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第一章 ─Grope in the Dark─
─二度目の人生─
1984年12月16日
人として
時の流れは早いものだ。
生まれたての頃は確固たる意識がある訳ではなかった。と思う。多分。
そこらへんの記憶が、さっぱり思い出せない程度には曖昧なのだ。
つまり、逆説的にその頃は自我が希薄だったのだろう。
仮に魂という存在があるとして、肉体という器に馴染むための準備期間とでもいうのか。
ノンレム睡眠の最中に、無理矢理に叩き起こされたような酷い倦怠感、そして再度の休眠。
どれほどそのサイクルを繰り返したのだろうか。
気付けばいつの間にか五感の機能が正常に稼働しており、自我が完全に定着していた。
それが生後半年を迎えた頃の話である。
この時だ。俺は
────転生。
そんな荒唐無稽な事実に、戸惑い以外の感情を覚えなかった。
まず真っ先に、お世辞にも幸福だったとは言えない
……断言できる。その手の奇跡を授かるような、敬虔な人間ではなかった、と我が
生まれ育ったお国柄のこともあってか、宗教やら神と言ったものにはてんで無頓着に育った。
挙句、クリスマスと称して飲み食いして騒ぎ、その一週間後には初詣という混同っぷりである。
そんな自分が、
毒にも薬にもならなさそうな事ばかり考えていた。
なにせ、時間だけは膨大にあるのが赤ん坊という不自由な存在だ。
起床している間は、考え事、調べ事、
思考の一環として、死に際の事を改めて回想しようと試みる事は何度かあった。
しかし凡そのシチュエーションは思い出せるのだが、ディテールが全く浮かんでこない。
何度掘り返そうとも、その殆どが不明瞭のまま今日に至る。
深い靄がかかったように、霞んで細部まで見通せない。
ただ、乗り物に跨り、酷く急いでいたような気はする。恐らくオートバイの類だろうか。車種はこれっぽっちも思い出せない。
ソロだったような気がするし、タンデムだったような気もする。
走っている道路も理由は解らないが凄まじく混雑していたような覚えがあるようなないような。
そんな状況に大型の何かが突っ込んできて、巻き込まれて────そこから先はもう何も思い出せない。
大型トレーラーか何かだったのだろうか?……事実なら、間違いなく俺の死の翌日の朝刊で一面を飾っただろう。
まとめてみると、高熱が出た時に見る夢のような……とにかく只管に現実感がないのだ。
何度目かの記憶への潜航で、相も変わらず出ない成果に辟易してそれ以降はもう
なにはともあれ、事故で死んだのは間違いなさそうだし、俺はもう
何時までも過ぎた事に構っていられない。
戦わなくてはいけないからだ。
現実と。
そう、腹が減っては戦は出来ぬのだ。
俺は赤ん坊。故に。
食事は────当然、母乳であった。
「えいじちゃーん?はぁ~い、おっぱいでちゅよ~?」
なんて言われて、もう本気で泣きたくなった。
乳離れしたタイミングで目覚めろよ、My自我。
そうキレ散らかしたかった。
ちなみに、
どういう漢字が宛がわれているのかはまだ調べちゃいない。
苗字は「ふわ」のようだった。こちらもまだ確認した訳じゃないが、恐らく漢字表記は「不破」だろうか?
「ふわ えいじ」────それが今の俺の名前のようだ。
苗字のほうはかなり珍しいと思うが、無いわけではないし、いい名前だと思う。響きが格好いい。好みだ。
しかし、俺は性癖は極めてノーマルだと自覚している。
母乳プレイとかマニアックにもほどがあるので簡便してほしかった。
そんな経験、自我がある時にしとうない。
勿論、始めは拒絶しようとしたのだ。嫌だから。
だが母親らしき人物が物凄い悲しそうな顔をして────。
「う、うぐ……あなた……エイジちゃんが急におっぱい飲んでくれなくなって……まだ乳離れの時期じゃないのに……」
なんて父親らしき人物に向かって涙ぐむのだ。反則である。
二人とも困った顔をしていた。そんな反応を見て尚、拒絶出来る身勝手さを俺は持ち合わせていなかった。
一度目の人生では父親が早々に他界し、母も後を追うように亡くなり、ほとんど父方の祖父母に育てて貰ったようなもの。
その祖父母も俺が成人したあたりでまるで遣り残すことはないというかのようにあっさり死んでしまった。
だから円満で暖かい家庭と言うものには常々憧れていたものだ。
せっかくの二度目の人生。こんなところで両親との遺恨を残したくは無い。
俺は覚悟を決めた。ちょっと羞恥心を押さえつけるだけだ、と。
確か1才前後で離乳食にシフトしていくはずなのだ。
それまでの辛抱だ、耐えるのだ、と。
頑張れ、俺、超頑張れ、と喝を入れ、母乳を摂取した。
マズいとまではいかなかったが、味が薄かったという事が印象に残っている。
辛すぎる食事を乗り越える決心がついた後、念入りに時間を掛けて行ったのが身体機能の確認だった。
はっきり言って期待はしていなかった。
当時、未だ生後半年を過ぎた段階。まだ碌に動けるものではないだろうと、半ば諦めていたからだ。
すると驚いたことに、立って歩くことに成功した。
壁に寄り掛かってではなく、二本の足で、である。
しかも、喋ることも出来た。
どうやら赤ちゃんという存在を見くびっていたようだ。
世間一般から見れば生後半年でこれは余りにも早熟だろうが。
神経系の成長が早いらしい。
前世の知識と経験があるとはいえ、体が付いてこないだろうと思っていたのでこれは僥倖だ。
両親は「うちの子はもうしっかり喋るし歩くし天才だな!」などと喜んでいた。
勿論、多少の罪悪感はあるが、演技している。わざわざ自分から実は転生したんですよーなんて広めて頭のおかしい子扱いされるのは嫌だ。
いや頭おかしいどころか、普通に考えたら悪魔憑きか何かだと見做されてもおかしくはない。お祓いに連れていかれるのは御免だった。
あくまで「一般常識の範疇において早熟で賢い子」だと認識される程度の行動に収まるよう、周囲に気を使う羽目になった。
……いや、例外としてトイレだけはそういったことを考えずに自重せず、自分で行くようにした。オマルだが。
生後半年で自主的に行くというのは一般的に異例も異例なのだが、お漏らしだけは避けたかったのだ。
……精神年齢的に、お漏らしは辛すぎた。
オムツをしているからお漏らししてもいいなんてことは決してない。
単純に不快なのだ。重ねて言うが、俺の性癖は普通だった。
────そして、時は今。
避け得ない多種多様な面倒事があった訳だがそれら難関を全て突破し、俺は今日、無事に1歳を迎えることが出来た。
先ほどまでテーブルを囲んで誕生日を祝ってもらっていたばかりだ。
今は寝たふりをしながら脳内会議をしている。
今日を一つの転機としよう。
いい機会だ。意識的には丁度半年、体の起源からすれば丁度一年。
定めるべきだろう。
今後の身の振り方の方針を。
半年前の覚醒の日から、俺は行動を開始していた。
調べ事────この世界の情報収集である。
動き回れるならば行動しない訳にはいかない。
俺はどんな世界の、どんな星の、どんな国に生まれたのか?
両親の会話、テレビに映される世界、目に付いた様々な文字の羅列、etc,etc。
身の回りで手の届く、視線の届く全ての範囲から情報を読み取った。
……まぁ、自分の名前や両親の喋る言語であらかた予想は付いていたが、ここは地球の日本のようだ。
入ってくる情報の全てが日本語だったから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
肝心の時間だが……俺の意識が覚醒した時点での西暦は既に1984年だった。
そして俺の誕生日である今日は、1984年12月16日で間違いないようだ。
生まれ変わりの際に過去へと遡ってしまったのかと思い込んだ。
輪廻転生とやらは時間を超えて過去へと逆行することも出来るのか、と。
だがそういった疑問も、すぐに消えていく。
安堵したのだ。言葉が、そして何より自分の常識が通じる、と。
そう思った。
……が、更に情報を収集していくことによってそれは勘違いだと気づかされることになる。
所々で両親の会話に入り込む、俺の知る1984年の日本の情報と、この世界の日本の情報との齟齬。
────戦争中?……どこと、どこの陣営が?湾岸戦争にはまだ早い。冷戦こそ続いていたが、1984年現在に日本から見て戦争と呼ばれる規模の争いが起きているのはおかしい。
────日本帝国?……第二次世界大戦は何十年も前に終わったはずだ。時代錯誤が過ぎるんじゃないのか?
────戦術機?……戦闘機の聞き間違いだ。そうに違いない。まだ子供なのに耳が遠くなったか?俺。
──────── B E T A ?
……腹を括るしかない。最早、疑う余地もない。
全ての情報を整合するに……誠に信じがたいが、現実として受け入れるしかないのだろう。
ここは間違いなく、マブラヴの────BETAと戦争している方の世界だ。
もし仮に俺を転生させた神とかいうのがいるとしよう。
チェーンソーでバラバラにしてやりたい。
創作フィクションの物語世界に転生。
なるほど、そういうものもあるのか。
悪くない。むしろ、いい。望むところだ。夢のようだ。歓迎しよう、盛大に。
その物語の世界観が絶望的じゃなければ、だが。
何故、何故に幾千幾万もある物語の中から、よりにもよってマブラヴなのか────ッ!?
確かにマブラヴは好きだ。戦術機、良い、尊い、大好きだ。
アクションフィギュアや模型に手を出してしまうぐらい最高だ。
メカ本だって迷わず購入したさ。アレはイイものだった。
だが、それとこれとは話が別だろう。転生先としては泣いて謝ってお断りしたい世界だろう。
これじゃ俺は人生を謳歌するどころか、この命を桜花のように散らせてしまう可能性のほうが遥かに高い。
我ながら上手く言えてないなこれ。全く笑えない。
この世界に生きている限り、死ぬ可能性からは逃れられない。
生前の平和と言える世界でさえ、俺は事故で死んだのだ。
ましてやこの世界は戦争中だ。この先生き残れる確率の方が低いのでは?
俺は既に一度死んでいる。そして、死ぬ時の感覚も、僅かだが覚えている。
一瞬の衝撃と、一瞬の激痛の後に訪れた、無。
あの言葉では形容し難い感覚。
アレをもう一度味わう?────BETAに食われゆく中で?冗談じゃない。
死にたくない、そう易々と二度も死んで堪るか。
無い知恵絞って、考えてみよう。具体的に死なないようにするにはどうするか。
傍観でもするか?いや、却下だ。
傍観は死を受け入れるのとほぼ同義だ。何故か? それは十中八九、この世界が荒廃するからだ。
オルタネイティヴⅤによってBETAの魔の手から逃れることが出来るのは選ばれた約10万人のみ。
その約10万人に選ばれることが出来れば、生き残れるだろう。だが、その他大勢の人間を荒廃が確定している地球に残して、だ。
なら、逃げるか?
あらゆる手段を用いて選ばれし10万人になり、逃げるか?この星から。
それが、元一般人の俺に出来る最良の選択ではないか?
