人魚の復讐 (ジャガピー)
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第一幕
憎悪


 

 

 

 

 

 

 

私、松浦果南はいつもの様にゆっくりと目を覚ました。

 

 

重くのしかかる錘のような瞼を開くと、重力に抗うように身体を起こす。

はだけた布団と毛布が身体からするりと落ちていくと冷たい空気が剥き出しの肌を刺激した。

 

 

携帯電話を充電器から抜き見ると、時刻は午前5時を表示していた。

自身の体温で暖かくなっていた布団の中から這い出し、部屋から出るといつもの様にキッチンに立つ。

 

昨日の残り物の味噌汁を火にかけ器に移し、保温していた炊飯器の中からお茶碗一杯分の白米をつぐと、薄暗い食卓に1人座った。

 

 

「頂きます。」

 

 

手を合わせていつもの様に呟くと、味噌汁を啜った。

 

少しぬるかったかなと、もう少し火にかければよかったことを後悔して、白米を口に運ぶ。

 

数分して、食べ終えた食器を流しへと持っていくといつもの様に、洗面所へ行き歯を磨き顔を洗う。

冷たい水に顔を晒すと、まだ覚醒しきっていなかった私の身体を叩き起こした。

 

濡れた顔をタオルで拭くと、愛用のシュシュで腰まで伸びた髪を後ろで纏めた。

 

 

いつもの様に着替えて、いつもの様に準備をして、いつもの様に実家で営んでいるダイビングショップを営業して、いつもの様に夕方に店を閉める。

 

 

今日はアルバイトの子は休みで1人でお店を回していたが、平日だった為にそこまで忙しく無かったなと1日の事を思い返していると、冷蔵庫の中に何も無い事に気づいた。

 

財布と買い物袋を手とジェットスキーの鍵を持ち、家を出る。淡島という場所に住んでいる私は、買い物などに行く時はこうしてジェットスキーやモーターボートで本島へと行く必要がある。

 

慣れた手つきで、いつもの様にジェットスキーを操作して本島の船着場へとそれを停めて、歩いてスーパーへと向かう。

 

そう言えば今日チラシの日だったなとスーパーへ入ると、食材や日用品で足りなくなっていたものなどを見繕いレジを通る。

 

 

交差点の信号を待っていると、くうっとお腹が鳴った気がした。

時刻を見ると、19時を過ぎたところだった。

 

いつもならもうご飯を食べている頃で、そりゃお腹も空くなぁと思うと信号が青に変わった。

 

歩き出すと冬の冷たい風が吹き、寒いと体を強張らせ、マフラーに顔を埋めると、向こう側の信号から男が歩いてくる。赤いライダースジャケットを着て帽子を被った中背くらいの若い男だった。

 

 

 

 

人1人分の距離の間を開けてすれ違った…と、同時にその男と一瞬目が合った。

瞬間、そこにある全てのモノや時間が止まったような感覚に陥った。

動悸と手足の震え、そして寒かったはずの身体がどんどんと熱を帯びていく感覚がする。

 

脳の奥底から揺らされている様な気分の悪さに口元を押さえた。

 

 

 

一瞬…。

一瞬だったけれど、あの目とおでこの特徴的な黒子。

 

 

私の、身体の底にこびりついて離れなかった、あのおぞましい2人の顔が脳裏に蘇る。

 

身体は熱を帯びているはずなのに、背筋に冷たいものが這い、喉の奥そこから何かが這い上がって来る。

 

どうして。

 

どうして、あいつが。

 

 

スロモーションの様に、漫画の様に一コマ一コマずつ蘇るあの記憶。

 

急いで後ろを振り返ると、その男は意気揚々に横断歩道を渡りきったところだった。

 

私は考えるまでも無くその男の後ろを追いかける。

適度な距離を保ちながら、時々見えるその男の顔を凝らして見た。

 

記憶の中にいる、あの時写真で見た、あの時一瞬だけ見た2人のうちの1人の姿と照らし合わせる。

 

 

 

ーーーやっぱり、やっぱりあいつだ。

 

 

 

 

 

4年前、私の婚約者を殺した男だ。

 

 

 

いつもの日常が…再び崩れ去ろうとしていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

あの日も寒い冬だった。

 

何度も掛かってこない電話を握りしめている事に気づき、私はそれを机の上に置いた。

壁掛けの時計に目を向けるともう昼前になろうとしていた。

暖房の効いた部屋なのに、手足が震えて止まらない。嫌な予感が私を包み込み私の胸を押し潰そうとしていた。

 

ことが起きたのは当時の日の夜だった。

 

役所勤めである婚約者の柏木結月が時間通りに帰って来ないことに少し気になった。

 

仕事で何かあって残業でもしているのだろうと深く考えていなかったのだが、夜の23時を過ぎても帰って来ず何の連絡も無かった。

待ち合わせなどに数分遅れるだけでもきっちりと連絡をくれる筈の彼なのに…と、なんだか不吉な予感がして、何度も何度も彼に電話をかけたのだが応答がなく、知り合いにも何か知らないかと電話をかけていたのだ。

 

何か分かったら連絡すると言われ、電話を握りしめ、待ち続けていると夜が明けていた。

何度も何度も着信履歴を見ては、メッセージを開けての繰り返しをして、ふと時計を見た時に自分は昨日から一睡もしていない事に気づいた。

 

何か食べなくちゃ。

 

食欲もない身体に何か栄養を入れようと立ち上がった時、携帯のベルが鳴った。

 

飛びつくようにそれに出る。

 

 

「はい。」

 

「あの、か、果南ちゃん…?」

 

彼の母の様子や声色がいつもと違う事にすぐに気づいた。

 

「何かあったんですか?!結月は?!」

 

 

「今から、警察署に確認してほしいって、その、電話が…」

 

 

「か、確認って…?」

 

 

「ゆ、結月か、どうか確認を…して欲しいって…」

 

震える電話越しの彼の母親の声が聞こえると同時に、私は家を飛び出し、彼の母と一緒に警察署へ行った。

 

 

急いで向かい、通されたのは薄暗く寒い殺風景な場所だった。

 

 

ーーそこに彼はいた。

 

 

寝ているのか。

そう思いお間抜けな婚約者の顔をツンツンと突き起きろと優しく揺さぶった。

 

普段、起こす時と同じように。

 

 

おかしいと感じたのは後ろで彼の母が膝から崩れ落ち泣き叫んだ時だ。お母さんに心配させた彼を叱ってやろうと彼の身体に触った時、おかしいと感じた。

 

 

いつもの暖かさは無くなり、氷のように冷たい温度と、丸太のように硬直していた。

朝、いつもの様に彼とキスをした時の温もりは無かった。まるで…精巧に作られた人形のようで…。

 

死んでいる。

 

彼は死んでいる。

 

血色は無く、魂が抜けた彼を見てそこで初めて彼が死んでいる事に気がついた。

 

 

 

一体誰が。

 

何故こんな事に。

 

そうか、私は夢を見ているんだ。

最近ハマっていた推理小説に脳が侵されているんだ。

柄にも無く活字の本なんて読むからこんな悪い夢を見てしまっているんだ。

 

泣き崩れる婚約者の母と、現実か夢かどうかすらの区別も付いていない私達に2人の男が近づいてくる。

沼津署の刑事だと言っていた。その2人は何があったのか…どう言った経緯なのかを説明していた。

 

午前3時ごろ、路地裏で倒れている彼が発見された。

通報を受けて救急車が駆けつけた時にはもう既に死んでいた。身体には複数の殴られた痕があり、死因は撲殺。

 

わけのわからないお経の様に並べられるその言葉は頭に全く入って来ず、時間が経つにつれて強い吐き気と頭痛を催しただけ。

婚約者が死んだという事が、夢などでは無く変えようもない事実であるという事を突きつけられているだけで、悲しさと苦しさが体を纏う様に増すだけだった。

 

突きつけられた地獄の様な現実に絶望している間もなく、数日後には通夜と葬儀が行われた。

 

心中お察しします。ご愁傷様です。

 

そんなありきたりな言葉をかけらる度に、頭がキリキリと痛んだ。

 

悲しみと絶望に暮れ、泣き叫ぶ私に、彼とも面識と関わりのあった、高校時代に私と活動していたスクールアイドルのAqoursの子達、鞠莉、ダイヤ、千歌、曜、梨子、ルビィ、花丸、善子は付きっきりで私のそばに居てくれた。

 

営んでいたダイビングショップも休業にして、部屋に籠って吐き叫ぶ様に泣いていた。Aqoursのメンバーや義母さんの誰かが一緒に居てくれたが、現実を思い出しては、治らない頭痛と吐き気に苛まれていた。

胃の中から何かが咽び上がってくる感覚に襲われ何度もトイレへと駆け込んだ。

食欲はなく、何も胃に入っていないにも関わらず、吐き気は止まらず、何度も何度も嗚咽の混じった空気だけを吐き出すという作業を繰り返ししていた。

 

 

 

事が起きて1週間と少しが経った日の夜。

沼津署の刑事なるものが私の家に訪ねてきた。

 

「義母様にも今しがた報告しに行って来ましたが…、犯人が捕まりました。」

 

木製の椅子に腰掛けピンと背筋を張った私よりも一回りも年上の2人組は神妙な面持ちでそう言った。

 

その刑事たちの言葉に少しだけ安堵した。

 

「しかし、重い処分はされません。」

 

訪ねてきたその時から変わらない神妙な表情で言うもう一方の刑事の言葉に、は?と返すしか無かった。

放たれたその言葉の意味が分からず手と足が震え出すだけだった。この先に彼らから出る言葉が、私を更なる地獄へと突き落とす事が直感で理解できたから。

 

「2人は高校生です。高校一年生。沼津の高校に通う15歳の未成年なんです。」

 

脳でその言葉の詳細を必死に処理しようとするが、それが追いつかず、動悸と頭痛が激しさを増す一方だった。

 

「指紋、毛髪、現場にあるものから採取された証拠品から該当したのは、2ヶ月ほど前に原動機付自転車のスピード違反や万引きで補導及び指導を受けていた非行少年の犯行でした。」

 

ふうっと息を吐き間を開けると、刑事はジッと私の目を見ると再び重苦しく話し始める。

 

「問い詰めると初めの内は2人は否定していましたが、証拠と近くの防犯カメラに写っている事を突きつけると、自供しました。」

 

「お、重い処分はされないってどういう……」

 

「少年法という法律をご存知ですか?」

 

「名前だけ…」

 

「罪を犯した未成年者には成人と同じ様な刑事処分を下すのでは無く、家庭裁判所による、あくまで更生を目的とした処置を下すという法律です。ケースバイケースではありますが、更生をさせる施設に入所させるか、検察に逆送し少年審判にかけることもできますが、不定期刑や量刑などの緩和がなされる場合になります。」

 

「量刑…、緩和…、なんで…」

 

「そういう法律なんです。」

 

彼らから並べられるその言葉の意味を理解する事ができず、また頭痛と動悸が激しくなる。

ぐちゃぐちゃになる脳の中で様々のことが交錯する。

 

「どうして、」

 

「ご理解お願いします。」

 

「理解なんて…できるはずないでしょ?!その未成年の犯人たちは私の婚約者を殺してるんですよ?!!」

 

「やり切れないというお気持ち、お察しします。」

 

そうじゃない。

そんな言葉が欲しいんじゃない。

ただ、その犯人たちに然るべき報いを受けて欲しいだけなのに。

 

「その子たちはどこの誰なんですか。」

 

「お応えしかねます。」

 

「名前は?」

 

「少年事件です。ご理解お願いします」

 

「何故、何故殺されたんですか。」

 

その質問後、2人の刑事は顔を見合わせて少し考える素振りを見せると、重く口を開いた。

 

「少年事件ですので、詳しくはお答えできませんが…、事件当時の夜、彼らが同じ歳くらいの少女を恫喝している所を結月さんに見られ、それを注意されたことに腹を立てた…と答えています。殺すつもりは無く、警察に通報されるのが嫌で振り切るために暴行したと。」

 

 

 

 

 

底無しの沼に沈んでいく感覚に襲われる。

何かで殴やれた様な頭痛と、咽び上がってくる吐き気。止まらない手足の震え。

 

2人の刑事が帰った後もぐるぐると回る頭の処理に追いつかず、何度も何度もトイレへと駆け込んだ。

 

どうして。

 

なんで。

 

彼は正しいことをしただけなのに。

 

何故殺されなければならなかったの…。

 

何故、私は愛する人を奪われなければならなかったの。

 

チラリと見た左手薬指の指輪は光で恍惚と輝く。

 

押さえ切れない悲しみに、また咽ぶように泣く。

次の日の朝、いつもの様に代わり代わりで様子を見に来たルビィちゃんがそれに気づいて慌てて背中をさすってくれた。

 

