一応勇者。でも適任は他にもいる。 (紺南)
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一応勇者。でも適任は他にもいる。
朝。
着替えだのシーツを変えるだの言って、睡眠の邪魔をしに来たメイドとの攻防を終えた後に食卓へと赴く。
床は鏡のように磨かれ、調度品の数々は俺の想像を超えた値打ち物。
窓から差し込む陽気と相まって、豪華絢爛な廊下は相も変わらず輝いている。
寝ぼけ眼にはこの輝きがちょうどいい。
この世界に来てどれだけ経つか忘れたが、すっかりこの輝きの虜となっていた。俺は金目の物に弱いタイプなのだ。金に目が眩んで、眠気も覚める。この世でもっとも贅沢な目覚ましだ。
俺が調度品たちに祈りを捧げながら歩くさまを、通りがかりの人たちがごみを見る目で見てくる。
毎朝のことながら、よく飽きずにその目を向けられるものだと感心する。
懐かしき我が故郷でもそうだった。毎朝毎日両親が同じ目で見てきた。共働きの二人を見送ること日課としている俺に対して、何とも失礼なことである。
久しぶりに故郷のことを思い出してしまった。燃えるごみの日は火・金だったなと、どうでもいいことも思い出した。ほんとどうでもいい。
祈りの所作も終えた所で、無駄に装飾が凝った両開きの扉を開ける。
どんな仕組みか知らないが、暖簾を押すように軽く力を込めるだけでこの扉は開くのだ。とんでもない力持ちになった気分。毎朝やってるけどやめられねえぜ。
権力者の気分に浸りながら広間に入ると、広間の真ん中には長テーブルがあり、その右側にはいつもはいない、けれどやけに見覚えのある顔が座っていた。
俺の専用席となっている上座には既に食事が用意されている。献立はいつも通りの洋風だ。
一足先にご飯を食べ進めていたそいつらは、疲れが滲んであまり食が進んでいないようだった。
ここ最近ですっかり珍しくなってしまった顔馴染み二人。俺と一緒にこの世界にやってきた、日本人で同級生で幼馴染で勇者様で聖女様で英雄様である。
凄まじい肩書持ってるなこいつら。
「おはよう!」
目覚めの挨拶は朝の挨拶から。
英雄だか勇者だか知らないが、誰が相手でも朝一番は礼儀正しく健やかに。
今日も一日良き日となるように願って。
そんな俺の気高き思いなど露知らず、顔馴染みの片方――沙耶は忌々し気に睨み、もう片方――渚は柔和な笑顔を浮かべようと努力していた。
努力の甲斐なく引き攣った顔を見て満足した俺は、席に着きパンを頬張る。
食感も味もいつも通り。ちと固いがまあうまい。
パクパクと碌に噛みもせずに朝食を流し込んでいく。
喉が詰まれば水を飲み、パンが飽きたらスープを飲む。
サラダは口に合わないから敬遠気味だ。今日は少し食べてみようか。
ドレッシングがないおかげで生の味を楽しむことになるので苦手なのだ。
「ねえ、ショウ……」
サラダ相手に悪戦苦闘する俺の食事風景を、何とも言えぬ顔で見ていた渚が、意を決したように話しかけてくる。
その声は変に呂律が回ってないから、多分寝てないなこいつ。
「なんだい」
「聞いて」
縋り付くような表情と甘ったるい声音。
幼い顔立ちと甘えん坊の子供ような口調が、不可思議な色香となってくらくらとくる。
一年前には無意識にやっていたそれを、今は意識してやっているのだから、こいつも修羅場を潜り抜けたと言う事か。
恋人とか婚約関係のトラブルをお腹一杯経験した結果、それを武器に昇華しているのだから大した玉である。
「お願いがあるんだけど……」
「聞くだけ聞こうじゃないか」
パンをちぎりながら耳を傾ける。
ぶっちゃけ、その内容は言わずとも知れた。だが一応聞いておく。
沙耶が横目に無言の圧力をかけてきているのが怖いと言うのが正直なところだ。
乱暴な刑事と優しい刑事の事情聴取テクニックを使うんじゃない。揃いも揃って陰属性なくせしやがって。
「北方の戦線が膠着しててね。誰かが援軍にいかなきゃいけないんだ」
「先輩の邪魔をするなんてとんでもない」
北方に居るもう一人の同郷人を思いながら本心から言葉を述べた。
