ウソつき怪談のススメ (笹貫 満)
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壱 唆されたカイダン
私(りっちゃん)
このシリーズの語り部。
お婆ちゃんと友人にあだ名されている。
運動が大の苦手の腰痛持ち。
午前三時に起きるので就寝時間がとにかく早く、たまに夜に訪れるみっちゃんの通称 深夜徘徊に辟易している節がある。
みっちゃん
りっちゃんのウソつきな友達。
一つ括りの髪がトレードマーク。
りっちゃんに未だに名前をきちんと覚えてもらうことが出来ずみっちゃんと呼ばれている。
同じクラスのみっちゃんはウソつきだ。
彼女はミハルだかミサトだかホントのところは知らないが、みっちゃんだなんて渾名からもわかるように所謂『陽キャ』な人間で、教室の片隅で本を読んでいるような私とは根本的にタイプが違った。
そのため、私たちはこれまで大した接点もないまま過ごしてきたのだが、彼女のこのとんでもない悪癖を知ったのはちょうど一年ほど前のことだった。
その日、運悪く体力テストを欠席していた私は再テストを受けに体育館へ向かっていた。
外は生憎の土砂降りだったので五十メートル走やらハンドボール投げやらの面倒な種目はまた後日に開催されるらしい。億劫だなとは思ったものの、結局恨むべきは自分の風邪である。
むしろ、この再テストの機会さえも失うことの方が怖ろしいだろう。広い体育館で、これといって親しいわけでもない体育教師と二人ぼっちで測定するのはどうにも気が重いだろうから。
同じく運悪く体力テストを欠席したらしいみっちゃんと同じ学年だということで一緒に並ばされたのが、何だか少し気まずく思って、彼女に軽く挨拶をしてからは俯いていた。
みっちゃんの背は私の十センチ程上なので、目線が交わることはまず無いのだけれど。
因みに、私は友人からお婆ちゃんと揶揄される通りに体育は大の苦手である。別にそのあだ名は運動音痴から取られたわけでもないのだが、ぴたりとハマっているので訂正しようにも中々出来ないでいる。
やっぱり身体を動かす度に腰は痛むし、足は軋むのを感じた。恐らく、明日の筋肉痛から逃れることは叶わないだろう。どうにも不運だ。まあ、日頃の運動不足が祟ったのだろうから自業自得だと早々に諦めてしまった。
上体起こしやシャトルラン、反復横跳びの都合上、みっちゃんとペアになったので知っているが、彼女は一つ括りの髪を揺らしながら軽く私の倍をこなしていった。
運動音痴の私とはえらい違いである。
そんなこんなで室内種目は全て終わったので、後は帰るのみである。
後片付けやらなんやらでそうこうしているうちに夕暮れ時が迫っていて、黄赤色の光が窓を照らす。早く帰ってしまわないと明日朝は寝坊する羽目になるなあと手早く室内履きをくつ袋にしまった。
二十時に寝て、三時に起きる生活は結構慌ただしいのだ。
「一緒に帰ろうか」
そんなみっちゃんの声に振り返る。それを諾して並び歩いた。
「ねえ知ってる?階段の段数」
体育館から地上へと伸びる階段は途轍もなく長くて、不養生な私はいつも息絶え絶えになるのが常だ。
そのせいで、私は昼休み直後の三限目体育がとても嫌いだったりする。食べ物を胃の中へ入れたせいで脇腹がつきつきと痛くなるし、ここの階段は勾配が大きいものだから、重心を後ろにしないと、こけた時に派手に顔面ダイブする羽目になるからだ。
「いやあ、長いのは知っているけれど」
「百四十八段あるんだよ」
「え、そんなにあるんだ。それは私が辟易するのも仕方ないや」
「じゃあ、今日は不運だね」
不穏な発言をされたので何故と返す。
そうするとみっちゃんは事も無げに一段増えてしまうからと返した。そんな事は建物の都合上ありえないオハナシだ。
私の頭の上にはハテナが浮かんでいたのだろう。
みっちゃんは提案した。
「じゃあ、丁度いいから数えてみようよ。気になるでしょ?」
疑問が残ったまま帰宅するのも釈然としなかったので、数えながら帰ることにしようかとその提案を呑む。
一段、二段、三段。
長い階段を数える間、無言なのもイヤな感じであるし、どうにも愛想がないだろうと思ったものだから、その間にぽつぽつと学校でのこと、先生の面白かった話を話していった。
例えば、部活で育てていた二匹の金魚が死んだこと。
一昨年の四月に飼い始めたのでシガツとフールと名付けて可愛がっていたのだけれど。
もしかしたら、名前が気に入らなかったのかもしれない。四月馬鹿だから、という理由でシガツとバカにしようとしたものの、片方がバカになるのは流石にかわいそうだったので、エイプリルフールのフールにしたのだ。けれど、フールも愚者という意味を持つのだとついつい最近になって知った。
