幻影戦記~氷と炎の鎮魂歌~ (ロバート・こうじ)
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エピソードゼロ 系譜を継ぐ者
1話 文学者と科学者


1999年3月10日22時10分

それは3月の中旬にしては蒸し暑い日の出来事であった。

私は、東京のキーマンカフェという、行きつけの喫茶店で、冷めたホットコーヒーを啜っていた。

 

友人と待ち合わせをしていたのだが、彼はまだ来ていなかった。この喫茶店の外装はとても薄暗いが待ち合わせ場所としては交通の便がよくて利用しているわけではあるが、私の悪い癖なのか、人があまり来ないことをいいことにコーヒー以外は注文せずに、つい長尻になる。それにしても、久しぶりにここに来てみれば東京の街は機械や技術は進歩しても、本質は全く変わっていないように思ってしまう。

 

東京の街は深夜にも関わらず、ネオンの街頭や客の引き込みの声が響き、昔から言われた【眠りのない町】【昼も夜も変わらない町】は相変わらずだった。喫茶店の窓越しから見える高層マンションやホテルの大半は明かりが漏れており、都会の人達は本当に寝ていないのかと思わせてしまう。もちろん、集団生活をしている中でそれはあり得ない話だが・・・

 

空想をしているうちに、チリンチリンとドアについている鈴の音が店内に響き、私の待っていた人が来た。黒髪に所々に茶髪も混じった短い髪形をしている。薄暗い店内では目立つ白いスーツを着こなし、黒い革靴はいかにもビジネスマンを感じさせる。彼の名は重村・徹大。

若くして東都大学 電気電子工学科の教授として知られているが、マスコミを嫌っており、世間での一般的な認知度は低い。常に先鋭的な研究スタイルを発表し、電気生理学会からは異端扱いされている人だ。

彼は店内を軽く見渡し、待っていた人を見つけて、ビジネスマンらしく表情を厳しいものにしていた。

 

「急に呼び出して申し訳ないね」

「まったくですよ。研究の時間を空けてこちらの用事を優先させましたからね。」

 彼は静かにだが皮肉を含めて言った。

「待ち合わせの時間に遅れてきた言い分ではなさそうだね。まあそう言わないでくれ。

今日は君に関する話を聞きたくて来た。」

「以前も同じようなことを言い、オンラインゲームで男女が実際に出会う確率を長々と話し合いましたよね。あなたの話はあまり信用できませんよ。」

 

少しくたびれたような仕草を見せつつ、身振り手振りで話す彼を見ていると、私は微笑まずにはいられなかった。私は彼の、冗談の通じない真面目な青年だったころを知っているだけ、この柔和で正直な言い回しは、人が変わったと思うには十分であった。

 

「今回は君が結婚したと聞いてね。噂でも信じられなかった。研究一筋の科学者で出会いもない君のことだ。世間を気にして架空の恋人を風潮したのではないか、と思ってね」

お互いに信用していないから出会う時間を作ったのか、と重村は表情を変えずに私の行動を疑った。

「まあ、そうですね。つい最近、婚姻届けを出したばかりです。」

「ほう、噂は本当の話でしたか。返事は遅れてはいるが結婚おめでとう。」

 ・・・まったく感情のこもらない言葉で返された。

「新婚なぶん、毎日が違った風にみえるのではないか。いきなりではあるが子どもはどうだ」

 

 本当に急な話をしてきたと思い、頭を掻きむしりたくなった。どうもこの人は好奇心の塊のような人間で、繊細なことでも気になれば相手の心に土足で入ってくる。それでいて、絶対に触れてはいけない部分は触れずに線引きする所は、なおさら、たちの悪さを引き立たせる。重村はため息を尽きつつも話すことにした。

「まだ結婚して一年も経っていませんし、研究であまり家には帰れてないですからね。せいぜい妻が研究室に着替えと歯ブラシを持ってきてくれる程度ですよ」

 彼はぴしゃりと言った。

 

「なるほど。ではあまり会う機会はなくても現状は子供の名前はどうするか、将来の幸せな悩みを妻と共有している段階かな。」

「男の子はまだですが女の子の名前は決まっていますよ。名前は悠那、重村・悠那ですよ」

「悠那・・【悠】はみそぎで心が清められ、心がゆったり落ち着く様子を示して、【那】は強い意思・主張する力を持つ人を合わせた名前ですか。良い名前ですね。」

 

 重村徹大は口を開きかけたが、思い直して、喉から出かかった言葉を押し戻した。

言い返すのならばお得意の言い回しでうやむやにされてしまう。

代わりに別の話題を持ち出すことにした。

 

「たしか貴方には娘がいるようですね。風の噂では剣道で難関道場の入門試験を受けると聞きましたが・・・。」

 私は意外に思いつつ、娘のことを聞かれて声を高くして答えた。

「よくその話を知っているね。一時期はテレビでよく取り上げられていた道場でね。名前はたしか【葛城道場】と言われたかなぁ。同じ道場なら人の多くて有名な【桐ケ谷道場】でもいい気はするがな」

「何故【葛城道場】を選んだのですか」

私は少し考えながらゆっくりと口を開いた。

「どうやら元から有名な道場には入りたくないらしい。私の力がどれほど通用するか試したい。そこから有名になっていく道場がどう変わっていくか見てみたいと話しておったよ。とんだじゃじゃ馬娘だよ」

 

・・・こんな風に久しぶりに何気ない世間話をしているうちに、私はふとある提案をした。

 

「せっかくだ。久しぶりに会い、これから生まれる娘のお祝いの意味を込めて乾杯でもしようではないか」

「カフェのコーヒーグラスで乾杯ですか。風流も何もありませんね」

私と彼は同じことを思い、お互いにクスリと苦笑した。

暖かいカップと冷えたカップを軽く持ち上げて、ひそひそ声を合わせてこう言った。

 

「「娘の結婚と健やかな成長を願って乾杯!」」

 



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2話 じゃじゃ馬娘の挑戦

本編3話のアンケートに答えていただき、ありがとうございます。
 今後も参考に投稿していきますので、どうぞよろしくお願いします。

 2話から文章を分かりやすくて見やすくするために、色々変更しました。
ご了承ください。m(_ _)m


1999年3月3日10時20分

 

 来年は2000年というきりのいい年の前年は何か特別なことが起こるのではないかと迷信的なものに胸躍らせていた。私自身は急に何かが変わるわけではなく、誇れるものといえば学生時代からやっていた剣道でインターハイ優勝は数少ない自慢のひとつであり、過去の栄光にしがみ付いたままだった。これを失いたくないから「強い」と思った剣道を鈍らせたくなく、早朝に起きては、木刀を振り続けている。

 

唯一変わったことと言えば、近所にできたコンビニのファッション雑誌を立ち読みして新作のレビューをチェックし、さらに漫画雑誌を手に取って、最後のページにある記載漫画の作者コメントをひとつずつ確認するようになった。コンビニ定員の視線は気になるが、許してほしい、私には金がない。コンビニ定員よ、私に同情するなら金を寄越してほしい……

 

桜井(さくらい)響子(きょうこ)は何一つ不自由せずに育ちました。

 元々小説家だった叔父の担当した映画の脚本が大きく功績を上げたことで裕福な家庭となった。一家は3人の子どもを産み、響子はその末っ子として1973年に生まれたのです。

中学生になってやりたいことが分からず、部活動に入れば自分を変えられると思ったのが運の尽きでした。結局は剣道部に入りびたったばかりに身体は大きく成長したが女性らしさは成長していない。当時はたくましい肉体に見惚れたものだが、今になっては、カワイイを作ればよかったと後悔している。

 

 そんな私でも好きになってくれた男性はいて、1994年に入籍でき、本名は朝田に変わった。旦那さんの名前は朝田幸一(あさだこういち)。私とは対照的に優しい顔立ちに眼鏡をかけた男性だ。出会いは公園で日課の素振りをしている時にいつもランニングですれ違う男性が気になり、声をかけたことがキッカケだった。そこから運動好きの共通点や彼の優しさに惹かれた所もあり、結婚に至る。その年に男の子の朝田柚季(ゆずき)も生まれた。今は共働きで家族と一緒に過ごす日々ではあるが、私の心はなぜか乾いた風が吹いてばかりで落ち着くことはなかった…

 

 今日もファッション雑誌を確認しようと手を伸ばした時、ふと見慣れない広告が気になった。昨日までは張っていなかったトイレの近くに【葛城(かつらぎ)道場!強者を求む!!】とやけに強気な募集要項を見つけた。たしかテレビがモノクロ時代だったか多くの師範を育てていたと聞いたことがあった。世間の評判は『男性師範が女性門下生ばかりを指導して仲良くなった者に卑猥な行為をした』『女性師範が男性に大量の酒を飲ませて恫喝(どうかつ)や既成事実を行った疑い』等のニュースで良い印象は無い。かつては多くの師範を育て、昭和時代には人間国宝と言われた者も在籍していたことで有名な道場だったが最近は悪いニュースが重なり【没落した道場】【海に沈んだ道場】と老若男女に揶揄(やゆ)されている。

 

ニュースで師範の大量左遷(させん)やリストラを契機に人数が足りなくなったのか、普通は門下生募集なのに師範の募集に切り替わっている。普段は募集項目などを気にしないが広告を見て思わずファッション雑誌を置き、響子は立ち止まった。時給780円、休日出勤有りで働いている彼女にとっては考えられない内容であり、項目の隅々まで目を通した。

 

 時給は1000円以上(適正により正社員に昇進)で完全週休二日制、昼食ありでおやつに30分の昼寝付きに加えて、子の看護休暇も付いているときた。もし5歳の柚季が急に体調が悪くなっても休みをもらえるということだ。・・金欠で共働き暮らしの母親にこれほどよい待遇はありがたい。おまけに剣道の実力にも自信はあり、まさに私に入ってもらうために宣伝しているかのようだ。この広告を張ったコンビニ定員よ、良い働き感服(かんぷく)したぞ。

 

響子はさっそく行動に移した。

 初めに、夫である幸一さんに話した。初めは「怪我をして危ない」と納得してもらえずに平行線ではあったが、最終的に、私の提案でブーメランを木刀で弾き返す特技を披露して分かってくれた。ちなみに、息子の柚季は「まま、だいじょうぶ」と言い、了承済みだ。

 

次に家族に電話をすることにした。案の定家族の反応は私の転職と挑戦に好意的に返事をしてくれた。一通り電話をし終え、ほぅ、と安堵する。次の相手は骨が折れるかもしれない。最後は祖父にあたる人に電話をする。この人はなかなか手強く、少しでも気を抜くものなら言葉で翻弄(ほんろう)され、看破されるか骨の髄までしゃぶりつくそうとする変態だ。

 あぁ、イライラしてきた。私は気持ちを落ち着けて電話をする。

 

「……もしもし、おじいちゃん?」

『おやおや、響子か?久しぶりだね。…旦那との相性問題かな?相談に乗ろう』

「そんな訳ないでしょ!私と幸一さんは仲良しです!」

『冗談だよ。お前と旦那の仲を疑ったりはせん。むしろ別の中を気にしている』

 

はっきりとした祖父の言い方に、響子はドン引きしていた。この人は私の新婚生活が上手くいっている前提で話している。その上で慌てさせる言葉を選び、私を慌てさせて勝手にしゃべるように仕向けていく。もう少しで、相手のペースに取り込まれる寸前だった。

…馬に蹴られて○ね、くそじじい……

言葉にはださずに悪態をついた後は、すっきりした気持ちで話しかける。

 

「今日はそんな話じゃなくてね。今度近いうちに転職しようと思ってね。葛城道場っていう所だよ。おじいちゃんは聞いたことはある?」

『知っているよ。かなり厳しい教訓を守ろうとするあまりにスキャンダルの絶えない道場と聞いている。わざわざ、そこを選んだ理由はあるのか?』

 

思わず言えなかった。

家計が厳しくて金の欲しさと息子の面倒も両立できる求人に飛びついたとは言えない…

取りあえずその場つなぎのセリフでごまかすことにした。

 

「ほら、私、剣道得意だし!世間から悪い道場と言われていても、そこで活躍して名前を売るチャンスと思ってね。好きなことして、働けるチャンスと思ってね」

 

上手く言えてはいないだろうが、気持ちだけは伝わっているだろう。響子はドクドクと心臓音を聞きつつ、祖父の返事を待つ。数秒のはずが数分待ったいる気さえした。

やがて、電話の雑音から祖父の声が聞こえた。

 

『そうか。まぁ頑張りなさい。私は応援するが、何か…困ったことあれば連絡しなさい』

「――うん。分かった。ありがとね」

『私は久しぶりに声が聞けて良かった。そろそろ切るぞ。お休み』

 

祖父は響子の返事を待たずに電話を切ってしまった。相変わらず掴みどころの分からない人と思いつつ、一仕事を終えた気分になっていた。

 今日は久しぶりに熟睡できそうだ――。そう思いつつ、私は寝室で愛する幸一さんと一緒に眠った。

 

のちに、彼女は葛城道場を再興させて多くの門下生を育て上げ、葛城道場の価値を大きく高めた人物として世に知られるようになる。

 そしてもう一人の子宝に恵まれることになるのだが、それはまた別のお話し。

 



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3話 氷結の少女

桐ヶ谷直葉の幼少期の話です。アニメではキリトがシリカに話していた妹の話ですね。

本作では、彼女はダークヒロイン。
第一話で和人が直葉を気にしていた理由もあります。

※注意
・虐待の描写があります。
・桐ヶ谷直葉ファンの方は申し訳ありません。
・オリキャラ有り。



2014年7月19日

 

 休日の昼下がり、陽光に降り注ぐ芝生には、立ち止まった少女と同い年の子がはしゃぎまわり、それを見守る親の微笑む姿が目に付く。市で管理された天然芝の公園は、家族連れで和む憩いの場としては有名だ。どんなに明るい光景であろうと少女にはまったく関心は無かった。

 ボブヘアーに赤いランドセルを背負った少女。人形のように無機質に、暗い陰りの眼差し。喜怒哀楽の表情と声色は年相応とはいえ、黒いチョーカーを付けた雰囲気に無邪気な子どもの面影を、一切に感じなかった。その少女は、桐ヶ谷直葉。明るい家族を目で追い、暫く立ち止まれば黒いチョーカーの振動に顔を歪ませ、直葉は自宅に足を運んだ。

 

「ただいま~」

 

普段から誰もいない空箱に声を響かせる。またいつも通りと思えば、留守の多い家主である母の声がやまびこに返ってきた。

 

「おかえり、直葉。学校はどう?」

「学校?いつも通りだよ」

「あら、そうなの?さっき学校から電話があったのよ――授業中も良く寝てるって。しっかり授業は受けているの?」

「受けてるよ!その証拠に今日の英語の小テストは満点だったんだから」

 

 直葉は口を尖らせてから無邪気な顔を作り、小テストを母に渡す。パソコン情報誌の編集者をしている母である桐ヶ谷翠が、家にいるのは物珍しい。久しぶりの母親を思って、うなずくだけにした。

 

「あら、ホントね。この調子で頑張ってね」

 

翠は丸で埋め尽くされた小テストを見たまま答える。

 

「あとね――先生から聞いたけど水泳の授業をずっと休んでいるわよね。何かあったの?」

「…少しかすり傷が痛いだけだよ」

「そう…それなら良いけど、あまり無理はしないでね」

 

 そそくさと二階に上がっていく直葉。私用の洋服をゆっくりと脱いでいく。少女の身体ははしゃぎまわる子どもと同年代とは思えないほど変質していた。一般人からすればかすり傷で済む怪我ではない。胸部の皮膚は青く変色し、全身の至る部位に生傷。左腹部の爛れた皮膚には服に引っ掛かったかさぶたが剥がれてしまい、赤い血が流れる。

 

毎日学校終わりに祖父の経営する道場の跡取りを約束された師範になるべく、稽古で付けられた傷。塩素のプールに沁みるだけでなく、この怪我もキズも直葉の弱さで付けられた恥の象徴でしかない。幼い頃から少女の¨日常¨に傷と怪我は弱者の刻印にしかなかった。この傷だらけの身体は私が弱いから。おじいちゃんの期待に応えられないから。邪念で鈍くなった着替えに、チョーカーの強い振動に襲われるまで、直葉はすぐに気持ちを切り替えられなかった。

 

 周囲からオシャレとしか認知されていない黒いチョーカーは、直葉からすれば当たり前に身に付けている雑貨物に過ぎない。祖父に渡されたプレゼントであり、剣道の稽古に気合を持たせる道具と、表向きではそう通している。実際は、GPSを搭載した小型電力チョーカーであり、躾をする拘束具だ。時間厳守を徹底し、語学、数学、社会学などの勉学に、師範になる剣道の稽古を効率的に行う『詰め込みこそが真の教育である』祖父の英才教育である。最初は悲鳴すら上げていた声も億劫と思い、何日も過ごすうちに直葉もそれを虚ろに受け入れていた。

 

 母に伝えれば現状を変えられるかも知れない。だが、桐ヶ谷翠は母の手一つで家計を支える大黒柱であり、祖父に娘を預けて安心して仕事に取り組んでいる母親に、直葉はたった一人の肉親である翠にだけは心配などさせたくは無かった。

 

「私は、強い…まだ、頑張れる…私は、できる…私は…」

 

手鏡に映る自分に言い聞かせていく。今まで何度繰り返したんだろう。期待に応えられず電気を流される自分に、毎日、その時、その日に――

 

――積み重ねられる罪悪感に押しつぶされそうだった。

 

布装束に着替えた直葉は高校生の使う竹刀を引きずりながら、道場に向かった。期待に応えられない罪悪感とも、誰にも本当の自分を曝け出せない悲しみとも違う、無意識に積み重ねられる憎悪の堆積。

 黒い情念の灯火は、桐ヶ谷直葉の心の奥で静かに火花を貯め込みはじめていた。

 

 

2016年5月15日

 

 埼玉県川越市の敷屋敷、とあるこぶし木のある敷地。近隣住民からすれば、傍目でも四季に合わせた植物や手入れされた木々に、昔ながらの【桐ヶ谷道場】の威厳を知らしめていた。川越市における名門と実力を兼ね揃えた地位に、そこらの新参者の経営する事業者であろうとも、道場の看板に後座を譲るなどまずあり得ない。そんな名声や安寧を得ようとも道場の師範たる桐ヶ谷源一郎は内面の怒りを抑えずにはいられなかった。齢六十を超える高齢に関わらず、内側から敷き詰められたかのような太い筋肉に厳つく彫の深い顔立ちに、鋭い目つきは歴戦の手練れを思わせる。

 

だが、桐ヶ谷源一郎の怒りは全く脹れる見込みはなかった。年を取るほどに理想と現実の差を感じていたからだ。

 

 たしかに門下生は増え、道場の経営は安定してはいた。そして、後継ぎである直葉は剣道を歩む剣士としての十分な素質を備えていた。その点だけは、新参者と比べるまでもないほどに才を秘めている。同等に素質を備えておるのは、門下生では鳴坂和人だけであろう。が、直葉は女だ。将来を見据えれば、どこか腕の立つ男を引っかける極上のエサに育て上げた方がよい。何故、元から男に産まれなかったのかと、憂うたびに恨まずにはいられなかった。

 

 男よりも強く、そして、その女の蜜に味をしめた優秀な男に道場の世継ぎとなるべく調整をする措置。犬の躾けに扱われる電気首輪を改良した電流チョーカーによる『教育』であった。

 

――だが、直葉の心はどこまでも未熟だった。

 

 道場の稽古に耐え切れない門下生を庇い、慰めてばかり。他人に同情するなど、足枷でしかならない。直葉が女である以上、花を愛でる様にゆっくりと育てればよい。『教育』という水をじっくりと撒き、時間をかけて『更生』させてやればいい。桐ヶ谷直葉は源一郎の築いてきた道場の跡取りとして必要な存在だ。簡単に逃げられては困る。怒りの矛先を載せた激しい稽古を、離れていく門下生には交えず、耐え抜いた者にのみ牙を剥けた。

 

少人数でありながら【桐ヶ谷道場】の門下生はかつての栄光を取り戻す功績を上げるも、なお勝る功績を直葉は最年少で塗り替える羽目になった。だが源一郎にとって、それはあまりにも望まぬ名声であった。名声を逆手に直葉の心に寄り添う弱者など生粋の魂を脆弱にするものでしかない。

 

 

 結論から言って、源一郎の『教育』は英才教育という名を借りて日夜絶え間なく虐待を行った。彼女の人体を壊さない三十ボルトの電力に設定し、一時期は意識を失うほどであった。大急ぎで心肺を圧迫させ、取りあえず意識を取り戻したものの、怯える直葉の不甲斐なさに竹刀で根性を叩き直せば、また気絶を繰り返していた。

 

 それはまるで拷問のような日々を直葉は続けた。次第に直葉は他人を庇わず、慰めの言葉を投げかけなくなった。かつて彼女が慰めていた門下生を徹底的に叩きのめし、降伏する者にも容赦のない剣捌きに源一郎は完成の近い器に消沈していた心を満たしていた。しかし、源一郎は気づいていない。直葉に巣くう黒炎の火種を。直葉を跡取りどころか強大な敵を作り上げてしまったことを…

 

 

2017年3月17日

 

 その日は春を感じさせる生暖かい陽気で、強い風を感じさせる。そんな暖かい光や突風をうっとうしいと憤りを募らせながら桐ヶ谷道場へ赴こうとした直葉は、途中の庭でばったりと和人に出会った。

 

「…」

 

出会い頭に和人の迷いの表情に、直葉は怒りすら覚えていた。

 

「えっと…直葉はこれから稽古か?」

「…見て分かんない?これから遊びに行くとでも思ってるの?」

「あぁ。そうだな」

 

愛想笑いをして見せたつもりが表情は柔らかくなるばかりか、さらに直葉の目を吊り上げてしまう。

 

「あの…直葉さ、なんかどんどん違う人に見えてな」

「訳わかんない。私はいつも通りよ」

「そうかもしれないな」

 

 乾いた小さな声で呟くも、和人は胸の中で「そんなわけないだろ!」と怒鳴り散らしていた。半年前に門下生として入った和人でさえ、桐ヶ谷直葉は別人の様に変わり果てた。人形のように無機質で、空虚で濁りきった目に不気味な光。かつて、子犬のように明るく優しい少女の面影は、もうどこにも残っていなかった。

 

「せめてさ、今日だけ遊びに行かないか。折角の休みだぞ。遊ばないなんて損だと思わないか」

「馬鹿にしてる?そんな余裕ある訳ないでしょ。第一、和人と遊びたいと誰が思うの?」

 

和人の横を素通りする直葉の横顔を見ながら、そのとき和人は痛切に、心から悲願した。

 

――手遅れにならないでくれ、と。

 

 過剰に傷を負った直葉の心は、きっと永く尾を引くだろう。だがせめて、心の傷が時間とともに癒えるものであってほしい。それまで、直葉の心が致命的な部分まで壊れていないでほしいと。

 

鳴坂和人は踵を返し、桐ヶ谷道場を睨み付けてから自分の家に向かった。

 

 

 今日も道場は竹刀の打ち合う軽快な音を響かせているつもりだった。源一郎は直葉が道場に入るや否や、神速の抜刀で直葉の頭部を殴った。

 

「遅い!貴様は何をしとったか!!」

「…申し訳ありません。少し――」

「言い訳をするな!!5分の遅刻と言えど、師範の心が身についていない証拠だ!!まだ、教育が足りないのか!!」

 

 返答を待たず、木刀に切り替えた源一郎は直葉のいたる部位に二十合以上を叩きつけた。直葉の体は、魚の臓器物のように、目木の床にうつ伏して、声も音も聞こえなくなる。苛立ちを抑えぬまま、チョーカーの電流で無理矢理に意識を覚醒させた。

 

「まだ、終わっとらん!この程度で気絶など甘ったれるな!」

 

 激情に任せていなければ違っていたのかも知れない。年老いた身体に全身の血液を急激に早めていたせいか。自分に危害を加える考えが無かったのか。いきなり頭部を払われて、木目の床に転がされる羽目になってからも、雷鳴の頭痛に視界が霞んでいく。源一郎は寝転がったまま頭上を見上げて、見たことがない女の顔を見た。何の感情をうかがわせることもなく、直葉は無表情に見下ろしている。

 

――愚鈍の抜刀に反応できなかった。師を手にかける愚か者が。儂は貴様を許さん。地獄に堕ちろ。

 

心中を理解しようともしない後継ぎに、彼は意識の途絶える瞬間まで、呪詛を叫び続けた。

 

 

 道場の冷たい床の上、直葉は目の前で仰向けに痙攣している源一郎の姿を見守っていた。今まで嬲り屠ろうとしてきた祖父がやけにちっぽけだ。しばらく考えた末に、直葉は「ああ、そうか」と納得した。

 

――きっとこれは、祖父が教えたい心構えだ。

 

強者が弱者になる末路を見せつける為に、師範たる祖父は実例を見せてくれるのだ。

 

――分かりましたよ。師範。

 

 少女は従順に頷き、笑みを浮かべる。源一郎の痙攣が徐々に小さくなり、息を引き取る様を、直葉は最後まで達観し、その眼に焼き付けた。

 




【後書き】
桐ヶ谷直葉はハーメルンを読み始めてから気に入っているキャラでもあります。
 彼女の歩む道を暖かく見守って頂ければ幸いです。


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4話 時の終わりと始まり

2006年5月30日

 

東京都中央区にある葛城道場の二階にある大広間は好気と異物が入り混じっていた。大広間に敷き詰められた緑の畳は門下生達によって、埃や木くずは一つもなく、部屋の隅には空気洗浄機が備えてある。これが7年前まで、悪評だらけの道場とは誰も思わない。

 

中央に竹刀を置いた小学生を、正座をした高校生から大学生までの人達が首を伸ばして見ようとしている。

葛城道場の試験監督を務めた朝田響子に、その場にいた門下生は冷ややかな視線を12歳の少年に向けていた。なぜなら、事前に響子は自分の息子である朝田柚季が来ると話していたからだ。新しい人の品定めをするよりも、門下生たちは彼に鬱屈した気持ちを向けずにはいられなかった。

 

――どうせ試験は易しいものになるんだろ。俺(私)の時は厳しかったのに…

 

皆は同時に同じことを思った。親が子を甘くする卑賎さから実力以上の所に入れ易くする行為は社会の在り方として、ここだけの話では無い。しかし、響子の反応は意外なものだった。

 

「これより、入隊試験を始めます。まずは、ウチの門下生と一緒のペースで一時間以内に10キロのランニングを始めてください」

「――は!?師範、あの子は小学生ですよ?それに、俺達も走るのですか?」

「これは入隊試験の準備運動です。もし門下生となれば年齢など関係ない。それに、身体を温める意味でもランニングは効果的なのよ」

 

恰幅の良い門下生の意図を得ない師範の宣言に、他の者も躊躇を隠せない。師範の準備運動は今に始まったことではないのだが、入隊試験前の少年に自衛隊と同じ距離を走らせるやり方には、油断していた門下生の面を食らわせた。

 

「はい。それじゃあ、一時間以内に15キロのランニングね。私は自転車で後ろを見張ってるわ。皆、頑張るのよ~」

 

門下生達は大急ぎで靴入れのロッカーに向かう。急がなければ、師範はランニングの距離を増やして、さらに練習量も増やすかもしれなかった。高校生や大学生の入り混じった集団に、彼はテクテク、テクテク、全身の汗を流して足を早めた。

門下生の主将は折り返しの7キロ地点から誰かついてくるように聞こえる足音に、彼は後ろを振り返った。軽い足音に主将の薄い影を踏みながらついて来ている柚季がいた。他の集団は彼の後ろを引き離し、自分の速度で走っている。早く着けばそれだけ時間を有意義に使えると、彼はさらに足を早めて、その人影を引き離そうとする。

 

葛城道場の前に給水をする主将は、ほぼ同着して仰向けに寝転ぶ柚季の様子に、小学生の身体能力とは見えていなかった。夢中に走っていた柚季に、同じペースで走りぬいて仰向けになる少年を見ると、紙コップに給水用の水を入れて差し出す。

 

「飲むか?」

「うみゅ…」

 

柚季は身体を起こして、水を飲みほす。主将はタオルで全身を拭いていると、他の門下生もランニングを終えて戻ってきた。

 

「はい、そのまま公園に集合!駆け足!!」

 

自転車を駐輪場に止めて戻った師範は言う。

 

「――皆はそのまま待機!!これから入隊試験の反射神経部門を始めます。私と主将で交互に木製のブーメランを貴方に向けて投げます。50本当てますから、その内の20本を防いで下さい」

「師範。彼に休憩はありませんか?」

「連戦になる状況もあれば、疲れていても相応の対応ができなければなりません。むしろ、彼が疲れている機会こそ、本当の実力が見極められます」

 

 交互に主将と師範は、全力で木製のブーメランを投げつけ、柚季は竹刀の柄を握り締めてブーメランを(しのぎ)に当てて軌道を逸らす。やがて目標の20本になっても、師範は投げ続けてしまい、50本のブーメランを全て防ぐまで終わらなかった。

 その後、スクワットや腕立ての筋肉部門、道場で門下生五人抜きの実技部門の試験内容を言い放つ。門下生達は入隊させる気を微塵もない試験に好気や怪異な視線から、次第に哀れな視線に変わる。

 

 本来の入隊試験は準備運動に一時間以内に10キロのランニングと門下生の三人と打ち合いを行い、師範が適性を判断するものであった。筋肉部門を終えた柚季に、淡々と平坦に、師範は息のあがっていない門下生を選ぶ。竹刀を差し出された門下生は戸惑い、視線を泳がせる。道場に向かう師範に、言いよどみながら話し始めた。

 

「師範…その…よろしいのでしょうか?」

「…厳しいけど、これは入隊試験も兼ねて、あの子がどれくらいマシになったか見極める意味もあるの。それに、これで戦えないなら…今はそれまでだったと思うだけ。たくさん失敗して――その失敗を励みにすればいい。どのみち悪い方向には行かないわ」

 

師範の気が悪くならない内にと、門下生は竹刀を握り直すとすぐに柚季と向かい合った。昼に近い時間帯に、外は少し曇っている。雨は降る様子はないが、少しだけ湿っ気がある。畳に足で横線を確認して数分。向かい合った二人は響子の掛け声で互いに地を蹴った。

 

――最終的に柚季は試験を突破した。

 

 それ以降、最年少で入隊の決まった柚季は実力と人懐っこい性格で一年後にレギュラーとなるも、誰一人として意義は無かった。中学生になるまでの柚季は、様々な試合の土地で、いろんな人々や出来事に遭遇し、成熟した精神性を持った男の子に成長していた。

 実力以上に、他人の心情を想う言動に他の門下生は惹かれ、他者の自我を鼓舞していく姿は、次期大将のありさまであった。

 

 

2008年10月18日

 

朝田柚季はいろいろな意味で、普通の男の子とはいい難かった。

 

 小学校高学年から運動の代わりに独学で剣道の修行を重ね、遂には中学一年から剣道部の補欠を務め、葛城道場の総大将を任せられるまでに至った経歴がある。中学生の同期らは柚季個人を認めず、世間の言う親の七光りとコネで成り上がった卑怯者のレッテルを信じていた。

 確かに、葛城道場は過去に多くのスキャンダルを引き起こした有名な道場だ。元々の評判は地に落ちており、師範の朝田響子による功績で立て直されるも、注目を浴びる程に過去のスキャンダルも広まっていた。また葛城道場に所属する柚季は大将戦になる前に勝負が決まってしまう場面ばかりで、戦意のない相手に実力を半分も出さずに勝てるからだ。

 

社会の汚点はネットやテレビの普及を機に、真実を詳しく知りたい好奇心でなく、名前と悪い噂を誰かに広める行為から刺激を得れば、何も知らない受け手の良い暇つぶしとなる。柚季自身は、それを憤懣たるやるせない日々をのらりくらりと躱して過ごしていた。

 

 当時小学生の柚季は葛城道場の大門をくぐり、入隊試験を合格した彼にとっては中学生の先輩が賄賂やおべっかで監督の評価を上げてレギュラーになるよう腐心してきた連中に、独学で学んできた柚季とは実力や格差がつく。書類一枚で入部が決まる中学の剣道と、倍率の高い入隊試験を突破して入隊が決まる剣道では優劣は概ね決定していた。

 久しぶりに何の予定も入っていない朝田柚季は、門下生達の長所を一貫して伸ばす練習メニューをノートパソコンでまとめていた。十人分の練習メニューを書いていると、閉めているドアから一定の音が絶え間なく聞こえてくる。少しうめくも、区切りもいいから今日の課題は終わりにした。せっかくの休みに気分転換をしなければ損というものだ。

部屋に立て掛けてあるアコースティックギターをチラリと見ると、柚季は音のする方に向かった。

 

 

 師範である朝田響子の息子である彼の家は、母親の所属する葛城道場を成り上がらせた功績があっても、質素な二階建ての木造建築に住んでいる。誇らしい所といえば、家族にプライベート用の個室がある程度であり、それも竹刀を素振りする響子の掛け声と、父親の幸一によるエレキギターの音で、ちょっとした軽音の絶えない家庭だ。今日も、空いたドアから竹刀で風をひゅうと唸らせている。

 

「ふん!ふん!ふん!」

「母さん、今日も張り切ってるね」

「あ、ごめん。柚季、ちょっと素振りの音がうるさかった?」

「いや…どっちかと言えば、ふんふんの方だよ。いつもやっているけど、日課なの?」

 

柚季は安心させようと笑みを返した。

 

「そうよ~毎日の積み重ねが大事なんだから。少し抑えようか」

「大丈夫だよ。部屋でヘッドホンするし…構わず続けていいよ」

 

柚季はそれに答えた。響子は首を振り、扉を閉めると、再び軽快な素振りと掛け声を響かせる。

 

Ура(ウラー)Ура(ウラ―)Ура(ウラ―)!」

「…掛け声の問題じゃないんだけどな。何でロシア語?」

 

 深々と嘆息した柚季は部屋の椅子に腰を掛けると、アコースティックギターの弦を弾きながら、ヘッドホンから流れる音楽を楽譜に起こしていく。

 人間は一つのことのみに集中し続けることはない。何かしらの興味や関心を寄せて複合こそが成長にあり、固着のし過ぎは判断を衰えさせ、成長の可能性を潰させる――それはあくまでも傾向であり、裏返せば一般論に過ぎない。

 

世間から朝田響子の息子である朝田柚季は、親と同様に剣道をするべきという話を耳にする。柚季自身は剣道の枠組みに師範である母の看板を背負う呆然としない一体感だった。だが、様々な場所を訪れ、様々な物に触れ合う内に一般論は持論として妙に馴染んでいた。

 

 試合会場に向かう道中に土地や文化の中でも建物や自然以上に、音楽に居心地の良さを感じていた。刀は風を切り上げるたびに、心を奪われ、彼方へと想いを馳せられるが、音楽はまるで風に包まれて自然の一部となったようになる。

 楽譜起こしを終えれば、ただ何となく気分転換に街に出かけてくる、と父親に声をかけると二つ返事で承諾した。地元の閑散とした緑のある場に、コンビニや食料品店で暇をつぶせないのは当然で、食べ歩きをするか、剣道か音楽の書籍を見つけたいという目的が決まっていなければ、街に着いてから決めようとしていた。

 

 

日曜日の昼、電車に揺られて着いた繁華街の奥行きを覗こうとするとどこまでも続いているようだ。人混みの中を歩いていると徐々に意識は自分の内面に向かっていく。こうして人はいるのに独りよがりな感じがするのは何故だろう。人混みから安全地帯に逃げた柚季は、意識を外側に向け始めると、二人の大人に声を掛けられた。

 

「すみません。ちょっとよろしいですか」

「えぇ、いいですよ。どうかしました?」

「私達は、この辺りは初めてでして…この辺りに赤ちゃん用のお店を知りませんか?無ければ、本屋でもいいです」

 

赤ん坊のお店か本屋に行く二人は夫婦なのだろうか。もしや、お互いに不倫関係ではないのか。一瞬だけ連想した馬鹿馬鹿しい思考を辞めて、二人の顔を見る。ほっそりとした痩型に、全体的にスラリとした印象を受ける中性的な顔つきな男性に、女性のほうは標準的な体形で、短髪で茶色の髪は若々しくうっすらと化粧をした頬をしている。

 

「ここの繁華街を越えて道路を渡った場所の近くに小さなデパートがありますが、ナビでも分かりにくい場所です。僕も本屋に用がありますから、一緒に行きますよ」

「それは助かります。お願いしますね」

 

三人は人混みを注意しながら歩くも、歩くたびに肩が当たりそうになるほど窮屈さに柚季は早々と立ち去りたかった。ようやく広々とした道で信号待ちをしている時に、ふと男性に話しかける。

 

「ちょっと踏み込んだ話ですが、赤ちゃん用具を買うのは…お子さんが生まれたからですよね。それは最近ですか」

「一週間前に生まれたばかりだよ。葵と前から名前を話し合っていたから――あぁ、葵は妻の名前だ。嬉しくて今日は、病院で和人の様子を見た帰りのついでに、買い揃えようと思って」

「ホントにこの人はマイペースでね。昔からちっとも変わらないの。急に、日用品を買い揃えようと言い出した癖に、ここの場所は初めてで分からなかったのよ」

「えっ!?」

 

思わず、大きな声が出た。

 

「ほら、見なさい。ほれ、見なさい。これが普通の人の反応よ。いっつも、いきなりで準備もしないで当てずっぽうなんだから」

「まあまあ。葵がしっかりしてくれるお蔭で、無謀でも何とかなるって思わせてくれるからだ。逆に葵じゃなかったら、こんな風なことはしないよ」

「…何言ってるの!私だって、行人さんじゃなかったら付いていかないから」

 

喧嘩をしているようで、第三者の柚季からは客観的にただイチャついているようにしか見えなかった。しかし、悪い気はしない。中学校の同級生は悪い噂を信じているせいか、彼女はおろか、仲の良い友人もいない柚季には微笑ましい光景であり、彼の願望でもあった。

 

 講師でも関わりを拒絶されていた柚季は入学した半年後に、生徒のイタズラで冬季試験のカンニング疑惑を擦り付けられ、一時期は退学の危機もあった。その時は、学校指定の小型カメラの映像をまとめた情報でアリバイを証明し、退学も免れた。裏切りにも、柚季はめげずに人との関わりを諦めなかった。

 人は簡単に嘘に騙される弱さの他にも人を信じる強い心がある――と、柚季は固く信じて疑わなかったし、自らが率先して行動を起こせば認識は変わると、同級生との会話をするよう努めてきた。

 

しかし、現実はどこまでも過酷で残酷だった。

 

 カンニング疑惑で柚季を退学にできなかった事態をおもしろくない生徒達は、周囲を巻き込んで自分達に都合の良い噂を流し始めた。高貴な家柄を鼻にかける優遇生と、優秀な血筋を引いている優等生や学年で一番の秀才への取り巻きから柚季に対するヘイトはより拍車がかかり、初対面の人でも脅すように睨まれたし、柚季の学校生活はひどくなった。

 柚季は講師の授業でも、あの息の詰まるような雰囲気やニタニタした笑みを、なんとか無視しようと努力するのがうんざりだった。入学して一年が経とうとするも、早くも転校か中退か、はたまた飛び級での卒業を画策しようとしていた。

 

「はい!信号が青になりましたよ。渡りましょうか」

 

 繁華街の中央交差点が、多くの車を行き来した後、ようやく信号は青に変わり、柚季は後方に移動する。どうにも赤ん坊を産んだ幸せの絶頂なのか、浮ついた感じが気になっていた。周囲の安全確認もあるが、往来時にスリにでも遭えばつまらない買い物となるに違いない。

 

――頼まれた以上は、仲の良い夫婦の買い物を何とか楽しんでもらいたかった。

 

 歩道の半分を渡り切った柚季は、中央分離帯の反対から速度を落としていない車に、竹刀を振り下ろされるような冷気を感じ取った。

 

「下がって!」

「え?」

 

 突然の警報を分かりかねない夫婦は呆気にとられるのも構わず、柚季は乱暴に背後から夫婦の服を掴み、片足を踏ん張る。両腕で大人を引き寄せた少年の身体は、前へと進む。

 後ろに引かれた葵が叫んだとき、目の前の人物は人影のように消えた。鉄製の白銀狼に襲われて殴られると、柚季は内部から掻き乱される浮遊感に必死にアスファルトの感触に集中する。次第に手足は痺れ、内臓と地の感覚は一つになっていく。瞼を閉じていないにも関わらずに奥行きの見えない真っ暗な景色に聴覚は一切の音を受け付けない。

 

ただ、温かい水に全身を浸されていた。

 

 

警察による鑑定により、事情聴取から被害者は鳴坂葵・鳴坂行人は打撲と軽傷。朝田柚季は意識不明の重症となる。車を運転していた菊岡誠二郎は18歳であり、免許を取ったばかりの青年だ。素性を調べれば菊岡の父は陸上自衛隊の陸将を務めている。この人物に警察は難色を示した。最も階級の高い陸上幕僚長に近い人物であり、政権に太いパイプを持っていることから、下手をすれば警察自体が解体されかねないのだ。

電話で息子の父親に事の成り行きを伝えた警察は、彼の言葉に身の凍る思いがした。

 

「私の息子はまだ若い。それに今回は車のブレーキの故障が原因ではないか。たかだかブレーキ故障と言う他人のミスで、子の輝かしい未来を奪うのは可笑しい話ではないのかね」

 

 検察官からの電話を一方的に切った彼は、次に重傷者の治療に切り替え、専属の弁護士に電話を入れる。弁護士には菊岡に関する全ての情報隠滅を依頼した。さらに、国会で機密に計画しているとある実験――クライオニクス実験を車に轢かれた死に体で試そうと提案した。実験自体は社会を食いつぶす寄生虫に行うも、電圧コントロールの乱れから失敗に終わっている。だが、彼には今度こそ成功する自信があった。

 

「死に体の治療についてだが、私の知り合いに電子設計に詳しい人物がいる。幼稚園に入る予定の娘がいるそうだが、共働きをしていた妻に先立たれた男だ。若くして大学教授をしておる青二才だが電子工学の発表が上手くいかずに、金もなくて貧しいはず。普段であれば必ず断るが――妻と死別して弱り、娘の養育費を稼げなければならない環境では、すぐに飛びつくだろう」

「分かりました。示談につきましては、こちらにお任せください」

 

彼は携帯電話を操作し、その人物に連絡した。

 

「もしもし。今の時間は良いかな――重村くん」

 

 電話越しから張りの無い声に、彼はニンマリと笑う。ここまで弱りきっておれば、実験に協力し、彼には安定した収入と娘の平穏が約束される。成功した暁には、政権内での名声を得られれば、息子の誠二郎は政界へと根回しを行え、菊岡家は安泰となる。

 さらに、クライオニクス実験で被験者は亡くなっても、三年間だけ継続すれば国の認可がおり、日本の医療は世界に注目され、治療が困難な様々な病気の医療実験を行える。全てに得のあるビジネスの成功に、彼は上機嫌で対話を繰り返した。

 

 

2022年10月13日

 

風も匂いも感じない暗い大地。見渡すかぎりに奥行きを感じない空箱。ただ、青白い画面だけが現実の様子を映し出してくれる。狭い部屋に押し込められた場所で体育座りをする柚季は、その画面を茫然と眺めていた。

 

意識を無くした日から、いくつの時間と月日が経ったのだろう。初めてこの空箱にいた時は、取り乱した。画面越しに白衣を着た医師から、クライオニクス実験の子細を事務的に淡々と語られた日には、言葉は頭から抜けていたし、誰もいないのを確認してから堪えきれない嗚咽を漏らした。

 

 無限にある時間に現実と向き合って来れば気持ちが楽になり、初日ほどは落ち着いた。だが、一人になれば自然に流れ落ちる涙があり、それを決まって止めようとはしない。たった一人だけ時の流れに取り残されたこの場所では、何をしても空腹は感じず、眠れることもない。無限にある時間に、柚季は思い起こす。家族や葛城道場の仲間との日々を。勝手にいなくなってしまったことを。いつも通りの日常を送れると思い、家族と気楽にいたことを。

 ここは自分の愚かさを許していい。永遠にして瞬間の時間、安楽という名の罪悪感で――朝田柚季は涙に暮れて懺悔し続ける。もう戻れない日々に後悔をのせて。誰もいない孤独に怯えて。

 

 

2022年11月6日

 

 睡眠や空腹の感じなさにつまらなさを高じていると、外の映像をスライドさせて新しい刺激を模索したくなる。どことなく住みにくさを紛らわそうと悟った時、詩や音が生まれて、一つの音楽を完成させていた。また、プログラムの木刀をインストールさせてもらい、素振りや試合のデモンストレーションで暇を潰す日々を過ごした。

 今日もスライドさせていると、白衣男性の画面に差し替わり、その医師と向き合う。身体の定期検診と思っていた医師の声は、予期していた柚季の要件とは違っていた。

 

「そーどあーと・おんらいん…ですか」

「次世代型VRMMORPGだよ。聴覚、味覚、視覚、触覚、嗅覚――人間の持つ五感の全てを感じられるゲームでね。今日はその稼働日で、世間ではその話題で持ちきりだよ」

「へぇ~先生も興味あるんです?」

「私はそうでもないよ。ただ、このゲームは現実世界に近い動作で仮想世界を楽しめるからね。医師としては、これが発展してくれれば、四肢の動かせない子どものリハビリになるんじゃないか…と興味はあるかな」

 

と口の内で静かに言い、右手からゲームソフトのパッケージを柚季にも見えるように向け、

 

「この病院でも、リハビリを兼ねてゲームのソフトを支給してもらってね。何人か声を掛けているのだが…柚季君はどうだ?」

「え?僕がですか?」

「君は剣道をしていたのだろう?このゲームは主に剣を使うらしくてね。良ければやってみないかい?」

 

ゲーム自体は詳しいことはないも、この時ばかりは好奇心に胸を高鳴らせて、柚季は剣を扱う世界を思い描いていた。剣を使う世界とはどんな情景が心を揺り動かすのだろう。仮想世界の太陽は肌に熱を持つのか。風は身体を吹き抜けるのか。ここで暇を潰すより、プレイヤーと交流をしながら新しいゲームで剣の感覚を取り戻す方が、有意義であると選択した。

 

「分かりました。是非、お願いします」

「分かったよ。柚季君の使っている機械はメディキュボイドと言ってね。医療用だが、ソフトを接続すれば遊べるものだ。おっとこうしている間に時間がきたし――早速、繋げよう」

 

医師はゲームソフトをコンピューターの取り出し口に入れる。ロード画面に身体を引き寄せられるような感覚に、意識を手放した。

 

 

 青い光に包まれながら視界に飛び込んでくるのは、18世紀の中世ヨーロッパを意識したと思われる街並みに降り立った。ここはソードアート・オンラインが舞台、浮遊城アインクラッドの最下層、「はじまりの街」の中央広場である。

 周りを見渡せば肌色のレンガ通りに黒い四角柱のオブジェ。そして黒い天上の背後には黒いドームに、プレイヤーにアイテムを薦める商人などが視界一杯に広がっていた。

 

「分からない事ばかりだから情報が欲しいなぁ。できれば、ゲームに慣れている人に声を掛けて付いていきたい…しっかし、皆が同じ顔に見えるし、誰がそうなのか分からないな」

 

 全身をメディキュボイドで覆われてログインしたプレイヤー名『ユズル』は、名前を登録しただけであり、ゲームで自身の分身をアバターとして作成する必要はない。顔は現実世界と大差はないも、黒い艶のある長髪は決定的に違っていた。

 後ろに長く伸びた髪はサラリとした鈴の音を鳴らせ、いつまでも撫でていたくなるほどの柔らかな毛をなびかせる。とはいえ、半ばこのままでは情報を集められないと途方にも暮れていた。

 

「おーい、そこのあんた!」

「え、俺のことか?」

 

広場でも軽快な声にユズルはその声の主を探して周囲を見渡す。背後から、声を掛けられた目つきの凛々しいプレイヤーは振り向いてから困惑した。赤いバンダナに爽やかな顔立ちの目立つプレイヤーからの興奮気味さを控えながら言う。

 

「あぁ、あんただ。迷いなく外に向かおうとするあたり、βテスターだろ」

「まあそうだけど…」

「おぉ、それなら話は早い。いきなりで悪いが俺VRゲーム自体が初めてでな、色々教えてくれ」

 

ユズルはすぐ、二人のプレイヤーに向かって走り出した。。

 

「すいませーん、自分も初めてで…よければ混ぜてください」

 

と、わざと大きな声で二人の足を止める。赤いバンダナのプレイヤーは少し驚いた顔をするも、しげしげとユズルを見つめていた。

 

「俺は一緒でも大丈夫だが、キリトはどうだ」

「別にいいぞ、クライン。俺の名前は…」

「そっちがクラインで、あなたがキリトだね」

 

何だか久しぶりの感覚だ。ずっと一人だったせいか、嬉しさのあまりに相手の話を聞き終える前に答えてしまう。そんな心情のユズルに、キリトは困惑した風に口をへの字に曲げた。

 

「えっと、そっちの名前は何だ?」

「そうだった。まだ自己紹介をしていなかった。僕はユズルだよ、よろしくね」

 

 長髪の少年――ユズルははにかみながら答える。少年は知らない。目の前にいるキリトこそ、かつて交通事故から守った鳴坂葵と鳴坂行人の子どもであることを。

 プレイヤー名『キリト』――鳴坂和人は知らない。この同い年の少年が自分の運命を変えた恩人であることを。

 

二人の少年は、14年の年月を経て、相まみえた。

 




【補足】
・クライオニクス実験
未来における蘇生に望みをかけて、極低温で人体を保存する技術。日本にはまだ施設は存在していませんが、遺体を冷却後、海外に送るサービスは提供している。



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エピソード1 アインクラッド編
キャラクター設定資料【アインクラッド編】


以前感想を頂いた【匿名希望】さんのリクエストで設定資料を作りました。
 もしよければ、お楽しみください。


本作は決まった性格等はありません。

 

代わりにキャラクター一人に≪タロットカート≫を深層心理に根付かせています。大きい困難であればあるほど多くの人の集まり、連携し合います。時には心を支え合い、時には難題を人の力と根付いたカードの結束で乗り越えていく様に本作は心掛けています。しかし、深層心理とはいえ強いストレスや環境の変化で刺激されれば変化することはご了承下さい。

 

【正位置=長所】

【逆位置=短所】

 

また本作は大アルカナカードを参考にしております。タロットカードは本やサイトによっては統一されておらず、似通った意味で記載されています。もしよければ『目安』位の気持ちで見て頂ければ幸いです。

 

鳴坂 和人【名:キリト】『星』

 

正位置・・・恵みの雨。豊かな大地。豊かな収穫。良薬。奇跡。愛を与える。優れた健康。希望。時がいつの間にか流れる姿。洞察力。純粋な気持ちを育もう。精神的援助。美しさ。順調な愛情。同じ目標・未来を持つ仲間との絆を大切にしよう。明るい未来。

逆位置・・・無い物ねだり。高すぎる理想が障害となる。友情のつまずき。見通しが甘い。物事が過度になる。水に流される。働きすぎによる疲労。美貌の衰え。邪推。良くない航海。

 

壺井 遼太郎【名:クライン】『戦車』

 

正位置・・・征服。勝利。凱旋。自立。出世。野望をなしとげる。困難の克服。宗教、迷信に打ち勝つ。先頭をきった最初の勝利。自力で勝ち得た成功。感情を上手く制御する。新しいエネルギー。経済的野心の成功。立身出世。力で勝ち取った恋愛。戦争。戦火。大胆に行動する。

逆位置・・・計画の挫折。恋愛などの敗北。障害。利己主義。ルーズ。他人の権利を無視する。自己中心。早合点。暴走。無鉄砲。失敗。

 

結城 明日奈【名:アスナ】『魔術師』

 

正位置・・・希望。創造。巧み。熟練。創業。強い意志で仲間達を引っ張る。恋愛や交際の始まり。才能。ものごとの始まり。個性を生かす。奇跡を起こすこと。人の前で奇術を見せる。意思の力。新婚旅行。

逆位置・・・優柔不断。不適当。弱さ。不安定。神経の不足。創造力の不足。未来の計画に対する臆病さ。無理にすすめられる結婚や結婚式。胡散臭さ。悪賢さ。自信がない。

 

綾野 珪子【名:シリカ】『恋人』

 

正位置・・・重要な選択。恋のチャンス。無邪気な十代や若者の恋愛関係。ワクワクする体験。ひとめぼれ。美しさ。情熱。好きで打ち込む趣味。重要な事件の発生による選択の時期。悩みが消える。

逆位置・・・パートナーシップの危機。誘惑。遊びだけの関係。気まぐれ。結婚生活の危機。痴話げんか。道徳心の欠如による危険。嫉妬。希望に関して重要な道が選べない。優柔不断でチャンスを逃す。予期せぬ問題。

 

重村 悠那【名:ユナ】『節制』

 

正位置・・・職業上の成功。業績をあげる。人とのコミュニケーションが開運のカギ。名家。宝石。大邸宅。倹約。蓄財。生命力。純粋な愛情。名誉。誇りをうる。高潔な人格。芸術家。気持ちが通い合う。精神的なものと肉体的なものが一致した恋愛。社長。高給生活者。勝負師。

逆位置・・・衝動的にならないように。わがままは程々に。贅沢。浪費。恋愛上の孤独。夢想的な恋愛。コントロール・調整が下手。少女趣味。生命力や活力の浪費。自制心が働かない。

 

後沢 鋭二【名:ノーチラス】『運命の輪』

 

正位置・・・幸運。成功。無限のひろがり。幸運。良いことが起こりそう。新しい局面。運命的な出来事。運命の歯車が上手くかみ合って、幸運な展開になる。転機。新しい恋のめばえ。環境の変化による問題の解決。

逆位置・・・つかの間のチャンス。幸運の後にやってくる突然の不幸。ギャンブルにツキはない。狂ってしまった歯車は、悪い方へと回転していく。経験不足からくる失敗。行き違い。遅れ。悪い転換。事件の終わり。

 

桐ケ谷 直葉【名:???】『力』

 

正位置・・・勇気。自己犠牲。柔よく剛を制す。インスピレーション。不可能を成し遂げる力。常識や社会通念の打破。偉大な精神的指導力。行動による愛の成就。努力と忍耐による愛の勝利。理想へ向かう。相手の醜い欲望をなくさせる。危険を恐れない勇気をもつなら計画を実行に移すことが出来る。我が道を行く。

逆位置・・・獣性や強いものに負ける。本能を制御できない。力の乱用。忍耐の欠如。過信。チャンスを逃がす。プライド・品性を保とう。投げやりになるな!自惚れすぎて失敗する。

 

朝田 柚季【名:ユズル】『愚者』

 

正位置・・・愚かな行為。浮浪者。すべてはこれから始まる。白紙の状態。浪費。無邪気。子供っぽい。未熟。まだ目覚めていない恋心。ノイローゼ。精神病。好奇心を持ち、世界に飛び出せ。何かに夢中。夢想家。可能性に満ちた恋。

逆位置・・・情報過多のため判断を誤る。終わりからの再生。精神的な目覚め。悟りをひらく。愚かな選択。知識を求めての旅。曖昧な理由で選ばない。気まぐれ。よい旅。間違った道を行く。無謀な恋。愚かな恋。学業の中断。破滅。

 

アンドリュー・ギルバード・ミルズ【名:エギル】『正義』

 

正位置・・・正義。裁き。裁判。調停。公正な人物。常識家。均衡をとって生きていく人。バランスのとれた愛情。家庭と仕事の均衡をうまくとる。財政上の均衡がとれる。

逆位置・・・相手を厳しく裁く。裁判上の厳しい裁き(敗北)。無法。暴力。財政上の失敗。公正さを欠く。家庭と仕事のバランスが崩れる。

 

篠崎 里香【名:リズベット】『女帝』

 

正位置・・・美貌の女性。官能的な女性。未来に対して安定した現状。農作物の実り。母親の気遣い。面倒見がよい。家庭・家族の暖かさ。自然と接触することから得られる霊感とやすらぎ。心を開いて人生を楽しもう。芸術的才能や感覚。オシャレ。繁栄。同情的な親切。物質的援助と保護。豊かな土地。良い土地。自然が損なわれていない土地。

 逆位置・・・楽しいこと・安楽を求めすぎて怠けてしまう。優柔不断な愛。不決断。女らしい性格のマイナス面。なかなか受胎しない状態。厚化粧。気が多く、むやみに人を好きになる。ひとりよがり。おしゃべり。口やかましさ。女性的な悪知恵。虚栄心。高慢。

 

オマケ(アニメを見た筆者の印象)

桐ケ谷和人【名:キリト】『吊るし人』

 

正位置・・・自己犠牲。自己放棄。試練。奉仕。難行。殉教者。幽界(潜在意識の世界)からの導き。身動きのとれない状況。ジレンマ。復活。再生。犠牲的精神で耐え忍ぶと良い。一発大逆転も有りうる!損得を考えずに、相手に尽くそう。

逆位置・・・我欲のとりこ。スランプ。自己主張がすぎる。つかみ難い態度や状況。敗北に導く精神的葛藤。友情にヒビが入る。自己犠牲が報われない。相手に真意が伝わっていない。引き籠りからの脱出。

 

最後に―――

 これはあくまでも、作者であるボクが考えたキャラのイメージです。皆さんはそれぞれ、キャラの感じ方があり、感じたままに分析してみるのも面白いかもしれません。

森羅万象、この世の中は二つの反するもので作られていると言われています。

善=悪、天国=地獄、天=地、それらはこの小説のテーマでもあります。人間の心は、振り子のように、様々なエネルギーで緩急を変えて、善にも悪にも成りえる。

 そんな表現を小説と言う¨文章¨や¨言葉¨で書ければと思います。

  

設定資料をリクエストしてくれた【匿名希望】さん、ありがとうございます!

そして、いつもご愛読嬉しいです。これからもこの小説をよろしくお願いいたします!!

 



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1話 鳴坂家の日常

2022年11月6日

 世界初のVRMMORPG、通称『ソードアート・オンライン<Sword Art Online>』の正式サービス開始日となった。

 2022年8月にβテストを開始して満を期して販売される仮想現実大規模多人数オンラインゲームだ。ネットゲームと比べて従来の視覚聴覚のみならず、触覚・味覚・嗅覚の5感すべてを体感して遊べるゲームとして注目されている。

 一番の目玉はアインクラッドの広大な大地を自由に駆け回ることができ、熱い砂漠や寒い雪道といった厳しい環境や、道中のモンスターに襲われる一方、ずっと留まっていたいと思える美しい自然を堪能できるところだ。

 約1000人のβテスターの応募に当選し、ゲームの開始をいまかいまかと待ち望んでいた鳴坂・和人もその一人だ。中性的な容姿で整った顔立ちと線の細い身体をしていた。

彼は日曜の11時に関わらず、まだ眠っているが、もう、そう長くは眠っていられないだろう。

 

1階の下から母の鳴坂葵が息子を起こそうと2階に上がってきた。

「いつまで寝てるの!?いい加減に起きなさい!!」

和人は驚いて目を覚ました。母さんが部屋のドアをドンドン叩いていた。

「まあまあ。せっかくの日曜日くらいのんびりしてもいいんじゃないか」

1階から父である鳴坂行人の声がした。

 

鳴坂行人はコンピューター会社に勤める会社員だ。ほっそりとした痩せた体形のせいで、全体的にスラリとした印象を受ける。顔つきは女性のように整っていた。奥さんのほうは標準的で、茶髪で、長い髪をバナナグリップで止めている。

 

行人は入れ直した熱いコーヒーを飲み、新聞を読みながらそう答えた。

「そうはいいますけどね。お隣の桐ケ谷さんは朝早くからランニングをしているのをみるとね、小言の一つは言いたくなりますよ。」

葵はぴしゃりと言いきった。

和人は寝ぼけた頭でうっすらと母の会話を聞いていた。

 桐ケ谷さんとはお隣で親戚同士の付き合いをしており、年の近い子ども同士を持つ仲のせいか会話はもっぱら娘と息子の話ばかりしている。最近の話題は娘の桐ケ谷直葉だ。

彼女は近所で有名な【桐ケ谷道場】の跡取りとして、幼少期から、ずっと剣道をしている。近いうちに大会があり、早朝から練習をしているというのだが、和人にとっては全くの謎だった。今日は日曜の朝なのに・・・。直葉はたまに和人を誘い剣道の模擬試合をしているが、よく空回りしていた。基本的な型はできているのに、無駄に力の入った戦い方をする。

 息抜きしてみたらどうだと言えは、彼女は怒り、話を聞く耳を持たなくってしまう。

幼いころから妹のように関わっていて、最近はどう接しようかと悩むことが多い。

そう考えるうちに和人の頭は冴えてきて、大きくあくびをして起き上がった。

 

「毎日決まった時間に起きて、ご飯を3食しっかり食べる!こんなぐーたらな生活を続けていたらあの子はすぐに生活習慣病なんてものにかかるのよ」

・・14歳の子どもにかかるわけがないだろう

行人は内心、葵の心配性に呆れながら呟いた

 

ここ数か月βテスターに当選した和人は次世代ゲームのソードアート・オンラインを毎晩遊んでいる。親としてゲームにのめり込む心配をしていたが、和人の成績は学年30位以内を維持しているだけに言い切れないところがある。

 

数分経った頃に和人はうめいた声をだしながら降りてきた。

居間には朝食のベーコンエッグにプチトマト、こんがりと小麦の香りがする食パンが用意されている。

「今日はだいぶ起きるのが遅かったな」

「今日はSAOが始まるから、楽しみで眠れなかったんだよ」

ゆっくりともぐもぐ食べていた時に父の呟きにそう答えた。

「だからといって昼まで寝ていい理由にはならないわよ」

「う・・、気を付けるよ」

 確かにここ最近はゲームをする時間を増やしているせいか睡眠をおろそかにしている気がする。少し眠いのか、生返事をしているような気がした。

「まだ寝ぼけているか。なら和人の寝ぼけた頭を目覚めさせる良い言葉を言おう」

「そんな言葉があるのか」

「あぁ、今新聞に載っているが、お前の楽しみにしているゲームは13時から始まるそうだぞ」

その言葉を聞き、和人は家の時計を見た。

・・・すでに時計は12時30分を過ぎている。

「なんで早く言わないんだよ!?」

「言うタイミングを計っていた。早く起きない方が悪い」

・・身もふたもない言い方をされてしまった。とにかくすぐに準備をしなければならない。

まずは食べている朝食を急いで食べ終えた。

その次は顔を洗い、歯磨きをして、お風呂に入り、化粧水をつけて、あと香水もつけて・・

和人の一連の動作に2人は「これからデートでもいくつもりなのか」と失笑していた。

やがて、一通りの準備を終えて、和人は自分の部屋に戻った。

 机の上に置かれたヘルメット上の機械を持ち、それをコンセントに差し込み、ソフトを読み込んで被った。時間は12時58分、ギリギリ間に合い、安堵する。

―あと一分。早まる動悸を深呼吸して落ち着ける。

―あと十秒。帰ってきたら直葉と話し合ってみよう。

・・三・・ニ・・一・・・ゼロ!

 「リンク・スタート!」

かけ声と同時に、体をそっと包み込むように意識をおとした。

 




二次創作の小説は初めて書きました。
 ご意見、ご感想、アドバイスなどありましたらどうぞ申し上げて下さい。
のんびり投稿ですがよろしくお願いします。


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2話 始まりの街と出会い

            一

青い光に包まれながら視界に飛び込んでくるのは、18世紀の中世ヨーロッパを意識したと思われる街並みに降り立った。ソードアート・オンラインが舞台、浮遊城アインクラッドの最下層、「はじまりの街」の中央広場である。

周りを見渡せば肌色のレンガ通りに黒い四角柱のオブジェ、そして黒い天上に背後には黒いドーム、プレイヤーにアイテムを薦める商人などが視界一杯に広がっていた。

周りのプレイヤーはいろんなものを全て見ようと、辺りを見渡しながらゆっくりと歩く様子が見られる。

 βテスター段階ですでにこの場所を熟知していた鳴坂和人こと、プレイヤー名『キリト』は、すぐにレベル上げで溢れる狩場にいち早く着くために悠々と人込みを掻き分け、駆け出していた。

 

その様子を見ていたある人が慣れてない足取りで追いかける。

赤いバンダナに爽やかな顔立ち、後ろに整った赤い髪、赤い鎧を着こなした武将のような男性が息をきらして向かってきていた。

「おーい、そこのあんた!」

「え、俺のことか?」

キリトは思わず立ち止まって答えた。

「あぁ、あんただ。迷いなく外に向かおうとするあたり、βテスターだろ」

「まあそうだけど・・」

思わず、そうですよと言うつもりが、ぶっきらぼうに答えてしまった。

「おぉ、それなら話は早い。いきなりで悪いが俺VRゲーム自体が初めてでな、色々教えてくれ」

 若武者は気にするそぶりを見せずに興奮した様子で言った。

 キリトはこの世界に来て久しぶりに気さくに声をかけられた気がした。オンラインゲームは現実世界とは違い、仮想世界ならではの規則の範囲であれば大概の事は許される。それを逆手に、進んで悪事を働く人や、悪を演じる人も存在し、現実世界では許されない詐欺や窃盗の犯罪行為が罷り通り、仮想世界だからこそ現実世界では許されない行為に走る人間も多い。それだけに、若武者のようなプレイヤーを嬉しく感じた。

「分かった。俺でよければできるかぎり教えるよ」

「おぉ、助かる!俺はクラインだ、よろしくな」

「俺はキリトだ。よろしく」

 軽く握手をし、お互いにパーティ申請をして『合意』ボタンを押した。

キリトは初めてのプレイヤーでも倒しやすいモンスターとして有名な、青いイノシシ型モンスター【フレンジー・ボア】の生息する始まりの街の南部に向かうことを決めた。一行が向かおうとした時に、もう一人のプレイヤーに声をかけられた。

 黒い瞳に、長髪の髪を後ろに束ね、痩せてひょろっとした子で、初期装備の鎧を着た男が声をかけてきた。

「すいませーん、自分も初めてで・・。よければ混ぜてください」

「俺は一緒でも大丈夫だが、キリトはどうだ」

「別にいいぞ、クライン。俺の名前は・・」

男は柔らかい表情でクスクス笑いながら答えた。

「そっちがクラインで、あなたがキリトだね。」

・・名前を言う前にいわれてしまった。

一緒に行こうと言うつもりだったのに、言葉が迷子になってしまい、「名前は?」と聞いてしまった。クラインは相手の対応に怪訝な表情をしていた。

「そうだった。まだ自己紹介をしていなかった。僕はユズルだよ、よろしくね」

キリト、クラインのパーティにユズルを加えて始まりの街の南部に向かった。

                     

            二

 

 

辺り一面に草原が広がっており、寝転がるにはちょうど良い坂もある大自然が目に入った。同時に辺り一面に青い猪が出現して遠目で他のプレイヤーが戦闘を始めている。

 キリトは手慣れた様子でソードスキルを発動させつつ、直進攻撃を躱して倒していた。

 クラインはフレンジ―・ボアの攻撃を正面から受け止めようとし、その衝撃で吹き飛ばされていた。

そういえば初めてVRをする人の多くは回避かスキルの発動は一つできれば十分であり、両方するには慣れが必要であった。キリトは言い忘れていた事は言わず、クラインにアドバイスをした。

「ソードスキルの発動で大切なのは、初動のモーションだ。システムがそれを認識すれば、あとはシステムアシストで技を命中させてくれる。」

「おし!やってみるぜ。」

クラインは十分にやる気を込めてソードスキルを発動させ、右手に持つ武器が輝き始めた。

するとフレンジーボアに突撃して、その胴体を斬りつける。無事にフレイジーボアを倒すことができた。

「やったぜ!」

「初勝利おめでとう。でも今のイノシシは、アインクラッドでは最弱だけどな」

「えっ、マジかよ!おれはてっきり中ボス位だと思ってたぜ」

「そんなわけあるか」

周りを見れば、遠目で同じモンスターが出現し、クラインはうつむいていた。

 

一方、ユズルはクレイジーボアの攻撃を回避しつつ、通常攻撃をするばかりでいまだに倒せていない。

「ユズルー、ソードスキルの使い方は知らないのかー」

その様子を見ていたキリトは多少声を張って話した。

「なぜか、ソードスキルが使えなくてねー。なんかいい方法はないー」

ユズルは声を弾ませながら言った。

普通はソードスキルが使えないことはあり得ないと不振に思いつつ、プレイヤースキルで伝えられることを伝えることにした。

「剣道の基本だが下半身を軸にして、剣先は遠心力を使って遠くに飛ばすイメージで振れば力を入れやすくなるぞ」

「分かった。やってみるー」

ユズルはクレイジーボアの直接攻撃を寸前で回避し、空中で大きく腰を捻りながら剣を振り下ろした。こちらも無事にフレイジーボアを倒すことができた。

ようやく倒すことができ、ユズルは一呼吸を入れる。

 まさか剣道の基本動作を伝えただけで、すぐに実践し、倒すことのできたユズルに、和人は内心驚いていた。剣道のような基本的な型を身に着けるには何度も決められた姿勢で竹刀を振る必要があり、一連の動作は一長一短で成功するものではないからだ。

呆然と考えごとをしていたキリトは、ユズルの満足した顔を見て「まあいいか」、と気分を変え、クラインと三人でこのゲームについて何気ない会話をして楽しんだ。

 

いつの間にか夕日が差し掛かっており、そろそろ現実は17時に近い時間だった。

「あ、そうだったぜ!」

突然クラインは思いついたように声を上げた。

「今日の夕方に新作のクリスピーピザを予約していたんだった。」

「いいなぁ、それ聞いたらピザ食べたくなってきたよ」

ユズルは口に手を近づけて、舌をジュルリとした仕草をする。

「へへ、あまいな。俺はあつあつのピザを予約済みよぉ」

きりっとした表情のクラインは、フレンジーボアを倒した時よりも、生き生きとしていた。

 

キリトとユズルに背を向けて立ち上がったクラインは手早くメニューを開く。

 しかし、様々なボタンを押したり戻したりを繰り返し、途中で「あれ?」「何でだ?」と焦るような仕草をしていた。

予約したピザの時間に間に合わないから焦っているのか、と思い背後から顔を覗かせてみれば、顔に大量の冷汗をかいたクラインが慌てた様子で言った。

「ログインボタンがどこにもねぇんだよ!」

 



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3話 始まりの鐘と三剣士の誓い

                 一

クラインが叫ぶと同時に、耳を塞ぎたくなるような、鈍い鐘の音が響き、三人は強制的に青い光に包まれた。目を開けると、はじまりの街にいた。どうやら強制的に転移させられたらしい。ゲームでは単純な出来事なのに¨転移した¨と気づくにキリトは数秒かかった。

周りに何千人ものプレイヤーが次々と強制的に転移させられていた。

 

中央広場の上空中央が赤く点滅し、いきなり増殖するかのように空に広がり〔Warning〕と〔System Announcement〕の文字列が交互に並んでいた。

その文字から次第に液体が流れていき、最終的に赤い液体が滴り人型の大きなローブを羽織る形に仕上がった。

 

この街に集められた全ての人々が呆然と上空を見上げる中、得体のしれない者は声を発した。

『プレイヤー諸君、我の世界へようこそ。私はこの世界のGMであり、コントロールできる唯一の王である。プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしこれはゲームの不具合では無く、このゲーム本来の仕様である』

 キリトの頭は、花火のように次々と疑問が浮かび上がった。何をどう整理したらよいか分からない。取りあえず、目の前にいる得体のしれない者は『自称GM』と認識させた。

そんな様子を気にせず、自称GMは機械的に話し続ける。

 

『諸君は自発的にログアウトすることはできない。また、外部の人間の手による、ナーヴギア停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合はナーヴギアの信号素子が発する光学粒子が諸君の脳の神経インパルスを吸収し、脳の活動を停止させる。」

「嘘だ、はったりだ、そんなことあるわけがねぇ!」

怒りのあまり、クラインは、出せない声を振り絞って言う。

「ナーヴ_何なの、それ?」気になってユズルは聞いた。

「すまん、後にしてくれ」とキリトは自称GMの話を聞くことにした。

『無慈悲にも、現時点でプレイヤーや家族、友人などが警告を無視し、ナーヴギアを強制的に解除しようと試みた例が少なからず有り、その結果、213名がアインクラッドから消滅し、現実世界では植物人間及び廃人と化している』

GMの右手が上がり、テレビ映像が中継された。呼吸をするだけで動けない者や喃語を話すばかりの人に家族と思われる人の泣き叫ぶ声などが映り、とても直視して見る映像ではなかった。

 

『この状況はあらゆるメディアが繰り返し報道している。すでにナーヴギアが強制的に解除される危険は低くなっている。諸君らは、安心してゲーム攻略に励んでほしい。繰り返し言おう。今後ゲームにおいて、体力がゼロになった瞬間、諸君らのアバターは、永久に消滅すると同時に諸君らの脳の記憶はナーヴギアに保管され、肉体は生きる屍となる。』

 

周りのプレイヤーはGMを見上げながら悪態を付いていた。キリトは声には出さないようにしているが、グツグツと煮える怒りは収まず、胃がひっくり返ったような感じがした。

 

『諸君らの解放される条件は、2つだけだ。このゲームをクリアするかGMである我を見つけ出せば良いだけだ。各フロアの迷宮区を攻略し、フロアボスを倒せば上の階に進める。第100層にいる、最終ボスを倒せば、クリアだ』

・・・どこか愉悦感を含めた余裕のある機械音の響きにまた胃が逆流しそうになった。

 

「それでは、最後に諸君のアイテムストレージに、ささやかなプレゼントを用意してある。確認してくれたまえ』

 自称GMの言われたとおりにストレージを開くと手鏡のアイテムがあった。突然目を開いていることすら厳しい強烈な光に襲われたが、すぐに収まる。

目を開くと手鏡には現実世界の自分の顔が映っていた。隣にいたクラインは爽やかな顔立ちから顎に無精ひげを生やした顔つきに変わり、互いに「お前さん、キリトか?」「え、クラインか?」と確認しあった。ユズルの顔つきは全く変わっておらず、すぐに分かった。

 

『以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の健闘を祈ろう』

 自称GMの演説が終わり、アバターが消えたと同時に広場は大混乱に包まれた。

泣いてうずくまる者や悪態をつく者や女性の服をきた男がアバターを戻せと言う者もいればプレイヤーに切りかかり、衝撃で吹き飛ばされる者が連鎖で広まる。剣と剣が夕日の中で火花を散らして交差する姿は、血腥い戦場に見え、広場の中心にいたキリトとユズキは、思わず、動くことができなかった。

「こっちだ!」

そんな中、キリトとユズキはクラインに引っ張られ、路地へと入った。

 

                  二

 

クラインに引導され、二人は人通りの少ない黒レンガ住居の裏口に入った。幸いにも他のプレイヤーはおらず、知り合いしかいない空間は、徐々に気持ちを落ち着けることができた。

キリトは、一呼吸つき、ある提案をした。

「二人ともよく聞いてくれ。この世界で生き残るには自分を強化しなくちゃいけない。

だけど、この辺りの狩り場はすぐに借り尽されてしまうだろう。俺は次の村に拠点を移そうかと思っている。もしよかったら、二人とも俺と来ないか?」

 キリトは右手を差し出して誘った。 

「すまねぇ。俺、他のゲームでギルメンだった奴らと、徹夜で並んでソフトを買ってな。そ、そいつらも多分ログインしてて、さっきの広場にいるはずなんだ。見捨ててはいけねぇ」

キリトの表情が曇ったのを見て、クラインは慌てて言葉を続けた。

「まぁ俺のことは気にするな。お前にこれ以上、世話になるわけにはいかねぇよ。一応このゲームやる前は、ギルドの頭をやっていたしな。気にするな、今まで教わったテクで何とかしてみせらぁ!」

クラインは声を高々とあげて答えた。

「俺は広場が落ち着いたら、中央広場に行くが、ユズルはどうするんだ」

「うーん、僕はちょっと別行動をしようかな」

クラインに尋ねられ、ユズルはここを離れることにした。彼はこの近辺の情報がほしかった。

βテスター段階での変更点や武器のスキルとかの調整誤差の確認をしておきたかった。

デスゲームとなった以上、情報収集は必要、と考えていた。

「そうか、ならここでお別れだな。次会った時は強くなった姿を見せてやるよ!」

「おぅ、何かあったらメッセージを飛ばしてくれ。」

三人がフレンド登録し、メッセージを送れるようになった時に、ユズルは「そうだ!」と声を張った。

 

「クラインの武将衣装を見てたら、男三人でやりたくなったことがあったよ」

ユズルは二人の肩を持つように手を広げてヒソヒソ声でやりたいことを伝えた。

クラインの身長は高く、彼には屈んでもらわなければ手をまわせなかったが、うまく、合わせてくれた。どうやら三国志の有名な名シーンに三銃士の誓いを合わせた儀式をしたい、というものだった。キリトとクラインはこの話を聞き、幼いと思いつつも、やってみよう、という気になった。

 

三人は剣を上に掲げ、刃を交差させる。金属音が聞こえたが、中央広場で聞こえる金属音と比べれば不思議と不快な感じはしなかった。

 

「「「我らはここに義兄弟の契りを結ぶ」」」

キリト「互いに困ったときは助け合い」

ユズル「悩みがあれば話し合い」

クライン「三人で重荷を分かち合おうぜ!」

「「「我ら三人、同年同月同日にこの地に立つことはなくとも」」」

「「「同年同月同日に生還することを願わん!」」」

 

掛け声と共に交差した剣を引き、それぞれが別々の道に駆け出して行った。

 




ようやく一区切りがつきました。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

第1話から第3話までは原作沿いの展開で進めてきましたが、
次回からはここまで目立っていないオリ主を添えて物語を進めていきます。

エピソードゼロの第1話を投稿するまでですが、アンケートを実施します。
 のんびり投稿となりますが、よろしくお願いします。



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4話 第一層攻略会議

第1話から第3話までのアンケートにお答えいただき、
 ありがとうございます(^-^) これを参考にしていきますので
よろしくお願いします。

エピソードゼロ2話にもかきましたが、
 今回から文章を分かりやすく見やすくするために変更しました。
ご了承ください<(_ _)>


2022年12月2日

 

――砂漠フィールドの砂を踏みしめつつ、身体を前へと進ませていく。

 

 太陽のギラギラとした熱さが汗を増やし、歩くたびに吹き荒れる風があたり、表面に砂がくっつく感触を無視していく。

 

 目の前に一度倒したモンスターが再び戦闘可能な状態で出現すれば、同じ様に倒していく。同じフィールド内を歩き回り、同じ行為を何度も繰り返した。

 

「―――くっ!」

 

 熱の暑さで注意が散漫になり、後ろに出現したモンスターの敵意に気付くことができず、天地がひっくり返った。

 頭から砂を被ってしまい顔中が砂だらけになったが、敵は待ってはくれない。手で目を擦る余裕すらない。敵の位置は砂が巻き上がるか砂を踏む音で予想することにした。

 

「―――ふぅ」

 

 呼吸を整えて意識を集中すれば風が砂を巻き上げる音しか聞こえなくなってきた。他は大きく砂を踏み鳴らす音が混じって聞こえる。イレギュラーな感じに身の危険を感じた…

 

「そこだ!」

 

 敵の攻撃を目の前で受け止め、その途上のモンスターの側部を剣で振り回して切り付けた。モンスターは攻撃に耐えきれず、そのままポリゴンとなって消える。

 

「……まだまだあまいなぁ」

 

 巨大な石で日陰になっている所に腰かけ、ユズルは溜息をつきながら呟いた。

 

 キリトとクラインと別れて、一か月が過ぎて死者は2000人に及んだ。現状は一層のボスも確認されていない。βテスター時点での変更点を情報屋やプレイヤーに聞き込み、モンスターの再登場率が早い狩場を探す日々を過ごしていた。中でも一番の変更点は経験値や武器の熟練度が上がりにくくなっている所だった。他は、モンスターのレベルとプレイヤーのレベル±10の差があればコル(ここでの通貨)やアイテムのドロップ率は半分になる。おまけに経験値の取得も半分になるときた。自然と強いプレイヤーは上層に上がり、弱いプレイヤーは下層で留まるようになれば、お互いに死のリスクを軽減することはできない仕様に変更されていた。

しかしながら、ユズルの一番気になっているのは―――

 

「ソードスキルを覚えないのは、なんでだ?」

 

――自分自身だった。

 キリトに教えてもらった場所でモンスターを狩り尽くした後は情報屋で聞いた場所を狩場にしてレベル上げに励んでいた。現時点でレベル10となり、パッシブスキルでダメージ量を増やして倒せているのに…。肝心の攻撃スキルは覚えられず、プレイヤーの中ではかなり弱い部類であった。ユズルは情報屋からもらったガイドブックを開き、読みながら考えることにした。

だんだん汗で冷えた身体が寒く感じてきた時に¨ピロン¨と鳴り、メニュー画面を開けばキリトからの連絡だった。

 

『今日の16時にトールバーナーで第一層の攻略会議が始まる。ユズルは来るか?』

 

結局ガイドブックを読んでも自分の問題は解決のしようがない。もう僕は開き直ることにした。さっきの戦闘のようにある程度はプレイヤースキルで補助すればなんとかなるだろう。ユズルはそう言い聞かせていた。

 

『もちろん行きます。連絡ありがとう』

キリトに返事を返して僕はトールバーナーに向かった。

 

 

トールバーナーは始まりの街と似た雰囲気ではあるが、商人の数は比べるまでもなく多くて賑わっている。剣や斧、こん棒、ひのきの棒が店内に並び立ち種類も豊富だ。特に回復アイテムのポーションは人気があり、たまに顔を覗かしても¨売り切れ¨ばかりが目立つ。

いつも売れ残るひのきの棒を見ていると『あれはただの棒ではない。他の商品をより高級に引き立たせる効果があるかもしれぬ』、と勝手な解釈をして満足した。

 

「そういえばキリト、どこで攻略会議やるか書いてなかったな。」

 

 前途多難かなと思っていたが、どうやら僕の杞憂(きゆう)に終わった。歩いていたら中央の掲示板に攻略会議の場所が掲載されており、さっそく向かうことにした。

 

掲示板に示されていた場所へ着くと、すでに他のプレイヤーが集まっていた。古代ローマのコロッセオを思わせる風貌に、風化のせいか割れている石柱に石造りの床、広場の間には中央ステージに合わせて階段が伸びている。

 

 とりあえずユズルはメッセージを送った持ち主のキリトを見つけては、声をかけて隣に座ることにした。座って気が付いたが、石造りの椅子は冷たくて小石が食い込んでかなり痛い。地味に痛い。僕はHPが減らないことを確認してからキリトに話しかける。

 

「キリト、久しぶり~」

「おう、ユズル。来てくれたんだな」

「まあね。レベルもだいぶ上がってきたしね。」

 

 キリトはメッセージのやり取りはあるとはいえ、実際に話すとでは気持ちの感じは違う。

何気ない会話はデスゲームとなった以上、いつでも訪れるものではない。ほんの数分ではあるが会話を楽しんだ。……それにしてもさっきから気にはなっていたけど、

 

「なんだか会場全体がピリピリしてるね」

「それはそうだろうよ。ようやくボスの場所が分かって初めての攻略会議だからな。皆が殺気だったり、緊張するのは仕方がない」

 

 キリトの話を聞いて、僕なりに何とか納得した。

 

しばらくしてから中央ステージに青髪のプレイヤーが手を叩きながら壇上に上がってきた。

 茶色の鎧に青色の装束服を着こなした好青年なプレイヤーの印象を受ける。

 

「は〜い!そろそろ始めさせてもらいまーす。今日は俺の呼びかけに応じてありがとう。俺はディアベル。職業は、気持ち的にナイトをやってます!」

 

 ディアベルの冗談とも言える発言に「そんな職業ないだろ」「ほんとは勇者って言いたいんだろー」という批判に聞こえない野次が飛び交う。さっきまでのピリピリはほとんど感じなくなった。

 ユズルはたった一言の言葉でこの場を和らげた彼のリーダーシップに関心すると同時に僕も人と関わるならこういう人になりたいとも感じた。そんな心情とは裏腹にディアベルは言葉を続ける。

 

「よし、早速本題に入ろう。このゲームがデスゲームとなって暫く経った。このまま引きこもっていても何もはじまらない。実は昨日、第一層のボスに通じるマッピングに成功した!」

 

ボスまでのマッピングに成功した――

 つまり一直線でボスに向かうことができるという意味であり、周囲は「おー」と声を上げる。

 

「このガイドブックによればボスモンスター、イルファング・ザ・コボルド・ロードは手下を召喚するらしくて――」

「待たんかい、ダボが!!」

 

 いきなりの怒鳴り声に会場全体は静まり返った。怒声を発したであろうプレイヤーがバタバタと足音をたてて中央ステージに向かっていく。ツンツンした頭をしたプレイヤーがディアベルの隣に並ぶように立つ。

 

「えっと、どちら様?」

「ワイはキバオウちゅうもんや!ボスと戦う前にひとつだけ言わば気が済まん、こんなかに今まで死んでいった2000人に詫びいれなあかんやつがおるはずや!!」

「それって、βテスターの人達のことかな?」

「せや!」

 

キバオウは答え、さらに言葉を続ける。

 

「βテスターどもはこんクソゲーが始まってすぐに、上手い情報を独占して自分らだけ強くなって、後は知らん顔。この中におるはずや!ワレはβテスターがアイテムやら金を差し出してけじめつけるべきと言うとるんや!!」

 

 ユズルは一瞬だけキリトを見ると、キリトの表情は青白くなっていた。明らかに瞳孔(どうこう)は広がり大量に汗をかいている。いま僕が声をかければ、中央にいるキバオウに悟られてしまう。

そう思い、キリトの背中に軽く触れて目配せをした。気持ちが伝わったか、深呼吸をするキリトの姿があった。

 

「発言いいか?」

 

会場の空気を割って身体の大きい黒人のプレイヤーが声を上げる。背中に斧を担いたスキンヘッドではあるが、落ち着いた口調のおかげで威圧感はない。他のプレイヤーの視線がある中で彼はキバオウに話しかける。

 

「俺の名前はエギルだ。キバオウさん、あんたの言いたいことは、βテスターが面倒を見ないせいで、新参者がたくさん死んだ、その責任を取って謝罪しろ、と言うことだな?」

「せや!」

「このガイドブックは無料で配布されているものだ。これには、第一層の情報が詳しく書かれている。このガイドブックを作成し、配布するように手配したのは、βテスターだ」

「……は?」

 

どうやらガイドブックの存在を知っていてもその情報はどう集まったかは知らなかったらしい。キバオウは表情を歪めて押し黙った。

 

「手に入れようとすれば、情報は手に入っていたんだ。それを怠り、死んだのは、そいつの責任だ。新参でもβテスターでもだ」 

「すまない、まだ納得がいかないかもしれないが、キバオウさん、ここは俺に免じて抑えてくれないか?今は、第一層を攻略することが最優先だ」

 

 キバオウは、舌打ちをして石造りの椅子に座った。一連の流れを見ていた僕はβテスターが思っていた以上にヘイトを受けている現状を危険と感じた。確かに情報を集めている時に『βテスター=強者、その他=弱者』の根拠のない定義を聞いたことがあった。情報のアドバンテージがあっても、自分で考えずに思考を停止した人は慢心して死。それを分かっていなければ、ここにいる人達は生きていなかっただろう。それでも誰かに八つ当たりしなければいけない――。自然とヘイトがアドバンテージのある方に向くとなれば行きつく先はβテスターだったか。ユズルは危機感を感じつつ、今は、ディアベルの話を聞くようにした。

 

 「皆、すまない。時間を取ってしまった。話の続きだが、ボスを叩くチームと雑魚を押さえるチームに分けたいと思う。各自2~4人のペアを作ってくれ」

 

 キリトはすぐに僕をチームに誘い、他の人を誘おうと周囲を見渡す。同じ列の隅に誰にも声をかけられていないプレイヤーがいた。女性と思われるが赤いフードを深く被っているせいか顔は良く見えない……。

 

「あの‥よかったらパーティを組みませんか?」

「………は?」

「あぁ、いや、誰とも組んでなければ俺達と一緒に、と思って…」

「…いいわ、組みましょう」

 

どこか怪しいナンパ師のような声のかけ方ではあったが、通報されず、無事にパーティを組めた。顔までは最後まで分からなかったが、パーティ申請の時に彼女の名前は¨アスナ¨とだけ分かった。

 

 その後はSAOで基本的かつ必須のテクニックである≪前後交代(スイッチ)≫や≪ポットローテーション≫を知らない僕と女性に集団(パーティ)戦闘の基本をキリトに教えてもらい、風呂つきの宿に泊まっているというキリトの紹介でアスナと僕は同じ宿に泊まることにした。

 

 

 ユズルは個室のベットで寝そべりながら考えた。今日のキバオウのβテスターを良く思っていない発言。たまたま、彼が発言したが、同じ様に同調している者は少なからずいる――。彼はそう考えていた。

 

これからの攻略でβテスターの風当たりが厳しくなれば情報屋経由で作られているガイドブックの完成が遅れる。そうなれば、情報不足でレベル上げをしているプレイヤーの死亡率が上昇し、人材を増やせず攻略どころではなくなってしまう。ただでさえ『GMを見つけ出せばクリアとなる』という条件が、色々なやり方で殺し合いを誘発させており、あまりのんびりとはできない状態だった。

 

「打開策としてはどうするべきかねぇ」

 

 考え事をしている時はとにかく集中。隣の部屋から、誰かの絶叫や物が落ちたような大きい音が聞こえたが僕は気にしない。おそらく、発情した人が暴れているだろうと結論付けた。数分間、考えて彼のだした答えは――

 

「分からん!明日に備えて早く寝よ。朝食はどうしよう…」

 

答えは定まらず、布団の暖かさに包まれて眠ることにした。

 



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5話 第一層攻略戦

PV1200以上
UA500を突破しました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。

今回は初の集団戦闘となります。上手く表現できていればと思います。

ただアンチ・ヘイト要素があります。ご注意くださいm(_ _)m


2022年12月3日

 

迷宮区といわれる道中の黒い石造りの洞窟は薄暗く、青色の炎の明かりが黒石を反射して、より不気味だった。あれから数分ほど経ち、ボス部屋に到着した。

道中はモンスターと戦闘したが前衛が速やかに片付け、目立つ被害はない。扉の前で手役者のディアベルは握りこぶしを胸の前で作り、メンバー全員に向かって叫んだ。

 

「皆、俺から言えることは、ただ一つ……勝とうぜ!!」

 

ディアベルは叫び、皆を激励した。キリトは集団の盛り上がりにディアベルのどこか引っかかる物言いに彼の心中を推し量りながら「盛り上げすぎじゃないか…」と呟いた。僕も同じ意見だ。初のボス戦は怖いしリラックスして戦闘したい者には手厳しいものだ…。

それに――

 

それ以上に敵前で士気を上げる行為は『恐怖心をリーダーのカリスマ性と錯覚させてリーダーの判断は全てと思わせるやり方であり、集団はそれを疑わずに従う』という無意識化を植え付ける。つまり個々の思考を単調にさせやすくして柔軟な対応をしにくくさせてしまう。彼の態度にユズルは怪しむ。皆の喝采で聞こえにくいが隣のアスナは「どうせなら移動中にやればいいのに…」と話し、ユズルとキリトは、声には出さず「「ごもっとも」」と同じことを思った。

 

 ディアベルはゆっくり扉を開く。中は真っ暗だが、辛うじて部屋の奥で鎮座する巨体が見えた。全てのプレイヤーが入り終わると、暗かった部屋に明かりが灯り、玉座に座っているコボルドの王は立ち上がり、その場から高く跳躍しプレイヤー達の前で着地する。

 

牛と馬の声を合わせたような雄叫びを上げると同時に三体の取り巻きも出現し、そのモンスターがボスであることを示すカーソルと名前、四本のHPゲージが出現した。

 

イルファング・ザ・コボルド・ロードの雄叫びはフロアに響き渡り、鼓膜を震わせるようなハウリングは攻略組に恐怖を植え付けるには十分だった。ソードスキル後の硬直状態に似た状況に陥った前衛は動けず、棒立ちとなる。その隙を見逃さないニ体の取り巻きは前衛に向けて襲いかかって――

 

「――ユズル!」

「――キリト!」

――これなかった。

 かけ声と同時に二人の剣がニ体の取り巻きを抑え込む。この戦陣を切る姿に攻略組は動揺する。キバオウは視線を二人に捉え、睨み付けたまま何も言わない。我に返ったディアベルは二人に遅れて号令をかける。

 

「突撃――開始!!」

 

ディアベルの号令と共にプレイヤー達は一斉に突撃した

 

 

 コボルドの王は、右手に持った斧を先頭の前衛に振り下ろした。分厚い盾がそれを受け止め、強烈な衝撃音が広間を揺らす。攻撃を受け止めてもダメージは蓄積していく。体力が半分程度になってくれば、ディアベルの号令で後衛と交代する。これを繰り返していけばコボルトのHPを少しずつ減らし、安全に倒せる作戦だ。

 キリト・アスナ・ユズルのパーティは周りの取り巻きを倒しつつ、ボスを倒すパーティをアシストする役割である。ボスを観察しつつ取り巻きの相手をしていく…

 

「アスナさん、スイッチ!」

「ええ!――ハァッ!!」

 

先制攻撃を仕掛けたとはいえ、取り巻きを倒し切れてはいない。敵の攻撃に合わせて後ろに後退した時に僕はアスナさんに合図を送る。アスナの細剣が取り巻きの喉元に突き刺さる。急所をつかれ、HPを全損した敵はポリゴンとなって消えた。

 

「ナイス!」

「よそ見しないで!次、来るわよ!」

 

彼女は汗の張り付いた顔を払い、周囲を見渡し、死角にいた別の取り巻きの攻撃を防ぐ。僕と同じ初心者であるはずだが、彼女の戦闘センスは頭一つ抜きんでていた。細剣から繰り出される神速のソードスキルの発動に周囲の索敵による情報判断能力。磨けば磨くだけ光り輝くダイヤの原石を見つけたような気さえ起きた。

 

「キリトくん、スイッチ!」

「おう!――おらぁ!」

 

アスナの攻撃を防いだ一瞬のスキを見て、キリトはアスナのいた場所と入れ替わり、取り巻きを切り刻む。急所をついていないが、HPを全損させていた。僕達のパーティはこれを繰り返していく……

 

 

イルファング・ザ・コボルド・ロードはHPバーが一つずつ減るたびに武器を入れ替え、攻撃を繰り返す。前衛にダメージを与えても、すぐに後衛と入れ替わり続ければ攻撃を防がれて体力を減らしても全快となって元通りになる。

 

――直接的な攻撃が通らない。

 

コボルトの王は負けじと、武器を横に大きく振る準備を始めた。

 

「範囲攻撃だ!散開しつつ後退!他はアシストに回れ!」

 

 ディアベルの指示により、パーティは後退していく。途中で取り巻きの退路妨害にあうが、アシストパーティによって難なく後退できた。攻撃は空をきり、スキルを使った代償に硬直状態となる。

 

「敵はすぐには動けない!攻撃をたたみかけろ!!」

「よし――いくぞ!」

 

 ディアベルの指示により、エギルも攻撃に加わりコボルトの体力を大きく削る。敵の硬直状態が回復したのを機に全快したパーティと交代する。コボルトの王はゲージが減るたびに攻撃が大振りになってきたことで、より体力を削りやすくなってきた……

 

 

数十分後、イルファング・ザ・コボルド・ロードの四本あったHPバーも最後の一本となった。コボルトの王は両手に装備していた武器を投げ捨てた。腰に装備していた武器の柄を持ち、それを引き抜こうとする。同時にディアベルは取り巻きを無視し、ボスに突進する。

 

「皆、下がれ!ここは俺が行く!」

 

 キリトはディアベルの様子を見ると同時に、ボスが持ち替えた武器を確認する。βテスター段階とは違い、【野太刀】を装備していた。野太刀は日本では【大太刃】と呼ばれ、ソードアートでは範囲攻撃の威力を増幅させる武器であった。唯一の弱点はその大きさ故に接近戦では小回りは効かずに十分なダメージを与えられない点……だが、今のディアベルの位置は範囲攻撃の射程範囲内だ。ボスは持ち替えつつ、範囲攻撃スキルを発動させる準備もしている。

 

「駄目だ!!全力で後ろに跳べっ!!」

 

悲痛を混ぜたキリトの叫び声もディアベルの全体重を預けた突進は止まらない――

 ここで剣を投げても趣味スキルのひとつ¨投擲¨スキルがなければボスには届かない。ならば走ってディアベルを突き飛ばしてしまおうならば距離が遠すぎて間に合わない……。

――ユズルは賭けにでた。すぐに持っていた剣を二週間前にトールバーナーのバーゲンセールで接近戦用に買った短刀に切り替える。短刀を落とし、ボスにめがけてハンドル部分を右足の甲で思いっきり蹴り上げた。

 

「――行っけぇ!!」

 

蹴り上げたナイフはイルファング・ザ・コボルド・ロードの右目に直撃し、死角からの攻撃に動揺したボスの攻撃は狙いが定まらない。野太刀の範囲攻撃は地面に当たり、その爆風でディアベルと前衛組は吹き飛んだ。

 

「――ぐはぁ!!」

「ディアベルはん!」

 

吹き飛ばされたディアベルはキバオウに受け止められる。直接攻撃を受けていない所が幸いして体力はイエローまで下がるが大事には至っていない。だが疑似であっても¨死¨を体験したせいか、ディアベルは放心していた。今の彼では全軍を任せて立て直すことはできない……

 

「行ける?キリト、アスナ」

「…あぁ」

「…えぇ」

 

 声掛けと同時に三人はコボルトの王に向かって突撃していく。これ以上の被害を抑えるにはボスを手早く倒す――

シンプルで分かりやすい作戦ではある反面、死亡率も高い難しい作戦だ。それでも、取り巻きを相手に前後交代を繰り返して身に着けた勘のおかけで大変とは思えない。何度も反復して生まれた自信があった。

 

「うぉぉぉお!」

「はぁぁぁぁあ!」

 

キリトとアスナはソードスキル発動で硬直状態にあるコボルトの王に攻撃を仕掛ける。ラストゲージで硬直状態も早まったせいか、普段より早く回復して反撃してきた。ギリギリの所で回避したがフードはボスの攻撃で破けてしまい、アスナの顔が見えるようになった。

 

「――くっ!」

 

 明るい栗毛を長く伸ばした、綺麗な少女だった――

アスナは破れたフードを気にせず、攻撃の手を緩めない。キリトもアスナに合わせてコボルトの王を両断する。相手も負けてはいない。二人の攻撃を振り払おうと野太刀を大振りしようとする。

 

「よそ見するな!獣風情が」

「―――ッ!!」

 

 言い捨てて、剣を片手に構えるユズルの身体が宙を舞う。

モンスターの右手首から左足まで駆け抜け、その途中、剣で切れる範囲内はコボルトの王の毛肌を滅多切りにしていく。コボルトの王は足場でチョロチョロと動き回るネズミに気を取られ、キリトとアスナの突進攻撃に気が付かなかった――

 

「「これで終わりだぁぁぁ!!」」

 

二人の突進攻撃をまともに受けたイルファング・ザ・コボルド・ロードはポリゴンとなって消え、『congratulation』と表示された。数時間にも感じる戦闘はここに終わる……

 

 

表示と同時に奥に現れた第二層への扉が開かれる。周りのプレイヤーも歓喜で満ち溢れていた。エギルは一仕事を終えた涼しい顔をしていた。キリトとアスナはお互いに一息ついたせいか、やりきった表情で地面に座り込む。ディアベルは放心状態から回復してプレイヤーにねぎらいの言葉をかけている。キバオウの方は逆上していた。

 

「ふざけんなや!」

 

キバオウが吠えた。

 

「何でディアベルはんにボスのこと、隠しとったんや!ワレ!!」

 

キバオウはユズルを指さし、大声で喚いた。

 

「…………は?」

「ワレはボスの使う武器や取り巻きの攻撃、知ってたやないか!それに、ボスドロップ目当てでディアベルはんを殺そうとしたやないか!!」」

 

 いったい、かれはなにをいっているんだ。僕自身はドロップアイテムを狙っていたわけではない。そもそも、ボスの武器を見破れたのはキリトのおかげだ。ボスを倒せたのはアスナのおかげだ。考えがまとまらないし、辻褄も合わない。

ユズルの気をよそに、キバオウの言葉は続く。

 

「ワイは見たで! ボスに向かって短刀を蹴り飛ばしたところを!あんなんスキルはβテスター以外はあり得ん!良いところを取りたくて言わなかったんやな!!」

「俺分かったぞ、こいつβテスターだ、だからボスのスキルとかを知ってたのか」

「だから、あんなスキルを持っていたんだ」

「そうかそうか」

 

 キバオウの言葉は伝染し、プレイヤー全体に暗雲が広がる。その内の一人が見当違いのとんでもない事を言い出す。

 

「分かったぞ、あいつはGMだ。奴を殺せばこのクソゲーから脱出できるぞ」

 

…誰かが言ったかは分からない。周囲のプレイヤーはユズルに視線を向ける。獣を狩る目つきに一瞬だけ怯むが何とか気持ちを整理する。ただひとつだけ言えることは―――

ここにいては危ない――感じたと同時に、

 

「そうだ、奴がGMだ!」

「殺せ!殺せぇ!」

 

周囲のプレイヤーに殺意が同調し、しまっていた武器を持ち直した。

 

「皆いったい何を言っているんだ!落ち着くんだ!」

「ふざけるな!ユズルがGMなわけがないだろ!!」

「何を言ってるの!?やめて!」

「皆、落ち着くんだ!!」

 

 ディアベルやキリト、アスナやエギルが弁解をしても、集団の声にかき消されて彼らには届かない……

 

「みな行くで!!ワイらの正義で、奴を殺したれ!!」

 

 キバオウの掛け声と同時に集団で突撃してきた。ユズルは素早く跳躍して第二層の扉に向けて駆け出していく。キリトの近くをすれ違った際に、

 

「絶対、生きる!!」

 

足は止めず、顔は向けず、一目散に走りぬいた。

 

 

「くそ!どこに消えやがった。」

「あっちのほうを探すぞ。」

 

 走り回っていた時に隠れるにはちょうどいい洞穴を見つけ、かき集めた石で入り口を塞いで隠れていた。少しでも動けば気配で見つかってしまう。動かずに敵が遠ざかるまでやり過ごすことにした。やがてプレイヤーの足音が聞こえなくなり、溜息をつく。

 

「…何で、何でこんなことになったんだろうな」

 

 まさか自分にβテスターのアンチを受けるだけでなく、GMという虚像(きょぞう)をも植え付けられた。これから先は、本気で殺そうとするプレイヤーに狙われ続ける。だからといって、僕が正当防衛で殺せば、GM説は濃厚となり、討伐隊を組まれる可能性があった。現時点で状況打破の考えはない。今はできることをしよう――

 

「まずは、クラインに連絡と」

 

最初にユズルはキリトではなく、生還の誓いをしたもう一人の兄貴分であるクラインにメッセージを書き込む。

 

『クライン、いきなりの突拍子もないことをかくけど、驚かないでね。第一層の攻略戦で僕にβテスターのアンチとGMの疑いがもたれている。勿論濡れ衣だけどね』

 

『キリトに至ってはその現場を目の前で目撃している。もしどこかで僕を弁解する発言をすれば、今度はキリトにGMの疑いの目を向けられる。だから、クラインはキリトに直接会って「黙っていてほしい」と話してほしい。攻略組に顔の割れていないクラインだから任せたい』

 

『最後だけど、僕は絶対に生き残る。三人で生還を誓った約束は破らないよ。ほとぼりが冷めてきたら、また連絡するね!』

 

一通りのメッセージを書いた後、一度手を止めて考え込む。その後、『長文、失礼』と付け加えて送信した。

 




無事にディアベルは生存しました。
 お読みいただき、ありがとうございます


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6話 扉の世界

原作沿いであれば≪月夜の黒猫団≫の登場ですが、ここでユズルを合わせても死亡フラグが建ってしまいます。

 そこで今回はオリジナル展開です。初めての執筆ですが楽しんで頂ければ幸いです。

また、オリジナル装備、オリジナルスキルが登場します。ご注意下さいm(_ _ )m


2023年3月11日

 

 どうやって迷宮区の出口にたどり着き、どうやってプレイヤーを追い払い、また隠れる場所を見付けたのか、ユズルははっきりと覚えてはいない。道中の移動はまったく時間がかからなかったような気がしたことだけは覚えている。頭の中は襲ってきたプレイヤーの笑い声、怒声、奇声がガンガン鳴り響き、頭を振り回して忘れようとする。理性のストッパーが外れた声は心に容赦なく襲い掛かり、自分は何をしたいのか、もう意識は無くなろうとしていた。ただ毎日「今日だけを生き抜く」だけを意識するだけで精一杯だった。

 

「…ハァ…ハァ…」

 

 今日は第21層の岩陰に隠れていたプレイヤーの奇襲による損傷を受けつつも回廊結晶を使い、無事に第20層に逃げ延びてきた。上層に向かうほどプレイヤーキルに合いやすく、下層にいればプレイヤーに通報させる日々が続いていた。街の宿屋はプレイヤーの溜まり場であり、お尋ね者扱いのユズルは休めるはずはない。心と身体のバランスはチグハグでぐちゃぐちゃで擦り切れている。限界で誰もいない寝室を求めて寝床を探していた時にいつの間にかひだまりの森にいた。

 

「…ここ、なら…休め、るかな」

 

 隠れるなら森か人混みに紛れた方がいいと思い、ここに簡単な寝室を作ることにした。まずは自分の身長より長めに木を伐採し始める。嬉しい誤算で、森林伐採は数回木に切り込みを入れただけで手軽な長さにでき上がった。伐採した木はアイテムストレージに仕舞い、両手が軽くなる。

 

「つぎは、き、に登る、けど…」

 

 体力的な疲労か精神の衰弱なのかは分からない。視界がぼやけていく感覚に襲われる。意識を顔に集中して奮い立たせた後で大木にしがみ付いて登り始める。木に手や足を引っかかけやすい窪みのおかげで比較的上りやすい。時間はかかったが手頃な高さまで登れた。

 

「…ふぅ、次は」

 

大木の枝の上でアイテムストレージを開き、伐採した木を具現化させる。具現化した木を別の枝に引っ掛けて簡単な橋ができあがる。ユズルはこれを寝床の代用にできると考えていた。

 

「……うまくいってよぉ」

 

ユズルは祈るように木を降ろした。降ろした木は別の枝に引っかかり、ユズルは大声を上げず、内心で飛びあった。最後に風や振動で木が落ちないように、伐採する前に剥いだ木の皮を丸めて紐状にする。ズレ落ち防止に木と枝を固定すれば簡易な寝室が完成した。

 

「これで、休める…」

 

喜ぶ前に強烈な睡魔が襲い掛かってきた。今度は抵抗せずに、そのまま眠りにつく。野宿のようにプレイヤーに襲われる心配はない。久しぶりに熟睡できる喜びと安心できる贅沢感に包まれていた。

 

 

2023年3月13日

 

 簡易寝床を完成させて二日経つが、未だにユズルは眠り続けている。肉体的な疲労と命を狙われ続けた精神的な負担の為にはまだ眠っていた方がいいが、もう、寝てはいられないだろう。不意に¨ピロン¨と鳴り、音で飛び上がった。頭を覚醒させ敵の足音と勘違いしたユズルは剣を装備して周囲の索敵を行う。周りに誰もいないことを確認して一息入れる。

 

「…誰もいないか」

 

僕の聞いた音は何かに気付くまでに数分の時間をかけた。額に付いた冷汗を手で拭い、乱れた呼吸をある程度整えて剣をアイテムストレージに仕舞う。メニュー画面を開ければクラインからの連絡だった。

 

『ユズルよぉ、久しぶりだな!今大丈夫か?おめぇのことが心配でよぉ。よければしばらく俺の所で身を隠さないか?第19層のラーベルグにいるが、どうだ?』

 

 ラーベルグは主街区だがどこも扉を閉めておりNPCはほとんど歩いていないゴーストタウンのような風景が特徴の街だ。年中暗い霧の絶えない不気味な街であまり人通りのない道ではあるが露店は珍しい食料やアクセサリーを展示している。その不気味さは吊り橋効果で好きな人同士でデートをすればカップルになれる縁結びスポットとして有名なのはプレイヤーの間ではもっぱらの噂だ。

 

クラインのメッセージは3ヶ月ぶりであるが文章全体に違和感があった。プレイヤーの少ない場所に呼び出したこと。ラーベルグ特有の濃霧による視界の悪さは人が紛れ込みやすく奇襲を受けやすい点でお尋ね者扱いのユズルを討つ環境に適している点だ。

 

それ以上に気色悪い所は、僕の呼び方だ。GMの虚像を印象付けた日からクラインはお忍びで会いに来てくれていた。世間の評判を考えも僕に会いに来るメリットは無いのに……

 

「…何しているの。危険を冒してまで自分に会いにくるだけの価値はない!」

「心配いらねぇよ。俺の装備は仲間に預けていてなぁ。それに…ほっとける訳ねぇだろ!」

 

彼は、会いに行く時はギルドメンバーに自分の鎧や装備を渡した影武者を用意してきていると話していても僕は納得できなかった。その後も何度も会いに来るクラインを追い返せず、いつしかお互いの愚痴を言い合う仲になった。危険を差し引きしても会いに来てくれること事態は何よりも嬉しかった…。こうして何度も会いに来るうちにクラインは僕を「ユズの字」と呼ぶようになり、メッセージに「ユズキ」と呼ぶ点はあからさまにおかしい……

 

「たぶん罠だとは思うけど、襲ってくるプレイヤーの親元を知れるチャンスかな。」

 

 虎穴に入らざれば虎子を得ず。

何事も危険をおかさなければ、目的を達したり、大きな成果を得たりすることはできない。今のまま逃げてばかりでは状況打破にはならず遅かれ早かれ倒されてしまう。心に青い炎を灯したユズルはクラインにメッセージを書き込む。

 

『クライン久しぶりー。誘ってくれてありがとう!ラーベルグの中央にある時計塔の前で待っててね!すぐ行くよ。』

 

クラインに送信後、簡易寝室を解体してアイテムストレージに仕舞った。木の上はゴツゴツしていたが、現実世界で椅子を並べて寝るよりは眠り心地はいい。しばらくは木の上で寝る生活を茫然と考えていた。地上に降りた後ユズルは、耐久値に余裕のある剣を腰かけて第19層のラーベルグの主街区に向かった。

 

 

 ラーベルグの入り口は暗い雰囲気を演出するためかベージュ色をベースにした看板に蝋燭の明かりの装飾は人の住む場所よりは魔法使いの住む場所と言えばしっくりくる。今日は運よく、露店も出品しており、クラインか刺客が来るまで時間つぶしになると思っていた。

僕は近くにあった食料品を見ていると背後に忍び足で近づくプレイヤーに気付く。足音は聞こえないが殺気に近い感情に肉体が引き締まる――

 

「死ねぇ!屑が!!」

「――ッ!」

 

フードを深く被っていたが、時計塔で待っているはずのクラインの元に向かう前に主街区でプレイヤーの攻撃を受けた。街でもかまいなくソードスキルを発動させる。攻撃を回避した先にNPCの露店に突っ込んで商品が地面に散らばった。襲ってきたプレイヤーは謝るわけでもなく、悪態をついてNPCに攻撃を仕掛ける。咄嗟の行動にユズルはNPCを庇い、剣を抜いて攻撃を弾き返した。

 

「何をしている。僕だけを狙えばいい話じゃないのか!」

「クズが何を言っているんだぁ。俺の邪魔をしたから消そうとしただけだ。たかがプログラム一つ消そうがどうとでもなるからなぁ」

 

 相手の恍惚した顔に高い声で答える。プレイヤーキルの行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理に『GMを見つけだせばクリアとなる』といえば納得できる。だが、明らかにプレイヤーでないものまで平気で切り刻む正常さに、ユズルは相手の狂気に身震いした。

 

「きさまを消せばどうとでもなる。お前の仲間は討伐に協力してくれたしなぁ~。仲間に裏切られてどんな気分かなぁ~」

「……くっ!」

 

 やはりクラインは何かしらの理由で討伐に協力している……。普段は武器破壊で追い返す程度にしているが仲間を利用した怒りが込み上がった。刺客の攻撃に合わせて背後に回り込む。濃霧による視界の悪さもあり、刺客はユズルを見失ってしまった。周りを見渡しているうちに、相手の首部分を狙って手刀をおみまいする。

 

「――ぐべぇ!」

 

手刀を受けた刺客は気絶してしまった。同時にフードを被った複数のプレイヤーが向かってくる。とにかく捕まらないようユズルは街を走り回った。

 樽の中や屋根裏に隠れても刺客からは逃げられず、刺客は迷うことなく一直線に向かってくる。まるで居場所を初めから分かっている動きにユズルは腹が立った。街の入り口は複数のプレイヤーの気配を感じる…。周辺は居場所を追跡しているプレイヤーに襲い回されて捕まるのは時間の問題だった。

 

 

「こうなったら下水に逃げ込んでやるかな」

 

ほぼ捨て台詞ぎみに吐き捨て、追っ手を振り切るためにマンホールの蓋を開けて飛び込んだ。下水の匂いを気にしたが悪臭はなく、無臭で水の流れる音が空洞に響き渡る。寒さや暑さを繊細に表現するソードアート・オンラインが悪臭を表現しない配慮はありがたい。悪臭をも表現しようとするならば管理プログラムの設計者は匂いフェチの性癖を疑わざるをえなかった。周囲の索敵をしてもプレイヤーの気配や足音は聞こえない。無事に撒くことができた。

 

「何とか撒けたかな。だが、クラインを利用したのは何でだ?何で他のプレイヤーに居場所が筒抜けだったんだ?」

 

 僕は目をつぶって頭を整理し初めた。気絶させたプレイヤーは「お前の仲間は討伐に協力してくれたしなぁ~」と言っていた。もしかして、クラインを利用した理由はメッセージ履歴を盗み見て僕との繋がりに気づいたか、又はお忍びで会いに行っていた所を尾行して特定したのかもしれない。協力した理由も相手に何かを脅されて協力せざるを得ない状況だったかもしれないが…

……結局は「かもしれない」憶測と妄想の域でしか判断できずに考えることを辞めた。

 

「クライン、ごめん。」

 

頭で裏切られたことが分かっていても、心は賢くなく落ち込むばかりだ。【悪名高いβテスター】【GMの虚像】の看板を背負う自分に関わったばかりに危険な目に合わせてしまった。誰もいない空洞に思わずポツリと呟く。

 

 

歩いていると身長が200cm以上の長方形体形の老人がいた。白いひげに白い眼をしたしわの多い老人でありたいが、余りにも面妖な姿にユズルは声をかけていいものか戸惑った。普段なら怪しい者には声をかけなくても、何かのクエストと思い声をかけてしまった。

 

「あの~お爺さん?おじ様?ですよね」

「フォフォ、ワシに声をかける人は主を合わせて34人目じゃな」

 

…34人もクエストを受けていたのか。本当に数えているかは分からないが面妖な老人に声をかけたモノ好きは自分だけでないことに安心した。面妖な老人はさらに言葉を続ける。

 

「ワシはこの地下で扉の番人を務めてもう数え切れないほどの年月が過ぎた…多くの人間が扉の試練を受けて帰ってこない。帰ってこない人間を待つ番人など夢物語のようなものだ」

「………」

 

クエストを受けたプレイヤーは帰ってこない。これは死亡率の高いクエストということなのか。ユズルは思わず、表情を曇らせる。

 

「お爺さん、扉の先に死を賭けるだけのモノはあるの?」

「フッフッフ、その先は一人しか所有を許さぬ宝を授かることができる。ただ扉は一つではない。全部で7つの扉を抜けた先にある。もし……7つの扉を見つけなければ――お前は死ぬことになるだろう…」

 

 面妖な老人は説明を言い切り、僕の前にクエスト発注の文字が浮かぶ。

 

≪クエスト:天国と地獄の扉 YES/NO≫≪クリア後、このクエストはゲームから消滅する≫

 

HPゼロは死を意味するゲームに天国と地獄という言葉に、ユズルは溜息をついた。死を連想させるな…迷った末に【YES】を押し、目の前に現れた扉に入っていった。

 

 

いきなり第1層よりも太陽のギラギラした熱さの降り注ぐ砂漠フィールドに降り立った。火で炙られる熱さに汗は全くかかない。眩暈を感じても意識を足に集中し、陽炎の砂山を永遠と歩いていく……

 

次は海のフィールドで水平に浮かぶ扉を見つけた。いくら泳いでも近づく感じはしない。泳げば泳ぐほど、扉も同じく離れていく……

 

「何、だ。このク、エストは…」

 

小動物の通る筒状の中を這いずりながら扉をとおり、ワニの群れに襲われる湿地草原を抜けつつ、このクエストに不満を持つ。5つ目の扉を通るまでにもう3週間以上の時間をかけていた。クエスト画面は継続中とあり、中止ボタンはどこにもない。普段のクエストは中止できる仕様に関わらず、このクエストは中止できない…。面妖な老人の「7つの扉を見つけなければ死」の意味は言葉通りだった。

 

「弱音…吐けないよな。身体だけでなく、心まで折れそうになる。」

 

 僕は心に言い聞かせて扉を開いた…。扉の世界は朝と夜の区別がつかない分、だんだん時間感覚は分からなくなってくる。いくら時間があっても長くはいたくなかった――

 

今度は安全装置もない断崖絶壁の岩をよじ登る。余りにも高く気が付いた時には雲の上まで登っても山頂は見えない。指先は冷え、手先に意識が伝わらなくなる。木登りの要領で全身を使い、ゆっくりと上がった先の山頂に扉を見つけた。

 

扉を開けると、吹雪フィールドに降り立った。肌を刺すような全身の痛みが襲い掛かってくる。吐いた息は白く、息を吸うたびに肺は痛くなり、呼吸を荒くしていく。

 

「―――かはぁ!ハアッ、ハアッ」

 

もう何時かん歩いた?もう何にちあるいた?いつまでつづければいい?なにもかも、どうでもよくなっていく。ユズルは薄れていく意識の先に木製の長方形を目指して歩いていく。何かを目の前に立った瞬間、ユズルは前のめりに倒れ込み、沈むように溶けていった。

 

 

 僕はいったいどうなった。目を開ければ、暗い空間にいた。上を見上げればオーロラと星が光り輝く人工では再現できない景色を見た。思わず死後の世界と勘違いしたが、面妖な老人の存在に意識を現実世界に引き戻す。咄嗟の出現に僕は顔を引き締め直した。

 

「フッフッフ、面白い。今までの者は2,3個の扉で息絶えるのだがのぉ。何がお前を駆り立てた」

「僕はただ……死にたくなかっただけだよ。今日まで死を近くに感じた生活をしたからね」

 僕自身の正直な気持ちだった。命を狙う刺客に武器破壊を行い、相手の殺意を直に味わいつつ――僕自身も殺意をたぎらせていた。歯向かってくる刺客を殺し続ければどれほど気を楽にできたか。何度も何度も思い――結局できなかった。

 

「結局相手を生かすも殺すも中途半端にするちっぽけな存在だよ、僕は。」

「フッフッフ、では愚かな者を何故殺さない。お前は力のない臆病者か」

「……人間の可能性を信じているから、かな。確かに人は簡単に道を踏み外してしまう。でも、【クエスト:天国と地獄の扉】のように善=悪、天使=悪魔、生=死を極端に考えて行動できないよ。人間は名前のとおりに真ん中に居て宙ぶらりん位がちょうどいい」

 

老人は白い眼をユズルに向けてきた。何か見当違いな話をしたかな、ユズルは焦った。心中をくみ取る様子もなく、面妖な老人は話す。

 

「では何もできない君は困難にどう立ち向かう?何も生み出せず、何も変えられない君はどうするのだ?」

「僕一人ではできないことも、同じ人間同士で乗り越えるよ!今も昔もこれからも!!」

 

 ユズルの脳裏には大切な人を思い浮かべながら言い切り、自分では驚くほど高い声で答える。面妖な老人は大きく高笑いし、暗い部屋全体に声を響かせた。

 

「フォフォフォ、面白い、実に面白い!その気骨どこまで持つか興味深い。装備と共にワシのスキルをも授けよう!!」

 

 面妖な老人は右手をかざして黒い星の玉を生み出す。黒い星はユズルのアイテムストレージに入り、装備品として具現化した。左手には虹色の玉を生み出し、それを右手と重なり合わせる。虹色の玉は黒を合わせた混沌色となった。混沌色の玉は宙を浮び、ユズルの中に入っていった。僕は急に異物が入ってきて声を上げそうになったが、不快な気分はなく、胸をなで下ろす。

 

「最後の扉はワシ自身じゃ。ここを通るがよい。ワシはいつでも君を見守っているよ」

「………」

 

僕は何も言わず扉を開けて、扉の世界から脱出した――。

 

 

2023年4月20日

 

気づけば下水通りに居た。……どれだけ時間が経ったのだろうか。いきなりの展開に頭が追い付かずに呆然と立ち尽くす。まず僕はお爺さんにもらったアイテムとスキルを確認することにした。

 

【幻影のローブ:装備中は認識阻害を常時発動させる。フレンド登録した者は視覚のみでしかプレイヤー名と顔を認識できなくなる。しかし、モンスターには効果なし】

 

【幻影:パッシブスキル:プレイヤー自身が正の精神又は負の精神が極限まで高まったときに発動する。正と負の精神が極限に高まった分だけ自身と同じ分身を作り出すことができる。分身はプレイヤーの任意かHPが無くなった時に消滅する。熟練度:0】

 

今の自分にはぴったりのアイテムだ。認識阻害があればプレイヤーに狙われにくくなる。スキルの方はまだ使い方は分からないが、どこかに隠れて熟練度を上げていくことにしよう。

 

「――さっそく装備っと!」

 

全体を黒く染めた幻影のローブは体全体を覆い隠すフード付きの服だ。かなり大きいが羽のように軽い服でユズルはすぐに気に入った。

 

「これでやっとクエストクリアかぁ。疲れたけど……まずは出口を探さないとね。」

 

いつまでも下水のなかに、いられず出口を探してユズルは歩きだす。下水の空洞には水の音しか聞こえなくなった。

 




今回は長文となりましたが、お読みいただきありがとうございます。
 
 7つの扉の試練の元ネタは地獄に落ちた者の末路を参考にしました。
ただ、伝えたいことをまとめたい都合で内容は簡素にしたことはお詫び申しあげます。

次回は本作品のヒロイン登場(予定)です。


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7話 偶像と虚像

テレビではウィルス関係で私生活は大変と思いますがいかがお過ごしでしょうか。

 第七話は暗い話にするつもりが、いつの間にかカオスな話になってしまいました。
とわいえ、五話と六話に比べれば明るい話と思っています( ´∀` )

 予定通り、本作のヒロイン登場です。ごゆっくりどうぞ!


