REGAIN COLORS (星月)
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番外編
BBF RC版(キャラクター紹介)


サブタイトル通りのBBFとなります。
最新話までのキャラや部隊の状況、ステータスなどが反映されておりますのでネタバレが大量に含まれています。最新話まで読了後に読むようにしてください。
更新に伴って随時情報を追加していく予定です。


ボーダー本部所属B級2位

 

〔紅月隊〕

▼知勇兼備の万能チーム。すべての距離で隙の無いB級三強の一角!

 完璧万能手の隊長と精密狙撃で援護する狙撃手の戦闘員二名からなる編成。高い戦闘能力はもちろん天候や地形、敵の動きなどを読んだ戦術を披露する。一度はA級へ昇格した経験を持つため貴重なエンブレムを持つ部隊であるが、紅月の隊務規定違反によりB級へ降格した。鳩原加入後は彼女の卓越した支援能力が加わり、より安定した戦いを繰り広げている。

 エンブレムは祈りを捧げる少女と彼女の前で重なる剣・狙撃銃・トリオンキューブ。

▼紅月の実力は並み居るB級のエースたちの中でも並外れている。部隊ランク戦に初参戦した際には戦闘員一人でありながらB級トップに上り詰め、勢いそのままに昇格試験で激闘を繰り広げてA級へ昇格するという圧巻の戦いぶりで勝ち上がった。

 

【MEMBER】

・紅月ライ(隊長):AR

・鳩原未来:SN

・忍田瑠花:OP

 

【UNIFORM】

 濃い青に銀色のラインが特徴的な袖付きのロングコート。左胸にポケットがついている。考案者は瑠花。隊長のイメージに合う色合いという意味が籠められている。

 

【PARAMETER】

 近:■■■■□

 中:■■■□□

 遠:■■■■□

 ポジションを選ばず戦える紅月が全ての距離をケアする。特に多くの敵を一掃する事ができる近距離、鳩原の援護狙撃が有効的な遠距離の戦いぶりは敵にとって脅威。

 

【FORMATION&TACTICS】

 ▼敵の合流を許さぬ速攻! 序盤の流れを制する奇襲攻撃!

 戦闘員が少ないからこそ紅月は戦闘開始直後から自由自在に動きまわる。足並みが揃わぬ敵に容赦なく襲いかかり、先手を取り敵の出鼻をくじく。

 ▼隊長をアシストする精密狙撃! 攻勢に出る敵を一瞬で無防備に!

 前線で戦う紅月が戦う相手の武器を鳩原が的確に撃ち抜き、武器を失った敵に生じた隙を紅月がすかさず攻め落とす。この一瞬の連携を前に、敵は手も足も出ない。

 

 

 

〔紅月ライ〕

「一回も、間違えなければ良いだけの事です」

 

【PROFILE】

 ポジション:攻撃手(アタッカー)完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)

 身長:178cm

 誕生日:3月27日

 星座:はやぶさ座

 年齢:16歳→17歳

 職業:ボーダー隊員専任家庭教師兼ボーダー本部食堂ホールスタッフ兼弁当屋

 血液型:A型

 好きなもの:家族、友達、チェス、日本料理

 家族:母(故人)、妹(故人)

 

【副作用】

 ・『超高速精密伝達』

 ▼副作用と認定された非凡な反射神経の速さと動きの正確性。回避行動に活かす事はもちろんのこと、リアルタイム操作が必要となるバイパーの効果を最大限発揮するなど攻守で大きな役割を担っている。

 

【トリガーセット】

・メイントリガー

 弧月

 旋空

 バイパー

 イーグレット

 

・サブトリガー

 メテオラ

 エスクード

 シールド

 バッグワーム

 

【挿絵表示】

 

 

【RELATION】

 忍田瑠花←大切な妹分、庇護

 黒江双葉、帯島ユカリ←弟子、庇護

 来馬辰也、今結花←同期

 三輪秀次、奈良坂透、生駒達人、那須玲、忍田真史←師匠

 米屋陽介、緑川俊←ランク戦仲間

 出水公平←射撃対決相手

 影浦雅人、村上鋼、荒船哲次←同年代、ライバル

 迅悠一←瑠花たちへのセクハラはやめてください

 鳩原未来←チームメイト

 王子一彰、真木理佐←チェス仲間

 忍田瑠花(王女)←護衛対象、大切な妹分、庇護

 太刀川慶、堤大地←加古チャーハン仲間

 東春秋、犬飼澄晴、三雲修←警戒

 

【PARAMETER】

 トリオン:9

 攻撃:9

 防御・援護:8

 機動:8

 技術:10

 射程:8

 指揮:8

 特殊戦術:4

 TOTAL:64

 

【挿絵表示】

 

 

 ・活躍の場を選ばない歴戦の勇士

 ボーダー内で数少ない完璧万能手の一人。入隊後、彼の人付き合いの良さに加えてフリーの時期が長かったこと、本部暮らしであり融通が利くことから様々な隊員と交流を持っている。弟子に黒江や帯島を持つ他に護衛の任務を務め、太刀川のレポートの手伝いをこなしたり学生の勉学をサポートするなど戦闘以外でも活躍の幅は広い。

 得点できる戦闘員が隊内では彼一人であるため個人ポイントがどのトリガーも高めであり、戦略にも通じているため周囲から頼りにされている。一方でボーダー本部に滞在している彼は生粋の戦闘馬鹿である太刀川によく個人戦に誘われている事から弧月のポイントが伸び悩んでいる。

 ▼築かれた確かな人脈

 降格処分を受けたものの、師弟を含め彼に対する信頼が揺らぐことはなかった。今も彼の周囲には不思議と人が集まる。

 ▼様々な環境で発揮される多彩な才

 その特殊な経歴から高校に通わず、多くの時間を本部で過ごす。ランク戦の他にボーダー隊員の勉学の指導や作戦室の清掃、食堂で働く他、要人の護衛などあらゆる場所・環境で職務を全うする。

 

 ▼近・中・遠。すべての距離に対応可能な紅月隊の絶対的エース。

 斬撃、射撃、狙撃とあらゆる場面でその高い戦闘能力を発揮。基本的な能力が高く、彼固有の必殺技であり種類も豊富な『紅月旋空』の他、合成弾・置き弾などの多くの決め技を持つ。

 ▼敵の必殺を躱す屈指の回避能力。

 彼の副作用を活かした回避能力を前には攻撃を当てる事さえ至難となる。彼の豊富な戦闘経験も相俟って高い生存率を誇る。戦局を見据え不利な展開を避ける彼の戦術も紅月隊が上位に位置する要因だ。

 

 以下、A級昇格時に行われた『自分の隊以外で一緒に遠征に行きたい人、行きたくない人』アンケートの答え。(当時のA級隊員)

 ・一緒に行きたい人と理由

  風間蒼也:実力・人格・人望を兼ね備えており、様々な起用での活躍が計算できる。

  三輪秀次:隊員との連携した動きが手馴れており、近界民撃破への意気込みが凄まじい。

  出水公平:サポート能力が高く戦況に応じたトリガーの使い分けが卓越している。

  犬飼澄晴:視野が広く単独で盤面を制圧できるほど立ち回り方が上手い。

  真木理佐:オペレーター能力が高く気が緩んだ時はすぐに叱って引き締めてくれる。

 

 ・一緒に行きたくない人と理由

  黒江双葉:帰りを待っていて欲しい。

  太刀川慶:教育に悪い。

  ————:あえて言うならば迅悠一。論外。

 

 ・戦闘からレポート完成まで 何でも屋 『ライ』

 ボーダー本部に住まう経歴不明の万能手。卓越した能力と人付き合いの良さから防衛・護衛任務に試験勉強にレポートの手伝い、果ては作戦室の清掃などボーダー隊員たちをあらゆる場面で支援する何でも屋ポジションを確立した。実は一時の間彼が女性を積極的に攻撃できなくなった要因として、かつて同年代である国近とゲームで対戦をした結果、本気で圧倒してしまった事で泣いた彼女に背後から抱きしめられ首を絞められた経験が挙げられる。しかし『これを本編で書いてイコさんにばれたら余計に話がややこしくなるのでは?』という高度な政治的背景からこの話は裏設定として保管される事となった。

 

 

 

〔鳩原未来〕

「あたしが紅月君の戦いをアシストする」

 

【PARAMETER】

 トリオン:8

 攻撃:1

 防御・援護:8

 機動:4

 技術:14

 射程:10

 指揮:2

 特殊戦術:4

 TOTAL:51

 

【挿絵表示】

 

 

 ・類い稀な狙撃術が光る仕事人

 元々は二宮隊に所属していた凄腕の狙撃手。直接人を撃つ事は出来ないものの、敵の武器を撃ち抜き攻撃不能に追い込む他、ワイヤーにより敵の動きを阻害したりと高い支援能力を発揮する。得点源の戦闘員が一人であるライを的確に助けるサポーター。

 近界への密航を試みたもののライや瑠花の活躍によりそれは叶わず、一時は訓練生落ちまで経験し精神的に追い詰められていた。その後、二宮や木崎の声に応じたライの説得を受けて紅月隊に加入する。新たな目標を得た事で今は新たなチームメイトやクラスメイト、弟子などの仲間と共に穏やかな日々を送っている。

 

 ・都市伝説になり損ねた女 『鳩原』

 精鋭と名高いA級の三部隊がB級へ降格するという前代未聞の事件の原因となった人。精神的にどん底を味わい、新たな環境で生きていけるのかという不安の声があったものの、好きなもの:子供というライと少し似た共通点、年下のオペレーターの助け、弟子の存在もあって無事立ち直った。二宮隊から作戦室で住み込みをしているというライの部隊へ移籍という事で様々な憶測が飛び交うが、別に二宮とはもともと付き合っていたわけではない模様。ただし今でも二宮を見かけるとすぐに物陰に隠れようとしている。

 

 

 

〔忍田瑠花〕

「たとえそれが他の人にとっての悪い事だとしても、私にとっての正しい事ならば、私も悔いはありません」

 

【PARAMETER】

 トリオン:1

 機器操作:7

 情報分析:7

 並列処理:7

 戦術:7

 指揮:6

 TOTAL:34(トリオン能力は含まず)

 

【挿絵表示】

 

 

 ・ライを慕い、サポートする紅月隊の支柱

 紅月隊結成前よりライを支え続けた若年オペレーター。忍田本部長の姪であるため忍田からよく心配されている。戦闘では変化弾や狙撃、特殊な旋空など正確な情報分析が求められる紅月を支援する。鳩原加入後は狙撃ポイントや弾道の解析をはじめ処理する情報が増えたものの、かつてA級に上り詰めた経験と紅月の指導もあって的確に立ち回る。

 ライが今は亡き彼の妹と瑠花の間でその人間性に共通点を抱いた事から彼女に面影を重ね、とても大切に接している。彼の庇護のもと、様々な戦闘経験を重ねる他、勉学の支援を受けるなど公私両面で支えられることとなった。一方、彼女もライを心から信頼し、彼が部隊の解散を考えた時にはその考えを一刀両断し、かつて部隊結成に至った時の話を持ち出して彼の再考を促すなどライの支えとなっている。

 ▼紅月隊は作戦の立案や反省は基本的に紅月が主導するが、その際には彼女に理由や目的を考えさせるなど成長を促している。ただ優しいだけでなく将来の自立を考慮している彼の気遣いが窺える一面だ。

 

 

 元祖妹分 『瑠花』

 本部長の姪にして亡国の王女と同姓同名など気づけば重要な設定が積み重なっていった中学3年生。どうしてこうなった。男一人の部屋に通う女子中学生という説明すると中々危険な環境であったが、いつの間にかチームメイトの他、ライの弟子など紅月隊の作戦室は女性が占める割合の方が多くなった。これには生駒もご立腹。彼女の性格などに妹の姿を重ねたライによって大切に育てられ、勉強を教わり、夜食のお菓子などを作ってもらい、プレゼントを買ってもらいと甘やかされている。彼女たちに手を出すともれなく修羅が現れるという噂だが、その真相は不明である。なお、迅は斬られた。



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Parallel team

 五月に入った直後に起きたボーダー内での騒動は多くの者達に影響を及ぼした。

 A級隊員三名の処罰および三部隊の降格処分。

 隊員達の間に広く名の知れた実力者達の環境が突如前触れもなく大きく変化したのだ。この事件が更なる変動を及ぼすとしてもおかしな話ではなかった。

 

「……副。ちょっと良いか? 話がある。大事な話だ」

「何だよ兄ちゃん?」

 

 これは少し異なる未来を描いたIFのお話。

 

「今ちょっと時間良いですか? カゲさん。こんな時に申し訳ないんですけど。でも、影浦さんたちのためにも、他の仲間たちのためにも、話があります」

「ああ? なんだよ、そんな畏まってらしくねえな」

 

 本来は交わることのなかったライと、ある二人の隊員たちとの道が交わる、一つの可能性のお話だ。

 

 

 

————

 

 

 五月も下旬を迎え、ボーダーはまもなく次期ランク戦のシーズンに差し掛かろうとしていたある日の事。

 私用で玉狛支部へと出かけていたライが紅月隊の作戦室へと帰還すると、学校の宿題を進めていた瑠花が部屋の主を出迎えた。

 

「戻ったよ、瑠花」

「おかえりなさい、ライ先輩。用事は済んだんですか?」

「ああ。今度また彼女の件でレイジさんに話をしに行くかもしれないけど。でも、今のところは大丈夫かな」

「そうですか」

 

 本来は瑠花王女の本部護送の為、護衛としてライが同伴していたのだが、それを打ち明けるわけにもいかず、ライは外出の理由について瑠花には『支部の木崎に鳩原の件で話したいことがある』という名目で説明してある。 

 もちろんこの先部隊に招き入れる可能性もある相手の相談というのも真っ赤な嘘ではないのだが、すべてを打ち明けることが出来ないという事情のために嘘を交えなければならない事が少し申し訳なく感じてしまう。自分の言葉を微塵も疑うしぐさを見せない少女の姿を見て、ライはわずかに顔をしかめたのだった。

 

「こっちは何かあったかい? 特に僕へ直接連絡はなかったし予定もなかったから大丈夫だとは思うけれど」

 

 話をそらそうと、ライは瑠花へと問いを投げる。

 紅月隊への来客は多い。特に最近は米屋をはじめとした学校の宿題のヘルプ、太刀川など個人戦の誘いに加えて降格に関する話題などで部屋を訪れる人物も少なくなかった。

 とはいえ話題の中心であるライがいない間、彼女にはもし要件がある場合は『隊長不在の為、重要な要件がある場合は出直すか本人に直接連絡をするように』と伝えてある。ゆえに問題はないはず、と思っていたのだが。

 

「あっ。その事なんですけれど。少し時間よろしいですか?」

「ん? いいよ。なんだい?」

「はい。実はライ先輩がいない間に来客がありまして」

 

 瑠花はそこで一度言葉を区切り、一呼吸おいてから話を続けた。

 

「その。私へ部隊に関する相談をされて。それでライ先輩に報告があります」

 

 ピシリ。

 刹那、ライの中で衝撃が走る。表面上はかろうじて平静を貫くものの、内心穏やかではとてもいられなかった。

 部隊に関する相談となれば行き着く答えは一つ。瑠花の他部隊への勧誘、ということだろう。次期ランク戦を迎えようとするこの時期に、『まさか』と嫌な予感が彼の脳裏をよぎる。

 かつてライが瑠花の身を案じ、彼女に離隊の話を勧め、そして断られた事があった。あの時は瑠花も頼もしく育ってくれたものだと嬉しさが勝り、それ以上の事は考えようともしなかった。だが、もしも実際に引き抜きの話が彼女にかかったならばどうなるのか?

 

(仕方のない、事か)

 

 考えるまでもないだろう。ライは天を見上げ、両目を閉ざした。

 上層部から昇格試験を受ける事さえ今の段階では難しいという話をされ、先行きが明るいとは到底言えない。一度は断ったとしても、改めて本当に自らを必要としてくれる存在が目の前に現れたならば。

 ――彼女の考えが覆ってもおかしな話ではない。むしろ至極当然の事と言える。

 ならばここで自分が余計なことを口出しするわけにはいかない。勿論寂しさはあるが、それで瑠花が本当に幸せになるならば快く話に応じるべきだろう。

 

「ああ。わかった。聞くよ。瑠花ならば違う部隊でもきっと力になれる。それは僕が保証する。それで? 一体誰から話をもらったんだい?」

 

 できるだけ穏やかな声で、柔らかい笑みを浮かべ、ライは質問を返した。

 どうか彼女がすぐに慣れるような環境であって欲しい。そう願って次の言葉を待つと。

 

「はっ? 私が? ……えっと、何か勘違いしているかもしれませんけど」

「うん? というと?」

 

 しかしどういう訳か瑠花にはライの返答が予想外だったのか、そう言って首を傾げる。

 その反応がライにとっても理解できず、恐る恐る彼女の先の言葉を促すと。

 

「二人の隊員の方から、紅月隊へ転属したいとお話がありました」

「……えっ? 何で?」

 

 『どういう事だ』とライは瑠花の説明を理解できず、その場で凍り付いた。

 紅月隊は処罰によって降格したばかりであり、周囲の印象は悪いものだ。よほどの事情がない限りは新たに加わろうとは考えもしないだろう。

 そのはずなのに二名もの隊員が転属を希望するという話にライは一体誰なのか想像する事すらできなかった。

 

 

————

 

 

「失礼します。入りますね」

「ども。お久しぶりです」

 

 その日の夜。

 紅月隊の作戦室に部隊加入を希望するという二人の人物が足を運んでいた。

 現れたのはそれぞれ中学生と高校生の男子生徒。ライにとっては二人とも年下の後輩に当たる。

 まだ顔つきに幼さの残る黒い短髪の少年からは、幾度となくテレビで目にする嵐山隊の隊長の面影を感じる。そう、あの有名な嵐山准の弟であり現在は茶野隊に属している万能手・嵐山副(あらしやまふく)だった。

 B級 茶野隊万能手 嵐山副

 そしてもう一人、副とは対照的にどこか緩い雰囲気を纏った長身でガッシリとした体格が印象的な黒髪の男性は、紅月隊と同じくB級へ降格した影浦隊の主柱。本部でも珍しいレイガストを自在に操る攻撃手・枢凛(かなめりん)だった。

 B級 影浦隊攻撃手 枢凛

 

「ああ。久しぶりだね副、枢。突然の誘いに応えてくれてありがとう」

「いえいえ。元々こちらの方からお願いした立場ですから」

「むしろ早いうちに話だけでもしたいと思ってたんで助かりましたよ」

 

 ライが軽く頭を下げると、彼の要請を受けた二人が揃って口を開く。

 両者にとってライは以前から交流のある先輩だ。余計な遠慮は無用であった。

 

「お茶です。どうぞ」

「ありがとうございます」

「枢先輩も、どうぞ」

「……すごい。女子なのに優しい」

「その様子だと、理佐たちとの関係は相変わらずのようだね」

「そうなんすよ!」

 

 瑠花が淹れたお茶を並べると、副は軽快に、枢は目に涙を浮かべて礼を告げた。

 まるでライの剣の師匠(生駒)のような態度に枢の交友関係を思い返してそう口にすると、枢は身を乗り出すような勢いで声を荒げた。

 枢の幼馴染はボーダー隊員の中でも厳しい事で有名な真木理佐だ。少し遊びに呆けていると『働け』というありがたい言葉が飛び出すともっぱらの噂であり、さらに影浦隊のオペレーターである仁礼もランク戦などでは『粘って死ね』とこれまた素晴らしい指示が絶えないという。

 そう考えると瑠花の接し方は彼にとっては希少なものなのかもしれない。

 

「ライ先輩も」

「うん、ありがとう。——さて」

 

 隣に腰かけた瑠花に一度視線を送って、そして改めてライは二人と向かい合った。

 

「大体の話は瑠花から聞いているよ。一応僕の方からも聞いておきたいのだが、二人とも僕の部隊に加わりたいという話は間違いないのかい?」

 

 にわかに信じがたい話と思いつつ、真っ正面に座る二人に問う。

 二人の実力、経歴は誰もがよく知っている。両者ともランク戦で幾度もの激戦を経験している実力者であり、わざわざ紅月隊に加わる理由は考えにくい。副に関しては現在こそあまり戦績が芳しくないが、彼の周囲の人物たちとの関係を鑑みればここで外から見れば落ち目とも言えるライの部隊への加入はあまり好ましいとは呼べないだろう。

 確認の意を込めてライが尋ねると。

 

「ええ。そのためにここへ来ました」

「右に同じく。すでにカゲさんたちにも話はしました」

「ああ、俺も部隊の皆に話をつけてあります」

「ふむ」

 

 二人は簡潔に肯定の言葉を発した。

 迷いは微塵も感じられず、咄嗟の判断ではないのだろう。それぞれの隊長の許可もあるのならばこちらが了承すれば即座の転属も可能だ。

 しかしだからこそ不思議に思えてしまう。

 

「でも、どうしてですか? 言いにくいですけど、今のうちはあまり加入をお勧めする事は出来ない環境ですけど」

「……もちろん僕たちにとって嬉しい話ではあるけどね」

 

 瑠花が代わってライも抱いていた悩みを二人に投じた。ライも補足を加え、二人の言葉を待つ。

 紅月隊は処罰による降格処分を受けた事で周囲の目は冷たいものだ。昇格試験の資格が剥奪されたと明らかになってからはよりその傾向が強い。そんな環境に自ら入るというのは冷静な判断とは言い難い。相手が入隊したばかりの新人というわけでもないため余計に理由が読めなかった。

 

「それとも何か、個人的な目的でもあるのかな?」

「ええ。その通りです」

 

 続けざまに疑問を重ねると、副が淡々と告げる。

 発言した彼の顔は複雑な表情を呈していた。迷いがある、と言うわけではないが正解のない問題に悩みぬき、ようやくひとつの答えを選んだような彼の真剣さが伺える。

 

「まあ、俺の場合は本当に個人的な問題ですし。しかも俺自身もあまりうまくいっていないから、結構悩んだんですけどね」

 

 嵐山副。入隊時から注目を集めた彼の名前はライもよく耳にしていた。その理由は彼があの有名なボーダー隊員・嵐山准の弟であるから、と言うことだけではない。

 

「最近はあまり調子がよくなかったようだね。瑠花とも君のことは少し話をしていたところだった」

「はい。……私達が参加したシーズンからの移籍だから、ちょっとね」

「んー。その事はちょっと耳が痛いですね。木虎先輩やユズルたちにも似たような事を言われましたよ」

 

 ライや瑠花に話を振られた副は気まずそうに苦笑し、かつてのチームメイトの名前を挙げて頬をかく。

 副はかつて木虎が率いる木虎隊の一員として戦い、B級ランク戦3位まで駆け上がったチームの原動力となった隊員であり、瑠花にとっては同期入隊にあたる。この時期に入隊した隊員は個人ポイントのランカーである村上をはじめ、木虎に絵馬など精鋭ぞろいなのだ。

 そんな彼らと共に切磋琢磨していたのが副である。

 ライたちよりも一早く部隊ランク戦に参加していた彼は木虎隊の解散後、現在は茶野隊の末席に加わっていた。だがその茶野隊は副という注目の隊員が加わり期待を寄せられていたものの成績は振るわず、B級ランク下位に甘んじている。

 瑠花の同期であり、一時はB級上位に属していた彼の現状に瑠花やライも気を払っていたのである。

 

「まあ、これが本来の俺の実力って事なのかとも思いますけど」

「それは違うな、間違っているよ。君がかつてほどの結果を残せていないのは、単に部隊としての練度の差であり、隊員同士の力量の差だ。それくらいは外から見てもわかる。過小評価を悪いとは言わないが、あまり自分を卑下する必要はないさ」

「……B級トップにまで上り詰めた紅月先輩にそう言われると、嬉しいですね」

 

 自分の無力を責める副を、ライは本心を告げて庇った。

 確かに茶野隊の順位は低いものの、ライの中で彼の評価まで下がったわけではない。むしろ彼の献身ぶりから木虎隊所属時以上に見ている節まである。

 茶野隊は副も含めて三人の戦闘員全員が銃手トリガーを扱う。シールドの性能が強化された今は連携を密にしなければ得点が難しい。だが、ここまで戦い抜いた副と他の二人で技能の差が生じた。それだけ木虎と絵馬、そしてそんな彼らを支援していた三上の存在が大きかったのである。

 こうして味方をカバーするべく副の負担が大きくなり、結果として個人の成績までもが落ちている、というのがライの評であった。

 

「その話が他の人だけじゃなくて……チームの中からまで出ちゃうんだから、本当に何も言えませんよ」

「……何? どういう意味だい?」

「そろそろ先ほどの話に戻りましょうか」

 

 聞き返すライの疑問に答えるべく、副は両の手を叩いて話を戻すと、ゆっくりと話を続けた。

 

「本当は俺もまだ、今のチームで共に戦いたいという気持ちがありました。でも……元々の俺の目的を叶えるために、俺自身の気持ちを裏切るわけには行かないと、そう思ったんです」

 

 

————

 

 

 幼いころの記憶。

 昔から有名だった兄の存在を、誇りに思っていた。憧れを抱いていた。

 

「あの嵐山隊長の弟って本当なの!?」

「ねえねえ、ボーダーのお仕事の話とか聞いたことある?」

「お前も兄と一緒にテレビに出たことあんのか?」

 

 だが同時に『嵐山准の弟』という視点でばかり見られる環境から、優れすぎた兄に対して反抗心を抱くこともあった。

 長い年月が過ぎ去った今でも何度も脳裏に思い浮かぶ。

 皆揃って開口一番に兄に関する話ばかり。

 ここにいるのは自分であるというのに、副を通じて兄の姿を見ようとしている。

 そんな現状を変えたかった。

 

「俺は、嵐山准の弟ではなく嵐山副として、兄ちゃんを超えたい」

 

 己の存在を自らの力で示したい。

 それが彼のボーダーへ入隊する原点であった。

 

「――副。紅月君の部隊に加わる気はないか?」

「紅月先輩の? いきなりどうして?」

「それがお前の元々の目的に沿うと思ったからだ。少なくとも今のように俺の存在が絡まずに、それでいておそらく現状で一番苦難に陥っている彼の部隊で、紅月君の元でなら、副が最も力を発揮できるはずだ」

 

 そしてその原点回帰を促したのもまた、目標である兄の言葉であった。

 

 

————

 

 

 

「茶野隊は、元々は根付室長に誘われて加入したんです。第二の嵐山隊を作るという名目で、俺も兄ちゃんの存在から影響力があるってことで誘われました」

「そんなところだろうとは思っていたよ。根付さんが考えそうな事だ」

「必要とされたのは嬉しかったし、俺ももう一度頑張ろうって気持ちもあったんですけど」

 

 当時の決断を思い返しながら、副は胸の内を吐き出した。

 

「それ自体が、俺が嫌に思っていたことなんじゃないかって指摘されて」

「……嵐山さんからかい?」

 

 ライの指摘に副は無言で頷く。

 用意された舞台で、誰かに必要とされたというのは彼の存在ではなく嵐山准の弟という立場を求めたもの。兄の存在ありきの話は、彼が変えたいと思っていた事そのものではないのかという兄の指摘は実に的を射ていた。

 

「それに茶野隊の皆にも背を押されました。一シーズンでもわかる、俺と二人では実力が違う。このまま一緒に戦っても互いのためにならないって」

「さっきの台詞の意味はそういうことか。なるほど、彼らも同意見だったか」

 

 さらに先のライの分析は茶野隊の面々も感じ取っていた事だった。

 副は他の二人よりも半年ほど長い期間ランク戦を経験し、小南をはじめとした師匠のもとで厳しい訓練を経た。数値で見ても部隊ランク戦において茶野隊の総得点のうちおよそ七割の得点を副が占めている。(生存点を含む)

 アシストも副が多く、共に戦う彼らも薄々感じ取っていたのだろう。

 

「ここまで言われて、もう自分の気持ちに目を背けてはいられないって思ったんです」

 

 仲間にこのような台詞をさせてしまった以上はもう意志を曲げられない。その思いが強まっていた。

 

「なるほどね。君の気持ちはよくわかった。ただ、その上で聞きたい。どうして僕の隊への転属を希望するんだ? 他の部隊は勿論、同じ降格した部隊でも二宮隊や、かつての戦友がいる影浦隊でも良かったんじゃないのか?」

 

 彼の強い向上心は理解できた。今度こそ自らの存在を示す環境で戦いたいのだと。目的も明白であり、意志も確固たるもの。そこに疑いの余地はない。

 しかしまだ疑問は残る。

 なぜ転属先が紅月隊なのか。

 他にも選択肢があるだろうとライが再び問いを重ねる。

 

「一番自分の存在を示せる場所だと、そう思ったからです」

 

 すると副は簡潔に己の意見を述べた。

 

「例えばですけど、すでに三人の戦闘員がいる部隊に新たに一人の隊員が加わるのと、一人しか戦闘員がいない部隊に一人加わるのではどっちが目立つと思いますか?」

「……後者だろうね」

「そうですね。多人数の部隊に入るなら基本的な戦略もそのまま変わらずでしょうし」

「俺もそう思います。だからこそ、現時点で戦闘員が一人である紅月先輩の部隊は都合が良かった」

 

 多人数での連携がすでにある程度定まっている部隊では新たに自分の強みを活かすのはそう上手くは行かないだろう。

 だが、まだ一人しかいないならば。

 しかも数多くの防衛任務などで様々な隊員と組んできた万能手の先輩がいるならば話は変わる。

 

「それに良い意味でも悪い意味でも目立っているっていう現状は、俺も似たような状況ですからね。だからそんな環境下で今度こそ自分の力を発揮したいと、そう思ったんです」

 

 さらに周囲から向けられている注目の感覚は副も似たようなものだ。

 一度はトップクラスの地位まで駆け上がりながら、そこから登り詰めることはできずに落ちてしまった。その状況は副にとって親近感を抱かせ、反骨精神を育ませた。

 

「おかしいと笑いますか、紅月先輩? 私情を持ち込む事を嫌うなら、当然断られても文句は言えませんけど」

「いいや。むしろそこまで真っ直ぐな気持ちは心地よい。負けず嫌いは好きだよ」

 

 ゆえにこれから先も多くの者から注目を集めるであろう紅月隊は、副が目的を成し遂げるには最適な居場所。

 意見を求められたライは否定するどころか副の想いを尊重した。

 人によって戦う理由は様々だ。その理由が確固たるものであり、本気で臨んでいるというのならば挑み続けるという姿勢を嫌う所以はライにはない。

 

「君の土壇場での柔軟な対応力、発想力はチームの戦力底上げに大きく貢献する事になるだろう。君の働きが結果的に僕たちの助けとなるならば、君の願いはきっと叶う。君が真に望むのならば僕は喜んで歓迎しよう」

「——ありがとうございます。そう評価してもらえるのはお世辞でも嬉しいですよ」

「お世辞なものか。木虎隊在籍時に匹敵する、いやそれ以上の君の働きに期待するよ」

 

 こうして互いの力となる協力関係を結び、副の紅月隊加入をライが快諾した。

 近、中距離戦に長けた機動力のある存在は戦闘を優位に運ぶ助けとなる事だろう。

 

「良かったね、副君」

「忍田先輩も改めてよろしくお願いしますね。……うん、やっぱり同期の方がいるってのは、ちょっと安心します」

 

 改めて瑠花と副が笑顔で挨拶すると、自然と場の雰囲気は和らいだ。

 一つ年齢が違うとはいえ同じ中学生で同期入隊者。この二人の存在は互いに良い影響を呼ぶだろう。自分ではなり得ない心の拠り所になってくれるかもしれない。思いがけない副の加入によって生じたメリットに、ライもつられるように笑うのだった。

 

「……なんかすごい青春みたいな空気になってる。下手に話に割って入ると邪魔だと思ってたから口を挟まなかったんすけど。……えっ? この後俺が話すの? マジ? すみません、やっぱり俺だけ日を改めても良いですか? ちょっと空気が、空気がキツイ……!」

 

 するとここまで沈黙を貫いていた枢が居心地悪そうに口を開いた。

 自分がほとんど関係しない話題には触れまいという考えに基づいたのだが、副の自分を曲げないという自らの目的にひたすら真っ直ぐな姿勢に当てられ、気まずさが勝ってしまった。

 ここは一時撤退を、と枢はライに進言するものの。

 

「いや。折角来てくれたんだ。それに副もチームの一員となってくれるならば、彼も一緒に話を聞いてほしい。話しにくい事ならば、話せる事からで良いからさ」

「……おおう。優しいけど正論なだけに逃げ場がねえ。こりゃ理佐とも話が合うわけだ」

 

 自身やチームメイトの事を気遣った理由を並べられると枢も断りにくい。

 タイミングを間違ったことを悔やみながら、こうなっては仕方がないかと枢は覚悟を決め、頬を掻いて気持ちを紛らわすとゆっくり言葉を紡ぎ始めるのだった。

 

「本当に俺の場合は因縁とかそんな大層な理由はないんですよ。特に超えたい相手とか目標とか、そんな明瞭な意識もないですし」

 

 枢はボーダーに入った経緯も幼馴染である真木に誘われての事。

 元々競争意識が低い、むしろそう言った空気を嫌うという彼は副のような強い対抗心を持ち合わせていなかった。

 だから彼に対して少し申し訳なさそうにしつつ。

 

「ならば、なぜ君は転属を試みるんだ?」

「——影浦隊の為です」

 

 ライの問いに対し、枢は共に戦ってきた仲間たちの名を挙げた。

 

 

 

————

 

 

 影浦隊の降格は二宮隊・紅月隊の降格とは少し異なるタイミングであった。

 二部隊よりも遅れて処罰を下された直接の原因も当然異なるものだが、しかしその理由には先の処罰が大きく影響を及ぼしていた。

 

「……なんで? 鳩原先輩、なんで? どうして?」

 

 影浦隊の作戦室で絵馬が一人、現状を嘆く。狙撃の師である鳩原の処罰は彼の心に大きく影を落とすこととなった。

 誰に話を聞いても満足できる回答が返ってくることはない。

 鳩原本人を直接訪ねても詳しい話は口外を禁止されているの一点張りで、絵馬は何も手につかない状態が続いていた。

 

「あんたが、何かしたのか、紅月先輩! あんたも何か絡んでいるんじゃないのか!」

「僕が答える事は何もないよ、絵馬」

「ふっざけるな!」

 

 そんな中、狙撃訓練で遭遇したライに絵馬が詰め寄り、彼を強く責めたてるように言葉を荒げた。

 近くにいた隊員たちが間に入ってその場は何とか取り繕われたものの、二人の間に走った亀裂が表面化した瞬間であった。

 一度解き放たれた緊張が収まることはない。

 さらにその後、影浦の暴走によって影浦隊が降格し、隊員たちの間に広がる空気がさらに悪くなったことは語るまでもなかった。

 

「……見てられねえな」

 

 そんな状況を何とか打破したい。

 元々は仲が良かったはずの、本来は協力しあう隊員たちの、近しい者達の現状を見て見ぬふりは出来なかった。

 枢はある事を決意し、隊長である影浦に進言したのだった。

 

 

————

 

 

「今でもユズルのやつ、鳩原先輩の件で紅月先輩の事をあまり良く思ってないんですよ。多分ですけど何もなければこのままあいつはふさぎ込んで、何も納得しないままだ。あいつも結構頑固な所があるし。んで、紅月先輩の方も鳩原先輩の方もどういうわけか全部を話そうとはしないみたいだし」

「……そうだね」

「でも、ユズルはああ言っていたけど、鳩原先輩の降格って紅月先輩のせいではないんですよね?」

 

 言いよどむライに対し、枢は本題へ切り込んだ。

 駆け引きもない真正面からの問いかけにライもさすがに苦笑する。

 

「悪いがその件に関して話せることは何もない。……誰かから話を聞いたのかな?」

「いいえ。俺はあまり難しい事はわからないっすけど。ただ、紅月先輩がそういう悪事を企むようには思えなかったし」

 

 それに、と一つ間を置いて枢は話を続けた。

 

「理佐がこの件の後でも紅月先輩の評価を変えていなかったので」

「なるほど。彼女の言葉か」

 

 幼馴染の名前を出すとライは納得して小さく笑う。

 枢は自分の目よりも幼馴染である真木の人物評をよほど頼りにしているらしい。普段は些細なことでも口喧嘩をする事もあるのだが、互いの考えを誰よりも理解し、信頼している。そんな二人の関係がおかしく思えた。

 

「なのに二人がいつまでも仲違いしているのは、正直居心地が悪い。仲間同士でのいざこざが俺はキライなんで。だから俺が紅月先輩の部隊に入って、それでも俺の紅月先輩への態度が何も変わらずにいて、それが少しでもユズルが何か気づいたり考え方が変わる切欠になれたらいいなと思ったんですよ」

「……そうか」

「それに理佐と定期的にチェスの約束をして会ってる紅月先輩の部隊に入れば、いつ理佐が来るかもわかって俺のイベント周回もはかどると思ったんで!」

「フッ。そっちが本音かな?」

 

 冗談交じりに語る枢につられてライの表情も幾分か和らいだ。

 ソシャゲにどっぷりとはまっているという枢は真面目な真木に怒られないように隠れてゲームに勤しんでいる。そのため彼女から逃れられる環境を探している、という理由も確かにあるのだろう。

 だがその理由の方が建前であるという事は彼の表情から容易に読み取れた。

 また、枢の方もやはりライが処罰の直接の原因ではないという事をその柔らかい雰囲気から感じ取っていた。

 

「どうですか? まあ、紅月先輩の部隊となると不要と言われても文句は言えないですけど」

「まさか。先ほどの君の発言がより君自身の評価を高める事になった。断る理由なんてどこにもないよ」

 

 どこか自信なさげに呟く枢。しかしライはそんな彼を喜んで受け入れた。

 

「影浦隊がA級5位まで勝ち上がった立役者だ。あの攻撃重視のチームの中、守りの役目を一身に担った君の守りは信頼に値する。隊長として君の加入を歓迎するよ」

「……俺まで滅茶苦茶褒めてくれるんだけどここの部隊ホワイトすぎない? 「紅」月隊なのに」

 

 真っ直ぐな称賛がくすぐったく、これまでの環境との落差に枢は衝撃を覚える。

 ライが右手を差し出すと枢がその手に応じ、ここに枢の部隊加入が認められたのだった。

 

「いやー。すんなり認めてもらって正直ビックリしました。俺たち二人も増えたらオペレーターの負担も増えるから、二つ返事とはいかないだろうなって思ってました」

「……そういえばそうじゃん! いきなり仕事量が3倍以上になるのに大丈夫なんすか?」

「入った俺たちが今更言うのもなんですけど」

 

 あっさりと二人の加入が認められた為、抵抗を予想していた副がそう疑問を呈すると、枢も追従する。

 当然の話だが、オペレーターの負担は隊員の数が多ければ多いほど増していく。

 これまでの紅月隊は戦闘員一人であったためにいきなりその負担が急増する事になるだろう。普通に考えればまず厳しい話なのだが。

 

「問題はないさ。日頃から慣れているからね」

「ん? 慣れてる? なんで?」

「どういう事ですか?」

 

 尋ねられたライは動じる事無く、そう言い切った。

 常日頃から一人であった紅月隊のオペレーターが複数の隊員をサポートしているとは考えられない。二人が揃って首を傾げた。

 

「僕は普段ここに住んでいるからね。当然防衛任務に参加する事も多く、他の部隊のサポートやヘルプにでて臨時の部隊を組む事も珍しくない。その際は瑠花が3人や4人を同時にサポートするという訳だ。そう言った経験を積んできた瑠花なら、何も支障はないよ」

「はい。任せてください」

 

 そう言ってライが期待を籠めた視線を瑠花に向けると、彼女は「当然だ」というように頷いた。

 様々な隊員との組み合わせの環境下で働き続けた彼女は中央オペレーターとして任務に勤しむ期間も他のオペレーターよりも人一倍長かった。ありとあらゆる戦況を想定した経験を得た彼女だからこそ柔軟な対応もできる。

 

「しっかりサポートしてみせます。だからお二人も心配は不要です」

「……頼もしすぎんだろ」

 

 隊長は勿論だが、彼を支えるオペレーターも迷いがなく凛としている。

 さすがたった二人でランク戦を勝ち上がっただけの事はある。強い信頼関係を目にした枢は戦慄し、それ以上口を挟む事はできなかった。




というわけで100話到達記念番外編第一弾でした。
今回は自作の『第二の嵐となりて』から副、『牙獣の守護者』から枢が登場し、ライと共に部隊を組む事に。
彼らも久々に書いて懐かしかったですね。
今回の番外編では部隊結成まで。また彼らとの話を見たいなどの意見もあれば続きを書いてみようかとも検討中です。
Twitterにも書きましたが、後はアフトクラトルVERの続き、そして他部隊に加入したIFを投稿する予定です。


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エリン家のライ

 彼にはあらゆる可能性がありふれていた。

 些細な切欠で始まりの舞台さえ変わりかねない彼の物語は、一つ歯車がずれただけで、辿る未来が全く異なる様相を呈しただろう。

 これはとあるイフの物語。あるいはありえたかもしれない、もしものお話。

 

 

 

 

 

 

(……結局ハイレインの真意は読み取れぬままか。エネドラの件が本気だとして、果たして遠征の影響がこちらに及ばぬのかどうか)

 

 近界の中でも最大級の軍事国家・アフトクラトル。『神の国』とも呼ばれるほど勢力を拡大した大国だ。

 そのアフトクラトルに属するエリン家の領土の建物の下、物思いにふけりながら廊下を歩く影があった。

 クリーム色の髪形に頭の左右から生えた二つの角が特徴的なまだ幼さの残る少年。16歳という若さで玄界への遠征部隊に選ばれたエリート・ヒュースだ。

 

(万が一、金の雛鳥を確保できなかった場合にハイレインの動きがどうなるか。あいつに注意するよう警告はされたものの、ハイレインも警戒しているのかこちらに手の内全てを明かそうとはしない。俺が年少だからと油断する事もない。さて、どうしたものか)

 

 悩みの種はまさにその遠征についてだった。

 アフトクラトルはまもなく惑星そのものを形作る母トリガーの生贄となった神の寿命が尽きようとしている。ゆえにその神の代わりとなる『次の神』の探索および確保を目的に次の遠征が行われようとしていた。

 だが、ここで問題が生じる。

 今回の遠征部隊のトップとなるアフトクラトルを代表する四大領主の一人・ハイレイン。エリン家はハイレイン直属の当主であるためにヒュースが遠征部隊に派遣される事になったのだが、この遠征には裏があると進言する者が現れた。

 

(たしかに遠征で必ず目的が達成されるという保証はない。あの男を信じ切るのは危険か)

 

 遠征先でそう簡単に神となる逸材が現れるとは限らない。その場合、領土内で最もトリオン量が多いものが『次の神』に選ばれるという噂が流れていた。そしてトリオン量がもっとも多いものこそエリン家の当主、すなわちヒュースの主君にあたる。

 

(とはいえそれを理由に断るわけにもいかない。俺が断ればハイレインに主を生贄に捧げる大義名分にされてしまうリスクもある)

 

 『次の神』に、生贄に主君が捧げられるような事になればヒュースは自身が必ず抵抗するだろうと確信していた。それは向こうも同じ事だろう。ならばもしもハイレインが遠征先で目的を果たせなかった場合、前もって邪魔者を排除するためにこちらを害するという可能性は捨てきれなかった。

 

(どうしたものか)

 

 せめて遠征前の最後の会議でハイレインから真意を探れればと参加したものの、結局上手くあしらわれてしまい、真相は不明だ。

 このまま本当に遠征へ向かっていいのか。万が一主が危機に陥った際に主の下に馳せ参じる事が出来ない可能性がある。そんな考えがヒュースの思考を重くしていた。

 

「おかえり、ヒュース。会議はどうだったんだ?」

「む?」

 

 すると思い悩むヒュースに声をかける男が現れる。

 廊下の反対側から歩いてきたその人物は、銀髪に碧眼、整った顔立ちに線が細い体形。人々の視線を釘付けにする容姿に柔らかい物腰が相まって魅力にあふれていた。

 

「——ライか。残念ながら報告できるような進展はない」

「そうか。まあ少し話そうか」

 

 彼こそヒュースにこの遠征の危険性について進言した男、ライだった。

 数年前に突如エリン家の領内に前触れもなく現れた彼はエリン家当主の人が良い性格に助けられ、家族同然のようにこの地で暮らしている。しかも一度だけ遠征に加わった際には敵の精鋭トリガー使い4人を撃破・捕虜とする戦果を挙げ、その実力を認められていた。

 トリオン量を飛躍的に向上する、ヒュースも該当する『角持ち』でもないにも関わらず功績を残した彼の存在はハイレインもよく知っているほどである。それだけ彼の知名度は高いものとなっていた。

 そんなライに促されるままヒュースはラウンジへと入室する。 

 さてどこから話したものかと悩みながら、ゆっくり歩みを進めるのだった。

 

 

————

 

 

「やはりそう簡単に腹を割って話したりはしないか」

「おそらくエネドラの件は真実だろう。最近は戦闘でも独断行動が増えたあいつの事はハイレインたちもうんざりしていた」

「……あまり考えたくはないけどね」

 

 ハイレインから内密に相談されていた、味方の処理の話にライは苦言を呈する。

 今回の遠征でハイレインは貴重な黒トリガー使いの一人・エネドラの抹殺を企てており、その話をヒュースに打ち明けていた。エネドラは近年は角の影響か思考が昔と比べて非常に乱暴なものとなっており命令に従わない事も多い。ハイレインにとっては悩みの種だろう。

 だからこそ今回の遠征で隙を見て殺害する。

 その話をヒュース伝いに聞いたときは驚きつつも理解できた。ハイレインという男はそれができるほど合理的な人物だと知っていたから。

 

「しかしどうも僕にはそれがヒュースの意識をエネドラに向けるための仕掛けに感じられてね。やはり安心はできないな」

「まだ他にも裏があると?」

「策士はそう簡単に自分の作戦を打ち明けたりはしない。むしろ相手に悟られないために、本命とは別の情報をリークし、相手の油断を誘ったりする。——ハイレインならそうしかねない」

 

 自分の上司に対する発言とは思えないものの、ヒュースもその意見には同意だった。

 エネドラの件が本当だとしてもまだ何か裏がある。これまでハイレインと何度も会話してきたものの、言葉の節々にそのような感覚があったのだ。

 

「とはいえもはや遠征は決まった事だ。今更正当な理由もなしに遠征への参加を取りやめるわけにもいかないだろう」

「そうだね。国全体から見ても遠征部隊の戦力を下げるなど以ての外だ。その一方でエリン家に仕える身としてはやはりいざという時の為にヒュースは残っていてほしい」

「お前が残る。それでは足りないか?」

「僕では力不足だよ。そもそも僕はヒュースたちと比べて主に仕えて日が浅い。もしハイレインとの争いになれば他の家の協力を求めるための交渉だって必要になるだろうが、それも難しくなる」

 

 本音は遠征参加を取りやめたいものの、戦力の面からそれは許されない。

 ライが残るとはいえそれでも彼は安心できなかった。なにせ生まれたころからこの地で暮らし、主に仕えてきたものとは年月が違う。いざという時部隊の指揮を取ったり、他の勢力の力を借りることも難しいだろうと容易に想像できた。

 

「……僕が行くならば話も違うのだろうけど。ヒュースにも経験を積んでもらいたいという主の意向と、ヴィザ翁の推薦があったからな」

「今それを嘆いても仕方がないだろう。特にヴィザ翁の言葉となれば俺達も無視できない」

 

 まったくだとライは息を吐く。

 ヒュースの遠征参加は主の親心、そして彼の剣の師匠であるヴィザ翁の意志によるものだ。特に最強と呼び名高い歴戦の猛者・ヴィザ翁の影響力は非常に大きなもの。とてもではないが反論することなどできなかった。

 

「やはり何かあればお前に託す。それが善後策だろう」

「……いや、待ってくれ」

 

 こうなった以上は残るライに備えてもらうしかない。

 やはり結論は変わらず、決意を固めるヒュースだったが、そこにライが待ったをかけた。

 

「ならば正当な理由を作るとしよう。まだ打つ手はある」

 

 理由がないなら作ればいい。

 ライはそう言って笑みを浮かべた。いつもの人懐っこい笑みとは少し意味が異なる、どこか深慮深さを籠めた笑みを。

 

「——陰謀で家族を失うわけにはいかないからな」

 

 最後に暗い笑みを浮かべてそうつづった。

 世界が、星が変わろうともライの戦う理由は変わらない。

 全ては彼が家族と思う、守りたい者の為に彼は戦うのだ。

 

 

————

 

 

 その翌日。

 ライは早朝にハイレインの元を訪れ、ある話を耳打ちした。

 

「……なに? それは本当か?」

「はい。我らがエリン家の当主が昨日突如倒れられ、今は床に臥せています。トリオン体への換装も考えましたが、体が急変の際に対応できないためそちらは避けています」

 

 ライの報告にハイレインが目を丸くする。

 話とは彼が仕えているエリン家の当主の容体が突如悪化したとのことだった。

 しかしこれは全て作り話。ライがヒュースの遠征参加を取りやめるためについた嘘である。

 

「そんなに厳しい状態なのか?」

「容体はあまりよろしくありません。現在はヒュース以下、直属の者達がついています」

「……ふむ。ならば俺も直接見舞いに行こう。当主の身に何かあったとなれば一大事だ」

 

 悲し気に語るライの声色は全く違和感のないものだったが、ハイレインはさすがに様子がおかしいと考えたのかこの目で見極めようと発言した。

 本当にハイレインが出会ってしまえば見破られてしまいかねない事態。しかしライは慌てず立ち上がろうとするハイレインを手で制する。

 

「お待ちください。ハイレイン隊長やその関係者が出向くような事があってはなりません」

「何故だ? 俺が行って何がまずい?」

「直属の上司であるハイレイン隊長や突き従う者が見舞いに来たとなれば、当主は必ず無理を押して出迎えるでしょう。あの方はそういう人です。そうなれば容体が悪化する危険性があります」

 

 主の優しく礼儀正しい性格を踏まえ、実際にやりかねない事を示せばハイレインも顔を険しくした。

 ここが正念場と踏んだライはさらに『加えて』と話を続ける。

 

「ハイレイン隊長にとっても、ここで我らが当主に(・・・・・・・・・)倒れられるような事があっては(・・・・・・・・・・・・・・)まずいでしょう(・・・・・・・)?」

「……ああ。そうだな。確かに配下の家の当主に万が一の事があっては、領主として面目がない。わかった、ここはお前の意見に従うとしよう」

「ありがとうございます」

 

 声色が変わった問いに、ハイレインも含みを感じたのだろう。

 これ以上踏み込めばかえって自身の企みも勘付かれるのを嫌ったのか、ハイレインはそれ以上深入りはしなかった。

 

「事情は把握した。ならば当主にはよろしく伝えてもらいたい」

「了解しました。ただ、つきましてはもう一つお願いごとがあります」

「なんだ?」

 

 今一度椅子に深く腰掛けて大きく息を吐くハイレイン。

 山場は一つ乗り越えた。後はもう一押しだとライは今一度勝負を仕掛ける。

 

「当主が倒れられた事で家の処理に手間どっております。中には長年仕えている者にしか対応できないようなものもあり、このままでは家の内政に支障がでかねません」

「……それで?」

「そこでハイレイン隊長にお願いがあります。本来は遠征には我が家からはヒュースが参加する予定でしたが、彼にはこちらに残って主に代わってその任に当たらせてください。代わりに、遠征には私が参戦します」

 

 その発言を聞き、ピクリとハイレインの眉が動いた瞬間をライは見逃さなかった。

 遠征部隊の隊長として戦力の変更を嫌って、という事ではないだろう。

 何か言いたげだが、ライが数年前にエリン家に仕えたばかりの新参者であるという事はハイレインも知っていた。そのため下手に反対意見も出せないだろう。

 

「お前にヒュースの代わりが務まると?」

「確かに私は角がないためトリオン量では大きく劣るでしょう。ですが経験に関しては彼よりも勝ると思います。それは隊長もご存じのはず。ヒュースと話し、ランビリスを借り受ける事は許可をもらいました。何度か訓練もしていますし、彼に劣らぬ活躍はしてみせます」

 

 かつてライが参加した遠征にはハイレインも共に戦い、その力を目にしていた。

 ハイレインは彼の力を評価している。そのうえでヒュースが使う予定だった最新鋭のトリガーも持っていくというのならば確かに戦力として申し分ない上に作戦の変更もほとんど不要だろう。

 

「……良いだろう。ならばライ、お前に遠征では存分に力を振るってもらう。期待しているぞ」

「了解しました」

 

 これ以上討論しても相手の意見が固まっている以上、覆す事は難しいと判断した。

 ハイレインは降参したようにため息をつきライに要望を受けいれる。

 自分の狙い通りに事が進んだライは嬉しそうに上司の言葉に返答をするのだった。

 

 

————

 

 

「……よろしかったのですか、ハイレイン隊長」

「何がだ?」

「あのようにあっさりとライの案を了承した件についてです。十中八九嘘でしょう」

「そうだろうな」

「ならばなぜ?」

 

 ライが去った後、ハイレインに一人の女性が音もなく現れると彼に質問を投げた。

 彼女はミラ。ハイレインの腹心的存在であり、遠征にも同行する貴重な黒トリガー使いである。彼女の言う通りハイレインもライの話を信じていたわけではなく、むしろ嘘の可能性の方が高いだろうとは理解していた。

 だがそう感じていたうえで受け入れた、その理由を尋ねるミラにハイレインは大きく息を吐いてから話を続ける。

 

「先にあいつにトリガーの件を言わせてしまった時点で負けだ。トリガーを使ったならばその真偽を見極める事は不可能である上に、病をおして振舞おうとする相手にトリガーを解けなどと言うわけにもいくまい」

 

 そんな事を言えば配下から非難が殺到するだろうことは目に見えていた。遠征前に厄介事を抱えるのは避けたい。そうでなくてもエリン家当主には今後の事を考慮すればハイレインに対する警戒心を持ってほしくないのだから。

 

「それに、万が一本当だった場合、最悪のケースになればすべての計画が崩壊しかねない」

 

 加えてハイレインの性格がそれを良しとしなかった。

 ハイレインは物事を楽観視しない。話がうまくいかない事を見越し、最悪のパターンを避ける考え方をする。

 ゆえに今回も最悪のケース——金の雛鳥の確保に失敗し、しかも次の神候補である者も亡くしてしまうパターンを想定し、無理を避けたのだった。

 

「仕える年数が短いライならば残っていたとしても懐柔の可能性があった。できなくても立場などの都合からヒュースの方が厄介だと考えていたが。まあいい」

 

 終わってしまった事は仕方ない。それよりも善後策を講じようとハイレインは次を見据えるのだった。

 

「玄界で金の雛鳥を確保できればそれでよし。できなければ、残念だがライにはかの地で消えてもらうとしよう」

「……消えてもらう、ですか。置いていくではなく?」

「ああ。あいつはヒュースほど思考が固くなく目的達成のためならば柔軟な対応ができる男だ。最悪の場合、向こうの戦力に加わる可能性も捨てきれない。それだけは避ける必要がある。——味方にできれば心強いが、敵に回るくらいならばやむなしだ」

 

 ここまでエリン家の為に振舞う男だ。もしも当主が生贄に差し出されるとなれば間違いなく抵抗するだろう。

 惜しい逸材だが、仕方ない。

 ハイレインはこの日、ライを殺害する決意を固めたのだった。

 こうしてあらゆる思惑が入り乱れる中、ついに遠征の日が訪れる。

 アフトクラトル、ハイレイン、ライ、玄界。多くの者の命運を分ける長い闘いが始まろうとしていた。



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エリン家のライ②

 空中を泳ぐように巨大な鋼鉄の塊が飛行する。

 硬い鎧を纏った機械の蛇を彷彿させるトリガー兵・イルガーだ。

 自爆モードに入った個体は強固な鎧を身に纏うとすべてのトリオンを使って目標に向かって突き進み、強大な爆撃で多くの犠牲を生み出す破壊の化身と化す。

 そのイルガーが、群れをなして敵の本拠地である施設へと突撃した。

 敵もこれ以上好きにはさせぬと砲台を解放するが、そう易々と装甲を打ち破れるほどイルガーの装甲は柔ではない。迎撃を掻い潜ると二体のイルガーがあっさりと基地へ衝突し、大きな衝撃音が戦場に響き渡った。

 あらゆるものを一瞬で粉々にする威力に、しかし敵の本拠地はその形を維持していた。基地の外壁はわずかに陥没した程度で亀裂すら走っていない。よほど防壁の強化に努めていたのだろう。

 だが、安心するにはまだ早い。攻撃の手は緩むことなく加速した。さらに二体のイルガーの後を追っていた三体のイルガーが基地に向かって突撃する。

 今度こそ防壁を打ち砕くであろう第二波の襲来に、敵は砲撃を一体のみに集中させ、確実に手数を減らそうと試みた。

 さすがの攻撃にたまらず被弾したイルガーが機能を停止し、ゆっくりと地面に墜落していく。

 それでも残る二体のイルガーは無傷のままだ。勢いそのままに敵の基地へと襲い掛かり――

 

「させねえよ」

 

 二筋の光が瞬くと、イルガーの巨体を切り裂いた。

 基地の屋上から飛来したその人影は、アフトクラトルの面々は知ることの無いことであったが、敵の――玄界の最強の戦士・太刀川であった。

 太刀川が振るった二刀の弧月は硬いイルガーの装甲をも貫き、撃墜した。

 結果、一体のイルガーは生き残ったものの敵基地はかろうじて衝撃に耐えきり、すぐさま外壁の修復を始めていくのだった。

 

――――

 

 

「なんで追撃しねえんだよ!? もう少しで陥とせただろうが!?」

 

 アフトクラトルの遠征艇に怒声が響き渡る。

 声の主は黒トリガーの一人、エネドラだ。

 気性が荒い彼は今の攻撃が不満だったのだろう。指揮官であるハイレインを前に遠慮すること無く苛立ちをぶつけた。

 玄界との戦闘が始まってから未だに大きな戦果を得られていない。その中で敵の本拠地を機能停止に追い込める機会だったのに、どうしてそうしなかったのかとエネドラには理解できなかった。

 

「今回の目的が制圧だったならばその手もあっただろう。だが今の攻撃はあくまで敵戦力の把握と分散が狙いだ。そんな中でわざわざ敵に強大な力を持たせるような機会を与える必要はない。そういうことだろう」

 

 そのエネドラの疑問に指揮官に代わって答えたのは彼の正面に座る銀髪の少年、ライだった。

 強大な力、すなわち黒トリガーだ。

 追い込まれた敵は己のすべてのトリオン能力を、命をかけて抵抗する事も珍しくない。そして一つのトリガーで戦局がひっくり返りかねないのが黒トリガーだ。

 だからこそ今はそんな事をする必要はない。ライは冷静にエネドラを諭すのだが。

 

「そんな理屈知らねえよ。育ちの良いお坊っちゃまたちには必要かもしれねえけどな。敵は殺せるときに殺しておくのが良いに決まってんだろ」

「……戦術的にはそれでも良いかもしれないね」

 

 エネドラは取りつく島もない様子でライの意見を切り捨てる。

 聞く耳を持たない態度の相手に、ライはハイレインの思惑を強く感じ取り、曖昧に言葉を濁すのだった。

 

「いや、ライの言う通り我々の目的達成の為にはこれがベストだ。エネドラ、お前が心配せずともすぐに機会は訪れる」

 

 そんな二人の間に割って入ったのはハイレインだった。

 ライの主張を認めつつ、エネドラを宥める彼からは余裕が感じ取れる。

 ライが「策士」と例えたハイレインはライと同様に、数手先の盤面を脳裏に思い描いていた。

 

 

――――

 

 

 そしてハイレインの言葉はすぐに現実となった。

 

「今が好機だ。ラービットの機能を果たす準備は整った。お前たちにはそれまでの間、玄界の兵と遊んでもらう」

 

 アフトクラトルの新型トリオン兵・ラービットを対処するために玄界の戦力は散り散りとなってしまっている。

 今ならば各個撃破も難しくない。その場面をハイレインがみすみす見逃すはずがなかった。

 まずは作戦の第一段階、ラービットの追加投入を宣言する。

 

「ハイレイン隊長。一つ、よろしいですか」

「……どうした、ライ? 何かお前に考えでもあるのか?」

 

 まさに出撃の命令を下そうとしたその瞬間、ライがハイレインを呼び止めた。

 思いがけぬ者からの意見にハイレインの手が止まる。

 進言の許可を受けたライは一つ咳払いをすると、静かな声色で続けた。

 

「敵はトリオン兵に気を取られ、我々の事まで気が回っていません。こちらの戦力のタイミングも一つずらせば敵の混乱はさらに増すはず。あちらの動向を上手く見極めれば敵の挟撃も難しくないでしょう」

「……つまり、お前も今このタイミングでラービットと共に出撃すると?」

「はい」

 

 ライの言わんとする言葉を察してハイレインが問い返すと、ライがゆっくりうなずく。

 本来ならば先にラービットを追加で出撃させ、そして敵の反応を見てからエネドラを始めとしたトリガー使いが一斉に出撃する算段であった。

 だがライの言う通り一部戦力を先んじて送り出すことで敵の動きを誘導することも悪くない。こちらの思惑を敵に悟らせにくくする事にも繋がるだろう。あるいは相手がこちらの戦力を誤って判断するかもしれない。

 

「単機の出撃か? 豪胆だな」

「おいおい。綺麗事を並べてるが、ようはただ自分の手柄が欲しいだけじゃねえのか!?」

「そんな思惑はないよ。より敵戦力の分散が容易になる。そう考えただけだ。……まだ向こうも全戦力を出しているようには見えないので」

 

 彼の提案をランバネインは豪快に笑い、エネドラは煽るように言葉を荒げた。

 しかし賛同を得られずともライは凛とした姿勢を崩さない。彼はまだ玄界の戦力は底が見えていないと感じ取っていた。だから自分が動くことで戦局を動かそうと、俯瞰的な視点で分析していたのだ。

 

「どうしますか、ハイレイン隊長?」

「……そうだな」

 

 ミラが最終的な決定をハイレインに問う。

 話を振られたハイレインはしばし考えに耽るように顎に手を当てて、

 

「いいだろう。ライ、出撃を許可する。一足先に暴れてこい」

 

 そして彼の進言を受け入れた。

 ライの力、戦い方は作戦を共にしてきた為によく知っている。故に単独行動させたとしても彼の生存能力を考慮すれば問題はないと判断したのだ。

 ハイレインの本来の目的を考慮しても、問題ないと。

 

「はい。ありがとうございます」

 

 ライはその場で席を立ち、形式的な礼をする。

 いざ出撃せんと背を返すと。

 

「……ライ殿」

「はい?」

 

 静観を決め込んでいた最年長の老兵、ヴィザ翁が口を開いた。

 無視できない実力者の声に、ライは足を止めて視線をヴィザへむける。

 

「くれぐれもご用心を。ヒュース殿達も案じている事でしょう」

「……はっ!」

 

 遠い星で待つ家族の名前を耳にして、自然とライの闘志が沸き上がった。

 どのような立場になっても彼の本質は変わらない。

 ライはただ、彼が守りたい者の為に戦う。それが彼の生きる意義なのだから。

 

――――

 

 

「玲! 片付いたよ!」

「ありがとう。こっちも大丈夫」

 

 ボーダー本部南西に位置する警戒区域で二人の隊員が戦闘に一つの区切りをつけ、軽く声をかわした。

 熊谷と那須、ボーダーではB級の一角、那須隊として部隊を組んでいる隊員である。

 

「よかった。これで一息つけるか。……まさか本当にこんなすぐ敵が攻めてくるなんてね。いつもの事とはいえ迅さんにはビックリさせられるよ」

 

 熊谷は少し前の出来事を思い返してため息を吐いた。

 本来ならばこの闘いに関与できなかったはずの彼女達がここにいるのは、未来が視える男からの進言によるものだった。

 ボーダー本部に突如現れた迅は熊谷へ那須の検査日を変更できないかどうか聞いて欲しいと頼んだ。そして可能ならば変更し、その空いた日にボーダー本部で待機していて欲しいと熊谷を経由して隊長である那須に伝えたのだ。

 最初は熊谷も半信半疑であったが、相手が上層部から単独任務を認められている迅であること、近頃は近界民の活動が活発だったこともあり、那須とも相談した上でこの依頼を快諾。

 今日がその待機を依頼された当日であり、彼女たちは部隊で防衛戦に臨んでいた。

 

「向こうの新型も少しずつ撃破報告が上がってます。行けそうですね!」

『油断しないでよ、茜。そう言うときに限ってポカするんだから』

「うっ。わかってますよ」

 

 味方から届いた吉報を耳にした狙撃手、日浦の明るい声が通信越しに届く。

 すかさずオペレーターの志岐が注意すると日浦は口を尖らせて反論した。

 とはいえ日浦の考えもわからないまでもない。那須は「まあまあ」と仲裁に入り、次の動向について話し始めた。

 

「たしかに新型も少しずつ減っているようだけど、まだ油断はできないわ。今も木虎ちゃんたちが交戦中のようだし」

 

 未だに戦い続けている後輩の名前をあげ気を引き締めさせた。

 まだ敵の狙いも完璧には読めていない。幾らでも戦局は変わりかねない状態だった。

 

「とにかくここはもう大丈夫そうだし、一度離れましょう。近くには嵐山さん達もいるようだし……」

『警告! 気をつけてください!』

「えっ?」

『来ます! トリオン反応、敵襲です!』

 

 那須の声を遮って、志岐の叫び声が響いた。

 普段は物静かな彼女からは考えられない声を受け、一瞬で緊張感がその場を支配する。

 程なくして、彼女の警告した敵はすぐに那須達の目の前へと姿を現した。

 

「……驚いた。こんな少女達までが前線に出ているのか」

 

 黒いゲートの中から一つの人影が出現する。

 銀色の髪と青い瞳が印象的な容姿が整った少年・ライは、黒いマントを翻して地面に降り立った。

 そして那須達を一瞥すると、複雑そうな表情を浮かべ、目を細めた。

 

「……ひ、人型!?」

「気をつけて、熊ちゃん!」

 

 突然の敵、しかもトリオン兵ではなく人の姿をした新手に皆警戒を強めた。熊谷は弧月を握り直し、那須はすぐさま新たなトリオンキューブを展開、日浦もビルの屋上から狙撃の構えを取った。

 相手がどう動こうともすぐに反応できるように身構える三人。それに対し、ライは――

 

「クマチャン? ……くまちゃん?」

 

 那須が口にした言葉が引っ掛かったのか、彼女の言葉をその場で反芻する。

「まさか」とライはある考えに思い至り、ゆっくりと両手を上げた。

 

「……え?」

「一つ、聞きたいことがあります」

 

 那須達がライの戦闘態勢とは真逆の動きを取ったことに疑問を抱くなか、ライが彼女たちに問いかける。

 

「ここは、なんという国ですか?」

「はっ?」

「国?」

 

 敵の真意が全く読み取れず、皆揃って首を傾げた。

 遠い異境の星から攻めてきた敵にとって侵略地であるこの国の名前なんてどうでも良いことだろう。それなのにこうして自分達にこのようなことを尋ねる理由が思い浮かばなかった。

 

「……日本、ですけど?」

 

 とはいえこのままでは埒が明かない。嘘をつく理由もなく、那須が簡潔にライへこの国の名前を告げる。

 

「日、本……!」

 

 すると、那須の答えを耳にした銀の少年の目が大きく見開かれた。

 衝撃に言葉を失い、那須の言葉を繰り返してその場で立ち尽くしている。

 

「?」

 

 人型近界民の反応は少なくとも那須には理解できないものだった。

 ライと名乗る青年にとっては敵国の名前などどうでも良いはずなのに。

 

「そう、ですか。ここは、日本、なのか」

 

 それなのに何故、これ程までに彼はーー

 

「よかったですね」

「えっ……?」

 

 本当に喜んでいるかのように心底嬉しそうに、人懐っこい笑みを浮かべたのだろうか。

 戦闘からかけはなれた表情に思わず那須は一時的に警戒を薄めてしまう。

 何かこちらに通じる事情があるのならば聞こう、そう考えた矢先――

 

「そして本当に、残念だ」

 

 ライの感情の籠っていない声が耳朶を打った。

 

『那須先輩!』

「っ!」

 

 緊張感の籠ったオペレーターの声が那須の思考を正す。

 那須が再び戦闘態勢に入った次の瞬間、ライの体の周囲を渦巻くように黒い小さな三角形の形を呈した無数の物体が浮遊しはじめた。

 

「黒いトリオンキューブ?」

 

 主を守るように宙を舞うその光景は変化弾を操る那須の構えに酷似していた。

 ならば敵もまたこちらと同じ、中距離戦を主体とする戦闘スタイルかもしれない。敵の情報から少しでも対策をたて、那須は変化弾を分割し、熊谷も弧月を握りしめて、敵の動向を凝視した。

 すると彼女達の視線の先で、黒い欠片が徐々に収縮していき、やがてレールガンを模した塊を形成する。

 

「中距離戦がメイン、と考えれば良いのかな?」

「まだわからないわ」

 

 銃口を向けられた二人が片足を引き、いつでも動き出せるように身構えた。

 中距離戦が得意ならば那須隊も得意とするところ。

 できるならばかわす、あるいは防いでカウンターの一発をぶつけておきたい。

 

「…………えっ?」

 

 そう彼女達が考えていた中。

 突如、那須の左肩に強烈な衝撃が走った。

 警戒していたはずなのに反応すらできなかった早すぎる一撃に、那須の体が大きく吹き飛ばされる。

 

「那須先輩!?」

「玲!?」

 

 隊長が初撃を受けたことに日浦も熊谷も意識を奪われた。

 

「っ!?」

 

 その隙間を相手が逃すはずもなく、二発目が今度は熊谷の右腕を撃ち抜く。

 

「熊谷先輩! このっ!」

 

 これ以上の追撃はさせまいと、日浦がすぐに構え直したライトニングをライ目掛けて速射。

 瞬時に放たれた三発の弾丸が襲いかかった。

 

「むっ。狙撃……もう一人いたのか」

 

 だが斜め後ろという死角からの狙撃をライは見抜き、すぐに対応する。

 レールガンを素早く解体すると、今度は狙撃の方角へ向けて盾と化した。

 日浦の攻撃は盾と衝突し。

 

「へっ? きゃぁっ!」

 

 同時に勢いそのままに反射し、発射主である日浦へと襲いかかった。

 間一髪で回避は成功したものの、居場所が割れた日浦は移動を余儀なくされる。

 

「茜ちゃんの狙撃を跳ね返した?」

「二人とも、大丈夫ですか!?」

 

 レールガンに反射盾。

 相手のトリガーの性能に那須が困惑を抱くなか、被弾した彼女達を案じる志岐の声が通信越しに響く。

 いきなり目にも留まらぬ攻撃を受けたのだから当然だが、おそらく彼女が不安視している事態は無縁であった。その事にも違和感を覚えていると、那須に代わって熊谷が志岐の問いに答える。

 

「大丈夫みたい。トリオン体はどうなってる?」

「わかりません。少なくともトリオンの漏出などはなく、ダメージはない状態です」

「……そう」

 

 たしかに志岐の分析通り腕をいつものように動かせるし、影響はないように思えた。

 しかし。

 

(じゃあ、この撃ち込まれた銃弾はなに?)

 

 肩に残り続ける複数の棘のような塊が気にかかった。

 身を裂くような事はないようだが、引っ張っても取ることはできない。疑問を抱くのは当然だった。

 

「……こうなったら、速攻で行きましょう。くまちゃん!」

「了解!」

 

 とはいえ考えても答えはでない。

 ならば何か異変が起こる前に決着を付けようと、那須は変化弾を起動、発射し、熊谷もその射撃を追うように駆け出していった。

 

「銃撃戦か。無駄だ」

 

 だが、相手も中距離戦を行うならば反射盾の絶好の餌食である。

 ライは慣れた動きでトリガー――蝶の盾を巧みに操り、今度は前面に黒い盾を作り上げた。

 

「むっ!」

 

 射撃が盾に吸い込まれていく瞬間。

 今度はライが驚く番であった。

 那須が打ち出した弾は突如盾を避けるように向きを変え、そして再びライ目掛けて突き進む。

 得意の反射神経で経路を見極め、盾を新たに作ることで事なきをえるものの、その間に熊谷の接近を許してしまう。

 

「とった!」

 

 上段から振り下ろされる弧月。

 直撃すれば大きな傷を残すことになるであろう一撃。

 

「ふっ!」

「っ!?」

 

 ライは熊谷の右手首を手刀で受け止めると、反対の手で熊谷の腕を掴み、元いた場所へと投げ飛ばした。

 

「わっ、と!」

「くまちゃん!」

「大丈夫! ……まさか素手で受け止められるとは思ってもいなかったけど」

 

 剣撃に対応した敵の格闘センスに驚きながら、熊谷はすぐさま態勢を立て直す。

 あれほど完璧に反応する相手なんてそうそういないはず。攻め手を変えなければな、と熊谷は弧月を握り直した。

 

「なるほど。近、中、遠。それぞれ得意とした隊員が集う部隊か。ならば……まずは、その連携を崩す」

 

 ライもまた、今の攻防で敵戦力の分析を終え、次の手を講じた。

 瞬間、那須の左肩、熊谷の右腕に付着した欠片にある力がこもる。

 

「えっ……?」

「つぅっ!?」

 

 すると那須と熊谷、近くに立っていた二人が引き付けあうように、勢いよく互いの方向へと強制的に移動した。

 那須が生成していた弾がそのまま熊谷に直撃し、彼女の右肘から先が吹き飛ばされ、そのまま体が衝突する。

 

「……なっ、何が!?」

「やばっ!」

「隙だらけだ」

 

 弧月を落としてしまった上に、完全に体がくっついて身動きがとれない。

 動きを封じられた二人に向け、ライが今度は無数の弾丸を発射した。

 

「あぶない!」

 

 味方の危機を救うべく日浦が彼女達の前面にシールドを展開する。

 間一髪のところで形成された盾は直撃するはずだった弾をしっかり防ぎきった。何発かは盾の周囲を通過していくものの、二人を襲うような事はなく、事なきをえる。

 

「た、助かった」

「ありがとう、茜ちゃん」

 

 不意をつかれたピンチを脱し、熊谷と那須は安堵の息をもらし、チームメイトに礼を告げた。

 

「いや、まだだ」

 

 だが、ピンチはまだ終わっていなかった。

 ライの冷たい声が空気を伝う。

 

「っ!?」

「うっ!」

 

 直後、彼女達の背後から凄まじい加速を伴った車が二人を襲った。

 よく観察すれば車の前面に那須たちと同じような塊が撃ち込まれていたのだが、残念ながら彼女達が気づけるタイミングはなく。

 その衝撃に那須たちは力なく空中に投げ飛ばされ、そして地面に叩きつけられる。

 

「……終わりだ」

 

 衝撃の連続で身動きのとれない敵へ、ライは手裏剣のような大きなブレードを高速回転させ、撃ち出した。

 加速と回転が伴った強靭なブレード。

 間違いなく致命傷になるだろう刃が近づくのを目にして。

 

「……玲!」

 

 熊谷は左手で拾い上げた弧月で左肩を敵の弾ごと切り落とすと、そのまま那須を横に突き飛ばした。

 

「くまちゃん!」

「戦闘体活動限界。緊急脱出」

 

 転がった先で那須の悲鳴が木霊する。

 彼女の叫びもむなしく、二つの刃に切り裂かれた熊谷は本部への撤退を余儀なくされた。

 

「よくもくまちゃんを! 許せない!」

「落ち着いてください那須先輩!」

 

 信頼を寄せる隊員の脱落に那須が怒りを露にする。

 それを見かねて日浦は静止を呼び掛けるが、彼女の感情が収まることはなかった。

 

「あと二人。さあ、どうしますか?」

 

 そんな彼女達を煽るようにライが二人に問いかけた。

 ――まずい。

 明らかに戦力が足りていない。隊長も冷静さを失っては、あの様々な能力を持つ敵には返り討ちにあうだろう。このままでは蹂躙されてしまう可能性は非常に高い。

 どうすれば、と日浦は思考錯誤を繰り返して。

 

「旋空弧月」

 

 建物ごと宙に浮いた新型トリオン兵を一刀両断した男の声を耳にした。

 

「……えっ?」

「今の声は!」

「新手か」

 

 那須が、日浦が、ライが、衝撃の発生源へと振り返る。

 すると彼らの反応に応えるように四人の隊員達が崩れた住居を通って姿を現した。

 

「ちょいと、イコさん。ここ一応人が住んでたところですからね? あんま壊したらダメですよ?」

「しゃーないやん。そもそも敵が近くにおったし、こっちから女の子達の悲鳴が聞こえたら、そら駆け出すのが性ってやつや」

 

 苦言を呈したのは水上。そしてその声に言い訳をこぼしながらゴーグル越しに目を光らせたのは、ボーダー内に数いる攻撃手でも五指に入る実力者。

 

「で、敵はどいつや?」

 

 生駒が鞘に納めた弧月に手を添えて、そうつぶやいたのだった。

 

「見てください、イコさん! トリオン兵じゃなくて人っすよ!」

「おお、ほんまやな」

 

 南沢の元気な声につられて視線をあげると、警戒心を強めたライと視線が合う。

 彼の顔を見て、生駒は――

 

「よし。聞くまでもなく敵やな。叩き切るで」

 

 なぜか明後日の方角を見据えて、ライの打倒を宣言した。

 

「おっ、珍しくやる気やないですか」

「当たり前やろ、イケメンは敵や。俺が切る。見てみい、あの顔。どっからどう見ても女の子に次から次へと手を出しそうな顔やん」

「そっちかい。まぁその理屈なら隠岐も切らなあかんですけど」

「いや、俺は味方ですから。敵はあっちだけです、あっち。……てか、イコさんはどこを見とるんです?」

 

 水上と生駒、二人の戦闘中とは思えない漫才に隠岐がたまったものではないと不満を漏らす。

 同時になぜか視線を逸らしている生駒へ疑問を唱えると、

 

「多分カメラあっちやと思うからな。きちんと目合わせておかんと」

「何言っとるんやこの人」

 

 理解できない価値観を語る生駒に水上はため息をこぼした。

 いつものよくわからない癖が出たな、と皆が揃って呆れている。

 

(カメラ? まさか遠征艇の事か……? こちらの視線を感じ取っていると? そう言う副作用か!)

 

 しかし、ライだけはこの生駒の発言をとんでもない解釈で受け止めてしまい、驚愕に目を見開いた。

 

(だとしたらまずい。あるいはこちらの目的にも気づかれてしまうかもしれない。万が一対象を見つけたとしても、彼がいては後手に回ることになってしまう!)

 

 ハイレイン達の目的、すなわち膨大なトリオン量を持つ金の雛鳥の捕獲だ。

 もし該当する標的を発見したとしても、敵に狙いを気づかれては避難させることも備えを敷くことも容易くなる。

 それだけは避けねばならない。ライは生駒を脅威と判断し、彼に照準を定めた。

 

「なるほど。――どうやらあなたは真っ先に倒さなければならない敵のようだ」

「……えっ? 今の話のどこにイコさんを狙う要素あったん?」

 

 「ひょっとして天然か?」水上は戦場には似つかない発想を浮かべるものの、まさか本当にその通りであったとはこの時は思いもしなかった。

 

「ほう。どうやら人を見る目は確かなようやな。味方やったら鍛えてやった所やったのに、惜しいわ」

「何かこっちは調子に乗っ取るし」

「息バッチリっすね!」

「たしかにこのノリの良さはイコさんと仲間やったら面白い関係になってそうやったのに残念ですわ」

 

 ライの言葉に気をよくした生駒。

 そんな彼に水上は呆れながら、南沢は軽い調子で、隠岐も軽く笑いながらそう口にして。

 

「こうやって、本気で銃を向けなあかんとはなぁ」

 

 隠岐がイーグレットを構えたのを引き金に、全員が同時に戦闘態勢に移行した。

 

「茜ちゃん、どうやら相手は生駒さんたちに意識を向けているみたい。私たちは距離を取ってサポートしつつ、敵の不意を狙いましょう」

「わかりました!」

 

 この隙に那須も後退し、機会を伺うように日浦へと指示を飛ばす。

 生駒隊は那須隊よりも確かな実力を誇るチームだ。邪魔をしないように敵を撃破する術を探すため、那須は変化弾を起動する。

 

「一対六か。……仕方ない、覚悟を決めるか」

 

 多対一というライにとってさらに厳しい局面になってしまったものの、ライは笑みを崩さなかった。

 ここで生駒を逃せば、それが結果的に彼が守りたい主の危機へと繋がってしまうかもしれない。

 ならば引き下がれない。ここが正念場だと、ライは蝶の盾を起動し、那須隊、生駒隊の合同部隊を迎え撃つのだった。




皮肉なものだ。
日本を取り戻そうとしていた僕が、日本に侵攻するしかないなんて。
だが、やるしかない。
僕は。
皆の為にも!


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部隊加入IF A級①

「どうだ。頼まれてくれるかね?」

 

 城戸がいつも通りの強張った表情を浮かべ、今や個人最強と名高い太刀川へと問いかける。

 何の前触れもなく突然上層部に呼ばれた太刀川に告げられた話の内容は、新たに太刀川隊へ新人を加入させてほしいという依頼であった。

 城戸司令言わく、その人物はボーダーを支援するスポンサーの息子であり、本人の強い要望でA級入りを強く打診したのだという。ちょうど太刀川隊は長く部隊を支えていた烏丸が玉狛支部への異動が行われようとしていた時期。変革期という事で新たに隊員を迎え、世話をしてほしいという事だった。

 

「うーん。そうですね」

 

 どうしたものかと太刀川が後頭部をかきながら相槌を打つ。

 彼自身別に不満があるというわけではなかった。確かに素人が加わる事で任務や戦闘で足を引っ張る事もあるが、烏丸がいなくなっても太刀川、出水、国近という秀でた3人がいれば何の問題もないという自負がある。今更一人お荷物が増えたところで部隊の強さには支障は出ないだろう。それを補って余りある戦力が揃っている。

 ゆえにここで二つ返事で頷いても良いのだが。

 

「——いいですけど。一つ、条件が」

「何だ慶?」

 

 太刀川の言葉に彼の師匠である忍田がいち早く反応した。

 面倒ごとを嫌い、基本的に上からの命令にはすぐに応じる太刀川が交換条件を提示した事に疑問を感じたのか、あるいは単純に弟子が望むものが気になったのか。その真意は不明だが、師匠から視線を向けられた太刀川は「無理ならいいですけど」と前置きを置き、そしてにやりと大きな笑みを浮かべる。

 

「今B級でフリーとなっている紅月。あいつをうちの部隊に入れさせてください」

「——ッ!」

「ほう」

「紅月を?」

 

 太刀川が挙げた隊員の名前に、上層部の面々は驚愕、興味、疑心と様々な表情を浮かべる。

 紅月という姓の正隊員は一人しかいない。すなわち紅月ライ。数か月前に突如ボーダーに現れ、瞬く間に頭角を現した新入隊員、という事になっている人物だ。

 その彼の経歴については上層部はもちろん太刀川もよく知っている。

 

「城戸司令達にとっても問題はないでしょう? 少なくとも俺の隊にいれば注目度も増して期待に背くような動きはできないはずですし。あなた方がそう言えば紅月も応じるようになるでしょ。一足先に紅月を加入させ、その後で新人も追加させれば太刀川隊の部隊降格の心配もありませんし」

「……なるほど」

 

 太刀川の言わんとする事を理解し、城戸が重々しく口を開いた。

 『期待に背く』。それは普通の隊員として、というだけではなく、もっと深い意味を指し示しているのだと理解できる。

 いまだに城戸はライに対して疑惑を抱いていた。実力を持ちながらも部隊に属さずにいる状態も、何かの企みの一部ではないのかという疑惑が生まれてしまうほどに。

 

(万が一の場合でも、彼ならば問題はないだろう) 

 

 そんな彼が下手な動きをしないように監視する。確かに精鋭と名高い太刀川隊に加入させることで不審な動きを防げるだろう。

 ライとしても上層部からの指示となれば無視はできないはずだ。城戸側の視点としても監視の目がつく事、戦力として安定した運用ができるとメリットが多い。

 城戸の決断は早かった。

 一つ間を置き、城戸は答えを待つ太刀川に向け了承を唱えるべく口を開いた。

 

 

————

 

 

 太刀川隊加入IF

 

 太刀川隊。ボーダーに数多くある部隊の中でもトップの座・A級一位に君臨する部隊である。

 最強の攻撃手・太刀川が率いるこの部隊は長く部隊を支えていた烏丸を欠いたとはいえ、天才射手・出水、機器操作などに長けたオペレーター・国近と優秀な隊員が健在だ。

 二人の隊員が新たに加わった後でも彼らの地位が揺らぐことはなく。むしろさらにバランスの取れた、活発な部隊へと変貌させていた。

 

 

「もう! 無理です! 紅月先輩!」

 

 訓練室に太刀川隊銃手・唯我の情けない声が木霊する。

 背後から縦横無尽に迫る射撃の嵐から逃れようと涙を流しながらあちこちを駆け巡るが、一向に助けは来ない。

 

「弱音を吐く余裕があるならばしっかり弾の軌道を見極めるんだ。ただ闇雲に逃げるようではいずれつかまるぞ。今は反撃とまでいかなくても回避なり防御なり、危機を脱する術を探るんだ」

「いやこの前もそう言って結局シールドを——ああああやっぱりいいいい!」

 

 言われるがままに展開した頼みの綱のシールドもあっという間に破壊され、唯我の体は一瞬で蜂の巣と化した。

 トリオン体が崩壊し、そして瞬時に元通りのトリオン体へと修復される。

 訓練モードであるためにすぐに万全な状態へと戻るのだが、心はそうもいかない。唯我は瞬殺されたという事実に打ちひしがれて地面に両手をついたまま動けずにいた。

 

「何をしているんだ唯我。反省は後だ。今はとにかく反復練習を行う。すぐに構えてくれ」

「いや、もう少し手を抜いてくださいよ! 何でそんなにやる気になっているんですか!」

 

 一切の容赦が感じられない相手——太刀川隊の万能手・ライに唯我が涙交じりに訴えた。

 ライは唯我より一シーズン早く太刀川隊に加入した隊員だ。

 元々はフリーのB級隊員であり、唯我が太刀川隊に加入する少し前に人員補充という形でA級一位の部隊に加わっていた。

 その為殆ど同じ新入りの立場になる唯我が「これも何かの縁。よろしくお願いしますよ」と初対面の際には特に考えずにそう声をかけたのだが。

 蓋を開けてみれば『いやなんでこの人B級だったんですか!?』と考えたくなるほど腕の違いを見せつけられる日々。

 しまいには毎日のように訓練という名目で痛い目に遭っている。泣きたい。

 ライは基本的にも誰にでも優しく、弱い者いじめが趣味とは到底思えない。だからこそ何故、と聞きたくなるのは当然の事だった。

 

「何故って決まっているだろう。最強の部隊に入ったんだ。君にも成長してもらわないと困る」

「いや、僕はそこまで望んでは」

「それにね」

 

 理屈はわかるが、個人の希望があるだろう。そう反論しようとした唯我の言葉を遮って、ライがさらに続けた。

 

「国近から君のお世話係に任命されたからね。お世話係という役職を託されたからには、一切の手は抜けないよ」

「なぜそんな役割にそこまでの意識を!?」

 

 国近の『じゃあ折角だし、紅月君には唯我君のお世話係をしてもらおっかー』という何気ない発言が蘇る。

 明らかに冗談半分であり、唯我もその感覚で受け取っていたというのに目の前の先輩はむしろ彼女のこの言葉に駆られて本気になっていると語る。

 ただただ不満をぶつけ続ける唯我には、なぜライがここまで躍起になれるのか、理解できるはずもなかった。

 

 

 

「おー。二人ともおかえりー。今日の訓練は終わったのかね?」

 

 訓練室から出てきた二人に気づいた国近が声をかける。

 疲労困憊の唯我は息を荒げながら、余裕のあるライは笑みを浮かべて答えた。

 

「もう、無理です……」

「ありがとう国近。今日のところはね。唯我、今日の訓練の反省点をまとめておいた。回復次第読んでおくように。明日の訓練でチェックするよ」

「休む暇すらない!」

 

 厳しい指導員から新たな課題が提示され、唯我はその場から崩れ落ちた。

 勘弁してくれと天に願うものの、この厳しさが緩和する事は後にも先にもなかった。

 

「あっはっは。まーた唯我をいじめてたのか紅月。やりすぎるなよ?」

「いじめなんてしませんよ。彼の力をつけようと指導していただけです」

「いや、あれはもういじめでしょう!? 違うと言うのならば一体何がいじめなのか!? 今すぐ助けてください!」

 

 ソファで休んでいた太刀川もいつもの様子の彼らを軽快に笑い飛ばす。

 隊長の言葉にライは短く反論し、唯我は必死に助けを求めるのだが。

 

「いやいや。俺も『唯我に強くなって欲しい』という紅月の意見には同意だからな。紅月、どんどん仕込んでやれ」

「そうですよね。俺らの負担も減るだろうし。だから唯我、諦めろ」

「わかりました」

「誰も味方がいない! 労働環境の改善を要請する! 誰か、弁護士を呼んでくれ!」

 

 太刀川はおろか、彼の隣に腰かけていた出水までもが追従し、ライの指導を後押しした。

 本当にこの指導がこの先も続くというのだろうか。

 唯我は部隊加入から早々に目の前が真っ暗になっていた。

 

「まあまあ。唯我君も将来後輩が出来る時に強さを見せつけたいでしょー? だから頑張ろーよー」

「国近先輩の言葉はもう信用できません! どうせ僕の個人の強さを期待する後輩なんてできませんよ!」

 

 みかねた国近が仲裁に入るものの、元々は彼女の些細な言葉が発端だったのだ。

 唯我は彼女の言葉を右から左へと聞き流し、場所も選ばずに泣きわめく。しかしこの後、国近の言葉通り唯我と真っ向から一対一の勝負を繰り広げ続ける事となる後輩ができるのだが、彼が知る由もない。

 

「そんなことよりだ。紅月」

「そんなことより!?」

「訓練は一区切りついたんだろ? なら一戦やろうぜ」

 

 隊員の平和が脅かされているのに! 唯我の喚き声を無視して、太刀川が好戦的な笑みを浮かべてライを誘う。

 個人最強と呼ばれる太刀川は戦いに飢えている。

 チームに個人戦を全力で行える相手が加わった事は彼に退屈な時間を味わわせる時間を減らす事となった。だから今日も楽しませてくれと、ライを煽ったのだが。

 

「勘弁してくださいよ。今週はもうすでにポイントを2000も太刀川さんに取られてるんですよ? これ以上は減らせません」

「なんだよ。別にポイント外でもいいぜ?」

「それに、太刀川さんは今週末までのレポートが溜まっているのでしょう? 二宮さんが愚痴をこぼしていましたよ」

 

 続けざまに正論を告げられ、さすがの太刀川も黙り込んだ。

 太刀川慶。戦闘においては敵なしと呼ばれる存在だが、私生活においては皆が声を揃えて『ダメ』と称するほどだらしない性格であった。

 

「いや、その為にも気分転換にだな?」

「そう言って前も時間を延長して忍田さんに怒られたのをもう忘れてしまいましたか?」

「……はい。忘れてません」

「ならばすぐに取り掛かってください。僕も夜食を作ったら手伝いますから」

「紅月!」

 

 現実を見せつけられてしょんぼりとうなだれる太刀川だが、助けの手を差し出されるとあっさり掌を返す。

 飴と鞭を使いこなす。

 隊長と新人、扱いに困る二人を的確にコントロールする人材が加入し、太刀川はこの先も安定した活躍を残し続けるのだった。

 

 

 

 

――――

 

 風間隊加入IF

 

 

 市街地の一角。

 ビルと小さな商店の間に長く伸びる道路の真ん中にライが立っていた。

 彼の右手には弧月が握りしめられており、何かに備えているのだろうか、何度も感覚を確かめている。

 物音一つ立たない静寂な時間が流れていく、そんな中で。

 突如として一つの影が音も立てずに空中に出現した。

 

(とる!)

 

 風景に完全に溶け込んでいたその男は瞬時に両手へスコーピオンを展開し、ライ目掛けて振り下ろす。

 影の正体は歌川だった。風間隊を代表する万能手、隊長からの信頼も厚い精鋭の一人。

 彼が操る二振りのスコーピオンはその軽さを活かした連撃とカメレオンからの奇襲によって、並大抵の相手では防戦一方の展開を強いられる事だろう。

 

「甘い」

「っ!」

 

 しかし。

 上空という死角からの強襲に、ライは弧月を振り上げて受けきった。さらに勢いそのままに刀を振り切り、歌川を側面に弾き飛ばす。

 

「くっ」

 

 初手の攻撃を完璧に止められた事に悔しさを抱きつつも、歌川はすぐに立て直した。

 地面を蹴り、後方に跳ぶことで相手との距離を保ちつつ体制を立て直し、

 

「そうはいかない」

「うっ!」

 

 否、立て直す暇は、訪れなかった。

 歌川の眼前にライが迫る。相手を逃がすまいと追撃をかけたライの弧月が歌川を襲った。

 とてもかわしきれるタイミングではなく、歌川は一点集中のフルガードで対応する。シールドにヒビが入ったものの、なんとか生身に衝撃が走ることを防いだ歌川。

 

「ぐぅっ!?」

 

 そんな彼の胸元に強烈な衝撃が走る。

 刀が防がれたとみるや、ライが歌川の鳩尾に蹴りを放ったのだ。突然の衝撃に肺から息が漏れ、大きく後ずさってしまう。

 

「旋空――」

 

 さらに休む間もなく攻撃の手が続いた。

 歌川の耳に響く、必殺の掛け声。

 間違いない。これから繰り出されるは、ライが完璧万能手と呼ばれる原動力となった、防御不可能の切り札だ。

 

(マズイ!)

 

 決め手を避けるべく、歌川が選んだ選択肢は潜伏。

 再びカメレオンを起動すると同時に攻撃から逃れようと斜め上空へと跳躍した。

 歌川が一息に地面を蹴った、その瞬間。

 

「――弧月!」

 

 三つの光が、空を切った。

 ライが持つ弧月が瞬時に拡張し、三度振るわれた刃が獲物を求めて突き進む。

 一筋、二筋。手応えのない感覚が二度続いたが。

 

「つぅっ!」

 

 最後の一手が歌川の両足を両断していた。

 

「移動用のトリガーを使わずにこの距離で逃げられるほど、この技は甘くないよ」

「マズイ!」

 

 地に落ちた足から歌川の場所を察知したライは、続いて変化弾を生成し、息つく間もなく分割、射出した。

 緩やかな起動を描きながら、最後は一点に集まる集中砲火。歌川は今一度カメレオンを解除し、前面にフルガードを展開する。

 

「外れだ、歌川」

 

 するとシールドに命中する直前、一点に集まった弾が各々進路を変えて分散し、標的を多角的に襲いかかる。

 一点集中と思わせての鳥籠。ライの師匠が得意とする技の一つであった。

 

「……ありがとう、ございました。次、お願いします」

「ああ。喜んで」

 

 無防備のトリオン体が耐えられるはずもなく、体が崩壊し、そしてすぐに無傷の状態へと変換された。

 仮想戦闘モード下での戦闘訓練。

 同じ部隊に加わった、同じ万能手の先輩に今日こそはと挑んだものの、やはり相手も歴戦の勇士とあってその壁は高い。

 たがまだ諦めまいと続投を願う歌川に、ライも喜んで応えたのだった。

 

 

――――

 

 

「今日もやっているのか」

「あっ、風間さん」

「お疲れ様です。はい、先ほど始まったばかりですね」

 

 風間隊の作戦室にやってきた風間が、訓練室の様子を見守る菊地原、三上の二人に問う。

 彼らの視線の先ではチームメイトであるライと歌川の二人が一対一の訓練に励んでいた。

  

「調子は――相変わらずのようだな」

「まあ実力はありますからね」

 

 風間も画面へ視線を送ると、ライが優位に戦闘を進めている証である白星が目に入る。風間の呟きに普段は批判しがちな菊地原でさえ同意を示した。

 これまでは部隊では唯一の中距離戦を戦える立場の歌川であったが、同じ万能手であるライが加入したことにより、歌川が機会を見つけては力を磨くべく模擬戦を挑むようになっていたのだ。頼れる後輩に更なる飛躍の機会が訪れたのは隊長としては嬉しい誤算である。

 

「おかげで歌川には良い刺激となった。うちには射撃を担う隊員があいつ一人だったが、紅月の加入によってより実戦的に経験値を積ませられる。実戦でもあいつを囮に俺達が奇襲をかける手段や、その逆に俺達の連携に敵が困惑している間に紅月の狙撃や射撃を狙うなど戦略の幅が増えた。現状では言うことなしだな」

「そうですね。狙撃に関してはまずない選択肢でしたし、紅月先輩の副作用はうちのカメレオン戦術のシビアな連携にも対応しやすいから私もサポートしやすいです」

 

 隊員間のより充実したコミュニケーションの獲得。そして実戦面でのメリットは風間隊を更なる躍進へと導くこととなった。

 今までは考えられなかった戦法の発掘は皆が好意的な姿勢を示しており、オペレーターとしても大助かりだと三上が続ける。

 

「……まあ、だからといって僕はまだ全面的には信じてませんけどね。だからこそ、あれだってあるんだろうし」

 

 しかし、全てが順風満帆と言うわけでもない。

 菊地原がチラッとライに振り当てられた彼の部屋へと視線を向けて呟いた。ライの部屋のコンセントの一つには小型の三つ穴式のコンセント、に扮した盗聴器が差し込まれていた。

 電気、そして内蔵されたトリオンで動くようになっており、引き抜かれても暫くの間は作動する開発局が開発した機材である。

 万が一、ライがボーダーに害をなす行動に備えての措置であった。風間隊への入隊も、いざというときに適切な措置を取れる者達を近くに置き、ライの油断を誘うという上層部の発案というのが真実である。

 ライの出自を伝えられた者達の中には未だに警戒を抱く者がいるというのも事実。菊地原も多少の警戒を抱いている事を知りつつ、風間は緊張を和らげようと彼の愚痴に答えた。

 

「まあ、そう言うな。あれとて問題がなければこの先もデータが残ることはない」

 

 それに、と風間は一つ間をおいて話を続ける。

 

「少なくとも俺には、あいつの素振りが俺達を騙そうとする輩の演技には到底思えん」

「……はい。私もそう思います」

 

 日頃からの勤勉で他人に献身的な姿勢、どこか天然とも取れる彼の気質が、風間には真実に映ったのだ。

 それは三上も同じこと。口には出さないものの菊地原も否定はしない。作戦室にいる歌川も同じ思いだろう。

 不思議と周囲に人を集める彼のカリスマとも呼べる彼の素質に風間たちも感心を抱いていたのである。

 だから余計な心配だと談じ、上層部にこれ以上の詮索は不要だと報告してみようかと、風間は一人口ずさんだのだった。



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ボーダー入隊編①
邂逅


今月号のワートリが素晴らしかったので読んでない方は是非読んで欲しい。


 一人の少年がいた。

 彼は失った記憶を求め続け、その過程で多くの仲間や新たな思い出を作り出す。

 長い戦いの果てに、彼は自分が忘れようとした記憶を取り戻した。そして自分が持つ力が人々を傷つけ、命を奪ってしまいかねない危険をはらんでいるという事を思い出す。

 

「僕は、ここにいてはいけない」

 

 迷いなく、そう言い切れた。

 

「未練はある。だから未練はない」

 

 未練ならある。

 やり残したことが多くある。まだやりたい事が数えきれないほど存在する。

 失いたくないほど大切なものがたくさんできた。

 故に、それら全てを終わらせてしまいかねない自分はいるべきではない。

 ここに残る事に未練はなかった。

 

『みんなが僕を忘れますように』

 

 最後に少年は世界に向けて願いを籠める。

 自分に色をくれた人々に、自分を失った悲しみを味合わせないように。全てが泡沫の夢のように消えてほしいと。

 彼の願いは確かに叶い、大きすぎる代償として彼はその力を失った。

 

 

 

「——時の歩みを止めないでくれ! 俺は、明日が欲しい!」

 

 少年の眠りから約一年後。同じ力を持つ友が、同じ場所で、同じように世界に願いをかける。

 固定された過去も、停滞する今日もいらない。人々が求め続ける明日を欲しいと力の限り叫んだ。彼の願いも平等に叶い、この地で眠る少年にも叶う事となる。

 ただしこことはまた異なる場所、世界にて。

 

 

————

 

 

(ゲート)発生、(ゲート)発生。座標誘導誤差03.27。近隣の皆様はご注意ください』

 

 三門市。

 人口28万人を有する日本の街は突如開いた(ゲート)より現れた異界の侵略者・『近界民(ネイバー)』と呼ばれる異形の化け物の脅威に晒されていた。時に多くの犠牲者を出しながらも『ボーダー』と呼ばれる対近界民(ネイバー)専門の防衛組織の隊員達の活躍により人々の生活は守られている。

 

「よっしゃ。今回は俺達が一番乗りか?」

 

 今日も新たに出現した(ゲート)の報告を受け、颯爽と駆けていく隊員の影が二つあった。

 得意げに笑うのは米屋陽介。数いるボーダー隊員の中でも精鋭と謳われるA級の隊員だ。

 A級三輪隊攻撃手(アタッカー) 米屋陽介 

 

「無駄口を叩くな。さっさと近界民(ネイバー)を殺して終わるぞ」

「わかってるって」

 

 対して冷たい口調で米屋を諭したのは彼の部隊の隊長・三輪秀次。

 A級三輪隊 万能手(オールラウンダー) 三輪秀次

 二人は建物の屋根伝いに最短距離で門が発生したという場所に向かっていた。

 警報からすぐに本部を出れた為に見回りしていた隊員よりも先に現着できるだろう。早急に任務を果たそうと考え、現場が視界に映る距離になって違和感を抱く。

 

「……おい、秀次」

「ああ。何かおかしい」

「だよな」

 

 米屋も同じように疑問を感じたのだろう。短いやり取りでお互いの意見は伝わった。

 近界民(ネイバー)は基本的に巨体であり、出現するやいなや縦横無尽に暴れまわるものだ。種によって行動に多少のズレこそあれ本質は変わりない。

 それにも関わらず、まだ近界民(ネイバー)が見えない。暴走の跡も見られなかった。

 

「偵察系の敵という可能性もある。急ぐぞ」

「おっけー」

 

 まさかこちらの世界に潜伏するタイプの敵なのか。ボーダーが把握していない存在も捨てきれない。二人はさらに速度を上げ、瞬く間に現着した。

 

「どーなってんだ。マジでなんもねえぞ? トリオンの形跡もねえ」

「……三輪隊現着した。周囲に近界民(ネイバー)の姿は発見できず。どこか他の部隊が先についていたのか?」

『調べるわ。ちょっと待ってて』

 

 二人が付いた現場には異変は何も見られない。立ち入り禁止とされている警戒区域。かつて人が住んでいた建物が少し崩れた形跡はあるものの、最近できたものではなかった。巨大な生物が暴れたような痕跡は一切ない。

 違う部隊が先に迎撃したのだろうか。三輪はオペレーターに通信を繋げる。

 

『いいえ。先着した部隊はないわ』

「なに?」

「マジで?」

『私たちが一番乗りのはずよ?』

 

 だがオペレーターから予想された答えは返ってこなかった。

 味方が仕事を果たしたわけではない。しかしいくら見回しても敵の姿は見られない。

 意味がわからず二人は揃って首を傾げた。

 

「じゃあどういう事だ? 機械の不良か?」

「もしくはまだどこかに潜伏しているかのどちらかだな」

『こちらでも計測を続けるわ。二人は周囲を探索して』

「了解した」

 

 もちろん機械のミスという可能性も捨てきれない。だがまだ敵がどこかに潜んでいるとしたら大問題だ。

 念のため警戒を続けた方が良いだろうというオペレーターの指示に従い、二人は手分けして周囲を調べ始める。

 そして捜索から約二分。

 

「おい秀次!」

「どうした?」

 

 米屋が何かを見つけて三輪の名前を呼んだ。すぐに三輪も米屋の下へと急ぐ。

 ある建物の入り口に銀髪の少年とも青年ともとれる男が寄りかかるように眠っていた。意識はないようだが傷はなく呼吸も安定している。大きな怪我は特に見受けられなかった。

 

「……まさか人型の近界民(ネイバー)か?」

「いや、生身みたいだし違うと思うぜ。トリガーも身に着けてねえし」

「つまり警戒区域に立ち入った一般人だと?」

「一番可能性が高いのは、な」

 

 人の見た目をした敵も存在する。だが目の前の意識を失っている相手が武器を所持していないという事は米屋がすでに確認していた。

 ならば部外者が偶々この警戒区域に立ち入り、何らかの事件に巻き込まれて意識を失っているだけ。そう考えるのが妥当だろうと三輪達は結論を出す。

 

「とりあえず保護して本部に連れてくって事でいいか?」

「……そうだな。もしもこいつが近界民(ネイバー)を見ていたならば話を聞く必要がある。記憶の処理も含めてな」

「了解」

「本部。こちら三輪隊。これより事件に巻き込まれたと思われる一般人を搬送します」

 

 三輪はボーダー本部に一つ報告を入れて通信を切った。

 ボーダーは記憶を消去する技術を持っている。秘密保持のため、近界民(ネイバー)の騒動に巻き込まれた一般人やボーダーを脱退する隊員の記憶を封印する措置を施す事になっているのだ。

 もしもこの相手が本当に無関係の者だとしても、敵を見ているのならば話を聞き、そして記憶を封印しなければならない。三輪は米屋に視線で指示を出すと、米屋が頷いて少年の体を背負った。

 

「おっ?」

「何だ?」

「いや、だいぶ華奢な体だと思ったんだけどな。こいつ、かなり鍛えてるみたいだぜ」

「ほう?」

 

 米屋が小さく笑ってそう口にする。相手は線が細く、スラっとしている体形だ。だが米屋がわざわざ語る程筋肉がついているのだろう。

 

「ひょっとしたらかなり動ける(・・・)やつかもな」

「まさか」

 

 米屋の冗談を三輪は鼻で笑った。

 男の顔はとても整った穏やかなもので、身体の細さと相俟って戦闘からかけ離れた印象しか覚えない。

 だから三輪はこの米屋の言葉を聞き流す。

 この時はまだ、彼の存在がボーダーにとっても大きなものになるとは想像できなかった。




裏サブタイ:一時間後に気を許す三輪
ワールドトリガーとコードギアスLOSTCOLORSのクロスオーバー作品となります。ライはギアス編を経由。ギアスの力そのものは失った状態でギアスの知識はなくても大丈夫なように書いていく予定です。


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目覚め

 ボーダー本部技術開発室。

 

「お前達、一体あれは何だ?」

「はっ?」

「俺達?」

 

 開発室長である鬼怒田は呼び出した二人、三輪と米屋が来るや単刀直入に問いかけた。

 ボーダー本部所属開発室長 鬼怒田本吉

 要領を得ない質問に二人が揃って聞き返す。

 

「『あれは何だ』って、鬼怒田さん何の事?」

「俺達は出撃から戻った後、報告書を書いていただけですが」

「そうそう」

 

 三輪の説明に米屋も何度も頷いた。

 二人は周囲の警戒を他の防衛任務中の隊員に引き継ぎ、保護した男を医務室に預けた後、出撃の報告書をまとめているところを鬼怒田に呼ばれてここにいる。どれも普通の流れであり、何かを指摘されるものではなかった。

 故に何か責められる理由はないと断言したのだが。

 

「お前たちが保護した男の話だ」

 

 鬼怒田が続けた言葉で二人の間に緊張が走る。顔つきが戦闘時の厳しいものに変わった。

 

「何かあったんだな?」

「あの男は今どこに?」

「まだ意識が戻っとらん。今は医務室で月見君がついてくれている」

「えっ。嘘だろ。まだ起きてねえの? そんな重症だったか?」

 

 三輪の質問に対する答えに米屋は毒気を抜かれる。

 二人が本部に帰還してからすでに30分は経っていた。さすがにもう話を聞けている頃だろうと思っていたのだが、まだ目が覚めず三輪隊のオペレーターである月見が傍で待機しているという。

 

「言っとくけど俺達手荒い真似とかはしてないぜ?」

「はい。発見しすぐにこちらに運びましたが特に外傷などは何も」

「そんなことはわかっとる! 問題は外傷ではなく、中身(・・)の方だ」

「中身ですか?」

「どういう意味だ?」

 

 米屋達の言葉を遮り、鬼怒田が声を荒げた。ただ事ではない様子に二人も改まって何か重大な事がわかったのだろうと息を飲む。そもそもただの怪我ならば鬼怒田が出てくるはずがなかった。彼が関与する技術的な方面で何かがあったことは間違いない。

 

「あの男、すでに記憶封印処置がなされている(・・・・・・・・・・・・・・・・)

「何っ!?」

「どういうこと!?」

 

 驚愕の真実を告げられ、歴戦の猛者である二人でさえ戸惑いを隠せなかった。

 記憶封印処置は高度な技術を要する。誰しもが出来るものではなく、ボーダー内でもできる者は限られているものだ。それがボーダーに運び込まれる前にすでに終わっていた等受け入れがたい話だった。

 

「正確に言うと我々のものとは少し違うがな。記憶の封印というよりはどちらかというと植え込みをされた形跡があった。詳しく調べなければわからない、我々の知らぬ技術でな」

「知らない技術ってことは……」

近界民(ネイバー)絡みか!」

 

 鬼怒田が調べた結果によると、男の記憶に意図的に改ざんされた形跡がみられたという。

 加えてこの世界では見られない技術となれば行き当たる結論は一つ。

 三輪の拳が自然と強く握りしめられた。憎き敵の存在がここにまで現れたとなれば怒りを隠しきる事はできない。

 

「しかもそれだけではなかった」

「まだあんのかよ。で?」

「施されていたのは記憶だけではない」

「……嘘だろ。まさか体も? それとも神経とかいじられてんの?」

「どっちもだ」

「はあっ!?」

 

 次々と明らかになる事実に、冗談半分で話していた米屋は開いた口が塞がらなかった。

 

「見た限りでは改造されていない部分を探す方が難しい。トリオン量も平均より多い所を見ると、そちらもいじられている可能性も捨てきれん」

「多いってどのくらい?」

「数値上では加古隊長に匹敵するほどの数値を叩き出しておる」

「おいおい。ガチでボーダー内でも上位じゃねえか」

 

 話を聞けば聞くほど信じられない事だらけである。気づけば冷や汗が米屋の頬を伝った。

 加古隊長とはA級に所属する一流の射手(シューター)だ。そのトリオン量はボーダー内でも彼女に敵う相手など両手で数えて足りる程だろう。それ程の実力者と同等の存在がいるとなれば衝撃を抱くのも当然だ。

 

「では、あいつは近界民(ネイバー)の刺客という事だったんですか?」

 

 最後まで分析結果を聞き、三輪は暗い顔つきで鬼怒田へ問う。トリガーに手を伸ばしかねない様子は彼の心境を表している様だった。

 

「……おそらく違う」

 

 だが鬼怒田は彼の言葉を否定した。

 

「違うって、なんで言い切れんの?」

「先ほども言ったようにあの男の体は改造されていたが、さすがに骨格までは変えられておらん。検査したところ日本人あるいは日本人とどこかのハーフという可能性が高いとわかった」

「へー。どっちとも取れる顔と思ったけどそこまでわかんのか」

「まだ断定は出来んがな」

「という事は、少なくとも出身はこっちの世界であると?」

「現段階ではそう考えた方がよい、といった段階だ」

 

 人は人種によって骨格の基本的な形が決まっている。さすがにどれだけの改造を施そうとそこまで変える事は出来なかったのだろう。鬼怒田は彼の身体的特徴からこちらの世界、それも日本に関係する人間であるという所まですでに分析を終えていたのだ。

 

「つまり日本人関係者が向こうの世界で人体改造された、って可能性が高いんだよな?」

「うむ。しかもこれだけ戦力になりえるであろう者が他に近界民(ネイバー)が出現していない門の近くにおったという事は——もはや用済みとして処理された可能性がある」

「用済みって……」

「データが取れればそれでいいという科学者がいないわけではない。強すぎる戦力は操り切れなければ害になりうるからな。今回もその考えは捨てきれん」

「ッ!」

 

 耐えきれず、三輪が近くの柱を殴りつけた。

 ——そんな事があって良いのか。

 非人道的な行為が知らない所で繰り広げられている。これ程の扱いとなれば自ら進んで渡航したわけではないのだろう。そもそもそんな事をしていたのならばボーダーに記録が残っているはずだ。

 ならば考えられるのはかつての大規模侵攻、あるいはその前後で連れ去られたという事だ。あの時に三門市は多くの死者・行方不明者を出した。拉致された事は十分考えられる。

 かつて三輪自身も大切な人を奪われた、あの戦いで。

 

「……とにかく彼の目が覚め次第事情聴取を行い、緊急の会議を開く事になるだろう。お前達には改めて話を聞くことになるはずだ。月見君にも伝えておいてくれ」

「了解っす」

 

 三輪の心境を察したのだろう。鬼怒田はそこで話を打ち切り、指示を出すと二人を解放した。

 短く返答し、米屋は三輪を連れ添って部屋を後にする。

 

「とりあえず俺達も様子を見に行ってみるか」

「……そうだな」

「よしっ。蓮さんに通信入れとくぜ」

 

 空気を変えようと米屋が提案すると三輪はすぐに頷いた。

 似たような環境、いやそれ以上に酷い事を味わった相手となれば気にしない方が無理だろう。

 米屋は今少年の様子を見ているであろうオペレーターへ内部通信をつなげた。

 

『陽介くん?』

「蓮さん、俺と秀次で今からそっちの様子を見に行こうと思ったんですけど、何か変わりありましたか?」

 

 落ち着いた声が耳に直接響く。特に悪い異変がなかったような声色で一安心だ。

 

『あら。タイミングが良いのか悪いのかわからないわね』

「えっ?」

『この子、多分そろそろ目が覚めるわよ』

「本当ですか!?」

 

 するとようやく明るい知らせが届いた。

 『すぐに行きます』と一言告げて通信を終える。医務室へ急ぎ足で向かっていった。

 

 

————

 

 

「んっ。ッ。……ここ、は……?」

 

 気づくとそこは部屋の中だった。消毒液のツンとした臭いが鼻につく。

 しばらく眠っていたからだろうか、身体の重みを感じながら、ある事に気が付いた。

 自分の中から何か大きなものが抜け落ちている。

 

(ギアスの力が消滅している——)

 

 使おうとしても彼が持つ力・ギアスを使う感覚が全く呼び起こせなかった。

 きっともう二度と使う事はできないだろう。少年は世界に向けて願い(ギアス)をかけた。今までの使用とはくらべものにならない対象の多さに力が尽き果ててしまったと想像できる。

 長年身に宿っていたものだからもはや体の一部のようなもの。それくらいはすぐにわかる。

 もう二度とあの力を使う事はない。その事実に安堵と寂しさがまじりあった複雑な心境が浮かび上がった。

 

「目が覚めたかしら?」

 

 思考にふけっていたところに横から声がかかり、視線をそちらに向ける。ぼやけた視界がはっきりしてくると、ベッドのそばに黒髪の女性が椅子に腰かけていた。 

 

「大丈夫? 気分が悪かったり、痛い所はない?」

「は、はい」

 

 大人びた、落ち着いた雰囲気をした女性の声掛けに少年はゆっくりと答える。

 とても危険な人物には見えないが見知らぬ相手が突然横に出現したのだ。多少の警戒感を捨てきれなかった。

 

「それは良かった。ここは界境防衛組織・ボーダー本部。私は三輪隊のオペレーター月見蓮よ」

「ボーダー……?」

 

 戸惑う少年に月見は優しく説明と自己紹介をする。

 A級三輪隊オペレーター 月見蓮

 すると彼女の説明に首を傾げた彼の様子を見て、月見は目を細めた。

 きょとんとした様子で同じ単語を繰り返す様はボーダーの存在そのものを知らないと言っているような反応だ。あらかじめ鬼怒田から何かしら記憶や知識に障害があるかもしれないと話を聞いていたがその通りかもしれないと月見は判断した。

 

「ええ。あなたは警戒区域で倒れているところをうちの隊員に発見されたの。覚えていない?」

「いいえ」

 

 続けざまの質問に少年は首を横に振る。意識はハッキリしているようだ。

 

「ですが、ありがとうございます。助けていただいて」

 

 そしてすぐに上体を上げて深々と頭を下げた。

 

「本当にありがとうございます」

 

 改めてもう一度礼を告げる。流れるような動き・言葉は特に違和感はなかった。

 

「いいのよ。私たちの仕事なのだから。貴方にはいくつか話を聞きたいのだけれど。——まずは貴方の名前を窺ってもよろしいかしら?」

「名前、ですか」

「ええ」

 

 促され、少年は思い悩む。

 名前なら憶えている。だが苗字(ファミリーネーム)となると何と答えればよいのか判断がつかなかった。

 

(この人は月見さんと言った。つまり日本人だ)

 

 彼女の話と名前から相手が日本人であること。同時にここが自分の知る日本ではないという事は想像できた。

 そもそも二度と覚める事のない眠りについていた自分がこうして起きているのだから普通の考えは通じないだろう。

 そこまで想定して少年は何と名乗るのか考えて。

 

「——ライ」

 

 彼の脳裏には多くの時間を共にし、背中を預け合った女性の姿が過ぎっていた。

 

「紅月ライです」

 

 ここが真の日本であるというのならば、名乗るならばこの名前がふさわしいだろうと思い、少年——ライは自分の名前を告げた。



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事情説明

「ライ君。紅月ライ君ね?」

「はい。苗字が『紅』に『月』で紅月。名前のライはカタカナです」

「珍しい名前ね。ひょっとして……」

「ええ。ハーフです」

「なるほど。そうだったのね」

 

 銀髪碧眼というライの容姿を見て、月見は納得したようにうなずいた。どこか日本人とも欧米人とも取れる顔立ちもハーフという事なら納得だ。

 

「ではお父さんかお母さんのどちらかがアメリカやイギリス方面の出身でもう片方が日本人という事かしら?」

「——はい。母が日本人です」

 

 表情一つ変えず、笑顔のままライは受け答えを続けた。

 だが内心彼の心境は穏やかではない。今の質問一つで重要な事実が明らかになったのだから。

 

(ここは、未来とか過去とかそういう次元じゃない。別の世界なのか)

 

 何故ならかつてライがいた世界にはイギリスという国もアメリカという国も存在しない。地域の名前として存在はしているが、国家としての存在はなかった。

 ならば考えられることは一つ。

 ここは自分が知る世界とは異なる世界であるという事だ。

 

(ルルーシュ。これも、君のギアスの影響かな?)