だが選ばれる根拠なんてどこにもない。
それに今からそれを進んで選択するのは、正しいことか?間違いじゃないのか?
逃亡を選ぶのは、本当にどうしようもなくなった時でいいのではないか?
この考えも希望的観測から来る楽観なのだろうか?
だが、理性でも本能でも、逃亡という行為に対して中々納得がいかない。
……いや、違う。忘れてはいけないことを、忘れていた。
この世界は幾つもの偶然が重なり、一人の少女の強い想いによって
逃亡と傍観は一切の意味を為さない。
なら───もう、立ち向かうしかないじゃないか。
だが、この余りにも過酷で無慈悲な御伽噺に、介入するのか?……出来るのか?一般人だった俺に。
覚悟なんて今はまだあろうはずもない。本格的に体を鍛えたこともない、喧嘩すら碌にした事もない、こんな俺に。
……極めて困難だろう。徴兵されるまでにまだまだ時間的猶予があるとはいえ、到底出来るとは思えない。
確かに前の人生ではそこそこ不幸で厳しい経験をしてきたとは思う。
だが、この世界でこれから経験していく『闘い』と比較するには、俺の前世なんぞ対象としては温過ぎるはずだ。
───戦争。それは想像も付かないほど、俺の持つ常識から懸け離れた事象。
そんなところに自分から飛び込むというのだ。
もし、もし仮に適正が合り、試験で合格して衛士になれたとしよう。
そして更に『白銀 武』が出来たように俺にも上手く戦術機を扱えたとしよう。
それでも俺がBETAとの戦闘で生き残ることが出来るビジョンが欠片も見えてこない。
まだまだ問題は山積みだ。
介入する、と。口でいうだけなら簡単だ。
だが、不確定要素が余りにも多すぎる。
下手な介入をして未来への希望の種を潰してしまいました、ではお話にならないのだ。
だから、慎重にならざるを得ない。
故に余計なことをせずに全てが始まる日、2001年の10月22日まで何もしないで待つという選択肢すら候補に上がってきてしまう。
この世界はアンリミテッドなのか、それともオルタネイティヴなのか。
それすら未だに解っていないのだから。
一体この世界は、どちらなのか?
それは、1998年に日本をBETAに蹂躙された挙句、
1999年の明星作戦においてG弾が投下され、
2001年10月22日に現れた『白銀 武』がどういった存在か見極めた時に漸く解ること。
───つまり、完全に後手。それでは遅い、遅すぎる。
そんな所から介入したって、大局に影響はない。結局、全てが『白銀 武』任せ。
『二度目』の武が現れたと仮定しても、それまでに余計なことをしていれば桜花作戦が失敗してしまうリスクだってある。
ただでさえ甚大な犠牲を出しながら綱渡りの末に成功しているのだ。
妙な刺激を与えれば、綱ごと全てが堕ちるとしても不思議じゃない。
だったら、やはり介入などせずに傍観したほうがいいのではないか?
全てを運に任せ、武が世界を救ってくれることを祈り続けるべきじゃないのか?
───駄目だ。それは断じて選んではいけない選択だ。
俺が余計なことさえしなければ……2001.10.22に『白銀 武』は確実に現れるだろう。
───だが、それが『一度目』の白銀 武ならどうなる?
そう……そのまま俺が何もアプローチを掛けなければ、オルタネイティヴ計画は5段階目に移行する。
そしてその果てにあるのは、G弾の集中運用で生じた重力偏差による───ユーラシア大陸の完全海没と後に残る塩の大地。
────
決して見過ごすわけにはいかない結末を迎えることとなる。
───だから、介入しない訳にはいかない。
日本を、世界を、人類を有利にするために。
『一度目』の白銀武をオルタネイティヴⅣの完遂へと導くために。
───だが、下手な介入もしてはいけない。
日本を、世界を、人類を不利にしないために。
限りなく0に近いが『二度目』の武が現れた時、オルタネイティヴⅣの完遂の妨げにならないために。
……俺はこの両方をこなしながら、2001.10.22の運命の日、白銀武に接触出来る立場に収まらなければならない。
余りにも厳し過ぎる現実に板ばさみされたこの状況。
どう打破すべきなのか?
まだ十年以上先のことなのに焦ってしまう。
考えが纏まらない。方針が定まらない。
どんな行動を起こせばいい?まず何をするべきだ?
最高の、最良の、最低限の未来を確立する為に……俺は一体どうすればいい?
……いや、待て。何かが引っかかる。見落としていたことでもあるか?
────あぁ……そうだ。
……そうだよクソッ!
そもそも、俺に地球の未来がどうのこうのと大局のことを考えている余裕なんてなかったんじゃないか。
何を神の視点で語っている。
己の視点で語れ。
このまま此処にいては、BETAの大軍に飲み込まれて死んでしまう。
俺も。まだ実質半年の付き合いだけど、俺に二度目の生を与え、愛を込めて育ててくれている
死んでしまう。皆、皆、死んでしまう。
ここは、決して遠くはない未来、地獄になる場所。
俺は────自分が九州は熊本に生まれ落ちたのだということを、完璧に失念していた。
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─平和な日常─
1986年8月18日
季節が巡り、年を二度超え、三度目の夏が訪れた。
我が家の庭はコンサート会場と化し、セミのセミによるセミのための大合唱の真っ最中である。
「……せからしか……」
喧し過ぎて思わず声に出してしまった。
尤も、本気で毛嫌いしているわけではないが。
むしろ今の内に、存分に鳴いて欲しいと思う。
────十数年後には、もう聞けなくなるのだから。
……憂鬱だ。
蝉が五月蠅いからではない。
もはや日課となった、幼児の限界を超えた運動という名の鍛錬も、苦に思うどころか楽しいとすら感じる。
酷使され疲弊し熱のこもった体を労わる為に、お子様用ビニールプールでやる水浴び……これもまた極楽だ。
風がそよぎ、風鈴を揺らし、心地よい音色が響き、鼓膜を震わせる。
「……はぁ……」
平和だった────
……呆れてしまう程に。
だからこそ、憂鬱なのだ。
今この瞬間も大陸では地獄のような戦闘が行われているはずだ。
だというのに俺は日常の中に居て、そこは穏やかさで満ちていて。
10年後に西日本が壊滅するなんて────まるで、嘘のようで。
プールから立ち上がり背後に視線を移してみると、家の中で父と母がまったりとスイカを齧りながら和やかに会話をしている。
纏っている雰囲気からは、焦りや不安といった負の感情は一切読み取れない。
この日常が壊される事無く、いつまでも続くと思っているのだろうか。
その思いが届く事は、ない。
────目を閉じて、記憶を引き摺り上げ、現実と照らし合わせる。
世界情勢の大きな動きで、公の場に晒された情報としては────欧州でECTSF計画のゴタゴタがあった。
日本に住んでいる俺には無縁だが……記憶と現実が合致した。
そして肝心の大陸のほうは、統一中華戦線の誕生か。歴史的な和解になるらしいが、それも個人的にはどうでもいい……そしてこれも、合致。
米国でF-16の配備、各国への売り込み開始。これもF-15が採用される日本には関係がない。ちなみに、F-15は去年配備開始だ────どちらも、合致。
時期のずれ等は、一切ない。
つまり────このまま時が過ぎていけば必然、ここまでBETAは辿り着くのだろう。
敵情────俺が生まれた時点で、ハイヴナンバー、01~08が建設済み。
自我が安定した1984年にイラク領アンバールにH:09……ここがBETAの中東戦線における前線基地となる。
同年、ソ連領ノギンスクにH:10。ソ連はこれ以降も国土を蹂躙され、最終的にエヴェンスクまで後退することとなる。
去年、1985年。ハンガリー領ブダペストにH:11が建設開始。その後、一年かけて更に戦線は後退する。
そして……今年、フランス領リヨンにH:12が建設────コレが、
つまり、BETAのこれ以上の西進は、ない。欧州の戦力がそれを許さない。
そこには文字通りの
だから次は───東進だ。
父さん、母さん……日常はそんなに長く続きそうにないよ。
俺が2度目の生を受けてから2年と半年。
1歳の誕生日より今日に至るまでに1年と半年が経過した。
その間に新しく入ってきた情報は、今後の行動方針を決定付けるのには十分すぎるものだった。
どうやら────俺は、権力やコネとは無縁の家に生まれたようだ。
勿論、幾つか想定した事態にこの状況はあった。
あったが……実際にその事実を突き付けられた時の落胆は凄まじいものだった。
両親の家柄、土地、職業、親族、全てに置いて権力者との繋がりが見られなかった。
これは俺がこの先、大規模な介入を行うことが出来なくなったということに他ならない。
大きなことを成すためには、大きな力が必要だ。
その力を直接持っていなかったとしても、力を持つものと繋がりさえあれば助力を請うという方法もある。
しかし、その繋がりすらもない状態からの開始となってしまった。
勿論、極めて過酷で険しい道程になるだろうが、作ろうと思えば作れる。
ただどうしてもそれ相応の時間というものが掛かってしまう。
一般人の軍への入隊は15歳からだ。
義務教育終了後に志願して訓練をこなし、一度目の総戦技演習で合格する。
これがモデルケースが一般人である場合の、最速での任官への道。
ここまでやって漸く、俺はゼロからのコネ作りのスタート地点に立つ事が出来る。
だが……BETA本土上陸時、俺はまだ義務教育すら修めきっていない14歳と半年のガキでしかない。
つまり、例え天地が引っ繰り返ろうとも俺はBETA本土上陸に対して大規模なアプローチを掛けることは出来ない。
俺はその時点で、未来の情報を最大限活かすことの出来る立場にいない。
発言に力がある訳もなく、後押ししてくれる人も居らず、故に耳を傾けてくれる者などほとんど出てこないだろう。
戯言、世迷言と切り捨てられるのがオチだ。
絶望の二文字が頭を過ぎる。
────
権力が、地位が、コネがあれば……ついそういう無い物ねだりをしてしまう。
何とも情けない、みっともない行為だ。不毛極まりない。
だから、元よりそんな都合よく権力やコネのある家庭に生まれるほうが異常なのだと、そう考えろ。
「……はァ────」
俺は気分を落ち着けるために結露が起きたコップを傾け、キンキンに冷えた麦茶を喉に流し込み、不安と一緒に飲み干す。
……滞ってしまった思考を前に進めなければならない。
1998年夏の大侵攻への対策は間に合わないという事実は、悔しいが一先ず受け入れよう。
その上で、何かできる事を模索しなければならない。
だが、答えなど一つしか無い。
三十六計逃げるに如かず、だ。
闘えないならば、死なないためにも、何より闘う者の邪魔にならないためにも逃げるのが賢い。
故に無力な民間人である俺に許された選択肢は、もう逃げの一手しかない。
しかし、不可解だ。なぜ3600万人もの死者が出てしまったのか。
疎開令が行き届いていなかった?馬鹿な、あり得ない。
去年の事だ。
帝国政府がオーストラリア・オセアニア諸国と経済協定を締結し、西日本が戦場になった場合を想定して主な生産拠点をそれぞれの国々へと移し始めたのを改めて確認した。
これは、
つまり……疎開は1985年から既に始まっていたということになる。
それならば10年後に、西日本の住民に対して疎開しろという政府の訴えかけが情報として渡り切っていない訳が無いのだ。
確かにそういった問題とは別に、疎開しろと言われて、はいそうですかと応じる訳にはいかない。
生活と言うものがあるのだ。今の生活を手放せと言われているのと同義だ。だから易々と頷けない。
だけど、戦場になる可能性があります、と言われて残るだろうか?
