レスポールとロングヘアー (ふえるわかめ16グラム)
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レスポールとロングヘアー

百合〝風味〟なのかすら怪しい、雰囲気オンリーの短編です。



 わたしはレスポールが嫌いだ。

 

 エレキギターを、プロダクトとして割り切れなかった懐古主義のオッサン用ギターだと、心の底から軽蔑している。三対三にペグが配置された古臭いヘッドに、威張り散らかしたフィンガーボードのインレイ。プレイヤビリティのかけらもないブサイクで丸太みたいなネックには、無駄に仕込み角度が設けられてて、立って構えた時気持ち悪い。わざわざアーチ状に形成されたトップも大嫌いだ。あんなの、デザイナーの自己満足にしか思えない。とにかく、時代錯誤で、意味がわからないくらい重いレスポールが嫌いだ。

 

 だからわたしは、ずっとストラトキャスターを使っている。

 

 ストラトはいい。素晴らしい。レオ・フェンダーがこの世に生み出した魔法のひとつだ。割り切った造形のヘッドは、その実ヴァイオリンのヘッドを真横から見たように美しい——実際はト音記号を模しているらしいけど——し、一列に並んだペグは秩序を感じさせる。控えめなドットのインレイは必要十分。ネックの握りやすさも絶妙で、大きく削られた二つのカッタウェイ(エレキギターのツノの部分)のおかげでハイポジションも弾きやすい。丸みを帯びた輪郭に、体にフィットするコンター加工のおかげか何時間でも弾ける。

 そして、樹脂製のピックガードに取り付けられた電装系の機能美よ。当時ギターという概念を覆したテレキャスターをさらに発展させ、合理化したレオ氏の慧眼は凄まじい。音が細くてノイズが多いなんて言われたりするが、エフェクターやアンプ側の技術が発展した今となっては些細な問題だ。

 

 わたしにとって、ストラトキャスターは魔法の杖だ。

 どんなに嫌なことがあっても、この子を弾いている時だけはすべて忘れられる。爪弾かれた弦の振動が、ピックアップのコイルを通しアンプリファイアから解き放たれ、音楽が生まれるのだ。秀でたところが何一つないわたしの両手から。

 音楽の魔法を意のままに操る杖、それがわたしのストラトだった。

 

 

 **

 

 

 祖父の家の倉庫で埃を被っていたこの子を見つけた時、わたしは中学一年生だった。持ち主のわからないミントグリーンのストラトは、特に何も言われずにわたしの物になった。両親はわたしなんかよりよっぽど出来の良い兄にしか興味がなかったが、頑固者で偏屈な祖父だけはわたしのことを何故か気にかけてくれていたので、後日練習用のアンプやシールド類なども買い揃えてくれた。祖父はどうやら古いロックが好きで、一緒に沢山のCDも譲ってくれた。

 

『まあ、お父さんには内緒だ。がんばれよ、ひなた』

 

 オンボロのミニカに乗ってアンプを届けてくれた三日後に、祖父は急逝した。

 あのときわたしは、甘やかしてくれる祖父への照れ臭さや、お節介を焼かれたことに対する反抗心から、素直に礼を述べることができなかった。それは今も、胸の底に澱となってこびりついている。

 

 

 

 そうして、ギター以外の碌な思い出のないわたしは、最寄りの高校へ進学した。良くも悪くもない、若干悪いくらいの公立校だ。ただ、幸か不幸か、この学校には軽音楽部が存在した——いや、わたしにとっては不幸だろう。

 

 わたしが居場所を得られるなんて、思い違いも甚だしい。特別荒れていたり、悪い噂のあるような部活ではなかったが、わたしはあっという間に孤立した。

 

 心当たりはいくらでもある。まず、わたしはコミュニケーションが苦手だ。挨拶ですら、急に声をかけられると頭がフリーズして、まともに受け答えできない。そして、どうしようかと答えあぐねている間に、相手は怪訝に眉を顰めて離れていってしまう。そのくせギターばかり上手くて(自分で言うのはすこし恥ずかしいけど)、余計に近寄り難い雰囲気になってしまうのだ。

 

 チビで、癖っ毛で、不愛想で。どう考えても陰気臭いわたしなんか、自分ですらバンドに誘いたくないと思う。

 こんなに簡単なことに、どうして今まで気がつかなかったのだろう。漠然と憧れてきた音楽活動も、結局コミュニケーションがモノを言うのだった。

 

 そして、同級生の子に、わたしとは真逆な存在がいた。

 彼女は背が高くて、サラサラのロングヘアーで、よく笑う。ギターはあまり上手くないが、誰からも好かれていて、自然と笑顔に囲まれているような子だった。さらに、愛機は黒いギブソン・レスポールカスタムで、わたしのボロボロのストラト——しかもメーカーはグレコの紛い物——とは雲泥の差だ。

