馬鹿とオトダマと疾走日和 (亜莉守)
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この春のこと
某日、某所
頭に青を基調としたヘッドフォンを付けた青いタートルネックにジーンズ姿の少年が大口を開けて欠伸をする。柔らかな風が彼の短いハニーブラウンの髪を揺らした。少年の目はぼんやりと空を眺めていた。
柔らかな春の風が吹く午後、ベンチに座ってご機嫌な音楽をヘッドホンに流しつつ、目の前で風に揺れるきれいな緑色の髪を眺めてぼんやり考えていた。
夢の中なら何にだってなれた。空を飛ぶワシにだって、水を泳ぐイルカにだって、誰かを助けるヒーローにだって、僕はなんにでもなれたんだ。
……いつだったかな、僕は何にもなれなくなったんだ。
『マスター、
「
僕のつぶやきが聞こえたのか彼女は僕の方を向いてきた。僕も音楽を止めて、彼女の顔を見る。
なんにもなれなくなった僕は彼女に出会った。緑の髪を二つに結って、青い服を着て、赤い靴を履いたきれいな黄緑色の目をした半透明の女の子、彼女は自分のことをオトダマだという。
オトダマはこの世界に存在する音の精霊で普通の人には見えないものらしい。彼女はオトクイと呼ばれる怪物に襲われた僕の目の前へ急に現れた。ミクと名乗った彼女は、僕に一目ぼれをしたのだという。その出会いから早5年、僕はオトダマ使いとしてオトクイに襲われた人を助けるようになっていた。
もう、そんなに経つのかと感慨を覚えていると背後から聞きなれたウタが聞こえた。振り返ると、そこにはオレンジのニット帽を被った学生服姿の女の子と彼女の後ろに浮かぶスーツ姿に赤縁眼鏡の女性がいた。
「明久、お待たせしました。今日は登校日だったもので」
『遅れちゃったわね。ごめんなさい』
「大丈夫だよ。そっちは春休みなのに大変だね」
『大丈夫だよ。待ってないよ』
この二人は武藤伊織とそのオトダマのメイコ、ある日オトクイにココロを喰われてオトナシとなってしまった伊織を助けたことをきっかけに仲良くなった。今は一緒にオトクイ退治をしている。高校が別れたから合流するのがちょっと大変なんだ。
「あそこがスケープの入り口ですね」
「うん」
伊織が指さした先、アスファルトの割れ目からこぽこぽと泡が浮かんでいる。その向こう側には僕たちにしか見えない世界が見える。ココロスケープだ。オトクイにとり憑かれた人は基本的に無気力になって、衰弱してしまう。でも、まれにココロの力が強い人にオトクイがとり憑くとこんな感じで現実に浸食してくるんだ。これを僕たちはココロスケープと呼んでる。
今日の目的は最近出現したココロスケープの攻略だ。どんな人にオトクイが憑いているのかは、全然わからない。でも、前に調査に向かった人の情報だと随分と複雑らしい。
『敵は強力らしいわ。大丈夫?』
『ワタシたちみんななら、大丈夫だよ! ね、マスター』
「
ミクが僕の前を進む、翻した青い服をみてココロが締め付けられるような気がした。なんでだろう、大事な何かを思い出せそうな気がする。でも、その淡い感情もスケープに入り込んだときに聞こえた泡の音と一緒に消えてしまった。
『マスター?』
ミクが足を止めた僕に気づいて振り向いた。彼女の向こうからあのウタが聞こえてきた。いつからだろう、ダンジョンやスケープに潜るたびに僕に語り掛けてくるウタが聞こえる気がする。懐かしいような、責め立てるようなそのウタに急かされるように足を進める。
「
……名前も忘れちゃった大切な友達、大事な思い出。絶対に思い出すから待っていて欲しい。そう、思っていたんだ。
「ココロスケープに調査のために潜った僕たち、でもフレーズも何も見つからない?! これじゃ僕たちスケープを攻略できないよ。あれ、ミク?」
『次回、馬鹿とオトダマと疾走日和。《忘れ物、届けにきたよ》
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忘れ物を届けにきたよ
のどかな草原の少し高い丘の上、明久と伊織は立ち尽くしていた。
そんな決意を抱いて早2時間、僕の心は早くもくじけそうになっていた。
スケープに入ってすぐに出くわした草原、座り込んだ僕たちは一直線に伸びた先にある丘を眺めながらぼやいた。
「どうしよう、伊織」
「本当にどうしますかね」
『伊織、一回休憩しましょう』
『マスター、疲れたよ』
大概ダンジョンにしてもスケープにしても、人のココロが基になったものなのでその人の思いがあり、オトクイに喰われてしまったココロの欠片があるはずなので僕たちオトダマ使いはそれを探しつつ、その人のことを知ったり、オトクイについての情報を得ていくのだけど、いくら探してもウタを響かせても反応がないのだ。