既に滅ぼされた国があり、難民が大量に発生しているという現実が確かにあるこの世界で。
生活云々の前に、自分達が死ぬ可能性があるというのに。
……BETAに蹂躙されて、無様に死ぬかもしれないということなのに。
「……俺なら、真っ平ゴメンだけどな」
恐怖すら覚える。
これは俺が悲惨な未来も、BETAの醜悪なフォルムも知っているからこそ沸いてくる恐怖心なのだろうか。
BETAの情報は一般大衆に対して秘匿されているから、恐怖感、現実感が沸いてこないということもあるかもしれないが……。
────いや。やめておこう。
何にしろ、3600万人というあの死亡者数は逃げろと言われて逃げなかった人間の数字だ。
つまり死んだヤツらはBETAを過小評価した、または日本帝国の力を過大評価してその場に留まったということ。
判断ミスによる……自業自得。
そんな顔も知らない何千万人がくたばろうが、心を痛めることも、無い。
どうでもいい。所詮は他人だ。
俺にとっては有象無象。そう思い込んでおけばいい。
自分と両親を守る事が出来れば、それでいい。
俺の手は……そんなに広くも大きくも、無いんだ。
3600万もの人達の命を救うことの出来る方法なんて無い。
だから、BETA本土上陸に対する基本方針として────自分たちの生存を、最優先とする。
「────……ッ」
喉に酷い渇きを感じ、再びコップを傾けて残っていた麦茶を勢いよく飲み干す。
いつの間にか氷が解けて、味が薄くなっていた。
見上げた空には雲一つ無く、ギラリとその存在を主張する太陽からは夏の強い日差しが降り注いでいた。
BETA大戦がその舞台を地球に移してから、環境破壊による異常気象が問題化しているらしい。
その影響で、陽光が肌に突き刺さるような気がするのか────。
────それとも……お天道様に、後ろ向きで斜に構えた内心を指摘されているのか。
嫌な汗が滲む。いよいよ日差しが辛くなってきた俺は、空になったコップを持って子供用プールから立ち退いた。
無力感から逃げるように。
体を拭いて家に上がり、台所に入る。
常備してある俺用の足場に昇って、コップを流しに置く。
そして両親に昼寝をすると伝え、寝室の布団に仰向けになって腹にタオルケットを掛け、目を閉じる。
いつもなら、子供特有の睡眠欲求が襲ってくるのだが……どうやら、睡魔はバカンスにでも出掛けたようだ。
昼寝はもはや習慣になっていたのだが、それほどまでに考えすぎた頭が煮えたぎっているのだろうか。
それでも横になっていれば眠りに落ちるだろうと考えて、眠気が来るまで大まかな今後の流れをまとめてみようと試みた。
まずは、避難。
避難先の確保、避難のタイミング、避難先での生活レベルの確保など、考慮すべき点が幾つかある。
初めに避難先だが、身を預けれそうな親戚が2箇所に居るのを確認出来ている。
一方は沖縄。もう一方は茨城。
前者が母の、後者が父の実家とのこと。どちらも全く連絡を取っていない親不孝者だと笑っていたが。
駆け落ちではないだろう……実家が離れすぎである。元々、親との折り合いが悪かったのだろうか。
去年にこの話を知った時、よく二人は巡り会えたな、と本気で感嘆した。
……脱線した思考を正す。どちらも1998年に起きる、夏のBETA大侵攻から連なる撤退戦……それを免れる事の出来る場所であることは幸いだ。
どちらかに両親と逃げる事が出来れば一つ目の山を越す事は出来る。
次にタイミングだが……これはある程度の時間的余裕を持てれば、ぶっちゃけると何時でもいい。
それこそ、1998年に入ってからでも十二分に間に合う。
故に特別急ぐような事ではない。早いに越した事もないだろうが。
問題が、避難先での生活レベルの確保だ。
こればかりは低下を避けられないだろう。だが可能な限り低下を和らげたいところだ。
国土の半分以上を失う事になる故に贅沢なんて言ってられないのだが、両親に辛い生活を強いりたくは無い。
だとすれば、やはり兵役に就き、危険な任務を遂行することによって発生する特別手当も考慮すべきか。
しかし父、不破 俊哉は既に徴兵期間を終えている。
徴兵制が復活したのが1980年。
衛士になりたかったらしいが適正が無く、3年を整備兵として訓練したらしい。腕は悪くなかったとの事。
そして今、兵役義務の代替である社会福祉の公務についている。詳しくは聞いちゃいないが……難民関係だったはずだ。
整備兵としての腕も買われているようで、技術力の維持やアップデートの関係で陸軍や斯衛の方にまで出張する事があるとか。
まぁでも、現場レベルの話らしい。政治的な話にはてんで疎いのが我が父だった。
戦況が切迫すれば再度徴兵されるようだ。と言ってもそこまで切迫する時期には40近くで適正年齢ギリギリ、仮にされたとしても過去に経験のある整備兵だ。
最前線に出されることはないだろう。
母、不破 涼子は既婚女性なので初めから徴兵対象外だ。
父と同じく、社会福祉の関係者だ。
つまり、危険な箇所に配置される可能性が高いのは俺だけになる。
両親からすれば我が子だけが徴兵されるのは辛いだろうが、そこは我慢してもらい、比較的安全な所で暮らしてもらう。
その後は、どんな形でもいいから徴兵の際に横浜基地に所属できるように動き、2001年10月22日まで生き延び、白銀武と接触してその存在を見極める。
雌伏の時と言うヤツだ。この間に出来うる限りの"仕込み"をする。
二度目の武の邪魔にならないようにしつつも、一度目の武のフォローにも回らなければならない。
……これら徴兵からの流れについてはまだ詳細の構築に至っていない。
時間を掛けてじっくり練っていきたいモノだ。猶予はまだまだある。
持っている情報を可能な限り出し切って有効活用し、予備案も可能な限り細かく何重にも張り巡らせたい。
最低限の未来────オリジナルハイヴ攻略へと続く流れを確保する為に。
ここまでは、俺にとっての義務だと思っていいだろう。
何せ、やらないと人類滅亡なんて冗談のような現実が待ち受けているのだから。
また流れの確保が出来た上で余力があれば、それを維持し、且つ要所要所で状況の改善を望めそうなら……可能な限り開拓していく。
それは
そしてその末に、オリジナルハイヴを攻略してしまえば、終わりだ。
日本からはBETAは駆逐された。
人類側は有利になった。
白銀武と鑑純夏は結ばれ、ループの束縛は解かれる。
そこまで来てしまえば、俺はお役ご免だろう。
これが、俺にとっての終着点。ゴールだ。
後は……香月夕呼博士に丸投げしていいと思う。
きっと残りのハイヴも何とかしてくれるだろう。
────何とも情けない、他力本願だった。
「……いっそ……」
いっそ、英雄症候群のような精神異常者なら……あれこれ深く考えずに、楽に生きられたのだろうか。
お誂え向きに、衛士という解りやすい職業だってある。
戦術機に乗り込み、BETAを駆逐し、英雄になってやるのだ、と。
正直……格好良いとは思うのだ。心の底から、そう思ってる。
「……そういや、今日は────F-4J改 瑞鶴と、F-15イーグルのDACTの日か」
流石に中継はないだろうが、結果次第では後々映像が出回ることもあるだろう。
────まぁ、その結果は知っているんだが。
改造機とは言え第一世代の機体と、次世代で最強の座を獲得する事になる機体との異機種間戦闘訓練。
普通に考えたらF-15に軍配が上がる、勝敗の決まったつまらない戦い。
しかしこの戦いは事実上の代理闘争だ。
F-15を売り込み、あわよくば主力機の座そのものを奪いたいマクダエル・ドグラム社と。
それに対する、純国産戦術機を諦めない帝国兵器産業との。
帝国側には─────つまらない、故に、張り通すべき
それに答えたのが、瑞鶴の首席開発衛士────巌谷榮二。確かこの時は大尉だったはずだ。
旧式機が、最新鋭機を、技術・経験・心理……使えるものを総動員して下馬評を覆し、仕留める。
斯くして、次期主力機の純国産開発は、首を繋げる事になる。
あぁ……憧れるよな。
戦術機。衛士。瑞鶴。斯衛。
────だからこそ。遊びじゃないからこそ。
熱にうかされて、なりたいなんて思っちゃ駄目だ。
迂闊にその道に進んだヤツには……
そんな取り留めの無い事を考えていると、待ち侘びた眠気がようやくやって来た。
ふと────死の八分なんて言葉を思い浮かべたせいだろうか。
眠りに落ちる時の感覚は、死ぬ時の無限に堕ちて行く感覚と似ているんだな、と思った。
あの深くて冷たい暗い闇に沈んで、全てが無に返っていく感覚。
けれど、あの時とは違って闇は暗くて深いけど、暖かい。
そしてまたちゃんとこっちに戻ってこれるっていうのが、理屈じゃなくて解る。
きっと何時もの様に一、二時間で母が起こしに来てくれるのだろう。
あの時、この世界に生れた時と同じように、俺を深い闇から掬い上げてくれる。
敬愛してやまない父と母。
感謝を。
新たな人生を、健やかに、毎日の生活を与えてくれていることに、感謝を。
目が覚めたら夕飯になるだろう。
確か母さんが今日は素麺だと言っていた。楽しみだ。
暑い日が続くから、きっと美味しく頂けるだろう。
3人で囲める食卓が
その後は父さんと風呂に入る。
毎回嬉しそうに水鉄砲を撃ってくるのはそろそろ簡便してほしい。
うん……そうやって日々を刻んでいこう。
いいと思う。今は、まだ。
まだBETAは来ない。
まだ日常は終わらない。
だから今だけは、この一時の平和を噛み締めていこう。
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─未知との遭遇─
1987年4月1日
名前というのは、人生において非常に大切なものだと思う。
かつては幼名や諱のような文化もあったが、現代では生まれたときに付けられたものと一生付き合っていくというのが一般的だろう。
それはとても掛け替えのないもので、色んな思いや願いを込められて託されるもの。
だというのに前世では通称DQN……もといキラキラネームと呼ばれる、「知ってる?改名って家庭裁判所で出来るんだよ?」と余計なお節介を焼きたくなるような、酷い名前を付けられる場合もある。
いや……訂正しよう。この世界のどこかにも恐らく、あったりするのだろう。多分。
そうは読まねぇだろ、という振り仮名が振られている、
漢字のチョイス、頭ハッピーセットかよと罵りたくなるような、
読み方が解らなくて嫌な思いをするのは珍地名だけで十分だろうに。
無難でいい。奇を衒わなくていいのだ。人名なんてものは。
個性が出るのと、悪目立ちするのは、全く違う別物なのだと。
心の底からそう思ってる。
だから────まさか自分自身の名前が、
今朝、両親が買い物のために外出した。俺抜きで。
連れていかれる予定だったが、一人で留守番をしてみたいと試しに言ってみると二つ返事でOKを貰えたのだ。
普段から年不相応に落ち着いているのを見せられているせいか、両親の判断基準がブレているような気がする。まぁ、結果オーライだ。
しかしそういう主張をしてみた割に、特にやりたい何かや特別な理由があって居残った訳ではない。家の中で、一人になれる時間が欲しいと漠然と思って行動しただけだった。
何より────子守から解放されて夫婦水入らずで過ごせる時間というのは、母親のストレス軽減に繋がるという見解がある事を知っていた。
健やかな家族関係を維持したい俺は、そういう気配りは欠かせなかった。
という訳で、特別やる事というものがないのだ。学習、運動、情報収集はしっかりと時間を取って継続的にやっている。
手持ち無沙汰に悩んでいると、ふと俺は未だに自分の名に宛がわれた漢字を知らなかったな、と思い至った。
うん……いやぁ……よくもおよそ3年半もの間、知りたいとも思わず、知ってしまう事もなく過ごせたな……と、我ながら呆れるばかりだ。
だが今までは、正直なところ興味がなかったと言うか、優先順位が高くなかったのだ。
勿論、
3歳半の子供が絶対読まないような難解な本や資料を読んだり、年齢不相応な運動や鍛錬をするときは徹底して親の目の届かないところでやってきた。
注意深く、周囲に気を配りつつ、だ。
名前を漢字で書けるという、早熟アピールが不要であったが故に、知ろうともしなかった。
だからこそ、今回は良い機会なのだろう。一度湧いた興味は止められない。
思い立ったが吉日という言葉もある。
俺は家宅捜査を即断即決し、そして────。
────正に、今。
俺は両親の寝室にあるタンスの前で打ちひしがれていた。
手に握るは母子健康手帳。
当然、表紙には俺の名前が記載されている訳だ。
そこには、四文字でこう書かれている。
【
「Oh……」
手帳が手から零れ落ちる。
思わず欧米的なオーバーリアクションで天井を仰ぎ、目を両手で覆い隠してしまえば、宙に放り出された手帳は必然そうもなろう。
衝撃的なものを見てしまった。逃避が必要だったのだ。
あぁ────今日はエイプリルフールだったな。
大正時代から続く由緒正しい行事である。当然、
しかしそれにしても……随分と質の悪いネタじゃないか……四月馬鹿特有のジョークとはいえ、コイツはキツイ……仕込みだよな?これ。ハ、ハハ。
そんじょそこらの怪談話なんて目じゃねぇぞオイ……嫌な汗が止まんねぇんだがよ……。
しかし……だがしかし。一度だけなら誤射もとい、目の錯覚ではないだろうか?