それとも、実験が肌に合わなかったのだろうか。もう既に金魚の供養碑には色々と埋められている。血も涙もない実験だと陰で噂もされていた。
例えば、生物を教える笹本先生のこと。
程よく炭酸が抜けたソーダみたいな優しい先生で、可愛らしいインコを飼っているのだとよく自慢をしてくれる。授業一コマで出来るだけ多く、もっと言えば全員当てることを目標としているようで、授業中によく当たること。
間違えてもフォローが上手い先生なものだから、あまり緊張感はないこと。
長い階段の合間合間にした話のラリーは意外と長く続いた。
「ところでさあ。なんで一段増えてしまうのだろうね」
「帰らないんで欲しいんじゃないの」
だってほら、百四十九っと。
彼女はそう数えながらくるりと振り返る。
奇しくも最後の段だった。
「ほら、今って丁度、逢魔が時なんだから。その辺の低級に唆されて理性を手放しちゃうんだよ。生徒を帰したくないな、まだまだ一緒に遊びたいなって」
「それは不穏だなあ」
橙色の光に包まれる。
急に恐ろしくなって残りの一段を数えながらみっちゃんに並んだ。
その私の挙動不審さが笑いを誘ったのか、みっちゃんは大笑いし出す。
「なあに笑ってるの! 君は失礼だなあ」
少し顔が青ざめているのが自分でわかる。
だって、本当に一段増えていたのだ。
そうしてもだもだしていると、みっちゃんが衝撃的なことを言った。
「ウソだよ」
「は?」
「だから、ウソ」
「どこからどこまで?」
「一段増えるなんてないよ、その階段は元々百四十九段あるの。知らないみたいだからついついからかっちゃった」
そう言って、てへっと笑うみっちゃんは憎らしい程にいい笑顔をしていた。
「なあんだ。びっくりしちゃったよ」
「あはは、ごめんって」
「すっかり引っかかってしまったね」
「ありえないでしょー、建物がそんな感情を持つだとか、段数が増えるだとか」
「妙に信憑性があったんですぅー、付喪神だって居るんだから学校が怪異になったっておかしくないんですぅー」
「何その語尾、ウケるんだけど。ってか、この学校創立十七年なんだから。もっと年月が経たないと付喪神になんてならないんですぅー」
そんな帰り道があってから、何故か彼女と仲良くなってしまったのだ。
今でも本名がミユキだったかミキだったかあやふやなのでみっちゃん、と呼んでいる。彼女は自分の渾名に因んだのか、私のことをりっちゃんと呼ぶようになった。
だから私は知らない。
あの階段が百四十八段あるということを、学年新聞の学校の名物紹介欄にて知ったことを。
あの夕暮れ色で自分の影を探した時にみっちゃんとあともう一人、長い髪を靡かせる人らしきナニカの影を見たことを。
みっちゃんは良い友人だ。
その悪癖に目を瞑り、時には乗りこなす度胸は必要かもしれないけれど。
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弐 時間を間違えると吉
時よ止まれ、の魔法の試し方。
同じクラスのみっちゃんはウソつきだ。
それに気付いて早数ヶ月の時、私とみっちゃんは二人だけの勉強会を図書館で開いていた。
私たちの学校は図書室のことを何故だか図書館と呼ぶのが習わしである。
「勉強しなよ」
「うーん、休憩?」
横目で地震展のポスターを眺めながら大鯰をルーズリーフに描いてた手を止める。鯰の上で大小様々の家が揺れていた。
しょうがあるまい。私は三日坊主の達人なのだから。
「そんなんじゃ受かるもんも受からんよ」
「大丈夫、大丈夫。受かるだろうよ」
「頭自体は悪くないのに」
なんて、残念な。とみっちゃんは私にコメントした。
どうもマジメに勉強していたみっちゃんは、宿題が終わって次をやらずにぼんやりしていた私の素行が目に余ったらしかった。
「えー、初夏だもんよ。そんなにカリカリ勉強してたら熱中症になっちゃうよー」
「それはりっちゃんだけの現象だと思うよ。それに今日はサマータイムとやらで六時には下校しないとバスも無くなっちゃうんだから」
「月日に関守なしってねえ」
みっちゃんもケラケラ笑う私を横目に見ながら手を止める。
どうやら彼女は生物の作文問題に悩まされているようだった。指を栞がわりにしていた教科書を何度も問題文と見比べている。
やがて問題文が勝ったのか、みっちゃんは教科書を軽い音と共に閉じた。
お、キリがいいのかしらと声を掛けてみる。
「もうすぐお八つ時なんだからさあ、お茶でもしばこうよ」
「わたしは熱いお茶よりアイスかな」
ぐだぐだと休憩を勧めてくる私に優しいみっちゃんは負けてくれるのか、二人で財布を取り出しながら購買に向かうことにした。
蒸し暑い中、私は結局冷たいほうじ茶を飲んだ。夏には全く売れないのか、温かい飲み物は売っていなかったのだ。
みっちゃんは私の隣の席でスーパーカップのバニラをちびちびと木ベラのスプーンで食べていた。