 

 自分でも笑ってしまうくらいにつまらない嫉妬心が原因で、わたしはその子が嫌いになってしまった。視界に入っているだけでイライラして、話し声を聞けば消えたくなる。そして妙に音作りだけがいいレスポールの音が聞こえるたび、アンプの電源を引っこ抜いてやりたくなった。

 

 

 **

 

 

 だからわたしは、早いとここんな場所からドロップアウトするべきだったのだ。

 他の同級生が、友達同士や音楽の趣向が合う者同士でバンドを組んでいくなか、私は案の定あぶれてしまっていた。いるだけ無駄な状態のわたしだ。正直、律儀に出席している分周りに気を遣わせていたかもしれない。

 

 ある日、部会などに使っている空き教室にイヤホンを忘れてしまった。バンドの練習場所は視聴覚室なので、その教室には誰もいないだろうと思っていたが、こんな日に限って先客がいたのだ。

 

「——だけど、どうすっかな」

「ううん、なかなか——」

 

 わたしが教室のドアの前に立った時、室内から先輩と思しき人の会話が聞こえた。生まれ持った人見知りを発揮して咄嗟に隠れたが、一瞬だけ教卓にもたれ掛かり会話する影が見えた。確か、三年生の先輩で、部長と副部長の男子二人だ。得体の知れない嫌な予感があったが、一度耳にしてしまった会話だ。どうしても好奇心が勝ってしまい、聞き耳を立ててしまっていた。

 

「毎年の事だけどさあ、やっぱバンド組めない子出てくるんだよなぁ」

 黒板に何かを書いているんだろう。会話の間に、カツカツと板書の音が混ざっている。『バンドを組めない子』の言葉で、心臓がズキリと痛む。手のひらに、嫌な汗が滲んだ。

 

「できればみんなに組んでもらいたいけどね。そういやさ、一年の女子でめっちゃ上手い子いるじゃん、ギターの」

「あぁ。グレコのストラトの子ね。確かに上手いんだけど、周りと合わせられてないんだわ。なんつうの、絶対にプロ志向! みたいな意識の高さがあればまだわかるんだけど、特にストイックって感じじゃないし、いまいち何がしたいのかわからん」

 

 ざっくばらんな口調の先輩が「他のメンバーに文句言いながら引っ張ってくれる漫画みたいなキャラだったらまだ可愛いんだけどさ」と続ける。

 それに、わたしの他にも、バンドを組めていない子は何人かいたが、『グレコのストラト』ときたらわたし以外にいない。紛れもなく、彼らの話題はわたしについてだった。

 

「手厳しいなあ。でも、まあ、そこなんだよね。多分なんでも弾けちゃうんだろうけどさ」

 

 物腰柔らかそうな先輩が「上手いだけじゃね」と言葉を重ねた。その声音には、なんとも言えない感情が乗せられていた。それは、哀れみだろうか、それとも諦めだろうか。

 

「つーか一年のギターは杉澤ちゃんいるから全体的にかわいそうだわ」

「あぁ。確かあの子音楽一家だっけ。理解がある家でいいよね。まだ初心者だけど明るいし素直だし、みんな一緒に組みたがってたよね」

「ぶっちゃけめっちゃ可愛いよなあ杉澤ちゃん。ああいう子が一人いるとバンドが華やぐわ」

「逆にショウゴみたいなのがガールズバンドにいたら台無しだもんね」

「ぶっ飛ばすぞてめえ」

 

 また、杉澤雫(すぎさわしずく)だ。

 たいして上手くないくせに顔と愛想がいいからすぐに部活に馴染んで、すぐにバンドも決まってたあいつ。わたしの大っ嫌いなレスポールを弾く、嫌味ったらしいサラサラロングヘアーの後ろ姿が脳裏に蘇った。

 

 たぶん、わたしは悔しかったんだろう。訳の分からないうちに目元が熱くなって、鼻の奥がツンとするのを感じたわたしは、イヤホンのことなんか忘れたまま昇降口に駆け出していた。

 

 わかっていた。

 わかっていたのだ。

 わたしなんかがバンドを組むなんて烏滸がましいと。こころのどこかでそんなことを自虐的に考えていた。でも実際に、人間の生の言葉として突きつけられたら、悔しくて悲しくてしょうがなかった。

 

 わたしは、心の中の熱源が、急速に冷えていくのを感じながら家路についた。一筋だけ頬を伝った涙はすでに乾いていて、あれほどの激情もあっという間に引いていった、わたし自身の無感動さに我ながら感心した。

