ギャラリーフェイク 手塚治虫・最後の原稿 (しーらんと)
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ギャラリーフェイク 手塚治虫・最後の原稿
贋作のみを扱うアートギャラリー「ギャラリーフェイク」
そのオーナーである藤田玲司は表に出せない美術品を裏のマーケットで売りさばく美術界の鼻つまみものである。
だが、その鼻つまみものを何かと気にかけ、時には助力を乞うことも厭わない者もいる。
それが現在「ギャラリーフェイク」に押しかけ藤田へ仕事の依頼をしている高田美術館の館長、三田村小夜子だった。
「私に漫画の原稿を鑑定しろなんて言うのは三田村さんくらいですよ」
「あら、もっと嫌がるものかと思っていたのに、そうでもないのね」
「三田村さんの頼みとあっては断れるはずもない」
「お上手なのね」
「よければ今晩食事でも」
「フジタ!」
顔を近づけ小夜子をデートに誘おうとする藤田だったが、横から割入った褐色肌の少女に引き離された。
「なんだサラ、仕事の邪魔をするな」
「仕事違う! 鼻の下伸ばしてた!」
「それじゃ藤田さん、よろしくお願いね」
微笑みを浮かべた小夜子がギャラリーを後にすると、後には藤田とプリプリ怒っているサラしかいない。
小夜子から渡された資料をサラに見せながら藤田は弁明をした。
「そうヘソを曲げるな、仕事の話をしていたのは本当だぜ」
「それ漫画? フジタ漫画読むの?」
「俺は読まないさ、だが金にはなる」
漫画。
日本の文化として世界に輸出され、知名度だけでは写楽、北斎を凌駕するサブカルチャーである。
ルーツを辿れば平安時代の鳥獣戯画にまで遡ると言われている。
たかが漫画と軽んじられていたのは昔の話、ルーヴル美術館や大英博物館で展示会が開かれることは珍しくなくなり、藤田が学芸員(キュレーター)を務めていたN.Y.のメトロポリタン美術館(メット)でも源氏物語を扱った日本の漫画が展示されている。
産業としての漫画業界は一大メディアとして台頭しているが、藤田の扱う美術関連とはまた異なる専門の世界だ。
藤田は漫画も読む趣味もなく専門で勉強したこともない。
にもかかわらず小夜子が仕事を依頼してきたにもは理由があった。
「サラ、京都に行くぞ準備をしろ」
「三田村さんのお願いだとすぐにやるんだ。スケベー」
「仕事だ」
頬を膨らませながら使い慣れたトランクケースを持ち出し着替えを詰め始めたサラを横目に、藤田は小夜子から依頼された内容を思い出していた。
◆
「手塚治虫?」
「ご存じかしら」
「そりゃあ名前くらいは私でも知ってますよ」
手塚治虫と言えば漫画の神様と言われるくらいに高名な人物である。
鉄腕アトムを代表にジャングル大帝、ブラックジャック、ブッダ、そして火の鳥。
今の漫画業界の基礎を作り出した人物であり、全ての漫画は手塚によって足跡がつけられていると言っても過言ではないほどの多様な作品を生み出し、最期は病院のベッドでも仕事をしながら倒れたとされている。
彼の影響から漫画家を目指したものは数えきれないほどの数になる。まさに今日の漫画業界を作った人物である。
「今度、高田美術館で手塚治虫展を開催することになったの、別館ではなく本館でね」
高田美術館では従来の芸術品を展示する本館だけではなく、アニメなどの新しい芸術となるものを扱った別館が存在するが漫画家の展示を本館で行うというのは大変な英断であると思われた。
「本気ですかい?」
「漫画はまだ若い文化だと思われがちだけど、1コマの風刺絵などでないフキダシを使った今の漫画本の形になってから100年近くの歴史があるわ。もはやサブカルチャーではない純粋な文化としての側面を浮き立たせたいの」
小夜子がパンフレットにする予定の原稿のサンプルを取り出しながら藤田に説明をするが、当の藤田はあくびをしながら興味もなさそうである。
「それで根付いた文化として展示を行おうと?」
「そういうことね、低俗なだけではない芸術としての漫画を知ってもらう。そういう試みよ」
「私は漫画なんてものは読みませんが、手塚治虫なんて有名人は他の美術館でもう何度も展示されても珍しくないんじゃないですかね」
「そうなのよ。既に手塚治虫展を行っている美術館はあるわ。高田美術館が展示をするというだけでない目新しさが無いと人が来てくれない。だから目玉になる展示品が欲しいの」
「まさか私に探してこいなんていうんじゃないでしょうね」
「展示物は決まっているの。手塚治虫の”最後の原稿”よ」
病院のベッドで他界する直前までペンを握ろうとしていた手塚治虫の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったと言われている。
