現代にTS転生したけど馴染めないから旅に出た (朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次))
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Reincarnation~何処へ~
Happy birthday to me
TSした転生男の右往左往する様をご覧ください。
「生えてない……マジか……」
イ○ンタウンとかに入っている、意識高い系女子が好みそうなショップで売ってそうなシンプルな白のワンピース。
その胸元をそっと指で持ち上げて見下ろせば、凹凸のほとんどないノーランジェリーな女体。
控えめに言って
生えてないと愕然したのは主に2つの意味でだ。
ひとつはアンダーなヘアが生えていない。つるつるだ。
そしてもうひとつ、これが重要なんだが、元々あったはずの、27年のオレの人生で慣れ親しんだ男性器が消えている、この二点である。
「……ううっ変な感触がする。女っていつもこんな風に感じてたのか」
呆然としたまま、二つの微妙な高さな桃色の頭頂部をつつき、股の間の魅惑の
全身がブルルと震えるような未知の感覚がしてすぐに手を引っこ抜く。
「どうすんだよこれ」
とりあえずボヤく。当然それに返事はない。
笑う。イーっと歯を剥いてみる。
そこにはやはり、
かわいい。でもこれ、オレなんだ。
前髪ぱっつんの美少女。
年のころは……顔は整っているが、若干釣り目がちのため、クールな印象。
目はまつげが長く切れ長。通った鼻筋に、淡い桃色の薄い唇。
感覚だがおそらく身長は170をぎりぎり超えたくらい?
女としては長身だな。身体はガリガリだけど。
日本人なのは日本人なんだろう。瞳の色が茶色かかった黒だし。
けど髪の色を思うと、どこか外国の血が入っているのかもしれん。
しかし銀髪ねえ。ウィッグでもないし地毛なんだけど、染めた様な違和感も無い。
だって整っている眉毛も同じ色だもの。
ただ肌は黄色人種ってよりは白人系に近い白だ。
元のオレの職場は外資だったこともあり、身近に欧米人が多くいた。
その時の感覚から言えば、白人で目の前の少女……ってオレだが、こんなに肌がきれいな人は見たことがない。
何というかよく見ると毛穴が目立っていたり、思ったより
でも今のオレはそう言うんじゃない。綺麗過ぎるんだ。
言うなれば、まるで血の通っている人形ってイメージだな。
でもコレ、オレなんだよなぁ……。
もうじたばたするのはやめた。
現実をきちんと見よう。
整理すると間違いなく今朝までオレはオレだった。
身長は180ちょうど。
ガキの頃から水泳をやっていたからガタイはよかった。
年齢は27才で恋人はいたりいなかったり。
仕事は外資系の製薬会社。
オレは営業部で、医学界で影響力のある団体や個人への売り込みが主な仕事。
新薬を紹介したり、大型の医療機器なんかの導入をプレゼンしたり。
だからほぼ毎日どこかしらのお偉いさんにすり寄って接待だ。
休日は好きでもないゴルフに勤しみ接待プレイ。
なのでほぼ年中仕事をしていた記憶がある。
今日は土曜日で、朝から栃木へと向かっていた。
去年買ったアウディA6で。
行先は国際大会も開催される歴史ある名門のゴルフクラブ。
都内の有名医大の教授への接待だ。
経費はぜんぶうち持ち。
不況の最中に時代錯誤が過ぎるが、そういう業界なのだ。
教授は宇都宮でパーティをしているとのことで前乗りしており、今日は現地で待ち合わせだった。
因みに二十代でアウディとか生意気だと思うだろうが、この業界、身に着けるアイテムは大事だ。
アウディにしてもA6なのは、A4だと安っぽ過ぎるし、けれどA8だと生意気になるからだ。
A6が中途半端に高級で足元を見られない。
医学界ってのはとにかく見栄っ張りが多い。
権力欲が強く、ちやほやされたい人種が多いというか。
平成の世も駆け抜けつつある時代に、未だ昭和の
もちろん医療の発展に全てをかける尊敬すべき医者も少なからずいるにしても。
だから付き合う相手のレベルが低いと見下される。
身に着けている服や小物、そう言うのも含めて、それなりのステイタスを持っているとみられないと駄目。
個人的にそういうのはナンセンスだとは思うが、実際そう言う業界なんだからいかんともしがたい。
で、ああ……思い出して来た。
朝の4時に品川のマンションを出て、高速にも乗らずにのんびりと一般道で栃木を目指す。
これはちょっとした反逆だな。
シフト上、オレは休日なのだ。
なのに仕事をしている。
ならゴルフ場につくまでの三時間弱、ちょっとしたドライブ気分を味わおう的な。
でもそれがダメだった。
まもなく宇都宮市街に入るだろうって地点でそれは起こった。
田園風景が続き、高速のバイパスが視界に入った辺り。
ちょっと先にあるラーメン店の味噌は絶品で、本場札幌を超える美味さだ。帰りに寄りたいな、そんなことを思っていた。
けれどこの頃はすっかりと日の出は過ぎ、周囲は明るくなったが交通量は少なく、見える範囲に車はいなかったはずだ。
だがふと気が付くと、センターラインを大きくせり出した大型トレーラーが目の前にいた。
そこで衝撃────次の瞬間、オレは見知らぬ部屋の中に座っていたというのがこれまでの流れ。
オレは事故を起こしてこうなっているらしい。
その結果が見知らぬ女になっている――意味が分からない。
しばらく混乱していたオレだが、暫くして冷静になると、部屋の中を見渡す。
いつまでも座っていても仕方ないもんな。
元のオレの部屋とは違うが、どこかの
部屋の間取りは大きなリビングにキッチンがあり、奥に何部屋かある感じ。
女一人が住む規模じゃなく、ファミリー用な間取りだろう。
ただそれにしては家具が驚くほどに少ない。
少ないというか、不自然に無い感じか。
リビングには白いふかふかのラグカーペットが敷いてある。
でも応接セットやローボード、テレビと言ったリビングにありそうな家具が無い。
モダンな洋風の内装で、壁紙は濃いグリーン。
ラグの上にちょこんと載る古風な丸いちゃぶだい。
あとは知る人は知っている例の大手雑貨屋が売っている、人をダメにするとウワサのビーズクッションが一つ。
顔を横にずらす。ベランダへと続く大きな窓。
日当りはかなりいいが、カーテンはなくブラインド。いまは下ろされている。
それを開けてベランダに出ると、どうやらこのマンションは池のある公園が箱庭のようにあって、その四方を五階建てくらいの横長マンションが囲んでいるようだ。
オレが今いる部屋はどうやら最上階で、公園では複数の母娘が遊んでいるのが見える。
リビングに戻り今度は玄関に続く廊下に向かう。
そこにはいくつかのドアがあり、一番手前から順番に見ていく。
最初の部屋以外は空っぽだった。
その手前の部屋って言うのがこの娘のベッドルームな様だ。
ベッドルームに入ると中にはダブルベッドが一つ。
カバーやシーツ類は濃い茶系。これも例の雑貨店のだろう。見覚えがある。
地続きで広めのウォーク・イン・クローゼットにはシンプルなデザインの服がいくつか吊ってある。
この白いワンピースもこの女の趣味なんだろう。
クローゼットは4畳間程度の広さがあり、段数の多い引き出しのついた物入れがいくつもある。
順番に見ていくと下着や靴下、小物の類が
と言っても下着もまたシンプルで飾り気のないものばかり。
デザインよりも機能性重視というか。パンティ的な奴よりもボクサーショーツのローライズ・タイプが多い。
だからいわゆる勝負下着的な
ブラにしてもスポブラっぽいやつしかないな。
後はブラのいらないカップ一体型のキャミソールとか。
まあ、うん、このサイズだとそうなのかもだが。
それにしても本当に調度品が少ないな。
唯一目立つのは、ベッドルームの壁にある銀枠のシンプルな
これはオレも知っている奴だ。
サイケデリックなカラーのモンローの顔。アンディ・ウォーホルの有名作品。
リビングに戻り、そして冒頭につながる。
壁際にあった姿見、それを眺めて自己確認。
結局さっきまでオレは確かに男で、現在が女。
それも見覚えのない美少女、これが結論だ。
もう一度ベッドルームに戻る。
そしてクローゼットの中にあった引き出しの開けていないところを探す。
家探ししているみたいでいやな気分だ。
でもそれ以上に今の状況を深く知りたい。
――――あった。
運転免許証だ。やはりここは日本でオレという美少女も日本人だ。
銀行の通帳なんかもある。
一歩前進。これは素晴らしい手掛かりだ。
小説の探偵みたいに心躍らせての謎解きではないが。
オレは引き出しごと抜いてリビングに戻る。
そしてザバーっとちゃぶだいの上に中身を出した。
免許証の名前は「
免許の項目には普通自動車と大型自動二輪。
痩せっぽっちの癖に大型バイクって意外だな。
教習車を起こせたのか?
免許取得の初年度は……2027年7月!?。
おい、突っ込みどころが出てきたぞ。
今年は2019年なんだが……。
溜息が漏れる。
女になった上に未来だと?
思いっきり息を吸い込む。
どうやら無意識に息を止めていたみたいだ。
呼吸が荒い。なんだこれ、すごい怖いぞ。
ふと見ればコンパクトなスマホがあった。
リンゴのマークのアレだ。
ただオレが持っていたモデルとは全然違う。
えっ!? オレが使っていたのは7。
でもコレ……何世代先のモデルだ?
それのホーム画面を見ると2028年10月1日。
そうなるとオレこと高科さくらの年齢は19歳?
住所は港区高輪〇〇。このマンションがそうか。
うーん……。
オレは高科さくら19歳。
大型バイクにも乗れてしまう謎の美少女。
それが分かった所でまだピンとは来ない。
だったら次はスマホだ。
オレの感覚でもスマホは個人情報の宝庫だしな。
連絡先には……見覚えのない女友達だろうか?
複数の女性名があるが、やはりピンとは来ない。
同じ高科姓が二人。高科ゆりと高科ひまわり……姉妹か母親か判別がつかないな……。
男性の高科はいないが、父親は死んでる? 離婚? わからない。
そうして悩むこと数時間。
オレは考えることを放棄した。
あとはクローゼットにあったノートPC……これもリンゴ製だが、あれを確認して情報収集するしかない。自分の情報集めっておかしな話だが。
とはいえ、このままじゃオレの脳みそが爆発しそうだ。
なのでビーズクッションに体を投げ出し、眠った。
目が覚めたら元に戻っていますように。
そうつぶやいたら、自分の口から聞こえた、あまりにもか細い声で
こちらに投稿した理由は、現代へのTS転生および、生配信系のジャンルがあまり需要がないそうで、フォロワーさんがハーメルンへの投稿を勧めて頂き、今回の投稿へと至りました。
完結まで10万字程度を予定。
ほぼ9割が書き終わっているので、何とか一気に完結まで持っていきます。
ご注意。これと言った恋愛要素はありません。今のところ。
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困惑のち空虚、或いは汚濁
――いつの間にか眠っていた。
目が覚めても元に戻りはしなかった。
夢じゃない、それがまったく嬉しくない。
薄暗いリビング。夜になっていた。
それよりも他人になってはいても腹は減る様だ。
健康な事は大歓迎だが。
その後照明をつけてうろうろ。
それで少しわかった事がある。
今のオレ、高科さくら。
彼女はと自分の事を二人称で呼ぶのも気持ち悪いが、彼女は神経質な性格らしい。
なぜそう思ったか。
それは設置型の家具以外の小物は全てどこかしらに収納してあるからだ。
これは
SNSの通知とか、気にならないのだろうか?
それに
いや正確には洗面台の横にある収納に全部収まっていたんだ。
バス用品もそうだし、コスメ関連も全部。
そう言えばPCとかもクローゼットの中の引き出しに入っていたしな。
だから自分の情報を探す為には収納を探せばすべて見つかった。
でも普通、何かしら物は並べるだろう?
特に今の自分は女だ。だったら何かしら女を主張するインテリアの一つでもあってもいいだろうよ。
でもこの部屋は
けれども彼女は料理に凝っていたらしい形跡はある。
それはキッチンだ。リビングの横に大きな台を挟んだアイランド型。
やはり物が少ないが、収納の中にはプロ顔負けの道具が揃っていた。
調味料関係も豊富で、塩だけでも10種類はあった。
ファッションじゃないのは、きちんとそれぞれ減っていることを見ればわかる。
フライパンにしても焦げ付かない加工をされた奴もあったが、使い馴染んだ鉄製のもある。
オレの前世でも、ストレス解消目的で料理を趣味としていたが、鉄のフライパンは手入れも面倒なんだ。
きちんと焼いて油を滲ませないと焦げ付くし。
使い終わっても水気をきちんと取らないと
ここまでを整理すると、彼女は神経質なまでの几帳面さを持つ、料理が趣味の娘。
そしてさらに追加。
彼女はピアニスト志望だったが、高校時代に事故に
これでピアニスト生命を絶たれたらしい。
現在はこのマンション。
仕事は無職。ただ口座を確認すると、贅沢をしなければ5年は生きていける程度の預金がある。
財閥系銀行が発行したクレジットカードがあり、その明細を見ると、携帯料金の他には生活費に含まれる程度の出費が毎月5万円ほど使われている。
そこにこれと言った娯楽費はなさげ。
これらの情報は、一度は切り裂かれてテープで留められた使い古した「ラフマニノフの幻想的小品集」のスコア、そして母親と姉からの手紙で分かった。
クローゼットの中の引き出し。
その一番下の段に入っていた大きなブリキの箱の中にそれらはあった。
ロシア風の青や赤の模様の入ったその箱は、この部屋で唯一の女性っぽさだ。
側面に可愛らしいマトリョーシカが描かれている。
中にスコアや手紙。
彼女の思い出を封じ込めた特別な場所なのだろう。
母親が”ゆり”で姉が”ひまわり”。
母親からの手紙には、貴方が生きてさえいてくれるだけでいいと言う
姉からの手紙には同じく「さくらちゃん、私達を嫌いでも、必ず生きている事だけは知らせてほしいからメールを定期的に欲しい」との
彼女たちが住んでいるだろう実家の住所は愛知県は名古屋市内。
それらを眺めていると、ズキリと嫌な頭痛と吐き気に襲われた。
思わずその場に
だからと言って記憶が蘇ったりはしないが、恐らく何らかのトラウマめいた物があるのだろうな。
(なんだろうコレ)
PCを調べていておかしなリンクがデスクトップに貼られていた。
彼女はやはりここでも神経質な性格な様で、OSに依存した基本アプリケーション以外は全てフォルダに整理されている。
それが全て画面の左に寄せられているのだが、唯一このアイコンだけは右端にぽつんとあり目立つ。
アイコンの名前は【ニルヴァーナ】とある。
英単語の意味としては
同名のアメリカのバンドをオレは愛していたが、開いてみるとさくらのブログサイトだった。
そこには月に4回程度のペースで日記が更新されており、最初が中学一年生の時から始まっている。
全ての記事を確認したが、オレという高科さくらのパーソナルはこれでほぼ理解できた。
高科の家は江戸時代から続く名家らしく、いわゆる由緒正しき家で、そこの長女である母ゆりは父と恋愛結婚をした。
父は国内外で活躍するジャズギタリストで、一年中ツアーの為にどこかしらに出かけている。
ただマメだったらしく、クリスマスと結婚記念日だけは必ず帰国していたらしい。
さくらはそんな人気プレイヤーである父親に憧れ、幼少時からピアノを習う。
そこで才能を見出され、
だが高校二年の春、通学中にバスの事故に巻き込まれて左腕を
その際に神経をやられ、手術とリハビリで動く様にはなった物の、以前の様なプレイは出来なくなり
彼女の日記は途中から別人が書いたかのように印象が変わる。
最初はいかにも年頃の女の子と言う風に、何事にも
通学中に見かけた花の写真を載せていたり、とても楽しそうなのだ。
だが事故以降、自分の心を淡々と
他人事のように
東京に住んでいるのは、音楽に強い高校に通うためで、その為にこのマンションに住んでいる。
ここは分譲マンションで、元々は高科の家の持ち物だったらしいが、母が家督といくつかの財産権を
それもさくらの為と言う訳じゃ無く、父との結婚がそもそも高科の家からは反対されていた様で、母は父との愛を選択し、結果本来手に入るべき物を放棄する事で自由を手に入れたと言う流れ。
要は高科家は代々女ばかりが生まれてしまう家系で、その都度婿養子を迎えていたようだ。
なので基本的には長女が婿を取って家を継ぐ。
家業として東海地方一帯で百貨店とスーパーをチェーン展開する資産家で、現在は母の妹が当主を継いだそうな。
で、問題のさくらは高校を卒業した後、特に何かをするでもなく日々を生きていただけ。
この静かな城を手にする代わりに死なないと言う条件を母親とかわし。
この年で持つにしては大きすぎる預金は、事故の保険金だと言う。
親から与えられた訳ではないようで何故か安心した。
WEB上の日記にあったのは、とにかく彼女は世間が嫌になったと言う事。
目に映る全ての色を失い、ただ人形の様に生きていた。
かと言って死ぬ勇気も無く、日々
それも今日で終った――――筈だった。
キッチンの脇にあったゴミ箱。
そこにとあるゴミが捨てられていた。
見覚えのある錠剤の入っていた銀色のゴミ。
中身はハルシオンだ。
所謂、睡眠薬。
どうやら彼女、心療内科にせっせと通い、眠れないからと処方されたこれを溜め続け、一気に飲んだらしい。
その数44。
果たしてこれで死に至れるのかは知らないが、彼女は
だから彼女は下着もつけずに貫頭衣めいたワンピース姿だったのだ。
几帳面で神経質。これも間違いかも。
立つ鳥
真相は誰にも分からない。だって
唯一、ブログの最後の更新にあった、「ワタシのセカイはクライ」という一文が、この世への決別だったのかも。
クライは暗いでもあり、CRYなのかもしれないな。
そもそもスマホにあった母や姉への定期的なメールは、「今日は晴れ 今日は雨」みたいなその日の天気を短文で知らせるだけの物しかないもの。
それに対し彼女たちは自分たちの近況を
これがさくらと家族のコミュニケーションの在り方だった。
なるほど、さくらよ。
君の事は理解できるし同情もしなくもない。
やったなさくら。
君の願いは
だって君は死ねたのだから。
その
ねえさくら。勘弁してくれよ。
オレは女の生き方なんか知らないぞ。
これは偶然なのかもしれない。
でもオレ、君になっているんだ。
「……寝るか」
またもやオレは思考を
腹は減っていたが、冷蔵庫に唯一残っていたシードルを一気飲みして我慢した。
微発泡のリンゴのワイン。悲しい事に酔いも出来ない。
クッションに身を預けて照明を落とした天井を眺める。
変な気分だ。
そしてオレはワンピースをたくし上げ、戯れに女のそこを指でなぞりあげてみる。
ぞくぞくして嬌声が漏れる。それを他人事のように思いつつ。
嗚呼なるほど、オレはもう女なのだ。
ドロドロの粘液でコーティングされた指を眺めてそう思った。
結局3回ほど達したけれど、残った罪悪感はとても酷かった。
――――あほくさ。
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Transform
あれから数日の時間が経過した。
それは勿論、オレこと
でも意外と慣れるもんだな。生きているだけという意味なら。
もっと慌てる方が自然か? でもそれはさくらの事を調べている段階で、自分の名を検索を掛けた際に同姓同名すらヒットしなかったことが拍車をかけたかもしれないな。
驚きはしたが、どこか予想していてもいた。
だがそれ以上に今の状況の方がインパクトがデカすぎて……。
女性としての日常を意識せざるを得ないのは仕方ない。
そもそも人は生きるだけで
そして生物である以上、
ましてさくらはギリギリでティーンだし。
つまり汗をかく。
寝ている間にひどい悪夢を見た。
詳しくは覚えていないけれど、何かに押しつぶされながら息が出来ない感覚だけを覚えている。
夜中に自分の悲鳴で目が覚めた。
これがさくらの抱えていたトラウマなのか?
なんにせよ、この悪夢で冷たい汗をびっしょりとかき目覚めた。
その気持ち悪さが嫌で、深夜だが熱いシャワーを浴びる。
ワンピースを脱ぎ去ればそのまま彼女の
170の身長に小顔。日本人離れした8等身の見事な
悲しい事にその胸は平坦だが。
これで嫌でも自分が女だと思わざるを得ない。
まあそうして、シャワーを浴びたり長い銀髪を洗うのに苦労したり。
財布を手にマンションの下にあるコンビニで買い物をしたり。
然して美味くも無いコンビニサラダで腹を充たしたり。
結局は生活をする事という当たり前すぎる日常感が、オレの面倒な考えを洗い流したって訳だ。
そもそも前世――――と言うのは悲しいが、元のオレが住んでいたのもこの近所だ。
だから土地勘がある。これも安心を覚える材料だろう。
久慈直人としての自宅は都営地下鉄の
そう言えばコンビニに行く際に、愛想のいい外国人の老夫婦に会った。
エレベーターホールでの数十秒の
彼らは親しそうにオレに話しかけて来た。
さくらは顔見知りなのだから、邂逅と言うのは正しくないかもだけど。
――――最近見かけなくて心配したが元気そうだね、サクラ。
紳士の方がそう言った。
オレの肩を優しく叩きながら。
一瞬オレは
さくらは近所づきあいも卒なくしていたらしい。
それなりに愛される程度の距離感で。
話しかけられた言語が英語だったので一瞬固まったが、前世でも英語とスペイン語は習得していたからセーフだ。
これでさくらも彼らと英語で話していたのが分かった。大事な情報だ。
そうやってこの三日は自分の周囲の景色を焼きつける作業と、気分転換に品川一帯を徒歩で散歩することに費やした。
少し遠いが品川イ○ンまで出向き、生活用品も購入。
常備薬にロキソニンとか、綿棒とか。
後は空っぽすぎる冷蔵庫を埋めるためとか。
結局買い過ぎて徒歩で帰るのを断念してタクシーを呼んだけれど。
それで思ったのは、オレが生きていただろう年代とズレがあるにしても、東京と言う街は然して変化はないって事だ。
勿論見知らぬ店とか、見覚えの無いビルなんかは山程あるけれど、景色としての違いはそう無い。
さて男と女、その決定的な違いは何か。
遺伝子レベルとかの難しい話じゃない。
そう、毎月のアレ、月経の事だ。
それがさくらとなった翌日に来た。
最初はおどろいたよ。
初めて初潮を迎える女の子もこんな気分なのか?
朝から酷い頭痛と吐き気。身体も若干熱っぽい。
もしかして昨日の晩、三回もロンリープレイをした罰が当たったか?
そんなマヌケな事を思いつつトイレに行って悲鳴をあげた。
キャー!! って。女の声で。
だって便器の中が赤いんだもの。
あれ、死ぬのかオレ……って慌てたけど、直ぐに冷静になる。
なるほど、これは生理かと。
そして生理って事はナプキンとかでおさえる筈だと気が付く。
それでトイレの中を探すと上の棚にあった。
しかもナプキンでは無くタンポンの方。
ナプキンっぽいのもあったが、それはどうやら下り物シートという奴だった。
オレはうーむと唸りつつ、中からひとつ取り出して眺める。
白い
前世でも普通にコマーシャルが流れていたし知っている。
説明書きを見ながらオレはおもむろに”そこ”へ入れてみる。
また悲鳴が出た。凄い痛い。
結局オレは全裸になりリビングへ。
例の姿見を天井に向けて置く。
そこに今のオレは女だが、しかして男らしく跨いでしゃがむ。
そう、力技だ。
穴の場所をリアルタイムで確認しながらタンポンを挿入したのだ。
誰も見ていないのに、とてもとても屈辱的で泣きそうになった。
オレは一体何をやっているんだ……そんな風に。
これには空の上で見てるかもしれないさくらも呆れるだろう。
自分のかわりに生きている元男が、鏡の上にM字開脚しながらタンポンを入れようとしているんだもの。
その後何とかスムーズに装着は出来た。
その日に何度も交換した事で余計に慣れたし。
しかし女の苦労とやらを自分がいざなってみると実感した訳で。
オレはフェミニストになりそうだよ。こりゃ大変だもの。
まあでもだ、逆に考えれば早い段階で遭遇出来たのは
どこか人込みの中でこうなったりしたら目も当てられん。
と言う訳でロキソニンを買ったのは生理痛への対策だ。
でもなあ。
自分の
絶対に他人に見せられんな。
情けなくて無性に泣ける。これも生理で情緒不安定になっているからだと信じたい。
その後はまあレディースの服を自然に着るための訓練をした。
一般的なワイヤーの入ったブラジャーだって思ったより大変だった。
これ胸の大きさとか関係ないんだよな。
幸いさくらの身体は柔軟性もすごくて背中に簡単に手が届くけど。
化粧は……諦めた。
ネットを見ながら最低限のスキンケアの方法を試す程度。
これはおいおい慣れていけばいいだろう。
むしろ一朝一夕で出来る訳も無いだろうしな。
そして今日、オレはネットで予約した場所に向かっている。
代官山にあるカットスタジオ。
予約の時間に行くと、いかにもカリスマっぽい愛想のいいニーサンが笑顔でエスコート。
注文を聞かれこう答える。
――――ばっさりと。輪郭が隠れる程度のボブにしてください。
オレは女として今後も生きていかなければならない。
けど本来の高科さくらは死んだ。
実際はどういう事になっているかなんて、その真相は一生わかんないんだろうけど。
でも、見た目はどうであれ、オレの本質はさくらじゃない。
じゃあオレは誰だ。
久慈直人も間違いなく死んでいる。
今となってはもう、確かめようも無いけれど。
ならオレはどうやって生きていけばいい?
少なくともさくらが生きて来た20年弱の人生。
そこで出来上がった
じゃあそれから逃げられるのか?
無理だと思う。
日本に住んでいるのなら。
だからと言って海外に住もうとは思わない。
さくらとなったオレ。
感想を言えば、男の時に知ったセックスの快感とは別次元のナニカだった。
端的に言えばとても気持ちがいい。
けれど、達した後にふと横を見れば、鏡に写る自分が見えた。
鏡の中の自分の表情は気怠く、甘ったるい表情に
オレが何度も見た事がある、女が事後にする満足げな表情だ。
それを見た瞬間、オレは酷く冷静になってしまった。
何やってんだオレって言うね。
男の賢者タイムとは違う。自己嫌悪ともまた質が違う。
多分だけど、性感を得る手段としては割り切っているんだ。
けど女性としての満足感とか、オスを求める心とかがそこには無いのだ。
実はスマホでエロ動画を見たりもした。
けど興奮出来なかった。
男の時に興奮出来たのは、男視点で女が喘ぐ様を特別視出来たからだろうな。
今はどうか。
自分がオーラルセックスで男を悦ばせようとする事を想像してみる。
吐き気を催した。というか少し吐いた。おぞましくて。
だから間違いなくオレの精神は男なんだ。
そりゃそうだよな。
身体の性別が反転して、それに簡単にアジャストできるのなら、性の不一致で苦しむ人がいる筈がない。
そんな甘いもんじゃないんだ。
となると今後はオレ、女性を好きになるのかな?
多分そう言う可能性が高いと思う。
今はわかんないけれど。
けどそれは基本的に許されないだろう。
法律的にも常識的にも。
オレは自分の精神が男だと認識している。
そんなオレに愛を告白される女。
向こうはオレを女性としか認識していない。
無理だろ。
元のオレがイケメンに告白されて受け入れたらゲイだって事になる。
それと同じ事なんだ。
なのできっと、オレはまともな恋愛なんか出来ないんだろうな。
だからさ。オレはオレとしての今後を、さくらと言う自分を強く生きなきゃいけない。
その為の第一歩がこれだ。
腰まである絹糸みたいなさくらの銀色の髪。
それをばっさりと切る。
心はまだ重たいけれど、せめて髪くらいは軽くするのだ。
そして一時間ほど経った。
スタイルについてはお任せにすると伝えた。
その結果、
「おお……なんかカッコいいかも」
「でしょう? とてもお似合いだと思います。久しぶりに良い仕事が出来ました」
鏡に写っているのは、軽くパーマでウェーブを掛けられたボブカットのオレの姿。
前髪がまっすぐに落としてあり、片耳を出す様になっている。
顎のラインがとても綺麗なさくらにハマっている気がする。
そして料金の総額、しめて25000円と言う代官山価格を味わい、ついでに普段のスタイリングの方法を伝授して貰い、あまつさえセットの際に良いと営業されたワックスを手に、オレは帰宅したのである。
帰りしな、同じ代官山のショップで服や靴も見繕って。もちろんレディース物の。
少しばかり気分が華やぐ。それは男女関係なく楽しい。
帰ってきてやったのは料理。
オレはこれからも生きていく。
だから自炊もしなきゃいけないのだ。
作ったのはシンプルなメニュー。
きちんと出汁をとったネギと納豆の味噌汁。
炊き立てのご飯。
出汁巻き卵と焼いたなすびに生姜醤油。
「いただきます」
ちゃぶだいに向かって手を合わせる。
さくらよ、ソコから見てておくれ。
オレはオレとしてお前を生きてやる。
だから見守っていて欲しい。
いつか感想を聞くからさ。
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サナギ
オレが久慈直人だった頃、自分の時間のほとんどが仕事で占められる自身の人生にストレスを感じたか。
その意味では感じたことはない。
もちろん仕事に疲れる事はある。
けれどストレスと言うネガティブな意味ではなかった様に思うんだ。
だってそれは、オレ以外の誰でも感じている疲れだろう?
けれど大手企業の一角を担っているうちの会社は、待遇面では文句のつけようも無い。
山手線の内側で、独身者が満足できる内装を持つマンションの家賃。
その8割が会社の手当てで支給されている。
――仕事の中で優れた結果を出す。その為の効率を上げるには、働く者が自分の仕事、その物に忠誠を持たなければならない。
会社に、では無い。自分が受け持つプロジェクトにだ。
その為の舞台を整えることこそ、経営者がすべき事なのだ。
これは米国にある本社の経営最高責任者の哲学らしい。
それに則り、細やか過ぎる部分にも配慮をしてくれるのがうちの会社。
待遇が同じ大手企業の中でも、かなり恵まれている部類な事は理解している。
けれどもここまでのお
それはそれとして、企業の待遇がどうであれ、現代社会の中で人並みの生活をするには、最低限の資格としての労働は必須だろう。
だからオレは寝る前に「明日行きたくないな」と思う事はあれど、翌日に目が醒め、むくりと起き上がり身支度をして家を出た瞬間、前日の葛藤は忘れており、いつの間にか仕事をしている。
きっとオレ以外の皆もそうだろう。
ただし、オレという久慈直人、個人としてのストレスが無かった訳じゃない。
むしろその点では非常にしんどかったかもしれないと今更ながらに供述をしてみる。
――――それは結婚の事だ。
オレは意図的に結婚を避けていた。
恋人が出来ない訳ではない。
事実、社内にいる誰かしらから定期的に想いを告げられたりもしていた。
何というかモテる事自体はさほど難しくはないのだ。
そしてオレはそのモテる条件を普段からクリアしている。
その結果、好意を持たれるというのは必然なのだ。
こう言うとお高くとまっていると思うだろうか?
でもオレはそうじゃないと考えている。
と言うのも異性にモテるにはある程度確定した方法論がある。
結論から言えば、頭のてっぺんから足の先まで清潔さをコントロールする事だ。
ヘアスタイルにカラー、爪、服装。靴。持ち歩くアイテム。
そう言う物を全てきちんと整える。
勿論それは、自分の現在のスタイルに馴染んでいる必要はある。
けれどもこれは、単純に見えて出来ている者は多くない。
何故なら面倒臭いからだ。
自宅でジャージやスウェット姿でくつろぐのもいいだろう。
けれどその状態を他人に見せるのは駄目だ。
労力をかけて自分の価値を高める。
だがそれは特別な事では無く、呼吸をする様に身についていないといけない。
お洒落には苦痛が伴うなんて言う人もいる。
例えばサイズギリギリのスリムパンツを履き、ちょっと足の形に合わない尖った細身のブーツを履く。
当然腹周りは苦しいし、足はあちこち痛い。
じゃそれが苦しいからと普段からストレッチ素材の緩い服と、楽なサンダルを履いたらどうか。
そりゃ確かに楽だろう。
けれどその緩さに慣れてしまい、体型もだらしなくなる。
要は自分の常識を高く設定するか低く設定するか。
低くすれば上限も当然低くなる。
結果、他人とは圧倒的な差を付けられてしまう。
結局この苦痛と言う部分を許容できるかどうかにかかっている。
何故ならば、他人の印象のほぼ10割が見た目の情報に因る部分が多いからだ。
人は内面だと言う人がいる。
実際それは正しい。
でも初対面の人がどうして内面を理解できるのだろう?
無理だろうそれは。エスパーじゃないんだから。
そうなると小汚い服装で息も臭い奴と、清潔感のある服装の奴。
どっちが印象がいいんだろうかなんて考えなくても分かる。
オレみたいな営業畑にいると、それが身につまされるのだ。
どういう姿だと好感が持たれやすいか。
オレがまだ新卒でおろおろしていた時代。
教育担当になってくれた上司からこれを一番に叩き込まれた。
外資だ大手だ、そう言う優越感を持っていた当時のオレは、実際の現場は恐ろしく泥臭い事に衝撃を受けた。
けれどモテる云々はこの先がある。
むしろこれまでの事をクリアした段階で漸くスタートラインに立っただけとも言い切れる。
次は人間観察能力が優れている事と、相手に対して常に聞き上手である事だ。
前者は身の回りを整える段階で身につくだろう。
何というかお洒落一つにしても、ただ高級ブランドを買えば良いってもんじゃない。
自分の体型や骨格、それらを含めて似合うという組み合わせは、他人と同じはずもない。
だからこそ自分を客観視出来ないと駄目だ。
そう言う事を考えるうちに、長所や短所を見つけるスキルがつくだろう。
それを他人に向ける事が人間観察能力だ。
あるいは分析能力とでも言おうか。
例えば社内でよく顔を合せる総務部のOLがいるとする。
彼女はセミロングの髪だが、ふと見ると前髪が昨日よりも少し短かった。
きっとまだ美容室に行くまでも無いが、長くなった前髪が気に入らなくて自分でカットしたのだ。
それを指摘し、顔が良く見えて印象が変わったね。
よく似あっているよ、と声を掛けたら相手はどう思うだろう。
彼女は多分、誰かに褒められたくてそうした訳でもない。
美容室でカットするには、それなりに高い金がかかる。
男性が理容室でやるのとは話が違うのだ。
だから誰もがほいほいと行ける訳ではないだろう。
彼女は前髪を切る事で、給料日の後に美容室へ行く事を伸ばしたのかもしれない。
けれど思いがけずそこを褒められた。
もし自分が彼女に生理的嫌悪感を持たれていないのなら、彼女は嬉しいと思うんじゃないかな。
これの本質は、上っ面じゃなく、きちんと自分に興味を持ってくれているという実感を相手に与えている所なんだろうと思う。
そしてこれを踏まえて後者は、相手が言いたい事を全て喋らせるという事。
例えばありがちな恋愛相談を受けたとするか。
けど持ち掛けた相手は、実のところ悩んでいる恋について、自分はこうなりたいと言う答えはもう出ていたりする。
なら何故相談するのか。
それは自分の明け透けな吐露を聞いてもらい、それを肯定してほしいからだ。
無理筋な相手に恋をして、悶々としていたとして、結局スッキリするには告白するしかない。
逃げればいつまでもモヤモヤが続く。
だから理解しているのだそれは。
けどその過程でイヤでも感じる、苦しい苦しい葛藤に共感してほしい。
そうやって人事を尽くして天命を待つ状態でチャレンジをしたいんだ。
結果玉砕しようとも、自分の決意や努力に共感してくれる相手がいる。
なら少なくとも後悔はないだろう。
物事には、区切りという物があってこそ納得できるのだし。
けれどその相談の最中に、途中で言葉を遮って持論を展開する人の多い事。
相手はそんなの求めていないというのに。
それはただの否定としか受け取れない。
だからそういう時はとにかく聞き役に回る。
そして全部吐きだした後に肯定してやればいい。
何かを言いたいなら、必ず相手の意見を肯定した後にじゃないと駄目だ。
これもまた営業の現場では当たり前のスキルなのだ。
仕事を成功させる。それは相手から金を引き出すという意味だ。極論だが。
じゃあ気分を悪くする相手に金を払いたいのかって話。
仕事においては、よくWIN―WINという言葉があるが、これは正確じゃない。
企業において利益とは、取るもので与えるものではない。慈善事業じゃないのだから。
だが相手にも利益があると錯覚させないと駄目だ。
一方的に金を得るというのはただの搾取に過ぎないのだから。
客商売ならいざ知らず、オレ達の様な企業間の取引なら尚更。
結局こう言う事を全て高次元でやらなきゃいけないのがオレ達の現場だ。
結果、そう言うオレ達に好意を持つ女性はそれなりに多かったという話。
じゃモテる機会があるから即結婚となるのか。
オレは逆にそれが煩わしかった。
自分が年齢を増すごとに、付き合う相手の年齢層も上がる。
年下の女性を可愛いとは思っても、じゃあ長い期間付き合えるかと言えばノーって場合が多い。
それは価値観が離れすぎていると苦痛だからだ。
結果、似た様な精神年齢を求めるという必然だろう。
ただそうなると、女性の年齢的に付き合うイコール結婚というのも視野に入り易い。
それは理解できるし否定もしない。
何故なら女性の高齢出産は、医学が進歩した現代でもリスクが高いからだ。
男の場合は極端な話、精子を製造出来て体力的にセックスが出来るのなら、年齢制限はないとも言えるだろうし。
けれどオレからすると、その急かされている感じが煩わしいのだ。
だから避ける。
そうなると相手は簡単に醒める。
なのでオレの交際は、大概がオレがフラれるか、はたまた自然消滅のどっちかが多い。
付き合う相手としては優良物件でも、伴侶にするには欠陥品。
独身貴族の男に対しての女性からの評価は概ねこれだ。
あれだけ情熱的にベッドで絡みあっていても、ある日を境に「あ、この男はダメだ」となる訳だ。
そうやって時間を重ねた結果、オレの中には妙な恐怖感が出て来た。
三十路が間近。
人間の寿命は、特に日本人ならば概ね70~80歳と言う感じか。
だがバリバリと仕事をするとしたら60歳くらいか。
三十路、なるほど残り30年か。
だが60歳で結婚出来るか?
無理だ。
せいぜい40歳半ばくらいが限界だろう。
そうなると残り15年程度……。
そう言う生々しい残りの人生への漠然とした恐怖。
そのストレスが酷かった。
というか、結婚では無いな正確に言うなら。
明け透けに言えば子供を作れるか、だ。
子供を作ること。
それは自分の遺伝子を半分、未来に繋いだって事だ。
だから死んでも、自分が生きていたという証は残っている。
じゃあ子供を作らず死んだなら?
いずれオレの事を知る人間はいなくなるのだろう。
それはまるで、世界から自分という存在が抹消された様に思える。
これはとても怖い事だ。
仕事に打ち込んでいる時間はその事を考えたりはしない。
けどふと何もない時間が続くと、最近じゃその事ばかり考えていた。
ぼーっとしている自分に気が付き、慌てて立ち上がったり。
そう言う意味での寂しさは強く感じていた。
一人でいる時間、
そんな感じで。
オレはさくらに妙なシンパシーを感じている。
彼女はピアノと言う自分だけの領域が壊れてしまった。
その結果、生きる意味を見失い、やがて死を選んだ。
彼女も未来への恐怖に苛まれていたんじゃないだろうか。
ピアノ以外に何もない自分。
けど現状をドラスティックに変える事も出来ない。
不満や恐怖を感じつつも、現状維持をやめられない。
結局オレが結婚出来ないのもそうだ。
しようと思えばいつだって出来るのだ。
付き合っている恋人と、衝動的に婚姻届けを出してしまえば。
或いは快楽優先で避妊もせずに出してしまい既成事実先行型でもいい。
でも何かにつけて理由を捻り出し、結局は「仕事が忙しい自分」を止めなかった。
チャンスはあっても見ない様にしていたんだな。
さくらにもきっとあったんだろうよ。
家族からの手紙とかさ。
スマホやPCが普及どころか飽和しきった現代で、前時代的な便せんに手書きの手紙を送る。
抜け殻になってしまった家族に、何とか自分の心を届けたくて。
筆跡が強かったり、少し滲んでいたり。
ピアニストを目指す自分は死に、だから別の人生を歩む。
なんとなくアルバイトをしてみたり、就職してみたり。
保険金を使ってどこか旅に出てみてもいい。
男に溺れて見たっていいだろう。
けどさくらはその可能性を模索しなかった。
だから結局は彼女は死に、オレがここにいる。
オレはあらためて決意する。
いまのオレ、高科さくらという女性。
出来るだけ、色々な事をして、女としての人生を生きてみようかなって。
さくら、君への同情はもうないよ。
だって君はある意味ではオレの同志なんだよ。
なら同情はいらないよな。
君の魂がまだその辺にいるのなら、オレが回すストーリーを見てるといい。
きっと笑えるだろうから。
そしてオレの目は今、PCのブラウザに落ちていた。
何となく暇つぶしに泳いでいたネットの中。
――ねえさくら、君は絶対にやらなそうだけど、でも面白そうと思えるネタを見つけたのさ。
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New World Order
「やーやー、チェリーの部屋へようこそなんだよ。今日から放送を始めてみた。よろしく頼むよ」
『わこつ初見だゾ』『いきなり顔出しとかこの女ヤベー』『いや半分以上隠れてるが』
『色しろっ! 髪つやっつやっ! 間違いない、チェリーたんは美少女。俺は詳しいんだ!』
『ほんとぉ?』『あれ普通に可愛いっぽい』
カメラに向かって話しかけると、PCに表示されているコメント欄が結構な勢いで流れていく。
MOONTUBEという個人で動画投稿や、ライブ配信が出来る世界的に知名度のあるサイトに登録し、いわゆる生放送的な物をおっぱじめたのだ。
他にもメロメロ動画とかムクムク動画とか色々あったが、登録も放送環境もイージーなムーチューブにしたんだ。
前世でも似た様なサイトがあった。
名称に違いはあるが。
オレも昔の曲を探す時によく使っていた。
うろ覚えの曲だがどうしても聞きたい、そんな時に断片的にしか覚えていない歌詞で検索したりとか便利だった記憶がある。
ただ動画配信に趣向を凝らして再生数を稼ぎ、それで生活するプロもいたとか話題にもなっていたな。
んじゃなんでオレが今そんな事をしようとしているのか。
それ自体に特に理由はない。
ただ現状をポジティブに変えていくにはいいかなって思った。
そもそも新たな自分として生きていくと決めた物の、乗り越えなければならない課題がいくつかある。
一つはさくらの家族との関係の構築。
そして今後の自分の
付け加えるなら、スマホに登録されていた友人と思われる人間をどうするか、とかもだろうなあ。
けど結局すぐに答えが出る訳もない。
これからは女として生きなければならない、それは理解してても、すぐに女として社会に関われる自信がない。
なぜなら男としての習慣からボロを出す気がして仕方がないのだ。
それほどに習慣化した日常を意識的に変えるのは難しいという事だ。
そんな時にふとネットを眺めてみて思ったのだ。
高科さくらでも久慈直人でも無い別人になりきるのも面白いなと。
深く考えての事じゃない。なんとなく。
そうしてその手のWEBサイトを漁ってみると、どうもライブ配信というのは、必要な機材が揃っていれば割と敷居が低いと言う事が分かった。
それで色々揃えてとりあえずやってみたのだ。
――――好きなことをして生きていく。
前世の類似サイトでは、そんなキャッチコピーがあった。
ならオレもそれに
いいアイデアだ、なんてね。
だからカメラに向かって、事前に考えた顔で話しかけるのだ。
「放送って言ってもね。別にする事はないんだ。ゲームはやった事が無い。歌は下手くそ。チェリーにあるのは可愛いさだけなんだよね」
『www』『ダウナー系いいゾ~これ』『電波娘じゃね?』
『オタサーの姫かな?』『自分で可愛い言ったぞ……まあ可愛い』『←草』
オレは楽しくなって
コメント欄はネットスラングと思われる言葉が流れていき、どうやらこいつらも愉しんでそうだとほっとした。
放送する際の自分の名前は『チェリー』とした。
さくら、さくらんぼ、だからチェリーという安直な連想ゲーム。
なんとなく思い付きに従うのもいいか、そう感じた。
最初に着ていた白いワンピースに、オペラ座の怪人のファントムみたいなマスクを装着。
顔の左半分が隠れているが、露出している部分はさくらが元々持っていたメイク道具を使って白塗りにし、目の下にデフォルメされた涙を描き、まるでピエロの様になっている。
管理画面を見ると現在のリスナーは70人と少し。
これが多いのか少ないのかは知らないが、放送開始からジワジワと増えている。
けれどカメラを通していると、顔も知らない他人に見られていると言う緊張感は感じなかった。
機材に関しては元々持っていたPCはノートだが、スペック自体はかなりハイエンドなモデルだった。
なので後は配信者の有志がまとめたらしいWIKIに出ていた有料アプリをインストールし、カメラやマイクと言った小物を通販で購入した。
思ったより簡単に揃って驚いたな。
生理も終り体調が回復した後に、オレはあちこちに出歩く様になった。
その際に中野にある、まるでダンジョンめいたランドマークなビルで色々小物も仕入れてある。
ファントムマスクもそのひとつだ。
後はゴシック調に見える様な、
なのにオレと言えば昭和テイストのちゃぶ台の前に女の子座りで映っている。
オレというチェリーが演じる人物と、その舞台装置だ。
チャンネル名は『
これでリスナーは勝手にオレというチェリーの人物像をイメージしてくれるかなと。
電波女、それでいいのだ。
前世で、オレがまだ高校生の頃、何度目かのバンドブームがあった。
当時のオレは洋楽かぶれで、デビッドボウイとかマークボランにハマり、化粧をしてユニセックスなファッションに傾倒していた。
学園祭でボウイのコピーをしてポカンとされたり。
オレもそれなりに例の病を患っていたらしい。
ただその、他人に何をやっているのかを理解されない状態が逆に気持ちよかった。
けどそんなオレが衝撃を受ける程の邦楽バンドに出会った。
それまでのオレが何故邦楽を見下していたか。
それは単純に日本語で歌うロックがカッコ悪かったからだ。
野暮ったいと言うか、本来あるべき状態から、翻訳ソフトを介して無理やり訳した様な不自然さというか。
そう言う違和感を感じていたんだな。
けどそのバンドは違った。
ストレート過ぎる歌詞。
下手な駆け引きも無く、無駄な
韻は踏んでいたけれど、それは和歌にもあるから日本テイストとも言えるだろう。
そしてエイトビートの単純な演奏にそのまま小細工なしに詩をのせる。
それが何故かとても刺さった。
そのボーカルが言うのだ。
ステージの上では何か訳のわからないモノになりたいって。
唄っている時の自分は、異質でバカで得体が知れなくていいのだと。
彼は実際に目を剥き、ぬらついた舌で虚空を舐め、ガリガリの肉体を露出しながら興が乗れば皮の被ったち〇ぽを出す。
無茶苦茶な動きで、無茶苦茶に優しい事を語りかけて来た。
ドブネズミは美しく、戦闘機が買える位の金ははした金だと吐き捨てた。
彼らの曲を聞き、オレは気が付けば泣いていた。
それを思い出したのだ。
何か得体の知れない自分になってみようかなって。
彼はバカを演じたけれど、オレは女になっている。
なら似た様なもんだろう。
知らないけど。
「アイス食べます」
だからアイスを食べるのだ。
横に置いてあったクーラーボックスからそれを取り出す。
カメラの前に寄せ、皆にも見せる。
『ん?』『意味がわからん』『アイス?』
『ファッ!?』『おっ/ぱいアイスやん!』『スケベェ……』
そう、通称おっぱいアイスである。
まるでコンドームみたいなゴムの風船に詰まったバニラアイス。
前世でも売ってたが、こっちでも売ってた。
というか前世よりも未来にいるのに売ってるとか、もはやおっぱいアイスは普遍化したのでは?
中身はカチカチだ。
なのでこのまま食える訳もない。
だからカメラに向かって両手で握る。
にぎ、にぎにぎ、人肌で溶かしてから食べるのだ。
にぎにぎ……コメント欄が狂乱している。
謎の美少女チェリーの謎のムーブ。
にぎにぎ……にぎにぎ……
何故かリスナーが300人を越えている。
コメント欄が濁流の様に流れていき、最早目で追えない。
にぎにぎ……ようし良い感じに溶けて来たぞ。
オレは挑発的な表情でカメラを睨み、おもむろにブッチーと歯を使っておっぱいアイスの先端を噛みちぎった。
不敵にニヤリと笑って見せる。
『ヒエッ……』『いたいいたい』『つよそう(確信)』
『ドヤ顔うける』『まて落ち着け、この後はもしや?』『エッッッッッッ!?』
そしてオレはアイスにかぶりついた。
コメントの傾向からオレは察知している。
こいつら、チェリーに破廉恥な事を求めているな、と。
「
オレはお前らの好きにはさせんのだ。
誰かに流されず、オレとして作り上げるチェリー像。
いやむしろ大口をあけてアイス本体を半分ほど飲み込んでやったわ。
どうせお前ら、オーラルセックスを連想する様なオレを予想していただろう。
残念だったな!
不敵に笑って小ばかにしてやった。ざまーみろ。
『逆にエロいんだよなぁ……』『これは推せる』『拡散してきた』
『エッッッッッッッッッッッッッッッッッッ』
『ぽんこつすぎィ!』『……ふう』『口の端から白濁液、垂れてますよ?』
そこで時間いっぱいになったのか、放送が終わった。
制限時間があったみたい。
コメント欄は謎だが、とにかく初回はオレの勝利の様だ。
気分が良かった。とても。
チェリーという別人での完璧すぎる立ち回り。
充足感が体を包む。
その後、チャンネルのタイムシフトを確認してみた。
記念すべき第一回放送だしな。
そして絶句。
勝ち誇ってセリフを吐いた後のオレ。
アイスから口を離した瞬間、溶けた中身が口元汚していた。
それに半笑いのオレの唇からはみ出た舌。
喉まで垂れる白い液体。
なんだこれ。
チャンネル開設と同時に作ったチェリー名義のトイッター。
そのフォロワーが何故か1000人を越えており、チャンネル側の登録者が585人。
グッド評価は8割を占めており、トイッターには天然無知系配信者爆誕を称賛する言葉と、例のあのシーンのスクショのリツイートの山。
酷い敗北感に苛まれるオレ。
次は負けない。
そう思った。
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Money Money
きっかけとしては何となくだったけれど、自分じゃない何かになりたくて生配信を始めた。
有料アカウントとしてチャンネルを立ち上げ、その上限いっぱいの初回配信。
最後は時間切れで配信は勝手に落ちた。
配信中は緊張もしなかった。
自分が前もって考えていた、電波女というセルフプロデュースしたキャラを演じるのは爽快でもあったし。
ただ終わってしばらくしてから、急に心臓がバクバクしてきた。
それはまるで、路上でいきなり裸になるストリーキングを敢行したように。
自分の恥部を余すことなく暴露したみたいな変な感覚だ。
これは今まで感じたことがない感覚だ。
放送の反響は結構あった。
配信の先輩たちがまとめたサイトに従い、配信の宣伝用につくったトイッターというSNS。
一応は配信の告知をしていたのだけど、それにハートマークが3000以上ついていた。
リトイートという、つぶやき自体を引用する奴もほぼ同数。
いわゆるバズったって奴なんだろうけど。
目についた奴を読んでみると、どうやら匿名掲示板などで、配信とリアルタイムで拡散した人がいる様だ。
それによると、純粋にチェリーってキャラを面白がっており、次が見たいと言う好意的な意見が割と多くてびっくりした。
何というか顔は全部だしていないんだが、それでも見えている情報から色々な推測とか妄想なんかがされていて凄い。
むしろオレがキャラを盛っているのに、ファンになったと宣言する人らの祭り上げているチェリーは別人の様にすら思えてくる。
この本人も把握しきれない剥離が非日常感があり楽しかったりする。
とは言え好意的な意見だけとも限らない。
可愛いと言う人もいるが、”こいつは承認欲求の強いだけのメンヘラ”だと言う意見もあったり。
でもそれで傷付いたり、ショックを受けたりとかはないな。
だってこっちも作ってる訳だし、そもそも自分自身、この反響が「ちょっとおいしいぞ」と感じている所もあり、承認欲求はむしろ強いんじゃないかな?
そうなると今後はオレ自身もこのチェリーという電波娘がどうなっていくのか楽しみだ。
まあ批判的な意見があるってのは、むしろ良い事なんじゃないかな。
10割称賛とかあり得る訳もないし、あったとしたらそれは怪しげな宗教だろう。
でも悪態をつきながらも見ているってのは、リスナーって意味では立場は一緒なんだと思う。
まあそうして、数日の時間を空けてまた放送をしてみる。
今度はきちんと数度に渡ってトイッターで告知を入れた。
管理画面を見ると、既に2000人くらいのリスナーが待ち構えていた。
いきなり凄い数で一瞬目が泳いだが――まあ始めようか。
「チェリーの部屋はっじまるよ」
『お、きたきた』『わこつ』『初見です』『マジで美少女ぽい……ぽくない?』
『いきがい』『おーええやん』
「なんかいきなり2000人越えてるけど。怖いんだけど」
『ワイらが宣伝したからな残当』『お、Jか?』
『ななちゃんでスレ建ってたゾ』
「スレ? わかんないな。とにかく来てくれてありがとう」
スレってのは掲示板だよな?