 

 その日、数ヶ月振りにギターに指一本触れることなく眠りについた。

 

 

 ****

 

 

 校庭の八重桜もすっかりと散り、ひとりぼっちの学校生活にも慣れた頃。生憎この学校は一年間部活への所属が強制されているため、わたしは幽霊部員になってしまった。

 あの放課後の出来事が思っていたよりショックだったのか、わたしは数日間ギターを弾かなかった。でも、すでに生活の一部になっていたのか、ギターを弾かないと何をしていいのか分からず、今じゃまた部屋で一人かき鳴らしている。

 

 ただ、以前のような情熱はどこかへいってしまった。テクニックの向上を目指すわけでもなく、耳慣れた曲を繰り返し奏でては、飽きてを繰り返す。一度冷めてしまえば、悲しいことに楽器自体の扱いもすこし雑になってしまっていた。気がつけば、ストラトのカッタウェイに埃がうっすらと積もっている。今までは、必ずウエスで拭いてからスタンドへ立てかけていたのに。

 

 指で拭えばすぐ取れるような埃を、意識して気に留めないように無気力にコードを鳴らしていた時、弦が切れた。エレキギターには、細い方から三本がむき出しの針金のような弦が、太い方からの三本には芯材の上に極細の針金が巻かれているような弦が張られている。今回切れたのは太い方から三本めの弦で、芯材が『ビョン』という情けない音とともに切れてしまった。

 

「あぁ……。替え弦ないや……」

 

 ピックなどの消耗品が仕舞われている引き出しを開けるも、新しい弦はない。どうやらいつの間にか使い切っていたらしい。

 ……今日は学校の創立記念日で休みなので、生憎とまだ日が高い。今から替え弦や消耗品を買いに街へ出ても、門限には十分間に合うだろう。わたしは引き出しを開けてしまったことを後悔しつつ、適当なパーカーを羽織り家を出た。

 

 

 **

 

 

 わたしが商業ビルのテナントの一角を占める楽器店に着いたときから、ずっとギターの試奏の音が響いている。

 低いチューニングのエレキギター。多分、アクティブ回路を搭載したメタル系向けのギターだろうか、カリカリに歪ませた音でズグズグ、ゴンゴンと()()()()なリフを繰り返している。

 ただ、どうにもたどたどしい。メタルコア系の弦飛びフレーズのリズムがヨタヨタしている。

 

(あんまり上手くないな)

 

 そこそこな音量で延々とリフを奏でるギタリストへ、度胸だけはあるんだなと勝手に評価した。でも、音作りは割といい。強く歪ませると、ペラペラになったり、逆に低音を強調しすぎて潰れたりしやすい。しかしこの音はいい具合にバランスが整えらているのか抜けてくる。

 わたしは、ふとどんな人が弾いているのか気になって、アンプの陳列されている方へ足を向けた。

 

(うげっ)

 

 アンプコーナーの角から覗き込むと、そこにはドラム用スローンに腰掛けアンプと向き合う、忌々しい長髪を高い位置で結った杉澤雫がいた。彼女は軽くヘッドバンギングをしながら、なにやら見慣れない黒いギターを一心不乱に弾いている。

 

 ——いや、逆にあそこまで試奏に没頭できるのもすごいな。

 

 わたしは小心者だから、今までほとんど試奏をしたことがない。ネットで検索すれば視聴やレビューの動画はいくらでもあるし、わざわざ公衆の面前で素人の演奏を撒き散らすことなんかしたくなかったから。

 

 というかそれ、売り物でしょ。いいのかよ。

 

 よく見てみると、彼女の抱えているギターはやはりメタルやハードコア界隈で重用されているメーカーのもののようだった。艶消しブラックの塗装の厳しい、レスポールタイプのギター。確か、モデルによるけれどそこそこいい値段がする楽器なはず。しかもなにやら、これまた高価そうなアンプに繋いでもらっている。店員よ、こんなに好き勝手やらせていいのか。

 

 そんなツッコミを胸中で繰り広げていた時だった。

 

「ぬあー! イイ! 欲しすぎる!!」

 

 普段の完璧な立ち振る舞いから想像もできないような、素っ頓狂な声をあげながら彼女はギターを掲げた。

 

「マジかよ」

 

 杉澤お前そんなキャラなの? あとあんた今までも本物のレスポール使ってるだろ。というか独り言の声量ヤバいなこいつ。

 

 再びそんなツッコミが脳裏を駆け巡ったからか、わたしも予想より大きな声が出ていたらしい。ギターに集中していたせいか、それとも羞恥心のせいか、頬を赤く染めた杉澤がぐりんと振り返る。

 

「あっ! 篠原さん!!」

 

「うげっ」

 

 やばい。捕まった。

 

 

 ****

 

 

 わたしは、拉致られるように連れて行かれたコーヒーチェーンのテーブル席で、杉澤雫に拝み倒されていた。

 

「篠原さん、このことは、このことはくれぐれもご内密に……!」

 

 なにこれ。こいつ、こんなやつだったの? 

