の中に魔導省の息のかかったスパイを潜り込ませようとしたが、担当官に即見破られるという事件があったがそれは別の話。

 

 そういった政治的背景から、厳選された魔導士のコードネームには”裏切り者には死を”の意味を込めて、ナンバー12《吊るされた男》が与えられることとなった。

 

 

 

 

 

 術者がいなくなったことで強固であった光の障壁が粒子となって解け始め、瞬く間に崩れだした。結界が解除され、罠の類がないことを確認したネイサンは、襲撃犯のリーダー格である外道魔術師を捕らえるべく、すぐさま半壊した西館の校舎の中に入ったのだが……

 

「……チッ、遅すぎたか」 

 

 破壊の傷跡が刻まれた廊下には残されていたのは、外道魔術師の無惨な死体だけだった。

 肉が崩れ、大量の血が流れ出て、足や背骨が通常ではありえない方向に折れ曲がったその様は、18歳未満の子供に見せられないほど汚らしく惨たらしい。

 

(……いったい何をどうしたらこうなるんだ?)

 

 殺ったのは…あの怪人だろう。

 何も知らぬものがこの死体を見れば、人間の範疇を大きく越えた、凶暴で残酷な怪物に殺されたと思うだろう。

 

 これでせっかくの手掛かりがなくなってしまった。死人に口なしの状態ではルミアの居場所も裏切り者の情報も聞き出せない。それに加え、結界に時間操作の魔術が仕込まれていたのか、結界を出た時には既に2時間以上が経過していた。

 

 どうにか遅れた分の時間を取り戻さなければならない。

 連中が脱出する素振りさえ見えないことから、少なくとも学院の何処かにいる筈だ。

 どうやって彼女を見つけるか策を講じる。

 

 と、その時だった。

 

 辺りに金属を打ち鳴らしたような甲高い共鳴音が響き渡る。

 

 ネイサンがポケットから半割の宝石を取り出して耳に当てた。

 

「なんだ、ビリー?」

『ようネイト。出て早々”なんだ”はないだろ』

「悪い。今こっちで深刻な問題が発生中でちょっとイラついてた」

『問題って?』

「簡単に説明すると、学院に天の智慧研究会が乗り込んできて護衛対象を攫ってった」

『マジかよ。あのロクでもない連中が出張って来たってことか?』

「残念ながら。連中は学院の魔導セキュリティをあっさり突破した。内通者がいないとこんなことできない」

『裏切り者か…もしかしたらお前が俺に頼んどいた資料が役に立つかもしれないな』

「結果が出たのか?」

『ああ、ばっちりな。なんつったって、この元情報系魔導士だったビリー様がコネというコネを使って徹底的に洗ったんだ。後でなんか奢れよ?』

「はいはい、無事に帰れたらな。で、結果はどうだった?やっぱりクリストファー=セラードって新人教員がそうなのか?」

『いいや。そいつはあり得ないな。クリストファー=セラードの経歴を調べたんだがな……奴は元・帝国東部カンターレ方面軍・第七師団第二駐屯隊に軍医として所属していたことがわかった』

「第七師団?これまた意外なところで……」

 

 帝国東部カンターレ方面軍・第七師団───

 隣国レザリア王国に国境を接する東部カンターレ地方の南東部を本拠とし、南部の都市フェジテ方面に繋がるルートの境目に駐屯基地を置くアルザーノ帝国軍の師団。

 かつては魔導大戦を生き残った猛者達が集った部隊で、瀕死の重傷であっても反撃を試みたり、不意な襲撃にもすぐに対応するなど個々の能力が高く、特務分室に匹敵する最強の部隊と謳われていた。

 その後の100年も第七師団の栄光は続いたが、40年前の奉神戦争の戦時中、当時の師団長が軍上層部の命令で敵国であるレザリア王国の情報を掴もうと捕虜に対して執拗な拷問を行ったことが戦後問題に……あげくの果てに、第七師団に命令した軍上層部が責任逃れのために全て彼らが勝手にやったこととして発表し、師団長は封印の地に幽閉、団員のほとんどは解雇か特務分室に引き抜かれることとなった。