 

 思い当たる事がないわけではない。

 それは彼の友、ルルーシュという少年が世界にかけた願いだ。あれはライの耳にも届いていた。

 『時間の流れを止めるな』、『明日が欲しい』。そう彼は願った。人々にも変わりゆく明日を与えようと。

 しかしライは眠りにつく際もう起きないように、皆を傷つけないようにと考え、世界に存在するべきではないと思い至った。そんな彼が明日を望み続けるならば、別の世界に行くしかない。そう無意識集合体が結論を出したのかもしれない。

 ありえない、と答えを出すのは簡単だがギアスという概念が存在する以上は否定しきれない。むしろそう考えて受け入れた方が理解もできた。

 

(もしも本当にその通りならば、僕もそれを望むよ)

 

 ならばとライもかつての親友の願いを受け入れることにした。

 これ以上大切な人を傷つけない新しい世界での生活というならば、その親友の想いを無碍にしたくはなかったから。

 

「どうかした?」

「いえ。なんでもありません」

 

 突然小さな笑みを浮かべたライを不審に思ったのだろう。月見の問いかけにライはすぐに首を振った。

 

「なら話を続けるわね。先ほども言ったようにあなたは警戒区域、ボーダー隊員以外は立ち入り禁止とされている所で発見されたの。あなたが気を失う前後の事を覚えているなら何か覚えている事を話してほしいわ」

 

 相手の様子が問題ないと考え、月見は話を続ける。

 話題は勿論三輪隊が彼を発見した時の話だ。(ゲート)が発生したものの近界民(ネイバー)が現れなかった事は今まで一度もなかった。そこに一人だけ民間人がいたとなれば気になるのも無理はない。

 何でもいいから話してほしい、そう尋ねたのだが。

 

「——すみません。何も覚えていないんです」

「何も?」

「はい。正直な話、気が付いたらこのベッドで目を覚ました状態でして」

 

 当然のことながらライから期待される答えが返ってくる事がない。

 そもそも月見が想定している事とライの経歴が全く異なるのだから当然だ。ライもあまり深く語って怪しまれる事を恐れ、具体的な話を打ち明ける事は出来なかった。

 

「そう。それなら最後に覚えている事を、何でもいいから教えてくれないかしら」

 

 これ以上近界民(ネイバー)の話を尋ねても意味はない。ならば最低限話の流れだけはつかんでおこうと月見は話を続ける。

 

「入りまーす」

「失礼します」

 

 呼応してライが応えようとした瞬間、医務室の扉が開かれた。

 二人の男性、米屋と三輪が並んで部屋の中へ入り、月見の傍まで歩み寄る。

 

「あら。三輪くん、陽介くん。来たのね。——紹介するわ。私の隊の隊員で、あなたを発見した人たちよ」

「三輪だ」

「米屋陽介、よろしく」

 

 月見に促された三輪が短く名乗り、米屋が気さくに右手を伸ばした。

 

「そうでしたか。紅月ライと言います。助けていただいたようで、本当にありがとうございました」

「いいって。俺達の仕事だからさ」

 

 ライも自己紹介に応じ、右手で握手を交わす。丁寧な受け答えに米屋が笑顔で語り掛けた。

 

《蓮さん、どんな感じでした?》

《本当に記憶が曖昧みたいね。(ゲート)発生前後の事は何も覚えてないみたい。しかもボーダーの事も知らない様子なの》 

《あー。やっぱり》

《やっぱり?》

《いや、こっちの話です。とりあえず鬼怒田さんから話を聞いてきたんでこっから話代わりますね》

《わかったわ》

 

 同時に、米屋はライに聞かれない様内部通信で月見と情報を共有する。彼が何も覚えていない、知らないという事を聞き予想は当たってしまったのかと心の中で嘆いた。

 ならばここから先は自分たちが受け答えをした方が良いだろうと米屋は月見と交代し、新たに椅子を持ってきて三輪と共にベッドの隣に腰かけた。

 

「さて。じゃあどっから話そうか」

「単刀直入に問う。お前は向こうの世界の事を覚えているか?」

「おいおい、秀次!?」

 

 どう話を切り出そうか悩む米屋をよそに、三輪が話の本題に切り込んでいく。早すぎるだろうと米屋は声を荒げるが、三輪は見向きもしない。ライをじっと見つめて返事を待った。

 

「……向こうの世界、というのは?」

 

 下手な答えは出来ないだろうとライは慎重に言葉を選ぶ。

 

「説明が足りなかったな。こちらの調査で、お前がこの地球とは異なる星、近界(ネイバーフッド)と呼ばれる星から来たのではないかという可能性が高いと言われている。地球で拉致されて他の星まで連れ去られ——そして人体実験を施されたのではないかと」

「ッ」

 

 三輪は鬼怒田から伝えられた事を隠すことなく話した。これには米屋が思わず頭を抱える。このような事はいきなり話す事ではないだろうと。真偽がどうであれいきなり聞いても混乱するリスクが高いのだから。

 

(——そういう事か) 

 

 だが、三輪の話を聞いてもライは動揺しなかった。むしろ彼の話を聞いてようやくこの世界そしてボーダーという組織を理解し、情報の整理を行う。

 

(界境とは文字通り世界の境。星と星を隔てた防衛組織というわけだ)

 

 先ほど月見はボーダーを『界境防衛組織』と語っていた。

 三輪が『他の星』という発言から、少なくともこの世界では地球とは別の惑星が存在し、何らかの形で人の行き来があるという事になる。そして自分がその方法で拉致されたという疑いをもたれている。検査により自分の人体実験の形跡も確認され、現在はその方針で口頭確認を行っていると。

 

(この様子なら話を合わせた方がよさそうだ)

 

 偶然ながら真実と些細な違いはない。異なるのは世界か星かという事だけだ。ライは自分の世界を別の星に例えれば話は通じるはず。

 本当の事を話しても自分でさえ理屈を完全に把握しているわけではない事を言葉にしても通用しないだろう。

 

「全て、とはいかないのですが。朧気にでよければ、覚えている事があります」

 

 ならば自身にあった出来事をこちらの世界に当てはめて話そうと決断し、ライはゆっくりと口を開いた。

 

「何っ!?」

「マジか!」

 

 予想外の返答だったのだろう。ライの答えに三輪と米屋が身を乗り出すほどの反応を示した。

 

「覚えていると言っても本当に断片的なものです。薄暗い研究所のような施設で何度か起きたような記憶が」

「……」

 

 続けられた説明に三輪は絶句し、米屋も表情を暗くする。

 

(信じられねえが、ガチなやつじゃねーか)

 

 鬼怒田の説明と同じだ。本人の証言、そして検査結果が重なった。目の前の少年が近界民(ネイバー)に拉致されたものだと考えるのが妥当だ。

 これはやはり緊急会議を開くべきだろう。米屋は珍しく考え込むように両腕を組む。一度聞き込みはここまでにして少し休んでもらった方が良いのかもしれない。そんな考えもよぎったのだが。

 一方、同じように聞き込みをしていた三輪は彼の話を聞いた直後から表情が固まっていた。両腕が震え、じっと話し相手であるライを見つめている。

 

「おい、秀次?」

 

 様子がおかしい事を悟り、米屋が三輪に声をかけた。

 するとその直後、突然三輪がライの胸ぐらをつかみ、身体を持ち上げる。

 

「うっ!」

「三輪くん?」

「秀次!」

 

 突然の暴挙にライの表情が苦痛にゆがんだ。月見が、遅れて米屋も止めるように名前を呼ぶが三輪は振り返る事すらなくライに言葉をぶつける。

 

「何か、覚えていないのか。お前を攫ったやつらに」

「ちょっ、っと!」

「何でもいい! 相手の顔でなくても何か名前、国、星。何か一つでも知っているのなら教えろ!」

 

 そこには先ほどまでの余裕はなかった。顔には憎悪が浮かびあがり、目の前の相手に対する配慮など一切存在しない。何でもいいから唯々話せと命じる。

 

「お前を攫った奴らは、二年前にこちらの世界を攻め、多くの住民を殺しまわった奴らだ!」

 

 三輪はライが話す敵が、かつて三門市を襲撃し多くの人々を——三輪の大切な肉親を殺害した相手だと考えたから。

 大切な人の仇に通じる情報源を前に、冷静さを保ち続けることは出来なかった。さらに拳に力を篭めて——

 

「秀次、ストップだ」

 

 その手は米屋に制せられた。同僚の説得でようやく思考がクリアになり、三輪は両手を解放して頭を下げる。

 

「ッ。……すまない」

「ケホッケホッ! い、いいえ。大丈夫です」

「悪いな。いつもはこんな奴じゃねえんだ。許してやってくれ」

「ごめんなさいね」

「は、はい」

 

 息を整え、ライは今一度三輪を見た。自分と同じあるいは少し若いくらいに見える少年。それでも一部隊を率いる隊長を務めている。立派だが、若さゆえに感情に流される時もあるのだろう。特に今のような怒りや憎しみに対しては。

 

(この人も、おそらくその二年前の攻撃で大切な人を失ってしまったんだろうな)

 

 具体的な話はなかった。だが今のやり取りだけで三輪も同じような経験があったという事は容易に想像できる。だからライも余計な詮索は避ける事とした。

 

「とりあえず話を戻そうか。まあ詳しい話は覚えてないようだし、これ以上俺らの方から向こうの話はしないでおくぜ」

「わかりました」

「ああ。ただ俺ら以外からも話を聞かれる時があるかもしれない。その時は面倒かもしれないけどよろしく頼む」

「もちろんです。何か協力できる事があるならば」

「ありがとな。あとは……そうだな。とりあえず連絡先教えてもらえるか? 家族の名前とか憶えていたらこっちで確認取るぜ」

 

 改めて米屋はライとこれからの方針について話を再開する。といっても彼の記憶も曖昧という事もあったので今後も様々な話を聞くかもしれないという承諾を取るにとどまった。

 加えて拉致されたという事情もあるので、誰か身内の者に連絡が取れないかと尋ねる。

 

「それは、無理です」

「えっ?」

 

 そして自分の質問が軽率であったと米屋は後悔した。

 

「家族はいません。母と妹がいましたが——僕の目の前で、殺されてしまった所を目にしました」

「————」

「その後から記憶が曖昧なんですけど。それだけは、覚えています」

 

 思わず米屋は頭を抱える。こんなにも平然と踏み込んでいい話ではなかった。彼だけではない。三輪や月見も申し訳なさそうに眉を寄せた。

 

(俺は馬鹿かよ。秀次みたいに大規模侵攻の被害者と考えればそれくらい想像できただろうに)

 

 甘かったではすまされない。今から二年前に起きた近界(ネイバーフッド)からの大規模侵攻で、この世界は1000人を優に超す死亡者を出した。自然災害による犠牲者よりもはるかに大きい数字だ。人命だけではない。戦火により戸籍なども失われた為正確な犠牲者の確認も難しい程の被害を受けた。

 そんな中で拉致被害者が出たとなれば、その家族とて巻き込まれた可能性は高い。少し考えればわかるはずなのに。

 もっと慎重に調べてから聞くべきだったと米屋は自分の判断を責めた。

 

「すまん。本当にすまん。配慮が足りなかった。この通り」

「いえいえ。気にしないでください」

 

 何度も頭を下げる米屋。ライがかえって申し訳なさそうに受け答えする事で何とか状況の悪化は防がれる。

 

(僕のは正直自業自得だからな。こんなにも謝られてはかえって申し訳ない)

 

 ライの実情は彼の想像とは異なるのだから。

 もう一度「大丈夫です」と声をかけてこの話は一先ずの終わりを迎えた。

 

「長く話し込んでしまったわね。そろそろ切り上げるとしましょう」

「そっすね。じゃあ疲れているだろうし、もう少しここで休んでいてくれ。これから上の人たちと会議があるから、それで何か決まったらすぐに連絡する」

「先ほどは悪かった。もし何かあれば誰でも隊員を呼んでくれ。部屋を出れば誰かしらいるはずだ」

「はい」

「ただ、この建物からは出ないで欲しい。まだお前の救助についてはボーダー全体に伝わっているわけではない」

「会議が決まるまで、ってことですね」

「……そういう事だ。理解が早くて助かる」

 

 『了解しました』とライが頷いたのを確認して三人は医務室を後にする。

 作戦室に戻る最中、歩きながら三人はライという人物について語り始めた。

 

「どう思いました?」

「私には真面目そうな子に見えたわね。それに優しい性格」

「少なくとも、近界民(ネイバー)のスパイという可能性はなさそうだ」

 

 最初は警戒心もあったが、彼の気配りや雰囲気から害を及ぼすような存在ではないという印象を皆抱いている。

 

「そうね。日本人というのも間違いないと確認できたし、このまま拉致被害者と考えて大丈夫だと思うわ」

「確認できたってなんでっすか?」

「発音よ」

 

 米屋の繰り返しの質問に月見は唇を指さして解説する。

 

「簡単に言うとネイティブかどうかって事ね。発音は自然と習得するか後天的に習得するかでどうしてもわかってしまうもの。よく聞けば聞き分けは可能なのよ」

「さっすが」

 

 口笛を鳴らし、月見を讃えた。そこまで考えて問答はしていない。やはり経験の差はすごいと改めてオペレーターの能力を評価した。

 

「どちらにせよ俺達は知りえた事を報告するだけだ。決定は上層部が行う事だ」

 

 だが最後の決断を下すのは彼らではない。三輪は静かにそう告げて作戦室へと戻っていった。

 

 

————

 

 

 ボーダー本部の会議室。今ここに上層部と呼ばれる権力者が集結していた。

 

「いやはや参りましたよ。まさか突然拉致被害者が帰還するなんて。救出に成功という事ならば大々的に報道できるのに」

 

 真っ先に口を開いたのは根付。ライの出現を複雑な思いで述べている。

 メディア対策室長 根付栄蔵

 多くの報道陣に対応する立場にある為、何か広告塔になれるならばという思いはあるのだが。

 

「ですが今回は外部に漏らすわけにはいかないでしょうね。メディアに出すとなれば一から説明しなければならなくなる。しかも一人出たとなれば他の人々も、となるのが当然の発想です。そうなると現段階ではリスクが大きすぎるでしょう」

 

 根付の心中を察して同調したのは唐沢だ。

 外務・営業部長 唐沢克己

 客観的に見て彼の存在を公にするのはデメリットを生じさせかねない。少なくとも今存在を外部に晒すべきではないと忠告した。

 

「当然だ。加えて報告した通りあの男は良い話題ばかりではない。もしそちらまでメディアがかぎつけたら大問題に発展しかねんぞ」

「その通りですねえ」

 

 検査した鬼怒田も反対意見を呈する。なにせライの話題は人権問題にまでつながりかねない。ボーダーが行ったわけではないものの、同様の技術を持っている以上、マスコミがいちゃもんをつけて騒ぎ立てる可能性も捨てきれないのだ。少しでも秘密性を保持する為にも報道させるべきではないとの意見は根付も同意であった。

 

「加えて彼は家族も失っているのだろう? ならば我々が考えている以上に心的なダメージを抱えていると考えるべきだ。しかも三輪隊長達と年齢もそう変わらないと聞く。易々と彼が傷ついてしまいかねない場面に放り出すわけにはいくまい!」

 

 一方、本部長である忍田は人道的観点から強い口調でそう断じる。

 本部長・防衛部隊指揮官 忍田真史

 本人が負った傷だけではなく家族を失った事、年齢も考慮しての意見。平和を第一とする彼らしい言葉だった。

 

「私も同意見ですね。特に隊員を急激に増やしたい場面でもない。わざわざ報道陣に話題の種を与えなくてもよいでしょう」

 

 忍田の同期である林藤もこの流れに追従する。

 玉狛支部・支部長 林藤匠

 今は事を急ぐ時ではない。世間を騒がせても特にメリットもないという意見は最もだった。

 

「それらの点も含め、まずは報告を聞いてから決断するべきだろう。事は急ぐべきではない。まだ彼が本当に近界民(ネイバー)の者たちと無関係というわけではないからな」

 

 其々の意見を聞き、最高権力者たる城戸がゆっくりと口を開く。

 本部司令・最高司令官 城戸正宗

 重々しい言葉の端々には説得力と有無を言わさぬ重みが感じられた。

 まだライという存在がボーダー組織に害を及ぼさないという確信はない。報告を待つべきだと集結した面々を諭した。

 

「失礼します」

「入りたまえ」

 

 直後、扉がノックされる。城戸の許可を得て三輪と米屋の二人が揃って入室した。

 

「——さて、話を聞こうか」

 

 城戸の鋭い視線が二人に向けられる。

 ライのこれから先、彼の命運が決まろうとしていた。



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選択肢

「——報告は以上です」

「そうか。急の対応、ご苦労だった」

「はっ!」

 

 一通りの報告を終え、三輪と米屋の両名は指定された席に腰かける。

 

「身体的特徴、記憶内容に加えて習慣まで確認できたのならば十分だろう。彼は拉致被害者として対応するべきだ」

「そうですねえ。日本人というのは間違いないでしょう。ただ――何らかのトリガーの働きで、彼が操られるあるいは記憶が再び操作される罠が仕掛けられているという可能性は? そのあたりはどうでしょうか? 鬼怒田開発室長」

 

 忍田は早々にライを保護すべき対象であると考えて断じた。対して根付はまだ敵の罠である危険性が捨てきれないと鬼怒田に意見を求める。

 

「その可能性は限りなく低い。トリガーが仕掛けられていればたとえ未知の技術であろうとその形跡が見つかるはずだが今回はそれはなかった。新たに変化が起こるような事はない」

「なるほど。それならば確かに敵の仕掛けという線はなさそうだ」

「『埋伏の毒』を警戒するのは仕方がないですが、あまりにも仕込みが大きすぎます。彼がスパイと考える必要はないでしょう」

 

 トリガーによる仕込みがあるならばボーダーの技術があれば発見できるはずだ。鬼怒田の説明を受けて根付は納得して引き下がった。

 近界民(ネイバー)の計略を疑うのは仕方がない。だがあまりにも怪しすぎる為にその可能性はないと唐沢も補足した。

 

「彼が日本人であり、近界(ネイバーフッド)から何らかの形でこちらに戻ったという事でこの件は結論をだして良いと私も考える。気になるのはなぜ近界民(ネイバー)はわざわざそのような事をしたのかという事だ」

 

 討論を聞き、ひとまずライが敵ではないという結論を出したうえで城戸は全員が抱いていた疑問を呈する。

 何故ライ一人だけが解放されたのか。

 わざわざ拉致した相手を返す理由がない。取引であるならばまだ理解はできるが今回はそうではなかった。必要なくなったとしても処分すればいいだけのはず。

 

「それは、確かに」

「罠でないというならば理由が読めませんねえ」

「まさか近界民(ネイバー)に最後の情があったとも思えませんし」

 

 やはりこちらは答えがすぐに出なかった。皆首を傾げ、その理由を探るもその真相は理解できない。

 

「あるいは、こういう混乱を生み出す事だったんじゃないですか?」

 

 すると林藤が停滞する会議に一石を投じた。

 

「混乱だと?」

「ええ。具体的な狙いなんてない。怪しいものをこちらの内部に送る事で混乱させる事が狙い。事実こちらは少年の対応でもめている。対応方針で組織に亀裂を起こせれば、と」

「……ふむ。ありえなくはない、か」

 

 なにせボーダーにとっても初めての事例だ。まだ拉致被害者の救出作戦もたてられていない中、受け入れ態勢は当然整っていない。その中で突然一人だけ解放されたとなれば確かにもめごとは生じるだろう。それが敵の狙いでは、という林藤の意見は確かに一考に値する。

 

「確かにその可能性が最も可能性が高い。自力で脱出したとも思えない以上は林藤支部長の仮定の上で考えるとしよう」

「こりゃ光栄」

「ならば次の議題は、彼をどのようにして取り扱うか、という事だ」

 

 城戸はこれ以上議論を重ねても明確な答えは出ないと考えた。一度この話題を終え、さらに議論を進める。ライに対して具体的にどのような対応を取るかという話へと移った。

 

「調査しましたが彼に関する戸籍は見つかりませんでした。やはり先の侵略で消えてしまったものと思われます」

「さすがに名前に関する記憶まで弄る必要はないでしょうから、『警戒区域へ立ち入ったものに対する記憶措置を行って帰宅させる』という方針は無理でしょう」

 

 当然のことながらライの戸籍は見つからない。忍田の報告を聞き、根付は本来の対応は難しいだろうと結論付ける。そうでなくても家族が殺害されたという報告がある以上はこの選択は難しかった。

 

「トリオンの問題からも難しいでしょうな。彼はどうやらトリオン量が多い。下手に一般人として解放すればまた近界民(ネイバー)に襲われるリスクがあります」

 

 さらに鬼怒田もトリオンの話に触れ、その方針は危険であると語る。

 トリオン量が豊富な人間ほど近界民(ネイバー)に狙われやすいという報告が上がっていた。たとえ彼を普通の生活に戻しても再び襲撃されてしまっては元も子もない。

 

「となると、彼をボーダー隊員として迎え入れるのが最善ではないですか?」

 

 ならば結論は一つだろう。

 林藤が考えを打ち明けた。紅月ライをボーダー隊員として迎え入れるべきだと。

 

「それは、考えなかったわけではないが」

「だが仮にも拉致被害者を組織に迎え入れるのは……」

 

 組織の一員となれば監視もできる。ボーダーが関与しないところで近界民(ネイバー)に襲われるリスクも少ないだろう。

 悪い考えではない。他の面々も案として頭の中にはあった。

 しかし事件に巻き込まれた者をその事件に対応させる組織に所属させるという事には抵抗がある。全員の顔に迷いが浮かんだ。

 

「……どうでしょう。一度、彼をこの場に呼んで本人の意志を聞いてみては?」

 

 そんな中、唐沢が口を開く。

 ここから先の話は当事者を交えて決めるのが最善であると彼は考えた。

 

「――いいだろう。三輪隊はこれより被害者の下に向かい、彼をこの会議に参加するよう説得してくれ。もちろん彼の体調や心境が厳しいようならば後日でも構わないと伝えてほしい」

「わかりました」

 

 重要な決断だ。それが賢明だろうと城戸は三輪隊に命令を下す。指示を受け、二人は足早に会議室を後にした。

 

 

――――

 

 

「——って訳だ。まだ結論は出てないんだが、一度会議に出てくんねえか?」

 

 医務室に戻った米屋はライに大まかな会議内容を伝え、彼の同意を求める。

 ライは読んでいた本を閉ざし、少し考える仕草の後に二人へ声をかけた。

 

「その前にいくつか聞いてもよろしいですか?」

「おう。何だ?」

「このボーダーという組織についてです。そしてボーダーが戦っている近界民(ネイバー)という存在について」

「ああ、やっぱり気になるか」

 

 質問を聞いた米屋は一度三輪に視線を向け、彼が頷いた事を確認して解説を始める。

 拉致が起きた際はボーダーという組織はなかったし、近界民(ネイバー)という存在も認知されていなかったから仕方がないだろうと詳細に話した。

 この星とは異なる世界にも人やその人々が作った兵器が存在する事。2年前にその一団が攻め寄せ、多くの犠牲者を出した事。侵攻作戦の際、ボーダーが組織として初めて表舞台に登場し、以後この三門市に(ゲート)を誘導して攻撃を防いでいる事。

 大まかな流れを説明すると、ライは満足したのか大きく頷く。

 

「ありがとうございます。本当に想像もつかない程大きな話だったんですね」

 

 その言葉に嘘はなかった。当初ライが想定していたものよりも事態は大きく、そして悪いものだ。

 

(この世界でもまだ争いが起きている。僕が知る機械とはまた別の兵器や敵との戦いが繰り広げられているというのか)

 

 ただの戦争ではない。未知の敵との戦争が繰り広げられている。この世界の仕組みをしったライは心の中である覚悟を決めた。

 

「大丈夫か?」

「ええ。すみません、長々と話させてしまいました。——会議、僕に参加の要請が来ているんですよね。行きましょう。案内お願いします」

「そうか。ならばついてきてくれ」

 

 考え込む彼を心配に思ったのか三輪が声をかける。その声に頷き、ライは立ち上がった。

 問題はないという彼の意思を聞き、三輪を先頭に医務室を後にする。

 

 

――――

 

 

 再び場面は移り、会議室にて。

 

「ようこそ。紅月ライ君、だったな」

「はい」

「私はボーダー最高司令官の城戸だ。君の無事が確認できてよかった。まずは、救出が遅れてしまった事を謝罪する。本当にすまなかった」

 

 名前を確認すると、城戸が椅子から立ち上がり深々と頭を下げた。

 

「いえ、ボーダーが普段から人々を守るために戦っているという話をお二人から聞きました。ですからどうかそのように頭を下げないでください。僕はこうして無事に助かっただけで満足しています」

「そうか。そう言ってもらえるのはありがたい。改めて、よく無事でいてくれた」

 

 ライが穏便に済ませようとふるまう事で下手に話はこじれずにスムーズに進む。城戸は重ねて彼の無事を喜ぶように言葉を紡いだ。

 

「さて、君にとっては戻ってきて早々に申し訳ないのだが。三輪隊の二人から聞いたかもしれないが、我々も君をどのように対応すべきなのか検討している最中だ」

「はい」

「こちらでも調査を進めたが君の家や関係者は見つかっていない。その為以前と同じ生活は難しいだろう」

 

 ここで城戸は間をおいて彼の様子を窺う。だが特に大きな反応がなかった事を確認してさらに話を続けた。

 

「こちらとして君に提案する手は二つある。一つはこちらから仮の住居を用意し、新たな生活を送ってもらう事。もちろん相応の支援を用意させてもらう。そしてもう一つは、君にも三輪隊の隊員のようにこの組織の一員として加わってもらうという事だ」

 

 ライにとってもボーダーにとっても大きな選択を迫る。明確な正解はない難しい話題だ。城戸も、静観を決め込んでいる周囲の者たちもすぐには答えは出ないであろうと考えた。

 

「……質問をしてもよろしいでしょうか?」

「勿論だ」

 

 予想通りすぐに答えるという事には至らず、ライは城戸に質問の許可を求める。了承を得て、ライは疑問を抱いていた事を城戸に投げかけた。

 

「新しい生活の事はわかります。ですがボーダーへの紹介を勧める理由です。隊員とは誰にでもなれるようなものなのですか?」

「いいや。そういう訳ではない。もちろん支援する側に回るのならば基本的に制約はない。だが戦闘員になるとなれば、個人が持つトリオンの量が求められる」

「トリオン?」

 

 聞きなれない単語にライが繰り返し尋ねる。

 

「隊員が使う武器専用のエネルギーと考えてくれればいい。これが多ければ多い程隊員としては有利になる。そして、近界民(ネイバー)からは狙われやすくなる」

「ッ!」

「君を隊員に誘ったのはこれが理由だ。検査の結果、君のトリオン量は常人より多いとわかった。おそらく君が拉致されたのもこれが理由と考えられる。そして、今後もあり得るのではないかと予想された。これが理由だ」

「なるほど。よくわかりました」

 

 自分が組織へ誘われた理由を知り、ライは納得したのだろう。『大丈夫です』と言ってそれ以上尋ねる事はなかった。

 

「すぐに答えを出す必要はない。君もこちらに戻ってきたばかりで思う所もあるだろう。一度この話を」

「いいえ。この場で十分です」

 

 話を持ち帰ってよく考えて欲しい。城戸の言葉は最後まで語られず、ライの返答に遮られる。

 

「僕をボーダーに入隊させてください。支援する者としてではなく、可能ならば戦闘員として」

 

 しかもあくまで自分の意志であると明言して、彼はボーダーの入隊を志願した。

 

「……本当にそれでいいのかね?」

「はい」

「君がどのような選択をしようとも生活に支障は出ないように支援はする。だが、入隊したならば以降は君を一隊員として接する事になるだろう。これを聞いても意志は曲がらないか?」

「問題ありません。条件なんて関係ない。あくまでも僕の意志として入隊を希望します」

 

 城戸の再三の問いかけを受けてもライの決断は揺るがない。問答にすぐに答え、迷いはないと態度で示した。

 

「ふむ。……わかった。ならばその方針でひとまず進めさせてもらおう。今日はこちらで空いている部屋を用意する。そこで過ごしてくれ。後日正式な手続きを進めよう」

「わかりました」

「細かいことは三輪隊が案内するように。何かあれば彼らに尋ねてくれ。三輪隊はしばらく防衛任務は空くようにこちらで調整しておこう。彼を気遣ってやってくれ」

「了解しました」

 

 方針が決まり、城戸はこれから先の事を話すと三輪に後を託し、三人は会議室を去っていく。当事者がいなくなった後、ここまで話に加わらなかった者たちもようやく口を開いた。

 

「驚きましたね。まさかこんなにもあっさりとこちらの提案に乗ってくるとは思いませんでした」

「まあ選択肢があってないようなものでしたからねえ。再び自分が襲われるリスクがあると聞けばこうするしかないでしょう」

「それを考えると少し申し訳ない気持ちになってくるな」

 

 やはりライがこの場でボーダーの要請を飲んだ事が話題に上がる。

 皆今日一日で彼の扱いが決まるとは思ってもいなかった。まさかここまで話が早く進むとは良くも悪くも誤算と言える。

 

「後は三輪達がやってくれるでしょうが……」

「そうだな。先も言ったように、入隊後は彼をあくまでも一隊員として扱うように。特別扱いはなしだ。念のためA級部隊の隊員全員に彼の事は話しておこう」

 

 手続き以外の世話は三輪達が上手くやってくれるだろう。年代も近く見えた。問題はないはず。

 

「勿論、彼が近界民(ネイバー)と何らかのつながりがあるとわかった場合は、適切に処分(・・)する」

 

 ——あとは、彼が入隊してからの行動次第。

 城戸のその言葉を最後に会議は終了を迎えた。

 こうしてライはボーダーとしての生活を送っていく事となる。

 

 そしてライがこの世界にやってきてから早3週間が経過。

 

 

 

「これより入隊式を始めます。新入隊員の方々は第1ホールにお集まりください」

「よし、行こう」

 

 年に三回行われるうちの一つ、1月4日のボーダー隊員入隊式。

 ライはC級隊員に与えられる白い隊服に身を包み、この世界での新たな始まりを迎えようとしていた。




来馬、今の鈴鳴支部二人が入隊する時期です。

ちなみにトリオン量が多いってどのくらい多いのかをさらにわかりやすく他のキャラと比較して説明しますと……
あの射手最強と言われる二宮隊長を倒したと噂が流れている我らがワートリ界主人公・三雲修の4.5倍程です。


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入隊

「私はボーダー本部長の忍田真史だ。君たちの入隊を心より歓迎する」

 

 入隊式も進み、部隊を指揮する忍田本部長の挨拶へ移る。

 直接会話を交わすことはなかったが、先の会議で横目で確認した上層部の一人であることを確認し、ライは軽く会釈した。

 

「君たちは本日よりC級隊員と呼ばれる訓練生として入隊する。今はまだ正規の隊員ではないが、三門市ひいては人類の未来は君たちの双肩に掛かっている。日々鍛錬に励み、正規隊員を目指して欲しい。君たちと共に戦える日を待っている」

 

 そう言って忍田は最後に敬礼し、壇上を後にする。

 この後の説明は忍田から広報担当となっているB級の嵐山隊へと引き継がれた。

 

「本物の嵐山隊だ!」

「テレビ以外で初めて見た!」

「嵐山さーん!」

 

 世間に広く通じている部隊の登場に、C級隊員の間にどよめきが広がる。

 

(なるほど。『正義の味方』という事か)

 

 時に黄色い歓声まであふれる程嵐山隊は人気を誇っていた。この反応を見て、ライは彼らをかつて自身の上司が名乗っていた言葉を思い返し、小さな笑みをこぼす。

 

「さて、それではこれから入隊指導(オリエンテーション)を始めようと思う。君たちの指導を受け持つ事になった嵐山隊の嵐山准だ」

「同じく嵐山隊の柿崎国治」

「嵐山隊、時枝充です」

「佐鳥賢です。よろしく!」

 

 隊員達の顔を一瞥し、嵐山を筆頭に簡潔な自己紹介を行った。

 B級嵐山隊万能手(オールラウンダー) 嵐山准

 B級嵐山隊万能手(オールラウンダー) 柿崎国治

 B級嵐山隊万能手(オールラウンダー) 時枝充

 B級嵐山隊狙撃手(スナイパー) 佐鳥賢

 有名な精鋭隊員が揃っている光景に隊員達は歓喜の声が止まらない。嵐山が大きな咳払いをすることでようやく場は静けさを取り戻した。

 

「まず説明を始めるにあたり、其々希望のポジションごとに分かれてもらう。攻撃手(アタッカー)ならびに銃手(ガンナー)を希望する者はここに残り、狙撃手(スナイパー)を希望する者は佐鳥について専用の訓練場へ移動してくれ」

「はいはーい! 狙撃手(スナイパー)組は俺についてきてねー!」

 

 嵐山の説明に従い、狙撃手(スナイパー)を志望する7人の隊員は手を振る佐鳥の下に集まり、彼の誘導に従ってホールを後にした。

 

「さて、改めて入隊おめでとう。忍田本部長も先ほど仰っていたように君たちはまだ訓練生だ。B級に昇格し、正規の隊員になれなければ防衛任務には就くことが出来ない。そこでどうすれば正隊員になれるかを初めに説明しておこうと思う。各自、自分の左手の甲を見てくれ」

 

 入隊を喜びつつ、嵐山は彼らの現状を客観的に告げる。C級はあくまでも訓練生であり正規の隊員ではない。防衛任務に就く事もないため給料も出ない。

 ゆえにB級への昇格は必須だ。そのためにどうすれば良いのか。嵐山の言葉に従い、全員は己の左手に映し出された数字へと視線を移した。

 

「なにこれ?」

「1000?」

 

 いつの間にか表示されていた謎の数字に皆困惑する。多くの者は標準とされている『1000』という数字が浮かび上がっていた。

 

「君たちが今起動しているトリガーホルダーには、自分で選んだ戦闘用のトリガーが一つだけ入っている。このトリガーをどれだけ上手く使いこなしているかを示している数字が、左手の数字だ。これを『4000』まで上げれば、君たちは晴れてB級へ昇格する事が出来る」

「ほとんどの隊員は1000ポイントからのスタートだ。ただし、仮入隊の間に高い素質を認められた者はあらかじめポイントを上乗せされてスタートする。本部からの即戦力としての期待と受け取って励んでほしい」

 

 嵐山と柿崎が順々に説明する。

 C級隊員は各自で決めた一つのトリガーを磨き続け、基準となる4000ポイントまで達すれば正規隊員になれる。仮入隊時期に力を認められている隊員はそのボーナスポイントとして1000点より加算された数字からのスタートだ。

 わかりやすい基準が目の前にあるという事でやる気が出て来たのか。隊員達は一様に笑みを浮かべていた。

 

「なるほど。明確な目標があるのはありがたい」

 

 ライもそのうちの一人だ。彼は1000よりも高い数字が記録されている光景を目にし、口角を上げた。

 

「ポイントを上げる方法は二つだ。週二回の合同訓練で良い結果を残す事。そしてランク戦でポイントを勝ち取る事だ。初めに訓練の方から体験してもらう。ついて来てくれ」

 

 さらに嵐山は話を続ける。

 現状のポイントを上げる二つの方法、訓練とランク戦の話を上げ、まずは訓練の方を説明しようとC級隊員達の先導となり、歩みを進めた。

 訓練生たちも嵐山の後に続く。

 長い廊下を歩き続け、2分ほど経った頃目的地にたどり着いた。そこには広い観客席とトレーニングルームが広がっている。全員が部屋の中に入室した事を確認して嵐山は説明を再開した。

 

「さあまず皆が訓練するのは対近界民(ネイバー)戦闘訓練だ! 各自仮想戦闘モードの部屋の中、ボーダーが蓄積したデータを下に再現した近界民(ネイバー)と戦ってもらう」

「ええっ!?」

「最初が戦闘訓練だって!?」

「嘘でしょう!?」

 

 入隊直後からの戦闘訓練を行うという宣言に皆肝を冷やす。戦闘訓練なのだからここで戦闘員としての適性を計るのだろう。動揺はあっという間に拡散していった。

 

(入隊直後のサプライズか。こういうのはどこの組織も同じなのかな?)

 

 だが一人だけ。ライは顔色一つ変えず、むしろ昔を懐かしんで微笑んでいる。まだ何人もの相手に銃口を向けられる事に比べれば可愛いものだろう。

 

「仮入隊の間に体験した者は知っているだろうが、仮想戦闘モードではトリオン切れも負傷も起こらない。皆、思う存分力を見せてくれ」

 

 しかも疲労や怪我の心配はないという。怯む要素はどこにもなかった。

 嵐山、柿崎、時枝が慣れた手つきで手元のパネルを操作する。

 直後、無人の部屋にそれぞれ一体の巨大な生物が前触れもなく発生した。

 

「戦う相手は初心者(ビギナー)レベルの相手、大型近界民(ネイバー)だ。訓練用に少し小型化してある。攻撃力はないが装甲が厚いから中々手ごわいぞ。——制限時間は一人五分。倒す時間が早ければ早い程評価は高くなる。自信がある者は是非高得点を狙ってくれ!」

「説明は以上だ。各部屋に分かれて訓練を開始する!」

 

 これで話は終わりだと柿崎は隊員たちに指示を飛ばす。

 等しく人数が分散した後、それぞれの部屋で訓練が開始された。

 攻撃手(アタッカー)用トリガーで積極的に切り込んでいく者。

 銃手(ガンナー)用トリガーで離れた距離から撃ち込む者。

 各々の判断で近界民(ネイバー)を倒そうと奮起するが、装甲が厚く、中々倒す事が出来ない。多くの者はクリアするのに二分以上の時間を要していた。

 

『二号室終了。記録、41秒』

 

 やはり厳しいかと嵐山隊の隊員達が厳しい判断を下す中。

 無機質な合成音声が終了の合図を告げる。

 現時点で最速の時間、一分を切る記録が刻まれた。

 

「よしっ!」

 

 面長で、くせっ毛の明るい髪型が特徴の男性が小さな握りこぶしを作り、叫ぶ。

 彼は他の隊員とは異なり、隊服の両肩に特殊なエンブレムが備わっていた。警戒区域外縁部に6か所存在する支部の一つ、鈴鳴支部所属の隊員、来馬だ。

 鈴鳴支部所属C級隊員、銃手(ガンナー) 来馬辰也 初期ポイント:アステロイド(突撃銃)2900

 

「おっ。一分切る隊員が現れたか」

「なかなかの好タイムですね。鈴鳴支部所属だそうです」

 

 初めての挑戦ならば一分以内にクリアできれば優れていると言える基準となる。ようやく有望な新入隊員が現れたかと柿崎と時枝は揃って呟いた。

 

「現状ではこれが最速記録だな。もう何人か有望株が現れれば面白いんだが」

「柿崎さん」

「ん?」

「次、来ますよ。忍田本部長より連絡があった隊員です」

 

 記録に視線を落としていた柿崎は時枝の報告を受け、次に訓練が始まるであろう一号室へと注意を向ける。 

 そこには攻撃手(アタッカー)用トリガーの一つ、鍔がない日本刀の形状をした弧月を手にライがいた。

 

「小型化されているといってもやはり大きいな」

「一号室用意。——始め!」

 

 小さくなっても大型近界民(ネイバー)。自分の数倍の体格を誇る敵に愚痴をこぼしながら弧月を構える。

 開始の合図と共に巨体が動き出した。

 立ちはだかる獲物を踏みつぶさんと右足を振り上げる。

 早速攻撃を繰り出そうとする敵に、ライも全速力で前進。わずかに身をかがめると一気に駆け出し、近界民(ネイバー)が足を振り下ろした時にはすでに彼の体は消えていた。

 

「まずは足をもらう!」

 

 回避しただけではない。近界民(ネイバー)の下に潜り込むと、後ろ脚へ目掛けて走った。狙いを定め、すれ違いざまに弧月を横一閃に振りぬく。一太刀で右足を切り落とした。

 

「もう一本!」

 

 足を斬られバランスを失った標的に追撃をかける。二歩で今度は逆足との距離を無くすと返す刀で切り上げ、再び刃を振り下ろした。後ろの両足を失った事で近界民(ネイバー)は体の支えを失い、その場に倒れこむ。

 

「これで終わりだ!」 

 

ここが決め時だった。ライは敵の上体に向かって勢いよく跳躍する。狙うは近界民の弱点である、頭部に覆われた眼。一気に頭部へと跳ぶと落下の勢いを力に変え、弧月を突き刺した。

 

「一号室終了。記録十九秒」

「うおっ!」

「十九秒!?」

「今日最速のタイムが出たぞ!」

 

 他の隊員とは比較にならない記録に周囲がざわめく。戦闘開始から終了まで無駄がない、流れるような動きは精鋭と呼ばれる嵐山隊の隊員でさえ目を見張るものがあった。

 

「これは歴代の記録でも最速じゃないか?」

「そうですね。設立当初に入隊した隊員は記録がなかったとはいえ、この記録は凄まじい」

 

 決して過大評価ではない。一瞬指導役を忘れてしまいかねないほどの衝撃を覚えていた。

 

(明らかに戦闘慣れしている動きだ)

 

 それもかなり濃い密度での戦闘を経験したものだろう。クリアまでの速さもそうだが、ライの攻撃目標から時枝は彼の戦闘経験の豊富さを察していた。

 巨体の敵の死角である真下に潜り込み、足を奪う。そしてバランスを失い急所を曝け出した相手を瞬時に撃破した。『確実に倒す』という言葉にすれば簡単だが、実際に成す事は難しい事をあっけなくやってのける。知識だけではなく実体験を積まなければ不可能な動きだった。

 

「なるほど。あれが例の強化人間か、三輪」

「……はい」

「確かに使えそうなやつだ」

 

 その光景を観客席から眺めていた人影が二つ。

 三輪、そして彼と同じA級の隊長を務める風間だ。

 A級風間隊 攻撃手(アタッカー) 風間蒼也

 背丈が小さくどこか幼さの残った顔つきだが、その実大学生であり、ボーダー隊員としても経験豊富な実力者でもある。その彼が近界民(ネイバー)戦闘訓練におけるライの動きを見て、戦力として数えられるとライの価値を認めていた。

 

「あれはお前が鍛えたのか?」

「……確かに俺と米屋が弧月の基本を教えましたが、すでに必要がないレベルに剣術が仕上がっていました。その後は二人で主にトリガー一本で相手をしたりしていましたが、剣だけではなくうちの奈良坂から狙撃の指導も受けています」

「ほう。お前にそこまで言わせるほどか。という事は何らかの武道を嗜んでいた可能性がたかいな。そうでなければいくら体が強かろうと、これほど効率よく動けないだろう」

 

 おそらくは、と三輪も風間の意見に同意を示す。

 彼の言う通りライは入隊までの期間、三輪隊の三輪と米屋から弧月の戦闘訓練を施されていた。A級の戦闘員と対等の条件で一対一を繰り返し、勝率は5割付近をキープするという信じがたい戦績で。

 加えて剣術だけではない。同じく三輪隊に所属する狙撃手からも彼は狙撃の指導も受けていた。指導者曰く『とても素人とは思えない』という評価だ。決して他人を過大評価しない隊員の台詞とあって、ライの実力がどれほど優れているかを適切に評価している。

 

「これは楽しみな隊員が現れたものだ」

 

 風間は身を翻すと出口へと向かっていった。今日は様子見という事だったのだろう。

 

(楽しみ、か)

 

 三輪はもう一度ライを見た。

 訓練を終えた彼は部屋を退出し、興奮する同僚達の注目の的となっている。丁寧な物腰で対応する姿はとても好印象であり、先ほど戦闘の際に放っていた恐ろしい気迫は感じられない。

 

(果たしてあいつは、何が目的で戦おうとしているんだ)

 

 この数週間、おそらくボーダー内では最も多くの時間を彼と過ごした三輪だが、いまだにその本質を読みとる事は出来ていなかった。

 守る事なのか、仇を撃つことなのか。

 

『僕の意志として入隊を希望します』

 

 数週間前のライの発言が思い返される。

 あれは何かに強要されてのものではなかった。選択肢が他にないからと言ったものではなく、自分の考えを貫いてのものだ。

 ならば、その考えは一体なんだ?

 考えても答えは出ない。そしてきっとこれは聞いてよいものでもないだろうと三輪は考えた。自分だって心の中の思いを土足で踏み入ってもらいたくはない。同じ境遇の彼もそうだろうと思うから。

 だから、今は知らないままで良い。

 三輪も風間の後を追って退出していった。

 

 紅月ライ、無事に戦闘訓練を通過。

 C級隊員、攻撃手(アタッカー) 紅月ライ 初期ポイント:弧月3500ポイント



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真価

 時は少し遡る。

 ライがボーダー本部により発見・保護された翌日の事。彼は朝食を基地内の食堂で済ませると、資料室を訪れていた。

 この世界がかつての世界と異なるという事はすでに理解している。故に知識の整合性を取っておくべきだろうと考えたのだ。

 今日が休日という事もあってか朝からそれなりに人が見受けられる。

 邪魔にならないようにと空いている椅子に腰かけ、手に取った数冊の本を机の上に置き、ページを捲り始めた。

 地理や歴史、文化に関する本。様々な種類の本へと手を伸ばしていく。

 

(……驚いたな。ここまで違うのか)

 

 およそ一時間ほどだろうか。

 ある程度読み飛ばした部分もあったものの、おおよその知識をインプットする事ができた。そして想像以上の差異に戸惑いを覚える。

 

(歴史が違う以上、国も異なるのは当然だ。だが星が異なるとなればそこから派生する学問なども変わっていくというものなのか)

 

 先のボーダー隊員との会話で地理・歴史の分野が異なっているというのは知っていた。確認したところ、中世までの流れはほとんど相違はない。近世からの流れが変わり、そしてこの現代に至るというものだった。

 ここまではいい。だが予想外なのはむしろ世間に広く通じる文化の方だ。特に天文に関与するものは大きく異なる。

 

(星座なんて僕が知るものと一つも一致していない。最低でも自分の物だけは即答できるように覚えておかないと)

 

 誕生日ごとに決まる星座などは完全に別次元だ。知っているはずの名称が一つもない。やはり星が異なると見えるものも変わってしまうものなのだろう。会話で困らない様、最低限の物だけはすぐに受け答えられるようにしておこうともう一度本の項目へと視線を落とす。

 

(『はやぶさ座』、か)

 

 ライの誕生日は3月27日。当てはまるのは偶然にも表の一番最初に記載されていたはやぶさ座だった。地球上最速の生物と知られる鳥類。これも何か意味があるのだろうか、とそんな事あるはずもないのにどこか可笑しく思えて——

 突如、誰かがトントンと軽く右肩を叩く。

 

「よっ。何を読んでんだ?」

 

 そちらを向くと、昨日会ったばかりの米屋の姿があった。

 

「米屋さん」

「陽介でいいって。昨夜はちゃんと寝れたか?」

「ええ。ありがとうございます」

 

 現在ライには本部内の空いていた作戦室の一室を居住区として与えられている。

 本来近界民(ネイバー)に住宅等を破壊された者には警戒区域外に家を与えられる場合が多いのだが、こちらの方がすぐに用意する事が出来た事、そして拉致被害者という事でボーダー本部に滞在してもらいたい、という組織の意向が反映された。

 当然ながらあくまでも一時的な処置であり、準備ができたならばきちんとした場所に移り住んでもらう。――という予定を上層部は立てている。より詳しく言えば立てていた。

 

『いえ。可能ならば、このままここに住まわせてもらえませんか?』

 

 だが部屋を貸し与えた際、ライがこの部屋を貸してもらえるならばここが望ましいと返答した為にその計画は中断されている。

 隊員はB級に昇格できれば隊を組む事が可能になり、隊毎に作戦室を与えられるというシステムだ。故に彼が無事に正規隊員になれば確かに彼が言う通りそのまま部屋を貸し出す事ができる。

 その為彼がB級になれそうならば要望に応え、もしも厳しいと現場の判断が下ったならば元々の方針通り警戒区域外に用意する居宅に移り住んでもらうという方針に落ち着いたのだ。

 

「そいつは良かった。慣れない場所だし色々足りないものもあるだろうが、もし何かあったら相談してくれ。俺達はA級っていうそれなりに都合が付く部隊なんだ。できる限り融通を利かせるぜ」

「それは助かります。よろしくお願いします」

「……あー。なんか固いな。敬語とかいらないぜ? 多分歳も近いだろ?」

 

 むしろ自分よりも年上ではないのか、と米屋は首をひねる。

 ライは容姿が良かった。どこか幼さが残るような顔立ちだが、澄んだ銀色の髪に海のようにきれいな蒼い瞳。少し線が細く見えるがひょろっとしているわけではない。背丈も170台中盤はあるだろう。女性から好かれそうな外見の彼は落ち着いた佇まいもあって余計に大人っぽく映った。

 

「多分そうですね。確か僕は16歳だったと思います」

「——やべ」

 

 やっぱりかと米屋は苦笑する。予想通りだった。米屋は15歳。彼の一つ下の年齢にあたる。

 

「悪い。いや、すみません。俺の方が年下でした。俺15歳で一個年下です」

「そんな、助けてもらったのに畏まられては申し訳ないです。よければ今までのように接してください」

「そっか? そいつは助かる。実は秀次——ああ、この前俺と一緒にいた隊長な? あいつも俺と同い年なんだ。多分あいつも知らないだろうから許してやってくれるか?」

「勿論です」

「ありがとよ。……ただ、それならそっちもタメ口でいいぜ? というかその方が俺にとってもありがたい」

 

 さすがに年上の相手だけが敬語使って会話するというのは世間的にもどうかと思うし。

 助けてもらった相手のもっともな台詞にライも少し思い悩んだ。

 

「そう――だね。うん。それじゃあ改めてよろしく、陽介」

「おう!」

 

 だがその方が距離も縮むだろう。ボーダーへの入隊を果たせたら同僚にも当たるのだから今のうちに仲良くなっておきたかった。

 喜んで米屋の提案に頷き改めて握手を交わす。

 

「で、結局何を読んでいたんだ?」

「少し知識の整理をしようと色んな本を読んでいたんだ。何か知らない事とかも増えたんじゃないかと思ってね」

「おお、なるほど」

「でも一通り読み終わったところだよ。そろそろ部屋に戻って体を動かそうかな」

 

 当初の話題へと会話が戻った。

 相手はしばらくこちらの世界にいなかったのだ。無理もないだろうと米屋も深く聞こうとはしなかった。

 もうこれ以上用事はない。部屋に戻ろうとライが本を片付け始める。

 

「……なあ、ちょっと良いか?」

 

 そんな彼に米屋は一つ提案した。

 

 

――――

 

 

「一体どこに行ったんだ?」

 

 三輪は一人、本部内の廊下を彷徨っていた。

 時刻はもうすぐ十二時になろうとしている。多くの隊員の行き来が激しくなる中、彼はある人物を探していた。

 

(もう少しボーダー本部の説明をしておこうと思ったんだが、誰かに聞いたのだろうか?)

 

 探している相手はライだ。

 昨日はあまり時間がなく、ボーダーという組織やその本部施設の説明は不十分なまま終わってしまった。

 その為今日改めて説明しようと思ったのだが、すでに彼の姿は部屋になく、施設の履歴を見ても彼が本部を出た記録は見られない。

 本部内にいるのは間違いないのだが、ラウンジや食堂、訓練室といった主な部屋を探しても彼を発見することは出来なかった。

 

(誰かがついているというのならそれで良いが……)

 

 もしもそうでないのならば、と暗い考えが過ぎってしまう。

 昨日の会話で三輪は彼に親近感を覚えていた。彼もかつて近界民(ネイバー)の侵攻により大切な身内を失っている。その為母と妹を弔ったというライの話を聞いた時には強い衝撃を覚えた。

 数年ぶりの、勝手の知らない、知人もいない建物。孤独を感じるのは当然だ。だから話し相手にでもなれれば、と考えていたのだが、一体どこにいるというのか。

 

「まだ探していないのは……資料室か」

 

 残っている設備の中、彼がいそうな場所に検討をつける。

 数年ぶりに戻ってきたのだから情報の確認をしたいはず。そう思い至った三輪は資料室へと歩を進めた。

 そして歩くこと数分。目的の場所へとたどり着く。

 歩きながら視線を漂わせ、特徴的な銀髪を探して——。

 

「はっ?」

 

 発見。集団で相談もできるようにともうけられた個室の一つに彼の姿を捉える。発見したのだが、彼以外に存在する予想外の人影に三輪は目を丸くした。

 

「……何を、しているんですか?」

 

 扉を開けた三輪が室内の面々に短く尋ねる。

 

「おっ。秀次!」

「こんにちは」

 

 米屋とライが真っ先に三輪の入室に気づいた。この二人はわかる。もしも誰かが付いているならば彼だろうと想像もしていた。

 

「おう、三輪じゃねーか」

「なんだ。お前も勉強でもしにきたのか?」

「違います」

 

 だが、この二人は別だ。呆れを含んだ口調で三輪は否定する。

 一緒にいたのは彼と同じA級に所属する隊員の当真と太刀川だった。

 A級冬島隊 狙撃手(スナイパー) 当真勇

 A級太刀川隊隊長 攻撃手(アタッカー) 太刀川慶

 精鋭部隊の隊員、しかも狙撃手(スナイパー)界最強と攻撃手(アタッカー)界最強と呼ばれる二人である。

 その二人に米屋を加えた三人が、なぜかライと向かい合うような形で座り、勉強道具を開いている光景が理解できなかった。

 

「俺は紅月にもう少し説明しておこうかと探していたんです。……お二人にも通知が出て知っているでしょう? 彼は昨日帰還したばかりの拉致被害者です」

 

 そう。A級部隊の隊員達には非番の者も含め、彼の情報が顔写真付きで連絡が回っている。だからその事情を知らないはずがない。

 

「その相手に、まさか勉強の指導をさせていた、という状況ですか?」

 

 糾弾のような問いが三人を襲う。

 

「違うんだ三輪!」

 

 真っ先に反論したのは太刀川だった。何が違うんですか、と三輪が視線で訴える。

 

「こいつ、俺より頭が良いんだ!」

 

 とても強い叫びだった。

 何故この人はこれ程自信満々に自分の不出来をアピールできるのだろう。やはりこの人は苦手だ、と三輪が頭を抱える。

 

「おいおい。人聞きが悪いぜ三輪。俺は紅月の知識がおかしくなってないか確認してただけだぜ? その内容が偶々高校の宿題だったってだけだ」

 

 当真がさも正論のように語るが、結局宿題を片付けようとしていただけにしか聞こえなかった。

 このままでは埒があかない。最後の容疑者であるチームメイトに視線を向ける。

 

「……いやー。ライが頭良さそうだったし、最初は俺がちょっと受験勉強を手伝ってもらってただけだったんだぜ? 本当に教え方も良くて、そうしたら二人でやってるところに当真さんがやってきて。で、さらに風間さんから逃げて来た太刀川さんが合流して個室使おうって事に」

 

 いつの間にかライを名前呼びになっていた米屋が全てを語った。

 やはり高校受験を控える米屋、宿題を抱える当真、大学受験の勉強を風間に教わっていた(しかし厳しすぎる指導に耐えかねた)太刀川が集結し、ライに助けを求めたのだろう。

 

「こいつ滅茶苦茶要領よかったぜ? 資料探しとかもどこにあるのかとかすぐに見つけて来る」

「ありがとうございます」

 

 そう語る当真に笑みを浮かべるライ。そこは別に礼を言う所ではない、と三輪が心の中で突っ込む。そもそもあなたの方がボーダー暦長いだろう。

 

「……ひょっとして紅月が俺の姿のトリオン体に変身して大学受験すれば絶対合格できるんじゃないか?」

 

 そんな目的でトリガーを使うな。

 後で風間さんと忍田本部長に報告しようと三輪は堅く決意した。

 

「そんな事も出来るんですか!? なるほど。さすが最強のボーダー隊員。想像出来ない事を思いつきますね」

「おお。そう思うか?」

「ちょっと待て! 話を本気で受け取るな!」

 

 本気で信じているような素振りのライと本気で照れている太刀川を諌める。

 個人総合一位の言葉だからなのか、それとも彼の性格なのか。想像できない事ではなく想像してはいけない事だと厳しく諭した。

 

「まあまあ。俺達も悪かったけどよ。——ただ、秀次。気づいているか? お前も結構悪い事してるんだぜ?」

「何の事だ?」

「ライなんだけどさ。俺達より一つ年上だぜ?」

「何っ!?」

 

 米屋の指摘に三輪が驚愕する。

 確かに第一印象で大人びた人物だと思ってはいたが、顔つきから同年齢くらいかと考えていた。

 現在も含め、明らかに同年齢あるいは年下に対する話言葉だった。三輪の表情が青ざめる。その為、これが米屋の意識をそらす意図が含まれていた事は気づけなかった。

 

「うん。でも陽介に話した通り変わらず接してほしい。今さら変えるのも大変だと思うし」

「……そうか?」

「むしろ、僕の方こそこんな形で大丈夫かな?」

 

 尋ね返された事でようやく三輪はライの口調が自然体である事に気づく。

 昨日は明らかに『救助してもらった隊員』に対しての言葉遣いだったが、今は大分親しみやすくなっていた。これがおそらく元来の彼なのだろう。

 

「……ああ。そちらがそう望むのならば構わない」

「そっか。ありがとう。よろしくね、三輪」

 

 そう言ってライが屈託ない笑みを浮かべた。おそらく三輪は出来ないであろう表情だ。その笑顔が少しまぶしく映った。

 

「んで? 説明をするって言ったか? なら俺達の方も一区切りついたし、飯食ってからにしようぜ」

「そーだな。紅月もそれでいいか?」

「世話になったし飯くらい奢るぞ。——良ければ今後も少し、良いか?」

 

 時間を見て米屋が提案する。

 もう12時を回ろうとしていた。それが良いだろうと当真と太刀川が片づけを始める。

 どさぐさに紛れて太刀川がライに小さな声で頼み込むと、彼は快く応じて。

 

「ええ。ただ、僕の方からも少しよろしいでしょうか?」

 

 彼の方からも一つ依頼を提示した。

 

 

――――

 

 

 

 午後4時。

 5人が食堂で昼食を済ませ、二時間ほどの勉強を行った。ここで当真と太刀川が防衛任務という事で席を外した為、3人は三輪隊の作戦室に戻り、三十分程ボーダーやトリガーの説明をライに行う。

 

「——行くぜ」

「もう一本!」

 

 そしてその後はひたすらライが米屋と三輪と代わる代わる切り結んでいた。

 米屋が槍の形状をした弧月をライに向かって突き刺す。

 一度ならず二度、三度と連続突き。素早い槍捌きに対し、ライは刀の弧月で最初の一撃を受けると、二撃目を上体をずらす事でかわし、三撃目は弧月で逸らし、衝撃を流して往なした。

 

「チッ」

「もらった!」

「おっと!」

 

 態勢を崩す敵へ剣を横なぎに振るう。米屋もこれを両手に持った槍で受け止め、はじき返した。

 

「甘ぇよ!」

 

 わずかに仰け反ったライに米屋が突撃する。トリオン体の勢いは凄まじいものだった。一瞬で距離を詰めて槍を突き出した。

 

「ッ!」

「何っ!」

 

 攻撃を仕掛けた米屋が、様子を見ていた三輪が衝撃に目を見開く。

 突然の強襲をライは槍を脇に挟み込むように受け止め、攻撃をかわしていたのだ。

 

「ここだ」

「ぐっ」

『米屋ダウン』

 

 身動きが取れない相手にライは剣を突き刺した。

 機械音がこの一本の終了を告げる。ライの勝利が確定した。

 

「マジかー。これは強ぇ。冗談抜きでA級隊員相当の腕だ」

「ありがとう。もう一本、行けるかい?」

「ああ。ただ、さすがに負け越しはするつもりねえぜ。続けるぞ!」

「望むところさ!」

 

 他愛ない会話の後、勝負が再開される。

 米屋の語る言葉は本心だ。文字通り、ライの実力が精鋭部隊に匹敵すると彼は感じ取っていた。

 

「驚いたわね。米屋君たちと互角に渡り合うなんて思ってもなかったわ」

「ええ。少しトリガーの使い方と基本的な動きを教えただけなのに、あそこまで動けるとは」

「元からの素質もあったのでしょうね」

 

 モニターを操作している月見の言葉に三輪が頷く。

 ライの提案とはトリガーを使った訓練に付き合ってほしいというものだった。

 これから先入隊するのだからトリガーに慣れておく事は重要だ。二人は二つ返事で了承していたのだが、彼の動きには目を見張るものがある。

 

(身体強化だけでは説明がつかない。戦闘慣れした動き。特に反射神経が異常な程優れている。無駄のない最小限の動きで攻撃をかわしている)

 

 鬼怒田はライの身体が強化されていると説明していたが、明らかに彼自身が戦闘経験をつんでいるように見受けられた。そうでなければいきなり米屋の槍捌きに対応する事は不可能だ。

 

(こいつは、本物だ!)

 

 交互に白星を取り合う二人の戦い。三輪はいつの間にか彼らの戦いに目を奪われていた。

 

 

————

 

 

「……驚いた。古寺、ひょっとしたらお前の居場所がなくなるかもしれないぞ」

「冗談でもそんな事を言わないでください!」

 

 真面目な表情からの衝撃発言に、古寺は涙交じりで奈良坂に訴えた。

 A級三輪隊 狙撃手(スナイパー)奈良坂透

 C級隊員 狙撃手(スナイパー)古寺章平

 奈良坂は三輪隊の隊員であり、古寺は彼の弟子にあたる。近い将来、古寺が無事にB級に昇格出来れば三輪隊に加入する予定だった。

 だが、新たに弟子となった男の腕があまりにも規格外である為に、その話は頓挫するかもしれない。自分でもそれを感じ取ったため、古寺は必死な様子だった。

 

「大丈夫だよ。僕だってそんな申し訳ない事するつもりはないから」

 

 的のど真ん中を射貫いたライは穏やかな声色で古寺に告げる。

 狙撃手(スナイパー)の話を聞いたライが三輪を介して奈良坂に指導を懇願したのだが、彼はこちらの分野でもその才能を発揮していた。

 

「紅月さん……」

「もったいない。お前が望めば引く手あまただろうに」

「奈良坂先輩!?」

 

 本人が退いてくれたというのに、肝心の師匠が歓迎ムードの様子な為、古寺の感情は右往左往する。それほどライの腕は貴重だった。

 

「ありがとう。でも、僕はまだボーダーの事を良く知らない。だからあまり一つの事に捉われず、もっと多くの事を知りたいんだ」

 

 そう言ってライは銃口を下ろす。

 まだ入隊したわけでもない。あまりにも未知のものが多すぎる状況だ。

 だからそう簡単に自分の選択の幅を狭めたくはない。安定した道であるというのは理解できるが、もう少しこの世界を知り、後悔しない選択をしたいと考えていた。

 

「そうか。だが教える事自体はやぶさかではない。陽介達との訓練に飽きて狙撃手(スナイパー)の訓練もしたくなったら声をかけてくれ。狙撃以外でも教える事はあるからな」

「ありがとう。それなら今後もよろしく、師匠」

「ああ。こちらこそ」

 

 そういう事なら本人の意思を尊重しようと、奈良坂は今後の支援を約束し、二人は握手を交わす。

 こうしてライは三輪・米屋の二人から剣術を学び、奈良坂から狙撃の腕と狙撃手の動きを教わった。

 時に米屋達からの要請により、彼らに勉学を教える事もあったが。ライは入隊式まで精鋭部隊の者たちと多くの時間を過ごし、その力を示すのだった。



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進路

 訓練生であるC級隊員は週に二回開催される合同訓練への参加が認められている。

 訓練は4種類あり、其々の訓練の結果に応じて個人(ソロ)ポイントを与えられるため、学校などの用事がなければ是非とも参加しておきたいものだ。

 入隊式の日に行われた戦闘訓練の他、地形踏破訓練、隠密行動訓練、探知追跡訓練が用意されている。

 どれも防衛任務において欠かせない訓練だ。

 皆正規隊員の指示の下、訓練に参加していく。そんな中、ライはこの訓練でも非凡な成績を収めていた。

 

 戦闘訓練。複数の近界民(ネイバー)との戦闘を行う。敵の種類や数は変われど内容は初回のものと変わらない為、前回好タイムを収めた者が優秀な成績を収めた。

 一位 紅月、二十点

 五位 来馬、二十点

 

 地形踏破訓練。ダッシュや跳躍など機動力を活かし、仮想フィールドである住宅地の素早い移動を行う訓練。高低差が激しい建物が乱立する住宅地を移動し、素早く目的地へ到達する。

 一位 紅月、二十点

 四位 来馬、十七点

 

 隠密行動訓練。同じく仮想フィールドとなる市街地での隠密行動を行う訓練。小型近界民(ネイバー)が徘徊する街を駆け抜けて目的地へ到達する。

 一位 紅月、二十点。

 六位 来馬、十八点

 

 探知追跡訓練。仮想フィールドの森林でレーダーを使い行う訓練。ターゲットとなる近界民(ネイバー)に気づかれることなく発見、追跡を行う。

 一位 紅月、二十点

 四位 来馬、十八点

 

 ライはその日実施されたすべての項目で満点を収めて訓練を終えた。

 訓練を終えてトレーニングルームを後にすると、彼はC級ランク戦ロビーへと向かう。

 フロア二つ分という広い空間は訓練生が個人(ソロ)ランクを行うために設けられた設備であり、ロビーにはソファなどの休憩スペースも用意されていた。

 

「ふうっ」

 

 ロビーに移動すると自販機からペットボトルの水を一本購入し水を含む。トリオン体とはいえ水分補給などが不要になったわけではない。乾いた喉を潤わせ、一息ついた。

 

「お疲れ様。凄いね。満点を取るなんてビックリしたよ」

「ありがとうございます、来馬先輩。多少三輪隊の隊員から鍛えてもらいましたので。彼らの指導の賜物ですよ」

「三輪隊ってA級の!? なるほど。それであれだけ動けていたんだ」

 

 同じく飲み物を手にして隣に腰かけたのは、彼と同期入隊を果たした来馬だ。

 入隊した日に軽く自己紹介をしていたのですでに面識はあった。彼にはボーダー内に知人がいると伝えていたが、その知人が精鋭部隊の隊員と聞いて納得して頷く。

 

「そういう来馬さんも受験勉強で忙しい中、あれだけ動けるのだからすごいと思います」

「あはは。受験は勿論大変だけど、身体を動かしたいって気分があるからね。支部の方でもたまに訓練の練習をしたりしていると結構良い気分転換になるんだ」

「へえ。支部の方でもできるように設備が整っているんですね」

「そうなんだよ。紅月君も良ければ今度見学に来るかい?」

「ええ。——来馬先輩たちの受験が終わって落ち着いたら、伺おうと思います」

「是非とも。歓迎するよ」

 

 穏やかな口調で話す二人。ライもそうだが、来馬は彼以上に温和な人物だ。行動の一つ一つに育ちの良さが現れており、彼の人柄の良さが窺えた。

 来馬のような人が同期で本当に良かったとライは思う。彼のような存在がいればボーダーの中でも上手くやっていけそうだと実感できた。

 

「そういえば、鈴鳴支部はオペレーターの方も一緒に入隊したんでしたっけ?」

「うん。今ちゃんって言ってね。中央オペレーターとして仕事しているよ」

「それじゃあ彼女と一緒にチームを組む予定なんですか?」

「勿論。彼女と、あと二人次の入隊式で入る予定の隊員がいるんだ。この四人でチームを組むつもりだ」

 

 話題は来馬のチームメイトの話に。本部所属とは異なる鈴鳴支部所属の来馬だが、今期は彼を含め二人の隊員が入隊を果たした。さらにもうすぐ二人の隊員も加わり、4人でチームを組むのだと来馬は語る。

 

「ならば来馬先輩は先にB級で待っておきたいですね」

 

 そう言ってライが笑うと、同意を示すように来馬も笑った。

 確かに後輩が来る前に正規隊員となり彼らと部隊を組む時を待ちたい。ライは知らない事だが、来馬は二人の中でも特に一人の後輩はすぐに頭角を現すだろうと確信を持っていた。

 だから彼の足を引っ張らないようにせめて正規隊員になっておきたい。来馬の気持ちが一層強まった。

 

「さて、この後はどうするんだい? 僕は今ちゃんと合流する予定だけど……」

「僕は用事までもう少しあるので、それまで個人(ソロ)ランク戦をして時間をつぶそうと思います」

「そうかい? それじゃあまたね」

「ええ。また訓練の時に」

 

 飲み物を飲み終えると、二人は各々の次の行動に移る為にその場で別れる。

 

「さて、行こうかな」

 

 一応時計を見て時間を確認した。

 まだ充分余裕はある。一戦といわず二、三戦は出来るだろう。

 B級に昇進できれば防衛任務にも参加が可能になり、近界民(ネイバー)討伐の報酬として給料も支給される様になる。あまりお金のことは考えたくはないが、ボーダーからの支援にいつまでも甘えていられない。できるだけ早く昇進しようと自分に喝を入れて、ランク戦を行うべくブースに向かう。

 

「あーっ!!」

「うん?」

 

 その道中、突如横から大声が響いた。

 何かあったのだろうかとそちらに視線を移すと、白い髪の少年がライの方を見ながら指差している。白い隊服を着ているのでおそらく同じC級隊員だろう。

 

「いた! いたぞ!」

「さっき訓練でトップだった人ですよね!?」

「……ああ、そうだけど」

 

 一緒にいた同い年くらいの黒髪の少年と共に詰め寄ってくる。

 訓練の話題を振られ、ライはようやく理解した。言われてみれば、先ほど合同訓練で見かけた顔である。

 

「俺は小荒井! 同じC級隊員っす!」

「同じく奥寺です」

「そうか。僕は紅月、よろしく」

 

 名乗りに応じ、ライも短く名を告げた。

 C級隊員 小荒井登 個人(ソロ)ポイント 弧月:3758

 C級隊員 奥寺常幸 個人(ソロ)ポイント 弧月:3722

 二人は名前を聞くと、目を輝かせてライを問い詰める。

 

「今まで訓練とかいなかったっすよね!? スカウトっすか!?」

「誰か師匠とかいるんですか? 訓練の動きがすごかったです!」

「とりあえず落ち着いて。合同訓練は今日が初めてだよ。この前入隊したばかりだから。そしてスカウト組ではない。師匠は、何度か三輪隊の隊員に相手をしてもらったな」

「三輪隊!?」

「あのA級の!?」

 

 説明すれば先ほどの来馬と同じような反応が返ってきた。

 本当に彼らから教えてもらってよかったとライは心底思う。精鋭部隊の名前を出せば皆それで納得してあまり深くは聞いてこない。経歴をあまり話せないライにとって彼らが持つイメージは非常にありがたいものだった。

 

「なるほど。そういう事ならあの動きも納得ですね」

「——あの。お願いがあるんですけど。俺らとランク戦しませんか!?」

 

 だが話はまだ終わらない。理解した二人はライに勝負を持ち掛けた。

 入隊した時期は自分たちの方が上なのだから自信があるのだろう。同時に先ほど訓練では及ばなかった為にそのリベンジを兼ねているのかもしれない。

 いずれにせよライも個人戦を行おうとしていたのだ。断る理由はどこにもない。

 

「勿論、いいよ。今からでいいかい?」

『はい!』

 

 ライが了承すると、二人は揃って返答した。

 

 

――――

 

 

 

 

「あッ!」

 

 左胸を一突きされた小荒井は衝撃に目を見開く。

 ライ対小荒井。【五本先取勝負】

 ライ  〇〇〇〇〇 5

 小荒井 ××××× 0

 

「なっ!?」

 

 刀を振り下ろそうとした瞬間、空いた胴体を横一閃に切り落とされ、奥寺は離脱した。

 ライ対奥寺。【五本先取勝負】

 ライ 〇〇〇〇〇 5

 奥寺 ××××× 0

 二人との戦いで一本も失う事なくライが勝利を収める。

 

「マジかー!」

「……強すぎる!」

 

 どちらも幾度となく個人(ソロ)ランク戦を積んで、B級昇格も近い隊員。そこらの訓練生には負けないという自負があったため、この結果は信じがたいものだった。

 だがあまりにも圧倒的だったためか不思議と悔しさよりも相手の強さに対する尊敬のような感情が浮かぶ。このような事、訓練生としての戦いの中では初めての事だった。

 

「まだ君たちは中学生くらいだろう? まだまだこれからだよ」

「そうは言っても俺達の方が先に入ったのに!」

「いつか必ず一本とってみせます!」

 

 個人(ソロ)ランク戦を終えた三人がブースを出て会話を交わす。

 ライが言う通り二人はまだ中学生だ。これからが伸び盛りと言える。しかしこの頃は負けん気も強いというもの。きっと次は勝って見せるとリベンジを誓った。

 

「あの、すみません」

「ん?」

「笹森と言います。俺とも一戦お願いできませんか?」

 

 すると、さらに別のC級隊員がライへと声をかける。

 ソバカスとツンツンした黒髪が特徴の隊員、笹森だった。

 C級隊員 笹森日佐人 個人(ソロ)ポイント 弧月:3691

 先ほどのランク戦の様子を見ていたようだが、それに動じず自分の腕を試したい様子だ。

 

「……わかった。受けてたとう」

「お願いします!」

 

 まだ一戦くらいならば問題ないだろうとライはその挑戦を受け入れた。

 再びブースに戻り戦いが始まる。

 

「――ッ!」

 

 横からの斬撃がいなされ、返す刀の反撃が笹森の胴体を切り裂いた。

 ライ対笹森。【五本先取勝負】

 ライ 〇〇〇〇〇 5

 笹森 ××××× 0

 今回も危なげなく勝利を収める。

 

「……ありがとうございました」

「こちらこそ。ランク戦は初めてだったから助かったよ」

「ええっ!? ランク戦初!?」

 

 勝負を終え、笹森は頭を下げながら礼を言った。自分の実力を計れたのだろうか、わずかに悔しさがにじみ出ている。

 笹森の肩を叩くライ。

 彼が初のランク戦に挑戦したという話を聞き、小荒井たちは再び驚かされた。

 

「でも悔しいなー。3人もやって一本も取れないなんて」

「よかったらもう一回やりませんか?」

 

 まだ心残りがあるのだろう。奥寺が再戦の可否を問う。

 

「嬉しい誘いだけど……ごめん。この後用事があるんだ」

 

 だが、時計を見たライは彼らの誘いを断った。

 気づけば予定の時間まであと10分ほどとなっている。さすがに遅刻するわけにはいかない。

 3人にまた機会があればと断りを入れて、ライはその場を後にした。

 

 

――――

 

 

「やあ。こうして話すのは初めてかな、紅月君」

「はい。初めまして忍田本部長。紅月ライです」

「まあ座ってくれ。楽にしてもらっていい」

「失礼します」

 

 部屋に入ったライは許可を得て椅子に腰かける。

 彼の用事の相手とは本部長の忍田だった。先の会議でその姿を確認した上に、加えて三輪達から話も聞いている。資料にも目を通していたので存在は知っていた。だが会話をするのはこれが初めてだ。

 

「順調に隊員としての生活を送っているようで何よりだ。少し安心したよ」

「ありがとうございます」

「嵐山隊長達からも話を聞いている。随分と優秀な成績のようだね。それに――どうやら太刀川たちが余計な世話になったようだ。これに関しては謝罪させてもらう」

「いえいえ。気にしていません。むしろ様々な形で交流が出来てよかったと思っています」

 

 間違いなく勉学の事だろう。報告したのは三輪だろうか。

 訓練の事に加えて隊員達との交流の事。あらゆる報告が届いているがどれも良い話題ばかりだ。むしろ他の隊員に悪い印象を抱くほどに。

 相変わらず波風立てないような返答はありがたかった。

 

「それで、わざわざ本部長が直々に僕に話したい事があるとはどういったご用件でしょうか?」

 

 長々と世間話をする必要はないとライが単刀直入に問う。まさかこんな会話をする為に本部長が一隊員を呼び出すとは考えられなかった。

 

「……うむ。時期はもう一月。ボーダーは学生が多く、高校受験や大学受験を控えているものが多い。そうでなくても新学年に向けて準備しているものばかりだ」

「はい」

「そこで、君も学校に通うつもりはないか? 本来紅月君くらいの年齢ならば高校へ通うのが普通だろう。もしも君が望むのならば転校や受験の手続きをこちらで手伝いたいと考えている」

 

 忍田が彼を呼んだ理由。それはライに学校へ通う事を提示する為だった。確かにライは16歳。高校に通うのが普通である。

 丁度他の隊員達も新しい学年、高校へと備えている時期だ。環境を新たにするという意味で都合が良かった。

 だからこれを機にライも他の隊員同様に高校に所属してみてはどうかと忍田は提案した。

 

「ありがとうございます。そこまで僕の事を考えてくれた事、嬉しく思います」

「では……」

「ですが、申し訳ございません。――お断りします」

 

 だが、ライは忍田の話をその場で拒絶した。



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唯一無二

「……いいのか? 別にこちらとしては学生には学業を優先してもらって構わないという方針だ。学費の点を気にしているのならばこちらから支援させてもらう。それについては君が心配する必要はないぞ」

 

 高校への進学を断られるとは思ってもいなかった。

 忍田が言う通りボーダーに所属する多くの隊員は学生だ。彼らは基本的に学業を優先しながら防衛任務についている。学校に通う際に生じる費用も支援金として準備するため彼が通学に関して障害に思うものはないはずなのだが。説明を受けてもライは首を縦に振らなかった。

 

「その提案は確かに魅力的です。おそらく本心で仰ってくれているのでしょう」

 

 ですが、とライはそこで言葉を区切る。

 

「あくまでもそれは忍田さん一個人の意見(・・・・・・・・・・)であり、本部長やボーダー本部上層部からの提示ではないはずです」

「それは……」

 

 彼はこの誘いがボーダーの総意ではなく、あくまでも一人の意思であり、上層部全員が望んでいるというわけではないと考えていた。ライの指摘に忍田は強く言い返せずに言葉に詰まる。それが何よりも明白な答えとなった。

 

「僕は招かれざる客ですから。故意の有無は関係なく、僕という存在が外部に広がってしまうリスクがある選択は、避けるべきでしょう」

 

 そう語ったライは一礼して挨拶を済ませるとその場を後にする。

 この話題について自分がこれ以上話す事はないという彼の意思表示だった。 

 

 

————

 

 

 同日、夕方に行われた会議でこのライの議題が上げられる。

 

「——驚きました。まさか断るとは想定外です」

「ええ。ですがこちらにとってはありがたいもの。B級に昇格すれば必ず名前はネットに上がりますからねえ」

「嫌でもボーダーの話題には入ってくることになる。彼が話してしまう可能性もある。加えてたとえ彼が口を滑らせずとも、他の者が打ち明けてしまう可能性だってある。その点は我々ではコントロールできないという事を考えれば、確かに根付さんが言う通りボーダーにとってはありがたい」

 

 驚きこそあったものの、彼がこの提案を断ったという事は彼ら上層部にとっては朗報だ。

 ボーダー隊員はB級以上の者は全員の名前が広報サイトに記載される。少し調べれば誰でもわかる事だ。クラスメイトにボーダー隊員がいればすぐに判明する事だろう。

 故にもしもそこから彼がボーダー所属だと判明し、彼の話題になり、どこからか彼の出自が明らかになれば。混乱が広がる事は火を見るよりも明らかだ。それは非常に避けたい事だった。もしもメディアに嗅ぎ付けられれば大問題に発展しかねない。

 

「そうでなくても現在の三門市は流出する人こそ多いものの、新たに入ってくる人は少ない。知らぬ同級生がボーダー隊員となれば必ず注目が集まります。可能性はさらに高いでしょう」

 

 さらに唐沢が危険性について補足する。

 三門市はかつての大侵攻以降、新たに移り住む人は少なかった。今も残っている人の多くは元から三門市に住んでいた人を除けば侵攻時に現れた防衛隊員あるいはメディア関連の者ばかり。

 そんな中にライが現れれば必ず注目される。彼はその容姿の観点から見ても他人の視線を集めがちだ。高校内でも変わらないだろう。

 防衛隊員といっても彼らもまだ学生である。誰かが気が緩んで冗談半分で話してしまう可能性は捨てきれない。

 

「——いずれにせよ彼が望んでいないというのならば仕方があるまい。こちらは最大限の支援を提示した。これだけは間違いないのだから。この話はここまでとしよう」

 

 城戸の発言で締めくくられ、ライの議題はここで終わりとなった。

 これ以上彼について意見が逆転されても困る。『ボーダーからの提案は間違いなく行われた。その提案を断ったのは彼の方である』という事実が確定した為に何も問題はなかった。たとえ後に彼の情報が公になってもボーダーが責め立てられる理由が一つ減るのだから。

 

(『招かれざる客』とはよく言ったものだ。彼には驚かされる。忍田本部長から突然の誘いであったというのに、即座に俯瞰的な答えを示した)

 

 そんな中、唐沢は一人ライの人物像を考えて一連の考えに感心する。

 まだ16歳の少年が年齢も階級も上の人間からの誘いを迷いなく断った。前情報がなく考える時間もない上に自分にとって悪くない話であるというのに、だ。所属する組織の事情、世間体を考慮して判断を下す。とても普通の少年とは思えなかった。

 

(それだけに惜しいな。実に——惜しい)

 

 もしも世間に出れば頭角を示すだろう逸材と考えられる。

 彼のように卓越した戦闘能力と優れた状況判断力を持ち合わせる人間は貴重だ。

 だからこそ彼の現状が残念だと思えてならない。あるいは嵐山隊にも匹敵する英雄(ヒーロー)になれただろうに、と想像してしまった。

 

 

————

 

 

 時は流れ、3月上旬。

 

「——それじゃあ! 俺達の合格と! 今更だけどライのB級昇格、ついでに古寺もB級昇格祝いを兼ねて! 乾杯!」

「乾杯!」

「なんで俺だけついで扱いなんですか先輩!?」

「冗談だろう。ようやく本当の三輪隊が揃うんだ。俺は嬉しく思う」

「奈良坂先輩……!」

 

 三輪隊の作戦室。

 米屋が乾杯の音頭を取ると、皆揃ってジュースの入ったグラスを掲げる。古寺のブーイングを余所に祝いの小パーティーが開かれた。

 米屋達が受験した高校の合格発表が先日行われ、無事に彼らは高校入学を果たす。

 さらに一月中旬にはライが正規隊員への昇格を達成していた。彼から二週間程遅れて古寺も正規隊員入りしている。当時はまだ受験組が勉強で忙しく祝う機会もなかったため、時間は経ってしまったがこの場で一緒に祝う事となっていた。

 ライは部隊が違うも、三輪と米屋、奈良坂が彼と何度も交流している上に米屋が勉学を教わっている。(しかも後者の方が時間が長い)

 まだ彼がどこの部隊にも所属していないという事もあって、三輪隊の面々は『じゃあ一緒に祝うか!』という米屋の提言に乗る事となった。

 

「いやー本当に受かって良かった! お前らが昇格したのにこっちが落ちたら洒落になんねーからな。ライには世話になったな」

「僕は別に大したことはしてないさ。皆が無事に進学出来て良かったよ」

「何言ってんだ。随分と助けられたって」

 

 米屋がライの肩を二度三度と叩く。実際の所、彼の言う通り米屋の勉強の大半はライが見ていた。防衛任務以外では息抜きとして個人ランク戦を行い、勉強を見てもらい、再び息抜きを行うという日々だ。おかしい。息抜きの割合の方が多い。

 

「これからも頼むぜー? 頼りにしてるわ」

「うーん。でもこの前東さんから『さすがにここまでやっているならお金を取った方が良いぞ』って言われたんだよね」

「——東さん見てたのかよ」

 

 これはやっちまったと米屋が天を仰ぐ。

 東はかつてA級最強部隊と呼ばれた部隊の隊長を務めた男だ。指導力も高く、時には人一倍厳しい。その東に目をつけられたとなっては今後も気軽にノーリスクで頼むというのは厳しいだろう。

 

「ちなみに本当にとるならどれくらい?」

 

 一応A級隊員はB級隊員の出来高払いとは異なり、安定して給料をもらえている。その為余程の事でない限りは金銭面で困る事はないのだが。

 万が一の事を考慮し、米屋は恐る恐るライに問う。

 

「そうは言っても別に塾を開くという訳でもないからね。——そうだな。月3000円とかでどう?」

「驚きのお値段!」

 

 塾などの月給と比べれば4分の1、下手すればもっと低い値段なのではないだろうか。ボーダーの給料を考えれば余裕でお釣りが返ってくる。

 確かに授業と言うよりは宿題を手伝ってもらったり、わからない所を聞くという形なので授業料と比べれば安いのは当然か。とはいえ学業が月3000円で負担軽減されるというのならば安いもの。もうそれでいいから半永久雇用しようかと米屋は模索した。

 

「陽介、お前はそれで良いのか。もう少しプライドと言うものはないのか」

「甘いな奈良坂。プライドを守るためにチャンスを逃すのはただの馬鹿だぜ?」

「先輩……」

 

 ああ。勉学の話でなければ物凄く格好が良かったのだろうな。

 だが肝心な内容のせいで台無しである。

 プライドを完全に放棄した米屋の姿に古寺は涙が止まらなかった。

 

「でも、ライ君は本当によかったの? あなたも学校に通わないかって誘われたんでしょう?」

 

 月見がライに話を振る。

 こちらも上層部から説明が行われていた。

 情報統制と言えば聞こえは良い。しかし仮にも本来ならば普通に学校に通っているはずの少年が防衛組織に所属し続けるだけ、と言うのは少し酷な話だ。

 

「良いんです。ボーダーにいさせてもらえるだけでもありがたい。それ以上は僕にとって高望みです」

「ライ……」

「それに、この本部自体がある意味学校みたいなものだからね」

 

 そう言ってライは笑った。

 作り笑いではない彼の表情が三輪の心に影を落とす。米屋達は『確かにそんな感じだよな』などと談笑しているが、本当にそうだろうか。

 ——高望みをして何が悪い。

 それくらい誰も咎めないだろう。なのにこの男は自分に制約をかけると言う。

 ライの考えはおそらく誰もわからないだろう。

 

(これで良い。元々僕は学校に通ったことはないのだから。僕にとっての高校は、あそこが最初で最後だ)

 

 勿論ライが情報のリークの危険性を回避したという点も間違いではない。

 だがそれだけではなかった。

 かつて彼が在籍こそしなかったものの、生徒会の活動を含め多くの時間を共に過ごした学校。その思い出が彼の中で色褪せないように、唯一のものにすると決めていたのだ。

 

「だから良ければ学校での話、これからも聞かせてもらえるかな?」

「……ああ。もちろん」

 

 米屋に続いて奈良坂達も頷く。

 ボーダーが学校のような存在という点も嘘ではなかった。この組織は若い年齢層の隊員が多い。米屋達をはじめとして、ライと同年代の隊員が占める割合は大きなものだった。

 だから彼らの話は非常に面白く感じる。違いこそあるが様々な思い出を彷彿させるのだ。

 今後の付き合いも約束し、時間は過ぎ去っていった。

 そして季節は春。新たな出会いの時へと移っていく————。



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副作用(サイドエフェクト)

 二本の弧月が振るわれた。刀同士が衝突し、金属音が耳を打つ。互いに相手を切り裂こうと火花を散らした。

 

「ッ!」

「——おおっ!」

 

 鍔迫り合いが続く中、ライが吼える。力で強引に押し切り、灰色髪の相手をのけぞらせた。

 体勢を崩した今が好機。身体能力を向上させるトリオン体は一歩の踏み込みで必中の間合いへと詰める事を可能とする。

 相手の胸元へ目掛けて渾身の突きを放った。

 

「くっ!」

 

 少年は咄嗟の判断で右足を軸に左半身を退く。刀は相手の脇腹をえぐるも、致命傷には至らなかった。

 

(避けたか! ——っ!)

 

 追撃をかけようと腕を戻すが、その動きは敵がライの右腕を脇で挟み込む事で封じられる。

 

「もらった」

 

 次の動作を封じたライに目掛けて刃が振り下ろされた。

 後退は出来ない今回避は難しいだろう。体を捻ろうとしてもこの体勢では無理があった。右腕を犠牲にしてしまうのは間違いなく、利き腕を失うわけにはいかない。

 ——ならばこちらも肉を断たせるのみ。刃に対して左腕を真っすぐに突き出した。

 

「なにっ!?」

「こっ、のおっ!」

 

 弧月は掌を斬ったが、左手で握りしめられて動きが停止する。

 驚く相手にライが重心を引いて体当たりを仕掛けた。すさまじい勢いに耐え切れず、右腕が拘束から解放される。

 

「獲った」

「ぐっ!」

 

 再び得た好機をライは見逃さなかった。相手が体勢を立て直す事が出来ない中、すれ違いざまに弧月を横一閃に振るう。

 致命傷だった。体が耐え切れず、トリオン体が崩壊する。

 

「——強いな」

 

 最後に称賛の言葉を残して灰色髪の少年・村上は戦闘を離脱する。

 鈴鳴支部所属 仮隊員 攻撃手(アタッカー)志望 村上鋼

 

『10本勝負終了。勝者、紅月ライ』

 

 機械音がライの勝利を告げ、模擬戦が終了した。

 紅月 〇〇〇×〇 ×〇〇×〇 7

 村上 ×××〇× 〇××〇× 3

 結果は7対3。村上が休憩を挟んだ後半戦で追い上げるも、折り返し地点以降のみでも勝ち越しは許さずにライが勝利を収める。

 

「いや、君は大したものだよ」

 

 三か月のトリガー経験値がある上に彼よりずっと多くの戦闘を経た自分を追い詰めたのだから。未だ訓練生ですらない立場でありながら非凡の実力を示した村上に、ライもただただ感心した。

 

 

————

 

 

「お疲れ様。訓練でわかっていたつもりだったけど、やっぱりライ君はすごいな。鋼の副作用(サイドエフェクト)の事を知っていたから、休憩を挟めば逆転も狙えるかもと思っていたのに」

「ええ。贅沢な訓練相手だったと思うわ。ありがとうね」

 

 ライと村上が訓練室から戻ってくる。この二人の戦いを観戦していた来馬や黒髪でおかっぱの女性——今は驚きと感嘆をもって来客であるライを讃えた。

 鈴鳴支部所属オペレーター 今結花

 副作用(サイドエフェクト)。トリオン能力の高いものに稀に発現するという能力の事だ。とても希少な超感覚であり、能力が高ければ必ず発現するというものでもない。ボーダー内でも発現者は両手で数えて足りる程しかいないだろう。

 村上もこの能力を持っていた。彼の能力は『強化睡眠記憶』。睡眠による記憶の再編成能力が異常に高く、それにより恵まれた学習能力を手にしている。

村上は弧月を使う事を望んでいるが、鈴鳴支部には弧月の担い手はいなかった。トリガーに慣れる為、もしよければ同じ剣を持つ彼に相手をしてほしいという来馬の要望から行われた訓練は、予想をはるかに超える斬り合いで皆時を忘れる程だった。

 

「俺からも感謝する。再現したトリオン兵とは比べ物にならない経験になった」

「そうかい? それならよかった。一応先輩として役に立てたなら何よりだよ」

「うちには弧月使いがいないからね。突然のお願いに応えてくれてありがとう」

「気にしないで下さい来馬さん。中々白熱した訓練で僕自身も面白かったです」

 

 そう言ってライも笑う。

 本来は以前来馬に誘われた通り挨拶に伺っただけだったが、彼にとっても非常に有意義な時間となった。仮隊員でありながら、村上は既にB級隊員にも引けを取らない腕を持つと感じられる。彼ほどの人物と競うのは非常に良い刺激だった。

 

「もし正規隊員になれればランク戦をする事もあるだろう。その時、もしよければまた頼めるか?」

「僕で良いなら、時間がある時にいつでも相手になるよ」

「なら頼む。すぐに俺も正規隊員になってみせる」

 

 こうして二人は再戦の約束を交わす。自信にあふれた発言だ。きっと彼の言葉通り村上はすぐにB級に昇格するのだろう。

 来馬も先日正規隊員入りを果たした。

 おそらく次期ランク戦中に来馬隊として新たな波を起こすとライは確信する。

 

「そういえば、ライ君ももう正規隊員なんでしょう? 既存の部隊に入ったり、新たに部隊を作ったりする予定はないの?」

「……うん。もう少し隊員やランク戦の事を知ってから判断しようと思っているんだ」

「そう。あなたほどの腕ならうちも大歓迎なのに」

「実力を評価してもらえるのは嬉しいよ。ありがとう」

 

 今から部隊の話を振られるが、ライはありきたりな返答をするにとどめた。誘いはありがたいが、おそらく支部への異動は難しいだろう。

 彼らは知らない事だが、ライの持つ事情の為に上層部が本部から彼を出す事を容認するとは考えにくい。

 

「そうだね。でもどこの隊に入るとしても、疑問や悩みがあるならいつでも相談に乗るからね」

「ありがとうございます」

 

 良心から助けになると語ってくれた来馬に、ライは礼を述べた。年上という事もそうだが、それ以上に彼の人柄なのだろう。来馬の真っ直ぐな感情が伝わってきた。

 

「お疲れ様でーす! お茶入れてきましたよ!」

「太一、ちょっと気をつけてよ!」

「大丈夫ですよ、今先輩」

 

 すると、席を外していた別役がお盆に人数分のお茶とお茶請けを載せて運んでくる。

 鈴鳴支部所属 仮隊員 狙撃手(スナイパー)志望 別役太一

 村上と同じく5月の入隊式で訓練生となる予定の仮隊員だ。

 落ち着きがないのだろうか、どこか足元がおぼつかないように見える。今が注意を呼び掛けるが、別役は調子がよさそうに返答してスピードを緩めようとはしなかった。

 

「あっ!」

 

 そして今の嫌な予想が的中する。

 別役は自分の足に引っかかってしまい、バランスを崩してしまった。

 バランスを失ってお盆とその上に乗っていたお茶が宙を舞う。そして彼が向かっていた先、ライへと向かって飛んでいった。

 

「あっ!」

「危ない!」

 

 今と来馬の声が響く。

 ——まずい。

 別役にはすべての出来事がスローモーションに見えた。容器から飛び出たお茶がゆっくりとライの方へと向かっていく。そして別役の目には、お茶が彼の体をすり抜けたように映った。

 

「えっ!?」

「おっ、とっ」

 

 太一が驚く中、ライは空になったコップを宙でつかむ。まるで何事もなかったかのような態度に、来馬や今も目を丸くした。

 

「大丈夫かい? 物を運ぶときは気を付けなよ」

「えっ。あっ、すみません!」

 

 コップを手渡されて、別役は頭を下げる。

 見間違いではなかった。彼の体は全く濡れていない。

 

(お茶が当たるはずだったのに。体をすり抜けた?)

 

 そんな事ありえないはずだが、今目の前でそのように見えた。理解が出来ない事が現実に発生し、別役の思考は硬直する。

 

「……太一。固まっている所に悪いが、今すぐ拭くものを持ってきてくれるか?」

「へっ? ——ああ! 鋼さん!?」

「鋼! 大丈夫かい!?」

「ごめん! 僕が避けたせいか!」

「いや、ライのせいではない」

 

 しかし村上の静かな声が別役の意識を現実に引き戻した。

 ライは被害を免れたものの、彼のすぐ隣にいた村上が代わりに全て引き受けてしまう事となっている。体全体にお茶を被っていた。トリオン体でなければ大火傷となっていただろう。

 すぐに別役はタオルなどを探すために部屋を後にする。

 こうしてライにとって初めての鈴鳴支部訪問は慌ただしく過ぎ去っていった。

 

 

————

 

 

 四月某日。

 古寺は週に二回行われる狙撃手(スナイパー)の合同訓練に参加していた。

 その日の内容は補足&隠蔽訓練。参加者全員がランク戦と同じ仮想マップのランダムな位置に転送され、レーダーの情報なしで90分間隠れながら他の隊員を発見、狙撃するというものである。的中すれば5点、被弾すれば-2点。得点が高い程順位はよくなる。ただし同じ目標を二度撃つことは出来ない。

 この訓練では射撃の音や光が発生しない為自力で対象を探し出さなければならない。

 命中すれば目標の個人ブース番号が、被弾した場合は自分を狙撃した相手の番号を見る事が出来、両者とも相手までの距離がメートル単位で表示される仕組みだ。

 

(——紅月先輩、発見!)

 

 隠れながら肉眼で探索する事は非常に難しい。その為狙撃の機会は限られた。

 すると、古寺にその少ないチャンスが訪れる。スコープの中心に見慣れた銀髪の先輩隊員が捉えられた。ライは一人の隊員を狙撃した後なのだろう。ビルの屋上から物陰へと移動を開始している。同時に視線を右往左往して索敵を行っていた。

 

(今なら! いける!)

 

 まだライは古寺の存在に気づいていない。

 照準を定め、古寺が引き金を引く。銃弾がライ目掛けて放たれた。

 500メートル離れた建物の屋上から撃たれた銃弾。音や光もない為にすぐに気づくことは出来ない。

 

「っ!」

 

 ライが襲撃に気づいたのは、弾が残り100メートルという距離まで接近した時だ。被弾する前に危機察知した能力は素晴らしいが、気づいたところで手遅れである。この距離では回避行動は間に合わない。

 古寺は成功を確信する。自ら撃った銃弾がライに命中する瞬間を見届けて。

 

 ——彼が放った弾はライをすり抜けた。

 

「ハッ!?」

 

 思わず古寺は声を荒げる。

 

(弾が、当たらない!?)

 

 真正面にいたはずなのに、銃弾がすり抜けたように見えた。まるで亡霊のように。

 

「やばっ!」

 

 驚愕で反応が一瞬遅れる。

 狙撃の直後で居場所が相手にも察知された以上、この場に長居は禁物だ。すぐに身を翻して撤退を始めた。

 だが、後退しようとした彼の背中に『223』という数字が小さな音を立てて表示される。この番号はライが入っているブースの番号だった。

 

「そんな!」

「……今のは古寺か。危なかった」

 

 あと少し気づくのが遅れていたならば間違いなく被弾していただろう。

 命中を確認し、今度こそライは潜伏を始める。結局この日の訓練で彼に弾を当てられたのはわずか3人だった。

 紅月ライ  134点(10位) 的中:28 被弾:3

 

 

————

 

 

「それは、ライが持つ副作用(サイドエフェクト)に当てはめられた力のせいだな」

 

 訓練後。先の出来事を古寺は師匠である奈良坂に相談していた。

 命中するはずの弾がまるで亡霊のようにすり抜ける現象。どういうわけか理解できない弟子に、奈良坂は食堂へ向かいながら解説を始める。

 

副作用(サイドエフェクト)! 紅月先輩もですか!」

「ああ。まあ、お前の知っての通りあくまでそのように分類されただけ(・・・・・・・)、だがな」

「……はい」

 

 含みを持った言葉の意味を理解し、古寺の表情がわずかに曇った。副作用は基本的に先天性に発現するものだ。ゆえに後天的かつ人為的に発現させられた彼の力はより特異なもの。ただ、事情を知らぬ隊員や力の説明の為に便宜的に副作用と分類されていた。

 

「鬼怒田さんは『超高速精密伝達』と名付けていた。俗に言う反射神経が異常なまでに優れている。訓練では陽介の槍捌きでさえ反応していたな」

「だからあの距離でかわされたんですね」

「それだけじゃない。すり抜けたように見える原理はもう一つ。ギリギリのタイミングで攻撃を避ける。最小限の動作で避けた直後、寸分狂わず元の位置に戻る。速さと正確さの両方を兼ねそろえているからこそできる荒業だ」

 

 機械を彷彿させる速さと精密性が不可能な回避行動さえも可能とする。検査によると、ライの脳は一秒間で12回に及ぶ行動指令を出す事も可能だという結果も出ていた。とても真似できる代物ではない。

 

「お前が仕留められなかったのも仕方がない。確か今日の訓練でライに命中させたのは俺と鳩原先輩、そして当真さんだけだったと聞く」

「本当にトップクラスの人だけじゃないですか!」

 

 事実、この日の訓練ではA級に所属する狙撃手でも上位の者しか彼に当てる事は出来なかったと奈良坂は語る。

 とてもではないが信じられない。

 ライは攻撃手(アタッカー)として正規隊員に昇格し、その後から狙撃手(スナイパー)として訓練に参加している為、狙撃手(スナイパー)としての個人(ソロ)ポイントはあまり高くない。チームランク戦に参加していないのだからなおさらだ。

 そんな彼を撃ち落とす事が可能なのは精鋭中の精鋭のみ。まさに異例の存在と呼べるだろう。

 

「お前もうかうかしていると、狙撃手(スナイパー)としても先を越されるかもな」

「冗談にならないので言わないでください!」

 

 食堂に着くと、食券を購入しながら奈良坂がそう呟く。冗談も含まれているのだろうが、内容が内容なだけに否定しきれない。古寺は涙を浮かべながら師匠に訴えた。

 

「お願いします」

「こっちもお願いします」

「はい。——注文入りまーす! Aドリンクセット、B大盛です!」

 

 二人がお昼ご飯用に購入した食券を注文カウンターへと提出すると、男性の高い声が響く。

 

「出来上がったら番号をお呼びしますので、少しお待ちください」

 

 キッチンに用件を伝えると、受け付けをしていた銀髪の少年・ライは二人の方へ振り返り、笑顔を浮かべてナンバープレートを手渡した。

 

「……ライ?」

「紅月先輩!? 何をやっているんですか!?」

「あっ。奈良坂と古寺。訓練お疲れ様。何って、バイトだけど?」

「バイト!?」

 

 先ほどまで同じ訓練をしていたはずの隊員が、カウンターを挟んで目の前にいる。二人が揃って疑問を呈する中、ライは当然のように仕事であると答えを示した。

 

「うん。B級は給料が出るとは言え出来高制だし、防衛任務が入っていない時は時間が空いているからね。いくつかバイトをするようにしているんだ」

「それで食堂のバイトをやっているのか?」

「本当はキッチンに入りたかったけど、まだ入ったばかりだからという事でホール担当になったんだ。『その方がお客さんも増えるでしょ』とか何とか言っていたけど」

(多分それは女性の集客狙いだ!)