当時連載中だった『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』の3作品は絶筆となっているが、死の寸前まで原稿と向かい合っていた手塚治虫が最後に手掛けた原稿は一体何だったのか。
あと40年は描きますよと語った手塚だったが、自らが医師免許を持っていた為おそらく病症と余命についても知っていただろうと思われる。溢れ出る情熱とそのエネルギーを最後に受け止めた原稿は、人々の心に訴える芸術品に他ならないだろう。
「当時の病室で最後手元にあった原稿については押さえてあるわ。これを見て」
小夜子が取り出した保管用のガラス容器に入れられた紙片には四角い原稿用紙に黒い線で大きく〇が描かれていた。
「これが?」
「ええ、ただの丸なの」
「綺麗な真円ですが漫画家もコンパスを使うんですか」
「使う人もいるでしょうけれど、手塚治虫はフリーハンドで円を描けたと言われているわ」
「それは大した腕だ」
口に手を当て考えこみながら容器を手に取る藤田が小夜子に尋ねる。
「最後の原稿がただの落書きだったらどうするんです?」
「落書きでもいいのよ、ヒョウタンツギでもドラえもんでも、ただ最後に何を書こうとしていたのか知りたいの」
「それを私に鑑定しろとおっしゃる」
「その通りよ」
「私は漫画に関しては門外漢ですぜ、もっと専門家がいるでしょうに」
「藤田さんに鑑定して欲しいのよ、芸術家の作った芸術品としてね」
ウィンクをする小夜子に反論する気も失う藤田だった。
◆
「フジタ、キョートで何見るの? ニジョージョ? キンカクジ?」
「そんな観光をしに来たんじゃない、言っただろう仕事だ。行くのは、ここだ」
京都国際マンガミュージアム。
元小学校を改築した漫画に関する資料を集めた日本最大の漫画博物館である。
「ここに手塚治虫の原稿がある」
「マンガなら本屋さんで買えるよ?」
「印刷された本ではダメだ。直筆の原稿に残された筆圧、筆の角度と運び、そういったものを感じることができない」
「マンガでも?」
「漫画のことは分からん。だから美術品として見る」
鑑定依頼をされたのは円が描かれた原稿一枚である。
真贋の鑑定の必要はなく、何が描かれようとしたのかを見極めるという特異な鑑定だ。
これがマンガのコマなのかフキダシなのか、あるいは何かのキャラクターなのか、それを判別するには原作者本人の肉筆を観察し記憶する必要があった。
力の入れ方、ペン先の流れ方、勢い、線の太さ、線の抜き、そういったものは全て描き方が違う。アトムにはアトムの描き方があり、ブラックジャックにはブラックジャックの線の引き方があるのだ。
展示されている原稿や普段は公開されていないものも小夜子を通して閲覧させて貰う。原稿を手に取り1枚の紙に残された作者の息遣いを感じる。
マンガを芸術品として見た場合、西洋美術というよりは日本画に近いものを感じた。基本は世界観のデフォルメだ。人物の記号化、演出効果、連続する紙面による物語という独特の表現。
藤田は残されている原稿をつぶさに観察することによって、小夜子から依頼された「最後の原稿」が何を描いたものなのかを判別しようとしたのだった。
~5日後~
「フジタ~、私もう一人で観光するの飽きたよ~」
「もうすぐ終わりだ。明日には一緒にどっかに行ってやるから我慢しろ」
「むぅー分かったよ」
頬を膨らませるサラを置いて藤田はマンガミュージアムに足繁く通っていた。
「三田村さんの言う通り、文化がぎっしり詰まっているかもしれないが……」
世間で評価されているのはそこではないのだろう。
原稿を眺め続けていたのは初日だけで、その後は並行して保管されている蔵書から手塚治虫のものを読み続けている。
仏教芸術から入りやすいかと思いブッダから読み始め、三つ目がとおる、七色いんこ、と次々に読み進めていた。
「くぅ……さすがに目が疲れてきた」
普段の絵画の修復などとは全く異なる疲労感である。
読み終えた漫画を返し、強張った体をほぐすために展示品を見て回る。
「作風を知るためにと読んでみたが、いまだにあの原稿が何を描いたものなのかは分からない」
原稿のクセを見れば判別できるだろうと考えていた藤田だったが、完璧な自信を得ることができないでいた。
原稿は見た、漫画も読んだ、丸と棒で描かれた人間であっても手塚治虫が描いたものであれば何を描こうとしたのか見破る自信はある。だが…………。
「あの円はそういったものでは無い気がする」
ただの直感だったが、そういったインスピレーションを蔑ろにする人間が失敗することもよく知っていた。