勇気を振り絞ってもう一度確認してみるべきでは?
深呼吸し、一拍置く。
俺は決意し、再び手帳を拾い上げた。
【
「
なんという……。
なんということでしょう……。
これが俺の名前に当てられた漢字だというのか。
神は死んだ。悪魔が微笑む時代だ。
とんでもなく酷い漢字チョイスだ……。
ある意味DQNネームより困ったモノだろう、これは。
こいつは俺、間違いなく学校とかで馬鹿にされそうじゃないか?ガキって思慮足りないし容赦もないし。
確かに……おかしくはない。常用漢字だし。響きもいいし、何よりエイジと読める。
前の世界でなら衛士と書いてエイジと呼ばせるのも、特に問題はなかっただろう。
というか実際に存在もしていた。歴史に名を残す人で、そういう名前の人が何人かいたのを覚えている。
けれども、だ……この世界でこの二文字が意味するものは、
人類の盾にして剣たる、選び抜かれた誉れ高き兵士達の名だ。
そういえば父は徴兵時に衛士適正ナシと判断されており、泣く泣く戦術機と携わることが出来る整備兵になったというエピソードがある。
この名前を付けた理由としては、息子に夢を継いで欲しいと言った所だろうか?
新生児に付けられる名前というのは世界や国家────そして、
俺はその風俗習慣の一環を、我が身を持って体験させられてしまったとでも言うのか。
それにしても職業の名前をそのままつけるのは流石にどうなんだよこれ。
端から捻る気なんて毛頭もない、ド直球ネーミングだ。
困り果てて頭痛がしてきた。
「……あがー……」
将来、ウサミミESP娘が呟くであろう呻き声を発しながら頭を抱える。
……このネーミング、両親が狙ったのだろうか?
似たような漢字構成で不殺と書いて殺さずとか読むのをとある剣客漫画で見かけた。
ならば不破と書いて破れずとでも読んでみようか。
なるほど、涙が出るほど完璧である。有り難くない事に。
死の八分を名前のご利益だけで突破できるのではないか、というプラシーボ効果が期待出来ちゃいそうなほどに素敵な名前だ。
ああ、衛士になれればの話だけどな。
まだなれるかどうか一切解らない段階だろうって話だ。
というかこの名前で衛士適正検査弾かれてみろ。赤っ恥なんてものじゃないぞ。それこそ改名ものだ。
そもそも、あの検査は努力とかそういったものを超越したところで適正が決定されていたような気がする。
一体何が要因となって適正があると判断されるのか謎だ。異常に優秀な三半規管? 尋常じゃなく突出した空間認識能力? さっぱり解らん。
どうせ後々徴兵される時に衛士適正検査は避けられない。だから適正があれば儲けもの程度に思うのが賢明か。
その結果次第では、衛士になるという選択肢が俺の前に広がる一つの可能性としてあるだろう。そのぐらいの認識でいい。
忘れられがちだが衛士というのはエリートコースの一つ。歩めるならば歩んでみるのもいいだろう。
俺の目的達成のためにも、階級が上がりやすいのに越したことはない。
だが、その道は極めて法外なチップを要求されるのを決して忘れてはいけない。
掛け金は俺の命。そしてオッズは大穴もいいところ。なんてデンジャラスなコースだろう。
BETAに貪られて二階級特進なんぞ御免被る。
お父様、お母様。そんな茨の道を、積極的に歩めと仰いますか?
二人が帰ってきたら必ず、どういった経緯でこんな名前をつけたのか、問い質してやるのだ。
俺は決意を胸に居間にて両親を待つことにした。
「まぁ────夕方まで、帰ってこないんだが」
息巻いて握った手帳を持ったまま居間に来たのがいいが、再び手持ち無沙汰になってしまった。
……スーパー尋問タイムまでまだまだ時間がある。
さて、どうするか。特別することもない。
既にこの年齢で出来そうな鍛錬は一定量、継続的に行っている。
本格的に兵士の体を作るようなトレーニングは、流石に余りにも早すぎる。
こんな時期から無茶をやって体を壊すのも莫迦らしい。
体を労う事も鍛錬の内、というヤツだ。
だったら脳のトレーニングでもするか。最寄の図書館なら集中して勉強が出来る。
しかし、留守番を仰せ付かった身としては外に足を運ぶ訳にも行かないか。
なら家の中で……と思ったが、これが無理なのだ。今この家に存在するその手の類の書物など既に手垢がつくほどやり尽くした。
片っ端から読み漁った。整備士だった父が拵えたであろう戦術機の整備ノートのようなものすら。
知識だけなら第一世代機の整備工程を理解出来てしまいそうなレベルで、
……時間は成るべく有益に使いたいところなのだが、時には怠惰に過ごしてみるのもいいだろうか。
と言っても、時代や世界情勢のこともあり、中流家庭の我が家にある娯楽なんぞTVやラジオがいいところである。
80年代ということもあって、ネットのような上等なものは当然ない。
将来的に普及する可能性についても、あまり期待しすぎないほうがよいだろう。
この世界では当分の間、TVとラジオが大衆にとって最も馴染み深い娯楽家電となるだろう。
まぁ俺の場合はその二つに新聞を加え、情報収集としての意味合いで使うことの方が圧倒的に多いが。
政治、軍事、世界情勢……調べなければいけないことは依然として数多ある。
歴史の流れはある程度把握してる。だが逆に言えばある程度でしかない。圧倒的に空白の時間が多いのだ。
それを埋めるためには多種多様な情報を集めざるを得ず、娯楽に費やす時間はそうあるものでもない。
ただ最近始まった国営放送のラジオドラマ「いつか君と…」。
これだけは毎週欠かさず、純粋に楽しむために聴いている。
このラジオドラマは衛士と整備士の恋物語だ。こいつが中々面白いのである。
まぁ父曰く、整備というのは激務であって衛士と恋愛する暇があるならその時間で体を休めて作業効率を上げた方がいい、とか夢もヘッタクレもないことを懇切丁寧に教えてくれた。
その直後、希望を打ち砕くような教育に悪い情報を与えるなと母からキツくお灸を据えられていたのにはちょっと同情した。
けど残念だ。今日は「いつか君と…」の放送日じゃない。
この時間だと他に何かやってるだろうか。チャンネルを回し、周波数を弄る。
『それでは明日の天気図です……』
「……まだニュースがやってるだけマシだと思っておくか」
情報集めの時間だ。
さて、何か目新しいことはないものか。
今年に入ってから政治関連でのニュースはいくつかあったが、肝心の軍事関連はさっぱりである。
F-15が技術検証という名目で今年中に試験導入されるはずなのだが、機密やら何やらに引っかかっているのか動きが全く見えない。
まだ4月に入ったばかり……今年の半ばすら過ぎていないが、それを考慮しても何らかの情報は既に流れていておかしくない。
大して有益な情報でないと判断されたのか? 確かに放送で国民に伝えてどうなるといった類の情報ではないが……。
何はともあれ早く耳に入れたいのである。そうなる、と解っていても確認しないと気になってしまうのだ。
出来るだけ早急に続報が欲しい。
しかし軍事関連と言えば去年の日米合同演習だ。中継こそなかったが案の定、記録映像をニュースで流してくれた。
TV局、有能である。やってくれるものなんだな。
そのおかげで巌谷大尉の活躍を、画面越しとは言えこの目で見ることができた。
やはり性能で劣る機体で格上の機体相手に、腕の差で勝つというのは胸に込み上げてくるものがある。
それにあそこで負けていれば純国産機開発の道が絶たれていた可能性は極めて高い。
あの一勝は日本帝国にとって、とても価値のある一勝だった。
『続いてのニュー……去年……れた……次期主力戦術機選……国防省は……』
……噂をすれば何とやら。TVに感あり。
ニュースキャスターが興味深い言葉を放ってくれた。タイミングが完璧である。
これで漸く技術蓄積が足りずに停滞していた不知火の開発が進み始める訳か。
でも、そこまでやっても結局は拡張性の確保までには至らなかったんだよな……。
こればかりは日本の技術力が純粋に足りなかったからで、俺にどうこう出来ることでもないから仕方ないが。
俺一人がどうこうしたところで、技術力の底上げなんて出来るわけがない。
それは、ただ只管にトライアル&エラーの繰り返しをすることでしか解決出来ない、とても尊いものだ。
これから富嶽、光菱、河崎の三社はF-15のライセンス生産で技術力を蓄積させ、そして見事に不知火を作り上げる。
だから結果が解っていたとしても、今は純国産機開発への第一歩が始まったことに喜んで───。
『────本日付けで
「────────────────────────は?」
……何つった今。
ちょっと待て。
F-15と────
何故、F-16まで!?