 それから現在でも、軍内部では第七師団に配属される者は格下扱いされることとなる。

 

『軍の記録では、奴の魔術特性は治癒系の方に傾倒していて、魔導セキュリティに手を加える程の腕はないようだ。それに、軍を抜けてからろくに魔術を行使できない状態だ。4年前のある日、辺境地方から中央へ流れていく強力な魔獣を精鋭部隊の第三師団第八辺境警備隊が食い止めていたんだがへましてその内の何匹かが第七師団の方に流れちまった。んで襲撃を受けた際、奴は魔獣が口から吐いたブレスで体の半分に大やけどを負って、後遺症で魔力操作が上手くできなくなってしまったようだ』

「……それであんなに魔術の行使を控えてたのか」

『もっと気の毒なことは、軍上層部の仕打ちだ。連中、帝国軍精鋭部隊の面子を守るために事実を隠蔽して、落ち度は不測の事態に対応できなかった第七師団にあるってかなりこき下ろして退役・殉職した奴らには勲章も報奨金も出さなかったみたいだ。会ったらふざけんなってぶん殴ってやりたいよ』

 

 通信結晶の向こうからにビリーの声に怒気が感じられる。ネイサンの方もあまりにも酷すぎる内容に段々と腹が立ってくるが、すぐに気分を切り変えようとする。事態はまだ終わってはいないのだから。

 

「……まあ、それはそれとして、クリストファー=セラードはこの件には関わっていないってことでいいんだな?」

『ああ、だがもう一人の人物について問題がある』

 

 

 

 

 

――。

 

 

 数分後、ビリーからの報告を聞いたネイサンは、グレンのいる二組の教室を目指し、廊下を駆け抜けていく。

 タイミングが悪いことに、ネイサンが結界の中で戦っている間、グレンとシスティーナは西館から離れて教室に避難したようで、邪魔をした仮面の人物に腹が立った。

 

 そして廊下の角に差し掛かったその時、空き教室の方から喧騒が耳に入る。

 

『ですから何度も言ってるでしょう。自分はこの件には関わっていませんし、テロリストに手を貸してません』

『しらばっくれてんじゃねえよ。学院に残っている教員はアンタしかいねぇんだよ』

『そんなの単純に結界の術式の情報を横流しして後は実行犯に任せるって手もあるじゃないですか』

『うっ……確かにそうだが……』

『それに自分を棚に上げて人を犯人あつかいするのはやめてください。非常勤講師でも貴方もここの教員でしょ?なら貴方も裏切り者の容疑者だ』

『ふざけないでください!グレン先生はあいつらから私を助けてくれたんですよ!!』

 

 話の内容からして、グレンたちも新人教員のクリストファー=セラードを天の智慧研究会の侵入の手引きをした裏切り者だと考えて問い詰めているようだ。

 

 各政府機関の面子や縄張り争いの関係で、救援はあまり期待できない。戦術支援もない中、いつ来るかもわからない敵の襲撃に備えながらルミアを助けなければならないと逸る気持ちになるのはわかる。

 

 だが問いただすべき相手は別にいる。

 

 

「その新人さんは連中の仲間じゃない」

 

 間違いを正すべく、ネイサンが空き教室に入る。

 

「ネイサン?貴女教室にいなかったけど今までどこにいたのよ?」

「お前らが西館にいた間、他のテロリストと戦ってたんだよ」 

「戦ってたって…あのロクでもない連中が相手だぞ!?よく勝てたな!」

「悪いが今は時間が惜しいから、その話は後にしてくれ。それよりもその人にいくら聞いても時間の無駄だ。連中を手引きした今もルミアと一緒にいるんだぞ」

「「えっ!?」」

 

 見当違いの相手を問い詰めていたグレンとシスティーナの素っ頓狂な声がハモった。疑われていたクリストファーはというと『……だから自分じゃないって言ってたでしょ』と非難の視線を二人に向けている。

 