と言っても完全に見切り発車。
やる事も特に考えていない。
そう言えば、昨日かな。いきなり身内にバレていた。
姉であるひまわりからのメールで『さくらちゃんなにやってるの?』だって。
トボけたけど。
一応返事はしたが。世界には3人ほど自分に似た人間がいるらしいってメールで。
「えっと、トイッターに質問がいっぱいあったので答えるよ。えっちな奴は無理。仕事して風俗いって」
『ヌッ……』『この中に職人様はおりますか? えっちの部分といっての部分を編集してください』
『辛辣で草』『もっと罵って』『やべえのばっかおる』
トイッターで思い知った。
エロいのがホント多いんだ。
オレも元男だし、それは理解できるけどさ、
まさか自分がそういう目で見られるとは想像もしてなかったけど。
まあだから、そんなの織り込み済みなのだ。
「えっと年齢……は高校生以上社会人未満だね。体重はさっき計ったら40キロだった。胸が小さいですねとか言ってきたやつは死ねばいい。恋人はいますか? いたらこんな事やってない。結婚してください? 人生の墓場に入りたくない。えっと質問はこんな感じで。お前ら暇なんだね。びっくり」
『胸気にしてて草』『恋人いないとか実質俺らやん』『嘘だぞ絶対いるぞ』
『人生の墓場とか辛い。嫁と離婚します』『自慢乙』『草』
こいつらリアクション早いな。
しかしオレの何が面白いんだろう?
何言ってもリアクションするのか?
ならば……。
「これから反社会的な事をします」
『いきなりテロ予告』『なになに』『謎のイキリはじまた』『草』
『なんや胸に詰め物でもするんかwww』『なにそれみたい』
「おまえ。えっと、ヌメヌメって言うの? その口縫い合わせるぞ」
『真顔草』『wwww』『正体表したね』『マジのトーンしゅき』
『地声可愛くて草』『き、希少価値だから(震え声)』『ヌメヌメニキ名前呼ばれて羨ましい』
なんだよ胸はいいだろ別に。
いや中身男としての感性は変わらんのだけど。
なんかこう胸に関してはアイデンティティを攻撃されてるみたいでイラっとする。
まあいい。カメラを睨みつける。
「世の中の喫煙者は余分に税金払っているのに
『さらにイキってる』『
『ドヤ顔草』『反社会的とかいいつつ小物臭ぱない』『草草の草』
「うるさいですね……」
『〇ノちゃん草』『チ〇ちゃんはこんなBBAじゃないから』『←おまえ屋上な』
チ〇ちゃんって誰? まあいい。
かつて、つまり前世ではオレも喫煙はしていた。
突っ込みの通り臭いが服についたりして営業に差し支えるからやめたが。
因みに一昨日がさくらの誕生日だったようで、今は20歳になっているので法律的にはセーフ。
ならいくぞ。
「ここに取り出したるは売り上げトップの銘柄であるエイトスター。煙草は吸った事はないが、チェリークラスになると余裕」
『いいぞ~どんどんイキっていけ』『草ァ!』『クソザコ臭がしますね……』
『お前は何様なんだ』『チェリー様なんだよなぁ……』
中野で買ったレトロな銀色のペコペコした灰皿をちゃぶだいにセット。
そしてやはりレトロな100円ライター。
ソフトケースのエイトスターのフィルムを口で咥えて剥がす。
「……………………」
『やばいこいつ可愛い』『すげえドヤってる……』『オチがわかりますねクォレハ』
銀色のやつを爪で剥がし、トントンと叩いてスタイリッシュにタバコを出す。
それを一本咥え、ライターをシュッシュ……。
おー懐かしきこのスメル。
ようし、見てろよ。
思いっきり吸い込んで――――
「………………ゲホッゲホゲホッ、ぐええ……無理」
『知ってた』『でしょうね』『草』
『やっぱりクソザコじゃねえか!』『あっつさり負けてて草バエル』『投げ銭はよ』
『wwwwww』『草』『草』『録画した』『あ ほ く さ』
ちょっと待って。
タバコこんなだったけ?
やべえ吐きそう……。
というか一口出た。
コメント流れ過ぎだろオイ。
クソが……。
カメラの前でリアルで『orz』な体勢で咳込んでしまった……。
「ん゛ん゛っ……ね? 分ったでしょ。チェリーはこれを言いたかった。タバコなんて百害あって一利なし。タバコは滅べ。そう言いたかった」
『お前の手首ってドリルでも入ってるの?』『草なんだよ』『涙目でドヤ顔、いい』
『ポンコツ系配信者爆誕』『TS消さないで♡』『保存しました後で拡散しておきます』『GJ』
こうして放送は終了した。
またも時間切れである。
畜生、次は絶対勝つぞ。
あと煙草は二度と吸わない。
二度とだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「うん……おいしい」
スマホのアラームをかけない生活を始めてみた結果、寝坊がデフォルトになりつつある昼下がり。
それでも食事くらいはきちんとせねばと朝昼兼用の飯を食う。
メニューは単純だ。
熱々の白飯に焼き鮭。
自分でつけたセロリの浅漬け。
それと納豆。
この身体になって飯をおかわりできなくなった。
胃が小さいせいで仕方ないか。
なので噛みしめる様にゆっくりと食す。
「ごちそうさまでした」
終ったら食器の汚れを軽く水で流して食洗器へ。
スイッチを入れて放置しとけば綺麗になっている。
とても便利だ。
あとはほうじ茶を入れてリビングに戻る。
食後はネットを眺めて過ごすのが最近の定番。
ちゃぶだいの上に銀色のノート。
リビングは姿見とふかふかの白いラグカーペット。
このシンプルな編成がとても和むな。
ちなみに前世でもそうだが、テレビは見ない。
今後も買う事も無いだろう。
理由は番組が単純につまらないのと、雑音が多すぎてイライラするからだ。
この部屋は都内だと言うのに静かだし気に入っている。
ニュースだってどこの民放局も右にならえばっかりでさ。
そこに煩わしいCMと、不快な自分語りしか言わないコメンテーター。
高いテレビを買ってまで見る価値が無いと思うの。
さて、PCのブラウザを立ち上げいわゆるエゴサをしてみる。
どうもライブ配信者専用のスレッドがあるらしく、その中にチェリーのもあった。
既に23スレまで進んでおり、それなりにウケてるんだと他人事の様に感心する。
中は見ない。
最初は見ていたけれど、やはり自分で演じていてもどこか他人の様に思えるので、読んでみてもピンと来ないのだ。
後はトイッターとかムーツベは自分のチャンネルにある過去配信のタイムシフトのチャットやコメント。
運営からのメールとかのチェック。
そんな事をしていると、なんだかんだで夕方になっていたりする。
生活費の確認の意味で口座の残高照会をしてみたが、事故の保険金、それと示談金の振り込み金額がかなり多く、おそらく5年少々は無職でいける程だった。
そこまで無職でいたいとは思わないけれど、最低限、高科さくらとして過不足なく立ち居振舞えるレベルになってからだな。
後は前世の日本との差異に慣れないと。
時代がずれている事で変わってしまった事も多いだろうし。
そう言えばリスナーの一人がトイッターのダイレクトメッセージを送って来た。
たまにいる下品な奴では無く、オレが放送を開始して2か月程経ち、タイムシフト動画なんかもかなりの閲覧数がついているから、収益化の条件をクリアしているだろうから、申請をしなさい的な。
収益化、そう言うのもあるのか。
ああでも、こう言った活動で生活している人もいるのだ。
それが収益化なのだろう。
そのリスナーもまたジャンルは違えど動画をいくつもアップしている人で、ご丁寧にもスクリーンショットを添付してくれた上で、どういう手順で申請するかまで誘導してくれた。
オレのというか、チェリーのファンでこれからも応援していますってメッセージと共に。
こういうのは本当に嬉しいな。
まあそれで、チャンネルの管理画面から言われた手順で申請をすると、二週間弱で申請が通った旨の連絡が来た。
これで自分の動画に広告を付けたりすることが出来るらしい。
後は生配信を長い時間やることができたり、時間の予約を行い、それをダイレクトで告知できる様になると言う。
なので振込口座の登録なんかも併せて行った。
これからはライブ配信だけじゃなく、料理動画とかあげてもいいかもな。
前世でも好きだったしそれなりにやっていた。
その上でさくらもやっていた様だから、かなり料理スキルは高いと思う。
それに住んでいる東京って街の事を散歩しながら動画を撮って紹介するのもいいかも。
人口密度の多い雑多な都市だけど、意外と歴史も深いし、面白い坂道も多い。
何というかステレオタイプとして多くの人に認識されている煌びやかな東京って、実はその中心にいるのは地方からやってきた多くが元田舎人なんだと思う。
大昔は政治の中心も西日本にあり、東京はひどい田舎だったしね。
坂東の武士なんか人権なかったらしいしね。
戦国時代とか。
それを家康が幕府を開いたりして政治の中心が東に移った。
そこからの歴史ってのは中々に面白いと思う。
例えばオレが好きだった池波正太郎の小説なんかでも、江戸文化について多く触れているけれど、そう言う江戸文化がまだ根付いている土地は多くあるのだ。
なのでそう言うのを再認識する様な動画とか面白そうなんて思うのだ。
それに広告をつけていくばくかの収入があれば、それで新しい機材を買ってもいいし。
それで放送のクオリティが上がればリスナーへの感謝の還元にもなるかなって。
んじゃ今日も週に一度の放送を始めようかな。
最近は自分の中で定番になりつつある21時スタートで。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「いえーい。ちぇりーの部屋やりますよー。今日もみんなに元気を分けちゃうんだから」
『わこつ』『待ってた』『生きがい』
『すげー棒読みで草』『むしろ元気が吸い取られてる気がするんだが?』
『←よろしい、本懐である』『ファーレン〇イト提督!?』
もう何回やったっけ?
今日は予約と告知をしたから放送開始前からの待機リスナーの数が凄い。
とは言え緊張感も無いのだけれど。
しかし第一声と共に凄まじい勢いで流れるチャット欄。
これをいちいち拾っていける配信者は凄いな……
「トイッターでリスナーに突っ込まれ登録者が7000人を越えたと気が付いた。そう思って数日ぶりに見てみると9000人越えているじゃないか。いまも視聴者4000人越えてるし。どうしてくれるの?」
『キレてるの?』『何故怒られているんだろ俺ら……』『草』『理不尽系ヒロイン』『草』
『wwwww』
「収益化というのもしました。広告もつけたよ。これでチェリーも立派なムーチューバー」
広告はいいね。好きな品物をピックアップが出来たりする。
動画内でコマーシャルを流す事も出来るし、チャンネル内にリンクを張る事も可能。
これは嬉しい。
『出た!ドヤ顔』『草ァ!』『これを見に来た』
『広告のリンクがおっぱいアイスのみとか草』『どんだけ好きなんだよ』
「ふふふ、でも礼は言う。これでおっぱいアイスが安く買える」
『は?』『収益化の意味わかってなさそう』『広告は社割じゃねえから』
『草』『謎のイキリに草』『やはりぽんこつじゃないか(歓喜)』
「ん? 動画の広告は視聴者が見てくれるとお金がもらえて、リンクは視聴者がいっぱいクリックするとチェリーが買う時に安くなるんじゃないの?」
意味がわからん。
広告収入が収益化じゃろう?
ってトイッターのDM通知が来た。
さりげなく開いてみると、収益化を教えてくれた人からだだ。
【クジアンラッキー:チェリー様、チャンネルの管理画面のスーパーチャットを有効にするにしてみてくださいな】
「ちょっと待って」
『ん?』『なんや』『?』
「えっと設定をいじれとリスナーから指令が来たからやるの。ちょっと壁紙にする。待ってて」
『ちょwww』『壁紙もおっぱいアwwwイwwwスwww』『草ァ!』
『チェリー様は一体何を目指しているのか、コレガワカラナイ』『草』
画面を壁紙用に準備したフォトに切り替える。
そうだよおっぱいアイスだよ。
画像加工アプリで黒い背景に解像度をあげたアイスを張り付けてある。
んー? スーパーチャット、あ、これか。有効っと。
よし画面を戻して、
「クジアンラッキーの甘言に乗りスーパーチャットを有効にした。これが何?」
その瞬間、チャットの流れが急加速した。
『名前呼ばれた……お前ら先に逝ってるわ【50000円】』『←絶対に許さない【1919円】』『もう許さねえからなぁ?【11451円】』『最後の一桁が上限引っかかってて草』『ホモばっか【30000円】』『これ待ってた【10000円】』『怒涛の投げ銭タイム! ミズノヨウニー』『親の結婚記念日のプレゼント代つっこむは【30000円】』『←もっと親大事にして』『草草の草』
おーなんか色付きのコメントいっぱいだ。
これ読んだ方がいいのか?
「クジアンラッキー、24歳学生、HIDE、バタフライ夫人、田中、えっちな大根。コメントに色がついてるね。こんな機能あるんだねえ。綺麗」
『は?』『こいつわかってねえぞ』『天然すぎて草』『一攫千金してんぞ』
『名前呼ばれたから許した』『ホモとレズしかいなさそう』『チェリーその金額さ、ムーツベに手数料引かれた額がお前の口座に振り込まれるぞ』『やったぜ』
は? だとすると凄い金額になるぞ?
え、スーパーチャットってそう言う意味なのか?
あかん。ホントにスーパーだった。
「……え? 凄い金額なんだけど。駄目だよそんな事に使ったら。基本引きこもりの女の生活費なんてミジンコだから。………………オエッ」
『ちょゲロイン』『おろおろしてて草』『えずくな』『きたない。編集班わかるな?』
『なにこの娘可愛すぎだろ』『一生推してくは』『当たり前なんだよなぁ』
「びっくりし過ぎて吐きそうになった。えっと、ありがとう? って言えばいいのかな。ほんと無理しないでね。あとネタの為に無茶とかもやめて。でもありがとう。ほんとに」
その後も少額から高額まで1時間の放送時間の間、投げ銭は続く。
いちいち狼狽えるオレの醜態によけいに盛り上がるリスナー。
そして呆然自失のまま時間切れで放送終了。
その後、無言→無表情→驚愕→えずくまでの流れが綺麗に編集され、某UCの音楽をつけられたMAD動画が50万再生されたとトイッターで知った。
初回の総額は40万円と少し。
オレは多額のお布施に何故か敗北感を感じていた。
そらみんなやろうとするわコレ……
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Sister
「さくらちゃん、びっくりしたんだからねっ」
「ごめん。悪気は無かった」
リビングにいたら急に廊下へ続くドアが開き、見覚えのある女性が血相を変えて入って来た。
それと共にガッチリとホールドされる。
驚く暇はないが、相手がだれかは直ぐに気が付いた。
内心では心臓バクバクだけど、取りあえず相手に話を合せる。
「いやうん、少し元気になってくれたみたいで安心したけどさ。お母さん、毎日さくらちゃんの動画見てるんだよ?」
「……それは恥ずかしい」
「なら気をつけてね。アイスの回のさくらちゃん、エロいとか凄い言われてるから」
「うう…………」
そう、姉であるひまわりが襲来したのである。
見覚えがあるのは、さくらの記憶がとかじゃない。
目の前の女性の容姿が見慣れているからだ。主に毎日オレが覗き込む姿見の中で。
その日は放送の予定も無く、久しぶりに遠出して買い物に行こうと出かける準備をしていた午前中だ。
と言っても女の身体には随分と慣れ、髪も色々セットしたりもできる。
服もいくつか通販で買ったかな。
さくらが持っているアイテムだけだと、毎回似たような恰好になっちゃうしなあ。
だから少し増やしたのだ。
元の自分でも服は嫌いじゃ無かった。
基本的にはスーツだったけれどテーラーメイドのオーダースーツを集めたり、シャツの襟や袖、タイの結び方、アレンジはいくらでも出来た。
だからそれが女の服に置き換わっただけで、それはそれで面白いのだ。
下着に関してはそういう物だと割り切った。
あれは乳首が痛くならないサポーターなのだと。
最初はノーブラのままいたけれど、例えAカップでも擦れりゃ痛いのだ。
でも服の素材によっては透けたりするから、そう言うのも考慮して、出来るだけ服に合う様な色やデザインを購入した。
お洒落と割り切ると、肩口から見えてるブラの紐だって差し色として使えるから、キャミとブラの色合いとかも考えると面白い。
だからランジェリーもそれ用にレースの奴や、デザインの凝った奴を購入したのさ。
元々あったのは洒落っ気が一切ないのばっかだし、全部捨てた。
服も無地に近いワンピース系が多い。チュニックとか。
だからもっと遊んだデザインのを揃えてみたり。
ネットを介して買うとノーブランドでも面白いのが色々あったりして安く買えた。
こういうのも自分をリセットするって意味ではいいのかも。
断捨離ブームとかあったが、それに似た感覚だなぁ。
さくらとしての事は一通り把握できたのが大きい。
このマンションの住人専用の駐輪場には、3年落ちの黒いスポーツスターがあった。
ハーレーダビッドソンの定番モデル。
いわゆる
さくらは車は持たずこの単車一台持ちだった様だ。
まあ東京に住んでいれば車より単車の方が便利だろうし。
前世でもハーレーではないが、ヤマハの大型バイクを持っていたからそこは問題無い。
既に何度か乗ってみた。
ちょっとリアサスが硬すぎたので、スマホで見つけた世田谷にある直営店で調整して貰った。
ついでに買い物にも使えるように、タンデムシートの横に荷物を積むためのフレームをつけたり。
アメリカンと言えど、映画のイージライダーみたいに、広大なアメリカの大地を旅するために、キャンパー用の部品とか豊富だからね。
まあそんなんで、買い物じゃー! とシングルの茶色いライダースに黒いスキニージーンズというバイカーファッションで出かけようとしていたオレ。
そんな時に手にういろうの紙袋を下げた、オレとそっくりな銀髪美人さんこと姉さんがやって来たのだ。
さくらちゃん! と叫ぶと、思いっきりハグされたわ。
唖然とするオレ。
見た瞬間理解したさ。身内だって。
母親じゃないなら必然的に姉のひまわりって事になる。
実際姉妹なんだろうってのは容姿でわかる。
身長はオレよりも頭二つくらい小さいけれど、顔や髪はまんまさくらだもの。
ただし明確に違う部分がひとつある。
それはバルンバルンと動くたびに揺れる凶悪なまでのヒマラヤ山脈の存在だ。
中身は男のつもりだが、無性にイラっとした。
まあそうして、ひとしきり姉にモフられ続けた後、近況の話になる。
姉が突入してきてから小一時間経つが、オレの口調に違和感は無いらしく、特に怪しまれる事も無い。
ただ酷い罪悪感がある。
なあ姉さんよ。
さくらはな、死のうとしてたんだ。
おそらく死んだんだ。
だからオレが上書きされている。
だからと言ってそれを素直に言った所でどうなるんだ?
姿かたちは高科さくらのまま。
口調もそのまま。
声も、身体も。
けどさくらは死んで、別の男の精神がここにいる。
どうやって死んだことを信じさせる?
現在進行形で【高科さくらの肉体-彼女の魂+オレの魂=現状】なのに。
オレがカミングアウトしなきゃ姉も母親も気が付かない。
そして伝えられてどう気持ちを処理する。できる?
結局、オレは言わない事を選んだ。
気持ちはもやもやするけれど。
これは言った事で生じる問題やストレスから逃げたいと言う、オレ自身の現実逃避も無いとは言わない。
むしろかなりある、そう思う。
でもそれ以上に、目の前の優しそうな姉や、オレのこざかしい動画を楽しんでいる程に心配しているらしい母親を傷つけたくないと言う気持ち、両方存在しているのだ。
二律背反? 違うか。でもそんな感じ。
オレは確かに高科さくらだが、本来のさくらの一番の味方のつもりでいる。
それで近況部分では、ピアニストとしての挫折は挫折としてしんどいけれど、それ以上に何もしない時間が辛いと思ったんで、とりあえず身近で出来る事って流れで配信をしてみたと素直に伝えた。
自分を変えるにしても、急に普通の人みたいな生活に戻れる感じもないし。
これは方便と言うより本音だ。オレが無理だもの。
すると姉は嬉しそうに微笑み、今度はメールだけじゃなく声も聞かせてほしいと言った。
直ぐには無理かなと言うと、スマホのラインアプリを入れさせられ、家族のグループに入れられた。
テキストのやり取りだけじゃなく通話も出来るからって。
ならいいかって感じ。
ただその一方で、酷く安心したって気持ちが今は強い。
いずれはきちんと家族と会わなきゃいけなかった。
その心の準備は出来る気がしなかったけど。
でもこうして来てくれたおかげで、胸のつかえがひとつとれた気持ちになれた。
感謝だ。姉に。胸は気に入らないけれど。
ただ冒頭の様に怒られてしまった。
顔を隠していようと、身内にはすぐ分かるらしい。
そしてやはりアイスの回はエロかったらしい。
そうしようと思ってやった訳じゃないから複雑だが。
さて姉だが、年齢はオレの2つ上で今は名古屋大学で修士課程に進んでいるらしい。
今は夏季休暇中で、それを利用して来たと言う。
数日観光して帰るつもりだったが、目の前で母さんに電話をし、休みいっぱいここにいると宣言。
大学生って2か月近く休みあるじゃん。さすがに居過ぎでは?
姉いわく、失った可愛い妹との時間を取り戻すとか。
まあいいか。スキンシップの多い姉だが嫌悪感は感じないし。
そんな感じで、家族との邂逅は思いがけずに済んだのだ。
本当にほっとした。
天国にいるさくら、お前の残りの人生はなんとか続けるよ。
お前もオレが演じる高科さくらの実況、そこから見ていてくれよな。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「ほらさくらちゃんっ! こっちで写真取ろうっ!」
「あーはいはい今いきますよー」
「もうっ! ノリが悪い!」
姉さんのはしゃぐ姿にまるで娘でも連れている父親の様な気持ちになる。
実際、150センチほどの小柄な姉さんが、オレと同じ長い銀髪を、幼さを感じるツインテールにして跳ぶ様に手を振る姿は子供にしか見えない。
オレより2歳年上の筈なんだけどなぁ……。
現在のオレ達がいるのは東京タワーの真下。
赤錆びた色をした東京観光と言えば真っ先に名前の挙がるあそこだ。
今でこそ高さではスカイツリーにその座を奪われたが、オレはこっちのが好きだ。
というかスカイツリーの凄さは理解出来るよ。
大きいし。
けど世界を見渡せばあの手の近代的な高層タワーは、日本以外にも多くあるんだ。
東京タワーは何というか、日本の歴史の中で建設されたって言う赴きがある。
焼け野原になった東京が復興し、日本一の人口密度を持つ都市に変貌していく過程を、タワーはじっと眺めて来たのだ。
それってとても浪漫を感じる。
だから東京タワーが好きなんだ。
凄いよな。
上の方にはアメリカの戦車をスクラップにした鋼材が使われてるんだとさ。
正式名称は日本電波塔。
まあいいや。
そんなオノボリさん丸出しの観光地になぜいるかだが、姉さんがデートをしようと騒いだからだ。
オレも昨日は、彼女が来るまでは買い物で外出する予定だったし、なら特に断る理由も無い。
けどバイクにタンデムでは無く、歩いて来た。
高輪のマンションを出て第一京浜に出る。
ここは毎年箱根駅伝で大学生たちが走る場所でもある。
それを新橋方面に向かい、札の辻交差点を左に折れ、後は慶応大学の前を舐める様にのんびり歩く。
ここは国道一号線。
この通りに入った時点で視界には東京タワーが見えている。
両側にビルがあり、それでも新宿や丸の内ほど高層ビル群でもない。
結局到着まで50分ほどの散歩になったけれど、姉なのに妹みたいな無邪気な姉さんの好奇心の赴くまま、シアトル系カフェに入ったり、地元には無い店を指さしてはしゃいだり。
そりゃ引率気分にもなるさ。
ここはオレの生前の生活圏でもある。
現在の高輪と違って、オレの家は三田にあったからな。
なので食事は概ね田町界隈で済ます。
慶応大学の周囲には、学生を狙った店も多かったし、個人経営ながらスーパーやドラッグストアもあった。
田町の駅前にはレンタル店もあったし、暇つぶしにはパチンコ屋だってある。
都会と言うステレオタイプが強い東京は、住むのには向いていないってイメージが大きいだろう。
特に地方に住んでいる人には。
けど住めば都じゃないが、娯楽以外の物価は、実はそう高くも無い。
前世のオレは地方出身者だが、地元と比べても大した気にならなかったな。
それに高級店にさえ行かなければ、安い飲食店も山ほどある。
そりゃそうだ。飲食店の総数が多いんだ。生き残るための価格競争は地方より大変なんだし。
オレが個人で夜遊びするのは主に新宿だったけど、一万以内でたらふく呑んで気分よく帰れるもの。
あとは大井とか蒲田、赤羽、上野なんかも庭だった。
東京と言う街はごった煮というか、都会と田舎が混在した場所だ。
だってそうだろう?
徳川家康が開発しなきゃ、ここらはただの荒地だったらしいし。
それまでの政治の中心、経済の中心は関西だったのだし。
なので東京の土着の人間は多くいる。
結果的にここが都会になっただけで、東京には東京の地方文化がある訳だ。
知っているか? オフィス街でもある品川界隈。
ここに住んでいると夜とか連休中は人の姿が消えてゴーストタウンに見えるんだぜ。
それこそ第一京浜沿いなんか特に。
なのでビジネスに関わる地域と、いわゆる下町と呼ばれる地域の風景は別の国ってくらいに違う。
正月近くに下町の裏路地でも歩いてみればいい。
ステテコ姿のオッサンがねじり鉢巻きをしながら餅つきをしている風景が見れるから。
そう言うのもあって東京が好きなんだ。江戸文化が今だ息づいている。
だから姉さんの思いつきのお出かけも、実は結構楽しんでいる。
ほらあそこが慶応大学だよ。
ここのジンギスカン屋は結構オススメ。
まるでハトバスの添乗員さんみたいな気分で。
昨日と同じくバイカールックのオレの右手に腕を絡ませながら手を引く姉。
スマホのカメラで撮るらしい。
ほらさくらちゃんピースしてピース。
言われるままに引きつった笑顔でピース。
それでも姉さんは心底嬉しそうに出来上がった写真を眺める。
昨日の夜は結構遅くまで話した。
ビールを一緒に呑んだからかな? 結構オレの方が饒舌に。
姉さんは静かに聞いていた。
酒のせいかボロが出ることを気にしないままに台詞を垂れ流すオレを見つめながら。
きっときわどい事も言ったかもしれない。
ただベッドで一緒に眠る時、姉さんは言ったんだ。
さくらちゃんが生きているだけでいいのって。
姉さんは少し泣いて、本当に嬉しいのって言いながらオレの胸に顔を埋めてそのまま眠った。
なあさくら、もう少しだけ我慢できなかったのかい?
オレは姉さんの頭を撫でながら、
きっと母親も同じ様に心配してたんだろう。
ねえさくら、君にとってピアノしか無かったのかな。
別の生き方、探す余裕は無かったのかな。
もし君が生きていた時にオレが出会えていたなら、そんな事も思ってしまう。
全てはもう過去の事だけど。
さくらはもういない。それがとても悔しかった。
「姉さん」
「ん?」
「天気もいいし、このまま歩こう」
「わーい。一日中デートだねえ」
「そうだね。でもとりあえずはご飯を食べよう。五反田まで歩いて。とびきりのステーキでも」
「ステーキっ!」
だからね、さくら。
オレが君の分も愉しんでみるよ。
人生って奴をさ。
不安は多いけれど、オレもまた、君の様に空虚だったから。
うーん、世間に疲れたオッサンと、十代の苦悩を抱えた君と一緒にしたら怒るかな?
それよりもまあ、今は五反田でステーキを食べたいな。
昔みたいに、ライスなしの500gサーロインは食べられないけれど。
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Let's do it
姉さんのハンドサインに合せて生配信が開始される。
カメラのLEDが赤く光った。
オレは能面の様なチェリーの顔でそれを見る。
「チェリーのライブはっじまるよー。これでよろしいか」
『わこつ!』『挨拶が雑ゥ』『いきがい』『待ってた【10000円】』
『待たせすぎやろこのサルゥ!【11451円】』『←ホモのにーちゃんまた桁足りなくて草』
『ん? ブラック放送?』『声だけ聞こえて環境音うるせえな』
「お金くれるの嬉しいけどさ、もっとちゃんと使おう? えっと、そうだ。彼女とかいらっしゃらないんです?」
『え、そんなん関係ないでしょ【30000円】』『キレながらも投銭を忘れないホモの鑑』『きれいなチェリー様が語録とか、まずいですよ!』『しかも意味わかってなさそう』
「まあそれはそれとして、ゲームもお唄も下手くそで、煙草にも負けたチェリーだけど、ここで起死回生の一手を打つ。これでもう天下とったも同じ」
『来た。イキりんぼ』『イキりんぼええやん気に入ったわ。なんぼなん?【810円】』『桁がきたない』
『イキってなんぼよ配信者』『草』
前回の放送から約一か月ほど経った今日。
久しぶりに枠を予約した。
収益化とか諸々の許可のお蔭か、長時間放送もできるそうな。
そこでオレらしい放送は何か? と思案してみた。
それで思いついたアイデアを今日は試すのだ。
平日の昼間だってのに3000人と少しほど視聴者がいる。
姉さん曰く、新人にしては結構凄いらしい。
投銭とかもそうだけど、今の状況を見せると姉さんの方が興奮していて笑った。
前回から時間が開いたのは、単純に姉さんと実家に帰っていたからだ。
色々話した事で心が少し楽になり、けど本来は自殺をするほど追いつめられていたさくらだ。
なら家族も同様の心配をしていただろう。
実際姉さんも会ってくれて本当に安心したと泣いた。
実は何回も来ているらしい。
ただ自宅にいる時のさくらは常にチェーンを掛けていて、合鍵で開けても入れないのだ。
その度にさくらは物陰から今は会いたくないと拒否。
姿は見えなくとも声だけは聞こえるから、一応は納得しつつ名古屋に帰るってのが今までのサイクルだったらしい。
だから帰って母親を安心させようと思ったんだ。
オレがさくらとして生きてみる。それは決めた。
だからこそのけじめみたいなもんか。
貴方たちの娘さんの人生を貰います。
本当の事は言えないけれど。
姉さんは多分、今のオレの違和感に気付いている。
けれどオレは自分なりに生きると言い切った。
ピアノとは違う、何か新しい人生の目的を見つけるために。
だから姉さんは納得してくれたんだ。
で、名古屋に行った。
実家というか高科の本家は昭和区にある古い武家屋敷みたいな所らしい。
けど母が住むのは新栄にあるマンション。ま、さくらにとっての実家はここになる。
築も10年以内の高層マンションで、中も相当に広い。
リビングの壁にはジャズギターがマウントされていたり、その他にも楽器関連の機材がお洒落にディスプレイされている。
全部父親の愛用していた仕事道具だ。
帰ったオレを母さんは涙を流して抱擁した。
姉さんよりさらに小柄で童顔の銀髪。
どうやらこの綺麗な銀髪は、母の遺伝子が強いせいだな。
壁にかけてある大きく引き伸ばされた写真に写る、母親と肩を組んでいるイタリアンマフィアみたいなお洒落な髭のちょい悪オヤジ。
つまりさくらの父親の姿は、ミュージシャンらしい浮世離れしたオーラを感じる、ルーツはアルジェリア系移民のフランス人だった。
肌の白さは父親からの遺伝だったみたいだね。
そこでオレは姉にした話と同じ内容を喋り、これからは自分探しをしながら生きていくつもりという事を伝えた。
帰っては来ないの? って言われたけど断った。
あのどん底に堕ちた部屋で、もう一度やり直して自分の人生を取り戻すって理由で。
母さんはきちんと直接伝えてくれた貴女を信じると言ってくれた。
まあその後は、久しぶりの名古屋だし(それはさくらとしてもそうだし、前世のオレという意味でも)レンタカーを借り、家族3人で2泊3日の家族旅行についやした。
ベタな観光地でね。お伊勢参りをして赤福を頬張り、南紀白浜で温泉に浸かり、アドベンチャーワールドでパンダを見て騒いだり。
気が付けばパズルのピースがピタッとハマったかのように、母さんや姉さんと自然に会話が出来る様になっていた。
温泉で身支度を整えるのにまごまごしていると「さくらちゃんは昔からこういうのはダメね。可愛いんだからちゃんとしないとダメよ」と母さんが甲斐甲斐しくレクチャーしてくれた。
そうして、オレはお客様感覚だった距離感を自然な物に出来た事でさらに胸のつかえがとれた。
結局名古屋に10日ほどいて東京に帰って来たのかな。
その際やはり姉さんがついてきた。
本当に長期休暇いっぱいこっちにいるそうな。
母さんも来たそうにしていたけれど、名古屋で音楽関係のスタジオを経営している関係で難しい。
”母さんも行きたいのに~”って悔しがっていた。
なんなの。母さんも姉さんもオレというさくらより幼いんだけど。
でも凄いよね女子の行動力って。
姉さんここに住むの?! って程の荷物をうちに送りつけたもの。
あの部屋、間取り自体は4LDKなんだよね。
さくらの寝室とLDK部分以外は空っぽだったからな。
そこに姉さんの荷物を詰め込んでる。
ベッドは頑なにオレと寝るのだと言い張るから買ってないが、姉さんの部屋と決めたところは、いかにも意識高い系女子! って感じで女々した感じのインテリアになってたもの。
小物を揃えるのに六本木や銀座を連れまわされてぐったりしたけれど……。
こういう部分も女子って感じだよなぁ。
で、姉さんが話を切り出して来た。
オレのやっている放送を一緒に手伝いたいって。
例のエロアイスの件でオレひとりにやらすと、そのうちコメントに乗せられて裸になりそうで怖いとさ。
マジですか……そんな風に見えるのか。ちょっとショックだ!
けど色々聞いて納得した。
姉さんは名古屋大学で、音響関連のエンジニアを将来の夢と定めて研究しているらしい。
テレビ局とか、番組制作会社のディレクターが一番の夢だったらしいけれど、色々やっているうちに機材の魅力に憑りつかれ、機材その物を作る開発エンジニアになりたいそうな。
スピーカーとかエフェクターとかそう言う玄人っぽい奴を作るような。
なのでオレがやっている放送とかは、素人でもやり様によってはプロになれるコンテンツとして、既にある種のビジネスモデルが確立されているジャンルなんだと。
まあMOONTUBEだからムーチューバーって呼ばれているが。
なので姉さんとしては、自分の学んだ分野をストレートに活かせるそうな。
やってることはリアルタイム配信、ストリーミング放送って奴だからな。
なので今よりも放送のクオリティをあげてみたいとさ。
まあ鼻息荒く叫んでる姉さんの剣幕に拒否出来なかったというのが真実だけど。
話を戻すと、姉さんと言う裏方をゲットしたオレがやろうと思ったのがコレなのだ。
「みんなに今日の放送が一味違う所を見せよう。へいヒマD」
「らじゃ~」
合図と共にディレクターとなった姉さんがPCのキーボードをターン! とやると、画面が黒バックにデフォルメしたさくらんぼだった物が、オレのヘルメットの上についてる高性能CCDカメラ視点に切り替わる。
『ファッ!?』『外?』『おー? 海と……モノレールかコレ』『車載配信かよ』
『レートなんぼだよめっちゃ画質たけえ』『ヒマDって誰や! え、どっか事務所入ったのか?』
「へへん。そう車載。あと事務所? には所属してないよ。んじゃヒマDをちょっとだけ映すよ。はいポーズ」
「えへへ~お邪魔するよぉ~ヒマDで~す。チェリーちゃんをバックアップするからね~。みんなよろしく~」
「はい、終わり。そう、チェリーは援軍を呼んだ。だからこう言う事が出来る。おね……ヒマDと言う最強の助っ人だよ」
顔を横に座るお姉ちゃんに向けて直ぐ戻す。
お姉ちゃんが嬉しそうにピースしてるよ。
ヒマDとはすなわち、ひまわりディレクターを略してそれっぽくした呼び名だ。
『ちょっと待って。天使がおった』『変態みたいな蝶の仮面付けた銀髪ツインテがエヘ顔Wピースとか【50000円】』『また5万ニキきた!これで勝つる』『ってかチェリー様、お姉ちゃんって言いかけただろ』『隠す気なくて草』『つか髪の色一緒やんけ』『美人姉妹とか壊れるなぁ……』『目は隠れとったけど顔ほぼ見えとるやんけ!』『速報 チェリー様の素顔も美人確定』
「おね……ヒマDの事はもういい。主役はチェリーだからね。いい? あまり私を怒らせない方がいい」
『いいぞもっとイキっていけ』『イキりんぼ』『クソザコ臭』『すき』
『姉妹百合とか最高すぎひん?【1919円】』『←ホモの癖に百合好きとか壊れるなぁ』
「まあいい。今日の趣旨を説明するよ。今いるのは東京は芝浦のどこか。なんでここにいるかと言えば、カレーを食べに行ったから」
『なんか急に語り出した』『芝浦でカレーとか絶対ボ〇ディだろ』『チェリー様身バレ気を付けてね!』
『割と近所で草生える』『地方民のワイ悲しみにむせび泣く』
田町周辺はなんでも揃ってるのだ。
コメントで行先を当てられてるがその通り。
あそこのカレーは最高なのだ。つけあわせの茹でイモも。
だからいちいち気にしてらないのだよ。
「それでね。今からチェリーは
『待って、情報量多すぎる』『間違いないのは今日は一日チェリー放送が確定』『歓喜【10000円】』
『もうお姉ちゃん言うてるがな……』『隠す努力が逆で草』『バイク乗りとかしゅごい』
「そう、バイク。しかも大型。チェリーは可愛いだけの女じゃないの」
「チェリーちゃん時間が押してるから出発しよ~?」
「ごめんお姉ちゃん……」
『草』『クソザコなめくじやんけ』『確定情報 姉より優れた妹などいねえ』『声ふるえてますよ?』
『ヒマD有能』『チェリーあくしろよ』
ふふっ、姉さんとは仲良くなったが、緩い感じのくせに、時折ズバっと切り込んでくる。
多分、ずっと逆らえない気がするな……。
まあいい。とりあえずスタートだ。
ジェットタイプのヘルメット。
濃いスモークの入ったバイザーを下ろせば、仮面なしでも素顔を隠せる。
姉さんも色違いの同じ装備。
さあアクセルを開くよ。
「行くよみんな。風になろう……あ、エンストした」
『あ ほ く さ』『ドヤった結果がこれかよ』『知ってた』
『イキりんぼ』『あざといんだよこの野郎【10000円】』
『←ツンデレニキ乙』
仕方ないんだよ。元々あった883じゃなく、新車を入れたんだから。
モデルとしては排気量が約1700cc近くあるロングツーリングモデル。
前世でもあったエレクトラグライドの系列。
中古モデルだけど3千キロも走ってない美品。
艶々のブラウンとブラックのツートンで、タッチ方式のマルチオーディオがあったりする。
お姉ちゃんはサイドカーに乗車し、タンデムシート周辺はキャンプ前提で荷物の積載が楽な様に大型のキャリー加工をしてある。
車重は400kgを越える重量バイクだけど、サイドカーがある分安定感があり、コカす心配もない。
バックギア搭載モデルだしね。
たしかにコカしたら起こすの大変だろうな。
けどエンジンガードをつけたし、スタンドも足した。
キャンプをするとなると荷物もかなり積むから、荷重のバランスもあるしね。
見た目はハーレー特有の尖った感じは減るけれど、傷つけるよりはずっといい。
これを購入した理由は、別に放送のためって訳じゃ無く、ここで生きる決意をした記念かな。
価格も中古とは言え国産中型セダン程度にはしたしね。
サイドカーとか各種パーツ、その工賃とか結構かさんだもの。
だから余計に粗末には扱えないでしょ。これでつまんない事を考えずに済むかなって。
人間が生きていくのに、ある程度の柵や足かせって実は大事かも、なんてね。
お姉ちゃんもタンデムより楽だろうしさ。
なので納車してからしばらくは、お姉ちゃんを横に乗せて東京のあちこちをクルーズして馴らした。
運転自体は問題ない。快適だ。
まあ前世よりも未来だしなあここ。
型番とかモデルの形式とか知らない奴だったもの。
「~~~~~~~♪」
バイクを走らせて東京の街を出る。今日のルートは決めている。
オレの前世での死因だろう事故、その現場を通りたくないので
宇都宮で一度降りてキャンプの食材を仕入れ、また東北道で那須方面へ。
後は
現在時刻は12時過ぎ。
あまりのんびりしていられないけれど、ライブ放送をやっているから制限時速は守らないとね。
「うん、そうなんだよぉ。チェリーちゃんは絶対音感なんだけど、お唄が上手じゃないの~」
放送画面を見られないオレの耳に姉さんの間延びしたセリフが聞こえる。
どうやらオレのかわりにリスナーの相手をしているらしい。
バイクは外環を抜けて八潮を過ぎた辺り。
今日は天気も良く気温もいい感じだ。
その気持ちよさから思わず鼻歌が出てしまった。
それへの突っ込みなんだろうが、本当に不思議だ。
前世でのオレは学生の頃までは友人達とバンドをやったりして遊んでいた。
プロ志向はないが、単純に女にモテるならコレ! みたいなノリだった様に思う。
バンドブームだったしな。
それもあって楽器なんかはある程度の経験はある。
上手とは思わないが、これをやりたいと思った事は何となく演奏できる位の腕前。
例えば全部のパートを自分で担当し、それを自宅で録音する程度には出来ると言える。
そう言う意味で音楽自体は普通の人よりもある程度は身近にあったとは思う。
ある日自宅を
まあさくらの情報を把握するのに必要だったし、何より自分がさくらとして生きる場合、そもそも住んでいる家を家主である自分が把握出来ていないってのもおかしい話だし。
そしたらさくらの未練だったのか、クローゼットの奥の奥に隠す様にあったんだ。
安っぽいキーボードが。
シンセサイザーとしての機能は最低限。
拡張要素が無い、しょぼい音源のリズムマシーン機能が申し訳程度についているやつ。
見たことがあるメーカーで、おそらく1万円もしないような。
それで弾いてみたんだ。知っている曲を。
確認の意味もあった。
さくらが絶望した事故の影響とやらを。
オレがさくらとして上書きされてから、生活において不自由は感じなかった。
バイクを運転している今もそうだ。
じゃなきゃ乗っていない。
けれど鍵盤を叩くと分かった。
左手の指の反応が鈍いんだ。
それでも意識すれば動く。問題無く。
けど意識し続けないと遅れるんだ。
これはピアニストとして致命的だろう。
握力は若干弱っているにしても、普通にあるんだよな。
日常生活に一切支障がない程度には。
けどディレイがあるのだ確実に。
鍵盤における左手の役割ってのはざっくりと言うのなら伴奏、バンドにおけるベースの担当だ。
逆に右手はコードやフレーズ、主に
音楽ってのは和音と言う
そこにリズムという一定のアクセントをつけて、それを基盤に音に揺らぎを与えるとグルーヴ感と言う物が得られる。
つまり単音だけだと酷く貧相になってしまう。
なので左手が満足に動かないというのは、ことプロのソリストを目指していたなら絶望しかなかった。
彼女のブログの記録を漁ってて思ったが、リスペクトしている父親の様に世界的な演奏家になりたいと願っていた様だ。
そのストイックさがあったからこそ、彼女の喪失感や絶望は大きかった。
オレの素人感覚では理解できない、100か0で中間が無い。
だから彼女は絶望し、終わりを選んだ。
悲しいけれど。
ただやはりさくらに備わった音感って言うのは本物で。
かつてのオレの音楽経験では信じられない程に耳が良い。
オレはいわゆる耳コピというのが出来た。
いやある程度楽器をかじっていれば大概はコレをやる。
金が無いからスコアなんか買えないし、なら原曲を聞いてコピーをする。
これはバンドをするなら必ずだれもが通る道だろう。
けど学問として音楽を学んだ訳ではないオレの場合、だいたいこの音だろうという感じでギターや鍵盤で弾ける訳だ。探り探りで。
それをコードとして再現し、コピーを行う。
けれどさくらの身体の場合、きちんとCDEF……と言った音階がきっちりと判別出来ている。
なのでコピーが正確なのだ。
だからラジオで流れている曲をスコアに起こせと言われたら簡単に出来る。
実際それが面白くて、PCでムーチューブの動画を流し、そこから聞こえる音をリアルタイムでキーボードで演奏し、そのクオリティの高さに「おおおおおっ!」と手前みそに驚いていた。
その時思ったのだ。これは放送で使えないか? って。
まあ結局却下したけれど。
理由はひとつしかない。
それはさくらが致命的に歌が下手くそなのだ。
いや地声はいいんだ。鈴を鳴らした様なって言葉があるが、高めのソプラノの可愛らしい声だよ。
けど声量が無いし、抑揚があまりない。
音は完璧に取れるのに、機械的なんだよな。ボイスロイドみたいに。
ボイスロイドは人間の声をサンプリングし、マシンボイスに変換したものだ。
後はユーザーが加工し、色というか個性を出す。
けど作り物だからという前提があるから、機械的な歌声でも、そう言う物だとそれを聞く人間も理解しているからこそ満足できる。
けどオレの場合はあくまでも肉声がコレなのだ。
何度も歌ってみたけれど、なんかこうしっくりこない。
実は姉さんがやってきてからカラオケに行ったんだ。
家から少し歩いて田町界隈に行けば結構あるのだ。カラオケ店が。
そしたら姉さんが言うのだ。
さくらちゃんって本当に歌だけはダメねえって。
て、天は二物を与えないからと震え声で反逆したけどさ。
まあでも家族にも認知されるほどの音痴なんだな。
「やかましい。歌が下手でもチェリーが気持ち良ければいいの。それにチェリーには美しさがあるから関係ない」
そう、だから開き直っていきていくのだ。
これからの高科さくらはピアノでも唄でもなく、ただ楽しい事を探して生きるのだ。
というか姉さん笑い過ぎだよ。
コメントで相当突っ込まれているのだろうけど。
笑うなら声を出して笑いなって。
肩を震わせて顔を伏せるとか余計傷つくから。
そんな事を思いつつ、景色は友部JCを左に折れ、栃木方面に入っていた。
天気は良いし気分もいい。
キャンプはこれからだ。
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Black hole
すっかりと陽が暮れたキャンプ場。
アウトドアチェアーに座り、焚火とランタンの明かりに照らさるソレをカメラに向ける。
『これはひどい』『予想外すぎた』『女子力低すぎィ!』
『wwwww』『草』『あのさぁ……』『やはりポンコツだったか』
「いつから野外料理がお洒落なメニューだと錯覚していたの?」
『なん……だと……』『すごいドヤ顔だぁ……』『ヒマDと同じ変態蝶仮面でドヤ顔がより見やすくなりましたね……』『www』『隠す気ねえだろ』『だがそれがいい』
「チェリーちゃん、私もこれは予想外だよぉ……」
「一緒に買い出しに行った身内に真っ先に裏切られた」
『残当』『姉の意見が正解』『悔しいっけどそんなチェリーがしゅき』『当たり前だよなぁ?』
『そうだよ(便乗)【3000円】』
「でもお姉ちゃん、美味しいでしょう?」
「とっても美味しいよぉ……」
キャンプ場についたのは17時丁度くらいだった。
シーズンとは言え平日のど真ん中だからか、オレが予約してあったキャンプサイトの周囲に他の客はいない。
ここは那須高原に近いオートキャンプ場で、バンガローみたいにキャンプ道具が無くても宿泊できる施設もある。
土日だとかなりごった返す程の人気ポイントだ。
それにキャンピングカーがおけるスペースだと電源が来てたり。
オレらの場所もそこだ。
ライブ放送をしながらだから、電源が取れる方が便利だし。
ここは山の中腹にあるから、森のあちこちがキャンプサイトとしてぽっかりと開けている場所がいくつか点在している。
管理棟がある場所へは良い感じの小道で繋がっている感じで。
金額は一泊5000円で直火OK。
直火が使えるって結構レアだよね。
到着して直ぐにライブの昼の部は終了として一度切った。
その間にキャンプの準備をする。
前世でも結構やってたんだよなキャンプは。
仕事であちこち行くからそのついでに。
キャンプって言っても宿泊しなきゃいけないって事も無いし。
なので休みが少ない分、時間が出来ると現在地から行ける範囲のエリアでキャンプ場を探し、そこでタープを張って簡単な料理をしながら自然の中でのんびりと過ごす。
それがいい感じの息抜きになるんだよね。
なのでその経験を活かしてじゃないが、放送のネタにしてみたのだ。
道具は事前に購入してある。
大きめのタープを何種類か。
焚火台やそれ関係の道具諸々。
シートやテント、チェアーやランタン。
必要な物を最低限で、かつ安いだけの粗悪品を省いて。
金があるなら道具に妥協してはいけない。結局あとで買う羽目になるんだから。
設置したのはオレたちがいるサイトの直ぐ横の木々の間にハンモック。
太い木の間に2つ並べて張った。
一応タープも上に張っているが、これは雨対策で、降ったら直ぐに拡げられる状態にして巻いてある。
降らなきゃ星空を眺めながらそのまま寝る。
ハンモックには虫よけのメッシュがあるから蚊や山ヒルの心配もないし。
一応荷物置き件、万が一の避難場所としてテントも張ってある。
形状としてはツールームテントって奴で、四人くらいが余裕で眠れる。
これの特徴はドーム型テントとロッジ型テントの複合タイプって感じ。
寝室部分がドームで、入り口との間にリビング用の前室がついている。
なので大雨が降っても寝室部分は割と安全。
何よりだんだんと女の身体に慣れつつある今、男の様な雑な立ち居振る舞いは出来ないのだ。
具体的には着替えとか。
人の目が無いとは限らないからね。
個人的な好みだけならティピー型テントなんだけどね。
ティピー型は円錐状で、イギリスのフェスとか某有名魔法学校のファンタジー小説や映画で、箒に乗ってやる競技のワールドカップで並んでいた奴とかもそう。
元々はアメリカのネイティヴアメリカンの竪穴住居っぽいテントがモデルらしいけれど。
まあいいや。
で、テントなんかも張り終えたら後は焚火だ。
地面に穴を掘って、その周囲をその辺で拾ってきた石で囲って簡易的な竃を作る。
そこに拾ってきた枝とかで焚火を熾すんだけど、今回はキャンプ初心者の姉さんもいるので簡単にした。
具体的には管理棟で薪の束を買ってきて、ライタートーチで火点けをする。
一応姉さんにもアウトドアを満喫してほしいから、フェザースティック(※薪の先をナイフで切り込みを入れてケバ立たせた焚きつけ)を一緒に作ったりしたけどね。
焚火の面倒な部分はこの火点けなんだけど、姉さんと拾い集めた小枝を円錐状に組んで、その下に枯れた木の枝枯葉つきを置く。
あとはライタートーチを姉さんに渡してフェザースティックに火をカチリ。
じわっと燃えたら火吹き棒(※伸縮自在金属製)でフーフー。
一気に燃え上がり、小枝がパチパチと爆ぜる。
後は薪をナタで割った細いのから太いのへ順番に火の勢いに合せて投入する事で焚火は安定する。
姉さんが大はしゃぎで可愛かったな。
火傷防止に渡していた皮手袋をしたまま、満足げに額の汗を拭うと、煤でまっくろ。
二人で大笑いしちゃった。
まあ本格的なブッシュクラフターを気取るなら、薪も現地で拾い、火付けも火口を自作して火打ち石とかファイヤースターターでやったりするんだろうけどさ。
けど今回はやめた。
前世での経験はあれど、この身体ではまだないし。
それにモタついてグダるくらいなら、さっさとライターを使えばいいのだ。
まあホントはこの流れを放送にした方が面白いんだろうけれど、別に全部のプライベートを切り売りするつもりはないんだよね実は。
姉さんもこの過程は美味しいんじゃ? とか言ってたけどさ、キャンプの一番のクライマックスって個人的には焚火を作る所にあるって思うんだな。
キャンプの準備をして、現地に向かい、ベースを設営して、焚火をする。
ここまでが多分クライマックス。
後は余韻を楽しむというかさ。
なので最初のキャンプは姉さんと楽しみたかったんだな。
さくらの影響か、こんなにもオレを受け入れてくれた母さんや姉さんへ、オレ自身の関わっていきたいという気持ちが強くなった。
どうしてかはわかんないけど、正しく家族としての時間を持ちたいと思ったのは真実だ。
まあそうやってやるべきことを終わらせたのちに、ライブを再開したオレ達である。
でだ、冒頭でリスナーに呆れられていたのは、キャンプ料理として披露したのがまさかの焼き餃子だったからだ。
どうやら顔も知らぬ彼らは、お洒落な料理なんかを想像していたらしい。
けど姉さんと自分用に買った外でも使えるホットサンドメーカーで餃子を焼いてるんだな。
取っ手がついてなくて、枝とか薪をさして柄にして使うタイプの。
今回オレが料理の道具として持ってきたのは少ない。
このホットサンドメーカーと、20センチ幅くらいの鉄板。
コールマンのガスバーナーにマトリョーシカみたいに収納できるクッカー。
これくらいだ。ガスバーナーとかクッカーはコーヒーを飲んだりする目的以外に使わないし。今回は。
だからダッチオーブンとかスキレットみたいないかにも野外料理! みたいな凄い道具は無いのである。
いいのだよコレで。
キャンプなんてカッコつけなきゃいけない決まりなんかないんだし。
どこかの輸入業を営む独身貴族じゃないけどさ、キャンプは自由で救われてなきゃダメなんだよ、きっとね。
で、宇都宮で一度高速を降りて大型スーパーで買った食材は、有名餃子店のお土産用冷凍餃子(30個入り)と、ちょっと奮発した和牛ステーキ肉。あとはパンだけだ。
調味料関係は色々持ってきたけどね。100均で買った化粧水を入れる小さなプラスチック瓶に、うちのキッチンにあった豊富な調味料類を小分けにして。
でも馬鹿にした物でもないのだ。
ホットサンドメーカーは素晴らしい調理器具なのだ。
まあ蓋の様に上下に開く形状だから、閉じれば自然と蒸し状態になる。
だから焚火で熱して油を引いて隙間が開かない様にみっちりと餃子を並べて焼き、少し焦げる程度になったらミネラルウォーターをドバー!