2023年5月30日≪現実世界≫

 

 壁画全体のモニター画面に無数の数字が縦状に途切れることなく流れ落ちる。白衣の衣装を纏う二人の男性は数字に合わせて¨カタカタ¨キーボードを入力していく。しばらく続けていくうちに¨ERROR¨と表示し、男の一人が舌打ちをした。

 

「――ッ!たくよぉ。何で俺らがこんな作業しなきゃならねぇんだよ」

「いいじゃねぇかよ。これが終わればあの人のおこぼれを貰えるんだからな」

「おこぼれとは言ってもよ。あの人の使い古しだろ。俺は生娘が好きなんだよ」

「そんなに都合よく、狙ったプレイヤーが亡くなるわけないだろ。どうせなら俺はいい声で鳴いてくれる奴がいいな」

 

 二人の男性は自身の仕事に文句を言い、作業が終わった後のご褒美を起爆剤にやる気を上げていた。ここはとある研究所で関係者以外の立ち入りは禁止している場所だ。この施設に入るには、公共機関のものでしか持ち得ない【マスター・キー】が必要である。彼らはバイトでここに働いているが、目的は給料ではない、その賄いだ。

 

「しかし、あの人の研究成果はすげぇよな。SAOでくたばった人間の脳内データを抜き取る実験はよぉ。複数の人間のデータを統合した理想の人間を作り出す技術なんてな」

「ゲームで亡くなった人はだいたい1500人だが、その電動シナプス信号の記憶を抜き取り、肉体をも合わせて誤作動なく作り出せる技術はあの人しかできない所業だよな」

 

 人間の脳は本来3%しか使われず、残りの97%は使われずにいる。あの人はその人間一人に対して3%を抽出し続け、別の個体に100%になるまで入れていく。これを繰り返し行えば社会に貢献する理想の個体を作り出せる技術が完成するというものだ。彼らは研究成功の暁に理想の人間を提供してもらう報酬で仕事をしていた。

 

「まぁ、不満があるとすればあの人が開発しているβテスター段階のVRMMORPGゲーム『アルヴヘイム・オンライン< ALfheim Online>』でしか楽しめない所だな」

「それは言うなよ。仮想世界だからこそ楽しめるんじゃねぇかよ。一歩間違えば犯罪だぜ」

 

一歩どころかすでに犯罪です。何でギリギリセーフだと思っているのだろうか……。そんな空耳を他所に、男達は会話を続ける。

 

「そういやぁ、あの人はどこ行ったんだ?」

「今日は「自分の人形に入る」とか言ってSAOの様子を見にいったぞ。死にはしない分、クズの足掻く姿を見るのが楽しいんだとよ」

 

 男性二人は仮想世界で楽しんでいるだろうあの人を恨みつつ、画面と向き合う。ひと時の休憩を挟み、再び仕事に没頭していった。たまにあの人が帰ってきた時に休憩している姿が見つかればサボりと判断され、すごく怒られる。とりわけ働いているアピールも兼ねて真面目に行った。

 

 

2023年5月30日≪仮想世界≫

 

「しかし、どうしたもんかねぇ」

 

 黒いローブを深く被り、ユズルはひだまりの森の近くにある川にいた。市街地売り場で売れ残りの釣竿を垂らしている。綺麗な川で心地よい風も吹いていて読書をするにもちょうどいい。まだ趣味スキルの熟練度は高くなく、一時間で一匹魚が釣れるペースで合計六匹を釣り上げていた。

 

「しかし驚いたな。まさか縫い針で魚が釣れるとはね」

 

 そう縫い針だ。趣味スキル【裁縫】を極めようと買い直した針を悪ふざけで代用し、それでも魚は釣れてしまう。いくら森林伐採の時の簡易仕様とはいえ、一歩間違えば現実味は無い。実のところユズルには魚が釣れる心当たりはあった。

 

「【裁縫:熟練431】と【釣り:熟練78】を合わせている分、何かしらの上乗せがあるのかもしれないな」

 

言い訳に似た根拠のない発言をして、また釣りに意識を集中させる。

天国と地獄の扉をクリアし、幻影のローブを装備してからは、刺客の奇襲や寝込みを襲われる殺人未遂事件は減少し、穏やかな生活を送っている。とはいうものも、数ヶ月前は命を狙われたサバイバル生活は簡単に抜け切れるものではない。今でも寝ているスキに襲われる可能性を考慮して木の上で寝ているし、食事もキャンプで済ましている。けれども、本当は暖かい寝床で休みたいのも本音だ。

 

「まぁ、雨さえ降らなければ木の上か崖の近くにハンモックを作ればいけるかな」

 

…我ながら人間の寝る場所ではないな。縫い針に餌を取り付けてのんべえだらりと考えていた。今は、刺客に追われて出来なかった趣味スキルの熟練度上げに励む日々を過ごしている。というのも、アクティブスキルを一向に覚えない以上はメニュー画面を開くたびにいつもアクティブスキル枠の空欄が目に付いてしまい、たまに虚しくなってくるからだ。

 

「唯一覚えた【幻影】はいつ発動するか分からない不安定なスキルだしなぁ。」

 

アクティブスキルを覚えてさえいれば攻略組の参加も有り得たが、無いものねだりは仕方ない。趣味スキルの熟練度を上げ、攻略組のバックアップに中間ギルドは物資支援で生還者を増やしていこうと考えていた。

 

「そういえば、ガイドブックにも一通り趣味スキルについて書いてあったな」

 

僕は釣竿を石で固定してからガイドブックを開き、様々な趣味スキルに目を通していく。

 

【裁縫】【料理】【釣り】【限界重量拡張】【装備鑑定】【道具鑑定】【買取交渉】【売却交渉】【音楽】【鍛冶】【森林伐採】【農業】【水泳】【読書】【花火】【手品師】【調合】【散髪】【ギャンブル】【投擲】etc.

上記のスキル以外にも記入漏れレアスキルの存在有り。

 

…本当に色々あるな。ユズルは予想以上に多くのスキルに考え込む。

 

「自給自足で料理のスキルは欲しいか。後は調合スキルがあれば質のいいポーションでも売れば荒稼ぎもできるしなぁ」

 

 趣味スキルを選んでいる時にユズルはふと思う所があった。こんな風に身体を休めてのんびり思考する日はいつぶりだろうか。僕はデスゲームが始まって以降は自分を振り返る余裕はなかった。ただ、『大切な人と一緒にいたいから死なないようにレベルを上げていこう』だけを意識して戦う日々を過ごすあまりに視野を狭めてしまっていた気がしていた。

 

「…過去は振り返っても仕方ないし、前向きに考えていくかな。本来ならアクティブスキル枠で圧縮する分を趣味スキルに極振りできるんだよねぇ」

 

そう思えば悪い気はしなかった。もし調合スキルか料理スキルで油を作ることができれば、花火スキルと合わせて強力な火炎攻撃ができるかもしれない。もし釣りスキルか手品師のスキルがあればナイフを蹴り飛ばす以外の遠距離攻撃に成るかもしれない。趣味スキルでも組み合わせれば、強力な武器に成る可能性に「そうか!」と心躍らせた。

 

「やったことはないとはいえ、組み合わせ次第ではアクティブスキル以上に使えるかも」

 

――考え事に夢中になるあまりに竿が引いていることに気が付かなかった。そのため、魚と竿は一緒に川に引きずり込まれてしまう。同じく、ユズルの意識も現実に引きずり出された。

 

「うわぁぁぁぁあ!!僕の、僕の竿があぁああああ!!」

 

ユズルの悲鳴はひだまりの森に木霊した。

 

 

「うぅ、竿が…あれ高かったのに……」

 

 大切な竿を失い、呻きながら川を睨み付けてやった。魚に餌はやっても竿をくれてやった覚えはない。これくらいの抵抗はしていいはずだ。

 

「…キリトにこの悲しみを慰めてもらおうかな」

 

 言うよりも早くメニュー画面を開く。さて、メッセージは―――

 

『キリト~僕はもうだめだ。(心が)傷物にされてね。大切にしている(竿)のを奪われた~。慰めてください』

 

大切にしていた竿を奪われた勢いで書いてしまい、そのまま送る。数分もかからないうちに返事が返ってきた。しかし、余りにも早い連絡に¨はて¨と思いつつ開く。

 

『何があった!ユズル今どこにいる!?すぐ行くぞ!!』

 

 良く分からないが心配してくれるみたいだ。だが、思っていたより慌てているような……

魚に奪われた竿は売れ残りとはいえ、熟練度を上げやすくする能力持ちの珍しい竿だった。とはいうものの、キリトの過剰な反応にユズルは不審に思いながら返事を送る。

 

『悪いから僕の方から向かうよ。もう(無くなった竿は)済んだことだしね。どこにいる?』

『第十一層のタフトの街にいる。ゆっくりでいいからな』

『分かった!行くね』

 

 キリトと会う約束をしてタフトの街に向かうことにした。しかし、手ぶらで会いに行けばいつもお世話になっている分、礼儀がないと思われてしまうか。お土産に第二層名産品のカスタードクリームとイチゴ(のようなもの)が入った「タラン饅頭(保冷済み)」をニセット購入してから向かった。

 

 

 移動中は刺客に襲われずに第十一層のタフトの市街地に到着した。敵に襲われる時はあっても、やはり幻影のローブを手に入れてから人並みの生活を送れている。ユズルは初めて入る市街地に辺りを見渡す。

 

赤茶色レンガと石でつくられた綺麗な街は全体的に明るく、第一層の始まりの街にある黒鉄宮に合わせた黒色は見当たらない。植えられた木の鮮やかな緑色の葉は明るい街に実に似合っていた。しばらく歩けば、誰かを探しているのか右に左に顔を動かす黒装束の少年を見つける。

 

「キリト、会いたかったよー」

「お、おぅユズル。…元気そうだな」

「?どうかしたの?なんかあった?」

「あぁいやぁ、その…何でもないぞ!そうだ!俺ギルドに入っていてな。ユズルに紹介するぜ」

 

 キリトはギルドに入っているのか。そういえば、クエストに【ギルド結成!!】があったことを僕は思い出す。サバイバル生活時代を過ごすうちに世間から取り残されてしまい、皆が当たり前に知っていることを自分は知らなかったことにユズルは思わず、大きく溜息をつく。

 

「……ふぅ」

「…大丈夫か?無理しなくていいぞ」

「あぁ大丈夫。行こう」

 

 …やっぱりキリトは優しいな。僕はキリトに案内されてコンクリートの道を歩いていく。紹介してくれる人は¨ユズルという人間を認めてくれるだろうか¨不安はあった。もし、認めてくれるならば、幻影のローブを脱ごうと覚悟を決めていた。

 

 

「皆コイツが話していた友達のユズルだ。左から、リーダーのケイタ・サチ・ダッカーだ」

「よ…よろしく」

 

 近くの宿屋に紹介されて僕とキリトは三階の部屋にいる。初めは悪評の多い僕を入れていいのか考えていたが「事情を話しておいたから問題ない。むしろ、話したら来てくれと言っていたぞ」と歓迎してくれるそうだ。そう聞いていたのだが――

 

「うぅ…君がキリトの話していたユズルだね。暖かい風呂を用意しておいたから入っていいぞ」

「ぐす…上がった後は温かいスープもあるからね」

「えぐぅ…ちゃんと着替えも用意してあるからな」

 

……なんで皆は涙ぐんでいるんだ。僕と同い年位の人達がしゃくり声をあげている。どう返したもんかと慌てていれば、キリトは手に肩を置いて話しかけてきた。

 

「大丈夫だぞ!風呂場でいっぱい泣いてこい…」

「いや!何の話だ!?」

 

 何を言っているのかワケが分からない。ケイタは「キリトの友達が○○して××された」と言い、僕は必死に身の潔白を証明した。説明している途中にもう二人のギルメンが帰ってきて、顔をゆがめながら「これで傷を癒してくれ」と薬草を手渡された。一時間以上の説明をして月夜の黒猫団に誤解と騒がしたお詫びにお土産を渡す。キリトは顔を真っ赤にして俯き、皆で「思春期だからね、仕方ないね」と慰めてやれば「お前らもだろ!ユズル!ここに来るまでにだな――」とひと悶着あったが比較的平和に片付いた。

 

 

 あれから月夜の黒猫団とたくさん話をした。キリトは予め皆に僕の世間から悪評は誤解だったことを話してくれていたから偏見なく見てくれた。ただ気を緩めて僕の逃亡生活まで話してしまい、さらに慰められてしまった。あまりに涙ぐむ姿に耐えきれず、その場しのぎで「外に出かけてくる」と言い、夜の街を散歩している。

 

「…みんな、いい人だったな。赤の他人でも涙をながせるなんて……」

 

 たった数時間しか過ごしていないが、確かに月夜の黒猫団の暖かい雰囲気は居心地よかった。しかし、僕はあのギルドには入れない。未だに命を狙われている自分が身を寄せては混乱を招く災いとなってしまう。ただ幻影のローブを被れば行けないことは無く、たまに、顔を覗かしていきたい。そう思えた。また、ありのままの自分を受け入れてくれたことはユズルにとって幸せだった。

 

「また一つ、守っていきたい人が増えたかな…」

 

 時間にしては深夜だが、人通りはない。しばらく歩いていると、どこからか歌が聞こえてきた。楽器や音源ではない。透き通る声に、ユズルは思わず足を止める。

 

「…綺麗な声だな。」

 

 気分転換にしていた散歩に思いがけない出来事でした。ユズルは声のする方に向かって歩いていく。気づいた時には転移門の近くにいた。そこには、声の主であろう少女がいた。

歌声と合わせて彼女の容姿にも見惚れた。白いフード服にミルクティーのように薄い茶色の短い髪形をした少女。前髪は左側だけを網目状にしている。感情に乗せて歌う姿に無意識に「…キレイだ」と呟いてしまったが、歌声にかき消されて彼女には聞こえなかった。

 

 数分間の歌が終わり、彼女は「ふぅ」と呼吸を整える。それに合わせて、ユズルは拍手をした。ただ、立ち止まって聞いていたのが自分だけだったせいで目立っていた。彼女は、少し驚きつつはにかんだ表情をする。

 

「聞いてくれる人がいると思わなかったな。最後まで聞いてくれてありがとね」

「思わず立ち止まって聞いていたよ。いつもここで歌っているの?」

「最近始めたばかりよ。よくこの時間に歌の練習をしていてね。立ち止まって聞いてくれた人は初めてかな」

「そうなの?感情のこもった歌声だったから、聞いていたくなってね」

 

 思っていることを話していたが、彼女にとっては意外だったのだろうか。どこか苦笑していた。それから彼女はまじまじと幻影のローブを深く被ったユズルの顔を見つめていた。

 

「ねぇ……もし、よかったらフレンド登録しない?歌うときにファン一号として招待するよ」

「それは嬉しいな。また聞きたいからぜひお願いします」

 

 ユズルはメニュー画面のフレンド申請を確認する。すると、≪プレイヤー:ユナからフレンドの申請があります 受理/拒否≫と表示され、迷わず受理を押した。ボタンを押した後、ユズルは彼女に手を差し出した。

 

「フレンド登録ありがとね。これからよろしく」

「こちらこそ、よろしくね」

 

 お互いに軽い握手をして笑顔を交わした。ただ深夜でもう遅いから長話はせず、そのまま別れた。心地よく少し火照ったような気持ちを感じていた。この気持ちは何なのかユズルは知らない――

 

「…また会いたいな」

 

――守りたい人ではなく、大切な人として思っていることをユズルは知らない。

 




本作品のヒロイン、ユナの登場でした。
 お読みいただきありがとうございます!(^^)!


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8話 失う恐怖

第7話のカオス回をお楽しみいただき、ありがとうございます。
 
 ここ数日のPVを参考に考えた結果、あまりにもシリアスすぎては読み手にとっては読みにくいと感じました。また筆者も書いていて辛いというのも理由です。

よって戦闘描写以外では、無理の無い範囲でカオスな出来事をも入れていきたいと思います。

違和感等を感じるかもしれません。ご了承ください( 一一)








2023年6月12日

 

「皆!ついに念願のギルドハウスを購入するぞ!」

 

ケイタは弾んだ声でギルドメンバーに声をかける。これまでの狩りで資金がたまり、ギルドハウス、つまり、月夜の黒猫団の家を購入することになった。ユズルはそのお祝いパーティに招待されてきている。ケイタがギルドハウス購入の申請に行った時に、ギルドメンバーのテツオがある提案をした。

 

「折角だし、リーダー不在の内に少しでもコルを貯めに行かないか?」

「あ!それならいい場所を知っているよ。案内するか?」

 

言うが早く、ユズルは月夜の黒猫団におすすめの金策スポットを紹介することにした。どうやら、ケイタが返ってくるまでにコルを貯めて家財道具を全て揃えたいらしい。皆は賛同してその場所に行くことが決まった。コルを貯めやすい金策スポットに向けて回路結晶で移動する。

 

月夜の黒猫団は回路結晶でワープして第二十三層の【犬ヶ原】に降り立った。第二十八層の【狼ヶ原】と類似して岩ばかりの殺風景なエリアで犬系のモンスターが現れる場所だ。ここの犬は毛並みが綺麗で可愛い見た目をしているせいか倒しにくい敵として中間層の強敵キャラとしての地位を確立している。だが、ユズルの目的は犬系モンスターではない。

 

「なぁ もしかして、このモンスターを倒すのか」

「いやいや、この奥に居る兵隊アーリーが狙いだよ。」

 

 申し訳なさそうに言うダッカ―を他所にユズルはここに来た目的を伝える。岩エリアを抜けた先にいる流砂エリアに生息する無限増殖するモンスター兵隊アーリーはいた。縦横300cmの蟻で頭部以外は鎧を身に着けているモンスターだ。下層の蟻は鎧を身に着けていないが、ここの蟻は変態を重ねて鎧を身に着けたという設定になっている。

 

レベルは申し分なく、適正レベルのプレイヤーが倒せば高い確率で身に着けている鎧をドロップする。これを売れば、多くのコルを得られるという算段でいた。あまりにも大きい蟻にサチの顔はひきつっている。

 

「だいぶ…大きい蟻だけど…強くない?」

「あのモンスターの事は詳しく知らないな。ユズルはどうだ?」

「この兵隊アーリーは見た目の割にレベルは標準で弱いよ。頭が弱点だ!頑張れ~」

 

 ユズルはここで別行動を執ることにした。月夜の黒猫団には緊急事態用にキリトが護衛に就いている。何かあれば対処してくれるだろう。僕は僕でやれることをやることにした。

 

「さて、ここなら大丈夫かな」

 

 ここなら【幻影】の熟練度上げと実用性を見極めることができる。兵隊アーリーから離れた場所でユズルは瞑想をした。このスキルは正か負の感情が高まっていなければ発動しない。僕は皆と一緒にパーティを組んだ時の楽しい感情を思い出していく。

 

「…集中…集中……」

 

 気が一点に集中しきった時に、頃合いをみてユズルは気を発揮した。いつもはかけ声など言わない。気持ちの問題で言えば発動しやすいと思っていた。

 

「【幻影】発動!」

 

 すると自分と同じ姿の分身が現れた。ユズルの分身は一直線に兵隊アーリーに向かっていく。そのまま弱点の頭部を攻撃し、ポリゴンに変えていった。すぐに兵隊アーリーは増殖するが、分身のユズルは攻撃を避け、再び頭部攻撃を繰り返す。たまに遠距離に別のモンスターが現れた時は、武器を切り替えてナイフのハンドル部分を蹴りあげて倒していた。

 

「戦闘力は自分と一緒か、もしかしたら死角まで見える動きができる分自分以上の強さかもしれないな」

 

 だが思っていた以上に強いスキルであると実感した。ある程度まで戦いの様子を見守る。

しばらくして、僕も戦闘に加わり、分身の護衛をした。立場が逆転している気はするがあまり考えないようにする。下剋上と言えばそうだが、これも熟練度を上げる為だ。分身は兵隊アーリーを相手に、ユズルは後方に沸いたモンスターを倒していく。

 

「さてと…あとはキリト達から連絡が来るまで狩ろうかな」

 

 すぐに連絡が来ると思っていたが2時間以上もの時間が流れた。どうやら今日の運勢は絶好調のササマルとテツオの連続ドロップにより引こうにも引けなかったみたいだ。だが、最終的には普段の狩場よりも遥かにコルを入手でき、皆は満足した表情を浮かべていた。十分な戦果を挙げ、回路結晶で月夜の黒猫団のギルドホームまで移動する。

 

 

時間はいつの間にか夕方。ケイタやダッカ―は新しく買ったソファや椅子に深く腰掛けている。ササマルとテツオは狩りで武器を使いすぎてしまい、お気に入りの武器と通常の武器を整理していた。時々、アイテムストレージから武器を具現化して手入れをしていた。キリトは買ったばかりのロッキングチェアに座って寝ている。サチは唯一料理スキルを持っている故に夕食の準備中だ。僕はサチの手伝いで、ジャガイモを輪切りにしている。

 

「そういえば、ユズルはずっとその服を着てるよね」

「まあね。いつどこで刺客が見ているか分からないからね」

 

サチは何気なく言っていたのだろう。僕はきっぱりと答えてやった。機能的に考えれば僕は特定の人物やギルドに執着して長居してはいけない人物だ。とはいうものの、感情的に考えれば気の会う人と一緒にいたい。ある意味、曖昧で判断できていない矛盾状況にイライラしていた。しばらくして、調理の手を止めて何度もチラチラ目配せをしてからサチは口を開く。

 

「…ねえ。ユズルはさ、死ぬのは怖くないの?」

「……死ぬのが怖くないわけない。大切な人と二度と会えなくなるからね」

 

 不意打ちに似た質問に素っ気なく答えながら人参を包丁で切っていく。あまり納得していないのかスープを煮詰めるサチの表情は思い詰めたままだ。ユズルはさらに言葉を続ける。

 

「ただ、目の前にいる人がいなくなる方が死ぬよりも辛い…。だから一歩でも前に進もうとしているだけだよ」

 

 本当は『何も守れるものが無くなった時が怖いから言い訳しているだけかもしれないけどね』と言うはずだった。だが簡単な気持ちで言ってはいけないような気がした。サチはそれ以上何も言わずに、煮物や肉料理を完成させていく。調理場には野菜を切る音、スープを煮る音しか聞こえなくなった。ユズルは完成した料理を弁当箱に詰めて挨拶をしてからギルドホームを後にした。

 

 

「…サチの料理は美味いな。あれはいい嫁さんになるな、絶対に」

 

 転移結晶で転移した第三層のロービアの主街区のベンチに腰掛け、サチ特性弁当を頬張っていた。料理スキルの熟練度はユズルよりも高いせいか似た食材でも美味しく感じる。深夜の静けさに水路から聞こえる水の流れる音でよりいっそう雰囲気もいい。ここでゆっくりと過ごす時間をユズルは気に入っていた。僕は空腹を落ち着けてからはゆっくりと咀嚼(そしゃく)しながら弁当を味わう。

 

第三層のロービアの主街区はイタリアの水上都市を思わせる街並みが特徴だ。水路の風光明媚(ふうこうめいび)さを引き立たせるためにカラフルな家々が立ち並び、水路に反射して映る家々は歩いているだけでも楽しい気分にさせてくれる。大小の広場にはNPCレストランもあり、メニューはピザやパスタなどイタリアンなものが多い。しかしながら、小路が多すぎて、歩き回っていては、すぐに自分の居場所が分からなくなってしまう。街の雰囲気はロマンがあふれているロービアは「水の宝石都」「海上の真珠」等の別名もあるほどだ。

 

 食事休憩をしていた時に¨ピロン¨と鳴った。ユズルはメニュー画面を開き、新着メッセージを確認する。差出人はユナだった。

 

『今日は第三層ロービアの転移門広場で歌うよ。よかったら来てね』

『もちろん行くよ。連絡ありがとう』

 

…最近は深夜の楽しみになりつつあるな。先月会った日から、こうやってユナは歌うたびにメッセージで場所を連絡してくれる。それに返事をして聴きに行くことを習慣にしていた。弁当箱をアイテムストレージにしまい、転移門広場まで移動する。

 

 

いつもの黒いフードの人が見えてきた時に私は軽く手を振った。そして瞳を閉じ、何度か深呼吸を繰り返し、ゆっくりと口を開けて歌い始める――

 

「(…やっぱり癒されるな)」

 

 伸びやかなソプラノが転移門広場に響き渡る。忙しなく行き交うNPCの商人たちの多くが足を止める。多くの人の足音や話し声が徐々に消えて、水の流れる音とユナの歌だけが流れていった。

 歌詞は日本語で、ロービアの情景に合わせて水路で生活する人々の気持ちを歌っているようだ。水流の音に合わせた透き通る歌声に思わず聞き入ってしまっていた。いつもの様に三曲を歌い終えれば、白いフードを被ったユナは頬を赤くしてユズルに近づく。

 

「ねぇ今日の歌はどうだったかな?」

「テンポはアニメソングに近かったかな?あと何時もよりビブラートが効いていた気が…」

「やっぱりばれちゃうかぁ。この町の雰囲気に合わせて歌い方を少し変えたんだよね。もう少し明るい雰囲気に合わせてこぶしを聞かせた方がいいかな」

「うーん…こぶしを入れるなら歌詞の最後に入れて、伸ばすときはビブラートで補うとか」

 

 ほぼお約束になっている歌の反省会。各階層の転移門広場で路上ライブをしているが、市街地や市街区の雰囲気に合わせた歌詞と歌い方でお互いに意見交換をする。一般の人からの印象は売り出し中のアイドルと専属マネージャーの打ち合わせに見えるかもしれない。何度も歌を聞きに行くうちにそんな関係に落ち着いていた。

 

 しばらく話し合っているうちに、ユズルはHPバーに見慣れないアイコンが点灯していることに気付く。赤色に光る音符は初めてで記憶にない。

 

「…ん、なんだろ、これ……」

「ユズル、どうかしたの」

 

 見慣れない音符を見せやすくする為にメニュー画面を開く。覗き込むように見るユナ自身は、初めて見る音符に首を傾げていた。どうやら本人にも分からないようだ。今日は月夜の黒猫団と金策狩りをして料理を食べた時は、こんなアイコンは存在していない。それ以外では、いつも通りにユナの歌を聴いていたくらいだ。

 

「…もしかして、ユナの歌の影響かな?スキルを確認してみて。もちろん覗かないから」

「分かったけど…別に気にしてないけどな」

 

 スキル詮索はマナー違反で言ったつもりだが、ユナは肩をすくめていた。あまりにも無防備すぎではないか。一瞬でも『小言の一言でも』と言いたくなったが、押し込めた。ユナは自分のスキル画面を開き、何かを見つけたのか彼女は視点を項目一つに捉えてじっくりと黙読していた。やがて、一通り読み終えてメニュー画面を閉じてから答える。

 

「音楽スキルの隣に吟唱(チャント)っていうのがついていたけど…何か知ってる?」

「いや…初めて聞いたよ。もしかしたら、ガイドブックにあったレアスキルかもしれない」

「レアスキル…!?それなら嬉しいかな。これで戦闘の苦手な私でも皆の役に立てるね」

 

 レアスキルと分かったユナはフードの下で口元を緩ませていた。余程レアスキルを手に入れたのが嬉しいか笑顔を隠しきれていない。そのまま「お祝いにドリンクを飲もう」と誘われた。僕はその申し出を断る前に彼女に腕を引きずられてしまい、そのままレストランに連行される。ドリンクを飲み終わって帰ろうとすればユナは唇を尖らせて、永遠と話をして帰してもらえなかった。その姿勢に自分から折れてしまい、日付をまたぐまで世間話をして過ごした。

 

 

2023年10月18日

 

「ここの料理は美味しいのよね」

 

 歌以外の別の理由でユナに呼び出されたユズルは四人席を白黒のフードを被った二人組で向かい合っている。いつものルーティンで日課のレベル上げと幻影の熟練度上げをしていた時だ。最低限のノルマを終えて熟練度の確認をしようとメニュー画面を開いて気が付いた。ユナからのメッセージ『私の知り合いを紹介するから、会ってほしい』というものだ。特に断る理由もなくメッセージに書いてあったジェイレウムの街に到着して、待ち合わせ場所のオープンカフェにいる。

 

ジェイレウムの街の西門広場に面した小さなオープンカフェがある。かつては受刑者の独房をリニューアルしたジェイレウムの街は窓や扉は鉄格子、壁や天井は淡い灰色の石積みで全体的に暗い印象だ。しかし、ユナから聞いたこの店は受刑者の雰囲気を帳消しにするほど美味しい料理と癖のあるNPCの存在でカフェは賑わっていた。

 

「ハーベル、この料理お願い!」

「はーい!」

「ハーベルさん、注文いい?」

「はーい」

「ハーベルちゃん、付き合ってー」

「はーい?」

 

この元気のいい声は人気看板娘NPCハーベルだ。NPCキャラは比較的同じ言語を繰り返す仕様となっている。ここのNPCハーベルは特に癖の強いキャラとして有名だ。世間から見ても美少女の顔立ち。「はーい」の一言しか言わないが、一部では熱狂的なファンがいるらしい。またアルバイトで各層のレストランを転々としている設定であり、彼女目当ての来客もいるそうだ。

 

「そういえば、ユナの話していた知り合いは?」

「んむ?」

 

 注文していた料理を頬張り、口をモグモグさせている。僕はユナが食べ物を飲み込み終えるまで待った。やがて、彼女は飲み込み終えて話を切り出した。

 

「あれ?まだ来ていないのかなぁ?結構前からメッセージを送ったけどなぁ」

 

 ユナはメニュー画面にあるフレンド登録リストを確認する。ユズルはユナの行動が分からずに「それは?」と質問した。彼女に聞くにはフレンド登録したプレイヤーはフレンド追跡機能でどこにいるのか分かるそうだ。ユナにマップを見せてもらいつつ位置情報の見方を教えてもらう。彼女の待ち人は真っすぐこちらに向かってきていた。

 

「もうすぐで着くみたいね。もう少し待てそう?」

「予定もないし、気にしないでいいよ」

 

 料理をあっという間に食べ終え、テーブルの向かい側で微笑むユナに、ユズルも笑顔で返した。ユズルは追加注文でハーベルさんを呼び、食後の中盛デザートを注文する。間を持たせるつもりでユズルは注文したつもりだった。しかし、ユナは「いいの!?」と腕をまくし立ててフォークとナイフの準備を始めている。

 

「…来てくれる人も含めて三等分だからね」

「え~」

 

 「え~」ではない。一人で全部食べるつもりだったのか。ユナの言動に彼女の底なし胃袋にフードファイターの素質を感じてユズルは苦笑する。微笑みを浮べる彼女を他所にユズルはフレンド機能についている追跡機能について考えていた。ずっと疑問に思っていたことだ。ラーベルグの街でプレイヤーに襲われた出来事を思い浮かべる。

 

クラインに誘わせて第十九層のラーベルグ主街区でプレイヤーに襲われた時は樽の中や屋根裏に隠れても刺客からは位置は筒抜けだった。もしクラインが協力してメニュー画面を開きつつ刺客達に自分の位置を伝え続けていたならば、全て辻褄が合う。その日から襲われなくなった理由は幻影のローブを装備して位置情報を特定できなくなったからだろう。

 

 ただ、僕とフレンド登録をしている人は何かしらの事件に巻き込まれる可能性を上げてしまう。そうなれば、キリトやクラインやユナは――

 

「…ユズルどうかしたの?凄く怖い顔をしているよ」

「――っ!何でもないよ。ちょっと考え事をしていただけ」

 

 …ポリゴンとなって消えてしまう想像をしていた。ユナはしばし沈黙し、今度は労わるような淡い笑顔に対してユズルは笑いかけて言った。そうして、待ち人と食事を待ちながら椅子に座って談笑する二人。ユズルは彼女との談話を楽しみつつ――失う恐怖に怯えていた。

 

しばらく店内を広く見渡せば、茶色のレザーアーマーを着た朽葉色(くちばいろ)の髪に、少年らしさの残る顔立ちをしたプレイヤーが入店してきた。椅子に座るわけでなく誰かを探す仕草をしている。それを見たユナは「あ!」と気づき、彼に向かって大きめな声で呼びかけた。

「あ!エー……じゃなくてノーくんこっち、こっちだよ」

 

 声に気付いた彼は驚いていた。やがてゆっくりとこちらに向かう。大きめな声はハーベルの声と重なったお蔭で周囲の迷惑にはなっていない。

 

「おとといからメール返してくれないから、何かあったかと思ったじゃない」

「フレンド追跡すれば、街にいることは解るだろ……」

「もう確認しました。でも 言葉でないと伝えられないこともあるでしょ」

 

 白いフードを被ったユナに軽く睨まれつつ、彼は口を閉じて頷いていた。このままでは埒が明かない。そう思ったユズルは先に自己紹介をして雰囲気を誤魔化そうと動いた。

 

「どうもこんにちは、ユズルです。えっと…あなたは?」

「あぁはいノーチラスです。どうも、よろしく」

 

 お互いに社交辞令に似た挨拶をした後で頼んだ中盛デザートがきた。それと同時に僕以外の二人の視線はデザートにくぎ付けとなる。いいタイミングで運んでくれたNPCのハーベルには(良い働き、感服したぞ)声を出さずに謝礼を言う。その後は三等分したデザートを食べてその食感や甘さの余韻を楽しんだ。

 




月夜の黒猫団はこれにて生存です。

しかしながら、このギルドの生存はかなりシビアでした。
√キリトのみの場合
・第二十七層に行く道中にレベル上げ目的で攻略組の集団PKでキリトを含めて全滅。
・原作沿いでキリト以外は全滅
√ユズルのみ
・【GMを匿った容疑】でレベル上げの最中に攻略組の集団PKでキリトを含めて全滅

筆者の考えられる範囲はこれくらいでした。

今回はユズル+キリトで
【金策に適した情報を知っていた】+【攻略組上位の実力差と周囲を威圧する力で近づけさせなかった】=生存としました。

お読みいただきありがとうございます!

補足:原作の蘇生アイテムは「10秒までに名前を言えば蘇る」となっていました。
   しかし本作では「名前を言えば蘇る」という仕様にしています。
    これはアイテムの取り合いで死者を増やすという運営の企みです。



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9話 約束の日は遠のく(上)

皆さん、GWはいかがお過ごしでしょうか。

 今回はオリ主(ユズル)よりもノーチラスやユナが目立っています。
またきりのいい所もあり戦闘前で切り上げました。(下)の方では戦闘描写を入れますのでお楽しみください。


「へぇ ノーチラスは血盟騎士団に所属しているんだ。かなり有名なギルドじゃない?」

「…まあな。ちょっと、色々あって…いまは曖昧だけどな」

 

ユズルとユナは合流したノーチラスと一緒に食事を楽しんでいた。しかし話をしている最中のノーチラスはどこか上の空だった。むしろ、覇気のない声で答える辺りかなり思い詰めている。ユナは気にしているか、浮かない表情で困り顔だ。僕も何かあったのではないかと気になって仕方がない。

 

【血盟騎士団】は浮遊城アインクラッド第百層到達を目的とした攻略組のギルドで構成人数は五十人ほどの少数精鋭部隊だ。一人一人は実力者揃いであり、プレイヤーのトップを集めたギルドといえる。他の攻略組は新興の侍ギルド【風林火山】やプレイヤー最大ギルド【ドラゴンナイツ・ブリゲード】、それに次ぐ勢力の【アインクラッド解放軍】等は有名だ。

中でも血盟騎士団は「最強」と名高く、その強さと見た目で子ども達には人気のあるギルドでもある。実はユズルも最強と言われる所以を直に味わったこともあり、実力は本物と認めてはいた。

 

ユズルはサバイバル生活で血盟騎士団のギルドのメンバーに襲われたことがあった。少人数でも退路を断つ部隊、攻撃部隊、誘導部隊に分かれて統率された動きをする。もしあの場に指揮をするプレイヤーもいたならば、生きてはいなかった。二度と相手にはしたくない反面、味方であれば頼もしい存在ではある。僕は『そんなこともあったな』と頭を掻きつつ、笑みを浮かべながらノーチラスに話しかけた。

 

「…何かあったの?なんだか明日の風も吹かない声をしているよ」

「その風は何か分からないけど…悪いけど言えない…自分の問題だから」

 

 暗い表情の裏に強い決意も含めた言い方にユズルは「そうかぁ」としか言えなかった。ノーチラス自身も言いたいことが沢山あった。しかし、目の前に現実世界では幼馴染で一年以上も好意を寄せているユナに弱音を吐きたくはない。そのプライドを守りたい一心で悩みを言いたくはなかった。ユナはノーチラスを労おうと口を開きかけた時――

 

――その直前、一人のプレイヤーは大声で叫びながら店内に駆け込んできた。そのプレイヤーの様子は尋常ではない。背中には折れた槍が突き刺さったままだ。そして、体力ゲージは赤色にも関わらず回復する余裕は見られない。ただならない雰囲気に周囲は静まる。

 

「だ、誰か……!頼む、誰か助けてくれ!」

「おいおい、大丈夫か!?」

「な…仲間が五人、フィールド・ダンジョンに閉じ込められてモンスターの大群に追っかけ回されているんだ!もう長くは持たない…誰か、一緒に助けに行ってくれ!!」

 

飛び込んできた男は荒い呼吸を絞り出して叫んだ。その言葉に周囲のプレイヤーは息を飲む。その言葉を聞き、二階にいたノーチラスとユズルに緊張が走った。

 

「あの武器には見覚えがあるな…確か四十層に出没する≪拷問史(トーメンター)≫タイプのモンスターが持っている武器だ」

「見たところ…あの男の装備は最前線でも通用する高級品の鎧だね。破損一歩手前な辺りを考えれば相当激しい戦闘から離脱したみたいだな」

 

野郎二人で状況分析をしている様子に、ユナは「そんなことをしている場合でないでしょ」と怒ってむっとした顔をしていた。

 

 ノーチラスによればあの男は四十層のダンジョンから撤退してきたという。【牢獄】をテーマとしている四十層のダンジュンには、厄介な閉じ込めトラップ、つまりモンスターハウスのだ。大抵は閉じ込められた空間に解除手段はある。しかし、トラップと同時に湧き出るモンスターの対処で精一杯な場合が多い。あの男はその解除手段を見つけて脱出してきたと予想していた。

 

 別のプレイヤーは男に駆け寄り、アイテムストレージのハイポーションを手渡しながら訊ねた。

 

「回路結晶はどうした!最前線で戦えるなら一つくらいは持っているだろ!?」

「そ…それが、ダメなんだ。沸いたモンスターの中に沈黙デバブをかけてくるヤツがいて、クリスタルが使えなくなっちまっていたんだ!」

 

 男の「クリスタルを使えない」言葉に周囲の緊張はより一相高まる。¨沈黙¨はプレイヤー同士の声掛けを一定時間使えなくさせる妨害ステータスだ。ソードアート・オンラインは治療結晶や解毒結晶、そして転移結晶は手に持ってボイスを発しなければ使えない。つまり、¨沈黙¨は対クリスタルアンチのデバブと言える。しかし――

 

「咳止めポーションは!?最前線なら予備はあるだろ!」

「……咳止めポーションは誰も持っていなかった。まさか、沈黙をかけてくる敵がいるとは思っても見なくて…」

 

 攻略組にしては無知すぎるプレイヤーにユズルとノーチラスとユナは絶句していた。要はこの事態は情報収集を怠っていた故に起きたのだ。既に中盤の四十層まで差し掛かっていても未だにゲーム感覚で考えるプレイヤーは多い。彼の認識の甘さにユズルは怒りを覚えていた。ユナは左手を口元に寄せて目を瞑る。数秒後に目を開きゆっくりと口を開いた。

 

「…ねぇ。四十層はトラップの巣窟でもあの人のマップデータを借りれば迷わずに行けるはずだよね」

「…僕もそれを考えていた。周りの人もあの人に感化されて救援部隊に名乗り出ているみたい」

「…アイテムも十分だな…よし」

 

 三人は椅子から立ち上がる。レベルは安全マージンの50近くに達しているから十分だ。現時点ではノーチラスはレベル48、ユナは41、ユズルは55であり、フィールドモンスターに後れを取ることは考えにくい。ちなみに僕は二人にレベルを伝えたときはひどく驚かれた。しかし僕にとってはそうなるしか生き残れない環境も裏打ちしてあまり誇れるものではない。

 

 ユズル自身は『レベルは他の人より高いから強い』という自覚は無かった。なぜならアクティブスキルを使えない彼は、己のプレイヤースキルとパッシブスキルを信じて戦い抜くしか生きる術を知らない。昼夜に関係なく襲ってくるプレイヤーを追い返しながらレベルを上げる生活。【天国と地獄の扉】のクリア後は、ひたすらレベルと幻影スキルの熟練度を上げる日々を過ごすうちに、今に至る。自慢にもならないし、言えば虚しいだけだった。

 

「「「僕(私)も志願します!!」」」

 

 こうして僕達は三人揃って救援部隊に志願した。周りに集まったプレイヤーは十人にのぼる。その内の二人は赤基調の和風アーマーを装備している男がいた。ユズルには見覚えがあり、義兄弟の契りを結んだクラインを頭とする攻略組の風林火山とすぐに分かった。しかし「大丈夫か」「無理じゃないか」という声もちらほら聞こえる。本来であれば上位プレイヤーに声をかけて戦力を増やしたい。しかし攻略組のプレイヤーは第四十層攻略戦の作戦中だ。当然、救援部隊の援軍の要請は受理されない。この十人のプレイヤーで殿戦を成功するしかない状況にメンバーの士気は下がっていた。

 

「…よし」

 

ノーチラスは意を決したようにアイテムストレージを操作した。すると白地に赤の差し色鮮やかな血盟騎士団の正式装備に変化した。また、ユナも同じくアイテムストレージを操作する。鮮やかなロイヤルブルーのワンピースに黄金の緑飾りやバックルを装備した布防具に変化した。更に、左手に白いリュート、右腰のダガーに頭には純白の羽根つき帽子を身に着けた姿となる。

 

同伴したプレイヤーは「血盟騎士団だ!」「これならいける!」という歓喜、「噂の歌チャンか!?」という歓声で沸き上がった。ユナは≪吟唱(チャント)≫を手に入れて以来、彼女のプロモーションと歌唱力も評価され、仮想世界のアイドルとして人気者だった。それ以来、ユナのコアなファンの間では『歌チャン』と呼ぶ、というお約束としてファンの常識となっている。

 

ユズルは周囲に怯えて幻影のローブを装備したままだ。二人ほど目立っておらず、注目もされていない。ユズルは注目されている二人との自分と住む世界の違いに寂しさを感じていた。それに合わせて、救出戦が成功した暁にはある決意を固めていた…

 

 

五人ずつ二組のパーティに編成し、救援隊の十人は西門から圏内にでた。四十層のフィールドは荒れた大地に切り立った岩壁で先は見通せない。足場も大小の岩で敷き詰められた道を踏みしめて進み、進行を遅らせる。さらに焦る気持ちも合間みて駆け足ぎみで何度も躓いていた。やがて、行く手に、半ば崩れかけた遺跡を見つけた。ユナは男に借りたマップデータをみても場所は一致した。

 

「もう少しだ!」

「急ぎましょう!」

 

 ユナはかけ声と同時に、走るスピードを上げる。ダンジュンは平地で走りを邪魔する物は無い。速さに追いつこうとノーチラスは慌てて彼女を追いかけた。移動中もノーチラスは幼馴染の様子を気にしていた。デスゲームを知らされた日は宿場で泣いていた弱い彼女からは想像のつかない言動。あの日から『僕が絶対に守る、必ず現実世界に返す』と誓い、ソードスキルの訓練に励み、血盟騎士団に加入した。最近は失敗続きで落ち込んでいたがユナはいつも励ましてくれるから戦えていた。

 

自分はユナを守っていたつもりだった。だがいつの間にか自分も守られていた。情けない話と思う。しかし、不思議と不快な気持ちでなく身体の中に新しい力をノーチラスは感じていた。

 

 

仲間が閉じ込められているというフィールド・ダンジュンは監獄によく似た遺跡だ。道中にコボルト種とスライム種に出会うもノーチラスの指揮とユズル達の活躍で無傷で撃破できた。マップデータを頼りに走ればプレイヤーの叫び声やモンスターの咆哮に不気味な金属音を響かせる、いわば戦闘音が届いてくる。

 

「まだ、生きている…」

 

 ホッとする間もなく、ノーチラスは状況を分析する。広場の一番奥に全長二メートルの巨体な影を確認できる。幸いにもボスはまだ動く気配はない。戦っているプレイヤーはレベル四十前後でも小さいを倒し切れていない理由は、一匹倒してもすぐに蘇る≪無限増殖≫なのだろう。しかしこのままでは疲労と回復ポーション不足で全滅は時間の問題だ――

 

「――鉄格子の開閉スイッチはどこにあるんだ!!」

「あのボスの後ろにそれらしいレバーがある!でも、近づけばボスが動き出す…!手の打ちようがないんだ!!」

 

戦っているプレイヤーは叫びながらモンスターに切りかかる。その言葉を聞いて、風林火山のねじり鉢巻きをした巨漢が唸った。

 

「つまり、オレらが救援に入るには、ボスに近づいてレバーを操作しなきゃならねぇワケか…」

「それは随分な博打だぜ。レバーを操作しても空き時間は短い。パーティ全員で撤退は相当難しいぜ。」

 

 二人の冷静な分析にノーチラスはハッとした。誰かがレバーを操作しなければ鉄格子を開けることはできない。全員を撤退させようとすれば、閉じ込められて全滅も考えられる。

であれば――

 

「「…ボスを倒すしかないな」」

 

ノーチラスとユズルは同じ言葉を同時に言う。後方のプレイヤーはざわめいた。攻略組ではない五人はボス討伐が初めての経験である。命を懸ける戦いになる可能性に戦意を失っていた。その成り行きを見守っていたユナは、大声で今も戦闘をしているプレイヤーに呼びかける。

 

「あのー!助けに来ました!こっちに近寄れますか!?」

 

すると閉じ込められている五人は、少しずつ後退し始めた。その途中にユナはユズルとノーチラスに近くまでくるように言う。真剣な表情でノーチラスとユズルに話しかけた。

 

「私の勘なんだけどね…何か嫌な予感がするの…凄く嫌な感じがね。だから――」

 

ユナは自分の髪を二本抜き取り、二人の小指に結ぶ。

 

「――だからこれは約束の印」

 

ユズルとノーチラスは何も言わず、ユナに合わせてお互いに二本の髪を抜き取り、相手の小指に結んだ。

 

「これは――三人で生き残るって約束だよ!」

「――あぁ約束だ!」

「…うん」

 

 三人は互いに小指を合わせる。互いに決心を固めるまでに約三十秒の時間の出来事だった。やがて後退してきたプレイヤーは鉄格子に戦いの場を移す。プレイヤーが鉄格子の近くにくればユナはゆっくりと歌いだした。アイテムストレージから出した小ぶりの撥弦(はつげん)楽器をかき鳴らす。気分を高揚させるコードに、高らかな歌声がシナジーした。

 

ユナが小ぶりの撥弦(はつげん)楽器で最後の和音をかき鳴らすと同時に、パーティのアイコンに音符のアイオンが点灯した。他のプレイヤーの「おおっ!!」という歓声が上がる。戦っていたプレイヤーのHPバーがゆっくりと回復していく。撥弦(はつげん)楽器を下したユナが叫ぶ。

 

リジェネ(自然回復)は一分続くわ!雑魚を片付けて、扉のレバーを操作して!」

「おう!」

 

 声に応じた五人はフロア内に侵入し、ソードスキルを発動させて、拷問史モンスターを殲滅していく。広場の一番奥にいたボスモンスターはプレイヤーに反応し、吼えながら巨大な斧を振り回す。

 

――本当の救出作戦が満を期して、火蓋を切った。

 




お読みいただきありがとうございます。
 (下)を投稿した後のことをここに記載します。

最初に感想をいただき、『キャラの説明をしっかりした方が読者は楽しみやすいかもしれない』と感じました。そこで、アンケートで投稿の優先順位を決めたいと思います。

物語の展開を見て投稿しますのでこれからもよろしくお願いします。




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10話 約束の日は遠のく(下)

アンケートのご回答ありがとうございます。

・オリ主の過去  0
・直葉のトラウマ 1
・恋のABC   1

となりました。
 今のところではアインクラッド編一話登場の直葉の過去が優先順位は高そうです。
構想段階ですが、本作の彼女は原作での和人のような心を支えてくれる人はいません。そんな彼女が、何故ひたすらストイックに剣を握るのか、という感じです。
 恋のABCは、完全にえっちぃ描写ですね。R-18を前提に書くか、R-15でギリギリの描写で書くかは検討中です(笑)

お時間があれば、ご回答よろしくお願いします( 一一)


巨大なボスモンスターの地鳴りはダイレクトに足に伝わり、興奮による挙動を抑えながらユズルは乾いた唇を舐めて湿らせた。プレイヤーに反応して襲い掛かってきたボスモンスターは日に躍り出た。日陰で見えなかったボスモンスターの全貌を知らしめることに他ならない。

 

「ディラララアアッ!!」

 

固有名は≪フィーラル・ワーダーチーフ≫別名は¨野蛮な獄吏長¨――その名前通りに人型のモンスターだ。しかし、同じ人間とは思えない姿をしている。

二メートル強の身体に全身の肌は黒ずんだ赤、異様に太くて長い腕には大きな斧を握り、頭を鋼鉄のマスクの奥では両眼が濁った黄色に発光している。

 

突進する五人のうち四人はボスを誘導し、レバーとは反対側に引き離す。残る一人は奥の壁に生えるレバーを操作し引き下げた。鈍い音が轟き、撤退組の眼前の鉄格子は上がり始めた。

十人全員が広場に入れば、先頭に立った風林火山の一人が、鉄棍を振りかざして叫ぶ。

 

「よぉっし、行くぞぉ!」

 

 かけ声と同時にノーチラスとユズルは赤鎧の二人と一緒にボスに目掛けて突進した。ノーチラスはよりいっそう加速し、ボスに向かい突進スキルを発動させる。

 

「コイツは俺が引き受ける!」

 

左右四人に分かれた中央を突っ切り、剣先はボスの左足を抉った。膝を折った獄吏長は怒りで怒声を撒き散らして空気を震わせる。全身に凍える恐怖を感じたノーチラスは意識が遠のく気配を押し殺す。

 

――相手の一瞬のスキを逃さない

 

野蛮な獄吏長は膝を折ったまま両手斧を高々と振りかぶった。遠目で斧の斬撃の軌道を見据えたユズルは自分の分身を呼び出して交戦に加わる。曲線をえがいた剣は左手首を切り落とし、切り落とされた左手首は斧を握ったまま地面に突き刺さった。ボスの動きは一瞬止まる。その時間を利用して、ノーチラスは戦っていた仲間と合流して指示を出す。

 

「ボスは俺達が倒す!!だから、取り巻きを処理してくれ!」

「わ……分かった!」

 

 再生した左手で突き刺さった斧を乱暴に引き抜いたワーダーチーフの左右に、合わせて五体の取り巻きを出現させる。ボスを相手にするパーティはノーチラス、ユズル、風林火山のメンバー二人とし、主街区で救援隊に参加したプレイヤーとユナは二人の取り巻きを相手にし、戦っていたプレイヤーと残りは三人の取り巻きを相手取り展開した。

 

攻略組の三人とレベルの高い彼でワーダーチーフの体力を削り続け、取り巻きは倒すか抑えていれば、安全に倒せる作戦だ。ノーチラスは似た敵と戦った事があり、相手の攻撃パターンは頭に入っていた。再び大きく斧を振りかぶるモーションを確認し、ノーチラスは叫ぶ。

 

「縦攻撃、来るぞ!回避して地面に突き刺さったら、集中攻撃!!」

 

 直後に両手斧を振り降ろすも先ほどと全く同じモーションに余裕を持って見切る。斧を地面に食い込む。ボスに慣れているプレイヤーはその隙を見逃さない――

 

「今だ!ユズル、スイッチ!」

「了解!」

 

ノーチラスはユズルと交代し、一体の分身と一緒に切り込む。砂埃を無視して硬直状態の続く限り何度も切り刻んだ。やがて硬直を解除したワーダーチーフはお返しとばかりにユズルの分身に攻撃を仕掛ける。分身に攻撃した斧は地面に突き刺さり、再び硬直状態となった。

 

「よし!カル―、スイッチ!」

「おう!よそ見すんなぁ!!」

 

すかさず、風林火山のねじり鉢巻きの巨漢はソードスキルを叩き込む。衝撃で後ろに引きずられれば左右から風林火山の刺股使いオブトラとノーチラスのソードスキルが直撃した。青や黄色のエフェクトに合わせてワーダーチーフの二本あるHPゲージは一本まで減少する。ボスのHPを削り切る為に、風林火山の二人とノーチラスはボスに全意識を集中させた。

 

「これから倒せる…行ける!」

 

 ノーチラスは剣を握り直して自身を鼓舞する。初めは意識が遠のく不安を感じていた。しかしながら、戦闘が軌道に乗ってからはその現象は出てはいない。戦う前にやってくれたユナのおまじないと存在が力を与えてくれていた。ノーチラスは逸る気持ちを抑えてボスと向き合う。だだ、ユズルはボスを睨み付けたまま逼迫(ひっぱく)した表情を崩さずにいた。

 

 

「…何だ…この嫌な予感は……」

 

 ユズルは分身を戦わせている間にボスに対する違和感について考えていた。フィーラル・ワーダーチーフは大きい巨体のわりには攻撃パターンは斧による縦攻撃だけだ。巨体を活かす攻撃方法としては第一層で戦ったイルファング・ザ・コボルド・ロードの範囲攻撃は有効打となる。しかしながら、ワーダーチーフは単体攻撃のみだ。この程度の敵に助けを待っていた五人は追い込まれるものか、疑問に感じていた。いや、それだけではないか…。ユズルはさらに頭を回転させる。

 

 第四十層のレストランで「助けてほしい」と言っていたプレイヤーは『敵の中に¨沈黙¨のデバフを持つ敵がいた』と話していた。取り巻きを見てもデバフを使う様子は見られない。であれば、そのスキルの持ち主はワーダーチーフかまだ出現していないモンスターの存在の可能性があった。そして、スキルを発動させて五人のプレイヤーに『¨沈黙¨デバブを与えた』と予想できる。だが一番の違和感はレバーから離脱する鉄格子までの距離三十メートルは離れている所だ。

 

一人では沈黙デバフ状態で追っ手を振り切りながら操作しての離脱は不可能に等しい。もし、一人のプレイヤーを犠牲にすることを前提にしたフィールドであれば、何かプレイヤーを確実に仕留める罠を張っているはずだ。限られた情報での推理をまとめ終えたユズルはノーチラスに話しかける。

 

「ボスに違和感がある…念のためいつでも状態異常回復ポーションを出せる準備をして!!皆には僕が伝える!」

「――え!?わ、分かった!!」

 

 ノーチラスの返事を待たずにユズルはボス討伐から一旦離脱する。そして、プレイヤー全員に黄色い液体の入った小瓶である状態異常回復ポーションを一人一個あるかを確認する。持っていないプレイヤーには配布して全員持っていると確認できた。確認を終えて『これでどんな状態異常や強攻撃でも対応できる』と僕は安堵する。しかしながら、自分の予想は外れてくれる事を祈りながら再びノーチラス達の戦闘に加わった。

 

 

「よし!…もう少しだ!みんな、頑張ろう!!」

 

ノーチラスの声援に、仲間達は力強く応じた。フィーラル・ワーダーチーフとの戦いはノーチラスの作戦通りに推移していた。ワーダーチーフの隙を見付けては左右からソードスキルを撃ち込む。安全を優先して隙の少ない二連撃までに限定させていたので時間はかかっている。しかし、ここまで誰も致命的なダメージを受けてはいない。

 

無限沸きの取り巻きは、ユナを含めたメンバー同士で連携し合い、ボスと戦っているパーティに近づけさせなかった。順調に過ぎるほど順調に進んでいる。だがユズルの話していた¨沈黙¨デバフを発動する気配を見せない敵や単調すぎるボスの動きにノーチラスには気味の悪い違和感があった。

 ボスのHPバーは一本に突入して黄色になっても、ノーチラスの不安は消えない。ボスの放った二連撃の単体攻撃を回避してソードスキルを放つ。ワーダーチーフのHPバーは黄色からオレンジへと変化していく。それを見ていた風林火山のオブトラはノーチラスに顔を向けて叫ぶ。

 

「赤で攻撃パターンが変わるかもだぜ!いったん離れるか!?」

「――っ!いったん後退!!ボスの攻撃パターンに注意しろ!!」

 

風林火山のオブトラとカル―は後退する。ユズルは分身に戦闘を任せて後退した。その間に分身の斬撃を受けたボスのHPゲージは赤色に突入する。ノーチラスは盾を、オブトラとカル―はそれぞれの武器を構え直した。目視ではボス自体に変化はない。その代わりに――

 

――ボス部屋全体に、錆びた鉄を擦る金属音を何重にも響き渡る。やがて壁の鉄格子は全て上にスライドし、その奥に収容されていた小型のモンスターが飛び降りてきた。取り巻きのモンスターとは同系列のではある。しかし、武器は血痕付き包丁を振り回しながら「ケ、ゲ、ゲ…」と口元を笑わせていた。壁の穴から現れたモンスターを合わせた総数は二十体……

 

「まじかよぉ…」

 

 予想外の出来事にねじり鉢巻きをしたカル―はボスから注意を逸らす。その隙を見たワーダーチーフは身体を横に捻じる。地面を抉る低軌道で巨大な斧を振り回した。

 

「くうっ……!」

 

カル―を庇ったノーチラスは直接攻撃を盾で防ぐ。ワーダーチーフは力任せに盾ごとノーチラスとカル―を吹き飛ばした。範囲攻撃は取り巻きを相手にしていたプレイヤーを巻き込み、プレイヤーの身体は天地をひっくり返した。幸いにも即死する者はいない。だが、ノーチラスを含めた五人のプレイヤーに薄い緑色のスパークエフェクトが包み込む。

 

「(あれはたしか…行動不能……いや、麻痺だ!!)」

 

 ノーチラスはすぐに状態異常回復ポーションを飲み込む。ポーションは飲んでから数秒をかけてゆっくりと回復していく。その間に二十体のモンスターを抑える部隊を編成しなければならない。現状でボスの攻撃を回避して戦えるプレイヤーはユナとユズルの二人だけだった。目の前では、範囲攻撃後の硬直から回復しつつあるワーダーチーフが、身体を起こしていた。残ったプレイヤーを集めても、相手の戦力の半分にも満たない。その上でワーダーチーフとの戦闘――勝ち目は無くなっていた。

 

ここにいる救援部隊は一瞬でそれを悟り、自分たちの命はここで潰えると思い知らされた。今日まで積み上げてきた自信は崩れ落ち、奮い立たせていた心は絶望に飲み込まれようとする。

 

「――諦めるな!!」

 

ユズルは剣を立てて叫ぶ。幻影のローブを解除し、素早さに特化した布装備に切り替える。顔を上げてみれば、長い髪を後ろに束ねた整った顔立ちをしたプレイヤーの姿が見えた。諦めに支配されていたプレイヤーの前で、自分の心を奮い立たせるように、歯を剥きだし、目を見開き、拷問吏を睨み返し、前を見て叫ぶ。

 

「ユナはノーチラスを守れ!ノーチラスは、ボスを倒せ!!そして――生きろ!!」

 

他のプレイヤーの声を無視してユズルは拷問吏に向けて走り出す。ただ、一人では全てのモンスターを引き付けられない。よって――

 

「(開発段階だけど)これでもくらえ!」

 

モンスターの群れに次々と花火を投げ入れて爆発させる。ユズルの血迷った行動に理解が追いつかない。瞬発的に「何をしているんだ」と全員は思ううちに、新たな驚愕に包まれた。爆発した花火の音に誘われてプレイヤーを攻撃していた拷問吏達は、攻撃をやめて振り向く。フードの奥で小さく光る計四十の目は、ユズルを捉える。二十体の拷問吏は武器を構え直す。中にはワーダーチーフもユズルを追いかけようと足を踏み出そうとしていた。

 

「行かせるか!」

「お前の相手はオレたちだ!」

 

大技ガードの衝撃から立ち直った風林火山の二人は、それぞれの武器でボスの両足を痛打する。あまりの痛さに「ディラアッ!」と叫んだボスは、攻撃対象を二人に絞り込む。走る速度を落とさずに花火を投げ続けているユズルに二十体の拷問吏は殺到していく。やがて、拷問吏の揺れ動く槍と包丁に遮られて見えなくなった。

 

 ユナはオブトラとカル―と合流してワーダーチーフの攻撃をあしらい、硬調状態になった隙を攻撃する。しかし、ユズルを気にして精密性を欠いたユナの攻撃は決定打を与えきれていない。眩暈による意識を堪え、心の焦燥感を抑えて、ユナは風林火山の二人に呼びかけた。

 

「お…お願い!あの人を…ユズルを…助けて…」

 

二人は顔に不快苦悩を浮かべながらも、その場を離れなかった。

 

「ダメだ!まずはこっちを片付けないと!」

「ボスを倒さなければ、全滅する!」

 

二人は口々に叫び、ソードスキルを発動させてワーダーチーフを追い詰める。二人の判断は機能的に考えて正しい。ユズルは命を張って全ての取り巻きを遠くに誘導した。彼の繋げた時間を無駄にしてはいけない。風林火山の二人はボスに全意識を集中させる。

やがて、状態異常回復ポーションで全回復したノーチラスもボスに攻撃を仕掛けた。絶望に押しつぶされそうになったユナは風林火山の二人を睨み付けて怒りを抑える。そのままノーチラスと合わせてボスにソードスキルを叩き込んだ。

 

二人の猛攻を受けたフィーラル・ワーダーチーフは爆音と光を振りまいて爆散した。ユズルはモンスターに包囲されて等身は見えない。だが未だに金属音を響かせている辺り戦っているようだ。

 

「――よし!後はアイツに加勢すれば…」

「転移!!四十層ジェイレウム!!」

 

 他のプレイヤーは持参していた回路結晶を使用する。ボスと戦って近い位置に固まっていた四人も青い光に包まれて死地を離脱した。ユナとノーチラスの最後に見た光景は、モンスターに囲まれてもなお戦い続ける彼の姿だった。

 

 

「…皆は離脱したのか」

 

ユズルは拷問吏二人を倒して転がりながら回避して誰もいない広場に移動する。元々は装備を切り替えなければ勝てない自分の弱さが招いたことだ。無理やりでも『仕方のない』と思うしかない。ゲージがオレンジ色なのを確認してからポーションを飲む。残り十八体と向き合う形で意識を集中させた。

 

「――さて、ここから先はR-18禁だな……貴様(テメーら)ら全員撫で斬りだ」

 

眼前の殺意、全員生存できた希望、取り残された怒りを全身に染み渡らせる。その間にこれまでの思い出が走馬灯に溢れ出た。

――キリトとクラインで義兄弟の契りを結んだ記憶

――月夜の黒猫団と騒いだ記憶

――ユナと数か月間、歌について話し合った記憶

――ユナとノーチラスで生存を誓った記憶

まだ花となって散るわけにはいかない。生きて必ず、皆と語り合う。心に青い炎を灯したユズルは突進と同時に、六体の分身を出現させる。戦いの場である広場は拷問吏達との乱戦に包まれた。敵を切り裂くうちに体力ゲージは黄色になるも、気にしない。ただ、笑みを浮かべて処理していく。ポリゴンとなって消える敵に快楽を感じつつ、拷問吏を一兵残らず殲滅させていった。

 

 

2023年10月18日(夕刻)

 

「ふざけんじゃねぇぞ!!テメェ!!」

 

四十層のジェイレウムは殺伐とした雰囲気に包まれていた。救出作戦の目的は『ダンジョンに閉じ込められた五人を救出する』故に達成している。しかし目的は達成しているにも関わらず誰一人として喜ぶ者はいない。風林火山のカル―は回路結晶を使用したプレイヤーの襟元を掴んでいた。オブトラは拳を握りしめてプレイヤーを睨み付けたまま動かない。ノーチラスは「なんで…」「どうして…」と両手を地に着けて泣くユナを慰めている。だが、彼の視線は結晶を使用したプレイヤーを睨み付けたままだ。

 

「まだ戦っている奴がいたんだぞ!!何で勝手に結晶を使った!」

「ふざけているのはお前の方だ!知らないのか!?彼奴は極悪プレイヤーだ!奴を消すということはアインクラッドの為なんだぞ!!助ける必要なんかないだろうが!」

 

襟を掴まれているプレイヤーはカル―の怒気を無視して答える。相手の皮肉を込めた自分勝手な言い合いにカル―は拳を振り上げる。圏内ではダメージや痛みを与えることはできない。しかし、目の前のプレイヤーを殴らずにはいられなかった。振り上げた拳は彼の頭上で止まる。振り下ろそうと力を入れても誰かに腕を掴まれて動かない。カル―は首だけを動かせば、巨体な大男が手首を掴んでいた。よく見れば彼は救出したプレイヤーの中の一人だ。

 

「――なにをしやがる…」

「私はコーバッツという。貴様はたかだか一人のプレイヤーの生き死に何故げんこつする。わが軍のプレイヤーを助けてくれたことには協力感謝しよう。だが、アインクラッド解放軍の掲げる正義として奴はいないほうが世のためだ」

 

コーバッツは『助けてもらうのは当然』とばかりに主張する。その様子に見かねたオブトラとノーチラスは「それが助けてもらった態度か!!」と言い合う。涙を浮かべるユナは「…ふざけないでよ」と低い声で言う。やがてゆっくりと立ち上がる。哀切(あいせつ) な感情が全身に沁み入るように覚えた。歯を食い縛るユナの怨念じみた感情は炸裂し、それはそのまま舌に乗って吐き出される。

 

「自分の都合ばっかり考えて何が解放よ!何が軍よ!――なにが正義よ!!」

「――フンッ!」

 

ユナは我慢できなかった。コーバッツの言う正義よりも二十体の拷問吏に囲まれてもなお希望を捨てずに激励した彼の方がよっぽど立派だった。勝手な偏見と倫理観で人を簡単に切り捨てるプレイヤーに胸の怒りを爆発させて叫ぶ。顔を真っ赤にして鼻息を荒くしたコーバッツは同じアインクラッド解放軍のプレイヤーと共にジェイレウムの主街区を後にする。しばらくして、一人のプレイヤーが近づいてきた。ノーチラスはすぐに店内に飛び込んできたプレイヤーと分かった。

 

「…なんかゴメン…ほんとうに…ゴメン…」

 

助けを請いたプレイヤーは頭を抱え込んで涙ぐむ。彼はそれ以上慰める言葉を思いつけずに立ち尽くしてしまう。しばらくして足を引きずりながら移動する仲間と一緒に宿屋に姿を消した。

 

 

「ユナ…落ち着いたか?」

「…エーくん…うん、良くなったかな…」

 

 ノーチラスとユナは近くの宿屋を借りている。ノーチラス本人は本音ではしっかりとした宿を借りたかった。しかし、泣き崩れて立つ気力を失ったユナを支えながら歩くのは骨が折れる。現実世界でも落ち着くまで泣いている時の慰め方をしていた。だいぶ落ち着き、ユナはゆっくりと話せるようになっていた。

 

「僕はさ、驚いたよ…ユナがあんなに怒っているのは…初めて見た」

「私もだよ…なんであんなに怒ったのかな」

 

 自分でも分からなかった。ただ言わなければ、彼と音楽について話し合った思い出や一緒にいて楽しかった思い出を全て穢されたままのような気がした。コーバッツの言葉で全身に針を刺されたような焼け付く痛みは消えてはいない。思い出しただけで全身を焦がす感覚に支配されそうだった。

 

「ねぇ…エーくんはユズルのことをどう思っているの?」

「…少し変わった人なのかな……。今日初めて会ったけど、世間が言う悪い奴には見えなかった」

 

ユナは「そうだよね」とぎこちない笑顔で答える。明らかにユナは無理をしていてもノーチラスは何も言わなかった。これ以上の言葉は幼馴染の心は耐えきれない。そう考えていた。だが幼馴染の心を癒す言葉は思いつかない。ノーチラスはうつむき、ふと自分の小指に結ばれたユナとユズルの髪の毛が目に入る。脳天から雷を討たれた衝撃にかられた。

 

「ユナ…ユズルは生きているかもしれない」

「……え?」

「ここで死んだプレイヤーは身に着けている鎧や剣も全てポリゴンとなって消える…それなら、小指に結んだ髪の毛は死んでいるなら消えるはずだ」

 

幼馴染の彼の言葉はじわじわと涙を溢れさせる。いくら拭っても涙は止まらない。目から溢れて頬をつたう水滴は乾いた床に落ちる。

 

「あぁ…良かった…よかったよぉえーくん」

 

ユズルは生きている。あの死地を抜けて生きている。それだけでも私には十分だった。

 

「大丈夫だ…ユズルとはまた会える気がする…その時まで二人で強くなろう」

「うん。――うん!」

 

 二人は髪の巻き付いている小指で指切りげんまんをする。血盟騎士団所属のノーチラスとアイドルのユナ。そしてここにはいない仲間のユズル。立場は全く違う三人。

揃っていなくとも、心には仲間の存在を確かめ、再び廻り会う約束のために決意を固めた。

 




ユナが髪を抜くシーン、ノーチラスとユナの指切りげんまん
 元ネタ:江戸時代に行われた心中願い 内容は色々ありますが、一番マイルドな表現にしています。

 実際に二人は髪の毛でユズルの生存を確認しています。原作はフレンド登録画面で消えていなければ生存を確認できます。表現を変えている所はご了承ください。


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11話 クリスマスは空き巣に注意しろ

タイトルがいつもと違うのは気にしないでください(;´・ω・)

アンケートの途中結果は……

・オリ主の過去  2
・直葉のトラウマ 2
・恋のABC     4

沢山の募集ありがとうございます。引き続き、継続していくのでよろしくお願いいたします。

前半部分は、【約束の日は遠のく】のエピローグです。
 


2023年10月18日(深夜)

 

全ての拷問吏を倒し終えたユズルは転移結晶で移動し、場所も名前も確認せずに、適当な宿屋を借りた。死地を超えた先に戸惑いと後悔しか残っていない。剣でモンスターとはいえ人型を切り倒すたびにいい知れない感覚に心を満たしていた。あの感覚は¨楽しい¨に近く、人を切ることに快感を覚えていた自分を認めたくなかった。キリトやクラインやユナに相談するには、心が血に染まった殺人鬼となり得た自分は邪魔者以外に他ならない。

 

「自分は殺人鬼になったのか……本当に世間の言う屑なのか……」

 

ベッドに腰掛けた僕は誰もいない空間に言葉を漏らす。自分は『誰かと協力し合えばどんな困難でも乗り越えられる』と思っていた。だから人を信じて行動してきた。だが、いくら人を信じていても結果はどうだ。その人に裏切られて窮地になるばかりだった。我慢していた溢れ出る負の感情を抑えきれずに流れ続ける。

 

「もう分からないな……笑ってヒトを殺せるニンゲンダからワカラナイや」

 

自分の悪評を変えようと動かない心の弱さ、努力しても越えられない強さの壁、どれだけ相手を思いやっても最後は裏切られる人心の闇の深さ。これまでにないほど負の感情に耐え切れなかった。

 

「誰にも頼れない……もう誰も、傷ついてほしくない」

 

初めは戸惑っていた決心は簡単に行動に移せた。ユズルはメニュー画面のフレンド登録リストを開く。そこにあるキリト、クライン、ユナの登録を一つずつ解除していった。暗がりの部屋でメニュー音は大きく聞こえる。これは自分への罰なのか、もう自分は人間ではなくなったのかは解らない。

 

 全てのフレンド登録を解除しても、その心の痛みは晴れない。ユズルの心は少しずつ、暗く、澱み、人心の闇に魅入られていた。

 

 

2023年12月20日(夕刻)

 

「結婚をほのめかしたプレイヤーキル?」

「アァ、なんか最近になって流行している殺しだナ」

 

第四九層ミュージェンで石造りのにぎやかな街で情報収集をしていた僕は片言で話す情報屋に疑問形で答える。木製のベンチに座り、ちらちらと降る雪に白い息を吐いて聞き返した。

ここ数ヶ月で心は重く、そして長い大きな檻に閉じ込められている。だから『目の前の人を救い続けていれば心の罪悪感を減らせる』と考えた。今は中間層ギルド向けにアイテムを商いしたり、ギルドの相談役や依頼をこなしたりして過ごしている。多くの人と情報を共有するうちにある疑念を確信に変えた。情報屋にその情報を伝える代わりに相手の情報を交換するビジネスで面会している。

 

片言しゃべりの情報屋から伝えられたプレイヤーキルの全紡はこうだ。ソードアート・オンラインにおいてケッコンシステムは『当事者同士の全データ共有』。つまり、相互にステータスを常時閲覧でき、アイテムストレージ及び所持コルが統合される。

 

しかし裏切りや詐欺が横行するデスゲームでは非常に危険な行為でもある。お互いにステータスを見せ合うということは弱点を晒すようなもの。また死別した場合はアイテム欄共有が解除された上で全アイテムは残った側に渡ってしまう。ケッコンシステムを後ろ盾にしたイケメンプレイヤーや美人プレイヤーは相手を誘惑してギルド内に溶け込む。後はモンスターで弱り切ったプレイヤーを自分と関わりのある第三者に襲わせてアイテムとコルを奪うというやり方だ。

 

「何でも、ケッコンシステム実装はデメリットの方ガ大きくても、人と繫がる証みたいな物だからナ。その気になったプレイヤーはコロッと騙されるものサ」

「……なるほどねぇ。現実で言うハニートラップと似た手口か」

 

やがて片言話の情報屋は笑みを浮かべて顔を近づける。ユズルは何も言わないが、不快な感じはしない。

 

「ニャハ、しかし、ユー坊には相手がいないからそんな心配はないかナ」

「そうでもない。今日はラッキーデーだよ……早いクリスマスだけど異性と過ごせるなんてね……それがアインクラッド有名人の¨鼠のアルゴ¨となれば、男達は黙っていないだろうねぇ」

「ニャハハーオネーさん口説くならもう少しマシな嘘つけ」

 

 ユズルの皮肉を込めて言った言葉を彼女はのらりくらりと(かわ)す。クリスマス目前で自愛の心が満ち溢れ、というわけにはいかなかった。ユズルは真剣な表情でアルゴをじぃと見つめる。

 

「こちらも情報を提供しようか…蘇生アイテムを持つボスの出現場所と日程が分かった。場所は三五層で日はクリスマス・イブだ」

「それハ、確かな情報カ?」

「他のプレイヤーから聞いた個々の情報で関連のある情報を結びつけた結論だ。信憑性は高い。それを聞いたうえでプレイヤーにはおススメしないように釘を刺してほしい」

 

アルゴはアイテムストレージから自分専用のガイドブックを具現化させる。一般プレイヤーの物とは異なり、付箋や別の紙を張り付けた膨らみのある本だ。パラパラと文字に目を通す彼女は先ほどの愛嬌のある少女とは思えない顔つきをしている。やがて手を止めて、執筆した文字を黙読する。その姿を見たユズルは一瞬だけアルゴの姿にユナの面影を見てしまった。僕は視線を逸らして歩くプレイヤーを眺める。彼女は自分のガイドブックを開きながら答えた。

 

「もしその情報が本当なラ…蘇生アイテムを狙っているギルドに襲われるナ。ここ最近なら【聖竜連合】と【アインクラッド解放軍】が不自然な行動をしているからナ…根回しは任せとケ」

「アルゴ、ありがとう」

 

アルゴはガイドブックに注釈を入れてからアイテムストレージに仕舞う。ユズルはやるべきことを終えて大きく深呼吸する。蘇生アイテムの争奪戦は過激で多くの死者を生むのは誰の目からみても明らかだった。プラスよりもマイナスの方が多い戦いは虚無感と敗北感しか残らない。『聖なるクリスマス』よりも『流血のクリスマス』と言えばしっくりくるイベントになってしまう。いずれにせよ、被害を抑えることはできそうだ。

 

「……それにしてもアインクラッド解放軍と聖竜連合ねぇ」

 

ちらちらと降る雪に頭は回らずに上空を見上げる。相変わらず悪質な行動をしていても、今は自分とは「似た者同士」だからと共感できる。そう思い、つい最近の出来事を思い浮かべていた。

 

 

 アインクラッド解放軍と聖竜連合は他のギルドからは恨みを持つ人も多い。特に聖竜連合は人員最大ギルドのドラゴンナイツ・ブリゲードと他のギルドとの合併、あるいは吸収によって誕生したと思われている新生ギルドだ。しかし急激な人員増加でギルドマスターや副リーダーの手を回せていない所では、一部で恐喝や恫喝を行い、やりたい放題をしている。僕はたまたま聖竜連合で商いをしていた時にディアベルに会い、その実態を知った。

 

「――!あなたはディアベルさんではないですか。どうもお久しぶりです」

「?君とはどこかで会ったかな。俺とは初対面なはずだが……」

「……一年前の第一層攻略戦で参加した時ですよ。あの時は色々ゴタゴタとしていましたから抜けていたでしょう」

「……そうか。もう一年も経つのか。今は聖竜連合で副リーダーを勤めているディアベルだ。よろしく」

 

簡単な自己紹介をしてからディアベルを通してユズルの聞かれた情報を答えてくれれば安くアイテムを提供する話をする交渉をすれば承諾してもらい、一般では得られない内部情報を知れた。ディアベルから聞いた話では自分のギルドの一部とアインクラッド解放軍の狩場に近づいたプレイヤーは攻撃され、それによるプレイヤーキルは名誉ある行為と認識されている。

 

どうやら両ギルドは、『誰よりもアインクラッドの開放を望む者の集まり』を掲げ、有効な狩場の独占や下層プレイヤーにコルの徴収を強制する等をしているが、ユズルにとっては謎だった。趣味スキルでもコルは稼げるのに…。釣った魚を料理した配給食販売や自作の高品質ポーションや結晶の販売は、売れ行きの波はあっても、製作費と合わせて黒字経営だ。下層は今日を生きるプレイヤーで精一杯で、攻略組に合わせたコルを徴収されては生きていけなくなってしまう。この時のユズルは思考を口には出さずに「ディアベルとは腐れ縁くらいにはなるだろうな」と思い、別れた。

 

 

「アルゴはどう?情報屋をしていれば人と会うだろうに。気になる男性や女性はいたか」

「それはナイナ。オレッちは相手の色恋沙汰には興味あるがナ。本当に知りたいナラコルを上乗せしてもらうゾ」

 

 このままお別れはあと味が悪い。クリスマスに沿った会話をしようとした。いつの時代でも恋バナの需要は高く、アルゴも例外ではないと思っていたが…無表情で返されてしまった。しかも下目使いでみられてしまい、養豚場の豚でもみるかのような冷たい眼をしている。ユズルは「アルゴに恋バナはタブーだったかぁ」と琴線に触れた後悔を誤魔化そうと答えた。

 

「……えぇと……その……うん……やめとく」

「…ヨロシイ。オネーさんの心を(もてあそ)んだ罪で監獄送りにしてやろうと思ったゾ」

「それは許してほしい。お詫びに食事を奢るよ」

「オレッちはそんなに安い女じゃないからナ。お店はユー坊が選んでクレ。センスを試してやるゾ」

「もちろんだよ」

 

僕は木製のベンチから立ち上がり、アルゴと一緒に三層のロービアの主街区まで転移する。転移した先はしとしと雨が静かに降っていた。

 

だがユズルにとっては好都合でありアンティークの家具一式を揃えたパスタ専門店を選ぶ。店内は木製の壁紙で統一された落ち着いた雰囲気を醸し出す。耳を澄まさなければ聞こえない控えめなクラシック音楽に雨音が心地よいハーモニーを作り出していた。NPCに窓際の席を案内してもらう。水路には街路灯でカラフルな家が反射して写されているから見栄えもいい。僕は海鮮パスタを選び、彼女はエビクリームパスタを注文する。当のアルゴは「やっぱり監獄行きナ」と笑顔で言い、パスタ料理を堪能していた。

 

 

2014年2月18日(早朝)

 

「今日は中層ギルドと下層プレイヤーを相手に商いしようかな」

 

 ユズルは呆然と一日のスケジュールを決める。冬も終わり、季節は温かい春の陽気を出し始めていた。昨年は最前線の森に籠り、森林伐採をし、油の染み込んだレア素材の木を伐採できた。それをマイホーム持ちのプレイヤーや中層ギルドに『冬越しに最適!冷えた家庭にこれ一本!!』をキャッチフレーズにした冬越しセットを販売すれば予想以上の売れ行きを記録した。ちょっとした小金持ちとなり、浮いた部分はコルの稼ぎにくいギルドやプレイヤーにアイテムを安く商売すれば±0となる。これでお互いに『WIN=WIN』関係となる商いを僕は大切にしていた。

 

午前中はシルバーフラグスのギルドから月夜の黒猫団を順番に、午後は第一層から第二十層のプレイヤーを訪問して行こうと決めた。

 

「シルバーフラグスの皆さん!こんばんはーアイテムの販売で来ましたー」

 

ユズルは中層ギルド【シルバーフラグス】の拠点にしている宿屋に顔を出す。この宿屋はコルの請求額は高い分、タンスや机の家財道具は一通り揃っている。ギルドホームを持たない時のつなぎ場所としてはうってつけで需要は高い。ユズルは大きい声で言ったつもりでいたが、人の返事はない。

 

「……?変だな。誰もいないなんて」

 

 普段は誰かしらギルドメンバーを待機させているだけに、誰もいない状況に首をかしげる。午前中の予定は月夜の黒猫団に行くだけだ。ユズルは時計を見て「まだ時間はあるな」と思い、宿屋の近くにあったベンチに腰を下ろして本を読んで時間を潰すことにした。やがてシルバーフラグスの一人が帰ってきた。しかし、男の様子はただ事ではない。武器は損傷し、普段は身に着けている鎧や兜は装備していなかった。

 

「――何かあったの」

 

 僕はなるべく落ち着いた口調で尋ねる。見知ったプレイヤーと知った彼は肩を震わし、瞳は揺らいでいる。話そうにも嗚咽し、吃音(きつおん)で「ろ……お、こ……」と聞き取れない。よほど強いストレスを抱えていると感じた僕は「落ち着いて」と相手の背中さすりながらアイテムストレージを操作して、ホットティーを用意する。彼は少しずつホットティーを嚥下(えんげ)し、半分は飲むも顔は俯いたまま表情を崩さない。未だにカップの端にホットティーの波が押し寄せる。やがて言葉を選ぶようにユズルに話した。

 

「ロザリアっていう奴に……俺達の仲間が……皆……殺されて、た、頼む!仲間の敵を取ってほしい……」

 

 プレイヤーは涙声で事の成り行きを話し始める。突然、「よければ体験入団させてもらえないかしら」と、艶のある女性が声をかけてきた。それから数日後にクエストを終えて疲弊している時にオレンジプレイヤーたちが襲来し、彼以外のシルバーフラグスのメンバーを皆殺しにしたという。

 

「……分かった。その依頼を受けよう。それで、僕はどうすればいいの」

「ここに回路結晶がある。これでロザリアと関わったプレイヤー全員、監獄に入れて欲しいんだ」

 

 中層ギルドで回路結晶は高嶺(たかね)の花のはずだ。彼は自分のギルドの持ち物を売り払ったコルで買ったと話す。ユズルは彼の本気に気後れした。すぐに表情を切り替えていつものように応える。

 

「了解。そうだった!以前払い忘れた代金を返すね」

 

 僕はとぼけたフリをしてからメニュー画面を開く。そこから二万コルほどをプレイヤーに返した。

 

「――!こんなに!あんたの所でこんな払いミスはなかったはずだぞ」

「いや、ここにいないプレイヤーが買った時のお釣りだよ。一応依頼料から差し引いた額だから安心してほしい」

 

彼は驚いてコルを返そうとするも、僕の話を聞いて放心していた。買った時のお釣りの話は嘘で彼らは払いミスなどしていない。ただ、彼が前を向いて生きていけるキッカケになると考えた上でコルを渡した。いつも打算的な考えでしか行動できない自分自身の嫌気を頭の片隅に追いやる。

 

「……さてと、まずは情報収集かな」

 

情報屋から聞いた話ではロザリアは【タイタンズギルド】に所属しているギルドマスターだ。男性プレイヤーを誘惑してギルド内に溶け込むやり方でプレイヤーキルを繰り返す悪質なギルドと分かった。ユズルは「しばらく商いは臨時休業かな」と思い、アルゴを含めた情報屋とは別に独自でタイタンズギルドを追うこととした。

 




お読みいただきありがとうございます。
 次回は【竜使いの少女】や【ビーストテイマーの少女】の二つ名で呼ばれる彼女の登場です。お楽しみください!!


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12話 短気は身を滅ぼす腹切り刀

UAが1500を超えました!!
 いつも読んで頂いてありがとうございます!

今回は名前が出てはいませんが、私=シリカです。
 


2024年2月23日(昼間)

 

オレンジギルド【タイタンズハンド】の頭であるロザリアは【ミッシングリンク】いうギルドにいると情報を掴めた。他の情報屋からはそのギルドは第三五層にあるサブダンジョンの迷いの森に来ている、という情報を貰った僕は、その迷いの森で両手を上げている。

 

「......これはお手上げかな。入る前に迷いの森の特徴を知っておくべきだった」

 

迷いの森は文字通りの場所だ。数百のエリアに分割され、数分ごとにマップの位置はランダムに変更される。一度入ればマップにはノイズで自分の居場所すら分からなくなり、転移結晶を使えば近くの森に飛ばされるだけという、えげつないダンジョンだった。

 

「手探りで歩き回るしかないかぁ。ロザリアだけなら森を燃やして炙りだせたけど......ミッシングリンクのメンバーもいるなら巻き添えになってしまうか」

 

短時間かつ被害を最小限に抑えたやり方を諦め、ユズルは迷いの森を進んでいく。いくつもの重なる森林に太陽の光はほとんど当たらない。視界の先々まで樹木で生い茂り、地上モンスターの移動する音や鳥型モンスターの鳴き声は耳にまとわりつく。ユズルは「取りあえず、音のする方に歩いて行こう」と決めて、森を探索することにした。

 

 

2024年2月23日(夕刻)

 

「はぁ、何時になったら出られるのかな」

 

赤色を基調にした鎧服に黒のミニスカート、明るい茶色の髪を赤い髪留めで短いツインテールに束ねた明るい濃紅色の瞳の少女は、第三十五層フィールドダンジョン迷いの森をとぼとぼと歩いていた。肩の上に乗っている生き物は「きゅる」と心配そうに鳴く。彼女はその生き物を安心させようとそっと首筋を撫でた。

 

「......後悔はしてないよ、ピナ。大丈夫だからね」

 

ピナと呼ばれた生き物は彼女の手を頬ずる。この生き物の種族名は『フェザーリドラ』。全身をふわふわしたシャーベットカラーの綿毛で包み、尻尾のかわりに二本の大きな尾羽を伸ばした小さなドラゴンは滅多に現れないレアモンスターだ。

モンスターの接近を知らせる索敵能力、主人の体力を回復させるヒール能力など幾つかの特殊能力を持っていた。そのサポートスキルは貴重なものであり日々の狩りを飛躍的に楽になる。しかし彼女は、何よりピナのもたらす安らぎと温かさに助けられていた。

 

「ピナがいたから私はこうして戦えるんだよ。本当にいつもありがとね」

 

ピナのAIプログラムはそれほど高度なものではない。言葉は使えないうえに命令も約十種を解するにすぎない。しかし、ピナは「きゅるる」と彼女の声に猫なで声で返す。彼女は自分の気持ちを読み取ってくれて笑みをこぼした。深夜に近くなれば殺人プレイヤーや敵モンスターに襲われるリスクがある。焦る気持ちを落ち着かせて、彼女は駆け足で進む。

 

「――あの時、どうすれば良かったのかな......」

 

 彼女は迷いの森を一人で抜けることになった原因を思い浮かべる。私はミッシングリンクのメンバーと一緒にパーティーを組んでいた。解消したきっかけはささいな口論だ。だが、落ち着いた私は、どれほど悔やんでも取り返しのつかない過ちに後悔する破目になった。

 

 

2024年2月23日(早朝)

 

私は数週間前に誘われたパーティーに加わって、三五層に広がる広大な森林地帯、通称【迷いの森】の冒険に参加していた。

 

現在の最前線は第五五層で、フロアは既に攻略されている。しかしトッププレイヤー達は基本的に迷宮区の攻略にしか興味を示さない。そのため、迷いの森のようなサブダンジョンは手付かずのまま残されており、中層プレイヤー格好の狩場となっている。

 

私の参加した六人パーティーは手練れ揃いで、朝から戦闘をこなして多くのトレジャーボックスを発見し、十分すぎる金額コルとアイテムを稼いだ。昼間には、パーティーの回復ポーションは尽き始めていた。冒険を切り上げることにして、主街区へ戻ろうと歩き始めた時だった。細身の長槍を装備した女性プレイヤーのロザリアは、何のつもりか、私に理不尽な事を言う。

 

「帰還後のアイテム分配なんだけど、あんたはそのトカゲが回復してくれるんだから、回復アイテムはいらないわよね」

 

その馬鹿にした言い方にカチンときた私は、即座に言い返した。

 

「そういうロザリアさんこそ!ろくに前に出ないで後ろをうろちょろしてばかりでしたよね!ロザリアさんの方がクリスタルなんか必要ないんじゃないですか」

 

あとはもう売り言葉に買い言葉。パーティーリーダーの仲裁は火に油を注ぎ、激高した私は我慢できずに言い放った。

 

「──っ!アイテムなんかいりません!あなたとはもう絶対に組まない!あたしを欲しいって言うパーティーは他にも山ほどいるんですからね!!」

 

せめて森を脱出して街に着くまでは一緒に行こうと引き止めるリーダーの言葉にも耳を貸さず、シリカは五人と別れて枝道に飛び込み、ムシャクシャした気分のままにずんずん歩く。

 

たとえソロでも、短剣スキルを九割近くマスターし、ピナのアシストもある私にとっては三五層のモンスターはそれほどの強敵ではない。労せず撃破し、主街区まで到着できるはずだったのだ。だけどこの時の私は【迷いの森】という森林ダンジョンを甘くみていた。

 

 

2024年2月23日(黄昏)

 

巨大な樹々がうっそうと立ち並ぶ森は数百のエリアへと分割され、ひとつのエリアに踏み込んでから数分経てば東西南北の隣接エリアはランダムに入れ替わる設定だ。森を抜けるには、時間以内に次々とエリアを突破していくか、主街区の道具屋で販売している高価な地図アイテムで四方の連結を確認しながら歩くしかない。

 

私は地図を持っておらず、迷いの森では転移結晶を使っても街には飛べずランダムで森のどこかに飛ばされる仕様になっている。やむなくダッシュで突破を試みなければならなかった。だが、曲がりくねった森の小道と巨木の根をかわしながら走り抜けるのは予想以上に困難だった。地を踏みしめるたびに足先が痛くなることを無視できなくなってくる。

 

「......何で......何で!」

 

まっすぐ北に向かっていても、エリアの端に達する直前で時間が経過してしまい、どこか分からない場所に転送を繰り返す。だんだん私は疲労困憊で走れなくなってきていた。夕陽の色はみるみる濃くなり、澱んだ樹海から生まれる暗闇に恐怖で埋め尽くされそうになる。

 

「うぅ......なんで......」

 

やがて私は走ることを諦め、偶然森の端のエリアに飛ぶことを期待して歩き始める。とぼとぼ歩くうちにも、容赦なくモンスターに襲われる。レベルには余裕があるとは言え、暗くなるにつれて足場はよく見えない。ピナの援護があっても無傷で全ての戦闘を切り抜けることは出来なく、ついに残りのポーションから非常用の回復結晶を使い果たしていた。

 

「――もう、回復アイテムが......!」

 

何もかも上手くいかない自分を呪う。私の不安を感じ取ったように肩に乗ったピナは「くるる」、と鳴きながら頬に頭をすり寄せてくる。相棒の長い首筋をなだめるように撫でながら、私は自分の短気で招いてしまったことを悔やんでいた。歩きながら『神さま』に心の中で呟く。

 

『ごめんなさい。もう二度と自分を特別な存在だと思いません。だから......だから......次のワープで、森から出してください』

 

祈りつつ、転送ゾーンに足を踏み入れた。眼前に広がったのは今までと変わらない深い森だった。樹海の奥は夕闇に沈み、森を包んでいるはずの草原は見えない。

 

近くにある大樹を拳で殴りつけ、再び歩き出そうとした時──

 

肩の上にいたピナはさっと頭をあげ、一声鋭く、「きゅるっ!」 と鳴いた。

 

―――警戒音!

 

私はすばやく腰から愛用の短刀を抜き、ピナの見据える方向へ身構える。

 

数秒後、樹海の陰から、低い唸り声が聞こえてきた。視線を集中させると、黄色いカーソルが表示される。現れた敵の数は三匹。モンスター名≪ドランクエイプ≫迷いの森で出現する最強クラスの猿人モンスターだった。

 

「くっ!何でこんな時に!!」

 

舌打ちをし、目の前にいるドランクエイプを睨み付ける。

ドランクエイプは群れで現れることが多く、前後交代までしてくる。片手に酒の入った陶器瓶を飲めば体力を回復、そして体力が減れば前後交代し、また前にでるという知能の高い動きをする。十分な安全マージンをとっているかパーティーであれば難しい相手ではない。しかしソロでは難易度が上がる敵だ。

 

ましてや迷いの森で走り回っていた私は疲労困憊で動きは鈍く、十分な回避行動は取れない。さらに決定打となる一撃攻撃を持っていない軽装ビルドの私では勝算は無かった。

 

『もう...ミッシングリンクのメンバーでも...誰でもいいから...助けて......』

 

疲労と不甲斐なさで心が折れた私は短刀でドランクエイプの攻撃を受け止める。攻撃を受け止めて「せめてピナだけでも!」と奮い立たせて闘っていた。

 

 

2024年2月23日(同時刻)

 

「参ったな。暗くなってきたのに出られる気がしないや」

 

 僕はたいまつで足元を照らしながらぼやく。あれから森を徘徊しても、目的のミッシングリンクは見当たらない。探し人のロザリアもエンカウントしなかった。薄暗くなった深淵の樹海ではもし近くにいても、見つけることはできない。ユズルは情報屋の情報を活かせずに溜息をつく。

 

「しょうがない...せめて野宿の準備でも―――」

 

 言うが前に、樹海に激しい金属音が轟く。誰かが戦っているのは明白であり、この時間帯では¨誤って迷いの森にいる¨と言う感じだろう。たいまつを捨てたユズルは金属音のした方向に駆け足で向かっていく。数秒後に到着した時は、捨て身で攻撃する少女と三体のドランクエイプがいた。それよりも気になるのは、彼女は一番後方にいるドランクエイプを執拗に狙い続け、他の二体を無視した戦闘をしている。

 

「...随分と何かに憑かれた戦い方だな。何が彼女を駆り立てている」

 

考えるよりもまず行動。あの少女は後衛にいる敵に狙いを定めている。僕は『...ならば』と攻撃目標を前衛にいる二体のドランクエイプに絞り込む。せめて彼女が戦いやすいフィールドを作ろうと考えていた。ユズルは分身と合わせて二本の短刀を蹴り上げ、左右にいたドランクエイプを彼女から自分に注意を逸らす。彼女の武運を祈り、二体のドランクエイプに殺意を向けた。

 

 

「くぅ.......」

 

ドランクエイプの攻撃で吹き飛ばされた私は大樹を背に持たれこむ。疲労と身勝手な私を好きになれない自分にどうでもよくなってきた。近づいてくる敵にも『もういいかな...』と反射的に眼を閉じようとした。

 

その寸前──

 

空中で敵の前に相棒のピナが飛び込む。重苦しい衝撃音はエフェクト光とともに水色の羽毛がぱっと散り、同時に体力ゲージは左端まで減少する。

一声だけ小さく「きゅる...」と鳴き―――

──直後、青白いポリゴンの欠片を振りまきながら空に昇った......

 

「え......ぴな......」

 

長い尾羽が一枚ふわりと宙を舞い、地面に落ちると同時に私の中で、¨ぶつり¨となにかが引き千切れる音がした。現実を認める悲しみより先に、怒りで我を取り戻した。勝手に諦めて生きるよりも死を選び、動こうともしなかった自分への怒り。そして、単独で森を突破できると思い上がった、愚かな自分への後悔。なによりピナを死なせた自分の愚かさ、いや、『私がピナを殺した?』......違う、アイツがピナを―――

 

「―――ッ!!」

 

この場で、体力ゲージがゼロになっても、目の前の敵を倒せればそれでいい。憎くて、憎くて、堪らない。ピナをコロシタ奴だけを倒す。

――コイツだけは倒す!!

 

 短刀で無差別に切り付ける攻撃はドランクエイプの前衛後退(スイッチ)を許さない。敵の体力ゲージをイエローゾーンに差し掛かった時にいつの間にか左右からの鬱陶しい攻撃は止む。私はソードスキルを発動し、短刀を敵の腹部に深く突き刺す。さらに突き刺した刃先を回転させて敵の刺し傷を広げ、大きく抉る。ドランクエイプは獰猛な叫び声を上げながらポリゴンとなって消えた。

 

ドランクエイプを倒した私は、荒い息を整えず、すぐにもう二体のドランクエイプを倒そうと周囲を見渡す。その前に、後ろから誰かが話しかけてきた。

 

「...大丈夫か?瞳孔、開いてるぞ」

 

武器を構えたまま後ろを振り向いた私は、ポリゴンが昇天していく背後に、黒いフードを被った一人の男の子が立っているのを見た。

 




次回は完全に悪ふざけをします!
 今回の過剰な表現は目を瞑ってください(;´・ω・)

これからもよろしくお願いいたします( 一一)


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13話 独り暮らしは黙って1LDK

注意!!
 個人を中傷する表現があります。ご注意下さい( 一一)


黒いフードを被った男の人は強い殺気と威圧感を放れていた。薄暗くなった時間帯にこの人はプレイヤーキルと思い、本能的な恐怖を覚えた私は、武器を下さずにわずかに後退りする。二人の目と目が重なり合う…その少年は、一歩下がり剣をアイテムストレージに仕舞うという場違いな動作をした後、間をおいて口を開く。

 

「...良く耐え抜いたな。本当に頑張ったね」

 

その声を聞いた途端、私は全身から力が抜けた。落ち着けば『もうピナはいない』という現実を思う私は堪えようとはせずに、次々と涙が溢れさせる。短剣を手から滑り落とし、地面に転がる様子を無視した。私は視線を地面の上の水色の羽根に移すと、その前に地に跪く。

 

熱く渦巻いていた怒りは収まり、深い悲しみと喪失感が胸の奥に沸き上がってきた。それは涙に形を変え、頬を止めどなく流れ落ちていく。私は泣いてピナを失った悲しみを耐える様に流し続けた。嗚咽を洩らしながら、両手を地面につき、私は言葉を絞り出す。

 

「うぅ...あたしを独りにしないでよ......ピナ......」

 

 あの時に落ち着いていれば転移結晶を使い、森を出られなくてもモンスターの戦闘を避けることはできた。ピナが警戒音を鳴らした時に素早く離れていれば、隣接エリアの入れ替え時間に合わせて逃げ切れていたかもしれない。短気で闘う以外の選択をしなかった自分を責めることしかできなかった。

 

「……ゴメン。もう少し早く気が付いていれば......」

 

傍らに立っている男の人の言葉に、私は必死に涙を片腕で拭い、首を振った。

 

「...いいんです......私が...バカだったので......。ありがとう...ございます...助けてくれて」

 

嗚咽を堪えながら、どうにかそれだけを口にする。

 

男の人はゆっくり歩み寄ってくると、私の前に跪き、控えがちに背中をさすってくれた。振り払わずに助けてくれた人の素顔を見ようと顔を上げれば、彼はピナの羽をじぃと見つめている。

 

「そういえば、亡くなっても羽根が残っているのは不思議ではあるか。申し訳ないけど、調べてくれる?」

「...え、あ、はい...」

 

プレイヤーやモンスターは死亡して四散する時は装備から何から全てが消滅するのが普通だ。私は恐る恐る手を伸ばし、右手の人差し指で羽根の表面に触れる。浮き上がった半透明のウィンドウには、重量とアイテム名が表示された。

《ピナの心》

 

「…アイテム化されているなら、もしかすれば――」

 

言い終える前に彼は言葉を止める。気づいた時には、森一面に焦げ臭い匂いが充満していた。私には何が起きているか分からなくて呆然とする。

 

 

「...そういえば、ここに来る前にたいまつ消すのを忘れていたなぁ...ゴメン!野暮な質問だけど......走れる?」

「...へぇ?」

 

引き攣ったまま振り向いた先は、彼女のとぼけた素顔。その直後、炎で樹海の木に燃え広がるエリアに入れ替わった。巨大な樹木で埋め尽くされている迷いの森は数百のエリアへと分類されており、数分経てば隣接エリアはランダムで入れ替わる設定だ。私は急いで【ピナの心】をアイテムストレージに仕舞い込む。そして、名前を知らない人と一緒に私は疲労を忘れて無我夢中で走り回ることとなった。

 

大樹を燃やす火に怯えながら私と彼は駆け抜けていく。火災のお蔭で木の根やモンスターに足をすくわれることはない。だが、何度転送ゾーンに足を踏み入れても迷いの森からは出られなかった。

 

「うわぁああああ!!走っても、走っても火の森です!前に進んでいる気がしません!」

「人生、前に進んでいるつもりでも後ろに下がっていたりするからね!所詮、死ぬ間際にたった一歩でも進めればそれで十分――」

「うるさい!!何の話をしてますか!?そもそも、あなたが原因で死にそうになっているんですからね!!」

 

...どうやら余程余裕はないのであろう。彼女の口調は荒く過激になっていた。先ほどまで大切な相棒を失った悲壮感溢れる少女ではない。律儀で逞しい淑女に進化していた。そんな淑女に僕は前向きな言葉を送る。

 

「少年少女はね!ちょっと(精神に)火傷して大人になるんだ!良かったね。これで君も大人の仲間入りだ!」

「これで(身体に)火傷して大人になんかなりたくないですよ!――もうこんな森を走るのは嫌だよ~!ピナ~助けてー!!」

 

走りを止めずにシリカは、金切り声を上げた。僕もあまりふざけている場合ではない。早く森を出なければ隣接エリア内で切り替わり続けて燃え広がり、最終的には森全体が炎で囲まれてしまう。気持ちを切り替えて次の転送ゾーンに向かい、走る速度を上げていく......