 

 首をかしげながらライが呟く。本人はその真意をよく理解できていなかったようだが、古寺はすぐに狙いが女性隊員であると察知した。同時にそちらの方が真の目的でもあると。

 ボーダーの食堂で働く人は基本的に女性ばかりだ。そんな環境に高校生くらいの年代にあたる、容姿に優れた見慣れぬ男性がホールに入る。なるほど、話題性はバッチリだろう。

 

「まあ詳しくは後で。他のお客さんが控えているから、またね」

「あ、ああ」

「じゃあお願いします」

「うん。——お待たせしました。次の方、どうぞ!」

 

 視線を後ろに向けると確かに他の客が列を作っていた。これ以上仕事の邪魔をしてはいけないと二人はその場を後にする。

 その後もライは慣れた対応を見せ、忙しい昼時の混雑も素早い反射神経を活かして適切に仕事をこなしていった。

 後に古寺は思う。少なくともこのための副作用(サイドエフェクト)ではないだろう、と。



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麒麟児達

 5月のボーダー隊員正式入隊日。一年に3回のみ開かれる、新入隊員が新たな門出を迎える日の一つだ。

 丁度4か月前には自分も同じ経験を経た。まだ日が浅い事もあってその時の記憶が鮮明によみがえり、観客席に腰かけているライはくすりと笑みを浮かべた。

 

「何をやっているんだライ?」

「荒船」

 

 突然の戦闘訓練と聞き、新入隊員達の驚く様子を眺めていると横から声がかかる。短い茶髪に帽子を被った視線の鋭い男性。ライと同じB級隊員の荒船だった。

 B級荒船隊 攻撃手(アタッカー) 荒船哲次

 一度だけ個人(ソロ)ランク戦で戦い、年齢も近いという事で二人は面識がある。荒船にとっては滅多にランク戦にも出ない彼がこういった公の場にいる事を珍しく思ったのだろう。

 

「新入隊員の様子を見に来ただけさ。僕と一緒に入隊した鈴鳴支部の来馬さん。彼の後輩が今日入隊するんだよ」

「鈴鳴支部の? ああ。そういえば確かにそんな話もあったな」

「前に会ったけど、一人は確か荒船と同じ年齢だったはずだ。しかもかなり伸びていくだろう弧月使い」

「へえ。お前が言うんだから相当できるのか?」

 

 嬉しそうに笑う荒船を見て、ライは大きく頷いた。

 荒船は落ち着いた風貌だがその実かなりの武闘派である。同年代で同じ武器を使う相手が現れたとなれば興味が湧くのは当然だった。

 

「面白い。どいつだ? 今丁度終わったやつか?」

「ん?」

 

 荒船の視線の先で一人の隊員が戦闘訓練を終え、部屋を退室する。

 

「フゥ。心底同情するよ君たち。僕の同期となると存在が霞んでしまうからね」

 

前髪を指で流し、得意げな振る舞いを見せる彼は唯我尊。59秒という記録で初の戦闘訓練を終えた。

 C級隊員 銃手(ガンナー) 唯我尊 初期ポイント:アステロイド(拳銃)3950

 

「いや違う。そもそも彼、拳銃ホルダーを身に着けているから銃手(ガンナー)だと思う」

「なんだ。ま、お前が認める相手ならもっと良い記録をだすか」

 

 決して悪いタイムではないものの、突出して優れているというわけでもない。荒船の厳しい指摘の前に、ライも短く「まあね」と同意するにとどまった。

 

「見れば荒船もすぐにわかると思うよ。剣の筋が良い上に、成長速度が異常でね。ひょっとしたら——あっ。いた」

「どこだ?」

「あそこだよ。三号室。そして、もう終わる」

 

 「ひょっとしたら僕の記録も抜いてしまうかもしれない」と言葉が続くことはない。

 ライの視線が鈴鳴支部で見かけた灰色の髪を捉えた。荒船も彼に促されるまま視線を三号室へと向ける。

 丁度村上が弧月を振るう場面だった。

 踏みつけようとした大型近界民(ネイバー)の足を刀で薙ぎ、すぐさま跳躍する。大型近界民(ネイバー)の目玉に刀を突きつけた。

 

『三号室、終了。記録、十五秒』

 

 村上の一撃が炸裂し、近界民(ネイバー)が大きな音を立てて崩れ落ちる。トリオン体が崩落するとアナウンスが鳴り響き試験の終了を告げた。時間は十五秒。歴代記録に載るであろう好成績である。

 

「十五秒か。随分早いな」

「うん。やっぱり近界民(ネイバー)との戦闘には慣れているみたいだね」

「まさかお前の記録がこうもあっさり抜かれるとは思わなかったぞ」

「そう? でも僕はわかっていたよ。——村上鋼。彼はきっと将来攻撃手(アタッカー)界でも上位に君臨するはずだから」

「鋼、か」

 

 訓練相手の弧月使いがいなくても、仮想近界民(ネイバー)との戦闘訓練は続けていたのだろう。以前よりも迷いがなくなった動きを見てライは感心した。初期ポイントも3350(弧月)と高い。鍛えていた姿は容易に想像できた。

 近い未来で防衛隊員の中でもトップクラスの腕になる。ライがそう語ると、荒船も村上の姿を食い入るように見るのだった。

 

「面白え。なら都合があえば少し鍛えてやるか」

「君の荒船メソッド確立の為か?」

「勿論その一環でもある。だがこんな逸材、支部に埋まらせておくのは勿体ないだろ?」

 

 そう言って荒船は笑う。

 荒船には目的がある。現在彼は攻撃手(アタッカー)だが、個人(ソロ)ポイントがマスタークラスの基準である8000ポイントに達すれば狙撃手(スナイパー)に転向し、そちらでもマスタークラスになれば最後に銃手(ガンナー)のマスタークラスになる。そして現在ボーダーに一人しかいない完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)となった暁には荒船流のメソッドを構築し、完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)を量産する。それが荒船の夢だ。

 ライも現在攻撃手(アタッカー)狙撃手(スナイパー)の二つのトリガーを使用し、訓練に参加している。そんな彼の存在は荒船にとって貴重であり、自身が掲げている目的を彼に打ち明けていた。

 

(きっと上手くいくだろうな)

 

 その考えにライも賛同し、協力できる事があれば協力すると約束している。

 熱心な荒船の事だ。おそらく村上の指導にも力が入る。二人の仲はよくなるだろうなと想像した。

 

「楽しみにしているよ。鋼はこの入隊隊員達の中でもトップだろう。彼ほどの人物が荒船の手でさらに成長できるというのなら」

『一号室、終了。記録、九秒』

「……えっ?」

「おいおい。マジか」

 

 ボーダーにとっては心強い。そう続けようとしたライの発言は、村上よりさらに優れた成績を収めたという知らせによって遮られる。

 機械音声に従い一号室を見ると、短い黒髪をぴっちり分けた髪型の、きつい目つきの少女・木虎が部屋から退出してきた所が目に映った。

 C級隊員、銃手(ガンナー)木虎藍 初期ポイント:アステロイド(拳銃)3600

 木虎は村上の存在が気にかかったのだろう、彼と軽く挨拶をかわすと唯我の声掛けを軽くあしらい凛と姿勢を正す。非常に落ち着いた物腰だった。

 

「これは、さすがに驚いた。鋼が同期では一位になると思っていたのに」

「二桁を切るとはな。お前の記録が霞んでしまいそうだ」

「あはは。確かにね。まさか女の子に負けるとは思わなかったよ」

 

 木虎の戦闘や物腰を見て二人は感心する。

 村上だけでも十分な戦力の向上と思われた中に木虎の出現はボーダーにとっては非常に大きなもの。うかうかしていられないなと気を引き締めた。

 

「後は狙撃手(スナイパー)組で新戦力が出るかどうかだな。少し聞いてみるか」

「そういえば穂刈や半崎が手伝いに行っているんだよね?」

「ああ。あっちにも腕の良い奴が入ってれば面白いんだが」

「うーん。あの二人以外にもいるかな?」

 

 荒船はチームメイトで狙撃手(スナイパー)である穂刈へと内部通信を繋ぐ。この入隊式では嵐山隊だけでなく、狙撃手(スナイパー)の訓練には現役の狙撃手(スナイパー)隊員が訓練補助として駆り出されていた。

 あちらでも誰かいないか、期待を込めて荒船は返答を待つ。少し待って穂刈の声が帰ってきた。

 

『荒船か』

「よう。どうだ、狙撃手(スナイパー)組には戦力になりそうなやつはいたか?」

『いたぞ。面白そうなやつが』

「面白そう?」

 

 趣旨が曖昧な答えに荒船が首をかしげる。精確とか伸びしろがあるという表現ならわかるが、面白いとはどういう事なのか。

 

『見せた方が早いだろうな。これは。待ってろ。すぐに見せてやるから』

 

 すると穂刈は一度通信を切る。30秒ほど待つと、穂刈から荒船へ写真データを同伴した一通のメッセージが届いた。すぐに荒船はモニターを起動し、目の前に添付された写真とそれを成し遂げた隊員の名前を表示する。

 

「おいおい。中々ふざけたやつが入ってきたな」

「……なるほど。当真と同じか」

 

 的の中心を撃ちぬいたわけではなかった。その代わり放った弾丸全てが中央の円の縁を射貫いている。

 狙えば当てられるはずなのに、あえて中心を外して狙撃を行う技量は、現狙撃手(スナイパー)一位に通じるものがあった。

 この点数で測る事が出来ない力を見せつけた新入隊員の名前は絵馬ユズル。彼も村上や木虎にも匹敵する実力者である。

 C級隊員、狙撃手(スナイパー)絵馬ユズル 初期ポイント:イーグレット 3200

 

 

————

 

 

「おつかれ、鋼」

「ん? ——ライ! 久しぶりだな」

 

 個人(ソロ)ランク戦の説明も受け、ラウンジで同期の者と小休憩を挟んでいる村上。そこにライが荒船と共に訪れていた。彼に気づくと村上は立ち上がり、再会の挨拶をかわす。

 

「訓練の様子、見ていたよ。前よりも腕が上がっているみたいだね」

「見ていたのか。ああ。すぐB級に上がる為にもな」

「来馬さんの為にもね。そうだ、紹介しておくよ。こちらは荒船哲次。僕と同じB級隊員の攻撃手(アタッカー)だ」

「荒船だ。よろしく」

「こちらこそ」

 

 ライの紹介を受けて荒船と村上が手を取った。手を離すと荒船は早速本題に切り込んでいく。

 

「中々できるみたいだな。俺も同じ弧月を使う。そろそろ誰か弟子を取ろうと思っていたんだが、どうだ? お前が望むのなら俺が弧月の戦い方を教えるぞ?」

「荒船と鋼は同じ学年みたいだし、お互いにとって良い経験になると思うけどどうだい?」

「ありがたい。こちらからお願いしたいくらいだ。よろしく頼む」

「おう!」

 

 そろそろ誰かに本格的に指導をしたかった荒船と弧月の指導役が欲しかった村上の思惑は綺麗に一致した。年齢も同じという事で抵抗もなかったのだろう。二人はあっという間に打ち解けている。

 

「ああそうだ。俺からも紹介を。こっちの二人は俺と同じく今日から入隊となった唯我と木虎だ」

「はじめまして先輩方。唯我尊です」

「木虎藍です。よろしくお願いします」

 

 その後、村上からも背後にいた二人の紹介を行った。

村上の声に従って唯我と木虎も話に加わり、軽く会釈する。

 

「おう。荒船哲次だ」

「僕は紅月ライ。よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 二人の自己紹介に倣い、荒船達も改めて自己紹介を行った。貴重な先輩との交流という事で木虎達も積極的に話へ加わっていく。

 

「驚きました。昨日まで仮隊員だったというのに、村上先輩は既に本部の先輩とも交流があったんですね」

「ああ。鈴鳴支部の先輩と僕は四か月前の同期入隊でね。それで以前僕が支部を訪問した時に一度だけ戦ったんだ」

「そうでしたか」

 

 村上は鈴鳴支部の所属。加えて昨日まで仮隊員だった身だ。その為本部の人間とは交流がないはずなのでライと村上が馴染みがあった事に驚いたが、ライの説明を受けて木虎も腑に落ちた。

 

「いやはや。納得しましたよ。僕よりも好記録をたたき出す人がいたのは、既に先輩との訓練を行っていたからなんですね。なるほど」

(私は違うけど)

(戦ったのは一度だけで基本は鋼の実力なんだけどな)

 

 対して唯我はこれが自分の記録が更新された理由だろうと一人思い込む。見当違いな考えに木虎は呆れた表情を呈するが気づいていないようだった。ライは自尊心が高い性格なのだろうなと検討付け、唯我の行く先を悲観する。

 

「お二人はチームメイトなんですか?」

「いいや。俺はB級の荒船隊で隊長をやってるが、ライはどこにも所属してない」

「え?」

「そう。僕はフリーの隊員なんだ。今のところはどこに所属するとかは決めてない」

 

 変な空気を変えようと、木虎は二人に話題を振るも、予想外の答えを聞いて木虎は目を丸くした。

 

「B級以上の隊員は基本的に部隊に入ってより上位を目指すと聞きましたけど」

「そうだね。でもまだボーダーの隊員やトリガーの事とか知りたい事は多くある。だからもう少し外から学ぼうと思ったんだ」

「……そうですか」

 

 口では理解した様な素振りだ。しかし木虎は興味を失ったと言わんばかりにライから視線を外す。

 

(期待外れ、だったかな)

 

 勿論ライも彼女の変化を察し、自分の返答が原因であると悟った。彼が知る由もない事だが、木虎はプライドが高く努力家だ。目標を達成するために強くなろうという意志を持つ。

その為に今回のライの方向性が不明瞭な発言が彼女にとっては聞こえが悪かったのかもしれない。

 

「鋼は鈴鳴支部に入ると聞いているけど、二人は誰かチームを組む約束とかはしてるのかい?」

「いえ、私は特にはまだ」

「僕は上の方と話をしていましてね。近々A級の部隊に入る事が決まる予定です」

「A級!?」

「おいおい。お前がか?」

 

 A級はB級よりさらに上位に位置する精鋭部隊だ。三輪隊などがこれに当てはまる。とてもではないが誰もがなれるわけではない部隊へ入ると聞いてライが驚き、荒船が半信半疑の形相で唯我を見る。彼らの反応に唯我は気を良くして前髪をサラッと流した。

 

「実は親がボーダーに資金を提供していましてね。そのつながりで上層部に依頼したんですよ」

「スポンサーという事か」

「なるほどね」

 

 事情を把握した荒船達が小さく息を吐く。

 唯我の話を聞く限り、彼は個人の実力ではなく親の財力を使って精鋭部隊への入隊を強行したという事だ。理解は出来たが、同時にこの先彼は苦労する事になるだろうなと彼の行く末を察して心の中で合掌した。

 

「そういう事なら将来の事はその部隊先次第ってわけだ」

「ええ。まあどこであろうとしっかりとチームに貢献したいとは思っています」

「ま、そういう気持ちがあるなら大丈夫かな。——おっといけない」

「どうした?」

 

 最低限の意思を持ち合わせているのならば厳しい扱いを受けても大丈夫だろう。そうライは判断し、ふと時計を見て表情が一変する。村上が気づいてライに問うと、彼は軽く頭を下げた。

 

「ごめんね。実はこの後防衛任務が入っているんだ」

「そうだったのか」

「うん。本当は個人(ソロ)ランク戦の様子とかも見ておきたかったけど、また今度にしよう。皆、頑張ってね」

「それじゃあ俺もそろそろ同僚の様子を見に行くとするか。じゃあな」

「ああ。ありがとう」

「またの機会に」

「ありがとうございました」

 

 実は今日、ライは防衛任務が組まれていたのだ。

 村上の訓練の様子を見届けるという最低限の目的は達成できた。あとは彼らならばうまくやれるだろうとライは手を振ってラウンジを後にする。荒船も穂刈達と合流するべく席を立つと、村上たちも3者3様の答えを返して彼らと別れた。

 

 

————

 

 

 同時刻、本部作戦室。

 

「忍田本部長。お客様です」

「うん? 客? ——おお。瑠花じゃないか!」

 

 新入隊員への挨拶を終えて本部長である忍田は通常業務に戻っていた。

 積み上げられた報告書へ念入りに目を通していると、補佐官である沢村から来客の存在を告げられる。今日は誰かと会う予定はなく首を傾げたのだが、訪問客である女性の姿を見てすぐに笑顔が浮かび上がった。

 

「はい。本部長、お久しぶりです」

 

 その忍田の様子を窺って瑠花と呼ばれた女性、忍田瑠花も微笑んだ。

 本部所属オペレーター 忍田瑠花

 黒髪セミロングのヘアスタイルと琥珀色の瞳、少し幼さが残る顔立ちの少女は忍田の姪である。彼女も今日から新たにボーダー本部のオペレーターとして入隊を果たしていた。



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巡り合わせ

「本部長とはまた他人行儀だな。いつものように叔父さんと呼んでくれて構わないが」

「いえ。ここはボーダー本部です。私も隊員となった以上はそのように接するわけにはいきません」

「……そう、だな。その通りだ。君を困らせてしまったかな」

 

 少し寂し気に口ごもる忍田に瑠花は首を横に振った。

 既に彼女が入隊するという話は聞いている。当時はもちろん両親の反対の意見もあったが、本人の意志が強く、親が折れる形での入隊。最終的には「血縁のある忍田本部長がいるから大丈夫」という彼の存在が非常に彼女の後押しとなった。皮肉にも結果として守る立場である自分が、危険も伴う組織に姪が加入する要因となったことに戸惑いもある。

 

(私の予想以上に大人だよ)

 

 瑠花もこの5月の入隊式を経てオペレーターとしてボーダーに加入した。トリガーも与えられた以上は一般隊員だ。どのような関係であろうとも上層部の人間と砕けた話し方では周囲の影響もあるだろうと言う彼女の発言は正しい。

 まだ中学生でありながらこのような気配りもできる瑠花が隊員となった事に、忍田は嬉しくも少し寂しい複雑な感情を抱いた。

 

「今日の所はもう大丈夫なのか?」

「ええ。トリガーを受け取って一通りの説明も受けました。明日からは中央オペレーターの方で経験を積む事になっています」

「うむ。オペレーターは防衛隊員にも劣らないほどやるべき事が多い。十分勉強させてもらうと良い」

「はい。ありがとうございます」

 

 オペレーターは通信の媒介や戦闘の記録に始まり、データ収集や分析、戦闘員の状態確認など仕事量は多岐にわたる。そのためまずは中央オペレーターで基本的な業務処理を行う仕事が与えられ、主な技能を取得するというシステムだ。

 説明を受けてその大変さは理解しているはず。それでもまだ少女という事もあってか非常にやる気と意志にあふれていた。忍田の言に大きく頷き、満面の笑みを浮かべる。真面目な性格だが年齢相応のあどけなさがあふれ出ていた。

 

「それで、もしよければ今日はこちらの方で何か見学やお手伝いをさせていただきたいと思ったのですが」

「ここでか? 私の方は今日はもう事務処理ばかりで見学するには不適な仕事なんだが……」

 

 彼女の提案は非常に好感が持てる。だが忍田の仕事は見学をさせるには退屈、手伝いをさせるには責任が重いという不適正なものだ。どうしたものかとしばし頭を悩ませた。

 

「そうだ。先ほど出現したトリオン兵を回収し、分析する仕事がある。私の仕事ではないがどうだ? よければ私から手はずを整えておくが」

「ぜひお願いします!」

 

 瑠花は忍田の提案に即座に乗る。少しでも早く知識を吸収したいのだろう、彼女の目は輝いて見えた。

 回収作業の詳細な説明を受けると瑠花はもう一度深々と頭を下げ、足早に作戦室を退出する。

 彼女の背中を見送って忍田は思った。

 どうか彼女が何事もなく成長し、願わくば将来は彼女をしっかり守ってくれる部隊に加わってほしいと。 

 

 そして彼女を乗せた回収車が現場へ向かってから約四分後。

 ——甲高いサイレンがけたたましく轟いた。

 それは近界民(ネイバー)襲来の合図だ。(ゲート)の出現場所は、回収現場のすぐ近くだった。

 

 

————

 

 

「回収は後だ! すぐに退避しろ!」

「急いで! 早く!」

 

 回収部隊の必死な叫びが耳を打つ。

 出現したトリオン兵は自動車ほどの大きさと堅い装甲を誇るモールモッドと長い胴体が特徴的なバムスターだった。

 トリオン兵は近くの生体反応を補足すると容赦なく襲い掛かる。戦闘力の有無などお構いなしに。

 回収部隊は皆トリガーを与えられているとはいえ、防衛隊員と違い武器もなく緊急脱出(ベイルアウト)機能もないものだった。もしもトリオン兵に襲われたらひとたまりもない。勿論瑠花も同じである。

 突然の敵の襲来に瑠花は震える足に鞭打って、隊長の指示に従って駆け出した。

 

「——ッ!」

 

 必死に走ってはいる。だがそれだけだった。

 心臓は今にも爆発しそうで、歯は心の不安を体現するように震えている。トリオン体で肉体が強化されているはずなのにいつもより足が重たく感じた。

 早く、逃げなきゃ。

 

「きゃっ!」

 

 その焦りのせいか、瑠花は足をもつれさせ転倒してしまう。

 ただでさえ他の人より走るのが遅かった為に余計に距離が開いてしまった。故に彼らが彼女の転倒に気づくよりも近界民(ネイバー)が瑠花に狙いを定める方が速い。

 

「……あっ」

 

 早く、立ち上がらなければ。早く、逃げなければ。

 わかっているはずなのに体が動かなかった。

 モールモッドの無感情な瞳と目があっただけで、瑠花の体は凍り付く。

 鋭い鋼鉄のブレードが振り上げられた。あの刃が振るわれただけでトリオン体は崩壊するだろう。生身の肉体に戻って、それで終わりだ。自分に迫る死の未来が瑠花の脳裏に鮮明に浮かび上がった。だが未来が分かったところで、どうしようもない。

 

「だ、れか……」

 

 助けを求める声は悲鳴と爆発音によってあっという間に掻き消された。

 涙があふれ、身体の震えが止まらない。

 駄目だった。

 別に何か大きな事を成し遂げたいという思いはない。裏方でもなんでも、人々の生活を守れるという仕事に少しでも貢献できれば。叔父の力に少しでもなれたなら。そんな想いはこんなにもあっさりと、何もできないまま終わってしまう。

 平凡な中学生だった瑠花に今死ぬ覚悟なんて出来ているわけがなかった。

 恐怖という感情を最後まで振り払う事が叶わない。

 こうして、瑠花は——

 

「吹き飛べ」

 

 空気を切り裂く音を耳にした。600メートルは離れているであろう場所から放たれた銃弾がモールモッドの巨体を吹き飛ばす。

 

「……えっ?」

 

 狙撃は鋼鉄の鎧を吹き飛ばし、砕け散った欠片が宙を舞った。何があったのだろうと驚き、現状を把握しようと努めるも、まだ敵の攻勢は終わっていない。後続のバムスターが瑠花を踏みつぶすようにその巨大な足を振り上げた。

 

「ひっ!」

 

 再び訪れた恐怖に瑠花は両眼を閉ざす。

 だが敵の攻撃が振り下ろされるよりも早く、真横から高速で接近する人影が彼女を掻っ攫った。急な衝撃はトリオン体の機能により緩和される。謎の浮遊感を感じながら、瑠花は瞼を上げて、自分を抱きかかえる銀髪の男性隊員を見上げるのだった。

 

「ごめん。来るのが遅かった。大丈夫かい?」

 

 右手に弧月を握りしめた隊員・ライはバムスターの右足を切り落とすと、瑠花を安心させるように柔らかい口調で尋ねる。

 

「……は、い」

 

 瑠花は涙交じりに答えた。まだ脳も覚醒していない。色々と伝える事が不足していただろうが、ライは「それで十分だ」と笑うのだった。

 

「ちょっと! ライ君速いって!」

北添(ゾエ)さんが遅いんですよ! すみませんが後は全部お願いします。僕はこの子を安全な所に運んできます!」

「えっ。ちょっと、ゾエさんの扱い雑じゃない? ——まあ了解。こっちは引き受けたよ!」

 

 遅れてやってきた北添は不満を述べながらも残存戦力へ突撃銃の先端を向ける。たちまち銃口が火を噴いた。一気にトリオン兵の装甲を削っていく。

 

「よいしょっ」

「きゃっ!」

「ごめん。少しの辛抱だから我慢してね」

「はっ、はい!」

 

 味方の優位を確認してライは素早くその場を離脱した。瑠花を横抱き、俗にいうお姫様抱っこの形で抱きかかえ、凄まじい速さで地面を蹴る。

 近界民(ネイバー)が出現した大通りを抜けて小さい路地に入った。

 ここまでくれば大丈夫、と安堵の息を零すのも束の間。反対側から別個体のモールモッドが行く手を阻む。

 

「さっきの!」

「ッ。……強行突破する。しっかり掴まってて」

「えっ?」

 

 ライは今一度右手に持つ弧月をしっかり握りしめ、瑠花を近くに抱き寄せた。

 言われるがまま瑠花もライの首へと手を回してしがみつくが、彼の発言の真意は読めない。強行突破すると言ってもモールモッドは巨体だ。横から駆け抜けるのは難しいだろう。ならば上か。そう考えた直後、モールモッドのブレードが振りかざされ、真上から弾丸のように突き放たれた。

 

「行くよ!」

 

 その攻撃を見て、ライは横っ飛びに跳ぶ。壁に足が着くや否やそのまま壁を走り抜けモールモッドの攻撃をかわした。

 

「きゃああああ!!」

「しゃべらないで! 舌を噛む!」

 

 瑠花の悲鳴を耳にして、ライは一言声をかけると弧月を横に持ち変える。

 最後に勢いよく壁を蹴ってモールモッドに急接近すると、そのまま弧月を横一閃に薙ぎ払った。

 一瞬でモールモッドの巨体に切れ筋が走り、鈍い音を立てて崩れ落ちる。完全に沈黙しており、戦闘続行は不可能となっていた。

 

「もう大丈夫だよ。ごめんね」

「————」

 

 あっさりと敵を仕留めたライはここが戦場である事を忘れさせるような穏やかな表情で瑠花を見る。あまりにもかけ離れた彼の言動に、瑠花は言葉を失っていた。

 

 

————

 

 

「……お礼、言いそびれちゃったな」

 

 その日の夜。

 瑠花は沈んだ顔でボーダー本部の廊下を歩いていた。

 あの後、無事に回収班のメンバーと合流した瑠花は無事に本部へと送り届けられた。幸いにも皆大きなけがはない。突然の襲撃は予想外だったが、防衛任務に就いていた隊員達によって全て迎撃されたという。

 自分も負傷していないのだから文句はない。だが申し訳なく思う事が一つだけあった。

 

(結局名前を聞けなかった。あの人は誰だったんだろう?)

 

 あの時自分を助けてくれた銀髪の防衛隊員の事。彼は回収班の隊員を本部へ送り届けた後すぐにどこかへと行ってしまった。おそらく同じ防衛隊員の援護に向かったか、再び防衛任務に戻ったのだろう。

 戻ってきた直後は安心感から気が抜けてしまい何も考える事が出来なかった。その為お礼を言う事もできなければ、名前を尋ねる事さえできていない。それが気がかりだった。

 

(特徴的な銀髪だった。きっとここで仕事をしていればいつかは会えるだろうけど……)

 

 おかげでその後の近界民(ネイバー)分析なども集中力が欠けていた気がする。叔父がせっかくの機会を与えてくれたのに申し訳なかった。

 相手は日本人には珍しい銀髪。きっといつかは会えるはず。ひょっとしたら叔父に聞けば簡単に教えてくれるかもしれない。だからその時にきちんとお礼を述べようと決め、瑠花は意識を切り替えるべく両の頬を軽く叩いた。

 

(いつまでも気にしては駄目! 明日からはしっかりしなきゃ!)

 

 明日からは一隊員として行動する。これ以上今日の出来事を引きずっては駄目だと自分を叱咤した。

 

「……よし。とりあえず少し食べてから家に帰ろう」

 

 時刻はもう夜の8時を迎えようとしている。さすがにお腹が空いてくる頃だ。帰宅する前に腹ごしらえをしようと食堂へと向かった。券売機でうどん(小)を購入してカウンターへ向かう。

 

「お願いします」

「はーい。少々お待ちください」

 

 食券を置いてナンバープレートを受け取ると、瑠花はすぐに移動して視線を食事をしている隊員達へと移した。銀色の髪の男性隊員を探すが、やはりいない。ひょっとしたらここで会えるかもしれないと考えていたが、確率が低い出来事はそう簡単には起こらなかった。わかっていてもやはり残念に思えてならない。

 

「21番。うどんでお待ちのお客様。出来上がりましたので番号札をもってお越しください」

 

 やがて頼んでいた食事の完成が告げられた。こうなったら早く食事を済ませて帰ろうと瑠花は再びカウンターへと戻る。

 

「はい。私です」

「お待たせしました。熱いので十分お気を付けください」

「ありがとうござい——」

 

 そしてお礼を告げようと視線を上げて、注文の受け答えを担当していた男性スタッフが、彼女が探していた銀髪の青年であることに気づいた。間違いなくあの時駆け付けてくれた隊員の顔である。もっと低い可能性が現実と化していた。

 

「……あっ。えっ? あれ? えっ?」

 

 すぐに現実を受け入れられない。髪型や容姿などの特徴は一致していた。だが、先ほど防衛隊員として助けてくれた男性が、今度は食堂の職員として自然と振る舞っている。理解できずに瑠花はその場で呆然とした。

 

「どうしました? ——ん? あれ、君はひょっとしてさっきの?」

 

 そんな瑠花の様子を心配に思ったのだろう。ライも彼女の表情を窺って、先ほど自分が救助した少女であることに気づく。

 

「は、はい! 先ほど近界民(ネイバー)襲撃の時に助けてもらったものです! その、ありがとうございました!」

「そうか。君が無事だったみたいで何よりだ。そうだな。——すみませーん! 今日、先にあがっても良いですか?」

 

 瑠花は何度も大きく頭を下げる。そんな彼女をライは手で制した。そして瑠花と少し話をしておきたいと考えたのか、ライは一度奥へと下がり、他の職員に何かを耳打ちする。事情を説明しているのだろう。20秒ほど話をしてライは再びカウンターへと戻った。

 

「ちょっと話をしないかい? 着替えたらすぐに来るよ」

「……はい」

 

 先ほどのように柔らかい笑みをこぼすライ。安堵を覚えた瑠花は自然と肯定の答えを返していた。



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決断

「——そうか。君は、忍田本部長の姪だったのか」

 

 着替えを終えたライが席に着くと、ちょうど瑠花もうどんを食べ終えたという事もあり、二人は軽い自己紹介を行った。彼女がかつて彼も出会った事がある忍田の親戚と知り、ライは小さく笑う。確かに改まって対面してみると少し本部長と似た雰囲気や面影を感じない事もなかった。

 

「はい。今日の入隊式でボーダーに入り、明日から正式にオペレーターとして勉強する予定です」

「なるほどね。以前回収班の方とは何度か会った事はあったけど、見かけない女の子がいたと思ったらそういう事だったのか。同行したのは近界民(ネイバー)の解析の為かい?」

「ええ。直に見る機会も少ないと思いましたし、解析作業はオペレーターとしてやっていく以上は必要だと思ったので」

「そうか。僕もオペレーターではないから詳しくは言えないが、確かに敵戦力の分析は重要だ。それが僕達防衛隊員の任務成功にもつながる。その為にはやはり経験を積むことが一番だろう。君の考えは素晴らしい。初日に、自分から積極的に行動できるなんて誰にでもできる事ではないよ」

「……いえ、そんな」

 

 ひたすら褒め称えるライに瑠花は少し気恥ずかしくなって視線を逸らす。本心で語っていると感じられるのがたちが悪かった。先程自身を運んだ方法も思い返し、余計に頬に熱が篭る。

 

「ただ、大丈夫だったか? 実際に敵を目のあたりにして」

 

 直後にライの口調が真剣なものへ変わった。今までの穏やかな様子は残しつつ、目が鋭さを増す。

 おそらく彼は瑠花の恐怖を心配して声をかけたのだろう。

 事実、瑠花はあの時に明確な死を実感した。今でも鮮明に覚えている。

 

「……大丈夫、と言いたいですけど」

 

 ゆっくりと言葉を紡いだ。

あまり弱音を吐きたくはないが、抱え込めるような感情でもない。誰かに聞いて欲しかった。

 

「やっぱり怖いですね」

 

 ぬぐい切れない不安を吐き出す。ライは口を挟むことはせず、彼女の続きを促した。

 

「実物を見たのは初めてです。しかもあれ程急な遭遇だなんて思いもよりませんでした」

「うん」

「体がすくんで、動けなくて。私は何も出来ないんだ、戦えないんだって思いばかりが浮かんできて」

 

 実際に襲撃を受けたのは時間にして数分程だ。しかしその数分はまだ幼い瑠花に衝撃を残すには十分な時間だった。

 

「……私は、この先ボーダーでやっていけるのか不安になりました」

 

 まだ初日であるものの先の記憶を克服できる自信はない。戦えない恐ろしさを味わい、瑠花の心に影を落とす。

 

「君が恐怖を感じない人でなくて良かった」

 

 そんな彼女に、ここまで相槌を打つにとどまっていたライが口を開いた。

 

「はい?」

「不安を恥じる必要はない。生死の懸かった場面、それを恐れないのは無謀だ。勿論そういった感情を楽しみに変えたりする事もできる人はいるかもしれない。だが無理に克服しようとする必要はないよ」

 

 その傷に打ち勝つ事は不要だと彼は言う。

 

「慣れるとまでいかなくてもその恐怖に折り合いをつけていくと良い。恐れと向き合い続ける時間が増える程、心の強さは増すだろう。それは誰もが出来る、何よりも大切な事だ」

「私にも、ですか?」

「そう信じている。戦えなくてもその代わりにできる事が君の価値となる。もしも問題となるのならば戦える者(僕達)が戦えばいい。その為の防衛隊員だ」

 

 未だに迷いが残る瑠花に、ライはさらに強く訴えた。

 恐怖を捨てる事が必ずしも素晴らしい事ではなく、戦闘員だけが全てと言うわけでもない。

 自分にできる事をやっていけば良いのだとライは断じた。その為にも自分を含む防衛隊員がいるのだと。

 

「——はい」

 

 小さな声で瑠花は返答する。

 恐怖は消えていなかった。だが、どこか心が軽くなったような感覚がある。自然と表情のこわばりもなくなっていた。

 

「少し、格好つけすぎたかな?」

「いえ。その、ありがとうございます」

「お礼なんていらないよ。そもそも僕だって4か月前に入隊したばかりなんだ。それほどボーダーに貢献できているわけではないからね」

「えっ? そうなんですか?」

 

 ライが首を縦に振る。その素振りに「意外だ」と瑠花は目を丸くした。

 戦い方や物腰、何よりもその言葉からは経験の重さが伝わってくる。まるでもっと長くの間戦っているように感じたのだ。それこそ本当に命のやり取りが行われる生身の戦場にいたかのような。

 

「あの。えっと――先輩は」

「紅月でもライでも呼びやすい方で構わないよ。皆好きな方で呼んでいるから」

「ではライ先輩と。ライ先輩はどこの部隊に所属しているんですか?」

 

 許可を得て瑠花は質問を続ける。ボーダーに入ったばかりならば出来たばかりのチームに入ったのだろうかと色々と推測して彼の答えを待った。

 

「ううん。僕の所属はない」

「え?」

「フリーのB級隊員なんだ。さっきも言ったように僕はボーダーに入ったばかりでもっと知りたいと思ったというのが理由の一つ。あと僕は少し事情が特殊でね。親しい人間もいないから様々な人と交流を深めようと思ったんだ」

「特殊?」

 

 気になる説明を耳にしてライの言葉を反芻する。親しい人間がいないとは考えられなかった。今の状況を見ても社交的な性格のようだし、共に行動していた防衛隊員とも普通に接していたように思える。

 

「……申し訳ないけど僕の口からはこれ以上何も話す事は出来ない」

 

 だがそこでライの話は区切りを迎えた。話さないのではなく『話す事は出来ない』。瑠花は若いものの彼の言葉の意味を汲み取り、何かボーダー本部の上層部が関わっているであろう事を悟り、追及する事はしなかった。

 

「そうなんですね。わかりました」

 

 深く踏み込んでこない事はライにとってありがたい事である。聡い子なんだなとライは瑠花を見て安堵の息を吐いた。この様子ならば特に強く自分の事について言いふらさないように念を押す必要はないだろう。

 

「——あの。ライ先輩」

「なんだい?」

 

 今一度瑠花が名前を呼ぶ。何かを決意したのか彼女は姿勢を正した。凛とした真剣な表情に空気も引き締まる。

 

「もしも、もしもの話ですが。ライ先輩がどこかの部隊に所属するのではなく、新たな部隊を作る事になったなら。誰かオペレーターを引き受ける人がいなかったなら。——私をライ先輩のオペレーターとして加えてもらえませんか?」

 

 思いもよらない提案にライの眉がピクリと動いた。

 あくまでも仮定の話ではあるとはいえ、今日入隊したばかりの彼女が、出会ったばかりである自分にこのような誘いをするとは早計すぎる。

 

「……君はまだボーダーに入ったばかりで部隊や隊員の事を良く知らないだろう。今すぐにチームの事を決める必要はない」

「わかっています。そもそも私がオペレーターとして続けていけるのかどうかも確実ではないんですから。だから一つの案として考えてはもらえませんか?」

 

 瑠花は約束してほしいとは言わなかった。ただ一考してほしいと彼に願う。

 一案として頭に入れてほしいというのはうまい言い方だとライも感心した。たしかにこれならば強く否定する事も出来ない。

 

「一応もう一度言っておくけれど、今日の一件の事は別に君が気にするようなことではない。僕は防衛任務という務めを果たしただけだし、僕がいなくてもきっと他の隊員が守ってくれただろう」

「そうかもしれません」

 

 念を押してライが先の救出を恩に思う必要はないと彼女を諭した。瑠花もその言葉に頷きつつ、己の意思を示す。

 

「ですがライ先輩が私を助けてくれたという結果に変わりはありません」

 

 真っ直ぐと、迷いのない瞳がライを射貫いた。

 

『結果は全てにおいて優先される!』

 

 彼の脳裏にかつて上司として付き従った男の言葉がよみがえる。

 どれだけ仮定や可能性を語ろうとも動きようのない事実がある以上、それらを考慮する事は無意味なのかもしれない。少なくとも彼女にとっては既に答えが出ているのだ。ならばこれ以上の言葉はかえって彼女を傷つける事になりかねない。

 

「それに、ライ先輩にとっても良い提案ではないですか?」

「ん? どういう意味だい?」

 

 熟考を重ねるライを見て、瑠花はさらに話を続けた。

 

「ライ先輩は自身の事を特殊であると仰っていました。だから部隊を組むにあたってもその立場を気にして二の足を踏んでしまうのではないですか?」

「————」

 

 驚きのあまりライは一瞬呼吸を忘れる。

 文字通り目を丸くした。

 瑠花はライが考えているよりも強く、そして賢い。頭の回転が早かった。

 

(あの情報量だけでここまで考え至ったというのか?)

 

 信じがたい事だが、彼女の指摘は的を射ている。

 現にライは部隊勧誘の話をいくつも受けながら頷くことは一度もなかった。勿論彼が常日頃話していたようにもっと環境を知りたいという考えもある。

 だがそれ以上に自身が抱える事情から応える事が出来なかった。

 出身は勿論の事、上層部からも注視されているであろう立場から他のB級の部隊に加わる事に抵抗を感じ、そんな自分が何の功績も上げぬままA級の部隊に入るというのも気が引ける。

 ライは良くも悪くも優しく真面目な性格だった。その為に周囲の人間の事を気にかけてチームの事をすぐに決める事が出来ずにいる。

 

「どうでしょうか? 今日私を助けたという恩を、ライ先輩が部隊を新設する時に返させてもらえませんか?」

 

 だから彼女の提案はライにとっても有益かつ効果的なものであった。

 

「それに私は忍田本部長の姪です。知っているかもしれませんが叔父は優しい性格ですから。何かあったとしても私がいるなら多少甘い目で見てくれるかもしれません」

 

 さらに瑠花は自分を取り入れる事で生じるメリットを付け加える。

 自身やライの事だけではなく権力者の名前まで上げるとは、彼女は意外と肝が据わっている性格なのかもしれない。

 

「なるほど」

 

 思わずライは笑みをこぼした。

 一時の感情だけではなく、自分と行動を共にすることのメリットも提示する。交渉と呼ぶには十分なものだった。これ程思考できる隊員ならば大丈夫だろう。

 

「――近い将来、君がオペレーターとして力をつけたころ。互いの力が必要になり、目指すものが同じだったならば」

 

 ライは覚悟を決めた。いつまでも悩んでいても仕方がない。それに部隊の事とていつまでも決めかねて周囲から難癖をつけられてしまっても困るだろう。

 何よりもここまで言ってくれた少女の想いを無碍にしたくなかった。

 

「その時は僕に力を貸してほしい。良いかな?」

「……よろこんで」

 

 ライが笑顔で問う。瑠花も微笑みを浮かべて彼の誘いを受け入れたのだった。

 

 

――――

 

 

「——陽介」

「うん? どうした?」

 

 その週の土曜日。ライは米屋の宿題を手伝いつつ、彼も気にしていた話題を切り出した。

 

「今まで悩んでいたけど、部隊の事を決めたよ」

「おっ!? まじか! 何処の隊だよ? A級か? B級か?」

 

 驚きと喜びを併せ持った表情で米屋が詰め寄せる。

 米屋にとってもライがどのような選択を取るのかは興味深いものだった。あらゆる部隊の隊員を想像しながらその答えを待つ。

 

 

「いや、既存の部隊には入らない」

「えっ? じゃあ……」

「ああそうだ。僕は新たに自分のチームを立ち上げる」

「マジかよ」

 

 どこかの部隊に加入すると考えていた米屋は唖然とした。彼もライの事情を知っている為、部隊新設にあたって必須となる人員の確保などが難しい事を知っている。ライは知人がいない上に入隊して日が浅い為に弟子も持っていなかった。戦闘員をそろえるのは勿論、オペレーターを探すのも一苦労である。

 

「で、誰と組むんだ? もう次のシーズンからランク戦にも出るのか?」

「他の戦闘員は現状考えていない。僕とオペレーターの二人だけだ。ランク戦はその子が十分な経験を積んで、僕の誘いに頷いてくれてから、だな」

「……はっ? おい待て。部隊を組むことは確定じゃねえの?」

「どうかな。彼女はこの前入隊式を終えたばかりだから。中央オペレーターとしてしばらく勉強しなきゃいけないし、ひょっとしたらその間に他の部隊に引き抜かれるかも」

「ってことはオペレーターって新入りの隊員かよ。じゃあ本当にまだわからねえのか」

「うん。でも決めたんだ。——少なくとも彼女に断られるまで、僕は他の部隊には入らないし、他の誰とも組まない」

 

 珍しく彼の語気を強めた発言に米屋は息を飲んだ。ここまでライが出会ったばかりの異性に入れ込むとは珍しい。

 

(これは、そっちか?)

 

 彼の様子から米屋は悪知恵を思い浮かべ、ライをおちょくろうと口角を上げた。

 

「何だよ何だよ。お前、ひょっとしてその子の事気に入っちゃったのか?」

「――陽介。以前僕に妹がいたと話した事、覚えているか?」

「はっ?」

 

 だが、再び予想外の答えが返ってきて米屋は間の抜けた声をこぼす。

 

「弱いながらに芯の強い、聡い女の子だった」

 

 昔を懐かしむような声色だった。

 ライにとって妹は二人いる。一人は勿論血のつながった妹、そしてもう一人はかつて彼がいた世界で、兄と似ているという事で慕ってくれていた女の子の事だ。

 

「彼女がどこか似ていると思ったのかもしれない」

 

 見た目の事ではない。むしろ彼女は純日本人であるために外見などは大きく異なっていた。

 似ているのは人間性。ライは人間性で彼女たちに通じるものを感じ取っていた。戦えなくても強さと賢さを持つ姿に面影を重ねている。加えて瑠花は中学二年生であると聞いた。ちょうど二人と同年代である。そう言った点からも似通ったイメージを持つのは必然だったのかもしれない。

 

「だからその気持ちには応えたいと思ったんだ」

 

 もう傷つく姿を見たくなかった。ライは前の世界でも妹のような存在を傷つけてしまった事に責任を感じている。実際に見たわけではないが、きっと記憶を失ったとしても自分がいなくなったことで涙を流したのだろうと確信を持っていた。それほど優しい少女だと知っているから。

 

「僕は待つよ。君の言う通りまだ決まっていないけれど、僕はその時を待ち続ける」

 

 そう言いながらも彼の言葉には確信が篭っている。

 まるでライの脳裏にはオペレーターを務める瑠花の支援の下、戦う自分の姿が浮かび上がっているようだった。

 

「……ライ。お前、やっぱすげえよ」

「それほどでも。さて、下種な発想をした陽介はしばらく一人でこの宿題を進めておいてもらおうかな」

「なにぃっ!? おい、嘘だろ!?」

 

 そう言ってライは席を立つ。彼は米屋の発言の裏を正しく読み取り、根に持っていた。

 颯爽と部屋を後にしようとするライの背中に米屋が必死に手を伸ばす。

 友の叫びを聞き流すライの表情はとてもさわやかなものだった。



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勧誘

「なあライ」

「何ですか?」

「どうしてレポートって溜まっていくんだろうな」

「いつまでも手を付けないからです」

「マジかー」

 

 ライはパソコンに視線を向けたまま、太刀川の疑問を切り捨てた。

 5月のある日の資料室。ライはボーダー本部でバイト後の休憩をしていたところにやってきた太刀川の助力を求める声に応じ、彼のレポートの仕上げを行っている最中である。後回しを続けた結果、積み重なってしまったらしい。

 彼曰く既に忍田には『自業自得だ』と見放され、風間は『自分でやれ』の一点張り。ついに普段からお世話になっている年上の人全てに断られ、ボーダートップランカーは年下の隊員に助けを求めたのだった。

 

「だがな、俺だって一応ボーダーの仕事をやっているんだぞ! 少しくらいそういう事情をくみ取ってもらっても良いと思わないか!?」

「大学側はバイトくらいの感覚に考えているんじゃないですか? あくまでも向こうの本業は学業なんですから」

「俺達の防衛任務がバイト扱いだと……?」

 

 これでも市民の安全を守っているのにと太刀川が天を仰ぐ。

 

「ふざけている暇があったら手を動かしてください。また本部長や風間さんに言いつけますよ?」

「それだけはやめてくれ!」

 

 改めて厳しい二人の名前を挙げると太刀川は涙さえ浮かべてライに訴えた。よほど厳しい扱いを受けたのだろう。あなた方の指導は完璧です、とライはこの場にはいない二人の指導ぶりを讃えるのだった。

 

「だったら頑張ってください。さっきから僕の方がこなしている量が多いんですよ? 何か思う事はないんですか?」

「お前ってやっぱり事務処理とかにも向いてそうだよなと思う」

 

 違う。そうじゃない。

 優れている人って思考が少しずれているのかな、とライは遠くを眺めて思考にふける。

 

「——あら。いた。こんなところにいたのね」

「えっ?」

 

 すると突然個室の扉が開かれ、女性の高く澄んだ声が室内に響いた。

 明るい金髪と艶ぼくろが特徴的な、ミステリアスな空気と女性っぽい色っぽさを纏う大人びた女性が入室する。

 

「おっ? 加古じゃないか! 珍しい所で会うな!」

「ええ。久しぶりね、太刀川君」

「休日に本部へ来るなんて珍しい。個人(ソロ)ランク戦をしに来たのか?」

 

 太刀川はその女性——加古に気づくや否や歓迎の声を上げた。

 彼女の名前は加古望。太刀川と同じくA級部隊の隊長を担っている女性である。

 A級加古隊隊長 射手(シューター) 加古望 

 

「いいえ。今日はその子に会いに来たのよ」

 

 すると加古は太刀川ではなく、奥に座るライへと視線を向けた。

 

「はじめまして、紅月君。私は加古望。彼と同じA級の隊員よ」

「はじめまして、加古さん。A級の隊長自ら会いに来ていただけるとは恐縮です」

 

 左手を差し出されると、ライも立ち上がりその握手に応じる。名乗る前から既に隊長であるという事を悟るライに加古の瞳がわずかに見開いた。

 

「あら? 私の事はもう知っていたのかしら?」

「A級とB級の隊員の事は頭に入れるようにしているので」

「そうなの? 勤勉なのね」

 

 虚言ではない。事実、ライは人との交流の上で差し支えがないようにと正規隊員の名前と顔、基本的な情報は知識として蓄えていた。

 

「ますます興味が湧いたわ」

 

 そんな彼の能力を聞き、加古の目がキラリと輝く。

 

「さっきも言ったように今日はあなたに会いに来たの。結論からで悪いのだけれど。――あなた、私の部隊に入らない?」

「おっ!?」

 

 突然の勧誘に隣で聞いていた太刀川が驚き半分、面白半分の反応を示した。 

 

「お断りします」

「なに!?」

 

 だが、ライはその誘いをキッパリと断る。

 

「そう言うと思ったわ」

「なぜ!?」

 

 一方提案した加古も返答を予測していたのか、気落ちする事無くむしろ俄然彼に興味を示した。まるで事前に打ち合わせをしていたかのような流れの速さに太刀川は理解が追いつかない。

 

「ただ、私もそう簡単には引き下がれないの。あなたはうちの部隊にはまさに適任の逸材だったから」

「と言いますと?」

 

 強い関心を持っていると語る加古に、ライも彼女の話を聞く事にした。それを興味がある反応だと受け取った加古は促されるまま説明を続ける。

 

「加古隊の隊員は全員頭文字(イニシャル)『K』で揃えているの」

 

 すなわち名前がか行のいずれかから始まっている名前の人物で統一しているという事だった。ライも苗字が紅月、「こ」から始まる名前の為適性を認められている。

 

「だから『K』で才能ある子を見つけると声をかけずにはいられないのよね」

「なるほど。エンブレムの蝶に書いてあったKはそれを意味していたんですか」

「そこまで見ていたの? マメな性格ね」

 

 自身の隊が持つエンブレムにも知識を持っている彼に加古は感心した。

 一度でもA級へ昇格した隊は隊専用のエンブレムをつける事が許される。加古隊のモチーフは蝶で右羽にはKの文字が刻まれていた。これは隊長である加古の指針が籠められている。

 

「お前そんな事まで知ってるとかすごいけど、さすがに入れ込みすぎると脳がパンクしないか?」

「太刀川さんはせめてもう少し知識を詰めてください。しぼんでしまいますよ」

「ぐっ!」

 

 茶々を入れる太刀川は正論で一刀両断された。

 

「ですが、加古隊は女性隊員で構成されるガールズチームであると聞きました。そこに僕が入っては問題でしょう。それより、今期C級隊員に入った木虎隊員はどうです? 彼女の才能は突出しているものがあると思います」

 

 さらにライは加古に対しても当たり障りのない受け答えを示す。

 彼の言う通り現在加古隊はオペレーターを含む3人の隊員が全員女性であった。そこに男性隊員が一人加入すれば男女の双方から批判が出る可能性もある。そう言った事を避けるためにもライは木虎の名前を出し、後輩の抜擢も狙った。

 

「彼女にも声をかけたのだけれど、断られちゃったのよね」

「木虎がですか?」

 

 こくりと加古が頷く。

 木虎が向上心のある隊員であると知っているライにとって意外な事実だった。上からの誘いとなれば誘いに乗ると思っていたのだが、ひょっとしたら他の精鋭部隊からも声がかかっているのかもしれない。

 

「他の隊員の事なら気にすることはないわ。別に私は気にしていないし、男性であろうとも気になる存在がいれば声をかけているの」

 

 さらに加古は逃げ道を塞ぐ。事実、現状で加古の誘いに応じたのが女性隊員だけであったというだけで、男性がいないのは結果的にそうなっただけだったのだ。今後も男性であろうとも才能があれば声をかけると語る加古に対し。

 

「——それでも、お断りします」

 

 やはりライは拒絶の意志を示した。

 

「残念。理由を聞いても良いかしら?」

「ハッハッハ。聞いても無駄だぞ加古。こいつは誰に対しても同じ答えを返しててだな」

「一緒に部隊を組むと約束した女の子がいるんです」

「……何っ!?」

 

 何故か得意げに教えようとした太刀川だが、彼も加古もライが部隊を作るという話を聞いて驚愕する。

 

「それは初耳だぞ! お前、いつの間に!?」

「私も知らなかったわ。申請の届は出ていないと聞いていたのだけど」

「決めたのはつい先日です。申請の届を出していないのも当然です。そのオペレーターの子が部隊発足できるほどの経験を積んでからと決めているので」

「相手は一体誰だ? 中央オペレーターの隊員って事だろう?」

「はい。5月の入隊式の日に入隊した子です。名前は一応伏せておきます」

「あら。入隊したばかりの女の子なのね」

「その通りです」

 

 今まで誰の誘いにも応じなかった彼が、入ったばかりの隊員と部隊を組むと知って二人の興味はさらに増した。

 

「でもそれならまだ部隊結成は決まったわけではないのでしょう? 少し考えてみてはくれないかしら?」

「確かに加古さんの言う通りです」

 

 部隊結成の話はオペレーターの隊員次第であるという話。ならばこの誘いは一考に値するものだろうと加古は言う。確かにライもそれについては同意を示した。

 

「ですが、もう決めた事なので」

 

 だが最後まで意志を曲げることはしない。断固たる決意を二人に見せた。

 

「――そう。それなら仕方ないわね。じゃあ最後に、もう少しだけ付き合ってもらえないかしら?」

 

 彼の気持ちを汲み取り、加古はそれ以上ライを勧誘はしない。代わりに、ある場所へと連れていくのだった。

 

 

――――

 

 

「——どうだったかしら?」

 

 ライと太刀川を連れて加古が向かったのは加古隊の作戦室だ。

 大型近界民(ネイバー)との戦闘訓練を終えて、加古が訓練室から戻ってくる。彼女はライに加古も使うトリガーを交えた戦闘を見せていた。

 

「今のがタイマー、そして韋駄天よ。他にもいろいろと試しているトリガーがあるわ」

「こういう風にA級は特典で開発室に依頼すればトリガーを改造できるんだ」

「それによってより自由な戦闘が可能になる。あなたの能力を考慮すれば、より強くなれるはずよ」

「……なるほど」

 

 加古と太刀川の説明を受けてライは満足げに頷く。

おそらく能力とは副作用(サイドエフェクト)の事を指しているのだろう。たしかに今見せてもらったトリガーはライの能力と非常に相性が良いと考えられるものだった。

 

「あなたがうちに入ればきっと満足できる武器を手に入れられると思うわ。だから、そうね。もしもあなたが新設部隊で満足できなければ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、いつでも声をかけてね。歓迎するわ」

 

 それこそが加古の狙い。強化されたトリガーを見せ、ライにメリットを提示する。あくまでも『部隊の新設がかなわなければ』という譲歩も見せて改めてライに声をかけるのだった。

 

「ありがとうございます。では、僕は自分の部隊でA級に上がれるように頑張ります」

 

 彼女の誘いに、ライはその特典は自分たちの力で手に入れて見せると、遠回しに拒絶の意を示す。

 

「あら残念」

「ハッハッ。やっぱり意志が固いなあ」

 

 加古は左手を頬に当てて上品に微笑んだ。一方太刀川はこうなると読んでいたのか高笑いを上げている。

 

「それなら見届けさせてもらうわね。これからあなたがどんな部隊を作るのか」

「……はい。少なくとも人を見る目は間違いではなかったと言ってもらえるように頑張ります」

 

 最後にそう言って二人は穏やかにこの勧誘の話を終えるのだった。

 

「もうこんな時間ね。——そうだわ。長々と二人を引き留めてしまったのだからご飯くらい食べて行って」

「いいんですか? ありがとうございます」

 

 ふと加古が時計を見上げると、いつの間にか12時を回ろうとしている。お腹もすいた頃合いだ。折角の機会だ、ご相伴にあずかろうとライはお礼を告げて頭を下げた。

 

「おい。ちょっと待ってくれ、加古!」

 

 だがなぜか太刀川は冷や汗を浮かべて、台所に向かおうとした加古を呼び止める。

 

「何かしら?」

「あらかじめ聞いておきたいんだが、そのメニューは何だ?」

「作ってからのお楽しみよ。最初に言ってしまっては面白くないでしょう?」

 

 必死な呼びかけをサラッと受け流す。セレブを彷彿させる受け答えと仕草に太刀川は「面白さは料理にはいらないんだが」と掻き消えそうな言葉を口にするのだった。

 

「——お待たせ。出来たわよ」

 

 待つこと10分ほど。加古が二人分の料理を机へと運ぶ。

 

「黒蜜タピオカ炒飯よ」

 

 突如現した料理を目の前に、ライは自らの耳を疑い、次に目を疑い、最後に常識を疑った。

 

「タピ……タピ? ……炒飯?」

 

 ライは炒飯(と呼ばれたもの)を凝視する。皿のすぐ上にあるものは一般的に炒飯と指定されているものだった。だが、その炒飯の上に黒いタピオカの粒と黒蜜がかかっている光景が異様に映る。

 一度視線を上げ、加古の表情を見上げた。変わらぬ笑顔である事を確認し、もう一度炒飯を見る。念を押して加古の顔を再び見つめた。やはり笑顔のままだった。

 

「……なるほど」

 

 この一連の流れを経て、ライは全てを理解する。

 

(これが日本の縦社会か!)

 

 違う。

 

(年上の者に逆らった者はたちまちいじめを受けるという、あの!)

 

 だから違う。

 

「二割の方が来ちゃったか―」

 

 ライの横では太刀川が天を仰いでいた。

 決して加古は料理が下手というわけでも味覚がおかしいというわけでもない。むしろ彼女は炒飯作りが得意であり、8割ほどの確率で絶品の極旨炒飯を幾度も完成させてきた。

 問題は残りの2割である。これらは外れと呼ばれており、ゲテモノ揃いとなっていた。

 好奇心がこのような創作料理を作り出すのだろう。運悪く今回二人はこの二割を引き当ててしまう。

 

「どうぞめしあがれ」

「…………いただきます」

「えっ。行くのか?」

 

 そんな事など知る由もないライは、加古の笑顔の圧に押され、恐る恐る炒飯へとスプーンを伸ばした。年上の女性の誘いを断ってしまったという罪悪感から逃れる事はできない。

 太刀川の心配そうな視線が向けられる中、ライは加古の手料理を口にした。

 

「————」

 

 一瞬、時が制止する。

 

「どうかしら?」

 

 文字通りワクワクしているような加古の表情を目にしたライは強引に咀嚼を続け、そして一気に飲み干した。

 

「…………懐かしい味でした」

「なにっ!?」

「あら。本当?」

 

 考える事数秒。女性を傷つけるような発言はできない。感想を求められたライは熟考の結果、短くそう答えた。

 彼の脳裏には、かつて友の誘いを受けて訪れた施設で口にした、甘味にあふれたお寿司が浮かんでいる。

 

「なんだ。見た目だけなのか。じゃあいただきます」

 

 何も知らない太刀川はライの発言を高評価であると受けとり、安心して炒飯を食べ始めた。

 

「――――」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

「太刀川さん!?」

 

 そしてその味にトリオン体が耐え切れずに緊急脱出する。

 結局その後太刀川が戻ってくることはなく、ライは残った炒飯を全て平らげる事を余儀なくされ、太刀川は一人でレポートを進める事になった。

 

 

――――

 

 

 翌日。

 

「おう、三輪か。ちょっと良いか?」

「太刀川さん? 何ですか?」

「紅月の事で話があるんだ。あいつおかしいんじゃないか?」

「どういう意味です?」

「加古が作る外れの方、2割の料理を食べて『懐かしい味』と言ってたんだよ」

「ハッ!!!!????」

(馬鹿な! そんなはずが!)

「ひょっとして味覚とか記憶とか俺達が考えている以上に色々弄られてるんじゃないか?」

 

 太刀川から話を聞くや否や、三輪はすぐに駆け出し、開発室へと向かった。

 

「鬼怒田室長。至急、紅月のより精密な検査をお願いします」

「三輪隊長? 一体どういう事だ?」

「太刀川さんの話によると、加古さんの外れを食べて『懐かしい味』だと語ったそうです。味覚や記憶に障害が出ている可能性があります」

「何!? それはいかん! 重症である可能性が高いぞ!」

 

 この後ライは開発室に呼び出される。何時間もかけて精密検査が実施された。何も異常は出てこなかった。



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交渉

 時は6月。

 B級ランク戦も始まり、新入隊員もようやくボーダー本部での生活に慣れてきた時期である。その日、三輪は防衛任務を終えて食堂で食事を済ませていた。

 

「あら、三輪くん」

「加古さん。おつかれさまです」

「ええ。お疲れ様。防衛任務上がりかしら?」

「はい」

 

 加古が食事中の三輪を見つけると反対側の椅子に腰かける。

 二人は同じA級の隊長であり、かつてはとある部隊に共に所属していたチームメイトでもあった。

 

「そういえば、この前あなたが見つけた子と会って来たわよ。紅月君」

「紅月ですか?」

「ええ」

 

 面白そうに加古は語る。確かに太刀川や当真をはじめ、A級の中でも優れている隊員達でさえ彼に興味を示していた。加古がライに目をつけるのも当然だろうと結論付ける。

 

「でも駄目だったわ。紅月君にフラれちゃったの」

「ブッ!」

 

 寂しげにため息を吐く加古を見た三輪は、口に含んだ汁物を思わず零しかけた。

 『紛らわしい言い方はやめてください』という言葉は発せられず、その場でせき込む。

 加古が名前の頭文字がKの隊員を集めていることは三輪も知っていた。だからどうせ勧誘に失敗したのだろうと三輪は考えたのだが。

 

「紅月君は『もう他の女の子と約束した』んだって」

「……はっ!?」

 

 ようやく落ち着いた頃に続けられた言葉に三輪は呆然とする。

 おかげで反論は続かず、『部隊の話ではなかったのか?』と思考が停止した。

 ライがあらゆる部隊の勧誘を断っているという話は米屋達を通じて聞いている。その為に彼には加古の話と部隊の件がすぐに結びつかず、まさか本当に異性とのお付き合いに関する話なのかとパニックに陥った。

 

「一途よね。私と部屋まで一緒に行ったのに、初めてはその女の子とが良いとも言っていたわ」

「部屋? 初めて!?」

「今は無理だけど、その子が成長したら届も提出するらしいし」

「(婚姻)届!?」

 

 冷静さを失った三輪は次々と押し寄せる驚愕な事実の波に押し流されていく。情報の整理は間に合わず、彼の中で間違った結論が固まろうとしていた。

 

「少し紅月と話をしてきます。俺はこれで失礼します」

 

 未だに食事が残っているにも関わらず、三輪は立ち上がり片付けへと向かう。目指すはライが住んでいる作戦室。職員に食器を託すやいなや、凄まじい速度で廊下を駆け抜けて行った。

 

「——まだまだね」

 

 そんな年下隊員の後ろ姿を見送る加古は目を輝かせている。彼女は意外とお茶目な一面を持ち合わせていたのだ。

 

 

————

 

 

「紅月!」

「三輪じゃないか。どうしたの?」

 

 作戦室へ雪崩れ込むような勢いで駆け込んできた三輪を出迎えるライ。息を整えると三輪は早速本題へと切り込んでいく。

 

「加古さんがお前にフラれたと言っていたが、本当なのか?」

「加古さん。ああ、この前の話か」

 

 名前を聞いて思い当たる事があったのだろう。ライが思い返すように瞳を閉じて口を開いた。

 

「本当だよ」

「……そうか」

「陽介には前に話しておいたんだけど、実はそれより前に他の女の子と約束したんだ」

「なん、だと……!?」

 

 二つの事実が三輪に衝撃を与える。

 一つは、やはり先の話が本当であったという事。ライの表情は真剣なものだった。彼は真面目な性格であり嘘をついているとは思えない。

 もう一つは彼がすでに同僚である米屋に打ち明けたという事だった。米屋は少しばかりお調子者な一面がある。こういう女性がらみの話題は笑って対応しそうなものだが。

 

「あの時は陽介に少し笑われたよ」

 

 ほらみろと三輪は二度頷く。

 

「でも約束したから。彼女をおいて他の人の返事に頷くわけにはいかなかったんだ」

 

 ライの真剣な眼差しを前に、三輪はそれ以上何も言えずに引き下がらざるを得なかった。

 本気だ。彼は本気でその相手と一緒になろうとしているのだ。

 

「わかった。お前がそこまで考えているならば俺が口を挟む事ではない。突然すまなかった」

「大丈夫だよ。確かに三輪に話してなかったから丁度良かった。そんなことより、少し三輪に聞きたい事があるんだけど」

「そんな事よりだと?」

 

 この話はひとまずの終わりを迎え、ライが話題を切り替えようとするのだが、彼の言葉が気に食わなかったのか三輪はライに突っかかる。

 

「俺は相手の事を良く知らないが、その女性は大切にしろよ。長い付き合いになる可能性が高いんだからな」

「——わかっている。誰かに言われるまでもない。彼女の事は絶対に傷つけない。そういう存在からは僕が守る。そう決めたんだ」

 

 強い意志が籠められた言葉に、改めてきちんと向き合っているのだと理解し、三輪は息を吐いた。

 こうして真面目なすれ違いは一度も交わることなく終わりを迎える。

 

「――それで? 聞きたい事とは?」

「ああ。実は、本格的に旋空を習得したいと思ってね」

「旋空を?」

 

 旋空とは弧月専用のオプショントリガーだ。トリオンを消費する事で瞬間的に攻撃範囲を拡張する事が出来る。

 

「この前ランク戦で鋼が有効的に使っているのを見たんだ。僕も実戦に向けて今のうちに学んでおきたい」

「なるほどな」

 

 ライはかつて一度だけ戦った後輩の名前を挙げた。村上も無事に正規隊員へ昇格を果たし、今(シーズン)から来馬・今と組んで来馬隊、鈴鳴第一としてランク戦に参加している。将来的に別役も加えて4人部隊を編成する予定との事だ。

 

「荒船は鋼の指導に付きっきりだしね」

 

 村上が師と仰ぐ荒船は一対一の訓練で忙しく、教えを乞うにはタイミングが難しかった。

 だから三輪へと頼んだのだとライは語る。

 

「太刀川さんはどうだ? お前は結構交流があるんだろう?」

「それが太刀川さん達は今度遠征に行くらしいよ。だから日程的に厳しいんじゃないかって」

「なるほど」

 

 ならば攻撃手(アタッカー)一位に聞いてはどうかと考えるも、太刀川は近々遠征に向かう事情があった。遠征となれば準備の期間もあって指導は難しい。この案も却下となった。

 

「だから三輪に相談したんだ」

「ふむ。しかし俺も陽介もそれほど旋空を使うわけではないからな」

 

 だが三輪も米屋も旋空を積極的に使うわけではない。そもそも三輪は普段は旋空をセットしておらず、米屋も場を整える為に使う程度で彼の要望とは合わないだろう。

 

「——お前もB級隊員だ。ならあの人が適任かもな」

「誰だい?」

「B級にボーダー随一の旋空弧月の使い手がいる。その人に聞いてみると良いだろう」

 

 そして三輪はある隊員の名前を告げた。

 B級でありながら攻撃手(アタッカー)としての実力はトップクラス。旋空を使わせれば右に出るものはいない曲者を彼に紹介する。

 

 

――――

 

 

「——おお。よう来たな。三輪隊長から大方話は聞いとるで」

「はじめまして、生駒さん。紅月ライと言います」

「生駒達人や。よろしゅうな」

 

 生駒隊作戦室。

 三輪の紹介を受け、ライは一人部屋を訪れていた。

 黒髪のオールバック、引き締まった目元、いかつい顔が特徴な男性。隊長である生駒がライを出迎える。

 B級生駒隊隊長 攻撃手(アタッカー) 生駒達人

 

「ほんで? 念のため、君の方から今回の用件を聞いとこか」

「はい。僕も近々部隊(チーム)ランク戦に参加しようと考えています。攻撃手(アタッカー)としての戦術を広げる為に旋空を学びたいと考えました」

「ふむふむ」

 

 用件を問われるとライが淡々と事情を話し始めた。

 

「その為にもボーダー随一の旋空使いであるという生駒さんから学びたいと思いました。どうかご指導のほどよろしくお願いします」

 

 椅子から立ち上がり、ライは大きく頭を下げる。

 生駒の返答を静かに待つのだった。

 

「断る。帰れや」

 

 だが、ライの頼みを生駒は一刀両断する。

 

「いやいや、イコさん。早すぎでしょ。今の話だけで普通断ります?」

「初対面の相手にズバッと言いすぎや」

 

 あっさりと客人の依頼を断った隊長に批判の声が集まった。

 三白眼とボリュームのある髪が目立つのは水上。ツンツンした黒髪ショートヘアの女性は細井である。

 B級生駒隊 射手(シューター) 水上敏志

 B級生駒隊 オペレーター 細井真織

 

「なんでそんなあっさり断ったんですか?」

「アカンやろ。だって――俺よりイケメンやん」

『はっ?』

 

 茶髪の髪が跳ねた男性、南沢から理由を問われると生駒は再び簡潔に答えた。

 B級生駒隊 攻撃手(アタッカー) 南沢海

 そのあまりにも酷な理由に誰もが言葉を失う。

 

「師匠より容姿の優れた弟子なんてアカン。俺の存在が薄れてまう」

「イコさんは十分濃いでしょ」

「こんな理由で弟子入り拒む人初めて見たわ」

 

 生駒は当然のように話を続けるが、理由のせいで誰も納得していなかった。

 そもそも同僚が語るように生駒は癖が強いボーダー隊員の中でも一際目立つほど個性を前面に押し出す人物である。心配は無用なはずだが、生駒は一歩も引く気を見せなかった。

 

「それに紅月君と言うたな?」

「はい」

「君の話、実は前にうちの隠岐からも聞いとったんやで。『俺と同じくらいのイケメン、しかも新顔に撃たれました』とな」

「いやそこまで言うてませんて。巻き込まんでもらえます?」

 

 新たに話題の渦に巻き込まれた右目の下に泣き黒子がある容姿の優れた男性、隠岐が苦情を呈する。

 B級生駒隊 狙撃手(スナイパー) 隠岐孝二

 実はこの隠岐とライは狙撃手(スナイパー)訓練で何度か対峙した事があったのだ。その時ライが隠岐を狙撃した事を指しているのだろう。

 

「君狙撃手(スナイパー)としても優秀なんやろ? 三輪隊長がわざわざ話よこすくらいなら剣の腕もヤバいとわかるで。これ以上習う必要あるんか?」

 

 その狙撃の力、そして三輪が気遣う事から予測できる剣の腕。そこからライが相当な腕であると見越して生駒はライに問いかける。

 

「あります」

「ふむ。なんでや?」

「僕は部隊を作る予定です。ですが他に戦闘員を組む予定は現状ありません」

「てことは戦闘員一人部隊っちゅうわけか?」

「初めてで一人はヤバいで」

 

 これから作る部隊の話を聞くと生駒隊の面々は苦言を呈した。基本的に戦闘員は3人から4人というのが定説である。それなのに初めて部隊を結成するライは一人、確かに大丈夫だと考える方がおかしい話だった。

 

「ええ。だからそれでも上に行けるくらいの力を身に着けたいんです」

 

 それはライも承知している。その上で勝ち残れる、上位に登り詰めるだけの力が欲しいのだと生駒へ語り掛けた。

 

「なるほど」

「お願いします」

「駄目や」

「早っ!」

「今の流れはオッケーとちゃいますの?」

 

 しかしライが頭を下げる中、再び生駒は否定の答えを返す。あまりにも淡々とした受け答えだった。当然皆不満を漏らす。

 

「えっ。だって上に行くって事は俺らと当たるって事やで。アカンやろ。俺と彼の師弟対決とか考えてみ。女の子はどっち応援する?」

「……まあイコさん派は少ないやろなあ」

「ほれみい」

「アカンわこれ。イコさん変な意地張っとる」

「すまんな紅月君。女の子の話になるとうちの隊長うるさいねん」

 

 生駒隊はB級の中でも上位に君臨する実力者達だ。ライの発言通りだとすると将来戦う可能性が高いだろう。そうなるともし自分とライが師弟となった時、どちらが女性人気を獲得するのか。ライの優れた容姿を見て、まず自分を応援する声は少ないだろうと生駒は結論づけた為にこの話を断っていた。

 

「——いえ。よく考えてみてください。生駒さん」

「何がや。説得なら無駄やで。俺の意志は固いとボーダー中で噂になっとるくらいや」

「誰が噂してるんです?」

「一度も聞いたことないわ」

 

 すると一計を思いついたのかライはわずかに笑みを浮かべて生駒へと話を振る。

 そう簡単には動じないと生駒は断りを入れたが、周囲の声はそれを否定していた。

 ここまでの話から察せられる生駒の性格から勝算はあると考えたライはゆっくりと話しはじめる。

 

「まず、僕が生駒さんの弟子になったとします」

「おう」

「当然周囲に噂は広がるでしょう」

「ほんで?」

 

 どうなるのだと生駒は先を促した。

 

「生駒さんがイケメンと認める程の男が自ら生駒さんに頭を下げて弟子入りを願った。それほどのカリスマを生駒さんが持っているとすれば、世間の目は変わりますよ」

「……変わる? ホンマに?」

「間違いなく」

「君天才か?」

「違います」

「早っ!」

「うちの隊長の意志軽いなぁ」

 

 あっさりと生駒はライの言葉にのる。その変わり身の早さにチームメイトは呆れを覚えてため息をついた。

 

「いや待て。結局さっきの話はどうなるん? 二人が戦えばやっぱり君に黄色い声集まるやろ」

「その可能性もあるかもしれません」

「駄目やん」

「けどその弟子に打ち勝ち、師として高い壁であり続けたならばその雄姿に誰もが惹かれるでしょう」

「――我が弟子・ライよ。これからは気軽にイコさんと呼ぶんやで」

「認めた!」

「手首が複雑骨折してそう」

 

 こうして生駒は急に掌を返す。あっさりと師弟関係が成立し、誰もが苦笑いを浮かべて隊長の姿を見つめるのだった。

 

「はい! イコさん、これからお願いします!」

 

 師に認められたライの表情は笑顔であふれている。

 彼は力だけでなく相手を持ち上げ、交渉を成功させるだけの話術も持ち合わせていた。



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大志

 ライが生駒に弟子入りを果たし、旋空を習い始めて早くも二か月が経過した。

 防衛任務や生駒のランク戦の合間をぬって行われた訓練でライの技術は飛躍的に向上している。

 師曰く『ヤバいな。えっヤバない? ヤバいよな。あと一年もしたら紅月旋空とか呼ばれる技作ってそうなんやけど』との評価であった。あくまでもライ本人は否定しているが、それだけ師に認められているという事である。

 ちなみに生駒の旋空は他の隊員と比べて射程が長く、攻撃手(アタッカー)でありながら一部の銃手(ガンナー)に近寄ることなく切り捨てる事から生駒旋空と呼ばれていた。師専用の技と比較されることからも彼の技量が窺える。

 こうしてライは攻撃手(アタッカー)として更なる研鑽を積んでいたのだが、彼の向上心は留まる事を知らなかった。

 

「——玲を紹介してほしい?」

「頼めるかな?」

 

 ライが訪れていたのは三輪隊の作戦室。

 No.2狙撃手(スナイパー)と名高く、彼にとっては狙撃の師でもある奈良坂に話を打ち明ける。用件はB級の那須隊を率いる隊長・那須を紹介してほしいという事だった。

 

「確かに俺は玲と従姉弟であるから紹介する事は出来るが」

「うん。だから奈良坂に相談したんだよ」

「——知っていたのか」

 

 コクリとライが頷く。

 彼は基本的情報としてボーダー隊員の家族構成や所属校などを把握していた。奈良坂と那須の関係も既に知っていたのだと言う。

 

「まあそれなら話は早い。ただ、玲は少し事情があってそういつでも会えるという訳ではないんだ」

「どういう事だい?」

 

 さすがに那須がボーダーに加わった事情までは知らなかったのか、奈良坂の言葉にライは首をかしげる。

 

「玲は昔から病弱なんだ。ボーダーに入ったのもそれが理由なんだよ」

 

 奈良坂の話によるとこういう事だった。

 那須は昔から体が弱い。そのような人がトリオン体に換装する事で元気になるのだろうかという研究に協力する形でボーダーに入隊した。

 結果、トリオン体を手に入れた事で無事にフィールドを駆け巡る那須の姿が今あるのだと。

 

「だからいつでも会えるという訳ではない。玲が防衛任務が入っている時、あるいはランク戦のある時にした方がいいだろう」

「なら防衛任務の後が良いね。さすがにランク戦の時は彼女に影響がありそうだ」

「そうだな。なら俺の方から日程を聞いておく。わかり次第お前に連絡しよう」

「ありがとう。よろしく頼む」

 

 こういう事情の為那須がボーダー本部にいる時間は限られた。

 彼女の体調を考慮して防衛任務の前後で都合が良いときに二人を会わせようという事で意見は固まり、その日の話は終わりを迎える。

 そして都合の良い事にこの三日後。

 奈良坂からライへと連絡が入った。今日の夕方、那須隊の面々が防衛任務に入っている。彼女と話をして、約束を取り付けたという知らせだった。

 

 こうしてその日の夕方。

 ライと奈良坂は共にボーダー本部のラウンジにつくと、並んで椅子に腰かけた。 

 

「——もうすぐ来るらしい」

「そうか」

 

 従姉からの通信を見て奈良坂がそう告げる。

 

「そういえば、奈良坂。一つ確認しておきたい事があるんだけど」

「なんだ?」

 

 喉を潤わせようと奈良坂が水を口に含んだ。すると、ライが何か思い至ったのか彼にある疑問を投げかける。

 

「那須さんって実は病弱なフリをしているだけで、本当はすごく活発だったり『はじけろ近界民(ネイバー)!』とか言ったりしないか?」

「何なんだ? その具体的なたとえは?」

 

 ライの脳裏には病弱な演技をして猫を被っていた赤髪の女性の姿が浮かんでいた。

 

「はっきりと言っておくが違う。玲は本当に体が弱い。今でこそトリオン体のおかげで活発に動き回れるが、そうでなければ運動するのも辛い程なんだ」

「ああ、そうなんだ」

 

 奈良坂の説明を聞いてホッと息を吐く。

 よかった。やはり彼女のような存在は特別だった。

 

「わかったならいい。病弱なフリをした女性隊員は別のやつだ」

「いるんだ」

 

 前言撤回。やはりどこの世界にも一人はいるらしい。

 

「ちなみにその人のポジションは?」

攻撃手(アタッカー)だ。しかも太刀川さん達とトップ争いをしている実力者でもある」

「……へえ」

 

 攻撃手という事は近接戦闘を得意とするという事であった。

 しかもその実力はボーダーでも上位に値すると奈良坂は言う。

 思わずライはまさか自分の他にも身内がこちらの世界にいるのだろうかと冷や汗を浮かべた。

 

「——お待たせ透くん」

 

 ライがおかしな想像を浮かべていると、何処からか高く澄んだ声が耳朶を打つ。

 振り返ると淡い金色のボブヘアが特徴的な女性、那須がこちらへと歩み寄っていた。

 B級那須隊隊長 射手(シューター) 那須玲

 

「玲。本部では久しぶりだな。体調は大丈夫か?」

「ええ。今はトリオン体だし大丈夫よ」

「今日も元気に動いていたので問題はないはずです」

「お久しぶりです。奈良坂先輩!」

 

 那須に続き、彼女のチームメイト二人も席に着く。

 前髪の中央を上にあげた黒髪ショートの女性が熊谷、黒い帽子におさげ髪、元気にあふれた女の子が日浦だ。

 B級那須隊 攻撃手(アタッカー) 熊谷友子

 B級那須隊 狙撃手(スナイパー) 日浦茜

 

「わざわざ防衛任務の後に悪かったな」

「ありがとうございます」

「いえ。今日は襲撃もなかったので丁度良かったですよ」

 

 二人が礼を言うと、熊谷が代表して答えた。

 那須の体の事情もあってあまり無理を強いることは出来ない。故に今日はまさに両者にとって都合の良い日であった。

 

「それで透君。今日は私に頼みがあるとの事だったけど」

 

 早速那須が本題に切り込む。

 

「ああ。今日は玲に紹介したい防衛隊員がいる」

「ええ。ある程度は話を聞いているわ。それで? その人はどこに?」

「……ん?」

 

 奈良坂が手短に用件を伝えるが、どこか那須との間で認識の差異が生じているように感じられた。

 

「ああ。そうか紹介がまだだったな。先ほどから横にいるこいつだ」

「えっ?」

 

 どういう事だと悩んだが、まだお互いに紹介していなかったと気づき、奈良坂は隣に座るライに手を向ける。

 しかし那須は目にしても納得できなかったのか疑問符を浮かべた。

 

「その人、食堂の職員さんでしょう?」

 

 真面目な顔で那須はそう言って首をかしげる。直後、ライと那須を除いた3人の笑い声がラウンジ内に響くのだった。

 

 

————

 

 

「ごめんなさい。紅月先輩。何も知らずに、ごめんなさい」

 

 机に頭がつきかねないほど深々と那須が頭を下げる。

 

「いや、頭を上げてくれ。女性にそんなに頭を下げられてはこちらの居心地が悪いよ」

「そうですか?」

「大丈夫だって。食堂で働いているのは事実だし、驚かれるのは珍しいことじゃないから」

「ありがとうございます」

 

 「まあさすがに職員と間違われたのは初めてだけど」とは心の中にとどめておいた。

 那須がようやく頭を上げるとライは少しでも気持ちが楽になってもらえればと笑顔を浮かべる。

 

「……玲。さすがに今のは、ね」

 

 口を押えながら熊谷が那須の肩に手を置いた。こちらはまだ先の余韻が残っている。

 

「しょうがないじゃないクマちゃん。本当に知らなかったんだから」

「ちなみに二人はライの事を知っていたのか?」

「はい。私は直接戦った事はありませんが、紅月先輩が個人(ソロ)で戦っている所を見た事があったので」

「私は狙撃手(スナイパー)訓練で何度かお会いしてます!」

 

 奈良坂が質問すると二人は得意げに答えた。つまり、那須だけが本当にライの存在を知らなかったという事になる。

 だがこれも仕方がない事だった。なにせ那須は普段はあまりボーダー本部を訪れない。ライもあまり率先して個人(ソロ)ランク戦に挑むことはなく、バイトに出る機会が多かった。その為那須はライが食堂で働く場面でしか顔を見た事がなく、今回のような出会いとなってしまう。

 

(今度からはもう少し個人(ソロ)ランク戦にも出よう)

 

 もう二度とこんな事が起こらないようにとライは堅く決意した。

 

「まあ、ひょっとしたら玲以外にもそう思われてるかもしれませんよ」

「どういう事だ?」

「私この前チラッと耳にしたんですけど、C級隊員の間で紅月先輩の話題で『幻の美形』とか呼ばれてましたよ」

「ちょっと待って。何だいそれ?」

 

 初耳だが初耳ではない単語が話題に上がり、ライが熊谷に詰め寄る。

 

「いえ。たまに個人(ソロ)ランク戦に強くて綺麗な男の人が現れるけど、どの部隊を探しても一致する人はいない。しかも攻撃手(アタッカー)かと思ったら狙撃手(スナイパー)の訓練にも現れる。本部の廊下で見たという声もあれば食堂で似た人を見たという話もあるのに一向にどの部隊の人かすらわからない」

「————」

「そんなわけで主に女子の間で『幻の美形』って噂になってましたよ」

 

 ライは言葉を失い、奈良坂はこらえきれずに体を震わせた。

 それはわかるはずもない。ライは現在フリーの隊員なのだから。

勿論彼らの意見が全くわからないというわけではなかった。本来は強いフリーの隊員ほど真っ先に部隊勧誘の話がかかる。ライのようにこの勧誘を断り続ける事が珍しい事だった。

 

「とりあえず、その話はもう大丈夫。僕は部隊を作ると決まっているから」

「そうなんですか?」

「まあその話はいずれ、ね」

 

 とはいえいつまでも話題が逸れたままというわけにはいかない。手短にそう説明して、ライは一つ咳払いをすると那須に視線を向けた。

 

「今日、那須さんには射手(シューター)としての動きやトリガーを教えて欲しいと思ったんだ」

「……クマちゃんたちの話からすると紅月先輩は攻撃手(アタッカー)狙撃手(スナイパー)のトリガーを使うようですけど」

「今はね。だけど、僕は全てのポジションで戦えるようにしたいと思っている」

 

 ライの言葉を受けて那須の目が見開く。

 すべての距離で戦える、すなわち完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)を目指しているとライは言った。

 決して簡単な話ではない。現状では完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)は数多くのボーダー隊員の中でも一人、しかも特製のトリガーを使用している一人だけだった。

 誰もがなれるものではない。

 

(……本気なんだ)

 

 だが、那須はライの意志を確認する事はしなかった。彼の真剣な瞳からその気持ちを感じ取ったのだろう。

 

「わかりました。ですがどうして私なんですか? 他にも射手(シューター)には優れている隊員がいます」

 

 とはいえわからない事もあった。

 それは何故射手(シューター)としての指導を那須に求めたのかである。彼女は決して射手(シューター)界でトップに位置するわけではなかった。A級には彼女以上にポイントが高い隊員も所属している。

 

「理由は三つ。射手(シューター)として点が取れる事、リアルタイムで弾道を引いていたという事、合成弾を使いこなしていた事。これら全てを満たしているのは那須さんだけだった」

 

 するとライが質問に答えた。

 射手(シューター)はシールドの能力向上の影響もあって単独で点を取る事は難しい。上位の隊員でも補佐に回る事が多い程だった。

 そして射手(シューター)のトリガーは基本的にはあらかじめ設定してある弾道を放つ場合が大多数を占めるが那須は違うという事。

 最後に、二つのトリガーを組み合わせた合成弾を使いこなしていたという事だった。

 

「——つまり紅月先輩は射手(シューター)としても単独で点が取れるように。そしてバイパーや合成弾を使いこなせるようにしたい、という事ですか?」

 

 那須の問いにライは大きく頷く。

 決して簡単な事ではなかった。しかしライは全く退く素振りは示さない。事の難しさを理解しながらも、真っ直ぐ那須を見つめ続けた。

 

 

————

 

 

 那須隊作戦室。

 既に奈良坂は二人を会わせる用件を済ませたという事で三輪隊の作戦室に戻っている。今はトレーニングステージに那須とライが入っている状態だった。

 

「バイパー以外の説明は、必要でしょうか?」

「いや。トリガーの事自体は知っている。僕自身那須さんからはバイパーを学びたいと思っているからね。那須さんが必要ないと考えたものは省略してもらって構わない」

「わかりました」

 

 射手トリガーには4種類存在する。威力重視のアステロイド、追尾性能が高いハウンド、軌道変化量が多いバイパー、直撃すると爆発するメテオラだ。

 このうちライが学びたいのは那須が最も得意とするバイパー。基本的なトリガーとしての知識は持っている為、習得において必要な事だけで構わないとライが語った。

 

「では戦う上で射手(シューター)として必要な事を。射手(シューター)の一番のメリットは弾丸の構成要素である威力・射程・弾速の3要素の配分を一度ずつ決められるという事です」

 

 まず那須は射手(シューター)用トリガーの特殊性について説明する。

 射手(シューター)は他のトリガーと比べて威力が低いとされるが、その分優れている点もあった。それは弾丸の構成を常に設定できるという事である。

 

「バイパーはさらに、自分で弾道を設定する事も可能です。多くの人はいくつか変化する道筋を決めておいて、その設定に沿って放つのですが」

「那須さんはそれを毎回できると」

「その通りです」

 

 那須が頷いた。中々できる事ではないが、この那須の技術により彼女の得点力は高いのである。

 

「やはり弾の動きも細かく設定する事でシールドをかわすだけでなく、相手の動きを読んだ上での射撃も可能になります」

「相手が反撃に出ようとしたり、逃走を図った時に有効という訳だ」

「はい。ただこれには慣れが必要となるでしょう。先ほど言った配分の決定も同時にこなす必要があります」

 

 敵の行動パターンを読んだ攻撃はこの動きがあってこそ。できる様になれば射手(シューター)としての大きな強みとなる。反面、当然のことながら事前に考える事も増えるために隊員の負担は大きなものとなると那須は語った。

 

「具体的なイメージとしては私の記録(ログ)を見るとわかりやすいと思います。あとは実践と言いたいところですが……」

『駄目だね、玲。小夜子はやっぱり出てこないよ』

「小夜ちゃん駄目そう? そっか。合成弾の事も含めてサポートが必要だと思ったんだけど……」

 

 チラッと那須が視線を上げると彼女の意見を悟った熊谷から返答が響く。

 小夜子とは那須隊のオペレーター、志岐の事であった。本来は彼女が補佐をするのだが、彼女は極度の男性恐怖症であるためにライがいる中では仕事が出来ず、今は彼女に代わって熊谷と日浦の二人がサポートをしている。

 とはいえ本職の人間と比べるとやはりここからの実践は難しくなるだろう。

 どうしようかと那須は考えに耽った。

 

「……わかった。那須さん、それじゃあ今日はこのあたりで大丈夫だよ」

「そうですか?」

「ただ、もう少し知りたい事があったら質問して良いかい?」

「勿論です」

「ありがとう。僕は君の言った通り射撃トリガーに慣れる様、うちのオペレーターになる子と練習するよ」

 

 するとライが折衷案を提示する。

 ここから先わからない事、知りたい事があれば再び那須に相談し、訓練のサポートは自身のパートナーに託そうと。

 

 

————

 

 

「本部長、本日の業務これで終了となりました」

「ああ。ご苦労だった。今日はゆっくり休んでくれ」

「はい。失礼します」

 

 まとめあげた報告書を忍田に提出し、一人の少女が指令室を後にした。

 彼女の入隊から早くも3か月が経過。基地の業務処理にも慣れて様々な技能を取得している。データ解析などの部隊運用の仕事も板についてきた。

 能力が備わってきたためか普段の心持ちにも余裕が出てきている。そろそろ、部隊付きオペレーターの転向希望を考えるくらいに。

 

「瑠花」

 

 廊下を歩いていると、突如少女の名前を呼ばれた。

 聞き覚えのある懐かしい声色だ。予想しない再会に驚き、瑠花は声の主へと視線を向ける。

 

「ライ先輩!」

「お仕事お疲れ様。——この後少し時間を貰えないかな? 君と話をしたい」

 

 そこにはかつて彼女が部隊を組む事を提案した隊員、ライが立っていた。



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師弟

 空中には両輪を煌めかせて跳ぶ数体のバドが舞っていた。

 小型の飛行型トリオン兵である。偵察任務に送り込まれるというだけあって打ち落とす事は難しい。そもそも射程がある武器を持たなければ攻撃を当てる事さえ不可能な相手であった。

 

変化弾(バイパー)」 

 

 そのバドに向けてライはメイントリガーに組み込んだバイパーを起動。彼の手元に巨大なトリオンキューブが生成されると4×4×4の小さな正方形に分割し、放出される。

 バイパーは途中までは一直線に進み、そして一体のバドに迫るや敵を包囲するように軌道を変えて多角的に襲い掛かる。防御手段を持たないバドは一瞬で爆発した。

 

(他のトリガーより威力が弱いといっても、やはり防がれなければ十分だな)

 

 射手(シューター)トリガーは他のトリガーと比べて威力が低い。だがトリオン体の耐久力は決まっているのだ。一発決められれば十分な威力となる。そして盾を掻い潜るには自分で弾道を設定する変化弾(バイパー)はとても価値があるものだった。

 

『ライ先輩、次です。3時の方向にバド二体!』

「了解。最短経路の割り出しをお願い」

『わかりました』

 

 瑠花の声が直接耳に響く。彼女の指示に従ってライは次の標的に向けて動き出した。

 ここはライが住む作戦室のトレーニングステージである。瑠花と出会ったライは彼女に射手(シューター)トリガーの練習補佐を依頼したのだ。彼女の協力を得て、まずは使い方に慣れようと様々な仮想トリオン兵を相手にトリガーを撃ち続ける。

 

「よしっ。——炸裂弾(メテオラ)

 

 続いてライはサブトリガーのメテオラを起動。こちらは分割せずにキューブをそのまま上空へと撃ち上げた。

 

変化弾(バイパー)。弾速重視に調律」

 

 メテオラがバドの目前に迫ると続いてバイパーを放つ。しかも先ほどと異なり今度は威力を捨て、弾速に特化した弾だ。

 バイパーがすさまじい速さでメテオラを撃ちぬいた。爆風がバドの視界を奪い、その間に一部のバイパーが向きを変えて上空から襲い掛かる。トリオン体は耐え切れずに地上へ落下していった。

 

『バドの撃破を確認。次は6時の方向に——ライ先輩、下がって!』

「ッ!」

 

 さらなる標的を探そうとしたライを、瑠花の強い叫びが止める。

 言われるまま後ろにバックステップを踏むと、一体のバムスターが建物を突き破って突撃を仕掛けてきた。

 

「新手か!」

 

 引き続きライは後ろに下がり、距離を取りながら今一度バイパーを展開する。

 今回、ライは射撃訓練という事で普段の弧月などのトリガーは装備していなかった。あくまでも射手(シューター)としての経験を積む為に。

 あらゆる状況を想定して立ち振る舞えるようにと、次々と出現するトリオン兵へ仕掛けていった。

 

警告(アラーム)が遅れた。今のは私のミス)

 

 ライが戦闘を続ける中、瑠花は一人先ほどの失態を悔やむ。

 機械操作や情報分析にはそれなりに慣れたつもりでいた。

 しかし今回は実際の戦闘のサポートという事で進路の確保、戦力分析、位置解析などの並列処理を行う必要があり、その点で後れを取ってしまう。

 もう少し警告が遅れれば、あるいはライの回避能力が優れていなければ彼は攻撃を受けていたかもしれなかった。

 ライが射手(シューター)の練習という事でその弾道設定、敵の位置補足などやる事は多い。しかも今後は彼が狙撃手(スナイパー)として振る舞う時は負担がさらに増す可能性もあった。

 

(まだ実力が足りない……!)

 

 あまりにもやるべき事が多い。瑠花は自分が彼の能力、ポジションに応えられるだけの立ち位置にいない事を嘆いた。

 

 

————

 

 

「お疲れ様でした」

「いや、トリオン体だから疲れはないよ。それより突然のお願いに答えてくれてありがとう。助かったよ」

「いえ。私も勉強になりました」

「そうか。本当にありがとう」

 

 訓練が終了し、トレーニングステージから出て来たライを瑠花が出迎えた。

 トリオン兵が相手とは言え様々な動き、戦闘行動を実践する。これは非常に貴重な訓練だった。特にオペレーターの支援はやはり頼りになる。おかげで次の自分の移動経路や離れた位置にいる敵への弾道設定は非常に楽になった。

 ライは改めてもう一度瑠花に礼を告げる。

 

「……ライ先輩」

「ん?」

 

 今日はここまでにしようかと考えていると、瑠花が先に口を開いた。

 

「私はこの数か月、中央オペレーターとして仕事をこなしていました」

「うん。知ってるよ」

「自分としてはそれなりに機器操作や情報分析など、一通りの知識や技術を身に着けたと思っていました」

 

 ですが、とそこで瑠花は話を区切る。

 

「今日の訓練でわかりました。まだ経験が足りません。先ほども情報処理に追われて警告が遅れた時もありました。この先ランク戦や他の部隊との合同防衛任務ではさらに情報が増える可能性が高いのに」

 

 今はあくまでも仮想トリオン兵が相手であった。本物や対人戦では動きが全く異なる可能性もある。加えて今はライ一人だが、部隊を組んで他のチームと合同で任務を組むとなればよりオペレーターの能力が求められる可能性も予測された。

 

「ごめんなさい。もう少し時間がかかりそうです」

 

 そう言って瑠花は悔し気に瞼を下げる。

 ライが今も部隊に加わらず、フリーの隊員である事を彼女も知っていた。それがきっと自分の事を考慮しての判断であるという事も。

 だからこそ彼の期待に応えられない自分が余計に悔しかった。

 

「そうか」

 

 彼女の偽りない意見を聞き、ライはゆったりと歩みを進める。4、5歩ほど進んだ所で止まると彼は背中越しに瑠花に告げた。

 

「本当は今日、君に部隊を結成しないかどうかを聞こうと思っていた」

「ッ!」

 

 変わらぬ声色であるのに、その声を聞いて瑠花は強い衝撃を受ける。

 彼がこう考えるのも当然の事だった。

 まもなく今(シーズン)が終わる。また新入隊員が加わり、次のランク戦へと向けた準備も始まる時期が来るのだ。

 新たな部隊発足には丁度良い時期である。あるいは瑠花の力を考慮して考えを変える可能性も捨てきれなかった。

 

「——だけど、やっぱりやめよう。次(シーズン)からの参戦を考えたけどそれはなしだ」

 

 しかしライにも様々な可能性、選択肢があるにも関わらず、あっさりとそう続ける。

 

「僕自身まだ射手として訓練が必要だ。攻撃手や狙撃手としても精度を上げる必要もある」

「良いんですか?」

「ああ。だから君が良ければ、これからも時間がある時に手伝ってもらっても良いかな?」

「……はい」

 

 断る理由などなかった。

 瑠花本人も共に訓練を重ねればより部隊結成の時を早められるかもしれない。

 改めてお互いの意見を確認し、二人は協力を約束したのだった。

 

 

———— 

 

 

 ボーダー本部ラウンジ。

 

「合成弾の展開も十分早くなってきたと思います。あとは他の組み合わせですが」

「それに関してはどうなんだ? 現状ではバイパーは必ず入れようと考えている。メテオラ以外にも何か組み合わせがあるのかい?」

「はい。例えばアステロイドと組み合わせた『コブラ』などもありまして……」

 

 那須がライに合成弾に関する講義を行っていた。

 最初の訓練以降も二人の師弟関係は続いている。現在はバイパーだけでなく合成弾の訓練も並行して実施されていた。

 那須もトリオン体ならば訓練に付き合う事には何も支障がない。体調も良く、隊員以外の人物との交流により精神的な切り替えもできるので彼女にとっても悪い話ではなかった。

 特にライは成長スピードが速い為に会う度に新たな強さを身に着けてくる。那須は初めて人に教える中で、師としての楽しみに似た感情を覚えていた。

 

「——おう、ライ。何やっとんねん」

「こんちわ」

 

 こうして二人の討論が行われる中、生駒隊の生駒と水上が二人に声をかける。

 

「あっ。お二人ともお久しぶりです」

「なんや。最近射手(シューター)のトリガーも使うとると思ったら、那須さんに聞いとったんか?」

「そうなんです」

「あらら。上手く師匠見つけたな。B級でもトップレベルの相手二人も師匠につけるとは」

「ありがとうございます」

 

 水上の言葉に那須は嬉しさを覚えて笑みをこぼした。

 生駒隊はランク戦で常にB級上位に君臨する強豪だ。そんな彼らに実力を認められる事はやはり喜ばしい。

 

「許さんで、ライ」

「えっ? 何がですか?」

「自分、今の状況わかっとんのか?」

「はっ?」

 

 すると、生駒の幾分か苛立ちを含んだ声がライに向けられる。

 突如剣の師に問い詰められるも一体何を指しているのかわからなかった。今の状況と言われても、ただ那須と二人でトリガーについて語っていただけである。

 

「遠くから二人の様子を見るとな」

「はい」

「美男美女のカップルにしか見えんねん」

 

 するとその行動自体が許されないのだと生駒は断じた。

 

「アカンやろ。こんな公共の場で不純異性交遊なんてイコさん許さんで!」

「いや、イコさん。話聞いてました? 彼らトリガーの話してただけでしょ。どこが不純なんです?」

「男女が二人っきりは不純やろ。俺なんて純粋やから一回もやったことないで」

「モテないの自慢すんなや」

 

 「それは相手がいないからでは?」とはライは口にしない。言えば最後、師匠のいら立ちがさらにぶつけられるとわかっていた。

 

「あの、生駒さん。紅月先輩は真面目に私の力を信じて頼ってくれたんです。その言い方は紅月先輩に失礼ではないですか?」

 

 だが、那須は真っ向から生駒の言葉を否定する。彼女は穏やかだが真面目であり、近しい存在が不当に傷つけられるのは許さない優しい隊員だった。

 まだライと知り合ってそれほど長い期間がたったわけではないが、初めてものを教える立場になった隊員だ。ここまで一方的に言われては黙っていられない。

 

「いやいや那須さん。騙されたらアカン。男なんて皆獣なんや」

「それだとイコさんも含まれてません?」

「ライもさも『僕は異性なんて興味ないです』みたいな顔しとるけど、内心まんざらでもないとか思っとるで。間違いない。師匠の俺が保証する」

「なんで自分の弟子をここまで貶めてるんや。この師匠」

 

 水上の指摘を右から左へ聞き流し、弟子の評価を下げようと生駒は話を続けた。

 

「はあ。紅月先輩。あなたからも何か言ってください」

 

 このままでは埒が明かない。那須は黙り込むライへと意見を振った。

 

「正直に?」

「ええ。ビシッと言ってください」

「まんざらでもない」

 

 そして今日一番の爆弾がその場に投下される。

 

「なっ」

「おおっ。漢がおった」

「なっ。何を、言っているんですか!?」

「いや、だから正直に……」

 

 突然の言葉に那須が頬を赤らめ、水上は感嘆した。当の本人は『何もおかしなことは言っていない』と言うように平然を保っている。

 

「——ライ」

 

 一方、生駒も無表情のままライを睨んだ。

 

「ブースに行くで。ちょっと鍛えたるわ」

 

 間違いなく私情が含まれた声色でそう続ける。

 こうしておかしな形で師弟対決が始まろうとしていた。

 

 

————

 

 

「どないしたんや!」

 

 ライの胴体が横一線に切り落とされる。

 

「女の子なんぞにうつつを抜かして!」

 

 空中へよけようとしたライを生駒の旋空弧月が真っ二つにかち割った。

 

「剣の腕鈍くなったんとちゃうかあ!? 羨ましいわ!」

 

 右手に展開したシールドごとライの体を叩き切る。

 今日の生駒は絶好調であった。

 強い掛け声と共に放たれる彼の斬撃はすさまじいキレを帯びている。この声までブースの外に聞こえたら大変な事になっていただろう。

 とはいえ生駒は数多くいる攻撃手(アタッカー)の中でもポイントが総合5位に位置する実力者だ。彼の剣術は旋空という得意武器もあってさらに強みを増す。

 ライ ×〇×××〇×××

 生駒 〇×〇〇〇×〇〇〇

 二人の10本勝負は最後の一本を残したところで2対7。既に生駒が勝利を決めていた。

 

「強い! さすがNo.5攻撃手(アタッカー)!」

(多分イコさんがずっと変な事叫んどるけど黙っとこ)

 

 感情が籠められた刃はそう簡単には止められない。

 圧倒的な剣技が披露され、観戦していた那須や他の隊員達からは称賛の声があがった。対して、見知った関係である水上は生駒の本質を悟りながらもそれを胸の内に封じ込む。

 

「わかったか? 今後は女の子と会うならまず師匠の俺を紹介してからにするんやで」

 

 最後の一本が始まる直前、生駒が弟子に向けてそう告げた。

 「なるほどそれが本音か」とライは師の考えを理解して笑みを浮かべる。

 

「努力はしますよ。ですが、すみません」

『ラスト一戦、開始!』

「このままやられたままでは終わりませんから」

 

 だがただではやられない。ライも今一度生駒に宣戦布告した。

 二人の体が今一度市街地Aに転送される。

 

「旋空——」

 

 戦いが始まるやいなや、生駒は早速居合の構えを取った。

 

(横薙ぎか!)

 

 奇襲行動に遅れることなくライは回避行動に移る。即座に飛び上がり、旋空の射程から逃れた。

 

「甘い。この勝負、もろたでライ!」

「ッ!」

 

 すると生駒は構えをそのままに突撃する。旋空の叫びはフェイクだった。空中に身を投じた事で次の動作を封じたライへ切りかかる。

 

「シールド!」

「おっ!」

 

 敵の突撃をみたライはシールドを自分の後方の地面に固定して展開。その盾を蹴って急加速した。向かってくる生駒へ逆に切り込んだ。

 ライの弧月を辛うじて弧月で受ける生駒。直後、着地したライは勢いそのままに地面を蹴り再び生駒の背後に迫った。

 

「ちっ!」

「旋空——」

「あかん!」

 

 ライは右腕に持つ弧月を突き出そうと右腕を引く。

 一点に集中された突きは弧月で受け切る事は不可能だ。瞬時に生駒は両手でシールドを展開し、せめて急所を守ろうと左半身をライに向けた。

 

「——弧月!」

 

 そしてライの旋空弧月が解き放たれる。

 彼の刀は容易に生駒のシールドを破り、その体に大きな円の風穴を開けるのだった。

 

「なん、やとっ!?」

『トリオン漏出過多。生駒ダウン! 十本勝負終了。3対7。勝者、生駒』

 

 ただの突きでは説明がつかない形、大きさの傷だ。生駒は理解が出来ないままブースへと強制転送された。

 そしてこのランク戦の終了が告げられる。

 ライ ×〇×××〇×××〇

 生駒 〇×〇〇〇×〇〇〇×

 3対7。勝負は順当に生駒が勝利を収めた。

 だが、最後のライが獲得した一本は生駒をはじめ見ていた多くの人々に衝撃を残す。

 

「えっ。最後の何あれ? アイビスでも撃たれたんか? 反則やろ反則」

「いや、彼弧月を持ってましたよ」

「嘘やん」

 

 倒された生駒は当然理解できず、水上に意見を求めるが二人とも解明には至らなかった。

 

「ビックリしたわ。これホンマに新たな旋空が出るかもしれんで」

 

 過大評価ではなく、本心で生駒はそう続ける。ひょっとしたら自分はとんでもない男を弟子にしたのだろうか。興味と関心の目をライに向けた。

 

「お疲れ様です。紅月先輩」

「ありがとう那須さん」

「初めて弧月を使う所を見ましたが凄いですね。あの生駒さんを相手に3本も取るなんて驚きました」

 

 そのライが那須に飲み物を手渡され、笑顔を向けられている光景を目にし、生駒の表情が凍る。

 

「……ライ。ちょっと顔貸し」

「はい?」

 

 すると生駒はライだけを呼び出し、他の人から聞こえない場所へと移動すると、彼に告げた。

 

「今日で破門や。もう相手にする事はない」

「なんでですか?」

「俺に嘘をついたやろ! 俺が勝てば黄色い声が集まる言うたやん!」

「器ちっさ」

 

 突然の破門宣言。その理由に水上は思わずそう苦言を呈する。

 

「ちょっと待ってくださいイコさん」

「何や。こうなった俺を説得は無理やで。不貞腐れとるからな」

「自分で言うんかい」

 

 何とかライは機嫌を直してもらおうとするも、生駒は動じないと息を鳴らした。大人げない対応だと水上は突っ込む中、ライはどうにか意見を変えてもらおうと思考を巡らせる。

 

「このまま破門なんてして良いんですか?」

「なんや。俺に何か不都合でも出るんか?」

「はい」

「言うてみ」

 

 聞く価値はあると感じたのか、生駒は話の続きを促した。

 

「那須さん以外にもこの戦いを見ていた人がいます。そんな中、ここで生駒さんが僕を破門したと知ったら彼らはどう考えると思いますか?」

「どうなるん?」

「最後の一発をまともに食らい、それを脅威に感じて弟子を切り捨てた。生駒さんが自身のNo.5攻撃手の地位が揺らぐのを恐れたと」

「ちょっと待てや! そんなの事実とちゃうやろ!」

「ええ。ですが彼らは事情を知りませんから」

 

 ライの説明を聞き、生駒が珍しく頭を悩ませる。これを好機と見たライは休む間を与えずに追撃をかけた。

 

「ですがここで生駒さんがむしろ僕の成長を認めて今後も鍛えようと宣言したらどうなると思いますか?」

「わからん」

「弟子の成長に喜び、共に強くなろうと言ったならば。その大人の余裕と貫禄に皆生駒さんへの敬意が増すでしょう」

「——よしっ。今の話は全部なし。冗談やって。大事な弟子をそう簡単に捨てるわけがないやろ? ライ、戻ってええで。テイク2や」

「はい」

「ええ……」

 

 ライの説得に応じ、生駒は見事に掌を返す。水上の冷めた視線が刺す中、ライが那須の下に戻った事を確認し、生駒は彼の元へと歩み寄る。

 

「ライ。見事やったで。最後の一本は俺もしびれたわ」

「そうですか? ありがとうございます」

「おう。しかしなあ、その一本を取るまでに7本も取られたらアカン。特にランク戦なんてポイントが行き来するシビアな戦いや。全部勝つ気でないとな」

「その通りです。まだまだ未熟です」

「わかっとるならええ。今後もビシバシ鍛えたる。覚悟しときや」

「よろしくお願い致します!」

 

 最後にそう言って生駒は背中を向けた。ライの挨拶を耳にすると背中越しに手を振ってその場を後にする。

 

「背中で応える俺。カッコいい」

「ええ。その一言さえなければ完璧でしたよ」

 

 水上のツッコミを受けながら二人は作戦室へと戻っていくのだった。



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未来

「——久しぶりだな。よく来てくれた」

 

 ボーダー本部指令室。本部長である忍田は許可を得て入室した男性を歓迎した。

 入ってきたのは一人の青年。オールバックにした前髪とブリッジの無いサングラスが印象的な彼は、ボーダーに二人しかいないA級を超えた特別枠・S級隊員の一人。

 

「どーも。確かに久しぶりですね忍田さん」

 

 名前を迅悠一という。

 玉狛支部所属S級隊員 攻撃手(アタッカー) 迅悠一

 

「それで? 今日はこの実力派エリートにどのような御用でしょうか?」

 

 自らを『実力派エリート』と称する彼は飄々とした態度で忍田に問を投げた。目上の者への態度としては少々難があるものの、忍田はそれを咎める事はなく話を続ける。

 

「紅月君の事はお前も知っているな? 今から一年ほど前に入隊した隊員だ」

「紅月。——ああ。そういえば前にそんな連絡がありましたね。向こう(・・・)から帰ってきた彼の事でしょう?」

「そうだ」

 

 どこで聞く耳を持たれているかわからない為、迅がそう曖昧にぼかした。それで話は通じ忍田はコクリと頷く。

 

「実は、彼が今度自分の部隊を発足する」

「それは初耳ですね。彼はすぐB級に上がったものの、ずっとフリーの隊員だったと聞いていますが」

「ああ。私も知ったのはつい最近の事だ。そして一緒に部隊を組む相手が私の姪らしい」

「つまりオペレーターは瑠花ちゃん?」

「そうだ。彼女から話を聞いた」

 

 直接会った事はないものの、迅は忍田を経由して彼の姪がボーダーに入ったという事を聞いていた。

 

「彼が一時期持たれていた疑いはすでに晴れているが、この件でまたよからぬ考えを持つ者がいるのも確かだ」

「本部長に近しいものに近づいて、って事ですか?」

「その通りだ」

 

 話を聞き、おそらく根付さんあたりだろうなあと迅は予想を立てて納得する。

 早い段階で正隊員になっていたにも関わらず部隊入りを拒んでいた隊員が、ここにきて上層部に近い人間と組んで部隊を結成するという話が浮上した。ここまでの活動は下準備であり、ボーダーの中枢に近づく機会を窺っていたのではないかと疑念を持たれたのだろう。

 

「お前には少し調べてもらいたい。彼と親しい者、接点がある者はこちらでリストアップしてある。彼らと接触し、そしてお前に直接彼を見てほしい(・・・・・・・)

 

 お前ならわかるだろうと忍田は言う。

 

「勿論。エリートですから」

 

 期待を寄せられた迅は気の抜けた笑みを浮かべて答えるのだった。

 

 

————

 

 

「——別役隊員。こちらの書類に不備がありました。もう一度確認してください」

「どえええ!? 何がですか!?」

「用紙が一枚足りません。加えて押印が一つ欠けています」

「そんな!」

「提出に必要なものです。持ち帰ってよく探してみてください」

 

 廊下でそう語るのは瑠花だ。お目当の隊員を見つけた彼女は淡々と述べると、奇怪な声を上げて走り去る別役の姿を見送った。

 中央オペレーターには事務的な仕事も含まれている。その為こういった事も慣れたものなのだが。

 

「まったく……」

 

 これで彼女が担当するものだけでも3度目となればため息も出る。

 どうも別役は抜けた面があるらしく危なっかしい。戻ってきても何か不備があるのではないかと疑われた。

 瑠花が近い未来の事を不安視する中、迅は彼女の後ろから近づくと——サスリと彼女のお尻を撫でる。

 直後、乾いた音がその場に響いた。

 

「——どちら様ですか?」

 

 その音を起こした本人、瑠花は数歩後退りしながら頬を叩いた迅を見る。

 

「やあどうもオペレーターの瑠花ちゃん」

「どうして私の名前を?」

 

 『ストーカーですか?』と言わんばかりの糾弾の視線を向けられた迅は釈明するように彼女の疑問に答えた。

 

「俺は玉狛支部の迅。少しお話を聞かせてもらえない?」

 

 

————

 

 

 一通り瑠花から話を聞いた迅は大きく息を吐く。

 

「うーん。少なくとも君の話を聞く限りでは何も問題がないんだけどなー」

 

 そう言って迅は頭をかいた。

 瑠花の語る内容を信じるならば紅月ライという人物は温厚で真面目な好青年という事になる。迅も写真を見て顔を知っていて事実外見から見た限りではその様に思えた。

 

「何か問題があるんですか?」

「いやいや。別にそんなんじゃないよ。ただ気になる事があってね。例えばこれ」

「何ですか?」

 

 そう言って迅は手元の資料を指差す。

 何事だろうと瑠花は立ち上がり、迅の椅子の横へと歩み寄った。

 直後、再び彼女のお尻に迅の右手が伸びる。

 

「ッ!」

 

 先ほどよりも鈍い音が木霊した。

 

「良い威力だ。でもリアクション堅いぞー瑠花ちゃん? 『もうっ。迅さんのバカ!』とかでいいのにさー」

(次は何か鈍器で殴ろう)

 

 あくまでも迅は大丈夫な相手を選んでセクハラをしているものの、瑠花の中ではどんどん彼の対応が悪化していく。

 彼女の心境を知る由もなく、迅は話を戻して説明を再開した。

 

「彼、私生活の時間がほとんどないみたいなんだよね」

「えっ?」

 

 瑠花もその資料へと目を通す。紙にはライの先週の一週間分のシフトが書かれていた。

 ライはバイトもボーダー内の施設で行っている為調査は容易だ。

 ここに書かれている事が事実ならば、彼は確かにほとんどの時間を任務や仕事、ランク戦で終えているという事になる。

 

「……あの。平日も任務で埋まっているんですけど。ライ先輩高校はどうしているんですか?」

 

 いくらなんでも出席日数が危ういのではと危惧した瑠花が彼に質問した。

 

「ん? 聞いてない? 彼は高校には通ってないよ」

「えっ?」

「まあその辺りは色々事情があるみたいだ。知りたいなら本人に聞いた方が良いよ」

 

 彼女の問いに対する答えを迅は口にしない。いや、出来なかった。

 

(少なくとも一緒に組む子に対しても秘密を話してはいないか)

 

 何せ彼の話は外部に漏らしてはいけない内容が関わってくる。迅は申し訳ないと思いつつ、ライがきちんと上層部と交わした契約を守っている事を確認し安堵した。

 

(まあこれ以上踏み込まれてもまずいしここは退散しとこう)

 

 とはいえこれ以上深入りされては迅が対処に困ってしまう。

 迅は話をそこで切り上げ、他のリストに上がっている人物に聞きこもうと席を立つのだった。

 

 

————

 

 

 A級Tさんの証言。

 

「おう迅。久しぶりだな! ——何? 紅月? 面白い奴だな。実は何度かランク戦もやったが腕が立つぞ。初戦で二本も取られた相手は久しぶりだ。しかも頭もキレる。実はこの後も遠征期間中にたまってしまったレポートを……えっ、後ろ? 風間さん? あっ。今のは違っ」

 

 A級Nさんの証言。

 

「最初見たときはその腕に驚きました。迅さんも知っての通り奴の事情が絡んでいるのでしょうが、本人の性格もあると思います。そうでなければあの真面目さは説明できない。ただいつもボーダーにいるようなのでその点が心配ではありますね」

 

 A級Mさんの証言。

 

「迅! ……さん。あなたと話す事は何もありません。紅月? どういう事だ。何故あんたがあいつの事を。——今度は一体何を企んでいる!?」

 

 A級Yさんの証言。

 

「良い奴っすよ。頼めば勉強教えてくれるし、弁当とか作ってくれるし。……ええ、春から依頼があれば弁当も作ってますよ。バイトの一環らしいです。最近はランク戦にハマってるのか結構ブースでも見ますね」

 

 B級Aさんの証言。

 

「俺の方が先輩ではありますが、正直な話参考にしてますね。それくらい技量が高いというか器用で、しかもヤバいです。知ってます? あいつトリオン体じゃない時でも壁走りとかやってるんですよ。俺も一回だけ真似したけどできませんでした」

 

 B級Iさんの証言。

 

「ライは俺が育てた。いやホント、師匠に似て旋空が凄いわ、女の子にモテるわで——アカン。なんか自分で言ってて辛うなってきた。もう無理。緊急脱出(ベイルアウト)してええ?」

 

 B級Nさんの証言。

 

「真面目な人ですね。しかも飲み込みが早いです。私は教えるのが初めてなのでついつい話し込んでしまうのですが、いつも真剣に聞いてくれて。ただ、その……本気なのかどうかわかりませんが、たまに発言がその、言われたこちらが恥ずかしくなってしまうと言うか……」

 

 A級Kさんの証言。

 

「優しいけど意志が固い子ね。以前部隊に誘ったけれどフラれちゃったわ。あそこまで男の子にキッパリ言われたのは久しぶりかも。でもその後も気兼ねなく接してくれてるわ。この前も堤君たちと一緒に炒飯をふるまった時があったの。おいしさのあまり涙をこぼしながら完食していたわ」

 

 B級Kさんの証言。

 

「同期だからたまに支部に遊びに来てくれる時もあって話す事があるけれど、会うたびに驚くよ。頭の回転が早いし、状況判断力が高い。しかも考え方が多角的というか、政治家みたいに思う。ただ、人が良いのか頼まれたら断れないみたいで。うちの隊員が結構迷惑をかけてしまう事があるんだよね……」

 

 B級Mさんの証言。

 

「ええ。たまに個人(ソロ)で戦いますね。ライが射手(シューター)の練習する時もありますが、ランク戦ならば基本は剣で。——強いですよ。戦い慣れしてるのもそうですが的確に急所を狙ってくるし、効率よく相手の動きを封じてくる。戦略にも通じているようで、どこかで戦争でも経験してきたんじゃないかと思ってしまいますよ」

 

 

————

 

 

 一通りリストに載っている人物から話を聞き終えた迅は大きく息を吐いた。

 

「……実力者ばかりだ」

 

 話を聞いたが、その相手はボーダーにいる者ならば知らない者はいない強者ばかり。そんな彼ら彼女らがほとんど苦言を呈していないというのが驚きであった。基本的には好意的な意見が多く、彼の能力を認めていた。

 

(しかも秀次があそこまで反応するって事が意外だったな)

 

 最も迅が予想外だったのは三輪が迅に強い拒絶反応を示した事だ。

 三輪は部隊を組んでいる者、組んでいた者以外の隊員に対してはあまり積極的に交流しないタイプの人間である。彼がライを救助したという報告を受けているが、それ以上の事情が何かあったという事だろう。

 

(いずれにせよ人間性に関しては何も問題はなさそうだな。こんなに忙しいなら暗躍する暇もないだろうし)

 

 自身の趣味が暗躍であるためであろうか、迅はそう結論付けると個人ランク戦のブースへと向かった。

 最後に一目見て何か未来を見えるならば見て終わりにしようと。

 迅悠一。彼が持つ副作用(サイドエフェクト)は未来視。彼は目の前の人間の少し先の未来を見る事が出来るのだ。

 

 

————

 

 

 ラウンジにやってくると、ちょうどモニターに個人(ソロ)ランク戦が行われている隊員達の様相が浮かび上がっていた。

 その中の一つに彼が目的とする人物の姿も映し出されている。

 

「よー陽介」

「おっ。迅さん。さっきぶり」

「おう。さっきはどうもな。何してんの?」

「俺はランク戦待ちっスよ。緑川とライの三人で三つ巴中」

「なんだ、面白そうな事やってるな」

「ちなみにこの後は俺とライの番です」

 

 近くの椅子に座る米屋の姿を見つけ、迅が声をかけた。

 どうやら今戦っている二人と米屋が三人で交互にランク戦を繰り広げているらしい。

 緑川とはこの前の入隊式で入隊し、その後すぐにB級に昇格するとA級草壁隊に加わった中学生だ。

 A級草壁隊 攻撃手(アタッカー) 緑川駿

 かつて迅が救出した事から彼を尊敬しており、迅も良く知っている人物である。

 その彼が、今モニター上でスコーピオンをかち割られ、弧月で一突きされていた。

 

「剣筋が良いな。お前ら三人で戦った時の勝率はどんな感じなんだ?」

「今のところ俺と緑川なら6対4で俺。ライと緑川なら7対3くらいですかね。まだ経験浅いし負けませんよ」

「緑川も才能ヤバい方なんだけどなー」

「俺とライなら五分五分ってとこっすね。勝ったり負けたりの繰り返し」

「それかなりヤバいよな」

 

 迅の指摘に米屋は「まあそうっすね」と軽く頷く。A級隊員と互角以上に戦うには相応の実力が必要だ。それを彼が持っていると米屋は事もなげに語った。

 

(平然と言うもんだ。まあ陽介達が普段から絡むようなら大丈夫だろう)

 

 米屋は普段からランク戦を好む。彼らが張り付いているようなら自分は放置でも構わないだろうと考えて、一応もう一度ライをじっくりと見つめて。

 

「————ッ!」

 

 彼の未来を見て、思わず迅は目を丸くした。

 

「迅さん?」

「……いや、何でもない。少しは緑川に優しくしてやれよ」

 

 呆然とする彼を心配した米屋から声がかかる。だが事実を言う訳にもいかない迅は逃げるようにその場を後にした。

 

 

 

————

 

 

 

「——つまり、問題はないという事だな?」

「ええ。少なくとも上層部が心配するような問題はないかと」

 

 指令室に戻った迅は調査結果を淡々と忍田に報告した。

 彼の話を聞き終えると忍田が安堵の息を零す。彼自身隊員を不信な目で見るのは心苦しい事だ。何事もなくてよかったと心からそう思った。

 

「何なら今もランク戦やっていましたよ。一度彼の戦いぶりを見てみたらどうです?」

「いや、見るならば彼が部隊ランク戦を始めてからにしよう」

「姪の活躍と一緒にですか?」

「そうだな」

 

 そう言って二人は小さな笑みをこぼす。瑠花とライ、前途有望な若い二人が部隊を新設する事は非常にボーダーとしても楽しみな事だ。叶うならば、二人がどうか何事もなく高め合っていく事を願うばかりである。

 

「そうだ、迅。お前は紅月君のことを見たのだろう。何か気になった事はあったか?」

 

 気恥ずかしくなったのか忍田は話を戻して迅に問いかけた。

 副作用(サイドエフェクト)を持つ彼の目には何かしらの未来が見えたはず。大丈夫だとは思うが、念のため確認を行った。

 

「……ええ。大丈夫ですよ。彼がランク戦に挑んでいる姿とか見えましたし」

「そうか? 何事もなかったならば良い。わざわざすまなかったな」

「いえ。これも仕事ですから」

 

 迅がそう言うのならば問題はない。忍田はそう判断してそれ以上ライに関する話題はしなかった。

 その後幾分か任務の打ち合わせをすませると迅は指令室を後にする。

 

(言えるわけないよな)

 

 帰路につく中、迅は考えを巡らせた。

 彼の副作用(サイドエフェクト)が見えるのはあくまでも『未来の可能性』であり必ず起こると確定しているわけではない。何らかの行動変化が起きれば別の未来に変わる可能性もある。

 だからこそ迅はその場での明言を避けていた。

 

(まさか、俺が彼に斬り捨てられる未来が見えた(・・・・・・・・・・・・・・・・・)なんて)

 

 迅が目にしたのはライが迅を斬る光景。彼自身信じられず、迅は忍田に報告する事は出来なかった。

 詳しい様子はわからない。ひょっとしたらランク戦の出来事とてあり得た。それならば問題はないのだから。

 ——自分が玉狛支部所属であり、しかもランク戦の規格外であるS級隊員であるためにその可能性は限りなく0に近いものであると知りながら、迅はそう考える事とした。



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炒飯(クリスマス)

「——よしっ。出来た」

 

 丁寧にラッピングをしてすべての準備は終了した。最後に完成した物を袋へ詰めるとライは小包と一緒に手に持って自室を後にする。

 今日は12月25日。世間でクリスマスと呼ばれるおめでたい日であり、同時にあるボーダー隊員の誕生日であった。

 

 

————

 

 

「はーい。——あら紅月君。久しぶりね」

「はい。お久しぶりです、加古さん」

 

 夜、ライが向かったのは加古隊の作戦室。部屋から出て来たのは丁度彼が探していた加古隊長その人だった。

 

「加古さん。今日はお誕生日おめでとうございます!」

「あらあら?」

「ささやかではありますが、こちらプレゼントです。受け取ってください」

「紅月君私の誕生日を知っていたの? 嬉しい、喜んで受け取るわ」

 

 今日は加古望の誕生日である。挨拶を済ませるとライは二つの袋を手渡した。

 

「こちらの大きい包みの方は揺らさないように気を付けてください」

「ひょっとしてケーキ?」

「そうです」

「やだ。そこまで用意してもらえたなんて。どこのかしら?」

 

 加古はプレゼントをもらった覚えはあるが家族以外の知人にケーキを貰った経験はない。初めての出来事に思わずライに聞き返した。

 

「すみません。そういうブランドの商品ではありません。僕が作ったものです」

「えっ? じゃああなたの自作?」

「はい。苺のホールケーキです」

 

 そして彼の言葉を耳にした加古は信じられないと、唇に手を当てた。

 

「知らなかった。あなたケーキなんて作れたの?」

「何度か作った事がありますよ。男性には甘い物が好きじゃない人もいるので少し抵抗ありますが、女性は結構喜んでもらえる事がありますのでできればこれからもプレゼントしたいとは思います」

「……へえ」

 

 そんなライの特技を、これまでの経験を知り、加古の目がキラリと光る。

 

「紅月君」

「はい?」

「月見ちゃんの誕生日はいつ?」

「7月25日です」

「那須ちゃんは?」

「6月16日」

「熊谷ちゃん」

「4月14日」

「日浦ちゃん」

「7月7日」

 

 一通り加古が知っているライが親しい女性の人物の誕生日を問いただした。全て的中している。難なく答えた彼に、加古は感心と驚きを含んだ視線を向ける。

 

「どうしました?」

「いえ。ただ気をつけなさい。あなたなら大丈夫だと思うけど、背後から包丁で刺されたりしないようにね」

「はっ?」

 

 加古の発言の意図はライには伝わらなかった。

 

「まあいいわ。それでこっちの小さな袋の方は何かしら?」

 

 とりあえずその点は後でじっくり教えよう。そう決めて加古は話題を小さな包みへと移す。

 

「そちらはプレゼントです。加古さんに似合えばいいのですが、ネックレスです」

「まさかこっちもあなたが?」

「いえ、そちらは購入したものです」

 

 その答えが良かったのか悪かったのかは不明であるものの、装飾品をプレゼントされたという事で加古は機嫌よく笑みを浮かべた。彼女の容姿と相俟ってこのシーンだけで絵になりそうだ。

 

「加古さんに似合うかなと僕なりに選んでみました。アメジストのネックレスです」

「嬉しいわ。ありがとう。大事にするわね」

「喜んでもらえれば幸いです。クリスマスプレゼントもお送りしたいと思ったのですが、そちらは加古さんの好きなものをと思いました。何かありますか?」

「そこまで考えなくてもいいのに。これだけでも十分——いえ、そうね」

 

 むしろ他のボーダー隊員以上の贈り物をもらっている為、加古はさすがに断りを入れようとしたが、ある事を思い返し考えを改める。

 

「それならば来月、新年にお願いしても良いかしら? 内容はその時に教えるわ」

「僕にできる事ならば」

「大丈夫。高価なものとかじゃなくて、あなたの力が必要というだけだから」

「そういう事ならわかりました」

 

 ライは何も深い事情は聞かずにその場で了承した。あまりにも素直な彼の性格が加古はかえって心配になる。

 

「それでは、僕はこれで」

「あっ。待って。これだけ頂いたのに何もおもてなしが出来ないのでは申し訳ないわ。ちょうど皆で誕生日パーティを開いていたの。あなたも来てくれないかしら?」

「よろしいのですか? それなら是非」

 

 用件を済ませたライが立ち去ろうとすると加古が呼び止めた。

 確かに誕生日パーティが開かれるというのならば一緒にお祝いした方がよいかもしれない。本人がせっかくこう言っているのだから断るのは失礼だろう。

 ライは二つ返事で彼女の誘いに応じるのだった。

 

「ありがとう。それじゃあ——皆―! 紅月君も私の誕生日をお祝いに来てくれたわよ!」

 

 加古がライを同伴して作戦室に入る。

 中にはいつもの加古隊の隊員はおらず、代わりにA級の風間と太刀川、B級の堤が椅子に腰かけていた。心なしか風間を除いた二人は不安で体を震わせているように見える。

 

「——すみません! 少し用事を思い出しました! 僕はここで失礼します!」

 

 ライの判断はとても早かった。部屋の光景からこれから起こる惨劇を予見し、即座に撤退を選択する。かつて天才と呼ばれた男の参謀役を務めた頭脳、そして反射神経は伊達ではなかった。

 

「まあ待てよ紅月。女性の誘いを無碍に断るなんて失礼だと思わないのか? それとも何か? 加古の誕生日より大切な事があるとでも?」

「はなしてください太刀川さん。後輩を死地に誘うなんて恥ずかしいと思わないんですか? 最強の名前が泣いていますよ?」

 

 だがライの動きは最強の攻撃手によって遮られる。トリオン体であるはずなのに太刀川に捕まれた肩がギシギシと悲鳴を上げていた。それでも何とかこの危機から脱しようとライは必死に足を前に出す。

 

「大丈夫だ紅月君。死ぬときは一緒だ。皆で死ぬなら怖くない!」

「嫌です。僕には部隊を組むと約束した女の子がいるんです。ここで死ぬわけにはいかないんです!」

 

 すると逆の腕を堤がつかんだ。逃がしてなるものかと力の限り引っ張る。堤も加古の炒飯を前に二度も沈んだ男だ。その脅威は嫌と言うほど知っていた。

 ライの必死の抵抗もむなしく、体格の良い二人に連れられて席につく。

 こうして哀れな犠牲者たちが一堂に会した。

 

「それじゃあこれから、加古望主催炒飯パーティクリスマススペシャルを始めるわよ!」

 

 ——ああ。やっぱり。

 こうして加古の陽気な笑顔から男達へ死刑宣告が下される。

 ライが、太刀川が、堤が耐え切れずに顔を俯けた。

 加古が作る炒飯は8割の確率で極旨炒飯が作られる。しかし逆に言えば2割の確率で炒飯とは名ばかりの劇物がこの世に生み出されるのだ。

 風間を除いた者たちに戦慄が走る。本音を言えるならば今すぐに逃げたかった。だが、話を聞いた以上は加古の笑顔を裏切るわけにはいかない。

 

「どうしたお前達? そんな残念そうな顔をして」

 

 ただ一人事情を呑み込めない風間が首を傾げた。

 そう。8割の確率で極旨炒飯を食べれる。すなわち多くの人間は加古の危険物を知らないまま、美味しい料理を食べて終わるのだ。風間もその一人だった。

 

「いや、今日はどんな料理が出てくるのかなーって」

「想像もできないからねー」

「加古さんの料理はあっと驚く料理ばかりですからね」

 

 3人は遠い目を浮かべて答える。この3人はむしろ美味しい炒飯を知らず、残りの二割にあたる危険物ばかりを摂取していた運に見捨てられた男達だった。

 

「今日は折角のクリスマス! やっぱり普通に作ったら面白くないわよね?」

「いや、加古さん。僕は料理に面白さは不要だと思います。無難に美味しい料理を食べてみんなで幸せに終わりましょう」

「そこで、今日はこんな企画を考えたわ! 題して、プレゼント交換炒飯大会! 皆にいつもの感謝を込めて私が炒飯を作っちゃう!」

 

 ライの指摘を華麗にスルーして加古は地獄の詳細を告げる。

 

《そんな地獄への片道切符が入ったプレゼント交換なんて嫌だ!》

 

 内部通信をしていないにも関わらず、3人の思考が綺麗に揃った瞬間だった。

 男達の心中の叫びなど知る由もない加古は一度部屋の奥に下がり、いくつもの買い物袋を持ってくると、心底楽しそうに説明を続ける。

 

「ルールは簡単。こちらにいくつかの食材が詰まった袋を用意したわ。袋には其々番号が振られていて、皆はこの箱のくじを引くの。該当する番号の食材を使って私が炒飯をふるまうの。どう? 簡単でしょう?」

「……そうだな。簡単だな」

 

 太刀川が死んだ目を浮かべて加古に同意を示した。

 確かにルールだけを考えれば非常に簡単なものだ。問題はその後の炒飯の内容によって生きるか死ぬかが決定するという事。

 ライはチラリと加古が袋と一緒に用意した箱を見る。

 箱には10本のくじが用意されていた。つまり単純計算で考えればこのうち8本は助かる可能性が高いという事であった。

 

「そうでしょう? それじゃあさっそくはじめましょうか。最初は誰からがいいかしら?」

 

 ライが考えている間にも進行が進み、加古が目を輝かせて視線を右往左往する。

 男たちにはその加古の視線が獲物を選別する獣のように映った。

 

「一番目だから気合を入れて作るわよ」

「……よしっ。ここは年下に譲るとしよう。行け、紅月」

 

 気合を入れるという事はもし地獄を引けばより厳しい惨劇に襲われるという事と同義である。太刀川は迷うことなく後輩を生贄に差し出した。

 

「何を言っているんですか。後から加わった僕が先にいただくのは皆さんに悪いでしょう。先輩方からお先にどうぞ」

「大丈夫。クリスマスというめでたい日にそんな堅い事は言いっこなしだ。遠慮するなよ」

 

 他所から見れば日本人特有の美しい譲り合いに見えるだろう。

 だがその実お互いがお互いに毒見をさせようという方針であった。笑みを浮かべながら、二人の間で火花が散っている。

 

「ふむ。……加古ちゃん」

「なに?」

「先に聞いておきたいんだけど、この袋にはどんな食材が入っているのかな?」

 

 問答を続ける二人をよそに堤が加古へ問を投げた。

 確かに、と二人は取っ組み合いを止めて加古へと注目を戻す。

 さすがに詳細までは教えてもらえないだろうが、どのようなものが入っているのかさえ分かれば外れか普通か当たりかの判別はつくだろう。

 

「私もわからないの」

「はっ?」

「この食材を用意したのは私じゃないの。私の隊の隊員と。それと今度部隊に加わる子にお願いしたわ。私が知ってたら面白くないでしょう?」

 

 だから面白さなんて求めてないですというライの悲痛な叫びは加古には届かない。

 だが同時に納得した。なるほど、だから買ってきた食材を交換するという事でプレゼント交換というのかと。そしてそれならば何故身内だけでやってくれなかったのかという憤慨が湧き上がる。

 何という事だ。これでは結局いつもと同じなのか、いつもよりも酷いのかさえわからない。再び現場は混沌と化した。

 

《どうする!? 大丈夫だと考えて良いのか!?》

《いや、ここで結論を出すのは早計かと。ある程度加古ちゃんが食材の指示を出している可能性だってある》

《結局誰かが一度食べてみないと判断できませんよ》

《そうなるな。よしっ。こうなったらもう一か八かだ。お前らどっちか行け》

《いやいや、ここはやはり若くていざという時の回復も早そうな紅月君が》

《慣れているお二方が行くべきでしょう。まさか加古さんを信じていないんですか!?》

 

 案の定3人の中で争いが勃発する。加古には聞こえないように内部通信を用い、最初に特攻をかける相手を脳内で押し付け合った。

 

「お前ら一体何をしている。さっさと始めなければ加古にも申し訳ないだろう」

「いや、風間さん。これには色々と深い事情が」

「お前達が行かないなら仕方ない。俺が行こう」

『何っ!?』

「いつまでも始まらないだろう? さて……」

 

 そんな彼らの姿を見かねたのか風間が立ち上がり、箱の中へと手を伸ばす。

 迷いのない一連の流れに誰もが『男だ』、『救世主』と尊敬のまなざしを浮かべた。

 そして風間は一本のくじを手にし、勢いよく引き抜く。

 

「……①だな」

「はーい。それじゃあさっそく中身を見てみるわね」

 

 くじに書かれた番号を風間が読み上げると、加古が①の番号が振られた袋の中身を探り始めた。

 

「えっと。……卵に長ネギ、レタスに生ハム。普通ね」

「そうだな」

 

 入っていたのは炒飯づくりに欠かせない基本的な材料ばかりである。面白みがない中身に二人は肩を落とすが。

 

《普通……だと……!?》

 

 3人の男は衝撃的な内容に戦慄していた。

 

《馬鹿な。加古の料理でそんな事が!》

《これはひょっとして奇跡が起こるんじゃ?》

《さすがにクリスマスという事で皆気を使ってくれたんですよ!》

 

 従来でも8割の確率で助かるのだが、常日ごろから死にかけていた男達にとってはこの風間の結果は何よりも信じがたく、同時に喜ばしい事だ。

 皆揃って生還できるかもしれない。『ありがとう、加古隊の皆』と今ここにはいない女性隊員達に感謝の念を贈った。

 

「まあいいわ。ちょっと待っててね風間さん。すぐに用意するわ」

「よろしく頼む」

 

 そんな彼らの心中など知る由もない加古はキッチンへ下がり調理を始める。

 数分後には加古隊の作戦室は高火力の鍋が生み出す炒める音と香ばしい匂いに包まれた。

 

「はい、お待たせ!」

「ああ」

「出来立てだから火傷しないように気を付けてね?」

 

 あっという間に炒飯が完成し、風間の前に並べられる。

 卵やネギ、ハムなどの食材が彩りよく並び、米は炒飯特有のパラパラ加減が完璧に仕上がっており、まさに王道と呼べるものがそこに存在した。

 

(これが炒飯なのか!)