ウタを奏でてくれたオトダマ二人は疲労困憊しているし、あちこち歩きまわったから足が棒になりそうだよ。
「これは一時撤退も視野に入れるべきでは」
「思う。あとご飯も一緒に用意しよう」
「そうですね。そんなこと言われると、お腹空いてきました」
なんかもう伊織は体育座りで頭抱えてるし、僕は僕で足伸ばして空見るしかできないし、あーもう、どうしたら。
びゅおん 一瞬背後から風が吹いたような音がした。振り向くけど何もいない。
「明久?」
『マスター?』
ミクと伊織が不思議そうにこちらを向く、それでも僕はそこから目が離せなかった。絶対に誰かがいたはずなのに居ない。なんでだろう。
『二人とも、向こうに何かありますよ』
メイコの声で前を向けば、そこにはキラキラ光る箱のようなものが、落ちている。拾うために近づいたら、ウタが聞こえてきた。
「いったいどこから来たんでしょう?」
「これ、フレーズだ」
「そうですか? ウタの気配はしない気が」
「え、なんで? こんなにもはっきりウタが聞こえるのに」
一人のオトダマ使いだけがウタを認識するってことあるのかな。とりあえず、このフレーズを確認しないと。僕がフレーズに触れようとしたその時、地面がぐらぐらと揺れだして、持ち上げられるような感覚を覚えた。
「え」
「なにこれ?!」
『マスター』
『伊織!』
とっさに持ち上がってない地面のほうに降りる。伊織もこっちに来てるかと思ったら居なくて、後ろを見ると反対側に降りていく伊織と目が合った。
それも一瞬で機械でできた壁のようなものがせりあがってきて、向こう側は見えなくなった。
「伊織ー、無事ー?!」
ありったけの大声で呼んでみる。すると小さくだが伊織の声がした。メイコと一緒にいるらしい。それは良かったと安堵したところで、物々しい機械音が背後から聞こえた。
振り向くとそこには、いつの間にかできた天井からつり下がった機械でできた大きな繭のようなものが下へ降りてくるところだった。
『マスター、オトクイだよ!』
「うん!」
いつものようにネイロの矢を繰り出そうとしたけど、それより前に気が付く。あのウタが聞こえる。なんでこいつの中から、あのウタが聞こえるんだ。僕の手が止まったことに気づいたミクがこちらをみた。
『マスター?! マスター?!』
「え、うそ……」
あいつはまさかあの時の、ミクと出会ったときのオトクイなのか。あの時から感じていた喪失感はウタを喰われたことによる記憶障害が原因? 考えがまとまらない僕の頭の中にオトクイの声が響いた。
【ソウダモットキョウフシロ、ソレガカテトナル】
あの時よりも数倍凶暴な姿をしたオトクイがこちらを見る。何度もオトクイとは戦ったはずなのに何故か体がすくんで動かなかった。なんで? 僕は戦わないと、忘れた何かがここで取り戻せそうなのに。焦る僕の視界を覆うようにミクが立ちはだかる。そしてネイロの盾を張ると僕の方を向いてきた。
『マスター、忘れ物を届けにきたよ』
僕に差し出されたミクの手には、さっきのフレーズの小箱と小さな鍵があった。
「ミク、これは?」
『マスターの忘れ物だよ。
その声と共に鍵がひとりでに動いた。そして小箱の錠前に刺さると、鍵を開けたのだ。箱の中から光の波が溢れ出した。眩しさに思わず目をつむってしまう。その時、脳裏にある光景が浮かんだ。この場所で出会った親友のこと、一緒に冒険したこと、別れのこと。ああ、
「そうだ。なんで、僕は忘れてたんだろう」
大事な親友だったのに、絶対に忘れないと誓っていたはずなのに。なんで僕はあいつのことを忘れてたんだ。目から涙が溢れ出して止まらない、そんな中でにじんだ緑色が見えた。
「ミク、君が僕のウタを持っていてくれたの?」
『ううん、マスターのウタはまだあいつが喰ったまま。ワタシが持っていたのはフレーズだけ、フレーズ同士を共鳴させればマスターがウタを思い出せるかなって』
ミクが僕の涙を拭う、視界がはっきりとした。ミクの姿も、後ろのオトクイの姿もはっきり見えている。でも、もうオトクイは怖くない。大丈夫だ。
「ありがとう、ミク」
『えへへ、ようやくワタシの好きなマスターに会えたからね。ぜーんぜん問題ないよ』
ミクが笑う、その笑顔を見て思い出した。あの出会いの日、彼女はおんなじ顔で笑ったのだ。貴方に一目惚れしました! という台詞付きで。
『マスター、あいつを倒しちゃおう』
「OK、ミク」
ミクのウタが響いで、青のネイロが生まれてネイロの矢に変化する。それから指鉄砲を敵に向けると、ネイロの矢が全てオトクイの方を向いた。オトクイが焦ったように揺れる。
【ナゼ、オソレナイ ナゼ、キョウフシナイ】
「もう、怖くないさ」
親友のことを思い出す。そう、僕の中には無敵のヒーローがいるんだから!