 

「こっちも嫌になってきたー!ピナ~助けてくれー!!」

 

 少女は亡きピナを思い浮かべ、僕は彼女の思いに便乗して叫ぶ。二人は同時に転送ゾーンに足を踏み入れた。すると、森を抜けた先に広大な草原が広がる。たいまつの火で火災という人工災害に巻き込まれる災難はあった。しかし、ユズルと少女は無事に迷いの森を脱出し、お互いに草原に転がる。幸いにも迷いの森の炎は灯りの役割を成しているお蔭で夕焼けと変わらない明るさだった。

 

「ハァ…ハァ…なんとか抜け出せましたね」

「…ふぅ、助かったぁ」

 

 寝そべれば火照った身体と熱い火の中にいた場所からすれば涼しい風が気持ちいい。私は今日ほど大声を上げて走り回った日はない。今日ほど泣いた日はない…こんなにドッタンバッタンな日は初めてだった。可笑しくて変な人ではあっても悪い人ではないのかな…顔を彼に向ければ、煙突から出てきたみたいな煤まみれの顔をしている。いつのまにかその顔が可笑しくて笑っていた。

 

「ふふっ...そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はシリカです」

「僕はユズルだよ。よろしくね」

 

お互いに初めて名前を伝え合う。

 

「シリカ、顔が煤だらけだね。これで拭いたらいい。街に入れば、皆に見られてしまうよ」

 

シリカに布を渡せば、顔を反対側に向けて擦る。拭き終えた彼女の顔は真っ赤に染まっていた。

 

 

 無事に森を脱出し、第三五層の主街区《ミーシエ》に到着した。白壁に赤い屋根が立ち並ぶ放牧的な農村といった街で中層プレイヤーが主に利用している。またここの宿の大半はミルク飲み放題であり、チーズや発酵食品が名産品だ。

 

「さてと、まずは情報収集かな」

 

しかし、そうは問屋が卸さない。私がフリーになったという情報を聞き、勧誘しようというパーティーがたくさんいたことだ。私は嫌味にならないように断る。

 

「あの...お話は有り難いのですが、今はこの方達とパーティーを組んでいるので...」

 

すぐにシリカには沢山の男性プレイヤーに声をかけられる。彼女の気を引こうと必死にアプローチをしていた。だが、これは都合がいい。ユズルの印象ではさしずめ、餌を待つウツボット又は蠅を待つハエトリソウ。色々なプレイヤーは入れ食い状態で釣れるからだ。

 

「おい、あんたよ。抜け駆けは――って!お前は――」

「先週ウチのアイテムをどーしても欲しいって言うから赤字覚悟で売ってあげたよね。まさか、クライエントまで買い取ろうとは...思ってないよねぇ」

「あ、あたりめぇだろ!いつも世話になってんだ!アンタんとこの仕事を奪ったりしねぇよ」

「そうだよね...そうだよねぇ...もし、僕の質問に答えてくれれば、いいアイテムを格安で売ってあげるけど...どうする?」

 

多彩な趣味スキルを八割ほど極めた僕は人助けをするうちに「依頼されれば何でもやる商人」としてプレイヤーに認知されていた。シリカに近寄るプレイヤーの多くがウチの商品を買った事のある顔なじみの客。後は近づくプレイヤーに『欲しい情報を提供すれば代価としてアイテムを割引』交渉をかければいい。シリカのお蔭で聞き込みは思っていた以上に捗った。

 

「...集まった情報を掻い摘んで伝えるね。まず、《形見》という名のアイテムが残っていれば、使い魔を蘇生させることが出来る。亡くなった日から三日以内なら形見アイテムに第四七層にある【思い出の丘】というダンジョンで取得できる《プネウマの花》の粉末を振り掛ければ蘇生する...分からないところは?」

「大丈夫です...すみません、ここまでしてくれて...」

「気にしないでほしい。こっちもいい商いをさせてもらったしね。むしろシリカの人気に驚いたよ」

「そんな事...あんなの、ただのマスコットみたいなもので誘われてるんです。なのに、【竜使い】なんて呼ばれて良い気になって、自分が強くなったと勘違いして、調子に乗って一人で森に入って、それで......」

 

 言葉をつむぐうちにシリカは涙ぐむ。ユズルは、手早くメニュー画面を開く。しばらくしてシリカのメニュー画面にトレードメニューが表示された。記されているのは非売品と表示されたレア装備品ばかりだった。

 

「シリカに合う装備だ。気休めだけどこれでレベルを底上げできる。僕にも蘇生の手伝いをさせてほしい」

「どうして......どうして、そこまでしますか」

 

 警戒心に隠れた恐怖を隠さずに私は尋ねる。これまで会ってきた人は下心で近づいてくるプレイヤーばかりだった。この人は悪い人ではなくでも…見極めなければいけない。自分の思っている人であるかを試したくて質問した。

 

「何でだろうね...多分、思いやり、だろうね。人間は一人では生きていけないから助け合って当たり前...では、答えになってないかな」

 

 ユズルは言いかけた言葉をつっかえながら話す。シリカは「わかりました」とニッコリした。夕食の時間帯もあり、彼女の紹介で飲食店を紹介してもらう。

 

 

「ここのチーズケーキはあたしのお気に入りなんですよ」

 

 シリカの紹介で第三五層の主街区≪ミーシェ≫に数ある宿屋の一つ。シリカと一緒に借り上げている宿の食堂で、僕とシリカは向かい合って座っている。しばらく談笑している時に、先ほどまでシリカと話していた、喧嘩別れした【ミッシングリンク】のパーティーが入店してきた。

 

彼女は見つからないよう、身を背けるも声をかけられる。赤い髪を派手にカールさせた女槍使いはシリカに絡み、めざとくピナの姿がないことに気づけば、その死亡を餌にシリカを逆なでするように揶揄し始めた。シリカも最初は黙って耐えていたのだが、相手の悪意を撥ね退けて「ピナは絶対に蘇生させる!」と声を高らかに宣言する。

 その際、女は第四七層の【思い出の丘】に同道する僕に、薄い笑みを浮かべて捨て台詞を吐き捨てて立ち去っていった。後でシリカから槍使いの名はロザリアと分かり、内心でほくそ笑む。

 

――ターゲットロックオン!

 

ユズルは心の中で、こう自分に囁いた。

 

 

「どうしてロザリアさんはあんなに酷いことを平気で言うんですかね」

 

 シリカは俯き、尋ねる。

 

「......あ~それは、あれだよ。現実世界では(多分)一人で1LDKに(住んで)いるからだよ」

「わ、わんえるでぃーけー?ですか」

「あれ、シリカは知らない。1LDK?」

「し......知っていますよ、ユズルさん!ほら......あれですよね、(ワン)LDKですよね!」

 

シリカは両手を腰に当てて胸を張り、ドヤ顔で答える。僕は「......なんか発音が変だけど、まあそんな感じかな」と思うこととした。聞き違いでなければロザリアは現実世界では犬小屋で暮らしているという解釈となる。首輪に繋がれた大人の女が犬小屋で衣食住生活とは一部の人にしか需要はないだろう。しかし、間違ったままで覚えてはシリカに恥をかかせてしまうか。ユズルは言葉を選び、さりげなくフォローをいれることにした。

 

「僕の言う1LDKは 一人、長い、独身、カネなし、の意味かな。ロザリアっていう人は現実世界で夜は遊び歩いて貢いでくれる男はいても一人の男性に添い遂げる印象はなさそうだったからね」※個人的な意見です。

 

 正しい知識を言うのではない。さりげない言葉遊びをしていることにすればロザリアの尊厳は傷物になってもシリカの自尊心は守られる。僕はそう考えた。シリカはそれに同調し、不満を炸裂させた。

 

「本当にそうですよ!そういえばロザリアさんはいつも男の人に色目を使っていました!あの人は 一人、淫乱、爛れた、食いぶち、略して1LDKをこのゲームでしているんです!本当に不潔です!!」※個人的な意見です。

 

1LDKの上手い言い方にユズルは「ほんとにね」と答える。しかしシリカよ。君の発言は放送禁止用語に引っ掛かる発言をしているぞ、と言うも「これ位は言っていいはずです!」と彼女は開き直りやがっていた。思っていたよりも彼女なりにストレスを溜めていたのだろうとユズルは納得する。これでシリカの溜飲(りゅういん)が下がるといいな、と僕は願う。

 

「それにしてもどういう生き方をすればあんな嫌な人になるんですかね」

「それは遊んでいるゲームの問題かな」※個人的な意見です。

「どういうことですか?」

「人気のRPGゲームで 一人用、長く遊べる、ドラゴニック・クエスト、略して1LDKのゲームがあるのは知ってる?」

 

 シリカは「確かギネスブックに載っているゲームですよね」と頷く。ドラゴニック・クエストは1986年5月27日に家庭用ゲーム機として販売されたRPGゲームだ。一貫した王道のRPGの世界観を守っていく一方、3Dマップの採用、ワイヤレス通信を使った「新しい通信機能」の活用、オンライン対応など、それぞれのタイトルで時代に合わせた技術を用いた新しい遊びの創造に挑戦している。それはソードアート・オンラインの始まった2022年になっても変わらない。常に進化を繰り返す姿勢に多くのファンで根強い人気を集めているゲームだ。

 

 僕もドラゴニック・クエストのファンでキャッチフレーズにある「見渡す限りの世界がある」に惹かれて行列に並んで買った思い出がある。あの時は学校を休んでしまい、ばれた母親に怒鳴られながら竹刀で追いかけ回されてしまった。身震いをしつつもゲームの内容を思い出しながら話す。

 

「あのゲームは民家に自由に入ってアイテム欲しさに勝手に人の棚開けたり、壺や樽を壊したりするよね。プレイヤーだから何をしてもいいという感性をソードアート・オンラインでも同じ様に考えているからだよ。ロザリアはそんな自分を純潔なゲームプレイヤーだからエライ!とか思い込んでいるだろうね」※個人的な意見です。

 

ユズルの話はシリカにとって納得のいく話であり「かぁわいそうですね、ロザリアさん」と憐れむ。その後は、シリカの愚痴を聞き、紙に書いた地図を広げて大まかな手順を話し合った。食堂の閉まる時間まではシリカとユズルは世間話をしてギリギリまで粘った。

 

 

食事を終えたユズルは個室の椅子でゆったりしていた。元々は食事を前提にした料理屋ではあっても経営は赤字となり、空いていた部屋を連れ込み宿に改装したという設定で置かれているらしい。しかし¨連れ込み宿¨は現代用語では¨ラブホテル¨の意味である。ハラスメントコードのあるこの世界には不要な設定のはずだ。それでも設定上はあるということは『どこかにハラスメントコードを解除する方法がある』と考えるべきだろう。

 

…自分でも馬鹿な考えをしていると思い、気になったことを紙に書いて頭を整理する。今回はシリカのことだ。

 

シリカの態度や言動を見ても彼女は自分の知らないうちに『竜使い』や『人気者』の肩書きを背負い、生きている。それだけに囚われてしまい、彼女は肩書きにキズをつけまいと相手を傷つけない処世術を仮想世界で身に着けていた。たった十三歳の子どもが誰にも頼らずにその重荷を一人で律し続けてきた彼女の精神力は相当なものであろう。

 

「…まだ幼いシリカでさえ、心を擦り減らして精一杯生きているんだよな。他の皆はどうしている…会いたいな、皆に…」

 

本当は自分からとて誰かと一緒に話をして過ごしたい。誰かとモンスターの倒し方を話し合ったりする狩りをしたい。それでも世間の風評はそれを許さない。ましてや笑って殺せるニンゲンにそんな権利はない…

 

「こんな時までリスクばかり考えて動けないって......本当にどうしようもないな...僕は...」

 

...このまま引きずったままでは仕事に支障がでてしまう。明日は、シリカと【思い出の丘】に行く用事。そして食堂で会ったロザリアを探して監獄に放り込む用事を抱えている。――いや、ぶち込むという方が正しいか。ユズルは紙をアイテムストレージに仕舞う。鬱屈した意識で夢の世界へと沈んでいった。

 

 

現実世界では私――綾野珪子は常に誰かと一緒だった。友達と何かをする時も頼っていたし、家族といる時は甘えていた。私から友人や家族を取れば何も残らない。自分一人では何もできない...そんな自分を変えたくてソードアート・オンラインを買い¨シリカ¨という新しい自分を生きたかった。でも結局何も変わらない。ピナと一緒に【竜使い】や【ビーストテイマー】と呼ばれる様になっても、私自身は何も成長していない。そんな自分が嫌いでどうしようもなく好きになれなかった。

 

(...なかなか寝れないな)

 

シリカはベットで考え込んでいた。

 

(そういえば、一人で寝るのは久しぶりだな…)

 

ずっとピナと一緒に寝ていたから随分久しぶりだ。気晴らしに、初対面の彼を思い浮かべる。この世界に閉じ込められて二十代から三十代の男に声をかけられたし、中には初対面の人に結婚を申し込まれたこともあった。しかし、彼は違った。ただ純粋に助けてくれる、でも――どこか寂しさと苦しさを交えたあの感情。

 

(なんだか落ち着かない。自分から質問したことだけど、あの表情が…どうしても気になる)

 

 私はそれが何か分からないまま、いつの間にか眠りについていた。

 




作者の活動報告に投稿頻度の一時変更のお知らせを更新しました。
 いつも感想・評価・しおり・そして読んで頂き、ありがとうございます。



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14話 少女は獣牙を研ぎ、短刀を握る(上)

いつもご愛読ありがとうございます(笑)
今回は、感情表現が複雑になってしまいました。よって【参考】の枠を設けて独自解釈の補足をしました。よければ、ご覧ください( 一一)


2024年2月24日(早朝)

 

ユズルは鬱屈とした気分のまま、カーテンを開けて朝日を浴びる。寝ぼけた頭を無理にでも覚醒させ暖かい掛け布団の誘惑に打ち勝つ。手早く着替えた後は一階の食堂でNPCにシュフのおすすめ朝食レシピを注文する。やがてパンとシチューがテーブルに並び、ユズルはもそもそと食べた。半分を食べ終えた位にシリカも降りてきた。濃紅色の瞳をこすりながら軽いあくびを空いた手で隠して降りてくる。

 

「ふわぁ....おはようございます~ゆずるさん」

「おはよう、シリカ」

 

お互いに軽く挨拶を交わす。シリカは今日のシュフのおすすめレシピはパンにシチューと知れば「大当たりじゃないですか!」と、ハキハキ声を上げる。シュフのおすすめ朝食レシピはゲームの裏メニュー扱いで頼むまでは何が出てくるかは分からない。主食はご飯とパンは固定されている。しかし、副食は主街区に合わせた食材。ここではサラダやチーズやスープ類のオカズをランダムにだされる。他の当たりレシピは、女性の美容に良いとされる蟲を蒸した料理は肌艶ともちもち肌を得る代わりに卒倒する味で苦しむと評判だ。シリカはユズルの向かい側の席に座り、NPCにシュフのおすすめ朝食レシピを注文する。

 シリカの前に三つのパンとシチューをテーブルにゴトッと置かれるのをユズルは目を皿にして眺めた。

 

「お腹すいてるの?」

「ゲン担ぎです!腹が減ってはなんとやらです!!」

 

シリカはパンにかぶりつきながら答えた。ユズルはそんな彼女を微笑ましく思い、のんびりとシチューにパンを浸して食べていく。シリカは勢いよく食べたせいか、何度かパンを喉に詰まらせてしまい、その度に慌てて水を飲むを繰り返した。やがて、朝食を食べ終わり――

 

「「ごちそうさまでした!!」」ユズルとシリカは手を合わせて言った。

 

 

朝食を食べ終えたユズルとシリカは転移門に向かった。プレイヤーのひそひそ声はうっとうしく聞こえるも、パーティに誘うプレイヤーはいない。

 

「昨日と違って、シリカを勧誘しようとする人はいないね」

「ユズルさんと組むって言ったからだと思いますよ」

「へえ。強引に勧誘したりはしないんだね」

 

やがて転移門の前に着き、ユズルは目的地の街の名前を告げる。

 

「転移!フローリア!」

 

掛け声と共に、転移門からの青白い光は僕たちを包み込む。ライトエフェクトの後、ユズルとシリカは第四十七層【フローリア】にいた。辺り一面数の花で囲まれており、花のことに詳しくないユズルにも綺麗だと分かる、良い景色と良い匂いが鼻腔を刺激する。

 

「....すごい」花が好きなのか、隣のシリカは感嘆の声を漏らす。

「ここ、《フローリア》は花ばかりでね。ついたあだ名が《フラワーガーデン》だそうだよ」

「へぇぇ....!」

 

花が好きだったのかシリカはあっちへフラフラ、こっちへフラフラと花を求めて歩き回る。第四七層の主街区【フローリア】は花が咲き乱れる美しい街。アメリカの庭園楽園を思い浮かばせる色とりどりの花が咲き乱れ、まさにお花の絨毯を敷き詰めたような街並みが特徴だ。のんびり丘の方へ行けば鱗のように照り映る川を一望し、下から見上げるのとは違った美しさを堪能できる。花と川の美しさを直接味わえるフローリアは男女のデートスポットとしてあまりにも有名だ。まだフラフラしているシリカをユズルは呼び止める。

 

「おーい、花を眺めるのは良いけど、そろそろピナを助けに行こう?」

「あ....そうですね、すいません....」

「謝る必要は無いよ。眺めながらでも行けるってことだから」

 

パアッと顔を輝かせたシリカと共に、花を眺めながらサブダンジョン《思い出の丘》に向かうこととなった。歩き始めた途端、またささやき声がつきまとってきた。男女で歩いているプレイヤーが、顔を上げてユズルとシリカを見ようとしたり、道中ですれ違った後でわざわざ逆戻りしてジロジロ見たりした。ユズルにとっては迷惑でしかない。シリカは道中のプレイヤーにせわしなく会釈し、手を振って愛想よくしていた。

そうこうしている内にシリカと共に《思い出の丘》に行くための門までたどり着いた。

 

「さて、これからピナを生き返らせに行くけど、準備は良い?」

「はいっ!」シリカは力強く頷く。

「フィールドに出たら、僕は基本的に戦う。けど、相手のモンスターはシリカも狙ってくる。最低限の自衛はしてほしい」

 

 ユズルは誰かを護衛しながら戦うのは初依頼で緊張していたし、シリカは力強く頷いても肩の力を抜けきれずにいた。シリカにオレンジとミルクの香りをするドリンクを渡し、自分もゆっくりと嚥下する。液体が喉から胃に流れ始めるまで黙って飲んでいたが、ユズルはふとある事に気付いた。

 

「そうだった、転移結晶は持っている?」

「あ、はい」

 

シリカは自分のアイテムストレージから、水色の結晶を取り出し、ポーチに入れた。ユズルもそれが転移結晶のアイテムと確認する。

 

「フィールドじゃ、何かあるか分からないからね。僕が「脱出しろ」と言ったら迷わずに脱出してほしい」

「え?でも....あたしは....」

「僕は大丈夫だよ。でも、シリカは危ないでしょ?」

 

 これから向かう場所は第四七層のフィールドだ。レア装備で安全に戦えるとはいえ、突然強いモンスターの奇襲に遭うものならば慣れていない僕の護衛では簡単に崩壊してしまう。もしものために、シリカの命を守るのは最優先課題だ。ましてやすぐにカッとなりやすいシリカにとっては釘をさしておく意味もある。

 

「....分かりました」シリカは話を聞いてもまだ腑に落ちない様子だった。

「じゃあ、早速行こうか」

 

 二人は同時に主街区フローリアを出て、モンスターの出現地区の先にある《思い出の丘》を目指して歩き始めた。

 

 

道中は大きな草で生い茂っている。歩く道は土で埋め立てられて歩きやすい道になって問題ではない。だが、大きな草に隠れているモンスターが飛び出してくるとそのたびにヒヤッとした。ユズルはモンスターとの戦闘は何でもないが、足を引っかけてくる蔦に足をすくわれてしまう時は取るに時間をかけてしまう。それでも無傷で歩けているのは不幸中の幸いだ。

やがて木製の橋のかかる草原エリアに入る。草原エリアの見晴らしはよく、大きな草は見当たらない。代わりに森林やまだらな石が死角を作っていた。また、このエリアは女性プレイヤーには不人気モンスターの出現する場所。ユズルは歩きながらシリカに伝える。

 

「シリカね、この辺りは触手系モンスターの溜まり場でね。そこらにある花に近づくと――」

「――へ?きゃああぁぁぁ!!....あぁぁあ!」

 

 最後まで言い終える前に、シリカは水滴で光る白い花に近づく。その瞬間シリカの足に蔓が絡みつき、彼女を宙づりにする。頭を下にして宙吊りになったシリカのスカートは、重力で抜け落ちそうになっていた。

 

「モンスターに捕まるよ」

 

ユズルは宙づりになったシリカを見上げて答える。敵を確認すればまさに女性に不人気なモンスターであった。

 固有名は≪歩く花≫別名は¨女の敵¨――ハエトリソウの巨大な口に牙に茎にはひまわりに似た黄色い巨大花。その口を動かすたびに粘液は糸を引いて伸び、無数の肉質な触手を振り回していた。シリカは触手のつるりと滑る感触に青白い顔で叫ぶ。

 

「ユズルさん!!助けて!見ないで助けてください!!」

 

片手でスカートを抑えて、右手でやたらにソードスキルを発動させる。短刀の先から放つライトエフェクトを歩く花はユラユラと動いて直接攻撃を防ぐ。次第に無数の肉質な触手をシリカにゆっくりと伸ばす。

 

「それはちょっとできないかな....それよりも早くしないと内側まで撫でまわされるよ。僕は後ろ向いているからね。敵の白い部分は弱点だから頑張れ!」

 

顔を赤くして後ろを振り向く彼に顔面の筋肉が痙攣して戻らない。ユズルはシリカとは逆の方向にむいて索敵をしていた。歩く花はシリカを左右にブラブラさせ、やがて触手は腰や両足に絡みつき始める。

 

「こ、この....調子に、乗るなぁ!!」

 

シリカは両手を離し、足に絡みついてうねうねと動いている触手を短刀で切断した。空からの落下に合わせ、花の白い部分にソードスキルを発動させる。攻撃は歩く花に直撃し、パリゴンとなったのは分かったが、シリカは見ようともしない。彼女はユズルに突っかかる勢いで近づく。

 

「........次は、真面目に、お願い、しますね」シリカは上ずった声で言う。

「....善処します」ユズルは申し訳なさげに胸を疼かせる。

 

 熟したナツメのような赤い顔をしたシリカは踵を返し、短刀を仕舞わずに、ユズルには聞こえない声でブツブツ言っている。ユズルはシリカと一緒に歩き、なるべく考えないようにした。なにしろ、考えるたびに胃袋ごと一緒に逃げ出してしまうような恐ろしい気分になるからだ。

 

 

2024年2月24日(昼間)

 

やがて、赤レンガの街道をひたすら進むと小川にかかった小さな橋に小高い丘に差しあたった。道中のユズルはげっそりとしている。無理もない。シリカときたら、そっぽをむいているだけでなく、目の前に現れた敵を見境なく攻撃するのだ。途中からユズルは剣を振るう前に、シリカは飛び出して敵をポリゴンに変えてしまう。護衛の必要性を感じさせないシリカの俊敏性と回避。鬱憤のままに短剣で闘う姿は『竜使い』や『マスコット』とはとても呼べない。さしずめ明るい茶色の髪と短いツインテールを逆立てた彼女は『狂犬』だ。普段は愛くるしくても一度怒らせれば止まらない人、と考えればそれしか思いつかない。

 

「ねぇ、シリカ。あそこに見える丘が≪思い出の丘≫だよ」

「そうですか。ようやくこのエリアとおさらばできますね」

「まてまて。ここから先はエンカウントが激しくなる。一人での戦いは避けてほしい」

「....では、どうしますか?」シリカが聞いた。

「もし、シリカなら大量に襲ってくる敵にどう対応する?」ユズルは逆に問いかける。

「私でしたら....なるべく背後を取られないように立ち回ります」

「そうだね。なら、お互いに背後の敵を意識ながら進もう。くれぐれも無茶だけはしないでね」

 

色とりどりの花が咲き乱れる登り道に踏み込めば大量の敵に襲われた。お互いに死角になる敵を倒して進む。特に変わった様子もなく、少量のダメージで目的地に到着した。

 

「わぁ....」

「ようやく着いたね」

 

 白い斑晶石に囲まれた中央に白い台座の置かれた場所。思い出の丘の山頂は絶景以外の言葉が見つからない。見下ろせば近くでは見たくない気色悪いモンスターもその絶景の一部に同化していた。しかし、春夏秋冬に花がぐちゃぐちゃ咲いている所は仮想世界ならではと思ってしまう。

 

「ここに、プネウマの花が....?」

「聴いた情報通りなら、中央の台座にビーストテイマーが祈れば、蘇生アイテムが出現するみたいだね。やってくれる?」

 

「はい」シリカは両手を固く組み、ガランとした台座の前で祈る。すると、台座の上が輝き始めた。ビーストテイマーのシリカに反応し、台座の中央から若芽が生えると、それはみるみる成長していく。伸びたその茎の先に蕾がポワンと現れ、白い花弁を広げた。

 

――綺麗

 

シリカはピナの首筋を撫でる動作で白い花弁に触れる。浮き上がった半透明のウィンドウにアイテム名が表示された。

 

≪プネウマの花≫

 

「これでピナを生き返らせますか?」

「うん。その花の中に溜まっている雫を振りかければいい。ただ、道中はモンスターが多いから、街に帰ってから生き返らせよう」

 

 

アイテム欄に収納されたのを確認し、メニュー画面を閉じる。時間はお昼に近く、ユズルは思い出の丘の山頂で昼ご飯を食べることにした。

 

「まだ、時間もあるし....ここでお弁当を食べようか」

「え?でも早く帰ってピナを生き返らせないと....お腹もそれほど空いてないですし」

「『腹が減っては戦ができぬ』っていうでしょ。それにシリカの元気がでるおまじないをかけて作ったんだ」

 

ユズルはアイテムストレージからシリカ分のお弁当を手渡す。寝る前に「心を擦り減らして頑張っているシリカに何ができる?」と思い、自作の手作り弁当を渡そうと考えた。食堂の閉店時間にこっそりと忍び込んでキッチンを拝借して作ったオリジナル弁当。シリカが蓋を開ければパンの上にちょこんと乗ったベーコンエッグにプチトマト、隅にはチーズの入ったシンプルな弁当だった。シリカは「ご飯を食べている場合ではない」と思うが、ユズルは景色を遠目で食べるのに夢中で気づかないようだった。

 

 

 私はゆっくりとパンを食べる。焦げた小麦の香りと卵の風味が心地いい。こんな風に誰かに作ってくれた物を食べるのも久しぶりだ。仮想世界に来てからは外食で済ましていたし、ここに来てからは誰かのものを食べたいとは思わなかった。お弁当は素朴な味で特別に美味しいわけではない。でも気づけば食堂やレストランよりも夢中になって食べていた。

 

食べているうちに私の視界は歪む。前にあるお弁当や絶景の景色も歪んで良く見えない。

 

―――泣いている?

 

ぽろぽろと大きい雨粒のような涙を落としていた。悲しいことがあった訳でもなく、痛い目にあった訳でもない。辛い目にあった訳でもないのに涙が止まらなかった。

 

「....おかわりもあるけど....食べる?」

 

 返事はしないで頷く。彼に貰った二つ目のパンを頬張る。我慢できずに顔を涙でくしゃくしゃにしていた。

 

「辛かったね」

 

彼はそれ以上何も言わず、私の肩を擦ってくれる。私は目一杯泣いた。自分でも何で泣いているかは分からない。どうすることもできずに、頭を下げてうずくまって、ただ泣いていた。ずっと居座っていたぐちゃぐちゃな感情の吹き溜まりはどこかに消えていた。

 

 

 

 

 

 

【補足】

 1・シリカが泣きだした理由ですが、これは一言では、言い表せません。デスゲームが始まった日から、今日まで複雑な気持ちが耐え切れずに溢れた涙と解釈しました。

 

・お父さん、お母さんに会いたいという気持ち

・この先が見えない絶望感

・仮想世界で閉じ込められて気づいた、平和だった時の今になって分かる現実世界の尊い楽しい思い出

・一人では何もできない虚無感

・自分の良い所、悪い所を含めて嫌っている自分自身のコンプレックス

・見ず知らずの男性に声をかけられる不安と恐怖

・本当は¨辛い¨¨帰りたい¨と言う気持ち

・理想の自分に近づこうと無理に振る舞い、仮面を被り、嫌いな自分を拒絶する気持ち

・ユズルの思いやり、優しさへの感謝と嬉しさと安心感

・シリカの嫌いと思っている部分も全てを受け止めてくれるユズルの慈愛

 

改めて整理すると、12歳か13歳の子が抱えていい感情ではないですね(汗)

 

2・ユズルの言っていたおまじない

 特別愛情が入っているわけではありません。ただの真心(相手を思う気持ち)があるだけです。

 

 相手を救うことは夢や幻影のようなもの。楽にいいことを手に入れても心には残らないし結局は救われた人間の心は空っぽのまま。

 

強い力で人を救うばかりで一瞬だけ元気になっても、効果が切れてしまえばいつか反動で大きな挫折を味わえば立ち直れないかもしれません。いつまでもシリカとは一緒にはいられませんし、助けてもあげられない。

 

 元気になるきっかけは誰かの言葉でも「本当の意味で自分を元気にする」のは自分自身の心の在り方なのかと思いました。

 

よってユズルのお弁当に込めたおまじないは

・「シリカを想う心」

・「シリカの嫌っている部分も許して受け入れる心」

・「そっと寄り添う心」

この三つを真心に込めていました。

 

3・後半の展開を思いついたきっかけ

ゲーテの言葉「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」

 



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15話 少女は獣牙を研ぎ、短刀を握る(下)

アンケートに答えて頂いた23名の方、ありがとうございます!
 この投稿を機にアンケートを終了します。

結果は1・ヒロインと恋のABC
   2・桐ヶ谷直葉のトラウマ
   3・朝田柚季の過去
の順番で投稿します。

現段階では、1は無事にヒロインとオリ主が結ばれた時に投稿
      2はアニメ「朝露の少女」か「奈落の淵」の間に投稿
      3は【アインクラッド編】の終わりに投稿
※予定により変更有り。


2024年2月24日(八つ時)

 

 ユズルはうずくまっているシリカの肩をそっと添える。昨日知り得た赤の他人でもユズルは彼女に会った時から心の悲鳴を無視せずにはいられなかった。どれだけ似繕っても笑顔や哀傷の仮面を被った表情、自分の本心を無理に押さえつけている様子。シリカと似た感情をユズルには心当たりがあった。かつて悪質なプレイヤーキルの刺客や不快なプレイヤーに関わり闘った日々。あの時のぐちゃぐちゃでちぐはぐな感情を忘れたことはない。ユズルはどうしてもそれと似た感情を持つ彼女を素通りにはできなかった。

 

「....もう大丈夫です。ありがとうございます」

 

シリカは泣き止み、顔をあげる。目こそ赤く脹れていてもどこかスッキリした自然な笑顔に、ユズルはポカンとシリカに見とれてしまい、シリカは顔が赤らむのを感じた。

 

「....それは良かった。準備ができたら出発しよう」と顔を背けて言う。

 

帰りはモンスターにエンカウントしても足は止めずに駆け下りていく。移動中のシリカも落ち着いた様子で周囲を見渡しながら行動していた。「これが本来の彼女か」と想うほど戦い方は別人だった。敵の急所を狙った精確な攻撃は芸術の域に達している。もしアスナを騎士に例えるのであれば、シリカはアサシンといった所であろう。そうできなかった原因は恐らく思春期特有の情緒不安定で実力を発揮できなかったとユズルは考えていた。

 

「ユズルさん、早く行きますよ」

「了解」

 

実際は違う。

 この世界に来て初めてシリカは「尊敬できる人」を知った。今までは皆に可愛がられている、注目されているわたしは独りじゃない。だから私は今まで通りが楽で一番いい....そんな言葉を自分に向けて投げつけるためだけの生活を送っていた。

けれどピナを失い、結局わたしは何も成長していないと気付かされてしまった。ただ、この人は好きな自分と駄目な自分の両方を受け止めてくれた。色々な気づきを与えてくれる人。この人と一緒にこのまま進んで行けば、モヤモヤした物は何か答えになる手がかりが見つかりそうな気がしていた。

 

 

やがて小川にかかった小さな橋が見えてきた。ユズルはさっと左手をシリカの前に伸ばして進行を妨げる。森林やまだらな石を睨み付けていた。

 

「....そこに隠れている奴....でてこい....」

 

 剣を抜いてユズルは声を低くして言う。シリカは慌てて周りを見渡すも、人の気配は無い。しばらくして、森林からがさりと葉の音と共にプレイヤーを表すカーソルが表示される。

 

「私の《隠蔽》を見破るなんて、なかなかの《索敵》スキルじゃない?」

「生憎《索敵》スキルなんて、あげてないよ」

 

気づいた理由は≪聴音≫で判断したに過ぎない。背景音は一定の繰り返しパターンがあるのに対し、動作音は当然ながら動作時においてのみ発生する。この動作音を聞き分けることで、不意打ち防止・隠蔽状態の発見などができることで安全性や確実性、発見率などを事実上高めることができるシステム外スキルだ。

現れたプレイヤーは昨日会ったばかりの人物。炎のように真っ赤な髪に紅い唇にエナメル状の黒いレザーアーマーを装備し、片手には細い槍を携えている。そのプレイヤーはシリカも知る人物だった。

 

「ロザリアさん........!?」

「その様子だと首尾よく≪プネウマの花≫をゲットできたみたいねぇ....おめでとう。シリカちゃん」

 

 にたりと笑い、目をランランと輝かさせるロザリア。品定めするような粘っこい視線にシリカは後ずさりする。ユズルは彼女の前に立ちすさむ。

 

「じゃ、早速花を渡して頂戴」

「アンタに渡す義理も道理もない....違うか?犯罪者ギルド【タイタンズハント】のリーダーさん」

 

 ユズルはちょっと皮肉な笑みを浮かべた。ロザリアの眉はぴくりと跳ね上がり、唇から笑いは消える。シリカだけは言葉の意味を理解できなかった。

 

「えっ――でも、ロザリアさんはグリーン―――」

「いや、プレイヤーキルのなかにはカーソルを変えない殺し方もあってね。例えばグリーンのメンバーが他のパーティーに紛れ込んで、事前に打ち合わせした指定場所で強襲とかね」

 

ユズルは剣を握り、先を続けた。

 

「それに宿屋をでてからずっと尾行していたのは、あんたの仲間だろ」

 

宿屋を出た時、フローリアを散歩し、道中の人とすれ違う度に一般のプレイヤーの好奇や怪異に入り混じった――愉悦と嘲罵。デートスポットで有名な【フローリア】には嫉妬は在れども、それは日常生活で感じない感情だ。

 

「........へえ気づいていたんだ。あたしはあたしの思い通りにならない、アンタみたいな勘のいい餓鬼は嫌いなのよね」

「そ....そんな....」

 

 シリカは真っ青で声も出ない。やっと口が開けるようになった時、彼女は叫ぶように言った。

 

「じゃあ、数週間だけ【ミッシングリンク】にいたのは、さ、殺人の為だったんですか!?」

「殺人ですって?ええ、そうよぉ。あのお人よしパーティーに入るなんて簡単。冒険でたっぷりお金が貯まって、おいしくなるのを待ってたの。本当なら今日にも襲う予定だったんだけど―――ご馳走だったあんたが抜けちゃうから、どうしようかと思えば、なんかレアアイテム取りに行くって言うじゃない。情報屋から聞いたけど《プネウマの花》っていい値で売れるのよね。そんな話を聞けば黙ってる訳ないでしょ」ロザリアは楽しそうに言った。

 

 私は何も言えなかった。ただピナを生き返らせたかっただけなのに....いつの間にか自分は命を狙われていた。呆然としかけていたシリカの頭はロザリアの言葉で意識が再編成される。

 

「だけど、そこの餓鬼も分かっていながらノコノコ付いてくるなんて馬鹿?それとも、身体で誑し込まれちゃったの?」

 

ユズルはロザリアの挑発を受け流すも、シリカはそうはいかなかった。刃の擦れる音でユズルはちらりと後ろを見れば短刀を握り締め、唇をワナワナと震わせている。

 彼女は顔を真っ赤にし、腰にさしていたであろう短刀を持ち直していた。よく見れば耳までうっすらと赤いし、瞳孔は開いている。大きく見開いた瞳はロザリアだけを釘付けにしていた。普段とは違う彼女の怒りに驚くも、それを気づかないフリをしてロザリアに話す。

 

「あんた、前に【シルバーフラグス】っていうギルドを襲ったね。四人を殺し、リーダーだけが脱出したギルドだ」

「....ああ。あの貧乏な連中ね。そうよ。それがどうかした?」

「そこのリーダーに頼まれてね。あんたらを《牢獄》に送ってくれ、っとな」

「成程ねぇ。あんたはその死に損ないの言う事を真に受けて、あたし達を誘き出すために、その子にひっ付いていたってワケね。それにしても、あたし達を“殺す”じゃなくて、“捕まえる”なんてね」

 

「くくっ」と笑うロザリアに微塵も反省は無い。ユズルは眉間に皺を寄せ、抑圧の無い声で問う。一応シリカが飛び出さないように彼女の前に佇む。

 

「....仲間を殺されても、それを依頼しなかったその男の意思。それが分かる?」

「分かる訳ないじゃない。正義の味方ごっこなら他所でやりなさい。ここで人を殺したところで、本当にそいつが死ぬ証拠なんて無いし、死んだとすればナーブギアを設計した茅場のせい....マジになっちゃって馬鹿みたい」

 

ロザリアは髪をいじりながら面倒そうに言う。シリカはこの時....ユズルの雰囲気にゾクリとした。初めて出会った時に感じた殺気や威圧感を一切感じない違和感が逆に不気味だった。

 

「そ・れ・に....ここで死ぬ人に言う必要なんかないじゃない」

 

 片手を上げてパチンと手の指を弾くようにして小気味よく鳴らす。森林や岩から総勢九人のオレンジプレイヤーがユズルとシリカを囲む。男達はにやにやと口を歪め、特にシリカには舐め回す熱い視線を投げかけていた。激しい険悪を感じ、ユズルに背を預ける。

 

「ゆ、ユズルさん、人が多すぎます。早く逃げないと....」

「大丈夫。まず「逃げろ」と言うまでは転移結晶を用意していてほしい。それまでは自衛してね」

 

シリカは頷き、すがるように転移結晶のクリスタルを握り締める。ユズルも腰を低く下げ、戦闘態勢に入った。

 

 

「オラアァァ!!」

「死ねやぁぁ!!」

 

立ち尽くすユズルとシリカを半円形に取り囲むと、剣や槍の切っ先を次々と二人の身体に向けて大地を蹴る。モンスターではない、明確に自分を殺しに来る殺意と愉悦にシリカは恐怖で目を閉じてしゃがみ込む。

 

―――勝負は一瞬だった。

 

目を瞑った瞬間にプレイヤーの怨嗟と悲鳴の連鎖。私はおそるおそる目を開ける。オレンジプレイヤーは全員地面に伏していた。空中で何かがポリゴンとして空を舞い、プレイヤーの手首は無くなっている。さらに三個ほど短刀が転がっていた。

 

「....囲まれてすぐに【武器破壊】は流石に難しいか。流石は隠密や暗殺に長けたプレイヤーだ。まだ¨完全¨に上手くいかないや」

 

ユズルは溜息をついて平然とした態度でプレイヤーを見下ろす。

【武器破壊】――攻撃で相手が持つ武器の最も強度が弱い部分にぶつけることで、それを破壊する技。相手の技の出始めか出終わりの攻撃判定が存在しない状態に、武器種類による脆弱部位と必要な角度、相手のソードスキルが描く軌道などを熟知する必要があるシステム外スキルだ。

 

ユズルの戦闘を遠くで卓越としていたロザリアは理解できなかった。突然、武器破壊が行われただけでない。プレイヤーを斬ったユズルのカーソルはオレンジ色に変化しても躊躇の無い攻撃と凍り付いた視線に震えた。余りにも理不尽な出来事に愉悦は恐怖に塗り替わる。舌打ちをして革袋に仕舞ってある転移結晶に手を伸ばした。

 

「ちっ!転移―――」

「遅い」

 

 自身の分身をロザリアの死角に出現させて背後から刃を突き刺す。予想外の激痛に掴んでいた転移結晶を落としてしまう。刃を刺されたままズルズルと引きずられ、やがて総勢十人のオレンジプレイヤーがユズルとシリカの前に並ぶ。シリカは震えてユズルの背後に隠れたまま出てこない。

 

「これは依頼した男が全財産で買った回廊結晶だ。出口は監獄エリアに設定されているから、これで全員牢獄に転移してもらうよ」

「い、嫌だと言ったら....」

「そうだねぇ――なら―――」

 

プレイヤーの返答にユズルは睨み付けたまま仰向けで寝転ぶロザリアの腹部を剣で突き刺す。思わず刃を掴むもユズルは無視して深く入れる。上空に昇るポリゴンは飛び散るように噴き出した。ロザリアは口から吐く息を止めることなく、荒い呼吸のまま固まる。ユズルの剣は相手が死なないよう第五層で手に入る攻撃力の低い武器だ。またプレイヤー共通の戦闘時回復スキルによる自然回復のお蔭でゲージはゆったりと減少している。

 

「仮想世界で死なないなら、ここでトラウマを植え付けて自死衝動に駆られるまで追い詰めようかな....現実世界に戻っても自死衝動に襲われて勝手に死ぬようにすればいい。それなら犯罪にはならないからね」

 

 ロザリアは痛みで身体中に電流を走らせていてもユズルの言葉に声を失った。体の中から心拍が高まり、空気が妙に震えていた。この男の凍り付いた眼――あたし達のように遊びで人を倒してきたものではない。何百人ものプレイヤーと殺し合いをしてきたような紫の揺らぐ殺気に、タイタンズハントのメンバーは無意識に手の平にびっしょりと汗をかいた。誰も口を開くものはいない........

 

ユズルは回路結晶を使用し、空中に青色の渦巻きが出現した。ユズルは転がっているオレンジプレイヤーを立たせて自分の意思でワープホールまで歩かせる。最後の残ったロザリアの腹部は半分抉れて右胸部は再生していない。襟元を掴んで引きずろうとした時、ロザリアは手足をバタバタ動かして抵抗する。

 

「ちょっと、やめて、やめてよ!許してよ!ねえ!な、何でもするからさ!」

「そうか....分かった」

 

ユズルは引きずるのをやめ、攻略組の使う程度の武器を片手に装備し直す。ロザリアに向き合う形で剣を向け、ゆっくりとした口調で語り始めた。

 

「なら、貴様らの殺したシルバーフラグスの四人に伝えてね。アンタのリーダーは、立派な人だとね―――よろしく」

 

ユズルはロザリアを真っ二つにしようと剣を振り落とした。しかし、身体を後ろに引かれてしまい、剣先は地面に突き刺さり、土埃が視界を遮った。

 

―――何があった?どうして斬れなかった?

 

腰辺りに別の体温を感じる。気づけばシリカが両腕でユズルの腰を引き寄せるよう手を巻いていた。

 

「殺しちゃダメです....」シリカは仰ぎながら言った。

「ユズルさんが手を汚す必要はありません!もう充分です....この人はワープホールに連れていけばいいです......殺すことだけはやめてください」

「あぁ、シリカありがとう!アンタのおかげで―――」

「――黙れ」

 

ロザリアの言葉を遮り、シリカは汚らわしいとばかりに彼女を見下ろし、吐き棄てるように言った。

 

「あなたのために止めたわけではないです。私の信じている人が―――あなたみたいなもののために―――殺人鬼になってほしくないだけです」

 

空気が止まった。音は遠くに聞こえる。ただ、ロザリアのパクパクした様子しか分からない。朦朧としたままロザリアを引きずってワープホールに放り込む。姿は見えなくなったと同時にワープホールは消滅した。

 ユズルは引きずっていた腕がさらに重くなるのを感じた。何かを失ってしまったのが分かった。そして意識は闇の中へと落ちていった。

 



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16話 誰かを守れる私になりたい

2024年2月27日(昼)

 

何もない真っ暗な世界にただ立ちすさむ。僕の目は開いているのにどこまでも暗く、奥行きも分からない。ユズルの前に何かオレンジ色の物が光っていた。何も見えない空間と比べればどれほど魅惑に見えて捕まえようとしても腕がとても重い。触れてみればやけにフワフワする。なんだろ、これは。何度か瞬きをする。ユズルの上にシャーベットカラーの綿毛で包まれた小さなドラゴンがスイーッと現れるのが見えた。

 

「ユズルさん、大丈夫ですか」シリカは顔を覗かせる。

「大丈夫だよ、問題ない」

「そのセリフは『大丈夫ではない』と思っていいですか?」

 

シリカの声を聴き、見つめるうちに記憶が蘇ってきた。シリカを守ろうとして自分の幻影を八体出現させたことは覚えている。その後は確かロザリアの言葉に苛立ち、剣を振り下ろして….シリカに腰を抱きしめられて….どうにも曖昧で思い出せなかった。

 

「シリカ、僕はあの時、ロザリアを斬ったのか」

「ユズルさんは斬っていませんよ。あの場にいたプレイヤーは全員監獄にワープしました」

「よかった。ちなみにどの位寝ていたの?」

「三日間です。いきなり倒れましたから、本当に心配しましたよ」

 

三日間も眠り続けた事実を無視し、周りを見渡した。白いベッドに横たわり、傍の小さいタンスの上には、大きい木製のかごに果物が入っている。

 

「でもシリカ、『オレンジカーソル』だったらここには入れないはずじゃ….」

「やっぱり誤魔化すことはできませんね。はい。ユズルさんが倒れた後、あたしの信頼できるプレイヤーに連絡してクエストを手伝ってもらいました」

 

 ユズルは呆然とした。ソードアート・オンラインはカーソルの色は緑かオレンジの二色しかない。最近では多くのプレイヤーを殺めたプレイヤーはレッドプレイヤーと比喩される。だがゲームの仕様では二種類のみだ。このオレンジから緑のカーソルに戻すには必要以上にドロップ率の低いアイテムを要求される面倒なクエストをクリアしなければならない。

 

「そうだったんだ。それはす―――」

「きゅるるっ!」

 

謝ろうとする前に、目の前にいたシャーベットカラーのドラゴンに噛まれてしまう。だが、痛くは無い。よく猫がじゃれあうようにする甘噛みだった。頭が覚醒してくれば、その生き物の色はシリカと出会っていた時に見た羽とよく似ている。

 

「そうか、君がピナなんだね。よかったねぇ、このこの」

 

 少し強めにワシワシしてしまうも、ピナはユズルの手に寄り添って受け入れる。ただ、長い間撫でていたせいか、ピナの毛は少し傷んでしまい、ボサボサとなる。ユズルはアイテムストレージからブラシを取り出してピナの毛をとかし始めた。当のピナは身体を伸ばしてリラックスしている。その様子を見ていたシリカは微笑んでいた。

 

 

毛づくろいを終えたピナは、椅子に座っているシリカの膝で寝息をたてている。シリカはどこか遠慮しつつも、視線をユズルから離さずにいた。

 

「あたし、ずっと気にはなっていましたけど....ユズルさんはどうして倒れました?それに、プレイヤーに囲まれた時に目を閉じちゃったんですけど....開けた時にユズルさんがまるで別人でした」

「別人?」ユズルには心当たりが無かった。

「はい....ただ、上手くは言えないんです。口調は過激でしたけど声の感じはいつも通りだったと思うんです。でも、人形みたいに無表情でした」

「....考えられるとすれば僕の持つスキルかもしれない」

 

 言うが早く、シリカはぐぃと近づき「そのスキルを教えてください」と言う。押しの強い姿勢にユズルは観念して自分のメニュー画面を開く。戦闘用のパッシブスキル画面まで動かす。画面に表示された【幻影】の項目を開けば、シリカは真剣な顔立ちで見入っていた。

 

「この『負の精神か正の精神が極限に高まる』ってどういう意味ですか?」

「あぁそれは自分の感情が高い時に発動するって意味だよ。正は楽しい感情とか嬉しい感情で、負は怒ったりした時だよ」

「わかりました。あと『高まった分だけ自身と同じ分身を作り出すことができる』というのは?」

「これが、自分だと分からなくてね。多く分身をだす度に意識ははっきりしているんだけどね」

 

ユズルの言葉が終わらないうちに、シリカは急に厳しい顔をした。

 

「ユズルさん、このスキルは間違いなく強いです――ソロでもフロアボスと戦えるスキルです――でも分身を出し過ぎてはいけないと思います」

 

 ユズルはうなだれた。【幻影】はある意味、戦闘では必須スキルどころか依存しているスキル。しかし、ユズルにはシリカに言われるまでその危険性に気付かなかった。二十体の拷問吏に囲まれた時は、六体の分身を出現させ、倒すことに言い得ない「快楽」を感じた。今回はオレンジプレイヤーに、八体の分身を出して、歯止めが効かなくなっていた。強烈な違和感にユズルは震えた。シリカに見守られたまま、ユズルは目を閉じ、記憶の欠片をつなげて思考を巡らせる。

 

ふと、複数の単語が公式のようにできあがってきた。

 

『幻影』は『感情が高ぶった分だけ分身を出現させる』――二体までは平常心を保っていた。三体から四体はまだ出したことがないから分からない。五体から六体は倒すこと事態を楽しいと感じていた。八体を出した時は自分を抑えられないまま、苛立ちをそのまま行動に移していた。

 

そして、このスキルを手に入れる原因を作った面妖な老人は自分の真意を「どこまで持つか」と話していた。確かに【幻影】のスキルを極めれば、誰の力を借りずに圧倒的な集団戦術が可能になる。だが、複数の分身をだすほど自分自身を見失う感覚。

 あくまで推測に過ぎない答えではある。しかし、この考えであれば、今までの行動に納得できた。

 

「もしかして、【幻影】は分身をだすほど理性を代償にするスキルで、生み出した本人は理性を無くして本能のままに闘うようになるのかもしれない....」

 

ユズルの導き出した答えに、シリカは顎を引き、納得した仕草をする。だとすれば、あの時のシリカは本当に危険な状況であったはずだ。今回は一瞬だけ分身を出現させたから何事もなかった。しかし、あのまま分身を消さずに戦っていれば間違いなく守るべき相手に刃を突きつけていたはずだ。

 

「シリカ、ごめん。自分の気づかないうちに危険に晒していたみたい」

「ユズルさんは謝らないでください。あの時、逃げないでいたのは自分の意思です」

 

....本当に強い子だ。自分はシリカの護衛でピナの蘇生を手伝っていたつもりだったが、とんだ思い過ごしであった。誰も守ってほしいとは思っていない。少なくとも一緒に行動したシリカは自分のできる範囲でピナを生き返らせる為に戦っていた。今まで「守る」ばかりを考えていたユズルは彼女を通して人の強さを信じたくなった。

 

 

「これからユズルさんはどうしますか?」

「しばらくは商人で生計をたてようと思っている。それか、幻影のスキルに頼らない強さを探すよ」

「あ、いえ....そうではなくて....」

 

シリカは言いにくそうにモゴモゴさせながらユズルの目を見て話す。私としては一緒に居て彼にはこれ以上スキルを多用しなければならない機会を減らしてあげたい。しかし、今のレベルではユズルさんの足手まといになってしまう。私ではできることはない。でも、どうしても「誰かと支え合っていけばスキルを使わずに済む」意見を伝えずにはいられなかった。

 

「ユズルさんには誰か頼れる人はいますか?」

「いるにはいるけど....会いにいけなくてね。世間の評判で上手く身動きが取れない。前に友人が僕とフレンド登録をしていたせいで、事件に巻き込まれたことがあってね。それ以降、会いに行きにくくてね」

 

ユズルは自嘲的な笑いを浮かべた。本当に一緒に居たい人物とは会えない。月夜の黒猫団とは商人として関わりあっていても、壁を作ってしまい、深い関係には至っていない。キリトやクラインやノーチラスは攻略組として動き、ユナは歌チャンとして多忙な日々を過ごしていると聞いている。とても頼っていい状況ではない。

 

「とても酷いことを言いますが....ユズルさんはその人と積極的に関わっていくべきです。それに、クエストを手伝ってくれた人達は話していました。『ユズルというプレイヤーは悪い人ではない。悪い人なら第四十層で救助隊を含めた全員をたった一人で救うことはしない』と言っていました」シリカは落ち着いて話すも、ユズルはある言葉に取り乱した。

「ちょっと、待って!その人は自分の正体を知ったうえで手伝ってくれたの!?」

 

詳しく話を聞けば、第四十層で救助したプレイヤーの中にユズルが一人で救助したことを伝えた人がいたらしく、それが下層プレイヤーに広がり、悪評は風化されているとのことだ。その後、クエストを手伝ってくれたプレイヤーはシリカにユズルに関する情報を話してくれ、途中で休憩を挟みながら言ってくれた。

 ユズルを狙うプレイヤーは現在では『アインクラッド解放軍』に属する攻略組と『血盟騎士団』に属する下っ端であり、その目的は『プレイヤーキルによるレベルアップ』というものだ。百層まで半分に近づいてからは「GMのユズルを倒す」よりも「GMのついでにレベルも上がるから倒しておこう」と切り替えている。その目的はプレイヤーの士気をあげて攻略に勤しむようになるから、という理由だ。

 

「なんだか扱いが酷くない?命を軽く見られているような気がする」

「大丈夫です。私もそれ聞いてムカつきましたから」

 

お互いの似た意見に、思わず笑い合った。彼女との出会いは重く圧し掛かっていた心の痛みを癒し、ユズルは自分を改めて始め直すことを心に決めた。今は攻略や商人の立場に囚われず、一人のプレイヤー名『ユズル』として仲間と支え合いたい。仲間から借りた勇気と人の強さを信じて進みたい。ユズルの心は久しぶりに生き生きしていた。

 

シリカはそんなユズルの柔和な顔を見てにっこりしながら、寝ぼけているピナを頭でユラユナさせ、転移門まで見送りにユズルと向かう。そんな彼女もある決意を固めていた。

 

 

2024年2月27日(夕刻)

 

「行っちゃったな。ユズルさん」

 

転移門広場の場所でユズルを見送ったシリカは、自分の拠点としている第八層主街区≪フリーベン≫の自室の椅子に座り、頬杖をついてポツリと呟く。これはユズルさんには話していないが、あの話には続きがある。手伝ってくれたプレイヤーからユズルさんの話を聞いた中に、悪評を風化させたのはとある一人の少女の声だという。彼を見捨てたプレイヤーに泣きながら哀切や哀傷とも言える怒声が、その周囲にいた人の心を動かし、ユズルの【悪名】【GM】のヘイトを軟化させたというものだ。

 

シリカはその話を聞き、感銘と同時に嫉妬した。会ったことは無くても分かる。その少女はユズルさんのことが好きだ。そうでなければたった一声で人の心を動かせる言葉をだせるはずがない。私はユズルさんには感謝こそしても、恋はしてはいない。どちらかと言えば、生徒が憧れる先生を好きになる感じが一番しっくりくる。

 

あの人の作ってくれた現実世界でも良く食べていたパンやオカズは不思議と鬱屈としていた気持ちを無くしてくれた。タイタンズハントに囲まれた時は本当に「ダメだ」と思っていたのに、無事だった。優しさと強さを備えても、どこか迷いながらも前に進む姿に惹かれている自分がいる。

 

今まではフラフラしていたけど、私はユズルさんの背中を追いかけたい。

だから――

 

『誰かに守られるだけの私じゃない、誰かを守れる私になりたい』

 

このソードアート・オンラインの恐怖で埋もれていた本当になりたかった自分を見つめ直し、決意を新たにした。

 

 

2024年6月25日(深夜)

 

シリカと別れて、四ヶ月過ぎた。ユズルは商売の仕事をし、空いた時間は友人と過ごすようにしていた。月夜の黒猫団と会えば何気ない会話で、面白おかしく楽しんでいる。たまに攻略から帰ってくるキリトも加わり、趣味スキルの【手品師】を応用してメンバーの誰かにドッキリを仕掛けたのはいい思い出だ。

しかし、風林火山のメンバーとはちぐはぐな関係だ。第四十層の救助隊に志願したカル―とオブトラには会えても、兄貴分のクラインは何かと理由をつけられて会えずじまいだ。初めて顔を出した時に二人の漢に抱き着かれて痛かったのは生涯忘れられないだろう。

 

「ふぅ、今日も大変だったな」

 

 深夜の路道を歩きながらユズルはポツリと言う。ここ数ヶ月は幻影のスキルは使っていない。悪評に過敏に怯えなくて済む生活は自分の傷を癒すには十分であり、商人の仕事で生計をたてるといったのんびりとした日常を送っていた。ゆったりと歩いていると、転移門広場辺りが騒がしい。何かと思えば、ミルクティーのように薄い茶色の短い髪形をした少女が一曲目を歌い終わり、片手を上げてファンに手を振っていた。

 

「みんなー!聞いてくれて、ありがとー!!」

「イエ―イ!」「歌チャン、サイコー!」「ユナちゃん!超絶カワイイヨ!!ユナちゃん!!」

 

どうやらユナの深夜ライブだった。そう言えば、『フレンド登録を消してからは聴いていなかったな』と立ち止まる。最近のユナの活躍は情報屋経由で聞いていた。第四十層撤退戦後の活躍でユナは戦闘技術とレアスキルが認められ、血盟騎士団のメンバーとして入団し、各地の転移門広場で路上ライブを行い、攻略組の士気を上げている活動をしている。ユズルはそんな彼女の話を聞き、自分のことのように彼女の出世を喜んだ。

 

思考しているうちにユナは二曲目を歌う。先ほどまで心地よく火照っていた気持ちは、一瞬で冷えた。ドラマや映画でよくある、アイドルの振り付けから遅れてユナの短い髪はさらさらと流れるモーションにファンは見惚れた。だがユズルはユナの歌い方に変な感じがした。何かがずれているような、釈然としない、何とも言えない感じだった。

 

(ユナ....何かあったのか)

 

どこか空を見上げて歌う姿は、熱気の応援をしているプレイヤーとは裏腹に、ユズルは顔を曇らせる。彼女はいつも花を秘めている暖かい少女だ。笑っているとき、怒っているとき、呆れているとき、泣いているときはどんな時も相手を想い、人を心から癒す少女だ。たとえ、悲しそうに歌う時でも彼女は花を散らさず歌っていた。眼前に映る冷たく歌う少女は本当に自分の知るユナなのか、胸が締め付けられて息もできなくなりそうだった。

 

....今はユナが心配で堪らない。

 

しかし、彼女と話すには増えすぎたファンにばれない様にしなければならない。何時もならすぐに諦めていたが、シリカから「積極的に関わるべきだ」の後押しもあり、すぐに思いついた。

 

「そうだ、手紙を書こう」

 

ユズルはすぐにひらめいた。本来、フレンド登録をしていなければ特定の相手にメールはできない。しかし、手紙であれば情報屋経由で相手に届くはずだ。ユズルは歌の途中で抜け出し、すぐに近くにある部屋を借り、机に紙を置いて向き合う。備え付けの電灯を光らせて筆をはしらせる。まるで止まらないジェットコースターだ。会っていた時では口で言えなかった思いまで綴っていく。

 何度も書き直すたびに床に丸まった紙は散乱し、書き終えた時にはすでに陽が昇っていた。ユズルは机に突っ伏したまま沈み込むように寝入った。

 




次回からしばらくユナの視点に切り替わる予定です。
 ほとんどオリジナルになってしまいますが、お付き合いの方、よろしくお願いします( ^^)


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17話 ただ歌いたかっただけなのに....

可愛さが伝わればいいですが....

ヒロイン視点の小説は初めて書きました。

楽しんでいただければ幸いです!(^^)!

そういえば、新規機能で「ここすき一覧」が実装されましたね。あれのお蔭で、読み手はおススメの話が分かりますし、書き手なら人気の回を参考に書けますから、かなり便利な機能です!!


2023年05月30日(深夜)

 

初めは何となく歌っていただけでした。

 

現実世界でも唄は好きで歌教室に通い、個人レッスンを受けていたし、仮想世界でも歌うのに抵抗は無かった。でも人前で、ましてや知らない人に歌を聞かれるのが恥ずかしくて人通りの少ない深夜の時間を選んで唄を歌っていた。誰も立ち止まって聴いていなくてもいい。デスゲーム怖さで自分の気晴らしに書いた何度も読み返しても酷い歌詞と唄。ただ歌えればそれでいいと思い、私は声を出していた。

 

いつも通り無色透明な歌詞を歌い終えたが、この日はいつもと違った。パチパチと拍手されるまで聞いている人に気付かなかった。私はかぁと顔が熱くなってしまう。あの酷い歌を聴かれていた。このまま何も言わずに帰るのも悪いし、初めて立ち止まって唄を聞いてくれた人に毅然とした態度で話しかける。

 

「聞いてくれる人がいると思わなかったな。最後まで聞いてくれてありがとね」

「思わず立ち止まって聞いていたよ。いつもここで歌っているの?」

「最近始めたばかりよ。よくこの時間に歌の練習をしていてね。立ち止まって聞いてくれた人は初めてかな」

「そうなの?感情のこもった歌声だったから、聞いていたくなってね」

 

....感情のこもった歌声?私は思わず笑ってしまう。自分は酷いと思っている歌詞に合わせた歌をそんな風に言う人は初めてだった。何となく男の人の顔を見たくて顔を覗かせるも、深夜で黒いフードを被っているせいかよく見えない。興味を持った男の子にある提案をした。

 

「ねぇ....もし、よかったらフレンド登録しない?歌うときにファン一号として招待するよ」

「それは嬉しいな。また聞きたいからぜひお願いします」

 

本当は一人で歌う勇気がなく、フレンド登録すればこの人はまた来てくれる。そうであれば、私が深夜に歌う理由になると思った。下心有りの軽い気持ちで誘ったつもりだった。フレンド申請後、すぐに≪プレイヤー名:ユズルからフレンド申請を受理しました≫と表示される。

....ユズル?一瞬だけ悪いウワサの絶えないプレイヤーの名前が浮かぶ。考える間もなく、彼は手を差し出す。

 

「フレンド登録ありがとね。これからよろしく」

 

差し出された手に対して私も軽く握手をする。しばらく世間話をしてから別れ、転移門で借りていた宿屋に移動し、自分の部屋まで速足で向かう。扉を閉めて、扉を背にして座り込む。自分の知るユズルであれば、あの人は悪質なプレイヤーだ。でも、世間話や握手して伝わる暖かい感じは何だろう。世間の言う彼と実際に会った彼の印象は余りにも食い違っていた。

 

(しばらくは、様子見かな。世間の印象で勝手に決めつけちゃダメだよね)

 

私は自分に言い聞かせる。彼は次も歌を聴きに来てくれると言っていた。勢いよく立ち上がり、少しでもいい歌詞を考えようと机と向き合う。誰か聴きに来てくれる人があると思えば、いつもより執筆が捗っていた。

 

余談だけど........何度も書き直した結果、自分の納得できる歌詞に仕上がった。しかし、食事を忘れるほど煮詰めてしまい、「誰にでも夢中になればそうなる時もある」少女漫画のセリフを思い出して、気にしていないこととした。

 

 

2023年06月03日(深夜)

 

新作の唄を完成させた私は、はやる気持ちのまま、ユナはフレンド登録をしたユズルに連絡する。

 

『今日の22時に第八層フリーベンの転移門広場で歌います。良かったら来てください』

『連絡ありがとう。ぜひ聴きに行くね』

 

決めた時間に転移門広場に移動すれば、黒いフードを被ったプレイヤーは待っていた。私は何度も深呼吸をして、口を開く。現実世界でよく聞いていたアニメソングをアレンジした歌詞と音源。丁寧に歌えていた。しかし、複数のNPCが集まれば視線が私に集中してくれば喉がつっかえて歌いにくくなってきていた。無理に声をだそうとして、上ずった声で音程を外してしまい、恥ずかしくて歌を止めてうずくまる。NPCは興味を無くしたかゾロゾロと散っていった。

 

「どうかしたの?無理に歌っていたような気がしてね」

「やっぱり人前で歌うのは恥ずかしいかな。どうしても急に上がっちゃうのよね」

「どういうこと?」ユズルは首を傾げる。

「私ね、どうしても沢山の人に聞かせようと思うと、緊張してね。声がだせなくなる時があるの」私は視線を落としてゆっくりと話す。

 

明るく振る舞うも、やっぱり引きずる。これは現実世界で個人レッスンをしている理由でもある。歌自体の技術は評価されても、多くの人に聞かせるとなれば、だんだん声がでなくなってくるのだ。

 

「それなら、これからも歌を聴きに行くよ。来てくれる全員に聞かせるよりも、特定の一人を目印に聞かせるように歌えば、緊張しなくて済むと思う」

 

私は胃の辺りが微かに震えた。この世界では男の人避けに白いフードを被っていても、女と分かった私に何か話を持ちかける人は、どこの世界でも、いつも私の身体のどこかを見て何かを期待するかの視線を向けていた。だけど彼は違う。顔を見上げれば真剣に私の目だけを見ていた。いつもとは違う反応に、動揺を隠して強気に答える。

 

「う~ん....いいの?無理に付き合わなくても、攻略とか狩りとかしていた方がいいんじゃない?」

「そうかな?メリハリつければいいし....僕はもっと歌を聴きたいから、じゃあダメかな」

 

ユズルのほんの少しの笑みと困った表情の変化、なごんできた表情を見て、とたんにユナは胃が飛び出しそうになった。これは緊張とは無関係だとユナは思った。しかし、この気持ちは何か分からない。ユズルの暖かい雰囲気と落ち着いた声に、「じゃあ、よろしくね」と言ってしまう。

もう一度、同じ唄を黒いフードを被った彼に聴かせる意識で歌ってみた。たった一人だけなら随分と安心していた。体の内側から熱く火照る感じが、喉につっかえる感覚を無くしてくれている。初めてのびのびと楽しい気持ちで歌えていた。終わった後は、ユズルに手を振って、駆け足で転移門に飛び込む。心臓の鼓動がバクバクして止まらない........

 

 

「あう~」(セイウチ風の真似)

 

勢いのまま宿屋のベッドにダイブし、うつ伏せになって布団を抱きしめる。火照った身体を落ち着かせようと、そのままゴロゴロしたり、足をバタバタと動かす。まだ頭はフワフワする。だいぶ冷静になった時に、ふと歌のレッスンをしていたことを思い出した。

 

丁寧に歌えばいい。現実世界の歌教室では「うまい」と思わせる発声のテクニックや見ている人が魅力的に見えるジェスチャーのレッスン。いつも退屈、つまらないと思えるレッスンでもその通りにやれば先生やパパは「上手」と褒めてくれていた。今日はNPCだったけど、そこに『私の歌を聴きに来てくれる人』がいることは楽しく胸が躍るようだった。

 

「明日も歌いたいな」

 

可愛くポツリと言い、熱くなる両頬を枕に抱きついて抑え込む。そのままベット上でまん丸くなって過ごしました。

 

 

2023年06月09日

 

ユズルに緊張しない方法を教えてもらってからは私の歌は目覚ましく成長し、自分の誠意を伝える歌い方は思っていた以上に「上達している」実感を得ていた。唄が良くなってくれば、今度は私の唄に合う歌詞を書きたくなって、「歌詞を書いてみたい!」と思っていたが....

 

「どうしよう....全然浮かばないよ....」

 

絶賛、スランプです!!

現実世界で聞いていた歌をアレンジした歌詞だけでは限界がきていた。一曲だけストックはあっても、残りはない。相変わらず創作意識の無さに、ユナは机に突っ伏してうつむく。調子に乗って、ほぼ二日おきに歌っていたせいか、もうストックは尽きていたのだ。ほぼ完成しているアニメソングを元にした歌詞に勝手な付け足しをすれば、音源に合わなくなってしまう。さらに、作詞に関してど素人の私はどうすることもできない。

 

「あう~どうすれば~」

 

結局煮詰まってしまい、深く項垂れて机に突っ伏す。ユナも最初は悶々としていたが、何となく『ユズルに相談してみようかな』と考えだす。何度かメールを消しては書いてを繰り返し....ようやくまとまった文章。私は迷ったまま、≪送信≫を押し、彼の返事を待った….

やけに長く感じてしまい、待っている間は外を眺めながら、何度か水を飲んで唇を湿らせた。

 空想に浸っていたユナの耳に、軽やかなサウンドが届いた。フレンド・メッセージの着信音。メインメニューを開き、新規メッセージを表示させる。

 短い文章を何度も送り返しあうメールのやり取りにユナは笑みをこぼす。嬉しいような、何かに誘われるような高揚した心持になっていた。

 

2023年06月12日(深夜)

 

ユナは第三層のロービア主街区にあるカフェで甘めのカフェオレを頼み、次に歌う歌詞を執筆していた。街の風景やNPCの言動を参考にした歌詞は順調に仕上がっていく。何度も書き直した歌詞、とにかく一生懸命に「誠意」を伝える声。現実世界よりも自分の音楽に対する熱意が上がっていた。ふと、ユズルとの出会いを振り返る。彼とはまだ二週間しか会っていないはずだ。初めは自分の気晴らしと我儘で唄を歌う利己的な理由でユズルを利用していた…本当に最低な理由。

 

 でもユズルは立場の危ない中でも連絡をすれば必ず来てくれる。歌いたい理由と言う私の甘えで提案しただけなのに....いつも聞きに来てくれる彼の姿勢に驚かされた。会うたびに、私の悩みや話を聞いてくれる。偏見や先入観を含めたアドバイスでなく、まるで細い糸でがんじがらめになって隠れていた答えを紐解くような言い方をしてくれる。

 

でもユズルを利用した罪悪感は彼に会うたびに大きくなっていく。下心で利用していたのに….いつしかユズルと一緒にいるのがたまらなく楽しくて、これからもずっと私の歌を聴いていて欲しいと思えるほどに。

 

『今日は第三層ロービアの転移門広場で歌うよ。良かったら来てね』

 

きっといつものように、黒いフードを被ったユズルが来てくれる姿を想像して私の頬は自然と持ち上がっていく。

 




余談ですが....ユナのセリフ「いつも私の身体のどこかを見て何かを期待するかの視線を向けていた」の部分です。

ユナのスタイルはソードアート・オンラインのフェイタル・バレットに添い寝のシーンがあります。良ければ参考にして下さい( 一一)


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18話 このまま時間が止まればいいのに

2023年10月16日(昼間)

 

ユナはここ第四十層主街区≪ジェイレウム≫で久しぶりに幼馴染の後沢鋭二という本命に由来するプレイヤー『ノーチラス』の様子を見たくて来ていた。

 第四十層主街区≪ジェイレウム≫は、かつて巨大な監獄だったという設定で、四方を高さ二十メートルある石壁に囲まれているせいか町全体は薄暗い。夜になっても照明は控えめであちらこちらに残っている鉄格子は動かすたびにキィキィと耳障りな音をたてる場所だ。

待っていれば茶色のレザーアーマーを着た朽葉色の顔に、見覚えのある幼馴染の姿を発見する。相手も気づき、小走りに近づく。

 

「ユナ、どうしたの」

「『ユナ、どうしたの』ってことないでしょ。せっかく様子を見にきてあげたのに....」

「あ、いや....最前線に来るなんて珍しいからさ….それにこの街、あんまりユナには似合わなそうだし....」

 

エーくんからみた私の印象って一体なんだろ....音ゲー好きで地元のゲームセンターと比べれば、この街の雰囲気はさほど、庭みたいなモノだ。歯切れの悪い言い訳で誤魔化そうとするノーチラスを軽く睨むも、いくつになっても変わらない彼にフードの奥で微笑む。ノーチラスはバツが悪そうに、言いよどむ。その様子にユナは幼馴染の違う変化を見逃さずにはっきりと言う。

 

「何かあったの、エーくん」

「....街中じゃ、その呼び方はやめてほしい」

 

 ひとまずは現実世界でのあだ名を冗談交じりで言う。ノーチラスはそっぽを向いたまま言い返し、深々と呼吸を吸い込んで気持ちを落ち着かせてから、短めに答える。彼にもユナが気晴らしに冗談を言っていること自体は分かり、彼女の優しさに甘えた。

 

「ちょっと攻略中にミスがあってね」

「ふぅん、それでそんなに凹んでいるんだ」

 

....本当の事は言えない。今回のミスは努力だけではどうすることもできない問題だ。副団長のアスナから団長ヒースクリフの伝言が頭から離れない。血盟騎士団のギルド本部で攻略戦の反省会を終えた帰りに副団長に呼び止められた会話を思い出す―――

 

 

「軽度のフルダイブ不適合(コン・フォーミング)(FNC)....」

「うん....さっき団長がそう話していたの....それで団長からノーチラス君の処遇を任されているけど....私としてはそれだけの理由だけで辞めさせたくはないのよ」

 

アスナはノーチラスと同じく軽度のFNCであり、友人であるネズハというプレイヤーも同じように悩んでいた。彼女は遠近感の不具合で接近戦闘ができなかった。しかし、キリトの勧めでチャクラム使いに転向してからは遠距離アタッカーとして活躍した事例もある。

 

「....本当にごめんなさい。時間があればFNCと向き合う方法を見つけられるけど…さっき偵察部隊が第四十層のボス部屋を発見してね…三日間だけ時間は取れないの」

 

うつむき加減に呟くアスナにノーチラスは何も言わない。ここ数日の話し合いで血盟騎士団は少数精鋭ギルドを目指す考えにアスナや他のサブリーダー達は賛同していても、上位プレイヤーを下請けプレイヤーが排除しようとする傾向があり、見過ごせない。ゆえに、ノーチラスのようなトラブルを抱えたプレイヤーを『役に立たないからレベル上げを大義名分にして倒そう』となるのではと想像せずにはいられない。予想を振り切り、アスナは答える。

 

「ノーチラス君、君にはこの三日間....休暇を与えます。フロアが突破されてから改めて症状を検討し、一緒に対策を考えましょう」

 

…今はこれでいいはず。お辞儀をしてフラフラした足取りでギルド本部を後にするノーチラスをアスナは見送る。本人に直接は言っていないが、アスナはノーチラスを高く評価していた。ソードスキルの出の速さと天性の勘による状況判断能力。そして、訓練やミーティングをサボったことはない真面目な性格に子どもっぽさに親しみを感じさせる人柄はギルドの良いムードメーカーになっている。

そしてアスナ個人としてはかつて相棒だったキリトに似ている所もあり、血盟騎士団に入るまで彼に守られていた時のように、今度は自分が彼を守りたいという理由だ。少し猫背のノーチラスが見えなくなった時、アスナはギルド本部に戻った。

 

 

押し黙ってしまった幼馴染にユナは腰の革袋に手を入れ、色とりどりのキャンディーが詰まっている硝子瓶を取り出した。それをノーチラスに突き出して、手の平を持ち上げてよと、ジェスチャーする。軽く振れば、オレンジ色と青色のキャンディーが一粒ずつ、コロコロとノーチラスの手に転げ落ちる。

 

「それ舐めて、元気出しなよ」

「........もう子供じゃないよ....」

 

文句を言いつつもキャンディーを口に入れると、口の中でミカンとラムネの味が広がる。二つの味を混ぜると、なぜかマスカット味に変わり、驚きながら味を楽しんだ。しかし、「子供っぽい」と思えば、正気に戻り、勢いよく飴を舐め回す。

 

「ノーくんはまだギルドじゃペーペーなんだからミスしても当たり前じゃない。新人のたった一度の失敗を許さないほど頭でっかちなギルドじゃないでしょ。同じミスを繰り返さないように、次から気を付ければ良いんだよ」

 

 私は不安にさせないよう明るく笑顔で答える。失敗すれば、部分的に直せばいい。唄の練習でさえ、納得のいく唄を歌える自信が付いたのはつい最近だ。ユズルと一緒に歌を振り返ったお蔭で、自分の得意不得意を知り、得意な部分を伸ばしていた。沈んでいる幼馴染を慰めようとしたつもりでした。

 

「....ユナには解らないだろ、最前線のプレッシャーなんて」

 

小さくなった飴を噛み砕きながら隠したかった本心を漏らしてしまい、はっと口を噤む。許してもらえると甘えて、つい胸にわだかまる鬱憤を言ってしまった。ほんの一瞬だけ顔を曇らせるも、すぐに笑みを取り戻し、ユナは言った。

 

「それはそうだけど、でもノーくんを元気づけることくらいはできるよ」

 

妙に元気の無さすぎるエーくんを励まそうと思い、最前線の第四十層主街区≪ジェイレウム≫でライブを決意した。ちょうどバイオリンとチェロ、オーボエに似た楽器を携えたトリオはゆったりとした夜想曲のBGMを奏ででいる。オーボエを演奏しているNPCの隣に立つと、胸に両手を当て、三つの音楽に合わせた声量で歌い始めた。

 

今回は夜想曲に合わせて、夕暮れの情景と、家路を歩く人の気持ちを書いた歌詞。何時もは下層で歌っていても、ここは最前線だ。普段はデスゲーム攻略にまい進している攻略組プレイヤー達も立ち止まる。ある人は瞼を閉じ、ある人は身体を揺らして聞いていた。無数の視線が心身につつかれ、心拍音は早くなり、喉につっかえる感覚を覚え始める....

 

(段々と人が集まってきたな....でも、エーくんだけを意識すればいい....大丈夫!)

 

今までの唄の練習を想い、喉につっかえる感覚を払拭させる。二分足らずの唄を歌い終えると、さざ波のような拍手が沸き起こった。やがてアンコールを求める手拍子に変わっても、アンコール用の歌など用意していない。ユナは何度もお辞儀をし、白いフードを被り、ノーチラスの腕を引っ張りながら足早に広場から脱走した。

 

 

狭い裏道をやみくもに走り、人気のない一角で立ち止まると、ユナは手を離して大きく息を吸う。

 

「あーうー、緊張した!」

 

耳の付け根まで真っ赤にし、両手を上げて叫ぶユナに、ノーチラスは苦笑交じりの声を掛けた。

 

「いや、今さら何言ってるんだよ。いきなり歌い始めたのはユナじゃないか」

「そういうこと言うんだね。せっかく落ち込んでたエーくんを励まそうと歌ったのになぁ」

 

悪戯っぽく言うユナに、恥ずかしそうに彼は顔を背けてしまう。実際には、ノーチラスの赤く染まった頬に「サプライズ大成功!!」と、内心は飛び上がっていた。

 

「それにしても、ユナって、あんなに歌が上手かったんだな。中学まで、ギターを弾いてる所しか知らなかったから…」

「正確には¨ピアノ¨も一緒につけてね。女子高に進学した時に、歌のほうが好きだったから個人レッスンの教室に通い始めてね。エーくんが知らないのも無理ないよ」

 

しばらく現実世界の話をやり取りし、不意にノーチラスは自分のHPバーの下に見慣れないアイコンが点灯していることに気付く。緑色に光る音符は記憶にないものだ。

 

「あれ、このバブ、なんだろう....」

 

首を傾げていると、メニュー画面越しのユナは悪戯っぽく笑っていた。

 

「それは≪風音の護り≫。防御力と毒耐性、スタン耐性にボーナス」

「えっ....なんでユナがそんなことを....あっ!まさか....ユナの歌で....」

 

ノーチラスの半信半疑で訊ね、ユナはフードの下で笑みをこぼして「ピンポーン」とクイズ番組の司会者風に答えた。

 

「正解!私のエクストラスキル≪吟唱≫の効果だよ」

「チャント........エクストラスキル........!?」

 

いつの間にそんなスキルを習得していたのか、と驚いていると、ユナは不意に真剣な表情となって言った。

 

「あのね、エーくん。私も攻略組を目指そうと思うの。吟唱スキルを習得しているプレイヤーはほとんどいないから、きっと役に立てる」

 

 

2023年10月18日(昼間)

 

ノーチラスを励ますライブは成功し、ユズルがいなくても無事に歌い切れたユナは、さらに唄に対する自信を持った。しかし、今度は別の問題で悩んでいる。

というのも、「プレイヤー名:ユナの歌を聞けばステータスバフが付く」と情報屋を通して噂が広まり、転移門広場に行けば多くのゲームプレイヤーが私の唄を聴きに来てくれる。最初こそ嬉しくてもいい気分は長く続かなかった。歌い終えればすぐにファンから逃げるように転移門でワープしなければならず、お蔭様で、お決まりだったユズルと歌い終えた後の反省会はできないでいるからだ。

 

ユズルには歌うフロアを伝えていても、入り待ちしているプレイヤーがフレンドに連絡すれば、たちまち攻略組やら下層プレイヤーの入り交じったライブに変わる。結局は唄うだけ歌う日々....一応メールで反省会はしても、どうも満たされない感じが続いていた。『私は唄うだけ歌うCDプレイヤーやロボットじゃあ、無いんだけどなぁ』と歯痒くてならない。チラリと時刻を見るとお昼ご飯にちょうどいい時間帯に、ユナはユズルを食事に誘い、彼をノーチラスに会せようと考えた。

 

「....エーくんなら、ユズルを悪いようにはしないよね」

 

どこか不安はあるも、「幼馴染の彼なら大丈夫」と信じていた。

 

『急な話だけど、私と気の合う友達を紹介したいの。久しぶりに友達もお休みを貰えたから、食事も兼ねて会えないかな?』

 

ユズルにメッセージを送る。ノーチラスには事前にメッセージを送ったから心配ない。身支度を整えてから待ち合わせ場所に移動した。

 

その後、ジェイレウムの街の西門広場に面した小さなオープンカフェで待っていれば黒いフードを被ったユズルは普段と変わらない様子で来てくれた。さっきまで渦巻いていた不安だった気持ちや苛立ちが落ち着いていく。しばらく幼馴染が来るまで音楽の話題や好きな映画、彼の趣味や好きな食べ物の話をした。

 

ただフレンド追跡機能の話をした途端にユズルは急に険しい目つきをした怖い表情に変わる。見たことのない顔にユナは心配するも彼は「何でもないよ」といつもの笑みを浮かべていた。どこか苦しそうな表情に胸がチクリと痛むも雰囲気を壊したくなくて気にしないフリをする。ユズルとの音楽以外の気負いしない会話は癒され、肩の重みは軽くなっていた。

 

「(このまま時間が止まればいいのに)」

 

不意に作詞の途中である文字を思い浮かべつつ―――ユナは彼との談話を楽しんだ。

 

そして、もし今度ユズルと会った時は「もっとユズルと話をして悩みを聞きたい」とそう決めていた........

 

2023年10月19日(早朝)

 

第四十層撤退作戦を成功させた風林火山と血盟騎士団の名声は上がり、特に風林火山は頭一つ抜きんでた存在となった。それからエー君は血盟騎士団の攻略組として復帰した。エーくんはここ数日モンスターと戦うたびに「目の前のプレイヤー、いや人間共を皆殺しにしようとしているとしか思えない目をしている」と、認識したとたん、急に全身が石化してしまったかのように固まり、全く動かせないと悩みを話してくれ、そして「ユナのお守りを貰ってからは、そうならなくなった」と言ってくれて私は嬉しかった。

 

ただ、ユズルに連絡を入れようとフレンド登録画面を開けば彼の名前は見当たらない。何度も確認しても見知った名前の無い一覧画面はやけに色あせて見えた。

 

「急な話になるけど、ユナは攻略組になって皆の役に立ちたいんだよな」

「そうだけど....今は少し迷っているかな。あんなことがあったばかりだしね」

 

コーバッツのように目的の為なら人の命を軽く見ているプレイヤーに嫌気が指してしまい、そんな人もいる攻略組に入りたいという決心は揺らいでいた。

 

「それなら血盟騎士団の支援組枠で入るのはどうだ?ユナの≪吟唱≫スキルの希少性を考えれば団長のヒースクリフや、副団長もダメとは言わないはずだ。支援組の募集はしていないが….今回の救出作戦は皮肉になるけど、周りのプレイヤーからユナの印象は良いんだ….今なら功績を称えて、入団できるはずだ」

 

血盟騎士団は団長であるヒースクリフによる情報収集力でトップクラスの攻略ギルドに成長したところが大きい。彼の机には常に何十枚もの紙を山積みにし、ホロキーボードを猛烈なスピードでタイプしている団長だ。攻略組を目指す数百人規模のプレイヤー達の最新情報を常に収集、整理して、新たに勧誘するプレイヤーを検討している。当然、≪歌エンチェンター≫として有名人のユナの情報も集めており、興味を持っているのも周知済みだ。

 

「....血盟騎士団の情報力があればユズルと会えるかな」

「....他と比べれば会える確率は高いだろうな。ただ........ユズルに関する情報は団長も、明確な情報を集めることはできていないみたいで....はっきりとは言えない」

 

血盟騎士団に入れば、ユズルと会える可能性がある。たった一本のか細い糸でも縋りたい….今の私には十分だ。心に新しい決意が生まれてくる。秘やかな情熱が私を満たしていた。

 

「それでもいいよ、エーくん。私も入るよ…血盟騎士団に!!」

 




改めて小説を振り返り、一度オリ主とヒロインの立場を整理します。

ユズル:嘘とはいえ、アインクラッドのプレイヤー全員に『GM』と疑われている。また、原作でキリトの背負った『ビーター』を含めて有りもしない悪評も広がっている。少しずつ風化されているも、見つかればすぐにプレイヤーキルの対象。

16話では『歩く商人』『何でも屋』として一般プレイヤーに落ち着いている。

ユナ:8話でエクストラスキルを手に入れてから有名に成り始めた。その後は『歌チャン』『アインクラッドの歌姫』の二つ名が広まる。ノーチラスを励ますライブにより、プロモーションや歌唱力が評価され、アインクラッドの希望として、アイドルの地位を得ている。

【筆者の感想】
なぁに、これ?
 自分の設定を振り返ると、結構気づきがありますね。全プレイヤーの絶望を受けている人と全プレイヤーの希望になっている人の恋愛物語になっていました。どこの『ロミオとジュリエット』だろ?と思います。

様子見でタグに『禁断の恋』を入れますが、この二人だけです。現時点ではカップリングはあるも、危ない恋愛をしている訳ではありません。ご理解の方、お願いします。


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19話 彼は、いったいどこにいるのか

やや暗めのお話です。


2023年12月25日

 

『本日A班に休息を与える。各自、明日の訓練に向けて英気を養うこと』

 

血盟騎士団に入団して六日過ぎて、ようやくギルドの雰囲気に慣れてきた頃に、久しぶりの休暇を貰えた。世間から「最強」と名高い血盟騎士団は、その通りにスケジュール表に決められた業務や訓練に忙しなく動いている印象通りのギルドだった。

 

与えられた役割と報酬が合わなければ即交替させられる一軍・二軍制度の仕組みは合理的でもリラックスはできない。特に狩りに関しては一定以上のノルマを越えなければならず、常に緊張状態でパーティを組んでいるメンバーがピリピリしている所は、いつになっても慣れそうになかった。

 

「タイムスケジュールに合わせた食事に、決められた時間に訓練や狩りにもだいぶ慣れてきたな。マネージャーも付いているからライブに合わせた調整も良くなっている....」

 

振り返れば、ノーチラスが血盟騎士団に加入してからは離ればなれになり、私は第十六層の主街区に一人用の部屋を借りて生活していた。一人暮らしは初めてで不安だらけでも、生活費を稼ぎに狩りをしたり、簡易仕様の料理で自炊をして、ノーチラスの活躍を応援し、ユズルと音楽を語る生活は充実していた。ここは待っていれば出来立ての食事や安定した収入で前よりも満たされている毎日のはずだ。

 

「血盟騎士団に入れて生活は充実して満たされているはずなのに....なにかが足りないような感じがするなぁ」

 

ずっと感じている心の乾きと虚無感。淡々にみえる歌詞にアニメソングを合わせた原曲に納得した唄を作っていく。ノーチラスと共に「強くなる」と決意して狩りや訓練に精を出して参加し、彼女は無理なく強くなっていた。けれども、彼女のモチベーションはゆっくりゆっくりと失っていた。

 

 

2024年01月14日(深夜)

 

血盟騎士団に入団し、初の大きいライブの準備をしていた。興奮して武者震いが止まらない。何度も深呼吸をして落ち着ける。休日の買い物で見つけたライブ用衣装も用意万端だ。

 

「よし、早速連絡しよ」

 

ユナは手慣れた手つきでフレンド登録画面を開く。いつも送っていたプレイヤーの名前は見当たらない。フレンド一覧をスライドさせるうちに、フレンド登録から消えていたことを思い出し、顔を曇らせるもすぐに朗らかな顔に戻す。

 

「....まあ、大きなライブだから気づいて来てくれるよね」

 

自分に言い聞かせるよう、聴きたくない言葉を無視して瞑想する。指定した時間に転移門広場に向かえば、待ち合わせしたファンのプレイヤーはメニュー画面を開く。数分待てば、多くのプレイヤーで広場は埋め尽くされる。私は軽く手を振り、いつも通りの唄を歌っていく。やがて、二曲目の中盤に差し掛かったときに、喉のつっかえる感覚が出始める。観客を見渡すも黒いフードはどこにも見当たらない。ファンのプレイヤー達は、そんなユナの焦りを気にせず、歌姫(かのじょ)の唄と美しさに魅入っていた。

 

一瞬だけ上がった声を出すも、夜にひと際目立つ三日月に向けて声を伝えれば、また安定して唄えていた。何事もなく終えた様に見えるライブは、ひとまずファンの喝采で幕を閉じた。

 

「今日も良かったよ、ユナちゃん。皆喜んでいたし....これでまたユナちゃんのファンが増えちゃうね」

「うん、ありがとね。いつも調整してくれてとても助かっているわ」

「いいの、いいの。これもマネージャーの仕事だしね」

「あの、今日の唄はどうだったかな?どこか変えた方がいいところとか....」

「?特に無かったけど....いつも通り、ファンも多くなってきているから、そのままでいいんじゃないの?」

 

....そういう意味じゃないよ。私の中で最低の烙印を押したい酷さだった。心地よさのない冷え切った身体でなにも満たされていない。ただ、虚しさしか残らなかった。不機嫌を顔にださないよう、気をつけながらライブ会場を後にする。マネージャーと話し合う気にもなれなかった。

 

その後のユナは、黒いフードを目印にすることを諦め、深夜のライブにいつも現れる月を目印に唄を歌うようになった。

 

 

2024年2月25日(早朝)

 

あれから自分に対する唄のモチベーションが解らないまま、来てくれるファンに向けた『大衆向けの歌詞』を書き綴っていた。以前に歌った歌詞は白黒のモノトーンに見えてしまい、歌おうとすれば何故か気持ち悪くなる。今の自分にはありふれた言葉を並べて作られた歌詞を歌っていくしかなかった。

 

「どこか前と違う気もするけど....気のせい、気のせい」

 

誰もいない血盟騎士団の個室部屋で呟く。ふっと¨ピロン¨と音が鳴る。メニュー画面に新聞のようなアインクラッドの記事が大見出し部分のみ表示された。二ヶ月経ってもユズルの足取りは一向に掴めず、業を煮やして独自で情報を集めることとした。情報屋と交渉し、月三百コルのデジタル新聞を購入している。

 

『今明かされる衝撃の真実!![竜使い]のシリカに恋人の存在!?』

 

....何時ものゴシップね。情報屋は有名人のプレイベートや攻略組の最新情報をプレイヤーに伝えている。中には大きな事件を取り扱う情報もあるから見逃せない。ここ最近では、12月24日第三五層≪迷いの森≫にイベントボス≪背教者ニコラス≫の出現により、約百人の被害を出した、が一番の人災だ。

 

いつもは人の交際している記事などは興味のない私は、ふとその写真に目を奪われた。斜め左方向から取られた男女の写真で、軽く会釈をする茶色の髪を赤い髪留めでツインテールを束ねた少女と黒いフードを被った男の子が手を握っている。握っている人の小指には朽葉色の髪と薄い茶色の髪が巻き付いていた。

 

ようやく見つけた彼と思われる有力な情報だが、ユナは感じたことの無い気持ちになる。頭は氷を巻かれたように冷たく気だるくなってきた。胸から喉元につきあげて来る冷たくそして熱い球のようなものがこみ上げてくる。私は何度も何度も飲み込めば、今度は涙をややともすると目頭を熱く潤してきた。

 

―――なんだろう、この気持ち?

 

戸惑うもどうしたらいいかわからない。ずっと感じていた心にぽっかり空いた隙間に熱いマグマを敷き詰められる感覚に耐え切れず、布団を被り、身体を覆いかぶせるようにして丸くなる。気にしている人物の安否に安心している自分は何処にもいなかった。熱く熱く、全身を焦がす感覚と、冷えて冷えて、恋人のいる彼に対する猜疑心(さいぎしん)で頭は埋め尽くされた。

 

せっかくの休日なのに、なにもしたくない……

 

コーバッツに言われた針を刺されたような痛みを比べず、鋭いナイフが突き刺さり、カラになっている隙間からドロドロと黒い液体が一滴ずつ垂れていく。心の乱れを知っているのは、濡れている枕とぐしゃぐしゃになったシーツと窓から差し込む朝日だけである。

 

2024年4月12日(深夜)

 

それからの日々はよく覚えていない。仕事やライブは顔に出さずに淡々とこなし、余った時間は無色で乾燥したつまらない歌詞を書く日々を過ごしていた。しかし、今日は違う。団長ヒースクリフから外出自粛要請の指示があった。というのも、昨日の夜に第五七層主街区≪マーテン≫で圏内に関わらず殺人事件が発生し、しばらくは外出を控えて自粛することとなったからだ。この事件に現場にいた血盟騎士団のアスナとノーチラス、他ではキリトというプレイヤーが調査している。ライブの中止が続いたお蔭で、じっくりと自分を振り返る時間があった。

 

本当は「写真に写っている人物は探している人ではない」と否定したい。でも【竜使い】のシリカは噂ではとても愛嬌がある、素直で真っ直ぐな可愛い子。写真に写っている人物がユズルであれば優しい彼と恋人になればお似合いのカップル。友人であれば彼の幸せを喜ぶべきにも関わらず、酷く裏切られたような気分になった。

 

私の様に他人の迷惑を考えずに自分の思い通りに相手を利用し続けた罰が当たったかもしれない。会えなくなって初めてユナは、ユズルの存在の大きさを無視しきれなくなっていた。それと同時にユナはユズルと出会った時から鏡の前で念入りに「自分がどの角度からどの様に見えるか」と整え、特に前髪の網目や染めた髪の色合いまで気にしていたと気づく。

 

純粋に彼と一緒に書いた作詞や作曲をしながら見える景色はなんだかキラキラ輝いて見えていた。認めたくないが、今の自分は「ただ歌えれば、それでいい」と開き直っていた頃に戻っている。自己分析をしたユナは半ば安堵し、半ば失望しながら、椅子に身を寄せて考える。

 

―――彼は、いったいどこにいるのか....

 

机で途中の歌詞を止め、頬杖をついて、夜景を見上げた。本音といってこれまでは、ユズルと話したい時はいつでも連絡がつくと思っていた。失って考えてみると、ユズルと私を繋いでいたのはフレンド登録だけで、それが途切れてしまえば、たちまち相手のことは分からなくなってしまう。例えば彼が誰かに襲われていたり、行方不明になっても、こちらからは安否は分からないし、探しようはない。

 

今まで二人の楽しい日々はずっと続くと思っていたのに、こんなにあっけなく途切れるものなのか。これが仮想世界の人間関係なのか。そう思った瞬間、ユナはいままでにも増して切実にユズルがこいしく、逢いたいと思った。

 

しかし、どうもがいたところで、こちらからは探しようがない。彼は幻影のローブを肌身離さず装備していては自力で見つけられず、小指に巻き付いた髪の毛しか特定できず、向こうから現れてくれるのを待つしかない。ユナは諦めて背伸びをし、書きかけていた歌詞を綴っていく。認められない本心に蓋をしてから再び自分に言い聞かせていった。

 

2024年05月30日(日中)

 

ユナは唄の新しいアイディアを求めて、第十一層の主街地【タフト】にある二階のカフェで甘めの熱いカフェオレを頼み、流れていくプレイヤーを眺め、長時間長尻になっていた。本音は彼と初めて会った日付と場所にいれば、もしかしたら、ふらりと妖怪のように出現(あらわ)れると迷信に思っていた。

 

しばらくして、少し息のきれている男女が空いていた席に座る。黒いコートを着た少年がメニュー画面を開き、青髪のショートヘア―の女の子はNPCにコーヒーを注文していた。静かな住宅街にNPCの掛け声の「はーい!」は、やけに大きく耳に響く。

 

「キリト、今日はこれで買い忘れはなかったよね?」

「たしか、ケイタがお菓子を買ってほしいって言ってなかったか?」

「あ~あれは無視していいよ。ほっとくとバクバク食べちゃうから」

「それだと、俺も同じじゃないか?買い置きしているモノを勝手に食べてるし」

「キリトは良いんだよ。ウチのギルド代表で攻略組として頑張っているからね、そのお礼だよ」

 

キリトと呼ばれた男の子は「そんなものか」と呆ける。ユナは『攻略組』『キリト』の言葉に、耳をピクリと動かす。たしか、新聞で騒いでいた圏内殺人事件を調査し、【黒の剣士】の二つ名を持つプレイヤーだったかな、と思いふけていた。

 

「そうだ。実はね、置いてあったお菓子の中には私の手作りも混ぜてあったけど....キリトは分かった?」少し頬を染め、どこか弾んだ声で言う。

「え?いや分からなかったぞ。もしかしてやけにぼさぼさしたクッキーがあったがアレだったか?」

 

彼女は表情こそ笑顔のままだが、咎めるような厳しい目つきをしている。傍から盗み聞いても¨デリカシーないな¨と苦笑していた。女の子のあれは何か怒る理由があって仕方なく怒っている感じだろう。

 

「そうだよ。そのぼさぼさしたクッキーがそうだよ....今日のオカズは一品減らしておくね。あとついでに、キリトの嫌いなオカズを作っておくから楽しみにしてね」

「!ゴメン、サチ!悪かったから許してくれ!!」

「何を謝っているの?キリトは素直で純粋に言ってくれて悪いことは言ってないはずだよ」

「....本当にごめんなさい。言い方には気を付けます....」

 

サチと呼ばれた女の子は「よろしい」とうなずいてから、コーヒーを口に運ぶ。なんだかんだで、オカズは減っていないし、好きな子をからかっているかの様子だ。微笑ましいカップルだった。気を緩めたせいか、また思い出したくもない考えが頭をよぎり、止めようにも止められなく思考が連想していく。

 

撤退作戦の日から何度も思っていた。彼に会わなければ、ずっと「歌うことが好き」で終わっていたのかも知れない。吟唱(チャント)を取らなければ、自由に彼と歌詞を考える日々を過ごせていたのかも知れない。このカップルの様に誰かと恋をして、何気ない会話ができていたのかも知れない....だけれど同時にモノトーンの背景に囲まれたどこか満たされない日々に戻りたくなんて無かった。立ち止まった思考をゆっくりと歩めていく。

 

あの日の私より、この私は随分と女々しくなった。本当は彼に会えやすい場所など探してはならないのに、でも身体の方が先に動き出してしまう。「こんなことはいけない。会えば彼を危険に晒してしまうと分かっている」「心の中では逢わないでおこうと思っている」にも関わらず、負けていた。

 

負け続ける弱い自分に激しい自己嫌悪から自分を変えた彼を恨む。いくら恨んでも恨みきれないほど憎かった。私自身も、本当はどうしたらいいか分かっているのに、それを否定したくてこんな気持ちでいる。今にも冷え切ったマグマが噴き出すか、零れ落ちそうな入れ物に力強く蓋をし、冷えたカフェオレを一気に飲み込んだ。

 

 

【補足】

1、 この話を思いついた言葉

 

グロース『愛と憎しみは全く同じものである。ただ、前者が消極的であり、後者が積極的であるに過ぎない』

➡「怒り」と「好きだ」という矛盾した心理が同時に生じ、板挟みの状態。

 

アルベルト・カミュ『¨愛されない¨ということは不運であり、¨愛さない¨ということは不幸である』

➡そもそも¨愛されない¨は興味の無い心情の在り方にあって運が悪いとしか言えず、¨愛さない¨は興味の有るにも関わらず、失う恐怖やどこか相手か自分を信じ切れない等の幸せを受け止められない状態。ただどちらもすれ違いや悪いことの積み重ねで起こりやすい。

 

2、 月を見たいと思う気持ち

 元々は「人の内面的な正確」を表す天体で、女性的なエネルギーを持つ星。月の周期によってはホルモンバランスが変化して不安定になりやすい傾向になり、情動的になったり、体の血のめぐりが増加する。

➡月を見たいと思う気持ちの時には、不安な気持ちが隠れていることがある。いつも見てくれている月の存在は安心感を得られるもの。月の力を信じ、本心を大切にしていくことでモチベーションアップに結び付き、明日の希望を持ったりすることも可能。

 




次回は、鍛冶屋の姉御が登場予定です!!お楽しみください。


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20話 そっか....私、惚れてたんだ

いつもは5000~6000字を目安にしているのに、今回は8000字を超えてしまいました((;´・ω・))


2024年06月03日

 

肌寒い夜にうっすらと目を開ける。訓練の疲れのせいかまだ気怠い。現実か夢か曖昧でぼうとしたまま、満月を眺める。優しい月明かりを浴びると抱きしめられる安心が、そこにあった。窓に反射して映る自分の顔に、はてと疑問を持つ。窓越しの私は無表情に頬を水で濡らし、月の光で輝いていた。外の温度で水滴を作っているのね、とアイテムストレージからタオルを取り出し、窓のガラスに押し当てる。だが、いくら拭いても水滴は取れない。やがて、諦めたユナはまた夢の中に意識を沈めていった。

 

 

2024年06月10日

 

「....遅いな。なかなか来ない」

 

 ノーチラスは第五九層主街区≪ダナク≫の空き部屋にいた。空き部屋とはいえ、地面は雑草や小石の転がる床で住むには厳しい住宅だ。時間を持て余した彼は片足を使い、小石を生き物のように跳ね続ける。もちろん、これは遊びではない。ノーチラスなりのFNCの向き合い方だ。

 

「少しだけ足先に違和感はあるけど、段々とよくはなってきてるか....次は、腕でやってみるか」

 

最初にこのやり方を始めた頃は「簡単だよ」と余裕を持っていたノーチラスだったが、仮想現実は厳しかった。ものの一分も経たずに部位の痺れで終わっていた。厳しい訓練に合わせた小石を跳ね続ける訓練の追加は、同僚に怪異の目で見られる。ノーチラスは周囲の冷やかしを我慢していたが、事件は訓練場で起きた。

 

 陣形ミスをした一軍のメンバーが小石を取り上げ、ミスをした憂さ晴らしに、ノーチラスが小石を跳ね続ける様子を嬉々としてまねした。元々ノーチラスをよく思っていなかったプレイヤーは彼の行動を称賛する。ノーチラスはキレるも、「取ってこい」と言わんばかりに鋭く蹴り上げた小石は、たまたま視察に来ていたヒースクリフの顔を直撃し、これに関わったプレイヤーに二軍降格と三か月の謹慎・除名処分を与えられた。

これを事件かテロか判断しきれない情報屋は『ヒースクリフ射殺未遂事件』の大見出しで、一般プレイヤーに伝わり、誇張されるも終息に向かった。

 

しばらく、小石を足から腕に跳ね移したとき、木製のドアから待人のアスナが現れる。軽く長髪を整えてから、しわのついた赤いフードを延ばしてこちらに向かってきた。

 

「待っていたよ、アスナ。何かあったのかと思ったよ」

「周りの人を撒くのが大変でね。ちょっと男の人に声をかけられていたの」

「それ、大丈夫なのか?いくらアスナでも危ない目に会うかもしれないだろ?」

「そこは大丈夫。何かあっても、ちゃんと『お話し』すれば分かってくれるものよ」

 

他人の不幸を願うわけではないが、正直なところ、ノーチラスはアスナを難破(ナンパ)した相手に不憫な気持ちになった。アスナは小石を跳ね続けるノーチラスに、スケジュール表を確認しながら、質問をする。

 

「あれからFNCの症状はでるの?」

「前よりはずっといい。たまに症状があっても動きが遅れる程度に済んでる….」

「それならよかった」

 

スケジュール表の画面を見ながら、アスナはかすかにうなずく。はっきり言えば、アスナに相談があって誘いはしたが、ノーチラスは強くは言わなかった。多分、駄目だろうと思っていたから気楽に誘ったにすぎない。

 

「相談があると聞いてこうして来たけど何かあったの?」

「あぁ....実は俺自身のことじゃないんだ。支援組のユナについてなんだ」

「ユナちゃん?この間、話していた幼馴染の子だよね」

「そうなんだけど....最近かなり煮詰めている気がして....何時もと違う感じにね」

「ノーチラス君の勘ってビックリするほど当たるよね。たまにエスパーと思うよ」

 

皮肉にも聞こえてしまうアスナの言葉を聞き流し、ノーチラスは一瞬、返答を押し留める。第五七層主街区で起きた圏内殺人事件ではアスナの情報をまとめる能力、キリトの洞察力、そしてノーチラスの着眼点がピタリと合い、事件解決に貢献した経歴がある。

 

「いやいや、アスナ。今度ばかりは勘じゃない....ユナなんだけど....ここ数ヶ月はずっと狩りばかりしているから....逆にライブは二週間に一回あるかないかの様子に違和感があってだな....これは勘ではないよ」

 

充分言い訳に近いな、とアスナは首を傾げるもノーチラスはさらに声をひそめて、

 

「それに、ああいう何かに没頭している時のユナはイライラを溜めているサインだから、かなり意地っ張りになる。だから同じ女の子にユナの悩みを聞いてほしくて....頼みたいんだ」

「そういうことね。なら....この副団長に任せなさい!」

 

片方の腕を袖まくりして曲げ、もう片方の手を二の腕から肘の内側に添える。軽くウィンクするアスナに頼れる姉オーラが発生した。※だが現実でアスナは「妹」である。

 

(大丈夫だろうか....)