 そんなに言葉を交わしたことがあるわけじゃないけど、学校で接した彼女とはまるで違う人間のようだ。唖然とするわたしの目の前で、「後生ですからぁ」と呻く立派なポニーテールがしきりに上下している。

 

「あの、別に、言いふらしたりしないので……」

 

「ほんと!? あぁー助かったぁー!」

 

 なんだこいつ……。

 

「その、そんなに知られたくないなら、試奏なんてしなければ……」

「えっ、いやぁ……そのぉ……あのですねえ……」

 

 わたしが至極当然な指摘を繰り出すと、彼女はなんだかちょっと気持ち悪い身の捩り方をしだした。

 

「家で全然弾けなくて、つい試奏しちゃうんですよねえ……」

 

 家で弾けないから試奏するとか、店側が迷惑するだけじゃん。だったらスタジオ借りてやれよ。

 それに、この前音楽一家だって聞いたような。

 

「い、家で弾けないって、どういうことですか?」

 

「あぁー。両親共々アマチュアジャズマンで、なんかナチュラルにロック見下してるんですよねえ……。特にヘヴィー系とか目の敵にしてて、最初軽音入るのも反対されてたんですよぉ」

 

 気持ち悪い角度に身を捩っていた彼女が、ついに溶け出した。まるで百面相だ。もしかして、これが素の杉澤雫なのだろうか……? 

 わたしが言うのもなんだけど、結構癖が強い。

 

「ええ……。じゃあ、あのギターは?」

「将来ジャズもできるようにって、知り合いのギタリストから譲ってもらったんだって」

 

 彼女は虚ろな目をしながら「買ってくれたのは本当にありがたいけど本当にありがた迷惑」と念仏のように繰り返している。

 

「私はぁ、ジャズなんかミリも興味ないんですよぉ……私がやりたいのはヘヴィー系なんですよぉ」

 

 なるほど、だからずっとメタルコア系のリフを繰り返していたのか。

 

「はぁ。じゃ、じゃあ、部活でやればいいんじゃないですか?」

「あー。部活はねぇ、ダメダメだねえ。みんな浅くって……」

 どうやら、彼女のスイッチが入ってしまったらしい。急にしゃっきりした彼女は学校で見かける時と同じような声のトーンになり、身振り手振りを交えた小芝居を始めた。

 

「へぇ何々さんこれこれってバンド好きなんだぁ〜。じゃあオマージュ元のまるまるってバンドわかる? 私あれ好きなんだよねぇ。えっ、はぁ。知らない。じゃあ似た系統だとなにがしってバンドは? ……ご存知ない」

 

 杉澤雫は、長いポニーテールが怒髪天を突く勢いで「ファッキュー!」と叫んだ。なお、お店の中なので小声だが、それでも周囲の視線は集まる。

 わたし、逃げるべきなのでは? と危機感を抱いたが、すでに手遅れだった。彼女の熱弁は続く。

 

「だっておかしくないおかしくない? あなたが好きなバンドが影響を受けたバンド聴かないとか、何やってんの? あなた好きになった人の趣味とか好みとか気にならないタイプ? 普通そんなことないでしょ。推しが生きてればそれだけでオッケーとか思考停止甚だしい。

 ……まあそこで『もったいないから聴いてみなよぉ〜』とか言ってもそういう連中絶対に自分からディグったりしないから私も何も言わないんだけどさ。空気悪くなるの嫌だし。そんな感じなので部活入った意味あんまりないのよね。アンプと練習場所だけくれー」

 

「お、おぉ……」

 

 ロックを見下すご両親と違わずこいつも大概だな……。

 

「くぅー世知辛ぇ……。でもですねえ、私諦めてないんですよ」

 

 何をだ。

 

「篠原さん、部活動体験のとき、タッピングとかモリモリしてましたよね」

「うえっ」

 

 その言葉で、仮入部期間にイキって弾きまくっていた——つまり黒歴史の——記憶が蘇る。大きなアンプを使えることに調子に乗って、できる限りのプレイを披露したら、なんだかお通夜会場みたいに静まり返ってしまったのだ。

 あの時向けられた視線を思い返すと、恥ずかしすぎて思わず顔を覆ってしまう。たぶん、今のわたしは茹蛸状態だ。

 