全てを吐き出す様に、ずっと泣き続けた。何日も何日も。

 

 

そして悲しみに暮れる間もないまま2ヶ月が経った日、警察から電話で連絡がきた。

 

少年たちは家庭裁判所に送致され、少年審判に付された事。罪状は傷害致死。2人の少年は1〜5年の不定期刑に処され、最大限の保護をされながら更生に向けたありとあらゆる取り組みがなされる。

 

 

 

国が、法律が、世の中が、奴らを罰しないんだから。

彼の死は報われないから…。

 

 

量刑…緩和…

実名や本人などを特定できる情報は開示せず報道規制をかける。

社会復帰のために、更生に向けた取り組みがされる。

 

なんで、なんで私の愛する人を無惨にも殺した奴らが、こんな恩赦を受けなければならないのだろうか。

罪を犯せば、当然の報いを受ける。

こんな当たり前の事がどうしてできないのか。

 

私の彼は何故死ななければならなかったのか。

 

何故私から愛する人を奪ったのか。

 

知りたい。どうしてこうなったのか、こうなってしまったのか…直接本人たちから聞きたい。

 

そう思い、何度も何度も警察へと駆け込み直談判したり、犯人の少年たちの弁護士にも頼み込んだが、

 

「少年たちの更生のための措置です。ご理解お願いします。」

 

としか言わなかった。

 

何故。知ることすらできないのか。

泣き寝入りしか無いのだろうか。

 

 

 

 

少年A 少年B

 

この、忌まわしい呪いの様な仮名から、彼らの本名と顔を知ったのは、事件から1年近く経ってからだった。

 

少年法五条の二

「被害者等による記録の閲覧及び謄写」

 

当該保護事件の被害者等からの、事件詳細の閲覧又は謄写の申出があるときは、閲覧又は謄写を求める理由が正当でないと認める場合及び少年の健全な育成に対する影響、事件の性質、調査又は審判の状況その他の事情を考慮して閲覧又は謄写をさせることが相当でないと認める場合を除き、申出をした者にその閲覧又は謄写をさせるものとする。

 

 

 

 

 

皮肉にも、私を苦しめた少年法によって、憎い犯人たちの顔と性別、そして名前を知ることになった。 

 

 

 

 

あの日から、彼を失った日から、慢性的な頭痛に悩まされ、眠れない日が続く様になった。

精神安定剤や入眠剤、睡眠剤などを服用して眠るしか無かった。

 

 

 

ーー後を追うか。彼のいる場所に、私も行こうか。

 

 

 

今は、心配してくれている子達が居るからと、そう何度も考えて、思い立っては辞めての繰り返しだった。

 

 

 

そうして日がが経つにつれて、彼の死をようやく頭で理解できる様になってからは悲しみとやり切れないと思い以外に、ある新しい感情が芽生え始めた。

 

 

 

 

 

「ーー私の愛する人を殺した奴らを、私の手で殺したい。」

 

 

 

 

その時、横に居た鞠莉は目をギョッとさせ何か言いたげに口を開けたが、ゆっくりと閉じてコクリと頷いてくれた。

 

 

憎い。

 

奴らが憎い。

 

会って、この手で地獄へと突き落としてやりたい。

四肢を裂き、目玉を抉り出して、全ての爪を剥がして、ぐちゃぐちゃにして、味わうことのない苦しみを与えて、命乞いと謝罪をしたところで同じように殺してやりたい。

 

尊厳なんて知らない。更生なんて求めてない。

 

ただ、彼と私の苦しみを、奴らにも味わって欲しい。

 

 

しかし、それが出来ないのは自身でも分かっていた。

 

未成年の犯人たちは、恵まれた環境で更生という名の下で恩赦を受ける。

殺してしまったと言う罪悪感を忘れるほどに。いいや、そもそも罪悪感や罪の意識なんてあるのかどうかも定かでは無いけれど。

 

そして、きっとこの地にはもう戻っては来ない。更生してまともになったと思い込んだ犯人たちは、どこか遠い新しい環境で、新しい人生を歩む。

 

結婚して…子どもができて…きっと彼を殺してしまったことなんて、記憶の奥底から消し去ってしまうのだろう。

 

もし、奴らの場所や詳細を知れたとところで、私がそこに行って憎しみをぶつけ殺しても、義母さんやAqoursの子達に迷惑がかかってしまう。

犯罪者の友達…だなんて、そんなの彼女達に背負わせたく無い。

 

 

そうだ、顔や名前を知れた所で、私個人では、何も出来やしない。

 

もう、この地獄からは抜け出せないのだ。一生、この苦しみを背に生きていかなければならないのだ。

 

 

ずっと、この殺意や憎しみ、悲しみをこの胸に秘めて、この先を生きていくしか無いのだ。

 

 

 

だから、せめて、彼と育ち、彼と愛を育み、結婚を、幸せを約束したこの場所で、静かに生きていこう。

 

 

そう、思っていた筈なのに……

 

 

 

 

 

 

 

 

バレないように適度な距離を保ち、その男の後ろをついて行くにつれ、心の奥底にしまわれていたあの留めど無い憎しみと怒りが沸々と湧き上がるように出てきた。

 

間違いない。やっぱりあの、少年Bだ。

 

名前は、西島たかし。当時15歳だから、今は19か20と言った所だろうか。

 

呼吸が荒くなる。手足が震えだす。慢性的な頭痛が更に酷くなる。

 

目の前の男は何度か携帯電話を見ては閉じ、コンビニに入って少し立ち読みをすると、カップ麺と缶チューハイを買って再び歩く。

 

込み上げる吐き気をグッと押さえ、ふらふらと歩く目の前の殺人者を私は追う。

 

 

一体、私は何をしているのだろう。

 

こんな事をして、何がしたいのか、少年Bの実物を目の当たりにして、一体何ができるのか。

 

奴らは、罪を改めたのか。何故この地に居るのか。

 

 

ふと、2年前に奴等の弁護士が家にまで押しかけて持ってきた手紙の事を思い出した。

 

彼らは反省していると、素直な気持ちと謝罪を書いたと言って持ってきたその便箋2枚は、吐き気と頭痛を酷くさせるだけで、読みたくも無かったから、受け取るだけ受け取って事務用のシュレッダーにかけた。

 

改めて、謝罪して、許されると思っているのだろうか。

 

こんなにも苦しめて、それでごめなさいで済ますのか。

 

 

やっぱり私には未だに理解できない。

 

 

 

 

目の前の男は、古びたアパートの2階の1番端の部屋へ足を運ぶと、ポストの中をごそごそ漁り鍵らしきものを出すと部屋の中に入っていった。

 

あそこがこの男の家なのだろうか。

 

 

周りを一瞥すると、私はそのアパートの階段を登った。その男が入って行った部屋の前へと立つと、使い古されたインターホンに指をかけ、そこで止めた。

 

こんな所で、この男を問い詰めた所で、何になるのだろうか。

 

ごめんなさいか、それともしらばっくれるか。

 

 

それでも、何故こんな事をしたのか…、今どう思っているのか聞いてみようか。

 

 

そこまで考えて私はその部屋の前から踵を返して階段を降りた。

 

いいや、やはり無駄だ、奴らに罪の意識なんてあるもんか。奴らから謝罪なんてものも聞きたくも無い。

 

 

 

私は、そのアパートを出て、キリリとする頭痛に目元を抑えると、日が沈み暮れ、街灯が灯る細い歩道の上を力無く歩いた。

 

 

 




ありがとうございました

誤字脱字ありましたら報告お願いします。


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殺人

 

 

 

 

インターホンの音に身体を震わせた。

 

時計を見ると、家に帰ってきてから考え事をして30分以上も経っていることに気がついた。

机の上には買ってきた商品がはいったレジ袋が置いたままだった。

 

カメラを覗くと、金髪セミロングの幼馴染がパーカーにジーパンとラフな格好で立っていることを確認すると、二重に掛けられたドアを開けてその人物を招き入れた。

 

「こんばんは果南」

 

「鞠莉…どうしたのこんな夜に」

 

幼馴染である、私の小原鞠莉はその質問を聞くなり不思議そうに首を傾げた。

 

「今日、水曜よ?いつも来てるじゃない。ちょっと遅くなっちゃったけど連絡入れたわよ?」

 

それを聴きポケットに入った携帯を見ると、鞠莉からの連絡が来ていた。

考え事をしていて気が付かなかったのだろう。

 

「毎週来なくてももう大丈夫だって。」

 

「ダメよ。ちゃんとご飯食べてるか確認しないとだから。」

 

そう言って、私の間をするりと抜けていくと、靴を脱いで綺麗に揃えて中へと入っていく。

 

毎週水曜日に、鞠莉もしくはそれが無理なら他の子が私の家に来る。

あんなことがあった手前、まともに食べ物を食べることすらままならなかった時期があった事から、私を心配して様子を見にくるのだ。

 

「忙しいなら、別に大丈夫だよ。」

 

「ダメだって言ってるでしょ。私たちは果南がちゃんと寝れてるかだとかご飯食べれてるのかだとか心配なの…、ってあら、買い物の帰りだったの。」

 

机の上に置かれたレジ袋の中を見るなり、それを持って冷蔵庫へと向かった。

私は慌てて側へ寄った。

 

「ご飯、食べたの?」

 

「あ、うん。」

 

実は、考え事をしていて食べていないなんて言えば、余計な心配をかけてしまうと思い嘘をついた。

ジッと鞠莉から視線を感じたけれど、気にせず冷凍庫に食品を詰めていると視線を目の前の冷蔵庫に戻して、

「そう。」

と呟いた。

どうやら誤魔化せた様だ。

 

「お茶、入れるね。」

 

「私も手伝うわよ?」

 

「いいから…、座って待ってて。」

 

そう言って、鞠莉に座る様に促す。

鞠莉は何か言いたげに立っていたけれど、いそいそと作業をしているとゆっくりと木製の椅子に腰掛けた。

 

つい先程のあの出来事が脳にへばりついている。

 

信号ですれ違ったあの男は間違いなく少年Bだった。忘れるはずもないあの顔。私の愛する人を無常にも奪った男。

 

私はあの時どうすれば良かったのだろうか。

こっそりと後をつけたけれど、あのアパートに住んでいるのだろうか。

今何をしているのだろう。仕事をしているのか。それとも更生施設から出てきたばかりなのか。

 

「果南」

 

その言葉にハッとした。

キッチン越しに鞠莉を見ると、心配そうに私を見つめていた。

 

「お湯、沸いてるけど…。」

 

後ろを振り返ってポットを見ると、既にもうお湯は湧いていた。

 

「大丈夫?」

 

「あ、うん。気がつかなっただけ。大丈夫、」

 

ダメだ。しっかりしないと。

また、彼女たちに迷惑と心配をかけるわけにはいかない。

 

そう言って、私は茶葉が入った湯飲みに湯を注いだ。

 

 

〜〜〜

 

 

 

果南が出してくれたお茶をゆっくりと啜った。

 

目の前の彼女は、ボーッと虚に何もない場所を見つめている。

やはり様子がおかしい。

何か、考え事をしているようで、心ここに在らずという感じがする。

 

何かあったのだろうか。

 

「果南、大丈夫?」

 

そう聞くと、慌てて首を縦に振った。

 

4年前のあの日から、彼女をずっと気にかけていた。当時は酷く、気を抜いて彼女を1人にして仕舞えば、自らの命を経ってしまうかも…という程に荒れていた。

だから、私を含めてAqoursの8人は毎日交代で彼女の元を訪れて側に寄り添ってきた。

今では少し落ち着いてきたが、それでもやっぱり心配で、週に一回、この水曜日に彼女の様子を見に来る。

 

「何かあった?」

 

「え?」

 

「今日、1日何をしていたの?」

 

彼女は私の質問の意図を理解すると、1日あったことをつらつらと話してくれた。特に変わりばえの無い1日だったよと笑うと、湯飲みを啜った。

変わり映えの無い1日。それを聞いて少し安心した。

 

「そう、何かあったらすぐに言うのよ。」

 

「心配しすぎ。」

 

「当たり前よ。」

 

何か考え事をしている風だったのは何なのだろうか。

 

大事に至らなければ良いのだけれど。

 

 

「私はいつだって、貴方の味方だから。」

 

 

私にはそう言って励ますことしか出来ない。

彼女の気持ちは彼女にしか分からないから。

 

愛する人を失った彼女が見る世界はどんなものなのだろうか。彼女の苦しみはきっと想像し難いほど苦痛なもので。

 

どうか、果南が少しでも幸せに生きていてほしい。そう願い気にかけることしか私には出来ない。

 

「ありがとう。」

 