後は蓋をして蒸気が出なくなったらお店の餃子みたいな完璧な焼き具合で完成するのだ。
ここをリスナーに見せながらやった訳だが、最初はおー! とかリアクションしてたくせに、完成後、オレが「今回の料理のほぼ全てがこれで終ったなぁ……」発言で反応が裏返った。
ポンコツを連呼するとか万死に値するよ……。
姉さんもぽかんとしているし。
「でもね、美味しいんだコレが。確かにスキレットでローストビーフでも作ればお洒落な女子感あるよ? けどそんなのTVを見れば女子アナとかタレントがキャーキャー言いながらやってるじゃん。谷間とか見せながらさ。チェリーはそれは違うと思うな。自然の中で好きな物を食べる。その方がずっと素敵だと思うな」
『こいつ胸の事気にし過ぎてね?』『チェリーは所詮、女の敗北者じゃけえ』『はぁ・・・はぁ・・・敗北者?』『←取り消せよっ!』『草』『でも同意。別にそれってチェリーじゃなくてもいい』
『少なくともこれは酷いメシテロだ』『うち今日カップメンなんだけど……』『ランタンに照らされて余計うまそう』
「胸の事は気にしていない。今後この話題に触れた奴は不幸な目に遭う」
『効いてる効いてるww』『僕はチェリー様の希少価値を信じる』『ロリコン乙』
『そうだよ。胸とかどうでもいいし【10072円】』『←くっ』『←くっ……なんて悪意のある端数』
『ランタンで浮かび上がるチェリーのジト目いいれす』
それにしても姉さんが無言だけども。
餃子はホットサンドメーカーで6個ずつ入れられた。
これでパンパン。
でもね、オレ、既に4回焼いてんだ。
それが無言の理由。
「ひぇりーひゃん、これおいひぃねぇ……」
「………………うん」
『いっぱい食べるきみがしゅきいいいいいい』『姉のキャラ属性大杉』『可愛いからタチわるい』
『頬袋パンパンのリスかよ』『はらぺこヒロインとか壊れるなぁ……』『せやな【30000円】』
黙々と食べてる姉さん。
リスナーも困惑するほどに食べてる。
きちんと噛んでるけどとにかくペースがはやい。
思わず見ちゃうね……。
ちなみにオレは、3個でお腹がきつくなってきた。
夜だしキャンプだしお酒でもと、芋焼酎のタンサン割りを飲んでるから余計に膨満感があるし。
だってこの餃子、1個がけっこう大きいんだよ?
まあね、前に五反田のステーキハウスに行った時、「結構歩いたからお腹ペコペコだよぉ~」と言いながら、姉さんはライス大盛のステーキセット(※300グラムサーロイン)を完食してたからね。
その頃から薄々大食いキャラではと疑ってはいた。
普段の食事にでも大きい茶碗でご飯3杯は食べるし……。
一体どこに消えてるのか。
そうして餃子が売り切れた頃に、
「せ、せっかくだし奮発して高級ステーキ肉買ってきたけど……お姉ちゃん食べる……?」
「うんっ、お肉だいすきぃ~」
「じゃ、じゃあ焼くね……」
『うわぁ……』『チェリーが出した肉、結構でかくね?』『満面の笑み!』『対してチェリーの真顔』
『チェリー声震えとるぞ……』『すげえ』『ごめん見てて満腹になったんじゃが』『←ワイも……』
そうしてキャンプ放送は意外と好評のうちに終った。
姉さんのサポートのおかげだけど。
……完全にチェリーを喰う程の強烈なキャラだったし。
ただ放送後に姉さんとハンモックで寝て、夜空を見ながら語りあっていたのに、これじゃスキンシップが足りないと言う理屈で、結局はテント泊になった事が恨めしい。
もっとさ、ほら。
綺麗な星空、見ようよ姉さん……。
ホントそういうとこだよ、お姉ちゃん。
可愛いけれど。
ちくしょうめ。
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Everyday life ①
【祝・脱社畜】からのニートwwww
1 孤独の名無し
せやからごっつ暇なんや
こんなワイに本スレよりもぬるくとっつきやすい生配信者のオススメ教えてくれや
2 孤独の名無し
1>>
しょうもないスレたてんなや
まま、ええけど
3 孤独の名無し
>>1 乙
最近マンネリやし逆にオススメ知りたいわ
4 孤独の名無し
そんなんにじ王のトップ5までチェックしとけばええんちゃう?
初心者にゃ無難やろ
5 孤独の名無し
1やけど大手は嫌やねんワイコミュ障の陰キャやからな
陽の者がキャッキャしているのとか無理
6 孤独の名無し
わかる
ノリについていかれへん
7 孤独の名無し
>>4
あいつら最近拝金がみえみえ過ぎてすかんわ
8 孤独の名無し
>>7
わかる
9 孤独の名無し
どこも最近は投銭前提みたいな感じだもんな
10 孤独の名無し
どうせ金投げるんなら幼女がええわ
11 孤独の名無し
>>10
もしもしポリスメン?
12 孤独の名無し
逆にBBAが好きな剛の者とかおるん?
13 孤独の名無し
おらんやろうなぁ……
14 孤独の名無し
おっそうだ(唐突)ええのおったわ
15 孤独の名無し
>>15
はよ はよ
16 孤独の名無し
まだライバーデビューして3か月くらいなんやけど名前は【チェリー】個人チャンネルで雑談メインでなんか顔半分隠れるマスクしてるんだけど素顔はほぼ見えてるんや
銀髪美少女やな
17 孤独の名無し
>>16
ガタッ
18 孤独の名無し
>>16
ふーん、顔だしとか勇気あるな kwsk
19 孤独の名無し
何故かちゃぶだいの前に座ってんだ 抑揚のない声でなーんも考えてないまま雑談
そんでおっ〇いみたいなアイスあるやろ?あれ黙々と喰ってんだよな
そん時はまだ100人もいるかいないかくらいのリスナーがいたっけな
でっかいアイスをちっちゃい口で半分くらいまるのみしてドヤ顔しながらこうすればエロくないって言うんだけど、溶けたアイスが垂れて逆にエロくなってんの それに逆切れして放送終了
20 孤独の名無し
草
21 孤独の名無し
草草の草
22 孤独の名無し
ほーん で、ガチで美少女なん?
23 孤独の名無し
多分ガチ中のガチ。見えてるパーツだけで相当なレベル
なんか体型はモデル系の細くて整っている感じなんやけど胸はぺったんこでな
それを必死に気にしていないアピールしてて草不可避
24 孤独の名無し
なにそれ見たい 無知っ娘とか最高やんけ
25 孤独の名無し
とりあえずしばらく追っかけるつもり推すかはまだわからん
一応週一ペースでやっててジワジワ登録者増えてるけど本人は宣伝とか全然しないんだよな
26 孤独の名無し
ワイもちょっと見たいわ
27 孤独の名無し
ほなチャンネルのURLだけ張っとくわ
http://【URL省略】
28 孤独の名無し
>>27
有能 行ってくる
29 孤独の名無し
お前らも気にいったら登録したってや!
30 孤独の名無し
おk
☆☆☆☆☆☆☆☆
「うーん、なんか思ったより凄いよ反応」
「そうなの? わかんないからその辺は姉さんに任せるよ」
「さくらちゃんってスイッチがオフの時はほんとダウナーだねえ……」
「やー、なんか別人みたいで楽しいとは思うよ? けどやっぱり他人事にも思えてさ」
キャンプ放送から帰ってきたオレ達は部屋でゴロゴロしていた。
今のところ配信も週一でしかやってないしさ。
なのでキッチンでごそごそしているオレ。
リビングでは今や姉さんの物となりつつあるPCを見ながら配信の反響を教えてくれる姉さん。
しかし姉さんの観光熱も落ち着いた様で良かった。
しばらくはのんびりしたいってさ。
でも放送は盛り上がったけど結構疲れたよやっぱり。
運転しながらでも、どうしても配信が気になるしね。
意識していないつもりだったけど。
配信はやってる本人としての面白さはあっても、何というか私生活を切り売りしているのは間違いなくてさ。
トイッターとかでの告知とか、なんか支援絵って言うのかな。
チェリーをイメージした絵を描いてくれる。
そんなのを毎日送ってくれる熱心なリスナーが増えた。
まあ絵描きさんがチェリーの絵を描いてくれた奴をリツイートしたりとかは、姉さんが全部やってくれているけれど。
そういう宣伝になる事もディレクターとしての仕事! って姉さんはノリノリだったり。
まあスマホに見られて困る物は何も無いからね。
パスコードも全部0のままだし。
指紋認証もかけてない。
だからこまごまとした仕事はスマホごと姉さんにパスしてるんだ。
だからオレはいまいちと言うか全然? リスナーからのレスポンスがどの程度かって実感はない。
というか見たくないってのが本音かなあ?
放送中の自分は100%作ってるからね。
いや思わず素になる瞬間はあるけれど、それは自分を一人称で呼ぶ天然女と言うキャラからスタートしてる訳で、その中で慌てたりしても、結局はキャラの中でのブレでしかない気がするんだ。
でも姉さんが確認している限り、あのキャンプ放送中も、匿名掲示板で色々拡散されたみたいでさ。
その後にチャンネル登録者数が一気に2千人くらい増えたってさ。
ネットってすごいなあ……前世では便利なツール程度にしか使ってなかったしびっくりだ。
そのリスナーが常駐しているらしい匿名掲示板でチェリーの事を布教するから、放送主としてはペースはスローなのに、今もチャンネル登録者は増えているようだ。
姉さん曰く、このままだとあと一か月もあれば2万人くらいまでは行くだろうってさ。
ピンと来ないけど、それってやっぱ凄いとは思う。
例えばプロのミュージシャンのライブに行くとする。
地方都市の市民会館的な箱でやってさ。チケットはソールドアウト。
会場は凄い人で埋め尽くされている。
それでも1500人とかがいいとこだもの。
ライブ中は爆音と人の振動で見た目以上に多く感じる。
けどやっぱ1500人キャパとかなんだよ。
アリーナやドームとかは別だけどさ、けどそこまで大きい箱ばかりを年に20本とか出来ないでしょ。
まあそう考えると、たかが個人に数千人の人間がブックマークしているって凄い。
キャンプ放送でも最高で4000人くらいの視聴者がいたとか。
平均すると3000人くらいだったらしいけど、それでも凄いや。
まあでもどんどん自分がさくらって女なのだと馴染んでいる感じはする。
勿論それは性別が女性だという部分すべてが受け入れられるとは思えないけれど。
ただ母と姉と言う家族がいて、今の自分の状態がこうなんだ、みたいなスタンダードは出来つつある。
結局は姉さんの存在が大きいんだろうな。
気が付くと甘えてるもの。
寄りかかれる身内がいるって本当に心強いんだなって思う。
前世のオレはそんな事を考えたことも無いのに。
しかし怖いと言えば投銭システムだなあ。
キャンプの日だけで50万以上行ったってさ。
頭おかしいよな。平均的なサラリーマンの月収の倍近く。
悩ましい話だよホント。
「よっし出来た。姉さんお茶とスプーンの準備よろしく」
「わーいっさくらちゃんのごはんっ!」
と言いつつ料理は完成。
元々自炊は得意だしね。
今日のメニューはチャーハンとスープ。
簡単だけど間違いないメニューだね。
炒飯は白いシンプルなソーサーにお茶碗に詰めてクルっとひっくり返してドーム型にして盛りつけた。
具はシャケ。ほんとは塩鮭をきちんと焼いたのがいいけれど、無いのでコンビニ産のフレーク。
それでも馬鹿にしたものでもない。
スープもコンビニに申し訳程度にある冷蔵食品売り場に売っていた水菜をいれた。
顆粒の中華スープをベースにごま油と塩胡椒で味付け。隠し味に醤油を何滴か。
後はとき卵をふわーっとね。
姉さんは我慢できないとばかりに「頂きますっ!」と手を合わせると凄い勢いで食べ始めた。
やっぱこの人結構食べるんだよね。痩せの大食いって奴かな?
でも一緒にお風呂に入ったりして食後の姉さんのお腹を見たりもしたけど、別にぽっこりと膨らむでもなくて綺麗な物だ。
じゃあどこに消えてるんだろう?
逆にオレは胃が小さいのかあんまり食べられない。
キャンプの時の餃子もオレは最終的に6個ほど食べて苦しくなり、残りは姉さんが全部食べた。
あの後ね、同じく宇都宮で購入した”とちぎ和牛”のステーキもあったんだよ。
奮発してさ。300グラムで6千円もしたの。
結局オレ、かなり小さく切った奴を2切れ食べた所でギブアップ。餃子の段階でレッドゾーン行ってたし。
それも姉さんがペロリ。
「姉さん、おいしい?」
無言の姉さんに問いかけると、両頬をパンパンに膨らませて凄い頷いてる。
時折姉さんの愛らしさに大声を出したくなるな。
それに作った料理を美味しいって言ってくれる相手がいるって、とても素敵な事だと改めて思う。
前世のオレの趣味がキャンプだった理由は、他人から逃れたいってのが一番だった。
キャンプサイトがある場所って言うのは、おおむね人里から結構な距離にある場所が多い。
もちろん周囲に別の客もいるんだろうけれど、収容キャパの大きいメジャーなキャンプ場ならいざ知らず、オレが行くような地方のキャンプ場ってのは、そこにくる客も色々わかっているからな。
一口にキャンプと言っても、その形態には大まかに2つに分けられると思う。
ひとつは仲のいい友人とか、家族とかで行くグループキャンプ。
逆に一人気ままに行くのがソロキャンプ。
まあソロキャンの中でも自然信仰というか、出来るだけ野外の環境をそのまま利用したキャンプをするブッシュクラフトなる派生もあるけど。
前者はまあ、皆でキャッキャと騒ぎたいのがメインだろう。
だから場所もメジャーで便利な所を選びがちだ。
集団だしトイレや炊事が楽な方が煩わしくないもんね。
後者の場合は他人に依存をしない。
例えば複数人で行ったとしても、それぞれがキャンプを設営し、焚火もそれぞれがおこす。
料理も別で、ただ同じ空間にいるだけ。
だから気が楽で、愛好家も多いんだろう。
なら一緒に行く意味はあるのかと言えば、どうだろう?
あると言えばあるし、ないと言えばない。
要はそれぞれがキャンプをしたいから行くのだけど、ただそれだけなんだな。
オレはこのパターンで言うと後者のほう。
山とか自然の中での暗黙的なルールに則り、その中で自分なりに時間を過ごす。
これはある種、人の少ない野外に引き篭もっているとも言える。
外に出かけているから健全ではある。
けど実際は、仕事なんかで煩わしさを感じている他人との会話を廃除したいのだ。
別に凝った料理なんかもしない。
クッカーで湯を沸かしてカップメンを啜ったりとか、レトルト食品をお湯で戻し、それを肴に酒を飲んだり。
ランタンの灯りの下、買ったはいいけど忙しくて読んでいない新刊を開いたり。
でも結局、読みきる事はできず、気が付けば眠っている。
木々のざわめきとか、風の音とか。
都会にはない雑音も多いのだけど、それが眠気を誘う子守歌になるんだな。
つまりオレにとってのキャンプというのはそう言う物でしか無かった。
慢性的に疲れを抱えた社会人の現実逃避の手段と言う意味で。
料理にしてもそうだ。
凝るのはそれに没頭できる時間はすごく無心になれるからだ。
プロの料理人が作る様な手順でカレーを作ってみたりとか。
仕事に縛られて生きていると、何もない時間なのに気が付くと色々考えてたりする。
だから休んだ気がせず、それが慢性的な倦怠感をうむんだろうな。
けどまあ料理を作った所で、結局それは一人で喰う訳で。
半日かけて作ったのに、食べる時はもそもそと侘しく食うだけ。
でも今は目の前で姉さんが美味しそうに食べている。
反応を求めれば、義務的じゃない返事が返ってくる。
これは地味に感動をした。
「さくらちゃん?」
「…………ん?」
「食べないの?」
「あっ、うん。……食べるよ」
気が付くと思考に溺れているな。
不思議そうな表情で姉さんが見ている。
慌ててスプーンで炒飯を掬うと、姉さんがオレの手を掴んだ。
「さくらちゃん、焦らなくてもいいんだよ」
姉さんは静かに微笑んで、そう言った。
見透かされた気がして慌ててしまう。
背中に変な汗が流れて来た。
「あ、焦ってはいないけれど、その……」
何か言わなければ、そうは思う。
けど何も出てこない。
さくらとなって今日まで、目まぐるしい状況の変化があった。
その中で少しずつ折り合いをつけ、自分の中ではこの状況をどうにか生きる決意はした。
そこに母や姉さんが登場し、受け入れてくれた、そう思っていた。
けど、罪悪感は消えていない。
日々、何か楽しいと感じるたびに、その思いが蝕んでくる。
さくらは死んでいるのに、オレが楽しんでいいのだろうか?
ポジティブに生きようと思っているのに、ある一線から先に踏み出すのが怖い。
「さくらちゃんがどこか変わった事は理解しているよ。それはお母さんもそうだよ。でもね? さくらちゃんがどうであれ、私達はそんなさくらちゃんが大好きなんだ」
「姉さん……」
「昔はお姉ちゃんって呼んでくれてたでしょ? ふふっ、なんだかさくらちゃんが大人になったみたいで、私、寂しいなぁ……」
気が付けば姉さんに抱きしめられていた。
どうやらオレは震えていたらしい。
そんなオレに、母親が子供にする様に背中を撫でてくれる姉さん。
心音にシンクロするように、背中を小さな掌でノックされる。
気が付けばオレの視界はにじみ、涙がボロボロと零れていた。
声をあげて、それこそ子供みたいに嗚咽する。
ねえさくら、人前で泣くって思ったよりも悪か無いんだね。
君の家族を奪ったみたいで嫌だけれど。
でも今は許してほしい。
こうやって縋りついてると、とても安心できるんだ。
その後のオレはどうしたのか、いまいち覚えていない。
それ程に情緒不安定だったのだろう。
ただ翌日、ベッドで姉さんの胸に顔を埋めて眠っていた。
気持ちはまた少し整理出来た様な気がした。
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Everyday life ②
「……うわ、すごい」
マンションの傍にあるコンビニのATM。
お財布に少し現金を入れとかなきゃとまずは残高照会をすると、あり得ない金額が振り込まれていた。
思わず後ろに視線を向ける。
誰かが覗き込んでたら怖いと思って。
そんな事はなかったけれど。
慌てたにしても挙動不審すぎたかな。
ムーツベの収益化の際の振込口座は、さくらが使っていなかった通帳を見つけてそれにした。
都市銀行だし、支店も近所にあるからね。
理由はまあ、保険金の振り込みがあった口座をメインバンクにしていたんだろうけれど、カードの引き落とし口座にもなっているから、何となく。
一緒にしたら面倒かなあって。
姉さんのアドバイスもあり、税金関係でわかり易くするためもあるけど。
いまどきネットでの金銭トラブルもそれほどは無いだろうけれど、予防のためにも気をつけなきゃだし。
一応はムーツベに登録しているメールアドレスに収益金の振り込みがあったとの通知を見てはいた。
急いでいたからきちんと見てないけれど、多分金額も記載されていたんだろう。
で、実際の口座残高は100万を越えている。
端数もかなりあるから、ムーツベ側の細かい計算式みたいなのがあるんだろうね。
その結果コンビニで何かを買うつもりだったのにそれも忘れ、オレは品川駅付近にあるホテルのラウンジカフェに駆け込んだ。地味だけど慌てたんだ。
そしてスマホから銀行の取引詳細を閲覧した。
なるほど、サイト側の手数料が10%程度差し引かれるも、ほとんどが手元に来るみたいだ。
リスナーによるいわゆる投銭が収益の大部分だけど、30%くらいが動画関連の広告収入らしい。
あまり意識しなかったけれど、姉さんが今までの生配信のタイムシフトが残っている奴を編集して、動画として残しているから、そっちの再生数も平均で20万ほど行ってるそうな。
その動画に最低限挟んであるCMの金額が結構大きいみたい。
その仕掛け人である姉さんと言えば、長い休暇も終って帰っていった。
こっちに住む! とか騒いでいたけれど、大学を辞める訳にいかないからね。
崎陽軒のシウマイ弁当を3つ買って新幹線に消えていった。オレはシウマイよりタケノコの煮付けが好きだけども。
まあ相変わらずの胃袋である。
「でもなあ。お金貰っても仕方ないんだよね」
空になったコーヒーカップを突きながら呟く。
周囲に人がいないからね。
オフィス街と言えど、週の真ん中の午前10時だもの。
まばらに客はいるけれど、ほとんどは喫煙エリアに偏ってら。
ほんと喫煙者には世知辛すぎる世の中だよねえ。
昔は喫煙者だったから尚更そう思うけれど。
確かに他人の煙草の匂いとかは喫煙者当人でも嫌な物だ。
まして今の自分は女だし、髪や服に臭いはつけたくない。
恋の相手の性別がどうであれ、事実オレは女なのだ。
歯が黄色くてヤニ臭い女とか駄目でしょ。
そうだとしても、喫煙者だけ締め付けられるのは可哀想だとは思う。
煙草の税金も多いんだしね。
煙草が健康に害のある嗜好品だから高額の税がかけられる、というのが表向きの理由だ。
なら食品添加物と凄まじい糖分だらけのスナック菓子類や清涼飲料水だって一緒だよね。
我ながらひねくれた考えだとは思うけれど。
けど世界はヘルシーな日本食ブームになっているのに、当の日本人は肥満体質だらけでしょ。
それって高カロリーな食事や間食に慢性的な運動不足が原因なわけで。
ほーら政府の偉い人、どんどんお菓子やチョコ、ジュースに税金かけなさいな。
「ふふっ……あ、ごめんなさい。ブレンドおかわりください」
「かしこまりましたっ」
駄目だ。
間抜けな含み笑いが漏れてしまう。
横に可愛らしい制服の店員さんがいて見られちゃったよ。
慌てて追加オーダー。気を付けねば。
というか含み笑いの声がモロに女の子しているから、少し遅れて自分の声だって気が付く。
こういうのを思うと、まだ完全にアジャストしてないんだなあと実感。
笑ってしまったのは、オレにもひどいブーメランが思いっきり刺さってるなって思ってね。
口座に金があるから仕事もせずブラブラしているんだもの今のオレ。
それも事故の保険金というね。
なら怠惰に生きればオレも肥満になりそうだし気を付けないと。
さくらボディはかなり小食だけど、身体を動かさないでいると増えちゃうと思うしね。
まあ一応毎日の日課の様に、けっこうな距離を散歩しているからいいのだ。
食材を買うのはおもに品川イ○ンタウンで、そこまで歩いてるんだからね。
数キロはあるでしょ。充分だよ。帰りはタクシーのっちゃうけど。
バイクはキャンプにつかったおっきいのと、元々あった883のスポーツスター。
どっちも買い物には向かないから使ってない。
なので徒歩が多くなっちゃうんだよな。
しかし収益ねえ。
これからも振り込まれる分も思えば、金額自体はキャンプの前に買ったバイクの価格に届くくらいにはなるだろう。
けどこれを自分の収入と言い切って使うのは気が引ける。
いや悪い事とは思わないけどさ。
だってムーチューバーとか言われている、これを生業としている人もいるんだ。
そう言う人は動画なんか毎日あげたりとかしてる。
自分で放送をしてみて思ったんだ、これ毎日はやりたくないってさ。
それは自分を切り売りする事へのストレスとかじゃなくてね。
単純に面倒臭いんだよ。
何がって放送をしながらそれを管理するあれやこれ。
姉さんがいる時はいいんだけどさ、1人でやるとなると、例えば放送に音ズレみたいなラグが起こったりとか、チャット欄を荒らす人が出たりとか、リアルタイムで対処しなきゃいけない事も実際多い。
けどオレ自身、PCは仕事で長年使っていたからそれなりに使えるけれど、放送の為の機材とかアプリなんかは、有志の作ったWIKIとか見ながらじゃないと対処できないからね。
自慢げに言う事でもないけれど。
なのでイレギュラーが起きたら無理って言って番組を切るしかない。
実際姉さんが帰ってから5,6回の放送をしたんだけど、2回くらいトラブルが解決できなくてやめた。
オレは見ないけど、姉さんがラインで教えてくれる掲示板でのリスナー達からの反応を聞く限り、その素人っぽさがいいのだと肯定的には見られているけれどさ。
だからマメに、能動的にやっている人たちと比べ、圧倒的な片手間感のあるオレが大金を貰うって事に気が引けるのである。
いやこれが当然とか思っちゃ駄目だよ。
なんか人として終わる気がする。
オレが古臭い考えにとらわれているにしてもだ。
なんとなく面白がってるだけのチェリーに対し、多額の金が投げられたとしても、人は慣れると飽きるからね。
コメントでは一生推しますなんてよく見るけれど、それはまあノリって奴だろうし。
それを真に受けたらアウトだ。
まあそんな訳で、いつまでライブ配信をするかは決めていないにしても、やるからにはこっちもスキルアップしないと駄目だなあと。
それゆえに面倒臭い、なんだ。
今やお金を払われる側になってる以上、来てくれている時間の間、リスナーと向き合う必要があるというか。
そりゃね。
今のオレの容姿は、手前みそな感想を差っ引いても普通以上に整っているだろうさ。
それを見て男性的な欲望を持つリスナーだって多いんだろう。
言ってしまえば小さな世界のセックスシンボル的な。
モンローやマドンナとは規模がアレだけどさ。
けど元男性だからこそ、その感覚はわかる。
若い時は週刊誌の袋とじのグラビアアイドル、その然して際どくも無い水着でもムラムラできた経験もあるし。
でも何というか、それは上手くいなせるんだな。
モロに向けられているのを感じてはいても。
だって今のオレ、多分だけど感覚的にはオンラインゲームで性別を偽ったネカマみたいなもんでしょ。
いや語弊はあるけれど、イメージ的に。
体も服装も間違いなく女だけど、精神はどう足掻いても男って言うね。
だから一歩引いて自分を見ていられるというかさ?
けど身体に馴染むたびに、口調も全部女に寄って行っている。
思考の中での一人称は、意識してオレと言うけれど。
それは流されてどうにかなるのが嫌だという最後の抵抗みたいなモンだ。
何というか、元のオレ、その人格が消えるみたいで寂しい。
怖いと言ってもいいかもな。
それはそれとして、この収益はいずれリスナーに還元する為に使おうと思う。
なんか法律とかで現金とか電子マネーとかを直接プレゼントするのは駄目らしい。
だったら放送のクオリティをあげるための機材とかに使えばいいかなと。
その結果どうなるかは知らないけれど、やってみる価値はあるかなって思う。
とりあえず姉さんに相談してみよう。
【さくら】姉さんそうだんがある
【ひまわり】なに? なんでも言って
スマホでアプリを開いてテキストを打ち込む。
すると20秒くらいで既読どころかレスがあった。
姉さん、早すぎてびっくりだよ……。
大学にいるんだよね?!
☆☆☆☆☆☆☆☆
収益の使い方について姉さんと相談して決めたのは、周辺機材のグレードアップをしようという事。
放送用PCは、さらに高スペックなやつを導入する。
キャンプ放送で反省点のあったカメラ関係を充実させる。
有線・無線、どっちも対応できる高性能マイクの導入。
ざっくりとこんなところか。
細かい理由としては――
チェリーのチャンネルの今後の方針については、ツーリングとかキャンプ放送の評判的に、姉さんは野外放送をオレのメインにすればいいのではとの事。
その為にはやはりカメラは複数ある方がいい。
高感度で夜でも映像をストレスなく撮れる物とか、防水面とか。
そうなると当然、それに付随した理由でマイクだねってことになる。
後は姉さんがいる時限定とつよく念をおされたけれど、リスナーが喜びそうという理由で、バイノーラルに対応したマイクとか。
詳しくは知らないが、ステレオ放送の凄いやつとかで、マイクを中心として音声が飛んで来た状態を正確にとる事が出来るとか。
つまりまるで自分の耳元近くで誰かがささやいているみたいな臨場感を得られるとか。
それだけ聞けばオレでもわかる。
エロ目的だろそれ。
まあ理解できなくもないけれど。
PCを新調すべきと言うのは単純に、OSがWIN系の方が色々なアプリを使えるかららしい。
なので今のマックブックはサブPCとして使うといいよってさ。
あとは保険としてWIFIタイプのタブレットも買うといいと。
一応今後の配信とかは、姉さんにディレクター目線でアドバイスをもらうってことにした。
その方が間違いないだろうし。
自分でもリスナーにストレスがかからないようにスキルアップはしなきゃいけないにしても。
ま、そんな感じかなあと思いつつ、もう一杯コーヒーをおかわりした。
結局最初はラインアプリでのテキスト会話だったのに、気が付けば音声会話になってて笑っちゃった。
姉さんは大学でランチ中だったらしいけれど、友人だろうか?
漏れてくる声が「誰? 彼氏?」とかいかにも女子トークって感じだったし。
なんだか微笑ましいとか思いつつも、姉さんが「ま、そんなとこかな?」とかドヤってるのが聞こえ、この姉はもう駄目かもしれないとか密かに思ったり。
そんな感じで、いつの間にか、カメラの向こうの顔も知らない大勢とのコミュニケーションを待ち遠しく思っている自分に気が付き、軽い驚きを感じたオレである。
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Take the first step
相変わらずのムーチューバーの日々。
機材も随分と充実し、オレ自身も放送に関わる操作や対処についてもスキルアップした。
まあそれは、週末になるとやってくる通い妻ムーブの姉のおかげ。
ひまわり姉さん。
もううちの部屋には彼女の荷物がいっぱい……というよりもほぼ同居状態かも。
それくらいの頻度でやってくる。
姉さんは地元の国立大、そこの大学院に所属しているけれど、それとは別に仕事もしている。
まあ資産家の家の子は別だけど、普通は仕事をしないと生活が出来ないからね。
けどその仕事の契約が年明けの3月に切れるという。
ついでに言うとドクターコースには進まないと決めているのもあって、来春からは姉さんもここに住むそうな。
お母さんとは最近よく電話で話をする様になったんだけど、一応それでお母さんは寂しくないの? と聞けば、意外とそうでも無かった。
母さんは母さんでスタジオを経営しているしね。
高科の本家からは距離を置いているうちは、本家がどれだけ資産家でも恩恵はない。
それ込みで母さんは家を継ぐことを放棄したからね。
それとは別に母さん自身商才があるんだよねえ。
元々は既に他界しているお父さんが地元にいる時にリハーサルをしやすい様にと、当時は財力があったから作ったと言うスタジオ。
父さんのミュージシャンとしての浮世離れした人柄に惚れたのもあり、当然それに感化されている母さんは、名古屋市にいるインディーズバンドとかを後押しする様なポジションに収まったらしい。
それなりに最新の設備が整ったスタジオで、部屋数も結構ある。
なのにレンタル料はびっくりする程に割と安い。
学生やプロデビューしていないバンドはお金がないからね。もちろん慈善事業じゃないから、一般客にはそれなりの金額を取る。
そりゃ人も集まるよ。
何というか名古屋って土地自体が意外とミュージシャン多いしね。
そう言う土壌なのかもしれない。
前世でも有名なバンドやミュージシャンも結構いたしなあ。
なので母さんは母さんなりに自分の人生を楽しんでいるそうで、気にしなくても良いってさ。
で、姉さんが本格的に住むのは、オレの放送とか動画とかを本格的に自分の仕事としてやりたいからだって。
実際オレが放送をやり始めて1年近くにもなるけれど、密かにチャンネル登録者が10万人を越えたんだ。
何が楽しくて見に来ているかは理解できないけれど。
それでも目に見える成果だから素直に嬉しい。
そうなると収益の方が割と無視できない規模になっている。
当然上には上がいるけどさ。
だって100万再生もざらで、中には数百万再生にも届いたりも。
それにチャンネル登録者も100万人越えとか。
そう言う有名どころもかなりいるんだな。
けど個人チャンネルとしてはそれなりに勢いがあるようで。
実際チェリーとしてのアカウントで立ち上げたトイッターのDMで、かなり大手の事務所からうちに参加しないかとか、面倒事も含めてマネージメントするので、みたいなオファーが結構きてる。
オレはそれを毎回丁寧に断っているんだけど、それでもかなり煩わしくなってきた程だ。
面倒な部分を丸投げできる利点は理解しているけどさ、なんかこう、せっかくだし自分のペースでやりたいからね。
商業ベースになるなら、当然ノルマを課せられたり、やりたくもない企画をしなきゃダメだったり。
そういう”やらされてる”って感じは、多分オレには合わない。
姉さん的にもあと数か月もしないで20万人は行くと思うって言う。
そうなると大手からすると美味しいって事になるらしい。
けどオレ的にはそこまでやっちゃうとなんか違うというか。
その思いが強いんだ。
何というか、これを仕事と言うにはオレの中の根拠が足りないんだな。
かつての勤め人のメンタルが邪魔をするというか。大概古くさい感覚だと理解はしているけれど。
なにより、オレがワタシとして生きるための大いなるリハビリだからなあ。
さくらと言う自分であることはもう覚悟を決めている。
足りないところは山ほどあるけれど。
けどやっぱ、ふとした瞬間に自分を俯瞰して見ている自分に気が付く。
それって普通はあり得ない事だ。
自分を客観視なんて言葉があるけど、それは理想であって、基本的にはそれが出来ないから、人は苦悩したり後悔したりするわけで。
なのでその俯瞰した様な感覚がなくなるまでは、きっとオレは家族や、そしてリスナーを頼っているという気持ちを持ち続けていくんだろうと思う。
だからなおさら、この配信とかを商業染みた感じにしたくないんだ。
そこで姉さんが言うのだ。
だったら私たちで仕切って、きちんと収益を前提としたチャンネルにしちゃおう。リスナーを思うならなおさら、中途半端じゃない方がいいって。
もちろんさくらちゃん、つまりオレが辞めたくなったらいつでも辞めても良いと。
ただ登録者の膨れ上がったチャンネル自体に価値があるから、姉さんが学んで来た事を活かす事も出来るしって。
なのでオレはオレのペースでやるとして、姉さんは姉さんとしての向き合い方で自分の力をチャンネル運営で試してみたいと。
まあそう言ってる時点で姉さんの中では決定事項なのだろう。
職業として姉さんはやりたいのだ。
週末に来た時に増えていく荷物もそうだし、何というか物腰はゆるふわ女子の癖に、芯の部分は猪突猛進系女子なんだなあ。
でも本質は、そこをきっかけにオレというワタシとの関係を作っていきたいんだと思う。
それはオレも大歓迎さ。
それにしても姉さんのパワーに流されつつあるオレ自身、実は結構いまの生活が嫌いじゃない。
ふと高科さくらとオレというパーソナルのギャップについて未だに悩む事も無くはない。
これからもやっぱり、どこかしらで鬱になったりするだろう。
けど先人が言う「住めば都」とか「朱に交われば赤くなる」ってのは言い得て妙というか。
女性としての立ち居振る舞いとか、所作とか。
それこそランジェリーやコスメとか。
そう言う普段自分がしなければならない事を無意識にやる様になっている。
やらないと生きていけないからね。
そうなるともう、コレはそう言う物かと達観したというか。
女性として振舞っていて、その自然さに後ほど気付くみたいな。
なのでオレはもう自分の性別は男ではなく、正しく女である自分を認めているのだ、きっと。
まあそれは、これまでの間にいくつか深刻なやらかしをしてしまい、その経験が生きたって事かも。
具体的にはナンパをされた。
これはかなり衝撃的な出来事だった。
オレは普段、出歩く場所はある程度決まっている。
品川区とか港区界隈。
後は神奈川というか横浜から鎌倉を経て江の島あたりまでとか。
前者は生活圏として。
後者は気晴らしのツーリングコースとして。
江の島ってのはテレビのニュースとか、朝の情報番組でよく景色が映るけど、自分で行くと結構楽しいんだ。
下の方には色々お店もあるし、上の方には遊歩道で繋がっているから散歩するにも長さ的に丁度いい。景色もいいしね。
のんびり歩けば大量にいる野良猫とも戯れられたりもする。
鎌倉の中心街とか横浜市内は、そのついでにご飯を食べる場所ってイメージ。
で、問題は。
姉さんがいない時にソロで行ったんだけど、帰りに横浜駅のすぐそばにあるレストランに寄ったときのことだ。
まあ小汚い洋食屋とも言うけれど、前世でも通った店に似た佇まいで、メニューも似ていた。
だから一人でこの辺をうろうろする時には寄る事が多い。
オレはもともと、あちこち新規の店を開拓するよりは、気に入った店のリピーターになる事が好きだしね。
けどその時は丁度混雑していて、行ったはいいけどちょっと行列になっていた。
まあ並ぶよね。
洋食屋だから回転も早いし、待つと言ってもたかが知れている。
実際30分もしないで呼ばれるでしょ。
オレの前には20人くらいいたかな?
サラリーマンが結構多くて。
オレの後ろには10人くらい。
なので待つ間は退屈だと、スマホに入れておいた音楽をイヤホンで聞いていた。
前世では存在しなかったけど、こっちで開拓した中々良いアーティストとかの曲を集めたりしてるからね。
そういう意味ではとても新鮮だね。
そんな時に、肩をトントンと叩かれた。
振り向くと大学生くらいの男の子が二人連れで何かを言っている。
オレは結構な大音量で音楽を聞くから、全く何を言っているかはわからない。
ちなみに知らない男性を、ごく自然に男の子呼ばわりしているのも女に慣れた感あるな。
で、見た目は若干ちゃらい感じで、モラトリアムを全力で楽しんでます! って感じに見える。
オレは何となく会釈をして前を向く。
前の人との間に少し距離があったし、前が進んでいますよって教える意味かと思ったんだ。
なのでそそくさと前に進みつつ。
そしたら直ぐにまた肩を叩かれた。
今度は片耳を外して聞いてみると、お姉さん可愛いねとか言う。
あ、これナンパかとそこで漸く理解した。
そんな時ってどう返すのが正解なんだろう?
相手の男の子が好みだとか以前に、その手の気持ちは沸き立つ事も無いわけで。
瞬間、心の中でおろおろしてきた。
なので無難に”ありがとうございます”と返し、またイヤホンを装着。
けれどまた肩を叩かれる。
しつこい。イライラしてきた。
もう一度顔を向けると、食事を一緒の席にしない? とか言う。
なのでランチは独りで食べたいので遠慮しますと返しイヤホンを、って所で手首を掴まれる。
反射的に手を引いたんだけど、思ったよりもガッチリと掴まれていて離れない。
瞬間、とても怖くなった。
そこで本当の意味で理解したんだな。
精神がいくら男のつもりでも、肉体強度というか身体能力は女の物でしかないってさ。
昔なら何かあれば凄んでみる事もしただろうさ。
ガキの頃はそれなりに喧嘩の経験もあったし。
けど今は違う。
怒鳴ったりして向こうが逆切れでもしたら、今のオレじゃ蹂躙されるだけなんだと。
それがとてつもなく怖かった。
なので無意識に大声が出た「痛いです、止めてくださいっ」ってね。
すると前後の行列の人らがざわざわし出して、前にいたオジサンが控えめな声で「大丈夫かい?」と声をかけてくれた。
すると彼らは何かぶつぶつ言いながら、逃げる様に帰っていったんだ。
ホッとして泣きそうになって来たよ……。
結局その時はランチを食べるような気分も消えてしまい、オレもまた逃げる様に雑踏に飛び込んで、小走りで帰った。
駐輪場まで何度も後ろを振り返りながら。
それくらいに怖かった。
その日の夜は何とも言えない恐怖感と自己嫌悪に襲われて、数日鬱モードだったな。
自分が顔も知らない男に無理やり襲われる、そんな妄想が勝手に出てきたりして。
それ以降、それまで以上に周囲を気にする様になった。
結局、自分を守れるのは所詮自分だけ。
けど男としての行動は出来ない。
物理的に。これから先、ずっと。
人の視線の行く先を意識して、それを気を付ける様になった。
よく女性は男の視線の先を察知しているとかいうけどさ、笑えないよ。
そうじゃないと身を守れないからそうしてんだろうさ。
あ、この人凄い胸を見てきてるってわかるから、必要以上に近寄らないとか、予防線を張っているんだなって。
なので、それきっかけだなあ。
自分が正しく女なんだって身をもって理解したのは……。
努めてそうあるべきと決心したって意味でも。
「さくらちゃんを汚す不届き者はお姉ちゃんが倒すっ」
春がきてお姉ちゃんが越してきた。
これからは一緒に暮らすって事で、身の回りの生活雑貨をあちこちに買いに行って。
洗面所にある歯磨き用のマグとか、食器とか。
お揃いにできるものは全部するというレベルでお姉ちゃんが気合い入れてたよ……。
それも落ち着いたころ、お姉ちゃんが作ったナシゴレンを食べているとき、ふとナンパの件を言ったら、胸の前で拳を握って彼女はキレた。
曰く、これからはどこに行くでも、お姉ちゃんも必ず一緒に行くって。
けどお姉ちゃん、オレよりもずっと小さいからなあ。
逆にやられそうで心配だよ……。
もちろんそれは丁寧におことわりしたが。
過保護すぎるし、いくら身内とて、プライベートな時間が無いとしなくてもいい喧嘩をする事になるからね。
そういうとお姉ちゃんは、この世の終わりみたいな顔をしていたけれど。
相変わらず可愛い姉だなあ……。
それにしてもお姉ちゃん。
引っ越してきて第一声が「さくらちゃん。不束者ですが末永くよろしくお願いします」って、色々アレだよ?
ガチ身内の同性愛とか業が深すぎるでしょ。
ま、パーソナルスペースが狭いだけだと思っているけれど(震え声)
だよね……?
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The Door into Summer 試される大地へ①
明日以降、お昼12時に1話ずつ予約投稿してあります。
※注意
北海道ツーリング編は、実在の店舗や施設に
しかしあくまでもフィクションであり、関連性はございません。
その為、本来とは違う描写(営業時間や営業形態等)が出る可能性がございますが、それらは仕様であることを事前にお含みいただけたなら幸いです。
――――――――――――――――――――――――――――――
「じゃあ、せーのっ!」
「「北海道上陸~っ!!」」
お姉ちゃんと顔を見合わせて叫ぶ。
飛び込んできたのは薄曇りの空と肌を刺すような風。
それでも一気にテンションが上がる。
チャット欄も同様におおさわぎ。
【やったぜ】【すげーーー】【チェリー初海外】【←は?(威圧)】【道民キレてて草】
【うちに充電しにきてクレメンス】【電動バイクちゃうから】【草】【道民としてうれしい(¥30000)】
いまは初夏、リスナーからの要望企画としてオレ達は北海道にやってきた。
もちろん生配信をしながらの車載ツーリング企画。
約2週間の日程で、大まかな目的地は決めているけど、基本的にはノリで北海道を堪能する行き当たりばったりの旅企画だ。
これはリスナーがしてくれる投げ銭の還元方法として考えたんだ。
広告収入とかは抜いて、純粋な投げ銭の額が500万を突破したんだ。
チャンネル開設から2年近く。
いまはヒマDことお姉ちゃんと一緒に、個人事業主のようなスタンスでやっている。
きちんと税金も払っているよ。
お姉ちゃんがもともと大学で専攻していたのは、放送関連のあれこれ。
ゆくゆくはマスコミ関連か放送関連の企業に就職っていうのが基本的な進路になる筈だった。
それか大手広告代理店とかが定番とか。
けど従来企業でやるべき仕事を、ムーチューバーでやるっていうのがお姉ちゃんが選んだ進路。
本来の高科さくらは自殺を図り死んでいた。
けど実際は、何の因果かオレの魂が上書きされたことでおかしなことになった。
その上でオレ自身がこの身体で生きる事を決めた結果、家族との交流を図ったのがそもそものきっかけであり、その後の関わり方でお姉ちゃんの進路を捻じ曲げた格好にオレは思えた。
それで彼女の進路を変えてしまった事に罪悪感を持ったが、お姉ちゃんは「確かにさくらちゃんが心配で傍にいたかったって気持ちはあるよ。でもそれ以上に、さくらちゃんという素材を、どこまで自分の力で輝かせるか試してみたいの」と真剣に告白された。
身内だけれども、それ以上に素材として面白いという評価。
お姉ちゃん、そのあくどい顔は似合わないって……。やめなよ。
そして実際に彼女の主導で動き出した訳だけど、お姉ちゃんにチャンネルに関わる全ての事を任せた途端、彼女は真剣にマーケティング戦略を練り、収益率の具体的な向上プランを考え出した。
およそ取れる宣伝方法。ネットのまとめサイトや掲示板を使ったステルスマーケティング。
それを個人でやれる限界まで突き詰めていったんだ。
ステマは褒められた方法じゃないけれど、マーケティングって観点から言えば常套手段だそうな。
大人の世界にはシロとクロの二極じゃなくてグレーがある。
営利企業としてグレーゾーンを攻めないのは怠慢にもほどがある。
それは前世で元大手にいた自分であるからして理解はしているけどね。
横でそれを見ているオレは、なるほど、これはオレが無知だったってだけで、正しく職業だよコレはと納得した。
ムーチューバーは何も能天気にカメラに向かって無鉄砲な事をしたり、私生活を垂れ流しにしているだけじゃない。
むしろ10分程度の動画でも、とにかく計算された編集が必要なんだよね。
これが地上波の番組なら、合間に何度かコマーシャルを挟み、その前後で視聴者がイラっとしても、結局はチャンネルを変えない様ないやらしい引きとかを作るでしょう?
その反面、ネットの動画コンテンツっていうのは、地上波の煩わしい部分はかなりオミットできる。
もちろん継続的な活動をするには、広告収入は必ずいるから、そこは固定で見てくれる登録者との信頼関係の有無が左右するだろう。
それにしたって広告は長くても数十秒だし、一定時間流れるとスキップも可能だからね。
そうなると、とにかく印象に残りやすいインパクトが求められる事になる。
テロップの使い方や、無駄な間をばっさり切って繋いでテンポを上げたり。
それこそ地上波の番組の30分モノは10分に収められるレベルに凝縮する。
だから内容は濃いし、リスナーも満足できる。
ただ問題は、それをどうやって見てもらうかって部分だ。
作品自体に自信があっても、まずは見るという入り口に立ってもらわないと始まらない。
ムーツベの動画に多い、内容を強めに示唆するテキストが、強調フォントでサムネイルにしているのはそういう意味がある。
まあ極端な話、探偵物の作品で、最初に犯人を見せて、その後どうやって犯人が犯行に至って、探偵はそれを暴くかって見せるスタイルに似ているね。
犯人特定というクライマックスでまずは満足し、その後の部分は緻密なドラマを描く事で二度おいしい的な。
だからこれらの努力で再生数が万単位で変わる。
再生数が増えるという事は、そのまま収入の増加に直結する。
結果、新規の登録者も副産物的に増加し、全体の分母が増えていく。
その為のあれやこれを、お姉ちゃんがやっているわけだ。
なので彼女は自宅の空き部屋に、収益から設備投資したプロが使うような機材を購入し、もはやリフォームレベルで改造した。これはもう編集室だね。
そこに一日のほとんど籠っている。
動画は3日と開けずに何かしら投稿し、ついたコメントのほとんどに目を通し、これだというコメントには管理者としてハートマークを付ける。
それだけでリスナーは特別な親近感を覚えてくれるそうな。
それこそ出かけた先で思いがけずにタレントに出くわし、サインをもらった時のような感覚に似ていて。
お姉ちゃんはとにかく、ムーチューバーが所属する事務所なんかと関わらず、オレとの二人三脚でどこまでやれるか挑戦したい様だ。
実際お姉ちゃんの試行錯誤は徐々に結果となり、今ではチャンネル登録者数が30万を突破した。
週に2度というサイクルでの生配信では、おおむね1万前後のリスナーが常駐している。
当然配信のアーカイブだけじゃなく、動画用として投稿している方も平均視聴回数が20~50万再生ほどになっている。
なので広告系収入の伸びが凄い。
なるほど、これはきちんと仕事だ。
だからお姉ちゃんも給料を取る。
オレも。で余剰は全部プールしてある。
不必要な金はいらないしね。
で、話を戻すと、オレのチャンネルの収益化が許可されてからの投げ銭の累計が500万を超えた事で、前々から言っていたリスナーを交えた企画、それを実行しようという事にしたんだ。
元々はどこかでこっち出資のオフ会でもとか言ってたけど、オレというかチェリーの熱心なファンたちが口をそろえて言うのだ。
――チェリーは2.5次元で居てほしいって。
そしてそれは古参ファン以外の多くのファンも同意らしい。
どういうことかといえば、顔の半分を隠したオレとお姉ちゃん。
とは言っても見えてる部分でおおよそどんな姿かたちかは容易に想像できる。
肌へのダメージがひどいから、序盤にやっていた見えている部分の白塗りもやめたしね……。
そんなチェリーがツーリングしたりキャンプしたり。
でもやはりタレントとは違って、ムーチューバーはどこかネットの中の存在と彼らはとらえている。
まるでアニメや漫画の中のヒロインに懸想するように。
だから生チェリーに会いたいとは思っているけれど、それによって神秘性のような物が失われるのは嫌だみたいに感じる様だ。
とか、大きくなりすぎて身近じゃなくなるのも嫌だ。
それが彼らの共通認識の様だ。
なのでヒマD経由で宣言した、チェリーは今後も大手事務所とかには所属せず、個人チャンネルで行きますってのには大歓喜だったもんね。
コメントで見たけれど、推しだったムーチューバーが大手に所属した途端、明らかに本人が興味なさそうなゲーム実況なんかをしつつ、拝金主義に傾倒していくのを見たくないそうな。
そして匿名だけど、元大手に所属していたVチューバーの中の人曰く、事務所が持っていくマネージメント料は、守秘義務的に詳しくは言わないけれど、かなり持っていかれて、だから稼ごうとすると拝金主義にならざるを得ないと、なんとも生々しいコメントを吐露していたっけ。
ついでに言うと、その配信者へのお布施って意味でリスナーが投げ銭するのに、それのほとんどを事務所が持っていくのがとてもストレスだったそうな。
まるでリスナーをだましているみたいな気がして。
それもあって鬱っぽくなり、彼女はVチューバーをやめたという。
生々しいなぁ……。
そんな雑談回に、あるリスナーが言ったんだ。
――チェリーが自分たちのお布施を俺たちと共有したいっていうのなら、その金で大型旅行企画でもやったらどう?
行先とか、現地でどこへ行くとか、そういうのをSNSや配信を使って俺たちと協議しながらさ。
チェリーのファンは全国にいるんだから、地元の人間のコメントを活かせば、穴場のスポットとか見つかるだろうし。
そんないわゆる視聴者参加型企画ってどうよ――ってさ。
そしたらコメント欄がお祭り状態になった。
なのでトイッターのアンケ機能を使って視聴者の希望を募ると、99%という圧倒的な肯定で埋まった。
ちなみ1%の人らは、直で飲み会をするオフ会希望だったそうな。
そしてヒマDことお姉ちゃんを見るとゴーサイン。
ならいっちょやりますかって事になったんだ。
なので放送の中でまずは行先を決めようとなった。
これはコメント全拾いすると収集が付かなくなるからって、お姉ちゃんからカンペが出て、オレが仕切って決めてと指令が飛んできた。
なので東京在住なのはみんなの知るところなので、東京を起点として東西南北どっちとアンケ。
47%の支持で北。
あとは東北か北海道か。
87%で北海道。
最後に交通機関で現地入りしてレンタカーか電車を使うか、いつも通りのツーリングか。
これも9割近くがバイクを希望。
まあそうか。バイクのイメージは強いもんね。
これで北海道でのツーリング旅が確定した。
予算は最初に提示。
200万を用意し、余すところなく使う。
ちなみにこの後日、銀行に200万をおろしに行って、自宅でお姉ちゃんともし200万円を今すぐ全部使えと言われたら何に使うかという妄想を延々と垂れ流す動画を出したら妙にウケてた。
まあ、オレは無難にバイクではなくキャンピングカーに手を出したいとかだけど、お姉ちゃんの場合は、豪華なグルメへの全力っぷりに、コメントでは「しってた」で埋め尽くされたから笑っちゃった。
あくまでも「もしも~」の話なのに、タブレットを開いて店を調べてたからね……。
話を戻して旅の日程は2週間。
ただ大洗から苫小牧西までのフェリーで、大型バイクが2万近く。
そしてせっかくだし豪華な船室ってことでスイートをおさえると一人5万弱かかる。
これの往復だから、輸送費関連と雑費で、そういう経費モロモロ合わせると、30万近くの総額になる。
だから14日といっても、1日に使える金額は2人で10万ちょいになっちゃう。
まあそれでも十分豪勢だし、普通の家族単位じゃ2週間毎日10万円以上垂れ流すのは出来ないからねえ。
そう考えると、十分に豪快な企画だろうと思うんだ。
そして旅の間に使ったお金は全部細かく記録をつけて、後に動画化した時に詳細を載せると。
さらにはこれまで投げ銭をしてくれた人の名前もまた記録してあるから、各動画のエンドロールで感謝の気持ちを込めて名前を載せるというところで落ち着いたのである。
そうしてやってきた北海道初上陸。
これには私もテンションが上がった。
思わず無邪気に叫んじゃう程度には。
サイドカーが定位置のお姉ちゃんも奇声を発しているよ。
まあでも昨晩は船室から放送したから、上陸した今がこの旅で初の配信開始って訳じゃないけど。
商船会社と携帯キャリアが協力して、有料だけど船の中でもWIーFIが使えるからね。
昨日の場合はスイートの大きいベッドの上で、オレとお姉ちゃんがいつもの変態パピヨンマスクを装備して、白いワンピの寝巻姿で並んで寝転がり、真ん中にバイノーラルマイクを置いて、オレ達の声が左右から聞こえる状態での雑談配信をしたんだ。
まあうん、いろんな意味で皆さん大歓喜だったさ。
ただまあ、この企画自体、視聴者への感謝として何かしらを還元するってのがテーマだから。
その上でお姉ちゃんのゴーが出ている。
その結果、「保存余裕でした^^」とかみんな大興奮だったね。
耳元でチェリーとヒマDが囁いてくれるとか嬉しすぎる! とかで、アホみたいな額の投げ銭が飛び交ったのは笑った。
でもそれは、「投げ銭した人にはチェリーちゃんがお好みのセリフを言ってくれます!」とかお姉ちゃんが煽ったのが悪いんだ……。
もちろんエッチなのは絶対読まないよとは言ったんだけど、そうなるとコメント欄では、エッチなのはダメだけど、考えようによってはそう思えるワードを皆で考えようぜ! とかやってて面白かった。
まれにみるコメントの濁流で、まともに拾えなかったもの。
結局はバブ味? とかいうオカン的なセリフとか、目覚まし用に「○○くん、起きて。チェリーお腹が空いた」とかみたいな、彼ら的に汎用性? が高いセリフを言ったな。
そういえばシンプルに「10からカウントダウンするのをお願いします」ってのがあったね。
サンダー○ードが好きとか? よくわからないから読み上げたんだけど、コメント欄は「よくやった。音源化頼むっ!」「言い値で買おう」とか大騒ぎで、お姉ちゃんが複雑な顔をしてたけどなんだろうね?
