楽園の悪鬼 (我輩=メイじゃもん)
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【各章あらすじ】【本作についての注意点】

★★★本編は、次ページからです★★★

 

【各章あらすじ】

 

★一章 嘆きのプロローグ

 

『おめェも泣いてくれるんだな……! おれ達の仲間のために……!』

 

潜伏中の主人公・マジェルカの元へやってきた客人。彼が運んできた知らせは、マジェルカの望まぬものだった。

そして彼女はふたたび海へ出る。

 

 

★二章 陰謀のアラバスタ

 

『おれの島に何の用だ……!』

『おれの島? それならここは私の海だ』

 

サンディ島へ足を踏み入れたマジェルカは、アラバスタ王国をとりまく〝不穏な気配〟に気づく。そして、元凶の男と対面し……。

 

 

★三章 砂漠の男

 

『知ってたのか……!?』

 

マジェルカは目的の人物、エースと対峙する。そして予期せぬエースの真意を耳にした。

その直後、砂嵐に襲われたマジェルカが行き着いたのは……。

 

 

★四章 燃えゆくナノハナ

 

『たったの一つしかねぇ、てめぇの命を賭けるんだ。必ず勝て。賭けた命は、倍にしてとりもどせ……!』

 

あの男の〝陰謀〟がはじまる。その余波はマジェルカが宿泊する町、ナノハナにも及んだ。

乱れた町の中、マジェルカは、怪しげな大男と出会い……。

 

 

★五章 争乱のアルバーナ

coming soon……

 

 

 

★★★ダメなものが多い方は、ぜひ、以下の注意点をお読みください(以下ネタバレあり)★★★

 

【本作についての注意点】

 

★ストーリー

 

・主人公が、とある目的のため奔走する

・主人公は、グランドラインで冒険したり、観光したり、戦ったり

・主人公を通し、原作キャラのちがう側面を描きたい

 

・原作沿い?(オリジナルシーンが90%)

・原作は改変しない

・裏設定と見せかけたオリジナル設定多々

・SBSや原作のギャグネタを、シリアスに回収したい

 

【一部、ガールズラブ展開を予定しています】

明らかなラブシーンはありませんが、主人公が同性を口説くなどのシーンが今後予定されています。(二股・浮気などの描写は、ありません)

該当シーンが公開され次第、作品タグにガールズラブを付け加えます。

 

★主人公

 

・バイセクシュアル

・口調が荒い

・大量殺人犯(殺人鬼ではない)

・たまに観光食レポモードに入る

・ケンカは強い(最強ではない)

・常識はある

・56話から麦わらの一味の船に乗る

 

 

★セリフ

 

不要な小文字がカタカナ→原作キャラ

不要な小文字がひらがな→オリジナルキャラ

 

例)

「うるせェ!」「ふざけんじゃねェ!」→原作キャラ

「うるせぇ!」「ふざけんじゃねぇ!」→オリジナルキャラ

 

 

★その他、注意点

 

・130話あたりで、主人公とルフィが恋仲(?)になる予定

・ただしルフィは原作ルフィのまま(鼻くそほじるし恋愛よりも仲間優先、冒険優先)

 

〈2人の優先順位はこのまま〉

ルフィ

冒険>仲間>信念>野望>肉≧恋愛

マジェルカ(本作主人公)

海>旅>信条>観光>その日の気分≧恋愛

 

 

★表記についての注意点

 

・セリフの中の〝…〟の数にバラつきあり

・〈〉と〝〟の用法が重複している場合あり

(前のページでは〈〉で表記された単語が、〝〟で表記されている、など)

 

これは、原作中のセリフをそのまま引用した箇所があるためです。

読みにくい場面もあるかと思いますが、ご容赦ください。

 

 

★独自設定

 

・原作にて、新事実が発覚し、独自設定がただのウソになった場合は、その都度、修正する予定

 

単行本派なので修正のタイミングが遅くなると思います。すみません。

 

 

★感想返信

 

いただいた感想への返信は、活動報告内で行っています。

 

作者の心はゼリーでできているため、すぐにプルプル崩れます。

作品への苦情等は、主人公マジェルカ宛のメッセージにしていただけると幸いです。(作品に関するご指摘・疑問点などは、作者宛で問題ありません)

 

(ちなみに、褒められるとうれしすぎてどうしていいか分からず、事務的な返信になってしまうこともありますが、本気で心臓が喜びに震えています。脈が〝ドンドットットッ〟となります。伝えるのが下手ですみません)

 

 

★★★★次ページから本編となります



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一章 嘆きのプロローグ
1.前夜


 月が煌々と照っている。

 海面から顔をだすと、サン・ファルドの夜風は冷たかった。ぞくりと耳を冷やされて、首をすくめてしまう。海中の方がよほどあたたかい。

 

 夜の海は黒々しく、どこが水平線なのかもあいまいだ。暗いさざなみのひとつひとつに、月光がサラサラと宿っては消える。

 14夜、だろうか。

 満月と呼ぶには、ほんのかすかに何かが足りない、お月様。

 

「こちらに、いらっしゃいましたか」

 気づかないフリをしようか、と考えてやめる。波にゆらゆら遊ばれながら、陸を振り向いた。

 ただの水遊びだ。泳ぎ回っていたとはいえ、さして遠ざかってはいない。

 視界をぐらつくさざ波の向こう、かろうじて目視できる岩場の上に、一人の男が立っていた。

 

 暗い虚空にでもぽっかり浮かんでいるかのようだ。

 白なのか、それともベージュだろうか。月明かりにぼうっと照らされるスーツ姿は、腕を捧げ、腰をおり、優雅な礼をとる。

 

「ご遊泳中、お邪魔して申し訳ありません。例の件でご報告があります。〝お部屋〟で、お話しても?」

 差し向けられた男の手は、背後の暗闇をさしている。

 たいした大声でもないのに、よく通る声。夜目もきくらしい。私がうなずいたことを理解したかのように、くるりとこちらに背を向けた。

 

 あの男は苦手だ。しかし今回の件では、頼りにする他ない。

 最後にもういちど月をふりかえり、私は陸へむかって泳ぎはじめた。暗い波をかきわけて、光から遠ざかるようにして。

 

 この世にぐるりと巻かれた、プレゼントのリボン。

 グランドライン〈偉大なる航路〉と呼ばれる海域は、そのような形をしている。

 

 リボンの両端をフチどるのは、モンスターどもの巣窟、カームベルト〈凪の海〉だ。

 最小のものでも、全長900メートルを超える、奇妙な姿をした巨大な肉食魚、〈〝大型〟海王類〉たちの巣が密集した一帯である。

 

 彼らはなぜか、グランドラインと他の海を分断するかのごとく、グランドラインの両端にびっしりと己らのナワバリをはっている。

 これによってグランドラインには、独自の生態系が築かれ、それが乱されることもなく進化してきた。

 

 世界一、過酷な海。

 それがグランドラインの別称だ。

 

 大型があれば小型がある。奇妙な姿の巨大肉食魚、〈海王類〉は、全長300メートルでもまだ〝小型〟に分類される。全長600メートルを超えてようやく〝中型〟だ。

 グランドラインの海には、この手のモンスターたちがうじゃうじゃしている。

 

 それらを軽々とまきあげて、ミンチにし、空の彼方へふきとばす、暴風の柱〈サイクロン〉も忘れちゃならない。

 神出鬼没なこの大災害は、グランドラインの海を渡れば、嫌というほど会いにきてくれる。

 

 グランドラインでは、方位磁石がバカになる。島がそれぞれ、独自の磁場を形成しているためだ。

 

 天体もあてにならない。

〝常軌を逸した〟グランドラインの天候は、光の屈折率を〝異常〟なものにしてしまう。これによって巻き起こるのは〝天体の見え方が〟〝おかしく〟なるというもの。

 

 時に、月や太陽の姿さえ、二つ三つに増やしてしまうのだ。

 この海に、旅人を導く星などない。

 

 セオリーの通じない海。

 天候は不可解。生物は獰猛・強大。

 どれだけの叡智をかきあつめても、人間という生き物がこの下ない弱者となる、〝異常な海〟。

 

 そんなグランドラインに位置するのが、この秋島、サン・ファルドである。

 

 ザバリと岩場の上へあがれば、ポニーテールから海水がしたたる。かるく絞って水気をきり、Tシャツを脱いだ。

 泳いぎまわった普段着は、たっぷりと海水をふくんでいる。ぎゅっとねじってふたたび着る。少し迷って、ショートデニムも同様にした。

 水着を用意する習慣はない。べたつく布の感触も、不快というよりなれ親しんだものである。

 

 もどった部屋の廊下には、だれもいなかった。殺風景な石壁の部屋。ドアは開けたままにしてある。しかし、中にも人はいない。

「……出てきなよ。話があるんだろ?」

 暗闇に満たされた石の床に、私のぬれた足跡がつづいている。そこにぬっと現れた男は、カンテラを持っていた。

 あやしげに照らしだされる、優男のほほえみ。

「よろしいのですか? シャワーなど浴びなくて。あなたが身支度をおえたころに、伺おうと思っていましたが」

「……私に、陸の常識を求めると?」

「いえ、マジェルカ様がよろしいのであれば、お邪魔しましょう」

 

 部屋の照明をつけると、男の全貌がようやく見える。

 撫でつけられた、うす紫色の短髪。スーツはベージュだ。のっぺりとしたキツネ顔は、微笑みを絶やすことがないのだろう。

 私はこいつのこの表情しかみたことがなく、こいつの目が笑っているところも見たことがない。

 

「サン・ファルドはいかがです? 秋島はすごしやすいと、おおくのお客様からご好評いただいておりますが」

「悪くはねぇよ。……悪い奴はやまほど居そうだけどな」

「……あなたとか?」

「あんたとか」

 

 男はノドでくつくつ笑う。私はロッキングチェアに腰をおろした。「で? 本題は」男は商人だ。にやりと張り付く笑みは分厚い。

 

「ご注文いただいた商品が、完成しました。すでに輸送をはじめております。6月までにご用意するお約束でしたが、4月までにはサン・ファルドへ届く予定です」

「……早いな?」

「ここだけの話……。政府が抱えていた科学者を数名、確保しております。彼らの頭脳は一級品です。マジェルカ様の難題にもよく応えてくれました」

「……パンクハザードだっけ? 去年、政府の科学者たちが大事故をおこした島……。事故のどさくさにまぎれて、研究員たちを拉致してきたのか」

「いいえ、拉致なんてとんでもない。……私どもはただ、路頭にまよった科学者たちを、保護しただけですよ」

 

 ローテーブルの上には茶色いビンが置かれている。炭酸水のような味をしたビールだ。水代わりにそれをのみ、男を睨めあげる。

「信用してるぜ? シャーリン・シャリーア〈月の経典〉。 拉致してムリやり働かせた科学者たちのつくった、失敗作、なんて……渡してくるわけねぇよな?」

 

 男は ーーー 闇商会、シャーリン・シャリーアの若頭、ラズウェルは笑わぬ瞳をこちらへむける。

 

「ご信頼いただき、ありがとうございます。ええ、私どもの商会は、決して、お客様との契約を裏切りません」

 

 命がけ、ではまだ生ぬるい。命を捨てて挑まねば、踏み入ることさえ叶わない。

 それがこのグランドラインである。

 この海域には大陸がなく、サン・ファルドもまた、一つの島だった。外からやってくる客となれば、かならずグランドラインの海を越えてくる必要がある。

 

 だれがわざわざ好き好んで、〝怪物どもの海〟を渡ってくるというのか。少なくともたかが〝観光〟のために、グランドラインへこぎ出す人間など、いないに等しい。

 

 しかしこの秋島サン・ファルドは、観光業にこそ力をいれている。そしてこれは、この島に限ったことでもなかった。

 

 行き来の困難な海。言いかえれば、〝監視の目がとどかない〟海。

 グランドラインは、悪党どもに都合のいい造りをしている。

 悪党どもはもとより、命を半分、あの世に捨てて生きているようなものだ。彼らを客にするならば、グランドラインでの観光業もはかどる。

 

 他聞に漏れず、ここサン・ファルドもまた、悪党どもを相手取った〝悪党ども〟の本拠地だった。

 

 グランドライン、最大最古の闇商会、シャーリン・シャリーア。

 サン・ファルドが彼らのナワバリなのではない。この島そのものが、彼らの〝店〟なのである。

 

「ご注文の内容は、〝一滴で海王類を殺せる、解毒のできない、液体状の、即効性をもった、新種の猛毒〟ですね。……恐ろしいものをお考えになる……。ご注文どおり、1mlで、中型海王類を死にいたらしめるお品となっています。一滴で、成人した巨人三人分の致死量となる………それを、500ml。人間150万人分の致死量です」

「うん。摂取方法は」

「口内などの粘液にふれさせることで、1分以内に死に至ります」

「……1分か……うん」

「ただし、毒の摂取から、30秒ほどで、四肢の動きがまひし、さらに45秒を経過すると、麻痺が全身にひろがり、身動きがとれなくなりますよ」

「……45秒………」

「ご納得いただけませんか?」

「いや……ありがとう」

 

 ウィルスではない、細菌でもない、酸でもなく、毒である。

 即効性のある、致死性の猛毒を用意する、というだけでむずかしいのだ。さらには新種であり、解毒が〝できない〟ともなれば、用意するのはほぼ不可能と言っていい。

 

 それを可能にするのが、シャーリン・シャリーア。

 

 天を貫かんばかりにそびえる、赤い大陸……レッドラインによって、グランドラインは二つに分かたれている。赤い絶壁のその向こうは、グランドラインの後半、通称〈新世界〉。

 あちらから戻ってきた者は口々にこう言うのだ。

 グランドライン前半の方が、〝まだマシ〟だった、と。

 そんな皮肉をこめて、グランドライン前半は〈楽園〉と呼ばれることもあった。

 

 〈新世界〉ではさらに、過酷で〝奇怪〟な自然環境がまっている。その自然環境によって選別されたかのように、〈新世界〉で名をはせる悪党どもは、強い。

 武力、軍事力、経済力ともに、世界最高峰といっていい。

 

 表社会の刑罰さえも、軽々とはねのける彼らは、〝とびきりの悪党〟を頂点とした、独自の社会を築いている。

 そんな〈新世界〉の悪党どもさえ、わざわざレッドラインを超えて、サン・ファルドへやって来るのだ。

 

 目的はひとつ。

 シャーリン・シャリーア〈月の経典〉の、導きをもとめて。

 

 目の前の男は、たいした悪党にはみえない。スリーピーススーツを優雅に着こなすさまといい、途切れないほほえみといい、どこぞのお貴族様とでも言われた方がしっくりくる。

 しかし、笑わぬ瞳こそ、この男の本質なのだろう。

 

 シャーリン・シャリーアのもつ、闇社会への影響力ははかりしれない。若頭であるラズウェルは、その気になればこの前半の海のパワーバランスをひっくり返すこともできる人物だった。

 

「それ。前倒しで受けとることもできるのか?」

「ええ。代金はすでにお支払いただいていますので、ご随意に。品物が届き次第、またご報告します。受けとりを早める場合は、我が商会の者にお申しつけください」

「わかった」

「もちろん、当初のお約束どおり、今年いっぱいまでお預かりしておくことも可能ですよ」

「うん」

 

 この男と話していると、気が滅入る。まるで自分が、ものすごい悪党になってしまったかのような気分になる。

 ビールをこくりと一口やった。

 

「この場所は、いつまで貸してくれるの」

「今年いっぱい、ご自由におつかいください。滞在中は、わたくしどもが雑用をうけたまわります」

「……サービスがいいな?」

 

 部屋の入り口、闇と光の交わる場所に立ったまま、ラズウェルは微笑みをうかべる。三日月型の目の奥で、瞳だけが鋭く光った。

 

「マジェルカ様は、お得意ですので」

「うん? ……私があんたらに依頼するのは、今回で、2度目だよ」

「そのどちらも、30億ベリーを超える、大口のお取引。さらにはわたくしどもをご信用くださり、代金は、全額、先払い。取引のルールもすべからくお守りくださっている。このようなお客様を、お得意様とよばない商人はおりませんとも」

「……ふぅん?」

 

 今回注文した品は、500mlほどの液体が、お値段、35億ベリー。

 小国ならば二、三個、国家が買える金額である。おかげで財産ののこりが心もとない。

 それでも注文の内容を考えれば、お手頃価格といえるだろう。

 

 この部屋は、その〝おまけ〟として提供されたものだった。毒の注文とはまた別に、潜伏場所を用意してもらおうとしたところ、ここを無料で貸してくれるというので甘えている。

 まさか、食料や日用品まで用意してくれるとは思っていなかったが、くれるというならもらうだけだ。

 

 話は終わった。しかしラズウェルは立ち去るどころか、部屋の奥へと足を進める。

 かさついた木板の棚から取りだしたのは、鉄の缶と、鉄の器具。

 フタをあけて香りをかぐ。

 

 エスプレッソを淹れるらしい。銀に光る小鍋のような器具は、人の握力で圧をかけるタイプの抽出器だった。

 キッチンこそないものの、小さな暖炉は用意されている。無言の中で、火が熾され、湯が沸かされ、二つのカップに注がれる。

 

「お得意様をまえにすると、口が軽くなってしまいますね」

「気のせいだろ」

 カンコンコン、と音を鳴らし、銅の計量カップへ移される珈琲豆。ミルはなかったはずだ。どうするのかと見ていれば、奴は腰元から小さなナイフをとりだした。

 己の手のひらに出した珈琲豆へ、躊躇なく、刃をむける。

 サクサクと軽妙な音をもらしつつ、珈琲豆を粉砕していくアーミーナイフ。

 

「ここ数日。白ヒゲ海賊団に、妙な動きがあるそうですよ。……ご存知でしたか?」

 知るわけねぇだろバーカ、と言いたくなるがどうにかこらえた。

「私、珈琲の味にはうるせぇぞ?」

「ご安心を。サウスブルー、フレイムバード島の標高2000メートル付近で取れたニュークロップを、サン・ファルドで焙煎したものです。シティローストはお好みですか?」

「浅いより好き」

「それはよかった」

 

 アーミーナイフの尻をつかって、珈琲の粉をつめていく。ナイフの尻をつかってる。ナイフの尻を。

 それっぽっちのことでとやかく騒ぐつもりはないが、気にならないわけでもない。

「おい、血サビの風味は、珈琲にはいらねぇよ?」

 ラズウェルは耳が遠いらしい。私の声には我関せず、プレスを始める。

 

「4年前。〈四皇〉赤髪の誕生以来、このグランドラインは平穏を保ってきました……。おなじく海の皇帝とも呼ばれる、白ヒゲのような大海賊が、不審な動きをみせるというのは………久方ぶりのことです」

 

 光がもれてしまわぬよう、窓は閉め切っている。石壁のこの部屋は、思いの外しずかだった。

 トプトプと、珈琲の黒いエキスが滴る音。

 潮の音もきこえない。

 ややあって、ラズウェルはそっと、ローテーブルにおいた。一杯のチェイサーと、鈍重なデミタスカップ。

 男はカップの取っ手を離すことなく、仄暗い笑みをうかべる。

 

「〝大海賊時代〟のおとずれも、もっともはじめにおこった異変は、とても小さなものだったそうですよ。

 23年前の〈海賊王〉ゴールド・ロジャーの逮捕、処刑………。そして、海賊の大量発生と……世界の常識の変化……。

 当時はだれも気づかなかった。しかし後々、振り返ってみれば………。

 この流れの先駆けとなったのは、〝〈海賊王〉の身内〟が妙な動きをしはじめたこと……だったとか」

 

 ピリリと、空気が緊張をはらむ。伏せていた視線を不意にもちあげ、男は言う。

 

「似ていると思いませんか?」

 

 キツネのような面差しの中、ゆらめく暖炉の炎が、その瞳に映っている。

 

「世界屈指の大海賊、白ヒゲの身内が、これまでにない、妙な動きを見せはじめた。これはとても小さな波紋だ。だれしも深刻にはとらえない。しかし………それ自体、まるであの時の再現のようではありませんか。時代の転換点をむかえた、23年前の………世界がうまれ変わる〝前夜〟の」

 

 一流の商人は、カンが良い。特に闇商人ともなれば、カンの良さがなければとって食われて終わってしまう。

 悪党どものるつぼの中で生き残ってきた以上、ラズウェルの直感もまた、よく研ぎ澄まされているようだった。

 

 主導権をうばわれぬためには、商人に悟られてはならない。自分がなにを知っていて、なにを知らず、なにを知りたがっているのかを。

「珈琲は淹れたてを飲むもんだろう」

 デミタスカップに指を伸ばせば、ラズウェルはようやく離れてゆく。

「そうですね、珈琲も情報も……時間をおくと味が変わってしまいますから」

 クツクツと喉で笑う。

 

 この部屋に、来客用の椅子はない。ラズウェルは立ったまま、己のカップをかたむけた。

 

「なにかが…………起ころうとしているのでしょうね。この海を………世界をゆるがす、何かが……。あなたのご注文された、〝世界最悪の猛毒〟というのも、そのピースの一つとなりそうだ……」

 

 



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2.死なない鳥と死ぬ男

 

 昼の海原は快活だ。窓からながめるエメラルドブルーの中、ザバアと飛び出す、巨大なムカデ。それを追いかける、ムカデよりも一回りおおきな海王類。

 すこし手前の海面では、巨大な狼の上半身をもつ〈海獣〉がひとつ遠吠えをし、やってきた人間の船を止めている。

 

 ふと、はるか水平線のまぎわで、暴風の柱がたちあがった。またたくまに育ちあがった灰色の円柱は、周囲のすべてを巻き上げて、ついには巨大なムカデと海王類さえ空中にうかばせる。

 

 いつものグランドラインだった。いつだってにぎやかな、私の愛する海である。

 ここで生まれそだった私からすれば、もうすっかり、これが普通の海だ。しかし、他の海とくらべれば〝異常〟なのは理解している。

 

 これほど獰猛な海にかこまれながら、どうしてこのグランドラインで、人間が生きていけるのか。それは海とは打って変わり、陸の気候が、非常に安定しているためだ。

 

 ここサン・ファルドが〈秋島〉と呼ばれるように、グランドラインの島々はそのほとんどが、〝固有の気候〟をたもっている。年間をつうじ、気温の変化はすくなく、天候の変化はほとんどない。

 この特色をさして、グランドラインの島々は、〈春島〉〈夏島〉〈秋島〉〈冬島〉と分類されていた。

 

 その基準は、レッドラインの上にある〈世界の中心の町・マリージョア〉にて観測される季節変化だ。

 〈秋島〉サン・ファルドでは、〈マリージョア〉の秋の日の気候が、一年中つづくのである。

 

 3月も終わりにさしかかると、秋晴れの日が続くようになっていた。どこか淋しげな、からりとした日差しが波をきらめかせている。ぽっかり空いた石壁の窓からは、枯葉のにおいと潮の香りが、ないまぜになって吹いてくる。

 

 海に面した隠れ家は、浄水場の中にあった。石造りの建物は、ゴウゴウと水を吸い上げてはかすかに震える。

 分厚い壁にふさがれて、建物の内部からこの部屋へとたどり着くことはできない。それでも水の轟きが、この部屋の中まで届くのだ。

 それにかき消され、潮騒がきこえてこないことだけ、すこしさみしい。

 

 今年に入ってからずっと、私はこの石壁の部屋に閉じこもっていた。時折、夜の海へ泳ぎに行くくらいで、あとは日がな一日、本を読み、窓から海をながめるだけ。

 これまでの人生でもっとも、退屈な日々である。

 いつもの私なら耐えられずに、とっくに海へと出ていただろう。はじめから陸に長居することもなかった。しかし、そうしないには理由がある。

 

 退屈でよかったのだ。

 今年だけは、退屈なままでよかったのに。

 

 その願いは、一羽の青い鳥によって破られる。

 

 ながめる窓の向こうから、よく晴れた空の一部が、飛びだしてくるようだった。

 海を越えてきたのだろう。

 透きとおる空色の、内側から光を放つ、風切羽。ながくたなびくその尾羽は、ふしぎと風がなくとも浮かびつづける。

 

 南国の浅瀬をきりとって、太陽のかがやきを閉じ込めたような、ふしぎな鳥。

 それはまっすぐ私にむかって滑空し、無骨な石の窓枠にとまった。

 

 黄色い足が、石の上にカツンとおりたつ。高さ80センチほどの窓は、〝彼〟には少し窮屈そうだ。ジロリと私をねめつける瞳。

 その体から、音もなく、炎があがる。

 

 青い炎だった。

 真昼の中でもはっきりと色のわかる、ことばにならぬ青さ。ぐにゃりと歪むのは光ではない、青い鳥の肉体そのものが、ひとりでに歪んでゆく。

 鳥らしい、黄色くか細い足が、ムクリムクリと膨らんだ。

 血肉が沸騰するかのように、膨張をくりかえす鳥のシルエット。

 

 ファサリとひとひら、ながい羽根が床へとおちる。空色と陽ざしの色のまじった羽根は、はじめから幻だったかのようにとろけて消えた。

 代わりに床へと降りたったのは、日に焼けた肌色の、男の足。

 

 シャラリ。足首についた飾りがゆれる。

 筋肉質なその足には似合わないはずのアクセサリーが、なぜかこの男にはよくなじむ。

 

 特徴的な金髪のモヒカン頭は、いつも通り、セットされていないのだろう。剃りあげた頭のてっぺんから、あちらこちらへと髪の毛が飛び散っている。

 ボタンが開け放たれたシャツの胸には、大きな刺青〈タトゥー〉。

 

 紺の十字。

 それにかぶさる、逆さ三日月。

 

 男の肌に刻みこまれているそれは、大海賊〝白ヒゲ〟のシンボルだ。

 

 青い鳥から、人間の男へ。

 またたくまに姿を変えた、この男は、顔なじみだった。

 白ヒゲ海賊団、一番隊隊長、〈不死鳥マルコ〉。

 

 この海で、否。

 この世でもっとも、恐れられる悪党。

 〝海の皇帝〟と呼ばれるうちの一人、大海賊〈白ヒゲ〉の、〝右腕〟である。

 

「オメェがこんな胡散くせェ島に居るとはよい………一体なにを予知してた?」

 

 酒と潮風に焼かれたしゃがれ声で、マルコはじろりと部屋をみまわす。気だるげな一重まぶたの下の目は、視線で人を突き刺すほどの威容を放っている。

 

 ロッキングチェアから動かぬ私を、マルコは責めるようだった。

「突然、おれがやって来ても、驚かねェとは……。オヤジの言った通り……こうなることを〝知って〟たのかよい……!?」

「こうなること……?」

 思いがけぬセリフに身を乗り出せば、マルコの目の下が、赤く腫れているのに気がついてしまう。

 

 この世には、人知を超えた果実がある。

 悪魔の実。

 一度、それを口にした者は、超常の力を得る。

 

 食せば、動物に変化する能力を手に入れる、ゾオン系・悪魔の実。

 マルコはそのうちの、〝不死鳥〟へ変化する能力を手にした、〈悪魔の実の能力者〉の一人だ。

 

 白ヒゲ海賊団のホームグラウンドは、グランドラインの後半。サン・ファルドが位置するグランドラインの前半からみれば、天を穿つ大陸、レッドラインによって分断されたその向こう側である。

 

 マルコは、悪魔の実の能力で、鳥に姿を変え、この海を飛んで来たのだろう。

 グランドラインの後半から、レッドラインをこえてまで。

 大海賊の最高幹部が、自ら、わざわざ。

 

 只事じゃないのはわかっている。しかしマルコが運んできた話の内容が、どうも、私の予想していた内容とちがうらしい。

 

「こうなるって………どういうことだ?」

 マルコはじっと、私を睨んだ。鳥の姿になったときと、よく似通った、空色の瞳。

 その奥には怒りのような、諦めのような、悲しみの苛立ちがある。

 私はおもわず立ち上がった。

「………待て。白ヒゲのおやっさんから、聞いたんだな? 私の……〝予言〟のことを」

 

 うなずきもしない男にむけて、ことばを紡ぐ。

「だったら………私の〝予言〟通りにはならなかったはずだ、その未来を、回避してもらうために、事前に、白ヒゲのおやっさんに、話をしたんだから」

 

 マルコはまだうなずかない。私は知らぬ間に歩みより、いつのまにか、マルコの胸ぐらを掴んでいた。

 ムリやりわし掴んだマルコのシャツが、歪む。手の中でボタンがひとつ、バキリと割れる。

「おい、マルコ………。そうだろ!?」

 

 男の眉が、しかめられた。空色の目はそらされて、暗くよどむ。

 はじけ飛んだボタンの破片が、石壁のどこかにカツンと当たる音がした。カツンカツンとはじかれて、やがて静まる。

 

「………ウチのオヤジ………〈白ヒゲ〉からの伝言だ。………10日前、サッチが死んだ……。そして、5日前、ウチの二番隊隊長、ポートガス・D・エースが、船を飛び出し………今どこにいるかもわからねェ」

 

 のどが乾いた。手の感覚がなくなった。

 サッチが、死んだ?

 あの、エラの張った、アゴのしゃくれた、海賊らしくねぇほどにお人好しな、あのコックが。

 サッチが死んだ?

 

「ふざけんなよ。んなワケねぇだろ。私は〝そうなる〟と、伝えてあったはずだ……〝そう〟ならねぇように動くと、おやっさんは言ってた。………だから〝そうなる〟ワケがねぇよ」

 

 私より頭ひとつ分、マルコの背丈は大きい。下から男を見上げるが、視線はあわない。マルコは虚空を睨んでいる。

 

 あれからもうじき、3年が経つのか。私は過去に3ヶ月ほど、白ヒゲ海賊団の本船に滞在していたことがある。

 滞在中、マルコとはよく話をした。タチの悪いウソをつくような、バカな男じゃないと、知っている。

 仲間が死んだ、などという、胸糞の悪いウソをつくような奴じゃない。

 

 のどの奥は、魔界につながっているのだろうか。

「……殺されたのか」

 おどろおどろしい声は、誰の声かと思ったら、私の声だった。

 

「サッチは、殺されたのか、だれに………」

 

 うまれる前の記憶なのか、なんなのか、私の頭の中には昔から、〝学んだ覚えのない〟奇妙な知識があった。

 この世界とはまったく異なる惑星、〈チキュウ〉の、さまざまな知識たち。

 その中の一つ、チキュウで広く親しまれていた、とあるマンガ作品の舞台は、私の生きるこの世界に酷似している。

 

 タイトルは〝ONE PIECE〟…………この世界、この時代、これから起こる事件たちの一部をつづった物語。

 

 あのマンガの内容が、未来に対する〝予言〟となっていることは、これまでの人生の中で確認している。

 〝ONE PIECE〟には、マルコという男も登場していた。サッチという男も登場していた。そして……サッチが死ぬことも、誰かに殺されることも、サッチを殺す相手のことも……記されていたのだ。

 

 知っている。知っていた。だからこそ、そうならないよう、あらゆる手を打ってきた。

 なのにどうして

 

 手に燃えるような怒りがともる。両手をつかってシャツを引っ張り、マルコの視線を引きずり下ろす。

「サッチが、死んだだと」

 潮風がふきこんでくる。男の髪がゆらりと震える。

「マルコ、てめぇ……サッチが死んだと、死んだと……言ったか?」

 一層ちかづいたマルコの目は、赤く充血し、物を言わない。

 

 私は今、混乱している。それを自覚している。それなのに手の震えはとまらず、支離滅裂なことばが口から出て行ってしまう。

 わかってる。わかってる。マルコがそんなウソをつくはずがない。

 だけど、でも………

 

 白ヒゲの船にのっていたとき、私にもっともちょっかいをかけてきたのは、マルコではない。

 腹の立つほど笑い上戸な、海のコック。

 

 当時、まねかれざる客だった私のことを、白ヒゲのクルー達は遠巻きに警戒していた。私も私で、初対面の海賊たちと、馴れあうつもりはもっていなかった。

 そんな中、おかまいなしに近づいてきたのが、サッチだ。

 

 人の背中をバシバシ叩いて、あーだこーだと言いくるめては私を雑用にかりだして、拒絶の空気をかもしだす白ヒゲクルーたちの中に、嫌がる私をムリやり引き込み、やりたい放題してくれやがった、お節介ヤロウ。

 

 あの頃の私は、人と笑いあうのが苦手だった。

 きっとサッチの目には、意地をはり、はった意地の捨て方がわからなくなっている、不器用な小娘に見えたのだろう。

 

 リーゼント頭をした海賊コックの、余計なお世話をたっぷりとうけたおかげで、たしかに私は、生きるのがすこし楽になった。

 

 その間、〝お手伝い〟と称し、どれだけの芋を運ばされたか知れない。怪力男も嫌がるような重たい荷物を何百回と運ばされたのだ、いいや、運んでやったのだ。

 貸し借りはとっくにチャラである。

 あらためて感謝するつもりなど、サラサラない。サッチは恩人じゃねぇ、ただの友人。

 またいつかいっしょに酒をのもうと、約束してわかれた、友だち。

 

 相手は、海賊だ。いつ死んだっておかしくない。それでも私はなぜか、サッチに迫る、死の運命を知っていたのだ。

 それを防ぐため、できることはした。

 また必ず会えると、信じていた。

 

 それなのに、サッチが、死んだ?

 

 わかってる。マルコがわざわざ知らせにきたのだ。ウソや間違いなわけはない。だけど……

 

「マルコ!」

 

 昼の12時を回ったらしい。ゴウゴウと響いてきていた浄水場の水の音が、ゆるやかに勢いをうしなって、止まる。

 かき消されていた潮騒が、うっすらと耳に届きはじめる。部屋の外ではどこぞの海鳥が鳴いている。

 マルコはぐしゃりと、顔をゆがめた。

 

「オメェも、泣いてくれるんだなァ……。サッチのために……おれたちの、仲間のために……! 泣いてくれるんだなァ……!」

 

 目元を手でおおったマルコは、分厚い肩を震わせて、涙をこぼす。

 ボタボタと、私の肩にも落ちてくる雫たち。

 見下ろせば、私のTシャツの胸にも、雫の落ちたあとがある。

 

 塩辛そうなその雨は、私の目からも降っていた。



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3.ビンクスの酒

 

 死者は、海の向こう側にゆく。永遠においつけない水平線は、そこが生者の世界の区切り目だからだ。

 古い船乗りたちはそう信じ、死んだ仲間の遺体を、海に流した。

 

 白ヒゲのおやっさんもまた、古い海賊だ。船長であるおやっさんは、己の海賊団の掟を決める。

 白ヒゲ海賊団の掟にしたがい、サッチの遺体は小舟にのせられ、グランドラインの波の向こうへ送られたと言う。

 マルコはぽつりと、墓をたててやりたかった、と言った。

 

 サン・ファルドに潜伏し、もう3ヶ月とすこし。シャーリン・シャリーアの手厚いサポートには抜かりがなく、隠れ家には酒のストックもある。しかし、普段、私が飲まないせいで、ラム酒の瓶は用意がなかった。

 

 久しぶりの外だった。マルコは人に見られたくないとのことで、鳥の姿のまま、上空を飛んでいる。

 私にはもう潜伏する意味もない。肌をさらして堂々と、マーケットの中央を歩く。

 

 今日も、ちいさな祭りが行われているらしい。サン・ファルドは表向き、仮装カーニバルで有名な島だ。どこか不気味で奇怪な仮装をした人々のあふれる祭りは、サン・ファルドで行われる闇取引をカモフラージュするためのもの。

 にぎやかな人だかりも、悪党どもの姿と、どす黒い欲望を隠すためのカーテンでしかない。

 

 しかし、秋晴れの日差しの中では、ふしぎな郷愁をよびおこすような光景だった。

 

 人手は多い。島の住民なのだろう、普段着で食料品をのぞきこむ、家族づれの姿もある。

 それに混じって、きらびやかな仮面をつけた人々が、マントをひるがえしてどこかへ向かう。

 だれもその違和感を気にも留めないことこそ、強烈な違和感を放っていた。

 

 普段着の人々も、仮装をした人々もおなじである。

 私があるけば彼らはおどろき、恐れるように道をゆずる。

 

 珍しいことじゃない。他の島と比べたら、あってないような小さな反応だ。

 人々が私をさけるのは、私が大量殺人鬼であるから、という理由ではなかった。

 黒いからだ。肌が。

 

 私は生まれつき、チョコレート色の肌をもっている。私の知識にある、異世界〈チキュウ〉という惑星では、黒人と呼ばれる人々と、似たような皮膚の色だった。むしろ、黒人の中では、黒さがうすい部類に入るのではないだろうか。

 

 ふしぎと顔立ちは、黒人っぽくない。ラテン系の女と、インドネシア人の少女を、足して2で割ったような面差しである。

 

 ちょこんと小ぶりな鼻は、高すぎず、低くもない。

 分厚いわけではないのだが、色のトーンの関係で、はっきりと目立つ、コーラルピンクの唇。

 

 チョコレート色の肌にかこまれた、つり目がちな瞳は、髪とおなじく金色だ。

 なかなか悪魔的な色合いではあるものの、冷静に見ればそこそこの美女だといえるだろう。

 

 夜の暗がりで鏡をのぞきこむと、目玉とくちびるだけが浮いているように見えることもあり、自分でもギョッとする。しかし、明るいところで見るならば、自分でも満足のいく、そこそこな美女である。

 

 おいしそうな色をしたこの肌は、サン・ファルドの日差しにつるりと艶めく。手入れは欠かしていない。我ながら、うっとりするほどセクシーな肌の色だった。

 

 ただしこの世界では、馴染みのない色であるらしい。黒い肌の人間がいる、という事実そのものを、知らない人間の方が多い。

 それもそのはず、黒い肌の人間は、数が極めて少ないのである。

 現状、世界政府が確認している〝黒人〟の数は、一人。

 私だけ。

 

 おかげで驚きすぎた人々からは、悪魔だの、悪霊だの、邪神の化身だのといって追いかけられることもある。

 はたまた、島によっては、海の神にちがいない、神の使いにちがいないといって、神殿にいざなわれたり、住民総出で拝みたおされることもある。

 

 ちょっとビックリして道をあける、という程度の反応など、あってないようなものだった。

 

 マーケットの端にある、雑貨の露店で酒を買う。銘柄は、ビンクス。大昔からあるという、安いラム酒だ。

 海に向かって歩き出せば、後ろをついてくる男たちの気配がある。いち、に……13人。

 一つのチームを組んでいるようだ。その動きから察するに、彼らは私の首をもぎとりたいと思っているらしい。

 今は相手をする気分じゃない。人目のなくなる路地に入り、すかさず〝空〟へ駆け上がる。

 

 悪魔の実の能力、ではない。武装色の覇気とよばれる、エネルギーコントロールの応用だ。

 

 男たちが私を見失ったことに気づくより早く、空を走り出す。

 はるか眼下の町並みは、やけに黄色が多かった。マスタードイエローの屋根の向こう、下から見上げる人の目に、私の姿は、鳥の影だと映るだろう。

 おなじく覇気というエネルギーを利用して、ソナーのように、他人の居場所を見つける技……見聞色の覇気をつかい、マルコの元へと降り立った。

 

 切り立った崖に挟まれた、小さな小さな砂浜だ。サン・ファルドにこんな場所があるとは、知らなかった。

 潮風がびゅうと、崖にぶつかり海原へと引き返していく。

 手にした酒の瓶は二本。人の姿にもどったマルコへ、酒を一本なげわたす。

 

「〝ビンクスの酒〟か。……古くせェ弔い方だよい。よく知ってたな」

「むかし、古い海賊から教わった。そいつはもう死んでるが…………海はどこにでもつながってる。死者の国にも。……だから……海に酒を流せば………死者にも届く………ってね」

 

 マルコは愛おしむように、呆れるように鼻で笑う。

「どうだかなァ……」

 

「じゃあいいよ、お前は何も流すな、私が二本分やるよ、よこせ!」

「やめろよい、誰がやらねェと言った、ひっぱるなよい!」

 

 死者への弔いの酒だ。船の上から捧げるのなら、静かに海へ注ぐのだろう。陸から捧げる私たちは、思い切りふりかぶり、酒瓶を海へとなげた。

 

 

 すべてのはじまりは、3月15日。

 その日の昼、白ヒゲ海賊団の副船は、とある島へ立ち寄ったらしい。白ヒゲがナワバリとする島を荒らしていた他の海賊を、討伐した帰りだった。

 

 サッチは、白ヒゲ海賊団、四番隊隊長をつとめていた。最高幹部のひとりであり、普段は、白ヒゲの本船に乗っていた。

 何をどう言いつくろおうと、海賊は海賊だ。最終的には、腕っ節がものを言う。

 大海賊団の幹部であるサッチもまた、この世界で指折りの猛者だった。

 

 ナワバリを荒らす他の海賊を相手どるため、主戦力として、本船クルーの数名が副船にのりこみ、現場へ向かったという。その本船クルーの中には、サッチと、マーシャル・D・ティーチがいた。

 

 つつがなく、他の海賊を討伐し、白ヒゲ本船と合流すべく、船は帰路についた。

 合流予定の島には、白ヒゲの本船よりも先に到着したという。

 そこで、本船到着をまつ間、クルーたちは自由に島を散策することになる。

 

 マルコたちを乗せた、白ヒゲ海賊団の本船が、その島に到着した時。

 海沿いの岩場の上、たおれている人影を見つけたのだった。

 

 クルーの誰かが見聞色の覇気をつかったのだろう。岩場でたおれるその男は、サッチその人だと、すぐに気づいた。

 サッチは、自力で立ち上がれない様子だった。

 その胸には、どくどくと血を流す、袈裟懸けのおおきな傷。

 三本線の切り傷は、巨大な猛獣の爪アトのようだった。

 

 本船の医務室にはこびこまれたサッチは、その日の夜、息をひきとった。

 

 この日を境に、白ヒゲ海賊団から姿を消した人間は、もう一人いる。マーシャル・D・ティーチは、翌日になっても、その翌日になっても、船に戻らなかった。

 

 ここからはマルコや白ヒゲのおやっさんが、副船のクルーたちから聞いた話だ。

 サッチは、死の当日、悪魔の実をみつけていたらしい。

 自由行動をとっていたクルーのもとに、サッチが電々虫で連絡をいれたそうだ。〝悪魔の実をひろった〟と。

 

 悪魔の実は、それ自体も、異常な性質をもっている。通常の果実とはことなり、〝食べられるまで、なにがあっても腐らず、傷まない〟のだ。

 

 サッチが見つけた悪魔の実は、岩場の影、波の中にプカプカと、浮き沈みしていたという。

 白ヒゲ海賊団の掟によれば、『悪魔の実は、見つけた奴のもの』。

 サッチが見つけた以上、所有権はサッチにある。

 

 すべての生き物は、悪魔の実を、生涯1つしか食べられない。2つ目を食べたものは、体が内側から弾けとび、死んでしまうと言われている。

 

 サッチは、悪魔の実の能力者ではなかった。自分で食し、その力を身に宿すこともできた。

 ただし悪魔の実の能力は、一度宿せば、とりかえられない。そして多くの場合、なんの能力をえられるのか、食べなければわからない。

 

 慎重にもなるだろう。悪魔の実を、欲しがる人間は山ほどいる。だれかに食べられるまでは腐らない、傷まない果実である。高値で売ることも、決心がつくまで、とっておくこともできる。

 この果実をどうするか。サッチは電々虫で、一人でじっくり考えてみる、とクルーに告げた。

 

 そしてサッチが持っていたはずの、悪魔の実は、消えていた。サッチの倒れていた岩場にも、それどころかその島のどこを探しても出てこなかった。

 

 さらには、サッチの胸を抉った、三本線の傷。

 海にひそむ巨大生物ーーー海獣のものにしては小さく、その島に生息する陸の猛獣たちのものにしては、大きすぎる。

 しかし、その傷にぴったり当てはまるものを、白ヒゲ海賊団の面々は知っていたのだ。

 

 サッチの死を境に、船から姿を消した、白ヒゲ二番隊の一員、マーシャル・D・ティーチ。彼の愛用する武器ならば、サッチの胸についた傷口と、一致する。

 

 これに気づいたクルーは、ティーチがサッチを殺し、悪魔の実を奪いとって逃げたのだ、と結論づけた。

 仲間殺し。

 どのような船においても共通して禁じられる、最大の罪である。

 

 ティーチの所属していた白ヒゲ二番隊の、隊長であるポートガス・D・エースは、ことさら強く憤った。

 エースはもとより、仲間意識のつよい男だ。そこに加えて、仲間殺しの容疑者・ティーチは、エースの直属の部下である。

 

 白ヒゲのおやっさんは、エースを止めたらしい。それがエースの怒りの炎に、さらなる油を注いでしまったのか。

 エースは船長の命令にそむき、船を離脱した。

 消えたティーチを追いかけ、探し出し、罪を償わせるために。

 

 それが、マルコが私に会いに来る、五日前のこと。

 

 エースが離脱したことで、ティーチは仲間殺しをやらかした罪人だ、というウワサは、白ヒゲ海賊団の中で爆発的なひろまりをみせた。今ではそれが真実として語られているだろう。

 

 サッチの死の直後、白ヒゲのおやっさんは私に向けて、電報をうったらしい。

 電報は、裏社会でよく用いられる連絡手段だ。

 各島にいる情報屋あてに、電々虫で連絡をいれ、伝言をたのむのだ。この島に〝◯◯〟がきたら、〝◯◯〟と伝えてくれ、と。

 

 情報屋はみな、カタギを装って生活している。そのため電々虫を使っても、盗聴されるリスクが少ない。万が一、なにものかに盗聴されたとしても、互いの居場所を知られてしまう危険がない。

 代わりに、相手にメッセージが届くまでの、タイムラグは大きかった。

 

 エースが出奔したその日の夜、おやっさんはマルコに、私の元への使いを頼んだ。マルコに託されたのは、トーンダイヤル。チキュウで言う、音声レコーダーのような性質をもった、貝殻だ。

 

 トーンダイヤルにはおやっさんの声で、私へのメッセージが録音されていた。

 

『エースと話ィ、してやってくれ』

 

 だとよ。

 

 ふざけたジジイだ。

 

 なんでも?

 『男は男が相手だと、意地をはっちまう生き物だ』とか? 『女にしか言えねェ本音もあらァ』とか? 『あのエースをとっ捕まえられる女といやァ、おれァ、おめェしか思い浮かばねェのさ』とか?

 

 ふざけやがって。

 

 海賊に例外はない。

 年長者だの国家だの法律だの、自分の頭の上にあるものすべてが気にいらねぇからこそ、陸をはなれて海に出るような連中だ。

 

 その海賊どもが、自分じゃないだれかを、船長と仰ぐのである。

 命をあずけるだけじゃない。誇りも、未来も、アイデンティティでさえも、海賊どもは自分の大事なものすべて、船長に託す。

 他でもない、エースという一人の海賊が、己のすべてを託すにふさわしいと選んだ相手こそ、白ヒゲのおやっさんだろう。

 

 そのおやっさんの言うことを聞かねぇって時に?

 白ヒゲ海賊団のナカマでもない、ましてや海賊ですらもない、私みたいな女にちょろっと何か言われて、エースがおとなしく私の言うことを聞く?

 んなわけ、

 あるかボケ!

 

 世界最強の男とされる、〈白ヒゲ〉エドワード・ニューゲートは、食えない男だ。豪快で奔放に見えて、その実、相手をからめとるような話術にも長けている。

 電々虫ではなく、わざわざマルコにトーンダイヤルを運ばせた、その本当の意図は。

 私に反論するスキを与えねぇためだったんだろうなぁ、どうせ!

 

 ついでに、トーンダイヤルに録音されていた、『どうせオメェも分かってんだろう……おれァ、そろそろ、人生の幕引きだ……来年、さくらの春島を、見れるとは思えねェ……』なんていう、おやっさんらしくもねぇ弱音だって、私の同情心をあおり、罪悪感をひきだして、おやっさんの言うことを聞かねばならないような気分にさせるためのテクニックに決まっている。

 

 クソが!

 まんまと騙されやがったマルコからは、オヤジの頼みをきいてやってくれと、頭まで下げられたよ!

 

 白ヒゲ本船に滞在してた間、マルコには散々世話になったんだぞ!

 腕相撲大会でハシャギすぎて骨折したときも、マルコの放つ〝治癒の炎〟……マルコのもつ悪魔の実の能力で、骨を治してもらったんだぞ! 骨折するほどムキになってたとか、恥ずかしいからみんなに内緒にしといてもらってんだぞ!

 そのマルコに頭下げられたら、断れねぇじゃねぇか!

 どうせ! そこまで分かってやってんだろうがなぁ!

 クソジジイぃぃいい!

 

 グランドラインは広く、険しい。前半と後半をくぎる大陸、レッドラインを超えるだけでも、船では2週間以上かかり、そのうちの7割が途中で死ぬ。

 

 白ヒゲのおやっさんに伝令をたのまれてから、マルコはたったの五日でサン・ファルドまでやって来たのだ。いくら空路だとはいえ、不眠不休で飛んできたのだろう。疲労をみせるマルコは、それでもすぐに後半へ戻るといった。

 

 四番隊隊長、サッチの、不審な死。

 本船クルー、ティーチの失踪と、疑惑。

 二番隊隊長、エースの出奔。

 

 立て続けにおこった〝これまでにない〟事件たちは、白ヒゲ海賊団に今、不穏な空気をもたらしている。

 

 そんな中、一番隊隊長であるマルコは、自分たちの船をはなれてまで、私に事実を告げにきたのだ。「悪かったな」と、口から漏れた一言は、なにに対しての謝罪なのか、自分でもよくわからなかった。

 

 マルコは力なく、苦笑した。

 

「オヤジが気を使ってくれたんだ。………おれァ、サッチとは、長ェ付き合いだからよい……。おれが、仲間内のイザコザに巻き込まれねェよう、サッチの………死と………しずかに向き合えるように………オヤジはおれを一人にさせてくれたんだよい。使いを頼むって形でな………。オメェに謝られるようなことじゃねェよい」

 

 ドン、と背中を叩かれる。肋骨にまでひびいてくる、遠慮のない力加減は、懐かしい感覚だった。

 仲良くなってからというもの、白ヒゲのクルーたちは、ドンドンドンドン無遠慮に、人の背中を叩いてきやがったのだった。

 はじめに私の背中を叩き、その輪の中に押し入れてくれやがったのは、サッチである。

 

 海はきらめいている。いつもにぎやかなグランドラインの海面も、砂浜から眺めれば、慌ただしい沖合のようすまでは見えない。

 静かで穏やかで明るくて、さみしげな海。

 

 ドン、とマルコの背中を叩き返す。

 この海で生きてりゃ人は死ぬ。陸で生きるよりもはるかに、呆気なく死んでいく。

 それを悲しむことはあれ、それに囚われてはならない。

 私たちは海に生き、止まらぬ波とともに進んでゆくしかないのだから。

 

「よい」

 マルコは一つうなずいた。そして少ししてから、一つ付け足した。

「……マジェルカ、腰を叩くなよい、おれの背中はもうちょっと上だよい」

「じゃ、お前がかがめ」

「はァ……チビが……」

「あぁあ!?」

 

 チビじゃねぇし!

 

 ふたたび空に溶けてゆくような、青い鳥をみおくって、隠れ家のある浄水場のちかくへ向かった。

 浄水場の裏側、たびたび泳いでいた岩場の影には、一見してそうとは知れない洞窟のいりぐちがある。

 

 迷路のように入り組んだ岩のでっぱりを、奥へ奥へ、暗いほうへとすすんだ先には、ぽっかり空いた空洞が待っていた。

 ひざ下までの浅い水位に、一隻の小舟が浮いている。

 

 舟のまわりをぐるりと一周するのに、1分もかからない。人が一人寝転べば、いっぱいになってしまうような小舟。

 

 しかし、帆はふたつある。メインマストの横帆〝おうはん〟と、前方にはヨットのような三角形の帆、縦帆〝じゅうはん〟が組み合わされた舟だった。

 

 10年以上の航海をへても、しっかりとした木の感触。こう見えて、私とともに四つの海を行き来してきた、猛者中の猛者である。

 その名を、モクちゃん号。

 私の足であり、もはや私の一部だ。

 

「待たせたね」

 仄暗い洞窟の中、するりと舟体をなでれば、まったくだ、と言われたような気がする。

 

 夕暮れをまって、島をはなれた。

 真昼の海へこぎ出すには、サン・ファルドには悪党が多すぎる。ふだんならばいくらでも迎え討つところであっても、今は、妙なちょっかいをかけられたくない。

 銀杏の黄金とにたような、黄昏どきの夕焼けにまぎれて、静かにモクちゃん号は出港した。

 



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4.希望の島の案内人

 サン・ファルドを出た私は、おなじくグランドライン前半の島、ホーシズホープスへ向かった。

 チキュウのマンガ、〝ONE PIECE〟に登場する島ではない。エースが立ち寄るか否かもわからない。

 それでもこの先、動き出す前に、会っておかねばならない人物がいる。

 

 手のひらの上で、カサカサと動く紙。

 どこかへ帰りたがるように、ひとりでに蠢くこの紙は、ビブルカード〈命の紙〉と呼ばれるものだ。

 

 特殊な技法でもって、生物の爪や髪がねりこまれたこの紙。基本的には、その爪や髪の毛の持ち主がいる方角を、指し示す特性をもっていた。

 お互いがいつどこにいるのか定まらない、船乗りや海賊たちの間では、よくよく重宝される。

 私の手にあるビブルカードも、とある男の居場所を示し、モゾモゾと動きを止めない。

 

 夜が立ち去り、朝が来る。

 あちらもこちらも薄紫の、ぼんやりとした夜明けである。もうじき視界はよくなるだろう。しかし今はまだ、朝モヤが海面をおおっている。

 

 ベッドがわりのハンモックは、船首とメインマストの間に垂らすのがいつものやり方だった。

 モクちゃん号には、壁も何もない。

 おかげでまるきり、波の上でハンモックに揺られているような心地である。

 

 腕をのばせば、朝モヤが肌にヒヤリとする。うすい毛布を引き上げながら、ビブルカードを乗せた手を、あちらへこちらへ向けてみる。

 

〈命の紙〉がより強く反応を示したのは、舟の右の方だった。

 

 ハンモックから、甲板におりたつ。ビブルカードがすり寄ろうとする方角、モヤのかかった海原へと目を凝らせば、ぼんやりと島影が見えてくる。

 

 判然としないシルエットだけでもわかる。やたらとのっぺりした、凹凸の少ない島。私の目的地である、ホーシズホープスだ。

 

 グランドラインには、いつくか人工の島がある。ホーシズホープスもその1つだ。

 元はただの、どでかい鉄板。

 作る前からわかりそうなものだが、人工島の中でもとびきりの、失敗作として知られている。

 

 辛うじて海に沈まないだけの、つるりとした鉄板では、海風をさえぎるものもなく、真水を貯める窪地もない。

 木を植えようにも下は掘れない。鉄板に穴が開けば、海水が溢れてくるからだ。

 土を運びこもうとしたって、運んできたそばから、つるっと風におされて落っこちて、なにも残らない。

 

 なんの使い道もなく、百年以上の間、名前さえつけられぬまま、風と波にさらされながら放置されていたらしい。

 

 変化したのは、20年前。今風にいえば、大海賊時代の到来が、ホーシズホープスの追い風となる。

 グランドラインの荒波にさらされ、ただの鉄板の島にたどりついた海賊たちが、そこに街をひらいたのだ。

 現在の、島の名前の由来でもある。

 〝ホーシズ・ホープス〟〈馬と希望の島〉……賭け競馬の街を。

 

 大海賊時代の到来からこちら、滅んだ国は数知れない。押し寄せてきた海賊どものせいで、荒廃した島の数など、かぞえるのも馬鹿らしくなるほど膨大だ。

 ただしいつでも反対はある。

 大海賊時代だからこそ栄えはじめた島や国も、たしかにチラホラ存在している。

 

 ホーシズ・ホープスは、その最たるものだった。海賊どものひらいた街が、今では〝市国〟という扱いで、世界政府の承認さえうけているのだから、法律の善悪というのはあてにならないものである。

 

 10年ほどまえからちょくちょく訪れているものの、新しい街だからだろう、ホーシズ・ホープスは来るたびおおきく姿を変えている。それにしたって今回の変化は、でかすぎた。

 

 太陽の号令を待っていたかのように、サァッと引いていく朝モヤ。そうして目に入った、島の姿は、パステルカラーであった。

 

「あれっ?」

 思わずビブルカードをふたたび確かめてしまう。まちがいない、あの島影は、私の親友がいる島、ホーシズ・ホープスだ。

 ホーシズ・ホープス………だよな?