そう言ってぎこちなく笑う。

向日葵のように明るく綺麗だった彼女の笑みが、あの日に失われてしまった。

彼女の笑った顔が好きで、色々ちょっかいをかけてみたり…そんな事をふと思い出す。

 

「ねぇ、鞠莉」

 

私と彼女の間を虚に見ていた彼女は、そう呟いた。

 

「なに?」

 

そう聞くと、少し間を開けて、

 

 

「やっぱり何でもない。」

 

 

そう言ってまたぎこちなく笑った。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

石造の硬く佇んだ古いアパートの前に立つ。

今日、あの男の後をつけて、最終的にその男が入っていったあのアパート。

 

こんな所に来て何をしようとしているのか…。

けれど、どうしても気になって来てしまった。時刻は深夜1時を指していた。

 

ゆっくり階段を上がると、2階の奥の部屋の扉の前へと立つ。インターホンに指をかけて、下ろしてを数回繰り返す。

 

インターホンを押してどうするんだ。私はあなたが殺した男の婚約者だなんて言った所で相手は困惑するだけだろうし。もし認めたとしても、どうするんだ。

謝罪なんかを求めているわけじゃないのに…。

 

それでも、どうしてかその男の事が気になって仕方が無い。

 

インターホンから手を離してポストに手を突っ込むと、後をつけた時と同じように鍵が入っていた。

 

それを取り出して、鍵穴に刺し回すと、ガチャリと音を立てて扉の鍵が開く音がした。

静かにドアを開けると、真っ暗な廊下があった。

暗くてよく見えなかったが、すぐに目が慣れ、奥には散らかった8畳ほどの部屋が広がっている。

 

誰もいない。

 

本能的に靴を脱ぎ部屋に入っていくと、部屋の中には洗濯物や食べ終わったラーメンや弁当のゴミが机の上に散乱してた。 

 

机の上に無造作に置かれていた書類に目をやると、西島たかしと名前の欄に書かれていた。

やっぱり、この男の家は少年Bの家だ。3年前に、見た時の名前と一致する。

 

怒りとあの時の記憶が蘇り、またキリリと頭から鈍い痛みがした。

 

こんなところまで来て何をしているのだろう。ここに住む男が少年Bだと知ったところで何も出来やしないと言うのに、こんな不法侵入までして。

 

そう思って帰ろうと引き返すと、ガチャリと音を立てて鍵を差し込む音がした。

 

 

反射的にマズイと思い、キッチンの影に身を潜めた。

誰かと電話しているのだろうか、話し声とともにその人物は中に入ってくる。

 

「え、ああ。コンビニ行ってたんだよ小腹が空いたから。」

 

そう言って入ってくる男はやっぱり少年Bだった。おでこの黒子が特徴的で、目つきの悪い。今日すれ違った時と同じレザージャケットを羽織っていた。

 

その人物はぱちっと部屋の電気を付け、どっしりとテレビの前に座った。

 

まずったなぁ。

どーやってここから出ようか。今なら向こう向いてテレビ見てるからバレずに出れるか。

 

そう思い覗こうとした時、思いもよらない言葉が聞こえた。

 

「金なんてその辺の高校生脅して取りゃいいだろ。大丈夫だって、バレねえから。」

 

は…?

 

今なんて。

 

「明日の夜にでも、塾帰りやら学校帰りやらの奴を狙えば良いだろ。」

 

 

金、脅す…。

 

何を言っているんだこいつは。

 

「面倒な事になるのは嫌だからな。バレないようにやりゃ大丈夫だろ。」

 

 

なにを、言ってるんだこいつは。

ちっとも、悪いなんて思って無かったんじゃないか。

 

 

 

ーー更生なんかして無いじゃ無いか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぷつりと何かが私の中で切れる音がした。

これまで溜め込んでいた真っ黒い何かが、入れ過ぎた容器から溢れ出し、私の身体を侵食していく。

 

 

 

キッチンから無造作に置いてあった、新品の様な綺麗な包丁を無意識に私は手に取ると、ゆっくりと足音を立てず、キッチンを出てテレビを見ながら電話するそいつの後ろに立つ。

 

 

「あぁ。明日朝俺の家来いよ。おう、待ってるわ。じゃあな」

 

 

そう言いその男が電話を切ると同時に私は包丁を振り上げた。

 

 

気配を感じ取った男が後ろを振り向いたと同時に、私は渾身の力を込めてそれを座った彼のみぞおち辺りに振り下ろした。

 

 

その西島という男は私の姿と自身に起きた事を見て驚きと苦痛の表情を浮かべた。

 

 

 

 

「な…なんだ…よ…おまえ」

 

 

 

そう呻き声をあげる彼に私は包丁を引き抜きもう一度今度は下腹部の辺りを思いっきり刺した。

 

 

「うっ、がぁ…ああああ」

 

 

 

 

まだ死なないのか。

 

 

 

私の愛する彼を殺しておいて、まだ生きようとするのか…

 

 

消えろ。

 

 

消えろ消えろ。

 

 

消えろ消えろ消えろ。

 

消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。

 

 

 

早くこの世から消えろ!!!!

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 

 

何度も何度も何度も私は狂ったように包丁を突き刺した。

 

 

気がついた時には赤黒い液体が床を侵食していた。動かなくなったそれを見ても何の感情も起こらない。

それが絶命したのだと分かっても、晴れた気持ちにはなれない。

 

こんな奴らが、普通に社会に出て生きているのだと思うと、益々激しい怒りが湧いてくる。

 

 

 

失った時間は戻ってこない。

どう足掻いたところで彼は戻っては来ない。

 

そんな事はもう嫌と言う程には分かってる。

 

 

けれどそれは、こいつらのせいで、こいつらが居なければそんな事にはならなかったんだ!!!

 

 

 

ここまでして崩れない茶色に染められた髪と耳に付けられたピアス、べっとりと涎がついた口を半開きにし、死んでいると分かるそいつの顔を見ても、私は耐えられなかった。

またふつりふつりと怒りが湧くと同時に私はこいつの腹部に刺さった包丁を抜くと、顔をぐしゃりと躊躇なく刺した。

 

何度も何度も何度も目や鼻や口を目掛けて刺す。

 

もし生き返っても顔がぐちゃぐちゃにってるように。この忌まわしい顔が私の前に二度と現れないように。

何度も何度も……包丁が刺さらなくなるまで続ける。

 

 

血で刺さらなくなった包丁を見て、ぐいっと服で拭き取ると、今度は下半身へと体の向きを変えた。

 

股間、太もも、それに目掛けてまたズブり刺す。

 

起き上がれない様に。立てない様に。二度と歩けないように。

 

許してやるもんか。

 

絶対に許してなんかやらないんだから。

 

 

更生なんてしていなかった。

 

事件のこともこいつらのことも名前を伏せて、それが少年達の為であるから。と言い聞かせられ何も分からない地獄が続いて、1年。

そこで初めて少年法の「被害者等による記録の閲覧及び謄写」という法律の条項で、少年A.少年Bの名前と顔を知ることができた。そしてそれから3年、生きた心地がしなかった、何度も何度もこの地獄から抜け出して後を追う事を考えた。

 

そして、何度も何度も怒りと復讐に身体を支配された。行為に至らなかったのは、こんな私を心配してくれる子達がいたから。

 

でももう、そんな事はもう何一つとして関係がないし……手遅れだ。

 

 

動かなくなったそれを見下ろし、それを踏み付けるようにして超えていく。

返り血を浴びた服装をそこで脱ぎ捨て、彼のタンスから着れそうな服とズボンに履き替える。

その男が先程まで電話していた携帯電話が側に落ちていたので、それを手に取った。電源をつけたがロックが掛かっているらしく心中で舌打ちをしたが、指紋センサーで開けられそうだと、血のついたそいつの手を拭って携帯の画面に押し付けると、見事に開いて電話帳の画面がすぐに表示された。

 

それを操作しながら部屋を出ると、階段を降りた所で自分の手に大量の血が付いていることに気がつき、すぐ目の前にある公園の水道へと向かった。

 

 

外の寒さは、私の今の身体には何一つ刺激なんて感じ無かった。

 

周りを見渡しながら空を見上げる。

内浦の闇の空に、ぽつりぽつりと星が浮かんでいるだけだった。

 

 

 

 

 




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第二幕
追跡


 

 

 

 

 

 

 

目を開けると薄暗く、見慣れない天井があった。

 

時刻は朝の7時を指していた。

昨晩から付けっ放しのテレビからは、沼津市のアパートで男が惨殺されたと言うニュースが流れている。

 

あれから2日。あの日の感触が、人を刺した感覚が脳裏に手にこびりついている。

罪悪感、なんてものは生まれなかった。その時点で私はもう人では無くなったと理解した。

 

寝心地は良いが、慣れないベッドから起き上がり、服を脱いで風呂場に入り、シャワーの蛇口を捻る。

 

暖かいお湯が身体に降り注ぐ。

 

 

 

例え過去に戻れたとしても、私は同じ事をするだろう。

 

この世で最も愛する存在を失ったあの日、深い哀しみと怒りに溺れ 何度も何度も考えた。

 

一体何故こんな事が起こったのだろう。

 

どうして、あの人がこんな目に合わなければならなかったのだろう。

 

あの日から時間が経過した今でも理解できない。

 

 

 

 

 

2日前の事を思い出す。

 

刃物を突き刺した時、罪悪感なんて気持ちは全く起こらなかった。

むしろ、憎しみと怒りというものが、身体の隅々の細胞から燃え上がるように沸々と湧き出て、何度も何度も刃物で"それ"繰り返し突き刺した。罪悪感なんてものは全く起こらなかった。

 

ただそれと同時に、目の前のそれが絶命したと分かった時、ひどい喪失感に襲われた。

 

私は意味のない事をしているのかもしれないと。

こんな事をしたって、失ったものは戻ってこないのだから。

 

しかし、ドス黒い液体が床を侵食し、原型をとどめない異形のそれをボーッと眺めて自分が人間ではなくなってしまったと分かっても、それでも私は許せないと思った。

 

幸せの道はずっとずっと遠くまで続いていくものだと思い込んでいた。

壊されて奪われて初めて、その幸福が薄っぺらい紙の様な物の上に成り立っているものだと知る。

愛する人や大切な人は、明日もその先も生きていてくれている気がするから。

それはただの思い込みでしかなくて、絶対だと約束されたものではない。

 

でも人はどうしてか、そう思い込んでしまう。

 

 

 

 

許せない。

 

彼の将来を、私の幸せを、私の生きる糧を奪っておいて、この先もヘラヘラと笑いながら生きて行く奴らが憎い。憎くて堪らない。

 

 

私は…復讐を誓ったのだ。

 

 

愛する人を私から不条理にも奪った上に、社会の温室で矯正教育を受けたのにも関わらず改心しなかった奴をこの手で消す。どんな事があっても、私の手で相応の罰を下してやると。

 

 

キュッと蛇口を閉める。

鏡を見ると、酷くやつれた顔が虚しく映っていた。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

応接室に入ってきたのは、背の高い短髪の若い男性と、目の細い小太りの中年男性だった。

 

「こういうものです。」

 

2人はテレビでも良く見る黒い重厚な縦開きの手帳を開くと、背の高い若い刑事と中年男性の刑事がそれぞれ名前を名乗った。

 

従業員に紅茶を用意させ目の前のソファにそれを置き、そこへ座るように促すと、彼らはお構いなくと一言添えて、私の前に向き合うように座った。

 

「小原鞠莉さん。この方をご存知ですよね?」

 

若い方の刑事がなんの脈絡もなく一枚の写真を机の上に乗せた。

 

そこに写っていたのは、柔らかな紫色の瞳に高校の時から変わらない長い海色のポニーテールの女性。刑事が言う通り、まさしくよく知る人物だった。

 

「あなたは、この女性と昔にスクールアイドルと言う活動をしていましたよね?今は廃校になった浦の星女学院高校というところで。あなたたち合わせて9人のAqoursという名前で。」

 

「ええ。」

 

「この女性、知り合いですよね?」

 

テレビでもよく見る嫌らしい聞き方をしてくる。そこまで調べてあるなら聞く必要無いじゃない。

 

「松浦果南。それがこの子の名前よ。」

 

そう言うと、欲しかった確認が取れたからなのか、机の上の写真を手早くメモ帳の中にしまった。

 

「ある、事件を捜査していましてね。この女性、松浦果南さんから重要参考人としてお話を伺いたいと思ったんですが。」

 

そこまで言うと少し間を開ける。私の顔をジッと見つめてくると言う事は、こちらの出方や表情を伺ってるのだろう。

 