まあそうして北海道入りしたんだ。
けど生憎の曇り空。
実は船内で知り合った女性ライダーの人から聞いたんだけど、苫小牧って土地は割と年中曇りがちなんだってさ。
彼女、25歳で都内でOLをしているらしいんだけど、バイク歴は長くて、毎年北海道に来るんだってさ。
先輩ライダーのお話はためになるわー。
北海道での給油にいいSSとか、美味しい地元料理とか。
そういう走ったことが無いとわからない情報とか色々教えてくれたんだよね。
そのお姉さんは来年結婚が決まっているそうで、旦那さんが長野の農家を継ぐらしく、結婚後は気軽にツーリングもできなくなるだろうからって、最後の想い出作りの為に、彼女も長期で北海道を回るって。
なので帰りがだいたい同じころになりそうなので、ラインを交換して終わり際に札幌で食事をしましょうって約束してから別れた。
こういう出会いも旅の醍醐味だよねえ。
そうしてオレ達の旅は始まったのだ。
オレはもう高科さくらとして当たり前に生きている。
そろそろ、モノローグの一人称も変えようか? なんて葛藤しつつ。
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The Door into Summer 試される大地へ②
「ちくしょーめ!」
初夏なのに北風吹きすさぶ北海道の地で、わたしは叫んでいた。
チャット欄には煽りが乱舞する。
【草】【ワロタ】【チョビ髭草】【ある意味で持ってますね^^】
【残念でしたね^^】【ワイもみたかったゾ】【しゃあない。切り替えていこ】
苫小牧に上陸したわたし達は、限りなく法定速度を守りながら目的地へと急いだ。
しかし結局は営業時間に間に合わず、満足そうに帰っていく客たちを眺めていた。
なんてむなしいんだろう……。
そんなわたしのヘッドセットのイヤモニには、コメント読み上げの声が。
なんなのこいつら。
何かあればすぐわたしを弄ればいいと思いやがって……。
お姉ちゃんは流石有能Dだ。
タブレットで次の行先を探し始めた。
切り替えは大事なのだ。
実は苫小牧に来て最初に来たかった店がある。
そこはマル○マ食堂。
なんでもここが名物であるホッキカレーの元祖っぽい店だとか。
店舗もフェリー乗り場から近いし、凄い楽しみにしていたんだ。
昨日リスナーから、まずはどこに行くべき? と聞くと、北海道在住の人のほとんどがこの店をあげた。
ホッキっていうのは北寄貝と書くけど、アサリとかハマグリよりも大きな二枚貝だ。
お寿司のネタしかわたしは知らなかったけれど、ホッキの水揚げ量が全国一である苫小牧では、カレーの具になっているそうな。
わたしは貝類大好きだから余計にテンションが上がった。
しかし料理の仕方を失敗すると臭みが酷い貝を、大量に入れてカレーにしました! ってのがインパクトが凄い。
そもそもなぜカレーに入れたのかだけど、それは昔、まだ肉類が高かった時に、大量に獲れて安いホッキを入れたら美味しかったかららしい。
そういう歴史も面白い。庶民の知恵ってやつだねえ。
なんだけど、フェリーが苫小牧に到着したのが13時半。
そして店の営業時間が14時まで。
けどバイクを出すのに結構待たされ、結局店に到着できたのが14時半でございます。
当然店はラストオーダーどころか営業終了済。
わたしたちはしがないムーツーバーで、タレントパワーが使える芸能人ではない。
そういう事でございます。
けどねえ。
いまのわたしのお腹は、ホッキカレー専用になってたんだよ!
このガッカリ感は半端ない。
不貞腐れるわたしだったが、帰る時に時間を調整してリベンジしようとお姉ちゃんが慰めてくれた。
ちくしょー絶対食べてやるからな!
まあ結局、リスナーとごそごそとやってたお姉ちゃんが決めたお店が、少し北上した所にある千歳市、そこのラーメン屋。
I○RIという人気店。
なんでも店主さんは札幌ラーメンの聖地でもある有名店の純○で修行なさったそうな。
純○か。コンビニ限定のカップメンで食べた事があるけれど、インスタントなのにスープがとっても美味しかったからね、これは期待大だね。
店舗についた。丁度忙しい時間を過ぎたからか、店は割とすいており、店にはすぐ入る事が出来た。
なのでまずは店主さんに交渉をする。
わたしは細々とムーツーバーをしていて、動画に残したい旨を相談すると快く許可をくれた。
こういう許可をきちんともらわないとダメだよね。
なんか当たり前に携帯で撮影してSNSにあげる人も多いけど、本来こういうのって、お店のお目こぼしがあるからできてるだけでさ。
いや宣伝になるからいいでしょみたいな意見もあるけどさ。
もちろんそれを喜ぶ店も存在するだろうし。
けどきちんと常連客がいて成り立っている店とかは、キャパ以上の客が押し寄せても迷惑だと思うの。
だから一言、「写真をとってもいいですか?」と添えるだけでトラブルは減るでしょうに。
わたしの場合は動画がそのまま収益になるから、許可をもらうのは大前提だけどねルールとして。
そりゃそうだよ。彼らは努力してラーメンを作り、それをお客さんに提供してお金をもらう。
わたしの場合はそれを撮影しただけでお金をもらう。それってズルみたいな物だしね。
いやー早速食べたけど、ラーメンが凄くおいしいよ!
頼んだのはメニューの一番上にあるこの店の定番、味噌ラーメン。
蕩けそうなチャーシュー、そのチャーシューをサイコロ状に切ったコロコロのチャーシュー、もやしにメンマに白ネギ。
チャーシューの上にはショウガが載っていて、お好みでスープに溶かす様だ。
わたしはいきなり溶かしたけど、濃厚なイメージのみそラーメンだったけどさ、ショウガもあってか、かなりあっさりしているんだね。旨味は強いのに、ベトベト感が一切ない。
関東ではみそラーメンで美味しい店ってあまりないから、向こうではみそを頼むことは無いんだけど、流石は札幌ラーメンの系譜ってことなのかな? とってもおいしい。
麺も縮れた中太の自家製麺で、小麦の香りも高いしスープも絡んでいい感じ。
気が付けばスープを一滴残らず飲み乾しちゃった。
お姉ちゃんは……おかわりしてた……相変わらずすごいね。
満足したわたしたちは会計をすますと、店主さんにもチャンネルを宣伝し、並んでツーショット写真を撮ってもらった。
というか従業員さんでわたしのリスナーがいたらしく、興奮して店主さんにアピールしていたよ。
まだ高校生の坊主頭の少年で、地元の高校で野球をしているそうな。
素顔のわたしたちに大興奮だったけど、「実は僕、アイスの時から見てるッス。なので訓練されたリスナーなので顔写真は撮らないッス!」と、気遣いは嬉しいが、わたし的には複雑なセリフ。
それでも嬉しくなって荷物に忍ばせていた変態パピヨンマスクを装着し写真を撮ってあげたけどね!
そうして出だしはコケちゃったけど、北海道で最初の食事は大満足で終わったのである。
ついでに言うと、個人的に脱オレに挑戦しつつ。
まあそれについては、なんだか意地を張ってただけだったなと反省してる。
だっていちいち気を張らなくて済むからスッキリしたんだもの。
オレはわたし。
ジタバタしても、今のわたしは結局は高科さくらなんだ。
そこから逃げる事はできないのだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆
【ヒマDの胃袋どうなってんの】【それな】【やせの大食いってやつ?】
【一部分は痩せてませんが……】【あっ】【お前チェリーの配信でそれは……】
「ほう、追い出されたい不届き者がいるみたいだね。ラブアンドピース、戦争撲滅を心から願うチェリーにとって、その話題はいけないと思うんだよね。脂肪の大小で人の価値って決まらないよね? そうだよね?」
「当たり前だよぉ~チェリーちゃんくらいの方がいいんだよ~? 肩は凝らないし、好きなデザインの服を見つけても、ちゃんとサイズもあるでしょう? ホント大変なんだよぉ~」
「………………くっ」
【チェリーお前顔真っ赤やぞ】【やめなよ男子~チェリーちゃん泣いてるじゃん】【身内から刺されるチェリー草】
【もうやめたげてよぉ!】【これで悪意が無いんだから人は残酷よ】【チェリー泣くな。なあに俺も小さいから心配ねえ】【←お前、泣いてるのか?】【それは俺たちにも刺さるからやめーや】
ラーメンを完食したわたしたちは、北海道最大の都市である札幌……へは向かわずに、千歳市内を横切った。
牧場や広大な農地に囲まれるのどかな幹線道路をひた走り、向かうは南幌町。
地図上で見ると、空知方面へ北上していく感じ?
曇り空だけど雨は降っておらず、まだ肌寒さの感じる風が、食後で火照った体に気持ちいい。
とは言え配信を再開したからコメントが引っ切り無しに飛んでくるが。
まだ旅は始まったばかりだけど、北海道は素敵だ。
しかしいい加減、胸のネタはやめてほしい物だ。
いくら精神が男であると自負していても、なぜか胸を揶揄されるとムカついてくるんだよねえ。
まあそれも、この身体にただしく馴染んでいる証拠……と思いたい。
さて、初日のゴール地点だが、南幌町の片隅にある宿泊施設も併設された町営温泉。
ここは事前に予約を入れてある。
一泊一万円程度で、綺麗な和室。
リスナーからのオススメで、ネットで調べてみるといい感じだったんだ。
わたしの希望でもあるんだけど、本州にいても知っている定山渓温泉や洞爺湖・登別温泉と言った有名温泉街には泊まりたくないってね。
いやとてもいい場所なのはわかるんだけど、単純に温泉に宿泊するって意味で見れば、例えば伊香保や鬼怒川みたいな東京から行ける温泉地とも然して変わらないって思うんだよね。
個人的な意見だけど、温泉以外にこれと言った観光地の無い温泉街って好きじゃないんだ。
だって二泊三日で行くとして、温泉以外何もないって苦痛じゃない?
温泉地のホテルや旅館を拠点にどこどこに行くっていうなら楽しいんだけど。
湯治を楽しむには、前世も今もまだ若すぎるというかさ……。
まあでも洞爺湖・登別温泉エリアは周辺に観光地はあるみたいだけど、泊まるだけならここじゃなくても温泉はあるようだしね。
そこは高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変にって奴だよ。
なので温泉には入りたいけど、できればマイナーな場所がいいと我儘言った結果、リスナーたちがオススメしてくれたいくつかの温泉のひとつがこの南幌温泉。
ここを一口に言うと、とても小奇麗でゆったりとした規模の大きいスーパー銭湯だね。
露天風呂もあって、内風呂も色々と豊富。
休憩できる大広間や、レストランのメニューも充実。
ただ遠方からの客にも対応できるように宿泊プランもあるって感じ。
いやー北海道いいよ。とても。
何というか千歳市内からここまで、ほとんど信号待ちも渋滞も無かった。
いや要所要所に信号はあるんだけど、基本的に車通りが少ないから、相対的に信号に捕まる時間が少ないんだよね。
羨ましいなぁ~って素直に思う。人口密度が低いのは素敵だ。
ここまでの道のりで、周囲はグリーンカーペットだらけで、たまに田んぼとか牛の放牧地を見かけた。
そこをのんびりと流しつつ、リスナーやお姉ちゃんとお喋り。
携帯用ナビゲーションに従って道を折れると、今度は防風林がそびえる道路に入り、やがて南幌温泉が見えてくる。
まるで大きな公園の中に建っているって感じで、東京のようなゴミゴミした感じが一切ない。
荷物と共に館内へ。
受付で配信関連の許可をもらい、泊まっている部屋の中だけはOKになった。
施設の名前とかは出しても可で、気が楽になる。
今回の旅はバイクで移動中はわたしのヘルメットと肩口に、そしてサイドカーの前後に一つずつ、そしてお姉ちゃんの肩口にとアクションカメラを備えてある。
理由は生配信とは別に旅行動画用の素材だ。
なので5つのカメラが物を言うわけだ。
部屋からの配信には、今回導入した割と高スペックの一眼レフデジタルカメラを使う。
4K対応の高画質撮影ができる奴で、生配信にも簡単に使える拡張性の高さもあるってんでお姉ちゃんが指定したカメラなんだ。
「うわーすごい煙だねぇ……」
「そうだね。でもこれおいしい」
「うんうんっ本場っ! って感じだよぉ~」
【まあ】【お姉さまが楽しそうで何よりです】【真顔のチェリー草】
【いやでも俺も横にいたらこんな顔になるわ】【いっぱい食べる君がちゅき♡】【それな】
お風呂ほんと最高だった。
露天風呂の景色も良かった。
なにより東京とかと比べて混んでてもたかが知れているから、イモ洗いじゃないのがいい。
で、追加料金を払うと部屋食できるとあったのでそうしてみた。
頼んだメニューはジンギスカン。
やっぱ北海道でイメージするメニューの筆頭格だしね。
この空知管内には、結構有名なジンギスカンブランドがあるんだって。
だからこの旅の中で何度かは食べたいな。
なんだけど、食事中も配信しているんだけどさ?
わたしもリスナーもお姉ちゃんにドン引き中なんだ……。
だって今19時過ぎだけど、わたし的にはまだお昼のラーメンが胃に残ってる気がするのに、お姉ちゃんが”ジンギスカンってヘルシーだからいくらでも食べれそう~”なんて言いながら、現在3人前に突入だもの。
一応わたしが喋る内容でお姉ちゃんが凄い食べる人ってのはリスナー間でも共通認識ではある。
この放送ってチェリー人気というよりは、姉妹の掛け合いが好きって層が多いしね。
そんな中で、女の子の可愛い要素をこれでもかってほどに盛っている天然ガールがお姉ちゃん。
なのでお姉ちゃん推しという人も少なくない。
けれど、流石に映像で真実をお届けしたらみんなびっくりだよ……。
今も「ん?」なんて可愛くこっちを見ながら、手と口は動き続けてるからね。
わたしといえば肉数切れともやしをすこし食べてギブアップさぁ……。
がっつり行くのは日に一度でいいのよこの省エネボディーは。
けどふと思った。
「あのね、急に思ったんだけどさ。いいのコレで。リスナー的に。食事の時とかお姉ちゃんとの団欒中とかに、リスナーに気を配るスキルはチェリーにないよ? 例の投げ銭の時も、必ず全員読むって訳でもないし……」
そう問いかけてみる。
お姉ちゃんがチェリーの部屋をガチでやり始めたタイミングで、わたし個人も勉強じゃあないけど、先駆者たちの配信とか動画をチェックしてみたんだ。
スタイルに関してはもういまさら変える気もないんだけどさ、でも投げ銭があったりすると丁寧にお礼をしたり、特別に読み上げたりとかしていたし。
でもそういうの、わたしはしないし、これからもやんないと思うんだよね。
【だからウケてるのでは?】【それな】【チェリーが媚びたら視聴者減ると思うゾ】
【チェリーに媚びとかクレクレ感がないのがええんや】【あーソレだわ】
「んー? そんな物なのかな? お酒飲んでるしツーリングで程よく疲れた所に温泉でトドメ刺されてダウナーモードだから言うけどさ、チェリーが生配信始めたのには理由がある。
とても人様に言える様な理由ではないし、きっと今見てくれている人たちと似たような、他人が聞いてもピンと来ない理由でね。今回こうやって、みんなが集めてくれたお金を見える形で還元したいなって言うのも、多分いまだに顔も知らない人にお金をもらうのに変な罪悪感を感じるってのもあるんだ。正直、みんなが伝説とか言っているアイス回の時とかさ、今よりもずっと少ないけど、コメントで反応してくれてさ、その言葉で救われてたんだよね――
気が付くといらん事を話していた。
読み上げの音がしないのは、察してお姉ちゃんが切ったんでしょう。
わたしはお姉ちゃんを信用も信頼もしている。
身体に心が馴染んだのも、お母さんとお姉ちゃんという、さくらの家族を心の拠り所にできたからだ。
だからもし、わたしが許容範囲を超える事を喋りだしたらお姉ちゃんが配信を切ってくれる。
だからわたしも喋りを止めなかった。
気が付くとわたしは、鼻をぐずりながらほとんどしゃべってた。
メンヘラ女だーとか自虐しながら。
事故で思うとおりに手が動かなくなり、ピアニストを目指せなくなった。
幸い家には一人住まいができる環境があって、地元を出て東京で暮らした。
結局ただの引き籠りになって、何のために生きてるのかわかんないけどとりあえず生きていた。
それがふと嫌になって、ぼーっとPCを眺めていたら、たまたま見かけたサイトで生配信を知ってやってみた。
今は自分なりに外と関われるようになったし、そうなれたから家族とも向き合えた。
――だからね、チェリーは生配信をお仕事とはどうしても思えないんだ。
良くも悪くも、配信者としてかかわったリスナーの心ある言葉や心無い言葉で救われたから。
なのでここで宣言じゃないけど、セミプロのヒマD主導で動画制作をし、それの広告費で収入を得る、これに関してははっきりとお仕事として提供する。
けれど配信は、最初のころからの雑なままでいさせてほしい。
きっと最近知った人には金をもらってるのに扱いが悪いとか思うかもだけどね。
【やっぱチェリーはワイらやった】【急に泣かせにくるのはNG】【俺、明日ハロワいくわ仕事して投げ銭するは】【草】【いっぱいちゅき】
【あー最初の頃のアレはガチで無知だったのか納得】【ガチでムチ……ホモかよ(歓喜)】【淫夢厨自重しろ】
【ええんやで】【全俺が泣いた】
「ううっ、さく……チェリーちゃんっ……」
「ヒマD、チェリーが言うのもなんだけどコンプラコンプラ」
【ヒマDガチ泣き草】【これが姉妹愛】【浄化されそう……】
【変態みたいな仮面だけどな】【言うな!】【この美人姉妹が変態とかご褒美かよ】
お姉ちゃんわたしの本名を誤爆しそうになってるし。
まあ今更だけどね。
だってこの自分語りの最中にわたしを特定してきたリスナーいたし。
世間は狭いな。
その子も音楽畑にいるらしく、わたしの背格好とか銀髪とかで、「あれ? どこかで見たような」ってずっと思ってたんだって。
それで事故とピアニスト断念の下りで、例のわたしがというか、オレがインストールする前のさくらがやっていたブログの事を思い出したという。
そのブログを彼女は見ていたらしいね。ブログにはばっちり顔出しだもんなぁ。
けど気が付いたリスナーさんは空気を読んでトイッターのDMで言って来たんだ。
――さくらさんだったんですね。多分コンクールとかで一緒になった事もあります。ちなみに岡崎市の出身です。
――ずっと音沙汰が無かったので心配していました。これからはチェリーのいちファンとして見守っています。
ってさ。
うちのリスナーってこういう心遣いできる人多くない? びっくりだ。
どこかで身バレしても最悪いいやって思ってはいるけれど、向こうが気を使ってくれるんだ、無下にはしたくない。
まあ結局、お姉ちゃんが号泣しつつもジンギスカンを食べ続けるという珍事もありつつ、その日の配信は無事終了したのである。無事と言えるかはアレだけども。
色々話してスッキリはしたし、投げ銭関連のぞんざいな扱いも、結局は変わらないでいてって事らしいので。
その部分は良かったかも?
まあすべては明日からの旅を満喫することで感謝を示そう。
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The Door into Summer 試される大地へ③
「…………うううっ、つらいっ」
「さ、寒いねぇ……」
【試される大地ッ!】【ほんまに試されてて草】【負けそう(¥10000)】【草】【チェリーの鼻聖水が】【何そのパワーワード】【言い値で買おう】【チェリーの鼻水:プライスレス】
【東京じゃ初夏でもこっちじゃ最近雪とけたばっかだもの】【ヒェ……】
大満足の南幌温泉をチェックアウトをし、わたしたちは空知地方をさらに北上している。
目指すは旭川。北海道のど真ん中にある都市で、周囲には富良野や美瑛と言った定番観光地にアクセスしやすい。
旭川自体も、旭山動物園という注目度が日本でトップクラスの動物園があるし、旭川ラーメンという名物もある。
まあでも現地でどこいくかってのは一切決めていないけどね。
近づいたらアンケを取るから。
それはいいんだけどさ……とてもさむい。
肌を刺すような~なんて表現があるけど、まさにそれ。
一応出来る限りの防寒対策はしてきたつもりだ。
バイクに乗る以上当然だし。
ましてわたしは女でパワー不足。
お姉ちゃんはいわずもがな。
コカしたら最悪JAF呼ぶもあり得る。
なので上は厚手のライダースジャケット。
フロントはシングルタイプで、ヒジとかが特に厚く加工されてる。
デザイン自体はお姉ちゃんとはお揃いで、わたしが黒でお姉ちゃんが白。
下はインナーに伸縮素材のロングスパッツを履き、ボトムスはデニムジーンズ。
足元はヒザ近くまであるブーツと重厚だ。
だけどヘルメットがジェットタイプに大きな風防付きなので、風を完全にシャットアウトできないんだ。
フルフェイスにしとけばよかったと本当に後悔している。
一応申し訳程度に首元にバンダナを巻いてるけど、うーん微妙。
お姉ちゃんはサイドカーだからフルフェイスにしてるからわたしよりはマシかもだけど。
いやしかし北海道舐めてたねぇ……。
これは旭川についたらモコモコ系の防寒着の購入も視野にいれるべきか……。
事前に調べたんだけど、6月の北海道の平均気温は20度前後らしい。
けどそれって札幌とかだけじゃないのかな?
北に行くほどに危険な気配が……。
それはそれとして、
「いえーーーーい!」
「いえ~~」
ピースである。
ヤエーである。
【でたヤエー】【ドヤ顔草】【チェリーほぼ顔見えてるからドヤ顔まるわかり】
【気にしない体でいるワイらを褒めて?】【そのバイザー目以外見えとるで】【シーッ】
【ワイもヤエーしたい】【ちょっとあこがれるよな】
ヤエーってのはバイカー同士のコミュニケーションの一つ。
バイクがすれ違いざまにピースサインを送ったりして「お互い道中気を付けて楽しみましょう。いい旅を!」的な意味を込めるって感じ。
英語でイエー! ってのはスペルとしては「YEAH!」なんだけど、誰かがスペルをミスって「YAEH!!」とやり、それがそのまま定番化して通称ヤエーみたいな?
バイク動画の先駆者様の過去の作品を勉強がてら見ているんだけど、このヤエーはみんなやってる。
なので北海道入りしてからはバイクとすれ違う度に必ずやってるんだけど、思ったより楽しい。
最初は恐る恐るやってみたんだけど、レスポンスがあると楽しい。
注意点は危ないヤエーはしないこと。
当たり前だけど、ご安全をとサインを出して、それで事故ったら本末転倒だしね。
例えばウイリーしたり両手を離したりとか。
後はカーブの途中では絶対ダメ。
そういうところに注意しつつ、バイクを見かけると必ずやってきた。
今のところ10勝1敗って感じかな。
負けってのはヤエー返しが無い時って意味。
まあ返ってこなくても懲りずにやっていこうっと。
「おっ、チェリーちゃんっ。道の駅はっけーん!」
「寒いけど……ソフトクリーム食べたい。それにおしっ……なんでもない……」
「チェリーちゃん……」
「…………ごめんお姉ちゃん」
【草】【お前いま何を言いかけた!?】【お兄さんに言ってみ?】【やめーや】
【そ、そりゃバイクで腹冷えたら出るさ(震え声)】【(¥50000)】【←無言で投げ銭草】
【時折素になるヒマD草】【姉より優れた妹なんかいねえんだよ!】
膀胱がパンパンなんだよぉ……。
寒いから余計に……。
リスナー騒ぎすぎだよ。
道の駅、いまのわたしにはオアシスだぁ。
そしてそそくさとバイクを駐車場にイン。
車は10台くらいしか停まってないけど、バイクが一台、わたしたちと同じタイプの色違いのがいる。
わたしはバイクを駐車すると、リスナーに「ここは湿原が有名らしい。だからひとあし先にお花を満喫してくる」と言い放ち、ダッシュでトイレへ。
こればっかりは仕方ない。
【お花を満喫? 摘みに行くだルルォ!?】【やめてやれ(¥10000)】【お前らはさっきから何に金を払ってんだよwww】【えー地元住人から伝達。この季節、まだ花は咲いてません】【裏切りの道民ワロタ】【草ァ!】
「……ふう。大自然の前では人間の存在なんてちっぽけなものだね」
【賢者タイム草】【つまりチェリーは男の娘だった?】【ガタッ】【←ホモは座ってろ】
【(¥30000)】【だから無言ニキwww】
トイレから戻るとお姉ちゃんがバイクの傍にいなかった。
周囲を見回すと、手にマックブックを持った銀髪ツインテールがとある場所にある行列の最後尾にいるのが見えた。
そっちに向かうと、どうやらカマボコをコンビニ惣菜の様に揚げたのを食べられるらしい。
わたしも一緒に並ぶと、お姉ちゃんがにへらと笑った。
「あー……お姉ちゃんが捕食モードに入っているのでこのまま並びますね。ん? ああ、許可はもう取ったのね。仕事早いね。さてリスナーさん達にここの紹介。ここは道の駅で”田園の里うりゅう”と言うそうです。売りは今並んでる、昔ながらの製法で作るかまぼこと、向こうに見えるソフトクリーム。地元の米を使ったコメソフトにかぼちゃ・ブルーベリー味がメインだって。いやー北海道はこの道の駅を巡っているだけでも楽しいかも」
【同意】【それな】【アクションカメラ視点だから自分が旅しているって錯覚できて超楽しい】
【わかる】【なーそろそろ誰かツっこめよ】【な、なんの事だよ(震え声)】【(¥50000)】【(¥50000)】【(¥30000)】【怒涛の投げ銭モード】【確変突入】
「あー、うん。ヒマD、それでいいの?」
「んー? だってマスクつけてたら食べ辛いし」
「そっかぁ……」
【ここに来て優れた姉説崩壊の危機】【普通に素顔だねぇ……】【くっそ可愛いんだが】
【下手なアイドルが霞む素人とかヤバない?】【食欲>身バレ】【腹ペコ系ヒロインか……ありだな】
【いやまてお前ら。前にヒマDが自分とチェリーは身長ととある部分以外ほぼ同じとか言ってたよな?】
【つーことはチェリー……チェリー様も?】【神 降 臨】【お前ら偉いぞ、とある部分スルーできたな】
「ヒマDが幸せそうで何よりだよ。まあお姉ちゃんだし色々諦めたよ。わたしもマスクしてないけどね。ヘルメットかぶってるけど」
【それただの強盗では?(迷推理)】【草】【言うてヒマD視点で見るとうっすら顔見えてるけどな】
【まま、ええわ】【というか慣れた】【それな】【眼福やしええんちゃう?】【ワイらの推しに新参が絡んで困らせたら囲みに行けばええし】【信者こっわwwwwwまあ先兵は任せろ】【草】【www】
いやーうちの登録者は常識人多くてうれしいね。
トイッターのDMも、昨日の自爆自分語り以降、脱ニートの先駆者として尊敬してます的なメッセージ届くし。
そんなつもりはないけれど、私生活が害されないなら何でもいいよ。
「はふっ、んん~~~~~ッ! おいひいよぉ……」
「…………」
なんでお姉ちゃん、ナチュラルに6個も買って1個だけわたしに渡したの?
自分が5個? お昼ご飯まだだよ!?
ダメだ、気にしたら負けだ……自分の事だけ考えよう。
ってこれ美味しいね。コーン揚げってやつ。うますぎる。
さてこの道の駅うりゅうだけど、雨竜郡雨竜町って言う住所にある。
凄い名前だよね。雨の竜だもの。かっこいい。
このすぐ近くにある北竜町だと、シーズンになれば一面ひまわり畑の迷路なんてあるんだって。
まあそれにはちょっと早いけれど。
で、なんでここに来たかって言えば、それはお姉ちゃんのナビが間違ったからだ。
基本的には携帯ナビゲーションをハンドルの間につけて、それで道を選んできたんだけど、南幌温泉を出るときに、お姉ちゃんが突然「自分がナビをしたい!」って言い出したんだ。
配信用PC以外にもタブレットも持ってきてるしね。それのマップを使ってナビをしたいってさ。
まあ配信にトラブルが無ければお姉ちゃんがすることは、投げ銭の際にコメントを拾って、色付きの定型文でお礼を打つくらいだから、退屈といえば退屈だったのかもね。
けどお姉ちゃんってどこか抜けてるところがあるというか……。
本来は旭川までの道は、岩見沢市から国道12号線に入って道なりに行くはずだったんだ。
けど滝川市内でコンビニに寄って、その後国道に復帰する際に、お姉ちゃんが自信満々で”この道をまっすぐ抜けるんだよ!”と言うからその通りに行ったのさ。
そしたら国道には入ったんだけど、そこは12号線じゃなくて275号線だったんだ……。
なので元のルートに復帰するには、ここから北に向かうと着く沼田町ってところから右に折れて深川市に向かって、12号線に戻るというルートを取らざるを得ず、かなり遠回りになっちゃったという事さ……。
まあナビ係はクビにしたけれども。
しょぼんとしてもダメだよ?
さてそんなお姉ちゃんはさらに買い足したカマボコの詰め合わせに挑むために椅子に座り込んだので、わたしは少し別行動をする。
一応お姉ちゃんの方に向かって手を振りつつ。
まあお姉ちゃんの視線は熱々のカマボコにロックオン中だけど、肩についているアクションカメラがあるからね。
リスナーには見えているだろう。
あと音声もピンマイクから飛んでるし。
これはお姉ちゃんが奮発した機材の一つで、プロが使う奴と同じ。
腰につけてる発信機が水に弱いって弱点はあるけど、音声はクリアに拾う事ができるし、マイク部分のノイズキャンセラー機能が凄いので、走行中でも聞き取れる優れモノさ。
向かったのは駐車スペース。
ここに入って来た時に気になっていたんだよね。
ピカピカの黒い大型。
わたしと同じハーレーだけど、こっちはウチのモデルよりもずっと最近に発売された、ロングツーリング用のフラッグシップモデル。
ウルトラリミテッド。大きくてかっこいい。
綺麗だけどあちこち手が入っていて、かなり乗り込んでいる気配がするんだ。
なのでどんな人が乗ってるんだろう? って思って。
こういうのも旅の出会いって奴じゃないかな。
「こんにちはっ」
「やあお嬢さん、こんにちは」
「あらあら、かわいらしいライダーさんですこと」
近寄るとそこには60歳は優に越えているだろう老夫婦がいた。
旦那さんは綺麗に白んでいる髪をアイビーカットでやはり白い髭はカイゼル。
奥様は小柄だけど昔はかなり美人さんだったろうって感じの上品な人。
彼女も白髪頭だけど、まるで映画のレオンに出てたナタリー・ポートマンみたいな髪型。
前髪パッツンでおかっぱというか。凄い似合っている。
「はい、初めて北海道に来まして。動画を録りながら姉妹で旅をしています。名前はえっと本名がリスナーに聞こえるとアレなので、チェリーと呼んでください」
「おお、それは素晴らしいな。私は前田という。家内は撫子だ。よろしくな、チェリー君。む、横のが君たちのかい?」
「ええ、前田さんのと同じモデルですが、年式が3年ほど前のです」
「いやー若い人がこのモデルに手を出すのは珍しいな。重たいがいい子だろう?」
「はいっ! 曲がるのが大変なのはハーレーの宿命ですが、長距離を走ると本当に素敵な子だってわかります」
「あらあら、どうしましょう。こんなおばあちゃんがカメラに映るなんて恥ずかしいわっ」
ご謙遜を。こんな素敵なおばあちゃまなんてそういないよ?
前田さん夫婦はにこやかに話しに応じてくれた。
お二人とも私立高校で長年教師生活をしていたようで、元同僚、つまり職場結婚だね。
同い年の二人は、定年と同時に隠居して、持ち家は息子さんご夫婦に生前相続させると、鎌倉に小さな家を買って、そこを拠点に全国を旅しているとか。
ハーレー歴も長く、40年以上乗られているって。
凄いなあ……。
とにかく仲良しなのが滲み出てて、話しているとくすぐったくなったよ。
教師時代もお二人それぞれの単車で通勤してたとか。
奥様はトライアンフ乗りだって。
うわーなんかお洒落な夫婦だねえ。こんな素敵な先生が担任だったら退屈な学校生活も楽しく思えるだろう。
わたしはそんなお二人と写真を撮り、連絡先を交換すると札幌方面に向かう彼らを見送った。
彼らは知床を見た後にそのまま北上し、右側に延々とオホーツク海を眺めながら稚内に入り、そこからのんびりと観光をしながら南下してきたという。
わたしたちの逆回りのルートだね。
ラインIDを交換すると、奥様が旅の途中で見つけた美味しいお店とか、ここは見ると良いって観光地を色々送ってくれたよ。
感激しちゃった。また旅先での出会いに恵まれたよ。
残り12日程度。
まだ旅は始まったばかりだけど、今までの音声を聞いていたのか、満面の笑みでブンブンと手を振っているお姉ちゃんを見つつ、わたしは密かにこの旅の終わりに、一つこうしようと目的を決めたのである。
ちなみに、ご夫婦との会話の時は、わたしの音声はリスナーに聞こえないようにしてたそうな。
理由を聞くと、「これは動画で使えるネタだもん。勿体ないよ~」だって。
さすが自称敏腕ディレクターだねえと呆れ交じりで感心したわたしである。
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The Door into Summer 試される大地へ④
「せーのっ」
「「日本最北端到着~!!」」
【やったぜ】【あっという間だったな】【君たちは何かを忘れているのでは?】
【嫌な事件だったね……】【チェリーはまた伝説を作ってしまったな】【やめたげてよぉ!】
「や、やかましいっ! バイクも車も運転できるけど、船は無理なのっ」
【ゲロイン】【リバースチェリー】【チェリーを経て大海原に還る】
【(¥30000)】【無言ニキ何回目だよwww】
さて、相も変わらずわちゃわちゃしているけれど、わたしたちは日本最北端の地とされる稚内市にある宗谷岬にやってきた。
目の間にひろがる大海原。近場の海底は砂じゃなく玉砂利が多いからか、驚くほどに水が透き通っている。
わたしたちがいるのは三角のオブジェの場所で、ほかにも観光客はまばらだけどいるね。
テンションをあげてカメラに向かって喋るわたしたちを不思議そうに見て来るけど、そこはお姉ちゃんに抜かりはない。
いつの間に作ったのか、チャンネル『涅槃の住人』のチェリー名義のポップな名刺を配って宣伝していた。そつがない……。
ま、最北端と言ってもあくまでも”人が行ける”って意味で、正確に言うと、岬から先に見える小島が本来の最北端らしいけどこまかいことは良いのだ。
そしてお約束のセリフを言いながらジャンプ!
苫小牧からスタートしてからの今日までの日程としては、四日目という事になる。
ざっくりというなら、初日は南幌温泉で一泊。
二日目は旭川市内のシティホテルでの一泊。
理由はリスナーからの投票で決まった行先が、某孤独にグルメを楽しむのが大好きな独身実業家のドラマのロケ地となった居酒屋になったから。
なので旭川周辺の温泉地にはいかずに市内泊になったんだ。
翌日は朝から旭山動物園を足早に堪能すると、お昼前に旭川ラーメンを食べて出発した。
ちなみに入ったお店も地元リスナーにオススメされたところで、野菜醤油ってのがとても美味しかったなあ。
スープ表面にラードが張ってあって全然冷めないけど、でもベットリ感もなくて。
お姉ちゃんは当然の様におかわりしていた。
その後は一路稚内へ向かい、フェリーで利尻島へ。
これが三泊目となる。
ちなみに旭川は配信がし辛い場所だったので、移動中のみだけ行い、施設内や居酒屋での出来事は別途旅動画の方でみんなには見てもらうのだ。
焦らしプレイか!? とリスナーがざわついていたが、貴方たちはわたしに何を求めているのか。
さて、リスナーが騒いでるのは、利尻富士とウニを満喫するために立ち寄った利尻島での事だ。
小さなフェリーで行くのが嫌だったけれど、島自体は良かったよ。
まあ離島だから期待のハードル上げすぎると拍子抜けするかもだけど。
ただ利尻島の真ん中にそびえる山が利尻富士と言われるだけあってさ。
角度によっては本当に富士山に見える。
北海道側から見るとね、海の中にニョキっと巨大で綺麗な三角が生えているように見えるから迫力があるね。
ウニも美味しかった。
民宿に一泊したんだけど、食べきれないほどに豪華だったなー。
ムラサキウニとエゾバフンウニの食べ比べ……贅沢だったなあ。
殻のまま焼いたウニは、前世のオレ時代も含めて、わたし史上第一で美味しい食べ物に立ったかも。
お姉ちゃんは……わたしは語るまい……。
ただ帰りのフェリーでね、酔い止め飲むのをすっかり忘れてさ。
フェリーからイルカが見えるって事でデッキに出てたんだけど、急に吐き気に襲われて、海に全部リバースさ……。
ウニ色のアレがドバーって……。
もうね我慢する間がなかった。
しかも心配したのかお姉ちゃんが駆け寄るから、カメラに全部映ったじゃん……。
それを弄られていたって訳だ。
船だけはダメなんだよぉ……。
「とにかくっ、旅動画の方では全カット」
【横暴だ!】【チェリー議員には説明責任を果たしてもらわねば】【チェリーが出馬するなら投票いくわ】【草】【ゲロを吐きたくない吐きたくないおもてウワーン】【www】
そんな茶番を挟みつつ、わたしたちは前田さんご夫婦が通って来たルートを逆走する。
目的地はもちろん知床半島だ。
前世でもここでも知床は世界遺産。
リスナーの強いオススメでもあり、ぜひ行ってほしいってさ。
それに予約は必須だけど、遊覧船で半島を外海から見れるツアーがるという。
そこでは野生のヒグマが見れるとか。
これは行くしかない。
ここまでバイクの調子も特に悪くない。
一応要所要所で見つけたハーレー直営店か、なければブラックバロン系列を見つけると入り、メンテナンスをこまめにしていたのも良かったね。
ハーレーは2000年モデル以降、電気系統まで含めた信頼性が大きく増して、ヴィンテージハーレーのような神経質なチェックは必要ない。
けど長距離ツーリングは何があるかわからないから備えるのは大事だ。
「うー……この辺りも寒いなぁ」
「オホーツク海、ずっと続くんだねぇ~」
「お姉ちゃんはいいよね。防寒マシマシだもの」
「運転もしなくていいから楽よ~。チェリーちゃん頑張って~」
「ぐぬぬ……」
【姉より優れた妹(ry】【ヒマDがブランケット巻きすぎてマトリョーシカに見える】【かわいい】【ちな地元民やけど、これからずっとこんな感じやぞ】【まじかよならチェリーの鼻聖水ずっと見れるやん】【やめてやれ】【(¥10000)】【無言お布施ニキェ……】
稚内では寒さ対策にウニクロに寄り、ライダースの下にフリースを一枚加えた。
ヒートなテックな肌着は既に装着してるしね。
けどお姉ちゃんはブランケットを数枚増やして足・腰・顔とグルグル巻きでひよこ饅頭みたいになってる。
まあわたしは景色を楽しみにながら運転をするのみ。
で、稚内だけど、正直見る所があまりなく、岬で大騒ぎした後はそのままオホーツク海側に向かう事に。
いや海は鈍色で風も冷たいし、映画の南極物語関連の展示が見れる公園があるけど、まあうん。
まあ稚内近辺在住のリスナーが必死にアピールした結果、とても美味しいと評判の回転寿司屋さんに寄ったけどね。
寿司はうん、とても美味しゅうございましたわ。
そして稚内を出て暫く走り、猿払村というところを通っている。
この周囲は稚内周辺にもあった湿原があって、そこに幻の魚と言われるイトウがいるそうな。
ネットで調べると、ずんぐりむっくりした巨大なマスみたいな感じ?
なんか可愛く見えた。
まあそれはそれとして。
「旗増えすぎだよねえ。後ろからバサバサうるさい」
「ねー」
【それな】【まあ北海道ツーリングの醍醐味みたいなもんだし多少はね?】【今何本だ?】
【10本は余裕でこえとる】【チェリーを知っている奴結構いてびびったは】【だなー】
「お姉ちゃんが頑張った結果だね。この人はみんなが思っている以上に腹グ……有能だから」
「チェリーちゃん?」
「…………お姉ちゃんごめん」
【姉より(ry】【つよい】【(チェリーは)よわい】【クソザコナメクジ】
【まあでもそうね。ヒマDは有能だよ(震え声)】【スレで見かけた】【特定やめろ死にたいのか】【草】
旗ってのはあちこちでもらえるライダーの荷物に指すミニフラッグ。
これはわたしも欲しかったんだよね最初は。
元々は北海道のホ○レン、そのガソリンスタンドがやっていたサービスで、北海道を4分割した地域ごとに旗があって、それを給油したライダーに無料配布してたんだ。
で、4つ全部集めると、北海道を制覇した証みたいな感覚?
もっともこれは、抽選方式になったり有料化したりと無料ではなくなったけど。
調べると納得したけどね。
フルサービスのSSが淘汰されてセルフSSが全国に台頭した。
なのでホクレンSSは経営的に無駄な出費がしづらくなり、結果有料化にしたとか。
世知辛い事情ですねえ……。
なんだけど、お姉ちゃんが宣伝の為だ! とかで、密かに作っていたらしいプレートをバイクの後ろにつけてるんだよね。
――ムーチューバー『チェリー』 北海道一周中!
――チャンネル登録はこちら【URL】
北海道の市区町村が記載された地図にさっきの文言が載っててね。
通った所は制覇ってことらしく、赤く塗られてる。
まあそういうアピールとしてやるんだ! って言うのは良いんだけどさ……。
これねえ……旭山動物園を出る時に、急に芝居がかったお姉ちゃんがハンディカメラを回しながら渡してきたんだよね……。一応別枠の動画分として撮ってるのはわかるけどさ。
でもなんで最初から渡さなかったのかと聞けば、目を泳がせながら「き、企画の都合だよ~……」って、お姉ちゃんさ、普通に忘れてただけだよね?
で、コレを付けた結果、SSで停まったりコンビニ寄ったりすると目立つようで、見た人が「配信見てます!」とか「握手してください!」とか声を掛けられるようになったんだ。
応援してくれるのは嬉しいし、ダラダラとやってた筈の配信に、生のレスポンスがあるのは驚き。
で、その流れでSSとか道の駅とかで旗もくれるんだよ。
わたしを知っている職員さんとかがニッコニコしながら。
なのでホク○ンSSの旗とは違う、自治体の地元色の強い旗とかが増えたんだ。
嬉しいんだけど、いっぱいつけると音がねえ……。
ただ旅をしている感は凄いね。
実はつけきれない旗も荷物の中に結構しまってある。
東京に戻ったら地元色の強いこの旗たちを紹介する動画を作ってもいいかも。
とか、まったり考え事をしているのは、ほとんど信号待ちも無いままに一直線の海岸線を延々と南下してるから。
正直長距離の移動って喋る事ないんだよね。
コメントの読み上げも切ってるし。
時折お姉ちゃんが反応してるけど、運転に集中しないとだしね。
なので気を使わなくていいので楽ではあるんだ。
もうすぐ夕方なので太陽が陰りつつある。
さっきの標識で”紋別市”があと40kmの表示があった。
だから17時くらいには市内に入れると思う。
いやー北海道入りしてそんなに経ってはいないけど、いろんな感覚がマヒしたなあ。
それの一番すごいのがこの看板だよね。
走ってみればわかるんだけど、40kmって大したことないって感覚になるんだよ。
わたしは都内でもバイクを移動に使うけれど、10km先でもかなり時間がかかる。
こっちは40kmの表示距離を時速60kmで走ったなら、そのまま40分で到着するんだよね。
これが凄い。
いやまあ札幌市とかみたいな、北海道での大都市では別だろうけどさ?
けどツーリングだけで考えると、ほとんど狙った時間に到着できるんだよ。
そりゃライダーたちの聖地とも呼ばれるよね。
いいなあ北海道。
と言いつつ、試される大地の呼び名を考えると、住もうとは思わないけどね。
旅行で来るからいいんだろう。
聞けば沖縄と並んで就職率も低いというし、ここにはココの苦労がある。
なので気軽に住みたいなんていえないなあ。
「うおっ、みんな見て見て! でっかいカニのつめ~~」
「おいしそぉ~!」
そんなこんなで突如視界に入る謎のオブジェ。
夕暮れの高台に赤くそびえる大きなタラバガニの爪!
どうやら紋別市に到着したみたいだ。
今夜は既に宿は予約してある。
料理屋もね。
こっちで初めて食べる本格的魚介類。
考えるだけでじゅるりとヨダレが……。
しかしオブジェに対してのお姉ちゃんのリアクションがあんまりで、コメントで揶揄われている。
よかった、わたしが突っ込まなくて済んでさ!
☆☆☆☆☆☆☆☆
「おいしかった。それしかない。……真なる美食の前では語彙力など消える」
【草】【(チェリーに食レポは)ダメみたいですね……】【知ってた】
【ヒマDもおいしいと咀嚼音しか聞こえなかった件】【職人、わかってるな?】【こちらをお納めください(※ヒマDもぐもぐMP3)】【(¥10000)】【天才】【やったぜ】
やかましい。
むしろ味を事細かに食レポする方が胡散臭いでしょう。
おいしい。それに勝る称賛はないんだよ。
「これはメッしなきゃだけどぉ~お腹いっぱいだから許す~」
【……】【こいついつもお腹いっぱいだな】【www】【そら(あんだけ食べりゃ)そうよ】【残当】【ワイ気が付いた。この姉妹は超絶美人だけどそれぞれ残念だって】【あっ(察し)】【でも姉妹で並んで浴衣姿で寝転んでるんやぞ】【●REC】
「ふへへ……アーカイブは残さないからね……でも今日は流石に疲れた。おしりが痛いし体中が振動している錯覚がするもん……」
今日で四日目の晩。自宅からも含めると、結構な距離を走破したことになる。
だから体が結構疲れてるのが表面に出てきたかもねえ……。
女性の身体ってさ、筋肉が男ほどないし、わたしの場合は皮下脂肪も少ないから、シートに跨り続けているって結構ダメージが大きいんだ。
今日は美味しい物を食べて、その後のんびり1時間ほどお風呂に使ったから余計にぐったりしてるよ……。
【いやマジですげえよ】【見てる以上に楽じゃねえからなバイクで長距離】【大型転がすのは男でも骨だぜ】【チェリーは背高いけどガリガリやもんなあ】【おいやめろ】【察し良すぎて逆に煽りになってて草】【おいおいおいアイツ死んだわ】
※『チェリーな男の子』は管理者によりブロックされました※
【草草の草】【俺のログには何もないな】【当たり前だよなぁ?】
「ふっ、ヒマDほどのスキルはないけど、最近この程度の操作くらいはできるんだよ? 反省の色が見えたら解除するけどね。ダメだよ、乙女を傷つけたら」
【ん?】【乙……女……?】【ああ、はいはい、ヒマDの事ね】【(※30000)】【だから無言ニキは何に払ってんだよwwww】
「二度目は……ないよ?」
【お姉さん許して!】【チェリーは希少価値!】【チェリーカワイイヤッター!】
「てのひらクルックルーだね……ま、嫌いじゃないけど。ブロック解除っと。君は反省するように」
食後のひと時。
紋別の観光ホテルに到着したわたしたちは、オーシャンビューのスイートルームにチェックインした。
ここまで結構走り続けてるから、ここに二泊する予定だ。
疲れを抜かないと持たないと判断だね。
いまはGWも明けたシーズンオフだから、宿泊費は素泊まりで2万円とお安め。
部屋自体は全体で30畳近くあって、その中に和室と洋室の寝室&ベッドルームがあり、和洋折衷な内装の大きなリビングがある。
小さなキッチンにバーカウンターもあって、明日は海の幸を買って何か作ろうってお姉ちゃんが息巻いていた。
お風呂もオーシャンビューで、食事は1階にある炉端焼きの和風レストランで食べた。
凄いねえタラバガニ。
別料金で一匹、いや一杯か。
3万円もする。でもね、大きさが尋常じゃないからその位はするんだろうね。
食事風景は撮影OKだった。
宿名も出していいってさ。
お姉ちゃんがフロントで交渉したら、広報の人が対応してくれて、ちょっとしたタイアップみたいになった。
具体的には館内の撮影は浴場以外OK。
ムーチューブでの公開には、広報にデータを送ってOKが出れば流してもいい。
そして今夜の夕食が宿の提供! お酒も! オホーツクの地ビール!
あ、カニは追加だからもちろん有料ね。
炉端のコースが無料!
広報の人がお姉ちゃんに宿が北海道ローカルでTVコマーシャルを打った時のロゴとかをデータで送ってくれるっていうから、それを動画内に入れる事。
そして動画内で宿の名前を演者であるわたしが3回ほどいう事で結ばれたのがタイアップの全貌なのです。
生配信に関しては検閲ができないから、部屋内とレストランの個室内だけOK。
まあ一般客が写ると面倒っていう理由だよね。
不倫カップルでも背景に写ってたら宿に大クレーム来るだろうしね……。
まあそんな訳で、豪勢な食事を貪り食べたわたしたちは、リスナーに酷いメシテロだ! と揶揄われつつも満喫したのだ。
そして一度配信を切ってお風呂へ。
お風呂は普通に考えると食事の前に入るべきだけど、到着後すぐにバイクを駐車した時にめまいがしたんだよね。
疲れすぎっていうの? なので風呂に入る気力がね……。
結局食事でお酒も入って気怠かったんだけど、そこはお姉ちゃんがわたしを引きずるように大浴場に。
お姉ちゃんってザルだからなぁ……。
酔って正体をなくしたりとか絶対ないもん。
で、疲れと満腹と酔いと湯上りの倦怠感があわさり今の状態へ。
温泉のレンタル浴衣を纏って大きなベッドでゴマフアザラシの赤ちゃん状態。
例のバイノーラルは今回はなし。
ただお姉ちゃんもわたしもグッタリしてるので、コンプラ的に見えたら色々まずい部分に対策をしつつ、雑談配信。
だってねえ、自宅なら下着はつけないからね、後は寝るって段階で。
けどここではカップ付きキャミを装着して対策している。
迂闊なエロでBANされたくないしねえ……。
まあ普段なら配信は1時間とかで終わるんだけど、みんなのお金で来た旅行だしね。
できる限り配信して、みんなも一緒に旅行している気分になってもらう! っていうのがそもそものコンセプトなんだ。
リスナーたちは喜んでくれてそうで安心だけど。
配信開始すると常時2万人とかいてびっくりしちゃうけどね。
それでもこの旅の間は彼らとのコールアンドレスポンスを目いっぱい楽しむつもりだ。
ってお姉ちゃん寝てるじゃん。
静かだなと思ったら、寝息が聞こえてるもの。
お姉ちゃんも疲れてるよね。
サイドカーに乗ってるのって自動車より大変だもの。
「ぅうん……もう食べられないよぉ……」
「……………………」
【でしょうね】【ベタな寝言ですな】【可愛いから困る】【それな】
【チェリー疲れてるだろうしもう寝ろ】【うん明日動けなくなって見れなくなる方がつれー】【同意】
うん、うちのリスナーは良い奴らだ。
配信始めてよかったな……。
だから気遣いへの感謝として、一瞬だけバイノーラルマイクを繋いで「おやすみ」と言ってこの日は終了。
と言っても、寝落ちしたお姉ちゃんをベッドの中に入れるというミッションは発生したんだけど。
それも含めて楽しかったのだ。
お姉ちゃんの幸せそうな寝顔を見ながら、わたしはわたしとして、一つの事を決意した。
「…………旅の終わりまで、待っててねお姉ちゃん」
ここまでの旅の中で、いっぱい考えてた。
これまでの事。
これからの事。
だから、もう少し待っててほしい。
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The Door into Summer 試される大地へ⑤
「結構迫力あったねぇ」
「うん、もう一周したいなぁ~」
「いや流石にそれは……えっと網走監獄を見てきました。流石に入館料払う施設は自分の足で行くべきなので配信は自粛したんだけど、思ったより良かった」
【ワイはコメ欄のお前らがここの厄介にならないことを祈る】【それな】【ねーよ。オレたちは健全にチェリーを愛でるのみ】【それが犯罪臭するんだよなぁ】【草】
結局わたしたちは紋別市のホテルで二泊した後、のんびりとサロマ湖を見物しながら網走市に入った。
ちなみに紋別での二泊目は、漁港近くにあった市場で買って来た魚介類を使って、ホテルの部屋で料理をした。
というか前日のカニが美味しかったから、またもや巨大なタラバガニを購入し、パスタやら焼きガニやらを作ってリスナーを阿鼻叫喚の状態に落としてやったのさ!