 

 私が知っているホーシズ・ホープスは、いかにも馬糞の臭いがしそうな、小汚い島だけだ。

 キレイなのは中心部だけ。

 一歩道を外れてみれば、小汚いバラックが並び、負けが込んでどこにも行けなくなったような薄汚い海賊たちがたむろする、蝿や虻と相性の良さそうな街。それが私の知るホーシズ・ホープス。

 

 馬の名誉のために言っておくが、馬はキレイ好きである。

 汚くするのは人間であり、その汚い人間たちの、吹き溜まりの島であるはずだった。

 

 前に来たのは、昨年の年末だ。

 まだ4ヶ月ほどしか経っていないというのに、海の向こうにみえてきた島影は、私の記憶にあるものとはかけ離れている。

 

 ボオンと飛び出た、半円状のシルエット。巨大なドームは島の中心にあるランドマーク、屋内競馬場〝ホーシー・ファンタズム〟である。

 あれは数年前からずっとある。しかし問題はそれ以外の区画だった。

 

 パステルカラーだ。どこもかしこも。

 小汚いバラックなどどこにも見えない。それどころか、家屋らしき影すらない。

 ポコポコポコポコ、浮き出たあぶくを固めような、ドーム状の建物ばかりがずらっと並んでいる。

 

「全然、ちげぇじゃねぇか……」

 

 舟の床板をパカリと開けたその下に、ハンモックと毛布をしまう。モクちゃん号の後方に据えつけられた、浄水器を稼働させ、コップ一杯の水を飲んだ。

 顔を洗い、スキンオイルでお肌をととのえ、髪をとかし、いつものように高い位置でポニーテールにし。

 腹の方へ回していたナイフホルダーを、腰の後ろにもどす。

 

 身支度を終え、あらためてホーシズ・ホープスを見つめても、やっぱり、パステルカラーである。

 

 朝日のまぶしい海原で、精一杯に目をこらす。鉄板の地面がむき出しになっていたはずの、島の海岸線すらも、パステルカラーにそめあげられて、ファンシーに整備されていた。

 廃材をつなぎあわせて無理やりのばしたような、いつもの船着場まで、なくなっているじゃないか。

「ええ……?」

 どうしよう。どこもかしこもキレイだ。

 きちんと整備されてしまえば、元が鉄板であるために、人目につかない岩場だのがない。ファンシーな色彩も、元の姿とのギャップを感じてしまうせいか、やけに気味が悪かった。

 

「んー……!」

 港の朝は早い。これほど近海に陣取っていては、人目についてしまう。いつまでもボヤボヤしているわけにもいかない。

 しかし、どうするか。

 

 普段から、ホーシズ・ホープスに入るときは、こそこそ上陸することにしている。それというのも、私はいわば、ホーシズ・ホープスの〝仇〟だからだ。

 

 海賊たちの起こした島、ホーシズ・ホープスは、現在に至るまで元海賊たちが運営している。

 きっかり6年前までは、現地の海賊たちだけでなく、ガルーダというマフィアと共同で運営が行われていた。

 

 ホーシズ・ホープスの目玉である、競馬でつかう馬の仕入れを、ガルーダが担っていたらしい。そのガルーダというマフィアが跡形もなく滅んだことで、この街の元締めたちは、さぞ困ったことだろう。

 

 6年前、ガルーダを壊滅させたのが、他でもない、私である。

 

 ケンカの結果をいちいち宣伝してまわる趣味はない。しかし、ちょっとした事情があり、ガルーダを皆殺しにしたことだけは、隠すどころか、私の方から喧伝している。グランドラインの裏社会では、知らない奴の方が少ないはずだ。

 

 ホーシズ・ホープスの元締めたちが、私のことを、恨んでいないハズがない。

 

 ただの敵なら遠慮はしない。向かって来るなら倒すまでである。

 しかしここは、私の親友が暮らす島だった。あいつに迷惑がかかるようなトラブルは避けたい。

 だからこそ、ホーシズ・ホープスを訪れる際にはいつも、コソコソしてきたのである。

 

 やたらと可愛らしく装飾された、〝港はここ!ウェルカム!〟のアーチは見えている。あそこが港なのだろう。

 係員の詰め所もあるようだ。なんとまぁ、関所のような建物までできているではないか。

 よしんば、ガルーダの件で、街の元締めたちから恨まれていなかったとして、それでも私は通過できない可能性がある。

 世界政府の国民ではないからだ。

 

 世界政府に加盟する国の国民ではない場合、非国民として嫌われるだけでは済まない。

 人権を保証されない。生存権すら無視される。犬猫以下どころか、害虫同然、〝物〟以下として扱われるのである。

 関所の通過など、もってのほかだった。

 

 どうする。こっそり入ることはできても、他の島とはちがって、舟を隠して置ける場所がないのである。ど、どうしよう。

 

 寝ている間はしまっておいた、ヨットのような三角帆を、張るべきか否か。ロープを手にして悩んでいると、例の関所の中から人が出てきた。

 最悪、全員気絶させるか。

 彼らが眠っている間に用事を済ませて、島を出港すれば……。

 

「ん?」

 

 私の姿が見えたのだろう。関所から出てきたのは、三名。そのうちの二人は、プラカードを持っている。こちらへ向けて掲げられた白い板には、こう書かれていた。

 

『悪鬼』『ウェルカム!』

 

 プラカードにくっついた、モジャモジャした飾りが、日の光にきらめいている。

「あっ……そうですか……?」

 

 三角帆をすばやく張り、メインマストの横帆をひろげ、風をつかむ。港へ近づくと、プラカードを掲げる二人が、プルプル震えていることに気がついた。

 ホーシズ・ホープスは、何島でもない。一定の気候をもつグランドラインの島々と異なり、人工島は、その島固有の気候をもっていなかった。

 それ故に、グランドラインの沖合と同様、年間を通じて南国のようなあたたかい風が吹く。

 震えるほど寒いわけがないのだが。

 

 一歩、舟から足を伸ばせば、島の土台に届くだろう。その距離をたもった小舟の上、役人らしき3人へ問いかける。

 

「その、悪鬼っていうの、私のこと?」

 3人は勢いこんで、ぶんぶんぶん、とうなずいた。

「ウェルカム、っていうのは、その関所を通してくれるってこと?」

 ぶんぶんぶん、とふたたび頷かれる。

「それって、あんたたちだけの意思なのか? それとも、島の元締めの意向?」

 

 彼らはしゃべらなかった。代わりに、プラカードを裏返す。真ん中の一人も、隠しもっていたプラカードを掲げた。

 3つのプラカードをつなげれば、

 

『この島は』『悪鬼様と』『敵対しません!』

 

 となる。

 

「…………なるほど」

 他になにが言えるだろうか。

 

 〝悪鬼〟と呼ばれているのは知っている。そのあだ名は気に入っていない。しかし言えるだろうか。

 この3人、寒がっているわけではないのだ。殺人犯である私に怯えて、ふるえているのである。

 この雰囲気だ。様ってなんだよ、という一言ですら、言うべきではないだろう。

 

 3人は終始しゃべらず、震えながらもジェスチャーで、舟の停泊場所や関所のドアを案内してくれた。関所の通行料も、求められなかった。払うべきかと迷ったが、ひどく怯えた三人の様子からすると、余計な茶々をいれるべきではないはずだ。

 「ありがとう」と言い残し、街へはいる。

 なんか疲れた。

 

 まだ朝焼けがはじまったばかり。起きている人間も少ないらしい。陸の早朝特有の、止まった冷たい空気がある。

 道を行けば、ほのかにサビが浮いていた鉄板の地面さえもが、パステルカラーに染められていた。

 イヤにファンシーな街並みの中、だれも表には出ていない。空を走っても、目撃される心配はないだろう。

 

 ここまではビブルカードに頼ってきたが、一度島に入ってしまえば、見聞色の覇気で気配をたどったほうが早い。

 

 そっと意識を集中させ、己の覇気をうっすらと広げていく。人探しをするならば、一方向にばらまくだけでは足りない。自分の体から、上下左右、四方八方へ飛び散るように、覇気を伸ばしていく。

 そうして返ってきた、微弱な反発を感じとり、相手の居場所を掴むのだ。

 

 ………いた。

 

 早朝の空へかけあがる。きぃんと冷えた大気の中、見下ろす街並みは、なんだか気持ちが悪い。

 山も丘もない平坦な島だからこそ、上から見られた時のことを考えていないのだろう。

 陸地にはまだ、ほんのり朝モヤが残っている。ぼやけた紫色の中、はるか眼下に広がるのは、パステルカラーのぶつぶつが寄り集まった町並み。

 

 趣味の悪い光景に眉をしかめつつ、降り立ったのは、小さな空き地である。妙なことに、この空き地、地上を歩いてたどり着くための道がつながっていない。

 周囲をぐるりと、ドーム状の建物の壁に、塞がれてしまっている。レイアウトを間違えて、たまたまできてしまったデットスペースのように見えた。

 

 空き地の真ん中には、今にもくずれそうな木造の小屋。その小屋をおおうように、バカでかいシートが被せられていた。パステルカラーの巨大な布である。なんだよこれ。

 

 布のはしを持ち上げて、その内部へ滑り込む。すき間からもかろうじて見えていた、小屋のドアをノックした。

 廃材をテキトーにくっつけました、と言わんばかりの木板のドアだ。

 3回。3回。6回。それをもう一度。

 ガチャガチャガチャン、という金属音は、内部の鍵をあけたのだろう。

 すこし傾いたドアを開けると、奴はいた。

 

「よーう、マジェルカ、今日はネツレツな歓迎を受けたみてぇだなぁ? 港でプラカード! ザッザッザッザ! おれも生で見たかったね!」

 

 狭い小屋の奥にある、しなびたバーカウンターの向こう。

 このうさんくさい建物には似合わない、人好きのする笑顔を浮かべた男がいる。

 

 一歩、小屋に踏み入れば、ブワリと迫りくるペンキの匂い。

 フタの半開きになったペンキの缶を足でおしのけ、ボロボロのカウンターにポツンと寄り添う、老朽化のきわまるスツールへと腰をおろした。

 

「くっせぇなー、いつ来ても。プラカードのオモテナシにはビビったよマジで。……や、サリー。生きてたか?」

 

 乾燥しすぎてヒビ割れた、カウンターの天板の上へ片手をさしだす。カウンターの向こうに立っている、わし鼻の男はそれを握った。

 

「おれも今、知ったばかりだぜ。生きてたらしいなぁ? お互いに」

「ふっふ!」

 

 こいつ流のジョークだった。他の誰でもない、この男が、今はじめて知った、なんてことあるはずがない。

 

 どの街にも一人はいる、ちょっと気弱でお人好しな青年。

 そんな風貌をしたこの男こそ、グランドラインきっての情報屋、早耳のミザリー。

 

 ネットもない、人工衛星もない、郵便さえまともに届かぬこの世界で、レッドラインの向こうのことまで、リアルタイムに知り尽くす。

 ミザリーは、この海で一二を争う、腕利きの情報屋である。

 

 悪魔の実の能力者ですらもない、非力なこの男が、どんな情報網をもっているのか。

 手に入れた数多の情報を、人から尋ねられれば、求められた部分だけを即座にスラスラ諳んじてみせる。こいつの頭の容量は一体どうなっているのか。

 お互いがガキンチョの頃から、もうかれこれ10年来の付き合いだが、未だに底が知れない。

 

「それで、お前が聞きにきたのは、あれか? 白ヒゲの内部抗争」

「あ?」

 グッと互いの拳を引き寄せあって、手を離せば、サリーは思わぬ単語をはなった。こいつの通り名はミザリーだが、私はサリーと呼んでいる。

 眉をよせれば、サリーはもったいぶって腕を組み、片眉をあげてみせた。

 

「荒れてるらしいぜ。今から16日前、白ヒゲ海賊団、四番隊隊長、サッチが死んだ件について……………〝なぜオヤジは動かねェ〟ってさ」

 

 くるりを背中をみせたサリーは、小汚い棚からバーボンのボトルを取る。カウンターの下に収納庫でもあるのだろう、そこから取り出した2つのグラスは、この小屋には似合わないほど、うつくしく磨かれていた。

 

 トクトクトク、と注がれて、差し出される琥珀。

「もったいねぇ、せっかくの酒の香りがペンキの匂いでわからねぇよ」

「店に来たお前が悪い、どうせなら隠れ家のほうに遊びにこいって。情報を買いに来たんだとしても、お前なら隠れ家の方でいいって言ってるだろ」

「お前が店にいるからこっちに来ちゃったんだろ、私はいつも、お前の気配をたどってくるんだって言ってんだろ」

「朝から夕方は店にいるって知ってるだろ? 夜にこいよ」

「そう都合よく〝波〟は動いちゃくれねぇんだよ」

「それを乗りこなしてこそ旅人じゃねぇのか?」

「……ぐっ……!」

 カチン、とグラスをぶつけ合った。

 

 この海の常識だ。白ヒゲは、仲間の死を許さない。

 

 調子のいい、口先だけのスローガンなどではなかった。たった一人の仲間のために、白ヒゲはどんな死地にも突っ込んで、勝利をもぎとってくる。

 〈白ヒゲ〉の名がこの海にとどろき続ける30年あまり、白ヒゲのおやっさんはずっとそうして生きてきた。

 

 そんな男を慕ってあつまる、白ヒゲ海賊団の面々も、おやっさん同様、仲間の死を許さない。

 数千のクルーたちは、一人の仲間のためなら全員が命を投げ出す覚悟を持つ。〈白ヒゲ〉の号令ひとつで、地獄の果てまで向かうだろう。

 

 それであるからこそ、白ヒゲは、〝鬼より怖い〟と謳われる。

 白ヒゲのシンボルマーク、ヒゲをたくわえて笑うドクロの持ち主に、手を出すようなバカはいない。

 

 白ヒゲ海賊団のクルーたちだけではない。白ヒゲの名を知るものは、全員が思うはずだ。

 仲間を殺した犯人のことを、白ヒゲが見逃すなんて、ありえない。

 

「内部抗争ってのは、どういうことだ?」

 ズズズ、と椅子を引きずってきて、サリーはカウンターの向こうで腰を下ろす。

 

「まんまだよ。白ヒゲ海賊団には、本船のほかに、副船が四隻あるのは知ってるだろ? その、副船をあずかる、副船長も4人いる。その中の一人、ポルクが武装蜂起だ」

「はぁ?」

「本船クルーのサッチが死んだ。それが他殺だったのかなんなのか、白ヒゲから一切説明がねぇらしい。だが、状況的には、白ヒゲ海賊団の1人、マーシャル・D・ティーチがサッチを殺したってことで間違いないと、白ヒゲ内部では言われてる。……おどろかねぇってことは、やっぱりお前も知ってたか」

「それで?」

「白ヒゲは、仲間の死を許さねぇ。だが今回、白ヒゲは動こうとしねぇどころか、クルーたちに、動くな、と命令を出してるくらいだ。事情もわからず動くなと言われたクルーたちの間には、不満と不信がつのってる。本船のクルーたちがだれも異議を唱えないことも、他のクルーたちの不満をあおってるみてぇだな。ポルクは白ヒゲに、事情の説明をもとめたが、一蹴された。そこで、ポルクは不満をもったクルーをあつめ、白ヒゲ本船に攻め込んでる」

「……攻め込んでる?」

「やり方が海賊らしいよなぁ。相手を口で説得できねぇなら、腕っ節で説得しようってことだろ? サッチを殺した犯人を追いかけよう、っていうポルクたちの主張を、白ヒゲに呑ませるための武装蜂起だよ」

「いつ?」

「今」

「いま……? 今日!?」

「ちがう。今!」

 

 目をぐりりと開いて断言するサリーは、この10年、ホーシズ・ホープスから一歩も出たことがない。他の島どころか、他の海である、グランドライン後半で起こっている抗争の真実など、知る由もない………というわけじゃないことが、この男の怖さだった。

 

 この世界には、人為的な電波通信のノウハウがない。レッドラインとカームベルトにへだてられたこの惑星は、チキュウ以上に、人の行き来が困難だった。情報の流れもかすかなものだ。

 

 そんなこの世界であるのに、情報屋を名乗る奴らは、あっさりと他の海の情報まで手に入れることができるのだ。

 中でも〝腕利き〟とされるサリーにおいては、神の所業ではないのかと疑いたくなるほどの情報収集能力をもっている。

 

 経験上知っていた。サリーが言うなら、そうなのだろう。ことばを商品にする情報屋は、確信した事実しか口にしない。

 

「お前は、白ヒゲの飲み友だちだろ? あっちの安否が気になって、おれの所まで、情報を仕入れにきた……ってわけでもないのかその顔は」

「……当たり前だろ。白ヒゲのおやっさんは、私の友だちである前に、海賊だ。てめぇの船も命もてめぇで守る。守れねぇなら船も命もそこまでだ。……そんな生き方、てめぇで望んでやってるんだ……。私の出しゃばる幕はない」

「ふーん………ふだんから、おれの安否を気にしまくる女のセリフとは思えねぇけど」

「お前は海賊じゃねぇもん」

「そういうもんか?」

「それにしたって………おやっさんを倒すのは、骨が折れるだろうぜぇ……! 正直、白ヒゲ海賊団全員でかかっても、倒せるのかどうか……」

「ザッザッザッザ! 白ヒゲと殴り合ったお前がいうと、説得力がちげぇな!」

「いや……私の時は、本気でケンカしたわけじゃねぇし、かーなり手加減されてたと思う」

「島の地形がかわるほど、殴り合ったってのに?」

「あの時、おやっさんが本気だったら、島なんてなくなってるよ、跡形もなく」

「言い過ぎだろ、それはさすがに」

「………と、思うよなぁ、ふつうはなぁ……」

 

 世界で指折りの強者ともなれば、島を1つ消し去ることもできる。政府の犬、とさげすまれる、世界政府に恭順し、政府の公認をえた海賊、〈王下七武海〉に名を連ねる奴らでさえ、それができるのだ。

 

 わざわざ政府に認めてもらわなくとも、政府と真っ向から対立しつづけることができている海賊たち、〈四皇〉ともなれば、どれほどか。

 おやっさんのあの怖さは、実際に殴り合ってみなくちゃ、想像すらできねぇよなぁ……。

 

「かわいそうになぁ、その、ポーク……」

「ポルクだ」

「うん、ポーク」

「豚肉じゃねぇよ!」

 

 海の上からいくらか遅れて、この島にも朝が来たらしい。

 木板の壁のあちこちに空いた隙間から、ぼんやり日光が入り込んできた。ワントーン明るくなった視界の中で、サリーの、とび色の瞳がよく見える。

 

「お前がここに遊びにくるのは、いつも決まって、夏の盛りと、年の終わり。それ以外で来るときは、デカい事件を起こした後か………デカい事件を起こす前に、情報収集がしてぇとき………………で、今日はなにを聞きにきた?」

「んー……」

 

 本題だった。これを聞かねば、私は動けない。

 半分になったグラスをかたむけ、琥珀の色味を、無意味にながめる。

 

「サリー……。モンキー・D・ルフィって、知ってるか」



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5.笑う少年と掛け違い

 異世界・チキュウで、ひろく親しまれていた物語、〝ONE PIECE〟。

 私の生きるこの世界の、この時代をえがいた作品〝ONE PIECE〟の主人公こそ、モンキー・D・ルフィである。

 

 イーストブルー〈東の海〉という地域にうまれた、勢いのいい少年だ。

 なにものにも縛られない〝自由な海賊〟にあこがれたルフィは、兄との約束のもと、17歳で海に出る。

 

 ルフィが船出するその日こそ、〝ONE PIECE〟という物語が動き出す日。

 運命がうごめきだす、スタートラインだった。

 

 ルフィの実在はすでに、確認している。

 本人に会ったわけでも、本人を見たわけでもないが、ルフィの祖父から直接、話をきいたのだから、間違いはないだろう。

 

 ONE PIECEにも登場していた、ルフィの祖父、モンキー・D・ガープは、海兵だ。

 グランドラインに駐在する将官であり、色んな意味での危険人物でもあり、私の知人でもある。

 そのガープ中将から聞いた話がまちがっていなければ、今年、ルフィは17歳になるはずだった。

 

 海兵のくせに傍若無人、人の話を聞きやしない、あんたホントは海賊じゃねぇのかと言いたくなるほど好き勝手に動いては、気ままな言動をぶちかますガープ中将だが、さすがに、孫の話にまちがいはないだろう。

 

 ルフィの誕生日は、5月5日。

 ONE PIECEにも、そう書かれていたと思う。ガープ中将もそう言った。

 ONE PIECEに描かれていたルフィの性格からして、17歳になったその日に船出するのだろうとは予想がつく。

 

 今年の5月5日………海円暦1522年の5月5日こそ、すべてのはじまりの日になる、はずである。

 

 エースの出奔も、サッチの死も、ティーチの失踪も。

 本来ならば、5月5日以降に起こるはずなのだ。

 

 今日は、海円暦1522年の、4月1日。

 サッチの死は3月の15日に起こり、エースの出奔は3月20日。状況が動き出すのが、早すぎる。

 

 このズレの正体は、なんなのか。

 〝ONE PIECE〟の知識を未来予知として頼りにする以上、ズレの理由を確かめておかねば、今後の動きに支障がでる。

 

「おー! やっぱり! お前も気になったか! 海賊、モンキー・D・ルフィ! そうだよおそらくお前の読み通り! 海軍の英雄! モンキー・D・ガープの、実の孫だ!」

 

 たのしげにそう言ったサリーは、グッと体を横に倒して、一枚の手配書をとりだした。今時めずらしい、羊用紙である。紙にコピーされた手配書ではない、その原本だ。

 

 手配書には、世界政府の定めた、指名手配犯が掲載される。手配犯、1人につき一枚。顔写真と、名前、そいつを捕まえ、海軍に引きわたした場合の、懸賞金額がかかれたチラシだ。

 

 大きくひろげられた手が、目に飛び込んできた。その向こうに、いたずらっ子のような少年の笑顔がうつっている。

 その少年がかぶっているのは、〝海賊〟には似つかわしくない、赤いリボンの麦わら帽子。

 

「見ろよこの、満面の笑み! 手配書の写真じゃねぇよな!」

「こいつ、今どこにいる?」

「今? 今は…………こいつはイーストブルーの海賊なんだが、昨日。イーストブルー最西端の島、ローグタウンから出港した。行き先は不明。追いかけてったローグタウンの海兵も、まだ島に帰ってないらしいぜ?」

「今日って、4月1日だよな」

「………それ、わざわざ情報屋に聞かなきゃ、わかんねぇことかぁ?」

「今日は、海円暦1522年の、4月、1日、だよな……!?」

「そうだけど……?」

 

 カウンターテーブルに広げられた手配書には、堂々とかかれていた。

 生死、問わず。懸賞金額、3000万ベリー。

 そして印字された名前は、MONKEY・D・LUFFY。

 

 ルフィがもう、海に出ている。どうして。

 

「………手配書はいつ発行された?」

「あ? 手配書はぁ………3月のはじめ。3月3日に手配申請があり、3月5日に、イーストブルーで配られはじめた。他の海じゃまだ配られてねぇはずだが、なんたって、モンキー・D! 海軍の英雄ガープとおなじファミリーネームだぜ!? おれもそうだが、ちょっと目ざとい奴なら、イーストブルーから手配書を取り寄せてるだろうな………。あれ? お前はどうやって知ったんだ?」

「いやお前はどうして持ってんだ、この手配書」

「ここは馬と希望の島、ホーシズ・ホープスだぜ? 遊びに来た海軍船から拝借したに決まってんだろ」

「あっ………そういうこともするのか情報屋は」

「今更かぁ?」

 

 手配書にプリントされた、鮮やかな写真。手触りをたしかめる。これはルフィが出港した後に、発行されるはずのものだ。

 チキュウのマンガ、ONE PIECEには、日付がほとんどでてこない。それでも前後関係を考えれば、これは今年の5月5日以降に発行されるはずのものである。

 

 致命的なズレが、目の前にある。言いようのない焦りが、じわじわと喉にせり上がってくるようだ。

 どうして。どうして?

 

「なぁ……イーストブルーとグランドラインじゃ、暦の数え方がちがったり……するのか?」

「しないけど? つうかお前むかし、イーストブルーに行ったことあるだろ? 暦はおなじだっただろ?」

 

 そうだ。その通りだ。だからこそ困惑してんだろうが!

 知らずと拳をにぎっていた。

 

「じゃっ………! なんなんだ………! なにか! 年の数え方がちがうとか! 日数の計算方がちがうとか! ねぇのか!?」

「あー……関係ないかもしれねぇがぁ……」

「なんだよ!」

「数え年、ってのはあるよ。イーストブルーの一部地域に」

 

 グラスをあけたサリーは、またトクトクと酒を注ぐ。

「かぞえどし……」

 私のグラスにも注がれたそれを、ただぼんやりと目で追った。

 

 自分の誕生日が来るたびに、歳をひとつ増やす。これがこの世界でも主流となる、年齢の数え方だ。

 

 数え年は、〝一年がはじまる日に、歳をひとつ増やす〟という、年齢の数え方。

 だれでもかれでも、〝その年の一月一日〟に、年齢がひとつふえることになる。

 

「……ちょっと、お前、今日、どうした!? やたらと回りくどい話し方しやがって………今度は、なにを……凹んでるんだよ?」

 

 サリーがパシン、と私の肩に拳をぶつけた。

 ルフィの住んでいた地域では、数え年、が一般的ならば。

 ルフィは一月一日に17歳となり、その日に出港したことになる。

 

「知ってた……」

「なにを!?」

「かぞえどし……」

「あそう、えっそれでどうして落ち込むことになるんだよ?」

 

 数え年は、イーストブルーだけの風習じゃない。こことは異なる世界、チキュウにも、あった。数え年のシステム自体は知っていたのだ。

 それなのに、この可能性に、どうして私は、気づかなかった。

 

「うあぁぁあああああああああああっ!」

 

 気づいていれば。

 ルフィの出港に、物語が動き出した事実に、もっと早く気づけたはずだ。

 

 気づいていれば。

 白ヒゲのおやっさんに連絡して、ティーチを見張ってもらうこともできたはずだ。一年中はりつくことは難しくても、3ヶ月くらいならば、どうにかなったかもしれない。

 

 気づいていれば。

 サッチに、もっと、やってやれる事があったはずだ。

 

「くそったれ……!」

「………大丈夫かぁ? ついに発狂? お前ストレスの多い人生歩んでるもんなぁ」

「うるせぇ……」

「のむ?」

 

 差し出されたマグカップ。いつ淹れたのか、うっすら湯気をたてる緑茶だった。潮風にあたればすぐに変色してしまうため、海の上ではなかなかお目にかかれない。

 

 底に沈んだみどりの茶葉をしばらく眺めて、握りこんだ拳をとく。力を込めすぎた手のひらには、爪の痕がついていた。ほんの僅かに血がにじんでいる。

 ボトムで手をぬぐい、マグカップを受け取った。

 

「ありがとう……」

「おー」

「いきなり怒鳴って悪かった……」

「……気持ちわりぃぜぇ? お前が謝るなんて。まぁ、まぁ、まぁ、いきなり暴れ出したわでもねぇし、それ飲んで、落ち着けよ」

「うん……」

 

 熱い茶をすすって、肩の力をとく。落ち込んでる場合じゃない。運命はもう、動き出しているのだから。

 

 私のもつ財産のほとんどは、サリーに預けてある。サリーから情報を買った場合、預けてある金の中から勝手に差し引いてもらう約束だ。

 それも、サン・ファルドで大きな買い物をしたせいで、残りが心もとない。サリーに聞けば、残金はもう2億ベリーほどしかないと言う。

 

 ふしぎだ。お金って、使うと減るのね。

 

 1000万ベリーを現金でうけとった。これだけあれば、エースを追いかける旅費には充分だろう。

 ただ生きるだけならば、海でも陸でも、自給自足をすればいい。私には、力押しでそれができるだけの地力がある。

 しかし、そんな旅では味気ない。人を探すとなれば、各地で情報を買う必要もでてくるはずだ。

 

「2億ベリーもあるのに心もとないって、カタギが聞いたら血の涙を流すぜ?」

「悪党ってのは、金がかかるもんだろ。お前の財産いくらだよ?」

「おれ? 今は……17億ベリーくらい」

「ほーれみろ、あれっ、逆転された……?」

「ふっ、去年の冬から、お前よりおれの方が、か・ね・も・ち、ですけど?」

「どーせ汚ねぇ金だろ」

「人のこと言えんのか!?」

 

 ポンポンポン、と山積みにされた札束を、ひょいひょいとリュックの中にしまっていく。いかにも汚ねぇ金らしく、使い古された札が輪ゴムで雑に止められた、10個の札束。

 1つで100万ベリーだろう。

 それを9つ、リュックに放り込み、最後の1つは腰元へ。

 ナイフホルダーの裏側には、隠しポケットがある。そこへ金をねじ込んだ。

 

「金が足りなくなったら、また賞金首でもとっ捕まえればいいんじゃねぇのか? シェルディーナ・マジェルカは、まーだ、指名手配されちゃいねぇし? ちゃんと賞金うけとれるだろ」

「……いや、お前、私、好きで賞金首ぶっちめてきたわけじゃねぇから。これ前にも言わなかったか?」

「襲われて、仕方なく、返り討ち?」

「そう」

「中でもとびきりの凶悪犯は、しょうがねぇから監獄おくり?」

「うん。ゴミ掃除も、旅人のたしなみだ」

「ひぃでぇ言い草」

「……賞金首ね…………他人の命を、金のためにやりとりするってのは、どうも……ピンと来ねぇ。金が足りなくなったら、大道芸でもやって稼ぐさ」

 

 立ち上がって振り返れば、サリーもまた立ち上がる。

 

「マジェルカ。お前……」

「……ん?」

「いや……」

 

 珍しくも、サリーが言葉につまる。そうしているとまるっきり、口下手で気弱な青年にしか見えない。

 はじめて会ったときも、その外見に騙されたのである。

 なんとなく、海賊にいじめられている、ただの少年のように見えたのだ。成り行きで助けてみれば、ところがどっこい、売った情報の価格についてモメていただけだった。

 それでも、殺されかけていたのは見た目通りだったらしく、あっけに取られた顔で、まだ少年だったサリーは言った。

『なんでおれなんか、助けたんだ?』

 

 懐かしいな。

 私はあの時、なんて答えたんだっけ?

 

「お前は……強いし、おれはお前を心配したことなんてねぇんだよ」

「ふっ………お褒めにあずかり光栄だ」

 

 茶化してみても、サリーは真剣な瞳をむけてくる。

 

「ただな。今回だけは忠告させろ。白ヒゲ海賊団のイザコザに、首突っ込むつもりなら……気をつけろよ」

「あぁ?」

「わかってる、グランドライン後半で起こってる、白ヒゲの内部抗争に、首を突っ込むつもりはねぇんだろ。だが……グランドライン前半に、白ヒゲのクルーたちが入って来てる。内部抗争の引き金となった、元クルー………マーシャル・D・ティーチ。その元上司、白ヒゲ二番隊隊長の、ポートガス・D・エース」

「……そうか」

 もうこっちに来てるのか。

 そっぽを向いて答えた声を、気にせずにサリーはつづけた。

 

「どっちか追いかけるつもりなら……気をつけろよ。マーシャル・D・ティーチは………見た目通りの男じゃねぇ。…………なぜか知られちゃいねぇ事実だが、四皇の一角、赤髪のシャンクスに消えねぇ傷を負わせたのは……ティーチだ。シャンクスは若い頃から名の知れた実力者だった。そいつの、顔に、深手をおわせて、ティーチは生き続けてきたんだぜ。……あいつは……実力を隠していると、おれは思う」

「……うん」

 

 腰元へ手をのばし、ナイフの柄をなでる。ウロコのような彫りが入った、つめたい感触。サリーがこの世で二番目に信頼する相手なら、このナイフは、この世で一番、私が信頼する相手だった。

 裏切らない相手、という意味じゃない。

 最後の最期の土壇場に、私がどれほど遠慮なく、頼り切れるか、という意味で。

 

 きっと今年の航海では、このナイフの出番が多くなる。

 

「サリー。一年経っても私がここに来ねぇとき、私の財産はぜんぶ、お前のものだ。せいぜい大事に使えよ?」

 

 指の先を突きつければ、サリーは黙った。まだ何かを言いたげだったその口が、不恰好にニヤリと歪む。

 

「マジェルカ。半年経ってもお前が来なけりゃ、おれはお前の財産、ネコババし始めるぜ? それが嫌なら………せいぜい止めに来るんだな」

 

 いつもの別れのあいさつが、今日はやけに照れ臭い。このやり取りが冗談で終わらぬ予感がするからなのか、まじまじと友の顔を見つめてしまった。

 

 片手をあげて、小屋をでる。

 小屋の中から、私を引き止める声がした。私はふりかえらなかった。

 



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二章 陰謀のアラバスタ
6.ギニャアアアアアオ!


 モクちゃん号の操舵は、ほとんどヨットのような感覚だ。

 なにせ小舟である。

 その上、素材にはすごく軽い木、クウイゴスという木材が使われているらしく、カンタンに飛ぶ。

 

 とくに、三角形をした帆、〝縦帆〟を張っている間は気が抜けない。ひとつ風をつかみ損ねれば、波に持ち上げられてしまい、舟ごとポオンと投げとばされてしまうのだ。

 その代わり、たとえ嵐で水没してしまったとしても、またふたたび浮いてくる。

 

 モクちゃん号を作ってくれた船大工は、私の人生にとびきり似合いの舟だと笑っていた。

 転んで飛ばされ沈むけど、絶対にまた、うきあがる。

 私はふつうに浮きっぱなしの人生でよかったのだが、彼からすると浮き沈みの激しさこそ、私という人間そのものだと思えたそうだ。

 

 ロープの張り具合で、帆のテンションを調整する。ピンと張れば風をつかみ、ゆるめれば風を受け流す。三角帆にいたっては、さらに左右からの引っ張り具合を変えることで、風向きにあわせた微調整が必要だった。

 たった3畳ほどの舟の上、いつも1人で大忙しだ。

 

「うっわー!」

 ボダボダボダボダッ!とあたりの海面が凹みはじめ、何が起きたかと思えば。

 快晴の空からふってくるのは、雹!

「イッテ、イッテェ!」

 5センチほどの氷の塊が、ふって………きたかと思ったら、これ、氷じゃねぇな?

 

 モクちゃん号は強い舟だが、強いのは舟だけじゃない。2つの帆とロープもまた、世界屈指の強度をほこる〝八つ足神〟の糸で作られた、〝無尽布〟と〝不断線〟。

 覇気をまとった刃物でもって、本気で斬りつけなければ傷もつかない。

 放っておいていい。

 

 問題は、舟の後方。

 床がタイル張りになった、シャワースペースがわりの一角である。

 あのタイルだけはふつうに壊れちまう!

 

「待て待て待て待て!」

 だれにともなくそう言って、身をひるがえす。あまり勢いよく移動すると、その反動で舟がひっくりかえってしまう。静かにすばやく、帆の下をくぐって後方へ。

 

 ナイフを抜き、落ちくる雹の、ひとつひとつをていねいに切り砕く。

 これもまた、勢いよくナイフを振るうと、その風圧でモクちゃん号がひっくり返るためである。帆がはってあるときは、どう頑張ってもムリ、ダメ、絶対!

 

 ピンク色をした雹が、パラパラ砕けて、タイル張りの上におちる。日差しを透かしてキラキラする様は、宝石のかけらが舞い飛んでいるようにも見える。見惚れる余裕はないけどな!

 

 前方の甲板には容赦なく、ガゴンガゴンとふりそそいでいるが、問題ない。船体にオージュ・アダムという木材がミックスされたモクちゃん号は、とても強いのだ。

 

「あばっ?」

 帆にぶつかって、はね飛ばされたのだろう。頭をめがけ、雹が一個とんでくる。なんだよこのやろう。

 くるりと手首をひらめかせ、キャッチすればやっぱり、冷たくない。

「んーん?」

 踊るように足を上げ、床のタイルを打ち壊そうとする、ピンクの雹をやさしく蹴り飛ばしていく。氷じゃねぇみてぇだが、なんだろうこれ。キャッチした一粒を、ためしにぺろりと舐めてみた。

「あま!」

 飴玉の雹だ!

 

 ようやく雹をやりすごし、その一個をくちに含んで、舌でころがす。ほっぺがボコンとふくれてしまう、大きな飴玉はイチゴ味だった。

 んーん、んまい!

 

 イチゴ味の飴玉が、空から降ってきた。なにも、ファフロッキーズなどの、特殊な現象ではない。ただのグランドラインの天気のひとつ。

 甲板にコロコロ転がる飴玉をひとつひとつ集めていると、むこうの空では黄色い霧が発生していた。ありゃやべぇ、カレー霧じゃねぇか……!

 

 スパイスをブレンドしたような、いい匂いをさせる霧。匂いをさせるだけなので、特別な害はない。ただしあれに捕まると、なにもかもが黄色に染まる。さらにはカレーの匂いが数日、こびりついて臭うのである。

 

「あれはヤダ」

 棒立ちになって、舌をだす。ぬれた舌先にぶつかる風を、かんじとって読み解くためである。

 グランドラインの風は、世界一、気まぐれだ。決まった方向にながれることはなく、常にあっちへこっちへ入り乱れる。

 おかげで少し待つだけで、行きたい方に導いてくれる風も吹く。

 ただし、吹きつづけることもないため、たった一瞬を逃してはいけない。

 

 クー、クー、と渡り鳥がとんでゆく。その一匹をめがけて、ザバアと海面を割り砕き、奇怪な姿の巨大魚が大口をあけてとびあがる。

 間一髪。

 翼をはばたかせ、器用に急停止した鳥のクチバシすれすれを、海王類の体がうねりながら通り過ぎた。

 バシャンバシャンと波がおしよせ、モクちゃん号はグラグラゆれる。

 よし。あっちだ!

 

 本日の天候は、サイクロンのち晴れのち飴玉。

 すべてを嚙みくだく暴風の天柱、サイクロンに出会ったおかげで、舟はおおきく前進した。

 

 サイクロンは、この海の暴君だ。

 大型船さえ巻きあげて、船の乗組員〈クルー〉が気づかぬうちに、船ごと粉砕してしまう。飛び散らされるミンチなんて、細かすぎてだれがどれだかわからない有様となること間違いなし。

 

 ただしそのサイクロンにも、攻略法はある。

 あまりに莫大なエネルギーが、あまりに狭すぎるスペースに封じられているがゆえ、サイクロンは不安定な存在なのだった。持続時間は、長くても30分。

 

 そのおかげで、サイクロンと出会ってしまった100隻のうち、1隻くらいは難をのがれることができる。とってもものすごーく運が良ければ、ミンチにならずに済むのである。

 

 たった一度の邂逅ならば、運だのみもいいだろう。しかしサイクロンはこの海のどこにでも現れ、いつでも発生する。

 グランドラインを航海する上で、対抗策がなにもないのは不安が募る。

 

 私は、このサイクロンの不安定さを逆手にとる、サイクロンの攻略法を見つけた。

 その名も、〝サイクロンを踏み台にするキック〟。

 

 まずはモクちゃん号ともども、己のすべてを、覇気というエネルギーによって強化する。わざとサイクロンに巻き込まれた上で、浮かびあがり、粉砕されるその直前。

 サイクロンを蹴るのだ。足で。至近距離から、思い切り。

 

 サイクロンは、竜巻のような上昇気流と、ダウンバーストのような下降気流の、二重構造になっている。

 ありえない組み合わせだからこそ、安定性にとぼしく、一歩まちがえれば、崩れ去る。

 そこまで分かれば、あとは斬撃をともなう強い〝キック〟で、その〝一歩の間違い〟を作ってやればいい。

 

 不慮の一撃によってバランスを崩したサイクロンは、爆発のような暴風を周囲にまき散らして、霧散する。

 その〝暴風〟をうまくつかめば、ただでさえ飛びやすいモクちゃん号は、勢いづいて飛んでいくのだ。

 ポーンじゃない、バビュンでもない、キーン!と、まるでホームランボールのように。

 

 きーもちんだよなぁー、あれ!

 

 時には、海中にいる海王類さえ、空高くへとまきあげて、骨も残さずすりつぶすほどのエネルギーを持つのがサイクロン。その動力を〝踏み台に〟するのである。

 舟は、短時間で、とてつもない距離を進む。

 

 あと五日はかかるだろうと思われた目的の島も、もう、すぐそこだ。

「お」

 肌にふれる空気が変わる。島の〈気候海域〉に入ったらしい。

 

 人工ではないグランドラインの島々は、その近海にまで、島固有の気候が定着する。そのエリアを〈気候海域〉と呼ぶのだが、この夏島の気候海域は強烈だった。

 

 たった今、入ったばかりだというのに、いきなり暑い。温暖なグランドラインの沖合と比べても、はっきりと気づくほど、急に暑い。

 

 太陽ごと空が入れ替わったかのようだ。

 甲板に転がっていた飴玉のカケラたちが、とつぜんべチャリと溶けはじめる。

「あっ! あーあーあー!」

 やめろ! 舟に張りつくじゃねぇか!

 

 慌てて掃除をしている内に、舟は、島へ相当近づいていた。

 ゾン、と海面がもちあがる。

 花のつぼみが豪快にひらくがごとく、ザッパアアア……ン!と、はじき飛んだ海水の中から現れたのは、巨大な猫。

 

「ギニャアアアアアオ!」

 

 波を震えあがらせるような雄叫びだった。

 

 猫である。デカすぎるものの、どう見ても猫である。

 海面からのびあがるのは、白い毛並みの、巨大なわき腹。そして肝心の腹部には、エメラルドグリーンの鱗がびっしり煌めいてる。

 

 立ち上がって見上げても、顔など見えない。どうにか見えた猫らしきヒゲも、一本一本が、私の腕より太そうだ。モクちゃん号を一口で丸呑みにできそうな下顎は、しかし猫らしく、もにゅんもにゅんしている。

 

 上半身は、哺乳類。下半身は、魚。

 このグランドラインにのみ生息する巨大生物、〈海獣〉の一種だった。

 たしか、そう、こいつの名は〈海猫〉。

 

 勢いよく出てきてくれやがったものだから、海面がうねりにうねる。小舟は、前後左右にグラグラゆれる。

 おまけに海猫の体毛からは、まるきり滝のように、海水のしずくがドッシャアアア!と垂れ落ちてくる。

 

「グルルルルルゥ?」とのどを鳴らして、海猫がグウッ、と下を見た。びしょ濡れになった額をグッと拭った、私の視線と視線がかちあう。

 

 海獣は、強い。

 パワーも体格も、小型の海王類では相手にならないほどである。

 さすがに、海上での戦いならば私も負けはしない。ただし。水中に引きずりこまれてしまったら、どうなるか断言できなかった。

 

 こいつら、哺乳類の上半身をもっているというのに、水中での呼吸が可能なのだ。なおかつ、陸上での呼吸もできる。

 肺呼吸なのかエラ呼吸なのか、そもそも呼吸をしているのか、すべてが謎に包まれた存在だった。そのミステリアス具合から、場所によっては〝神〟とあがめられることすらある。

 

 海猫は、私の行く手を妨げるように、島を背にして静止する。こいつ立ち泳ぎうまいな。

 日光をキラリと弾く、濡れた毛並み。この腕をめいいっぱい広げても、まだ余るだろう、巨大な猫目がほそめられ、

「ギニャアアアアアアオ!」ともう一鳴き。

 

 先手必勝である。

 私は動いた。

 ぐ、と腹に力を入れ

 

「私はマジェルカ! シェルディーナ・マジェルカ! 旅人だぁ! サンディ島には、友人に会いにきたぁ! しばらくの間ぁ! 邪魔するぜっ! どーぞ、よろしくっ!」

 

 ぺこりと一つ、会釈する。

 

 島の気候海域をナワバリとする海獣は、その島の守り神。

 そう言われるには訳がある。

 なぜかしら、海獣は自分のナワバリへ入ってきた人間の船を、様子見にくるのだった。

 

 襲うつもりならばはじめから、船を壊すことなど造作ない。海中から噛みついてもいい、すれちがいざま体をこすり当てるだけでもいい。魚の機動力と、海王類にならぶ異常なウェイトとパワーをもつ海獣ならば、一瞬でカタがつく。

 

 しかしなぜだか海獣たちは、みながみな、わざわざ、〝うっかり人の船を壊してしまわないように〟そうっと海上に顔をだし、相手の出方を観察するのである。

 先ほどの〝ザッパアアア……ン!〟も、海獣からすれば〝そうっと〟の内に入る。

 

 彼らはきっと、人より賢く、人より心がデカイのだ。

 ナワバリとは、自分の家。断りもなく自分の家に入りこんできた生き物のことを、邪険にせず、攻撃せず、まずは互いを知ろうとする。

 

 巨大な猫の上半身は、私のおじぎに一拍おくれて、ぺこりと会釈を返してきた。まだ残っていた海水が、毛の先からボッタボッタと落ちてくる。

 水を受けとめたモクちゃん号は、もう、タップタプだ。沈んでるんだか浮いてるんだかわからないほどだが、なぁ、私の舟を沈めにきたワケじゃねぇんだよな?

 

 私の名乗りに、納得してくれたらしい。海猫は、「ギニャアアアアアアアアおおぉぉぉおおぶぶぶ」と声をのこし、ゆっくり海中へと沈んでいく。

 

 最後、これまた巨大な耳にある、ピアスのような部分がキラリと日差しにきらめいて、海獣の姿はみえなくなった。

 

 ざぶんざぶんと乱れた波。

 見通しのよくなった視界には、海猫の腹の代わりに、島の姿が目に入る。

 

 黄金色の島だ。目をほそめれば、日差しにきらめく金塊のよう。

 どこまでも広がる金の大地は、ひたすらの砂漠である。

 

 夏島の中でもことさら強烈な暑さをほこる、砂漠の島、〈サンディ島〉。

 カラカラに乾いた大気のなせる技なのか、その上空には色がない。

 

 サンディ島は、グランドライン前半の中でも一二を争う広大さを誇る。海から眺める今でさえ、異国の空気がどこまでも続いていた。そして、そこに混じる、不穏な気配。

 おかしな世界に足を踏み入れようとしているかのような、いい知れぬ不快感と、興奮が、肌をジリリと焦がす。

 

「いや、アッツ!」

 肌を焦がすのは紫外線かもしれねぇが。



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7.砂の島と白き民

 サンディ島を訪れるのは、これが二度目だ。

 他の海にも行ったことはあるものの、私のホームグラウンドは、グランドライン前半の海。ここで実在が確認されている島は一通り訪れている。

 サンディ島もその一つ。来たのは四年前だったかな。

 

 サンディ島の中央には〝ゴーダの死地〟と呼ばれる灼熱地帯があり、それに分断される形で、サンディ島に住む人間たちのエリアは、北と南に分かれている。

 

 北にひろがる荒野のエリアが、遊牧民・トグルの民がくらす、トグル自治区。前回私が訪れたのは、このトグル自治区だ。

 そして〝ゴーダの死地〟をはさみ、南にひろがる砂漠のエリアこそ、アラバスタ王国。

 

 歴史をさかのぼれば、アラバスタ王国の人々も、元はトグルの民であったらしい。古来より、遊牧を生業としてきたトグルの民は、その一部が新天地をもとめ、ゴーダの死地の向こう側へと旅立った。

 その生き残りとなる子孫たちが、サンディ島の南側へと定住し、アラバスタ王国を拓いたのだという。

 

 自然環境の厳しさゆえに、千年ちかく、アラバスタ王国とトグルの民の交流は途絶えていた。

 それが、ここ10年余りで急激に交流が盛んになったのである。その理由は、ゴーダの死地を通ることなく、海路での行き来ができるようになったためだ。

 

 この海では、あらゆるものを疑う必要がある。

 

 方位磁針は使えない。天体もあてにならない。

 飴玉がふってくるような異常な大気があるせいで、光の歪みがひんぱんに起こる。グランドラインの沖合では、星の位置、月や太陽の方角すらもが幻想だ。

 荒れ狂う海原で、すすむべき方角を指し示すものはたったひとつ。

 

 ログポース〈記録指針〉。

 グランドラインの島々を、直接、指し示す、特殊な方位磁針である。

 

 グランドラインの島々は、それぞれ固有の磁力〈ログ〉をもっている。

 その磁力〈ログ〉は、なぜだか島同士をつなぎ合わせるようにひきよせあっていた。

 

 磁力〈ログ〉でできた見えない線路は、決して横にはつながらない。来た道をひきかえすようなことにもならない。

 必ず、グランドラインの奥へ奥へと進むルートとなる。

 

 ログポースは、各島の〈ログ〉を〝記録〟することで、それと引き合う磁力〈ログ〉の方向を示すもの。

 

 この特性をくみあわせると、ログポースは必ず、グランドラインの島のどれかを指し示すこととなる。

 

 ログポースを使っても、海の厳しさは変わらない。

 波に食われ、風に砕かれ、巨大生物の餌食となり、毎日、何十隻という船が、道半ばにして沈んでゆく。ログポースがあればどこへでも行けるというわけではない。

 

 それにしたって、あるとないとじゃ大違いだ。

 ログポースは何もない暗闇に照る、月のようなもの。ログポースがなければ、船乗りはただただ闇に呑まれてしまうこととなる。

 

 『親兄弟を疑おうとも、ログポースだけは疑うな』。

 こんな格言がうまれるほどに、グランドラインを航海する上で、ログポースは欠かせない存在だ。

 

 そんな魔法の道具のようなログポースにも、欠点はあった。

 〝向かう島をえらべない〟こと。

 

 ログポースに、島のログを記録させることを、〝ログを溜める〟という。

 溜め方はカンタンだ。〝一定期間、同じ島にいつづける〟ことで、勝手にログは溜まる。

 これこそが最大の利点であり、欠点でもある。

 

 一度ログが溜まってしまえば、針が指ししめすのは、別の島。

 船乗りは〝ログがたまる〟からこそ、ログポースに従って、次の島へ移動することができる。

 ただし、〝ログがたまる〟からこそ、一度出港したら、元の島にもどることができない。

 

 船をつかって、おなじ島の反対側へ行こうとしたとき、ログポースは全くこれっぽっちも役に立たないのであった。

 

 そこで活躍するのが、エターナルポース〈永久指針〉。

 これもまた、グランドラインの島々を直接さししめす、特殊な方位磁針である。

 

 ただしこちらはログポース〈記録指針〉と異なり、〝ログがたまらない〟〝指し示す島が切り替わらない〟。

 その代わり、〝ログを失わず〟〝ログを奪われず〟永遠に一つの島だけを示しつづける。

 

 大昔からあるにはあったらしいのだが、王侯貴族のみが知る、特殊な一品だったらしい。

 これが、大海賊時代がやってきたおかげで、あるいは、そのせいで、庶民の手にとどくようにもなってきた。

 国をつぶした海賊どもが、王族から奪いとったエターナルポースを、じゃんじゃん、売り払ったのである。

 

 多く流通しはじめれば、パチモンを作る奴らも現れる。

 パチモンを作りつづければ、製作技術も向上する。

 そうして今では〝一般的な〟裏商店をのぞいただけでも、安いものなら一個50万ベリー前後で手に入る。

 

 ホーシズホープスを出た私が、まっすぐサンディ島へ来れたのも、サン・ファルドで仕入れておいたエターナルポースのおかげである。

 

 すこし目端のきく新人海賊団ならば、一つ二つはもっているものだ。それを目撃した一般庶民は、〝エターナルポースという物がこの世にはあるんだなぁ〟と知ることになり、知ればだれかに話もする。

 うわさがあまりに広まれば、王侯貴族はエターナルポースの存在を隠し通せなくなっていく。

 

 ここ三、四年では、エターナルポースを利用した国家事業、なんていうのも、よく目にするようになってきた。

 他のやつらが知っているかどうかは知らないが、多くの島を行き来している私からすると〝またここでもやってんのかぁ〟という感想がでてくる程には盛んである。

 

 サンディ島・アラバスタ王国にある、ヴァメルも、その流れの一環でできた港町だった。

 

 海にドンッ!と現れた、黄金にきらめく砂漠の島。ポケットに入れておいたエターナルポース〈永久指針〉は、震えんばかりの強さでもって、あれがサンディ島だと指し示している。

 

 さきほど、〈海獣〉海猫が、私の舟に注いでくれやがったタップタプの海水を、洗面用のタライでせっせと外にかきだした。まだ3センチ程度、水が残っているが、この暑さだ。すぐに乾くにちがいない。

 

 三角帆はもうたたんである。メインマストの横帆だけでのんびり進んだモクちゃん号は、ジリリと強烈な夏日のなか、まばゆい港へ近づいていた。

 

 白い。

 砂漠の中で、ぽっかり白い町がある。

 

 砂漠の国・アラバスタ王国も、数年前から、エターナルポースを利用した国家事業を推進している。民間にサンディ島のエターナルポースを貸し出して、おなじ島の港どうしの交易を推奨しているのだ。

 

 その皮切りとして、島の反対側に住む遊牧民、トグルの民を、船をつかってアラバスタ王国へ招待した。

 四年前、私が世話になったトグルの民のおっさん、ドジョーは、おれは船にのってアラバスタ王国へ行ったことがあるのだと、毎日毎日、自慢していたものだ。毎日毎日、食事のたびに。あれはしつこかった。

 

 トグルの民の一部はそのままアラバスタ王国に残り、トグルとアラバスタの文化を融合させた、あたらしい町の開拓に着手したのである。

 その町こそ、あの白き港町、ヴァメル。

 

 かつてドジョーから聞いた通りの、清廉とした町だ。

 なんでも、トグルの民が信仰する、〝最高神〟を示す色が白であるらしい。〝最高神〟は夜明けを象徴し、友愛と親愛と………あとなんか色々なものを司っていたはずだ、たぶん。

 アラバスタ王国とトグルの民の友好をしめすため、ヴァメルの港は白で統一された町となっている。

 

 ドジョーは別れ際、そのうちヴァメルに移住しようと思っていると言っていた。

 得体の知れない旅人である私なんかを、よく世話してくれたような男である。好奇心は強く、行動力がある。移住すると言ったらするだろう。

 あの白亜の建物のどれかに、ドジョーがいるにちがいない。イカツイ顔をしているくせにユーモラスなあのおっさんは、元気にしているだろうか。

 

 海岸の一部は、きれいに整備され、波止場のようになっている。

 その奥にたちならぶ、白亜の建物と、敷きつめられた白い砂。トグル自治区で見覚えのある、独特な衣装の人々が行き交っていた。

 真っ白い、忍者装束である。……いや、ほんとに、それっぽい。

 

 白い頭巾と、白い上下。ゆったりとした上着やズボンは、裾口だけがきゅっと絞られている。砂漠の砂がはいらぬための工夫だ。

 

 そんな忍者っぽい服装に反し、トグルの民は皆が皆、ムチ使いである。

 草を刈るのもムチ。動物を刈るのも、ムチ。料理のためになにかを切るのも、ムチ。

 彼らの住む荒野、〈パーグゥの地〉では鉄がとれない。そのため刃物をつかう習慣がなく、代わりにムチが愛用されている。

 

 当たり前だが、ふつうは、ムチで肉を切ることはできない。私がみたところ、トグルの民の大人たちは、ほとんどが覇気使いだった。

 

 覇気という、万物に宿るエネルギー。それを引き出し、コントロールし、ムチを強化して、トグルの民は日々の暮らしに役立てている。

 本人たちはそれを、〝コツ〟と呼んでいた。この言葉の意味は、〝ちょっとしたコツ〟。

 

 〝覇気使い〟とは、このグランドラインでも数が少ない、〝超常的なエネルギーコントロールを行える術者〟だ。

 地方によって呼び名が異なるものの、覇気を使えるならば、海軍でも一気に将官へ昇進できる。覇気使いは、どの地域でも〝武人の最高峰〟として扱われる。

 

 その〝超常的な術〟を、トグルの民は〝ちょっとした生活のコツ〟と呼び、本当に〝ちょっとした生活のコツ〟として、みんながみんな日常的に行使しているのである。

 

 トグルの民に自覚はない。彼らが覇気をあやつる事どころか、トグルの民の存在自体、グランドラインではあまり知られていない。

 あらゆる意味で、トグルの民は、知られざる強者集団なのであった。

 

 白い頭巾を頭に巻きつけ、白い忍者装束のようなものを着た男が、タッタッタ、と波止場に向かって駆けてくる。その腰元にはやはり、ムチの柄のようなものがさしてあった。ヴァメルの港に住む、トグルの民なのだろう。

 

 強者ゆえの余裕なのか、トグルの民はみながみな、人がいい。そしてとても、のんびりしている。

 見ず知らずの者もあっさりと受け入れるが、のんびりしているが故に、熱烈な動作をすることもなかった。

 感情の表現が、とてもゆるやかなのだ。なれるまでは全員が全員、いつも不機嫌なのかと勘違いしてしまうほどだった。

 

 そのトグルの民が、波止場のギリギリまで駆けてきて、こちらに腕をふっている。

 おーいおーいと呼ぶように、両腕をかかげて派手に動かしている。

 なんだ?

 

 とりあえず、手を振りかえした。

 ちがうちがう、と言うように、港の人影は腕でバツマークを形取った。

 グッと頭巾の口元をひきずりおろし、何事か叫んでいるようだ。

 

 追い風はゆるやかである。メインの帆はそのままに、オールを一本だして、立ったままのんびり舟をこいだ。

 小舟が港にちかづくと、男の声がきこえてくる。

「あんたぁああああ! ここはダメだぁああああ!」

「ん?」

 

 島の近海、気候海域に入ってしまえば、風もゆるやかなもの。こうなると、私の操舵のウデが如実にあらわれてくる。

 

 モクちゃん号はなぜだか絶妙に曲がってゆき、トグルの民の男の元へ、まっすぐ向かおうとしない。うーん?

 痺れを切らしたように、男の方が、モクちゃん号に合わせて歩きだした。

 

「ここは、ヴァメルの港だー!」

 やっぱり、ここがヴァメルか。狙い通りにたどり着けた。幸先がいい。

 男は口元に手を当てて言う。

「他の港へ行けー!」

 拒絶されてしまった。幸先が悪いな……。

 

「私は入っちゃいけねぇのかぁ!?」

「あっ、あんた外から来た人かー! ここの港は今ー! 封鎖中だー!」

「うっそ?」

 

 モクちゃん号の帆をたたみ、オールだけでプカプカ進む。小波にあそばれるまま、岸に沿ってゆらゆら進む私の小舟の速度にあわせ、トグルの民の男性は、歩きながら教えてくれた。

 

「なぁ、目の錯覚かと思ったが……あんた、肌が……真っ黒だ……!? なにがあった、火傷か? その舟も、小さすぎる。それでは外海を渡れない。近くで船火事でもあって、逃げてきたのか?」

「ちがうちがう。私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカ、旅人だ! ものっすごく強いんでね、この小舟で海を行き来してる」

「……さすがに分かるぞ。冗談だろう?」

「この肌の色は、うまれつき! 健康丈夫、自慢の肌だ! 火傷でもない、病でもない、残念ながら魚人でもない。チョコレートみたいで、セクシーだろ?」

「……うまれつき……?」

「あれっ? もしかして、この島じゃあ、珍しいのか?」

「他の島では、それがふつうなのか……? おれは聞いたこともないよ」

「へーえ、この街にはいないのか、私みたいな肌の奴。だからそんなに驚いてるんだな?」

「このサンディ島にはいないと思うぞ……? しかし、そういう民族もいるのか、世の中には……! 知らなかった、失礼した」

「いいさ、いいさ! 気にするな! 心配してくれてありがとう!」

 

 この肌、この島にはいない、というか、世界に私しかいませんけどね。

 

 この海では情報の行き来がすくない。〝外の島じゃふつうなんだな〟と一度、思い込んでくれたなら、そのカンチガイが訂正されることはないだろう。

 相手からすれば、私は、ただでさえ、得体の知れない異邦人。

 余計な疑念を減らすにこしたことはない。

 

 アラバスタ王国は今、三年にもおよぶ大干ばつにみまわれている。それにともない、反乱軍が結成され、王の真意を明らかにするという大義の元、各地で武装蜂起が行われているそうだ。

 

 干ばつと反乱の件は、新聞で読んだ。トグル自治区にはどちらの被害も及んでいないようだったため、あまりに気にしていなかったが、事態は深刻化しているらしい。

 

「〝王の真意〟ってなんのことだ?」

「さぁ……おれはアラバスタの民じゃない、トグルの民だ。ああ……トグルの民というのは、」

「知ってる知ってる、昔この島に来たとき、トグルの民のドジョーっておっさんに、世話になったことがある」

「そうなのか。前にも来たのか。その小さな舟で……!?」

「反乱軍は、干ばつを、王のせいにしてるってことか?」

「いいや。おれも聞きかじっただけだが………」

 

 干ばつにみまわれているのは、アラバスタ王国のとある一ヶ所をのぞいた全地域。

 その、渇きをまぬがれた一ヶ所というのが、王のおわす、王都アルバーナであるという。

 

 二年前、アラバスタ王国の主要な港町、ナノハナで、積み荷がばらまかれる事故があった。

 町中にとびちったのは、銀の粉。

 運んでいた人員は、こう叫んで、どこぞへ姿を消したという。

 『王宮に運ぶはずの、ダンスパウダーが、飛び散ってしまった』と。

 

「ダンスパウダー……!」

「あぁ、あんたは知ってるのか。おれはこの事件ではじめて聞いた。学がなくてはずかしい……。トグルの民は砂漠の民だ。砂漠を生きぬく知恵ならば負けないが、それ以外には、少しうとい……」

 

 モクちゃん号の舳先が、一歩間違えれば、島の沿岸にふれそうなほどの近さである。相手が陸にいるとはいえ、気まずげな男性の表情まではっきり見える。

 しかし、知らぬことを恥じる理由はないだろう。なぜならダンスパウダーは、文明から存在を否定された発明品だ。

 

「ダンスパウダーを使うと、他の場所から雨をうばうことができると聞いている。それで……アラバスタの王が、他の町から雨を奪っているという、疑いがもちあがった。アラバスタ全土でつづく大干ばつは、国王がダンスパウダーを使っているせいだと………。反乱軍は、そのために結成されたんだ。王の罪をあばくため、もしくは、王の潔白を証明するために」

 

 チャプチャプと、波は舟とぶつかりあう。チキュウの知識を呼び起こそうと、海の彼方に視線をとばす。

 

 チキュウのマンガ、〝ONE PIECE〟の中では、主人公ルフィの率いる〈麦わらの一味〉が、アラバスタ王国を訪れていた。

 目的は、〝王下七武海を倒す〟こと。

 

 キーマンとなるのは、アラバスタ王国出身の少女・ビビ。

 ルフィ率いる海賊団、通称・麦わらの一味は、グランドラインを航海する中、とある島で、ビビと出会う。

 ビビが故郷をはなれ、海に出たのは、〝自分の故郷に入りこみ、支配しようとしている、王下七武海を倒すため〟というものだった………はずだ。

 

 その夢を後押しするため、麦わらの一味はビビの故郷・アラバスタ王国を訪れ、そこに跋扈する海賊、王下七武海の1人を倒す…………というストーリーだった、はずだ、たぶん。

 

 〝ONE PIECE〟の知識を思い出したのは、2歳の頃。それから約20年、人生いろいろあったので、細かいところは忘れてしまっている。

 主人公ルフィが描かれたイラストの構図ならばわりと鮮明に覚えているが、記憶があいまいになった部分も多い。

 

 ダンスパウダーなんて代物、〝ONE PIECE〟に出てきていただろうか。



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8.破滅の粉と無色の瞳

 私がサンディ島へやって来たのは、マンガ〝ONE PIECE〟の内容をアテにしてのことだ。

 ONE PIECEには、アラバスタ王国へたどり着いたルフィが、エースと対面するというシーンがある。

 エースとは、あのエース。

 白ヒゲ海賊団二番隊隊長、ポートガス・D・エース。

 

 マンガ〝ONE PIECE〟の内容の多くは、未来の予言となっている。すでに起こったできごとを〝ONE PIECE〟の時系列とかさねれば、ルフィとエースの対面シーンは、これから起こる〝未来の出来事〟。

 アラバスタ王国で待っていれば、遠からず、エースがやってくる。

 

 実際に、2人が出会う地点は忘れてしまった。しかし私は、見聞色の覇気がつかえる。加えて、アラバスタ王国の情報屋をたよれば、エースの所在はつかめるだろう。

 

 エースは、白ヒゲ海賊団の最高幹部である。めったにいない凶悪犯であり、なおかつ、海の皇帝〈四皇〉のうちのひとり、白ヒゲの側近の1人。注目をあつめないわけがない。

 少なくとも現地の情報屋が、この男を無視するわけもなかった。

 

 ルフィに会ったことはないが、エースには会ったことがある。居る町さえわかれば、見聞色の覇気をつかい、本人をさがすことは造作ないはずだ。

 

 人の体質が年齢とともに変わるように、その人物がもつ気配も、おおきく変わることがある。エースに会ったのはもう、三年も前のこと。あの頃とおなじ気配かどうかはわからなかった。

 しかし、悪魔の実の能力が放つ気配は、一生変わらない。

 

 エースは、〝自然現象に変化できる能力〟をもつ、ロギア系・悪魔の実の能力者である。

 

 悪魔の実は、希少な果実。

 その中でも、ロギア系・悪魔の実は、ことさらに数が少ない。

 ロギア系の気配をたどれば、エースをとらえることも、そう難しくはないはずだ。

 

 ONE PIECEの主人公である、ルフィもまた、悪魔の実の能力者である。こちらはパラミシア系。

 動物に変化できるゾオン系でもない、自然現象に変化できるロギア系でもない、系統だっていない能力が〝パラミシア系〟とくくられる。

 

 通常、見聞色の覇気で感じとれるのは、生物の気配のみだと聞いている。

 しかし私の場合、なぜかは知らないが、悪魔の実の能力だけを感じとり、そのおおまかな種別を見分けることができる。

 

 この島でロギア系とパラミシア系の悪魔の実の能力者が、親しげに話している気配があったら。

 それは高確率で、エースとルフィだ。

 

 うろ覚えの〝ONE PIECE〟知識では、サンディ島での、エースの細かな動向はわからない。しかし私の見聞色の覇気をつかえば、問題なくエースと会えるだろう。

 

 冒険物語の主人公であるルフィは、いつでもどこでも事件を起こす。彼の気配を覚え、ルフィのそばへ近寄らぬように気をつけてさえいれば、トラブルにも巻き込まれないはずだ、と、アタリをつけていたのだが。

 

 ダンスパウダー。ここでその名を聞くとは思わなかった。

「……ダンスパウダーなんつう代物が話題になってるのか……」

 厄介ごとのニオイしかしねぇ。それも、国中をまきこむ、厄介ごとの。

 

「やはり、良くない粉なのか、ダンスパウダーは」

 陸地の方へと視線をもどせば、白装束の男性が、かすかに眉をしかめていた。表情の変化がすくないトグルの民の基準でいえば、ものすごく苦渋に満ちた表情だといえる。

 

「雨をうばう粉なのだろう? 今はまだ、トグル自治区に影響はないが……もし本当に、アラバスタの国王が、ダンスパウダーをつかっているとして………それが続けば、おれたちの荒野……トグル自治区も、干ばつに見舞われるように、なるんだろうか」

 

 知らず知らず、手が腰元のナイフに伸びていた。ナイフの柄を、そうっと撫でる。

 考える時のクセだった。

 真実を、言っていいものだろうか。言わなければ言わないで、不安を暴走させてもよろしくない、のか?