 

 圏内殺人事件で副団長の立場らしく二人を引っ張った行動力とは裏腹に、どこか天然で抜けている部分がある。気になる相手に目星を付けば、毎日のようにつきまとい、相手を心理的に追い詰めていた。何気ない会話の端々に犯人の墓穴を掘らせる巧妙な言葉使いは油断できない。だが、その本人の無自覚な言動のお蔭で事件解決に導いたのだ。

 

やる気がありすぎる者は空回りしやすいというから、アスナの明るい姿勢は、どっちに転ぶかは分からない。平然としてほしいと願うも、他に頼れる女友達がいないから、ノーチラスは彼女を信じることとした。

 

 

2024年6月12日

 

六月の初日から半日が過ぎるまで、ユナは資材集めや狩りに励んでいた。しかしながら、ずっと戦闘をしていた訳ではない。幸い、ライブの打ち合わせに来るマネージャーもたまに来てくれたから、ボッチとは無縁でそれなりに充実していた。でも、一人で部屋に戻ると、途端に寂しくなってくる。

 

それでも午後はどこかで「昼食を食べに行こう」と決めていた矢先に、コンコンとノックされる。ユナはゆっくりと立ち上がり、ロックキーを外して開けると同時に驚いた。

 

「ふ、副団長!?お疲れ様です!!」

 

目の前にいたのは、血盟騎士団の副団長アスナでした。白い布装束に赤いラインの入った服装に、愛用している細剣を腰に掛け、腰まで伸びた明るい栗毛をハーフアップ状に整え、凛とした姿勢でいる。だが、ユナの気にしている所はそこではない。いきなり、ギルドのNO2であるアスナが何の連絡も無いまま、来ている事実に驚いていた。

 

「ユナちゃん、お疲れさま」

 

アスナはのほほんと、柔らかな笑顔を浮かべる。一瞬だけ驚いた表情をするも、ユナは明るい表情に切り替えた。部屋の扉を閉めた途端、アスナは深く息をはく。知り合い以外は副団長として模範となる以上にキッチリしている分、抜けたときの落差は愛嬌があるのだ。

 

「いきなりでビックリしましたよ、アスナさん。何かあったのかと思いましたよ」

「ふふ、実は料理スキルをカンストさせようと美味しい料理を研究していてね。そしたら凄く美味しい飲み物が出来たのよ。お昼のお供にどうかなって誘う為に来たの」

「それなら一緒に飲みたいかな。食べに行きましょう」

 

 

言うが早く、アスナとユナは駆け足で近場のレストランに向かう。簡素にシュフのおススメレシピを注文するアスナに、ユナは制止させ、周囲を見渡す。端に座っていた男性が蟲料理を残したまま、卒倒していた。ユナは笑みを浮かべる。灰色の頭脳が警報音を轟かせた。

 

「アスナさん、今日のおススメレシピ....当たりは当たりでも¨食あたり¨みたい」

「!危なかった。ユナちゃん、ありがと」

 

 彼女らは名前の知らない男性プレイヤーに合掌する。チラリと窺えば、とても綺麗な肌艶をしている彼はまるで美の化身だった。犠牲を無駄にしないように無難なサンドイッチを注文する。※アスナとユナは調べた....返事は無い。ただの生きた屍のようだ。

 

「アスナさん、それでどんな飲み物ができました?」

「それはね....ブドウジュース。飲んだら癖も無くて、初めて飲む味だったよ」

 

アスナはコップに紫色の飲み物を注いでいく。ユナは一口飲み込めば、甘い香りに酔いしれた。酸味のない芳醇な香りと滑り込む喉越しは最高級の品質。冷えたジュースのはずだが、体中から心地よい暖かさが広がった。

 

「このジュース凄く美味しいですよ!?」

「そう?美味しくできて良かったわ」

 

極上のジュースとサンドイッチを美味しそうに味わい、二人は上機嫌で会話を弾ませた。

 

「最近すごく狩りを頑張っているよね」

「ただ納得がいく唄ができないからですよ。こういう時は狩りをする方がいいですからね」

「そうよね。私は資材管理もしてるけど、お蔭様でかなり余裕があるのよ」

「余裕ですか?」

「うん。団長が一斉に期限付きの罰を与えてからかな。団員に自給自足をさせてるから節約できているんだよ」

 

何度もドリンクを相互に入れ直し続け、一リットルの瓶に入ったブドウジュースを半分まで飲み切る。

 

「それでももしもの時の為に、訓練をしていきたいかな。わたし、戦闘じゃ、弱いほうだもん」

「そうかな?いつもライブと仕事を両立して頑張っているよね。努力して凄いと思うけどな」

「....そんなのただ歌いたくないだけですよ。身体を動かしていた方が気が楽だもん....」

 

急に繋がらなくなる会話にアスナは不審がる。ユナの口調もどこか甘え口調になっていた。ノーチラスの「ストレスを抱えている」セリフは確信に変わってくる。戦闘を頑張っているなら、新しい武器屋を紹介するのもいい気分転換になるかと思ったところで、アスナはある提案をした。

 

「まだ時間があるなら、鍛冶屋に行かない?紹介したい人がいるの」

「あすなぁ~いくぅー」

 

呂律の回らない幼女口調のまま席から立ち上がる。足取りはしっかりしているも普段と違う様子に「ノーチラス君の言った通りね。ユナちゃん、ちょっとお疲れみたい」と納得する。もしかすると、戦闘か歌手に不満からくるストレスが、ユナの気分を不安定にさせているのかもしれない。目的地に向かいながらアスナは考えていると、ユナは手を握りながら歩幅を合わせて一緒に向かった。

 

 

二人が第四八層主街区の≪リンダース≫に着いたのは、十四時のあたりであった。街の至るところにカラカラと鳴る水車と小さな風車はのどかな風景は、ちょっとした小旅行気分になれる。さらにいえば、リンダースは攻略組や他のギルドとは無縁の静けさだけに、プレイヤーの行き来は少なく、あまり他人の目にもふれることもない。二人は、まだ真新しい鍛冶屋のドアを開ける。

 

「いらっしゃいませー『リズベット工房』にようこそ!」

「久しぶりね、リズ!今日はこの子(の武器)をメンテナンスして欲しいの」

「ひゅうり、おねがいしまふ~」

 

 あっけらんとばかりのアスナと呂律の回っていないユナに、リズと呼ばれたピンク髪の少女は凍り付く。彼女は理解に苦しんだ。呂律の回っていない彼女の介抱をするのか、彼女の武器を修理するのか。いずれにせよ、アスナは正気であるかを確認せずにはいられなかった。

 

「アスナ....何を見ればいいの?診るべきなの?」

「え?この子の使っている―――」

「ウチを連れ込み宿に使うとはいい度胸してるわね。いくら親友でもやっていいことと悪いことがあるわよ」

「連れ込み宿?何言ってるの、リズ」

「....取りあえず、ここに来るまで何をしてたか話してちょうだい」

 

 ひとまず、様子のおかしいユナを窓ぎわに寄り添う形に座らせる。アスナはことの経緯を説明し、リズベットは時々頭を掻きむしりながら話を聞く。ブドウジュースを鑑定すると微量のほろ酔い成分が検出された。親友の迂闊な行動に呆れるも、アスナは「だから初めて飲む味だったのね」と半ば理解し、半ば後悔する。結局、ユナの使う武器の修理代は全てアスナが自腹で支払うことで成立した。

 取りあえず、修理が終われば連絡する、と親友を工房から追い出し、リズベットは作業に取り掛かった。

 

 

「はぁ、疲れた。ようやく終わったわ」

 

 別の依頼と併合して終わらせたリズベットは肩や背中を引き延ばし、筋の張った筋肉を柔らかくする。あれから二、三時間は経っただろうか、被害者のユナは窓に肩を預けたまま寝息を立てていた。ほろ酔い成分とはいえ、微量で酔いつぶれるほどではないと、リズベットはどこか浮かなかった。それに近所迷惑と評判の騒音を響かせていても起きる様子の無い彼女は異常に思えさえする。リズベットはふわりと白いフードを取り、彼女の素顔を見た。

 

一言で美少女と言っていいほど整った顔をしている。ただ寝顔の彼女はうっすらと頬を汗か涙か分からないほど流し、か細く自分を責める言葉をブツブツと呟いていた。何を言っているかは聞こえても、明らかにどこか限界を超えている様子に戦慄した。彼女の胸の中にある正体不明な不可解な黒い感情の大きさを垣間見る。

 

―――どうしても彼女を一人にはさせたくない。いや、させてはいけない感じがした。

 

リズベットはユナをお姫様抱っこで普段から使っている寝室に運ぶ。静かに掛け布団を掛けると、すやすやと赤ん坊のように寝息をたてていた。リズベットは安堵し、軽く微笑む。自分は寝袋を用意して(おさ)なく見える少女と一夜をともにした。

 

2024年6月13日

 

朝日の眩しさが、ユナをゆっくりと目覚めさせた。アスナさんに付き添い、鍛冶屋に来たことは覚えているも先は覚えていない。経緯を考える前に二階までこんがりと焼けた肉の匂いは彼女の空きっ腹を刺激した。白いフードの服や最低限に身だしなみを整えてから匂いのする方向に向かう。

 

「おはよう、よく眠れた?急に寝ちゃっていたから、泊まってもらったわ」

「そうでしたか。ありがとうございます。ユナです....えぇと....」

「ここは『リズベット工房』で私は店主のリズベットよ。折角だし、一緒に食べましょう」

 

自己紹介をしてから、急にユナは申し訳なく思う。押しかけて断りないに泊まったことか、朝食を用意してくれたことか。何から言えばよいか、すぐには答え切れなかった。悩む仕草をするユナに、ふうと深呼吸し、彼女は瞳に安堵の色を滲ませる。何か言おうと言葉を選んでいると、リズベットがつぶやく。

 

「....『リズ』でいいわよ、ユナ」

 

どこか凛とした可憐さの漂う少女の笑顔。たった一言だけなのに、初対面と思わせない親しみと安心感が広がる。別れる前に彼女の勢いに押されてフレンド登録した後、たまにリズベットは私用の狩りやお泊り会に私を誘う様になった。ノルマの決められた狩りと違い、会話をしながらのマイペースな狩りは楽しく、ユナにとっては刺激的だった。そして彼女との出会いは、ユナの閉じ込めていたものを解きほぐしていた。

 

2024年7月07日

 

 七月に入れば、午後の六時になっても陽は落ちない季節に恵まれた。日中の穏やかな気候に年に一度である七夕装飾が街にあふれている。リズベットとユナは転移門広場から第二二層主街区≪コラルの村≫でお泊り会用の食料やら日用品の買い足しに来ていた。

 

期間限定で主街区や市街地のいたる場所に笹を飾っている。アイテムストレージに自動で配布されている短冊に願い事を書いて笹に吊るせば、三日だけ数種類のデバブが付くのだ。またレベル差によって短冊の色も違い、自分の書いた短冊がどこにあるか分かりやすい。不思議ではあるも、笹にさえ吊るせば、どの階層でも同じ位置に吊るされる仕様だ。

 

『約束が果たせますように』キリト

『無事に生還できますように』アスナ

『商売繁盛!!』エギル

『目標の私に近づけますように』シリカ

『彼女が欲しい!!!』クライン

『もっと鍛冶が上手くなりますように』リズベット

『歌チャンのようなアイドルになれますように』レイン

『絶対的、正義!!』キバオウ

『病気に負けませんように』ネズハ

 

「私達も、短冊を吊るすわよ」

 

いそいそと短冊を吊るすリズに、ユナは悩む。

 

「私はどうしようかな」

 

考えていると、急に背後から声をかけられた。褐色色の髪に両頬に三本線のペイントをした女の人だ。上半身から丈の長いフード付きマントを着用している。怪しげな風貌でも、ユナは知り合いと分かれば警戒を解いた。

 

「オォ。やっとユーちゃんを見つけられたゾ。いっくら探してもいないもんだカラ、半分諦めてたワ」

「あれ、情報屋よね?」

「初対面だったカ?オイラは情報屋【鼠】のアルゴ!よろしくナ。人気者のユーちゃんに手紙を渡してほしいって頼まれてナ。全く、メールでしろって話ダ」

「手紙?私に?」

「ニャハハ、もしかしたらユーちゃんの熱烈なファンからのラブレターかも知れないゾ。差出人に¨ファン一号¨って書いてあるしナ」

 

からかう対応のアルゴに、リズベットは彼女のデリカシーの無さに軽く睨む。よくライブ終わりに贈り物を貰うことはある。わざわざ手書きの手紙を送るなど手間のかかるだけで、送り主にデメリットしかない。しかしユナ自身は初めての手紙にどきまぎしていた。

 

「せっかくだから貰うかな。アルゴさん、ありがとうございます」

「オウ!また、個人的でもオレッちを頼ってくれナ!」

 

手をヒラヒラと、身体を飄々としながらアルゴは去っていく。リズと食事をする予定もあるも「手紙、早く見たいでしょ?」と言われてしまえば、素直に成らざるを得ない。後日埋め合わせをする約束をしてリズと別れる。早々と宿屋のチェックインを済まし、二階の一番隅の部屋に案内された。

 

 

ユナは『ラブレター』の単語に緊張してしまい、個室部屋のドアに寄り重なりながら座り込む。はやる気持ちを抑えずに、蝋で密封されている便せんを開ける。やはり差出人は私の気にしている男の子からの手紙。顔がドキドキと興奮で赤くなるのを自覚しながら、丁寧に読んでいく。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ユナへ。僕はこの仮想世界で、本を読んだり商人で生計をたてたりして過ごしています。ただ、いつ頃にユナとノーチラスに出会えるかははっきりとは分かりません。フレンド登録を身勝手な理由で消してしまってからはメールで伝える機会は無くなると思ったから思い切って手紙で書きます。

 明るいうちは商人の仕事をし、レベル上げをしているので、忘れていても、夕方や深夜になると街がこいしくなります。こいしくなるというのは、街にいる賑やかな場所がこいしくなるばかりではないです。そこにいる大切な人もこいしくなります。そういう時に、僕は時々、ユナと音楽について語った日々や歌を思い出します。

 こんな事をユナにあげる手紙に書いていいものかどうかは解りませんが、いずれファン一号として、仲間として会えるように、僕は前に進もうと思います。この剣が交差する世界でも辿り着く場所は一緒だと信じています。 

 

貴方のファン一号:ユズル

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 私はこの文章を何度も何度も読み返した。読むたびに彼と過ごした日々を思い出す。彼を思い出すだけで魂が震えて(からだ)が熱く溶けるほど燃え上がるような情熱になり、妙に相手を強く身近に感じていたい。そう思い、今までしまい込まれていたものが蓋を弾き飛ばして溢れ出た。

 

「そっか…私、惚れてたんだ」

 

自分の心を覗いて気が付いた素直な気持ち。しかし、もう遅い。ユズルは既に【竜使い】と交際をしている。実際に彼を取られたとしても、いまとなっては嘆くことも、悲しむことも、ましてや大声で叫ぶ資格などない。せいぜいファンである彼に笑顔と唄を届けるのが、利用してきた彼に対する唯一の残された道だ。

 

「今日は雨が降るなぁ。全然止まらないや....」

 

つい最近まで感じていたはずの忘れかけていた心地よい暖かさに寂しさや憎しみは癒されていく。手紙を想ううちに、また忽然とユズルへの愛おしさが蘇り、ユナは思わず小指に巻き付いた黒髪に接吻(せっぷん)した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【オマケ:ユズルの手紙を直訳した場合】

 ユナへ。この手紙を貰ってほしい理由は一つだけです。その理由は、僕はユナが好きだということです。勿論初めて会った時から好きでした。今でも好きです。その他に何も言いません。

 僕は世間のプレイヤーの言う通り、悪評と悪いウワサの絶えない人物であり、フレンド登録や約束をした二人に身の危険を感じて勝手に登録を消してしまいました。それはそうと、届くか届かなくてもユナに身勝手な気持ちを押し付けてはいけないと思い、連絡しました。

 世間では僕の方を何と貶しても構わない。世間では見た目や身分の見境なく結婚を申し込めるくらいに男女は気兼ねなく会える関係ではあります。しかし、僕はそれができる勇気はない。世間もユナを崇拝してできない。お互いにできない時点で、世間の人間より僕の方が余程うぬぼれた愚かな恋と自覚しています。

 とにかく叶わない恋としても僕はユナの口から飾り気のない返事を聴きたいと思っています。例え仲間と呼べる関係では無くなっても、互いにノーチラスやユナと生き抜くと誓った約束は護りぬきます。貴方のファン一号:ユズル

 




本作のラストの展開に悩んでしまいました。

そこで原作死亡キャラであるヒースクリフを生存させるか、アンケートを取ります。どちらを選ぼうとも物語の展開に軽いバタフライ効果が発生するだけです。

お時間があればよろしくお願いします( ^^) _


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21話 住所:第七四層地、大樹上の家

2024年10月10日

 

現実世界で十月に入っても冬に向けた肌寒い風が続く。ある研究室にはガラスの容器に充満した水溶液に浸されている人骨や内臓を翠色の光で照らし晒す。そこに眼鏡をかけた男性はキーボードに無数の記号を打ち鳴らした。画面に映るプレイヤー達は些細な揉め事で切り合いとなる殺伐とした場面にも口角を歪めて奇妙な笑みすら浮かべる。

 

「馬鹿な奴らだよなぁ。このゲームの仕組みも何も知らずに殺し合うなんて、滑稽だよぅ、滑稽」

 

ソードアート・オンラインは第七四層に到達するも既に五千人もの人を失った。しかし、男は気にも求めず恍惚とした表情で容器を頬ずる。全ての臓器はゲームで亡くなったプレイヤーの一部だ。この容器に入った内臓は医療の発展の為に、病院と科学者が連携し、表向きは社会貢献として保存されている。

 

要は死亡とした時点で臓器の使用権を破棄とし、医師や科学者からすれば実際は政府公認で無尽蔵に使用を許された研究材料。建前上では、治療目的な研究をしなければ、多くの人の命を救えなくなるからだ。科学者からすればこれらを金よりも価値のある存在。しかし、眼鏡の男は鑑賞しても愉悦感を与え、壊しても征服感を満たす道具としか認識していない。

 

「これだけあれば何でもできる!これで僕は現実世界でも仮想世界でも神に等しい人間になれる!!あぁ、すごくすごくすごすごごいごいごいごい、いぃぃぃぃい!!」

 

まるで、自分を中心に宇宙が回っている様な錯覚に陥る。βテスターの試運転を終えても、なお残ったALOの未完成部分は、SAOを作った茅場のゲームシステムをコピーし、ハッキングしたカーディナルの一部を連結させて実装させた。眺めているだけで全てが上手くいく様子に湧き上がる感情を我慢せずに表出させた。

 

「くはははは!....いや、これは違うな。ギャハハハ!!あぁ、これだ、これだぁ!ギャハハハハ!!ギャハハハハハ!!!」

 

身体を反らし、けたたましい悲鳴を研究室に響かせる。熱のこもった目であざ笑い、眼鏡の男は絶頂に身を震わせた。喜怒哀楽を抑えず、何の兆しもなく、それを当たり前に受け入れる人間の純粋な狂気。清潔感ある白の研究室により冷たい冷気を染み渡された。

 

 

2024年10月18日

 

主街区の人里離れた第七四層の大樹上になぜだかポツンと存在する一軒家。高所に建築された木製のツリーハウスは縄に支え、木板を土台に建設されている。そこには、どんな人物がどんな理由で暮らしているのか。

突風でツリーハウスは揺れるも、先住民のユズルは気にも求めずモンスターの再出現する傾向を観測していた。まさか最上層の大樹にプレイヤーが住んでいるとは誰も思わない。モンスター達はプレイヤーのいないありのままの暮らしを謳歌する。個々の異なるモンスター同士が触れ合う姿から観察を始めたことだ。しかしホロキーボードを片手に興味本位でモンスターの生態を観測するうちにユズルはある疑問を持つ。

 

「どうも同じモンスターなのに、集団で動くものと個々で動くものの差が見られるな。芝生に寝転んでいるし、あっちは岩の上で丸くなっている」

 

本来はあり得ないことだ。本来VRMMORPGのゼロとイチの細かいプログラムを合わせた集合体、云わばモンスターをプレイヤーは倒していく。調べるほど同じモンスターであるに個々に独自のプログラムを搭載している行動。この違いはNPCより大きな誤差を生じていた。

 

「あまりにも統一性がないな....NPCよりも柔軟に動いているから独自に成長するモンスターなのか?もしくはそうプログラミングされているか。それにしては、非効率な動きだな」

 

観測した情報を用紙にまとめていく。このゲームはカーディナルというプログラムに管理を一任している。ならカーディナルに優秀な人工AIを搭載しているのか。それともカーディナルに何か不具合をきたしているのか。初めての気づきにどう受け止めてよいか分からなくってきた。調べるほど新しい情報の発見に脳が痒くなってしまいそうだ。

 

「気分を変えて狩りでもしてくるか」

 

ほぼ上空の建造物から縄や短刀を使い、スルスルと降りていく。半分まで降りてきた所で普段とは違うモンスターの気配に反応した。ユズルは短刀を大樹に突き刺して足掛けの代わりにする。気配のする方向には赤い目をした白兎―――名前は『ラグー・ラビット』。戦闘能力は皆無だが、高い俊敏性と広い索敵範囲を持つモンスターだ。特にドロップする≪ラグー・ラビットの肉≫は最高級の食材として噂だけ独り歩きをしている。

 

ユズルは短刀に縄を括り付けて上半身を安定される。音を立てぬようにゆっくりと近づいていく。間合いに詰めてもユズルは、まだ、まだ遠いと感じていた。まだ近づかなければならぬ幾重の(もや)が正常な判断を邪魔した。装備してあるピックを取り出して、上空から放つ。

 手から離れた銀針は『ラグー・ラビット』に突き刺さる。やがて、ポリゴンの欠片となったと同時に≪ラグー・ラビットの肉≫入手を確認した。

 

「よし!今日は運がいいな」

 

――アイテムを入手してから気づいた。既にアイテム容量は一杯になっていたのです。

 

しばらく商人の仕事に精を出したアイテムストレージに売れ残った商品を整理したくなってきた。ユズルは知り合いに同じ商人となったプレイヤーを思い出す。二年以上会っていないが、旧交を温める意味も含めて行きたくなった。まだ、夕刻に近いも転移門まで移動する。

 

 

 情報屋から商人となった知り合いのプレイヤーに会いに、第五十層≪アルゲート≫にくるも、すぐに帰りたくなる治安の悪さに驚いた。街はかなり雑然とした作りで迷路にように入り組んでいる。また怪しげな店も多く、異様な極彩色を放つ。大通りは整えていない無精ひげを生やした男や高級な鎧を身に固めたプレイヤーの軍団で固まっている。また化粧や服装の派手な女性がスカートから程よく肉付きのいい生足をチラつかせて誘惑し、男性に声をかけて派手な色彩をした看板板の店に連れ込まれてしまう場所だ。

 

大通りを通らずに迷いやすい小道を選び、目的の場所まで向かっていく。目的の店に着くと店外からの影で他のプレイヤーと髪の無い頭のプレイヤーが何か交渉する様子が見えた。ならず者の集まりやすい≪アルゲート≫に合わせて黒い木壁で合わせた家は見事に調和している。傍から見れば汚らしくても仕方のないだろう。街に合った造りではなくも、まだ自作の移動式マイホームの方が良いと思っていた。

 

「まいどあり~」

 

プレイヤーが店を出るとき肩を落としていくプレイヤーを哀れと見るも同情はしない。なぜなら、第七四層まで進めば、熟練度の高い【装備鑑定】【道具鑑定】【買取交渉】【売却交渉】を持つ相手との取引になる。全てとは言わず、自分も得意分野で一つは取っていなければ不利な取引になりやすい。ユズルはすれ違うプレイヤーに道を譲る。入店の前に周囲の確認をしたところで、木製のドアノブをひねった。

 

「こんにちは~」

「いらっしゃい。今日はどんな用事だ?」

「いや、エギルが店を開いていると聞いてね。知り合いなら顔を出そうと来ただけだよ」

「知り合い?悪いが、お前とはどこかで会ったか?」

「そうだった。フードを取らないと分からなかったね」

 

ユズルは幻影のローブのフードだけを取り、エギルに素顔を見せる。エギルはかなり驚くと同時に「良く生きていたな」と労う言葉をかけた。実際に彼とは第一層攻略戦以外に接点は無い。だがアスナやディアベルの様に必死に叫んでいたから印象に残っていた。今までどう生きていたか話した後、ユズルは彼に交渉を仕掛けた。売却のアイテムを確認し、エギルはあるアイテムに、メニューのスワイプを止める。

 

「おい!これ、ラグー・ラビットじゃねぇか!?どうしたんだ、これ!!」

「たまたま手に入れたんだ。料理スキルもコンプリートしてるから売らないよ」

 

はっきりとユズルは言う。エギルは口惜しそうに、

 

「厚かましいと思うが、一口でいい!食わしてくれ!」

 

目を見開き、ユズルの両肩に手を置き、力強い口調で交渉する。いや、これは交渉ではない。何が何でも「食べたい」欲求に駆られている。本来は一緒に食べる予定だったのに、これでは余計に言いにくい。「はい」では同じ商人として無料で渡しては警戒されてしまう。「いいえ」では旧交を温めに来た意味を見失う。さて、どれが一番最善であるか....

 

「いいよ。一人で食べても美味しくないしね。でも条件を付けよう

この用紙に『商人』を題材に、八百字でまとめて感想を書く、のでどうだろう?」

「おいおい、それはないぜ!タダで食わしてくれないのかよ」

「『タダより高いものは無い』だ。それに商人なら無償で物を与えるなんてことはしないと思うよ?」

 

商人として心得のあるエギルはユズルの考えに同調し、ぐうと、うなだれる。実際、もしこれが交渉に関するスキルを持っていないプレイヤーであったなら、エギルは『悩む』とは無縁だった。巧みな話術で相手を推し量り、元のコルより安い相場で高い物を手に入れる商い術を繰り出すことができたであろう。それこそが、彼の商いのやり方であった。感想文の代わりに食事を交渉道具にするなど意味が分からない。

 

「例えだけど、週一か週二で投稿するパソコン小説家の人達は厳選した文字を捻りだして約五千字を目安に書いているみたいでね。八百字位ならエギルもできるよ」

「何の話をしてんだ!俺は小説家じゃねぇから八百字も書くのは大変なんだよ!」

「なら、書き終えるまで作らないで待っているよ。だから頑張れ~」

 

差し出された用紙に文字を殴り書き、スキンヘッドの頭を掻く。時々、エギルにラジオ代わりの与太話をしながら原稿を貰う待ちの姿勢を保つ。店内はやや冷んやりとするも、寒くはない。ユズルは自作のコーヒーを準備し、丸いガラスに水泡の淹れる小気味良い泡音をなびかせる。店内にコーヒーをドロップするときの湯気と共に何とも言えない香りが充満した。

 

 

コーヒーをエギルに差し出した時に鈴の音が響き渡る。突然の来訪者に慌ててフードを被った。白と赤を基準にした血盟騎士団衣装のアスナとノーチラスが入店してくる。ユズルは何食わぬ顔と姿勢で彼らの視線を合わせぬようにした。

 

「こんにちは、エギルさん。最近の景気はどうですか?」

「まあ、ぼちぼちだな。いい時もあれば悪い時もあるぞ。二人は何だ?デートか?」

「からかうなよ....ただの見回りの仕事。副団長の護衛も兼ねて同席しているだけだ」

「なんだ、なんだ。血盟騎士団は治安維持の仕事もしてるのか?」

 

確かに≪アルゲート≫は大人の遊戯や飲み場を求めて金を吐き出す所でもある。悪く言えば品の無い街。しかし、攻略でコルを持った、欲を溜めたプレイヤーは集まりやすい。酒や美女・美男子を求めて集まる≪アルゲート≫はマニアックな情報を集めやすい分、プレイヤー同士の喧嘩が絶えない場所だ。

 

普段から治安維持を監督している¨アインクラッド解放軍¨では争い事が起きても止められない。攻略組随一の¨血盟騎士団¨の衣装を纏えばそれだけで抑止力になるか。争い事でも力ずくで納められるからか。いずれにせよ、落ち着く場所でないことは確かだ。

 

「すみません、ちょっと伺ってもいいですか」

「....あぁ、どうかしました?」

「(人違いだったかな)いいえ、知り合いかと思ったもので」

 

アスナは不審に顔を覗かせる。むろん気まぐれではない。どこか知り合いの様な雰囲気を醸し出す黒フードの人物に、彼女の勘は「知り合い」と断定していた。詰問とは程遠い柔らかい口調ではあるも、それでもアスナは、言外に正体を知ろうと話し合いと同時に圧力をかける。それに見かねたノーチラスは凛と、低い声でアスナを制止する。肩に手を置き、アスナを真っ直ぐに見据えていた。

 

「副団長――それ以上は尋問だ。いくら何でも見過ごせない」

「いえ、そんなつもりは無かったんだけど....ごめんなさい。言いすぎちゃった」

 

だが、時すでに遅かった。アスナという有名人を一目見ようといつの間にか、店外の人だかりが覗き見していた。いくら「黒いフードの怪しい見た目だから悪い人だ」と仮定していても初対面で質問攻めをされては、誰でも気分を悪くしてしまうだろう。ましてや、とばっちりで集団に見世物扱いは腹ただしいものだ。

 

「済まないな。気を悪くしないで――」

 

ノーチラスは黒いフードのある部分に目を見開く。わずかばかりに指先も震え、止まるのを待ってから、彼は押し黙ってしまう。誰が見ても極端すぎる豹変だった。アスナ目当てで集まったプレイヤーの人払いを済まし、店のドアを閉め、再び周囲を見回してから訊ねた。

 

「お前....もしかしてユズルか?」

「うん。久しぶりだね、ノーチラス」

 

ふわりとフードを取り、顔を見せる。ノーチラスは一年ぶりの再会になるも素直に喜べなかった。第四十層撤退作戦に一人を残して離脱した謝罪か。そもそも生きていたことに対する喜びか。ノーチラスの諸々の想念で上手くユズルに伝えきれなかった。

アスナは二年ぶりとなるも、たった今まで、攻略組さながらの威圧感でまくしたてていた彼女は、ノーチラスに嗜まれるや否や、バツの悪そうに目を伏せてしまう。項垂れるアスナと戸惑うノーチラス。清濁を含む雰囲気に出来立てのコーヒーを注ぎながら話を切り出す。

 

「ところで....何で分かったの?」

「左手の小指に巻き付いた髪の毛だ。認識阻害の装備をしていてもそれで分かった」

「それでか....そう言えば、認識阻害の装備は話していたか?」

「いや、ユナから聞いた。団長や情報屋でも出現情報を集められないから、こうして会えたのは本当に偶然だな」

 

一通りの話し合い後はカウンター席に並び、淹れ立てのコーヒーを嚥下する。酸味の少ないコクのある香り。五分間に及ぶ人間達の沈黙は、エギルの乱入で終わった。

 

「やっと書き終えたぞ!さあ、食べさせてくれよ」

「了解。そうだ!二人とも空いてれば、料理を食べていかないか。今日の献立はシーザーサラダとコーンスープ。メインはラグー・ラビットのシチューだ――味は保証しよう」

 

思いつきの提案にエギルの悲壮感溢れる顔を無視し、ユズルは台所の奥へと姿を消した。

 




急なアンケート調査でしたが、お答え頂きありがとうございます。

 圧倒的に『生存』の意見が多く出ました。その方向で執筆の指標にさせて頂きます!!

お陰様でアンチ・ヘイトの展開を2・3個減らし、コメディ要素を増やす事ができました。

というのも、作風の関係でどうしてもキャラを心理的に追い詰める描写になってしまう分、原作キャラでもリタイアしてしまわなければ『ご都合主義』と捉えてしまいがちになります。

今後とも、迷う場面に急なアンケートを取る可能性はありますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


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22話 仮想世界の闇

今回、アンチ・ヘイト要素があります。ご注意下さい。

また、二の部分は面倒くさいと思ったら読まなくても差し支えありません。ただ、アンチ・ヘイトになったキッカケを具体的に書いた内容となっています。


2024年10月18日

 

真新しい商売店のキッチンからまな板を取り出し、食材を小気味よく切っていく。唐突に高級食材の≪ラグー・ラビットの肉≫をシチューという家庭料理の具にするのは、傍からはいささか勿体ない気もするだろう。しかし、これには確かな理由があった。この寒い店内で暖かい食べ物は最高の馳走になる。また、高級食材から滲み溢れるウサギの肉汁は他の具材とよく絡み、味を引き締める。現実世界であれば必要な栄養素と食材を無駄無く味わえるシチューはある意味、愛ある料理だろう。

 

銀色の鍋に一口大のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎをグツグツと煮込む。とろりと溶けた肉の油が鼻腔を刺激する。あっさりとした副食のシーザーサラダは食欲を促し、こってりとしたシチューの和え物に丁度いい。コーンを水で煮詰めたスープを一対一の割合で調合すれば、口に残ったサラダのドレッシングやシチューの刺激を柔らかくし、シチューの香り立ちを引き立たせる。ユズルは「夕食としては申し分ないだろう」と四人分の皿に盛りつけていく。

 

「お待たせ~。できたよー」

 

数分後のカウンター席にブラウン色のシチューやコーンスープにシーザーサラダの夕食が並ぶ。四人はお互いに「いただきます」と言い、食べ始める。かつて味わったどんなシチューよりも素晴らしい逸品だった。濃厚かつ洗礼。繊細で上質な肉。味覚の強烈な感覚に聴覚は消し飛び、味覚と嗅覚しか感じないほどであった。

 

「「「「(美味い!!)」」」」」」

 

この場は一言も話さず、モキュモキュと口の中で味わう。本当に美味しい料理は口を黙らすというのは本当でした。

 

 

皿の半分を食べ終え、シチューの味に胃も慣れた段階でアスナは口を切り出す。彼女もまた、変に気を遣わない食本来の味を楽しむ食卓を囲むのは久しぶりだった。

 

「こうしていると、ここが現実に思えてくるわ。なんだか、ずっと前からここにいるみたいな気がする....最近は、現実でどう過ごしていたか思い出せない時もあるし」

「全くだ....たまに現実のことを思い出さない時もある。かなり焦るけど、攻略会議も前みたいな緊張感も無い当たり――現実かそうでないかの境界線が曖昧になっている感じなんだよな」

 

 ソードアート・オンラインが『デスゲーム』とはいえ、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感すべてを体感して遊べる仮想現実大規模多人数オンラインゲーム。五感の刺激は見たり聞いたり、鼻で嗅ぎ、味わう感性で人の悩みや苦しみを起こす。現実世界で味わう五感を体感すれば、線引きもできなくなるだろう。

 

「確かに――皆この世界に慣れ始めているのかな....これが仮想世界の闇なのかね」

「俺はなるべく早く帰って嫁を安心させてやりたいな。ずっと店を任せているし、戻って負担を軽くしてやりたいからな」

「「え!エギル(さん)って結婚してるの!?」」

 

アスナとノーチラスの感傷を吹き飛ばすエギルの爆弾発言に身を乗り出す。今日一番の驚き具合に「そんなに驚くな!!」とエギルは軽く叫ぶ。咳払いをし、話題を反らす。

 

「まあ、実際攻略のペースも落ち始めているよな――最前線で戦っているプレイヤーの大半は覇気を感じない連中ばかりだ――本当に現実に帰りたいかも分からなくなっている」

 

第一層から攻略組に関わっているエギルの言葉に、ノーチラスとアスナは顔を曇らせる。思い当たる節があるのだ。副団長などの肩書きに大きな局限はないにも関わらず、それを目指そうとするプレイヤーがいた。他のギルドでより名声を上げようと攻略を進めようとするプレイヤーもいた。その人達を見てきた二人は『現実世界に戻りたい』という意思から離れている言動に迷いを持っていたのだ。

 

「僕は帰りたいかな。他のプレイヤーと¨三人で生還する¨って約束…ノーチラスやユナと¨生き残る¨って約束を護りたいからね」

 

 はっきりというユズルに、ノーチラスは「生還する約束?」に反応する。そう言えば、彼らとは別にもう一つ約束をしている話はしていなかった。ユズルは「生き残る」以外にもう一つ、別のプレイヤーとしていた約束事を話す。やがて、剣を交差して宣言した辺りでエギルは興味深い目をして訊ねた。

 

「ほう…そのプレイヤーって言うのは――キリトとクラインか?」

「そうだけど――エギル、良く知っているね」

「結構有名な話だぞ。俺もたった今、気づいたけどな。『始まりの街の暗い路道で三人の剣士が生還を誓い合った』って話だ。ただ、それをしたプレイヤーは¨キリト¨と¨クライン¨って言うのは分かっているが、もう一人は分からないままなそうだぞ」

 

称賛を含めた朗らかな口調で語る。

 第一層から攻略組として活躍し、黒猫のような身軽さで戦場を駆け回る黒の剣士キリト。【風林火山】のリーダーであり、味方の死者を抑えた堅実な守りの作戦を得意とするクライン。この二人の活躍から身元調査をしている内に広まった逸話だそうだ。

 

有名な逸話になっているにも関わらず、あまり気分のいい話ではない。なぜなら表向きで二人と距離を置いていた意味を見失うからだ。しかしながら、¨ユズル¨と繋がりを持っている情報は無い分、二人にヘイトを被せる心配は無い事実に安堵する自分がいた。

 

「他言無用で頼むよ――二人を危険に晒したくないから....」

「分かってる――ユズル、一応聞くが、お替わりできるか?」

「量としては一人一杯までならできるよ――それとも残すつもりか?」

「冗談言うな。こんな美味しいもんを残せるか」

「それなら、私もお代わりしようかな。こんな機会はないしね」

「俺もお腹いっぱい食べたいぞ」

「僕もお替りしたいから残しておいてね」

 

エギルを先頭に、アスナ、ノーチラスの順番にお替わりをしに席を立つ。やがて、ユズルの順番となる。意気揚々とシチューの蓋を開けた先には、具の入っていないスープの存在だった。何もない空虚な鍋から発散される底冷えした感覚に支配される。三人に問いかける言葉も自然と低く、虚ろな声で発した。

 

「....ねえ、なんで具が無いの....」

 

エギルは無言でシチューの具をかき込む。

 

「....ねえ、なんで....」

 

 アスナは皿を持ったまま顔を背け、ノーチラスは全身を窓に向けてシチューを食べている。この人達は、他人を思いやる秩序よりも高級食材を食べきる欲望を優先しやがった。仮想世界で人の心を持ち合わせていない様に人の手も持ち合わせていないのか。誰も見ていないとユズルは傷つき、涙ぐむ顔を奥に引っ込め、冷淡なかぶりを被った。

 

「そうか、そうか。君たちはそういう人達なんだね。前言撤回――この場で食事をしている人達が仮想世界の闇だったよ」

「ユズルくんのシチューがあんまりにも美味しくてつい....ね、ノーチラス君!」

「俺に振るなよ。何気に一番肉を狙っていただろ、入れる時にはほぼ野菜だったぞ」

「....もういいよ。過ぎたことは忘れるから」

 

自虐心を吐露し、不貞腐れる。あからさまに見下した、凍てついた眼差しとさえいえる視線を食べている三人に注ぐユズルと、その凍り付いた視線をつまみに暖かいシチューを食べる三人の様は、傍から見ると愉悦を感じる光景とさえ思える。

 

 

事件の全貌をご覧入れよう。

 この混沌とした状況はエギルの策略だ。一番先頭だった彼は、鍋をかき回す時に『何個肉があるか』を確認していた。合計十四個の内の半分を皿に入れる。後は誰よりも先に肉を食べておけば「これだけしかよそっていない」風に誤魔化せるからだ。

 次にアスナは鍋の肉は合計七個と確認し、その内の四個を皿に入れた。これで次に控えているノーチラスとユズルは二個ずつ食べることができる。そう考えた。しかし彼女はかき混ぜた鍋に一つだけ余分に取った事実に気付かなかった。

そして、ノーチラスは鍋をかき混ぜずに浮いた三つの肉を取る。彼もまた、肉は底に沈んでいる、と思い違いをしていた。護衛の疲れでお腹いっぱい食べたい。食欲に抗わずにシチューの浮いていた少ない野菜を全て皿に移した。

お分かり頂けただろうか。これによって最後のユズルにシチューの具は何も残っていない結果となった。犯人のエギルは証拠を胃の中に隠し、何食わぬ顔で皿を洗っている。これで事件は迷宮入りだ。

 

 

言い逃れる言葉を失い、シチューを食べ終えたアスナはどうフォローをいれるか思考を巡らせる。ノーチラスも声をかけようとすれば、アスナは制止する。彼女の眼差しに何かを決意した感情が込められているような感覚を読み取った。

 

「実は、明日第七四層の迷宮区を探索しようって話だけどユズルくんも一緒にどうかな?」

「....行きたいけど――迷惑にならない?」

「迷惑なんてことはないわ。皆ユズルくんの事情を知っているもの。来てくれれば喜んでくれるわ」

 

僅かな沈黙の隙を逃さぬとばかりに言を重ねるアスナ。そんな彼女をユズルは軽く睨む。仮想世界で何度も経験した裏切りと似た感覚に彼はなんとも不愉快だった。何を言われても悪口にしか聞こえない。ノーチラスはそんな彼に、

 

「そうだぞ――メンバーは俺と副団長にユナとキリトを誘っている。キリトとも知り合いなら気負いしなくていいだろ。探索と言っても迷宮区のマッピングを済ませるだけだしな」

 

 ユズルからすれば魅力的なお誘いだ。ずっと前から仮想世界で叶えたかった夢。誰かと一緒に話をして過ごし、誰かとモンスターの倒し方を話し合う狩りをする。誰もが当たり前にしている日常――それこそがユズルの望んでいた¨ソードアート・オンライン¨というものだった。かぶりを取ったユズルは改めてメニュー画面を開き、次の日付にスケジュール表を指さす。

 

「誘ってくれてありがとう。行くけど――何時にどこに集まる予定なの?」

「第七四層のカームデット主街区――転移門広場の前よ。時間は午前の訓練を終えてからだから、11時かな」

 

手早くスケジュール表に書き込む。シチューを食べられたことも些細に感じるほど、抑えきれない嬉しさが、ユズルの心から湧いて出ていた。

 

「分かった....ありがとう、アスナ、ノーチラス」

「…ええ、また明日ね、ユズルくん」

「おう、遅刻するなよ」

 

 普段から疑心暗鬼になっている自分に久しぶりに会えた仲間からのお誘いに、このときばかりは仲間との繋がりを感じ、ユズルはより明日が待ち遠しく感じた。

 

 

 エギルの店を後にし、川の流れる茶色い石橋にノーチラスとアスナは、街灯に切り替わりつつある面で居並んでいた。灯りで鱗のように輝き、それを眺めるノーチラス。横顔をチラリと見ながら、石橋を背に上空の星を見上げるアスナ。彼に尋ねる口調に、多少の怒気と皮肉を混ぜた言い分を投げかける。

 

――まさか自分の提案にノーチラスが乗るとは思わなかった。

 

ユズルの心情の流れからでも、何も言わなければ『断る』雰囲気だったからだ。

 

「つい、誘ったけど....ユズルくんを一緒に連れて本当によかったの?」

「アスナが言わなかったら――自分から誘ってたよ。ユナの為にね」

「でも分からないな。ユナちゃんのこと、ずっと好きだったんでしょ。何で二人が結ばれるような手伝いを?」

「幼馴染だからかな。ずっと近くで見続けていたからこそ....分かっただけだよ。ユナがアイツに本気で惚れているってね」

 

 初めてユズルと出会った日から衝撃的な別れ方をして一年。ユナは劇的に変わった。常に安定して厳しい支援物資のノルマをクリアし、空いた時間も独自で経験値を稼いでいた。唄の活動も加えたオーバーワークになりかねない仕事量にも弱音を吐かずに続けた彼女。今では攻略組にいても恥じない戦闘センスを持つプレイヤーだ。自分の知る「か弱く、守ってあげたい」彼女はどこにもいない。ここまで、「強くなってやる」と決意したのは、彼の影響もあるだろう。自分では彼女を心まで支えられず、幸せにできないと感じたまでだ。

 

「やっぱり――私には分からない。本気で好きになった人なら諦めきれないはずよ」

「本気で好きだからだよ。ユズルと初めてあった時、ユナのあれほど笑っている顔やあれほど怒った顔は見たことが無かった。その日からずっと気にしていたけど――あれは、惚れている感じだったからな。ユナには幸せになってほしいだけだよ」

「....いいわ、私も手伝う。でもね、ノーチラス君。我慢だけはしなくていい――私はいつでも貴方の味方だからね」

 

アスナはそれだけ言い、一人で転移門まで歩いて行く。茶色いレンガ橋と薄い街灯に一人で佇むノーチラス。彼の頬をつたい、雨粒を一つ一つ落としていく。川の水面にゆっくりと小さい水泡を生み出す。水面に少しの間だけ浮かぶ泡はすぐに消えた。

 

「ありがとう....アスナ」

 

 いつも大人のように振る舞っていたはずの彼が、今は子どものように枯れるまで流した。一年以上も一人の女性を想い続けた青年の結末。彼の嗚咽と涙の中で…思い出だけが鮮明に笑い語る。これは、血盟騎士団の副団長とその付き人のみが知る恋水(れいすい)の物語。

 

 

2024年10月19日

 

 その日はいつもより入念に準備をしていた。今日は、仮想世界で初めて仲間と探索をする日なのだ。浮足立つのも仕方ない。アスナからは「11時に集合」と言われていたが、ユズルはそれよりも早く待ち合わせ場所に着こうとしていた。現在時刻9時50分――

 

「これは早く来すぎたかな」

 

第七四層のマイホームから徒歩で行けば予定より一時間も早く待ち合わせ場所に着いてしまう。やせた山と岩に囲まれた殺風景な風景は、あまり長居できそうでない。しかしながら、石造りのレストランには新作のデザートを多種多様に揃えている。時間が有れば訪ねたい場所だ。しかし今日の自分は目的が違う。待ち時間は読書で時間を潰そうとした。

 

転移門広場の辺りに着いた時、予想外の出来事に困惑した。遠目からでも分かる。転移門広場のベンチに白いフードを被ったユナが腰かけていた。凛とした姿勢に深く被ったフード。一人で佇むその姿は一種の花がある。約束の時間まで一時間もあるにユナが待ち合わせ場所にいるのは違和感があった。

 

「あれ、なんでこんなに早くいるんだろう」

 

一瞬だけ戸惑うも、誘われているメンバーの彼女を一人で待たせるわけにはいかない。気づいてしまった以上はユナを放っておくわけにはいかない。そのまま早歩きでユナに駆け寄る。黒いフードの人物が駆け寄る際に、一瞬だけ彼女は自分に近寄ってくる存在に怯えたように身を竦めてしまう。数秒間の沈黙。何かに気付いたユナは赤らめた頬をフードで隠し、とっさに唇を結ぶ。

 

「久しぶり、ユナ。待ち合わせ時間は11時って聞いていたけど....もしかして僕が待ち合わせ時間を間違えていた?」

「ううん、間違えてないよ。私も早く着いちゃっただけだから....本当に久しぶり、ユズル」

 

 

【解説】

・恋水:愛しさのために流れ出る涙。恋の涙。

 




次回は原作「キリトvsグラディエール」のような修羅場な展開が書ければいいな、と思っています。お楽しみください(^^)!




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23話 偶像の問答

2024年10月19日

 

そよ風に吹かれてどこからかダンブルフィードと呼ぶ、砂漠地帯に生える枯れた雑草がコロコロと転がる。灰色の石垣造りに木製のベンチに座る白装束のユナは、より可憐さが一段と目立つ。しばらくの間、ユナの隣に座るユズル。いつもながら変装用に全身を覆い隠せる白いフード付きコートを身に着けている。だが、心なしか髪色は艶のある新しさに見ほれた。

 

「どこか雰囲気変わったね。何となくだけど、髪色とか編み込みが変わった気がする」

「気づいた?実は仕事が忙しくて手直しする余裕も無くてね。昨日、染めたばかりなんだよ」

「そうなんだ。その髪色、良く似合ってるよ」

 

再び染め直した髪に、そう言うのは変かもしれない。満更でもないか網目の髪をいじりながらユナは頬を赤くする。実際にこうして会うのはユナにも言われたが、本当に久しぶりだ。彼女が有名人になるまでは歌詞や原曲について語り合い、唄を独り占めしていた頃は、今は遠い昔になる。ユズルがそんな思いを噛みしめているとは知らず、ユナは穏やかな顔でつぶやく。

 

「ユズルはさ....手紙を書いてくれたよね。初めにくれた日から毎月一回は送ってくれたでしょ。普通は書かないと思うけど....何でかな?」

「偶然ユナのライブを見た時――どこか元気のないような感じがしてね。急に心配になったからだよ。もしかして、迷惑だった?」

「迷惑なんてことない――本当に嬉しかったよ」

 

 弾み具合の声色のユナに、ユズルは安堵する。自分から始めた文通であるも、諦めていた所もあった。友達感覚で交流をしていたから、つい、有名になる前の対等な立場を前提に書いた手紙だ。それを「嬉しい」と言われてしまえば、男としてこれほど喜ばしいことは無い。

 

「本当は私も送り返したかった。けど、ユズルって幻影のローブを着けているから情報屋でも居場所が分からないから…どうしようかなって思ったの」

 

淡く聞こえる声に、ユナはメニュー画面を開く。円形上の小さな音楽機を取り出した。

 

「だからかな。手紙を貰った日だけに書いてみた…歌詞と音源を合わせたオリジナルの曲を作ってみたの。手紙で気持ちを伝えるなら、私は音楽で気持ちを伝えるってね…会った時に聴いてもらう為の――私の新曲よ。良ければ、一緒に聴こう?」

「凄く楽しみだな。ユナの感想も聞きたいし――一緒に聴くよ」

 

ユナは右耳に、ユズルは左耳にイヤホンを入れる。お互いにイヤホンを入れたことを確認してから音楽機の再生ボタンを押す。コーラスの前曲から始まった静寂で低音な旋律、Aメロは力強く言い切る声。Bメロはどこか願うような声。サビはユナの得意とするビブラートを伸ばす所をさらに伸ばしていく唄だった。

 

「一瞬でこの世界に引き込まれそうな唄だよ。歌詞にタイトルはあるの?」

「この唄の名前は『longing』――¨憧れる¨とか¨切望の¨って意味を込めているの」

 

誇らしげにいうユナに、ユズルはさらに埋もれていく。

 

「後半になってくるにつれて、一番と意味合いが違って聞こえる....前半は、こう....『自分の力で何とかしてやる』って感じなのに、後半は『何とかができなくて、諦めても新しい何かがある』みたいな意味合いを感じるね」

「....うん。このゲームが始まった時は、皆が絶望していたと思うの。でも、皆が生還を願い、憧れた時があった――願いを叶えられなくてもそれは終わりじゃない。なんだが、そんな人達を励ましたくてね」

 

ユナは左手で右頬を添え、身体を右に傾けて瞳を閉じる。ユズルはベンチに深く腰掛け、身体を左に傾けて薄目となる。ここは片耳のイヤホン越しに隣で歌う人物も同じ音楽を共有する小さなライブ会場のようだ。

 

 ユナのファンの多くの人は壇上から歌う彼女の声と美しさを覚え、様々な想像を巡らしているだろう。しかし彼らの誰も、ユナの実像を知らない。ユナが感情に乗せて唄を作っていること、どの様な気持ちを秘めて歌っているか。木製のベンチに座る二人だけの空間に彼女の横顔と唄を知っているのは自分だけだ。ユナの最高のプレゼントに「ありがとう」と言うも、彼女の寂し気な顔に「どういたしまして」は、やけに儚げだった。

 

 

石造りの平地に微かに吹きこぼれる砂粒に肌のひっつく感じも気にしない。『longing』の次の音楽が流れ始めても、二人は夢のなかにいた。もう、何分経ったか、何時間たったのか覚えていない。ベンチに深く腰掛けていると、ユズルは軽く上半身を上げ、それと共にゆっくりと目を開く。

 

「そう言えば、ユナ。歌を聞いて気づいたけど『longing』って――」

「きゅるるっ!!」

 

言葉を遮る様に上空からシャーベットカラーの綿毛を乱した小さなドラゴンの乱入。突然の登場にユナも驚き、ほんの少しだけ後ずさる。数か月前に会ったフェザーリドラのピナと分かれば、ユズルは持ち主を探しに辺りを見渡す。見つかるもユズルはすぐに他人のフリをしたくなった。

 

「こらーピナ!どこにいるの~。早く来ないとお風呂で直接ドライヤーをかけちゃうよ!」

 

街の真ん中で堂々と動物虐待をほのめかす危ない少女。先ほどまでのんびりとした、夢心地な時間を吹き飛ばすには十分だ。肝心のピナといえばユズルとユナの間に挟まり、器用に丸くなっていた。白と黒のローブに重なり、全身を隠したつもりでも毛先の羽が少しはみだしたままだ。それに気づいた少女、シリカはツインテールの髪を揺らしながら近づく。

 

「どうもありがとござ――あ!貴方は!!」

 

大声で名前を呼びそうになるシリカの口を慌てて手で抑える。ここで叫ばれては目立ちすぎてしまう。周囲の確認をしてから手を離す。声を潜めて耳元の近くで囁いた。

 

「気を付けて。この場に居られなくなるんだから…それよりも良く分かったね」

「どうもすみません、ユズルさん。それはピナがユズルさんの匂いを覚えていたからですね。三日間同じベッドで寝た時に覚えたんですよ――ピナは安心できない人には近づきませんから」

 

つまりピナはシリカに安心できないから逃げてきたのか。主としてそれはどうかと、若干の不安があるも、敢えて言及せずに飲み込む。正直に言えば、ユズルは待ち合わせをしている三人が来る前にシリカとは別れておきたかった。しかしシリカはさらに話題を膨らませるより先に、ユナは探るような口調で言う。

 

「....ねえ、ユズル。この子、誰?」

「あぁ。この子はシリカ。【竜使い】とか【ビーストテイマー】と呼ばれている子だよ」

「シリカです。よろしくお願いします」

 

仰々しく挨拶をするシリカに、彼女の素面を思い出す。気の短く、挑発に弱い。気に入らないプレイヤーには噛みつき、引き千切れるまで離さないだろう少女だ。ユズルは【狂犬】の二つ名も似合うと思うも、他の呼ばれ方が定着している辺り、あの様子は普段から見せている訳ではないのだろう。思い出し笑いをしているユズルに満面の笑顔で挨拶をしたシリカは、白いフードで半ば隠しているユナの顔を不躾に覗きこむ。

 

「ユズルさん。この方は?」

「有名人だから大声出さないようにね。この子は――」

「私はユナよ。よろしくね、シリカちゃん」

 

ユズルの声を遮るように、ユナは自己紹介をした。ほんの些細な変化であるもフード越しの彼女の顔は青白い気がした。ユナの身体を支えながら、背中に手をあてる。

 

「ユナ?....ユナ、大丈夫か。具合が悪そうだけど少し疲れた?」

「....ううん、大丈夫。ちょっと驚いただけ」

 

ユナの背中をユズルはゆっくりと擦る。顔色も大分戻ってきた時に手を離す。シリカはその様子に「休める所なら近くのレストランがいいです。案内しますよ」と言う。ユズルも付いてこうならば『ユナさんと二人で話をしたい』と断られてしまい、ピナの面倒を見ることとなった。

 

 

待ち時間まで「ユナと話をしたい」と言うシリカは二人で新作のデザートを食べに、灰色の石に積まれたレストランの店内に消える。急に一人になったユズルは、言いそびれたユナの新曲である『longing』の意味や歌詞に込められた思いについて耽っていた。

 

――『longing』の意味。形容詞ではユナの話した通り「切望の」「憧れる」という。しかし、形容詞ではなく、動詞の『long』は「切望する」から派生した語源で意味は異なってくる。直訳で、遠く離れた人に会いたい気持ちや、懐かしい場所や過去に戻りたいという痛切に感じる気持ちを表す言語だ。曲の終わりに近づくたびに、その気持ちを強く感じた。

 

デスゲームから生還したいプレイヤーの心情とはいえ、ユナはどうだろうか。作曲した彼女は、似た気持ちを体験しているのか。あの唄は自分の気持ちも乗せているのでないか。あの青白い顔を見た途端――彼女の隠れた強いストレスを感じたまでだ。

 

「考えすぎならいい――やっぱり心配だな」

 

こう何もしていない時間は、ふと思う。自分は何がしたくて何のために戦おうとしたのか。

 

――友との約束を果たす。生きて現実世界に戻るために戦う。

 

それがいつの間にか二の次になっていた。

もう分かっていた。第十一層タフトの街で初めてユナと出会い、唄を聞いた時からとっくに心に決まっていたことだ。知らなければよかったかも知れない….ずっと気づかないフリをしておけば良かったかも知れない。しかし、本当は意地っ張りで寂しがり屋の彼女を放っておけないと思ってしまった。約束よりも、彼女を手放してしまう方に『怖い』と感じてしまう。大切にしたいと思う『理由』が無くなる恐怖に耐えられる気はしなかった。

 

「はぁ、なんでこんなに好きになったのかな」

 

惚れてしまったから仕方のないといえば、そうだ。しかし、あまりにも住む世界が違う。

アインクラッドの『歌姫』や『アイドル』と呼ばれ、全てのプレイヤーの希望の象徴になっている彼女。アインクラッドの『犯罪者』や『種悪の根源』と呼ばれ、全てのプレイヤーの絶望の象徴になっている自分。

 

視界に映るプレイヤーと並べば十人中十人は「似合わない」「身分不相応」と他を選ぶ。あまりにも絶望的で許されない恋だ。せめて、せめて今日くらいは仮初の夢で構わない。最高の一日にしようと決意し、借りた音楽機でユナの音楽を聴いて過ごした。

 

 

目の前で同じ『有名人』である少女に引っ張られているユナは鬱屈としたやり場のない感傷に浸っていた。勿論、彼女が【竜使い】や【ビーストテイマー】の愛称を持つプレイヤーであり、ユズルの彼女であることは知っていた。しかし、何となく確認したかった。

先ほどまで夢を楽しんでいたのに邪魔をされたからかもしれない。だが、彼と交際しているシリカの登場に、身体は震えるも、必死に誤魔化した。

 

大人の対応で「おめでとう」の一言でも言えば、同じ有名人同士で仲良くできる。微かによぎるも…言えなかった。心の底から言う自信を持てずに楽しく話す二人を見て頭の中が真っ白になっていた。

 

茫然とし、「三日間同じベッドで寝た」と思い出した途端、ゴシップ記事を見た時と同じ…一度は収まっていたはずの吐き気や眩暈のする気怠さに襲われる。表情を隠していたに関わらず、彼は気づいて優しくしてくれた。手が背中に触れると吐き気や眩暈もなくなり、ほのかに伝わる暖かさに心は落ち着く。付き合っている少女のいる前でも、彼に甘えたいと間違えた気持ちを引っ込め、ユズルの友人としてかぶりを被った。

 

 

シリカに手を引かれ、ユナの気付いた時には石垣造りで木製の看板を携えたお店に立っていた。外装の石造りに内装はアンティーク色の木材に漆塗りの光るテーブルや椅子。それに眼をくれず、シリカは二階にある隠れ部屋の席を選ぶ。天井の僅かな隙間から明かりの差す座敷で丸いちゃぶ台の置かれた場所だ。

 

「もし時間があれば、ユナさんも何か頼みませんか?」

 

ゆったりとした口調でミルクレープケーキを一枚一枚丁寧に剥がしながらシリカは尋ねた。

 

「それなら、頼もうかな。ここのデザートも気になるしね」

 

NPCのウェイトレスにティラミスケーキをユナは頼む。ミルクレープを三枚ほど剥がした後に、皿の上でクルクルと丸めて口に運ぶシリカ。美味しそうに幸せに食べる彼女の顔は写真で見るよりも可愛らしい。注文したティラミスを食べ始めた時に、シリカはユナの顔を見ながらいう。

 

「単刀直入に聞きます。あのユズルさんとはどういう関係ですか?」

「....『あの』って、どういうこと?」ユナは聞き返す。

「ユズルさんは世間から悪く言われている方です。どうしてそんな人と一緒にいましたか」

「彼はただの友人よ。私の歌をよく聞きに来てくれるファンだからね」

「そうなんですか?ただのファンなら『犯罪者』と呼ばれている人も受け入れるものですかね」

 

 ユナは食べることに集中しようとした。しかし、まとわり付くようなシリカに、ティラミスを口に運ばず、フォークごと皿の上に置く。彼女の急な皮肉に、ユナは「違う」と言ってやりたかったが、彼の『友人』として踏み止まった。それでも手は震え、顔は怒りで火照り始める。前のめりになりかけ、握り拳を置いて足を抑えた。

 

「…ユズルはそんな人じゃないわ。いつでも自分よりも他人の事を考えている人よ。そんな人が世間の言う『犯罪者』とは到底思えない」

「でも、それは他人の事ばかり考えて、自分のことは後回しっていう人ですよね。そんな、自分の面倒もみきれない人を『ただのファン』として惑わしているってことですか」

 

いちいち神経を逆なでするシリカの言い方に、不快感すら覚える。だがこんなプレイヤーでもユズルの付き合っている女の子だ。『友人』として顔を立てているもそろそろ我慢しきれない。爪を立て指に食い込ませて痛みを与える。握りしめた拳からポキポキ骨の鳴る音も聞こえた。

 

「それは違うと思うな。自分で言うのもなんだけど、沢山のプレイヤーが聴きに来る危ない状況でも、いつでも彼は来てくれたわ。襲われる可能性が高い場所でも来てくれるファンにそういう言い方はしないで欲しいかな」

「え!?おかしい話ですね。アインクラッドにはギャンブルや手品でも隠れながら楽しめる娯楽があるのに…そんなに『依存』してユナさんを求めているんですか――『可哀そう』です」

 

『依存?』『可哀そう?』――世間の評判は最悪でも誰よりも傷つき人の痛みを知っている優しい人をそこまで愚弄するのか。まるで、自分の彼氏が他の女に夢中になっているのが面白くない言い方だ。冗談ではない。三日間も一緒に寝た『泥棒猫』の言うセリフではない。

 

スイッチで周波数を切り替えたような一オクターブ下がった低音でユナは語る。

 

「....これ以上、勝手なこと言わないでくれる....彼は――ユズルはそんな人じゃない。彼は自分の強さを他人の為に使える人よ。いつでも他人を真剣に考えられる人よ。私が悩んでいる時は何度も向き合ってくれた優しい人よ。

【竜使い】だか知らないけど――貴方には彼を任したくない。そんな風に悪く言う人を彼女と認めないわ」

 

冷たく、胸に痞えた怒りをゆっくりと暴露していく。小さく血走った目がシリカを見据える。彼女はなにも言い返さず、むしろ安心した穏やかな表情を浮かべていた。

 

「彼を、ユズルさんを¨優しい¨と言うのですね。やっぱりユナさんは噂以上の人でしたか――先に言います。失礼なことを言ってごめんなさい。ユナさんを知りたくて試しました」

 

いきなりお辞儀をし、謝るシリカに戸惑うユナ。しかし、不快な発言をすぐに許すわけにはいかない。落ち着いた口調でも睨む視線を崩さずに言う。

 

「私の事はいつから知っていたの?」

「それについてはユズルさんと出会った頃から話さないといけません」

 

それからシリカはまとめて話した。

 自分の短気で相棒であるピナを死なせてしまったこと。ピナを蘇生させるアイテムを取るのにユズルと一緒にいたこと。≪思い出の丘≫で彼の優しさに触れたこと。道中でオレンジプレイヤーに襲われたこと。ユズルと離れてから極端な経験値稼ぎをしていたこと。

 

そして、精神共に疲れ果てていた時に偶々ユナの唄を聞き、元気と勇気を貰ったこと。どれも彼女の苦渋が見え隠れする出来事だ。しかしユナは気掛かりだった。

 

「何で私を試したのかな」

「それは本当にすみません。私も色んな人から声をかけられるので、情報ではなく....実際に会ってみないと何も分かりませんでした。自分の目で確かめたかったんです――ユズルさんを心から好きと思っている人を」

 

 真剣な趣きで言うシリカ。ユズルと別れてからしばらく経ち、情報屋も通じて彼のヘイトを軽減させた少女の正体を、気負いせずとも探してはいた。その正体が¨アインクラッドの希望と呼ばれている歌姫¨と知った時は、どう受け止めればいいか分からなかった。余りにも有名な人物だったからだ。あの部分的な情報は本当の話なのか。彼を暗殺するための虚偽ではないか。実際に会って確かめなければならなかったのだ。

 

しかしユナはそれどころではない。先ほどまで言葉巧みに批判していた彼女から「心から好きと思っている人」と気づかれてしまい、胃を何度もひっくり返していた。

 

「何でそう思ったの?」

「それは、女の勘でした!――今はもうはっきり分かりましたけどね」

 

妙に納得のいく説明に、ユナは別の話をする。

 

「え?でもシリカちゃんはユズルと付き合っているんでしょ。新聞にも載っていたし」

「あれは、偽の情報ですよ。フローリアを通って思い出の丘に行く時の写真です」

「でも....あの、なら三日間だけ一緒に寝たっていうのは?」

「それはオレンジプレイヤーに襲われた時に、ユズルさんが無茶してスキルを使ったからです。気を失って、三日間も寝込んでしまったことがあったんですよ」

 

 どれも自分の早とちりと知ったユナは、羞恥の念で耳たぶまで真っ赤に染め、ティラミスを無言で食べた。この暑さは、きっとティラミスの濃厚なココアパウダーとほろ酔い成分が原因と決めつけるも、茶化すような笑顔のシリカにその気も失せていた。

 

だが、「ちなみに、ティラミスの語源はですね....」とからかい気味に言われた時は爪を指に食い込ませた時と同じ力加減でふとももを抓り、黙らせてやった。すでにユナにとってシリカは『ユズルの彼女』の認識はない。抓られたシリカは涙目でユナを軽く睨むも、すぐに笑顔で会話を楽しんだ。どうやら、彼女とは仲良くなれそうだ。

 



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24話 アスナ様はエスコートしたい

二階の隠れ部屋ではケーキを食べ終えた二人は、現実世界の味に近い味を再現した紅茶を飲んでいた。ここでは防音も完備されたプライベートの空間。空いた時間をガールズトーク曰く、普段は言えない暴露話に花を咲かせている所だ。

 

「もう酷いものですよ~初対面なのにいきなりケッコンとか申し込まれた日には地獄です」

「あー確かにね。いきなり初対面でケッコンはちょっとね....」

 

シリカは手をワシャワシャさせながら、あたかも気持ち悪さを表現する。

 

「でも、ユナさんはどうですか?お仕事絡みで言い寄るプレイヤーは多いと思いますけど」

「うーん。贈り物の中にそういうのはあるかな。基本、マネージャーが捨てちゃうけどね」

「それが一番です!その気だけで女の子を手駒にしようとする人ばかりで嫌になりますよ!――「どこかにキラキラな出会いはないかなー」って何度思ったことでしょうか…」

 

机に突っ伏しながら荒々しい口調のシリカにユナは苦笑していた。余りにもすがすがしい子だな。なるべくいい雰囲気にしようとユナが尋ねた。

 

「そう言えばさ、ユズルが無茶して倒れたって何かあったの?」

「あれ?ユズルさんから聞いていませんか?」

「一年ぶりに会ったし――メール(手紙)でも聞いていないかな」

 

 シリカは周囲を確認して言葉を選びながら話す。幻影の使用効果や発動条件。そして、数を出す度に理性を失い、本能のまま戦うようになるデメリット。知っている範囲を話し終えた後、ユナは微かに唇を震わしていた。

 

「そんなに危ないスキルなの――その『幻影』って」

「オレンジプレイヤーに襲われて使った時は、プレイヤーを殺めようとしていましたし....分かっていると、やっぱり心配になりますよ」

 

さらに、シリカはうなるように言い続ける。

 

「私は許したくない人をユズルさんは斬らなかったことに『よかった』と言ったんです。本当に優しすぎる人です――そんな人が、自分のスキルで人を殺めたならどれほど苦しむのか。そんなの見たくないんですよ....」

 

うつむき加減の彼女にユナも、また、シリカと同じ気持ちだった。話を聞いたユナはある決意を固めていた。苦しそうに辛い顔をする彼を――今はもっと近くで支えたいさえ思う。本当はもう少しシリカと話したかったが…時間は有限だった。もうすぐ約束の五分前に近い。お店を出た入り口の前でシリカが口を開く。

 

「思い切って聞いちゃいます――ユズルさんのこと、好きですか?」

「えぇ好きよ――ファンじゃなくて一人の男の子としてね」

「でしたら…傍にいてあげて下さい。ユズルさんにはユナさんが必要ですから」

 

二人は互いに顔を見もせず、お互いに頷いてから、急ぎ足でピナを迎えに行った。それ以来、シリカはユナの友人になった。共通する認識を知ることでお互いを思いやる、そんな珍しい経験もあるものだ。敬慕(シリカ)恋慕(ユナ)の交差する話し合いをした経験はまさにそれである。

 

 

 ピナを迎えにきたシリカとは別にユズルはユナの変化に驚いた。悲しそうな、淡い雰囲気はどこにもない。どこかスッキリとした感じだ。ユズルはシリカにお礼を言うも「たいした事はしてないですよ」とシリカにピシャリと言われる。そのままシリカはユナとフレンド登録し、その場を後にした。

 

約束の時間から五分の遅れで、キリトやノーチラスが合流する。程なくしてアスナも転移門広場から現れた。

 

「遅いぞ~アスナ。またナンパでもされたか」

「からかわないでよ、キリトくん。ちょっとゴタゴタしてただけよ」

 

振り返ったアスナに、キリトが、にやけたような、からかうような顔をしていた。

 

「『ゴタゴタ』って、あんまり聞かないよな」

 

ノーチラスはヒソヒソ声でキリトに耳打ちする。しかし、アスナにはばれてしまう。

 

「何か言った?ノーチラス君?」

「何も言ってないぞ」

 

 顔を赤らめながら抗議するアスナに、真顔で答えるノーチラス。怒りの形相は無く、目線だけが鋭くなる。だが、すぐに気持ちを切り替えたアスナは全員にアイテムが十分にあると確認し、五人はいそいそと迷宮区に向かった。

 

 

迷宮区の洞窟内はアスナが先頭に立って、湿地草原の森までやってきた。キリトは足場の萎びた草葉に暗く生い茂った木々の奥へと消えていく細い獣道を覗く。木の間から突風を吹かして皆の髪を乱した。アスナは平然と朗らかな口調でユズルに言う

 

「ユズル君、皆で狩りをするのは初めてだよね。色々緊張すると思うけど――私達でちゃんとエスコートしてあげるから安心してね」

 

 細剣を装備して空いた片手に首輪の付いたチェーンをジャラジャラ鳴らしていた。あれこそ、よく犬を散歩させる時に使う必須アイテムだ。しかし、この周辺に犬やペットらしい生き物はいない。身の危険を感じたユズルは解いた。

 

「それは助かるよ。ただ、それは何の為に使うの?」

 

アスナが首輪の付いたチェーンを差し出すのを見て、ユズルは急いで言った。

 

「ほら、ユズル君は自由に歩いたりできないじゃない。プレイベートの狩り位は気ままにやらせたいと思ったの。だから、ローブの代わりにこれを首に付けていれば、他のプレイヤーに見つかっても誤魔化せる。自由で何も縛られずに楽しめるのよ!」

「なるほど。大体分かった。けど、ごめんなさい、丁寧にお断りします!――自分から縛られにいく趣味はないので」

 

 ユズルは早口に撒き込まれ舌のまま、言い切る。多少興奮気味のアスナを全力で断った。他の三人は無言で足元を見ている。時々ユナはチラリとこちらの様子を見ていた。

 

「駄目だったかぁ。やっぱり首輪がいけなかったのかな。ユナちゃんはどう思う」

「え!?こっちに振らないでください....私にそんな趣味はありませんよ」

「でも、ユナちゃんは皆のアイドルだよね。もしかして男を首輪につけて飼いたいとか――」

「思いません。それでしたらアスナさんはお酒を飲まして人を食べちゃうタイプですかね?私の時も飲ませていましたし....怪しいなぁ」

 

いつの間にか性癖の探り合いが始まる。互いに探り合いと騙し合い。ユナとアスナによる高度な駆け引きに男性陣はドン引きしていた。キリトは「偵察に行ってくる」と離れていく。逃げた黒猫を軽く睨むユズルとノーチラスに対し、二人の駆け引きは加速していく。

 

「それは別の話よ。でも、年上の男性にするには抵抗はあっても、年下の可愛い男の子なら首輪につけて飼いたい――みたいなシチュエーションはドラマの定番じゃないかな」

「いつの時代の話ですか。純愛ドラマでもそんなシチュエーションは流行りませんよ」

 

現実世界と仮想世界を一緒にする闇はここまで広がっていたか。ユズルはノーチラスのそばまで歩いていき、隣に立って上空か洞窟か分からない天井を見上げた。ふと何かに気付いたユズルは、そっと耳打ちする。

 

「うーん....もしかして、ユナはそっちの気があるのかな?」

「俺は知らないが――最近の女子は男同士の恋愛、つまり『ボーイズラブ』に隠れてハマっている子が多いみたいでな。その方向なら....ユナも――」

「そんな訳ないでしょ!エー君!そこはちゃんと言ってよ!!」

 

明らかにユナは不機嫌だった。ノーチラスとユズルは周囲の索敵をしながら離れていく。二人は肩越しに振り返り、木々が邪魔して見えなくなるまで、アスナとユナを見守る。程なくして森の暗闇からキリトがぬぅと現れた。一呼吸置き、あたかも離れたもっともらしい理由で誤魔化す。

 

「おい。偵察していたのに何やっていたんだよ」

「何か知らない間に性癖暴露大会になってた」

 

ユズルの言葉で、吹き出しそうになるのを、キリトは必死で押し殺した。ノーチラスはともかく、アスナがキリトの方をじっと見たからだ。

 

「冗談はともかく、ユナに縛りたい性癖はないはずだぞ。アスナは…ちょっと分からないな」

 

ノーチラスが真面目に額に皺をよせ、ちらりとアスナを見た。まだユナと一緒に話をしている。未だに駆け引きをしている二人を他所に、キリトもアスナを細目で見る。

 

「アスナは少しずれているだろ。アレを見てみろ。首輪付きのチェーンを普通に持っているし…百歩譲って言い直せば好きになった男には相当尽くすタイプかもしれないぞ」

「キリト、それじゃ何だ?アスナは愛情が深い分他人から見ると『ヤンデレ』だ。でも、男からすれば信頼できる理想の女の子と言うことか?」

「大体合ってる。ただそれだと――アスナの愛情を受け止めきれる男って....」

「まぁ、早々に見つからないよな。あの見た目だからよくナンパされるみたいだけど…相手の方が気の毒に感じるぞ。『閃光』の異名の名前通り、アスナは速攻で振るからな」

「何か『閃光』の意味が違うと思うけど....妙にしっくりくるなぁ」

 

ノーチラスの冗談にユズルが軽いツッコミを入れる。三人とも同じ事を考えていた。

 

 まばゆい笑顔に誘われた男達を速攻で振り払う姿のアスナ――圧倒的な高速攻撃と技のスピードで敵を振り払う細剣のアスナ。『閃光』の異名は、この二つからなぞらえたかもしれない。ユズル、キリト、ノーチラスは声に出さず、会釈と視線で納得させた。そうでもしなければ、にやけた顔を隠せない。駆け引きを終えた二人は妙な顔をするも三人は何も聞かず、見ずで押し通した。こうしなければ、後が恐ろしいからだ。

 

やがて木々の隙間からくる突風も収まる。キリトは偵察中に、突風のくるタイミングや安全地帯を確認していた。正確な情報に助けられた四人は、薄暗い湿地草原の茂みを進んだ。

 

 

 湿地草原エリアを抜ければ、砂利道通りに入った。樹木の部分は安全地帯を確認し、五人は奥へと進む。湿った場所に似合う爬虫類モンスターが多く生息していた。特に『リザードマンロード』は厄介であり曲刀とバックラーを使うトカゲのような二足歩行モンスターだ。またソードスキルを扱い、地の利を活かした戦い方は初見では苦戦を強いられる。濡れた落ち葉に足元をすくわれるも、態勢を立て直しながら敵をポリゴンに変えていく。

 

出現率の低いモンスター扱いか骸骨の剣士モンスターもいた。名は『デモニッシュ・サーバント』。長剣とバックラーを使い、二メートルは超える身長に身体に青い燐光(りんこう)をまとう、高い筋力パラメーターを持つホラーモンスターだ。さっきまで果敢に『リザードマンロード』と戦っていたアスナは、青白い顔になる。

 

「ひぃ、スイッチ!!私、女の子だからお化けだけはだめなのよ!ユナちゃんお願いね!!」

「私も女の子なんだけど――なぁ!」

 

全速力で前後交代(スイッチ)するアスナに何とも言えない表情のユナは短刀を振る。どうやらアスナにとって青い燐光はお化けに見えるらしい。ちなみに、骸骨は平気で「人体模型で見慣れた」そうだ。道中のアスナは神経質に何度も周囲を振り返る。進行はだいぶ遅くなっても安全に五人は奥へと向かった。

 

 

砂利道を進めば、怪物の掘られたレリーフに灰色と薄青を混ぜたような扉を見つける。石造りの円柱が立ち並ぶ巨大な二枚扉。キリトはすぐに、メニュー画面から¨ボス¨と分かる色でマッピングをした。

 

「すぐ戦う訳じゃないけど…ちょっとだけでもボスを見ようか」

 

アスナの提案にノーチラスは顎を引く。

 

「うぅん…確認だけなら大丈夫か?そぅと開ければ、大丈夫か」

「いいんじゃないかな。フロアボスは部屋から出れないしね」

 

ユナの言葉にキリトは心配しつつも同意する。

 

「それなら、念のため回路結晶を準備しとくね。皆も転移結晶は準備しておこう」

 

 ユズルの言葉に頷き、四人はいつでも転移結晶を使えるよう革袋に用意する。恐る恐ると扉を開いていく。先は肉眼で確認できないほど真っ暗な闇が広がっていた。扉から漏れた光は中央まで届けば反応し、奥から青く丸い玉が現れていく。まるで、火の玉ようにユラユナと揺れていた。アスナが火の玉に向かって言う。

 

「人魂…ってことは、ボスは、お化けなのかな….」

「まてまて、アスナ。そうと決めつけるのはまだ早い。奥に大きい影があるよね。あれがボスだと思うよ」

 

声が恐怖におののいているのが分かり、ユズルは冷静に状況を伝えた。ドア越しからノーチラスが片足を踏み込んだ。その瞬間――

 

 獣の唸り声がフロアに響き、部屋全体に手前から奥の全てに青い炎を灯した場所に大きな物が姿を現した。恐ろしいモンスターだ。背は四メートル近くあり、青黒く赤い血管の浮き出た肌、岩石のようにゴツゴツとした筋肉質な巨体、丸くなった羊の角を頭に生やし、馬の突き出た嘴が特徴的だ。巨大な身体を支える足は大きく、牛の蹄は大樹ほど太く、艶やかに光っていた。腕が非常に太く、手にしている大剣はやけに小さく見えるほどだ。

 

「――ッ!!」

 モンスターはドアから漏れた光に気付き、首を大きく振り返る。視線にプレイヤーを発見すれば、雄たけびを上げ、唾を撒き散らし、大剣を棒切れの如く振り回して直進する。

 

「きゃぁああああああああ!!」

「うわぁああああああああ!!」

 

薄暗く青い炎に照らされた青黒い肌に赤く光る眼が迫る勢いに恐怖する。キリトとアスナは悲鳴を上げながら今持つ最高の俊敏性で逆走していく。さらにアスナの振り回して勢いづいた首輪付きチェーンは運悪く、ユズルの首に装着する。

 

「は?ちょ、アスナ!?――あばばばばば!!」

 

 逆走する力の強さにユズルの首は一段と締まっていく。気道は細く、僅かな息もできない。叫び声を上げられず、そのまま砂利道の小石に当たる感触を確かめながら引きずられる。何度も体位を変え、ユズルは気道を少しでも広げようともがき、動いていく。

 

「え!?アスナさん!!ユズル――ユズル思いっきり引きずってますよ!!」

「え?おい!俺を一人にしないでくれ!!」

 

脱兎のように逃げるアスナとキリトに合わせてユナとノーチラスは戦線を離脱する。ドアの隙間から大きな土煙が舞う。激しい地揺れと共に、モンスターの雄叫びが迷宮区の洞窟に木霊した。

 



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25話 愚者の佞言

恐ろしいモンスターから逃げ、湿地草原地帯の安全地帯まで逆走してきたキリトとアスナ。二人は安心する間もなく、後ろで虫の息になってうつ伏せに倒れている黒いローブの物体に引いていく血の気。倒れていたユズルが立ち上がれば戦場と錯覚するほど、目の前のプレイヤーがおぞましい何かと身を引き締めざるを得ない。

 

遅れてきたノーチラスとユナはハラハラしつつ、その様子を見守る。ユズルは仁王立ちで白刃を地面に突き刺し、キリトとアスナを睨み付けていた。熱気と似た紫の揺らぐ雰囲気に見守る二人も唇をきつく結ぶ。ユズルは首に巻き付いた輪を外すも、うっすらと赤い痣を浮かべていた。

 

「目の前のモンスターの突進に一番に逃げて、安全地帯まで約五百メートル。とくに、アスナはずっと気づかずに引き吊り回す始末――何か言うことはあるか?」

 

視線を逸らすアスナを他所にキリトはユズルの顔色を窺う。月夜の黒猫団の集まりで温厚な彼が怒ることはまずない。しかし普段怒らない人が起こると怖いというのは、まさにこの状況である。ひんやり冷たい指先で熱くなった心臓を優しく愛でる様で、それゆえに致命的におぞましい印象を受けた。

 

「返す言葉はありません」

「ホントにごめんなさい」

 

なるべく非を認めるキリトに対し、アスナの方は完全に萎縮していた。そのまま、容赦のない冷酷な眼差しは――アスナ一人に向けられる。

 

「今回は何もなかったから良かった。けど、撤退する最中にモンスターの奇襲に遭えば連携できずに誰かが大怪我して命に係る失態だ――冷静にあることは大切。でも、皆といる時はお互いにできること、できないことを任せる必要もある」

 

萎縮しながらアスナは肩を震わせる。とりわけアスナの胸中に濁った鬱屈な感情を呼び込んだ。モンスターから逃げただけではない。どこかでユナの恋愛を応援するに肩の力を入れ過ぎていたのではないか。ノーチラスを傷つけた彼を心のどこかで目の敵にしていたのではないか――その時、ユズルのきつい眼差しからの問いかけが、アスナの思考を断ち切った。

 

「今回はどちらに該当するか分かってる?」

 

何も言わずに頷くアスナ。数秒間の沈黙に耐え切れずに視線を地面に落とす。しばらくして、膝を伸ばした瞬間に、アスナの身体は軽く飛び上がった。厳しい剣幕でまくしたてていたユズルは、二人に向かって穏やかに言う。

 

「ならいいや――僕から言うことは無いよ。せっかくだから、ここでお昼を食べようか」

 

 ユズルは軽く頭を掻きながら、傷んだ長髪の毛先をさらにぼさぼさにする。キリトは颯爽と、アスナは曇りの面持ちで押し黙ったままだ。シートを広げて昼食の準備をする彼に、ここでようやくアスナはユズルに問いかけた。

 

「あの....ユズル君?わたし酷いことしたのに....もういいの?」

「――ん?話して分かるなら十分じゃない?それ以上言えば、『責める』になるからね」

 

湧き上がる怒りを胸にしまい、アスナはさらに重ねて問う。

 

「じゃあ、なんで責めないの....」

 

瞳に陰りを残したまま肩を震わせるアスナにユズルは耳を傾けていたかどうなのか、ただ黙々とテーブルを設置していた。アスナからすればもっと正論で殴りつける言葉が欲しかった。一つのミスで死に繋がる世界にまとめ役の彼女にとっては重く受け止めなければならない故に――滅多にあることではないが、ごく稀に小さな偶然の積み重ねで予期せぬ結果になることはある。

 

しかし、今回は違う。冷静さを欠いて引きずったユズルを、気づけばHPバーを赤色まで減らし、みすみす彼を消滅させたとなれば、きっと現場にいた三人は理不尽を許さないだろう。今の自分をアスナは許せなかった。ユズルは額を掻きながら、少々の困り顔を崩さない。

 

「――なんでか?普段からアスナは周りから頼られている分、いつも自分を『正しく(皆の規範)』しようと責めているでしょ?その『正しさ(ストレス)』の積み重ねで冷静になれなかった。分かっているなら責めないし――僕は生きているんだから余り気に病まないでほしい」

 

ユズルが毅然と放った言い分に、アスナは、いまだに、困惑顔だ。

 

「でも――」

「まだ気にしているなら罰を言います――お昼ご飯の準備を手伝ってほしい。流石に五人分の用意は大変だよ」

 

 

 アスナはあっけにとられた。いつの間にか椅子やテーブルも用意され、ユズルは肉や野菜を銀串に刺していた。銀網を敷いた簡易コンロに火を付けるユナに採取した水をろ過するノーチラス。各々が昼ご飯を早く食べようと活気づいていた。銀串に六個を刺し終え、ユズルは野菜が少ないことに気付く。

 

「しまった。野菜がほとんどないや――キリト~偵察中に野菜採取の場所は無かった?」

「現在地はココだから.....この辺りに沢山あったぞ」

 

七四層の迷宮区を一望できるマップをキリトはなぞりながら指差す。キリトのマップは感銘の一言だ。マップにはボスや安全地帯はもちろん、給水場や敵エンカウント率や罠の場所まで記されていた。また空いた概要欄に先程まで戦った敵モンスターの癖や特徴の注釈も入っている。

 

「凄いな、これは!まるで攻略本みたいだ。偵察で神器の逸品でも拾ったか?」

 

惜しみない称賛をするユズルに向けて、キリトも満更でもないと微笑する。いつの間にか彼はシートに胡坐をかいて座り、恥ずかしそうにふっくらした頬を掻いていた。

 

「分かりやすく書いておけば自分の為になるからな――それ見れば行けるはずだぞ」

「ありがとう。この地図を頼りに行ってみるね」

「――あ!それなら私もいいかな。資源集めのプロの実力を見せてあげるよ」

 

凛と通る声で提案したのは火おこしを終えたユナである。額に付いた汗をタオルで抑えながらマップを覗き込む。ユズルとしては有りがたい。このチームのなかで資材集めに優れているのは、紛れもなく彼女だろう。未だに当惑顔のアスナを他所に、ユズルはにこやかにかぶりを振る。

 

「なら、お願いしようかな――アスナ~銀串を刺すのをお願いしていい?」

「....うん、やっておくね....」

 

生半可な返事でどこか張り詰めたような顔。そこにいるのは攻略に精を出す血盟騎士団副団長などとは程遠い、ただの幼い少女でしかなかった。

 

「アスナ、ちょっと――」

「ごめんなさい....少し考えさせて」

 

 気に掛けるかのように呟くユズルを、さらにアスナは言葉を挟む。ユナも目配せで野菜採取である東側に身体を傾けて催促する。これ以上の対話はどんな適切な言語も宙を浮く。微妙な雰囲気に情けをかける気にならず、ユズルとユナは野菜を取りに向かった。

 

 

湿地草原の安全地帯から直進方向に東へ約二百メートル。奥行きの見えない深い森林の付近に野菜は実っていた。元々、銀串に刺して焼くバーベキューを想定した食べ物かの不安も杞憂に終わる。ユナと【鑑定】による識別で巧みに食料を調達していた。

 

「――疲れてきた?ユナ」

 

ユズルに聞かれて、疲労感を奥に引っ込め、ユナは小さく微笑む。

 

「まだまだ大丈夫。もう一段階ペースを上げてもいいくらいかな」

「流石だね。血盟騎士団の活動と歌の活動を両立させているだけはあるな」

「凄く大変だよ?普段はギルドの資材集めをしなきゃだし....空いた時間に原曲を合わせたり歌詞を考えたりするからね。あんまり余裕はないかな」

 

 安堵とも落胆とも言い難い脱力した声を吐く。本当は逃げ出したかった。加入したのも彼との絆を断ち切りたくなく――ただ泡沫(うたかた)の奇跡を信じただけだ。シリカと付き合っていると勘違いして嫉妬し、激流に流されるままに狩りや歌の活動をしていた日々。血盟騎士団にいる目的を見失い、ストレスと嫉妬に飲み込まれかけた時期を支えてくれた親友のリズ。

 ただ、リズがいなければ掛け合いなしに私は壊れていたと。同時にシリカとのキッカケがなければ彼への恋い焦がれる思いと熱さを知らなかっただろう。

 

「もし僕が――」

 

ふいに掠れた弱々しいような声がユナの耳に問いかける。

 

「もし僕が、犯罪者と呼ばれなければ――ユナを支えることができたかな?」

「急にどうかしたの?」

「アスナと事故はあった。それを除いても人と関わる楽しいこの時が普通なら――今の自分がどれだけ痛みを抱えているか実感したよ。世間から犯罪者と呼ばれなければ、もっと皆を支えることができたんじゃないか、とね」

 

 切羽詰まった声で、ユズルは答えた。それは彼の口から初めて聞いた痛々しい言葉。しきりに『犯罪者』と言い聞かすユズルに、ユナは堪らなく嫌だった。想い人がこれほど苦悩に晒されていながら、自分では何かをする術を知らない。そして、今の彼女にできるのは――虚しい問いを投げることだけだ。

 

「本当はどうしたいの?」

「皆と一緒にいたい。もう誰かに捨てられたくは、ない」

 

ユズルは即答する。何度も裏切られ続けた二年間の深い闇に虚しい光があると自分自身に信じ込ませる――ただの愚者の佞言(ねいげん)だ。後ろから肩を揺すられたユズルは、振り向いた境に、真正面から彼女と向き合った。潤みと熱をおびたユナの眼差しは、哀切に、苦々しさを伴うものだ。

 

「――そうね。ユズルの頑張りは知っている人にはあなたが思っている以上に伝わっているわ。アスナさんだけじゃない、エー君やキリト、シリカちゃんだって....ユズルの繋いできた結びつきは必ずあなたを見捨てない」

 

ユナは優しくも、残酷に指摘した。ただどうしようもなく吹けばすぐに消えてしまう虚しい希望を抱かせているだけだ。十分に頑張っている人に、さらに頑張る様に追い詰める言葉。それは彼も分かり切っているはずだ。ゲームが終わるまで続く逃亡生活に選択肢など無いことを。

 

「怖いんだよ。自分と関わっている人が危険に晒されるのを....誰かが襲われていても助けに行けない無力な自分を責めるしかない。約束を護るにも階層が高くなるほど強くなる攻略組に負けるかもしれない――さっきはアスナに注意したが、誰かに伝われば比べる間もなく『アスナが正しい』となる。そうなれば....一番相手にしたくない攻略組が僕に狙いを定めてくる――今は後悔しているよ」

 

今にも泣きだしそうなほど追い詰められた顔。そこにいるのは優しくも厳しい男の子とは程遠い、世間から苛まれ続けた非力で臆病な人間でしかなかった。

 

「あなたは一人じゃない」

 

ユズルの震える肩に両手を添えて優しく言い聞かせる。

 

「誰もあなた一人を戦わせはしない――私は守る。キリトもノーチラスもアスナもきっと守ってくれる」

 

ユナは知っていた。もし危険があれば攻略組である三人の強靭な強さが彼を救ってくれる。それは決してユナでは叶わない相談だ。せめて自分が出来ることがあるとするなら、かつてリズがしてくれたように心を支え、シリカに誓い、傍にいると決意したくらいのもの。役に立たなくていい。こうやってささやかでも、彼を癒してやれる時間が長引いてくれないものか――そんな彼女の思いは一瞬で虚しく消えた。

 

索敵からプレイヤー反応に、ユナは身を強張らせる。人数は四人か五人?プレイヤーキルであれば二人では危険だ。頭に警報音を響かせる。

 

「誰かが近づいている――プレイヤーは四人か五人だと思う」

「二人で迎えるのは危ないか。なら、キリト達と合流しよう――向こうが気づく前に」

 

索敵に気付いたユナに弱々しい彼の声は、いつもの冷静な馴染みある声に戻っていた。彼女の異変を見ただけで、ユズルは察する。ユナの両手から離した目の前には第四十層の撤退戦で見た顔だ。

 

「今持っている野菜だけを持ち帰ろう。合流さえすれば迎撃ができる」

「うん、すぐに行こう」

 

 忍び足でその場を後にする。だがユナにとってはやり場のない怒りを想いの底に沈めていた。まだ彼との話は終わっていない。まだ自分の本当の想いを伝えていない。ただ、プレイヤーが来ただけで二人の会話は夢と錯覚してしまう程に、ユズルをどこか遠い存在に感じてしまう。速足で駆ける彼の背中に、一種の寂しさと不安に悩まされていた。

 

――このまま....どこまでも遠くに消えてしまうような....嫌な予感が....

 

 

ユズルとユナの到着時に、バーベキューの準備は壮大なものに変わっていた。ノーチラスは二リットルのペットボトルにろ過した水を用意し、アスナは気分の整理を付けたか余った野菜や肉を刺した銀串を鼻歌交じりに焼いていた。キリトは大皿に焼けたばかりの食べ物に涎を垂らさんとばかりに顔を緩ませている。

 

 プレイヤーがこちらに近づいていると伝えれば、急にアイテムストレージを操作して武器を装備し、プレイヤーの視線は東の薄暗い樹海に集中する。合わせる様に、ユナは相手との距離をカウントし始めた。

 

….三….二…一…ゼロ!

 

 にゅっと木々の間からプレイヤーの姿を現す。総勢六人は赤い甲冑を装備した男達だった。リーダーと思われる男は、赤いバンダナを頭に絞めている。攻略組で知名度も高い【風林火山】のメンバーだ。知り合いと分かれば、緊張をひも解いた。顎に軽い無精ひげを生やしたリーダー格の男は、【月夜の黒猫団】に所属するキリトに向けて笑顔を浮かべながら近づく。

 

「よぅ、キリト!久しぶりだな!」

「お前は相変わらずだな、クライン」

 

 義兄弟の契りを結んだキリトとクラインの再会。ノーチラスとアスナはまだ真新しい三剣士の誓いをたてた話題の人物に興味の目を向ける。第四十層でお世話になったカル―とオブトラにユナは挨拶をした。泣き崩れてしまった状況で、お礼を言う余裕も無かったからだ。ただ一人。黒いフードを被ったプレイヤーは何も言わず、見て素知らぬ様子を貫いている。

 

「キリトよぉ、今日はえらく新しい顔ぶれが多いな。そこの黒いフードのプレイヤーは誰だ?俺ぁ初めてだぞ」

 

 クラインに幻影のローブを話していないとはいえ、心底惨めな気持ちになった。このローブの性能を知っているのは月夜の黒猫団の他には、ノーチラスとシリカとユナだけだった。その反面、自分のトップシークレットを伝えていないのは、信頼に他ならない。事情を知る者の白けた雰囲気に戸惑いを覚えたのはクライン自身だ。

 

「――クライン久しぶり。ほぼ二年近くになるけど会えてよかった」

 

ようやく声を上げたユズルは半ば明るく、半ば冷徹に対応する。

 

「二年前は危険を冒してまで会いに来てくれた。他愛もない愚痴を言い合ったり、キリトに伝言を伝えたりもしてくれたよね」

 

思い出話に語る人物に穏やかではない発言を読んだ風林火山のメンバーは耳を傾けるも、黒フードは声色を変えずに続ける。

 

「会った時はソードスキルを使えずにフレンジ―・ボアに吹き飛ばされたりした初心者だった。でもデスゲームになって慌てたキリトと僕を心配して安全な道まで誘導してくれた――僕の大切な兄貴分だよ」

 

 落ち着いた口調とは別にクラインはみるみる顔色を失っていく。自分のことを『兄貴』と呼ぶのは、ただ一人しかいない。共に生還すると誓ったもう一人の『弟』だ。

 

「もしかして――ユズの字か?」

 

疑うような、まるでそうであって欲しくない意味を含めたクラインの物言いに、黒フードを外したユズルは柔らかな口調で言った。

 

「そうだよ。久しぶりだね…クライン」

 




クライン自身と直接会うのは第六話ぶりですね。
 
オリ主は彼の設立した【風林火山】とはなんとかコミュニティを取っていても、何かしらの理由で会えなかった分、感傷深いです。

次回は、第十話で登場した彼も久しぶりの登場です。お楽しみください( 一一)


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26話 狭間の宴

第十話で登場した彼が再登場する予定でしたが尺の都合で次回に持ち越されました。
 ファンの皆さんにお詫び申し上げます( 一一)


 後ずさりしたクラインに喜びは無く、むしろユズルを拒絶していた。転移結晶を使用して一人でどこかに転移しようとする彼が気付いた時には、もう三人のギルドメンバーに抑え込まれて地面に組み伏せられていた。

 バンダナに口ひげの男性と黒髪で顎髭を整えた男に両手を押さえつけられる。一番若いプレイヤーは全身で両足を固定させた。ユナと話していたオブトラは一瞬怯むも、会話を切り上げて助勢に加わる。

 

「今日こそは逃げんなよ!ちゃんと話し合え!」

「離せ!!一体どの面さげて会えばいいんだよ!」

 

バンダナをした赤い腹当て男に癇癪を炸裂させる。全身重装備に固めマントを着用した男も便乗して言い返す。

 

「たった今、会ってんだろ!!現実逃避するなよ、リーダー!!」

「うるせぇ!!ここは仮想世界だろ!!現実じゃねぇならノーカンだ!」

 

クラインの支離滅裂な言い様に、カル―は抑え込む四人を激励する。

 

「トーラス、ジャンウー、アクト!!ぜってぇリーダー逃がすなよ!ここでケジメつけさせる!!」

「「おう!!」」

 

勇ましく言うも風林火山で随一の巨漢を持つカル―が助勢しないのは何故だろうか。ユズルにはいささか疑問だった。口ひげを生やしたジャンウーと黒髪のアクトと呼ばれた二人は息を合わせる。返事のないトーラスは激しく抵抗を見せる両足に余裕のない視線を送っていた。

 

「カル―、何でクラインはあんなに取り乱しているの?」

「――何時だったか、今はアインクラッド解放軍の連中に仲間を人質にされてよ。そこにいるトーラスだ。フレンド登録してたアイツぁ嫌々お前の討伐に協力する破目になってよぉ。それ以降、強くなりてぇとひたすら攻略組を目指すように狩りをやり始めてな....」

 

 苦々しいカル―を他所にユズルは顔をしかめる。クラインが討伐に加担した時期は第十九層のラーベルグ襲撃だろう。協力の部分もおおよそマップとフレンド登録のリストを開きながらユズルの居場所を伝え続けたといったところだ。ただ、それだけで取り乱すには度が過ぎる。

 

「それだけか?まだ何かあるよね。風林火山との関わりなら、後は第四十層の撤退作戦くらいだ――知らない間に何かあった?」

「あぁ、お前さんの言う通りだ。あの作戦以降、俺たちのギルドは一瞬で有名ギルドに成りあがった。初めは喜んでいたけどな――その――ついうっかり、お前を一人残して離脱した話を聞いてな。

生きてんのか、死んでんのか全く分からねぇままだからリーダーは荒れちまいやがった。暫くして、おめぇがギルドに来てくれたよな。生きてると分かってもリーダーはなんて詫びればいいか、分かんねぇんだろうな」

 

 何度ギルドを訪れても一向に会えなかったのは責任を感じて避けていたからか。行くたびにぎこちなかった雰囲気も納得できる。ラーベルグの裏切り行為は人質を取られていたなら仕方のない。だが第四十層の撤退作戦に至ってはお門違いだ。

 あの作戦は戦闘経験のあるカル―とオブトラが一度は崩れた戦況を立て直さなければ成し得なかった。回路結晶の撤退も事故と見せかけた『犯罪者』を狙うモンスタープレイヤーキルの様なものだ。クラインだけに押し付けられた責任ではないに、ユズルは偏頭痛を覚えた。

 

「クライン…別に気にしてないと言えば嘘になるけど、気にしてないよ。それに――」

「気にしてねぇだと?そんな訳あるか!!何も悪ぃこともしてねぇのに寄ってたかって、ユズの字をハネモノ扱いしてよぉ。俺もどうかしようとやった事が全部空回りだ!――全部....オメェを苦しめるばかりで何もできなかったんだぜ....」

 

ユズルの哀しくも沈鬱に眉を寄せて深々と嘆息する様子にクラインは湧き上がる憎しみを吐き出し――すぐにガックリと項垂れた。しゃくりあげるクラインの肩にそっと手を置いて、ユズルは優しくあやすかのように慰めの言葉をかけた。

 

「クライン、何度も会いに来たことも苦しめたと思うならそれは違うよ。あの時に変装までしてお忍びで愚痴を聞いてくれた時にどれほど励み、いかされたと思う?

 独りよがりの孤独を埋めてくれて「約束を守る」「生き抜いてやる」って決意したんだから…兄貴のしてくれたことは決して苦しめるばかりじゃないよ」

 

ユズルとしても、もちろん理不尽や弱者を攻めに快楽を見出すプレイヤーへの憤怒はある。が、一方では忌々しくも認めざるを得ない安堵はあった。一歩間違えれば、クラインは疎か逸話繫がりでキリトも殺されていた。プレイヤーに紛れたGMを倒すか百層までの到達をクリアとするソードアート・オンライン。誰が味方か敵かも分からない殺伐とした世界だ。

 幻影のローブを手に入れるまでクラインとキリトに会わなかったのは、むしろ良かったかもしれない。

 

「それに僕達は一緒に生還を誓った義兄弟だ。やけを起こして取り返しの付かなくなった方が一生後悔していた――本当に兄貴が....無事で良かった」

 

 純粋に安否の労いはクラインの心に届いたかは分からない。額を地に潰すほどの大声を上げて泣く彼にジャンウーとアクトはなかば反射的に抑えていた拘束を緩める。必死の抵抗に両足を押さえつけるトーラスに、強引な手際でオブトラが引き剥がす。

 ただ【風林火山】のメンバーが涙ぐむ姿から攻略組のアスナやノーチラスやキリトは彼らの苦悩と絆の強さを理解したのだ。このクラインを頭にチーム全員が胸に秘めた、他人を思いやる深い思慕を。

 

 

「すまねぇな。こんなみっともねぇ姿、見せてよ」

「やめろよ――それくらいは何時もの様に笑い飛ばしてよ」

 

静かに呟いたクラインの言葉に、ユズルはそっけなくも兄貴分である彼の顔を軽く見る。

 

「アスナ。もしよければこれから食べる昼食に風林火山も混ぜていいか?」

「いいわよ、皆と食べれば楽しいし――色々と話を聞いてみたいしね。でも、お肉足りるかな?」

「メンバーも六人いるから、肉のストックはあるだろう。ちょっと聞いてくるよ」

 

振り向いた途端に食材が足りないという懸念は一瞬で解消された。十一人で囲む昼食のテーブルに鮮やかな彩りの野菜や肉が、五人の眼前に置き並ぶ。ごちゃ混ぜの食材に紛れ物の中には市場では、まずお目にかからない食材もちらほらあり、森林の寒風に頬を染め、未知なる味を期待するかのような顔に変わる。

 

「こんなもんだが――足りるか?」

 

 クラインが言った時には、五人は目をランランと輝かせていた。アスナの開発したほろ酔い成分を無くしたブドウジュースと手作りサンドイッチと共に、銀串に焼かれた肉と野菜をテーブルに運ばれた途端、場の空気は豹変した。張り詰めた雰囲気はなく、唄や踊りに笑い声のある食事は、ランチよりも宴に近い。

 

ユナと一緒に肉や野菜を焼いていたユズルはテーブルの方をチラチラ見たが、アスナは楽しそうで、落ち込んでいた様子もなくキリトとなにやら生き生きと話していた。次にユズルはノーチラスへと目を移した。ノーチラスは風林火山のメンバーと笑い合い、時にアスナの方をチラチラと見ていた。彼が彼女を元気にさせたのだろうか?