「あれには感動しましたよぉ。多分ウチの部活の中で一番弾けてるんじゃないですかねえ」

 

 指の隙間から見る彼女は、なぜか得意げに微笑みながら「私耳だけはいいんですよぉ」とのたまう。もうやだこいつ嫌いだ。

 

「なので今日は僥倖です! 棚ボタです!」

 

 テーブル向かいの彼女が、大きく身を乗り出して続けた。

 

 

 

「部活以外でバンドを組んじゃいけないルールはないですからね。篠原さん、私とバンドやりましょう!」

「い、嫌です!」

 本能的に断っていた。

「なんで!?」

 

 

 

 一瞬のフリーズの後、大げさに身をのけぞらせた彼女が、心底驚いた顔をしている。

 関係ないけど、顔がいいとこんな表情をしても変顔にならないの死ぬほどムカつくな。

 

「だ、だいたい、わたしメタルなんて聴きませんから。そもそもあんまり音楽知らないですし……」

 

 わたしはギターが弾ければそれでいいのだ。特定のバンドに入れ込んだこともない。だから、「なんでも聴く」か「あまり知らない」とか便利な言葉に逃げていた。

 

「は? ウソでしょ。またまたぁ、あそこまで弾けるのにそんなことないでしょう」

「教則本とか、ネットの楽譜で練習してきました。あと、と、特に好きなバンドとかもないですし」

「いやいやいや、めっちゃエモいタッピングしてたじゃん!?」

「あれもネットで定番フレーズって……」

「ウッソ……でしょ……?」

 

 ただでさえアイドル並みに大きな瞳を余計に見開いて、何様のつもりなのか。

 というか本当に学校とキャラが違いすぎるなこいつ、どれだけ猫かぶってたんだ。声のボリュームとか、好きなことをまくし立てる時だけ早口になったりとか、選ぶ語彙が完全にオタクのそれだ。よく今までその本性出さなかったなと逆に感心すらする。

 今も彼女は酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせて、大げさに驚いた表情を続けている。あと、体の前でワキワキさせているその両手はなんだ。なんの意味があるんだ、気色悪い。

 

 もう一秒たりともここに居たくないと、わたしは千円札をテーブルに叩きつけ立ち上がった。

 

「あ、あの、わたし帰ります。お釣りは結構です。それでは……」

「アッハイ……」

 

 本当に、なんなんだこいつ!

 たまたま楽器店で鉢合わせただけなのに、人のこと拘束してベラベラと喋りまくって。予想の何倍も変な奴だった。

 わたしは、ギターの弦を買う目的を遂行できず、時間と千円を無駄にしたことに憤慨しながら帰宅した。

 

 

 ****

 

 

 あの奇妙な邂逅から数日が過ぎた。高校最初の定期考査を終えた学校には、いつもより弛緩した空気が漂っている。出来の悪いわたしもなんとか平均点でクリアし、息苦しいテスト勉強から晴れて解放された。まあ、わたしが良い点数を取ったところで、褒めてくれたり認めてくれる人なんていないけれど、赤点よりはマシ。

 そんな、テストの結果に幾許かの充足感と開放感を覚えながら、教室を出て下校しようとした時だった。

 

「うえ」

 

 違うクラスのはずの杉澤雫(変人)が仁王立ちしていた。

 

 足をゆったりと肩幅に開き腕組みをしたシルエットが、廊下から差し込む午後の陽気に浮かび上がっている。背負っているのはギターケースだろうか、結構しっかりしたギグバッグタイプのやつ。

 そのケースのせいもあって、逆光になった顔の表情は少しわかりにくいが、大きな瞳の白目がギラついているように見えた。

 

「いくぜ相棒!」

 

 がばっと腕を解いたヤツが、わたしの二の腕をがっしと掴んだ。

 

「ぐぅえっ!?」

 

 文字通り、拉致られた。

 簀巻きにして頭陀袋を被せられなかったのがせめてもの幸運だったかもしれない。

 やっぱりこいつやべえよ。

 

 

 そして連れて行かれたのは、第三音楽室と掲げられた部屋だった。

 話には聞いたことがある。吹奏楽部の壊れた楽器やその他雑多なものが詰め込まれた倉庫。なぜか『音楽室』とついているが基本的に教員も生徒も利用しない、イマイチ存在意義がわからない場所だった。

 

「ついたぜ相棒!」

 

「ね、ねえ。その、相棒ってなに……? わたしあんたとバンドやるって——」

「でれでれってれー! アンプ!!」

 

 わたしの疑問を遮り、彼女は物陰からキャスターのついたギターアンプ——一般的にコンボタイプと呼ばれる——を引きずり出してきた。それはかなりボロボロで、筐体の角は傷付き木材が見えていて、ところどころスピーカーを覆う布が破けている。