蝉の音が何十奏にもなっていてどうにも煩わしかった。
「蝉がうるさいねえ。もう少し少なけりゃ風流だと言えたのに」
「毎年こんな風に五月蝿いよ。結婚相手を探すのにご苦労なことだね」
みっちゃんの冷静な感想にもお構いなしに蝉は五月蠅い。
夏の風物詩の一つなものだから、これもまた風流なのだろうと少し納得して、その気持ちを固めるように少しばかりぬるい麦茶を喉に流し込んだ。
そうこうしているうちにアイスを食べ終わった彼女と一緒に図書館まで戻ることになった。
気分転換をしたにも関わらず、うだうだと机に突っ伏した私を見かねたのか、みっちゃんもやる気を無くしたのか、周りに人が居ないのをいいことに口を開き始める。
「この時間が一生続けばいいって思ったことってある?」
「たまーに」
「じゃあ、探してみようか」
何を? と聞くと本、と簡単に答えが返ってきた。
「四時四十九分四十九秒に図書館の何処かに隠されている本を開いた時、永遠にその時間が続くんだってさ」
なあにそれ。
高校の図書館で聞くにはあまりに陳腐な怪談に思わず苦笑が漏れた。
「本は物語を紡ぐもの、時計は時を刻むもの。この二つが合わさったんだから、この『物語』をこの『時間』に留めることだってきっと出来るんじゃないのかな?」
馬鹿馬鹿しいと一笑に付しても構わないような話なのに、真剣な顔をするみっちゃんを見ていると、どうにもそういった思考が鈍る。
そして、こういった話が意外と好きな私は簡単にいいよ、と返してしまうのだ。
とは言っても、何の手がかりもなく本を探すなんて無理である。みっちゃんによると見れば分かるそうだ。何とも適当な話である。
キョロキョロしながら本の本棚を縫うように歩いていると題名も著者名も見当たらない、真っ黒な表紙の本が見つかった。
「みっちゃ〜ん! これかなあ」
「うわ、見事に真っ黒」
そう言って彼女はペラペラと無遠慮にページをめくった。紙が薄いのか、次々と捲れていく紙を目で追っていると、あるページでピタリと止まった。
細々と文字が書かれているそのページを、みっちゃんの横から身を乗り出して読んでみることにする。
「二人だけの勉強会を図書館で開いたものの、些かやる気に欠けた片方は地震展のポスターを横目に大鯰の絵をルーズリーフの片隅に書いていた――」
この一文から始まる文章は、間違いなく私とみっちゃんのこの午後イチの行動だ。
さっと顔が青ざめる。
みっちゃんがぽつりと私に問い掛けた。
「今何時?」
「四時四十九分四十九秒」
丁度の時間だった。
話は本当だったと、血の気がサーっと引いていくのを感じる。
突然、パタンっとみっちゃんが本を閉じた。
それを皮切りに、まるで金縛りが解けたみたいに私の足がたたらを踏む。
みっちゃんはそれをそのまま無造作にズボッと本棚に仕舞うとトコトコと歩き出していく。ぎぎっと椅子が嫌な音を立てながら引かれて、みっちゃんが座った。
それからため息なのか何なのかよく分からないものを一つ吐くと小首を傾げて言う。
「ウソだよ」
「は?」
「だから、ウソ」
なんで、としか言えなかった。
「さっきの話はりっちゃんが余りにも勉強しないでダラダラしてるから、ちょっとお灸を据えようとしただけの作り話。あの本は……ダミーって知ってる? この学校、作られてそこまで経ってないからさ、本棚の隙間を埋めるためにダミーの、中は普通のノートみたいになっている本を置いてるの。あれをさっき少し拝借してりっちゃんの様子をわたしが書いてたってだけだよ。びっくりした?」
「した」
呆然と目の前の彼女を見つめる。完璧に騙されてしまっていた。
みっちゃんはニンマリ笑って言う。
「時間は止まらないんだから、りっちゃんも手を止まらせないの」
「わかったよ」
彼女に一本取られた、という訳である。何だか悔しくて、宿題の数Ⅲの演習問題を予定したよりも五問多く解いて憂さを晴らすことにした。
一方、みっちゃんは生物の作文問題を諦めたようで、有機化学相手にあれは違うだのこれは違うだの、うんうん悩んでルーズリーフがたくさんの六角形で埋まった。
そして、一時間ほど勉強をした後、下校時間がとっくに過ぎていることに気付き、バスが来ないことを嘆く羽目になった。
だから私は知らない。
あの時、蝉の声が聞こえなかったことを。
図書館にダミーの本は置いてあるものの、それは開ける仕様になっていないことを。学校の図書館で働いている馴染みの司書さんに聞いた時に「いたずらされちゃ大変だからね」なんて教えてもらっていたのだ。
あの時、時計をすっかり読み間違えていた私は五時四十九分四十九秒を四時四十九分四十九秒だと思い込んでいたことを。
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参 9割はこうして失敗した
仲良し二人組の意外な盲点!