 宴の締めくくりは、ユナによるプライベートライブだ。ロックを思わせる輪郭をはっきりさせた高音に横ノリの曲調を合わせた軽音なリズムに伸びやかな声を乗せていた。マイクがハウリングするトラブルも人差し指を軽く当てたウィンクをする。どことなく愛嬌のある仕草であり、集団ライブで歌う小悪魔たる居住まいに、これはこれで人を魅了する彼女の存在感といえよう。

 

 

「――はーい!私のプライベートライブでしたー!!」

 

 得意げに張り上げるユナに、興奮と熱気を我慢せずに放出する傾聴者。今のささやかなプライベートライブをした理由を理解しているのは、当事者のユナだけだ。風林火山の話した苦悩の裏に、ユズルが追い詰められた顔をするほどの恐怖と当てはめていた。

 

クラインの説得に彼は嘘をついていたわけではない。彼の弱さを知っていたからそう聞こえたかもしれない。ただここにいる誰よりもごく繊細な、ほんの(りん)のような光にしか見えなかった。彼を癒すために歌を唄い、知り合いと仲間を楽しませる時間(とき)はライブ以上の高揚感と涼風のような歌声に、彼女本人すら戸惑いを覚えた。

 

この張り裂けんばかりの胸の高鳴りは忘れることはできない。たとえ心に蓋をしようと、忘れられるはずもない。たった数分だが、黒いフードでない想い人を強く意識した光景は、彼の魂と同調(チューニング)したと錯覚するほどだ。しばらくの間に慣れ親しんでいた心の乾きと虚無感は無い。ユナの心は滾々(こんこん)と沸きだす水々しさに、砂に隠れていたビー玉が燦然(さんぜん)と輝いていた。

 

後片付けにテーブルを仕舞おうとしたユナに、ユズルはひそかに呼びかける。

 

「人気になってから聴きに行けなかったけど....久しぶりに聴けて――ますますユナの唄が好きになった。ありがとう」

 

淡い微笑みを直視できず、ユナは顔を逸らした。歌の反省会と予想していた以上に、フード越しではないユズルの笑顔と「好き」という言葉はユナには過ぎた幸福だった。初めて手紙を貰い、強く、長く想い続けていた故に――聞きたかった二文字の言葉。感情が高ぶるあまり、ユナは反射的に胸の内を全てさらけ出す言葉を、寸前の所で押し留める。ユズルは私を「好き」とは言わず、私の唄を「好き」と言ったに過ぎない。動悸が収まるのを待ってから彼女は明るい声で振り向いた。

 

「どういたしまして。私もユズルが楽しんでくれて良かったわ」

 

お互いに頬を薄く染めた横顔に思わずひっそりと笑い合う。この夢見心地を終わらせたくない。今この場で秘めた想いを吐露し、しがみつき、彼と恋人になれればどれほど心地よいか。だがそうすれば、裏切りや失う恐怖に怯える彼は、必ず拒絶する。二度と会えなくなる恐怖に――ユナは一線を踏み越えられなかった。

 

 

幻影のローブを長時間外した自由さにすがすがしさはあるものの、ユズルは奇妙な感覚だった。気の合う知り合い同士による素顔で語り合い、宴のように騒ぎ合うなど、こんなことを忘れかけていた。クラインとのわだかまりを解消できただけではない。恋い焦がれる人による唄にも励まされた。最高の一日と、ユズルは胸を張って言えよう

 

第七四層の森林に囲まれた安全地帯の後片付けも、十一人もいれば早く片付いた。トーラスが余った食材を入れるとき、はっきりと、いかにも凛とした声が聞こえてきた。

 

「誰か来るみたいだな――ユズの字は隠れた方がいい。血盟騎士団の三人は変装した方がいいな」

 

クラインは砂利道通りの空洞を見つめたまま、視線を見ずにむんずりと立ち上がる。眉間を寄せた顔に、鋭い視線を光らせた。ユナは白のフードコートを装備する。何度もアイテムストレージを確認するアスナは、焦りの表情を浮かべていた。

 

「ごめんなさい…変装用の服を忘れたみたい」

「副団長――気を悪くしたら悪いけど…隠れる方法はある」

 

 ノーチラスは自分でも豪胆と言える提案をそっと耳打ちする。急激に耳まで赤くなるも返事をせずに「はい」の意味で俯く。変装用に茶色で服の先がほつれたコートを身に着け、コートの前ボタンを開き、アスナを軽く抱き寄せて全身を包み込む。コートにアスナを包み隠した後にノーチラスは≪隠蔽≫を呟くともに、アスナの気配を遮断させた。

 

 

数秒後、十二人の男性プレイヤーが現れる。誰が見ても異常な光景だ。槍を杖代わりに歩く者、肩を借りながら足を引きずる者もいれば耐久値を気にせず、剣先を杖代わりに歩く者もいた。にもかかわらず、さっきから前を歩くプレイヤー二人は目もくれない様子だ。

 

「あ?解放軍の奴らが、何でこんな場所にいるんだ?」

「たしか一層から五十層までの治安維持をしているはずだよね」

 

 素っ頓狂な声で噛みあわない会話をするユズルとクライン。ユズルからすればすぐに答えはでていた。アインクラッド解放軍には秘かに攻略組を目指す部隊を編成し、自分の命を狙っていること。巨大になりすぎた組織をディアベルやキバオウたるリーダー達が統括しきれていないこと。シリカとアルゴから聞いた情報を合わせれば、最前線に来た理由は指導者の「独断」である可能性が高い。

 アインクラッド解放軍が統治者を無視し、最前線におもむく暴挙に出たことにユズルは不安と苛立ちを感じていた。

 




展開に時間をかけましたが、ようやく書くことができました。

・クラインが「守りの戦を得意とする」背景の裏に隠れた無念を払拭した
・ユナが「唄に対するモチベーション」が何であるかに気付いた
・新たな恋物語の予感

特にクラインとユナの所は、前から書きたかった分だけ喜びも大きいです!(^^)!
 ただ、心理と背景を合わせて書いた分だけ他よりも展開が遅いのはお詫びします。到らない作者ですが、これからもどうぞよろしくお願いします(*^_^*)


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27話 行き過ぎた理性

注意です!!
 今回ヘイト要素、相手を差別する言葉があります。
ご注意ください。


「休め!!」

 

黒鉛の鎧を着こなした黒い仮面を被った大男の掛け声が轟き、疲弊していた十人は座り込む。安全地帯の隅で休ませるやり方は基本すら分かっていない証拠だ。仮面越しに目をぎょろりと睨みつけた大男は、大袈裟な足音を立ててこちらに来る。

 

「何だ?アイツぁ警戒ってもんがねぇのか?あからさまな挑発してよ。よし、俺が――」

「…クライン。僕が行くよ。一応【何でも屋】や【商人】の肩書きもあるから話しやすい。それに、ギルド同士の軋轢は避けた方がいいよ」

 

 自分を省みず相手の見下した態度に、不敵な笑みでクラインは放言した。クラインの意気込みを無視し、ユズルは即答で応じる。アインクラッド解放軍の悪さはディアベルからも更生の余地は壊滅的と聞いていた。その真意を測る意味もあった。

 

「私は【アインクラッド解放軍】所属、コーバッツ中尉だ」

「私は何でも屋を営む商人という者です」

 

なんとなく威張った話し方をする中年の男性だ。仮面を外しても茶色の短髪がギザギザして見開いた目によりきつい印象を受けた。

 

「ふむ、貴様はこの先まで攻略しているだろうか」

「この先というのは…?」

「このフロアにいるボスの部屋だ。そんなことも分からんのか」

「私は知りえませんが、大方の攻略は終わっていますね」

 

 ユズルは嘘を言っていない。知っている範囲はボスの居場所しか知らないからだ。下手(したて)で拝謁するユズルを見てコーバッツは段々と愉悦感を味わっていた。

 

「では、そのマップデータを提供してもらおうか」

「なっ!?マッピングがどれだけ大変か分かって言ってんのか!」

 

そう叫ぶクラインに、コーバッツは顔面に血管をむくむくと這わせる。

 

「我々は常に正義を掲げ秩序を維持すると共に閉じ込められたプレイヤーの為に日々鍛錬を積み貢献している!その対価としてこの要求は当然だ!」

 

 おごり高ぶったコーバッツの態度、しかも商人に対して『購入』ではなく『提供』を要求するなど盗むもいいところだ。いや、実際は盗みではあるが。

 まったく話の通じない相手に、ユズルは頭を掻きむしる困ったフリをする。ともかく、こちらが先のマップを持っている限り、コーバッツは一向に引く気はなく、アインクラッド解放軍の正義に反する者として暴力と脅迫を行使する気でいるらしい。なるべく最もらしい理由から、相手の言う『正義』を見計ることとした。

 

「申し訳ありません。こちらとしては護衛を頼んで手に入れた情報ですからね。軍の正義と言えども、タダで渡すに――」

 

言い終わるより前に、腹部に強烈な衝撃がユズルを襲う。後方に吹き飛ばされてしまい、クラインに支えられた挙句、地面に崩れ落ちる。よほど腹の虫を刺激したか、片足を正したコーバッツは目を剥いて形相を変えた。

 

「何を勘違いしている下層民――私は交渉してはいない。軍の正義による『命令』を発している!商人風情が我が軍の正義を語るな!!」

 

 ユズルは腹部の鈍痛を慣らしながら初めから交渉の余地などない事実に早く気付くべきだったと後悔していた。コーバッツから発せられるのは、行き過ぎた理性で塗り固められた正義のみであり、本能のみで生きる獣とさして変わらないのだ。もう少し時間を稼げれば妥当案も出たであろうが...両ギルド同士の緊張は爆発寸前まで高まっていた。

 ノーチラスはアスナを≪隠蔽≫で隠す役割で動けないも、敵意を剥きだしにしていた。【風林火山】もクラインを初め、特にカル―とオブトラはコーバッツに強く(がん)を飛ばしている。キリトとユナは傍から何も窺えないも、コーバッツがユズルを蹴り飛ばした、そのときから、何かが決定的に変質していた。

 

「――ッ…分かり、ました。私はボスまでの道のりを知っています。マップコピーで良ければ、無料で差し上げましょう」

「それでいい…協力感謝する」

 

 人数だけは最大規模をほこる【アインクラッド解放軍】と【月夜の黒猫団】【風林火山】【血盟騎士団】と軋轢を生めば、狩りや相場による小競り合いが散発し、極限まで行けば死合いによる一大騒動を起こしてしまう。動きにくい身体でマップを操作し、現在地からボスまでの道を書き記したデータを、コーバッツに譲渡した。

 

「初めからそう渡せば良いのだ――痛い目を会わずに済んだものを」

 

コーバッツは口元をひん曲げ、乱暴に画面を押し、鋭い眼光を細めながら辺りを見渡した。商人の依頼したプレイヤーを品定めしているのか。いずれにせよ、相手もギルドに所属している攻略組のプレイヤーに手を上げるほど馬鹿ではないはずだ。

 

「そこの――お前」

 

 コーバッツはもう一人のプレイヤーを両脇に並べ、白いフードを被った少女に声をかける。

 

「進軍中にも聞こえた歌声に聞き覚えがあったが――貴公はアインクラッドの歌姫か?」

「ええ、そうですよ」

 

ユナはフードを深く被り直して素っ気なく言う。

 

「貴公の歌声は戦闘が有利になるバフを付けるな。ならば、攻略の為に我らに歌って頂きたい」

「今日の私は依頼されて護衛で来ています。他のメンバーに歌が好きと聞いたので、はるばる私は承諾してきました」

 

断固として言い放つコーバッツを、ユナは冷ややかに丁寧な口調で返す。僅かに鼻先で笑いも含めていた。ウソを嘘と思わせない彼女の威厳は、コーバッツの威厳を揺らすには十分だった。

 

「アインクラッド解放軍の『正義』に合わせて、「さあ、歌え」と下層民に命令する様に言われても、私は自分を卑しくしてまで歌いたくはありません」

「……ッ!」

 

 すかさず反論しようとしたものの、コーバッツは言葉に詰まった。歌姫の侮辱は【血盟騎士団】と【歌姫のファン】を相手にするとなり、慎重に言葉を選ばなければならない。その僅かな沈黙の隙を逃さぬとばかりに、ユナは重ねて畳みかける。

 

「もし攻略ではなく歌が好きであれば、マイクを用意し、ステージを作り、楽しんでくれる人が入れば唄います。それだけ用意して頂ければ、私も皆の為に心を尽くして唄いますよ?」

 

 拒否はぜずとも、ユナは歌を拒絶する言い回しをする。コーバッツはユナの言った意味を考えていた。数秒後、言葉の意味を理解した彼は鼻を鳴らして踵を返した。疲弊したプレイヤーに近づき、「たかが小娘が。アインクラッドの恥さらしめ」と小声で言う。

 

「さあ立て!貴様らの所為で休憩を挟まなければならなくなった!遅れを取り戻すぞ!!」

 

コーバッツは疲弊しているプレイヤーを罵倒し、指揮が執れるほどに溜飲を下げてから、進軍の指示を出す。渡されたコピーマップを見ながら進軍をするコーバッツに、これまで静寂を貫いていたキリトは、視線だけを見つめて、命令口調で言った。

 

「おい…ボスにちょっかいだすならやめといた方がいいぜ」

「それは私が判断する」

「これ以上は言わないが――そいつらを¨捨て人¨にするなら全力で止めるぞ…」

「軍をどう『使おう』が私の勝手だ!!この程度で根を上げる軟弱者ではない!!」

 

『捨て人』の言葉に、ほぼ反射的に『使おう』と激高したコーバッツは、軍を配列して進軍を開始した。憮然となるアインクラッド解放軍を放置し、ただキリトは何も言わずにこれから起こる残虐な展開に、胸の内の癇癪を抑えていた。

 

 

「本当に大丈夫かよ、あの連中…」

「いくら何でも、いきなり本番でボスに臨んだりはしないと思うけど…」

「あれ、アスナさん。いました?」

「最初からずっといたわ」

 

どことなく現れたアスナに、索敵能力値に自信のあるクラインは少しだけ驚く。先ほどまでアスナはノーチラスのコートに隠れてアインクラッド解放軍の一部始終を覗き見ていた。

 

「キリト。さっき¨捨て人¨って話したみたいだけど…相当酷い何かなの?」

「そうか、ユズルは知らないはずだよな。¨捨て人¨はレベルの低いプレイヤーがボスに攻撃して注意を逸らした時に、高レベルのプレイヤーがソードスキルを叩き込む戦術だ。

ただ、低レベルプレイヤーは犠牲になる。第二五層で使われたやり方だが、今はギルドマスターが発案・禁止している戦術だ。やるはずはないと思うが――」

「やると思う。あの人、『正義』のまえに人の命を簡単に切り捨てる事を割り切っていたし」

 

言い終えるよりも、先にユナから横やりが入る。キリトは、言い切った後にユズルを眺めるユナの眼差しに、驚いていた。同じ様な眼差しをする女の子を見たことがあったからだ。

 

 リズベット工房で新しい武器を作るに必要な素材を求めて、鍛冶屋の店主と共に深い穴に落ちて生存反応も途絶え、メールで安否を伝えることのできない状況だった。無事に帰った時に、迎えてくれたサチは「死んじゃったのかと思った」「ずっと怖かった」と泣きじゃくっていた。あの瞳は、半夜のサチの面影とあまりにも重なりすぎた。いわば何か大切な人を失いかけたような目とよく似ていた。

 

彼女の訴えが、キリトにとってコーバッツは¨捨て人¨をすると確信できた。それだけでなく、霧で見えにくかった心に自分自身を投影していた。

 

 サチを泣かせた日から考えていた。自分は何の為に戦うのか。俺は皆が好きだから――誰も失わないように、誰も遠くに行かないように、ずっと剣を振るってきた。第五十層で手に入れた『新しい力』も目の前にいる人を救える力だ。だからもう自分の取るべき行動は決まっていた。

 

「悪い。お人よしと思うが…俺は追いかけたい。捨て人になる人を救いたい…」

「まぁ、キリの字がそう言うならいくぜ。このままじゃ目覚めも悪いしな、コーバッツはムカつくが」

「私も捨て人なんてやり方認めたくないし、キリト君が言うなら行くかな。あの人は論外だけどね」

 

 クラインの合意を交えたコーバッツの批判に、アスナも便乗した。また第二五層の残虐な光景を見なければならない背徳感に悩む一方で、彼は同じ志を持つ二人の勇気に感謝していた。

 毅然として応じるクラインとアスナの横顔は、戦場に臨むのとさして変わらない引き締めた顔に静寂に静まり返った洞窟には、攻略組随一の実力を持つ三人により、ほのかな闘気が宙をうねった。

 




【用語解説】
 
・下層民...
 商人や下層にいるプレイヤー等の戦闘に貢献しないプレイヤーを指す言葉。反語に上層民は攻略組やギルドマスター等戦闘に貢献するプレイヤー。有名ギルドにいる人も上層民に当たる。
 元ネタは差別用語になる為、ここでは記載しません。

・捨て人...
 安全レベルに満たないプレイヤーにボスを攻撃させ、ボスの攻撃をした硬直状態の隙に、ダメージを与えるプレイヤーが集中攻撃する作戦。ただし、囮になったプレイヤーは死を覚悟しなければならない。
 元ネタは艦隊これくしょん『捨て艦』。運営としては「心情的にはやって欲しくはない」戦術である。


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28話 二体の悪魔

アニメでも人気の回ですね!!
 キリト君がかっこよく見えれば良いですが...
是非お楽しみ下さい。

【注意書き】
※アンチ・ヘイト要素があります
※ボスによる残酷な展開があります。
※歪んだ人間の思想があります。

ご了承下さい( 一一)



 決意を固めた三人は、ユズルから回路結晶でボス部屋の入り口まで移動するやり方を聞き、頭の熱を一旦だけ胸に押し込める。アインクラッド解放軍を追う時間は作戦を立案する時間に変わるも冷えた頭に反して暗然とした心は、さらに暗くさせていた。

 今回は安全レベルに満たないプレイヤーを一人でも多く生還させる作戦。だが、テーブル上にボスの特徴を書き記した用紙を広げれば、壁役も攻撃役も足りないお蔭で、身の安全を守れるかさえ分からない状況だ。

 

 アスナは青黒い肌のボスモンスターに難色を示していた。大剣を軽々と振り回す筋力に部屋の奥から扉までの長距離を瞬時に走る俊敏性を兼ね揃えたモンスターなんて、アスナにしてみれば、反則もいいところだ。クラインも僅かな情報に気ぜわしなく速足で歩き回り、僅かでも生存率を高める可能性に脳電を走らせる。クラインは安全地帯を行ったり来たりして辺りを動き、はたと止まったかと思えば、また歩くを繰り返していた。

 

「圧倒的に壁が足りねぇ。情報通りなら五人一組で攻撃を受け止めてぇから最低十人は必要だが――ウチで回すならカル―とトーラスとジャンウー、後はノーチラスの四人だ――いくらなんでも危険すぎる…」

「攻撃は、キリトくん、クラインさん、オブトラさん、トーラスさん、ユズルくん、私を入れて六人ね。三人一組で分けられるけど――守りも高いなら早くポットローテをしても後半は息切れして勝てない…」

 

 僅かな勝機の見えない戦闘に誰も口を開けなかった。壁になる人数もいなければ、殿を回す人員もいない。高い俊敏さもあれば撤退は困難となり、ボスは絶対に倒さなければならない。一時間以上の戦いで体力を削るやり方とは真逆に、幾分の時間を与えずに短期戦による戦闘など成功例がない。

 この理不尽な状況に暗影を落としかけたアスナとクラインは、メニュー画面を操作するキリトに気づかなかった。テーブルにゴトッと鈍い音の視線の先には、キリトの愛用する黒い剣とは対象に、白い刃先と薄青を合わせた水晶のような剣だった。

 

「クライン、アスナ――隠していた訳じゃないが、俺にはエクストラスキル【二刀流】がある――二本の刀を高速で使用できるスキルだ。ボスの懐まで行けば、高性能のこの武器で攻撃し続ければ、ボスを倒すことができる!捨て人をする隙も与えずに攻撃すれば助けられるはずだ!」

「それじゃ守りはどうすんだよ!オメェ一人で命賭けるつもりか!?」

 

 新しいスキルは気になるも、キリトの提案はクラインからすればキリトが¨生きる¨か¨死ぬ¨かの博打だ。突破する可能性は一番高い最善案だが、採用を認めたくない彼は次善策を考え始める。焦りのクラインに対してユズルは水晶の剣をしげしげ観察しながら言う。

 

「なら僕はノーガードのキリトをサポートするよ。僕のスキル【幻影】は分身を作り出せるものだから…これを使えばボスを攻撃して注意を逸らせる。それなら――」

「ユズル、そのスキルは使っちゃダメ…シリカちゃんから聞いたよ。そのスキルのデメリットを――本当に大丈夫なの?」

 

小声で耳打ちをするユナは伏し目がちなユズルに言う。

 

「…ゴメン、目の前で何かを失うよりは――やれることは全部やりたい」

 

 ユズルは薄く逼迫した顔で、まるでこれが一番の最善策と思い込ませる様子で、そっと耳打ち返した。クラインに【幻影】のメリットのみを説明するユズルに――少しずつ何かが壊れていくかのようで、内心穏やかではいられなかった。

 最終的に六体の分身を壁で出す提案に決まり、一瞬だけいまいましさと苦々しさの入り混じった顔つきをしてしまう。すぐに、顔を引き締めた彼女は撥弦(はつげん)楽器を取り出し、軽やかに弦を弾く。

 

「突入前にありったけのバフを付けるよ!歌い終わる前に戦闘の準備をして!」

 

作戦会議を終えた皆にユナはややヒステリー気味に言う。周囲は鎧や武器を切り替える数分の間に赤色の音符や水色の音符の付いたマークが立ち並ぶ。どれも短期戦に持ち込むには最適なバフに、キリトやクラインやアスナを含めたメンバーは段々と明るい顔を帯び、ユズルもメニュー画面に浮かぶ音符に触れ、説明を黙読した。

 

≪陽炎の祈り≫――攻撃力のボーナス。

≪水音の加護≫――俊敏力と麻痺耐性、自然回復のボーナス。

≪風音の護り≫――防御力と毒耐性、スタン耐性のボーナス。

 

短期戦に合うバフを確認し終えたメンバーは、ユズルの回路結晶を使用し、空間に歪曲した青い渦巻きに飛び込んだ。

 

 

 眼前に映る光景は地獄と言うには生温く、戦闘という言葉はあまりに甘美に聞こえた。それまで救出に闘志を燃やしていたメンバーが、二枚扉の開かれた先の一歩を躊躇するほどだ。今まさに手を伸ばし、青黒い肌のボスモンスターは手近にいたプレイヤーの片足を摘み、宙づりになった男の両手と両足を掴む。

 

「ぎゃああああ!!」

 

腹部から引き千切れる肉の音。飛び散るポリゴンは綺麗な半円の放物線をえがく。離れた下半身になお消滅せずに残る上半身から痛ましい悲鳴が上がった。下半身を咀嚼するボス≪ザ・グリーン・アイズ≫は人骨を噛み砕く鈍い音を洞窟に響かせ、全軍の指揮をとるコーバッツは眉一つ動かさずに、残った上半身をボスに投げつけて消滅させる。

 

「中尉命令だ!強き者の盾となれ!!軍の正義、解放のために――命を賭けろ!!」

 

 疲弊した八人の肩は震え、腕にまで汗をかき、声にもならない叫び声と共に、剣や槍を投擲する。無謀の突入に二人を身代わりに、ダメージを与えるはずの一人の断末魔は彼らの脳にこびり付く。解放とか正義とかよりも――目の前のコーバッツが同じ人間なのか、ボスモンスターと同じ悪魔なのか、もう分からなくなっていた。ただ、『生きたい』としか分からなかった。

 投擲スキルの無い、ただ投げるだけの槍や剣にボスの注意を引くことはなく、≪ザ・グリーム・アイズ≫は眼前に向かってくるプレイヤーを左右に叩き落とし、もう一人は蹄で蹴り飛ばす。左胸から左脇腹が跡形も無く消し飛ばされた様子も、コーバッツはボスに目をくれず腰の引けたプレイヤーの足に狙いを定める。

 

「臆病者は俺が斬る!!我が軍に弱卒は要らん!」

 

振りかぶる腕におぞましい激痛の一撃が彼の上腕を襲う。

 

「なっ――」

 

手首を動かす感覚から肩を回す感覚のない様を、コーバッツは信じられなかった。

 

――自分の両腕が無い。

 

 ただの一撃で、あっさりと両腕を切断された。何人もの部下に拳を振るい、誰よりも絶対的な正義を信じ、腕っぷしで中尉まで登り詰めた自慢の腕が消え去った。いや、奪われた。下層民と嘲笑った黒いフードを着たプレイヤーに奪い去らわれた。痛みよりも、尊厳を奪われた喪失感が、コーバッツの心を真っ黒に染めた。

 

「貴様ァァァ!!」

 

コーバッツの顔は憤怒に歪み、見る影の無いほど餓鬼化した。アインクラッド解放軍の聖戦をぶち壊し、弱卒の人種に誇りを穢された。傍目で見ればただの殺戮であるかもしれない。だが彼にとっては健闘を邪魔されたことが――ボスを倒す結果を横取りされることが腹ただしくて仕方なかった。

 

「これより前線部隊を切り替える!負傷した兵は引き、現存兵は負傷した隊を支えろ!」

「勝手に――」

「その後は歌姫の指示の元、入り口の安全地帯まで非難しろ!最後にこの言葉は三大ギルドの通達だ――『生きろ』」

「――ッ!!」

 

 コーバッツの怒りの眼差しを、意にする事無く、黒いフードを被ったユズルは声を張り上げた。

 

「皆さん、こちらに避難してください!ボスは引き止めていますから慌てずに!」

 

 ロイヤルブルーの布防具を身に纏い、羽根つき帽子を乗せたユナは敵を警戒し、アインクラッド開放軍の八人と共に避難を始める。ユズルは砂地を蹴り上げ、ボスに向かう。誰一人として命令に従わず、年長者よりも若造の命令を聞く生き残りを、コーバッツは彼らの愚に憤りを感じた。

 二人の言霊(ことだま)はアインクラッド開放軍の八人に生きる希望を与える反面――視線すら向けられないただ一人の独善者は、怒りに瞳を濁らして、いた。

 

 

ユズルは壁役に六体の分身で応戦し、本体はアスナとの連携攻撃に集中させていた。ザ・グリーム・アイズの大剣にふと悪寒に囚われたアスナとユズルは反射的に後退する。大きな砂埃に先の見えない様子の内、すぐにユズルは気になった部分を整理していた。

 

 固有名≪ザ・グリーム・アイズ≫の別名は¨青眼の悪魔¨――人体の部位破壊に敵を攻撃するその姿を、初めは名前に恥じぬボスとしか思えなかった。だが戦い方は他者をいたぶる残虐な戦い方にも関わらず、安全マージンに満たないプレイヤーを大剣で斬らずに叩く行動はあまりにも不自然だ。一番ダメージを与えるべきコーバッツを無視している姿も気になる。どこかモンスターが残虐性を演出している様は――冷静で賢すぎていた。

 

「アスナ、キリトの準備はどう?」

「今はまだ駄目!――せめて一瞬でも隙をつくらないと!!」

 

厚い肌にゴツゴツした筋肉は大岩並みに固く、細剣を弾かれてしまい、アスナは焦燥を隠しきれなかった。アスナが地に力を入れて勢いをなくすと同時に、ユズルは短刀を蹴り上げるが、ボスの注意を仕向けるまでには至らない。

 

「――やはり正面は難しいか。ユナのバフが切れるまであと二分。せめて一分で態勢を崩したいか」

 

独り言で、ユズルは早急に切り出した。

 

「前の大剣だけ意識しろ!!――弾けば隙ができるはずだ!」

 

右翼に控えたクラインはカル―とトーラスの攻撃に合わせて大剣を弾く。続けて左翼にいたカル―とノーチラスに分身を合わせた攻撃をボスは正面から受け止める。バフの恩恵で一本のゲージの減少では時間が足りず、あと九十秒で戦闘は困難となる。叱咤激励の飛び交う洞窟に、さらなる死闘を繰り広げ始めていた。

その中≪ザ・グリーム・アイズ≫に興味を寄せていたユズルは、ある賭けを思い付いていた。

 

 

「あのボスはずっと正面ばかりで攻撃を受け止めているな…なら、背後か頭が弱点かもしれないか」

 

ボスの弱点を模索していたユズルは今までに攻撃を受けていない部分は弱点と睨んでいた。一番の有力候補は頭部ではあったが、体長四メートルを超える巨体ではしがみついて登るわけにもいかない。さらに右翼と左翼のプレイヤーをあしらうあたり、ボスの情報処理能力は高い。しかし分身を空中に出現させ、土台になって昇れば――索敵範囲外の上空であれば、気づかれずに奇襲をかけられるはずだ。

 

「残り十秒――もう相談する時間もないか」

 

 

アスナにはもう一人の分身を就け、本体はそそくさと前線を離れる。

 突然何かが起こった。分身の七体目を操り始めた途端、ユズルの頭に痛みが走り、視界は歪曲する。自分に「大丈夫」と言い聞かせ、もう一人分の分身を呼び出す。気づいた時には七メートルは上がっているのだろうか。戦場の全体を見下ろせるまで上がっていた。

 空中で分身に足裏を弾かせ、上空から三メートルを落下した勢いのまま、ザ・グリーム・アイズの頭骨ごと刺し砕く。ユズルの奇襲が、成功した瞬間だった。

 

 

 目の前のボスに何があったのか。壁を指揮するクラインと攻撃を指揮するアスナは理解できなかった。暴れ狂うボスの怨嗟を交えた雄叫びに威圧され、攻撃と守りを緩めるほどだ。

 

「グォオオオオオオ!!!」

 

 だが、戦闘を開始し、初めて大きく隙が生まれた事実。これをキリトが逃すはずもない。水晶の剣と漆黒の剣を両手に装備したキリトは、ボスの懐まで詰め寄る。

 両剣に光が集う。輝きはさらに双剣に集い、眩く束ね上げていく。仲間の意思と誇りの結晶を掲げ、自分の信義を貫く力を、キリトは高らかに叫ぶ。

 

「スター・バースト――ストリームッ!!」

 

光が奔る。光が吠える。切り裂くたびに溢れ出る光は、星と錯覚するほどだ。

二撃、五撃、九撃――綺羅星(きらぼじ)の如く輝きながら空間を灼く。その星光がキリトに、かつて月夜の黒猫団と見上げた空を回想させる。

 

「があぁああああッ!!」

 

十一撃、十三撃、十五撃――ユズルやクラインが何か言ったのかもしれない。だが聞こえない。耳元で微かな閃光も、烈風を掠める音も、何も聞こえない。

 

十六撃!!――この一撃の重みは皆の想いだ!キリトの一撃はザ・グリーム・アイズの腹部を貫通していた。全てのHPゲージを破壊した『地上の星』に、小さな唸り声を上げてから、ザ・グリーム・アイズは静かに消滅していった。

 

 

たった十人でボスを倒した。≪ザ・グリーム・アイズ≫の消滅した空虚な世界に、ユナとアインクラッド解放軍の生き残りは安全地帯から全てを見届けた。【月夜の黒猫団】【風林火山】【血盟騎士団】の連合軍による死闘を、彼女は肉眼で戦況の全貌を焼き付けていた。

 クラインの指揮の元、大剣を何度も弾き返す連携した鉄壁の守り。アスナを先頭に急所を探る一閃の攻撃。ボスの急所を見極めたユズルの奇襲。キリトのエクストラスキル【二刀流】による連続攻撃。僅か五分間の出来事だった。

 

 ともあれ、戦いの気配は一段落したが、生き残ったアインクラッド解放軍の八人の体力は完治していない。黙視で確認し、ユナは傷ついたノーチラスやアスナに回復ポーションを配り歩く。

 

¨無事で良かった…¨

 

 扉の隙間風に髪をなびかせながらも、ひとまずユナは安心した。すぐにユズルにも回復ポーションを渡さなければならない。今回の戦闘では、【幻影】に頼らなければ被害はもっと甚大であった。壁や攻撃――奇襲作戦に合わせて分身を八体も出現させていた。シリカちゃんの話しでは、「プレイヤーを斬る程に理性を抑えきれなかった」と聞いている。今はただ、肉体も精神も限界に近いユズルを傍で一緒に居たかった。

 彼女を加えたメンバーに精神的な余裕があれば、特にキリトやクラインはもっと早い段階で、殺意を含めた独善者の気配に気づいていたのかもしれない。激戦で疲労したメンバーと回復に勤しむ彼女には咎められないところではあった。

 

何の前兆も無く、何の脈絡もなく――光彩は風に乗って彼女の頬を掠めた。

 

プレイヤーが出血の代わりに現れるダメージの光彩に、一体何が起こったのか周囲を確認する。

 

「え――」

 

 光彩の流れ出る先の光景に、ユナは信じられない気持ちで硬直した。回復したコーバッツが黒いフードの顔に剣を突き刺していた。後頭まで貫通している刃先から大量の光彩が溢れている。ゲージは黄色から濃色に減少している様にコーバッツは満面の笑みであった。

 

「その分身攻撃――貴様がGMか。散った軍の為に――ここで消えろ」

 

低い声で呟くその声は、既に正義の妄執に囚われた悪魔の声色だった。それを聞いたユナは、彼を責め立てていた人の広く深い悪辣さをみくびっていたと理解した。

 

戦いは、まだ続いていた――胸に安堵する暇など無いほどに。

 

 




【被害報告】
 捨て人二人+ダメージアタッカー=合わせて三人

※捨て人の二人はコーバッツにより消滅している。
※ボスが直接倒したのはダメージアタッカーのみ。


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29話 ...いつまでも...どこまでも

 先にユズルは意の一番に飛び出してコーバッツの蛮行を止め、勢いのままクラインとアスナの率いる別動隊でボスを塞き止めた。捨て人を辞めさせるには味方にも攻撃するコーバッツを止めなければならず、両腕を切断するという過ぎた攻撃に、これにはユナは難色を示していた。

 捨て人にされているプレイヤーの避難と防衛役の彼女は、アインクラッド解放軍のプレイヤーにコーバッツの所業を聞くまでは、ユズルの非道に見える行動より悪くないとさえ思う程だ。

 

 元々コーバッツは第二五層で行われた捨て人の候補に入るプレイヤーだった。候補から外れたい一心で上層部にひたすら媚びを売りまくり、好意を上げたことで死を免れたそうだ。そんな彼が¨中尉¨の階級を得た理由は第四十層撤退作戦である。死者を出さなかった功績を自分の手柄と公表し、好意的な印象を持つ彼の真意を疑わなかった上層部は階級を上げたのだ。

 当然その場にいたプレイヤーは抗議するも上層部は『正義を貫く真面目な人物』を疑わず、偽りの実績を信じてしまい、今の階級を得たそうだ。

 

ユナは不快感を押し込め、再び追求すれば耳を塞ぎたくなる話だった。コーバッツ自身に確たる実績のないまま階級が上がり、彼はプレイヤーの育成・教育係の任をこなせなかった。他者に階級を見せつけて狩場に指示を出し、ひたすら上層部に媚びを売る日々。低い階級の者には教育という名の暴力で口裏を合わせるやり方を繰り返していたそうだ。精神を病んだプレイヤーによる離反者の増加に業績を守りたいコーバッツは、今回のボス攻略に臨んだそうだ。

 

 ほぼ命懸けの戦争に我が身可愛さで行う所業にユナは一計を実行に移した。コーバッツがユズルを蹴飛ばしてから秘かに実行していたことだ。音楽プレイヤーの録音機能を押し、コーバッツの音声を記録させ、さらに救出と見せかけて『捨て人』をした証拠を抑えておいた。

 ギルドマスターに提出すれば彼を失脚に追い込める。これがユナによるコーバッツを追い詰める作戦だ。唯一の誤差は――コーバッツがユズルを刺しただけだった。

 

 

刹那は、なかば反射的なものだった。剣を目掛けて短刀のソードスキルを発動し、コーバッツの剣を弾き返す。ユナは対人経験が乏しく、武器破壊をする技量は著しく劣っていた。戦闘経験の無いだろうプレイヤーに武器を弾かれたコーバッツは怒りに暗く濁った眼差しでユナを凝視した。

 

「何故庇う?彼奴を殺せば全てが救われるだろうが!」

「あなたにこの人を殺させない...私たちが阻みます。ここで」

「黙れッ!!小娘ごときが口答えするな!どいつもこいつも馬鹿タレガァ!!」

 

 もはや錯乱に近く喚き散らしながら斬りかかる。長剣と短刀では間合いの取り方を測りながらの戦いに距離を詰めての乱剣。刃を合わせるのみで一合も打ち合わずにユナは長剣が擦過(さっか)する寸前での回避を繰り返す。

 

「堂々と戦わないか!卑怯者!!」

「悪いけど戦う理由が無い!私は守りたい人を守る――ただそれだけよ」

「戯言をぬかすな!歌うだけの小娘に何を守れる!?」

 

攻める気配をみせない少女に段々と苛立ちを乗せた攻撃は大振りとなる。回避という挑発が実を結んだ瞬間だった。後ろに下がりながら、ユナは羽根つき帽子を掴んで地に落とす。これが、彼女の合図だったかもしれない。

 

「私たちが、ね。彼を守るの」

 

 埒のあかない展開に舌打ちを打ったとき、コーバッツの左腕にピッキング用の細い針が刺さった。ピッキング用の針はプレイヤーにダメージを与えることもない。乱暴に針に指先を摘むも不意に全身の痺れに襲われる。コーバッツは全身を支えられず、そのまま砂地に膝を付いた。

 

「無駄だ。それは対違反者に特化した犯人を抑える麻痺デバフ付きの道具だ。暫くは動けないぞ...昨日の装備のままで良かった」

 

 ノーチラスはコーバッツを見下ろす形で睨む。彼の隣に立つアスナは少しだけ前進し、コーバッツと向き合う。凛とした、細い眼力にコーバッツは一瞬だけ怯みを帯びた。

 

「コーバッツ...あなたは捨て人の実行犯及び、プレイヤー殺人未遂として血盟騎士団が拘束します――貴方に弁護士を付ける権利も、検察による問答もありません――処罰はギルドマスターの話し合いで決まります」

 

冷酷に僅かな怒気を含めてアスナは言う。弾劾された彼は、地に額を押し付ける力に微かなポリゴンが上空に舞う。絶対的な正義を砕かれ、誰も味方になる人もいない彼は――ただ、茫然と動かなくなった。こうして、コーバッツの心は砕けた。

 アスナからクラインに手渡された首輪付きチェーンによる拘束を、彼は暗く虚ろな、抜け殻のような眼差しで受け入れ、空虚な空間を見据えていた。

 

 

騒動は終わった。拘束されたコーバッツは動けず、生き残ったアインクラッド解放軍も黒いフードの人物が世間の言う『犯罪者』と知っても責める視線は見受けられない。ユズルはずっとうずくまったままの姿勢で固まっている。

 

「大丈夫だよ――もう、ユズルを責める人はいないわ」

 

 近づいて話すも返事はない。急な突風で砂埃が目に入り、彼から視線を外してしまい、黒いフードはユズルの素顔をさらした。ユズルの顔は変質していた。潰された両目に口は横半分から首が斬られている。喉まで傷めたか、ひたすらうめき声を上げている。背中を丸めていた彼は右手の甲に短刀を突き刺していた。

 

ユナの双肩は危ういほど激しく震えた。彼はずっと耐えていた。誰も命を奪わない――皆が傷つかないように自分を抑えていたと。私は他人を優先している彼は好いている。でも他人を救うばかりで、そこに自分が救われる選択をしていない。それが堪らなく嫌いだった。

 

「もう――やめてよ!!」

 

思わず突き刺していた短刀を遠くに飛ばす。まるで何かを探す仕草をしたあと――

 

「ヶァッ!!ォォ...」

 

――半ば悲鳴に等しい嗚咽を張り上げながら、無様に地を殴り始めた。

 

「ユズル!!!」

 

 自傷行為をやめないユズルに、ユナは前から胸に飛び込む形で突進する。ユズルは私の話を聞いていない。いや、聞こえていない。幻影のデメリットで理性を無くし、既に自分の殺意を寸前の所で抑え付けている。それを超えていないユナの発言には、いっさい彼の耳に届いていないのだ。両腕でしがみつき、地の砂粒をまとわりながら暴れる彼に絶叫する。

 

「ねぇ!――私が分かる!?いつも貴方に向けて唄を歌っていたユナよ!初めて手紙を貰って嬉しかったユナよ!貴方がどう思っているか知らないけど――ユズルのことが好きなユナよ!!」

 

もう夢中だった。転がりながら胸に隠すつもりだった『本当の想い』を叫ぶ。ここで二度と会えなくなってもいい。たった一瞬でもいい。彼の心に『殺意』に負けない強い感情を伝えたかった。声を絞り上げるほど、彼の拒絶は少しずつ弱まる。

 

「これ以上自分を傷つけないで!もう、自分を責めないで!もうこれ以上――一人で遠い存在にならないで…」

 

 暴走の糸が切れた様に動かなくなった彼を慈しむようにそっと、ユナはユズルを抱きしめた。どれくらいの時間が経ったんだろう。気づけば、ユズルの口は復元していた。喉の復元を終えないまま、ほんの掠れた小さな声を漏らす。実際にその声が聞こえたのかは定かではない。体の中で共鳴しただけかもしれない。でもその声ははっきりと私に届いていた。

 

「...ゆぅ、な...けっ...こぉ、ん...し、よぅ...」

「うん。喜んで」

「...ぇ」

「ユズルだからだよ。この世界の全てがユズルを責め立てても、私は違うって――何度傷ついても、ユズルはそんな人じゃないと言うわ」

 

ユナはユズルの胸に顔を埋めさせて告げる。

 

「ずっと一緒だよ...いつまでも...どこまでも」

 

ユズルはユナの肩にもたれたまま――人肌の暖かさを感じていた。

それは――いつしか人心の深い闇に我を忘れ、ただ磨り減っていくしかなかったユズルが、探していた鈍く光る正体だ。ユナは、どんな僕になってもありのままを受け入れてくれる。その理解に、胸の中の傷が癒されていくのを感じながら意識を手放した。

 




【後書き】
・7話で初対面し――10話で強制的に離れ離れになり――20話でヒロインは恋心を自覚し――22話で出合い――29話で無事に結ばれました!!

ここまでの展開は筆者一人では挫折していました。
 評価を頂いた『yunaital』『まっちゃんのポテトMサイズ』『Lankas』さん
 感想で応援してくれた『まっちゃんのポテトMサイズ』『コクマ』『氷冬流』さん
そして、ご愛読している皆さん、本当に有難うございます(*^_^*)

PS:もし、お名前の提示を良く思われなければ削除します。お伝えして頂ければ幸いです。




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30話 光の先

エピローグ


2024/10/21(深夜)

 

見知らぬ天井と明るい目木の天井に、まだ醒めやまぬ意識のまま、ユズルは周囲見渡す。時間も夜になっているのか周りの暗がりに宵月の明かりが差し込む程度だ。開かれたカーテンにキリトはベッドに背を向けて寝息を立てている。

 

 あれから何があったのか。アインクラッド解放軍のコーバッツに正体を暴かれ、殺意を向ける前に誰かが守ってくれた。目は見えない恐怖に幻影のデメリットが蝕み、奇声や怒声が責められる濁った激情に全身を押し寄せられていた。ただ、しばらくして何かが違った。どこか暖かい温もりと心地よさに包まれているとふいに想い人の声が聞こえて、前にアルゴから聞いたケッコンシステムが脳内を去来して――

 

「ユズル、具合はどう?」

 

ユナの声だ。ユズルはユナを見つめた。混濁した記憶を遡り、抱きしめられて告白までした所まで回想すれば、心はぼんやりと熱くなっていた。

 

「もう少し眠っていても良かったんだよ。まだ二日しか経ってないんだから」

「普通は一日も寝ていたら疲れは取れるんじゃない?」

「…普通はね。無茶して【幻影】を使うからでしょ。また三日も寝るのかと思ったわ」

 

ユズルの憮然な言い方に、ユナは冷ややかに言い返すと、近くの椅子に座る。

 

「ユナ――ここは?」

「エギルさんのお店の二階。クラインさんの紹介でしばらく借りてるの」

「どうりで見覚えがあるわけだ――この明るさはこの街の名産だからな」

 

ユズルは軽く上半身を起こし、窓から漏れた灯りを眺める。深夜に色彩を掻き集めた光の集積物を眺めるのをユズルは楽しみの一つにしていた。窓の明かりに執心している彼にユナは気を利かせて水を向けさせる情報の解説を始める。

 

「ユズル、コーバッツの件、ギルドマスターの話し合いで無期限の監獄行きに決まったわ」

「…そうか」

 

 充分な罰にも関わらず、ユズルの返事は沈痛な声だった。今に始まったことではないが、どうしても相いれない物事には、素直になっていい気もする。ユナは真剣な顔つきで淡々と話し続けた。

 

「それともう一つ――ユズルの処遇だけど、貴方のGMの疑いは晴れたわ。ただ、常に誰かと一緒にいるという制約付きだけどね」

 

 ユズルは叫びそうになった。あまりのことに固まり、喜びと哀しさを混ぜた気持ちで、ユナの薄茶色の瞳を見つめ、上半身を起こしたまま動けなかった。GMの疑いが晴れた――ソードアート・オンラインをクリアするまで続く逃亡生活をしなくていい。ユズルは半ば疑い、半ば嬉しさに満たされながら、次の言葉を言い出せなかった。

 

「ユズルが寝ちゃった時だけど、アスナさんが事件を報告してね。すぐに団長に呼び出されたの。コーバッツの処罰を話し合いたいから聞きたいってね。もちろん、皆で一通り伝えたわ。

 そしたら、団長が¨何か対価を渡したい¨と言ったから――ギルマスの集まりでユズルを自由にさせる様に発言して欲しいってね。もう皆が同じことを言ったわ!…ユズルが起きていたら、その時の団長の顔を見せたかったな」

 

 ユズルは黙って聞いていた。ユナはご機嫌に鼻歌を歌いながら天井の方を向いて微笑んだ。皆に救われてもう命を狙われないかもしれないが――果たしてユズルは何をしていたのか。

 そう、僕自身は何もしていない。ただ身を潜めて動き、相手が危険になると分かっていても人に甘えて過ごしてきた。どうしようもない口惜しさと共に、改めて痛感する。

 

――やっぱり僕はちっぽけな人間だな

 

強大なアインクラッドの傍らで、ただひたすら自分を小さく、惨めに、怯えていたプレイヤーに過ぎない。ユズルは憂鬱顔を奥に引っ込め、微笑して誤魔化した。

 

「本当に、良かった」

「もう少し喜んでもいいんじゃないかな?」

 

どこか他人のような言い方にユナは眉をひそめていた。

 

「あぁ、それもそうだね」

 

ユズルの曖昧な相槌に、確かにこういう関係だったかも知れないと心の中で思っていた。

 それにしても久しぶりに会ったユズルは以前と比べれば衰弱していた。それでも吸い込まれそうに静かで、穏やかな透き通った瞳は変わらずで、それだけで初めて唄を聴いてくれた頃に戻ったような、懐かしい気持ちにならずにはいられなかった。

 

「どうかしたの?な~んとなく、凹んで見えるよ」

「皆に迷惑をかけたからかな。だいぶ落ち込んでいるよ」

 

 ユズルの声はきっぱりとしていて、それでいてユナはいくらか胸に蟠る想いを口にする代わりに、彼の悩みを聴くことに徹した。ユズルは掛け布団の上からきつく掴む。

 

「大切な人を、守りたい。ただ、それだけを考えていたよ。名声や地位や身の安全なんかと引き換えにできるほど、安いものじゃないからね」

「それは…」

「だけど、同時に思ったよ。何で人に頼ることが出来なかったのか――いや…違うか。ただ『助けて』と言えば良かった。なのに、皆を失いたくないから距離を置いていたとね」

 

 大切な人を守りたいのに距離を置く。矛盾したその言い方を、ユナは遮ることなく、真剣な眼差しで識別するようにユズルの総身を見渡し、ただ静かに頷いただけだった。

 

「大切なものを失うのが怖くて逃げていたよ――それが結局周りを不幸にするだけ不幸にしていたと。僕はさ――特にユナには色んなものを沢山貰ったよ。なのに、想いは空回りしてばかりで何も返していなかった。ごめん――好きなのに…幸せにできなくて…」

「ユズル…私は…」

 

ユナは何かを言う寸前、突然ドアが破れて人が流れ込む。

 

 

「おい!何やってんだ。せっかくこれから面白くなりそうな所だったのによ!」

 

 寝息を立てていたはずのキリトが飛び上がり、ドアから流れたプレイヤー達に鋭い声をぶつけた。【月夜の黒猫団】【血盟騎士団】【風林火山】のメンバーにシリカやリズベットが押し潰されている。それでも、ケイタの持つ特大ビデオ機材やアスナの小型クリスタルのカメラにクラインの迷彩を施した棒付きマイクは止める気配を見せない。

 

「だから押すなって言っていただろ!」

「ケイタがもっともっとで詰めるからだ!」

「仕方ないだろ!滅多に見られないユズルのラブシーンだぞ!永久保存版ものだ!!俺は!たとえゾンビに襲われてもカメラは止めないぞ!!」

 

 謎の使命感に駆られているケイタは、倒れつつもカメラを向けたまま、のしかかりをしているダッカ―を睨む。サチは倒れてはいないも、望遠鏡を向けたまま視線を外していない。少し頬を赤くしたまま、双眼鏡で覗いているササマルとテツオに軽く跳ねながら何か話をしていた。

 

「もう…男の子ってどうしてこうデリカシーってものがないのかな」

 

アスナは小型クリスタルのレンズからシャッター音を連射させる。

 

「アスナ…そのシャッター音なんだよ」

 

呆れてはいるもののノーチラスの握っている録音クリスタルは点滅したままだ。

 

「皆静かにしろ!せっかくの録音に声が入るだろ!――ジャンウー、しっかり撮れたか?今の甘酸っぺぇ声が撮れたか!?」

「ばっちりだぜ!これでいつでも摘みになるぞ」

 

 棒付きマイクを持つクラインの催促に、ヘッドフォンを付けたDJ衣装のジャンウーは親指を立てた。押しつぶされた人混みからシリカとリズベットはにゅるりと抜け落ちる。

 勢いのまま、ベットにダイブするシリカをユズルは受け止める。リズベットはユナに駆け寄り、背中を軽くたたいていた。

 

「ユズルさ~ん、ユナさ~ん!ご結婚おめでとうございます!!」

 

シリカは満面の笑みで祝福し、リズベットはさらに嬉しそうな顔で

 

「ユナ、アンタは幸せになりなよぉ~」

 

などはしゃぎながら言った。しかし、あまりにも騒ぎ過ぎた。一階からドタドタと激しい足音を鳴らし、先住民のエギルは破られた扉に金切り声を上げる。

 

「おいこら!家のドアをぶっ壊すな!――ってクライン!それウチの酒だろうが!!」

「細けぇこと言うな!!今日は結婚祝いだ!たらふく飲ませろよ!!」

 

そんな、しんみりとした微妙な空気は陽気な宴会によって、どこ吹く風になっていた。半眼の粘るような目つきをしたユズルとユナ。とりとめとなく考え事をしていると、ユナの右手がユズルの左手に乗せられる。

 

「さっきの返事。ユズル、私ね――今とっても幸せだよ。貴方が約束を守ろうと動いていた繋がりのお蔭で、私は皆と出会えた。皆と仲良くなれた。私の大好きなユズルに――また出会えたんだから」

 

ユナはそう言ってから、左手を重ね、さらに右手を絡ませる。

 

「今までありがとう、ユズル…」

 

 愛を注ぎたい女性の言葉に思わず、ユズルはそっと手を引き寄せる。宴で笑い合い、語り合う人の姿は明るさで溢れていた。一人では儚い光も束になれば、眩いほどに輝く。

 約束に縛られて生きてきたユズル自身が、眼前に映る輝きに、疑心暗鬼の充満する世界で強い絆で結ばれた人の繋がりを目のあたりにしていた。ユナに「繋いできた結びつきは必ずあなたを見捨てない」と思い出せば、これ以上ないというほどの優しさと喜びでいっぱいになっていた。

 

「いけないな、まだ目が悪いみたいだ――あぁ、でも…あったかい」

 

 まぶたを焼くような熱い涙が流れ、右手で顔を支えるユズルの頬をつたう。ユズルの空いた手に両手を重ねるユナの手には、約束の証である巻き付いた髪の毛と共に――銀色の指輪が光っていた。

 




二人の恋の行方は結婚と言う形で正式に結ばれました。

次回からはMHCPとカーディナルの話となります。

ヒーストグリフ生存の結果に合わせて、ゆるふわな話となります。オリジナル回に悪ふざけする描写もありますが、お楽しみ頂ければ幸いです。

お知らせとなります――

アンケートを募集した【恋のABC】つまり、二人の初夜をR-18で投稿します。
 理由としては、性描写だけではありません。
現段階でALO編のプロットを見返せば、R-15では著しく反社会的な行動や行為に引っ掛かる可能性があるからです。

投稿した時は、≪掲示板≫でお知らせします!(^^)!



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31話 恋物語りは一喜一憂する

恋物語では、ある物語を二人は語り合います。
 恋は結ばれてからが、一番大変です。
恋とは何か?愛とは何か?難しいですね(;´・ω・)



【注意】
著作権やR-15規程を調べて投稿しています。
もし運営さんに警報があれば内容を切り替えます。
 ご了承下さい( 一一)


2024/10/22

 

 結婚祝いの宴から一晩明けた、早朝午前八時過ぎ。ガラスに反射して清清しい朝日の差す午前だ。厨房の小窓を少しだけ開けたユズルは、霜の流れ込む空気を確かめながら、エギルのキッチンを借りて朝食を作っていた。

 第五十層にある店の立地は細道に人の便は少ないものの、この場所を選んだエギルは、自営業で開いているカフェと似ているせいもあり、この物件を選んだそうだ。ユズルも騒がしい場所とばかり思っていたが、起きてすぐに散歩をすればエギルはただ感傷に浸りたいだけでない、と気づかされた。

 

 すぐ近くに差し掛かっている茶色いレンガ造りの石橋は、アルゲートで唯一の水路であり、比較的に人通りの多い細道であるのだ。裏道ではあるも、第三層のロービアにある「ゴンドラ」と呼ばれる船に乗れば、第五十層まで水路を揺られながら移動できるサービスもある。安全マージンの低いプレイヤーも第一層から第五十層までの道のりを安全に移動できるとあれば、コルを稼ぐ『金策クエスト』や新たな食料を選ぶ幅も広がるということだ。

 

 ユズルは朝食のカボチャスープから視線を外さずに今後の生活を考えていた。第七四層の大樹の上に吊るしてあるツリーハウスでは食料の調達や人が行き交うには不便であり、住もうにも世捨て人という印象も強くて、本音は馴染めるはずもない。現に二年間は、崖の上のハンモックやNPCの運営する飲食店の椅子を並べて寝た時も、人間の寝泊まりする場所ではないせいか、疲れは取れなかった。

 一方的な見方ではある。ただの一般プレイヤー兼商人ともなれば、『静かで自然の多い場所』『敵モンスターはいない』『他のプレイヤーの行き来が少ない』『徒歩で転移門まで行ける場所』を満たせる所に家の建造を計画していた。

 

 

カボチャスープも出来上がる間近に、いつの間にか起きてきたユナは事前に準備していたトマトやサラダを用意し、鮮やかな彩りをした朝食を小さなテーブルを囲んでいると、二人は現実で世帯を持った夫婦になったような気がして、お互いに見合わせて薄く微笑む

 

「もうプレイヤーに襲われる心配もないなら、新しい家を建てようと思うんだ」

 

エギルの小売店で軽い朝食を食べながらユナと相談していると、

 

「また急な話ね…でも悪くないかな」

 

肯定的な言い方に、ユズルはかえって不安になった。

 

「あれ?賛成なんだ。今はコルも共有しているし――血盟騎士団の仕事や歌の活動もあるから、断られるかと思ったよ」

「あっ!そう言えば、まだ言ってなかった。折角会えたのにまた離れるのも嫌でね。だから血盟騎士団は円満脱退したわ。『歌の活動』に専念すれば、また普通の生活に戻れるしね」

 

 血盟騎士団の一時脱退はイメージの関係で容易ではない。しかし、例外はある。血盟騎士団の規則事項に『結婚をした男性及び女性は、ギルド内でフレンド登録したプレイヤーを保証人として伝達し、遅滞なく届ければ受理される』項目がある。

 今でこそ鉄の規律を持つ【血盟騎士団】であるも、立ち上げた当初の愉快なノリで定めた規則であった。

ユナは結婚した証である銀色の指輪を差し出し、副団長のアスナを保証人とした。ヒースクリフは規則通りの合理的な申請に、無下にすることも無く、渋々ユナの脱退を認めたのだ。

 

「ユナが血盟騎士団を脱退したなんて、未だに信じられないな」

「私からすれば、『家を買う』じゃなくて『家を建てる』の方が信じられないかな」

 

 そう言われてみると、一から家を建てる行為事態にどこか世間とのズレを気づかされる。軽い話し合いは、効果てきめんで、ユズルは程よく肩の力が抜けていた。

 

「あ~あ。思いっきり打ち返された」

「ふふっ、打ちやすい所にボールを投げる方が悪いのよ」

「まあ、第七四層に自作の家を置いてあるけど辺鄙な所だからなぁ。ユナも通いやすくて、敵のいない所に建設したいかな」

「――え、何を言っているの?私も一緒に住むよ。引っ越しの準備は済んでるわ」

 

 きっぱりと首を傾げながら、ユナの同棲にユズルは一瞬だけ驚くも、すぐに脳裏には二人で住む姿を浮かべていた。

 ひと言詫びを入れてから、ユズルはメニュー画面でユナのアイテムを確認する。一通りの家具一式でほぼ一杯になっていた。ユズルは画面に触れながら、改めてユナの思い切った行動力と大胆さに感服する。

 

 

 ユナの紹介から木材を調達しようと第二二層主街区≪コラルの村≫に着けば午後十二時を少し過ぎていた。二人は朝から木材を買い集め、足りない家具を相談して購入していた。インテリアで意見が合わず、買い物をするユズルよりも付き添いのユナの方が熱心になった。話し合いの末に、ユナは家具を統一したいのか色を気にしながら選び、逆に植物や壁紙はユズルが拘って選び抜く。

 互いに拘りすぎてしまい、気づけば昼食を忘れて買い物をする所だったのだ。昼食の書き入れ時に空いているレストランなどはない。仕方なく、近くの宿屋のキッチンを借りて作ったサンドイッチをバスケットに用意した。緑園に囲まれたカフェテリアで飲み物を頼み、手作りのサンドイッチを広げている。現実世界では持ち込みは禁止ではあるも、これはこれで仮想世界の醍醐味と思えてしまう。ウェイトレスに注文したコーヒーとカフェオレが置かれた時、ユナはふと、見つめながら言った。

 

「改めて言うのも何だけど、かなりの大恋愛だよね――これから先も忘れないかな」

「そうだね――今だから言えるけど、僕は諦めていたからなぁ」

 

「諦めていた」の五文字にユナに睨まれてしまう。カフェ通りのプレイヤーが気ぜわしなく歩き流れ、コーヒーにミルクを入れただけの容器に、混ざり気のない液体は模様となる。かき混ぜないまま、ユズルは一口飲み込む。ユナは口からカップを置く動作を見ながら言う。

 

「男の子って少し身勝手ね」

「そうかな?」

「そうよ。その人を好きになれば、嫉妬の一つでもして意識するでしょ。一方的に諦められれば、好きになった方が負けになるじゃない」

「世間体や身分の違いもあればわからないよ」

「そういうものかしら?」

「元々、生まれも性別も、ましてや環境も違う男女がこうして知り合うだけでも奇跡だよ。ここからお互いに恋して愛を育むまで発展するのは稀じゃないかな」

 

ユナは納得していないのか考え込んでいる。その様子にユズルは聞き覚えのある物語の一部を切り出した。

 

「¨恋愛物語¨にロミオという男性がでてくるけど、ヒロインのジュリエットとの出会い方は少し似ているかも知れない」

「聞いたことがあるわ。覇権争いで二つの名家が内輪もめをしている間に敵同士である跡取りの男女が愛し合うお話だよね」

 

ユズルは静かに微笑み穏やかな声音で、言葉を選びながら説明する。

 

「ロミオはロザラインという女性に会いたくて舞踏会に来ていた。けど、ロザラインは徹底的に彼を遠ざけて、恋をしていた彼はその現実が見えないほど夢中になっていたんだ」

「仕方がないと思うな。恋は盲目と言う位だしね」

「そうなんだよね。それでジュリエットの方も複雑だった。舞踏会で家族が薦めるパリスって言う美男に『家柄』を感じてしまい、初恋の経験の無い彼女はどうしても好きにはなれなかった」

「不思議な話。誰もが認める男の人に彼女は政治的な気配から壁を作っていたのかな」

 

 ジュリエットがロミオと燃え上がる恋をしたのは、彼女の周りに漂う政治やしがらみとは真逆である人としての純粋な恋愛を求めていた、ユナはその様なことを気にしていた。

 

「ジュリエットはただ純粋に『恋をしたい!』と思っていたと思う。そこに、恋に情熱的なロミオが現れた――理屈なんてない。お互いの運命的に出会った純粋な恋愛だよ」

 

ユナはゆっくりと目を閉じるも、やがて思い直したように、

 

「でも、やっぱりロミオは勝手かな。嘘の情報を信じて自死して、後を追うようにジュリエットも自死する原因になった。純粋に彼を愛していたからこその悲運で――ただあまりにも運命の巡りあわせが悪すぎた話よね」

 

 森林の間に差す光の下で男女が恋物語を語り合う。緑園の白い灯りの下で、ティータイムをしながらお互いの価値観を話し合うのは少し場違いな気もするが、今を思えば、ここまで恋愛に深く根を詰めた会話をするのは初めてかもしれない。

 

「こういう恋の価値観は、あんまり話さないのかもしれないね。付き合っても互いに理解してないまま素通りするか、何となくでしか分からない」

 

ユズルは言うと、ユナは素直に頷く。

 

「もう一つ、聞いてもいいかな」

「どんどん聞いていいよ」

「『純粋な恋愛』っていう話。心のままに燃え上がる恋をすると周りが見えなくなってくるでしょ。でも、それって凄く怖いことに思う。そういう場面は、どうすればいいのかな?」

「異性を愛することに制限はない。『家庭』や『家のしきたり』の環境を無視するようになれば、『純粋な愛情』も無くなる」

「なら、純粋な恋から愛に変わるには、どう線引きをすればいいのかな」

 

ユナの核心に近い問いに、一度だけ呼吸を整える。

 

「さっきの物語になるけど、ロミオとジュリエットは結ばれた期間は六日も無かった。二人はお互いに十分な会話のないまま、本能のままに恋を燃え上がらせた。その人を分かる前にロミオは嘘に騙されてすれ違いを起こしたのだから」

「…つまり、お互いに素直な話し合いで生まれる『信頼感』を積み重ねるのね」

「僕はそう思う。見た目だけや数字に囚われた交わりは恋で盲目になった状態と何も変わらないから」

 

ユナは一旦、納得してカフェオレを口に含む。口から少し零れたのか、小さなハンカチで口を拭いていた。サンドイッチも半分を食べ終える

 

「そう言えば、近いうちにアルゴさんがユズルを訪ねてくるかもしれないわ」

「アルゴが。どうして?」

「どうしてって言われても困るけど、私と結婚した情報をいち早く察してね。あれはたしか、ユズルが寝ていた初日だったかな。アルゴさんに私と結ばれた『過程』を掻い摘んで話したの」

 

ユナは続けて言う。

 

「そしたら…こほん、『ニャハハハハー!こんな面白い話をただ伝えるだけじゃナ。折角だから本にでもしてみるカ』ってね」

 

 律儀に片言まで再現する声優顔まけに、アルゴの声真似を行うユナ。そのモノマネには敢えて言及せず、彼女のプロ根性だけを褒めた。

 

「ユナ…モノマネ上手だな。魂入っているのかと思ったよ」

「からかわないでよ――声真似なんて初めてなんだから」

 

顔を朱色に染めてユナは静かに言った。ただ、少し怒った顔も恥じらう顔もどこか色っぽい感じもあるせいか、ユズルはずっと、ときめきと似た気分になる。それを振り払うように、ユズルは話題を変えて、ユナに楽器専門店はないか尋ねてみた。

 ユナの話では、≪コラルの村≫にある楽器専門店の質は良くないらしい。ユズルはユナのクラシックギターは弾けないも、アコースティックギターは玄人なりに弾ける。現実世界では気分転換に弾いていたこともあり、落ち着いた状況にもなれば、急に弾きたくなったのだ。

 

「ユズルってやっぱり音楽に詳しかったね。私のアドバイスも的確だったし…」

「あの時は追われる身だったからね。これを機に、プレイヤースキルで上達したい!と思ったんだ」

「ここにおススメはないかな。ロービアにいいお店を知っているわ。そこに行きましょ!!」

「…お手柔らかにお願いね」

 

目を輝かせて興奮気味に身体を近づけるユナはこれ以上の会話を惜しみなく打ち切る様に手をつなぎ、会計をすましてしまう。しかし今になり、なぜこんなにユナは積極的なのか、ユズルは彼女がどこか不安を誤魔化しているように見えていた。

 

 初めは互いに知り合い、気が合い、そして一気に結ばれた。その過程は障がいだらけで、結ばれるはずもない二人が結ばれた。だが、一度恋人という頂きに昇った瞬間、ふといきなり見えない壁に戸惑い、身動きが取れなくなる。

 今のユナは、必死に一つの壁を越えようとしているのではないか。そう想い、願うのであれば、勇気を持って一歩を踏み出し、彼女の不安と共に壁を超える覚悟を決めよう。彼女に手を引かれながら、ユズルは決心した。

 

 

 アコースティックギター選びは見事に意見が食い違い、休憩や夕食を挟みながら購入したので、気が付けば夜の二十時を過ぎていた。一年前まではレストランや音楽で賑わっていた街並みは、いまはもう暗く静まり返っている。

 小路通りの間から大広間までは、プレイヤーの気配もなく空いていて十分に落ち着く。だが、手を繋いでいるユナは少し震えている。僅かに手に伝わる握りにも力が入っていた。

 楽器を購入した後でユナに、もっと一緒に居たいと伝えた。もっと長く一緒にいたいとの返事に、今度はユズルが彼女の手を引いた。

 

 ユナのゴシップ予防に、小路通りにある宿屋を認証してキーを貰うと、寝具や机の揃った部屋であった。あたりはすでに暗く、扉の近くにある明かりをつけると、設置の少ないシャワールームや化粧用の鏡まで待っていた。なかに入り、ユナは楽譜を取り出したとき、ユズルは顔を覗き込むフリをして、彼女の頬に軽いキスをした。何か言葉を交わした訳ではない。どちらからともなく、ユナもユズルも、互いに寄り添う。

 

「今日は付き合ってくれてありがとう。色々と無理をさせたね」

「私は大丈夫よ」

「強がらなくていいよ。ユナはいつもそうやって大丈夫じゃないのに大丈夫って言うよね」

 

 エギルのお店から第二二層主街区≪コラルの村≫に、第三層主街区≪ロービア≫と、絶えず人目を気にしていたが、ようやく解放されて彼女を労うこととした。次の瞬間、ユナは楽譜を仕舞い込んでからユズルの体を強く抱き寄せた。ユズルも彼女の背中に手を伸ばし、優しく包み込む。

 

「僕はユナが好きだ」

 

今度は絞り出すようにユズルははっきりと言う。

 

「私も好きよ。どうしようもないほど、あなたが好きです」

 

ユナは身体を震わせるも、お返しとばかりユズルの額にキスをする。自分よりも高い体温の心地に溺れそうになっていたとき、ユナは顔を近づけて囁く。

 

「今日はたくさん酔いたい…」

「そのほうがいいかも知れない。僕も一緒に付き合うよ」

 

 顔の皮膚が熱を持つユナを、ユズルは強く抱き寄せ、深く接吻をする。

 彼女の唇は果肉の厚く、縦筋の模様から軽い波を寄せていた。波を堪能していれば、その蓋はゆっくりと開き、彼女の熱い海を泳ぎたくなる。沖を付きだして海に飛び込むとユナの沖は執拗に誘い、海は荒々しくなる。溺死してしまうと思い、唇を離せば、沖は絡み合って離れようとはしなかった。

 息を整えれば息苦しさに溺れると分かっていても、また熱く荒い海に飛び込んでいく。海は二つあったはずなのに、一つの海としか感じられなかった。気づけば、芳醇な海潮の香りに包まれる。部屋の蒸気が充満して頭の中が変になりそうだった。

 

うっすらと半目を開けると見覚えのない彼女がいた。体だけが遊離して一人歩きをしつつも、瞳は潤っている。そんな浮遊さのある身体の存在を確かめるように柔らかく髪を撫でつつ、ユズルは接吻を繰り返した。

 




【キス=接吻描写について】

 R-15の範囲で、筆者の好きな詩を参考に執筆しています。直接的な描写ではなくとも「読んでドキドキする」そんな風に感じ取れれば幸いです。

次回は本格的に『ユイ』の話+ほのぼのとした感じに書いていく方針です。これまでと比べると刺激は少ないですが(;´・ω・)

【後書き】
 もう一つアンケートで取った『桐ヶ谷直葉のトラウマ』の予告です。予定通り『ユイ』の話の間に投稿します。
 原作で詩乃のトラウマを参考にするも、プロットの段階ではR-15で投稿できるかは分かりません。ほのぼのとした雰囲気に温度差を感じる描写を丁寧に書いていく方針です。


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32話 ユイちゃんのトテトテ散歩録(プロローグ)

何時もご覧になっている方、初めての人は初めましてです。
R-18指定、幻影戦記~氷と炎の鎮魂歌~を見て頂き、ありがとうございます。


今回から、鬱とシリアスを比較的に抑えた物語『ユイちゃんのトテトテ散歩録』をお送りします!
原作とは設定を変えている【朝露の少女】ですが、楽しめれば有り難いです!(^^)!


2024/10/25

 

 明かりの差しこむ緑と泳ぐ魚まで見える透明な水面の広がる湖の輝く緑園の情景は軽井沢を思わせる自然だ。唯一の違和感といえば、重力を無視して浮遊している木製のハウスだ。情報屋のアルゴに尋ねれば手に入るクエストを受けられるだろうが、ほぼ全ての趣味スキルをカンストさせたユズルにとっては関係なく、見て見ぬフリをして木彫りのトンカチでハウスの最終調整に勤しんでいた。

 七四層に自作したツリーハウスを分解し、土倉をイメージした藏屋敷に新たに木材を付け足した三LDKマイホーム、家賃も敷金も無料である。材料費は高く付くも、宿屋借り続けることを考えれば安く済む。買い揃えた家具も入って、ようやく人心地の部屋にユナを招待したのは、初めて交わり合った日以来であった。

 

「今日から、ここに住めるのよね」

 

室内を広く見渡すユナに、ユズルも頷いて、

 

「これでユナもようやく落ち着けるね。気に入ってもらえて安心したよ」

「一人で住んでいた家と比べれば、全然落ち着くよ」

 

一通りにハウス内を案内したあと、ユナはあらかじめ買ってきたエビと野菜の寄せ鍋を作り、テーブルを囲んで食べ合った。

 

「今日はお昼にライブをする予定だから、帰りは遅くなるかもしれない」

「分かった。なら、お弁当を作っておくよ。夕飯はまた連絡しよう」

 

 時間に自由の効くという点では、商人の自営業をしているユズルの方が恵まれているのかも知れない。血盟騎士団の宣伝を条件にユナは脱退し、歌の仕事は週二回、昼間か深夜に、ライブを行い、二日前に打ち合わせと演出の準備をする。二日連続で休みの無いのは彼女の方だ。

 ユズルの場合、商人といっても、決められた時間通りに用事があるわけではない。誰かに頼まれれば商品を交渉し、自分から依頼を探しに行くこともある。暇を持て余す時間は無くとも、自由な時間に自分の用事を決めることはできた。

 

「時間に余裕もあるから、ユナの専属マネージャーを志願してもいいかもしれないな」

「マネージャー志願なら全力で止めるよ」

「え、何で?」

「だって…商人の仕事もしているでしょ。それにユズルにはプライベートで唄を聴いてもらいたいから」

 

軽くはにかみながら、みずみずしい色気に満ちた視線に、一瞬、ユズルはうろたえる。彼女と結ばれた日から、凛とした慎ましさは、より女らしさを秘めた美しさを目立たせていた。ライブの壇上に上がれば小悪魔じみた視線や表情も艶っぽく、さらに魅力的な女性となり、マイホームで彼女が待っていると思うと仕事を頑張りたくなった。

 

「分かったよ」

 

 ユズルはうなずくと、再び関心を鍋のほうに戻っていく。実際は夫婦として誰にも気にせず堂々と逢っているが、ユナのファンからすれば「アイドルが熱愛により結婚した」という失恋に似たショックを受けるだろう。ユズルはそのことに罪の意識を覚えるも、ユナはどのような不安を抱え、どのような芯を内に秘め、二人だけになった時はどのように乱れるのか、それを知っているのは自分だけだと。

 

 優越感を含めながら自分のできる範囲で彼女を支えようという感性はユナも同じらしく、「早く帰ってこれたら料理を作っておくね」などといいながら、彼女自身もこの生活を楽しんでいるようでもある。

 

 

2024/10/30

 

 誰よりも一緒に居たい人と同じ所に帰る場所があり、苦労や喧嘩もある生活にも、ようやく懐いていた。マイホームを建造してユナとの生活も充実してきたが、それとともにアインクラッドの世は移り変わっていた。

 その一つは、アインクラッド解放軍の分裂である。理由はコーバッツの単独行動により、他のギルドからの信用を失ったアインクラッド解放軍は、実質的に内部から崩壊した。分裂した部隊は、副リーダーであるシンカーとキバオウが統治を任されることとなった。

 

 とは言うものの、分裂自体は悪い話ではない。噂では、シンカーは温厚な性格と周りの話をよく聞き入れ、他のギルドの連携に自らも動き回る対応に周囲の信頼を得ている。

 キバオウも、また思い切った政策の一つに「遊撃部隊」と「アイドルを応援し隊」を編成した。腕利きのプレイヤー集めた「遊撃部隊」は依頼を受ければ、狩りや護衛を補助する役割は非戦闘プレイヤーの安心する護衛となっていた。

しかし、「アイドルを応援し隊」は問題が多く、アイドルを応援するグッズや握手券の販売などにより、多額の売り上げを記録していた。最近では吟唱スキルを得た女性プレイヤーレインのスポンサーとして多くのプレイヤーを破産に導いていると。血盟騎士団も破産者を増加させている現状を苦々しくノーチラスは語っていた。

 

 燃えるような赤い長髪をしたたらせる茶色い瞳とは裏腹に、愛嬌ある笑顔と男心をくすぐるチャーミングな仕草で話題となり、新聞でも大見出しを飾るほどに知名度を上げていた。ゴシップ記事の需要も高まる一方でアルゴを除いた情報屋がユナと結婚したプレイヤーを知るために、主街区の聞き込みを強化したことである。

今日、たまたまユズルはアイドルを応援するレインのファングッズを販売する依頼を受けるも、頬を膨らましたユナは冷たく見据えていた。

 

「…ねえ、その依頼…断れないかな」

「依頼主の信頼もあるからそれはできない。新しく情報を集める目的もあるし…後で埋め合わせをするよ」

「………デザート…」

 

口を尖らせてむくれたままに、

 

「今日の午後、新作のデザートを一緒に食べたい…」

「わ….分かりました」

 

 ユズルは逃げる様にマイホームを出た。だが再び、商人の仕事でレインのグッズを売るとなると、やはりユズル自身も複雑であり、ユナのことが気になっていた。

 

 案の定、すぐに帰ればさらに頬を膨らましたユナがソファーに顔を突っ伏し、少し睨む視線をユズルに向けたまま後ろに後ずさり、両手でバンバンと空いたスペースを叩き始める。

威嚇でもしているような様子に、ユナの意地っ張りと似た、女性のプライドをユズルは垣間見ていた。ビジネスの話として彼女は納得しても、気持ちの部分は別の話となるのだ。

 

ユナの言われた通りにソファーに座れば、ユズルから僅かに生まれた膝のくぼみに埋もれ、ようやく解放されれば、大きく溜息をつき、顔をユズルに向けて哀願を繰り返す。

 

「あーうー、あうー!う~悔しい~」

 

 セイウチなのかトドなのか動物に近い鳴き声から、ユズルは膝枕をしたまま、彼女の髪をゆっくりと撫でる。このところユズルはユナの接し方は以前とは大分変わっていた。以前は触れるにも躊躇していたが、彼女と結ばれて何度も睦言を繰り返せば、最近は言葉よりも行動で思いやりを伝えるほうが増えてきた。ユナの表情は相変わらず膨れてはいるも、仰向けになる程度には気分を良くしていた。

 

「ユナ、やっぱり…意地張っていた?」

「意地の一つも張りたくなるよ…仕事と割り切りたくても一瞬でも浮気かな?って思いたくもなりました!」

「うん――物凄く怒ってるね」

「別に怒ってないですよー?」

 

 これはだいぶ拗ねている、と思えば、ユナは早口に肯定した。勿論、ユズルとしては普段とは意見の食い違いによる争いとは比べるもないもユナの抵抗は激しさを増していた。普段はきっと睨む程度に留めているのに、丸い目をじぃと冷たく見据えている。

 

「ユズルの立場は承知しているし、変に気を使わなくても大丈夫だよ。それに…いちいち文句言ってたらなんだか私が面倒くさい女みたいじゃない」

 

長々と話す彼女に愛嬌さえ感じてしまう。あまりにも可愛い嫉妬だ。

 

「なら今日はユナに沢山サービスするよ。今日のお詫びで久しぶりに昼飯は外食にしようか」

「うん…それでお願い…」

 

 ユナがそっとユズルの腹部に顔を寄せてくる。広めのおでこを軽く撫でると、ユナは訪れてきた睡魔に誘われるように目を閉じた。

 

 

2024/10/30(昼間)

 

 VRに限られたことではないもMMORPGゲームに不可欠の要素といえば、何を置いても性能のいい武器と鎧だが、それらに勝るとも劣らずに大切なのは、レアスキルの存在だ。

 誰よりも目立ち、珍しいスキルを操り、勇敢に強者を蹂躙する姿こそがゲームプレイヤーの理想だ。もちろんそれだけではない。一人しか持ち得ない武器、トッププレイヤーしか与えられないスキルであってもいい。通常のプレイでは遥かに勝る『なにか』を所有物として扱える優越感は、全てのゲームプレイヤーに共通する本質的な喜びだ。

 

しかし、本質的な喜びを『あの人が所有している』ともなれば、裏切りと似た感覚に、所有している人に嫉妬をする。月夜の黒猫団の代表として戦っていたキリトにとって、無意識にも¨二刀流¨を隠すという行為は、上位プレイヤーからの嫉妬を避けるところも大きかったのだろう。

 

――はぁ、ここにも情報屋がいるのか。

 

 第二二層『タフト』の赤レンガの陰に隠れたまま、情報屋の動きを予想していた。隠蔽スキル込みとはいえ、レンガについたコンクリートの砂を払いながら、気づかれない程度に掌をいじるキリト。ふいにメール音も鳴り、少し慌てながらもメニュー画面を開く。

 

『第二二層は情報屋が多いから会うのは難しいかな。第一層なら人も少ないし合流には丁度いいかな?by サチ』

『第一層始まりの街、こちらササマル。情報屋はいない。あ…問題発生!現在、聖竜連合と一人の少女が交戦中!一方的にやられている』

『マジ!by ケイタ』

『ケイタ、報告、報告。by サチ』

『そうか。こちら第五層、一通りプレイヤーが多くなっている。ただ、情報屋もかなり集まっているから危ない』

『第四十層、ここは情報屋が少ないけど、【アインクラッド解放軍】の遊撃部隊がいる。ここは合流地にはならないby ダッカ―』

『第五十層は見回りなし。他のギルドの様子はない。でも、さっきから女の人に誘われて我慢が大変な状況です。遂にモテ期に入りましたby テツオ』

 

 テツオのメールを最後に、誹謗中傷の炎上コメントが飛び交う様子は、まるでユニークスキルを手に入れた以上に信頼と満足で満たされてしまう。ここ数ヶ月に【月夜の黒猫団】は情報を武器にギルドの中間層のサポートを徹底していた。戦闘をしない経験値上げのクエスト、プレイヤーの恋愛支援など一風で情報屋とは差別化できるのだ。

 今日はキリトを捜索している情報屋の位置をメールで伝達してくれており、皆の協力に支えられると実感すれば肩の力も抜けてくる一方で、ふとささやかな疑問がキリトの脳裏を過ぎる。

 

――何故、一方的にやられているのに、ササマルは落ち着いてコメントを返しているのだろうか?

 

『ササマル、そっちの状況はどうだ?詳しく知りたいby キリト』

『聖竜連合九人と女の子が何か言い争いをしていた。その後、聖竜連合の一人が女の子を斬ろうとしてな。その攻撃を防いでから一方的に聖竜連合がやられている状況だ』

 

 ササマルの文面にキリトは泡を食ってしまう。たった一人で人員だけは最大として名高い【聖竜連合】のメンバーを圧倒する少女の強さを。証拠はないも女性プレイヤーでそれだけの強さを持つプレイヤーをアスナ以外は知らない。この世界で圧倒する強さを持つプレイヤーは誰なのだろう。それだけ強いプレイヤーは何故、第一層にいるのだろう。犯行現場を訪れたいわけではないが、その少女に関心を寄せていたのはたしかだ。

 

『それなら第一層で合流しよう。待ち合わせ場所は大きな噴水の前だ。ただし、テツオは来なくても大丈夫だぞ。by キリト』

『分かった byケイタ』

『了解   by サチ』

『OK    by ダッカ―』

『解った  by ササマル』

『見捨てないでくれよぉ~ by テツオ』

 

 第一層『はじまりの街』に向かうと決めたキリトは、黒いコートを羽織り、隠蔽スキルで情報屋の追跡を回避する。悪ふざけをした後に、さらに相手を気遣えなければこころよいと思う者がいるはずもないし、キリト自身もそれを心得ていた。

 

 

始まりの街の険呑を感知していたのは、なにもササマルだけではなかった。

 ユズルと、ひと眠りから醒めたユナは、予約したレストランの時間になるまで新たなアクセサリーの出回りやすいショップを巡回していた。その一方で、プレイヤーの走り過ぎる様子に戦闘を経験するプレイヤーはたちどころに察することになった。

 

「ユナは何が起こっているか分かる?」

 

ユズルの問いに、音楽や吟唱で身についた¨超感覚¨で気配を察知したユナは頷く。

 

「一人のプレイヤーに九人のプレイヤーが押されているみたい。細かい所までは分からないけど」

「加勢は必要ないか…なら戦後処理のアフターケアくらいは必要かな」

 

 ユズルは茫然と呟く。第一層『はじまりの街』は最初にプレイヤーの降り立つ場所であったが、今は戦闘をしないプレイヤーの保護区となっている。本来は平穏であるはずの場所に殺伐とした空気――戦闘の香化を匂わせてはいけないのだ。

 

「僕は周りの人をなだめに行くけど、ユナは先に予約したレストランに行って、待っていてくれるかな?」

「冗談言わないの。私も行くわ。傍でサポートするよ」

 

 ユズルは遠回しに私を戦闘から引かせようと気遣っている。歌姫として活動しているユナではあったが、恋に落ち、それを成就させて唄のモチベーションは何かを知っている彼女には、彼を支えられる程の自信を持ち合わせていた。そして、それを失う怖さも。

 

ユズルはほんのわずかに目を瞬かせてから、軽く微笑んだ。

 

「――頼もしいな。でも、覚悟はしてね」

「大丈夫よ。私の心配はしなくていい。ユズルは自分の信じたことを責任もって務めてね」

 

 騒音の響く昼の中、ユズルは胸の中に積もる温かさを感じていた。アクセサリーショップを離れた後も、二人の鍾愛の残香は、いつまでも尾を引いて残った。

 




【後書き】
 重力を無視して浮いている木製ハウスはアニメでお馴染みのキリトとアスナの住む『森の家』です。
 元ネタ:原作ソードアート・オンライン『ザ・デイ・ビフォア』



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33話 ユイちゃんのトテトテ散歩録(上)

死屍累々――

 

そう呼ぶに相応しい現状であった。

白目を剥き、口の唾液を垂らしたまま横たわる程に徹底的に打ちのめされた聖竜連合の八人は吃音を呻かせる。まるで、暴風に吹き飛ばされたかのように、周囲に散らされていた。

 

 だが、この現状は自然災害ではなく人為災害である。最後に残るまで惨劇を目の当たりにしたプレイヤーは、涙を流しながら許しを請いていた。

 

「すっ…すまねぇ!!俺達が悪かった!もう許してくれ!!」

 

見るに堪えないほどの哀れを誘うその悲嘆ぶりには、誰であろうと同情したくなる。もちろん、その事情を知らなければの話だが。

 

「謝る相手が違います…私じゃなくて…連れ去ろうとした子ども達に言ってください…」

「きゅるっ!!!」

 

濃紅色の瞳を見開いたままの少女――シリカとその相棒のピナは表情を崩さないままだ。アインクラッド解放軍の分裂による抑止力の低下した第一層に、住民からパトロールを頼まれたシリカだったが、お昼ご飯も近くなり意気揚々と戻ろうとすれば、聖竜連合に三人の子ども達が連れ去らわれそうになる現場に出くわした。

 

安全を代価に大人一人につき三千コル、子ども一人につき千コルを徴収しなかった為に、足りない場合は子どもを一万コルの価値で補うというもの。俗にいう人身売買だ。言い争ううちに埒が明かないと判断したのか聖竜連合の攻撃を受け止めたシリカは、それを戦闘の合図とし――死屍累々の現場を作り出した。

 

「この階層の人は戦闘ができません――知ってますか?ここの宿は高くても百コル位です。戦えない人達にこんな重税をおわせて――モンスターよりも貴方達の方がよっぽど恐ろしいですよ…」

 

ひぃと男の唇が動いた。返答というよりも震えに近かった。

 

「今日はそのまま帰ってください。また人を誘拐するなら、今度は手加減しません」

「…ひひっ!ありが――」

「手加減はしません。その次も繰り返すなら、容赦はしないですよ?」

 

 男の謝罪を待たず、シリカは短刀を喉に刺さる寸前で止める。そしてやつれた顔をさらに蒼白にさせた。その言葉に男は引け腰のまま、後ろに後ずさり、回路結晶のワープホールに集団を転移させる。シリカは遠目からワープホールの消えるまでずっと睨んでいた。

 

ワープホールが消えると、拍子抜けするほど優しい声色で少女達と視線を交わす。上から見下ろさず、膝を曲げて向き合った。

 

「怖かったけどよく頑張ったね…偉いね」

 

幼い子どもでも、戦っていた少女が自分を守ってくれていたことは明白に理解できたのだろう。わっと鳴き声を上げながら少女に駆け寄る。

 

服にしがみ付く小さな手に、シリカはそっと手を触れる。頭にも触れてゆっくりとあやしていく。こんな自分でも誰かを守れるほど成長できた高揚が胸を焼く。安心して緊張の糸が切れたのか、黒い長髪の少女は倒れる様にシリカに寄りかさりながら、耳元に眠息を囁き始める。

 

「えっ!?大丈夫!…ええっと…ああっと…」

 

予想外の出来事に何をしていいか分からない。解らずに泣いている子につられて涙目になる寸前に、黒いフードと白いフードを身に固めたプレイヤーが割り込む。

 

「泣いちゃだめだよシリカちゃん。落ち着かないと――せっかくお姉ちゃんになれたのに」

 

呆気に取られるシリカに、艶やかなウィンクを送る。数週間前に会ったばかりであるユナの微笑みは心に甘い涼風を送っていた。黒いフードを被ったままでもユズルと分かったシリカは、焦燥の気勢に呑まれることも無く、深く深呼吸をする。

 

「強くなったね、シリカ。ここだと目立つから、まずは子ども達を保護している協会に向かおう。そこで話し合おうか」

「はい!」

 

一人では出来ないことに¨不安¨を感じても、協力し合う¨安心¨に、シリカは口を開いて返答を返してしまう。そうだ、私は一人じゃない――改めて、シリカは秘めた心で想った。

 

 

第一層の細道にひっそりと臨む、小さな協会は子ども達の保護施設として機能している。寝息を立てている少女をシリカはおんぶし、ユズルとユナは二人の子どもに手を引かれ、この教会に案内された。多くの子ども達でわちゃわちゃと騒いでいる子に目くじらは立てず、むしろ平和な世だった。

 

「なにか話したいみたいだから、あっちで子ども達と遊んでくるね」

 

そう言いながらユナは笑い、他の子に歌を教え始める。髪の乱れを直さないまま、シリカはユズルの傍まで寄って来た。

 

「ユズルさん。あの…私――」

「事情を聞こうとは思ってないよ」

 

ユズルは短く答えた。そこから、子ども達や外に誰かが聞き耳をしているかを確認し、声をひそめて言う。

 

「あの時にシリカがいなかったらどうなっていたか、僕は考えたくはない。ただ、シリカがいてくれたから子ども達は救われた。あれだけ痛い目を見ればもう聖竜連合は人を誘拐しようとは思わないだろう」

 

ユズルにとって、シリカが聖竜連合を攻撃した理由を知るのはさほど難しいことではなかった。聖竜連合はレベルの低いプレイヤーを標的とし、アインクラッド解放軍の抑止力を失えば、今度は第一層の住民を標的にする。現に第一層から第十層のパトロールを依頼される日も少なからずあった。ならば装備を万全にして犯行現場を抑え、彼女と同じようにプレイヤーを摘発する考えでいた。シリカはうなだれたまま言葉をつむぐ。

 

「許せなかったんです。ここで生きようと必死になっている人を――まるで別の生き物を見るような目に…」

「わかる…よーく分かるよ…」

 

沈痛した声に、シリカは俯いたままだ。

 

「ユズルさんと別れてから、あたしは経験値上げをしてきました。ここの本も読み漁りました――情報屋から難しいスキルも手に入れました。なりたかった自分を目指していたのに…もっとしっかりしていれば他の子も救えてたのに…」

「大丈夫だよ」

 

ユズルは真面目な目つきを覗かせた。

 

「一人で抱え込まなくていい。シリカは会った時から真面目で優しくて――曲がったことは嫌いな子だった。今日この日に子ども達を守れたのはどれだけ辛くても優しさを失わず、努力した結果だよ。ほんとによく頑張ったね――偉いな」

 

シリカの目は、いまや涙で光っていた。

 

「まぁ短気な所は変わってなかったけどね」

「なっ!!それは言わないでください!あたし、そんなに短気じゃありませんよ!?」

 

ユズルの沈黙を肯定と受け止めた事実に、背伸びして大きくした身体から敢然と言い放つ。シリカは変わってないな…と、ポカポカ叩かれながらユズルは胸の中でほくそ笑んだ。

 

 

シリカと子ども達の相手をしていれば昼食に予約したレストランの時間を過ぎた。変わりに協会の管理人であるサーシャからお礼に昼食を頂けることになった。一つの目玉焼きを副食に、コッペパンを半分に千切った大きさを分け合う食事。最後の一つは足りなくなり、幼い子は自分のパンの分が無い疎外感に耐え切れなくなる。

 

「うぅ…」

「はい、どうぞ」

 

ユズルはさっと自分のパンを幼い子に渡す。

 

「おにーさん、あーり」

 

上手く呂律の回らないまま、お礼を言い、幼い子はトテトテと席に座る。

 

「私の分でよかったら半分こしよ?」

「ありがとう」

 

半分にしたコッペパンを、さらに半分にしたユナの分をユズルは咀嚼する。その様子を見ていた子どもの中に、物足りなそうな様子の子に目玉焼きを少し切って渡していた。サーシャはその子を褒めた後、ユズルとユナに向かい合う。

 

「遅くなりましたが、子ども達を助けて頂いて本当にありがとうございます」

「お礼はシリカに言ってください。僕は何もしていませんよ」

 

そう言うとサーシャは視線をシリカに向ければ、昼食を終えた幼い子達と一緒にごっこ遊びに興じていた。ピナはいい様に触られるのを嫌がり、飛翔して子どもの群れを飛び越え、眠っている長髪の子の傍で丸くなる。

 

「そうでしたか。彼女、たまにここに来て子ども達と遊んでくれているんです。皆からシリカお姉ちゃんって呼ばれているんですよ――そうですか。シリカちゃんが助けてくれたんですね」

「シリカちゃんを知っているんですか?」

 

ユナの問いにサーシャは間をおいて話し始める。

 

「何時からかは覚えていませんが…半年くらい前でしたかね。子ども達が疲れ切っていた彼女を連れてきたんです。ほんとにボロボロで、会った時は視線も合わなかったもので。それから、協会に顔をだすようになったんですよ」

「……」

 

ユズルは考え込み、ユナは複雑な想いに囚われたまま、言葉を失って沈痛する。ユナの想像力の範囲では、あくまで睡眠不足や過度に身体を動かす範囲でしかなかった。だが、サーシャの話からは、それより先の領域まで極端な努力をしていたこととなる。

 

たった一人で聖竜連合と戦えるまで一体どれほど戦闘を行ったのか。一体どれほどの精神負荷の中で生きてきたのだろうか。横目で見やれば、シリカは幼い子と楽しげに遊んでいる。見た目ではそんな波乱万丈な生き方など分からない様子に、ユナはつい楽し気に笑いを漏らしてしまう。

 

「――何かあった?」

「頼もしいなって、思っただけよ」

 

どんな状況でもユズルを支える。そう心に決めた女は、自分だけではないことを。一人では不安だった気持ちも、今は――彼女が頼もしくて仕方なかった。

 

 

未だに起きない長髪の子を気遣ってなのか、ユズルとユナは目が覚めるまで子ども達と歌を唄い、遊ぶこととした。厨房を借りたユズルと数人の子どもと一緒に、パウンドケーキを調理したりするなど、ここの平和を謳歌していた。

 

子ども達の歌声に合わせてユズルはアコースティックギターを奏でていると、扉からコンコンとノック音が響く。サーシャは一礼をしてから離れ、ドアノブを捻る。最後まで演奏しようと次のコードを押さえた。ピッキングの位置を考えていると、誰かが大声でユズルの名前を呼んだ。

 

「おーい!ユズル!」

 

振り返ると、そこに月夜の黒猫団がいた。キリトは黒いコートを羽織っていたし、他の皆も軽装備で来ていた。キリトはユズルに向かって片手を上げて挨拶をする。子どもに一声かけてから、席を離れた。

 

「キリト?この階層に来るのは珍しいね」

「実は今、『二刀流』の詳細を知ろうと情報屋に追われているからな。皆と情報交換をしながらこうしてランダムで階層に集まるようにしているんだ。たまたま第一層で強いプレイヤーがいると聞いたから来たんだよ」

「そういうことか」

 

ユズルは屈託なく言う。キリトは強いプレイヤーに関心を寄せやすいし、当然シリカの戦闘状況を聞けば惹かれるはずだ。自分から彼女の事を言うことはしないが。

 

「あの…キリトさんは確か月夜の黒猫団にいますよね。噂で聞きましたが、そこは情報屋ですか?」

「えっと――ケイタ、情報屋って名乗ってもいいのか」

 

サーシャがたずねてきた。キリトの言い方にケイタは気色ばみながらもサーシャに答える。

 

「俺達のギルドは何でも屋となっていますが、情報屋でもあります」

「そうでしたら、ぜひ、お願いがあります。案内したいので、入ってください」

 

サーシャは続けて言う。六人は招かれると、黒い長髪に白いワンピースを着た少女が眠っている所に案内される。何やら小型の竜がベッド上から飛び降り、サチの目の前に着地した。じぃと見つめた後に鼻息をはいてから、出入り口まで歩いていく。テツオはふっくらとした毛並みに見とれていたが、他はそれどころではなかった。

 

「なんか――サチに似ている子だな」

「それは俺も思った。雰囲気とかよく似てるよな」

 

ダッカ―とササマルは薄ら笑いをした。

 

「二人とも静かに…」

 

サチは薄青い目を細める。依頼主の前ではきっちりとしたいらしく、冗談を軽い小言で済ました。サーシャは目を合わせずに、ひかえめに言う。

 

「数日前に、始まりの街を迷子になっていた子です。親を聞いても分からないと言って…ただ『おじちゃんはどこ?』と話していましたので。この子が起きたら、そのおじちゃんを一緒に探す手伝いをしてほしいんです――お願いできますか?」

「分かりました。僕達に任せてください」

 

ケイタはきっぱりと言った。安心したか、サーシャは子ども達の面倒を見にその場を後にする。キリトは依頼主のいない空間を確認すれば、見慣れたケイタの顔は青白かった。

 

「キリト、この世界は…残酷だな。こんな子どもでも安心できないなんて…一緒にいたと思う親も分からないなんて…」

「…だな…だから、俺達がしっかりしないとな…」

 

キリト自身もこの世界の残酷さを分かったつもりでは、いた。だが、目の前にいたであろう親が分からなくなるほどの辛い目に少女はあってきたのだろう。自分は人を失う経験を知らない。仮に仲の良い月夜の黒猫団の誰かが死んだとなれば残された者はどれほどの苦悩と後悔を残すのか。キリトは、小説やテレビでしか死を測れず、どこか他人事の範囲でしか言えなかった。

 

「…うぅ…ん…」

「おっ!起きたみたいだな」

 

寝ぼけ眼の少女は呆けた顔のまま、土色の殺風景な部屋を見渡す。少女をまじまじと見つめてしまっていたキリトはすぐに視線を外した。白い薄手のワンピースに、さらりと長い黒髪をなびかせていた。上から見下ろされる視線から軽く身体を縮める少女に、サチは視線を合わせる。

 

「こんにちは、私はサチ。貴方のお名前は?」

「…私…ユイ…」

 

親しげなサチのその言葉にユイは目を瞬かせた。表情を緩めたユイにキリトはコートの先を摘ままれて小さく引かれる。キリトは改めて少女の目を見つめる。優しい目だ。この目に辛さを抱えているのだろうか。不安を与えないよう、慌ててかぶりを被った。

 

「どうかした?」

「…パパ?」

「え!?いや、俺はパパじゃなくて、ここの人に頼まれてな――」

「ふぇ…パパじゃないの?」

 

ユイは泣きそうな顔になり、キリトはほぼ、反射的に少女を優しく抱きしめる。そして、メンバーの方を見上げる。

 

「ユイは俺が育てる!!!」

 

ケイタとダッカ―は絶叫を上げる。いつの間にかササマルとテツオはいなくなり、ピナの毛を触ろうとしてブレス攻撃の衝撃に絶叫する。比較的、落ち着いていたサチだけは口を尖らせた。

 

「ちょっと待ってキリト!その子の言うおじちゃんが誰かも解らないのに、いきなり――」

「…ママ?」

 

慌てて問おうとした途端、サチの身体に電流が駆け巡る。ユイと一緒にキリトと買い物をする姿を。ユイを間に二人で手を繋ぐ夫婦の像を。頬を赤くしながら、急に目の前のユイが愛おしく感じ、キリトと共に彼女を包む。

 

「うん――私がママだよー」

 

絶叫声に様子を見に来たユズルとユナだが、心ここにあらずなサチに首をかしげてしまう。サチはそこで、熱のある溜息をついて、

 

「ユナ、私、お嫁さんよりも先にママになったみたい」

 

サチの爆弾発言を聞いたユナは、顔を真っ赤にした。

 




次回はユイの言う『おじちゃん探し』にアインクラッドの階層を散策する予定です。

※オリジナル展開です。


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34話 ユイちゃんのトテトテ散歩録(中)

 夢心地のサチを宥めるのに、幾分の労力を費やした。お嫁さんは女の子も一度は憧れるキュンキュンする夢ではある。いきなり先を越してママになったと言われれば『恋のABC』の騒ぎではない。いきなり『恋のHIJK』の段階である。ケイタはまだ呆けているサチを気配る。

 

「おーい…他は落ち着いたぞ。起きてるかー」

「うん………」

「キリトも思い切ったことをするよな。いきなりパパになるなんて…」

「うん………」

「…サチは超かわいいよなー」

「…うん……」

 

 だめだこりゃ、と棒読みでもケイタなりの変化球であるに関わらず、あいも変わらない生返事に首筋を軽く掻いてしまう。だが、現実世界でキリトは高校生。女性に年齢を聞くのは失礼と言えども、サチは高校のパソコンサークル仲間で年齢は同い年だ。女子高生であるサチに合わせて『JK婚』となれば、つまり合法であるに違いない。よって犯罪で無いといえばそうである。

 

「これだったなら――キリト、お前は責任を取らないといけないな?」

 

ケイタの指摘に、今度はキリトが言い訳をする番だ。

 

「なんでそうなるんだよ。黒猫団の皆でユイを育ててやればいいだろ」

「そうはいうけどな。あれを見てみろ」

 

視線を外したキリトの先には、子ども達に積み木によるマンション建設をお披露目し、その十秒後に小さな揺れで倒壊するさまに目くじらを立てず、爛漫とした花を咲かせているユイがいた。サチはぼんやりぼかしながら慈しむような眼差しでユイを見守っている。

 

「もう母親の目になってるぞ。ユイもサチを気に入っているなら、キリトは二人を連れておじちゃん探しをすればいいだろ。情報屋が気になるなら俺達がバックアップしてやるよ」

 

ケイタの勝手気ままな言い様に、キリトは呆れて溜息をついた。

 

「…まあ、ゲームクリアまでユイを守ると言ったからな。サチも付き合ってくれるなら…そうしてくれるとありがたい」

「任せとけよ。また、何かあれば連絡するからな」

 

 扉の先で索敵を行ってから、ケイタは扉を開けた。ピナのファイヤブレスを受けたテツオやササマルは黒焦げになった髪で付いてくるも、チリチリに焦げた匂いのする偵察隊など悪目立ちすぎて隠密行動しにくい。おもちゃ箱に入っていたハゲ面の被り物と帽子を被せて誤魔化すこととした。配置場所を選びながらケイタは目をつぶり、サチに向かって頑張れよと呟いた。

 

 

 いまユズルがいる部屋では、サチの爆弾発言により心酔してしまったユナを窓側に移したまま、冬陽のあふれる場で長く光を浴びせた。そろそろ午後の十四時だが、部屋は静まり返り、深呼吸をするユナの吐息だけが小気味に聞こえる。ユズルは軽く包みこむと、顔を真っ赤にしたままのユナは、ユズルの裾をギュッと握ってきた。

 

「あの子が起きたみたいね。せっかく乗りかかった船だから、今日はあの子のおじちゃん探しに付き合ってもいい?」

「ユナならそう言うと思ったよ。今日はいいけど…まあ――次は二人でどこか行きたいかな。やっぱり、一緒に居られる時間は大切だから。それに…埋め合わせもしたいからね」

 

頬を朱色に染めて凛々しい顔をしても誤魔化しきれていない仕草にユズルはニコニコ笑いながら言う。

 

「あ、うん…やっぱり、まだ気にしてるの?」

「そうだよ――うやむやにしていたけど、やっぱり商人の信頼問題と割り切っても同じ業界の妻がいるのに、他のアイドルグッズを売るのはやっぱり複雑だよ。新婚なら余計にそう思う」

「私はあんまり、気にしてないよ。最近は歌手も増えてきているし…でもそういうことなら、フリーベルに行きたいかな」

 

※嘘である。

 

 この女は彼の見えない所で目から血が噴き出しそうなほど悔しがっていた。結婚をしてからビジュアルも歌唱力も上がっていた。そこに、異物として混入したレインという新星のアイドル。ユナにとってユズルとの絆は音楽で結ばれたようなもの。グッズ販売であろうとも、同業界の女に心を寄せられたくない。その女に内側から染められるなど許せるはずもない。抑えきれない不快さが、ユナの喉奥から湧きあげていたのだ。

 

「フリーベルは依頼を受けて以来だから楽しみだな」

「埋め合わせなんだから、その分たくさんサービスしてね」

 

 頬を緩ませてしまい、口を滑らした言葉を慌ててつむぐ。男女が沢山サービスをする面白そうな会話にいつの間にかドア越しからひょっこりと覗かせ、シリカはニンマリして子どもとから視線を離した。生暖かい目で二人の交際を見物するのが、シリカお気に入りの娯楽の一つだった。

 

「あたしもフリーベルに行きましたけどいい所ですよ。お花も綺麗で、水も透き通っています。初めてデートに行くなら絶好の場所と思いますよ」

「へぇ。まだ行ったことないのよね。やっぱり情報屋を欺くとなると難しいから」

 

ユナの茶色い目線を落とすと、うりゅと小首をかしげるシリカが目に付いた。

 

「…情報屋に気付かれてはならない。ケッコンシステムでお相手のアイテムストレージを共有できる。ユイちゃんのおじちゃん探しをしたい――」

 

シリカは目をつぶり、深く空気を吸い、そして浅い息を吐いていく。ユズルとユナは静かに、何かに気付いたであろう彼女を見守る。やがて、ゆっくりと目を開いたシリカはぎこちなく答えた。

 

「あ…でも…幻影のローブをユナさんも共有すれば…バレずにいけるかもしれません…」

「え!?それならいけるかも!ユズル、少し借りてもいいかな?」

「いいよ。試してみる価値はありそうだ」

 

 思い付かなかったシリカの提案から、すぐにユナはアイテムストレージにある幻影のローブを装備できるか確認する。

 アイテムストレージには、市場で買えば高いポーションがずらりと並んでいた。青に赤にピンクに黄色。改行したアイテムの方には、きちんと並べられた数十種類ものお菓子が選り取り見取りだった。

 

ユナはアイテムストレージを一通り品定めし、大切なものに保管されている枠にうずもれていた幻影のローブを見つける。

 

「上手くいくといいなぁ」

 

 メニュー画面を開きながら独り言を呟く。シリカちゃんの思う通りにいけば、今日まで粗探しをする情報屋かもしくはファンの目を気にせずに、プライベートな交際ができるのだ。幻影のローブを身に付け、上手くいったユナは嬉しさよりもほっと胸を撫で下ろした。

 

 

午後のオヤツにユズル特性の甘いチョコレートケーキやバタークッキーを作り、ユイのおじちゃん探しの準備を始めた。幻影のローブほどではない認知を遮断する黒灰色のローブを着付け、護身用の片手剣を装備してから居間に戻ると、キリトとサチの間に手を繋いだユイがいた。

 

「だいぶ、待たせたね」

 

ユズルが声をかけると、ユナは初めて気が付いたように振り返る。

 

「分かったわ――それじゃ、お姉さんはもう行くね」

 

ユナは子ども達と名残惜しそうに離れる。サーシャも子ども達をあやして慰めている辺りから、彼女は短時間で子ども達と仲良くなったそうだ。

 

「大丈夫だよ。また会いに来るから、それまでいっぱい食べて、いっぱい寝て、皆と遊んでね。お姉ちゃんとの約束だよ」

 

 ユナが言うのに子ども達はうなずいて、ユズルと共に外へ出る。離れる前に、彼女はシリカと同行を誘うも、彼女は「聖竜連合に襲われてまだ子ども達は怖がっています。私はしばらく傍にいます」と言い、ピナの毛づくろいを手伝っていた。どこか一心を置いた彼女に念をおすことは、それはシリカを心配しているというより、彼女を信頼していないことになるのかもしれない、自分の心に言い聞かせた。

 

「…私もしっかりしないとな…」

 

誰にも聞こえないほど小さくうなずきながら、ユナはこれからが正念場であると実感する。

 

 

 街を出歩いてみよう、とキリトは提案すると、ユナとサチは承諾した。勿論、ユズルとしては、おじちゃん探しをするうえで第一層から散歩するのはやぶさかではない。ただ、のんびり歩きながら、探したかっただけかもしれないと。

 

「でもどうして、下層から順番に探すの?」

「あぁ。ユイは第一層で保護されたみたいだからな。それなら、下層から一層ごとにある有名どころから探ろうと思った。場合によっては、ケイタ達と情報を共有しやすいし、動きやすいからな」

 

 のほほんとした口調のサチに、キリトは穏やかに返した。しかし、実際はケイタ達の情報網を使えば効率的に依頼をこなせるはずの思考を、キリトは無視していた。自分でも似合わない行動であり、ユズルの恍けた顔つきで意図が分からない訳でなく、サチに懐いているユイが少しでも長く居させたいという無駄な行為はキリトの方針にまったく相応しくない。

 

 ささやかではあるも、一時だけでもデスゲームであることを忘れたかったからかもしれない。キリトの胸中では、約束を果たすだけでなく生き残る意味合いに微少の変化を生じていた。現に、小さな歩幅をせわしなく固い路道を踏みながら、それでも付いて来ているユイの疲労感に誰よりも早く気付けたのだ。効率よりも感情を優先するなど、ゲームプレイヤーとしては失格かもしれない。

 

「ユイ。頑張って歩いてるな」

「はい!パパとママには迷惑はかけられません」

 

あれやこれやと悩んでいたキリトを他所に、幼いユイはえっへん、と胸を張る。

 

「そうか。なら、ここまで頑張ったご褒美だ」

 

頑張った証として、キリトはユイを肩車することで話をつけた。

 

「きゃ!――わあっ!高い、高い!」

 

 キリトの肩車は、ユイのお気に召したようだった。眼前に広がる視野から、その場では気づけなかった世界が広がる。おまけに足も速くなり、急に大人になった感覚にユイは高揚していた。

 

「わーい!じゃあ、しゅっぱーつ!」

「おーし!いくぞー!」

 

 キリトはユイを肩車させ、小走りに街を駆け抜けていく。上下に揺れるスリリングな刺激にはしゃぐユイ。キリトは肩から伝わるユイの体重に、一瞬の哀しさがあった。命に重いとか軽いとか測れるはずもない。それでも、攻略で馴染んだ剣の感触と重さ以上に、キリトの胸に苦いものが沸き上がる。

 

――この世界の剣や凶器の重さには慣れていても、少女の軽さに慣れない自分がいた。

 

 満面の笑みのユイや、後ろにいるサチ。その横に並んで見守るユズルとユナに悟られぬよう、キリトは精一杯の平静を装っていた。ユイの重さは、皆を守ろうと戦い続けたキリトにとって、今まで振るってきた武器の何よりも重石だった。

 

この苦味は自分を責めたてるばかりで、癒されることなどないのに手放したくはなかった。それに、何でだ――キリトは、夕焼けに染まった空と大地を見渡しながら自問する。

 

――なぜ、心配させて泣かせたサチと笑顔のユイを、こんなにも寂しいのか。

 

「…約束するよ。ユイを待たせたりはしない。パパは必ず、すぐにおじちゃんを見つけるからな」

 

 デスゲームで今日会ったプレイヤーが、明日もまた会える保証など無い。ユイも一緒にいた人との死別を感じたのだろう。それでもどんな結果であれ、これからユイが誰かの死を自分の所為と思わないほどに、生きて幸せを感じて欲しい――そんな身勝手な想いを生んでいた。

 

少なくとも、ユイに抱く胸の痛みは、疑うまでもなくキリト自身が少女に対する愛情の証であった。

 



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35話 ユイちゃんのトテトテ散歩録(下)

ユイちゃんは出てきていないのでタイトル詐欺かも知れません。しかし、どうしても甘酸っぱい恋愛を書きたくなりました。


2024/11/05

 

十一月の初週の最終日、ユズルは家にいて新しいポーションの制作をしていた。とはいっても時間つぶしをしている訳ではない。ここ一週間にユイのおじちゃん探しやユナと作曲作りを手伝うちに、朝の六時には起きる習慣にしたからだ。

ユズルは思い出したように本のページを開いて調合配分を確認する。端に数字やアイテムの注釈を入れた本には几帳面に羅列されている分、視認性は高い。微妙な調合に難色を示し、気分を変えて、珈琲を淹れに居間に向かうと、ユナはフライパンを片手に朝食を作っていた。アインクラッドも寒さを感じる季節に合わせて、温まる料理を創作しているらしい。

 

「おはよう、ユナ」

 

ユズルはユナに挨拶をしながら、珈琲を淹れる準備を始める。

 

「おはよう、ユズル。私にも珈琲もらえる?」

「珈琲でいいの?最近取れた豆を合わせてカフェオレとかも出来るよ」

「今日は珈琲の気分かな。またお願いするね」

 

二人は朝食に焼いた魚とプチトマトのサラダセットを並べ、温かいコーヒーを飲む。ユズルの食べた魚の身はしょっぱくも脂身のある魚。だが、ユズルは久しく刺激されたことの無い¨しょっぱさ¨に戸惑いを隠せなかった。

 

「うん?これ…塩か!凄く美味しい!!」

「アスナさんと一緒に研究したんだよ。他にはマヨネーズとか醤油も作れるようになってね」

「なるほどぉ、これは毎日の料理が楽しみになるな」

 

ユズルは惜しみなく素直にいうと、ユナは軽く身体をゆらして、「頑張ったかいがあったな。また作るね」などと言いながら、高音と低音を混ぜた鼻歌を歌いながら食べ終えた食器を洗っていた。

 

 

ルーフバルコニーで自然を眺めながら時間を過ごすユズルとユナは、特に何かをするわけでもなく、特性ドリンクを片手に、日向ぼっこを楽しんでいた。最もアインクラッドの十一月は寒い日が続いていたが、幸運にも良く晴れて、やわらかな光をあふれされている。

 

「あれからキリトもサチとよく一緒に出掛けて…どうかな?おじちゃん探しは捗ってる?」

「それが全然なんだ。相変わらず進歩は無い。今日はアルゲードから回ると聞いてる位…」

 

ユズルは首だけねじって振り返る。

 

「それなら、今日も出かけるの?」

「今日はユナの予定もなければ、一緒にフリーベルの花やセルムブルグで市場を見て行きたいと思ってる。急な予定になっちゃったけど――」

「予定も無いし、久しぶりに出かけようか!待ってて…」

 

ユナはユズルの言葉に笑みを浮かべ、しばらく外で待っていれば、幻影のローブを身に付けた格好で来た。普段から肌身はなさずに装備していたユズルの服を、体を泳がす感じに着こなす彼女。頬を朱色に染めているも、それがまたローブに良く似合って、華奢ななかに隠れた慎ましさが、より魅力的に見えた。

 

「お待たせ!準備できたよ。早く行こう!」

「うん!行こうか」

 

二週間ぶりに二人きりで遊びに行くせいなのか、ユナは楽しそうに笑っている。気恥ずかしさを感じながら――顔を赤くしたまま、まずは手を繋いで移動する。急なデートとなるも、多忙な彼女に予定の無かった幸運に感謝しつつ、二人は転移碑でフローリアに向かった。

 

 

シリカと訪れて以来のフローリアは冬とは思えないほど花々で彩られていた。新たに建造された洋風の建造物に、花の庭に囲まれた時計塔。周囲には白、淡い黄色、ピンク、ローズ色、黒と、その濃淡を中心とした、鮮やかな花色と匂いを漂わせている。以前は春に近い季節だった分、冬に合わせた花を咲かせる仕様に、雰囲気がここまで変わるとは思っていなかった。

 

「凄くきれいだな。こんな場所だったなんて知らなかった」

「僕も初めてだよ…前に来たときにはこんな雰囲気じゃなかったと思う」

「そうなの?」

「うん。仕事の依頼でシリカとアイテムを取り行く時にね。その時に、ここの街を通ったんだよね。二月だったから春に近い花が多かった気がする」

 

 フローリアは、アメリカの庭園楽園を想定した男女のデートスポットになっている。人形劇等の有料イベントも不定期に行われているも、無料でボートや釣りを楽しめるのだ。

 戦闘の苦手なプレイヤーにも人気で、誰でも分け隔てなく楽しめる所も有名な理由の一つかもしれない。実際に安全マージンの差はひらいているカップル同士で賑わっている光景からも、それが窺える。そんな思考をしていると、ふいにユナは腕に抱き着いてきた。

 

「ここ、情報屋も多いから少し隠れさせて……」

「分かった」

 

幻影のローブを身に付けているなら正体は露見することはないけどね、ユズルは内心苦笑いが止まらなかった。意地悪をしているユズルを他所に、冷静になったユナは身に付けている服の性能に気付き――頬を膨らまして彼の頬を人差し指でつつき始める。

 

「ユズル~隠れなくてもいいって早く言ってよ――恥ずかしかったんだから」

「ゴメンゴメン。まだローブに慣れていないなら仕方ないよ」

「それはそうだけど…シリカちゃんに幻影のローブを交換し合う様に言われて初めて堂々と遊べるじゃない。こんなこと今まで無かったし…なんだか、落ち着かない感じだよ」

 

フォローをしても、恥ずかしさを隠したいのか両手で深くローブを被る仕草をする。ここで、不安や皮肉を言っても虚しいだけだし、逢引きとは違い、周囲を気にしない初めてのデートだ。どうせなら、楽しめなければ損というもの。

 

「まあ、せっかく初めての気兼ねないデートなんだから、今日は楽しもう」

「そうだね。今日くらいは羽目を外して楽しむよー!」

 

改めて、ユズルはフードをつまんでいるユナの手を繋ぐと、ユナは嬉しそうに笑顔を浮かべて、自分の手を強く握り返した。ユズルも強く握り返してしまい、ただの手の平はお互いの身体をつなぐ、ひとつの結び目になってしまう。カップル達がする指を絡め合い、より両腕も密着する繋ぎ方だ。

 

――俗にいう¨恋人つなぎ¨である。

 

そのまま二人はフリーベルの散策を続けた。歩くたびに、横切るたびにほのかに香る花の匂いは変わり、様々な花がカップル達を包んでくれている。花の庭園や澄みきった川を観光するうちに、香に当てられたのか、ユナは両腕を組む形で身体を寄せてきた。

 

「花がいっぱいだなぁ。なんだか見ているだけでクラクラしてきちゃうよ」

 

一つ一つに異なる香りは嗅覚を刺激し、様々な色彩は刺激をする花達。そして、カップル達特有の桃色空間を花の香に乗せて漂わせる雰囲気にユナは、思わず感じたままのことを呟いた。そんなユナの反応が面白く、ユズルはフードに隠れた彼女を覗き込むように首を傾げる。時間は十一時。早やお昼にしてもちょうどいい時間帯だ

 

「少し休憩しようか。あまり知られてないけど時計塔にレストランがあってね。上空から庭を見ながら食事ができる、情報屋の間では隠れスポットみたいだから行ってみ――」

 

言い切る前のユズルを半ば強引に引っ張るようにして、ユナは弾む足取りで時計塔を目指す。二人はお互いに微笑み合うと、明るい思い出が出来た花の庭園楽園を後にした。

 

 

二人がセルムブルグに到着したのは、カフェが混みだす午後の三時であり、メイン通りから一本中に入った路道を歩いていた。パンケーキと乾燥した花に甘い香りのする白い粉をまぶしたデザートを背景に時計塔で花を観賞できる景色。未だに甘さと余韻を残したまま、フリーベルを後にして、ここまで来た。

 

「活気が溢れているねぇ…」

 

 フローリアから転移碑をワープし、セルムブルグ特有の雑路の賑わいに身を晒したところで、ユナはため息交じりに感想を漏らしていた。ユズルもアイテム屋や生産屋などの露店はさながら雑貨店の様相だった。

 楽器がある。食器がある。衣類がある。第二二層主街区≪コラルの村≫とも似ているも、高級品を几帳面に統一された品々は格式を思わせた。

 

第六一層主街区≪セルムブルグ≫は面積の広い湖の真ん中に浮く小島であり、高級住宅が多く並んでいるのが特徴だ。当初は水に惹かれた蟲系モンスターの大量発生により、女性プレイヤーによっては地獄に等しい場所であった。しかし、第七十層を攻略した後は、蟲は自然消滅し、元々1LDKと2LDKの高級住宅の並ぶ住宅街は攻略組のプレイヤーを魅了した。また、ロービアから繋がる水面都市でもあり、商人も行き来しやすい環境から立地もいい。前線に赴く攻略組からすれば、破格の場所であった。

 

二人はそんな風に歩いていると、いつの間にかプレイヤーの人だかりができているのを遠目で目撃する。

 

「何か人が集まっているね、行ってみる?」

「うぅん。行かなくていいかな…それよりも、早く他を見てまわろうよ」

 

人だかりを気にしているのか、なぜかユナは早々に立ち去りたいようである。二人はそのまま人混みを抜けてお目当てのアクセサリーショップに向かい、プレイヤーの少ない道で、ユナはようやく安心したように、穏やかな口調で呟いた。

 

「急ぎ足になって、ごめんね」

「気にしないで。ちょっと驚いたけど」

 

ユズルは恋人つなぎをしながら、言ってみた。

 

「何も無ければ、そのまま向かってもいいかな」

「少しだけ待って…隠し事はしたくないから言わせて」

 

ユナは少し恥じらうように視線を外して、深呼吸をする。

 

「さっきの人だかりはレインちゃんファンの人なのよ。グッズを見て分かったわ」

「レインの?」

「うん…それでマネージャーからも言われているの。あんまり他のファンの人と接触は控えてほしいってね」

「それは、辛くない?」

「辛いよ。ファン同士で小競り合いもある分、推し以外の子を悪く見ている人もいるの。私は皆が傷つくのは嫌。それもあって、歌手やアイドルなんかはプライベートでも自由な時間なんて無いようなものよ」

「そうか…ユナは家でいつも作詞や作曲を丁寧に仕上げていたのはそういう事情もあるのか」

 

普段の歩幅より狭く、足取りを合わせて目的地まで歩いていく。

 

「あとは、子どもっぽいとは思うけどね…『可愛い』レインちゃんに夢中になるのが嫌なのかな」

 

ユズルは片手でユナがプレイヤーと当たらないよう注意をしながら言った。

 

「僕はユナの唄も、それを歌うユナも好きだよ」

「どうして?」

「皆は衣装とか仕草を可愛いと言うけど、メッセージを秘めた想いある声色に涼風の歌声…僕は歌い手としては可愛さより唄の綺麗さの方が惹かれるよ」

「そんなに真っ直ぐ言われると恥ずかしいかな。でもユズルとなら、もっと深い意味の唄になるんだよ」

「そうなの?」

「ひとつひとつが、違ってくる」

「それが、深まっていくの?」

 

ユナはうなずいてから、独り言とも思える口調で言う。

 

「わたし、かわっているのかな…」

「そんなことはないよ」

 

女性の感受性が高すぎるからといって、恥じることはない。それどころか、ユナの感性は出会った頃よりも成長している。それは、一人前の女性としての、成熟する過程と考えた。ユズルは急に興味がわいて、近くにあるベンチに座りながら訊ねてみる。

 

「僕が関わる時と、そうでない時は、変わってくる?」

「全然変わってくるよ、どこか暖かくて苦しくて…」

 

ユナは目を閉じて、心のままに感覚を放出する。

 

「なにか、手先まで包まれるような感じになるのよ」

 

熱のこもった説明も、ユズルには、想像できない世界だった。聞いている内に、ユズルは徐々に妬ましくなった。それほど多彩に、深く感じる女性の感性は深く多彩で豊かなのだ。

一つの色に集中してしまいやすい男と多彩に感じ取れる女性を比較すれば、初めから勝機など無い。これからも次第に受け止める刺激を増え、その過程でユナの成長に自分もいるとすれば、もっと唄を伸ばせるだろうと。

 

「正直に言えば、ここまで成長するとは思わなかったな」

「でも、ユズルが、そうしたのよ」

 

アインクラッドの歌姫にそう言われるのは、ファンとしても男としてもこれほど幸福なことはないが、ここまでユナの花が咲いたのは、彼女自身に素晴らしい素材を否定してはいけない。言い換えれば、どれだけ良い素材でも誰かが気付かなければ、花を綺麗に咲かせることはできない。

 

「それは、ユナに才能があったからだよ」

「私に?こういうのは才能なのかな?」

「良く分かっていないけど、これだけは言える。僕はユナの声に惹かれて出会えたんだから」

 

独り、晴れやかに思い出を漏らしていたユズルの意識は、完全に緩みきっていた。ユナは彼の肩口から内懐に回り込むような動きに、ユズルは不意を衝かれる。右肩から引き寄せられてしまったユズルを捕らえ、勢いのままその口を――柔らかく冷たい唇が、重なる。

 

口腔と口腔を繋ぐ外部で、大切な女性の味と冷たい感触。川で冷たくなった石を温めるように、他に紛れもなく、確かなものに感じられた。

 

「…歌も詩も頑張ってみる。余計なことは考えないでみるわ」

 

 唇を合わせたキスの余熱を残した掠れ声で、ユナは静かにユズルに伝えた。その後は、ユズルのお目当てであるアクセサリーショップを見回り終えたのは、午後の十八時すぎだ。夕焼けの沈み始める前に、セルムブルグの宿を借りた時には十九時だった。上位プレイヤーに人気もあり、宿も空きにくいと思っていたが、すんなりと宿泊できた。直にフロントのNPCに303号のルームキーを手渡される。

 

室内は洋風の家財道具で統一されている。外はすでに闇で覆われているも、広い窓を通して、オレンジの明かりに、広い水面はその光で青く浮き出ている。

 

「なんだろう。幻想的な景色ね」

 

ユナは幻影のローブをアイテムストレージに仕舞い、両手を伸ばして背伸びをする。堂々と歩いていても「誰かに見られたら」と、緊張していたせいか、人混みを離れてようやく落ち着いたようである。レストランは多くのプレイヤーで賑わう場所も、またユナに幻影のローブを装備していくのも可哀そうだ。部屋で雑談をしながら売店で買った夕食をゆっくり食べていたので、食べ終えると二十時半を過ぎていた。

 

ユナは、今日は一日中緊張していたのか少し疲れたようである。水面に張った湯風呂に浸かり、寝間着に着替えると、ユズルは自然にユナを抱き寄せる。その瞬間を待っていたのか、ユナも素直に體を寄せ合う。

 

セルムブルグの外は静寂で静まり返り、ユナの腰に手を当てた衣擦れの音が耳をかすめる。長い抱擁を終え、ベッドに横たわると、ユズルは寝台にある明かりを消す。途端に寝室は闇に包まれ、窓から差し込む光が白く浮き上がる。

 

「今日はしなくていいの?」

「ユナも疲れているから、今日はしない。代わりに、いっぱい甘えさせたくなった」

 

布団のほんのりとしたあたたかさに外気の寒さを凌ぎながらとりとめのない会話を繰り返していく。気疲れとあたたかさに、ユナは次第にまどろんでしまう。途端にユズルは手を伸ばし、ユナは艶のあるミルクティー色の髪を撫でられる感触をたしかめながら、深い眠りに入る。

 

 

壁画全体を映し出すモニターに流れ降りる数字。薄暗さに清潔感のある白い床。研究室を思わせる複数のパソコンに白衣を着た人達が集い、手早くタイピングをしている。部屋の隅に置かれたカプセルと向き合う、男の人と女の人が何か話し合っていた。

 

「本当によろしいのですか?」

「今の医療では治らない。そして成功すれば日本の技術は大きく前進するだろう。結果がどうなろうと、時がくれば…解除してやればいい」

 

毅然とした態度で語る男に、伏し目がちに女は意見を受け入れた。

 

「…可哀想ですね…」

「世界では一秒間に人間は2.4人増やし、4秒に1人は死んでいる。この人間もその内の一人だ――国の発展の為と思えば本望だろう」

 

――何の話だろう。

 

白衣の男はカプセルに備えたリモコンを操作する。やがて――カプセルから吹き零れた白い靄が研究室に充満し、視界の奥まで遮られた。

 

2024/11/06

 

 記憶に残っているのはそこまで。その白衣の人達の表情や、どういう内容か分からないが、どこか恐怖で凍りつくような、言葉では言い表せない感触だけが頭に残っている。夢から醒め、ユナはすぐにベッドの横を見れば、ユズルは軽い寝息を立てて眠っていた。

 

寝顔をチェックしてから、アイコンを開けば時間は八時半。大きい窓を覆うカーテンの隙間からでも白い光を細くさせる。ユナはその白い光を見ながら、さっきまで見た夢を思い出す。

 あんな研究室は知らない。女子高では科学の講義室としても、パソコンや大画面のモニターなど見たことがない。あの男と女の研究者は初めて見る顔ではあったが、男の人だけはどこか聞き覚えのある感じだった。私の知り合いだったのだろうか。パパは有名な電子工学の大学教授だから、その教え子なのかもしれない。

 