「それじゃあルミアは今どこにいるんだよ?」

「走りながら説明する。俺の推測が正しければ、もうあまり時間がない」

「待って…私もルミアを助けに…」

「悪いがシスティーナにはクリストファーの先公と教室に戻って全員を地下迷宮の第5層まで非難させてくれ。最悪、学院全体が吹っ飛ぶ可能性があるからな」

「で、でも……」

「でもも何もない。戦闘経験もない素人にできるのはそれくらいだ」

「……分かった」

 

 いつもの陽気さと違い、冷たさを感じるネイサンの態度に戸惑いながらも、彼の言葉にこれ以上反論することなく、不満そうに頷いた。

 

 

「おい、学校が吹っ飛ぶってどういうことだ?」

「それも後で、グレンの先公行けるか?」

「あ、ああ」

「じゃあ、システィーナ、クリストファーの先公、頼んだよ」

 

 

 そうして、二人は駆け出した。

 

 

 

♢♦♢

 

 

 現在、二人は学院の中庭を走っていた。

 

「それで、ルミアがいったいどこにいるのかわかってるのか?」

「ああ、彼女はおそらく転送搭にいる」

「転送塔?なんでだ?」

「いいか。一度しか説明しないから耳かっぽじってよく聞け。敵はまず裏切り者の手引きで学院に潜入。そして、学院の結界を弄り、『札が無ければ侵入不可能、中から外には出られない』という設定に書き換えた。さらに、学院の転送方陣の設定も変え、転送方陣を壊すことなく無力化した上で、脱出手段として利用する。俺の見立てだと、もうすぐその裏切り者が転送方陣の書き換えが終わり、敵は逃げ出す可能性大だ」

「……なるほどな。確かに行ってみる価値あるな……んで、肝心の裏切り者は誰なんだ?」

「二組の前担任だったヒューイ=ルイセン」

「――なっ!?」

 

 その名前にグレンが驚く。

 

 ヒューイ=ルイセン───

 グレンの前任講師であった男であり授業もわかりやすいと好評であった。

 一身上の都合で退職とされていたが、それは生徒達に無用な心配をさせないための表向きの理由だ。実際は、理由不明の失踪だ。

 

「あいつは天の知恵研究会から送り込まれていたスパイだ」

「マジかよ……でも何で分かったんだ?」

 

 グレンがネイサンに疑問を問いかける。それに対してネイサンはビリーから情報を貰ったことは伏せて説明をする。

 

「簡単な推理だよ。容疑者に当てはまるのは今学会に行ってる現職員だけとは限らない。つい最近行方不明になってたあいつも考慮に入れておくべきだった。しかもあいつは空間系の魔術に関してはかなりの天才だった。結界と転送方陣の書き換えもお手の物だろう。確認の為に結界を詳しく調べてみたら書き換え方の手口があいつの論文にあったのと一致した」

 

 彼が犯人だとすれば納得がいく。

 魔術学会の直前で姿を消したのも、授業を遅らせて当日に二組だけが学院に来るように仕向けるためだ。でなければ、学会で二組以外の生徒・教員が殆どいないタイミングをピンポイントで狙えるはずがない。

 

「……なあ、まさか白猫の前で言わなかったのは気を遣っての事か?」

「半分正解だ。自分の担任がテロリストのスパイだったなんて事実、他の連中にはショックすぎて簡単に受け止めきれるわけがない。まぁもっともヒューイが追い詰められたら最後学院ごと自爆する可能性もあるって話は本当だけどな…」

「はぁ!?自爆!?」

「わざわざ外に出られないようにしてるんだ。そんなことする理由はルミアを転送した後残った生徒もろとも消すぐらいしか思いつかん。天の智慧研究会にとってスパイや殺し屋は単なる捨て駒に過ぎない。あの組織のイカレ具合はアンタもよく知ってるだろ?《愚者》のグレンさん」

 

 ネイサンの言葉を聞いた途端、グレンは驚いた顔でネイサンの事を見る。

 

「おまっ…何でそれを…!? ……何者だ」

 

 グレンが警戒の表情をネイサンへと向ける。

 

「そう警戒しなさんな。俺はアンタが前勤めていた部署の同僚なんだよ。まぁアンタとこうして一緒に行動するのは初めてだが」

「っ!?まさかお前……」

「ストップ………どうやらビンゴみたいだ」

 