 

「篠原さん、このアンプ直して、ここでギター弾こう!」

 

「いや……えっ……どういうこと?」

 

「このアンプね、どうやら真空管が死んでるだけみたいで……よいしょ、じゃじゃーん! 家から何本かくすねてきました!」

 

 彼女はわたしの疑問に答えることなく、鞄から直方体の箱をいくつか取り出した。

 

「多分使えるヤツだと思うからさ、ちゃちゃっと直しちゃいましょう!」

 

「あの、だから——」

「真空管って見た目もパッケージも可愛いよねえ」

「あのさ! 聞いてよ!!」

 

 ついに堪忍袋の緒が切れた。余すとこなくプッツンである。

 

「あんたとバンドやるなんてわたし一言も言ってない! 大体なんなの、人の話ちっとも聞かないで! 全っ然意味わかんないだけど!!」

 

 頭に血がのぼるのを感じる。生まれて初めて怒鳴り散らかしていることに気が付いて、なんとも言えない苛立ちと高揚感が湧き上がる。

 

「そもそもわたし、あんたのこと嫌いだから。楽器ばっかり立派で大してギター弾けないくせに。どうせ無自覚に周りのこと見下してるの気づいてないんでしょ? ほんとに音楽詳しいならちゃんと他の子にも教えてあげればいいのにさ」

 

 なんだろう。こんな気持ちは初めてだ。

 嫌な気分なのに、口ばっかり、自分の体じゃないみたいにスラスラ動く。体の芯がカッと熱くなって、止め方がわからない。

 

「わかってる……」

「なにが」

 

 自分でも驚くくらい、冷たい声だった。

 

「私、嫌なヤツだってことくらい、わかってるよ」

 

 そして、ようやく気が付いた。いつも人当たりのいい笑顔を浮かべている杉澤雫が、少しも笑っていないことに。

 そんな、少し血色が悪いくらいに思える彼女の顔には、疲労の色が浮かんでいた。

 

「ほんと、糞食らえだよ」

 

 アンプの上にだらしなくどかりと腰掛けた彼女は、暗い目をしている。

 これまた初めて見る彼女に何も言えないでいると、小さくため息をついてから真空管のパッケージを開封し始めた。

 

「私さ、篠原さんと比べて、いい子のフリが得意なんだよね」

 

「今度はなに? 面と向かって悪口?」

 

 二本目の真空管を取り出した彼女が、ニヤリと笑った。

 疲れ切った笑顔だった。

 

「いぃーっつもニコニコいい子のフリして、心の底じゃ他のメンバー見下してさ。ほんと両親のこと笑えないくらい嫌なヤツなんだよ私」

 

 今更何を言うんだこいつは?

 そんなこと、ついさっきわたしが言ったじゃないか。

 

「私だって、やりたいこととか、めっちゃあるんだっての」

 

「なにが言いたいの? 自虐風自慢?」

 

「んー、なんだろ。私でもよくわかんない。でもさ、初めて篠原さんのギター聴いた時、本気で凄いと思ったんだよねぇ。うわーこの人ギター以外に何もないんだって」

「あんたいい加減に……」

「本当に羨ましい。私は余計なものばっかりだから。ほんとクソダサいんだ私は。

 ねえ、どうしてそこまでギターに全部注ぎこめんの?」

 

 彼女は静かに立ち上がると、わたしを見やることもせずにアンプの後ろ側にしゃがみこんで、古い真空管を取り外し始めた。そして、再び口を開く。

 

「入部の時のアンケート、読ませてもらったんだけどさ。マジで思い入れのあるバンドないんだね」

 

「……悪い?」

 

 確かに、彼女の言う通りわたしには特別思い入れのあるアーティストはいない。祖父から教えてもらったビートルズやストーンズ、ツェッペリンやバーズとかの古いロックから、最近の流行りまで。なんでも聴いて弾いてきたが、特定のアーティストに一種の信仰心のような感情を抱くことはなかった。

 おそらく、彼女は特定のバンドやジャンルに強い思い入れのある人間だろう。じゃなければ、この前のカフェのような愚痴は溢さないはずだ。

 

「悪くないよ。ただ、普通は憧れとか、かっこいいとか思ってギター始めるじゃん。どうやってモチベーション維持してるのか知らないけどさぁ、ほんと、どうかしてるよ。篠原さんより何億倍も音楽詳しいし好きな自信あるってのに、ヘタクソなままだし、私」

 

「……あのさ、めっちゃ失礼なこと言ってる自覚ある?」

「あるある。超あるよ。だってこれがほんとの私だもん。私マジクソ性格死んでるからさあ」

 