「4日前の夜中に行方が分からなくなりまして。彼女の家がある淡島の船着場の入り口の防犯カメラに、リュックを背負って出て行ったのが写っていたのを最後に行方が分からなくてまして。」

 

真顔で人の顔をジッと逸らさず見つめてくる。

若い刑事がそこまで言うと、中年の刑事が物腰柔らかく私に聞いた。

 

「彼女の行方、何かお心当たりがあるかなと思いましてね。だもんで、お話をちいとお聞きかせ願えますかな。」

 

少し訛りのある話し方をその人はした。

 

「果南がどこに行ったかは、残念ですけど私は知りません。」

 

そう言うと、2人は顔を見合わせて再び私に問いかけた。

 

「あなた、4日前に松浦さんに会ってますよね?防犯カメラに写っていました。」

 

「ええ、それがなにか。」

 

「松浦さんの行方が分からなくなる前、最後にお話しされたのは小原さんなんですよ。何か不自然な点とかありませんでした?」

 

私と同じ歳くらいのこの刑事は、初めて少し微笑んだ。一体なんの笑みなのかは知らないが、気味が悪い。

 

「いえ、特には…。」

 

そう答えると、微動だにせず次の質問を繰り返した。

 

「捜査上の必要な確認ですけれど、ちなみにどんなお話をされたのですか?」

 

「それ、必要あるの?」

 

「ええ。差し支えなければですが。」

 

差し支えなければ。言い換えれば、聞かれて困るものでなければと言う意味か。

ここで隠そうものならあなたを疑ってしまってもいいのですね?と言う無言の圧力。

私はあの日に話した事を覚えている限り目の前の刑事に話し、最後に気になっている事を質問した。

 

「ねぇ、果南に何があったの?」

 

「申し訳ありませんがそれはお応え出来かねます

。」

 

「私の事は喋れとか言うくせに…」

 

「どうか、ご理解のほどお願いします。」

 

不毛なやり取りだ。そんなの、教えてもらえる訳なんてないのに。

そう思った時、ある事を思い出した。

そう言えばあの日、何か考え事をしていて様子がおかしかったと。

 

何かあったのかと問うと、いつも通りだと答えてくれたから、その日は特に追及することも無く帰ったけれど。

 

そして、その言葉を最後に彼女は消えた。

まさか。果南は。

 

 

 

 

 

「どうかされました?」

 

その言葉に現実に戻される。

 

「いいえ、他にはもう何も話してないわ。彼女と会って話したのはそれだけよ。」

 

そう言うと、少し目を閉じて2人は立ち上がった。

 

「そうですか、ご協力感謝します。また何かあれば再びお話を聞くかもしれませんので、その時はよろしくお願い致します。」

 

紅茶には手を付けず、足早に部屋を出て行き、ガチャリと扉が閉まるのを見送るとパソコンを開き、ここ数日のからのニュースをひたすらに漁った。

 

ここ、沼津市で起きた事件事故。何でも良い、何か手がかりらしいものがあれば。

 

下へ下へとスクロールするマウスをピタッと止める。

 

20歳の男、アパートで惨殺。

 

その見出しが気になりクリックする。

 

発見されたのは3日前午前10時。第一発見者はその男の友人。発見当時、腹、脇、胸を六十カ所以上。喉、そして顔まで数十カ所、所謂、滅多刺しにされた状態で発見。現在捜査中と静岡県警が発表。

 

あの日の翌日の事だ。

 

まさか……いや、そんなはずはないだろうけれど。

 

携帯電話には果南からの連絡は来ていない。返信があったのは、会って話したあの日が最後。それ以降も送り続けているが返信はない。警察が彼女の事を聞きに来たって事は、やっぱり彼女の身に何かがあったのだろう。

 

一体、どこにいるのよ。

 

もう、大切な人を失うのは嫌。

虚しくも、何も出来ない自分が情けなくなる。

果南の婚約者の彼が死んだ時もそうだ。不幸は突然襲ってくる。

 

あんな思い、もう二度とごめんよ。

未だ立ち直れない彼の死に、悲しみに暮れているのは、恐らく果南と私以外の7人もそうだろう。

 

出来ることを、やろう。

そう思い、久しくAqoursのグループメッセージを開いた。

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

気がつくと空は厚みのある雲が覆っていた。

今にも雨が振り出しそうなその曇天は陰鬱な陰を作り、重苦しく世界を包み込んでいる。

やけに細い登山道の木の階段を緑色のスニーカーで踏め締めるように歩くと、落ちた木の枝がぱ切りと音を立てた。

 

目的のペンション街へと続いているであろうけもの道はやけに細く、間違えたかなと黒いリュックからさっき駅で買った地図を広げて位置を確認する。

 

「間違っては無いけど。まだちょっとかかりそう。」

 

ボソリと独り言を呟くと、地図を丁寧に同じリュックにしまう。

 

 

 

 

 

場所は長野県白馬村。

 

 

5日前、少年Bの家で解除した奴の携帯電話で何か少年Aの手掛かりになるものは無いかと操作していると、メッセージアプリには数十人ほどの連絡先があった。

 

それらを適当に漁っていると、"YOSHIKI"と書かれたその連絡先を見てまさかと思い、トークルームを開くとついその当日の昨日までやり取りをしていたログが残っていた。

 

そこには近況を報告し合うようなメッセージ内容だったが、ログを遡ると、施設から出たどうのこうのと言う会話をしていた。ログを見る限り、最近も会っているらしい。

 

3年前、私と彼の家族で見た事件の記録。加害者である少年Aの名前は、高崎よしきだった。間違えるはずはない…忘れたことも無いその名前。

 

少年Bの西島たかしの携帯にあるメッセージアプリの"YOSHIKI"と表示されたそれは、少年Aである高崎よしきだと疑うには十分だった。

 

[今どこで何してんの?]

 

そうメッセージを送ってみる。夜も深いにも関わらずすぐに既読がついて、返信がすぐに返ってきた。

 

[ああ?前にも言ったろ。じいちゃんが昔使ってたペンションにいんだよ。長野の。]

 

[長野のどこだよ。今度行ってやろうかなって思ってたんだ]

 

 

出来るだけ怪しまれない様に、会話のログ通りの口調でメッセージを送る。

 

[えっとな、白馬村とかって場所だ。位置情報送ってやるよ]

 

そう言って律儀にそいつがいる位置情報を送ってきた。

長野県白馬村。

私自身の携帯電話でその位置情報を検索すると、そこは有名な別荘地だった。

 

プロフィールに表示されているそいつの電話番号と位置情報を控えると、防波堤の向こう側へと少年Bの携帯電話を投げ捨てた。

 

 

明日、早ければ早朝に恐らく少年Bの遺体が見つかる。捨ててきた包丁や私の血まみれの服で、恐らく私の犯行だと数日もすれば分かるだろう。

変にそれらを処理しようとして、万が一にも人に見られて仕舞えば、それこそそこで終わりだと思い、血まみれの服から少年Bの服に着替えて、何もせずそのままにして家を出た。

 

ジェットスキーで家まで帰ると、積めれるだけの荷物と、仕事で時たま使うサバイバルナイフ2本をリュックに詰めてすぐに家を出る。

私の携帯電話は家に置いてきた。これから私の位置を追跡…なんてされたら厄介だから。控えた少年Aの位置情報と携帯電話番号はメモに控えてある。

 

 

 

 

 

ポツリと雨雫が頬をを伝った。

まずい、雨か。

さっきの駅のコンビニで天気を確認して傘を買っておけばよかったと後悔する。

 

本降りになりそうな空を見て、急いで後輩のある道を駆け上がると、深く被った黒いキャップから前髪垂れ目を隠す様に覆う。

 

雨が強くなってくる。

 

どこか雨宿りできるところは無いかと探していると、木造の家が向こうに見えた。そのすぐ側の倉庫の様な建物のそばに入る。

 

通り雨ではなさそうだなとため息を吐く。

 

ますます強くなる雨脚。

これからどうしようと考えながら、試しに倉庫の引き戸に手をかけてみると、ガラリと音を立てて空いた。

 

中は真っ暗だが、かなりのスペースがあった。

腕時計を見ると午後5時を指している。

一日中、気を張りながら移動してきた為、かなり疲弊してしまっている。警察内で私の犯行でいると言うことが割れているのだろうと踏んで、極力顔や姿を隠しながら警戒して移動してきたのだ。

 

 

 

隣の木造の家からは灯りは無く人の気配も無い。恐らく誰かの別荘か何かで、平日だし人もいないのだろう。 

 

メモに書かれた位置情報と地図を照らし合わせると、まだ少し距離がありそうなので、雨が上がるまでここで休ませてもらおうと、倉庫の中に入った。

 

隅に座り、リュックを抱き抱え、少しだけ目を瞑ると、私の意識はすぅと途絶える。

 

 

 

 

 

 

 

そこから何分経過したのだろう。

ゆっくりと瞼を開け、少し眠ってしまっていたことに気づいた。

 

しまった、今何時なのだろう。時計を確認しようとすると……。

 

 

 

 

 

「ーーー動くな…!」

 

 

 

 

 

そう甲高い声がする扉のほうへと反射的に向くと、髪の長い少女が、長い猟銃の様なものを私に向け構えて、睨みつける様な表情で扉の前に立っていた。

 

 

 

 

 

 




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ではまた次回。


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同類

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さん。ここで何してるの」

 

眉間に皺を寄せて睨みつける少女は、ドスの低い声質を物置小屋の中に響かせた。

 

「ごめんね、ちょっと雨宿りさせて貰ってたんだ。」

 

そう言って立ち上がると、少女の構えた猟銃口は私に向いて動いた。

出来るだけ、少女の神経を逆撫でしない様に手に持っていたリュックを石畳の上におろして置くと両手を小さく上げた。

 

「ほら、そんなもの向けないで…?」

 

そう言ってゆっくり一歩近づくと少女はさらに表情を強張らせた。

 

「ここに何しにきたの。一体何の用。」

 

「だからここで雨宿りさせて貰ってただけで…。」

 

「本当に?」

 

「どうして嘘をつく必要があるの」

 

できるだけ声を和らげて彼女の質問に答える。

今は騒ぎになるとまずい。

 

「だったらそこに座って。」

 

「……、すぐ出て行くから。」

 

そう言って床に置いたリュックを手に取ろうとすると、"バンッッ"、と言う耳をつんざくような破裂音が倉庫の中に響いた。

 

反射的に顔を屈めると、少女の方を見る。

一体何なのだこの少女は。しかもこの銃……

 

「言っておくけど、これ本物だから。」

 

 

銃口から薄らと出る煙と、火薬の匂いが鼻腔を刺激すると同時に身体中から嫌な汗が流れる。

銃声ってこんなにも大きいのか…。数メートル離れたこの位置でも耳鳴りがする。と言うよりも、こんな大きな音が立て続けに鳴ってしまえば騒ぎになってしまう。

 

それだけは避けないと。

 

「顔がよく見えない。帽子を取って」

 

言われるがままに黒色のキャップを取る。後ろで纏めていた髪がはらりと落ちる感覚がした。

 

「本当に雨宿りしてただけなの。お姉さんはこの近くに用事があって来たんだけどまだそこまで距離があって…。」

 

「用事って。」

 

根掘り葉掘りと答えを深掘りしてくる事に違和感を覚えながら、なんとか誤魔化す。

 

「知り合いに、用があって。」

 

「距離があるって…、バスかタクシーで行けばいいじゃない。こんな山の中で場所歩いたって仕方ないよ。」

 

なんとか言い訳然り、言い逃れる口実を探してすこ沈黙が続く。この状況どうすれば良いのだろうと頭をフル回転させるがどうも良い回答が見当たらない。

 

どうにかして、怪しまれずここを抜け出さなければ。

 

「お姉さん、名前は…?どこから来たの。」

 

「え、」

 

「名前、何て言うの?」

 

銃口の向こう側で私の目を捉えて離さない。

 

「松浦…、松浦果南。静岡から来た…。」

 

そう反射的に言ってしまったあとで後悔した。

偽名でも何でも適当な名前言えば良かったのに…。どこから来たのかも偽りなく答えてしまった。

 

 

「松浦……、静岡……。」

 

 

少女は私の顔を凝視するなり大きく目を見開いた。

すると少女は、ゆっくりと長い猟銃を下ろして入り口の方へと向いた。

 

 

 

「ーーお姉さん、有名人だよ。」

 

「え、何が」

 

 

そう言って背を向けて雨の降る外へと出て行く。

 

「ちょっと、」

 

 

何のことか分からず、私はリュックと帽子を腕に抱き抱えてその少女の後を追って外へと出た。

 

不快な雨が身体中に打ちつける。

 

少女は小走りに隣の2階建ての木造の家へと入って行くと、手招きした。

 

「ほら、早く入って…」

 