同じクラスのみっちゃんはウソつきだ。
彼女のウソに胃を痛めないようになった頃。
生物の授業で、ある実験をした時だった。
担当教諭の笹本先生は気の抜けた炭酸みたいな話し方をする人で、授業がいつも面白い。
生物を教える先生は皆何故か面白い、というのは私が作ったジンクスだ。
数年前、まだ中等部の生徒であった時、部活の顧問であった沖田先生はやはり生物の先生で。カエルの幼生について話を聞いた時に「ティ◯カーベルじゃないよ、幼生だよ」だの、生物の変態の流れを教わった時に「春先によく湧いて出てくるアレ……あの、お巡りさんにお世話になる方々ではないよ? それにしても困るよねえ。啓蟄辺りに虫と一緒に湧いてくるのかな?」だの。やっぱり面白い先生であったことを思い出す。
でも、先生がそうやって講釈をする時、笑っている人は私以外誰一人としていなかったので、皆が真面目すぎてそういう冗談がすべて流されたのか、それとも私自身の笑いのセンスがかなり独特なのか分からなかった。もしかしたら両方かもしれない。
神経の分野を勉強していたのだが、皆の集中力が途切れてしまったのか、はたまた話のネタがこれしかなかったのかわからない。ただ、もう少しでお昼ご飯というところであったので、皆空腹で気もそぞろであったのは事実だ。
皆の集中力を取り戻すためにはやはり手を動かすのが一番だろう、とのことで、紙コップに静電気を溜める方法を笹本先生が話し始めた。
紙コップを2つ重ねて、アルミホイルで包む。それから下敷きやらバルーンアートで使用する風船やらを使って静電気を溜めて行くのだ。その静電気を使って、皆の神経伝導の速度を測ってみようという話になった。
さすがに静電気だと痛いし、実験のための用意もないとのことであったので静電気を通す代わりに、手をぎゅっと握ることにした。
まず、教室の各々の席に座って目を瞑った状態で皆前後の人と手を繋いだ。私の席は四列目の一番最後だったので、お隣のみっちゃんと手を繋ぐことになる。
やがて皆の手が1本に繋がって。1番端っこの人が先生の合図で繋がれた手をぎゅっと握った。手の刺激は繋がれた手から手へと移っていって、その刺激が伝わったもう一方の端っこの人が手の代わりに握られたストップウォッチを押した。
記録は8.70秒であった。先生が凄く早いんだねと少し驚いたように言う。
「皆若いから神経の伝導も速いのかねえ」
「いや、そんなことないでしょ」
残念ながら皆が若いから説はみっちゃんにばっさりと否定されてしまった。
この授業を受講していた人数は31名だったので、1人当たりの神経伝導速度を皆さんお馴染みの速度計算(小学生の時、『キ』ミの『ハ』ートに『ジ』ャストミートで覚えさせられた)で求める。
「あれま、見立て違いだったみたいだ。皆、本当に31人だよな?」
伝導速度が先生の予想よりも遅かったらしく、先生が何度も私達の人数を数えた。クラスの皆も一様に首を傾げて人数を数え直す。高校の授業なだけあって、やはり人数を余分に数えていたり、逆に少なく数えたりはしていなかった。
その上、小学生の頃にイヤという程使った速度の公式である。小学校、はたまた中学校でも追いかけ回されたからもうDNAの奥深くまでに刻み込まれているだろう。
その上、皆、理系を選択しておいて今更そんなところで躓くはずがない。
つまり、計算間違いの線は消えていた。
皆頭の上にハテナを浮かべながら、授業終了の鐘が鳴ったので解散することになってしまった。
完全なる時間切れ、というやつである。
釈然としないながらも、お弁当のエビフライを口にすることにした。
「それは、先生が人数間違えたんでしょ」
やっぱり何だかおかしかったよねえ、とみっちゃんに話を振ってみると、あっけらかんと彼女は言った。
「いや、皆でも数えたじゃん。31人ぴったりだったよ」
「だから、もう1人いたじゃんか」
「は?」
「皆が目を閉じてる中、私、薄眼を開けていたんだよ。その時に、もう一人、間に割り込んでたじゃない」
信じられないことを彼女は言った。「気付かなかった?」なんて余計な一言を添えて。
思わず少し乱暴に聞き返してしまったが、まあ仕方がないと思った。
算数の話をしている時にいきなりその対極の位置にいる幽霊を割り込ませてきたみっちゃんがいけないのだ。
「そんなのがいたら、その割り込まれた2人が気付かない筈なくない?」
「あのさ、思い出してごらんよ。先生の指示、手繋ぐのと目を閉じるの、どちらが先だった?」
そう言われて回想する。確かに私達は先生の指示に従って目を閉じて、手を繋いだ。
そう、目を閉じてからだ。
授業だとか、学校にそんな失礼な部外者が入れるはずがないだのということは横に置いておいて、可能か不可能かというと可能である。
「それに、りっちゃんとわたしでも手なんて繋いだこと、今までにあったっけ?」
みっちゃんと手を繋いだ記憶なんぞ、あの生物の授業しかないではないか。
幼稚園でもあるまいし、友達と呼ばれる関係であっても手を繋ぐというシチュエーションは余りないと言えるだろう。
「案外、気付かないものだよ。それが誰の手か」
そう言って、みっちゃんは笑った。
「え、じゃあ、もう1人いたから結果がああなった?」
自分の声が微かに震えるのがわかる。
案外、ビビリで気の小さい人間なのだ、私は。
「だと思うよ?」
と彼女は締めくくった。
その後、一拍置いてからみっちゃんはニヤリと笑う。
友人の笑顔に対して随分と失礼な感想だとは思うが、あ、嫌な予感がする、と思った。
「なんてね、ウソだよ、ウソ。幽霊が現実の人間に干渉できるわけないって!しかも、結果だってただ単に皆のチームワークの問題でしょ」
わたし達のクラス、統一感がないものね、と。
私の怖がりようをみて、ついに笑いが堪え切れなくなったのか、息絶え絶えにしながらみっちゃんは言った。
「なあんだあ。毎度毎度騙すようなマネして、酷いわ!私はビビリなんですぅ〜」
「語尾が独特過ぎますぅ〜」
どうやらやはりウソだったらしい。
怖がり損をしてしまったなあと頭を掻いた。
怖がる、というのも意外と体力を消耗するものなので、あまり怖がりたくないものだ。
だから私は知らない。
いつも教室の隅に茫然と突っ立っている、点呼を何故か取られないどこかモノクロな同級生がこの実験に参加していたことを。
32名で計算すると、先生が最初に見立てた通りの丁度良い数字になることを。
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肆 運命の人との出会い方
ウソをつくこと、夜更かしすること。あとひとつのみっちゃんの悪癖は?