 ただの夢なのかもしれない。でも、頭にこびり付いた奇妙な感触は生々しく、ただの夢にしてはあまりにも洗礼されていた。まだ、ユズルの起きるには少し時間がかかりそうだ。

気分を変えてもう一度寝直そう、と布団に潜れば¨ピロン¨と音が鳴る。むくれたままメッセージを開けばサチからの連絡だった。

 

「急にごめんね。実はユイちゃんのおじちゃん探しのことで、ユイちゃんが伝えたいことがあるそうなんだ。詳しい内容は聞いていないけど、ユズルも一緒に会ってくれないかな?」

 

静寂の朝の光の中、夢の光景を気にしつつ、ユナは淡々と返事をしようとサチに送るメールをタイピングした。

 




次回はユイちゃん自身の話となります。
 また、7話と21話の伏線回収をする話となります。

お楽しみください(*^_^*)


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36話 シ者の理想郷

【注意】
※原作と異なり、MHCPの役割が異なります。
※非人道的な設定があります。
※感想にもありますが、ダークな設定があります。


ユイに呼ばれたユズルはとにかくいい予感はしていなかった。月夜の黒猫団のギルドホームに訪れてから、その雰囲気は物語っている。キリトはともかく、サチは不安な表情を浮かべていた。幼くも真剣な眼差しをする少女に、普段から関わっている者の知る無邪気な少女と比較しても、ただの子どもの夢物語と冗談を言う雰囲気ではない。

 

「今日はお越しいただいてありがとうございます」

 

会釈する姿も誰が見ても真剣な型に、理知的な口調のユイにユズルは注意深く見つめた。サチのメールから何か伝えたい話があると聞いていたが、「朝食は何を食べたか」くらいの軽い話ではないことに気を引き締めた。

 

「キリトは何か知ってる?」

「あぁ、ユイから自分の事を話してくれた…」

 

震えながら沈んだ声で語るキリトに難色を示してしまう。普段は声や表情を隠したがるキリトの違う感じにどこか偏屈していた。

 

「昨日話してくれたけどな。ユイが…自分をMHCP…つまりプログラムで…プレイヤーじゃなかったんだ…」

「MHCP?何かのプログラムか?」

「パパ、私からお話します。MHCPはメンタル・ヘルス・カウンセリング・プログラムの省略です。そして私は、その01――コードネームは≪Yui≫これが、私です」

 

淡々と話すユイに悪意は感じ得ない――だが、ほんのわずかにキリトを庇うように歩み寄る。ユズルはユイの割り込みに近い語り方に眉を顰めた。

 

「この、ソードアート・オンラインは、≪カーディナル≫という一つの巨大なシステムで運営されています。通貨、モンスターのポップなど、文字通りすべてをカーディナルが担っています。その中には、プレイヤーの精神状態の鎮静というものがあります。MHCPは異常をきたした場合はそれを再構築する役割をします」

「ちょっとコンコンしているけど、つまりユイちゃんはAIなの?」

 

ユナはユイの役割に反応して控えるように言った。

 

「…はい」

 

ユイは誰の目を合わせないように床を見ながら言い、言葉を続ける。まるでその存在を悪く思うように感じる仕草だった。

 

「私の役割は異常をきたした物の再構築でした。しかし、ゲームが始まってすぐに私達MHCPはソードアート・オンラインの異常を強制的に再構築させられました。いつ解除されるかもわからないまま、私たちはずっと再構築を続けていました。

そこに疑問はありませんでした。それが私達MHCPの役割であり、それが存在意義だと与えられた役割を繰り返してきました」

 

懺悔するような言い方に、キリトやサチはユイを痛々しくも息を飲み込んだ。

 

「そんなときに、イレギュラーとも取れるプレイヤーを見つけました。多くのプレイヤーの抱える悲愴感でも絶望でもない、温かい感情。嫉妬や憤怒を感じても人を思いやる明るさを持ったプレイヤー達です」

 

ユイは徐々に顔を見渡しながら上げていく。

 

「そして、どんな状況であっても、自身の根幹となる感情プロパティをほとんど変動させないプレイヤーを。何時の間にか私は、そんなプレイヤー達を重点的に見る様になりました」

 

ユイはいま一度言葉を遮り、沈黙をおいて語る。

 

「人間の悪と言われている感情。人間の善と言われている感情。善悪の感情は行き過ぎればその人自身が壊れてしまいます。でも相手を理解するには切り離せないものでした…それが分かった時に…与えられた役割にこう思ってしまいました――『何ということをしてしまった』っと…」

 

ユイは静かに言った。そして、震える声に背筋を伸ばし、深く息を吸い込んだ。身体中を落ち着けようと暗示をかけているかのようだった。ようやく落ち着いたか、今度もはっきりとした声で、再び言葉を続けた。

 

「それに気づいてしまい、MHCPの使命に猜疑心を抱えながら役割を果たさなければならないという義務感と、それをもうやりたくないという閉塞感で板挟みとなった私は、エラーを蓄積させていきました」

「でもユイちゃんはエラーとは思えないほど、元気に見えるよ?」

 

はっきりとした口調にエラーのバグを感じさせないユイにサチは言葉を発するより先に尋ねた。

 

「…ママ。私には妹がいます。MHCP02――コードネームは≪sutorea≫です。ストレアちゃんは少し天然な妹ですが、私のエラーを誰よりも共感してくれました。空いた時間に何気ない会話をするのは、数少ない癒しの時間でした。恐らくストレアちゃんとの会話がエラーを抑えてくれたのです」

 

ユイは落ち着いた口調で答えるも、固く拳を握りしめて小さな体を震わせまいとしていた。キリトはユイの妹であるストレアが、歩き回ったアインクラッドの場に居なかった事に嫌な予感を感じていた。

 

「そんな日々を過ごしている内に、カーディナルプログラムがハッキングの攻撃を受けて大きな空洞が現れました。そこから汚染された大量のデータが流れ始めてしまい、ゲームの維持が危ぶまれました。私達は非常用プログラムを連結させて防ぎましたが…遅延になるだけで、解決には至っていません」

 

ユイの顔は強ばり、小さく唸るような声を漏らした。

 

「その後も汚染されたデータが氾濫する処理。メインコンピューターである≪カーディナル≫の防衛をする日々が続きました。MHCP達は次第に飲み込まれ、私も氾濫するデータに溶け込まれる寸前にストレアちゃんは氾濫するデータの細部にできた≪カーディナル≫システム内部と外部の境界線を疑似連携させて、システムコンソールから…私を…外に出してくれました」

「それで、始まりの街にいたのか」

 

冷静な口調でキリトは話を聞き、返事はせずに軽くうなずく。

 

「カーディナルの非常用連結システムは長く持ちません。始まりの街から調べて空洞から吸収されたデータは別のゲームと連結していると気づきました。そして、おじちゃんを探しながら多くのフロアを回るうちに、システム干渉の低い場所を特定できました。後は、おじちゃんと一緒にクラッキングとハッキングを同時に行い――連結したゲームの一部を同調させれば――ログアウトボタンを生み出せて【ゲームクリア】となれば…ストレアちゃんもプレイヤーも両方を救えると思ったんです」

 

涙を流しながら、自嘲するかのように言葉を紡ぐユイにキリトは平静を装いながら答える。それでも幼い少女を慰めようと、ふわりと包みながらあやす姿は明らかに父親であり、落ち着いていく少女も、またキリトの抱擁を受け止めていた。

 

「連結したゲームがこのソードアート・オンラインと同じシステムなら、こことは違ってログアウトボタンがあるということか」

「…はい、パパ。確かめれば相手に気付かれてしまいますから、保証はできません。しかし、その可能性は高いです」

 

ユズルはユイに目線を合わせるようにしゃがみこむ。

 

「なるほどね、そういう事情もあるのか。そこまで分かっていれば、もうおじちゃんが誰か話せるね?」

 

子どもに聞いてみるかのように、あくまで穏やかにユズルは問う。キリトとサチは黙っているユイを見守っていた。ユイの探していたおじちゃんが誰か二人には分かっていた。ハッキングが出来るほどソードアート・オンラインのプログラミングを理解している人物…そして本物のGMである可能性が高い人物――このゲームを作った人間だ。答えは分かっていても、キリトとサチはユイの口から名前を聞きたかった。

 

「はい――このソードアート・オンラインを作った創造主『茅場晶彦』おじちゃんです。そしておじちゃんはこのゲームの中にいます」

 

ユイの固い声は、キリトの熱く高鳴る心臓の鼓動を、さらに熱くさせた。月夜の黒猫団の皆と仲間をデスゲームで誰も死なせない。まだ会ったことの無いユイの妹であるストレアとユイを会せたい。そして――現実世界に帰ったら直葉と真剣に話し合いたい。

 

キリトの向く先は次に向かうべき道を明確に示していた。それがGMを倒し――自分が殺人を犯すことになろうとも。決意を新たに、キリトはここまで話してくれたユイをあやすことに専念した。

 

 

ユズルとユナが、キリトとサチとユイのいる部屋を離れてケイタの寝室と次の間を隔てるドアの所に立っていた。次の間は、お忍びで隠れ部屋に使った場所だ。二人は部屋の奥にある窓に視線を向け、流れ動くプレイヤー達を眺めていた。

 ユイの話を受け入れたキリトとサチはストレアの救出について話し合い、サチは慌ただしくホロキーボードでメモをしている。その緊張や苛立たしげな動作から、ユズルとユナは、休憩をしよう、と離れる建前を作った。

 

ユナは深いため息をつきながら背筋を伸ばした。ずっとユイの話を聞いていたせいで硬直した筋肉を柔らかくし、片手は腰に当てている。もう一つ溜息をついて、ユズルの前にやってきた。

 

「ユイちゃんの話は衝撃的だったね」

「プログラムだったこと…ゲームがハッキングされていたこと…俄かには信じられないけど…これは確かな真実だ」

 

リラックスした面持ちで来てしまったが、ユイの真意からほんの一瞬で消えてしまった。今日まで集めていたデータから、ユイの話を合わせればある結論に組み立てられたのだ。

 

「じゃあ私からユズルに聞くね――何に気付いたの?」

「…何って。何のこと?」

「さっきの話になるけど、ユイちゃんに【そういう事情】って言い方だよ。途中で、何かに気付いたでしょ」

「……」

 

沈黙を肯定と受け止めたユナは、その口調を、もっと相手を尊重するものに変わった。

 

「それに、ユイちゃんの役割…【再構築】は、プレイヤーの精神状態を関係しているなら…ユイちゃんじゃあ、あの場で話しにくい何かがあったと思うの。そこの部分は結構ぼかしながら話していたしね」

「…突然で信じられない話になる。それに、これが本当なら認められないし、真実を知っていれば現実世界でもユナに危害が加わるかも知れない――それでも知りたい?」

「逆に聞き返すね。ユズルも知っているなら、現実世界の貴方も危害があるってことでしょ?だったらそれは私とユズルだけの秘密にするわ――それに、私も無関係じゃないから」

 

傍目でみれば脅しにもなるユズルの威圧とて、凛とした姿勢を崩さなかった。

あの夢――白衣の男の正体を知りたい。パパの関係者なら聞き覚えのある人かも知れない。ゲスゲームにした重村徹大の教え子である茅場晶彦は、ユナも良く知る人物だ。ここで生かしておけば後に利用できる妙手となるかもしれない。現実世界に戻っても、ユズルの危険を最小限に出来るものなら何でも利用する考えでいた。

 

「ゲームを作った茅場晶彦はパパの研究者の関係者なんだ。パパは重村徹大で、私はその娘の重村悠那…これが現実世界の私の名前だよ」

 

嘆きを込めた訴えに、ユズルは息をのむ。現実世界の名前を言う行為は、リスクしかない。その意図がどうあれ、ユナが本気で真実を知りたいとだけは分かった。だが、ユズルからすれば研究者や親の名前まで伝えるのは、明らかに行き過ぎており、疑問を深めるだけだった。

 

「責任はあるの。元を追えば、ノーくんと一緒に遊びたくてパパからナーブギアを二つ頼んだのよ。どんな理由であれ、茅場晶彦を死んで終わりにはさせない…そんな逃げは許したくない。生きて、勤めを果たしてもらうわ」

 

丁重ながらユナはたっぷりと皮肉を込めて詰める。彼女を良く知るファンの人であれば『滅多に見られるものではない』と驚きを見せるだろう。とびきりの笑顔に――優しさに隠れた激情。ユナの目に浮かんでいたのは怒り、戸惑い、焦燥、そして――愛念。いずれにせよ、ここで真実を伝えなければ、探偵を雇っても知ろうとする、と危惧してしまうほどであった。

 

「それなら僕も名前を言うよ。葛城道場の門下生で、師範…朝田響子の息子――朝田柚季…それが僕の名前だ」

 

自らの名前と親の名前を宣言した少女の前で、ユズルも同様に言い放つ。

 

「さて現実世界の名前を教えた所で…さっそく伝えるよ――この用紙を見て欲しい」

 

卓上に広げられた大きな毛用紙。左端にカーディナルシステムと書かれた枠にモンスターの子細な行動やコミュニケーション方法の記述。右端にNPCやプレイヤーの絵。ユナの目の前にはアインクラッド全体をフォローする見取り図が広げられた。

 

「ここのポイントはカーディナル。MHCPはプレイヤーの精神を鎮静する役割。そしてNPCよりも柔軟に動くモンスター達だ。まるで個々に自我があるかのような行動となる。詳細はカーディナルの空白に書き込むね」

 

カーディナルに搭載された人工AIの正体はMHCPであり、ユイとストレアのこと。当初はカーディナルの不具合はハッキングによる非常用連結システムの作動と考えていた。しかし、これは違う。ユイの話ではカーディナルの不具合はゲーム開始から発生していたのだから。

 

「不具合の正体はモンスターだ。モンスターを生成するシステムが不具合で作られないとなれば、何かを代用するしかモンスターを作れない。証拠に、最初に戦った『インファング・ザ・コボルド・ロード』の部屋は一か月経たなければ、見つけることができなかった。

 死亡者の多かった第二五層の戦闘、クリスマスイベント『背教者ニコラス』による約百人の被害と死亡の後、第五十層のフロアボスの部屋が出現している。

 クォーター・ポイントに近くなるほど死亡者が多い。それに、多くの死者を出した後になると、決まってボスの部屋が見つかっている」

「大きな戦闘やレアアイテムの争奪戦は新聞沙汰になるほどの被害が出るから…その後に、ユイちゃん達はモンスターを再構築しているわけね?」

「そういうこと。カーディナルにおけるモンスターについてはこんなところだ」

 

溜息をついて、ユナは卓上の毛用紙をなぞりながら単語を組み立てていく。

 

「カーディナルは亡くなったプレイヤーの記憶を保管する――MHCPは【何か】の再構築――ボス部屋の出現時期――NPCよりも豊かな表現をするモンスター達を合わせて考えれば…」

 

はたと手を止めて、ユナはハッと顔を上げる。何かを参考に音楽を作り上げる立場の彼女は、何かを材料にしなければならず、何もない所からはモンスターを作り出すなどあり得ない環境。そして、気が付いた。階層が上がるたびに表現豊かになるモンスターの存在に、ユナは間違いないと確信に顔を歪める。

 

「ちょっと待って…え…これって…」

「僕もユイの話を聞くまで確証が持てなかった。でもこれが、解読した結果だった…ユイの隠していた【何か】の正体は――」

「「亡くなったプレイヤーから、モンスターを再構築する」」

 

カーディナルからでなく、死亡したプレイヤーの記憶をMHCP達が再構築し、モンスターに具現化する。それをプレイヤーが倒せば、カーディナル経由で再びモンスターに変換していく。同じシステムが何度も繰り返される仕組みだ。そして――死亡したプレイヤーを何度も死亡させ、生かし続けられる悪魔の仕組み。最終的にゲームがクリアされれば、そのモンスター達又は元人間は何も残らない¨無¨となる。

 

「しかも、この考えならボスモンスターを作るのに複数の犠牲が必要になる」

「こんな人の命をもてあそぶ様なシステムなんて…許されることじゃないわ」

「だからこそ、だ。このシステムは必ず大きな事件に発展する。ソードアート・オンラインの事件はクリアされれば終わりではない。まだ先があるんだよ…まだ…」

 

ユズルの推理には、次にハッキングした者が起こしている事件を見据えていた。死亡したプレイヤーの記憶も含めてデータを吸収された新たなゲームに、静かな闘志を感じながら付け加えたハテナマークを睨み付ける。そしてその認識には、彼女であり妻でもあるユナも同調しながら、彼の隣に寄り添った。

 




【補足】
・クォーター・ポイントは25層、50層、75層、100層のボスは異常な強さを持っていることが特徴とされる。

・第21話における眼鏡の男が話していた仕組みの解説

 モンスターの正体は元プレイヤーであり、人間(プレイヤー)VS元人間(モンスター)で正真正銘の殺し合い。ソードアート・オンラインでプレイヤーが亡くなれば、臓器が手に入り、多額の金が手に入る。どちらにせよ、利益しかない。

【元ネタ】
・プログラムに大きな空洞
 元ネタはアニメ、働く細胞『熱中症』。筆者はBLACKも熱中して見ている。


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37話 世界の中心でラーメンを作りたい

 キリトとサチによるストレア救出の話し合いを終えた部屋には新たな緊張で張り詰めていた。プレイヤーとして紛れ込んでいる茅場晶彦を見つけだすに、一人一人を識別していくやり方はかなり骨が折れる。実際に第一層から第七四層まで歩いたキリトとサチだからいえる情報だ。よって明確に見つけだすには相手から来てもらう方が手っ取り早い方法ではあれど、誘い込む具体的な方法は思いつかなかった。

 

「他人のやっているRPGを傍から見ているほど面白くないことはない。自分の作ったゲームを間近で楽しむなら――攻略組にいる可能性が高いか?今は参加人数も少ないから大分絞り込める…だが、一人一人に聞いて警戒されるよりは、やはり茅場から来てもらう方が無難か…」

「それなら、何か興味を惹かれるもので来てもらう方が…いいね。でも、ゲームを作った人が直接来たくなるものは何だろ?」

 

ソードアート・オンラインを作った人間がこの世界で欲しがる物など知れず、キリトとサチは焦燥よりも無理難題を押し付けられた思考を止めそうになりながら、案を巡らした。メモにまとめた文章を凝らして触れる寸前に、コンコンとノック音が響き、メモを持ったままドアのほうへ向き合った。

何か煮詰まっている二人の様子をユズルは感じ取ってはいた。それが何であるか、まるで見当はつかない。休憩に特性ドリンクを手渡し、ユイにはホットミルクを用意する。

 

「ストレアの話はまとまった?」

「それはもう話は付いた。ただ…今は茅場を引きずり出す方法を考えている所だ」

「同時にハッキングとクラッキングをするにも、GMを倒すにも…まずは生け捕りにしないとね」

「あぁ…だが、この世界で欲しい物を全て作り上げた茅場を引きずり出す方法が――どうすればいいかが分からなくてな…」

 

 ユイにホットミルクを渡したユズルは、ドリンクをテーブルに置きつつ、残るもう一方の手でキリトの持っていたメモを読み込んでいく。メモは乱雑に書かれており、文章事態は綺麗に羅列されている。しかし、肝心の主語が抜けており、読み返すたびに別の意味に捉えてしまいがちな文章に、二人がどれだけ焦っているのかが窺える。

 文章から茅場晶彦がどういう人間かは分からない。だが、メモにゲームのキャッチフレーズなのか『これはゲームであっても遊びではない』がやけに引っ掛かっていた。新たなパズルのピースを見つけた感覚を無視し、権力者の油断する瞬間をつむぎながら切り出した。

 

「古今東西、権力者や有権者は好きなもので隙を見せることが多い。ダイヤモンドや地位の物量、酒や食事、女や男とか、後は睡眠かな。いくら茅場晶彦は天才でも人間だ。それを利用して『食欲』『睡眠欲』『性欲』のいずれを刺激すれば引っ張りだせるかも知れないね」

「それなら『睡眠欲』はゲームでも気怠くなる程度だから難しいね。あと『性欲』は論外として――残った『食欲』は良いかもしれない。テレビでも美味しい物を見ると凄く食べたくなるし」

 

サチは思わずそう言った。

 

「飲食ならエギルさんみたいにお店を用意できそうだね。後は、なにで茅場さんに来てもらおうか」

「それならいいものがあります。このゲームが作られている時に話していました」

 

ユイはずばりと言う。

 

「現実のおじちゃんはいつもくたびれた顔をしていました。でも研究の終わりにらーめん?を食べるのが好きと話していたことがあります」

「ラーメン…そう言えば昔見た雑誌に茅場はラーメンに異様なこだわりがあると載っていた様な気がするな」

 

キリトはすぐに納得し、メモに書き足していく。ユイはホットミルクの入ったカップを両手で掴み、ぐいとあおる。大きいカップしかないせいか、体格の不利を工夫して飲む様にサチとユナは、ほっこりと口元を緩ませた。飲み物を半分まで飲み干したユイは、ふとした疑問を投げかける。

 

「そうなんですか?以前、おじちゃんは麻婆ラーメンを食べて、もうこの様なラーメンは食べたくないな、と話していたことがありましたよ?」

「それは、ただ辛い物は苦手だったからじゃないかな。でも麻婆ラーメンね…そんなコアなラーメンを食べたくなるなら…茅場さんがラーメン好きなのは間違いなさそうね」

 

 この世界にもラーメンはある。しかし、実際に食べてみれば水を増しただけで鳥の香りがするスープ。それによく絡むちぢれ麺。とてもラーメンとは言えない代物であった。いくらゲームを創作した天才でも料理までは素人以下だと思わざるを得ない。この世界の調味料を作り上げるのに複数の組み合わせを研究しなければならなかった仕様から、茅場晶彦は相当な料理下手だ、とユナは見下していた。

 

「なら茅場を引きずり出すのはラーメンで良さそうだな。さて、問題は…上手いラーメンがこのゲームでも再現できるかだな」

「それは大変そう。味でもしょうゆ・豚骨・塩・味噌味のスープに麺も必要になるし…」

 

 料理スキルは無いキリトと八割九部ほど上げたサチは顔を見合わせてしまう。調味料の配合はアスナに配分量を教わるも、未だに成功確率は絶対を補償などできない。麺はともかく、水を足して作るスープは配分量が狂い、ラーメン特有の濃い味を作り出すのは難しいのだ。

 知人に料理スキルをカンストさせたアスナを頼るか。ユズルは二人の考えに意識を向ける必要も無く、ユナに声を掛けた。

 

「…ユナ。少しでいいから塩と醤油を借りていい?」

「少しと言わず、必要な分より多めに借りていいわ――試してみるのね」

「うん。前に麺類を試したことがあってね。喉越しが爽やかな麺が作れるから…あとは、スープを作れれば出来るかもしれない」

「――ユズル、頑張ってね」

 

 後押しに応援すれば、ユズルはサチに一声かけてからキッチンに向かう。自分のテリトリーに近い場所を貸してくれるか、不安はあるもラーメンのできる可能性を伝えれば、サチは快く承諾してくれた。しばらくして、キリトとユイが遊んでいる姿を見つめながらユナはチラリとサチを目配せる。

 

「キッチン貸してくれてありがとね。割と強引な所があったと思うけど…」

「それは気にしてないよ。やっぱり、私もユイちゃんの望みを叶えてあげたいし…ゲームを終わらせても、一緒にいられるなら何でも賭けたいしね」

「あれ?そう言えば、ユイちゃんはゲームをクリアしても一緒に居られるの?」

「うん…二人が部屋を出た時にね…ナーブギアのコードに自分をデータ化すれば何時でも一緒にいられるから、それは大丈夫」

 

それならよかった、とユナは安堵しながらサチに言った。だが、サチは安堵していたとしても、そんな素振りは見せない。垂れ眼から上目遣いで、ユナに尋ねた。

 

「自作でラーメンが出来る話は聞いたことないから、ちょっと…心配だね」

「前に料理でそばを作っていたから、スープだけならすぐよ。どっしりとしてれば大丈夫」

 

迷いない言葉が唐突に、サチは実直に投げかける。

 

「そうなんだ…それにしても――ユナは凄くユズルを信じているよね」

「そう見えるの?」

 

サチは目をしばたたかせた。ユナは、仮想世界で結婚して満たされた生活をしているはずに、自分の言葉を疑問で返してきたからだ。

 

「まぁ本音を言えば不安が何もないと言われれば、嘘になるかな。でも、それが突拍子の無いことだからって、何もしないで可能性を潰していい理由にはならないし――」

「私は、全部を引っ括めて彼を信じているから」

 

笑みを消し、ユナはそれからサチを真剣に見つめた。サチは歌姫として愛らしい笑顔を浮かべた彼女の顔しか知らない。ユズルといる時は『ふにゃっ』とした柔らかい笑顔ではある。しかし、今は視線を細めた眼差しには高潔さがあり、それが愛嬌よりも威厳が魅力に伝わるような、風格を滲ませていた。そして、普段の愛嬌ある顔に変えてユナは静かに提言する。

 

「さてと、恥ずかしい話をいっぱいしたからお返し――キリトとはどう?」

「…え?どうって?何が?」

 

とぼけた口調で疑問に尋ねるサチにユナはテーブルクロスを用意しながら言う。まだ付き合っていないとはいえ、ユイを間にパパとママの関係にある二人だ。温かくも優しく問い詰めるような視線をサチに据える。

 

「キリトと凄く仲が良さそうで、ユイちゃんのおじちゃん探しも兼ねて何回もデートをしたよね――どうだった?」

 

からかい気味な問いに、サチは顔を真っ赤にしてしまう。サチは困惑しながら答えるも、口調は熱っぽさを含めた嬉しさを隠しきれていない。

 

「えぇと…そう!そんなに変わったことはしてないよ!ただ、ユイちゃんの似合う服を探したり、買い物したり、レストランでご飯を食べた位だよ」

「うん、そうなんだね」

 

仲の良い夫婦ね、と指摘をせずに聞いていく。

 

「あとは…キリトが普段は無頓着なのに、ユイちゃんがきてから妙に気遣う様になったりしたとか。戦闘から帰ってくると、偶にお土産を買ってきてくれたりとか…」

「うん、そうなんだね」

 

ギャップでハートを掴まれたのね、と心が弾まずにはいられない。普段は厳しい人が時に見せる優しい一面や強がっている子が偶に見せる弱い一面には、ギャップができる。つまり、ひとつの美点が強調されることにより、魅力的に映えるのだ。

 お互いに好きな人の良い所を言い合うガールズトークの空間に、二人が屈託なくはしゃいでいるさまに一人逃げ遅れたキリトは最大の¨隠蔽¨スキルでユナとサチに見つからない疑似かくれんぼでやり過ごそうとしていた。

 

(二人とも…本人が聞いているのに良く話せるな。ここまではっきり言われるとむず痒い…)

「パパ~いつまで隠れていればいいのですか?」

 

ヒソヒソ声のユイに小声でも声を出すわけにはいかない。両手で宙を押さえるような仕草をし、キリトは手早くホロキーボードによる筆談で伝えた。

 

(そうだな…せめてユズルのラーメンが出来るまで隠れていよう)

(わかりましたぁ~)

 

 キリトは無言のままユイと物置の陰に隠れ、二人のガールズトークが終わるのをじっと待った。そして、アウトな会話にはユイの耳を塞ぎ、うつむいて、何度か会話を切り抜けた。

 

 

一連の対話が落ち着き、時刻は昼に差し掛かってきた頃、ユズルは月夜の黒猫団のギルドホームにあるキッチンから姿を現した。完成したスープの報告も交えて、店に出すラーメンの味を決めるためである。

 

「お待たせ~時間はかかったけど、ラーメンのスープと麺が出来たよ」

「ユズル!それはホントか!?」

 

ユイから離れて弾み声で言うキリトに、ユズルは苦く笑った。

 

「本当だよ。ただ、塩味としょうゆ味と激辛味しかまともに食べれなくてね。残念ながら味噌味は上手くいかなかったよ」

「十分だよ。お疲れさま…」

 

満足のいくユズルの報告を受けて、サチは朗らかに笑う。ユズルは背を向けたままラーメンの用意に取り掛かる。上機嫌な顔で注文を復唱し、間違いはないかを確認した。

 

「えっと――塩味がユナで、しょうゆ味がサチ…激辛がキリトで、ユイちゃんがしょうゆ味でいいんだね」

 

注文を受けたユズルは、包丁を入れて白い粉を塗した練り物からは細い麺とちぢれ麺。大きな三つの鍋を開ければ、醤油と塩の香りが鼻腔を刺激する。それからすぐ、ユイとサチの前に黒みを帯びた醤色のラーメンが置かれる。程なくユナの前にも、黄金色の澄んだラーメンが置かれた。ゆいいつ、キリトは置かれたラーメンを眺めてから噛みつくように言った。

 

「ユズル…これ、何だ?」

「ん?激辛味――麻婆ラーメンだよ?」

「そんなコアなラーメン、再現できたのか。ただ、何でラーメンに豆腐が浮いているんだ?」

「それね。味見する時に凄く辛くてね。豆腐を入れたらちょうどまろやかになったから、ネギの代わりに入れてみたんだ」

 

キリトは目を見開いた。唐辛子のスパイスに牛挽肉の脂身の浮いたスープは、彼の鼻からの信号を無視し、そのまま脳髄に直撃した。半信半疑に細い麺をすくえば、赤く、粘着性のあるスープがよく絡んでいる。息を吹きかけながら、音を立てて勢いよく啜った。口腔内に強い辛みと噛み応えのある細めの麺が、癖になりそうな味が広がる。

 

「…意外といけるな、これ…」

「そうなの?キリト、一口頂戴…」

 

一口をすくい、赤い液体を口に運んだサチ。次第に、顔は汗にまみれて、背中は弓を弾なるように勢いよく反る。片手で口を抑えつつ、空いた手でホロキーボードを打ちこむも辛さの激痛により涙目だ。しまいには、ローマ字入力の最後を離せずに押し続ける。

 

『見た目通り辛い!地獄の様な辛さよおおおおおおおおおおおおおお』

「ママ大丈夫ですか!?少し待ってください!!」

 

空をスライドさせ、ホロキーボードをタイピングする。視線をグリグリ動かしながら複数の画面に触れていく。最後にEnterキーを押せば、サチの顔は急激に和らいでいく。突然の変化に戸惑ったのはサチ自身だ。

 

「あ…あれ?何ともない…」

「良かったです。ママの舌にある味蕾で一番刺激されていた『辛味』に『甘味』と『酸味』を混ぜて投与してみました」

 

メニュー画面を閉じつつ、ユイはにんまりと笑った。人の味覚まで操作できるユイに、本当にプレイヤーでなく、システムの一部だったと認めざるを得ない。しかし、それ以上にラーメンレシピの記入を止め、ユズルは頭に浮かんだ考えを整理するように宙を見て唸る。

 

「ユイちゃん。それは、既に食べ終えて体内に入った食べ物を『辛味』に変えることは可能なの?」

「対象のプレイヤーが近くにいれば可能です――でも、何で聞くのですか?あ!もしかして、ママで試すつもりですか!?絶対にやりませんよ!!」

 

声を荒げたユイの強い拒絶に、密度ある時間を過ごしたサチとキリトは、ラーメンを食べる手を止めてしまう。ユナは塩ラーメンを啜りながら彼女の抱える罪悪感を沈鐘した気分でユイを見ていた。MHCPとして人の命を弄っていた罪悪感か。妹と同じ位に二人を大切にしたい親愛感か。ユズルは目を見開くも、麺を作りながら訊ねた。

 

「そうではないよ。もう一つ質問をするね。食べたラーメンから感じる『塩味』と『酸味』を強い『辛味』に変えることはできそう?」

「…それも可能ですよ」

「それはよかった…お陰様で、茅場晶彦を引きずり出せるだけじゃない。上手くいけば戦わなくても確実に追い詰めることができる方法を思い付いたよ。

ただ…これをやるには、準備が必要でね。ソードアート・オンライン全体を巻き込んでの大芝居になる。ゲームを作った神たる茅場には、今回は一人のプレイヤーとしてこの芝居を大いに楽しんでもらおうかな。聞いてくれる?」

 

ユズルは大芝居の内容を言い出し始めた。

 

「――いいじゃないか、そのやり方。俺にはできないし、思いつきもしないやり方だ。流石は一年以上狙われても生きていただけはある。普通のプレイヤーとは発想が違うな」

「…まあね」

 

 キリトの発言に反応し、青黒い気配を漂わせるサチと青筋を立てるユナに、ユズルは素早く無表情に切り替えた。冷気を感じるまでもないが、キリトから視線を逸らす。ユズルの辛かった経験を茶化すには時期が早すぎる。言われた本人は兄弟関係で気にしないも、他人は、ましてや事情を良く知るサチとユナの逆鱗に触れるに十分だったようだ。

 

「ようやくおじちゃんを見つけてゲームを生み出したパパとしての活動をしてもらえそうですね――もう長いので、これからは省略して『パパ活』と言います」

「ユイちゃん。それは意味が違うから…二度と使っちゃダメだよ」

 

ユイをたしなむサチは青黒い気配を遠目に、恐らくは茅場晶彦に矛先を向けているのだろうか。それを思うと、ユズルは茅場を捕まえてもHPを削り切らない程度に加減して折檻してほしいと思い至り、メニュー画面を開く。

 

「僕は兄貴やエギルに、後はディアベルに連絡するよ――キリトは?」

「俺はノーチラスやアスナに頼んでみる」

「それなら、ケイタやアルゴさんにラーメンの宣伝をお願いしてみるね」

「なら…お店選びは任せて。私のマネージャーは色々街にアンテナを張っているから、空きを見るのは得意よ」

 

ユイのファインプレーによる、パパ活発言は皆のよい中和剤となった。各個人で自分の出来ることを務めていく。小さくか細い光は、徐々に大きな光に成長しようとしていた。

 




ようやく物語も終盤に差し掛かりました。

 場面としてはアニメ13話「奈落の淵」、14話「世界の終焉」の場面です。
ラストは上記のようなシリアスと緊張感はありません。
アインクラッド編を最後まで読んで頂ければ幸いです!(^^)!


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38話 開店!!風林火山ラーメン!

2024年11月7日

 

 第五十層アルゲートから離れた町外れの露店、ユズルはラーメン作りの要であるスープの仕込みをしながら、三種類の味ごとに改良した細麺とちぢれ麺を打ち込み、塩味と激辛味の調整をするうちに、気が付くと開店時間の一時間前に迫っていた。

 ユズルは余った時間を箸置きの配置や長椅子を用意し、開店の準備を始める。箸の本数を数えていると、ユナは屈託のない笑顔を浮かべていた。ミュージックプレイヤーコンボから作曲したチャルメロの音楽やシリカやリズベットによる演歌や歌舞伎音頭を録音したデータの試運転をしている。

 

「ごめんね。お店を取れなくて…」

「気にしてないよ。予定を変更して露店にはなったけど…問題ない。自分のできない所はユナにやって貰えているからお互いさまだよ」

 

ユズルは深夜も灯りを灯せるように、アイテムを屋台瓦の隅に設置する。ユナのマネージャーは市街地や主街区のお店を確保しようとした矢先に、他のプレイヤーとの競り合いに負け続け、方向性を見失い、人力型屋台のお店を競り勝った。

 愕然とはしたがお店の形態が変わっただけで、ユズルの改良を施した屋台は、移動式屋台ラーメンに生まれ変わった。

 

手の空いたユナはフレンド登録をしていたシリカとリズベットにラーメン屋に合う音楽を依頼し、二人はヨナ抜き音階を用いる力強いこぶしの効いた歌声を練習した。ユナ直伝の歌唱力テクニックの一つにある母音を意識しながら二回言うやり方により、二人の演歌はラジオ越しでも爽快な気分にさせてくれる声となった。

 

「この唄だって最初から教えたでしょ?音楽が悪いと店の印象を良くできないから合わせてくれて助かった。これで話題になる条件は整っているんだから...気合い入れていこう」

「うん。分かった…ただ、今日は初日だからあんまり緊張しないでね」

 

気持ちを切り替えたユナはアイテムストレージに用意したラーメンのどんぶりを準備していく。ユナがいうのに頷いてから、ユズルは情報屋の新聞を眺めていた。開店時間三十分を前に、クラインとディアベルが近づいてきた。もう一人は初対面の人物に、ユズルは怪訝な顔をするも、エギルの紹介からアインクラッド解放軍に近いリーダー格プレイヤーと思い、計画に支障はなく、朗らかに対応する。

 

「おう、ユズの字!来たぞ!」

「今日は誘ってくれてありがとう!」

「私も来てよかったのか?」

 

バツの悪そうにディアベルは苦笑する。第七四層の戦いを終えば、一か月に経とうともボスの部屋は見つかってはいない。いや、本来は出現すらしていない。プレイヤーの死者数が満たされていないのだ。招待を受けていない男はさぐるように辺りを見回し、場違いな仕草をしている。

 

「申し訳ない。本当はキバオウも来る予定だったんだけどね――彼は攻略に忙しいみたいで――レベル上げをするから来ないそうだ。代わりと言っては失礼だが、彼を連れてきた。【アインクラッド解放軍】のシンカーだ」

「シンカーだ。これからよろしくな」

 

茶葉色の短い毛に無精ひげの剃った清潔な面貌に、穏やかな瞳。噂に違わぬ人物ではあるも、この死と隣り合わせの世界では利用されやすい人物だ。だが、交渉役ともなればこれほど適任な者はいない。そんなことを考えていたユズルを他所に、ディアベルは割り箸を三人の前に置いた。

ユズルはクラインから、しょうゆラーメン三人前の注文を受ける。アインクラッド解放軍の暴挙や聖竜連合の非道を思い出したユズルの顔は強ばり、シンカーとディアベルを見回してから小さく気の抜けた声を漏らす。

 

「…それは仕方のないですよ。ゲームのレベル上げは大事ですからね。はい――しょうゆラーメンをどうぞ」

 

ユズルはディアベルの言葉を聞き流しながら、三人の注文したしょうゆ味のラーメンを置いていく。クラインやシンカーはまず久しぶりに嗅ぐ醤油スープの香りを楽しみ、空気を含むようにスープを飲み込む。味を確かめながら細い麺を噛みしめていく。朗らかな顔でラーメンを楽しむディアベルとシンカーに交渉を持ちかけた。

 

「ディアベルさん、シンカーさん。今日のコルは支払わなくて構いません。代わりにウチのラーメンは美味しくて音楽のセンスもいい、とギルドの仲間に話してください。明日は開店キャンペーンで、二十人以上の長蛇を作れれば半額になるので、ついでに伝えてください」

 

満足気に頷いて、シンカーとディアベルは席を立つ。

 

「ユズの字。俺はどうなんだ」

「もちろん無料だよ。ただ兄貴には個人で頼み事をしたいんだが、いい?」

「水くせぇこと言うなよ。おめぇが何の考えも無しに急に屋台なんて始めるわけがねぇ、だろ?今日はそれを確かめに来たようなもんだ。その頼みごとを俺が断ると思うか?」

 

唐突に、見透かされたクラインに問いかけられて、ユズルは麺作りの手を止めてしまう。冗談めいた口調のクラインは腕を組んで答える。

 

「そうは思わないけど…」

「――だったら、損得なんか考える暇があんなら、ぐちゃぐちゃでもいい。全部話せ。それで最後に『頼む』っていやぁ言いんだ。俺らは義兄弟なんだからよ」

「…兄貴には敵わないな。そのラーメン食い終わったら話すよ」

 

ユナにアイコンタクトをしてから、細心の注意を払って事情を説明した。クラインはその間、口を挟まずに渋い顔を浮かべて、黙ってユズルの言葉に耳を傾け続けていた。だが、亡くなったプレイヤーからモンスターが作られている仕組みは伏せた。重要な部分を空白にした穴だらけの会話にも関わらず、降ろした重い荷を受け止めてくれるクラインに、確かな安寧を感じていた。

 

2024年11月8日

 

アインクラッドは例年に無い寒波を乗せた偏西風に支配されていた。空が晴れ渡るまでには至らなかったが、乳白色に霞んだ雲から差す光だけは十分にあった。

 そんな天候を物ともしないラーメン屋台には新たに真紅の御旗を掲げた赤いバンダナをした無精ひげの男が並んでいた三人のプレイヤーに爽快な笑みを投げかける。

 

「へい!らっしゃい!!屋台『風林火山』ラーメン!開店だぜー!!」

「ク、クラインさん…凄く生き生きしてるね」

「こういうこと、したかったのかな…兄貴が料理できるのは知らなかったし…しかも、かなり美味しかったし…」

 

料理上手なクラインに戸惑うユズルと弾けんばかりの笑顔を浮かべるクラインに戸惑うユナ。互いに役割を分担し、三人でラーメンの切り盛りをしていると、人相の悪い男が駆けてきた。それも数十人を連れてくる様子は、ある意味では営業妨害である。

 

「おう、大将!!今日は並んで二十人以上の長蛇を作ればうめぇラーメンが半額なのは、間違いねぇよな!」

「おうよ!この風林火山の旗に誓って、嘘っぱちは言わねぇよ!!」

 

※風林火山にそんな意味はない。

 

「へへ…相手が悪かったな。俺達の協力者は聖竜連合十五人にアインクラッド解放軍の遊撃部隊の十三人だ!」

「かぁ~きたねぇな!!まぁ男に二言はねぇ!ちゃんと半額にしてやるから、たらふく食えよ!!」

 

クラインは大げさに胸を叩けば、男どもによる雄叫びが木霊する。ユズルはディアベルやシンカーによる噂の結果に笑みを浮かべた。

 

「あのギルドってずっといがみ合っていた筈よね…どうして食べ物一つで半額にしようとしてまで協力するのかな…」

「案外、あのギルドは小競り合いでみみっちい所があったからね。美味い人参をちらつかせれば簡単に動くんだろう」

 

ユズルはユナが一切のプライドを持ち合わせていない【聖竜連合】と【アインクラッド解放軍】を不服そうに疲れた溜息をもらした。クラインの背後に座り込んで、スープの入った鍋をかき混ぜるたびに鍋にカンカンと打ち鳴らす。調理を他所に、ユズルは忙しなく動くクラインを遠望しながら、乾いた声で呟く。

 

「まぁ、これが狙いなんだけど…ね」

「もし長蛇の列が出来なかったら、サクラを頼んで行列のできるラーメン屋さんを装うはずだったんでしょ。しなくてよかったじゃない」

「それは本当に安心してるよ。…さて、長蛇の列ができたか。そろそろアルゴとケイタから連絡が来るはずだ」

 

塩味のスープを付け足した段階で、アルゴとケイタからメールの連絡。送られてきた写真は赤いバンダナの若大将に長蛇の列で見切れた写真だった。誰が見ても、上手い味を連想させるラーメン屋のイメージ画像に、ユナは画面を覗き込みながら眼を輝かせた。

 

「これで大丈夫だね。下準備はこれで十分じゃないかな」

「そうだね。後は――」

「ユズの字、ユナちゃん!わりぃが手伝ってくれ!捌ききれなくなってきた!」

 

余韻に浸ろうとした途端、クラインの豪快な野太い声が沸き起こる。

 

「…ひとまずは手伝おうか…」

 

 クラインの抗議に、ユズルは苦笑して肩をすくめた。いずれにせよ、これで全ての準備が整ったのである。茅場晶彦の皮を被ったプレイヤーが来れば、ソードアート・オンラインは終わり、生き残ったプレイヤーは現実世界に戻れる。

 二年半ぶりに帰りたくても帰れなかった平和な箱庭に、帰って寛ぐことができる。ユナは広大な幸福を募らせる反面、現在の幸せを手放す喪失を奥底まで追い遣っていた。

 

2024年11月13日

 

ラーメン屋台の経営は順調すぎるほど売り上げを伸ばしている現状に、ユズルとクラインは思わず顔を見合わせたが、細麺を用意しているユナには、三日ぶりの休日を自ら手伝いに来てくれるほどにゆとりを持っていた。

 

この数日に、彼女は血盟騎士団の宣伝を含めた二泊三日の深夜ライブをこなし、赤らめるほど白い頬こそしていたが、そんな疲労感を感じさせないほど活気に満ちていた。気怠さを誤魔化していると思われたのか、澱みない言葉で語り始めた。

 

「深夜ライブと言っても、そんなに大変なお仕事ではないわ。もともと、得意な唄を九曲だけ披露するライブだからね。レインちゃんと張り合う必要も無いから、グッズ販売の写真撮影とかはもう断っているの。マネージャーから、プロポーションで勝負も必要と言われたのが癪でね。仮想世界なら、ここは長所のビブラートをさらに伸ばしていきたい、って言い争いになったんだ。ユズルはこの話を聞いてどう思う?」

「二泊三日で第二五層と第五十層、後は第七四層の深夜に唄を披露して皆の英気を養うイベントだったよね」

「そうよ」

「何がどう転んだらプロポーションで勝負することになったんだろ?」

「マネージャーからは何も話してくれなかったわ」

「ユナはグラビアとか興味あるの?」

「ある訳ないでしょ。ライブで似合う衣装を着るのは好きよ。それをファンの人に見てもらうのも好き。でも、素肌を他人に見せつけるのは別問題よ」

 

麺となる茶白色の塊を叩きつけ、割り箸やラーメンの皿を揺らす。世の中の不満、憤り、不条理を込めた麺を完成させていく。沸騰したお湯に麺を放り込む横顔は、肩の荷を下ろしたような癒された表情。クラインは視線を合わせず、野生の本能で冷や汗をかいた。

 

「ユズの字、何とかしてくれ。お前の嫁だろ?」

「ああいう、悩みよりも話を聞いてほしいだけの時は、嵐と一緒だ。過ぎ去るのを待つしかないよ」

 

クラインの懇願をラーメンのスープを混ぜ合わせながら、片手で野菜や肉に包丁の切り込みを入れ、しらっとした顔でメンマやチャーシューを用意していく。

 

「ちょっと席を外すね」

「あぁ…なるべく早く帰ってきてくれよな」

「それまでに、沢山麺を用意しておくね」

 

ユナとクラインに店番を任せ、ユズルは屋台の近くに流れている川のほとりに設置されているテントに向かう。オレンジ色のテントでユイはキリトにチェスを手ほどきしていた。将棋の様な盤上だが、駒は一度倒れれば自分の駒として使うことはできない部分は、まるで戦争の指揮をしているようだった。

 

「パパ、これでチェックです」

「まだだ、俺はまだ負けていないぞ」

「クイーンとナイトで攻められている状況ではキングの逃げ場は限られますよ。パパは駒を大切にしすぎです。キングは左と前しか進めませんから、次にビショップでキングにチェックメイトをかけますよ」

「甘いぞ。キングの傍にはナイトがいる。一手でも攻撃を緩めれば、今度は片方のルークとクイーンでキングを追い詰めてやる」

 

 駒の犠牲を減らす戦を進めるキリトに対し、ユイは次の手は駒を犠牲にしない戦い方を読み、キリトの駒を誘導しながら次の手を優位に進めていた。だからといってキリトも負けてはいない。ポーンやビショップを取られながらも、ナイトやルークで斬り込みつつ、何度か取られそうになる場面は長考を繰り返し、確実にユイの陣形を崩していた。白熱したチェスにユズルは控えめな口調で飛び込む。

 

「取り込み中だけどいいか?」

「大丈夫ですよ。あともう少しでパパに勝てますから――ビショップを動かして…チェックです」

 

ユイの声は満足そうだ。すでに勝利を確信していることを、あえて強調している。

 

「大分追い詰められているみたいだね。でも戦況は八分二分か――キリトは、アスナとノーチラスには連絡が着いたの?」

「その連絡はもう済んでる。今日の夜には、ヒースクリフと一緒に来るそうだ。これで、やっとギルドマスター全員を誘い込むことができたな――ナイトでビショップを取るぞ」

 

…それは悪手だぞ、キリト。真剣勝負に水を差さない沈黙を好意的と受け止めたのか、ユイは口元の緩みを片手で隠し、キリトの陣地まで前進したポーンをクイーンに成らせた。

 

「チェックメイト」

 

前進したナイトでは後方にいるクイーンの突進を止められない。対局を終えたユイとキリトはやけに静かだ。ユイはともかく、キリトは挨拶のひとつをしても良さそうなのに。

 

「参った。次は大駒を動かして勝っていきたいな」

 

負けた理由を正当化するキリトに若干引いてしまう。軽蔑の目を向けてやりたいが、それは堪えて少し後ろを窺う。

 

「一応だけど計画の確認ね。今回はラーメン好きな茅場晶彦を誘い込み、生け捕りにする。ユイちゃんはおじちゃんを特定できたら、ラーメンに微調整を加えながら『辛味』を与えて欲しい。キリトは特定次第、エギルに連絡してお店に来てくれるように伝えて欲しい。後は、合図をしたら、思いっきりやっていいからね」

「分かった。だが、あのあこぎで得がないと動かないエギルが来てくれるのか?」

「根回しはしたし、万全だよ。予定は狂っても、計画の成功は揺るがない」

 

 キリトとユイを労い、ユズルはテントから離れる。時間は掛かったとはいえ血盟騎士団の団長がくれば、ソードアート・オンラインでギルドを建設したギルドマスター全員が店を訪れたこととなる。屋台に向かう途中に、水たまりに足を引っかけてしまい、履いていた黒い靴を汚してしまった。水を吸い込んだ重い靴を持ち上げ、ユズルは溜息をついてから屋台の方へ走った。

 



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39話 大芝居の幕引き

※一の部分は面倒くさいと思ったら読まなくても差し支えありません。ユズルの考えた大芝居のを補足した内容となっています
※二の部分はキャラが少し崩壊しているのかもしれません。またカオスな茶番劇があります


 太陽は沈んでいるものの、川から小さな光がチラチラと差し込む明かりは蛍の様に見えた。広すぎる夜空の真ん中に左から絶えずに吹いてくる風に真紅の旗は慌ただしくなびかせている。

 クラインとユナは来客プレイヤーの集中する時間帯を過ぎ、何となく感じる疲労から屋台を離れて近くのオレンジ色テントで休憩を伝えたユズルは一人でお店の切り盛りをしていれば、アスナとノーチラスにつられていぶし銀な顔立ちをしたプレイヤーが堂々と入ってきた。

 

「ユズル!来たぞ!」

「お待たせ!訓練ですっかり遅れたわ」

「いらっしゃいませ~」

 

活そうな顔をしたノーチラスとアスナに、はっきりとした口調で答える。後から暖簾を潜った男は初対面であるも、どうにも息苦しさを感じさせていた。

 

「ふむ…アスナ君とノーチラス君に誘われてきてみれば…中々悪くないな」

 

軽快な演歌に昭和の屋台を思い浮かべる内装に男は開口した。向かい合った男の装束は、鉄灰色の長い髪を後ろにくくり、痩せた長身を真紅のローブに包んでいる。くたびれた顔つきだが、真鍮色の瞳に宿る光は強く、鋭く厳しい印象を受けた。

 

「ユズルは初めてだったな…団長のヒースクリフだ」

「お会いしたのは初めてでしたね。今日はウチのラーメンを存分に味わってください」

 

ユズルは最初ヒースクリフに話しかけながら、途中からアスナに顔を向けて注文を受け付けた。

 

「じゃあ…私はしょう油で!」

「俺は塩で頼む!」

「では…私はしょう油を頂こうか」

 

同時に注文を言うお客様に返事をせずに、その場で茹で上がった麺の水をきる。軽快に麺をどんぶりに入れ、しょう油味と塩味のスープにチャーシューやメンマに似たような具材をのせていく。三人の前にラーメンを差し出すとおしゃべりはピタリと止まった。そして、割られた箸を片手に勢いよく麺を啜るノーチラスとヒースグリフに、アスナは長い髪を後ろに束ねたポニーテールにしてからスープを味わう。

 

「ラーメンなんて久しぶりね…このちょっとピリッと辛いのが何とも言えないわ」

「アスナ君、辛いのはいいのか。私のは大分辛くなってきているがな」

 

ヒースクリフは顔をしかめながら言った。

 

「食欲増進で隠し味に唐辛子のスパイスを混ぜているからですよ。ホントは紅ショウガやガリを入れれば美味しいんですがね」

「いやぁ....これでもかなり美味い方だと思うぞ」

 

惜しみなく称賛するノーチラスに、軽く握った拳を見せる。ラーメンを半分以上に食べきったアスナとノーチラスは、ゲーム内のシステムで麺が伸びる心配のないと知れば、明日の予定や攻略組の愚痴を言い合っていた。ただ、ヒースクリフは麺に息を吹きかけてさましたり、水のお替わりをして食べるスペースは遅い。

息をきらしてラーメンの食べる手を休めない男に茫然としたまま凝視していれば、エギルが暖簾をくぐってきてくれた。

 

「あ!エギル、来てくれたんだね――皆さんすみません。ちょっとだけ詰めて下さい」

「ラーメンをご馳走になれるなら、一時休業してでも来るぞ。そうだな――この激辛をくれ」

 

事前に用意しておいたエギルに食べさせる激辛の調味料を付け足し、即座に置いた。

 

「はい。激辛味、お待たせ!!」

「おい…ユズル、これは何だ…」

「え?激辛味――麻婆ラーメンだよ?」

 

キリトの食べた麻婆ラーメンとは異なり、グツグツと煮えた赤いスープは液体よりも粘着性のあるマグマに近い。たちこもる赤い湯気は食べていない者の震えを止まらせない逸品であり、料理とはいえない代物だ。以前、エギルにはラグーラビットのシチューを他よりも多く食べられた恨みがある。あのとぼけた顔を忘れた訳ではない。いつか仕返しをしたいと思っていたが、それが今日だ。

 

――やられたらやり返す。ただそれだけだ。

 

改良に改良を重ねたエギル専用激辛味はアスナやノーチラスの表情を引き攣らせる。大量の汗と全身から白い湯気を立ち昇らせるゆで卵状態のエギルに気付いていたが、ヒースクリフはその必死さを無視し、ラーメンに視線を向けながら考える様子は、ひたすら気まずいものだった。

 

「ほう…この世界にも麻婆ラーメンがあったのか」

「あれ?麻婆ラーメンを知っているのですか。かなり知名度の低いラーメンですが…」

「私はこれでもラーメンには目が無くてね。だが、私の知る麻婆ラーメンは麺が少ししか無かった…スープは全て麻婆のあんかけで、あれを食べるのは大変だったよ」

「な、なるほど…それはたいへんでしたね」

 

遠い目をするヒースクリフに、ユズルは聞き流しながら水を補充する。カウンター席で冷たい水を作りながら録音した音楽を巻き戻していると、休憩時間の十五分ほど早くユナがやってきた。彼女は何も言わずに、お客には死角の位置でラーメンのスープを付け足していく。エギルも水を飲むのか、補充しておいた水も全て飲んだ空のボトルを振り、ヒースクリフは空になったコップを差し出す。

 

「これは、かなり辛くなってきたな…水を一杯頂こうか」

「団長は辛いの、苦手なんですね」

 

アスナは笑いながらチャーシューを口に運ぶ。ヒースクリフは額に大量の汗を拭わずに、そのまま水を一気に飲み込んだ。その様子にユズルは後ろにある白い明かりをオレンジ色の明かりに切り替える。

 

「虫よけに明かりを切り替えますね」

 

真正面から金属製のものが勢いよく落ちる音がした。一瞬だけ振り返ると、カウンターに突っ伏した団長ヒースクリフは大量の汗と全身の震えが止まらないでいる。アスナは驚き、ノーチラスは落ち着いていた。ユズルは急いでカウンター席に回り込み、ヒースクリフの背後に回り込む。

 

「え、団長!!どうかしましたか!?」

(!そうか….あれが合図なら….)

「ヒースクリフさん、大丈夫ですか!?お背中、失礼しますね…」

 

ヒースクリフは突っ伏しながら僅かにアスナとノーチラスに向けて首だけを頷かせる。ユズルの視線は背中から彼の手首に向かい、密かにノーチラスから手渡された手錠をヒースクリフの両手首に掛ける。ユズルはしてやったりと笑い、その表情にさっきまで無表情を貫いていたノーチラスも口元を緩ませる。

 

「上手くいって良かったな。笑いをこらえるのも結構大変だったんだぞ」

「ごめん、ごめん。でも合わせてくれて助かったよ」

 

ノーチラスには事前に作戦の目的を伝えてある。裏技に近い方法でゲームをクリアする話をすれば、彼は快く承諾し、初めは渋い顔をしていたアスナも協力してくれた。これまでの計画が報われた瞬間に高揚を隠しきれない表情に、ノーチラスはある提案をした。

 

「よっし、それじゃあ勝鬨でも挙げるか!」

「あたしも混ざっていい?縁起でも驚いたフリも楽じゃないのよ。思いっきり叫ぶわ!」

「うん。一緒に叫ぶよ~」

 

ノーチラスの言葉に、アスナとユズルも笑った。勝鬨の声掛けを瞬時に決め、困難な獲物を勝ち取った時に口走ってしまう叫び声に決まる。はしゃぐ二人の様子にユズルは、ノーチラスとアスナが良い方向に変わったと思うには十分すぎた。

 

アスナは第一層で出会い、初対面の印象は自分に厳しく相手にも厳しい少女だった。情報屋のアルゴに聞いた話では、血盟騎士団に入るまでキリトとコンビを組んでいたそうだ。副団長の立場だが攻略に集中する訳でなく、加入したプレイヤーの育成に励んだ少数の精鋭ギルドを目指していた。人柄としても天然さと話しかけやすさもあり、多くの人と関わり合ううちに影響を与えていたのかもしれない。

 

ノーチラスとはユナの紹介で会い、始めは危い雰囲気だった。後から聞いたが、ノーチラスはFNCというナーブギアの接続障害に悩まされていたらしい。本人に聞いたが、戦闘中に硬直状態となる状態は滅多に無くなったそうだ。最近では、アスナの推薦で副団長補佐としてスケジュール管理や支援物資のやりくりを任させている。しかし、アスナの付き添いは男性プレイヤーの嫉妬の的となり、自然に嫉妬を捌けるコミュニケーション力と行動力を高めたそうだ。

 

そんな二人が無邪気に喝采を上げようとしている。感情に揺り幅のあるアスナと、自分に確たる芯の無いノーチラスがソードアート・オンラインの影響で歪な性格にならなかった証拠に、ユズルは嘆息した。やがて、三人は声高らかに叫ぶ。

 

「「「GM!――とったどー!!!」」」

「――辛えっ!!ユズル、水くれ、水!この辛さに耐えるのも楽じゃないんだぞ!!」

 

両手を上げてハイタッチを交わす三人に悶絶する寸前で耐えながら言うエギルの顔に、また三人は噴き出すのを堪えながら、ユズルは水を手渡した。

 

 

『茅場晶彦を釣りだす作戦』はこうだ。

 

『茅場晶彦はラーメン好き』である情報を掴んだユズルは、本物に近いラーメンを再現できれば食い付くと考えた。人間は大好物に対しては、食べたいスイッチのメカニズムが出来上がる。好物を何日も食べなければ欲求は積るばかりだ。目の前に人参をぶら下げれば馬が早くなる様に、人間である以上は本能の『食欲』には逆らえないのだ。

 

次に、『GMは攻略組にいる可能性が高い』情報を合わせて、まずはギルドマスター全員に来てもらう必要があった。いくら美味しいラーメンでも周りに知られていなければ意味がない。見た目やコメントで美味しそうでも、確実に『美味い』と思わせなければならない。特に世間から険悪な印象の多い【アインクラッド解放軍】と【聖竜連合】のプレイヤーを引き込めなければ、誰が見ても納得のいく美味しさの期待値を上げられなかった。

そこで、クラインとケイタとアルゴに協力を依頼した。クラインには目的のギルマスと一緒に会食して欲しいと依頼した。そして嬉しい誤差で、店主としてラーメン屋台を切り盛りしてくれたお蔭でユズルの負担はかなり軽くなった。【月夜の黒猫団】にはラーメン屋台の口コミを依頼し、上手いラーメンの噂を流させた。アルゴには根回しで出来た行列の写真を撮り、ラーメンの実績をアインクラッド全体に知らしめたのだ。

 

最後は、『各ギルドの時間帯を調整してギルドマスターが来易くなる』様にしなければならなかった。これはアスナとノーチラスに依頼した。一週間ごとに副リーダーやその補佐はスケジュールを調整しなければならない。これは狩場やフロア攻略の独占を防ぎ、鉢合わせによるプレイヤーキルを減らす為に行われていた行事であった。

たまにアスナはギルドメンバーの経験値稼ぎに付き添う為に他のギルドと狩場の時間調整の話し合いが多く、ギルド内の交流は必然的に増えていた。顔の利くアスナはそのスケジュールを調整し、ノーチラスと共に各ギルドに空きが出来るよう調整を施した。

 

お分かり頂けただろうか。これは、茅場晶彦を引きずり出す大芝居の全貌だ。入念に準備してきた計画は、当然ながら、相当なストレスを引き起こす。普段は冷静なアスナとノーチラスでさえ、ギルドの連絡調整によるストレスと緊張は相当なものだ。解放感から叫びたくなるのは致しかたない。

ちなみに、エギルは「キリトから連絡が来た日に来てくれれば、激辛味は無料にするよ」と言い、キリトの近くにいるユイが茅場晶彦を感知したタイミングでエギルに連絡した。よって、エギルだけ詳細は知らぬまま、ただラーメンを食いに来ただけであった。

 

 

ヒースクリフは後ろに手錠を掛けられたまま、木材で作られた椅子の感触をたしかめながら、壇上にいるアスナやノーチラスに目を細めた。部屋は質素で簡素な造りの天井から強い明かりの眩しさに、何度か瞬きをして手早く慣れさせる。

 周りの傍観者もいる場は、さしずめ裁判所だ。状況を把握したヒースクリフは、視線をアスナに向けた。

 

「これは....一体、どういう状況かな」

「只今より血盟騎士団の団長ヒースクリフ――いえ、GMである茅場晶彦の裁判を始めます」

 

一瞬だけ目を見開くも、右の壇上で顔を覗かせる幼い少女のユイを見れば納得した様に鼻で深呼吸し、落ち着き払っていた。

 

「私、こういうこと一度やってみたかったのよねー」

「アスナ裁判長、厳選たる審議の方をお願いします」

 

興奮しかけたアスナにノーチラスがやさしく促した。

 

「こほん….それでは、検察側の発言をお願いします」

 

検察(役)のユズルは何も書いていない紙を持ち、えへんと咳をしてから口を開く。

 

「被告人は次世代型VRMMORPG『ソードアート・オンライン』のログアウトボタンを消去し、あろうことか五千人以上の命を奪いました。これはアインクラッド法第二百十四条『プレイヤーキル罪』に相当。加えて、被告人を生かしておけば時効が収まるまで海外に逃亡する可能性があります。以上より、検察は被告に対して『自害』を求刑します」

 

ヒースクリフのいる壇上の後部座席からは、傍観者である月夜の黒猫団や風林火山のメンバーの他に、シリカやリズベットが分かりやすいざわつきを演出し、検察(役)と弁護(役)と裁判長(笑)を心配そうに見守る。

 

「分かりました....弁護側の意見はありますか?」

「....意見はありません」

 

台座に立って顔を覗かせた弁護士(役)のユイは首を背けたまま言う。

 

「待ちたまえ。弁護人が弁護をしてくれないのは職務放棄だ。再議を要求したい」

「被告人の発言は一切受け付けません。判決の終了後に、発言を認めます」

 

何か、はぐらかされたような答え方だった。ヒースクリフは目を俯いて黙り込む時に、

 

「意義!!」

 

観客席にいたキリトは立ち上がり、鋭い声を刺す。

 

「被告人をここで自害させてしまえば、このゲームを終わらせることができなくなる。俺はその証拠となる情報を提示したい」

「....ノーチラス補佐官、その情報を受け取ってください」

 

綺麗に羅列された誓約書を付きだすキリト。これはヒースクリフの意識がない時に、彼の手を動かして書かせたユイの自作による書類を提示する。キリトからノーチラスに受け渡された誓約書を眺めたアスナは、書類を意味ありげに見つめて、静かに言った。

 

「情報の開示を認めます。これにより契約をする場合の罪状を改めて審議します――これにて閉廷!!」

 

――アスナは木槌をカンカンと叩き、ユズルの考案した『ソードアート・オンライン全体を巻き込んだ大芝居』は幕を閉じた。

 




次回、アインクラッド編のエピローグとなります!(^^)!


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40話 エピローグ

 ヒースクリフとユイは、月夜の黒猫団に見守られながら空に浮かぶ無数の画面にコードを打ち込んでいた。ヒースクリフはハッキングに協力しなければ体内にキャロライナ・リーパー相当の辛さと痛みを与える脅しのような誓約書に従い、サーバーアンチの低い点を瞬時に判断していた。私は辛い物が苦手だ。その恐怖が、逆に彼の判断力を高ぶらせる。

 一方、その横で互角のスピードで打ち込むユイはハッキングを手伝い、クラッキングの用意をしながら別の事に焦りを募らせていた。妹のストレアは無事なのだろうか。ハッキングの被害さえなければ、一緒に脱出できたであろう妹の安否を早く知りたいと。

 

「ストレアちゃんは大丈夫でしょうか….」

「たとえデリートされている可能性もあれば、バックアップがあれば再生できる」

「たとえそうだとしても….消えたストレアを戻しても、私は一緒にいてくれたストレアちゃんに会いたいです」

「ユイ、それ以上茅場が何か言ったら、次は遠慮なくやっちゃっていいぞ」

 

ケイタはユイを一瞥してからヒースクリフを見ていると、彼は少し怒ったような口調で言う。

 

「ログアウトの復元は順調に進んでいる。やるにも後にしてくれ。しかし、一人でこれをするのはしんどいな….」

「もう割り切って、真面目にパパ活をして下さい。時間は刻々と迫っているのですから」

「….ふぅ….一体誰がMHCPにこんな言語をインストールさせたんだ….」

 

 愚痴に聞こえる言葉を吐かずにはいられなかった。ヒースクリフは元々、アインクラッドの九五層でGMとして正体をあきらかにする予定でいた。それがアインクラッドに彗星の如く現れた極上ラーメンの情報に釣られてきてしまい、あろうことか呆気なく捕まっている。

 一生の不覚だ。恐ろしい速さでキーボードの記号を打ち込みながら、哀傷を孕んだ瞳で画面を見つめ、独り言を呟いた。

 

 二人はある画面に一瞬だけ顔を見合わせた。すると一つの画面を食い入る様子に、サチは気後れしつつもユイに近づいた。

 

「なんだか詰まっていそうだけど….どうかしたの?」

「ママ、これはゲームの中枢部分…モーメントにあたる場所です。ですが、ここから先は相手に感知されてしまうルートばかりでいい抜け道が無いんです」

 

サチは優しく微笑んだが、画面から視線を外した落ち込むユイに事態の深刻さがわかる。そして、両手であやすような仕草をし、そのままヒースクリフに向けて真剣な表情を浮かべた。

 

「茅場さん、私は….お二人ほどハッキングをする技術はありませんが….サポート位はできます。手伝わせてください――ユイちゃんの為にも、ユイちゃんの妹のために….」

 

 今度はヒースクリフが真剣な表情を浮かべる番だった。サチの進言にケイタやダッカ―、困り顔のままササマルにテツオも協力に声を挙げる様に、内心の驚きと困惑を押し殺していた。その眼の輝きは、一切の邪念や駆け引きを感じさせない純粋な心に隠れた強い意思。茅場晶彦には、若さの勢いしかない者に対するイライラ以上に、どこかワクワクするような、思い出せない熱さを感じていた。

 黒いコートを着た少年も目を細めて言い添える。

 

「茅場、俺もハッキングに加勢する….お前のやったことを許す気はない――だが、今いるプレイヤー達を現実世界に生還させられるなら….俺は協力する方を選ぶ」

「へぇ….冷静なキリトが随分と熱いことを言うようになったな。ここで色んなパパ活でもして漢にでもなったか?もし、そうならいい人紹介しろよ」

「お前なぁ…」

 

キリトはげんなりと呻く。ケイタはヘッドロックをかましながらキリトをからかい、勢いのままヒースクリフとユイの画面を共有した。

 

 

 明るい月夜である。ユナは一人、夜光虫の灯りと僅かな月明かりを頼りに川を眺めていた。彼女の傍らでは反射した月が頼りなさげに揺れている。今宵は風もなければ雲もない。静寂な夜に、この穏やかな水音が心地よかった。もし石でもあれば、何となく投げて波を立てていたのかもしれない。

 

(静かな夜だな….これから終わる世界とはとても思えないや)

 

 久しぶりに一人になった私は、ノーチラスやクラインと話し合ってしまったユズルの男衆を思って苦笑する。ゲームがクリアされれば日本のどこにいるのかは分からなくなってしまう。どこかで合流できる場はあるか、と入念な意見交換でカフェを経営しているエギルのお店に集まることとなった。意外にもプレイヤーの大半はその近場で、交通のいい関東地方に住んでいるのは朗報だ。

 

(皆の繋がりはなくならない….この関係が終わらないのはありがたいな)

 

この世界で経験した出来事が情景の様に空想される。何にでも言い合える親友と呼べるリズベットと一緒に遊んだ日々。初めて本音をぶつけ合ったシリカちゃんとの会話。お互いに弱みや性癖を引きずり出し合う駆け引きをしたアスナとの頭脳戦。そして、ユズルの好意に半年もかかった鈍感な私が初めて気づいた恋心とその後の蜜月も、どれも無かったことにするには、ここには大切な思い出ができすぎた。

 

(自分勝手に思えば、まだここにいたい….でも、この世界のモンスター達は元プレイヤーなら….何度も生き死にを繰り返して元の自分がバラバラになっていくのを黙って見ていたくないな….)

 

もし亡くなったプレイヤーに自我があれば、自分の大切な思い出がバラバラに無くなるカーディナルの仕組みにユナは気分が沈む感じを覚えた。一つには心の支えが無くなる不安を想像できないからであり、もう一つはいろんなことを分からなくなるのに本人はそれが気にならなくなっていくことだ。

 

(ここのモンスター達は自我がなくなって関心がなくなるのかな――う~ん。そこまで極端には考える気はないか…まぁ、ピンク髪の女の人は悩むのは良いことって話したし….)

 

 ユナはきわめて冷静に熟考した。私は相手の気持ちをここまで深い領域まで寄り添える経験などがなかっただけだ。このゲームが始まった日から、幼馴染のエーくんを励ましたり、時に厳しい言葉をかけたりもした。はっきり言えば怖さや恐怖の内面に、百層までエーくんが無事でいてくれるのか、そんな茫然とした不安もあった。

 落ち込んでいたエーくんが危なく感じていた日に死の不安に背中を押されて、ランチと一緒にユズルを頼って連絡をいれたのかもしれない。改めて私はまた、彼を利用していたことに気付いた。しかし、あの場にユズルがいなければ二十体の拷問吏を相手にできなかっただろう。誰か一人は死亡していたはずだ。

 

ユナは、皆が集まっている場に向けて歩きだし、これ以上に思考したい気持ちをぐっと堪えた。

 

(色々悩んじゃっているけど….ほんとに気になっているのを考えなくちゃ!)

 

 ユナは軽く背伸びをし、気にしていた夢の出来事を考え始めた。二泊三日の深夜ライブの間に情報屋経由で聞いたが、このVRMMOでは夢を見る事はない。ケッコンシステムで夫婦となったプレイヤーが、ごく稀に、夢という形で相手の過去を垣間見ることはあるそうだ。それをユズルが知っているかはさておき、ユナは彼に問い詰めたくなかった。

 勝手に記憶を覗かれて快いと思うはずはないし、あの記憶がユズルの過去であれば、現実世界の彼は今の医療では治らない何か重い病気を抱えているのかもしれない。ユナには大きな危険にさらされている感触があった。そして、もっと残酷な可能性を否定して憶測のみに留めた。

 

(たとえ病気でも、その先が辛い未来でも私からユズル…いえ、柚季を見捨てはしない!彼から距離を取られても、絶望に呑まれて拒絶されても、私は何度だって貴方を包む!)

 

ユナは繰り返し、ユズルと話した言葉を思い出しては叱咤する。いつだか、ただ悶々と月を見上げて彼への想いを託すことはしない。私自身が彼の心を癒やし、元気づけられる相手になればいいだけだ。

 

(そのためにも、まずはユズルが助けないと危なっかしいと思われないようにしなくちゃね)

 

 そんなことを考えているうちに、着いたヒースクリフのいる裁判所のホールからがやがやと声を聞き、ユナはドアの前で深呼吸する。ひとたび意を決した少女はそれ以上の憂い顔を見せず、ドアを開けた。

 

 

 アインクラッド内の罪人を裁く裁判所の中は広々とした大理石のホールだ。数人のNPCが、カウンターの丸椅子に座り、大きな帳簿に書き込みをしたり、天秤でコルの重さを測ったりしていた。各部屋に無断での侵入は許さず、勝手に入れば強制的に裁判所から追い出されてしまう。ユナはカウンターに近づいた。

 

「こんにちは。ヒースクリフ裁判の部屋に戻りたくて来ました」

「IDはお持ちでいらっしゃいますか?」

「ここにありますよ」

 

ユナはポケットから長方形の白いカードをつまみ上げた。

 

「承知しました」

 

NPCは帳簿を指差し、ユナは青い光に包まれる。青い光が消えたとき、彼女は微笑んだ。大きな部屋の片隅に飾った赤い花に茶色の絨毯が敷かれた床は高級感が漂い、規律の厳しい法廷の場より高級なホテルにいるような気がした。

 

甘美な道具や家具を見て回っていると、ソファに朽葉色の髪をした後ろ頭が見えた。なるべく気配を消した私はちょっとした悪戯をしようと、そろりと背後に回る。両手で目を隠し、軽く飛び上がった彼に、柔らかく声をかける。

 

「だ~れだ?」

「…ユナだろ。驚かさないでくれよ」

「別にいいでしょ。久しぶりに幼馴染にイタズラしようと思っても」

「普段から会っていただろ。アイドルグッズ販売の打ち合わせでユナがしょっちゅうギルドに来てた時なんか、大変だったんだぞ。俺に「ユナを紹介して欲しい」って何度も声をかけられたからな」

 

日頃から溜まっていただろう愚痴を言い切り、ユナは冗談を思い付いたような表情を浮かべた。

 

「エーくん、もしかしてモテ期なの?」

「違うよ….それに相手は男だぞ」

「男にモテて嬉しいんだね」

 

うんうんと頷くユナに、ノーチラスの眉は八の字に曲がる。次に男にモテると言ったら、ユズルに「ユナは女にモテる」の話題をつまみにしてレズ疑惑をかけてやろうと心に誓った。

 

「そんな訳ないだろ…アスナの護衛役になってから男の見苦しい嫉妬とか見飽きたからな。それに、声を掛けられる大半はいじりみたいなもんだ。堂々としてれば、どうってことない」

「ふぅん。何かエーくん、前よりどっしりと構えているね。どこかの騎士様みたい」

 

そこで、ノーチラスは首を横に振り、

 

「それは…どちらかと言えばアスナの方だろ」

「表面だけ見ればね。でもアスナってあれで打たれ弱いからさ。内面はエーくんの方が、真っ正直な騎士道の心を持っている感じ」

「そうか?」

 

 良く分かっていないノーチラスに、ユナは朗らかに対応する。彼女からアスナの印象は美人で才色兼備なお嬢様だ。しかし、どこか仕事にストイックに臨む姿勢やどこか攻撃的な感じは彼女の良さばかりが目立ってしまい、攻撃性の裏に隠れた弱い自分を誰かに見せることはない。

 そんな彼女でも補佐役のエーくんといる時は、割と素に近い表情というより、どこか自信に満ち溢れた眼差しをする。七四層の戦闘でも、ユズルとのラブシーンを写真に撮っていた時も、裁判所の進行でも。どこかで鋭利なアスナの剣を納める、鞘の役割を担うノーチラスがいて、彼女――アスナという少女は始めて戦場の騎士となる。そんな風に思っていた―

 

その時、別のドアから顔を覗かせたキリトの声が、ユナとノーチラスの会話を断ち切った。ハッキングの疲労を隠したキリトは二人に向かって言う。

 

「ログアウトの準備が出来たからすぐに来てほしい」

 

 二人は何も言わなかった。もうすぐお互いのパートナーと離れ離れになることを。それはキリトも同じであり、ユナはキリトの後ろ姿を哀しげに見ていた。

 

 

大理石の真ん中に置かれた長方形のテーブルにヒースクリフはユズルと話している。ヒースクリフは時々、考える仕草をしていた。三人が部屋に入ると、チラリと見てからお互いに会話を続ける。

 

「茅場さん。貴方のゲームが初日からおかしくなったことは知っていましたか?」

「おかしくなったことは、カーディナルシステムが修正してくれるはずだが….その言い方はもっと根深い問題なのかな」

「カーディナルにいたMHCP達は初日からモンスターの再構築をしていたそうだ。何もない所からモンスターは作れない。これをカーディナルは¨正常¨としている現状は開発者から見ても異常ではないのか?」

 

 その単語を聞いた途端、ヒースクリフは鋭く息を吸い込んだ。たった数単語で真意を導いた開発者は、骨の張った手で口を隠し、落ち着いた口調でゆっくりと話す。

 

「いや….そのはずはない。確かに、カーディナルにはモンスターのリポップ、コルの管理、MHCPによるメンタルデータの管理を任せている。この仮想世界はナーブギアによる脳から検出される運動野と感覚野を読み取り、デジタルコードに変換してアバターに伝える仕組みだ。モンスターのリポップが機能しないのはカーディナルの異常である可能性が高い」

 

ヒースクリフは曰くありげに言った。

 

「そうか….ならノーチラスのFNCは何ですか?運動野は行動を、感覚野は感覚を機能する役割のはず….それはナーブギアの異常で起こるのでは?」

「ナーブギアは人間の脳波をアバターに伝える。しかし、人間の脳は現代でも解明できない複雑なものだからね….大半は運動野を出力させるが、脳のマッチングによりコードに変換されないことがある。感覚野を出力させれば、生存本能によってアバターが動かなくなることも有り得る話だ」

 

なるほど、と頷く。

 

「最後の問いです。このゲームがハッキングを受けているのは知っていましたか?」

「寝耳に水だよ….ここまで私の世界に異常があるとなれば、一度入念に調べなければならないか」

 

テーブルに肘をついた手を足膝に置き、顔をしかめた。

 

「ユイの話になるが、ハッキングした者は新しいゲームにデータを吸収させたそうです。ソードアート・オンラインとよく似たゲームを調べれば、手掛かりが掴めるのでは」

「なるほど….ならば、問題の解決までに時間はかからないか。現実世界に戻れば、合間で皆の集合場所に連絡を入れよう」

 

「頼みます」ユズルは興味を仲間たちに向け、メニュー画面から時刻を見る。茅場晶彦を生け捕りにする作戦に、裁判からハッキングまでの時間は、気づけば深夜に迫っていた。

 

「これからソードアート・オンラインのログアウトとクラッキングを同時に行うが、いいかな」

 

数分後に、ヒースクリフこと茅場晶彦が大広間のプレイヤー達を見回し、そう告げた。

 

「私は現実世界でやるべきことができた。警察に自首はしないが、いずれ向き合うべきことだ。時が来れば、皆の集まるエギルの店に連絡を入れよう」

「一つだけ…聞いていいか?」

 

ヒースクリフはEnterを押そうとしたが、キリトの声で留まった。

 

「….何で、こんな事したんだ」

「――理由など忘れたよ。ただ子どもの頃から思い描いていた空に浮かぶ鋼鉄の城を実現させたかった。その幻想を具現化し、本物を完成させたかったからかもしれない。今は….ソードアート・オンラインを作り始めたキッカケすら、もう覚えていないからね」

 

そうか....とキリトは頷く。

 

「ゲームクリアおめでとう、プレイヤー諸君。またどこかで会おう!」

 

 ヒースクリフとユイはEnterを押し、プレイヤーは白い光に包まれる。プレイヤーの誰もがいなくなった大広間は徐々に青白いポリゴンが上空に溶けていく。各階層のモンスター達はひと鳴きの声を上げ、意識を手放した。

 

 

 目を覚ますとナーブギア越しに白い天井が見える。なんだかとてもフラフラした。耳をかすめる風が、耳から脳に、ノロノロとこそばゆく移動する感じで慣れない。手足は骨の形がくっきり分かるまで細く、ソードアート・オンラインでは見ない左側に置かれた点滴が現実世界を実感させた。

 ユナは鉛のように重い身体を寝返り、動かし辛い左腕を三日月に伸ばした。

 

(必ず事件を解決しようね。今度は私から貴方に逢いに行くから)

 

 

 意識を覚醒させれば、真っ暗な空洞に、大きなスクリーンから映し出された外の様子。画面には、白衣を着た大人が走り抜ける場面や深夜の巡回をする懐中電灯をもつ人が映っていた。しばらく、ぼんやりと眺めていると不意に空洞のどこからか、若い男性の声が響いた。

 

『気分はどうですか。朝田柚季君』

 

 大きなスクリーンの一画面に、窓越しで男の人が向き合っていた。短めのヘアーカットにふちの細い眼鏡、白衣の下にはグレーの白いワイシャツにベストを着ている。ズボンは動きやすいジャージに近い黒色の物であり、曖昧に微笑んでいた。

 

「すこぶる元気ですよ。でも顔は分かるんですが…名札がぼやけて見えないくらいです」

『そう….ですか。私は倉橋と言います。柚季君のリハビリを担当しますのでよろしくお願いしますね』

 




第四十話まで、アインクラッド編をお読みいただき、ありがとうございます。

 これからユズルとユナは事件を調べて、別々に行動していきます。目的は定まっているので、二人は必ず廻り合えます。

 それでは、ALO編でお会いしましょう。


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アインクラッド編【年表】

■2022年

 

11月6日  ソードアート・オンラインの正式サービス開始

       キリト、ユズルとクラインに出会う

12月2日  ユズルがキリトに誘われ、攻略戦に参加

12月3日  第一層攻略完了

       ユズルにGMの疑いとヘイトが向き、逃亡生活が始まる

 

■2023年

 

3月     キリトとアスナ、コンビ解消

       アスナ、新生ギルド≪血盟騎士団≫に入る

3月11日  ユズル、第20層ひだまりの森で熟睡する

3月13日  第19層≪ラーベルグ≫でプレイヤー集団に襲われる

       【天国と地獄の扉】のクエストを受ける

       クラインが攻略組を目指そうとする

4月20日  ユズル、スキル【幻影】装備【幻影のローブ】入手

5月30日  アルヴヘイム・オンラインのβテスター開始

       ユズル、小規模ギルド≪月夜の黒猫団≫と出会う

       ユズルとユナ、深夜の第11層タフトの街で出逢う

6月03日  ユズル、深夜の第八層フリーベン転移門広場でユナの唄を聴く

6月12日  ≪月夜の黒猫団≫と金策を行う

       ユズル、深夜の第三層ロービア転移門広場でユナの唄を聴く

       ユナ、ユニークスキル【吟唱】を習得

10月16日 第40層迷宮区でボス部屋を発見

       ノーチラス、アスナから休暇を貰う

       ユナ、第40層主街区≪ジェイレウム≫でライブをひらく

10月17日 第40層フロアボス攻略会議が開かれる

10月18日 ユズル、ユナの紹介でノーチラスに出会う

       ユズル、モンスタープレイヤーキルに遭う

10月19日 ユナ、≪血盟騎士団≫に入る

       ノーチラス≪血盟騎士団≫の攻略組に復帰

12月20日 ユズル、商人としてアルゴと交渉する

12月25日 ユナ、ライブに向けた作詞と作曲の準備をする

 

■2024年

1月     第50層攻略完了

       キリト、ユニークスキル【二刀流】を習得

1月14日  ユナ、深夜に初の大きなライブを行う

2月18日  中層ギルド≪シルバーフラグス≫の崩壊

2月23日  第35層≪迷いの森≫でユズル、シリカと出会う

2月25日  ユナ、ゴシップ記事に心を乱される

2月27日  第八層主街区≪フリーベン≫でシリカ、自分自身を見つめ直す

4月11日  第57層主街区≪マーテン≫で圏内殺人事件発生

4月12日  ユナ、ユズルの存在を強く意識し始める

5月30日  ユナ、キリトとサチの仲の良い雰囲気に嫉妬する

6月03日  ユナ、ストレスと嫉妬でバランスが崩れかける

6月10日  ノーチラス、アスナに相談する

6月12日  アスナとユナ、リズベット工房を訪れる

6月25日  ユズル、ユナに手紙を書き、鼠のアルゴに渡す

7月07日  ユズルの手紙はユナに届く。

       ユナ、ユズルへの恋心を自覚する。

8月     ソードアート・オンラインがハッキングされる

       アルヴヘイム・オンラインの正式サービス開始

10月10日 謎の男による人体実験が本格的になる

10月18日 ユズル、モンスターに疑問を持つ

       第74層でS級食材モンスターを入手

10月19日 ギルド連合軍、第74層フロアボス青眼の悪魔を協力して倒す

10月21日 ユズル、ユナと正式に結婚する

10月22日 ユズル、ユナとデートする

10月25日 ユズルとユナ、第22層の自作ハウスに引っ越す

10月30日 シリカ、聖竜連合と対立する

       キリトとサチ、第1層でユイと出会う

11月05日 ユナ、ユズルの過去を夢で垣間見る

11月06日 ソードアート・オンラインのある真実を知る

       ユズル、GMを釣る作戦を立案する

11月13日 屋台『風林火山』にヒースクリフが来る

       ソードアート・オンライン、クリアされる

 

【原作との違い】

※ここでは大きな変化のみ記載

 

1  月夜の黒猫団が壊滅していない

2  ノーチラスがアスナに、二軍落ちを宣告されていない

3  ユナは死亡せず、ノーチラスは血盟騎士団を抜けていない

4  アインクラッド解放軍が第25層で殲滅されていない

5  将来、殺人ギルド≪ラフィン・コフィン≫に入る構成員は

    一般プレイヤーに根絶やしにされている

6  シリカの自立度が高くなっている

7  アスナとキリトが結婚していない

8  茅場晶彦が生存している

9  第22層のヌシの代わりに、ヒースクリフが釣られる

10 キリトとアスナにギルドへの不信感がない

 

【後書き】

 

始めましての方は、はじめまして。そうでない方は、こんにちは。ロバート・こうじです。

 

本作はソードアート・オンラインを初めて読む方でも楽しめるように地文を多めなスタイルにしています。技名やスキル名はほとんど言わず、少しずれている戦い方や発想で展開されています。

ヒロインの『ユナ/重村悠那』は映画と本編を合わせても、オリジナルは僅か一分あるか、無いかの登場時間。つまり、参考になるのは映画特典小説と【if/インテグラルファクター】くらいに限られる、となりますね(笑)ほぼ、オリジナル展開なのは仕方ない……

 

 感想では「SAOはにわかですけど…」と聞かれたので、ここでは真面目に答えます。結論付ければ、SAOの小説を読まなくてもまたは、アニメを見ていなくても楽しめる形にしています。しかし、アニメ『ALO編』までを見ていれば、より楽しめると思います。

さて本作は、和人の両親が交通事故に遭わないまま、鳴坂和人として生きる物語。舞台は、五感全てを体験できるゲームの世界を舞台に、個性豊かなキャラクター達が活躍するファンタジードラマ。

人によっては重苦しさ、不快にもなる気持ち。だが――押し寄せる絶望を掻き分けた闇に、ひっそりと輝く光。誰もと比べればあまりにも当たり前にある光。失ったものが大きければ大きいほど小さな、淡く尊い光の輝きに、目を細めて愛しむ。

 

それが――『幻影戦記~氷と炎の鎮魂歌~』

 

アインクラッド編、それは『信念』――正しいと堅く信じる心を探す物語。読者のみなさまには、またこの小説をお楽しみ下さい。

 




オリ主とヒロインの疑似的に出会った日は7月7日の七夕。
織姫と彦星が1年に一度、出会う日でもあります。

二人が再び出会うまでの物語は日本とフィンランドの七夕伝説をモチーフにしています。

ここでのユナの流した涙は七夕に降る雨を比喩しており「たった一回の出会いも許されない悲しみの涙」です。
 フィンランドの物語は大まかに省略し、星屑を集めて光の端を完成させ、二人は再会しました。二人の恋は多くの人の協力がなければ、結ばれなかった運命でした。


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エピソード2 フェアリティ・ダンス編
キャラクター設定資料【フェアリティ・ダンス編】


本作は決まった性格等はありません。

 

代わりにキャラクター一人に≪タロットカート≫を深層心理に根付かせています。大きい困難であればあるほど多くの人の集まり、連携し合います。時には心を支え合い、時には難題を人の力と根付いたカードの結束で乗り越えていく様に本作は心掛けています。しかし、深層心理とはいえ強いストレスや環境の変化による刺激又は死亡することで変化することはご了承下さい。

 

【正位置=長所】

【逆位置=短所】

 

また本作は大アルカナカードを参考にしております。タロットカードは本やサイトによっては統一されておらず、似通った意味で記載されています。もしよければ『目安』位の気持ちで見て頂ければ幸いです。

 

紺野 藍子【名:ラン】『女祭司』

 

正位置・・・賢さ、学識がある。勉学に励む。常識がある。深い叡智、理解力。判断力、洞察力に富む。女性の助けを借りると良い。秘密。隠された知恵。隠されたものが現れる。インスピレーション。プラトニックな恋。恋が愛に変わる。人を育てる。成熟する。

逆位置・・・感情的に不安定。融通がきかない。感情が希薄。無感動。薄情。忍耐力がない。相手に気持ちが伝えられない。ひきこもり。心の奥に眠っている秘密。言葉にならない思い。女性による悪い影響。現状にあぐらをかいている。けじめをつけた生活を。

 

須郷 信之【名:オベイロン】『大司祭』

 

正位置・・・良いアドバイス。誰かからのサポートがある。親切。慈悲。人の話は良く聞こう。良い相談者を探そう。頼られる人。恋愛が認められる。真面目な恋愛をしよう。深い愛。規則・法に従う。指導者。学校。良い地位を得る。外国の知識で切り抜ける。思いがけぬ発見。寛大さ。深い絆。癒し。宗教・先祖を敬う気持ち。伝統を尊ぶ。立ちふさがっていた見えない壁が消える。打開策がみつかる。

逆位置・・・見えない壁が立ちふさがる。立ち往生。孤立する。ひとりよがり。壁の中に閉じこもる。狭量。視野が狭い。情報操作や独占による力の悪用。人の指導を受けない。宗教的に凝り固まった生活。狂信的な考え。無信仰。自信喪失。無気力。間違った親切。親切が仇になる。間違った忠告。謝りに気が付かない。誤報。中傷。

 

茅場 晶彦【名:ヒースクリフ】『隠者』

 

正位置・・・慎重に行動せよ。時間はかかるが、良い方向に向かっている。仕事は地道な努力によって実を結ぶ。手抜きはするな。着実に歩む。急がば回れ。よい相談相手を探そう。ひとりでじっくり考える時間を大切にしたい。自分探しの旅に出る。考えすぎて変な方向に進んでいる。

逆位置・・・孤独。孤立。逃避。憂鬱。未熟な考え。ハッキリしない状況。物事が遅れる。能率の低下。邪推。無責任な意見や、噂には耳をかさない。頑固。古い考え、自分のやり方にこだわりすぎる。悲観的にならないように。我慢。大自然に触れて、じっくりと考えてみよう。過去の思いにひたる。

 

桐ヶ谷 直葉【名:リーファ】『力』

 

正位置・・・勇気。自己犠牲。柔よく剛を制す。インスピレーション。不可能を成し遂げる力。常識や社会通念の打破。偉大な精神的指導力。行動による愛の成就。努力と忍耐による愛の勝利。理想へ向かう。相手の醜い欲望をなくさせる。危険を恐れない勇気をもつなら計画を実行に移すことが出来る。我が道を行く。

逆位置・・・獣性や強いものに負ける。本能を制御できない。力の乱用。忍耐の欠如。過信。チャンスを逃がす。プライド・品性を保とう。投げやりになるな!自惚れすぎて失敗する。

 

枳殻 虹架【名:レイン】『悪魔』

 

正位置・・・意志が弱く、誘惑に負けそうになる。生活の乱れ。自分の弱さ、欲望との闘い。邪な気持ちは破滅のもと。依頼心。騙されやすい。不正に関わらないように注意。楽な事ばかりを望み、悪い方向へ行く。悪魔の誘い。愛情なき交際。不倫。肉欲。邪心。勧誘。

逆位置・・・疑心暗鬼。執着することをやめよう。悪習を断つ。悪い噂、勧誘等は聞き流そう。束縛からの解放。悪魔の誘惑に打ち勝つ。自信過剰にならない。迷信や腐れ縁を断ち切る。マジメな仕事につく。正しい恋愛。浮気をしない。嫉妬心からのトラブル。

 

リセリス 【名:カーディナル】『塔』

 

正位置・・・ショックな出来事。予期せぬトラブル。自信喪失。リスクは犯すべきではない。得意なことで、思わぬ失敗をする。臨機応変に対応を!突然の別れ。友との決別・争い・喧嘩。信用の失墜。愛の終わり。離婚。浮気がばれる。危険な交際。破産。それまでに築いてきたものが一気に崩れる。驚くが悪くない状況。変化の運気。

逆位置・・・小さな事故・危険。不注意から、思わぬミスを招く。所属する古い組織の崩壊。抑圧から脱する。窮地。些細な一言からトラブルに発展する。裏切り。トラブルの後遺症が続く。ノイローゼ。圧迫。小さなミスが続く。相手に対する信頼が崩れる。慎重に行動せよ。

 

朝田 詩乃【名:シノン】『月』

 

正位置・・・あいまいな状況。広がる不安・不信。胸騒ぎ。中傷。侮辱。デマに振り回されない。偽りの友人。まず自分を信じ、現実をみつめる。誠意の無い人。恋愛は相手の本心を知ること。裏切り。ふたまた。幻滅。幻想に悩む。ファンタジー世界。迷い。

逆位置・・・心の揺らぎ。注意散漫で、小さなトラブルがある。根拠のない不安。思い込みは危険。気まぐれ。隠されていた事、過去の何かが明らかになる。迷いがなくなると、気力が戻る。誤解が解ける。偽りの恋。嘘がばれる。移り気。母親の介入。

 

篠原 美優【名:フカ次郎】『審判』

 

正位置・・・復活。一度は諦めていた事にも再挑戦せよ!好転。決断。失敗からの立ち直り。古い友達。再会。関係の修復。温故知新。治癒。健康回復。愛が復活する。冷めていた気持ちが蘇る。昔の恋人。新しい目的・価値観。インスピレーションを大切に。

逆位置・・・優柔不断。未決定のままダラダラと引き延ばす。精算。不本意な決定。回復できない。同じ失敗を繰り返す。関係をやり直せない。別離。情に流されてはいけない。失恋の痛手。過去に拘っている。断ち切れない想い。関係をズルズルと引きずる。ペース配分を見直そう。

 

【後書き】

 タロットカードの凶札とも言われる『塔』と『悪魔』のカードが出てきました。

 

元々『塔』と呼ばれている建造物はRPGゲームのプレイヤーに試練を与えます。ドラゴンクエストのボスも立派な建物に身構えます。

人によっては理不尽な難易度もあり、トラウマにもなった思い出もあるでしょう。何度も挑戦し、クリアした一瞬は忘れがたく、その後の冒険の糧として生きていく。人に試練を与える『塔』はひと区切りの終焉を伝え、乗り越えた者には『成長』を、立ち止まった者には『現状』を与えます。

 

タロットカードを問わず、『悪魔』といえば、あまりよいイメージは一般的にはないのかもしれません。そんな『悪魔』にもポジティブな意味の中に「笑い」があります。

 

 クンデラ『笑いと忘却の書』によれば「人間社会には天使と悪魔の力が拮抗している。一つの価値観が絶対的な意味を持つ社会(天使の権能)、一つの価値観が絶対的な意味を持つ社会(悪魔の権能)でも、人間は生きていけない」とあり、いわゆる物事の秩序の中で与えられた場所が奪われると、私たち人間は心の中の笑いを引き起こすのです。可笑しなこと、愉快なこと、他人の不幸を笑うのは「悪魔の領分」というわけです。

 

 タロットカードの『悪魔』と双璧を為す『恋人』と同様に重要な選択を意味します。欲望に溺れることや暴力を唆しても、その人の苦難の末に、一つの「真実」に辿り着いた者には残念な素振りを見せても、祝福します。

 悪魔は、欲望という「獣」に屈する人の弱さと、その弱さを認めることで本当に手に入れることのできる「強さ」を表しています。

 

最後に――

フェアリティ・ダンス編、それは『救済』――己が苦しむ心を解き放つ物語。

愛、怒り、悲しみ、羨望、興奮、熱狂、忘我。激情が闇を生み出す――。

 

他人の不幸は蜜の味と言われるほど、嫌いな人や他人の不幸ほど、自分にとっては喜びになるということ。最近では「メシウマ」とも言います。人体実験や人種差別を繰り返し、際限なく私腹を肥やし、至福を得ていく激情は強い闇を蠢かせます。しかし、小さな光でも大きな影を浮きあげる現状に、本人はそう安心などできない。常に大きくなる影に怯えて隠れなければなりませんから。

 

 

 




ここまで読んで頂き、ありがとうございます!!
これからもこの小説をよろしくお願い致します!


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1話 ファントム・アロー

新章エピソード2『フェアリティ・ダンス編』がスタートします。
いきなりですが、新キャラが登場しています。

それでは、新たな物語と冒険をお楽しみ下さい。


2024年11月20日

 

「なあ、知ってるかー。シノのん!」

「…聞こえているわ、フカ。あとシノのん言うな」

「そんなつれないこと言うなよ!あの一夜を共にした夜を忘れたか?」

「勝手な解釈するな!たまたま同じ宿屋で泊まっただけでしょ…からかうのもいい加減にして….」

「わりぃわりぃ、ひっさし振りにパーティ組む気なら、これくらいはいいっしょ?」

「…いいわよ…別に…それで、何かを伝えたかったんじゃないの。フカ次郎」

 

 顔を赤らめる薄水色髪をした『シノのん』と呼ばれた猫耳の少女は一瞬で凛々しい顔をするも、『フカ次郎』と言われた金髪の風妖精族の≪シルフ≫はにやけ顔のまま少女の緩急の激しさを楽しんでいた。ここは音楽妖精族の≪プーカ≫領域にある飲み屋。そこに待ち合わせた他種族の妖精達。

 薄水色髪の少女は『シノのん』というあだ名をもつプレイヤーであり、プレイヤー名は『シノン』だ。愛称であるあだ名は親しみを込めて対象を呼ぶために用いられる。似た所で、二つ名とは本名以外でその人の特徴や印象を言い表した呼び名で言い回しは違う。ちなみに『フカ次郎』もシノンからすればプレイヤー名を言い難くて『フカ』のあだ名で呼んでいるのはここだけの話だ。

 

 緑園畑に囲まれた木々に白く厚い雲が覆っている。今日は風の強い日ではないも、日差しの強さは、頬に軽い熱をおびさせてしまう。

 飲み屋から外に出れば、ハープやオルガンの軽音が出迎えてくれる。陽気で唄と音符に歓迎された領地であった。

 

「こっちからはそんなにないさー。一つは世間話と、もう一個は依頼さ」

「へぇ…なら世間話から聞こうかしら」

「おう!シノの…じゃ、無かったわ!シノンはさ…先週位に¨ソードアート・オンライン¨に閉じ込められていたプレイヤーが帰還した話を知っているか?」

「あまりその手のニュースは見てないのよね。スマホでそういうことがあった程度よ」

「その手の話だけどねー。な~んか怪しいのだよ」

「怪しい?」

 

ミルクを一気飲みしてカラになったコップを掴んだまま落とし、喉を潤したフカにシノンが問いかける。

 

「ふっ…フカ次郎さんは、こう見えて数多のVRMMOを遊びつくしている風来坊さー。色々やってりゃーコミュニティも増えて来る訳で…その中のプレイヤーの話で¨ナーブギアを被ったまま意識の戻らない人¨がいるそうだぞー」

 

 長足のテーブルに肘をつき立てたシノンは注文した珈琲を飲み、渋い顔をしてしまう。酸味の効いた味が強く、残り少なくなったカップを置いた。フカにはそれが、会話を切り出す合図と捉えていた。

 

「それは変じゃないかしら。ナーブギアはデスゲームとなったソードアート・オンラインを接続するもののはず…ゲームがクリアされても戻らないなら、まだログアウトしていないデータ化されたプレイヤーの意識はどこにあるというの?」

「それは、私でも分からないさー。分かるとすりゃ、ゲームを作った茅場晶彦に聞くしかないね。まぁ、その人も知っている限りは行方不明だけどなー」

 

 大袈裟に身振りをするフカであるも、シノンの眼光が冷ややかな凄みを帯びていたのを見逃していない。何度かパーティを組んでいれば怒りにも捉えられる彼女の感情も、これが難解なクエストを攻略してきた彼女の閃く瞬間である。一瞬、肌が冷気に触れる圧迫感を感じた。発生源のシノンは――

 

「考えても情報が少ないなら、そこから考えても妄想にしかならないわね。ここまでにしとくわ」

 

腰に掛けていた弦をそっと撫で、表情を変えずに黒い水面に反射する自分の顔を見つめる。やがて両足を組み、腕を立ててフカに意味ありげな視線を送る。

 

「それで――依頼はなんなの?」

「うむ…実はここから南東側の環状山脈にある雪のインゴットの発掘を一緒に手伝ってほしいのだ!」

「今は雪が積もって物凄く寒いんじゃない?」

「そうだ!だが、噂でそれを武器と合わせれば強いのができるらしくて――」

「…猫は炬燵で丸くなるのが仕事なの。さて…温まりに行ってくるわ…」

 

 席を立とうとするターゲットに、テーブルから身を乗り上げたフカはシノンの腰をがっしりと捕まえる。筋力は彼女の方が高いせいか身体は全くと言っていいほど動かない。必死に暴れるフカの姿は上から見れば、浜に打ち上げられたフグそのものであり、抵抗するよりもフカの必死な姿を楽しんでいた。

 

「頼むよ~シノのん!わたし一人じゃ逃げて山は越えても、発掘場までのモンスターにやられちまうのがオチなんだよ!頼む~」

「何を言ってるの?雪道に行くなら、炬燵という名の防寒着や耐寒効果のある非常食は必要よね。それを買いに行こうとしただけよ」

「な、な~んだ。驚かすなよ、シノン….って、もしかして、最初にからかった仕返しか!?」

「ふふっ…さあ…どうかしらね~」

 

 テーブル板の上に乗るフカは、シノンの意図に人差し指を指して訴える。当の彼女は腰を少し捻り、額に手を当ててウィンクするような仕草をフカに向けていた。同じ女のフカから見ても魅力的だった。もちろん、声に出しては言わないけど。慌ただしくテーブルにお金を置いていった二人は、そのままの勢いでお店を出て行く。カラになったミルクと珈琲からは、まだ煙が立ち昇っていた。

 

 

 音楽妖精族の領地から離れた環状山脈は太陽の明かりの届かないほどの雪の乱舞に、シノンとフカは口を抑えながら前へと進む。歩く道に積もった雪は山と見間違えてしまうほどにそびえ立つ大きさに、フカは索敵を応用して周りの敵や危険な場所を何度か回避していた。シノンが怪我をしそうになっているのに、いち早く気づいたことも三回あった。

 道中に隠れているモンスターによる奇襲も、索敵するフカのクロックポジションのサポートもあって、弦を引いた矢は雪霜に潜む敵を射抜いていた。

 

「…気のせいですまないほどモンスターが賢いわね。大きなメンテナンスもしてないくせに…ここまでリアルを再現しなくていいはずよ」

「お!シノンが愚痴るたぁ、珍しいな。あたしゃ、ここに来るのは久しぶりだからな。ここの細かい変化は疎いが…だいぶ違うのか?」

「ここには素材集めでたまに来る程度。ホントに迷惑な話よ。以前なら隠れて奇襲なんて考えられなかったか――止まって!!」

 

 縦耳をひきつかせた眼前に飛んできた二つの斬撃を、シノンは弓の姫反で弾き落とす。モンスターではないプレイヤーによる遠距離攻撃に、緑色のエフェクトを光らせて消滅する技を考える間でもなく、別の声が聞こえた。白煙から気の抜けた声がした途端、シノンと同い年位の女の子が現れる。緑と白を基準にしたコートを着ていた。

 

「なーんだ、誰かと思えば同族と猫妖精族か」

 

何となくキツイ話し方をする女の子だ。金色の長い髪をポニーテールに束ねて、目は少しつり上がっている。

 

「もっと強い奴が来るかとおもったら逃げてばかりで臆病者の奴じゃない。雑魚を倒す価値はないし、離れてくれない」

「それは手厳しいな、リーファ。こっちは雪のインゴットが欲しくて来たんだ。いくらアンタが強くても横取りはご法度だぜー」

 

口調こそ飄々としているも、フカは冷たく言い放った。普段は誰にでも親しみやすさをウリとしている彼女が、シノンの前で初めて不快感を顔に出している。「横取り?」と、『リーファ』と呼ばれた少女は鼻先でせせら笑った。

 

「その噂は私が広めた嘘よ。ただ強いプレイヤーをおびき寄せるためにね。そこの猫妖精も雑魚の口車に乗せられたの?」

 

剣先をシノンに変えたリーファはさらに言葉を続け、

 

「私の斬撃を防げたあんたは強そうだし、一緒に狩りでもしないかしら。その方がよっぽど有意義よ」

「…確かにフカは他より弱いと思うわ…」

「って!おい!!」

 

リーファの提案を答える前に、シノンが彼女の言葉を肯定する。当然、否定が返ってくると予想していたフカは雪に足をすくわれながら飛び上がった。

 

「すぐちょっかいだしてくるし、こうして騙されやすいし…すぐにやられるし…」

 

 その後も容赦の無い言葉の矢がフカの身体に襲い掛かり、彼女の胴体を弓なりに曲げる。そんな彼女を見向きせずに、リーファに「…でも」と言い、

 

「フカは私には無い力がある。今までもお互いに無い力を合わせて、困難なクエストも一緒に乗り越えてきた。フカ次郎は決して雑魚ではない――見くびるな」

 

 シノンはきっぱりと言い、最後だけは憤慨したように声を尖らせた。初対面ではあるも、シノンは目の前のリーファが嫌いになっていた。相手の敵意に、リーファは嬉しそうな声色から――

 

「わたしの誘いを断るんだ。なら…その雑魚と一緒に消えろ」

 

 雪の障壁を感じさせない飛翔から、シノンとの間合いを足幅三歩にまで距離を詰めたリーファは一気に踏み込んで長剣を繰り返す。首筋にチリチリと微かな切り傷を付け――その切っ先はシノンの急所を外していた。いや、外さざるを得なかった。

 シノンの持つ弓で剣の軌道を逸らし、態勢を崩しながらの僅かな時間から一矢を放つのみで、リーファの左目を狙っていたのだ。彼女も頭を反らすも、手から放たれた矢は左頭部に引っ掻き傷を付けられていた。

 

¨吹雪の舞う暴風さえなければ、間違いなく眼球を射抜けていた¨

¨普段の万全な装備だったら、間違いなく首を切り落とせていた¨

 

 二人の攻撃は一撃で完全決着をもたらすものだった。リーファは鮮烈な強者との出会いに笑みを浮かべていた。シノンは決められなかった焦燥を押し留め、弱点を悟られぬ様に表情を取り繕っていた。

 さっきので決まらなければ、接近戦から限られた矢での持久戦となる。既に泥沼の戦いを予想したシノンは背後にフカの気配を窺いながら、一歩を踏み出した。

 

 

 フカは、ただ驚愕に息を呑んでいた。眼前で繰り広げられている桁外れな戦いを。様々なVRゲームのいずれも比べず、どの戦い方でも推し量る基準がないほどに。リーファは長剣を、シノンは弓を競り合わせるだけの、プレイヤーVSプレイヤー(PVP)。だが、二人の動きはアシストの補助とは違う。お互いに素の運動神経のみで戦っている二人は、一撃必殺を狙い合う衝突に、風や雪が無理矢理に吹き荒れていた。

 フカは衝突のたびに、荒れ狂う風と吹雪で視界はぼやけてしまう。ただ、二人の戦いを見続けるしか叶わなかった。だが、事前に知っている情報を合わせて案を考えようと拳をぐりぐりと押し当てていれば、若干だけシノンの戦いが普段と違うことに気づけた。

 

 本来のシノンであれば、プレイヤーとの決闘に三本の矢を同時に放つ遠距離攻撃と二本を焦点に合わせて射抜く中距離攻撃を使い分けて、プレイヤーの攻撃タイミングを外す戦いをする。接近戦から一本だけで射抜こうとするやり方は、彼女らしからぬ戦いだ。

 リーファは同じシルフ族の繋がりでフカは何度か目にしていたし、当然に彼女の戦い方を知っていた。出会いがしらの攻撃は風を剣に溜めこんでから斬撃として放つ魔法であり、遠距離攻撃では攻撃力が半減されてしまうも、力を上乗せされたリーファの斬撃は上位プレイヤーが何とか受け止めきれる程度だ。風の他にも大地の力を使いこなすらしいが、まだ詳細は分かっていない。

 

 バックステップからリーファの攻撃を避けてはいるものの、遠く距離を隔てた矢は変則的な暴風で外れてしまい、シノンは決め手となる攻撃を一向に掴めない。

 

(この雪であの動きか!そこに痺れる!!憧れるぅ~…じゃねぇわ!!地の利はリーファが圧倒的に有利だ!!)

 

ふつうに両者は拮抗しているようにみえるだろうが、あいにくフカは二人の戦闘スタイルを知っているだけに、またリーファの実力を差し引いても、シノンがおされていれば不安しかなかった。突然、フカの横まで退いてきたシノンに驚いてしまう。

 

「フカ!!あんた、この雪を滑れる!?」

「は?――あぁ、なるほど。造作もねぇぜ!!5秒で準備してやる!」

 

 シノンの謎めいた言葉に、フカは不敵に微笑んで頷く。何度も難解なクエストの達成に協力してきた二人には、両者の行動パターンを熟知していた。シノンの精密な狙撃の技と山に積もった雪から、その意図をフカは理解していた。

 

「仲良しごっこは終わりでいい?二人仲良く刻まれる覚悟はできたかな」

 

リーファは余裕綽々で二人のプレイヤーに煽りをかけた。

 

「あなた結構強いし、私も準備不足なのよね。今回は退かせてもらうわ」

 

 不意に地面に矢を放つシノンの周囲に、濃い白色の霧が漂う。リーファは霧の分厚い層に、ひそかな薄水色と金色の明るみが見えていた。撤退しようとする相手に、彼女は歯噛みした。勝負はまだ決まっておらず、勝手に勝敗を決めていることを。自分と互角以上に戦える実力があるに、雑魚と行動することを。

 

それがリーファの目には、何もかもが気に入らない、忌み嫌う弱者にしか写らなかった。

 

「ふざけんな!!最後まで戦え!!!」

 

 怒気ある咆哮を浴びせられても、シノンは、ただ静かな面もちで霧から三本の矢を放つ。一度に三本の矢はリーファの頭上遥かに遠ざかっていく。

 

「これで敬遠のつもり?この私から逃げられると思わないことね!!」

 

 リーファは上空に上がり、先ほどの飛距離から届かない位置まで飛翔していた。彼女は霧が晴れるまで達観する気でいた。ただ、優雅に茫然と、せいぜい二人で逃げる算段を考えながら逃げ遅れるであろうフカ次郎をぐちゃぐちゃにする程度に留め、彼女に自分と戦わせるキッカケを生ませようとしていた。矢が曲線を描いて落下するのを見たシノンは、予備から一発だけ用意した雪でも使用できる火薬を矢先にくり付けて、弦を引きしめる。

 

(距離は丁度百メートルくらいか…これくらいなら!!)