流石にこの身体で大型バイクを運転し続けるダメージは割と無視できないレベルで。
なので二泊したのは正解だったね。
おかげさまですっかりとリフレッシュできた。
話を戻して網走では、網走監獄という旧網走刑務所の建物をそのまま使った歴史博物館に入ってみた。
北海道観光では割とメジャーらしいけれど、地元リスナーに”一度見ておくべき”と強いプッシュがあったからね。
ここは明治時代から使われていて、今は新しくなった網走刑務所に役割は移っている。
映画の舞台になった事もあり、知名度はあるが、単純に刑務所を見学できる以上に、北海道の歴史に直結する歴史的に意味のある場所なのだ。
パンフレットによると、東京ドーム3.5個分の敷地面積があるらしい。
中では受刑者たちがどんな生活をしていたかを見学できる。
驚いたのは、味噌や醤油といった調味料を中で自作していたり、レンガを焼く施設があったりと、かなり自給自足が行われていたという事かなあ?
まあ当たり前なんだろうけどさ。
当時は現代の様な流通事情よりも劣っていたし、毎日仕入れるなんて出来ないんだろう。だから自分たちで作るのが当然なんだろうし、何よりオホーツクの厳しい気候の中での作業が、そのまま刑罰の一環という。
何より、この手の施設を見ていると、北海道って観光イメージが強いけれど、実際に人が住む土地としての歴史がびっくりするほど浅いって事に驚く。
元々はアイヌ民族が暮らしていた土地だし、人が多く入植してきたのは幕末以降だからね。
なので文化が根付いたって意味では、まだ200年にも達していない。
そう考えると面白い場所だよね。
面積は大きくても離島であること。
気候が厳しすぎて過酷な事。
それは本州での常識が通じない事。
結果、北海道はガラパゴス諸島の生物が独自の進化をしたように、本土とは違った文化や生活習慣が根付いたのかなって。
「んー、寒い寒いって騒いでたけど、段々慣れてきたねお姉ちゃん」
「そうだねぇ~。そろそろ一週間になるから」
「もうすぐ日程の半分が終わるのかぁ……あっという間だぁ」
網走を出たわたしたちは今日の目的地であり、旅の目玉でもある、世界遺産、知床国立公園に向かっている。
それもあって旅の6日目でもある今日は、午前中の早いうちに網走観光を終わらせたのだ。
ひとくちに世界遺産の知床と言っても、とにかく大きい。
ニョキっと生えた知床半島は、根元から先まで70kmもあり、幅は一番長いところで25kmにもなるそうな。
そして北側が斜里町、南側に羅臼町があるんだけど、わたしたちは北側から来ているので、今夜泊まるのは斜里になる。
と言っても、半島の根元から30kmほど中に入った場所の海側なので、網走からはかなりのロングツーリングになる。
なので今日の配信は、わたしの肩口についているアクションカメラのみの単純な車載映像だけに絞り、コメント読み上げも切っている。
網走の手前にあったサロマ湖、能取湖という巨大な汽水湖。
汽水湖ってのは湖なのに海水が入り込んでいる所。
そして網走湖、その周囲を埋め尽くす湿原に原野。
そんな本州ではなかなか見かけない絶景を眺めてきたわたしたちだったけど、JRの
実際それはリスナー達も同じだったようで、北海道に来たことが無い人らはただただスゲーとかヤベーという小学生並みの反応だし、地元民たちはどや? 凄いやろ? と自慢げ。
どっちにしろ車載映像に釘付けになっている。
彼らがその調子なんだから、実際に現地にいるわたしたちの感動はさらに上だ。
と、思えば、何か視線を感じて横を見ると、お姉ちゃんがじっとわたしの横顔を見ている。
それにハッとしたわたしは、思わずごまかすように月並みな感想を言って苦笑い。
そうだよねえ。今日で6日って事は、明日で丁度半分が終わったことになる。
二週間で北海道観光。最初は結構なボリュームだって思っていた。
もしかすると持て余すかな? 途中で飽きないかな? ってさ。
そうは言っても、実際のわたしたちは日程の半分を使って外周をぐるりと回っているだけなのだ。
できれば函館まで行きたいけれど、知床以降の展開によっては断念もありえる。
無理すればいけなくはないよ?
けど今いる道東の端っこから、札幌に向かうにはおおよそ8時間かそれ以上は余裕でかかる距離だ。
そして札幌から函館まではだいたい5時間ほど。
どっちにしても一応は有料道路のルートがつながっている。
けどねかなりの勾配が続く場所も多いし、ラクって訳でもなさそうなんだよね。
景色を楽しみたいとは思っても、一般道での峠越えはしたくないしさ。
それに泊まったり食事をしたり、観光をしたり。
そういうタイムロスを考えると、残り1週間では結構アレだと思うの。
それに、わたしはこのオホーツク海側の景色をすっかりと気に入ってしまった。
できればもっとゆっくりと見たい、そう思っている。
帰る際のルートは、来た時の苫小牧のフェリーもあるけど、釧路、室蘭からも東京方面に船が出ている。
一応往復で予約はしてるんだけど、最悪キャンセルして別の所から帰るってのも考えなきゃいけないかなぁ?
まあこれも旅の醍醐味というか、そもそも行き当たりばったりでやるって言ってたし、そう考えると延長もアリと言えばアリか。
現在のわたしやお姉ちゃんは、コレが仕事と言えば仕事だしねえ。
どこまでできるかわかんないけど、どこまでやれるか頑張ろうっていうのが姉妹で話し合った結果だし。
それにだ。本来の目的である、リスナーからの投げ銭を使って~って奴だけどさ、実際はそんなに派手に使えてないんだよ……。
カニを買ったりとかで散財っぽいのはしたけどさ、逆に言うとツーリング中はほとんど減らない。なので毎日使っているお金は、10万にはるか届かない。
いやー別に切り詰めるつもりも、そんな気も無いんだよ。
けどね、金をガンガン使う目的ってツーリング旅と相性悪いって今更に気が付いたね……。
それにしてもお姉ちゃんは、なんでわたしを見ていたんだろう?
旅のおわりが見えてきてセンチメンタルになった?
それとも――
どっちにしても、わたしは旅のおわりにある事をしようと決断をした。
それに対して恐怖心は無い。
もう完全に覚悟が決まっているんだ。
ならその瞬間まで、わたしはただ十全に、純粋にこの旅を楽しむ。
わたしと、お姉ちゃん。
2人旅を。
わたし達のロードムービーはどんなエンディングを迎えるのかな?
キングのスタンドバイミーの様に、人生の旅はそれぞれの道に進んでいって、子供の頃のふしぎな体験を忘れてしまう。
それが大人になる事なんだろう。
オレだったわたしの人生の旅は、とても歪な始まりだった。
けれどいつか、ずっと将来。
この旅の事を思い出した未来のわたしはどう感じているのかな?
懐かしむ? それとも苦しむ?
できれば笑っていたいなぁ。
そう思いつつ、わたしははるか先に見えてきた、知床半島に目を奪われたのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆
【やべえよやべえよ……】【これマ?】【チェリー持ってるなぁ(震え声)】
【洒落になってねえんだよ】【道民どうにかせーや】【むりむりむりかたつむり。ちな札幌民やけどこんなん出たらニュースで大騒ぎやで】【うちのお姫さん達、目キラッキラなんやが……】【それな】
「…………」
「…………っ」
わたしたちは今、二種類の気持ちを強く感じている。
ひとつは歓喜、または興奮。
ひとつはがっかり感。
読み上げは切っているけど、リスナーが騒いでいる原因がその元凶。
答えはヒグマである。
事前に調べたんだけど、ヒグマは北海道のイメージが強いけど、実はそんなことは無く、北海道と同緯度から北極圏の間に含まれる地域に生息しているそうな。
大昔はもっと下の方にもいたらしいけど、乱獲されたりして生息数が減り、その結果、人口密度の低い北方に多くいるってだけらしいよ。
そしてヒグマは、ホッキョクグマに並んでクマ科では最大の大きさ。
ちなみに日本と限定すると、陸上に住む哺乳類で最大だって。
つまりとってもヤバイ相手なんだね。
それでね、斜里町エリアに入ったわたしたちは、地元の観光地に寄りたいのを我慢し、国道334号線をひたすら北上していった。
ゴールはウトロという地域で、観光ホテルや温泉が集まる観光拠点。
まずはここにチェックインしないとね。暗くなる前に……と言うか既に少し暗い。
そんな訳で割と急いでいたわたし達なんだけど、湾に囲まれたように見える、夕日で黄金色になっているオホーツク海や、途中で見つけた滝や、海に飛び出る謎の岩に見惚れたせいで、かなりのタイムロスをしてしまった。
そして慌てて移動しようとアクセルを開こうとしたわたしの目に、何か黒い玉が写ったんだ。
それは海に面した道の山側。多分地滑り対策に法面工事がされてるだろう芝生張りの斜面から、まるでボウリングの玉の様に転がり落ちてきた。
で、アスファルトの道に着地をすると、ンンンーーっと伸びをするように背中を反らしたそいつは、四つ足で起き上がった。
そう、ヒグマである。結構デカい。
話を戻すと、前者の興奮の理由は、観光船に乗って海から見たかったヒグマがはからずも苦労せずに見れた事。ついでに言えば、こんな至近距離で。
そして後者の失望の理由は、よーしヒグマ見るぞ! と意気込んでたのにここで見ちゃった事で、明日に予約していた観光船に乗るモチベがかなりダウンしたことだよ……。
まあそれはそれとして。
ヒグマ可愛くない?
なんかつぶらな瞳でじーっとわたしたちを見ている。
斜里の観光協会でもらったパンフレットには、絶対にクマにエサをやるなと警告されていたから、その辺はきちんとするけどね。
けど襲ってくる気配もないし、なんかこう寝起き感? ゆるい感じだよ。
もちろんギアも入っているしクラッチもすぐ繋げるように半開き。
こっちに来そうなら、すぐに発進できるようにはしている。
「……行っちゃったね」
「すごかったねぇ~登っていくときもはやい!」
結局ヒグマは帰って行った。
しばらく周囲を見回すと、地面をフンフン匂って、そのままくるっと山に。
その時に斜面を凄い速さで駆け上がって行った。
見た目以上に素早いんだなぁ。
【映画化決定】【www】【やだこの姉妹一切動じてないんだけど】【俺なら騒いで喰われてたは】【ワイも】【(50000円)】【久しぶりに来た!無言投げ銭ニキ】【草】
そんな感じで、ヒグマとの邂逅を果たしたわたし達は、なんとも微妙な感じでホテルへと入ったのである。
いや、うん……のるさ……予約はしてるし。うん。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「うぇ~い……好きに言えばいいさぁ……まさか酔い止めを破るとはね、波の奴め……ライバルとして認めてやるよ……」
【まただよ(笑)】【まるで成長していない……】【もう許してやれよ】
【ワイも画面見てて酔ったゾ……】【スプラッシュ・チェリー】【リングネームかよ】【草】【(30000円)】【無言ニキ……ははーん、さてはお前リョナラーだな?】【申し訳ないがリョナはNG】【(10000円)】【倍プッシュだ……!】
【www】【ワロタ】
「あ゛あ゛ぁ~朝ごはん全部出たぁ~~……」
「………………」
【ちらっと見えたヒマDの顔がヤバイ】【いつになく真顔だね……】【微妙に肩が震えてる……】【やめろーヒマDは堪えろ】【ゲロインはチェリーだけでひとつ】【あっ】【あああああああああああっ】【(50000円)】【(50000円)】【うん、嫌な事件だったね……】【ダメでしたぁ……】【ゲロイン姉妹爆誕】【リョナラーの皆さん大歓喜草】【やっちまったなぁ……】
静かだったお姉ちゃんも大リバースした。
貰いゲロってやつだね……。
ホテルのビュッフェスタイルの朝ごはん。
一応船に乗るからあんまり食べ過ぎないでね? と言ったんだよ。
結果がコレ。
わたしはある意味もう慣れたけど、お姉ちゃん……やっちゃったねえ。
ご飯3回お替りしたあげく、焼き立てにつられてクロワッサンを5個。
おかずプレートも4回持ってきてたもんなぁ……。
「うえええ……気持ちわるいよぉ……もう帰りたいよぉ……」
「…………うふっ、くふふっ」
【酷い逆襲を見た】【ドSチェリー誕生】【今までヒマDにマウント取られ続けたからね残当】【しかも背中さすりながらすっげえ映してる】【姉より優れた妹はいた!】【草草の草ァ!】
こんな感じで、朝いちばんで飛び乗った知床観光船の遊覧旅は、ほぼ8割がリバース騒ぎで終了した。
いやホント船はきっつい。
フェリーは揺れてもそんなんでも無かったけど、小さい船はダメだなぁ……。
あ、一応ね、船からしか見えない滝とか、ヒグマとか、珍しいフクロウとかは見た。
でもね、やっぱり昨日、あんな近くでヒグマを見てるからさ。
リスナーも含めて、感激は薄かった。
だって船のガイドさんが「あそこにヒグマがいますよ!」と教えてくれるんだけど、結局は双眼鏡を使わないと小さくしか見えないし、迫力はないよねえ……。
くそう……ヒグマよ……どうして昨日出てきたんだ。
まるで映画を見ようとする横でネタバレされた気分だよ。
まあヒグマに罪はない。
ごめんね名も知らぬクマさん。
これは八つ当たりなのです。
そうして丘に戻ったわたしたち。
「ああ、まだ視界がゆらゆらしてるねえ……」
「チェリーちゃん、お姉ちゃん帰って寝たいよぉ……」
「そだね……いっそもう一泊しようか?」
「うん……そうしよう……」
ゾンビの様なお姉ちゃんとそう言い合うと、わたし達はホテルに帰ったのである。
良かった。一泊予定だったのに、延長出来て。
ちなみにのんびりと歩いて帰ったよ。
おかげでムカムカしていた胸が落ち着いたね。
ホテルからウトロの港まですぐだからバイクは置いてきた。
しかし知床は凄いね。
雄大な自然とか言うけどさ。
本州だと田舎に行ってもあちこち電線があったりするしね。
田園風景ものどかではあるけれど、都会の様に栄えていないだけで、人の手はたくさん入っている緑の景色だもんねえ。
けどここは違う。
観光拠点となる町は仕方ないけど、一歩そのエリアを外れた瞬間、文字通り一切人の手の入っていないそのままの自然で溢れている。
これってすごいよねえ。
それにここまでくる間に見た海沿いの長い湿原とかさ。
タイミング的にサンゴ草は見れなかったけど、過酷な気候が作った自然の景色には圧倒されてばっかりだ。
本当に来てよかったな。
お姉ちゃんは部屋でダウンしているけれど。
わたしだけカメラを付けたまま散歩に出ている。
海沿いの道をのんびりと歩きながら、改めてそんな感想を持ったわたしだ。
よく若者がインドに旅行に行くと人生観が変わったとか聞くじゃない。
あんな気分だねえ。
前世のオレだったわたし。
キャンプは趣味だったけど、ここまでの自然には出会っていない。
その時に知床に来てたら、オレは変わったのかな?
それは一生わかんないし確かめもできない。
けれど、ここを目的地の一つに選んだことは満足していた。
お姉ちゃんと、そして帰ったらお母さんといっぱい話してみよう。
もっともっと歩み寄って。
自然に抱きしめてみたい、そう思うんだ……。
今日で本当に日程の半分が終わった。
確実に、旅の終わりは近づいている。
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The Door into Summer 試される大地へ⑥
「…………絶景、だね」
「うん、すごいねぇ……」
目の前に広がるパノラマ。
それをわたし達は呆然と眺めるしかなかった。
配信のコメントの読み上げは切っている。
だってお姉ちゃんとわたし。
運が良かったのか、ここには2人しかいないんだ。
なら、静かに浸りたいって思うのは我儘じゃないと思う。
ここは
名前は
知床で結局2泊したわたし達は、知床横断道路を経由して羅臼側に出ると、その根元部分にある
野付半島は、知床の南側の付け根辺りにある標津町の海岸部、そこから平仮名の「つ」の様な形に飛び出たふしぎな場所だ。
イメージとしては京都の日本海側にある
それが北風吹きすさぶ鈍色の海に面している姿は、やはり北海道の東側特有の、幻想的な景色に見えた。
わたしも、お姉ちゃんも。
少しずつ会話が減ってきている。
すごいね、なんて感想は交わしても、軽いお喋りはあまりなくなってきた。
と言っても気まずい訳じゃない。
ここまでの旅で、色々あったけれど。
その中でわたし達は、わたし達なりの距離感というのが熟してきた気がするんだ。
これは持論だけれども、親友とか家族で、絆がきちんとあるならば、無理して会話はしなくてもいいって思うんだよね。
何か話さなきゃという強迫観念は、その空間に違和感があるからこそだと思う。
家族に対してその思いは……正直お姉ちゃんが初めてうちにやってきた頃にはあった。
自分が話していないと、オレというボロが出てしまう、そういう恐怖感があったんだ。
いまは、多分それが明け透けになったらどうするかな?
朧気にそう思う事はあっても、恐怖感はもうない。
なぜかってそれは、甘んじて受け入れると思っているから。
その上で、オレはわたしとなり、そして高科さくらとして、ゆりという母さんと、ひまわりというお姉ちゃんと家族でありたい。
旅をしながらそう考えるようになったのは、おそらくそれを越えないと、わたしは高科さくらに成れない、いや自分の人生としての今を実感できないと思ったからだ。
望遠鏡を覗き込む。
最初はピントがズレていて、景色が滲んでいる。
だからレンズを絞ったりして、ピントが合うと綺麗な景色を見ることが出来る。
わたしというピントが、この旅の中で少しずつ合ってきている、そういう確信がこの事を決意する大きなきっかけだ。
景色はどこを見渡しても地平線。
ゆっくりと湾曲したソレは、なるほど地球は確かに丸いのだと言っている。
全ての事は、丸く収まりつじつまが合う。
だからわたし達は無言のまま頷き合って、恋人達が幸せを願って鳴らすらしい鐘を揺らした。
カーン、カーン……乾いた鐘の音は、高台で吹き荒れる強風にかき消された。
お姉ちゃんはじっとわたしを見上げると、自分とわたしの手を絡めるように繋いできて、
「チェリーちゃん、幸せになろうね? 不束者ですが、末永くよろしくねぇ……」
「…………なんでやねん」
【あら^~】【いいですわゾ~】【エッッッッ】【ヒマDの上目遣いとか殺人レベルやろ……】【チェリーのFPS視点だから破壊力やべえ】【ヌッ……】【(50000円)】【久しぶりに5万ニキ来た!】
人がシリアスに浸っていたのにお姉ちゃんと来たら……。
それに急に読み上げ入れるし。
何その不思議そうに小首をかしげるあざとい仕草は。
でもまあ、これがお姉ちゃんだったね……。
「日程ロスもあるし、お腹もすいた。お姉ちゃん、さっさと次行くよ」
「うんっ、ごはんごっはん~」
【草】【お前いつも腹減ってんな】【それがヒマDくおりてぃ】【せやな】
【おっちゃんが小遣いやるさかい美味いもんでも食い(10000円)】
【大阪のおっちゃん!わいにも小遣いくれや!】【アンタはハロワ行きぃ!】【オカン……】【何この流れ草】【www】
そしてわたしたちは次の場所に向かったのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆
知床を満喫したわたし達。
けれど、この道東と呼ばれる地域には、実はかなり広範囲に見るべきポイントがある。
ざっくりと言えば、知床の南側である羅臼は、花咲ガニとかホッケが有名で、有名なドラマのロケ地にも選ばれた場所だ。
阿寒湖、摩周湖、弟子屈、川湯と言った温泉地も多い。
太平洋側には厚岸のカキが有名だし、そのお隣の釧路市では、和商市場という観光市場があるし、なによりこの一帯はかなりの広範囲で釧路湿原に囲まれている。
その際に鶴居村に足を延ばせば、丹頂鶴の餌付け風景が見られるとか。
ね、これだけ羅列してもまだ漏れがあるほどに、ここら辺は観光資源が豊富なの。
なら何故、わたしがダイジェスト風にモノローグをしているか。
それは、うん、単純に言えば全スルーしたからだ。
これには道東に住まう地元リスナー達も大激怒だった。
いや、まあ、ノリで怒ってる体の愛のある炎上だったんだけどね。
けどこれは苦渋の決断というかさ。
開陽台で360度のパノラマを楽しんだわたし達は、お腹が空いたので料理屋を探したんだよね。
けどね、最初は釧路方面に向かっていたんだけど、選んだルートが悪かったのか、こう、なんだろ、入りたくなるようなお店が無いんだよねえ……。
結果、腹ペコでどんどん機嫌の悪くなるお姉ちゃん。
いや別にわたしに当たる訳じゃないけど、無言でさ。
それを面白がったリスナーが、丁度昼時だけどみんな何食べてんの? と【煽りの呼吸 壱の型】でリスナー達のランチメニューの暴露大会に移行し、これで完全にお姉ちゃんはキレた。
「チェリーちゃん……わかるよね?」
まるで墓の下から響く亡者の声だったよ……。
プレッシャーが酷い。
でもね、ようやく見つけたドライブインっぽい店は、大概休業中か明らかに潰れている。
その結果、わたしは一つの決断を下した。
それはコンビニ。仕方ないでしょ空気が悪いんだから。
北海道を走っていて感じたのは、田舎を走っていてもロー●ンかセ●コーマートのどっちかは結構な頻度で見かける。
そしてわたしは知っていた。
事前に北海道の情報をネットで調べていて見つけたんだけど。
セイコー●ートにはホッ●シェフなる弁当やお惣菜を熱々で提供するコーナーがあると。
さらに言うと、そこのカツ丼系は観光客すら魅了する美味さだとか。
わたしは正直自分の胃袋事情的にカツ丼とかの重たいメニューに心惹かれる事は無いのだけど、お姉ちゃんはどストライクだと思うんだ。
そしてわたしは手早くモバイルナビを検索。
ふむ、なるほど。
10キロ先に湿原を見下ろす展望台アリ。
写真で見るに、路肩から続く広いエスケープゾーンみたいなところに、屋根のついた東屋がいくつかあって、そこから湿原を見下ろせるらしい。
セ●コーマートはその手前に二軒あった。二軒……しゅごい。
実際に立ち寄ってみたわたしは、この世の終わりって表情のお姉ちゃんをサイドカーに放置し、いざ店内へ。
ある、あるじゃない。
凄いよ。一杯積んであるけど、商品を吟味するためにじっと見ていたわたしに「旅行かーい?」と気さくに尋ねてきたおばさんが、少し待ってくれるなら、作り立てをあげるよと言ってくれた。
さすがはホットシェ●と言うだけあるね。その場で作ってくれるらしい。
なのでわたしはご厚意に甘え、お姉ちゃん用のカツ丼を3つと、わたし様に大きなおにぎりチーズおかか味をひとつオーダーし、待ってる間に北海道限定とかいう炭酸飲料のガラナと、乳製品のカツゲンを購入したのである。
10分ほど後、ずっしりとした袋を下げて帰還すると、匂いに反応したお姉ちゃんが満面の笑みで抱き着いてきた。
もうやだこの姉……。
当然リスナー達も呆れていた。
いいの。これもお姉ちゃんのチャームポイントだよ……だよ…だよ…だ(セルフエコー)
そうして機嫌ゲージが回復したお姉ちゃんと展望台に向かった。
まあこの茶番は置いといて、景色はすばらしい。
低木が鬱蒼と茂る湿原は、開けている所には蛇行する清流が見える。
名前はわからないけど、かなり大きな猛禽類が空を滑空しているし、野生のシカも見えた。
わたしたちは東屋に陣取り、カメラを据え置きにして湿原全景と、わたしたちとを映し、のんびりと雑談しながらのランチタイムとなった。
ああ、カツ丼はとても美味しかったよ。
お姉ちゃんから一切れ貰ったけど、ま●泉のヒレかつサンド並みにやらかーいトンかつが、甘辛く煮てあって、控えめに言って500円じゃお値打ち価格だと思った。
わたしのチーズおかかおにぎりも、きちんと手で握った様な米のほぐれ具合でとっても美味しい。
というか、カツ丼みっつを何の疑問も無く食べる姉に改めて驚愕。
え? 3つ? 2つじゃないの?
これが普通のリアクションだと思うの……。
まあいい。
長くなったけど、道東エリアの有力な観光地をスルーした理由はこの時の雑談に関係あるの。
わたしが常々思っていた疑問でもあるけど「このままゴールしても相当に予算があまるんだけど……」って問題さ。
。
多分100万円近くまるっと残るよ。
これでも散財してるつもりだったのに。
それでも現在の状態でも思ったより減っていない。
リスナー達は「知ってた」「ツーリングやししゃあない」と先刻ご承知って感じのリアクション。
それでわたしは言ったんだ。
リスナーに還元と言いつつこの体たらく。
なので企画を立ち上げると。
それはそれは強く宣言したよ。
提案したのは2つ。
一つ目は、わたしたちがコレだ! と思ったお土産を購入し、リスナーに応募をして貰って、当選者にプレゼントをする。
その際に、旅のあちこちで撮っていたわたし達の写真をセットにして送る。
お土産は北海道らしいグッズか有名なお菓子の詰め合わせとかにしてさ。
写真はデジカメだからデータからプリントアウトすればいいし。
身バレ対策は、郵便局の私書箱を利用するか、ビジネスベースでLINE@を契約すればどうにかなる。
そして二つ目は、お金のかかるアクティビティに挑戦する。
これは割とここから近い場所でいける。
帯広を中心とした十勝。
ここでは熱気球が盛んで、予約をすれば貸し切りで遊覧ができるそうだ。
雑談放送をしながら検索をかけてみたけど、今時期でもやっているのが確認できた。
わたしは放送を続けたまま、その会社に電話を入れ、見積もりを聞いて予約を入れた。
半日ほどチャーターして15万円ほどだった。
ね? いい感じでしょう。
どちらもリスナー達は喜んでくれた。
写真の下りでは、北海道に巨大な温水プールとか無いのか!? と大騒ぎ。
誰が水着を晒すか。
女としての生き方とか生活になじんでいても、それはわたしの肉体が女である事に馴染んだだけで、精神が男であることをやめた訳じゃないんだよ……。
まあ、リスナーには言えないけどね。
そんな訳で、お腹を満たされご満悦なお姉ちゃんと、一路帯広に向けて出発したのだ。
道東をスルーしたのは、それなりに移動距離がある事と、ゴール地点を札幌と定め、その間にある遊べる場所を色々巡ると決めたからだ。
ニセコ、ルスツ、名前だけでも心躍るじゃないか。
そう、チェリー達の北海道旅行はこれからだ!
☆☆☆☆☆☆☆☆
「あのね、お姉ちゃん。この温厚なチェリーでも、流石にこれは怒るよ」
「………………ごめんなさいチェリーちゃん」
【下剋上が成立した瞬間であります】【www】【ポンコツと化した姉】
【割と初期からポンコツでは(小声)】【草】【これはしゃーない】【残当】
しゅんとしているお姉ちゃん。
周囲はすっかりと暗い。
スマホを見れば21時過ぎだ。
そりゃ暗くもなるよ。
今いる場所は国道沿いと言いつつも、何もない原野の横だ。
わたしはため息をしつつ、路肩に駐車したハーレーのライトの中で、お姉ちゃんに説教をしていた。
いやでも、もう決断しないといけないよね。
だからもう一度ため息をつき、わたしは無慈悲に宣言した。
「お姉ちゃん」
「……はい」
「ここをキャンプ地とする」
「む、無理だよぉ……寒いよここ……」
「そうだよ? 初夏と言ってもここは北海道。夜は寒いのはとっくに理解しているよね? でもそうなったのは誰のせいなのかな? あれだけわたしが宿を先に決めようって言ったのに、帯広の豚丼の店をはしごするって言い張ったのはお姉ちゃんだよぉ?」
「ぐう…………」
【リアルでぐうの音出す人初めて見たは】【草】【チェリーどSモード】
【いやー北海道舐めすぎたな】【まさかこんなオチとはなぁ】【これは反省すべき】
【詫び石案件】【ヒマDはソシャゲキャラだった……?】【ワイの財布ぶっこわれるからやめーや】
そう、すべてはお姉ちゃんの我儘のせいなのだ。
簡単に説明すると目的地である帯広市には、16時過ぎに到着した。
市街地を抜けて、まずはホテルが集まっているエリアに向かうつもりだったわたし。
それに待ったをかけたのがお姉ちゃんである。
曰く、帯広駅一帯に、豚丼の店がいっぱいあると。
営業時間的に、まずは豚丼を所望すると。
わたしは難色を示したが、まあ一軒くらいならいいか。
せっかく名物らしいしね、そう思った。
そしたらさ、17時ちょうどくらいの時間帯なのに、あちこちに点在する店には凄い行列があるんだね。
普通18時近くに混みだすでしょう? 夕食のラッシュで。
変だな~とは思ったけどさ、駅でもらったパンフレットには、周辺の簡易マップが載っていて、豚丼の店が色々載っている。
お姉ちゃんが最初に行こうと言ったのは、元祖豚丼を出す店だった。
凄い行列だった。
するとお姉ちゃんのお腹がグーとなった。
悲しそうな目でわたしを見ているお姉ちゃん。
行列はまだまだ長く、おそらく豚丼とやらは調理に時間がかかりそうだし、店の回転もラーメン屋の様にはいかないだろう。
だからマップにある別の店に行こうと提案。
渋々だが、お姉ちゃんは了承し、マップの一番遠い店でわたしたちは席につけた。
この間に40分はロスしている。
最初の店に並んでたら座れていたかもね? 今更だけど。
で、食べたよ。
豚丼のロースかバラかを選べるセット。
お姉ちゃんバラ。
わたしはロース。
脂身が少ない方がいいからね……。
それにどうせ全部は食べられないから、半分お姉ちゃんに任せることで、彼女はどっちも楽しめるって訳だ。
甘辛い醤油タレで照り焼き風に調理された豚丼と、ショウガの効いた豚汁がセットでやってきた。
丼も美味しかったけど、結構な大きさのどんぶりに入った豚汁をわたしは気に入った。
控えめに言って満足したよ。
ホテルについたら晩酌だけでいいかな?
その程度には。
するとお姉ちゃん、やっぱり元祖の店に入りたいと駄々をこねだした。
明日は気球の予約をしてるからね。
そう考えると、店巡りは今日しかできない。
気持ちはわかるけどさ……。
まあ結局最初の店に行ったんだけど、運よくすぐ座れた。
でも中は混み混みで、実際食べられたのは30分後。
そうして満足したお姉ちゃんを連れて、バイクに戻った時点で時間は20時ちょうど。
それから慌ててわたしはバイク走らせ、よさげなホテルに飛び込んだ。
満室でした。
その隣も。そのまた隣も。
ナビで調べて向かったビジネスホテルも全部全滅。
聞けば何かスポーツの十勝大会的な事をやっているらしく、全道から選手やその応援団とかが大挙して来ているんだってさ……。
途中からフロントの人に「多分どこも空いていないかと思いますよ……」と同情されてたもの。
そして冒頭に戻る。
わたしは激怒していた。
だから先に探していたなら、例えばこの辺ではなくても、どこか別の町に行く選択も取れたのだ。
けどこんな時間じゃ移動も危ないしさ……。
だからわたしはバイクの後ろに積んである荷物を見る。
そう、ここには万が一の時にキャンプができるようにと、ギアを入れてあるんだ。
なのでもうこうなったら、謎の原野で一泊も辞さないぞと。
そういう決意なのである。
まあ、うん……しょんぼりするお姉ちゃんのあざとい上目遣いに負けた結果、結局はあちこち走って、郊外で見つけた割と小奇麗なモーテルに一泊できたよ。
でもね、何が悲しくて姉妹でラブホに泊まらにゃいけないのさ……。
部屋での雑談放送では、リスナーのコメントの後ろに高確率で(意味深)とつけられたけど、憤慨したわたしは、バーカバーカ! と言ってこの日はあっさりと配信を閉じたのである。
ちなみにタイムシフトのコメントに、チェリー許してクレメンス……と謝罪の群れが凄い事になってました。
ま、たまにはいいか、こんなイレギュラーも。
いや、よくない(反語)
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The Door into Summer 試される大地へ⑦
熱気球から見下ろす十勝平野は、言葉で表すのが難しかった。
籠にのって上空に行き、ベテランのお兄さんによる操作で一時間ほどの空中遊覧。
配信はしたままだけど、地上に固定し、リスナーたちは空に浮かぶわたし達を見上げる構図だけで我慢してもらった。
理由はまあ、お姉ちゃんによる決定。
Dからの指令だしね、仕方ない。
これは別枠の動画の方で公開しますっ!
そういう事らしい。
そして上空では、開陽台よりもさらに遠くまで見通せる絶景に黙るしかなかった。
わたしは自然とよこにいるお姉ちゃんの手を握っている。
一瞬驚いた顔をしたお姉ちゃんは、一度顔を伏せた後、強いくらいに握り返してきた。
わたしたちはこれから、旅の終わりへと向かう。
はじめは勢いというか、リスナーから貰った大金を、みんなに見える形で使う事で還元する、そういうテーマ。
そうしてスタートした旅だったけれど、雄大な自然を目の当たりにし、どこに行っても人が少ない事で、わたしも、多分お姉ちゃんも色々と考えるきっかけになったんだろうと思う。
紋別市の観光ホテルで二泊した最初の夜。
あれはわたしの消耗がかなり大きかった事で決めた、予定しない延長だった。
その晩、カニなんかを満喫してリスナーと雑談し、先に眠ってしまったお姉ちゃんをベッドに寝かせた後、わたしはシャワーを浴びてからベッドに戻った。
旅の間は出来るだけ一緒に寝たい。
それがお姉ちゃんの要望だった。
わたしの中の精神がどうであれ、姉妹が旅先で一緒に寝るのはそこまで変な事ではないと思う。
だからわたしは特に違和感もなく、お姉ちゃんと一緒に寝ている。
あの日も特に何も考えていなかった。
シャワーで火照った体を冷まそうと、部屋のバースペースにある冷蔵庫から冷えたモヒートを取り出し、グラスにたっぷりの氷をいれて飲み乾す。
間接照明で薄明るいリビングで、汗が引くまで休憩したわたしは、ベランダに面した大きな窓から暗い海に漁火があるのに気づき、暫く眺めていた。
ベッドルームに戻ると、寝苦しかったのか、お姉ちゃんは布団をよけて眠っている。
白いキャミと体重が林檎三個分の猫がプリントされたボクサーショーツ。
お姉ちゃんが寝る時の定番の姿。
ブラをしていないから、凄い事になっている胸を苛立たしく思いつつ、わたしはお姉ちゃんに布団を被せようとしたんだ。
「さくらちゃん……私を置いていかないで……」
キャミを直そうと近づいた瞬間、わたしはお姉ちゃんに引き寄せられた。
両手を首の後ろに回す様にして、凄い力で。
お姉ちゃんはわたしの耳元で呻くようにそういうと、すぐに寝息を立てていた。
起きていたのか、いや多分、寝ぼけてはいたと思う。
わたしが初めて聴く、お姉ちゃんの鋭い声だった。
とてもショックだった。
セリフの内容に、ではない。
もしかすると、お姉ちゃんにはわたしが知らない何かがあって、天真爛漫な普段の姿はある種のペルソナなのではないか、そう疑ってしまった事実にだ。
正直に告白すると、この旅の終わりで全てを清算しようと決めたのは、お姉ちゃんの不可思議な行動が一番のきっかけかもしれない。
とは言え、その結果どうなるか? という部分に恐怖感はあれど、清算自体を避けたいという怖さはない。
覚悟――とはそういう事なのだ。
いま手を握り返しながら遠くを見ているお姉ちゃんに、わたしはあの時の彼女を重ねている。
だからなおさら、旅の終わりを強く意識せざるを得ない。
今は確かに現実で、わたしは久慈直人ではなく高科さくらだ。
そこにもう疑問を持ってはいない。
けれどそれはただ現状を受け入れると決めただけに過ぎない。
どういうことかと言えば、例えばホテルで泊まった朝、起床する。
わたしは真っ先にシャワーを浴びて汗を流し、洗面所でポーチに詰めてきたコスメ用品でスキンケアを行うだろう。
頭にタオルを巻いたままそれは行われ、あらかた終わった頃には髪の余分な水分はなくなっている。
そのまま流れる様にブローをし、手に含ませたワックスを髪に馴染ませると、あの時のスタイリストがしてくれた姿をイメージしてスタイリングを行う。
空気をいれてふわっとさせ、後ろに流すように。
けれど左耳だけを露出させる。
定番となったわたしのスタイルだ。
あとは当たり前にショーツを履き、ブラをつける。
小さくとも谷間は出来る。
そのやり方すらも意識せずに今はしている。
下着自体も毎回どの色にしようか? なんて悩みつつ。
こうやってわたしは、日々女であり続ける。
けどそれは、やはりどう足掻いても己の肉体が女性だから、それに付随した生活習慣に順応しただけに過ぎないのだ。
この旅の中で、リスナーらしき男性に何度か声をかけられた。
顔が整っている若者もいた。
わたしは感謝の言葉を言いながら、それ以上の何かを感じたことは無い。
異性にときめく、この感覚が今の自分から欠損している。
つまり、所詮わたしは男なのだ。
だからわたしは、今後も迷いなく、このルーチンを続けていける。
しかしそれは、久慈直人と高科さくらと言う2つの人格にどう折り合いをつけるのが正しいのかという問題とは別の話なのだ。
わたしはこれを正しい意味で受け入れる為に清算をしなければならない。
お姉ちゃんの、お母さんの、愛しいだろうさくらに自分は成った。
理由や過程はもうどうでもいい。
目が覚めて鏡を覗き込む。そこに二度と直人の顔が写る事は永遠にないのだから。
けれどそれは高科の母娘には関係ない事だ。
たとえわたしが今、さくらとして生きているとしても。
お姉ちゃんが時折醸し出すシリアスは、やはり疑念なのだと思う。
それを含んだ上で、お姉ちゃんは今を肯定している。
わたしは、いやオレは。
前世を含んだ人生経験の中で身に着けた知識や常識、そのフィルターを通して考えてみても、容姿が同じでも、他人の人生を完璧にトレースできるなんて絶対に無理だと断言する。
おそらくそれが、お姉ちゃんが抱く疑念につながっていると思う。
だってそうでしょ。
久しぶりに実家に帰ったとして。
何年も会っていない家族と対面して再会を喜ぶ。
だとしても、何か変化があれば気づけると思うんだ。
あれ? 何か変わった? とか。
端的に何かあったの? とか聞いちゃうと思う。
小さな変化、違和感、それが気づける程に時間を重ねているのが家族なんだし。
今のわたし、オレの宿ったさくら。
果たしてそれは、オレが宿る前のさくらと一緒なのか?
もし劇的に違ったとして、じゃあなぜ姉は何も言わないのか。
言わない理由があるのか。
言えない理由があるのか。
彼女は馬鹿を演じる事はあっても、馬鹿であることは無い。
それはこれまでの少ない時間で理解している。
根は天真爛漫、それはある。
けれどそれが全てじゃあない。
大学で、職場で、わたしの知らない姉は必ずいる。
だからわたしは清算する。
全てを吐き出し、わたしの気持ちを告白し、その上で判断を向こうに預ける。
わたしはそれを全て受け入れよう。
その上で、わたしはわたしとして生きていく。
だから、
「お姉ちゃん、札幌についたら、話したいことがあるんだ」
遠くに見える大雪山を眺めながらそう言った。
無言、無音――おそらく逡巡。
やがてお姉ちゃんは言った。
ぎゅっとわたしの手を握りなおして。
「うん、待っているね、さくら」
ってさ。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「あ゛~~ダメかな? ……うん、もう少し、がん ば る……」
「……私もだめ……いや、いける?」
【草ァ!】【この姉妹面白すぎる】【チェリーもう休めっ】【もうゲロイン定着しすぎちゃうの】【顔やべえ】【真っ青やもんなぁ】【(50000円)】【無言ニキ……生きてたのか】【だから高速使えとあれほど……】
いやあ、うん、これは失敗だった。
いまわたし達が何しているか。
それは単純に言えば、大型バイクで酷いワインディグが続く峠道を下っている。
なんだけど、峠を越えたあたりから胸がムカムカしてきたんだ。
完全に乗り物酔いのソレなんだけど、こんなになるって思ってなかったから、そもそも酔い止めなんか飲んでないんだ。
日勝峠という、日高山脈を突っ切る道で、わたしたちは朝一番で十勝側の清水町からスタートして、ゴールである日高側までは33kmある道のりの途中。
最初は良かったんだけど、どんどんつづら折りになって行って、短いスパンでシフト操作と体重移動の繰り返し。
いやこんだけ大きいバイクだと、軽くハンドル切っただけだと曲がんないんだよ……。
それで身体もヘトヘトな所に、ふと気が付けばじわじわと吐き気が……。
路肩にある標識に、今何合目みたいな表記があるんだけどさ、漸くてっぺんを過ぎてやったー! とか言ってたのも束の間、下りも十分アレだった……。
あのね、有料道路を通るルートを拒否したのはわたしなんだ。
お姉ちゃんは止めよう? 素直に乗ろう? って言ってたし、リスナーもやめとけの大合唱。
それで多少意地になっていたことは否定しない。
けど、ゴールが近づいて、旅の終わりを意識したら、わたしの中で「まだ終わりたくない!」って欲求が芽生えたんだ。
ゴールが札幌っていうのは、帯広郊外のラブホで一泊した夜に決めた。
お姉ちゃんと話しながらさ。
いやでもね、前世でもラブホは利用したことはあるよ。
女性と入るだけじゃなく、仕事で半日時間があいたけど、夜接待だから家にも帰るのもなーとかって時に、休憩で入ってシャワーを浴びて昼寝をするとかで。
けど事情は色々あるにせよ、姉妹でラブホは色々アレだったんだな……。
何がってやはりそういう目的のホテルだからさ、しかも北海道の田舎ってのもあったのか、今時巨大な丸いベッドで、あちこち鏡張りなんだもの。
お風呂だって全面ガラス張りだから、お風呂に入ってる姿は丸見えだし、意図的なんだろけど、トイレもそうだからアレでしょ。
実際お姉ちゃんが先にお風呂入ったんだけど、お姉ちゃんが巨大な胸を持ち上げて、南半球の下をごしごしと洗っているシーンを睨んでいると、思いっきり目が合ってね……気まずいにも程がある。
まあその気まずさが嫌になって、わたしは服を脱ぎ捨てると、一緒に入ると開き直ったんだ。
まあいい……。
そんなラブホの夜に、最終的には苫小牧のフェリーに乗るけれど、エンディングは札幌にしようって提案したんだ。
理由は色々あるけれど、主に夜景が綺麗なポイントがいっぱいあるからさ。
旅動画として上げる方の演出的にもいいんじゃない? って感じでお姉ちゃんも同意してくれた。
だから十勝から札幌方面に向かいつつ、その間にある見るべき場所に寄り道をしていこうとルートを大まかに決めたんだ。
話を戻すと、そうやって明確な終わりを感じたわたしの悪あがき的な感じ。
みんなが止める中、「お姉ちゃんとのんびり旅を満喫したいんだよ」とじっと見つめながら言うと、もじもじした挙句「……うんっ」と同意してくれた。
その結果がコレだよ……。
お前らもさ。
コメントで【あら^~】だの【尊い】だの掌返してないでもっと必死で止めてよ……。
役に立たないなあもう!
運転してるわたしも大変だけど、実はサイドカーも割と大変なんだよ。
当然自家用車に乗り心地は叶う訳もない。
それにね、車高と乗員のポジションの関係で、視点がね地面スレスレに見えるんだ。
だから体感速度もおそらく実速度の+2、30kmに感じると思う。
これは前世での経験で理解している。
わたしは接待絡みで結構大きなゴルフコンペに出たことがあるんだ。
ハンディキャップは30の上手いとも下手ともいえない腕前のわたし。
それは医療系企業が協賛してお金を出している大きなプライベート大会でね。
30位くらいまで、割と豪華すぎる商品ももらえる。
参加しているドクターや関係者も300人はいるのかな?
わたしは自分の会社の代表で出た。
で、当然接待的な意味で本気は出せない。
なので絶妙に手を抜いた結果、なんかブービー賞を貰ったんだ。
その景品がまさかのフェラーリ・テスタロッサ。
当時はもうエンツォとかが発売されていた時代だから、中古市場でも500万前後で買えたと思うよ。
種明かしをすると、関係者の某医院の理事が、新しいフェラーリを買うっていうんで寄贈したんだね。
で、メンツを潰すのもアレだし、一応登録はしたんだけど、やっぱ自分はオートマのゴルフやアウディでいいやって思ったね。
イタ車だからマニュアルなのは当然で、クラッチがとんでもなく重い。
クラッチ自体の遊びが殆どないから、かなりシビアにつながないといけない。
ハンドルの遊びもほとんどないね。
だから高速走行中は、少し切るだけでカクカク曲がる。
問題は街乗りで低速で走る時に、回転数を上げないとデンジャーって警告ランプが付くんだよね。
ドイツ車みたいなターボ車じゃないから、高回転型のV型12気筒で排気量も5千近くあるエンジンなんだね。
だからノロノロ走っていると、簡単にプラグがカブる。
で、シートポジションがとんでもなく低くて、自分で運転してみると、100kmも出てないのに、その倍くらい出てるって錯覚するほどの加速感がある。
笑っちゃうよね。ニュートラ状態で空ぶかしすると、生ガス吹いてバックファイヤーするんだよ。
見た目があんなだけで、中身はレーシングカーだよ……。
結局これは波風立たない様に配慮しつつ処分したんだけど、二度と外車のピュアスポーツカーは乗る物か! と決意したね。
スーパーカーは外から眺めるのが正解だって思った当時のわたしさ。
話がそれちゃったね。
だからお姉ちゃんのダメージもかなりあるんだな。
登りの時、ヘアピンカーブの時に絶叫してたもの。
リスナーの中のMP3職人が歓喜するレベルで。
で、だ。
この峠、上のあたりにドライブイン的な場所がない。
どっち側も下の方じゃないとない。
ちなみに十勝側では結構な数の食べ物屋とロー●ンがあったよ。
それに、降りたとしても延々と細い道を行くことになる。
じゃあ有料道路に復帰するかと言えば、降りた後、かなーり走って「むかわ穂別IC」まで行かないと乗れない。
つまりまだしばらーーーーくこの地獄は続く!
「ごめんお姉ちゃん、次のエスケープゾーンあったら停まるわ……」
「うん、休憩しよぉ……」
【嘘だゾ絶対吐くぞ】【せやな】【しゃあない】【反省しろよチェリーィ!】
【しゃあない。久しぶりのイキりや許したれ】【もう許した】【お前の基準ガバガバすぎひん?】【wwww】
人のいう事は良く聞きましょう、そう思った。
でもそう、多分わたしは不安定になってたんだろうね。
うん。
みなさんお待ちかねぇ!遂にゴールが見えたチェリー。
ですが!旅の終わりが訪れる物悲しさに彼女の心は揺れに揺れた!
そして舞台は最後の地へ!
次回、現代にTS転生したけど馴染めないから旅に出た「さらばチェリー!久慈直人、札幌に死す!」にぃレディィ、ゴォ!
ふざけていない。割とあってます。
つぎ最終回
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最終話 The Origin of Love
「綺麗だね……」
「うん……」
札幌を一望できる、いわゆる夜景スポットにわたしたちはいる。
旭山記念公園という、円山や藻岩山と言った、札幌中心街から少しだけ移動した場所にある山手エリア。
そこの高台にあるここは、札幌がある平野全域、日本海がぐるっと望める。
わたしたちは、というか、わたしが最後の場所として選んだ。
というか静かに2人で話せるならどこでも良かったんだ。
それこそ藻岩山でもいいし、札幌駅の駅ビルに併設された高層ホテルの空中ラウンジだって素敵だったろう。
だからここにしたのはほんの気まぐれ。
タブレットで「札幌 夜景」で検索した中にここがあって、何となくタップしてみたらよさそうだなって。
動画と、そして生配信としてのエンディングは既に終わらせた。
あとは明後日。
苫小牧西から乗るフェリーの中で雑談をするとだけリスナーには約束してある。
理由は単純に、旅の打ち上げとして、札幌観光を姉妹でしてくるっていうね。
特にブーイングも無く、楽しんで来い! とは我がリスナー達の言葉。
エンディングは札幌ドームの隣にあった、羊ヶ丘展望台ってところで撮った。
こちらも札幌を見渡せる景色のいい丘で、有名なクラーク博士の像がある定番観光ポイントだ。
そこで配信をしつつ、この旅をリスナーには未公開なシーンも含めて編集して、シリーズ動画としてリリースするのだけど、その最後のシーンの演出という意味で、配信のチャット部分をPCのディスプレイに最大にして映し、わたしたちがその両脇に立って「みんなありがとー!」って叫ぶのにあわせ、リスナー達のコメントを大量に打ってもらったんだ。
最後だしね。全員参加的な。
だから札幌の街のパノラマを背景に、笑顔でエンディングって感じ。
そのままわたしとお姉ちゃんは、さっき言った札幌駅の駅ビルのホテルにチェックイン。
取った部屋は34階にあるスイートルーム。
平日で二連泊があっさりとれたけれど、値段もそれなりに言う。
おそらくこの旅の中で一番の出費になるかな?