 ウロコのような凹凸をもつ、私のナイフの冷たい柄。迷うくらいなら言っちゃえよ、と私のナイフが言っている、ような気がする。

 

「あー………のよ。ダンスパウダーが、雨を奪う粉だっていう話は……デマだ」

「………デマ? うそなのか」

「ああ。ダンスパウダーの使い方、知ってるかい?」

「知っている。ダンスパウダーは、燃やして、煙にして、空にあげると、雨雲をつくる。ダンスパウダーは、雨を降らせる粉だ。ただし、その雨は、他の場所でふるはずだったもの。………ダンスパウダーを使うと、他の場所から、雨を奪う形になる。………あっているか?」

 

 あっている、と言えばあっている。

 世界政府が公表しているダンスパウダーの説明は、この男の言う通り。

 しかし、その〝公表された事実〟そのものがデマなので、正確な情報ではなかった。

 

「あー……。信じるか信じねぇかは、あんたに任せよう。世間でひろく信じられている、ダンスパウダーの実態は、あんたが今言った通り。ただ……私の知る限りでは、ダンスパウダーでは、雨を降らせることはできない。雨を奪うこともできない」

 

 トグルの民の男性は、澄んだ眼差しで私を見た。ふだん見ているものが瞳に宿るのか。その静謐さは、砂漠の空の無色さに似ている。

「おれの聞いた話とちがう。説明を」

 

 どこから話したものか、どこまで話すべきか。頭の中をまさぐって、言葉を放った。

 

「有り体にいえば、ダンスパウダーは失敗作だ。雨雲ができるほどの上空どころか、その煙は、上にのぼっていかない」

 男性はまばたきをする。私は続けた。

「上に行かず、地面にとぐろをまいた煙が、雨を呼ぶと思うか?」

「……上に昇らない煙、というのが……想像できない」

「まぁ、そうだよな」

 

 男性はつかのま、足を止めた。モクちゃん号がプカプカと、わずかに先行する。

 

 世界政府は、この世の覇者だ。彼らが公表した内容こそ、真実とされる。たとえ事実と違っていようと、政府の発表が正義なのだった。

 アラバスタ王国は、世界政府の加盟国。そのアラバスタの民であれば、私の話を信じないだろう。

 

 トグルの民の立ち位置は、特殊なものだった。トグル自治区は、アラバスタ王国の一部として、世界政府からの承認をうけている。

 加盟ではなく、承認だ。加盟国ではないが、非加盟国でもない。

 ある種、世界政府の影響がもっともうすい地域である。

 

 トグルの民からすれば、私の話も、世界政府の公式発表も、どちらもおなじように〝余所者の言うこと〟。受けとる個人の感覚として、ことばの重みに大した違いはないだろう。

 

 彼の心の中の天秤が、落ち着いたらしい。特別急ぐこともなく、男はふたたび歩き出す。

 

「………あんたのいうことが本当なら、アラバスタの反乱軍は、大変なあやまちを犯しているということだ」

「そうとも言えない」

「なぜ」

「ダンスパウダーで雨を生むことはできない。ただし、ダンスパウダーを煙にして、焚きあげると……別のものが生まれる」

「なにができる」

「………死の霧。すべての生きとし生けるものに、破滅と苦痛をあたえる、霧………」

 

 心地よい潮風と、痛いような夏の日差し。説明をもとめる男の視線には気づいていたが、私はこれ以上、話すつもりはなかった。

 口に出したくもない。

 

 ダンスパウダーの名の由来は、雨を降らせることに成功した人々が、よろこびのあまり、踊り狂ったから………という説もあるが、あれはとても優しい嘘だ。

 

 裏社会には、様々なものが出回る。世界政府が発行を禁じた、書籍のたぐいや、世間から抹消された記録書などもその1つ。

 

 どうして私の肌は黒いのか、かつて、己の肌の由来について知ろうとし、本を読み漁ったことがある。それらしい専門書をあらかた読んでも一切記述がなかったため、闇マーケットに流通する禁書のたぐいに手を出した。

 

 闇マーケットに出回る禁書は、試し読みができない。内容に目を通せるのは、購入したあとだけだ。あらすじなどもわからずに、タイトルだけで内容を推測せねばならない。

 そのせいで、関係のない本まで買うはめになった。

 ダンスパウダーに関する実験記録も、そうして偶然、手に入れたもの。

 私の読んだその冊子は、ダンスパウダーの開発チームに所属していた、ある科学者の手記である。

 

 世界政府の肝いりで、人為的に、天候を左右するためのプロジェクトが立ち上がる。

 その第一弾が、雨を呼ぶ粉の開発。

 理論上は完璧な出来栄えだったらしい。

 実験地として選ばれたのは、干ばつに苦しむ、ウェストブルーのとある王国だった。

 

 実際に炊き上げられたとき、特殊な加工をほどこされた銀が、大気中で、どんな化学反応を起こしたのか。開発者の1人である手記の主は、あらゆる仮説を立てていた。ただしどれも、推測の域をでないことに、本人も文中で歯噛みしていた。

 

 ダンスパウダーを炊き上げた、その直後である。風下にいた人間たちが、突然おどりだしたらしい。

 まだ雨は一滴もふっていない。何事かと、彼らに近づいた研究員のひとりは、おなじく突然おどりだした。

 そして踊りながら、服が、皮膚が、目玉が耳が、溶けていったのだという。

 

 ダンスパウダーは、目にも見えないほど細かな、特殊な強酸の霧となって、ふれるすべてを溶かしていった。

 彼らは踊っていたのではない。

 強烈な痛みをもたらす、目に見えないなにがしかを、必死で振り払おうとしていたのだ。

 

 偶然にもその時、風上にいた手記の主は、すぐさまその場を離れた。そう、ダンスパウダーを燃やしつづける炎を消すこともなく。

 

 あまりの惨劇に気が動転して、ということならまだ許す余地もある。手記を読んだ限りでは、〝実験データをとるために〟あえて放置したようだった。さすが世界政府の研究員、反吐がでる。

 

 そんな奴らだからこそ、臆面もなく、ダンスパウダーなどという名前をつけられたのだろう。

 

 実験地となった、ウェストブルーの一国は滅んだ。ダンスパウダーは雨をふらすどころか、上空に舞い上がることさえなく、見えない破滅の霧となり、地上をなぶり続けたらしい。

 被害はその国だけにとどまらず、周辺諸国にも死人が山ほどでたという。

 

 現在ダンスパウダーは、世界政府によって、製造、所持、使用のすべてを禁止されている。製造法に関して〝知ろうとする〟ことさえご法度だ。

 禁止されているその理由は、〝雨を奪い合うことで戦争が起こったから〟。

 

 唯一ダンスパウダーを使用した国がその直後に滅んだこと、その周辺諸国にも死人がでたことを、世界政府は、ダンスパウダーによる雨の奪い合いで、戦争が起こったためだと結論づけている。

 

 ダンスパウダーは表向き、雨を降らせることはできるが、戦争の原因となるから禁止、とされている一品なのだ。つけ加えれば、ダンスパウダーの開発に世界政府は一切関わっていないことにもなっている。

 私の読んだ手記の内容と、まったく異なるではないか。

 それでなくとも、世界政府の主張には違和感を覚えざるをえない。

 

 周辺の国どうしで雨を奪いあう戦争がおこった、と言う割に、ダンスパウダーを使用したのははじめの一国だけ。

 本当に雨をうばいあうため、戦争をしたならば、雨をうばい返すためにダンスパウダーが乱用されるはずである。

 はじめの一国をのぞき、ダンスパウダーを使用した記録はなかった。また、国境付近で死人がでた記録はあれど、ダンスパウダーを奪い合おうとした形跡もない。

 

 一見すると無関係な、とある医師の論文のなかにヒントがあった。皮膚病に関する一冊だ。

 〝隣国でおこった干ばつの直後に、国境付近で、ナゾの皮膚病が蔓延した〟という内容である。

 

 そこに記されたナゾの皮膚病の症状は、ダンスパウダーの開発にたずさわった研究員の手記にある、〝ダンスパウダーによって溶かされた人々〟の様子と一致する。

 

 この医師の論文は、ウェストブルーで発表され、数ヶ月後に発禁となった。

 禁書に指定されたその理由は、〝無用な混乱を招くから〟。

 あたらな病気の発見が、〝無用〟なわけがないだろうに。

 

 チキュウとは大きく異なり、この世界のほとんどの地域では、〝国が承認した書物〟しか出版できないようになっている。もしもこの医師の論文が事実無根の内容であれば、そもそも、国の承認を得られず、本になることはなかったはずなのだ。

 禁書にされたことといい、その理由といい、どうにもきな臭い話だった。

 

 私の知見を総合すると、世界政府の公式発表よりも、名もなきクズ研究員の手記にある内容の方が、信ぴょう性が高いと言わざるを得ない。

 

「……アラバスタの王都で、もし、本当に、ダンスパウダーが使われたら。その日のうちにアラバスタの王都は滅ぶよ。まだあるんだろう? 王都は」

「それほどか? 雨の代わりに、一体なにが現れる?」

 

 知らねば知らぬ方がいい。質問には答えずに、語調を強める。

 

「だからこそ。反乱軍は、別段、まちがっちゃいない。本当に、国王がダンスパウダーを持っているなら、それを破棄させることが……国を守ることにもなる」

「………どちらにせよ、反乱は、止めようがないか………」

 

 ヴァメルの港が封鎖されたのは、アラバスタ王国で起こっている、反乱の影響だという。

 なんと先日、アラバスタ王国の軍人、約30万人が、反乱軍に寝返ってしまったのだとか。

 

「30万人!? 30人じゃなく?」

「30人なら騒ぎにならない」

「そりゃそうだ! 大丈夫なのかよ、それ……」

「……それで、港の警備兵が、足りなくなっている。このご時世だ、海賊がくることもある。主要な港を手薄にするわけにはいかない。……ヴァメルの港は、文化交流の場、という側面が強い。………他の港を封鎖するより、ヴァメルを閉じた方が、道理にかなう」

「でも、人が結構いるぜ?」

「女子供は、全員、もう避難した。トグル自治区に戻ってる。男たちも……近いうちに、避難する予定だ。沢山の港が封鎖され、人の往来もなくなっているからな………」

「あー……そうなのかぁ……なんかさみしいし……大変だなぁ」

 

 でもさ、そうすると、どこに舟を停めりゃあいいの?

 

「あんたは、この先にある、ナノハナの港に行くべきだ。あそこは海軍船も来るような、アラバスタ王国の玄関口。………今、アラバスタ王国に入るのは……良い判断ではないと思うが……ログポースを使って、ここまで来たのだろう。ログポースは、ログを貯めなければ、次の島にいけない。だから滞在しないといけない。そうだな?」

「あぁ、その通りだよ」

 

 ここまではエターナルポースでやって来たが、島をでるときはログポースを使う予定だ。

 肯定すると、男は真剣な顔でうなずいた。

 わかるぞ、わかる。一見すると深刻そうな、トグルの民のこの表情は、得意げになっている時の顔だ。

 はいはい、あんたが物知りだってことはわかったよ。

 

「サンディ島のログは、5日でたまる。ナノハナは、ヴァメルよりも大きい、栄えた街だ。警備兵もたくさんいる。5日くらいなら大丈夫だ、きっとな」

「そうかぁー……」

「この島の沿岸沿いに、このままこの向きでまっすぐ、東にすすむとナノハナだ。……あぁ……途中には、海のようにおおきな、川がある……その川の向こう側に、ナノハナはある」

 

 男がまっすぐ指差した先に、港町などちっとも見えない。あるのは水平線と、砂で描かれた地平線だけ。相当遠いらしい。

 

 行くのはかまわない。しかしだな。そんなに立派な港なら、関所があるんじゃねぇのかな。

 

 アラバスタ王国は、世界政府の加盟国だ。

 その関所が、世界政府の国民ではない私のことを、受け入れてくれる気がしねぇ。

 

 今回だけは、適当な岩場に舟を停めようとも思えない。一体いつ、島のどこに、エースが来るのかわからないのだ。モクちゃん号をながく放置することになるかもしれない。

 できれば、きちんとした港に預けたい。

 

 だからこそわざわざ、(良くも悪くも人が良すぎるために、ガードがゆるいであろう)トグルの民がいる、ヴァメルの港を目指してきたんだが……。

 

「そっか、でもそこまで大きな港ならさぁ、なんか、港の利用に、なにか、必要だったりするのか?」

 

 しらばっくれて聞いてみる。世界政府加盟国の港をつかうには、世界政府加盟国発行の、許可証が必要なんだろ、知ってるけどさ。

 

「港の利用には、世界政府加盟国が発行した、渡航許可証があれば………持ってないのか」

「……んーん……!」

「あんたは持ってなさそうだ」

「んーん!? んー……!」

「海賊ではないんだろう?」

「海賊じゃあねぇ!」

 

 海賊ではない。悪党じゃないという意味ではないが。

 

「なら……」

 トグルの民の民族衣装、白い忍者装束の胸元に手をさしこんで、男性は一枚の帳面をとりだした。

 そこに何かをさらりと書き、ぷちりと破る。

 

 なんだこいつ忍者かよ。腕をのばしたら、袖口からペンが飛び出してきたぞ今。あっまた、するっとペンが隠れていった、は? 忍者かよ?

 

「これを、港の役人にみせるといい。渡航許可証はヴァメルの港で確認済み、という証明書になる。これがあれば、ナノハナで渡航許可証を見せなくても、呼び止められることはない」

「……いいのか?」

 

 海上に、ひらひらと差し出された紙切れ。じっと見つめて問いかければ、男性は小さくうなずいた。

 

「ダンスパウダーの話を教えてもらった、授業料だ。……おれたち港の役人は、悪い奴を島に入れないために、ここにいる。あんたはアラバスタ王国を憂いて、色々と教えてくれた。他人の国を心配する人間が、悪い奴であるはずがない」

 

 また、あの瞳だ。どこまでも無色な、凪いだ瞳。

 

「……ありがとう。もらってく」

 

 本当に悪い奴は、平気で、人を心配することだってできるんだぜ。罪悪感がうすいから、いくら悪いことをしてきても、カンタンに善人ズラができるんだ。

 私はあんたらのその、人の良さを利用するためにこの港に来たんだよ。

 

 そんな本音を言わされそうになる、あまりに凪いだ視線。グッと想いを飲み込んで、紙切れをうけとった。



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9.クオオオオオーッ!

 モクちゃん号の前方は、床板がパカリと外れるようになっている。

 あらわになった骨組みの下、ぽっかり空いたスペースには、毛布にロープにハンモック、服や下着にリュックと本、そして二本のオールが仕舞ってあった。

 

 島の海岸線に沿い、オールを漕いで舟をすすめる。帆は2つともしっかり畳んで、大きすぎるカヌーのように、腰をおろして櫂を押し、櫂を引き、とくりかえす。

 

 ふりかえれば、ヴァメルの港は遠ざかり、もう見えなくなっていた。無骨な岩場の数々と、時折かすかにチラリと見える、砂漠の姿が視界を彩る。

 

 そのどこにもかしこにも、見わたす限りに、鳥がいない。やっぱりそうだよなぁ、と重い気持ちになりながら、舟を進めたせいだろうか。

 異変に気づいたのは、その場所に入り込んでしまったあと。

 

「うんっ?」

 妙な手ごたえを感じ、疑念をいだいた。舟が前に、進まない? 海藻か何かにひっかかったか?

 いいや。どちらかというとこれは、川を逆走しているような……。

 

「ああ? 嘘だろこれ、さっき言ってた大きな川って、」

 オールから手を離し、立ち上がる。

 見える世界は、端の端まで、水面である。

「これ………川ぁ!?」

 

 でかすぎねぇか!?

 

 海だと思ったら川だった。何を言っているのかわからねぇと思うが、たぶんきっと、これは川なのだろう。

 水面下に手をつっこめば、かすかに水の流れを感じる。海の波打ち方じゃない。前方から後方へ、ゆるやかながらに迷いのない、一方的な水流だ。

 

 海岸線に沿っているつもりが、知らぬ間に、川べりに沿って、川を逆走していたようである。

 そんなことある?

「っええええええ!?」

 納得いかねぇ!

 

 こんな時こそ、見聞色の覇気だ。ソナーのように微弱な覇気をばらまいた。

 基本的な性質として、生物の覇気は、他の生物の覇気と反発しあうものである。

 はね返ってきた、さらに一回り微弱な覇気を感じとることができれば、周囲に生物がいるか否かが分かる。

 

 私の展開できる、見聞色の覇気の範囲は、最大で半径50キロ。

 私は、自分を中心として、楕円形に覇気を広げることができるため、水中や地中、海中の生物もある程度察知できる。

 これを逆手にとれば、どこに陸があるかもわかる。魚がいれば、そこは水中。モグラがいれば、そこは地中だ。

 

 モクちゃん号を中心とした、半径50キロの範囲内に、陸はあった。私からも見えている、右側の陸地だ。

 しかし問題は、それとは真逆の、左側。

 おおよそ30キロ先に、魚がいる。30キロ先まで、水である。

 その先にも、地中にいる生き物の気配が感じられない。

 

 これほんとに川か!? 川幅30キロ以上ある川って、あるのか!?

 

「えっつか、なんだこいつら」

 ひとりごとが聞こえた訳ではないだろうに、絶妙なタイミングだった。

 

 (おそらく川岸なのだろう)ベージュ色をした、大岩の上。

「クオーッ!」と威勢よく鳴きながら、一匹の珍獣が現れたのだ。

 

 「亀?」のような甲羅を背中にしょっている。背中だけじゃない、頭の上にも、ヘルメットような形の甲羅。

 その体も全体的に、くすんだ緑色をしている。

 しかし下半身には、足がない。イルカのような尾っぽを地面にべたりとつけて、胸を張って立つその珍獣。

 

「クオッ、クオッ、クオクオッ!」と言いながら、シャドーボクシングをシャシャッと始めた。

 そう、腕がある。二本もある。

 ヒレと言うには太く長すぎるが、指はないので、ヒレだろうか。

 顔はといえば、まるっこい頭に、つぶらな瞳、可愛らしいライオンのような口元。

 

 つまりこいつは………さっぱりわからん! だれだお前!

 

 初めて見る生物に、テンションが上がった。これだから旅はやめられない。グランドラインは宝の山だ。未知との出会いがゴロゴロしている。

 

「やぁ、私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカ、旅人だ。よろしくっ!」

 

 片手をあげてあいさつしてみる。すると………(命名)亀ラッコは、シャドーボクシングの手を止めた。

 ふしぎそうに首をかしげて、「クオッ!」と片手をあげて見せる。

 そうしてくるりと振り返り、大岩の裏側を見下ろしたかと思えば、クイクイッと手をこまねいて、何かを呼んだ。

 

 すぽんすぽんすぽんすぽん! と岩の上に躍り出た、あらたな(仮名)亀ラッコたち。

 大岩の上まで、ジャンプして飛び乗ったらしい。相当な脚力……いや、尾ヒレ力?である。

 ズラリと並んだその数は、100匹とすこし。

 そいつらは皆、礼儀正しく、「クオオオーっス!」声をそろえて礼をした。

 

「あっ、どうも」つられて私も礼をしよう、と、したその時。

「クゥウウウウォオオオオオォオウッ!」

 

 100匹あまりが一斉に、私めがけて落ちてきた。事故ではない、目を見ればわかる。

 つぶらな瞳はしっかりと、私の姿をみさだめて、ふりあげた己の拳を叩き込まんと、闘志の炎を宿してギラつく。

 

「おおおおっ?」

 どうやら、私を歓迎してくれるらしい。彼らの拳に殺気はない。あるのはひたすら純粋な〝戦い〟への熱意。

 

 なんだか嬉しくなってしまう。幼少期を無人のジャングルですごした元野生児としては、いつまでたっても憧れなのだ、こういう、獣同士ならではのスキンシップ!

 

 一番槍の一匹を、つかんで手首をひるがえす。投げ飛ばされた一匹は、巻き込まれた数匹とともに視界から消えた。水面がボシャボシャシャン!と音をたてる。

 

 ポイポイポイ、とはじめの数匹を手首のスナップで投げながら、「お相手しようっ!」返答を発した。

 おそらく先ほどの一礼は、〝試合してくれ! おねがいしまーす!〟というような意味だったのだろう。

 人の言葉がわかるのか、彼らの瞳の輝きは、よりいっそう鋭さを増す。

 

 亀ラッコ(仮)たちは、一体一体が1メートル30センチほど。筋肉でしっかり太ったその体躯は、おそらく私よりも重たい。

 

 私は決してチビではないが、私より小さく軽いケンカ相手など滅多にいない。

 私は決してチビではないが、この海で生き残ろうと思えば、ウェイトや体躯の差を覆す戦法など、基本中の基本である。

 

 とんできた拳には、肘をつきだした。新体操のボールをあやつるように、相手の動きを二の腕でうけとめ、しなやかに肩を回せばいい。念押しに、手の甲でくいと後押ししてやれば、ほら。

 拳を出した一匹は、加速した己の勢いを止められず、後方へふっとんでいく。

 

 肩の先で、ふくらはぎで、足の甲とつま先で、時には首のうしろをつかって、数多の攻撃をさばいていった。

 私が相手を見るように、相手も私の動きを見ている。

 頭上がガラ空きだ、と見たのだろう。仲間の体を踏み台にして、一匹が上空へまいあがる

「クゥオオオオーーーッ!」

 なるほど。くるりと一回転したそいつは、尾っぽでビンタをかますつもりのようだ。

 

 ちょっと面白そうなので、周囲の亀ラッコ(仮)たちをすばやく吹き飛ばし、待ち構える。

 

 人間をふくめた、大抵の動物は、後ろ足の筋力が強い。パワーだけを比べれば、殴るよりも蹴りを放ったほうが強力な攻撃となる。

 

 見た所、亀ラッコ(仮)の尾びれも、そうとうな筋力を保有しているようだった。あれだけしなやかにジャンプできるのだから、ひねりをつければ見た目以上の遠心力が味方する。

 上空へとびあがったことにより、全体重と、位置エネルギーまでもが加わって、ひときわヘビーな一撃となるだろう。

 

 避けるのはもったいない。いなすのも、もったいない。

 タイミングを見計らってかち合わせようかと、拳を握って、やっぱやめる。いやいやいや、バカ正直に真正面から拳でうけたら折れちゃうよ、亀ラッコ(仮)の骨が。

 

「うりゃ」

 

 それだから、手のひらを、差し出した。

 ななめ前、約20センチ頭上にて、黒い手のひらと緑の尾ひれがぶつかりあう。

 

「おー!」

 

 いい蹴りだ。ウェイトを余さず乗せてある。思わず頬がゆるんでしまう。

 なんなんだろうな、いい攻撃をうけると、なぜかテンションが上がるこの現象。

 

 音は鳴らなかった。そりゃそうだ。音も衝撃もなにもかも、私がすべて受け流している。

 

 せっかくの〝歓迎会〟なのである。正面から拳をぶつけあい、互いの力を届けあいたいなぁとは思う。

 しかし私は、ケンカが強い。このグランドライン前半の海で一番とまではいかないが、人間だけで比べたならば、ベスト30に入るほどには強い。

 亀ラッコ(仮)をふつうに殴ってしまったら、相手がその場で千切れてしまう。

 やさしく殴ってしまっても、相手はその場で死んでしまう。

 

 ただ相手の攻撃を止めただけであっても、まるで岩山にぶつかったかのように、相手の方だけが大怪我を負ってしまうのだ。

 

 見聞色の覇気をつかえば、相手の〝生命力の強さ〟がわかる。自分と相手を比べれば、〝地力の違い〟が浮き彫りになる。

 亀ラッコ(仮)と私では、ケンカすることができないほどの、基礎力の差があった。

 

「クッ………! クオォ…………!」

 

 手のひらでボールをキープするように、亀ラッコ(仮)をそうっと舟の甲板へ下ろしてやった。

 ウェイトだけなら、私の3倍はあるだろう。ひときわ大きな亀ラッコ(仮)が床に降り立つと、モクちゃん号がグラグラ揺れる。

 つかの間、打ちひしがれるかのようにうずくまった亀ラッコ(仮)は、再びバッ!と顔をあげた。

 

「クオッ、クオッ! クオッス!」

「……えっ?」

 

 なんだこいつは。立ち上がったかと思えば、ヒレなのか腕なのかを、胸の前でクロスさせ、シュッと肘をひくような動きをみせる。

 押忍! とでも付け加えたくなるようなポーズだ。

 気配にハッと後ろをみれば、

 

「クオーッス!」

 夏島のひざしに、きらめく水面。

 投げ飛ばした亀ラッコ(仮)たちはみな、器用に立ち泳ぎをし、水上にとびだした体で、〝押忍!〟のポーズをとっている。

 

「んっ?」

 負けを認めるポーズなら、ひっくり返ってお腹をみせたり、うなだれて頭を下げたりする、ものだろう。

 〝押忍!〟のポーズをくりだす動物は、初めて見た。しかもこの状況で?

 

 勝負がついたあとは、握手でもして、仲良くなれるかなぁと思っていたが、これは………?

 

「クオッ、クオッ? クオッ?」

 モクちゃん号に乗る一匹が、ヒレだか腕だかを、片方、天に差し出した。そうして首を傾げては、チラチラ私をうかがっている。

 ……もしかして、私のマネをしてる?

 ……するってぇと、なにかい。チラチラこちらを見やる、その仕草。〝これであってる? こうすればいい?〟ってのを尋ねているんじゃねぇだろうね?

 

「……さっき、あんたを受け止めた、このポーズのことか?」

「クオオオッ!」

「できるように、なりてぇの?」

「クオッ!」

「教えてほしいの?」

「クオーッス!」

 

 今度は〝押忍!〟のポーズに加えて、しっかり、コクコク頷いている。あっ、えええ……?

 わけがわからねぇよ。わからなすぎて笑えてくる。

 

「あー……! うーん……! 教えてやるのは、ムリだな!」

「クオーーーッ!?」

「ただし! その代わり! 修行つけてやるよ!」

「オッ?」

「強くなりてぇんだろ? 私みたいに」

 

 にやりと笑って問いかければ、「クオーーーーーッ!」100匹あまりが一斉に、気合の入った鳴き声をあげた。

 

 ちょうどいい。

 この場限りの舎弟となって、私のために働いてもらおうじゃねぇか。



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10.日暮れの宿と日陰者たち

 速い速い。風より速い。

 ドババババババッ、と波を泡だてながら進んでゆくモクちゃん号から、それらしき陸地がみえてきた。

 

 立派なマストを何本ももつような、大型船がズラッとならんで停泊している。その向こうにはカラフルな街並み。

 あれが、ナノハナか?

 舟の上で立ち上がり、指をビシッと突き出した。

 

「者共ぉおおーーー! 見えたぞーー! あれが修行の、ゴール地点だぁあああ!」

「クオオオオオオオオ!」

 

 返ってきた雄叫びは、モクちゃん号の左右に広がる亀ラッコ(仮)たちのもの。

 まるきりモーターボートのように、この小舟を激しく進ませている動力こそ、修行をもとめる亀ラッコ(仮)たちの熱意だ。

 

 言ってみるものだな。

 海に出て、この舟を運ぶことが、ものすごーい修行になる! と、屁理屈を交えながらもっともらしく言い放てば、亀ラッコ(仮)たちはつぶらな瞳をキラキラさせて、モクちゃん号を運び始めたのだった。

 

 おかげでオールの出番はとっくに終わった。亀ラッコ(仮)たちは戦闘狂のわりに頭が良く、指差した方角へと誤りなく進んでいく。

 風がきもちいな。

 

「よぉおおおし! 速く泳ぐ修行は、ここまでだー! よーくやったー!」

「クオーーーーッ!」

「ここから更に! むずかしーい! 修行にはいる!」

「クオオオオオオオオオ!」

「あの、船! あの船のとなりにー! この舟をー! そおおおおっと! そおおおおっと! 並べるのだー!」

「クオッ?」

「クオッ?」

「……ここからはー! ゆっくり! しずかに泳ぐ! 修行であーーーる!」

「クウウウオッ! …………クオーーーーーっ………!」

 

 空を見ると、太陽がだいぶ傾いている。サンディ島の太陽は、おかしな見え方にはならないはずだ。素直に考えていい。

 あの様子では、あと1時間ほどで日暮れだろう。

 

 ナノハナは、思っていたより遠かった。亀ラッコ(仮)たちの協力がなければ、到着は夜になっていたかもしれない。

 亀ラッコ(仮)たちは見事なまでに減速し、波しぶき一つ立てないままに、モクちゃん号を港の端に静止させた。

 私は無言で、拍手してしまう。

 

 修行云々の話は、すべてが口から出まかせというわけではない。川を泳ぐのと海を泳ぐのとでは、かかる圧の方向が違う。遠泳はたしかにいい修行となるだろう。

 静かに泳ぐ、というのもまた、亀ラッコ(仮)たちにとっては本当にむずかしいことだった。

 

 泳ぐのに特化した尾ひれをもつ生物からすると、静かにゆっくり泳ぐ方が意外と難しかったりする、と魚人の友人が言っていた。人魚の友だちも同じことを言っていたので、間違いない。

 

 こいつら、本当によくやったものである。

 亀ラッコ(仮)たちは歓声の方がよろこぶかな、と様子をうかがうと、皆、誇らしげな表情で、拍手の音に聞き入っていた。

 

 ついでに全匹、ゼエハアしている。中には、仲間の肩をかりてどうにか泳いでます、といった様子の亀ラッコ(仮)もチラホラ。

 ありがとう、は違うよな。

 波から頭をひょっこり出しつつ、自ずと整列した亀ラッコ(仮)たちへ向けて、私はうなずいた。

 

「お前ら…………! 強く、なったな……!」

「クオオオオオオッ……オッオッオッ……!」

 

 えっ、泣いてる?

 

 港の係員なのだろう。首から下げたバインダーを、バッタンバッタン鳴らしつつ、恰幅のいい男が走ってくる。

「ちょっ、ちょっとそこのっ、船! っていうか、小舟っ!? いやとりあえずそれよりっ!」

 息を切らしてやってきた彼は、亀ラッコ(仮)を指差し、叫んだ。

「その、クンフージュゴンは! とても危険な生物です! 見境なく襲いかかってきます! それにとても強い! 直ちに離れてっ!」

 

 なるほど。こいつらはやはり、亀ラッコ(仮)じゃなかったらしい。

 

 亀ラッコ(仮)あらため、クンフージュゴンの群れは、何度も何度も手をふりながら、元の住処にかえっていった。一体どこから取り出したのか、ハンカチのようなものを振っている奴もいた。

 見えなくなるまで手を振り返せば、夕日が海を染めはじめる。

 

 ヴァメルの港でもらった〝紙〟を係員に手渡すと、首をひねりながらも港の使用を認めてくれた。黒い肌についても突っ込まれたが、いつもの要領で、〝この島じゃない場所では別にふつうなんですけどね?〟というような雰囲気をかもしだし、追求をかわす。

 

 ナノハナは、アラバスタでも一二を争う港町らしい。

 海側には巨大なアーチが鎮座して、〝welcome to NANO - HANA〟という文字がぼんやりライトアップされていた。

 くぐりぬければ人の熱気が体をうつ。

 夕食時というのもあるのだろうか。所狭しとなちならぶ露天からは、空腹を引っ掻くようなイイ匂いが立ち昇っている。

 「サンドラトカゲの串焼きだよ!」「こっちはあの幻の! サンドラオオトカゲの脂ののった干物だよぉ!」「今の時期ならこれだあ! ワルサギの串焼きを食うしかない!」「アラバスタに来たんなら、これを食わなきゃ始まらねぇ! スパイスたっぷり、あっつあつのサンディーヤぁ! 一杯なんと200ベリーだぁ!」

 んんんーんっ! どれもうまそうっ!

 

 スパイシーな串焼きに、プニプニしたなんかよくわからん肉入りあったか水まんじゅうのようなもの、パリッとした焼き目がなんとも言えない、焼きたてのトルティーヤ。

 

 行儀悪くも歩きながらほおばれば、もう、来てよかったーーーー! サンディ島ーーーー!

 例によって例のごとく、道は勝手にひらけていく。こういう時にはありがたい。

 

 肌が黒いのだから、夜は目立たないだろう、というのは浅はかな考えだ。街中では、目立たなすぎることで、逆に目立ってしまう。

 滞在用のリュックは黒いわけじゃない。腰のナイフホルダーに至っては、毛皮の色が白銀だ。

 Tシャツだって白系が好きだし、ショートデニムはライトブルー。

 服やリュックがひとりでに浮いて動いているぞ、と注視した人々は、私という人間がくっついていることに気づき、ヒヤア! と驚かずにはいられないようである。

 

 ちょこちょこ露店で買い食いするのを、わざと周囲に見せつけた。露店の店主と話す声を、まるで舞台俳優のごとく、腹の奥からひびかせるのだ。

 

「あんたその……肌!? 体!? なっ、なんなんだい、それっ……!?」

「この肌は、うまれつきさ! 健康! 丈夫! 自慢の肌だ! 病気でも火傷でもない! 残念ながら、魚人でもない。この肌の色! この街じゃあ、珍しいみたいだねぇ! さっきから驚かれてばっかりで、逆にこっちが! 驚きだ!」

「あっ、そっ、そう……! そういう人が、いるもんなんだねぇ……! あんたみたいな……!」

 

 この会話をもれ聞いた通行人は、〝へぇ、そういうもんなのか〟とつられてカンチガイするだろう。高確率で、ウワサになる。そうなればこちらのものだ。私がなにもしなくとも、カンチガイが伝染していくのだから。

 

 先手必勝。〝あいつの肌は病気の証だ!〟〝あれは人じゃない、モンスターだ!〟と言い始める奴が出てくる前に、こっちからドンドン話題を提供することで、自分にとって不利なウワサが生まれる余地をつぶしてしまう。

 旅人の処世術である。ついでに話をはずませて、オマケをもらうところまでが一流の旅人だ。

 

 カリッカリに揚げられたサンドラトカゲの尻尾。オマケとして、これって、どうなの?

 恐る恐るかじってみれば、「あれっ? うまい!」「そーりゃそうだよ! しょうがねぇ、もう一本だけサービスだ!」「やった!」

 

 露店の並びをぬけると、今度は立派な石造りの建物たちがたちならぶ。

 石ではなく、粘土だろうか。

 四角いフォルムの三階建ても、窓の隅やら角やらが、どことなく丸まっている。

 

 街灯は、ヤシの木のそばに立っていた。一定の区画ごとに、ヤシの木の根をはるスペースがつくられているようだ。

 長細いヤシの葉からもれる、街灯のあかり。

 西日に照らされてもぼんやりわかる、どこかレトロな色合いの、カラフルな建物たち。

 港町ならではの、行き交う人々の雑多な服装。統一感のないさまが、むしろ心地よい郷愁をさそう。

 

 全力を出す必要はない。見聞色の覇気を展開し、半径5キロ圏内の気配をさぐるが、エースはいなかった。

 この街に、悪魔の実の能力者は3名いるが、ロギア系はゼロ。

 

 目尻がぴくりとひきつってしまう。人間の街は、命の気配が密集しすぎている。とくに人間の気配は、他の動物よりも複雑でクセが強い。

 街中で見聞色の覇気をつかうと、反応が多く、煩雑すぎて、頭がくらりとする。

 

 目を閉じて、少し迷い、右へすすむことにした。気配の印象からすると、こちらが宿屋街だろう。

 角をまがってすぐ、5階建てのホテルがあった。もれてくる明かりまでもが、上品である。

 手持ちの金は、700万ベリー。あとはモクちゃん号に置いてある。それでも滞在費には充分だ、と、今回ばかりは思わない。

 

 エースを探すため、現地の情報屋も利用するつもりだ。情報の価格はピンキリ。しかしエースのように、〈四皇〉白ヒゲ率いる、白ヒゲ海賊団、最高幹部の1人ともなれば、その居場所に関する情報など、200万ベリー以下にはならないだろう。500万ベリーだったとしても高くはない。

 

 のちの出費を思えば、滞在費は、できるだけ安くおさたいところだ。

 ホテルの奥の奥をのぞけば、あちらは民宿にちかいような宿屋がならんでいるのも見える。

 

 うー、どうすっかなぁ、やだなぁ、これ以上近づきゃ、絶対気づかれるじゃねぇかこれ。でも、まぁ、勝てる相手だし、いいか……?

 

 意を決して、通りの奥へとすすんだ。

 選んだのは、サーモンピンクの宿屋さん。石か粘土の外壁に、木板の看板がぶらさがる。〝サンセット・ハウス〟というらしい。

 理由はここの女将さんだ。

 宿屋の通りに限定して気配を探りなおしてみたら、ここの女将さんらしき人が、一番やさしそうだった。

 ドアを押しあければカランコロン、と木のベルが鳴る。やはり柔和そうなおばちゃんが、こちらを振り向いて

 

「あーら、いらっしゃ………い………いらっ………いっ………医者あああああ! あんたどうしたんだいその火傷っ、ひっ、ひっ、ひどいじゃないかっ、だっ、だっ、大丈夫じゃないよこれ、医者っ、医者っ、医者ああああ!」

 

 叫んだ。

 

「大丈夫! 大丈夫だよ! 火傷じゃないから! 医者はいらねぇ!」

「医者はいらないっ? いるだろうにぃ! こんなんなってってって………! とりあえず水! 水だよ! 水浴びな! そこに立ってな、今、ぶっかけるからね!」

「いらねえええよ! 今干ばつで水不足だろう!? そんなことするんじゃねぇよ!」

「病人、怪我人、ほうっておくほど、心まで干上がっちゃいないよう!」

「……あ……そうかいでもっ! いらねえから本当に! 火傷じゃないんだ本当に! この肌はうまれつきっ!」

 

 ドジョーの話は本当だったのかもしれない。

 トグルの民は心配になるほど人がいい、とは思っちゃいたが、アラバスタの民もどうやら、びっくりするほど人がいいようだ。元はおなじ一つの民族だったというのも、この女将さんを見ると、あながち嘘じゃないと思える。

 

 心配する女将さんをなだめるのに、30分近くかかった。まだ客かどうかもわからない、見知らぬ相手に対してこれである。どれだけ慈愛に満ちているんだ。

 

 入ってすぐの一階は、食堂になっていた。泊まりの客以外にも食事を提供しているらしく、常連を名乗る数名が、女将さんと一緒になってああだこうだとこちらを心配してくれた。

 

 ようやく女将さんが落ち着いて、常連たちも帰っていく。ここで宿をとりたいことを説明し、先に3日分の支払いをおえ、部屋の鍵をうけとったところで、女将さんがテーブルにぐたりと寄りかかる。

 

「いやだよう、もう、本当に、心臓が飛び出るかとおもった」

「悪かったなぁ、驚かせちまって」

「いいんだよう、そんなのは、そっちじゃないよう、大火傷じゃなくて本当に、よかったよう、はぁー安心したら力が抜けちゃった」

 

 女将さんはくたりくたりと、向かいの椅子にすわりこむ。どうやら厨房をふくめ、この宿を1人で切り盛りしているらしい。

 途中で買い食いしたとはいえ、腹はまだまだ減っている。料理をたのみたいところだが、女将さんが復活するまでもう少し待とうか、

 

 そう思った瞬間、ピリリと肌があわだった。

 あいつが、来る。

 

 椅子の上にたちあがる。そのまま流れるようにして、天井付近までとびあがった。

 くるりと宙返りをかまし、ストン、元の椅子に座る。

 

 目を丸くする女将さんに、さて、なんと説明したものか。テーブルの上で拳を握ると、女将さんがあいつに気づいた。

 

「あらっ? それっ、あんたが握ってるの、トカゲ?」

「んー?」

「上から落ちてきたのかい? やだやだ、そんなに強く握っちゃダメだよ、トカゲが死んじゃうじゃないか。貸してごらん、外に放ってくるから」

「いやー……こいつだけは、握りつぶしてもいいんじゃねぇかな」

「なに言ってんのさ! トカゲだって生きてるんだ、ここは命をいただく食堂だけど、いたずらな殺生はしない決まりだよ、トカゲ、嫌いなのかい?」

「トカゲは別に嫌いじゃねぇけど、こいつだけは、別かな。その理由、知りてぇかい?」

「……なんだよう、勿体ぶって……」

 

 ぐっと拳に力をこめる。覇気をつかった強化は、はじめからほどこしている。これだけ圧をかけたなら、ダイヤモンドも割れるだろう。

 そんな拳の中にいて、バタバタ手足を動かしつつ、首を振るだけのトカゲさんに、問いかけた。

 

「あんたは知ってるよなぁ、どうして私が、こんなことをするのかってのを……。ほら、この女将さんに、説明してやりなよ、あんたの口から!」

 

 ついに、くてっ、と首を落としたトカゲさん。あああ、と悲痛の声をあげた女将さんの目の前で、食堂の床に叩きつけてやる。

 

「………ああああああっ!?」

 女将さんにまた、心臓に悪いものを見せてしまったかも知れない。

 

 叩きつけられ潰れるだろうと思われた、トカゲの体は、たしかに変形した。べちょりと広がったかと思えば、それがむくむくと膨らみ、子猫ほどの大きさになり、犬ほどのおおきさになり、すとんと二足で立ち上がる。

 

 現れたのは、1人の青年。

 オレンジ色の髪を肩より少し長めにのばした、そいつは、殺し屋だ。

 骨ばった肩を上げてはおろして、首をコキコキ左右に曲げる。

 

「やぁーイ、ひーさびさだなーイ。楽園の悪鬼ーィ。こーんなところで会ーうとは、きーぐうだぜーイでもだけどっ、いーまの扱いはーイ、ちょおっとーイ………ひどくね?」

「挨拶もなしに、人の頭の上にのしかかろうとしてた奴にゃあ、ぴったりの扱いだと思うが?」

「いーやぁーイ、あいかわず、あーいそがねぇなーイ!」

 

 気配を探った時にわかった。この街の民宿のひとつに、今、こいつがいると。

 だから少しでも遠ざかろうと、ホテルにしようか迷ったんだよ。

 

 口に手を当て、声を忘れた女将さんに説明する。

 

「立てつづけに驚かせちまって悪いなぁ、ほんと。こいつ、私の連れじゃあねぇから。友だちでもねぇ知り合いでもねぇ、ただの顔見知りってだけだ」

「おーいおいおーイ! そーりゃ冷てぇんじゃねかーイ! てぇーか、そーんなことより気ーになるこーとがあーるんじゃねぇかーイ? 女ー将さん? オーイラは、あーくまの実の、のーうりょく者でねーイ! トーカゲにへーんしんでーきるのさーイ! かーお見知りがこーの宿にはーいるのを見ーたもんだからさーイ! ちょーっと驚かせてやーろうとおーもってねぇーイ! ………失敗したけどなぁーイ………」

「うそつけ……」

 

 思わず漏れてしまった声は、幸い、女将さんに気づかれなかったらしい。

 なにがちょっと驚かす、だ。

 どうせ〝楽園の悪鬼〟の首がとれたらラッキー☆くらいの気持ちで、上から狙っていたんだろうに。

 

 やたらとうざったい喋り方のこの男。不健康そうな骨ばった体と、チャラい見た目、そしていかにもしょぼそうな悪魔の実の能力にそぐわず、世界でもトップクラスの殺し屋だった。

 殺し屋…………名前、えーと、なんつったっけかな…………トカゲ男(仮)。

 

 こいつのホームグラウンドは、グランドライン後半、通称〈新世界〉。

 この世でもっとも強大な力をもつとされる海賊ども、〈四皇〉のはびこる海で仕事をし、生き延びつづけているのだった。当然のように覇気をつかいこなし、その練度も高い。

 

 私もそうだが、見聞色の覇気をある程度きたえあげると、無意識に、自分の周囲にある気配を感じとってしまう。

 〝やさしそうな〟女将の宿を選んだ理由も、ここにあった。無意識に感じつづけてしまう気配なら、嫌な奴より、いい奴の方がいい。

 

 このトカゲはトップクラスの殺し屋の名に恥じない実力も持っている。つねに感じとる気配の範囲も、人より広いだろう。だからこそ、できれば、あまり近づきたくはなかったのだ。

 

 かつて新世界に渡っていた頃、私はこいつに狙われ、殺しあいをしたことがある。私の気配は覚えられてしまっているだろうとは思っていた。こうして気づかれ、こうして寄ってくるかもしれないと思ったら、案の定かよ。

 

 今さっき、天井にはりつきながら、私めがけて落ちようとしていたのがいい証拠。このトカゲ、妙な技をもっているのだ。

 トカゲの小さな体のまま、体重だけを、恐竜並みの重さにすることができるのである。

 ほとんどの殺しは、その一発でかたがつくとも言っていた。落下のスピードがくわわれば、私でも宿屋の床にダメージを加えず、受けとめることは難しい。

 

 落ちる直前、こちらから迎えにいって、全力の覇気と筋力でもってにぎりつぶすことで、体重増加の技を止めさせたのである。私が止めなければこの宿屋ごと壊すつもりだったのだろうに、調子のいい奴だ。

 

「やぁーイ、そーれにしたってよーイ、さーっきのは、きーつかったぜーイ? おーわびにさーけの一杯でもおーごってもーらわねぇとなーイ!」

「だれが、おごるか、出て行け、失せろ!」

「しーっかしよーイ、おーめぇも、気ーになるだろーイ? なーんでオーイラが、こーの海にいーるかって!」

「気にならねぇからさっさと消えろ」

「つーめてぇなーイ! なぁーイ! おーかみさーん!」

 

 女将さんが、ようやく声をとりもどす。

「悪魔の実の、能力者、だとか、あんたたちの関係とか、そういうのよりもね、とりあえず、あんた、服、着たら?」

 

 なるほど。言われてみればたしかに、このトカゲ、全裸じゃねぇか。

 

「やぁーっちまったーイ! こーの島、あーんまり、あーついからよーイ! はーだかでいーたんだったぁーイ!」

「アホか……!」

「おっと、なーんであいつが来ーるんだよーイ? 悪鬼の客かーイ?」

「……もうなんなんだよこの島は! お前いつまでいるんだよ!」

「オーイラはもーう、たーいさんするぜーイ! 今はあーいつに会ーうのはちょーっとマーズイんでなーイ! こーの島にはあーと二週間くーらい、いーると思うぜーイ! まーた会ーおうなーイ!」

「会わなくていい……」

 

 シュルシュルと男のシルエットは縮んでいく。女将さんが、あれっ?とテーブルの下をのぞきこんだ時にはもう、トカゲとなったトカゲ男は床板のすきまをムリヤリ抜けて、床下にもぐりこんでいた。

 

 かすかな気配は遠ざかる。

 トカゲの気配にはたしかに、トカゲ男の気配のクセがあった。それでも今、感じとれる生命力の大きさはまるきり、ただのトカゲと変わらない。

 さっきも、トカゲ男が体重増加をはじめようとしなければ、私は気づけなかっただろう。

 

 人の形になった時にはさすがに、強者の気配を放っていた。しかし実際に能力のすべてを解放した時のあいつは、あんなもんじゃなかった。気配をおさえるのが上手いらしい。

 

 そのノウハウを教わったらどうだ、と言いたくなるほど、こちらにやって来る男の気配は強烈だ。

 コン。

 コン。

 コン。

 ゆっくりと、宿のドアがノックされる。

 



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11.クマか?

 はーい、あいてるよう、と女将さんが声をかける。そう言いつつも、わざわざドアを開けにいくところがこの人らしいではないか。

 万一の事を考えて、腰のナイフに手を添える。

 

 外は暗かった。砂漠の夜のつめたさが、ひやりと宿の中に忍び込む。

 訪いを告げたのは1人の男。あまりの背丈に、男を見上げた女将さんは、ひゃやあ、と息を呑んだ。

 

「くっ、クロコダイル様っ!? どっど、どうなすったんですよう、ウチなんかにぃ……!」

「……私を知っているのかね?」

「知っているも何も! つい先週だって、ナノハナを海賊から守ってくだすったじゃあないですか! あたしら本当に感謝してますよう! クロコダイル様は、本当に本当の、英雄だって!」

「……やるべき事を、やったまで……。街の人々が、息災なようでなによりだ」

「あっ、ありがとうございます……! ……それで今日はまさか、ウチで、お、お、お、お食事ですか……!?」

 

 クロコダイル〝様〟と呼ばれた男の背丈は、2メートルを優に超えるだろう。この夏島にそぐわない、ファーコートを肩にかけ、式典にでる貴族のようなシャツとベストをぴっしり身にまとう。

 

 それでも到底、貴族には見えなかった。

 

 よく鍛えられた、軍人のような体躯。温室どころか、数多の荒波をこえつづけてきた事を知らせる、分厚そうな肌。

 その顔の真ん中を、真横に分断するひどい古傷が、カタギではない事を明示するようだ。

 

 ドア枠の上、ギリギリに、ギラリと光る鋭い目つきこそ、なによりこの男の本質を物語っていた。

 

「……そうしたい所はやまやまなのだが……今日は別件でね。ここに………私の、〝古い友人〟がやってきていると聞いたのだよ………。久しぶりだなァ………! ミス・シェルディーナ……!」

 

 荒れ狂う大海賊時代の抑止力とさせるべく、世界政府があみだした苦肉の策。

 政府公認の海賊、〈王下七武海〉。

 

 その名前をきかせただけで他の海賊をおそれさせ、世の暴虐を萎縮させることができるーーー〈王下七武海〉に名を連ねるのは、世界がそうと認めた無法者だけ。

 政府の〝公認〟であるこの席についた海賊どもには、海兵さえも手出しはできない。

 

 この男はその中の一人。

 海賊、クロコダイル。

 入れ替わりの激しいこの海で、20年以上、その名を轟かせつづける男だった。

 

 わざとらしい笑みが、こちらを向く。どうやらここでドンパチするつもりはないらしい。

 見せつけるようにナイフの柄をねっとりと撫でれば、奴は芝居がかった仕草で、両腕をゆるくひろげた。

 

 宿の明かりを反射して、男の右手が金にきらめく。ーーーーかぎ爪だ。刃物の如く尖った、フック状の切っ先が、私の体の方を向く。

 

「……会わねぇうちに、ずいぶん出世したらしい。本当に、久しぶりだね、クロコダイル〝様〟?」

「〝君〟にそう呼ばれると、照れくさいものだなァ………! しかし、この島にやってくるなら、事前に教えてくれればいいものを………! 知っていれば、じっくりと〝歓迎〟の準備をしたのだがね………!」

「そりゃ、ずいぶん豪勢な〝歓迎会〟をひらいてくれそうなもんだ」

「〝君〟の訪問は、先ほど知ったばかり。慌ててこの街にやってきた……。急拵えだが、ホテルのレストランをおさえてある。食事でもいかがかな? ………つもる話も、あることだ………」

 

 視界の端では女将さんが、私とクロコダイルを見比べている。あっけにとられたその顔を、これ以上魂消させるわけにもいくまい。

 私は席を立った。

 

「そうだね。聞きてぇことも、言いてぇことも、山ほどある……。……女将さん、私、ちょっと出てくるよ。この宿に門限はある?」

「…………もっ…………ないよっ! ゆっ、ゆっくりしといで、ああ、開け、開けとくからね裏口!」

「ああ、よろしく」

「決まりだ。レディには支度もあるだろう、おれは先に行く。待ってるぞ、ミス・シェルディーナ……!」

 

 クロコダイルは指を、パチン、鳴らした。

 それを合図に、男のまとうファーコートがサラサラと砂になり、風に消えて行く。

 何万年を早送りしたかのような、急激な風化。ついにはクロコダイルの不敵な目元までもが砂となり、どこへともなくかき消えた。

 

「………あっ、はああ、これが………クロコダイル様の、悪魔の実の能力なのかい……!」

 

 初めてこの目で見ちゃったよ、とぼやきながら、女将さんはフラフラと壁に寄りかかる。

 ロギア系・悪魔の実の能力者。

 クロコダイルは、万物を干からびさせ、砂に帰すことができる。己の肉体でさえも。

 

 男の姿がきえたドアの向こう、私は暗がりの中へと踏み出した。

 

 太陽が沈んだとたんに、冷たくなった砂漠の風。 えっ、ウソだろこんなに寒いんだったっけ? 寒いの苦手なのに……。

 星がポツポツと出ている。

 肩を抱きたくなる手をグッとこらえ、ナノハナの街をおおうように見聞色の覇気を発動さた。なだれこんでくる膨大な情報量。頭がくらりとする。

 

 ロギア系の能力者の気配は、ひとつも感じ取れなかった。クロコダイルの強みである。

 奴は今、〝全身を砂の粒子にして〟いる。

 奴がもつ気配もまた、砂のように小さく分裂されているのだ。そのひとつひとつが〝小さすぎる〟ため、気配感知ではとらえきれない。

 私の見聞色であっても、2メートル以上はなれてしまえば、砂になった奴の存在をつかむことは不可能だった。

 

 〝食事会〟の場所を知るには、クロコダイルが元の肉体に姿をもどすまで、見聞色を発動させつづけねばならないだろう。

 街中での見聞色は、あまり長い時間やりたくないのだが。

 嫌がらせか、あの野郎。

 

 ようやく捉えたクロコダイルの気配をたどってゆくと、街のほぼ中央にそびえたつ、七階建に行きついた。

 どことなく、チキュウの文化の、古代ローマを思わせる佇まい。角のとれた四角い建物がならぶなか、ひとつだけ、円形をかたどっている。

 

 天からは月、地上からは街灯がてらす。

 クリームホワイトの外壁にはところどころ彫刻までなされており、〝このホテルは高級ですが?〟という無言のメッセージを届けてくるようだ。

 

 嫌な予感をいだきながら近づけば、案の定。

 ホテルのドアマンには拒絶され、言いくるめてロビーに入ればフロントマン総出で止められ、警備員まであつまりだす始末。食事どころか、レストランまでたどり着けるのか、これ。

 

 なるほど。この〝食事会〟すべて。

 私への嫌がらせだろあの野郎!

 

 チキュウの日本でも、身分制度があった頃はそうだったのだろう。身分制度が大前提となっているこの世界では、〝大金持ちでも、庶民は庶民〟。

 

 このホテルのような〝特別贅沢な〟店は、大抵、上流階級をターゲットとしている。

 金持ちを相手にするという意味ではない。〝身分の高い人間だけ〟を客にするという意味だ。

 たとえ何億ベリー積み上げようが、身分の低い人間ははいることさえ許されない。

 

 その法則にのっとれば、世界政府の国民ですらもない私など、庶民以下の、以下の以下。

 たとえば世界政府加盟国にすんでいるネズミの方が、まだ、私より〝身分が高い〟のである。

 

 このホテルが私の入場を許すわけがない。

 そしてクロコダイルは、あらゆる方面で、頭の切れる男であるとの評判だ。

 分かってて、ここに呼んだんだろ、あの野郎!

 

 ぐるっと私をとり囲む警備員たちは、槍のように長い警棒でもって、グイグイ私を押してくる。私は人里に迷い込んできたクマか?

 素直に出てってやるのも癪だ。

 シャンデリアの照らすロビーで、仁王立ちをかます私は、ビクともしない。

 

 20人ちかい屈強な男どもが、寄ってたかってそれなのである。たまらず一人は、警棒をグッと引き、突きをくりだしてくる。

 棒術か槍術の使い手なのだろうか、フォームは鋭く、ムダがなかった。

 私の二の腕にまっすぐ入ったその一撃で、ボキリと折れた。私の腕より太いであろう、警棒の方が。

 

 もともと悪化していた警備員たちの顔色が、制帽の下、冷や汗をかきはじめる。

「クッハッハッハッハ!」

 そこに響いた、一人の男の笑い声。

 

 エントランスロビーの奥には、やたらと気合の入った、巨大な階段がのびていた。よこ幅だけでも5メートル近くあるだろう、その上階からカツリカツリと降りてくる、ファーコートを引っ掛けた大男。

 

「随分おもしろいことをしているようだが、ミス・シェルディーナ。それは食事の前の、余興かなにかかね?」

 

 見下ろしてくる奴のことなど、見上げてやってなるものか。

 フン、と鼻息を一つ鳴らして、私は困惑する警備員たちに告げた。

「だから言ったじゃねぇか。私は、クロコダイルのバカ男に、招待された客だと……!」

 

 王下七武海は、世界政府〝公認〟の海賊だ。

 他の海賊からうばった財宝の一部を、世界政府へ献上するかわりに、逮捕をまぬがれる。

 言ってしまえば、ただ、それだけ。七武海の席についたからと、本人の〝身分〟が上がるわけではない。

 

 王下七武海の一人、クロコダイルであれど、世界政府のさだめた指名手配犯であることに変わりはない。その身分の立ち位置は、私と似たようなものだ。

 本来であればこのような、〝カタギ用〟〝上流階級用〟の〝高級ホテル〟を、利用できるはずはなかった。

 

 しかし先ほど、ホテルマンは言っていた。『本当に、クロコダイル〝様〟のお連れ様であれば、もちろんお通ししますが……』と。

 宿屋の女将も言っていた、『クロコダイル〝様〟』は『本物の英雄』だという言葉。

 

 だれにどう〝公認〟されようが、くさっても海賊である。

 乾きの能力をあやつるこの男は、腐るというより、ミイラ化するのかもしれないが、たとえミイラになっても海賊は海賊。

 

 七武海だろうがなんだろうが、海賊におそわれ奪われる側である、島の人間たちから慕われるなど、まずありえない。よっぽどの事がないかぎりーーーーー。

 

 ようやく通された先は、広間のような場所だった。

 〝高貴な〟方々の利用するレストランである。すべてが個室であり、そのすべてがここのように、アホのような広さを誇るのだろう。

 

 シャンデリアに照らされる調度品の数々。

 別段、悪趣味なものではないが、興味がわかなかった。こういった〝お高いホテル〟は、どうしてどの島でも似たような内装になるのだろうか。

 

「席を外してくれるかね? 彼女は、久しぶりに再会した〝古い友人〟なものでね。二人きり、心ゆくまで話がしたいのだ」

「かしこまりました」

 

 ズラリと並んだ料理の向こう、クロコダイルは鷹揚につげた。シャンパングラスに酒を注いだ、給仕の男は一礼し、優雅なふるまいで部屋をでていく。

 

 ホテルに無理を言ったらしい。王侯貴族の会合に使われそうなテーブルの上に、コース料理として出てくるはずであろう上品な品々があらかじめ並べられてる。

 給仕の男の手によって、重厚な扉がしめられる寸前、クロコダイルはグラスを置いた。

 

 ファーコートの胸元からとりだす、葉巻。

 指輪でいろどられた男の指が、一本ピンと伸ばされる。

 数瞬後、くわえた葉巻にジリジリと、火がついていった。

 

 ここは言わば敵地だ。部屋の隅々まで届くよう、見聞色の覇気を発動させている。

 たった今、悪魔の実の能力が、発動する気配がした。

 葉巻に灯った高熱は、クロコダイルの能力によるものだった。乾きの能力を応用し、熱を生み出したらしい。そんな事もできんのかい。

 

 シャンパンをシャンデリアに透かして、その気泡をながめてみる。毒は入っているだろうか。見た目じゃわからん。

 どうせ生半可な毒は、私にきかない。

 口づければ、清流のような炭酸がはじけた。辛口だが、まろやかだ。一拍おいて浮かび上がる、かすかな果実の甘い酸味。あれっ、うまいじゃんこれ。

 

 葉巻の紫煙が宙を舞う。クロコダイルは〝英雄〟の仮面をぬいだらしい。

 私の知っている顔つきとなった、不機嫌そうな口元から、聞き覚えのある低いかすれた声をだす。

 

「………あいさつはいらねェだろう……。楽園の悪鬼。……テメェ……〝おれの島〟に、なにをしにきやがった………?」

 



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12、食える男と食えない女

「サンディ島が、〝おれの島〟? それならここは〝私の海〟だ。どこでなにをしようと、私の勝手……。てめぇに伺いをたてる筋合いはねぇな」

 

 光沢のあるテーブルクロスへ、グラスの底を静かにおろす。サテンには見えない。舶来物のシルクなのだろう。だれがこんなに使うというのか、それぞれ10本以上ならべられたナイフとフォークを、一本づつ手にとった。

 

 コースの順番を無視して置かれた品々。目の前にあるのは、白身魚のソテーである。ふっくらとした身を彩るスパイスの羽衣に、半透明な赤いソースがかかっている。

 舞いあがるその香りときたら。

 う・ま・そ・う!

 

 食事用のつぶれたナイフをさしこんだ、その瞬間に理解できる。これは、うまい。

 柔らかさと弾力のハーモニー。これは、うまい。

 フォークでそうっと支えつつ、ソースの従者を供にして、我が口内へいざなおう。ああ………。

 お・い・し・い!

 

 世のうまいものは、エラい奴とワルい奴の元にあつまると、相場が決まっている。

 特にそういう奴らには、見栄も意地もありあまっているもので、嫌がらせだろうが敵同士だろうが、自分から相手をさそった以上、下手な料理をふるまうことはない。

 

 やっぱり来てよかったー! うまいもん食えると思ってたよ! う〜まいよ〜!