(本物だ!)

(本物の炒飯だ!)

 

 それにも関わらず、3人はまるで初めて炒飯を見たかのように目を輝かせてその一皿を眺める。

 

「おいしそうでしょう? 大丈夫よ、皆にも振る舞ってあげるから」

 

 その様子を『自分たちも食べたい』と解釈したのか、加古は大人びた笑みを浮かべた。彼らは初めて加古の料理に希望を持つ。

 

「うむ。——美味い」

「でしょう?」

 

 香りを楽しんだ風間はまず一口、炒飯を口に含んだ。

 やはり日ごろから表情が変わらない彼の表情筋は微動だにしない。しかしわずかに口角が上がったようにも見えた。

 黙々と食べ進んでいく風間を太刀川たちが眺めていると、反応を楽しんでいた加古が3人の方へと向き直る。

 

「それじゃあ次行きましょうか? 今度は誰かしら?」

「なら俺が行こう」

 

 次の順番を振られるや否や、太刀川が即座に手を挙げた。風間の引いた食材を見て大丈夫であると判断したのだろう。

 太刀川も風間に続いて箱のくじを勢いよく引っ張り上げた。

 

「ん。④だ」

「4番ね? さて、何が入っているかしら?」

 

 加古がワクワクしながら袋の中身をあさる。

 

「あら。太刀川君凄いじゃない! 当たりよ!」

「本当か!?」

 

 そして中身を見た瞬間加古の歓喜の声が湧き上がった。

 これには太刀川もつられて笑顔を浮かべる。

 風間に続く流れで当たりとなれば、さぞ美味しい食材がそこにあるのだろうと期待を膨らませて、

 

「まずはみたらし団子に——」

 

 一つ目の食材の名前を聞いた瞬間、太刀川の表情が凍りつく。

 

「それに甘納豆でしょ? あ、あとチョコレートパウダーね」

(……炒飯の食材とは?)

 

 太刀川は訝しんだ。

 材料が一通り並び、堤やライにも衝撃が伝達する。

 ——ああ。やっぱり2割で死ぬパターンだ。 

 

「それじゃあどんどん作っていくわよ!」

「……おう」

 

 加古が裾をまくって気合を入れる後ろ姿を、太刀川はトリオン体の換装を解きながら見送った。

 

「えっ。太刀川さん、どうしてトリガーオフにしたんですか?」

「ああ。実はこの前加古の炒飯を食べて緊急脱出(ベイルアウト)した件が忍田さんにバレて禁止された。お前らも食べる前にトリガー切っとけよ」

「そんな!」

 

 トリオン体は一度破壊されると再生成に長い時間を要する。その間は当然出撃も不可能となる為忍田はそれを防ぐために禁じていた。

 しかし今まさに目の前に確かな脅威が近づいているにも関わらず、不確かな未来の危機に備えるのは本末転倒ではないのだろうか。納得しかねる案件であったが、まだ死ぬと確定したわけでない。念のため従っておこうと堤とライもトリガーを解除した。

 

「なあに問題ないって。さすがに今日のようなめでたい日にそんなパターンな展開なんてない。俺が見せてやるよ」

 

 生身となった堤達が不安げな表情を浮かべると、太刀川は彼らを勇気づけるようにそう口にする。

 最強の防衛隊員としての意地だろうか。彼の瞳は輝いていた。



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炒飯(クリスマス)

 決意の籠った宣言から10分後。

 

「もう! 太刀川君ったら食事の最中に寝ちゃうなんて行儀が悪いわね!」

(パターン!!)

 

 太刀川は『みたらし甘納豆炒飯クリスマスチョコ風味』の前に沈んだ。床にはボーダー界で最強の攻撃手(アタッカー)と呼ばれた男が白眼を剥いて倒れている。

 気を失いはしたものの太刀川も頑張った。一口目で炒飯にはミスマッチである甘ったるさに気づき、ゆっくり食べれば間違いなくジリ貧になると考えるや一気にかきこむ。しかし完食まであと少しのところでついに彼は限界に達し、その場に倒れこんだのだった。

 

「仕方がない。太刀川はソファに運んでおくか」

「ごめんなさいね、風間さん。それじゃあ切り替えて次行きましょうか!」

 

 抜け殻となった太刀川を風間が運び、進行は進む。

 とはいえ太刀川が倒れた直後の事だ。やはり今回も危険が潜んでいるという事が明からになり、ライは冷や汗が止まらなかった。

 

「なら次は俺だ」

「堤さん!?」

 

 ライが手を挙げる事に二の足を踏んでいると、堤が自ら名乗りを上げる。

 

《大丈夫だ紅月君。風間さんが一つ食べ、さらに外れが一つなくなった以上、死ぬ確率はわずか8分の1しかない!》

《——確かに》

《これくらいの確率なら勝負に出るさ。俺はギャンブラーだからね》

 

 彼には勝算があった。当たりと外れが一つずつ出た今、確率通りであるとすれば残る外れは一つしかないのは明白である。勿論その一つが致死性であるという事には変わりはないが、それなら賭けに乗りたいと温厚な見かけによらず賭け事が好きな堤は勝負に出た。

 

「よし。——⑥だ!」

「オッケー。見てみるわね」

 

 そして堤は6と書かれたくじを引き当てる。

 指示に従って加古は袋の中を覗き込んだ。ライと堤の間に緊張がはしる。

 袋の中を見た瞬間、彼女の表情が歓喜の色に染まり——

 

「当たりよ堤君! あなたがこの前好きだって言っていたチョコミントよ!」

 

 目の前に立つ男が賭けに負けた事を告げた。『当たりってひょっとして食あたりの事かな?』とライは一人現実逃避を始める。

 

《勝ったよ、紅月君》

《堤さん!?》

 

 だが死の宣告を受けた堤は内部通信でライに勝利宣言を行った。

 まさか絶望のあまりついに思考がおかしくなってしまったのかとライが嘆く中、堤は冷静にその理由を説明する。

 

《加古ちゃんの言う通りチョコミント炒飯は俺が以前食べたやつなんだ。つまり、この料理に関しては既に俺の体の中で耐性が出来ている》

《そんな事が!?》

《ああ大丈夫だ。俺に二度同じものは通じない。俺はチョコミント炒飯には屈しない!》

 

 『かつて経験し、敗北したものならば対抗できる』。そう意気込む堤の姿がライには輝いて見えた。

 

 

————

 

 

 そして堤の力強い宣言から10分後。

 

「もう。堤君まで食べ終わった途端に寝ちゃうなんて。今度本部長達にシフトの間隔を空けるように相談しないと駄目ね」

(堤さん……!)

 

 案の定、堤は加古隊の作戦室に横たわる姿を晒していた。

 しかし決して彼の言葉が全て嘘だったわけではない。現に加古が示すように彼の前に置かれている皿は空になっていた。堤は最後まで『チョコミント炒飯クリスマスバージョン』と戦いぬいたのである。だが、その死闘が終わると同時に力尽きたのだった。

 太刀川と同様、堤も風間によってソファへと運ばれていく。また一人、頼もしい同志が戦場で散っていった。

 

「まあしばらくすれば起きるでしょう。さあ紅月君。次はあなたよ」

「ええ。行かせていただきます」

 

 そしてついにライへと順番が回ってくる。だが加古に指名を受けたものの、ライの表情は余裕に満ちていた。

 

(問題はない。これで全ての条件はクリアされた。勝利条件が揃った!)

 

 この時ライは自身の勝利を確信していたのである。

 

(くじは10本。加古さんの炒飯で外れを引く確率は2割。今日はすでに太刀川さん、堤さんがそれぞれ外れを引いている。ならば残る7本は全て当たりだ!)

 

 確率が正しいならば、残る7本のくじは全て生存できる普通の食材であるはずだ。つまりどれを引いても結果は同じという事を示していた。

ライは悠々と残るくじの一本を手に取り、その数字に目線を向ける。

 

「加古さん、⑩です」

「はーい。10番ね。何かしら?」

 

 加古が一番端の袋を開けた。直後、中身を見た彼女は不満げに眉を寄せる。

 

「あらやだ。食材が一種類しかないわね」

「そうですか? まあ大丈夫ですよ」

「あなたがそう言うならいいのだけど」

 

 基本的な食材であるならば多少の味の不足は許容出来た。当たりならばそれだけで嬉しい上に、仮に外れだとしても一品だけならば死ぬ事はまずないだろう。ライは安堵の息を零す。

 

「なら作ってくるわね。この『フルーツ盛り合わせ』、数はあるから色々試してみるわ!」

「どうして?」

 

 しかし続けられた加古の言葉を耳にして、ライは『8割とは何だったんですか?』と絶望した。

 加えて全然一種類ではない。大量の果物を手にした加古の姿を見て、彼は肩を落とすのだった。

 

 

————

 

 

「さあ召し上がれ。クリスマスフルーツ炒飯よ」

「————」

 

 10分の時を経て完成した一品を目にしたライは思考を放棄する。

 その炒飯は色彩豊かな様相を呈しており、バナナやリンゴにミカンをはじめ、苺・マンゴー・レモン・パイナップル・ぶどう・メロンと様々な果物の欠片が一目で発見できた。

 

(何故ここまで気合を入れて準備したのにこんな結果が生まれるんだ?)

 

 この不条理な現実に目を背けたくなるライ。

 

「どうしたの? 遠慮せずに食べていいのよ?」

 

 だが終始ワクワクしている様子の加古を前に、『遠慮したいです』とは到底言えなかった。

 

「……いただきます」

「どうぞ!」

 

 恐る恐るライは炒飯をすくい、そして口の中へと含む。加古の期待が篭った視線が向けられる中——

 

「————ッ!!??」

 

 直後、ありとあらゆる味という名の刺激がライを襲った。

 果物特有の甘味は勿論、レモンやミカン等柑橘系の酸味と苦味、炒飯の味付けに足されたであろう塩味などが次々と出現し、高火力で炒めた事により温かく軟らかくなった果物の感触が口の中で暴れまわり大虐殺を始める。

 

「どう? 中々おいしいでしょう?」

 

 そんな中、事情を知らない加古の純粋な目がライを追い詰めた。

 彼は大きく頷きを返すと一気に飲み込み、残りの炒飯もかきこんでいく。太刀川の考えた通りゆっくり食べていては間違いなく力つきてしまっただろう。瞬く間にすべての炒飯を口の中に放り込んでいった。

 時間にして1分ほど。ついに皿の中身を全て平らげ、ライが死地を潜り抜ける。

 

「——ごちそう、さまでした」

「良い食べっぷりね。感想はどう?」

「はい。……とても、刺激的な、味わいでした」

「本当に!?」

 

 力なく首を縦に振った。ライは何とか生き残る事に成功する。大きく体力を削られたが、彼は勝利を収めたのだ。

 

「嬉しいわ。ねえ、二人ともどう? 太刀川君たちは寝ちゃったし、二人で残りの食材を試してみない?」

「俺は構わない」

「……お願いします」

 

 残る袋は6つ。残して食材がいたむ事を嫌った加古は風間とライにこのまま料理を続けても良いかと問を投げた。美味しい料理を味わった風間は勿論、ライもこれを快諾する。

 

(何でもいいから口直ししたい)

 

 生き残ったとは言え負ったダメージは非常に大きなものだった。美味しいもので切り替えたいと考えるのは当然の事である。このままでは味覚がおかしくなってしまいそうだった。

 さすがにこれ以上外れはないだろうとライはもう一度箱の中へと手を入れる。そして加古から示された食材の名前を耳にして、ライは——

 

 

————

 

 

「……んっ。ん? あれ? 意識を失っていたのか?」

「あら堤君。目が覚めたかしら?」

「加古ちゃん」

「よほど疲れていたのね。ぐっすりだったわよ」

「そうだったのか。どうやらもう終わっちゃったようだね。すまなかった」

「良いのよ。私は楽しかったし」

 

 ようやく気を失っていた堤が目覚める。時間を見ると彼が炒飯を食べた時から一時間が経過していた。

 さすがにパーティは終わったのか、話しかけた加古は勿論、風間達も片づけを行っている。その一方で、堤の横ではまだ太刀川が眠っていた。

 

(まだ俺はマシな方だったのかな?)

 

 一番最初に食べた太刀川より回復が早かったのはやはり耐性があった為なのか、それとも料理のダメージが異なる為なのかはわからない。いずれにせよ答えは出ない事を考えても仕方がないだろう。堤も手伝いに参加しようと立ち上がった。

 

「俺も片づけを手伝うよ。何をすればいい?」

「大丈夫? なら紅月君の方を手伝ってもらえるかしら。部屋の片づけの方は私と風間さんでやっておくわ」

「了解」

 

 そう言って加古は台所、ライが立つ場所を視線で示す。どうやら今は一人で食器洗いをしているようだった。彼女の言葉に従って堤も台所へと向かっていく。

 

「紅月君。どうやらそっちは無事だったみたいだね。いやよかった――」

 

 軽口を叩いてライと大きなイベントが終わった喜びを分かち合おうとした堤。

 

「————」

 

 だが、ライが無表情で涙を流しながらも淡々と食器を洗い続ける光景を目にして、堤は言葉を失った。

 

(……死んでいる!)

 

 生きているけど、心が、死んでいる。堤は一目見てライに起きた惨劇を悟った。

 

「紅月君。君は何を食べたんだ?」

「————」

 

 震えた声で堤が問う。自分がいない間に何があったのかを知る為に。

 そして堤の言葉が耳に届いた瞬間、ライが流す涙はさらに増加した。

 

「……加古ちゃん! 紅月君は一体なにを食べたんだ!?」

「えー? 何って、基本的に堤君たちと同じものを食べていたわよ」

(やはりか!)

 

 たまらず堤は加古へと問い詰めた。具体的な内容は返ってこなかったが、この台詞だけで理解できる。ライも犠牲になったのだと。

 

「ただ、二人が寝ちゃったから風間さんと紅月君は4皿ずつ食べていたわね」

「4!?」

 

 しかも彼は一皿はおろか残った食材を含んだ四皿もの賭けに挑んだのだと彼女は言う。

 

「彼には一体どんな料理を作ったんだ……?」

「えーっと、何だったかしら」

 

 何皿も作ったためにすぐに思い出せずに加古が首をかしげた。そんな彼女を見かねて風間が代わって堤の質問に答え始める。

 

「種類が多すぎたからな。あいつが『とても刺激的な味』『どうして出会ってしまったんだろうという不思議な味』『この先加古さんにしか作り出せないであろう深みのある味』『思わず天に昇ってしまいそうな程コクのある味』などと言っていたのは覚えているが」

(全てが外れ!?)

 

 風間の説明で堤は全てを理解した。ライは4つの機会に悉く失敗して地獄を味わったのだと。

 太刀川や堤が一回で死亡した4倍もの苦痛を味わい、その結果彼の心は摩耗しきっている。

 一体どれほどの悪行を積み上げたらこのような結果をたどると言うのだろうか。彼は前世で人を殺めたりしてしまったとでも言うのか。

 

「紅月君。何故だ。君は何故そこまでして!」

 

 堤がライの傍に戻ると彼の肩を掴みながら言った。

 

「……ここで止めたら今までの犠牲が全て無駄になる。次はきっと大丈夫、次はきっと大丈夫だと思って」

 

 ゆっくりとライは言葉を紡ぐ。

 太刀川、堤という尊い犠牲をなかった事にしたくなかった、確率が高いならば信じたかったと彼は語った。

 「それに」とライはそこで話を区切ると、彼が食べ続けた一番の理由を口にする。

 

「今日のようなお祝いの場面で、加古さんの気持ちを裏切りたくなかった」

 

 彼の脳裏には『どう、おいしい?』『口に合わなかったら残しても良いからね?』『少し料理に時間はかかっちゃったけどその分美味しいと思うの』など笑顔を浮かべたり、不安げに聞いてきたり、上目遣いで見たりと様々な表情を浮かべる加古の姿があった。

 

「——わかった。もういい。もういいんだ。全て終わったんだ。忘れよう。あれは君一人が背負えるような代物じゃない! 辛い事ばかり覚えていたらただ苦しむだけだ!」

 

 ライの気持ちが痛い程わかる堤は彼の奮闘を褒め称える。男として期待に応えたいという思いは皆同じだった。死闘を終えた男たちの結束はまた一つ強くなっていく。

 こうしてクリスマス・加古の誕生日パーティは多くの者に傷を残して幕を閉じ、新年に向けて時間は刻々と過ぎていくのだった。



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初弟子

 年が明けた一月。

 ボーダーでは新年初となる入隊式も終え、各隊員達が普段通りの任務につき落ち着きを取り戻した頃、ライは再び加古に呼び出され加古隊の作戦室を訪れていた。

 

「こんにちは」

「いらっしゃい紅月君。待っていたわ」

「加古さん。お久しぶりです。今年もよろしくお願いします」

「あらご丁寧にありがとう。こちらもよろしくお願いするわ」

 

 ライが深々と頭を下げると加古も軽く会釈する。通信で既に挨拶を済ませていたとはいえ、やはり直接新年の挨拶を済ませておきたかったのだろう。

 

「初日の出を見るためにドライブへ行ったと聞いていますがどうでしたか? 見る事は出来ましたか?」

「ええ勿論。とても綺麗だったわ。ドライブも楽しめたし、最高よ。あなたも機会があれば免許を取ってみたらどう?」

「まあ僕の場合は色々事情もありますので……」

「そう? ストレスのはけ口にもなるから良いのだけど」

 

 加古も彼の事を知っている為強くは勧められず残念そうに呟いた。勿論彼自身はある意味車以上に操作が困難である機械の操縦歴があるので免許を取る事自体に支障はないのだが、遠出が容易になる自動車免許を取得して上層部の警戒を持たれる必要はないとライは考えている。

 

「それで、今日は僕に用事があるとの事でしたが」

「ええ。あなたに紹介したい子がいるの。——双葉!」

「はい」

 

 早速ライが用件を尋ねると、加古は作戦室の奥に控えていた一人の隊員の名前を呼んだ。彼女の声に応じて一人の少女が二人の前に姿を現す。鋭い目つきと二つ結びの髪型が特徴的な、小柄な女の子だった。

 

「……どうも」

「紹介するわ。この子は今月入隊した黒江双葉よ」

「では入隊したばかり? ——初めまして、紅月ライだ」

 

  C級 攻撃手(アタッカー) 黒江双葉

 黒江はライを観察するようにじっと見つめる。彼女の様子に気づきながらもライは好意的な笑顔を浮かべて右手を差し出した。黒江もその手に応じて握手を交わすが、すぐに右手を引っ込めてしまう。

 

「この子は今度市内の中学校に進学するのだけど、それを契機にボーダーにも入るという事になったのよ」

「えっ? じゃあ4月から中学生という事ですか?」

 

 小柄な体格から年少である事は想定していたが、まだ小学生であるという加古の話を聞いてライは目を見開いた。若くてもボーダーに所属する隊員はいるにはいるものの小学生となれば話は別だ。前例を探しても該当者は片手で数えて足りる程であろう。

 時代を考えれば戦いを考える事さえないはずの、ライにとっては彼の妹と同じくらいの年頃の女の子。そんな彼女が防衛隊員として入隊したというのは簡単には信じられない事だった。

 

「見かけで判断しては駄目よ。双葉は入隊の戦闘訓練を11秒でクリアした逸材なんだから」

「11秒! それはすごい。その腕を見込んで、彼女が正隊員へ昇格したら加古隊に加えるという事ですか」

「そうなのよ」

 

 話が早いわねと加古がクスリと笑う。

 加古が黒江を誘うのも当然の事だった。11秒という記録は凄まじい。ライがクリアしたタイムの19秒、村上の15秒と比較するとその優秀さは明瞭だ。しかも彼女は彼らよりも年下でありながら記録を更新した。

 これ程の逸材でしかも『黒江』とKから始まる才能は加古の求める人材にピッタリ一致している。

 

「ただ、やっぱり入ったばかりで経験も浅いから誰か双葉に指導をしてほしいと思ったの。双葉は弧月を使うのだけど、加古隊には弧月使いはいないし」

「では今日僕を呼んだ理由は?」

「ええ。よければ双葉に弧月を含むトリガーの戦い方を仕込んでもらえないかしら?」

 

 それでも若い彼女にはやはり師が必要であろうと判断した加古はライに双葉を鍛えてほしいと頼み込んだ。

 

「僕で良いのですか? 僕はA級隊員でない上に今まで弟子を取った事もありませんよ?」

 

 ライには決して拒む理由はないものの、何故自分に白羽の矢が立ったのか疑問は残る。彼はフリーのB級隊員である上に誰か優秀な弟子を輩出したという経験もなかった。故に一応確認の意を込めてライはそう語るが、加古はそんな事関係ないと言うように微笑む。

 

「あなたの実力は知っているもの。それに米屋君たちに勉学とかを教えているのでしょう? ならきっと特訓とかも上手くいくと思ったのよ」

「はあ。しかし太刀川さんや三輪など加古さんの身近に剣の腕に長けた隊員もいると思いますが」

 

 勉学の指導をしていた事は事実であるため受け入れるものの自分以上の適任がいるのではないかとライは指摘した。加古はA級部隊の隊長の為に顔が広い。弧月を使って個人ポイントを荒稼ぎしている太刀川、ライも弧月を教わった三輪などA級の隊長達もいるのではないかと口にする。だが彼らの名前を挙げると加古は少し表情をゆがめた。

 

「太刀川君は……強さは問題ないのだけど、女子の指導者としては少し心配になるし……」

「ああ、なるほど」

 

 加古なりに気を配った発言にライは彼女の言わんとする事を悟り何度も頷く。

 確かに太刀川は強さという一点に関して言えば何も不満はなかった。しかし彼は私生活にだらしない面もあり、ランク戦に興じて自身の課題を忘れて多忙を極める事もある。またあまり見た目を気にしないのか顎髭が目立ち年齢以上の歳にみられる事もしばしばあった。その彼が小学生である双葉に一対一で教えるとなると確かに抵抗を感じる事も理解できる。

 

「三輪君は真面目だけど厳しくしすぎないかって思っちゃうのよ」

「確かに三輪は訓練に関して人一倍力を入れてますからね」

 

 対して三輪に関してはそういった不安はないが、かえって指導に熱が入るのではないのかという疑問があった。かつて同じ部隊で戦った加古も彼から教えを受けたライも彼の性格をよく知っている。堅物ともとれる気難しい性格の彼は歳離れた相手に柔軟な対応が出来るかと考えるのも当然だった。

 

 

「そういう意味でもあなたが良いと思ったの。勿論時間がある時にで構わないわ」

「わかりました。そういう事ならば引き受けます」

「本当に? ありがとう!」

 

 事情を理解しライが提案を了承すると、加古は彼の両手を掴んで喜びを露にする。

 

「——待ってください」

 

 すると突如待ったの声がかかった。

 声の主はここまで静観を決め込んでいた当事者の双葉である。

 

「何、双葉?」

「確かに師匠をつけるという話は私も不満ではありません。ですが……」

 

 そこで黒江は言葉を区切ると加古からライへと視線を移し、にらみつけるような鋭い眼光を彼へと向けた。

 

「私は私より弱い人に習うつもりはありません」

 

 恐れるものがない、自信にあふれた発言。さすがにライの表情から笑みが消える。

 

「……確かに君の言いたい事はわかる。指導を受けるならば自分より優れている人に教えを受けるのが当然だ」

「その通りです」

「だけど相手の力量を計らずに物事を考えるのは良くないよ」

 

 落ち着いた声で相手を宥めるような声色でライは続けた。

 

「どうだろう。僕も加古さんから頼まれた以上ここで引き下がるのは気が引ける。君が僕の力を疑問に感じるならば、先に少し模擬戦をして僕の腕を見るというのは?」

 

 相手の意見に同意を示しつつ、彼は双葉を納得させるために勝負を提案する。

 

「勿論、その結果として僕の力不足であると感じたならば他の人を探すよ」

「——わかりました」

 

 隊長の前で我儘を貫き通すのは黒江にとっても不本意な事だった。色々思う所はあったものの、彼女もこの誘いに乗る事となる。こうして急遽ライと黒江の模擬戦が決定されるのだった。

 

 

————

 

 

『それじゃあ準備が出来たら始めるわよ』

「いつでも大丈夫です」

「僕も同じく」

 

 加古の声がトレーニングステージに響き渡る。ライと双葉の二人はお互いに弧月を手にして対峙した。

 

『紅月君、先に言っておくけれど双葉は訓練用に私達A級のトリガーを貸し出しているわ。その点も考慮して油断しないようにね』

「勿論です」

 

 開始直前に告げられても困る内容の話だが、ライは平然として加古の注意を受け取る。

 A級用のトリガーとなれば8種類の武器が可能となり、おまけに改造したトリガー等多数の武装の展開が予想された。初見の相手という事情も相まって苦戦が予想されるはずなのだが、ライはそういった様子を一切感じさせない。

 

『それじゃあ始めるわ。——模擬戦、スタート!』

 

 一つ間をおいて模擬戦の開始が宣言された。

 始まるや否や、双葉は先手を取るべく積極的に仕掛けていく。

 

「韋駄天——!」

 

 一歩踏み込んだ後、双葉はオプショントリガーの『韋駄天』を起動した。

 瞬時の高速移動を可能とするこのトリガーは近接戦闘用のトリガーと組み合わさる事で真の威力を発揮する。

 動く方向、切り込むタイミングを掴ませないようジグザグに進みながらライへ接近、すれ違う瞬間双葉は弧月を横一閃に振るった。

 

「速いな。今月入ったばかりとは思えない」

「ッ!?」

 

 模擬戦開始直後の不意を突いた必殺の一撃を、ライは弧月で弾く。姿を捉える事さえ困難であるはずの初撃がいとも簡単に止められた事に黒江は驚き目を見開いた。

 

(完璧なタイミングで——? いや、まだ!)

 

 まだだ。まだ一度だけならまぐれの可能性もある。

 

「……韋駄天!」

 

 負けん気が強い黒江はもう一度韋駄天を展開した。今度は先ほどよりも距離が近い。今度こそ必ず決まるはず——。

 

「ッ!」

 

 瞬間、ライは弧月を下から上へと切り上げた。

 二本の刀が勢いよく衝突する。直後、勢いに勝るライの弧月が黒江の弧月を天高く跳ねあげた。

 

「なっ!」

 

 手元から刀の感覚が消える。

 ——信じられない。

 呆然としながらも黒江はすぐに弧月を放棄した。再び展開しようともう一度弧月のトリガーを起動する。体勢を立て直すと素早く振り返り、

 

「詰みだ」

 

 ライの弧月の切っ先が双葉に当てられた。

 

『はい。双葉、まず一本よ』

 

 勝敗を決したと加古が告げる。

 斬られてはいないが、間違いなく勝負は決した。黒江とてそれくらいは理解できる。

 

「……もう一本、お願いします」

 

 衝撃の余韻がまだ残る中、黒江は声を振り絞った。

 今の一本で彼女はライの力が優れていると理解している。だが、やりきれない気持ちが彼女を再び突き動かした。

 

 

————

 

 

「どう双葉? 満足したかしら?」

「……はい」

 

 加古の声に黒江はしぶしぶ頷く。

 二人は結局10本の勝負を行ったものの、黒江は一度もライに傷を負わせる事が出来なかった。全てライに受け流されそして彼の刀が突きつけられる。一度たりともその斬撃が身を襲う事はなかったものの、それが余計に彼の技量を黒江に示していた。

 

「紅月先輩」

「うん?」

「先ほどは失礼しました。どうかこれから私によろしくご指導ください」

 

 先ほどまでの反抗的な態度は身を潜めている。黒江はライの方へ向き直ると頭を下げてそう口にした。

 

「そんな畏まらなくていいよ。僕の方こそよろしく。初めて人に教えるからもし不都合があればいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます」

 

 敵意こそなくなったものの、やはり先ほどの言動と出会ったばかりという事もあって黒江の態度は少し固い。やはりまだ小学生なのだからもう少し年相応の反応を見せてほしいとライは思うものの、少しずつ慣れて行けばいいかと息を零した。

 

「ごめんなさいね紅月君。弟子の事だけでも突然の事で戸惑ったでしょうに、模擬戦までお願いしちゃって」

「構いませんよ」

「そうは言っても時間だってもうお昼になっちゃったし。——そうだわ!」

 

 名案が思い浮かんだと言うように加古が両手を叩く。それを見て突如ライの頬を冷や汗が伝った。

 

「折角だからお昼ご飯食べていきなさい! 丁度炒飯の材料が余っていたのよ」

 

 ——終わった。

 ライが天を仰ぐ。それは彼にとっては死の宣告であった。

 

「炒飯ですか。五日ぶりですね」

「……ん!? えっ、黒江、ちょっと良いかい?」

「何ですか?」

 

 ぽつりと黒江が呟くと、ライが彼女の肩を掴んで真剣に問いかける。

 

「まさか君は、加古さんの炒飯を食べた事があるのか?」

「ええありますよ。変わった具材で驚きました。都会ではこのような味つけをするんですね」

 

 黒江は表情一つ変えずにそう答えた。その言葉にライは衝撃を覚える。彼女の言葉が確かならば、黒江は加古の外れとされる炒飯を食して何事もなかったという事であった。

 ライが知る由もない事だが、黒江は山奥育ちである。幼いころから魚やキノコを採取して食べてきた。こういった経歴から加古の炒飯を食べても無事でいられる体質を手に入れていたのである。

 

(……しかし!)

 

 だからと言って彼女にこれが普通であると思われたくなかった。加えて自分が死にたくないという思いもある。

 

「加古さん!」

「ん? どうしたの?」

 

 ライは力強い叫びで加古を呼び止めた。

 

「ならば僕に作らせてもらえませんか? クリスマスパーティでも加古さんに作っていただいたというのに何度も料理を振る舞ってもらうのは男がすたります」

「そんなの気にしなくていいわよ。あなたは客人なんだから、双葉と一緒に楽しんでもらえれば私が嬉しいの」

「————だからこそです! 新しく弟子になる彼女に料理を振る舞い、より一層の絆を深めたいんです!」

 

 加古の善意に胸が痛むが、ライは止まらない。必死に頭を回転させ、彼女を何とかキッチンから遠ざけようと聞こえの良い言葉を並べた。

 

「……まあそこまで言うならいいけれど」

「ありがとうございます!」

「それじゃあ材料とか調味料とか教えるわね」

 

 必死な叫びに加古も折れ、ライにその座を譲る。

 ライは心中で『勝った!』と力強いガッツポーズを掲げた。後は料理に取っかかろうと加古の案内を受けて準備を始めていく。

 

(……本当に炒飯作るのが好きなんだな)

 

 説明を受けたライが食材を手に取っていると、加古の炒飯作りが頻繁に行われる理由に納得した。というのも作戦室に備わっている食材や調味料で炒飯づくりの材料が整っているのである。中華鍋をはじめとした器具は勿論、ごはんやねぎ、卵といった基本的な食材、さらに鶏がらスープの素なども保管されていた。

 ただしその炒飯以外にも使えそうな、使えなさそうな食材まで一緒に置かれているのが彼を震わせる。

 

(加古さんも炒飯って言っていたしやっぱり炒飯を作った方がいいよな。でも黒江がいるからちゃんと栄養を取らせたい。ふむ……)

 

 まずはどんな炒飯を作るか考え始めた。

 シンプルな炒飯でも良いが、成長期である黒江を考慮してなんとか栄養素があり、かつ美味しい炒飯を食べさせたい。

 ライは必死にメニューを考案する。彼がここまで彼女を重んじる理由は単純、彼が大切に思う妹と近しい世代の女の子だから。ただそれだけの理由でライの中で庇護の対象となっていた。

 

「とりあえず中華スープもつけるとして。具材の方は……うん。よし、これにしよう。あとデザートも何か用意しておくか」

 

 とはいえいつまでも加古達を待たせるわけにはいかない。作る料理を決めるや、ライは食材を手に厨房へと立つのだった。




これで主人公を除く主要隊員が全員入隊を果たしました。


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始動

 そしてライが料理を作り始めてから約15分後。

 

「お待たせしました!」

「お疲れ様。良い匂いね。何を作ったのかしら?」

「はい、こちらです」

 

 ライがおぼんを両手にもって二人が待つテーブルへと料理を運ぶ。期待が篭った加古の視線が向けられるなか、ライは二人の目の前に完成した一皿を置いた。

 

「カニカマあんかけ炒飯です」

 

 カニカマと卵が溶けたあんかけの上に炒飯が浮かんでいる。香ばしい匂いにねぎや卵の色合いも楽しめる一品となっていた。

 

「料理を作るところは初めて見たのだけど。あなた本当に料理出来たのね」

「自分でも作っているのでそれなりには」

「——凄い」

 

 ライが一緒に作ったスープを運びながら加古と他愛もない会話をしていると、黒江が短く呟く。その一言には様々な感情が籠っていた。彼女はライが男性という事もあって料理にほとんど期待をしていなかったのでその分出来上がった料理に心が浮かれていたのである。

 

「それじゃあいただきましょうか」

「はい」

 

 早速冷めないうちに食べようと3人は炒飯へとスプーンを進めた。まず一口と黒江が大きく口を開けて炒飯を頬張る。

 

「……」

 

 言葉を失った。あんかけのおかげでやわらかい食感を味わえ、パラっとした炒飯と良いアクセントになる。カニカマや卵の旨味が口いっぱいに感じられる為どんどん食べるスピードが速まった。

 

「おいしいわね。それにこれ、じゃこも入っているの?」

「はい。ちりめんじゃこがあったので使わせてもらいました」

 

 食感で気づいたのだろう、加古の指摘にライが笑顔で頷く。ちりめんじゃこは味を楽しむのはもちろん、カルシウムやビタミン等の栄養素が豊富に含まれており、健康に良い食品だ。黒江の成長を考慮して加えたのだろう。

 

「どうだい? お口に合うかな?」

「……はい。おいしいです」

 

 ライに話を振られた黒江は視線をそらしてそう答える。

 

「そっか。それはよかった」

 

 異性に対する気恥ずかしさだろう。ようやく年頃の少女らしい反応が見えた事で、ライの表情に自然と笑みが浮かんだ。

 

 

————

 

 

「——ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 

 3人が昼食終了の挨拶を終え、一息をつく。皆満足した表情を浮かべていた。

 

「ごめんなさいね、紅月君。わざわざ来ていただいた上にこんな料理まで振る舞ってもらっちゃって」

「構いませんよ」

 

 今一度加古が謝罪するとライは愛想のよい笑みを返す。事実彼にとって料理は決して面倒な事ではない上に気分転換になるので決して悪い話ではなかった。——自分の命と天秤に掛かっているのだからなおさらである。

 

「それじゃあ少し休んでいてください。僕は食後のデザートを用意してきます」

「えっ? まさかそこまで作っていたの?」

「はい。そろそろ準備ができるはずです」

 

 そしてまだライの料理は終わっていなかった。加古にそう告げてもう一度キッチンへと戻っていく。

 しばらくしてキッチンの方からわずかに湯気が上がった。音はあまり響かない事から何かを茹でるか煮ているのだと想像できる。

 果たして今度は一体何が出てくるのか。様々な想像を膨らませながら加古と黒江が雑談する事10分ほど。

 

「お待たせしました」

 

 再びライが小さな器が三つ乗ったおぼんを手に戻ってきた。

 

「はい、白玉あんみつです」

「本格的ね」

「さっきあらかじめ寒天を作っておいたんですよ」

 

 白玉に寒天、みかんにつぶあんが彩りよく並び、その上に黒蜜がかかっている。

 

「————ッ!」

 

 この光景を見た瞬間、黒江の目は輝いた。すぐにスプーンを手に持つと、食事の挨拶さえ待ちきれず口いっぱいにデザートを放り込む。そしてその食感や甘さにたまらず頬が緩んだ。

 

「あの。こ——いえ、ライ先輩」

「ん?」

 

 すると黒江は一度スプーンを置くとライの正面まで移動してその場に座った。

 

「ありがとうございます。改めて、これからもよろしくお願いします」

 

 そして姿勢よく頭を下げる。黒江がライに懐いた瞬間だった。

 黒江双葉。好きなもの:白玉あんみつ、みかん。

 

 

————

 

 

「……ふむ。どうだろう、双葉。旋空の時とか弧月を出し入れする際少し鞘が邪魔かな?」

「確かにたまに引きずりそうになる時はあります。短い刀にした方が良いでしょうか?」

「いや。むしろリーチを伸ばすために刀は長い方が良いと思う」

 

 いつの間にかライまで名前で呼ぶようになった師弟の話題は弧月の扱い方は勿論の事、基本的な装備の事にまで言及している。双葉はまだ幼いという事もあり、他の隊員と比較するとリーチで劣っていた。その為可能な限り弧月は長くすることでその弱点を克服し、遠心力で威力も補いたい。

 ただその場合腰に鞘をぶらさげると地面に擦れてしまう可能性があった。トリオン体により筋力の問題は解決できるので、あとはこの長さの問題のみ。

 

「そうだな、あらかじめ弧月を背中で背負って体の前で結ぶ形にするのはどうかな? 最初から展開位置を設定しておけば再生成の時も同じ形で物質化されるはず」

「トリガーを改造するという事ですか?」

「槍として使う人もいるから問題ないと思うよ。双葉が加古隊に入ったらエンジニアに相談してみると良い」

「なるほど。今度聞いてみます」

 

 そこでライは腰に下げるのではなく背中に背負うという発想に思い至った。これならば刀の長さを気にせず臨むことが出来る。勿論慣れが必要になるがそこは練習を重ねて行けば慣れる事。

 現状における彼女の最善策を提示すると、双葉も納得してその指示に従った。

 

「……驚いた。さすがにここまで早く双葉が素直に話を聞くとは思わなかったわ」

「そうですか?」

「気になった事を次々と言ってくれるのでわかりやすいです」

 

 そんな二人の様子を見た加古が驚きを含んだ声色で呟く。

 双葉が難しい年頃である為ライがいかに優秀であろうとすぐに仲良くなる事は難しいだろうと加古は考えていた。ところがふたを開けてみれば二人は実にあっさりと打ち解けている。

 

「本当は今日の所は顔合わせくらいにしておこうと思っていたのよ。でも双葉もやる気みたいだったからあなたのお言葉に甘えてしまったわ」

「はい。とても勉強になりました」

「僕としても今日はシフトが入ってないから時間があるので大丈夫ですよ?」

 

 時間は3時を回ろうとしていた。お互い真剣に取り組んでいたので時間が過ぎるのが早い。

 加古が申し訳なさそうにそう言うが、ライにとっても初めての弟子とこれ程交流を深められたのは良い事だった。

 

「それに、今日は僕としても何かに集中していないと落ち着かないので」

「どういう事?」

 

 ライの言葉に加古が相槌を打つ。問われたライは大きな笑みを浮かべて話を続けた。

 

「——今日の夜、僕は正式に部隊を結成します」

 

 すべての準備が整い、ようやく新たな一歩を踏み出すのだと彼は口にする。

 この一年B級に昇格しながらもフリーの身であり続けた彼がついに自分の部隊を持つ事となったのだ。

 

 

————

 

 

 その日の夜、中央オペレーターの者達の仕事が終わった後、ライは一人の人物と合流する。

 相手はもちろんかねてより彼が部隊結成の約束を交わしていた瑠花だった。ライは彼女を連れて上司であるボーダー本部長・忍田の執務室を訪れる。

 

「——うむ。部隊結成用の書類、確かに受け取った」

 

 一通り二人の署名を確認すると忍田は書類の束をまとめ、『ボーダー本部長 忍田真史』の判を押した。すべての書類に押した後、傍に控える沢村へと手渡し書類受理の手続きを終える。

 

「では改めて——紅月ライおよび忍田瑠花の両隊員に告げる。本日付けでボーダー本部所属、B級21位『紅月隊』の結成を正式に承認する」

 

 公式に部隊として認められた事で、二人は感情が込み上げた。

 共に部隊を組もうという話がようやく現実となり、真に部隊として二人が手を組む。気持ちが高まるのは当然の事だった。

 

「二人だけの部隊、という事で良いんだな?」

「はい。後々隊員を加える事はあるかもしれませんが、今は二人でやっていこうと思います」

「そうか。——わかった。何はともあれチーム結成おめでとう。心から祝福する」

「ありがとうございます。忍田本部長」

「お世話になりました」

 

 祝いの言葉を告げられ、二人は深く頭を下げる。どちらも忍田とは関りが強かった。その為忍田は嬉しさと寂しさが入り混じった複雑な表情を浮かべる。

 

「瑠花を頼むぞ、紅月君。彼女は確かな力を持っている。きっと君の力になるだろう」

「もちろん。彼女の事は僕も十分に理解しているつもりです」

「……本部長。あまり一個人に肩入れしていると思われるような発言はどうかと」

「よからぬ誤解を生む事になりますよ」

「ハハハ。問題ないさ。ここには今君たちしかいないのだから」

 

 女性二人に苦言を呈せられる中、忍田は軽快に笑った。

 確かに周囲に人がいれば問題だが、いないのならば本部長としてではなく叔父として最後に託したい。そういう思いが彼にはあった。

 

「そうだ。最後に一つ聞いても良いだろうか。君たち紅月隊の目標は何かあるのか? 二人が目指す場所は?」

 

 最後に忍田は二人に問う。

 

「当面は当然B級の一位を。そしてA級に上がった先はそのトップを。A級1位を目指します」

「——当たり前のようにトップを狙うか」

「誰もが機を窺っていることでしょう。ですがただ待っているだけでは機会は訪れない。自ら動かない限りその時は来ない。——二人ならなんだって出来る。どこまでも行ける。そう考えています」

「互いの為に互いの力を貸す。それさえできれば決して分不相応な事ではないはずです」

 

 遥か遠い理想話だが、彼らは不可能だと考えていなかった。それだけお互いの力量を認めている。

 今結成したばかりなのに既に信頼関係が構築されている様子を見て、忍田は小さく笑った。

 

「……防衛隊員が一人となれば大変だが」

「でも二人は良いチームになると思いますよ。どこか信じたくなるパートナーだと思います」

 

 そうだな、と沢村の言に忍田が頷く。

 忍田の言う通り戦闘員一人の部隊は非常に珍しいものだ。険しい道が待っているだろう。

 だが、彼らならもしかしたらやってみせるのかもしれない。

 そんな不思議な予感めいたものを忍田は感じ取っていた。

 

————

 

 

「さて。それじゃあ瑠花」

「はい」

「今日から紅月隊結成だ。ここが君の活動場所になる」

「ええ。久しぶりです」

 

 ライと瑠花は執務室を後にすると、ライが普段から使用している作戦室に場所を移していた。

 瑠花は何度か彼の射手(シューター)トリガーの訓練の為に訪れた事があり、およそ3週間ぶりの訪問である。

 これからはここが紅月隊の作戦室だ。瑠花も正式にここでオペレーターとしての業務を行う事となる。

 

「とはいえ部隊結成直後だ。やるべき事は多くある」

「そうですね。次(シーズン)ランク戦まで日はありますが、参加するための準備があります」

 

 その通りだとライは首を縦に振った。

 部隊結成となれば戦闘員の隊服の設計、部隊としての防衛任務のシフト申請などやらねばならぬ仕事は数多くある。これらを次のランク戦が始まる2月までに全てやり終えなければならなかった。

 

「そしてその中でもまず真っ先にやらなければならない事がある」

「何ですか?」

 

 仕事の中でも最優先事項があるのだとライは真剣な口調で語る。

 何か急を要する件だろうか。

 瑠花は身構え、彼の次の言葉を待った。

 

「それは——」

「はい」

「——作戦室の模様替えだ」

「はい。……はい?」

 

 間をおいて絞り出された話に、瑠花は思わず表情を崩す。

 

「も、模様替えですか?」

「そうだ。これは全力でやらなくてはならない」

「……どうしてですか?」

「君には言っていなかったと思うが、僕は以前からずっとこの部屋で生活している」

「はい!?」

 

 中々納得できない瑠花であったが、ライの言葉を聞いて衝撃を受けた。

 確かにどうして部隊を組んでいない彼がフリーの時代から作戦室を持っていたのだろうと前から疑問はあったのだが、さすがに住んでいるとは予想外の事である。何度かライと接して驚く事はあったが、その中でも最も衝撃が走った瞬間であった。

 

「だからまず部屋の模様替えだ。君のロッカールームや個人スペースは確実に作る。その上で何か欲しいものなどがあれば教えて欲しい。一緒に部屋の構造を考えよう」

「いえ、別にそこまでしなくても」

「駄目だ。男女二人の空間となる以上、お互いのQOLが満たされる憩いの場として最大の配慮が必要だ」

「でも作戦室は見る限り綺麗ですしちょっと足す程度で良いのでは? 生活している割には荷物が少なくも見えますよ」

 

 瑠花はチラリと部屋中を見渡す。ライが必要最低限のものしか置かない上に清掃がいきわたっているのか部屋は清潔に保たれている上に生活には十分な家具も整っていた。気になる臭いなどもなくむしろ生活感がないようにも思える。

 

「ああ。三日前に一度全てを取っ払って建築し直したからね」

「どうしてですか!?」

「瑠花が来るとわかっていたからだよ」

 

 事もなげにライは言った。

 たしかにボーダー関連の建造物はトリオンを物質化したもの。外装や内装までトリオンさえ消費してしまえば設計通りの部屋を容易に準備できる。

 その為ライの話は決して難しい事ではないのだが、まさかここまで徹底しているとは。

 

「……わかりました。では一応、私なりに必要なものなどはお願いします」

「勿論。雰囲気づくりとかも大切だからね」

 

 作戦室というか、まるで新しく引っ越しする共同部屋のようなイメージだな、と瑠花は苦笑した。

 瑠花以上にライが彼女の事に気を配り、部屋の図面を作成していく。やはり妹のような存在にはとことん甘かった。

 

 

————

 

 

 時は進み、2月の上旬。

 B級ランク戦の新たなシーズン、新年に入ってから最初のシーズンが幕を上げる初日、夜の部。

 紅月隊の作戦室にライと瑠花の姿があった。

 瑠花は部隊専属オペレーター専用の黒い制服に身を包んでいる。

 一方のライは紅月隊オリジナルの隊服をまとっていた。海のような濃い青を基調とし、袖や両肩部など所々に銀色のラインが施された袖付きのロングコート。下も同じく青いズボン、そして黒と銀を基調とした靴を履いている。

 

「ライ先輩。こちらの準備は完了です」

「——ああ。僕もだ。そろそろだね。紅月隊、始動だ」

 

 瑠花の呼びかけにライが笑顔で応じた。

 新設したばかりの、二人だけのチーム。彼らは初陣の時をじっと待つ。

 その落ち着いた様相はとても新米チームとは思えないものだった。




ついにここまで来た……!


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B級ランク戦①
奇襲


 新シーズンのB級ランク戦開始の時が刻一刻と近づいていく。

 作戦室では隊員達が戦いの準備を進めている中、観客席には多くのC級隊員は勿論、正規隊員の姿もちらほら見られていた。初戦という事もあって試合の展望や勝敗の予想に想像を膨らませている。

 

『ボーダーの皆さんこんにちは! 本日の実況を務めます海老名隊オペレーターの武富桜子です!』

 

 定刻となり、今日のランク戦の実況担当者・武富が進行を開始した。

 B級海老名隊オペレーター武富桜子

 

「本日よりB級ランク戦は新シーズン開幕です。まずは初日、昼の部を実況します。本日、解説席には太刀川隊の出水隊員、冬島隊の当真隊員にお越しいただきました。本日はよろしくお願いします!」

『どうぞよろしく』

 

 武富の紹介を受けた出水と当真が声をそろえて挨拶を済ませる。

 A級太刀川隊 射手(シューター) 出水公平

 正規隊員であり、しかも両者ともに個人の強さにも秀でた隊員だ。彼らが解説を務めるという事も観客席に人が集まっている原因の一つであった。

 勿論理由はもう一つある。この試合から部隊(チーム)ランク戦に初参入を果たす新参チームが戦うという事も観客席では話題となっていた。

 

「では本日はランク戦開幕という事で。出水先輩、簡潔にB級ランク戦について説明お願いします」

「ああ俺? そうだな。B級ランク戦は各チームが上位・中位・下位の三つのグループに分かれて三つ巴か四つ巴のチーム戦となる。他の部隊の隊員を一人倒すごとに一ポイント獲得、最後まで生存できれば生存点としてさらに2点がもらえる。当然この点が高い程順位は上がる。最終的にB級一位、二位のチームはA級昇格への挑戦権が得られる。ぜひA級目指して頑張ってくれ」

「説明ありがとうございます。また、ランク戦開幕にあたって前シーズンでの順位に応じた初期ボーナスが上位チームにはあらかじめ加算されています。その分のアドバンテージがありますね」

「ああ。だから各シーズン毎に全力で上の順位を獲得する事が重要だな」

 

 その言葉で締めくくりB級ランク戦の説明が終了する。

 丁度時間も頃合いとなった。

 ランク戦では組み合わせの中で一番順位が低いチーム(今回は紅月隊)が戦闘ステージの決定権を持つのだが、その紅月隊が舞台選択を終え、初戦の場が発表される。

 

「さあ紅月隊がステージ選択を終了しました。選ばれたのは……『市街地C』! 坂道と高低差が大きい住宅地です」

「これは当真さんの専門だな」

「だな。何せ狙撃手(スナイパー)用のステージだ」

 

 ステージを見て出水は当真へと話を振った。戦いの場によってポジションの有利不利が出るのだが、その中でも市街地Cは特徴的な舞台である。

 

「山が近いから基本は小っちゃな家が階段状に、山の斜面に沿って続いてる。上に登るにはどこかで家の間にある道路を横切らなきゃなんねえが、この時に狙撃手(スナイパー)に先に上の場所を取られると的にされるっていう狙撃手(スナイパー)有利のマップだ」

 

 山の斜面に作られた坂道と高低差のある住宅地マップは上下の移動の際に狙撃手(スナイパー)に狙われやすく射線を切りにくい。もしも狙撃手(スナイパー)に高い位置を取られると反撃は難しいステージとなっていた。

 

「これは紅月隊が狙撃戦を狙っているという事でしょうか?」

「だろうけど俺紅月先輩の事はよく知らねえんだよな。太刀川さんとか槍馬鹿と戦ってたって聞いたから攻撃手(アタッカー)だと思ってたんだがちげえの? 狙撃手(スナイパー)なのか?」

 

 そう言って出水は手元の隊員資料へと視線を落とす。やはりこちらにも彼は攻撃手(アタッカー)として登録されていた。となるとこのステージ選択には疑問が残る。攻撃手(アタッカー)には特に有利な事はないマップであるのだが。

 

「どっちもだよ」

 

 その悩みを当真が一刀両断する。

 

「紅月は攻撃手(アタッカー)だが狙撃手(スナイパー)訓練にも出てる。だが正規隊員入りしたのが攻撃手(アタッカー)の時だったし、今も個人(ソロ)ポイントが攻撃手(アタッカー)の方が高いからそっちのポジションで登録されてんだ」

「なんと! ではやはり狙撃手(スナイパー)として振る舞う為に市街地Cを選んだという事ですね!」

「まあそうだろ。他のチームには狙撃手(スナイパー)がいねえみたいだし」

 

 今回のランク戦は間宮隊、早川隊、松代隊、紅月隊の4つ巴。4部隊の内狙撃手(スナイパー)適性があるのはライだけだった。その為彼がいち早く高台のポジションを取れれば数の差はあれど有利に立てるステージだ。確かにそう考えれば悪くない選択であると考えられる。

 

「紅月隊は先月発足されたばかりのチームという事ですが、戦闘員は隊長一人のみです。当真隊員は紅月隊長の事をご存知のようですが、強さの方はどうなのでしょう?」

「強ぇよ」

 

 武富に話を振られた当真は簡潔にそう答えた。

 

「訓練の数値だけで言うのはあれかもしんねえが、少なくとも狙撃手(スナイパー)訓練ではいつも上位に入ってる。そこらの狙撃手(スナイパー)相手には負けねえだろうな」

「なるほど! それならこのマップ選択も納得です」

「しかも攻撃手(アタッカー)としてもできるみたいだからな。寄られれば落ちる、っていう事はそうそうないと思う。多少転送位置が不利でも取り返せると考えたのかもな」

「確かに攻撃手(アタッカー)トリガーを持っているならば逆転もありえそうです。——さあその新加入した紅月隊を含む4つ巴。スタートまであとわずかです!」

 

 新たに加わった実力者の話を聞いて観客席にさらに熱が篭る。

 B級暫定16位松代隊、同暫定17位早川隊、19位間宮隊、21位紅月隊。

 各部隊は戦いへ向けて最終確認を行っていた。

 

「——それじゃあ瑠花。手はず通り頼むよ」

「はい。任せてください」

「作戦は3段階。2つ目については失敗に終わるかもしれないが、一人落とせれば御の字だ。成功の有無に関わらずその後は近い敵から落としていこう」

「やるべきは隊員の位置補足、データとマップの照合ですね」

「その通りだ」

 

 紅月隊ではライと瑠花が事前の方針について確かめている。瑠花の言葉にライは満足して頷いた。

 

「市街地Cとなれば最初は誰もが皆移動を考える。だからこそ今回は転送後、隊員達は混乱するだろう。そこでさらに場を動かして敵の動向を止める」

「成功の為には始動が重要」

「ああ。対応させる時間を与えない。立て直しが終わる前に勝負を決める」

 

 マップ選択が許されたチームだからこそ事前にたてられた作戦。初戦であろうと遠慮は必要ない。ライはこの試合で大量得点をするべく計画を企てていた。

 

「——ではここで全部隊(チーム)、仮想ステージへ、転送完了!」

 

 そして戦いの幕が切って落とされる。

 武富の声を合図に、隊員達が市街地Cへと転送されていった。

 

————

 

 

(いよいよ始まるか。とにかくまずは一人でも先に高台を取る!)

 

 間宮隊の隊長、間宮は強く意気込んで転送の時を迎えた。

 市街地Cは予想外のステージだが間宮隊にとっても悪いものではない。間宮隊は3人全員が射手(シューター)。高台を押さえられれば彼らが得意とする追尾弾(ハウンド)を一方的に相手へ降り注げる可能性がある。

 当然狙撃手(スナイパー)と比べれば射程で劣るものの、そこは数で補う事も可能だ。

 いずれにせよ最初の転送位置が重要な戦い。

 まずは真っ先に転送位置を確認しようと、間宮は転送されながら作戦方針をもう一度頭の中で繰り返し——

 

「うわっ!?」

 

 突如体中を襲う強烈な冷気に、彼は身動きを封じられた。

 

「こっ。これは!」

 

 冷たい空気にさらされながら必死に間宮は目を見開き現状確認に努める。

 市街地Cは一面が銀世界に染まり、大粒の雪が白く吹き乱れていた。

 

 

————

 

 

「各隊員の転送が完了しました! マップ『市街地C』! 天候『吹雪』! 各隊員、一定以上の距離を置いてランダムに転送された地点からスタートします」

 

 市街地Cは吹雪に見舞われている。

 武富の解説通り、隊員たちはすぐに合流できないように平等に離れた距離からランク戦は始まった。従来ならば市街地Cではまず高台を目指すべく移動するのだが、今回は降り積もる雪、吹き荒れる風によって皆初動が遅れている。

 

 

「積雪量は50センチほどでしょうか。戦闘体でも走るには慣れを要し、さらに吹き荒れる吹雪が隊員の視界を奪います」 

「……マジかよ。一瞬で状況変わったな」

「吹雪のせいで視界が制限されてる。こりゃ視認での狙撃は無理だな」

「マップ選択には天候や時間帯の設定も可能です。しかしここまでハードな設定は前例がないでしょう! 紅月隊、初めてのランク戦でこれ程の大胆な策を打ってくるとは誰が予想できたでしょうか!」

 

 普段のランク戦では見られない天候設定は正規隊員達も驚きを隠せなかった。吹雪となっては有利となる狙撃もほとんど不可能である。ここからの展望は全く予想できないものとなっていた。

 

「やはり皆行動に遅れが出ています。天候の事もあり、作戦の変更はやむをえないですね」

「だろうな。皆高台に行くって考えてたから仕方ない。とりあえず部隊の合流に方針を変えるだろうが」

 

 そこで出水は言葉を区切る。

 彼の視線の先にはただ一人、ランク戦開始直後から行動を始めていたライの姿が映っていた。

 

「そんな余裕はなさそうだ。紅月先輩が何かやるぞ」

 

 

————

 

 

「くっ!」

『隊長!』

「……ああ。仕方ない。高台を目指しても無駄だ。とりあえず俺と箱田で合流する。土崎はバッグワームを起動しておけ!」

『了解です!』

 

 松代隊の隊長である松代は手短に命令を告げて移動を開始する。

 雪のせいで動きにくく、索敵も難しい状況だが幸いにもまだ誰もバッグワームを展開していない為レーダーで敵の補足は出来た。初期の転送でマップの東側に飛ばされた松代は南にいる箱田と合流し、近くの敵に当たろうと作戦を切り替える。

 トリオン体でもこの雪の深さでは移動が難しいが条件は敵も同じだ。とにかく仲間と合流し敵の動きを見ようと必死に足を動かした。

 必死に南下を開始する松代。

 するとその直後、彼は西から何か白い物体が数回にわけて宙高く撃ち上げられる光景を目にする。

 

「なんだ? 攻撃か?」

 

 射撃(シューター)トリガーによるもので間違いないだろう。だがその目的は理解できなかった。

 吹雪の為にそのトリガーの目標はよくわからないが、高台方面に撃ち上げられたように見える。この積雪の為に誰も上には登れていないというのに、どうしてそちらへ攻撃を仕掛けたのか。

 他の隊員も同じ光景を目にしたがすぐには答えは出ない。

 ——しかし直後地面が揺れるような大きな音が耳に響き、彼らはここから先起こる事を理解した。

 

「まさか!」

『隊長! すぐにそこから離れてください!』

「……おいおい。マジかよ、嘘だろ?」

 

 オペレーターの羽鳥の声が響く。彼女の警告が自分の考えが正解だと示していた。

 

『早く! あと2秒で——来ます! 雪崩です!』

 

 すなわち降り積もった雪が崩れ落ち、斜面を傾れ落ちる雪崩。

 松代は必死に離脱を試みるが時すでに遅し。高速で滑り落ちる大量の雪の波が、隊員達を飲み込んでいった。

 

 

————

 

 

 吹雪によって多くの隊員が押し流されていった事をレーダーで確認し、ライは苦笑した。

 

「上へ登ろうとした敵を押しつぶす。——同じ手を繰り返す事はあまり好きじゃないけど、あの時は僕の作戦ではなかったから関係ないか」

 

 自分の正式な初陣が似たような形となり、結果も似たものとなれば昔を思い返さないわけがない。思えばあの時もそこから快進撃が始まったのだったなとライは以前の記憶を懐かしんだ。

 

『ライ先輩。奇襲は成功です。東に転送された隊員の身動きは封じられました』

「ああ。これで自主的な緊急脱出(ベイルアウト)もできなくなった」

 

 ランク戦では周囲半径60メートル以内に敵の隊員がいる場合は自発的に緊急脱出(ベイルアウト)をする事が不可能という仕組みになっている。そして今雪崩に押し流された事で4人の隊員達はその範囲に全員が収まってしまった。つまり身動きもできず、撤退も出来ないという事である。

 

『また、西側で一人レーダーから反応が消えています。警戒を』

「わかった。こちらでも確認済みだ。——作戦は次の段階へ移行する。この間に残る西を片付けよう。瑠花、予定通りに」

『わかりました』

 

 ステージ中央に立つライにとっては後方の憂いを立ち、反対側の西の敵に専念できる様相となった。

 一人部隊である彼にとって敵の大多数を封じ込める事は非常に重要だ。さらに貪欲に戦況を動かそうと、ライは新たなトリガーを起動する。

 

 

————

 

 

「どああああ!? なんと、マップ東側で突然の雪崩が発生! 松代隊長、箱田隊員、鯉沼隊員、船橋隊員が雪の中へと飲み込まれてしまいました!」

 

 武富の悲鳴のような絶叫が観客席中に響く。それほど突如発生した雪崩の被害は甚大なものだった。松代、箱田、鯉沼、船橋の4名がこの雪崩によりフィールド上から姿を消している。皆レーダー上に反応は残っているので緊急脱出(ベイルアウト)はしていないようだが戦線復帰は困難な状態だ。

 

「今のは紅月先輩のトマホークだな。高台に数発撃ちこんで爆発。その勢いで雪崩を引き起こしたんだ」

「合成弾か。しかも結構溜めの時間短かったように見えたぜ」

「そっすね。多分3秒か4秒くらいか? 予想が完全に外れちった。射手(シューター)トリガーも使ってんのかよ」

 

 再度戦いの展望が異なる事態に進んだこと、そして何よりも同じ射手(シューター)としてライの練度を知って出水は舌を巻く。

 合成弾は元々出水が開発したものだった。今回は変化弾(バイパー)炸裂弾(メテオラ)を合わせたものだが、誰でもそう簡単に出来るものではない。慣れない者では撃ち出すまでに1分は時間を要するだろう。

 

「多分、紅月先輩もリアルタイムで弾道引いてんな」

 

 それをここまで短時間で、一発ごとに着地点が異なるようにルートを設定して撃ち出す事が出来るのはおそらくボーダー中を探しても出水と那須くらいのはずだ。

 

「いやビックリした。俺と那須さん以外に出来る人いたんだな」

「おそらく紅月の副作用(サイドエフェクト)がそれを可能としてるんだろうぜ」

「資料によると『超高速精密伝達』と言うそうですが」

「——ああなるほど。そういう事か」

 

 二人の説明と手元の資料の情報を見て合点がいく。確かに本来なら不可能な事でも、この力があるのなら十分可能であった。

 

射手(シューター)の弾道設定にはイメージする空想力、状況を把握する客観的な視点、位置関係を補足する空間認識能力が求められる。それらの情報を統合する能力もだ。その情報をあっという間に整理して伝達できるってんなら、確かに変化弾(バイパー)を使えるのも当然ってわけだ」

「おう。なんだよ出水、ちゃっかり自分の自慢話か?」

「そんなんじゃないっすよ」

 

 冷やかしの指摘を受けて出水は軽く否定する。

 口にするのは容易だが、これが出来るのは出水も語ったように現時点では3人だけだろう。その中のトップに君臨する隊員の言葉だけに信頼性は強く、試合を見ている隊員達は新たな戦力が出現したのかと肝を冷やした。

 

「紅月隊長のトマホークにより4人の隊員は生き埋めの状態となってしまいました。こうなるとまず脱出を図りたいところでしょうが……」

「まず無理だろ」

 

 いずれにせよライの策で多くの隊員が動きを封じられている。

 どうにか彼らはこの危機を脱したいところだろうが、雪崩の中ではどう対処すべきなのか。武富が二人に尋ねると当真があっさりと断じた。

 

「トリオン体って言ったって万能じゃねえ。寒さの感覚はマシになるだろうが、寒さによる体の反応がなくなるわけじゃねえからな。雪の中じゃ方向感覚を掴むのも難しいから動きにくくなった状態じゃ脱出はキツイ。そんな事できるくらいならうちの隊長が船酔いなんてしねえよ」

「また冬島さん酔ったのか……」

 

 隊長の姿を思い返して当真が解説する。

 トリオン体は便利ではあるが当真が語るように万能というわけではないのだ。トリオン体は寒さや暑さの感覚を調節は出来るが、感覚を感じなくなったとしても体温の変化によって引き起こされる現象は起こりえた。船に乗って船酔いがする事もあれば、水を飲んで咳き込む事だってあり、寒さで筋肉の動きが弱まる事もある。人体に起こりうる事はトリオン体でも生じるのだ。

 幸いにも呼吸効率は非常に良くなっている為窒息の危険性は低いだろうが、慣れない環境では精神的な辛さもあるはず。人の助けがなければ自力での脱出は難しい状態だった。

 

「となると残る隊員が合流あるいは救助に向かうのが得策、という事でしょうか?」

「まあそれが出来るならな」

「ただ、仕掛けた側の紅月隊がそれを許してくれるとは思えねえよ」

 

 ならば巻き込まれなかった隊員が、という楽観的な考えを解説席の二人は即座に否定する。

 策を講じた側は次の動き出しも早かった。ライは右手に別のトリガーを起動し、次の目標へと狙いを定めていた。




初期転送位置


            秦
   間宮                 船橋
      土崎    
              紅月        松代

                   鯉沼
  丸井      
        早川           箱田


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圧倒

 隊員が雪に飲み込まれた事を知った早川は早急に内部通信を繋ぎ、無事を確認する。

 

「船橋! 無事か!?」

《かろうじて生きてます。とはいえ暗くて何も見えないし、どういう状況かわかんないっすけど》

「脱出してないならいい。そこを動くな。俺達が救助に向かうまで待て!」

 

 隊長である早川はそう言って通信を切った。雪の中で下手に動いて事態が悪化する事は避けたい。緊急脱出(ベイルアウト)をしていないのならばいくらでも巻き返せるのだ。とにかくまずは自分と同じく無事である丸井と合流を果たそうと早川は雪の上を走り出した。

 

「ッ!?」

 

 その直後、すぐ近くで空気を裂くような鋭い音が響く。

 敵襲かと考えて付近を見渡すが人影は見つからなかった。レーダーを起動してもやはり近くに敵はいない。意味がわからず早川は足を止めて周囲を警戒した。

 そして再び先ほどと同じ音が耳を打つ。その数秒後、一つの反応がレーダー上から姿を消した。

 

「なっ! 丸井!?」

 

 反応は彼のチームメイトのもの。味方の丸井が緊急脱出(ベイルアウト)したという事を早川に示している。

 ——ありえない。 

 何が起こっているのかすら早川は理解できず、

 

「ッ!?」

「戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 銃弾が彼の胸元を貫いた。

 

 

————

 

 

 南西で二人の隊員が立て続けに緊急脱出(ベイルアウト)。次々と動く戦況に誰もが息を飲んだ。

 

「戦いが動きました。ここで紅月隊長の狙撃が炸裂! 丸井隊員と早川隊長が緊急脱出(ベイルアウト)です!」

「えぇ。ねえ当真さん、さっき狙撃は無理って言ってなかった?」

「俺は視認での狙撃は無理(・・・・・・・・・)って言ったんだぜ」

 

 出水でさえこの結果に驚きを隠せない中、当真は淡々と狙撃を成功させた理由について解説を始める。

 

「トリガーは気流の影響を受けない。だからどれだけ強い風であろうと場所さえわかれば悪天候でも決める事は不可能ではねえ」

「レーダーで位置を補足したという事ですね。しかしそれでも二次元的な位置はつかめても高さはわからないと思いますが」

「普通はな。だが今回は紅月隊がマップ選択権を持っていた。あらかじめ建物の位置関係とかがわかっていれば逆算しておおよその位置を求められる。東さんとかたまに壁抜きスナイプとかするしな」

 

 最下位チームが持つマップ選択権を有効に利用した行動だった。最初からマップの構造を掴んでいたからこそ敵の位置を補足できた。

 

「加えてランク戦直後のこの天候。すぐに合流したい序盤で狙撃の警戒がないとなれば、少しでも動きやすいよう屋根伝いに移動するのが当然だ。足が鈍い状態となればほとんど止まった的のような状態だろうぜ」

「そこを狙われたってわけっすか」

「ああ」

 

 出水の声に頷く。当真は狙撃手だからこそ、敵の心理を読む事に長けているのだろう。的を射た発言であった。

 

(もっとも紅月は足止めが出来れば十分と考えていたのかもしれねえがな)

 

 しかも口には出さないが当真はライの真意を見抜いている。彼の師匠、奈良坂の教えを忠実に守り『行動を制限する』目的で撃ったのだろうと。落とせなくても襲撃を警戒して足を止められたなら、彼の目的である時間稼ぎには十分なのだから。

 一人部隊であるライが得点を狙うにあたり、目の前の相手以外の敵には落ちずに残っていてもらう必要がある。その為には今のように狙撃で敵を抑える事は効率的な事だった。

 

「——おっと。ここでさらに戦場に動きが!」

「ああ。土崎が紅月先輩に仕掛けるぞ」

 

 当真達が解説している間にも戦況が新たな動きを見せる。

 バッグワームで姿をくらましていた土崎が勝負に出たのだ。弧月を抜刀すると、イーグレットを構えるライへと襲い掛かかった。

 

 

————

 

 

『ライ先輩! 右から来ます!』

「来たか!」

 

 瑠花の警告を耳にしたライは素早く弧月を展開した。切り込んでくる土崎を真っ向から迎え撃つ。

 

(くっ。防がれたか!)

 

 不意を突いた一撃を防がれて土崎は舌を鳴らす。

 

(消えていたのは土崎。ならば上に残っているのは銃手(ガンナー)射手(シューター)の可能性が高いな)

 

 一方のライは土崎の出現から残る戦力を分析し、射程を持つ隊員が控えている事を悟った。

 

(ならば時間をかけず、速攻で!)

 

 ライは弧月を力強く薙ぎ払う。その勢いに押された土崎が後退すると、すぐさま追撃。刀を斜めに構えた状態で走り出した。

 

(くそっ! 弧月でも強いのか!)

 

 あっさりと押し負けてしまった事に悔しさが募る。だが今はとにかくこの場を切り抜けなければ。

 土崎も迎え撃とうと弧月を構え直した。

 

「ここだ」

 

 するとライはあと一歩という所で弧月を下から上へと切り上げる。刀は雪を掬い上げ、一時的に土崎の視界を奪った。

 

(なっ。雪が! やばっ!)

 

 追撃を警戒して土崎は咄嗟にサブのバッグワームを解除。シールドを頭上に展開し、切り落としに備えて刀を上に構える。

 するとがら空きとなった腹部をライの弧月が横一閃に切り裂いた。

 

「——ッ!」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)!』

 

 この一撃が致命傷となり、土崎も緊急脱出(ベイルアウト)となる。これで3人目の離脱者となった。残る西側の敵はあと二人。

 

「ライ先輩! 上から来ます!」

「上? ——射手(シューター)か!」

 

 あと少しで戦況が落ち着くという中で敵が黙っているわけがない。

 一人撃破したライに上から二人の隊員が放った追尾弾(ハウンド)が襲い掛かった。

 

(この弾の量、一人の攻撃じゃないな。間宮隊が上に二人いる!)

 

 ライが3人を落とす間に間宮隊の二人が集結に成功。視界が悪いという事で彼らが得意とする技の別バージョン誘導弾嵐(ハウンドストーム)が雨のようにライへと迫る。

 

————

 

 

「紅月隊長が土崎隊員を撃破! しかしこの間に間宮隊の間宮隊長、秦隊員が高台で集結。生き残った紅月隊長へと攻撃を始めた模様です!」

「ああ。こりゃ面倒だろうな」

「高低差の優位を取られた。しかも足場が悪いから逃げるのは簡単じゃねえ」

 

 射撃(シューター)トリガーの威力が他のトリガーより低いとはいえ、二人がかりとなれば十分な力となる。二体一、地形の不利という条件ではこの攻撃をさばくのは容易ではないだろうと解説席の二人は断じた。

 

「攻勢から一転防戦に転じた紅月隊長。この襲撃をどうやって対応するのでしょうか!?」

 

 一気に不利な状況となったライ。如何にしてピンチを乗り切るのか、武富が白熱した視線を送る中、ライが動き出す。

 

 

————

 

 

変化弾(バイパー)!」

 

 ライは大きく横へ跳躍しながら弾道を設定すると変化弾(バイパー)を撃ち出した。

 発射された弾が迫り来る誘導弾(ハウンド)と激突する。うち漏らした弾もシールドで受けて第一波をしのぎ切るが、再び敵の猛攻が撃ち放たれた。

 

(この火力、おそらく二人とも両攻撃(フルアタック)だろう。動ける敵が他にいないのだから当然か)

 

 尋常ではない弾の嵐は二人が左右のトリガーで同時に攻撃している事を意味している。

 数的に不利な事に加えて視界も悪いため、これ以上自動で探知する誘導弾(ハウンド)を手動で弾道を設定する変化弾(バイパー)でしのぎ切るのは難しいだろう。舞台設定、トリガーの能力がここに来て不利に働いていた。

 

「ならば」

 

 迎撃が難しいと考えるや、ライはその場でうずくまり左手を地面につける。

 自動でトリオン体を追う誘導弾(ハウンド)が迫る中、ギリギリまでその時を待ち——

 

「エスクード」

 

 ライの足元から巨大なバリケードがせり上がった。

 地面から角度をつけて出現したその盾を蹴ると、盾の勢いもあってライの体が弾丸の如き速さで空へと撃ち上げられる。

 

「とっ、跳んだ!?」

「まさかこっちに!?」

 

 突然の大ジャンプに間宮隊の二人は動揺した。ハウンドはトリオン体を追い切れず、地面に衝突して消える。

攻撃が失敗に終わった今、二人に驚いている時間はない。空中へと身を投げたライは凄まじい勢いで間宮の所へと落ちていく。

 

「ッ! シールド!」

「隊長!」

 

 着地場所を察して間宮と秦は咄嗟にシールドを展開した。

 直後、二人の展開したシールドとライの弧月が衝突。落下の勢いも加わったその威力はすさまじくシールドに亀裂が生じる。二人がかりで守りを固めても凌ぐ事が容易でない力の差に、間宮は顔をしかめた。

 ——だからこそ次の反応が遅れてしまう。

 ライが左手を弧月から離すと、トリオンキューブを生成。分割はせずに掌に浮かべると間宮に目掛けて直接撃ち込んだ。

 

「はっ?」

炸裂弾(メテオラ)

「ちょっ、まさか——」

 

 射手(シューター)トリガーを近距離でぶつけるなど聞いたこともない荒業に成す術はない。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

間宮の体が爆発四散し、仮想フィールドを後にした。

一方のライは爆発が目の前で起きていながらも、相手二人が仕掛けたシールドに守られて無傷のままだ。ぶつかる寸前に手を引き、敵の盾で体を守るという常識外れな攻防を呆気なくやってみせる。

 

「隊長! くそっ!」

 

 隊長が簡単にやられた光景を眼前にし、一対一では敵わないと悟った秦はバッグワームを起動した。この吹雪に乗じて離脱を試みる。

 

「逃がしはしない」

 

 だが近くの標的をライが見逃すわけがなかった。

 逃走経路を予測して再び変化弾(バイパー)を放つ。弾丸はあらゆる方向から秦へと襲い掛かった。

 

「うおおお!」

 

 片手のシールドでは防御が間に合わない。秦はすぐにバッグワームを解除し、両手でシールドを展開して必死に防ぎ切ろうと走り続け——

 

「ッ!?」

 

 自分の後方で変化弾(バイパー)とは別の爆発が連続で起こっている事に気づいた。

 振り返ると、その爆発はライから秦へ真っすぐに向かって断続的に起きている事がわかる。

 そしてその爆発によって雪が次々と消えていき、新たに出来た道からライが駆け抜けて来ていた。

 

炸裂弾(メテオラ)で道を!?)

 

 メイントリガーの変化弾(バイパー)で敵の行動を封じ、サブトリガーのメテオラで障害を吹き飛ばす。

 秦がライの作戦に気づいた時にはすべてが手遅れだった。雪で秦が足を取られている間に二人の距離は20メートルまで迫る。

 

「旋空弧月」

 

 変化弾(バイパー)を撃ち終えたライは弧月のトリガーを起動、踏み込みながら旋空を横一閃に放った。

 この攻撃を前に防御は意味をなさない。

 秦も隊長と同様、身体を真っ二つに両断されてその場を離脱した。

 

 

————

 

 

「なっ! なんと紅月隊長、エスクードの大ジャンプで誘導弾(ハウンド)をかわすとあっという間に間宮隊の二人を撃破! 動ける敵を一掃しました!」

「……すげえな。射手(シューター)トリガーと攻撃手(アタッカー)トリガーの切り替えがスムーズだし、何より対応が早かった。あっという間に戦局をひっくり返したな。敵の盾で自分を守るとか初めて見たぞ」

 

 二人の敵を呆気なく撃退。一連の流れを見た出水が感心して呟く。二つのトリガーを使い分ける万能手(オールラウンダー)は数多くいるが、ここまで練度が高い隊員はそうそういないだろう。

 

「これで西側の敵は全滅。となると、雪崩で身動きを取れない敵を料理するのは——まあ簡単だ」

 

 もはや勝負は決したと当真は断じた。

 彼の視線の先でライが再びエスクードを起動。宙高く飛ぶと空中で変化炸裂弾(トマホーク)を展開して隊員達が密集する地帯へ撃ち落とした。

 一撃目で二人の隊員が脱出し、さらに追撃用に起動したもう一発が残る二人を爆撃、緊急脱出(ベイルアウト)へ追いやった。

 

『紅月隊長の変化炸裂弾(トマホーク)が残る隊員を殲滅! これにて試合終了! 最終スコア11対0対0対0! 紅月隊が大勝を収めました!』

「完封勝利かよ」

「数字見るとえげつねえな」

 

     得点 生存点 合計

 紅月隊 9   2  11

 早川隊 0   0  0

 松代隊 0   0  0

 間宮隊 0   0  0

 紅月隊が3部隊全ての敵を落とし、生存点を合わせて11得点という圧巻の成績で初戦を終える。

改めて得点を目にした隊員達はその桁違いな数値に皆目を疑った。

 

「ライ先輩」

「ああ、お疲れ様。初めてのランク戦でこれは大戦果だ。助かったよ」

「はい。お役に立てたならば何よりです」

 

 そんな周囲の反応など知る由もなく、ライは作戦室に戻ると瑠花と勝利の喜びを分かち合う。

 二人とも笑みを浮かべて手を合わせた。

 

「えー、最初から紅月隊長が大暴れし大量得点をもぎ取ったこの試合。解説のお二方はいかがだったでしょうか!?」

「いやー、本当にその通りだよな」

「これ解説いるか? ランク戦の解説っつうか紅月の戦いの解説になるぞ」

 

 武富に話を振られるも、解説の二人は言葉に詰まる。当真の発言に出水も「そっすね」と頷いた。彼らの言う通り終始ライが試合を動かしていた為に総説が難しい。

 とはいえ時間もある以上悩んでいても仕方がなく、出水が話を進めようと話を切り出した。

 

「とにかく最初のポイントは雪崩だったよな。傾斜と雪っていうステージのギミックを活かした手でこれによって半数の隊員は何も出来なくなっちまった」

「天候のせいでどの隊も反応が遅れてたのも大きい。転送前に皆高台を目指そうと考えていただろうから面を食らっていただろうぜ」

「確かに3部隊の隊員達が足を止める中、紅月隊長は転送されるやいなや合成弾を起動していました。どの隊員でも良いからとにかく多くの敵を足止めしたかった、という事でしょうか」

 

 ランク戦開始直後から動き出し、合成弾を生成していたライの様相を思い返して武富が問うと、出水は首を縦に振り彼女の考えが合っていると示す。

 

「だろうな。もし転送位置が悪くて自分が巻き込まれそうな場合でも多分やってたと思うぜ。エスクードジャンプでかわせていたはずだし」

「ああなるほど。その為のエスクードでもあったのか。面白えな」

 

一人という部隊の都合上、同時に複数の戦場の敵を相手にする事は難しい。その為の雪崩だったのだが出水が言うようにエスクードは自爆を防ぐためのものでもあったのだ。転送位置がマップの端だった場合はどうしても自分まで犠牲になってしまいかねない策を必ず成功させるためにもエスクードは必要だったのだと。

 

「ご名答」

「凄いですね。さすが精鋭中の精鋭。的確に私たちの作戦を見抜いてる」

「何せA級の一位、二位の隊員だからね。隊長でなくても普段から一緒に戦っていれば戦術も身につくだろうさ」

 

この出水の発言は的中していた。戦いが終わった直後で情報の整理もしていない中での確かな分析。ライと瑠花の二人は揃って彼らの解説に感嘆する。

 

「そしてその後は紅月隊長はイーグレット、メテオラ、弧月とあらゆるトリガーで敵を圧倒していきました」

「結局全てのポジションのトリガーで点取ってたんだよな。前情報なかったからビックリしたよ」

「はい。同じポジションの相手を手玉に取っていた点が印象的でした。ですが気になったのはトリガー構成です。今日のランク戦を見る限りメイントリガーの枠がシールドを入れるには過剰のように思えるのですが……」

 

 3種のポジションを巧みに使い分けた点は称賛に値する戦果だった。だが気になる点が武富の中に浮上している。

 トリガーの枠という点だ。メインとサブ、それぞれ4枠の武器をセットする事が許されるのだが、今日確認できただけでもメイントリガーが弧月・旋空・変化弾(バイパー)、イーグレットと全ての枠が埋まっている。これではシールドが入る余裕がないはずだ。

 

「いらねえって事だろ」

 

 その疑問を当真が一蹴する。

 

「シールドをサブの一枠で十分って考えたって訳だ。防御よりも攻撃、回避を優先する。もしもの時にはエスクードもあるから大丈夫って魂胆だろうぜ」

「なんと! 基本的には誰もが両方のトリガーに入れるシールドの枠を削っているというわけですか!」

「おそらくはな。紅月のやつは回避や隠密行動が上手いから不思議じゃねえ。——この前の補足・掩蔽訓練でも被弾0で5位だったはずだ」

「5位! それほど高いのですか!」

「被弾0って当真さんからも当てられなかったって事かよ」

 

 『残念な事にな』と当真が息を零した。彼もライの実力を認めている。だからこそ彼のトリガー構成にも理解を示していた。

 

「——やはりバレましたね」

「問題ないよ。いずれわかる事だ。そもそもよく個人(ソロ)ランク戦をやっている相手には知られている事だからね」

 

 あっけなくトリガー構成が判明された事に瑠花は苦言を呈するが、ライは平然と構えている。

 

「むしろこれで対等だ。お互いの手の内が明らかになった上で、上の者達との力比べが始まる」

「……はい!」

 

 そう言って笑みを向けられ瑠花も彼の意思に応えるように返事をした。

 

「さて、これで初日のランク戦はすべて終了となりました。暫定順位が更新されます!」

 

 一通り試合を振り返り、武富が進行を続ける。

 このランク戦をもって初日の戦いは全て終了となった。この日の得点を反映して順位が最新のものに移り変わる。

 

「紅月隊は一気に8位、B級中位のトップに立ちました! 松代隊、早川隊、間宮隊はそれぞれ19位、20位、21位へダウン!」

「一試合で最下位チームが中位の一番上かよ。最速じゃね?」

「この大量得点はやべえな。3、4試合分の得点を掻っ攫いやがった」

 

 紅月隊があっという間に8位までかけあがった事に観客は勿論解説の二人も驚きを隠せなかった。歴代はおろかこれから先も同じ事は起こる可能性は低い。それほどの大躍進だった。

 

「そして次戦の組み合わせも発表されます! さあ本日大きな活躍を見せた紅月隊の次の相手は——暫定10位那須隊、そして暫定12位の諏訪隊です!」

「おおっ! マジか!」

「B級で貴重な変化弾(バイパー)使いの激突ってわけだ」

 

 次戦の相手を耳にして出水が歓喜の声を上げる。紅月隊と那須隊という事はライと那須、変化弾(バイパー)の担い手の戦いが繰り広げられる可能性は高いだろう。同じ射手(シューター)として興味を示さないはずがなかった。

 

「加えて次は紅月隊にマップ選択権はありません。中位トップという事で二部隊も意識する事でしょう」

「だな。今からちょっと楽しみだ」

「いずれにせよ今日みたいな大量得点はまずないだろ。どれだけ堅実に点を取れるかがカギになりそうだ」

「そうですね。次回の戦いにも期待がかかります。それでは本日はこの辺りで締めくくりとさせていただきます。出水隊員、当真隊員。本日は解説ありがとうございました!」

『ありがとうございましたー』

 

 次戦も目が離せない戦いとなる。重要となるであろうポイントを最後に述べてこの日最後のランク戦は終了を迎えた。

 初戦で大量得点を挙げた紅月隊。迎え撃つ立場となった彼らがどのように立ち回るのか。隊員達の間で想像ばかりが膨らんでいった。



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分析

 初戦のランク戦を終えた翌日。

 派手な初陣を飾った紅月隊の様相は録画映像を通じて次の対戦相手達にも伝わっていた。

 

「お、おおっ! マジかよ全員落としやがった!」

 

 ビデオを見終えた諏訪が歓声を上げる。

 B級諏訪隊隊長 銃手(ガンナー) 諏訪洸太郎

 たった一人の隊員が9人の敵全てを撃破するという滅多に見れない光景は諏訪にとっても衝撃的なものだった。

 

「紅月君。まさかここまで強かったとは」

「たまにランク戦で見てましたけどやっぱり桁違いですね」

「そういやお前らは前から紅月の事を知っていたんだったか?」

 

 話を振られ、チームメイトである堤と笹森がそろって頷く。

 諏訪にとってはライはたまに本部で見かける程度の認識だったのだがこの二人は違った。彼らは様々な事情でライとつながりをもっている。

 

「はい。彼は——勇者です」

「一体あいつが何をしたんだよ、オイ」

「俺や太刀川さんが屈した地獄を4度も乗り越えて行ったんです……」

「その面子にあいつが入る共通点がわからねえんだが?」

 

 閉ざした両目からほろりと涙を零して堤がそう断言した。要領を得ない発言に諏訪が突っ込むも、堤は遠くを眺めたまま惨劇を思い返すばかりで詳細は不明である。

 

「俺はC級時代に一度だけランク戦を挑みました」

「おう。そんでスコアは?」

「5本勝負で5対0で負けました」

「完封かよ!」

 

 一方の笹森の方はランク戦つながりだが、一年ほど前互いが訓練生時代の勝負とはいえ手も足も出なかったという知らせでは正直参考になりえなかった。せめて何かしら傷跡をつけていてくれたならば突破口も見えただろうが、一本も取れないとなると話にならない。

 

「ちっ。仕方ねーか。こんなやつがそう簡単に弱点晒すはずもねーし」

「どーすんの諏訪さん? 次は諏訪隊(うち)がマップ選択できるから手を打つ事は出来ると思うけど」

 

 情報戦で優位に立つ事は難しかった。

 とはいえ今回に関しては諏訪隊に大きなアドバンテージがあるだろうと小佐野が指摘する。

 B級諏訪隊 オペレーター 小佐野瑠衣

 彼女の言う通り今回は諏訪隊がマップ選択権がある為彼らに有利なマップを選ぶ事が出来るのだ。

 

「そうだな。とにかく次戦は那須隊、紅月隊どっちも射程持ちがいる。射線を切れるステージは絶対だ」

「ええ。その上でうちが得意とする銃撃戦が出来る所が望ましい」

「ただ相手も近・中距離戦で点を取れますよね」

「そこは仕方ないでしょ。二部隊とも全ポジションに対抗できるんだもん」

 

 那須隊も紅月隊もどのポジションであろうと対抗できる武器を持つ。特に那須が熊谷との連携による近距離から中距離戦を得意としていた。諏訪隊の強みとかぶるところはあるが、距離を無くした銃撃戦における攻撃力で負ける事はない。ならば多少のリスクは覚悟するべきだろうと諏訪は方針を固めた。

 

「ああ。俺と堤の火力で押し切るしかねえ。とにかく日佐人、お前は熊谷、紅月を抑える事だけを考えろ。お前が止めてる間に俺達が吹っ飛ばす」

「それ俺も吹っ飛びませんか?」

 

 おそらく文字通り吹っ飛ばすのだろうなと思いながら、笹森は苦笑する。

 近距離での面攻撃を得意とする諏訪隊。彼らの強みは至極簡単だった。

 すなわち、相手を止めて吹っ飛ばす。

 

 

————

 

 

 同時刻、那須邸。

 熊谷と日浦の二人が那須の自宅を訪れ、那須と共に作戦会議を行っていた。オペレーターの志岐は自宅からパソコンを通して参加している。

 

「——戦闘員一人って聞いた時は驚いたけど、実際に試合をしてみると納得するね。11得点なんて聞いたことがないよ」

「そうね。私も教えていた時からわかっていたつもりだけど、昨日の試合は予想をはるかに超えていたと思うわ」

 

 熊谷はおろか、ライに変化弾(バイパー)を教えた那須でさえ昨日の紅月隊のランク戦を見て衝撃を覚えていた。

 近・中・遠距離と全てにおいて隙が無い。たった一人で味方の支援もなしに暴れまわる姿は凄まじいものがあった。

 

『オペレーターも新米って感じがしないですね。あの早いタイミングで狙撃を成功できたのはオペレーターの腕もあったはずです。分析能力が高いかも』

「紅月先輩は狙撃訓練でもいつも上位の方に入っているんです。そこにここまで支援が入ったら厳しいですよ」

「そういえば昨日の解説で当真さんがそんな事言っていたわね」

 

 それを可能としたオペレーターの支援能力にも目を見張るものがある。彼女も新しくオペレーターとなった人間とは思えなかった。必要とされる情報を早くかつ正確に隊員へ届け、相手もそれを信用する関係には二人の信頼関係が窺える。

 

「となるとマップを活かして戦いたい所だよ。次戦は諏訪隊がマップを選択する。多分工業地区か市街地A、Bのあたりだろうね」

「ええ。私達も紅月隊も狙撃手(スナイパー)がいるからそうするはず」

「諏訪隊って銃手(ガンナー)なのに近距離から撃ってくるから怖いんですよね」

『しかも両攻撃(フルアタック)を平気で仕掛けてくるし』

 

 志岐の言葉に皆が揃って頷いた。

 本来ならば銃手(ガンナー)攻撃手(アタッカー)と比べて射程が長く、距離をとって相手を削る戦法が多い。

 だが諏訪隊は違った。主力である諏訪・堤両隊員は射程が短い代わりに攻撃力に特化した散弾銃を両手に持って戦う戦法を得意とする。攻撃手(アタッカー)寄りの銃手(ガンナー)という印象であった。

 

「工業地区ならマップが狭い。合流もしやすいから選ばれる可能性は高いと私も思う。狙撃手(スナイパー)を簡単に見つけられるし、逃げ場所も少ないから」

 

 だからこそ工業地区はうってつけの場所であるという那須の分析は的を射ている。

 工業地区は遮蔽物となる建造物が乱立している為射線が通りにくい上に、マップ自体が狭かった。転送場所によって多少の差はあれ合流に困る事は少ないだろう。連携を駆使した近接戦闘が予想される。

 

「そうなると私はどうしましょう? 諏訪隊は機動力がそれほど高くないので場所を確保すれば大丈夫だと思いますけど、紅月先輩のあのエスクードジャンプはヤバいです」

「射線確保できたらとにかく支援を続けて、紅月先輩が来たら即脱出で良いよ。さすがにあの人に近づかれたら狙撃手(スナイパー)で凌げる人なんてB級にいないって」

『そうですね。むしろ茜で紅月先輩を釣る事だけでも出来るなら十分お釣りが出ると思います』

「私はエサですか!?」

 

 あんまりじゃないですかと日浦が嘆いた。とはいえ熊谷達が語るように弧月も使うライに接近されたら対処は難しいだろう。この判断は仕方がない。

 

「ただ、紅月先輩を相手にするなら茜ちゃんの力も必要になるわ。あの回避能力の高さを掻い潜るには狙撃が欠かせないはず。場合によっては茜ちゃんに最後の一手をお願いするかもしれないわ。ここぞという時には、迷わず狙ってね」

「——はい!」

 

 とはいえ勿論日浦をただ敵をつり出す役で終わらせるわけはなかった。

 相手は回避行動が人並み以上。彼を上回る手数はあればあるほど有効なのだから。

 那須の期待を篭められた視線に日浦が元気よく答える。普段の訓練を見ているからこそ彼女にはわかっていた。一対一では到底勝てる相手ではない。しかしこれはチーム戦である。ただでやられはしない。

 

 

————

 

 

「おはようございます。——ライ先輩?」

 

 その頃の紅月隊。

 本部にやって来た瑠花が作戦室へ入室するも、部屋の明かりが消えている事に違和感を覚えた。

 時間は朝の九時を回った頃。規則正しい生活を送るライならばもう起きている時間帯だ。個人ランク戦のブースにも姿が見えなかった為ここにいると踏んだのだが人の気配が感じられない。不思議に思いながら瑠花はゆっくりと音をたてないように部屋の奥へと進んでいった。

 

「……寝てる」

 

 すると作戦室の最奥に設置されたベッドで静かな寝息を立てて眠っているライの姿を発見する。普通の作戦室は緊急脱出(ベイルアウト)用に簡易ソファが置かれているのだが、ライはここに住んでいる為ベッドとなっているのだ。

 普段は隙が無い人が無防備な姿を晒しているのを初めて目にし、瑠花の頬がわずかに緩む。

 

(こう見るとやっぱり綺麗だな)

 

 男性に対する表現としては不適切かもしれないが、真っ先に浮かんだ感情がそれだった。容姿が良い事は知っていたつもりだったが改めてじっくり見てみるとまるで作り物のように整った顔立ちに吸い込まれそうになる。

 

「——いけないいけない。そろそろ起こさないと」

 

 いつまでも観察している場合ではないと瑠花は自制した。今日は次戦へ向けての作戦会議を行う手はずになっている。午後には防衛任務も入っているため余裕があるわけではないのだ。

 

「ライ先輩。起きてください。もう朝ですよ?」

 

 とにかく隊長に起きてもらおうと彼の肩を揺らそうと手を伸ばす。

 

「ッ!」

「えっ——? キャッ!」

 

 瑠花の手が彼の肩に触れた瞬間、手が勢いよく引き寄せられて体が浮遊感に包まれた。

 突然の事に理解が追いつかないまま彼女の体はベッドに沈み込む。右手を相手に押さえ込まれて身動きが出来ず、さらに相手の左腕が鋭く彼女の顔元近くのベッドに突き付けられ、瑠花は驚きのあまり言葉を失った。

 

「何者だ」

 

 冷たく鋭い声色が突き刺さる。聞きなれたはずなのに、聞いた事がないような言葉の調子に瑠花は『この人は誰?』と自分を拘束する相手を疑った。

 

「————瑠花?」

 

 しかしすぐに普段の柔らかいライの声色が耳に響く。ようやく意識が覚醒したのだろうか、彼はハッと驚いたような表情を浮かべていた。

 

「ごっ、ごめん! ビックリしてつい!」

「い、いえ。大丈夫です」

 

 すぐさまライは手を引いて彼女を解放する。瑠花もようやく落ち着き、そして現状の体勢を顧みて視線を逸らした。

 

「おうライ。邪魔するで。ドア空いてたけど不用心すぎるで自分」

 

 間の悪い事に、その現場へ生駒がやって来た。

 

「あっ」

「————」

 

 瑠花の短い呟きが響く。直後、二人の様子を目にした生駒は衝撃のあまり口を大きく開けてその場で凍り付いた。

 

「で、弟子が中学生の女の子を襲っとるー!? アカン! 通報せな!」

「違います!」

「誤解です!」

 

 最悪の方向に解釈した生駒の悲鳴のような叫びが木霊した。

 これは釈明に時間がかかるだろうなと理解しつつ、二人は必死に説明を始めていく。

 

 

————

 

 

「なんやねん。誰かに寝込みを襲われたと思ったなんて、自分王様にでもなったつもりか? 言い訳にも苦しいで。顔が良ければ何しても許されると思ったら大間違いやぞ」

「……そうですよね。本当にごめんよ」

「い、いえ」

 

 王様という言葉にライが反応した事など二人は気づく由もない。一応生駒は納得して引き下がり、瑠花も彼の謝罪を受け入れた。

 ライの話によると那須隊、諏訪隊のデータを見ていた件と今日の朝も米屋に弁当を作っていた為少し睡眠不足になっていたという。朝食も済ませた後、瑠花が来るまで一休みしようかと思っていたら本格的に眠ってしまったという事だった。

 

(ただ、本当にびっくりした。まるで別人みたいだった)

 

 今は平常心を取り戻した瑠花だが、だからこそ先ほどのライの様子を思い返して違和感を覚える。先ほどの様子は違う人のようだった。まるで自分を殺しに来た敵に対峙したような、冷たい感覚。一体あれは何だったのか。疑問は残るが瑠花はそれを胸の奥へと封じることにした。

 

「それで、イコさんは本日はどのような用件で?」

 

 話題を変えようとライが生駒へ質問する。

 こんな朝早くから生駒が来室するとは驚きだった。特に会う予定も入れてなかったはずの師匠が訪れた理由がライには思い当たるものがない。

 

「いや大した件ではないで。まあただ初戦も終えて次のランク戦の相手も決まったやろ?」

「ええ。僕達は次に那須隊、諏訪隊と当たります」

「せや。その試合、俺が解説するからな。それを伝えとこと思って」

「えっ」

「解説する人ってそんな早くに決まるものなんですか?」

 

 ランク戦では従来なら二人、多い場合は三人の正規隊員が解説役を務めるのだが、次戦ではそのうちの一人を自分が勤めるのだと生駒は語った。

 とはいえ組み合わせが決まったのが昨日の出来事。解説は基本的にその時間帯に予定が空いている隊員に頼むという事になっていて特に誰が行うと決まっているものではない。それなのにこんな早くに決まるものなのかと瑠花は疑問を呈した。

 

「本当はちゃうで。ただ、昨日自分たち大勝したやん」

「まあそうですね」

「せやから次のランク戦の始まりの時には『俺が師匠や』って皆に教えとこ思てな。那須さんも出るなら観客も多いやろし。うちの試合は夜だから時間の都合もええしな」

「なるほど」

 

 師匠の狙いを良く知るライは納得して頷く。確かに注目を浴びたい生駒ならば人が集まるであろう次戦に顔を出したくなるという点が理解できた。

 

「もう大方のオペレーターの子達には声をかけといたからな。せやから恥ずかしい試合は許さんで」

「勿論です。きちんと弧月も使いますから解説するならばお願いしますよ?」

「任しとき。——ほな、そろそろ俺は行くわ。朝早くに邪魔したな」

 

 最後に弟子に発破を促すと生駒は部屋を後にする。

 

「嵐のような人でしたね」

「イコさんはいつもああいう人だよ」

 

 面白いでしょと話を振られて瑠花がクスリと笑った。突然やってきて用件を済ませたとなれば颯爽と去っていく。瑠花の人物評は正しいものだった。

 

「それで、どうしますか。次のランク戦の打ち合わせですが」

「そうだね。まず最初に言っておくけど——次の試合は昨日のような大量得点はまず無理だ」

「はい」

 

 ライの言葉に瑠花も同意を示す。

 

「前提としてそもそも三つ巴であるため隊員数が少ない事。そしてマップ選択権がない事だ」

「そうですね。昨日の大量得点は最初の策が嵌った事が大きいです。マップは勿論ですが天候の操作が出来ない以上は同じ事は出来ないでしょう」

 

 昨日の大量得点は市街地Cというマップも重要なポイントだったが、それ以上に吹雪という特殊な天候が大きく影響していた。あれがなければ4人もの隊員の動きを封じ込め、他の隊が点の取り合いを行う事を防ぐ事は出来なかっただろう。

 

「となると時間稼ぎは難しい。加えてもし諏訪隊が狭いマップを選べば合流を阻止する事も困難だろう」

「はい。しかも諏訪隊が得意とするマップには該当するものもあります」

「そうだ。今までのデータを見ると、彼らはおそらく面倒な設定はしてこないはずだろうから天候や時間帯の指定はないだろう。ならば地形を動かす考えは除外した方が良い」

 

 敵の性格も考えて次戦はシンプルな戦いになるだろうと二人は予測する。

 故に昨日のように点を獲得する事は難しかった。しかも相手はB級の中位であり、A級にも匹敵しかねない力を持つ隊員が集うチームだ。そう簡単には行かないだろう。

 

「だが一人部隊であることは必ずしも不利というわけではない。他の隊に点を取られるのを防ぐためには——瑠花、時間稼ぎ以外にも考えはあると思うが、何だと思う?」

 

 とはいえ何も戦法を想定していないというわけではなかった。ライは試すように瑠花へと質問を投じる。

 

「……シンプルな考えですか?」

「そうだね。何も難しく考える必要はない」

 

 彼女の戦術面を鍛えようとしているのだろう。隊長の意図を理解して瑠花も頭を働かせた。

 確かに一人部隊はよほどの事がない限り一つの戦局にしか関われないなど問題点も多い。だがメリットもあるのだとライは考えていた。

 

 

————

 

 

 その後各部隊はランク戦や訓練に励み、連携の確認や個人の実力向上に努めた。勿論引き続き敵戦力の分析や作戦立案も欠かさない。

 そして時が進み、水曜日の朝。この日も観客席には人が集まっていた。

 B級ランク戦第二戦、試合当日。紅月隊がB級中位に上がって初めての試合となる。迎え撃つ立場となった者の底力が試されるランク戦が始まりの時を迎えようととしていた。



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速攻

 ランク戦が始まる二日前、狙撃手用訓練施設には二人の隊員の姿があった。

 一人はNo.2狙撃手(スナイパー)と呼ばれる奈良坂。もう一人は彼の弟子である日浦である。

 

「——よし。これだけ遮蔽物のある中で動く的を当てられるようなら大丈夫だろう」

「ありがとうございます!」

 

 地面の隆起、建造物など起伏が激しいステージから戻ってくる弟子に奈良坂がそう声をかけた。師匠から合格をもらえた事で日浦の表情に満面の笑みが浮かぶ。

 那須隊は次のランク戦を控えていた。少しでも自信が欲しい中、師の真っ直ぐな評価は非常にありがたい。

 

「勿論本番でも上手くいくとは限らない。相手も本気でくるからな。特にお前の弟弟子は俺でも当てるのは困難だ。気にするのも無理はない」

「……そうですよね。はい、わかっています」

 

 理解していた事ではあるものの、やはり日浦は悔しく思った。次戦で当たる紅月隊の隊長であるライは彼女にとって弟弟子にあたる存在である。ボーダー暦も日浦の方が長いため少しでも活躍をしたいと思って奈良坂に師事を願ったが、かえって現実を示される形となってしまった。

 

「とはいえ、だからと言って最初から失敗する事を恐れては駄目だ」

 

 だがそれでもやるべき事はあるのだと奈良坂は続ける。

 

「ライの反応速度を攻撃の密度で上回るんだ。お前と玲の射撃を同時にさばこうとすればかなりの集中力を要する。お前はライトニングの使い方が上手い。あいつにとって手数が多い敵は面倒だろう」

「先輩達とも紅月先輩についてはどうにかその反射速度を上回るかという話をしていました。時には私も決めるようにと」

「それでいい。中距離、遠距離の攻撃はいかに相手の動きを先読みし、行動を妨げるかが重要だ。遠慮は必要ない。ここぞという所では果敢に行け」

「はい!」

 

 いかに神経速度が優れていようとそれを超える密度の攻撃あるいは彼の行動パターンを先読みした動きができたならば展開は変わってくるはずだ。

 背中を押してくれた師匠に、日浦も声を張り上げて答えるのだった。

 

 

————

 

 

「B級ランク戦Round2! 本日の実況を務めます嵐山隊の綾辻です! 本日はよろしくお願いします!」

 

 B級中位グループ昼の部。ランク戦第二戦の実況を務めるのは綾辻だった。

 A級嵐山隊 オペレーター 綾辻遥

 広報部隊であり人気者である彼女が実況とわかり観客席から歓声が湧き上がる。

 

「解説席には二宮隊の犬飼隊員! さらに生駒隊から生駒隊長、そして水上隊員にお越しいただきました!」

『どうぞよろしく』

 

 彼女の横には犬飼、水上、生駒が並んで座っていた。

 A級二宮隊 銃手(ガンナー) 犬飼澄晴

 

「えっ。なんで俺までここにおるん? イコさんについて来い言われただけなんやけど」

「俺は戦略とかわからんからな。その辺のサポートをする為に呼んだんや」

「じゃあ何で解説やろうとしたんです?」

 

 本来ならば犬飼と生駒二人だけの予定だったのだが、生駒隊は戦略の担当を水上に一任している。その為もしもの時に備えてと生駒が水上を呼んでおいたのだ。

 とはいえ突然の事。加えて自分の適性が低いのに引き受けた理由が水上は納得いかなかった。

 

「まあ人数多い方が解説もやりやすいし良いでしょ。イコさんいるだけで面白いし、ツッコミ役もいれば話の脱線も少ないだろうし」

「せやろ?」

「誰がツッコミ役やねん! ——はあ。まあええわ」

 

 そんな二人の仲裁に入ろうと犬飼が話に割って入る。確かに正規隊員が多い程多角的な方面から解説が出来るというのは事実だ。

 水上はそれ以上食い下がる事はせず、一つ大きな息を吐くと椅子に深く腰掛けるのだった。

 

「さて、本日注目するのはやはり初戦で11得点、完全試合を成し遂げた紅月隊でしょう! たった一人で数多くの隊員を撃破した隊長がこの試合でも躍動するか。期待がかかります!」

「せやな。あいつは中々の実力者やで」

「おや? 生駒隊長は個人的にも何かつながりがあるのですか?」

「実はな、あいつの師匠は俺やねん」

 

 綾辻に話を振られると、生駒が自分を指差して自信満々にそう宣言する。目を輝かせた彼の発言に、水上は「これが狙いかい」とため息を零した。

 

「なんと! 生駒隊長が紅月隊長の師匠でしたか!」

「おう。旋空教えたのは俺やし、何なら射手(シューター)狙撃手(スナイパー)の立ち振る舞いを教えたのも俺や」

「嘘つけ!」

 

 ここぞとばかりに生駒はある事ない事を言い繕う。当然のことながら嘘であった。水上からは非難の指摘が上がる。

 

「えー。イコさんいつの間に万能手(オールラウンダー)になったの? なら夜のランク戦で是非見せてよ」

「えっ。いや、ほら。俺はその辺の事は水上や隠岐の事信頼しとるから。あいつらがいるから俺は攻撃手(アタッカー)に専念しとるんや」

「何自分だけ良い人ぶっとんねん!」

 

 犬飼のフリにさもできた隊長のような発言を返す生駒。しかし虚実を張り付けているという事は明白だ。まさかこの先ずっとこんなやり取りが続くのかと水上は肩を落とした。

 

「さて、その紅月隊の本日の相手は接近戦を得意とする諏訪隊とエースの那須隊長を起点とした連携が強みの那須隊です」

「個人的には那須さんと紅月隊の射手(シューター)対決が見物だなー」

「せやなあ。うちら当たった事ないけど射手(シューター)として点を取れる人は珍しいからなあ。ってか確か紅月君は那須さんに変化弾(バイパー)を教えてもらってたはずやで。二人が話してるとこ、俺らがこの前見たわ」

「ではこれが師弟対決という事ですね!」

 

 射手(シューター)は単独での得点が中々難しいポジションだ。その中でエースを務める那須と彼女の弟子というライの師弟対決は貴重なもの。犬飼や水上は是非ともこの組み合わせが起こらないだろうかと興味を示していた。

 

「あれ。でもさっきイコさんが教えているとか言ってなかった?」

「……師匠は多い方が色んな事学べるやろ」

「その設定まさか最後まで続けるん?」

 

 一方生駒はあくまで師匠の体を崩そうとしない。

 

「そんな中諏訪隊は距離を詰めて火力を活かしたい。ステージ選択権を持っているのでぜひ有利を取りたいでしょう。——さあステージが決定されました! 諏訪隊が選んだステージは『工業地区』です!」

 

 中距離の師弟が集う戦場の中、諏訪隊は得意の近接戦闘を挑むべくマップを選択した。場所は『工業地区』。多数の工業プラントが立ち並ぶ場所だった。

 

「妥当な所を選んできたね」

「犬飼隊員、こちらのマップの解説をお願いできますか?」

「ん、勿論。背が高い建物が乱立してる地形だね。そのせいで射線が切れやすくて狙撃手は潜伏場所が限られる。あと戦闘エリアが狭いのが特徴的だね。合流が結構簡単で、建物自体が大きいから射撃戦とかも自然と近距離になりやすい」

「諏訪隊は諏訪隊長と堤さんの二人の火力勝負が売りやからな。まさに理想的っちゅう事や。那須隊は狙撃手(スナイパー)がやりづらくなるし」

 

 合流が早く、射線が通りにくい、近距離での射撃戦が可能な地形。諏訪隊有利な要素が揃ったマップである。

 

「まあでもライにはあまり関係ないやろ。近接距離でも行けるやつやからなあ」

「イコさん。弟子を応援したい気持ちはわかりますけど解説で来てるんですからね? 誰かに肩入れするのは駄目ですよ?」

「任しとき。俺はいつでも女の子の味方や。那須さん達を応援するで」

「俺の話聞いてないでしょ」

「相変わらずイコさんは女の子に甘いなあ」

 

 水上が念を押すと案の定生駒は私情を挟み、那須隊を支援すると言い出した。もうこの人どうしようと考えた結果、無理だと判断を下す。とりあえず放置で行こうと水上は意識を切り替えるのだった。

 

 

————

 

 

 その頃、諏訪隊作戦室。

 

「よっし。お前ら、もう一度確認するぞ」

 

 諏訪が3人を集めると改めて最後の作戦確認を行っていた。

 

「今回は工業地区。まず3人で合流し、その後近い方を狙う。もし那須隊が合流できてないようならそっちを叩く」

 

 両攻撃(フルアタック)の為には3人の合流は欠かせない。可能な限り速やかに合流し、その後はより狙いやすい敵を選んで突撃するというシンプルな作戦だった。

 

「日佐人、お前はとにかく盾役だ。那須・紅月の二人の変化弾(バイパー)は対処が面倒だ。俺達が攻撃してる間ひたすら守りに専念しろ。もし日浦の位置が判明したらそっちに行け」

「了解です」

「間違ってもやられるなよ。紅月君はどの距離でも戦えるからな。どこから仕掛けて来てもおかしくないと思え」

「バッグワームで奇襲とかもありえるから、周りをよく見てねー」

「はい!」

 

 両攻撃(フルアタック)ではシールドを展開できない。その為普段は奇襲役を担当する笹森に守備を一任した。守りに専念すれば変化弾(バイパー)にもある程度対処できるはず。その間に諏訪・堤の二人が得点を狙う。有利なマップであるこの試合、必ず勝とうと皆気迫をたぎらせていた。

 

 

————

 

 

 同時刻、那須隊作戦室。

 

「やっぱり工業地区で来たね」

「ええ。狭いマップだから合流は他のマップよりも容易なはず。まずは私とくまちゃんで合流しよう」

「紅月先輩の動き出しが不明だから、もしバッグワームで消えてるようなら茜はそっちの探索に集中だよ」

「わかりました!」

 

 こちらも熊谷と那須、戦いの要となりうるであろう二人の合流を優先する方針となっていた。ライが奇襲を狙ってバッグワームを使用する可能性もある為にもしレーダーの数が足りなければ同じく初期からバッグワームを展開する日浦に彼の捜索を一任し、その抑えとする。

 

「もしも合流前に諏訪さんと堤さんのペアあるいは紅月先輩と当たる事になったら逃げに専念して。その間に他の二人が支援に向かうわ」

「了解!」

 

 相手は火力で勝る相手だ。連携がなくては凌ぐことは難しいだろう。もしも自分たちが先に狙われるような事があればその隊員を起点に敵を包囲して撃退する。もう一度四人の行動目標を再確認し、彼女たちは始まりの時を待った。

 

 

————

 

 

 一方、紅月隊作戦室。

 

「予想通りですね」

「ああ。こうなると猶更天候などの調整をしてきたりはしないだろう」

「では作戦に関しては変わらずに?」

「うん。まあ元々作戦というほどではないからね」

 

 予想通りのマップと決まって二人は安堵の息を零した。

 もしも諏訪隊が予想外のステージを選択するようならば考えを改めなければならなかったが、そうでないなら話は別である。

 

「今回は挑戦を受ける側だ。真っ向から向かっていくとしよう。後は戦況に応じて立ち回るさ」

 

 初戦とは打って変わって対応する立場となった紅月隊。ならばその土俵で迎え撃とうと強い決意を抱いていた。

 

「日浦さんは当然ですが、笹森先輩もカメレオンやバッグワームで潜伏する可能性があります。そちらにもご注意を」

「うん。とにかく今回も出だしが重要だ。場合によっては標的を変えるかもしれないけど、その時はフォローよろしく」

「わかりました」

 

 二部隊とも部隊の合流を優先するだろう。この狭いマップでは部隊で揃って行動すると考えるはず。今回もそこで積極的に動いていくのだとライと瑠花は考えを統一した。

 

 

————

 

 

 全部隊(チーム)の準備が整い、戦闘開始の時が訪れる。

 

「——さあここで全部隊(チーム)、仮想ステージへ転送完了!」

 

 綾辻の声を合図に全ての隊員達が仮想マップへと転送されていった。

 

「二日目昼の部三つ巴! いよいよ戦闘開始です!」

 

 各隊員達の眼前で背の高い工業プラントが煙を上げている。

 B級8位紅月隊、B級10位那須隊、B級12位諏訪隊。三チームの戦いの幕が切って落とされた。

 

「各隊員は一定以上の距離をおいてランダムな地点からのスタートになります!」

 

 バッグワームを展開する日浦を除いた全隊員の位置情報がレーダーに映し出される。

 皆それを見て敵の襲来を警戒しつつ各々合流へと動き出した。

 

「犬飼隊員のおっしゃる通りマップは狭い『工業地区』。皆部隊の合流を目指す動き出しです」

「——いや。一人部隊の利点が活きるね」

「せやな。いきなり紅月隊長が仕掛けるで」

 

 そんな中、ライだけが他二部隊と全く異なる行動を開始する。犬飼や水上は一人部隊の特徴を理解して彼の狙いを悟っていた。

 

『日佐人! 警戒! 誰か来る!』

「えっ?」

『中央から! もうすぐ接敵!』

 

 狙われたのは笹森である。

 小佐野の呼びかけで彼は敵の襲撃を知り、視線をマップ中央にそびえ立つ工業プラントへと目を向けた。その工業プラントからライが凄まじい速度で接近してくる。

 

「紅月先輩!」

「一番近いのは笹森隊員だ。理想的。このまま取りに行くよ」

『わかりました。こちらは引き続き周囲の隊員の動きをマークします!』

 

 思わぬ襲撃に笹森は肝を冷やした。

 敵に息を突かせる間も与えない速攻。ここで確実に仕留めようとライはトリガーを起動する。

 ランク戦開始直後の一対一。後の戦局に影響しかねない戦いが始まろうとしていた。

 

「開始早々に紅月隊長が笹森隊員に向かっていきます! 合流を阻む目的か!」

「ご愁傷様やな笹森君。南無」

「いやイコさんまだ早い! 何決め付けてんねん!」

 

 生駒は早くも両手を合わせ合掌する。まだ始まってすらいないのに解説が勝手に結論を出すなと水上は彼の肩を叩いた。

 

「犬飼隊員と水上隊員は先ほど一人部隊の利点と仰っていましたが?」

 

 そんな中、綾辻は先ほど二人が漏らした言葉の真意を問う。

 

「うん。ほら、普通部隊(チーム)ってメンバーが揃っての行動が基本でしょ? 勿論個人(ソロ)ランク戦とかで鍛えているけど、やっぱり他の隊員と合流してこそ本領発揮するってものじゃん。事前の打ち合わせも基本的には最低でも二人以上の隊員が揃った状態を想定するし」

「せやけど一人部隊ってのは、ようは転送された時点で部隊が完成している(・・・・・・・・・・・・・・・・・)んや。他の隊と違って合流のタイムラグがない。せやからこういう風に速攻で仕掛けて相手が作戦を始める前に仕留める事も容易っちゅう話や」

 

 基本的に部隊は戦闘員が二人から四人で組まれる事が多かった。当然人数が増える程合流は難しく、人数が揃う前に誰かが落ちるという事も珍しくはない。

 だがライのような戦闘員が一人の部隊は全く話が違った。

 最初から一人であるのだから合流の手間は不要になる。いきなり作戦を仕掛ける事も速攻を行う事も可能なのだ。

 

「だから早い段階で人数を減らせれば多少の数的不利はなくせるんだよね。さて、今回はどう動くのかな?」

 

 そう言って犬飼は鋭い視線をスクリーンへと戻した。

 丁度笹森とライ、二人の隊員がトリガーを起動している。

 笹森が凌ぐか、ライが仕留めるのか。他の隊員が合流するまでに決着がつくかが鍵となる初戦の幕が上がった。




初期転送位置

               熊谷
       笹森
           ライ
那須        
                  諏訪
     日浦
              堤


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乱戦

 ライの姿を視界に捉えた笹森はすぐさま諏訪たちへと通信を繋げる。

 

「紅月先輩がこっちに来ました! 真っ直ぐ突っ込んできます!」

『だー! 一番面倒なやつがいきなり来やがったのか!』

 

 最悪の報告に諏訪が悪態をついた。正直な話、今回の敵の中で一対一で最も相手にしたくない敵はライであると諏訪は考えている。近・中・遠距離全ての武器を持つ上に先日の試合でその力を大いに示していた。加えてたとえ倒したとしても一点しか得られないという厄介な敵である。

 その相手がいきなり勝負を仕掛けて来た事に苛立ちを隠せなかった。

 

『マズいな。俺と諏訪さんがそちらに着くまでに時間がかかるぞ。日佐人、何とか時間を稼げ!』

「了解です!」

 

 初期の転送位置は堤と諏訪の位置は近かったものの、その分笹森と二人の距離は遠く、合流には時間を要するだろう。となれば何とか笹森が単独でしばらく凌ぐしかない。

 堤の指示に従い笹森はカメレオンを起動。ライの視界から姿を消した。

 

「瑠花!」

『はい。——出ました。逃走経路予測ルートです』

「ありがとう!」

 

 しかしあくまでも視界から消えただけでありレーダー上にはしっかりと笹森の姿が浮かび上がっている。ライの要請に応じ、瑠花がすぐに敵の動きを分析・予測するとライは変化弾(バイパー)を起動した。勢いよく放たれた弾は先回りすると、笹森と正面衝突するように突如その方向を変える。

 

(この変化弾(バイパー)! まるで那須さんみたいに!)