まあこのホテル内での事は、許可が下りたエリアのみで撮影をし、後程リスナーにも公開するけどね。
とんでもないロングツーリングのシメだし、お姉ちゃんとエステとかスパを楽しむつもりだ。
そして荷物を部屋において、バイクもホテルが契約している駐車場に。
完全に身軽な旅行者に戻ったわたしたち。
自由に動ける準備が終わったのは、午後4時くらい。
夜はわたしの為に時間を割いてとお願いしてあるから、まずは徒歩で行ける範囲内で、何か食べようかって事に。
そして決めたメニューは、お寿司だ。
そう言えば魚介類でも有名な北海道にきてるのに、ここまでお寿司を食べてなかった。
いや正確に言うと稚内で回転ずしは食べてるんだ。
けどそうじゃなくて、きちんとしたお寿司さ。
回らなくて、お店にお任せを頼むと、懐石のように何品か、その日の仕入れに合せたメニューが出てきたり。
そういう趣があっていとをかしな寿司屋を探したのさ。
札幌市内にはいくつかミシュランの格付けに載っている寿司屋はある。
でもなーそれもなんか違うんだよな~と、トイッターを使って地元リスナーにオススメを聞き、その結果、大通り公園の近くの雑居ビルにあるお寿司やを紹介された。
大変おいしゅうございました……。
客単価は1.5万円くらいだったけどうん、凄かった……。
気さくな大将で、出来れば何品か動画で使いたいと相談すると、快く許可をくれた。
なのでカメラを据え置きにさせてもらい、わたしたちは大将が語るネタごとの蘊蓄を聞いたりして、とても楽しい時間を過ごせたな。
そして地元リスナー達に「がっかりするから行くな!」とアレな事を言われた札幌時計台を見て、ノーリアクションのままテレビ塔に昇り、後は大通り公園を西方面、つまり円山公園がある方向に向かって歩き始めた。
もうその頃はかなり暗くなっていたけど、わたしとお姉ちゃんは手を繋ぎ、ただ歩いた。
わたしはもう観光気分はなくなっていて、お姉ちゃんもきっとそうだ。
けどお姉ちゃんから拒絶されている印象はなくて、けど何かあるのはにじんでいて。
だからそこに向かったんだ。
そして結構な勾配を登って、わたしたちは旭山記念公園に着いたのだ。
もう人の姿はほとんどない。
すれ違った人たちは家路につく為に駐車場や出口に向かっている。
わたしたちはただ、一番夜景が見えるという場所に向かうだけ。
そこにはあっという間についた。
白い柵があって、その向こうは鬱蒼とした黒い木々。
昼間なら青々としたいい景色なんだろうなあ……。
夜景が拡がっている。
このあかり、ひとつひとつが人の営みの証なんだな。
それは前世でも、今でも、世界が、時代が違っても。
地球に人が現れてからずっと、一緒なんだろう。
それに対し、わたしたちの感想は綺麗としか言えなかった。
それ以上何があるんだろうね? 逆に。
きっと夜景なんて、東京でも横浜でも神戸でも、ここ札幌や小樽、函館だってきれいなんだ。
100選とかは、雑誌が勝手に言っているだけで、夜景なんてどこも綺麗に決まっている。
ただそこに、わざわざ行くという事に価値があるんだと思う。
それは恋人だったり、家族だったり。
特別な相手と行くから、その時間が特別になって、夜景すらも価値が増す。
わたしの横にお姉ちゃんがいる。
高科さくらと高科ひまわり。
身長は違うけど、わたしは左手を柵に、お姉ちゃんは右手を柵に。
空いている手は繋がれている。
だからわたしは、前を向いたまま言ったんだ、
「ねえお姉ちゃん。人が死んだらどこに行くと思う?」
☆☆☆☆☆☆☆☆
「……えっ?」
ひまわりは、予感していた言葉とはかけ離れたさくらのセリフに思考が止まった。
妹であるさくら、その違和感は最初からあった。
だがその当人も、必死に取り繕うでもなく、むしろさくらと言うよりは、自分がどう振る舞うかそのものに迷っている、そんな違和感を感じさせている。
さっきから風が冷たい。
この北海道旅行を始めてから常に感じていた気候の差。
ひまわり、もちろんさくらもであるが、故郷である愛知県名古屋市は、札幌の街並みと非常に似ている。
大通り公園に札幌テレビ塔。
久屋大通に名古屋テレビ塔。
街の中を分断するように存在する2つの類似した公園。
けれど名古屋の夏は死にたい程に蒸し暑く、札幌は年中通して平均気温が低い。
実際この似通った公園は、特別どちらかが片方を参考に、としたわけではなく偶然そうなっただけだ。
というのも街を分断する事自体に意味があるからだ。
現代と違って昔は、民家に長屋も多く、木造建築が密集して建っていた。
その為、ひとたび大火事が起きると、消火する以上に延焼が早く、大ごとだ。
それを防ぐためにこれらの公園は作られたのだという。
そんな景色を眺めていたひまわりは、なるほどシンパシーはそれほど感じないのだなと納得したものだ。
それが気候。初夏はいよいよ暑さが台頭してきて、本格的な夏を予感させて憂鬱になるのが名古屋人のサガであり、北海道の場合は、漸く長い冬が終わって夏がやってくる! と気持ちも華やぐ。
その印象は全く逆なのだ。
「だからさ、お姉ちゃん。人は死んだらどこに行くって思う?」
聞き間違えではなかった。
「えっと、それは、死後の世界とかそういう話? ちょっとさくらちゃんが何を言いたいか、お姉ちゃんわかんないかな」
思いのほか無機質な声が出た。
ひまわりはそのことに内心で怯えた。
今まで抑えてきた感情、それが漏れだした、その事で。
しかしさくらの顔が今までとは違った。
彼女は前を向いていたはずなのに、今はひまわりの手を握りつつも、しっかりと正対しているのだ。
女性としてはかなり高い部類に入るさくらの身長。
昔は長かった髪も、今はショートになっていて、片耳を見せるヘアスタイルで、余計に中性的な美しさが露わになっている。
だがそれ以上に、ひまわりを射抜くような真剣な表情は、どこか男性的な精悍さを感じられた。
「お姉ちゃん。わたしは、いやオレは、さくらじゃないんだ」
言った。
決定的な言葉だった。
ひまわりは先ほどまで感じていた肌寒さが一瞬で消えた様に感じた。
音も、匂いも、すべて消えて、たださくらが醸す異様な雰囲気だけが支配している、そう感じた。
ごくり、と自分の喉が鳴った。
さくらが言う、さくらじゃないとはどういう風に受け取ればいいのか。
額面通りなら、さくらに似た別人。
だがそれはありえない。
なにせさくらはあの部屋にいて、
でも、この予感はあった。
なにせ、姉妹だからこそ、
けれども消去法的にありえない事を排除していくと、結果的に違和感はあれど、確かに目の前のさくらはさくらなのだと認める以外に法はない。
でも、と。ひまわりはさくらに先を促すしかなかった。
「どういう、ことか……説明して、くれる?」
滑舌には自信がある。
歯並びは良いし、生まれてから一度も虫歯になった事も無い。
友人たちは「乳児の時、親からキスをされなかったんだ」と揶揄われた物だが、虫歯が無い事は密かな自慢だった。
けれどもひまわりは、逸る気持ちのせいで、何度も吃音となりそうなのを抑える努力を強いられた。
「わたしも、いやオレも、正確にはどういうことかはわかってないんだ。ははっ、今じゃすっかり一人称がわたしで定着してさ。オレって言うのを意識しないと言えない。…………頭がおかしくなりそうだよ……」
くしゃりとさくらの顔が歪む。
俺、オレ――一人称。
何か言おう、ひまわりは口を開きかけたが、さくらがそれを手で遮った。
「27歳独身。外資系製薬会社に勤務する、いわゆる将来有望な勝ち組サラリーマン。三十路前で年収は1千万を切るくらい。恋人はいない。むしろ仕事が恋人だった――
「え、なに、それ……」
「ある日、そいつは接待のために栃木にあるゴルフ場へと向かう。 キャンプの時、宇都宮に寄っただろう? 行先はもう少し先の鹿沼市。 名門ゴルフクラブが集まっている。 その道すがら、彼が運転する車の前に突如、大型車が視界に入ってきた。 そして暗転。男は、久慈直人は、鏡の中に写る、幸薄そうな銀髪少女を見た。 まあそれがオ、わたし。わたしだった彼。どうお姉ちゃん、これが真実だったとして、信じられる?」
「………………」
さくらは一気に話した。
ひまわりが一言一句理解できるように、途中で何度も間を置きながら。
それを必死に咀嚼する。
目の前のさくらは、久慈とかいう別人で、事故の後、カレハカノジョニナッテイタ。
到底理解できるわけがない。
ひまわりは一瞬で頭が沸騰した様に感じた。
好きの反対は無関心などと言うが、怒りを覚えたのは何ゆえか。
だがひまわりが衝動のままにさくらの胸元を掴もうとした瞬間、聞きたくない言葉が耳に入った。
「さくらはさ、死んだんだよ」
何も言いたくない。
聞きたくもない。
拒否反応なのか、ひまわりは頭を抱えてしゃがみ込む。
悲鳴をあげなかったのが幸いか。
ただ、自然と涙がこぼれ落ちた。
あの日、さくらが笑顔で、「●●●●みたいになるからね、期待しててねっ」そう言いながら家を出て行った時以降、泣いたことは無いのに、勝手に涙が落ちていく。
「ハルシオン。さくらが通院していた病院で処方された睡眠薬。それの入った銀色のケース。たしか40錠ほど、それがあの部屋のゴミ箱に捨てられていた。部屋の中はまるで、患者が退院した後の病室の様に、物という物が片付けられ、わたしは下着もなく素肌の上に白いワンピースを羽織っていただけ。リビングに仰向けになったまま気が付いたわたしは、酷い気怠さを感じたのを覚えている。いま思えば、それが薬の影響なんだろう」
やめて、それ以上言わないで。
ダメなんだって。
私にはさくらがいないとダメなんだってば。
どうしてそういう事言うの?
いいじゃない。貴女はさくらでしょう?
どうして混乱させるの。
やめて、本当にやめて。
私には、も、う、さく、らしかい、ないん、だ、か、ら――
どこかで、いや近くで、鬱陶しい雑音が聞こえる。
邪魔しないでよ。
煩わしさに叫びたくなったひまわりだったが、その雑音の正体が、自分が漏らす嗚咽だと気が付いた。
それでも無慈悲に、さくらの独白は続く。
語られる世迷言。
ひまわりにとっては唾棄したい戯言。
それでもさくらは、自分がさくらとなって今、この場に立つまでの葛藤、思い。
折り合いはいまだつかず、足掻いている。
それを語り切った。
「やだ、やだっ、やだやだやだやだ、やだああああっ、ヤなの、さくら、さくらちゃん、やなんだって、おいてかないでよ、置いてかないでよおおっ! お姉ちゃんじゃないっ!
言った。
決定的な言葉だった。
さくらは先ほどまでの独白で熱く感じていた体温が一瞬で冷えた様に感じた。
音も、匂いも、すべて消えて、ただひまわりの慟哭だけがこの場を支配している、そう感じた。
だが、さくらは、既に覚悟は終えていた。
「ひまお姉ちゃん――それがさくらが君を呼ぶときの名前だったんだ」
ひまわりは涙と鼻水で汚れた顔を静かにあげた。
うん、と頷く。
「さくらはね、とっくに壊れていたの」
アンサー。
今こそ言うべきだ、とひまわりは思った。
呪縛を、自分を、さくらを、或いは母親を縛っていた呪いの事を。
醜態を見せた、そのはずなのに、ひまわりはよどみなく出てきた言葉に自分の事ながら驚いた。
「事故で、じゃない。生まれた時から、さくらの左腕は壊れていたの」
特殊な難病。
神経伝達に遅延がおこり、日常生活には支障がない物の、精密な動作には向かない。
筋ジストロフィーほど深刻ではないが、ピアニストを目指すなら致命的。
だが
その目指すべき父親は、それを見守る事も無く、あっさりと死んだ。
そんな父親に心底惚れ、本来継ぐはずだった高科の家を捨てた母親は、生きているだけの人形になった。
資産家の家の出で、容姿も良い。
未熟な精神でしかない子供が通う小学校では、大人であればステイタスである境遇も、虐めの要因になってしまう。
小さな頃から内気だったひまわりにとって、それは深刻過ぎる事柄だ。
彼女はつまり、酷いいじめに遭っていた。
まだ健在だった両親は、2人の娘を設けても、彼女たちに愛を向けるでもなく、己の愛に忠実だった。
何せ父親は数か月に一度しか帰国せず、母親はそれを待つだけの日常だった。
スタジオを経営したのも、父親の歓心を繋ぎとめるためがきっかけだ。
そして、ひまわりは低学年にして、世の中に期待を持つことを諦めた。
それを無邪気に救ったのがさくらだった。
ひまお姉ちゃん、泣いてるの?
ほんとお姉ちゃんは泣き虫だなー!
さくらがなでなでしてあげるよ! いーこいーこ。
ひまわりの世界に色が戻った。
桜と言えば桃色で、向日葵と言えば黄色。
だがひまわりにとってさくらは太陽で、自分は太陽が存在することで輝く事が出来る月みたいだと思った。
なのに、父親はさくらを憧れさせたまま死に、そんな父親の顔立ちに似ているさくらへ、母親は貼り付けた笑顔と無難な接触しかしなくなった。
いなくなった父、変わってしまった母。
だからさくらは憧れを夢に変え、4人で暖かだったあの頃の様に、もしかしたら戻れるかもしれない、そう考え、絶対に辿り着けない夢を追った。
身体のハンデは、文字通り壊れるほどの練習量で補って。
そういう意味でさくらは天才だった。
音感は正しくとも、動きにディレイがあるなら、そのディレイ分、早く動くことでカバーをすればいい。そんな狂気めいた努力で。
既に壊れていたさくらの身体。
やがて壊れてしまうさくらの心。
ある意味で、さくらの死は必然だったのかもしれない。
ならば、まさしくそれは呪縛だろう。
少なくとも、ひまわりにとって。
「わたしは、貴女が羨ましい」
さくらの言葉に眉を顰めるひまわり。
羨ましい? 意味がわからない。
「わたしは、さくらに会いたい。あいつが少ないけど残した記憶の残り香。それを知り、わたしはさくらが苦しんでいたのを知った。ワタシのセカイはクライ。確かに暗かったんだろうな。泣いてもいたんだろう。でもさ、悔しいんだ。わたしは今の君よりもずっと大人で、さくらが抱いていた大半の事は、どうにかなったかもしれない事ばかりだった。けれど、さくらが死んだから、たぶん同時期に死んだ”オレ”がその中に引っ張られた、今はそう考えているけど、結局どうであれ、おなじ体を共有しているわたしたちは、背中合わせに立っていると顔が見えないのと一緒で、絶対に交わらない存在だったんだ」
それがとても遣る瀬無くて、悔しい。
わたしは、さくらをぶん殴って、ピアノなんかよりも楽しいことが世界には山ほどあるんだって説教してやりたかった。
本気で怒っているのだろう。女性の所作としては荒すぎるが、黒いジャックパーセルのかかとでさくらは地面を蹴った。
そんな事を言いながら、さくらは呆然と見上げるひまわりの手を取った。
ひまわりは払いのけなかった。
両手を絡め、立ち上がる。
呼吸音が混ざる程に近く、2人は向き合った。
さくらの目は遠くを見つめている様で、だが悔しさを滲ませている。
怒りも。
さくらの中の彼は、本気で憤っている。
ひまわりには不思議な感覚だ。不思議と共感を覚えていた。
死んだ、そういわれて、ひまわりの心に抱えていた何かが、ストンと落ちたのだ。
なるほど、さくらは、やっと楽になれたのか、そう思えた。
呪縛、なるほど呪縛だ。
だがそれは、もしかすると
それを認めたくなくて今日まで生きてきた。
だからそれを認めた瞬間、どこかに旅だったさくらの気持ちを、ひまわりは初めてニュートラルに慮れたのだ。
姉として、最愛の妹へ。
それと同時に、これまでと、これからの、さくらがいない世界を認められた。
彼女は死んだ。それを否定しては、さくらの魂にすら呪縛をかける行為かもしれない、ひまわりはそう思った。
「わたしはどうあがいても、これからもずっと、高科さくらとして生きていかなきゃいけない。オレをわたしに矯正し、生理の対処もブラの付け方も、ブローをして髪をセットし、今日着ていく服を選ぶ。そんな女性じゃ当たり前の事を、わたしがさくらとなった日から、わたしは毎日必死に覚えた」
どこか子供っぽい、そう悪ガキが不貞腐れた様にさくらは言った。
それがどうにもおかしくて、ひまわりは笑った。
そうだろうな、そう思った。
自分が初めてブラジャーを付けた時、母親とのぎこちないやり取りを思い出し、胸がちくりと痛む。
そう言えば、自分の生理はいつも軽いが、さくらは昔から重たかったもの――。
嗚呼、自分はどうやらさくらの死を正しく理解した様だ。
理解してしまったんだ。
記憶を、進行形だった筈の思い出を、過去のものとして今、自分は語ってしまった。
その事をひまわりは寂しく思ったが、これが乗り越える為の第一歩なのかもしれない、と肯定する。
「それでもね」
「うん」
「これまで過ごして、その上で、うん、そう言う資格はないのかもしれないのだけど」
「うん」
さくらは少しはにかんで、言った。
「ひまわり姉さんと、これからも家族でいたいんだ。短い時間だったとしても、わたしは姉さんを愛している。ずっと一緒にいたい」
空を見上げる。
夜景は綺麗でも、空はあいにく曇り空。
ちょっと待って。
もう少しだけ。
今はダメなの。
堪えて、よし、もう少し、今は出てきちゃダメ。
うん、大丈夫。零れずに済んだ。
そしてため息をひとつ。
そうだ、これが私だ。
笑顔、そう、ひまわりの名前通り、輝く様な笑顔で――――
「何言ってるの~? 私はずっと、さくらちゃんを愛しているんだよ~?」
こうして姉妹の旅は一先ず終了した。
問題はいくつもあり、処理しきれない気持ちもいくらだってある。
それでもさくらは前に進む事を選び、ひまわりは過去を受け入れた。
だからこの時から、2人は姉妹として始まったのだ。
札幌の夜景を背に、出口へ向かう2人の手は、まるで恋人の様に絡められている。
それでいいじゃないか――だって、人間だもの。
どこかの詩人の様に、2人は前を向くことを決めたのだ。
だからそう、後はどこにでもある姉妹の日常があるだけだ――
~ Fin ~
「さくらちゃん」
「ん? なあに姉さん」
「話の中身はどうであれ、さっきのシチュエーションはカップルみたいだよね?」
「まあ、うん、構図的にはそうかも……?」
「うんうん。でね? 姉さんを愛している、ずっと一緒にいたいってセリフさ」
「うん……うん?」
「まるでプロポーズだよねえ」
「は?」
「実質夫婦って事でいいよね? さくらちゃん、男だったんでしょ? じゃあまともな恋愛はできないでしょう?」
「……まあ、そうだね。男を好きにはなれないよ」
「ほらぁ、実質夫婦だよね?」
「姉さんってさ」
「うん?」
「時折ほんとに残念だよね」
「むう……、じゃじゃじゃじゃあ、もう言わないからさ、その代わりにね? 男だった時のさくらちゃんが女を口説く時にどんな風にしてたかやって?」
「ええ、無理だって。せっかく女に慣れてきたのにさ……」
「じゃ毎日絡むけど~?」
「なんでそんな鬱陶しい事言うんだよ」
「あ、今のちょっとカッコいいかも……」
「やめなって」
「きゃー、どうして今おでこ突いたの!? 完全にイケメンムーブだよぉ。もうさくらちゃんと結婚するぅ~!」
「もうやだこの姉……」
街へと続く暗がりの、円山の住宅街に彼女たちの声が反響した。
そんな2人に呆れたのか、雲の間から月が顔を出したのである。
ほんとにおしまい
あとがき
短い時間でしたが、ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
最後に少しだけ後語りなどを。微妙に長いので興味ない人はブラウザバックで。
■書いた動機とテーマの決定の流れ
この作品を書いた動機ですが、現在入院(命に関わる病ではなく足の骨折で)をしていて、退院までの間、ほぼ寝てるだけという状態で、精神的にキツいんです。
なので個人的なRTAじゃありませんが、退院までに完結というリミットで書いた次第です。
数日後に退院なので一応クリアという事で。
まず書くテーマというかお題は「TS 現代 恋愛なし NO神様」という物でした。
その結果チェリーというキャラができました。
名前の由来は、お見舞いに来た友人が持ってきた山形のお土産をその時食べていたからで、さくらんぼフィナンシェ、美味しかったです。
そして彼女に何をさせるかという話のメインは旅としました。
旅と言えばロードムービー。
入院時に退屈しない様に映画をいくつか持ってきていたのですが、その中に「姉のいた夏、いない夏」というキャメロンディアズ主演の作品を久しぶりに見まして、これは旅先で自殺してしまった姉の事を知るために、妹(キャメロン)がアメリカから旅先である欧州に向かい、姉の恋人と一緒に足跡をたどり、死の真相を探しながら自らも成長する的な話でして。
ふむ、憑依転生でTSさせたら、元の人は亡くなっているよね?
という連想になり、じゃTSした際の自我を確立させるためには、高科さくらの人となりに踏み込む必要あるよね?
なら家族を出してストレスを与えよう。
安易に振る舞えないと色々ストレスだろうし。
うーん……ならもっと伏線とか意識すべきだけど、最終話でドカンと行こうか……。
みたいな形でイメージが固まっていきました。
でも旅と言っても、WIKIとか観光系のサイトとか見てもいまいちピンと来ない。だからそのまま書いてもウソ臭くなるかも?と考え、なら自分が実際に行った事のある場所をつかえばリアリティでるかな?と。
そうなると趣味であるツーリングでの話なら書けそう。
その中で話が膨らむ濃い旅と言えば……数年前に行った北海道と、妻の実家のある愛知県周辺やなーとなり、最終的に個人的に水曜どうでしょうを円盤で集める程度に好きなので、どうでしょうの聖地でもある北海道に決めました。
■サブタイトルについて
サブタイトルって難しいですよね。
別に数字のみでいいんでしょうけど、数字だけだとスマホの人がクリックし辛い問題もあるので、じゃつけるかってなりました。
でも困るよね。
そこでそのまま日本語だと味気ないけど、英語表記にしたらオサレ感でごまかせるという事で英語サブタイを採用。
元ネタあるのだけ解説
第四話
サナギ →スガシカオの曲名 アニメxxxHOLICの曲になってた奴で、歌詞がエロい。19歳とこやつは親のいるとこでPV見ない方がいい。19歳に至っては普通にオナ●ーしてるし。
まあこの歌詞の内容が、部屋で微睡んでいる初期のチェリーにピッタリで、サナギから蝶になるのが、彼女の場合、ジェンダーの確定になるのか?ってイメージ。
第五話
New World Order →これは曲じゃない。ハルクホーガンを筆頭としたアメリカのプロレス団体がカオスな感じで出来たnWoから。NWOじゃないnWoです。
やがてnWoジャパンができて、蝶野正洋がガッテムと喚いた。
とは言え採用理由はプロレスじゃなく、新しい秩序を作る→自分なりの女探しから
第六話
Money Money →これは正確に言うとMoney Money Moneyと三回続く。二回の方が見た目がいいから削った。元ネタはABBAの名曲。歌詞的には金の無い女が金持ちに憧れつつも格差社会にやさぐれる内容。マニマニマニー!のサビはたぶん貴方も一度は聞いたことがある筈。黄金伝説とかで。
投げ銭でこんなボロく稼げていいのか!?とカルチャーショックを覚えたチェリーの心を表している
第一三話~
The Door into Summer →これはまんま、ハイラインの名作SF小説、邦題夏への扉から。向こうは過去に戻って自分自身と云々カンヌンだけど、こっちは時代のズレ、未来なのに自分がいない。性別変わってる。などなど、問題だらけで、類似点はそんなにないんですが、初夏に旅に行くし、自分探しで新たな扉を開くと思えば……まま、ええわと安易に使った
最終話
The Origin of Love →映画またオフブロードウェイの舞台ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(Hedwig and the Angry Inch)のテーマ曲から。
プラトンの饗宴をモチーフにされた歌詞。内容的には人はみな不完全で、その片割れを探すために生きている的な。映画内容もジェンダーの話なので、モロにこの小説のテーマに刺さる。ので、迷わずにこれにした。
ていうかゲイに抵抗ないなら一度見てほしいオススメな映画。
作中のバンドがやる曲すべてがカッコいいので、曲目的でもイける。
ちなみにタイトルのアングリー・インチとはつまり怒りの1インチ。
主人公ヘドウィグ、彼が彼女になる際に行った性転換手術で、ドクターが下手クソだったのか、無様に1インチ残っちゃった股間のアレの事を指している。
■最後に
最終話と後日追加予定のエピローグ的に。
実はチェリーよりはひまわりが主人公ぽかったと個人的には書いてて思った。
まあ、途中から姉が可愛くて感情移入しすぎた結果ですが。
個人的反省は、圧倒的な伏線不足。
家族関連の不穏さを連想できるギミックをもっと仕込むべきだった。
これは後付けやなと言われても返す言葉はない。
ただ、言い訳をさせてもらえるなら、誤字の多さからもお分かりの通り、プロットはきっちり組んでいるけど、執筆は勢いです。
なので投稿後に直しとか結構入れてます。
リミットありで書いてるので、ある程度の推敲はしてても全部は見れていない。
うおおおおおおっと一気に北海道編の手前まで書き、その翌日に北海道編を全部書き、予約投稿を入れ、その後最終話を書いた。
そりゃ雑にもなりますわね。ごめんなさい。
あとはまあ、ランキングや皆様の評価の通り、一定数の方に喜んで貰えたので満足しています。
ほんとはね、リアルのVの人とか、人気配信者的な感じで、放送メインで書き、恋愛描写とか入れたらもっとキャッチーになったとは思っています。
姉妹百合とかさ。うん、書きたかったよ。
でもシリアスぶっ壊れるからできなかったんや。
そういう意味では、FINの後の姉妹のやり取りで、ちょっと妄想はできたんじゃなかろうか? 続きを書くとするならば、そういう方向性も書けそう的な(書くとは言っていない)
そんな訳で長々とすいません。
とにかくお気に入りまで登録してくれた読者様。
入れないまでも読んで頂いた読者様。
とてもいい時間を過ごさせていただきました。
本当に感謝します。ありがとうございました。
鰯太郎
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それから
向日葵の向かう先
先に謝ります。暗い話です。
明るいのは、後日で許してください。
さくらが笑わなくなったのは、一体いつからだろう?
家族の反対を押し切って、さくらは上京した。
高校進学に合わせての上京。
普通なら、姉として笑顔で送りだすべき事柄。
けれど素直にそう思えない理由があった。
上京の理由は、お父さんに憧れた結果、職業としてのピアニストを目指すため。
でもさくらには音感の良さに才能はあったけれど、ピアノのソリストとしての才能は無かった。
これはさくらの先生が断言したことだ。
先生はピアニストとしても指導者としても実績のある方だ。
そんな彼女が断言したのだ、間違いはないだろう。
だがそれは決して本人に伝えられる事は無かった。
止めたのはお母さんだ。
けれどクラシック畑はとても保守的な世界。
どのパートでも楽器は高級品で、弦楽器などは芸術品としての価値も高く、買おうとしてもオークションか、持ち主から直接譲ってもらうコネが無いと手に入らない程。
当然世界を駆けまわるソリストは、演奏の才能以外にも求められる事も多々ある。
天才なら成り上がれるのでは? 素人的にそう思いがちだけど。
ただクラシックの世界が特殊なのは、古典という伝統を重んじる面が大きい。
なぜなら、その優れた楽曲を生み出す天才たちは、既にあの世にいるからだ。
現代でも天才は多くいる。
音感に関して言えば、さくらもその類だったろう。
けれど、いわゆるクラシックの楽曲とは、1550年あたりから生まれた物だ。
現在から見れば500年近くも昔。
コンピューターや電気の概念が存在しないアナログの時代。
娯楽であり権力の象徴であり、宗教であったクラシック楽曲は、無数の人間の勝ち組への登竜門でもあったという。
封建社会が当たり前の時代に、人間以下の平民が才能と運があれば成り上がれる可能性のある分野。
それが芸術。貴族等の尊い義務を持つ層には、大金をはたいて芸術家のパトロンになるというのがステイタスだったのだ。
誰でも、という訳でもない。
素晴らしい作品を生み出す芸術家を、市井から見出した、その審美眼こそ周囲に敬われる理由になる。
だから見出される側も死ぬ気で取り組んだだろう。
よくハングリー精神なんて言うけれど、本当にハングリー精神を発揮できるのは、ポーズでもファッションでもなく、事実として追い込まれている人間が魅せる奇跡を、言葉として端的に表したものだと思う。
その追い込まれるというのは、比喩でもなく、文字通り、失敗すれば死すら現実となりえる、という意味だと思う。
偉大なコンポーザーたちは、まさにそういう環境の中で勝ち上がった奇跡の体現者だろう。
もちろんそれなりに裕福な家の出身の者もいただろうけれど。
ただ時代的に圧倒的に命が安い時代では、命がけで取り組み、立身出世を願う人が多くいたんだと思う。
だからこそ、時代背景も絡んだ土壌で生まれた名曲たちは生まれるべくして生まれ、逆に豊かさが飽和した現代では、同じレベルの作品が生まれる可能性を限りなく低くした。
とは言えそれはクラシックに限らないだろう。
それは現代で流行している音楽、例えばポップス。
それだって「今の音楽はくだらない」と年長者が吐き捨てるのをよく聞く。
くだらないかはその人の価値観だし、私にはどうでもいい。
けれど事実として、確かに60年代や70年代は世界に戦争や貧困が現実問題として存在して、社会にはドロップアウトしてしまう人間が多くいた。
人種差別やドラッグ。労働者階級と特権階級の軋轢。
世界は閉塞感に満ちていた。
そういう中で、カントリーミュージックに扮した社会風刺が生まれたり、攻撃的なパンクミュージックが若者の心を捉えたり、或いは化粧に服装と中性的なスタイルで世間をあざ笑うグラムロックが台頭したり。
それらを生み出した天才や奇才達も、現代には無い社会の問題に苛立ったり、逆に悲観したりして、それらが原動力となってこの時代の音楽は生まれた。
結局、クラシックと同様に、時代背景に即したそれらは生まれるべくして生まれ、現代では社会が共通認識としての飢えを共感できないから、新たな物は生まれにくい。
だから現代の天才扱いをされるクラシックのコンポーザーも、その楽曲はどこかで聞いたフレーズが入っていたりする。
だからこそマスターピースと呼ばれる作品群が存在し、人々はそれに魅了されるのだ。
例えばフランツ・リストのパガニーニへのリスペクトからパガニーニの協奏曲をアレンジして生まれた難解すぎる名曲「鐘」にしたって、無数のソリストたちが自分の曲にしようと挑戦し続ける。
ベートーベンにしろバッハにしろ、新しい曲が生まれる以上に、過去の名曲をどれほど上手くやれるか? という思想の方が上回っている。
だからある意味では保守的と言いつつも、伝統に真っ向から挑戦していると思えば、保守的とは言い切れないのかもしれない。
そんな場所にさくらが憧れ、そして目指したとしても、おそらくそつなくはやれるだろうが、彼女の希望が高ければ高いほど、現実を知ったときに折れるだろう――先生が言うのはそういう事だった。
私にはピアノの事はわからない。
お父さんはジャズの人だから、そもそも畑は違うけれど。
そんなお父さんが久しぶりに帰国したある日、彼は戯れに「イパネマの娘」をジャズアレンジで演奏した。
うちではあまり演奏をしないお父さんが、さくらの身長が伸びた事を喜び、気まぐれにプレイしたのだ。
小さな頃からお父さんをヒーローだと思っていたさくらは、「わたしも弾きたい!」と目を輝かせた。
久しぶりに会えた大好きな父親に甘えたかったのだろう。
年に4、5回しか帰宅しないのだからそれも当たり前か。
お父さんは最近ランドセルを背負いだしたさくらを膝に抱き上げると、連弾をしながら一音一音、指一本で教えていく。
さくらは初めて鍵盤に触れる。だからそれは決して上手じゃなかったけれど、音の連続が繋がったときに、曲のように聞こえた瞬間、さくらは興奮したように騒いだ。
それがきっかけだった。
ピアニストを目指すと言い始めたのは。
その元凶たるお父さんの、メインの楽器はギターだというのに。
――まあ、飽きるまではやらせてみよう。
それが呪いの始まりだった。
そのことで私はお父さんを憎んでいる。
貴方が、気まぐれにしか帰ってこない「父親の様な何か」でしかない貴方が、きまぐれにさくらを誑かしたのだ。
世界中で引っ張りダコの貴方には、さくらに才能が無いことはわかったでしょうに。
それを責めるのはお門違いでしょうけれど、恨まずにはいられない。
さくらの音感は凄まじく、一度聞いた音は外さない。
――おねえちゃん、風の音はこうだよっ!
目に見えない風の音を音符に変換し、さくらはそれを誇らしげに教えてくれた。
けれど、身体がついていかないんだ。
先天的に持っている神経疾患。
脳に問題があるとかで、これをしようと脳が決めても、それが肉体の末端に届くまで、少々のラグが生じる。
病名は複雑すぎて覚えていないけれど、難病の一種だそうだ。
さくらは何かに憑りつかれた様に練習に打ち込んだ。
次にお父さんが帰ってきたら、上手くなったのを見せるんだと言いながら。
彼女は時間が許す限り、とにかく鍵盤をたたき続ける。
自宅の空き部屋は防音加工がされていて、いつでもピアノが弾ける環境だものね。
お母さんがやんわり止めても、私が怒鳴りつけてもさくらは止まらない。
ハンデを背負っているさくらは、それでも努力でどうにかその欠損を埋めていった。
中学レベルのコンクールで上位入選できる程度には。
家族の贔屓目を差し引いても、さくらの容姿は人目を惹く美しさだ。
当然それも彼女の一部としてカウントされる。
浮世離れした欧米人並みの容姿。
中学生としては上等な腕。
閉塞したクラシック界の新星か、なんて業界紙では騒がれていたっけ。
――ひまお姉ちゃん、わたし、お父さんみたいになれるかな?
なれないよ。
ならないでよ。
爪痕だけ残してあっさりと死んだあいつになんてなるな。
――ひまお姉ちゃん、泣いてるの? だいじょうぶだよ。さくらがいるもん!
家が裕福というだけで、子供の世界では揶揄いの対象になる。
私は小学校の低学年の時から虐められていた。
お前の親父、有名人だよな。
お前んち、金持ちでいいよな。
ひまわりちゃんはいいよね。綺麗だしお金持ちだし。
全部私に関係ない物ばかりだ。
毎日が憂鬱で、今思うと、きっかけさえあれば自殺でもしていたと思う。
それほどに、私の世界は真っ暗で、叔母さんとお母さんが、家の事で罵り合うのを見るのが苦しかった。
お母さんも苦しかっただろう。
でもそんな母さんを支えなきゃいけないお父さんは、数か月に一度しか帰ってこない。
だから誰も私を助けてくれない。
さくらだけだった。
情緒不安定な私が、近寄らないでと突き放しても。
えへへと笑いながら、ひまお姉ちゃん泣かないでと、精一杯背伸びして頭を撫でてくれる。
どれだけ私がそれに救われたか。
告白しよう。
私にとって、世界はさくらと私、それだけあればよかったんだ。
さみしいくせに、たまに帰ってくる父親へ健気に、気丈に振る舞う母さんも憎かった。
さくらだけが、私の世界に色を与えてくれた。
そのさくらが、先生にいつかは折れると予告されているのに、上京すると言い出した訳だ。
私は思いっきり叫びたい衝動に駆られた。
高校進学の願書をどこに出すか、そんな時期にさくらは、家族に相談も無く決めてしまった。
どこか歪な我が家。
そこかしこに軋む音は昔からあって。
お母さんはお父さんが死んで以降、笑顔を絶やさないだけの人形になってしまった。
だから彼女はさくらをちゃんと見ていない。
うちが高科の本家から法的にも分離した際に、いくばくかの現金と、唯一譲渡された東京のマンション。
さくらはそこに一人暮らしをしながら、音大を目指すための私立に通うという。
お母さんは一度も止めなかった。
この頃のさくらは、かなりの障がいが表に出てきていた。
夜、トイレに起きると、夜叉のような表情で、鍵盤に拳を落とすさくらを何度も見ている。
通院もこっそりしていたみたいだ。
母さんはそれを見て見ぬふりをした。
保険の通知でどれだけの医療費がかかっていて、どんな科にかかったのか、そんなのすぐにわかるのに。
さくらが求めるままに小遣いを渡し、「あまり買い食いなんてしちゃダメよ」なんて、全部わかっている癖に、娘の夢を後押しする理解のある母親を演じている。
多分、お父さんの面影が強いさくらを傍で見たくなかったのだ。
さくらはもう、壊れかかっていたというのに。
それでも結局は、さくらは家から出て行った。
――えへへっ、お父さんみたいになるからねっ! 行ってきます! ひまお姉ちゃん。
なるなっ!
なるなっなるなっなるなッ!!
どうして私は引っ叩いても止めなかったんだ。
どうして私は、地面に這い蹲って泣いて見せ、情に訴えてでも止めなかったんだ!!!
そして決定的な瞬間がやってきた。
随分とさくらも東京の生活に慣れただろう2年生の頃だ。
通学中のバスが事故で横転したと連絡が入ったのは。
どうしましょう。どうしましょう。
壊れたレコードの様に電話口でそう繰り返すお母さん。
それを見ていた私の髪の毛が、怒りで逆立ちそうになりながらもどうにか抑える。
そして私たちは東京に向かった。
――えへへっ、ごめんねひまお姉ちゃん……わたしの手、動かなくなるんだって……
私は泣いた。
ベッドで弱々しく微笑むさくらを抱きしめて。
生きてさえいてくれるだけでいいの。
私はそれしか言えなかった。
さくら、どうして申し訳なさそうに言うの?
いいんだよ諦めてくれて。
私たちは、いや、私は、さくらがピアニストになってほしいなんて、一度だって思った事は無いんだよ。
でもどこか救われた表情にも見えた。
そうだよね。
ずっと隠してきたもんね。
無理だって知ってたのに、お父さんになりたくて止まれなかっただけだもんね。
さくら、もう大丈夫だよ。
事故で、手が動かなくなったんだもの。
だからピアノは弾けないもんね?
仕方ないんだよ。
私は一縷の希望を見た。
さくらに憑りついた呪いが、お父さんの呪縛が。
これで断ち切れた、そう思ったんだ。
浅はかな私。
結局私もお母さんと一緒だった。
見たい物しか見ようとしなかったのだ。
本当なら、自分も一緒に住む、そう押し切っても良かったのに。
退院後、さくらは高校だけは卒業するよと言った。
ピアノはもう無理だけど、友達もいるからって。
お母さんはほっとしていた。
友達もいるなら、さくらは元気になるだろう、そう思ったんだろう。
私もそう思った……。
さくらのブログを知ったのは偶然だった。
同郷で、さくらとよくコンクールで競っていた子と千種の駅でばったりと出会った。
私とさくらは身長は違うけど、顔の造り自体は似ているから。
垂れ目がお母さんの遺伝で私は垂れ目。
釣り目がお父さんの遺伝でさくらは釣り目。
差と言えばそこだろう。
――さくらさんのお姉さまですか?
そう声をかけてきた彼女は、さくらが心配なので連絡を取りたいという。
聞けば切磋琢磨していた当時、つまり彼女たちの中学時代に、さくらと彼女はメールアドレスだけ交換していたそうだ。
交換したきっかけはコンクールで。
けれど最近になってアドレスを変えたらしく、連絡が取れなくなったという。
さくらが家族にも内緒で中学の時から更新していたブログがあるらしく、父さんの好きなエディットピアフの代表曲「La Vie en rose」から借りた「薔薇色の人生」というブログタイトルで、でもいつの間にか「涅槃の住人」という物に変更されていた。
ブログの内容も高校生が綴るには重たい物ばかり。
彼女は苦笑いしながら「言ってはなんですが、メンヘラ……って言われてもおかしくない文章で……」と言うと、すみませんっと慌てて顔を伏せた。
それに昔は読者のコメントが書き込めるようになっていたのに、今は閉じられていてブログ経由で連絡もできない。
さくらがどうであれ、彼女は純粋にさくらを心配していたのだ。
私は「いまスマホを修理に出しててわからないの。戻ってきたらお知らせするから、貴方の連絡先を教えて」とウソをついた。
そして自宅に帰りPCからブログを確認。
絶句した。
涅槃の住人なるタイトルに変更し、文章が重たすぎる詩的な物に変化した最初の日付は、さくらが家を出て東京に向かった日からだった。
意気揚々と、お父さんみたいになるからねと笑って背を向けて出て行ったあの日だ。
さくらはとっくに壊れていたのだ。
高校生活の楽しさを伝えてくるたまの電話、それは彼女の仮面だった。
それを知った瞬間、私は死にたくなった。
自分の馬鹿さ加減に、能天気さに。
それからの私はことあるごとにさくらの住むマンションに通った。
それしか出来る事が無かったのだ。
SMSでメッセージを送ろうと、返ってくるのは今日の天気。
文字数いっぱいにメールを送ってもそう。
それだって、私が泣きながら返事だけはしてと強要したからだ。
壊れてしまったさくらは、家族の言葉すら煩わしかったんだと思う。
まるで風邪で寝込んだとき、身体に触れられると苛立つ時の様に似ていて。
家を訪ねても、ドアは合鍵で開けられても、チェーンは常にかかっていた。
声だけは聞こえる。
――ひまお姉ちゃん、ごめんね。帰ってほしいの。ごめんね。
どうして謝るの?
謝るべきは私なのに。
さくらはとっくに死にたかったはずだ。
それを私は、私が
貴女に死んでほしくない、それは本心でも、さくらという楔が無ければ、とっくに私は世に絶望をしている。そういう事だ。
その後、さくらから私に小包みが届いた。
中身は私たちが子供だった頃、父さんがロシア公演のお土産にと買ってきた、マトリョーシカの絵が入ったお菓子の缶。
さくらは妙に気に入って、私とさくらの分と言って2つ渡されたのに、珍しく駄々をこねて両方さくらが持っていったあの缶が送られてきたのだ。
中はがらんどうだった。
白い折り鶴が一匹いただけ。
それは便せんで作られていて、筆圧の強いさくららしく、裏側に文字が透けていた。
私は何か叫んだかもしれない。
震える手で開こうとした。
何度も破れそうで、必死に抑えつけながら。
いやな予感がしたのだ。
そこには、余白が一切ないほどに埋め尽くされた、さくらの書いた独白だった。
私に向けた手紙じゃない。
便宜上私に送るという体を取っただけの、彼女の最後の悲鳴だった。
綴られているのは長い長いさくらの独白。
――さようなら、ひまお姉ちゃん。わたし、疲れちゃった。
最後はそう締められていた。
わたしは既に眠っていたお母さんに声をかけもせず、クレジットカードだけを手に、駅に向かった。
この時ほど、自分で車が運転できない事を呪ったことは無い。
けどギリギリ、新幹線の最終に間に合いそうだった。
名古屋駅についたころには、残念ながら最終は出た後だった。
呆然と立ち尽くす私は、なぜか気が付くと売店でういろうを買っていた。
東京に住む妹に会いに行く、そういう日常的なシーンを取り繕う事で心の平静を保とうとしたのか、それは私にもわからない。
そしてタクシーを捕まえ、東京に行ってくださいと頼み込む。
ドラマじゃないのだ。名古屋から東京まで行ってくれるドライバーは簡単に見つからない。
結局は7台目の運転手さんが行ってくれた。
高輪についた時には午前十時を回った頃だった。
抑えきれない体の震えを無視しながら、私は鍵を開けた。
――あ、えっと、その、姉さん?
ドアはきちんと開いた。
あれだけ長かった美しい髪をバッサリと落とし、男の子みたいな恰好のさくらがそこにいた。
私を姉さんと呼ぶ、さくらっぽい誰か。
――昔はお姉ちゃんって呼んでくれたのに
そういうと、さくらは伏し目がちに微笑みながら、
――ごめんね。お姉ちゃん。
さくら、あなたは一度だって私をお姉ちゃんって呼んだことは無いよ。
でもね、あなたがそこにいてくれる。
私を姉と呼び、無邪気に振る舞う私に向かって困ったように笑いながら、それでも距離をつめて来ようと足掻く貴女が、そこにいてくれるだけでいいのだ。
――さくらは、死んだのだ。
それでも、私の世界には、まだ色が残っていた。
なんかすまん
アンケート締め切りました。
たくさんのご意見感謝します!
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おかえり、そしてよろしくね
「おいひぃよぉ~~」
「うん、これは美味しいねっ」
長く、そして色々あった北海道の旅も終わった。
結局日程は予定通りに終わらせ、今日、茨城の大洗港に到着したわたしたち。
到着時刻は14時だったけど、バイクを出庫するのに結構かかり、結局は15時近くに解放された。
とは言え、時間が時間だし、今からすぐに帰るのも疲れがある。
なので水戸で一泊することにした。
今日は平日だし、当日予約でもすんなり部屋を確保できたしね。
ただまだ時間が早いというのもあり、姉さんと観光港である那珂湊に立ち寄っていたのだ。
ここは那珂湊おさかな市場と言うエリアで、近海モノの魚介類を食べることが出来る。
それだけじゃなく、買い物も当然出来る。
そこを姉さんと色々眺めながら歩いていたんだけど、生ガキがその場で食べられるのだ。
一晩船に揺られ、お昼にはフェリーの食堂でランチも食べているので、流石の姉さんも海鮮丼を食べよう! とはならず、夜まで我慢してくれた。
その代わりに、こうしてちょい食べ出来るカキに挑戦中。
「うん、これはもう一個いきたいな。おじさん、大をおかわりください」
「わお、さくらちゃんが珍しいねっ」
「はいよ嬢ちゃん。おめ、知ってっけ? カキは美容にもいいんだとよ。嬢ちゃん綺麗だから関係ねえがー」
「あはは、ありがとおじさん。これ700円ね」
気さくなおじさんから殻の蓋だけ取ってくれたのを受け取る。
姉さんが目を丸くしてるけどさ、この程度の事はさらっと流せるんだよ?
だって毎日鏡を見てるんだ。自分の容姿がいいのは変えようがない事実。
これ素で言ってたらナルシストまっしぐらだけどさ、元男の視点で言うなら自分も、そして姉さんもあまり見かけないレベルで人の目を引く姿だもの。
けどこの手の話題って結局は、他人の主観の話でしかない。
わたしも自分の容姿については、折り合いがつくまで散々悩んだ話だもんねえ。
この鏡の中の美人誰だよ……最初に感じた感想がコレだもの。仕方ない。
さてカキの殻を咥えてドゥルン!
トゥルンではなくドゥルン! だよ。
この大きなカキ、たまらない。
実は前世でもオイスターバーに足しげく通う程にカキは好きだった。
ついでに言うとレモンもライムもかけない派。
いいんだよ臭みがあっても。
というかさくらの身体にアレルギーが無くて良かった。
カキが好きでも湿疹と下痢に悩まされるとか地獄だもんね。
まあ肉も魚介も、生き物を頂くのだから、その臭みすら味合わないとね。
――余談だけど、から揚げに勝手にレモンかける奴は前世でも今でもブン殴ってやる。
そうして暫くの間、那珂湊を楽しんだわたし達は、バイクに乗って大洗を出た。
荷物も軽いから快適だ。
荷物は札幌を出る前に、最低限の物以外は送ったよ。
なのでバッグの類をサイドカーに押し込め、姉さんはタンデムシートに乗っている。
色々あったしねえ……帰宅までの事は動画にもしないってわたしが言ったんだ。
なので機材の殆ども送ってるから、フェリー内での配信は、スマホを使ったのだ。
今はそうだね、姉さんと話す時間が出来るだけ欲しいって思っている。
県道の106号、235号と経由して水戸市内を目指す。
さっきまで海が視界の中に必ずあったのに、今はのどかな田園風景に切り替わっている。
車通りも少ない。
しかしこうして北海道から帰ってみると、本州って狭いんだなと実感する。
いま走っている県道とかも、ぐにゃぐにゃと変な形に曲がったり、県道とは思えないもんなあ。
路肩にある側溝も、どうしてこんなに深くしたのかと思う程だし、縁石も場所によってはありえない程に高い。
何よりその側溝が、車道の端からいきなりあるから、脱輪しそうで怖い。
こういうのを見ると、北海道がどれだけ広いかってわかるよねえ。
土地が余ってるから道幅も広く、歩道も十分に確保できる。
街並みが規則的だったのは、入植の歴史が近年だから、本州の状況を前提として、じゃもっといい物作りましょうってのが出来たからだろうし。
逆に本州だと歴史が深いから、古くからある建物とか、長く続いた江戸時代にできた物とかが前提にあって、現代になってから修正不可能な道も多いんだろう。
なので歴史の長さも善し悪しかもね。
はあ、それでも、やはり北海道は旅行先であって、住んでいるのはこっちなんだねと実感。
空気感っていうのかな?
茨城は地元じゃないけどさ、初夏は初夏らしく、着こんでいると暑いって感じるこれが、わたしには慣れた感覚なんだなってさ。
まあいい。まずはチェックインをしなきゃ。
……これこそ北海道で一番身についた、いや身につまされた教訓だね。
食事より宿、これ絶対。
「……って姉さん」
「なあにー?」
「そこ擽ったいんだけど」
「えー? 風で聞こえなーい」
「な ん で お 腹 の 肉 を 摘 ま ん で い る の」
「柔らかいか……聞こえなーーい!」
「聞 こ え て る で し ょ !」
あと、うん。
Xデー以降、姉さんの距離感近い。
そろそろわたしは怒ってもいいと思う。
☆☆☆☆☆☆☆☆
ホテルはツインの素泊まりだ。
贅沢はさんざん向こうでやってきた。
そろそろ普通の感覚に戻さないと色々ダメになるという理由で。
水戸駅そばにあるシティホテル。
週末とかの単価は高いけど、平日のガラガラな中日。
それなりにいい部屋を用意してもらったけど、素泊まりで8千円。
部屋に荷物を置いたわたし達は、タクシーを呼んで姉さんがタブレットで調べたカフェに向かった。
19時過ぎ、そろそろ夕食という事で。
「いやー帰って来たねぇ」
「ウンソウダネ」
オーダーしたメニューが先に来た姉さんが、カレーをパクつきながらしみじみと言う。
確かに旅行中の張りつめたような空気感は今はない。
それに目の前で心底幸せそうにスプーンを動かす姉の姿は見ていて和む。
だとしてもだよ。
コレはないわ。
姉さんが頼んだのはカツカレーの大盛り。
値段は800円もしないから、お値打ち価格だよね。
で、やってきたカレーを見て絶句。
匂いは美味そうだよ?
けどビジュアルがぶっ飛んでる。
なにこの山。
カレーってそうじゃないでしょう?!
大き目のディッシュに溢れんばかりの山盛りごはん。
そこにぎっしりと山頂付近にカツが並べられ、最後にこぼれんばかりのルーでコーティング。
ええ……
いやニヤニヤしてたしおかしいとは思ってたけどさ。
メニューが豊富だから楽しそう! って言ってたからノったけど、周囲を見渡すと同じように山盛りメニューを頼んでいる客が多い。
なるほど、そういう店か……。
「はい、こちらナポリタンになります」
「うわっ、あ、ありがとうございます」
そうこうしているうちにわたしが頼んだメニューがやってきた。
喫茶系カフェでは定番のナポリタン。
けどね、コレもかなり多い気がする……。
あれだね。デフォルトの量が多いんだよここ。
なんなの?
店名のピッ●ャーゴロってさ、お皿から零れる的な意味なの?!
まあでも、うちにはお残しは許さない勢がいるから。
「姉さん、半分くらい食べれる?」
って聞いたら、特に感情の起伏も無く「いいよ」って素で返って来たもの。
いやまあ、旅行中に姉の大食いっぷりは何度も見たけどさ。
やっぱり目の前で見るとエグい。
なにがってとにかく食べ方が綺麗なんだよ。
箸の先も少ししか汚さないし、食事中はほとんど喋らないし。
そしてひょい……ぱく、もぐもぐもぐ、ひょい……ぱく、もぐもぐもぐと、一切乱れないペースを維持し、気が付くと目の前から料理が消えている。
これはある種の芸術だと思うんだ。
この店はルーを足したり自由がきくから、カレーが残り3分の1程になったとき、スっと店員さんを呼び止めた姉さんが「すみません。大盛りライスとカレールー、お願いします」と言ったんだ。
ここは超大盛の店だけど、それでも胸はデカくとも身は細い小柄な姉さんが、あっという間にこの店基準の大盛カレーをあっさり攻略してることに、店員さんも姉さんの前の皿を二度見したからね。
そんな姉の豪傑っぷりを目の当たりにしたわたしは、ただでさえ食が細いのに、まだ食べてない段階で満腹感を感じたよ……。
結局、追加で頼んだサラダと、ナポリタンを小皿に少し取ってわたしの夕食は終わった……。
もちろん料理はスタッフ(姉)がきちんと食べました。
その後、重たい腹をなでなでしつつ、腹ごなしにと水戸の街を歩いてホテルに帰った。
他愛もないお喋りに興じながら。
あそこのカフェお洒落だね~。
うん、次来たとき寄ろうか~。
あ! あそこの雑貨屋行きたーい。
ん、寄ってこうか。
北海道に行く前と後。
肩肘を張らなくて済む今、心から流れる時間を楽しめている。
「ふー楽しかったねー」
ホテルに帰りシャワーを浴びる。
やはりフェリーに乗ってたせいで倦怠感が凄い。
油断すると瞼が落ちてきそう。
わたしたちはバスローブ姿でリビングのソファーに並んで座っている。
姉さんはしみじみ楽しいと言い、わたしも抵抗なく頷いた。
「さくらちゃん」
「んー?」
身体を冷ましたくてペリエを呑んでいると、姉さんがこてんとわたしの肩に顔を載せた。
「ありがとね」
「なにが?」
「全部話してくれた事」
思わず横を見ると、姉さんは微笑んでいた。
なんとなく頭を撫でると、猫みたいに目を細める。
「どういたしまして? でも、自分のために必要だったから」
「それでも、だよ。きちんと、区切りが付けられたから。寂しいけど……ね」
そういうと姉さんは、わたしの胸に顔を埋めた。
そして肩を小刻みに震わせると、やがて小さく泣いた。
こういう時、何を言えばいいんだろう?
多分、いやきっと。
何も言わないが正解なのかな。
わたしは子供をあやす様に、姉さんの背中をゆっくりと叩く。
ふと思い出したのだ。
確か言ったのは母親だった。
――直人、泣いた子供を落ち着かせるにはね。心臓と同じ速度で背中をトントンするんだよ。
嗚呼、蘇ってくる記憶。
妹が生まれて、乳離れをして、少しずつ家の中を自由に歩き回って。
にこにこしながら急に転んで、凄い泣いて……。
わたしにも、家族がいたことを今更ながらに思い出し、切なくなる。
それを振り切るように、姉さんの背中をトントン。
「でもね、さくらちゃん。それでも貴女がいてくれて良かったって思ってる。だから……もういなくならないでね?」
顔を上げた姉さんは、涙顔のまま痛ましい笑顔で言う。
わたしはそんな彼女の涙を指で拭いて、
「わたしはいなくならないよ。直人もさくらも揃って人生を終えた。けどわたしはここにいる。だからね、2人の分、わたしは幸せになるよ」
「うんっ……」
そうしてわたしたちはその夜、手を繋いで寝た。
生きているんだという確認作業。
姉さんもわたしも、きっとしばらくは同じように傷を舐めあうかもしれない。
けどそうやって、人は前に進んでいけるんだって今は知っている。
オレはワタシで、ワタシはオレで。
ひどく歪つなわたしという存在。
それでもわたしは胸を張って人生を歩むのだ。
それくらいの強さ、今はあると言い切れる。
そして翌日。
東京に戻ったわたしたちは、当たり前の日常に帰った。
部屋に入って顔を見合わせたわたしたち。
出てきた第一声は「やっぱりウチが一番だね」である。
わたしも姉さんも、声が出なくなるくらいに笑った。
目じりから零れる涙は、とても暖かった。
さあ、明日は何をしよう?