同じクラスのみっちゃんはウソつきだ。
彼女のウソに諦念を抱いていた頃、私は彼女の「ウソつき」以外の悪癖を知った。
午前三時といえば何を思い浮かべるだろうか。
草木も眠る丑三つ時、または丑の刻参りなんて物騒なことを考える人もいるだろう。
私はそのどちらでもない。私にとって午前三時とは布団という名の愛しの恋人と涙の別れを告げ、一日の行動を開始する時刻なのだ。
ジリジリと時刻を告げる目覚まし時計を引っ叩かんとばかりに止め、洋服に着替えた時だった。
窓の方から小鳥が嘴で突くような音が断続的に二度三度程響く。時刻が時刻なので震える手を激励しながらカーテンを引くことにする。窓ガラスが少し傷付いているのが見えた。
目を凝らしてその先をよくよく見てみると、暗がりの中からみっちゃんの姿がぼおっと浮き上がる。
此方に大きく手を振っているみっちゃんは午前三時に突っ立っていると思えないくらいに元気そうだった。
「何で私の家を知ってるの?」
「年賀状?」
今年の年賀状をぴらぴらとさせるみっちゃんに私は脱力した。
「まあ取り敢えず降りてきなよ」とジェスチャーで伝えられる。
もう春とはいえ夜、特に深夜はとても冷えるので上からコートを羽織ることにした。
思えば毎日この時間帯に起きている癖に窓の外を気にしたこともないし、親に行先を告げずに何処かへ行ったこともなかった。
たまには何処かの不良よろしく盗んだバイクで走りだしてみようか。もう十六の年は十日かそこら前に更新されたけれど。十数日の誤差くらい、この際関係ないだろう。
隣に並んだ時のみっちゃんの身長はやっぱり私の10センチ上だった。
「何の用事があるのよ」
「この先にある神社。りっちゃん早起きじゃん? 丁度進行方向に家があったから一緒に行こうと思って」
お婆ちゃんだねえ。なんて言われる。そうは言っても、みっちゃんも早起きだと言い返したら「昨日から寝ていないんだ」とあっけらかんと言われてしまった。
不眠症というやつではないのか、それは。
何でもその神社では変な現象が起こるらしい。
「何が起こるんだって?」
「何か絵馬に変な文が書いてあるらしいよ。まあ、オカルト板に書いてあるだけだから信憑性はあんまり」
「いや、変な現象やらなんやらに信憑性求める方がおかしいでしょ」
「それな」
2人して面白いのかよく分からない話をしながら歩く。
閑静な住宅街なので人通りはなく、たまに車が走る音がするくらいだった。
クイーンビーが下級生に向かって「この泥棒猫! 」と罵っているのを見ただとか、ジョックがその後行方知れずだとか。どこの昼ドラも、今ドキそんなベタな展開は視聴率が取れないだろう。
私自体スクールカーストという言葉は知っていたが自分の学校にそのような制度があることは全くもって知らなかった。
みっちゃんによると私は「誰とでも話す」人間に分類されているから、らしい。確かにそこら辺の人と適当に話すことが多い。そもそも階級のようなものを意識的にせよ無意識的にせよ作る方がばかばかしいのだ、だなんて開き直ってこれからも知らないふりを貫き通すことに決めた。
特に意識したこともなかったので、これからも意識することなどないだろうし。
そうこう言っている内に件の神社に着いてしまった。
「ところで変な文って何? 」
「うーん。見ればわかるんじゃないかなあ」
適当なことを言いながら絵馬掛所を見る。
「A君と両思いになりますように」という可愛らしい願いから「世界平和」というスケールが大きいものまで筆跡様々に色々な願いが書き連ねられていた。
その中にふと異様な雰囲気を持つ絵馬を見つけた。
「いつか うめんいひのと と でまあえすうよに」
何だかおかしい。
その絵馬を凝視していると、みっちゃんに肩を叩かれた。
「順番、入れ替わってんじゃん」
そしてボソリと言われる。
瞬間、ゾッとした。
「えっ、えっ、何これ」
パニックに陥った。そりゃ、人間誰しも普通ではない文字配列で作られた文章を普通に認識出来たらとても怖いと思う。
どこからか、鐘の鳴る音が聞こえた。鳴らしているのは多分神社のものじゃない。もっと甲高くて重量の感じない音だ。
後ろを振り向けば人。
白粉でも塗ったのか真っ白な顔に真紅の唇。瞳が爛々と輝いて見えた。首にぴたりと沿う着物が昔の時代劇を私に連想させる。歩きにくそうだなと現実逃避に考えた。
「走るよ」
みっちゃんは短く私に指示を出して走る。運動靴しか外履きを持っていなくて良かったとこの時ほど思ったことはない。
逃げるのにこれほど適した靴は無いだろうから。
血を取り込んだような朱を誇る神社の鳥居を出てから大きく迂回する。3つ目の角を曲がって駄菓子屋さんを右に曲がって細い路地裏に出た。
「撒けた?」
「多分?」
大きく息を吐き、また吸う。運動不足のこの身はひどく重い。
草履の音はいつまで経ってもしなかった。
「モノホンと鉢合わせちゃったよ」
「は? どう言う意味?」
「変質者」
たまに居るんだよねー、とみっちゃんは困ったように笑った。
春の風物詩でもあるそれは心霊物と切っても切り離せぬものなのだという。
「もう一生夜中に出歩かないからあ」
変な絵馬も見つけてしまうし。
「ゴメンね、絵馬はウソ」
やはりテヘッとみっちゃんは言った。可愛くなんてないからな。
そうやってみっちゃんは鞄をゴソゴソやって絵馬を出す。
先程のものと文言が一緒だ。
「最初と最後の文字さえ合っていれば人間ってきちんと読めるらしいね」
気になってしまったらしい。
それで、脅かしついでに私を神社に誘った……と。
「宿題やる時間があと二時間しかないじゃんか! バーカッ!」
「ごめん、ごめん。でもあと二時間もあるよ」
「無駄にいい笑顔だな!」
日の出まであと少し。宿題の時間がこんな馬鹿みたいなことの為に削られたのが少し癪に触った。
しかし、ここ最近の運動不足が解消されたので結局許してしまう。
自室には辿り着いたものの、そのまま二度寝をキメた私は自業自得というやつだろう。
だから私は知らない。
あの神社は干支絵馬なこと。みっちゃんが持っていた絵馬のデザインが亥で、あれは子だった。
鐘を使う呪いは汎用性があること。恋人探しにも向くだろう、この世にいるのならば。
そして、左前のあの人は男だった、ということ。
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伍 十円玉の使い道
部活動に熱心になるだとかゲームセンターにお友達と遊びに行くだとか。学習塾に一直線という方も今の時代は多いのかもしれません。
読んでくださっている皆さんはどうでした?