 

 あとはできるだけ会話を長引かせ、ゆっくり味わう時間を稼ぐのみである。

 

「ハンッ! ……〝私の海〟だと……!? 小娘風情が、笑わせやがる……!」

「三年前。その小娘をとり逃したのは、どこのどいつだったっけな」

「………おれよりテメェの方が、強いとでも………?」

「さぁて………。少なくとも、今この場でやりあうのなら………私は無傷であんたを倒せる。そうだろう?」

 

 白身魚うまうまうまかったぁーん! 魚の甘みとスパイスの辛み、ソースの酸味がもうたまらん! 何皿でも食えそうだよーん!

 シャンパンを舌に運んで、口直し。今の会話のながれなら、笑みをこぼしても大丈夫かな? うまかったよーん!

 

「ふふっ………! クロコダイル。あんたが、悪魔の実の能力を〝覚醒〟させてたとは、今日この島に来るまで知らなかったぜ?」

「………なんの話かね?」

「アラバスタ王国の、大干ばつ………あんたの仕業だな? この国の雨をうばっているのは、ダンスパウダーじゃない。あんたの乾きの能力が…………この国をおおっているせいだ」

 

 さぁてお次は、サラダに取りかかろう。どうも、見たことのない小さな野菜が丸のまま使われている。

 なんだろう、この真っ黒いやつ。

 口に運んで歯をつきたてれば、うわ……。

 

 固そうにみえた外皮はぷちりと歯先を愛撫して、やわらかな内側へと導く。その食感は、ぶどうのよう。

 それよりいくらか引き締まった実の中からは、じゅわり、じゅわり、噛むほどに、フルーツトマトのような甘い蜜がしたたって、口の中にひろがっていく。

 

 なにこれ、うっまぁ!

 

「んふふふっ! ………島の気候海域に入ってすぐ、気づいたよ。私の〝知っている〟気配が、この島をおおっていることに……。クロコダイル。あんたの気配だ。その上あんたがもっているのは、干ばつを引き起こすのに、もっとも適した能力でもある」

 

 やべ、うますぎて笑っちゃった。ごまかすように言葉をつなげたが、どうだろう。

 クロコダイルは黙り込み、シャンパングラスを傾けた。

 

 サラダやばい。うまい。んふふふ!

 ペロリと平らげ、さてさて本命、肉料理。

 空いた皿を脇にかさねる。少しならず行儀が悪いが、給仕がいないのだから仕方ない。

 手元にとった皿の上には、500グラムを超えるであろう、存在感のあるステーキが威風堂々と鎮座していた。

 

 格子状にはいった焼き目。ワクワクしながらナイフを入れれば、透きとおった肉汁が、

 

「………なにが望みだ?」

 

 クロコダイルが復活した。やべぇ、会話の結論に入ろうとしてやがる。待てや! まだ食べ終わってねぇのに!

 あえて無視して、肉を口へ。

 うんっ………まぁああ!

 

 狩りたての新鮮な肉ならばいつでも食べてはいるものの、やはり、成熟させた肉のうまさは段違いだ。どこまでも肉と真摯にむきあい、焼き上げたのだろう一切れは、あー、ホントに、グランドライン。あー、グラグラ、グランドライン。

 

 もう……あいきゃんとすぴーくジャーパニーズ……。

 

「三年前………バロックワークスへの勧誘を、テメェは断った………。おれが直々に出向いた、誘いをな……」

 

 あ、よかった。クロコダイルが語りはじめた。しばらく私がしゃべらなくても良さそうだ。

 こころおきなく肉をほおばる。うっ、うっ、うまぁ………!

 

 そう、三年前。

 クロコダイルが作った秘密結社・バロックワークスへの入社を迫られたとき。勧誘を断ったら、〝じゃあ死ね〟とクロコダイルに襲われた。

 

 秘密結社の社長さんも、大変だ。

 なにせ、組織の存在自体、秘密にしておかねばならない。社員以外で組織の存在を知った者は、消さなければならないのだとか言ってた気がする。

 

 王下七武海になるような海賊は、一人で、島ひとつを消せる。それはその時、目撃したことだ。

 ケンカの舞台となった小さな秋島を、クロコダイルはものの数十分でただの砂地にしやがった。

 

 紅葉うるわしい山々は、クロコダイルの一薙ぎで枯れた。2度目で無残なハゲ山となり、3度目で山自体が砂塵となりはて崩れさった。

 

 ケンカの後に残されたのは、海にとびでる、巨大な砂場。

 去年ちらりと通りすぎたが、枯れきった島は波風にさらわれてしまったのだろう、跡形もなくなっていた。

 残されているのは、水中の土台部分が放つ、島のログだけ。

 

「あの時おれは……〝楽園の悪鬼〟について、調べが足りなかったらしい……。〝赤目の調停者〟だったか……? テメェ一体いくつ、二つ名を持っていやがる………。訪れた各地で、民衆の反乱を止めつづけているそうじゃねェか……! その上、遺恨を残さねェ形で、争う両者を、和解させてると……。この島には〝赤目の調停者〟として、おれを〝討伐〟しに来たのか……?」

 

 今と比べれば、三年前の私は弱かった。それでも5億ベリー前後の賞金首と戦って、無傷で勝利をおさめられるほどの実力は持っていた。

 その私をして、互いに致命傷を負わせられない、泥沼のケンカとなったのだ。

 クロコダイルは強い。

 

 チキュウのマンガ〝ONE PIECE〟の知識によれば、クロコダイルは遠からず、新人海賊モンキー・D・ルフィに倒される。

 すぐそばの未来で、クロコダイルは、覇気もつかえない少年・ルフィに、〝腕っ節で〟負けるのだ。

 

 おかしいとは思っていた。

 〝ONE PIECE〟の知識をさぐりに探れど、アラバスタ王国へやってきた時点でのルフィに、勝ち目などひとつもない。どう転ぼうが、クロコダイルがルフィに負ける要素も見当たらない。

 

 しかし実際に、サンディ島を訪れ、現在のクロコダイルと会ってみれば、その謎はとけた。

 

 悪魔の実の能力は、基本的に、己の体か、己の触れたもの、己のすぐ近くにあるものへと発動させることができる。

 逆にいえば、悪魔の実の能力には、効果範囲に限界があるということでもある。

 

 この限界を〝打ち破る〟ことを、能力の〝覚醒〟と呼ぶ。

 

 私は能力者ではない。その原理を詳しく知っている訳ではない。

 ただし、能力を〝覚醒〟させた能力者は、〝触れることも見ることもなく、自分からはるか離れた場所や物にも、己の能力の効果を与えられる〟とは知っていた。

 

 クロコダイルは、能力を〝覚醒〟させていたようだ。

 こいつがもつ乾きの能力は、今、アラバスタ王国をすっぽりおおっている。

 

 考えるまでもなかった。三年もつづいている、アラバスタ王国の大干ばつは、災害ではない。

 〝クロコダイルが乾きの能力で、アラバスタの水分を奪っている〟ために起こった、いわば、国家に対する攻撃だ。

 

 クロコダイルは三年近く、そこまでの広範囲にわたり、己の能力を使いつづけているのだろう。

 

 能力を〝覚醒〟させるだけでも、常人ではやりたくともできない、高度な技術だと聞く。ましてやこの規模と期間。桁外れのコントロール力と、埒外のスタミナ、クロコダイルはどちらも併せ持っているとわかる。

 

 それでも、つもりにつもったその疲労は、たしかに奴を弱体化させているらしい。

 

 テーブルの向こうに座るファーコートの男は、濃密な強者の気配をはなっていた。しかしこれも、三年前の秋島でみたクロコダイルと比べれば、雲泥の差。

 

 相手が今のクロコダイルなら、どうころんでも私が勝つ。

 宿屋では〝お前と馴れ合うつもりはない〟と示すため、腰のナイフへ手をかけたが、ナイフの出番さえないだろう。

 

 干ばつをおこすために〝覚醒〟した能力を使いつづけ、疲弊しきった今のクロコダイルならば、ルフィに負ける可能性があることにも頷けた。

 それでもまぁ、ルフィの勝率0%が、勝率0.5%くらいに上がった、という程度だろうが。

 

 いや?

 疲れ果てているクロコダイルが、覇気をつかう余力すら失っているとすれば、ルフィの勝率5%くらいにはなるか?

 

 なんにせよ、いくら弱体化しているとはいえ、このクロコダイルも充分に強い。

 これに勝てるならば、モンキー・D・ルフィは、相当なルーキーである。

 

 ……などとゴチャゴチャ考えていなければ、満面の笑みがこぼれてしまいそうだった。

 ステーキ、やば。

 うまかったぁん!

 

「なぜ黙る……。図星ってワケでもねェはずだ……。テメェがはじめからその気なら、とっくに襲いかかってきてる。…………テメェの目的はおれを倒すことじゃねェ………他にある………。ちがうか」

 

 テーブルに肘をつき、組んだ両手のむこうから、クロコダイルの眼光がはなたれた。

 とりあえず、意味深に微笑んでおく。

 やべぇ、話、聞いてなかった。

 

 もったいぶるように首をかしげながら、次の皿。うっひっひっひ、なんだこれうまそう! 見た目はラタトゥイユに似ているが、また別物なのだろう。見るからにサクサクとした、パイ生地の器に入れられている。

 とにかくいい匂いだ。

 あえてフォークで、パイ生地ごとサクッと切ってみた。うっはっはっはっはっは絶対うまいよこんなの口に入れたら……!

 

「今ここでテメェとやりあうのは………都合が悪ィ……。テメェの目的のため、協力するのもやぶさかじゃねェさ………代わりに、おれの計画を邪魔しねェならば、な………」

「ん?」

 

 聞き捨てならねぇ言葉が聞こえた。

 私に協力してもいい、だと?

 テーブルの向こう側に、視線をやれば目に入る。クロコダイル、一皿も食ってねぇよ。えっ、それ私が食べてもいい?

 いやいやいや、落ち着け私。

 

「ふぅ……」

 

 深呼吸と、シャンパンを一口。ほどよい辛みが思考を引き戻してくれる。

 

 〝おれの島〟という、クロコダイルの発言。

 海賊でありながら、なぜか民衆から英雄視されており、それに合わせるかのように〝英雄らしい〟立ち振る舞いをする様子。

 その裏では、悪魔の実の能力でもって、民衆を干ばつで苦しめている。

 相反するように、王に向けられた疑惑。

 

 ダンスパウダーを使った形跡はないにもかかわらず、アラバスタ国王がダンスパウダーを使って雨を奪っている、というヨタ話が、国民以外の間にまでひろがっている現状。

 

 雨を奪っている海賊は英雄となり、少なくとも雨は奪っていないであろう国家の王が、干ばつの原因とみなされている。

 クロコダイルのいう、〝おれの計画〟とは。

 

 点と点がシルエットを浮かび上がらせ、おぼろげな星座のように、ひとつの疑惑の形となった。

 

「あんたの言う、計画っていうのは………アラバスタ王国の、王になること?」

 

 海賊が国王になる。不可能ではない。実例がある。

 現在、王下七武海の中には二人、国王の座についている海賊がいた。

 

 一人は、ボア・ハンコック。九蛇という、海賊行為でなりたつ国の女帝である。

 こちらは生まれながらの王族であり、クロコダイルが模倣することはできないだろう。

 

 問題は、もう一人の方だ。

 ドンキホーテ・ドフラミンゴ。天夜叉の異名をもつこの海賊は、今から8年前〝新世界にある国家をのっとり、今も、国王の座にすわりつづけている〟。

 

 海賊が、国盗りを果たした上に、それを世界に認めさせている。

 ありえない。

 ありえないが、それを成立させた条件を挙げるとすれば、

 

 〝元の国王が乱心し、国や国民を滅ぼそうとしていた〟、

 〝乱心した元国王から、国や国民を守った〟、

 〝元より世界政府公認の海賊、王下七武海の一人であった〟 。

 

 この三つが、ドンキホーテ・ドフラミンゴによる王位継承を、世間に認めさせる根拠となったのだ。

 

 そのうちのひとつ、〝王下七武海であること〟という条件を、クロコダイルはクリアしている。

 聞きかじっただけでも、今のアラバスタには、〝国王が乱心し、国や国民に害をなしている〟というウワサがあり、〝クロコダイルは国や国民をまもる英雄〟という、まちがった認識がひろまっているとわかる。

 

 このウワサと、まちがった認識が、クロコダイルの意図によるものだとすれば。

 からみあった糸の先に見えてくるその〝計画〟は、国盗りとーーーー王位の簒奪。

 

「クッハッハッハッハッハッハ!」

 

 しかし私の問いかけは、クロコダイルの笑い声にかきけされる。

 

「王位の簒奪! この砂漠しかねェ貧しい国など、手に入れてどうする? なんの旨みもねェ……! まさかこのおれが、そんなくだらねェ計画を立てるとでも? ………正気か? クッハッハッハッハ………!」

 

 あれ? 違うの?

 バロックワークスへの勧誘をうけたとき、誘い文句は『真の楽園、理想郷を手に入れさせてやる……!』というものだった。

 クロコダイルの最終目的が、国盗りならば、あの誘い文句とも辻褄があうと思ったのだが。

 

 まぁ、楽しそうでよかったじゃねぇか。奴が大笑いしているすきに、ラタトゥイユらしきなにかを口に運んだ。

 ひゃーーーー! 大変だ!

 うまい!

 これは大変だ! 大変うまい! もう一口!

 

 ラタトゥイユらしきなにかを食べ終わり、サフランライスの添えられたスープカリーのようなものを平らげて、もはやなんと表現すればいいのかわからない、オシャレな見た目の、ぜ、ゼリー……? 寒天? 野菜の入った牛乳寒天のようなものを食べはじめた時、ようやくクロコダイルの笑いがおさまる。

 

 なぞの寒天もどきも大変です。おいしいです。ヤギのバターでも使ってんのかな、とろけるようなコクがある。

 

「……おれの計画は、どこかの鳥野郎のような、ちっぽけなものじゃねェ………!」

 

 グッと拳に力をこめて、クロコダイルは虚空へつぶやく。

 どこかの鳥野郎って、ドフラミンゴのことだろうか。確かに似てるけどさ、フラミンゴとドフラミンゴ……。それ言ったらお前は、そのまんまワニ野郎じゃねぇか、クロコダイル……。

 

 寒天のあとは、なぞの内臓。

 な、なんだこれ? 何かの内臓に、香草と米をつめて焼いてあるようだ。しかしずいぶん小さい。ヤギ?

 とりあえず食べてみる。

 あぁ………。やっぱり今日ここに、来てよかった……。おいしいぃぃ!

 

「あんたの計画とやらがわからねぇと、邪魔する邪魔しない、約束できねぇなぁ」

「………この島での、テメェの目的を言ってみろ………おれが判断する」

「………そっちこそ、正気か? 今この場での実力差、わからねぇあんたじゃねぇだろう」

「ア……?」

「計画の内容を知らなくても、計画をつぶすことはできる。……あんたをここで叩けばいい。私にはそれができる。……優位に立っているのは、どっちなんだろうなぁ?」

 

 テーブルの向こうで、殺気がふくれあがった。ビュウ、と、窓のしまった室内に、風が吹き荒れる。

 クロコダイルが、砂にかえた己の体の一部をあやつり、風を巻き起こしているらしい。

 

 バカヤロウ、料理に砂が入ったらどうすんだ!

 周囲の空気に覇気をまとわせ、裏拳でふきとばした。異様な圧をもった空気は、クロコダイルの能力を、テーブルの上から押しだしてゆく。

 

「判断するのは、私だ。あんたの計画、言ってみな。……この島での私の目的の、邪魔にならねぇようだったら……その計画、つぶさないでおいてやるよ……………あんたが私に、協力するならな?」

 

 やさしく微笑みかけてやれば、クロコダイルの舌打ちが聞こえた。



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13.昼メシ、じえーたいの監視を添えて

 宿の女将さんにきいてみれば、クロコダイルは、レインベースという街に拠点を置いているらしい。

 

 レインベースにはその名の通り、雨水のたまった巨大な湖がある。湖のまわりに人があつまり、自然と生まれた街であるらしいのだが、ひとつの問題をかかえていた。

 

 バナナワニ、という巨大な生物だ。

 体長20メートル、体高5メートルほどの彼らは、レインベースの湖に群れをなして生息しており、時折、陸に這い出てきては動物を〝食べて〟しまうのだった。

 この、バナナワニに食べられてしまう動物というのが、人間である。

 

 困ったことに、バナナワニは凶暴かつ強大で、レインベースに住む人々には、対抗する手段がなかった。このバナナワニをどうにもできない以上、他の街からわざわざやってくるような人間もいない。

 

 毎日毎日、被害者がでているわけではなかったらしい。

 しかし、三ヶ月のあいだに15人ほどは犠牲になる。

 そう聞いて、〝自分が食われるかもしれない〟場所に、だれが好んで行くだろう。

 

 レインベースははじめから、国内での物流ルートからはずされていた。そうなれば、食べ物も衣服も資材も、すべて自分たちの町で産み出さねばならない。農耕のむずかしい砂漠の国では、とても困難なことである。

 

 自然と、レインベースは貧しい街、他に行く場所のない人間たちのふきだまりになっていく。治安は自ずと悪化して、そうすればさらに、他の街からの救いの手は遠ざかった。

 スラム街とまではいかないが、三年前までは、〝よからぬ街〟であったらしい。

 

 そのレインベースを変えたのが、他ならぬ、サー・クロコダイル。

 三年前、この島にやってきたクロコダイルは、レインベースを訪れると、問題のバナナワニを、全匹、倒し、力関係を深く刻み込んだのち、全匹、ペットにしてしまったという。

 

 出来上がったのは、ワニ野郎のワニパラダイスだ。

 クロコダイルは、バナナワニに躾をほどこし、エサもきっちり与えてやった。その甲斐あってか、人を襲うことがなくなったらしい。

 

 レインベースの人々は、バナナワニの恐怖から解放されたのである。これだけでもクロコダイル〝様〟と呼ぶ人間が出てきたそうだが、まだ終わらない。

 

 クロコダイルは己の財産をつかって、湖のどまんなかにカジノを建てた。

 水中のバナナワニをきっちり統制するためでもあったらしい、この水上カジノは、他の町から人を呼び込む、レインベース変革のシンボルとなったのである。

 

 なにも産業のない町が生き残るには、観光に力をいれるのが手っ取り早い。クロコダイルはそれを己の資本でやってのけた。

 

 クロコダイルの発案で、マンモスガメという巨大な陸亀がひく、送迎車も用意されたらしい。ほかの街の人々は、過酷な徒歩での砂漠ごえをする必要もなく、安心安全快適に、レインベースへ行くことができる。

 

 貧しい街レインベースは、クロコダイルの手によって、〝富とギャンブルと夢の町〟に生まれかわったのだ。

 人が集まれば、物も集まる。

 レインベースにはいつのまにか、充分な物資がやってくるようになった。

 

 まだ終わらない。

 トドメだと言わんばかりに、クロコダイルは街にたむろしていたチンピラや、食うに困った貧乏人どもを、全員、水上カジノ建設のための人夫として雇いあげ、そのまま水上カジノの従業員として雇用した。

 

 一気に、獣害の問題も、治安の問題も、物流の問題も、雇用問題も解消してしまった。

 

 もはや、レインベースにサー・クロコダイルの銅像が建っていてもおかしくはない。見事な英雄っぷりである。

 

 レインベースは、ナノハナから200キロほど、北北西にすすんだ場所にある。

 ナノハナから行こうと思えば、最低でも2日はかかるそうだ。

 

 アラバスタ王国は、大河・サンドラ河によって、おおきく2つにわかたれている。

 私が海とカンチガイして逆走してしまった、あのバカでかい河だ。

 

 ナノハナからレインベースへ行くには、一度、船に乗り、サンドラ河の向こうへわたる。あちら側の砂漠には、砂丘が多く、歩くにも時間がかかるらしい。

 そこから砂漠を、最低でも2日ほど歩きつづけ、ようやくレインベースにたどり着くそうだ。

 

 しかし、クロコダイルは、その距離をたった数分で移動する。

 悪魔の実の能力をいかし、砂になって風に乗ることで、この島のどの港にも、すぐさま駆けつけてくるのだという。

 

 その速さときたら。

 港町で海賊が暴れはじめてから、30分もしないうちに、クロコダイルは〝颯爽と〟現れて、海賊どもを〝華麗に〟退治してしまうのだった。

 サッソウと、だの、カレイに、だのは、女将さんのコメントである。私の感想では断じてない。

 

 終わらない干ばつと、相次ぐ反乱。おかげでアラバスタ国軍は、まともに機能していない。

 

 封鎖された港は、ヴァメルだけではないらしい。

 警備にまわる国軍兵士の数が足りず、やむなく封鎖した港の数は10。国内の流通にも支障がではじめているそうだ。

 

 力をあつめて一気に反乱を鎮圧させる、のかと思いきや、そういう流れにもなっていない。トグルの民の男が言っていたように、国軍兵士が大量に、反乱軍へと寝返る始末。

 うわっツラだけで判断すれば、国軍は反乱をとめるどころか、翻弄され、反乱軍をふくれあがらせているだけ。

 

 そんな〝ふがいない〟国軍兵士にかわって、クロコダイルは、アラバスタを海賊から守ってくれている、というのが民衆の見解だった。

 

 女将さんは胸を張った。海賊っていっても、立派でやさしいお人だよねぇ、と。

 

 23年前におこったとある事件からこちら、この世は未曾有の、海賊フィーバーの中にいる。

 とにかく海賊の数がおおいのだ。

 

 グランドラインに入ってくれば、きびしい自然と強大な生物たちによって、人はじゃんじゃん死んでいく。

 数えるのもバカらしくなるほどの海賊たちがポンポン死んでいくのだけれど、入れ替わるようにまた新たな海賊どもがうまれては、グランドラインに続々と集まってくるのだから、きりがない。

 

 理由はひとつ。

 23年前に処刑された、〈海賊王〉ゴール・D・ロジャーが死の間際に叫んだ一言だ。

 

 『おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやる。 探せ! この世の全てをそこに置いてきたァ!』

 

 私は今年で22歳になる。ロジャー処刑は、私が生まれる前の話だ。直接立ち会ったわけではない。

 そんな私でも、セリフまで覚えてしまうほどに、ロジャーの言葉は世界を変えた。

 

 かの〈海賊王〉が、この世の全てと評した財宝ーーー〝ひとつなぎの大秘宝〟。別名、ONE PIECE。

 

 黒いドクロの旗をかかげ、グランドラインにおしよせてくる者共は、この世のどこかに実在すると言われる幻のお宝、〝ひとつなぎの大秘宝〟を手にしようというのである。

 ひいては、この世界そのものを、手に入れることに匹敵するだろうと信じて。

 

 ロマンのある話だった。ゾクゾクするじゃないか。

 裕福なカタギの人間どもならいざ知らず、これを聞いたのが、虐げられている人間たち、貧しさに苦しめられている人間たちならば、海にこぎだしたくなるその気持ちにもうなずける。

 

 ただでさえ夢のない世界だ。がんじがらめの身分制度に、人を人とも思わぬ政府、なくならない戦争に人種差別、迫害と隷属の応酬。

 ここまでならば21世紀のチキュウとも大差はない。ただし私の勝手な感覚だと、こちらの世界には〝夢幻〟がすくないように思える。

 

 マンガもない。アニメもない。テレビもないし、映画もない。ネットがないから2チャンもない。

 舞台やオペラ、ミュージカルに演奏会はあるけれど、上流階級のたのしみだ。貴族以外は入れもしない。

 どうにか庶民の手が届く〝ファンタジー〟といえば、小説くらいなものだった。

 

 てっとり早い言い方をすれば、このグランドラインこそ、〝夢〟と〝ナゾ〟にあふれる、この世界きっての〝ファンタジー〟なのである。

 そこに希望をもとうとすれば、実際に海に出て、冒険するのが一番はやい。

 

 人知をこえたおかしな生物や、人の叡智をこえた巨大生物たち、人の想像をこえた天候さえ、グランドライン特有のもの。ほかの海には一切ない。

 

 さらにはグランドラインに、財宝まで隠されてると聞けば、もう、じっとしていられないだろうーーーーー冒険の代償が己の命だとしても、元よりたいした生き方のできない命であるならば、かけてみる価値はある。

 

 ゴール・D・ロジャーは、グランドラインの海賊だった。そのことから多くの海賊たちは、彼の秘宝がグランドラインに隠されているとアタリをつけて、この海を目指してやってくる。

 チキュウでもこっちでも、人はなにかを略したがるのだろう。最近では、ゴールド・ロジャーと呼ぶのが流行っているようだ。

 

 今は亡きロジャーが引き起こした、海賊の大量発生………この時代のことを、〝大海賊時代〟と言いだしたのは誰だったのか。

 

 私は〝大海賊時代〟のグランドラインしか知らないため、海がどう荒らされたのか、この海がどう変えられたのか、はっきり説明できはしない。

 

 そんな私の常識として、まず、大きな国の〝港〟は、週一ほどのペースで、海賊におそわれるものだった。

 

 大海賊時代も23年目になる。これに対抗する武力をもたない国は、とっくに滅ぼされている。

 

 アラバスタ国軍が今、港を守る任務をまっとうできていないというなら、たしかに、それに代わって港を守るクロコダイルは、国そのものを守っていると言える。

 クロコダイル〝様〟は、新しいアラバスタの守護神なんだよう、とうれしげに言う女将さんのことばも、わからなくはない。

 

 女将さんが純粋というよりも、クロコダイルが、人を騙すのに長けすぎているのだ。

 そこまで徹底的に〝英雄業〟をやられたら、騙されても仕方ない。

 

 クロコダイルのマッチポンプは、おそらく、私がいなければ完璧だった。

 

 ただ見聞色の覇気を使える、というだけでは、悪魔の実の能力の気配など、感じ取れるものではないらしい。

 それを感じとることのできる私だから、たまたま気づいたというだけの話。これがなければ、私だって、クロコダイルが干ばつの犯人だとは気づけなかっただろう。

 

 風のうわさで聞いた以上に、クロコダイルは頭の回る男である。

 

 女将さんは私に向かって、『〝あなた〟あのクロコダイル〝様〟のお友だちだったなんて』と感激していたので、とりあえず全力で否定しておいた。冗談じゃねぇ。あんな悪党と一緒にしねぇでくれ。

 

 クロコダイルはやはり、この国の王位を手に入れるつもりでいる。

 ただし、目的は国じゃない。

 この国の王族がかくしつづける〝とある財宝〟を手に入れることこそ、クロコダイルの野望だそうである。

 

 財宝がなんなのか、詳しい話はさすがに教えてくれなかった。しかし大して興味もない。

 

 どうせ近いうちに、ルフィがクロコダイルをぶっ飛ばすのだ。王の疑惑の件もある。下手に手出しせず、ルフィたちに丸投げした方がいい結果となるだろう。

 

 はじめから、そう。

 クロコダイルを潰すつもりも、クロコダイルの計画を潰すつもりも、クロコダイルの計画を知ろうとする意志さえも、私には一切ない。

 

 クロコダイルに告げたのは、本当にただの脅しである。予想に反し、クロコダイルが劇的に弱くなっていたので、ちょっと強気で出てみただけ。

 信じてくれてよかった。

 おかげで、実質なんの損もなく、有益なアイテムを手に入れることができた。

 

「フーン、スーゥ…………フーン、スゥー………………」

 

 と、テーブルの上で寝息を立てる、手のひらサイズの小さな生物。

 小電々虫である。

 

 見た目はまるきり、カタツムリ。しかし爬虫類の仲間である〝電々虫〟は、カラフルな体色もさることながら、ちょっと特殊な習性をもつ。

 

 電波をとばしあい、電気信号をつかって、音を伝えあうのだ。

 しかも、顔マネまでしながら、受信した音を再現してくれる。

 グランドラインに生息する〝ファンタジー〟の一つ、天然デジタル生物なのだった。

 

 電々虫の殻のような部分に、人工の補助装置をカポっとかぶせれば、電話のように遠くの相手と通話ができるようになる。

 

 中でも、小電々虫とよばれる小さな個体は、電波をやりとりできる範囲がせまい。せいぜい、おなじ島の中どうし、最大でもその島の近海までしか送受信できない。

 

 不便なようだが、ものは捉えようである。電波が外海にまでとどかないため、海軍などに盗聴される心配もほぼないと言っていい。

 

 クロコダイルに出した条件は、3つ。

 1つ、私用の、小電々虫を用意すること。

 1つ、サンディ島に、四億ベリー以上の懸賞金首がやってきたら、私の小電々虫に連絡をいれること。

 1つ、私の探し人が見つかるまで、国盗りはしないこと。

 

 この条件をやぶらない限り、私はクロコダイルの国盗りを邪魔しない。クロコダイルの裏の顔を、吹聴して回ることもしない。

 しかし、これらの条件をやぶったら、どうなるか。それはクロコダイルのご想像にお任せしている。

 

 クロコダイルのおかげで、エースの情報を買う手間も費用もはぶけるのだから、まぁ、感謝してやらないこともなくもねぇよ。

 

「はぁーい、サンディーヤ定食、お待ちい。熱いからね、気をつけてたべるんだよ!」

「あーい。いただきまーす!」

 

 パン、と手をあわせてそう言うと、相席の客がふしぎそうな顔をする。女将さんはもう、なれたものだ。

 民宿のような宿屋、サンセット・ハウスに泊まり始めてから、かれこれもう2週間。

 すっかりここでの生活リズムが生まれていて、昼はかならず、この宿の食堂で食べると決めている。

 

「あー、黒ちゃん今日もいるんだー!」

「黒ちゃんじゃねぇよ、マジェルカだ!」

「あー!黒スケー!」

「黒スケじゃねぇよ! マジェルカだっ!」

 

 アハハハハハ、と笑ってやがる、5歳から8歳くらいのこどもたち。

 

 店の宣伝のためだろう、昼の食堂は、ドアを開け放してある。

 道の向こうから私の姿を見つけたらしい。ドタドタと食堂に入ってきたのは、〝ナノハナ自衛隊〟を名乗る、10人のガキンチョ軍団だった。いや、今日は11人か。

 

「新入り、一人増えたのか?」

 

 食事中の背中に、断りもなくよじ登るガキ。意味もなくうしろから、私の腰に抱きついて、一方的に相撲をとろうとしてるガキ。

 私はアスレチックジムじゃねぇんだぞ。

 

 まぁ、やると思っていたので、ホルダーに入った腰元のナイフは、腹側にくるりと回してある。危ねえからな。

 かといって気分のいいものではない。

 

 うしろに頭をグッと反らせて、ガキの頭にゴン、とぶちあてる。手加減しまくってはいるが、どうだ痛いだろう。

 

 「いってぇー!」と言いながら、ガキンチョは私の肩の骨に、グリグリ、小さなアゴを押しつけはじめた。待て待て待て!

 

「地味にいてぇよ!」「しーかーえーしーだー!」「自衛隊が仕返しするわけねぇだろう!」「おれたちじえーたいじゃないっ! ナノハナじえーたいだー!」「とんでもねぇ暴論だなぁ!?」

 

 7歳ほどの女の子は、リーダー格の一人である。ツン、とアゴを反らせながら、腰に手を当てて言う。

 

「今日も、わるいこと、してないでしょうねっ!」

「今日もメシ食ってるぜー」

「メシって言った! メシって言っちゃダメなんだよっ! ごはん!」

「あー、ご飯ご飯」

「ダメっ! きもちがこもってない!」

「……気持ち込めて言うモンか!?」

 

 キャッハッハッハ!とそばに立つ、黄色い髪の女の子が笑う。紫色の髪の女児は「そう!きもちが大事なんだよっ!」とつづけた。どういうことだ。

 

 この食堂、椅子に背もたれをつけるべきだと思う。

 背後では「おい勝てそうか」「うーごかねぇー!」「どんだけデブなんだよー!」「おれこっちひっぱる!」「バカ、引っ張るんじゃなくて、持ち上げるんだ!」と男児たちがよりあつまって、私をひっくり返そうと協力しはじめた。

 

「ふっふっふ、ばぁかめ、てめぇらじゃ100年経っても私をひっくりかえせねぇよー」

「なんだとおおお!」

「やっぱりワルいやつだ! 黒スケぇ!」

「黒スケじゃねええよ!」

 

 ナノハナに滞在をはじめて、何日目だったか。

 初日のポジティブキャンペーンが功を奏し、私の存在は一躍、町のウワサになったらしい。それを聞きつけ、怖いもの見たさでやってきたのが、このガキンチョたち。

 

「ナノハナじえーたいはぁー、ふえるんだ! どんどん! せーぎだから!」

「生理だから?」

「せー! ぎぃー!」

「セリだから?」

「せー! えー! ぎー!」

「あっ、正義か!」「そうだよ!」「正義かぁ……ハンッ、興味ねぇわ」

 

 鼻でせせら笑ってやれば、全員が猛抗議をはじめた。

 こどもの嗅覚はバカにできない。

 私を一目見たとたん、〝悪党だ〟と見抜いた彼らは、あれから毎日、私が悪事を働かないよう、こうして見張りにくるのである。

 

 たしかに、悪事を防がれている気がする。こいつらからかってると、すぐに時間がすぎちゃって、悪いこと考えるヒマがねぇからな。

 こいつら、おもしれぇんだもん。しつこいし煩えし邪魔だけど、反応が早くて予想外なことを言ってくる。

 

「あー! これまだもってんじゃーんっ! わるいでんでんむし! すてろって言っただろー!」

 テーブルの小電々虫を指さし、男児の一人が叫んだ。

「すてないってきめたでしょー! いきもの、にっ、そういうことしたら、ダメなんだよ! かわいそうじゃん」

「でも、だけどっ、わるいやつとつーしんする、から、黒丸は、これでぇ!」

「黒リンはぁ、わるいけどぉ、でんでんむしは、わるくないじゃん!」

 

 さすが、ナノハナ自衛隊。彼らにかかればその小電々虫に、この島一番の悪党から連絡がくるということまで、お見通しである。

 

「でもねぇ、黒リーナぁ、一人へったの」

 

 そう言って、黄色い髪の女児が、私の前の席にすわろうとする。その横にいた男児が、おなじテーブルの客を押しのけてまで割り込もうとする。

 私はスプーンの柄の先で、男児のひたいを軽くこづいた。

 

「おい、周りの人押しのけてんじゃねぇよ、割り込みはダメだ」

「んーっ!?」

 男児はひたいを抑えながら、〝わるい奴におこられた! 納得いかねぇ!〟という顔をした。ほら、と客をアゴで示せば、不満が隠しきれない様子で、それでも「ごめんなさいい」と謝罪する。割り込んだ体をひっこめて、女の子の後ろにさがった。

 

「自分に筋が通ってねぇとき、ちゃんとごめんなさいできるのは、正義だな」

 腰を浮かして腕をのばし、女の子の頭を飛び越して、その頭をぐりぐりなでてやる。男児は「さわるなわるものー」と言いつつ、まんざらでもない顔ですなおに撫でられた。ふはは! 愛いやつめ!

 

 私の腰をもちあげようと踏んばっていたガキンチョどもは、不意をつかれてすっころんだらしい。もつれあってごちゃごちゃしている。ふはは! ざまぁ!

 

「だからぁ、黒リーナァ、一人へったの!」

「私、黒リーナじゃねぇもん、マジェルカだもん」

「見てないー?」

「………だれか、居なくなったのか?」

 

 いつの間にか全員がギャーギャーと、口々にしゃべりはじめ、とりとめのない情報があつまった。そこに私のお代わりを持ってきた女将さんまでもが加わって、ようやく話の内容がつかめてくる。

 

 昨日からこどもが一人、行方不明になっているらしい。

 もうこれだけで、この街の治安がいいとわかる。本当に治安の悪い町では、こどもの数なんてだれも把握していないものだ。よほど目立っているガキ以外は、増えても減っても気づかれない。

 そうなっていない以上、この街に人さらいが来ることも少ないのだろう。

 

 消えたこどもの名前は、カッパ。

 昨日の夜から、ナノハナ自警団によって捜索されていたらしいが、見つからず、今朝になって国王軍の方に、尋ね人の届け出がだされたとか。

 

 女将さんも、商売の関係で、ナノハナ青年団というものへ加わっているらしく、明日からはともにカッパを探しに行こうという話が持ち上がっているそうだ。女将さんは食堂がおわった夜に、参加するつもりらしい。

 

 「女が夜歩きなんて危ねぇじゃねぇか」と忠告すれば、「やだよう、あたしなんてもう、女っていうよりほら、おばちゃんでしょうよう!」なんてなぜかクネクネ照れながら、女将さんは意に介さない。危ねぇことには変わりねぇだろ……?

 

 カッパを見たらすぐ教えてね、と、ナノハナじえーたいの面々は、念をおして帰っていった。カッパの似顔絵も押し付けられた。さすがじえーたい、抜かりがない。

 

 ナノハナじえーたいが制作したのだろう。オレンジ色のクレヨンが、ぐちょぐちょ円を描いている。そこにまじる、黄緑と深緑のマーブル模様。

 とどめに黄色の丸がふたつと、桃色の丸が3つ。

 

 なるほど。カッパっていう奴は、人間じゃないらしい。

 

「ここには他所から来た人も多いからさあ、カッパの似顔絵を配るっていうのは、いいかもしれないよねぇ」

「……これを配るのか?」

「やだよう! もっとちゃんと、人間っぽいやつを配るんだよう!」

 

 なるほど。やっぱりこの似顔絵、似てないらしい。

 

 グランドラインの前半に、そうそう凶悪な海賊はいない。大海賊時代の基準なので、街をひとつ滅ぼすくらいでは、凶悪と呼ばれることもなかった。

 

 たとえば、島ひとつを焦土にしたり、世界政府の上に位置する世界貴族、天竜人の船をおそったりしないかぎり、懸賞金額が、四億ベリーを超えることはない。

 

 〝ひとつなぎの大秘宝〟は、その在りかも形状も、すべてが謎とされている。

 しかし海賊どもは確信をもって、グランドラインの奥地、グランドライン後半、通称〈新世界〉をめざす。

 

 この海を生きのびる力をもった海賊どもは、大抵、グランドライン後半にわたってゆくのである。グランドラインの前半は、ただの通過点。

 自然と、世界政府に対する脅威度をしめす、懸賞金額も、前半の海の海賊たちの方が低くなる。

 

 私の待ち人がポートガス・D・エースであることを、クロコダイルには教えていない。余計な勘ぐりをされても面倒だからだ。

 

 しかしざっくりと、四億ベリー以上の賞金首、と指定すれば、この基準に引っかかる来訪者はエースくらいなものだろう。

 

 現在のサンディ島には、犯罪組織がバロックワークスしかない。古くから島に根付いていた犯罪組織は、数年前、現国王のコブラによって骨も残さず粛清されたあとである。

 そのせいでクロコダイルがすんなり入り込んできたのだろうが、そのおかげで他の悪党どもからすれば、サンディ島は〝用のない島〟だった。

 

 世界をわかつ壁……レッドラインを超えてまで、後半の海からわざわざこの島へやってくるような物好き、エースの他にはいないはず。

 

 ナノハナの観光は、そりゃあもう隅々までたのしんだ。ただし2週間もいれば、ネタが尽きる。

 ヒマでヒマで仕方がないので、港の隅っこへお邪魔し、覇気のトレーニングをしながらジャグリング(大道芸)の練習をしていると、「プルルル」と声が聞こえる。

 16本の小さなナイフを指の間でキャッチして、小電々虫の元へ駆けた。

 

 暑さにはつよい電々虫だが、暑すぎれば干からびる。ナノハナじえーたいの一員が息子であるという、役人のおっさんにお願いし、港の関所の窓のひとつに置かせてもらった小電々虫。

 ニュルッと唇をとんがらせ、「プルルル」とまた言った。

 

 その殻に被せられた、カバーの中央。通話ボタンがわりのポッチを押す。

「ガチャ」というのも小電々虫が自分で言った。

 ザザ、とノイズの音がする。これは本当にノイズであるらしい。小電々虫を手に乗せて、港の関所から遠ざかる。

 

『…………おれだ』

 おどろおどろしいこの声は、クロコダイル本人なのだが、小電々虫が一生懸命、顔マネしようとしていて困ったものだ。

 眉間と口元に力を入れすぎて、ただの変な顔になってる。笑かすなよ、これは大事な連絡なんだよ!

 

「………おう、あったか?」

『お望みの、5カラットの宝石………今、タマリスクの港にひとつ、サファイアだ』

 決めた通りの暗号だった。5カラットの宝石は、五億ベリー超えの賞金首。サファイアというのは男を示す。

 

「………ありがとう、見に行ってみる。上物だったら報告するよ」

 上物というのは、目的の人物だった場合の合図。ハズレだったなら〝好みに合わなかった〟と告げる手はずとなっている。

『………上物であることを願うばかりだ………』

 

 「ガチャッ!」と小電々虫が叫んだということは、クロコダイルは相当手荒く受話器を置いたらしい。通話はきれた。

 

 一仕事おえた小電々虫の頭をなでて、ポケットから菜っ葉をとりだす。よくやったな、例のブツ……報酬だ。

 むしゃむしゃ口を動かして、小電々虫は頷いた。〝たしかにこりゃあ、上物だ〟と言っているような顔である。

 



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三章 砂漠の男
14.ナメてナメられ空の旅


 女将さんは厨房に立ち、すでに夜の仕込みをしていた。スパイスのいい香りがする。宿の裏口から首を伸ばしてのぞきこめば、グツグツいってる鍋の中に、今日は魚だ。いいなぁ、魚!

 

「なぁんだよう、今日はウチで食べるのかい? あんたいっつも夜は食べ歩きに出てっちゃうから、あんたの分は足りないかもしれないよう?」

「えぇぇえぇーん………! うまそう、食べてぇ、でも食べねぇ」

「どぉっちだよう!」

 

 宝石が見つかったから、タマリスクに行く。そう告げれば女将さんは合点した。話はすでに通してある。〝変わった宝石が欲しいから、クロコダイルに色々探してもらっている〟というカバーストーリーである。

 嘘はキライだ。

 ただし本当に、あちらで宝石を買ってくれば、嘘は誠にもなる。

 

「じゃ、2、3日帰らねぇと思うが、部屋はとっといてくれ! 荷物もたのむ!」

「2、3日ってあんた、2、3週間のまちがいだろう? タマリスクまで陸路でいくなら、片道1週間はかかっちまうよう! ちゃんと調べたかい?」

「あー、それだと、宿代が足りねぇな? いくらだ?」

「そうだねぇ………今流行ってるんだよ、タマリスクの〝水の宝石〟。それを土産に買ってきとくれよ。そんなら宿代は、帰ってきてからでいいからさ!」

 

 今すぐナノハナを出る、と言えば女将さんは慌てて鍋の火を止めた。そこからは〝女将さんラッシュ〟だ。

 

 日差しをさえぎる上掛けに、頭に巻くスカーフ。

 それを押さえるヘッドバンドのようなもの、ブーツに水筒に手袋に、サソリの毒の解毒剤など、砂漠歩きの一式をどんどんと持たされる。

 

 あっという間に大荷物となったので、やたらとかさばる保存食はこっそり置いてくことにした。

 

「じゃ! いってきまーす!」

「あんたちょっと、そっちじゃないよう! タマリスクはあっち! 港の東側から砂漠にでて、海沿いに歩いて行くんだってば!」

「わかった! いってきまーす!」

「わかってないだろあんたっ! ちょっと………! マジェルカー! そっちは真逆だよーうっ!」

 

 わざわざ店の前まで出てきてくれた女将さんに手を振って、ナノハナの西へ向かう。タマリスクは、東だ。真逆なのは知っている。

 

 これも干ばつの影響なのか、はたまた、ただ持ち主が怠慢なのか。ナノハナの外れ、町の西側には、廃墟が乱立していた。

 屋根はどこにいったのだろう。あるのは風にさらされた、崩れかけの壁ばかり。

 その根元をみれば辛うじて、砂に埋まった床の部分がチラホラ見える。

 これらは程よい障害物として、私〝たち〟の姿を隠してくれるはずだ。

 

 立ち止まり、町が見えないことを確認する。残る三方は、すべて砂漠。見聞色の覇気をつかって、無関係な人間がいないことをたしかめる。よし。

 私はだらりと脱力した。

 

「いいぜ! 今なら、襲ってきても。マナーのいい襲撃者は、大歓迎だ」

 

 おどけるように腕を広げても、なにも起きない。ヒョオオオウオオ、と甲高い鳴き声のような、風の音。

 この後、大事な用があるのだ。あまり長く待ってやるつもりはない。

 

「さっさと出てこいよ。そっちの男、身長185センチ前後。そっちの女、身長170センチ前後、悪魔の実の能力者。そこの男、身長200センチ前後、めずらしいなそりゃ薙刀か? あんたの持ってるその武器だよ」

 

 崩れかけの壁に隠れたそれぞれが、肩をびくりと硬ばらせる気配がした。

 

「これまで見てるだけでなにもしなかったんだ、知ってるとは思うが………念のため、確認しよう。私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカ。このあだ名は好きじゃねぇが、楽園の悪鬼とも呼ばれてる。そして…………主張はひとつ。…………………私をどうこうするために、私以外のだれかに手を出した奴、出そうとした奴……例外なく、生首にする。組織全員、一人残らず。あの世の果てまで逃がしゃしねぇ……」

 

 身長約2メートルの方の男が、もごりと口を動かす。読唇術はできやしない。それでもなにを短くつぶやいたのか、察してあまりある。

 ーーーーー〝生首の夢〟。

 かつて私が起こしたいくつかの騒動は、まとめてそう呼ばれている。

 今の宣言は、脅しじゃない。比喩でもない。ただありのままの過去の説明であり、未来への宣誓だ。

 

 瓦礫のような壁から出てきた、2メートルの男は、両手をあげていた。

「こ………! 降参するよ………! つけ狙ってたのは、悪かった! でも! おれたちはまだ何もしてない!」

「おい! バンロ!」

 もう一人の男の声が、咎めるようにとんでくる。なるほど。女の姿が消えている。

 

 私は足元の砂を蹴った。

 ボウンッ………と、砂がまきあがる。ともに蹴り上げられたのは、一匹の蛇。

 毒々しい紫色をもったその蛇は、砂煙の中へ消えた。

 

 見聞色の覇気は、便利だ。無残にけり飛ばされた蛇が、砂煙の中、シュルリと姿を膨らませ、異形となって巨大化していく様もわかる。

 蛇の頭に、髪が生える。

 蛇と人とを掛け合わせたかのような、顔面。

 巨大化してゆく蛇腹のわきに、ニュルリと現れたのは、人の両腕だ。

 あれはただの蛇じゃない。ゾオン系・悪魔の実の能力者だった。

 

 ゾオン系能力者は、3つの姿に変身できる。1つ、動物そのままの姿。1つ、人間そのままの姿。

 そしてもう1つが、動物と人間をかけあわせた姿、人獣型。

 

 能力に慢心せず、よく鍛えているらしい。人獣型に変化した女の姿は、5メートル以上ある。

 

 砂煙から猛然と飛び出してくる、大蛇の牙。

 蛇とも人とも言い切れぬ顔が、髪を逆立てて、牙をみせつけていた。

 開かれたアギトの、大きさと言ったら。噛みつくどころか、私を丸呑みできそうだ。

 

 この夏島は、影が濃い。

 大きくあいた蛇の口から、その喉の奥が見える。真っ暗なトンネルがせまってくるようである。

 一歩。

 私は大きく、右足だけを前に出した。

 

 深く沈み込むよう、体制を低くとる。ほんの僅かに浮かびあがった、大蛇のアゴの下へと滑り込むように。

 そして、蛇らしく薄っぺらい下唇を、左手でがっしりとつかむ。

 

「おら」 左手で、大蛇の口をひっぱりあげた。

 軌道がそらされ、天へ向かってしまう蛇人間の顎。それを下から右手で押し出してやれば、大蛇の胴がたわむ。

 

 前方へ加速しようとする胴体。

 タイミングをあわせ、左手につかんだ大蛇の下唇を、後方へ引きもどす。

 

 砂煙の中、大蛇の尾が、止まろうと力むのが分かった。しかし、もう遅い。

 

 つんのめってしまった大蛇の頭。私の左手を起点にし、大蛇の胴体は、つっ転ぶように浮いていく。

 

 能力者は宙を舞った。ドズゥン、と控えめな音がしたのは、深い砂地であるせいだろう。

 

 私の足元でひっくり返った大蛇の頭と、ちり広がった髪。遠心力に引きずられ、ズザザザザ、と滑っていく。その目がこちらを凝視しているのを気配で感じとり、思わず一言。

 

「ちょっと、ナメすぎだろ……?」 んな単調な攻撃、私に入ると思ってんのか?

 

 隙がある、と踏んだらしい。

 大蛇を投げた私の背中をねらい、薙刀が、ギラリと振り下ろされてくる。

 まだ足をおおきく広げ、姿勢を深くしたままの私の首元へ、迫る刃。

 

 先ほどの〝ビビった〟ような有様も、打ち合わせを重ねた上での演技だったのか。2メートル男はもう、一片の怯えすら見せず、勇猛に私へ肉薄する。

 

 立ち上がるまでもない。

 男の振り下ろした薙刀の、鋭い動きに寄り添うように、肩をぐにゃりと蠢かせた。

 

 歌に踊りは、旅人の嗜みだ。

 本職の踊り子には負けるが、この体も、そこそこ柔らけぇんだぜ?

 

 しなやかに首を回し、地面ギリギリまで沈めた体をさらに沈ませ、ドロリと溶ろけた〝飴玉〟のように、砂地へとへばりついて切っ先をかわした。

 

 灼熱の砂は、触れてもいない頬の皮膚まで、ジリリと熱くする。低すぎる視線の先には、男の足。

 空ぶってしまった薙刀を、切り返そうというのだろう。

 力の込められた足首へ、指先をのばす。

 

 〝タッチ〟。

 男はピタリ、動きをとめた。

 おかしなことはしていない。ふれた指先から、私の覇気を少々、流し込んだだけだ。

 

 見聞色の覇気で、それがはっきりわかる。2メートル男はあっさりと意識を失う。

 

 万物に宿る〝存在力〟。それが覇気。

 

 己と他者の境界線を、はっきりさせておくためだろう。生物の覇気は、おもしろい特徴をもっている。

 反発しあうのだ。

 

 このため、触れあったり、殴り合ったりしようとも、生物どうしの覇気が勝手に混ざることはない。

 

 ただし〈覇気使い〉……覇気というエネルギーを、意図的にコントロールできる術者………が、〝ムリやり他者の体の中へ、己の覇気を流し込む〟とどうなるか。

 

 うっかりコップからこぼれた水より、意図的に、コップからぶち撒けた水の流れの方が、強い。それと同じことだ。

 ただそこにあるだけの覇気よりも、〈覇気使い〉が意図的にあやつる覇気の方が、〝強い〟。

 

 〈覇気使い〉が流し込んだ覇気は、他者の体がもつ覇気を〝押し出し〟て、他者の体内から消してしまう。

 

 これらの覇気の性質を応用したのが、この技。

 触れた場所から、己の覇気をムリやり他者に流し込む、その名も。

 〝意識をかっくんさせるタッチ〟!

 

 相手に宿る覇気……相手のもつ存在力を吹き飛ばしたと言っても、ほんの一瞬のこと。健康な成人ならば、時間が経つと共に、自然と覇気は元に戻る。

 こいつなら、1日と少し眠ったら目覚めるだろう。

 

 2メートル男が倒れる前に、その体の影から、185センチ男が飛び出してこようとした。

 手にした武器の狙いはまっすぐ、ちょうど立ち上がった私の心臓付近。

 

 変わった剣だった。レイピアのような、針に似た刀身。しかし、レイピアより太い。

 刃に毒を仕込めるのか? 先端、そして刃の至る場所に、小さな穴がある。

 

 女将さんが頭に巻いてくれた、砂よけのスカーフが、風になびく。解けかけた布が垂れて、私の目元を隠してしまう。

 

 勢いづいた185センチ男が、毒剣を突き出した。

 ボンっ……と突風さえ巻き起こし、放たれた〝突き〟。

「よ……っし……!」

 勝利を確信したらしい。気の早い喜びの声をもらす、男の目は爛々とギラついている。

 いつ気づくだろう。

 虚空へ突き出されただけの毒剣に。

 その横顔をちらりと見上げ、男の腕の筋肉の山を、人差し指でつっついた。

 意識をかっくんさせるぅ〜? タッチ!

 

 蛇女が仕掛けてきてから、全員一通り攻撃をかますまで、4秒弱。速くはないが遅くもない。

 ただ、ちょっと、つまんねぇな。思った以上に、戦い方がふつーだぞ、こいつら。

 

 察するに、男二人はヒットアンドアウェイ。蛇女の攻撃に巻き込まれぬよう、攻撃を入れたらすぐに一度敵から離れる、という筋書きだったのだろう。

 

 〝なぜか〟攻撃を入れた体勢のまま、動かなくなってしまった仲間2人の姿に、蛇女が困惑している。

 グッと、天へ伸び上がった鎌首。異形の巨体が、砂に漆黒の影を落とす。

 チロチロと飛び出した蛇の舌先は、サイズが大きすぎる。舌というより鯉のぼりみてぇ。

『オマエ……! ナニをした……!』

 

 声なのか、〝念波〟なのか。ゾオン系能力者はなぜか、人獣型をとった姿でも、人の言葉を話すことができる。

 未だ〝立ったまま〟気絶している男2人から、私は歩いて遠ざかった。

 

「そっちから仕掛けてきたんだろう? 私は今、〝ケンカ〟してるよ。あぁ、それとも……」

 

 立ち止まったのは、蛇女が仲間を気にせず、私を攻撃できるだろう位置。肩をすくめた。

 

「ケンカっつうより、遊んでやってるように見えたか?」

 

 ズズン、と、大蛇の頭が地に落ちてくる。怒りとともに引き絞られた、その瞳。

 タテに鋭く裂けた、その虹彩は金色だ。ありゃ、私の目とおそろいね。

 シュルシュルと、舌を出し入れする大蛇へ、指を一本立てて見せる。

 

「10秒やるよ。考えろ。〝倒された〟仲間を背負って退散するか……3人揃って、ここで、倒されるか。……全員気絶させようと思ってたんだが……ここ、アチいよな? こんなとこで一日寝てたら、全員死ぬだろ、脱水で」

 

 それとも凍死になるのだろうか。砂漠の夜は寒いから。

「あんたがここで負けを認めりゃ、私は立ち去るぜ?」

 

 選択肢をあたえたつもりが、蛇女にはただの侮辱と取れたらしい。

『………ナメルナ…………! アッキィィイイ!』

 ふり絞ったような言葉が、大蛇から発せられた。シャアアア、とその喉が鳴る。

 

 どこぞの神殿の支柱のような、巨大な胴をしならせて、つっこんでくる、髪をふりみだした大蛇の顔。

 どうあっても私を〝食いたい〟らしい。食いつきたいほどいい女、ってことかな? 照れるねぇ。

 

 迫り来る牙。あ、違う。

 こいつも毒か!

 牙の表面にはヌラヌラと、唾液とはまたちがう、液体がしたたっていた。

 

 力比べがしたいのかと、つい、待ち構えてしまった私へ、毒牙は迫る。

「うおっ、と!」

 その下顎を、右足で止める。ズォオン、と足元の砂地がわななく。

 勢いよく噛み付こうとしてくる、上の牙。毒液がボタリ、滴って、女将さんがくれた上掛けの裾に穴をあけた。

「ええええーーー!?」

 せっかく! 女将さんが! くれたのに!

 

 シュルリと私の腹を包み込んだ、大蛇の舌先。巻きとって逃がさぬつもりらしい。さらに加速し迫りくる、私の半身ほどありそうな、牙の切っ先。

 

「ふざけんなてめぇぇーーー!」

 ガスンっ。大蛇の下顎を蹴り上げた。

 ゴォォ……!

 風の速度で天をあおいだ、大蛇の口。舌に巻かれたままの私も、引っ張られ、一緒に宙へぶち上がる。

「この上掛け女将さんがくれたんだろうがてめぇ見てたんじゃねぇのかゴラァ!」

 私を〝舐る〟舌の付け根を、ムリやりワシ掴み、体をひねる。

 

 背負い投げの要領だ。ただ、お互いの体勢が体勢なので、これを背負い投げといったら柔術やってる友人に説教される気がする。

 

 ドパァン……!

 

 辺り一帯、砂地が凹む。一拍遅れて、爆発的に、砂が舞った。

 投げとばす瞬間、ゆるんだ舌から解放されて、私は空を〝駆けおりる〟。

 砂漠に打ちすえられた、異形の大蛇は、ぐたりと脱力したままだ。

 

「あぁ……せっかく……くれたのに……」

 『あたしの使ってた奴だから、あんたにはおっきいけどさ!』そう言って出してくれた代物は、どこか安心をさそう匂いが染みていた。気に入ってたんだけどなぁ。

 クリームがかった桃色の上掛けには、毒にジュウジュウ溶かされた、穴があいてしまっている。

 

 ドサ、ドサ、と音のする方を見れば、男2人がようやく地面に倒れたところだった。

 

 思った以上にぶん投げちまったらしい。遠くあちらの、砂のクレーターのど真ん中、大蛇の姿がシュルシュル縮む。

 女の方も、死んではいない。

 見聞色の覇気でとらえた女の気配は、立ち上がろうとして、また砂に倒れた。足が言うことをきかないようである。

 

 念には念を。いくら行儀のいい襲撃者だろうと、心変わりしない保証はない。

 私がここにいない間、ナノハナで知り合ったみんなへ手出しできない状態にしておく、という目的は達成できた。

 

 服に穴あけちまう予定はまったくなかったんだがな!

「はぁ……もう……。油断したぁ………」

 眺めていたって、服は直らない。気を取り直し、まだ意識のある蛇女へと声をかける。

 

「おーい! じゃあなー! 私、もう行くからなー! 再挑戦するなら、もうちょっと強くなってから来ーい!」

 

 砂漠らしく乾ききった空へ、〝駆け上がる〟。

 

 目指すタマリスクは、島の東。ナノハナからは北東になる。

 海沿いにぐるっと遠回りし、砂漠を歩いて向かうのがセオリーだ。

 しかしそれでは1週間もかかる。

 私は空路を行くことにした。

 

 サンディ島の上空は、地上に比べりゃいくらか涼しい。ただし、日差しは地上よりも強烈だ。

 私の肌はチョコレート色。そのおかげで紫外線につよい。その私が、チリチリ不快に思うくらいなのである。砂漠、やべー。

 

「んっ!?」

 20分も走っただろうか。もうナノハナはとっくに通りすぎ、いくつかの町も背後にした。まさに今、砂に呑まれかけている、放棄された町もみた。あれもまた、干ばつのせいなのか。

 

 きらめく海を眺めては、しんみりした気分を紛らわせ、地上に視線を戻した時。

 変なものを、みた。

 

 思わずひきかえし、旋回するように丸く円を描いて走る。

 見間違いではない。

 砂漠に、変なものがある。

 

 それは砂埃をあげていた。まるでクジラの潮吹きみてぇに、バシュバシュ砂を打ち上げている。

 それは砂漠を走行していた。打ち上がる砂は、一ヶ所ではない。高速で移動する〝舟〟のようなものの後ろで、砂の波しぶきのごとく、もんどりうって散っていく砂塵。

 

 いや、あれ、舟だ。マストがある。畳んだ帆がついているのも見える。

 砂漠の上を、舟が走ってる?

 

「ええええー………!」

 なにそれおもしれえ………!

 



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15.その名がもつ〝D〟の意味は……〈“D”efault(デフォルト);人の話を聞かねぇ〉

 ふと。だれかの見聞色の覇気が、私にぶつかってくるのがわかった。ソナーのように放たれた、弱くうすい覇気。

 常人ならば気づきもしないだろう、そよ風よりも微かな圧。ただし覇気使いには、はっきりそれと分かる。

 

 呼応するように、砂漠を走る舟が速度をおとし、カーブを描いて止まる。まきあげられた砂塵が落ち着くより前に、私は地上へおりていった。

 

 舟というより、サーフボードのような形の板である。

 ぶつぎりになった後ろの部分に、ひょろりとマストが立っており、その左右には幅広の、黒いタイヤが付いている。タイヤだよなあれ、どう見ても。

 

 この世界のタイヤは、高い。この世界には石油がないため、人工の合成ゴムがつくれないのだ。当然、タイヤのゴムも、天然ゴムから作られることとなり、数は少ない。

 珍しいもん使ってんな。

 

 サーフボードのような舟体は、ショッキングなイエロー。海にでれば、日差しを反射する波のおかげで、意外と目立たぬ色である。

 中央にはミゾのような部分があった。どうも、そのミゾに〝悪魔の実の能力〟をこめることで、推進力としているらしい。

 

 乗り手の男がもつ、悪魔の実の能力は、〝火〟。

 ガソリンにも劣らぬその爆発力は、どの海でも舟を風のように進ませるはずだ。

 

 テンガロンハットを軽く押さえ、男は、黒いブーツで砂地を踏んだ。

「………おれを追いかけてくるとすれば…………お前だと思ってた………」

 

 黒い半ズボンに、むきだしの上半身。きたえあげられた男の体に、夏島の日が濃い影をつくる。

「久しぶりだな、マジェルカ。………狩人、とは、あまり呼ばれてねェんだろ、今は。楽園の悪鬼だっけな……」

 ギロリと、私を見すえる男の目。

 

「おれも自己紹介をやりなおす必要がある。スペード海賊団船長、改め………白ひげ海賊団、二番隊隊長、ポートガス・D・エースだ………!」

 

 三年前になる。グランドラインへやってきた、新人海賊〈ルーキー〉の中の一人がこの男だった。

 あの頃はまだあどけないような顔をして、希少なロギア系・悪魔の実の能力をあやつり、この海を通り過ぎていった。

 きつい目つきも、そばかすの浮いた頬も変わっていない。

 

 ただし、その体つきは一回り大きくなり、まとう気配は強大になった。あの頃とは比べ物にもならない。

 なにより。

 目の奥が、ちがう。底知れぬ深海を宿したかのような、海の男の目になっている。

 

 己の海賊団を解散させ、〝白ヒゲ〟の一員となったせいなのか。ただ単純に、この海にもう三年近くいるからか。はたまた、生まれ持った素質か。

 エースは今、大海賊の最高幹部らしい、威風さえ放つ。

 

「ああ、知ってる。久しぶり」

「おれの方でも聞いてるぜ。ウチの〝オヤジ〟とマジェルカは、飲み友達なんだってな」

「それならもう、見当ついてるかもしれねぇが……。私はあんたと」

「ああ、わかってる………………オヤジに頼まれ、おれを止めに来たんだろう………」

「……んっ? ちがう」

「ウチのオヤジが過保護で悪ィな。お前にまで迷惑かけちまって」

「……いや、あのな? エース、私が頼まれたのは」

「だがオヤジが、おれを止めなきゃならねェと思うように、〝息子〟のおれにも、止まれねェ理由がある……!」

 

 いやな雲行きだ。かすかにうつむくエースの様子に、三年前の記憶がよみがえる。

 

 エースは、チキュウのマンガ〝ONE PIECE〟の登場人物だ。そして、ストーリーの要となる重要人物の一人でもある。

 こいつがグランドラインに来たら、一度は直接、顔を見に行こう。たしかにそう思っていたが、私から会いにいったわけではない。

 三年前、エース率いるスペード海賊団が、たまたま、私のいる島に上陸してきたのだ。

 

「悪ィが、マジェルカ。引いてくれ」

 メラリ。

 エースの体が燃え上がる。悪魔の実の能力だ。

 肩からたちのぼった灼熱は、昼の砂漠では蜃気楼のように、ゆらめいて見える。足元の砂は、高温にとかされて、ガラスのように透きとおってゆく。

 エースは言った。

 

「お前が強いのは知ってる。あの頃は覇気ってモンを知らなかったが………覇気使いなんだろ? だが、おれも今は覇気使い、強くなった」

「ああ、うん、そうだろうな、そりゃわかるが、」

「おれは引けねェ。女をいたぶる趣味はねェが、お前だけは例外だ。容赦しねェぜ……!」

「ああ、うん、それはいいんだが、待てって、お前ちょっと誤解してるぜ? まず私の話を」

「お前がどかねェなら、力尽くでも! お前を倒して、先へ行く………!」

 

 ドォン!