まずは洗濯だね。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「はーい、よーいスタート。チェリーの部屋はっじまるよ~」
【お前走者だったのか?】【早速ガバりそう】【初回からガバり続けてるんだよなぁ……】【淫夢営業はやめるのです(戒め)】【おっそうだな(便乗)】【草】【www】
週の中日である水曜の夜。
いつもの様に配信を始める。
チャンネル登録者は最近は頭打ちかと思われたが、配信系のまとめサイトでは、旅やツーリング系配信者の一人と数えられているらしく、そっちのファンが流れ込んだのか、現在の登録者数は60万人ほど。
もちろんそれは、ブレーンである姉さんの手腕による所が大きい。
今は北海道から帰ってひと月ほど過ぎたけど、姉さんは1週間ぶっ続けで、北海道旅を全12回に編集した。
それを2日置きに投稿し、かなり好評だったようだ。
というか進行形で心待ちにしている視聴者が多い。
実際初回は40万再生を越え、それが呼び水となり、次回以降もじわじわと再生数を上げている。
それがまた初回の再生数を増やす結果になり……とシナジーを発揮しているそうな。
さくらちゃん、広告料ガッポガッポだよ! ってその顔やめてほんと。
ダークひまわりは見たくないんだよぉ……。
まあそんな訳で、今後も定期的に旅動画を上げるつもりだ。
キャンプ回も結構人気だしね。
なので秋口にまたどこかに行こうって話している。
夏に行かないのはわたしが暑いのが嫌いだからだ。
エアコンの効いた場所にいたい。
そういうと姉さんは「まえにさくらちゃんが言ってたでしょ? キャンピングカーってのもあるよ?」って言ってきたが、確かにエアコンは効くし、車中泊がしやすいし良いと思うよ。
だからね、「姉さん、普通免許取ってきてね^^」と、自動車学校に通わせている。
いや思ったんだよね。
北海道ツーリング。
前世でも単車は身近だったから、こっちでも抵抗なく乗ったけれど。
でもね、やはり体力的にはキツいんだよ。
配信では絶対に言わないようにしてたけど。
長距離移動を敢行した夜なんか、ガニマタになってたからね?
だからさ、キャンピングカーにわたしも興味あるよ。
けど車なんだしさ、運転は交代出来る方がいいよね?
その方がフェアでしょ。
なにさ。
え~お姉ちゃんって免許ないもんって。
そんなあからさまな媚がわたしに通じると思うなよ。
可愛いとは思えど、それはそれである。
それに高輪に住んでるでしょ?
鮫洲の試験場まで近いじゃない。
だからお姉ちゃん、受かるまで何度も頑張ってね♡
後はそうだな。
帰ってきてからのわたし達。
その関係性は少し変化したかな?
わたしは女性であることを続ける、それはそうなんだけど。
元の自分をカミングアウトできたことで、強迫観念が無くなった。
例えば思わず男である名残が出たとして、同居人である姉さんは特に引っかかる事が無いからさ。
だから取り繕う必要がない。
ただ女性的にそれはダメって事をしたなら、姉さんが突っ込みを入れるって流れが定着化した。
その関係性がとても楽ちんで、わたしはとてもリラックスしている。
逆に姉さんが妹化したかな?
性別がどうであれ、わたしは大人だった。
大人の定義は人それぞれだけれども、社会の歯車として年数を重ね、生活に関わるすべての事に対して責任と決定権を持ち、いくつかの人間関係の拗れなども経験し、少々の事では動じない心の中の引きだしをいくつも持っている。
そういう意味での大人。
だからどうしても、姉さんが子供っぽく感じてしまい、それを窘めたりアメとムチを使い分け、波風が立たない様に立ち回ってしまう。
その結果、自分はお姉ちゃんなのだからと言いつつ、大概がわたしに甘えている姉がいる。
まあ、楽だしいいのだろう。
人にはそれぞれドラマがある。
事実は小説より奇なり、とも言う。
わたしの性別が反転した、これはわたしにとって大ごとだった。
けどそれ以上に姉であるひまわりが抱えていた物は重かった。
まあそれが完全にわたしが別人であるヒントになっていたんだけどね。
ひまお姉ちゃんという呼び名とは別に。
高科さくらは事故の後遺症で手にハンデを負った。
そう思い込んでいたわたし。
でも実際は、先天的な影響で、事故の結果ふさぎ込んだのは、単純に重荷に耐えきれなくなったきっかけに過ぎなかった。
とは言えわたしがさくらの情報を得たのは、主に自宅あった断片と彼女のブログだ。
そして東京に来てからの診察記録とかそういうの。
けどまさかね。
元々ハンデを持ってたけど、複雑な家庭環境を打破する手段として、幼いさくらが父親と同じ舞台に立って見せると決意したとは思わないでしょ普通。
それでも音大受験も近くなり、将来が現実的な近い未来になった事で、彼女は限界を本当の意味で悟ってしまった。
姉も、そしてさくらも、ある意味で盲目的で。
だから終わりを確信したさくらは絶望した。
見渡せばもう父はいない。
母は自分を見ていない。
姉にはそんな母の傍にいてもらっているという負い目がある。
そして自分には何もなかった。
だから彼女は死んだ。
けれど姉は、さくらとは別視点で同じように闇を抱えていた。
だから唯一の拠り所としてさくらに依存していた。
彼女はさくらを応援するために、チャンネル運営をすると上京したんじゃない。
自分も逃げ出したかったのだ。
まあとにかく、姉の闇もわたしがさくらの死を告白したことでリセットされた。
もちろん根拠は証明できない。
さくらの死と言っても、肉体はここにあるのだから。
けれど、彼女の抱えていた記憶と錘。
それに関わるエピソード。
それらを踏まえると、ひまわりの中では、この滑稽で唐突なオハナシも信じるに足る根拠となった。
そうしてわたしはわたしで。
姉は姉で。
次に進むための区切りができた。
これはとても大きな事だ。
それでも、母さんの事はこれからどうにかしなきゃだけど。
前に実家に戻ったときの事を思い出せば、和やかではあったけど、わたしと姉さん、わたしと母さん、会話が多い構図はこうだった。
当時のわたしは自分の事で精一杯で、それを違和感として感じてなかったもんなあ。
そりゃそうだよね。比較対象が無いんだから。
正しい関係を知らないから、それが正解って思うしかない。
だからいずれ、この問題も解決できたらとは思うけど、姉さんの気持ちも蔑ろにできないから、そこは課題だね……。
そしてわたしはお姉ちゃんでもひまお姉ちゃんでもなく、姉さんと呼ぶことにした。
さくらではあっても、さくらじゃない。
そういう意味で、元々の呼び名は使いたくなかった。
まあそんな感じで、問題は色々山積みでも、一先ずは日常に戻ったわたしたちだ。
「それじゃあ茶番はさておき。へいひまD! 例の物をこちらに」
「はぁ~い。持っていくね~」
【相変わらずの変態パピヨン】【もう姉妹の素顔みんな知ってんだよなあ】【ならただの変態って事でええやん】【草】【もちろん大歓迎さ!】【お、でっかいダンボール?】【ん?なんだこれ】
姉さんが持ってきたのはいくつかのダンボール。
そう、これは例の告白の翌日。
丸一日観光に費やす日としたあの日に買ったリスナーへのお土産だ。
数が数だから、持ち帰る事は出来ず、日時指定で送ってもらったのだ。
それが昨日届いたのだ。
北海道には食べ物も、そうじゃないのもたくさんお土産になるアイテムはあった。
札幌駅界隈や、大通公園の向こうの長いアーケード街である狸小路商店街。
そういう場所に点在するお土産店を巡ったりして色々見つけてきた。
なのでその一つを取りだす。
ガサガサと。
ふむ、ビニール袋を開けてっと。
銀の光沢のあるフィルムに包まれた長方形。
ラベルが赤くキャッチーな見た目。
裏側を爪でカリカリとやって開くと――
【は?】【は?(威圧)】【いや何喰ってんの?】【全然わからん】
【チェリーが美味そうで何よりです……】【え、3個目草】【そら美味いでしょうよ】
【俺たちへのお土産では?】
「誰もこれがお土産だとはいっていない。マルセイバターサ●ド。とても美味である」
さて次だ。
白い化粧箱に薄いブルーの意匠。
うん、北国の銘菓らしいデザインだね。
ふむ、ではこれも……。
【wwww】【ドヤ顔ェ……】【すっごい食べてる】【こっちみんな】
【カメラガン見草】【イキりんぼぉ……】【白●恋人ぉ……】
「うん、これもおいしいね。さっくりとした感触のビスケット生地に挟まれたホワイトチョコ。普通のチョコバージョンもあるけど、チェリー的には圧倒的に白だね。うん。あ、みんなへのお土産でしょ? わかってるって。これは所謂つかみ、って奴だよ? 北海道を経て、チェリーは配信者としてレベルアップしたんだ。だからこれ、チェリーからみんなへのお土産。どーぞ」
ドヤ顔をしつつ、後ろに隠していた本命をドン!
【もう絶対許さねえからなあ?】【ハハハ、こやつめ】【は?】【草】【これはひどい】
【すごくヒグマです……】【逆に高いんじゃ?】【たし蟹】【これ100個買ったん?】
そう、みんなに見せたのは、お土産屋で買ったヒグマの木彫り。
民芸系のおみやげだから、価格も2万円したよ。
光沢のあるダイナミックなフォルム。
これは力作である。
「なに? 不満? しょうがないなぁ……って茶番はさておき、本当のお土産はこれ。奥●商店のえびスープチキンカリーのレトルト。これは札幌で人気のスープカレー屋さんなんだけど、みんなとお別れした翌日、実際に食べに行ってきた。控えめに言って最高だった。カレーパンもとっても美味しかった。これを300人前買いました。はい、ではひまD。応募の手順を教えてあげて」
「はーい。えっとね、涅槃の住人名義で公式ラインアカウントを取りました。で、はい、今更新かけたけど、ムーチューブチャンネルのメインページにリンクを載せたけど、そこから登録してねー? 登録が終わったら、プレゼント応募のキーワード『チェリーちゃんマジ可愛い』と入力。そしたら『応募完了』の定型文が返ってくるからそれで応募したことになるよ~? 後程、当選者には、私ヒマDから送り先確認の連絡を入れるから待っててね~。あとキーワードは――はいっ、放送画面の右上に出したから、漢字ひらがなカタカナ、一言一句同じに入力しないと反応しないから気を付けてね~」
姉さんにバトンタッチをすると、カメラ前には出ず、声だけで説明をしてくれた。
基本的には演者はわたし、そういうスタンスは崩さないらしい。
旅はまあ例外って事で。
しかし淀みなく説明しながらも、キーボードをッターンってやってるのが出来る女感あるねえ。
さすがは敏腕Dだね。
【おー登録してくるは】【なんか個人なのにガチ感すげえ】【ええやん登録したるわ】【(10000円)】【無言投げ銭ニキもご満悦】【草】【スープカレー普通に喰いたいゾ】【300人とかwww】
「ああ、そうそう。例のわたしたちの写真だけど、一応3枚ほどつける予定。そっちは当選者が直接見て楽しんでね。どんなイメージかはそうだなあ……先日わたしたちは秋葉原にあるコスプレが出来るスタジオに行ってきた。これがヒントだね。あと、チラ見せしようか。ヒマD、出しても問題ないのを一枚、インサートして?」
「は~い。行くよ~。みんな驚かないでね~?」
【oh……】【言い値で買おう】【やば】【イケメン杉ワロタ】【これほすぃ】【エロい、エロくない?】
【ヒマDやべえ】【チェリーかっこよすぎ草】【わいホモに目覚める】【←元からだろ】【wwww】
姉さんが切り換えた画面には、わたし達の写真。
こっちは秋葉原ではなく、日比谷にある大きなフォトスタジオで撮った。
本格的なヅカメイク&ファションでゴージャスな写真が撮れるのだ。
わたしが男役トップスターで、姉さんが女役として着替えてね。
豪華な天鵞絨の背景の中に玉座みたいな椅子があって、わたしが気取った表情で座り、姉さんがお姫様みたいな恰好で、アンニュイな表情でわたしの膝に顔を載せている。
最初は並んで立って普通に撮ったんだけど、カメラマンさんが興が乗ったらしく、どんどんポーズをリクエストされ、その結果耽美な路線に……。
彼的に会心の出来らしい一枚を、写真館のショーケースに置かせてほしいと頼まれたな。
まあ安くしてくれるからOKしたけど。
「ふふふ……チェリーも本気を出せばこれくらい訳ないんだよ?」
【せやな】【かっこいい!】【似合いすぎてワロタ】【まあ体型が元々男みたいなもんやし】【あっ】
【あーあ】【油断したらこれだよ】【やっちまったなあ!】※チェリーボーイと呼ばないで:は管理者によりブロックされました※【久々に見た】【www】【名前が悲しい】【ワイにも刺さるんだよなぁ】
とにかくそうして、久しぶりの日常配信は和やかに終了したのだ。
ちなみに、秋葉原の方は、アニメとかのコスプレらしいけど、結構露出度高めのが多くて、色々危険だったな。
なので姉さんが厳選したので、多分大丈夫……だと思う。
掲示板形式の話、すっごい難航してます。
ある程度書いたけど、出せるクオリティじゃないのでまだ煮詰めるのでリリースは見送り。
その間にシリアスも無い、何かを出そうと思っています。
※警告。水戸の大盛の店は実在します。マジで安易に大盛を頼まない様に。
東海地方のマウンテンに匹敵する苦行です。
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水着回
あれは嫌な事件だった。
いくら自分の性別が女性になった事を理解し、順応したつもりでいても。
完全なる油断、それは認めるさ……。
けどそんなわたしに向かって、姉さんは半笑いで言う。
――甘いよさくらちゃん。私は20年以上女を続けてるんだよ? 数年如きで慣れるとは思わないで。
ちょっと出来る女風に言いながら斜に構える姉さん。
何その流し目は。
そこまでなら姉さんカッコいいで済んだのに。
だからね? さくらちゃん、お姉ちゃんが手取足取り教えてあげるよウェッヘッヘ。
死ねばいいと思うよと真顔で返したわたしは確かに成長しているのだ。
それはさておき、嫌な事件とはなにか。
何というかマヌケな話なのだけど、女性としての海デビューを果たしたのだ。
それにまつわるエピソード。
前世も含めて、暑い夏というのが死ぬほど嫌いなわたしは、来る夏シーズンには、家で配信をしつつ、基本的には自宅に引きこもり路線を目論んでいた。
しかしそれを「不健康だよっ!」と姉はわたしを窘める。
まあうん、そうだよね。
エアコンばっかり浴びていたら体にも悪いし、運動不足にもなるよね。
ならそうだね、わたしがさくらとなったばかりの頃にはよく通っていた、品川イ○ンへの買い物ウォーキングを復活させようかと思ったんだ。
イ○ンって自宅のある高輪からだと、本来は品川から京急に乗って青物横丁で降りて、そこから結構歩いて到着するから、歩くにしてはかなり距離があるんだよね。
だから炎天下の中歩いていくって事を思えば、結構な体力を使うし良いよね。
けど実際は姉さんの魂胆があり、それの口実にゴネてたようだ。
違うよさくらちゃん、そうじゃないんだよと彼女は抗弁。
それが海水浴に行くって話。
姉さんがどうしても行きたいと駄々をこね、結局は押し切られた形だ。
でもなぁ……前のナンパの件で、あんまりそういう所に行きたくないんだよねえ……。
それを姉さんに言うと「私が守るよ!」と鼻息荒く言うんだけどさ。
悪いけど姉さん、わたしも貴女もクソザコだと思うんだよね……。
ただまあ個人的に対策はしたから、それを頼ろうと心に決め、結局は行くことに。
対策はキーケースにつけておける、かなりの大音量が出る防犯ブザーがその1。
次が化粧ポーチやバッグに入れても違和感がないデザインだけど、噴射すると相手は転げまわるレベルの催涙スプレー。
最後が見た目はボールペンにも見える護身用スティック。
これ、よくみると握り込める様に歪曲しててね。
要は見た目がマイルドなメリケンサックな訳だ。
ちなみにこれらは全て合法なんだ。
自分の身は自分で守る。これしかない。
で、すぐに海に行ったのか……と言えばそうではない。
だって水着ないもの。
さくらのクローゼットにも入ってなかったし。
となれば当然、買うしかないって事になる。
そう思うと男の時はラクだったなあ……。
日本人でブーメランを履く奴は特殊なDVDの中にしかいない。
だからそんなに悩まなくても気に入った柄で済んじゃう。
なのでこの時点でもう嫌なんだけどね。
けど姉さんに連れられ、大嫌いな渋谷に。
周囲にギャルが大勢いるようなショップに入る。
姉さんが色々持ってきてそれを試着するんだけど。
でも水着だから当然、地肌はNG。
なので下着の上からだもんね。
鏡見てもピンとこない。パンツはみ出てるし。
ただ姉さんが持ってくるのってビキニばっか。
これは喧嘩を売っていると思ってもいいよね?
いや、「さくらちゃんスタイル良いから似合うよ~」じゃないの。
凹凸がないの。わかって。
結局はハイネックビキニにしたよ。
だって無難だし。
ビキニと言っても上は丈が短いキャミみたいなデザインだし、下は結構な黒いハイレグだけど、足首まである暖色のシースルーなロングパレオを装着する奴だし、これでパーカーを羽織れば胸は隠せる。
と言うか姉さんは真っ赤なガチのビキニなのね……。
そら似合うでしょうよ。
で、ヘトヘトになって漸く帰れるかと思えば、姉さんが会計しているときに通路に立っていたわたし。
そこに登場したギャルが数人。一列横隊で立ち塞がっている。制服かわいいね。
「やばばばばっ! このお姉さんマジやばたにえんなんですけど」
「そマ? うわマジだ。お姉さん超エモいから」
「んー? なしよりのあり?」
「いやいやなしよりのなしだからwww」
は?
わたしは誰に言ってるのかな? と後ろを振り返る。
そこはビルの非常口、つまり行き止まりで、ダンボールが積んであった。
どうやらわたしに言ってるのかな?
とか思ってたら、謎の言語で喚きたてられ、囲まれるわたし。
おろおろしてしまったが、どうやら友好的ではあるらしい。
言語が理解できないけど。
で、最終的には、どうやらわたしが綺麗だから一緒に写真を撮ろう。
と言うかプリクラいこ? みたいな感じで、捕らえられた宇宙人のごとく、周囲にギャルにロックオンされたまま、地下にあるプリクラがいっぱいある所に着いたんだけど、繰り返し一緒に撮らされ、その際にわたしのピースサインはありえないとダメだしをされた。
……北海道でヤエーで好評だったのにな。
そして今時のギャルなら当たり前らしい様々なピースをレクチャーされ、指ハートやら羽ハート、裏ピースに顎ピース……もはや軍隊のハンドサインレベルで多種多様。
その上勝手にスマホを操作され、そこにいた全員とラインIDを交換される始末。
さらには「お姉さんお金持ってる?」的な事を聞かれ、すわカツアゲか!? と怯えるもそうじゃなく、一応あるけどと言うと、ビル内のあちこちをたらい回しにされ、気が付くとわたしはギャルになっていた。エクステつけすぎて宇宙人みたいになってたけど。
それで満足して帰って行ったギャルが消えた後には、お目目グルグル状態のわたしが立ち尽くしていた。
しかしだ。
ふと横を見ると、カメラを構えている姉の姿。
この姉……ずっと撮ってやがった……。
サムズアップを今すぐやめて。
この時の映像は、わたしが知らない間に、【朗報】チェリー、ギャルになる【神回】と言うタイトルで動画化されてた。
わたしはこの日限りは、姉と口をきいてやらなかった。
当然だと思う。
まあいいや。
そうして紆余曲折を経て、わたしは行ったさ。
海に。
こんな炎天下でバイクに乗るなんて自殺はしないよ。
電車とタクシーでね。
行先は神奈川の辻堂海岸。
江の島の向こうだね。
そこに決めたのは、ネットで調べたら、サーファーは多いけど、意外と穴場で人が少ないと書いてあったから。
まあ行ったら普通にイモ洗い状態だったけどね。
夏真っ盛りを舐めてはいけない様だ。
現地では結局ナンパは何回かされたけど、前の時みたいな悪質な感じなのは無かったから問題はない。
と言うか連中がナンパ慣れしてて、こっちがダメな空気だすと波風立たない様に和ませた挙句、笑顔で消えていくから普通に面白かったかも。
あれも才能だなって。
だって遠くからこっちチラチラ見てる集団は、勇気が無かったのかそのまま消えるもの。
大概がそうだった。そっちの方が煩わしいよね。視界にいるだけだから。視線は感じるのに。
けどちゃんと声をかけてくる子らは歴戦の猛者って感じだねえ。
なので割と快適に遊んださ。
海の家を満喫し、交互にサンオイル塗り合って立派な褐色ガールになってきた。
波打ち際ではしゃいだりね。ベタだけども。
で、問題はだ。
はしゃぎすぎてね。
いつの間にか水着の中に砂が結構入っていたんだ。
あれだよ。
男時代に女のセクシーな仕草トップ10に入っていると認定していた、水着ガールが食い込みを直すシーンってのがあるでしょ。
あれ、食い込みもそうだけど、砂とかも落ちるんだね。
そういうの小まめにしてなかったわたしが悪いにしてもさ。
そしてあるでしょ。急に股間が痒くなるやつ。
海水に浸かっていたからもあるんだけど。
ほら、こういうのって男女とか関係ないと思うの。
で、掻いたさ。大き目のバスタオルを膝にかけてさりげなく。
そしたらギャーーって悲鳴でたね。
姉さんが倒れそうな程に驚いてた。
と言うか周囲にいた人らが全員見た。
それどころか現地のサーファーやギャルが「お姉さん大丈夫?(ギャル語で)」とか心配そうな顔で集まって来た。
あれだね、偏見で見ちゃダメだね。みんな優しい……。
何が起こったかと言えば。ビキニショーツに砂が入っている状態で掻いたから、ガリッとね……。
デリケートゾーンは本当にデリケートだった。
でも恥ずかしいから言えないしさ。
ひきつった顔で「あ、足がつっただけです」って必死にごまかしたよ。
サーファーのお兄さんに真顔で、海に入る前にはきちんとストレッチしないと命に関わると説教されて泣きたくなったよ……。
違うんだよ、痛いんだよ……どことは言わないけど。
帰る前に海の家でシャワーを借りて着替える時に、嫌だけど見たんだよ患部を。
無様に股を拡げてさ。
そしたら人に言いたくない場所が真っ赤に腫れあがってた。
それが事件の全容だよ……。
わたしは心に決めたね。
もう海は二度といかない、ってね。
行くとしても真水のプールだけに限る。
心からそう思う、わたしの夏の出来事である。
☆☆☆☆☆☆☆☆
【その名は】配信者チェリー専用スレ39個目【チェリー】
1 名無しのさくらんぼ農家@小作人
MoonTube個人チャンネル『涅槃の住人』の配信者チェリー専用スレになります。
sage進行推奨。E-mail欄(メール欄/メ欄)に半角小文字で「sage」と記入。
――――――――――――――
■チェリー
[toitter]
http://toitter.com/sak--anb0
[MoonTube]
http://www.moontube.com/c--------l/…………
――――――――――――――
※前スレ
【平たい胸族】配信者チェリー専用スレ38個目【チェリー】
http://egg.777ch.net/………………
次スレは839を踏んだ小作人が建てること
21 名無しのさくらんぼ農家@小作人
いやー例のアレは笑った
22 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>21
例のアレなwwww
23 名無しのさくらんぼ農家@小作人
再生数もやばたにえん
24 名無しのさくらんぼ農家@小作人
やめてやれよwwww
25 名無しのさくらんぼ農家@小作人
ん?例のアレって何?
26 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>25
チェリーチャンネルの動画
【朗報】チェリー、ギャルになる【神回】見てこい
27 名無しのさくらんぼ農家@小作人
さんくす逝ってくる
28 名無しのさくらんぼ農家@小作人
再生数80万越えとかもうすぐミリオンやん
29 名無しのさくらんぼ農家@小作人
ネタ的に普段見ない陽の者も流れてきてんちゃう?
30 名無しのさくらんぼ農家@小作人
そんなの関係ねえ!お前らリピートしてミリオンまでブーストしろ!
俺? 既にやってるけど
31 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>30
そんなの言われなくてもやるのが小作人なんだよなあ
32 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>30
当たり前だよなあ?
33 名無しのさくらんぼ農家@小作人
わりとと言うか、似合いすぎてて草だった
34 名無しのさくらんぼ農家@小作人
それな。ヒマDと違ってチェリーは中性的だからどんなメイクも似合うというか
35 名無しのさくらんぼ農家@小作人
パリコレモデルみたいなスタイルだもんな
36 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>35
貴様なにが言いたい
37 名無しのさくらんぼ農家@小作人
べ、別にすーぱーもでるは胸が小さいとか言ってないから(震え声)
38 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>37
NGやろなぁ
39 名無しのさくらんぼ農家@小作人
最近自分から地雷踏んでNGされたい小作人大杉
40 名無しのさくらんぼ農家@小作人
そこは流石のヒマDよ隔離時間長くなったもん
41 名無しのさくらんぼ農家@小作人
流石の胸だ、揺れが違いますよ
42 名無しのさくらんぼ農家@小作人
やめてさしあげろ泣いてるチェリーもいるんですよ!
43 名無しのさくらんぼ農家@小作人
草
44 名無しのさくらんぼ農家@小作人
伝統芸能
45 名無しのさくらんぼ農家@小作人
気にしなくてもいいのになチェリーは可愛い
46 名無しのさくらんぼ農家@小作人
せやな惜しむらくは身長が高い事か・・・
あれで145センチくらいだったら完璧だったは
47 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>46
ロリコン乙
48 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>47
それもうチェリーちゃうから
49 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>47
うるさいですね・・・
50 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>49
ごち○さ民は巣におかえり
51 名無しのさくらんぼ農家@小作人
>>50
すまんな。日課のス○バ爆破に戻るは
52 名無しのさくらんぼ農家@小作人
ワロタ
53 名無しのさくらんぼ農家@小作人
けどオロオロしながらギャルに連れ回されるチェリーの愛らしさよ
54 名無しのさくらんぼ農家@小作人
ショップに入る度に装備が増えてったもんな
55 名無しのさくらんぼ農家@小作人
勇者チェリーの冒険!
56 名無しのさくらんぼ農家@小作人
色とりどりのエクステ塗れほんま草
57 名無しのさくらんぼ農家@小作人
最終的にギャルが10人超えてたやろ
集合写真の真ん中で真顔で横ピースに顔中草塗れや
58 名無しのさくらんぼ農家@小作人
ギャルの中にチェリーを突うずるっ込んでやるとオロオロして可愛いんじゃ
59 名無しのさくらんぼ農家@小作人
そのあげくに「ちぇ、ちぇりーは、その、超マブいからっ!」
wwwww半世紀前のギャル語wwwww
60 名無しのさくらんぼ農家@小作人
全員ポカンとしてたのはもはや芸術
61 名無しのさくらんぼ農家@小作人
追い込まれると人の本性が現れるウンヌン
62 名無しのさくらんぼ農家@小作人
誰も突っ込まないけどチェリーのあのリアクション見てるとさヒマDが隠し撮りしたんだろ? 鬼畜杉ワロエナイ
63 名無しのさくらんぼ農家@小作人
あっ
64 名無しのさくらんぼ農家@小作人
そこに気づいてしまったか……
65 名無しのさくらんぼ農家@小作人
投稿後の雑談配信回であれがガチだったことは明言されてるな
66 名無しのさくらんぼ農家@小作人
それなwww例の動画の話題になったときチェリーが真顔でカメラ外を睨んでたのほんま草
67 名無しのさくらんぼ農家@小作人
震え声のヒマDが「あの日は口きいてくれなかった」とか言ってたしな
68 名無しのさくらんぼ農家@小作人
ヒマDは敏腕って事やろ(めそらし)
69 名無しのさくらんぼ農家@小作人
まさかチェリーも身内に刺されるとはなあ・・・
70 名無しのさくらんぼ農家@小作人
それ北海道でも見た気がする
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拾う神あり?
「それではチェリーの配信を始めるよ~」
長い北海道旅行から帰宅して、姉さんの動画編集も落ち着いたであろう今、旅の総括をするための雑談配信をするのだ。
【わこつ】【いきがい】【待ってた】【今日なにするんだ?】【とりあえずジュースでも飲んで(¥1000)】【リスナー増えたな~】【ほんまや平日で1万越え】
「はいこんばんはだよ。コメント速いので目で追えないチェリーを許して。ジュース代ありがとね。んじゃお酒でもあけようかな。……ヒマDありがとう。んじゃ飲み物ある人は一緒に乾杯して? 今日の配信はヒマDも登場してもらって、北海道でかかった経費とかの報告をする。なので打ち上げみたいな感じかな? じゃ準備いい? かんぱーい!」
【乾杯!】【サルーテ!】【チン○ン!】【←おい】【←ラテン語圏なら普通だし】
【わい水飲み百姓……白湯で我慢】【草】【がんばれよ小作人】【メシ喰う金あるなら銭なげるは(¥700)】【www】
「うん、ビールおいしい。んじゃ早速だけど、ヒマDかもん」
「はぁ~い。みんな~今日はよろしくねぇ」
【ヒマDきた!これでかつる!】【メイン盾……なるほどねえ】【確かに防御力ありそう】
【でも服は……エッッッッッッ!?】【白ワンピ可愛い】【おい無言でカメラ睨んでるチェリー様も同じ服なんだが?】【あーあ】【相変わらずの変態パピヨン草】
姉さんもビールとノートPCを手に登場。
ちゃぶだいで並んで座る。
一部不適切なコメントが散見されるが、ここは大人の余裕で許してやろう。
今日の内容は結構多いのだ。
なのでにっこりと笑って、
「何がとは言わないが次はないと思ってね? んじゃ早速だけど、配信画面に注目。ヒマD、映像をお願い」
「はーい。それっ」
■チェリー北海道旅 宿泊費内訳。
南幌温泉
1泊10,000円
>1人5千円(宿泊費のみ)
旭川シティホテル
1泊18,000円
>1人9千円(朝食のみ)
利尻島・旅館
1泊14,000円
>1人7000円(夕食・朝食付き)
紋別市観光ホテル
2泊72,000円(スイートルーム)
>1人18,000円(朝食付き料金。初日はタイアップの為夕食代免除・二日目は自炊と外食のため素泊まりに朝食OP)
知床観光ホテル
2泊100,000円
>1人25,000円(夕食・朝食付き)
帯広郊外のモーテル
1泊7,000円(ルームチャージのみ)
静内町旅館
1泊10000円
>1人5,000円(朝食付き)
洞爺湖温泉ホテル
2泊60,000円
>1人15,000円(夕食・朝食付き)
札幌駅ビルタワーホテル
2泊250,000円
>初日エグゼクティブツインルーム1人50,000円
>2日目スイートルーム150,000円(2名ルームチャージ)
宿泊費総計:541,000円
「はい、という訳で、宿泊費は54万1千円となりました~。みんなありがとうね~!」
【ヒマD可愛い】【大天使ヒマD】【合計すると結構エグいな】【それな】【国内旅行って高いってのホントだな】【沖縄とかヤベーぞ】【せやろなあ】【見ごたえあったし妥当】【同意】【ただ気になるのがありますね……】【空白の2日間】【美人姉妹が2人きり何も無い筈もなく……】【このあとめちゃくちゃ……】【やめろwww】
「あー、あの日ねえ……まさかあんなことがあるとはね……事前に有名温泉地に行かないぞと宣言しててコレは情けないけどさ。まさか大雨でPCがやられるとは思わなかったからね。リカバリーできるっていうし、足止めされたから、けど配信できないまま先に進むのもと思って、苦肉の策で洞爺湖に泊まりました。みんなとの会話がない、こんなに寂しいことは無いよ。ねえ? ヒマD」
「そうだよね~スマホ配信だと不安定だし仕方ないよ~。あ、そう言えばチェリーちゃん、温泉のアトラクションプールで大はしゃぎしてたけど、それも仕方ないよね~」
「あっ……」
【正体表したね】【語るに落ちるとはこういう事か】【例のごとく身内に刺されてるだけなんだよなぁ】【水着の映像は当然あると思ってよろしいか?】【当たり前なんだよなぁ】【ヒマDが撮らない訳ないだろいい加減にしろ!】
「そんなのある訳ないでしょ。知らない人も大勢いたのに」
「ないよ~。でもね、これから2日おきに投稿されていく北海道の旅動画では、ちゃんと洞爺湖の2日間の映像はあるから大丈夫だよ~。特典映像として水着はないけど寝起き……と言うか寝てるチェリーちゃんに私が色々悪戯するシーンがあるから我慢してね~?」
「…………えっ?」
【大草原不可避】【やはり】【今です!】【孔明草】【この孔明……爆笑しながら馬謖を斬るゾ】
【チェリーの顔芸草】【この娘面白すぎるwww】
聞いてないんだけども……。
悪戯って何されてるんだ。
いや気にしない方がいい。
胃が痛くなる。
「あーうん。プールは楽しかった。もう許して」
【よわい】【クソザコナメクジ】【(¥10000)】【今の顔いい】【ドS共め】
「あーもう煩い。次行くよ次! じゃヒマD、続けて宿泊費以外の経費をお願い!」
「ふふっ、はーい。じゃあ出すね~。あ、バイクの燃料費とかは除外しているからね。こっちはチェリーちゃんのクレカ払いだし普段から使う経費扱いだから。じゃあちゅうもーく!」
■チェリー北海道旅 諸経費内訳
食費132,000円
>14日間の合計(細かい金額は動画内にて表記するのでそちらを確認)
施設利用料等の経費
旭山動物園1,000円×2
稚内ー利尻間フェリー料金5,180円×4(一等ラウンジ2人往復分)
網走監獄1,100円×2
知床観光クルーザー9000円×2(3時間の遊覧)
帯広熱気球150,000円(半日チャーター)
諸経費・雑費総計324,920円
別枠・苫小牧ー大洗往復
49,000円×4(スイート)
バイク輸送費35000円×2
輸送費総計266,000円
「は~いこんな感じ。ざっくりとだけど、動画の方ではその回ごとの内訳なんかをエンドロール扱いで載せてるから、詳しく知りたい人はそっちでね」
「うん、ありがとう。さて、全部の合計だけど、1,131,920円となりました。個人的には気球とか、札幌のホテルとか、その辺は高いんだけど、総額にするとそうだねえ、言う程散財は出来ていなかった。無駄に使う必要もないのだけど、逆に言えば200万円ってやはり大金だったって事だなあ~ってしみじみ思った。この旅は色々な意味でわたしにとって意味のある旅だったから、みんなのくれたスーパーチャットには感謝している。ありがとう」
「ありがとうね~。私も便乗した形だけど、とても感謝しています」
【ええんやで】【ワイらも楽しかった】【動画も楽しみやしな】【寝起きドッキリ(起こされない)楽しみ】【草】【素のヒマDの出来る女オーラよ】【シッ……】
「別にスパチャをしてない人とかも関係ないよ。見てくれる、これだけでムーチューバーは収入が入る。広告のね。だからチェリーに好意的でもそうじゃなくても、こうやって関わってくれたみんなに感謝してる。コメントが得意じゃなくて見てるだけの人もいると思う。ラジオかわりに聞いてる人とかも。だからそうだね、これからもチェリーはスタンスを変えることなくマイペースでやっていく。たまに今回みたいな長い旅をしたり、近場でお茶を濁したり。それでも良ければこれからもお付き合いください」
カメラに向かってぺこりと頭を下げる。
姉さんも一緒に。
【泣いた】【ワイらも元気貰ったしええんやで】【一生推す】【俺も】【変わらないで】
【それな。むしろ今のままでいろ】【稼ぐ事に躊躇するな】【広告踏むくらい訳ないわ】
【ちくわ大明神】【泣かせるわー】【誰だ今の】【古典コピペやめーや】
色々あったけどさ、姉さんとの関係の構築。
自分の性や身に降りかかった状況への折り合い。
それを変える大きな原動力になった。
ひょんなことから始めた配信者って活動。
それは全部わたしにとって助けになった。
顔も知らない誰かが特に結託した訳でもなく、それぞれの娯楽としてチェリーなる電波娘を構ったりして、それが今に続いた。
この事は姉さんとわたし、いずれ母さんと、3人だけが知っていればいい事。
当然それをわたしが吹聴することは一生ないだろう。
それでも、彼らに感謝は伝えたかった。
それはそれとして――
「ここまでは良いんだよ。イイハナシダッタナーだっけ? そんなノリでさー。けど最後に発表するけど、旅行中の配信、その中でのスパチャの合計言うよ? 70万なんだけど。あのさあ……企画理解してるのかな? みんなのスパチャが500万の大台に乗りました。だからみんなと共有して消費することで還元します。だよね? ここにお土産分の経費は入れてないけど、概算で120万弱。その大半をスパチャで増やしてどうすんのさ!?」
【めっちゃキレてて草】【本末転倒www】【だいたい無言ニキのせい】【無言ニキは悔い改めて】【(50000円)】【草草の草】【反省の余地なし!】【お前がナンバーワンだ】
【それがどうした!俺は投げ続けるぞ!経費に追いついた?なら一生チェリーでいてくれ!】【無言ニキ喋ったwww】【熱いwwww】【チェリーガチ勢草】【無言ニキかっこいいけど、名前が「俺の股間のチェリー」で台無しwww】【ひwwwwどwwっうぃwwww】【でもワイも同意や一生チェリーで頼むは】【俺らも一生チェリーします!】
こいつら……。
姉さんも笑ってないでさぁ……。
嗚呼、駄目だ。
片手間でやってたつもりなのに。
わたし、こいつら大好きだ。
だから、
「…………うううっ、ぐすっ、バーカバーカ! お前らなんか大好きだ! 死ねっ!」
泣き顔を見られたくなくて、久しぶりに配信をブチっと切ったのだ。
ちきしょうめ。
姉さん笑いながら泣くんじゃないよ。
あ゛あ゛……喉ガラガラになりそ。
この身体、涙腺弱くてダメだぁ……。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「ですので、高科姉妹のお2人での露出が前提になりますが、こちらの条件をクリアして頂けるのなら弊社としても是非ご協力させていただきたいと考えております」
「はい、とてもご丁寧にありがとうございます。ね、さくらちゃん」
「ええ、はい。ちょっと驚きすぎて何とも言えませんが」
「ははは、チェリーさんは本当に配信や動画の通りなんですね」
「いや、ははは……恐縮です……」
クソザコナメクジっぷりを発揮しているわたしである。
おかしいなぁ……前世では割とビジネスの最前線にいたつもりなのに。
展開がアレ過ぎてポンコツ化してしまった。
姉さんは笑いすぎだ。
さて目の前には愛想は良いがワイルドな恰好の中年紳士がいる。
応接で姉さんとわたし、テーブルをはさんで彼と言う構図で向かい合っている。
彼は荒川さんと言い、NATS-RVというキャンピングカー・ビルダーの大手メーカーの社長さんだ。
要はキャンピングカーを作るカー工房の社長ってこと。
元々は九州でやられていたそうだが、今は全国を網羅できるように、主要都市に拠点を持っている。
そしてここは、その拠点のひとつである埼玉の工場。
そこの応接室にわたしたちは招待されたのだ。
というかまさか社長本人がいるとは思わなかったよ……。
普通は広報的な人が出てくるって思うじゃない。
けど茶系のラム革ジャンのチョイ悪おやじが待っていて、名刺を渡されてみれば、社長本人。
それで彼手ずから渡された企画書は凄く細かく丁寧だった。
一体なんなのかと言えば、企業案件とでも言えばいいのかな?
スポンサードに近いかもだけど。
きっかけは2週間ほど前にやった生配信。
海での事とかで盛り上がった次の週だったな。
その時の話題は、貰ってる投げ銭が、結局多すぎて還元できなかった件をボヤいていた。。
リスナーには気にしすぎと言われるけどさ、やっぱねえ……。
旅行で使ったやつを差っ引いてもさ、ちょっと笑えない金額なんだもの。
それで何となくまた旅でもいくかーって話をしたら、リスナー間でも議論になってね。
殺伐とした感じじゃなく、次はどこ行かせるべき? みたいな。
なんかこうわたしは置いてけぼりな感じで議論は進む。
まあ彼らにとってのムーチューバー・チェリーは、旅に行ってこそみたいな認識らしい。
実際北海道旅の動画、全12回は軒並み100万再生を越えており、旅カテゴリーで上位をキープしてたり、急上昇に毎回乗っかったりと好評だった。
それは嬉しいよね正直。
だからまたどこかに行くのは吝かではないのだけど。
正直ツーリングメインは今回は遠慮したいなあと。
なのでわたし的には今度は交通機関を使うか、それこそキャンピングカーがいいな~とボヤいたんだ。
交通機関だって悪くないよね。
電車が大好きなマニアだっているし、車窓からの景色とかたまらない。
それに駅弁だって地域色が強いから、普段は食べようと思わない珍しい料理に出会うかもしれない。
何より快適だ。
後は今、姉さんに車の免許を取りに行かせている。
本人は抵抗してたけど、今後は車を利用することも考えているし、軽自動車でいいから、自家用車の導入も考えている。
大きい方のハーレーだけ残し、883は手放そうと思ってるのもあってね。
売却した金額にちょい上乗せで新車の軽が買えそうだし。
それにこのマンションには住民用の駐車場があり、一戸に一台縛りはあるけれど、月に15000円と言う都内では破格の金額だもの。
だから姉さんにも取ってと無理やり行かせたのだ。
ふふふ、いつもやられてばかりだと思うなよっと。
なので無事に免許が取れたなら、キャンピングカーもいいよねってなる。
やはり運転の負担は車もバイクも大きいし、ならシェアしないとね!
それにわたしが好きな本格的なキャンプを取り入れられる。
旅に行くにしても、先々でキャンプするってのもステキでしょ。
そしたらリスナーの中にその手の事に詳しい人がいて、キャンピングカーもピンキリで、大きいのだと1千万を越えるのも珍しくないという。
うわーそんなにするんだねえなんて苦笑いしながら、そういわれると欲しいなあと言っちゃったわたし。
その配信の数日後だった。
チャンネルの管理をしている姉さんが、さくらちゃん、なんかスポンサーになりたいってメールが来てるんだけどって言ったのは。
それが社長さんだった。
内容はいつも放送を見ていたらしく、うちの車で良ければタイアップと言う形で提供できますので、一度会ってお話しできませんか? と言うオファー。
姉さんがすぐに差出人にあった企業名、NATS-RVを調べると、どうやらかなりの業界大手らしいと判明。
公式WEBサイトを見てもしっかりした企業だし、かなり長く運営されているから実績も充分。
メールによると、社長さん自身も自社の広告塔として自分のところの車に乗って、方々でキャンプする様子をムーツベに投稿しているという。
なるほど、なら話もしやすいかもって感じで、ぜひお願いしますとメールを返信した。
そして今日やってきたんだけど、契約の内容は、1年更新の契約で、期間中は社長のチャンネルとの相互リンクをする。
で、キャンプや旅に出かける際は、NATS-RVのデモカーを使う。
旅の規模により大きなキャブコン(トラックベース)やバンコン(ミニバンやワンボックスベース)、軽キャンパー(軽自動車ベース)と使い分ける。
まとめるとこんな感じで、大きな金銭のやり取りはないかわりに、デモカーを乗り回せる。
社長のチャンネルとの相互リンクだって、向こうは10年以上もやっているベテランで、キャンプファンの登録者が100万近くいるから、こっちの登録者を狙っている訳もないし。
むしろこっちの方が恩恵が大きいよ……。
社長曰く、もっと若い人にキャンプをしてほしいし、何より車離れが酷いから、わたし達が乗る姿を見て、自分も! と思う人も言うかもしれない。
そう言うのは、オッサンである私じゃダメなんだ、だって。
詳しく聞くと、意識高いオヤジに憧れても、現実的な金銭面とかで断念される事が多いんだって。
社長は苦笑いしながら、若い者には良い恰好をしたくなるから、全体的に金をかけたキャンプ動画になっちゃうそうな。
男は見栄っ張りでダメだねぇ……と頭を掻く社長。
そこでわたし達が、軽キャンパーに乗ったり、逆にワイルドなキャブコンを乗り回すのは、同年代の共感を呼ぶかもしれないとさ。
こんなに熱く語られたらNOとは言えないよね。
と言うか話を聞いているうちに、わたしも共感していたし。
前世での自分。
仕事が落ち着いたら、きっと社長みたいな事をしてたと思うんだ。
未成年なら、創意工夫してするキャンプも、大人なら欲しい物を全部詰め込める。
それが大人の特典だもんね。
なのでわたしは2つ返事をその場でした後に、ハッ!? と我に返り姉さんを見た。
勝手に返事してもね。困るだろうし……。
けど姉さんは「さくらちゃんの好きにしていいんだよ」と慈愛の視線。
そうしてわたしはNATS-RVと契約を交わしたのである。
で、帰りがけ。
社長さんに聞いたんだ。
わたしの配信を見てくれてらっしゃるそうですが、いつからですか? って。
聞かなきゃよかった……。
アイスの回からだよって満面の笑みで言われた。
最後にキャンピングカーの前で一緒に写真を撮って、わたしはトボトボと家路についたのである。
キャンピングカーか……。
日本全国どこでもいけるなぁ。
季節は秋に向かい、そして冬がやってくる。
南に向かうのもいいかもね。
それにお母さんに会いに行くのも……。
アンケートの結果を鑑み、公式タグであるガールズラブはつけないが、自タグに微百合をつけたいと思います。
アンケートお答えいただき感謝です。
しかし根強くひまわりマジ天使派強くて草
もちろん異論はない
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Pretty Woman
微百合タグの限界へ。
つまり百合なんて無理とか言う層は見なかったことにするか、ブラウザバックをお願いします。
お気に入り減ろうと読者を篩にかける作者の鑑か、はたまた狂人の戯言か。
とにかく警告はしましたよ。
ちなみに完璧な日常回であり、二章への伏線等はございません。
「チェリーちゃんっ」
配信予定も無いある日、午前中に家事も終わらせたわたしはリビングで本を読んでいた。
例のヒトをダメにするビーズクッションに身を預け、ちゃぶ台にはスライスしたライムを浮かべたペリエ。
優雅なひと時……心はセレブ系であるわたしにぴったりの昼下りであった。
そんなわたしの静寂を切り裂くように姉さんが叫んだ。
姉さんは出かけてた筈なのにな。
有楽町にある洋食屋でランチをするのだと午前中からいなかったのに。
なので、
「なに? 何かあったの?」
「デートしよっ!」
なるほど、デートね。
うん、そういう時もあるよね。
わたし読書中なんだけど。
だから、
「姉さん、冷蔵庫にさっき作った梨のコンポートがあるよ。デザートに食べていいよ」
「あっ、うんっ! 食べる~!」
食べ物を与えて黙らせる、これだ。
残暑は厳しいけど今は一応秋。
昨日は姉さんも動画編集で部屋に籠りっきりで退屈だったわたしは、徒歩でのんびり青物横丁まで行き、適当にぶらぶらした後に、適当な喫茶店でお茶をして、その後久しぶりに(と言うか前世以来初?)パチンコ屋に入り、見たことも無い台に適当に座り、玉をジャブジャブ出して帰って来た。
と言うかわたしの前世より未来なのに、パチンコ屋は生き残ってるのが驚きだ!
その帰りにスーパーに寄ると、シーズンである梨が大安売りをしてた。
なんかこうエコバッグみたいのにぎっしり入ってて、それ丸ごとで千円。
わたしは梨のしゃりしゃり感と瑞々しさが大好きで、つい衝動買いしちゃった。
重たいからタクシーで帰って来たけど。
姉さんもご満悦で3個も食べてくれた。
けど果物の中でも特に足が速い*1のが梨。
バッグの中にはまだ8つも残っている。
なので5つをコンポートに仕上げ、3個を梨ゼリーにしたんだね。
ワインとローズマリーをアクセントにしたコンポートは、一口サイズにカットして、梨ゼリーに混ぜ混ぜして大き目のガラスのバットに入れて冷蔵庫で冷やしてある。
季節の物を料理して頂く、わたしが前世で敬愛して止まなかった作家、池波正太郎先生の江戸文化への愛みたいな物で、旬を食らうってのはとても贅沢に感じる。
「はい、姉さん。お食べ」
「ん~~~っ! おいひぃ~~っ!!」
小鉢に山盛りにしたゼリーを姉さんの前に置いてやると、彼女はすぐさまスプーンを手にゼリーを口に運んだ。
そして目をギューっと瞑ると、頬に手をあて美味しさを全身で表した。
嗚呼、和む。このまま美味しい物を与え続けてまるまると太らせ、胸とウエストを同じサイズにしてやりたいほどに……。
「ハッ!? って違うよさくらちゃん、デートだよっ!」
「チッ……気づいたか」
「ふふん、私を食べ物でごまかせると思ったら大間違いだよ~?」
「おかわりいる?」
「いる~! って、違うのっ! デートするの!」
「はぁ……わかったけどさ、なんなの急に」
そして姉さんは勇ましく語り始めた。
曰く、有楽町で食事をした後、銀座を歩いてみた。
なるほど、いわゆる銀ブラだね。
姉さんに似合いそう。今日はシュッとした服だし。
七分丈の赤いスキニーにピンクのペディキュアが目立つグリーンのミュール。
ボーダーのハイネックに紺ブレ。
大き目の黒いキャスケットから覗くサイドに垂らした銀髪。
アクセントのふわっとゴージャスな金色のシュシュ。
お姉さまテイストな姉さん。
さぞ絵になった事だろう。
その銀ブラの最中に、若いカップルを見たという。
いや自分で言うのもアレだけど、わたしらも十分若いと思うんだけど。
姉さんは「昔なら行き遅れだよ。だからさくらちゃんに貰ってもらうしかないねっ」と力説するが、残念ながら現在の日本では同性婚は法律上認められていないし、なおかつ血のつながった姉妹ではなおさらアレなんだよ。
まあ、要はその初々しいカップルを見かけた姉さんは、それを羨ましいと思ったらしい。
それに安易に「んじゃ恋人でもつくんなよ」とは言わないけど。
言ったらこの世の終わりみたいな顔になるしね。
前に迂闊に言って雰囲気悪くなったからなあ……。
しかしデートか。
別に嫌だとは言わないけどさ。
けど考えてみると、北海道旅以降、姉さんの距離感は妙に近いし、どこか行くときも結構ついてくる。
その際に抵抗なく手を握ったりとかしてるし、これってもうデートみたいな物じゃないのかな?
前世の直人として考えてみる。
仕事がら、デートってのは割としていた。
例えば食い込んだ病院の院長なんかの娘さんとか。
付き合えとか婚約しろ的なアレではなく、娘と険悪になりがちな院長が、機嫌を取るためにデートをセッティングするのだ。
久しぶりに親子で食事をしようなんて約束を取り付け、急に患者が入った的な言い訳でエスケープ。
そこに事前に示し合わせていたわたしが、せっかくの予約だしお付き合いしますとか言って一緒に食事をする訳だ。
まあ営業のためにとにかく他人受けのいい見た目を心掛けていたから、娘たちは自分より少しだけ大人の小奇麗な男が自分のためにエスコートをしてくれる、それは自尊心を満たすらしい。
後は聞き上手を発動して、食事、その後どこかのバーなんかで時間を過ごし、幸せなキスもベッドも無く、きちんと送り届けて帰ってくる。
なんとなく高級ホストみたいだなとは思わなくもないけれど、それで仕事が円滑になるなら構わない。
何より、着飾った女性と、限られてはいても楽しい時間を過ごせるっていうのは、こっちにも損は無いのだし。
そういうのを考えると、別に恋愛未満であろうと、デートはデートだと思うのだ。
その基準に照らし合わせると、普段の姉さんとのお出かけは、大概それを満たしていると思われる。
こっちも別に嫌々ではないし、何より普段が子供っぽい彼女を引率している気分であり、謎の庇護欲が満たされわたしも楽しんでいたりする。
だからなおさら、何をいまさらという気分が否めない。うん。
すると姉さんが突然、悪魔の様な凄惨な笑みを浮かべた、あコレあかんやつだ。
「ふっふっふー。さくらちゃん、いやチェリーちゃん? 数回前の配信を覚えている~?」
「な、なんだっけ」
姉さんがヒマDモードに入った。
ニヤニヤしながらわたしを睨む。
なんなんだこの威圧感は。
わたしがチェリーになり切っている時は、絶対に逆らえない謎の迫力を感じるんだ……。
「げーむ」
「あっ……」
ゲーム……そう言えばあったな。
リスナーの誰かが「チェリーはゲームが苦手と言ってたけど、そんな素人でも出来るゲームがあって、ゲーム機を買わなくても、ネットのブラウザ上で出来るのがあるよ」と言う。
しかも無料だし、操作もマウスしか使わないシンプルやつだって。
それでヒマDと対決しようよみたいな。
そこで姉さんにサブPCを出してもらい、そのサイトを見てみた。
なるほど、森の中の野球場みたいなところで、世界的に有名なあのコミカルなクマがホームランダービーをするという内容。
ホームランダービーっていうのは、野球のオールスターゲームとかで、スター選手たちが10球で何回スタンドに入れられるかを競うエキシビジョンだね。
各チームの4番バッターが競うのだから盛り上がる。
前世でのわたしも野球は好きで、贔屓のチームの応援に、時間があれば広島まで遠征をしたものだ。
マエダ……また貴方に会いたいよ。あ、トモノリの方ね。ケンタの方じゃないよ。
まあそのゲームを姉さんとやった訳。
簡単だしね?