「おそらくキャラクターではない、生命を与える息遣いが感じられない。だがエネルギーには満ちている」
独り言を言いながら手塚治虫の来歴を見る。手塚が何を考えていたのか、最後に何を描こうとしていたかのヒントを得ようとするがすでに何度も見た内容で今更新しく知る情報はない。
「ダメだな……気分転換でもするか」
何か感じるものはあるもののはっきりと正体が分からない。
精巧にコピーした贋作の鑑定の方がよっぽど簡単だと後悔しながらホテルへと戻った。
~翌日~
「フジタいくよ!」
「へいへい、一体どこに行きたいんで」
「有名なところは大体いっちゃったから……ココがいい!」
「はぁ、こりゃまた当てつけだな」
旅行ガイドのページを開くサラの指さす先は、源光庵と書かれていた。
源光庵。
観光スポットとして有名な「悟りの窓・迷いの窓」がある。
「悟りの窓」は丸く大宇宙を表し、「迷いの窓」は四角く人間の生涯を表していると言われる。
「んー、これが宇宙なの?」
「お前には難しかろう」
「じゃあフジタには分かるの」
「分からん」
藤田も悟りとは程遠い位置にある俗物である。
「だが窓から見える景色、窓と組み合わせた美しさは一級の芸術品だ」
「うん、それは本当にキレイ……」
新緑の緑、紅葉の赤、降雪の白、季節により姿を変える景色は決して飽きさせない。
刻一刻として姿を変えながらも変わることのない悠久を感じさせる美術品である。
「やっぱり俺にはこういうものの方が向いている」
「マンガの仕事うまくいってないの?」
「あぁ……適当に理由をつけてコレだということはできる。だが俺の中ではっきりと断言できるものがない」
「ふぅん、フジタも迷ってるんだね。迷いの窓ばかり見てないで悟りの窓も見なよ」
「おいおい、別に見たから悟れるってもんじゃ……」
四角い窓から丸い窓へ、隣り合う部屋に作られた別々の窓から外の景色を見ても何かがわかるはずもない。
変わらず迷いの中にある藤田が眺める先の窓の中で風が吹き、巻き上げられた葉が一枚、部屋の中に入ってきた。
「うわっ」
「どうしたのフジタ」
「いや……窓からこっちに入ってくるとは思わなかった」
「変なのっ、窓だから出たり入ったりするよ」
コロコロと笑うサラを横目に、藤田の脳裏には閃きが連鎖して長いパズルを解き明かそうとしていた。
「そういうことか……そうだったのか?」
「フジタ?」
「サラ、東京に戻るぞ」
「えー!」
帰る時も渋るサラを急き立てて荷物をまとめて東京へと戻り、道中で小夜子に連絡を取った。
◆
私立高田美術館の館長、三田村小夜子。
今回、無理を押して頼む小夜子も考え無しに藤田に依頼したわけではない。
もちろん漫画の鑑定を本職にしているような人がいることは知っているし、今回もそういう専門家の頼むことはできる。
だが漫画の専門家の手を通り場所だけ太田美術館に展示するのでは、結局サブカルチャーの枠を超えられないと直感していた。
今回はアートとしての漫画を取り上げる。展示するものは全て美術品であるべきなのだと小夜子は考えていいるのだった。
「はい、もしもし? ええ、それは構いませんけど。分かったんですか? ええ」
電話の相手はギャラリーフェイクの藤田だった。
1週間ほど前に依頼した手塚治虫の原稿の鑑定についての連絡だったが、手塚治虫の原稿を見るために京都のマンガミュージアムに通っていたのは口利きをしたことからも知っていたものの、鑑定結果を出すにはもっと時間がかかるものかと思っていた。
しかし電話によると今は東京に戻る途中だという。
関係者と件の原稿を集めておいて欲しいという内容だったので、藤田の鑑定結果は出たのだろう。
半日後には原稿と美術館の展示品を決める責任者たちを集めると、満を持して藤田がやってきた。隣にはサラもいる。
「お待たせいたしました」
「藤田さん、分かったのね?」
「ええ、私なりの鑑定ですが」
元より答えのない問題である。
高名な専門家がコレと言えばそう決まってしまう、その程度の問題でもある。
だが美術品についてだけは真摯なこの男が、いったいどんな答えを持ってきたのかを小夜子は知りたかった。
「聞かせていただけるかしら、この描きかけの原稿……手塚氏は何を描こうとしていたのか」
「いいや、描きかけじゃない。この原稿はこれで完成なんです」
藤田の言葉に集まった関係者たちは動揺を隠せない。
「どういうことなのかしら、これで……完成?」
「ええ、描きかけのキャラクターじゃない、完成品として見た場合、三田村さん。何に見えますか」
「……変則的なコマ割は十分にありえるわ……でもこれは……」
困惑しながらも描かれた円から意味を読み取ろうとする小夜子を見ながら、藤田は言葉を続ける。
「手塚治虫という作家が、その生涯で何をしようとしていたか、わかりますか」