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください。だっけかなあ」
「うわあ、なにしてんの?」
同じクラスのみっちゃんはウソつきだ。
彼女のウソがある種の友情表現だと気付いた頃。
放課後、部活動に使うための資料を取ってくるために教室の引戸をガラリと思い切り開けた私は、珍妙な儀式を行っているみっちゃんと出くわした。
所謂、陽キャと呼ばれる部類である彼女は本来、誰もいない教室でこっくりさんなんてやるようなキャラじゃない。
きっと、茜色に纏わりつかれながら、頭上で輝くLED照明どころか超新星爆発よりも輝いている他の陽キャメンバーとゲームセンターにでも寄って、微妙にブサイクなマスコットを取るのに苦戦して、千円ほど無駄に遣いながらもそれをゲットする宿命にあるのではないだろうか。
「え、こっくりさん」
「知っとるわ! 何でそんなことしてるの。というかそれ一人寂しくやるもんじゃなくない?」
そう、こっくりさんとは二人以上でやるものである。
電気も付けずに一人寂しくやるものではないはずだ。悪ノリを受け止めてくれる友人相手にキャッキャッと騒ぎながらやるものである。
「いやだなあ、りっちゃん。君がいるじゃない。それ、忘れていったでしょう?」
そうして指差されたのは私の机。
『これで君もキンギョマスター!!』と書かれた図鑑が上に置かれていた。紛れもなく今まさに自分が取ろうとしていたものである。
そういえば、体育の準備体操をしている最中。みっちゃんに今日の部活動で持ち寄る資料がとても重かったのだと愚痴をこぼしたような気がする。しかも、結構値が張ったのだ。紙の枚数と値段はやはり相関関係にあるらしい。
その忘れ物を見たみっちゃんは私がここに取りに戻ることを当然の如く知っていたという訳だ。
物忘れをしたのが運の尽きというやつである。
よっこいしょ、と呟いてみっちゃんの対面に座ることにした。年寄り臭いぞ、と言いながらも、みっちゃんは私にルールを確認し始める。
一つ、恐怖心や不安を抱かないこと
二つ、西か北の窓を開けて換気すること
三つ、質問の途中で指を離してはいけないこと
西に面した窓は開けられていて、カーテンの裾と一緒に、みっちゃんご自慢のひとつくくりの毛先もふわりと浮かしていた。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」
十円玉がするっと『はい』へ動く。余りにもスムーズに動いたため、私は小さな感嘆の息を漏らした。
「こっくりさん、こっくりさん。明日の天気は晴れでしょうか?」
十円玉は『いいえ』の周りをくるりくるりと旋回した。
どうやら明日は綺麗なお天道様を拝めないらしい。
「鳥居の位置までお戻りください」
十円玉が無事に鳥居の位置まで戻ると、みっちゃんに次は君だと目配せされる。
「えー、こっくりさん、こっくりさん。今日の夕食は何でしょうか?」
十円玉がゆっくりとひらがな表へと動き始めた。
「や」
「き」
「ざ」
「か」
「な」
我が家の夕飯は焼き魚らしい。因みに私の好物ベスト3にランクインしている。
今の時期は鰆なんかが私の好みドンピシャだ。
「鳥居の位置までお戻りください」
十円玉はスムーズに言う事を聞いた。
質問を一巡したのでそろそろお開きだろう。こういった降霊術の類を長時間やるのは少しいただけない。みっちゃんの方へ目を向けた。
「こっくりさん、こっくりさん。どうぞお戻りください」
途端、あんなに元気に動き回っていた十円玉が動かなくなる。さっきまで元気に跳ね回っていたのはどこのどいつだ。とツッコミたくなるのを抑えて今度は私が言ってみる。
「こっくりさん、こっくりさん。どうぞお戻りください」
その後、三回ほど同じ文言をみっちゃんとかわりばんこで唱えたが、こっくりさんが帰る気配はなかった。
「こっくりさん、こっくりさん。次の質問に答えることが出来なかったら帰っていただけますか?」
みっちゃんが言う。そして、私に質問のパスを回した。
十円玉は『はい』の周りを猛烈な速度で旋回し始めた。随分と挑発されている……らしい。
「鳥居の位置までお戻りください」
十円玉はいっそ憎たらしいほどの素晴らしい動きで鳥居の位置まで戻った。
「こっくりさん、こっくりさん。一万八千七百八十二足す一万八千七百八十二はなんですか?」
こっくりさんの動きがピタリと止まった。
そこから出鱈目に『いいえ』やら『はい』やら『あ』だとか『さ』に移動する。道に迷ったような動きを繰り返していた。
分からないのだろう。なんせ算数の問題だ。
怪異、それも低級に計算が出来たら算盤の商売上がったりである。
「分かりませんか?」
みっちゃんが聞いても、十円玉は滅茶苦茶に動き回っているだけだった。
みっちゃんはそれをただ静かに見つめている。いつもニコニコと笑っている彼女にあるまじき、三角定規のような無表情であった。
「契約違反だ。白主の名において、お前みたいな低級は約束に従わなければ生きていかれないだろう? 去れよ」