 彼女は「よいしょ」と、わざとらしい声音の掛け声とともに新品の真空管をアンプへ取り付けた。

 いよいよ、こいつの本性がわからない。そして、彼女は左手を何度か握ったり開いたりして続ける。

 

「あの日篠原さんと話してから、めっちゃギター練習してるんだぁ。

 ……ギターの練習って、めちゃくちゃ地道だよね。私何やってんだろうって何度も思った。メトロノームに合わせて何度も何度も何度も繰り返してさぁ。それでも全然上手く弾けないの。死にたくなるわぁ」

 

「そんなの、どの楽器でも同じでしょ」

 

「ほんと、それ。楽器うまい人ってみんなめちゃくちゃに頑張ってんだねぇ。

 そんで、外面繕いまくりの空気読む能力オンリーで生き延びてきた私がさぁ、ようやくマジになれるもの見つけたと思ったら、篠原さんとエンカウントするんだもん、心折れかけたわ。最初はさぁ、めっちゃうまいし色々教えてもらいたいなんて思ってたんだけど、あなたすぐ部活来なくなるしさ。……でも、この前話して実感した」

 

 失礼千万をべき乗したような杉澤雫が、ギグバッグからギターを取り出しながら続ける。適当な棚にネックを預けて立てかけると、さらにバッグから一本のシールドを取り出す。若干投げやりなその所作と、普段より何段階も低いトーンの声音に対して、わたしは何も言い返せないままでいた。

 

「篠原さん、あなた私と似た者同士だ」

 

 カシャリと音をたてて、アンプのジャックにシールドが差し込まれる。

 

「頭沸いてんじゃないの?」

 

 パチンと音をたてて、その反対側の端子がギターに接続される。

 

「補っていこうよ、私たち」

 

 アンプの裏側、彼女は叩くように電源スイッチを入れた。前面パネルの赤いランプが満を持して輝く。

 

「いや、聞いてた? わたしあんたと何かする気なんてさらさら無いんだけど」

 

 

 

「でも、篠原さんもバンドやりたくて軽音入ったんでしょ?」

 

 

 

 今日一番のいやらしい笑みを湛えた杉澤と視線がぶつかる。

 ただ、トゲのある言葉とは裏腹に、彼女の大きな瞳に嘲るような色は見受けられなかった。その目に宿る色はむしろ、同情だろうか。いや、同族へ向ける憐憫かもしれない。

 

「あ、あんた、あんたみたいな奴にわたしの何がわかるんだよ……」

 

 図星なのだ。

 さっきまでの激情はとっくに鳴りを潜めて、ぽろぽろとこぼれ落ちようにしか言い返せない。握りしめた両拳が、一体どこまで自分の体なのかわからなくなりそうだった。

 

「私もさぁ、周りに合わせてやりたくも無い音楽やってもこれっぽっちも楽しく無いんだぁ。ぶっちゃけ自分を曲げてまでやる恩も義理もないしね、所詮部活仲間だし」

 

 彼女は再び疲れた表情(かお)をして、わざとらしく肩をすくめる。自然な色のリップが塗られたくちびるから、独り言のような言葉が紡がれる。

 

「みんなにやっぱ重いのやりたいって言ったらさぁ、キャラじゃないって笑われちった。まあ、たぶん悪気なんて無いってのもわかってる。でもさぁ、本気で好きなもの、少しでも笑われたら嫌な気分になるのもしょうがないでしょう」

 

 彼女は大きく息を吐き出すと、立てかけたままだったギターを手に取る。右手でギターを持ち上げると、たすきのようにストラップを肩にかけ、反対の手で長い髪の毛をかき上げた。

 彼女のまっすぐで艶やかな黒髪は、まるで液体のような滑らかさだ。きっと、彼女は梅雨の時期、言うことを聞かない前髪に泣かされたこともないんだろう。

 

「だから今のバンド抜けたった。私上手くなりたいし、そのためには篠原さんと組むのが一番だと思うから」

 

「は?」

 

「お願いします、私と一緒に組んでください。お願いします。私上手くなりたいんです。あとできればギター教えてください、私本気なんです! こんな私を鍛えてください師匠!!」

 

 途中から顔を赤くしてまくし立てるように言い切った彼女が、勢いよくガバリと頭を下げた。それも腰から。あんまり勢いがいいものだから、真っ黒な長髪がばさりと広がる。

 

「な、な、な……」

 

 こいつ情緒不安定すぎない? わ、わたしが言うのもなんだけど、やっぱやばい奴だよ。こんな奴の相手、レベルの低すぎるわたしの対人スキルでは正直荷が重い。確実に過積載だ。