漫画の神様と呼ばれている手塚はとにかく仕事をした。
漫画を描き、処理能力以上に仕事を請け、漫画を描いて、アニメーションを作り、また漫画を描いた。
その手塚が一生涯をかけてライフワークとして挙げていた作品がある。
「もしかして、火の鳥なの……?」
「ご明察。さすが三田村館長だ」
「じゃあ、やっぱりこれは円じゃなくてコマ枠」
「そう、これはコマの枠なんです」
藤田と小夜子の会話を聞いていたサラが原稿用紙の円を見て当然の疑問をぶつける。
「でもフジタ、これ中に何も書いてないよ」
描かれたいるのはコマ枠だけだ。キャラクターもいなければ背景もない。
だが藤田はこれで完成だと言う。
「これは内側に向かって閉じているコマ枠じゃない、逆なんだ」
「外側に向かって広がるコマ枠……!」
藤田の言葉に天啓を得たように小夜子が声を上げた。
「どういうことなんですか?」
「漫画を読めとは言わないが、展示する作家のことくらいは調べるんだな」
理解できていない集まった学芸員に小夜子が説明を始める。
「手塚治虫のライフワークであった大長編の火の鳥は未完だと言われているわ」
「火の鳥知ってる! テレビで見たよ」
サラが口を挟んだのを藤田が繋ぐ。
「過去編、未来編を交互に繰り返しながら、気の遠くなるような時間の流れを渦の内側へと収束していくようにだんだんと現代に近づいていくという構想だったという」
「でも現代編は描かれなかった」
現代編については鉄腕アトムが誕生する2003年を現代としてアトムが生まれる話になる予定だったという説がある。
「胃癌で倒れてしまったからですよね」
「死亡する直前まで筆を握っていたのよ、漫画を一作仕上げるくらいの体力は残っていたはずだわ」
「手塚治虫は生前に、コマが1つでいい、そこにストーリーがあれば現代編を描けると語っていたという記録があります」
マンガミュージアムに展示されていた内容だ。
「現代」という概念を漫画にする場合、原稿に描き起こしてしまった時点でそれは時間の止まった「過去」になってしまう。
そこで生前の手塚は「自らの体から魂が離れるとき」に初めて現代編を書けると語っていた。
手塚にとって過去も未来もなく、現代しかなくなる瞬間に火の鳥の現代編が完成するのだと。
「それは心構えやセンチメンタリズムでは無かったということね」
「ええ、現代編を描くにあたって手塚治虫は現代という時間の捉え方について考えた。現代を描くにはどうすればいいか」
「そうして気づいたのね、現代編は描けない」
「倒れてなお仕事を続けたのもそのためだった。それこそが火の鳥の現代編だったんだ」
通じ合う二人の会話に入れないサラが藤田の袖を引いて尋ねる。
「フジタ、どういうことなの」
「つまり世界を漫画にして……いや逆か。漫画を世界にしてしまおうと考えた」
藤田が件の原稿を指さす。
「それがこの〇の意味、枠の外に漫画はある。枠の外は全て漫画だという意味だ」
「んー? 難しいよ」
「難しく考える必要はない。今俺たちがいるこの世界こそが手塚治虫の作った漫画の世界なんだ」
「そして、〇の中こそが現実……手塚氏のいる世界ということね」
「手塚治虫が漫画の世界をつくり広め、そして違う世界へと旅だち、その瞬間に原稿が完成する。手塚治虫自身が神として俯瞰する漫画の世界、火の鳥の原稿が」
壮大な哲学を広げた話になり混乱するサラだったが、それでも言葉の意味を理解しようと口に出して整理する。
「えーと……亡くなる前に丸を書いて、この世界を漫画にしたってこと?」
「手塚治虫の漫画があふれ、テレビアニメで流れる。子供たちがアトムの歌を歌いながら歩く。そして漫画を読んで育った子供たちが大きくなり未来を紡ぐ」
「マンガで……世界を作る。漫画が世界になる……?」
「そして、その世界をコマ枠に入れれば漫画の完成だ」
「あっ! それがこの〇なんだね」
「そういうことだ」
この世界こそが巨大な原稿用紙であり、そこで生まれる全ての物語が漫画である。
四角いコマに収まりきらない世界を包むには丸い線でなければならない。
それこそが「現代編」であるという解釈を藤田はしたのだった。
「そう考えると今にもベレー帽をかぶった先生がその窓からこちらを見て笑っていそうじゃないか」
丸の中の空白は、今も優しく世界を見つめている。
※京都国際マンガミュージアムに実際に手塚治虫先生の展示があるかは分かりませんのでお訪ねの際はご自身で確認してください
※美術品の鑑定・評価、漫画の技法などについてズブの素人が描いてますご容赦ください
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