 

 カメレオンを使っている状態ではシールドが使えない為、仕方なく笹森はカメレオンを止めてシールドを展開した。

 

「くそっ!」

 

 かろうじて防御は間に合うも、笹森の足は止まってしまう。

 

「捉えた」

「紅月先輩!」

 

 変化弾(バイパー)を撃ち終えたライは弧月を展開。地を蹴って笹森へと肉薄した。鋭い刃が笹森を襲う。負けじと笹森も弧月を展開、刀同士が衝突し火花を散らした。

 

「笹森隊員、カメレオンを使って逃亡を図りましたが失敗。紅月隊長が弧月で斬りかかります!」

「まーそう簡単には逃げられないよね」

「紅月隊長からしてみれば取っておきたい一点やからなあ」

「これは転送位置が悪いわ」

 

 やはりこうなったかと解説席では皆当然のように呟く。二対一ならば味方の援護でどうにか出来た可能性もあるが、単独での突破ではやはり厳しいものがあった。

 

「一応近くに那須隊の二人もおるみたいやが」

「彼女たちがどう動くかな? 凌ぎ合うのを放置して合流を狙うもよし、奇襲をしかけてもよしの場面だ」

 

 しかし戦場にはもう一部隊、那須隊の隊員も二人の戦場の近くにきている。特に熊谷は仕掛けやすい距離まで動いていた。二人の隊員の動き次第ではこの展開も変わるのだが、果たしてどう動くのか。

 

『玲! 紅月先輩が仕掛けたよ! どうする?』

「……まだ攻撃はしないで。攻撃するなら同時じゃないと紅月先輩は落とせないわ。くまちゃんは北から迂回して私と合流を」

『わかった!』

「茜ちゃんは二人を狙えるポイントまで移動して。多分諏訪隊の二人も直にこっちへ来るわ」

『了解です!』

 

 ここで那須は静観を決断。下手に単独で仕掛ければ返り討ちにあうと考え、熊谷と那須の得意な連携戦術を展開しようと試みる。

 

「——那須隊はどうやら合流を選んだみたいだね」

「射撃戦を想定すれば下手に前衛を失うわけにはいかんからなあ」

「ならライは猶更早く仕留めたいとこやな。諏訪隊の二人も揃いそうやし、那須隊まで合流されたらやばいやろ」

「確かに。南東から堤、諏訪隊員が合流して笹森隊員の援護に向かう模様です。この間に仕掛けた紅月隊長は点をもぎ取れるか!?」

 

 北西では那須隊が、南東では諏訪隊が合流しようと動きを見せていた。

 敵の態勢が整ってしまえば迎撃は困難となるだろう。紅月と笹森の戦いがどのような決着を迎えるのか、隊員達の注目が集まる。

 

『ライ先輩。北から一人、西へと抜けていきました!』

「北。笹森隊員を無視するって事は那須隊だね。この距離で仕掛けてこないなら熊谷さんの可能性が高いな。となると西側にいるのがおそらく那須さんだ。マークをお願い」

『はい。タグをつけておきます』

 

 笹森と切り結びながらもライは瑠花と戦況の把握に努めた。

 那須隊も合流を狙っている。もしも二人が合流すればすぐに仕掛けてくるだろう。彼に時間の余裕は残されていなかった。

 

(これ以上時間をかけられない。ここで、決める!)

 

 笹森に休める時間など与えずにライは続けざまに切り込んだ。一際強く弧月がぶつかり、その反動で笹森が後退する。

 

炸裂弾(メテオラ)

 

 距離が空いたとみるやライは炸裂弾(メテオラ)を起動。分割した弾が笹森へと襲い掛かった。

 

「シールド!」

 

 身体を覆いつくすのではないかと錯覚するほどの弾丸の数。すかさず笹森もシールドを展開し対応する。

 

(ぐっ。視界が——ッ!?)

 

 その爆炎により視界は奪われ、さらに足元に落ちた炸裂弾が地面をえぐり飛ばし、笹森はバランスを失いよろけてしまった。

 

『日佐人! 前、構えて!』

 

 小佐野の声が耳に響く。その声でなんとか冷静さを保ち、その場で踏ん張る事に成功した。

 直後、煙を突っ切ってライが切り込んでくる。横合いからがら空きの胴体へと刀を叩きこもうと突撃してきた。反射的に笹森も刀を添えるように方向を変える。

 

「無駄だ」

 

 だがそれさえもライに読まれていた。

 ライ突如急停止すると右足を軸に旋回。あっという間に背後へと回り込むと笹森の背中から彼の胴体を切り落とした。

 

「——ッ!」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 肩から斜めに斬られてしまえば致命傷だ。笹森は一足早く脱落する事を余儀なくされた。

 

「おーっと! ここで笹森隊員が緊急脱出(ベイルアウト)! 紅月隊に一点が加わります!」

「鮮やか。無傷で一点手に入れたね」

「他の部隊は間に合わなかったかー。笹森君も頑張ったんやけどな。相手が悪いわ」

 

 狙い通りこの試合初の得点を挙げた紅月隊。他の部隊に横槍を入れられる前に笹森を落とせたのは大きい。笹森の奮闘を讃えつつ、犬飼や水上はライの腕を称賛した。

 

「いやー。凄いな、彼。この前までフリーだったなんて信じられんわ。あんなに弧月使える人なんてそうそうおらんやろ。誰が師匠なんやろな? 見てみたいわ」

「鏡持ってきましょうか?」

「いや。いらんわ。——皆! 俺やで!」

「イコさんもう帰ってええですよ?」

 

 一方生駒はライが弧月で点を取ったのをみると、ここぞとばかりに観客席へとアピールを行う。彼の反応をみて「もはやこの人解説席に乗り込んできたただの観客だな」と水上は適当にあしらうのだった。

 

「ですが、休んでいる暇はなさそうです。那須隊の集結が完了した模様です!」

「うーん。日浦ちゃんもポジションについてるし、こりゃキツイ」

「ああ。来るで。那須さんの本領発揮や」

 

 そんな中、戦況は新たな展開を迎える。

 那須と熊谷が揃い、さらに日浦も狙撃位置についた。彼女達の瞳にはライが映っている。

 初戦を終えたライは早くも第二ラウンドを迎えようとしていた。

 

『ライ先輩。来ます!』

「那須さんか!」

 

 笹森を撃破したライは一時後退しようと考えたが、上空より降り注ぐ変化弾(バイパー)を目にして進路を変更する。

 

(予想より早いな。もう合流したか。やはりマップが狭い分、隊が揃うのも早い。こうなったら逃げ切るのは難しい。このまま迎え撃つ!)

 

 右手に変化弾(バイパー)、左手に炸裂弾(メテオラ)を起動して迎撃を開始した。

 

『諏訪さーん。那須隊が紅月隊とぶつかったっぽい』

「おっ! あっちが先にぶつかったか!」

「一人レーダーには映っていませんがおそらく3人揃ってますね。さすがにこれなら紅月君も辛いでしょう」

『上手くいけば横取りできますよ! お願いします!』

「わかってる! 日佐人、テメエこの試合終わったら説教だからな! 真っ先に落ちやがって!」

『いや、あれは無理ですって!』

 

 その頃諏訪は堤と合流し北上していた。ライが彼らから逃げるようにマップ北部へと向かおうとしていた為那須隊とどちらを狙うか悩んだものの、その二部隊が先にぶつかってくれたならば話は早い。隙が出来たところで襲撃しようと二人はレーダーから姿をくらました。

 

『那須先輩! 諏訪隊の二人が消えました!』

「諏訪隊が? それじゃあこっちに来るかな?」

『大丈夫です。もしも那須先輩たちの近くに接近すれば私から見えるはずです!』

「了解。じゃあ茜は諏訪隊の索敵と紅月先輩の妨害頼むよ!」

 

 突如居場所が消えた事でわずかに動揺が伝わる。しかし那須隊には狙撃手(スナイパー)の日浦が高台から戦局を見渡せる有利を持っていた。彼女に諏訪隊の探索を一任し、二人はライへの攻撃を続行する。

 

『ライ先輩! 諏訪隊がバッグワームを展開しました。注意してください』

「わかった。多分くるなら僕達が接近戦になってからだろうね。どちらか一方でも残れば逆に挟撃を受ける危険性もあるから同時に仕留めたいはずだ。バッグワームを解除したら教えてくれ」

『はい!』

 

 対してライはあくまでも意識するにとどめ、戦闘を続行した。やはり索敵手段をもたない以上は仕方がない。ライは今一度大きく跳躍した。

 

(那須さんの変化弾(バイパー)はリアルタイムで弾道を引いている。かわすには射撃トリガーで迎撃するかシールドを張る。あるいは予想を超えて弾をしのぎ切る!)

 

 別の部隊がバッグワームを使っている以上下手にトリガーを使って那須の猛攻を防ぐ事は危険である。そこでライは地面を蹴って階段の上へと一挙に飛び上がるとエスクードを起動。自分を追って来た変化弾(バイパー)を止めると再び走り出した。

 

「捉えた!」

『玲!』

「お願い!」

 

 そしてついにライが那須の姿を視界に捉える。

 彼女たちは開けた場所で陣取っていた。ここならば射撃戦を優位に進められ、日浦の狙撃も届きやすいと考えたのだろう。

 那須は両手で変化弾(バイパー)を起動。対するライも一度変化弾(バイパー)を撃ち放つと、左手のシールドで弾を受けながら弧月を展開し、二人へ斬りかかった。弾は弾同士が衝突あるいはシールドで防がれ、ライの弧月は熊谷の弧月で受け止められる。

 

「ちっ」

 

 攻撃が防がれるとライは大きく後ろへ跳んだ。直後、彼がいた場所に那須の変化弾(バイパー)が突き刺さる。そしてこの攻撃をかわすと今度は熊谷が切り込んできた。彼女の斬撃をライは弧月で受ける。

 

「那須隊と紅月隊長が激突! 変化弾(バイパー)が宙を舞い、弧月同士で切り結びます!」

「うっわー。これは大変。一手間違えると致命傷だよ」

「本当にな。那須隊はこの連携が辛いんや。熊谷さんが盾役になって那須さんが射撃すれば、今度は熊谷さんが斬りかかる。これが辛い」

 

 那須隊は攻守の連携がうまかった。熊谷が防御して時間を稼ぎ、那須が攻める。その間に隙が生じれば熊谷が容赦なく攻撃を仕掛けていく。単純だが非常に厄介だ。特に那須の攻撃は刻一刻と変化するために対応が非常に困難なものとなっていた。

 

「女の子ばっかに狙われるとか羨ましいやんけ」

「じゃああの中に入ってきたらどうです?」

「死んでまうやろ!」

 

 さすがに生駒もこの攻撃をいなすのは辛いのか、そう短く返すにとどまった。

 

『茜ちゃん!』

「はい!」

 

 そうしている間にも那須隊の猛攻は続く。

 那須が再び変化弾(バイパー)を起動すると同時に潜んでいた日浦もライトニングを発射した。熊谷と切り結んでいる中、あらゆる方向からライに攻撃が迫り来る。

 

『ライ先輩!』

「——大丈夫だよ瑠花」

 

 瑠花の声が響く中、ライは冷静だった。

 数多くの射撃が迫る間も熊谷の攻撃はやまない。距離が空いたとみるや弧月をライの脇腹へと突き出した。

 これをライは腕を上げてかわすと、彼女の腕を脇に抱えて後ろへと引き寄せる。

 

「なっ!」

『あっ。熊谷先輩! 危ない!』

『シールド!』

 

 位置をずらされた事で熊谷が変化弾(バイパー)とライトニングの射線上に入ってしまった。熊谷に直撃するすんでのところで那須のシールドが間に合い、熊谷の被弾は免れたがライへの攻撃も半分以下になってしまったため彼も無傷でこの場を切り抜ける。

 

「なんと。紅月隊長、熊谷隊員を利用して敵の攻撃を防ぎ切った!」

「えぇ。同じ部隊3人の同時攻撃受けてなんで彼まだ無傷なん?」

「うちの辻ちゃんだったらもう30回は死んでるよ」

「それ絶対違う意味を含んどるやん」

「おいおいおいおい。可愛い女の子を盾にするとか男として恥ずかしくないんか!?」

「もうただのヤジなんでやめてください」

 

 敵の集中マークを受ける中、まだライは被弾一つ受けていなかった。第一戦の時もみられた敵を利用して自分を守る戦い。やはり彼の回避能力は伊達ではなかったのだと生駒を除く全員が感心した。

 

『あ、危なかった。ありがとう、玲』

「くまちゃん!」

 

 とりあえず難を逃れ、熊谷が那須へと礼を告げる。だが那須は彼女の声に応える事なく声を荒げた。

 咄嗟に熊谷が視線を戻すと、彼女の頭上に弧月の刃が迫る。反射的に熊谷はその場にかがみこんだ。何とか彼女の行動は功を奏する。弧月はシールドを叩き割ったものの刀が彼女の体を襲う事はなかった。

 

「くっ!」

「よしっ」

『待ってください!』

『ライ先輩! 来ます! ——諏訪隊です!』

 

 態勢を立て直そうとする熊谷、追撃をかけようとするライの耳元にオペレーターの叫びが響く。

 諏訪と堤がバッグワームを解除。急襲を仕掛けたのだ。

 

(諏訪隊! ここでフルアタックか!)

 

 諏訪と堤の二人が両手に散弾銃を構えて熊谷・ライへ横撃を加える。

 

「うちの隊員が世話になったな、紅月!」

「悪いけどここは貰うよ!」

 

 銃口が火を噴いた。接近しながら発せられた銃弾が二人へと襲い掛かる。

 

「ぐうっ!」

「くまちゃん!」

 

 熊谷はシールドを展開しながら後退するも完全には防ぎきれず、銃弾は彼女の胸元をえぐり、左肩から先が吹っ飛んだ。かろうじて那須もシールドを展開して致命傷は避けたものの大きなダメージを負ってしまう。

 

「——エスクード」

 

 一方のライはエスクードを起動。自分の足元から小さな盾を出現させると、その勢いを利用して大きく後退した。

 

(エスクードジャンプ!)

 

 ライが初戦でも見せていた移動術である。盾であるエスクードを様々な用途で使いこなしていた。

 

「この野郎!」

 

 すかさず諏訪がライの跳躍先へと銃口を向ける。幸いにもエスクードが小さいために飛距離も伸びなかった。追撃すればまだ落とせる。

 

「エスクード」

 

 だが、着地したライが再びエスクードを展開した。諏訪隊と紅月隊の接近を阻む壁が瞬時にせり上がる。

 

「だーっ! くそっ! 逃げやがったか!」

「さすが。判断が早い」

 

 これでライの追撃は不可能となった。奇襲であったにも関わらずあっさりと逃げ切ったライに諏訪隊の二人は苦言を呈する。

 

「——変化弾(バイパー)

 

 しかしライは逃げたわけではなかった。

 もう一度変化弾(バイパー)を起動するとエスクードを飛び越えるような弧を描く弾が諏訪隊へと降り注ぐ。

 

「うおっ!?」

「諏訪さん、那須さんの変化弾(バイパー)も来てます!」

「マジかよ! ちっ。一瞬で挟み撃ちの形になっちまったか!」

 

 ライだけではなかった。体勢を立て直した那須も変化弾(バイパー)を諏訪隊へと放つ。射撃の嵐が諏訪隊を襲った。

 

「おっと。奇襲で熊谷隊員を負傷させた諏訪隊ですが、二部隊に挟撃される形となってしまった!」

「あっちゃー。あの一発で落とせなかったか」

「熊谷さんにはダメージ負わせたけど、紅月君はいつ来ても大丈夫なように備えてたみたいやな。回避から反撃までイメージしてたんやろ」

 

 両取りするはずが一瞬で危機に陥った諏訪隊。惜しかったと犬飼は彼らの失敗を嘆く。

 無傷でかわしたライはおそらく最初からこの展開を考えていたのだろうと水上は分析した。エスクードの小ジャンプで攻撃をかわし、次は接近を防ぎ盾となる大盾を作って那須隊との挟み撃ちとする。熊谷を攻撃された直後ならば那須も諏訪隊に仕掛けるという事まで考えた。先ほどの那須隊の猛攻をトリガーで避けなかったのも諏訪隊の襲撃に備えてという事ならば納得出来る。

 

「諏訪隊は一回下がらんとマズイんとちゃう? このままだとただ削られるだけやろ」

「……まあそうですね。あるいは熊谷ちゃんを追い詰めたんで那須隊に強引に突っ込んでもいい気はしますけど」

 

 さすがに試合の分岐点という事で空気を読んだのか生駒が疑問を呈した。

 彼の言う通りこのままでは射程が短い諏訪隊は削られるだけ。紅月隊に接近できない以上、那須隊に突撃するか一度下がるしかない。

 

「でもリアルタイムで設定する変化弾(バイパー)から逃げるのは大変だよ? しかも今回は二人。なら、諏訪さんは勝負に出るんじゃないかな」

 

 とは言え今回は瞬時に弾道を引ける射手(シューター)が二人いる戦況だ。逃げるのも容易ではないだろう。

 ——ならば諏訪の性格を考えればここで仕掛けるはず。

 犬飼は冷静に、危機に陥った諏訪隊を見つめていた。

 

「——よしっ。堤!」

「何ですか!?」

 

 お互いに分割シールドを展開して必死に防御を試みる中、諏訪が窮地を脱する考えを堤へと切り出す。

 

「那須隊に仕掛けるぞ! 俺の後ろに続け!」

「了解です!」

 

 諏訪が選んだ答えは突撃。点を取りに行こうと素早く駆け出した。

 

『諏訪隊が動きました! 那須隊に仕掛ける模様です!』

「突撃? 退かずに勝負に出たか。さすがに諏訪隊が二人とも残るのは厳しい。援護するか」

『来るよ、玲!』

「うん。シールドはお願い」

変化弾(バイパー)

 

 ライと那須が変化弾(バイパー)を起動、諏訪隊へとルートを定めて撃ち出す。

 

(ここだ!)

 

 勝負所とみた諏訪の目が鋭く光る。目線はそのままに大声で堤へ指示を飛ばした。

 

「堤! 前を重点的に全力でシールド張れ!」

 

 すると諏訪が大きく横へ飛び、先ほどライが展開したエスクードに乗ると、盾を蹴って方向転換と同時に加速した。半分の変化弾(バイパー)をこの急加速でかわし、残る弾もシールドで相殺する。

 

(諏訪隊もエスクードを利用して!)

 

 急速な方向転換。障害物を利用した動きに那須隊の動きがわずかに鈍った。

 

『玲!』

『わかってるわ』

 

 負けじと那須はもう一度変化弾(バイパー)を起動する。諏訪隊へとルートを設定した。

 

「先輩!」

 

 同時に日浦も味方を支援するべくライトニングを発射する。ライトニングは堤の右足を撃ちぬき、彼をその場で転倒させた。

 

「堤!」

「——諏訪さん、行ってください!」

 

 諏訪が呼びかける中、堤が必死に叫ぶ。彼は自らの防御を捨て、諏訪の周囲へと分割シールドを展開した。

 

(堤さんの分のシールドが!)

 

 これでは射撃(シューター)トリガーでは諏訪を抑えられない。那須が放った弾丸は堤を蜂の巣にするも、諏訪のシールドを撃ち破る事は出来なかった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

「諏訪さん!」

 

 最後に味方の支援役をしっかり果たし、堤が脱落する。

 

「よくやった堤!」

「玲!」

「ッ。シールド!」

 

 もう一度変化弾(バイパー)を展開する余裕はなかった。熊谷と那須はシールドを展開するが、諏訪のフルアタックを完全に防ぎ切る事は出来ないだろう。日浦ももう一度諏訪へと照準を定めたが間に合わない。

 

「ブッ飛ばす!」

 

 散弾銃の銃口が二人へと向けられた。

 

「ぁっ!?」

 

 瞬間、諏訪の頭部が衝撃と共に大きく揺れる。

 

「なっ」

 

 後方からの攻撃。

 諏訪がゆっくりと振り返るとそこにはイーグレットを構えるライの姿があった。いつの間にか二部隊を隔てていたエスクードが消えている。

 

「ヒット」

「……くそったれ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 射撃(シューター)トリガーならば防げると考えていた。だがライは狙撃も出来る。変化弾(バイパー)で落とせないとみるやイーグレットに切り替えていたのだ。現に彼の放った銃は諏訪のシールドを突き破り、紅月隊に一点をもたらしている。

 

「ここで堤隊員に続き諏訪隊長も緊急脱出(ベイルアウト)! 諏訪隊は全員脱落となってしまいました!」

 

 ついに諏訪隊は三人全員が落とされてしまった。那須隊の三人とライの四人が戦場に残されている。 

 

「エスクードを利用した所とか堤さんの支援は悪くない手だとは思ったけどね。でも今回は相手が上回ったな」

「ランク戦は点を取るのが重要やからなあ。点を取れると思ったなら自分が落ちてでも味方を守るってのは良い考えや。——ん?」

 

 諏訪の発想、堤の咄嗟の判断。結果には結びつかなかったもののどちらも良い動きであった。犬飼、水上は彼らの動きに理解を示した。

 その一方でなぜか無言で俯き肩を震わせている生駒を目にし、水上は恐る恐る声をかける。

 

「イコさん? どないしたんです?」

「なんでやライ! 今こそ旋空弧月の見せ場やったやろ! なんで自分狙撃やってんねん!」

「なんで弟子の点の取り方で一々文句言っとんやこの人!?」

 

 どうやら生駒はライの狙撃が気に食わなかったらしい。旋空を見せれば堂々と自慢が出来たのにと生駒が天を仰いだ。

 

(まあ、確かにイコさんじゃないが疑問は残るなあ。さっき旋空を使えば諏訪さんは勿論那須隊の二人、最低でも熊谷さんは落とせたやろ。それくらいわからんはずないのに、なんで紅月君は諏訪さんしか落とせないイーグレットを使ったんや?)

 

 とはいえ生駒の考えには理解できる点もある。

 ライの踏み込み旋空弧月を使えば諏訪隊だけでなく那須隊も落とし、得点を挙げれたはずだ。それにも関わらず彼は近距離では当てるのが難しいイーグレットでの一点狙いとした。踏み込みをレーダーで探知されて旋空を読まれるのを警戒したのだろうか、水上は様々な思考を巡らして、

 

(まさか、彼は——)

 

 ライが旋空を使わなかった理由へと思い至る。

 

「さあこれで那須隊と紅月隊の一騎打ちとなりました! 3対1とはいえ熊谷隊員は負傷し、紅月隊長はいまだ無傷のまま! どちらがこの試合を制するのか!?」

 

 綾辻の声で水上は現実へ意識を引き戻した。

 あくまでもこの考えは一つの可能性にすぎない。考えるのは後にしようと視線をモニターへと戻し、戦いの行方を見守るべく集中した。

 

「やったれ那須さん! その綺麗な顔吹き飛ばしたれー!」

「頼むから解説しないなら黙っててもらえます!?」

 

 冗談ではなく本心で水上はそう口にする。ランク戦はさらに白熱した様相を呈するのだった。



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姉弟子

 諏訪隊を殲滅すると、ライはイーグレットを解除した。入れ替わる形で彼の右手に分割されたトリオンキューブが浮かび上がる。

 

『玲!』

「ええ!」

 

 臨戦態勢に入った敵を見て那須も負けじと二つのトリオンキューブを生成した。

 

変化弾(バイパー)

 

 隊員の設定したルートに沿って弾が放出される。

 やがて二人の放った弾同士は衝突。一部は相殺され、残った弾が那須隊とライの双方を襲った。さらに日浦のライトニングも発射された中、ライは一歩さがって狙撃をかわすと変化弾(バイパー)を分割した盾で防ぐ。那須隊も熊谷が展開したシールドにより事なきをえた。

 

「紅月隊長と那須隊長、二人の変化弾(バイパー)対決が再開しました。エース対決でこのランク戦の決着がつくか!?」

「一見味方がいる上にメインとサブ両方に変化弾(バイパー)を入れてる那須さんの方が有利に見えるけど、トリオン量は紅月君の方が上みたいだから油断は出来ないね」

「まだ紅月君が被弾しとらんからなあ。狙撃手への警戒も十分余裕をもっとるみたいやし」

 

 熊谷という前衛も残っている上に那須は弾の数での優位も持っている。とはいえ純粋な威力という一点に関してはライの方が上であった。その為射撃戦でもどちらか一方に傾くという事はなく、二人の射撃の応酬が続く。

 

「変化が起こらんとこの膠着状態は続きそうやな」

「なら那須隊が動かんとあかんとちゃう? 長引くと熊谷ちゃんがトリオンキツイやろ」

「そうなんですよね」

 

 この戦況を変えるには自分から動いていくしかなかった。生駒が言うように熊谷が先ほど諏訪によって大きな損傷を受けてしまったために長期戦は彼女がトリオン切れを起こすリスクがある。

 なので動くとしたら那須隊からだろう。そう水上が考えていると、彼の予想通り那須隊に動きが生じた。

 

『……茜ちゃん、今から言う場所まで移動して』

 

 那須から日浦へと指示が飛ぶ。彼女の言葉に従って日浦が移動を開始すると、那須は炸裂弾(メテオラ)をライではなくステージ中央へ向けて撃ち上げた。

 

(どこに?)

 

 ライも彼女の真意を読めない中、彼女の放った弾がマップ高くにそびえ立つ燃料タンクを貫いて大爆発を起こす。煙が立ち込めると、日浦の撃ったライトニングがその煙を引き裂いてライに迫った。

 

「ッ!」

 

 瞬間的にシールドを張る。咄嗟の判断で防げたものの、これで変化弾(バイパー)を防ぐ手立てを失った。

 那須の変化弾(バイパー)が再び放たれる。ライの変化弾(バイパー)で全てを防ぐことは出来ず、回避に専念するも全方位から襲い掛かる鳥籠の一発が彼の腹部を抉った。

 

「くっ」

 

 初めて負ったダメージにライの表情がゆがむ。

 

「ここで紅月隊長が被弾! 那須隊長の鳥籠が紅月隊長を捉えました!」

「射線を通したか。しかも黒煙の中突っ切ってくるライトニングはきっついなあ。むしろよく反応するわ」

「第一戦では紅月君が地形を動かしていたけど、今回は敵側に狙撃手(スナイパー)が残っているから同じ手は自分を追い詰めちゃうからできないね。これはキツイ」

 

 いよいよライが負傷した。視界を奪い、高速の攻撃を仕掛ける。咄嗟に出来ないであろう攻防に解説席も熱を帯びた。

 

「やっぱりこうなると厳しいね。紅月君は少し攻め急いじゃったかな」

「どういう意味や犬飼?」

 

 犬飼の小さなつぶやきに生駒が反応する。生駒はふざけている面もあるが、わからない事があればすぐに教えを聞き反省に活かす器用さも持ち合わせていた。

 生駒に聞き返されて犬飼は先ほどの諏訪隊との攻防を嚙み砕いて説明する。

 

「さっき諏訪隊が那須隊に仕掛けた場面があったでしょ? あの時、諏訪さんを取る所は良いと思うけど、もう少しタイミングを遅らせれば熊谷ちゃんは落ちていた。最低でももっとダメージを負っていただろうね。そうすれば那須隊の盾役が減ってもう少し楽になっていたと思うんだ」

「熊谷隊員のポイントを諏訪隊に取られてもその後の戦況を優先する、という事ですか?」

 

 綾辻の問いに犬飼はうなずいた。

 

「そう。生き残る確率を上げた方が良いでしょ。生存点の二点の方が大きいからね。だから今の展開を見てさっきの戦いは失敗だったかなって。諏訪隊がいなくなった以上、那須隊は注意を割く必要がないし、余力を残す必要もなくなったからね」

 

 犬飼の言う通りもし熊谷がいなければこの膠着は成立していない。前衛を失って那須も今ほど攻撃に専念できなかったはずだ。それどころか那須隊に反撃の機会を許している。

 

「今だ。仕掛けるよ!」

『深入りは駄目よ。くまちゃん』

「わかってる!」

 

 変化弾(バイパー)の打ち合いが繰り広げられる中熊谷が再び突撃した。射線が通り、ライの注意も薄れた今を好機と見たのだろう。勝負を決めるべく、残った右腕に弧月を握り斬りかかる。

 

(仕掛けて来たか)

 

 熊谷の前進を見てすぐにライも弧月を起動。彼女の切り込みを弧月で防いだ。

 

(止められた。でも、この距離を維持したままなら変化弾(バイパー)は撃てない!)

 

 攻撃は防がれたが目的は達成している。熊谷は今ならばいけると確信した。

 

『玲!』

『ええ』

 

 熊谷がライと切り結びながらも那須へ呼びかける。既に彼女は変化弾(バイパー)を起動していた。

 たちまち彼女の手を離れた弾があらゆる角度からライを襲う。

 

「ッ」

 

 ライが短く舌を打った。熊谷の剣の切っ先を刀身で払い落とすと地を蹴って後退。日浦のライトニングをかわして変化弾(バイパー)とシールドを展開した。

 

(チャンス! 今なら弧月は使えない!)

 

 今もライは弧月を握っているものの、変化弾(バイパー)を起動しているという事は機能をオフにしているという事だ。切れ味がないただの重い棒にすぎない。

 ここで熊谷が仕掛ければ防ぐ手立てはなかった。熊谷も一歩踏み込むと弧月を横一閃に振る。

 

「決める!」

「——まだだ」

 

 するとライは後ろに倒れこむように体を傾けるとその場で一回転。弧月で熊谷の刀を叩き上げた。

 

「ハッ!?」

 

 予想外の反撃に熊谷が驚愕する。その間にライは一歩後ろに下がり那須の追撃をかわすと、着地の勢いを加えて熊谷へ急接近。弧月を熊谷の右肩へと突き刺した。

 

「なっ!」

『くまちゃん、危ない!』

「ッ!」

 

 衝撃により熊谷が後ずさる。しかも彼女に驚いている暇はなかった。

 先ほどライが放った変化弾(バイパー)の一部が突如向きを変えて熊谷を背後から襲い掛かる。

 予想外の出来事にシールドの展開は完璧に行う事はできず、彼女の左足を弾が撃ちぬいた。

 

『警告。トリオン漏出甚大』

「そんな……」

 

 トリオン体からの知らせに熊谷の表情が曇る。

 那須の援護によりライの追撃が熊谷を襲う事はなかったが、仕留められたはずの場面で逆に追い詰められた影響は大きなものだった。

 

「那須隊の総攻撃に見舞われる中、再び紅月隊長が凌ぎました。熊谷隊員が後退し再び射撃戦に移る模様です」

「ちょい待ち。今のどういう事? 紅月君、今熊谷さんの攻撃を弧月で防いどらんかった? 変化弾(バイパー)起動していたのに何で弧月使えたん?」

 

 解説席からでも今の攻防が理解できなかったのか水上が首をかしげている。

 そんな彼の悩みを解決したのは意外にも彼の隊長である生駒だった。

 

「簡単や。機能をオフにした弧月でいなしたんやろ。弧月はスコーピオンと違ってオフにしてもただの重い棒きれとはいえ形を残せるからな。逆に言えばただの棒として使えるっちゅう事や」

「棒で刀防ぐとかできるものなの?」

「せやから真っ向からは受けなかったんやろ。切れ味ないから斬られれば折れてたはずや。そうならん為に熊谷ちゃんの刀に合わせて刃先を受けないように叩いたんや。刀の役割は斬るだけじゃないからなあ」

 

 弧月は待機状態ではただの重い棒きれとなる。その状態でライは熊谷を凌いだのだと生駒は語った。まともに斬り合えば間違いなく負ける。だからこそ刀の向きや位置まで考えて棒きれを振り上げたのだと。

 

「変態すぎん?」

「ああ。あいつは変態やで」

「いやそういう意味ちゃいますから。ここぞとばかりに弟子の評価下げて引き摺り下ろそうとすな!」

 

 思わずそう水上が呟くと、生駒が同調する。せっかくまともに解説していたのにどうしてすぐ無駄にするのだろうと水上は嘆くのだった。

 

「へえ。たしかにそれはすごい」

(ただ、それだけの技量があるなら余計に謎だな。そんな事が出来るなら変化弾(バイパー)撃った後に弧月をオンにしてれば間違いなく熊谷ちゃんを取れたはずなのに。攻め気がなさすぎるような?)

 

 犬飼も生駒の言葉に感心しつつ、一抹の疑問を浮かべる。彼はライが攻めに消極的であると考えていた。明らかに点を取れる場面で取りに行っていないと。

 何か考えがあるのだろうか。犬飼が考えに耽る中、戦局が大きく動き出そうとしていた。

 

《……皆》

 

 那須が内部通信で3人へ呼びかける。通信とは言え彼女の強い意志が籠っているような声色を皆感じ取っていた。

 

《このままでは埒が明かないわ。私が隙を作る。ここで決めに行こう》

 

 そう言うと那須は左右に二つのトリオンキューブを生み出す。

 左手の弾は複雑な軌道を描いて進み、対して右手の弾は一直線にライへと向かっていった。

 

変化弾(バイパー)じゃない? いや、フェイントか?)

 

 ノーフェイクの軌道が読みやすい弾道だ。いつもの那須らしくない行動だった。

 

「シールド!」

 

 疑問を覚えつつ、ライは警戒し前方の遠い位置にシールドを展開する。同時に右手の変化弾(バイパー)で迎撃を行った。変化弾(バイパー)同士の激突は相殺されるものの、シールドで防ごうとした弾は盾にあたるとその場で爆発する。ライの視界を奪った。

 

炸裂弾(メテオラ)か)

 

 那須隊の真意に気づき、次の動向を探るライ。

 

「旋空——」

 

 すると熊谷の声がライの耳に響く。

 

「弧月!」

 

 直後、弧月の伸びる刃が横一閃に振るわれた。

 

「くっ!」

 

 ライの足元を狙った斬撃。煙を薙ぎ払って現れた攻撃をライは跳躍してかわした。

 

『今!』

 

 さらに那須隊の攻撃は終わらない。先ほど放ったはずの変化弾(バイパー)の一部が遅れてライへと直進した。ライの回避を予想してあらかじめ設定していたのだろう。さらに日浦の狙撃が今一度ライへ目掛けて放たれた。

 

(ここで追撃か。だが、この弾の量なら分割シールドで——)

 

 再度の追撃にライは冷静に対処すべく自分に向かう攻撃へと目を向ける。

 

『違います! ライ先輩!』

「ッ!?」

『ライトニングじゃありません!』

 

 突如として彼の耳に瑠花の警告が響いた。ライ自身も日浦が放った弾を見て、その弾速から武器を分析。ライトニングではなく威力に特化した武器・アイビスであると理解して目を見開く。

 

『————勝った』

 

 那須隊の面々が勝利を確信した。那須が、熊谷が、日浦が、志岐が同時に呟く。

 ここまでの局面、日浦は全てライトニングの狙撃に専念していた。その方がライの回避を制限できるという目的もあったが、そもそも日浦の狙撃能力でライトニングが最も練度が高かったためだ。他の武器はライトニングと比較するとやや見劣りしており、この情報は共に狙撃訓練に臨んでいたライにも勿論届いている。

 だが、だからと言ってライトニング以外を使えないわけではない。限られた場面で成功できるように日浦も日々訓練を重ねて来た。弟弟子が出来てからは猶更彼に後れを取らないように。

 そして今、那須と熊谷の連続攻撃によって動きを封じられ、今までライトニングしか使ってこなかったために日浦のアイビスを想定していなかったライにはこれを防ぐ手段がない。そうでなくても先ほど日浦のライトニングに不意をつかれたばかりだ。主要武器以外でくるという発想までは至らなかった。

 

『場合によっては茜ちゃんに最後の一手をお願いするかもしれないわ。ここぞという時には、迷わず狙ってね』

 

 彼女たちの脳裏に作戦会議で話していた那須の言葉がよみがえる。

 

(茜はライトニングを使ってくると思わせれば、分割シールドでも防げると考える。でもアイビスではその盾を容易に吹き飛ばせる。エスクードは生やす場所がない空中では使えない! 勝った!)

 

 『戦術で勝負する時は敵の戦術のレベルを計算に入れる』

 かつて始まりの狙撃手と呼ばれた隊員が解説で言っていた事だ。相手がこちらの戦力を把握し、瞬時に対応してくるのならばその先を行くまで。

 完全に相手の読みの裏をかいた。もはやライにはこの攻撃を防ぐ手立ては残されていないはず。志岐は宙に浮かぶ相手を目にして勝利を宣言した。

 

「——さすが」

 

 そんな中、ライはわずかに口角を上げる。

 敵をひいては姉弟子たちを称賛すると同時に、まだ勝負は終わっていないと示すような発言であった。

 ライは空中で弧月を真下へ向けると、剣を両手でつかむ。

 

「エスクード」

 

 すると弧月から大きな盾が出現。その重みに引き寄せられてライの体が急降下し、アイビスと変化弾(バイパー)は何もない空間を突き抜けていった。

 

『はっ!?』

 

 那須隊の面々が、解説席や観客席の隊員達が驚愕に目を見開く。皆那須隊の勝利を考えていた。だが必殺の一撃は傷を負わせるどころか空振りに終わってしまう。

 

(エスクード!? なんもない所から、いや弧月から生やしたんか!? 盾としてではなく軌道をずらすただの重し(・・・・・)として?)

 

 本来は防御用として使用するエスクード。ライはその重さで自分を落下させるだけに使用していた。

 

『弧月はスコーピオンと違ってオフにしてもただの重い棒きれとはいえ形を残せるからな。逆に言えばただの棒として使えるっちゅう事や』

(弧月のデメリットを逆手に……!)

 

 水上は先ほどの生駒の発言を思い返し、この発想に至ったライの戦術眼に感服するのだった。

 

「嘘やろ。なんやの、彼?」

 

 咄嗟に思いつく思考。即座に成功させる判断。どれもが抜きんでている。

 チームメイトを通じて何度もあっていた相手であるというのに、水上は彼の恐ろしさに背筋が凍る感覚を覚えた。

 

(悪いが、当真や奈良坂の狙撃だってかわしたんだ。今さら他の人の狙撃は食らわない)

 

 だがそれも無理のない事。

 これまで数多くの狙撃手訓練にライは参加してきたが、ボーダー内の数多くの実力者でさえライを狙撃する事は難しいのだ。だからこそそれをなしてきた彼には簡単に被弾してなるものかという意地があった。

 

「姉弟子が相手であろうと。負けるわけにはいかない!」

 

 たとえ姉弟子・日浦だとしても。

 ライは役目を終えた弧月を破棄する。新たに出現したエスクードを足場にその上に立つとイーグレットを起動し、アイビスを放った日浦の方角へとお返しの一撃を放った。



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見極め

 ——信じられない。

 撃墜、そこまでいかなくても大ダメージを負わせられていたはずだった。

 なのに自分の放った弾は目標を撃ちぬく事はなく。呆然とする日浦目掛けてカウンターの銃弾が撃ち放たれた。

 

「ッ!」

『茜!』

「きゃあっ!」

 

 狙撃を目にした日浦は反射的にその場にしゃがみ込む。彼女の横数センチの所に銃弾が撃ち込まれた。

 

(……嘘。こんなにもあっさりと反撃されるなんて)

 

 日浦の頬を冷や汗が伝わる。あと少し反応が遅れていれば間違いなく致命傷だった。

 

(外れたか。まあいい。これで日浦さんは容易に狙撃はできなくなったはず)

 

 一方のライは命中こそ叶わなかったものの十分だと考える。

 即席の土台から即座に放った狙撃では狙いが定まらないのも仕方がない話だ。とはいえ命中こそしなかったものの、牽制には十分な一発であった。必殺の一打をかわされ、反撃を受けたとなれば今までのような積極的な攻撃は難しくなるはず。

 

『ライ先輩、来ます!』

「ああ。大丈夫、見えてるよ」

 

 ライはすぐにイーグレットをしまうと、那須が放った変化弾(バイパー)をよけるべくエスクードの上から飛び降りた。

 

「さすがです。——ですがまだですよ。紅月先輩」

「ッ!」

「まだ見せていない手があります」

 

 すると変化弾(バイパー)は多角的な角度からライに向かうと思われた瞬間、突如異なる軌道を描いていたいくつもの弾が集結してライを襲撃する。

 那須は訓練で彼に射撃の技を見せていたがそれが全てではなかった。

 

(鳥籠じゃない!? まさか!)

 

 多分割シールドでは防ぎきれない。ライはすぐにシールドを二枚左右に展開すると同時にエスクードを蹴り、身体をひねった。

 直後那須の変化弾(バイパー)はライのシールドを打ち破り彼のトリオン体を貫く。ライは咄嗟に急所こそ守ったものの、彼の右目と右腕の肘から先が吹き飛ばされていた。

 

「那須隊の奇策を打ち破り反撃に転じた紅月隊長。しかし那須隊長の鳥籠と見せかけた一点攻撃の前に大きなダメージを負ってしまいました!」

「……えっ。嘘。ホンマに弟子の顔吹っ飛んだんやけど俺のせい? ちゃうよな?」

「あっちゃー。これはマズイ」

「利き腕もそうやけど右目持ってかれたの痛いわ。これじゃ今までみたいに反応するのも厳しそ」

「トリオンもかなり減らされてもうたな。ま、死にかけだろうと油断できる相手ちゃうけど」

 

 傷が大きいのは勿論、今の那須の攻撃によりライは片目を失った事で視野が制限される。反応が遅れる事は間違いなかった。特に狙撃手(スナイパー)も未だ残っている中でこの負傷は非常に痛手である。

 

(なるほど。ここで一点集中か。完全に動きを読まれてしまったな。さすが師匠だ)

 

 行動を読まれた事を悔いていても仕方がない。そもそも師が相手である以上、いつかは分析されてもおかしくない事なのだから。

 

『トリオン漏出過多』

「……ここまでみたい。玲、茜。後頼むよ」

「くまちゃん!」

緊急脱出(ベイルアウト)

 

 しかし那須隊も無傷ではない。旋空を放った事で熊谷のトリオン体が限界に達し、緊急脱出(ベイルアウト)を迎えた。

 

「ここで熊谷隊員が緊急脱出(ベイルアウト)! ——おっと。熊谷隊員の得点は諏訪隊に記録されました!」

「トリオン漏出による得点は最もダメージを与えた隊員に記録されるからね。早いタイミングだったし、諏訪さんの攻撃が最も響いたって事か」

「てことはこれで(紅月隊)(那須隊)(諏訪隊)やな。まだわからんで」

 

 スクリーンには諏訪の得点が表示されている。熊谷へのダメージは諏訪の散弾銃によるものが最も大きいと判定されたのだ。このため紅月隊の得点はまだ2点のまま。試合の行方はまだ決まっていない。

 

『ライ先輩! 熊谷先輩が諏訪隊長のものとなりました。こちらもトリオン漏出が大きいです!』

「ああ。仕方がない。予定変更だ」

 

 瑠花に返事をすると、ライは左手を地面につけてトリガーを起動した。

 

「エスクード」

 

 ライの足元からもう一枚大きな盾が角度をつけてせり上がる。出現する勢いに乗ってライは大きく跳躍。その場を離脱し、日浦が先ほど狙撃を行っていた方角へ向かって跳んでいった。今なら日浦のおおよその位置を掴んでいる。那須達を自由にしてでも狙撃手を取りに行くべきだとライは決断を下した。

 

『あっ! マズイ!』

『茜ちゃん!』

「……はい!」

緊急脱出(ベイルアウト)

 

 彼の狙いに気づくと那須隊の対応も早い。那須に呼ばれた日浦はすぐに彼女の意志をくみ取り戦場を離脱した。

 

(……距離を詰める前に逃げられたか。離脱までの判断が早すぎる。最初から僕がエスクードで跳んだら逃げるように決めていたのか)

 

 人影がなくなった屋上にゆっくりとライが降り立つ。一点を逃したのは痛かった。だがこれで狙撃手の支援もなくなり多少は戦況がマシになった事は間違いない。

 しかし——

 

『ライ先輩! 警戒!』

 

 一息つく間もなく瑠花の警告が響いた。直後、那須が建物を駆け巡り距離を詰めると、彼女が撃ち上げた変化弾(バイパー)がライに迫る。

 

「日浦隊員も自発的に緊急脱出(ベイルアウト)し、那須隊長と紅月隊長の一対一となった戦い。距離があくや那須隊長は射撃戦から機動戦へと切り替えました!」

「おっ。那須隊長の得意な展開になってきた」

「いつものやつやな。障害物を盾に機動力で相手を追い詰める。居場所が割れてる上にフィールドが狭く障害物が多い。追いつめられたら面倒やで」

「俺も那須さんに追っかけられたいわ」

「蜂の巣になりますけど良いんですか?」

 

 一対一となって距離もある状態。那須の得意な相手を追い詰める機動戦と戦況は移り変わったと犬飼や水上は分析した。対してライは視界も制限され腕の負傷もある。厳しい状況だろうなと生駒をあしらいつつ、ライの行く末を案じた。

 

「ぐっ!」

 

 話題の種であるライは急ぎ屋上から飛び降り、屋根の上を走っていく。反撃にとライも変化弾(バイパー)を試みるが先ほどよりも精度が落ちていた。

 

(まずいな。予想以上に狙いが定まらない。距離感覚がずれている)

 

 変化弾(バイパー)だけに限った話ではない。シールドの展開位置なども片目ではわずかにズレが生じていた。

 

『ライ先輩。このまま中距離戦は厳しいと思います。接近戦に切り替えますか?』

「——いいや」

 

 少しでも視界の障害を減らすために瑠花は弧月での接近戦を提案する。しかしライは彼女の提案に対して首を横に振った。

 

「さすがに利き腕を無くした状態では厳しいだろう。当初の予定が出来なくなるだろうしね」

『では』

「ああ。勝てない戦と負け戦は別物だ。ここまでにしよう。——撤退する」

『……わかりました』

 

 ライはこれ以上の戦闘続行で目的の達成は困難であると結論を出す。

 

緊急脱出(ベイルアウト)

 

 こうしてライはランク戦で初の脱落を経験する事となった。これにより那須以外の全ての隊員が脱出となり、ランク戦は終わりを迎える。

 

「ここで紅月隊長が自発的に緊急脱出(ベイルアウト)! これにてランク戦決着です! Round2昼の部、3対2対1。那須隊の勝利です!」

 

     得点 生存点 合計

 那須隊 1   2  3

 紅月隊 2   0  2

 諏訪隊 1   0  1

 多くの観客の注目が集まった試合は那須隊が生存点の2点を含む3得点を挙げ逆転勝利を収めた。

 

「……緊急脱出(ベイルアウト)?」

『那須先輩! 紅月先輩が自分から緊急脱出(ベイルアウト)したみたいです!』

『私達の勝ちですよ!』

「紅月先輩が? そう。そうなのね……」

 

 ライが脱出する瞬間を見届けた那須が呆然と呟く。チームメイトが歓声を上げる中、彼女はどこかやりきれない思いを抱いていた。

 

 

————

 

 

「二戦目で初黒星か。ごめんね、上手く事が運ばなかった」

「いえ。初の中位戦で二得点ならば十分だと思います」

 

 紅月隊の作戦室にライが戻ってくると、瑠花が彼を気遣うように声をかけた。

 初戦での大量得点から一転、二得点で終了。想定はしていたとはいえライ自身も思う所があったのだろう。

 

「僅差の試合となりましたが、解説の御三方はこの試合を振り返っての総評の方をお願いします」

 

 その頃、解説席では全員の脱出を確認して綾辻が解説の三人に試合の振り返りを促していた。

 

「点差通り接戦だったね。どこの隊も等しくチャンスがあって、その点をいかに取るか、いかに守るかってところでこの点差になったって感じかな」

「諏訪隊は最初に笹森君が落とされてもうたのが痛かったなー。彼が残ってればシールド役としても狙撃手狙いも行けたはずやから。今回に関してはマップの転送位置が悪かったわ」

「その代わり諏訪さん、堤さんの動きはよかったやろ。あの奇襲にしたってライがエスクードつかってなければ二人まとめておとせてたかもしれんし、その後の切り替えでも二点取れてもおかしくない展開やったしな」

 

 話題にはまず諏訪隊が上がる。逸早く全滅という形にはなってしまったものの動き自体は悪くなかったと皆考えていた。笹森の脱落は転送位置が絡んでいた事だし堤・諏訪の連携も位置取り、タイミングも悪くなく敵の不意をついた動きである。結果にはつながらなかったものの今後に活きるものであろうと考えていた。

 

「でも一得点で終わっちゃったのもったいないよねー」

「聞いてたのか、日佐人? 次は簡単に落ちんじゃねーぞ!」

「頑張ります……」

「とにかく無得点は阻止出来て良かったです」

 

 諏訪隊の面々は作戦室で笹森を慰めつつ、敗戦を引きずらないようにと前を向いている。

 攻撃的な姿勢を崩さない事は重要だ。次こそは得点を積み上げてやろうと次戦を見据えていた。

 

「中盤以降は残った那須隊と紅月君の戦いだったけど、正直紅月君の戦いぶりには驚いたね。結局彼那須さん以外の攻撃は一発も受けてないでしょ?」

「そうですね。紅月隊長の被弾は那須隊長の変化弾(バイパー)によるものだけです」

「弧月やエスクードの使い方にビックリしたわ。那須隊の方が常に数的優位を取っとるのに全然彼が動揺せんから那須隊は驚いたやろなあ」

「さすが我が弟子」

「はいはい」

 

 続いて序盤から中盤にかけて最も多くの隊員と戦い抜いたライの話と移る。

 射撃や狙撃、斬撃の猛威に振るわれながらも一歩も引く事もなく、予想を超える反応と戦い方で敵を翻弄し続けた。誰にでもできる事ではない。

 

「対する那須隊も皆動きは良かったと思うで。那須さんを中心に動いて隙が出来れば熊谷さんも攻めて、逆に二人が隙を作って日浦ちゃんがアイビス撃ったりとかな。日浦ちゃんが防衛任務以外でアイビス使ってるとこ初めて見た気がするわ」

「そうだね。基本的なライトニングに加えて仕留める武器もあるとわかれば敵も警戒を強めるはずだし、今後に活きてくると思うよ」

 

 勝負を制した那須隊は皆動きが良かったと二人が語る。エースである那須は勿論熊谷、日浦の二人もサポートだけでなく自ら決める姿勢を見せていた。彼女たちのこの戦い方があれば那須の負担も減ってくるはずだ。その分那須もより得点が伸びてくるだろう。

 

「だってさ」

「A級隊員に褒められちゃいました!」

「……そうね。ええ。今日の戦いは皆良かったと思うわ」

「玲?」

 

 称賛された那須隊は当然のように盛り上がる。だが、ただ一人那須はどこか浮かない顔を浮かべており、熊谷が心配そうに語り掛けるがその心情を読み取る事は出来なかった。

 

「ただ一つ気になったんやけど、日浦ちゃんはわかるけど最後ライも自分から緊急脱出(ベイルアウト)する必要あったんか? 右腕無くしたとはいえまだ変化弾(バイパー)の戦いが出来たはずやし、弧月を左手に持って那須隊長を狙ってもよかったんとちゃうの?」

 

 一方、生駒が疑問を二人に投げかける。

 日浦は狙撃手(スナイパー)であり寄られたら厳しい面があるから理解できた。しかしライは負傷していたとはいえまだ戦えた状態である。脱出すれば負けるとわかっている中で点を取りに行かずに脱出した理由はなんだったのかと。

 

「そこは意見が分かれるだろうけど、那須さんが機動戦に切り替えたからじゃないかな?」

「止まっている状態ならまだしも動きながらとなると余計に視界はぶれやすくなるんですよ。ただでさえ片目失って距離感とかつかめない中で今回障害物が多いマップでしょ? 厳しいと判断したんとちゃいます? そうでなくても那須さんは機動力高いし、ルール上逃げるなら詰められる前に逃げんといかんのにマップが狭いしなあ」

「はぁ。なるほどなあ」

 

 これに関しては犬飼と水上が中距離戦の隊員としての意見を論じた。

 右目が見えない中での機動戦は困難。そうでなくてもライが扱うのは変化弾(バイパー)と制御が難しい武器だ。考える以上に扱いがシビアであることは想像に難くない。

 加えて今回のマップは障害物が多く戦闘エリアが狭い工業地区。そういった事情も絡んでいるのだろうと説明を受け、生駒は納得して頷く。

 

「まあ実際、あのまま機動戦を挑んで那須さんに勝てたって保証はないからね」

「障害物が絡むステージを那須さんが得意としている事は知っていましたが……」

「それを防ぐために最初の段階でメテオラを随所に設置しておきたかったけど、その前に那須隊に捕まっちゃったのが痛かった。まあこれに関してはマップの都合上仕方がないさ」

 

 勿論ライとて那須の機動力を防ぐために何も考えていなかったわけではなかった。本来の予定では最初に一点を取った後(今回は笹森)、一度離脱しメテオラを各地に設置して後々の展開に備える予定を二人は検討していた。一度設置出来ればイーグレットの射程も持つライならば起動も容易である。しかし予想以上に那須隊との接敵が早く、その行動は未遂に終わってしまったという事情であった。

 

「——さて、今回那須隊の勝利で幕を閉じたこの一戦。那須隊は三得点、紅月隊は二得点という事で夜の部はまだ残されていますが中位グループ残留は間違いないでしょう。上位グループ入りは目前です。これからの試合にも期待がかかりますね。Round2昼の部は以上で終了になります。解説の犬飼隊員、生駒隊長、水上隊員。本日はありがとうございました」

『ありがとうございましたー』

「綾辻ちゃんもおつかれやで!」

 

 僅差とはいえどの部隊も確実に得点を重ねている。

 今後の展開によっては上位グループも夢ではないと綾辻は最後に一言添えてその場は解散となった。

 綾辻に倣い、三人も短く締めの挨拶を済ませてその場を後にする。

 こうしてランク戦二日目昼の戦いは幕を閉じたのだった。

 

 

————

 

 

「うーん。反省点も多いな。今度三輪や奈良坂達に戦術の話を聞いてみようかな」

「ひとまずはお疲れ様でした。私は記録の整理と分析を行います。ライ先輩はどうしますか?」

「うん。お疲れ。そうだな、一応今日の感覚を忘れないように少しランク戦をしてこようと思う。変化弾(バイパー)の戦いとか見直しておくよ」

「わかりました。それではまた後で」

「ああ。それじゃあ行ってくるよ」

 

 ランク戦を終えて。ライは早速今日の試合を振り返ろうと瑠花と別れてランク戦ブースへと向かった。

 二戦目での敗北はやはり思う所がある。

 師匠とは言え動きを読まれてしまった事は反省しなければならなかった。

 もっと精進せねばとライは自分を叱咤する。

 

「——あっ。いた。紅月先輩」

「えっ?」

 

 するとブースに向かう途中でライは何者かに呼び止められ立ち止まった。振り返ると那須が彼の下へと歩み寄ってくる。試合が終了した直後であるためか、普段の隊服ではなく水色のカーディガンを羽織っていた。

 

「那須さん。ランク戦お疲れ様。さすがの戦いぶりだったよ」

「ありがとうございます紅月先輩。もしも良ければ少しお時間をいただいてもよろしいですか? そのランク戦について、紅月先輩に少しお聞きしたい事があります」

「……ああ。良いよ」

 

 静かな声色の中に穏やかではない感情を察し、ライは彼女の要請に応じる。

 ——おそらく勘づかれたのだろうなとライは小さく肩を落とし、彼女を伴ってラウンジへと歩みを進めた。



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真意

 飲み物を手にしてラウンジの一角に腰かけると、ライは那須と向き合った。

 

「それで、話というのは何だい?」

「今日のランク戦の紅月先輩の事です。正直に答えてください」

 

 那須の声色は静かだが有無を言わさぬ説得力が感じられる。下手な嘘は許さないという那須の意志が伝わってきた。

 

「どうして私たちの戦いで、手を抜いたんですか?」

 

 那須はいきなり本題へと切り込む。彼女もライの違和感を察していたのだ。

 明らかにランク戦におけるライの振る舞いにはいつものキレが見られない。諏訪隊に対するものと比べて明らかに圧力がなかったと。

 

「どうしてそう思う?」

「いくつもおかしいと思う点はありました。諏訪さんを落とした時やくまちゃんを攻撃した時に私たちを落とせていたはず。それに茜ちゃんを狙撃した時だって紅月先輩なら当てられたんじゃないですか?」

「……なるほど。僕が君たちに対してわざと攻撃の手を緩めたと感じたわけか」

「はい」

 

 意見を要約すると、ライの言葉に即座に頷く。

 困ったなとライは頬をかいた。

 確かに戦闘中の狙いが露骨であったかもしれないが、こうも強く問い詰められては言い逃れる事は難しいだろう。

 

(すぐに否定しないって事は、やっぱり)

 

 彼の様子を見て那須は確信に至った。そもそも彼女がすぐに気づけたのは前から噂が流れていたからである。

 例えば狙撃訓練。ライは対人訓練において女性をほとんど狙わないという話が日浦から出ていた。

 例えば弟子との訓練。ライには弧月を教えている黒江という弟子がいる。彼女との戦闘訓練では傷つけないようにと決着がついた段階で刃を止めるという話も浮上している。一度誤ってかすり傷を与えてしまった日、加古隊の作戦室で彼女と共に昼食を食べているとその事を思い出してしまったのか体調を崩して寝込んでしまったという噂さえ立った。

 ——つまり、ライは女性を傷つけないようにと配慮しており、その意識をランク戦にまで引きずっているのではないかと結論に至る。

 

(ここでハッキリさせないと)

 

 女性を攻撃できないというのは確かに美徳だろう。だがそれは力がないものに対してという話だ。少なくとも戦闘隊員は誰もが戦力を有し、ランク戦においては彼の敵にすぎない。師としてこの一件を有耶無耶にするわけにはいかなかった。

 まして那須にはエースとしてのプライドがある。女性だからと侮られたくないという気持ちもあった。

 

「……正直に言って良いかい?」

「勿論です」

 

 観念したのだろうかライがゆっくりと口を開く。

 

「半分正解。半分不正解だ」

「半分?」

 

 どういう意味だと那須が聞き返すとライはため息を一つつき、説明を続けた。

 

「確かに諏訪隊と那須隊では方針が変わったのは事実だ。もしも転送位置が一番近かったのが笹森隊員じゃなくて那須隊の誰かだったならば標的も変えていただろうし」

「やっぱりですか」

「ただ、手を抜いたというのは少し違う。僕だって那須隊を全員落としての勝利を狙っていたよ」

「仕留められる機会を逃して、どうやって?」

 

 明らかに話が矛盾している。ライは那須隊を落とす事を考えていたというが、彼は攻撃の機会をあえて見逃していた。敵を倒そうとせずにどうやって勝利しようとしたのかと那須は疑問を呈する。

 

「別に難しい話じゃないよ。——トリオン切れだ。消耗戦に持ち込む事を考えていたんだ」

 

 答えは簡単なものだった。那須隊のトリオン切れによる撤退。これがライが第二戦で勝利を狙っていた考えである。

 

「撃破ではなく、ですか」

「うん。僕の方が那須さんよりトリオン量が多いのは知っていたからね。日浦さんはずっとバッグワームを展開する事は予測できたし、熊谷さんも道中で削る事には成功していた。まあ諏訪隊のダメージが大きかったのは少し予定が外れたけど」

 

 射撃戦となればトリオンの消費も大きなもの。前提としてライの方が那須よりトリオン量が多いため最初から余裕があったのだ。他の隊員も日浦のバッグワームは常にトリオンを消費し続けるし、熊谷は変化弾(バイパー)などでトリオン体への傷を負わせることに成功している。ライがトリガーを使わずに回避行動を行っていたのもこのためだった。いかにトリオンを消費せずに長期戦に持ち込むか。

 可能な限り相手を傷つけず、その上で勝利をもぎ取りたい。それがライの方針だった。

 

「……なるほど。一応、紅月先輩が最初から勝つ気がなかったわけではないという事は理解しました」

「そう? ありがとう」

「ですが、そもそもそんな手を取った理由は何ですか?」

 

 彼の考えに一定の理解を示しつつ、那須はライに本心を問う。

 

「理由?」

「ええ。そんな事をしなくても——いいえ。しない方が簡単な上に、諏訪隊に点を取られるような事はなかったはずです。どうしてですか?」

 

 逃げる事は許さないと、那須の視線がライを射貫いた。

 

「……出来るだけ傷つけたくなかった。という理由じゃ納得できないか?」

「私たちが女だからですか?」

「まあ——結論から言えば、そうだね」

 

 観念してライが頷く。

 ——やっぱり。

 返事を聞いた那須はわずかに語気を強めて彼に語り掛けた。

 

「紅月先輩。言っておきますけど戦いの場で女扱いは不要です。私達にだって意地があります。そのように一々気を使われるのは気分が悪いです」

 

 彼女たちだって他の隊に負けないようにと挑んでいる。その中で余計な気遣いはされたくなかった。優しさではなく、それは慢心であると那須は断じる。

 

「待ってくれ那須さん」

「何ですか?」

 

 だがライもただ黙っているわけではなかった。最後まで彼女の意見を聞き終えると、言葉を正すように反論を始める。

 

「那須さんが女性であることと女扱いする事は別の話だ」

「……何を言っているんですか? 言葉遊びですか?」

 

 伝えようとしている事が理解できず、那須が首を傾げた。

 

「そうじゃなくて。僕自身上手く言葉にしづらいけど。でもどのような状況であれ、大切な女性を傷つける行為を認めては男がすたる!」

 

 咄嗟に思い付いた発言だったのだろう。所々言葉に詰まりながらなんとかライは自分の思いを最後まで告げる。

 

「…………はい?」

 

 そして発言を聞いた那須は呆然とし、言葉を失った。

 

「ごめん。自分自身でも何を言っているのかと思うけど。ただ、確かに那須さん達には不快な思いをさせてしまったかもしれない。でも那須さん達を傷つけたくなかったんだ。やっぱり綺麗な女性の前で格好つけたいのが男の性というか」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 

 未だに思考の整理がつかない中、ライが必死に弁明を続ける。そんな彼の説明に恥ずかしくなったのか一度那須は待ったをかけ、大きく咳払いをした。

 

「紅月先輩。一つ確認をしたいのですけど」

「なに?」

「女の子が相手なら誰にでもそういう事を言うんですか?」

「まさか! こんな事を言ったの那須さんが初めてだよ」

「……そうですか」

 

 納得したのだろうか、確認を済ませた那須は視線をそらし、気を紛らわすように自分の髪の毛を触りはじめる。

 

「えっ、と」

 

 突然様子が変わった那須に困惑しライは言葉に詰まった。

 

「その、那須さん。嫌な気持ちになったら申し訳ない。ただね?」

「いえ。わかりました」

「あの——」

「大丈夫です。紅月先輩の意見には納得しましたから」

「本当に?」

「ええ。そうですよね。大切なら……ええ。仕方ないですよね」

 

 よかったとライの頬が緩む。一方那須は頬を赤らめ、心なしかしりすぼみで声が小さくなっていった。

 

「ならよかった。ありがとう」

「——ですが」

 

 ライが胸をなでおろす。とはいえまだ話が完全に終わったわけではなかった。真っ直ぐに指差し、那須は一拍間をおいて話を続ける。

 

「今回だけです。紅月先輩だって得点が欲しいのでしょう? なら誰が相手であろうと平等に戦ってください。次にまた同じような事があったら許しませんから」

「那須さん達が相手でも?」

「当たり前です。トリオン体なんですから関係ありません」

 

 恐る恐る確認したライに那須がハッキリと告げた。

 

「私はトリオン体でようやく自由になれたんです。だから平等に接してください」

 

 ライの目が見開く。

 今まで那須は病弱な体故に満足に運動をする事さえ難しい生活を余儀なくされてきた。せっかく手に入れた自由自在に動き回れる肉体、皆と変わらぬ生活を送りたい。那須は不自由である為の思いも抱いていたのだ。

 

「……那須さん」

「はい」

「ごめん」

 

 その場で立ち上がると、ライは深々と頭を下げる。知らず知らずのうちに、彼女に余計な傷を与えてしまった。申し訳なかったと心を込めてそう口にする。

 

「……はい。今回は許します」

 

 彼の心からの謝罪を那須は受け入れた。

 

 

————

 

 

「はあ……」

「大丈夫ですか?」

「うん。——今回は瑠花にも悪かったね」

「いいえ。ライ先輩の性格の事は把握しているつもりですから」

 

 そう言って瑠花はお茶の入ったコップをライの目の前に置いた。「ありがとう」と口にしてお茶を口に含む。ようやく一息をつけた。

 

「さすがに次からは今日みたいな事はやめだ」

「大丈夫ですか? やはり抵抗がありそうですけど」

「まあ、ね」

 

 那須と約束したとはいえ、すぐに意識を切り替える事は難しい。

 仮の肉体・トリオン体であるという事はライも当然わかっていた。しかしそうだとしても目の前に全く同じ姿形の異性がいるとなると、ライは簡単に割り切る事ができない。

 

(一度当たったから那須隊とはしばらく当たらないだろう。女性戦闘員はそう多いわけではないし、当たらない事を祈るか。そもそも余程強いエースでもなければ戦う前に僕ではない誰かが落としてしまうかもしれない)

 

 ランク戦の組み合わせはこれまでの対戦回数のバランスを考慮して割り振られる仕組みだ。一度那須隊と戦ったので、今期から参入した紅月隊と戦う事はしばらくはないだろう。

 女性隊員の数は男性隊員と比較すると少ない。エース級の実力者となれば猶更だ。こうなったら戦わないように願おうかとライはひとまずこの問題を先送りする事とした。

 

「んっ? あっ、ライ先輩。夜の部が終わりました。組み合わせも発表されたようです」

「終わったか。次の僕たちの対戦相手はどこだい?」

 

 パソコンを操作していた瑠花が通知に気づいてライへ呼びかける。

 今日のランク戦が全て終了した。次戦の対戦相手がすぐに発表される。

 さて、どこと当たるのかとライは興味を抱いて瑠花の近くへと歩み寄った。

 

「あの——ライ先輩」

「ん?」

 

 瑠花が名前だけ呼んで静止する。どうしたのだろうとライが画面をのぞき込んだ。

 そして彼女の反応の意味を悟り、苦笑する。

 

「次の相手は12位の荒船隊、11位の柿崎隊。そして——東隊と入れ替わりで中位に落ちた9位の香取隊です」

 

 咄嗟にライは頭を抱えた。どうやら問題を先送りにする事は許されないらしい。

 香取隊は女性の隊長である香取がエースを兼任しており得点力が高かった。上位グループの戦闘も経験している実力者である。

 つまり、次のランク戦ではライと戦う可能性が高いという事だった。

 

「ん?」

 

 ふとポケットの中にしまっていた携帯端末が振動している事に気づく。ライが正規隊員に昇格した際にボーダーより手渡されたものだ。

 見ると誰かから連絡が来たことを知らせるランプが点灯していた。画面をつけたところ、メッセージアプリに通知が来ていたようである。確認してみると、その相手は今日あったばかりの那須からであった。

 

『次の対戦相手が決まりましたね』

『紅月隊は香取隊とも当たるという事を知ってびっくりしました』

『紅月先輩なら今日話していた事をきちんと守ってくれると信じています。頑張ってください』

 

 すべてのメッセージを見届けてライは天を仰ぐ。彼には頑張ってくださいという応援のメッセージが圧力に感じられた。

 

「————逃げ場はないな」

 

 とりあえず何とかしよう。具体的な解決策は思い浮かばぬ中、ライはせめて那須の機嫌を損なうような事にはならないように頑張ろうと前を向くのだった。



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克服

 時はあっという間に進み——B級ランク戦第三戦、試合当日。

 

「みなさんこんちはー。今日実況担当の太刀川隊国近でーす」

 

 観客席に国近の穏やかな声が響く。

 A級 太刀川隊オペレーター 国近柚宇

 第三戦は静かに始まりを迎えようとしていた。

 

「解説席には米屋君と緑川君が来てまーす」

『どうぞよろしく』

 

 国近の隣には米屋、緑川が陣取っている。今日もA級隊員による解説に期待が高まった。

 

「さてー、今日のB級中位グループ夜の部は8位の紅月隊、9位の香取隊、11位柿崎隊、12位の荒船隊でーす。荒船隊が選んだマップは『市街地C』。荒船隊が必ずと言ってよいほどよく選ぶ所です」

「だろうなー」

「荒船隊はここしか選ばないでしょ」

 

 マップがモニター上に表示されると当然の事だと米屋と緑川が揃って頷く。

 市街地Cは初戦でライが選んだマップでもあった。狙撃手(スナイパー)に有利とされるマップは狙撃手(スナイパー)を二人要する荒船隊のホームグラウンドと有名である。

 

「でも今回柿崎隊、香取隊は狙撃手(スナイパー)がいないけど、紅月隊長は狙撃手(スナイパー)もやるんだよねー? そこは無視?」

「そうでしょ。ってかそんな事いったらあいつどこでも対応できるし」

「相手の苦手を選ぶよりは自分たちの得意な所を優先って事だろうね。最悪紅月先輩は無視でもいいんじゃない?」

「なるほどー」

 

 ライは先の二試合でイーグレットを見せている為彼にも有利なマップ選択となった。だがそれを覚悟の上で荒船隊は選んだのだろうと二人は断言する。

 

「問題は香取隊と柿崎隊だよなー。この二部隊は早々に荒船隊を片付けるか高所とらねえとしんどいぞ」

「その辺りは転送位置によるよね」

「おー。ちゃんと解説してる。——さあ、B級ランク戦Round3。全部隊(チーム)、転送開始」

 

 残る二部隊は早いうちにこの問題点を取り除かなければならない厳しい戦いだ。

 一通り解説が済み定刻を迎える。

 国近の宣言を合図に全ての隊員達が仮想ステージへと転送されていった。

 

 

————

 

 

「B級ランク戦Round3、全部隊転送完了! マップは市街地C! 転送位置はランダムですが、高所が有利なこのステージ。一番高台に近いのは半崎隊員!」

 

 全隊員が戦闘マップに転送される。開始早々、半崎と穂刈の狙撃手(スナイパー)二人はバッグワームでレーダー上から姿を消した。

 ランダムな位置からスタートする中、高台に最も近いのは半崎だ。彼を筆頭に次々と隊員達が坂をかけあがっていく。

 

「うわっ。ずり」

「荒船隊が有利な所で理想的な立ち上がりじゃん」

「んー。ただ、その近くに香取隊二人いるな。これ多分だけど見つかるぞ」

 

 とはいえ位置の有利はあったものの、完璧な位置取りであったかと言えば全く別の話だ。

 半崎のすぐ後ろには香取隊の若村の姿があった。バッグワームはレーダーから確認できないが肉眼での視認は可能だ。案の定、若村は坂道を駆け上がる半崎の姿を捉える。

 

「いた! 半崎だ!」

『高台は取られそうだけど、これなら大丈夫そうだね』

『雄太、麓郎君は西と南から半隠密で挟み込んで。狙撃手(スナイパー)を確実に一人落とすチャンスよ。見失わない様、狙撃の直後を狙って』

『了解!』

 

 市街地Cは狙撃手の独壇場となるステージだ。ここでその一人を見つけたのならば逃す手はないと香取隊オペレーターである染井が冷静に作戦を告げた。彼女の指示に従い、若村がバッグワームを、三浦がカメレオンを展開して半崎に迫る。

 

「おっと。米屋君の予想通り香取隊が半崎隊員を見つけたかな? カメレオンとバッグワームで追ってるね」

狙撃手(スナイパー)には滅茶苦茶嫌な展開だな。牽制しようにも相手も姿を消してるからめんどくせえ」

「しかも二対一。これ狙撃無理なんじゃない?」

「だな。やるとしたら、自分が落ちるの覚悟で確実に誰かを落とすタイミングなんだろうが。その間に他の盤面がどう動くやら」

 

 片やマップでは見えるものの視界に捉える事は出来ない三浦、そしてレーダーで場所が判明出来ない若村と徹底的な狙撃手(スナイパー)対策だ。これではまともに狙撃手(スナイパー)の仕事をする事は出来ない。

 

狙撃手(スナイパー)見つけたの? じゃあそっちは任せるわよ』

「葉子?」

『私はこっちで点を取るわ』

 

 一方、香取隊の隊長である香取は二人との合流を狙わず、一人の隊員へと狙いを定めて駆け出した。

 

『ライ先輩! 西から来ています!』

「……ああ。見えているよ。香取さんだね」

 

 その先にいたのは彼女と同じくマップ南に転送されたライである。北上しようとしていた彼にスコーピオンで襲い掛かった。対するライは弧月を展開して迎え撃つ。

 ランク戦開始早々、各隊のエースの激突が繰り広げられた。

 

「隊長。南で香取さんと紅月先輩がぶつかりました」

『よし。好都合だ。敵のエース同士がつぶし合うのは放っておいていい。北で消えたのは香取隊で間違いないはず。なら荒船隊のサポートはほとんどないだろう。俺達はこのまま連携して荒船を叩くぞ』

『了解!』

 

 隊員がそれぞれの戦場で戦闘が始まる中、唯一中央に集まっていた柿崎隊は三人揃って中央近くの荒船を最初の獲物と定める。

 柿崎の指揮のもと、単独行動を行っていた荒船へと向かっていった。

 

「ちっ。柿崎さん達が来やがったか」

『凌げ、荒船。まもなく俺もつくぞ、狙撃ポジションに』

「ああ。わかってる。しっかり頼むぞ」

 

 三人の反応が自分に近づいている事を知り、荒船も弧月を抜刀する。

 半崎の支援は望めないだろう。だがまもなく穂刈の狙撃支援が来るならばなんとかこの場を凌げるかもしれない。

 そう簡単にやられてなるものかと、荒船は柿崎隊をにらみつけ刃先を彼らに向けるのだった。

 

「おー。徐々に局面が分かれていく! マップ南端の方では香取隊長と紅月隊長。中央では柿崎隊と荒船君が衝突する模様!」

「なんだ。全部隊のエースがさっそくぶつかってんな」

「荒船さんきつそー。射程持ちの相手と3対1だし香取隊が抑えているせいで支援がいつもの半分でしょ? 無理やり突破しないと駄目かもね」

「柿崎隊は3人いるから狙撃の警戒も出来るしな」

 

 開始早々に各々のエースが大きな局面を迎えるという事で観客の注目度は彼らに集まる。特に厳しいのは荒船だった。柿崎隊は3人全員が射程を持つ隊員であり、連携がうまい。そんな彼らに攻撃手(アタッカー)が囲まれたら対応するのは難しいだろう。

 

「最低でも荒船さんはここで一人はとっておきたいだろうがどうなるかな。むしろ南の香取とライの戦いがどうなるかが大きいぜ」

「たしかに。前回のRound2で紅月隊は那須隊に敗北。香取隊長は上位グループでも得点できるほどの実力者。紅月隊が上位グループに登れるかどうかが試される一戦となるか!」

 

 米屋の言う通り中央の戦いは柿崎隊と香取隊の思惑が一致している以上、柿崎隊の優位は揺るがないだろう。

 となると問題は南側。エース同士の一騎打ちとなった二人の隊長対決の行方がこの先のランク戦にも大きく影響するだろうと国近は解説する。

 多くの者の注目が集まる中、二人が激突した。

 

「どんくらいの力か知らないけど、那須隊に負けたんでしょ? ならさっさと終わらせる!」

 

 香取は記録を見返さない。その為ライのデータはほとんど持っていなかった。

 知っているのはRound2で紅月隊が那須隊に敗北したという情報のみ。その相手なら単独でも十分勝てるだろうと判断したのか、グラスホッパーで加速すると真っ向からぶつかっていく。右手のスコーピオンを手に高速で斬りかかった。

 

(機動性の高い万能手(オールラウンダー)。さすがに速いな。だが)

 

 スコーピオンの軽さ。さらに急加速を可能とさせるグラスホッパーの組み合わせは見事なものだ。

 だがライの表情に焦りは微塵もない。

 

「あいにくと、速い相手にはもう慣れている」

 

 スコーピオンの長所はその軽さを活かした連続攻撃だ。重さのある弧月では反応しきれなければ一方的に削られてしまう危険性がある中、ライは上下左右から仕掛けられた斬撃を全て弧月でいなしていく。

 

「ちっ!」

 

 連続攻撃を防がれた香取が短く舌を鳴らした。

 しかもライはただかわすだけではない。隙が出来たとみるや弧月を横一閃に振るう。この横撃は香取のシールドを軽く叩き割った。かろうじて香取が伏せた事でダメージはないが、軽々とあしらうその姿には余裕が感じられる。

 たまらず香取は後退しつつ拳銃へと切り替えた。至近距離からのアステロイドに、今度もライはシールドを展開して防ぎきる。

 

(速い! 弧月を使っているのに!)

 

 ライは至近距離の戦いで手数が多い相手を初見で防ぎきった。早く仕留めて他の戦場へ向かおうとしていた香取の思惑はあっさりと崩れ落ちる。

 

 

「……何なの。普通にできるやつじゃないの」

 

 香取は舌を鳴らしてそう呟いた。苛立ちと不満が彼女の中に募っていく。

 

「あー。駄目だよ香取先輩。その人、スピードで勝とうとしたらまず無理だから」

 

 すると二人の戦いを見ていた緑川は香取にとって残酷な現実を突きつけた。

 決して香取の実力は低いわけではない。スコーピオンと拳銃を使い分けた彼女の機動戦は上位でも通用する程の実力者だ。

 ただ、相手が悪かった。

 

「普段、もっと速い相手と戦っているからね」

 

 ライが小さな笑みを浮かべてそう呟く。

 異常な反射神経を持つライは普段から緑川達とランク戦を繰り広げる事でさらに回避能力に磨きがかかっていた。並大抵の速さでは彼を攻略する事はできない。

 

「——ムカつく!」

 

 その言葉を挑発と受け取った香取は苛立ち、もう一度グラスホッパーで仕掛けていった。

 相手がどれだけ強かろうと、スコーピオンを使う香取は速さで翻弄し続けるしかない。スコーピオンを両手に展開し、再び斬りかかった。

 左右、斜め、あらゆる方向からの斬撃が繰り出される。7合、8合と切り結んでなおライの体に傷がつくことはない。刀の方向に弧月を置き、スコーピオンを受け止め弾き飛ばして、

 

「——ごめん」

「ッ!」

 

 弧月を香取の肩へと振り下ろした。

 咄嗟に香取が二つのスコーピオンで受け太刀を狙うも、弧月はそのスコーピオンを軽々と破壊し、香取の体を肩から斜めに斬り落とす。

 

「なっ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

「うそ、でしょ」

 

 ランク戦開始からまだ1分しか経っていなかった。香取は屈辱な無得点という状態で戦線離脱を余儀なくされる。

 香取が脱出を果たし、紅月隊に一点が記録された。

 

「先制点は紅月隊! 紅月隊長がエース対決を制しての得点!」

「これであいつ三試合連続で先制点だな。やっぱり強ぇ」

 

 相手部隊のエース、しかも隊長を撃破。ランク戦は始まりから大きな分岐点を通過する。早速の速攻に観客席から歓声が湧いた。

 特に相手が香取であるというのも大きい。彼女は香取隊の貴重な得点源だ。彼女を失った事で戦況は大きく変化する。

 

(てか、ライって普通に女を斬れたのかよ。那須隊相手に全く弧月を使わねえから駄目だと勘違いしてたわ)

 

 また、米屋に至っては先のランク戦からライが女性から得点を取れないと思っていた為に余計に大きな誤算であった。

 

『ライ先輩。上では3人部隊が一人を襲っているようです。おそらく柿崎隊かと』

「了解。相手は荒船だろうね。とにかく狙撃を警戒しつつ、僕も上に行くよ」

『はい!』

 

 先制点を挙げた勢いを無駄にする手はない。

 さらにこの試合で得点を挙げようとライは階段を駆け上がっていった。

 

 

————

 

 

「大丈夫、玲?」

「ええ。ありがとうくまちゃん」

 

 熊谷から心配そうに声をかけられ、那須は無事をアピールするようにそう返す。

 今日、那須隊は昼の部でランク戦を終えていた。その後那須が通院する病院にて診察があったために本部を後にしていたのだが、その日の治療を終えると彼女は熊谷と共に再びボーダー本部を訪れる。

 

「ごめんね。我儘言っちゃって」

「いいよ。でも珍しいね。玲が直接試合を見たいだなんて」

「うん。一応これでも私は師匠だし気になったんだ」

 

 目的は彼女が変化弾(バイパー)などを仕込んだライの試合を観戦する事だった。

 同じ中位グループの戦い、しかも先日那須が発破をかけた直後の戦いとなれば気にもなる。前の戦いで那須隊に対してライが見せていた考えを払拭できているのか、それを確かめたかった。

 

「まああの人の戦いは見てて驚かされるから私も見たかったのは確かだよ。さて、試合はどうなってるのかな?」

 

 熊谷とてランク戦の様相は興味がある。

 今日は果たしてどのような戦況が繰り広げられているのだろうかと、熊谷は期待をもって観客席の扉を開けた。

 

「——おっ」

「もう終盤だね」

 

 眼前の巨大なスクリーンには最後に残った二人の隊員の姿が映し出されている。ポイントも各隊にそれぞれ分散されており、試合は最終局面を迎えていた。




初期転送位置
            半崎
     三浦
             若村
                 巴
 穂刈               
     柿崎     
             荒船
   照屋 
         香取
                ライ


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隊長

「ん? 那須さんじゃないか」

「お疲れ様」

「おーっ。お疲れ様」

「嵐山さん達。上位グループの方を見ていたんですか?」

「お疲れ様です」

 

 すると彼女たちが入って来た入り口とは別の入り口、隣の部屋から嵐山に時枝、佐鳥と嵐山隊の面々が歩み寄る。

 

「ああ。上位グループの方は綾辻が実況していたんだ。それが終わって、まだこっちがやっているようだったから柿崎がどうなっているのか気になってね」

「そうだったんですね」

 

 隣の部屋、上位グループの実況は綾辻が担当していた。彼女は嵐山隊のオペレーター。共に観戦したいと思っても不思議ではない。

 そして今こちらの部屋で戦っている柿崎はかつて嵐山隊の隊員であった。こちらにもやはり関心が強い。

 

「ただ、驚いたな。まさかその柿崎が最後まで残って一対一をしているとは思わなかった」

「……ええ。そうですね」

 

 そう言って嵐山は視線をスクリーンに向けた。

 彼につられて那須や時枝たちも席について静かにランク戦の行方を見守る。

 このランク戦の最後の戦いは、柿崎対ライ。二部隊の隊長の一騎打ちの様相を呈していた。

 

「柿崎隊長が紅月隊長を追う! 銃手(ガンナー)射手(シューター)の戦い、最後はどうなるのか――おっと。どうやら少しずつ新たな観客も増えたみたい。終盤だけどここまでの流れをおさらいしていきまーす」

 

 最後の二人という事で国近の声にも熱が篭っている。

 実況の中、嵐山や那須の出現に気づいた彼女は試合の流れ、得点の動向がわかるように要点を抽出して語り始めた。

 

「今回荒船隊が選んだ『市街地C』! やはり高台を押さえたい荒船隊は最も近かった半崎隊員が押さえにむかいましたが、そこを若村・三浦隊員に捕まりました。その為得意の狙撃戦は穂刈隊員に託し、開始直後は南でぶつかった香取隊長と紅月隊長、中央で合流を果たした柿崎隊と荒船隊の戦いとなりました」

 

 序盤は半崎が封じられたこともあり、それぞれ近い位置に転送された隊員達の争いに。ここまではまだ試合の流れはわからないものだった。

 

「すると南では紅月隊長が香取隊長との戦いに勝利。その勢いに乗って荒船隊長と柿崎隊の戦いに割って入ります」

「この時のライの出現は荒船隊にとって嫌だっただろうな。前の戦いで散々狙撃手(スナイパー)の攻撃をよけきったやつが出現したんだからよ」

「もし荒船隊長がやられちゃったら、荒船隊は紅月隊長に打つ手がほとんどなかったもんね。だから本当にやばかった」

「と思うじゃん? だけどこっから一気に動いたんだよ」

 

ただでさえ3対1。穂刈の支援でしのいでいたというのに新たに全ての距離で戦えるエースの出現は厳しいものである。荒船は最大のピンチとなったが、ここでランク戦は大きな分岐点を迎えた。

 

「なんとここで半崎隊員の狙撃が炸裂。紅月隊長が変化弾(バイパー)を二部隊へ向けて放ち、防戦一方になった瞬間を見逃しませんでした。柿崎隊長を狙ってのものでしたが、照屋隊員が庇って大ダメージを負ってしまい二人目の緊急脱出(ベイルアウト)。その後位置が割れた半崎隊員も三浦・若村両隊員に攻められて緊急脱出(ベイルアウト)となりました」

「あのまま潜伏しても厳しいと判断したんだろうな。自分がやられてでも一点とるって覚悟が強かった」

「しかも一発で仕留めたんだからすごいよね。タイミングばっちりだったよ」

 

 敵が迫っていたにも関わらず、半崎が狙撃を敢行したのである。この一撃で照屋が脱落し、撃った半崎も香取隊に見つかってしまい脱出となった。これで荒船隊、香取隊、柿崎隊がそれぞれ一人ずつ駒を失う。

 

「ただ、照屋隊員もただでは終わらない。脱出の間際に放ったハウンドが荒船隊長を横撃するとこれによって防御が崩れた。柿崎隊長、巴隊員、紅月隊長の射撃に削られて緊急脱出(ベイルアウト)。得点は柿崎隊に記録されます」

「盾に援護にと大活躍だったよな。あれがなかったらまだ荒船さんもやれたと思うし大きな流れだった」

 

 さらにその後、照屋の間際の一撃が功を奏し、荒船隊は隊長まで離脱した。非常に大きな痛手であったといえる。

 

「そしてこの後は残った柿崎隊と紅月隊長の中距離戦が始まりました。半崎隊員を撃破した若村隊員・三浦隊員がバッグワームを展開して姿を消し、いつ・誰を狙うのかと注目が集まる中、二人は紅月隊長への奇襲を選択」

「てっきり狙撃手(スナイパー)を取りに行くかとも思ったからこれはビックリした」

「荒船隊長も脱出しちゃって、この先穂刈先輩が狙撃するかわからなかったからだろうね。潜伏された状態じゃ見つけるの難しいし」

 

 隊員が減ってきた頃合い、香取隊が勝負に出た。三浦、若村の両名が紅月隊への奇襲を仕掛けたのである。狙撃手(スナイパー)もいたとはいえ、姿を見せる可能性が低い相手を探すのは困難だと考えたのだろう。

 

「これを紅月隊長は弧月とエスクードでガード。三すくみの状態になると思われましたが、穂刈隊員がこのタイミングを見逃さなかった。体勢を立て直そうとした若村隊員を撃ちぬきます」

 

 するとその局面を破ったのは穂刈であった。荒船隊唯一の生き残りとなった彼が若村を撃ち、戦場を動かした。

 

「撃つならライにかとも思ったんだけどな。香取隊、柿崎隊の狙いがライに向かっていたから合わせても良い場面ではあった」

「獲れる点を獲りに行ったよね。注目が紅月先輩に集まってたから注意力が散漫だった。やっぱり普段から狙撃訓練で当てるのは厳しいってわかってたんじゃない? で、次は紅月先輩がエスクードで敵を分断すると三浦先輩も撃破。すぐにエスクードジャンプで穂刈先輩を獲りに行ったと」

「しかしこれを見た穂刈隊員は自主的に緊急脱出(ベイルアウト)。香取隊、荒船隊が連続で全滅となりました」

「まあ前回ライが滅茶苦茶な方法で狙撃回避してたからな。逃げるのも仕方ねえ」

 

 戦力が抜ければそこを狙われる。若村も脱落すると、穂刈は接近される前に脱出を果たした。

 前回那須隊の日浦がやっていた事でもある。あるいは今後も狙撃手(スナイパー)は自主的に脱出する隊員が増えるかもなと米屋は内心で呟いた。

 

「これで残ったのは巴隊員、柿崎隊長、紅月隊長の3人。紅月隊長は階段を駆け上がり高所を取ると、狙撃から逃れるべく建物の陰に隠れた柿崎隊へ変化弾(バイパー)を連発」

「えげつねえよな」

「狙撃に障害物が邪魔なら変化弾(バイパー)っていやすぎる。自在に動かすから障害物関係ないんだもん」

「あいつらの初戦だった第一戦でも使ってたマップだ。かなり研究してたんだろうぜ。オペレーターの支援も的確だったと思う」

 

 残る隊員が絞られると、ライは高所の優位を獲得し、変化弾(バイパー)で柿崎隊を追い詰める。射程武器にとって弊害となる障害物などお構いなしの射撃に柿崎隊はピンチに陥った。

 

「これ以上はまずいと柿崎隊も高台を目指します。しかしその途中で罠があった。紅月隊長の変化弾(バイパー)の一発が仕掛けてあった炸裂弾(メテオラ)を直撃。大爆発が起き、これにより巴隊員も脱出」

「登りながら置き玉しかけていたんだよな。柿崎隊は高所の有利が狙撃や射撃によるものだと思っていたから対応できなかった。場を動かして罠のところまで誘き寄せるためだったとはな」

 

 窮地を変えようとした場面を狙われ、ついに柿崎隊ものこるは柿崎のみとなる。柿崎隊にとって厳しい現状となってしまった。

 

「しかし何とか柿崎隊長も高台へたどり着いた。アサルトライフルで仕掛けると、紅月隊長は東へ退がりつつ、射撃トリガーで応戦」

「柿崎さんとライだと中距離の射程はだいたい同じ。だがトリオン量はライの方が上だ。撃ち合いにはなっているが変化弾(バイパー)の軌道に対応し続けるのは威力の事もあって中々厳しいだろうな」

「一対一だとね。せめてあと一人いれば変わってただろうけど」

 

 辛うじて高台へとたどり着いた柿崎とライの射撃戦。柿崎のアサルトライフル、ライの変化弾(バイパー)。柿崎は弾幕を張り続けるも攻め切る事は出来ない。

 今一度ライの右手より放たれた変化弾が前後左右あらゆる角度から柿崎へと襲い掛かった。

 

「うおおおお!」

 

 柿崎が分割シールドを展開。肩や腹に何発か弾が命中するがそんなの関係ない。致命傷にさえならなければ。

 

(負けられねえ!)

 

 なおも柿崎は突撃を続けた。このまま鳥籠を対処し続けるのは難しい。元々のトリオン量がライの方が多い上に柿崎は被弾していた。持久戦は柿崎にとって不利。なんとか近づいて一撃入れる事さえできれば。

 

(絶対に決めてやる!)

 

 一対一の勝負が厳しいという事はわかっていた。

 だが柿崎にも隊長としての意地がある。

 照屋も巴も柿崎を庇って脱落した。柿崎には隊長として彼らの思いに答える責任がある。

 何としても勝ちたかった。柿崎は弾幕の嵐の中を駆け抜けていく。

 

(近距離戦闘で一撃を決めるつもりか)

 

 その気迫には目を見張るものがあった。だが、ライとて負けられない。部隊を率いているのは彼も同じなのだから。

 

「柿崎さん。悪いですが、もらいます」

 

 ライはもう一度右手にキューブを展開すると弾が分割し、あらゆる方向へと跳んでいった。

 

(また鳥籠か!)

 

 相手に多角的な射撃で一気に襲い掛かる得意技だ。シールドを張る位置を少しでも間違えれば被弾は間違いない高度な技。ギリギリまでそのルートを見極めようと柿崎がその弾をじっと見つめて——

 

炸裂弾(メテオラ)

「ッ!?」

 

 柿崎が鳥籠を警戒して射撃ルートを警戒する中、ライの左手に展開されたキューブが撃ち出される。今までの弾とはくらべものにならない、弾速に特化した炸裂弾(メテオラ)。かろうじて柿崎はシールドを張る事に成功するも、爆発により視界が奪われてしまった。

 

(煙幕か! マズイ!)

 

 これでは射撃を防ぐ事は難しい。柿崎は大きく後退した。

 すると、先ほどライが撃ち出した変化弾(バイパー)は突如一体となって柿崎に横から襲い掛かる。

 

「なにっ!!?」

 

 突然の軌道変化に柿崎の目が見開いた。この技には見覚えがある。Round2で那須が見せていたものだ。 

 

(鳥籠じゃねえ! 一点集中攻撃だ!)

 

 咄嗟に柿崎は両方のシールドを集中的に展開。間一髪シールドが間に合い、柿崎は事なきをえた。

 

(危なかった。こいつ、本当に戦い慣れしてやがる)

 

 もう少し反応が遅れていたならば、煙幕に捉われていたならばきっと被弾していただろう。柿崎は胸をなでおろす。

 

「うっ!?」

 

 その柿崎の体を、一発の弾が撃ちぬいた。

 

「なん、だと……!?」

 

 どういう事だ。もう一度射撃トリガーを起動したにしても早すぎる。

 

「防いだのは見事です。ですがこの勝負、僕の勝ちです」

 

 柿崎は最後まで何が起こったのか理解する事が叶わず、今度こそライの放った鳥籠に飲み込まれていった。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 柿崎のトリオン体が崩壊。

 最後の生き残りであった柿崎も脱出し、ランク戦は終わりを迎えた。



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到達

『柿崎隊長が緊急脱出(ベイルアウト)! ここで試合終了! 生き残った紅月隊には生存点の二点が加わります。最終スコアは6対2対1対1。紅月隊の勝利です!』

 

部隊得点生存点合計
紅月隊426
荒船隊2 2
香取隊1 1
柿崎隊1 1

 

 終わってみれば生存点を含めて一人で6得点。しかも隊長二人を仕留める戦果を挙げた。紅月隊の大勝利である。

 

「うおー。6得点はデケえ!」

「さすが。市街地Cで狙撃無しで大量得点だよ」

「残念だったなー、柿崎」

「凄い……」

 

 これには解説、観客席問わず感嘆の声が上がった。生存点も含めて6点。滅多に上げられない得点である。

 

「よしっ。勝ったね!」

「ええ。中位グループでの勝利は大きいです」

「ああ。瑠花もよくサポートしてくれた」

 

 勝利したライも作戦室へ戻り、オペレーターの瑠花と喜びを分かち合った。二戦目では敗れたが、その敗戦を十分補って余りある得点だ。

 

「……マジか」

「今回は相手が上でしたね」

「でも柿崎隊長も良い動きでしたよ」

 

 柿崎隊作戦室では柿崎が驚きと悔しさが入り混じった複雑な表情を浮かべていた。最後まで残っていた分より悔しい。とにかく解説を聞いて次に活かそうと皆意識を切り替える。

 

「2点か。まあ最低限っすよね」

「悪いな。今回はお前達に助けられてばかりだった」

「仕方ねえよ。柿崎隊が全員揃っていたからな」

 

 一方の荒船隊は得意のマップで2得点にとどまった事を反省していた。特に荒船は柿崎隊に押し切られた事が口惜しい。転送位置は良くも悪くもなかった。次こそはやり返そうと前を向く。

 

「何なのあいつ! あんなの知らないし!」

「だから記録(ログ)見ておけっていっただろ!」

「うるさい! そんなの命令される筋合いない!」

「まあまあ落ち着いて」

「……葉子。せめて解説が終わるまでおとなしくして」

 

 対して香取隊は香取が苛立ちを隠すことなく、不満を周囲に発散しているため大荒れの状態であった。何とかオペレーターの染井の指示に従って香取が静かになるも、彼女の性格はそう簡単には直らないだろうなと染井はため息を吐く。

 

「さて、今回の試合はどうだったかね? 解説のお二人?」

「紅月隊、荒船隊、柿崎隊はそれぞれの強みがでて、香取隊がちょっと厳しかったなって試合ってところか」

「だねー。香取隊は隊長が落とされちゃったからなー。他の隊は荒船隊が狙撃、柿崎隊が連携、紅月隊長は近中距離にと強みが出てた分差が感じられた」

 

 国近から話を振られ、米屋と緑川が各々の意見を述べた。Round3はほとんどの隊の特色が活きた試合である。ただ香取隊は香取の得点力がうりのチームであるため、そこだけはいつもと異なる展開となったと。

 

「ただ香取隊はその分若村・三浦の二人が頑張ってた。あいつらが盤面押さえていたから序盤の荒船隊が中々動けなかったし、狙撃手がいない部隊では十分すぎるものだったんじゃねーの」

「荒船隊も狙撃手(スナイパー)の思い切りの良さが光ったね。二人とも不意をついた一発だったよ」

「で、柿崎隊がもう少しだったな。早い段階でいつもの3人揃うパターンができてたし、ラストの局面も巴が生き残ってたらもう少し粘れたはずだ」

 

 負けた3部隊とも序盤から流れを掴むべく積極的に動いていた。4つ巴という普段よりも隊が多い中でここまで立ち振る舞えたなら十分だろうと負けた3部隊に米屋と緑川は及第点を下す。

 

「そういえば最後の紅月隊長のあれ、わかった? なんか一点集中攻撃のあとの一発で柿崎隊長を撃ってたけど、新しく変化弾(バイパー)を起動したわけじゃないんだよね?」

 

 大方の解説を告げ、国近は皆が抱いていたであろう疑問を二人に投げかけた。

 ライと柿崎の一対一の場面。ライはメテオラで視界を封じ、柿崎がよける事も考えた上で真横からの一点集中という攻撃を仕掛けた。これは柿崎も対応したが、その後の一発の弾に沈む。だが新たにトリガーを起動するには早すぎるのでは、という意見に米屋が口を開いた。

 

「多分だけど最初の変化弾(バイパー)の設定を一部だけ別にしたんじゃねえかな。他の弾を先に柿崎さんにぶつける一点集中攻撃とした。で、これが本命だと思わせて柿崎さんのフルガードを誘発する。その後に遅れて発射した弾が煙幕を真っすぐ突き破ってがら空きの柿崎さんにぶつけるっていう。一部だけなら威力もさほど変わらねえし、逆に少しの弾でもトリオン体に損傷与えるには十分だ。見えねえから気づけなかったんだと思うぜ」

「あーなるほど。Round2で那須隊がやってた事を一人時間差攻撃で再現してたんだ」

 

 米屋の説明に納得して緑川が何度も頷く。

 ずっと鳥籠を続けた事で敵にそれを意識させ、そして煙幕の横から現れた新技が本命だと思わせた。そしてガードがなくなった相手へ煙幕の中から遅れて発射された弾が時間差で貫通する。

 鳥籠からの一点集中攻撃に煙幕からの奇襲。どちらも那須隊がRound2でやっていた事だ。あの敗戦からライもしっかり学び、吸収していたのだ。

 

「私達、敵に塩を送っちゃったかな?」

「かもしれないわね。紅月先輩……」

 

 勝とうとした戦術であったとはいえ、敵に強くなる機会を与えてしまっただろうかと熊谷が呟くと、那須は苦笑して同意を示す。

 

(香取隊長を落として、さらに私達の技をすぐに取り入れての大量得点。私が考えている以上の存在なのかも)

 

 心配は杞憂に終わった。それどころか予想以上の強さを見せつけられ、那須は自分が教えた相手が想定よりもはるかに強い隊員なのではないかと一抹の疑問を覚えた。

 

「やっぱり陽介達にはすぐにバレるか」

「ライ先輩といつもランク戦をしているからではないですか?」

「それをふまえても即座に答えを出せる観察眼は素晴らしいよ。後は、その頭の回転をもう少し勉強とかにも活かしてくれたらな……」

 

 ライが珍しく口を尖らせた発言に、瑠花は短く「そうですね」と頷くにとどまる。

 

「さて、そんなわけで今日のランク戦は全部終了でーす。暫定の順位が更新されて——おー。今日の勝利で紅月隊は8位から5位へと上昇! A級予備軍と言われるB級上位グループ入りでーす」

「おっ。ライのやつもう来やがった」

「三戦目で上位グループ入り!? 嘘。早っ!」

 

 この試合で今日全ての試合は終了となった。6得点という成果は紅月隊に大きなものであり、紅月隊はB級上位グループ入りを果たす。

 

「やりましたね!」

「ああ。まずは目標の一つをクリア。ここからだ」

 

 A級にも匹敵する部隊たちとの凌ぎ合いとなればさらなる激戦が繰り広げられるということは想像に難くなかった。だが元々より高い位置を目指している。次からが本番であると彼らの士気は高まった。

 

「そしてそしてー。ついでに紅月隊にはもう一つおめでたい事がありまーす」

「ん? 何?」

「もう一つ?」

 

 だがよい知らせはそれだけではない。国近が緩い語り方のまま話を付け加えた。

 

「おめでたい事?」

「なんでしょう?」

 

 しかし突然言われても米屋や緑川は勿論、当事者である紅月隊でさえなんのことなのか見当がつかない。互いに顔を見合わせて首をかしげるのだった。

 

「今日のランク戦のポイント変動で、紅月隊長の変化弾(バイパー)個人(ソロ)ポイントが6000点を突破した模様! これで晴れて正式に万能手(オールラウンダー)の仲間入りでーす! おめでとー!」

「あー。なるほど。そっちか!」

「今まで紅月先輩は攻撃手(アタッカー)詐欺してたもんね」

「あいつ攻撃手(アタッカー)のくせに射程持ちだったからなあ……」

 

 わからないのも無理もない。国近のおめでたい事とはライが万能手(オールラウンダー)の条件を満たしたという事だった。

 万能手(オールラウンダー)とは攻撃手(アタッカー)および射手(シューター)トリガーか銃手(ガンナー)トリガーの両方で6000ポイントを超えた者のポジションの事。部隊ランク戦でも成績によって武器のポイントが増減する。そして今日の戦いで変化弾(バイパー)の得点が基準を超えたのだ。

 

「——知らなかった」

「あ、本当だ。確かに変化弾(バイパー)が柿崎隊長を撃破したポイントで6000を超えています」

 

 言われて瑠花が確認すると、確かに個人ポイントが更新されている。これでライは攻撃手(アタッカー)から万能手(オールラウンダー)に、名実共にあらゆるポジションで戦う万能の隊員であるという称号を得たのだ。

 

「なるほど。国近もよく見てるな」

「……国近先輩とは親しいんですか?」

「ああ、親しいというか同じ年代だし——」

 

 国近を珍しく呼び捨てで呼ぶ事に瑠花が気づいて食いつく。その点についてライが説明しようとすると、それより早く解説席からの声が重なった。

 

「改めておめでとー! 後でお祝いするからまた勉強教えてねー! 多分太刀川さんもお世話になると思うからー」

「ちゃっかりこの場で会話を済ませてるし!」

「えっ。なんだ。国近先輩も紅月先輩から勉強を教わってるの?」

「そーだよー。紅月隊長とうちの隊は太刀川さんとわたしが教わってるし、出水君が先週くらいから訓練室で延々と射撃対決とかしてるし仲良いよー」

「後半のそれは何っすか?」

 

 だが確かに言われてみればライも弾馬鹿の一種なのか。米屋は自分も勉強を教わっている身にも関わらず、勝手に納得する。

 

「——まあそういう訳なんだ」

 

 国近の言葉を肯定するよう、ライが瑠花に振り返って頷いた。

 

「なるほど。ライ先輩って人脈広いんですね」

「もしも良ければ今度瑠花も教えようか? 学校の教科書やノートを持ってくれば教えるよ?」

「良いんですか? いやでも、お忙しい中こんな事を頼むのは……」

「A級の人だって言ってくるくらいだから大丈夫だよ」

「それなら嬉しいです。ではもしライ先輩がよろしければ」

「決まりだね」

 

 最初は抵抗を覚えた瑠花であったが、せっかくの好意を無碍にするのも気が引ける。

 ならば時間がある時にわからないところがあればという条件付きで二人は約束を交わすのだった。

 

「では、以上をもってB級ランク戦Round3夜の部を終わります。皆さんお疲れさまー。米屋君、緑川君も解説ありがとー」

『ありがとうございました』

 

 こうしてRound3も終わりを迎える。

 国近の挨拶をもってその場は解散となった。

 

「改めて上位グループ入り、そして万能手(オールラウンダー)到達。やりましたね」

「ああ。本当の勝負はこれからだ。次からも点を獲りに行く。支援、よろしくね」

「はい!」

 

 作戦室でもライと瑠花が今一度奮起を誓う。

 そして彼の言葉通り、ここから紅月隊の躍進はさらに続いて行くのだった。

 

 

 

 

「そういえば、意外とライ先輩が大丈夫だったのでびっくりしました」

「大丈夫? 何の話だい?」

「いえ。那須隊との戦いの時に女性と戦う事に抵抗があるようだったので。今日はいきなり香取隊長と戦う事になったのに。ためらいもなくすぐに撃破していたじゃないですか」

「ああ。その事か。僕自身少し不思議だったんだけどね。何というか、違和感があったというか」

「違和感ですか?」

「そうなんだ。言葉にするのは難しいけど、何というか香取隊長を見て本物じゃない偽物を見たような違和感を感じたんだ」

「本物じゃないって何がですか?」

「僕もよくわからないんだよ。ただその違和感のせいで割り切る事が出来たんだ。言われてみれば確かにあれはなんだったんだろう?」

 

 答え:香取のサイドエフェクト。トリオン体の時のみバストサイズがアップする。

 文字通り副作用となってしまったサイドエフェクト。しかしこれがライには良い方向へと作用し、ここからライの抵抗はなくなり、本当に対等の戦いがはじまってゆくのだった。

 

 

 

 紅月塾受講者(勉強)

 太刀川(月額制)

 米屋(月額制)

 当真(月額制)

 緑川(無料)

 国近(無料)

 黒江(無料)

 瑠花(予定・無料)



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覚悟

 2月も終わりを迎え、3月へと移り替わったばかりの頃。

 ボーダー隊員にとっては先月より始まったランク戦も中盤戦を迎えて落ち着きを取り戻しつつ、次の戦いに向けて励んでいる最中だ。

 そして同時に彼ら彼女らは大きな山場を間近に控える時期でもあった。

 ボーダー隊員は若い隊員が多い。ほとんどすべての者が学生と言っても差し支えない程中学生や高校生が割合を占めているのだ。

 すなわち——。

 

「あー! 全然進まないー!」

「結花ちゃーん! もー無理だよー! 助けて—!」

 

 別役や国近の悲鳴がボーダー本部に木霊する。学生の本分である学業において忙しい時期でもあったのだ。

 

 

————

 

 

 事の発端は鈴鳴支部。

 高校受験を目前に控える太一の指導に来馬がつきっきりになる中、学校へ登校していた今から一本の電話が入った。彼女の話によるとクラスメイトである国近が宿題や学年末テストの勉強が全く進まないため、助けを求められているという事。

 彼女たちも本職はあくまでも勉学に励む高校生だ。逃れられない危機を前に、国近は成績優秀である今に助力を求めた。

 そしてこの話を聞いて村上も危機感を抱く。実は彼の学年には他にも成績があまり振るわない生徒がいたのであった。すぐさま確認したところ——精鋭部隊、A級に所属する冬島隊の当真、そして影浦隊隊長である影浦が案の定宿題は終わらず、勉強も進まない。このままでは進級も危うい可能性もあるという状況だった。

 

(俺達だけでは対処しきれない!)