みっちゃんがそう啖呵を切るとぴたりと十円玉が止まった。
やがて、ぷるぷると小刻みに揺れながら『はい』の位置で動かなくなる。
「「ありがとうございました」」
「いやあ、みっちゃんが言ってくれなかったら帰ってくれなかったかもしれないね」
おお、怖い。とカーディガンの上から二の腕を擦る仕草をした。
「こっくりさんなんて、ウソだよ。いるわけないじゃんあんなの」
みっちゃんが笑う。今日の体育でシュートを上手く決めていた時よりもイイ顔してる。
「え、え、え。だって、え? 動いてた、よね?」
「私が動かしてた」
「私の夕飯は?」
「テキトー」
「君が聞いた天気は?」
「お天気お姉さんが今朝のニュースで言ってた」
どうやら全て彼女の茶番だったらしい。バカバカしいと思いながらも質問を重ねる。
「まじかー。計算、出来なかったの? まじで?」
「まじまじ、あれ答えなんなの?」
「三万七千五百六十四(みなごろし)」
「は? こわっ」
「一万八千七百八十二(いやなやつ)に一万八千七百八十二(いやなやつ)足したら残るは殺し合いでしょうよ」
得意気に笑った私にみっちゃんはドン引いた目をした。
失礼な。みっちゃんがついたウソの方が酷いはずだ。
資料を引っ張り出して、部室へ行ったものの、白板には「帰ってるね☆」の文字。
当たり前ながらもう誰もいなかった。
結局、みっちゃんといつも通りに一緒に帰ることにした。
だから私は知らない。
今日の夕飯は鯵の干物だったこと。
お天気お姉さんが今朝ニュースで言っていた、明日の天気は晴れが百パーセントの一択であったこと。
みっちゃんは暗算が大の得意で、大会での表彰経験があること。
結局、翌日の天気は登校するだけで靴下が濡れるような土砂降りだった。
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陸 エレベーターでちょっとそこまで
エレベーターはお好きですか?
同じクラスのみっちゃんはウソつきだ。
彼女のウソに幾分か慣れてきた頃。
体育の授業は大繩だった。どうも、私たちの今年の体育祭の学年種目は『これ』らしい。毎年、先輩方を見ていたので知ってはいたが、こうした種目をやるのは小学生以来である。
「りっちゃん……。そんなことってある? 大繩だよ?」
「しょうがなくない? たかが大繩、されど大繩だよ?」
そう、久しぶりに大繩をした私は縄を跳んだその瞬間にギックリ腰になったのだった。
保健室の先生には「赤ちゃんからご老人までなるから気にしないで大丈夫よ」と優しい言葉を掛けてもらったものの、痛いものは痛いし、お婆ちゃんだと言われればもう甘んじて受け入れるしかあるまい。
小中高生はそういった年寄りネタが好きなのだ。二十五歳のまだ年若く、花盛り中の花盛りである女性の教師を『ババア』とあげつらい、悪口を言いまくるくらいには。
失礼なことである。
数学を教えるその先生の他は年が近いといえる先生がいないからいじりたくなるのかもしれないが、言っている彼ら彼女らも後七、八年したら同じ年になる癖によく言うものだ。
「荷物、これだけでいいの?」
「荷物は大丈夫。ありがとう。悪いけど図書館寄ってもいい? 返却物あるんだ」
みっちゃんは快く頷いてくれた。
けれど、ここは一階で図書館は同じ棟の三階に位置する。一応、階段を使おうと足を動かしてみたものの腰に響いた。
結局、エレベーターを使うことにした。先生、又は足を負傷した生徒用のエレベーターなので、足に怪我を負ったわけでもない自分が使うことに少しの罪悪感を覚えたものの、みっちゃんは使用感を確かめる大チャンスだと私を狭い箱の中に押し込んだ。
数秒で図書館のある三階に着く。返却ボックスにひょいと本を入れて、ポップでお勧めされていた本を借りた。図書館の入り口で佇んでいたみっちゃんのところに腰をかばいながら戻る。
「終わったの?」
「うん」
じゃあ、遊ばない? とみっちゃんは言う。
遊ぶと言ったって、学校周辺には畑と田んぼしかないし、学校外の知り合いと言っても案山子ぐらいだ。
ついでに今の私はギックリ腰で腰を痛めている。校庭で遊ぶのは無理があるだろう。
「いいけど、何するのよ?」
「エレベーターを使うんだよ」
どうにも、異世界へ行く方法とやらを試そうということらしい。
丁度放課後で、教師たちも職員会議で職員室に缶詰め状態を免れない上に、私の怪我の功名とやらでエレベーターに乗っても怒られない。何という好都合なのだろう、とのことだ。
持っていたスマホで検索してみると、異世界訪問のために使うエレベーターは、十階以上必要だそうだけれど。
しかも、一人でやろうという気はさらさらない。
「うちの学校のエレベーター、四階までしか行かないよ? しかも四階は屋上への入り口だけしかないし」
「四イコール死。みたいな言葉遊びもあることだし、アレンジしてみよう。どうせお遊びなんだしさ」
それもそうである。そもそも、一人だという制約があるのだ。それさえも破ろうというのにエレベーターの表示階数くらいなんだと言うのだ。