そしたらリスナーが、簡単だからこそグダる。
なら対決方式にしようと言い出した。
その時点でおかしいとは思ったんだよ……。
妙にリスナー達の連携が取れてるというか……。
まあ後になってネタバレされたけど、掲示板のチェリー専スレで、チェリーをはめようぜ! と結託していたらしい……。
何がってそのゲーム。
見た目のコミカルさに騙されるけど、難易度がとんでもなく高いんだ。
元々は世界中に世界一有名なテーマパークを展開しているあの会社が提供している訳だし、対象は子供だったのに。
ゲームの内容はクマがバッターで、8人いるピッチャーと対決する。
各ステージごとに何球のうち何本柵越えをするとクリアみたいな規定がある。
けどねえ……球が早かったり遅かったりだけじゃなく、突然内角をエグってきたり、大リーグボールみたいな謎の動きをしたり、あまつさえ消えたりするわけ。
頭おかしいんじゃない? 子供向けだよね?
そんなの器用な姉さんにかなう訳ないじゃん。
わたしはステージ3の豚に負けたさ。
なんなのコミカルな見た目の癖にエグい配球は……。
姉さんと言えばあっさりとステージ7のトラまで行き、そこでゲームオーバー。
負けず嫌いな所のある彼女は、その後数回チャレンジし、最終的にはプニキVSロビカスの熱いバトルを演じていた。
もう姉さんだけでいいんじゃないかな?
いつもの緩いキャラのまま、目だけは鷹の様な鋭さで。
わたしと言えば姉さんの後ろで不貞腐れてビール飲んでただけだもの。
問題は勝ち負けで言うとわたしが負けなんだけど、姉さんが「罰ゲームは私生活で使いたいなー?」とかいう訳。
それに対し、リスナー達も「どうぞどうぞ」的な。
要はその罰ゲームの権利をいま使うと姉さんは言うのだ。
「まあいいけどさ。わたし達ってデート的な日常を送ってない?」
「そ・れ・は、姉妹の許容範囲だよー?」
なんだこの迫力は?!
気が付くとわたしは、姉さんに壁に追いやられていた。
姉さんはちっちっちとアメリカ人みたいなリアクションをしながら不敵に笑う。
ねえ壁ドンのつもりかもだけど、如何せん小さいから子供が背伸びしているようにしか見えないよ?
「さくらちゃんには、男としてデートをしてもらいます!」
「はぁ……?」
「何その路傍の石を見る様な目は!」
「いや、そんな目にもなるでしょ。わたしは女として生きる為に必死なのに、中途半端に男のフリなんかしたら、台無しになるでしょう?! 口調とかおかしくなるよ!」
「だからこその罰ゲーム権なんだよ! 見たいーさくらちゃんのイケメン見たいー!」
「ええっ…………」
わたしは名伏し難い表情で固まる。
けど言い出したらきかないもんなあこのフリーダム姉。
わたしは頭を掻きながら、こういうしかなかった。
「わかったよ姉さん」ってね。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「お待たせ、ひまわり。待った?」
「………………」
「ひまわり?」
「……ひゃい」
「車に乗って?」
「う、うん…………」
約束の日、わたしは準備があるからと朝早くに部屋を出て、それを終わらせたのちに自宅マンションの前に車を横付けした。
午前11:00。エントランスの前にいてねと姉さんに伝え。
姉さんは淡い桃色で、足首近くまである、ふわっとフレアなロングワンピースに、かちっとした紺のジャケットを合わせ、首元は暖色のストールを巻き、髪はいつもの子供っぽさのあるツインテールではなく、ふわっとAラインにセットしてある。
全体的に硬めのガーリーな感じ。腰回りにはハイウエストな位置にベルトを巻いているから、背の小さい姉さんでも、きちんと身体のラインが強調されているから、着ぶくれして見えない。
姉さんも気合入ってるなあと感心しつつ、なぜか固まっている姉さんの手を取り、助手席へエスコート。
ドアを閉めた後も、無言のまま両ひざに手を置いた状態で、ちらちらこっちを見るも何も言わない。
緊張する間柄でもないだろうに。
「く、車、かっこいいねっ」
「そう? なら良かった。気に入って貰えて。姉さ、じゃなかったひまわりも可愛いよ、今日のコーデ」
「あひゃっ!? あ、ああありがとっ! さくらちゃんもカッコいいよっ!」
「う、うん、声おっきいね……とりあえず出すから」
「うひゃあんっ!? な、なにしてるの?!」
「なにってシートベルト締めないとダメでしょ。教習所でポカしたら見きわめ落ちるよ?」
「ふ、ふーん、し、締めるよっ!」
「いやもう締めたけど。じゃいこっか」
挙動不審すぎる。
シートベルトを締めてやった途端怯えた小動物みたいになってしまった。
まあいいか。
とりあえず車をマンションの上から白金方向に向かってぐるっと迂回するように山手通りまで。
そこから改めて第一京浜に合流して横浜方面へと向かう。
さて、デートをする事になったわたしたち。
とは言え、男性目線でデートをコーディネイトをしなさいという無茶ぶり。
確かにわたしはかつて男だった。
でもねえ色々ありすぎて、それは遠い昔の事に今は思えているんだよ。
女として生きる。それは割と大変で、普段の習慣にぎこちなさは未だにある。
だから過去に縋る余裕がない。
過去って所詮過去でしかないというか。
それ以上に前に進む事で精一杯。
そりゃそうだよ。
自分を生きるってのは、ある意味で一人の人間を常に演出し続ける事でもあるんだから。
人は他人がいないと生きられない。
仕事でも家族でも、友人でも。
どこかしらに他人に依存していて、そうなると他人からの自分を意識しなきゃいけない。
だからのほほーんと生きていても、それなりに考える事もやる事もたくさんあるのだ。
そこに過去の何かがあったとして、それに多くの時間を割くなんてできないでしょ。
いい意味でもわるい意味でも、日常に押し流されるというか。
なのでわたしにとって、確かに久慈直人は自分であっても、誤解を恐れずに言ってしまえば「自分の子供の頃はやんちゃしてたな~」くらいの遠い記憶って感覚なのさ。
それをほじくり返し、男性としてデートでエスコートをしろと。
姉さんよ、罰ゲームにしても大げさすぎやしませんか。
まあでも、さくらとなってしまった負い目も無きにしも非ず。
その罪滅ぼしじゃあないが、NEWさくらとしては、従来のさくら像にはなれない、その決別でもあり鎮魂歌を奏でる意味も込め、なら一度、思い出しながらにはなるが、本来の自分だったわたしを見せるのもアリかと、無理やり納得したのだ。
実際のデートだが、これはもう普段のわたしたちとなにが違うのと問えば、特に変わらないとなるだろう。
だってそうでしょ?
食事に行こうが買い物に行こうが、キャッキャしながら行くわけだし。
となるとわたしが男の様に振る舞うしか選択肢はない訳で。
考えていたらだんだんイライラしてきた。
なんでこんな事を悩まなければいいけないのか。
たかがブタに負けただけなのに。
しかもリスナーが姉さんに協力的だったのは、聞きたくなかったけど、チェリーヲチスレなる場所があり、とある身内によるリークでチェリーの私生活の一部が流れているそうな。
当然ヲチスレと専スレの住人はおおむね共通している。
まあ東京在住のリスナー住人による、わたしの目撃情報なんかも話題にのぼっているが。
要は時折掲示板に姉さんが匿名で降臨し、彼らに燃料を投下するのだ。
ステマの一環で、盛り上がっても炎上しても、結局はチェリーが頻繁に出る事で刷り込まれるという心理?
とは言え、姉さん本人は個人的に愉しんでいる様にしか見えないけどね……。
だからこのデート権を使い、わたしで遊ぶ気なのだ。こやつらは。
イライラしたわたしは悪くないと思う。
なので、そっちがそのつもりなら、こっちも本気を出すよ。
徹底的に男に徹して、ぐうの音も出ない程に返り討ちにしてやるんだ!
まあ、すっとぼけてはいたけれど、ボーイッシュどころか男装に近いコーデで統一したわたしに、姉さんは度肝を抜かれ赤面してるって訳。
ざまーみろ。
午前中に出かけていたのは、前世でも乗っていたアウディをレンタルしたのがひとつ。
利用したのは品川にある直営ディーラー。
レンタカーサービスもやってるからね。会員になれば使える。
借りたのはA8。前世で慣れ親しんだクーペに近いA6とは違い、こっちは大型セダン。
ピカピカのブラックなボディは、実際の大きさよりもシャープに見えて恰好いい。
後は銀座の某有名ブランドで購入した黒いパンツスーツ。
ボトムスはスリムで七分丈。
ジャケットは鋭角の襟が小さくシャープ。
フロントにボタンはなく、インナーを見せて着るタイプさ。
中はシンプルな白シャツで、足元は赤いエナメルのパンプス。
バッグはやはり某ブランドのアニマル柄の入ったレザーのトートにした。
スーツも繊維の細い光沢のあるやつだからカッコいい。
準備としてはこんな感じなんだけど、後は信号待ちのついでに、
「ひまわり。これをどうぞ」
「ん゛ん゛ん゛っ、あ、ありがとさくらちゃん……ど、どうして赤い薔薇なのかな? 一輪だし」
「ん? ああ、一輪の場合、花言葉は”あなたしかいません”って意味なんだって。わたし達にはお似合いでしょ?」
「ん゛ん゛っ、そ、そうだね」
「喉大丈夫?」
「だ、大丈夫さ……!」
銀座の花屋でリボンやお洒落な包装紙でデコレートされた薔薇を渡すと、姉さんの目が泳ぎ出した。
面白い。
いつもわたしをハメてるのだ、いい気味だよ。
キザに決めてるのは姉さんを追い込むため。
でもファーストネーム呼びは姉さんのリクエストだからね。
自業自得だよ。
なんでも、罰ゲームだから縛りが必要だとか。
なので姉さん呼びはダメ! と熱弁してた。
わたしたちは目的地である横浜に到着し、定番デートスポットを流していく。
中華街でランチをし、ワールドポーターズでショッピング。
最後はみなとみらいに行き、中を散策しながら寄り道を繰り返して夜を待ち、赤レンガ倉庫にある、ジャズを聴きながらフレンチ系の食事を楽しめるレストランでディナーを摂った。
そして満足げな姉さんの手を取って食後の散歩と洒落込む。
ついた先は国際客船ターミナル。
見晴らしのいい桟橋の柵に寄りかかり、2人で水面に写る夜景を眺めた。
「綺麗、だねえ……」
流石に一日デートをしたせいか、慣れたらしい姉さんが呟く
そりゃ綺麗さ。ここはそういう場所だもの。
「ねえさくらちゃん」
「んー?」
「車なのにお酒飲んでもいいの? 代行使うの?」
柵に頬杖をついたまま、顔だけをこちらに向ける姉さん。
まあお酒も飲まずにああいう店なんて選べないよね。
わたしはワインを少々と、食後にジン系のカクテルを数杯飲んでいる。
ふふん、姉さん。
デートがもう終わったと油断しているね?
甘い、甘いよ姉さん。
そこは抜かりないんだよ?
わたしはいきなり姉さんの肩を抱き寄せた。
「ひゃっ、さ、さくらちゃん、ば、罰ゲームは終わったよ……? か、顔が近いかなって……」
無視。
シリアスな表情のまま、姉さんの頤を指先でくいっと持ち上げる。
「ひまわり、横浜ベイの夜景が一望できる部屋、取ってるんだ」
「あっ、えっ、ちょ、さく……
「ほら逃げないでよ。こっちを見て。今夜、帰す気なんか最初からないから」
「うわぁ……うわあ!? さささくらちゃんっ!? だ、ダメだよぉ私、まだ心の準備ががが……」
ボフンと音がして顔を紅潮させた姉さんがポンコツと化した。
勝ったね。完全勝利。いわゆるパーフェクトゲームだね!
そうしてわたしは宣言通り、ホテルの部屋にエスコートし、一夜を共にしたのである。
とは言え、取った部屋はツインであり、同衾などしなかった。
姉さんは地団太を踏みながら、ムー! と口を尖らせていたけど。
悪いけどそれも含めての意趣返しなの。
はー、変な感覚だけど、慣れない事はするもんじゃあないね。
改めて自分は女なのだと思い知らされたよ。
とは言え、それも含めて自分なんだとも感じたのは事実ではあるにせよ。
ま、姉さんも楽しんでくれたようだし、大団円ってことでひとつ。
これで掲示板へのリークもできないだろうさ。
ふっふっふ……。
と、この時点でのわたしは勝ち誇っていた。
しかしわたしは忘れていた。
ヒマDモードの彼女は、職業意識が高いことを。
姉さん……ほんと、そういうとこだよ……。
ごく近い未来のわたしは、そんなセリフを吐いたのである。
誰が言ったか姉より優れた妹はいない。
つまりはそういう事であるという教訓を、わたしは改めて知ったのである。
姉さんのばーか
正体表したね
なお、警告はしているので、文句は一切受け付けませんのであしからず。
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ゆるくキャンプでもいいじゃない。だって女の子だもの
後半はちょっと今後につながる要素アリ
「ぐぬぬぬぬぬ…………」
「いい加減観念してよっ」
「わらひはやってないもんっ」
「姉さんが、吐くまで、つねるのを、やめないっ」
「ぐぎぎぎぎぎ……」
姉妹として初めてちゃんとした喧嘩をしているのではないか?
そう思えるほど、今のわたしは怒りに燃えていた。
リビングに仰向けに倒した姉さんに馬乗り、つまりマウントポジションを取ったわたしが、つきたてのおモチの様な姉さんのほっぺを力任せに引っ張っている。
けど姉さんは頑なになるばかりだ。
話は数日前に戻る。
その日は水曜日の夜。
チェリーの配信の固定日だ。
その日の内容は料理回である。
土曜日の夜に民放局でやっている「世界満天フィールド飯」
前世でも似たような番組を見たことがあるが、わたしはこの手の番組が大好きなのだ。
そして先週の放送では富山の回で、甘エビを特集していた。
それを取り寄せてみたのだが、送料込みで4千円だったが、凄い大量に来た。
なのでうちのキッチンに何台かのカメラを仕込み、料理を作り、その後ダイニングテーブルで食すまでを配信したって訳。
まあ料理系ムーチューバーも多くいるし、内容的にもありふれてはいる。
ただうちのリスナーは、姉妹が何となくお喋りしている姿を見ているのが大好きな変人だらけ。
なので平日なのに1万を切ったり切らなかったりするリスナーが見ていた。
最初は良かった。
作った料理もおいしかったしね。
あらかじめ水気を取っておいた甘エビを、殻ごと片栗粉を塗して揚げる。
まあ唐揚げだね。
揚げる際は大きな鍋で多めの油を使う事で、高温でパリッと揚がり、殻ごとバリバリと食べられていいのだ。
後は生のまま殻を外してすり身にし、水出しした木綿豆腐をすり潰し、大量のエビのすり身と人参、豆、ひじき、きくらげなんかの具材をいれて、調味料で味を調えネリネリ。
それをカマクラみたいな形に固めて揚げたひろうす。
ひろうすは飛竜頭とも書き、要はがんもどきだよね。
これにショウガ醤油を掛け回して頂く。
ひろうすで外したエビの殻は、捨てずに出汁として煮出してみそ汁にした。
後は土鍋で炊いた熱々ごはんを添えていただきます。
ビールを飲みながら、これらを満喫したわたし。
リスナーからはメシテロはやめろと怒鳴られつつ、食事は和やかに終了。
結構大量にあったのに、きちんと姉さんが完食してくれましたっと。
うちの配信は基本的に2時間固定な事が多い。
理由は配信を続けて結構経つにしても、所詮は素人。
小粋なギャグも言えないし、妙に間があればオロオロする。
なので自分の限界的に2時間で縛っているんだ。
けど30分ほど余った。
なので飲みながらの雑談をしつつ、気まぐれにリスナーの質問にも答えたりする。
どんな音楽が好きですか? 程度の軽いのから、恋愛をするならどんなひまわりがいいですか? までヘビーな物まで。
そこで固まるわたし。
ちょっと待ってよと。おかしいでしょ?
恋愛をするなら、どんなタイプの男性がいいですか?
曲りなりにも女性に対して聞くならこうでしょう?
わたし自身がどうとかじゃなく、見た目的に。もちろん性別的に、だよ。
なんだよどんなひまわりって。
姉さん限定じゃないか。
むしろほかにどんなひまわりがあるのか。
ういろうみたいにカラフルなのか。
意味がわからない。
そしたらね、リスナーのチャットがどうもおかしい。
何というか【あんな姿を見せられたらねぇ】【姉妹(意味深)】とか【(¥50000)】なんてのも。
と言うか名物リスナーである無言ニキ(最近ハンドルネーム自体これに固定した)は何にお金を払っているのか。
でもこの時点でのわたしはピンと来てない。
せいぜい配信の中や、いくつも上げてる動画とか、そこでの姉さんとのやりとりとかはまあ……それなりにキャッキャしてるとは思うよ。
懐いてくる姉さんを邪険にするつもりもないし。
けどそんなのさ、今更じゃん。
何が意味深なのか。
そしたら誰かがスレがどうのとか言っている。
すると周囲の常連たちがまずいですよ! とか騒いでる。
スレ? 例のチェリースレ?
とかわちゃわちゃしているうちに、時間が来たので配信は終わった。
なんとも釈然としないわたしだったけど、飲んでいたしそのまま寝たさ。
そして今日になってふと思い出したんだよ、この事を。
そうだったそうだった。
スレがとか言ってたと。
なのでサブPCと言うか、元々あったマックブックで見たんだよね。
そこにはまあ既に100を越えている専スレがある。
一応チェリーアンチスレって言うのもあるんだけど、そっちは絶対に見るなって言われてるから見てない。
人気が出てくると必ずアンチは出るからって。
まあでも見ないとアンチしようがないと思うんだけどどうなんだろうね?
配信が荒らされる事はほとんどないしさ。
この女たちお高く止まりやがってクソが! とか思ってるのか知らないけど、見てくれてる分には大歓迎だよこっちは。
まあいい。
で、いわゆるチェリー本スレを見ても、然して変なことは無い。
まあ北海道以降、長旅配信もしてないし。
盛り上がっている内容は、定期配信と動画内容の話題だし。
けどわたしは見つけた。見つけてしまった。
誰かが品川駅でチェリーを見たという書き込みをした。
こんなわたしでも、彼か彼女かは知らないが、その人は嬉しかったようで色々詳細を書いてた。
すると他の人が”それはスレチだからヲチスレ逝け”と忠告し、その人はスレチすまんと言うと、そのヲチスレ行くわと宣言して消えた。
ん? ヲチスレってなんだ?
当然わたしは疑問に思った。
最近は配信を生業としつつあるわたしだ。
前世とは違って、それなりにネットにも慣れたつもりだ。
だから特に考える事も無く、先生に”ヲチスレ”を問うたのだ。
ヲチとは と言う項目を見つけたわたしはすぐに中を見る。
ヲチとは、ウォッチ(Watch)またはウォッチング(Watching)を意味するネットスラングだそうで。
つまり何かしらの対象をネット上ないしリアルで観察し、その様子を実況しながら楽しむという、あまり褒められる様な内容じゃなかった。
まあでもネット文化だし、匿名性を活かしたそういうのもあるのかもね。
人の噂には戸を立てられないというし、何より人の不幸は蜜の味とも言う。
善悪ではなく、そんな性質が人間には備わっているのをわたしはよく知っているさ。
そしたらもう、次の検索ワードは確定だよね?
もちろん”チェリー ヲチ”だよ。
まあ、出るわ出るわ。
【ムーチューバー】ヲチしたいだけの人生だったpart71【チェリー】
君ら、もっと人生の目的を考えようよ……。
中はまず、テンプレのルール書きがあった。
ガードが緩いチェリーを見かけても、直接声を掛けないように。
晒すにしても個人名や住所が特定できる物はアップするな。
みたいな独自ルールが書かれている。
そしてまあ出てくる出てくるわたしの写真。
感心するね逆に。
怖いって感覚も無くはないけどさ。
写真自体が自宅周辺のは皆無で、駅とか、近いとイ○ン周辺とかがあった。
そのままわたしの後をつける事もできるだろうに、そういうのはないみたい。
なので度を越えなければ煩く言うつもりもない。
けど見逃しちゃあいけない写真が一つあった。
それは現行スレと、その3スレ前までに及んだお祭り状態でさ。
前述の前提をぶっ壊すかのような写真が投稿されている。
その写真ってのが、どうもあの日のデートの様子なんだよ。
しかもね? 写ってるわたしが笑顔だったり、表情を作ったりしてレンズを見てるの。
おわかりか?
ネット事情に疎いわたしでも分かったわ!
まーた身内に刺されてますね……。
それを理解したわたしは、呑気に林檎を齧っている姉に何かわたしに謝罪することは無いかと問い詰めた訳だ。
姉さんってば、瞳がメドレーリレーが出来る程に泳ぎながら、震える声で「な、なにを言っているのさくらちゃんっ! わ、私がそんな事をする訳ないよっ! ったく、酷いよねえハッキングしたのかな? いや! こんな悪質なんだしクラッキングだよね! 許せない、許せないよ!」等と白々しい供述をしている途中で、わたしは躍りかかったのだ。
いい加減にしろと。
全部姉さんが撮った写真じゃないかと。
それどころか同じ写真をわたしも持っているぞと。
ハッキングも何も、デジカメで撮った写真じゃないか。
オフラインでしょうに。
写真だってメモリー経由でPCに取り込んだし、まだクラウドにも上げてないよ!
これはギルティである。
なのでわたしは一歩も引く気はないのだ。
とは言え、
「はぁ……もうやんないでよ姉さん」
「ごめんね? 自慢したくなっちゃった」
「自白してるじゃん」
「んー……内緒」
喧嘩も疲れるのだ。
呆れてクッションに体を投げ出すと、まるで定位置と言わんばかりに姉さんが足の間に入ってくる。
姉さんよ、わたしゃ座椅子じゃないんだよ。
(まあ、姉さんが楽しそうで何よりだよ)
わたしはこのどうしようもない姉への小さな反逆とばかりに痛いくらいに抱きしめる。
それでも”えへへ”と笑う懲りない姉に、きっと一生敵わないんだろうなあと天井を見上げたのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆
【ヒマDうけるwww】【さすが敏腕やなぁ】【(¥10000)】【マジでアパートの一室みたいだ】
【すげえよな】【これで国産セダンくらいの値段やろ?コスパええわ】【それな】
えー、現在配信中なんだけど、チャット画面は見ないし、周囲に姉さんもいない。
装着しているイヤーモニターから、読み上げの声と、時折姉さんから話しかけられるのみ。
わたしと言えば黙々と運転しているだけ。
川崎を出て東名に乗り、ただただ西に向かって運転中。
姉さんはどこかと言えば、わたしが運転している国産の小型SUVがけん引している、キャンプで幌馬車君なる、いわゆる引っ張るタイプのキャンピングカーのカーゴ部分に彼女はいる。
これは例の社長から預かったデモカーなんだ。
昨日のうちに、埼玉まで取りに行ってきた。
その後、川崎に借りたガレージに入れ、今日の朝に回収してスタート。
ガレージは月5万円で車が2台入るスペースありだから、都内で駐車場を借りると思えば安い。
近いうちに軽を買おうと思ってるし、バイクも置いておける。
この幌馬車は自動車の後ろにジョイントがあって、そこにつながっている。
小窓のついたカマボコ型の箱で、まさに西部劇とかで見る様な幌馬車スタイル。
二輪タイヤが付いてて、一応安全対策に慣性ブレーキもある。
中は片側にシンク付きの作業台と収納があって、任意に取り外しができる、携帯コンロをカチっとはめ込む事が出来る。シンクの下には汚水を溜めて置ける大きな袋と、真水を30リットルくらい入れておけるタンクが入っている。
全体の大きさは、奥行きが2mと少々あり、幅は1,4m、高さは1.5mと、車検での軽自動車の規格に収まる大きさ。
姉さんはその中にいて、家から持ち出したビーズクッションに優雅に座り、配信の管理をしている。
わたしが運転する車のインパネの上には、わたしをバストアップで撮っているCCDカメラが置いてある。
ただマイクはなし。
つまりだ。
わたしはリスナー共に動物園のサルでも見る様に観察され、それにこっちは一切リアクションが取れない。
試しにカメラに向かってバーカバーカと言えば、読み上げからは煽りが飛んでくる。
ムカっとして言い返すと、こっちの声は当然届かず、さらに煽られる。
これはひどい……。
ほんとはね?
最近車載も旅配信もやってないよねって流れから、配信中にわたしのスマホが震え、見てみると連絡先を交換している社長からのメッセージだったんだ。
――こんな事もあろうかと、いい車があるよ!
おい社長、歳考えろ。ノリが良すぎだろうと。
まあそれで今回に至る訳。
タイアップのお披露目がてら、キャンプをしましょうと。
行先は近すぎず、遠すぎず、適度なドライブを楽しめ、そして今は冬口って事もあり、人が殆どいないキャンプ場に行く。
それが富士山の西側にある”ふもとっぱら”と言うキャンプ場だ。
ここはなだらかな平原を贅沢に使えるオートキャンプ場。
つまり車やバイクが乗り入れられる。
それにトイレもあるし炊事場だってあるのだ。
直火がNGなのは仕方ないとしても、富士山の全景が見えるパノラマは一見の価値あり。
お風呂もあるのは大きいかもね、女性だと特に。
料金もキャンピングカーで一泊4000円とお値打ち感があるね。
それにエリア内にある池では、逆さ富士も楽しめるというし。
リスナー達も久しぶりの遠出って事で盛り上がってくれた。
それはいいの。
わたしも嬉しい。
問題なのはわたしが見世物になっている事じゃない。
それはある種、ムーチューバー・チェリーとしてアリなのだ。
でもね姉さんが逃げた事は許せないよ。
姉さんはこの前、晴れて運転免許を取得した。
わたしが車を購入する際、気まぐれにマニュアルの小型イタ車を買うかもしれない事を考慮し、AT限定ではない方のだよ!
半クラで坂道発進も当たり前に出来ないとダメな奴。
むしろサイドを引かずに半クラ状態でエンストさせずに坂道で停まれるくらいできて当然のMT免許。
な・の・に!
初心者期間の一年は違反も安易に出来ないし、長距離はまだ怖いな~?
だからさくらちゃん、お願いね?
ぱーどぅん?!
そしてキャンピングカーが分離型ってのもあり、今回は配信の管理を重点にやるからと押し切られた。
ならせめて、到着までは横にいてもよくない? よくなくない?!
あのね、ふもとっぱらは結構遠いの。
そういう時のために姉妹で運転するよって意味で取らせたの。
いつ運転するの? 今だよね?
そんな訳でまたもやハメられた感のあるわたしである。
腹いせに、海老名サービスエリアでトイレに行くとウソをつき、焼き立てメロンパンをこっそり買い、走り出してからカメラに向かって美味そうに食べて見せた。
イヤモニから何かが叫んでいる声が聞こえるけど、ノーリアクション。
ふふふ、ざまあみろだよ姉さん。
ま、可愛そうだから3つほど買ってあるけどね?
でも到着してから渡すと、冷えていると不貞腐れてた。
まあそうして、無事にキャンプ場にはついたんだ。
冬の透明な風は冷たいけど、景色が妙にクリアに見える。
人も当然まばらだし、空いている時の暗黙の了解なのか、キャンパーたちは一定の距離を必ずおいてあるし。
わたしと言えばタープと焚火の準備をとっとと終わらせ、社長に電話を繋いで、この「キャンプで幌馬車君」のプレゼンをして貰ったりと、案件の配信っぽい事をやった。
タイアップだし、まずはお仕事ってね。
と言っても車を借りて最低限の宣伝をするだけという緩い契約だけど。
金銭的なスポンサードは、保険代を向こうが負担する事と、減ったオイルの充填なんかも向こうって位かな。
なのでこっちは無料でレンタカーを借りている感覚だよね。
そして今回は割りときちんとした料理をやった。
せっかくだしね? と言っても簡単な調理で済む物ばっかだけどさ。
キャンプでは出来るだけゴミは最低限に、そういう思想だしいいのだ。
まあご飯をスウェーデンのキャンプギアメーカーの大手、トランギアのメスティンと言う直方体のアルミ飯盒で炊いて、高速で降りた後に寄ったスーパーで購入した本山葵をすりおろし、炊き立てご飯に載せ、後はたっぷりのカツオブシ。そこに生醤油を掛け回した「わさび丼」を堪能。
それだけじゃ物足りないから、お好み焼きをホットサンドメーカーで作った。
生地を作って具を入れてよく混ぜて、後はメーカーに入れたら、熾火でじっくり裏表焼くだけ。
これは姉さんもご満悦で、分厚いけどきっちりと火の通ったふわっふわのお好み焼きを三枚食べました。
……三枚も、食べました。
最後は幌馬車の中に保温シートを敷き、マミー型の冬用シュラフでたらこになったわたし達が眠る様子を見せて配信は終了。
わたし達の身長や細さもあるけど、大人の女が二人並んで眠れる広さでかなり快適だったな。
なお、プレゼンの際の社長が、自分もムーツベに動画上げてるベテランなのに、若い子と話しながら配信に出るとか緊張すると終始震え声で、リスナー達に【オッサン無理すんな】と擁護されてたのは笑ってしまったよ……。
そんな訳で、久しぶりのキャンプ配信はそれなりに満足できる内容となり、それと共に、わたしの中に次のプランについて、朧気だけど、考えがまとまって来たのである。
追伸。
姉さんは朝もお好み焼きを食べました。
姉ェ…………。
次は百合とか関係なく、ちゃんと書くから(強い意志)
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Pretty Woman・IF けものみち編
・ガチ百合テイスト苦手な人は絶対に読まないでください
百合を書けと言われ、最終的にリリースしたのがPretty Woman。
しかし後半部分のある箇所からは、本来こう書いていました。
テイストとしては一章のさくらとひまわり。
そういうシリアスで重たく、そして救いがあまりないクッソ重たい百合になっていたのです。
違う、読者が求めるのは、さくらとひまわりがキャッキャウフフする姿や、こんなん違うわ! とボツにしたバージョンがこれ。
現在二章のプロットがあらかたまとまり、書き溜めに入るので、今日までの様なペースでの投稿はできませんので、供養がてらリリース。
直接的な性表現はオミットし、限りなく描写でにおわす様心掛けているので、多分大丈夫だとは思いますが、運営から警告されたら消します。
小説情報にガールズラブをつけたのは、これを見せるためでございます。
では警告終わり。
警告したからね?
「……なんか、北海道の時と違って、ドキドキするね」
豪奢な絨毯が敷かれたホテルのエグゼクティブ・フロア。
わたしの腕に絡みつく姉がぽつりとつぶやいた。
けれどそれには答えず、わたしは辿り着いたドアにカードキーを差し込んだ。
「うわぁ……綺麗だねぇ……」
部屋の中はいかにもな内装。
リビングにはシックな印象のレザー製の応接。
壁には何かの風景画。
そしてその向こうには大きな窓があり、そこに拡がるのはみなとみらいの全貌と、水面に反射する摩天楼。
その全てが煌々と輝いている。
「ひまわりの方が綺麗だと思うよ」
「~~~~っ!?」
そんなセリフに、姉さんは小さく呻いた。
「の、喉が渇いちゃったな……な、なんか飲もうよ! さくらちゃんは何がいいかなっ!? って、もう、どうして笑うの!」
ハッとした姉さんが弾かれるようにバースペースに逃げていく。
耳まで真っ赤にしながら。
そりゃ笑うさ。こんなに挙動不審なあなたを見るのは初めてだもの。
そんな姉さんがとても愛らしく感じ、わたしはその背を追いかける。
カウンターの中に逃げ込んだつもりらしいけど、そこは袋小路。
逃げ場所にしては迂闊すぎる。
「ちょ、えっと、顔ちかいぃ……」
「ひまわりが望んだんだろう? スイッチを入れたのはひまわりだ。もう止まらないから」
わたしが好きだと知っているペリエの瓶を胸に抱えた姉さんを壁に追い込んだ。
両手を壁につき、逃げ場所を塞いで。
姉さんは潤んだ瞳でこちらを見上げ、すぐに怖気づいたのか、右に反らした。
「んっ、だめっ、ダメだよぉ……んんっ……」
鼻先で彼女の髪を掻き分け、首筋に辿り着く。
いつもの柑橘系のコロンが淡く香るが、その中に若干、汗のにおいを感じた。
緊張しているのだ。
だからわたしは、唇を顎のラインから這い上がる様に動かし、耳に口付けをした。
「可愛いよね、姉さんって」
「むぅ、ひまわりって呼んでたのに、怖気づいたの?」
「声が震えているよ姉さん。ひまわりでも姉さんでも、要は実の姉だろうと、今夜わたしはあなたを逃がさないよ」
「はあっ、んう……ほんと、ダメぇ……そこ弱いから」
姉さんの抵抗は弱弱しかった。
わたしの胸に当てた手は、拒絶よりも愛撫にしか感じない。
分水嶺は港だった。
ゲームとして、わたしは直人となり、彼女をエスコートした今日のデート。
ディナーが終わり、海からの夜景を眺めた所で、本来は終わりだった。
その時のわたしは、多分魔がさしたのだろう。
戯れのデートだったとしても、わたしは心底楽しかった。
ある意味ではテーブルトークのロールプレイに等しい今日のわたし。
けれど途中から、子供の様にはしゃぎまわり、興味を引く物を見つけたなら、満面の笑みでわたしの袖を引っ張る。
それはまるで、周囲にいる恋人達となんら違いはなく、姉妹ながら笑い合い睦み合うわたし達を、怪訝に見る者は誰もいない。
だからわたしの中の、今日のための演出家としての視点は徐々に消えていった。
ただ純粋に、愛らしいこの姉と、心行くまでデートを愉しむ。
わたしはそれだけに没頭したのだ。
そして夜。
夜景を眺めている気怠い時間。
無邪気に今日のわたしは凄かったと騒ぐ姉。
なるほど、彼女の中では終わったのか。
そう考えた瞬間、わたしの中に猛烈な感情が鎌首をもたげた。
その感情の名は、寂しさだ。
それはいくつかの意味が含まれる。
今日というまやかしが終わる寂しさ。
日常に戻る寂しさ。
そして、本当の意味でわたしには姉しか頼れる相手がいないという寂しさ。
わたしは北海道と言う旅を経て、曲がりなりにも精神が成長したという自負がある。
性別にある程度の折り合いをつけ、直人ではなくさくらとして、わたしはこれからも生きていくのだ、そういう覚悟を持った。
旅の終わりには、姉も本音をぶつけてくれた。
だからこそ、わたしは彼女を信頼したのだ。
もう隠さなくてもいい。一切のフィルターもバイアスも無く、悲しい時には悲しいと言い、怒る時はぶつけられる。
それが本来の信頼しあう者同士では、当たり前の事なのだ。
それすらもできなかったのが、旅の途中までのわたし。
けれど今は違う。
頼りなく、でも頼りがいのある姉さん。ひまわり。
しかし同時に、怖くもある。
わたしが乗り越えたのは女である自分。
そういう物だと肯定し、そういう物の様に普通に生きる。
けれど、冷静に考えるとわたしは本当の意味で孤独であると気が付く。
いま生きているこの場所。この世界と言い換えてもいい。
なぜならわたしがかつて直人として生きていた日本とは年代もズレているし、見たことも無い飲食チェーンやコンビニが存在する。
ここは確かに日本ではあるが、わたしの生きていた時代から地続きであるとは断言できない。
いや、わたしは半ばそれを確信している。
今風に言うのなら、エゴサーチと言えばいいのか。
ネットで自分の事を検索する行為だ。
久慈直人――その名前は、どこにも存在しなかった。
いや、正確にはいたが、九州の人で、読みはナオトではなく、ナオヒトだった。
検索で引っかかったのは個人のパーソナル情報をある程度明け透けにした人間が関われるソーシャルサイトだ。
そこに載っていた久慈直人の写真は、元のわたしに似ても似つかない老人だ。
そう、この世界に久慈直人を知る人間はわたし以外存在しない。
生まれた土地も、ご近所づきあいのあった人間も、家族も、友人も、学友も、同僚も部下も……。
誰一人、わたしを記憶している人間は存在せず、しかし高科さくらにはいて、その中にいるわたしと言うオレは、この世界に存在する一切合切とリンクしない。
その事実に辿り着いたわたしは、背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。
もしさくらに姉がいなかったとしたら。
わたしはあそこで孤独死したかもしれない。
すぐにそうならなくとも、どうにか足掻いて生きようとした未来で、何か心が折れる様な出来事があったなら、誰に頼る事も出来ないわたしは、そのまま静かに死ぬだろう。
だから魔がさしたのだ。
あるいはふいに沸いた独占欲。
目の前ではにかむ姉は、わたしだけを見ててほしい。
瞬間、ひまわりは姉じゃなく、ただの愛する人に堕ちた。
堕ちたのはわたしか。
それを世間では恋と呼び、わたしと言う特殊な人間には呪いと言う。
「ほら逃げないでよ。こっちを見て。今夜、帰す気なんか最初からないから」
じゃれてたつもりが、本気で姉を抱き寄せていた。
交差する視線。
やがて姉は覚悟を決めたように、ただ黙って頷いてくれたのだ。
本来行くべきだった道。
わたしはそこを見据えた上で、道を違えた。
姉の手を引いて。
だからわたしは今、姉を壁に閉じ込め、どろりと黒い心を曝け出した。
「さくらちゃん、私は、あなたのお姉ちゃんなんだよ」
最終確認。
今度は目を逸らさない姉。
わたしの覚悟を試している。
さあ、13階段を昇れ。
そこに立ち、首縄をはめろ。
目を閉じて罪を数え、懺悔しながら堕ちていけ。
わたしが下した自分への判決は――望んで溺れる事だった。
「姉さん、わたしはさくらとして、これからあなたを奪うよ。絶対に逃がさない。身体も心も、わたしの爪で傷をつけて、わたしのなんだと宣言したい」
「……だったら逃げずに最後まで奪ってね。私も、さくらちゃんに傷跡をつけたかったんだぁ……」
もう言葉は必要なかった。
貪る様な接吻。
零れ落ちるは唾液か涙か。
いずれにしても、わたし達はこの瞬間、嗤って畜生に堕ちたのである。
嗚呼、セカイはこんなにも暗く、うつくしい。
このまま書いたら確実にR18行きやろなあ……
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#Stay Home とある姉妹の日常
自宅に縛られている方も大勢いると思います。
なので急遽、話をでっちあげて投下。
少しでも気が紛れて頂けたならいいなって。
ちなみに18禁バージョンをテスト投下。そちらをお求めの場合、作者マイページから飛んで下さい。
とある月曜日。
わたしは午前中に散歩ついでの買い物を済ませた。
場所は芝浦のスーパー。
そのついでに芝浦ふ頭まで足を延ばし、ぼーっと海を眺めた。
凄いよね。
高輪は港区だけど、なるほど、ホントに港が傍にあるのだと改めてびっくり。
だってマンションからここまで、わたしののんびりした歩調でも、30分くらいで海なんだよ。
東京湾。すごい。
東京っていう大都会のイメージしか沸かない場所で、すぐ傍に海があるという事実。
これって普段は意外と意識しない事だ。
道を歩いていると、道路脇のアスファルトが少し割れていて、春先なんかはタンポポが咲いていたりするけど、それに気が付かないで通り過ぎるのと似てるね。
忙しく生きていると、そのちょっとの余裕がないから気づけない。
現在のわたしの日常は、これを仕事と言い切る自信がまだ足りてないにしろ、週に2回ほどある定期配信をするために、そのほかの時間を準備に費やすのがルーティンになっている。
録画外の料理だったり、情報を仕入れるための読書なんかも、「これは配信のクオリティを上げるため」と言う目的でやれているからね。
だってそうでしょう?
普通は”食べる”がメインじゃないのに料理なんか出来ないよ。
けど今はディスプレイをも含めた見栄えも計算して料理をしている。
旅以外の我がチャンネルの動画は、そのほとんどが料理回だしね。
あとは月一恒例になっている、江の島までのツーリング。
平均視聴回数はおおむね20万前後。
姉さん的には想定内らしい。
まあ北海道旅やキャンプ動画はぽつぽつと100万越えもあるけれど、姉さん的には個人チャンネルであるし、平均の下限が高い方がいいのだという。
なので最低10万再生がノルマだと鼻息が荒い。
まあいいや。
そんな日常だから、割と気を張ってるのかもしれないね、最近。
一応、年末に向けて北海道に近い規模の旅計画を立ててはいるけれど、現在はバイクに続く移動拠点の手配をしている所だし、リスナーに告知するにはまだ早い。
それもあって最近は忙しさを割と感じている。
今日の散歩で海を見たのも、単純にボーっと黄昏たかったからだ。
姉さんは昨日の晩から編集室に籠って作業だし、今日の朝のリビングは静かだった。
その静寂が嫌で、雑踏を歩きたかったのかも?
芝浦は割と面白い地形だ。
何せ埋立地の浮島みたいな感じだもんね。
だから橋をいくつか渡る。
その途中でオリ○ン弁当に寄って姉さんとわたしのランチを購入。
わたしはネギ油淋鶏弁当で、姉さんは唐揚げを増量した大盛ノリ弁当。
当然ごはんもね。
それを右手にぶら下げ、左手にはスーパーの戦利品を下げ、やじろうべえみたいにゆらゆらしながら帰路を歩く。
平日の午前中は車通りは多いけれど、この界隈は通行人もそういない。
やがて第一京浜と国道一号が合流する札ノ辻交差点に入り、信号を渡って左に曲がる。
そして三田界隈から坂をのぼって四十七士の墓がある泉岳寺を横目に歩き、高輪公園の近くまで歩けば、自宅マンションが見えてくる。
嗚呼、今日も結構歩いたな~そう自画自賛し、わたしは部屋のドアを開けた。
しかしリビングに静寂はなく、出かける前には無かった謎のオブジェが存在した!
む゛ーんむ゛ーんと奇声を発する謎のオブジェだ!
いや、うん……手から糸を出すアメコミヒーローがプリントされたボクサーショーツに、「わらわれて、わらわれて、つよくなる」と言う謎の太宰名言がプリントされたバカT姿の姉である。
ただし彼女は毛足の長い白いふかふかラグカーペットに仰向けになっており、何故か顔にはビーズクッションを載せている。
姉の奇行には慣れているが、徹夜明けのテンションはいつもながら理解できない。
あとさ、その凶悪な胸なんだから、せめて明るいうちは下着をつけろと。
無言で精神攻撃をしてくるのを今すぐにやめろっ!
完全に喧嘩を売っていると思ってよろしいか?
わたしはため息を堪え、そんな姉を見下ろした。
「姉さん、だらしな過ぎるよ」
『う゛ーん゛……なんか肩が痛いんだもん』
「そんな立派なモノをお持ちですから? そりゃ肩も凝るでしょうねえ!」
『にへへ……私はさくらちゃんのが好きだからいいんでーす』
「早急に死ぬがよい。で、なんでクッション被ってるの?」
『えー? 気が付いたらさくらちゃんいないし、ならさくらちゃん成分、略して”さくぶん”を摂取しなきゃって思ったんだぁ~。ちなみに”さくぶん”は主に、さくらちゃんの体臭に多く含まれてるんだよ~?』
「やはり死ぬがよい。姉さん、弁当あるから食べよ」
いつものバカ会話を終えると、姉さんはクッションを本来の使い方に戻した。
とりあえず困ったら食べ物を与える。
これが高科ひまわり限定の豆知識である。
誰も覚えなくていい。
まるいちゃぶ台を挟んで向かい合って座る。
姉さんはきちんと「いただきます」をした後、夢中で弁当を咀嚼する。
それを眺める。
箸で唐揚げをつまみ、口に運ぶ。
わたしの前では、と限定されるが奇行癖がある姉さんだが、育ちの良さがこういう時に垣間見えるね。
とにかく箸の使い方がうまく、全然汚さない。
まあわたしも無意識にやってはいるから、おそらく母さんが幼少の頃に躾けたんだろう。
そしてぱくりと口に入れると、姉さんの大きな瞳は上の方に向かう。
彼女の頭の中ではいま、唐揚げの味について分析を行っているのだ。
そして数秒の後、何かを納得したのか、うんうんと頷く。
その後時間をかけて咀嚼した後、彼女は飲み込むのだ。
わたしの数倍は食べる姉さんだけど、全然太らないのはこれが理由かもね。
とにかくきっちり噛む。
まあ最近はわたしがカロリーコントロールをしているから、その効果もあるにせよ。
でも間違いなく然して噛まずに飲みこむ人は太りやすいと思うな。
そして視線は一度わたしに戻ってきて、一瞬にこりと笑うと、今度はライスに行く。
やはりぱくりとやったあとのリアクションは変わらない。
わたし的には、というか前世の直人の感覚で言えば、味が濃い系のおかずの場合、一度オンザライスにした上で同時に行きたいところだ。
けど姉は、それをせず順番に食べる。
「すっごい見てるよぉ~」
「面白いからね。はい姉さん、あーん。油淋鶏もあげる」
「わーい! あーん♡」
そしてさりげなく、食べきれない自分のおかずを姉さんにパスする。
わたしがどんなパスを出そうと、姉さんと言うストライカーは確実に胃袋のゴールへとシュートを決めるのだ。
ゆえにわたしはキラーパスの得意な司令塔さ。ふっ……。
「じゃじゃじゃあ、今度はお返しのあーん♡」
姉さんが口を突き出し目を閉じる。
「それあーんじゃなくてチューでしょ」
「私には最高のおかずだから問題ないよっ!」
「ばーか。ちゃんと食べてください~」
「顔赤いよ?」
隙あらばそっち方面をぶっこんでくるのはやめようね?
鼻先をツンと突いてやる。
それはそれで嬉しそうなのが腹立つなあ。
「「ごちそうさまでした」」
「あ、さくらちゃん、私が片付けるよ」
「ありがと。じゃわたしはコーヒーを淹れるかな。姉さんも飲む?」
「のーむー!」
姉さんはいそいそと弁当のゴミを片付け、ちゃぶ台を布巾で拭く。
オンオフがきっちりしてていいよね。
わたしはお湯を沸かし、コーヒー用のケトルに移す。
細いノズルがにょーんと出てる奴。
狙ったところにお湯を落としやすいんだ。
そして道具類をお盆に載せてちゃぶ台に戻る。
サーバーの上にドリッパーを載せ、ペーパーフィルターをセット。
密閉ガラス瓶に入れてあった、既に粉へと挽いてあるブレンドを2杯分掬ってフィルターへ。
まず第一投。
全体に染みる様にお湯を注いで30秒くらい蒸らす。
すると中心が少し凹む。
さあ第二投。
その凹みに少量注ぎます。
おーっとここでぽこりとドームが出来ました!
そして第三投。
ここからが大事です。
ドームを壊さずに慎重に注ぎ、だがしかし、蒸れた粉が冷えない様に完全に落ちる前に次の湯を注ぐ。
この時気を付けるのは、お湯を入れすぎない事。
そうして2杯分のお湯を注ぎ切ったら、きっちり全部落ちるまで待つ。
「あーん、凄い良い香りだよぉ」
「うん、この時間が楽しいよね」
「うんうん」
最後の一滴が落ちたら、ドリッパーを外す。
ここで焦っちゃダメ。
カップに注ぐのだけど、交互に注いでいく。
こうしないとムラが出るからね。
味が均等になるように。
けど雑味が出るから強引にグルグルしてはダメ。
「はい完成~」
「わーい。ありがとうさくらちゃん頂きまーっす」
「フッ、可愛いひまわりの為さ」
「ブーッ!? あっついっ!?」
「ふふふ、油断したね姉さん」
「もー! 不意打ちは禁止~!」
斜に構えて流し目をしつつ、いつかの横浜の夜のような芝居がかったセリフ。
姉さんは器用に口を押えつつ、だがコーヒーを吹いた。
修行が足りないね。
しかしこれでもまだ13時過ぎか。
思ったより時間が過ぎるのが遅い。
まあ時間は相対的なモノだから、その日のコンディションで体感時間は変わるのだろうけれど。
「さって少しのんびりしようかな……」
わたしは漸く解放されたビーズクッションに体を預けた。
こうやって寝転がり、音楽を聴いたりしながら両足を浮かして腹筋を鍛えるのが最近のお気に入り。
スローに上げ下げするんだけど、かなーりキツイよ。
でもこれもまた、乙女となったわたしの嗜みなのでございますってね。
「お、こんな所に座椅子があるねぇ」
とか思ってたら、姉さんがやってきてわたしの足の間に入り込んだ。
ゆっくりと体重をかけてきて、わたしの胸の上で、首の座りの良い場所をぐりぐりと探り、やがていいポジションを確保できたのか、姉さんは静かになった。
「妹を座椅子と言う鬼畜姉め」
「だってここがわたしのホームポイントなんだもーん」
「ふふっ、じゃ仕方ないね」
「うん、仕方ないんだよっ」
言ってもきかない姉を好きにさせ、座りの悪い両手を姉さんの身体に巻き付ける。
そして最近クセになっているのだけど、姉さんの髪の中に鼻を潜り込ませる。
うん、これこれ。この地肌の何とも言えない匂いが好きなんだよね。
まるで飼い猫の耳の中を嗅ぐ感覚?
「あっ」
すると姉さんが身じろぎした。
「どしたの?」
「いや、その、シャワー入ってないし、嗅ぐのはダメだよぉ?」
「なるほど、じゃあここで我慢するかな」
「んっ、ちょ、そこはもっとダメぇ……!?」
さらに髪を掻き分け、耳の後ろを経由し、首筋へ。
ふふふ、暴れようとも離さないからね。
すんすん……うん、姉さんって感じの匂いだ。
まあ徹夜明けだしね。
シャワー入ってないのは知ってた。
だからこそ意趣返しとなるのだ。
頭の地肌、耳の裏、首筋。
汗を掻きやすいデリケートなポイント。
ふふふ、羞恥に悶えるがいい。
「あっ、ちょ、さくらちゃんダメぇ、わき腹ダメなのっ、あははははっ!」
「おりゃおりゃ」
ついでに脇腹こしょこしょも加える。
ジタバタしてもわたしの手足は姉さんをがっちりとクラッチしている。
逃げられる訳もないのだ。
「あっんんっ、さくらひゃん、らめぇ……」
「あっ……うん」
「えっと、うん、そこはダメかなーって。たえられないと言うかその、えへへ……」
やがてわたしもノリノリになってしまい、あちこちを擽り倒していたのだけど、ほんと、一切意図はしてなかったんだけど~……その、ノリで豊満なひまわり達を揉みしだいていた……。
そして飛び出たガチなトーンの声。
真っ赤な顔の姉さんは手で顔を覆い、わたしはあうあうと唸る。
なんとも微妙な空気。
誰だよこんな事を始めた人は!
ってわたしじゃん……。
そうして気まずくなったわたしは、ラグにうつ伏せになり、スマホを弄ってごまかす。
あれですね。逃げるが勝ち?
ラインを立ち上げればギャル達から既読無視はありえないんだけどと言う抗議が。
おお、いいタイミングだ。
わたしはいそいそと返信に没頭する。なんだけど、
「ねーえさん?」
「なぁに?」
「なんで乗ってるの??」
「そこにさくらちゃんがいるからさ!」
「登れるほどの山はありませんが?」
「すんすん……お返しだよ~すんすん……ペロ、これは汗の味!」
「ひゃん!? ちょ、そこ駄目だって」
「おーかえーしでーす。ギャルに浮気しているから罰でもありまーす」
「ちょ、姉さんダメ、ちょ、舐めるなぁー!」
結局こうして、わたし達の何もないけど何かしら楽しかったり大変だったりする日常は続く。
さんざんじゃれ合ったあと、姉妹で何やってんだと自己嫌悪になりつつ。
だとしても胸マウントをわたしは許さない。
姉の横暴に立ち向かいつつ、わたしは明日も生きていくのだ。
ま、こんな感じで、自宅にいるのも悪くない、そう思うわたしがいるのであった。
ありがとうございました。
特に目的もないオハナシでした。
彼女たちの普段は、こんな感じでのんびりしてます。
さて無事退院はしましたが、コロナの影響で、暫く店を開けない判断をし、わたしも自宅にいる事にしました。
と言っても存外やる事も多く、逆に執筆が進まない状態ですね。
家族と言うか妻のメンタルケアと言うか、入院中は家の事を丸投げでしたので、相当ストレスが溜まっていた様で。
家事をしつつも苛立ちが見える様な。
皆さんの家もおそらく、見えないストレスで意味もなくギスギスしたりとかあるかもです。
わたしが見ているヨウツベのスロット系だと、コメント欄は不謹慎厨と信者の殴り合いなんてよくありますし、どこも殺伐としてて怖いですね。
個人的には何でも目くじらを立てず、どこにも行けないからこそ、その手の動画で癒される人も大勢いる訳で、個人の価値観を他人に強要しがちな人らは迷惑だなあと遠巻きに見ている次第です。
けどきっとみんな追い込まれてるんですよね。
なのでこんな中身の無い話で悪いですが、投稿しました。
コロナに気を付けつつも、ちょっと散歩に出たりとか、気分転換しましょーね
3密だけには気をつけて。
では皆さん、コロナがある程度終息するまで乗り切りましょう。
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