 

 これはまずいと村上は本部内で学力に長けた知人、荒船とライに助けを要請する。二人は二つ返事で了承したのだが、偶然話を聞いていた太刀川・米屋も『助けてくれ』と話に加わり、さらに太刀川を探していた風間も参戦して——

 

「……これは。凄い顔ぶれだな。君たち」

 

 偶然ラウンジを通りかかった嵐山が三つのテーブルを占領している隊員達の姿を見て苦笑する。臨時で開かれた勉強会には十人を超す隊員が集結していたのだ。驚くのも無理がない話である。

 

「嵐山か。騒がしく感じたのなら悪い」

「ああいえ。大丈夫ですよ風間さん。皆で勉強会ですか?」

「そんなところだ。もっともそれぞれの内容は宿題に試験勉強、レポート作成など内容は様々だ」

 

 大きくため息をつく風間に嵐山は一言「お疲れ様です」と苦労をねぎらった。

 司令直属という立場上、ただでさえ心労がたまりやすそうなのに今日は共にいる面々も多いだけに余計に苦労が増えているように見える。

 

「俺も手伝えればいいんですが……」

「気持ちだけで十分だ。お前達は広報役で常日ごろから忙しいだろう。そっちを優先してくれれば大丈夫だ」

「——ええ。わかりました。では風間さん達も無理はしないように気を付けて」

「ああ」

 

 最後、嵐山は申し訳なさそうに小さく頭を下げてその場を去った。

 相変わらずだなと風間が小さな声で呟く。きっと仕事がなければ本当に手伝っていた事だろう。

 

「お前達にも見習ってほしいくらいだ」

「そんな事言ってないで助けてくれ風間さん!」

「風間さーん。こっちも教えてもらって良いですか?」

「——太刀川は少し自分で進めていろ。どこだ、米屋」

「そんな!」

「こっちっす!」

 

 対照的に情けない頼み事をしてくる太刀川、米屋をいつもよりも冷めた目で見た。

 普段の頼もしい戦いぶりが嘘のような姿である。

 今一度風間は場全体を眺め、軽く頭をおさえたあと指導に戻るのだった。

 

(まったく。ここまで多いとなると考えものだな)

 

 この場に集結した隊員は合計12人。

 教える側は総司令に風間を据え、補佐にライ。さらに荒船、来馬、今、村上達優等生が教師役を務める。といっても荒船達も同じ学生だ。当然各々の勉強もある。その為常に指導役として付いているのは風間とライ、来馬の三人だ。さらに来馬は基本的に太一を集中的に教えているので実質二人である。

 対する生徒側は太一を筆頭に、国近、当真、影浦、太刀川、米屋の六人が揃っていた。ボーダー戦力としてみれば十分すぎる面子である。だがこの場に関しては非常に残念な成績組という仕切りで分けられていた。

 

「別に宿題くらいやらなくてもいいじゃねーか」

「そんな事言っていたら進級が危ないんだから進めてくれ!」

「へいへい」

 

 両手を組んで不満を口にする当真をライが諌め。

 

「チッ。おい紅月、これどうやって考えんだ?」

「次はカゲか。どこがわからないんだ?」

「わかんねえ」

「——了解。それじゃあその前から考えて行こう」

 

 その隣、影浦が教える側にとって最も困る「何がわからないのかがわからない」という発言をするやライは基礎から教え始めてと。

 次から次へと押し寄せる質問をさばいていった。

 

「あー。なるほどな。面倒だがわかった」

「そうかい? ならよかった」

「お前本当に高校に行ってねえんだよな? なんでこんなに出来んだよ」

「やっぱり驚きですよね。俺も普段から教わっているからわかりますよ。何を聞いてもほとんど答えるからなー。さすがいつも教えているだけある!」

「なんで陽介が自信満々に言うんだ……?」

 

 理解できないというように影浦が首をかしげる。以前から教わってた米屋が同調して得意げに語るが決して誇れることではなかった。それならもう少し勉強も頑張ってくれと思うが、中々実を結ばない。

 

「いっそのことトリガーみてえな便利なもの作るくらいなら、無理やり知識を定着させるような技術とか開発してくれればいいのにな」

「んなの滅茶苦茶じゃねーか」

「…………」

 

 冗談交じりに当真が笑った。いくらなんでもそんな事は不可能だろうと影浦が切り捨てるが、実証済みであるライは口出しする事が出来ず視線を逸らす。さすがに冗談であっても会話に割って入る事は出来なかった。

 

「今回はライ君がいてくれたからまだ助かったわ」

「そうだな。おかげで俺達も少しは勉強に打ち込める」

「ねえ! この数式はどうやって解くの? 答え合わないよー!?」

「ハイハイ。見せて。ん。これはこっちの数字を代入して——」

 

 忙しくもしっかりと指導をこなしているライの姿を見て、近くの机で今と荒船が安堵する。二人も国近達に教えながらではあるが、同時進行で自分の勉強を行っていた。

 助けがあるおかげで前回より負担は軽い。これならば成績が下がる心配はなさそうだ。

 

(前は当真と国近だけでも大変だったから本当に助かったわ……)

 

 以前の事を思い返して今が苦笑いしつつシャーペンを動かした。

 どうして戦闘では戦局を見れるほど優秀なのに、こういう場面では頭の回転を活かしきれないのか。本当に謎であった。

 

「——あー。やばいな。このままじゃ終わらないかもしれないぞ」

 

 各自次々とペースを上げている中、太刀川が一人口ずさむ。『それを皆がやっているこの場で言うのか』と鋭い視線が向けられるが太刀川は何処吹く風という様子で頭の後ろで両手を組んだ。

 

「だから溜まる前に終わらせておくべきですと言ったでしょう」

「いやー。やっぱりやる気がないと進まないと思うんだよな。どうだ紅月。ちょっと気分転換にランク戦しないか?」

「……太刀川さん。数秒前の自分の発言をもうお忘れですか?」

 

 終わらない可能性があるのなら余計に他の事をしている暇などないでしょうとライが言外に告げる。

 

「馬鹿な事を言っているな太刀川。本当に終わらないようでは首になるぞ」

「アッハッハ。何を言っているんだよ風間さん」

 

 見かねた風間が鋭い視線を太刀川へ向けた。だが当の太刀川は危機感が足りないのか軽快に笑い飛ばす。

 

「俺が通っているのは大学だぞ? 会社じゃないんだからそんな事あるわけが」

「大学がじゃない。俺がお前を首にする」

「物理的!?」 

 

 そして続けられた風間の言葉で呆然とした。

 つまり『首になる』というよりも『首と胴体を切り離す』という事。衝撃で言葉が発せられない。これ以上の冗談は通用しないと瞬時に察した。

 風間は本気の目をしている。

 おそらくもしもレポートが未提出などになれば太刀川の首は胴体と引き離される事だろう。

 

「わかったか?」

「……はい」

「ならばやれ」

「はい」

 

 有無を言わさぬプレッシャーを受けてついに太刀川も折れた。これ以降、太刀川は余計な事を一切話さなくなる。

 

「凄いですね風間さん。太刀川君がここまでおとなしくなる姿初めて見ましたよ」

「蛇に睨まれた蛙みたいっすね!」

「太一!」

 

 見事な手腕に来馬が風間を讃えると別役が年上の者に対する者とは思えない台詞を発した。空気を読まぬ発言に村上がすぐに注意するが、風間は気にする素振りはなくむしろ首を横に振った。

 

「当然だ。これくらい言わなければ直らないものもある。紅月」

「はい?」

 

 すると影浦へ勉強を教えていたライを風間が呼ぶ。彼の視線が自分に向けられた事を確認して風間は話を続けた。

 

「もしもここから先、太刀川をはじめ隊員がおかしなことを口に出したならば容赦しなくて良い。徹底的に精神を追い詰める気で当たれ」

「えっ。いや、追い詰めるって」

「風間さん!?」

 

 物騒な発言が飛び出しライは勿論その場にいる者の表情が固まる。

 

「俺が許す」

 

 そんな雰囲気を一蹴するように風間が一言添えた。

 ——ヤバい。本気だ。

 ひょっとしたら太刀川だけでなく、万が一厳しい成績を取るような者が出れば厳しい処分を下されるかもしれない。皆の緊張が引き締まった。

 

 

「……まあ。そうならないように善処します」

 

 とはいえライはさすがにそこまで非情にはなりきれず、あいまいな返事をするにとどまる。

 

(飴と鞭みたいだな)

 

 二人の様子を見て荒船はそう考えたものの、口には出さずに胸中に思い留める事とした。

 

「ふむ。まあその辺りはお前の判断に任せるが、しかし太刀川には配慮は無用だぞ」

「あっ。それはわかっています」

「おい!? なにをわかっているんだ!?」

 

 ——前言撤回。どっちも鞭なのかもしれない。

 

 

————

 

 

 それから一週間後。

 無事に皆難関を突破する事に成功した。

 成績優秀組は語るまでもなく、太一の受験も成功し、太刀川のレポートも無事に終了。他の高校生たちも何とか課題を終わらせて進級にあたって問題ない成績を収める。

 何とか山場を乗り越えた事を記念して、その勉強会に参加していた面々のうち影浦・当真・荒船・ライ・村上・米屋の6人は影浦の実家であるお好み焼き屋『かげうら』で打ち上げを行っていた。

 温めて油を敷いた鉄板上にチーズやキャベツ、イカなど様々な具材を混ぜ合わせた生地を円状に流し込む。鉄板特有の油を弾く音が響き、香ばしい匂いが漂った。

 頃合いを見て形を整えた後、豚肉を生地の上に敷き、また数分焼いたら両手にヘラを持って——

 

「……よっと!」

 

 左右から挟み込んで一気にひっくり返す。ライの瞳にしっかり焼け目のついた生地が映し出された。

 

「おー。上手いじゃねーか」

 

 慣れた手つきに当真が自分のお好み焼きを整えながら称賛の声を上げる。ライも嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「これ、中々面白いね。初めて焼いてみたけど癖になりそうだ」

「えっ。ライ、お前お好み焼き食うの初めてかよ?」

 

 米屋の問いにライは大きく頷く。

 

「本部では基本的な食器セットしか売ってないからね。さすがに鉄板までは買ってなかったし、あまり外でご飯を食べる機会も少なかったから」

「そうかよ。ならたらふく食っとけ。うち自慢の一品だからよ」

「勿論」

 

 影浦は自分の家の品を自信満々に勧めた。事実、『かげうら』はボーダー本部にも常連がいるほど評判が高い。影浦の隣で何度も頷いている荒船もその一人だ。ライも料理をしているからか具材を見ていかによい食材を使っているのかは理解できた。だからこそ彼も二つ返事で頷く。

 そしてしゃべりながらも鉄板から目は離さない。焼け具合を確認し、もう一度ひっくり返した。仕上げに専用ソース、マヨネーズ、かつおぶし、青のりを順番にかけていく。ソースの甘味が広がり、熱に煽られた鰹節のうねりと香ばしい風味が視覚や嗅覚に訴え、食欲を引き立てた。

 

「おお。凄い」

 

 焼き上がった事を確認し、ライは自分のお皿にお好み焼きを運ぶ。食べやすいように切り分けてまず一口と口の中にお好み焼きを頬張った。

 

「——うん。美味い」

「だろ?」

 

 頬を緩ませたライを見て影浦が調子よく笑う。

 

「カゲの家は俺らも頻繁に食べに来るからな。お前も今度時間があればどうだ?」

「そうだね。今はランク戦の最中だから難しいかもしれないけど、5月ならランク戦も終わるし休みもあるから。その時に都合が合えば瑠花も誘って来ようかな」

「それが良いだろうな」 

 

 ライの提案に村上も同調した。

 高校生組も4月の終わりから5月にかけては休みが取れる。また揃ってご飯を食べられる時があるかもしれない。

 

「おお。いつでも来いよ。そんでしっかり金を落としてけ」

「言い方ってもんがあんだろうが。——しかし驚いたな。カゲ、結構紅月の事気にいってんのか? 絡みねえと思っていたがよ」

「あー?」

 

 実家である影浦は勿論歓迎した。当真は発言の内容に苦笑し、同時にこれほど影浦が心を許す相手は珍しいと考えた。勉学を教えてもらっただけにしては随分と心を開いているように見える。

 

「別に。だが面白えからな、こいつは」

 

 影浦はライを指差してその疑問に答えた。

 

「俺の副作用(サイドエフェクト)は知ってるだろ? そのせいで戦うときとか余計な感情が突き刺さって面倒なんだが、こいつにはそれがねえんだ」

 

 影浦の副作用(サイドエフェクト)は感情受信体質。自分に向けられる他人の意識や感情を肌で感じ取れるという能力だ。この能力の為に日常生活では勿論、戦闘では特に相手の敵意のようなものが突き刺さる。

 だがそれがライと戦う場合はないのだと影浦は語った。

 

「たまたま個人(ソロ)ランク戦で戦った時があったんだ。最初見たときは軽そうなやつとも思ったが」

「えっ? カゲ? そんな風に思ってたの?」

「だが弧月を持った瞬間、こいつの雰囲気が変わりやがった」

 

 ライの愚痴を聞き流して影浦は話を続ける。

 

「まるで当然のように、ただ作業でもするかのように斬りかかってくんだ。感情の一切を消し去ってな。東のおっさんを思い出したぜ。だから斬り合いが面白えんだ。こんなの滅多に味わえねえ」

「なるほど。カゲとも戦っていたのか」

 

 確かにと村上がライを見て頷いた。

 戦闘技術が高いのは村上も知っているが、それ以上に戦闘慣れしているからか勝負の際に感情の浮き沈みがないのがライの特徴だと影浦は考えている。だからこそその分次の行動が読めず、影浦は純粋に勝負を楽しめていた。

 

「まあね。でもカゲには結局負け越してるよ?」

「そう簡単にやられるかよ! 勝つからこそ勝負は面白えんだろうが!」

「本心で言ってそうなのが怖いな……」

 

 僕には斬り合いを楽しむ余裕はないのだけれど、と付け加えてライはもう一口お好み焼きを咀嚼する。

 柔らかい食感と甘味が口いっぱいに広がった。やはり美味しい。荒船達が好きになるのも無理はないなと満足するのだった。

 

 

————

 

 

「そういやよー、ランク戦の方はどうなんだ? お前ら今回から出てんだろ?」

 

 食べている最中に影浦がボーダー内で話題になっていた事を思い出し、ライへ問いかける。影浦は普段から自分が参加していないランク戦には興味を示さなかった。その為具体的な順位などの詳細は一切知らない。

 人伝いで紅月隊が初参戦していることだけは知っていたのだが——

 

「心配なんて無駄だ。絶好調なんだよ」

「先月上位グループに上がってからはずっと上位で戦っているからな」

「マジかよ」

 

 答えたのは荒船と村上だった。二人とも敵として痛い目に遭っているのだろう。苦々しく荒船がライに肘打ちしているのを見て影浦は唖然とする。

 

「はじめたばっかりで上位かよ。A級も狙えるんじゃねーか?」

「カゲも見ればわかるぜ? 俺は解説とかでも見てるからわかるが、こいつ個人戦よりよっぽど面倒な存在だぞ」

「当真、言い方……」

 

 人聞きの悪い表現にライが文句を呈すると当真は軽く「悪い悪い」と謝罪した。勿論気持ちが篭っていないのは明白である。いずれにせよ当真をして「面倒」と表現させる隊員はそうそういなかった。それだけライを評価しているという事である。そして評価しているのは当真だけではなかった。

 

「紅月隊の何がヤバいって、こいつの生存能力の高さなんですよね。狙撃を当てられたの今のところ東さんだけだし、その東さんに次いでの生存率の高さを誇ってる。色んな距離で戦える上に、倒しても一点にしかならない。だからいっそ放置するかって考える部隊が現れてるぐらいっすよ」

 

 何度も一対一で戦っている米屋も当真に追従する。

 一人部隊とはいえ全ての距離に対応する万能手。しかも生存能力の高さが際立っていた。倒しにくい上に倒せても一点しか与えられないという非常に厄介な存在なのだ。

 

「おかげで今シーズンはロースコアに終わる試合が増えたしな」

「ああ。上位グループと中位グループの変動も多い」

 

 そして一人部隊なので味方が落とされる事もない事から失点も非常に少ないというのが特徴的だ。ライも上位グループが相手となって最近は得点数もそう多くなく、ランク戦の順位はほとんどが団子状態となっている。語っている荒船や村上の部隊も何度か上位と中位を行き来していた。

 

「なるほど。そりゃたしかに面倒だ」

「ま、僕自身A級に上がりたいと思っているからね」

 

 そう発言するライには自信が満ちている。必ずやこのシーズンでA級に上がってやろうという彼の気概が感じられた。

 

「なんだ。お前もA級目指してんのか。なんかやりたいことでもあるのか?」

 

 A級に上がれば固定性の給料をはじめ、トリガーを自在に改造できるなどの特権が与えられる。

 他の隊員とは一線を画した存在なのだ。当然誰もが目指すもの。ライもやはり思う所があるのかと影浦は面白半分でライに話題を投げた。

 

「もちろん頂を目指す、というのはあるよ。それに――」

「それに?」

 

 するとライは一つ間をおいて話を続けた。

 

「——僕自身、向こう側(・・・・)に行きたいという気持ちもある」

 

 そして発せられた言葉を耳にしてその場にいる全員の目が見開かれる。

 公共の場という事を配慮して表現を濁しているが、皆その意味を正しく理解した。

 ライも向こう側、近界(ネイバーフッド)への遠征を望んでいるのだと。

 

「……意外だな」

「確かに。正直、お前がそこまで興味を持っているとは知らなかった」

 

 荒船や村上は同じB級であり年も近いという事でライと会話を交わす事は他の隊員よりも多い。その彼らでさえライのこの考えは聞いた事がなかった。

 

「向こう側か。俺らは興味もねえが、なんかあるのかよ?」

 

 影浦が後髪をかきながら問いを重ねる。そもそも遠征自体が頻繁にあがる話題ではなかった。にも関わらずライが興味を抱く理由がわからない。

 

「特に何がしたい、というものはない。だけどこちら側が守ってばかりではただ消耗するだけだろう」

 

 そう言うとライは一度瞳を閉ざした。

 ライは数々の防衛任務などの際に刻んだ記憶——放棄された都市の残骸、記録に残された犠牲者の数々を思い出す。

 彼が前にいた世界と何も変わらない犠牲の痕跡。

 それが今も繰り返されていると考えると居ても立ってもいられなかった。

 

「だからこちら側も攻めるべきだと考えた。そしてその時、力になりたいって」

 

 再び開かれた彼の目は冷たい。

 攻めるべきだと優しい表現をしているが、その言葉には様々な裏が潜んでいるという事は容易に想像できた。

 ライには覚悟がある。大切な近しい者を守る為ならば、非情にもなれる強さが。

 その意気込みが伝わり、「これは動かねえな」と当真が息を吐いた。

 

「……お前がそこまで考えていたとはな」

「俺らでさえ遠征は行った事ねえからなあ。かなり大変だぜ? まずはそもそもA級に上がらねえと話になんねえよ?」

 

 米屋があえてライの闘志を煽るような口ぶりでそう言った。

 彼の所属する三輪隊でさえ遠征に行った経験がない。A級の中でもさらに限られた存在だけが遠征部隊に選出されるのだ。

 その道のりは果てしなく遠い。そう米屋に伝えられるが、ライは得意げに笑った。

 

「望むところだよ。だから——この(シーズン)でも当然譲るつもりはないからね」

 

 そして今一度同じくB級ランク戦に挑んでいるライバル達に、村上と荒船へ宣戦布告する。

 

「……ああ。俺達も同じ気持ちだ」

「首を洗って待ってろよ。次は負けねえ」

 

 負けられない気持ちは皆同じであった。

 二人もライにつられて不敵に笑う。三人の間で火花が散った。

 こうしてそれぞれが英気を養い、闘志をたぎらせて打ち上げはお開きとなる。

 そして舞台は再びランク戦へと移っていくのだった。



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処分

 ——いける。

 黒髪のツーブロックリーゼントに眼鏡といういかにもヤンキー風の外見をした男、弓場隊の隊長である弓場拓磨は拳銃を手に市街地を駆けていく。

 銃手(ガンナー)隊員には珍しい短い射程ながら威力と速さに特化した彼の拳銃は一対一でも勝利を獲りに行ける程の強さを持っていた。現にこの試合でも弓場は単独で笹森を一方的に撃破し、ランク戦最終局面まで無傷の状態で生き残っている。

 その弓場が狙いに定めたのは、残っている二名の敵。それぞれの部隊の隊長だ。敵同士が争っているところに割って入ろうと地面を蹴った。

 

『おい弓場ぁ! 向こうも決着ついたみてえだぞ。誰か一人落ちやがった!』

「ああ。俺からも見えた」

 

 オペレーターである藤丸の荒っぽい報告が耳に響く。

 空に残った軌跡は緊急脱出(ベイルアウト)の痕跡だ。すなわち獲物のどちらか片方が消えたという事。勝った相手の姿はここからでは窺えないが、弓場はその勝者が誰なのか、最後の敵は誰なのか既に見当をつけている。

 

「問題ねえ。これで完全にタイマンだ。きっちりケリをつけてやろうじゃねえか!」

 

 そう言って弓場は笑った。

 予想通りの相手ならば楽にはいかないだろう。だがだからこそ燃えるものもある。

 

『——南西、来ます! ライ先輩!』

「弓場さんか!」

「決めるぜ、紅月ィ!」

 

 予想通り。

 弓場の視界に最後の敵、ライの姿が映った。相手もレーダーで気づいたのだろうが、先ほどまで諏訪の相手をしていた為に弓場に背中を向けている。先んじて攻撃を放つのは弓場の方だ。

 

『距離、20メートル!』

 

 弓場が両手の拳銃をライに向けるのと瑠花の警告はほとんど同時だった。

 二丁の拳銃が火を噴く。

 シールド程度の耐久力ならば容易に吹き飛ばす威力を誇る銃弾がライへと向かった。

 

「エスクード」

 

 対してライは足でエスクードを起動。自分の右斜め前へと大盾を作ると右に跳躍する。

 弓場の銃弾がライの左手首を吹き飛ばすものの、残りの弾はエスクードによって阻まれてしまった。

 

「チッ!」

 

 負傷はさせたものの満足できる結果ではない。弓場は短く舌を鳴らした。

 

(エスクード。足で起動しやがったか! しかも起動時間を考えて避けた先に出しやがった!)

 

 銃弾はエスクードを撃ち破りこそしたものの逆に言えばそこまでだ。貫通まではいたっていなかった。弓場の火力でもさすがにエスクードを貫通する事は出来ない。それを読んで逃げ場を確保したのだろう。咄嗟の判断で弓場の早撃ちを相手に回避行動を間に合わせるライの副作用(サイドエフェクト)。やはり弓場にとっては非常に脅威となる存在であった。

 

「だが逃がさねえ!」

 

 このままではライが立て直し、変化弾(バイパー)で一方的に削られてしまう。

 そうはさせまいと弓場が姿勢を低くして急加速した。

 今度こそ敵を仕留めようと素早く再装填(リロード)。そしてもう一度ライに照準を定めようと銃口を上げた。——その直後。

 

「なっ!」

 

 彼が照準をライへ向けるより先に、ライの背中に隠れていた速さに特化した炸裂弾(メテオラ)が弓場の手元を襲う。

 

「がっ!?」

 

 拳銃が暴発したような形となり、さらに煙幕によって視界まで奪われ弓場の動きが止まった。

 ——マズイ。

 すぐにこの場を離脱しようと弓場はトリガーを起動し直すと足に力を篭める。

 

「旋空、弧月!」

 

 しかし彼の行動よりもライがトリガーを起動する方が早かった。

 伸びる刃が弓場の体を一刀両断する。最後に弓場は意地で銃弾を放ったが、ライが瞬時に首を横へ傾けた為に弾は彼の頬をかすめるにとどまり、建物の壁に撃ち込まれて停止した。

 

「……やるじゃねえか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 弓場は最後に称賛の言葉を残してその場を脱出する。

 ライ以外の戦闘員が全滅したことでその日のランク戦は終了を迎えた。

 

「弓場隊長が緊急脱出(ベイルアウト)! これにてランク戦決着です! Round18夜の部、4対2対1。紅月隊の勝利です!」

 

部隊得点生存点合計
紅月隊224
弓場隊2 2
諏訪隊1 1

 

 実況の武富がランク戦の終了を宣言する。

 今期も残り試合わずか。順位確定が近い大事な試合を紅月隊が生存点を含む4得点で逆転勝利を遂げた。

 

「最後は弓場隊長と紅月隊長の早撃ち勝負のような一騎打ちでした! ここを紅月隊長が制し、見事にRound16で喫した敗北のリベンジを果たしました!」

 

 先の部隊ランク戦でライは弓場の早撃ちを前に撃破を余儀なくされている。そのリベンジを終盤戦の一対一できっちり返したという事実は非常に大きなものだった。武富の声にも自然と熱が篭る。

 

「最後の弓場への対処は見事なものだった。紅月隊は生駒隊と同様に安定した戦いだな。無得点という試合がない。最悪人数差をひっくり返せなくても隊長の生存能力の高さを活かしてタイムアップを狙える。組んでいるのは新米オペレーターと聞いていたが、このシーズンを通じてだいぶ慣れたのだろう。最近は一人部隊の利点がオペレーターにも活きてきているようだ。」

 

 解説席の一人、風間はその一騎打ちの様相を思い返して冷静に言う。

 

「と言いますと?」

「おそらく諏訪を相手にしながら弓場の動きと方角、その先の行動パターンを読んでいたのだろう。一人部隊という事はすなわちオペレーターの隊員への支援も常に最大限行えるという事だ。勿論敵の分析は変わらないだろうが、環境の変化や味方の攻撃支援のための分析などは人数が少なければ少ない程正確に、早く行う事が出来る」

「確かにそうだな。部隊の隊員数が多くなるほどオペレーターの負担は大きくなる。逆に言えば少ない程負担は少ないって訳だな、風間さん?」

「その通りだ」

 

 同じく解説席に座る太刀川が風間の意見に追従すると、風間はゆっくりと頷いた。

 

「紅月のサイドエフェクトは支援が早ければ早い程より脅威度が増す。だからこそ今回は弓場の早撃ちにも対処できた。今後も弓場隊と当たる可能性は多いだろう。今日の勝利は非常に大きなものだっただろうな」

「なるほど! ——さて、今日の試合も全て終了。暫定順位が更新されます!」

 

 弓場もライも早さに長けた隊員だ。この二人の勝敗は部隊ランク戦の結果にも大きく左右する。お互い今季上位グループの常連であり、残されたランク戦でも戦う可能性はあるだろうと予測された。

 だからこそ今日のランク戦、ライが早撃ちでリベンジ出来た事は今期のランク戦を勝ち抜くにあたって非常に大きなものであると風間は締めくくる。

 こうして今日のランク戦が終了し、暫定順位が更新された。

 

「紅月隊は4得点を獲得し、一位の生駒隊、二位の弓場隊との点差を縮めました! 一位生駒隊:59得点、二位弓場隊:58得点、三位紅月隊:57得点と三部隊が僅差で並んでおります!」

「これは中々見られない接戦だぞ。生存点は非常に大きく関わってくるだろうな」

「はい! 残る今期ランク戦はあとわずか二戦! 一点を争う熾烈な争いが繰り広げられそうです!」

 

 紅月隊は一度上位グループに入って以降は大量得点こそあまり見られないものの、無得点という試合は一試合もなく、ライの生存能力の高さもあって安定した戦いを繰り広げている。最終局面に至ってなお上位グループに居座り続けているその実力は確かなものだった。

 そしてあと残り2試合という局面で生駒隊、弓場隊、紅月隊がそれぞれ一点差ずつで並んでいる。4位以降は点差が離れている今、この3チームの中でトップ争いを繰り広げていた。

 生存点の二点で一気に順位が変動しかねない状態だ。ここからはより部隊の各隊員の底力が試されるだろうと太刀川は語る。

 

「さて——ここで次戦の組み合わせも発表です! 今日勝利した紅月隊は次戦、再び暫定2位の弓場隊、そして暫定5位の東隊、7位漆間隊との戦いとなりました!」

「なにっ! 東さん!? しまった、そっちに出ればよかった!」

 

 その日のランク戦が終わり、武富から次戦の組み合わせが発表された。

 彼女から東の名前が飛び出すと太刀川が身を乗り出すほどの勢いで反応する。

 東はかつてA級一位の部隊を率いた隊長でもあった。彼の存在はこのランク戦の行方を左右するだろうと太刀川は期待に胸を膨らませている。

 

「となるとなおの事生存点を獲れるかは重要だな。東さんを落とす事は容易ではない。その点を二部隊がどう対処するかが勝負を分けるかもしれない」

「そうですね。順位の変動は見られるのか、次戦にも期待がかかります。それでは本日はこのあたりで締めくくりとさせていただきます。太刀川隊長、風間隊長。本日は解説ありがとうございました!」

『ありがとうございましたー』

 

 この僅差の戦いの行方は読めないものだった。

 次戦の結果次第で勝負が決まる可能性だってある。どのような結末を迎えるのだろうかと皆様々な想像を膨らませつつ、武富の挨拶をもってランク戦は終了となった。

 上位二部隊にはA級へ昇格する試験を受験する機会を与えられる。勝ち取るのは生駒隊か、弓場隊か、紅月隊か。残る椅子は二枠のみ。

 

「ライのやつ、ついに王手をかけやがったな。東さんがいるから次戦は厳しそうだがまだわかんねえぞ」

「……そうだな」

「確かに東さんの存在は厄介だが、逆に言えば同じ組み合わせとなる弓場隊も大量得点は難しいだろう。いかに確実な得点を獲りに行けるかが分かれ目となるだろうな」

 

 観客席、最後まで勝負を見届けて米屋と三輪、奈良坂の三人が席を立つ。

 彼らもライの今期の活躍に注目していた。皆師として友として、二人の部隊でここまで勝ち上がっている彼を応援している。

 

「ここまで来たならばA級昇格は夢じゃない。ひょっとしたら、俺達の所まで来るかもな」

 

 確信はなかった。安心できる点差もない。

 だが三輪は彼ならば本当にやってみせるかもしれないと、珍しく期待を込めてそう口にした。

 ——だからこそ、余計にこの後引き起こされた出来事は彼に大きな衝撃を与える事となる。

 

 

————

 

 

 ランク戦の翌日、ボーダーに所属する全隊員に通達が届けられる。高校で授業を受けていた三輪は携帯端末でその知らせを受け取った。

 

「——はっ?」

 

 思わずその文面が本当に正規のものなのかと疑い目を見開く。

 だが何度見返してもその内容が変わる事はなかった。

 書かれていた内容はとある隊員へ下された処罰の通達である。

 

 B級所属紅月隊万能手(オールラウンダー) 紅月ライ

 隊務規定違反により個人(ソロ)ポイント500点没収。

 

 ライが隊務規定違反を犯し、個人(ソロ)ポイントを没収されたという知らせであった。

 

(隊務規定違反だと——?)

 

 すぐに三輪は持ち物を片付けると鞄を乱暴に手に取り駆け出す。

 

「馬鹿な。何故だ。一体何があった!?」

 

 行き先は勿論ボーダー本部。三輪は行き場のない苛立ちをぶつけながら走り去った。

 今は部隊(チーム)ランク戦の期間の真っ只中だ。何事かがあったに違いないと急いで本部へと走り去っていく。

 

 

————

 

 

「紅月!」

 

 内から扉を開けられると三輪が慌ただしい様相で部屋の中へと入る。中には鍵を開錠した瑠花と、そして中央の椅子に深く腰掛けているライの姿があった。

 ライは何か思い詰めているのだろうか、机の上で両手を組み俯いている。

 

「……三輪か。どうしたんだい?」

「どうしたじゃないだろう。俺達の方にも本部から通知があった。——お前が、隊務規定違反を犯したと」

 

 とても信じられる事ではなかった。

 ライは真面目な隊員だ。防衛任務にはほとんど毎日のように参加し、他の部隊との協力も惜しまない。乞われれば基本的に誰が相手であろうと力を貸すべく立ち上がる優しさも持ち合わせている。

 そんな彼が、違反を犯すなど。

 

「一体何があったんだ?」

 

 三輪はじっとライを見つめる。ライは一度三輪と視線を合わせた後、もう一度視線を下げて言葉を発した。

 

「……迅さんを弧月で斬った」

「迅!?」

 

 思わぬ隊員の名前がライの口から告げられて三輪は驚愕する。

 迅悠一。ボーダー内では珍しく、近界民(ネイバー)にも親しく接しようと考える玉狛支部に所属する隊員だ。三輪にとってはあらゆる意味で相いれない存在であるのだが、ライとの接点は思い浮かばなかった。規定違反という事はランク戦以外の場で弧月を使用したという事だろうが。

 

「もちろん相手はトリオン体です。なので迅さんに負傷などはありません」

 

 説明を補うよう瑠花がそう付け加える。

 とはいえ三輪は迅の心配など微塵たりともしていないし、むしろ切り捨ててくれても構わないくらいに思っている為、彼が安心できる知らせではなかった。

 

「なぜだ。なぜ迅を?」

「許せなかったんだ」

 

 ライは空の拳を握りしめて強く訴える。

 

「あの人の考えが許せなかった」

 

 顔を上げると、その表情には強い怒りが表れていた。普段から温厚な彼からは想像できない感情である。

 具体的な説明がなく、何があったのかは想像しかできなかった。

 だがこの言葉だけで三輪は理解してライに共感を示す。

 

「……そう、か。よくわかった」

「心配をかけてごめん。だけど」

「いいや。大丈夫だ。それ以上何も言わなくてもわかっている。お前がそこまで思い詰める必要はない。きっと俺も同じ事をしただろう」

「三輪……!」

 

 深く聞く必要などなかった。

 迅の考えとはすなわち玉狛支部が掲げている『近界民(ネイバー)とも仲良くしよう』などという綺麗言だろう。

 そんなものは三輪達のような家族を無惨に殺された者にとっては忌々しいものだ。

 もちろんライにも当てはまる事。

 三輪は同じ気持ちを知り、同じ境遇にあるものとして、ライを宥めるように肩を叩く。

 

「————」

 

 そんな二人の様子を瑠花は複雑な表情で見つめていた。




三輪「ネイバーは全て敵だ……!」
ライ「敵を皆殺しにせよ」
実際この二人の敵に対する方針がほとんど同じという。


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制裁

 事の発端は三輪が紅月隊の作戦室を訪れた前日、ランク戦Round18翌日の昼の事である。

 その日、ライは防衛任務にあたっていた。ライに生駒、そして堤の三人の混成部隊で警戒区域内をパトロールする。幸いにもその日は近界民(ネイバー)の襲撃が一件のみと少なく、予定よりも早い時間で終わりとなった。

 

『よしっ。それじゃあ交代だ。引き継ぎは俺がしておくから二人は先に上がっててくれ』

『ええんですか? ありがとうございます』

『わかりました。お願いします。——瑠花。任務終了だ。そちらも上がってくれ』

「はい。お疲れ様でした。私も報告に上がりますので、また後程」

『うん。それじゃあね』

 

 年長者の堤が部隊の代表として他の部隊へ引き継ぎに向かい、生駒とライは一足先に本部へと戻る。瑠花も任務の終了を確認すると、本部長へ報告すべく紅月隊の作戦室を後にした。

 

(よかった。今日も何事もなく早めに終われて。これならこの後はゆっくりできそう)

 

 廊下を歩きながら瑠花は物思いにふける。

 今日は日曜日だ。瑠花の通う中学校も休日であるため任務が終わった後は自由時間の予定となっていた。

 次のランク戦までにもまだ余裕がある。隊長の許可を貰えれば少し勉強でも教えてもらおうかな、と柔らかい笑みを浮かべて。

 

「——こんにちは。瑠花ちゃん」

「キャアッ!?」

 

 突然、予想できるはずもないお尻への接触に、気が抜けていた瑠花は叫び声をあげてしまった。

 

 

————

 

 

「ふんふんふふーん」

 

 鼻歌を口ずさんで迅悠一はボーダーの廊下を進む。

 その日、迅はボーダー本部を訪れていた。目的は忍田本部長への面会である。未来を見る副作用(サイドエフェクト)を持つ彼は市内の見回りをしては偶に本部を訪れるようにしていた。

 勿論頻度はそう多くないために本部の人間と会うのは稀の事。前回彼が最後に訪れたのは忍田本部長に頼まれて参上した時と数か月前の時である。

 その為迅にとっても懐かしい本部訪問となったのだが。

 

「——おや? あれは」

 

 前方の四つ角を横切って進んでいった人影を目ざとく見つける。

 特徴的な黒髪のセミロングにぱっちりとした目。見覚えのある顔は彼が以前本部を訪れた時に何度か彼女のお尻の感触を味わった瑠花だった。

 迅は気づかれないようにゆっくりと、かつ急いで彼女へと近づいていく。そして接近する前に念には念を込めて得意の副作用(サイドエフェクト)で未来を予知。瑠花の反応がビンタによる反撃だけで終わる未来を今一度確認し、手を彼女のお尻へと伸ばす。

 

「こんにちは。瑠花ちゃん」

「キャアッ!?」

 

 柔らかい感触と同時に瑠花の悲鳴が響いた。

 それでも瑠花は両腕に持った書類を落とす事はせずに抱きかかえる。そしてお尻を触った相手へ振り返りざまに頬を叩いた。

 

「おっ、おおっ。中々いい威力だ。腕を上げたな瑠花ちゃん」

「何をするんです——あっ」

「ん?」

 

 衝撃で廊下に寝転がる迅。

 叩いた後、瑠花は心底嫌そうな顔を浮かべて迅を見つめて。そして近くの廊下をすさまじい勢いでかけてくる人影を目にし、言葉を失った。

 彼女の様子の変化を察して迅も瑠花と同じ方角へ視線を向ける。

 

「「トリガー、オン」迅! その子はまず、あっ。アカン。これ無理や」

 

 弧月を右手に展開し、鬼のような形相を浮かべるのは瑠花の部隊の隊長であるライ。彼の後ろから生駒が必死に迅へ呼びかけていたがすでに手遅れだった。生駒でさえ事の顛末を察して口に右手を当てる。

 勿論迅もこの状況を理解できないような男ではなく。

 

「……ああ。なるほど、ここだったのか。読み逃したな」

 

 かつて見た未来が今現実と化すことを察したのだった。

 

 

———— 

 

 

「何や。ライはこの後瑠花ちゃんと過ごすんか?」

「ええ。ランク戦まではまだ時間もありますので、今日はゆっくりと勉強でも教えようかなって」

「真面目か! 休みの日くらい遊べばええのになあ。お前も一人の時間とか欲しくないん?」

「いいえ。元々僕はここにいますから一人の時間が多いくらいですよ。それなら一緒にいれる時くらい瑠花に出来る事はしてあげようと思ったんです」

 

 堤と別れた後、生駒とライはこの後の予定について話していた。

 生駒は部隊のメンバーと遊びに行く予定だったので都合が合えば誘おうとも思ったのだが、二人の仲睦まじい様子を聞いて途端にむっとした顔を呈する。

 

「ホンマにお前は女の子に甘いなあ。なんや、それがモテる秘訣なんか?」

「……瑠花は特別ですよ。僕にとっては大事な妹のような存在ですから」

 

 冷やかすような口調にライは少し寂しげに答えを返した。

 わずかながら彼の表情が曇ったのを目にして家族事情を知る生駒もさすがにこれはまずいと思ったのか慌てて話を続ける。

 

「いや、違うで? ほら、そっち二人で部隊組んどるやん? せやから仲もええわけやって。決して悪い意味はなくてな?」

「大丈夫ですよ。わかっています」

「ホンマに?」

「ええ。そして僕としても仲は良いと思っていますよ。何だかんだ言って、もう出会って一年くらいたつわけですから」

「あら。いつの間にかそんなに経つんか」

 

 そうですよとライがクスリと笑う。

 部隊を組んだのはつい最近の事だが、ライと瑠花が出会ってからもうすぐ一年の月日が経とうとしていた。

 その間も相談に乗ったり、時には力を借りて訓練に励み、最近では私生活の悩みも聞く。勉強の面倒も見たりと本当の兄妹のようであった。

 

「イコさんの言う通り二人の部隊ですからね。自然と一緒にいる時間も長くなる。本当に、良い子ですよ」

「お前はそういうの裏表なく言ってるってわかんのがエエなあ。絶対瑠花ちゃんをいじめるやつとか出たらうるさいやろ?」

「勿論」

「即答かい」

 

 ある意味予想通りの事だが、何のためらいもなく笑顔でそう言い切る弟子に生駒がツッコむ。

 

「というか、見ていられないんです。昔、本当の妹がいじめにあっていた時があったので」

「……ああ。なるほど。今度は守りたいとかそういう感じなんか」

「ええ。その通りです」

 

 ライが思い浮かべていたのは血の繋がった妹が義理の異母兄達から理不尽な嫌がらせやいじめをうけていた光景だ。

 『人種が違うから』、『髪や肌の色が違うから』などという理不尽な理由で幼い少女が物理的に、精神的にとあらゆる方法で追い詰められた。

 あんな姿はもう二度と見たくない。大切な少女が不当な暴力にさらされて涙を流し、悲鳴を上げる記憶はライの心に闇を落としていた。

 だからこそ自分の目の届く範囲ではどのような障害が起ころうとも、何としても守り切る。ライが妹の姿を重ねた存在である瑠花も彼の庇護の対象となっていた。

 

「だから絶対に許しませんよ。もしも瑠花を傷つけるようならたとえイコさんであろうと——」

「いや待てや!? 俺がそんな事すると思っとるんか!?」

 

 突如笑ったまま鋭い視線を向けられて生駒が両手を上げる。そんな師匠の反応が面白くてすぐにライは目つきを戻して話に戻った。

 

「冗談ですって。大体ボーダーの隊員は皆良い人ばかりなので、そんな事が起こるわけないと信じて——」

「キャアッ!?」

「ッ!?」

「なんや?」

 

 そして突如響いた悲鳴を耳にして、ライはその方角へと振り返る。

 副作用(サイドエフェクト)を持つ彼の反応は早かった。生駒が何があったのだろうと疑問を呈する中、ライは機敏に首を動かすと逸早く現場を捉える。

 そこには声の主である瑠花の姿があって。

 彼女の背後から近寄る謎の男の手が彼女のお尻に触れられていて。

 すぐさま瑠花がその男を引っ叩き、男は床に崩れ落ちる。

 瑠花が、見た事もない男にお尻を触られて、反撃した。

 ——性的な嫌がらせ(セクハラ)だ。

 ライは状況を理解する事は勿論行動に移すのも早い。悲鳴が発生してから彼が動き出すまでの時間はわずか2秒。一連の流れを全て確認したライは即座に地面を蹴って弧月を起動した。

 

「「トリガーオン」迅! その子はまず、あっ。アカン。これ無理や」

 

 後ろから生駒の声が聞こえた気もしたが、手遅れだった。彼が迅を呼び止めようとしたときにはすでにライは弧月を展開し駆け出している。

 そして生駒の眼前で迅悠一のトリオン体はライの弧月によって真っ二つに引き裂かれた。

 

 

————

 

 

(どうしよう。復讐とかじゃなくて私に対するセクハラの制裁だっていつ教えよう)

 

 瑠花は三輪とライの二人の様子を眺め、二人が互いに勘違いしている事に気づきながらも重い雰囲気を前に指摘する事ができなかった。

 もしも本当に三輪も同じ事をしたと言うのならば月見がセクハラされたという事になるが、そもそも月見が許すとは思えず、三輪もその為に斬りかかるとは思えない。

 なので説明したら余計に話がややこしくなるだろうと考え、瑠花は下手に口出しする事はしなかった。

 

(それに、あの後上層部の人や迅さんと色々いざこざもあったしな……)

 

 加えて事件があった以上、当然上からの処罰も下される。

 その際にも発生した出来事を思い返し、瑠花は大きな息を吐いた。

 

 

————

 

 

「……話を整理させてくれ。つまり、こういう事か? 紅月君は瑠花が不審者に襲われていると思って攻撃したと?」

「はい」

「何という事だ……」

 

 ボーダー本部の会議室。

 質問に対して短く返答をしたライの声を聞いて忍田はため息をついた。

 迅は本部に来る機会がほとんどない。その事情が今回は悪い方向へと働いてしまった。

 あの騒動の直後の事である。当事者であるライと瑠花、迅。そして目撃者である生駒は会議室へと呼び出され、上層部から当時の詳しい話を聞かれていた。

 信じられない事だと皆苦し気に表情をゆがめている。

 

「まったく。なんともまあ面倒な事を」

「トリガーを訓練以外で使用した一件など久しぶりだぞ」

 

 小さな事で面倒ごとを引き起こしてくれたなと根付や鬼怒田は苦言を呈した。

 今はランク戦シーズンの真っ只中だ。問題は起こされたくない時期であるというのに、そのトップ争いをしている部隊の隊長がこのような一件を引き起こすなど。

 

「迅。お前はまさか本部に来るたびにこんな事をやっていたのか?」

「いやー。ハッハッハ」

「笑いごとではない!」

 

 笑ってごまかそうとする迅を忍田が糾弾する。虎を彷彿させる威圧感を前に迅の笑い声も引っ込んだ。

 忍田にとっても姪がセクハラの被害を受けたとなれば思う所もある。ましてやそのせいで他の隊員が事件を起こしてしまったとなればなおの事だ。

 

「いずれにせよ彼が訓練や任務以外でトリガーを何の罪もない——いやこれはあるのか。まいったな。まあとにかく無防備な隊員にトリガーを行使したのは事実です。どうしますか?」

 

 とにかく話を進めようと唐沢は淡々と意見を述べた。

 模擬戦を除いたボーダー隊員同士の戦闘およびトリガーの使用は禁止されている。よって今回のライの一件は処罰に値する一件だ。

 いくら相手に非があろうと許される事ではない。ならば処罰をどう下すかと周囲に話を振ると。

 

「待ってください。ちょいといいですか?」

「構わん。君の私見を述べてくれ」

 

 生駒が話に割って入った。城戸の許可を得て生駒が発言する。

 

「考えてみてください。こいつが実の妹のように大切に可愛がっている女の子が、見た事もない自称エリートの無職男性(19歳)にお尻を触られて悲鳴を上げてたんですよ? そら穏やかではいられないやろ」

 

 発言者である生駒と迅を除いたこの場にいるすべての者の顔がひきつった。

 ——確かにひどい。改めてその状況を言葉で表すと予想以上にひどいものだった。この説明を聞く限りでは本当に悪質な痴漢現場である。

 

「ちょっと生駒っち? 俺の説明酷くない?」

「でも事実じゃないですか」

「そうだけどさー。瑠花ちゃんもちょっとフォローしてよー」

「私にどうフォローしろというんですか」

 

 冷たい対応に迅が嘆くと瑠花の冷めた言葉が突き刺さった。残念ながらこの場に迅の味方はいない。あんまりだと迅の泣き言が会議室に響いた。

 

「……なるほど。確かに生駒君の言葉にも一理ある」

「城戸司令!?」

 

 当時の様子を聞くと城戸でさえ思わず生駒の説明に理解を示す。普段は表情一つ崩さない司令が同情した事に鬼怒田たちは平静を失った。




妹をいじめる相手はたとえ実の兄であろうと皆〇しにする男、ライ。

実は勘違いでなくても三輪とは分かり合えていた可能性が高い模様。(シスコン)


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契約

「だがだからと言って、そう何度もボーダーのルールが破られるような事があっては困る」

 

 被害者である迅にも非があるという事は理解できた。

 とはいえライが規定を無視して訓練および任務以外でトリガーを行使したというのはやはり大きな問題だと城戸が指摘する。再び問題の追及がライへと及んだ。

 

「紅月くん。もし今日と同じような事がまた起きたならば、君はどうするかね?」

 

 城戸は鋭い視線をライへと向ける。

 

「それは。——目の前で女性が襲われていたならば。やっぱり助けに行くと思います」

 

 ああ。うん。そうだろうな。

 この場にいる全員が同じ結論に至った。

 実に正論だ。彼の言う事は決して間違っていない。世間体を考えれば対応が激しかったとはいえライの行動は人道に沿っている。

 相手もトリオン体であるという事で被害もなかった以上はどちらかというと彼の方に正義があるようにも思えた。そう錯覚してしまうほど彼の発言には誠実な気持ちが篭っている。

 むしろ迅の方の処罰を検討しなくてはならないのでは? と一同は頭を悩ませた。

 

「……迅。お前に聞きたい」

「何でしょう?」

 

 すると城戸は一先ず未来の安心性が確保できるのか知るべく迅へと話を振る。

 

「紅月君を見てくれ。どうだ? この先、お前と彼が衝突する事はあるのか?」

「そうですねー」

 

 言われて迅はじっくりとライを見つめた。

 

「どういう事です?」

「迅はなあ、見た相手の未来を見るっていう副作用(サイドエフェクト)をもってんねん」

「未来を見る?」

「せや。まあいくつか見えたり確実ってわけではないみたいやがなあ」

 

 行動の意図がわからないライへ生駒が解説する。

 迅の副作用(サイドエフェクト)を用い、この先ライと迅の間に何かトラブルがないかを確かめようとしたのだが。

 

「……うん。俺と衝突する未来も見えますね」

 

 案の定、やはり迅は以前と同じような結果を目にした。

 つまり迅が今後も同じことをして、そしてライもまた同じような行動をする危険性があるという事だ。

 城戸が珍しく頭を抱える。これ程対応に困るのは久しい事だった。

 

「あの、すみません。僕からも一つ質問をよろしいですか?」

「何かね?」

 

 皆がどうするべきかと考える中、ライも城戸へと疑問を呈する。

 

「つまり迅さんの言葉が正しいならば、この人はこれからも同じことを瑠花にするという事でしょうか?」

 

 語気を強めてライが言った。

 ——マズイ。

 余計な事を聞いてしまったかもしれないと城戸は先の発言を悔やむ。

 

「待てやライ! 落ち着け!」

 

 すると怒りを示すライに待ったをかけたのは生駒だった。

 彼はライにとっては旋空を教えた師匠であると聞く。なるほど、師ならばあるいは弟子の感情さえも上手くコントロールできるのではないかと鬼怒田たちは期待を込めた視線を向けて——

 

「迅はなあ、熊谷ちゃんや沢村さんみたいにお尻を触っても訴えられない女の子をその都度選んで触っとるんや。だから次も瑠花ちゃんが触られるとは限らんから安心せえ!」

 

 生駒は怒りの炎が滾る現場へ自信満々にガソリンを投げこんだ。 

 

「——なるほど。つまり『訴えられなければ問題ない』とかふざけた考えを持つ男から瑠花以外の女性を守る為にもここで斬れという事ですね。よくわかりました」

「なんでや!」

 

 お前がなんでだ。なんで今の説得で怒りが収まると思ったのか。諌めるどころか感情が高ぶるばかりである。

 

「紅月君。ひとまず落ち着いてくれ」

「落ち着いていますよ。僕としてはむしろ、瑠花が迅さんの魔の手に脅かされたのに忍田さんが平然としている方が心配です」

「おーい。紅月君? 誰が魔の手だって?」

「……後ほど迅には私の方からきつく言っておく」

「あの、忍田さん?」

 

 迅の抗議の声が響く中、ひとまず迅の処分は忍田に一任された。

 

「何だよー。皆して俺が悪い事したみたいにさー」

「私に悪い事しましたよね?」

「そんなにお尻を触りたいならイコさんにでも頼んだらどうですか?」

「おい、弟子。何師匠を売ってんねん」

「やだよ! 生駒っちのお尻とか絶対硬い筋肉じゃん!」

「はっ? おい、迅。さては俺のプリケツ知らんな?」

 

 孤立無援の状態を迅が嘆く。すると案の定次々と話は明後日の方向へと進んでいった。

 どうにもならないならいっその事とライが生駒を売ると、それに生駒が反論し、さらに迅も乗っかって生駒も意地を張ってと迷走し始める。

 

「ですがイコさん。考えてみてください。犯罪者から女性を庇って自己犠牲の精神を見せたならば評価がググっとあがりますよ」

「……ちょい待ち。三日考えさせてや」

「いやだから俺が嫌だって言ってるの!」

 

 しまいにはライが迅の狙いを強引に生駒へ移そうとおかしな方向へと話が進んでいった。

 

「——とにかく。迅には厳重注意とする。しかし、紅月君。残念ながら君の今回の一件を処分なしとするわけにはいかない」

 

 これ以上話を脱線させるわけにはいかない。

 城戸は咳ばらいを一ついれた後、重々しい口を開いた。

 事の発端である迅は厳重注意とし、隊務規定違反を犯したライには処分を下す事をその場で決定する。

 

「君から個人(ソロ)ポイントを500点剝奪する」

「そんな! 待ってください!」

「明確な隊務規定違反だ。いかなる理由があろうと許される事ではない」

 

 被害者である瑠花が訴えるが、城戸の静かかつ強い口調を前に言い返せず唇を噛みしめた。

 

「以降、もしも同じような事が起こるならば君へさらに重い処分を下さねばならない。気をつけてくれ」

 

 城戸の声がしんとした会議室に響く。

 

「はい。処分を受け入れます」

 

 この決定にライは潔く罰を受け入れた。

 彼としてもこれ以上事を大きくすることは避けたい。

 自分が違反を犯した事は確かだ。ならば処罰は避けられないと背筋をただした。

 

「ただ、僕からも一つよろしいですか?」

「何かね」

「では次に迅さんが同じことをしたのならば、トリガーさえ使わなければ攻撃してもよろしいですか?」

「…………まあ、相手がトリオン体であるならば。だが念のため顔はやめておきたまえ」

「いや城戸さんそこは止めてよ!?」 

 

 あんまりな決定に迅の嘆きがその場に木霊する。

 こうして一通りの会議がなされてその場は解散となった。

 部屋を出ると迅が真っ先に口を開く。

 

「いやー。こんな初対面になって悪かったね、紅月君」

「ええ。本当に残念ですよ。おかげで第一印象が今まで出会った方の中でも最悪です」

「だから悪かったって」

 

 言葉の端端に棘があるライに迅は今一度頭を下げた。

 

「——本当にすまなかった、紅月君。迅のせい、そして瑠花の為にこのような処分まで受けてしまった事、私からも謝罪させてもらう」

「えっ。いえ、忍田さん頭を上げてください。本部長には何も落ち度がないのですから」

 

 さらに忍田も部屋から出てくると迅に続く。

 当事者である迅はまだしも、上層部である忍田にまで謝罪されたとあっては居心地が悪かった。すぐにライに宥められて忍田は姿勢をただすが、処分まで下されたとあっては彼の性分が許せなかった。

 

「先も言ったように迅には厳しく言っておこう。その上で改めて君にはまたこの一件について謝罪させてもらう」

「ですからそこまでなさらずとも……」

 

 生真面目な性格だ。曲がった事は許せないのだろう。

 どうあっても退く姿勢を見せない忍田にライはどうしたものかと頬をかく。

 

「……それなら、忍田本部長。一つお願いがあります」

「ん? なにかね?」

「今度時間がある時に見ていただきたいものが、その上でご指導願いたいものがあります。それでこの件を手打ちとしませんか?」

 

 そこでライは一つ忍田に提案をもちかけた。

 お互いこの件をいつまでも引きずっていては任務などに支障が出るだろう。ならばライの依頼を引き受け、それを忍田が叶える事で解決しようと提言したのだ。

 

「——わかった。君が良ければ喜んで」

「ありがとうございます」

 

 忍田も喜んでその言葉を受け入れる。お互いに事が長引く事は望むものではなかった。

 こうして二人の間で一応の収束を見せる。

 

「いやーよかったよかった。無事に話が済んだみたいで」

「……お前自身については解決していないぞ? 迅、本当にわかっているのか?」

「うおっ。わかっていますって。さて、どうだい紅月君? 俺にも何か頼みとかあるかい?」

「迅さんがそう言うと何か示談みたいに感じて嫌なんですが……」

 

 二人のやり取りを外で眺めていた迅はのんきに笑うが、忍田の鋭い視線に当てられて身をすくませた。

 これはまずいと迅もどうにか解決策はないだろうかとライに問いかける。

 

「……迅さん。先に聞きたい事があります。あなたは未来が見える副作用(サイドエフェクト)を持っているというのは本当ですか?」

「ああ。本当だよ。といっても未来はいくつも分岐している。すべてが正解とは限らないが」

「なるほど」

 

 話題を変えるべくライは一つ大きく息を吐くと、間をおいて迅へ能力について質問する。

 

「ならば今回の一件を水に流す代わりに僕のお願いを聞いてもらえませんか?」

「おう。なんだ?」

 

 真面目な口調でライが鋭い視線を向けた。

 迅にとっても関係を修復できるならば早いうちにしておくにこした事はない。ライとは対照的な飄々とした態度で迅はライと向かい合った。

 

「この先、もしも僕があなたの力を必要にしたならば。その時はあなたの力を貸してほしい。よろしいですか?」

 

 ライが申し出たのは迅の未来予知の力を借りる事。

 この先起こり得る出来事を前もって知る事が出来るならばそれに応じて対処も出来るはず。かつて予想外の出来事で全てを失った彼は、これを機に迅の力を借りようと考えたのだ。

 

「なるほど。俺と協力体制を敷きたいってわけだ」

「ええ」

「——ボーダーや市民に悪影響を及ぼさないものなら喜んで手を貸すよ」

「わかりました。ではよろしくお願いします」

 

 迅にとっても味方のためになる事ならば悪い話ではない。二人は握手を交わして力になる事を約束した。

 一悶着こそあったものの、こうしてライと迅は協力関係を結び、その場は別れる事となる。

 そして今日の約束が後にライは勿論、ボーダー関係者達に大きな影響を及ぼす事になるのだが。それはまだ確定せぬ未来の事である。

 

 

————

 

 

「瑠花ちゃんから話を聞きましたよ。どうしてこんな逸った真似をしたんですか」

「処罰対象の名前に紅月先輩の名前があってビックリしましたよ」

 

 その日の夜。話を聞いた那須と熊谷が紅月隊の作戦室を訪れていた。

 

「でも那須さん、聞いて欲しい」

「言い訳をするなんて紅月先輩らしくありません。確かに瑠花ちゃんは紅月先輩にとっても大切に思っている人なんでしょうけど、だからこそ冷静に」

「あの人は熊谷さんにまで手を出していたんだよ」

「——どうしてその場でしっかりとどめを刺さなかったんですか? 紅月先輩らしくありません」

「玲!?」

 

 最初こそライの早まった行為を咎めていたものの、ライのチクりを耳にして那須の目からハイライトが消える。

 

「それが、イコさんに止められてしまって」

「そうでしたか。あの人も迅さんと同じ年代ですし怪しいと思っていましたが、なるほど。迅さんを庇うなんて二人も女性の敵がいたんですね」

 

 そして生駒の知らないところで『女性の敵』という理不尽な認識が那須の中で付与された。

 

「いや、あの。二人とも少し落ち着いて」

「落ち着いてるよ」

「それより本当なの? くまちゃん?」

「まあ今まで何回か触られた事はあったけど」

「くまちゃんに触れるなんて……許せない……!」

「女性の敵だね」

「敵です」

 

 熊谷本人からの確認を得て那須やライの迅に対する株が大暴落する。

 

「ほら。一応私もその場で制裁してるから」

「甘いよ熊谷さん。実際被害が続出しているんだし」

「くまちゃんだって私が触られている現場を見たら嫌でしょう?」

「まあそれは怒るだろうけど」

 

 多分この二人とはレベルが違うだろうなあと熊谷は思った。

 

「じゃあ私が触られてる現場を見たら二人はどうする?」

 

 念のため確認しようと熊谷は二人に聞き返す。

 

「弧月」

変化弾(バイパー)

「なんで!?」

 

 案の定、トリガー起動というおかしな答えが返ってきた。

 

「いや、そんな武器じゃなくてもっと具体的に、ね?」

「……旋空弧月」

「トマホーク」

 

 迅さん逃げて。悪化した。



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最終戦

 3か月という長い期間に及んで繰り広げられる部隊(チーム)ランク戦。

 20戦に及ぶ戦いを経て隊員達の間には多くの変化や成長が生まれていった。

 一戦経るごとに皆腕を磨き、新たな戦術を取り込んでいく。ライバルとしのぎを削るこの戦いは互いに刺激を与えあって様々なドラマを作り出した。

 ——そんなこのランク戦もまもなく終わりを迎える。

 4月某日。

 紅月隊が初めてランク戦に参加し、隊員達に多大な衝撃を与えたこのシーズンも閉幕の時が近づいていた。

 

 

 

 

「ボーダーのみなさんこんばんは! 海老名隊オペレーター武富桜子です! B級ランク戦20日目夜の部! 今期もいよいよ最終戦となりました!」

 

 いよいよ2月から始まったランク戦も最終日を迎える。

 上位グループ夜の部は僅差で競り合っているという事もあり観客席はほとんど満員の状態だった。軽く周囲を見渡してみると太刀川や当真、三輪、米屋に奈良坂、黒江などのA級部隊の隊員達の姿も見受けられる。あまり観戦には来ない精鋭隊員達も来るほど最終戦には皆興味を寄せていたのだ。

 開始の時はまだかと観客席が騒めく中、実況役の武富が進行を開始する。

 

「今回解説席にはこの方々! 嵐山隊から嵐山隊長! そして加古隊から加古隊長にお越しいただきました!」

『どうぞよろしく!』

 

 解説席にはA級部隊の隊長である嵐山、加古の二名が座っていた。上位グループの最終戦という事で解説席も豪華な顔ぶれが揃っている。戦いは勿論、彼らの分析への期待値も上昇した。

 

「さて、今期のB級上位グループは最終日の現在に至ってもまだ勝負の行方はわかりません。先日のRound19ではトップ争いを繰り広げていた紅月隊、弓場隊は東隊、漆間隊と戦うも東隊長の狙撃の前に弓場隊長が。漆間隊長の奇襲によって紅月隊長が落とされて生存点は獲得できず。紅月隊は三得点、弓場隊は二得点に終わりました。一方トップの生駒隊も三得点を獲得するも村上隊員の活躍もあって敗北。Round19を終えた時点で生駒隊62点、弓場隊60点、紅月隊60点となっていました」

「驚きですよね。生駒隊、弓場隊は上位グループの常連です。その中に初参戦となる紅月隊が食らいついている。その上で接戦を演じているからすごい事ですよ」

「そうね。得点の機会が限られているはずなのにここまで立ち振る舞うのだもの。ここまでくると最後まで行くのかもって期待しちゃうわね」

 

 Round19を終えた時点で生駒隊がトップに立ち、その後ろを二点差で二部隊が猛追している。生駒隊と弓場隊の争いはそれほど珍しくもないが、そこに新規参入部隊が加わっての三つ巴は非常に面白いものがあった。

 あるいはA級挑戦権を得るのではないのだろうかと嵐山や加古も興味を抱いている。

 特に見知った関係である加古は期待が強いのだろうか意味ありげに含み笑いを見せた。ひょっとしたら彼女はこのランク戦の最終的な結果を確信しているのかもしれない。

 

「さて。そして本日昼の部では弓場隊が東隊、鈴鳴第一、漆間隊と対戦。東隊が勝利し、弓場隊は3得点という結果になりました」

 

 加えて今日の弓場隊は東に撃退されて3得点に終わっていた。

 スクリーンには昼の部を終えた状態の暫定順位表が表示される。

 

 

001弓場隊    63点
002生駒隊    62点
003紅月隊    60点
004東隊     55点
005鈴鳴第一   53点
006漆間隊    51点
007諏訪隊    50点
008香取隊    48点
009那須隊    48点
010荒船隊    48点

 

 これで暫定順位は生駒隊、紅月隊の最終スコアを残して弓場隊が63点で単独首位、生駒隊が62点で二位、紅月隊が60点で三位と続いていた。やはり僅差でありまだ勝負の行方はわからない。

 

「最終Roundの大きなポイントである上位二位以内に入るには、前シーズントップであった生駒隊は一点以上取れば確定。紅月隊は4得点以上取るかあるいは3得点以上を取って生駒隊を無得点に抑えるかの二択となります」

「まあ後者は現実的ではないですね」

「紅月君一人では盤面全てを押さえる事は難しいもの。生駒隊4人を同時に止めるのは無理よ。マップ選択権だってないのだから。香取ちゃんたちの動きだって読めないし」

「そうですね。なので紅月隊としては確実に取れる点を取り、生存点を狙いたいといった所でしょうね」

 

 生駒隊は一得点さえとれば2位以上は確定だ。一方の紅月隊はA級の挑戦権を獲得するには最低でも4得点が必要となるだろうと加古は予想する。一人である為盤面を押さえ続ける事は難しい。いかに堅実に勝負を進めるかが鍵になるだろうと嵐山も同意を示した。

 

「なるほど。上位グループ最終戦は生駒隊、紅月隊、香取隊の三つ巴です。香取隊にとっても上位グループ残留がかかった大事な一戦となります。トップ争いを繰り広げる二部隊に食らいつきたいところでしょう」

 

 さらにその二隊とあたる香取隊も大きな注目点となるだろうと武富が補足する。

 香取隊は上位グループ残留ラインにいる部隊だ。マップも彼ら彼女らが選ぶためその動向によっては生駒隊、紅月隊の作戦方針も変動しかねない。目標は違えど、負けられない立場は同じだった。

 

「おっ! 今その香取隊がマップを決定した模様です! 最終戦のマップは『市街地D』です!」

「D!」

「珍しいマップを選んできたわね。中々選ばれないマップなのだけど」

 

 ここでマップ選択権を持つ香取隊がマップ選択を終了する。選ばれたのは市街地D。滅多にランク戦では使われないマップであった。

 

「こちらのマップの解説をお願いいたします」

「ええ。市街地Dはマップ全体に広がる大通りとそれに面した背の高い建物が続くマップです。マップそのものは工業地区同様に狭いのですが建物はどれも大きく、横に短く縦に広いステージと言えるでしょう。建物の中にもそれぞれ広い空間があり、他のマップよりも屋内戦が起こりやすい。屋内ならば攻撃手(アタッカー)有利、大通りならば射程持ちの隊員が有利というマップです」

「そうね。それに建物は縦に長いからレーダー上で相手を見つけにくかったり、バッグワームで隠れ合いになると見つけにくい。人を選ぶステージと言えるわ」

 

 長い建物が並ぶ市街地。特に戦闘が生じやすい中央の大型ショッピングモールは狙撃から逃げ込んだ隊員達の乱戦になりやすいステージだ。レーダーでは高さまで読み取る事が不可能なため、潜伏されると容易に見つけられないという特徴もあった。

 

「今回は各部隊に攻撃手(アタッカー)のエースがいます。彼らの屋内戦を狙ってという事でしょうか?」

 

 三部隊とも得点力に長けた攻撃手(アタッカー)がいる。彼らの戦いを考慮してのものだろうかと武富は首を傾げた。

 

「それもあるでしょうね。後は生駒隊の隠岐隊員の狙撃を警戒してという意味もあると思います」

「ええ。もっと言えば、ひょっとしたら紅月君の焦りも狙っているのかもしれないわ」

「と言いますと?」

 

 狙撃手(スナイパー)を封じて近接戦闘に持ち込む。さらにこの選択にはより深い意図も含まれているだろうと加古は断じた。

 

「さっきも言ったようにこの3つ巴で最も多くの得点が欲しいのは紅月隊。でも隊員が一人だから敵の捜索も大変でしょう? 生存点を狙うには積極的に動かざるをえなくなる。そうやって注意をそらすという意味もあるかもしれないわ。縦に広いから香取隊の半隠密戦闘もしやすいもの」

「なるほど!」

 

 潜伏されると見つけるのは難しいマップだ。だからこそ点が欲しく、一人である紅月隊の負担はより大きなものとなる。そうやって試合がはじまる前からプレッシャーをかけようという狙いもあるのだろうと加古は語った。高さの判断がつきにくいマップでこそ半隠密戦闘は活きるのだから。

 

「今回紅月君はいつも以上に戦い方を考えなければいけないでしょうね。隊員がモールに寄って来ても隠れられたら大変。場合によっては一度に敵を殲滅する術がないと厳しいかもしれないわね」

 

 紅月隊の目標達成には最低でも4点が必要な戦い。他にも個人戦で強い隊員がいる以上、大量得点は難しいだろう。最終戦は今まで以上に厳しい戦いが予想された。

 

 

————

 

 

「市街地D。私達にとっては初めてのマップですね」

「……そうだね」

「メテオラは必須となるでしょう。香取隊のカメレオン戦術は特に厄介です。変化弾(バイパー)も少し使いにくいかもしれません。一応狙撃も不可能ではありませんが香取隊も屋内戦を想定しているでしょうし。——ライ先輩?」

 

 マップが発表され、紅月隊の作戦室では打ち合わせが行われていた。

 彼らにとっては初めて戦うマップだ。いつも以上に策を練る必要があるだろうと瑠花が考えを述べていると、ライが何事か考えにふけっている事に気づいて声をかける。

 

「……嫌な予感がする。瑠花、今日は少しトリガー構成を変更する」

「えっ? わかりました」

 

 結論に至ったライはすぐにトリガーを取り出すと二人はすぐに調整を開始した。

 

「どうしたんですか? いつもはトリガー変更はせず、どのような状況でも振る舞えるようにと考えていたのに」

「おそらく今回は戦局が限定されるはずだ。瑠花、香取隊で作戦方針を立てるのは誰だと思う?」

「えっ? それは、隊長の香取隊長ではないんですか?」

 

 瑠花がそう答えるとライは首を横に振って話を続ける。

 

「香取隊長はあくまでも点を獲る突撃役だ。作戦を考えるのは別。おそらくだが若村隊員だ」

「確信があるんですか?」

「オペレーターの染井さんは実況のログを見たが必要な場面を除き、よほどの事でない限り口を挟む事はしないタイプだ。戦局で変化があれば指示を出すだろうが、始まる前から指揮を執るとは思えない。三浦隊員はどちらかというと誰かの考えに乗る性格に思う。となると消去法で残るのは若村隊員となる」

 

 香取隊は隊長である香取が積極的に部隊指揮を行う隊員ではなかった。

 ならば残る隊員の中から作戦を考える参謀は誰なのかと考えた時、消去法で考えるとライはそれが若村であると結論付ける。

 

「普段の話を聞く限り、彼はかなり慎重に物事を考えるタイプのようだ。あまり戦闘中は指揮を執れないようだが、彼の場合おそらく固定概念にとらわれているイメージがある」

「固定概念?」

「簡単に言えば突発事項に弱い、と言う感じかな。前もって考えた作戦通りにいかなくなるとパニックに陥りやすい。余裕がある時に広い視野でみる分には良いが、その場で瞬間的に考えるのが苦手という事だ。知識の引き出しがあってもそれを整理するスペースが狭くては部隊の指揮が難しいだろう?」

 

 ライはかつての知り合いに同じ印象の人物がいた為にすぐに思い至ったのだ。若村は慎重な性格でその為にイレギュラーには弱く。

 

「ただそういう人物の場合、作戦段階では非常に念入りに考える。おそらく何か他にも仕掛けがあると考えた方が良い」

 

 その為に、今回のマップ選択にも他にも意図があるだろうと。

 

「だから今回はそこをつかせてもらうとしよう。狙撃が難しいマップだし、おそらく相手は僕がいつものように速攻をしかけると考えているはず。故にその逆を行く」

 

 

————

 

 

 同時刻、生駒隊作戦室。

 

「黒江ちゃんて女の子おるやん? 加古隊の中学生の子」

「いますねえ。この前中学生になったんでしたっけ」

「小っちゃくて人気者ですよね!」

「せやろ?」

 

 こちらでは紅月隊の会議とは対照的に試合前とは思えないほど呑気な会話が繰り広げられていた。

 話題の種は生駒が話した黒江。ボーダー内でも歳若い女性隊員の事である。

 

「実はこの前彼女がライの弟子やったって聞いてな」

「そうなんですか?」

「俺も知らんかったんや。けどそれならようは俺の孫弟子にあたるって事やろ?」

「そっすね」

「よっしゃここは挨拶しとこと思って、あの子が一人のところに声をかけたやん? そしたらな、黒江ちゃんに無言で防犯ブザー鳴らされたねん」

「なんで!?」

「イコさん不審者扱いやん」

 

 すると驚きの事実が生駒の口から明かされた。

 ライに弧月を教わっているならば黒江は生駒にとっては孫弟子。一言挨拶しようとしたら警戒されて防犯ブザーを鳴らされたのだと彼は語る。

 まるで犯罪者扱いではないかと皆の冷たい視線が生駒へ向けられた。

 

「しかもな、その音聞いてライがすぐさま飛んできたんや」

「そういえば本部に住んでたんでしたっけ」

「彼過保護すぎん? 前にもそんな話あったでしょ」

「聞いたら瑠花ちゃんや黒江ちゃん達に防犯ブザー持たせて、『サングラスかけたオールバックの怪しい隊員見かけたらすぐに鳴らせるようにしてる』らしいねん」

「迅さんっすね!」

「冤罪でブザーはひどいなあ」

 

 どうやらライは迅を警戒してこのような事を厳しく言いつけていたらしい。いずれにせよ間違いで通報された生駒としてはたまったものではないだろう。

 

「するとな、ライが黒江ちゃんに何と言ったと思う?」

「何です?」

「『あれはサングラスじゃなくてゴーグルだよ』って言うたんやあいつ」

「怪しいってとこ否定せんのかい」

「案外本気で思ってそうやなあ彼」

 

 あまりにも酷い内容のオチであった。しかし生駒は硬派な堅物という印象の顔つきをしている。あるいは本当にライがそう思っているのではと皆猜疑心を抱いた。

 

「ったく。試合の直前やで。あんたら作戦とか話す事ないんか?」

 

 もうすぐ試合開始の時間だ。いくら何でもふざけすぎだろうと細井がツッコむと、水上が考えながら口を開く。

 

「まあ二部隊とも戦ったことあるしなあ。市街地Dでもイコさんが暴れれば大丈夫やろ」

「問題は俺ですよね。一応外で狙撃狙いますか?」

「せやなあ。香取隊の編成考えれば屋内戦やろし向こうも警戒しとるやろが、香取ちゃんがグラスホッパーとか窓際で使う場面あればチャンスやし」

「そうやな。あの子も可愛い!」

「マジ可愛いっす!」

「余計な口出しすな!」

 

 しかし結局最後は生駒に流されていつものノリとなり、細井が怒鳴り散らした。

 やはりこの部隊はいつも通りだなあと隠岐達の笑い声が作戦室に響き渡る。

 

「——最終戦。このあとすぐ」

「イコさん? 誰に言ってはるんです?」

 

 最後に生駒は後ろに振り返るとそちらに人差し指を突きだして最終戦の予告を宣言する。

 しかしその先には誰もいない為、水上はそれが誰に対して向けられたものなのか理解できなかった。

 

 

————

 

 

「——以上だ。今回、敵からの狙撃はねえ(・・・・・)。始まったら俺達はすぐさま半潜伏行動を開始。モール内に入り次第速攻を開始する。合流前に一点取れれば大きい。葉子と合流して浮いた駒を叩くぞ」

 

 香取隊作戦室では若村が今一度作戦を確認していた。

 マップ、そしてステージ選択から狙撃の手を完全に封じている。

 しかも今回のマップは半潜伏行動には打って付けの場所だ。モール内で決着をつけようと狙いを定めていた。

 

「生駒隊長も紅月隊長も上位二位に入ろうと燃えているだろうからね。点を獲ろうと積極的に動くはず。そこを狙っていこう」

「ああ。特に紅月先輩は得点を欲しているはずだし一人だから隙もできるだろう。生駒隊とつぶし合ってくれれば理想的だ。——おい、葉子! 今日は単独で仕掛けたりとかするんじゃねえぞ!」

 

 一通り確認を済ませ、若村は一人ソファに寝転ぶ葉子に注意するよう訴える。

 以前紅月隊と当たった時には香取が一対一を挑み、そして敗れていた。

 もう二度と同じような事を繰り返すわけにはいかない。だからこそ念には念を押したのだが、以前の敗戦のことを指摘され香取は気分を害した。

 

「……うるさいわね」

 

 香取がそう言って乱暴に席を立つ。

 

「あたしがいなきゃそう何点も取れないんだから黙ってなさいよ。どうせ最後はあんたらが私をサポート、私が点を取るって事になるんだろうし。一人じゃ勝てないなら何度も言わないで」

「テメエ!」

「まあまあ」

 

 性格が真逆な二人がかみ合う事はなかった。

 香取と若村のいざこざを三浦が何とか仲裁に入る中。

 

「皆。やめて。最終戦が始まるわ。私達の残留もかかっているんだから、しっかりね」

 

 染井が静かな口調でそう告げる。

 香取隊とて今季を上位グループのまま終われるかどうかがかかっているのだ。

 負けるわけにはいかない。

 

 

————

 

 

「——では時間です! 全隊員、転送開始!」

 

 そして始まりの時は訪れる。

 武富の台詞が言い終わるのと同時に、各部隊の隊員達が仮想空間へと転送されていった。

 

「全部隊転送完了! マップ市街地D! 天候『雨』! 各隊員は一定以上の距離をおいてランダムな地点からのスタートになります!」

 

 目を開けると、そこには大きな建物が立ち並ぶ市街地。天からは大粒の雨が降り注ぎ、隊員達の視界をくらましている。

 

(『雨』か! やはり天候を操作してきたか。これでは狙撃は使えない。香取隊は徹底して屋内戦を仕掛けるつもりだ)

 

 ライも確信こそなかったが何かしらの変更点があるだろうと予想していた。今さら動揺することはない。

 

「……よし。行こう!」

『はい! 支援します!』

 

 転送開始と同時にバッグワームを展開していたライは颯爽と夜の街を駆けて行った。

 ROUND20。B級暫定2位生駒隊、B級暫定3位紅月隊、B級暫定8位香取隊の三つ巴。最終決戦の幕が切って落とされる。




初期転送位置


       隠岐 
             ライ
                 三浦
  香取
            生駒(屋上)
       水上(2階)
                若村(4階)
     南沢


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心理戦

「さあ各隊員が動き始めました! 初期転送位置は全員ばらけて転送されています。中央の大型ショッピングモールには三人が転送された模様。また、若村隊員・隠岐隊員・紅月隊長の三人がバッグワームでレーダーから姿を消しています!」

 

 開始と同時に隊員達は動き出す。最初の転送でモール内に転送されたのは屋上に生駒、二階に水上、四階に若村の計三人。特に合流が重要とされる開始直後、三部隊の隊員が一人ずつレーダーから姿を消していた。

 

「紅月隊長がいきなりバッグワームを使う展開は珍しいですね。不意を突いての奇襲狙いでしょうか?」

「うーん。その可能性も高いと思いますが決め付けるにはまだ早いですね。攻撃するとまではいかずとも、仕掛ける側の香取隊の様子を見るという考え方もあるでしょう」

 

 開始直後は速攻が多く、あまりバッグワームを多用しないライがいきなり使っている事に疑問を覚える武富。彼女だけでなく嵐山達もこの意図を正確に読むことは難しい。敵の出方を見るというだけかもしれないと嵐山は首をひねった。

 

(俺達以外に二人がバッグワーム? 一人は隠岐先輩だとして、あとは誰だ? 紅月先輩なのか? この配置ならモール内にはいねえはずだが……紅月隊も奇襲を狙っているのか? それともまさか生駒隊がもう一人?)

 

 現にモール内では若村がレーダーの反応を見て頭を悩ませている。

 予定では紅月隊が生駒隊の誰かに速攻を仕掛けている間に潜伏した香取隊が他の合流していない生駒隊を叩く予定であったのに、その隊長が香取隊と同じ手を使っている可能性が浮上した。

 紅月隊ほどではないが香取隊も得点が欲しいのは一緒である。

 もしもライまで潜伏してRound1のような大掛かりな策を狙っているのなら——。かつてみた記録の映像を思い返し、若村の頬を冷や汗が伝った。

 

『麓郎。何止まってんのよ』

「……ッ! いや、なんでもねえ。とにかく作戦は続行だ。このまま近い方の敵を叩く!」

『ふん』

『わかった!』

 

 そんな彼の考えを知ってか知らずか、香取の煽るような口調が若村の注意を現実に呼び戻す。

 考えていても答えは出なかった。

 ならばとにかく今は当初の予定通り近くの点を取ろうと動きだす。なんとしても勝ってやると若村は己を鼓舞した。

 

「モール内に二人。……消えてるのは僕を含めて三人か」

『はい。一人は隠岐先輩で間違いないでしょう。もう一人は若村、三浦隊員のいずれかでしょうか』

「そうだろうね。そしてこの配置の距離を見る限り、香取隊のバッグワームを使っている方がモール内に潜伏している。やはり屋内での戦闘を狙っているようだな」

 

 当のライは瑠花と意見交換を交えつつモールへと向かっている。並行してレーダーを見ながら敵戦力の分析を行っていた。

 

『どうしますか?』

「——このままこちらも潜伏活動を続行する。消えてるだけで何かあると思わせる事で敵の思考を割けるしね。戦闘行為が予想される場合、敵が接近する場合、急速な移動が見られたら教えてくれ」

『わかりました』

 

 そしてライはこのままバッグワームを使用する事を選択。瑠花にいざという時の警告を託し、自らは北の入り口からモール内へと侵入していった。

 

「さあ。隊員達が次々と動いていきます。マップを選択した香取隊を始め、全部隊がモールでの合流を目指す動きです! やはり屋内戦が繰り広げられるか!」

「生駒隊も生駒隊長と水上隊員がすでにモール内にいますからね。その方が手っ取り早いでしょう」

「それにこの雨。視界が遮られて狙撃は厳しそうね。隠岐君もモールの中での戦闘を余儀なくされたんじゃないかしら?」

「やはり雨という天候設定は狙撃手(スナイパー)対策という事でしょうか?」

 

 武富の質問に加古が頷く。

 

「そうでしょうね。これで合流前の狙撃を警戒する必要もなくなるわけだし、狙撃手(スナイパー)は近寄れば対処しやすくなるもの。隠岐君は機動力が高い狙撃手(スナイパー)とはいえ、香取ちゃんも彼と同じグラスホッパーを持っているから十分攻略できると考えたんじゃない?」

 

 狙撃手(スナイパー)の厄介な点は合流を果たす前に単独で行動している所を攻撃範囲の外から狙撃出来る事だ。だからこそ香取隊はそれを封じ、屋外からの狙撃を完全に封じるために天候を操作した。

 

「あららー。こらあかん」

 

 現に天候を目にして隠岐は苦笑いを浮かべている。

 

「これじゃ外で撃つのは無理ですよ。どうします?」

『——やっぱキツイか? 狙えんの?』

「まず動いてる相手を狙うのは無理ですね」

『しゃーない。なら隠岐も中や。ライトニングで俺らサポートしてや。最悪グラスホッパーで撃ち合いしてもらうで』

「了解」

 

 勿論近距離での戦闘となれば狙撃手(スナイパー)の強みがなくなってしまうが、戦力外とするよりはましであった。水上は当初の方針を変更、隠岐をモール内へ入るよう進言し、自分も生駒と合流すべくフロアを駆け上がる。

 

(ただ、ちょっと気になるなあ。モール内に俺とイコさんしか映っとらん。誰かおるよな?)

 

 レーダーを見て水上は思考を巡らした。

 今彼のレーダーにはモール内の反応は生駒と水上、二人の隊員しか映っていない。同じ部隊の人間が二人だけが最初に同じ場所へ転送されるとは考えにくかった。

 

『俺も気になる事あったんやけど、レーダーから消えとるの誰や? 隠岐以外に二人消えとるよな?』

「ええ。それは俺も考えてました」

 

 生駒も同じ疑問を抱いたのだろう。通信が直接耳に響いた。

 全体のマップを見たところ隊員の人数が合わない。隠岐を含む三人の隊員がバッグワームを展開して姿を消していた。

 

『当然一人は香取隊の誰かでしょうけど、もう一人は誰ですかね? 紅月先輩って可能性もありですか?』

 

 人数を考えれば一人が香取隊の誰かである事は間違いない。ならばもう一人は誰なのか。ライが潜伏しているのではないかと南沢は提言するが。

 

「どうやろなー。彼が初手で潜伏するのは基本狙撃手(スナイパー)として動く場合やろ? けど今回狙撃無理やしなあ。地形戦やるにはこのモールじゃ難しいはずやし、可能性は低いと思うんやけど……」

『それもそうっすね!』

 

 水上はライが潜伏しているとは考えられなかった。彼はあらゆる立ち回りを出来るとはいえその思考には一定の法則がある。今までの記録(ログ)を見る限り、最初にバッグワームを使うときは狙撃手(スナイパー)として振る舞うか、何かしら策を利用して地形戦を挑む場合の移動手段などが多かった。

 そして今回はその両方が難しいマップである。故にライが潜伏するとは考えにくかった。

 

(それに彼は得点を獲りに来るはず。潜伏なんてする余裕があるんか?)

 

 加えてライは4点以上が欲しいはずだ。一人部隊である彼には同時に点を獲るような手段は限られている。だからこそ今までも敵の数を少しでも減らすべく序盤から動いてきた。

 それは今回も変わらないはず。むしろ生駒隊があと一点で二位以上が確定するとなればなおさら積極的に動いてくるだろう。

 ならば今回も速攻を仕掛けてくる方が合理的である。敵に接近を気づかれまいとしているのか、それとも何か自分が見落としている事があるのだろうか。そもそも姿を消しているのは香取隊の二人なのか。水上は思考を巡らした。

 

(アカン。情報が圧倒的に足らんわ。滅多に使わんマップやから詳しいエリアとかもわからんし)

 

 とはいえやはりすぐに答えは出てこない。

 そう考えている間にも水上は一つ上の3階フロアに到達し——

 

「ッ!」

 

 さらに上のフロアへ登ろうとして、真上の階から降り注ぐ銃弾に気づき横へと跳んだ。

 

「水上先輩発見だ!」

 

 バッグワームで潜伏していた若村がバッグワームを解除。4階よりアステロイドを連射してきたのである。

 

「いたわ! 若村君や! 4階に香取隊おったで!」

『やっぱりモールの中におったんかい!』

『上手くしのいでくださいよー』

『もうちょっと時間かかるっす!』

 

 水上もすぐにアステロイドとシールドを展開。反撃に転じた。

 同時に味方へ報告、応援を要請するが生駒隊の合流にはまだ時間がかかる。

 最終戦の序盤は若村と水上、二人の銃撃戦で幕を開けるのだった。

 

「さあ最初の三人に加えて紅月隊長と三浦隊員もモール内へ! 徐々に部隊合流の目途が立とうとする中、若村隊員が水上隊員へ仕掛けました!」

「三浦隊員もモール内に来ましたからね。それまでの足止めという事でしょうか。生駒隊長達が到着するよりも早く揃いそうですし」

 

 生駒はまだ上のフロアにいる。距離を考えれば先に合流できるのは香取隊。その為に水上を3階に留めようとしているのかと嵐山が分析すると。

 

「そうかもしれないけど。——3階くらいならもう一つ手があるわね」

 

 加古が艶やかな笑みを浮かべて呟いた。

 彼女の視線の先には香取隊の隊長である香取の姿がある。香取はモールへ近づくと直接入り口には向かわず、二人が衝突しているであろう場所へと方向を変えた。

 

「グラスホッパー」

 

 すると跳躍と同時にメイントリガーのグラスホッパーを起動。空中で急加速した事により一挙に三階の高さに到達すると、勢いそのままに窓ガラスを割って店内へと侵入を果たす。

 

(香取ちゃん! ダイレクト入店!? この子、外から一気に三階まできおった! 嘘やろ。お店には入り口から入りなさいって常識すら知らんのか!?)

 

 ガラスが割れた衝撃音により水上も香取の出現に気づいた。

 ——マズイ。

 上から若村の射撃、横から香取の接近と挟み撃ちの様相を呈してしまう。

 

「一気に行くわよ」

「わかってる!」

「あかん。あかん!」

 

 香取隊は狙い通り合流前の敵を挟み込む事に成功して勢いに乗った。やはりマップ選択権を持っている為に前情報を持っているという優位は大きい。

 対する水上は炸裂弾(メテオラ)で香取の接近を防ごうと試みるも、香取は分割したグラスホッパーで幾度も方向転換を繰り返して水上に接近していった。

 

「しゃーない。水上! 上手く避けてな!」

『はぁっ!? ちょっとイコさん? どういう事です!?』

「もしもし。マリオちゃん? 俺がいま見てる所に逃げるよう水上に教えてな?」

 

 するとここで動いたのは生駒である。まだ彼がいるのは6階だ。攻撃手(アタッカー)である生駒にはこの攻防に参加する手段はないはず。

 

『ホンマにやる気か!? ああもう! ——水上! ここまで逃げ!』

 

 だがこのピンチを凌ぐためには仕方がないと細井も彼の提案に乗った。

 水上の視界にすぐ後ろの雑貨店にマーカーが浮かび上がる。急いで水上がそこへ駆け込むと、生駒が6階の吹き抜けの柵の上に登り、そして跳び降りた。

 

「——行くで」

 

 落下しながらも生駒は狙いを定める。

 居合の構えから弧月を素早く振りぬくそれは、生駒得意の必殺技であり彼の代名詞。

 

「旋空、弧月!」

 

 最大40メートルまで伸ばす事が可能であるという生駒の伸びる刃がモール内に放たれた。

 

「ッ!」

「うおっ!?」

 

 旋空は容易に柵やガラスを叩き割り、その先にいた隊員達にも襲い掛かった。香取は反応してかわしたものの、若村はよけきれず右腕を失ってしまう。

 

(これが生駒旋空! 俺ら二人を簡単に止めやがった!)

 

 生駒の旋空を初めてその目で見た若村はその威力に肝を冷やした。

 これ程の威力と射程を兼ねた隊員はそうそういない。

 急いでアサルトライフルを左手に持ち変えて態勢を整えた。

 ——そんな彼の前に。

 

『麓郎君、水上先輩ではないわ。横、来るわよ』

「えっ——」

 

 染井の警告が現実と化す。

 突如、吹き抜けの柵が壊される音がその場に響いた。

 若村がすぐにそちらへ銃口をむけると、そこには先ほどまで6階にいた生駒が立ち尽くしている。

 

「おう。うちの隊員が世話になったな」

「生駒さん!」

 

 再び冷や汗が頬を伝った。

 形勢逆転。今度は若村が危機に陥るのであった。

 

「生駒隊長が水上隊員の危機を救った! 香取隊長が外から一挙に3階へと侵入するや、生駒隊長も吹き抜けを跳んで6階から4階へと移動しつつ生駒旋空! 相手二人の動きを封じるとそのまま若村隊員を追い詰めました!」

「……皆移動手段が派手ですね。高さがある建物ではこういうフロアを跳んだ移動は確かに有効的ですが」

「でもこれで香取隊の数的優位はなくなったわ。それに、香取ちゃんがグラスホッパーで3階まで来られるって生駒隊に見せちゃったのはちょっと痛かったかもしれないわね。外の生駒隊の隊員もこれに続けるもの」

 

 ほとんどの隊員が従来の移動法を無視して行動しているという現状に嵐山は苦笑いである。特に同年代の生駒がモニターに視線を向けながら跳んでいる姿は彼にとって色々思う所があったのだろう。

 いずれにせよこれで戦局は大いに変化した。

 特に重要なのは水上が香取の動きを見ている事。外にいるのは隠岐と南沢だ。ならばこれで二人も続くだろうと加古が断じる。

 すると彼女の予想通り、隠岐と南沢がほとんど時を同じくして3階へと姿を現した。

 

「今来ました!」

「多少の遅刻は許してくださいよ」

「オッケー。上はイコさんがおれば大丈夫やろ」

 

 二人もグラスホッパー持ちの隊員だ。香取と同じ方法で窓ガラスを叩き割り、合流に成功する。

 

「3対1や。紅月君たちが来る前に仕留めるで」

 

 若村は生駒が抑えた。香取は厄介な存在だが3人がかりならば十分に仕留められる。

 三人は一斉に香取へと襲い掛かった。

 

「……ふんっ」

 

 だが、数的不利となったにも関わらず香取は落ち着いている。

 

「3対1? 何言ってんのよ」

「あっ——?」

 

 間違いを正すような言葉にどういう意味だと水上が考えた瞬間。

 

「なっ——」

 

 ——水上の首が、斜めに斬り落とされた。

 

「3対2でしょ。今一人減ったけど」

「やったよ、葉子ちゃん!」

「——そっちやったんかい」

 

 弧月の斬撃は三浦によるもの。ここまでカメレオンで姿を消していた彼が水上の隙をついて攻撃したのだった。

 

(読み誤ったか)

 

 水上が己の失敗を悔やむ。ライがバッグワームを使っていないだろうと考えた為にレーダーで見える反応は彼のものだと思っていた。だがそれはカメレオンで姿だけ見えなくなっていた三浦のもの。つまりまだライはどこかに潜伏しているという事だ。

 

「なっ」

「水上先輩!」

「しゃーない。後は頼むで」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 味方が突然の奇襲に驚く中、水上が戦場を離脱する。

 最終戦の先制点は香取隊。生駒隊は中距離戦の要であり頭脳戦にも長けた戦場のコントロール役を失うという大きな痛手を負う事となった。

 

 

————

 

 

『ライ先輩! 誰か一人が脱落しました!』

「……反応を見る限り最初からモール内にいた隊員のようだ。しかもさっき上から飛んできた斬撃はイコさんの旋空弧月とみて間違いない。少し姿が見えたし。そしてそのイコさんは同じく最初からモール内にいた隊員と相対しているようだ。となるとおそらく生駒隊の誰かが、水上か南沢がやられたな」

『はい。加えて先ほど外にいた3人の隊員が急速にモール内へと侵入に成功していました。おそらくグラスホッパーによるものだと思われます』

「なるほど。となるとやられたのは消去法で水上とみて間違いないね。加えてイコさんが相手にしているのはその水上を距離が空いている中で足止めをしていたようだから射程持ち。そっちが若村隊員だ」

 

 モール内のある場所で隠密に行動しているライは瑠花の報告を聞いてすぐに情報を整理し、戦況の確認を済ませた。

 ライは今もバッグワームをつけている。その為彼は始まった直後からすぐにレーダーから消えている隊員とモール内にいる隊員に当たりをつけていた。

 基本的に初期転送位置は部隊ごとに差が出ないように均等にエリア内に振り分けられる。そのことからライは4人部隊である生駒隊のうち二人がモール内に転送され、そして香取隊の誰か一人もモール内にいるだろうと予想していた。

 

(こうなると生駒隊は一気に攻勢に出るはず。とにかくイコさんの居場所がわかってよかった)

 

 特に生駒が上にいるとわかった事は大きい。実は先ほどライが準備をしている最中、近くの壁が偶然切り落とされて衝撃を覚えていた。危うく偶々の攻撃で脱落する所であったが、おかげですぐにその方角を警戒した事で生駒の補足に成功。結果的に大きな収穫となる。

 

『他の隊員も全員バッグワームを解除した模様です。隠岐先輩もモール内にいるようですね』

「ああ。イコさんなら一対一でも問題なく勝つだろう。となるとやはりこのモール内で決着がつきそうだ」

 

 いずれにせよ全隊員がモール内に集結した以上はここが決戦の場とみて間違いなかった。

 ならばライにとって、紅月隊にとっては好都合。

 先制点を許す形にはなかったが問題はない。その間に準備を進められたのだから。

 

「——よし。仕掛けはこれくらいで良いだろう。瑠花、そろそろ僕も動くよ。近くのフロアの詳細を送ってくれ」

『わかりました!』

 

 そして全ての準備が整った。

 瑠花からマップのデータが送られ、確認を済ませるとライも移動を開始する。

 水上の脱落により動き始めた最終戦。戦局はライの参戦により、さらなる変化が生まれようとしていた。



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旋空

 話は今から一週間程前の事。

 ボーダー本部の訓練室には三人の人影があった。

 一人はモニター室でオペレーターを務めている瑠花。彼女の視線の先で複数体の近界民(ネイバー)が配備され、そして既に撃破された後のマップに二人の隊員。忍田本部長とライの二人である。

 

『戦闘終了です』

 

 オペレーターである瑠花の声がエリア内に響く。それを耳にしてライは手にする弧月を鞘に納め、肩の力を抜いた。

 

「——さすがに、これは驚いたな」

 

 以前の騒動の際にライと交わした約束『見てもらいたいもの、指導してもらいたいものがある』を果たそうと忍田はこの場を訪れていた。

 だが実際に忍田が彼に指導した時間は一時間にも満たない。その短時間で完璧に技をマスターしたライの技量を見て、忍田は息を飲む。

 

「君の戦いはここまであえて見てこなかったが、いや想像以上だった。誰かに教えるのは慶以来の事だが、その慶を彷彿させるほどだよ」

 

 忍田は現最強の攻撃手(アタッカー)と呼ばれる愛弟子・太刀川の名を挙げてライを称賛した。するとさすがにナンバー1と比べられるのはくすぐったいのかライは困ったように笑う。

 

「買いかぶりすぎですよ。いくらなんでも最強と比べられては霞んでしまいます」

「ふむ。君はもう少し自分を誇ってもよいと思うが」

 

 謙遜とは少し違った。むしろ彼も個人戦で何度も戦っているからこそ正しく自分と太刀川の力量の差を理解し、分析しているのだろう。とはいえ本人はそう言っても忍田からしてみればライの剣術が優れているという事実は変わらなかった。

 

(剣筋に関してはボーダー内でも随一と言っていい。少なくとも技術だけならば慶にも勝るとも劣らない)

 

 恐るべきはその卓越した技術力だ。

 戦闘への応用が利く副作用(サイドエフェクト)と認定されたその能力を如何なく発揮し、忍田の教えをものにする器用さには目を見張る。

 もしも彼がこちら側ではなく向こう側として現れたのならば。有り得たであろう最悪の未来が脳裏に過ぎり、彼がこちらに来てくれて本当に良かったとこの巡り合わせに感謝した。

 

「——紅月君」

「はい?」

 

 忍田がゆっくりとライの下へと歩み寄る。

 まもなく今シーズンのB級ランク戦は終了する頃合いだ。残りの試合は今までとはくらべものにならないほど重要になってくるだろう。当然彼らに降りかかるプレッシャーも相当なもの。

しかし忍田は彼らならば無事にやり遂げるだろうと期待の意味もこめて笑顔を浮かべた。

 

「これで私から教える事はもうないだろう。ここからは君が自分の手でより腕を磨いてほしい」

「——ありがとうございます。お忙しい中、貴重な時間を割いていただき感謝してもしきれません」

「問題はないさ。私としても楽しい時間だった」

 

 そう言うと忍田はすれ違いざまにライの肩へポンと手を置いた。

 

「頑張ってくれ。君が目標に届くよう、私も応援している」

「はい。次は本部長へ良い報告をお届けします」

「ああ。楽しみにしているよ」

 

 声量は決して大きなものではなかったが、気負いも迷いもなく、強い意志が感じられた返答だった。

 沈黙を挟まずに即答できるのだから大したものだ。

 まだまだボーダーの未来は明るいなと忍田は嬉し気に目を細める。

 

「瑠花! 君も頑張ってくれ。あまり贔屓は出来ないが、私も最終戦は観戦する。しっかり応援するぞ」

『——はい! 精一杯頑張ります!』

 

 そして勿論姪にも声をかける事は忘れなかった。

 彼女も意気揚々としており緊張している素振りは感じられない。良い部隊になったものだと感心した。

 

(勝負が決まるのはおそらく最終戦だな。さて、二つの椅子を手にするのはどこの部隊になるか)

 

 A級への挑戦権を得られるのはわずか二チームのみ。

 初参戦となる彼らが手にしたとなれば記録に残る快挙だ。

 決して簡単な事ではないが、是非とも成し遂げてほしいと期待を抱いて忍田はその場を後にする。

 その後は忍田が彼らに関与することはなかった。

 最後に勝負を決めるのは、戦場に立つ少年少女たちなのだから。

 

 

————

 

 

「おーっと! ここで香取隊のカメレオン戦術が綺麗に決まった! 水上隊員が緊急脱出(ベイルアウト)! 先制点は香取隊です!」

 

 最終戦、重要となる最初の得点は3部隊の中では最も順位が低い香取隊が上げた。

 マップ選択権を持っているが故に有利となる序盤で確実に得点を挙げたという点は非常に大きい。この先の戦局を左右しかねない得点に武富の解説もここぞとばかりに熱が篭った。

 

「今のはうまかったですね。生駒隊が情報の共有に忙しい場面を見逃さずに隙をついた」

 

 嵐山も香取隊のタイミングを呼んだ動きを称賛する。

 

「生駒隊は水上隊員への逃走指示、生駒隊長の旋空の距離範囲の設定、そして南沢隊員と隠岐隊員のモール内への侵入経路の確保とオペレーターの負担が非常に大きなものとなっていました。その為にカメレオンで隠れていた三浦隊員への警戒がおろそかになったわずかなチャンスを見逃しませんでしたね」

「紅月君も姿を見せていない中でカメレオンの意識が薄れちゃったのでしょうね。多分バッグワームで消えてるのが彼だと思っていなかったんじゃないかしら?」

 

 ただでさえいまだにライが戦場に姿を見せていない中、彼に対する警戒もあって余計に対策がおろそかになってしまったのだろうと加古が分析した。彼女の言う通り今回は三浦ではなくライがバッグワームを使用している。狙い通り意識を割かれてしまい、重要な要を失ってしまった。これは生駒隊にとっては大きな痛手だろうと加古は口を尖らせる。

 

「なるほど。参戦していない紅月隊長の存在も大きかったという事ですね。——さあ水上隊員が脱落したものの戦闘はまだ続きます! 4階では若村隊員と生駒隊長が、3階では香取隊長・三浦隊員と南沢隊員・隠岐隊員が衝突! ここでさらに得点が動くのでしょうか!?」

 

 いずれにせよ水上の脱落は痛いがあくまでも一点だ。まだランク戦の行方は決まっていない。

 ここからの逆転もまだ十分あると武富が会場の騒めきにも負けじと声を張り上げた。

 モニターでは生駒隊と香取隊の面々がそれぞれのフロアでしのぎを削っている。

 同数の隊員達の凌ぎ合い。次の一点次第では順位も確定しかねない局面で、試合が動いた。

 

 

————

 

 

 横から迫る追尾弾(ハウンド)をシールドで受け止め、南沢は弧月で三浦に切りかかる。

 三浦もこれを弧月で受けると、2合3合と切り結んだところで後ろに控える隠岐からライトニングの援護射撃が数発放たれた。

 威力は低いものの弾速に優れた弾丸は、しかし三浦を襲う事はなく香取のシールドに受け止められる。

 

「あらら。普通に連携できるんかい」

「ちっ。そんなの効かないわよ!」

 

 水上を失い、2対2の様相を呈した生駒隊と香取隊の戦い。

 生駒隊は前線の南沢を隠岐がグラスホッパーとライトニングで支援していた。対する香取隊は香取と三浦が交互に南沢を攻め立て、時には片方が防御役に努め、あるいは香取が得意の機動力を生かして隠岐へと急襲を仕掛けていく。

 今もまた香取がグラスホッパーで急加速すると隠岐へと迫った。

 しかし相手もまた同じグラスホッパー使いだ。南沢の支援もあって香取の追尾弾(ハウンド)でさえ捉える事はかなわない。

 

「——ッ! このっ!」

 

 軽々と攻撃をかわされて香取は苛立ちを露にした。

 水上を落としたとはいえ若村が生駒に捕まっている以上、香取隊の射程持ちは香取のみ。一方の生駒隊は機動力に長けた二人が射程の長い隠岐の存在もあって上手く時間を稼ぎ、香取隊が深く攻め込む事を防いでいる。

 

『よっし。隠岐その調子や。そのまま凌げばうちの勝ちや』

「わかってますって」

 

 水上の指示に了承を返しつつ、隠岐が今度は三浦へ目掛けてライトニングを連射した。咄嗟にシールドを張って防御を試みるが、高低の角度をつけた射撃の一発が三浦の右足を貫く。

 

「しまった!」

「よっしゃあ!」

 

 足を撃ちぬかれ、バランスを崩した三浦へ南沢が追撃をかけた。

 一撃目こそ弧月で防いだ三浦だったが二撃目はシールドを割られ、今度は右腕を失ってしまう。さらにここで仕留めようと南沢が仕掛けると、ここで香取がアステロイドを発射。香取自身も引き返してスコーピオンで切り込んできたため追撃は叶わなかった。

 

「うおっとぉ! あっぶな。もう少しだったのに」

「十分や。下手にフロアの移動がしにくい今、俺らはこのままこの二人を釘付けにしてればええからな」

「そっすね」

 

 取り損ねたのは残念だが、隠岐の言葉にもっともだと南沢が同意を示す。

 生駒隊は香取隊のエースを引き付けた上で優位に立ち回っていた。個人能力を活かす事は勿論連携を持って役割を果たしている。さすがB級トップチームと呼べる実力であった。

 

(紅月君がどこにおるかわからない今、下手にフロア移動すれば狙われるかもしれんからなあ。それは香取隊も十分わかっとるはずや。ならうちはイコさんが来るまで凌げればそれでええ)

 

 いまだに最大の敵が潜伏している現状ではこれで十分だと水上は分析する。

 あまり動きすぎると挟み撃ちを受ける可能性とて考えられた。ならばこのまま香取隊を足止めし、生駒の戦果を待とうと生駒隊が戦局を上手くコントロールする。

 

「——ちょこまかと!」

 

 こうなると敵対している香取はフラストレーションがたまっていった。

 せっかく先制点を挙げ、生駒隊の隊長を分断して優位の態勢に立ったはずなのに生駒隊に上手く攻撃をかわされて追い詰めきれない。ライもどこにいるかわからない為あまり攻撃に専念できない事も響いていた。

 

《麓郎! あんたこっちに来れないの!?》

《無茶言うな! 出来るか!》

 

 ならばと香取は内部通信で若村に合流を要請するも、若村は射程があるとは言え相手は生駒だ。そもそもやられないように逃げるのが精一杯の状態だった。

 

「——旋空弧月!」

「うわっ!」

 

 アステロイドをシールドで防ぎ、盾の後ろから生駒の鋭い斬撃が放たれる。

 足元を狙った刃を若村は必死に跳躍してかわすが、この隙に生駒は逃げる若村との距離を詰めていった。

 

(やべえ! 追いつかれる!)

 

 勝っている射程を活かしたいところだが生駒旋空を持つ生駒から逃げ切る事は至難の業だ。アサルトライフルでは生駒のシールドを削り切る事は叶わなかった。

 このままではただ狩られるのみ。しかももしも生駒隊が得点するような事になれば生駒隊は2位以上が確定し、彼らは戦闘の中断さえあり得る話だ。

 

(どうする。どうすれば良い!?)

 

 名案が思い浮かばず、若村の頬を冷や汗が伝った。

 

『——麓郎君。あなたも吹き抜けを跳んで。一気に葉子達に合流して』

 

 その瞬間、若村の悩みを察したかのように染井の指示が飛ぶ。

 

「華さん!? でも逃げながらとなると、グラスホッパーとかの移動手段がない俺には」

『いいから。急いで。紅月先輩の奇襲にだけ気を付けて』

 

 無理だ、と言おうとした若村を遮って染井は命令を下した。

 

「……ッ! くそっ!」

「おっ? 隠岐、海。若村君がなんか吹き抜けを飛び降りたで」

 

 他に打開策はない以上、若村に選択の余地はない。最後に生駒へ向けアステロイドを放って若村も6階から飛び降りた。

 それを見て生駒もすぐに下のフロアへ報告するが、その意図はつかめない。

 合流を狙うにしても跳躍の勢いがなかった上に早すぎた。移動系統のトリガーを持たない彼はこのままではただ下へと落ちるだけなのに。

 

『葉子、サポートして』

「——そういう事ね。ったく」

 

 続いて染井は香取へ指示を出した。彼女の言葉で香取は行動の意図を理解し、グラスホッパーを吹き抜けに展開。空中に加速装置を設置する。

 

(そうか。葉子のトリガーで!)

 

 グラスホッパーを味方に踏ませて合流手段とした。これならば多少の無理な移動も可能である。

 ——なるほど、この手があったか。若村はようやく一息つく事が出来た。

 

「グラスホッパー」

 

 直後、香取のものとは別のグラスホッパーが若村の目の前に出現する。それは若村が元来た方向、すなわち上空へと加速する作用が働いたトリガーだった。触れてしまった若村はうち上げられて無防備な体を晒してしまう。

 

「なっ!?」

『よくやったで隠岐』

「そう簡単に合流なんてさせんで」

 

 水上の指示の元、隠岐が展開したものだった。

 単純に飛び降りただけならばその進行先を分析する事も容易である。水上はすぐに細井と連携して隠岐にグラスホッパーを仕掛けさせたのだった。

 

「よう。おかえりやな、若村君」

「——ッ!」

 

 若村の眼前に弧月を構える生駒の姿が映る。彼も咄嗟にアサルトライフルを生駒へ向けるが、もはや手遅れだった。

 再び生駒の旋空弧月が放たれる。

 伸びる刃は若村の体を一刀両断した。

 

「そして、サヨナラや」

「くっそっ……!」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 無機質な声が若村の脱落を告げる。瞬く間にトリオン体が崩壊し、若村は戦場を後にするのだった。

 これで生駒に得点が記録され、生駒隊が暫定一位に上昇。このシーズンの二位以上が確定する。

 

 

————

 

 

 第二の脱落者は若村。生駒隊に得点が記録され、武富の叫びのような声が観客席に木霊した。

 

「ついに生駒隊長の生駒旋空が標的を捉える! 若村隊員を斬り落としました!」

「若村隊員が逃げ切るのは難しかったですね。生駒隊長に追われ、紅月隊長の行方も分からない中、吹き抜けを使って逃走するのは難しい。グラスホッパーを使うという手段は良い判断でしたが、これは相手が上でしたね」

 

 決して判断が誤っていたわけではない。ただB級上位チームの判断力と戦闘力が上だっただけの事だと嵐山が冷静に断じた。

 

「これで生駒隊は暫定二位以上が確定です。しかもこのまま終われば紅月隊に逆転される事もないため一位で終了となります。ここから先はタイムアップを狙っても良い展開にはなりましたが……」

 

 この得点は非常に大きい。武富の視線の先、モニター上では暫定順位が更新されて暫定一位となり、生駒隊の二位以上は確定した。生駒隊の順位変動は紅月隊の逆転によってのみ生じるという事になる。

 ならばここからは逃げ切りを図るのだろうかと武富は解説席に問いを投げた。

 

「まあないでしょうね」

「そうね」

 

 しかしそれはないだろうと嵐山も加古も彼女の意見を否定する。

 

「どうしてでしょう?」

「水上隊員などはその手を考えたりするでしょうが、おそらく生駒隊長が否定するでしょう」

「ええ。他の隊員が相手ならまだしも、相手が紅月君でしょう? ならきっと勝負を続けるはずよ」

 

 生駒やライの事を、二人の関係を知っている二人はその性格を読み、まだまだ試合は続くだろうと予見していた。

 

 

————

 

 

『ライ先輩! 若村隊員のものと思われる反応が消えました!』

「ああ。おそらくイコさんが獲ったね」

『この得点で生駒隊が暫定一位です。下手すればモール外に出て一位の座を守ろうとするかもしれません』

「——いや、それはないよ」

『えっ?』

 

 一方、ライもまた瑠花の不安を一蹴するように生駒は戦闘を続行するだろうと指摘する。

 「どうしてですか」と問われるとライは小さく笑みを浮かべて話を続けた。

 

「『逆転されるのを恐れた』と言われかねない展開だからだ。イコさんにはこれまで何度か似たような話をしてきたからね」

 

 生駒は決して戦闘狂というわけではないが人気を欲するという一面を持つ。

 そんな彼がここで戦闘を放棄するような事はしないだろうと、かつての経験からライは師の性格と行動を読んでいた。これが生駒隊の得点機会が迫る中、ライが落ち着いて行動できていた理由である。

 

「そしてこうなればきっとイコさんは合流を選ぶだろう。香取隊も得点が欲しいから潜伏されるのを恐れて逃げる事はしないはずだ。つまり敵が同じフロアに集まる。——新技の見せ所だ」

 

 まもなく敵だらけのエリアが発生する、一人部隊である彼には厳しい展開であるはずなのに。

 ライは狙い通りだと言うように笑みを浮かべるのだった。

 

 

————

 

 

「——駄目や。続けるで」

 

 案の定、生駒は水上の『撤退も手ですよ』という提案をバッサリと切り捨てる。

 

『まあそう言うと思うとったけどなあ』

「アカンやろ。師弟対決がまだやっちゅうのに俺が逃げてどうすんねん。真っ向から弟子を打ち破ってこそ意味があるんや」

『この人はまだあん時の話を……』

『相変わらず負けず嫌いやなあ』

 

 わかっていた事だとチームメイトはため息をついた。

 そう。かつてライが何度か生駒をのらせるべく発言した内容が今もなお響いているのだ。

 こうなったら譲らないだろうなと皆生駒の頑固な性格を理解している為それ以上強く指摘する事はない。

 

『わかりましたよ。まあじゃあイコさんもとりあえず隠岐達と合流や』

「おう。今行くで。——せや。ついでやからライをつれるようにまた吹き抜け通ってくわ」

『えっ。ちょっ、イコさん!?』

「隠岐、海。またグラスホッパーをどっちか頼むで」

 

 まるで「少しコンビニに寄って行くか」くらいの感覚で生駒は吹き抜けの柵を蹴った。

 一応防御不能である旋空の不意打ちが来たら危険である為、彼もすぐに反撃できる体勢——すなわち常に抜刀し旋空を撃てるように構え、カメラ目線で落ちていく。

 

『またっ!? 俺ら今戦闘中なんですけど!?』

 

 突然の命令にたまったものではないと隠岐達は不満の声を上げた。だがもう行動してしまった以上は仕方ないとグラスホッパーを再び起動。生駒の進路上にグラスホッパーの光が出現する。

 これで問題はない。生駒は一応周囲を警戒して見回した。

 

「——エスクード」

「おっ!?」

 

 すると隠岐たちがいる3階よりさらに下の階、2階からカタパルトエスクードによってすさまじい加速をつけたライが弧月を手に生駒へ切り込んでくる。

 

「どこおったんや自分!? ようやく来おったな!」

 

 負けじと生駒も弧月を抜刀。辛うじてこの奇襲を受け切るが、勢いは完全に殺しきれず生駒は3階に弾き飛ばされた。

 

「うおっ!?」

「イコさん!」

「おっ。ナイスや海」

 

 南沢が新たにグラスホッパーを使い、生駒の足場とする。すかさず生駒は二人の下へと駆け込んだ。

 

「あいつっ!」

「葉子ちゃん、一度下がろう!」

「なっ。ちょっと!」

 

 新たに姿を見せた二人の隊員。生駒、そしてライの姿を見て香取の目が憤怒に染まる。

 三浦は二部隊に挟まれてはまずいと香取の手を引いた。勝手に決めるなと香取は声を荒げるが。

 

「——ッ!」

 

 着地したライがすかさずバッグワームを解除。弧月を一度鞘にしまい、居合の構えを取った事で香取の注意力は高まった。彼と生駒隊、そして香取隊との距離は同じくらい離れておりおよそ30メートルといったところ。

 普通の攻撃手(アタッカー)ならばまず届かない間合いであるはず。

 

「あっ。アカン。こらアカンわ」

 

 ——だが。

 香取だけではない。生駒もまた本能が危険を察知していた。

 生駒も反撃に転じれば多少は防げるだろうが、おそらくその全てを防ぐ事は難しい上にライが放つ方が早い。

 

「隠岐! 海! 全力で逃げや!」

「はっ?」

「へっ?」

 

 すぐに生駒は二人へ命令を出した。自分もシールドを起動し、弧月を構えて防御の体勢を取る。

 

「旋空——弧月!」

 

 そして、ほとんど同時に放たれた三つの斬撃(・・・・・・・・・・・・・・・・)が隊員達へと襲い掛かった。

 南沢が、隠岐が、三浦が。三人が同時に斬り落とされる。

 ライが三連続で起動した旋空弧月によって。

 

「えっ——えっ?」

「……嘘やん」

「そんな」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 一気に3人の隊員が戦場を離脱した。

 

「——こいつっ!」

 

 味方がやられ、香取は歯を食いしばってライをにらみつける。

 彼女は運よく勘づけたからこそ回避が間に合った。だがもう少し遅ければ彼らと同様に一刀両断されていただろう。

 

「おいおい。完成してた上に、改良されとるやんけ」

 

 生駒もまたかつての自分の発言を思い返して小さく舌を鳴らす。

 

『ヤバいな。えっヤバない? ヤバいよな。あと一年もしたら紅月旋空とか呼ばれる技作ってそうなんやけど』

「ようやく出おったな。『紅月旋空』」

 

 防御は勿論回避も難しいライの切り札だ。

 予想した時期よりも早く完成し、そして予想の威力を超えた剣技。

 弟子の新技は師匠の度肝を抜くには十分すぎるものだった。

 

「——あと一点。取らせてもらいますよ」

 

 一挙に3得点を獲得したライは再び弧月を構えると改めて師匠達へ宣戦布告する。

 A級昇格の挑戦権は目前だ。残るはただ一点。必ずや手にしてみせると火花が散った。



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決着

「——見事だ」

 

 従来の観客席の上に設置されている談話室。一部のA級隊員や上層部の人間が他の隊員達とは離れ、落ち着いた空気でランク戦を観戦するために設置された部屋だ。

 その一室で上層部の一人である忍田が短く呟く。彼の右腕が小さな握りこぶしを作り、彼の感情を示していた。

 

「まさに一閃ですね。今のはもしや忍田本部長の教えですか?」

 

 忍田の隣で観戦していた唐沢はかつて一度だけ防衛任務の映像でみた忍田の四連続の斬撃を思い返して呟く。今のライが放った技は『ノーマルトリガー最強の男』と呼ばれる忍田の技を彷彿させるものだった。

 

「確かに私も少し指導はしましたが、以前から素質はあったようです。私は最後の仕上げをしただけですよ」

「これは驚いた。距離もそうだが威力が凄まじい。三連続で放てるとなればより脅威は増すでしょう」

「ええ。彼の大きな武器となりうる」

 

 防ぐことが難しい旋空の連撃だ。

 並の隊員ではたとえ来ることがわかっていたとしてもよけきれない可能性が高い。何も対策がない状態では今のように撃破されてしまう事だろう。

 最終戦に至ってこの破壊力を武器にできた事は非常に大きなものだった。

 

「これで残るは三部隊の隊長のみだ。地力の勝負になるでしょう」

 

 そう言って唐沢はモニターへと視線を戻す。

 隊長達はみなダメージがなくトリオンの消費も少ない状態だった。

 残り人数が同じとなればあとは純粋に隊長達の実力勝負だ。どの部隊にも勝機がある。

 

「——頑張れ」

 

 短い期間とは言え教え子であり、そして姪の部隊である紅月隊は勿論の事、生駒隊・香取隊へも向けて忍田は声援を送った。

 この試合が終わった時、誰も後悔しないように今ここで精一杯戦い抜いて欲しい。それが忍田の本音だったから。

 

 

————

 

 

「決まったー! 紅月隊長、旋空弧月を三連撃! 紅月隊の本日初得点は一瞬で戦況を変える大量得点となりました! 南沢隊員・隠岐隊員・三浦隊員が一斉に緊急脱出(ベイルアウト)!」

 

 同じころ、観客席では武富のはち切れんばかりの声が木霊する。

 普段はオーバーリアクションが目立つ彼女だが、今回ばかりは仕方がなかった。他の観客たちも皆彼女と同じような反応を示している。それだけ彼ら彼女らの眼前で放たれた技はすさまじいものだった。

 

「驚きましたね。ランク戦が始まる前、加古隊長が話していた事がこのような形で本当に実現するとは思いませんでした」

「私もよー。まだあんな隠し技持っていたなんて知らなかったもの。まさか最終戦まで取っておくなんて紅月君も意地が悪いわね」

 

 嵐山に話を振られた加古は不機嫌そうに頬を膨らませる。

 『一度に敵を殲滅する術』。初戦のように何かしらステージに仕掛けをして戦略的な策を実行するという事は想像していた。だがまさか今回のような力技で戦術的に敵を一掃するとは予想外の事である。

 

「あれは誰だってビックリするって。俺らだって初めて見たぜ。本部長を思い出したわ」

 

 いつもライと個人戦をしている米屋達とて同じこと。まだ余力を残していたのかと冷や汗を浮かべた。

 

「数で押せるのは大きいな。距離では生駒さんに後れを取るかもしれないが、射程に入れたならば旋空同士での打ち合いでも押し勝てる可能性が出て来た。タイミングによってはあるいは……」

 

 一方、米屋の隣では三輪が冷静に分析を続ける。

 まだ敵には旋空弧月のスペシャリスト・生駒が残っていた。彼がいる中では本来旋空弧月で得点する事は難しいが、ライの新技ならばそれも出来るかもしれない。これは大きな強みである。

 

「さあこれで三部隊の戦力は拮抗する形となりました! 最終戦残るは三人のみ! 生き残るのはどの部隊だ!?」

 

 いずれにせよ生駒、ライ、香取と三人の隊長達が残った現状ならばまだ勝負の行方は読めなかった。

 勝負の行方は如何に。武富の実況はまさに隊員達の心を代弁するものであった。

 

 

————

 

 

「やってくれるやんけ」

 

 生駒はゴーグルの位置を調整しながら呟く。

 いつかは来るとは思っていた。そのいつかがまさかこのような大舞台となるとは。 

 なんとも——羨ましい。

 

「アカン。これ絶対観客席盛り上がっとるやろ。またあいつばっか目立っとるやん。俺も旋空決めたっちゅうのに」

 

 まさにその通りなのだが、生駒はこれを見ている人たちがライに注目しているのだろうなと憤りを覚えていた。

 

『落ち着いてください、イコさん。前にライ君も言ったでしょ? そのライ君倒せば一気にイコさん大注目ですよ』

「せやな! やっぱ勝った方が正義か!」

『——もうそれでいいんで気をつけてください。まだ香取ちゃんも残ってますから』

 

 そう言って水上はため息を吐く。

 本人がやる気を出してくれるならばこれで良いだろう。水上の言う通りまだ三つ巴の状態。下手に動いて二部隊が連動されても困る。動きに注意してくれと厳しく忠告し、彼も敵の一挙一動を観察するのだった。

 

「……何なのよあいつ! あんなの前は使ってなかったじゃない!」

『葉子落ち着いて』

『突っ込もうとか考えるなよ! 旋空で吹っ飛ばされるぞ!』

「うるさい! わかってるわよ!」

 

 対して香取は怒りの感情を隠せずにいた。表情の変化が露骨に生じている中、染井や若村の静止の声が飛び交う。

 言われずとも香取とて無策に飛び込む程冷静さを失っているわけではなかった。

 もしも香取がどちらか一方に突撃すれば残った隊員の旋空弧月が飛んでくる事は明白である。旋空はシールドさえたやすく破壊する強力な武器だ。グラスホッパーがあるとはいえ慢心はできなかった。

 

(できればあいつらが仕掛けた時に動きたい。——可能なら二点欲しい。その上で生存点も加われば、間違いなく残れるはず!)