苦境に立たされれば立たされるほど、あの人は能力を発揮するのだ。
能力を十全に発揮できる場に乱入するなんてとんでもないことです。
「そういう訳にもいかないんだ。東の連合国がいつ攻めてくるか分からないし、早く北方は片付けないといけない」
「行きたくないでござる」
話が長いので手っ取り早く主張する。
渚は泣きそうになった。
「頼むよ……。ボクも沙耶も南の大森林から帰ってきたばかりで疲れてるんだ」
「俺も疲れてる。寝るのにも体力って使うのね……」
我知らず実感が籠りまくっていた。
渚の口がへの字になる。
怒りと羨望と、あと疲れ。
それらがぐちゃぐちゃに混ざりあい、何とも不思議な形となって表情に現れる。
早い話が発狂一歩手前。
バンッとテーブルを叩きながら立ち上がった渚の目は逝っていた。
「なんでッ!!」
椅子の上で身を縮こませて手で耳を閉ざす。
渚はテーブルの向こうから身を乗りだし、朝食が零れるのも構わず俺の手首を掴む。
耳を開け放とうと、実力行使に乗り出した。
「ボクたちが頑張ってるのにッ! 君は一日中寝るッ!? ふざけんなよッ!!」
力と力のぶつかり合い。
止めてほしい。実力行使に出られたら力負けしてしまう。
今は渚の体勢が幸いして拮抗しているが、それでも長く続けば耳は解放される。
解放されたら次は強引に顔を合わせられ、眼と眼を合わせて語らい合うのだ。
延々と、俺が頷くまで説得は続くのだ。
トイレに行きたいと言っても解放されず、眠気に任せて眠ることも許されず、気絶すれば回復魔法で無理に意識を取り戻され、延々と。永遠と。
まごうごとなき拷問である。
あの時は沙耶と先輩が見つけてくれたから助かったが、今度はそれは望めない。
沙耶は渚側だし、先輩は遠く戦地だ。
多分、死んでしまう。
永眠はいやです。
「……渚」
「なんだよッ!!!!」
激怒している渚は言葉の節々が乱暴だ。
これ以上油を注いではいけないと、言葉を選びながらゆっくりとつむぐ。
「お前の、気持ちは、良く分かった」
「あぁっ!!??」
「疲れてる。よくわかった」
「……………………で?」
「働きたくないでごッ……!!?」
視界が暗天。
一発殴られた。
椅子から落ち、うつ伏せに倒れる。
チカチカと星が瞬く。
テーブルの向こう側で、渚がさめざめと泣いている雰囲気が感じられた。
声を掛けようにも頭がくらくらする。
野郎、正確に顎先を狙いやがった。
急所に一撃食らってしまって、動きたくても動けずに、五体投地寝っ転がってしばらく。
突然バタンッとドアが開く音がした。
足音は聞えない。
代わりに、ドアの所で溜息を吐く音が聞こえてくる。
「その阿呆を捕らえよ」
おい、おっさん。
両腕持たれて、無理やり立たされる。
阿呆とは、つまり俺のことである。
おっさんとは、騎士団長のことである。
白髪に白髭の、厳ついおっさんである。
基本は紳士であるが、何故か俺には辛らつだ。
いわく、「男らしくない」とのこと。
抵抗も出来ず、ずるずると引きずられる中。
安定しない視界で、何となく沙耶を見た。
奴はごみを見る眼で俺を見ていた。
口が動いた。
無音で言っていた。死ねと。
いやです。寝ます。
罪人になった。
咎人である。
裁判は出来レースだった。
弁護人の一人もいない俺は孤軍奮闘したが、俺の主張は全て鼻であしらわれた。
ニートと言う概念のないこの世界で、俺と言う存在は異次元過ぎたらしい。
ごく潰しの一言で全ては収まった。
高尚な存在理由とか、働かないことの素晴らしさとか。
働けごく潰しと。完封された。
ごく潰し。
便利な言葉である。
裁判中、何故か渚があちら側に証人として立ち、俺のだらしなさを喧伝していた。
どこで調べたのか俺の生活ぶりを赤裸々に公開されて、もはや隠すことは一片たりとてなくなってしまった。開き直った俺はさぞかし格好良かったに違いない。
「それの何が悪いんですか?」と聞き返すたびに裁判長の顔から感情が消えた。
最終的に、渚は越権行為も甚だしく死刑を求刑してきたが、裁判長に退出させられていた。