その少女の理解できない行動に私は呆然と門の前で止まっていると、少女ははやくと催促をする。

 

今は妙な面倒事を増やしたくない…。

この少女、何考えてるか分からないし。警察なんか呼ばれたら面倒だ。

 

「いや、本当に雨宿りしてただけだから…、もうここで…」

 

「早く。」

 

ジッと私の姿を見る。その目には先程のような敵意はなさそうだ。

私は少し考えた後、彼女が招き入れる家へと入ることにした。

 

 

〜〜〜

 

 

 

壁に埋め込まれた大きな液晶テレビから流れていたのは、5日前の静岡県沼津市で起きた惨殺事件の概要と私の名前だった。

事件の残虐さから2日前ホテルで見た時よりも大々的全国チャンネルで報じられていた。

その番組の報道では、殺された20歳の男が4年前に殺人を犯していたという事まで報じていて、アナウンサーやコメンテーターの様なひとが神妙な面持ちで色々なことをコメントしていた。

 

「ね、有名人でしょ。」

 

そう言って大きな真っ白なバスタオルを私に渡すと大きなソファにどっしりと腰掛けた。

呆然とそのテレビの内容を見ていると、ねえっと私の太ももを突いた。

 

びくりと身体を逸らすと、ごめんと申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「松浦果南さん。この事件の犯人だって、報道されてるけど。」

 

私は目の前の少女が何か得体の知れない怪物のように見えて仕方がなかった。

わざわざ、このテレビで報道されている残忍極まりない事件を起こしたかも知れない見ず知らずの女を、こんな平気な顔をして家に招き入れている事が怖くて怖くて仕方がない。

普通は、もしそうだと気づいても、追い払うか警察に通報する。

 

なにか、要求されるのかも知れない。

 

金か、それ以外の何か…、

 

ごくりと生唾を飲むと、私は小さく後ずさった。

それを見て少女は不思議そうに首を傾げると、何かに気づいたように慌てて立ち上がりブンブンと顔の前で手を振った。

 

「違う違う。別に取って食べたりとか警察に通報だなんて事もしないから!」

 

純粋無垢にニッコリと笑うと、左頬にエクボが浮き出る。

腰まで伸びた髪はは漆を塗ったのように綺麗な艶のある真っ黒な髪。緑色の瞳は大きくぱっちりとして小顔な、どこからどう見ても美少女と言える顔だった。

 

「じゃ、じゃあ一体…」

 

「ただの親切心って言うか…、ほら、外は雨だしあんな所で居たら風邪ひくし。」

 

正気とは思えない。

私を殺人者かもしれないと分かっていながらこんな事…こんな行動は普通はしない。

 

私の疑念の表情を見て、ポリポリと後ろ頭を掻きかながらうーんと分かりやすく少女は唸ると、ハッと何か閃いた表情をした。

 

「さっきの銃…、怖かったよね。ごめんね。ママが所持免許っていうの持っててさ。趣味でクレー射撃とかしてたんだ。カッコいいでしょ?本当は勝手に触っちゃダメなんだけどね…」

 

いや、私が気にしているのはそれじゃない。と言うか、よく考えてみればあの猟銃の事もおかしすぎる。こんな若い女の子があんな長い銃を持って、それを撃つなんて。

 

何かの漫画や映画のような。そんな光景だった。

 

 

 

 

「ーー怖くないの?」

 

「え?」

 

「私が、このテレビの報道通りに、人を殺した女なのかもしれないのに。そんな人を家に入れるなんて……、普通じゃないよ。」

 

 

私なら、怖くて怖くて震えてしまう。そして、どうにかして逃げ出すか、警察を呼んだり助けを求めたりする。それなのにこんなにも平然と…。

 

 

「あぁ、それなら大丈夫。」

 

 

頬を右手で掻きながら彼女は軽く微笑んでポツリと呟くように声を発した。

 

 

 

 

 

「ーーー私も人を殺してるから。」

 

 

 

 

少女の甲高いこえが、だだっ広い大きなリビングの空間をこだました。

 





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回顧

 

 

 

 

 

 

 

 

大粒の雨と風が木造の家の窓に殴りつけるように振っている。そのせいで、沈黙したこの空間に窓がガタガタと揺れる音が木霊する。

 

 

「人を、殺した…って、え…、」

 

私は、少女から出たその言葉に動揺していた。

いや、だってこんなまだ子どもの女の子が、そんな、殺人……だなんで。何かの冗談かと疑ってしまう。

 

「本当だよ。」

 

そう言う少女の瞳はしっかりと私の目を見て離さない。嘘などではないという少女の意思が、私に訴えかけてきている。

 

 

「仲間だね。」

 

少女はそう言って笑い、壁に立て掛けてあった猟銃を一瞥すると、また大きいソファへと深く腰掛けテレビの方へと視線を向けた。

 

「殺したって…なんで…。」

 

「んー。お姉さんと似たようなものかなぁ。」

 

「似たようなもの?」

 

そう言うと、テレビの方を見ていた少女はこちらへと振り返って頷いた。

 

「うん、どうしようもなかったから。だから殺しちゃったの。」

 

私を見て、表情をひとつ変える事なくそう言う少女の言葉には、どう言う訳なのか納得してしまった。

数日前、赤黒い液体が床の上を侵蝕していく異形のそれを見て冷静になった時…、"あぁ殺してしまった。どうする事もできなかった"という気持ちになったから。

 

何も感じない。

自分が憎きあんな奴の身体を包丁で滅多刺しにしても、何も感じない。

あるのは、一抹の虚無感と喪失感だけで…。

 

こんな事をしたって意味はないなんて事は、もうよくそこで分かっている。けれど、人を殺してはいけないと言う自制心よりも、心が言う事を聞いてくれない。

 

だから、もう1人の少年Aには、一枚一枚爪を剥がした後で四肢を裂き、最大の苦痛を与えてやりながら、命乞いをさせた後に殺したい。

 

 

 

 

「新しく来た男にママが殺されたから、私があいつを殺したの。」

 

そう言って少女は壁に立て掛けてある猟銃に目を向けた。

 

「新しいパパになるだなんて…、初めからあんな奴信用なんてしてなかった。毎日毎日ママや私に暴力を振るって…、あの日は私を庇ったママが頭を打って動かなくなって。挙句にはそいつが私のせいだとか、ママの自業自得で俺は悪くないだとか吠えるから、後ろ向いた隙にそいつに銃を打ってやったの。」

 

そう語る少女の目は色味を失い生気がない。

ボソリボソリと魂が抜けたように言葉を発するだけ。

 

 

 

「その後は…、土に埋めた。どうすればいいのか分からなかったから…、見様見真似で夜中に車を運転して山の奥に……。そいつの死体とママの死体…、一緒にしたくなかったから、離れたところに穴を掘って。

だからお姉さんが、あの男の知り合いとか警察とかの人だったら私が疑われちゃうから、あんな風に脅すような事を…。驚かせちゃって本当にごめんなさい……。」

 

 

 

少女から放たれる言葉は残酷で救いようがなかった。

少女は両手で顔を覆って深く息を吐いた。

 

 

「間違い…だなんて思ってない。それでも、あんなクソ野郎を殺してしまった感触が頭からこびり付いて取れない。あんな奴さえいなければ…、別にお金持ちじゃなく貧乏でも狭いアパートでも良かったのに…。なんで…。」

 

そう言って顔を両手で覆う少女の前で、私は自分の両の手を凝視した。

私の手には大量の血痕が付着しているように錯覚してしまう。洗っても洗っても落ちないドス黒い汚れ。

 

 

彼がいなくなってしまったあの日に価値を失い、少年Bを惨殺した日から私は、人としての尊厳も失ってしまったのだ。

 

彼が握ってくれた手。彼に触れた手。

 

もう一度、あの幸せだった日に戻りたい。

全て夢だったよと、誰かに笑ってほしい。

でも、そう考えれば考える程、嫌と言うほど身体に現実を叩き込まれる。辛く苦しい時間が私を支配する。

 

「あなた、年はいくつ?」

 

 

両者の沈黙の時間が不快に感じて私は適当な話題を振る。

 

「16…」

 

未成年。

見た目で何となくの察しはしていたけれどやはりそうだった。

 

少年Aも少女Bも、私の彼を殺した時は未成年だった。少年法という悪魔の法律が…私を苦しめてきた。そして事実、何も反省していなかった奴らの隠れ蓑になった。

 

この子も捕まってしまえば、AやBだなんて呼ばれるのだろうか。更生を目的とした施しがされて、事件を無かったことのようにされて…。

でも、この子がした事は本当に捕まってしまう様な事なのだろうか。この子はその男から暴力を受けていて、お母さんが殺されて…。ならば、仕方がなかったと済ますのが妥当なのでは無いか。

 

やっぱり少年法は必要なのだろうか。この子は何も殺したくて殺した訳じゃ……。

そこまで考えて私は辞めた。もう分からなくなってしまいそうだったから。

 

 

「名前は…。」

 

「え」

 

そう言って両手から顔を離すと、私の方へ顔を向けた。何かを考えているようで、目が左右を行ったりきたりを繰り返す。

 

「大丈夫。誰にも言ったりしない。」

 

私がそう言うと、少女の緑色の瞳がじっと私を見つめて離さず、小さく息を吸い込んで吐き出した。

 

 

そしてーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーマリ」

 

 

彼女から出たそれは、よく耳に馴染んだ名前だった。

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

レース状のカーテン越しから窓の外を見ると、先程よりも雨が強くなっている気がした。向こうに見える木々の枝は風と雨のせいで左右に大きく揺れている。

 

濡れた髪をバスタオルで拭いていると、マリと名乗った少女が白いティーカップを二つ持って私の側へと寄ってきた。薄らと白い湯気が空気に立ち込める。

 

「これ、紅茶。嫌いだったら入れ直すけど…。」

 

差し出してくれたカップの中身は柔らかみのある赤茶色の液体。そのカップを手に取ると、鼻腔を柔らかく包み込むような香りがした。

 

ありがとう、とそのカップを口につける。

液体の柔らかく温かい口触りに、ミルクのまろやかさと紅茶の香りが嗅覚と味覚の両方を刺激する。

ミルクティーだ。

もう一口、コクリと口に含むとカップを窓のヘリに置いた。

 

「お風呂…ありがとう。昨日入れてなかったから助かったよ。」

 

マリはニッコリと笑い、うんと首を小さく縦に振った。

 

バスタオルで髪を押さえつけるように拭くと、シャンプーのいい香りがした。お風呂も大きくて、シャンプーもかなり高そうなものだったから、やっぱりお金持ちの家の子だったのだろう。恐らく…その新しい父親とやらが。

 

さて、この後どうしようか。

雨の中…やつのいるペンションとやらに向かってもいいけれど。

 

警察が私の犯行だと決定づけて動いているなら、少年Aの保護に動いていてもおかしくは無い。少年A自身が、テレビや週刊誌などの報道を見て自分の身をどこかに隠しているかもしれない。もう、あのペンションにはいないかもしれない。

 

少し動くのが遅すぎた事を後悔する。

 

念には念をと、神経質になりすぎて、タクシーなどは使わずに、人のいない時間帯で周りの目を気にしながら電車にバス、そして可能な限り歩いて移動をしてきた。

 

もし、少年Aが警察に保護されていたとなれば…私にはどうする事もできない。

 

 

「ねえ」

 

窓の外を見て考え込んでいた私を、マリという少女が現実へと引き戻した。

彼女の方へと向くと、ソファの隣をぽんぽんと軽く手で叩いた。ここへ座れと言う事なのだろう。

 

私は窓のヘリに置いた紅茶を手に持ち、ソファに腰掛け、目の前の木製の机に置いた。

彼女はそれを見るなり、私の方を見て口を開いた。

 

「テレビで言ってる事って…本当の事なの?」

 

「うん。」

 

「昔…その、婚約者をその人達に殺されたって、言うのも……?」

 

恐る恐ると言ったような口調で私に聞く。

聞いてはいけない事を聞いて傷つけてしまうかもという、彼女なりの気を遣っての事だろう。

 

私はコクリと頷くと、マリという少女はバツが悪そうに眉を顰めた。

 

「ここに来たのは…」

 

 

こんなまだ16歳の子どもにこんな事を言ってもいいのだろうかと迷ったけれど、彼女も私に話してくれたし…恐らくこの子とこれ以上の関係になる事はないだろうと思い、愚痴程度に、思い出話程度に話すことにした。

 

「もう1人を殺すため。」

 

「え」

 

少女からボソリと出たその言葉は乾いて声が少し枯れていた。突然の衝撃的な発言に驚いたのだろう。

 

 

 