『ワタシのマスターはね、強いんだよ! これで、終わり!』
無数のネイロの矢がオトクイを貫く。それと同時に優しい、懐かしいウタが聞こえた気がした。オトクイの体が消失するのと同時に、オトクイが作った壁も崩れだした。向こう側から伊織のウタが聞こえてきた。
「明久、大丈夫ですか?!」
かなり息切れしてる、心配かけちゃったかな。
「
「それはよかったですけど、その傷は大丈夫って言いませんからね」
伊織に睨まれる。ちょっと高いところから着地したときの打ち身とかあるけど、そんなに痛くないし大丈夫だと思うんだけど。
「そんなに怪我してる?」
「ランナーズハイ的な感じで痛くないだけですからね。それ」
「そうかな」
「とりあえず帰りますよ」
伊織に手首をつかまれて引っ張られる。道中も怒られていた僕は後ろの二人が何か話しているのは分かったけど、何を話してるかはわからなかった。
『ミク』
『
『うれしそうですね。どうしてですか?』
『ひみつ!』
あとでメイコに聞いたんだけど、それはそれは幸せそうな顔だったそうだ。
「今思ったけど、あっさり二話目で記憶取り戻してよかったのかなこれ。もっと伸ばすべきネタだったのでは」
『マスター、メタ発言はダメー。次回、《これからどうしようか》
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これからどうしようか
設定
吉井明久
・文月学園に通う高校1年生(春休み後は2年生)
・コアは青、メインウェポンは矢
・幼少期にソニックと出会っていて、鮮烈な思い出として残っていた。英単語が混ざるのはその名残。
・本人には自覚はないが、「夢の力」を操ることができる。ただ、ココロのウタが欠けたことで操り方を忘れてしまった。
・性格は楽観的でポジティブシンキング
・小学5年の時にオトクイに遭遇し、ココロのウタの一部が欠けてしまった。そのことが原因でソニックのことを忘れてしまう。
・ココロのウタが欠けてしまったあとは少しだけネガティブな思考回路になりやすくなっていた。
・今回の出来事で思い出したし、ポジティブシンキングに戻った。夢の力の扱いもまたできるようになった。
・ミクは相棒、伊織は頼れる仲間でメイコは伊織のお姉さんみたいな認識をしている
ミク
・緑の髪と青い服、それから赤い靴が特徴のオトダマ
・性格はマスター大好きで自己評価は謙虚、ただしマスターについてはものすごく過大評価しがちなので注意。
・メインナンバーは『独りんぼエンヴィー』
・明久のオトクイを目の前にしてもあきらめない姿に一目惚れをした。
・喪失後の明久のことも大好きだが、もう一度あの目が見たい
・今回の出来事で明久の目が元に戻ったのが本当にうれしい。笑顔が増えた。
・明久は大事なで大好きな人、伊織はちょっとライバル、メイコはあこがれのお姉さんだと思ってる。
武藤伊織
・××高校に通う高校1年生(春休み後は2年生)
・コアは白、メインウェポンはナイフ
・小学6年の時にオトナシになってしまったところを明久に助けられた。その時にメイコとも出会いオトダマ使いとなった。
・両親と一緒に暮らしていて、兄と姉が一人ずついる。兄は実家の喫茶店を継いでいて、姉はアパレル関係に勤めている。
・中学は明久と一緒だった。
・現在ではすっかり明久の保護者みたいになってる。無理しがちな明久を心配している。
・ニット帽は家族からのプレゼント、額近くにちょっとした傷がある。
・明久は恩人、ミクは嫌われてるのではとちょっと不安、メイコは姉さんと思っている。
メイコ
・赤いスーツと赤縁眼鏡が特徴的なオトダマ
・メインナンバーは『番凩』
・オトナシになってしまった伊織と出会って助けたいと思ったのがきっかけで一緒にいる。
・真面目でできる大人といった感じ。
・甘いもの好きで、たまに伊織の兄がケーキを作っているところを見ている。伊織には内緒にしているが、伊織の兄もオトダマ使いなので実はばれている。
・明久は恩人、ミクはかわいい後輩、伊織は大事な妹分
『次回、嘘をついてもいいのは午前中だけだったよね?
毎度おなじみ四月馬鹿でした。多分明日にはチラシの裏に行ってます。
今回はバカテス×ココロダンジョン×ソニックと異色ぞろいだった気がします。
短編集に乗っけてる「BKTX」とは別物です。
本当はここからバカテス本編が始まる感じだったりします。
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