 

 この戦いは香取隊にとっても上位グループ残留がかかった大事な試合なのだ。

 安易に動いてしくじるわけにはいかない。香取は必死に感情を押し殺した。

 

『ライ先輩。このフロアマップとの情報適合が終了しました』

《ありがとう。これで条件は全てクリアだ。もしも二人——いや、違うな。イコさんだけでいい。イコさんが条件に達したら教えてくれ》

『わかりました』

 

 一方の紅月隊はライが声にはださない形の内部通信で瑠花との情報共有を行う。

 三得点を手にした直後とはいえ油断はなかった。必ずや勝利を掴むべく、ライは敵を仕留める策を試みる。

 

《いずれにせよあと一得点は必ず必要となる。もう少しだ。——行くよ》

『はい!』

 

 最後に今一度瑠花に奮起を促してライは仕掛けていった。彼が足元に右手を付けると、その手と触れた部分の地面がうっすらと光る。

 

「エスクード」

 

 再びエスクードカタパルトが発射された。ライが突撃する先は、剣の師である生駒である。

 

「ッ! 来るんか、ライ!」

「あなたをフリーにさせるわけがないでしょう!」

「上等や!」

 

 その急加速を前に旋空弧月の起動は間に合わなかった。生駒は手にした弧月でライの斬撃を受けると、ここから二人の斬り合いが始まる。

 二撃、三撃と金属音が耳を打った。

 

(向こうに仕掛けていった? 今なら!)

 

 ライの突撃を見て、香取がしめたと口角をあげる。敵同士がぶつかり合っている今はチャンスだ。香取は拳銃を手に取った。

 

『待って、葉子!』

「はっ?」

『そっちじゃない!』

 

 だがある事に気づいた染井が制止の指示を出す。

 何事かと香取が問おうとしたその瞬間。ライが加速したエスクードの陰からいくつもの射撃が香取へ向けて撃ち放たれた。

 

変化弾(バイパー)!?)

 

 ライの発射と同時に仕掛けていた変化弾(バイパー)の置き玉である。

 おそらく香取の意識が攻撃に割かれると考えて設置していたのだろう。しかし染井の助けもあり香取はシールドで防御する事に成功した。

 

「おいおい。女の子を狙って不意打ちするようなやつに育てた覚えはないで!」

「大丈夫ですよ。男女平等に接するようにと、もう一人の師匠に教わりましたから」

「ああん!?」

 

 遠くで射撃トリガーが発射された光景を目にし、生駒はライに説教を始める。そんな師匠の叫びを右から左へと受け流してライは笑みを浮かべた。

 すると全弾が香取へと向かっていったと思われた変化弾(バイパー)の一部が途中で向きを変えて生駒に側面から襲い掛かる。

 

「那須さんかっ!?」

「ええ! その通りです!」

 

 まさに那須本人のものかと思わせるような攻撃。

 生駒はサブトリガーのシールドで防ぐものの、これで意識がわずかに逸れたのかライの突きが生駒の頬を捉える。

 

「チッ!」

 

 わずかに漏れ出したトリオンを見て生駒が小さく舌を鳴らした。

 

(アカンわ。近すぎる!)

 

 何とかライを突破したいが、この近距離では旋空弧月の真の威力を発揮できない。普通の相手ならば剣の勝負でも十分打ち勝てるが目の前の敵は並の実力ではなかった。

 

「——ホンマ、楽には勝たせてくれんなあ!」

「当たり前でしょう。勝ちに来てるんですから」

 

 再び切り結ぶ二人。剣と剣の打ち合いが繰り広げられ、互角の展開が続く。一歩も譲らない師弟対決だった。

 

「うっ!?」

「おっ?」

 

 だが突如何の前ぶれもなく斬り落としを計ったライの体が後方へと弾きだされる。

 生駒の攻撃ではなかった。香取の起動したグラスホッパーにライがぶつかり、その衝撃で後方へと飛ばされたのである。

 すかさず生駒が警戒すると香取の放った追尾弾(ハウンド)が生駒に迫った。これを生駒は弧月で斬り落とす中、香取本人はスコーピオンを手に強襲を仕掛ける。

 

(負けられない!)

 

 香取隊としてもこのまま二人の得点を許すわけにはいかなかった。同時に行われている中位グループの様子がわからない以上、一点でも多くの得点が欲しい。まだ香取隊の得点は一得点のみ。これ以上得点の機会をみすみす失いたくはなかった。

 ならばと香取が勝負に出る。

 

「さすがに来たか」

「落とす!」

 

 突然の衝撃にバランスを失ったライ目掛けて香取が接近。機動力に関しては香取とて負けないのだ。

 さすがに予想できなかった仕掛けにライの笑みが苦笑に変わった。

 

『ライ先輩。後ろに設置物があります!』

「——ありがとう」

 

 すると彼を助けたのは瑠花だ。

 彼女の言う通り、彼の吹き飛ばされた後方——アクセサリーショップのお店の前には看板が立てられていた。すぐさまライは左手を伸ばしてショップの看板を手に取ると香取目掛けて投擲する。

 

「なっ!」

 

 斬りこもうとしていた上に加速していた状態では防御は間に合わなかった。咄嗟に左腕でガードするも、香取は看板の直撃を食らって怯んでしまう。

 そこにライの斬撃が襲い掛かった。

 

「——こっ、のおっ!」

 

 刃先が目前に迫る中、香取は必死に回避を試みる。

 彼女が起動したのは機動戦の命であるグラスホッパー。腕の先に展開するとこれを叩いてあっという間に姿勢を下げる。

 頭を狙った剣をかわすと同時に足にスコーピオンを展開し、ライの足元に足を振った。

 

「さすが」

「ッ」

 

 これをライはシールドを展開して防ぐ。

 執念の一撃さえ封じられ、思わず香取は歯を食いしばった。とは言え悔しがってもいられない。すぐに地面を蹴って次の行動に備えようと動き出すが。

 

「旋空、弧月」

「むっ」

 

 無情にも生駒の旋空が解放される。起動に気づいたおかげでライは跳躍して回避できたものの、直線状にいた香取は右足を切り落とされてしまった。

 

「ッ――」

『葉子、下がって!』

「くそっ」

 

 染井の指示に従い、香取はグラスホッパーを使って距離を離す。

 三つ巴の中、自分だけが大きなダメージを負い、自慢の速さも半減となった。これは戦況に影響するだろう。

 再び距離が空いた事で戦況は一時停滞した。衝突前と同じ状況だが、状況は少し異なる。

 

(さすがに先ほどのような突撃は無理だろうな)

 

 先ほどのライはカタパルトエスクードを使って生駒との距離を詰めて旋空を封じたものの、今は生駒も警戒している為、加速の為にエスクードを使おうとすれば距離を詰める最中に旋空を放たれるだろう。そうなればライも防ぐことは出来ない。

 

(かといって旋空を、と簡単には選べない。見せた直後だからイコさんも警戒しているだろうし、何より一発目が遅れればやられるのは僕の方だ)

 

 ならば旋空での対決と言いたいところだが生駒は居合の達人だ。射程は勿論のこと抜刀速度も速い。その為もしも旋空のタイミングがわずかでも遅れてしまったならば一方的に斬られてしまう恐れがあった。

 

『……瑠花。一つ確認したい。——————?』

『はい。———————————————————』

『そうか』

 

 ライが瑠花に確認しようと通信を繋ぐ。

 ある事を問い、そして彼女から臨んだ返答を耳にしてライは通信を切った。

 条件は問題ない。ならば上手く立ち振る舞えれば生駒を撃破する事が出来る可能性が高かった。

 

(——やるしかないか)

 

 香取が足を失った直後であり、タイミングを窺っている今が好機。大きく息を吐いて呼吸を整え、ライは勝負に出ようと決意を固める。

 

「イコさん」

「おっ? なんや?」

 

 大きな声で生駒を呼んだ。呼びかけに生駒が用件を問うと、ライは弧月の切っ先を生駒に向けて話を続ける。

 

「今なら香取隊長も動きにくいでしょう。どうですか? ここで決着をつけるつもりはありませんか?」

「——おう。奇遇やな。俺もそう言おうかと思っとった所や」

 

 生駒にとっても悪い話ではなかった。むしろ彼は師弟対決を制しての勝利を望んでいたので好都合である。

 

「来いや。旋空でもエスクードでも変化弾(バイパー)でも。全部叩き切ったるわ」

 

 弧月を鞘にしまい、半身を退いて身構える生駒。いつでも旋空を撃てる姿勢を取りライを待ち構えた。

 生駒とて先ほどのライの旋空を目にしたが、それでも十分自分の技ならば勝てると考えている。

 伊達に生駒旋空と呼ばれていたわけではなかった。付け焼刃の技くらい、凌いで見せる。

 

「本家本元の旋空、見せたるで」

 

 なによりも、敵の新技が出たこの戦いで生駒が生駒旋空で勝ってこそ価値がある。

 二人の距離は旋空の射程範囲だった。どのような手を講じようと、生駒はそれを己の代名詞である旋空で乗り切って見せようと断言する。

 

「望むところ」

 

 生駒の返答を聞いてライは口角を上げた。

 ——やはりイコさんは勝負にのってくる。

 予想通りの展開だ。

 ライは弧月を右手に持ったまま、左手を地面につけた。

 

(エスクード? 突撃か?)

 

 あの構えは先ほどのカタパルトエスクードを起動した時と同じ。旋空はエスクードさえも容易に切り裂く威力を誇っている為防御に使う可能性は低い。ならば旋空よりも早く切り込もうとしているのか、あるいはどこかで壁を蹴るなどの手段で旋空をかわし、その隙を突こうというのか。

 

「舐められたもんやな。同じ手は二度も通用せんで!」

 

 いずれにせよ同じ手は通用しない。

 たとえ向きを変えようとしても、構えている今ならばライの発射後、軌道を見極めた上で旋空を撃つことだって可能なのだから。

 生駒が冷静にライの動きを観察する中、ライが位置する地面が光り輝く。

 

「エスクード」

「やっぱりか! 無駄や!」

 

 どれだけ勢いをつけようと無駄だ。この一閃で勝負を決めてやると生駒は弧月を握りしめる。

 変わらずライの動きをしっかりと見極め続けて——

 

「……あっ?」

 

 突如生駒の足元で大きな爆発音が轟いた。

 体に生じた謎の衝撃と浮遊感に包まれる。

 一体何が起きたのか、生駒が恐る恐る視線を下に下げると——彼の下半身は跡形もなく吹き飛ばされていた。

 

「……はっ?」

 

 生駒の体は爆風に飲み込まれ、彼の下半身が地面ごと爆ぜたのである。

 

「はっ? おい。なにしたんや、これ? エスクードちゃうんか?」

 

 先ほどの構えから考えても、地面に生じた光から考えてもエスクードで間違いないはずだ。

 それなのに何故。

 生駒の理解が追いつかぬまま、残った上半身にも亀裂が生じた。もはや緊急脱出は免れない中、生駒はこれを実行したであろう弟子に最後の問いを投げかける。

 

「解説なら後でいくらでもしますよ」

「……そっかー。折角の見せ場やったのに悔しいわ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

「ほな、また後でな。瑠花ちゃんにもよろしく」

 

 上体だけとなった生駒は最後にライと問答をかわしてその場を離脱していった。

 これで紅月隊の得点は四点。暫定ではあるものの単独首位に立ち、同時に今シーズンの二位以上も確定させる。

 

(……生駒隊が全滅! じゃあ残るは私とあいつ一人。こうなったら何としてもあいつを取って生存点を獲らなきゃ。上位グループ残留なんて無理じゃない!)

 

 二人の会話を外から眺めていた香取はランク戦の展開を理解し、悔し気に唇を咬んだ。

 前回一対一で手痛い敗北を喫した相手との一騎打ちするしかない展開だ。

 

「さあ、あと一人」

「——嫌なやつ」

 

 自軍の勝利は既に決まっていながら、タイムアップを狙うのではなくまだ強欲に点を獲ろうと自分を見るライに香取は心底嫌気がさした。

 

(とはいえ長期戦では足がないしこっちが不利なはず。こうなったら、速攻で勝負を決めてやる!)

 

 ならばその表情を崩してやると香取が勝負に出る。

 サブトリガーの追尾弾(ハウンド)を横に撃ち放つと、グラスホッパーで急加速。加速した状態で地面を勢いよく蹴り上げ、ライの上を飛び越えていった。

 

「ッ!」

「そこっ!」

 

 残った左足で天井を蹴り、両腕のスコーピオンで斬りかかる。

 弧月で受けられるが、ここで先ほど放った追尾弾(ハウンド)が遅れてライに襲い掛かった。

 

「ぐっ!」

 

 シールドで防ぐものの、この間にも香取は再び切り込んでくる。ライも得意とする一人時間差攻撃だった。

 

「——変化弾(バイパー)

 

 戦況を打破すべく、ライは弧月を大振りし香取を弾き飛ばすと、後退しながら変化弾(バイパー)を起動。上空から、左右からあらゆる方角から射撃が行われた。

 香取は舌打ちしながらも分割シールドでこの攻撃を防ぎきる。そしてしのいだ直後、ライが弧月を鞘にしまい、居合の構えを取る光景を目にした。

 

(旋空! させない!)

 

 あの三連撃を撃たれてしまえば今の状態では十中八九防ぐことは出来ない。香取は先ほどライがやったように旋空を撃つ前に接近しようとグラスホッパーで加速した。

 片足を失って機動力が下がっている今、香取に余裕はない。

 

(撃つ前に止めてやる!)

 

 相手の行動が放たれてからでは手遅れだという思考が彼女を急かした。

 だからこそ、ライの構えから旋空であると判断した香取は敵の足元が光っている事に気づけない。

 

「ッ!?」

 

 突如横から加わった衝撃に香取は目を見開いた。

 それは香取のすぐ横、吹き抜けの硝子から生やされた小さなエスクード。凄まじい勢いに押し飛ばされ、片足しかない彼女は簡単にバランスを失ってその場に倒れこんでしまう。

 

「あっ!?」

「——旋空弧月」

 

 そして身動きの取れなくなった香取に向け、旋空の三連撃が容赦なく襲い掛かった。

 

 

————

 

 

 

「——とりあえず、私たちの試合はこれで終わりですね」

「ええ。そうね」

 

 那須隊の作戦室には隊員である4人が全員揃っていた。

 日浦が少し寂し気にそう言うと熊谷も彼女の意見に同調する。

 彼女たちも上位グループと同じ時間に始まった中位グループ夜の部で戦っていたのだ。それが先ほど終わり、上位グループより一足先に今シーズンを終えていた。

 

「大丈夫ですか、那須先輩?」

「ありがとう。大丈夫よ」

 

 志岐が心配そうに顔を覗き込むと、那須は彼女を手で制して無事をアピールする。

 

「最後は勝ちたかったから、少し残念だけどね」

 

 那須が悔し気にそう呟いた。

 最終戦の那須隊は二得点を挙げたものの、柿崎隊・荒船隊との勝負に敗れている。

 

部隊得点生存点合計
柿崎隊325
那須隊2 2
荒船隊2 2

 

 僅差の試合であったが為、余計に残念に思ってしまった。

 

「……ねえ。たしかここから他の試合も見れるのよね?」

 

 とはいえいつまでも悔しがってばかりいるわけにもいかない。

 それよりも確かめなければならない事があった。那須は室内のモニターを指差して志岐に問う。

 

「はい。映しますか?」

「お願い」

「わかりました。少し待ってくださいね」

 

 隊長の願いに応えるべく志岐はすぐに自分の机に戻り機器の操作を始めた。慣れているだけあり彼女のキーボードを叩くスピードはとても速い。

 

「やっぱり上位グループの試合?」

「ええ。私達の順位と——紅月先輩達の結果も気になるから」

 

 やっぱりねと熊谷はうなずいた。上位グループの結果次第で那須隊の順位も変動する。加えて知人がA級昇格の挑戦権を得られるかどうかという試合でもあった。気にならないわけがない。

 程なくしてモニターに上位グループの試合画面が表示された。

 

「あっ——」

 

 その画面を目にして、那須は目を丸くする。

 彼女だけではなかった。熊谷も、日浦も、志岐も。

 マップにただ一人だけ立っている男の隊員が、弧月を天高く掲げている光景を目にして、全てを理解した。

 

「——勝ったんですね。紅月先輩」

 

 

————

 

 

「ここで試合終了!」

 

 最後の緊急脱出(ベイルアウト)を見届けて観客席では歓声と拍手の音が鳴り響いた。

 C級隊員だけではない。解説席の加古や嵐山も微笑を浮かべて彼ら彼女らの奮闘を讃え、正規隊員達も訓練生同様の反応を示していた。

 活気だつ周囲の声に負けじと武富も実況の役目を全うする。

 

「B級ランク戦ROUND20。上位・夜の部は——紅月隊の勝利です!」

 

部隊得点生存点合計
紅月隊527
生駒隊1 1
香取隊1 1

 

 勝ち取ったトップの座。紅月隊が最終戦で勝利をおさめ、A級への挑戦権を手にした瞬間であった。



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総評

「——勝った」

「ライ先輩!」

「瑠花」

 

 ランク戦が終了。ライが紅月隊の作戦室に戻ると瑠花がすぐに彼の下へと走り寄って来た。

 

「お疲れ様」

「はい。お疲れ様です。ようやく、終わりましたね」

「——ああ。ありがとう。ここまでご苦労様」

 

 瑠花の笑顔につられるようにライも笑みを浮かべる。

 3か月という長い期間に及んで行われた戦いが実を結んだのだ。その喜びは計り知れない。

 

「無事に目標達成だ」

「よかったです。本当に、よかった」

「最後まで助けられたね。まずは総評を聞くとしようか」

 

 全てのランク戦が終わりを迎え、あらゆる緊張感から解放された。

 あとはただ結果を聞くのみである。二人は肩の荷を下ろして解説に耳を傾けた。 

 

 

————

 

 

「あー。やっぱ最後あいつが全部取ってったなー。旋空打てんかったのが痛いわ」

 

 同時刻、生駒隊は隊長の生駒が敗戦を嘆いていた。

 最後の師弟対決さえ制していれば単独首位。このランク戦の勝利も可能だったのだ。悔やむのも仕方のない事である。

 

「それもそうですけど、彼の潜伏を許しちゃったのが痛かったですよ。あれでイコさんやられちゃったわけだし」

「そういえばあれ結局何やったの? あいつエスクード使ったんとちゃうの?」

 

 隠岐の言葉にふと先の記憶を思い返して生駒は疑問を呈した。

 ライの足元に見えた光は幾度と見たエスクード起動の合図であるはず。しかしながらエスクードにはあのような攻撃性能は持ち合わせていなかった。一体どういうカラクリなのかとチームメイトに意見を求める。

 

「まあおおよその予想はつきますけど、とりあえず解説を待ちましょ。嵐山さん達が全部話してくれるでしょ」

「そういえば今日の解説嵐山やったんか! そら聞かな!」

 

 この件については水上が既に分析を終えていたが既に勝負がついた以上、焦る事ではなかった。

 水上の指示に従って生駒は解説席へと移ったモニターへ視線を戻す。

 全ての勝負は終わったのだ。ならばあとはさらなる強さを身に着ける為。精鋭と呼ばれるもの達の言葉に耳を傾けた。

 

 

————

 

 

 一方、その頃の香取隊作戦室。

 

「葉子。解説そろそろ始まるわ」

「……聞きたくない」

 

 脱出後から香取は未だにソファから立ち上がらず、枕に顔を埋めている。

 幼馴染である染井の声にすら従わずに不満をあらわにしていた。

 

「お前な。終わってしまったものは仕方ねえだろ! さっさと切り替えろよ!」

「うるさい。あんただってあっさりやられてたんだから黙ってて」

「ああ!?」

「やめてよ! ろっくん、僕達だけでも解説を聞いておこう?」

 

 視線さえ上げることなく痛い所を突いてくる香取に若村の怒りは高まるばかりだ。

 このままではいつまでたっても話が進まない。三浦は強引に間に入って話を打ち切ると、部屋を出てモニターの前まで移動していった。

 

「……くそっ」

 

 声が聞こえなくなった事を確認し、香取はソファを乱暴に叩きつける。

 

「これが、壁だって言うの?」

 

 認めたくはなかった。

 これまで通り自分の才能で上に行けると信じたい。

 だが、幾度もの試合を経て香取は壁を感じていた。自分の力では乗り越えられない『上級者の壁』と呼ぶべきものを。

 攻撃手(アタッカー)を諦め、銃手(ガンナー)を諦め、そして万能手(オールラウンダー)としての道を進もうと決めたのは最近の事だ。

 その万能手(オールラウンダー)という同じポジションであっさりとB級を勝ち抜いていった存在の出現により、香取は限界を感じ取る。

 

(葉子?)

 

 彼女らしからぬ発言を耳にして、染井は首をかしげるのだった。

 

 

————

 

 

「前半戦は香取隊、生駒隊が交互に得点を取り合い、その後潜伏していた紅月隊長が怒涛の連続得点を挙げ、紅月隊が逆転勝利をもぎ取ったこの試合! 解説のお二方としてはいかがだったでしょうか!?」

 

 解説席では武富が嵐山と加古へ話題を投げ、二人の言葉を待った。

 

「やはり紅月隊長が出現と同時に見せた新技が大きかったですね。あれで一度に敵を減らせた事が大きかった」

「そうね。生駒君と香取ちゃんは少し勘づいたように見えたけど、皆反応が間に合ってなかったわね。ただの旋空ならばよけきれると思ったのかもしれないけど、さすがに3連撃は予想出来ていなかったはずよ」

「今回の紅月隊の勝利はあの三得点が大きく響いたと言ってもよいでしょう。一度に敵を減らした事で二部隊の圧は大きく減りました」

 

 やはりポイントとなったのはライの新技が決まった瞬間だろうと二人は話す。

 あの時点では生駒隊は3人、香取隊は2人残っており、3対2対1と紅月隊は数的不利となっていた。その場面から一撃で1対1対1へと持ち込む。簡単に出来る事ではなかった。

 得点の面からみてもぐっと勝利に近づいている。

 大きな勝因になっていたという事は誰の目から見ても明らかであった。

 

「あの旋空は範囲が広いから敵が残っていればいる程効果が期待できそうね。多分、生駒君が来るであろう瞬間を狙っていたんじゃないかしら」

「ありえますね。戦局が三つ巴に変われば基本的に後ろを取られるのを避けるため間合いを取るのが自然です。そこを狙ったというのも大きなポイントでしょう。そう考えると潜伏していたのは、敵が揃うのを待っていたという狙いもありそうですね」

 

 多人数の敵を同時に撃破出来る程の威力を誇る新技だ。

 加古も嵐山も、ライの狙いをしっかり理解していた。

 一人部隊であるライにとっては敵の合流が果たされる事は不利である為、普段は速攻をしかけている。だからこそ今回はその裏をついた。一度に敵を多数葬る新技で意表を突くためにあえて合流を許したのだと。

 

「えっ。あいつそこまで考えてたん?」

「まあ実際あれ下手すればもっとやられてもおかしくなかったですからねー。まんまと予想を外されましたわ」

 

 大量得点は紅月隊にとっては必須な事。故に敵が揃うのを待っていたのだという弟子の狙いを知った生駒は開いた口が塞がらない。

 下手すれば一人である彼が撃破される危険性が高まるというのに、そのリスクを承知で本番で大技を決める。

 とんでもない事を簡単にやってのけたものだと水上はライを称賛するのだった。

 

「というかそうするしかなかった、というのもあるけどね。4点必要となると最低でも二人は落とさなければならない。でもさすがにショッピングモール内での戦闘となる以上、遠距離狙撃は出来ない上にステージを動かす手は簡単ではなかったから安全を確保しにくい。マップ選択権を持つ香取隊の狙いがこっちに向くのは避けたかったし、速攻中にイコさんの旋空を受ければ何もせずに落ちる可能性だってある」

「うまく事が運んでよかったです。生駒隊も合流を狙って水上隊員の下へと向かってくれたのが助かりました」

「生駒隊の強みは4人部隊という数の多さにもある。そう簡単に一人失うわけにはいかないだろうからね」

 

 もちろん彼らの言う事は実に的を射ていた。同時にその裏にはそれ以外に手がなかったという事情もある。

 マップが選択された時点でライは地形戦や遠距離の狙撃は不可能であると判断していた。ショッピングモールは大型の施設とあって耐震設備なども整っており崩す事は難しい。

 そうなると速攻を仕掛けたとしても上下に広いマップでは敵の位置を把握する事は簡単な事ではなく、連続で撃破する事は簡単ではなかった。下手すれば敵の奇襲を受ける可能性も高い。

 だからこそ今日のライはあえて敵が揃うのを待って一斉に撃破する手段を選んでいた。

 

「同時に潜伏はその後の展開を考えてのものでもあった。序盤から様々な思惑があったようです。試合を通して振り返ってみればわかりやすいでしょうか」

「ええ。ではさっそくこの試合を振り返っていただきましょう!」

 

 いずれにせよライの潜伏には大きな意味がある。

 嵐山の解説を元に武富は最初から今日のランク戦について振り返り始めた。

 

「まずは開始直後。各部隊はモール内への合流を目指しました。雨というステージの都合上、狙撃手(スナイパー)に不利な環境である為仕方がない選択ではありましたが、ここで水上隊員と若村隊員の戦いが始まります」

 

 序盤の戦い。マップ選択権を持つ香取隊の策により狙撃手(スナイパー)も屋内戦を強いられる展開となり、各部隊がモールを目指す。そのモール内でさっそく一対一の戦いが勃発し、戦いは激化していった。

 

「これは香取隊にとって作戦通りといった形でしょうね。モール内では上下の位置取りを掴むのが難しいため、この時すでに若村隊員がバッグワームを、三浦隊員がカメレオンを起動して敵を惑わしていました」

「相手が揃う前に地の利を生かして先制点を奪う。ここまでは予想通りだったでしょうね」

「そうですね。特に若村隊員がモール内に転送されていたという点も有利に働いたでしょう」

 

 加古の賛同を受け、嵐山はさらに補足する。

 挟み撃ちを行い敵の足を止めるという都合上、射程持ちが屋内である事が重要であった。しかも外にいるのが香取であるため合流も容易である。立ち上がりは香取隊にとって理想的な展開であった。

 

「そして二部隊が合流を急ぐ中、紅月隊長は準備を進めていましたね」

「香取隊は先制点が確実に欲しいし、生駒隊は数の利を失いたくないもの。そんな二部隊の思惑を考慮していたんでしょうね。決戦の場が3階になると踏んで、彼は2階に潜伏して罠を仕掛けていた」

 

 モニター上には二階でライがメイントリガーにセットしたメテオラを起動し、準備する映像が流される。序盤戦で合流を果たしたいという皆の行動心理をついた落ち着いた判断だった。

 

「3階であると判断したのは、やはり敵隊員の数が揃っていたからでしょうか?」

 

 ここでどうしてそこまで決め付ける事が出来たのかと疑問が浮かぶ。

 やはり人数が多いからなのかと武富が疑問を呈すると、隣に座る嵐山は大きく頷いた。

 

「ええ。この時紅月隊長はバッグワームで姿を消していたから他の部隊はあまり多人数が何度も移動するのは避けたい。移動中は狙われやすいですからね」

 

 移動中は防御も支援も難しい。だからこそ敵は移動を避けるだろうと考えたのだと。

 

「それに、生駒君が旋空を使って上にいるって教えてしまった点もあるかもしれないわ。彼が上にいるとわかった事で上での戦闘が早く終わる可能性が高いとわかった。それなら敵がいなくなる生駒君が合流する方がリスクは少ないでしょう?」

「なるほど!」

 

 そして3階になるであろう展開を予測できた理由はもう一つあると加古は断じた。

 生駒が水上を救うために放った旋空だ。

 あの唯一無二の技により生駒が上のフロアにいると教えてしまった。生駒は攻撃手(アタッカー)の上位に名を連ねる実力者だ。彼ならば敵をすぐに撃破し、味方に合流するだろうと。師匠の力を良く知るライは敵戦力の分析を済ませる事が出来た。

 

「しかもレーダーの移動速度から香取隊長が3階に移動したとわかったのも大きい」

「実際に生駒さんが会敵してすぐに撃破したからやっぱりすごいと思いましたね」

「香取隊には悪いけれど、正直に言えば若村・三浦の両名が揃ってもイコさんを止めるのは難しかった可能性が高い。だからこそイコさんの場所は大きな情報だったよ」

 

 瑠花の言葉にライが頷く。

 ライは敵を過大評価も過小評価もしない性格だ。淡々と敵の戦力を比較し、その戦闘の予測を行っていた。

 

「その後、姿を消していた三浦隊員がカメレオンを解除。水上隊員を撃破しました」

 

 疑問が解決し武富はさらに話を進める。話題は一番最初のポイントとなった香取隊の動きへ移った。

 

「綺麗にカメレオン戦術が嵌りましたね」

「紅月君の潜伏も上手く作用したわね。生駒隊はこの時まで紅月君が潜伏しているかどうかさえわからなかったんじゃない?」

 

 やはりこの一点は大きなものである。

 バッグワームを使っているのが誰なのかこの時点ではまだ明らかになっていないからこそ、レーダー上では映っているものの姿が見えないカメレオンは効果的であった。嵐山も加古もこの作戦を称賛している。

 

「そしてこの戦闘を起点に、3階では二対二の戦い、上では生駒隊長と若村隊員の一対一(タイマン)となりました」

 

 そしてここから戦いは新たな展開を見せた。各フロアで二部隊の争いが行われ、優勢劣勢がひっくり返った瞬間である。

 

「若村隊員が単独では勝てないと判断して逃げに徹したのは良い判断でしたね」

「ただトップチームの経験が上だった。隠岐君の判断が的確だったわね。あれはひょっとして水上君の指示かしら?」

「たしかに。水上隊員は視野が広いですから、脱出後もしっかり働いた可能性が高いでしょうね」

 

 この時特に厳しかったのは若村だ。単独で生駒を相手にする厳しい場面で、奇襲の可能性を考慮したうえで合流を選択。思い切りのよい判断ではあったが、生駒隊に上を行かれて得点を許してしまった。

 

「ここで生駒隊長も得点を挙げて得点は一対一に。上の階が片付いた事で生駒隊長は合流を選択。紅月隊長をつろうとしたのか、吹き抜けを飛び降りていき、そして紅月隊長が突撃を開始」

「多分その通りね」

「ええ。生駒隊にとってはこれで3対2と再び人数で有利となりましたので、あとは早く紅月隊長の居場所を特定したかったという所でしょう」

 

 若村の脱出で生駒隊の数的有利に転じる。やはりライの所在を明らかにしたかったのだろうと解説の見解が一致した。

 

「紅月君にとっては上手くいけば生駒君も狙えるから悪い話ではないものね」

 

 しかもライの視点からは新技で生駒をも仕留める事も可能であっただろうと加古は語る。

 先も言ったようにライの旋空が複数人の相手を狙えるならば、ここで相手を一掃する可能性とてあっただろうと。

 

「じゃあまさかあの新技でこのランク戦を終わらせる事も考えていたという事!?」

「信じられねえ。だが、確かに改めてあれを見てみると、葉子だって落とされてもおかしくなかったからな……」

 

 加古の言葉を耳にして三浦や若村は背筋が凍る感覚を覚えた。

 放たれた旋空はあの場にいた者達を全て落としかねない威力を誇っている。

 下手すればあの一撃で全てが終わっていたというのか。若村は冷や汗が止まらなかった。

 

「それと実はこの場面、紅月隊長のトリガー構成が変わっているという事に気づけた瞬間でもあるんですよね」

「と言いますと?」

 

 武富が相槌を打つと、嵐山はさらに話を続ける。

 

「突撃後まで紅月隊長は奇襲を読まれなくするためにバッグワームで姿を消していたのですが、ここで紅月隊長は同時にエスクードを使っていました。メインとサブでトリガーを一枠ずつしか使えないとなると、普段はサブトリガーに入れているバッグワームかエスクードのどちらかをメインに据えているとわかります」

「——言われてみれば確かに!」

「おそらくこの後に仕掛けてくる仕掛けをバッグワーム下で行う為にもトリガー構成を変えていたのでしょう」

 

 嵐山の観察眼に武富は感心するばかりだった。

 トリガーはメイントリガーとサブトリガーの一枠ずつしか使えない。そして普段ライはサブトリガーにエスクードとバッグワームを入れていた。

 この二つが同時に使えたという事は、ライがこの試合で普段とは別のトリガー構成に変更しているのだと嵐山は分析する。

 

「えっ。そもそもライのやつトリガー変えてたん?」

「気づきませんでしたね。ああでも確かに。言われてみれば納得しますわ」

 

 武富だけではなかった。実際に戦っていた生駒でさえこの衝撃の事実に驚きを隠せない。分析が得意な水上でさえ嵐山の解説でようやく状況を理解できた現状であった。

 

「なるほど。ここでもう嵐山さん達には気づかれていたか」

「気づかれるなら罠が発動した瞬間だと思いましたが……」

「うん。僕もそこかあるいはサブに変えた変化弾(バイパー)を香取隊長に撃った時だと思ったよ。この様子ならひょっとして加古さんも気づいていたかもしれないね」

 

 事実、ライはランク戦が始まる直前でトリガー構成を変更している。とはいえ彼らもここで勘づかれるとは予想外の事であり、精鋭部隊と呼ばれる彼らの瞬時の分析力、判断力に脱帽していた。

 今日のライのトリガー構成は

 メイントリガー:弧月、旋空、炸裂弾(メテオラ)、エスクード

 サブトリガー:変化弾(バイパー)、エスクード、シールド、バッグワーム

 嵐山の語る通りイーグレットを外し、メテオラとエスクードをメイントリガーに据え、バイパーをサブトリガーへ移動するなど変更を行っていたのである。市街地Dと香取隊の方針から屋内戦のみに限定されるだろうと判断しての変更であった。

 

「そしてここでこの試合一番の分岐点とも呼べる瞬間となります! 紅月隊長の旋空3連撃が炸裂! 南沢隊員、隠岐隊員、三浦隊員が緊急脱出(ベイルアウト)となりました!」

 

 さらに場面が移り変わり、ライの新技が炸裂した場面へ。やはりここが大きかったなと武富の声に加古や嵐山は何度も頷くのだった。

 

「さっきも言ったようにこの得点が重要ね。これで紅月隊は生存点を抜きにしてもあと一点まで迫れた」

「ええ。精神的にも余裕が出来た場面だと思います。恐れるべきは紅月隊長の技術でしょうか」

「それもそうでしょうけど、紅月君の副作用(サイドエフェクト)もこの技の完成に大きく関与していたでしょうね」

 

 確かにと嵐山は加古の言葉に納得する。

 ライの副作用(サイドエフェクト)である超高速精密伝達。回避に優れた能力が攻撃にも反映された。誰もが無茶な動きであると考える本部長・忍田の疑似的な再現は彼の能力を最大限に生かしたものである。

 

「こうして残り人数が限られた中、紅月隊長と生駒隊長がぶつかります。得点によって順位も変動するという重要な局面となった隊長同士の一騎打ちは、紅月隊長に軍配」

 

 新技により3人のみとなった戦場で、やがて師弟対決へと戦いは動いていった。武富は先ほどの戦いを振り返って実況を進めていく。

 

「……しかしこの一騎打ち。紅月隊長がエスクードを起動して、生駒隊長が下からの爆撃で撃破されたように見えましたが……!?」

 

 そしてその場面で生じた戦闘に武富は理解が追いつかなかった。

 防御用のトリガーを起動したかと思えば突然の爆発で生駒が脱落する。

 一体どういう事なのかと解説席に話を振ると、専門分野である加古が口を開いた。

 

「あれはおそらく紅月君が潜伏中に仕掛けた炸裂弾(メテオラ)ね。あらかじめ二階の天井部分にいくつか仕掛けておいて、エスクードを同じ二階に起動。エスクードを接触させて起動ボタンとしたのよ。屋内ならではの間接的な地雷ね」

「なんと……!」

 

 防御用のトリガーを防御ではなく、仕掛けを作動する起爆スイッチとして用いる。聞けば原理は簡単だが、咄嗟にできるかと言われればそう簡単なものではなかった。武富の頬を冷や汗が伝う。

 

「紅月隊長の発想力が光りますね。射撃トリガーは発射前に浮かせたり動かす事ができて、それを任意の場所に設置することで罠とする置き弾の使い道がある。しかも屋内の天井に設置したとなれば、屋内の照明が置き弾をある程度隠してくれる。たとえ敵に二階に来られても見つけにくかったでしょうね」

 

 加えて屋内というのも大きなポイントだろうと嵐山が付け加えた。

 射撃トリガーを起動したキューブは一定の明かりを放つ。これは暗闇では目立ち、逆に屋内の明かりの近くでは発見しにくいという特徴があった。

 こういう点も罠としては重要なのだろうと嵐山が冷静に語る。

 

「そういう事かい。ただ、そんな罠あったんなら最初から起動すればよかったんちゃうの? なんで出し惜しみしてたんや?」

 

 理解しつつ、生駒は納得しきれずに疑問を呈した。

 ライは最初からエスクードを使った戦闘を仕掛けている。ならば生駒の姿を捉えた時点で起動すればよかったはずなのに、どうしてわざわざ生駒を煽ったりする必要があったのかと。

 

「そりゃ確実に罠にかけるためでしょ?」

 

 生駒の問いに隠岐が簡潔に返答する。

 おそらくそれが答えだろうなと水上も彼の話に続いた。

 

炸裂弾(メテオラ)にしたって設置場所は限られとるやろし、そもそもエスクードカタパルトを警戒してイコさんがかわす可能性もあると判断したんだと思いますよ。だからこそ最初にイコさんにエスクードカタパルトをわざと見せといて、次は旋空で迎撃できると錯覚させたんちゃいますか?」

「そういうことやろな」

 

 上手く考えを見抜かれたものだと細井がため息をつく。きっと生駒が戦いを続ける事も勝負にのってくる事も想定していたのだろう。

 変化弾(バイパー)でも起動は可能だったがエスクードならば別のフロアに発生させることでより仕掛けの起動を読ませにくくする事も可能であった。だからこそ今回のライはエスクードを両方のトリガーにセットし、あらゆる場面で罠を作動できるようにと臨んでいる。

 

「はー。マジか。あいつ頭の回転どうなっとんねん。弟子の癖に俺よりも早く生まれとるような錯覚を覚えるわ」

 

 チームメイトの解説を聞き、生駒は感動さえ覚えてライの奮闘を讃えるのだった。

 

「その辺り、瑠花の分析には助かったよ。下のフロアとのマップ照合も早かったしね」

「ありがとうございます!」

 

 もちろん彼一人の働きではない。ライはこれを可能とした瑠花の働きに感謝した。

 たとえ生駒の足を止める事が出来ても罠と生駒の位置を把握しきれなければ意味がない。

 だからこそライは瑠花と何度も通信を重ね情報を共有していたのだった。

 

「そして最後、残った香取隊長と紅月隊長の戦いは、香取隊長が足を失っていた弱点をつかれて敗退。紅月隊長が最後の得点をも手にしました」

「香取隊長が片足の中よく動いていたと思いますよ。機動力が武器であるので非常に不利な中、上手くグラスホッパーや時間差攻撃を使って振る舞っていました」

「ただ彼のエスクードの使い方が上手かったわね。旋空の大技をみたばかりだからそっちを警戒されがちな所を、フェイントとして使ったのだもの」

 

 最後残った香取とライの戦いはライが勝利を収める。

 とはいえ敗れた香取もよく戦ったと嵐山は賛辞を贈った。

 加古の言う通りライの戦い方が上回っただけであると。

 

「——さあ、この試合の結果を受けて全ての得点が出そろいました! 総合順位表が更新されます!」

 

 一通りの総評を終えて武富は手元のキーボードの操作を行う。

 彼女の行動に伴ってモニター画面が試合画面から総合順位表へと変わり、今シーズン最後の更新が行われた。

 

「最終戦の得点で紅月隊は単独一位に躍り出ました! 紅月隊、生駒隊にA級昇格試験を受ける権利が与えられます!」

 

 3位であった紅月隊が1位へと上り詰める。紅月隊が目標としていたA級への挑戦権を獲得するのだった。

 

001紅月隊    67点
002生駒隊    63点
003弓場隊    63点
004東隊     55点
005鈴鳴第一   53点
006漆間隊    51点
007諏訪隊    50点
008那須隊    50点
009荒船隊    50点
010香取隊    49点
011柿崎隊    48点

 

「……チッ! 仕方ねえか。次シーズンは取り返してやる」

 

 これで弓場隊は昇格試験の権利は獲得できない事が正式に発表される。

 隊長である弓場が短く舌を打ち、次シーズンへのリベンジを誓うのだった。

 

「10位か……!」

「1得点ってのが痛かった。那須隊、荒船隊が得点伸び悩んでいたってのに……!」

 

 悔しいのは彼らだけではない。

 三浦や若村も上位グループ残留を逃し、悔しさのあまり地面を蹴った。

 同時刻に行われた中位グループも順位を競っていた二部隊が得点に伸び悩んでいる。あと1点でも取れれば上位グループに滑り込めていた。その事実がかえって重くのしかかる。

 

「8位! 8位です! 私達8位に入ってます!」

「やった! 最高順位更新ですよ!」

 

 そして嬉しいのも紅月隊だけではなかった。

 那須隊の作戦室では志岐が順位結果を皆に知らせると、日浦の明るい声が室内に響き渡る。那須隊の今シーズン8位という成績はこれまでの結果でも最高のもの。努力が実を結んだのだと喜びをわかちあった。

 

「結果的に紅月先輩に助けられたね。あと1点で順位が一つ変わってたよ」

「そうね。——本当に、よかった」

 

 熊谷の言葉に那須も頷く。

 上位グループが中位グループの結果を気にしていたように彼女たちも得点の動向を気にしていたのだ。

 結果的に香取隊の得点が1点に終わったおかげで最良の結果を得た。

 那須隊は最高順位を獲得し、弟子である存在がトップに立つ。これ以上ない報告だろう。那須の表情には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

「なんと今シーズン初参加となった紅月隊がA級昇格試験へ挑むという衝撃的な展開となりましたね!」

「ええ。かつての風間隊を彷彿させる活躍です。今後にも期待したいですね」

 

 初参戦で即昇格試験を獲得。これは歴代でも圧倒的な勝率でランク戦を駆け上がった風間隊にも匹敵するものだろうと嵐山が語る。

 現A級三位部隊の名前が出た事で観客席には再び声にならないどよめきが走った。

 

「あとは昇格試験で認めてもらえるかどうかね。——さて、受けた事がある生駒隊はもちろんの事、紅月君はどうなるのかしら」

 

 後は課題である試験で実力を発揮できるか否か。

 加古は妖艶な笑みを浮かべてそう口にする。

 かつて自分の誘いを蹴り、自らの力でたどり着いて見せると語った彼がその目前まで来た。果たしてこの機会をものにする事が出来るのか。彼女はさらに好奇心を強くする。

 

「最終戦という事で非常に盛り上がる試合となりましたね! これにてROUND20夜の部、今シーズンのB級ランク戦は以上で終了になります! 皆さん、お疲れ様でした! 解説の嵐山さん、加古さん。ありがとうございました!」

『ありがとうございました』

 

 こうして最後の試合が、今シーズンのB級ランク戦が終わりを迎えた。

 最後に武富が挨拶をして締めくくり観客席は徐々に静けさを取り戻す。

 解説が最後まで滞りなく行われた事を確認してライもゆっくりと体を伸ばすのだった。

 

「——よしっ!」

 

 そして一息ついて、ライは握りこぶしを作る。

 ようやく戦いが終わったのだ。何も感じないわけがない。

 

「やりましたね!」

「ああ!」

 

 正式に昇格試験獲得の宣言がなされ、歓喜の声が室内に響いた。

 ライは瑠花と勝利のハイタッチを交わし喜びを体現する。

 

「3か月、お疲れさま。疲れただろう」

「とんでもありません。無事に目標が達成できたおかげで全て吹き飛びました」

「そうか。ああ、そうだな」

 

 事実最上の結果は疲れや苦難を忘れさせるには十分なものだ。

 瑠花の発言にライもクスリと笑みを浮かべる。彼女もランク戦を通じて一回り成長したように見えた。それがとても嬉しく思う。

 

「——よしっ。とにかく今日はゆっくり休もうか。瑠花、今日はこの後何か予定とかあるかい?」

「いえ。特にはありません。ランク戦も終わりましたししばらくは大丈夫です」

「そうか。それじゃあこの後食事はどうだろう? ランク戦を終えた祝賀会という事でね」

「良いんですか? それなら、喜んで!」

 

 トップに立ったのだ。これを祝わない手はない。ライの誘いに瑠花も喜んでのるのだった。

 

「うん。それじゃあ少し休んだら出かけようか。僕はちょっと飲み物を買ってくるよ。ゆっくり休んでいてくれ」

「いえ、そんな……」

「いいからいいから」

 

 遠慮する瑠花を手で制し、椅子に座らせるとライはトリガーを解除してその場を後にする。

 長い緊張の糸がほどけたのだ。少しくらい休んで欲しいとライは瑠花を気遣った。

 

(それにまたここから始まるんだ。今は彼女にしっかり英気を養ってもわらないとな)

 

 ランク戦が終わったとはいえある意味本番と言える昇格試験が残っている。

 内容は詳しく聞かされていないもののオペレーターである瑠花の力は必要不可欠であることは明確だった。ならば終わった後くらいはゆっくりしてほしいとライは思う。

 とにかく今は二人分の飲み物を買って、またそこから話をしようと扉に手をかけた。

 

「——おう。さっきぶりやなライ」

 

 そして扉を開けた瞬間、ゴーグルをかけた強面の男性・生駒の姿が目に映り、ライはすぐに扉を閉めるのだった。さすがは副作用(サイドエフェクト)の持ち主。生駒が声をかける前には既に扉を閉め始めていた。

 

「おおい! 自分何閉めとんねん!? 俺師匠やぞ!? なんや、今回勝ったからってもうお役御免か。さすがトップの隊長様は薄情なやつやなあ!?」

 

 すると扉の外から生駒が叫びをあげ、同時に扉を何度か叩き始める。

 発言内容が内容な為、さすがにライも放置は出来ずにもう一度扉を開けるのだった。

 

「違いますって。部屋の前でそんなに騒がないでくださいよ」

「自分がいきなり閉めるからやろ」

「いきなり目の前にイコさんが現れたらそうしますって」

 

 糾弾を続ける生駒にライが釈明する。

 実際扉を開けたらそこには生駒となれば誰だって驚くだろうが、生駒が知ったことではなかった。

 

「まあええわ。それよりもライ」

 

 弟子の指摘を聞き流し、生駒は突然の訪問理由に切り込んでいく。

 

「随分と世話になったなあ。ちょっと面貸してもらうで」

「……一体何用ですか?」

「内緒や」

 

 用件を問うライに生駒はいつもと変わらぬ口調でそう続けた。




ちなみに原作でヒュースがバッグワームを使いながらエスクードを起動している場面がありますが、同じくハーメルンでワートリ作品を投稿している方とその話題になってやはり同じサブトリガーのものは使えないという判断に至り、何かしらトリガー構成を変更したという結論に至りました。エスクードも防御用トリガーである為バッグワームと同時に起動は出来ないという判断です。今回もその観点からこのような話となりました。


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打ち上げ

 最後のランク戦が終わりを迎え、観戦していた隊員達が続々と会場を後にした。

 解説を務めていた加古も嵐山と武富に最後一言挨拶をかわすと、席から離れていく。

 

「お疲れ様です」

「あら双葉。お疲れ様。あなたも見ていたの?」

「はい」

 

 解説の任を終えて席を立った加古を出迎えたのは黒江だ。加古に問われると黒江がコクリと頷く。

 

「……そう。良い勉強になったかしら」

 

 受け答えは短く無表情のままだが加古の目には彼女が心なしか嬉しそうに見えた。

 おそらく今日の、強いて言えば今シーズンのB級ランク戦の結果は黒江にとっても喜ばしい事だったのだろう。彼女がボーダー本部に入って初めて師と仰いだ人物が大成する光景はきっとまぶしく見えたはずだ。

 

「面白い結果になったわね。紅月君、このままうまく行けば私達に並ぶかも」

「はい。勢いそのままに上がってくる可能性は十分あると思います」

「そうね。どちらにしても楽しみだわ。彼が本当に有言実行できるのかどうかはね」

「え? 以前に何かあったんですか?」

「些細な事よ」

 

 黒江に問われたものの、加古は深く答えようとはせず曖昧に返事をするにとどまった。

 

『ありがとうございます。では、僕は自分の部隊でA級に上がれるように頑張ります』

 

 一年ほど前。初めて会った時の彼の発言が今でも鮮明に呼び起こされる。

 加古も彼の実力を認めていたし意志の強さも素晴らしいと考えていたが、彼女もさすがにたった1シーズンでそれを果たそうとするなど当時では考えられなかった。

 黒江が懐いている事もあって勧誘に失敗してしまった事が余計に惜しいとも感じるが今さら言っても仕方がない。こうなったらいっそ人を見る目は間違っていなかったと証明してもらおうと加古もライの成功を祈った。

 

「まあとにかく今日はB級トップに立てたという事を祝福するわ。彼らとて一息つけただろうしね」

「そうですね。一言挨拶をしに行ってもよいでしょうか?」

 

 やはり少しでも直接言葉を交わしたいのだろう。黒江がワクワクしているように弾んだ声で意見を求めるが、加古は心苦しそうに苦笑する。

 

「うーん。今日はどうかしら。多分今頃、あっち(・・・)の誘いを受けていると思うから」

「あっち?」

 

 加古の言葉の真意がわからず黒江は首を傾げた。

 知らないのも無理はないだろう。彼女はB級部隊のつながりをよく知らない。

 しかしかつてある人物の下で戦っていた加古はB級隊員達のこの後の事を察して穏やかな笑みを浮かべるのだった。

 

「やりやがったなー。ライのやつ」

「ああ。勝つとは思っていたが、ここまでやるとは正直驚いた」

 

 一方、観客席で試合を観戦していた米屋や三輪、三輪隊の面々も引き上げようと席を立ち始める。やはり話題の種は彼らの知人であるライの事だ。

 

「後は昇格試験を残すのみ。認定さえもらえれば問題ない話だ。本当に上がってくるかもしれないな」

「訓練で力は知っていましたがやはり凄いですよね。まさか本当にこのシーズンで資格を得るなんて」

 

 そう語る奈良坂も少しばかり表情が緩んでいるように思える。狙撃の弟子が成果を出したのだから当然か。古寺も彼に追従する形で賛同を示した。

 

「どうする? この後祝勝会でも誘うか?」

 

 とにかく今日はこの勝利を祝おうと米屋は調子良さそうに笑う。

 良い案ではあると思うが、しかし勝手を知っている三輪や奈良坂は首を横に振った。

 

「——いいや。今日は向こう(・・・)だけでやるだろう」

「そうだな。邪魔をするのは野暮な話だ」

 

 今日の主役は彼らB級隊員達だ。ならば自分たちが顔を出す事はないだろうとその提案を切り捨てる。

 ——祝うのは、彼らが上がってきてからで良いだろう。

 

 

————

 

 

 三門市の警戒区域の近く、鈴鳴支部周辺に寿寿園という焼き肉屋がある。

 かつての近界民(ネイバー)による大規模侵攻を受けてもなお店の外装も内装も無傷であったという強運から、ここで食事をすると近界民(ネイバー)に襲われなくなるというジンクスがあるといわれており、ボーダー隊員の常連客も多いお店だ。

 その焼き肉屋に、今ボーダーに所属するB級隊員の面々が集結していた。店の一角を埋める程の隊員達——8部隊24人の隊員が参加している。

 

「——皆。まずはB級ランク戦、お疲れ様」

 

 代表としてグラスを片手に音頭を取るのはB級部隊の最年長、今シーズンでも4位に入るなど安定感を誇った東隊の東だ。

 B級4位 東隊隊長 狙撃手(スナイパー) 東春秋

 皆の注目が集まる中、東は落ち着いた口調で話を続ける。

 

「ランク戦の結果に満足する者も悔いが残る者もいるだろう。隊員の間には色々と思う所がある者もいるかもしれない。だがこの一時はここまでのランク戦の健闘を称え、皆次へ向かって鋭気を養うよう楽しんで欲しい。……と、まあいつまでも俺が長話をしていても駄目だな。それじゃあ、乾杯!」

『乾杯!』

 

 東の号令を合図に、テーブルを跨いでグラスが重なった。

 ガラス同士がぶつかる小さな音があちこちで木霊する。

 こうしてB級隊員達の合同打ち上げは幕を開けるのだった。

 

「よっしゃあ! とことん食うで! 隠岐、水上。お前らもじゃんじゃん肉焼くんやで! 遅れるなや!」

 

 そう言うや、早速生駒が生駒隊の面々で固まったテーブルの網に肉を続々と移していく。

 

「イコさんちゃんとスペース空けといてくださいよ!? 肉くっつきますから!」

「こういう所も相変わらずやなあ」

「さすがっす!」

「他の人もおるんやからもうちょいトーン落とそうや。とりあえずサラダ人数分わけとくで」

 

 苦言を呈しつつ、水上や隠岐はテーブルの皿を整理しながら肉を並べていった。南沢はその光景を端末で写真を撮り、細井はサラダを均等に5人に分けていく。

 生駒隊の隊員達は最後に逆転を許して順位を落とした事を感じさせないほど明るい空気であった。皆役割もきっちり分かれていてチームの仲の良さも伺える。

 弓場隊が既に打ち上げを予約していたという事で不参加という事情もあって生駒はここに集まった面々の中では年長者の部類であった。そんな彼がこうして積極的に明るい雰囲気を醸し出してくれたおかげか他のテーブルも和気藹々と肉を焼き始めていく。

 

「東さん! 東さんのおすすめってなんでしたっけ?」

 

 東隊が揃うテーブルでは小荒井がメニュー表を掲げ、尊敬する東の好物を尋ねた。

 

「ギアラ(第4胃)の事か? あれは脂が乗っていて噛み切りにくい事もあるから人によって好みがわかれるが、お前達も食べてみるか?」

「ぜひ!」

「はいはい。じゃあ追加しとくね。東さん、サンチュとビールも頼んでおきますか?」

「サンチュだけ頼む。ビールは未成年も多いからな、やめておこう」

「わかりました」

 

 奥寺も追従した為肉の追加が決定される。

 人見が東に確認を済ませ、店員を呼ぶと追加のオーダーを要請したのだった。

 B級4位東隊 オペレーター 人見摩子

 

「太一。あんたは網の半径50㎝以内に入らないでね」

「それってもうテーブルに着くことさえできてないじゃないですか!?」

 

 一方鈴鳴第一のテーブルでは今が別役のうっかりを防止するため何度も厳しく言い聞かせている。これまでにも酷い経験に遭っている為彼女の非情かつ合理的な判断であったが、当の別役は『殺生な!』と声を荒げた。

 

「大丈夫だ、太一。お前の分の肉はしっかり取ってやる。だから何も手出しはするな。いいな?」

「そんな!」

「まあまあ二人とも」

 

 頼りの村上でさえさすがにフォロー出来ないのか、別役にそう忠告する。

 さすがに言い過ぎだろうと来馬が二人をなだめるなど彼らの関係がこの一場面だけで見事に表現されていた。

 

「よしおめーら。焼けたらどんどん食ってけよ。次々注文してくからな」

「了解です。アルコールは頼んでおきますか?」

「やめとけやめとけ。東さんだって頼んでねえみたいだからな。俺らが飲めるかよ」

「それもそうですね」

 

 その隣の机では諏訪と堤が肉を焼き始めている。諏訪隊は笹森・小佐野の高校生組が先に帰宅した為二人のみ。彼らは成人済みの身であるためアルコールを飲める立場だ。とは言え東の手前、今日は酒類は頼まずに食事を楽しもうと意見を合わせた。

 

「なんか俺らが気を使わせてしまったようですみませんね」

「うまいな、ここの肉。初めて食ったが」

 

 二人の真向かいの席には荒船隊の荒船、穂刈が陣取っている。こちらも半崎、加賀美の二人が別用の為不参加である事情から人数の調整を兼ねて諏訪隊と同じテーブルとなっていた。

 

「先輩、こちらのお肉そろそろ良いですかね?」

「まだ裏面がちょっと赤いんじゃない? もう少し置いといた方が良いよ」

「大丈夫よ茜ちゃん。焦らなくても取ったりなんてしないから」

 

 さらに奥のテーブルではおそらく最も平和であろうグループ・那須隊の面々が穏やかに、楽しみながら肉を焼いている。人が集まるところは苦手という志岐がいない為席に余裕のある三人というのも大きいのかもしれない。

 

「はい。柿崎さん。こちらをどうぞ」

「ああ。ありがとう。文香も遠慮せずに食べていいからな? お腹すいているだろう」

「ええ、頂いていますから大丈夫です」

 

 那須隊の横の席では照屋が隊長の柿崎へ肉にサラダにと次々と盛って食事を促していた。

 カルビ、ロース、ハラミと手際よく焼いていっては柿崎の取り皿へと置いていく。

 柿崎隊も巴と宇井の二人が欠席の為、柿崎隊の前には諏訪隊・荒船隊と同様に他の隊の者が座っていた。人によってはこの柿崎隊の関係を見て反応に困る可能性もあるのだが。

 

「瑠花。こっちも焼けたよ。お皿に分けとくね」

「あっ。はい、ありがとうございます。そろそろ私も交代しますよ?」

「大丈夫だよ。あっ、タンはさっきレモンを絞っておいたから適度にかけてね」

 

 その正面に座っているのは紅月隊のライと瑠花だった。

 こちらもライが基本的にトングを握って焼肉奉行を担っており、瑠花には食事を楽しんでもらおうと仕切っている。柿崎や瑠花のグラスが空けば水を灌ぐなど周囲への気配りも徹底していた。ある意味柿崎隊以上に徹底した仕事ぶりである。

 

(何というか、こいつも普通な一面があるんだな)

 

 少し意外だなと柿崎は正面に座るライの姿を見て、彼の印象を新たにした。

 柿崎とライの接点は少ない。

 部隊ランク戦で一度だけ戦った事はあるもののそれだけだ。同年代の生駒が彼に旋空を教えていたので彼経由で話を聞いた事もあったが、その時は詳しく話していなかったしそもそも生駒の発言は過大に表現する場合も多いのであまり参考にならなかった。

 

(てっきりもっと感情が薄いタイプかと思ったけど、そうでもなさそうだし)

 

 故に柿崎がライに対して感じていた印象はそのランク戦の時に感じたものだけである。そしてその時は冷静な年下の隊員という印象だった。年代で言えば高校生くらいなのだが、高校生離れした落ち着いた振る舞いに慣れた戦いぶり。ログを見ても着実に相手を仕留める徹底ぶりが感じられ、感情が希薄な大人びた印象さえ浮かべていた。

 

「次は何を飲む?」

「いえ。飲み物は大丈夫です」

「そう? 何か欲しい物があったら遠慮なく声をかけてね」

 

 しかし少なくとも今目の前にいるのは、仲睦まじい二人のチームメイト。声や表情も穏やかで年齢相応に感じられる。

 

(こう見ると、並み居るライバル達を一人で蹴散らした隊長とは思えねえよ)

 

 ランク戦で垣間見えたあの冷徹な姿も正しく彼の一面だった。同時に戦いなどない場所ならば。時代さえ、環境さえ違ったならばこのように穏やかな優しい性格が前面にでる、今の姿こそが彼の本質なのではないかと。柿崎は彼の二面性にとある友人の姿を思い浮かべながら一人物思いにふけるのだった。



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回顧

 初めて訪れた者たちも寿寿園の種類豊富な焼き肉の味を堪能し満足を覚え、あっさりした味わいから濃い味わいの肉へと移り始めた頃。

 各テーブルの隊員達も徐々に食事以外の事についても話題が広がっていく。

 

「最初お前達が部隊を申請したって聞いた時は、戦闘員一人と聞いて驚いたもんだ。それがまさかトップまで駆け抜けるんだからさらに驚かされたぜ」

「いえいえ。一人と言っても支援してくれるパートナーがいますから。柿崎さん達も最後は無事に順位を大幅に上げられたみたいで良かったですよ」

 

 ランク戦終了直後という事で柿崎は当然今シーズンより参加し、ランク戦を駆けあがっていった紅月隊の健闘ぶりを讃えた。

 初参戦でこれ程の成果を上げる部隊は今後現れるかどうかわからない。惜しみない賛辞を受け、ライも同じように柿崎隊の最終戦の勝利を祝うのだった。

 

「でも実際どうなの? 隊長とオペレーターの一対一という部隊で何か困った事とかあったりする?」

 

 すると柿崎の隣に座る照屋も会話を弾ませようと瑠花に話題を投げる。

 照屋と瑠花は年齢が近かった。照屋の方が一歳年上という事もあって幾分か余裕があるように見える。

 

「特にそんな事ありませんよ。一人ではありますけど、ライ先輩基本的に何でもできますし。いつも勉強させてもらっています」

 

 オペレーターの発言を耳にし、ライは何度も頷いた。

 彼自身、瑠花との仲は良い方であると自覚はしているが、こうして改めて直接言葉にされることでより強く実感できる。

 

「まあライ先輩はたまに抜けている所もありますけど」

「えっ?」

「そこも良い所なのかなって」

「……瑠花?」

 

 しかし続けられた人物評の前にトングを手にするライの動きが制止した。

 そんな事ないだろうと網から視線を瑠花へと移し、じっと見つめる。

 すると視線に気づいたのか瑠花は少し困ったような表情を浮かべ、そしてニコリと笑みを浮かべた。——まあ瑠花が笑っているなら別に構わないか。ライは深く考える事をやめた。

 

「わかる。うちも似たような感じだから」

「……!?」

 

 そして瑠花だけではなく照屋までもが彼女の意見に同意した事で柿崎の表情が崩れる。

 女性同士だからこそ通じるものがあるのだろうか。柿崎は首を傾げた。

 

 

――――

 

 

 時間の経過につれて徐々に席の移動も行われ、当初は部隊ごとに固まっていた面々は少しずつその配置が換わっていく。

 あらゆる年代の隊員が集まり会話が弾む中、中心になったのはやはり紅月隊の二人であった。

 

「おめでとう、忍田さん」

「ありがとうございます!」

 

 隣の椅子に座った今がコップを手に取ると、瑠花もコップを持ってグラスをコツンと軽く合わせた。

 現在このテーブルにライの姿はない。彼は生駒たちに連れられて別の席で談笑していた。彼女が座る席とその隣の席はオペレーターを含む女性隊員達8名で固められている。

 

「あっという間にB級ランク戦を駆け抜けていったわよね。私達の間でも話題になっていたけど、本当にすごい速さだったわ」

「せやなあ。紅月隊、一度上位に上がってからは最後まで上位グループを守りぬいたからなあ。作戦の組み立てとかも面白かったわ。あれ二人で考えたりしとるの?」

「基本的にはライ先輩が考えています。でも作戦会議の時には相手の戦力やマップとか色々情報を照らし合わせて、私にも考える時間をくれますね」

「じゃあうちとちょっと似たパターンか。それで結果も残したんだから強いわけだ」

 

 なるほどと人見がこくりと頷いた。

 指揮能力に長ける隊長だけでなく隊員達にも作戦立案の機会を与え、成長を促すという点では東隊に通じる部分がある。東隊も作戦会議では小荒井・奥寺の若い隊員が積極的に方針を立て、ランク戦に臨んでいるのだ。

 経験豊富な東率いる部隊だからこそ出来る指針だが、それを他にもやれるだけの戦闘理論を持つ者がいるとなればこの快進撃にも納得というものだ。

 

「その辺りはうちとは正反対やなあ。こっちなんてランク戦前とかほとんど打ち合わせしとらんで」

「むしろそれで上位に立っているのが凄いですよ……」

「生駒隊って一見ふざけているようでしっかりしているのよね」

「だからこそ強くは言えんわ」

 

 対して苦言を呈したのは細井だ。

 生駒隊は最終戦でさえ作戦の打ち合わせを行っていなかった。

 しかしその上で生駒隊は2位をキープしている。各隊員が各々の高い適応力を活かし、存分に力を振るっているのだから恐ろしい存在だ。瑠花や今は先のランク戦、常に安定した戦いぶりを見せた生駒隊の地力の強さを思い返して苦笑する。

 

「そう考えると余計にライ君が生駒隊長の弟子というのが想像できないのよね。性格が正反対じゃない?」

 

 ふと今はライが生駒から旋空を教わっているという話を思い出して呟いた。

 今日の話を聞く限りでも二人の考えは真逆に感じられる。果たしてうまく関係を構築できるのだろうかと首をかしげると、細井が「イヤイヤ」と眼前で手を横に振った。

 

「そう思うかもしれんがな? これがあの二人結構うまく咬み合っとるで」

「そうなの? 意外ね。生駒隊長もその辺りは人付き合いは心得ているという事かしら」

「あー。あれはどっちかっちゅうと紅月君が上手く遇っとる感じか?」

「弟子なのに……?」

 

 それはそれでどうなのだろうかと人見は首を傾げる。

 

「まあ彼は結構人付き合いが上手い人だから」

 

 言われてみれば確かにライは人と程良い距離感を保ち、その上で人の感情を機敏に察知したり要求を悟って行動できる人物だった。二人がそうなるのも当然の事だったのかもしれないと今は二人の性格を考えた上で納得するのだった。

 

「せやな。部隊組んだのは最近とはいえ意外と交流関係も深いしな」

「師弟と言えば、変化弾(バイパー)をライ君に教えたのは那須さんなんだっけ?」

「えっ? そうなんですか?」

「ああ。そういえばランク戦の解説で水上君がそんな事言ってたっけ」

 

 今が新たな話題を隣のテーブルで食事を楽しんでいた那須隊へと放る。

 知らなかった照屋は驚きの表情を呈するが、人見はログで見返したランク戦を思い返し、感心しながら頷く。

 

「——ええ。そうですよ。もう半年くらい前になるでしょうか?」

 

 話を振られた那須は昔を懐かしむように穏やかな笑みを浮かべて、そう答えた。

 

「確かあの時は透君を介して紹介されましたね」

「奈良坂先輩ですか」

「はい! 紅月先輩は奈良坂先輩の弟子でもあるんですよ! だから私の弟弟子でもあるんです!」

「そうなの!?」

「それは初耳」

 

 すると那須の話に同調して日浦も元気よく手を挙げてアピールする。

 那須や生駒との師弟関係は噂や解説で聞いていたが、さらにナンバーツー狙撃手(スナイパー)の名前まで上がるとは。皆驚きを隠せなかった。

 

「ええ。だからうちの隊って結構紅月先輩とつながりが深いんですよね。玲と茜の二人が関係ありますから」

「こうやって人とのつながりは広がっていくのね」

「……これ聞くと余計にイコさんの存在が特殊に感じるなあ」

 

 熊谷の発言になるほどと頷く。奈良坂も元をたどれば東の弟子だ。狙撃手(スナイパー)の隊員は数多くいるが、このように人との関係はつながっていくのかと人見は嘆息した。

 その一方で細井は那須に奈良坂と王道の強さを師として仰ぐ中、一際癖が強い生駒の名前が並ぶ事に違和感を覚える。

 

「——ん」

「どないしましたイコさん?」

 

 突如生駒が視線を女性隊員が集まったテーブルへと移し、じっと見つめ始めた。一体何事かと水上が聞くと、生駒はゆっくりと口を開く。

 

「なんか、今褒められた気がする」

「きっと気のせいでしょ。あっち女性しかおりませんよ?」

「はっ? おい。どういう意味や」

 

 そのまんまの意味ですよと水上は隊長を適当にあしらうのだった。

 そんな短いコントが男性陣の中であったとは露も知らず、肉の味を堪能しながらさらに会話は弾んでいく。

 

「私達の隊に初めて土をつけたのも那須隊でしたよね」

「そういえばあの試合の後、玲ってどこか不満げだったのに外出して戻ってきたら機嫌良さそうだったよね? なんかあった?」

 

 今回のランク戦でライが脱出を強いられた戦いは6戦。東隊の二回と弓場隊、生駒隊、漆間隊、那須隊の一回ずつだ。(那須隊は自発的な緊急脱出(ベイルアウト)

 その最初の一回目とあっただけあってその戦いの事は瑠花もよく覚えていた。

 同時に熊谷もその戦いの後那須の様子がいつもと少し違った事を思い出して問いを投げる。

 

「————別に。何もなかったわよ」

 

 少し間をおいて、那須は視線を逸らしてようやく言葉を絞り出した。

 この反応に隣のテーブルの4人は事態を察して聞こえないように声量を落としてひそひそ話を始める。

 

「……絶対に何かあったわね」

「話の流れ的にライ君と何かあったのは間違いないはず」

「そういえば確かライ先輩が那須先輩と話したと言ってましたよ」

「確定やん」

 

 瑠花の証言が証拠となった。おそらくは二人の間で何かしらの交友が深まる出来事があったのだろう。

 

「そういえばあの時紅月先輩に関しては噂も流れましたね」

「女性と戦えない、辻先輩と同じって話ですか?」

「でも次戦で香取ちゃんを普通に斬ってたのよね。そのせいでむしろ油断させるためにわざと演じたんじゃないかって話も流れたっけ」

 

 照屋の話題に「そういえばそんな話もあったな」と日浦達は記憶を掘り起こした。

 確かにあの戦いではライの行動が消極的であり、しかもその次の戦いで大量得点を獲得したことから「次戦を見据え、敵を油断させるためにあえて今回のような立ち振る舞いをしたのでは?」と考える者さえいた。

 結局真偽は不明なままだが、いずれにせよ真相はこのまま明らかにならないだろう。ライたちとてこんな事をわざわざ語る事はしないはずだ。熊谷は深くは言及しようとはしなかったが。

 

「——そうね。不思議な出来事だったわね」

 

 何故か彼女の隣の席に座る那須が再び横の壁へと視線を逸らし、自分の髪先を触り始めた光景を周囲の隊員が目ざとく発見すると再び色めき立つ。

 

「ああ! これも絶対何か知っとる反応やで!」

「那須さん、何があったの!?」

 

 細井は席から勢いよく立ち上がり、人見も興味津々に身を乗り出した。

 

「いえ、そんな。——私はちょっと応援しただけですよ」

 

 応援しただけ、と那須は言うが当然周囲の反応は決してそれで満足するはずもなく。

 

「……ただの応援であんな反応すると思う?」

「私も詳しくは聞いていないので、後でライ先輩に聞いてみます」

 

 今が瑠花にそう尋ねると、彼女は不満げな表情で決意を固めた。

 ——応援。様々な意味が考えられるだろう。だがまさかその内容が圧力を与えかねないようなものであったとはこの時の彼女たちは想像できなかった。

 

「あの時は彼にもちゃんと弱点があったんかと思ったんやけどなあ。結局すぐにその疑いなくなってもうたし」

「確かに彼ってそういう話題聞かないね。本部内で生活しているから人目に付きやすいはずなのに」

 

 何か弱点の一つでもないのだろうかと細井も一時は考えたが、結局女性絡みの話もすぐに否定されている。

 ライはボーダー本部で住み込みの生活を送っていた。ならば何かしら話題に上がってもおかしくはないのだが、滅多にそんな話は浮かばない。不思議だなと人見も首をかしげる。

 

「隊務規定違反の話も瑠花ちゃんを庇っての話なんでしょう?」

「はい。恥ずかしい話ですが」

「……いえ。恥ずかしいのは迅さんの方だから」

 

 よく連携を取る支部所属だからこそ今もこの話題は知っているのだろう。拳を強く握りしめ、行き場のない感情を抑え込んだ。

 

「その辺り、一緒の部隊という事で瑠花ちゃんは何か知らないの? 戦闘に関するような話せない事はいいから。普通に生活している時とかでさ」

「あっ。それ私も気になる」

「私も知りたいです!」

 

 ならば時間を共有する事が多い瑠花ならば何か知っているのではないかと熊谷が瑠花へと話を振る。

 するとここぞとばかりに那須や日浦も声を揃えて尋ねた。二人とも師匠として、姉弟子として色々と情報を握っておきたいという意志表示なのだろうか。

 

「ライ先輩の弱点ですか?」

「そうそう」

「うーん。でもライ先輩って基本何でも出来るし、大きな失敗とかも見たことないですから難しいですね」

 

 やっぱりかと皆同じ反応を示した。

 知っている人こそ知っている事だが、ライは食堂で働いたり同僚に勉強を教えたりとあらゆる方面で活躍している。私生活でも炊事や洗濯などもしっかり行っていて瑠花も何度か彼の世話になっており、彼の弱点など想像がつかなかった。

 

「——ああ。そうだ。弱点と呼べるのかはわかりませんけど」

 

 しかししばし考え込んで瑠花はある出来事を思い出して顔を上げる。

 

「ちょっと違うかもしれないですが、そういえばこの前の4月1日に加古さんがライ先輩を驚かそうと黒江ちゃんのトリガーの設定を改造したんですが。それを知らずに模擬戦をした時には一時間くらい泣き崩れていましたね」

『一体二人の間に何があったの!?』

 

 とてもその光景が想像できず、皆動揺を隠す事は出来なかった。




実際玉狛と鈴鳴支部は近く合同で任務を行う事もあるとの事なので交流は深そうですが、迅は今に対してもセクハラしているのだろうか……性格的に通報するような人ではなさそうですが。
4月1日の話は今後短編を書く機会があれば書こうかな。
次回、男性陣の様子も描き、昇格試験の話にも触れて試験へ移行していきます。


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試練

 女性隊員が集結して話に花を咲かせている頃。

 男性隊員達も同じように注文した肉を焼きながら、味わいながら和気あいあいと会話をしていた。

 

「改めてB級一位、おめでとう」

「あっさりと抜かれちまったな。まあお前なら特に不思議ではねえけどな」

「とはいえヤバかったな。実戦の活躍は」

 

 村上、荒船、穂刈と同年代の隊員が一つのテーブルに揃うと各々がライへと祝いの言葉を述べる。

 やはり悔しさはあるが同時に身近な仲間が快進撃を果たした事に喜びも感じていた。故に今さら今回の事について僻みや妬みの声を上げる理由はない。

 

「皆ありがとう。僕としても上手く事が運んでよかったよ。最終戦まで権利を得られるかわからない戦いだったからね」

 

 とはいえやはりライ自身最後まで気の抜けない戦いであったと彼は語った。

 紅月隊は戦闘員一人。つまり彼が脱落した時点でそれ以上の得点は望めないという事だ。彼が常に抱いていた緊張感は誰にも想像できないほど大きなものだったはずだ。

 

「まあそう言いつつ最後は全部掻っ攫っていきおったがな」

「それなー。さすがにいきなり斬られた時はホンマにビックリしたわ」

「そういえばあれって一体いつの間に習得してたんすか!?」

 

 すると水上が軽い口調でライに小言を言うと、隠岐や南沢も同じような声色で続く。最終戦、彼らは直接目にし、味わったという事でライの旋空の威力は人一倍鮮烈に映ったようだった。

 

「完璧にマスターしたのはつい最近だよ。この前本部長に最後の手ほどきを受けてね」

「本部長に!?」

「ちょい待てや! 忍田さんはさすがに反則やろ反則!」

 

 ライの衝撃的な答えを聞いて柿崎は目を丸くし、生駒は苦言を呈する。ノーマルトリガー最強の男から直接指導されたとなれば当然の反応だがライは笑顔を崩さなかった。

 

「まあまあ。そうは言っても太刀川さんみたいに今までも弟子を取っていたようですし」

「それはそうやけどなあ……」

「それにイコさんにとっても悪い話ではないでしょう?」

「どこがや?」

「僕が旋空の教えを受けたのはイコさんと忍田さんの二人。名前が並んだわけです。しかもイコさんが教えを施した相手がここまで勝ち上がったんですよ? これ程の成果を上げた師匠は滅多にいないと思います」

「……ライ。俺はお前という存在を弟子にできた事、誇りに思うで」

 

 そして文句を口にしていた生駒もライの説得を受けてあっさりと掌を返す。やはりこの二人の関係は相変わらずであった。

 

「面白い関係だな、お前達は」

 

 その滅多にいない師の一人である東は二人の会話を聞いてクスリと笑う。

 

「なるほど。あれは本部長譲りだったのか」

「すげえな。今までも強かったけどさらに本部長にまで教えを乞うなんて」

 

 その隣では奥寺と小荒井が「どこまで強さに貪欲なのだろう」と息を飲んだ。彼らも東を無理やり隊長に引き込むなどそれなりの無茶はしてきたが、ここまで徹底できるかと言われれば返答に悩む。実力を伴ったあととなれば猶更だ。

 ——もっと励まなければ。二人は目が合うと揃って頷いた。

 

「ここまで来たんだからいっそそのまま上がってくれって感じだよな」

 

 既に個の強さは十分身に着け、集団の敵に対しても通用出来るだけの技や計略も見せつけている。

 ならば勢いそのままにA級にまで駆け上がる様を見たいと諏訪が素直な気持ちを口にした。

 

「ええ。すでに彼は快挙をなしたんですから、どこまで行けるのか見てみたい思いが強い」

「きっと行けるはずだよ。今シーズンの成績は偶然ではないって事は皆わかってるし」

 

 彼だけではない。堤や来馬も同じ思いで温かい視線をライに送った。

 決して簡単な道のりではないだろうが、彼ならばあるいはそれすらも乗り越えてしまうのではないかと信じて。

 

「――そういえばふと疑問に思ったんですけど、昇格試験ってどんな感じなんですか? 詳しい説明とかなかったですよね?」

 

 すると昇格試験の話題でふと思い出したのか別役が疑問を呈した。

 今まで2位以内に入れば昇格試験を受験できると言われていたが、そもそもその試験の内容は知らされていない。今まで権利を得た事もないのでその詳細について一切情報がなかった。

 

「そういえば確かに知らねえな」

「A級に上がる部隊が限られているから厳しいものだとはわかるけど……」

 

 柿崎や堤も同様に首をかしげる。

 こればかりはやはり受験した者たちにしかわからないだろうかと彼らは揃って生駒隊へと視線を向けた。

 

「ん? 俺らか?」

「まあ。確かに俺らは受験した事はありますけど。——東さん、その辺りは話しても大丈夫なんです?」

 

 注意が集まった事に気づいたのか、生駒が肉を運ぶ箸を止める。

 彼らの言いたい事も理解できた。とはいえ資格を手にした者だけが受験できる内容をそう簡単に口にして良いものなのだろうか。水上は判断がつかず、同じく詳細を知るであろう東へと問いを投げる。

 

「そうだな。まあ別に話しても問題はないだろう。そもそも資格が得られなければどうしようもないし、皆ある程度は想像できているだろうしな」

「さいですか」

「まあそれならええか」

 

 東の許可を得て生駒は手に持っていた箸をおくと、冷水で肉を胃の中へと流し込み、一つ咳ばらいを行った。

 

「ならライもおるし丁度ええわ。お前も近々受ける昇格試験について教えたる」

「本当ですか? お願いします」

 

 ライにとってもあらかじめ情報があるに越したことはない。彼も生駒たちの方へと体を向け、じっと耳を傾けた。

 

「まず試験そのものは形式とか色々変わるかもしれんが、基本的にはA級部隊との戦闘や。相手はその時にならんとわからん。向こうも当日いきなり発表されるみたいやから相手を予想して対策とかはできん」

「形式ってのは戦闘時間とかの話な? ステージは基本的に向こうで決めるみたいやけど、ランク戦みたいに一度脱落したらアウトだったり、制限時間内なら全滅した後もう一度挑めたりとかあるで」

「せやったなあ。俺らの時は脱落したら一発アウトやったな」

 

 生駒の説明に水上が補足する。

 試験と言えど基本的な概要は同じであった。異なる点があるとすれば個人戦のように何度か挑める場合もあるという事くらいだろうか。

 

「んで、ここがある意味大事なわけなんやが。ぶっちゃけこの試験、これまでの部隊ランク戦みたいな勝敗は関係あらへん」

「どういう事だ?」

 

 しかし生駒が続けた言葉に柿崎は理解できず聞き返す。

 戦闘の試験であるならば勝敗は最も求められるはずだ。それなのに関係ないとは信じられない。

 

「まあ勿論勝利できるならするに越した事はないんでしょうけど、それが直結はしないって事ですわ」

「例えば太刀川隊と戦うとして、あそこ唯なんとか君っておるやろ? 烏丸君の代わりに太刀川隊に入った銃手(ガンナー)

「……それってまさか唯我の事ですか?」

「それや!」

 

 言葉に詰まる生駒に荒船が苦笑しながら呟くと生駒は「グッジョブ!」と親指を立てた。

 名前さえ覚えられていないのか。皆この場にはいない唯我へ向けて頑張れと声援を送る。

 

「例えばランク戦なら彼を落とした後隠れて他の隊員が誰も落ちなかったとしたら俺らが勝つやろ?」

「まあそうだな。生存点がなくても得点が1対0だ」

 

 諏訪が当然だろうと発言すると、生駒は頷きつつ「けどな」と一拍置いて話を続けた。

 

「試験だと、これだと駄目なんや」

 

 いつもよりも語気を強めてハッキリと否定する。

 

「ようはランク戦と違って得点の概念がないんですわ。得点よりも内容を見てる」

「ああ。せやから試験は勝利敗北やなくて認定か不認定のどちらかなんや」

 

 隠岐と水上が生駒の話を受け継いで説明を続けた。

 ランク戦ならば一点でも多くとれば勝利として認められる。だが試験では事情が違った。たとえ多く得点が獲れたとしても必ず昇格できるとは限らない。

 彼らボーダー本部が求めているのはA級という『精鋭』だ。部隊ランク戦で既に数値としての強さを証明した後だからこそ単純な数値ではなくいかに戦えるのかという隊員達の戦いぶりを判定する。その為これまでとは勝手が異なった。

 

「しかもどうやらその部隊ごとの特性も見とるみたいやからなあ。俺らならちゃんと4人部隊としての強みがしっかりあるのかとかも見とるようやったし」

「その辺かなり厳しかったす!」

「せやったなあ」

 

 南沢がそう強く言うと、生駒も首を縦に振る。生駒隊でさえ認定を貰えなかった。いかに厳しい審査だったのかが理解できる。

 

「せやからライ。プレッシャーかけるつもりはないが、ひょっとしたらお前の場合余計に厳しいかもしれんで?」

 

 生駒が視線をライへと移すと弟子に忠告した。

 彼の話が正しいならば、紅月隊は一人部隊であるからこそ、余計にその個の力を証明しなければならない。確かにある意味ランク戦以上に厳しいものが待っているかもしれなかった。

 

「——わかっています。元より覚悟の上です」

 

 だがそんな事は関係ないとライは笑みを浮かべる。

 進む道が棘の道である事など結成の時に理解し、覚悟を決めていた。今さら何も怖気づくことなどない。

 

「イコさん達よりも早く、昇格の通知を貰ってみせますよ」

「おう。やってみい。楽しみにしとるわ」

 

 弟子の強気な発言を受け、生駒も負けじと煽るように視線をぶつけた。

 精鋭部隊入りをかけた試験だ。どちらも簡単な道のりではない。だが必ずや成し遂げて見せると意気込みは激しかった。

 

 

————

 

 

 その後。

 隊員達が皆とことん肉の味わいを堪能し、満腹になると未成年の隊員達は時間を見て順次その場で解散となった。

 ライや瑠花も店の前で仲間達と別れると、夜道は危険という事でライは瑠花を家まで送る事とする。最初は瑠花は断ったのだが時間も遅いという事もあって彼の言葉に甘える事とした。

 

「——ありがとうございました。わざわざここまで送っていただいて」

 

 ここで大丈夫ですと瑠花は大きく頭を下げる。

 

「大丈夫だよ。遅くまで付き合わせてしまって悪かったね」

「とんでもありません!」

 

 そう答える瑠花の表情は明るかった。普段はあまり会話しない隊員達と会話を交え彼女の交流は深まっただろう。とても楽しめたようにライの目には見えた。

 

「——瑠花」

「はい?」

 

 最後にライは彼女の名前を呼ぶと一つ間をおいて話を続ける。

 

「改めて、本当にここまでありがとう。昇格試験の資格を得るなど僕一人では考えられなかったはずだ」

「……そんな事はありません。私こそありがとうございます。いつも勉強させてもらいました」

「それならば僕も嬉しい。イコさんの話によると数日中に試験は行われるらしい。——あと少しだ。共に頑張ろう。また力を貸してくれ」

「——はい。喜んで!」

 

 互いの力を求め、眼前に目指すものが迫っていた。

 かつてライが瑠花を誘った時と同じように穏やかな笑みを浮かべると、瑠花も笑顔で応える。

 ——そうだ。あと少し。あと少しで、全てが決まる。

 瑠花と別れたライは軽い足取りで本部へと戻っていった。

 

(大丈夫だ。たとえ誰が相手であろうとも、僕たちは)

 

 試験を間近に控えた者とは思えない柔らかな表情を浮かべて。

 

 

————

 

 

 ランク戦最終日の翌日。紅月隊は完全に休養日であった。

 防衛任務もなく緊急な呼び出しもなかったため二人は適度にデータ分析を済ませると他愛もない日々を送る。

 彼らに連絡が届いたのは、その次の日の朝の事だった。

 城戸司令から同日の夕方に昇格試験を行うという知らせを受け、二人は予定の時間より少し早めに作戦室を出ると会議室を訪れる。

 

「——入りたまえ」

『失礼します』

 

 部屋の主である城戸の了承を得て二人は声を揃えて入室した。

 ゆっくりと扉を開けると部屋には司令である城戸を筆頭に鬼怒田、根付、唐沢、忍田、林藤と本部上層部の錚々たる顔ぶれが勢ぞろいしている。

 彼らの無言の圧に負けないようにとライが一歩足を踏み入れた。瑠花も彼に続き、ライの横に並ぶ。

 

「さて。まずは紅月隊、B級一位おめでとう。私から代表して諸君らの健闘を讃えさせてもらう」

「ありがとうございます」

 

 城戸が上層部を代表して労いの声をかけるとライが感謝の意を伝えて頭を下げた。瑠花も彼に倣って頭を下げる。

 程なくして二人の視線が上がった事を確認し、城戸は話を再開した。

 

「わかっていることだろうが、B級二位以内である部隊にはA級昇格試験を受験する権利が与えられる。先に通達した通り君たちにはその試験を行う為に集まってもらった。念の為に聞いておくが、君たちもこの試験を受験すると受け取っても構わないかね?」

『はい!』

「——結構」

 

 二人から肯定の返答を得て、城戸が頷く。

 

「ではこれより試験について説明させてもらう」

 

 ——いよいよか。

 城戸の宣告を受けて室内に緊張が走った。

 覚悟していた事ではあるが、やはりいざとなると体が強張る。瑠花はごくりと息を飲み込んだ。

 

「大丈夫だよ」

 

 するとライが他の者には聞こえないくらいの小さな声量で呟く。視線は変わらず城戸に向けられたものだが、瑠花には彼の声が自分に向けられたものだとしっかり伝わった。

 ——大丈夫。瑠花も自分にそう言い聞かせて一度瞼を閉じる。もう一度目を見開いた時には緊張は消え去っていた。

 

「まず今回の試験は、これまでのランク戦と同様の戦闘形式となる。単純にこちらが指定する相手との戦闘だ。マップは市街地A、制限時間は30分とする。制限時間の間であるならば個人戦と同様に撃破後も戦闘に再度参加できる。今回は純粋な勝敗ではなくその戦闘の内容を評価する。この後15分後から試験を開始させてもらう」

 

 城戸は淡々と試験の概要に触れていく。

 マップは個人ランク戦でも用いられる事が多い、平凡な市街地である『市街地A』。簡潔にまとめれば30分という時間の中でランク戦を繰り返すという事だ。

 

(こちらとしては助かる内容だ。一人部隊だから、偶然の一発で落とされて即終了という事はなくなった)

 

 一発勝負でない試験はライにとっては好都合である。もしも不意を突かれて落ちてしまえばそこで全て終わってしまう。巻き返しが出来るならばたとえ偶然で撃破されてもその後いくらでも挽回できる。

 

「さて、ここまでで何か質問はあるかね? なければ訓練室に移動となるが」

「では僕の方からよろしいですか?」

「何かね」

 

 城戸から質疑の有無を尋ねられるとライはすぐに挙手した。発言を促され、ライは最も気にしていた事について問いをなげる。

 

「試験の相手の事です。紅月隊の相手はどこの部隊なんですか?」

 

 最も重要な内容だった。相手によっては取る戦略も大きく変わる。

 A級部隊のデータについては概ね知識として記憶してあった。

 ある程度対策は立ててあるが、さらに作戦を詰める為にも情報は精密にしておきたい。

 

「ふむ。やはり気になるか」

「はい。勿論です」

「——紅月君。君も知っての通り、紅月隊は現存するA級部隊と比べても特殊だ。戦闘員が一人部隊。余計に求められる戦闘力は大きなものだろう」

「そうですね」

 

 城戸の言葉の真意を読めない中、ライは受け答えを続けた。

 

「故に今回は他の昇格試験とは少し事情が異なる。君の真価を見させてもらうためにも、相手については特殊な相手を選ばせてもらった」

「特殊な相手?」

 

 どういう意味ですかとライが疑問を呈する。特殊な相手と曖昧な表現をされてもライは予想がつかなかった。人数が近くポジションが異色なトラッパーもいる冬島隊が相手なのか。彼が様々な相手を想定していくと。

 

「いやー驚いたよ」

 

 会議室の扉が開かれ、聴き覚えのある声がライの耳を打つ。

 

「結局あの後も何度かこっそり君の姿を見たものの、俺と紅月君が衝突する未来が消えないものだからさ。ひょっとしたら何かまた予想外のトラブルでも起こるのかと警戒していたんだ」

 

 どこか飄々とした軽い口調の話し方。それはライがかつて一度だけボーダー本部で出会った男のものだった。

 ライはゆっくりと振り返り、声の主を確認する。

 

「だがこう言う事ならむしろ大歓迎だ。よっ、久しぶり。紅月君、瑠花ちゃん」

「……迅さん」

「どうして迅さんがここに?」

 

 S級隊員、迅悠一。未来を見通す力を持つといわれる男の姿がそこにあった。

 

「お互いに望まぬ形ではあったものの、君たちは以前顔合わせは済ませていたな。ならば紹介は不要だろう」

 

 ライや瑠花が驚愕をぬぐい切れない中、城戸は再び口を開く。

 

「紅月隊のA級昇格試験は、迅隊員との模擬戦をもって評価させてもらう」

 

 そして城戸は正式にライの、紅月隊の対戦相手を告げた。

 

「先に言っておくが迅隊員は(ブラック)トリガーは使わない。あくまでも本部規格のノーマルトリガーを使用してもらう。だが、それでも彼の実力がノーマルトリガーを使用する隊員の中でも随一の実力である事は我々が保証する」

 

 言われるまでもない。ライとて迅の実力については記録で目にしていた。

 随一の実力とはまさにその通りだ。かつて迅が(ブラック)トリガーを手にするまでは、あの最強と呼ばれた男・太刀川と一位の座をかけて争っていた実力者が迅悠一なのだから。

 

「……ライ先輩」

「ああ。やっぱりA級昇格への道は、簡単ではなさそうだ」

 

 衝撃の試験相手を耳にして瑠花が息を飲み、ライが強引に笑顔を取り繕う。

 『一人で一部隊と数えられる四人』のうちの一人。彼が指導を受けたばかりである忍田と同格の評価を受けている隊員が相手だ。予想外の敵を前に、ライでさえ余裕を保つことはできなかった。



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天敵

 迅悠一。

 玉狛支部に所属する、ボーダーのランク規格から外れたS級隊員の一人。現ボーダー本部設立の前から忍田本部長などと共に戦い続けた古参でもある。

 並外れた実績を持ちながらも彼は普段から防衛任務では一人で一部隊として数えられる上にランク戦には一切参戦しない為にその実力を正しく把握しているものは少なかった。

 だが迅の力を良く知る一部の古株や上層部の人間は彼の副作用(サイドエフェクト)の力もあって彼の事を高く評価している。

 そんな彼がとある隊員の腕を見るために駆り出されたとなれば、いかにこの試験が大きな意味を含んでいるかは語るまでもなかった。

 

 

「さて。どうみますか皆さん? 本日の昇格試験、紅月隊について」

 

 貸し切りとなった訓練室の観覧席に幹部の面々が移動すると、真っ先に口を開いたのは唐沢だ。

 彼の視線の先では今日の試験対象であるライが瑠花と何やらやり取りを交えている。試験前最後に作戦の打ち合わせであろうか。彼ら二人にとっては予想外である試験相手であるだろうが、少なくとも戦闘員であるライには緊張の色は見えなかった。

 突然の出来事にも怖気づくことなく平常心を保つ事は大切だが普段から心がけていなければ出来ない事。力は勿論精神的な安定感も感じ取れ、それを見て鬼怒田も息を鳴らす。

 

「ランク戦を勝ち抜いた以上、今さらあやつの力に疑問を覚えるものはおるまい」

「そうですねえ。一人部隊で勝ち上がるとは城戸司令もおっしゃる通り異例の事。それを成し遂げた以上は疑う余地もない。ただ——さすがに今回ばかりは、相手が少々悪いとも感じますが」

 

 そう語る根付の視線はライから離れた場所で準備運動を行っている迅へと向けられた。

 彼は普段から本部にも来ない上にランク戦にも参加していないためあまり実力は知られていないが、少なくともここに集結した面々にとっては既知の事である。

 下手なA級部隊との戦闘よりもよっぽど困難であろうなとこれから戦う紅月隊の面々に幾分か同情した。

 

「まあ異例だからこそ普段とは違う試験相手というのもわかりますけどね。それに彼の場合、意外とA級の面々とも交流が深いみたいですから。ねえ、忍田本部長?」

「ああ。確かに普段から慶をはじめ当真隊員や加古隊長、三輪隊長といった面々とは親しくしているとは聞いている」

「あらら。改めて聞くとすげえ面子だ」

 

 忍田が挙げた名前を聞いて林藤が肩を竦める。ライの入隊までの経緯と経歴を考えれば人間関係は乏しいはずなのだが、よほど社交性に長けているという事だろうか。

 

「だから城戸司令はわざわざ本部とは関係ない、うちの隊員を選出したってわけですか?」

「——別にこの度の試験相手の選抜については彼の交流関係や経歴を考慮したわけではない。先も言ったように一人部隊となればより強さと対応力が求められる」

 

 故に、と城戸は途中で言葉を区切るとわずかにライの方へと注意を向けた。

 

「この戦いでいかに彼が未知の強敵に、自身の難敵になるであろう相手に立ち振る舞えるのかを見させてもらう。それをもって彼ら紅月隊がA級を名乗るに値するかの判定とする」

 

 異論はないなと城戸は林藤をにらみつける。有無を言わさぬ圧力を前に林道は息を吐いて頷くのだった。

 

 

 ボーダー本部の幹部が独特の緊張感を醸し出している中、彼らと反対側の席でライと迅の様子を見守る影が4つあった。

 

「面白い戦いになったな。迅が来るとわかっていたなら朝から個人戦をやっても良かったんだが。この試験が終わったらあいつら二人を誘って三つ巴でもやるか」

「いやいや太刀川さん。迅さんはまだしも紅月先輩の方は駄目でしょ。仮にもこの試験、彼らの命運がかかった重要な試験なんですよ?」

 

 出水が諌めると太刀川は「わかってるって」と適当にあしらう。

 彼らは紅月隊の昇格試験の審査員を務める二人だ。昇格試験では上層部の人間の他にも実際の戦術などを評価するために戦闘員もこの場に集められていた。

 普段よくランク戦をしているライ、そしてかつてのライバルであった迅という注目の対決は太刀川にとっては非常に興味をそそるもの。彼の表情が好戦的な笑みを浮かべている。

 これはおそらく終わった後が大変だろうなと、出水は試験の後に繰り広げられる出来事を悟ってため息を零した。

 

「まあ確かに太刀川の気持ちもわからない事もないがな。迅のやつが黒トリガーを使わずに戦闘というのは滅多にあることではない」

「やっぱりそう思うよな、風間さん!」

 

 ほれみろ、と太刀川は同じく審査員を務める事となった風間の同意を得て得意げに笑う。

 普段は冷静な風間でさえ好戦的になるとは。攻撃手(アタッカー)とは血の気が多いポジションなのだろうか。出水が首を傾げた。

 

「——あれ。そういえば今回うちと風間隊が審査員なんですか? てっきり加古隊あたりかと思いましたけど」

 

 ふと疑問を覚えて出水が風間へと尋ねる。

 太刀川隊と風間隊はA級の中でもトップクラスに位置する部隊だ。基本的に審査員はA級の中でも対戦する部隊以外の二部隊、順位が離れた部隊かつ試験を受ける隊員が得意とするポジションの隊が務める事が多い。今回のライでいうならば万能手(オールラウンダー)であり、その中でもよく得点を挙げるのが弧月と変化弾(バイパー)だ。その為攻撃手(アタッカー)の太刀川、そして射手(シューター)の面から考えて加古隊あたりが選出されると思っていたのだが。

 

「どうやら加古隊は黒江さんが紅月先輩の弟子という事で外されたようです。師弟関係となれば採点に偏りが出ると考えたのでしょう」

「ああ、そうだったのか」

 

 この質問に答えたのは歌川だ。今回、風間隊からは風間と歌川が審査員を任されている。

 公正な判断が求められる審査員という都合上、よほどの事がない限りは師弟関係である隊員がいる部隊は審査員から外されるのだ。

 となれば風間隊が選ばれるというのも納得である。他の隊はスカウトに出ている部隊もあり、加古隊の他にもライと師弟関係にある三輪隊、広報部隊も任せられている為多忙である嵐山隊は外されて当然だ。

 風間は太刀川と同じ攻撃手(アタッカー)ではあるが思考が冴えており戦術にも広く通じていた。しかも歌川は万能手(オールラウンダー)。射手に関しては本職であるランカーたちには後れを取るとはいえ近・中距離で活躍するという点で一致している。妥当な人選であった。

 

「安心しろ出水。太刀川が手心を加える事がないようにしっかり監視しておく」

「お願いします」

「えっ。いや風間さん。俺はこういう事はしっかりやる人間だぞ?」

「どうだか」

 

 太刀川の弁護をよそに、風間は冷静な声色で話を続ける。

 

「今回の試験はいつも以上に注意を払ってみる必要があるからな。おそらく、紅月がここまでの部隊ランク戦で勝ち上がってきた原動力が封殺される事になるだろう」

「二人の副作用(サイドエフェクト)ですか?」

「ああ」

 

 隊長の発言の意図を読んだ歌川の発言に風間がコクリと頷く。

 

「その武器を封じられた中で、いかに紅月が立ち振る舞うか。それを見届けなければならない」

 

 ライが苦しい戦いを強いられるだろうと予測して風間が告げた。いつも以上に彼の表情が強張っているように見える。あるいは部隊ランク戦よりも厳しい展開になるかもしれないと彼は分析していた。

 

 

————

 

 

「——よしっ。それじゃあ、頼むよ」

「はい。任せてください」

「これが、ひとまず最後の戦いだ。頑張ろう」

「はい!」

 

 最後にライが一つ喝を入れると瑠花が気を引き締めて応えた。

 長かった戦いもこれで終わりを迎える。必ずや成し遂げようと約束して瑠花はオペレータールームへと戻り、二人は別れた。

 

「——よしっ。さて、紅月君」

 

 瑠花が去り、その場にいるのが迅とライだけとなった事を確認して迅がライへと話しかける。

 

「悪いが俺も試験を任された以上、本気でやらせてもらうよ。前に約束した協力の件は、今回はなしだ」

「わかっていますよ」

 

 当たり前の事だとライは表情を崩さなかった。

 言われるまでもない。そもそも誰かの情けで昇格を果たすなど彼の本意ではなかった。

 ライはゆっくり瞼を閉ざす。一息つくと、開かれた目は鋭い視線で目の前の迅を睨みつけた。

 

「迅さん。あなたに個人的な恨みは——まあ確かにありますが」

「えっ。ちょっと待って。瑠花ちゃんの一件は水に流してくれたんじゃなかったのか?」

「しかし!」

 

 迅の悲痛な訴えを無視してライは力強く宣言する。

 

「それはあくまでも私情であり試験とはまた別の事。今は一人の隊員として、隊長として。紅月隊昇格の為に、この戦い勝たせてもらいます」

 

 勿論ライは迅の起こした出来事を忘れたわけがなかった。だが今は関係ない。ただ紅月隊の為に勝利を手にすると誓うのだった。

 

「——ああ。受けてたとう」

 

 宣誓を受け、迅が不敵に笑う。

 彼もライのランク戦を幾度か見てその実力は評価していた。

 その上で恐れることはないと飄々とした態度を貫く。

 この時、やはり彼の目には未来が見えていたのかもしれない。

 

————

 

 

『全部隊、仮想ステージへ転送完了。ランク外対戦、A級昇格戦。開始』

 

 二人の準備が整い、定刻を迎えると機械音を合図に迅とライが仮想マップへと転送された。

 高いビルやマンションが点在する市街地が視界全体に広がる。

 個人ランク戦などで見慣れたステージを舞台に、二人の戦いは幕を開けた。

 

「——さあ行こう。瑠花、手はず通り最初から行くよ」

『はい。迅さんまでの最短経路を設定しています』

「頼む。一気に行く。倒せればそれでよし。いずれにせよ迅さんの力を試させてもらうとしよう」

 

 転送直後からバッグワームを起動し、マップから姿を消しているライは場所を移動しながらメイントリガーを起動し、瑠花と連絡を取る。

 迅が噂で聞くように未来を見る能力を持つというのならば手をこまねいている余裕はなかった。まずは先手を打ち迅の力を見ようとライは颯爽と駆けていく。

 一方、迎え撃つ立場である迅はゆっくりと市街地の車道を歩んでいた。

 

「さて。どう来るかな」

 

 迅には今回彼を補佐するオペレーターはついていない。

 そもそも迅が普段は部隊を組んでいない隊員である上に他のポジションよりも補佐の役割が薄い攻撃手(アタッカー)、何よりも彼の持つ副作用(サイドエフェクト)が下手なオペレーターよりも有効に働いてくれるという事情もあった。

 だからこそ普通の隊員ならば支援がない中で敵が消えているとなれば慌てふためくものもいるだろうが、当の迅に焦りの表情は一切ない。

 

「——おっ」

 

 その時とある未来が迅の瞳に映しだされた。

 すぐに迅は両方のトリガーでシールドを眼前に展開する。

 するとほとんど時を同じくして、迅の顔面目掛けて一発の弾丸がビルの屋上から放たれた。弾丸は盾を貫くには至らず、衝突して四散する。

 

「来たか」

 

 すぐに迅は狙撃の方角へと視線を向けた。

 その先にいたのはやはりバッグワームを展開し、姿を消していたライである。

 

(反応が早い。いや、早すぎる。僕が撃った時にはすでに迎撃の構えを取っていた)

 

 恐るべきは迅の副作用(サイドエフェクト)か。

 あっさりと奇襲を見破り、防ぎ切った迅を心の中で称賛した。

 これでは狙撃だけで彼を仕留める事は難しいだろう。そう判断するやライはイーグレットとバッグワームを解除した。

 

「エスクード」

 

 そしてライは右手に弧月を握りしめると、斜めに角度をつけたエスクードを屋上に起動。エスクードカタパルトで飛び上がり距離を詰めていった。

 

「おいおい。いきなり全ての攻撃系トリガーを起動か? 随分早い展開じゃないか」

「ッ――」

 

 接近するライに対し、迅は右手だけにスコーピオンを起動して迎え撃つ。

 先を全て見越しているかのような発言が耳に届き、ライは顔をしかめるが怯まず攻撃を続行。勢いそのままに迅へ斬りかかった。

 これを迅はバックステップで回避する。すかさずライが追撃の突きを放つも、これをスコーピオンを当てて起動をずらし、横から迫った変化弾(バイパー)を分割したシールドで

防ぎ切った。

 

「ふむ、なるほど。変化弾(バイパー)は狙撃の前に放っていたのか。さすがB級トップ。確かにこれは事前にわかっていないと対応は難しそうだ」

「凌いでおいて何を!」

 

 あっさりとこちらの手を見破った迅にライは吐き捨てるようにそう口にする。

 狙撃を防ぎ、斬撃を見切り、そして時間差で迫る射撃にも余裕をもって対応した。

 未来を予知するという迅の副作用(サイドエフェクト)。どれだけ情報が確かなのか明らかではなかったが、この一連の攻防だけでもその能力がいかに正確で、かつ強力であるか理解するには十分なものである。

 

「悪いね。一応試験官として、あっさりやられるわけにはいかないんだ」

 

 そして迅も攻勢に出た。右手に続いて左手にもスコーピオンを起動。軽量の利点を生かした二刀流でライへ素早く肉薄する。

 

「ッ!」

 

 二刀のスコーピオンが上下左右あらゆる角度から襲い掛かった。負けじとライも弧月でこの連続攻撃を受け、時にシールドで防ぐ。

 至近距離での斬り合い。ライもスコーピオンをいなし、反撃を試みるが迅は攻撃を無理に受けずに斬撃の軌道を逸らして回避した。一方の迅の刃は徐々にではあるがその剣速が増し、少しずつライの防御をかわし、ライの体を削っていく。

 

(攻撃が当たらない。読まれている! 逆に向こうはこちらのシールドの位置や剣の置く場所を見切って、見抜いている——!)

 

 信じがたい事だ。

 ライの副作用(サイドエフェクト)とされる反射神経はたとえ速さに長けたスコーピオンを相手にしても後れを取らないほどの速さと正確さを誇っている。

 だが、その行動の先を迅に見抜かれ、その上を行かれていた。

 

「——チッ!」

「おおっと」

 

 至近戦では不利と察したライが大振りに弧月を横に振るう。

 当然これを迅は上体を倒して回避した。直後、今度はライの右足が迅の体目掛けて蹴りを仕掛ける。負けじと迅は大きくバックステップを踏みこの攻撃をも凌いだ。

 

(トリガー以外の攻撃も読まれるのか)

 

 反撃は失敗に終わったがこれでいい。

 元々この動きは迅との距離を空けるためのものなのだから。

 距離が空くやライはすぐにサブトリガーの炸裂弾(メテオラ)を起動。迅の足元へと狙いを定めて——

 

「はい。予測確定」

 

 ライが展開したトリオンキューブ目掛けて、迅がスコーピオンを投擲した。

 

(しまっ——!)

 

 放出の瞬間。刃とキューブが衝突し、その場で大爆発を起こす。

 寸前でライは左手を引き横に跳んだ為に致命傷は免れたが彼の左肘から先と左腹の一部は吹き飛び、視界は煙で遮断された。

 

「おっ。今のを避けたか」

 

 間を置かずにその煙の中を突っ切って迅が突撃する。右手に持つスコーピオンが振り下ろされた。ライが弧月を掲げて一撃を受けるも、その間に再生成した左手のスコーピオンがライの体を引き裂いた。

 

「ッ――!」

「紅月君。確かに君は強い。B級の隊員達との争いを勝ち上がってもおかしくはないだろう」

 

 だけど、と迅は一度言葉を区切ると笑みを浮かべて続ける。

 

「俺の副作用(サイドエフェクト)は君の副作用(サイドエフェクト)と相性が良すぎるんだ。悪いな」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 非情な現実を突きつけられ、ライは表情を歪めてその場を後にした。

 最初の一戦目。ライは迅の前に撤退を余儀なくされる。迅が精鋭と呼ばれる力を遺憾なく発揮するのだった。

 

 

————

 

 

「——予想以上に迅さんが押していますね」

「そうだな」

 

 歌川が呟くと風間が小さく頷く。

 二戦目が始まったものの、優勢なのは迅の方だった。

 ライの行動を予知し攻防を優位に進めている。

 

「紅月の副作用(サイドエフェクト)は攻撃ではトリガーの切り替えや射手(シューター)トリガーの軌道設定などに働き、防御では相手の攻撃を見切ったうえで回避に移れるという非常に戦闘向きなものだ。だが」

「この場では、迅さんの方がその行動の先を行っていると」

「そうだ」

 

 風間の台詞を引き継ぐ歌川。彼もきちんと二人の攻防の優劣が働いている仕組みに思い至っていた。

 ライの副作用(サイドエフェクト)はBランクである特殊体質に分類された『超高速精密伝達』。簡潔に言えば後の先を取るというもの。対する迅の副作用(サイドエフェクト)はSランクである超感覚に分類された『未来視』。要は対の先を取るというもの。

 決してランクの値が強さに直結するわけではなかった。

 だが少なくともこの場においては相手の動きを読んで行動するライの動きを未来で予知している迅が有利である。ライは行動を起こした後だからこそ次の動作への切り替えが難しく、迅の連続攻撃も相俟って後手に回ることを余儀なくされていた。

 

「こりゃ、キッツいなー。紅月先輩どうすんだ? 距離開けて旋空とか変化弾(バイパー)勝負が一番速いか?」

「まあ変化弾(バイパー)に関して言えばそうだが。旋空については使いどころが少し難しいな」

「えっ?」

 

 出水は中距離戦の要である武器で取り返しを計るだろうかと提言するが、太刀川は己の得意分野である旋空について否定意見を述べる。

 どういう意味だと聞き返すと、その直後ライがまさにその旋空を迅目掛けて起動した。

 だが彼の単発の伸びる刃はスコーピオンを砕くものの迅にいなされ撃破には至らない。

 

「普通の旋空? 最終戦で見せた連発はしねえのか?」

「しない。というか出来ないんだろうな」

 

 疑問を浮かべる出水に太刀川が解説を続ける。

 

「そもそも旋空自体が撃つのにタメが必要というのがまず一つ。でもってさらに言うとあいつのあの旋空連発は、かえって範囲が広すぎる。マップとなってる市街地の建造物まで巻き込んで削っちまうだろ」

「——そういう事っすか」

 

 なるほどと出水がようやく理由に思い至り、その行動理由に感心した。

 確かに旋空は撃つのには準備が必要となる。加えてあの連撃でさえ完全に敵を撃破出来るわけではなかった。現にランク戦最終戦では初発の際でも生駒、香取両名にかわされている。未来を予知する迅ならば猶更その斬撃の軌道を読んでかわせるだろうという事は容易に想像できた。

 加えて問題となるのはその攻撃範囲だ。

 旋空は強力な威力を誇るが故にシールドを破壊するのは勿論周囲の建造物まで破壊してしまう。3連撃となればなおさらだ。そうなると障害物を利用する事でより弾道を読みにくくする変化弾(バイパー)などの戦いの強みが薄れてしまう恐れがあった。

 ならばその旋空の射程を縮めれば、となると今度はかえって旋空での撃破が難しくなる。その為ライは最終戦で見せた旋空の連撃を出す事に二の足を踏んでいた。

 

「紅月にとっては非常に厄介な相手となったな。副作用(サイドエフェクト)が通じない上に、最終戦で見せた必殺技も使いにくい。奴にとっては天敵とも呼べる相手かもしれない」

 

 そう語る風間の視線の先で、弧月を手にしていたライの右腕が切り落とされる。

 すかさず左腕で弧月を持ち直して反撃に移るも片手となってしまえばこの均衡は長くは続かなかった。

 試験開始からおよそ13分後。ライが二度目の緊急脱出(ベイルアウト)を記録する。

 残り時間は半分ほど。

 未だ突破口が見出せぬ中、ライが徐々に追い込まれていくのだった。

 

 

————

 

 

「どうした紅月君。こんなものか?」

 

 三度目の戦いを前に、距離を離してライと向かい合った迅が煽るような口調で語り掛ける。

 

「一応言っておくと、このままだと紅月隊は昇格の夢は叶わないみたいだ。俺の副作用(サイドエフェクト)がそう言っている」

 

 そう言って迅は口角を上げた。

 未来視(サイドエフェクト)で予知して敵を揺さぶる。迅の常套手段である心理作戦だ。追い詰められた相手には効果的だろう。

 

「——ふう」

 

 だがライはあくまでも平常心を保とうと大きく息を吐いた。

 

「やはりA級昇格の道は険しく厳しいか」

 

 確かに迅の言う通りだ。このまま迅を撃破できなければA級昇格など夢のまた夢だ。それは疑いようのない事実である。

 ならばそれを強がりで否定する事に意味はなかった。

 とにかく今はこの状況を打開するのみ。

 その為にも。

 ——ライは覚悟を決めた。

 

《瑠花。聞こえるか》

『はい。勿論です』 

 

 迅が目前に控えている為、ライは内部通信で瑠花と意志疎通を試みる。

 

《このままでは埒が明かない。ちょっと君に無理をさせるかもしれないけど、頼みがある》

『では』

《ああ。事前に打ち合わせした通りだ。ここからは賭けになる。僕と君の呼吸が合わなければ意味をなさないかもしれない。やってくれるか?》

 

 今の戦いを続けても勝機は薄い事は二人ともわかっていた。

 ならば多少のリスクは背負うべきだろうとライは勝負に出ようと考える。

 瑠花にこれまで以上の負担を強いる選択である上に必ずうまくいくわけでもなかった。

 故にライは最後の決断を命令するのではなく、頼むようにそう伝える。

 

『——任せてください』

 

 隊長の依頼に、瑠花は短く最良の答えを示した。

 

《ありがとう。ならばやろう。未来を超えてやるとしよう》

『はい! 支援します!』

 

 ライが小さく笑みをこぼす。

 気のせいだろうか幾分か肩が軽くなったような感覚を覚えた。

 

「よしっ」

「おっ。なんだ、気持ちが引き締まったかな?」

「ええ。——行きますよ、迅さん」

 

 飄々とした態度を貫く迅に、ライも笑顔でそう口にする。

 まだ時間は半分も残されていた。

 ならばここからである。ライは必ずや取り返してやろうとトリガーを起動するのだった。



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総力戦

「おっ? なんか紅月のやつ、雰囲気が変わったか?」

 

 遠目ではありながら太刀川はライが醸し出す空気の違いを察知し、身を乗り出した。

 ここまでまだライは迅に大きな傷を与えることができていない。形勢逆転するには何かしら手を打つ必要があった。

 まさにその何かをやろうとしているのではないか。一体どうするつもりなのだろうかと太刀川は子供のように心弾ませる。

 

「どうするつもりですかね? 正直な話、スコーピオンと迅さんの副作用(サイドエフェクト)の組み合わせの前では紅月先輩の副作用(サイドエフェクト)でも重量のある弧月のままでは対応が難しそうですが」

「足を止めて強力な一発を当てられれば大きいが、予知の前では難しいだろうな」

 

 勿論簡単な話ではなかった。同じ回避を得意とする隊員だが武器の重さと数の面で迅が有利である。同じ事を繰り返しても逆転できる可能性は低かった。

歌川も風間もそうありふれた手では予知を覆す事は難しいだろうと考えている。期待半分興味半分という感覚でライを見つめた。

 

「なら単純な話じゃないっすか?」

 

 そんな中、ただ一人出水はライの考えに見当がついているのか淡々とした口調でそう告げた。

 

「弧月の戦いでは厳しい。その上で迅さんの動きを止める為に予知を超えたい。なら、紅月先輩にはそれに向いている戦いがあるじゃないっすか」

 

 ライのポジションは攻撃手(アタッカー)ではない。

 この状況からでも立て直せるだけの力が、武器が彼にはあった。出水の知るライならば予知を超える事も出来るはずだと軽快に笑う。

 そして彼らの注目が一層高まる中で、先に動いたのはライの方だった。

 

 

 

「——うん?」

 

 ライがトリガーを起動しようとした寸前、迅の副作用(サイドエフェクト)が発動する。敵が動き出すよりも早くその動きを察知して攻撃の方法や方角などの詳細な情報が脳裏をよぎった。

 そして次に放たれる射撃の弾道が、8段階ものタイミングで異なる軌道を描いて進む事を知り、迅の表情が驚愕の色に染まる。

 

「ッ!」

 

 たまらず迅は一歩後ろへと大きく下がった。

 ——対処しきれない。

 未来予知を持ってしても完全には見極めは難しかった。少しでも相手の出方を見極めるため距離を空けようとの判断である。

 

『ライ先輩! 完了です!』

《ああ。行こう》

変化弾(バイパー)

 

 するとライも迅が後退した距離だけ前進し、変化弾(バイパー)を起動した。

 トリオンキューブは瞬時に分割するとまずそのうちの8個の弾が射出され、迅を左右から挟み込むように弧を描いて進む。続いて同じく8個の弾が上下に分かれると直進、迅に迫るや急激に角度を変えるように設定され。わずかに遅れて放たれたのは弾道の変化がない直進する弾、そしてその弾に続く形で放たれ、迅の直前で分散し八方から迫る弾、一度迅の上空を素通りした後急転換して背後から襲う弾などなど。

 次々と全く異なる弾道、速度、角度、タイミングの弾が放たれるや迅へと注がれた。

 

(一回の攻撃で、8個の設定を同時に行ったのか!?)