「あの日…4年前あの日。突然、本当に突然に愛していた人が殺されて、私は地獄へと突き落とされた。それでも、きっとそれ相応の罰を殺した奴らは受けるのだろうって、思ってたけど…、そいつらは未成年だった。名前も少年A少年Bへと変更されて、なもかもが伏せられて…。逮捕はされないとか更生のための処置だとか…、訳の分からない御託を並べられて…」

 

 

この4年間、ずっと世界が白黒に見えた。

美味しいや楽しいという感情が、薄くなって…、何も感じなくなってしまって。

毎日割れるような頭痛に、眠れない日々。

あの日から…あの日からずっと

 

 

「生きた心地がしなかった。」

 

 

 

少しの沈黙が生まれる。

少し話しすぎたかなぁと後悔していると、マリは再び私に質問した。

 

 

「その婚約者はどんな人だったの」

 

「優しい人だった。彼は…世間知らずだった私に色々な事を教えてくれた。美味しいものや綺麗な景色まで、楽しくて楽しくて毎日が幸せだった。」

 

 

人として、1人の女としての幸せがあそこにはあった。

恥じらいながら、震えながら、家でプロポーズをしてくれた時は、何よりも嬉しかった。この人とならどこへだって行ける。本当にそう思えた。

またあの日に戻れたら、と意味のない事を回顧して、また頭痛がする。

そんな事を考えても、あの人は帰ってこない。

意味もなく、紅茶のカップを手で弄る。

 

 

 

 

「あなたは、殺した事…後悔してる?」

 

 

 

後悔か。

正直、少年Bをこの手でめちゃくちゃにして殺した所で、何か気分が晴れる訳では無かった。

喪失感と、こんな事をしたってどうにもならないのになという虚無感しか無かった。

 

でも…それでもーー

 

 

 

 

「ーーー後悔はしてない。」

 

 

それだけは自信を持って言える事だった。例え過去に戻れたとしても、私はきっと同じ事をする。

心が、身体が、復讐という甘すぎる蜜に骨の髄まで侵されている。

 

 

 

「そっか。」

 

 

マリはそう言って私から目を逸らし、目の前の空間を見た。

 

 

「何か、私にできる事は無いかな。」

 

「え?、」

 

「あなたの力になりたいの。」

 

「でも…」

 

 

こんな16歳の未成年の少女に、私の問題で迷惑を掛けてしまうのは気が引ける。

私は首を左右に振ると、少女は私の手に触れて1人分空いた距離を詰めて座り直した。

 

 

「協力させて欲しい。ほんの少しでも力になれるなら。遠慮も心配もいらない。だって私の手も、もう汚れきっているから……」

 

 

 

そう言うマリという少女は、眉を寄せ口元を引き締めて、睨みつけるほどの真剣な目つきをしていた。

 






ありがとうございました。
誤字脱字等ありましたら報告お願いします。
ではまた次回


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境遇

 

 

 

ずっと漠然と死ぬことが怖いと思っていた。

まだ20数年しか生きていない私にとって死ぬことの意味について考えることなんて殊更無いのが事実だから。

 

あの人が居なくなってから4年。未だに全てを受け入れたわけじゃ無い。現実に絶望して辛くなってもう全てがどうでも良いやって投げやりになって、悲しいのか憎いのか分からない感情に戸惑って、溢れ出る涙の栓の閉め方が分からずに泣き続けて、それでも何か適当に生きる理由をつけて今まで何となく生きてきた。

 

私にとって、あの人は全てだった。

一緒に居られればそれで良かった。

 

けれどそんな風にいくらあの頃を振り返って泣いても、現実が変わったりしない。過去に戻れるようなタイムマシンなんてモノもある訳じゃない。

 

何を理由にして、この辛く耐えがたい世界で生きていけば良いのかずっと考えてきたけれど、八方塞がりでそのきっかけすら掴めそうにない。

 

 

 

もう、疲れてしまった。

 

 

 

死んで、あの人に会いに行けるなら良いかと考えると、今の私にとってそれは大きな希望になってしまっていた。

 

会いたい。

優しくて恥ずかしがり屋で、私の事を常に考えていてくれるあの人に会いたい。会って目一杯抱きしめたい。触れ合って笑いながら一緒に美味しいものを食べてテレビを見て、内浦の海を二人で泳ぎたい。

 

死ぬ事で、擦り切れる精神も身も楽になるなら、あの人のいる場所へと行けるのなら、きっとその方が良い。

 

 

 

握りしめた受話器の奥から、数回のコール音が聞こえると、留守番電話サービスですと言う機械的な女性の声に切り替わった。

 

最後にメッセージを残したかったけれど、こんな日も登っていない深い時間帯では当たり前だけれど電話になんて出ない。

 

言いたかった言葉を留守番電話に残すと、塗装の剥げた緑色の受話器を置いて電話ボックスの外へ出る。まだ真っ暗な夜闇の中、ゴルフバックをしっかりと背負い数時間前まで降っていた雨で濡れた山道を踏み締めて上へ上へと足を進める。

 

 

「何の電話をしていたの。」

 

 

長い漆を塗ったような艶の黒髪を後ろで縛り帽子を深く被ったマリが一歩後ろから私に訊ねる。

横目で見ると操作していた携帯電話ディスプレイの画面光で顔が照らされていた。目元が吊り上がり端正で綺麗な顔立ちは、故郷の内浦にいる親友の黒澤ダイヤを連想させた。

この子のマリという名前といい、昔の事を色々と思い出してしまう。

 

「少し、電話しときたかっただけ。たいした事じゃない。」

 

「……そう、」

 

後ろから私の顔をまじまじと見る視線が感じられた。私の事を根掘り葉掘り聞いて来ず引き下がったのは、この子が賢いからだろう。空気を読む力に長けている気がする。彼女が言っていた境遇からなのか、そもそものこの子の性格からなのかは分からないけれど…、目の前の事に神経を尖らせていたい私にとってはその方が都合が良い。

 

「この先、まだ少し歩く。」

 

マリはそう言って携帯に目を落とした。

携帯電話の検索マップを使って、殺した少年Bの携帯から聞き出した少年Aの居る別荘とやらの住所に向かっている。コンビニで買った地図から割り出すよりも携帯の位置情報を使った方が手間は大きく省ける。警察などに私の位置を割り出される恐れがあったから携帯は内浦の海に捨てて来ていたから助かった。

 

吹く風が冷たい。厚手の黒いジャンパーを着ていても寒さを感じる。真っ暗闇にポツポツと浮かぶ街頭の下を通る度に私やマリの吐く白い息が見える。

 

「寒いね。マフラーとか貸してあげれば良かった。」

 

「ううん、大丈夫。そこまでしてもらわなくても。」

 

「松浦さんは、寒いのと暑いのどっちが好き?」

 

先ほどまで口数が少なかった少女が少し声を弾ませる。私の人となりを少しでも知りたいのだろう。人間性の部分には触れずにそれとなく私という人を知ろうとしている。当たり障りのない会話の仕方から、やっぱりこの子からは良識の高さが伺える。それこそ、私と違って学生時代から大人っぽかった親友の2人を見ているようだ。

 

「暑いのかな。」

 

「夏の方が好きなのかぁ。実は私は冬なんだよね。夏って脱いでも脱いでも暑いじゃん?その上冬は着込めばあったかい。」

 

暑いのが嫌、と言う気持ちになった事が私にはあまりない。澄み切った青い空に放たれる太陽光の下で育ったからだろうか。内浦の夏は暑いけれど、あの湿り気のある潮風と灼熱の太陽が好きだった。

 

「海が、好きなんだ。」

 

「海?へー、確かに松浦さん海とか似合いそう!」

 

そう言って少し後ろを歩いていた彼女は私の隣に足並みを揃えた。声が弾んでいる証拠に上機嫌そうだ。

 

「海に潜っていると、嫌な事を忘れられる。青く澄んだ海中から上を見上げると太陽の光に揺られる水面が幻想的で綺麗で…。」

 

この4年、あの人を失ってから私が私で居られる場所だった。

 

「その、婚約者だった人も、海が好きだったの?」

 

 

話の流れから上手く私の事を知ろうと当たり障りなく探りを入れてくる。

 

「うん。」

 

私の返事にどう返そうか考えあぐねているのか、少し沈黙が流れる。

この子とは、恐らくもう2度と会う事は無い。だから最後に思い出話をする程度になら、私の事を話しても良いのかもしれない。

 

 

「彼とは幼馴染だったの。」

 

 

私の突然の言葉に少女が小さく声を漏らすのが聞こえた。不均等に並ぶ街灯と携帯の明かりが彼女の顔を照らしているのだろうけれど私は真っ直ぐ前だけを向いて、独り言のように続ける。

 

 

「一緒に海辺の街で育って、昔はよく一緒に子どもっぽい悪戯とか悪さをしたりする悪友って感じだったんだけれど、成長するにつれて大人っぽく優しくなる彼を好きになって…、何でだろうって初めての気持ちにヤキモキしたりなんかして…。」

 

小さい頃私の方が高かった身長を抜いて、一丁前に背だけ大きくなったと思ったら、無意識に私の気持ちをくすぐるような言葉や仕草をして。気がつけば、彼を好きになっていた。

 

一つ下の幼馴染の千歌や曜にも懐かれていて、それを見て強烈な嫉妬心が芽生えたり、言葉一つで勝手に傷ついたり喜んだり。

 

 

そして、そんな心を抱えながら高校を卒業して、海外に単身で留学している最中、祖父が亡くなった。私は家業であるダイビングショップを継ごうと決意して一年で留学を切り上げて帰ってくると、

 

 

『俺にも手伝わせて欲しい』

 

 

そう言われた時はすごく嬉しかった。私の事を見ていてくれる。そして、少しでも一緒に居られると思い、いつでも大歓迎とそう言い彼に家の合鍵を渡した。

そして彼は大学に通いながら私の家を手伝いに来てくれた。

 

 

それから2年が経過して、私は彼に想いを打ち明けた。

好きな人でも居たらどうしよう。

断られたらどうしよう。

何日も何日も悩み、勇気を出して私から告白した。

 

 

『俺も、果南の事が好き。その…こんな俺でよければ、俺からもよろしくお願いします。』

 

 

そう言ってくれた時、感情を抑えきれなくなり、目一杯に抱き締めたのを覚えている。

 

そして、その日にキスもして、身体も重ねた。

付き合ってすぐだったけれど私はそんな気はしなかった。ずっと一緒に居たから、早く彼の全てが欲しかった。

 

彼は、大学卒業後、地元の沼津市役所の職員になった。育った地元に恩返しがしたいと言っていた。とても誇らしかったし、彼らしいなとも思った。

 

 

それから1年が経ったある日。定期健康検診で私は子供が産めない身体だと言われた。所謂不妊症と言うやつで、その前年から疑いがあると言われていたのだ。大きなショックを受けたと同時に、ある事が頭をよぎった。

 

もし、彼に愛想を尽かされたらどうしよう。

 

そんな事、彼が言うはずも無いとは心では分かっていたけれど、とてつも無く怖かった。もし、女としての価値が無いと彼に捨てたれたらどうしようと彼に打ち明けられないでいた。

 

けれど、数日悩みに悩んで私は打ち明ける事にした。私は、子どもが産めない身体なの、と。

 

何を言われるのか、どんな顔をするのか怖かったけれど、私のその心配は杞憂に終わる。

 

『辛かったね。悩んでたのに、気づけなくてごめんね。』

 

 

あぁこの人となら私は何処へでも行けると確信した瞬間だった。私が好きな彼は、私の事を1番に考えてくれる。こんな幸せな事があるのかと。

 

不妊症の治療も続けながら、いつか彼との子ども産めたらなと、前向きに楽観的な考えが出来るようにもなった。

 

その後すぐ、彼は突然に私にプロポーズをしてくれた。

 

彼が社会人になって、気付けば同棲していた実家のダイビングショップの何気ない食卓で、急に改まった顔をして真面目な顔をして頭を下げて。

私の返事に怯えていたのか、身体が震えていたのを見て少し笑ってしまった。

 

だって、私の答えなんてとうの昔から決まっているのだから。

 

 

私は彼の手を取った。

彼は喜びで少し涙ぐんでいた。

 

これから、何にも変え難い私の幸せが続いていくのだと疑わなかった。

 

 

 

 

 

その数日後、私は最愛の人を、少年法と言う箱に囲われた未成年の不良少年達に理不尽にも奪われた。

 

 

 

 

 

 

少女は何も言わずに黙って歩く。

少し話し過ぎてしまったかなと、後悔した。

 

 

「優しい、人だったんですね。」

 

「うん。そう言えば、海の話で一つ思い出したよ。」

 

「え?」

 

彼女は私のその言葉に声を少し裏返して反応した。

 