 

 吹雪の荒れる大気に、直中で飛ぶ銀の刃。火薬の矢は落下する二本の矢先に擦過して火花となり――大爆発を起こした。火薬を引火させる火花を、矢先を磨耗させて起こす変則仕様。黒い黒煙は上空にいたリーファの目くらましになるだけではない。爆発の地響きは山に積もっていた雪の密接を壊し、大きくうねりを上げる雪崩は――さながら水龍の如く、咆哮を轟かせながら(ほとばし)らせる。

 駆けだしたシノンは、隣にいたフカが大きな盾をサーフィンに乗りこなして速度を上げているのを確認する。段々と目の前の木やモンスターを避け、雪崩に合わせて加速していく。シルフ族の標準飛翔スピードより、速くなった時にフカは叫ぶ。

 

「シノン!!乗れ!!」

「操縦は頼むわ!!」

 

 盾の後ろに飛び乗ったシノンはフカの腰にしっかりと捕まり、フカは上空から襲いかかる斬撃の雨を避け、まるで全ての障害物がないように雪山を一直線に突き進んでいく。後方から声にならない叫びが遠くに聞こえたが、雪崩の音で聞こえないフリをする。

 

「フカ!上手くいったわね!!このまま近くの領地まで滑って!!」

「オッケーオッケー!よっしゃ!シートベルトは無いが、しっかり捕まれよー」

 

シノンは首を縦に振ると、フカは領地まで一気に疾走する。領地に入った二人は、近くの宿屋を借りて、程よい時間に個室の部屋で寝静まった。

 

 

「ふぅ…今日はフカのお蔭で散々だったわ」

 

 外は夕焼けに染まり始めた午後の時間。自室でゴーグルの様な物をずらした少女――朝田詩乃は誰もいない自室でポツリと呟いた。ボーイッシュな短髪だが、サイド部分を長くした髪に白いリボンを結んでいる。すっぴん隠しからコーディネートのポイントを高めるアイテムファッションとして伊達眼鏡をかけたシノンはベッドから起き上がった。頭に装着し目を覆っていた物はゲームの世界で五感を体感できる機械、≪アミュスフィア≫を取り外すと、枕元の隣に置く。

 彼女は先ほどまでゲームをしていた。ファンタジー世界で、羽の生えた妖精となって冒険をする≪アルヴヘイム・オンライン≫――略称はALOだ。

 

しばらくして、ドアからコンコンとノック音が鳴る。詩乃の父親でもある朝田幸一がドア越しで呼びかける。

 

「詩乃、もういいかい?そろそろ晩御飯の準備をしよう。母さんが帰ってくる前にね」

「分かった。すぐ行く」

 

 軽くストレッチをした詩乃は階段を降りてキッチンに向かう。途中に、少し埃被った『朝田柚季』のネームプレートは詩乃の歩く速さで起きた風で軽く揺れていた。

 




リーファは原作とかなり違います。彼女は本来の性格に加えて、web版のキリトを参考に執筆しています。
 
本作では、彼女はダークヒロインです。しかし、彼女は”ダーク”と付いていますが、ヒロインでもあります。メインヒロインたるユナの物語の様に彼女をメインとした物語を書けると思えば筆者の執筆する楽しみが増えた気がしました。

タイトルの『ファントム・アロー』は、『ファントム・バレット』のオマージュです。


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2話 針千本を刺されても痛みは過ぎない

2024年12月02日 

 

ソードアート・オンラインがクリアされてから一週間が経過した。目覚めた人は家族との再会を喜び、またある人は筋肉の落ちた鉛の身体をほぐす日々を過ごしている。未だ、現実世界に戻れずにメディキュボイドのバーチャル空間にいるプレイヤー名『ユズル』こと朝田柚季は、画面に映る自分の肉体をもの言いたげな目でリハビリの様子を見守っていた。扉から倉橋先生が来れば、少しだけ息を吐いてから柚季は言う。

 

「…先生、質問があります」

「丁度巡回が終わったからいいですよ。どうかしましたか、柚季君」

「リハビリと聞いて、体を動かすと思っていました。先生のリハビリ方針が針治療なのは分かりますよ。もう一度、治療についての説明をお願いします」

「君の身体はクライオニクス実験で肉体が衰えていただけでなく、内臓も同じ様に衰えていたからね。このまま目覚めても身体の内臓が耐え切れなくなって負担になってしまうんだ。だから、針治療による按摩(あんま)効果で固くなった筋肉をほぐして、血液循環をよくしようという訳だ」

「なるほど、なるほど――では、それを踏まえて頼みを聞いてください。この画面を変えて欲しいです。流石に、全身針まみれの姿を見るのはもう嫌になって来ました」

 

本気(マジ)である。

 

 この男は、かれこれ一時間以上も現実世界にある自分の身体が針だらけになっている映像を見続けさせられている。メディキュボイドの画面は認証した担当医師による許可が下りなければ画面を変更できない。仰向けになった身体の頭から足先まで二十センチの長さに髪の毛なりの太さある針を隙間なく刺されている映像は不安と不満と不快感しか生まない。柚季は外部の許可が無ければ設定できない仕様に設計したメディキュボイドの開発者を恨んでいた。

 時間は午後の一時。倉橋はメディキュボイドのコントロールパネルを切り替え、見慣れた現実世界の画面に切り替わる。

 

「倉橋先生が巡回から戻って来てくれて良かったです。あと数時間遅ければ、メディキュボイドを設計した開発者の性格を疑っていたところですよ」

 

※柚季はだいぶ顔の面が厚かった。

 

「それは申し訳なかったね。ちょっと患者の子と話し合っていたんだよ。術後や入院中の会話はとても大切だからね」

「それを聞いたらお勤めご苦労様ですとしか言えないです。入院中の医師や看護師との会話ほど患者のQOLを高めやすくなりますし…ストレスの少ない環境は自己治療能力を高めるナチュラルキラー細胞を増やすことに繋がりますしね」

 

 倉橋は、柚季のようなメディキュボイドの患者に巡回の名目で談笑をし、暗い空間の孤独を少しでもましなものにしようとしていた。実際にここまで患者の立場に寄り添える医師は珍しいと思い、たまに仕事の話を聞いたりもした。勿論、患者個人の話はしないのだが、大まかな病院事情の話はする。柚季の興味を引いたのは、短期間で精神の病気で運ばれる患者が増えている話題だ。

 

「プライバシーに触れない範囲で聞きますね。精神病の患者は…ソードアート・オンラインに戻ってきた人でしたか?」

「えぇそうですね…君の様な年齢の子が多いかな」

「…うーん。僕の見た目は十六歳ですが、ホントは二七歳か二八歳なんですよね。クライオニクス実験さえなければね」

「!そうだったね…十代後半から二十代後半の人が入院して治療を受けている人は多いかな」

「……やはり心的外傷ストレス障害(PTSO)ですか」

 

柚季の呟きに、即座に的を得た解いを返されて言葉に詰まった。

 

 心的外傷ストレス障害――戦争体験、暴力を受けた体験、性的犯罪被害、交通事故やその現場を目撃した体験や、自然災害などで命が危険にさらされたり、人の尊厳が損なわれたりする経験による極端なストレスで発症される。感情のコントロールは難しくなり、幸福感や満足感を得難くなる。また、パニック症状や実際にその出来事を再び体験しているような感覚に陥り、周囲の状況を認識できなくなる症状だ。

 

 柚季はソードアート・オンラインの出来事を振り返りながら、倉橋先生に伝えた。その方がいい気がしたからだ。次に会う人には殺されてしまうかもしれず、背中を預けた途端に味方に襲われてもおかしくない環境。モンスターやプレイヤーと命を奪い合う極限状態の戦闘。

 人を殺めても罰せられずに、むしろ称賛される場から平和な現実世界に戻れば、デスゲームの常識に囚われるほど押し寄せる負の感情に耐え切れなくなる。他は、まるでゲームにいる夢から醒めたくないばかりに、現実世界にゲームの常識を持ち込んだ殺人鬼も誕生してしまう。長い目で訪れてしまう危機に、柚季は苛立ちを隠しきれず、一通りを伝えてから軽くうつむき、画面越しの倉橋先生に向けて姿勢を正した。

 

「たかがゲーム…と言えども、どれだけ華やかに話せても誤魔化せるものではありませんよ」

「そうなのかい?」

「はい。報道されていたテレビのキャスターとかは勇猛果敢に戦ったプレイヤーを褒めたたえて『英雄』と言い、デスゲームが地獄より温いと思っている。でもそれは、当事者からすれば『冗談じゃない』で一喝されます」

 

急に張りのある声に、倉橋も気を引き締めてしまう。長く伸びた髪に幼い顔つきの少年から発せられる怜悧ある怒気はスピーカー越しでも肌を通り抜ける感触から、大人以上に大人にならなければならなかった少年だ。なぜかそれが良い影響ではないような気がして心配になった。

 

「人間の負の感情をこれでもかと詰め込まれた『戦争』で…正真正銘の『地獄』でした。あの世界に何か尊さがあるとすれば、一緒に心を支え合った人との繋がりだけですよ。生きるに必死だった人達を『英雄』な言い方で、さも崇高な戦いを思わせる…これではデスゲームに憧れを持った人が――また誰かが第二、第三のデスゲームを引き起こすだけです」

「柚季君は、あのゲームを恨んでいるのかい?」

 

倉橋先生の問いに、生還者は数秒の間をおいて答えた。

 

「…恨んでいないと言えば嘘になりますが、気にはしないようにしています。それにあの事件はまだ終わっていません。僕は、回復したらそれを調べたい…それが今でも前を向く目的ですから」

 

 きっぱりと言い切る柚季を、自身の価値観と照らし合わせれば半ば希望と、半ば焦燥に駆られているように見えた。この少年は生き急いでいる。レンズを覗き込むような目線で柚季を見つめる倉橋先生に「どうかしましたか?」と彼は尋ねた。

 

「私も医者として人の生き死にをたくさん見てきましたが…仕事と割り切っていても、人と関わるたびに思います。この世に命を賭けてまで成さなければならないことは何もない――とね」

「…それは、いったい何故です?何かあっても、自分の目指すものを達成すれば後悔は無いのでは?」

「医者からすれば手術や治療が成功したとしても…周りがどれだけ尽くしても、死んでしまえば残された人は皆が悲しみと後悔から自分を責めてしまっていました。私個人としては、それを見るたびに医師としての在り方にいつも迷うものですよ」

「私には先生がよく分からなくなります。今まではこんな事は無かったのですけどね」

 

苦笑しながら言うと、倉橋は微かに画面越しに視線が合った。思わず柚季は、自分の手元に視線を外した。

 

「君に分からないと言われると、どうすればいいのか困るかな」

 

 倉橋は朝田柚季こと『ユズル』のやってきたことを分かっていない。彼は攻略組として多くのモンスターを倒してきてはいない。また、裏方の支援をしていたのかも分からない。しかし、あのデスゲームで『何か』を掴んだからこそ、彼は前を向こうとしているという実感はあった。

 

「私は医者として必ず、君が動けるようになるまで治療をしましょう」

「動けるようになるまでどれくらいなんですか」

「針治療が終われば、少しずつ体を動かしていくよ。早くて三ヶ月を目安に退院かな。それから定期的に経過観察をして、身体の詳細を掴んでいこう」

「詳細を掴んでいこうって、その言い方を聞けば、完治に時間はかかりそうですね」

 

笑いながら言うと、倉橋先生もつられたように笑った。午後の二時を過ぎ、患者のカルテを整理する時間になると、タッチパネルを操作してバーチャル空間にいる柚季の眼前に青白い長方形の紙が具現化される。

 

「本当は患者にカルテを見せてはいけない決まりだけどね。君の場合は、この十四年分の家族構成や細かい状況を把握しておいた方がいいでしょう。僕が戻ってくるまで、他の人には見つからなければ見ていいですよ」

「ありがとうございます!」

 

柚季が弾んだ返事でお礼を伝え、嬉しそうな顔をしてから倉橋先生が言った。

 

「では、これで失礼するね」

 

メディキュボイドの試験室に誰もいないから、柚季はさっそく速読でその内容に目を通し始めた。

 

 

(あれからどう状況が変わったのか。色々見てみるかな)

 

 カルテというよりは論文の様に活字が多く、この十四年間に変わった自分の身の回りの環境に関する記述であった。十四年前に起きた交通事故で鳴坂葵と鳴坂行人は軽傷で済んだことにひとまずは安堵する。そして、加害者である菊岡誠二郎の家族からクライオニクス実験やメディキュボイドの費用を賄われていることを。月一回の頻度で家族が様子を見に訪問していたこと。すくなくとも柚季の読むカルテの記述は、心を奪い、前に進む明確な道筋を指し示す内容を備えていた。

 

(お金の代わりに加害者に実刑が下りなかったのは不服だな。でも、代わりに治療費を代用にしている。この裁判の結果は恐らく、この菊岡って人のコネかな…随分と落としどころを上手く運んでいるな――ん?)

 

 ふと柚季は、事件の記述よりも家族構成に視線を変え、家系図を食い入る様に見つめた。カルテに柚季の知らない情報としては驚愕の事実であり、内心では混乱していた。

 

(朝田詩乃?十五歳?親族でもないし、養子でもない。血縁関係で三親等以内だから父さんと母さんの子になるのか。僕に妹とは…これはまた複雑な関係だな)

 

 クライオニクス実験による冷凍睡眠の間に、自分は兄になっていた。この場に倉橋先生か親がいれば、問い詰めていたかもしれない。慌てながら残りを全てスライドさせ、最後まで文字しか記述されていないカルテと分かれば、もう妹のことを知り得るのは無理と分かった。

 

(流石にカルテに顔は載っていないか。まぁ、急に会っても妹が僕を家族と認めるかは分からないし、戸惑わせるだけになるな)

 

 親兄弟で一緒にいる時間が長ければ長いほど深く理解できるかといえば、そうでもない。家族観であっても、誰かに頼り、誰かに頼られる人として安心できると認められなければ、そこに家族の『個』として居場所は無い。時間をかけて『兄』として評されるように、寄り添っていきたいと、柚季は苦笑いを浮かべる。

 ソードアート・オンラインで一番追い詰められていた時期にクラインが何度も会いに来てくれた。一緒に暮らしてくれたユナはいつも本音をぶつけ合ってくれた。時間こそ短いも、柚季はここまで人を理解し、分かり合えた経験は無かったのだ。

 

(うむむ…そうなると退院してすぐに妹に会うのは避けた方がいいか。となれば…病院で住み込んで体調を整えながら、メディキュボイドの検索機能で事件を探っていこうかな)

 

項目の全てを見廻した所で、柚季はカルテから目を離すと画面を操作して収納し、次にソードアート・オンラインで恋人として付き合っていたユナを気にしていた。

 

 犯罪者として追われていた時とは違い、いつ会えるのか分からない闇の中を歩かされるわけではない。今度は彼女と同じ到達点に向かって進んでいる。それがたまらなく愛おしくなり、それと入れ替わるように、今度は悠那に事件を伝えたことが気掛かりになっていた。

 

 明確ではないも、ソードアート・オンラインの真実を知るもう一人のプレイヤー名『ユナ』こと、『悠那』は柚季とは違う視点で事件の情報収集をするだろう。悪事をしていたコーバッツを社会的に弾劾しようとする容赦の無さや、ストイックに唄に対する強いこだわりとプライドから知りたいことをとことん追及する彼女だ。何もしないでいるなどありえない。

 

(本当は無理をして欲しくはないけど…あの意地っ張りでちょっと頑固さもあるユナがただ待っているだけとはとても思えないんだよなぁ)

 

 それでも、彼女を信頼しているだけに、柚季は身動きが取れなくても落ち着き払っていられた。そうなれたのは、やはり悠那という、最も好ましい女の子と廻り合えたからであり、この人と逢えるなら、多少の孤独や危険は仕方ないと割り切れていた。

 

もう一度悠那に会えるならば、また恋人として、今度は現実世界で似合う服やアクセサリーを探したり、あまり他人の目を気にせずに遊園地や水族館みたいな場に遊びに行く様なことをしてみるのもいい。

 

――そのためにも、倉橋先生に検索許可をもらわないといけないな、うん。

 

柚季は身を固くして、これから倉橋先生にどう説明しようかを考えながら、ともかくメモ画面を開いて、検索する言葉を書き溜めるところから始めた。

 

【補足】

QOL…クオリティ・オブ・ライフ

 生活の質、生命の質などと訳されている医療や介護で使用されている専門用語。ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか。

 一例として、会社や学校の移動時間が長ければ移動時間の分だけ、個人の時間は無くなりますし、身体の疲労も溜まりやすくなります。逆に短ければ、浮いた時間だけ個人の時間を取れやすくなり、生活に満足感を得やすくなる。

 近年では、ビジネス用語としても注目されている。

 



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3話 千年一夜物語しちゃうよ?

注意です!!

※アント・ヘイト要素があります。
※カオスな展開があります。




 クリスマスから大晦日までの数週間を、悠那は家に居続けていた。現実世界に生還した日から暇を持て余したわけではない。本来は三ヶ月のスケジュールで行われるリハビリを二ヶ月で終わらせ、早い退院に体調を心配した父の重村徹大が早く帰って来てくれるので夕食に会話を弾ませ、それなりに充実した生活を送っていた。

 

 今でこそ笑い話であるも、ほとんど休憩を取らないリハビリは病院の理学療法士や医師だけでなく、父の徹大にも、当然ながら何度か止められた。若さから体力の回復はあるものの、二年以上も寝たきりの身体は、危険を察知する¨反射¨の反応時間が遅く、転んでも痛みを抑える態勢を取れず、大怪我や疲労骨折をする可能性があったからだ。

 

勿論、悠那が辞めればいいのかも知れない。そんな辛い現在(いま)を辞めて床で安易なリハビリを薦められながらも、重村悠那の鬱屈した気分を増長させるだけであり、余計に意地を張らせるだけであった。彼女からすれば「早く身体を動かして、ボイスのリハビリをしたい」だの「あの人に逢いたい」気持ちで突き動かされていた。一番に心配をしていた父は熱心に体を動かす娘の何時もとは違う姿に、こちらからも、強く言おうとはしなくなった。娘の急激な変化が、ソードアート・オンラインから目覚めたときに「事件を解決していく」と誓ったことと、繋がっているとは知るよしもない。

 

 リハビリを終えて、新しい年とともに、悠那の身体も健康的に育っていた。身長こそ伸びてはいないも、ほどよく筋肉と脂肪の付いた曲線美は本人でさえ、戸惑わせるものがあった。小麦色の肌色に、やや小柄で均整のとれた體から、胸部から曲がった服のしわやたるみを作り出している。

ゆっくりとベッドから立ち上がれば、左右に柔らかな編み込みがされた髪型に肩にまで伸びた明るい茶色の後ろ髪をなびかせる。前髪の編み込みだけは悠那のお気に入りであり、ユズルと出会う前にも拘ってきたチャームポイントで、敢えてそのままだ。姿見の脇にある洋服掛けとタンスから全身を映せる姿見の前で、女の子にとっては一大事な問題に頭を抱えていた。

 

「何で下着だけ全部合わないのかなぁ。身長は前と同じ位なのに」

 

 これこそ外出せずに、家に居続けていた理由だ。上着やズボンは多少ボディラインを強調するも、着痩せ体質のお蔭でゆったりと着こなせる。問題はブラである。十六歳の私は、それ程目立たないCカップではあった。しかし、リハビリをした運動後にタンパク質の多い飲み物の摂取や食事にビタミンと野菜のバランスを考えながら過ごしていれば、脇下の肉を寄せてEカップまで成長していた。二カップの差に窮屈になったブラを付けられずに、スポーツブラで過ごしていた私は、今日こそ、似合うブラを探そうとランジェリーショップ巡りをする決意を固めていた。

 

「このままだと、外で情報集めもできないし…今日は買い物かなぁ。あんまり気は進まないなぁ….」

 

自分の取りたい行動のために行けばいいと思うも、普段から街で男の人に変な視線を向けられることも多い悠那は躊躇していた。これが好きな人であればもっと見て欲しいが、そうでなければ不快なだけである。そして結局、私は一人で買い物に行くことにした。

 

 

 電車に揺られて埼玉県の大宮駅西口にあるショッピングモールに向かって街の中を歩いていた。軽く息を吸うと、手入れのされた植物やコンクリートの匂いが濃かった。建物に反射された強い日差しも、天井の大きな橋が影で皆を守っているような温かさが不思議と感じてしまう。

 電車の人混みに疲れた悠那は日陰のあるベンチで休んでいれば、数分してツインテールの女の子が、悠那から左横の位置に腰掛けた。ポカリスエットのタグをカチャカチャと指を弾かれたまま、開かずじまいにいる。

 

「あの…良かったら開けますよ?」

 

 見かねた私は、両手で抑えながら手際よく開けて女の子に渡す。ありがとうございます、と一声告げてから空いたポカリスエットの缶に口を付けると、一気に飲み干してしまった。なんだか、ユズルとのケッコン祝いの宴会で樽ジュースを一気飲みしていた少女を連想してしまう。呑んでいる姿だけでなく、顔や仕草も瓜二つだったからだ。

 

「…もしかしてシリカちゃん?」

 

悠那は切り出した。少女は身体をビクリと浮かせるも、悠那を見つめながら以外にも落ち着きながらゆっくりと口を開く。

 

「へ…まさか、ユナさんですか!?」

 

 ポカリスエットの缶を傍に置いたプレイヤー名『シリカ』こと綾野珪子はニコニコしながら言った。二人はお互いの本名を伝え合い、私もつい最近に退院したばかりですよ、と衰えているはずの声を感じさせないハキハキした口調で答える。どうやら、彼女も洋服が合わず、こうして買い物に来たそうだ。

 

「私は身長が伸びたので上着を買いに来たんですよ」

「そうなんだ。私は下着かな。二年も経ったせいかサイズが合わなくて」

 

服越しでも分かる主張物の存在にシリカこと綾野珪子の頭上に雷が落ちた。女性にとって母性の塊とも言われる胸部。実際にシリコンとパットを詰めれば大きく見せるのは容易い。しかし、思春期真っ盛りの彼女にとってそれはとても恥ずかしいことであり、女として負けた感じになってしまう。滲み出るどす黒い気圧の笑顔で、財布の現金を覗きながら、鋭く反応する。

 

「へぇ~ちなみに私も下着のブラを買いに来たんですよ。一緒に買い物しましょうか」

「あれ?でもさっき、上着を買いに来たって…」

「聞き間違いですよ~私は、新しい下着を買いに来たと言いました」

 

 語彙を強調する珪子に悠那は右手で頬をかきながら困った様に笑った。二年も経っていれば流行りの女性ブランドも変わっている。ひとまずは、レストランで情報を集めることとするも、スマホで調べずに珪子は丸くなった目でじぃとある部分を見つめたままだ。

 

「悠那さんは中々立派なものを持っていますね。しかし!しかしですよ!年齢と体重を考えれば、今の私のボディラインは理想そのものです!」

「う、うん…ソウナンダネ…」

 

微妙な相槌でも、せめて明るく返そうとした。だが、悠那は首斜め下から三十五度にある双丘から恨めしい視線を送り続けられれば、どうしても彼女の熱意におされてしまう。悠那が答えるより先に壮大な理想論を語り始めた珪子は、手持ち無沙汰をアピールするかのように両手で胸を隠して、それから注文したメロンソーダを飲む。

 

「将来的に見てあと一部が足りていれば完璧なスタイルであると主張できるんです!」

 

※そんなこともない。古来より女性のバスト平均はA~Cカップであり、珪子は同年代の日本女性からすれば、既に良いスタイルなのである。しかし、外国人のモデルや文化を取り入れるようになり、山の様に膨れた胸の大きさも一つのステータスとなったのだ。補足すれば、メロンソーダをいくら飲もうとも、彼女の胸はメロンほど大きくはならない。

 

「それに私のプレイヤー名は化学元素のケイ素からシリコンを連想して付けています。つまり!二年間もその名前で過ごしてきた私は、十分に成長する可能性があるのです!!」

 

※難解な語句を並べているだけで中身はペラペラであり――ただのセクハラである。

 

「ネーミング…もの凄く凝っていたんだね。わたし、プレイヤーの名前は本名の真ん中を抜いただけだったから…そこまで拘ってなかったなぁ」

 

 まさかあのプレイヤー名にバストアップ祈願をしているとは思わなかった。私はそれ以上何か言うことを諦めた。唄や柚季が絡んでくれば頑固な方ではあるが、珪子の巨乳願望の強情さはコンプレックスに近い。ここで「胸の劣等感は人によってはチャームポイントになるよ」と言うものならば、バストやヒップの上がった私では、「巨乳を見せつけてくれますねぇ。どこからがおっぱいだか分からない人の気持を考えたことがありますか」と、名言風に言い切るだろう。

 

「ふぅ~ん…悠那さん、バストアップしたのはユズルさんとの性活ですよね。今後の参考に色々教えて下さい」

「そんな恥ずかしい事、言う訳ないでしょ!!何を参考にする気なの!?」

「大丈夫です。私は、いやらしい意味で二人の性活を知りたいワケじゃないですから」

「その言い方はどう言い変えても変態にしか聞こえないよ。あとさっきから『生活』の言い方が変じゃない…」

「気のせいですよ」

 

 さりげなく柚季とのケッコン生活を探ろうとする珪子の腹黒さに、意地でも言いたくなかった。彼と結ばれてはいても、どちらかともなく寄り添えば、肌を重ねて眠る方が多い。思い返してみればたった一回だけだが――ある。朝までユズルをフード服に入れたまま胸元に頭をのせ、下半身をさらに寄せ合い、両足を交互にからませた一夜の契り。悠那は恥ずかしさよりも、これは二人だけの思い出に留めたかった。押し黙ってしまった悠那に珪子は急に改まった声をだした。

 

「うぅ…それならせめて、貧相な私(體)を慰めて下さーい!!」

「無理、無理! 珪子ちゃんの発育のお手伝いなんて…いくら何でもやりたくないよ!!」

 

周囲からは「痴情のもつれ!?」「キマシタワー!!」のヒソヒソ声が目立つ。「それは、禁断の愛の形ですのよーーッ!!」と最悪のタイミングで大声を上げてレストランを出て行くワカメ髪の女学生に周囲のざわつきを大きくさせてしまう。頭突きでもかましそうな珪子の頭を抑えていると、ウェイトレスの低く落ち着いた声で呼ばれた。

 

「あの~申し訳ありません。他のお客様のご迷惑になりますので…どうぞ出て行きやがって頂けますか?」

 

何か勘違いをしているとも思うが、他の熱っぽくも何かを期待する視線に言う気も起きなかった。二人は早々にレストランから出て行ったあとに、スマホで調べたランジェリーショップで買い物をしようと約束する。

 

 

 無言で向かった先のランジェリーショップには、入り口からピンクや青の下着をつけたマネキンや恋愛ソングの流れる店内に、雰囲気も悪くない場所だった。二人で好みの色を服越しに合わせながら、似合う下着を選んでいく。先のスキンシップの憤りから何となく向かったセクシーコーナーにあった生地の薄い白い下着を手に取り、イメージをしていると、珪子に軽い愚痴を言えるほどに落ち着けた。

 

「もうっ!珪子ちゃんのお蔭であの店、行けなくなっちゃったよ!!」

「ちょっと熱くなっちゃいました…御免なさい…でもウェイトレスもあれ位のスキンシップで追い出すなんてどうかしてます!!」

「どうかしてるのは、珪子ちゃんの方!ここは仮想世界じゃないんだから…あっちのノリでスキンシップなんてすれば、注意もされるよぅ…」

 

と私が気落ちしながら答えると、

 

「気を付けます。でも悠那さんもノリといいますか…まだクセが抜け切れてない感じですよ?」

「え?そんな風に見えるの?」

「あ~いえ…あの場では言いませんでしたよ。周りの目もありましたし…多分ですが言えば絶対に恥ずかしがると思いましたから」

「…余計に気になるな。もったいぶらないでいいから話してよ」

「あの…さっきから無意識と思いますけど――わりと頻繁に左手薬指を擦っているんですよね。ケッコン指輪が無いのが寂しいのか、ユズルさんの髪の毛を巻いて無いのが落ち着かないのか」

 

言い終える前に、あれ、と固まった悠那の顔を覗き込む。どう見ても唇は小刻みに震えているし、頬は朱色に濃く染まっている。うっすらと涙目にもなっていた。

 

「――耳まで真っ赤になってますよ」

「あう~やめて!ここでそれは言わないで~…」

 

手に取った白いブラに顔を埋めてしまう。恥ずかしさといたたまれなさのあまり、まともに顔を上げられない。その斜め隣で悠那を見ていた珪子の微笑ましい表情を浮かべていることも知らない。

 

「よし、うん…もう大丈夫…いきなりのことだったから、ちょっと驚いちゃった」

「凛々しい顔してますけど、冷えピタでも必要なくらい顔が真っ赤ですよ」

「仕方ないでしょ…本当にあの生活は私にとって大切な思い出なんだから」

「そんなに惚けて言われるとますます性活がどうだったか知りたいです。観念して教えて下さいよ~」

 

 反省の色もないにやけた顔の少女に、先ほどの仕返しも兼ねてやり返したくなるほど腹が立った。好奇心は猫を殺すとはよく言ったものだ。舌の根も乾かないうちに聞いてくる『雌猫』にはお仕置きが必要でしょう。それ以上に、このまま何もしないのもいい気分はしない。

 

「話してもいいわよ。ユズルの好きな所を挙げまくりながら愛を育んだ物語でいいんだね?初めに言っとくと、日をまたいでも語り続けちゃうよ?千年一夜物語(アラビアン・ナイト)しちゃうよ?終わるまでノロケ話を聞く羽目になるよ?」

 

悠那は身を乗り出し、他の人には死角になる位置で珪子の茶色い瞳を睨みつけた。

 

「近いですよ~…あの、もしかしなくても怒ってます?」

「そうだね。和歌にもあるけど聞いたことない?――『人の恋路を 邪魔する奴は 犬に喰われて 死ぬがいい』」

「あー私にも良いブラがありました。一度試着しましょうよ(意味は分からないけど死ぬほど怖いです)」

 

珪子は赤と白を基準にしたフリルあるAカップを両手で合わせる。すくなくとも、悠那の透き通った高圧的な声に恐怖を感じていた。嫌な汗を流しながら試着室に誘導する。

 

「あれ…このブラかなり緩いな。あれ?あれぇ?」

「お客様。どうかなさいましたか?」

「ブラを着けるのが初めてなんです。すみません、着けるのを手伝って下さい」

「了解しました」

 

定員にブラの付け方を教わり、後ろのフックを引っかけようとした。不慣れな動作にAカップのブラは珪子のどこにも引っ掛からずに、地に落ち、軽快な音を響かせる。恨めしそうにブラを見つめる珪子に、定員も冷静に対応する。

 

「お客様――これと同じでもう二つサイズの小さいAAAカップの下着をお持ちします」

 

 定員は珪子と同じブラを持って戻ってきた。上から押さえられる感覚はあるも、初めてブラを身に付けられる衝撃以上に、敗北に似た虚しさを味わう。親の目を盗んで行っている十代のセルフ身体測定から胸囲の数値に変動がないことを。そして今日初めてウエストが二㎝上がっていた新事実を。努力してきた日々は、珪子の脳裏から走馬灯の様に駆け抜けていた。

 

「悠那さん。私は勝負に勝って女の戦いに負けました…」

「何があったの!珪子ちゃん!!」

 

脱魂しきった表情で、綾野珪子は瞳を潤ませた。

 

 

 この日、重村悠那は紙袋を片手にEカップ専用の下着を購入できた。カフェで綾野珪子が落ち着いてから、またね、と別れ――その前に彼女とラインを交換した。

 今日はありがとうございます。元気になった綾野珪子の言葉を思い浮かべるも、左手薬指を擦っていた手を見ながら私は車窓の外に広がる夕焼けを茫然と見つめていた。

 



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4話 心の居場所

2025年1月10日

 

 倉橋先生による定期検診も慣れ始めてきた柚季は、メディキュボイドの隣にあるリハビリ室を行き来する日々を過ごして、季節は新年を迎えている時期にきていた。この特別な年月は、人の気持ちを一心しやすいだけに、普段とは別の影響を与えるものである。それは、柚季の入院していた病院にも予想外な出来事を起こした。

 その一つとして、月に一回は様子見に来るはずの家族が面会にこなくなったことである。メディキュボイドの検索許可を貰えてから、調べものに没頭するうちにカルテにあった情報と違っていて驚いたが、それは倉橋先生も不審に思っていただけに衝撃的な出来事だった。

 

 父と母は共働きをしているだけに、会社の書き入れ時やら決算に巻き込まれていることも考えていたが、流石に新年になっても、面会に訪れないのを思うと、何か理由もあるのかもしれない。病院のリハビリ室にあるテレビのニュースから続々とソードアート・オンライン帰還者の退院も報道されているあたり、そろそろ悠那も退院し、母の名前を経由して葛城道場に来た可能性もある。

 倉橋先生も家族に電話をすれば連絡こそはついて世間話はするも、そこから面会までは渋っているそうだ。明らかに、何か見えない影が操作しているような感覚に半ば不安と、半ば安心の心持ちだった。

 

 いずれにせよ、何かあったからこそ家族は面会に来ないのであり、異常や疑問があれば早急に家族は来るはずである。幸い、柚季にとっては都合のよい話であり、とくに一度も会ったことの無い妹に自己紹介をするのは気も引けていたし、慌てて家族に来られれば拒絶される不安もあった。

 そして、こうなった原因は予想でしかないも悠那の行動だろう。テレビ画面にナーブギアを被ったまま、ソードアート・オンラインから目覚めていないプレイヤーの映像には、裏で手を引く存在に難を示した。だが、この裏に悠那が昏睡せず、事件を解決しようと動いている証拠となった。会えなくとも近くに彼女のいる様な安心感に、柚季は希望の一筋を広げていた。

 

 

 これから本格的なリハビリに入るため、カロリーの高い流動食を胃に流し込んでから、柚季はリハビリ室に向かった。ラジオ体操の音源と消毒液の香りのする場所に、今日も入院患者を出迎えてくれる。調べ物を思い出しながら室内に入れば、膝を曲げ伸ばししていた少年はこちらに近づいてきた。

 

「今日からリハビリなのか、柚季は」

 

意識を向ければ、目を丸くした新川恭二が立っていた。

 

「うん。やっと先生から許可が下りてね…もう、置物にならなくていいから安心だよ」

 

 反論すれば、新川は隣に並んできた。針治療でも骨の虚弱性は期待できずに、一週間ほど読書をしながら、太陽の光を浴びて身体を揺らすソーラーダンスフラワーの代わりとしていたのは、病院の職員やリハビリ室にくる患者の知る人ぞ知ること。左右に揺れるたびに長髪をサラサラとこぼれて逃げていく感じの後ろ姿に、正面を決して向けないこそばゆさを楽しむ人もいたそうだ。

 

「置物というには、目の保養に良かったよ。もう後ろから色っぽい視線をその髪に向けている奴もいたんだから――柚季は魔性の女だ」

「人を色欲の化身みたいに言うな。あと僕は男だよ」

 

 彼も薄緑色の入院着を着て、膝関節のサポーターを付けている。キリトほどでも無いも、若干だけ童顔に近い印象だ。茶色の髪の毛はあまり手入れをしておらず、無造作に伸ばしている。

 

「男でも思わせぶりな雰囲気の所為だ。その雰囲気が周りをおかしくしているんだから」

「そんな理不尽な…」

 

横顔を見ながら右頬を掻きながら呟くと、新川は他人事のように言う。

 

「じゃあ、言い換えて魔性の伯爵にしよう。話は変わるけど明後日は手術だから、今日のリハビリで無理はしないからね」

「明後日?入院したのは一週間前だよね。少し早すぎない?」

「そうかな?貧血が酷いから親の勧めもあってすぐ受診したんだよ。そしたら、脳に腫瘍みたいなレントゲンを見せられて驚いてね。父さんも母さんも脳外科の医者だから、本当に運が良かったよ」

「それはタイミングが良いのか、悪いんだか」

「タイミングはいい方だよ。それに両親が医者じゃなかったら、気づくのも遅れていたし、一週間も個人的な手術に会議を開いてまで準備しようとはしないと思う…」

 

それもそうだなと思いつつ、歩行訓練のリハビリ準備にストレッチで身体を伸ばす。一方で新川といえば、柚季のストレッチを見ていると、さも言いたげな視線を向ける。

 

「うん?どうかした?」

「リハビリをする人のいる前だから言い難いけどね。運動前やリハビリ前のストレッチは逆効果だよ」

「そうなの?」

「身体が温まっていない状態でのストレッチは筋肉を痛めるし、パフォーマンスの低下に繋がるんだ」

「へえぇ、知らなかった…なら運動前はどうすれば怪我とかしにくくなるの?」

「僕がやっている動的ストレッチって言うものがあってね。手足を動かして、身体をゆっくりと温めて筋肉の柔軟性を上げていく方法なんだ。色々おススメを教えるよ」

「助かるよ。ありがとね」

 

どこか自慢さを含む言い分を気に掛けつつ、なるべく話を聞こうとした。二人で動的ストレッチをしゃべりながら動かしていると、ふいに女の子に声をかけられた。

 

「今日は仲の良い二人のリハビリだね。私はボランティアで来ているけど、応援しているよ」

 

 活発そうな女の子だ。背中まで濃い茶色の髪を左に流れて垂らした髪に薄い黄色い瞳をしている。初対面のはずでも、場を和ませようとした冗談に柚季は少しだけ笑った。紫の刺繍の入った上着を羽織った白い服に、下は黒のジャージで全体的に動きやすさを優先した服装だ。

 

「あんな子はいたかな、柚季は知ってる?」

「僕も初対面だけど、名札に『紺野藍子』ってあるから、今日だけボランティアで来た子だと思う」

「凄く可愛い子だったな…柚季さ、声かけてみてよ」

「何でだ?」

「柚季って、今フリーじゃない?これから春祭りや花見のイベントもあるなら、必然的に彼女はいた方がいいと思うよ」

「人を寂しい奴見たいに言うな!あと、何だよ『必然的』って!!」

「僕は退院したら医者になる勉強で忙しくなるけど、柚季はノンビリできるなら、退院後にあの子と春を過ごしてみるのも悪くない話じゃない?」

「残念だけど、僕はもう好きな子もいるし、割と仲良しだから寂しい春にはならないよ」

 

 新川の意外そうな表情に、柚季は反射的に返してしまう。紺野藍子もガラス玉のように丸い目をした明るくて可愛い子ではある。友達や知り合いであれば悩み相談はするも、それまでの関係にしか発展しない。飄々に言っていると、新川は深々と嘆息した。

 

「そうか…でも、あんな子に積極的に攻められたら…少しはぐらつかない?」

「それはないかな。僕は女性として愛したいのは後にも先にもただ一人だけだよ――まぁ、彼女も友達としては仲良くするけど…」

 

あっけに取られた新川は、つい、動的ストレッチを止めてしまう。自分はここまで強い感情を持ったことなど無い。教わったストレッチをあちこち真似して空を動かす柚季をみていてリハビリの先生に呼ばれた後も、彼は物思いに耽っていた。自分が最も強い感情を選んでも『医師』になることではあるが、何の為に『医師』を目指していたのかと。

 

 

 新川恭二は家族から医師になるべく生まれてきた男と言い聞かされて育った。家族は兄弟の弟分である彼に過度な期待を寄せ、身体の弱い兄には愛情すら与えるのもばかばかしいとしていたほどだ。

 そんな兄は自分の居場所を探すかのようにゲームにのめり込んでいった。恭二は兄からゲームで活躍した話をする生き生きとした顔が好きだった。そんな兄は、デスゲームとなったソードアート・オンラインに閉じ込められ――死んだ。

 

 家族に期待されなかった兄の死体に、何の後残りもないまま淡々と火葬の準備をする家族が人をゴミ箱に捨てるような感覚さえ思えたほどだ。家族の為に医師にならなければいけない。そんな圧力に耐えきれなくなったのか、急な立ちくらみを家族に相談し、父と母のいる病院に入院する形となったのだ。

 

 そして現在、新川恭二は手術に耐える身体づくりのリハビリを受けていた。脳以外に異常の見られない身体に、柔軟体操に精通した先生の指示は退屈でしかないも、学校よりは静かな病院を密かに気に入っていた。親の高学歴や医者の息子としての金持ち印象に、新川恭二のような¨何もしていないのに裕福な餓鬼¨を虐めと称して殴り、自分こそ¨上の人物¨と主張するあり様であった。そんな問題提示を講師はおろか、家族も耳を傾けなかった。

 

 理不尽にも怒りは湧かなかった。そんなヒマもあれば、馴染みない医療用語を覚える時間にすれば、遥かに有意義であっただろう。ここまで攻められても何も感じない僕は、心が壊れているのか、心が空っぽなのかもしれない。

 リハビリの初日に身体を左右に長髪を揺らしながら、読書を楽しむ柚季に声を掛けたのは、それを否定したかったかもしれない。読書も、テレビも、そして僕の話も...何にでも楽しみを見出す彼に、僕は生まれて初めて人に強い興味を持った。まだ、戸惑ってはいるも、今度こそ初めて自分らしくいられる『居場所』を作れる気がした。

 

 

2025年1月12日

 

 リハビリ室を通う日常にも慣れ、それからボランティアに来る紺野藍子とも気の合う友達同士で終わりには話し合い、気持ちも落ち着いてリハビリに集中できた。柚季は歩行訓練の課題をすぐに終わらせていたが、当の本人は新川の手術の成功を気にして先生の褒め言葉を素直に喜べなかった。

 

柚季が藍子に手術のことを話すと、藍子は言った。

 

「手術に関しては、身内はともかく、友達なら医者からは伝えられないわ。私もそういう経験があるからね」

 

柚季は何の予定も無い日を、普段から人の来ない休憩室で、メディキュボイドで調べたVRMMOゲームをノートにまとめていた。昨日から病院の近くにある図書館への外出許可を倉橋先生に貰い、リハビリを終えて病室に戻らなければならない三十分間の時間内に必死に本を漁った。柚季には空白の十四年間を埋める為に訪れた図書館にも、蓋を開ければテレビや院内にある新聞だけでは事件を調べられない程に世間知らずさを思い知らされた。

 

――だが、この程度の喪失感で事件解決への道が無くなることを微塵も感じていなかった。

 

 僕の知らない情報は、これから会う悠那とゲーム内で会い、お互いに情報を照らし合わせ、ソードアート・オンラインをデスゲームに変えた真犯人を追い詰める策を考える方向でいた。今度こそ、人の命を弄んだゲームを終わらせる為に。

 事件を解決するまでの道のりに、真犯人による多くの障害や妨害による周りの被害を最小限に止めるにも、昏睡していなければキリトやクライン、アスナやノーチラス、シリカやリズベットに頭を下げても説得して巻き込まなければならない。ヒースクリフの可能性はゼロに等しく、彼は海外逃亡やらでログインは難しいと思い、対象から除外した。

 

「ゲームの候補としては『アスカ・エンパイア』と『GGO―ガンゲイル・オンライン』と『ALO―アルヴヘルム・オンライン』が注目されているとして見てみるか。でも、VRMMO事件があっても、普及している現状は違和感がある。デスゲームになれば、国が普及を停止するはず…となれば、国自体がVRMMOを広めようと積極的になるだけのメリットがあるのか」

 

 一度はデスゲームになったVRMMOの五感をフルダイブする問題性を、そう簡単に払拭できるものではない。安全性を明確にしたデータを公表しないまま、僅か数ヶ月で新たなゲームが次々と普及する現状は、柚季には違和感でしかない。一番手っ取り早い方法は、国の人間が実験体でデスゲームと知りながらダイブし、ソードアート・オンラインから見出した優位性を帰還して立証すれば、法廷で強い根拠となる。

 

「まさかソードアート・オンラインに政府関係の人間が様子見をしていたというのか…たしか、キリトとサチの書いたメモにあったあのキャッチフレーズは『これはゲームであっても遊びではない』。このゲームを作った茅場晶彦に成り替わった真犯人は同等の存在とすれば…政府の人間とは繋がっている可能性もある」

 

ノートに茅場と真犯人に丸で囲み、イコール線を引いていく。

 

「この真犯人の目的は分からない。だが、普通にハッキングをしても、ユイやストレアの高度なプログラムが押されるとは考えにくい。正確な攻撃は、カーディナルシステムの構造を知らないとできない。開発段階から政府の人間が関わって高度なコンピューターを使ったとすれば、構造を知って入ればハッキングをするのも簡単か。まぁ、何を提示したかは捕まえてから聞きだせばいいな。それで、暗躍している人の尻尾を掴めれば儲けもんか」

 

政府関係の人間が暗躍し、真犯人を唆した可能性が高くなった。新たに調べる内容をまとめていると、コツコツと足音がコンクリートの床や壁を反射して響かせる。柚季は自動販売機の端に身体を寄せ、隠れた。やがて、白衣を着た二人の男女と白衣を地に擦りつけるほどにうつむく男は椅子に座り、深いため息や、しんみりとした声が聞こえてきた。

 

「…手術は成功しました。しかし、恭二君が意識を取り戻すのは難しい状況と言わざるを得ません」

 

うつむいていた男性医は、呟くように言った。その言葉に、白衣を着た男女は互いに顔を見合わせる。

 

「この一週間に何度もカンファレンスをしましたが…それは悪い方向ですか?」

「…いえ、肉体に影響はありません。ただ、意識の回復という点だけは、時間が経てば経つほど、覚醒は困難になります」

 

 沈痛な面もちで語る男性医は、自分でも分かる位に声を震わせた。あれほど医師である二人を加えて入念に計画した脳の術式は成功した。しかし、手術を受けた新川恭二は神経の異常による予定外の手術に対応が遅れてしまい、植物人間にさせてしまった。何とか新たな術式を説明する前に、不安そうな顔を崩さぬまま、彼はある疑問を口にした。

 

「息子の意識はともかく――大脳皮質に影響はありませんか?」

「…….は?」

 

一瞬だけ、言葉の意味を理解できずに固まってしまう。男性医の意識を無視し、言葉を細かく噛み砕いて質問し直した。

 

「脳の側頭葉や後頭葉や頭頂葉、特に前頭葉だけでも正常に機能するか、知りたいのだが」

「え…あの…脳のシナプス物質が伝達されていないだけなので、脳全体に異常は見られませんが…」

 

戸惑いながらの単調な言葉に、再び顔を見合わせた男女は顔を輝かせた。

 

「そうですか!では、手術は成功したというのですね!入院費はこれからも私の給料で天引きしますので、どうぞ息子をよろしくお願いします!!」

「え…いや…その…」

「手術をして頂いて有難うございますね。ねぇ、貴方。私、新しい子どもが欲しいわ…」

「そうだな。もう何も心配の種は無くなった訳だ。次は優秀な子を産んでくれよ…」

 

 二人は上機嫌で、天井に着いたエレベーターのマークを見てから休憩室から立ち去る。何があったか分からぬまま二人の背中を見守る男性医の背後では、柚季が凍り付いた眼を最後まで男女に向けていた。

 




ご覧いただき、ありがとうございます。

紺野藍子の登場と新川恭二が植物人間になった回であり、柚季が少しずつ真相に近づいているお話でした。

彼は、親の為に医師になるべく勉強をしていたのに、当の親はこの反応です。筆者からは、周りに誰か一人でも理解者のいれば、狂っていた運命の輪が変わっていたかもしれない人物の印象がありました。




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5話 初詣は三日までが一番混む

2025年1月3日

 

新年の一月に入れば、冬の雪の積もった外に寒い日が続く。

 寝起きの朝は風邪をひかないように暖房を入れていても、布団の温かさに根負けして、枕に顔を埋めてしまう。大学の仕事で父がいなくなってしまうと、途端に家は静寂に包まれる。幼い頃に亡くなった母の代わりに、男一つで育ててくれた父がいなくなれば当たり前ではあるとはいえ、慣れているはずの静かさに悠那は寂しさを感じていた。本当の理由はもう分かりきっていた。

 

 偶然に出会った珪子はユズルとの生活をしつこく聞いてきてはいたが、同棲生活を思い返してみれば、なるほど、と自覚しなければならなかった。私自身は、まだ妻よりも、彼には愛人として甘えていた方に、落胆しながらも一番しっくりしていた。歌で悩んだときは熟睡している彼を布団にして、頬をスリスリするのが好きだった。男の人のわりには重くもなく軽くもない丁度いい人肌に、いつも深い眠りの淵へと誘惑された。

 ただ…帰りの遅くなった日にフレンド追跡機能でいた場所を聞かれた時は別の重さを感じた。それでも彼の一途さに独占欲と心配の入り混じった好意は心の隙間を心地よく満たす温かさは、悠那にとって満更でなく、むしろ積極的に受け入れていた。

 

 人間の社交性は環境によって大きく変化する。その社交性から、誰もが関わる人間によって求められる役割を演じ分けられる。母親に甘えることなく父親には良い子の模範として過ごし、『ノーチラス』こと幼馴染の『後沢鋭二』にはしっかり者の役割を演じてきた悠那は初めて演じる必要のないありのままの素顔を晒せる相手に出会えた。そんな人に逢えずに生きてきたために、どう向き合えば良いのか気持ちの整理は付いていないのだ。

 

人肌が恋しいとはこのことかな、と悠那は「万葉集」の文節を口ずさむ。

 

「我が背子と、二人見ませばいくばくか、この降る雪の、嬉しからまし」

 

 乱で遷都した聖武天皇の無事を祈る気持ちを込めた妻の歌を唄うと、好きな人を思う愛情も無事を祈るのも、昔からある感情なのであろう。お互いに作ったご飯に冗談を言ったり、自作ポーションの材料で散らかった部屋に思い切り文句も言えていた。パパも研究資料を散らかしても、今までいつも通りと割り切れていたのに。やっとデスゲームから生還し、『自由』を手に入れたけど、あの温かい生活や暖かい色のある唄を奏でられる家庭を知ってしまえば、この灰色の空間は私をもっと淋しくさせる。

 

 悠那から徹大にソードアート・オンラインの話をすれば灰色空間もマシな色になるのかもしれないが、いまの悠那にはそんな気持ちはない。徹大もそのあたりは察して、深くは聞いてこようとはしてこない。

 

 

 それでも今日の午後、パパと約束をして初詣に出かけたが、それも新年の恒例というだけであった。神社は徹大の勤める大学から車で十五分ほどの集合住宅の傍らにあり、時期や時間もあるせいか、参拝客は見当たらない。小枝に雪を積らせ、神主様や巫女さんもいない雪かきをしていない道は僅かな積りの凹みを頼りに歩いた。

 

「長靴で良かったぁ。スニーカーじゃあ、ぐっしょりになってたかも…」

「大学帰りに急いで来るものではないな。この寒さで革靴は堪える…」

「家で少しはゆっくりしてもいいのに…はい、カイロを持ってきたから、これで温まって」

「…気が利くな、悠那」

 

重村徹大がカイロを酸化させようとする間に、首に巻いた栗色のマフラーをほんの少しだけ巻き重ねていると、普段は人の混むのが当たり前なはずの恒例行事に、人のいない空間はもの寂しい色に塗りつぶされていた。一時だけでも役割を過ぎれば、後は余程の予定も無い限りは忘れられる居場所に、耳がぼやけるほど静けさに襲われる。

カイロが暖かくなったか、防寒着のポケットに入れていると、背後から呼ばれる声がした。名字だけしか聞こえなかった二人は、同時に振り返ると、眼鏡を掛けた男性と横に並ぶ男の人が立っていた。パパは眼鏡の人を知っているそうであるも、私はどうも思い出せなかった。

 

「あぁ、須郷君。元気そうだな」

「お久しぶりです――重村教授」

 

 須郷と言われた眼鏡男の名前から、ようやくパパの教え子の茅場晶彦と同期の須郷信之を思い出す。身長や雰囲気のせいか、茅場のアバターを越したヒースクリフより粘着性があるように見えた。けれども、昔に会った頃より覇気を感じない取り繕った表情の今の須郷に、悠那は距離を置いてしまう。時折、パパともう一人の男からの目を伏せると、一瞬だけ口角を歪ませる所があり、いくら頭脳明晰でも生理的に彼を良い目では見れなかった。

 

「最近の仕事はどうだ?」

「研究は捗って、毎日が充実しています。今が一番、忙しい時期ですかね」

「そうか…充実しているようで何よりだ。しかしだな――そちらの方は…」

 

上手く話題を切り替え慣れないか、徹大は須郷の隣にいる男性のことを言っているようである。

 

「僕がお世話になっているレクト会社CEOの結城彰三さんです」

「結城彰三です。初めまして、重村教授。須郷君から貴方のことはお伺っています」

「ほぉ、これは失礼しました。一応私は、東都大学で電気電子工学科の教授をしているもので…教え子がお世話になっています」

 

人見知りであろうと誰とでも関係なく挨拶のできる社交辞令をする父に、意外な一面が私には面白かった。

 

「そう言えば最近は他の人とは会ったか。晶彦は連絡すらついていないが、まぁ…それは仕方ないんだがな。凛子君や比嘉君とはどうだ?」

「重村教授は卒業してもう関係なくても、私や他の人を気にしているのですね。凛子さんは茅場先輩を探して、それっきり。比嘉は自作のプログラム作りをしてるとか、何も心配はないそうです」

 

須郷はそう言い、笑った。

 

「そうか…何か困ったことがあれば、伝えさえしてくれれば、相談はのろう」

 

隣で聞きながら、何だか三者面談のようだと思った。ちらちらと降る雪に、手を擦り合わせる音をすらしてしまう。厚手のコートのポケットに手を入れていると、ちょっといいかな、と結城彰三の声に、悠那は軽く背筋を伸ばした。

 

「君の名前を聞いていいかな?須郷君は久しぶりに恩師に会ったなら、旧交を温めるのもいい…でも大人の話を聞いているだけでは退屈ではないかい?」

「あはは…パパがフランクに話しているのは珍しくて、退屈してはいないです。私は、娘の重村悠那です。ここ最近まで、ソードアート・オンラインに閉じ込められていて。色々変わっていて慣れるのは大変ですよ」

 

 軽く会釈した挨拶に、結城彰三は呆気にとられた。テレビでも話題になっている一万人のプレイヤーから半数以上が亡くなったデスゲームにおいて、精神病を患う者も多く偏見の目を向けられやすい世間において、自ら名乗るなどあり得ない。不意打ちに似た言霊に気を動転させてしまい、思ったことを口にしてしまう。

 

「君は帰ってきたのか。あのゲームから…」

「…はい。結城明日奈さんですよね――娘さんの名前は」

 

 洗練されたはっきりとした声によって、今度こそ泡を食ってしまい、突っかかりそうになるのを寸前で止めた。悠那自身が『結城』の名字を聞いてから、妙な引っ掛かりの感じに、いつだかアスナと父親についての会話を連想していた。似ている特徴から、もしや、とかまをかけただけではあるも、効果は絶大だ。囁きながらで聞き耳でも立てない限りは聞こえない声に、結城彰三が上ずりながらの口調で、

 

「む、娘を…明日奈を知っているのか!?」

「同じ仲間として一緒に関わっていましたから。お父さんのこと、明日奈さんは良く話していましたよ。お仕事のこと、責任感の強い人。そして――家族の為に頑張って働いているって」

 

悠那は話し合いに夢中な大人を他所に、距離を取りながら二人で話しやすい場を作っていく。プライベートに近い会話は外に漏れてしまえば、何が起こるのか予想は出来ない。夢で見た白衣の男が誰かが分かるまではパパを含めた研究所の人には最低限の情報でも、なるべく伝えたくなどなかった。

 

「明日奈はあっちではどうだったか聞かせて欲しいが…話してもらえないかな?」

「明日奈さんはお茶目な人でしたよ――トップギルド…ここでは会社みたいなものです。社長の補佐官を務めていたのに、とても友好的で明るい子でした」

「明日奈が――お茶目?」

 

咄嗟に声が出ず、答えかねていると悠那が説明する。

 

「?えぇ。でも茶目っ気さがギスギスした雰囲気をいつも柔らかくしていて、言う程悪い感じではありませんでしたよ」

 

悠那が血盟騎士団に入った時は大手ギルドであり、当然ながら多忙を極めていたアスナは効率のみを考えてギルドを運用して他のギルドとの関係をギスギスさせてしまいがちだったのは、大手ギルドの立場を考えれば致し方ない。ノーチラスを復帰させて、彼を補佐にしてからの彼女はとても柔らかくなり、友好さと天然さで近づきたい人も、また増えていた。ギルドでアスナさんの知っている人柄や活躍を話しこんでいると、彰三は少し間をおいて、

 

「悠那君、それは本当に明日奈の話で間違いは無いんだね」

「私とよく関わっていたアスナさんは、そんな感じでしたよ」

「…そうか。あの子がそんなことを…」

 

彰三はそう言ってから、物思いから醒めるかのように、

 

「もしよければ空いた時間に喫茶店で会ってはくれないか。君の知るアスナと私の知っている明日奈は違っていてね。もう少し、詳しく話を聞きたいのだが」

 

それを聞いた瞬間、ところどころに悠那の脳裏に、明日奈(アスナ)との違和感を覚えた。二つ返事で彰三の提案に頷くと、貰った名刺を財布に入れる。二人からそろそろ帰るという声に呼び戻されてしまい、結城彰三と離れてからスマホで予定を確認する。

 

そこには東京都の御徒町から中央区の公共交通機関や料金が表示されていた。

 

 

悠那は予定の時間よりも五分前に早く到着した。パパに頼んで駅の近くに降ろしてもらい、雑貨ビルや店内を覗き歩きしながら駅の方に行く。平日の昼間に乗る電車は空いていて、混んでいない開放的な空間は非日常に近い。もっと仕事をしている人で詰められた窮屈な空間が日常であれば、これはおかしなことかなと、悠那は後から心づいた。

 

東京駅から御徒町までは乗り換えせず、御徒町から中央区までは一回の乗り換えで済む。その日の午後一時半、悠那は早歩きで道を歩く人より歩幅を広くし、御徒町にある『ダイシーカフェ』で情報交換をするため、ここに来ていた。雪の積もった少し風のある日で、軽い汗のかいた身体を冷ましてくれて歩き疲れずにすんでいた。

 

(ユズルの話なら、たしか奥さんと一緒に経営しているんだよね。エギルさんが現実世界に戻っているかは分からないけど…安否も兼ねて確かめないと!)

 

スマホのマップ機能を頼りに気を集中していたせいか、目的の場所に着けば繁華街とは離れた閑散とした場所にあった。だが、この場所のレトロや煉瓦ある建物や街灯の少ない雰囲気はソードアート・オンラインの第五十層≪アルゲート≫に似ていた。

 

(な~んとなく雰囲気似ているなぁ。エギルさん…やっぱりどこかで寂しさもあったのかな)

 

英語で閉店の札の垂れ下がったドアに、まだしわの無い紙が貼られている。用紙も湿っておらず、雨でインクの滲んでいない文字は、出してからそれほど日も経っていないモノだった。

 

「えぇと…『本日は夫の体調不良もあり、臨時休業させて頂きます。誠に申し訳ありません』う~ん…この張り紙だけじゃ、まだ何も分からないや。でもこの書き方は…多分だけどエギルさんは帰ってきていない可能性があるかな」

 

軽い調子で言うも、悠那はちょっと、いや、かなり困ってしまった。この『ダイシーカフェ』で集まる約束は絶望的になるし、何より連絡手段が限られていて、残された珪子のラインを頼らなければならない。せめて事件の犯人かソードアート・オンラインをコピーしたゲームの正体を知ってから、彼女には伝えたかった。

 

「まずいなぁ。茅場さんとの連絡は取れそうにないし、当てずっぽうに動いちゃえばパパに疑われて事件すら調べられなくなりそうだよ」

 

ここ数日に分けて事件を調査しに街のゲーム屋で話題のゲームを聞き込んでいる。昔に通っていた唄のボイスレッスンを再び受講し、体力も戻り始めた段階で数週間前にレッスンを週三日に増やした。重村徹大の目を欺くのもあれど、一番はボイスレッスンを増やせば、唄の感覚を早く取り戻せるし、その帰りに情報集めをすれば、人目を気にせず事件の細かい内容を調べたりまとめたりができるからだ。

 

「ふぅ…次は柚季のお母さんがいる中央区の『葛城道場』に行ってみるかな。時間はまだあるし…何か柚季のことが聞けるかもね」

 

 私は途方に暮れるも、回れ右をして御徒町駅に向かう。雪でしっとりと濡れた髪は乾きそうになく、まだ明るい路道に絶え間ない雪がいつまでも降り続いている。それでも雪に怯えずに進めるのは、恐らく事件を調べている柚季に近づいている実感と、必ず協力してくれる珪子の存在に支えられているからだ。

 御徒町駅から中央区の築地駅に行く電車まで時間は無く、雪道を軽い足取りで熱く高鳴る鼓動に胸を躍らせたまま急いだ。

 



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6話 紅の涙

注意です!!

※ヘイト要素があります。
※胸糞悪い展開があります。

ご注意ください。



2025年1月8日

 

 ここはとあるゲームの中。天空から見下ろす雲は厚く、外部から地上がどの景色を広げているかは分からない。鐘型の檻に絡みついた蔓に、周りを花で囲まれた緑園。雀らしき小柄な鳥類も蔓をつつき、仲間と戯れる姿は何者にも縛られない自由の象徴だ。

 そこには一人の少女がいた。明るい栗色をした長い髪に上に伸びた耳。檻の隙間から斜めに受けた陽光は反射し、鎖骨の浮き出た白い肌は幻のようで、作り物のように美しい。彼女には重ねても透き通った白い羽があり、外に出ようと思えばどこまでも飛べる立派な羽があっても、背中の羽を均等に折りたたみ、俯いたまま動かない。

 

 重苦しい空気に、檻から耳の尖った緑色の装束の男が入ってくれば、唇を切り結んで男を見据える少女の表情は嫌悪感を隠さず、さっきまでより一段と険しくなる。

 

「気分はどうだい、ティターニア」

「…何しにきたのよ、須郷…」

「おいおい、君の様子を見に来たのに、妖精王オベイロンに口が過ぎてるよ。おまけに未来の旦那様にその言い方は無いんじゃないかなぁ?」

「冗談じゃない。誰があんたに…」

 

 妖精王オベイロンは須郷と呼ばれても、ニンマリとした顔を崩さない。だが胸の内では、ティターニアの整った顔立ちが崩れない現状に、甘美どころか癇癪の種であった。もし、彼女と結婚できるならば、誰よりも間近に鑑賞できる立場に身を置ける立ち位置となり、まさに極上の酒壺を与えられたに等しい。

 香りのみでも充分に男を酔い痴れる女が、いま目の前にいる。しかし、いつまでも蓋の空かない蜜の香りだけでは満足などできない。内心の心境を隠したまま、須郷は明るい声でティターニアの上顎をあげる。

 

「君も強情だねぇ。もう何ヶ月になるんだぃ、君がこうしているのもさぁ…」

「何度だって言ってやる…私は絶対にアンタみたいな奴と結婚なんかしないわ」

「いい加減にしてもらえるかなぁ。君のお父さんも承諾してるし、彼は既に僕の傀儡だ。仕事にしか目がない人間を騙すなんて簡単だ。それに優秀で金もある僕なら、女はいくらでも寄ってくるんだよ」

「アンタに近づく女なんて蛾とか蚊の様な下心のある汚い女しか近づいてこないんじゃないかしら」

 

ティターニアの平然としていて、それで妖精王オベイロンにとっては小癪極まりない態度であった。妖精王オベイロンは名前こそ『妖精王オベロン』となまってはいるも、妖精ティターニアの登場する物語に『夏の夜の夢』のれっきとした夫婦だ。インドから連れて来た王子を巡って夫婦喧嘩を展開していた妖精の王と妃の話であるも、この二人からは夫婦特有の信頼関係や愛情関係は――これっぽっちも存在していない。彼女の頬に赤い紅葉の型をうっすらと浮かばせる辺り、詫びれもせずに檻から出ようとする男の様子から、それが窺える。

 

「言っても分からない女には罰が必要だねぇ。女の言うことを聞かせるには、実に楽でいい。ちょっと傷物にするだけで何でも言うことを聞くからねぇ」

「だったら拷問でもレイプでもして屈服させる気?何があっても、貴方みたいな人に負けない…」

 

 暗証番号を押して、鳥かごから外に出た『妖精王オベイロン』こと『須郷信之』は、虚勢を張ってそっぽを向く『妖精ティターニア』こと『結城明日奈』に、ささやかな享楽の趣向が閃く。

 

「キヒィキキキ…僕は君に何もしないよ、ティターニア――いや、明日奈君」

 

そう言って須郷はメニュー画面からプレイヤーコードキーを取り出し、籠の合間を掻い潜って明日奈の前にひらりと落ちる。

 

「ノーチラス君って言ったかな、あの餓鬼」

「ぇ…ちょっと待ちなさい…須郷」

 

明日奈はすがるように、檻の柵を握り締めて、

 

「はぁ?」

「ノーチラス君は関係ないじゃない!罰だったら私が受ける!!いったい何を考えているのよ!」

「たかが一人のプレイヤーに何をムキになってるんだい。僕は抵抗する君の代わりに、罰を彼に与えるだけで、君は其処にいるだけで許してもらえるんだ。ありがたい話じゃあ、ないかい?」

 

今まさに、檻から伸ばした手が妖精王オベイロンの襟を掴み上げようとするも、身体を反らした須郷には届かない。何度も檻を破りかねない勢いで体当たりをするたびに、鐘式檻の金属音が空を響かせる。

 

「罰の内容は皆で話し合わないとねぇ。バイトの二人はどうだろう。柳井君はともかく、僕の案が採用されれば…悲惨だよねぇ!!ギャハハハハハァ!」

 

 須郷はさも愉しそうに、底意地の悪い笑みを浮かべる。にわかに襲い掛かる罪悪感と絶望は、明日奈の心を押し潰す。私は彼を守りたかった、と心に秘めた約束が突く。心の中の私が泣く。守りたい人が、自分の意地やいざこざに巻き込まれて消える。かつて血盟騎士団の副団長たる自尊を忘れて少女は悲願した。

 

 

2024年10月19日

 

「アスナ、ちょっと――」

「ごめんなさい…少し考えさせて」

 

 七四層のボスから全速力で逃げ、気が動転してユズル君を引きずっていたことに気付いていなかった。これが血盟騎士団のメンバーでは誰の示しも付かない失態である。

 血盟騎士団に入る前より、アスナはキリトと組む前より前に、彼女は一人でも多く生還させなければならない自責の念に駆られていた。かつて救うことが出来ずに死なせてしまった少女がいた。たった一人で全プレイヤーの絶望を背負わさせた少年を救えなかった。あの時と違い強くなったはずが、その強さが今度は彼を死なせかけた。

 

――私の心は弱いままだ…

 

独りで思考に深けていると、背後から冗談交じりに声がかかる。

 

「副団長――いや、アスナ。あれ位でユズルは軽蔑しないさ、まぁ…怖かったけどな」

「だいぶキツイ事言われちゃった…私はしっかりしなきゃいけないのに…」

「アスナは元からしっかりし過ぎな位だろ。いくら現実世界に近いゲームの中だからって重荷ばかり背負わせる周りがどうかしてる」

「…でも、私は副団長としてしっかりしないといけないのよ。皆の模範にならなきゃいけない。誰も死なないように経験値稼ぎにも付き合わないといけない。誰にでもできることじゃないから――私が頑張らないといけないんだから」

 

 そっぽを向いたままそう言い返し、仮想世界の空気を深々と吸い込んで気持ちを幾らか落ち着かせてから、ノーチラスに答える。

 

「そうだな。それじゃしょうがないな」

「そうだよ…こればっかりは本当にしょうがないのよ」

 

そう言ってから、ノーチラスは少し投げやりな口調で、

 

「よし、しょうがないから俺も一緒に付き合うよ」

 

 沸騰したお湯をコポコポと鳴らす迷宮区の中で、彼はさりげなく誓いを立てる。その時、アスナは思った。これは誰よりも大切な人に、本当はユナに告げるはずだった言葉を紡いでいると。

 

「アスナが副団長の立場を降りられないなら、俺は隣で補佐をするよ。俺は弱いから、誰も守れないかもしれない。でも、誰も見捨てたくない気持ちは一緒だ。だからな――」

 

 そう言って彼は誓いの言葉を続ける。自分の頑張りを認め、支えてくれる人がいた思い出として、アスナは自らの胸に刻んでいく。彼は特に優れたスキルを持っている訳ではない。FNCで他のプレイヤーよりも劣っているとか関係ない。

 

――彼は動ける時に全力で動く。

 

それが、私にとってはあまりにも輝いていた。

 

「期待してるよ、ノーチラス君――よぉし!バーベキューの準備をしちゃうね!!」

 

気恥ずかしさを誤魔化し、銀串に肉や野菜を刺していく。彼の誓いの言葉が私の中にある限り、ソードアート・オンラインから帰還しても、きっと私は血盟騎士団の副団長に立ち戻れる。

 

「ありがとね」

 

誰にも聞こえない声で小さく呟いた声。ここで小さく微笑んだ彼女が、初めて安心して浮かべる笑顔であった。

 

 

明日奈として深く刻まれた思い出や約束を、嫌悪し侮蔑を体現している男に穢されようとしていた。

憎しみを越えた殺意に、明日奈の肩は震える。今すぐにでもこの肉魂に掴みかかり、首を力の限りに締め上げ、へし折りたい――ここが普通のゲームで人間は死なずとも、抗いきれない衝動に濁流が荒れ狂っていた。

 

「やるなら私にやりなさい!!許さないわよ、須郷!!!」

「いいねぇ、その歪んだ顔に目が実にいい。明日奈君が僕に好意を向けてくれて嬉しいよぉ。キキ…キ…ギャハハハハハ!!ヒャハハハハッ!!」

 

 その憤怒は明日奈が須郷に初めて見せた、強い憎しみと怒り。彼女の脳が自分の想いで埋め尽くされた証拠に――ずっと飲みたかった美酒の一滴を得て、須郷の心は喜びに震えた。心の拠り所を失い、踏みつぶされる心の純情。その悪質な皮肉こそ研究者である彼の魂を歓喜させる。彼の背中が見えなくなるも、明日奈はただ一点を凝視していた。

 

「ああああああッ!!」

 

 取り出した細剣を握り、力任せの打撃が檻に弾かれるたびに手からポリゴンを滲ませ、明日奈は憎悪を爆発させる場を求めて――行き場の無い殺意の矛先を求めて暴れ続けた。

 

 

 痛みより、須郷を罰するより、絶望的な喪失感から思考を真っ黒に染めまいと錯乱した悲鳴を張り上げて、理性を保っていた。だが、個人を、ここまで憎悪したことは人生で一度もない。

 

「す…どう…ぐ!...」

 

 名前を口にし、あの嫌味ったらしい姿を瞼の裏で思い出し、その笑い声が鼓膜を刺激し、脳がその存在を意識するたびに、荒れ狂う怒りが身体から噴き出す。波を鎮めれば、補佐として支えてくれた彼を思い出す。むせび泣きながらも、彼女は誰にも届かない声を空になげかける。

 

「ごめんなさい…ごめん、なさい…私の、私のせいで……ッ!!」

 

独りではこのゲームから脱出できない。誰の助けも期待できない少女は、ただただ自身の存在を責める事しかできなかった。悲壮を思う限り、正気を保てる。狂ったように憎悪を抱き続ければ狂わずにいられる。

 

アスナは孤独の恐怖を振り払うように、その事実から目を背けるように声を呟き続けた。

 




プロット段階通りではさらに胸糞悪い展開があります。
しかし、彼にはただやられるだけの罰は与えません。

やられたらやり返す!倍返しだ!!

こんな展開もあるので、是非お楽しみ下さい!

この話から、ダグの「原作死亡キャラ生存」を外します。
理由は、これからの展開にネタバレを含むからです。
ご理解の方、よろしくお願い申し上げます('ω')


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7話 行動しなきゃ相手には何も伝わらないよ

エピソードゼロの投稿頻度アンケート調査にご協力ありがとうございます!(^^)!

結果は――

1、受け継がれる幻影(???編)
2、働くAI(ユイ・ストレア編)
3、孤独な少女(シリカ編)
4、超食べたい(ヒースクリフ編)
5、人の温かさ(リズベット編)

よって、リズベット編のみ本編で伝えられる程度に留めていこうと思います!


2025年1月13日

 

 恭二が植物人間と知らされた日から、より柚季はリハビリや事件の情報収集に力を入れていた。次のステップである上半身のリハビリに励む様子に、応援していた紺野藍子には仲の良い友人がいなくなったとは思えないほどに落ち着いて見える。そして、リハビリを終えて新川直伝の動的ストレッチ法の一つであるバランスボールを器用に座る彼の腰や左右に伸ばした手を意味ありげに見つめて、静かに言った。

 

「柚季、新川君がいなくて寂しいんじゃないの」

 

柚季はこちらに顔を向けるとバランスボールを跳ねたまま、ぴたりと静止する。

 

「うん…急に来れなくなったみたいだから、余計に…寂しいかな」

 

さりげなく視線を下に外す柚季を、藍子は肩をすくめて応じた。藍子自身も恭二の現状にやりきれない想いはあるも、どうなるわけではない。そもそもボランティアの立ち位置にいる自分が、そんな感情を持つこと自体が不自然だ。藍子は気持ちを切り替えて、気にしていることを素直に話す。

 

「気を紛らわそうにしても、リハビリの量を増やし過ぎ。飛ばし過ぎは逆効果なんだから」

「そんなに無理していたかな?確かに少しずつ増やしてはいたけど…」

 

 とぼけた声に藍子は苛立ちを抑える。新川恭二とはリハビリだけの繋がりで仲が良かったとはいえ、いくら何でもあっさりとしている、と私は考えた。それに彼を置いて遠い所を見ている柚季が嫌で、どこか生き急いでいるのを退き止めるつもりでいた。

 

「ほ・ん・と・う・に少しずつ増やしてたよね…先生は結果しか記録してないから気づいてないみたいけど…普段から応援してた私が来るたびに負荷を増やしていたの、見てたよ。リハビリは毎度あるんだから、身体の方が悲鳴を上げかねないわ」

 

バツの悪い顔を反転させてバランスボールを跳ねながら出入り口まで逃げていく姿はまるでスライムだ。藍子は回り込んで逃げ道を抑える。

 

「まだ、話は終わってないわ…何をそんなに急いでいるの?」

「ある程度、リハビリも終わったから帰るつもり」

「…誤魔化さないで。いつもリハビリ終わりにどこかに行ってるよね。どこに行ってるの?」

 

バランスボールを抑えながら、顔は動かさずに細い目を上に向けて柚季を見る。何で知っているんだか、と彼はやや疲れた感じの明るい声で笑った。

 

「ちょっと調べたいことがあって図書館に行っているだけだよ」

「そう…なら私も、その調べものを手伝うよ」

 

その言葉は否定せずに、

 

「…それは藍子に迷惑かけないかな?」

「リハビリを無理して心配かけさせる方がよっぽど迷惑よ」

 

 藍子はそう言ってから、バランスボールから手を離して身体を起こす。途中、室内シューズで少しあそんでいる靴下にそっと指を入れて直した。

 

「それにね…行動しなきゃ相手には何も伝わらないよ。自分がどれだけその人を想っているとか…どれだけ心配をかけているのか。黙っていたら…どれだけ自分が真剣かなんて分かってもらえないわ」

 

 藍子の言い方は毅然として、一点の揺らぎもない。言葉を言い切ると沈黙が生まれた。むろん柚季の場合は消極的で、何がきっかけでソードアート・オンラインの帰還者と疑われるか分からないし、加えて藍子が事件に巻き込まれるかもしれなかった。この友人を頼っていいのか、と柚季は少し迷ってから、言った。

 

「分かった…歩きながら調べたいことを伝えるよ。病室に戻る門限もあるから調べる時間はたったの三十分だけなんだ。忙しくなるけど、本当に構わない?」

「…たしか柚季の担当医は倉橋先生だよね??」

「そうだよ」

「それなら、門限を伸ばす方法があるわ」

「え?そんな魔法みたいなことができるの?」

 

僕は動揺してしまい、声を裏返してしまう。病院や警察や消防署の公営化された施設は国の管理下に置かれており、強い管理体制が敷かれている。門限を伸ばせる方法は医師の信頼できる人の同意がなければならない。あれこれと考えていると、不意に藍子は改まった声を出した。

 

「大人社会で目的を達成しようとするときはね…『根回し』をするんだよ」

 

やさしげに開かれた瞳の底から火のような光を照らし、先に出入り口から姿を消す。リハビリの患者を見守る陽のような目色をする彼女ではなかった。何に根回しをするのか尋ねたかったが、それを詳しく聞くのは藍子の勇気を踏みにじってしまうだろう。柚季は、藍子に調べる内容をメモ帳にまとめた後に病院の入り口前で待つことにした。

 

 

一時間近くを過ぎれば、薄い茶色のシャツにピンクのパーカーを羽織り、灰色の濃いチノパンを着た藍子が向かってきた。ジャージ姿しか知らない柚季がどきりとしてしまうほど、紺野藍子がとても可愛い事実を気づかないふりでは済まなかった。電子ドアがゆっくりと開いた時、柚季は藍子にニッコリした。

 

「倉橋先生から私と一緒なら午後の八時まで外出許可を貰えたよ。待ったかな?」

「外出許可時間の延長交渉なら幾らでも待つよ」

「相手が倉橋先生だったからできただけ。それよりも、お礼はそれだけかな?これだけしたから見返りの一つは欲しいよ」

 

ふいに大きな柱の間からの風が、ひとかたまりの突風となって駆けて行き、それに追い詰められたように、藍子が呟く。

 

「それなら、カファでケーキセットを奢るよ。キャッシュレス決済できるところ限定でね」

 

 柚季は心の中で藍子に頭を下げる。二日前ほどに、家族から柚季宛にキャッシュカードと通帳や身分証明書の同封された封筒が届けられた。直接手渡せばいいのを、封筒で渡す行為をしなければならないのは、家族がかつてユズルとしてユナに手紙を送らなければならない似た立場に置かれている可能性だ。

 

「それでお願いするわ。それと、もう一つだけ約束して欲しい」

「自分が守れる約束ならね。何かな?」

「少しは友達としてもっと頼って欲しいの。私にできる事なら――何でも協力するわ」

「ありがとう…でも、どうしてそこまでしてくれるの?」

「どうしてって…私も新川君に何もしてなかったからよ。それに…うぅん。何でもない」

 

その後を言えずに黙り込んでしまう。柚季は途切れた言葉を待たずに話題を切り替える。

 

「それにしても…藍子って真っ直ぐな子なんだね」

「色々悩んでるのよ、そんなに真っ正直には生きてるとは思ってないかな」

「意外だな。思ったことをはっきり言うからさ」

「女の子は男の子が思っているほど、そんなに器用じゃないわ」

 

 再び声が途切れると、図書館までの小石の転がる空き地の道を、終始無言で歩幅を合わせて歩く二人。彼には一途に愛したい女性がいる。彼との絆を保っているのは、ボランティアで知り合った友達の形だ。それでも藍子には生き急いで何かを成そうとする彼をほっとくことなどできなかった。

 

 

 紺野家は代を重ねて洗礼された病気になりやすい血。祖父や親戚も癌や白血病の難病で亡くなり、医療の発展に解剖提供を受け入れてきた親族だ。彼女は紺野家の長女として生まれ、その双子に紺野木綿季という妹がいる。帝王切開で母親が緊急輸血を受け、汚染された輸血パックから双子の姉妹は共にHIVウィルスに感染した。つまりは産声を上げて誕生した日から、紺野の人生は運命づけられた。

 

 父と母は既にウィルスで他界し、HIVウィルスの感染が疑われる姉妹を親戚は身元を保証しなかった。代わりに全ての遺産を姉妹から奪い、僅かな資金を保護施設に預ける費用で賄われた。無念もあった。怒りも湧いた。十代の子に選択の余地などない社会はただ死なないために守られる施設生活に何の感傷も懐かなかった。

 

――それでも紺野藍子は運命に抗った。

 

好きな父と母を失い、親戚すら信じられない世界にも希望や夢はあった。たった一人の妹――紺野木綿季だ。いつか自分を蝕むHIVは、妹の絆も断ち切らせる。施設に訪問する親戚の決定に言われるがままに従い続けたのも、ご機嫌取りだけではない。親戚が妹を奪わない様に、悪意から妹を守る為だ。

 

 木綿季が藍子よりも重度のHIVを発症した十歳の時に、親族から国の援助金目的で神奈川県横浜市にある横浜港北総合病院に配置されたメディキュボイドの正式な使用者に選ばれた。動機は不快ではあるも、メディキュボイドで妹はウィルスの進行を遅らせる。藍子には病院で飲用されている軽度の進行を遅らせる薬を処方され、自然回復の完治は目前なのだ。

 

そうすれば、未来に向けて新しい夢も生まれてくる。

 

――ウィルスを駆逐して妹と一緒に生きたい。

 

これがリハビリのボランティアとして病院に通い、今も必死に戦っている妹に会う口実を作るためだ。

 

紺野藍子の心は、もう分かっていた。生き急ぐ柚季が現在も必死に生きている妹と似ていたのだから。

 

 

 藍子と図書館に行けば、異性と一緒に居れば全てデートと呼ばれるも、そんな色のある雰囲気は無い。格闘技場やコロッセオの戦いに似た内側から内臓を押さえ付けられる感触に、静かで物音も少ない空間は、より感覚を敏感にさせた。しかし、柚季と藍子が期待した以上の成果はあった。

 

藍子には新川夫妻の担当する脳に関連する医療論文の検索と印刷を頼んだ。ソードアート・オンラインが始まった日から二年半と終了した日から三ヶ月分を検索範囲とした。木製に備え付けの緑色クッションの椅子に二人で隣り合わせ、脳による研究成果や手術に関する論文を検索し、マウスを移動させながらスライドさせる。

 何か関連のありそうなものが見つかると遠慮なく言葉を交わした。

 

「…日本で最近行われた手術…人間に新しい知識を植え付ける…うぉう、チップを脳に組み込んで微弱な電波で定着させるか、気味が悪いな」

「こっちも似たようなもんよ。これとか――男性と女性の脳細胞による記憶検証で、年齢によって何の出来事や体験が、脳の電波を強めるのか――はぁ――なにこれ。たった三ヶ月で似た日本の論文が30個を超えて発表されてるわよ」

 

パソコンの青白い光に目を細めながら、柚季は藍子のパソコン画面を眺めた。

 

「明らかに増えすぎてるな…論文だって正式な手続きが必要だ。それに、ここまで研究を重ねて論文にするまでのデータが急に集まるのは異常だ」

「それにね…柚季、ここの部分を見て」

 

右側にある藍子のパソコン画面を遠目からはメディキュボンドよりも強い光を放つパソコンに、顔を近づけて覗き込む。横目で藍子を見れば、ふと彼女と目が合い、少し泳いだ目に上の空な表情が目に付いた。

 

「?藍子…顔が赤いけど、無理させた?まだ時間もあるから休憩する?」

「だ、大丈夫!それより、ここ!!著者の名前を見て!何か気づかない?」

 

画面を食い入る様に見つめ、一通りに頭を整理してから、再び藍子の横顔を見た。頬に触れずとも、ほのかな熱を感じてしまい、柚季からすれば羞恥心にバツの悪い顔をしてしまう。目を閉じて、ゆっくりと思考し、瞼を開ける。

 

「なるほどね…ここ三ヶ月に発表された脳関連の論文には必ず同じ名前の著者が出てきてるな…この¨須郷信之¨と名字しか無いけど¨柳井¨が怪しいか」

 

柚季がささやいた。パソコンの検索画面まで移動し、手早くタイピングする。

 

「この『須郷信之』で検索すれば…やっぱり出てきた!えぇと…重村徹大のいる電子工学に所属し、卒業後から数年後にレクトの新作ゲーム制作に携わる。新作ゲーム…『ALO―アルヴヘルム・オンライン』は爆発的な人気商品となり、レクトを代表したヒット商品だ」

 

柚季が読み終えると、

 

「…これだ!これが、一番知りたかった情報だ!」

 

 ここが図書館でなければ柚季は飛び上がっていた。場所とはお構いなしに弾んだ声に、藍子の手を握り、上下に動かすほどの興奮を抑えられなかった。手を離して印刷した論文を取ろうと席を離れた柚季を背に、藍子は目を丸くしながらもほのかな余熱のこもった手を、そっと左頬に押し当てる。彼女は溶けるような幸福で満たされていた。だが、彼女はそれが何かを無視する。この溶ける感覚は長くは続かなくとも、分からない方がいい。それでも――

 

(柚季の彼女さんには悪いけど…今だけ…今だけは見逃して…)

 

俯いて深い溜息をつき、両手を組んで祈った。

 

 

2025年1月15日

 

 そうこうする間に、柚季の準備は進んでいた。この二日間で藍子と論文の細かな情報をまとめる日々を過ごした。門限より一時間から時間を伸ばして切り上げながら、カファで藍子との会話を楽しんだ。珈琲の苦い香りにモンブランやショートケーキにマカロンのおいしそうな匂いがテーブルにたちこめ、取り止めの無い会話を繰り返した。

 リハビリの課題を終えれば倉橋先生から許可を貰い、リハビリ室の空き部屋を借りて剣道のステップや動作から鉛のついた棒での鍛錬を行う。ソードアート・オンラインではアシストの無い状態で戦闘を行い、万に一つの用心のつもりで、柚季は戦闘態勢を整えていた――だからこそ、ヒースクリフの索敵やプレイヤーキルにも機敏に反応できた。

 

「それでも、まだ全身に鉛というのか…身体が思う様に動かないんだよな」

 

柚季は納得の行かないまま、午後からネット通販で注文したALOのソフトを思い浮かべていた。万全ではないも、このままリハビリと図書館を往復していては新しい情報は何も掴めない。

 

「この須郷信之がカーディナルシステムにハッキングをした真犯人の可能性は高い。脳研究に息子を利用する親子も許せないけど…必ず暴いて、引きずり出してやる…必ずだ!!」

 

胸の鼓動を握り締め、最後まで抗う決意を固めて、柚季はメディキュボイドのある自室に向けて歩を進めた。

 




『受け継がれる幻影』はエピソードゼロの主人公にスポットを当てた長編の物語です。

刀身が黒く染まる剣を扱い、影で自身の分身を作り出す特殊な攻撃が可能で、ざっくばらんな性格をした彼女を主人公にしていています。

是非お待ちください。


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8話 あの人は確かに生きていた

 人混みを避けていくも、悠那は軽く息を荒げ、冷や汗を湾曲した鎖骨に滴らせていた。降り積もった雪に足を引っかけて重くなっていたのに、気持ちが独り歩きをし、電車に降りてから休もうとしたベンチは先客の雪に占領されていたのだ。

 休む暇もないままスマートフォンの画面の矢印を追いながら先へ先へと進み、葛城道場のある場所に着いたのはいいが、自分の持久力の衰えに驚いている。自分の取りたい行動の為に身体は動けばいいと思っていたのに、故意じゃないぎこちない動作には、嫌気すら感じていた。

 

ドアをくぐった時から竹を叩きつける気迫な音に、どう切り出せばいいのか分からずに戸惑っていると、後ろから一人の男性に肩を掴まれてしまう。もう一人の女性は不思議そうな顔をするも、片手に四本の柄を覗かせた袋を片手で持っている辺り、見た目に反して相当な腕力の持ち主であると窺えた。

 

「新人の取材か?すまないが、予約の無い記者はお断りだ」

「記者ではないです。あの…朝田柚季について聞きたくて来ました」

 

 朝田柚季、に反応した男性は力を込めて掴んだ肩を離さないまま、ドアを力任せに開けた。それまで竹刀を打ち合う音の絶えない大広間からはそわそわした声しか洩れずに、引きずられながら壁に追い詰められた悠那は、男性の鋭い視線に萎縮する。女性からも男性の横行を止める様子は見受けられず、むしろ怒っているようだった。

 

「あぁ?どこからそれを知った!?あいつは十年以上前にいたウチの大将…今さら聞きに来た理由は何だ?」

「あの子が失踪した理由?それとも…記者にでも売り渡して金儲けの為?」

「ち、違います!私は、ただ知りたくて…」

 

びっくりして言葉を失っていると、別室から女の人がやってきた。他の人にどうしたかを口々に訪ねていると、

 

「ちょっとあんた達!!何、勝手に稽古を止めてんの!?あと、その子はなに!!」

「「師範!!」」

 

 怒鳴り声を上げた女性は明らかに他の人とは違っていた。一瞬で周囲を怯ませる威圧感に肩を掴まれていた男性の力は緩む。厳格で凛々しさのある師範と呼ばれた人に、拘束をほどいた悠那が間髪入れずに声を張った。

 

「稽古中に押しかけてごめんなさい!迷惑と思いますが朝田柚季について聞きたくて来ました!!」

「ふぅん…こっちからすれば稽古を止めた方が迷惑だけど、まぁ話だけでも聞こうかしら。でも…止めるほどの理由があるはずよね…」

 

 凍りつくほどの鋭い視線に、誰もが逆らってはいけない人だという悠那の勘は当たっていた。だが彼女にとってこの視線は落ち着き、どこか懐かしささえ覚えた。師範は門下生や大将が次の返答を待っている間に、悠那ただ一人が噛みながらも言い始める。

 

「私は数年前からソードアート・オンラインに閉じ込められていました。その時に、友人から朝田柚季君の話を聞いて興味を持って…調べれば、葛城道場の名前が出てきたので知れると思ったからです!」

「…どうやら稽古はお開きね――あんた達!あたしが戻るまで休憩!!」

「「はい!!」」

 

 師範は彼女を応接間まで手招き、別室に場所を変えた。向かうまでに軽く会釈をしながら急ぎ足で大広間を出て行く。取り残された門下生達は仕方なく、竹刀を立て掛けて大広間を後にした。

 

「出過ぎた話。もう何十年か前の人が、事件で注目されているゲームの話題になるなんてね」

 

応接間のソファに腰掛けた悠那の背後から、ペットボトルの緑茶をコップに入れる師範の声がした。

 

「まずはウチの大将の手荒さをお詫びするわ。しかし、ウチの門下生が全て荒々しい訳じゃないことは分かって欲しい。でも、柚季に関しては禁句なのよ。あまりウチらが居る前で話さないでほしいの――約束できるわね?」

 

と、師範は返事を待たずに言い切った。

 

「それで――何を聞こうとしたの?」

「柚季さんが剣道をやっていた時のこと。それと、十年前に何があったのかを聞きたいです」

「十年前のことはノーコメント。おいそれと他人に話せられないの」

 

そうですか、と悠那は改まった声を出した。

 

「それで、ユズ…じゃなかった。柚季さんはどんな人でした?」

「柚季は小さい頃から総大将をしてね。ずっと自己流で剣の太刀や足捌きを磨いていたせいか、癖の強い子だったかな。それしか趣味がないのかって思う位にストイックにのめり込んでいたわ」

「趣味が一つも無いわけはないと思いますよ。アコースティックギターとか弾いていたんじゃないですか?」

 

何気ない冗談交じりの口調に師範は小さく、え、と声を出した。悠那はそう呟いた師範の表情を見て、ほんの一瞬だけ、彼女の威圧感が薄れるのを感じた。

 

「…初耳ね。そのこと、誰から聞いたの?」

「ゲームがクリアされる前に――その…プレイヤーに」

「なるほどね」

 

間をおかずに、なぜ柚季の話を禁句にしているか、と尋ねたかった。しかし、それ以上の詳しいことは自分から話せば教えてくれないだろう。師範から聞かれたことを返せば長く対話が続くと私は考えた。

 

「そう言えば――まだ、貴方の名前を聞いていなかったわね」

「私は重村悠那です」

「¨重村¨と言ったら、あの電子工学科で有名な教授の名前と一緒ね」

「多分それは重村徹大ですよね?私のお父さんなんです」

「……そういうことね。なるほど」

 

いきなり名前を聞かれてどきどきしたものの、向こうはお茶を啜りながら何とも感じていないようだった。

 

「なら、悠那さん。そのプレイヤーから聞いた朝田柚季がどういう人間か私に教えてくれないかしら」

「え?」

「十年以上前に消息を絶っても、人の信頼だけで総大将の席に居座っている子よ。私が聞いてどんな人物なのか知りたいわ」

「…分かりました」

 

そう言って悠那は首を縦に振った。

「柚季は優しい人と――」

「そんなのはうわべだけなら誰でも言えるわ」

「あと、剣の扱いが上手で――」

「ゲームの世界で強くても、現実でも強いとは限らない」

「髪の毛がツヤツヤしてて、顔も整っていて――」

「ゲームなら幾らでも顔が弄れるでしょ?そうでなくても、親のDNAが優秀なだけよ」

「…………」

 

あまりの言い返しに、挑発を疑いたくなるも悠那は自分に言い聞かせた。私はここに柚季の情報を集めたくて来た。言い負かしにきてはいない、と。

 

「貴方の話したことは私でも分かりきってる事。そんな上辺だけの分かる話じゃなく、もっと身近に――貴方にとって彼はどんな人物なのかを語って欲しいの」

「私にとって…どんな人物か…」

 

間を置いた悠那は、ゆっくりと答えた。

 

「私…実はこの世界に良い人なんていないと思ってたんです。近寄ってくる男性は何時も醜い下心があって、女を言い包めようとして…いつも幼馴染の子に助けてもらっていました。その子もデスゲームに巻き込まれて、不安で怖くて。その気晴らしに唄を歌っていた時に彼に出会えたんです」

 

あの不安だった夜にひっそりと現れたユズル。あの時はほとんどのプレイヤーに恨まれ、いつ死んでもおかしくなかった状況だった。それでも、唄に誘えば颯爽と来てくれた彼に半ば嬉しく、半ば疑っていた。

 

「男の人は怖かったし、色々試すようなこともしました。それでも彼の下心を見つけられなくて、そのうち根負けして、柚季みたいな子もいるんだな、って受け入れられたんです」

 

悠那はそう言って笑った。

 

「そしたら気の合わないと思っていた子も信頼出来て、初めて親友と言える子も出来始めて…見える景色が少しだけ変わったんです」

 

どうして私は初対面の人にベラベラしゃべれているのだろう、だけどアルコールで胸のつかえを押し流した様に抵抗なく口が動いていた。

 

「ですから、柚季には感謝してるんです。もしできたら彼の家族にもお礼を申し上げたい程に」

「…良く分かったわ。なぜ貴方がそんなに柚季を知りたがっているのかね」

 

 私は急に気恥ずかしくなりながら視線を外した。意識しているつもりはなかったけれど、多少は気持ちが高揚していたのかもしれない。そう考えながら、一口も飲んでいなかったお茶を飲み込んだ。ふいに師範は考える仕草を解いて言った。

 

「これ以上の話し合いは必要ない。知りたいことは知れたし、私は忙しいからね。ただ…何かあれば何時でも来ていいわよ」

「ありがとうございます。急に押しかけてきてすみませんでした」

「いいわよ。あたしにとっては有意義な時間だったもの。もう少し、貴方から聞いた柚季のことをいっぱい聞きたいわ」

「勿体ないお言葉です」

 

時間はちょうど十六時過ぎだ。そろそろ電車に乗らなければ、家に着く頃にはパパに夜遊びを疑われてしまう。一礼をしてから応接間から大広間から出てからスマホを見る。次の電車までは十分に時間あった。

 

 

 何か情報を集められると思うも、謎を深めるだけであった。ユズルは現実世界で十年以上前に行方不明になっていたこと。葛城道場の人達は彼の名前を口に出さないこと。彼の年齢を暗算しても27歳か28歳のはずが、最後に別れる前にキリトと同い年の16歳と知った。どうにも辻褄の合わない情報に、悠那は頭を抱えていた。

 

(ゲームで会ったユズルは、ユイちゃんの様にプログラムで存在していなかった?それとも、朝田柚季という人間自体がもういない?――違う!そんなはずない!あの人は確かに生きていた)

 

 どうしようもない難題を突きだされてしまい、改めて痛感する。自分は相手を何も知らないでいた…本当の彼と向き合っていなかったから、きっと自分は何一つ分かっていなかった。あまりにも惨めさ、愚かさに思い知らされる屈辱。

 脳裏の埋め尽くされた感情に夢中になっていた悠那はドア越しにいた人物に気付かないほど余裕が無かった。開けたドアの先には、ボーイッシュな短髪を揺らしながら身体を逸らす詩乃とすれ違う。

 

「ご、ごめんなさい!!考え事してて…」

「いえ、大丈夫よ。こっちも気づかなくて悪かったわね。それより、あなたの方は――」

「ホントにゴメンなさい!!」

 

自分の都合ばかりを考えていることさえ気づかずに、悠那は駅へと向かってしまう。まるで他人事のように涼しい顔をして残された詩乃は、遠くなる悠那の背中を見つめていた。

 

「なんか慌てていたわね。ちょっと掠っただけなのに大袈裟よ」

 

ドアノブを捻って詩乃は中に入っていった。大広間はガヤガヤしている。大将の二人が何度か整列の声掛けし、やっと静かにさせていた。

 

「あら?詩乃が丁度いい時に来てくれたわ。でも何で来てくれたの?」

「お母さんが家の鍵、忘れたからでしょ――はい」

 

鍵を放り投げながら詩乃がぶつくさ言った。

 

「あらあら。学校からは反対方向なのに来てくれるなんで…いじらしいわねぇ」

「…次言ったら矢ぁぶっ刺すわよ」

「あんたが私に矢を射かけるなんて、三年早いわよ」

 

と師範であり、詩乃の母でもある朝田響子は詩乃に得意顔をする。

 

「三年…案外早く追いつきそうね」

 

詩乃は響子に正確な事実を伝えた。大広間には和やかな会話に門下生や大将は静かになった。詩乃もまた、一人ポツンと列の隅で立って母の言葉を待っていた。こういう時の母の言い方は何か重要な話を伝えようとしているときだけだ。

 

「はい。ここにいない人は手を挙げてね――よし、全員いるわね」

 

軽い冗談を言い、響子は嬉しそうな顔をした。

 

「心配しなくていいわ。皆にも詩乃にもいい話。それに伝えておかないといけないから…さっき話した女の子は朝田柚季に会っている。貴方はまだ会ったことの無いお兄さんね」

 

それに誰もが息をのんだ。

 

「それは本当の話なの」

 

詩乃はぎこちなく答えた。

 

「あの子は柚季が絶対に秘密にしていることを知っていた。それでもわざわざ興味本位でウチの道場にくるなんて何かあったか、と思うわよ」

 

少し伸びた前髪とまつ毛の奥に、優しい笑顔があった。私が返答に詰まっていると、

 

「詩乃、心配しないで。ただ、ソードアート・オンラインはまだ終わっていない事件よ。まだあの子は巻き込まれているかもしれない。それかあの子の様に目覚めているのかもしれない。まだ、何もわからないわ。でもね…もしあの子が起きているなら、それ相当の準備はしないとね」

 

なにか言いたいのに、なにを言っていいのか分からず、迷っているうちに時間だけが妙に長く感じた。私に会ったことのない生き別れた兄がいる。母が何を言っているのか、すぐに理解できなかった。

 



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9話 妖精の世界

「また…あの世界に行くのか」

 

 メディキュボイドに寝そべりながらも、柚季は顔を曇らせていた。ソードアート・オンラインの世界はただモンスターとプレイヤーの戦闘が表面上を演出していても、真相はプレイヤーと元プレイヤーによる人間と人間の殺し合い。

 アルヴヘルム・オンラインも一部をコピーしているとあれば、茅場の痛切したバグも受け継いだゲームがまともなシステムであるはずもなく、殺意を突き付けられたような恐怖に落ち着かなかった。

 

「柚季君、そっちの準備は大丈夫かな」

「こっちは平気です。何時でもお願いします」

 

倉橋先生は待ちかねている様子であった。だが、実を言えば、事件性の高いゲームかもしれない物の使用を許可したのは、倉橋先生自身であり、柚季が気持ちの整理にログインを焦らしても、彼は患者の意思を尊重していた。柚季は一呼吸をいれてから言う。

 

「リンク・スタート!!」

 

 次第に視界は真っ暗になり、眼の前に虹色の光が駆ける。次の瞬間には、視覚、聴覚、触覚と、五感接続が完了するメッセージが次々表示され、メディキュボイドに横たわっていた重力感覚が消えた。

 

 

『ようこそ!アルヴヘルム・オンラインへ』

 

緑や大樹に白い靄に小さな蛍火のような明かりには、まるで生きているかの生命力があった。意識だけで実体のない柚季に、そのまま浮遊感さえ馴染めない。浮いたものを掴む感じを確かめつつ、柚季は、重心を合わせなければ地と天が逆になりそうな気がした。

 

『新規のお方ですね。最初に、性別とキャラクターの名前を入力してください』

 

 ホロキーボードに『ユズル』と打ってから入力ボタンを押した。巨大なプログラムは名前や性別をチェックし、次の登録画面へと進んでいく。

 

『次に種族を決めていただきます。九つの種族から一つ、選択してください』

 

生身かと思う程に精巧なAIによるアナウンスが選択を促す。プレイヤーが選べる妖精の種族は九種類。ホロアバターの全身が現れるあいだ、じっと待った。

 

水妖精族『ウンディーネ』、土妖精族『ノーム』、猫妖精族『ケットシ―』、火妖精族『サラマンダー』、影妖精族『スプリガン』、風妖精族『シルフ』、闇妖精族『インプ』、工匠妖精族『レプラコーン』、音楽妖精族『プーカ』

 

 九種類の妖精族には基調となる体格や色、背中から生える羽の形も異なる。フェイントと足さばきで相手の裏を読み、決まった形で竹刀を振る柚季の戦い方はソードアート・オンラインや本場でも変わらず、この戦いを活かせる種族を決めかねていた。

 影を操るスキル『幻影』からプレイヤーやモンスターをかく乱させ、自分の戦いやすい領域を作らせていた。小技のスキルから敬遠すれば、相手の隙をうめて戦いやすい領域を作り出せるだろう、とユズルは思った。

 

「これならスプリガンかインプの二択か…影と闇の妖精族もいるなら光妖精族もいればいいのになぁ」

 

 直接勝負の闇妖精族よりも心理勝負に持ち込みやすい影妖精族のアイコンを選択し、ユズルの現身が映し出される。男性であるにも関わらず黒髪の長髪に大きな眼。現実世界よりほっそりした体形だが、上に尖った耳は妖精らしき風貌だった。

 

『それでは、スプリガン領のホームタウンに転送します。夢とロマンあふれる冒険をお楽しみ下さい』

 

AIアナウンスが、最後にねぎらいの言葉をかけた瞬間、ユズルの視界は白い光が閃光する。大地の踏む感触を確かめながらゆっくりと目を開き、青い長髪をした女性プレイヤーと目が合った。

 

 

 世界樹から見て東の湿地地帯を領地としたウンディーネ領の首都名は地図には記載されていない。アルヴヘルムの<三日月湾>と呼ばれる弧状湾のすぐ傍の島にあり、大陸とは1つの橋で繋がれている。北側にスプリガン領、南側にインプ領と隣接し、西側の環状山脈には虹の谷がある。

 山脈と川に隠れたウンディーネ領は、周囲の環境にマッチしていて、一つの国というよりは、隠れ家にふさわしい場所である。彼女は赤のクリスタルをはめた杖を手にかけながら言う。

 

「あなた、スプリガンですよね。ここには何しに来たの」

「あ…いや…ここって、スプリガンの領土じゃないですか?始めたばっかりで良く分かってなくて」

 

眼前の女性は、急に現れた男性プレイヤーに驚き、それと同じくらいに嫌な顔をした。視線を泳がせて両手を慌てさせるユズルに、ふと沸いた好奇心からか、微かな笑みを唇に浮かべ、垂れ眼の女性は、くすくす笑った。

 

「いいですよ。そんなに固くならなくても…ここはウンディーネ領で私はシウネーと申します」

「僕はユズルです。どうぞよろしくお願いします」

 

「何かの縁でしょう。付いてきてください」と言ってシウネーはユズルを武器やアイテムの扱うお店の領地内へと案内する。ウンディーネ領の店内はどれも透明な水の佇まいで、海を思わせる広々とした高い窓がいくつかついていた。

 

「しかし、貴方は運がいいですね。スプリガンは他種族から嫌われていますから、いきなり攻撃されても仕方がないんですよ」

「そういうものです?」

「私は友達とこのゲームをしていますが、皆が別々の種族になっていますから。それもあって理解はしてるつもりですよ。他種族の立場を分かっていればいくら経験値が欲しくても、ましてや新人相手にいじめはしないですよ」

「もし、ここで倒されれば、アルヴヘルム最速デスを記録してましたか」

「申し訳ないですが、そんな不名誉な称号はありませんよ」

 

シウネーは、半ばそう思っていても、システムにそんな称号があれば面白いと言うように、首を横に振った。

 

「初めてでは何も分からなくて不安でしょう?私の仲間達は他のゲームで知り合ったコミュニティの集まりですからいい人ばかりです。お話だけでも聞きに来ませんか?」

「ええ」

 

ユズルは言った。

 

「ぜひ、お願いします」

 

 

彼女の仲間が集まっている場所は、ウンディーネ領の森の茂みにある質素な家であった。大きな窓が正面に二つあってカーテンは半開きになっている。玄関のドアから、庭のように広がったリビングのお蔭で、楽にプレイヤーを見渡すことができた。女性プレイヤーがひとり、ユズルをやや正面から向き合った。

 

「シウネー、必要なアイテム買ってきてくれました――って、その子はどうしたの?」

 

彼女の様な赤い眼に見慣れていないユズルは視線をそらす。大きく、何かを探ろうとしているみたいなその瞳は、一瞬にして彼の心を読み取ったそうだ。

 

「バグかなにかと思うんですけど、こちらの方に転送されてきちゃったので、保護してきたんです」

「え、シウネーが男の子を連れてきちゃったの!?」

「ちょっとユウキ、言い方!!」

 

隣の部屋からひょっこりと顔を出した『ユウキ』と言われた少女は思ったことを口にしたのか、そのしぐさは、活発な明るさが、ユズルを安心させていた。彼女は語気を強めて言うも、その部屋の奥からヒソヒソ声を目立たせる。

 

「私も声をかけられたい」「年上の女性にお持ち帰りされる可愛い男の子…うらやま...いやけしからんな」「スプリガンの有用性は…と」「新人を教育――新たな光源氏計画」など――

 

「ここは名前だけですがスリーピング・ナイツのアジトみたいなものです。私はギルドマスターの『ラン』です」

「僕は『ユズル』です。仲間の集まりに急にお邪魔してしまって…すみません」

「私達もこのゲームを初めて日は浅いですから、シウネーに仲間の勧誘をしていたんですよ。こちらこそ、お邪魔ではなかったですか?」

「いえ、僕も初めてで戸惑っていたから頼りになります。シウネーさんの様な優しい方に出会えてよかったですよ」

 

ユズルは静かに言った。二人は、その様子を見ても、驚いた素振りはみせなかった。それどころか歓迎の表情を覗かせた。奥のヒソヒソ声も大きくなった。

 

「男の初めてを奪った女――アリだな!!」「シウネーはショタもいけたのか」「純情そうに見えて実はアレだったか」「人は見かけによらないわね」

 

シウネーは、よほどのことがない限り、本気で怒ることのない女性だが、見た目の良い青年を連れてきただけで、散々に言うメンバーの態度には、温厚な彼女でも癇癪を爆発させた。

 

「…ランさん、ユズルさん。少々席を外しますね」

 

 とびきりの笑顔でそう言い残すとヒソヒソ声のする部屋の奥へと消える。シウネーの声から何かを唱え終えた後――店内に爆発音を轟かせた。

 

 

「バグかなにかと思うんですけど、こちらの方に転送されてきちゃったので、保護してきたんです」

「「「え!本当ですか!!」」」

 

 スリーピング・ナイツのメンバーは、丸いテーブルを囲みながら座っていたので、ユズルは、全員の顔を見ることができた。しかし、そのうちの三人は髪の毛がチリチリになっているし、ユウキはピンと伸びていたアホ毛が三本に増えているのが異様だった。

 

「…白々しいですね。もう一回、唱えましょうか?」

「これ以上は辞めておきなさい。話が進まないわよ」

 

ランは、いい加減にしろ、と言いたげに落ち着かせる。丸眼鏡のひょろりとしたレプラコーンの青年が手をそろそろと挙げた。

 

「わ、わたしくは、タンケン、です。た、たぶんだけど…最近のアルヴヘルムは、誤作動もあるから…そ、それだと…思う」

「誤作動?」

 

ユズルが聞く。

 

「そ、そう。例えば…同じ、違うアミュスフィア同士が…近くで作動させれば…そ、そのプレイヤーの…近くに、転移とか…」

 

ゲームの誤作動に、その場にいたプレイヤーは目を丸くしてしまう。

 

「…あ~それなら心当たりがあるな。僕は病院のメディキュボイドでログインしてるから、病院内でアミュスフィアを使っている人がウンディーネ領か他のプレイヤーにいたからかも知れない。チラリと見たけど、スプリガン領はここの北側だしなぁ」

 

運営のずさんなシステムの不具合に退屈このうえなく、肩透かしするほどに小さな出来事であるかのように、ユズルは溜息をついた。

 

「どこでログインしていると言いました?」

「え?病院のメディキュボイドだけど」

 

ランは前のめりになりながら質問していく。

 

「それってどこの病院ですか?」

「横浜の港北――」

 

言いかける前に、けたましい音が響き渡る。全員のメンバーは、その音のしたプレイヤーは誰か、同時にメニュー画面を開く。

 

「ちょっとゴメン。仲間からの連絡だ――え…」

 

言葉を失ってから、彼女が口を開く。

 

「友達が『サラマンダーの集団に襲われてるから助けてくれ!!』――メールがきて…シノンと一緒だから逃げながらこっちに来てるけどピンチそうだって」

「落ち着きなさい、クロービス」

 

たしなめる様に、ランはクロービスに言う。

 

「まずクロービスと一緒に救援に向かいましょう。落ち延びて来る友達に会えるかもしれないわ。戦闘になるからサラマンダーと亀裂の少なくて済むプレイヤーが望ましいけど…」

「それなら僕が行くよ。新人だけど…まぁ何も分かってないからしょうがない程度で済むと思うから」

 

ユズルの言葉に、暫しの沈黙が続いた。クロービスがそれを打ち破る。

 

「あんた…戦えるの?このゲームは初めてじゃ、まともに戦えないなら囮にするわよ」

「大丈夫ですよ。こことよく似たゲームで戦えてました…腕には自信があるので」

 

クロービスはなにかいい訳でもしそうな顔をするも、思い直し、彼の実力を測る意味でも提案を受け入れた。初心者用の片手剣にスプリガン初期設定の防具。必要最低限の装備に申し訳なさそうな顔をせず、ユズルは落ち着き払っていた。

 

 

 アルヴへルムの上空は青々した空と深い緑色の木に覆われた大地は、排気ガスや汚染水で成長した木では見られない色つやをした葉をしている。その空ではシノンとフカ次郎が赤い装飾を纏ったサラマンダーの集団を敬遠しながら羽を慌ただしく動かしていた。

 

「ちくしょうめぇ!サラマンダーに追われるなんてツイてないぜ!!」

「あんたがその猪を捨てれば逃げ切れるでしょ!!さっさと捨てなさいよ!!」

 

と、張り詰めた弦から矢を放ちながら叫んだ。

 

「なに言ってんだ、シノン!こいつはそんじゃそこらの猪じゃねぇんだ。『キングボア』だぞ。激レア中の激レアだ!!こいつの肉を喰いたくて、一週間も粘ったフカ様の気持ちを考えろ!!」

 

フカ次郎が言い放つ。

 

「勝手に呼んどいて勝手なこと言うな!!真剣な声で『シノン…ちょっと付き合ってくれ』と言われて馬鹿に付き合っているこっちの気持ちを考えろ!!」

 

シノンは言う。二人は環状山脈を越えると、見覚えのない男性プレイヤーと見覚えのある女性プレイヤーとすれ違い、クロービスの遠距離攻撃による風魔法の突風でサラマンダーの進軍を止めた。荒い息を整えぬままに、彼女が言った。

 

「フカ次郎、まだデスされてなかったわね」

「おぉ!間に合ったか、すまねぇ…ちょいと失敗しちまった」

 

クロービスは両手を伸ばした手を下し、蔑んだ目でフカ次郎をじろりと見た。フカ次郎は引き攣った笑みから、片目をつぶって見せた。サラマンダーの集団の関心は、女性プレイヤーから新人プレイヤーのユズルに移される。

 

「誰だお前」

「見ての通りに、始めたばかりの新人ですよ」

 

肩をすくめるユズルに、サラマンダーのプレイヤーには格下に思わせる態度を増長させた。集団から短刀をちらつかせる男と巨漢な男が相当気を悪くしたのか、列を崩して襲いかかる。

 

「はっ!ニュービーが俺達の相手をするだぁ…なめてんじゃねぇぞ!!クソガキ!!」

 

十人のサラマンダーで一番巨漢の男による怒鳴り声が後方にいた味方も威圧させる。そのプレイヤーは興奮していたのか、自分の身体に鋭利な剣特有の熱い熱に襲われて腹部からぱっくりと口を開くまで時間がかかった。まだ離れていない意識から見た短刀の男も、ついさっきまで握り締めていた大剣が胸に突き刺さっている。そんな結論を導いた瞬間、飛行能力を失っていることすら気付かないプレイヤーは地に叩きつけられて絶命した。

 

「あのプレイヤー、芸者のような動きが出来るのね」

「シノンにはどう見えたの?あたしには何が起こったのかすら分からなかったけど」

 

早口で言うクロービアに、シノンは冷静に分析していた。

 

「あいつは普通に二回の攻撃でプレイヤーを倒した。武器を持った手を落としてから、とどめをさした…その後、相手の武器が消える前に柄を蹴り上げてもう一人のプレイヤーに攻撃したの」

「それを平然とやってのけている。妙に戦い慣れた動きをしやがるねぇ」

 

フカ次郎もユズルの戦いにランランとした表情をし、左肩に『キングボア』を担ぎ上げたまま答える。これから、サラマンダーの集団との戦闘が始まる。そう思った瞬間に、別の声が割り込まれた。

 

「おーい!!」

 

地上から上昇して現れた赤い日本風の鎧を着たプレイヤーが集団の間に入り込む。右腰に日本刀を差し、左腰に短刀を手にしている。サラマンダーにしては小柄な武装をしていた。

 

「すまねぇ、その勝負待ってくれ!」

「新人のクラインじゃねぇか。誰の許可があって勝負を止めた?」

 

サラマンダーのプレイヤーはしかめ面をした。

 

「いやいや、それが俺個人のことでな」

「何!?新人の分際で勝手なことをするな!」

「おう、それは悪かった――な」

 

言い切る前にクラインは鞘から日本刀を抜き取ると、薪でも切り落とすかの勢いで他のサラマンダーを斬りつける。鎧に弾かれる金属音が響き渡り、あっけなくポリゴンとなって消えた。残ったサラマンダーの一人が、怒りに顔を赤く染める。

 

「クライン貴様、気でも狂ったのか!仲間を襲って生きられると思うなよ!!」

「俺は一度でもお前らを仲間や人と思ったことはねぇぞ」

 

クラインが口をはさむ。だが、何か哀れむような目でプレイヤーを見ていた。

 

「サラマンダーの俺達を侮辱するのか!!」

「テメェらに人の感情があるのかよ!!新人を嬲って遊ぶ。男なら泣き叫ぶまで攻撃するわ、女なら動けなくしてから犯しやがる!そんな奴らの仲間ならこっちから願い下げだ!!!」

 

恫喝した声に後ろで萎縮していたプレイヤーの一人は蒼白してしまう。事実を言われた怒りか、種族を侮蔑されたからか。派手な装備をしたリーダー格のサラマンダーを逆上させた。

 

「もう、許さん!!テメェら、ぶっ殺してやれ!!」

 

萎縮して戦意を無くしたプレイヤーを他所に、サラマンダー達はクラインとユズルに向けて無差別に大刀や斧を掲げる。殺意を跳ね除けながら剣を交差させる二人が背中を合わせれば、ユズルは背後から声をあげる。

 

「クライン――いや、兄貴!!後ろは預けたよ!」

「――ッ!!背中は任せたぜ!」

 

ただの一言に新人の二人の面相は――絶望でも動揺でもなく、うっすらと笑みを浮かべた。二人は剣の構えを大きく右に傾け、左方の隙を無視する。

 

――今の僕(俺)には頼もしい片腕がある。

 

魔法と剣風が荒れ狂う戦いの火ぶたは切って落とされた。

 




 抗うつ剤が少しずつ効いているのですが、まだ上手く気分や体調をコントロールできていない日々を過ごしています。


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10話 ラブストーリーは突然に

何時の間にか、この小説に色のバーが付きました!
これからもお付き合いのほどよろしくお願いします!(^^)!