早速、一階に戻ってからまた乗り込む。
四階、二階、三階、二階、四階に移動する。
移動のボタンを押すのはみっちゃんが買って出てくれた。
「エレベーター、きれいだよねえ」
「バカ高い学費払ってるんだから、設備くらいはきれいでいてくれないと」
ぽつりぽつりと雑談を交わす。
幸か不幸か、エレベーターに乗り込んでくる人物は誰一人いなかった。
「次、五階だってさ」
「無いしなあ。二階でいっか」
みっちゃんの指が二階のボタンを押した。
「女性が来るんだっけ?」
「人間じゃないやつね」
「知り合いだったらどっちにしろアウトだね」
ぼそぼそと話し合って、無意識に段数を数える橙色の光を目で追った。
どうしてもエレベーター内ではぼそぼそとした声でしか話せない。
声が大きい方だと自認する私としては珍しいものだ。
二階に到着する。音もなくエレベーターが開いた。
女性が堂々と乗ってきたのに驚く。
軽く私の肩が震えた。その震えは腰に響いて、ううっと唸る羽目になった。
腰痛は死ぬほど痛い。
会釈をした女性はよく知っている人――Z先生である――だった。
まだ年若い先生で、小柄な人だ。眉下で切られた重たい前髪、化粧っけのないその顔、モノトーン調のスーツ。何処かの寡婦のようだった。
いつも悪口を言われている理由はその格好もあるのかもしれない。この人の倫理の授業はきめ細かでとても楽しいのに。もったいないことだ。
まあ、話さない訳にもいくまい。無視なんてしたら明日も学校へ行くのに気まずくなってしまう。
「先生、何階です?」
「一階をお願い。あら、怪我? 大丈夫なの?」
「腰をやってしまいまして」
「あら、それは大変ねえ」
みっちゃんは一階を押したきり黙ったままだ。お遊びに失敗して少しすねたのだろうか。
そんなことでいちいち神経を尖らせるような友人ではないはずなのだが。
彼女は先生の授業を取っていなかったっけと思い返してみても、彼女は確かにクラスの後ろの方の席にいたはずだ。そりゃ、何か話すまではいかないとは思うけど挨拶くらいはしなくてはならないのではないか。
一階に着き、先生が降りた。
なんにせよ、私たちのちょっとしたお遊びも失敗と相成ったのだ。
そう思って、一階に踏み出そうとした瞬間、みっちゃんに手首を掴まれる。
「降りないの?」
「どうせなら最後までやっちゃおうよ」
まあ、いいけど。
扉が閉じた。
みっちゃんが四階を押す。
密室にこうして閉じ込められるのは少し苦手だ。それに私は飽きるのも早い。
腰痛と相俟って口数がさらに少なくなった。
そして、四階に着いた。
エレベーターの外は真っ暗だった。廊下の伸びたその先にはポツリと屋上に繋がるはずの扉がうすらぼんやりと浮かび上がるだけ。
「めっちゃ静かだね」
しーん、という音が聞こえてきそうなくらいに静かだった。ついでに言うと、みっちゃんも黙ったままだ。
「みっちゃん? おーい?」
声を掛けても無視。隣に変わらずみっちゃんはいたものの、無言である。
十センチの差があるこの身長、その上背を伸ばそうものなら今度こそ確実に腰が死んでしまう。彼女の表情は窺えなかった。
やがて、みっちゃんはエレベーターのボタンを押したのか、扉は閉まり一階へと降りていく。何十秒かでしかなかったが、一階に着いた途端にロビーへ飛び出した。
「え、え? 異世界行っちゃったかんじ? みっちゃん黙ったままだったし?」
ギックリ腰を考慮しなかった私は飛び出した瞬間、あまりの痛さに軸がぶれ、転ぶ。
四つん這いのまま、みっちゃんに向かって叫んだ。地声でもうるさいと言われることのあるその声はエコーがかかって四方八方に散った。
みっちゃんはそんなみじめったらしい姿の私に笑う。
「ウソだよ」
「は? また? どこがよー」
「階数足りてないし、一人だけじゃないし。そもそも成功するわけないじゃん」
「四階! めっちゃ静かだったよ! 暗かったし! みっちゃん無視するし!」
「十六時半には電気消えるんだよ。しかも屋上なんて行く生徒、うちの学校にいる?」
只今の時刻、十六時三十二分。
確かに屋上に用がある生徒はいない。あそこには何もないからだ。たまに告白だのなんだので盛り上がっていることもあるが、あそこは監視カメラど真ん中である。用務員さんが苦笑いしながら教えてくれたことを思い出した。
「まっただましたなあ!」
拳を振り上げる私にみっちゃんはやっぱり笑う。
意地の悪いことだ。
質問には答えてくれなかったが、きっと怖がらせるために無視だのなんだのしたんだろう。
彼女は私に手を伸ばしたが、それを断って一人で立つ。
それでも、彼女と私は友達なので一緒に帰ることにした。
だから私は知らない。
この学校のバスケットボール部は屋上を練習拠点にしていること。
屋上に繋がるあの短い廊下は自動点灯になっていて、エレベーターが着いた瞬間には点灯すること。
僅かに腐臭のした、Z先生とは誰なのか。
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