 と、炎がはぜだ。

 爆発にふきとばされて、私の体が浮く。弾丸のように飛び散る砂と、すべてを食い尽くさんとするる炎。

 直視できないまばゆさの中から、ひときわ熱い拳がとびだしてきた。

 

「火拳!」

 エースの代名詞、燃える拳を相手にぶちこむ技だ。それは余波だけで、辺り一帯を焦がし尽くす拳。

 威力は、三年前の数十倍か?

「なんだよっ!」

 たった三年でこんなに強くなってんのかよ! ふざけんな! 私が一体何年かけて強くなって来たと思ってやがる!

 

 空を走っていた時からすでに、全身を覇気で強化してある。

 イメージでコントロールするのだ。己のシルエットは、どこからどこまでなのか。

 無意識に〝己の一部〟だと判断したものは、肉体と一緒に強化できる。

 

 いつもおなじ髪型の毛先や、いつも身につけている、ナイフとナイフケースなども、己の体の一部とみなして、覇気で強化してあった。リュックはとっさに遠く向こうへ放り投げてある。

 熱いことは熱いものの、耐えられないほどじゃない。

 

 ただ。

 女将さんからもらった上掛け! 覇気で強化すんの、忘れた!

 ヒラヒラゆれる薄手の上着は、ジリッと音をたてることもなく、燃やし尽くされ、消失する。

 

「おーいーぃぃいっ!」 てめぇやりやがったな!?

 思わず、拳を握った。

 下からとんでくるエースの拳に、右フックを合わせる。

 

 カァンッ………! と妙な音をはっし、私とエースの拳がぶつかる。一拍おいて、ピキリと、空間のヒビ割れみてぇに炎が走り、消しとぶ。

 エースは後方にふきとんだ。私はくるりと一回転し、砂地におりる。

 

「もっ、もっ、もっ、もう、なんでこれ、なんで燃やしたああああ! エーーーーーーースぅうう!」

 女将さんからもらったのに! 女将さんがわざわざ私を心配して持たせてくれたもんなのに!

 

 そうなのだ。

 三年前、エースと私の出会いは、エースからの襲撃によるものだった。

 こいつ。

 海を眺めてただけの私のことを、スペード海賊団をねらっている賞金稼ぎとカンチガイして、いきなり襲いかかってきたのである。

 ちがうって何度言っても聞かねぇから、しょうがねぇから、倒して踏んづけて言い聞かせたんだよ最終的に!

 

 悪い奴ではない。人の話をまったく聞かないわけでもない。

 最後は自分のカンチガイを認め、謝罪して、私にメシまでおごってくれた。悪いやつではないのである。

 

 ただ、最初は、人の話を聞かないのだった。変わってねぇな。

 そこが一番、変わっててほしかったんだけどな……!?

 

「火銃!」

 ヒガン、とエースは叫んだ。まだふきとばされている最中の体で、火の玉を放ってくる。速い。

 銃身のようにピンとのばされた二本の指から、飛び出してくる紅蓮の弾丸。

 

 左手でナイフを抜く。火の弾頭を切り潰しつつ、呼吸を整えた。

 落ち着け、私。エースとケンカしに来たわけじゃねぇんだから。

 しかしその間に、エースはもう1つの技を使っていたらしい。

 

 私をとりかこむように、あたり一面にポツポツと浮かぶ、幻のような小さなゆらぎ。

 この日差しの中では見えにくいが、おそらく、速度の遅い火の玉だろう。

 

「蛍火……火達磨ァ!」

 ようやく着地したエースが、ぐっと、突き出した手を握りこむ。

 私の周囲に浮かんだ火の玉が、突然、動きだした。加速したその行き先は、私の体。

 火達磨か。イヤな技名だ。

 

 人の体は燃えにくい。生木とおなじく、水分が多いためだ。体に火がぶつかって、死ぬほどの火傷を負うことはあれど、生きた人間自体が燃えることは稀である。

 

 火達磨にするための技ならば、ただ火の玉をぶつけるだけではないだろう。爆発するか、体にへばりつくか。どちらにせよ、これを受けるとやばい気がする。

 

 すばやくナイフをしまうと共に、足へぐっと力を込めて、砂を蹴る。全力で走り出した衝撃が、砂地にクレーターをつくり、はるか地中の岩盤をゆらす。

 背後の〝火達磨〟をおきざりにして、エースへと肉薄した。

「なにっ……!?」

 寸前、足をとめて、ブレーキをかける。殺すつもりも、大怪我をさせるつもりもないのだから、走りこんだ勢いは消さねばなるまい。

 砂をズザザと押しのけながら、すべる足。その余波にのせて、男の腹に、右フックをぶちこむ。

 

 エースは咄嗟に、身を丸まらせ、ガードをとった。あげた両腕さえぶち抜いて、私の拳が腹を打つ。

 ヒュオン、と辺りに飛んでいったのは、衝撃の余波。

 意識がぐらついたのだろう。エースの気配が、一瞬ゆらいだ。

 

 覇気をまとった私の拳は、炎そのものにもなれるエースの肉体を、逃さずとらえることができる。

 

 おれまがったエースの腹へ入り込む形となった私に、エースが肘をふりおろしてきた。背中の筋肉にクリーンヒットだ。

 衝撃は大気をゆらし、爆風のようなものを生む。

 エースの方も、覇気をまとった一撃である。重い。……いってぇなクソ……!

 

 私はエースからはなれることなく、ほんの少し、左へずれた。さきほどの右フックの衝撃で、エースの足は浮いている。

 あとは背中へそっくりそのまま、肘打ちをお返しすれば、エースは地面に倒れこむしかない。

「……っ!」

 しかしさすがに、すんなりヤられるつもりはないらしい。

 エースは体を炎にかえた。

 

 ブワリと巻き上がる熱風。この肌をなぶる炎。

 ただでさえ乾ききった砂が持つ、なけなしの水分さえ、ジュワ、と蒸発させる火の塊。

 しかしまだ耐えられる。

 すでにモーションをはじめていた私の肘は、奴をとらえた。

 

 お返しだ!

 思いっきり、炎に突き立てた肘。

 

 ドォン、と、大岩でも砕いたかのような、打撃音。

 

「ぐっ………! 火砲っ!」

 炎がぐわりと形を変え、ふたたび現れたエースの体は、いつのまにか体の向きをかえていたらしい、仰向けだ。

 覇気をまとった私の肘は、男の背中ではなく、みぞおちへ、キレイに入った。

 

 息を詰めたエースは、しかし止まることなくその手を伸ばし、私の顔面をガシリと掴む。

 今、ヒホウ、と言ったのか。

 技の名だろう。悲報? 秘宝? いや、考えているヒマはない。

 

 本能がゾクリと震えたのだ。どんな技かわからない。それでも、わかる。

 エースは手のひらから何かをだすつもりだ。

 それをこの近距離で、顔に受けたら、私であっても死ぬ。

 

「ふふふ……!」知らずと、口角があがってしまう。エースの握力はすざまじい。気を抜けば頭蓋骨が歪みそうだ。

 なんだ。ほんとに強くなってるじゃん、こいつ。

 

 手加減、遠慮はいらないようだ。俄然やる気がでてきてしまって、私の体のキレが増す。

 

 トトっ、と、短いジャブをはなった。肘が伸びていないからフックと呼ぶべきなのだろうか。

 狙いは、エースの手首の裏。

 私の顔をつかんでいた親指から、小指から、かすかに力が抜ける。

 

 おなじように、エースの肘を下から打つ。ロギア系能力者といえども、ファニーボーンは健在らしい。エースの指が力をうしなう。

 

 そんなエースの手のひらに、ぐっと頭をおしつけながら、本命。

 ちかづいたエースの腕の付け根へ、下からの左フック。エースの腕ははじかれて、上に上がる。

 

 エースが技を発動させてから、その技が現れるまでの、カンマ数秒でおわった動きだ。天を向いてしまったエースの手から、もはや雷のような熱量をもつ、火の柱があがった。

 

 反応が早い。外したとわかるや否や、火柱を消したエースは、あえて自分から地面におちてゆく。

 バク転でもするように、後ろ手を先に砂地へつけ、のびあがるような蹴りをはなった。

 ボウ、と炎にかわる、その足の黒いブーツ。

 

 悪魔の実の能力も、覇気とおなじように、イメージが発動のカギとなるらしい。

 

 私は、自分の体を覇気で強化しようとすると、ナイフやナイフケースをも強化してしまう。いつも身につけているものを、己の一部とみなしているためだ。

 おかげで〝とっさに自分の体だけは覇気で守ったけれど、服や武器は守り忘れた〟ということが起こらない。

 

 世の強者たちが、髪型や服装をいつもおなじものにしているのも、ここに理由がある。

 

 マルコもそう、クロコダイルもそう。

 悪魔の実の能力者は、いつも身につけている物を己の一部とみなすことができれば、それらに能力の効果を付与できる。

 

 このおかげで、マルコは鳥の姿となっても、服をおきざりにすることはない。おなじく鳥から人の姿にもどっても、裸になってしまうこともない。

 クロコダイルが一度、砂になってから人の姿に戻ろうとも、モハモハのファーコートを着た状態であらわれるのは、あのコートを〝己の一部〟とみなしているためである。

 

 物理的に、どこまでが自分の肉体なのか、ではないのだった。〝本人が、己のシルエットを、どうイメージしているか〟が、能力の効果範囲をきめる。

 

 エースの帽子も、ズボンも、靴も、首にさげられた赤玉のネックレスも。

 エースのイメージする〝己の一部〟であるらしい。

 

 エースの放った蹴りの先端、黒いブーツはエースの肉体と同様に、エースの意思のままにうごめく炎となって、私にせまる。

 

 今日はヘビの日なのかもしれない。のびあがった炎は、ヘビの姿を形どり、私の頭を吞み込もうとする。

 

 右足をあげ、蛇を、横から蹴る。一瞬足に巻きついた炎の蛇は、しかし、風圧に耐えきれず霧散する。

 蹴りの余波が砂漠をはしり、金色の砂地を割っていく。

 

 そのままくるりと回りつつ、しゃがみ込み、軸足をかえる。地に手をついて、砂を舐めるように低く低く、薙いだ左足のかかと。

 

 その蹴りは、エースが地についた左手首を、弾く。巻き起こった砂塵は、私たちのための土俵を作るかのように、弧をえがいて立ち昇る。

 

 バランスを崩したエースは、ムリやり体をひねり、私と距離を取ろうとした。片手のみで、飛び退ろうというのだろう。

 

 私は地を踏みしめ、エースへ迫る。急加速した肉体を追いかけてくるかのように、ボォン、と背後で砂地が唸る。

 

 炎になろうとしているらしい。陽炎のように揺らめきだしたエースの、黒い半ズボンを片手で掴んだ。

 逃がさねぇぞ。

 

 覇気をまとったフックをはなつ。

 まだ宙に伸びあがったままの、エースの脇腹、すこし背中側。

 

 エースも私の狙いに気づいたらしい。ガードがわりに、武装色の覇気の応用である、〈武装色硬化〉で背中をおおった。まるで黒鉄のように黒光りしたその部分へと、私の拳がはいる。

 

 カキィィイッン……………!

 

「…………ッ…………!」

 

 レバーブロー。肝臓に衝撃を加えるこの打撃は、まじで、強いやつにしかやっちゃいけない。

 呼吸や心臓のうごきなど、生きるための機能をフルオートで行うための神経、自律神経系に後遺症を与える可能性があるからだ。

 とっさに覇気でガードしたエースですら、呼吸を失っている。ただしこいつのスタミナを考えれば、スキが長くは続かないはず。

 

 生まれた風圧が、ブオっ、と、一拍遅れて天へ上がる。

 トサ、と砂に落ちたエースの体へ、すかさず右足をのせた。一瞬とはいえ、エースが気絶したのは好都合。その体の首から下に、私の覇気をゆっくりとながしこむ。

 

 生物のもつ覇気は、他の生物の覇気と、反発しあう。

 しかしなぜだか意識をうしなっている生物には、その反発が発生しない。

 

 反発をぶちやぶり、急激に、他の生物の覇気を流しこまれると、生物は気絶する。

 しかしゆっくりと覇気を流し込まれた場合は、気絶せず、ただ身動きがとれなくなる。

 

 さすが、四皇の大幹部である。エースが気絶していたのは、たったの1秒たらず。

 ただしその1秒のあいだに、私の覇気はエースの首から下を制覇し、その身動きを封じていた。

 

「うっ……ごっ……! かねぇ……!」

 首紐のついたテンガロンハットを、枕のように下敷きにし、エースは顔をゆがめる。

「おれに………なにを………したっ…………!?」

「さぁな。だが、わかるだろう? お前は倒れ、私はお前に足を乗せてる。これは………私の勝ちだな」

 

 ニヤリと笑って言ってやっても、エースの目から闘志は消えない。私は思わず、声を出して笑った。

 

「たのしかったよ! 本当にあんた、強くなってんな! やっぱケンカは、こうじゃなくっちゃ!」

 男の呼吸はまだ乱れている。エースは絞り出すように言う。

「……おれを、止める……つもりならっ……! おれを殺せ………! 負けを、認めて……すんなり、後半に、帰るほど……ヤワな覚悟でっ……ここにいるわけじゃねェ………!」

 

 ……あ。そうでした。本題はその件でした。

 

 どこまでも砂漠である。はるかひろがる砂の海を、からっ風がなでていく。ケンカの余波で焦げた砂地は、またたくまに砂に呑まれて、元の金色に戻っていった。

 

 吹き飛ばされた拍子に、ロープが切れたらしい。エースの乗っていた妙な形の小舟は、むこうの方で、勝手に帆をひろげている。

 黒地の布いっぱいに描かれているのは、白いドクロ。

 逆さ三日月のヒゲを生やして不敵に笑う、あのジョリー・ロジャーは、白ヒゲの象徴だ。

 

「…………私は、あんたを止めにきたわけじゃない。エース。あんたと話をしにきた」



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16.己が命の使い道

「話……?」

 エースに会ったらどう切り出そうかと、ずっと考えていた。どれだけ考えても、正しいことばは思いつかなかった。

 直接その目をのぞき込めば、答えも見つかるだろうか。

 見下ろしたエースの黒い瞳は、ほんのり、赤みがかっている。

 

「ああ。……おやっさんにはエースと話をしてやってくれと、頼まれた。……私も、あんたと話が、したかった。……あんたの真意が知りたい。あんたが…………どこまで、真実を、知っているのかも」

 

 そっと、足をどける。覇気は、己の内側から湧き出すものだ。私が流し込むのをやめれば、エースの覇気は自然と回復する。

 元々の生命力がデカければデカいほど、回復も早い。徐々に感覚がもどってきたのだろう。ピクリと指を動かしたエースは、ゆっくりと体をおこした。

 

 レバーブローの余韻にか、表情をしかめつつも、もう暴れるつもりはないらしい。テンガロンハットを被りなおすと、砂の上にあぐらを組み、虚空をながめる。

 

「………真実…………」

 ぽつりとこぼしたエースの、表情は読み取れない。

 目を閉じて、深く呼吸する。白ヒゲのおやっさんは、本当にイヤな男だった。こんな話を、私の口から言わせようというのだから。

 私の声は、知らずと掠れる。

「…………サッチを………殺したのは…………ティーチじゃない」

 

 この島は乾燥しすぎている。砂漠の風が目にしみる。涙が視界をうるませるのは、きっとそのせい。

 

 ウソは嫌いだ。デメリットが多すぎる。

 相手を思いやるためのウソだったなら、バレた時、より一層相手の心を傷つけてしまう。相手を選んでウソをついたとしても、繰り返していれば、己の言葉の重みがなくなる。ウソは聞きたくもない、吐きたくもない。

 

 それでも今は、ウソをつこうと決めた。あの世まで貫き通し、真実と見紛うようなウソを。

 

「サッチを………斬りつけたのは、ティーチだ。だが殺したのは、ティーチじゃない。………サッチは…………病で、死んだんだ……。サッチを殺したのは、病気だ………」

 

 ふざけるな、と、エースは殴りかかってくるかもしれない。そんな予想に反して、エースは微動だにしなかった。

 地平線のすぐそばで、砂がまきあがる。竜巻が起こっているらしい。金の柱は歪みながらも、遠くの砂漠をえぐっていく。

 エース、いや………白ヒゲ海賊団、二番隊隊長は言った。

 

「それは違う。…………サッチを殺したのは、ウチのオヤジだ。ティーチでも病気でもねェ………」

 テンガロンハットを深くずり下げ、エースはつづける。

 

「白ひげの本船クルーは、全員、知ってるさ。サッチが病を抱えていたことも………その病が発症したら、すぐに、自分を殺してくれと………サッチがオヤジに頼んでいたことも…………。オヤジが、その願いを叶えてやったことも」

 

 唇がわななく。意味のない言葉が、口から漏れた。

「……知ってたのか……!?」

 エースは小さく笑った。

 

「オヤジやマルコなんかは、おれが〝知ってる〟ってことを、知らねェだろうけどな。………隊長の肩書きはもらったが、白ひげの中じゃあ、おれはまだまだ新参者だ。クルーたちの事情には、うといと思われてる。なにより…………サッチ本人が、それを隠したがってたから…………知ってても、みんな知らねェフリをしてたし………おれも知らないフリをしてきた」

 

 砂の地面に、膝をついた。血の気がひいているのだろうか、熱いはずの地面が、熱いとも感じない。

「だったら………! どうして、船を飛び出した………!? ティーチは仲間殺しをやらかしちゃいない! ティーチ本人は、自分がサッチを………殺したと………思っているだろうが、事実じゃない! あんたがティーチを追いかける必要もねぇだろう!」

「それも、違う」

 

 エースがようやく、こちらを向く。まっすぐにかち合った瞳の奥。

 赤みがかった男の目の深いところには、とても静かな海が宿っていた。

 

「事実がどうであろうと。ティーチの野郎は、〝自分が仲間殺しをやらかした〟と思いこんでる。そして、そのまま逃げたんだ。殺しちまったかもしれねェ仲間のことを……助けるでもなく、放置したまま……! 仲間殺しも同然だ……!」

 

 私はとっさに、何も言えない。

 エースはふと、視線をそらし、彼方を眺める。「それに」こぼされた男の声を、砂漠の風がかき消そうとする。

 ノイズにまみれたエースの独白は、それでも確かに、私の耳まで届いた。

 

「白ひげ海賊団は、デケェ……。お前の言う〝真実〟を知ってるのは、本船クルーたちだけだ。白ひげには、本船の他に、千人以上のクルーがいる。傘下の海賊たちもいる………。………そいつらから見れば、ティーチが、仲間殺しの下手人、それが真実。……………そのティーチを逃がすことは……………仲間殺しの大罪人を、白ひげが、許したことになる…………。だれもティーチを追わなかったら………白ひげの結束が………崩れる」

 

 白ヒゲが他の海賊から恐れられ、また、白ヒゲが身内から慕われる、最大の理由。

 【白ヒゲは、仲間の死を、許さない】。

 

 どんなバカなことをしでかした野郎だろうと、身内であれば、白ヒゲは必ず助けに行く。他のすべてのクルーたちの命を危険にさらすことになろうとも、白ヒゲは、絶対に、仲間を見捨てない。

 

 【白ヒゲ】の名がもつその【誇り】こそが、白ヒゲ海賊団の結束を生んでいるとは、エースの言った通りだ。

 

 しかしそれなら、身内の全員に、真実を伝えればいいじゃねぇか、とは、言えなかった。

 おやっさんがなぜそうしなかったのか、その事情を知っているから。

 

「サッチは………おやっさんに、願ってたらしいな。病を発症し………おやっさんに、介錯されて、死んだとしても……………自分が病気だったことを、公表しないで欲しいと………」

 エースがピクリと、こちらをうかがう。

「そこまで知ってるのか……!? その通りだ。オヤジはサッチとの約束を、破らねェだろう、なにがあっても。………おれたちはオヤジに従う」

「だから………! だから、身内にも、サッチの死の真相を………話さねぇつもりか………!?」

「サッチの願いだ。……仲間の願いだ……。叶えねェ理由がねェ。…………マジェルカ、お前は元から知ってたようだし、例外だな」

 

 エースの瞳に気負いはない。

 船長の制止さえふりきって、怒りのままに、船を飛び出して来た男の目には、到底見えなかった。

 

「それじゃ、お前……! サッチの願いと白ひげの誇りを守るために………! 一人だけ悪者になって、船飛び出して来たのか!?」

 

 エースはからかうように笑った。

「おれは海賊だぜ? 元から悪者さ」

 

 ああ。全身から力がぬける。砂地にペタリと、座り込んでしまう。

 だから海賊はイヤなんだ。まっすぐ過ぎて妥協ができねぇ。

 信念をまげるくらいなら、死んだほうがマシ。仲間との約束をやぶるくらいなら、戦争になった方がマシ。

 本物の海賊ってやつは、そんな頭のおかしいことを、平気でやってのける。

 

 サッチの死んだ、3月15日。

 あの日、ティーチに斬りつけられたサッチは、岩場で倒れていたところを、白ヒゲ本船に発見された。

 サッチが起き上がれなかったのは、傷のせいじゃなかった。出血のせいでもなかった。

 足首から下が、動かなくなっていたのだ。

 

 遺伝性の病だと、かつてサッチは言っていた。

 いつ発症するかはわからない、死ぬまで発症しないかもしれない。

 ただ、発症したら最後、治療法はない。

 

 手足の先から順々に、石のように動かなくなって行く病だった。じわじわと体の自由がなくなってゆき、最終的には、〝頭が狂って死ぬ〟。

 病が脳に達するころには、体の自由はほとんどない。暴れることはできないが、その分、周囲の人間にひどい暴言をはきつづけるようになるという。

 きれいな死に方をするのは、難しい。

 

 サッチは海賊になる前、この病を発症した実の親の看護をしていた。病のせいで、人が変わってしまったようだ、と、思えるうちはまだ良かったらしい。

 人の記憶は上書きされる。

 だんだんと、わからなくなっていくのだと言っていた。

 

 自分の親は元からこんな性格の人間だったんじゃないのか。今まで口に出さなかっただけで、本当はずっとそう思っていたんじゃないのか。

 今まで自分が知っていると思っていた、親の姿の方こそ、ニセモノだったんじゃないのか。

 

 じわじわと広がる病の性質から、すぐに死ぬことはない。長い長い闘病になったのだという。

 暴言は病のせいだと頭ではわかっていようと、毎日毎日くりかえされれば、心で信じられなくなっていく。

 最期にはもう、親子の情を感じられなくなっていたと、サッチは冷たい顔で言っていた。

 

 遺伝性の病だ。逃げようがない。逃げ方もわからない。それでも逃げずにはいられない。

 そうしてサッチは海に出たのだという。

 

 サッチはお節介で、他人の私にまで心を砕くような男だった。仲間が相手となれば、それ以上に、小うるさく世話を焼いていた。

 なにより己が【白ヒゲ】の一員であることを、誇りにしていた。

 

 白ヒゲ海賊団のことだ。もしサッチが病を発症しても、絶対に、見捨てることはしなかっただろう。

 それがサッチは、怖かったのだろうと思う。病に犯された自分がやがて、かけがえなく思っている仲間たちへ、ひどい侮辱のことばを投げかけてしまうであろうことが。

 

 発症したらすぐに殺してほしいという、サッチの願いは、自分の死に方をえらぶための言葉じゃなかった。

 自分の生き方を、最後まで、失わないための願いだ。

 己の尊厳を、守るための願いだ。

 

 海で生きるのは、危ない。荒波の上の暮らしは、毎日毎分、地震におそわれ続けているようなもの。

 グランドラインではこれに加えて、水面下から人食いの猛獣どもまでとびだしてくるのだから、陸の暮らしとは比べようがない。

 

 それでも人が海に出るのは、己の生き方を、貫くため。

 陸の安寧を捨ててまで、しがらみから離れ、己の尊厳を守りつづけるためだった。

 

 海に生きる者の一人として、痛いほどわかる。

 サッチの願いも、サッチの願いを叶えてやった、おやっさんの気持ちも。

 

 病だったことを公表しないでほしいといった、サッチの願いを叶える。だからサッチの死の真相は、身内にだって話さない。

 たとえそれによって、〝ティーチがサッチを殺した〟ように見えてしまっても。

 〝仲間殺しをやらかしたティーチのことを、白ヒゲが見逃した〟という、身内の絆をゆるがすような疑惑がもちあがったとしても。

 

 エースは、サッチの願いを破らないまま、その疑惑を払拭するために、船長の命令にまで背いて、単身、この海にやってきたのだ。

 

 もう。

 どうすりゃいいんだこいつらはもう。

 あぐらを組んで、頭をおさえた。エースは、「だが」言葉をつづける。

 

「おれは、ティーチの野郎が許せねェ………! おれたちは海賊、鼻つまみ者の悪党だ。それでも、だからこそ、超えちゃならねェ一線はある……!」

 

 怒りのこもったエースの拳が、ブワリ、炎に変わる。

 

「ティーチに斬りつけられた時、サッチの病が発症したんだ。偶然だと思えるか!? 信じてた仲間の裏切りが……ティーチの裏切りが……! サッチの病の、引き金になったんじゃねェのかよ! ティーチは古参だ、サッチの抱える事情についても、知ってたはずだぜ………! それなのに………ッ!」

 

 砂地をなぐったエースの拳が、ボォン、と小さな爆発をおこす。

 

「ティーチの野郎がしたことは、仲間殺し、そのもの………! おれがティーチを追うのは、白ひげの結束を守るためだけじゃねェ。ティーチに、テメェのしたことの………ケジメをつけさせるためだ………。テメェのしたことの、重さを、教えるためだ………! それが……あいつの所属してた二番隊の隊長である、おれのやるべきことだろう………!」

 

 私を睨みあげた、エースの眼。テンガロンハットの影のなか、燃えるような眼光がある。

 私は思わず、言っていた。

 

「エース………お前………死ぬぞ。このままティーチを追うなら………。あんたはティーチに勝てない」

 エースの答えは簡潔だった。

「構わねェ」

 

「おれが死んでも、白ひげは崩れねェ。だが………仲間殺しの下手人を………みすみす逃し………追いかけもしなかったら………。それが真実だと、周りに思われちまったら……。白ひげの名が、穢れる」

 

 とても静かに、エースは付け足す。

「おれの生死はどうでもいい」

 

 私は目を見張った。

 この男は、初めから、死にに行くつもりなのか。

 自分が船長とあおいだ男の、役に立つためではない。

 

 たとえ白ヒゲの意思に背いてでも、【白ヒゲ】の名を。

 その名がもつ誇りを。

 守るため。

 ……………それだけのために。

 

「おやっさんの命令に背いたのも、わざとか」

 私が尋ねても、エースは答えない。

 

「船長命令にしたがわずに、一人で船飛び出してきたのは……ティーチに負けたとき、自分を見捨ててもらうためか? 白ヒゲのクルーたちを……ティーチとの戦いに、巻き込まねぇために……?」

 

 自分一人が犠牲になって事を終える。それでいいと?

 ことばを待つ私の耳に、エースのつぶやきが届く。

 

「白ひげは………オヤジは………おれに生きる意味をくれた男だ。おれの命は、あの人のためにつかう」



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17.許せねぇもの、譲れねぇもの

 ポートガス・D・エースは死ぬ。〝ONE PIECE〟の中ではっきりと、その死体さえもが描かれていた。

 明確な時期は不明だが、少なくとも、今年中。

 仲間殺しの大罪人、ティーチに追いついたエースは、ティーチに敗北をきっするのである。

 

 これまですべての出来事が、チキュウのマンガ〝ONE PIECE〟の通りに起こっている。私のはなった忠告は、予想ではない。予言だった。

 起こるかもしれない、という次元じゃない。確実に、起こる。

 

 しかし、それが何だというのだろう。懇切丁寧にエースへ説明したとして、この男の心が変わるだろうか。

 

 海賊の流儀など、私は知らない。それでも、向かいあった相手の、想いの強さくらいは、推し量れる。

 

 エースの想いは深かった。海底をながれる海流のように、静かで重く、止めようがない。

 いいや。止めようと思えばできる、私なら。

 ここでエースを半殺しにでもして、マルコを呼んで連れ帰ってもらえばいい。

 止められないのではなかった。止めたくない。そう思ってしまった。

 

 男が………人が、てめぇの命の使い道を決めたのだ。

 たとえそれが死の道でも、それと知ってなお挑むなら、他人がとやかく言うことじゃない。

 

 緊張が途切れた。深いため息を吐いた私に、エースも気をゆるめたようだ。

「それでどうする? もう一戦やって、白黒つけるか? 今度はさっきみてェには行かねェぜ……!」

「アホか。お前、まだ立ち上がれねぇくせに。私の拳は重かっただろ?」

 エースは不機嫌そうにだまりこむ。気抜けた笑いが出てきた。

 

「あーあ。……あんたが真実を知らねぇまま、動いてんなら………どうにか、説得しようと思ってたんだが……。知ってたのか、ぜんぶ……」

「おれを説得するように、オヤジに頼まれたんだろ」

「ちがう。おやっさんは本当に、ただ話をしてくれと言ってた。エースの頭に血が上ってんなら、それを覚まさせてやってほしいと………。どっちにしろ。私には荷が重いと思ってたからさ。あんたが冷静で助かった……よ?」

 

 言ってからふと思う。こいつ、冷静だったか?

 人の話を聞かずに襲いかかってきたけど……。

 

「……だから、うちのオヤジから、船に戻るよう、おれを説得しろと頼まれたんじゃねェのか?」

「ちがうって。説得の方は、私の勝手だ。私はあんたに、死んでほしくねぇんだよ」

「………は? ……おめェがっ? ………ど、どうして」

「………事情があってさ。今年、あんたに死なれると………困るんだ、色々と」

「………なんの事情だ」

「教えねぇけどさぁー! とにかく、あんたにこのまま死なれると困るんだよ、少なくとも今年、死ぬのは、絶対に、ダメだ」

 

 後ろに手をつき、空を仰ぐ。無色の空だ。エースがジリ、と体制をかえた。

「おれを止めようと…………してるようには、見えねェが」

「ああ。止めねぇ」

「………なにが言いてェんだよ………!?」

 

 どんどん背中をかたむけてゆき、砂に寝転ぶ。首にあたった砂つぶが熱い。かぶっていたスカーフも、焦がされて消えてしまったのだった。とっさに覇気をまとう。

 風鳴りがきこえる。海の音が恋しいな。

 

「腹わって話してくれたんだ。私も正直に言うよ。………私はティーチをヤるつもりだ。あんたよりも、先に」

「………あァ………」

「……ん? おどろかねぇのか」

「いや…………あー………」

 エースはテンガロンハットの上から、頭をがしがしと掻いた。

「悪りィ、聞いちまってるぜ、フォッサから」

「あ?」

「マジェルカ、お前………サッチと、そのォ、あのォ、アレだった、と」

「………あ? どれ?」

「サッチとお前は、恋仲だったと…………。サッチの仇討ちがしてェのか、やっぱり。…………お前がウチの船に滞在してたとき、ティーチからのセクハラが、ヤバかったらしいな。やっぱり色々…………恨んでるんだろ、ティーチのことを。気持ちはわかるッ! わかるがここは………! 白ひげ海賊団のためでもある! おれに譲ってくれねェか!」

 

 エースはガバリとこちらを向いて、地面に手をついた。頭下げてやがる。

 何言ってんだこいつ。

 

「グッフッフッフッフ………! ぐっふっふっふっふ、はっ! アハハハハハハ!」

「………おい、人が真剣に頼んでるんだ………! なに笑って」

「んなわけねぇーだろ!」

「アアッ?」

「サッチとはただの友達だよ! あはは! 恋仲って、なんの話だぁー!」

「……でも、フォッサが……!」

「フォッサ、フォッサ、フォッサの言うこと信じるのかてめぇはぁー! あの奥手のニブチン男が! 人の恋愛模様なんざ! わかるわけねぇだろー! あっはっはっはっは!」

「ひっ…………! でェ言い方だが…………うん、まぁ、たしかに、フォッサは………そんな感じかもしれねェが」

「あー、笑った。ぐふふふふ………!」

「サッチの恋人じゃなかったのか」

「んなわけねぇだろ、どこをどう見たらそうなる! うはははは!」

「じゃあ…………ティーチのセクハラのこと、やっぱり、恨んで………?」

「あっはっはっは! はぁー! んなわけねぇだろ! セクハラって言うけどな、指一本触れさせちゃいねぇよ! あーんなガキクセェ、バカ丸出しの物言いに、いちいち腹なぞたててられるか!」

「…………それじゃ、どうして、ティーチの首を狙う?」

 

 むくり、起き上がる。見つめ合えば、風がふく。

「……惚れた男がいるんだ……。私が、惚れ込んでる男がさ。ティーチは、そいつの首をとるつもりでいるらしい。実力差を考えりゃ、ティーチの圧勝となるはずだ。私には、それが許せねぇ。先に私がティーチをヤれば……あの人の心も命も、救える。一石二鳥だ」

 

「………惚れた男のために、おれたちのケジメを邪魔すると?」

 エースの眉間に、深いシワが寄った。

 思わず、首をかしげる。

 〝惚れた男〟。その言葉のニュアンスが、すこしズレているような気がした。

 

「私にとってのその人は、あんたにとっての白ヒゲみてぇなもんかな。…………あの人がいなけりゃ、私は今ここにいなかった。………生きることに、希望をくれた人…………。生きてみようと 、思わせてくれた人…………。なーんつってな! あははは! やめろよ、あんたにつられてキザったらしい言い方になっちまった!」

「おれは何も言ってねェだろ」

「私にとってのその人は……神様みてぇなもんなんだ。私は勝手に信仰をささげてる……狂信者だな! そんな信者が暴走して、ティーチの首を取りに行く。それだけの話」

 

 エースは雷にでも打たれたように、背筋を伸ばし、目を見開いた。

「…………まさかお前の惚れてる男って………! 白ひげか!?」

「…………お前って実は、バカなの?」

「そうだったのか………!」

「ちがうよ」

「いやわかる、ウチのオヤジは………いい男だからな、この海きっての………!」

「お前ほんと、思い込みはげしいなぁ」

「オヤジの女の好みは知らねェが、まァ、好きでいるのは自由ってなモンで……いや待て、そいつァ………! どういうことだ、お前はおれ達の姐さんになりてェってことでもあるな!?」

「ちーがーう、つってんだろてめぇ! 人の話がきこえねぇのか!」

 

 エースは半裸だ。胸ぐらをつかむためのシャツも着ていないので、しかたなく、赤玉のネックレスをひっぱる。

「おい待てテメェ! 何しやがる! 引っ張んなァ!」

「ひーとーのーはーなーしーをーきーけっつんてんだよ! 白ヒゲじゃねぇーよ!」

「えっ、お前の惚れた男は、オヤジじゃねェのか!」

「そう言ってんだろ!」

「でも……オヤジの以上の男なんてこの海にいねェぞ……?」

「そういう話じゃねぇだろこのバカ!」

 

 なんだかんだと騒いでいるうちに、のどがかわいた。二人で手分けし、私のリュックを探す。エースが襲いかかってくる直前、砂漠に放り投げておいたのだ。

 リュックから出した水筒を、ひとつ分けてやって、のどを潤す。

 そろそろ午後の三時にはなったのか。暑さのピークが通りすぎ、日差しがどことなく、気だるげになった気がする。

 

 エースはこのまま、ナノハナに向かうと言う。ナノハナは、ログを辿ってくる新人海賊たちがあつまる港であるらしい。

「ナノハナに、そろそろ、おれの………弟が、来るんだ」

「へ」ぇ、と続けるより早く、エースは自分の舟へと走っていった。なにやらゴソゴソやっていたかと思えば、一枚のビラを手にして戻って来る。

 

「これがおれの弟だ!」

 ドン! と擬音をつけたくなるような勢いで、見せつけられたビラ。

 

 カメラを遮るように広げられた、手のひら。

 笑みくずれた、素朴な少年の顔。

 黒髪の上の、麦わら帽子。

 そして写真の下には、〝生死不問〟の文字と、懸賞金3000万ベリーという刻印。

 

 〝ONE PIECE〟の主人公、海賊モンキー・D・ルフィの、手配書である。

「あー、うん」

 知ってる、それ。

 

 エースは人が変わったように、活き活きした表情で話し出す。

「17になったら海賊になるとは言ってたんだが、もう手配書が出たんだ! おれは先に海に出ちまったから、今のルフィとはまだ会えてねェんだが! 見ろ! ここ! 三千万ベリー! いやいやグランドラインじゃ珍しくもねェ額だろう、だが! しかし! こいつは初頭手配で! いきなりの! 三千万ベリーなんだぜ! イーストブルーじゃ過去最高額だ!」

「ほぉーお」

「しかもルフィは今年で17だ! つまりはまだ4ヶ月少々しか航海してねェんだが! イーストブルー史上最高額! 三千万ベリーがついてる!」

「へぇーえ」

「こいつはさ、昔っから泣き虫で、おれのあとをずーっと付いて回ってきたような、弟でさ! でも見ろよこの顔、こういう顔で笑うモンだから、ついつい許しちまうんだよなァ」

「はーぁ」

「不器用で弱くて泣き虫で……ただ、昔っから、根性だけは、ありまってるようなヤツでさ………! おれが先に出港してからも、強くなったんだろう……! イーストブルー史上最高額がつくくれェだ! 史上最高額が! そのルフィが、おれの弟が、グランドラインに来るんだよ!」

 

 ぐいっと近づいてくるソバカス顔。お前、もしかしなくても、ブラコンなのか。

「なるほど。つまり、私にその弟をぶっ倒してほしいわけか?」

「んっなこと言ってねェだろ!」

「ふっふっふっふっふ……! わかった、その手配書はもらっていこう」

「だれがやるか! 見せるだけだ!」

「ええ? じゃ何だったんだ、今の話は」

「おれの弟が、こいつですよと、いう宣伝!」

 

 ドン! と背後に文字が浮かびそうな勢いで、エースは言い切った。なるほど。孫自慢ならぬ、弟自慢か。

 手にもったルフィの手配書へ視線をおとし、エースがしみじみと言う。

 

「ルフィは、スゲェ奴なんだ……。海に出てからわかった……。怒る時に怒り、泣く時に泣き……笑うときは笑う。それが、どんだけ大変で……どれだけ大事なことか……。ルフィはガキの頃からずっと、どんな時も、それをやり続けてた。スゲェ男になってるに、決まってる。…………おれの弟は、駆け上がるぜ、この海を」

 ニヤリと笑うエース。私も思わず、口角をあげた。

 知ってる。私もそう思う。

 

 サーフボードのような形の舟は、エースの炎を原動力にして進んでいるという。ショッキングイエローの舟にある、くぼみの部分にエースは乗った。ボワリ、その足が燃え上がると、後部についたファンが回る。

 ギュルギュルと回り出した2つのタイヤ。

 腹にできた青あざをちらりと見下ろし、自分のリュックを背負ったエースは言う。

 

「ティーチは今、〈黒ひげ〉を名乗ってる」

 なんだ突然。困惑する私に、エースは怪訝そうな顔で言い直した。

 

「黒ひげを、名乗ってるんだ、ティーチの野郎は」

「……白ヒゲのマネか?」

「しっ………! 知らねェのか!? 黒ひげと言やァ……! ゴール・D・ロジャーの二つ名だ!」

「……ロジャーは……海賊王じゃねぇの?」

「海賊王になる前は、黒ひげと、呼ばれてたんだよ……!」

「あっ、そうなんだ。……へぇ」

「………ティーチは………海賊王の座を狙ってる………!」

「名乗りが、その宣言になってると? ………それがどうした」

 

 エースは言い澱み、舟の向きを変えた。ナノハナへ向けて、ジリジリと舟が進み出す。

「……白ひげこそ、王になるべき海賊だ……! 黒ひげの名も、海賊王の称号も………! ティーチのような………仲間を仲間とも思わねェやつが、名乗っていいモンじゃねェ………!」

 ふーん。

 私は海賊じゃねぇからな、よくわからん。

 

「マジェルカ。おれがティーチを追うのは………あいつが〝海賊王〟になるのを、許せねェからでもある……! お前がどんな事情を抱えていたとして………ゆずることは、できねェ」

 

 ボン! と破裂音のようなものを響かせ、エースの足が爆ぜた。2つのタイヤはなんとも知れない音をひびかせ、砂漠を疾走する。

 舟が走り出す直前、最後の一秒。

 なくなったロープの代わりに、手で帆をおさえたエースの瞳が、私を刺し貫くようだった。

 

 砂煙をまきあげて、その向こうに舟は消える。



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18.運命に抗う者ども

 砂煙は遠ざかる。思わずつぶやいていた。

「……わかるよ。私も、ゆずれねぇ」

 どうしても許せねぇ未来がある。だからエース。あんたの生き様、邪魔もしねぇが、あんたを死なせもしない。

 

 マンガ〝ONE PIECE〟の主人公・ルフィは、冒険ストーリーの主人公なだけあって、トラブルに巻き込まれつづける。

 そして、このご時世に自ら望んで海賊となるだけあり、ルフィは好んでトラブルに首を突っ込んでいき、ひっかきまわしては、騒ぎを一回りもふた回りも大きくするような男である。

 

 私がこの島にやって来たのは、エースと話をするためだ。

 エースがこの島に来ることを、なぜ、あらかじめ知っていたのか。それは〝ONE PIECE〟の中のワンシーンを覚えていたからに他ならない。

 エースがこの島で、ルフィと再会をはたすシーン。

 

 そのエースが今、ルフィに会うため、ナノハナヘ向かった、ということは。

 そろそろ、この島に。

 あのナノハナに。

 モンキー・D・ルフィがやってくる。

 

 万全を期すためには、トラブル誘引機でもあるルフィに、近づかぬ方が良い。もう用は済んだのだが、ナノハナへ戻るわけにはいかなくなった。

 

 明日になれば、ルフィも立ち去っているだろう。当初の予定通り、これからタマリスクに行って一泊するか。女将さんへの土産も買わなきゃいけねぇし、なぁー………

 

 ………んてことを考えていたら、俄かに空が暗くなる。

 

 夕暮れにはまだ早いはず。この国は今、人為的な干ばつの中にある。雨雲がでたとも思えない。

 妙な胸さわぎと共に天をあおげば、

「………………あ………………!?」

 口がぽっかり開いてしまった。

 

 竜巻だ。真っ黒い竜巻が、すぐそこまで迫っている。なぜこれほど近づくまで気づかなかった、と咄嗟に疑えば、ちがう。

 近いのではない。近く見えるだけだった。デカすぎて、距離感が歪んでいる。

 あれ、サイクロンよりデカくねぇ?

 

「あらぁー………えーえ………!? ………えー!? ………逃げよう!」

 

 リュックはとうに背負っている。最大感度、最大範囲で、見聞色の覇気を展開する。

 空に駆け上がって逃げる、のはダメだ。

 あれは、竜巻にみえるつむじ風ではなく、本物の竜巻らしい。見上げれば、上空の大気の方が、より激しく竜巻の影響をうけているのがわかる。

 空に上がったら、体のコントロールを奪われてしまうだろう。

 

 サイクロンなら対処法がわかる。つむじ風ならどれだけデカくとも蹴り散らせる。しかしここまで巨大な竜巻となると、進路の予想もたてられない。

 砂の海に巨大な影をおとす、漆黒の暴風は、ウソみたいな速度で移動していた。速い。たゆんでは右へ、こちらに来ては、左へ。

 これ、どっちに逃げればいいんだ?

 

 知らぬ間に、ずいぶん内陸側へきてしまったらしい。半径50キロ以内に、海がない。エースと戦っていたせいで、どちらが海の方角だかもわからなくなっている。

 

 イチかバチか。人の気配のある方にむかって、砂の上を走り出した。

 

 サンドラ河からこちら、アラバスタ王国の東側には、砂丘が少ないと聞いている。そのおかげで砂漠の移動がラクなのだと。

 どこがラクなものか。

 私からすればこちらの砂漠も、充分、起伏がおおい。その上、ズボズボ、足を呑み込もうとする砂の大地。

 走りにくいったらありゃしねぇ。

 

 いっそのことすべて更地にしてしまおうかと、1つの砂丘らしきものを蹴り散らしたのだが、ムダだった。よこの砂丘からズザザザァ、と砂が崩れおちてきたおかげで、砂丘はすぐに復活してしまう。やってらんねぇ。

 

 デカすぎるせいで近づいたのだか遠ざかったのだかよくわからない、竜巻の暗影。

 それに追いつかれる前に、ようやく町が見えてきた。

 

 ささやかな要塞のようなつくりだ。

 ぐるりと街を囲むのだろう、木造の壁がみえる。町の入り口らしきゲートは閉じられ、すぐそばに立れられた櫓から、一人の男がこちらを見ていた。

 双眼鏡から顔をはなし、男が叫ぶ。

 

「うっ! うわああああああぁっ! 悪魔だっ! 砂漠の悪魔だああっ!」

 砂漠の悪魔?

 後ろをふりむくが、私の巻き上げた、砂煙があるばかり。それらしき姿はない。見聞色の覇気でも感じない。

 それ、もしかして、私のことか?

 

 男は櫓の上、腰をぬかしたようだった。あの様子では、ゲートを開けてくれそうにない。

 しょうがねぇ。

 軽く減速しながら、一歩二歩三歩。砂を踏みしめ、ゲートの上まで飛び上がり、そこからさらに櫓の上へ。

 

 若い男だった。まだ十代だろう。オレンジがかった黄色の髪が、ニット帽からはみ出している。

 櫓の木板の床へと着地した私の姿をみるなり、男は腰を抜かしたまま、ベルト付近から銃をとりだした。

 

 向けられた銃口は、直径9ミリってところかな。旧式のリボルバーだ。やたらと長い銃身に、無骨なフォルム、木でできた持ち手はゆるやかなカーブを描いている。

 

「動くな! 悪魔め! なにをしにきた! この町にはっ、お前に惑わされるような、軽薄な人間はいないっ!」

 

 ご立派な文句だが、声と手先のふるえが隠せていない。当たらねぇぞ、それじゃあ。

 ゆっくりと、両手をあげた。

 

「私は、旅人だ。この肌の色、この島だと、珍しいみてぇだが、悪魔、では、ねぇんだよなぁ。………ご期待に添えなくて悪ぃね」

「………うっ、ウソをついたな!? 悪魔はう、ウソをついて人を惑わすんだろう!」

「………そんなこと言っちまったら、なにが証明になる? あんた、私のなにを知ってる? 私はあんたのことを1つ知ってる」

「くっ、来るな! 立ち去れ!」

「あんたは………人の見た目だけで、人を悪魔と決めつけるような、ひでぇ人間………」

 

 人差し指をゆっくりとちかづければ、男の顔が、罪悪感にひるんだ。よし。今だ。

 ニコリと笑ってみせる。

 

「………じゃ、ねぇよな! 驚いただけだろ? この肌に! 私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカ、旅人だ! ナノハナからタマリスクに向かう途中…………あの………竜巻に、出会っちまって………逃げてきた! アレをやりすごすまで、匿ってくれねぇか?」

 

 この町は、カトレアというらしい。櫓をおりて町の中に入れば、ナノハナと似たような、レトロなパステルカラーの建物がならぶ。ヤシの木が、そこかしこでゆれていた。

 あちらと違うのは、建物の背が低いことと、ドゥオモを思わせる、丸っこい屋根がことさら多いこと。

 さすがに港町とはちがい、活気はなかった。人気のない通りにはポツポツと、簡易なテントが乱立している。

 

 ほかの町から避難してきた奴らの寝床かと思えば、そうでもないらしい。

 布をめくってテントから出てくるのは、みな、軍人のような体つきだ。ライフルだのカトラスだの、マシンガンだのまでぶら下げて、皆が皆、私を睨みつけていた。

 

 見聞色の覇気で、サッとたしかめれば、やけに女が少ない。こどもはいない。男ばかりだ。

 怪我人らしき気配はおおいが、病人はいないようだった。やはり、ほとんどが男。それも、若い男ばかり。

 1万人をこえる規模の町で、老人、こどもが一人もいない?

 なんなんだ、この町は。

 

 見張りの男に先導され、町の中心部へむかう。部外者である私をこの町にいれるかどうかは、コーザさん、という人に許可をとらねばならないらしい。

 やたらとピリピリした背中をみせる見張りの男は、何度も何度もふりかえる。

 その仕草といい、カジュアルな服装といい、町のゲートで検問をするような職業にはみえなかった。

 

 もとは広場だったのだろう。町の中心部にはところせましと、煤けた色の天幕がはられ、テントがひしめきあっていた。

 まるで戦場だな。

 ありあわせの棒切れでささえられたように、所々たゆんだテント。路上におかれた木箱の中から、銃や弾丸がのぞいている。

 ツン、とただよう生臭さは、まともな治療をうけていない怪我のにおいだ。肉が膿んで腐りかけている、イヤなにおい。

 

 歩く足元に、カツンと、空の薬莢がぶつかる。

 軍の基地と呼ぶにはあまりにお粗末だった。

 まるでここは、反乱軍の拠点のようじゃないか。

 

 「コーザさん」と、見張りの男がテントの中へ顔をつっこみ、だれかを呼ぶ。

 待つこと数秒。

 真紅のローブを肩にはおった、一人の男が現れた。

 

 片目にかぶさる、古傷のある男だった。

 うっすらとオレンジがかったサングラスをし、その表情は、陰鬱な鋭さをもっている。

 その男が、道におかれた木箱の上へ腰を下ろすと、テントの中から数名が現れ、彼を守るように周囲へ立った。

 

「………あんたが、旅人か。……おれはコーザ。反乱軍を率いてる。今はこの町を、取り仕切ってもいる」

 ざらついた声だ。

 うすうす気づいちゃいたが、本当にここ、

「……私はマジェルカ、シェルディーナ・マジェルカだ。……つかぬことを、聞くかもしれねぇが………反乱軍の、拠点だったり、するのか? この町」

 

 コーザの周囲だけではない。野戦病院を思わせるようなテントからは、続々と人が現れ、私たちを取り囲んでいた。

 とおく、竜巻が唸りをあげる。

 その巨大な影にのまれた、うす暗い町の中、反乱軍の面々は私に睨みをきかせている。

 

「知らずに来た、と言いたいらしい………カトレアがおれたちの本拠地になったことは、国中のうわさになってるはずだ……。お前が国王軍のスパイじゃないと、示せる証拠は?」

 なんだこの状況。

 ガチャガチャ、となる金属音は、周囲の人間たちがみな、武器を構えた音である。

 その標準の矛先は、見なくてもわかる。私だ。

 

 笑っちゃダメだぞ、笑っちゃダメだ、私。あんまり予想外の展開すぎて、おもしろくなってきちゃったけど、笑っちゃダメだぞ私!

 どうにか半笑いでおさえこみ、首をかしげた。

 

「私がスパイじゃない、証拠…………ねぇな!」

「なに……?」

 その場に座り込んであぐらをかく。町中はさすがに、砂漠のようなふかい砂地ではないらしい。ザラリとした砂と、硬い地面が尻にあたる。

 見えあげる形になったコーザの、殺気立った目をみつめた。

 

「私は、この島の旅人じゃない、グランドラインの旅人だ。この島に来てからは2週間ほど、ナノハナに滞在してる。そんなわけでこの国のうわさにはうとい。………ご覧の通り、この肌の色は、この島じゃあ、珍しいようだからね。ナノハナでも目立ってた。あの町の奴らに聞いてもらえりゃ、事実だとわかるだろうが………この場で示せる証拠はないよ」

「なぜこの町に?」

「タマリスクに行く途中だったんだ。宝石………あのー、〝水の宝石〟っていう、今流行りのモンがタマリスクにあるって聞いてさ。砂漠を渡って来たんだが、あの竜巻にあっちまって、ビビってここまで逃げて来た。町があってたすかったよ。あの竜巻がなくなるまででいいから、ここに滞在させてくれねぇか?」

 

 ギロリと見下ろすコーザの目は、より一層、険を帯びる。

「外海からやってきたというなら………なぜ今、この国にきた。干ばつと反乱で乱れたこの国へ………わざわざ観光しにきたのか………?」

「観光しにきたわけじゃねぇけど……友だちに会いにきたんだよ。会おうと思ってたうちの、一人にはあえた。もう一人は、トグルの民でさ。干ばつでやべぇことになってんじゃねぇかと心配してたんだが……トグル自治区は平気らしいな! アラバスタにいるトグルの民は、ほとんど、ヴァメルから避難したっていうし………あと二、三日観光でもして、海へ出ようと思ってたところだ。それで今日、タマリスクへ行こうとしてた。水の宝石がどんなもんか、見てみようとね」

 

 ウソはひとつもない。かつて世話になったトグルの民、ドジョーにも会えればいいなと思っていたのは事実である。

 そしてもし、反乱軍やクロコダイルの魔の手が、トグルの民にも及ぶようであれば……。

 私がそれを打ち砕くつもりでいた。

 なにせこれからルフィが救うのは、アラバスタ王国のみ。トグル自治区はその名前すらでてこないはずである。

 それを知った上で、すぐそばの友人を放っておくほど恩知らずになったとあれば、旅人の名折れだ。

 

「………この町に来たのは、偶然だと」

「まぁ。……砂漠から町が見えたから、ここに逃げ込んで来たわけだがな」

 じっと、私の目をのぞきこんだコーザは、素早く立ち上がった。ひらりと、真紅のコートがひるがえる。

 

「………歓迎はしない。………町の建物の一室を使え。監視をつける。渡せるのは最低限の水とパンだけだ。それでよければ、砂嵐がおさまるまで、滞在を許可する」

「ありがとう!」

 

 テントに戻るコーザの背中を、守るように、数人があとにつづいた。周囲をかこむ人間たちが、武器をおろす音がする。

 よっぽど緊張していたらしい。ずっと私の真後ろに立っていた、町の見張り役の男は、ほうっと安堵の息をはく。そうだよなぁ。もし私が撃たれたら、ついでにハチの巣になるだろう立ち位置だったもんなぁ。

 

 コーザの消えたテントから、ガタイのいい男がぬうっと現れた。背丈は3メートル近くありそうだ。それに見合った肩幅と、歴戦の戦士じみた体躯をしている。

 かすかに臭う、薬草の苦味と、すえたにおい。

 まだ古くない傷なのか。上掛けからはみだした、男の腕には包帯が巻かれ、右手の先がなくなっていた。

 

「監視につく、ファラフラ。こっちだ」

「あぁ。マジェルカだ。よろしく」

 

 そっけない視線をよこし、ふぁらふぁる、じゃねぇ、ふぁーらふ………ファラ、フラ、は、歩き出す。

 

 干ばつによって、この町も本当は、放棄されたのかもしれない。

 与えられたのは、だれもいない宿屋の一室。ベッドを叩けば埃がまった。飾られたドライフラワーの上にも、目に見えて埃がたまっている。

 人がいないだけではなく、人の使っていた気配がない。

 

 この街には怪我人の気配も多い。しかしその全員が、外でのテント暮らしをしているようだ。

 反乱軍が、この町の人間をおいだし、占拠したのであれば、ベッドや建物を利用しない理由がなかった。

 まるで反乱軍は、ここの住民たちが戻ってきたときに困らぬよう、配慮しているようにも見える。

 

「メシには、呼ぶ」

 ファラフラはそう言うと、部屋のドアを閉めた。しかし気配は立ち去らない。ドアの前に立ち続けるつもりらしい。

 

「……意外だな」

 ポツリ、つぶやく。

 

 アルコールは人を酔わせるが、正義や暴力もまた、人を酔わせる。

 

 暴力のゆるされた戦場では、人がもともと持っていた価値観など、波より脆くくずれさる。

 規律を叩きこまれた軍人であろうと、例外ではない。暴力に酔いしれ、己の〝大義〟に泥酔し、略奪レイプ虐殺などまで〝正義〟のために許されると思い込む。

 

 人の心は、人が思っているよりも、脆い。

 戦争の現場は、いつも悲惨だ。

 

 特に〝自分たちの国を救うため〟の、〝有志による〟反乱ともなれば、その酩酊感は強烈なものだろう。

 反乱軍を名乗っていようと、実態は、反乱の意味をかみしめている者など一握り、あとは正義の名に酔わされた暴徒の群れなのだろうと思っていた。

 しかしどうして、この町にいる反乱軍は、〝倫理〟を失っていないらしい。

 

 意外なことに、ナノハナでも、反乱軍の悪口をきかなかった。かといって、国王への悪口も耳にしなかった。

 つづく反乱によって、もうずいぶんな人数が、殺し殺され死んでいるはずだ。

 それを鎮圧できない国王軍のふがいなさを嘆くことばはきこえてきても、反乱軍への恨みつらみ、国王軍や国王本人への罵詈雑言は、夜の酒場でもみつからなかった。

 

 反乱軍の、らしからぬ規律正しさといい。国民たちの反応といい。

 なんとも妙な国である。

 

 ベッドにそうっとあがり、ホコリっぽい布団をすっぽりかぶる。竜巻、じゃねぇ、砂嵐のせいで、ただでさえ視界は暗い。布団までかぶれば、暗さはまるきり夜のようだ。

 

 リュックの中から小電々虫をとりだした。

 いつもの、カタツムリに似た姿ではなく、今はただの貝殻のよう。

 エースとの戦闘前に、リュックごと放り投げたせいだろう。衝撃から身を守るため、殻の中にすっぽりと入り込んでいる。

 

 心配はいらない。あまり知られていないことだが、電々虫の〝殻(正確には甲羅の部分)〟といえば、世界で一二を争う硬度をもっている。

 生物の中で一二を争う、のではない。あらゆる鉱物をあわせた、すべての物体の中での、一二である。

 

 たとえ突進するマンモスに踏まれたとしても、巨人の歯で噛みしめられたとしても、殻にとじこもってさえいれば、電々虫は怪我一つ負わない。

 そうでもなければこんなノロくさい、攻撃手段をなにももたない生物が、グランドラインで絶滅もせずに生息しつづけられるわけがない。

 

 殻の部分をちょんちょん、と小突いてやれば、ウニューッと、顔を出す小電々虫。

 パチリパチリと目を瞬かせ、もう危険はないと判断したのか。ふぁー………とあくびを漏らして寝に入る。

 取り付けてある人工のカバーには派手なヒビが入っていたが、本体はやはり屁でもないらしい。

 

 カバー型の通信補助器のまんなかにある、通話ボタンをポチりと押した。ガチョ、と嫌な音がしつつも、壊れてはいないようである。

 「ジジジジィ……ジジジジィ……」

 と、小電々虫がねむたげに、呼び出し音を口ずさめば、「ガチャ」相手が出た。

 

『……おれだ……』

 クロコダイルの低い声が、布団の中でかすれて消える。

 外の奴らに聞かせたいものではない。限界まで口をちかづけ、簡潔につげた。

「上物だった。じゃあな」

 さきほどとは反対側のボタンをおせば、通話はおわり。

 私の用事が終わるまでは、動き出さないという約束だった。これで今から、クロコダイルの国盗りがはじまるのだろう。

 

 窓の外では、風が強まっていた。薄暗い大気の中から、とんできた砂つぶが窓にあたって不穏な音を奏でだす。

 この町に満ちる、殺気立った気配。

 砂漠の明日に描かれるのは、だれのどんな夢なのか。

 

 小電々虫だけは一足お先に、ふにゃふにゃと夢の中へ入っていった。



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19.悪い奴ほど善く見える

 旅をしていると、やがて、人の好意ほど危険なものはないと気づく。

 良かれと思って分けてくれたのだろう、あまっていた食料が、食べてみれば腐っていたり。

 親切心から申し出てくれたのだろう、道案内には、地元の住民だからこそ、大事な説明が抜けていたり。

 

(〝常識〟がちがうため、ときに驚くべき伝達不足が生じるのである。たとえば人の足にからみつく草が生えているから、草むらを踏んではいけない、という事実も、現地の人間からすれば〝常識〟であるがゆえに、イチイチ注意喚起するのを忘れてしまう、など。

 草むらの中の道を行けばいいよ、という、道案内を受けたとして。

 むこうは〝まさか草むらを踏むなんてバカなことは、誰もしないだろう〟と思い。

 こちらは〝まさか草むらを踏んじゃいけないだなんて、バカな話はないだろう〟と思い。

 結果として、大惨事がふりかかる。あの時は、大変だったな……)

 

 しかし、旅をつづければ続けるほどに、つくづく思うのだ。人の好意を無下にするものではない。

 

 パッサパサの、かわいた紙粘土みたいなパンをかみしめながら、後悔した。女将さんの用意してくれた保存食たち。めんどくさがらずに、ちゃんと持って来ればよかった。

 

 反乱軍の食料事情は、ずいぶんよろしくないようだ。メシには呼ぶ、と言っていたファラフラだが、夜になると部屋まで食事をはこんできてくれた。

 こぶし大の茶色い紙粘土と、コップ半分のにごり水、カップに入ったウサギの糞みたいなものが10粒ほど。

 イヤがらせ?