 

「篠原さんとやれるなら、メンバー集めだって、スタジオの予約だってなんでもやるから! 煩わしいことはなんでもお任せ! ね!? 顔ファン作ればチケットノルマとか余裕だから!!」

 

 あ、やば。

 この人普通に気持ち悪い。

 自分の価値がわかってるらへん強かでいやらしい。

 

 これもうダメだな。逃げ場がない。きっとこいつはわたしが首を縦にふるまで諦めないだろうし、それならさっさと諦めてしまった方が精神衛生上よろしい。

 

「はぁ……。もういいよ。わかったよ、やればいいんでしょ?」

 

 なんかもう、めんどくさい。押しが強すぎて疲れる。抵抗虚しく無条件降伏だ。それでいいよもう。そもそも目を付けられるようなことをしたわたしが悪いんだ。

 それに、彼女の言うことも尤もだし。いつかバンドをやってみたいと思ってはいたが、結局自分がどんな音楽をしたいかわからないのではお話にならない。そんな主体性がなくて、人付き合いが苦手なわたしにとって、これくらい破天荒な人間の方がバンドを組むにはいい塩梅なのかもしれないと思ってしまった。

 

「お? えっ、いいの!? やった!!!!」

 

「うるさ」

 

 

 そっちがその気ならわたしもお前のこと利用するつもりでいく。そして、とことんスパルタでしごいてコテンパンにして泣かせてやる。そう心に決めたわたしは、目の前で小躍りする彼女を「マジで踊る奴っているんだ」という感想付きで、ただただ眺めていた。

 

 

 ****

 

 

 杉澤雫が、アンプの背面にある二つ目のスイッチを入れる。彼女の白魚のような指が、アンプのボリュームノブをゆっくりと回していく。大きな瞳が、期待半分不安半分に揺れた。

 

「ん! 音出た!」

 

 六本の弦を太い方からジャランとした途端、銀色のメッシュが貼られたスピーカーから、温かみのあるサウンドが飛び出してきた。

 どうやら、無事に直ったらしい。憑き物の取れたような笑顔で、彼女が笑う。

 

「すばらしいクリーントーン! しかし圧倒的に歪みがたりない。せや、メタルゾーンを……」

 

 いつのまにか、彼女の手に古ぼけた真っ黒いコンパクトエフェクターが握られている。ボスの名機、通称メタゾネ(Metal Zone)だ。

 

「ソレ持ってる人初めて見た」

「部室で受け継がれてきた秘伝のメタルゾーンらしいよぉ」

「そんな百年継ぎ足したタレみたいな……」

 

 彼女は子供のような落ち着きのなさでエフェクターとギターを接続すると、迷いのない手つきでツマミを操作して音を作っていく。

 いままで甘かった音色が、バリバリと歪んだ、硬質なものに変わる。彼女はすぐにペグを操作して、チューニングを下げ始めた。

 

「あれ、チューナーは?」

「私絶対音感持ちやねん。ドヤァ」

「ふぅん」

 

 彼女は無反応なわたしにめげることなくドヤ顔を続けた。そんな憎たらしい表情の後ろで、チューニングを下げる際の『ボオーン』という音が繰り返される。

 

「できたー!」

「だいぶ下げたね、音」

「これでもドロップCシャープだよぉ」

(ひっく)

 

 そんなわたしのリアクションに満足したのか、なぜか咳払いをひとつすると、ザクザクとしたリフを弾き始めた。以前聴いた時より、フレージングなどが随分とスムーズになっている。

 それも、彼女の左手、真っ赤になったその指先を見れば納得だ。

 

「……ねえ」

「んー?」

「ちょっと弾かせてよ」

「んー。はいどうぞ」

 

 ストラップにかかった長髪を鬱陶しそうに払った彼女が、黒いレスポールを差し出す。

 実はわたし、本物のレスポールを持つのは初めてだったりする。

 ……つまり、わたしも弾かず嫌いで意地っ張りの、こいつと同じ穴の狢なんだ。

 

「重い……」

「でしょ」

 

 椅子に座った状態で構えると、右の太ももにボディーの角とが当たって微妙に痛い。それにピックガードの取り付け金具が微妙に気になる。体に触れる部分にネジ留めとかアホなのか。

 初めて弾くけど、だいたい予想通り。あと、意外とピックアップのエスカッションが邪魔臭い。こんなところまで徹頭徹尾気に入らないとは恐れ入る。

 

「どうよ」

「弾きにくい」

 

 わたしがにべもなく返すと「それを言っちゃあおしまいよ」と彼女が笑う。

 本当に、レスポールなんて嫌いだ。



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