待ってくれ、意味が解らない。知らない、俺はそんなの知らない!
試験導入?何故だ、そもそも最終選考に残っていたのはF-15とF-14だろ。
なのに何故ここでF-16の名前が出てくる?
どういうことなんだ……何で、こんなことになってる!?
『────比較検証トライアルの結果を熟慮した後に実戦部隊へと引渡される模様です。今回の余りにも迅速な実戦運用の流れは、激化するBETAの東進を危険視した国防省の────』
───待てよ、待ってくれ!
有り得ない、もうこの段階で既に実戦部隊引渡しが確定しているだと!?
初めは技術検証目的だったはずだろ────ッ!!
ギシリと、TVに押し当てた両手が軋む。
────動揺のあまり、興奮して無意識にTVに掴みかかっていたようだ。
「……畜生ッ!何なんだよ、これは……!」
頭がおかしくなりそうだ。悪夢だ……悪夢であって欲しい……けれど、想像以上に力を入れてしまっていたのか両手が痛む。
……紛れも無い、現実なんだな。
認めたくない、これを認めたら、俺はこれからどうすればいいのか解らなくなる。
「───ッ……何、取り乱してんだ……」
頭を冷やそう……まずは一度落ち着いて自分の知っている───いや、
日本は停滞した国産機開発のために技術検証の名目でF-14とF-15から後者を選抜し、12機を試験導入。後に技術格差を目の当たりにして188機を追加受注、最終的には予定調達機数を絞って120機のF-15を配備することになる。
……蓋を開けてみればどうだ。
実戦部隊引渡し前提でのF-15とF-16の比較検証トライアルがこれから始まる?
俺の知っているオルタネイティヴ、アンリミテッドの歴史にはこんなことはなかった。
F-15Jしか存在しておらず、F-16なんて影も形もなかった。
第一、F-16は次期主力戦術機としてエントリーすらしていなかった……していなかった、
確かに、時系列的には矛盾はない。F-16は去年に米国で実戦配備され、それと同時に他国への輸出を精力的に行った。
今この段階では特に居座古座も起きておらず、イデオロギー関連で両国────日本と米国の関係はまだ良好の範疇だ。
F-4導入時に欧州の戦況悪化で、後回しにされたことを根に持ってる層は少なからずいるが、深刻という程ではない。
だから日本帝国の生産ラインを巻き込んで、F-16の絶対数を早急に増やしたいという目論見が存在するという可能性自体は、別に不思議ではない。
しかしまだ1年しか経っていないのにこれは異常な速度だろ? 余りにもトントン拍子に事が進み過ぎている。
一体いつから水面下で調整していたというのか。
頭が突撃級の前面並に硬いエセ国粋主義の老害だって相当いるはずのに。
───いや。もっと根本的な問題に注視すべきだ。
そもそもこの歴史じゃ、オルタネイティヴ、アンリミテッドが始まる未来へと────
「……待てよ、おい、まさか……」
そう。オルタネイティヴでもアンリミテッドでもない。
似て非なる未来、全く異なる未来へ繋がる歴史を辿るというのなら。
「……そんな、嘘だろ……ッ」
怖い。震えが止まらない。
「────だとすれば、この世界は」
どうしてこうなるのだろう。
俺のような異分子が紛れ込んだせいなのだろうか。
今回のことは単なる予兆に過ぎないとでも言うのか。
そして、これから更なる未知の深淵へと突き進んで行くのか。
この世界は……オルタネイティヴやアンリミテッドの過去を基にしながらも、既に道を違えてしまっていた────。
「───────
俺の切り札であるはずの『未来情報』が、単なる『正史の歴史』に変わった瞬間だった。
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─微熱×考察×憂鬱─
1988年7月7日
脇から抜き出した体温計が、無情にも自分が微熱を発していることを示す。
「あー……はい、父さん」
朝、目覚めた時に熱っぽさと倦怠感を覚え、もしやと思って計ってみれば案の定。
見紛う事無き、風邪による発熱の症状である。
健康には気を使っていたつもりだが、まさかこんな初夏に拗らせてしまうとは……何たる不覚。
「……うーん、完全に風邪だねこれは」
そう言って父───不破 俊哉が困ったように眉をひそめた。
格別、風邪の症状が酷いということはない。常備してある薬を飲んで寝ていれば治る、医者に見せる必要がない程度のモノだ。
困っている要因は別にある。今日はどうしても、外せない仕事が両親共にあるとの事。
いくら息子が年齢不相応に落ち着いている事を理解していても、風邪で寝込んでいるのを放置して仕事に出かけるのは心苦しいようだ。
「パパ?エイジの調子はどう?」
「三七度三分。微熱だね……心配しすぎることもないだろうけど……どうしようか」
母───不破 涼子が俺の部屋にひょっこりと、これまた父と同じく困ったような顔をして現れた。
「……エイジ、本当に看病しなくていいの?お仕事は休むことだってできるんだよ?」
看病をしてくれる、という提案は既に何度か断っている。
気持ちは涙が出そうなぐらいに有り難いのだ。
だが俺とて社会に出て荒波に飲まれたことのある人間。
しかも両親の仕事は社会的……いや、世界的な問題となっている難民と密接に関わる内容だ。
そんな大事な仕事をキャンセル、または急遽他人に押し付けるということのマズさは理解できているつもりだ。
だから甘えてなどいられない。
仕方ない……このとっておきの奥の手は、隠しておきたかったんだが───。
「大丈夫、今日は薬飲んで大人しくしてるから。父さんも母さんも────お仕事頑張ってね!」
必殺。
「~~~~~~ッ!よぉし!パパお仕事ガンバッテ早く終わらせちゃうぞー!!」
「~~~~~~ッ!マ、ママも頑張るからね!ちゃっちゃと終わらせてすぐに帰ってくるから!!」
尊過ぎて悶え死にそうなところをガッツで復活し、出勤していく両親。
とても愉快で元気な保護者だった。
「……ふぅ。約束通り、大人しくしてるか」
やせ我慢等ではなく、実際に倒れ伏すほど酷い体調ではない。
ただ、どうにも微熱がすぐに引いてくれそうな感じでもない。
両親が出勤したのを確認した後、母が作り置きしてくれた粥を啜り、風邪薬を飲んで寝床に戻ってきた。
後は布団に潜って惰眠を貪り、回復に専念すればいいだけ。
だけ、なのだが───。
「……いいかげん、向き合わないとな……」
発熱で茹で上がった脳みそで思考する。
ここ一年での状況の変化。
少しずつ広がりを見せる、
気怠い身体に鞭を打って、部屋の隅に束ねて置いてある新聞を引っ張り出す。
それぞれの一面を再確認していく。
『F-15、F-16比較検証トライアル開始』
忘れもしない去年の出来事。
本来なら有り得るはずもない闖入者が出現し、既知の未来へと続く歴史を粉々に砕けて散った。
コイツはその時の記事だ。
この出来事から数カ月間は特に何事もなく過ぎ去っていった。
───トライアルの結末までは。
『比較検証トライアル終結。軍配はF-16へ』
手に取った別の新聞の一面にはデカデカとそう書かれている。
そう……トライアルにて勝ち残ったのはF-16ファイティングファルコンだったのだ。
本来ハイ・ローミックスの
だが兵器において重要なのは単純な性能だけではない。
コストパフォーマンス。所謂、費用対効果。ぶっちゃけると金だ。
F-16はその観点から見るとF-15を圧倒していた。
そして代替対象であるF-4ファントムと比較した場合の性能差も十全に確保されている。
最新技術の塊は伊達ではなかった、ということだ。
紙面に載せられた情報を読み取る限り、そこらへんが明暗を分けた……らしい。
何はともあれトライアルは正史を大幅に覆し、F-16の採用と言う劇的な展開で幕を閉じた────。
「────って訳には、いかなかったんだよな……」
次の新聞を手に取る。
日付は一週間前。
『国防省、F-15追加導入を決定』
コイツだ。
想像を超えた、更に上。
結局、国防省は
正史に於いて日本帝国の戦術機割合は、第一世代の撃震と第三世代の不知火に大きく偏っていた。
F-15J陽炎────中間層にあたる第二世代機が薄かったのだ。が、この世界ではそれが解消される形となった。
しかも運用されるF-15Jは正史と同じ程度の調達機数────一個連隊相当になる見通しらしい。
加えて、トライアルで正式採用を勝ち取ったF-16Jの調達機数は、コストパフォ-マンスも相まってそれを上回るであろう事は明白だろう。
「……一体……何がどうなってこうなったんだか……」
帝国軍は、此度の件についてどういった目論見があったのだろうか。
一連の行動の方針は、一体何だ。
「……撃震───第一世代機の最前線からの早急な排除……か?」
撃震は悪い機体ではない。十数年に渡り、最前線で戦い続けた紛れも無い名機だ。
とは言ったものの、第二世代戦術機の台頭によって分類上は既に旧式扱いだ。
設計思想から時代遅れとなっているのは明確な事実。
それに加え、耐久年数の問題も浮上してくる。
安価、信頼性が高いなどという長所に目を向けず、短所を上げてみると中々に問題が積もっている。
そんな機体に近代改修を加えつつ使い続けたとしても、やはり限度がある。
これに関しては正史にて開発された概念実証機「F-4JX」が全てを物語っているだろう。
XM3の搭載、OBLの実装、アビオニクスの刷新……。
もはや撃震と呼称することすら違和感を覚えるほどの大改修を経てそれでも尚、2,5世代機相当の性能しか発揮出来なかったのだ。
それがこの機体、撃震の限界。だが、第二世代であるF-15やF-16をベースにそういった近代改修を行えばどうか。
特にF-15は現存する戦術機でも群を抜いて拡張性に優れる機体。その上限は計り知れない。
こうやって考えてみると撃震に見切りをつけた、というのはあながち外れてもいないか?