 並木道を抜けた先にて聳え立つ白い巨塔――白亜の塔がようやく見えてきたころ、ネイサンの予想は確信へと変わった。

 彼らの眼前に広がるのは、そろそろ昼を過ぎるかという位置にある太陽と青空、そして──目測五十体はいそうな巨大ゴーレムの群れである。

 普段はバラバラの石片として、学院内の風景の一部になっているが、有事の際は積み重なってゴーレムとなり、ガーディアンになる。

 そういう単純な命令しか与えられていないゴーレムが、現在はその設定を書き換えられたのか、転送搭を守るように徘徊していたのだ。

 

「勘弁してくれよ……」

 

 ルミアが監禁されているという塔は見えている。だが、そこまでの道を阻む守護者達が屈強過ぎた。

 

「……しゃぁない。俺が通り道を作るから先公は先に向かってくれ」 

 

 ここで2人ともゴーレムに足止めを食らうのは非常に良くない。そう考えたネイサンは右手にチャクラムを構えながら、グレンにそんな提案を持ちかける。

 

「はぁ?!お前1人でこいつらを?!見た限り、結構固そうなのをそんな玩具でなんて無理があるだろ!」

「《こいつは・ただの玩具とは・違うぜ》?」

 

 詠唱と共にチャクラムの刃の表面から炎が噴き出した。

 轟ッと音をたて燃え盛る灼熱の紅蓮の炎が渦を巻き、大きな輪状となって、刃の周りを反時計回りに回転する。

 

「おらぁッ!!」

 

 ネイサンは炎を纏う自身の武器を横な振りに放つ。

 炎の輪は高速で弧を描き、前方の一体の胴体へと直撃した。強烈な灼熱の炎の刃に動力部である核が砕かれ、ゴーレムは一瞬にして分解し、その身は無数の小さな石片となって地面にばら撒かれてしまった。

 

 一体を倒した後も炎の輪は止まらずゴーレム達の間を通り抜けていく。

 チャクラムがネイサンの手元に戻る。その頃には射線上にいたゴーレム達の無残な姿が地面に転がっていた。

 

「…………ウソン」

 

 目の前の出来上がった光景に、さすがのグレンも顔に冷や汗を垂らしてひきつった表情を見せている。

 

「ぼーっとすんな。さっさと行け」

 

 ネイサンは移動を促すためにグレンの尻を軽く蹴り上げる。

 

「イタッ……わかってるての。《我・秘めたる力を・解放せん》!」

 

 グレンはネイサンにそう返し、【フィジカル・ブースト】で脚力を強化し、岩が転がる地面を駆け抜けて転送搭を目指す。

 しかし、当然ながら、それを射線上から外れていたゴーレム達が群がって止めにかかる。

 

「《邪魔するな》」

 

 ネイサンは【ファイア・ウォール】───放射状に炎の壁を展開する魔術の速攻改変版で炎の壁を作り出し、ゴーレム達を阻んだ。無理に超えようとしたゴーレムはその熱さに耐えきれず焦土の塊と化す。

 

「鈍重共……悪いが、お前らの相手は俺だ」

 

 炎の壁によってグレンはすんなりと転送搭の扉へと無事たどり着き中へと侵入した。

 残されたゴーレムはグレンを追いかけるのをやめ、ネイサンに近づいてくる。

 

 ネイサンはそのままこちらに迫ってくるゴーレムの掃除を続行していった。

 

 

 

 

 

 

―――時間は少し遡り。

 長く続く螺旋階段を登った先、白亜の塔の最上階にある薄暗い大広間の中心で、膝をついて座っているルミアがいた。

 

「どうして……どうして貴方のような人がこんなことを……ッ!?」

 

 転送法陣の上にいる彼女は悲しい顔を浮かべ、涙を目頭に貯める。 

 

 少し離れた片隅にいる柔らかい金髪の涼やかな表情をした二十代半ばぐらいの優男。その人物のことをルミアはよく知っていた。

 