「気持ちはわかるが落ち着きなさい」と言う裁判長の慈愛の表情と来たら素敵だった。俺に向けられる虫けらを見る目との対比が涙腺を刺激する。
「泣けば許してくれますか?」と一度聞いてみたら、「女の子を泣かせる男の涙は信用できない」と一刀両断される。言いたいことはあったけど、それを言ったらガチで死刑になりそうだったから黙るしかなかった。
結果、言い渡された判決は、北部での一年間の無料奉仕活動である。
そこではよく雪が降るらしい。山がちで雪崩がよく起きるらしい。日照時間は短く自殺者も多いらしい。
万に一つ自殺はあり得ないが、三日で餓死する自信だけはあった。
そこのところ、やばいんじゃないかとおっさんに尋ねたが、そこらへんは便宜を図ってくれるそうだ。
渚に殴られてから早三日。
スピーディー過ぎる裁判を経て、早くも旅立たされる俺を見覚えのある顔が迎えに来ていた。
「久しぶりっ!」
それはとても良い笑顔。
太陽と誤認するほどの陽気が全身から溢れている。
ぜひともハイタッチに応じてあげたかったが、しかし俺には言うべきことがあった。
「あなたが黒幕だったのか先輩よ」
「え? あ、うん。ショウ君にもたまには働いてほしいなって思って……駄目だった?」
背が高いくせして猫背気味の先輩は、俯きがちで上目遣いを駆使してくる。
豊満なバストが強調されつつ、叱られる直前の小学生のような弱弱しい雰囲気が醸し出されている矛盾。
ギャップ萌えと言う破壊力を前にして、うっかり許してしまいそうになったので、自分の顔を思いっきり殴って正気に戻した。
「へぶぁっ!」
「なんで自傷行為!? だめだよショウ君、北だと血も凍って大変なことになっちゃうんだからね!」
げに恐ろしきは北の冷気か。
「そんなとこに俺を連れて行こうなんて断じて許さんぞ。訴訟」
「でも、ショウくんこうでもしないと働いてくれないから……仕方ないよね?」
「仕方なくねえ。ギルティ。あんたは死刑」
「死刑はお前だよ」
聞えた声に振り向く。
すぐ後ろに渚が立っていた。
逃げようとしたがそれよりも早く首を絞めてくる。
その目は未だに正気を失っている。本気の目だった。本気で殺す目論見だった。
「え、ちょっ、どうしたの!? や、やめて? ショウくん死んじゃう?」
だが昨日と違い、俺には頼もしい弁護人が付いている。
渚如き理不尽の権化にも、しっかりと対応してくれるだろう。
だって俺より一年も多く年食っているのだから。
「こいつは死んだ方がいい。先輩もいつも言っていたでしょう?」
「そ、それは……そうだけど……」
奴は内通者だった。
弁護するふりをして、後ろから刺す心づもりだったのだ。
さすがババア。考えることが汚い。
やっぱりギルティ。
「ぐっ、ふっ……」
首を絞められながら上体を倒される。
俺の腹筋は、渚の細腕にあっさりと降伏した。
地面に倒され、腹の上に渚が乗る。
暴れようにも暴れられない。
不可視の力で封殺される。
振りほどこうにも力負けしている。
少しでも抵抗するたびに、首を絞める力が増した。
あ、これむりしんだ。
諦めるのは早かった。
と、言うか心はとっくの昔に屈していたのだ。
三か月前の、3日におよぶ説得で、とっくに尻尾を振っていたのだ。
犬が調子のってすみませんと眼で伝えてみる。
渚は眉ひとつ動かさなかった。
いよいよ天国が見えてきた。
白目を剥き、抵抗できなくなる。
そろそろ失禁だろうかと言う所で、唐突に渚は手を離した。
気管開通。即座に新鮮な空気を肺に取り込む。
一分ぶりの空気は格別だった。
酸素がどうとか、空気中のマナがどうとかではなく、ただ生を実感できた。
ゴホゴホと咳き込む俺を、渚は冷酷に見下していた。
涙目で、俺は見上げる。
奴の口が動いた。
なんて言ったかは定かではない。
殺すとか言ってない。聞こえない。
ただ、これだけは聞こえた。
「働け」
「……はい」
昔なろうに投稿したやつ
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