その結果として、F-15JとF-16Jは共に採用された。
……駄目だな。今ひとつ、自分で納得しきれていない。
これを主軸としたいのなら、F-16Jだけで事足りるというか……
第一線にいる撃震はとんでもない数になる。
F-16Jより値が張るF-15Jの採用は軍費を圧迫し、撃震の代替機としてF-16を大量投入するためにはネックとなってしまう。
となると、やはりF-15JとF-16Jを
「────双方からベクトルの異なる最新技術を抽出・蓄積し、不知火へと注ぎ込む────」
この線が濃厚だろうか。
そいつを主軸に据えた上で、不知火の開発・配備までの繋ぎとしてF-15JとF-16Jを第一線に配備し、撃震を可能な限り後方に退かせる。
筋としては、こちらのほうが通っているか。
だが、それはそれで新しい将来的な問題が大量に出てくる。
財源、戦術機メーカーとの関係、それによるXFJ計画への影響。
これらによって生じるであろう今後の歴史改変……ダメだ、もうさっぱりだ。全く予測がつかない。
余りにも複雑に絡まりすぎている。俺には到底、想像すら出来ない。
「……頭が頭痛で痛くなってくるな……」
明らかにおかしい日本語を呟いている自覚はあるが、。
胡座を崩してフラフラと立ち上がり、布団に身を投げる。
このまま瞼を閉じて睡魔に身を委ねたい。
そして目が覚めた時には全てが正史通りになっていればいいのに。
「……駄目だっての……頭を切り替えろ、俺」
それじゃ目が覚めた時に更に憂鬱になるだけじゃないか。
とりあえずTSF-TYPE94 不知火 のみに対する影響だけ考えるか。
ご都合主義的に考えてみると────。
正史に置ける技術蓄積は第二世代機一機分だけだった。
だが、この世界ではそれがもう一機増えた。
故に、二機分の技術蓄積のあるこの世界の不知火は、一機分の技術蓄積しかない正史の不知火よりも優れている。
……そんな単純計算もいいところの三段論法が通じる問題なのだろうか。
丸々一機分が増えたのだ。技術蓄積に掛かる労力も時間も増えるだろう。
そして蓄積した技術とて、全てを不知火に反映出来るかどうかも不明瞭だ。
コンセプトがブレて正史より劣る機体になる可能性だって無いともいい切れない。
────いや、それ以前に。
元より『この世界』における不知火の開発期間、制式採用の凡その時期すら知り得ていないのが今の俺、だったな。
それが解っていないのに、今回のことをあれこれ考えるのは無茶もいいところか。
考えれば考えるほど、『この世界』の不知火はあらゆる点に置いて未知数過ぎて────。
いや、ちょっと待て。
「あー……バカだな……本格的に熱で脳みそが駄目になってきたか……?」
そうだ、そうだったな。
当たり前のように名前を出したのは不味かった。
もう
完全に頭の隅に追いやっていた。
これも現実逃避の一種なのだろうか。
俺は『帝国の新型純国産機』の名前はまだはっきりと知っていない。
そうなるであろう、という予想しか出来ていないのだ。
次期主力機開発計画────『耀光計画』自体は発動しているんだろうが、名前はまだだろう。
つまり予定なのだ。
「そして、予定は未定、か……言い得て妙だな」
予め定まっていたはずの歴史の流れは既に絶たれた。
今はその延長上────ならば、これから刻まれる歴史が未だ定まっていないのは道理だろう。
俺はそいつを、この一年間で嫌というほど思い知らされている。
「ふぅ……で、最後の一枚が、昨日付けのコレか」
『F-16J 和名:彩雲 1988年末、配備開始』
『F-15J 和名:陽炎 1989年 配備開始予定』
見出しには機体の和名と配備開始年数。
F-15は正史通りに陽炎の名を賜り、89年に配備されるようだ。
問題はイレギュラーである、F-16J。
「TSF-TYPE88 彩雲、か……」
日本帝国軍の戦術機呼称は気象現象に因んでつけられる。
正史の陽炎然り、不知火然り。F-15SEJの和名、月虹だってそうだ。
彩雲───古くより吉兆とされる気象現象の名称だったか。
何とも、質の悪い冗談である。
「……
彩雲の登場により狂い始めた歴史の流れ。
この機体の存在は俺にとって紛れも無い凶兆だった。
しかも、これら全てが俺の転生なんて馬鹿げた事象によるバタフライ効果かもしれないという。
まだ俺は何一つ行動しちゃいないというのに、だ。
だとすると、カオス理論というのは……トンでもなく厄介なモノだったということになる。
「────甘かった、ってことか」
……ああ、白状しよう。
俺はきっと、心のどこかで
F-16とF-15のトライアル。まず間違いなく後者が勝ち、前者は採用されず、歴史は再び元のレールの上に戻るのだと。
正史との乖離なぞ一時的なモノで、所詮はすぐに修正されるだろうと。
しかし俺の願望虚しく状況は一変し、そして────。
「────そしてまた……正史から遠ざかった」
今、それだけは確かな事実。
歪みは留まるどころか加速した。
この世界は既に本来とは異なるレールの上を走り始めている。
白銀 武が一度目だの二度目だのと言ってる状況にはない。そんな段階は過ぎ去った。
もはや今後何が起きようともおかしくはない。この一年で起きたことは、つまりそういう事を意味する。
例えば1998年の大侵攻。
BETAは人類の調査のために停滞などせず、一気に日本全土が蹂躙されるかもしれない。
例えばALⅣの要である00ユニットの開発経路の断絶。
鑑 純夏がBETAに普通に殺されてしまうかもしれない。
それは向こうの白銀 武の来訪が頓挫することにも繋がる。
────更に……俺が最も危惧し、また自己嫌悪に苛まれてしまう状況が、在る。
F-16J 彩雲 、F-15J 陽炎 。それに加え、この二機種から生み出されるであろう『新型純国産機』。
その三種の機体を組み込んだ帝国軍の戦力を持ってすれば、或いは───。
「────白銀 武と鑑 純夏が、夏の大侵攻を生き延びてしまうかもしれない────」
……なんという醜い性根。なんという浅ましい精神。俺は畜生にも劣る屑だ。
オルタネイティヴⅣの完遂の為とは言え────俺は、何の罪もない『この世界の白銀 武』に……死んで欲しいと思っている。
そして、同じく何の罪もない少女『鑑 純夏』に、BETAに壊されて欲しいと……そう、思っている。
人類の未来の為にという、尤もらしい大義を振りかざして────。
これが屑じゃなくて何だというんだ。
「…………吐きそうだ」
だが、そうしないと理論完成の為の数式が手に入らない。
00ユニットの最有力候補である鑑 純夏も、当然いない。
それはオルタネイティヴⅣの頓挫へと────直結してしまう。
「でも────いないんだ。
白銀 武の死と鑑 純夏の絶望。
悲劇からしか希望が生まれない────ここは、そんな世界。
二人の悲劇は絶対不可避の……人類存続の為の大前提である。
それでも、それを覆したくば───。
「……オルタネイティヴⅣ以上に優れた
自分で言っておいて、思わず苦笑してしまう。
つまりそれは『不可能』だということだ。
そんな都合のいい
故に、俺は恐れている。この一年で起きてしまった状況の変化を。
そしてそれが引き起こすであろう、オルタネイティヴ4への影響を。
狂った流れの修正はもはや不可能であり、後は流れに身をまかせることしかできない。
もう、俺に切れるカードがなくなってしまったから。
己が持ち得るアドバンテージの大部分を占めていた未来情報。
それが消失とまではいかずとも、絶対の信頼が置けるモノとは既に呼べなくなっている。
残ったのは前世で培った経験と知識、そしてこの身体。
「……何て、心許ない」
未来を知っていれば何とかなるのではないか?
そうやって我知らず心の底で甘えていた自分に対する罰か。
悔しいが、効果覿面だ。今の俺の様態がそれを証明している。
腑抜けた心構えで日々を無為に費やし、未知を突き付けられて動揺して……挙句の果てに体調を崩した今に至るのだから。
病は気から、とはよく言ったものだ。
こんなザマでBETAに抗おうとしていたのだから滑稽だ。
────でも、収穫はあった。このままじゃ駄目だという事を、漸く身を持って痛感した。
強くならないといけない。鍛えなければならない。身体だけではなく、心も。
未知にブチ当たる度にこんな無様を晒していては先が思い遣られる。
「解っては、いるんだけどな……」
だがそれでも、現実的な問題として俺の身体は未だ幼く、密度の高い鍛錬には時期尚早。
心も、今回と同じような状況に直面して場数を踏んでいくしかないだろう。
結局、時が経つのを待つしか無い……今は、そういう生殺しの状態なのだ。
「歯痒い……」
ゆったりと流れる時間が、途轍もなく歯痒い。
俺が生まれて四年と半年。まだ、それだけしか経っていない。
歴史に変化が起き始めてから数えれば、たったの一年だけだ。
だが、そんな短い期間で既にこれほどの異変が起きてしまった。
「……7月7日……正史においてBETAに日本侵攻まで……あと、ちょうど十年」
今、自分の口から出た十年という単位すら、もはや完全に信用出来るものではなくなっているのは自覚出来ている。
それも踏まえた上でこれより先、一体この世界にどれほどの変革が訪れるのか。
読み切れていない、未だ。
もう俺は、変化の波に置き去りにされてしまっているのだ。
そんな自分に打てる手はあるのだろうか……。
「───いや、そもそも」
俺の行動関係なく変化を示しだしたこの世界に……俺の力は必要なのだろうか。
状況の好転は十分に有り得るのでは……?
今回の戦術機のことが状況の好転か悪転かはまだ解らないが、可能性としてはある。
このまま大団円のハッピーエンドに向かって突き進む可能性だってあるのではないか?
そこまで考えて、俺はまたしても自己嫌悪に陥る。
「……はぁ……ったく、これだから病気は嫌なんだよな……」
思考が二転三転し、結局ネガティブに偏る。
何が可能性だ。そんなもの、何の宛にもならない。
ハッピーエンドに突き進む可能性があるなら、バッドエンドに───敗北一直線に突き進むことだってあるだろう。
生来のものか体調のせいか……弱気ってのはいけないな。
どうにも他力本願を望んでしまう。
「寝るか……寝て、とっとと風邪を治そう……」
そして健康な身体になってから、健全な精神の元でもう一度答えを出そう。
今の俺の身体は子供だ。本来なら、腐ってウジウジするには向かない年齢だ。
再来年には小学一年生……その年齢層の子供と言えば馬鹿をやって馬鹿笑いするものだろう。
事実として子供なのだから、俺も子供を見習ってそうやって馬鹿を……。
あ。
「……はぁ……それがあった。悩みの種が、また一つ……ふぅ……」
そうだ……再来年から俺、小学生なんだよな。
保育所や幼稚園には行ってなかったからな……。
これまで自分でスケジュール立ててきたけど、来年一杯でライフスタイルががらりと変わる。
今までと違って、色んな意味で忙しくなりそうだ────。
迫ってきた小学校入学という、また違う意味で俺の心の平穏を乱すだろう状況に思いを馳せながら、俺は眠りについた。
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─動き始める世界─
春───出会いと別れの季節。
よく見聞きするフレーズだ。
この時期、個人を取り巻く環境がガラりと変わることが多い。
それ故に、いつのまにかそう呼ばれるようになったらしいが……俺もまたそのご多分に洩れず、取り巻く環境が一変した。
遂にというか、漸くというか───小学生になった訳だ。
1990年4月9日
入学式は先日の事。保護者同伴での目出度い席となった。
もっとも、特に感慨深いものはなく、ただひたすらに眠いだけだったが。
俗に言う有り難いお言葉ラッシュである。前世でも何度かお世話になった覚えがあるが、この世界でも相変わらずのようだ。
……偉い人の有り難いお話というものはいつの時代・世界でもピンからキリまで、という事なのだろう。
聞かせるのではなく、つい聞き入ってしまうように話をするのが腕の……もとい、口の魅せどころではないのかと。
校長先生、その他ゲストの方々。やはりここは、ラダビノット司令を見習うべきでは?