「どうしてなんですか、ヒューイ先生!」

 

 何を隠そうこの男、一ヶ月前まで二組の担当講師として教鞭を執っていたヒューイ=ルイセンその人である。

 表向きには一身上の都合で退職、真実は突然の失踪からの行方不明となっていたが、その理由は態々語るまでもない。今この場にいてルミアを出迎えたことが、ヒューイが敵側の人間である証左だ。 

 

 静かにルミアの悲痛な叫びを聞いていたヒューイはやがて口を開く。

 

「僕はもとより、王族、もしくは政府要人の身内。そのような方が将来この学院に入学された時にこの学院とともに自爆テロで死亡させる。僕はそのための人間爆弾なんですよ」

「そんな………それじゃあ、ヒューイ先生は十年以上も前からそんな僅かなないかもしれない事の為だけにこの学院に在籍していたってことですかッ!?」

「ええ、僕自身すっかり忘れかけていましたけどね」

「――!?」

 

 明かされる衝撃の事実にルミアは言葉を失う。つい最近まで生徒達から慕われていた人気講師が、その実十年以上前から仕組まれていた人間爆弾だったなんて到底受け入れられないし、こんなことを考えつく人間の正気が疑われる。

 

「ですがルミアさんが入学したことで少々事情が変わりましてね………貴方は少々特殊な立場なので生け捕りになりました。ですので転送法陣の転送先を改変し、ルミアさんを組織の元へと送り届けます。同時に僕の魂を起爆剤にこの学院を生徒諸共爆破することになる」 

 

「ば、爆破!?」

『成程……外に出られないよう結界の設定を書き換えたのはそのためか』

「「っ!?」」

 

 ルミアとヒューイしかいないはずの部屋に第三者の声が響く。

 入口付近に広がる暗闇、その中にいつの間にかいる影法師を見た二人は驚きを隠せない。

 

「貴方は……誰なんですか?」

 

 ルミアは気丈に振る舞いながらも、恐る恐る目の前の人物に素性を問い質すも―――

 

「………そうですか、ということは他の皆さんは『シャドウ』である貴方にやられたということですか」 

 

 その答えはヒューイからもたらされた。

 

「え!?」

「ですが妙ですね。それならグレン=レーダスが来てもいい頃合いですが……」

 

 驚くルミアを他所に、ヒューイは冷や汗を流しながら暗闇で赤い目を光らせる影法師――シャドウに問う。

 

『さあな? 今頃見当違いの相手を学院にテロリストを招き入れた裏切り者じゃないかと疑って無駄な時間を取っているところだろう。少し前に危うく殺されそうになったというのに酷い仕打ちだ』

「……ああ、彼ですか………彼にはとんだとばっちりを受けさせてしまいましたか」

『これから学院にいる連中を巻き添えに自爆しようとしている奴がよくそんなセリフを吐けるな』

 

 石を畳のように一面に敷き詰めてできた床を見るとヒューイの足元にも法陣が展開されている。しかし、ルミアのような転送法陣ではなく、なぜかルミアの法陣と連結していた。ヒューイの法陣の術式を読み取ったシャドウは呆れたような目を細める。

 

『…白魔儀【サクリファイス】……己の魂を引き換えに莫大な魔力へと還元する換魂の儀式でこの学院を爆破か。こんな胸糞悪いことをやるのがお前らクズ共の取り柄だったな』

「それは否定しません」

『…にしては転送先の再設定がまだ終わっていないな』

 

「僕の腕前ではルミアさんの転送するための転送法陣の改変は間に合いませんでした。ですがその法陣は転送用でもあると同時に強力な結界でもあるんです。無理矢理壊そうものならアルフォネア教授の神殺しの術でもない限り…」

 

『………ふん、調整が終わるまでの時間稼ぎか』

「ええ、あと十分もすれば再設定は完了し、起動します。それと僕を殺しても【サクリファイス】が自動的に発動するので解呪することをお勧めします。最も今取り掛かったとしても間に合うとはとても思えませんが……」

『用意周到なことだ………』

 