 首をかしげれば、見えてしまった。

 まったく同じものの乗せられた、もう1つのトレーをファラフラが持っているのが。

 

 とりあえず受け取れば、ファラフラはまた扉をしめ、そのまま廊下に座り込む気配をさせた。

 そこで、食べていたのだ。私に渡したものと、おなじものを。

 

 おそるおそる食べてみれば、ウサギの糞ではなかった。ドライフルーツだ。そういえばクロコダイルと食事をした時、黒くておいしい、小さな丸っこい野菜があったことを思い出す。あれを乾燥させたものらしい。

 ただ、こちらは味がしない。いくらなんでもドライすぎる。化石フルーツと呼ぶべきだろう。

 

 パンと呼んでいいのかためらうような、パッサパサのパンは、食べない方がよかったかもしれない。栄養補給というよりも、栄養をパンに吸いとられている気がする。少なくとも、口の水分はすべて略奪された。

 

 コップの水は、土の味。なるほど。ミネラルたっぷりで………これ飲んでも大丈夫なヤツか? 本当に?

 

 私といえば、どこに出しても恥ずかしくない、立派な、元・野生児である。シメた動物の腹に、直接、顔をつっこんで、嚙みちぎり、生肉を食べていた時期さえある。

 そう。

 この程度の食事の悪さで、動揺するような人生は歩んでいない。

 うん。そう。ぜんぜん平気。

 ……やっぱり女将さんのくれた保存食、持ってくればよかったなぁ………!

 

 噛んでも噛んでもなくならないパンを、茫然自失と噛みづつけていると、にわかに外が騒がしくなる。

 ドタドタと、宿の階下にひびきだす、人の足音。

 これほど近ければ、わざわざ見聞色の覇気を発動させなくとも、ぼんやりわかる。

 

 男が一人、なにかを背負って駆け込んできた。つきそうように、並走してきたやせ型の女が、男の背負うなにかを支えている。

 壁ごしに聞こえる怒鳴り声。

 

「ファラフラ! いるんだろう! すぐに来てくれ! 町の外でこどもが倒れてたんだ!」

「熱はないみたい! 呼吸もある! 脱水かもしれないよ! とにかくこの子を寝かせておいて! あたし、ラドル先生を呼んでくる! あんたかファラフラは、コーザに知らせて!」

「わかった!」

 

 女の気配が、宿から駆け出していく。部屋の外で、ガタリとファラフラが立ち上がった。ドドドドド、と階段を壊さんばかりに駆け下りる音。

 私もリュックをひっつかみ、一階へおりた。

 

 宿のつくり自体は、女将さんのサンセット・ハウスと似たようなもの。一階にある食堂のテーブルの上へ、こどもが寝かされている。

 意識がないらしい。

 背負って来た男によって、体をひっくり返されても、ピクリともしない。その胴体はぐにょりと、されるがままになっている。

 

「怪我はないみたいだが……! どうしてあんなところに、こどもが一人で居たんだ……!」

「……親は」

「わからない、砂嵐がひどくて、視界が悪かった。……そうだな、親もどこかで倒れているのかもしれない。おれはゲートに戻って、探索隊をだす。ファラフラ、コーザへの報告をたのめるか!」

「……戻って来たら、オカメに頼む。おれはここにいる」

「わかった!」

 

 宿の扉を壊さんばかりの勢いで、男が駆け出していった。外の風は相当つよいらしい。閉じかけた扉が、強風でふたたび開けられてしまう。

 それを無理やりしめると、ファラフラがこちらに気づいた。

 

「……お前は」

「脱水かもしれないんだろう、そいつ。この宿に塩と砂糖はあるか?」

「……なにをする?」

「私、水をもってる。きれいな水。これに塩をほんのすこし、砂糖をほんのすこし、混ぜてのませよう。コンロはあるよな、軽くあっためてくれ」

 水筒を投げ渡し、こどもの首元にふれた。脈が弱い。

 

 食堂をみまわせば、戸棚の下に救急箱があるじゃないか。中をたしかめると、油紙につつまれたガーゼもあった。一包み、開けて、口にくわえてみる。妙な味はしない。

 このガーゼに水を含ませて、こどもの口に触れさせても大丈夫そうだ。

 

 ファラフラは眉にシワを寄せ、動かない。

「あんたがやらねぇなら、私が勝手に動くが?」

「……わかった」

 

 こどもは、頭に帽子をかぶっていた。砂よけのためだろう、ひたいのあたりが、かざり紐でキュッとすぼめられ、首の周りをかくすように布が垂れた形だ。

 それを外してやり、身にまとったちいさなローブの首元をゆるめる。

 

 中身が飛ばされてしまったのか、空っぽのリュックも外してやった。リュックの肩紐にびっしりと石がくくりつけてあるのは、この国のまじないか何かだろうか。

 

 顔色は、土気色。服をゆるめるたびに、入り込んだ砂がザラザラと出てくる。一体何時間、砂嵐にさらされていたのだろう。

 ツンと上をむいた鼻が、いかにもあどけない。深緑色の髪にまでまぎれこんだ砂を、そっとはらってやる。

 

「どれだけ入れる」

 キッチンに居たファラフラが、小鍋と、2つの壺を抱えてみせにくる。スプーンを慎重にかたむけて、ぬるま湯のなかへ、塩と砂糖をほんの少しずつ入れた。

 かき混ぜたものに新しいガーゼをぶちこみ、スプーンですくいあげ、こどもの口元へ運ぶ。

 

 医者を呼んでくるとは言ったが、来るのは遅くなるだろう。先ほど見聞色の覇気を展開したところ、一人、手術を受けているらしき人物がいた。

 

 麻酔がゆるいらしく、激痛にあえぐその気配はいかにも強烈に感じとれる。

 強すぎる感情や痛みがあると、存在自体がゆらぐのだ。当然、当人のもつ覇気もゆらぐ。

 すぐにそれとわかった患者の体へ、必死になにかをしている男こそ、この町唯一の医者であるらしかった。

 

 ひたり、ひたりと、こどもの唇をガーゼでぬらす。じれったいのだろう、ファラフラがこどもの体を無理やり起こそうとするので、止めた。

「起こしても、ゴクゴク飲ませるわけにはいかねぇよ。乾きすぎた体にいきなり水をのませると、水が毒になって、死ぬ。少しずつ含ませてやるほかない」

「……こどもの頭、冷やすか……水枕」

「いらない。そういうのは医者が来てから、指示を仰いだ方がいい」

 

 黙り込んだファラフラの様子に、はっと気がつく。そうか、こいつも、こどもに何かしてやりたいんだよな。

 

「……あんたは………さっき食事にでてた、ドライフルーツがあるだろう。あれを、お湯でもどして、ちょっとつぶしながら、ふやかしておいてくれないか。このチビが起きたら、粥の代わりに食えるように」

 

 ファラフラは一つ頷いて、窮屈そうにキッチンへ戻った。この宿が特別せまいわけではない。あいつの背丈がデカすぎるのだ。

 

 ようやく医者がやってきたのは、もう夜が更けきった頃である。

 宿の時計は止まっているので、時刻はわからない。ゴウゴウと激しさを増す風にぶたれ、あのやせた女に支えられつつ、年若い医者はやってきた。

「ひっ!?」

 と声をあげたのは、私を目にした医者である。

 

「おいおいおい! 火傷の患者がいるとは聞いてないぞ!? それもこんな重症の……!」

「ちがうちがう、この肌はうまれつき! 健康丈夫、自慢の肌だ! 病人はこっちのチビだけ!」

「……うまれつきぃ?」

 

 節電のため、町の電気は、夜10時で止まるらしい。ロウソクの灯されたランタンが、ぼんやりと食堂を照らす。

 水筒の半分くらい、水分をとったおかげだろうか。

 医者が、目玉だのまぶたの裏だのをひろげて診察しているうちに、こどもが意識を取り戻す。

 

「……ア……」

「いい、しゃべるな。おれは医者だ。お前は、砂漠で倒れてた。発見されて、この町にかつぎこまれたんだ。深刻な脱水状態からは脱してる。もう大丈夫。あとはゆっくり休んで、元気になれ」

「……ウゥ………お……れ……」

「……スープ」

 

 と言って、ファラフラが、ぬうっと、別の小鍋を持ってくる。びっくりさせないでよ!と女がファラフラの背中をはたいた。

 

 女とファラフラの会話によれば、外の捜索は打ち切られたらしい。砂嵐が激化したためだ。

 この町に逃げ込んだのが、良かったのか、悪かったのか。すぐ走り去るかのように見えたあの〝竜巻〟は、腰をすえて、この近辺を荒らすことに決めたようである。

 

 女の言葉を信じるならば、夜明けまでには天候が回復する見込みだという。外から聞こえる風の唸りは、まるきり獣の雄叫びのようになっているが、本当だろうか。

 

 ファラフラはよっぽど丹精込めてドライフルーツを煮込んだらしい。甘酸っぱい、いいにおいがした。こどもの鼻がひくりと動くのをみた医者は、笑う。

 

「食い気があるなら大丈夫だ。それを食べて、今日は眠れ」

 

 女は戦闘員らしい。背中にくくりつけられた刀も無視できないが、なによりやせ型ながらも、体幹が安定している。この強風にも負けないはずだ。

 診察をおえた医者は、女に支えられて出て行った。

 

 こどもは目を覚ましただけ。まだ焦点もあやしく、一人では起き上がれそうにない。

 こいつにスープを飲ませてやるとくれば、片手のないファラフラでは荷が重いだろう。

 

 私がチビを支えるから、あんたがスプーンで食わせてやんなよ、と言った私の提案は、ファラフラの沈黙によって却下された。なぜだ。

 結局、ファラフラがチビを支え、私が食わせてやる。

 

 目がうつらうつらしているチビは、どうにかスープを飲み込んで、もごもご何かを言おうとする。言っているつもりなのだろう、しかし声になっていない。

 ムリをさせるのもどうかと思い、うんうん相槌をうってやれば、満足したのか安心したのか。

 小鍋半分ほどをのみほして、チビは眠りにつく。

 

「……お前は、悪い奴じゃ、ないかもしれない」

「ん?」

 チビを部屋のベッドにねかせたあと、部屋に戻ろうとする私の背中へ、ファラフラはそう言った。

 カンテラを持った男の顔が、ホラー小説さながらに、下から照らされているではないか。

 その神妙な顔ときたら。くすりと笑ってしまう。

 

「あんたこそ、悪い奴じゃなさそうだから………とびっきりの秘密をおしえてやるよ」

「……秘密……?」

 暗い廊下で、私は指を一本、唇にたてる。

「本当に悪い奴ってのはさ………見れば見るほど、悪い奴には見えねぇもんだ」



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20.その手におさまる覚悟の数は?

 うたがって悪かった、と内心で一つ謝る。女の言は正しかった。

 日の出の気配に目を覚ませば、昨日の嵐がウソのように、きれいに晴れているではないか。

 

 風呂にはずいぶん入っていない。水不足のせいもあるが、もとよりこの国では、〝入浴〟の習慣がないらしい。

 湿度が低いせいだろう。これほど暑いというのに、汗をかかない。肌がやけにサラサラしている。

 これで毎日、風呂に入ってしまうと、逆に肌を傷めてしまうそうである。

 

 それでもナノハナでは毎日、体を拭いていた。5日に一度は風呂屋にいって、髪も洗った。この国の〝風呂屋〟はサウナそのものだが、髪をあらうための湯も用意してある。

 朝は女将さんがタライ一杯、水を持ってきてくれるので、それで顔を洗っていた。

 まぁ、反乱軍の本拠地でそれができるとは思っちゃいない。

 

 水筒の残りの水をタオルにぶちまけ、顔を拭う。首と耳元、わきの下に、手のひら、足もふいて、さっぱりした。

 

 念のためにもってきた、スキンケアオイルの瓶。よくやった、自分。

 髪をとかすクシは忘れてきてしまったが、どうにかなる。手グシでまとめた髪を、高い位置で一つにしばった。

 手にオイルをなじませて顔につけていたとき、ゴンゴンゴン!と部屋のドアが叩かれる。

 

「なんだー?」

 一拍おいて、ドアを開けたファラフラは、すこし首をかがめて叫ぶ。

「こどもはどこだ!」

「……あ? いねぇの?」

「宿、この周り、探したが、いねェ……!」

 

 あらまぁ。

 目を閉じて、見聞色の覇気を発する。おそらく、この町で唯一のこどもだ。起きているならこれで発見できるだろう。

 どこかで眠るか、意識をなくしていれば、お手上げだが。

 

 ……いた。

 

「一緒に探しに行こう、アテがある」

 天候は回復した。もうこの町にいる理由はない。リュックを背負い、ファラフラとともに宿を出た。

 

 向かうべきは、町の中心部。ただ、問題が一つある。

 見聞色の覇気では、基本的に、生物の気配しか感じとれない。

 おかげで相手の居場所はわかっても、そこへ行くための道順がわからないのである。

 

 見聞色の覇気は、生物のもつ覇気が、反発しあう性質を利用している。自分の覇気をうすくなげかけ、はね返ってきた覇気を感じとることによって、相手の位置をさぐるのだ。

 

 しかし、生物〝以外〟がもつ覇気は、生物の覇気と反発しない。これによって建物などは、私のなげかけた覇気を、すんなり自分の中に通りぬけさせてしまう。

 反発がかえってこないせいで、そこになにがあるのか、何もないのか、わからない。

 

 いきおい勇んで先導した私が、あれっ、あれっ、と行き止まりにぶちあたったり、道をキョロキョロ見比べたりしていたためか。

「……どこに向かう」

「……町の中央、コーザがいるあたり」

 見かねたファラフラが、先を歩きはじめてくれた。

 なんか、悔しい。

 

 テントの立ち並ぶ広場にはいると、こどもの甲高い叫び声がきこえてきた。位置はわかるんだが、どっちに進めばいいのか、さっぱりだ。

 目に入るのは、どれも同じようなカーキ色をしたテントの布地ばかり。ファラフラは迷いもせず、スルスルと進んで行く。小走りになっていったのは、きっとこいつがやさしい奴だからだろう。

 

「コーザに会わせてくれよっ!」

「コーザさんは忙しいんだ! こどもの遊びに付き合ってるヒマはない!」

「遊びじゃねェ! おれは本気だ! 国王を倒すためなら、死んだっていい!」

 

 布地の向こうにようやく、こどもの姿をとらえたとき、チビは一人の男の腰元へ掴みかかっていた。

「ファラフラ!」

 昨日の女がこちらに気づく。走り寄ってくるその後ろで、チビは叫ぶ。

 

「おれを反乱軍に入れてくれ!」

 

 よかったよかった、あのチビ、元気そうじゃねぇか。

 私がほっこりしている間に、テントの中がざわめきだす。布地をめくってあらわれた、あの真紅のコート。

「なんだ、騒がしい」

 コーザが顔をみせた途端、その場にいた全員の背すじがすっと伸びてゆく。

 

 こどもは敏感だ。変化を感じとったのだろう、チビもまた、わめくのをやめて背筋を正した。

 

 何百万人もの反乱軍をまとめるリーダーともあって、コーザは面倒見がいいらしい。

 昨日の私にそうしたように、コーザはチビと向かい合った。こどもだからと跳ね除けるわけではなく、その話に耳をかたむけるつもりがあるようだ。

 

 夏島の朝日は、気が早い。もうまぶしく照りつけはじめた金色の朝日を浴びながら、チビは一つ覚悟を決めて、コーザに語りはじめる。

 

 周囲には、いわば幹部クラスのメンバーが集まってきたようだった。全員がめいめいに陣どり、コーザとおなじく、チビの言葉をきいている。

 ファラフラもまた、コーザの斜め後ろに立ち、チビを見つめていた。

 

 仕方がないので、私も腕を組んで、チビの話を聞く。どうせコーザに挨拶してから町を出ようと思ってたから、順番待ちみてぇなもんだな。

 本当はあっちの木箱に腰をおろして、日陰でダラダラ待っていたいんだが、そんな雰囲気でもないし……。

 

 チビ、あらため、ナノハナで靴磨きをしているという少年、カッパは、反乱軍へ加入するため、一人で砂漠をこえてきたのだという。

 ……ん? カッパ?

 

 今朝のうちにそこらへんで拾ったのか、空っぽだったリュックからは、ハンマーやらなにやら、武器のような武器じゃないようなものがはみ出していた。

 あれ? もしかして。

 リュックの肩紐にくくりつけられた石たちは、おまじないではなく、投石用?

 

「父さんはもとからいないけどっ、母さんとおれは、干ばつのせいで元の町から逃げなきゃいけなくなったんだ! もとから母さんは体が弱かった。引っ越したせいで、体を壊して……! ナノハナは、母さんの体に良くないんだよ! 潮風がダメなんだ! でも干ばつのせいで、他に行くところがねェ! どの町にも、水がないから……! だから、おれは………! この国から雨を奪った、国王が許せないんだ!」

 

 国王じゃねぇぞぉ、真犯人は、クロコダイルだぞぉ、と言ってもしょうがねぇから言わねぇが。

 しかし、靴磨きと言ったか。

 孤児たちがやるような仕事だ。このカッパ、こんなチビのくせして、体の弱い母さんの代わりに一生懸命働いているらしい。

 えらいなぁ。

 

「だからおれを、反乱軍に入れてくれよ!」

 コーザはまた、オレンジがかったサングラスの向こうから、カッパの目をのぞきこむ。

「……おれはお前を、反乱軍にいれるつもりはない」

 

「なんでっ……! おれだって戦える! 靴磨きだってだれより長く、だれより多くやれるんだ! 体力はある! 絶対に役に立つから!」

 

 たのむよ!と、カッパは言った。

 本人はきっと気づいていない。しかしその一言は、慟哭のように聞こえる。

 

 カッパには、今にも枯れそうな町の中に、友達もいるらしい。その子は病気で、町を離れられないのだとか。

 遠くない未来、友達の町も枯れてゆくだろう。

 

 国王が憎いと、カッパは言う。怪我も死もこわくないと、カッパは言う。

 ダメだ、と告げたコーザの瞳があまりにゆるぎないものだったからか。

 焦って言いつのるカッパは、〝おれも戦いたいんだよ〟と叫ぶ。

 

 なんだか、胸の奥がムズムズしてきた。弱っちかったガキの頃の自分を思い出してしまう。

 カッパの訴えが、私にはこう聞こえたのだ。

 〝どうしておれは、こんなに弱いんだよ〟と。

 

「帰れ……!」

 コーザは静かに、苛立ちをこめてそう告げた。声の重みにひるんだカッパへ、畳み掛けるように怒声をあげる。

「帰れと言ってるんだ! ここはガキのくる場所じゃない!」

 

 よく言った。拍手をあげたい。

 少年兵を採用するような集団は、言い訳の余地もなく、クズの集まりである。この反乱軍がそうでなくて安心した。

 

 この手で戦いたいという、カッパの気持ちはわかる。

 しかし、戦場というのは、カッパが思うような〝戦い〟の場所ではないのだった。

 ただの人殺しの現場だ。

 

 兵士が入り乱れる白兵戦であっても、〝戦い〟にはならない。お互いが一方的に、ただ目の前の〝肉〟を殺していくだけの流れ作業。その連続が、戦争である。

 どれほどキレイな言葉をつかっても、実態は変わらない。

 

 肩を怒らせ、コーザはテントの中に消える。こらえきれない涙をこぼし、カッパは俯いた。

 ファラフラが痛ましげに、カッパをみやる。しかし今は、自分が声をかけるべきではないと思ったらしい。

 私に視線をよこしやがった。なんですか。

 

 どいつもこいつも。

 戦う男というものは、相手が女というだけで〝慈悲の女神〟みてぇな対応を期待しやがる。

 

 バーカ。女神ってのは、人間じゃねぇから女神なんだよ! 人間の私に、んなもん期待すんな!

 

 にらみ返してやったのを、どう解釈したのだか。しっかりひとつ頷き返し、ファラフラはコーザの後を追って消えた。

 おい!

 

 やめろお前ら、ファラフラの顔をみて、事情を察するのは! あーなるほどコイツに任せりゃいいんだな、みたいな感じで解散するな!

 おい!

 

 すっかり全員いなくなり、テントの狭間、立っているのはカッパと私のふたりきり。

 どうするよこれ。

 声も立てずに、ぐいっと腕で涙をぬぐう、このチビに今、なにが必要なのか。

 考えたってわからないので、目の前にしゃがみこんでみた。

 

「……ひっ!?」

 私をみたカッパが、息を呑む。あ、そこから?

 昨日の夜は暗かった。私の肌の色が見えなかったのか。

 

「あんたには一つ、やり残したことがあるな」

 ズズ、と後ずさったカッパが、止まる。

 

「………反乱軍には……入れてもらうぞ……! 絶対……! 火傷だって怖くねェ……!」

「そうじゃねぇ。………あんたは昨日、この町の男に、助けられた。砂漠に倒れてるところを、見つけてもらわなかったら………見つけてもらったとしても、ここに運び込んで、治療してもらわなかったら……。死んでたぜ」

 

 ぐ、と歯を噛み締めたカッパは、引けていた腰を戻す。

「でも大人だって……砂漠には勝てないだろ……」

 

 礼を言うのを忘れるなよ、と言いたかっただけなのだが、そうはとらなかったらしい。

 こどもだから、お前が弱いからダメなんだ、と遠回しに指摘されたと思ったようだ。苦笑する。

 

 わかるぜ。

 自分に自信がもてねぇ時。なにを言われても、自分の欠点を責められてるような気になっちまうんだよな。

 

 おびえさせないよう、そっと腕を伸ばし、カッパの手をとった。

 ピクリと震えた小さな指は、それにそぐわず、かたい皮膚をしている。こどもにしては爪も分厚い。苦労をかさねた跡がある。

「いい手だな」

 そろりと撫でれば、カッパの緊張がすこしほどけた。

 

「でも、私の方が、手が大きい」

 手と手をあわせると、カッパの手は小さくはない。よかった、ギリギリ私の方がでかいな。

「そんなに変わらねェ」

 うるせぇよ。

 

「……私は、守るものを、まちがえたことがある。守る順番を、まちがえたんだ。あんたより、私の方が手がでかいけど、私の手だって、別に大きいわけじゃない。……この手で掴めるものには、限りがある……。それをわかっちゃいなかった」

 

「おれには何にもできないって言いてェのか!? 手の大きさだけでそんなことわかるもんか!」

 そりゃそうだ。

「そりゃそうだ」

 あっ、口から思ったことが出てっちまった!

 

「え……?」

 ほらみろ、カッパが戸惑ってるよ!

 もー、何を言おうとしたのか忘れちまったよ!

 

「あんたがどうって話じゃねぇよ。誰の手だって、それこそ巨人の手のひらだって、掴めるものには限りがある。なにかをつかめば、なにかを手放さなきゃならねぇ」

「おれは命を捨てる覚悟だ! 反乱軍に入れてもらえるなら………!」

 

 カッパの目を見た。逆光になったその瞳は、黒とみまがうような、緑色をしている。

 命を捨てる覚悟か。

「ふふっ……!」

 思わず笑ってしまった。昨日、エースの真意を聞いたばかりだからか。カッパの言う〝命〟という言葉の軽さが、やたらと耳にくすぐったい。

 

「笑うな! おれは本気なんだよ……!」

 私を見たおどろきで一度はひっこんだ涙が、またポロポロと落っこちてきた。それを恥じるように、カッパは腕で目元をかくす。

 

 その手を、なでてみる。平べったく、丸まった爪。もう取れなくなっているのだろう、爪と指の境目には、黒い油が染み込んでいた。靴磨きのクリームだ。

 

「なぁ……捨てることと、手放すことは、ちがうよな」

 ぽん、ぽん、とガキンチョの手にやさしく触れる。

「命をなくしたらな、もう、何にもできねぇんだよ。なにかをやり遂げたあと、最後の最後に、仕方なく手放すものが、てめぇの命だ。…………まだ何もしてないうちから、自分から命を捨てようと思ってる奴に………なにができる?」

 

 ぐぅ、とカッパが嗚咽をもらす。私がつつんだ少年の手は、力をこめられ、こわばった。

 どうにかそれを解けるように、ゆっくり、撫でさする。

 

「だれだってそうなんだ。全部一度に、手にすることはできねぇんだよ。その上、自分の命みたいに、最後まで手放しちゃならねぇものもある………。順番があるんだ。それを間違えちゃいけねぇ。一つ一つ、掴めるものから、掴んでいくんだ。掴むべき順番を、きっちりとみきわめて、一つ一つ手にして行くんだ。そうすりゃすべてが手に入る。…………掴めねぇものにばかり手を伸ばしていたら、なんにも手に入らねぇまま、年老いて死んじまう」

 

 カッパはちらりと、私の二の腕をみた。

 右に5本。左に2本。

 肉のえぐれた痕がある。

 どことなく灰色の、ピンクがかった古傷は、こっちこそ正真正銘、火傷の痕だ。

 

 死を、口で語るのと、目で見るのでは、何千倍も重みがちがう。私の傷痕に、死の影を見たらしい。カッパは静かにことばを吐き出す。

 

「……だけどっ、おれができることなんて……靴を磨くくらいで………命を捨てるくらいじゃなくちゃ、何にも、できねェから…………!」

 ボタボタボタ、と落ちてくる涙。朝日が宿ってキラキラしている。

 合わせた手のひらから、力が抜けた。小さな背中が、曲がっていった。

 私は小さくはないカッパの手を、ぎゅっと握った。

 

「靴磨きで、金を稼いでいるんだろう。金を稼ぐということが、どんなにすごいことか、お前は知らないのか」

 

 歯をくいしばったカッパの口から、どうしようもない吐息がもれた。泣くなと言ってしまいたい、それを言うべきではないとも知っている。人の涙は命のかけらだ。他人が無理やり動かしていいものじゃない。

 言葉を尽くす他になかった。

 

「金があれば、食い物が買える。金があれば、水も買える。金があれば、薬も買える。その大事な大事な金を、あんたは、人から、受け取ることができている。これがどういうことだか、わかるか」

 さいごの涙がボタリとたれて、カッパの視線をようやく捉える。

 

「金を稼いでいるってことは、あんたは人の役に立つことが、できているってことなんだ。あんたのこの手は、だれかを助けることが、できる手だ」

「………だって………靴磨きだよ………」

「それがどうした。靴磨きに価値がねぇなら、だれも金を払って頼まねぇ」

 

 焦点をうしなった、カッパの目。イヤなぼやけ方ではない。なにかを深く吟味している、人の目に深みを創る一瞬。

 ポン、と手の甲をたたき、カッパの手を離す。

 

 立ち上がって伸びをすると、もう日が昇りきっている。砂漠のからっ風はこんなところにまで届いて、どこぞで煮炊きする香りを運ぶ。

 

「あんたができることなんて、いくらでもあるじゃねぇか。一つ一つ、掴めるものから掴んでいけよ。順番をまちがえずに。………まずは………ナノハナじえーたいを、安心させてやるとかさ」

「……えっ?」

「探してるぜ、あんたのこと。カッパっていう名前のガキが、行方不明だからって、ナノハナじえーたいも、ナノハナ青年団も、ナノハナ自警団も、ナノハナ老勇会ってのも、みーんなあんたのことを探してた。あんたの母さんが、国王軍に尋ね人の届けも出したってさ」

 

 母さん、という一言に、カッパの目が揺らぐ。

 ちょっと探せば、空いてる木箱があるじゃないか。

 その背中のリュックから、ハンマーだのノコギリだのをスイスイっと抜き取って、ポンポン木箱になげこんだ。これはもういらねぇだろう?

 また空になったリュックの上から、カッパの背をかるく叩く。

 

「私はこれから、ナノハナに戻ろうと思ってるんだが……一緒に行くか?」



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21.アラバスタの民

 いっそ眠ってくれた方が楽なんだが。

 ちゃっかり朝食もいただいてから、反乱軍の本拠地カトレアを後にした。ナノハナヘの帰り道は、こども連れだ。

 

 よたよたと砂地を歩くカッパは、十一、二歳に見える。

 私の肘よりかは背が高いものの、少年か男児か、と問われれば、男児より。ムリをさせるもの忍びない年令だ。

 

 気恥ずかしい年頃なのだろう、私が背負ってやるぞと言っても、首を横にふるばかり。意地でも己の足で歩いていくつもりらしい。

 砂に足がとられ、転びかけることもしばしば。とっさに支えてやると、くやしそうに礼を言う。

 

「あーついなー」

 ジリジリと、砂漠の熱線が地上をねぶる。ファラフラが上掛けとストールをくれて、助かった。

 

 反乱軍にあった女物だ。使われていない古着だそうで、胸のあたりが少しキツイものの、日差しの圧を和らげてくれるのがありがたい。これがなかったら、徒歩での砂漠ごえは流石にきつかっただろう。

 

 反乱軍入りを断られ、落ち込むカッパのフォローを私に丸投げしたこと、これでチャラにしてやるよ。

 

 カッパを見れば、息があがっている。休ませなきゃならねぇな。海を目指して歩いたおかげで、平坦な地面も見えてきた。

 申し訳程度に、木が生えている。砂漠の風を受けつづけたせいなのか、幹はグニョグニョまがって、今にも倒れそうな形で伸びていた。葉も少なく、木陰もできていやしない。

 それでも、背もたれ代わりにはなるだろう。

 

「カッパ、あそこで休憩しよう」

 返事をする余裕もないらしく、カッパはぼうっとした目で歩き出す。これは、ナノハナにたどり着くまで長くかかりそうだな。

 

 カッパが眠ってくれれば、私がカッパを背負い、空を走ってナノハナに戻るつもりでいた。

 

 地上をチマチマ歩くことにくらべれば、空を走って行くほうがずっと速くて、ずっと涼しい。

 ただし、ある程度のスピードを出さねばならないため、体を覇気で強化する必要があった。そのままの体でいると、気圧やGの関係で、目玉がつぶれたり、鼓膜が破れてしまいかねない。

 これを防ぐためには、覇気で〝自分の存在を強化する〟。

 

 覇気とは、存在力。

 覇気を使った身体強化は、ただ肉体を強くするのではなく、〝存在そのものの崩壊を防ぐ〟ものとなる。

 これを人体につかえば、人体の崩壊をふせいでくれる。

 本来、覇気は、攻撃手段というよりも、防御手段としてこそ、真価を発揮するものだ。

 

 生物のもつ覇気どうしが、反発しあう性質をもっているのも、このためだろう。

 他人の覇気を流し込まれる、というのは、〝他人に存在を塗りつぶされる〟というような意味を持つ。

 そのためか、生物は、意識がはっきりしていればしているほど、他者の覇気への反発がつよい。

 

 逆に、気絶している時や、よく眠っている時、茫然自失とするほど落ち込んでいる時、自分の存在を忘れるほど驚いている時など、自意識が弱まっていればいるほど、他者の覇気への反発も弱まる。

 

 カッパの安全を確保しつつ、空へ連れていこうと思えば、眠ったカッパに私の覇気を流し込み、〝私という存在の一部〟とした上で、強化してやるのがもっとも良い。

 

 つまり、カッパ、お前は眠るべきだったんだ。

 その根性がアダとなった。

 結局、カッパは眠ることもなく、己の足で歩ききり、ようやくナノハナが見えた頃にはもう日が暮れかけていた。

 

 むらさきがかった空の下、ポツポツと明かりの灯る町をみて、カッパの足から力が抜ける。

 しぼんだように安堵するその肩を支えてやった。

「よーく歩いたなお前、すげぇよ」

 カッパは首を横にふる。

「まだ……着いて、ないから……さいごまで歩くよ、自分で……」

 やんわりと私の腕を押し返し、またヨタヨタと歩き始める背中。ここまで来れば、風に潮の匂いもまじる。愛しい香りに頬をゆるめていると、心に余裕ができたのか、カッパはぼそぼそと話し出した。

 

「カトレアは……ナノハナの……となりなんだ………。こんなに……近いのに……こんな砂漠も……一人でちゃんと、超えられないんじゃ……。おれは……もっと……! 大人にならなきゃ……! ダメなんだよな……!」

 

 独白のうしろを、のんびりと着いていく。後ろ向きな独り言は、それでも前に進むための熱意を秘めている。他人が口出しする必要はない。

「なんか……! 言ってくれよ……!」

 あれっ?

 口出しする必要、あったみてぇだ。

 

「ん〜……」

 何にも思いつかねぇときは、歌をうたうにかぎる。

 

 チキュウの歌はとても便利だ。

 特にニホンの歌謡曲は元の譜割りがモッサリしているため、アレンジしやすい。シチュエーションにあわせてアレンジを加えれば、どんな場面にもしっぽりなじむ。

 

 夜の町には音楽が鳴る。ナノハナでよく奏でられているのは、チキュウの楽器、シタールがよく似合いそうな節のついたメロディだった。

 砂の流れるなめらかさと、儚さを思わせるような余韻。

 そのグルーヴはニホンの雅楽にも通じていて、歌謡曲のリズムをちょいと崩せば、アラバスタ風の響きが生まれる。

 

 〝古城の月〟。そんなタイトルだったこの曲は、いかにも古くさい、どんくさいメロディと歌詞のつづく歌だ。文学青年をきどったようなリリックが、面映くもある。

 

 それでもどうしてか、胸のやわらかいところに響いてくる。

 きっと、誰しもどんくさく、かっこ悪い部分を胸に持っているからだろう。

 無くしたものへ、未練がましく想いはせつつ、斜にかまえて気取ってみる。そんな歌を……

 

「なに、その、歌………暗いよ………もっと明るい、歌、うたえよ……」

 カッパは一蹴した。

 

 この小僧。元気になった途端、文句が多いな。

 ノラ・ジョーンズの子守唄うたってやるぞこの野郎。

「ああ……それ……いい……。歌詞が、よく、わかんない、けど……」

 へっ、やっぱり子守唄がお気に召したか? お前、ガキンチョだもんな、ハハハン。〝ミリアム〟。これ、いい曲だよなぁ。

 それじゃあ次は、ウィットニー・ヒューストンを歌ってやろう。

 

 湿度のないこの島では、夜空がとおい。だれのマネをするわけでもない、自分の意志で歩いてゆくんだ、そう決めたんだ、と歌うメッセージは、とおいとおい一番星に向かってやわらかく響く。

 

 深い砂地が、どんどん浅くなり、足を沈ませないただの地面がひろがりはじめた。ナノハナの港の端にでたらしい。

 もう船の出入りはなくなる時間だ。関所の役人たちが、建物の明かりを消し、ぞろぞろと出てくる。

 顔見知りをみつけて、手を振った。

 

「おおおお!? びっくりしたよぉ、旅人さんじゃねぇか! 夜のあんたは心臓に悪いな! あっはっはっは!」

「行方不明のガキー! カッパ! 見つけてきたよー!」

「………なんだってぇ!?」

 

 立ち止まったカッパが、何かを言いたげに私を見上げた。なんだよ、事実じゃねぇか。

 

 慌ただしい夜となった。

 

 閉めた関所の中にとおされた途端、カッパは崩れるように寝てしまった。

 そのおかげで、質問ぜめの矛先はすべて私が受けることとなってしまった。

 役人たちが国王軍やナノハナ自警団を呼びにいくあいだ、のこった役人たちからはアレヤコレヤと質問責めにされるわ、褒められるわ体調を気遣われるわ、てんてこ舞いである。

 

 その上なぜか、国王軍よりも先に駆けつけたのは、ナノハナ老勇会のメンバー。

 心配しているんだか騒ぎに来たのだか分からぬ有様で、座り込んで、酒盛りをはじめてしまう。

 じいさんばあさんが顔を赤らめて、酒を交わし冗談を交わし、宴もたけなわとなった頃、ようやく国王軍と自警団が到着したはいいものの、タイミングが悪かった。

 

 私に事情をたずねようとする国王軍兵士たちは、酔っ払ったじいさんばあさんに絡まれて、身動きがとれなくなってしまう。

 その隙をぬって、私に説明をもとめたナノハナ自警団には、またべつの酔っ払ったじいさんばあさんたちが割り込んできて話に混ざってきやがる。

 おかげで話が、すすまねぇことすすまねぇこと。

 

 しかし、じいさんばあさんたちも、ただ邪魔するだけではなかった。

 カッパのために医者をよび、カッパのために着替えの服と、身を清めるためのぬるま湯を用意して、酔っ払いながらも手際よく、兵士や役人の気づかなかった部分をフォローしてくれる。カッパのために、滋養たっぷりのヤギ乳粥まで持ってきてくれたのだから、ありがたい。

 

 到着した医師は、カッパのことを素早く診察すると、問題なしと結論づけて、じいさんばあさんの飲み会に参入した、いや、参入させられた。

 ナノハナ老勇会、つよい。無双だな。

 

 ついに堪忍袋の尾が切れたのか、静かにしろ、酒盛りは他所でしろ、と怒鳴った国王軍兵士に、じいさんばあさんたちは肩をすくめた。

 じいさんがぽつりと言う。

「若ぇな」

 わっはっはっは!と笑いをあげる老勇会に、兵士の血管が切れかけた時、ばあさんの一人が言った。

 

「砂漠はね、しずかだよ。だれもいない、風の音しかしない。そんな場所で、ひとりで迷子になってたら、大人だって不安になる。しずかな場所がイヤになる。………昔っからね、砂漠で迷って、町に帰ってこれたヤツがいたら、その周りで宴会すんのさ。眠ってったって、音はわかるよ」

「そう。みんなで騒いで、ここはもう、砂漠じゃねぇぞと、教えてやるんだ。安心させてやるんだよ」

 

 思いがけない〝宴の理由〟に、私も兵士もことばを失う。

 地元の医師や、自警団の面々はこれを知っていたらしく、苦笑とともにうなずいていた。じいさんばあさんは照れたように、顔をみあわせて囁きあう。

 

「ナノハナの………アレだよね」

「昔からな、この町の………アレだよな」

「そうそう、あたしらの小さい頃からの………アレだよねぇ!」

「アレアレって、おめぇらよう、アレだよ、ナノハナの、アレ」

 

「アレってどれだよ!?」

 我慢できずにツッコめば、わっはっはっは!とまた笑いが起こる。

 

 結局、国王軍兵士たちによる聞き取りがおわったのは、夜の8時を回ったあたり。そこから老勇会の宴会にまきこまれ、解放されたのは夜の10時すぎである。

 

 カッパのことを迎えにきたのは、ナノハナ青年会のメンバーだった。40代くらいの男性だ。なぜどこでも〝青年会〟のメンバーというのは〝中年〟ばかりなのだろうか。

 眠ったまま起きないカッパを背負って、家まで送ってやるという。国王軍兵士もつきそって、カッパの親に経緯を説明してくれるらしい。

 

 カトレアで、カッパは干ばつによって、ほかの町から移住したのだと話していた。この大干ばつが始まったあとに引っ越してきたのだろうから、カッパがこの町に住んだ期間は、最大でも三年ほど。

 ナノハナの人々にとって、カッパは余所者だ。

 

 その余所者のために、ここまで多くの人が動き、親身になってくれる。

 そもそも、住んだ年数で人を差別するような考え方自体、だれも持っていないようだった。

 

 女将さんも言っていたっけ。干ばつだろうと、人の心まで枯れちゃいないと。夜風がじんわり胸にしみる。

 いい町だな。

 

 サンセット・ハウスへたどり着くと、食堂の灯りはもう消えていた。女将さんはもう、寝てしまっただろうか。いつものように裏口にまわり、試しにコンコンコン、とノックしてみる。

 

「女将さぁーん、マジェルカだけどぉー、寝ちまったかなぁー?」

 コンコンコン。

 宿屋の裏側の通りは、民家になっている。近所迷惑にならぬよう、小声でささやいたのだが、意味はなかったらしい。

 

 バァン!と裏口がひらかれたかと思えば、女将さんが飛び出してきた。

「おおっ!?」

 そのまま抱きしめられ、耳元でどでかい声がする。

 

「あんたよくやってくれたよーう! あの子が行方不明になってから3日だろう!? もうダメかもしれないって、話してたところだったんだよう! よく見つけて、よく連れ帰ってくれたもんだよーう!」

 

 さすが、厨房を切り盛りする人だ。バッシンバッシン背中を叩かれ、その絶大な腕力がいい音をたてている。

 おう、おう。この衝撃、海賊並みだな。

 

 どうにか女将さんを落ち着かせ、宿に入った。

 カッパがいつまでも起きなかったため、奴のために用意されたヤギ乳粥は私がおいしくいただいた。腹はそこまで減っていないが、女将さんがサービスだと言って料理を出してくれたため、ありがたくいただく。

 

 ああ。もう。カトレアの反乱軍にも食わせてやりたい。これ食ったらもう、反乱する気も起きねぇに決まってる。

 うまい……!

 

 私は目立つ。肌が黒いからだ。2週間も滞在し、毎夜毎夜、音楽のある酒場をはしごしていれば、地元の人間たちともいくらか顔つなぎができている。

 私がサンセット・ハウスに宿泊しているのを知っているやつも少なくない。

 そういった流れで、女将さんの元に、青年会から連絡があったらしい。

 

「本当によかったよう! 砂嵐で、あんたが無事だったのもそうだけど! 行方不明の子のことまで見つけてくれてさぁ! カトレアで見つけたんだろう? カトレアと言ったら、今は反乱軍の本拠地になってるよねぇ? 大丈夫だったのかい?」

「ああ、意外とみんな、やさしかったよ」

「そりゃそうだよ、反乱軍っていったって、アラバスタの人間だもの、いじわるな奴なんていないよう」

「ええ……?」

「食べ物がなかっただろう? カトレアは、干ばつで放棄される寸前の町だったからさぁ、交易商たちが行かなくなっちゃってるんだよ。元からの住民はもうほとんど、よそに避難してるしねぇ」

「あー」

「カトレアは元々、オアシスだから、水には困っていないだろうけど……反乱軍がさぁ、交易商のかわりに、カトレアでとれた水を、ナノハナに持ってきてくれてるんだよう」

「んっ?」

「おかげでこのナノハナは、水不足にならないし、ほかの町からの避難民を受け入れることもできてる。反乱軍のおかげだよね。うちで使ってる水も、反乱軍が持ってきてくれたやつだよ」

 

 女将さんの話に、首をひねってしまう。

 コップの水は透き通っていた。味もおかしなところはない。これがカトレアから送られた水?

 

 カトレアで飲んだ水は、にごって、生臭く、土の味がするようなものだったのだが……。

 まさか。

 

 女将さんによくよく聞けば、カトレアから送られてくる水の量は、干ばつ前とさして変わらぬらしい。

 ナノハナでは、干ばつによる避難民を受け入れたため、一人あたりが使える水の量は減った。それでも深刻な水不足におちいっていないのは、反乱軍が安定して水を供給しているためだという。

 

 カトレアは、水不足のせいで放棄されたのではない。砂嵐のせいで捨てられた町だった。

 

 干ばつの影響で、カトレア近辺に砂嵐が多発するようになり、物資の輸送がとどこおってしまった。

 それでは生きて行けぬと、住民たちが各々、ほかの町に避難してゆき、自然と放棄されていったのだとか。

 

 人が消えれば、経済もきえる。交易商がカトレアに立ち寄る理由もなくなり、さらに町は廃れる。

 物資はますます減り、避難する住民はより一層、数をふやし、町の中の仕事もとどこおる。

 

 オアシスがあっても、そこから水を汲みあげる人間がいなければ意味はない。一時期は、カトレアでの採水自体が、ストップしてしまったらしい。

 

 反乱軍がカトレアに本拠地をうつしたのは、その頃だ。いなくなった元の住民たちに代わって、オアシスからの採水を行い、周辺の町……主にナノハナへ、水を届けてくれるのだとか。

 

 これは、どう解釈すればいいものか。

 

 上っ面だけみて判断するならば、反乱軍は、水を独占し、それを販売することで、反乱の資金を調達しているとも言える。マフィアのような、姑息なやり口だ。

 

 ただ、現地の様子をみてきた上では、とてもそうは思えない。

 おそらく反乱軍は、自分たちの飲み水をけずってまで、ナノハナの人々や避難民たちに水を提供しているのだろう。

 

 カトレア近辺で頻発する砂嵐は、干ばつによって、大気が異様に乾燥しているせいだという。

 当然だが、大気が乾燥していれば、水は蒸発する。湖やオアシスの水は、自然と激減してしまう。

 

 地下水を直接汲みあげているわけでもない、地上にでてきたオアシスの水を採水するとなれば、とれる水の量は減っていてしかるべきだ。

 しかし、ナノハナに送られる水の量は変わらない。

 そして、カトレアで反乱軍がのんでいる水は、量が少なく、泥の混じったようなにごり水。

 ここまでくれば、もう疑いようがない。

 

 反乱軍のやつら、自分たちのためではなく、国民のために、カトレアを〝運営〟し、飲み水を配給しているのだ。

 

「……いや、国王軍はなにやってんだよ、水の供給を、反乱軍に任せっぱなしなのか?」

「……えっ、国王軍は、海賊と戦うための………人らだから………関係ないんじゃないのかい?」

「国はなにやってんだよ?」

「なにって?」

「国が……助けにこないのか? その……カトレアで水を取る人がいなくなれば、みんなが困るわけだから、国からだれかが………送られてくるとか」

「……国王さまが、何かしてくれるんじゃないかっていう、話かい?」

「まぁ」

「国王さまは、避難した国民を、しっかり保護してくださるよ。町がダメになっちゃった時はね、首都のアルバーナに行けば、国王さまが色々と、助けてくれるのよ」

「……国王側が、町を助けにくることは、ないのか」

「そりゃあ! ムリってもんだよう! アラバスタは広いもの! 町も多いし、砂漠も広いよ、ぜんぶの町を助けにいけるわけないじゃないか!」

「……そうかぁ……」

 

 キレイな水を口に運んで、天井をあおぐ。

 執政する側が、町を助けに来ることはないのだとすれば。

 カトレアという水源が保たれているのは、本当に反乱軍の〝おかげ〟ではないか。

 

 水をのまずにいれば、人は3日で死ぬらしい。

 ナノハナに住む人々全員の命は、反乱軍に守られていると言っても過言ではない。

 

 なるほど。

 国民が、反乱軍の悪口を言わない理由がわかった。国王軍の兵士が何十万人も、反乱軍に寝返った理由もわかった。

 珍しいことに、この国の反乱軍は、本当に、国を守ろうとしているようである。

 

「反乱軍の中にはねぇ……この町の若い人も、いるんだよねぇ。はす向かいの雑貨屋の息子のアブダラも、反乱軍に入っちゃって……。ちっちゃい頃から知ってるからさぁ……。心配だよねぇ、ちゃんとご飯たべれてるのか……」

 

 女将さんは物憂げに頬づえをつく。

 私もつられて、重たい息をはいてしまった。

 



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四章 燃えゆくナノハナ
22.仕事


 アラバスタの悪夢は、三年前、この島へクロコダイルがやってきた時には、すでに始まっていたのだろう。

 一つの町を救うことで、英雄と呼ばれるようになったクロコダイルは、その裏で己の悪魔の実の能力を使い、この国に干ばつをもたらした。

 

 雨を奪い、雨と戦を呼ぶ粉とされている、ダンスパウダー。クロコダイルは、干ばつの原因が自分であることに気づかれぬよう、あの破滅の粉をこの国に持ち込んだのではなかろうか。

 そして、干ばつは、ダンスパウダーによって起こされたものであるかのように偽造した。

 

 更には、ダンスパウダーを使用しているその本人が、アラバスタ国王であるかのように見せかけ、王への信頼をゆらがせた………。

 

 このアラバスタ王国内でたった一か所、干ばつを免れた町、王都アルバーナ。

 国王の在わすその町にだけ雨が降るのは、いわずもがな、クロコダイルのさじ加減によって、あえて起こされているものだ。しかし悪魔の実の能力は、人々の目に映らない。

 

 一国を覆ってしまうほどの悪魔の実の能力というもの自体、常識をはるかに超えた力である。

 クロコダイルの所業はだれに気づかれることもなく、人々の目は〝ダンスパウダーの疑惑〟の方へと向けられる。

 

 国王への疑惑の、真偽をあきらかにするため、発足された反乱軍。

 終わらない干ばつと、枯れてゆく町々。

 此の期におよんで、反乱や干ばつへの対応策を表明しない国王。

 

 そして。

 この国を守るフリをしながら、この国を追いつめ、王位と王家のもつ財宝を手に入れようと目論む海賊、クロコダイル。

 

 港町ナノハナは、今日も活気に満ちている。まだ早朝の5時だというのに、夏島の太陽は高らかにかがやき、人々は軒先を掃き清めて、ほがらかに朝のあいさつを交わす。

 

 この中にいると、つい忘れてしまいそうになる。それでもこの国はもう、限界にちかい。

 ナノハナから少し砂漠を行けば、オアシスは枯れはじめ、砂にうもれた町の残骸が次々と目に飛び込んでくるようなありさまだ。

 

 クロコダイルの起こす、次の一手とは、なんなのか。

 3階建ての屋根の上、あぐらをかいてナノハナの町をみおろす。

 

「あーらぁ、旅人さんったら、また! そんなところに座って! 落っこちないようにしとくれよ!? あそうそう、おはようさん!」

 宿の裏手に住むバアさんが、ホウキを片手に手をふってきた。

「あー! おはよー! もし私が落っこちたら、抱きとめてくれよー!」

「任せなぁ! このホウキで空のむこうまで、カッ飛ばしてあげる!」

「……それホウキでぶん殴るってことじゃねぇかよ!?」

 手をふりかえせば、アッハッハと笑い返された。

 

 宿屋に水の樽をとどけにくる、水屋のおっさん。「おー、旅人ぉ、朝早いな」「あんたもなー! ご苦労さーん」

 宿屋にパンを卸しにくる、パン屋の姉ちゃん。「たーびびーとさーん! おーはよーう!」「あー! おはよー!」

 朝メシの時間帯だけ、宿屋の向かい側で具入りのナンを売る、屋台の兄ちゃん。

 

「あっはっはっは! まーたそんなところに居るのかー! 旅人ぉー!」「あんたもまーたそこでナンを売るのかー! 一個くれ!」「一個200ベリーだ! 投げるかー!?」「おっ、えっ? 届くのかー!?」「見てろよ!? あっ、先に200ベリー投げてくれー!」「えっ、投げていいのか!? 当たるといてぇぞ!?」

 

 ポーン!と空高く投げられた、アツアツのナンを立ち上がってキャッチする。包み紙の中、パカリとわってみれば、今日の具はチーズと茶色のソースだ。一口食えば、なんだっけ、グラ、グレ、グレビティソース? グレービーソース?

 

「おい!兄ちゃん!これうまーい!」

 屋根の上から身を乗り出して、そう叫べば、〝だろ?〟とでも言いたげに、屋台の兄ちゃんは人差し指をピンと伸ばした。

 

 いつの間にか胃袋の中へ消えてしまった、具入りのナン。包み紙をおりたたみつつ、ジリジリと温度をあげる陽射しに目を細める。

 

 あちらこちらでゆれる、ヤシの木の緑。ここより背の高い建物はいくらでもある。小さな通り、ほんの二、三本分しか視界には入らない。

「……うん……」

 それでもすっかり、この町には顔見知りが増えてしまった。クロコダイルが王位の簒奪をしかけた時、この町はどうなるのだろうか。

 

 この世界、この一年のキーパーソンとなる存在、モンキー・D・ルフィは一昨日、この島に入ってきたはずだ。

 チキュウのマンガ、〝ONE PIECE〟の知識を信じれば、近いうちにルフィはクロコダイルを倒す。しかし、どのタイミングで倒すのか、昨日の夜からずーっと考えているのだけれど、思い出せなかった。

 

「どこで倒すのか……」クロコダイルの本拠地である、レインベースという町だろうか。

「いつ?」もう倒したのか? いいや、倒したならばすぐに雨が降るはず。

 

 海にかこまれた島で、これほど大気が乾燥させられているのだ。乾燥の原因であるクロコダイルが昏倒したなら、海上の水分が一気にこの島へなだれこみ、雨を降らせるはずである。

 

「……あー……!」なんで思い出せねぇんだよ! この島で起こる〝ストーリー〟!

 

 白ヒゲ海賊団に会った時はそうだった。〝ONE PIECE〟に登場していた人物に、直接、会ってみると、そいつに関連する〝ONE PIECE〟の内容を思い出したのである。忘れていた細かい部分も、ふっと頭に浮かんできたのだ。

 

 今回はその法則が働いてくれないらしい。クロコダイルに会って、新たに思い出したことといえば……………ねぇな! 何一つ!

 

 ルフィのことなら覚えてるんだけどなぁ……。ニヤッと笑って『来い! ケムリん!』と叫んだり、血まみれの体で『いイィよ』と笑ったり……。しかし、どういう流れのどういうシーンだったかが思い出せねぇんだよ………! ケムリんってなんだよ……!?

 

「……あー………!」もうこの島に用はない。早くサン・ファルドに戻り、〝例の日〟がやってくるのをじっと待ち構えるべきだ。

 しかし、ナノハナがどうなるのか。

 見届けずに出港してしまったら、気持ちが悪い。

 

「あーんたー! マージェルカぁー!」

「あいよっ」

 呼ばれて屋根から顔をだせば、女将さんが叫んでいる。

「あの子がきたよーう! 降りといでよーう!」

 あの子?

 

 スタリと宿屋の表におりたてば、一階の食堂から、カッパが出てくるところだった。考えごとに集中してて気づかなかったぜ。

「おう、おはよう! 顔色いいな! よかった」

 カッパは昨日と同じ服を着ている。まさかまた、砂漠をこえてカトレアに行くつもりなのか?

「ほらほら、なにを突っ立ってるんだよう! 中にお入りよ! 今、とっておきのお茶を入れてあげるからさぁ!」

「やった!」

 女将さんに促されて、食堂のテーブルにつく。カッパはそばで突っ立ったまま、戸惑うように唇をかんでいた。つながった厨房からほのかに漂う、ジャスミンのようないい香り。

 

「あんた……マジェルカって言うんだな」

「おう」

「昨日は、お世話になりましたっ!」

 ガバリ、カッパが頭をさげた。こんな時、〝ONE PIECE〟のルフィなら、ニカリと笑ってこう言うのだ。

「気にすんな!」

 

 女将さんが厨房からティーカップを二つ持ってきた時には、もうカッパが出て行ったあとだった。

「あれ? あの子はどこ行ったんだい?」

「もう帰った。靴磨きの仕事があるんだってさ」

「へぇぇ、働いてるのかい、まだこどもだろうに……」

「母ちゃんが病気なんだってさ。父ちゃんがいねぇから、母ちゃんのためにも頑張ってるらしいぜ」

「へぇぇ……! えらいねぇ! 見上げたもんだよ……!」

「な!」

 カッパの分も私が飲むというと、女将さんは眉をひょいとあげてみせる。

「……ちょいと思ったんだけどさぁ……あんた、なにしてお金を稼いでいるの?」

「んん?」

「この島であんたが働いてるとこ、見たことないよ? あの子は一生懸命働いてて、働いてないあんたが、あの子の分までお茶を飲んじゃうのかい?」

 

 なんという、哲学的な質問だろうか。腕をくんで首をかしげる。

「んーん、世の中ってのぁ、ふしぎだね!」

「ふしぎじゃ済まないよう、理不尽だよね! そういうわけだから、このお茶はあたしが飲もう」

「えええ!?」

 よっこいせ、と掛け声をかけ、女将さんが向かいの席に座る。さりげなく差し出されたティーカップを傾ければ、花の香りがふわりと舞った。

 

「あんたはなんだか、すごーく長い間、ウチに泊まってるような気がするけどさぁ、まだ半月くらいなんだよねぇ」

「んー?」

「夜はいっつも出歩いてるし、こうしてゆっくりしゃべるのも、意外となかったじゃない」

「………言われてみりゃあ、そうだな」

 目をきらめかせ、グッと身を乗り出す女将さん。

「だからさ、あんた、海の旅人なんでしょう? 他の島ってどんなもんなのか、旅の話を聞かせておくれよ!」

 

 あまりに険しいグランドラインの海である。飛行機のないこの世界で、海を渡るのも命がけ。水平線のむこうまで、気楽に旅行できるようなものではない。

 島に生まれたほとんどの人間は、他の島を知らないまま一生をすごすのだ。

 

 笑いジワの浮いた目元を、少女のように見開いて、女将さんは待っている。そんな顔をされちまったら、とびっきりの冒険譚を話さねぇわけにはいかねぇだろう。

 

「グランドラインのどの辺まで行ったことがあるんだい?」

「前半なら何回も往復してる」

「へ!?」

「後半にも行ったぜ」

「へえええ!?」

「カームベルトって知ってるか?」

「あぁ、あぁ、グランドラインの両側にある、風の吹かない海だろう?」

「そう。ついでに大型海王類っていうモンスターどもの巣! それを越えればイーストブルーとサウスブルーだ。どっちも行った」

「……冗談だよね?」

「……私がはじめてカームベルトを超えた時。もう……9年前か……」

 

 ウソでしょう、ウソでしょう、でも本当なの?

 女将さんの目の奥に、恥ずかしがり屋な〝期待〟がチラチラ見え隠れする。

 その〝期待〟をくすぐって引っ張り出し、一緒にドキドキさせるところまでが、旅人のたしなみである。

 

 いつの間にか、他の宿泊客が降りてきて、食堂のテーブルに陣取っていった。

 ウソだろう? 本当か?

 ギャラリーからその一言が出てくれば、話口調への追い風だ。

 

「いきなりだ。舟ごとドーンと吹き飛ばされた! なにが起きたかわからねぇ、バシンと海面に叩きつけられるとよ、海面が、まるきり固い地面みたいに感じるんだよ。そこで私も舟も、一緒になってポンポンボンボン海面をはねまわっちゃって」

「あっはっはっは!」

「それじゃゴムの地面じゃねぇか!」

「そう! ゴムの地面! そんな感じだったよぜまさに! とびっきり固くてイッテぇ、ゴムの地面だけどな」

「舟は無事だったのかい?」

「それが………傷ひとつない」

「えええ?」

「私の舟、モクちゃん号はとびっきり強えんだ。その代わり、帆が、やられた。中に積んでた荷物もぜーんぶ、どっかに行っちまった」

「あんたは無事だったのかよ?」

「無事なワケねぇだろ! 首はいてぇし足はいてぇし、どこがいてぇのかもわからねぇような有様だぜ!?」

「船よりあんたの方がもろかったのか」

「あーちゃあ、バレちまった……! こう見えても女だからさ、9年前とくりゃあ、そりゃあもう、か弱い少女だったワケだよ」

「か弱い少女がカームベルトを渡るか!?」

「か弱い少女ぉ……? 見えないねぇ……?」

 

 しみじみ呟く女将さんに、食堂中が笑ってしまう。身振り手振りをまじえ、あーだこーだと言い合いながら、おもしろ可笑しく過去を話す。

 

 実際に、はじめてカームベルトを超えたときなど、何度、死を覚悟したかわからない。死ななかったのはただの〝ラッキー〟だ。遭難し、餓死しかけるほどのしんどい思いもした。大型海王類の口の中まで呑まれた時は、はじめての恐怖に手の感覚がなくなった。

 

 それでもこうしてワイワイ話していると、楽しいばかりの出来事だったように感じてくるから、ふしぎなものである。

 

 サンセット・ハウスには、今、私の他に5人の客が泊まっている。二人は行商で、二人は船乗り、もう一人はナノハナに職をさがしにきているらしい。

 

「あっれ? もうこんな時間か!?」

 ガタリと立ち上がったのは、船乗りだ。もう一人の船乗りと顔を見合わせて、慌ただしく宿を出て行く。遅刻だ、と叫んでいたが、大丈夫だろうか。

 時計をみれば、6時40分。

 それを皮切りに、行商たちは商品を背負って売り歩きにでかけた。ドアの向こうからチョイチョイ寄ってきては、話に混じっていた屋台の兄ちゃんも、本業の方に戻って行った。

 求職中の女はうーんと伸びをして、さわやかに笑う。

「こんなに笑ったの、久しぶり! 今日はなんだかうまくいきそうな気がするわ!」

「そりゃあよかった!」

「うふふっ! 楽しかったわ! 旅人さん!」

 最後までのこっていたのは、女将さんである。

「ねぇ………それで!?」

 続きを急かすワクワクした顔。思わず笑ってしまう。

「そうだな………紅茶のお代わりをくれるんだったら…………あれ………?」

 

 ふっと、嫌な気配が流れてきた。町の西側、砂漠の中に、なにかが上陸した。

 見聞色の覇気は発動させていない。それだというのにこの距離で、感じとれるほどの気配である。

 この時期、このタイミングで?