睡眠導入剤のような入学式は特に波乱もなく、幕を下ろした。
そして今日、クラス発表を終えてそれぞれのクラスに移動し、顔合わせと自己紹介に入っているのだが───。
(ここ……地球の日本……だよな?)
宛てがわれた教室、名前順の関係で中央列の最後尾の席に座った俺は小声で呟いた。
この場所からならほんの少しの動作と、視線移動だけで教室全体を見渡せる。
目の前に広がる光景に対して驚きを隠せずにいた。
(……茶髪なんて序の口、紫や藍なんてまだ真っ当。青、緑、赤って何だあれ……黄土色? ぅぉ……あれなんてもう桃色通り越してビビットピンクの領域に両足突っ込んでるんじゃないか……?)
俺が口走っている色の名前は他でもない、そう───彼ら新入生の髪の色である。
(……染めてるわけじゃないんだよな。あの色の毛が頭から生えてるんだろうけど……)
前々から外出した際に時折見かけたし、先日の入学式でだってチラホラと視界に入ってきていた。
だがこうやって目の前にズラッと並んでいるのを見ると、やはり文字通りの異彩を放っている。
当然だが、一般的な黒髪の子もいる。
俺の両親も黒髪だし、俺の髪だって天使の輪完備の艶のある黒だ。
しかし、どう見ても茶色がかっている子のほうが多い。
黒が少数派ってどういうことだ。世も末だな。
そして文句なく圧倒的に目を惹くのが、点在する極彩色。
(彩度と明度が半端じゃない)
常識の範疇を超えない赤毛や茶髪なんて可愛いものだ。
スカーレット、スカイブルー、エメラルドグリーン……余りにも色鮮やかなその毛髪。
本来、人の身体から自然に生えてくる体毛の色としてはあり得ない、のだが───。
(───前世の経験が邪魔をするけど、"当たり前の色"だって解るんだよな……)
……いや、語弊があったか。
解るというよりは、まず当たり前だという受け入れる"本能"があり、それに対して"理性"が否と訴えかけてくる感じ。
結局、俺が異質な存在だということなのだろう。
今では結構慣れてきているというのもあるが、更に小さい頃はかなり違和感が酷かったしな。
それにしても、いくら見渡しても奇抜な色は見当たるのに金髪や銀髪を確認出来ないのはどういうことだろうか。
TVで外国の報道とか見た時は普通にいたんだが。
「一応、人種の線引きはされてる……ってところか?」
金髪と銀髪は日本人には自然発生しないと思っていいかもしれない。
基本である黒に、金と銀以外の多種多様な色が追加されている、と。
とりあえず髪の色については現実を受け入れて、ここらへんで納得しよう。
そもそも別に難しく考える必要もない。
ただ色のバリエーションが増えて、個性を発揮する場所が増えただけだ。
そんな程度の問題でしかない。
今はそれより……目前に迫った自己紹介か。
「はーいじゃあ次は一番後ろに座ってる君!」
「はい」
俺は教師に指名され、静かに立ち上がる。
視線が集中……凄い見られてるな。
周りの子供達が無垢な瞳で、穴が空きそうなほど俺を凝視している。
────ここが戦場で、子供達が光線級なら、俺は蒸発してるんだろうなぁ。
そんな馬鹿げたことを脳裏に浮かべながら、自己紹介を始める。
「不破 衛士です。苦手な教科は特にありません。趣味は読書と運動です。これから一年、ご指導宜しくお願いします先生」
「───おぉー……噂通りだぁ……あ、ハイ、こちらこそ宜しくお願いしますね」
(……噂?)
立て板に水の如く喋り一礼すると、先生は呆けた顔で俺を見ながら返答した。
まあ……新入生からスラスラと淀みもなく、今の口上が飛びでてきたのだから仕方もないか。
俺は着席して目を瞑りこれ以上喋ることはないと遠回しにアピールする。
「それじゃ次の列、一番前の君!お名前は?」
意図を組んでくれたのかそのまま続行。順応が早くて助かる。有り難い。
ムスッとした顔で「まだ何か?」とかイキり散らす状況には成らずに済んだようだ。
待機時間が出来た俺は後に続く連中の元気溌剌とした自己紹介をBGMに、今この瞬間より六年間に及ぶ小学校生活について思案を巡らせた。
「それじゃ不破君。この願書、受け取って下さい!」
担任がいきなりそんなことを口走りやがった。
「───いや。いやいやいや。あの、ちょっと待て。違う。待ってください」
唐突な展開に対して、驚きのあまり教諭に対してタメ口で突っ込んでしまった。
受け取って下さいって何をだ。
そもそも何で職員室に連れてこられた?
新入生は午前で学校終わるんじゃなかったのかよ。
駄目だ、今この状況に至るまでの過程が綺麗さっぱり消し飛んでる。
スタンド攻撃でも食らったのか?
「もー、今説明したでしょう?聞いてなかったんですか?」
ハイ、スミマセン。聞いてませんでした。
「検定の願書ですよ」
「……け、ケンテイ?ケンテイって、検定ですか?」
視線を担任の女教師から突き渡され、今は俺の手の中にある封筒に移す。
───普通そんなもん入学初日の小一にやらせないだろ?
「……で、何の検定なんです? これ」
思い浮かぶのは漢検とか英検とかそれぐらいしかないんだが。
「
「──────ぱーどぅん?」
「ですから、高認ですよ。ちゃんとした名前は『高等学校卒業程度認定試験』」
「───は?」
───さっぱり意味が解らない。
高認。
確か大検……『大学入学資格検定』から名称が変わったアレのことであってるよな……?
こっちの世界じゃこんなに改正が早いのかよ。
生前じゃ21世紀入ってからだったと思うんだが……。
いやいや待て待て。何でそんなものを俺に勧めてくるんだ。
俺はまだ、六歳だぞ。
受験条件に年齢制限ぐらいあるだろう。条件が満たされていない。
何考えてんだこの先生。
兎も角───。
「あのですね先生。俺の年齢じゃこんな資格受けられないでしょ? 六歳ですよ?」
「……?いえ、受けられますけど」
「いやいや……空覚えですけど確か大検、じゃなかった、高認って十六歳からじゃないと受けられないでしょう。 中学校も卒業してない六歳のガキじゃどう考えたって無理ですよ」
「あはは、本当に……実際自己紹介の時にも目の当たりにして驚かされましたけど……語彙も知識量も落ち着きも、小学一年生とは思えないですね……ええ、はい。そうですよ。大検の時では無理でしたね」
……大検の時では───?
言い回しに違和感を覚える。
妙に引っ掛かる言い方だ。
「一昨年のことです。教育基本法の全面改正があったのですが───ご存知ですか?」
頷く。
1988年の教育基本法、全面改正。
既に確認できている。
「先生の仰る教育基本法の全面改正とやらが、義務教育科目の切り捨てや大学の学部統廃合のことを指しているなら」
「……おー……すご……本当にお利口なんですね。ただちょっと訂正。それだけではなく、他にも連動して改正されていった法や資格も存在するんですよ」
あー……参った。
そんなところまで変わってしまっていたのか。
自分なりに情報収集していたつもりだったんだが。
つまり……俺の調べが足りなかっただけで───。
「───今から俺が受けさせられようとしてる『高認』も、その内の一つだったって訳ですか」
「ええ、そうです。名称が『大検』から『高認』へと変更された際、内容も同じく全面改正されています」
絶句する。
それは、俺のようなガキでも……小学校一年生でも高認が受けられるような、途轍もなくブッ飛んだ改正が行われたということか。
───極めてナンセンスだろう。
もはやそれは改正ではなく、改悪だ。断言してもいい。
……だが、俺にとっては紛れもない改良だ。
そんな案件を通しやがった大馬鹿野郎に、最大限の敬意を込めて感謝の言葉を贈ってやりたい。
この状況は間違いなく利用出来る。
そうだ。これは───千載一遇の好機だ。
「───先生。お手数掛けますが、改正内容の説明をしていただいても宜しいですか」
「あら、興味が湧きました?それでは、説明させていただきましょう」
「何とも……入口の広い資格ですね」
要約すると、試験は年に二回で8月と11月、年齢条件は数え年七年目から。
そして───義務教育終了後、即大学入試を受けられることが出来るという、破格の価値を持つ資格。
……事実上の飛び級の許容に等しい。
改正前と改正後の説明を受けたが、大雑把にまとめるとそういうことになる。
「しかしまぁ……よくそんな改正内容が通りましたね。下限が六歳からって……正気の沙汰じゃないでしょう?」
「そうですねぇ……実際、去年は六歳で受けた人、0人でしたし。それどころか12歳以下で受けた人が全国から両手で数えるぐらいしかいませんでしたし」
元よりそこそこ難関なんで勿論その子達も全員落ちましたけど、と先生は付け加えた。
……全然駄目じゃないか。
「……で、俺に白羽の矢が立ったのは何故でしょう?」
「自己紹介でビビっと来たから……では納得出来ませんか?」
───今一、説得力に欠ける。
何よりも初対面のはずなのに、先生からは俺を知っている素振りが散見される。
「アハハ、納得してないって顔ですねー」
「ええ……はい、正直言うと」
「フフ、理由はもっと単純ですよ。不破君ってここらへんだと凄く有名な天才少年なんですよ?」
は?
有名な───天才少年、だって?
うん?うーん……。
「……初耳ですね。世間を騒がせるような……例えば、記者に取材されたりなんて事は、一度もなかったんですが……」
「謙遜しないでいいんですよ?取材とまではいかずとも、注目はされていたはずなんですけどね」
謙遜とかではなく、マジで思い当たる節がないんだがな……。
注目されていたとは、どの程度の事を言うのか。
積極的に目立ちに行った覚えがない。
だからこそ、この唐突に舞い込んできた『高認』にはとても高揚しているわけで。
「ぇ……本当に自覚なかったんですか」
先生が呆れたように言った。
「青年や大人に混じって参考書やら学術書やらを読みふけってる幼児が、町の公共図書館や近辺の本屋さんで頻繁に目撃されてるんですよ。目立たない訳ないじゃないですか」
───あー、あー……。
確かに、暇さえあれば居座っていた。
自由な時間は身体動かすか勉強するかの二択しかしてこなかったし。
おまけに小遣いなんて貰ってないから、必然的にそういうところで立ち読みだの閲覧だのを繰り返した。
そうか、妙にチクチクすると思ったら注目されて視線が刺さってたのか。通りで居辛かった訳だ。
たまに声とかも掛けられたっけか。こんなに難しい本読んで偉いね~、なんて誉められてたが、完全に地域で子供を見守ろう系の社交辞令だと思ってた。
……確かに噂が流れて有名になってしまってもおかしくはない、のか?