 書き込まれた五層構造からなる白魔儀【サクリファイス】は通常なら一層ずつ解呪していくしかない。グレンが来ていれば魔力が足りなくても迷いなく自身の血を簡単な魔力触媒に黒魔【ブラッド・キャタライズ】で解呪術式を書き込み、黒魔儀【イレイズ】で儀式魔法陣を解呪するだろう。

 

『だが――俺には俺のやり方がある』

 

 ルミアがなにか叫んでいるがシャドウは完全無視し、ルミアを囲む転送法陣の最外層―――ではなく、その手前の石畳の上を右手で触れる。

 

「いったい、何を………?」

『まあ、見ていろ』

 

――どんなに優れた代物であろうと人間が作ったものである限り必ず弱点はある。それは魔術も例外ではない。

 

「「――っ!?」」

 

 ヒューイとルミアの眼前で、突如シャドウの右手から黒い瘴気が溢れ出した。

 

 シャドウの能力――――レイクを殺すときに使った闇の力を再び発動したのだ。

 

 複数の黒い手足へと形を成し、床を這って法陣の周囲を囲んでいく。

 

 だが、黒い手足は法陣自体には直接は触れず、石と石の間の隙間へと入り込んでいく。

 

――転送法陣というのは確かに便利な代物だ。蒸気機関車の実用化がまだ当分先のこの時代、これさえあれば都市間移動を駅馬車や徒歩よりも早くこなすことができる。だが便利そうに聞こえても欠点がある。設定変更に時間がかかっているのはその一つだ。

 

 転送法陣はヒューイが如何に転送法陣のような空間系魔術に関しての天才だとしても、転送先の設定改変を実行するのに半日はかかる。

 

 そして一番の問題は、敷設に適した土地の霊脈の関係上、世界中のどこにでも自由に敷設できる代物ではない。言い換えれば、土地に張り巡っている霊脈の、特に潤沢なマナが流れる霊絡を通さなければ転送もできないし、転送できる場所も限られるのだ。

 

 黒い手足はルミアの座る石畳の裏側――学院の転送法陣と土地に張り巡っている霊脈とを繋げる霊絡を徐々に侵食していく。それはまるで一本の太い糸を内側から腐食し、複数の手で引きちぎっているかのようだ。 

 

 そして――――

 

ブチンッ

 

 繋がりが完全に断たれた瞬間、転送法陣の機能にいくつものエラーが発生。法陣を構築する各ラインの魔力路を走っていた輝きが途切れ途切れに弱まっていき、更に浸食は法陣が描かれている石まで進んでいって、結界を維持できなくなる。 

 

『さて、これで終いだ』 

 

 やがてルミアの足元のの石畳にビシリとヒビが入った途端魔力路の断線が広がっていき、五層もあった法陣は硝子が砕け散るような音と共に、その力を失うのであった。

 

 

 

「まさか転送法陣をこんな方法で無効化するとは………」

 

 訪れた沈黙を先に破ったのは、ヒューイの声だった。

 黒い手足について未だ理解できていなかったが、ヒューイは今目の前にいる殺人鬼によって計画が完全に阻まれたことを悟っていた。

 

「僕の負けですか………」

 

 計画は阻まれ、己が存在意義さえも奪われたというのに、何故かその声に怒りや憎しみの類は感じられない。

 

 あるのは悲愴。痛々しいほどに感じられる、深い悲しみと……仄かな喜びのみ。

 

「不思議ですね。計画は頓挫したというのに…………どこか、ほっとしている自分がいる」

 

 カチャリ――と首元に鋭い刃が当てられる。

 法陣を破壊した後のシャドウの行動は早かった。

 黒い手足が霧散し、シャドウの中へと戻っていってすぐに懐から曲剣を取り出し、死神の鎌のようにヒューイの首元に添えていた。

 

『あとはお前だけだ』

「な!?や、やめて…やめてください!もう終わったじゃないですか!」

 

 ヒューイを殺す気だと気づいたルミアは止めようと臆せずに叫ぶ。

 

 だが――

 