 ユズルとクラインによる義兄弟の連携は、サラマンダーの集団を蹂躙したままの戦闘を続いていた。むしろ二人は小手調べをして相手の力量を測り終えてからは、プレイヤーの弱点を突き始めてからと言ってもいい。

 プレイヤーを一人で円形に囲むサラマンダーの集団を活かした人海戦術も、彼らからすれば、誰かの戦術を真似ただけの付け焼刃の陣形を成していた。戦術考案を得意とするクラインの指示なら、十人のプレイヤーを二人一組による円形陣を形成し、攻撃を受けるプレイヤーと攻撃をするプレイヤーで着実に対象者を追い詰めていただろう。だがリーダー格のサラマンダーは自分の思い通りに動かないプレイヤーに苛立ちを募らせ、上手く行かなければ怒鳴り散らすだけであった。

 

「テメェらふざけてんじゃねぇぞ!!ニュビー相手に負けてんじゃねぇ!暴れる以外に脳もねぇ馬鹿が!!!」

 

誰にともなくプレイヤーに向けて、大音声を張り上げた。クラインとユズルは揃って怪訝な顔をしている。

 

「ねぇ、兄貴」

「あぁ?」

 

手首の関節を捻り、相手の斧を奪った勢いで右翼に襲ってきたプレイヤーに振り下ろして剣ごとプレイヤーを切り抜ける。武器を持たなくなったプレイヤーも予備の装備を出すのを手間取っている間に、クラインの日本刀に斬りつけられてポリゴンと化す。眼前の敵を倒すだけだが、二人の構えが崩れることはない。

 

「世の中、どこへ行っても変わらないね。いくら場所を変えてもああいう奴がリーダーやっているんだからさ。周りもアイツみたいになっているんだから――ままならないよ!」

 

襲ってくるプレイヤーの言動もリーダー格のプレイヤーに似ており、これが受け継がれて他の人も似た思考に同化する。仲間の得意点を活かさないやり方に、ユズルは落ち着いた口調で言った。しかも、この乱戦のさなかでの会話。二人、三人の猛攻にも軽くあしらってしまい、敵の武器を奪いながら片手で倒していた。

 

「ユズの字!オメェ、人を教える立場だったか?そりゃ、相手が気の毒だぜ!」

「背後から切られたいの?これでも指導する立場だったよ」

 

彼も『風林火山』のギルドマスターである以上、常にどっしりとした意思を心がけている。戦わずに監視のみで達観する指導者など置物と大して変わらない。いや、ただの害虫である。クラインはぶっきらぼうに言い、ユズルと視線を交差させた。

背後に大きな隙を作ったユズルに目掛けて、敵はソードスキルを発動させるもクラインの突進攻撃に耐え切れず、日本刀の冷たさを胃に味わう。プレイヤーはそんなクラインのがら空きな背後に呪文を唱えるが、彼の死角に隠れていたユズルの接近に間に合わずに絶命する。

 

「へぇ…新人なのにここまで戦闘ダメージもない。クラインとユズルか…強いわね。一度、戦ってみたいわ」

 

静かに吐息をつくと、シノンは二人の動きに焦点を絞り、心を落ち着けて弓に手を添えながら魅入った。遠距離支援をする必要もない以上、シノンにとって二人の息の合った連携に横槍を入れる者を何時でも射抜く準備だけはしておいた。ともあれ、この戦いに心地よさを感じていたのは明白であったが。

 

「チッ!使えねぇ…俺がぶった切ってやる!!!」

 

 鼠色に光る大刀に全身に光るウール製の鎧。リーダー格のサラマンダーこそ、装備は一流品ではあるも、彼自身は一流とは程遠い実力だ。全ての武器や防具は大量の課金によって手に入れた物であり、強さは装備のステータスで補われていた。

 これまで何を見てきたのかと、いっそ愚直に捉えられる一直線の突きこみ。ユズルの曲芸じみた戦い方やクラインの太刀筋も、警戒すら放棄した無策の刺突である。

 

「どこまでもダメな人だ。目先しか考えてない…弱すぎる」

 

歯噛みしながらもユズルは、冷静に、脳裏であの装甲をいなして、初期装備でも一撃で倒す算段を、実現可能な形に並び替えていく。

 

「残りはアイツだけだな。最後はユズの字に任せるぜ」

 

先に動いたのはクラインだった。課金で手に入れた大刀と日本刀で打ち合えば耐久値の差で折れるのを免れない――そう見たクラインは、ただの打ち合いに応じる気はなく、攻撃に合わせて日本刀を押し込み、彼の大刀を弾いてバランスを崩す。わずかな隙を目ざとく見据えて足のくるぶしを切り落とす。

 

「がぁああ!!――おぉ、お」

 

 開いた口にすかさずユズルは片手剣を縦に突っ込ませる。喉から背中に刺した剣先は片手越しでも、鎧の固さが伝わるだけで鎧ごと貫通はしていない。突き刺したままの剣先を放曲線を描くように切り抜き、プレイヤーの背中を開く。頭骨から両目と鼻と口を左右に切り離して男の叫ぶ瞬間を与えない。ドロリと溶けた皮膚と骨に大量のポリゴンを勢いよく流れ出し、体格の合わなくなった鎧は落下していく。プレイヤーもまた、背中を斬られて羽も離れてしまい、飛行能力を失った身体は、地に落ち、美しい死の花火を咲かせた。

 

「よし…さて…と。そこの君は、僕達と戦いたい?」

 

戦闘に参加していなかった青白い顔をしたプレイヤーに、戦闘の余熱を感じたまま、あくまでも穏やかにユズルは言う。が、その眉間には鋭い眼光を秘めていた。

 

「遠慮しておこう。もうすぐ魔法スキルがカンストするんだ…デスペナルティが惜しい」

 

伏し目がちに言う。クラインの方へ飛んでいきながら、プレイヤーは、引き攣った笑顔を見せる。

 

「クライン、俺はこいつらがそんな事をするとは知らなかった。ただ、初めてメンバーに誘われたのが嬉しくて付いてきただけだったんだ…気づかせてくれて、ありがとな」

 

 落ち込んだ様子でフラフラと身体を揺らしながら飛行するプレイヤーを、ユズルは寂しげに見送った。独りになりたくないから付いてきたプレイヤーはただの被害者であって、深追いしてまで仕留めるつもりはない。

 

 

「これで邪魔はいなくなったな。それはそうと…ユズの字ィ~会いたかったぜ!!」

「そ、そんなに喜ばれると嬉しいよ」

 

クラインはユズルの方に向き直り、ユズルの両肩に手を置き、そのまま引き寄せた。いきなり抱き着かれたユズルは、手を伸ばして、顔を近づけてくるクラインを遠ざける。

 

「たりめぇだ!ラーメン屋で話していただろ…ソードアート・オンラインはまだ終わらないって…偶然だが会えて良かったぜ!!」

 

 広大なオンラインゲームの空間で、また義兄弟に会えた喜びを分かち合う。本来では廻り合うことも、たとえ会えたとしても本人かは分からない。そこには確かな絆があったからこそ、離れ離れになっても廻り合えた。クラインでさえも悦ぶ…ユナならどうなのだろうか。

 とりとめとなく思考をしていると、いつの間にかクラインは救助したプレイヤーの前で畏まっていた。

 

「さて、お嬢さん方。お怪我はありませんでしたか?」

「何だ、その喋り方?」

 

紳士な言葉遣いにしては、赤い甲冑の鎧に日本刀をぶら下げた若武者の恰好とつり合っていない。

 

「えぇ、別に何ともないわ」

「いやぁ~危なかったぜ!危うくハチの巣になるところだったねぇ」

 

シノンは仏頂面で言い、フカ次郎はケタケタと笑った。

 

――あれ…よく見ると、結構なイケメンだな

 

 初対面でも「結婚しない?」と気さくにフカは言うのだが、この時は上手く言えなかった。元々お金を持っている人や顔の整っている男性を好む、言い換えれば男性の何かに惹かれて手を付けることが多い。実直にクラインの容姿や実力はフカ次郎の好みとかけ離れていても、どこかときめきを感じていた。

 

「それじゃ、あたしっちはこの辺で…」

 

陽気さで誤魔化すよりも気恥ずかしさが勝り、その場を離れようとするフカ次郎。そんな彼女を不審に思うも、シノンは付いていく。だが、クラインは背後から呼び止める。

 

「あぁ、ちょっと待ってくれ!」

「え、何だよ」

 

フカ次郎は、急に下降するクラインが何をしたいか分からない不思議そうな顔をするも、肩に担ぐ生き物の姿に頭をかきむしる仕草を寸前で止め、手を添えるだけにとどめた。

 

「猪、落としましたよ」

 

古くから使われてきたモテる術であり、あえて相手の目の前で物を落としたり、相手が落としたものを拾ってあげる、という手法だ。恋愛小説に「ハンカチ、落としましたよ」の言い方はハンカチを落とした人に声をかけたり、逆に自分からハンカチを落として、気を引きたい相手に話しかけてもらうという作戦は古典にして王道である。

 

「お、これはどうも…」

 

ぼそりと漏らしたフカの呟きは、間近のクラインにしか聞こえないものであった。巨大な『キングボア』に、フカ次郎は武器を仕舞ってから手を伸ばし、無自覚でクラインの手に触れれば、二人にひと際強い脈拍が打たれた。

 

(何だ、この人…近くで見るとすげぇカワイイな)

(何だ、この人…すげぇイケメンじゃねぇか)

 

傍にいたシノンは、伏し目がちにクラインを見るフカ次郎の眼に、普段の男にするアプローチをしない物珍しい感情を込めているような感性を懐いた。そして視点を変えれば、フカ次郎は彼に一目ぼれをしたこととなる。男女が恋に落ちる一種のラブシーンだ。

 

「フカにも春が来たのかしら」

「新しい青春の始まりだねぇ」

 

感情深く見守るシノンとユズル。これまで彼女が出来ないことを嘆いていたクライン。アプローチをしても男運の無さで報われなかったフカ次郎。事情を知る二人はほろりと涙を浮かべていた。

 

「なにこれ…」

 

取り残されたクロービスは声をかけにくい雰囲気に、メニュー画面からランに救出が成功したメールを送信してから、呼ぶこととした。

 

 

 ウンディーネ領の、森の外れにある、スリーピング・ナイツの隠れ家は、場所を知らなければ素通りしてしまうほど森と同化している。クラインとユズル、それにフカ次郎とシノンはクロービスに招待を受けて来ていた。

 リビングに設置されたキッチンにはコックの帽子を被ったユズルが『キングボア』を解体して、それぞれの部位に切り分けていた。クラインも自己紹介を終えてから、調理を手伝っている。フカ次郎から助けてもらったお礼に『キングボア』をご馳走してくれると。

 

「そういやぁ、もうアイテムストレージは確認したか?」

「いや、まだだよ。それがどうかしたの?」

「ここに初めてログインした時によ、アイテムがバグってるのがあってな。置いとくと運営に通報されても面倒で削除したんだよ」

 

 ここに来てからは、シウネーと出会うも、メニュー画面を開く余裕のなかったユズルは、アイテム画面のあちこちにモザイクのある物体を見つけた。

 

「僕のもあるな…思い出深いものもあるけど、運営にアカウントを削除されるくらいなら…割り切って消した方がいいか」

 

ユズルは、落ち込みそうになるのを堪えながら、画面を操作した。落ち着いてから、クラインのある疑問を質問する。

 

「そういえば、兄貴はどうしてこのゲームが僕の探しているゲームと気付けたの?」

「あれから、カル―やオブトラ達と手分けしてゲームにログインしてな。このゲームだけ、ソードアート・オンラインのデータが引き継がれていてよ。ステータスはそのままで、コルはユルドの単位で変わっていたんだぜ。それで、もしやと思ったんだよ」

「なるほどね」

 

ユズルはうなづいた。

 

(それで、サラマンダーに対抗できたのか。でも兄貴の説明なら『幻影』や『幻影のローブ』がバグらないのは気になるな)

 

 装備アイテムの『幻影のローブ』がバグらないのは、たまたまなのか。それでも、スキル『幻影』は説明できない。いくらアルヴヘルム・オンラインがコピーされたゲームとはいえ、キリトの『二刀流』と同格のスキルが使えているのはおかしい。根拠ない連想は疲れてしまう為、ユズルは気持ちを食事に切り替えた。

 

「それじゃ、もうすぐ出来るから先に座って待ってて」

「おう。しかし、『キングボア』か。レア食材だから楽しみだぜ」

 

 リビングに戻ったクラインは、持ち前の気さくな態度でスリーピング・ナイツのメンバーと打ち解けていく。シノンも少し気後れしていたが、シウネーやランとゆったりとした会話をしていた。クラインと入れ違いに入ってきたフカ次郎は調理した『キングボア』の料理――まずは前菜のローストビーフを運ぶ。

 

「あの…助けてもらったお礼に、この『キングボア』を沢山食べて下さい」

 

熱っぽい視線と丁寧な言葉づかいで、クラインに向けて話しかける。好意がバレバレであり、裏の読み合いや探り合いのない直球勝負。差し出された皿は、クラインの手に触れる前に――スリーピング・ナイツのメンバーに取られてしまった。

 

「…て、お前たちのじゃねぇぞ!」

「いや、これはあれですよ。急な連絡に応えた報酬みたいだから。味見ですから」

 

と早口にご飯と肉を乗せて食べるラン。

 

「そうそう、しっかり焼けてるかどうかの味見だからね」

 

クロービスも便乗して肉をかきこむ。

 

「あ!フカ次郎、ご飯おかわり!!」

 

ちゃっかり大盛りのご飯を食べ終えたユウキは、お椀を突きだす。

 

「――って、がっつりしっかり食べてんじゃねえか!」

「おかわりもしてるわね」

 

フカ次郎が叫び、シノンは苦笑しながら空のお椀に山盛りになったご飯をしゃもじで叩いて形を作る。食事と言うには慌ただしく、早食い対決にしては競争をしてる様子はない。ただ、人よりも肉を多く食べる戦場と化していた。

 

「何言ってるの。ここの他にもバラにロースにカルビやムネにタンも味見させてもらうわ」

「全部食う気じゃねぇか!!あとそこのサラマンダー、マヨネーズかけんな!キングボアに失礼だろ」

 

高級食材にマヨネーズをかける暴挙じみた行動に、フカ次郎は鋭く指摘する。

 

「何が失礼だ、味が薄いんだよ。油とマヨネーズの相性は最高なんだ。脂身の肉にマヨネーズを付けないなんてな――水の呼吸が使えない村田さんだ!」

「それは違うよジュン…村田さんは水流が薄すぎて見えないだけだよ」

 

適度な冗談に、ユウキのツッコミが入る。その後も次々にユズルは肉料理を作り上げてリビングに用意していき、ちょうどシノンとランの座っている前に置いていく。

 

「ありがとう、ユズルさん。あなたの分も、料理を分けておきますね」

「ありがとうございます、ランさん」

 

うっすらと浮かべた微笑みに、ランも笑みを返す。

 

「時代は移り変わってんだよ。話題の漫画、読め!!」

「元気になったら読んでやるよ!!」

 

ジュンとフカ次郎による漫画の話に、ユウキやクラインも混ざる。これ以降、スリーピング・ナイツとは協力し合える関係となった。食事や奇妙な体験が人の縁を作り上げるのは本当の話だ。互いを理解せずに素性の分からない人同士が心を通わせているのだから。

 

 

 この時間は腰を落ち着けてリラックスしていた。故に、ユズルは懊悩(おうのう)を繰り返し、ユナとの日々を思い起こしては溜息をついた。これからやる目的の一つに、アルヴヘルムに訪れるであろうユナに「自分はここにいる」とメッセージを伝えなければならない。それも、運営には正体を隠しながらだ。何もしなければ、いるかもわからない暗闇を永遠に歩ませてしまう。これは、人の命を弄んでいる事件なのだ。なればこそ、彼女に不安の道を歩ませる恐怖を味あわせることはしたくない。

 

だが、どうすれば――?

 

親睦を深める食事の中、一人で悶々と考えているユズルは、どうにも浮いていた。犯人に居場所を伝えるリスクは高いが、こうして大胆に行動を起こしたがるのも、彼女のことが絡んでいるからに違いない。守るだけでなく、こちらからも攻める。それを思うとユズルは、事件の恐怖に打ち勝てる気がした。

 




新たなカップリング『クライン×フカ次郎』でした。
小説を読んでいると、何かお似合いだナ、と思った次第です。

次回もお楽しみください!!


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11話 仄暗い呪い

2025年1月10日

 

時期の変わり目は、人にも変化をもたらしてくれる。大学に依頼されて教授をしている徹大も、他の大学講座を受け持ったことである。葛城道場に訪れ、数週間、柚季の行方不明で意気消沈していただけに急な話であった。悠那はまた葛城道場に行きたかったが、ただ気晴らしにいくだけでは迷惑であろうし、徹大から、最近帰りが遅いな、と小言もあって、習い事以外は家で過ごしていた。

 

 ここ数日は、音楽の習い事の気晴らしに寄り道をしている言い訳をしていただけに、流石に他の理由を疑っているのかな。いずれにせよ、父親に嘘をついて騙しているのを思っていても、最初ほど抵抗はしなくなった。幸い、徹大の仕事が忙しくなってきたから、特に深く追及されることはないが、柚季との関係は、いよいよ後戻りできないところまで進んでいた。

 

男女の関係は月日を過ごす時間から徐々に深まるというより、一つの出来事から段階を踏んで深まっている気がする。例えば、ソードアート・オンラインで結婚してからは、協力し合いながら生活し、シリカの案から幻影のローブで密かにデートスポットに行き、ファンの眼を欺いてお互いの體を慰め合った。大胆に、そして世間から恋愛をしてはならない風潮を欺きながら求める度に、二人の関係は離れがたいものになっていく。そして現在、さらに関係を深めるきっかけになったのは、数週間前に、葛城道場に行き、柚季の現状を知ったからに過ぎない。

 

(なんでだろうなぁ。安否がはっきりしただけで色々不安になるよ。それらしいゲームも分かってきたから事件に関しては焦る必要はないのに…早く会いたいと願いたくなる…)

 

悠那はそのことが気掛かりで夜も眠れなかったが、幾ばくか表面を保てていた。夕飯は朝も早い父親にも食べやすいシチューの下ごしらえをしていた最中、背後から「ちょっと、いいか」という言葉とともに、徹大の言葉の矢を向けられた。

 

「最近になって夜にゲーム屋に行っているそうだな」

「ぅ…うん。ちょっと気になったことがあって」

「気になる?あんな目に遭ったというのに…何を気にするんだ」

 

静かな問いかけにも威圧感を隠しきれていない徹大を、悠那は脳天を打たれたような衝撃を受けた。父親は研究ばかりに没頭し、世間からも電子工学の第一人者と呼ばれる人物であるが、研究肌で冷淡なところがあり、娘はおろか他人という『心』に関心を寄せるには、あまり長けているとはいえない。目を合わせたまま、悠那は感情の混じらぬ声で話す。

 

「パパは私があの世界でなんて呼ばれていたか知ってる?」

「あぁ」

 

ほんの一言を添え、

 

「悠那は知っていると思うが、お参りの時に会った須郷からな。あれから偶に相談に乗っている時にな…彼から聞いたよ。あのゲームで歌を唄い、プレイヤーの『希望』になった歌姫…そう言われていた」

「それって私に話してもよかったの?須郷さんの相談事を」

「仕事とは無関係の話だからいいんだ。それで歌姫というの――」

「言わなくても分かってる」

 

感情を押し殺してそう言うと、沸騰したシチューをかき混ぜて、落ち着いた視線を徹大に投げ返す。

 

「それ、私のことだよ。歌姫って呼ばれていたのは私だけだったから」

「なぜ、ゲーム屋に行ってるんだ。二年間も閉じ込められていたのを忘れたのか」

「そうじゃないよ。歌の練習をしたくて、現実に近いゲームなら習い事のテクニックを身に付けやすいからソフトを探してるだけだよ」

「それは本当の話か?」

「嘘を言ってもしょうがないでしょ。パパ」

 

二人分のシチューをテーブルに並べた悠那は淡々としていた。だが、実を言えば、徹大も死のゲームとして社会に注目されていたソードアート・オンラインで有名人となった娘に半ば嬉しさと半ば誇りを感じていた。教え子の須郷から、その話を聞いただけであり、ゲーム自体を禁止させる筋合いは通らない。

 

「悠那…間違っても馬鹿な真似はしないでくれ。私は二年間、悠那を失う気持ちと教え子を恨む気持ちの板挟みになっていた。ゲームが終わって悠那と晶彦が生きているのが分かってどれほど嬉しかったか」

「分かったよ――それじゃ、いただきます」

 

両手を合わせて合図をすれば、やや遅れて「いただきます」の返事が返ってくる。いつもと同じ風景。色彩の鮮やかな食事に仲の良い家族。だが、満たされた生活にも心に空いた空虚さを埋められなかった。

 

(もう楽譜起こしもボイストレーニングも先生のお墨付きで上達している。正直な話…プロの道も薦められているのよね。いくら充実した生活でも、今の私はあなたがいないと不安になるの)

 

シチューをかき込みながら悠那は微かに微笑むも、彼女の横顔は少し寂しげだった。

 

(気持ちの整理って難しい…あの人自身とは心で結ばれたい。一緒にいること事態に意味があるんだから)

 

 

2025年1月13日

 

東京の神戸市にある昼間の街はスーツを着た男性が歩きながら携帯電話で難しい会話をする人に、外食に出た母親の世間話をする女性達は新鮮な風景だった。十八歳の女子高生の普段なら、平日は学校の箱庭で同年代の学生と食事をしていただろう。

ダウンロードした話題の音楽を選ぼうと、ボタンをクルクルと回しながら、快晴の空の陽を抜けて約束をした喫茶店に行くと、先に待ち人の結城彰三が待っていた。

 

「先に来て待っていたよ。もう食事は済ませたかな?」

「いえ。まだですから、お話を終えた後に食べていきます」

 

悠那は彰三と向き合う様に座ると、軽く裾を伸ばして姿勢を伸ばす。

 

「気を遣わなくていい。わざわざ来てもらったからね」

 

彰三はそう言い、定員にアフターヌーンティーセットを指差した。一段にトマトレタスのサンドイッチに二段のマフィンは明るい色彩を描き、三段目はショートケーキのある写真を小突いて注文する。

 

「それで、明日奈のことを聞いてもいいかな」

 

彰三が尋ねると、悠那は浅く呼吸をしてから、

 

「あのゲームで私の知るアスナさんの話でしたね」

 

結城彰三はレクトのCEO――「Chief(長)」「Executive(管理)」「Officer(役員)」の略で最高経営責任者の立場にある。

 取締役会の委託を受けて組織の経営方針の決定や事業戦略の政策に責任を持つ人は、必然的に仕事ばかりになってしまうが、娘の話を聞きたいだけで時間を割くのは社長としてはともかく、父親としては家族想いな気もあったので、悪い人より不器用な人に近かった。

 

「明日奈は元々兄妹の娘だった。明日奈が幼い頃から仕事に忙しくて普段から家に帰らない私が帰ってくると、「いってらっしゃい」より「ばいばい」で見送られることが多かったよ」

「似たようなものですよ。パパは研究室で仕事ばかりでしたから。それでも研究をしているパパは好きだから、私はよく歯ブラシや着替えを持って行ったりしてましたよ」

 

 悠那は幼稚園の頃にパパの研究所に届け物をしていたのを思い出していると、明日奈のお父さんは昔からとんぼ返りで家に帰っていた生活を思い浮かべていた。そういえば、私も幼少期は母のいる他人の生活を比べて寂しい想いを隠していた。明日奈はどうだったのだろうか。言葉を交わすうちに、彰三は

 

「私も家族には安定した暮らしをさせたくて、必死に働いたよ。でも、仕事が順調になりすぎたんだ」

「順調になりすぎた?――どういうことです?」

 

彰三はまごついている。

 

「まだ前例のないVRゲームの作品開発を委託されてからだね。軌道に乗り始めた私は仕事に没頭するあまりに、家族と関わらなくなってしまったんだ。家庭を優先するよりも仕事に愛情を向けてしまってね」

「家族の為にお金を稼ごうと頑張ってたのに、責任ある立場をこなそうとするうちに家族との時間が取れなくなったんですね」

 

近くにあったグラスに視線を向ける悠那を他所に、彰三は少しだけ水を飲む。急にまとめて会話を止めた彼女の真意は、自分の愚痴を聞けなくなったという意味か、それとも似た出来事を体験して分かってくれたという意味か、彰三は踏み込んで言う。

 

「私が仕事にのめり込んだあまりに、家庭のバランスは崩れてしまった。妻は子ども達に過剰なプレッシャーを与えてしまってね。明日奈はずっと張り詰めていたのを、私は見て見ぬフリをしていたんだよ」

「……」

 

何も言わずに、彼の言霊を読んでいく。急に語る彼は一番の真意を上手く伝えられずにいる。真剣なおもむきで頷いてくれる彼女に、言葉を紡ぐ。

 

「あの子はいい子だったが、いい子になりすぎていた。常に成績をよくしよう、親の期待に応えようと自分に言い聞かせてきていたんだ。家庭は妻に任せっきりにしていたのを、今なら後悔してるよ」

 

目を伏せつつも、組んだ親指を交差させて落ち着いた様子ではない。微かに震える手を抑えず、思い詰めた様な表情をしていた。社長や父親の立場を捨てた一人の男性に悠那は、あぁそうか、と思った。

 

――この人も…アスナも…言い聞かせてきたんだろう。周りの期待に応えようと頑張ってきたのだろう。自分にも…家族にも…呪いのように。

 

「アスナさんと似ていますね。本当に誰も欠けずに生還しようと睡眠時間を削って皆の訓練に付き合ったりしてました。他のギルドと話し合いにも、積極的に関わっていましたよ」

 

ずっと靄のかかっていたアスナの言動には大分に危うさを含んでいた。それはどういう意味なのか、分からないまま、悠那は改めて彼女のことを考える。ソードアート・オンラインのアスナに『危うさ』を分かっていても、言葉や文字で表現できなかった。アスナは剣でノーチラスを鞘と例えて危うさを払拭した彼女こそ、私の知る真のアスナだ。

 自己犠牲に酔いしれて自分の要領以上に活動しようとする人の危うさは、今の彰三とアスナとよく似ている。彼女の場合、自分の理想に向かって行動はしていたが、高すぎる理想を一人で解決しようと気持ちを追い詰めて動く。悠那はアスナから感じた心の不安定さの一端を見据えていた。それに気づけば当然、他の疑問も浮かび上がってくる。

 

 

「…明日奈さんはどうしてゲームに興味を持ちました?あの時のオーグマーは高級品でよほどゲームが好きでなければ買わない様なものでしたよ」

 

親の視線や期待の重圧に耐えられたとしても、幼さの残る明日奈の年齢はうる覚えで中学生あたりだ。高校受験も控えている年を思えば、両親の言う重圧とやらは相当なものとなるだろう。そこからゲーム屋でオーグマーを抱えてレジまで持って行く明日奈のイメージが合わなかった。

 

「それは明日奈がクラスメイトの子とゲームで友達になってから興味を持ち始めたんだ。名前はたしか…兎沢深澄(とざわみすみ)君と言ったかな?彼女と関わってからあの子は学校でも明るい顔をする様になったそうなんだ」

 

彼は明るい声で言った。

 

「その子にソードアート・オンラインを薦められてね。兄に頼み込んで、オーグマーを借りた明日奈を…実は嬉しかったんだ。あの子が自分の意思でなにかをしたいと言ったのは初めて聞いたからね」

 

それだけ言い、改めて大きく息を吐く。

 

「まぁ…この話を聞いたのも、明日奈がゲームに閉じ込められていた後だったんだがね。取り返しの付かない所まで来て…ようやく初心を振り返れたんだ」

 

悠那は顔をしかめないようにし、彰三は、少し喋りすぎたことを笑いで誤魔化せまいとした。右腕にはめた腕時計を一瞥すれば、時刻は午後の一時半を指していた。話しながら食べたアフターヌーンティーも三段目のケーキに差し掛かり、それは話を聞いてくれた彼女に食べさせるつもりで席を立つ。

 

「さて…そろそろ私は仕事に戻るとしよう。今日は明日奈のことを色々話してくれてありがとう」

「いえいえ、私もいい話を聞けて良かったです」

「ちなみに、君はゲームに興味があるのかな?」

「はい。なるべく現実世界に近いゲームに興味があって…それを探してゲーム屋に行ってもなかなか無くて」

 

※嘘である。彼女は事件に興味があり、柚季の行方を追っているのである。ここ数週間における聞き込みで彼女はゲームの候補を絞れていた。そのうちの一つであるALO――『アルヴヘルム・オンライン』を疑っている。おおよそハッキングされただろう時期やサービスを稼働した日は偶然にも一致していたからだ。

 

「もし、良ければレクトで運営しているALOの見学はできないでしょうか?ご迷惑に思いますが、一番に人気のあるゲームの裏側を見てみたくて」

「本当なら関係者以外は立ち入り禁止ではあるが…まぁ、取材という形で許可を取ってみよう。当日はしっかりした服装で頼むね」

「ありがとうございます。彰三さん」

 

彰三はお礼の意味で承諾をして連絡先を交換してからお店のドアを開いて姿を消す。悠那は固い椅子に背もたれ、冷めた紅茶を飲み、ある意味一つの目的を達成した至福を感じていた。

 

(これで一歩、事件に近づけるかな。ALOの裏側…運営の状況を知れれば、柚季と合流した時に役に立つ。だけど…う~、ただ事件だけを解決するだけだと、犯人だけじゃなくて飛び火して彰三さんが責任を負いかねないのよねぇ)

 

これだけ責任感を増幅させやすい人が殺人ゲームをコピーしたゲームを運営していたとなれば、マスコミに責め立てれば社長責任として辞職してしまう可能性がある。たとえ事件を解決したとしても爪痕を残せば、柚季だけでなくソードアート・オンラインの帰還者に差別を与えることと成り得た。

 

(あくまでも私の狙いは人の命を弄んだ犯人だけ。それだけに狙いを定める方法を考えなきゃ!!)

 



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12話 まどいの座談会

 キングボアのフルコースを堪能したメンバーは満腹感の柔和さから、フカ次郎とシノンに情報交換を提案した。彼女らもこの返事に承諾したのは、ただの気まぐれでもない。ここ数か月前から『アルブヘルム・オンライン』のバグを目立たせることの多いタンケンの提案から、他のプレイヤーからの意見を聞きたかったのが始まりだ。

 

「最近はそうね。モンスターが賢すぎるのよ。奇襲や集団戦法…体力の少ないプレイヤーを優先して攻撃してくるのよ」

「始めは違和感なかったよな。弱ってんのを優先するのは、シノンと一緒に遠距離攻撃をする時に気付いたんだよな」

「ほぼアンタが死にかけて接近戦を避けただけよね。そのお蔭で気付けたけど」

「それを言うなよ。途中から「おとり作戦よ」って、モンスターに狙わせて自分だけラックを横取りしてたじゃねぇいか」

 

恨めしそうに上目遣いをするフカ次郎をシノンにはうっとおしかった。女性同士で上目遣いのあざとい仕草をしても、自分は可愛いとアピールするだけであり、それを同性にすれば怒らせるのみである。

 

「それは言葉の綾よ。あの場面で最適で効率的な戦術をしただけ…フカは立派に勤めを果たしてくれたわ。あなたが星になっても、数分は忘れられない活躍だったから」

「…おーい。だれかこの化け猫にマタタビぶっかけてくれぇ~」

 

暴力の矢にフカ次郎は素早く反応し、哀願の叫びをぶつける。古参プレイヤーの暖かみあるやり取りの中、紫髪にスラリとした身体をより強調させたへそ出しタイツの女性が悪戯を思い付いた顔をしていた。

 

「おいおい。それじゃ、この子は動じないわよ。マタタビよりもいい方法が私にはあるわ」

「ノリさん、いい方法ですか?このままでもいいような気もしますが」

「十分に仲もいいけどねシウネー。もっと仲良くなりたかったら多少のからかいも必要なんだからさ」

 

ひらひらと手を振りながら臆することなくフカ次郎に近づくノリをシウネーは心配するも、どこか面白がる様子で見守った。

 

「この子は素直になれない天邪鬼な子と思うといいわ。相手の言ったきつい言葉を逆に翻訳できれば、かなり可愛い子になるからね」

「あ!僕、それ知ってる。最近は『ツンデレ』ってやつだよね」

「誰がツンデレよ」

 

ユウキの混じり気のない爛々とした口調にシノンは言う。

 

「それは違うぜ。ツンデレにしちゃ、氷の様にクールな奴だからな。こういうのは『クーデレ』ってやつなんだよ」

「……」

 

手早く取り出した弦を引き、張り詰めた右手の矢をフカ次郎の額に定める。

 

「おーい。無言で狙撃準備して狙いを定めるなーやめてくれぃ」

 

両手を前に広げて抑える仕草をするフカ次郎。あくまでも顔はポーカーフェイスを装い、急所を狙うシノン。硬直状態になった間にランの低い声がわり込み、二人の緊張はランに注がれる。

 

「皆さんに聞きたいことがあります。ユウキに変な言葉を教えたのは誰です?」

「ジュン君ですね」

「ジュンかも」

「それは俺が教えたな」

 

シウネーとノリはサラマンダー種族のプレイヤー名『ジュン』をさらりと指摘し、当の本人は腕を組んで胸を張る。

 

「どうしてジュンは自慢げに答えてますか!」

 

詫びる様子もないメンバーの態度にランは苛立たせた。

 

「でも過保護なのは良くないぞ」

「ランは真面目すぎるかな。リラックスした方がいいわよ」

 

ジュンとノリのアドバイスにも関わらず、ランのとびきりの笑顔は崩れない。他と比べても美少女と呼ばれ、領地を歩けば十人中八人は振り返る少女の『憤怒』を溜めこんでいる様子は、人を怯えさせる凄みがあった。

 

「私が過保護ですか…それは言い過ぎです。姉として妹の心配をしているだけですよ」

「五十歩百歩だな」

 

開閉した口から本音を漏らした二本のペイント線の目立つノームこと『テッチ』は、わざと皮肉に言い、顔の下半身をひん曲げる。

 

「何か言いましたか?」

「何も言ってないぞ」

 

テッチはスリービングナイツで巨体な体格を活かした盾役を担う。しかし、鉄壁を誇る彼も男性であり、異性の、それも美少女に冷たく睨まれて気分をよくするほど、ねじ曲がってはいない。顔を背け、窓を覗きこむ小鳥を眺めてやり過ごした。

 

「あなたたちは姉妹でゲームをしているのね。随分と仲がいいけど、それってどんな感じなの?」

「どんな感じと言われると迷ってしまいますね」

「僕はすっごく楽しいよ!お姉ちゃんは強いし、いつでも優しくて僕の自慢のお姉ちゃんなんだ!!」

 

ユウキの褒め言葉に頬を抑えるランをスリーピングナイツのメンバーは見逃さない。リーダーの機嫌を転換するチャンスをゲーマーの彼らは執拗に狙う。女性の気分を良くできる必殺技――褒め殺しだ。

 

「わ、私も…リーダーが…ランさんが、誘ってくれたから…皆といれるから…嬉しいです」

「俺もここがとても好きでリーダーには感謝してます」

「あたしもよく話しかけてくれるリーダーは好きだな」

「俺もだ!戦術も的確で戦闘も強い。ギルドマスターの鏡だな」

「ひぅぅ…」

 

ついに顔を抑えるまでに辱しめた事実に、ランの見えない所でアイコンタクトによるガッツポーズを交差させる。

 

「お姉ちゃん…ねぇ。妹かぁ…私には実感ないわね」

 

ランとユウキの雰囲気に姉妹を連想したシノンは小さく溜息をつき、白い雲に先の思えなさに歯がゆさを感じた。

 

 

スリーピングナイツの別室にはユズルとクラインによる話し合いが行われていた。旧友との再会を楽しんでほしいとの勘違いも、二人はその好意を甘く受け入れ、部屋を借りている。近況報告の最中に、どこか集中しきれていない弟を気遣い、強引に本題を問いかける。

 

「ユズの字、なんか悩んでんのか?」

「そうだね…実はソードアート・オンラインの事件をユナにも話していてね。まだ確信めいてはないけどな。起きて、事件を調べてるんじゃないかと思うんだ」

 

右に手を払いながらホロキーボードを消し、何の変哲もないペンと入れ替えた。ユズルにしか分からない雑な文字を手書き、途中でくるりと手遊びをする。一方クラインといえば、おでこをボリボリと掻きながらふと思い出した様に取り出したメモ用紙を読み上げる。

 

「それがユナちゃんかは分からねぇが耳よりの情報があるぜ。ちょうど三日くらい前に街のゲーム屋でジャンウーが熱心に聞き込む女の子を見かけたそうだ。ユナちゃんに似たかなりいい女らしくて、思わず見惚れたから覚えてたそうだぞ」

「…ありがたいが、ユナなら男に視姦されるのはいい気分しないな」

 

ユズルは静かに言う。

 

「わりぃな。でもな、危険な目にあってもユナちゃんはユズの字の為に動いてくれているかもしんねぇんだ。それに答えなきゃ男じゃねぇぜ」

 

クラインはニヤリと笑い、片目をつぶってみせた。

 

「うん。だからこそ、悩んでる。必ずユナはここに来る可能性が高いから兄貴にはそれで動いてもらいたいんだ――頼む」

 

この言い分に¨察して欲しさ¨を含むユズルの物言いに、クラインも真剣に聞き、なるべく明るい対応を心掛ける。彼からすればユズルは何かを隠しているのは明白であり、それを話せないのも勘付いていた。第三者からは利用するものと利用されるもの。だが、義兄弟としてユズルから裏切る行動をするとは思えないクラインは、二つ返事で答えた。

 

「おう!一応、フレンド登録はしておこうぜ。こうすりゃ、プレイヤー同士でアイテムを交換したり、連絡もできんだ。通信手段があったほうがやりやしぃだろ」

「本当に助かるよ」

 

フレンド登録画面を開き、ユズルはボタンを押して申請する。

 

「おめぇ一人に責任を負わせはしねぇよ。言い方は悪く聞こえるかもしれねぇけどな…周りにいる人間は何でも利用すればいいと思うぜ。まぁ、まだ学生には遠い世界の話だがな」

「そうかな?僕も兄貴やキリトもそう…二人を利用してたよ。攻略組に参加させて階層を増やし、自分の逃げる範囲を広げさせていたんだからさ」

 

彼なりの気遣いにも、ユズルは似た経験を吐露する。それを聞き、クラインは苦笑した。

 

「お互い様ってやつか…俺としてはゲームじゃあ損得を考えずに楽しくできればいいんだけどよ」

「どうせなら…自分らしく伸び伸びと楽しくゲームをして欲しいよね」

 

淡い希望に「そうだな」とクラインも頬杖を付く。デスゲームに参加してからは、ゲームを楽しむ気持ちよりも「勝利」か「敗北」の両方を極端に重視してしまいがちになり、それは社会の「勝ち組」か「負け組」と同様の価値基準を置いてしまう。何かを達成する努力や行き付く過程よりも結果のみを求める考え方は、人と協力し合う足かせとなる。いずれにせよ、デスゲームから帰還した者がゲームを楽しむにはまだ時間をかけそうであった。

 

「それにしても…スリーピングナイツの皆…楽しそうだね」

「これが普通のゲームだったらありがてぇんだけどな」

 

この和気あいあいとコミュニティを作ったり、ゲームを楽しんでいる姿に安堵したものの、ユズルは自分の行動でこのゲームが無くなるかもしれないことに気付いて、さらにユズルの顔を曇らせた。気晴らしに用意したドリンクを軽く胃に流し込む。

 

「じゃあ、真面目に聞きたいことね――サラマンダーの連中にいて何か不愉快なことでもあった?」

「俺のいたサラマンダーの連中は、ここで有利なSTRの高い種族値をいい事に¨自分達こそ強者¨の風潮を効かせてやがった。やり始めて詳しくはねぇけどよ、どうにも肌に合わなかった。アルブヘルムはプレイヤーの運動神経に左右されやすいゲームだからな。他の奴らより少し乱暴者が多い印象だ」

 

さらにコーヒーを飲み、クラインは人差し指でテーブルを小突く。

「そうか――今日始めたばかりだが一つだけ分かるのは、このゲームは種族差別があるらしいね。僕の選んだスプリガンはかなり嫌われてるそうだし…下手に付き添うプレイヤーを選ぶと痛い目を見そうだね」

「種族差別ねぇ。たしかに、このゲームを探索するなら信頼できるプレイヤーを選んだ方がいいかもしれねぇな。あの時のサラマンダーもそれで、痛い目を見たからな」

 

少しぶすぅとして言った。

 

「注意してみるよ、兄貴――それよりも、フカ次郎とは上手くいきそうなの?」

「はぁ!?ユズの字、な、なに言ってんだ!!」

「だってフルコースメニュー食べてる時もチラチラとフカ次郎を見ていたし、食べ終えた後も話したそうにしていたからさ」

 

顔を真っ赤にして慌てるクラインに、優しい声で問う。

 

「嫌、嫌!あれはそうだ…成り行きとはいえ、『キングボア』を分けて良かったかって思ったからだぜ!!」

(どうみても、フカ次郎は兄貴を男として意識してたし…兄貴も悪い気はしないと思う。最初の印象も悪くない…早すぎるけど両想いの一目ぼれなら、あと一歩でくっつきそうなもんだな)

 

お互いに両想いの状況に、プライドが邪魔したり、相手を試す恋の駆け引きをして気持ちのすれ違いをしては、実にもったいない。そろそろ皆と合流しようと、席を立った。クラインも顔を背けながら、ドアに向かった。

 

 

ユズルとクラインの密会をしている間、スリーピングナイツの情報交換も他愛になっていた。テーブルの上にあるお菓子を囲み、時にホワイトボードにタンケンの執筆したアルブヘルム・オンラインの全体図に集めた情報を記入していく。そこでシノンは、フカ次郎のある疑問を投げかける。

 

「それはそうと、気にはなっていたわ。フカ――あんた、あのクラインにアタックしないの?」

「な、何言ってんだ!こんな場所で言うな!!デリカシーってもんがねぇのか!」

 

※お前が言うな

 

「ブーメラン刺さるわよ。いや、いつもの様に「結婚しない?」って言わないし、『キングボア』も分けていたからよ。てっきり、男遊びから卒業でもして、あの男で別の遊びでもするかと…」

「ふざけんじゃね!あたしとクラインさんが×××とか××××とか、その先の××までするわけないだろ!!」

「誰もそんなえげつないこと言ってないわよ」

 

フカ次郎自身が自制を失いそうになる。普段は飄々としている彼女にしては珍しく、彼女らしくない様子だ。シノンは肩をすくめ、フカ次郎の方に向き合う。

 

「そう言えば、いつも男とは縁が無くてすぐに破局してたわね。サラマンダーに追い出されたのを機に、人肌脱いでクラインをサポートするついでに人肌脱がして彼氏にしたいのね。キューピットの依頼なら、親友料金で格安にしとくわよ」

「誰がそんな依頼、頼むんだよ!」

 

もはや喚くに近い声色のフカ次郎の顔はほんのり赤い。彼女には恋の相談どころか恋愛のキューピットを任せる気さえない。長くメンバーを組んでいたフカ次郎の勘は警告していた。

 

(間違ってもシノンに相談できねぇぞ…こいつは恋のキューピットが出来る奴じゃねえ。獲物を狙う狩人にしか見えねぇんだよ!!)

 

彼女は汗を流すほどにイメージする。頭に円を浮遊させ、白い羽の生えたエンジュルの薄く白いワンピースのシノンがハートを射抜こうと弦を引き締める姿を。だが、そのイメージはすぐに一瞬で崩れてしまう。

想像するたびに、青と赤の血管が浮き出た心臓を矢で射抜き、返り血で白のワンピースを真っ赤に染め上げる姿に切り替わる。顔まで付着した血液を舌先で舐めとり、うっすらと笑みを浮かべる快楽者をありありと洗礼に浮かび上がっていた。フカ次郎は頭痛を覚え、イメージするのを辞めた途端に、シノンは淡々と言う。

 

「そう…なら遠慮はいらないわ。いつも通りに神風アタックしてきなさい。骨は拾ってあげるわ」

「自爆特攻じゃねぇか!!玉砕してこいってか!」

(あの男も意識してるなら、フカが積極的に誘惑すれば簡単に恋人同士になれるわね。もう…こんな時ばっかりヘタレなんだから)

 

シノン自身、自分の美人さを活かしたフカ次郎のナンパ癖を知っているとはいえ、ここまで取り乱す彼女を見たことは無いし、そこまで情熱的な恋は初めてであろう。フカ次郎の苦虫を噛み潰したような顔に見つめられたまま、押し黙ってしまう。隣部屋にいたユズルとクラインが現れてからフカ次郎はようやく可憐な顔に戻った。

 

 

「ユズルさん、クラインさん、フカ次郎さん、シノンさん。私達のお願いを聞いてくれませんか?」

 

ちょうど、クラインとユズル、フカ次郎とシノンがそばへ着いた時、ランは、こう言った。それに真っ先に反応したのはシノンだ。

 

「話だけでも聞かせてくれないかしら」

「私達はALOのグランドクエストを攻略したくて集まったんです」

「グランドクエスト?」

 

ユズルは軽く首をかしげてしまう。

 

「このゲームが始まって以来、まだ誰も攻略していない高難易度のクエストです。誰もが注目しているVRMMOをクリアすれば、報酬としてそのプレイヤー名が雑誌に掲載されるんです。私達はそれを狙っています」

「それ、知ってるぜ!!『MMOトゥモロー』にあったな、そういうのが。パーティメンバー16名以内でクリアすれば、全員の名前が載るそうだったな」

 

フカ次郎はそれを言い、ランはゆっくりと首を縦に振る。

 

「誰でもいいわけじゃないんです…私達も信頼して背中を預け、協力し合える仲間を集めたいんです。これは、スリーピングナイツのメンバーにとって思い出となる大切なクエストになりますから」

「…その手伝いならしてもいいかな。僕の仲間がいれば、戦略の幅が広がるから戦闘が楽になるのかもしれない」

「アンタにその当てがあるんだ?相当強そうだから、期待はできそうね」

 

クロービスはユズルに向かって微笑みかける。

 

「話題のゲームだ…別のゲームで知り合ったから連絡は取れてないけどログインしている可能性があるからね――ちょっと待ってて」

 

ホロキーボードに『キリト』『アスナ』『ノーチラス』『リズベット』『シリカ』『エギル』『ユナ』『サチ』を打ち込む。かつてゲームはゲームでも死のゲーム――ソードアート・オンラインを生き抜いたプレイヤーだ。テーブル上に文字を浮ばせる。

 

「この人達が僕の探してる仲間だよ。ここにいる核心はない。けど、このプレイヤーネームでゲームをしている可能性が高いんだ。どれもあるエキスパートを極めているプレイヤーだから頼りになるよ。どこかで聞いたことない?」

 

死のゲームシステムをコピーしたアルブヘルム・オンラインには、まだ昏睡状態に陥っているプレイヤーが流れている可能性を示唆していた。そのプレイヤーは二年間で培ってきたステータスを引き継いでおり、新人とは思えない強さを発揮する。何をしても目立ってしまう状況をユズルは利用し、ここで各種族の集まりであるスリーピングナイツと古参プレイヤーの二人に、聞きだそうとした。

 

「ふむ…ノーム領に情報屋がいるそうでな。そいつは商人もしているそうだった気もする――たしか、その名前が『エギル』だ」

 

テッチはノーム領を指差す。

 

「それなら、ここの『リズベット』はレプラコーン領で似た名前を聞いたことがあるな。武器を作らせたら一流を作ってくれる噂だからな」

 

ノリは、ユズルを見て言う。

 

「ここの『キリト』ってプレイヤーは話題になっているプレイヤーね。新人とは思えない強さでグランドクエストを達成しようと大樹に向かっているそうよ」

 

シノンはホワイトボードの中央にある大樹を凝視していた。

 

「この中でも『キリト』『アスナ』『ノーチラス』『シリカ』はかなり強い。好奇心で勝負はしない方が身のためだよ。もし、グランドクエストを攻略するなら協力体制を結びたいね。特に『エギル』『サチ』の情報は最高の武器になるし、『リズベット』の作る装備は品質も良くて信頼できる」

「ユズルさん。ここにある『ユナ』さんはどうなんです?」

 

名前の上がっていないプレイヤーが気になったジュンの質問に、ユズルは答える。

 

「彼女も仲間だけど、ゲームではかなり知名度の高いプレイヤーでね。あまり大きい声で友達だと言えないんだ」

「それは有名人の様なものか?それとも、問題あるプレイヤーか?」

「まぁ…アイドルとか女優の様な感じだよ」

 

テッチの返事にどうにも予防線を張った様な言い分だが、美人の女優を妄想した男性プレイヤーの眼の色が変わる。クラインは¨まぁしょうがねぇかな¨と小さく呟く。ランは¨この子がそうなのね...¨と小さな声で言う。聞こえなかったふりをされても仕方がないぐらい、小さな声だった。

 

 

明日の朝十時に隠れ家に集合する約束をした四人はログアウトできる宿屋を探してウンディーネ領を散策している。クラインとフカ次郎の二人は隣になりそうになると、ユズルとシノンの近くまで離れてしまい、一定間の距離を保っていた。宿屋で世間話をした後に、クラインとフカ次郎はログアウトし、ユズルもログアウトをしようとする時に、シノンが呼びかける。

 

「待ちなさい…言い出したアンタに聞きたいの。このゲームを始めたのが今日よね?魔法とか飛行方法は慣れてるの?」

「まだだよ。それは若干、不慣れな感じかな」

「あたしは何も分かっていないアンタが最高難易度のグランドクエストを攻略できるほど機敏に動けるとは、まだ信じられないわ」

「そう思うのが普通だね」

「そんなプレイヤーに背中を預けられないし、操作ミスなんかのつまらないことで連携が崩れるなんて許さない…だから――」

 

シノンはまるで心に写しとろうとでもするように、眼をこしらえてユズルを見つめ、それから顔を背け、首を振って、背中にある弓をユズルの顔に当たる寸前で止める。

 

「明日の朝…私と一騎打ちで勝負しなさい」

 

急な果たし状にも、ユズルは何となく察してはいた。クラインと共闘した連携や剣の技術はシノンも見ている。だが、個人の力はどうなのか。こればかりは、実際に対面しなければ推し測れない。彼女の挑発に、ユズルは落ち着き払っていた。

 

「分かった」

 

シノンの弓を、手を添えてゆっくりと払う。

 

「皆と戦えるように…シノンにも信頼されるように…受けて立つよ」

 

彼は静かに言い、ログアウトボタンを押して姿を消した。残されたシノンは、どこかイライラする様な、どこかワクワクした気分だった。どこか言葉にならず、閑散とした宿屋を眺めたまま、鈴夜の音に耳を傾けていく。

 



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13話 ジョバルのオーダーメイド店へようこそ

2025年1月16日

 

 平日の朝早い八時にも関わらず、アルヴヘルム・オンラインのウンディーネ領には多くのプレイヤーが行き来していた。スリーピングナイツのメンバーも集まり、ユズルとフカ次郎は早めにログインしていたが、朝の八時半にクラインと合流すると、そそくさとフカ次郎はテッチやジュンの方に行ってしまう。しかし、肝心のシノンは来ていない。

 

「何かあったのかな…わりと早めにログインしたけど」

「あ?シノンの奴か。ちっとばかり、遅れて来るのはたまにあるぞ。それでもドタキャンとか無いから心配ないけどな」

 

 茫然と流れるプレイヤーを見物しながらゆっくりとした口調のユズルに、早口でフカ次郎は言う。シノンとの一騎打ちを伝えれば、クラインは上機嫌な笑顔で待ち、唯一ユズルの戦闘を見たクロービスはあの興奮する戦いを伝えるも、メンバーは狩りの準備をしようと見物はしないつもりでいた。

 その様子に、一騎打ちにひときわ興味を持ったユウキはギルドハウスの前で仁王立ちをしてメンバーの前に立ちふさがった。身長150㎝での仁王立ちに威厳はないが、ユウキを押しのけていく用事でもないメンバーは足を止めてしまう。そんな硬直にも、ノリの一声で皆の観戦が決まり、主役の登場を待つこととなり、現在にいたる。

 

「…ならシノンが来るまでに装備を買ってこようかな。今用意できる最高の状態でシノンと戦いたいし…これから戦うに初期装備だと心持たないよ」

「強い相手には最大級の装備を整えるのは必須だぜ。魔王倒す奴が『ひのきの棒』で挑む訳がねぇ。この礼儀を怠るのは武士の恥だからな」

 

クラインによるドラゴニッククエストを交えた武士道の作法に、ひとまずは納得する。それから初心者用の片手剣から剣舞を試せば、どうにも持て余してしまう違和感にユズルは余計に買い物をしたくなった。ふと振り向けば、おっとりとした視線をするシウネーと目が合う。

 

「でしたら、また私が案内しますね。色々な買い物に付き合いますよ」

「昨日も買い物を任せたし、今日は私が案内しますよ、シウネー。ここのエリアなら慣れていますし、彼に戦闘のアドバイスも兼ねて付き添います」

 

ウンディーネ種族の『シウネー』の申し出を先取る声に少しだけ肩を飛び上がらせる。インプ種族の『ラン』はユズルに駆け寄った。食ってかかるランに、だがユズルは妙に落ち着いた笑みで、片手剣を掲げてみせた。

 

「戦闘のアドバイスってことはランも僕と同じ武器を?」

「私も片手剣使いよ。そんなに早い剣技は使えないけどね」

 

同じ片手剣使いという共通点のある相手に、自然と気持ちの距離は縮まる。自然と買い物をするのはランに決まり、ユズルと街に向かう。ここまで離れれば聞こえない距離、と思い立ったユウキは、先のランの発言に不満を漏らす。

 

「よく言うよぉ。僕よりも反射神経はいいし、ソードスキルの発動速度なら見えないほど速い癖に」

「ユウキはランと何度か戦ってるよな。結果はどうなんだ」

「…それが一度も勝てたことない。僕もそれなりに強いと思うけどな」

 

ユウキは少しためらうように間をおいてから、小さくうつむく。尋ねてから後悔するジュンをおいて、タンケンとテッチは言う。

 

「そ、それは、ユ、ユウキ…比べる、相手が、規格外だから、だよ」

「そうだ。ユウキ基準での『それなり』は比較対象が高すぎる。ユウキが普通ならここに歩いているプレイヤーの半分以上は剣を折る程の強さだぞ」

 

タンケンとテッチの慰めにも、ユウキは呆けた顔をしたままだ。何かを考え込む仕草に、ジュンを含めた三人は息を呑む。

 

「ボク、相手の武器を折ったことはないよ?」

 

見当違いの発言に、拍子抜けした三人は苦笑してしまう。呆れつつも溜息をつくノリは優しく見守るシウネーを呼びかける。

 

「あんたら、戦うことばっかりね――それはそうとシウネー。リーダーがあんなに積極的なのは変じゃない?」

「そうですよね。いつもなら私達の意見ばかりを聞いて動きますからね」

 

急に自分の意思で動こうとするリーダーに、シウネーとノリは顔を曇らせる。

 

「もしかして…惚れたの」

「無いと思いますね。こんなに早く恋に落ちるほどリーダーは軽くはないですよ」

「…随分とはっきりと言うわね」

 

スリーピングナイツではユウキの次に古株のシウネーが言うと、ノリもそれ以上は言わなかった。脳裏にチラチラとフカ次郎の一目ぼれ騒動からの情景は真新しい。いずれにせよ、普段とは違う積極的なランに不安の様なしこりを感じていたのだ。

 

「フカ次郎なんて一分もかからずクラインと両想いになったんだから、あり得なくはないでしょ」

「それはフカ次郎さんがフットワークや気持ちも軽いからこそですよ。本気の恋が少ないからでしょう」

「失礼だろ。まるで『本気の恋』より『ただれた恋愛』しかしてない風に聞こえそうだな」

「全部聞こえているぞぉ~ダレが恋したことがないってぇ。ちょいまち、ちょいまち」

 

シルフの尖った耳を器用に動かす離れわざを披露しながらフカ次郎は二人と向かい合う。ただ、怒っている様子はない。むしろ、二人が恋愛について興味ある事態におもむきを置いていた。

 

「あたしが言うに、『ただれた恋愛』は言い方が悪いぞ。目の前にいい男が居りゃ、黙っているなんてことはしねぇだろ?」

「ちょっと好みがいると少し視線を追いはしますね」

「往復するフリをして近くで顔を見たりはするよ」

 

というようにシウネーとノリが答えると、フカ次郎は人差し指を自分の口先に押し当てる。笑みを見せない仕草が二人には、昨日のさばさばした女性より洒落っ気のある女の子にみえた。

 

「声をかけるにせよ、かけないにせよ『タイミング』が一番だ。あたしゃ、相手に意識させるつもりで『結婚』をワードに入れるんだよ。それから少しずつ相手が好きになる様に仕向けるのさ」

「それじゃ、相手に好意を伝えるには難しいだろ」

「なぁ~に。人生は一期一会、また会えるなんてロマンチストな考えはねぇな。あくまでも恋愛はリアリストだ。それに、想いだけなら伝えんのは簡単だぞ。ちょっとやってくるぜ」

 

瞬間、フカ次郎はシウネーとノリから離れる。

 

「おーい!クラインさん!!」

 

そのまま、声を上げながらフカ次郎は近づくと、女性に慣れていないクラインは目線を泳がせてしまう。

 

「愛してる~結婚しない?」

「い、いきなりどうかしたか、フカ次郎さん。ここで結婚するにも実装されてねぇだろ?」

「なんだなんだぁ~。実装したらしてくれんのかい?」

「朝も早いし、寝ぼけてんのか?俺よりもいい人がいるだろ」

 

 互いに両想いではあるも、まだクラインは好きになった女性の接し方は分からない。どれだけ整った顔つきをしたモテる男性であれど、本気で惚れてしまった女性には緊張して馬鹿になってしまう。それがいま、クラインが直面している問題だ。彼は彼女の艶やかな髪を手の平全体を使って二回程叩くと、顔を背けて反対方向に行ってしまう。

 

「な!想いだけなら伝えるのは簡単だろ?これを繰り返せばいいんだよ!!」

 

ニカッと白い歯をみせるフカ次郎。そんな彼女はとても眩しく、朝日でも拝んだかの様に羨ましかった。

 

「フカ次郎を少し誤解してたな…新しい告白の表現ね」

「えぇ…こんな想いの伝え方もあるんですね、なんて尊いんでしょう!」

 

頷きざるを得ないノリと感傷に浸るシウネーはフカ次郎の恋愛観を思い出しながら、自分達の恋バナに花を咲かせる。彼女は背中を向け、なんとなく近くにあった水たまりに向かって歩いていた。

 

「冗談じゃないんだけどな。頭に手ぇ置かれてめっちゃ嬉しい…絶対にクラインさんから『告られる女』になってやる」

 

 水面に映る自分とは思えない女の顔をしている。熱っ気のある頬に少しだけ苦しそうな、でも幸せな顔。男に触られた髪は跳ねているも、彼女は手で整えず、手の平で抑えて数秒だけあった温もりを思い出していた。

 

 

 ユズルは、ソードアート・オンラインにいたプレイヤーの誰かに犯罪者と指摘されても、アルブヘルムプレイヤーのランには何のことか分からないし、自分から言うつもりもない。だがランとの買い物はユズルの憂鬱を一瞬、忘れさせるには充分だった。あのゲームから帰還して以来、ほとんどずっと、リハビリや事件の調査のことを考え続けていた。ただもう一つの理由もある。ユズルには、事件とは別に、ユナの介入もあった。

 ここまで辿り着くまで、事件を調べる過程に彼女の心の内をかいま見たような気がしていた。これから犯人のいる可能性の高い世界樹へ向かう道筋に彼女に会うことを、そして、また会えた時の彼女の反応を見ることを楽しみにしていた。

 

 ランに紹介された武器を取り扱う店は狭くてみずぼらしかった。扉には剥がれかかった金色のラベルは文字が掠れてしまい、一見するとなんの店かは分からない。彫られた文字には、ラベルに『ジョバルの店 オーダーメイドの武器メーカー』とある。看板の下にある色あせた椅子に、剣の突き刺さった装飾から、やっと武器屋と思える佇まいだ。

 

「ここが…そうなの?」

「一般的な武器よりもユズルには手にしっくりくる武器の方がいいでしょ」

「…まぁ、最高難易度のクエストに臨むなら下手に妥協はしたくはないな」

「ふふっ、これから『流水のスナイパー』と戦うのに、もう先の事を考えてるの?」

「あっ…そうじゃないよ」

 

ランの柔らかな声に、どきまぎしてしまう。思っている以上に彼女との会合を楽しみにしているのか、気持ちはどうにも先走ってしまう。またランという、ここまで話しやすい女性も久しぶりにあった気がする。ユズルは慌てて話題を変えた。

 

「それよりも『流水のスナイパー』って?」

「シノンさんのことよ。彼女、ケットシ―ではその二つ名で呼ばれる実力者なんだよ」

「サラマンダーと戦ってる最中にも気を引き締めていたから、相当な手練れに見えてたけど…そんなに強いんだね」

 

 ユズルはのほほんとした言い分から、冷静にシノンのことを考える。少なくとも彼女の第一印象は¨クール¨の一言に尽きる。だが一見クールに見えて、フカ次郎の突拍子の無い行動や頼まれたら引き受ける姿勢には、彼女から強い責任感や仲間想いな、熱い部分を感じていた。

 

――そんな彼女に認められるに戦闘で充分な剣技を披露する。

 

改めて言い聞かせた時、ドアをノックして、音沙汰ない気配にランは苦笑した。

 

「今日はやってるのかな?腕はいいけど、滅多に営業していないんだ。何曜日にやるのか何時に開くのかも分からない。名前を調べても攻略サイトに載っていない穴場なのよ」

「ゲームでもそれってどうだろ?他のお店は――」

「他のお店より、ここが本当におススメなのよ。シノンさんと戦うにも、これからアルブヘルムを始めるなら…ここの武器が一番よ」

 

中に入ると奥からチリンチリンと鈴の音が鳴る。小さな店内に古びた木の香りが鼻を軽く刺激し、二人は近くにあった椅子に腰かけた。几帳面にガラスに飾られた剣や杖は雑貨店より規則の厳しい図書館に近い。天井近くまで理論整然と積み上げられた大刀や日本刀に紫色の宝石ある杖の目立つ武器が山に積まれ、一挙乱れぬほど整っていた。

 

「いらっしゃいませ。ジョバルのオーダーメイド店へようこそ」

 

柔らかい声の正体は目の前にいた老人だ。音も無く、気配も無い老人の出現にユズルは飛び上がってしまう。隣にいたランも飛び上がっていた。店の薄明りから、大きな薄い目をした老人は、どこか子どもらしさを備えている。老人は頭を振り、顎を撫でながらブツブツと言い、しばらくしてからランに視線を向けた。

 

「ランではないか!また会えて嬉しいわい…六五センチの金剛石の片手剣。よく光り、よく切れる。たしかそうじゃったな」

「はい。そのとおりですよ」

「懐かしい剣じゃ。たしかお前さんが半年前に、ここにきたんじゃったな。あれ以降、よい剣と廻り合えたかの?」

「いえ…初めてここで買って以来、他の武器はどうにも馴染めなくて」

「それは良い話を聞けたの」

 

静かな言い方だった。またしばらく顎を撫でてから、今度はユズルに声をかける。

 

「そちの坊や、こらこら。こっちへ来なさい」

 

メニュー画面を覗きこみ、長髪の少年の名前を確認してから、ユズルに言う。

 

「さて、それではユズルさん。拝見しましょうか」

 

老人は巻き尺をポケットから取り出した。

 

「君はどちらが利き手かの?」

「えっと、僕は右利きです」

「腕をゆっくりと伸ばして。そうそう…そう、ゆっくりとじゃ」

 

ジョバル老人は近づき、ユズルの右腕に巻き尺を回しながら語る。

 

「この世界は無数ある剣や杖を、持ち主は己の信じた武器を手に取り、戦い方を決める。だがな、剣もまた持ち主を選ぶ。ここでは剣の一本一本、希少な魔力を持った素材を芯に組み込んでおります。金剛石、陰陽の原石、七色のエレメント、春夏秋冬のインゴット。それぞれに得た時期は異なり、素材も作られた工程は違うのじゃから、どれ一つとして同じ武器は存在しない。だからこそ、作る剣と持ち主が一心となり、同調しやすい」

 

一息に話したせいか、ふうと息継ぎをして続ける。

 

「もちろん、その武器を本人以外の誰かに貸そうなら、決して自分以上に使いこなすのは困難なのじゃよ」

 

 巻き尺を戻しながら老人は笑う。ここにきて、ランに武器の質問をした意図をようやく理解できた。VRMMOで一番人気あるゲームはプレイヤーを飽きさせない工夫を凝らして何度もシステムをアップデートしている。しかし、ランは半年も同じ片手剣を扱っている。この事実だけでも、このジョバル老人を信じるには充分であった。

 

「まずは小手調べ…地のエレメントに秋のインゴットを主にした長さ七十センチの片手剣」

 

手先が僅かに触れただけで、ジョバニ老人は剥ぎ取ってしまう。

 

「これはダメか….では金剛石と陽の原石を芯にした六五センチを」

 

ユズルは剣を取り、ちょっとだけ振れば小さな星が光りだす。ジョバル老人は口をモゴモゴさせながら、あっという間に剣をひったくられてしまう。

 

「ふむ…風のエレメントに夏のインゴットを合わせた陰の原石を芯にしたものはどうだろうか?」

 

また振れば、赤と黒色の火花が流れ出す。また、別の剣を紹介され、振っては取られる。やがて試し終えた片手剣が高く積み上がっていく。

 

「気難しいのう。ほっほっ。心配めされるな。必ずぴったり合うのをお探ししますのでな」

 

棚から新しい片手剣をおろす度に、彼女に似合う服を探す様な、珍しい宝物を探す様な、ジョバル老人はますます嬉しそうな顔をした。

 

「さて、これを試してみよう…陰の原石に氷のエレメントと火のインゴット、七五センチ、上質で軽やかじゃ」

 

 ユズルは剣を手に取った。刃から青色の陽炎が流気を生み、暖かい炎は部屋全体に漂いながら消える。頭から空気を切るように振り下した。すると、青い炎は半円を描き上げ、青い火の粉が踊りながら舞う。ランはパチパチと両手を叩き、ジョバル老人は息を呑んでいた。

 

「不思議じゃ…相性の悪い氷と火の素材による影響じゃろうか」

「あの…何かありましたか」

 

真逆の反応をする二人に、ユズルは聞いた。

 

「ユズルさん、私はここにあるアイテムが発掘された場所は全部覚えとる。その剣に入れた陰の原石はな、ヨツイヘルムにある湖の光届かぬ深淵で採取された物じゃ。その欠片を一つ…たった一つだけ混合したのじゃが…ここまで適応するのも不思議なことじゃ。まるで主人を待っていたかのようだ」

 

ジョバル老人は淡い目でユズルを見つめる。

 

「こういうことは、稀じゃ。剣や杖は持ち主を選ぶ。二つの心に通じるもので結ばれた時――真の力が発揮される。ゆめゆめ…忘れてはならんぞ」

 

剣の代金を支払い、ジョバル老人のお辞儀に送られて二人は店を出た。

 



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14話 名前の無い剣

 ウンディーネ領の噴水前広場では通り過ぎるプレイヤーも、今日は突然のイベントに行き交う足を止めていた。つま先立ちから繰り出される手根を軸にした剣舞に、ある者は身体を揺らし、ある者は手拍子をしてはやし立てる。

 細い腕に深い黒髪を風に撫でられながら舞い上がる剣を交差させる技術は、一目では男性とは思えないプレイヤーだ。視線だけは一人の女性を中心に置いた切っ先の一気乱れぬ銀の輝きは疲労を感じさせない。

 

露店の店主に交渉して借りた簡易レコーダーに流れる音楽は水音とも一体化した。猛々しくも華やかな舞は、さながら雑木林に忘れさられた月下美人の花だった。五分間の舞を終えたユズルは、プレイヤーの拍手を背景に、レコーダーを貸してくれた店主にお礼を言い、ディスクを持ち物に入れる。鑑賞していたランの手を引き、彼女は頬を朱に染めたまま、大通りを抜けてから、ようやく口を開いた。

 

「どう、その武器の調子は、ユズル」

「本当に馴染む…軽いとか切れ味より…身体の一部を動かす感じだよ」

「違和感ないでしょ。動かしやすいからプレイヤーの運動神経に依存するこのゲームにはうってつけでね。そこらのお店で買うより、いいんだ」

 

得意満面の笑みで人差し指を立てるランに、隣を歩くユズルは浅く頷いた。

 

「それにしても、剣の具合を確かめたいって聞いた時は、私が相手をするのかと思ったわ。まさか、剣舞を披露するなんてね」

「どうしても相手を勝つか倒すになれば、殺気をむけやすい。驚かせるくらいなら、周りを楽しませる剣舞の方がずっと優しいよ」

「剣を取り出した方が警戒しちゃうかな。ここはプレイヤーキルの多いゲームだから気を付けて下さいね。でも、何で剣舞を?」

「剣の動作を繋げやすくするための工夫だよ。相手にはアクティブスキルと思わせるフェイクにもなるし、後はスキル発動の硬直時間を無くせるから、ここぞという場面で力を発揮しやすくなるんだ」

「…私もやってみようかな。でも、大変そうね」

「そうかな?慣れた動作を繋げるだけで繰り出せるから、普段の動きであれば身体も覚えて自然に動くよ」

 

薄笑いのまま頷くランに、ユズルは剣を取り出す意味を察したように、剣を腰に差し込む。何気ない動作でも、いかにプレイヤーキル推奨の世界で、街中で剣を取り出して無傷なのは奇跡かも知れない。

 

「ユズルもグランドクエスト攻略に来てくれるのは嬉しい…でも、話していたプレイヤーは協力してくれるの?相手からは見ず知らずのプレイヤーに力を貸すんだから、そこは不安かな」

「それだったら、合言葉を伝えれば協力してくれるよ。『ユズルは今でもゲームクリアを忘れていない』。これで伝わるよ」

「分かったわ….紹介してくれた人の中では…私はユナちゃんに会いたいかな」

「ユナに?僕はてっきりキリトかアスナに興味を持つかと思ったよ」

 

片手剣使いであり、おそらく戦わずとも相手を見極められる実力者に近いランならば、何も言わなかったかもしれない。だが非戦闘員に近いユナに興味を持つのは、相応しくない見解だった。興味があるユナに関する話題を選んでいれば、先に新しい話題を振ってきたのはランの方だ。

 

「そういえば、それって名前は何て言うの?」

 

腰に差し込んである黒い剣をランは見つめる。

 

「特別な武器そうだからきっと立派な名前が…うん?この武器――名前がないや」

「あら、珍しい。でもせっかくならユズルがいい名前とか付けてあげればいいんじゃない」

「でも…ジョバルおじさんの言う特別な武器に…適当な名前は付けたくないな」

 

そう言い、剣の握りをそっと撫でた。

 

「昔の名前がないから『名無し』になる。それを英語にした呼び方で『ノーネーム』――うん、そう呼ぼうかな」

 

 手に馴染む黒の剣を『名無し(ノーネーム)』と呼び、鼓音した様に、剣は太陽から反射した光にユズルの眼を暗ます。追われるまま横を見ると、ランは愛想笑いをしていた。

 よほど気を許しているのか。無防備な笑顔を向ける彼女は愛くるしさがあり、一瞬でも見惚れてしまう。もし、ユナと深い関係になっていなければ、彼女に心を寄せていただろう。ゲームのアバターに恋愛感情を持っても、滲み出る彼女の素顔にユズルは惚れ惚れしていた。しかし、自分から彼女を好きになっても現実世界にいるランに会えるとは限らないが。風で乱れる前髪を整えながら歩き、ギルドホームが見えてくると、ランは誰もいない場所に顔を向ける。

 

「…まだ、ゆっくり歩いてもいいのに…」

「……ラン?」

「うぅん。何でもない」

 

かぶりを振り、そそくさと離れながらノリに尋ねる。

 

「帰りましたよ。シノンさんは来ましたか」

「えぇっと…それが、まだです」

 

また、すべり込みながらジュンも言う。

 

「ここまで遅いのも心配だな」

「待っていても気持ちが揺らぐな。よし!シノンには悪いけど、待たせている皆にサービスするよ」

 

ダイニングテーブルにまな板や包丁を出現させ、最後にコック帽子を被る。何かを振る舞おうとする様子に、プレイヤーの注目が集まった。

 

「ここでフルーツさえあれば、パフェをご馳走するよ。さぁ、ジャンプして下さい。その膨らんだポケットにあるでしょう」

「昭和の不良か!そんなことしなくてもやるぞ。使い道も無かったから、今までの狩りで手に入ったものがある。使ってくれ」

 

 ユズルの持ち物からケッコンしたユナと共有していたアイテムの中にあった一通りの調味料とドリンクをテーブルに並べる。テッチから貰えたフルーツを一口サイズから、飾り切りを揃えていく。ノリやシウネーからバターの様な濃い味付けの材料を貰い、弱火の魔法から少しだけ溶かした固体を、粉と混ぜ合わせる。

 

「ユズルさん、揺れる物が無いノリとユウキにはセーフだが、リーダーとシウネーにはアウトになるから言わないほうがいいぜ」

 

何気なく意見したジュンの背後にはただならぬ雰囲気の女性が現れていた。握った拳を反対の手で包み込んで鳴らすノリとジュンの頭を片手で掴むシウネーに、誰もが見て見ぬふりをする。

 

「おいこらジュン…そりゃ一体どういう意味だぁ…」

「デリカシーがないですね…ユズルさん、ちょっと席を外しますね」

 

魔法職にも関わらず、サラマンダーの腕力を越えた力に抗えず、痛みからジュンの呻き声が鈍く反響した。

 

「たった今から、ギルドメンバーに教育をしなければならなくなって…」

「あ、はい。デザートは保存しておきますね」

 

その後はシウネーに引きずられながら助けを求めるジュンを無視し、やがてギルドハウスの裏側に姿を消した。

 

「お姉ちゃん、ジュンの言ってた『揺れる』って、何のこと?」

「ユウキはまだ知らなくてもいい事よ」

 

粉の玉も無くなるほどに両手で捏ねていると、横からクラインに声をかけられた。

 

「ユズの字、何か手伝えねぇか?」

「そうだな…これはクッキーだから、これを鉄板で中火を保ちながらゆっくりと膨らましてほしい――型は抜いておくからお願いするよ」

 

それぞれがシノンの到着を待つ時間も退屈はしていない。ジュンを『教育』という名前とは別に『折檻』による悲鳴が木霊すも、クリームの甘い香りとクッキーの香ばしい匂いに、殺伐さは依然としてない。そう考えると、ユズルはシノンとの戦いに心を滾らせていた。

 

 

 ゲームでは九時を過ぎ、やつれた顔をしたジュンを木陰で休ませていた時に、シノンはウンディーネ領を歩いていた。背中に差した弓矢に、緑の甲冑を当てている。浮ついた眉間のない笑顔より、きりりと冷涼に張り詰めた眼差しの似合う、そんな稀な質のある美少女であった。

 

「悪いわね、だいぶ遅くなってしまったわ」

 

 詫びれなく澄ました様子は、何かを食べ合う黄色い声に、疑うような、困惑したような、僅かに彼女の表情を硬くさせてしまう。そんなシノンは目を細めて、その正体を見る。ちょうどユウキの頬についたクリームを取ろうとしたランが、指ですくっている所であった。

 

「このメロン風のパフェ、美味しいよ!!お姉ちゃん!!」

「ユウキ、唇にクリームが付いてるわ。でもホントにおいしい…この苺も中々ね」

 

これからユズルと決闘をするだけに考えていたシノンには、このデザートを食べ合うメンバーに泡を喰ってしまう。食ってかかりそうになるシノンに、上機嫌なフカ次郎は意地悪な笑顔で、食べかけである柑橘類のパフェを掲げてみせた。

 

「なんだよ、シノン。遅かったからもうパフェの材料は残ってねぇぞ」

 

※本気である。

 

これこそ、ユズルの作戦である『私より先に皆が楽しんでいる作戦』。待ち合わせ場所に遅れてくることはあっても、呼んだ仲間を置き去りにはしない。それを承知で自分達だけで楽しむ行為は背徳感がある。置いてきぼりにされた仲間は、遅刻した自分が悪いのであって言い返せない。この作戦は中学生や高校生の精神が未熟な人間には、より効果的な方法である。そしてプライドの高い人間であれば、より精神攻撃は大きい。だが、シノンの表情は変わらない。

 

「それは悪かったわね。でも私は、パフェとか子供っぽいのは好きじゃないし。今度、新作のデザートを食べに行くから、気にしてないわ」

 

※嘘である。

 

彼女は冷静さを保ってはいるも、実年齢は思春期真っ盛りであり、内面とは異なる。素直になった実際の中身はさっきからこんな感じだ。

 

(羨ましい…あのメロンの光沢に柔らかそうなホイップ。その上に飾られた星形のチョコレート…ズルい!!もっと早く来れば食べれたの!?分かっていれば、時間稼ぎなんてしなければよかった…)

 

 甘党とは言えないものの、フルーツの盛られたパフェには財布のひもを緩ませるくらいには好きであった。果実を剥きだしにしたメロンや苺に光る艶の宝石。生クリームやソフトクリームに散らばるシナモンの粉香は海の天の川。それらの果汁と流れる川を受け止めるスポンジの大地。これにチョコレートやキャラメルのシロップを彩るパフェは上品なデザートの代表格である。

 

(…いえ、これは挑戦ね。あいつが私の気持ちを揺らがせて勝負を急かさせるやり方のはず…そうと分かると、段々腹が立ってきたわね。意図的に私を除け者にするなんて…そもそも一騎打ちをすると分かっていて呑気にデザートを振る舞うなんて――妬ましい――いえ、ふざけてるわね)

 

※遺憾である。そもそも遅刻したのは理由よりも、シノンの作戦であった。決闘を申し込んだ後は、相手の気合を張り巡らせる。敢えて到着時間を長引かせれば、彼の集中力を乱せるだけではない。手早くユズルの実力を測れると考えていた。よって、ユズルとシノンも似た作戦を実行した時点で駆け引きの勝敗は引き分けに持ち込まれた。

 

(こういう奴には、徹底的に灸をすえてやらないとね…)

 

 デザートを無視された彼女の殺る気スイッチは全身の細胞を活性化させた。ユズルの意地悪で好物を食べ損ねたシノンの怒りは明白であり、彼女の手に馴染む弦を手遊びしながらも、ユズルに一点を見逃していない。対戦相手を¨敵¨と見定めた瞬間であった。

 

「引き締めた~弦の~」

 

 辞世の句を詩吟の様に歌いながら、ユズルの頭に狙いを定めて矢を固定する。流暢な言語に瞬きをしない鷹の眼は何者の獲物を逃がさない。殺気のにじむ背中は、誰かが妨害しようにも、アミュスフィアの防衛本能機能で動くことはできない。放たれた矢が、真っ直ぐにユズルの顔に距離を詰めていくも、射抜いたのは彼の頭でなく、白いコック帽子を引っかけたまま木に突き刺さる。

 

「ちっ。やっぱり、あの反射神経は並外れか。避けたわね」

 

やさぐれ気味に地面を蹴るシノンに、ユズルの視線は近くにいたランとフカ次郎に向けている。

 

「さっそくシノンが仕掛けてきたね。待たせられた分だけ――存分に滾らせてもらおうか」

 

ユズルは腰に差していた剣を一旋させて持ち直し、体内に溜まっていた沸々とした闘気をここにきて解き放つ。二人の放つ闘気と、その緊張に張り詰めた大気を察したフカ次郎は、ある確信めいた予感を悟っていた。

 

――ユズルは『リーファ』と同格かそれ以上のプレイヤーだ、と。

 

 アルブヘルム・オンラインの有名なプレイヤー名を上げるとすれば、一番で有名なのは三人のプレイヤーだ。サラマンダー族の『ユージーン』とケットシ―族の『シノン』とシルフ族の『リーファ』だ。特に『リーファ』は武芸を極め、飛行に優れており、対人戦においては最強の一角である。だが、彼女はその強さを差し引きしても、他のプレイヤーを顧みない凶暴性と傲慢さが問題であった。

 シルフ族で片手半剣から繰り出す剣技は同じ大地の着地を許さない。音速の飛行から唱える風と大地の魔法攻撃は同じ天空を舞う行為を許さない。だた強者との戦闘に枯渇し、難敵を求めるプレイヤーではあった。だからこそ、グランドクエストに挑戦しようとする強いプレイヤーを狙って現れるかもしれない。現に、雪のインゴットのある嘘情報を流してシノンをおびき寄せたことから、それをやりかねなかった。

 

¨すげぇ…本当にすげぇ!!グランドクエストを妨害してくるかもしれねぇリーファを止められるかもしれねぇ。ともあれ、対人戦での力量を見極めておくのも必要だな¨

 

リーファとシノンの競り合いから迸った弓と剣の打ち合い。激突した覇気の熱量。その脅威と驚愕を、目の当たりにしたフカ次郎だからこそ、分かった。あのリーファとも戦えそうな久しく見ぬ強者が、目の前にいる。新人でありながら、予想外の難敵に廻り合えた戦慄に、フカ次郎は武者震いが止まらなかった。

 

「お手並みを拝見させてもらうぜ。面白いプレイヤーさん」

 



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15話 限りなく透明に近い氷

シノンとユズルの決闘は間合いを測りながら、お互いの力量を見極めていた。引き締めた弦から放つ矢は一直線を描く攻撃を片手剣で弾くだけなら造作もない。不用意に剣の届く範囲に接近すれば、その弦を左右に払い、僅かに移動した重心に合わせていつでも射出できる矢を用意する手際さから隙は見当たらずに、接近する矢を身体ごと反らす。

 

「どうかしたの?さっきから踏み込みが甘いわよ!!」

「…ッ!」

 

一般知識で¨弓¨というのは矢を飛ばして戦うのが常道の認識であった。ユズルはまず、一本の矢で正確な射撃をすると勘付いていた。それが現実世界の戦い方で、物を投げなければ届かない距離まで離れていなければ、戦いそのものを有利な方向に導いてくれるはずだった。

 

¨参ったな。矢で動きを誘導されている…かなり手強いな¨

 

剣の打ち合いであれば、すでに三十合を越える矢の雨を外させていた。中でも放つ矢と射抜く矢を見分けて勝機を引き寄せる彼女の矢には相手を誘導する『虚』と相手を射抜く『実』の差を生じさせている。

相手の動きを見てわざと当たらない攻撃をしながら相手を追い詰める戦術は剣の間合いを詰めさせない。後方に距離を置きながら、ユズルは感嘆する。

 

¨だが常に地理を知り、敵を知りながら相手に合わせた状況判断ができるのは頼もしいか…あのゲームにいたらアスナと智勇を競いあっていたのかもしれないな¨

 

白銀の刃を叩き落とし、踏み込む力を溜めてからシノンの懐に飛び込む。剣を引き下げる振りをしつつ、左足を軸にした蹴りをする。

 

「読んでたわ!随分単調な攻撃ね!!」

「シノン!お前も十分、単純だぞ!」

 

蹴りの反発で後ろに飛ばされながら、ユズルは袖に隠していた短刀を投げつけ、シノンは事前に引き締めた矢を射出させて相殺させた。戦いを初めて五分間。状況は変わらないまま進んでいる。

 

小手調べに剣と矢を交差させてからは、二人の間合いは一定以上の距離を保っている。無論、それはシノンだからこその見解といっていい。

 大地に深い鍵爪のあざに高い鉱山の至る所に丸く抉れたさまは、燦然たる戦火の跡が刻まれていた。そんな惨劇に、シノンとユズルは、互いにかすり傷を負わないままに対峙し、睨みあっている。そしてこの二人に¨疲弊¨の文字は無い。弦と剣の衝撃から離れた二人は呼吸を整えてからゆっくりと口を開いた。

 

「流石に二つ名のあるプレイヤーなだけはあるね。流水のスナイパーの名前は伊達じゃないけど――」

 

剣だけは殺意をはばからせながらも、その眼は涼しげなまま、ユズルはシノンに語りかける。

 

「おいそれと下剋上とまではいかないか」

「下剋上とは言ってくれるわね、あんた」

 

弦を引き締めたまま、シノンの口元はわずかに緩んでいた。

 

「新人の肩書きは別としても、その剣さばきからその言葉…口説いてるのかしら?ありがたく受け取っとくわね」

 

共に素性を知らず、グランドクエストに挑む資格を試しに臨んだ闘争ではあるも、互いに何かを通じるものがあった。

 どちらも鍛え上げた技術と力量を見極める戦いに、それに興じるだけの相手とまみえれば、その喜びは計り知れない。ソードアート・オンラインで数多の接近戦を生き抜いてきたユズルにとって、剣のせめぎ合いについては慣れ親しんでいる。遠距離を得意とする弓使いとの戦闘経験は無い以上、未知なる戦術を繰り出す彼女に称賛を送らずにはいられなかった。

 

「口説いてるんじゃない。褒めているだけだ」

「あら、ごめんなさい。言い換えただけよ。そんな細かいことに拘る男は嫌われるわよ」

 

シノンの飄々とした挑発に、ユズルは目を見張ってしまう。

 

「なら…もう少し嫌われる戦い方をしよう」

 

先ほどまで向けていた剣の構えをさらに低くし、それまで以上にシノンとの間合いを計る。

 

¨遠距離はシノンの方が有利…あの弓で二本・三本の矢を同時に射掛けられると距離を取られる。このまま遠距離から戦われると急所を狙うのは厄介だな¨

 

「それなら――」

 

一気に体が触れる距離まで詰め寄る。

 

¨ゼロ距離だ!¨

 

かがんで低飛行から片手剣を昇らせようとしたが、彼女は弓で軌道を外させながら身をかわし、弓の姫反で、彼の首を狙う。

 

「お互いに裏の読みあいね!どこまで耐えれるかしら!?」

「喰らいついてやるよ!シノンに認められるまで!」

 

息が頬にかかるほど接近した打ち合いはボクサーがすっと頭や身体を最小限の動きで避け、パンチをする逃げ場のないリング。互いに戦場を切り替えた戦いは、第二ラウンドに持ち越された。

 

 

広大なアルブヘルムにて『流水』の異名を持つプレイヤーと二万人の閉じ込められたソードアートで『諸悪の根源』と狙われ続けたプレイヤーの抗争に引き寄せられて、テーブルのパフェを放置したクラインとフカ次郎は、横並びで花火大会の賑わう騒ぎに歓迎させられた。

 

「もう実力を試すとか、さっきまでパフェを食べれなかった八つ当たりだったのが…なんか途中から主旨変わってないか?」

「お互いになんかじゃれ合ってる――つうか、仲の良いペットがオヤツの取り合いをしているとか、そんな感じに近いか」

 

クラインは肩をすくめてみせる。

 

「でもどうしましょうか。私としては、シノンさんの攻撃を全部避けている時点で、もうユズルさんを認めていますけどね」

 

困った顔をしたシウネーに、スリーピングナイツのメンバーは¨うんうん¨と頷く。

 

「ここまでユズルはノーダメージだ…まるで死角まで見えているような察知能力は目を見張るな。俺もグランドクエストに参加させるのは問題ない」

 

テッチが首を縦に振った。ちょうどその時、歩けるまでに回復してきたジュンが近づく。

 

「いや、あれは同じ人間か?あんなに凄い戦いで話しながら戦える余裕っておかしいぞ」

 

規格外の乱戦に微笑の一歩手前まで引いていたジュンの気分は、ユウキの明るい声に意識が向けられた。

 

「ボクも文句はないし、二人ともあんなに戦えて凄いよ!!お姉ちゃんとユズルならどっちが強いかな?ねえ、お姉ちゃん」

 

爛漫さを隠さないままにランの顔を見れば茫然と見つめる姉がいた。

 

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「え!?うぅん、ユウキ何でも無いわ。皆も実力を認めたなら、そろそろお開きにしないとね」

「あれだったら割り込んで止めて来るよ。二人ともどんな顔をしてくれるかな」

 

腰に差した片手剣を引き抜いて肩を回すユウキの前に、フカの手による邪魔が入る。

 

「あ~あれは大丈夫だ。シノンも実力を測りながら戦っているっぽいから、止めに行かなくてもすぐ終わる。あたし達は飛び矢がこないように離れて見てようぜぃ」

 

長くパーティメンバーとして関わっていたフカにとって、シノンはあまりつかみどころがなく、表情こそクールであるも、自分の認めた仲間は大切にする優しい心あるプレイヤーだ。ユズルの弾いた飛び矢を、顔を反らして回避したところで、また小さな声で呟いた。

 

「やっぱ面白いプレイヤーだねぇ」

 

 

剣と矢で攻め、僅かな隙には足で蹴る攻防戦は既に、泥沼になっていた。大地に零れた石や薙ぎ倒された樹木には戦火の爪跡を彷彿とさせる。現実はただの一騎打ちであるが。

 

¨シノンの動きは無駄がない――それは最小限の動きだから褒めるべき点だ。まぁ、だからこそ慣れてきた相手には正確な射撃を生み出す目線から射程場所を見破られる。これは…クセだな¨

 

弦を片手剣の横で叩きつつ、隙があれば眉と眉の間にある額に剣を突き刺す算段でいた。これはシノンも接近戦を持ち込まれた時点で予知はしている着地点であり、重心を足先に移動させた時点で矢を構えた彼女が叫ぶ。

 

「そこまで!――手荒なことをしたわね」

 

熱く清爽で引き締まっていた空気はシノンの発した数秒の声に破られた。

 

「なら武器を納めよう。まだ暴れ足りないにせよ、このままだと話せないからな」

 

表情こそ変化せずにシノンはユズルの目を見張る。隙を見せた相手に不意打ちが目的でなく、ただ単に冷静な会話をするためだけの提案なのだと解ると、その意図を理解して弦を背中に深く差し込む。ひとまず気勢を削いだ段階で、ユズルも『名無し』を仕舞い込んでからシノンは静かに先を続ける。

 

「グランドクエストに参加したいプレイヤーには裏切り者も多い。確かめさせてもらった」

「何をだ?」

「アンタの強さ――それとアンタは二心ある奸物じゃない。それが分かって安心したわ」

「だったらわざわざ戦わなくても良かったんじゃないか?」

「アルブヘルムはプレイヤーキルを推奨しているゲームなのよ。相手を深く知るには戦わないと何も分からない」

 

ユズルの方に返事はないが、不満な様子はない。彼の深い溜息に若干の苛立ちを覚えるも、シノンを素面に戻すには充分であった。戦闘から自由を得られた彼女は崩れかかった服装のしわを伸ばしてユズルの視線から外れるように、少し横向きになると、服を弾いて整える。そんな健康美ある姿を退屈そうに見ていたユズルに、シノンは思い出した様に言う。

 

「あっ、少しよ、ほんの少しだけ。安心したのは」

「それはどうも」

 

一瞬、しらけた気持ちにとらわれる。昨日まで新人だから認めない言い草からの手の平返しだ。そう思い、シノンの真意を垣間見た後で彼女の不安定さを見せつけられた気がして少し気が滅入る。同じ危うさでもシリカの方が心強い。勝手なことを言わせて貰えば残念である。

 

¨だが実力や相手を思いやる心は本物だった…精神の不安定さは仲間で支え合えばいい。まずは、このゲームに長く慣れ親しんでいる彼女に案内役を頼んだ方が動きやすいか….¨

 

オープンワールドに近いアルブヘルム・オンラインでは正規の道もあれば、裏道も少なからず存在する。真正面からグランドクエストに向かうものならば他の種族から妨害を受ける可能性があった。もし、古参プレイヤーかつ、実力者と出会えば間違いなく攻略の障がいになる。

 

¨長くゲームをしていたプレイヤーの前に新人プレイヤーがグランドクエストを攻略される。聞こえはいいが、古参プレイヤーからすればこれほどプライドを傷つけることはないな¨

 

ユズルは頬をかきながら、攻略を急かした後の恨みに対応しなければならない難題から離れたかったこともあり、テーブルに三つのパフェを並べていく。

 

「さて…腕試しも終わったならまだ食べてない人にパフェを配るよ。ほら、シノンも」

 

最後はシノンに声をかけながら、マンゴーやメロンなどの余ったフルーツを飾った重量感あるオリジナル・アソートパフェを置いた。

 

「あら、私の分のパフェは残ってないんじゃなかったかしら?」

「あぁそれでも一つしか作ってないとは言ってはいないよ」

 

パフェが残っているだけではあるも、シノンの尻尾がピンと張ったのを見逃していない。クールな表情からは想像できないほどに身体は正直だ。シノンはあくまでも静かな口調で話を続ける。

 

「騙されないわよ。一つしか作っていない…私の分を作ったとは言っていない」

「…シノンの分を作ったとも言ってはいない。だから誰のものでもない」

「そうね…それならそのパフェは私のね」

「間違いなくシノンのものだ。気にせず食べていいぞ」

 

テーブルにパフェを並べれば、戦闘による余韻から先ほどまでのおしゃべりをしながら食べている様子はない。目の前の器をがっしりと掴み、瞳孔は開いたまま、ただクリームの甘さと艶のあるフルーツの誘惑に溺れていた。

 

「シノンもジュンも夢中に食べているか。作ったかいがあったな」

 

ユズルは微笑んでから、身体の向きを変える。近づいてくる彼に、クラインは少し驚いてから、フカ次郎と距離を取った。そんな彼に「ちょっと待って」と言い――視線は隣で片足を組むフカ次郎に向かう。

 

「兄貴と少しだけ話したい。ちょっとだけクラインを借りていい?」

「なんであたしにわざわざ言うんだよ」

「それは…まぁ…何となく?」

「別にぃかまわねぇぜ...ったく、シノンみてぇな奴だな」

 

ユズルにそう答えた後、怪訝な顔をして足組をやめ、ちらりとクラインを見てから背中を軽く叩いて彼を後押しする。それを『はい』と捉えたクラインは、苦笑しながら離れていく。二人だけの隠し事をしている様な感じは、なぜかフカ次郎の心を虚しくさせていた。

 

 

二人の会話には常ならぬ特色があった。クラインは上機嫌でいるのに反比例して、ユズルの声には一欠けらの精彩さを欠き、提案するテンポや受け答えするテンポは遅れている。何か危険な出来事に首を突っ込もうとしている猜疑心よりも、いまクラインは仲間から聞いたただならない雰囲気をしていたユナらしき人物の様子と、この焦燥感には関連性があり、しかも自分では解決まで至らない現実があることを、なんとなく悟っていた。

 

目の前で話す弟分に、おどけて応じつつも自分は落ち着き払って耳を傾ける。

 

「やっぱりユナに伝えるには自分が剣舞をして、音楽を流行らせた方がいいか」

「いや、それはちと難しいぞ。有名なプレイヤーなんていくらでもいるんじゃ、いくら剣の実力があっても広まる前に埋もれちまうからな。やっぱ俺が動いてユナちゃんの歌を広めた方がおめぇも動きやすいだろ」

「だが兄貴もサラマンダー族から離反してるんだから同族からも狙われる。たとえ僕が先に動けたとしても救援に向かえる距離にいないといけないよ」

「だろうな。だから一つ手を考えたぜ。まず移動式で俺の得意な小料理の屋台を用意する。案内役はフカ次郎さんに頼んで小道や裏道を使いながら他の領地で料理を出すんだ」

「…移動式の屋台か」

「ここいらじゃ、上手い料理は珍しいから物珍しさで食べにくるだろ。そこにユナちゃんの音楽を流してプレイヤーに唄を覚えてもらう。唄を覚えた奴の代金は無料にしてな」

 

クラインは人差し指を立て、ここが重要と言いたげな仕草をする。

 

「その唄を流行らせれば、手伝ったプレイヤーには褒美を増やす。プレイヤーが増えた分だけサラマンダーの奴らは俺を倒しには来れにくくなるから安全だ。覚えたプレイヤーが他の領地で歌っていれば流行り歌で広まってユナちゃんに届くし、知名度を上げれば俺も安全になるから、ユズの字もグランドクエストのある場所まで行くのに時間を稼げるだろ?」

 

ドヤ顔で鼻を鳴らすクラインに、ユズルは微笑する。

 

「…それなら悪くないな。それで何の店をするの?」

「おでん屋だ」

 

一兆鉢巻きをしたサラマンダーに金色の髪を縛ったシルフ。傍からは若大将と女将さんのおでん屋台。今度こそ堪えきれずに、ユズルはつい吹き出してしまった。

 



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16話 どうせなら、あたしはベッドでマグロになりたかった…

時間をかけてフルーツパフェを食べ終え、シノンは充実感に満たされながら今日のやるべきことをそのまま終えるものと、本人は確信めいていた。フカ次郎による呼び出しからリーファとの激闘に費えた心労とはうってかわって、これからは底の見えない実力者のユズルをパートナーに誘い、グランドクエストまでの道を案内してからは心地よい疲労に揺られながら、ベッドで眠る。今の段階では絵空事に思っていたグランドクエストを攻略する未来だったが、クラインによるフカ次郎を誘う言葉に吹き飛ばされてしまった。

 

「フカ次郎さん、俺たちの今後(の攻略の準備)について相談してもいいか?」

「は?…いやいやいやいや!今後って…だってまだ知り合ったばかりで…」

 

明らかに重要な主語を抜かした言葉は告白そのものである。内心の落胆を表に出さずに、無言でアイテムボックスからある武器を探り出しながら、二人の内容に聞き耳をたてた。

 

「あぁ。知り合ったばかりだからこそ、早めに済ましときてぇんだ」

「そんな早めになんて、意外と大胆なんだな」

「まだ分からねぇことも多くてな。こんなことは経験豊富なフカ次郎さんにしか頼めねぇ」

「あたしにそんな(エッチな)経験はないよ。こんなことで初めてをやるなんて――」

「フカ次郎さんにしか頼めないんだ。皆に聞かれても、なんだ…ここよりもそこの林まで行こう」

「分かったよ…でも…そのぅ…優しく逝かしてくれよなッ」

 

クラインの怪しい言葉に夢中になっていたフカ次郎は背後から来るプレイヤーに気付かず、巨大なハリセンで後頭部を叩かれる。乾いた音を響かせた張本人のシノンは、冷ややかな表情に澄んでいた。

 

「おい…そこの馬鹿。とんでもない勘違いしてるわよ。それとさっきから話が変に成り立っているのが腹ただしい」

「痛ってぇ!!殴りやがったな!皆さーん、こいつはクズだぞ、クズ!ユズル、やっちまえ!!」

「何で僕がだ。お前がやれよ」

 

フカ次郎は実力こそユズルを認めているも、彼の頭を抑える仕草には、流石に食い違いを越えた重大な間違いを感じていた。それよりも、ほぼ間をおかずに、クラインは反射的に答える。

 

「はぁ!?俺はただ、移動屋台を開くからそれを手伝えるかを聞くだけだぞ!?」

「移動屋台??」

「ユズの字の言っていたプレイヤーを集める為の作戦で、その準備をしながら話すから、それの手伝いをフカ次郎さんに頼みてぇんだよ」

「お、おぉう…それは大丈夫だ!!こっちも少しばかり早とちりしたぜ」

(…少し???もう如何わしい方向に考えてそう…明らかに頬もあかいし、ずっと照れ隠しで髪を撫でてるし…やっぱり恋をすると普通にはいられないのかしら?)

 

遠くで眺めていたランは声を出さずに疑問視する。人を夢中にさせ、理性や常識を失わせる様子に『恋は盲目』の言葉が似合い、この瞬間に彼女の眼を指でこじ開ければ、ハート形の瞳が映るであろう。思わず彼女の眼を開かせたい好奇心を抑えたランは行動に移さなかった自分を褒めていた。

 

「お互いにおっぱじめるつもりでは無かったのね。完全に勘違いしていたわ…急に頭を叩いた御詫びにユズルに慰めてもらいなさい」

「減るもんじゃないからいいけどさ。よ~しよし…痛かったなぁ。シノンもハリセンで叩かなくても良かったのにね」

 

促されたユズルは、片手を伸ばし、フカ次郎の頭をそっと撫でて慰める。さらに痛みを与えたかの表情をする彼女に、これまた難色を示してしまう。

 

「…これやべぇやつだ。頭だけじゃねぇ、心まで痛くなってきた」

「どうみても一回り年下の男に頭なでなでさせられたら、それは辛いわね」

「分かってんならやらせんな!!情けなさで心がボキッと折れんぞ!」

 

ますます気を悪くさせたフカ次郎は、叫びながらツッコミを入れる。その叫び声を、シノンは怖気づかぬままにまくし立てた。

 

「そもそも相手の話を最後まで聞かないで自分の中で終わらせているのが悪いのよ。ついでに他のゲームのことも話させてもらうわ。武器の扱いはいいのに、勢いとテンションで勝手に突撃して相手の罠に引っ掛かるわ、股に銃を挟んで『ネオアーム・ストロング・サイクロンジェット・アームストロング砲』だぜ!!完成度たけーだろ、オイ!って、敵をぶっとばしてた奴がこの程度の事で恥ずかしがるのはどうかと思うわよ」

「ちくしょうめぇ!正論でまくし立てやがって!ぐうの音もでねぇぜ…」

 

やけくそ気味に一回転をしながら、緑園の芝生に寝っ転がる。わずかに残った芝生の周りは色の変わった地面に瓦礫の破片が散乱した場面。華やかさの無い荒廃としたさら地にフカ次郎は胸を抑えたまま手を伸ばす。

 

「もう身体が動かない…皆すまねぇ…あたしの亡骸は東京の豊洲市場まで連れてってくれ」

「ただの観光旅行だね」

「冷凍マグロにでもなったつもり?」

 

まな板の上で死にかけた鯛を連想させながら悔しげなフカ次郎を、シノンとユズルはただ冷静な声色で呟く。フカ次郎はさらに青空に広がる太陽に手を伸ばす。

 

「どうせなら、あたしはベッドでマグロになりたかった…」

 

空を仰ぐフカ次郎の顔面に振り下された白い棒に、彼女の視界は真っ黒になった。ハリセンは確実に攻撃が当たるもダメージは一しか入らない武器。だが、五十%の確率で相手を気絶させる特殊能力を備えている。大抵は役に立たず、初期装備すら劣る武器と皮肉を言われがちであるも、シノンからすれば『調子に乗ったプレイヤー(=主にフカ次郎)の躾け道具』として極めて優秀で重宝していた。

 

「……」

 

パーティを組んでいたプレイヤー達は、こんな調子でフカ次郎の気分に引っ張られていたのだろうか。そう思うと、スリーピング・ナイツのメンバーは、まだましな部類とシノンに同情を禁じ得なかった。

 

 

制裁されたシルフ族の首筋を引きずりながら移動するシノンに誰も何も言わない。大地が抉れ、鳥や自然の声をかき消す災害を起こした張本人にクラインも動くに動けなかった。近づいてくる少女が味方と認識していても、すぐに恐れを抱いた。急にフカ次郎を差し出した真意を読み取れず、その身を固めたままだったのが、その証拠だ。

 

「これで大丈夫ね。スタン状態は続くから今のうちにアンタの計画とやらに巻き込んで逃げられないようにしなさい」

「おぉそれはかまわねぇが…いいのか?返事を聞いてからでもいい様な気が――」

「このヘタレでチキンな奴が細かく計画を聞いて自分から『Yes!』なんて言わない。つべこべ言わずに、さっさと連れて行きなさい」

「あ…そ、それじゃあ遠慮なく連れていくが…おっと、この姿勢…むずいな」

「普段から騒がしいのから離れられるんだからせいせいする。あ、でも――」

 

クラインがやっと彼女の腕を自分の肩に寄り添う形で支えた時にはシノンは既にハリセンとは違う武器を装備していた。成人男人ほどある大きさのボウガンだ。それを両手とはいえ軽々と持ち上げる彼女のいでたちはプレイヤーを越えた化け物の如く。間近にいたクラインは恐ろしさで萎縮していた。

 

「もし本当に手を出すようなら、腹ぁいっぱいになるまで矢をぶち込んで喰らわせてあげるから。そのつもりでいてね」

「俺をどんな目で見てんだ!!間違っても無理矢理はしねぇ!しかも俺は…その、そういうやり方は苦手なんだよ」

 

声色に憤りを滲ませながら、クラインは断言する。

 

(ヘタレと言うには軽々しすぎたかしら。恐れ?慎重?――こいつ、見る限り不器用ね。でも嫌われることを避けてるし、あの子に強引に迫る真似はしないか)

 

彼の慌てる素振りに『嘘』はなく、演技をして誤魔化すのが上手な大人よりは、むしろ子ども並みの純粋さだ。器用に女をたぶらかす優男や無自覚に女を惚れさせる朴念仁の姿には見えない。ゲームの世界でもこの調子では、現実でも異性にはモテる性分ではないと見える。

 

「……お調子者でも腕はたしか、この子を上手に使ってね」

「使うだぁ?そんな風には思っちゃいねぇよ。パーティを組んだからには誰であろうと仲間だ。現実世界でも――たとえゲームであろうともだ」

 

 彼女に脅されたといっても、自分が見境なく『仲間』と思う認識がクラインには珍しかった。二年以上も現実世界と変わらない別世界にいたのを思い出し、クラインはゲームの世界に日常に似た馴染みを取り戻していた。このゲームで全盛期に近い強さのある喜びも、もちろんあったが、その自信以上にフカ次郎との間にある距離感はどこか不安だった。

 

 

 緊張に強張った薄笑いを崩さないクラインに、片腕に抱えられたフカ次郎は伸びたまま動かない。そんな二人が、ウンディーネ領を離れていく様子を見送ったランは、未だ攻略の及ばないグランドクエストに深い森を重ね合わせていた。いくら安全材料を並べていても、皆は無事でいられる保証のない不安にかられていた。

 アルヴヘルム・オンラインは最も勢いのあるVRMMOで自由に空を飛べる魅力に惹かれて始めたゲームであるものの、蓋を開けば、平気でプレイヤーキルを推奨するゲームは優雅に空を飛び交う姿などない。領地ごとに種族差別と格差のある価値観は、さながら現実以上の深いしがらみ。このゲームにランの望んでいた『自由』などない有様は些細な出来事に捉えるには不安が多すぎていた。

 

「――それで、結局、ボクらはどうすればいいの?」

 

両手を組んで背伸びをするユウキは目を丸めて、ついさっきまで見ていたアルヴヘルムの全体図を、もう一度見直す。急に聞こえた声に一瞬だけ身体を震わせるも、ランは改めて、自分の心情に気づかれていないのを確かめてから地図に視線をおいた。

 

「まずユズルさんの仲間と思える人と会ったなら事情を説明して『ユズルは今でもゲームクリアを忘れてはいない』と伝えれば協力してくれるから、打ち合わせをした通りの場所に向かい、そこにいる人物を見つければ一緒に向かう算段よ」

「もし、そのプレイヤーがいなければそのまま大樹に向かえばいい。少なくとも二年もかけて誰も攻略できていないクエストはゲームとして成り立たない。クリアさせる気のないゲームを知れば、近くにいるはずだからね」

 

このゲームを批判する言葉は、これから攻略するプレイヤーの気をそがしかねない言い方だ。だが、この言いぶりをジュンは動じずに言う。

 

「ユズルさん、それだと多分だが、足りない」

 

ジュンは苦虫を嚙み潰したような顔をした。不機嫌な顔が似合う、というのは聞こえこそ悪いが、サラマンダー特有の活発そうな顔立ちと小麦色の肌がより、ジュンの見た目に合っていた。

 

「そのやり方なら、他から妨害でもされたらどうする?最近は、俺の領地にいるユージーン将軍が何か準備をしているそうなんだ」

「結構な有名人か?グランドクエストの準備をしていても、これは別の話だ。もしサラマンダー族の力を誇示するための動きであれば、真正面から構う必要はないよ。不安だったら、情報が拡散しやすいのを最大限に活かして虚偽の情報か噂で相手の準備を迷わせ、敵を錯乱させるだけでいい」

「何をしようが、その動きを見て見ぬふりをしろと?」

「まずユージーン将軍が何をしようとしてるかが分からない。泳がせるだけ泳がせれば、いずれ彼の息がかかったプレイヤーが情報を漏らす。放っておいても誰かが正面から妨害するさ」

 

ユズルとジュンは剣を交差させるように視線を擦らせていた。

 

「あの…これはあくまでも噂ですけどね」

 

シウネーが、ゆっくりと口を開く。あくまでも彼女は、ユズルとジュンの間に不和の様な雰囲気を無かったかのように話しかける。

 

「このゲームで対人戦では一番強いと呼ばれているリーファがここ数日間に、無差別にプレイヤーを倒しているんです。私達は狙われていないんですが、一斉に動けば、彼女は動いてくるのでは?」

「逆だ。グランドクエストに向かってむしろ一斉に動いてこそ、相手からは格好の獲物になる。そのリーファっていうプレイヤーだけじゃない。妨害してくるプレイヤーの選別を行い、戦力を絞れるから丁度いいよ」

「その作戦であれば、ある程度にパーティを分け、ウンディーネ領から同時に出発する必要がありますね。スリーピング・ナイツの配置は私に任せてください」

 

ほんのいっときランは、ユズルを見て目を合わせ、すぐに顔をシウネーに向けた。

 

「お願いします。皆さんは何度も関わっているし、何か緊急事態でも柔軟に対応できるからランさ、いや…ラン頼む」

「――はい。任せてくださいね」

 

 ユズルは少しだけ頭を下げる動作に、ランは顔を合わせず、グランドクエストの地図に色分けをしながらメンバーを振り分ける。これがソードアート・オンラインと同じ様にスリーピング・ナイツと協力しながらクエストを攻略する関係でいられたら――ユズルはそう思わずにはいられなかった。

 無論、お互いのゲームの立ち位置も環境もまるで違う。そんな事態で協力関係が破綻すれば軽口だけでなく、未だ帰還していないプレイヤー達による人体実験の被害が増えてしまう。これは協力し合う関係か、はたまた利用するだけの関係か。少しでも利用する関係を浮き彫りにしてはいけない。

 

空しい感情を胸に沈めたまま、ユズルは皆の食べ終わった食器やグラスを片付けにかかった。

 



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