 

「彼、昔中学生くらいの時にさ、一緒に海でダイビングしてる時に私に言った言葉があって。何気なく言った言葉なんだろうけど、それが何故か嬉しくて。」

 

「何を言われたの?」

 

 

 

 

「ーー人魚みたいだねって」

 

 

背丈は負けても泳ぎでは負けないとか、そんな風に見栄張ってた時期だったかな。

感心した目で、何気なくボソリと言った彼のその言葉。人魚、美しく綺麗な人魚。何だか嬉しかった。

 

 

「きっと、その人は幸せだったと思うよ。」

 

「え、?」

 

「だって、松浦さん優しくて綺麗だもん。それこそ本当の人魚姫みたいにさ。」

 

 

人魚姫か。

最後は王子様に気づいてもらえず幸せにもなれずに泡となって消えてしまう物語。

綺麗で美しくて心優しい人魚姫の最後は何とも呆気無い。せめて、天国では王子様に会えてたらいいな、なんて思った。

 

 

 

私も、彼に会えるかな。

会えると良いな。

 

 

 

 

「着いた、」

 

 

そうマリの声が聞こえると、私は我に返って顔を上げた。

開けた場所に、別荘のような木造風の建物がいくつか並んでいた。シーズンオフからか明かりは殆ど付いていない。

 

「えっと、あの家。」

 

マリが指差す方を見ると、二階建ての戸建てだった。

日が登る前の時間で明かりは付いていないが中を確認してみなければ分からない。

 

私はマリの方に向き直し、背負っていたゴルフバックを置いて視線を合わせるように少し屈み込んだ。

 

「ありがとう。もうここまでで大丈夫。この猟銃も貸してくれてありがとう。もし警察とかに聞かれたらドアが空いていて盗まれてたって言うんだよ?」

 

 

「でも、」

 

 

マリは私の目をしっかりと見ている。その目は動揺しているようにも見えたけれど、恐らく心配してくれているのだろう。

 

「もうこれ以上迷惑はかけられない。十分すぎるくらい助けてもらった。」

 

「私も手伝うよ?どうせ、行くあてなんて無いし…」

 

この子もこの子で辛い境遇を背負っている。人を殺したと言う点では、私と同じ。でも、この子にも未来がある。環境さえ良ければこの子ならいつかきっと幸せになれると、少しの間一緒にいてそう思えた。

 

 

「いい?マリは、私みたいになっちゃダメだから。それだけは覚えていて。あなたならきっと、いつか幸せになれる日が来るから。私が保証する。」

 

 

だから、

 

そう言って、マリの携帯電話をそっと持ち取り操作する。記憶にあるあの子の電話番号をメモ帳に書き写す。その電話番号の持ち主の名前とその人が住んでいる私の家から見えるホテルの名前も添えて。

 

 

「何かあったらこの人に相談してみて。」

 

「おはら…ま、り?」

 

私はコクリと頷くと、彼女に携帯電話を返した。

 

 

「きっと、力になってくれるから。」

 

そう言うと、彼女はじっと私をみて首を振った。

 

「やだよ。松浦さんが助けてよ。これが終わったら2人でどこかへ隠れて暮らそうよ。」

 

私は首を振り返した。

その約束は、できそうに無いから。

 

 

「嫌。どこにも行かないで…。こんなの、まだあって数時間かそこらだからバカだって思うけど、松浦さんともっとお話ししてみたいの。私を1人にしないで…」

 

 

1人にしないで。その言葉が何故か強くのしかかる。

何故なら、1人の苦しみを痛いほど知っているから。

辛くて心にぽっかりと穴が空いて、何も感じられなくなるあの感覚。

 

 

それでも、私にはやらなければならない事がある。この手で、奴を地獄の底へと突き落とさなければならない。私の最愛の人を無慈悲にも奪った奴を、この手で…。

 

 

「1人になんかさせない。だから、困ったらその人に連絡するといい。私のよく知る人だから。もしかしたら私ともまた会えるかもしれないし。」

 

 

「本当に?」

 

 

「うん。」

 

 

そう言って頷く。大きく力強く。

 

マリは少し考え込むと、コクリと首を縦に振り分かったと答えた。

 

「絶対、またもう一度会おうね。」

 

そう言って、彼女はゆっくりと来た道を引き返して行った。

その後ろ姿を見送り、見えなくなると私は猟銃の入ったゴルフバックを背負い、奴が居るという別荘を見上げた。

 

雨上がりの風が少し強めに吹きつけたけれど今の私には寒さなんてものは感じられなかった。

 

 

 




残り2話です。
あと少しだけお付き合いください。


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第三章
人魚の復讐


後数分で午前5時を腕時計の針が指そうとしていた。

目の前の二階建ての戸建ての前で背中に背負ったゴルフバックを握りしめる。

 

目を瞑って一息吐くと、私は扉を静かに引いた。

鍵が掛かっているらしく、ガチャンと音を立てるだけで扉は開かなかった。

もしかしたら開いているかもと期待してみたがやはりダメらしい。

 

空いている窓が無いか建物の周りを一周してみたが、それも期待できそうに無いラシイ。

植木鉢の下やポストの中などを見てみたけれど、鍵らしきものは入っていない。

 

もういっそ朝まで待って奴が出てくるのを待つ事を考えたが、この近くを人が通って怪しまれることも考えると、それは得策では無い。

 

私はインターホンの前に立ち、諦め半分でボタンを押す。こんな夜中じゃ寝ているだろうし、そもそも怪しんで出ない可能性の方が高い。

 

シンと夜の静けさが辺りを支配する。

2回目のインターホンを鳴らし、やっぱり出ないことを確かめ、朝になるまでどこかに身を潜めようかと考えていると、唐突にガチャリと鍵が開く音がした。

 

 

「誰…?」

 

 

中から出てきたのは、20歳前後の女の子だった。

まさか、ここに来て場所を間違えて記憶していたかと焦る。

 

「あ、えっと…」

 

少女の顔は私をジッと見つめている。

まずい、何か取り繕わなければと脳内をフル回転させていると、

 

「あー、来るかもって言ってたよしきの友達?」

 

よしき、その名前に身を震わす。

高崎よしき。忌まわしき少年Aの名前だ。

 

「うん、そうなんだ。よしきくん居るかな?」

 

そう言うと少女は小さく首を振った。

 

「今ここには居ないよ。」

 

その言葉に絶望する。こんな山の別荘地まで来て、奴がいないとなると、また一から考え直さなければならなくなる。

 

「どこに行ったの?」

 

「すぐそこのコンビニ。って言っても原付で10分とかのところだけど。」

 

コンビニと言うと、マリと歩いている時に前を通ったあのコンビニか?

 

しまった、すれ違ってたんだ。そこで気づいていればこんな風に女の人に私の存在を見られなくて怪しまれずに済んだのに。

 

「どーする?中で待ってる?じきに帰ってくると思うけど。」

 

それもあまり良い提案では無い。この女の人と一緒にいて、ニュースやワイドショーで騒がれている松浦果南だなんて知られたらお終いだから。

 

「いや、そのコンビニに行くよ。私も買い忘れたものとかあるし。」

 

「そうなの?なら向こうで待っとくように伝えようか。友達が来てるよって。」

 

女の子は携帯電話を取り出して画面を操作している。

大きな目で小さい顔、引き締まった身体。この子は一体なんなのだろう。

 

「ねえ、」

 

「んー?」

 

「君は、よしきくんとどんな関係なの?」

 

そう言うと女の子は私を見て微笑んだ。

 

「よしきのただの遊び相手よ。貴方もそうじゃないの?」

 

 

遊び相手。肉体関係だけの関係ということなのだろう。

でも、そいつ自身に振り回されて、おもちゃのようにされているのだとすれば、私は彼の違う意味の遊ばれた相手に入るのかもしれない。

 

「うん、そんなところ。」

 

 

「じゃあそこの自転車使っていいから、ここの坂降りる途中にすぐ右にコンビニがあるから。」

 

そう言って鍵を受け取ると、私は自転車に跨った。

 

「その鞄、置いてきなよ。重そうだし。」

 

「ううん。大丈夫。すぐよしきくんを連れて帰るから」

 

 

そう言ってペダルを踏み出す。

舗装された真っ暗闇の道を深く帽子を被って大きなゴルフバックを背負って漕ぎ走る。

途中で、アイス買ってきてと聞こえたけれど、そんな事はどうでもいい。もうここに戻る予定はないから。

 

 

先程まで上がってきていた道を颯爽と下る。周りに怪しまれないように出来るだけ前照灯をつけずに走る。

数分して、暗闇の中で道路脇から恍惚と光る建物が見えた。

 

目当てのコンビニだと分かると私は自動扉の横に自転車を止めて中に入る。

 

いらっしゃいませ。

 

そう木霊する店内をぐるりと見渡すと、少女Aこと、西島たかしはそこにいた。ガムをくちゃくちゃと下品にも噛みながら、金色にそめた頭、たくさん空いたピアス、少しばかりか店員にも高圧的だ。タバコとお酒を買って外へ出ていく。

 

 

私はその後を追い、彼がタバコをふかすと同時に声をかけた。

 

 

「高崎よしきくん」

 

その声に原付に座っていた奴は私の方を振り向いて眉間に皺を寄せた。

 

「あ、なんだてめぇ。だれだよ。」

 

 

更生なんてしていない。

そう分かってしまうほど彼は私に攻撃的な目線をしていた。そうやって、弱い人を怖がらせて、自分だけ満たされて…。

 

彼が殺された時もそうなんだろう。脅されてる子を助けようとしただけなのに。

 

 

「少年Aって、言った方がわかるかな?」

 

 

 

 

その言葉に目の前のゴミは、見る目がみるみる恐怖の目へと変化していった。この得体の知れない存在が何なのかという恐怖に苛まれているのだろう。

 

 

「な、なんだよ、何でその名前で知ってんだよ…?!」

 

 

「さぁ、何でだろうね。」

 

「近づいてきたらタダじゃおかねえからなッ!!」

 

原付から降りると、少年Aは臨戦態勢に入る。

 

この姿を見て、あぁ、少年法は絵に描いたような餅で、こいつらは社会に害を生すだけのゴミ以下の存在なんだと改めて認識した。

 

 

私はゴルフバックから猟銃を取り出した。マリの家で盗んだということにして借りてきたもの。

マリの家で一回だけ教えてもらった銃の使い方、まず弾を薬室に入れるためにここを引いて…

かちゃりと音がなると、照準を目の前のゴミに合わせた。

 

 

「は、なんだよそれ。おもちゃなんて怖くッ…」

 

 

バンッッ‼︎!‼!

 

空気を割くような音がコンビニの前で児玉した。

 

 

 

 

「、な、なんだよ…これ…、う、うあああああ、ああああ、ヴァァァァァァァァ?!ァァァァァァァァ⁈‼︎」

 

 

弾は右足を貫通させたらしく、大きく地面に尻餅付いて転げ回っている。

 

私がもっていた銃は後ろへと弾き飛んでいた。ここまで威力がすごいとは。計算外だった。やっぱり映画のようには上手くいかない。

 

扉の前の方まで飛んだ猟銃を取ると、コンビニのお店の人が悲鳴をあげてその場に腰を抜かしていた。

私はその事に微動だにせず、猟銃を持って立ち上がり大声で痛みに呻き転がる獲物の前に立って見下ろした。

 

「どう?痛いでしょ?」

 

 

「な、何なんだよお前えええぇええ!!」

 

「彼も私も、それ以上の苦しみを味わったの。ここでちょっと痛いくらいで死ねるだけマシだとと思うことね。」

 

「死ぬ…?え?何言って……。」

 

「私は、あんたちが殺した結月の婚約者よ。」

 

「まさか、たかしと連絡取れなかったのも…」

 

「私が殺した。ニュース見てないの?だからどうしようもない能無しのゴミような人間になるんだね。理解した。」

 

「てめぇ、ほんとにふざけやがって…、殺してやる!!!」

 

 

そ、やっぱり結局中身すらも変わってなんかないじゃない。

 

 

「やってみれば?」

 

 

バンッッ!!

 

 

私は下で悶えている少年Aの背中を撃ち下ろした。甲高く聞くに耐えない悲鳴が辺りを響かせる。

リロードして、照準を合わせて、もう一発

 

バンッッ!!

 

 

もう一度

 

 

バンッ!!

 

 

気が晴れるまで

 

 

バンッッ!!