 只者じゃない、只事じゃない。

 気づけば席を立っていた。

「悪りぃ、女将さん、つづきはまた今度! ちょっと向こうの様子をみてくるよ!」

「えぇーえ!?」

 駄々をこねるガキのような声である。クスリと笑う心とは裏腹に、足は宿をとびだして、ひょいと屋根の上にとびあがる。

 

 高さのちがう屋根の上を踏み台にし、西へ走る。同時に見聞色の覇気を展開させた。

 ナノハの西にうごめく気配は、少なくとも3000以上。5000ほどあるかもしれない。

 あれは人間………なのか?

 全員が二足歩行の、人間の男である。

 しかしその気配を思えば、言い知れない寒気がする。

 

 覇気は存在力。人の気配とは、人がもつ覇気の反発だ。存在が異なるのだから、一人一人がもつ覇気の波長はわずかに異なり、はなつ気配もちがう。

 たとえ双子だったとしても、存在がわかれている以上、気配は異なるものだった。

 

 それであるはずなのに、ナノハナの西を歩きはじめた五千人ほどの集団は、その全員が全員、まったくおなじ気配をさせている。

 生物として、ありえない。

 あれじゃまるで、

「コピー人間みてぇだ……」

 

 思い当たるフシがある。クローン人間を、兵器として実用する、傭兵国家。

 通称、戦争屋。「〈ジェルマ〉のクローン兵か……?」

 

 一度だけ戦ったことのある〈ジェルマ〉のクローン兵は、気色の悪い奴らだった。味方を平気で殺すのだ。いいや、殺すという感覚自体、持っていないらしい。

 勝つために必要だから、撃つ。倒す。切り刻む。

 それが敵だろうと味方だろうと、自分自身であろうとも、関係がない。チェスの駒をはじくよりも安易に、命を潰す。

 

 〈ジェルマ〉は傭兵国家であり、依頼がなければ動かないはずである。

 誰が呼んだ?

 反乱軍、国王側、クロコダイル、それとも私の知らないだれか。

 

 ジェルマが得意とするのは、殲滅戦だ。反乱の鎮圧には向いていない。また、依頼にかかる法外な報酬を考えても、国内の反乱ていどで呼ばれるべき奴らじゃない。

 あいつら、この島に、なにをしにきた?

 

 踏みしめる家屋がくずれぬように、ほどほどのスピードで現地に向かう。ジェルマのクローン兵のような集団は、まるで絵本に描かれた軍隊のように、足の先から指の先までおなじ動きで進軍している。

 なんつうかそういうところも気色悪いんだよ!

 

 町の端がみえてきた。放置された廃墟たちのその向こう、ひたすらの砂漠が広がっている。

 目で見た限りでは、だれもいなかった。五千人の軍人どころか人っ子一人みあたらない。

 それでも気配はそこにある。

 

 傭兵国家、ジェルマ王国が持つ、なにかの兵器が使われているらしい。光彩なんちゃらとかいつやつだ。光の屈折を利用して、まるで透明人間のように兵士たちの姿を隠してしまうもの。

 

 大量のクローン兵を実用化しているくらいである。文明を二、三個さきどりしたような科学力を誇るジェルマ王国は、とんでもねぇ兵器をいつくも保有していた。たしかビームガン〈光線銃〉も使っているはずだ。

 あの一国だけ、未来に生きてんだよなぁ……。

 

 目には映らぬ兵士たちは、しかし見聞色の覇気をつかえば、北に向かって進軍しているとわかる。ナノハナに入るつもりはないように見えるが、まだわからない。

 こいつら、いきなり直角に曲がったりするんだよ。軍人の行軍としてはありえねぇ動きを平気でしやがる。

 

 どうする、どこにいく、止めるべきか? どう止める?

 まばたきをした一瞬で、唐突に、強者の気配がひとつ増えた。

「やぁーイ!」

 背後からとどく、軽薄な声。振り返るまでもない。

 屋根の上をはしり、後ろから私に追いついてくるのは、ナノハナに滞在している殺し屋・トカゲ男である。

 

 今日は服を着ているらしい。オレンジの髪を風にゆらし、トカゲ男は私の肩に片手をのせる。すれちがいざま、

「あーれは、オーイラの、しーごとだよーイ!」

 一言のこし、私を追い越していった。

 



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23.動乱の港

 モスグリーンの屋根の上、足を止める。

 トカゲ男はこの国の民族衣装をはためかせ、打ち捨てられた廃墟のうえをひょいひょいと飛びうつり、一見なにもない砂漠の中へと降りていった。

 

 砂漠からふく風が、立ち止まった私のひたいにぶつかってくる。

「仕事……」

 本来、あのトカゲ男は、グランドライン後半を仕事場とする殺し屋だ。この前半の海にいること自体、妙な話ではあった。その上、裏社会ではまったく重要度のない、このサンディ島に滞在しているなんて不気味なものだと思っていたが。

 

 あいつは、傭兵国家〈ジェルマ〉の兵隊がここにくることを知っていたのか。あいつの仕事のターゲットが「ジェルマのクローン兵……」だったということ、か?

 

「いやいやいやいや、どうなってんだよ……!?」

 

 相手がどれほど屈強な国であろうと、依頼を受ければ打ち砕く。異常な科学力でもって不敗神話を築いている、ジェルマ王国の兵士たち。

 殺せない奴はいないとささやかれ、半ば都市伝説のような扱いをうけている殺し屋、キース。

 

 どちらも、このグランドライン前半、〈楽園〉の海にいるべきメンツではない。より混沌とした暴力のるつぼ、グランドライン後半〈新世界〉に陣取る猛者どもだ。

 

 そんな奴らが衝突するのである。どちらの側にも〝こいつらを雇った人間がいる〟ということ他ならない。規格外な大金をつんでまで、こいつらをここに呼び寄せた黒幕が、すくなくとも2人はいる。

 

 ジェルマを呼んだ人間。私の頭に思い浮かぶ人物は、クロコダイルくらいなものだ。

 

 ジェルマが出て来た戦場は、なにもかもが焼き尽くされ、不毛の大地になると聞く。そんな奴らのことを、この国の人間が呼び寄せるとは思えない。

 

 クロコダイルがジェルマを雇ったのだとして、その対抗策に、国王側が殺し屋キースを雇ったのだろうか。

 いいや。

 まるきりおとぎ話の登場人物のように語られている、あのトカゲを見つけ、交渉し、この海まで呼び寄せるほどのツテが、この国の国王にあるだろうか?

 

 そんな政治力と情報力をもっているなら、とっくにクロコダイルの本性をあばき、自力で奴を追い出してると思うんだよなぁ……。

 

 ドォン、と向こうの空で砂ぼこりが舞った。はじまったらしい。

 

 ジェルマの兵器のせいだろう。地上10メートルほどまでは何も起こっていないように見えるのだが、その上空にだけ、不可思議な形の爆煙があがっている。乾ききった無色の空に、とびかう光線。あー、レーザービームだやっぱりぃ……。

 

 なんであんなヤベェ奴らのケンカが、この島で起こるんだよ。

「意味がわからん……クロコダイルのやりてぇことって、国盗りじゃねぇのか……?」

 

 ふくらんだ屋根の中央、ぴょんと飛び出す飾り柱。頭をコツンとぶつけてみる。うん。頭を叩いてもいい考えはひらめかねぇや。

 

「まぁ、でも、あれはトカゲの勝ちだろう……」

 ジェルマ王国側は、クローン兵しか来ていない。国家の主戦力である王族たちの気配はなかった。ただのクローン兵五千人くらいなら、トカゲ男は一時間もかからずに片付けるだろう。

 

 予想を裏付けるように、トカゲ人間の姿をとった殺し屋の気配は、一方的に軍隊をなぎ倒していく。もう100人以上の兵士たちを屠ってしまった。あー、やっぱりあいつの覇気も、レーザービームを防げるレベルの練度なんだな………。

 

 空に打ち上がる光線は、トカゲ男がレーザービームをよけたからではない。武装色の覇気の応用、〈武装色硬化〉のなされた体が、ビームをはじき返しているからだ。

 

 トカゲ人間の形態をとったトカゲ男は、4メートルほどの背丈にしかなっていない。

 ゾオン系・悪魔の実の能力を、きたえれば鍛えるほど巨大化するはずの、〝人獣形態〟。それがたったの4メートルでは、まちがっても指折りの強者には見えないだろう。

 

 しかし、元となっている〝トカゲ〟の小ささを考えれば、異常な増大率だ。空恐ろしいパワーを秘めているとわかる。

 

 シッポの一薙ぎで、4人の兵士がふっとぶ。人の腕の先についた、トカゲの手。ただ触れただけの兵器を吸い寄せるように持ち上げて、周囲の兵士に叩き込む。

 

 倒れこむように沈んだかとおもえば、四つ這いになり、トカゲのような巨大な頭を左右にふった。

 

 覇気で強化してあるせいだろう。ぶつかられた兵士の足が、〝破壊〟される。ちぎられてポーンとふっとぶ、足。足。足。

 ムチのように伸びたトカゲの舌。

 相手が反応する隙もなく、3人をまとめて絡めとり、ガブガブガブッと、人の頭を三つ、食った。………え? 食った?

 ああ、噛みちぎっただけか。

 ボンボンボンッ!と吐き出された人の頭。勢いよくとばされたそれは、大砲のように他の兵士たちを貫き、その腹に風穴をあけてゆく。なんだあの勢い、スイカの種じゃねぇんだぞ。

 

 えげつねぇなぁ、あいつの〝仕事〟。

 

 のこる勝者が殺し屋ならば、構わない。特にあのトカゲは、あんなナリしてなかなかの仕事人である。ターゲット以外の人間、たとえばナノハナの町人たちを巻き込むことはないだろう。

 

 見聞色の覇気をといて、のびをひとつ。あー、疲れた。人間の気配を大量に感じとると、情報量の多さと複雑さに頭がクラクラするのである。

 

 もう朝市がひらいている時間だ。そこかしこで店も営業をはじめており、港町らしいざわめきが屋根の上まで届いてくる。

 ドォン、ドォン、と巻き起こる遠くの爆音も、背を向けてしまえば、人の活気にかき消された。

 屋根から屋根へ、トンッ、トンッ、ととびうつり、きた道を戻る。

 

 宿に戻ったら、女将さんに話のつづきをしなきゃならねぇ。カームベルトの大冒険は、一つ目の山場を話しおえたところだ。

 大型海王類にはじきとばされ、荷物をうしない風もない中、必死で回収したモクちゃん号をオールで漕ぎすすめた14歳の私は、偶然に、とある島までいきついた。

 カームベルトの中に位置する島、男ヶ島〝なんがしま〟。

 変な島だったなぁ……。

 どこから話せば、面白い話になるだろうか。やっぱりメインは、入国を許してもらうために受けた試練、ククリ刀をつかった決闘かな?

 

 タマリスクで買ってくると約束した土産は、手に入れることができなかった。女将さんが後から手に入れた情報によれば、もう製造が終わってしまったそうである。

 売っているなら一走り空をわたって、ちょいっと買ってくればいい。売っていないとは言っても、とりあえず一度見てこようかと提案したら、断られてしまった。

 

 行方不明の子を連れもどしてくれた以上に、うれしい土産はないよう!なんて言って。

 

 女将さんには随分、よくしてもらっている。せめて〝土産話〟くれぇは、存分に味わってもらいてぇよな。

 

 ナノハナは、港側のウェルカムゲートに近ければ近いほど、背の高い建物が並ぶようになる。レトロ調のパステルカラーがぬうっと並ぶそのスキマから、いつもは港の海がきらめいて見えるはずだった。

 

「ん?」

 しかし今日は、海が見えない。空も見えない。チラチラよぎるスキマの向こうを、茶色のなにかが埋めている。

「なんだあれ?」

 よく見てみようと、黄土色の屋根の上、立ち止まった時だった。下の通りに男が走りこんできて、叫び声をあげる。

 

「逃げろおおおお! 港に! 港に大型船がつっこんでくるぞー!」

「……は?」

 

 ズウウウウン…………!

 

 大地がゆれた。横ゆれだ。屋根の上でよろけてしまい、体制を立て直す。

 ボゴゴゴゴ、とすざまじい音がした。止まらない轟音に、絹を裂くような人の悲鳴、どこぞから混じってくる爆発音。

 

「あ、こりゃやべぇ奴だ」

 呟いたときにはもう、足が走り出していた。

 

 とどろく破壊音はあまりに大きく、どちらから聞こえてくるのかわからない。無意識に発動させた見聞色の覇気にたよれば、逃げ惑う人の波を感知した。

 それとはまた別の場所。突然くずれた建物に埋められてしまったかのように、妙な位置でひれ伏したまま動かない人の気配たち。

 

 流れ込んでくる数多の気配の混沌さに、頭がぐらりとする。人の波はふた方向に分かれていた。様子を見に行くように港の方へ早足で歩く人間たちと、港から遠ざかるように、慌ただしく駆けくる人間たち。

 その中間に向かって走る。

 

 10階建だろうか、ひときわ背の高い建物を通りすぎたとたん、見えてくる〝元凶〟。

「なんっ………!?」

 巨大な壁だった。町のど真ん中に突如あらわれた、木造の壁。はるか見上げた先に、帆のようなものがチラリと見える。

 船である。

 大型船どころの騒ぎじゃない。巨大船だ。

 

 高さだけでも30メートルはあるだろうかという巨大な船体は、まだ動いている。

 あらゆる建物をなぎ倒し、ナノハナの町をすべっていこうとしている。

 

 一体どれだけのスピードで港に突っ込めば、こんな巨大船が、こんな町中まで乗り上げるんだ?

 

 おあつらえむきに、巨大船は大通りに沿って進もうとしている。それに押しつぶされて、大通りに面した建物たちは、軒並み崩れていくところだった。

 

 私は屋根から飛びあがり、斜めにたおれていく建物の上をとびこえた。未だ進み続けようとする、巨大船の真ん前へ、着地する。

 だってこれ、止めなきゃ。

 

 全身に、覇気をこめる。武装色の覇気ではない、ただの覇気で全身を強化する。

 迫る巨大船の鼻先。

 

 地面にへばりつくよう体勢を低くとり、足元の空気の粒子に己の覇気をまとわせる。

 そのまま、空気をけり飛ばした。地面と船の接触面へ、覇気をまとわせ、〝存在を強化させた空気〟をムリやりに挿し込む。

 地に手をついて、体をくるりと回し、もう一発! ダメ押しのもう一発!

 

 全力は出せない。ここで船が大破したら、大きな被害が出る。船を壊さぬよう慎重に加減した、もどかしい一撃を積みかさねて……どうだ?

 

 目の前をめいいっぱいに塞ぐ、木板の壁…………巨大船の前方が、ふっと、浮く。

 おっしゃ。

 

 その一刹那を逃す手はない。すべるように巨大船の真下へと移動する。

 夏日は遮られ、暗い。軽くひじを曲げながらかかげた両手で、その船体を押しあげる。

 

「……ぅぅぅぅうううぅぅぅぉぉぉおおおおあああああああああ!」

 

 お・も・い!

 

 グキュキュウ、と足元で変な音がなる。巨大船のあまりの重さに、地面が圧縮されたのだろう。後ろに引いた左足が、地面に埋まる。

 

 ズズズズゥウウウゥ……………と言葉にできぬ音をひびかせ、巨大船は止まった。

 

「はぁぁ」と、背後でだれかが腑抜けた息をはく。知らないジイさんだ。転んだのか、地面に尻をついている。

「おい、じいさん、逃げろ、避難だ!」

「あっ……はぁぁ、はぁぁ、あんた………力持ちだなぁ………!?」

「いや結構ギリギリだぞこれ………! おもい……!」

「……たしかに、重そうだよ、すごく……!」

 呑気か!

 

 背後に人が集まってくる。走ってきた数人の気配には、覚えがあった。ナノハナ自警団のメンツだ。

「なん、だ………これは!?」「おい、大丈夫かじいさん」「うぇっ? 旅人?」「お………い、おい、それ、止めてるのか? それってまさか、この巨大船を、受け止めてるのか!?」

 

 指示を出そうと思うのだが、想像以上にこの巨大船は、重量がある。一体なにを積んでるんだよ! 脂汗をかきながら、背後の男どもに声をしぼりだす。

 

「ナノハナ……自警団か!?」

「ああ! おれはパルゾネ隊だ!」 なんじゃそりゃ。

「……この船の……通ってきた部分! なぎ倒された建物の中に! 埋まってる奴らを! 救助しろ! 私が持ち上げていられるのは………! 30分が限界だ………! 30分経ったら、この船をこのまま、港に押しもどす! それまでの間に、救助を……!」

 

 ぞくぞくと集まってきたのは、国軍兵士たちだろうか、鎖帷子のこすれる音。背後で怒声が行き交いはじめる。私は目を閉じて、神経を研ぎ澄ました。

 

 覇気は存在力。そして、覇気の発動トリガーは、〝無意識に根付いたイメージ〟だ。

 

 歩こうと思えば、当たり前に、足が勝手に動くものだと人はイメージする。

 歩くかどうかは自分が〝意識〟せねばならない。

 しかし、一度歩こうと決めた時、足が勝手に動くのは、人が〝無意識〟に〝疑いようもなく〟〝そうと信じる〟部分である。

 

 意識して行うイメージが、無意識のイメージと連動することで、人は歩くことができるのだ。

 

 そんなイメージの連鎖が人の体を動かすように、覇気もまた、〝無意識に〟〝当たり前に〟そうなるものだとイメージすることが、覇気をコントロールするための唯一の方法でもあった。

 

 極論をいえば、弱いと思えば弱くなる、強いと信じれば強くなる。

 覇気のコントロールはそのさじ加減の上に成り立つ。

 

 いくら歩こうとイメージしても、足がなければ歩けない。おなじように、いくら強い覇気が使えるとイメージしても、実際に、覇気が余っていなければ使えない。

 

 基本的に、人のもつ覇気は、自分を存在させるためのエネルギーである。言いかえれば、覇気は生存のためのエネルギーだ。

 私をふくむ〈覇気使い〉たちは、生存のための覇気を戦闘にはつかわない。コントロールし利用するのは、余った覇気のみ。

 うっかり生存のための覇気を使い切ってしまったら、自分で自分の命を枯らすことになってしまうからだ。

 

 覇気を〝余らせる〟方法は、2つ。

 1つ、とにかく体を鍛え上げること。

 1つ、とにかく自我を強めること。

 自分という存在を、凌駕するほどの〝生命力〟〝意志の強さ〟をもつのである。

 

 チロチロと、乾いた風が地面をなめる。巨大船の真下、暗く影になったその中で、それであるから私は目を閉じる。

 1秒でも長く、救助の時間が稼げるように。

 覇気の強さを底上げするため、己の存在を強める。

 今この状態で、筋トレをはじめるわけにはいかない。できることは、意志を強めることのみ。

 

 耳の中から、背後の喧騒がフェードアウトしていった。冷たい炎だ。胸の奥に、腹の底に、冷たい炎を燃えたぎらせる。

 

 すべてを押しつぶそうとする、両手にかかった重量。大地に足を沈ませる、体にかかった異常な圧。

 そんなもの、知るか。

 この船は私が持ち上げつづける。絶対に、ではない。当然に。

 

 どれだけそうしていただろう。私の背丈より少し低い、160センチほどの隙間に、男が一人滑り込んできた。

 巨大船をもちあげる私の目の前、オフホワイトの軍服らしき装いの男が、腰をかがめて手をヒラヒラとふる。

「旅人殿! 旅人殿!」

「………ああっ!? なんだ! どうした!?」

「あれから40分! 巨大船の進路で下じきになっていた者たちの、救助が完了いたしました!」

「そうか………。港の避難は済んでるな!?」

「済んでおります!」

「じゃあ、この船、押しもどす……! あんた、どいてくれ!」

「はっ!」

 男が出て行ったことを確認し、体をぐっと前に傾けた。

 

 船はあまりに巨大すぎて、肩で押すことができない。ひたすらに、体を一本の棒切れのようにし、前傾しつつムリやり前に進む。

 グ、グ………と、壁が動く。ここから見ればまるきり壁のような巨大船が、ジリジリと、後退していく。

 

 くっ………そ………! 重………く……ねぇよ………!? ぜんっぜん! 別に!? 余裕っ………ですけど!?

 

 この世界には石油がない。そのせいで重油もガソリンもなく、船が座礁したからと爆発を起こすことは稀だ。

 しかしこの巨大船を、町中に放置しておくことはできなかった。

 

 先ほどチラリと見えた、船体の大砲。大砲があるのだから火薬も積んでいるだろう。

 これだけの建物がなぎ倒された以上、町のいつどこで火災が起きてもおかしくない。その上この、乾燥しきった大気である。

 船の火薬にまで引火して、二次災害を呼ぶ可能性がある。

 

 この船が、見てくれに見合った量の火薬を積んでいるとしたら、その爆発はシャレにならない威力となるはずだ。

 

 船を押している、という感覚はなかった。横にも上にも、見える範囲のすべてが、船体の木板なのだ。

 どこぞの崖でも押しているような気分である。無心になって、船を押す。

 

「旅人ぉー! もうすぐ船の後方が! 海に着水するぞ!」

「……そっか……!」

 巨大船がおとす影の向こうから、だれかの声が聞こえてくる。もうちょっとってことだな?

 

「待て! 待ってくれ! 船を海に戻すのは、もう少し待ってくれ!」

 また別の男の声だ。先ほどのやつより、声が若い。中年らしき男の声がそれを咎める。

「お前ら、いい加減にしろ! そんな事を言ってる場合じゃないだろう!」

「今だから重要なんだ! 旅人! 船を一度止めてくれ!」

 

 なんだ?



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24.真実の居場所

 若い男の声は言う。

「この巨大船は、武器商船だ! 中には武器が積まれてる! おれたちはそれを運び出したい! 積み荷をおろすには、陸にあがったままの船から運び出した方が早い! だから一度、船を止めてくれ!」

「……は?」

 

 この巨大船には、武器が山ほど積まれてる?

 だったら余計に、一刻もはやく、海に戻すべきじゃねぇのか?

 

 そんな私の内心を察したわけではないだろうが、中年男が声を荒げた。

 

「ふざけたことを言うな! 武器商船なら、火薬もつまれているはずだろう! 倉庫街の火災が、この巨大船に飛び火したらどうなる!? 干ばつで、空気が乾燥しきってる! いつ引火してもおかしくないんだぞ! お前ら反乱軍は、ナノハナを……潰す気か!?」

 

 若い男は、反乱軍の一員らしい。こちらもまた、声を荒げる。

 

「ナノハナを潰そうとしてるのはっ! この国を……燃やそうとしているのは……! ……国王だ……! あんたも聞いただろう! 国王の自白を……! 国王は、ダンスパウダーの使用も、雨を奪っていたことも………最悪の形で認めやがった! 倉庫街に火を放ったのも、国王と国王軍の仕業だぞ!? わかってるだろう!?」

 

 なんだ? なんの話だ?

 中年男はだまりこむ。

 国王が放火? ダンスパウダーの使用を認めた?

 

 絞り出したような、中年男の声がする。それにかぶせて、若者は言った。

「国王、さまは………!」

「あの男に〝様〟をつける価値があるのか! おれたちは、あいつを討つ! 討たなきゃならない! この国が………! 国王によって……滅ぼされる前に………! そのためには、この船に積まれた武器が必要なんだ!」

 

 中年男はもう、何も言わなかった。若者の声だけが私に向かって飛んでくる。

「旅人! とにかく、この船を一度、止めてくれ!」

 

 押しつづけた船体は、人がゆっくりと歩くほどの速さで前に進む。「おい、旅人!」私はただただ押しすすめる。

「聞こえないのか!? 旅人! 一度、船を止めろ!」

 私の足は止まらない。

 

「あのよ……! 私は、旅人なんだよ………!」

 もうしゃべるのも億劫だ。しかし腹の底からふつふつと、言葉が湧き出て漏れ出していく。

 

「グランドラインの、旅人だ……! この国に、アラバスタにきたのはこれが初めて……! ナノハナの奴らには、とにかく良くしてもらってる………!」

「だったらこの国を守るために協力してくれ!」

「嫌だ!」

「……なんだって!?」

 

 アラバスタを守る? 好きにしろ。

 だが私は、

 

「私は! ナノハナの奴らに! 良くしてもらってんだ!」

「だから、」

「アラバスタなんて知らねぇよ! 私が守りてぇのは、ナノハナの奴らだ! この町の奴らだ! この町だ! アラバスタを救うために、ナノハナを危険にさらすってんなら! 私がここで、てめぇら全員ぶっ倒してやってもいいんだぞ………!」

 

 ゾワリ、空気が変わる。私の気配が濃密さを増し、ドロリと周囲に広がった。

 

 巨大な生物にであったとき、人はなにも思わずにいられるだろうか。

 否。

 生物の本能が、命の根元が、恐怖を抱かずにはいられない。

 

 そんじょそこらの巨大生物よりも、私は強い。その私がありのまま、人里に入ったらどうなるか。

 私がもつ強者の気配は、人間たちの本能に、圧倒的な恐怖を呼び起こさせる。

 

 人間たちは、〝自分がなにに恐怖しているのか理解できない〟まま、理屈のわからぬ恐怖心を私に抱くこととなるだろう。

 

 旅人としては、百害あって一利なしの現象だ。波は気まぐれ波まかせ、気ままに海を渡るため、私はつねに己の気配を極限まで封じ込めている。

 

 それをちらりと、解放した。反乱軍の一員らしき若者は、ヒュ、と声を失い息を呑む。

 

「この船は……! 引火の危険があるもんで……! 一刻もはやく、海に、戻す……! 邪魔するなら、命は保証しねぇ……! 火事がもう、起こってんだったら…………! こんなところで怒鳴ってねぇで、その火事を、消しに行け! 反乱軍!」

 

 反乱軍の主張が正しいのである。

 もし本当に、アラバスタの国王が乱心し、あらゆる町に火をつけて回っているとしたら、一刻もはやく止めねばならない。たとえナノハナ1つが潰れようとも、他のいくつもの町の悲劇を減らすことこそ……〝正義〟。

 

「フン」 人知れず、鼻で笑う。〝正義〟にゃ興味がねぇんだよ。

 

 巨大すぎる武器商船はおそろしくゆっくりと、海面に着水した。それでもぶち上がった水飛沫に、私の全身が濡らされる。

「旅人ぉ!」

 走り寄ってきた国王軍の兵士は、一昨日、カッパを家まで送り届けた男だ。

 国王軍の軍服は、白いマントに白金の鎖帷子、ゆったりとした小豆色のボトム。

 しかし彼は今、白いマントを脱ぎ捨てていた。白金の鎖帷子のその胸元に、黒いペンキでバツ印が書かれている。

 

「町にのりあげた大型船を、移動させてくれたらしいな! 助かった! ……本当に一人でこれを、動かしたのか……!」

 あ、引いてる?

 あえておどけてうなずいてみせる。

「うーむ! 苦しゅうない! 旅人のたしなみだ! あんた、旅人、ナメてたな?」

「ナメていたとか、そういう次元じゃないだろう……!」

「ナノハナでこんだけ良くしてもらってきたんだぜ、そのナノハナのピンチとくりゃあ、火事場の馬鹿力も、爆発するよ」

「火事場の馬鹿力………ですぎだろう……!?」

 

 ポニーテールをキュッと絞り、海水をとりのぞく。指先がふるえている。さすがにあの重量を一人で支え続けたのは、応えたな。

 

「途中で、反乱軍のやつに声をかけられた。今から国王を討伐しにいくと。国王が、この町に放火したとも聞いた。それにあんたのその、胸のバツマーク。………一体なにが起こってる?」

 

 震える指を隠すように、Tシャツの裾を絞りながら問いかければ、兵士は言葉少なに教えてくれた。

 

「………国王………が…………ナノハナの朝市に現れ……ダンスパウダーを使い、雨を奪っていたことを認め………! ……この町に火を放った……! ダンスパウダーの使用が〝バレる〟原因となった事件は、このナノハナで起こったのだから………自分の汚点を………この町ごと、消し去ると………! そう言って………!」

 

 兵士が握り込んだその拳は、怒りにふるえている。

 ナノハナの朝市にあらわれた国王は、国王軍の兵士たちを引き連れていたらしい。放火も、国王の指示により、国王軍兵士が実行したものだった。

 今、この男が胸にえがいたバツマークは、

 

「おれは本日をもって国王軍を辞めた。辞表はまだ出しちゃいないが、町に放火するような奴らと一緒にされたくないんでな、このバツマークを………書いたんだ」

 

 元からナノハナの警備を担っていた国王軍兵士、全員が、胸にバツマークをつけて消火活動にあたっているそうだ。見れば男の足元も、煤けた灰で汚れている。

 男は姿勢をあらため、まっすぐに私を見すえた。

 

「マジェルカ殿。改めて、協力を願う。付け火された倉庫街の火災は、広まりつづけている。このままでは町が全焼する可能性もある。もうなりふり構っていられんのでな、消火に海水を使うことにした。水の汲み上げを、手伝ってもらえんだろうか」

「わかった」

「これほどの助力をいただいた上に、厚かましい願いだとは重々承知。しかし我らには頼れるものがあまりに少なく……」

「どこで汲みあげてる?」

「情けないことだが、貴殿の働き以上どころか、貴殿と同等の働きすら、我々だけでは行えぬのだ……」

「あ、あっちか? じゃ、先行くぞ」

「恥を忍んで、頼む!」

「ぶああああああああか! なにが恥だ! 困った時はお互い様! 知らねぇなら前世からやりなおせ! 先行くからな!」

「………はっ?」

 

 港の波止場は、島の岩礁を切り崩し、平らにしてある。石の地面を走ってゆくと、ここまで火は届かないと判断したのか、巨大船から少し離れたところに、逃げてきた人々がごった返していた。

 その向こうに、見えてくる煙。

 

 明るい夏日の下の炎は、蜃気楼のようだ。しかしどす黒い煙ははっきりとこの目に映る。バガン、となにかの弾ける音がして、黒煙はより一層勢いを増した。

 あっちから。こっちから。

 一ヶ所じゃない。倉庫街の複数ヶ所から、猛烈な火の手があがっている。

 

 気配を追って港を走る。火の手のあがる倉庫街は、ナノハナの南東。港の中ではそこに最もちかい、港の東端、舗装された石の地面の途切れめに、バケツを担いで走る集団がある。

 

 ここの顔役はどいつだ。さっと視線を走らせれば、報告のようなものを受け、指示をとばしている男をみつけた。話が通っているのか、私が近づけば大きく頷く。

「来てくれたか! ありがたい! もう少し助力を頼む!」

 

 ロープをつけたバケツを海に投げ、引きずり上げて、海水をくみ上げているらしい。先ほどの、元・国王軍兵士とおなじ、鎧の胸元にバツマークをつけた男たちが力任せにロープを引いていた。

 私用にと用意されていたのは、バケツよりふた回り大きな樽。

 

「緊急時用の、海水をくみあげるポンプが港にあったんだが、あの巨大船が突っ込んできた時に壊されてしまった。人力だのみだ! 頼めるか!」

 示された樽を受けとらず、私はさっと視線をおよがす。

「樽じゃなく、デケェ布は用意できるか?」

「布?」

「海水を包んで放り投げる。デケェ水風船を、直接、火災現場にぶつける」

「そんなこと………! いや、できるんだな!? 君は……!」

 

 海にとびこんだ私の頭上に、布がなげられた。一辺が5メートルほどある、長方形の布である。

 4つ端をもち、海に潜る。ぐっと水中に沈んだ布の一部。布は、海水のはいったバルーンのように膨らむ。

 港の一角には、人払いをたのんでおいた。そこをめがけて海水のバルーンを引きずり泳ぎ、海水を〝踏みしめて〟一気に地上へ飛び上がる。

「………おらっ………!」

 ハンマー投げの要領だ。遠心力をかけて、海水のバルーンをぶん投げた。

 

 黒煙の空をバックに打ち上がった水袋は、狙い通り、火災の頭上で勢いをうしない、形を崩し、水をあふれさせる。

 ナノハナの倉庫街だけは、ほとんどが木造建築。延焼を防ぐためにも、水のぶっかけは有効だろう。消火活動をしているだれかにぶち当たっても、濡れた布なら怪我もするまい。

「うし、次!」

 

 何十往復しただろう。火が消えた、と一報を受けて、体から力が抜ける。

 バケツリレーの影響か、港の石の地面はどこもかしこも濡れていた。その上にぐでり、寝っころがる。

 太陽がまぶしい。

「あぁー………はぁー………よかったぁ……」

 守りてぇ奴らの命がかかっていると、余計に緊張するものだ。張り詰めていた精神が、どっと疲れを訴えた。

 

 私に布を投げてくれていた数人も、よかったよかったと肩を叩き合っている。その反対側から、港で指示を出していた、あの顔役の男がやってきた。

 寝転んだまま見上げていれば、男は膝をついて、片手をさしだす。オレンジ色をした日よけのマントが地面にたゆむ。

 

「マジェルカ殿、ありがとう。これほど早く火を消せたのは、あなたの助力が大きかった」

 

 男の手は、握手を求めていた。

 時には疫病のうたがいをかけられ、近寄るどころか汚物のように遠ざけられることもある、私の黒い手に、自分から握手を求めている。

 

 ひとつ呼吸をととのえ、起き上がり、私はその手を握り返した。

 

 サンセット・ハウスは無事だった。巨大船の突っ込んできた町のメインストリートとは、離れた場所にあるためだ。火災が起こったエリアはさらに向こう側。サーモンピンクの建物はいつもどおりにそこにある。

 

 宿にもどると、女将さんがとんできてハグをする。

 私はまだびしょ濡れだ。濡れてしまうことも気にせず、女将さんはまた海賊並みの剛腕でもって、バッシンバッシン、背中を叩く。おうおうおう、おう。

 

「もうあんた無事でよかったよう! 巻き込まれなかったんだね!? なんであんたはそう、あたしに心配ばっかりかけるんだよう!」

 笑ってしまった。あんたは私の母ちゃんか。

 

 厨房からはいい匂いがただよってくる。時計を見ればまだ8時半過ぎ。昼飯には早い。きけば、炊き出しがわりに、焼け出された人々へ食事をとどけるつもりらしい。

「焼けたのは倉庫街だぜ?」

「あそこら辺には食堂が結構あるんだよ、倉庫街で働く人らのためのね。あっちには、船の乗組員〈クルー〉向けの、素泊まりの宿屋も並んでるし………ほら、なんていうのさ、あの………あのぉ………お、女の人がその、サービスするようなお店もね」

「風俗街か」

「ふっ、ふうっ……そのっ……とにかく、だよう! 焼けだされちまった人が結構いるって話だからさ、せめてあったかい食べ物、届けてあげようと思ってさ!」

「オーケー、手伝うよ」

「……料理だよ?」

「手伝いくらいできるさ! 旅人だぜ?」

「……ケモノの丸焼きとかじゃないんだよ?」

「私のイメージはどうなってんだ……」

 

 宿泊客のひとりである求職中の女は、事故の時間、まだ宿にいたらしい。そのまま女将さんの炊き出しを手伝っている。

 手は足りてるから、ということで、私は料理のデリバリーを頼まれることになった。

 べつにいいけどさ。いいんだけどさ。私だって、芋の皮くらい剥けるのに。

 

 スープのようにサラリとしたシチューの大鍋を、両手にぶらさげ宿をでる。「盗みぐいしちゃダメだよう!?」「わぁかってるよ!」さっき勝手に〝味見〟したからもうしねぇ。

 

 トットット、と小走りに駆けていけば、巨大船が破壊したメインストリートのあたりに、ポツポツと人が立っていた。

 怪我人が多い。手だの足だの頭だの、血濡れた布でおさえつつ、たったの数分で瓦礫の山になってしまった町並みを呆然とみあげている。

 いつもは私の黒い肌をみて、見慣れないそれに注目するような奴らも、すぐそばの私に気づきもしない様子だった。

 すれ違いざまに、

「明日から、どうするか……」

 ぽかんとした独り言が聞こえた。

 

 焼け出された人の避難所は、港のほど近く。教えてくれた元・国軍兵士は、ナノハナ商工会の寄り合い所が避難場所になっていると言っていた。青年会も老勇会もあるのに、商工会まであるのか……。

 行ってみれば、人であふれていた。皆、ものが燃えたあとの臭いをまとっている。

 

 建物に入りきらなかったのだろう、道の方にまで簡易な天幕がはられ、その下にも、人、人、人。もえた区間の地域性か、こどもがいないのはありがたい。ガキがげっそりしてたりすると、私の心が痛むからな。

「えっ、あれ、ねぇねぇねぇ! 見てみて、あの女の子ぉ!」

「えー、うっそ! ほんとだったのぉ!? あの話ぃ!」

「真っ黒だぁ! すごーい!」

「生き物?」

「アハハハハッ! 生き物でしょう? ていうか人間でしょどうみても! 女じゃん!」

「な? おれ言っただろ? 黒い旅人がいるって! 信じてなかったのか!?」

「疑ってたわけじゃないけど、まさか、本当だと思わないじゃない!」

「それ疑ってたってことだよ!」

 

 うふふふ、あははは、と華やかな女の声がする。なんだ、なんだ?

 火事になったのが倉庫ともあって、避難所もまた、むさ苦しい男どもの巣窟だ。

 火にまかれたのか火傷のできた腕、煙にやられたのか塗られたように黒い顔がならんでいる。しかし、なぜだか全員、暗い顔はしていない。

 その理由はあの女たちか。

 

 男どものど真ん中に、艶やかな女の集団がすわっていた。

 美女ぞろい、というわけではない。体つきも特別、豊満なわけでもない。

 しかし全員、妙な色気にあふれている。完熟した苺のような、それでいて、まだ青いオレンジのあどけなさのような。

 媚びている感じはしないというのに、やたらと愛嬌のある声としぐさで、女たちは私に手をふる。

 

「旅人さぁーん!」

「あっ、こっち見た! 旅人さぁーん!」

 

 風俗街の〝嬢〟たちか。

 なんだかドキドキしてしまう、不思議な色気を放つ彼女らへ、手をふろうとして失敗した。そうだ、シチューの大鍋を持ってたんだっけ。

 

「ああ! 私がウワサの? 旅人だ!」

 言葉をつづけようとして、できない。きゃー、ほんとだったんだぁー、うわぁー、などなど、〝嬢〟たちが盛り上がってしまったためである。

 

 私のほど近くで、うるせぇなぁ、とぼやいた男がいる。拗ねたようなその男の声は、周囲の男の耳には入らぬようだ。ムダに通りのいい女の声に、ほわん、と表情をゆるめる男たち。わかる。わかるが……。

 

 やべぇ。私もあんな、シマリのねぇツラしてるのか?

 意図してきりりと引き締めた。

「この鍋! あっちの宿屋! サンセット・ハウスの女将さんからの差し入れだ!」

 

 配りはじめれば、器が足りない。スープボウルを使えたのはほんの一部、あとはマグカップだの、酒のジョッキやグラスだのに熱いスープを注いでいく。

 スプーンも足りないので、全員が全員器をかたむけ飲んでいる。そうか、食器も壊れて焼けちまったんだもんな。

 

 女将さんはまだまだ色々作っていた。第二弾を取りに行こうと、汗臭さと焦げた臭いがムッとこもった天幕から出たとき。

 刺さるような日差し。その中に立つ、馬のシルエットが目に飛び込む。

 

 逆光に黒く染まった、一頭の馬、そして馬上に一人の男。

 その、鋭くざらつく気配。反乱軍のリーダーである、コーザだった。

 

「なんだ」

 目が慣れれば、赤いコートの襟が風に揺れるのがわかる。馬がかすかな嗎をする。

「………旅人…………おれたちは今から、全軍をもって、王都アルバーナに攻め込む。理由は知っているだろう、今朝おこった、国王の告白………裏切りを認め、罪をかさねた事について………」

 

 どこに攻め込もうが勝手にしろ、と言い捨てそうになり、堪える。

 どうも私は、刹那的に生きすぎるきらいがある。すこし考えればわかることだ。

 

 この島でダンスパウダーは使われていない。そもそも、ダンスパウダーでは雨を奪えない。

 国王がダンスパウダーの使用を認め、雨を奪っていたのは自分だと告白したその言葉自体、絶対的なウソである。

 

 国王が己の罪をけすために、この町に火を放った? それならば己の罪を、己の言葉で認める必要はなかったはずだ。

 黙って素知らぬ顔をして、こっそりと手下のものに放火させるのが最も良い。なぜそうしなかったのか。

 

 一歩さがって今の状況をながめてみれば、国王のそぶりには拭いきれない違和感がある。消しきれない矛盾がある。

 脳裏に浮かぶのは一人の海賊。

 

 王下七武海の一人、クロコダイル。

 国王のこの〝矛盾〟のおかげで、得をするのはあいつだけだ。

 王が威信を失うことこそ、クロコダイルが最も求めていた状況であるのだから。

 

「この国は王を信じていた……。国王の顔を見たことがない民たちも、みながみな、あの男の心を疑ったことがなかった……。……おれもだ……。国王が本当に、自分の意思で、民から雨を奪っているとは…………考えてもみなかった………」

 

 馬上のコーザは、視線をそらす。

 

「反乱軍は…………おれたちは、国王が民を裏切っているとは思っていなかった。ただ、ダンスパウダーを国王からうばいとり、枯れた町に雨をふらせるために、動いてきた…………。ほんの数時間前まで、国王の裏切りには、少しも気づかないまま………」

 

 乾いた風にかき消されそうな、コーザの独白に、合点が行く。

 

 カトレアは王都から離れた町だ。水源のあるカトレアを、反乱軍の拠点のひとつにするのはいい。しかし反乱軍の〝本拠地〟とするには、国王の居場所から離れすぎている。

 元より反乱軍の目的が、国王を倒すことではなかったならば、辻褄があう。

 

 その反乱軍が今、国王に見切りをつけ、その首を討とうと言うのだった。

 これまで信じつづけたものに、これまで裏切られつづけていたのだと、思い込んで。

 

「旅人………。お前は多くの国を、その目で見てきたのだろう。おれたちの知らないものを、知っているはずだ。その目に、この国は………おれたちは、どう映る」

 

 おれたちは愚かだろうか、と、コーザの無言が問うている。信じること、疑うこと、そのどちらもが浅はかなことではないかと迷っている。

 

 うすくオレンジがかったサングラスの向こう、男の目は透き通っていた。色のないこの島の空をとじこめた、砂漠に生きる民の瞳だ。

 

 私の瞳の奥底にはなにが宿っているのだろう。自分じゃわからぬその色は、それでもきっと、この男とは違うもの。

 

 命をかけて信じることが、愚かであるはずがない。

 

 しかしそれは、今、私が言うべきことではなかった。この男と同じ瞳の人間だけが、告げていい言葉である。

 

 言葉を探して、地面にころがる砂を見つめる。脳裏をよぎるナノハナの人間たち、カトレアでの一夜、そして英雄という名を弄ぶ、葉巻を咥えた海賊の笑み。

 

「この国のことはわからねぇ。ただ……この町は、いい町だな。少し滞在しただけの私でも、肩入れしたくなるくれぇには……」

 

 王都からはなれたこの町に、クロコダイルの計画がどれほど影響してくるのか。見誤った感はある。巨大船の一件も、放火の一件も、ヤツが無関係だとは思えない。

 

 国王の放火をきっかけに、反乱軍が王都へ攻め込むことですら、クロコダイルの計画のうち……。その可能性も高かった。腹の立つことである。

 しかし、あいつに踊らされるな、と、コーザへ忠告するには、私は部外者すぎる。

 

 旅人の処世術だが、と前置きし、逆光の男をまっすぐみすえた。

 

「……真実は、細部に宿るよ。デカイ動きに目をうばわれて、ごまかされるな。………見抜いてくれ」

 

 真実を。

 

 視線を交わらせたとき、私の背後から遠慮がちな声がかかった。

「おい、やめろって」

「なんでよ、聞くだけなんだからいいでしょ、ねぇ、旅人さぁん?」

 

 コーザはふっと視線をそらし、馬をあやつり走り出す。その姿を見届けてから振り向けば、天幕から顔を出す、風俗店の〝嬢〟らしき女がいた。



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25.あんたのおーさま

 ふだんは客なのだろうか、女を止めようとする男の方が、私の顔をみてこわばる。どこの島でも男の方が、悪く言えばビビりやすい、よく言えば警戒心が強い。

 そんなことは御構い無しに、女は肩にかけたストールをおさえつつ、手をひらりと横に出した。

 

「あのねぇ、ここら辺で、これくらいの男の子見なかった? 十二、三歳だと思うんだけどぉ、ちょっと鼻が上をむいててね、生意気そうなかんじの……」

「それじゃ分からねぇだろ、あー、国王軍の兵士みてぇな、砂よけの頭巾をかぶってて、黒いスモッグを着てる坊主なんだが、避難所にいねぇんだ」

「こども?」

 

 火災で焼けたのは、子供のいない区画なんじゃなかったか?

 首をかしげると、男が言う。

 

「倉庫街の近くの通りで、靴磨きやってる坊主だよ」

「ひとつ向こうの通りだと、お土産屋さんがけっこうあるから、そこで観光客のね、靴を」

「名前はたしか」

「あたし今しゃべってたのにぃ……!」

「あー、悪い悪い、坊主の名前はなんだっけ」

「パーちゃん。パーちゃんがいつもいる辺りもぉ、焼けちゃったって言って、お土産屋さんの人たちが避難してきてるのに、パーちゃんだけ居ないから………」

「あだ名じゃダメだろ、本名は?」

「パーちゃんは………えっと………カッパ?」

 

 はぁん。靴磨きのカッパっていうガキが居なくなってんのか。

 へぇ、カッパっていうガキが……。靴磨きの………。十二、三歳くらいの、男の……。カッパが……。

「カッパ!?」

 またあいつ行方不明になってんのか!?

 

 ナノハナの町すべてをおおうように、見聞色の覇気を発動させた。キィンと頭が痛む。思考になだれ込んでくる、3万人ちかい人間たちの、右往左往する気配。

 

 どれだ。どこだ。

 巨大船の下敷きになったのか、大怪我の痛みにあえぐ女。倉庫の火災で火傷をしたのか、燃えるような疼痛に耐える男。なにをさがすのか、瓦礫を必死でどけようとする数人。

 ちがう。ちがう。

「旅人さぁん、そのパーちゃん………カッパはねぇ」

「おいおい、今、集中して思い出してくれてんだろ、話しかけない方が」

「あそっか」

 ………いた。

「え?」

 思わず声がもれる。あいつ、カッパ、怪我してやがる。それも大怪我。

「あっ、旅人さぁん、思い出した? 見た? カッパのこと」

 

 人の気配は、覇気の余波だ。

 存在力である覇気は、自我が高まることに比例し、強くなる。気配もまたしかり。

 ざっくり言えば、感情も自我である。

 何かを強く感じたり、強くなにかを思ったり、ことさらつよく嫌がった時なども、自我は高まる。

 

 カッパの気配が一層強くなる。

 そのカッパをムリやり抱き上げようとする、大男の気配。抵抗するように、カッパは大男の腕を掴む。首をふってカッパは叫ぶが、怪我の痛みがひどいのだろう、あまり声がでていないらしい、誰も気づかない。

 

 何かが妙だった。嫌な予感がする。

 

「わかった、カッパの居場所、怪我して動けねぇのかもしれねぇ、様子をみてくる」

「えっ!? 怪我!? うそぉ!? あの子ね、すごくいい子で」

 女にゃ悪いが気が急いた。その言葉が終わる前に、走り出す。

 

 角を1つ曲がったあと、一瞬空気を〝踏みしめ〟て、建物の屋根に上がる。

 その瞬間、カッパの気配が消えた。

 怪我のせいで気絶したのか、死んだのか。私のあやつる見聞色の覇気では、わからない。

 

 見聞色の覇気には、〝見る〟力と、〝聞く〟力がある。

 はなった覇気の反射によって、生物の意識の形を感じとる、〝見る〟力。

 それに対し、生物の思考や、命の声をよみとるのが、〝聞く〟力。

 

 〝聞く〟力は、己の覇気を、相手の覇気と共鳴させることでつかえるものらしい。私には全く適性がない。

 

 〝聞く〟力があれば、相手の〝内側〟……相手の意思の内容をよみとること、そして、相手の命の状態を察知することもできると言う。

 

 相手の〝外側〟を知るための、〝見る〟力しか使えない私には、相手の命の状態がわからない。

 相手が意識を失ったとき、それが眠っているだけなのか、死んでいるからなのか、その理由までは見通せなかった。

 

 幸い、大男の気配は、はっきりとわかる。

 しゃがみこんでいた大男は、カッパを抱き上げるような仕草をした。

 キョロキョロと左右を見回すのは、周囲に人がいないのを確認するためだろうか。

 おそらくカッパを抱いたまま、大男の歩き出した先は、人の気配が感じられぬ方向。

 こいつ、そのまま町から出るつもりだ。

 

 ナノハナには医者がいる。これだけ大きな港町だ。病院のような施設も、私が知る限りでも、二、三箇所あった。

 

 大怪我して気絶したガキを、助けようというならば、医者に診せようとするだろう。

 町の外は、砂漠。砂漠と町を見比べて、医者がいるのは、砂漠の方だと推測する奴がいるだろうか。

 ナノハナに詳しい人間ならば尚更、ナノハナを知らない異邦人だったとしても、まずは人のいる町中へと進むはず。

 

 しかし大男は、迷うそぶりすら見せず、砂漠の方へと歩んでゆく。

 

 町の半分、南側はさんざんだ。火は倉庫街を飛び出して、辺り一帯に広がっていたらしい。

 焦げた家。焼けくずれた屋根。

 言葉にできぬ悪臭が、鼻をついた。

 物が燃えたニオイではない。人の暮らしが燃やされたニオイ。

 

 屋根を走っていこうとしても、まともな屋根の方が少ない。飛び移りながら進んでいくと、ぽっかりひらけた場所に出た。

 

 焼け跡だ。

 延焼をふせぐため、あえて崩したのかもしれない。倉庫のあったらしい一画が、ただの跡地となっている。

 あるのは炭になった木材だけ。

 

 もういい。空へ〝駆け上が〟ろう。

 元より、大男の先回りをするつもりで走ってきたのだ。はるか上空まで〝駆け上が〟れば、大男の姿が目に入る。

 

 奴は、ナノハナの地理に詳しいらしい。燃えおちていない、人気のない小道を選んで進んでいた。

 人目を避けたのが災いしたな。誰かを踏み潰す心配もなく、私の両足はズドン、と地面に着地する。

 

「何奴………!?」

 建物にはさまれた、細道である。ぐたりと意識のないカッパを抱いて、大男は、素早く動いた。

 カッパを肩に担ぎなおし、戦う態勢をととのえる。

 

 突然、空から降ってきた私に対して、この反応。

 こいつ、カタギじゃねぇな?

 

「てめ………え?」

 言葉が止まってしまう。大男は変わった趣味をしていた。

 髪が、ぐるぐるだ。

 ロマンスグレーの長髪が、見事にぐるぐる、巻かれている。

 

 チキュウでいう、クラシックの大作曲家たちが、こんな髪をしていたはず。

 2メートルを超えるその背丈にふさわしく、肩まであるぐるぐるヘアーも、大振りなぐるぐる。

 中世ヨーロッパから飛びだしてきたのかな?

 

 顔のシワからして、50歳前後か。上品な藍色のスーツを着込んでいる。

 その襟元には、紐ネクタイ。

 

 大男は鋭い視線で私を射抜き、

「貴様、もしや……!」

 両手の指先で、ちょこんと、紐ネクタイをつまんだ。

「バロックワークスの手のものか……!?」

 

 それ、戦闘ポーズでいいのか? 身だしなみ整えてるだけか?

 ……なんなんだ、こいつ……。

 

 かわいた風が、砂を運んで吹き抜ける。

 バロックワークス。聞き覚えがあると思えば、そうだ。

 クロコダイルのやってる、秘密結社の名前が、

 

「バロックワークス……! てめぇ、クロコダイルの手先か!?」

 大男はたじろいだ。

「なぜっ、クロコダイルのことを、知っている……!?」

 

 なぜもクソもあるか!

 気配でわかる。大男は弱い。万に一つも負けはしない。

 ただしカッパを守りきれるかどうかは、ケンカの勝敗とはまた別の話。

 

 大男のぐるぐるヘアーに、赤いものが滲んでいった。その肩に担がれた、カッパから流れだした血だ。

 大男を倒し、カッパをムリやり取り返せば、傷を余計にえぐるかもしれない。

 まだ生きている可能性がある以上、慎重にいくべきだろう。

 

 一歩。前へ踏み出す。まずは大男の動きを止める。

 本来の私が持つ、ありのままの強者の気配。それをわずかに、解放しよう。

 ドロリ。

 砂の国の乾いた大気が、おかしな粘りをもちはじめる。あやふやになってしまう距離感。大男の呼吸はひきつった。

 

「てめぇのボスから、教えてもらってねぇのかい?」

 目をそらさずに、もう一歩。

 

 近づくたび、大男は後ずさろうとして失敗する。足が言うことを聞かないのだろう。

 その足をすくませるものは、大男の本能だ。本能の鳴らした警鐘が、重なり合って足を止めさせる。

 

 生きのびるには、一刻も早く背を向けて、私から逃げねばならない。

 逃げ切るためには、一瞬でも背を向けず、私から目を離してはならない。

 

 矛盾した真実を、本能は叫びつづける。がんじがらめに絡まって、己の体を硬直させるもの。

 それが、恐怖。

 

「クロコダイルは知ってるはずだぜ……? 私の知り合いには、何があっても、手を出すべきじゃねぇってな………」

 

 ボダボダボダ、と、藍色のスーツにだけ、雨がふった。それは大男の冷や汗だ。

 本人の意思にかかわらず、同族を呼び寄せるための、動物としての機能。

 その汗はニオイで、同族へメッセージを送る。〝助けてくれ!〟

 しかしここには、誰も来ない。

 

「そのガキ、返しな。私のともだちだ」

 一歩。また、一歩。

 距離を詰めても、大男は逃げ出さない。動けない。

 

「返せねぇと、言うなら………てめぇらの組織全員、命は諦めてもらう………。その覚悟は、あるか」

 腰のナイフに手をかける。

 

「ンンンンンンン!」 大男は唸った。

 ブルリ。太い首を振り、己の意思を取り戻す。

 気力で本能を押さえ込んだらしい。なるほど。そんな芸当ができるとは、ただの下っ端じゃなさそうだ。

 

 血の気の引いた唇は、引きつりながらも、人の言葉を発しはじめる。

「この国を………! クロコダイルには、渡さぬぞ………!」

 

 ……ん?

「てめぇクロコダイルの部下じゃねぇのか」

「ンンン〜〜〜………! ンマァ〜〜〜…………!」

「どっちだ」

「ンンンン! ンマァ〜〜〜! ゲホッ、ゴホッ……! お前はっ………お、お前は………! バロックワークスの……構成員では………ないのだな………!?」

 

 もうこれ以上、悠長にやっている時間はない。大男の長髪は、ずいぶん赤く染まってしまった。カッパの出血がシャレにならない量である。

 

 私の決心を感じとったのか。大男は両手を前に出し、わめきだす。

 

「待て待て! 待つのだ女! 私はこのアラバスタ王国、ネフェルタリ王家、護衛隊隊長、イガラムだ!」

 

 知るか、と言いたいところだが待てよ。

「………あ?」

 己のもつありのままの気配を、身の内にしまい込む。砂の国の空気は、それらしい軽さを取り戻す。

 大男が、ようやくまともな速度で話し出した。

 

「故あって、私は、ながく国を離れていた! しかし目的を果たし、たった今、この国に帰りついたところ! そしてこの少年! 私の行なっている、とある極秘任務に関する、重要な証人、証言者なのだ! 今から共に王都アルバーナへ行き、事実を…………国王へお伝えせねばならん!」

「知るか」

「なんと!?」

 

 距離をつめる。大男はまだ前を見ている。私の姿を追えていない。

 そのままくるりと飛び上がり、大男の肩を飛び越しざま、カッパを回収した。

 

 少年の体に体温はある。ツンと上をむいた鼻は、かすかだが、息をしている。生きている。

 よかった。

 

 怪我は腹のあたりらしい。汚れのわかりにくい黒いスモッグが、見るからに変色していた。

 服は切れていない、斬られた傷ではないらしい。

 この位置だ。打撲で出血しているならば、肋骨が折れて体から飛び出ているのかもしれない。

 

 妙なのは、手足に、たいした怪我がないこと。服にも肌にも、焦げたあとは見つからない。

 カッパを抱いても、あの、火事特有の悪臭もしなかった。

 

 火災に巻き込まれて怪我をした、という可能性は低くなる。それでは、巨大船の事故のせいか。しかしあの災害で負った怪我ならば、腹の一部だけで済むだろうか?

 

 この小柄なカッパの体は、きれいに、腹の辺りだけを怪我している。

 まるで、だれかから執拗に、同じ場所をなんども、蹴り飛ばされたかのように。

 抵抗さえできず、ガードをとる余裕もなく。

 そう。

 体格のいい大人から、リンチを受けたかのように。

 

 ゆっくりと振り返れば、大男もまた、こちらに向き直るところだった。

 なぁ。

「お前が、やったのか……?」

 

 ゴクリと、大男がツバを呑んだ。

「ちがう。断じて、ちがう……! 我ら国王軍、アラバスタの民を守るためにのみ、武力を振るう……! 罪なき少年を傷つけることなど、誓って……しない!」

 

 何より、と、男はつづける。

「先ほど言ったはずだ……! その少年は、重要な証人! 私が少年を傷つけるわけがない!」

 必死に叫ぶその目に、かける言葉があるだろうか。

 

 傷つけるつもりがねぇなら。

 なぜ、この状態のカッパを、医者にも診せず、砂漠へ連れ去ろうとした?

 

「証人……任務……。ふざけるのも大概にしたらどうだ……。血を流す、意識のねぇガキ連れまわすのが、お前の〝仕事〟か。それが国王軍のやり方か……。あんたの〝おーさま〟に言っとけ。………気に食わねぇ、と…………!」

 



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26.砂の国でギャンブルを

「待つのだ、女!」

 大男の声はよく響く。

「事態は、急を要する! 私の任務は、お前が思うような、軽薄なものではない! 決して王の私利私欲のためでなく! この国を、この国の民を守るための………! 女! この国の命運は今、その少年に託されていると言っていい! その少年を………急ぎ、アルバーナへ連れて行かねば、この国が………!」

 

 大男は軍人らしく、正義を語る。しかしその足が、前に出ることはない。

 本能が理解してしまったのだ。己と私の、実力差を。

 なにをどう足掻こうが、私の歩みをとめることができないという事実を。

 

 私は焦らず、周囲の気配を探った。こうした災害時こそ、医者の居場所はわかりやすいものだ。

 激痛にあえぐ人間のあつまった場所で、場違いに、素早くうごく気配がそれである。医者の居場所に目処をつけ、そちらへ足を向けたとき。

 

 ポウ、と火が灯る。

 そんな感覚を腕の中に覚え、見下ろせば、カッパが意識を取り戻していた。

 

「よう、カッパ。あんた最近、倒れすぎじゃねぇか?」

「………マジェ、ルカ………?」

 

 こいつ、私の名前をちゃんと覚えてやがる。ナノハナじえーたいにも教えてやってくれよ。

 今は瞼が重いのだろう、焦点のあわない瞳で、ぼんやりとカッパは言った。

 

「……おれ、は……」

「あんた、大怪我してるぜ。今、医者に向かってるところだ。……なにがあった? 町に、巨大船が突っ込んできたのは、覚えてるか?」

 

 驚いた。カッパは突然、ガバリと起き上がった。

「おいっ……!」

 危うく少年の体を落っことしそうになり、カッパの服をひっつかんで衝撃を殺してやる。

 私もそれに合わせるようにしゃがみこみ、どうにか、やさしく地面に尻もちをつく形まで誘導できた。

 

「ヒッ………!」

 カッパの口から漏れたのは、悲鳴じゃない。怪我を刺激した痛みで、呼吸が引きつったのだ。

「この、バカ! お前、大怪我してるっつっただろう! 動くんじゃねぇよ、バーーーカ!」

「ウゥ……!」

 カッパが唸ったのは、痛みのせいじゃない。私の怒号のせいだ。

 よかった。耳はきちんと聞こえているようである。

 

「いいかてめぇ、その耳かっぽじってよーく聞け! あんたは今、大怪我してるんだよ! 今から医者につれていく! 動くんじゃねぇドアホウが! わかったら口閉じて寝てろ!」

 

 ハッ、ハッ、と短い呼吸を繰り返し、カッパは黒いスモッグの胸元をぎゅっと掴む。その指の隙間から、スモッグに染み込んだ血が、タラタラと流れていく。

 

 ほんの短い間だが、共に砂漠を超えたのだ。その後、律儀に礼まで言いにきた。そしてカッパはまだガキと来ている。

 ここで死なれちゃ寝覚めが悪い。

 しかし死にそうだなこいつ。早く医者に診せねぇと。

 

 ゆっくりとカッパの背中に手を回し、再び抱き上げようとしたとき。

 カッパの血まみれの手が、私の胸ぐらをつかんだ。

 

「おれ………! アルバーナに………! 行かなくちゃ………!」

「あ……?」

 カッパは、目をぎらりと見開き、私を見た。その視線が突き刺さる。

 

「おれっ………! 見たんだよ………! さっきの、国王は、ニセモノなんだ……! コーザさん………騙されてる……! 反乱軍に、教えなくちゃ………!」

 

 限界までひらかれたカッパの目から、涙がゴロリと落ちていく。悲しみではない、痛みのせいで勝手にでてきた涙だろう。

 唇がふるえている。それは感情じゃない、血の足りなくなった体が、勝手に痙攣をはじめているのだ。

 それに気づく様子もなく、カッパは言いつのる。

 

「もう、みんなっ、アルバーナに、向かって、出発したんだ………! 追いかけないと……!」

 フルフル震えて安定しない、カッパの瞳。異常な動きをくりかえす瞳孔は、死の予兆だ。

 その手を包む。

 頼むから、落ち着け。

 

「………わかった、私が、追いかける。アルバーナだな? あんたの言葉を、反乱軍に、つたえる」

「ダメ、なんだっ……! 伝えるだけじゃ、ダメなん、だ………! だれも信じてくれない……! おれ、もう、言ったんだ、みんなに……! でも、だれも……! 信じて………」

 

 くれない、と続いたのだろう言葉は、カッパの喉で消えた。代わりに口からこぼれるのは、血。まさか、内臓が傷ついてんのか?