『はぁ?何寝ぼけたこと言ってんだ。お前たちの前ではいい先生だったろうが奴らに手を貸した時点でこいつは敵なんだよ』

「で、でもいくらなんでも殺すなんて………!」

『死んだ守衛たちの遺族や殺されそうになった自分のクラスメイト達にも同じセリフが吐けるのか?』

「――ッ!?」

『それに余計な情けで怪我をするのは自分だけじゃない。その責任をお前は背負えるのか?』

「そ、それは――」

 

 シャドウの言葉に、ルミアはどう答えれば良いのか分からず言葉に詰まった。

 

『………ふん、口先ばかりで何もできない温室育ちの小娘が、いい加減その口を閉じてろ』

「――きゃっ!?」

 

 そう言ってシャドウが自らの右手をルミアに向けた瞬間、再び右手から複数の黒い手足が伸び出し、ルミアを拘束しだす。

 

「ん――っ!んん~~っ!」

 

 黒い手足がルミアの頭、胴、足に絡みつき、ルミアが拘束から逃れようとするも逃れられない。また口元と目元まで覆われ、今の状況を確認することも声を出すこともできずにいた。

 

『せめてもの配慮だ。こいつの死に様は見せないでやる』 

 

 邪魔者の動きを封じたシャドウはヒューイの方へと再び向き直る。

 

「…………最後に一つだけ」

『なんだ?』

「僕は一体、どうすればよかったんでしょうか? 組織の言いなりになって死ぬべきだったのか…………それとも組織に逆らって死ぬべきだったのか? こうなった今でも僕にはわからないんです」 

 

 僅かに顔を上げ、天井を見つめるヒューイの顔にはどこか悲愴の色が滲んでいる。

 

『知らん。自分の道も碌に選ばず結局流されるがままに行動したお前の自業自得だ。今更そんなことを悔いても仕方ないだろ?お前がしようとしたことを全部組織のせいにするんじゃない』

 

 手にしている曲剣を後ろに引き、体を捻り、構えを取る。

 掲げられた鎌刃が闇の中で妖しく赤く輝く。

 命を刈り取る瞬間であるからこそ、その刃は一層の輝きを放つものなのだろうか。

 

『じゃあな』

「ん――っ!」 

 

 このままじゃヒューイ先生が殺される!

 

 ルミアは口をふさがれながらも我武者羅に叫んだその時――――

 

「チェストォオオ!!」 

 

 ガシャアアンッ!

 

『――っ!?』

 

 雄叫びと共に階段へと続く扉が破壊され、破片を飛び散らした。突然のことにシャドウの手が寸でのところで止まった。

 

「ルミア無事か――ってうええ!?これ一体どういう状況だ!?」

「ん!? んんんん、んれんせんいぇい(え!?その声はグレン先生!?)」 

 

 扉を蹴破って乱入してきた人物――――自身の現担任であるグレン=レーダスの声を聞いて、ルミアは声を上げる。

 

『………』

 

 今のグレンの顔色は良くなっている。魔力が大分回復したようだ。

 

 だが来るにしても少し遅すぎた。

 

『………はぁ』

 

 なんだかどうでもよくなったように、シャドウは曲剣を下ろし、同時にルミアの拘束も解除する。

 

「え?」

「おい、今の黒いのなんなんだ!? それにそこにいる奴は!?」 

『………興が醒めた。もう帰る』 

「はっ!? 今帰るっツったか!? 悪いがテメェにいろいろ聞きてぇことが山ほど――」

『じゃあな。裏切り者をどうするかはお前の好きにしろ』

「あっオイ待て!」

 

 グレンが一歩前へ進もうとする前にシャドウは懐から黒い球体みたいな物を取り出し、床に投げた。

 

 途端、球体が爆ぜ、黒い煙幕が部屋に立ち込める。

 

「ゲホッ!ゲホッ! おい、ルミア無事か!?」

「ゲホッ、は、はい! 大丈夫です!」

 

 黒い煙が彼らの視界を奪い、程なくして全て階段へと流れていった頃には……その場にいた黒いローブの人物の姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅー、さっぱりした」

 