 

 

 

 

 

肉片が飛び散り、コンクリートの上に侵食している大量の血液を見てほっと一息を吐いた。

最後に地面に垂れた顔を引っ張り上げて、ポケットのナイフを顔面に突き刺した。

 

「刺しにくいなぁ。」

 

肉塊をゴロンと仰向けにして、ナイフを再び立てる。顔を何度も何度も。誰だかわからなくくらい。生き返っても外で歩ける顔じゃなくなってるように。

 

足も股間も腰も背中もお腹も、全部刺せるだけ力強く刺す。ナイフがダメになってしまうまたところでそのゴミにナイフを突き刺し、私は血塗れの手で猟銃を持った。

 

 

電柱に腰掛け、空を見た。まだ日は登っていないけれど、綺麗な星々が見える。あそこのどこかに結月はいるのかな。この上の空の天国に。会いたいなぁ。

 

そう考えながら、口に猟銃の発射口を加えて、足の間に猟銃を立てた。靴下を脱いで、足の親指に引き金を掛ける。

 

 

 

 

 

復讐とは、自分の運命に決着をつけるためのもの。

過去を振り返って良かったことだけを思い起こしても、幸せだったときの時間は2度と帰ってこなかった。

 

失った過去からは逃げられないのだから。

 

それでも、私にはまだ大切な人がいた。

鞠莉、ダイヤ、千歌、曜、梨子、善子、花丸、聖良、理亜ちゃんも。まだ、私のことを思ってくれている人がいるのは知っている。でもね、もうこれ以上の迷惑はかけられない。

 

 

楽しかった。27年間、色々なことがあったけど、私の最後はこうすることしかできなかった。

 

みんなどうか、許さなくてもそれだけはわかって欲しい。

 

 

さようならみんな。

 

 

そして、今行くからね、結月。

 

 

 

 

 

 

 

パンッと言う乾いた音が聞こえたと同時に、私の意識もそこでぷつりと途切れた。

 

 

 




あと一話後日談的なのが続きます。
もう少しだけお付き合いください。


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番外編
マリ、花を手向ける


タイトルは某アクションバトル漫画のスピンオフ小説から。


 

 

「うわあ!綺麗な海だあ!お魚いるかな?!こーんなおっきいやつ!」

 

「さぁどうかしらねえ。」

 

「人魚とか河童とかもいたらいいなぁ!」

 

不規則に揺れる車内に響く快活な話し声を聞きながら、窓の外に広がる海を眺めている。

反射する太陽光で海面が輝くその光景はみずみずしく煌びやかで、内陸育ちの私にはとても新鮮な光景だった。

 

目的のバス停に降りると、潮の香りとジメッとした湿気が鼻腔を擽った。炎天下の太陽の下、冷房が効いていた車内を出ると一気に毛穴から汗が噴き出る。

 

暑いのは嫌いだ。肌を焦すような夏の日光が煩わしいから。

片袖でぐいっと汗を拭うと、石造りの階段を見上げる。目的の場所まで行くにはこれを登って行くしか無さそうだ。

はぁ、と息を吐くとゆっくりとその階段を踏みしめるように登って行く。

 

所々伸びきった草が脇から飛び出して、私の足や腕を擽っていく。暑い、暑い、と心で連呼しながら最後の一段を登り切ると、等間隔に並んだ多くの墓跡が立ち並んでいた。

 

肩で息をして、汗を拭うと後ろから湿り気のある浜風が背中を掠めた。

その風の方を向くと、大きな水平線が広がっていた。壮大で躍動感のある晴れ渡った青い空と海は私の視線に焼き付いて離さなかった。

 

暑くて、湿り気があって、蒸し蒸ししている。それでも、この場所は美しいと本能が言っていた。

 

 

『海が、好きなんだ』

 

 

そうあの人が言っていた意味が理解できた気がした。

 

 

 

目的の墓石まで行くと、1人の女性がそこでしゃがんでいた。その人と目が合うと、立ちが上がり私をじっと見つめる。腰まで伸びたブロンドヘアが風に靡いて、一つの絵のような光景を生み出している。それ程に、その人は綺麗だった。

 

 

「あなたが、マリちゃん?」

 

その私への問いにコクリと頷くと、彼女にっこりと笑って私を手招いた。

私はそれに従って彼女の近くへと寄る。

 

「あの、名前…」

 

その言葉に彼女は反応して、

 

「小原鞠莉」

 

そう名乗った。

松浦さんから貰ったメモに書かれていた名前の人だった。

ぼーっと目の前の彼女を見ていると、鞠莉さんは優しく笑って墓石の方を見た。

 

「ほら、果南に挨拶してあげて。」

 

私は慌てて墓石に向き直って手を合わせた。

そして、袋に入った青い薔薇を手向けた。

 

「青い薔薇?」

 

「はい、綺麗だったから…。その、松浦さんの髪色に似てたし…。」

 

何の花を手向ければ良いのか分からず、花屋で目を引いたものを持ってきた。もしかしたら間違いだったのかもしれないと杞憂したけれど、綺麗ねと笑う鞠莉さんを見て少しほっとした。

 

 

 

 

松浦さんが亡くなって2週間が経った。

 

 

 

力になってくれるからと渡されたメモに連絡をすると小原鞠莉さんが出て、松浦さんとあった出来事を事細かに説明すると、会わせてあげるからここに来るようにと言われて…、もうあなたがこの世にいない事はテレビで知っていたけれど、もう一度会いたいと思ってここにきた。

 

猟銃のこともあり、警察が色々調べにきたけれど、免許を持ったお母さんはもう居ないので、失踪事件ということで更に警察が騒いでいるらしい。

 

 

松浦さん、私はどうすれば良いのかな。

 

警察の目は私には向いていない。このまましらを切り通せば、殺したあの新しい父親のことも、その男に殺された母親を山に埋めたことも、当分はバレることなはないだろうと私は思っている。家で殺したという証拠も、それなりの時間が経っていて、証拠らしい証拠にもなっていないようだ。

 

 

このまま、殺したという十字架を背負って私は生きていかなければならないのかな。

 

 

その答えを、私はあなたに聞きたいと思ってここに来た。

 

 

私は、どうすればいいですか?あなたなら私になんて言いますか?

 

 

 

 

返ってくるはずもない固く佇んだ墓石からの返答に私は耳をすましていた。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 

 

 

『あ、えっと、私…果南です。

鞠莉、心配かけてごめん。急でびっくりするかもだけど6日前に私、沼津で人を殺したの。4年前、私から彼を奪った未成年だった2人のうちの1人を…。

 

許せなかったの。奴らは更生なんてしてなかった。私から幸せを奪っておいて、彼の人生を奪っておいてのうのうと沼津の地に戻ってきて暮らしていた事が許せなかった。

 

だから、私は復讐を誓ったの。

 

人間として終わってるかもだけど…、殺した事は後悔していない。そして何があっても、復讐を絶対に成し遂げる。それが済んだら、私は潔く死ぬつもり。

 

鞠莉やダイヤ、Aqoursのみんなと居た時間は凄く楽しかったし、私の宝物だった。みんなにはいっぱい迷惑をかけたけど、私のわがままをどうか許して欲しい。

 

それから、私がこの道中出逢った子が居て、その子も何というか…たくさん辛い思いをしている子だから、もしその子が鞠莉を頼ってきたら、助けてあげてほしい。

これが私の最後のわがまま。

 

今までありがとう。じゃあね。』

 

 

 

何度も聞いた携帯電話の留守録に入っていたメッセージ。携帯から耳を離して机の上に置くと、目の前の少女を見る。

 

『あの、松浦さんに困ったらここに電話しろって言われて…』

 

 

そう言って電話をかけてきたこの子は、マリと名乗った。何かの悪戯なのか偶然なのか分からないけれど、私と同じ名前で、しかも何処となくダイヤに顔や雰囲気が似ている。

 

年は15.6歳というところだろうか。垢抜けていない顔がまだ幼いと言うことを表現している。

 

「ねえ、」

 

「はい。」

 

「あなたが会った果南は、どんな人だったの?」

 

 

私が知っている果南は、花のように笑って底抜けに明るくて、ちょっぴり頑固で素直になれない優しい女の子。でも、彼女が愛する彼を失ってから、心から笑うことは無く、常に何かに追われ苛まれ苦しみ、抜け殻のようにあの頃とは別人のように変わり果ててしまっていた。

 

愛する人を失って、これから育むはずだった幸せも失って、どこを見て良いのか分からなくなっていた彼女をどうにかして前を向かせようとみんなで彼女を支えて来た。

 

それでも、果南は笑うことは無かった。

 

 

 

 

運命に、全てに絶望した彼女には、この世界がどんな風に見えていたのだろうか。

色を失い、二度と色づく事がなくなった世界を彼女はどんな気持ちで生きていたのだろう。

 

きっと、私には想像もつかないのだろう。

 

 

忌まわしき呪いのような記憶を掘り起こされた彼女は、1人、2人と惨殺した。復讐に骨の髄まで侵された彼女を私は知らない。知っているのは、目の前の子だけ。だから、その時の果南がどんな感じだったのかが、知りたかった。

 

 

「ずっとどこか辛そうで…、何かに囚われて苦しんでるような、そんな感じがしました。」

 

「そう。」

 

「でも、とても綺麗で優しくて、海が好きだって教えてくれました。」

 

「果南が?」

 

「うん。海中から見上げる水面が綺麗なんだって。その、婚約者の人も好きだったって。」

 

「婚約者のことは何か言っていた?」

 

「うん。馴れ初めとか、プロポーズの事とか、。」

 

 

もう、その復讐が終わって仕舞えば、この子と会う事はないと分かっていたから話したのだろう。彼が死んで以来、楽しかった頃の彼との思い出は、果南自身を不安定にさせるだけだったから私たちからも彼女からも極力する事はなかった。

 

 

復讐を遂げて死を選んだ。どんな気持ちだったのかな。復讐をして、晴れやかだったのかそれとも気持ちは晴れなかったのか。それはもう居ない彼女にしか分からない。

 

それでも私は、彼を失った過去よりも、彼と刻んだ時を思い出しながらこの先を幸せに生きていて欲しかった。

 

 

墓石の向こうに広がる海を眺める。彼女が好きだった海。青く綺麗。まるで果南のように…。

 

 

 

ーーねえ、果南、彼には会えた?

 

 

 

 

それに向かってそう尋ねるけれど、答えなんて返ってこない。

 

 

 

「私の知らない果南さんのこと、教えて下さい。」

 

その声に現実へと引き戻された。目の前のマリという少女は私の目をじっと見つめて離さない。

 

「私、私も人を殺しました。私とお母さんに暴力を振るってくる新しい父親を。殴られてお母さんが頭を打って動かなくなったから、カッとなってお母さんが持ってた猟銃で殺したの。そのあと、バレないように山に埋めた。ねえ鞠莉さん、私どうしたら良いのかな。それから、果南さんだったらどうするのかな。」

 

 

自分の事を、抱え込んでどうすれば良いか分からなくなるその姿が、かつての果南を思い起こさせた。何が正しいか分からずに、下を向くしかなかったあの子は次第にどんどんやつれて変わっていく。

 

果南が、この子の力になってあげて欲しいと言って来たのは、こういう姿を自分と重ね合わせたからなのだろう。自分のようになってはいけないと。

 

この彼女が背負う十字架は重くのしかかるだろう。この先、前を向けたとしても、それは一生につきまとうことで。

 

 

「あなたはどうしたい?」

 

「え、」

 

「これから先、あなたの人生を生きて行くためにはどうすれば良いか、自分で決めるのよ。」

 

 

そうだ、人生は選択の連続。進むも下がるも自分で決めることなのだ。

だからこそ果南は自ら命を経った訳で。

 

この子にも、その大きな選択が迫られる時が来る。遅かれ早かれ自分で選ばなきゃいけないのだ。

 

 

「私は……」

 

 

 

彼女の出した答えが、正解かどうかは分からない。

ただ、その選択で彼女が救われて、前を向いて彼女の人生を歩んでいけるのなら、それは素晴らしい事だ。

 

 

彼女がボソリと呟くように答えた。

ぐっと顔を伏せて、気持ちを吐き出した。

 

 

「そう…。なら、私もあなたの力になるから。」

 

「え?なんで…そこまで。」

 

 

 

驚いた彼女は、どうしてそこまで、みたいな顔をしている。どうしてって、だって…

 

 

 

 

 

「あなたは果南が最後に残した私達へのわがままだから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後までありがとうございました。これにて完結となります。

この世の中には多くの矛盾が存在します。例えばここで挙げた少年法などもその例だと思っています。もしこれが他人事では無く自分ごとだと置き換えれば少し考えが変わったりもするかもしれません。法が守る正義とはなんなのか、悪とはなんなのか。視点によって変わる矛盾だらけのこの世界で、少しでも皆さんが考えるきっかけなどにしてくれれば書いた甲斐があります。

感想評価等、お気軽に。いつでもお待ちしております。

ではまたどこかで。


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