 口の端を真紅にそめても、カッパはまだ、声を振り絞る。

「おれ………みんなを………! 説得しなくちゃ、いけないんだ……!」

 

 こんなに興奮していたら、出血がさらにひどくなる。

 カッパはまだこどもだ。体格も良くはない。大人よりもはるかに少ない出血量で、死に至るだろう。

 医者のところまで命が持つかどうか、不安なほどなのだ。

 ここから遠く離れたアルバーナになど、行けるわけがない。

 

 ひとまずこれ以上の出血を防ぐため、カッパを落ち着かせようとは思えど、どうすればいいのか……。

 

「マジェル……カ! おれを、アルバーナに……連れてってくれ! 反乱軍を止めな、くちゃ……!」

「カッパ、落ち着け、」

 こどもらしからぬその両手が、私の手からすり抜ける。

 

 カッパの手は、私の胸ぐらを掴んだ。どこから湧いてくるのか分からぬほどの力強さで、引き寄せられた首元。

 私の目の奥を、睨みつけるように、カッパは告げる。

 

「お前、言っただろ……! おれにできること、おれにできることをやれって言っただろ……!」

「あぁ、言った、だが、」

「おれっ、気づいたんだ……! おれは人の役に立ってるって、お前、言ってくれたけど! おれはそれよりもっと……! いろんな人に、助けられてるっ!」

 

 その瞳に迷いはない。

 身じろぎができなかった。

 カッパの意思が燃え上がり、熱となって私を打つ。

 

「だから、おれ、できることがしたいんだ……! みんなに、死んでほしくないんだ……! おれは死んでも………おれが、死んでも……!」

 

 つい昨日、戦争に参加したいと叫んでいた少年だ。それが今日は、争いを止めたいと言う。

 どんな心境の変化があったのか、そんなことはどうでもいい。

 

 血走った目で叫ぶカッパの言葉には、もうゆるぎない芯が通っていた。

 こどもの語る〝ゆめ〟ではない。一つの命の〝決断〟だ。

 

「おれを、アルバーナに! 連れてってくれ……!」

 

 

 人の数だけ正義がある。しかしほとんどの人間が好む正義は、命を守るためのもの。

 こいつの一言を、無視することは容易い。〝お前の命を守るためだ〟と、その心を無視する方がカンタンだ。

 それがきっと〝正しい〟ことでもある。

 

 目を閉じた。息を吸い込み、深く吐く。

 

 そんな〝正義〟が嫌だから、私は海で生きている。心を殺して生きるのは、死ぬより辛いと知っている。

 

 人は死んだらそこで終わりだ。だれかの記憶の中に生きつづける、そんな言葉もあるが、生きつづけるのは本人じゃない。だれかの作ったイメージだけ。

 命は大事だ。絶対無くしちゃならねぇもの。

 しかし。

 心が死ねば、命を使うことができなくなる。心を殺せば、命をもつ意味がなくなる。

 

 人は、稀に、出会ってしまうのだった。己の命の重さを上回る、己の心の〝決断〟に。

「ふふふ」

 何よりも。

 私の心は今、カッパの言葉に動かされてしまった。

 波は気まぐれ波まかせ。己の心が動いた方へ、気の向くままに動いてこその、旅人だろう?

 

 

「……わかった……。ただし、条件がある」

 ガキと男の狭間に立った、この少年に約束させよう。

 

「命をかけるつもりなら、ギャンブルだってことを忘れるな。賭け事は、一か八か、負ければすべてを失う………。たったの一つしかねぇ、てめぇの命を賭けるんだ。必ず、勝て。賭けた命は、倍にして、取り戻せ………! 死んでる場合じゃねぇんだよ……! ……約束できるか!?」

 

 カッパは頷いた。「……する……! 約束、するよ……!」

 

 口に出してから、ふと、理解する。エースと話を済ませた後も、なにか、やり残したような気がしていたのだ。

 胸に引っかかっていたのは、この言葉だ。

 今の言葉を、私はきっと、エースにも伝えるべきだった。

 

 カッパの体をふたたび抱き上げ、立ち上がる。

「……寝てろ。着いたら起こす。アルバーナだな?」

「……うん……よろし、く……」

 くてりと力を失った首。もう気力を使い果たしたのだろう、カッパの意識が消える。………うおお、心臓に悪ぃ……!

 

 こんな時ほど、自分の見聞色の覇気が恨めしい。相手が眠ってるのか死んでるのか、見分けがつけられないのだ。

 死んだのかと呼吸をたしかめ、息があることにホッとする。

 

 兎にも角にもまずは医者だな。

 カッパが着ている黒いスモッグは、首元がすこしゆるんでいた。そこから、包帯がちらりと見えている。一度手当ては受けたらしい。

 こいつ病院かどこかを抜け出して、アルバーナに行こうと一人で歩き回ってたんじゃなかろうか。そのせいで傷が開いたのか。

 

 歩き出そうとした時、こちらへ近づくこどもの気配を感じとった。男児と女児が一人づつ。

 焼けただれた建物のむこうから、走ってくる二人組。ナノハナじえーたいのメンバーだ。

 

「あっ、いたぁ! 黒ちゃああああん!」

「あ……いた! みつけた! 黒スケーーーー!」

 

 ビシリと指を指したはいいものの、幼児である。手に勢いをつけすぎたのか、何もないところですっ転びかけた。

 どうにか持ちこたえ、チビッコいのが甲高い叫びをあげる。

 

「わるいことしてないでしょーねー!」

「せーばい、するぞー! わるいことしたら、せーばいっ」

 

 いつものアレか。私を探してるようだから、何かと思えば。

 さすがじえーたい、こんな時にも元気がある。

 ちょうどいいので、使いを頼もう。

 

「あんたら、いいところに来た! この近くに病院があるよな!?」

「びょーいん?」

「おれしってる、床屋のことだぁー!」

「美容院じゃねぇよ、病院! 医者が! あー……お医者さんが、いるところ!」

「あー! わたししってるぅ! しんりょうじょ、でしょー!」

「このガキをそこに連れてく! あんたら先に、診療所に行って! 医者に……お医者さんに! 怪我をしたガキが行くと伝えてくれ!」

「がき……?」

「かぎ……?」

「……すごい! 大変な! 怪我をした! こども!」

 

 二人は顔をみあわせる。あー……。

 私から何かを頼まれるのがはじめてだから、戸惑ってるのか。

 少し考え、思い出す。こいつらは、この合図で動くはずだ。

「ナノハナじえーたい! 診療所にむけて! 出動だぁあああ!」

「いえっさー!」

「えっ、あっ、えっ? あっ、うん、いえっさー!」

 走り出す男児につられて、女児も駆け出して行く。よし。

 

 カッパの怪我を刺激しないよう、ゆっくりと歩きだす。背後からかかった声は、あの大男のものだった。

「女! その少年を、アルバーナへ連れて行くのだな!?」

 聞こえぬふりで歩を進めれば、男は一歩的に宣言する。

 

「それでは私も同行する! 反乱軍は馬に乗って、アルバーナへ向かっている! 馬では彼らに追いつけない! 今、カメを連れてくる! しばし待て!」

 

 そう言うなり、大男はどこかへ駆け出していった。………カメ?

 



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27.だれのシナリオで踊りましょうか

「こんのクソガキ!」

 叫んだのはおばちゃんだ。50歳前後だろうその医者は、かけたメガネを吹き飛ばさん勢いで体を動かし、指示を飛ばす。

 

「手術室の洗浄は終わってるね!?」「はいっ!」「F型の輸血準備!」「ありますっ!」「念のためノコギリの用意!」「あっ、はいっ!」「シビレダケの麻酔じゃない、砂漠の苺の麻酔を使うっ!」「えっ!? はいっ!」

「こどもの体だ、麻酔を一滴まちがえりゃそのまま死ぬからね! 覚悟しなよ!」

 

 壮年の女医がすごんだ相手はカッパではない。周囲の看護師たちにむけられた言葉である。白いスモッグ姿の男も女も、一段、緊張感を引き上げる。

 

 診療所の片隅に突っ立った、私の緊張もひきあげられた。木製のカートのようなストレッチャーに乗せられて、カッパの姿が診療所の奥へと消える。

 この診療所に、麻酔医はいないらしい。そりゃそうだ、病院じゃねぇからな。手術のできる医師がいただけでも恩の字である。

 

 看護師によれば、カッパは一度、反乱軍のメンバーによってこの診療所に運び込まれてきたらしい。しかし、手当てを受けた後、いつの間にか姿を消していたという。

 あの大怪我で勝手に動き回っていたのだ。医者が怒るのもムリはない。

 

「黒ちゃあん………あのこ、カッパでしょー?」

 巨大船と火災のせいである。ベッドだけでは足りず、診療所の床一面に、怪我人が所せましと寝かされている。

 

 怪我人のうめき声と独特なニオイに、心細くなったのだろう。私の足にナノハナじえーたいのガキンチョがくっついてきた。

 女児の髪を、ぽん、と撫でれば、私の太ももに押しつけられる、小さな頭。

「カッパは……死ぬ?」

「死なねぇよ!?」

 なんつうこと言いやがる。縁起でもねぇ……。

 反対の足には男児がしがみついてくる。こっちはもう完全に、全身をつかって私の足を抱き込んでくる。コアラかてめぇは。

 

 男児はびくつきながらも、ある一点を見つめていた。その視線をたどれば、すぐそばに寝ている男の顔。

 

 痛みに耐えているのだろう、苦悶する額から、汗がたれていた。その汗で流れたらしく、顔にぬられた黄色い軟膏が、一部とれてしまっている。

 うっすら見える、火傷で爛れた皮膚のありさま。

 

 私が見たって痛々しい。ガキには刺激がつよすぎるか。

「………外に出て待とう」

 

 診療所から出れば、ヤシの木が横たわっていた。巨大船が突っ込んできた時、吹きとばされた瓦礫が当たったようだ。木のてっぺんの青い葉っぱが今は地面を舐めている。

 

 ガキンチョ二人がしがみついた足を、のったりのったり動かしていれば、道の向こうから声がした。

「あっ!」

 国王軍の軍服を着た男だった。次いで、どこかを振り返り、叫ぶ。

「居たぞぉー!」

 なんだ。

 その声に応えたように、こちらへゾロゾロとやってくるのは、男ども。白金の鎖帷子の胸に、黒いバツマークをつけた、元国王軍兵士たちだ。

 

 その全員が全員、ロープを引っ張っていた。ロープの先につながれて、引きずるように連れてこられたのは、

「あ?」

 大きなワニである。ワニ?

 

 所々崩れてしまった町並みの中、大きなワニが引きずられてきた。くすんだイエローの巨体でもって、クビを振りながら、ロープに抗おうとしている。

「ブルン! ブルルルン!」

 ひびいた重低音は、あのワニの鼻息か?

 

 ひくつく鼻のその上には、なぜだろう、バナナが一房ついている。バナナが一房ついている。どういうことだ。

「引けぇーっ!」 兵士たちが必死にロープを引くが、一足遅かったな。

 ワニの暴れる尻尾が、オレンジ色の外壁をかすった。ボゴォン、と派手な音をたて、壁の一部がすっ飛ばされる。

 

 しかし、なぜなのか。ワニの大きなしっぽの先にも………どデカイバナナが一房。バナナが一房ついている。

 

「バッ………バナナ………」なぜ?

 

 足にしがみついていた男児は、パッと私から離れ、ワクワクした声で叫んだ。

「おあー! ババナワニぃー! エフワニぃー! すげぇー!」

 あれが、エフワニ? ババナワニ? どっち?

 

 先ほどあっと叫んだ男がかけてきて、右の拳を胸にあてる。それが敬礼であるらしい。

「マジェルカ殿でありますな! イガラム護衛隊長より話はうかがっております! 極秘任務のため、アルバーナへ向かうとのこと! 砂漠越えにはこのエフワニをお使いください!」

 

 エフワニと呼ばれたワニの背中は、平べったい。その上に、座席がとりつけられていた。

 馬の鞍のように、ワニが背負っているらしい。分厚い革のホルダーの上、透明なドームでおおわれた中に、座席らしい椅子がある。

 

 5メートル前後あるエフワニが背負っているのは、流体力学を考慮した、楕円形のドーム。まるで、ワニが高速移動するとでも言うかのようだ。

 

 最後は、その場に足をふんばってまで、エフワニは進むのを嫌がった。兵士が10人がかりで引っ張れば、ズザザザザ、と砂が鳴る。

 しかし、私と目があった瞬間。

 エフワニは絶望したように脱力したのだ。

 

 目を伏せ、頭を伏せ、首をちぢこまらせて、エフワニはその場にひれ伏す。

「……あ……」

 もしかして、こいつ、私のせいで暴れてたのか?

 

 そういえば今日は、2度ほど、己の気配を解放していた。陸の動物は、強者の気配に敏感だ。遠すぎて人には感じとれないその脅威を、正しく感じとり、怯えていたのかもしれない。

 その元凶の元へ、無理やり引きずられてきたのなら、あの嫌がり様にも納得がいく。

 

「エフワニは、緊急時の移動のための、砂漠超えによく使われる生物であります! このエフワニは、国王軍ナノハナ基地にて飼育されております! 顔に似合わず、人に、よく、懐き……えー……よく懐くはずなのでありますが、本日は少々……混乱しているのでありましょう!」

 

 足の速さは保証する、と、焦ったように告げる兵士。

 今度は一転、ビクビクとしはじめたエフワニは、チラチラ私をうかがっている。

「黒ちゃぁん、こっちみてる、えふわに……」 そうだな。

 

 しがみついていた女児を、足から降ろし、エフワニへ近づく。

 平身低頭したその姿。そこまで怯えているようじゃ、まともに走れもしないだろう。

 

 ワニの鼻先に、そっと、手を伸ばした。大きなワニの鼻は、私の腰ほどの高さがある。くすんだ黄色のかたい皮膚へ、グッと、掌を押しつけて、ゆっくり離す。

 

 服従の意を受けとるサインだ。人間風に言うと、〝お前、私の子分にしてやるよ。だからお前を食ったりしねぇんで安心しろ〟といったところか。

 

 野生動物には大抵、これが通じる。飼われているワニには伝わるだろうか。そう様子をうかがえば、エフワニは、見るからにホッとした様子で震えを止めた。

 

「あれっ、おとなしくなった……!」

「よかった……いつもの調子に戻ったな……!」

 ワニの様子に、国王軍の鎧をまとった男たちはロープをゆるめる。

 

 ガキンチョ二人はエフワニの周りをうろちょろし、黄色く巨大な体躯に顔をちかづけては、恐る恐る、突っついたり触ったり。それに怒りもせずじっとしているのだから、元は温厚なワニであるらしい。

 

「………で、あんたら、その胸のバツマーク。国王軍をやめたんじゃねぇのか?」

 

 ぽつりと問えば、男たちは顔をひきしめた。

 

 あの大男は、自分を国王軍だと言っていた。王族の護衛なんちゃら、という単語が出ていたのだから、軍の高官なのだろう。

 国王軍兵士が、あの男の指示に従うならわかる。しかし、国王軍をやめたはずのこいつらが従う理由はないはずだ。

 

 暗にほのめかした問いかけを、正しく理解して男は言う。

 

「ええ、我々は国王軍をやめました。だが、この国を守りたいという思いは、変わりませんのであります。もしも、イガラム隊長のおっしゃる通り、本当に、この戦いが不要な争いであるならば……それを止めることができるならば……全力を尽くす所存であります。助力も惜しみませんであります!」

 

 まっすぐな男の目に、カッパの言葉を思い出す。

 〝今朝方、この町に火を放った国王はニセモノ〟〝みんな騙されてる〟。

 あの大男が、とっさに漏らした一言。

 〝この国を、クロコダイルには渡さない〟。

 

「……ま、なんにせよ、ありがてぇよ。こいつを使っていいんだろ?」

 はい、という言葉と同時に、エフワニが「ブルン」鼻を鳴らした。

 

「だが………こいつ、馬より速ぇの?」「当然であります!」エフワニも肯定するように「ブルルルルゥン!」鼻息を荒くする。「揺れはあるのか?」「いえ! ほぼありません!」「……そうか。じゃ、よろしく頼むぜ」

 調子を取り戻したらしい。エフワニはニヤリとニヒルに口角をあげる。任せろってことだな。

 

 建物の角をまがり、あの大男が小走りでやってくる。周囲の兵士たちが一様に姿勢をあらため、拳を胸にあてた。

 

 王の威信がゆらいだこの状況でも、これほど敬われているとは。この大男はよっぽど人望があるようだ。

 

「お前は………ン〜! ンマァ〜〜! 貴殿は、マジェルカ殿というのだな。兵士たちより、あなたのこれまでについて聞いた。国王に仕える一家臣として、この国の民の一人として、この町のために尽力いただいたこと、感謝する!」

 ぐるぐる髪の大男は、スーツの胸に拳をあてる。

 

 ドンッ、と音を鳴らしたのは大男の胸ではない。ナノハナじえーたいの二人がマネをして、自分の胸を叩いた音だ。勢いをつけすぎたのだろう、二人してゲホゴホ咳込んでいる。アホ。

 

「……あんたが連れてくるのはカメじゃなく、ワニだったのか」

 大男に問えば、気まずげに頷かれる。

「カメではなく、ワニにしたのだ。私が乗って行こうと思ったカメは……足が速くないと言われたもので……」

 だろうな。カメだもん。

 

 カッパの手術は一時間ほどで終わった。幸い、肺に損傷はなかったらしい。肋骨の一部が折れ、その先端が体の表面に飛び出していたのだとか。やっぱりか……。

 

 エフワニの座席にもたれたカッパは、まだ麻酔で眠っている。輸血のおかげか、手術前より顔色はよかった。

 

 血を吐いていたのは、食道が傷ついていたせいだと医者は言う。次に起きたら飲ませるようにと、液状の飲み薬をあずかった。

 

 シワのよった顔に、さらに深いシワを刻み、女の医者は言う。

「私は患者を死なせるために助けているわけじゃない。人はいつか死ぬが……それをできるだけ先延ばしにするために医術をふるっている。そうして増やした命の時間には、価値があると信じている。………せっかく一命をとりとめたんだ、すぐに死なせるような事はしないでくださいよ」

 ギロリ。

 メガネ越しでもするどい医師の眼光は、大男に向かっていた。大男はその視線をしっかりと受け止める。

「もちろんです」

 医師はつづいて、私を睨んだ。うなずきを返す。

「ありがとう」カッパを助けてくれて。連れ出すことを許してくれて。

 

 エフワニの座席をおおう透明なドームは、前がパカリと開くようになっていた。限界までリクライニングさせた座席のシートに、カッパは寝ている。その周りに、看護師たちが、点滴などを取り付けていった。

 

 用意が終わったらしい。じゃあ出発しようかとしたところで、大男に呼び止められる。

「マジェルカ殿、ひとつ問題が」

「あ?」

 ナノハナじえーたいは、もう家に帰した。カッパの手術中に、昼メシを食べ、サンセットハウスの女将さんに町を離れることも告げた。カッパの親の許可もとり、カッパの着替えの服も用意した。ほかになんの問題があるというのか。

 大男は言う。

「このエフワニ、基本は1人乗り、2人でめいいっぱい、3人は乗れない。私と貴殿の、どちらかは、乗ることができないのだ」

 こいつ、バカにしてんのか?

 

 エフワニを見れば誰でもわかる。まともな座席はひとつしかない。補助椅子のような座席がもうひとつあるだけだ。

 細身の3人ならばまだしも、大男が混ざった時点で、3人は乗れるわけもないと見てわかる。

 

「貴殿か私のどちらかは、馬に乗ってあとから追いかけるしかない。私は国王軍に顔がきく、少年と共にアルバーナへ入るべきであるからして………マジェルカ殿は、あとから馬で、追いかけてくるといい」

「なぁ。………私はあんたを信用してねぇんだよ」

「はっ?」

 

 大男の名は、イガラムだったか? 覚えてるさ。それでも今のところ、その名を呼ぶつもりはない。

 

「てめぇよ………カッパをなんの為にアルバーナへ連れてくつもりだ」

「またその話か……! 少年に、証言してもらうためだと、」

「だったら、カッパが死んだらマズイよな。あれだけの怪我したカッパを、そのまま砂漠に連れて行きゃあ……途中で死ぬだろうとは、わかるよな。だがてめぇは、カッパを医者に診せようともせず、砂漠へ向かってた」

「何が言いたいのだ、時間がない! もう反乱は始まっている! 我々は一刻も早く、反乱を止めねば、」

「お前。カッパをわざと、死なせるつもりだったな?」

 

 大男の表情が、冷たく止まる。その目を見上げて、告げる。

 

「お前は、この国を奪うために、裏で動きまわる、クロコダイルのことを知ってた……。奴の作った、バロックワークスのことも……。怒りに満ちた百万人の、反乱軍を、とめる? 地位も身分もねぇ、ガキの一言で? 国王が真実を知ったら反乱は止まる? その国王に信用がなくなったからこそ、反乱が起こっているのに?」

 

 低く低く告げた言葉に、大男は、高級軍人らしい無表情を崩さない。

 そのスーツの胸に、指を一本、押しつけた。

「お前は軍の高官だろう? そんな夢物語はアテにしねぇ」

 指を曲げ、トン、と大男の胸をノックする。

「軍人ならこう考えるはずだ。今、この国の敵は、反乱軍とクロコダイル。それなら……」

 

 反乱軍とクロコダイルを、潰し合わせればいい。

 

「反乱軍の怒りの矛先を……国王から、クロコダイルへ向ける……。カンタンだ。この国の反乱軍はもとから、国を守るために立ち上がった。国民をだれひとり見捨てねぇために戦ってる……。たとえば〝とある罪なき少年〟が………クロコダイルの秘密を知って、クロコダイルに殺された………なんて話が持ち上がれば、反乱軍は……クロコダイルに向かっていくんだろうなぁ?」

 

 大男のスーツの襟を、掴んだ。グッと引き寄せた大男の耳元に、囁く。

 

「生きた少年つれていくより、クロコダイルに殺された少年を〝持っていく〟方が、てめぇにゃ都合がいいだろう」

 

 こいつが本当にアルバーナへ持っていこうとしているのは、カッパの証言なのか。

 それとも、〝悲劇の被害者〟という物証なのか。

 

 〝生きたまま〟アルバーナに連れて行かねばならぬはずのカッパを、こいつは、まともな治療も受けさせぬまま、連れて行こうとしていた。カッパの怪我の位置も知っていたはずだろうに、私と対峙した瞬間、イガラムはカッパを肩に担いだ。カッパの怪我を圧迫するような体制をとった。

 むしろ。

 カッパが怪我をしていることを、隠そうとしている様にも見えた。

 

 こいつの求めるものが、カッパの証言ではなく、少年の悲劇的な死であるならば、その行動に辻褄があう。

 

 戦火の中では、人の理屈が通じない。迷ったら死ぬ、立ち止まったら死ぬ、そんな修羅場を潜り抜けるうちに、人の〝判断基準〟そのものが、とても原始的な水準になっていく。

 

 よくある反乱軍が、ただの暴徒の群れになりがちなのは、上層部がこの現実を理解していないためというのが大きいだろう。戦争の現場の狂気を甘く見積もり、兵のコントロールを失うのだ。

 

 この国の反乱軍がいくら規律正しいとはいえ、すでに走り出してしまった彼らを、修羅場の中に入ってしまった彼らを、理屈で止めることは難しい。

 その逆。

 強い感情で足止めすることは、意外にも容易い。

 

 将軍やリーダーが死ぬと、なぜその軍の勝敗が左右されるのか。あとからやって来た学者などは、政治的な判断のためだと断言するだろうが、現場で起こるのはそのように理論だった行動ではない。

 兵士の感情がゆらぐからだ。

 〝もう負けなのかな?〟兵士の一人一人がそう思えば、軍は止まり、負ける。

 〝リーダーを殺しやがって、絶対に許さん〟兵士の一人一人がそう思えば、猛攻が始まる。

 

 少年の遺体を運んできた大男、など、平時では怪しい人間でしかない。しかし戦火の中では、言ってしまえば、ノリが全てだ。

 〝少年を殺しやがって、絶対に許さん〟。そのような〝ノリ〟を生むことができれば……扇動することができれば……反乱軍をクロコダイルへ向けることも不可能ではないだろう。

 

 どうせ理屈は通じない。こまかな辻褄あわせは、戦後に行えばいい。

 死人に口無し。キーパーソンが生きているよりも、死んでいる方が、この大男の好き勝手に〝シナリオ〟を後付けすることができる。

 証言者である少年は〝遺体になっていた方が都合がいい〟。

 

 大男の言う、国を守りたいという想いは本物だろう。

 ただし、国を守るとは、国民のほとんどを守ること。国民全員を守ることとは限らない。

 

 私の予想がどこまで当たっているかは知らないが、大男は、眉をしかめた。小さく、本当に小さく漏らされた、舌打ち。

 その一瞬ののち、わざとらしいほどの大声で、のけぞってみせる。

 

「砂漠の英雄、クロコダイルが! この少年に! 大怪我を負わせたというのか!?」

 白々しいその一言に、しかし、兵士と言えどもお人好しなアラバスタの民はギョッとした。

 

 こいつはその〝シナリオ〟を真実にするつもりらしい。

 その〝ストーリー〟を描くなら、カッパの命を守ろうとする、私の存在は邪魔になる。私を遠ざけたいのだろうとは、エフワニの座席を見た時からわかっていた。

 

 舞台にアドリブを添えてやろう。私もわざわざ声を張り上げる。

「あんたは! カッパを殺すつもりなのか!? やろうとしてみろ! その瞬間、私は、てめぇの、敵になる!」

 大男が目を見開いた。「なっ……にを……!」

 またざわめく兵士たちに、大男はざっと目を泳がせた。そこへ吹き込むように、私は囁く。

 

「カンタンだろ? そのシナリオは諦めろ。あんたが覚えるべきことは、一つだけ……。あのガキを死ぬ気で守れ。あいつは私の友だちだ。あいつを守っている限り………私は敵にはならねぇよ」



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28.トカゲフィーバー

 砂漠に足跡はない。

 少なくとも千人を超える反乱軍のメンバーが、馬に乗り、ここを通ったはずである。しかし、すでにはるか彼方まで駆け抜けたらしい。

 眺めてみても、砂煙さえ見あたらない。

 

 町の中からのっそりと、エフワニが姿をあらわす。ブルゥゥウウン、ブルゥゥウウン、と響く鼻息はやる気の現れだろう。

 カッパは、エフワニの背中のドームの中、ぐたりと眠ったままだ。

 

 大男イガラムは、そのとなりで膝を抱えていた。小さく縮こまっていてもまだ、くるくる巻かれた髪の毛がドームに押し付けられている。あいつだけで定員オーバーじゃねぇのか?

 

 あんな重そうなのを乗せたまま、走れるか?

 エフワニを見れば、返ってきたのは〝いつでもいいぜ〝と言わんばかりの視線。

 よし。

「じゃ、さっきも言ったが、くれぐれも、安全第一、乗り心地第一、カッパを揺らすな、オーケー?」

 鼻先にくっついた一房のバナナごと、エフワニはクイッと頷く。

「あんたのペースで走ってくれ。私は並走する。行こう」

 

 ザザザザザザンッ、と後ろ足で砂地を空ぶみしたかと思えば、エフワニは走り出した。

 

 その俊足を頼りにされているだけはある。走りにくい砂の深さをものともせず、エフワニは風を切って砂漠を馳ける。

 その隣、カッパの姿が常に視界にはいる距離で、私はエフワニについて行った。馬に乗るより、てめぇの足で走る方がずっと速い。

 

 いくら進めど、ひろがるのは砂ばかり。視界を遮るものもない。それでも見聞色の覇気を、半径約1キロほどで展開している。

 

 イガラムによれば、カッパに怪我を負わせたのは、クロコダイルを〝社長〟とする秘密結社・バロックワークスの構成員らしい。少なくともそいつは、カッパが今朝の騒動について重要な事実を目撃したと知っている。

 イガラムの話を信じるならば、カッパを始末しに来ないとは限らない。警戒するに越したことはないだろう。

 

 走りはじめて一時間ほどしただろうか。私の見聞色の覇気が、捨て置けない気配を感じとった。

 ナイフを抜く。飛び上がる。砂が散る。

 エフワニの体を飛び越して、向こう側へ。

 ナイフの刃を構えた先にかち合ってきたのは、男の足。

 

 キィィイイン……………!

 澄んだ音が鳴りひびいた。

 

「やぁーイ、やーっぱり、反応いーいなーイ!」

 ナイフと鍔迫り合いする、その足は黒光りしている。武装色の覇気の応用〈武装色硬化〉をまとわせてあるのだろう。

 1キロ以上離れた場所から、たったの1秒足らずでここまで迫った、この足の持ち主は。

 

「殺すぞ」

「なぁーんでだよーイ! オーイラはおーめぇを狙ったんだぜーイ!? うーしろのチービは狙ってねぇよーイ!」

 オレンジ色の髪をなびかせる、やせ形の男………殺し屋キース。

 

 ボワッ、と、遅れて砂が舞い上がる。キースの身にまとう、この国の民族衣装のスソがひらめく。

 しなるムチのように、キースは足の軌道を変えて蹴りを放った。私は左手でナイフをしまい、右腕で蹴りを受け流す。

 

「にー年前、あーれイ? さーん年前かーイ!? おーめぇをこーろせっていう、いーらいを受けたんだーイ!」

「知ってるよやりあっただろ」

「だーがおーめぇは生きてる!」

「ああ私が勝ったからな」

「そーんでオーイラも………生きてんだよなぁお前はふしぎなヤツだよなぁ」

「そのやりそこねた依頼を、やり遂げにきたのか? 仕事のついでに」

 

 話しながらも飛んでくる、拳、蹴り、膝、肘。寸分先を読み、受け流しつづけていても、骨にジインと衝撃が伝った。

 

 覇気をつかった体の強化は、その〝存在〟を強化する。

 存在は壊れにくくなるものの、存在の特徴自体は、変わらない。やわらかいものは柔らかいままだ。

 

 〈武装色硬化〉は、存在の特徴自体を変えてしまう。

 己の肉体などを〝鋼〟もしくはそれ以上に硬化させることが可能だった。そして、覇気をまとっているにも関わらず、生物の覇気どうしの反発がうまれなくなる。

 

 ただの武装色の覇気をまとえば、生物の覇気どうしの反発により、相手の攻撃がパァンと弾かれる。

 生き物と、触れあった部分が、弾きあうのだ。

 覇気の反発がクッションとなり、こちらからも攻撃が入れにくくなる。

 

 〈武装色硬化〉ならば、その点をクリアできた。

 〈武装色硬化〉を身にまとえば、ただの覇気で存在を強化するよりも、自分にダメージが入りにくい。

 凡庸性のたかい技である。欠点は、スタミナの消費が激しいこと。

 

 〝衝撃によって、硬化する液体〟。

 私はいつもそれを思い浮かべる。

 

 覇気の発動トリガーとなるのは、己のイメージだ。

 〈武装色硬化〉は〝鋼の鎧〟を身にまとうイメージで発動させることが多いらしい。しかしそれでは、覇気の消費にムダがでる。

 私は、チキュウの防弾ベストの一種、リキッドアーマーをイメージすることにしている。

 

 相手の攻撃を、ピンポイントで防御する。そしてこちらの攻撃もまた、ピンポイントで威力を増加させる。

 これならば相手にこちらの狙いを察知させず、覇気の消費も最小で済む。

 

 体の表面付近に、濃密な覇気が集っていく。そして衝撃をうけようとする部分だけが、瞬時に体表へとびだして〈武装色硬化〉を身にまとわせる。

 

 そんな〝空想〟を疑いなく当然に〝真実〟だと認知することで、覇気は発動する。

 

 穿つように飛んでくる、殺し屋キースの黒光りする手足。

 受け流すその瞬間、接触した一部分だけが、漆黒に変容する私の手足。

 

 キィン……!

 肉弾戦であるというのに、剣の打ち合いのような音が鳴る。

 当然だろう。

 私の足もこいつの足も、今は、金属のような硬度をもっているのだから。

 切り裂かれた風の音が、ヒュインヒュインと乱れてゆく。

 

「いーやーイ! そーれがよぉーイ! おーめぇの殺しをいーらいしてきた奴らがよーイ、あーのあと、依頼をとーりさげたんだよーイ!」

「へぇ?」

「〝悪ーっ鬼〟の報復がこーわくなったらーしいんだーイ! オーイラはちゃーんとせーつめいしたぜーイ? あーの女はそーんなことにこーだわるタマじゃねぇーってなーイ!」

「なら何の用だ? 依頼は消えたんだろ」

「ンナーッヒッヒッヒ! ンナーッヒッヒッヒ!」

 

 それ笑い声か? キースは肩を揺らす。

 

 ズザァ、と砂を滑り、お互いに距離をとった。

 エフワニは足を止めずに駆け抜けてゆき、もうすぐ砂丘の向こうに消える。

 

「オーイラはこーれはじーまんだが………一度も仕事を失敗したことはなかった………おめぇと、やり合うまではな」

「そうかよかったな、でなんなんだ本題は」

 

 キースは自嘲するように小首をかしげた。強すぎる日差しが、濃すぎる影を落とす、男の顔。

 

「……あの頃、オーイラはそろそろ死ーのうとおーもってた所だったーイ………もう充分生きたからな………だーがそのさーいごのさーいごのいーらいで………初めて仕事をしくじった…………オーイラの! げーんえき生活! ひゃーくさんじゅう年の! さーいごのさーいごで! 失っ敗っ………! したんだ!」

 

 〝現役生活130年〟?

 ただの人間が過ごすにしては、ずいぶん長い。

 キースの見た目は、多めに見積もっても20代中盤。

 実は、長命な人種なのだろうか。それとも、ものすごく効果のある〝若さの秘訣〟でももっているのだろうか。

 興味をひかれた私に構わず、キースは話をつづける。

 

「そーれでオーイラは決ーめたんだーイ………! たのしく! 満足に! 死ぬために! おーめぇを殺す…………! 生涯唯一、仕事以外の殺しだ……! とーくべつだぜーイ……?」

 

 ゆらり、ゆらり。蜃気楼のように揺れながら、小枝のような中指が、不穏に私を指差してみせた。

 

 一対一、やりあえば勝てる。しかし手抜きができる相手でもない。

 無視して進むには、こいつは強すぎる。

 

「オーイラは意外と、生業に誇りをもってるからよーイ、ヤるのはターゲット当人のみ………例外はおめぇ一人だけってことにしーとくぜーイ……。おーめぇの知ーり合いを巻き込むつもりはねぇーイ……」

 

 風になびく、キースの髪。赤は狂気の色だと言われるが、オレンジ色もまたキチガイ地味た印象をいだかせるものだと気づく。

 カッと、見開かれた男の目。ゾワリ、風でもない、気温差でもない、ナゾの寒気が背筋をかける。

 

 ここで〝本気〟を出すつもりか。

 

「……アハッ……」

 今はそれどころじゃねぇってのに、迷惑なことだ。

 そう思う理性とは裏腹に、笑みは顔に広がっていく。

 

 ちょうどいい。ストレス溜まってたんだよ。

 仕方のないこととはいえ、今年は陸に滞在してばっかりだ。海に出れないフラストレーションは、思っていたより大量に、心の奥に淀んでいた。

 体もなまって仕方がない。

 

 相手の生死を気にせず、全力でぶん殴れるケンカ相手………殴っただけじゃ死なねぇニンゲンは、この海じゃ貴重だ。その相手が乗り気なら、遠慮も不要。

 ちょっとここでガス抜きしてくか。

 

 キースの背中が蠢きだす。ボゴボゴボゴ、沸騰するように変化する頬。悪魔の実の能力によるものだ。

 男の肌には不可思議な色が、男の声にはふしぎな音色がまじっていった。

 

『なにより、つまらねぇじゃねぇか。人質だの戦略だの、そんなの使ったケンカじゃよーうイ……。この手で、この身で、ぶち殺す。 それが! 殺し屋稼業の楽しさってもんだよなーあイ!』

 

「しょうがねぇなぁ! ちょっとだけ相手してやるよ!」

 

 いざ。

 はじまろうとしたところで、「あ?」『あーン?』互いに顔をしかめる。

 

 くるりと見やったのは、同じ方角。

 ケンカの最中、横槍が入るのも珍しくはない。キースも私とおなじように、見聞色の覇気を広く展開していたらしい。

 

 その見聞色の覇気で、感知した気配。

 走り去ったはずのエフワニが、大きな弧を描いて、こちらに戻ってくる。

 

『もーとから途中でもどってくる』

「予定じゃねぇよ」

『だーよなーイ………あ』

 

 砂丘の向こうから見えてきた、エフワニの移動速度が上がっている。あの野郎、カッパを揺らすなって言っただろうが……!

 斜面をかけおりつつ盛大に砂ぼこりをまきあげて、死に物狂いで走ってくるエフワニ。

 そのワニの背中の上、イガラムが、座席をおおう透明なドームをムリやり押しあけた。

 

『さーけんでるなーイ?』

「あぁ」

 

 よっぽどの大声をはりあげたのだろう。かなりの距離があるというのに、ヤツの声がここまで届く。

 

「マジェルカ殿ォォオオ! 逃げるのだァァアア!」

 

 その後方。

 砂漠がモワリと、動いた。

 

 金色の砂丘がうごめきだす。まるで、砂丘そのものが意思をもって目覚めたかのよう。

 のったりとした動きに見えるのは、デカすぎるせいだった。エフワニと見比べれば、その金色がどれだけのスピードで動いているかわかる。

 

 まさかとは思うが、砂丘が、エフワニを追いかけてきてる?

 

「ン〜〜〜! ンマァ〜〜〜! あ〜奴はァ〜! サンドラァ〜! キングゥ〜! ト〜カゲ〜! な〜ぜ〜、ここに〜、いるのか〜、不明ィ〜! 砂のォ〜、島のォ〜、影なるゥ〜、王者ァァァ〜〜! 会ったが最期ォ〜、逃げるしかなァ〜い〜ィィィィイッ!」

 

 猛スピードで走りつづけるエフワニの背の上に立ち、イガラムは胸を張って、突如うたいはじめた。

 なるほど。こんな時にノド自慢するだけあって、なかなかの美声だ。

 

 音程をとらえることができれば、ただの叫び声よりも、歌声の方がより遠くまで届く。

 やりてぇことはわかる。わかるが………緊張感ねぇなぁ。

 

 キースの体も、うごめいた。

 悪魔の実の能力を、解除したらしい。肥大化したトカゲの頭がギュルギュルと縮んでゆく。

 かぎ爪の消えゆく最中の手のひらで、髪をいじる頃には、もうすっかりただの人間である。

 

「こーまったなーイ、あいつら傷つけりゃ、おーめぇを殺しても、おーめぇのファンクラブがオーイラの身内を狙うんだろーイ?」

「さぁ、知らん。だが確かに、やりそうだなぁ……。そうじゃなくとも、殺し屋はターゲット以外狙わねぇんだろ?」

「まぁなーイ。たーだ。殺し合いのどー真ん中に飛ーび込んでくるヤツのこーとまで、気にしてられねぇやーイ」

 

 一体あいつら何しにきたんだ、とキースが呟いたような気がした。

 最後まで、まともに聞いてはいられなかった。

 

 ゾバァ……ッ!

 

 エフワニを追いかけてきた、砂丘が、割れたのだ。

 うごめく金色の中から現れたのは、巨大な洞窟。

 漆黒の横穴だ。地獄の門がひらいたかのようである。

 

 イガラムはあれを、サンドラキングトカゲ、と言っていた。

 まさかアレ、あの洞窟、生き物の、口?

 目をこらせば、牙のようなものもたしかに見える。

 

 夏島の一部をクレヨンで塗りつぶしたよう。嘘みてぇに、真っ黒い穴。

 サンドラキングトカゲの口は、でかい。砂嵐とどっちがでかいか、判断できねぇほどだ。

 あれに比べりゃ、体長5メートルはあるエフワニも、小さなトカゲのようである。

 

 なるほど。

 トカゲが、ワニよりデッカくて、ワニが、トカゲよりちっさくて、「なんだこの島、あははは」おもしれぇ。

 

 本能が警告してくる。あれは太刀打ちできない。

 近づいたが最後、私はあいつのエサにすらならないだろう。食われたとしても、エサについた調味料の一粒としか思われねぇはずだ。

 

 空の一部さえ潰してしまうほどの、その〝黒〟は、こちらへと迫る。

 

 ザパァッ……!

 となりで爆音がなった。キースが逃げた。私からではない、あのトカゲから。

 ほぼ同時に、私も全力でその場を蹴る。

 逃げるためじゃない。あれに一撃いれるために。

 

 宇宙の一番暗いところ、ブラックホールのように真っ暗なサンドラキングトカゲの〝お口〟は、ゾゾゾゾゾゾ、と砂漠ごと目の前のものを呑んでいく。

 

 逃げるエフワニは健闘していた。しかし、砂地そのものが、背後の巨大トカゲに呑まれていくのだ。

 足元がくずれゆくせいで、うまくスピードが出せていない。

 

 その背の上、座席のドームをあけ放ち、イガラムは立っている。

 見つめた先は、迫りくるサンドラキングトカゲ。

 ブボボボボン、と破裂音をたてたのは、マシンガンか何かだろう。アイツそんなモン体に仕込んでたのかよ。

 

 放たれた弾丸は、外れたのか、当たったのか。きっと、あの漆黒の中に呑まれたのだろう。

 あのトカゲはデカすぎる。

 口の中に弾が〝入った〟としても、口の粘膜まで弾が〝届かない〟。

 

 相手は、砂漠をそのまま呑み込むヤツである。万一、弾が当たったとしても、ダメージがないどころか、当たったことにすら気づかない可能性が高い。

 

 それが理解できないわけではないだろうに、イガラムはまたマシンガンを放つ。

 ブボボボボンッ………!

 ブボボボボンッ………!

 むなしく消えるだけの発砲音。そのすぐ横を、私はつっきった。

 

 耳元で、音がなくなる。

 覇気が使えなければ、肉体が四散する。そのようなスピードまで加速した体は、風を追い越し、空気をうらぎり、無音の世界へ入ってゆく。

 

 照りつける日差しは、突然、きえた。

 飛び込んだ漆黒の中。

 本当にこれは、生物の口の中なのか。まるで異界のような空間で、空中を〝踏みしめ〟、上へ。

 

 左の拳を腰にためる。

 右の拳は、素早く高らかに頭上へ。

 首をまるめ、胴をよじり、防御もなにもかも放棄した、ただ一撃。

 

 トン、と、拳がそれに触れた。

 

 一拍ののち、大気がわななく。

 

 ガゴォオオオォォオ………ン………!

 

 拳をふりぬいた途端、ぐるぐる回り始めた体。

 バランスをとることさえ無視した一撃のせいである。グリングリンと錐揉みしながら、どこかへ落ちてゆく。

 

 それでも、今の音。どうにか巨大トカゲの〝上顎〟に、一発かませたらしい。

 ……生物をなぐったとは思えねぇ音だったが。

 

 見聞色の覇気で感知する。

 サンドラキングトカゲの〝前進〟は、ひとまず止まった。これでエフワニごとカッパが呑みこまれる心配は、なくなったんだがちょっと待て。

 

「グググググググォオオオオォオオォォオォ」

 

 地震? 地鳴り? ちがう。

 おそらくきっと、このサンドラキングトカゲの唸り声。

 私の一撃が痛かったらしい。口を開けたまま、首をもたげて、天を仰いでいく。

 

 まだ落下している私の、真下が、トカゲの舌ではなく、トカゲの喉の入り口になるということだ。

 つまり。

 このままコイツの口の中にいたら、私が呑まれる!

 

「わっちゃあ!」

 気合いだ。気合いで逃げる。それっきゃない。

 体はバランスを崩しまくっている。どうにか体制を持ち直さねば、空を〝走る〟こともできそうにない。

 

 腕を広げて宙をかく、かけねぇ! あの一撃に全力出しすぎた! 腕の力が弱ってやがる……!

 足で宙をけりつける、できた! 変な方向に加速した! 胴がよじれる! ダメだこりゃ。

 

 首元に、何かがボダっと垂れてきた。ヒンヤリとした液体だ。この灼熱の砂漠の中で、ヒンヤリとした水分である。

 

 巨大トカゲの〝よだれ〟だな。

 やべぇ。このままじゃ、ほんとに、消化される。

 

 肝がすっと冷える。頭がスッと醒めていく。理性がひっこみ、本能が体の主導権をにぎる。

 

 気づけば光のある方へ、 宙をもがいて進んでいた。

 足で、宙を〝踏みしめる〟。

 四つ這いで階段を登るように、伸ばした手の先で、宙を〝掴む〟。その手で体を引き上げる。

 

 パチリ、切り替わるように戻ってきた明るさ。

 サンドラキングトカゲの口から、出たのだ。

 天を向いたトカゲの口から出た先は、空中。そのまま上空まで駆け上がると、眼下には、〝砂の島の王者〟がいた。

 

 クリーム色の巨大な牙。あれは牙でいいのだろうか。それ一つで5階建ての建物くらいはありそうだ。

 そのフチを彩るのは、「水色?」きらめくような、スカイブルーの鱗。

 

「おおおお……?」

 サンドラキングトカゲは、宝石のような水色の体をしているらしい。光の角度がすこし変わると、紫がかって見える鱗たち。

 きれいだな……。

 

 痛みにのたうった拍子に、砂漠の下から〝はみ出てしまった〟のだろう。目に入るのは、巨大船よりずっとでっかい〝上半身〟。

 

 その気配からすれば、こいつは全長1キロメートルはある。カトレアの町とおなじくらいの巨体の持ち主だ。そんな事ははじめから分かっている。

 しかし、目で見れば、迫力がケタ違いだった。

 

「でっ、けぇー……!」

 

 やっぱムリだわ。こいつは倒せねぇな。

 今の一撃で、どこかへ帰る気になってくれるといいんだが……。

 サンドラキングトカゲは、かるく身をよじった。ただそれだけの動作だった。それでも砂漠は、

 

 ドゴォ………!

 

 かき乱される。

 

 上空を〝走り〟、旋回する私の足よりずっと下、チラリとこちらを見たサンドラキングトカゲの瞳は、透明だ。

 

 どデカイ水晶みてぇな、その目玉。

 周りをフチどる、エメラルドグリーンの鱗。

 

 やってることは地獄の主のようであるのに、その外見は、宝石の山脈みてぇ。

 夏島の太陽の下では、キラキラというより、ギラギラと光る。

 

 美しく冷たげなその目玉は、私からそらされ、砂漠の一点をみつめた。

 〝砂の島の王者〟の、視線の先にあるものは………疲れ切って、立ち止まっている、エフワニ。

 

 



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29.四つの丸

 日差しにギラつく巨体が、のっそりと動く。まきあがる砂煙が教えてくれる。

 スローに見えるのは目の錯覚だ。

 サンドラキングトカゲは不自然な程なめらかに、高速で〝ソレ〟に向かっていく。

 

 〝砂の島の王者〟はよっぽど腹ペコなのだろう。〝食事〟を邪魔した私を追い払おうともせず、一心不乱に迫る先は、エフワニ。

 

 確かに、私と比べりゃエフワニの方がたくさん〝身〟がついている。

 それにあっちは、ニンゲン2匹のオマケ付きだ。お得なのは間違いない。

 

 ただ、そいつを食わせるわけにはいかねぇんだよな……。

 

 パッと足を止め、落下する。巨大トカゲから距離をとるため、ずいぶん空高くまで〝登って〟きてしまった。ただ落ちたのでは追いつけない。

 頭を下へ。念入りに覇気をあつめて首を強化し、天を蹴りつけた。

 

 ドッ……………と、空気の圧が全身をなぶる。

 

 うなじの悪寒が止まらない。本能がわめいているのだ。

 あの化け物の目を見ただろう、と。あの殺気を目の当たりにしただろう、と。

 逃げろ、逃げろ、逃げろ! 私じゃあの化け物には敵わねぇ!

 

 わかってる。それでもな、逃げちゃならねぇ時はある。

 一度、守ると決めた相手は、死んでも守らにゃならねぇもんだ。

 

 やり遂げなければ、死ぬより辛い苦しみを背負いつづけるハメになる。私の背中はもう満杯で、これ以上背負いこむスペースはねぇんだよ。

 

 もう少し。〝砂の島の王者〟の名に相応しい、宝石のような巨体はすぐそこだ。

 でも、もう少し待て。奴の動きを止めるためには、もう少し。

 

 そう念じた瞬間、視界がブレた。何が起きたかはわかっている。ギリギリで感じ取れたその気配は、サンドラキングトカゲの尻尾。

 

 避けようとしたが、避けきれなかった。速すぎる、でかすぎる。

 尻尾にぶちのめされた全身は、砂地に投げつけられる。

 

 ドォオオ……!

 

「あぁ、クソっ!」

 しゃべる間も惜しい。出来上がったクレーターの中心で、己の気配をすべて解放し、全力で空へ駆け上がる。耳元でまた、音が消えた。

 

 砂漠の日差しが目に痛い。

 

 恐竜よりもでかいトカゲは、今にもエフワニをその口に入れようとする。しかし、ピタリと止まったその動き。

 たった今解放した、私の〝本来持っている〟強者の気配に気づいたらしい。無視されなくてよかったよ。

 動きを止めた牙のそばで、慌ててエフワニが逃げようとする。

 

 ギロリとまたこちらを睨む、サンドラキングトカゲの、水晶のような瞳。

 〝王者〟の視線は重かった。

 食われる、潰される、引きちぎられてただの肉塊となり霧散する。そんな幻覚が脳裏をよぎる。

 それでも目は逸らさない。

 

 恐怖する本能はねじ伏せる。この海ではそれができねば死ぬだけだ。この体は知っている。

 生きる為には、勝つしかない。

 まっすぐに、突っ込む。

 

「おるぁあああああああ!」

 

 〈武装色硬化〉。いつものケチくさい使い方じゃない。大盤振る舞いで、右腕を丸ごと黒光りさせる。

 眼前に迫るのは、ただの山だ。宝石でできた崖のよう。巨大すぎるトカゲの体に、拳を入れた。

 

 ゴ、と、入った、右腕。

 ボゴン、と爆音をたてて、巨大トカゲの一部が波打つ。パァン、と軽快な音で飛び散ったのは、割れた鱗たち。

 これだけじゃ足りない事など、分かっている。

 

 思い切り〝宙を踏みしめ〟駆け上がり、膝を抱えてくるりと回った。

 ほんの一刹那、イメージするのは、鎧をまとった巨人の足。それがみるみる圧縮され、私の足のサイズになる様である。

 私の足は変質していく。鋼よりもさらに暗い、漆黒をまとったこの左足で、お見舞いしよう。

 

 ……こいつの意思を……世界の意思を、砕くほどの、一撃を。

 

 名付けて………〝大型海王類をチクっとやるキック〟っ……!

 

 カームベルトを渡る際、大型海王類を追い払うために編み出した技だった。私が繰り出せる攻撃の中で、もっとも威力をもった技。これがダメなら後はもう、私がわざと食われてこいつの腹の中から内臓を切り裂く位しか思いつかない。

 

 岩山を思わせるトカゲの鱗に、膝から先がめり込んだ。ゴゴゴゴゴゴゴ、と、生物を蹴りつけたとは思えない音がする。

 そして、ベコリ。

 一拍おいて、周囲の鱗まで陥没していき、できあがったクレーター。鱗の角度が変わったことで、異常なギラツキが目を焼いた。

 

 地鳴りのような声を発し、サンドラキングトカゲは身をよじる。

 矮小なニンゲンの視界からすると、岩山がヌルリとズレていくようにしか見えない。

 

 巻き込まれぬよう飛び退った私は、転げるようにして、砂地へ降り立った。エフワニはなぜかすぐそばで立ち竦んでいる。

 何してんだ逃げろ、と言う前に、思い出した。

 そうだ私、自分の気配を全部解放してんだった。あいつそれにビビって動けねぇのか。

 

 ゾゾゾゾゾゾゾン、とうごめいた山の如きトカゲは一瞬、うなだれた。殺気を感じて身構える。

 あれでもまだダメだったか。いいよ。だったらトコトンまでやってやろうじゃねぇか……!

 腰のホルダーから、ナイフを抜く。

 

 しかしその時、飛んできたのは、尻尾でも、牙でもない。

 砂だ。

 ゾアアアアアア…………!

 不穏な音をたてて、大量の砂が撒き散らされる。視界は一瞬でふさがれた。吹きすさぶ砂つぶは、どれも小さな弾丸のように全身を撃つ。

 

 一体、どこから発生しているのか。自然現象とは思えぬ以上、あの巨大トカゲの仕業なのだろう。

 

 目を閉じて気配をさぐれば、サンドラキングトカゲは………身をひねり、砂漠の地中へ潜って行く所だ。

 帰る、のか?

 

「撃退………撃退したのか!? サンドラキングトカゲを………!?」

 

 〝砂の島の王者〟がどこぞへ帰って行き、砂嵐が晴れた頃。私が自分の気配を〝収納〟した途端、背後からイガラムの声が届く。

 

 エフワニから飛び降り、こちらへ駆け寄ってくる藍色のスーツ。砂漠に似あわぬその服装に、ハッとして、私はナイフをしまった。

 

「あの巨大生物を、撃退できる者がいるとは………! 貴殿は……!」

「つうかよぉ……! あんなやべぇ生物がいるなら、はじめに教えて欲しかったんだが!?」

 

 隣に立った男を睨めあげれば、イガラムは呆然と砂漠を眺める。

 

「……いや……サンドラキングトカゲを、これほど間近で見たのは、私もはじめてだ……」

 

 サンドラキングトカゲは、本来、この島の中央部〈ゴーダの死地〉の付近に生息しているらしい。

 〈ゴーダの死地〉は、灼熱の岩盤がむき出しになった一帯である。その気候を好むサンドラキングトカゲは、通常、アラバスタ王国の内部では目撃すらされない生物であるという。

 

「ここまで南下してくることなどなかったのだが………干ばつの影響で、砂漠の気温が上昇したためだろうか………!」

「他にあいつみてぇな、やべぇ生物に心当たりは?」

 イガラムはギョッとして仰け反った。

 

「居てたまるかァ!? あんなトンデモ生物がウジャウジャいたら、我が国は立ち行かぬだろう!?」

「まぁな……」

 なるほど。他にはいねぇのか。すっかり静まった砂漠を見渡し、ようやく肩の力が抜ける。

「はぁー……! よかった……!」 あんなのと連戦してたら身が持たねぇ。

 

 チラリと見やったエフワニは、砂の上にダラリと座り込んでいる。それでいて背中の座席は水平を保ったままなのだから、見上げた根性だ。

「ちょっと休憩するか」

 イガラムに提案した所で、砂が舞った。ちゃっかり避難してやがった殺し屋キースが、戻ってきやがった。

 

 おお、いいぜ、ケンカのお誘いだったな、やろうじゃねぇか。スタミナに不安があるんで、遊ぶってのはナシだ。さっさとケリつける。

 左右の腕を〈武装色硬化〉で変質させ、遠くのエフワニを庇うように立つ。

「やるか」

 

 腰のすぐ上、拳を握れば、キースは片手で額を抑えた。もう片方の手をヒラヒラと振る。

 

「ンナーヒッヒッヒ………やーイ、なぁーんつうかよーイ…………オイラ聞いたことあーるんだよなーイ。楽園の悪鬼は………カームベルトの大型海王類に、素手で勝てるっていう………ウワサ………アレ、本当だったのか………? ンナッヒッヒッヒ」

 

 事情を知らぬながらも、さすがは軍人。キースに対し、イガラムは隙なく身構えた。

 その眼前に手のひらを出し、ひらりと降る。「あんたは下がって、退避しとけ」助太刀のつもりかも知れねぇが、足手まといにしかならねぇよ。

 

「じゃ、行くぞ」

「待て待て待て、まぁー、待てってここはちょっと待てよーイ!」

「……急いでるんだよ、さっさと終わらす」

「急いでるみてぇだなーイ、だが、こっちはアルバーナの方向だぜーイ? ……反乱軍の一斉蜂起。そいつに一枚噛むつもりかよーイ?」

 

 パッと両手を広げ、キースは砂地に腰を下ろした。そういうオモチャであるかのように、体制を全くくずさぬままストンと地に座り、綺麗にあぐらをかいた足。

 

「やぁーっぱり気が変わったーイ、今日は……〝準備不足〟だってのが分かったんでなーイ……。おめぇを今日殺すのはやーめとくぜーイ……」

「……あ?」

「いやーイ……ジェルマのクローン兵は〝恐怖心〟を抱かねぇからよーイ、〝実入り〟が思ったより少なくてなーイ……。呼び止めちまって、わーるかったなーイ! もう行っていいぜーイ! ……っつってもおめぇは行かねぇだろうからなーイ……」

 

 よく分からんが、とりあえず潰しとくか。そう決意した私の心を読んだわけじゃねぇだろうが、キースはニヤリと笑った。

 

「アルバーナに介入するなら、知っといて損はねぇ。今回の反乱の裏にある〝四つの組織〟について、教えてやるぜーイ? それでチャラってので、どーうだ?」

 

 カッパがうとうと、目覚める気配がした。ナノハナの医者に言われた通り、薬を飲ませてやらねばならない。そう思い、カッパを乗せたエフワニへ近づけば、ズズズズ、とエフワニが後ずさる。どうした?

 足を止め、ゆっくり一歩踏み出せば、またズズズズ。

「ん?」まだ私に怯えてんのか?

 

 仕方ない。

 日よけの上掛けの中は、いつものTシャツだ。その襟ぐりをガバリと引っ張る。見えたのは黒いスポブラ。

「おォおお!? 貴殿は、なっ、なにをして」

「あぁ?」

「いえすみませんなんでもない、ワタシナニモミテナイ」

 ガンをつければ、上から覗こうとしたイガラムがそっぽを向く。見られるのはいいが覗かれるのはムカつくんだよ。

 

 スポブラもぐいっと引っ張ると、その下には普通のブラ。バストの下着は二重につけている。こうすると揺れにくい上に、苦しくもないのでちょうどいい。

 あらわになった胸の谷間へ、指を突っ込んだ。取り出したのは細長い瓶。

 割れやすいガラス管でも、ここにしまっておけば安全だ。クッションになってくれるからな。なにが、とは言わねぇが。

 

 医者から預かった薬はピンクの液。試験管のような形の小瓶を、イガラムに押し付ける。

「これ、カッパに飲ませて来てくれ」

「……構わんが……私を信用しないのではなかったか?」

 半目になったイガラムに苦笑がもれる。

「この近さだ。あんたが何かする前に、殺せる。あんたもそりゃ分かってんだろ? ここじゃあんたも妙なことはしねぇさ」

 ナイフの柄に手をかけて微笑めば、中年の大男は生唾をのんだ。

 

 夏島の日に焼かれた砂漠は、しゃがんだだけで尻が熱くなる。その砂にどっかり座った殺し屋キースが、骨ばった指先で、四つの丸を砂地に描いた。

 

「オーイラの悪魔の実の能力は、ちぃっと、特殊でよーイ。前準備をすーればするほど強くなるんだーイ。だーからよーイ、今日はちぃーっと………準備が」

「うるっせぇよ、情報吐くならさっさとしろ」

「つーれねぇなーイ!」

 

 灼熱の砂にズプリ、と指を挿し入れ、キースは言う。

「アラバスタの反乱、妙だとは思わなかったかーイ……?」

 ああ。

 何をもったいぶってんのかと思えば、会話で私を油断させて、スキをつこうとしてんのか?

 付き合ってられねぇ。

 時間が惜しいので、答え合わせを勝手に始める。

 

「反乱を操ろうとしてる組織、四つのうち、一つはクロコダイル、一つはジェルマをここに呼び込んだ組織、一つはてめぇを雇った組織、で、あと一つは何だ」

「……どーうしてオーイラを雇ったのが」

「なぁ、普通にしゃべれねぇのか?」

「イラついてんなぁ? いいぜぇ。簡潔に行くがぁ、おれの喋り方をジジくせぇとでも言いやがったら」

「言わねぇ」

「……おれを雇った組織についちゃあ詮索無用だ守秘義務があらぁ」

「で?」

「ジェルマを雇ったのぁ世界政府だ」

 

 砂漠の風が、頬をぶった。キースの橙の瞳が、こちらをみる。

 

「ここは、世界政府加盟国だぞ。ジェルマっつったら……」

「訪れた国ぁどこでも、更地に変える軍隊……」

「世界政府が……アラバスタを滅ぼしたがってるっつうことか? この反乱にかこつけて?」

 

 キースは唇を引き上げる。しかしその目は笑うどころか凍てついている。

 

「おもしれぇ話だろう? アラバスタは元より世界政府の〝鼻つまみモン〟なんだぁ。正確にゃあ、ネフェルタリ王家がなぁ……」



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