「まぁそういう訳で、君は入学前から教師達にとって注目の的だったんですよ。私が受け持つことになるとは思いもしませんでしたけどね」
「……それで、自己紹介の時、受け取り方に含みがあったんですか」
「ええ、そういうことですよ。大人は案外、見ているし、情報の共有もしているものです。あ、それとこの子ならもしかしたら受かるんじゃないかなーって」
この教諭、行動力ありすぎでは。
だからと言って俺を職員室まで引っ張ってきてわざわざ願書手渡ししてくれるとか。
……そもそも、だ。
「あの先生、願書も既にあるなんて用意周到すぎませんか」
「あ"ー、それはですねー……」
先生が言うには、何でも文部省の方から各学校に「可能な限り六歳の新入生の受験者引っ張ってこい」とのお達しを受けたとのこと。
そこから更に周りの教師からお役目を押し付けられて今に至る、と。
おまけに給料の査定に響くのだとか。酷い。
……普通は無理だろう。幾ら条件緩和したからといって、六才児に高認なんざ受けさせるものじゃない。
俺は中身が見た目相応ではないっていう規格外だけどさ。
「それで、不破君……願書のほうなんだけど、受け取ってもらえるかな?」
友人に願い事をするように訪ねてくる先生。
ちょっと腰が低すぎるような気もするが、それも愛嬌か。
「先生、おめでとうございます」
「え?」
「減給は免れたって事ですよ。俺みたいな変り種のガキがいてよかったですね」
「……そ、それじゃ、受けてもらえるのね!? 本っっっ当にありがとう!」
何やら今にも小躍りしだしそうなほどテンション上がってるな。
……こちらも気分は高揚してるが。
「いえ。むしろ、こっちが感謝したいぐらいです。先生に高認のこと教えてもらえなかったら……前に進むのが遅れるところだったんで」
───これで、大きいか小さいかはともかく、前には進めたような気がする。
高認が施行されてから今に至るまで、未だ下限ギリギリの六歳でこの資格に通った者はいない。
……つまり仮に今回で通れば、全国で始めて六歳で通過した天才児としてある程度注目されるのは間違いない。
これを足掛かりにすれば……逸早く、何かを成すことが出来る人間になれるかもしれない。
「それじゃ先生。俺は早速試験の対策したいんで、帰らせてもらいます」
「はい、気をつけて帰ってねー!」
先生はそう言うと、校長ぉぉぉぉ!噂の子が高認受けてくれましたー!と叫びながら校長室の方向へ全力疾走していった。
……元気だ。
父さんや母さんもそうだけど、俺の周りには元気で前向きな人が多い。
「───負けてられないな、俺も」
俺は渡された封筒を鞄に放り込み、職員室を退出した。
「あ、母さん、父さん。俺、高認受けるから」
夕食時。俺は早速両親に報告してみる。
「……コウニン?」
「エイジ、何だいそれ」
ま、普通は知らないよなぁ。
あまり世間に露出してないみたいだし。
「大検って聞いた事ない?」
「ああ、それならあるよ。僕の友人も昔受験していたな、そう言えば」
「……でも、大検と何か関係あるの? その……コウニン?っていうのは」
「うん。何でも一昨年の教育基本法が改正されたときに、連動して改正されたらしくて───」
二人に大雑把に説明する。
名称が大検から高認に変わった事。
年に二回施工されるようになったこと。
受かれば義務教育終了後、すぐに大学入試を受験出来る権利を与えられること。
大検の時より受験条件が大幅に緩和されて、年度末までに満七歳になる者から受けられるようになったこと。
改正されてから二年、未だ六歳での合格者が出ていないこと。
───そして、俺がそれに挑戦してみたいということ。
二人ともポカンとした表情で固まっている。
やはり、いきなりこんなこと言われても困るか。
「な、なんというか……小学校入学初日から凄いことになってるな」
「パパ……私、愛息子が誇らしすぎて鼻から愛が出てきたわ……」
「それは血だよママッ!?ティッシュティッシュ!」
いやぁ夫婦漫才が冴えてる。
本当に見ていて楽しいな俺の父と母。
「で、さ。そういうことだから、その……悪いんだけど、受験料とか、過去問題集も……」
真剣な目で俺を凝視してくる両親。
何だ。そんな金、家にはねーよとかそういうオチか。
流石にそこまで貧乏ではないと思ってるんだが。
「エイジが僕達に何かをおねだりするなんて、初めてだよね」
「ええ、こんなこと今まで一度もなかったもの……それだけ真剣なんだ」
俺は二人の目を見返し、静かに頷く。
────ああ、真剣だ。この上なく真剣だとも。
俺はここに来て漸く、何かに挑むということが出来るのだから。
この六年……俺は何もしていないんだ。
確かに勉強や運動は暇さえあればした。
だが、積み重ねたそれを試す機会は一度足りともなかった。
それどころか、そういったことはまだまだ先になるだろうと思っていたんだ。
でもそこに転がり込んできたのが今回の高認だ。
おまけにここで受かってしまえば漏れ無く国公認の天才児だ。
この好機は、絶対に逃せない。
「うん。気持ちは解った。お金の事なら全然心配いらないさ。むしろ
「そうねぇ、ご近所さん見てるとこんなご時世なのに、お子さんがアレが欲しいコレも欲しいと大変そうだし……」
「あはは、俺はあまりそういうの興味ないから」
……違うよ母さん。大変じゃないんだ。
まだ、大変なんかじゃないんだよ。
大人が子供の我侭を許せる程度には、まだ日本は平和なんだ。
歴史に狂いが出るかもしれないけど……後八年前後でBETAが来るんだ。
そうなったらもう子供の我侭を聞いてやる余裕なんて大人たちにはない。
「───ありがとう。俺さ、絶対受かるから。父さんも母さんも、応援してくれると嬉しい」
だから、備えなくちゃいけない。
平和が欲しいなら……迫り来る戦に備えて、打ち勝って、掴み取らないといけない。
今回の高認の受験は、備えの第一歩に過ぎないんだ。
だから俺は、こんなところで躓いてられない。
明日からは運動量も抑えて、試験対策に時間を割り振ろう。
小学校でも授業中の行動にある程度自由を貰えるように交渉してみてもいいかもしれない。
あの先生なら当たり前のように承諾してくれそうな気もする。
とにかく全部の労力を勉強に注ぎ込んで───。
「エイジ。お前が初めて自分の意思で挑戦することだ。頑張りなさい」
「私も応援してるからね。でも頑張れとは言わないわ。今までだって、勉強も運動も頑張ってたもんねー?」
「……ママ……?僕もう頑張れって言っちゃったよ……今からでも取り消していいかなぁ……」
「と、父さん、別に気にしてないから。うん、頑張るよ。無理しない程度に」
────前言撤回。頑張りすぎる必要もなさそうだ。
ああ、今まで通り……適度に頑張ろう。
親に無用な心配をさせるのは、子供としても気分がいいものじゃないよな。
大分、気が楽になった。
さて。じゃあ明日からまた────いつも通りに頑張っていくか。
1990年8月29日
広めの和室に一人、『青』を纏う幼い少年が片膝を立てて座り込んでいる。
少年は真剣な眼差しで複数枚の書類に目を通していた。
「───失礼致します」
静謐な空間に凛とした声が響く。
「別に挨拶なんぞせんでもよいと何度も……はぁ。入っていいぞ
少年は声の主を招く。
障子を開けて入ってきたのは月詠と呼ばれた『赤』を纏う少女。
月詠は少年の前まで音もなく歩き、姿勢良く畳に正座した。
「悪いな、わざわざ呼び出して」
「いえ。丁度剣の稽古も終わって身支度も終えたところでしたので。お気遣いなく」
少年は、そいつはいいタイミングだった、と言うと手にしていた書類を月詠に差し出す。
「……これは?」
「鎧衣さんから。例の試験の報告書だ」
月詠は素直に書類を受け取り、文面に目を通したところで眉を顰めた。
「……二十に届くかどうか、というところですか。貴方の想定よりは多かったですね」
「何、嬉しい誤算という奴さ。骨を折って無茶を通した高級な
少年は心底嬉しそうに破顔した。
そんな少年に呆れたのか月詠は溜息を付き、未だ眉を顰めたままでいる。
「全員の所在は割れているし、追々近場から接触していこう。と言ってみたはよいが、俺達の現状は暇どころか……激務と言って差し支えない惨状だからな。総当たりには時間は掛かるだろうが」
「そればかりは致し方ありません。しかし、わざわざ格別の餌まで用意しての釣りだったのです。魚が逃げる前に、都合をつけるべきかと」
月詠はそう言って再び書類に目を落とす。
暫くの間、静寂が訪れた。
「───この少年」
突如、声を尖らせる。
その双眸は驚愕の色に満ちていた。
険しい表情で書類を見つめる月詠にさも愉快そうに声が掛けられる。
「ああ。そいつだそいつ。随分とまぁ、
「は───い、いえ、それには同意します。ですが、私は名前に驚いたのではありません。この点数は───」
「解っている。
「此度の試験、調査の篩に掛けるために敷居は跨ぎやすくすれども、難易度自体は変わらずと聞いております。にも関わらず、それを全科目満点通過というのは……」
「そうだな。それこそ朝から晩まで勉強漬けで、徹底的に詰め込んできた秀才か。或いは───」
少年は一拍置き、声を弾ませて言い切る。
「───
「──────ッ!」
少女が息を飲む。
つまり───二人の目論見通り、
「早急に、この少年と接触すべきかと。早いに越したことはないでしょう」
「まあ待て。まずは近場からだ。第一……そいつがいるの熊本県だぞ? 些か遠すぎる。それに───メインディッシュは最後まで取っておいた方がいいだろう?」
飄々とした少年に痺れが切れたのか、月詠が声を荒らげる。
「貴方は直ぐにそうやって───ッ」
「冗談だ。そんなカッかするな……月詠、BETAの東進がもう始まってる。来年には───
少年は少女を宥めると、縁側の障子を開けて外の空気を取り入れる。
夏の湿った風が室内に吹き込んできた。
「更に、
少年は少女のほうを振り返り、解ってくれるだろ?と付け足した。
「───申し訳ございません。取り乱しました」
「いいさ。さて……そろそろ座学の時間だ。急ごうか……悠陽様と彩峰のおっさ……おじ様を待たせると後が怖いからな」
「ふふ……そうですね。時間には厳格な方達だ。遅れて拳骨を食らうのは御免です」
二人は揃って和室を退出し、書斎のほうへと脚を向ける。
「……それに、な」
「はい?」
「これは勘だが……心配せずとも、そう遠からんうちに巡り逢えるさ───この、
「───はい。本当に、痛快で
「はッ───これはまた何とも、手厳しいヤツに目を付けられたようだ。可哀想に。ご愁傷様だな───」
───
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