 一仕事やり遂げたような顔で額の汗をぬぐうネイサン。【ブレイズ・バースト】などの軍用魔術を派手に放ち、彼の周りは草木の一つも生えない焼け野原となっていた。塔を守る役割を担っていたゴーレム達は塵の山となっている。

 

「ノリに乗って学院の所有物壊しちまったが、まぁ緊急事態だったから問題ないか。あとは……」

 

 ネイサンは塔の入り口の方に目を向けると、同時に扉がバタンと開いた。だが塔の中から出てきたのはグレンたちではなく、件の殺人鬼シャドウだった。

 

「ッ!?」

 

 条件反射でネイサンはシャドウへと炎を纏うチャクラムを投げ込む。

 

『――……!?』

 

 突然のことにシャドウは反応が遅れるが、間一髪で上体を反らしてなんとか避けた。

 

『…やれやれ…最後の最後に思わぬ伏兵がいたか。それに今の武器……ナンバー12か』

「ナンバー12?はて?いったい何のことやら……」

『以前貴様の戦いを見たことがある。変身系の魔術で姿を変えているようだが、癖までは誤魔化せんぞ』

 

 攻撃を仕掛けてきたネイサンを赤い眼が見据える。

 

「……どうやらハッタリじゃなさそうだな。中に入った男はどうした?」

『心配せずとも手は出していない。今頃裏切り者と生徒を連れて下に降りているところだろう。代わりに転送方陣を破壊してやったんだから感謝してほしいな?』

「とりあえず礼を言うべきところだろうが、そもそもなんで由緒ある学び舎に死んだはずの殺人鬼がいるんだよ?」

『俺の目的はこの世から外道魔術師を駆逐することだ。特に天の智慧研究会は放置すればろくなことにならない……だからここに来てやった。ただそれだけだ』

「…死んでも死にきれなかったって奴か。そりゃご苦労なこって……」

 

 思えば三年前から外道魔術師を狩り続けていたシャドウは、常に帝国軍より先回りしている節があった。一度は情報が漏洩しているのではないかという疑惑が浮上したものの、各政府機関は面子や縄張り争いを優先し、情報の出し惜しみするばかりでまったく捜査が進まず、一年前にシャドウが死亡認定されてからそんな話もすぐに有耶無耶にされることとなった。

 だが死んだと思われていた本人がこうして目の前にいるとなるとそうもいかなくなる。

 

「それじゃあ、代わりに事件解決してくれたところ悪いが神妙にお縄についてもらおうか」

『いや、ここでの仕事はもう済んだから俺はもう帰らせてもらう』

「《待て・こら》!」

 

 ネイサンは拘束・無力化する拷問用の呪文である黒魔【フレイム・バインド】を改変・詠唱し、左手から放たれた炎が渦巻き、帯状になって鞭の様にうねってシャドウへと猛速度で走っていく。

 

 それよりも一瞬早く、シャドウがバッタの如き跳躍力で跳び上がり、振るわれた炎の鞭は虚しく虚空を切る。

 

『悪いが”今”貴様らの相手をするつもりはない』

 

 そして空中に舞うシャドウが黒い煙幕をまき散らす。ネイサンが《ゲイル・ブロウ》を発動し、突風で煙幕を払うが、すでにシャドウの姿が見当たらない。

 ただ黒い殺人鬼の無機質な声だけが響く。

 

『一つ忠告しておく。“天の智慧研究会”は自らの目的を果たすまであの娘を狙い続ける。こうして計画が失敗した今も次の策を練ってる頃だろう。あの娘を守りたいのなら、俺に構うべきではないと思うぞ?』

「なに?」

 

 こいつルミアが狙われる理由を知ってるのか?

 

『まぁもっとも、貴様らがどう足掻いたところで結末は決まっているがな……』

「おい、そりゃどういう意味だ……!?」 

『また会おう』

 

 すでにシャドウの気配が完全に消えたことを確信し、ネイサンは通信結晶でビリーと連絡を取る。

 

 

『おぅネイト……そっちは大丈夫か?』

「あぁサリー…一応終わったみたいだが………どうやらこれで一件落着ってわけにはいかないようだ」

 

 

 

 

 



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