 

 思わず迅は左のスコーピオンをしまう。すかさず自分の周囲全体を盾で覆う固定式の態勢で防御を試みた。射撃トリガーは威力が低いためシールドで防げば問題はないが、この攻撃は従来のものでは防ぐ事が難しい。たとえ攻撃の威力が低くてもトリオン体の耐久力は一定だ。一発でもまともに受ければ大きなダメージとなるため妥当な判断である。

 

「——おいおい。なんだよ、それ!?」

 

 こんなの聞いたこともないと迅にこの試合で初めて焦りが浮かんだ。

 いくら副作用(サイドエフェクト)があるとしても、リアルタイムで設定できる変化弾(バイパー)だとしても限界がある。とても全て一人でできる事だとは考えられなかった。

 一言に変化弾(バイパー)といっても常に自由自在に変化できるわけではない。常人ならば事前に決めた二つ程度の変化する弾を撃つし、出水や那須とて状況に応じてルートを設定するとしても、一度の起動では基本的な弾道は左右あるいは上下対称だ。このようにいくつもの弾道を設定するのは一人でできる事ではなかった。

 衝撃が止まらない中、盾にいくつかの弾が衝突して掻き消える。

 一つ一つの威力が少ない分この攻撃だけならば防ぐことも可能だろう。

 

「旋空」

 

 だが、その間にライは次の一手を講じていた。

 今度は弧月を展開し居合の構えを取る。

 未来視を使う必要などなかった。

 この構えは間違いなく、彼がこのB級ランク戦を勝ち上がる原動力にもなった、彼の必殺技そのものなのだから。

 

「まいったな」

 

 迅の口から弱音がこぼれる。

 固定モードは自分の周囲の空間を守れる分、移動が制限されるという欠点があった。

 つまり今の迅は格好の的という事。

 かといって今解除すればまだ続く変化弾(バイパー)の中に身を晒す事になってしまう。退くも地獄、進むも地獄という難関だった。

 

「——弧月!」

「エスクード」

 

 考える時間も与えない。

 ライの旋空が放たれる中、迅は固定シールドを解除、斬撃をかわすために足元からエスクードを真下に展開すると斜め横に跳躍して旋空をかわした。

 当然これにより迅は変化弾(バイパー)の被弾を余儀なくされる。

 右腕を失い、左右の脇腹を複数撃ちぬかれるという重傷を負ったものの、即脱落という最悪の事態は免れた。

 

「これは、効いたな」

 

 迅の顔に小さな亀裂が走る。あまり猶予は残されていなかった。緊急脱出を防ぐ為とはいえダメージは予想以上に大きなものである。

 

「まだ倒れないんですか」

「ごめんね。ま、これじゃあ長くは戦えなさそうだから、行かせてもらうよ!」

 

 強がりの笑みを浮かべると、迅は壁を蹴ってライへ接近した。

 言葉通りこのままでは迅がトリオン漏出による緊急脱出(ベイルアウト)は免れない。

 ならば速攻で一撃を当てて先にライを落とすしかなかった。

 腕が落とされた為にいつものスコーピオンを握る戦いは出来ないものの、腕の先に生やして戦う事は十分可能だ。

 再び両手に刃を手にしてライへと迫った。

 

「むッ!?」

 

 そして接近の直前、迅は自分に迫る何かを見て足を止める。すると予知通り、ライは手にしていた弧月を迅の顔面目掛けて投擲した。

 

「うおっ!?」

変化弾(バイパー)

 

 ギリギリのタイミングで迅は体を倒し弧月をかわす。

 するとライは間を置かずに弧月を放棄するとトリオンキューブを自分の体の後ろへと展開した。

 

(射撃戦を——違う)

 

 観客席で見ている者は皆ライが中距離戦に移るのだろうと考えた事だろう。

 しかしその答えは違った。迅の予知した未来通りライは素手の状態で迅へと突撃する。

 すぐに迅は迎撃を選択。スコーピオンを振り下ろすも、左腕はライの突き出した拳が手首に衝突して防がれ、右腕はライが蹴り上げた左足にはね上げられ失敗に終わる。

 

「っ」

 

 ——マズイ。

 思わず迅は息を飲んだ。

 未来の対応に現在が追いつかない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 一度体勢を立て直そうと迅は後退するが、ライが見逃すはずもなかった。

 ライは一歩で距離を詰めるとがら空きとなった迅の腹部へと拳を叩きこむ。

 

「うっ!」

 

 衝撃によって体から酸素が強制的に吐き出され、迅の姿勢が崩れた。さらに休む間もなくライの攻撃が続く。バランスを失ってしまった迅が防戦に転じさせられてしまった。接近戦で刃を握っているにも関わらず、迅は呆気なく追い込まれていく。

 

『俺の方が先輩ではありますが、正直な話参考にしてますね。それくらい技量が高いというか器用で、しかもヤバいです。知ってます? あいつトリオン体じゃない時でも壁走りとかやってるんですよ』

「……あー。そう言えば確かにそんな事を聞いてたっけ」

 

 かつて荒船から聞いた冗談のような話を思い出して迅は苦笑した。

 トリオン体での戦闘において生身の筋力は関係しない。換装の時点で大幅に強化されるためだ。だが、そのトリオン体を操作する肉体は生身の感覚が元となっていた。生身で動ける感覚を掴んでいる事でトリオン体ではその何倍でも動けるようになる。

 ——ならば、生身の時点で常人以上に動ける人間は?

 その答えこそが今のライであった。非凡な運動能力に副作用と指定された伝達速度。たとえトリガーがなくても渡り合える。

 信じられない出来事の連続に迅は笑顔を取り繕って——放たれた変化弾(バイパー)に飲み込まれた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 あっという間に迅のトリオン体が崩壊し、試験初の緊急脱出を迎える。

 迅が飛び去っていった軌道を見上げながらライは一人口ずさんだ。

 

「確かにその副作用(サイドエフェクト)は脅威です。しかし」

『……ああ。なるほど、ここだったのか。読み逃したな』

『迅はなあ、見た相手の未来を見るっていう副作用(サイドエフェクト)をもってんねん。まあいくつか見えたり確実ってわけではないみたいやがなあ』

「それも万能な力ではないというならば。いくらでも対応のしようはある」

 

 ライはかつての迅や生駒との会話を経て彼の副作用(サイドエフェクト)も完璧ではないという事は理解している。

 ならばこそ諦めるわけにはいかなかった。

 この程度の劣勢なら覆して見せようと、今一度決意を新たにする。

 

 

————

 

 

「取り返したか」

「アッハッハ。迅のやつ、弱点を見抜かれちまったか?」

 

 ようやくライが一本取った。

 風間は小さく息を零し、太刀川は豪快に笑い飛ばす。

 

「未来を読むのに夢中になって現在が疎かになっている。いつものあいつの負けパターンだ。紅月がこれを続けられるなら、まだここから挽回できるぞ」

 

 よく迅と戦っていたからだろう。太刀川は迅があっという間に有利不利を逆転された理由を悟り、まだ勝負はわからないとニヤリと笑う。

 迅の未来予知は便利ではあるが決してすべてが見えるわけではなかった。

 特に力を行使しようとして目の前の戦いの対処が追いつかなくなるとその力の脅威は半減される。今回のようにライが相手に息つく間も与えない連続攻撃をこれからも仕掛けていけば本当に逆転もありえない話ではなかった。

 

「賞賛すべきはそれをこの短時間で見抜き、実行に移すだけの適応力。そしてオペレーターの支援能力か」

 

 風間もライの、紅月隊の対応を称賛する。彼らは理解していた。今の一連の流れがライ一人の力ではなかったという事に。

 

「やはり最初の変化弾(バイパー)は」

「十中八九オペレーターの支援があっただろうな。おそらく弾道の設定とかを一任してただろ。普段は自分で即興で設定しているルートをオペレーターに分析、設定してもらってその情報を入力して打ち出したんだ。じゃねえと紅月先輩でも情報量が多すぎる」

 

 歌川の言葉を引き継いで出水が最初の変化弾(バイパー)のからくりについて説明した。

 彼の言う通り瑠花はこれまでのライの訓練、ランク戦のデータから変化弾(バイパー)の情報を解析・収集し、迅との距離から適した8種の弾道を設定。情報をライに送信し、ライが弾速やタイミングを独自で考えて撃ち出していた。多くの射手(シューター)銃手(ガンナー)変化弾(バイパー)を使う際、あらかじめ決めた弾道を設定するという流れを現場で行ったという事である。これにより彼らは一見無茶苦茶な変化の射撃を可能としていた。

 

「加えて、未来予知とスコーピオンの速さに重さのある弧月ではついていく事が難しいと判断するやいなや、あっさりと弧月を放棄して格闘戦に移行するとはな。確かにやつの副作用(サイドエフェクト)を考慮すれば不可能ではないのだろうが。剛胆というか、蛮勇というか……」

「確かにあれは驚きですね。紅月先輩がまるで喧嘩慣れしているような動きで迅さんにスコーピオンを使わせない(・・・・・・・・・・・・)動きを徹底していてビックリしました」

 

 その通りだなと風間も歌川の意見に頷く。

 重量のある弧月では先を読んで二刀のスコーピオンを振るう迅には追いつけなかった。ならばと思考を切り替え、素手で迅の刃を振るわせないようにスコーピオンではなく迅の体を狙うという発想は面白い。強化された肉体を持つ彼だからこそできる芸当だろう。

 

「速さで互角の戦いになるならば、たとえ予知されていても紅月の副作用(サイドエフェクト)で対応することは無理ではない。さて、どうなるか」

 

 今一度風間はライと迅の戦いへと意識を傾けた。

 二人の戦いはすでに再開され、先ほど同様ライは素手でスコーピオンを両手に持つ迅と渡り合っている。

 

 

————

 

 

「おいおい。正気か紅月君? 刀を持っている相手に素手で接近戦とは。一回でも判断を間違えれば即死だぞ?」

「当たり前でしょう。難しいことではない。単純な話だ」

 

 皮肉まじりに迅はライへと告げる。一瞬でも意識を逸らせれば儲けものだが、ライは表情一つ変えずに返答した。

 

「一回も、間違えなければ良いだけの事です」

「——大したものだよ」

 

 一切の迷いを浮かべずにそう即答する精神力。冗談ではなく本心で迅はライを褒め称える。これだけ身構えている隊員はボーダーにもそうそういないはずだ。ましてやそれが、本来は高校に通っているはずの年齢となれば猶更であった。

 再びライの体の後ろに変化弾(バイパー)が浮かび上がる。

 さすがにライの格闘技を受けながら射撃は凌ぎきれなかった。迅は大きく後退するとライの足元へとスコーピオンを投げる。

 

「エスクード」

 

 これでライの追い打ちを一瞬止めるとその間にエスクードを起動。

 巨大な盾がせり上がり、前方からの弾を封殺するとその間に迅は左右から迫る弾をシールドで防いだ。

 先ほどのように固定シールドを使えば足が止まる隙をついて旋空を放たれる可能性がある。反省を生かした防御だった。

 

「おっ」

 

 とはいえ安心はできない。

 再び迅の副作用(サイドエフェクト)がライの次の行動を捉えた。

 ライがエスクードに止められない角度である横へと飛んで左手にトリオンキューブを展開する未来が映る。サブトリガーという事は炸裂弾(メテオラ)で間違いないだろう。

 ならば先ほどと同様にその先に刃を撃てばいい。迅はエスクードを解除して視界を確保すると、スコーピオンをライが飛んだ先へと投擲した。

 

「ッ!」

「やっぱりか」

 

 ライの表情が引き締まる。彼の左手には読み通りトリオンキューブが浮かんでいた。

 予知通りである。

 炸裂弾(メテオラ)は手元で爆発すれば大ダメージだ。迅の狙い通りスコーピオンは真っすぐにキューブ目掛けて突き進み。

 

「かかったな」

 

 命中する直前でキューブが消え、スコーピオンはシールドに止められてしまった。

 

(シールド! フェイクか!?)

 

 炸裂弾(メテオラ)の構えは囮。迅が未来を予知する事を知った上であらかじめ罠を張っていたのだ。

 

(出水の手を借りさせてもらった。あなたなら気づいてくれると信じていましたよ)

 

 攻撃と見せかけて防御する。この試験を見守っている出水が得意としている技術だ。幾度となく彼と射撃対決を繰り返しているライは彼の技術をものにしていた。

 

「これで決める」

 

 そしてそこからの切り替えが早いのはやはりライの方である。

 迅がスコーピオンを再生成するより早く炸裂弾(メテオラ)を起動すると、8個に分割した大きな弾が迅の周囲を囲うように放出した。

 

「——あっ。やべっ」

 

 炸裂弾(メテオラ)の発射を許してしまった時点で手遅れだ。

 詰んだと、迅が己の末路を察し冷や汗を流す。

 ライは弧月を手に取った右腕を引いた。

 それは、かつて彼が生駒との個人戦で見せた技。先の部隊ランク戦で見せた同じ技が対集団戦のものだとするならば、こちらは対個人戦。建造物を破壊したくない場合、防御・回避能力にも特化した相手にも通じるようにと磨いていた技である。

 

「旋空、弧月!」

 

 旋空の5段突きが解き放たれた。

 一発は迅のトリオン体の中央を捉え、残る4発は彼の周囲に放った4隅のメテオラを貫き、次々と誘爆していく。

 

「すごいな。まだこんな面白いものを隠してたのか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 迅のトリオン体は風穴が空き、四肢が爆散し、一瞬で崩壊した。

 防御は勿論逃げ道さえ与えない。

 従来の旋空よりも構えが異なる為斬撃の範囲こそ面から点と変わって狭いものの、旋空の放つ先が読みにくく、反応されたとしても少し手首を返すだけで調整が容易であるという応用の効く技。居合切りよりもためが短く動作も小さい突きという事でさらに連撃が増している彼の新技は見ている者たちに多大な衝撃を与えるのだった。

 

 

————

 

 

「——認めるとしよう」

「城戸司令!」

「それでは!」

 

 戦いが始まってからは常に静観を決め込んでいた城戸が言葉を発した。

 その意味を理解して根付や鬼怒田は席を立ち、その真意を問うと城戸は小さく頷く。

 

「元々この戦いは、紅月隊長が迅隊員という未知の相手に勝たずとも善戦出来ればよしというものだった。それがこれ程の戦いぶりを見せられては、何も文句はない」

「——ええ。そうですね」

「私も賛成です」

「じゃあ、俺も賛成で」

 

 城戸だけではなかった。唐沢に忍田、林藤も司令の意見に同意を示す。ライと迅の戦いを目にして専門外である鬼怒田や根付もさすがに反対の意見はなく、ここに上層部の意見は固まった。

 

「ならば決まりだな。この後同じく観戦、評価している太刀川隊・風間隊と合流し彼らから反対意見が上がらなければ——紅月隊をA級認定とする」

 

 おそらく何も反対意見はないだろうと考えながら、城戸は最後の攻防を見届けた。

 最後までライは変化弾(バイパー)で迅を狙い続け、迅もスコーピオンにシールド、エスクードを駆使して立ち回る。

 

時間切れ(タイムアップ)! 試合終了!』

 

 残りの変化弾(バイパー)を迅が斬り落としたところで試験は終わりを迎えた。

 

紅月××〇〇×〇
〇〇××〇×

 

 迅と互角の死闘を演じ、紅月隊がその実力をボーダー幹部やA級隊員達へ改めて示す。彼らの戦いぶりは精鋭部隊と比較しても勝るとも劣らないものだった。




城戸「確かに迅隊員がトリオン体ならば殴っても良いとは言ったが、まさか我々の目の前で殴るとは思ってもいなかった」


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転換期編
約束


 試験の終了を告げるアナウンスが戦場に鳴り響く。

 短くも長く感じられた30分の攻防が終わりを迎え、ライは弧月をしまうとゆっくり肩の荷を下ろすのだった。

 

「終わり、か」

 

 安堵をはじめあらゆる思いがそのつぶやきに篭められる。

 迅を相手に対等にわたり合えた事の満足感。同時にもっとうまく立ち回れたのではないかという反省。複雑な感情が入り混じった一言だ。

 

「お疲れ。紅月君」

「——迅さん。はい、ありがとうございました」

「ああ。試験お疲れ様。まあもう気負う必要はない。後は結果を待つだけだし、これだけ動けたのだから城戸さん達だってそう厳しい判断はしないはずさ」

 

 そう考え込む必要はないと声をかけたのは迅だった。先ほどまで切り結んでいたとは思えない陽気な声でライを諭すように告げる。

 

「ええ。そうですね」

 

 ライも迅に同意を示すように頷くのだった。確かに彼の言う通り試験が終わってしまった以上、もはや紅月隊に出来る事は何もないのだから。だから後は結果を待つのみ。たとえそれがどのような結果であろうとも。

 故にこれ以上試験の内容について言及する事はやめにしようとライも考えた。隊長である自分がいつまでもくよくよとしていては瑠花にも悪影響を及ぼしかねない。隊長として凛とした姿を保たなければと背筋を伸ばすのだった。

 

「うん。俺も試験官としてやるべき事は終わったし、一息つけるな。君との戦い、中々面白かったよ」

「僕もです。正直、これまでの部隊ランク戦とはまた違った緊張感を味わえました」

「そうかい? ならよかった」

 

 最後に二人は握手を交わして健闘をたたえ合う。因縁こそあれ実力を認めている事は確かなのだ。改めて二人がより仲を深める瞬間であった。

 

「はい。ですから——」

「ん?」

 

 するとライは手を離すと踵を返し、迅に背中越しに告げる。

 

「次はこのような試験という形ではなく、全力の迅さん(・・・・・・)と戦ってみたいものですね」

 

 思わず迅の目が見開き、息を飲んだ。その彼の反応を知ってか知らずか、ライはそれ以上何も言葉を発する事無く試験場を後にする。

 

「……やれやれ。俺が考えている以上に冴えている上に冷静だ」

 

 いっそ末恐ろしく感じる程に。

 試験が終わった直後であるにも関わらず、物事の真意を見抜いているようなライの思考に迅は肝を冷やすのだった。

 

(別に手加減したわけではない。けど)

 

 確かに迅が全力でやったかと言われれば返答に悩む事である。

 何故ならライは挑戦者であるのに対し、迅はあくまでも試験官なのだから。ライはこれで勝たなければ終わりという状況だったが、迅は違った。あくまでも力を試す立場であり負けたところでペナルティがあるというわけでもない。

 勿論迅自身彼が出来るだけの事をやった事は間違いなかった。だが同時にこの戦いに対する気持ちの強さはライが、紅月隊が圧倒的に勝っている。決して気持ちの強さが勝負を決めるとは断言しないが、少なくともライがこの戦いでランク戦でも見せなかった戦いを披露したという事実は彼らの気迫を物語っていた。

 

「ま、俺としては君とはあまり戦いたくはないけどな」

 

 できる事ならむしろ味方につけたいくらいだと迅は一人口ずさむ。

 紅月隊は戦術的にも戦略的にも秀でた部隊だ。敵に回せば恐ろしいが、味方につけられればどれだけ心強い事か。迅は存ぜぬ事だが、彼も忍田と同等の評価をライに下していた。

 

(そうだ。一応、見ておくか(・・・・・)

 

 迅は離れていくライの背へと視線を戻す。

 改めてこの試験の結果を経て、ライがどのような未来をたどっていくのか、何か未来は変わったのだろうかと確認した。

 

「————はっ?」

 

 そして、その未来を見て愕然とする。

 彼が新たに目にした未来は二つだった。おそらくこの試験の結果により確定した、あるいは可能性が生じた未来なのだろう。

 一つは、彼がオペレーターである瑠花と共に忍田本部長の元を訪れている未来。

 そしてもう一つは——

 

 

————

 

 

「では太刀川隊、風間隊の両隊の報告をもって最終判断を下す。明日は生駒隊の昇格試験もある。皆準備しておいてくれ」

 

 最後に連絡事項を下して城戸は観客席を後にした。さらに鬼怒田、根付も後に続く。普段あまりランク戦を観戦していない人々は関心が逸れるのも早かったのか、足早に去っていった。

 

「まさか迅と互角に戦えるとはねー。一年前は想定もしてなかったな」

「ああ。私もだ。……本当に、頼れる存在だ」

 

 一方、林藤や忍田は試験の余韻に浸り、ライの話題に花を咲かせている。

 林藤は玉狛の支部長として、忍田は姪の部隊としてと色々思う所があった。この結果を見て物思いにふけるのは当然の事だろう。

 

「これからも話題の的だろうな。どうなんだよ、本部長殿? 瑠花ちゃんの部隊がエンブレム持ちになるってわけだ。心境のほどは」

 

 林藤が茶化すように忍田の肩を叩く。

 A級の部隊は隊特有のエンブレムを作る事を許されていた。紅月隊も当然隊の象徴になるエンブレムを作成する事になる。それだけ特別な存在になったという事だ。

 その事実を噛み締め、忍田の表情から穏やかな笑みがあふれる。

 

「喜ばしいさ。彼女が部隊の躍進の力になれたのならば誇らしい。少し早すぎるとも思うがな」

「確かに林藤支部長の仰るように話題に上がるでしょうからね。今後何か問題があれば叩かれかねない。その点は注意が必要でしょうが——まあ彼らの人間性ならば大丈夫でしょう」

 

 少し寂し気にそう告げると、同じくその場に残っていた唐沢も続いた。

 確かに紅月隊の躍進はあまりにも短い期間に起こっている。もしも今後彼らが何らかの問題に巻き込まれれば悪い意味で人々の注意を集めかねない危険性をはらんでいた。

 そう指摘して、同時に彼らの性格ならばその心配は杞憂だろうと断じる。

 

「A級、B級にも広く通じているのです。何かあったとしても彼らなら上手く乗り越えていきますよ」

「……ええ。そう信じます」

 

 きっとこれからも紅月隊として上手くやっていけるはずだ。

 そう忍田は信じて疑わなかった。彼の表情から不安の色が消えた事を確認し、唐沢は視線を会場から去り行くライへと移す。

 

(紅月君か。とても17歳の少年とは思えないな)

 

 この戦いを見て、唐沢はライの年齢に似合わぬ戦いぶりに、振る舞いに衝撃を覚えていた。

 

(正直、末恐ろしいな)

 

 唐沢がライに恐怖のような感情さえ覚えたのは、彼が迅に格闘戦を挑んだ場面だ。

 刃を持つ敵を前に、武器を持たずに身を晒す。唐沢はライが示した格闘戦の技術よりも、それを容易に行った精神力に驚きを感じていた。

 

(まるで本当に命のやり取りをする場所に立っていたようだ)

 

 たとえ命を失う危険性がないトリオン体だとしても、誰もが彼のように突如接近戦を挑もうと考えるとは思えない。

 まさかライはこれまでに殺し合いでも体験してきたのではないかと唐沢は錯覚を覚えたのだった。

 

 

————

 

 

 その頃、反対側の観客席。

 

「やりやがったな、紅月のやつ」

 

 3対3。引き分けという結果だが太刀川には十分満足できる結果だった。強敵との戦いを待ち遠しいと思っているかのように胸を躍らせている。

 

「迅さんの未来予知を逆手に取りましたね。変化弾(バイパー)と旋空のコンボで固定シールドでは防げないと判断させ、エスクードを使わせたと思えば視界が遮られた事を活かしてフェイクを織り交ぜた。紅月先輩の万能手(オールラウンダー)としての強みですか」

「いやー、あれって俺の戦いを模倣された可能性あるな。紅月先輩とは時間ある時とか射撃対決とかよくして、俺がその時にあのフェイクを見せてたからなー。まさか予知を使う迅さん相手に使うとは思ってなかった」

 

 次々と攻め立てる事で敵の動きを誘導し、追い詰めていったライの戦い。攻撃手用トリガーと射撃手用トリガーの切り替えの巧みさに歌川は舌を巻いた。

 一方出水はライが見せた技術が自分の見せた物であると察して苦笑を隠せない。決してライを相手に物事を教えた事は一度もなかった。だが、まさかこのような形で彼が自分のものにした瞬間を目にする事になるとは想像できるはずもない。

 

「いずれにせよ大きな問題はないと言っていい。前半戦は押され気味であった為に心配だったが、後半戦は見事に取り返した。むしろこの展開により紅月隊は地力の強さを証明したと言えるだろう」

 

 風間の総評に皆「確かに」と頷いた。

 一度劣勢に立った部隊が立て直す事は容易ではない。だからこそライが一度その立場に晒されながらも自身の強さを見せつけた事は従来の戦いよりも評価できる点だ。逆境下で力を示せる戦力は非常に貴重なもの。それがあらゆる手を持つ隊員となればなおさらだ。

 

「それにまだあいつが違うタイプの旋空を隠し持っていたってのも面白かったな」

 

 しかも今回の戦いで新たな収穫があった。絶大な威力を誇る旋空の発展型。あれは目を見張るものがあると攻撃手(アタッカー)最強である太刀川でさえ認めていた。

 

「ええ。線ではなく点の攻撃である分範囲が狭いとはいえ、居合の構えと違って敵は自分の方向へと刀を向けられているため攻撃の先が読みにくい。反応できたとしても少し手首を返しただけで刃先を変えられますし」

「紅月の副作用(サイドエフェクト)がそれを可能としているからな」

 

 彼だけではない。歌川や風間もカラクリを見抜いた上で評価していた。

 従来の旋空は弧月を大きく振るって直線状にいる敵を一掃する。対して今回ライが見せた旋空は突きである分対象の敵は少ない一方、ギリギリまで攻撃の見極めが難しく、加えて範囲の狭さを数で補っていた。

 やはりこれもライの副作用(サイドエフェクト)の恩恵か。皆その脅威を正しく把握している。

 

「俺も今度あれやってみようかな。迅相手に通じるか試してみたいが」

「あー。やめといたほうがいいですよ、太刀川さん」

「ん? なんでだ出水?」

 

 目新しいものを見つければ挑戦してみたくなるのが人の性だ。太刀川は目を輝かせてライの新技に挑戦しようと意気込むが、そこに出水が待ったをかけた。

 

「だって旋空って先端に行けば行くほど威力が増すんでしょう?」

「そうだぞ?」

「突きって事はその動作によって先端の位置が容易に変化するでしょう? それこそ紅月先輩みたいな副作用(サイドエフェクト)がないと連発は無理ですって」

「……あっ」

 

 チームメイトの説明でようやくその困難さを理解し、太刀川の表情は固まる。やはり誰にでも出来る技ではなかったのだ。

 

「マジか! くっそ。折角良いアイディアだと思ったのに!」

「——全く。お前は相変わらずだな。まあいい。俺は少し迅から話を聞いてくる」

「わかりました」

 

 相変わらず戦闘の事となると熱くなる太刀川を横目に、風間は一応戦った迅から意見を尋ねようと観客席を離れ、迅の下へと歩み寄る。

 ライと別れた迅はライが去った後も彼が通っていった扉の方角を眺めていた。

 

「どうした、迅? まさか疲れたのか?」

 

 そんなわけないだろうと知りつつ風間は迅へと声をかける。

 

「——ねえ、風間さん。一つ質問してもいいかな?」

「質問? なんだ?」

 

 迅は振り返ることなく風間へと問を投げた。いつもよりも幾分か真面目な口調に風間は身構える。

 

「たとえばだけどさ。風間さんが三上ちゃんに真剣な感じで頭を下げるとしたらどんな時?」

「三上に?」

 

 迅の口から上がった名前は風間隊のオペレーター・三上だった。

 要領を得ない質問に疑問を抱きつつ、迅がこのような事を意味なく尋ねるとは思えない為風間は下顎に手を当てて考え込む。

 

「そうだな。たとえば、何かの記念日を忘れてしまった事などを謝罪するとか、約束を破ってしまった時等に頭を下げるとは思うが」

「うん。だよね。俺もその辺りは思いつく。じゃあそういう個人の悩みじゃなくて隊長として、隊員としてなら?」

「……どうだかな。何か三上が関わる重要な戦いで負けるか。あるいは」

 

 あまり考えたくない事だが、と前置きをして風間は話を続けた。

 

「ありえない話だが部隊が解散しなければならない時などがあったら、そうなるだろうな」

 

 勿論そんな事は当分ないだろう。

 風間はまだまだ現役で戦える年齢だ。加えてこの先他の誰かと組んで戦うつもりもない。

 だからあくまでも仮定の話だと強調した上で風間は迅の質問に答えた。

 

「一体どうしたんだ? そんな事を聞くとは」

「……いや、何でもない。ありがとう。参考になったよ。やっぱりこういうのは太刀川さんよりも風間さんに聞く方が為になるね」

 

 だろうなと風間は息を吐く。

 深くは追及しなかった。聞いたところでこの男は上手く話を逸らすのが得意であると知っているから。むしろ聞く必要がある事なら迅の方から話しているはず。

 だから風間がそれ以上この件について迅を問いただすことはなかった。

 

(……まさか、ね)

 

 その風間の気遣いに感謝しつつ、迅は一抹の不安を浮かべる。

 

(A級に昇格したことで、紅月隊が解散する未来が浮上するなんて。——ないよな?)

 

 迅が目にした二つ目の未来は、ライが苦痛な表情を浮かべて瑠花へと頭を下げる場面であった。ライだけではない。瑠花自身も表情は寂し気で、事の真剣さを物語っていた。

 二人の様子から考えるに約束や記念の日を忘れたという雰囲気ではない。時期的にも戦いが起きる可能性は低く、風間の語る部隊解散の可能性が一番当てはまるようにも思えた。

 この予知は今までは見えなかった未来だ。つまり彼らがA級に在籍する事、それによって何かの未来が動いたという事になる。それも、紅月隊に暗雲が立ち込める彼らにとって悪い未来に。

 一体この先何が起こるというのか。迅でさえこの時はまだそれ以上の未来を見る事は出来なかった。つまりまだ確定した未来ではないという事。必ずしもそうなるわけではないのだから。

 

 

————

 

 

 そしてそんな予知が見られていたことなど知る由もないライは速足で本部の廊下を歩いていた。

 向かう先は当然、彼の自室でもある紅月隊の作戦室である。

 

「ライ先輩! お疲れ様でした!」

 

 扉を開けるや否や、瑠花が笑顔で出迎えた。彼女も試験のサポートで忙しかったであろうがそれを感じさせないほどの満面の笑みである。

 

「ああ。お疲れ様。これで本当に僕たちの今シーズンは終了だ」

「はい。後は結果を待つだけですね」

「そうだ。聞くところによると結果は僕達とイコさん達の試験の両方が終わってから出るらしい。だから今日すぐに出るという事はないだろう。だから今日はゆっくりと羽を伸ばしてくれ」

「————はい!」

 

 試験が終わってすぐさま結果が発表されるわけではなかった。昇格の有無が決まっても当事者たちに告げられるのはまた別の事。よって試験が終わった紅月隊は発表の日までは自由気ままにその日を待つだけだ。

 やるだけの事はやったためか、ライは勿論瑠花にも不安の色は見られない。彼女自身手ごたえを感じているのだろう。ライの言葉にハキハキと応えるのだった。

 

「——と、言ったわけだけど。もう夕飯の時間か。こうなると今日はもう解散した方がいいかな?」

「あっ。それならライ先輩、食堂で一緒にご飯を食べませんか? ライ先輩も今日はお疲れでしょうから食堂で済ませてはどうでしょう?」

 

 時計はまもなく7時を指し示そうとしている。試験の説明や移動、戦闘時間などもあって気づけば夜になっていた。

 中学生があまり遅くまで外にいるわけにはいかない。ライは今日はここで活動を終えようかと進言すると、瑠花が夕食の誘いを口にした。

 

「僕は大丈夫だけど、親御さんは?」

「私は試験があるからしばらく遅くなるかもしれないと言ってありますので、一言メールを送っておけば大丈夫です」

「そうかい? ——そうだね。なら、今日は一緒に行こうか」

「ええ。行きましょう」

 

 大切なオペレーターの誘いを蹴るという手などない。確認を済ませるとライはためらうことなく頷くのだった。

 二人は軽く片づけを行うと、早速食堂へと向かう。

 食堂はさほど混んではいなかった。注文を済ませると、二人は空いている席を見つけて向かい合うように座る。

 

「フフッ」

「どうした?」

 

 突如瑠花が笑みをこぼした。

 何かあったのだろうかとライが問うと、瑠花は「いいえ」と軽く否定して話を続けた。

 

「少し、初めてライ先輩と出会った時の事を思い出してしまって」

 

 言われてライも思い出す。

 一年ほど前、初めて二人が出会って、そしてゆっくりと落ち着いて話を交わしたのも丁度この場所だった。

 あの時はまだどこか妹に似た少女というイメージでしかなかったが。

 ——随分と変わり、そして成長した。

 ライも気を良くして穏やかな笑みを浮かべるのだった。

 

「あの時は、君とここまで来れるとは考えていなかった」

「……そうですね」

「まだ僕たちのA級昇格が認められたかはわからない。だが、たとえどのような結果であったとしても」

 

 ライはそう言うと、水の入ったグラスを前に掲げる。

 

「この先も僕をサポートして欲しい。ついて来てくれるか?」

「喜んで」

 

 瑠花もグラスを手に取るとライのグラスと合わせ打ち鳴らした。

 こうして二人は初めて約束を交わした場所で改めて今後の協力を誓う。

 その後も料理を楽しみつつ談笑を交え、穏やかな時間は過ぎていった。

 二人とも終始柔らかな笑みを浮かべていて。

 お互いの信頼はゆるぎないものだと示しているようだった。




風間「紅月の場合なら、お前のセクハラから守りきれなかったとかじゃないのか?」
迅「どうして俺がそんな事をする前提なの!? あれから紅月君の前では絶対にやらない事にしてるんだけど!?」

前科持ちだからね。仕方ないね。


当時はただ守られるだけの立場だった少女の協力もあって試験で躍動できたと考えると感慨深い。


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昇格

 生駒隊がA級昇格試験を受けたのは紅月隊が受験した翌日の夕方の事だった。

 先にも述べた通り、昇格試験においてはその部隊の特性を特に重要視される。生駒隊ならば4人編成という特殊性、さらにはエースである生駒・隠岐両隊員のポジションである攻撃手(アタッカー)狙撃手(スナイパー)という個の強さだ。

 その為当然のことながら四人の中でもその二人の活躍が必須であった。近距離と遠距離、異なる距離で戦うエースが最後まで生き残る事が理想とされる。

 

「——アカンわ。かわしきれん。すんません、イコさん」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 だからこそ、試合時間の半分を残して隠岐まで脱落してしまったという事実は生駒隊にとって非常に痛手となった。

 隠岐は狙撃の直後、奇襲を警戒してグラスホッパーを展開。高速でその場を離脱したのだが、そのグラスホッパーの移動先をライトニングで逃げ道を次々と制限され、そしてイーグレットの一撃で離脱してしまう。

 

「ライに当てる事と比べれば、難しい事ではない」

 

 徹底的に相手の動きを封じ込め、確実な一撃で敵を沈める。

 当真に次ぐナンバーツー狙撃手(スナイパー)と名高い奈良坂は生駒隊にとって強大な壁として立ちはだかった。

 これで生駒隊の残る隊員は生駒のみ。

 一方対峙している本日の試験官を任された三輪隊は三輪・奈良坂の主力二人が生き残っていた。

 

『三輪くん。奈良坂くんが隠岐くんを仕留めたわ。あと二十秒ほどで援護ができる狙撃位置に移動するから、それまで生駒くんを抑えてね』

「了解。問題ない。もう既に、勝負は決まっている」

 

 隠岐の撃破がオペレーターである月見から三輪へと伝えられる。

 返答する三輪の声は非常に落ち着いていた。

 彼の言葉通り、すでに決着はほとんどついている。

 三輪は顔や腹部に多少の切り傷は見られるもののトリオンの漏出は少なくまだまだ戦える状態だった。

 一方、現在彼と切り結んでいる生駒は所々に傷が見られる上に左腕を失い、右腕と左足に機動力を奪う重石・鉛弾(レッドバレット)(改)を被弾しているという苦しい状態である。誰の目から見ても生駒の苦戦は必至だった。

 

「おいおい。アカンやろ。洒落にならんで。ただでさえ同じ四人部隊が相手な上に隠岐まで脱落したら、本当に俺の旋空が凄いだけの部隊(チーム)やで」

 

 『まあその旋空ももう撃てんのやけどな』と生駒は小さく愚痴をこぼす。

 今日の生駒隊は非常に厳しい展開となった。そもそも生駒隊が合流前に三輪隊の強襲を許してしまった点が痛い。

 米屋が生駒の足止めをしている間に水上は古寺に動きを封じられ、南沢は三輪に突っ込んでいき、そして撃破されてしまった。

 早々に三人となった生駒隊は古寺が水上を抑えている間に三輪がその場に参戦。この戦いでさらに水上まで失ってしまい、生駒が米屋と三輪の連携に挟まれる。辛うじて生駒が米屋を退けるものの、この戦いで生駒は鉛弾(レッドバレット)を被弾。反対の腕も米屋に最後の一撃で持っていかれてしまい、大きなダメージを負った。

 古寺を隠岐が仕留めると、その隠岐も奈良坂の狙撃によって落とされてしまい、生駒隊は大量の負荷を強いられた生駒を残すのみ。

 

「旋空さえ封じてしまえば、あなたの強みは半減だ」

「言うやんけ。三輪隊長」

 

 右手に弧月を、左手に拳銃を構えて三輪が生駒を煽る。

 片腕な上に利き腕が重石によって自在に振るえなかった。三輪が完全に生駒の生駒旋空を封じている。

 これこそ三輪隊が選抜に選ばれた本当の理由だった。

 四人部隊である上に射程持ちの隊員が二人、攻撃手(アタッカー)が二人。さらに敵の機動力を封じる鉛弾(レッドバレット)持ち。生駒隊のグラスホッパー対策であると共に命中させることが出来れば生駒の必殺技も封じる事が可能なのだ。

 

「本当、狙い通りになってまうのが悔しいわ」

 

 そしてその思惑通りになってしまった以上、生駒の敗北は避けられなかった。

 生駒も必死に弧月を振るい、シールドで防ごうと試みるが、キレの鈍った刀は容易に弧月で止められ、鉛弾(レッドバレット)はシールドを貫通。さらに生駒の動きを封じると、三輪の斬撃が生駒の体を一刀両断する。

 

「——ああ。今回もアカンかなあ」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 最後に軽口を一つ残して生駒は戦場を離脱した。

 

「任務完了。さすがに二部隊も同時に昇格(・・・・・・・・・)するような事があっては、A級が軽く見られてしまうからな」

 

 三輪が奈良坂の合流を待たずして最後の一人である生駒を撃破。三輪隊の勝利で昇格試験は終わりを迎える。

 まだ結果が知らされていないにも関わらず、三輪はすでに先日の試験結果を察しているような言葉を残し、訓練場を後にするのだった。

 

 

————

 

 

「——駄目だな」

「ええー。二宮さん、開口一番にそれですか? 厳し—」

「当然だろう」

 

 最後まで戦いを見終えて、この試合の評価を任された二宮隊の隊長・二宮は厳しい評価を下した。

 A級 二宮隊隊長 射手(シューター) 二宮匡貴

 同部隊である犬飼はもう少し何かないのだろうかと意見を求めるが、太刀川に次ぐ個人総合ランク二位にまで上り詰めた男は一切態度を崩さない。

 

「決して勝敗が全てではないが、生駒隊は秀次と奈良坂の主力二人を残してしまった。何よりこの試合、上層部が求めるA級昇格の条件を満たせていない。」

「四人部隊の利点、そして得意の武器を封じられた時の対処ですか?」

 

 同じく担当を務める嵐山が尋ねると二宮は「そうだ」と一言述べて頷いた。

 

「南沢が独断専行して突っ込んだのが大きな減点。さらに言えば生駒が得意の旋空を封じられ、米屋の迎撃に精一杯だった為に秀次の対応に手が回らなかった点が大きなマイナスだ」

「確かに南沢隊員が生駒隊長か水上隊員と合流できていれば展開は大きく変わっていましたからね」

 

 二宮が語っている事は全て正論だ。時枝も先の戦いを振り返り、その意見を肯定した。

 南沢の突撃で人数を減らしてしまった動きは敵の出だしを抑えられるのならば問題はないが、相手が悪い。三輪を相手とするならば最低でも水上か隠岐の支援を得られる場所で戦うべきだった。結果他の隊員達はそれぞれ足止めされ、各個撃破されてしまい、生駒も不利な戦いを強いられてしまう。

 

「生駒の旋空対策に攻撃手(アタッカー)は常に距離を空けないように振る舞っていましたからね。決していつもより動きが悪かったという事はないですが、しかし対策を講じる相手に打開策を講じる事が出来なかった」

「そうなるとやっぱ、合流できなかった時点でイコさん達はかなりきつかったんだねー。むしろ三輪隊の皆の方が普段より動きがよかったみたいだし」

 

 仕方がないのだろうかと嵐山が少し残念そうに呟いた。同年代である生駒の部隊の昇格がかかった試合だ。心苦しく思うのも当然だろう。

 一方犬飼は変わらぬ調子で試合を振り返ると同時に三輪隊の戦いぶりを称賛した。

 特に米屋の働きぶりは凄まじい。ランカーである生駒を足止めする役割をしっかり果たし、三輪と連携してエースを封じ込め、撃破されてもただでは終わらなかった。色々思う所があったのだろう。

 

「三輪隊は紅月隊と仲が良いみたいですよ。昨日紅月隊の試験があったから彼らもやる気があふれたんじゃないでしょうか?」

「ああ。そっかー。昨日紅月君が挑戦したんだっけ。向こうはどうだったのかな?」

 

 時枝の言葉でそういえば前日に紅月隊の挑戦もあったのだと犬飼も思い出して呟いた。

 ライは犬飼にとって同年代の相手である。あまり親交はないがランク戦で解説した事もあって犬飼も彼の強さには興味を抱いていた。

 

「——どうやら向こうは合格で間違いないらしい。迅を相手に互角以上に戦ったそうだ」

「迅に!?」

「うっそ。迅さんを相手に? というかなんで二宮さんが知っているんですか?」

 

 すると二宮から予想外の答えが示される。

 対戦相手がランク外である迅であるという事実に嵐山は驚愕し、犬飼はどうしてまだ発表もされていないのにそこまで知っているのだろうと疑問を呈した。

 

「昨日の晩、迅とランク外対戦を行っていた太刀川と遭遇してな。太刀川が得意げに語っていた」

「えぇ。嘘でしょ太刀川さん」

 

 明かされたまさかの事実に犬飼は言葉を失う。戦闘以外では確かに少し抜けている所がある太刀川だが、そんな簡単に話してしまって良い事なのだろうか疑問であった。あるいは太刀川と二宮が同年齢だから口を滑らしてしまったのだろうか。

 

「でも、そっか。紅月君やり遂げたんですね」

「1シーズンでの昇格。これは上層部でも評価が高いでしょう」

 

 いずれにせよ喜ばしい事だ。犬飼は幾分か顔をほころばせて祝福した。

 短期間で実力を示したとなれば隊員間だけではない。幹部の間でもきっとこの話で持ち切りになるはずだ。時枝は今後もさらに彼が注目の的になる事を予想して言った。

 

「俺達もうかうかしていられないな。A級でも新勢力が台頭となれば順位の変動もあるだろう。気を引き締めて行かないとな」

「ふん。誰が相手だろうといつも通り撃ち落とすだけだ。——と言いたいところだが」

「ん? どうしました?」

 

 珍しく歯切れの悪い言葉を返す二宮。嵐山が問いかけると「大したことではない」と前置きをして話を続ける。

 

「もうすぐ俺達は近界(ネイバーフッド)へ遠征に行く事になっている。だから俺達が紅月隊を試す事があるとしたら、それは先の話になると思ってな」

 

 そう言って二宮は笑みをこぼした。

 彼の話す通り彼が率いる二宮隊は先日行われた遠征の選抜試験を通り、来月には近界(ネイバーフッド)へ赴くことが決まっている。その為二宮隊はしばらくの間本部不在となる為、もしも彼らが紅月隊と競う事があるならばそれは大分先の事であった。

 

「そういえばそうでしたね」

「いよいよですね。ま、こっちは紅月君みたいな戦力も増えたし防衛は頼みますよ」

「ああ、もちろん」

「はい」

 

 犬飼も二宮に続いて遠征への気持ちを示し、嵐山隊の面々に後を託す。任された嵐山と時枝も彼らを快く送り出すよう凛とした顔立ちで応えるのだった。

 

 

————

 

 

 さらにその翌日。

 紅月隊は夕方の防衛任務を終えた直後、忍田本部長に召集を受けて彼の執務室へ呼び出されていた。

 内容は読まなくても理解できる。もちろんA級昇格試験の結果通知であった。

 ライと瑠花は二人並んで執務室へと足を踏み入れる。

 期待と不安が入り混じった緊張が幾分か表情にうかがえた。

 そんな二人の心をほぐすように忍田は笑い、一束の書類を机の前に、二人が見えるように突き出した。

 

「——二人ともおめでとう。君たちの戦いぶりは目にした我々幹部一同、そして今回の試験審査員を務めた太刀川隊・風間隊の賛同を得た。よって正式に紅月隊をA級認定とする」

 

 それは紅月隊のA級昇格を認める公式の文面だ。B級ランク戦を勝ち上がり、迅と渡り合い、二人の戦力が評価された。

 忍田の、後ろに控えている沢村の笑みを目にして瑠花も釣られるように頬を緩ませる。

 

「やっ、た。ライ先輩!」

 

 喜びを隠しきれず、瑠花は声を上げて感情を爆発させた。

 期待していた事が目前で叶った事が何よりもうれしい。飛び跳ねる程の勢いで嬉しさを表現する。

 

「ありがとうございます。謹んで拝命いたします。忍田本部長」

 

 するとライは彼女とは対照的にわずかに口角を上げるにとどめ、その場で頭を下げるのだった。

 

「あっ。——ありがとうございます」

 

 遅れて瑠花も姿勢を正すとライに倣っておじぎをする。

 

(……ずっと戦い続けて一番嬉しいはずなのに)

 

 大人だなあと瑠花はライの素振りに感服した。

 最上の結果を目にしてなお落ち着きを払い、上司に礼を尽くす。平然たる態度を貫く姿勢は見習わなければならなかった。場所を忘れてはしゃいでしまった自分が恥ずかしく思う。

 

「そのように堅苦しい挨拶は不要だよ。今日は君たちが主役なのだから。改めて、おめでとう」

「よかったわね。皆あなたたちの事を褒めていたわ」

「はい。ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 

 忍田と沢村から祝福されて二人は頭を上げるとお礼の言葉を述べた。

 これでようやく本当の意味で彼らのランク戦シーズンが終了したと言える。満足のいく結果を得て、二人とも肩の荷が下りたような安心した表情を浮かべた。

 

「さて。A級に上がったらその特権や任務、さらには紋章(エンブレム)のことなど詳しく説明する事がある。だが、それはまた日を改めてとしよう。今日はゆっくり英気を養ってくれ」

「わかりました。それではまた。失礼します」

「失礼します」

 

 ここで解散してくれるというのは非常にありがたい事だ。今はこの気持ちを味わうだけで精一杯だったから。

 書類を受け取るともう一度二人は頭を下げ、しっかりとした足取りで執務室を後にする。

 

「——よし。瑠花」

「はい?」

「ごめんね」

「えっ?」

 

 すると扉が確実に閉められたことを確認し、ライは瑠花の名前を呼んだ。

 どうしたのだろうと瑠花が窺うとライは短く謝罪の言葉を述べる。どういう意味だと彼女が尋ねるよりも先に。

 

「キャッ!」

 

 突如背中から軽い衝撃が走り、彼女の体がライの下へと抱き寄せられた。

 

「——よかった。ありがとう」

 

 柔らかい笑みを浮かべ、ライは安堵と感謝の気持ちを口にする。

 嬉しくないはずがなかった。

 あくまでも忍田たちの手前で感情を晒さなかっただけで。

 彼もしっかり昇格の報に喜びを覚えていた。

 

「……はいっ! ありがとうございます!」

 

 瑠花もまたここまで連れて来てくれた隊長に礼を述べる。

 ——ようやく二人でこの喜びを分かち合う事が出来た。

 

 

————

 

 

 その頃、近くの曲がり角の影で身を潜めていた隊員達の姿があった。

 

「……えっ。これ、今出てったらマズイ空気とちゃう?」

「そうですね。完璧に感動ぶち壊しですよ」

「折角急いで作戦室に戻ってクラッカーとか持ってきたっちゅうのに。いっそ隠岐だけ特攻させるか? イケメンなら何やっても許されるやろ」

「いやいや。これは無理でしょ。絶対嫌われますって。おとなしく撤退しときましょ」

「そもそも上がれなかったうちらが行った所で微妙な空気になりそうやからなあ」

「俺らも作戦室で打ち上げにしましょう!」

「せやなあ。しゃあない、撤収や。行くで」

 

 紅月隊よりいち早く昇格試験の不認定の知らせを受けていた生駒隊の面々である。彼らの昇格は叶わなかったものの、忍田の口から紅月隊のA級認定の知らせを聞き、苦労を労おうと『本日の主役』と書かれたたすきやパーティー帽子にクラッカーなどの祝福する道具を作戦室から持ち出し、彼らが出てくる瞬間を待ち構えていたのだ。

 しかし二人の部隊である為か、彼らの予想以上に仲睦まじい姿を目撃し、さすがの生駒もここで介入しては無粋であろうとおとなしく引き下がる。彼も空気を読むだけの器量は持ち合わせていた。




なぜそんな小道具が作戦室にあるのかと聞かれると生駒隊だからですとしか答えられない。

明日はSQ発売日なので皆さんそちらも読みましょう!


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人脈

 紅月隊のA級認定。

 正式な辞令が交付されると、その話題は早くも各隊員達に伝達される。

 するとB級ランク戦終了時にはB級部隊の打ち上げを気遣って姿を見せなかった為か、A級の隊員達が次々と紅月隊の作戦室を訪れていた。

 

「おう! やったな紅月! 祝いの餅をもってきたぞ!」

「太刀川さん、ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」

「えっ? ——だがこれが駄目となると、あとは迅が勝手に置いていった箱詰めのぼんち揚げくらいしかないんだが」

「在庫処分するおつもりですか?」

 

 本当に大丈夫ですので、と言ってライは太刀川が持ち込んだ食品の受け取りを断る。

 心遣いはありがたいが瑠花も同じ部屋にいる以上、詳しい保管状況などがわからない保存食品を受け取る事は気が引けた。加えて餅は太刀川の好物。ならば好きな人が食べるのが最もだろう。

 

「だから言ったでしょ太刀川さん。——すんませんね。改めておめでとうございます紅月先輩。試験、見てましたよ」

「そうだったの? ありがとう、出水の技も使わせてもらったよ」

「あー。やっぱりあれそうだったんですか」

「おめでとー。私達からはこれ、お菓子の詰め合わせ。二人で一緒に食べてね」

「おっ。わざわざありがとう」

「ありがとうございます」

 

 一方、出水と国近からのしっかり綺麗な包装をされたお菓子の包みは二人は確かに受け取った。お菓子ならば種類も豊富なため瑠花も食べれる上に餅と違って見るからに新しいため素直に受け取ったのだが。

 

「おい、なんでだ。餅よりお菓子なのかお前ら!?」

 

 太刀川は納得いかぬ様子で不満を呈する。

 

「だって餅にしても保管状況とか少し心配なので。太刀川隊って今もほとんど部屋の掃除をしてなさそうですし」

「失敬な! この前お前が掃除したばかりだろう!」

「僕の記憶が正しければ、たしかそれって先月の話ですよね?」

 

 ライがため息交じりに太刀川を諌める。

 烏丸が太刀川隊から玉狛本部へ転属した事で、同部隊は掃除片付けが出来る人員が皆無となってしまった為に部屋が非常に散らかっている。年度末にこの汚さはさすがにまずいと月に一度の職員による清掃とは別に出水がライにヘルプを出したのは3月半ばの事だった。結果、『国近の私物がない場所限定』という条件で掃除を行ったのだが、案の定その後はまともな掃除が一度も行われていない模様である。

 既に元の汚さに後戻りしていると想像する事は容易であった。あらゆるものが乱雑に放置されている部屋の様相は考えるだけでも恐ろしい。

 

「まあまあ。仕方ありませんよ太刀川さん。この僕がわざわざ手配した品なのですから。いえ、紅月先輩。お気になさらず。これはほんの気持ちですので」

 

 すると後ろで控えていた唯我が得意気に髪をかきあげて言った。どうやらこれは唯我が準備したものらしい。なるほど、確かに包装の包みや箱なども良さそうなものを使っているように見える。

 

「ああ言っているけどあいつそもそも紅月隊の昇格試験があった事すら知らなかったんですよ?」

「ねー。私達に言われるまま指示に従ってただけなのにねー」

「『なんで僕がこんな事を!』とか文句を言っていたし」

「どうしてそんな言わなくて良い事を言うんですか!?」

 

 しかし出水と国近があっさりと真相を暴露した事で唯我の余裕は崩れ落ちた。太刀川隊は昇格試験の審査を任された為に知らないはずがないのだが、どうやら経験が浅いためか唯我はあまりそういう任務の詳細を知らされていないようである。

 あんまりだと唯我が嘆いていると。

 

「いや。それでもこうして来てくれたのだから嬉しいよ。ありがとう、唯我」

「紅月先輩——!」

 

 ライはそんな彼の肩をポンと叩いて礼を述べた。同じ部隊の先輩からもぞんざいな扱いを受けている為にあまりにも違いすぎる対応に思わず唯我の目から涙があふれ出す。ライも彼がお調子者な性格であるものの根は悪い人間ではないという事はこれまでの交流を経て知っていた。だからこそ彼も心の底から感謝の気持ちを伝える。

 

「じゃ、俺も置いとこうか。よう。お疲れさん、紅月。今は別件でいねーんだが、これうちの隊長からの贈り物だ」

 

 すると当真も太刀川隊の面々に倣ってライへと包装された大きな箱を手渡した。先ほどのものと比べて幾分か重みを感じる。

 

「ジュースの詰め合わせだってよ。好きなように楽しんでくれ」

「そっか。わかった、今度僕からも伺うけど冬島さんにもよろしく伝えてくれ。」

「おう。——んで、ちょっと悪いんだが」

「ん?」

 

 少し耳を貸してくれと当真に言われ、ライは一度荷物を置くと言われるがまま当真の下へと歩み寄った。

 

「実はあれの中ビールも入っているみたいでな。後で回収に来るからそれだけ出しといてくれ」

「あー。なるほど、家族向けの商品って事か。冬島さんいつもの付き合いの相手だと思っちゃったのかな。わかったよ」

 

 当真の話によると正確な中身はジュースの詰め合わせではなく飲み物の詰め合わせであるという。冬島はボーダー隊員の中では年長者にあたる28歳。普段と同じように物を送る事を想定して買ってしまったのだろう。だがあいにく瑠花は勿論ライも未成年だ。仕方がないとライは頷くのだったが。

 

「いやそれがな。どうやら紅月、お前が成人してるもんだと勘違いしたらしい」

「はっ?」

 

 冬島は間違えたのは商品を送る相手の方ではなく、送り先であるライの年齢の方であった。

 

「お前がいつも落ち着きすぎてるしなんでもできるし、思考とかも明らかに経験豊富なやつのそれだからよ。風間さんと同じパターンだと思ったんだと。おまけにお前学校通ってねーしな。知らぬ間にそう認識しちまったみてーだ」

「どうしてそういう考えになるんだ……? 風間さんは特殊すぎる一例じゃないか」

 

 さすがに年上であり太刀川と違って人間性もしっかりしている風間と比較されるのは恐れ多いのか、ライが首をかしげる。

 確かに本来ならばライの見た目から考えれば年齢を間違える事はまず起こらなかった。

 しかしボーダー本部には風間という例外が存在する。冬島は彼とライの振る舞い方や姿勢が通じているものがあると考え、加えて学校にも通っていないという事情からすでに成人済みであると考えていた。

 

「どうした? 何か呼んだか?」

「いえ別に!」

「なんでも!」

 

 小声で話していたはずだがひそひそ話が聞こえていたのか風間が二人の話に割って入る。

 内容が内容の為にライと当真は揃って否定した。危なかった、もしもここに耳が良い菊地原がいたら面倒な事になっていただろう。

 

「なら良いが。——凄まじい活躍だったな、紅月。俺もお前達の試験を見させてもらったが、前評判に違わぬ戦いだったと評価している」

「ありがとうございます」

「さすがに迅を相手取るとは思わなかったがな。だがだからこそより興味深かった。どうだ? 今度時間がある時に一戦交えたいと思うが」

「——是非とも」

 

 風間は滅多に隊員を贔屓目に見たりはしない。その為余計に彼の言葉がライの心に響いた。しかも太刀川と異なりあまり個人ランク戦に顔を出さない風間から勝負を誘われ、ライは二つ返事で頷く。このような誘いをされる人間など片手で数えて足りる程だった。

 

「ずるいぞ風間さん! 俺も紅月とはやろうと思っていたのに!」

「お前はどうせいつでもやるだろう」

「というか太刀川さんはランク戦やりすぎです」

 

 するとこれを聞いた太刀川がまるで子供のように不満を漏らす。直後「いい加減にしろ」と二人の冷たい視線が彼を射貫いた。本部に住み込みで暮らしているライよりも個人ランク戦をこなす数が多い事実からも彼がどれだけ個人ランク戦をやり込んでいるかは想像できる事である。

 

「まったく。——まあいずれにせよしばらくは英気を養え、A級の立場に慣れてくれれば良い。何かあれば相談に乗ろう」

「はい。頼りにさせていただきます」

 

 ため息を一つ吐いて風間が話を続けた。年長者である風間の助けがあるとなれば心強い。ライは嬉しそうに返事をした。

 

「ああ。それと俺の方からも何か用意しようと思ったが、生憎お前の趣味趣向など知らなかった。だからこれを渡そう。二人で選んでくれ」

「えっ」

 

 そう言って風間はカタログギフトを手渡す。確かに好きなものを選べるという点では非常にありがたいのだが、このようなものを受け取って良いのかとライは困惑した。

 

「遠慮するな。昇格祝いだ、受け取っておけ」

「——わかりました。ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げたライを見て、風間は一つ頷くと部屋を後にする。用件を済ませるや颯爽と去っていく様は年長者の風格があふれていた。

 そして彼と変わる形で新たに二人の隊員が作戦室を訪れる。

 ライも見知った相手、加古と黒江だった。心を許した相手の出現にライは一瞬親しみの笑みを浮かべ、直後加古が手に持っている物を目にして凍り付く。

 

「おめでとう紅月君! 私からはいつもよりも腕をふるった特製炒飯よ」

「……あっ。はい」

 

 加古が満面の笑みを浮かべ、蓋の被った容器をライへと差し出した。

 なんという事だ。どうしてここぞとばかりに熱を篭めてしまったのか。蓋があるために中身が見えないのが余計に恐ろしく感じられる。

 ライは嫌な予感を浮かべながら恐る恐る加古へと尋ねた。

 

「ありがとうございます。あの、加古さん。一応聞きたいのですがお祝いに来てくれたんですよね? まさか僕が部隊の誘いを断った事を今も気になさっているわけではないんですよね?」

「そんな事あるわけないじゃない。どうしてそう思ったの?」

「いえ。なら良いのですが」

 

 8割の確率で生存できる機会で死に続けた為にそのまま素直に受け入れる事は難しい。

 半信半疑で加古の言葉にライは頷くのだったが、そこに黒江が助け舟を出した。

 

「大丈夫だと思いますよライ先輩」

「双葉。何か確信があるのか?」

「味見役の堤さんも『紅月君ならきっと大丈夫だ』と言って諏訪隊の作戦室に運ばれていきましたから」

「どうしてその時点で止めてくれなかったんだ……」

 

 というか味見だけでも死ぬのか。

 さすがのライも今日ばかりは食べるのをやめておこうと決断を下す。

 せっかくA級の認定が認められためでたい日に死ぬような事があっては縁起が悪いだろう。女性に恥をかかせたくはないが、一時の私情に流されて大局を見誤るのは馬鹿のする事だ。

 

「ごめんなさい。その、私も少し手伝ったので」

「なら仕方ないね。ありがとう」

「……いえ」

 

 しかし黒江が悲し気に肩を落とす姿を見てその判断はあっさりと覆る。

 たとえ死んでも食べよう。ライは黒江の頭を撫でながら強く決意した。この後、彼の精神は無事に名誉の死を遂げる。

 

「今度、また稽古をつけてもらってもよろしいですか?」

「良いよ。双葉の学校が終わった後とか、時間が出来そうな時があったら教えてくれ。合わせられるようにスケジュールを調整するよ」

「ありがとうございます。それでは」

「いつも双葉の世話、ありがとうね」

 

 最後に師弟が今一度練習する事を約束して別れた。

 幼いチームメイトが積極的に他の隊員ともコミュニケーションを取ってくれる事は隊長である加古にとってもありがたい事。加古は手を振って作戦室を後にした。

 

「いやービックリした。双葉があんなに気を許してるなんて知らなかった」

「……お疲れ様です、紅月先輩」

「緑川! 木虎! 来てくれたのか」

 

 そんな師弟の様子を外で窺っていたのか、緑川と木虎が黒江の態度に驚きを抱きつつ入室する。

 緑川は黒江と同郷だ。人によっては中々心を開かない彼女の性格を知っている為に、これほど年上の異性に心を許しているとは信じがたい事であった。

 

「おめでとー紅月先輩」

「嵐山隊の先輩方はお仕事で忙しいので、私が名代で来ました。先輩方も紅月先輩の事を祝福していましたよ」

「そうか。二人ともありがとう。嵐山さん達にもよろしく伝えてくれ」

 

 普段ランク戦でよく戦う緑川は軽快に、木虎は嵐山隊を代表してきてる為か真面目な顔つきで紅月隊の昇格を讃える。

 年下とは言えずっと精鋭部隊で戦っていた二人の言葉だ。ライは嬉しさを覚え、素直にそう述べた。

 

「はい。今後、嵐山隊からは狙撃手(スナイパー)訓練などで紅月先輩には新入隊員への説明などに参加してもらう依頼をするかもしれないと仰っていました。これからは仕事の面でも紅月先輩にお願いするかもしれませんのでよろしくお願いします」

「わかった。なら話を聞くなら佐鳥かな? 今度彼と話をしておくよ」

「ええ。それと——」

「ん?」

 

 嵐山隊としての伝言を終えると、木虎は珍しく少し表情を歪める。どこか恥じらっているようにも見える彼女は、声量を下げてライにある事を尋ねた。

 

「これは個人的な事になりますが。……どうやってあんなに双葉ちゃんと親しくなったんですか?」

「えっ?」

 

 珍しく細々とした声の質問は、ライと黒江の関係について聞くもの。後輩と親しくなりたい願望がある木虎はライに黒江とどうやって関係を構築したのかを知りたがっていた。

 

「あー。たしかに木虎ちゃんは双葉に避けられてるもんねー」

「ちょっと緑川くん!? そんな事言わない!」

「知らなかった。そうなのか」

「いえ、そんな事ないですから! ただ少し気になっただけで!」

 

 木虎は強く否定するが、彼女の必死な様子と緑川の無邪気な話し方を見るに真実なのだろう。真面目な性格だからこそ余計に言葉の真偽が感じ取れた。

 

「まあ確かに僕も最初は好意的には見られてなかったかな。僕は加古さんを通じて双葉と知り合ったけど、その時はちょっと距離があったし」

「ではどうやって……」

「そうだね。あの時はたしか一度手合わせして、その後で彼女にデザートをあげたら喜んでくれてたかな」

「……なるほど。ありがとうございます。今度試してみます」

「えっ。試すって……」

「双葉そんな簡単になびくかな?」

 

 突破口を見出したと木虎は満面の笑みを浮かべる。

 それだけではどうだろうとライや緑川は首をかしげるが、木虎はそれに気づく素振りはなかった。ようやく見つけた切欠を試したくて仕方がない様子である。

 そうとも知らずに木虎は一言礼を言って去り、緑川も「またランク戦やろうねー」と言って去っていった。

 ちなみにこの後木虎が黒江を食べ物で釣ろうとして失敗した事はまた別の話。

 慌ただしく隊員が出入りする中、まだまだ今日の作戦室には来客の姿が現れる。

 

「よー。紅月。やったんだってな」

「カゲか。ありがとう。——意外だな。正直な話、君が来るとは思わなかった」

「ハッ。これでまた全力で戦えそうだからな」

 

 次に現れたのは影浦だった。

 こういう事には疎いという印象を抱いていたが、どうやらライが彼と同じA級に上がった事でよりランク戦でしのぎを削れる事になる為注視していたようだ。

 なるほどとライも複雑な表情を浮かべる。

 

「ま、とりあえず今日の所は顔出しだけだ。ほら、これやるよ」

「なんだい?」

 

 そう言って影浦はある紙をライへと手渡した。ライも訪れた事がある影浦の実家のお好み焼き屋さん『かげうら』の割引券だ。

 

「いつでも使えるやつだ。特別にくれてやる」

「ありがとう。まあさすがにただでとはいかないものね」

「ハッ! 俺が連れていくわけでもねえのにただで食わせるかよ!」

「カゲが連れて行ってくれたなら良いのか」

 

 太っ腹なのかよくわからないが、上機嫌で笑う影浦を見てライも釣られるように笑った。

 見た目と副作用(サイドエフェクト)の影響もあって勘違いされがちだが、影浦も根は良い人間である。それが伝わってくる一場面だった。

 その後は影浦が太刀川たちとランク戦をする流れとなって共に去っていき、ようやく作戦室が静けさを取り戻した頃。

 この日最後の来客が訪れる。

 

「よー! ライ、お疲れ!」

「やり遂げたようだな」

「おめでとうございます!」

 

 最初に米屋、奈良坂、古寺の三人が勢いよく部屋の中へ入ると。

 

「予想はしていたが、無事にたどりついて何よりだ」

「おめでとう、二人とも」

「三輪隊の皆!」

 

 遅れて三輪と月見もやって来た。

 ライにとっては入隊前から親しくし、長く時間を共有していた面々だ。自然と表情も緩む。

 

「大変だったろ? 聞いたぜ、試験相手がまさかの迅さんだったって?」

「迅さんが戦闘する所なんて滅多にみないからな。よくやったよ」

「——フン! これであの人も少しは大人しくなるか」

 

 米屋や奈良坂は人伝いに聞いたことを思い返し、難敵と戦いぬいたライに感心していた。

 その一方で三輪は迅という単語に反応して鼻を鳴らす。

 

「三輪、どうしたんだ? 何かあったのか?」

「別に何もない。ただやつの考えが気に食わないだけだ」

 

 露骨な態度の変化にライは三輪に尋ねるも、彼は具体的な話はせず曖昧に返答した。

 確かに以前迅の話題が上がった時も少し彼の様子がおかしかったような覚えはあるが、一体どうしたのだろうか。ライが疑問を抱いていると、横から米屋がそっと声をかける。

 

「ほら、迅さんって玉狛支部所属だろ? 向こうと主義主張が違うとか色々あって仲が良くねえんだ」

「ああ、なるほど」

 

 迅が所属する玉狛支部は近界民(ネイバー)とも仲良くなろうと親交を持つ事を掲げる珍しい支部だ。それに所属する迅も勿論その主義に従っている。近界民(ネイバー)は全て排除すると意気込んでいる三輪とは相いれない存在という事だ。

 

「なんならこいつ、いつ喧嘩してもおかしくないくらい嫌っているからなー」

「そんな事はしない。適当な事を言うな」

「まあ手出しはしないだろうが、雰囲気は悪くなるだろう」

「迅君とも上手くやれれば良いのだけどね」

 

 普段の三輪と迅の付き合いを知っている米屋はその様子を思い返して淡々と口にする。当事者の三輪はそんな事はないと否定するが、奈良坂も二人の関係は良好とはいえないと指摘した。

 隊員同士なのだからと仲良くやれたら良いのだが、そうはならないのだから悩みの種だ。残念そうに月見がため息を一つつく。 

 

「まあでもそうカリカリしないでくれよ三輪」

 

 するとライが三輪の肩を叩き、三輪を呼び止める。

 

「三輪の分も僕が殴り飛ばしておいたから、ね?」

「はっ?」

「……紅月先輩!?」

 

 突然の衝撃発言に皆表情が固まった。

 

「えっ。殴った? どうしてですか?」

 

 恐る恐る古寺が聞き返す。聞き間違えでないのだろうかと願ったが。

 

「どうしてって。……この人は殴った方が良いなと思ったから」

 

 ライは笑顔でその問いに答える。

 迅の副作用は非常に強力なものだった。超える為にも格闘戦で挑むのは仕方がない事である。とはいえ咄嗟の判断でしっかり動けたなと試験の事を振り返ってライはそう口にした。 

 

《どうしたんですか、紅月先輩。こんなに迅さんと敵対していましたっけ?》

《確かに以前迅さんとの一件でもめたとは聞いていたが》

《遠征の件かね? そういやライって近界(ネイバーフッド)遠征希望みたいだし》

《でもまさかそこまで対立しているとは思わなかったわ》

 

 だが試験の詳しい内容までは知らない三輪隊の隊員達はこの話を聞いて肝を冷やす。

 内部通信で『まさか本当なのだろうか』と皆自分たちが考えていた事以上に激しい二人の関係性に冷や汗を流した。

 

「——ライ。よくやった。お前とはやはりよくわかりあえる気がする」

「えっ? そうかい?」

「何か謎の同盟が組まれてるし」

 

 ただ一人、三輪だけは納得した表情を浮かべてライと固い握手を交わす。迅と対立する者同士が手を組んだ光景を見て、米屋はこの場にいない迅に合掌するのだった。

 

「まあ迅の事は抜きにしてもA級に上がった事でできる事も大きく増えた。お前の活躍の幅がさらに広くなった事を考えれば喜ばしい」

「特権の事?」

「ああそうだ。様々な特権がある。開発室に依頼してトリガーを改造して貰ったり、遠征の選抜試験に参加する事も出来るようになる」

「他にも固定給がもらえたりな。後は色んな隊員の動向を見たり調査が出来たりもするぜ。俺らたまに撃破報告のない近界民を誰がやったのか調査したりもするし」

「なるほど」

 

 挙げればきりがないくらいだと三輪や米屋は次々とA級の特権を語っていく。

 精鋭と呼ばれるだけあって隊員達に与えられる権利はすさまじいものだった。確かにそれならば今まで以上に自由に動きまわる事も出来るだろう。

 

「後は、やはり特有のエンブレムを作れる事か」

「確かに。あれがある事で特別って感じしますよね」

 

 さらに奈良坂がA級部隊だけが作る事が出来る隊章を挙げた。二つとない隊を象徴する証。これを身に着けるだけでも意味があると古寺は言う。

 

「エンブレムか。それも考えなきゃな。ちなみに三輪隊はどうやって決めたんだ?」

「紅月君。うちの事は参考にしない方が良いわ」

「へっ? なんでですか月見さん」

「うちの事は参考にしない方が良いわ」

 

 部隊を示すものだからしっかり考えないといけない。その上で参考にしようとライが尋ねるも、彼の質問は月見によって遮られた。理由を尋ねても彼女はなぜか同じ言葉を繰り返すばかり。

 

「……そうですか。わかりました」

 

 おそらく本当に参考にしない方が良い理由があるのだろう。ライは大人しく引き下がる事にした。

 

「ええ。他の人の考えを聞いてばかりいると方針が偏ってしまうもの。私達も作る時は一から作っていたから、あなた方も二人でよく相談して考えてね」

「そう、ですね。はい。ありがとうございます」

 

 優しい口調で月見がライを諭す。

 確かに月見の言う事も一理あった。

 エンブレムはその部隊を簡潔に表す象徴。あまり他の者の考えばかり取り込んでは イメージのズレが生じてしまうかもしれない。ならば確かにライと瑠花、二人で一から考えた方が紅月隊にとって良いものが出来るだろう。

 ライもそう考える事にして、それ以上の追及は避けるのだった。

 

 

————

 

 

「——A級だけですごい数の隊員が訪れましたね。改めてライ先輩の交友関係に驚きました」

「結構個人ランク戦をやったりするし、年齢が近い隊員とは話す機会が多いからね。ボーダーは横にも縦にもつながりが広い。瑠花もこれからきっとどんどん増えて行くよ」

 

 ならいいのですが、と瑠花は軽く笑顔を作る。

 今日一日だけでA級の中でも名の知れた隊員達の姿が次から次へと見えた。つい先日までB級であったにも関わらず、これ程の人間関係の構築をするのは彼の優秀さと人のよさがあってこそ。今一度瑠花は感心し、少しでも彼の言うように人との関係を広げられたらと椅子に深く腰掛けて息を吐いた。

 

「とにかく良かったです。皆さん良い人ばかりで」

「……そうだね」

 

 おそらくは何かしらの皮肉や批判を言われる事も覚悟していたのだろう。

 紅月隊の快進撃はあまりにも早急すぎた。オペレーターが本部長の関係者という事もあっていわれのない差別が起こる可能性も考えられる。

 だが訪れる人々の表情は皆明るく、自分の事のように昇格を祝福してくれた。

 

「だからこそ僕らもより一層励まないとね。少しずつで良い。A級の立場にも慣れて行こう」

「はい!」

 

 彼らの期待に応えるためにも力を発揮しなければならない。ライが奮起を促すと、瑠花は明るい顔つきで頷いた。

 

「まあ今はまだ昇格したばかり。そんなに気を張る必要はない。試験も終わったばかりだし——そうだな」

「どうしました?」

「——瑠花。明日の休日は時間あるかい?」

「えっ?」

 

 屈託のない笑みでライはそう口にする。突然の隊長からの誘いに瑠花はすぐに答える事はできなかった。




太刀川隊の作戦室は月に一度、職員が片付けに来るって公式設定なんですよね……


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紳士

 土曜日。

 学校が休みであるため学生も各々の休日を満喫する日。その日は紅月隊も特に防衛任務が入っていなかった為、ライと瑠花は本来ならばお互いに自由な時間を過ごしていた事だろう。

 ただこの日は特別だった。

 駅出入口のすぐ近くにあるベンチにライが腰かけている。当然ながらトリオン体ではない為、青のシャツに白のジーンズというラフな格好であった。本部住み込みで働いている為トリオン体でいる事が多い彼にとっては珍しい服装である。

 約束した時間の20分前には待ち合わせ場所を訪れ、数分ほど近くの本屋で時間をつぶした後はもう一度元の場所に戻り携帯端末を操作して時間をつぶしていた。

 こうして相手を待っているライであったが、そんな彼を建物の影から眺めている人影が二つ。

 

「——なあ。やっぱりこんな事やめないか? バレたら面倒だぞ」

「今さら何言ってんねん。バレなきゃ何も問題ないやろ」

「『バレなければ犯罪じゃない』という思考はやめてくれ!」

 

 平然と構える生駒に文句を唱えたのは柿崎だ。

 生駒と柿崎、共にB級部隊の隊長であり同年代である二人は生駒の提案によりライの尾行を行っていた。

 

「だって気になるやん。よっぽどの事がない限りボーダー本部を出ないあのライやで? しかも聞いたら女の子との待ち合わせとかそんな羨まけしから——んんっ! 弟子が不純異性交遊をしないかどうか監視するのは先輩であり師匠である俺の役目や」

「羨ましいなら素直にそう言えよ」

 

 咳ばらいして綺麗ごとを並べる生駒には嫉妬の感情があふれ出している。

 事の発端は今日の朝の事だ。生駒は偶然出会った太刀川と個人ランク戦にいそしもうとしたところに私服のライと出会い、彼も誘ったのだが『あっ。今日は瑠花と先約があるので失礼します』と返され、生駒の表情は固まった。

 瞬時に太刀川に断りを入れると彼もトリオン体を解除。万が一ライに見つかった時に言い訳ができるように近くを通りかかった柿崎を巻き込んで尾行を開始したのである。

 

「いやいや。確かに羨ましいという感情もないわけではないんやけどな? 実はこれは誰にも言ってないんやけど、実際あいつには怪しい点があるんや」

「怪しい点? 何かあったのか?」

 

 生駒の視線が鋭さを増し、柿崎は息を飲んだ。

 確かにライのボーダーに入るまでの経歴には不明な点が多く、彼の素性はボーダーに長く在籍している者達でもよくわかっていない。

 そんな彼に何か感じ取っていたのか。

 師匠である生駒なら何かつかんでいてもおかしくはない。一体何事だろうかと柿崎は先の話を促した。

 

「あいつ前に『瑠花ちゃんがあいつの本当の妹と似ているから気にかけてる』みたいな事を言うとったんやけどな?」

「ああ。……それで? 別に何もおかしくはないと思うけど?」

 

 特に不自然な点は見受けられないのだが、生駒は違うのか全力で首を横に振る。

 

「いやいやちゃうで! あれよく考えたら典型的な女の子を口説くナンパの手口なんや! きっとあいつ小っさい女の子なら誰でもええんやで! この前黒江ちゃんまで弟子にしとったもん!」

「生駒。お前そろそろ弟子に嫌われるからそこまでにしておけ」

 

 やはり生駒は生駒だ。真剣に考えて損をした。やはり帰ろうかなと柿崎がため息をこぼした頃、相手を待つライに近づく人物が現れる。

 

「えっ? マジ? あいつ女の子に話しかけられたの今ので何回目?」

「3回目だな。人数なら4人」

「嘘やん」

 

 どうやらライを見かけた女性が声をかけたようだった。何度か会話を交わした後、手を振って別れている。

 これですでに3回目の出来事。慣れた様子であしらう弟子の姿に生駒は呆れとも感心とも取れる言葉をこぼした。

 

「なんや。あいつ紅月ゾーンでも使っとるんか? 女の子の視線を自分の周囲に集めとんの? ちょっとその技俺も使えんのかな?」

「お前は今尾行してるんだから注目集めたら駄目だろ」

 

 自らの現状を忘れてぼやく生駒に突っ込む柿崎。やはり帰っては駄目だ。この生駒を放置しては後々面倒な事になる気がした。柿崎は諦めてライを監視する生駒を監視しようと決心する。

 こうしていつものように柿崎が苦心している中。

 

「ライ先輩!」

 

 待ち人である瑠花が小走りでライの下へと駆け寄って行った。

 水色の半そでのトップスに赤のフレアスカートを着ている。普段のスーツ調にネクタイという固い格好から離れた年齢相応の可愛らしい姿であった。

 

「すみません。お待たせしました」

「いや、僕もさっき来たばかりだよ。まだ時間も5分前だしね。——似合っているよ。いつもの凛としたオペレーター服も良いが、今の私服はとても可愛らしい」

「あっ。ありがとうございます……」

 

 気を使わせぬようにライは柔らかい笑みを浮かべ、そして瑠花の服装を褒めると瑠花は気恥ずかしいのか頬を軽くかく。

 

「いやいや騙されたらあかんで瑠花ちゃん。そいつ、君と会う前に他の女と楽しそうに話してたんやで。しかも何人も。それがライの本性や」

「偶々近くを通りがかった相手に話しかけられただけだろ。しかも断っていたじゃねえか」

 

 そんな二人の様子を生駒は歯を食いしばって見続け、柿崎は冷静に諭した。だがそれでも彼の感情は止まらない。

 

「俺を見習えや。俺なんてなあ。女の子の方から話しかけられる事なんて滅多にないんやぞ……! くそっ。こんな、こんな不条理が許されてええんか……!」

「わかった! 生駒、わかったから! それ以上は言うな!」

 

 体を震わせて嘆く生駒。わかったからやめてくれと柿崎は彼の肩を叩いた。

 そんな事など知る由もないライたちはさっさと移動を開始する。

 

「それじゃあ行こうか」

「はい!」

 

 二人の足は駅の近くにそびえる大型のショッピングモールへと向かっていった。彼らを見失わないようにと生駒や柿崎も気づかれない様に距離を空けつつ後を追う。

 こうしてライの予想とは少し外れた形で二人の時間は始まっていった。

 

 

————

 

 

 そもそも二人のお出かけには三つの目的がある。

 一つは単純に先日の部隊ランク戦を終え、そしてA級昇格を果たした後の休養だ。これまで他の部隊と合同の打ち上げなどはやったものの、二人でゆっくりと時間を共有する機会は取れていなかった。なので二人の時間があう日を選び、一緒に出掛ける手はずとした。

 二つ目は作戦室の備品の補充だ。そもそも紅月隊は部隊を結成したばかりであり、その後すぐに部隊ランク戦が始まってしまった為にあまり部屋の中の備品は整っていない。元々住んでいたライのものはまだしも瑠花の私物はほとんどなかった。なので任務をより効率的に進められるようにと彼女の欲しいものがあればここで買っておこうと考えた。

 そして三つ目は紅月隊のエンブレムの資料集めである。エンブレムとなると何かしら象徴となるマークが存在するものだ。だからこそこういったショッピングモールなど施設が多く並び立つ場所ならば参考になるものもあるのではないかとこの場を訪れる事となった。

 

「順番に見て行こうか。重い物や割れる可能性がある物は本部に送るか後で買う事にしよう。何か欲しい物とかあれば遠慮せずに言ってね」

「はい。ありがとうございます」

 

 まず二人が向かったのはインテリアショップだ。種類豊富な室内装飾用の雑貨や家具が所狭しと並んでいる。

 

「どういうのが良いですかね?」

「んーそうだな。まず瑠花はオペレーターだから座って作業する事が多いからね。負担軽減用にクッションとか最初に見て行こうか。他にも何か面白そうなオブジェとかあったら考えよう」

 

 何よりもこれからもずっと続くであろうオペレーターの仕事を考慮してライが提案し、商品を眺めていった。機能面や見た目など様々な点を考慮して二人は実際に商品を手に取り、試していく。 

 

「おいおい。なんやねんあれ。同棲はじめたばかりの男女かいな」

「——まあライが本部に住んでいるから完全に間違っているわけではないが」

 

 その光景を見た生駒はやはり唇を尖らせた。確かに彼の言う事も間違ってはいないのだが。

 

(どちらかというと仲睦まじい兄妹みたいだ)

 

 むしろ柿崎には一人暮らしを始めたばかりの妹に色々教える兄のような光景にも見えた。ライの穏やかな表情がそう感じさせるのかもしれない。

 

「まあ少し年の差もあるからあんなものじゃないか? そこまで気にすることじゃないだろ」

「くそっ。これやから自分を慕う女の子がいる隊長は! 柿崎も照屋ちゃんがおるからって余裕ぶりおって!」

「はっ、はあっ!? なんだよ。なんでそこで文香が出てくるんだよ!?」

 

 だがそれは同じような境遇にあるからだろうと生駒は不満を呈した。

 予想外の名前が出て柿崎は思わず困惑し、必死に否定する。その様子が生駒にはかえって怪しく見えた。

 こうして二人が謎の口論をしている間にも二人はクッションや写真立てにテーブルクロス、ディスプレイラックなど次々と購入していく。

 

「それじゃあ次に行こうか」

「はい」

 

 配送の手続きも済ませると二人は店を後にした。他にも様々な商品を見ようと会話を交えつつ歩みを進める。

 

「——ん?」

 

 するとライはふと瑠花の視線があるお店の商品で止まっている事に気づいた。

 彼女の注意はどうやらすぐ近くのアクセサリー店にあるようだ。特に店頭に並んでいるポーチを見ているように思える。

 

「瑠花、何か買っていこうか?」

「あ、いえ。ちょっと可愛いなって思っただけですよ」

「いいよ。折角の機会だ。欲しいと思ったなら我儘言ってくれても」

「悪いですよ。さっきのものと違って完全に私自身のものですから」

 

 ライは遠慮は無用だと告げるが、瑠花はさすがに申し訳ないとなかなか頷かなかった。今回の出費はライが全て出している。作戦室に置くものならばまだしも自分が持ち歩くものまで世話になるのは違うだろうと考えて否定した。

 

「でもどうせ僕自分の事にあまりお金を使わないから余るし。B級の時だってかなり余裕あったから問題ないよ」

「もう少し自分の事に使ってください」

 

 だがライはA級に昇格した事もあって金銭面の不安は無用だと語る。確かに無駄に浪費するイメージはないが、もっと自身を大切にしてほしいと願う瑠花だった。

 

「でもこういう時くらいしか君と一緒に外へ来る事はないだろう。ここは年長者の、隊長の顔をたててくれないか?」

 

 それでもライは平然とした顔で話を続ける。

 ——ずるい。正論で押し通してしまうのだから、本当にこの人はずるいと瑠花は思った。

 

「……では、お言葉に甘えて」

「うん。どれがいい?」

 

 そして結局甘えてしまう自分も感化されてしまったのかもしれない。反省しつつも隊長の誘いに従って商品を見比べていった。

 こうして猫柄のポーチを購入した後、さらにぬいぐるみを買い、コップやお皿などの食器を購入、配送してもらう一通りの買い物を終える。それなりに時間が経過し、お昼時を迎えようとしていた。

 

「買い物してたら意外と時間は早く過ぎちゃうね」

「そうですね。もう気づいたらお昼ですか」

「どうだろう、瑠花。そろそろご飯としようか。お昼ご飯は行きたい所とかあるかい? この前言った所でも良いかな?」

 

 二人ともお腹が空いた頃を見計らってライは昼食を提案する。一応前もって候補地を告げていたのだが、改めて瑠花に希望を聞くと。

 

「はい。私も折角ですからライ先輩と一緒にあそこに行きたいと思います」

「わかった。じゃあ少し歩くけど、行こうか」

 

 彼女の許可を得て二人は歩き出した。

 当然のように生駒や柿崎も距離を空けてその後を追う。

 

「なんや。昼食か?」

「みたいだな。どこか別の所に行くみたいだが」

「ちょうどええ。俺らも別の場所に座って飯にしよか」

「時間帯的にもそうだな。多分二人ともそう遠くにはいかねえだろ」

 

 女の子にそう長く歩かせることはしないだろうし、と柿崎が続けると二人の様子を窺っていた生駒に衝撃が走った。

 

「……なるほど。そういう所かいな。そういう細かいとこにまで気配れないとアカンのやな」

 

 どこから取り出したのか生駒は小さな手帳に文字を書き綴っていく。女性に対する気配りや心得をメモしているのだろうか。そういう変な所で真面目な所を普段から出せればいいのにと柿崎は息を零し、ならばと少しでも力になればと彼にアドバイスを送った。

 

「まあそういう点もそうだけど。たとえば今のライの様子とかもそうなんじゃないか?」

「えっ? 今? どないしたん?」

 

 柿崎がライを指差す。生駒もつられて今一度二人へと視線を戻し注意深く観察した。

 今はただライが瑠花と並んで歩いているだけだが、そこにも些細ながら彼の振る舞いにはポイントが見受けられる。

 柿崎曰く、重い荷物を持たせない。歩くスピードや歩幅を合わせる。車道側を歩く。

 ライが当然のようにやっている為に気づけなかったが、彼の行動の一つ一つに優しさや魅力が感じ取れた。

 

「——自分本当そういうとこやぞ!」

 

 アカン。紳士やんこいつ。

 もはやどうしようもない程の差を感じ取り生駒は思わず目を覆うのだった。




祝、50話到達!


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隊章

「いらっしゃい——なんだ、テメエかよ」

 

 三門市内にあるお好み焼き屋さん、『かげうら』。

 影浦隊の隊長である影浦の実家であり、高校が休みの時は彼も営業を手伝っている。

 今日も高校の授業がないため影浦は店の手伝いを行っており、新たに来店した客を出迎えたのだが、その顔ぶれを見て小さく息を零した。

 

「こんにちは。お邪魔するよ、カゲ」

「こんにちは」

「おお。好きなとこにかけとけ」

「うん。じゃあ、行こうか」

 

 入店したのはライと瑠花の二人だ。影浦にとってはつい最近、また『かげうら』に来るよう誘っていたので不思議ではないのだが、こうもすぐ来るとは予想外の事だった。

 影浦の指示通り、二人は窓際の一席に腰かけるとさっそくメニュー表を机の上に広げる。

 

「さて何にしようか。お好み焼き屋さんは来た事あるかい?」

「家族と一度だけなら。それも少し前の事になりますけど」

「それなら好きなものを選んだら良いよ。チーズとか海鮮系のものが良いかな。シェア出来るし気に入ったものを頼んでね」

 

 たまに来るからだろう、自分の事は気にせずに選んでくれとライが言うと瑠花はメニュー表をじっくりと眺めはじめた。

 滅多にこない為に種類豊富なメニューが新鮮に映っているように見える。

 どれがよいだろうかと相談に乗りながら、二人は注文内容を決めていった。

 

「よっしゃ。頼むで、豚玉にチーズ、ネギ豚、ミックス玉」

「おい生駒。それ一人で食べるのか?」

「当たり前やろ。お好み焼きは一人一枚食べるものやん」

「別に構わねえが残さねえでくださいよ?」

「もちろんや」

 

 当然だと生駒は鼻を鳴らす。生駒と柿崎もライ達の席から少し離れた席で昼食を満喫しようと影浦に注文を告げていた。大食いだからなのか、あるいは食べなれているからなのか生駒は次々と頼んでいく。

 しかもライと違って誰かとお好み焼きをわけ合うつもりは最初からないようで、こう言った所でも考え方は違うんだなと柿崎は苦笑した。

 

 

————

 

 

 

 小刻みに刻まれたキャベツと生地、チーズなど具材を2,3回ほど混ぜ合わせ、油を敷いた鉄板の上に流しこむ。たちまちジュワァッと油が跳ね、生地を焼く音がテーブルに響き渡った。

 

「わっ。すごい」

「生地を焼き始めたらこんな感じに鉄板の上で混ぜ合わせると良いよ。油が跳ねるかもしれないから気をつけてね」

「はい!」

 

 瑠花が感嘆の声を漏らすと、少し先に焼き始めたライは両手のヘラを自在に操って彼女へと手本を見せる。彼に倣って瑠花もヘラを手に取ると二つのヘラで具材を混ぜ合わせ全体に行き渡らせた。やがて徐々に形を円形へと整えてしばし焼き続けた。

 

「こうやって自分で焼いてみるのも面白いものですね」

「食べるのは勿論だけど、こうやって見ているのも面白いし、音や匂いで食欲が湧きたつからね。実際にやってみる事でまた感覚が違うだろう?」

「ええ。焼いてみるのは初めてなので余計に」

 

 それはよかったとライが笑う。

 前回、焼肉屋の時はライが彼女の分も焼いていたのだが、今回は瑠花がお好み焼き屋に来る機会もあまりなかったという事で彼女に実際に体験してもらおうと見本を見せつつ彼女に調理をやらせてみた。結果として彼女が様々な表情を浮かべ、試してもらって良かったと思える。

 

「何なら鉄板を買って本部でやってみようかなとも思ったけど、それほど頻繁に食べるわけでもないし油の処理や管理も大変。それにカゲのお店の方が素材も良いと考えたからやめたんだ。今度瑠花も連れて来ようと話していたし、一緒に来れて良かったよ」

「ライ先輩は前にもこちらのお店に?」

「うん。カゲに誘われて皆と以前来た事があったんだ。他にも影浦隊の隊員を始めとしたボーダーの隊員が結構来ることがあるみたいだよ」

 

 かつての勉強会の事を思い出しつつライが当時の様子を振り返った。やはりボーダー隊員達の繋がりが深いからだろうか、『かげうら』にも隊員は訪れる。常連客もいる程だ。

 

「少し意外ですね。今もそうですが——影浦先輩のイメージがちょっと違ったので」

 

 そう言って瑠花は視線を別のテーブルへ注文を取りに行った影浦へと向けた。

 人伝いに聞いた影浦の噂話について話しているのだろう。影浦は自身のサイドエフェクトの件もあって他人と衝突する話が絶えなかった。そのせいで乱暴な性格というイメージが付きまとっているのだが、少なくとも今のように愛想よく客と接している姿からはそのような印象は感じられない。

 

「まあそう思う人がいると言うのは僕も聞いたことがあったから仕方ないけど。でも、悪いやつでないのは確かだよ。それに、そんな事を言ったら僕だって人の事を言えないからね」

「いえ、あれはそんな——!」

 

 ライもかつて迅を相手にトリガーを行使した事でC級隊員達の中には危険視している者もおり、そういう意味では影浦と似ている面があった。

 事情を知っているが故に瑠花は強く否定するが。

 

「だからだよ。彼にもそういう事情があるかもしれない。君には誰かの意見を鵜吞みにするだけじゃなく、自分の考えで人を見るようになってもらいたい」

 

 そんな彼女を諭すようにライは言う。

 

「……はい!」

 

 知っているからこそ彼の言葉は重みがあった。瑠花がはっきりとした声で肯定すると、ライは満足して頷く。

 

「よしっ。——さて、そろそろ丁度いい頃合いかな。ひっくり返してみようか」

「あっ、わかりました」

 

 話をしている間に焼き始めてから5分ほどが経過。そろそろ大丈夫だろうとライはヘラを手に取った。

 

「左右から生地の下にヘラを通して、軽く合わさるくらいまで来たら、手首を回転させて、ハイ!」

 

 鉄板をこするように生地の下にヘラを滑らせると、生地をわずかにずらして手前にひっくり返す。あっという間に裏返し、程よい焼き目が姿を現した。

 

「上手いですね」

「力を抜いてやってみると良いよ」

「はい。ちょっと見ててくださいね」

 

 瑠花も見様見真似で生地を操作する。

 ヘラを差し込み、丁寧に生地を動かして——

 

「えいっ!」

 

 裏返す時は確実に。彼女の眼前にも綺麗に焼き上がった生地が広がっていた。

 

「出来た!」

「うまいうまい。写真後で送るね」

「えっ? あっ、撮らなくていいです!」

 

 いつの間にか携帯端末で写真を撮っていたライを見て瑠花が気恥ずかしげに頬を赤らめる。結局この後ライから写真が送られる事になるのだが、彼女もその写真を大切に残しておくのだった。

 裏面に返してまた同じくらいの時間焼き続けると二人は同じ方法でひっくり返す。

 そしてまたしばし時間をおいてもう一度裏面に返すとこれで準備は終了だ。

 

「じゃあ後は味付けだね。はい、どうぞ」

「いいんですか?」

「うん」

 

 机の横からライは各調味料を取り出す。

 彼の指示に従い、瑠花はソースにマヨネーズかつお節、青のりと次々と食材をふんだんに投入した。

 たちまち甘い香りが広がり、かつお節が熱に煽られてゆらゆらと揺れる姿が食欲を掻き立てる。

 

「わっ、すごい!」

「良い感じだね。じゃあ切り分けようか」

 

 感動覚めきらぬうちに食べようとライが二つの皿を手に取った。

 綺麗に焼き上げた明太餅チーズ玉とミックス玉をそれぞれ二人の皿に分配する。

 

『いただきます』

 

 同時に手を合わせ、お好み焼きへと箸を伸ばした。熱さに注意し息でわずかに和らげると口の中に放り込む。

 

「……おいしい」

「よかった。こうやって作ってみるのもたまにはいいでしょ?」

「はい。とても面白いし、楽しいですね」

 

 見た目も味も感触も満足できるものだった。

瑠花の笑みを見てライも疲れが飛んでいく感覚を覚える。どのような反応が出るか不明であったが、こうして二人で来れてよかったと心からそう思えたライだった。

 

「うおおお! 結構いけるやん! よしっ、柿崎。ちょっとそっちの方も使わせてもらうで!」

「本当に全部食う気かよ。……しかし手馴れてるな」

「当たり前やろ。こういう焼き物系は任せときや!」

 

 その一方で別のテーブルでは生駒がお好み焼きを堪能しつつ、次から次へと新たな生地を焼き上げている。

 見事な手際の良さで次々とお好み焼きを焼いている姿は確かに様になっていると柿崎は感心した。

 

「どや? これくらい上手く焼き上げてったらさすがのライも敵わんとちゃう?」

「というか向こうは自分でお好み焼きを焼かせているみたいだな。楽しそうだぞ」

「えっ。ちょっ何それ? こういうのは男がやった方がええんとちゃうの? この前焼き肉の時ライが焼いとったと聞いたで」

「お好み焼きを焼くのとはまた勝手が違うからじゃないのか? 焼肉よりも機会が少ないから体験させたんじゃないか?」

「——判断ムズッ!」

 

 負けじと腕を振るっていたのに。

両の目からほろりと涙がこぼれる。もはやどこをどうすれば良いのかさえ分からず、生駒の嘆きは止まらなかった。

 

 

————

 

 

 『かげうら』でお好み焼きの味を堪能した二人は会計を済ませると店を後にした。

 早速割引券を使うと影浦は軽く舌打ちをしていたが、『また来いよ』と声をかけている所を見るに歓迎しているのだろう。

 影浦と手を振って別れると二人はゆっくりとした足取りで道路沿いを歩いていく。

 

「お腹いっぱいになったかな?」

「はい。おかげさまで。たまにはこういう料理も良いですね」

「うん。今度また食べたくなったらいつでも言ってね」

 

 お腹が膨れた事で満足感に満ちていた。二人は他愛もない会話を交えつつ道なりに進んでいき。

 

「——おっ。そうだ、本部に戻ったら少し作業をしたいから、その時用にちょっと飲み物を買っても良いかな?」

「もちろん。……今日はこの後ランク戦ですか?」

「いいや。今日はランク戦はしないよ。ただ他に考えがあってね」

 

 瑠花の許可を得るとライは一件のカフェの中へと入るとテイクアウト用のアイスカフェラテとアイスティーを購入。素早く用件を済ませて店を後にして——あるものが目に映り、その場で足を止める。

 

「ライ先輩? どうしました?」

「……いや。ちょっとね」

 

 疑問に思った瑠花が声をかけた。だが具体的な答えは返らず、ライは何かをじっと見上げている。どうしたのだろうかと瑠花も視線を上げると、その先にはカフェのロゴデザインが描かれた看板があった。

 円の中心には女性をモチーフとしたモデルが描かれており、版画調なデザインである。

 

「お店のマークですか?」

「うん。——瑠花。一つお願いがあるんだけど」

「何ですか?」

 

 ライからの頼みに瑠花が聞き返すと彼は一つ間をおいて話を続けた。

 

「紅月隊のエンブレムの話についてだ。よければだけど、この後もう少し本部で考えようと思ったんだけど、協力してもらっても良いかな?」

 

 

————

 

 

 こうしてライと瑠花はボーダー本部に戻って来た。

 今日の外出でヒントを収穫。早速エンブレムの製作に取りかかろうと意気込んだのだが——

 

「紅月先輩。どないしたら自分みたいに女の子からモテるようになれるんですか、教えてください」

「……いきなり訪ねてきてなんなんですかイコさん。なんでいきなり正座してるんですか」

 

 作戦室に突然の来訪者・生駒が訪れ、彼が正座でライに頼み込んだ事で作業は中断を余儀なくされる。

 何故か年下であるはずのライを先輩呼び。生駒の考えが読めないのはいつもの事だが、いつも以上に生駒の行動が突拍子すぎた為にライは理解が追いつかなかった。

 

「いや実はな、自分の生活とか見とればいつか俺も女の子にモテるやろか思て今日一日監視してたんやけどな」

「今サラッととんでもない問題発言が飛び出しましたがスルーしておきますね」

 

 本当は良くないのだが一々突っ込んでいては話が進まない事をよく理解しているライはあえてそれ以上は追及せず先を促す。

 

「なんかもうお前の仕草とか自然すぎてもう何を見ればいいのかさえよくわからんねん。こうなったら直接本人に頼んだ方がええ思てな」

「どうしてそんなに思い切りが良いんですか。そんな理由で師匠が弟子に頭下げないでくださいよ」

「なんでや。モテたいのは男の性やんか。お前とて気づいてないだけで心の底ではそう思とるはずやで」

「イコさんは僕に喧嘩を売りに来たんですか?」

 

 そう言ってライは大きくため息をついた。

 おそらく無視すればいつまでも作戦室に居座るだろう。かといってまともに話に付き合っても生駒が納得するまで話を続けるのは困難であることは予想できた。

 ここは適当にあしらうのが正解だろうとライは決断する。 

 

「いいですか? そもそもイコさんがモテないというのは一種のアイデンティティのようなものです。イコさんが急にモテるようになったらそれはもうアイデンティティの崩壊、イコさんではありません。別の何かです。生駒隊解散の危機にまで発展しかねない事案ですよ」

「えっ!? 俺の女の子回りの事でそこまで一大事に!?」

「ライ先輩、さらっと酷い事を言っています」

 

 隊長の意図を察したのだろう、瑠花がツッコミを入れるがライの口は止まらなかった。 

 

「大丈夫です。イコさんは自分の事をモテないと仰っていますが、きっと女の人達がイコさんの魅力に気づいていないだけです。きっといつの日かイコさんにスポットライトが当たる日が来ますから」

「ホンマか?」

「本当です。もう一周回って黄色い声援にあふれるようになりますよ。きっと」

 

 先ほどから『きっと』という言葉を繰り返していることから彼がこの場をどうにかして切り抜けようと考えている様子がうかがえる。

 

「でもそう言って俺もうすぐ19年経とうとしとるんやけど」

「そんな風に数えている間は駄目ですね。無心になる事です。いつか時代が追いつくと信じて気長に待ちましょう。それでも気になるなら隠岐に相談しましょう。きっと彼が全て解決してくれます」

「でも隠岐も結局隊長がそんな事で頭下げんでくださいとか言うに決まっとんねん。わかった、ほな30分。いや10分でええ。モテる秘策を教えてくださいお願いします」

「10分でも長いと思うんですけど。一体僕に何を話せって言うんですか」

 

 面倒この上ない上に自分が力になれるとは思えなかった。

 ライは即座に断りを入れようとしたのだが、生駒の事情を考慮するとここで断っては彼に失礼か。そう考えたライは深く肩を落とす。

 

「——わかりましたよ。ただ今日と明日の午前は僕もやる事があるので無理です。明日の午後や明後日は時間あると思いますが。明々後日は……イコさんが生駒隊の人たちと過ごしますよね。じゃあ明日の午後以降か水曜日以降で良ければできる事はしますよ」

「ホンマか!? 神か!」

 

 生駒もまさか応じてくれるとは思っていなかったのだろう。ライに惜しみの無い賛辞を贈った。

 

「ん? でもなんで明々後日は駄目なん? 俺が駄目?」

「あの、察してくださいよ。まさか忘れているわけじゃないですよね?」

「忘れる? えっ、何の事?」

 

 尋ね返された生駒は必死に考えるも簡単には答えが出てこない。

 明々後日は4月29日、火曜日。

 部隊ランク戦も昇格戦も終わっているし、大学の行事も特にないので生駒には特別な用事はないはずなのだが。

 

「明々後日はイコさんの誕生日でしょう」

 

 いや、一つ大切なイベントがあった。

 そう生駒の誕生日である。

 弟子に言われてようやく思い至り、生駒の体に衝撃が走った。

 

「……そうやん。忘れとったわ」

「まさか本人が忘れているとは思いませんでした。しっかりしてくださいよ。今日買い物に行ったのはそれの為でもあるんですからね」

「えっ、まさか俺にプレゼントか!?」

「はい。一応瑠花も探してくれたので僕と瑠花二人から、という事で。まあそちらは後日お渡しします」

 

 そう言うと、生駒が正座のままライの両手を握りしめる。

 

「——ライ。いや、紅月先輩。ありがとうございます。瑠花ちゃんからのプレゼントという事で受け取っときます」

「直接そのように言われると複雑なんですけど。まあ良いか」

 

 これ以上付きまとわれるよりは幾分もマシだろう。ライは文句の言葉を飲み込み、その場を収めるのだった。

 

 

————

 

 

「それでエンブレムを作るという事ですが、モチーフは決まったんですか?」

 

 生駒がようやく作戦室を退出すると、瑠花がライに尋ねる。

 先の言葉からライが何かしらエンブレムについて考えをまとめた事は理解できたが、一体どのようなものを想定しているのか非常に気になった。

 エンブレムはその隊を象徴するものだ。

 他の部隊にはない隊員の特殊性を示すものとなる。

 これまでも色々ライの個性などを考えたが、彼が得意とするチェスはすでに冬島隊が使用済み。刀は太刀川隊、盾は嵐山隊が使っているなど中々イメージは定まらなかった。

 

「うん。先ほど言ったように、瑠花にお願いしたい事があるんだ」

「何ですか?」

 

 お願いと言われてもエンブレムに関する事で思いつく事など限られている。

 何かしらの資料採取だと予想しているが、一体何に関するものなのか。瑠花は次の言葉を待った。

 

「エンブレムの作成に至って、瑠花にはモデルになってもらえないか?」

 

 そしてライの口からとんでもない発言が飛び出す。

 

「……はい!?」

 

 さすがにすぐにその真意を理解できず、瑠花は驚愕を隠せなかった。

 

「モデルって、えっ? エンブレムですよね!?」

「うん。モデルっていっても顔とか表情とかはわからないようにするよ。輪郭だけが出るようにしたいんだけど、その参考にと思って」

「嫌です!」

 

 特定はされないから大丈夫だとライは告げるが、瑠花は了承できず首を横に振る。

 

「そんな恥ずかしい事できません! 大体どういう事なんですか? エンブレムって部隊の特徴をデザインしたものですよね? どうして私が出てくるんですか!」

 

 もっともな意見であった。

 基本的にエンブレムは部隊の戦術などを反映したものとなる。そこに自分が出てくるなど以ての他だと瑠花は強く否定した。

 

「その通りだ。部隊の特徴を表すからこそ、そう考えた」

 

 だがライは瑠花の反対意見を聞いてもなお意見を曲げない。

 

「知っての通り僕たちは二人部隊だ。他の部隊以上に余計にオペレーターの力は重要になり、かつ強力になる。ならば君という存在は欠かせない。そもそも僕一人の印象をデザインなんて大したものが出てこなさそうだし」

「そんな事ないと思いますけど」

「それに、『代わりとなって戦う』という君に話した言葉を反映したいと思ったから」

 

 瑠花の目が見開いた。それは二人が初めて出会った時にライが言葉にしたものだ。

 

「だからこそ。紅月隊の象徴となるものを作るならば、僕はこうしたいと思った」

 

 カフェで見つけたモチーフが決め手になったのだろう。

 支えとなるオペレーターの存在をエンブレムに取り入れたい。ライは語気を強めてそう言った。

 瑠花は大きく息を吐く。一緒に過ごしてきたからこそ、彼は優しいが意志が強くそう簡単に意見を曲げないという事はよく知っていた。それが正論であるというのならなおのこと。そして彼に言葉で勝つ事は出来ないという事も。

 

「……ライ先輩」

「うん」

「…………本当に私だとわからないように、という条件でなら、わかりました」

 

 ゆっくりと、渋々と瑠花は許可をだした。

 

「わかった。ありがとう! じゃあちょっとイスに座ってもらっても良いかな? 早速書いてみるよ!」

「本当にわからないようにしてくださいね!」

 

 ウキウキと楽しそうに心を弾ませるライに、瑠花は今一度注意を呼び掛ける。

 最終的な下書きが完成するまで油断しないようにしよう。椅子に深く腰掛けつつ、瑠花はライの動向を一挙一動注視するのだった。

 

 

————

 

 

 翌日の日曜日。

 この日は狙撃手(スナイパー)合同訓練が行われる日であった。

訓練の内容は通常狙撃訓練。100m先の直径50㎝弱の的を狙って撃つという単純なものだった。ただし5発撃つごとに的が少しずつ遠くなるため徐々に難易度は高くなっていく。

 狙撃の精密さ、集中力。様々な要素が求められる訓練で、やはりいつも通り上位に名を連ねる者が好成績を収めていた。

 一位、奈良坂。二位、半崎。三位、佐鳥。四位、ライ。

 狙撃手(スナイパー)ならば知らぬものはいない者達の中にライも加わっている。

 

「さすがだな、ライ」

「いつか師匠に追いつけるように頑張っているよ」

「ふっ。そう簡単に並ばれるわけにはいかないな」

 

 訓練を終えた奈良坂がライに声をかけると二人は軽い口調で笑いあった。師弟とあって二人の仲は良好だ。特に理屈を重要視する狙撃手という点で一致しているという点も大きいのだろう。

 

「……ついにエンブレムも完成したんだな。その効果もあってか」

「そうだね。これがあると『いよいよ』って感じはするよ」

 

 ライの隊服の左胸には新たに製作した紅月隊の隊章(エンブレム)が刻まれていた。

 正面から見て、少女が左を向いて祈りを捧げているような姿の輪郭が描かれており、それを背景にその前中央にトリオンキューブが描かれ、さらにそのトリオンキューブの中央で弧月とイーグレットが交叉するように描かれていた。

 二人部隊という特徴。そして戦況を選ばずにあらゆる武器で戦うという彼の特徴を現わしているのだろう。

 

「思ったより早くてビックリしたよ。ラフイメージを提出したらその日のうちに仕上がって届いたからね。夜遅くだったから瑠花に教えたのは今日の朝だけど」

「俺達もそんな感じだったな」

 

 頷く奈良坂だが、三輪隊の場合はただ『へび』としか書かれていないものを提出されたため、開発室のデザイナーが奮闘したのだがライは知る由もない事である。

 

「『A級11位』か」

 

 そして隊章の上には順位を示すA11という記号も表示されていた。

 紅月隊の昇格により本部に所属するA級部隊数は現時点で11。当然昇格したばかりであるため一番下の数字が割り振られたのだが、ライはその11という数字を見て複雑な表情を浮かべる。

 

「どうした? やはり不服か?」

「いや、そんなんじゃないよ。まあここからまた頑張っていくさ」

 

 確かに不服に思う事がないわけではないが、それを口にしても意味はなかった。ライは笑みを繕ってその場をごまかす。

 

「まずは狙撃手訓練からね。今日いない人や本気じゃない人もいるから、そういう人達にも勝てるようにしないと」

 

 そう言ってライはあたりを見回した。

 奥のブースに注意を移すと、当真や絵馬が銃弾で的に絵文字を作った光景が映し出される。奈良坂などが言う、点数では計れない『自由な才能』だ。彼らの技量は計り知れない。他にも今日は不在である東や鳩原もライをも凌駕する技術を持ち合わせていた。

 彼らに負けない様今後も励まなければと、ライは強く意気込む。

 

「あれ。そういえば今日鳩原はいないんだ。珍しいね」

「確かに。東さんはわかるが、鳩原先輩が休むのは意外だな」

 

 鳩原未来。二宮隊の狙撃手(スナイパー)だ。

 狙撃の腕だけならば当真や奈良坂をも上回る技術を持つ彼女はライも関心を寄せていた。

 訓練成績も優秀であり、真面目な性格から基本的には狙撃手(スナイパー)の合同訓練には毎回出ていたので余計に疑問が湧く。

 

「鳩原先輩なら多分しばらく来ないよ」

「えっ? 絵馬?」

 

 どうしたのだろうと二人が考えていると、その質問に答えたのは鳩原の愛弟子である絵馬だった。

 

「……ひょっとして、この前の発表の事か?」

「うん。多分ね。鳩原先輩はすごく悔しがっていたから」

「発表? 何の事だ?」

 

 奈良坂と絵馬は思い当たる事があるのだろう。すぐに見当がついていたが、ライはまったく予想できず首をかしげる。

 

「そうか。お前は選抜試験の時はB級だったから連絡はまだ行っていないか」

「選抜試験? えっ。それって」

「そう。——鳩原先輩の部隊、二宮隊の遠征選抜試験の合格が、先日取り消されたんだ」

 

 それはライも目標としている近界(ネイバーフッド)遠征の選抜試験に関する事。

 二宮率いる二宮隊が一度は合格した選抜試験において、上層部よりその合格を取り消されたという話だった。



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遠征

 『人が撃てない』。

 その致命的な弱点が防衛隊員にとってどれだけ欠陥となりうるかということくらい痛いほど自覚していた。

 だけど克服しようにも術が見つからず、工夫しようにも力が足りず、意志に気持ちが追いつくことはない。試しに実戦で武器ではなくその武器を持つ隊員に銃口を向ければ、かつて一度だけ犯してしまった失敗が脳裏をよぎり、両の手が勝手に震え上がった。震えはたちまち全身に広がるとまるで自分のものではないかのように体の制御を失い、味方の支援どころではなくなってしまう。

 結局人を撃てたのはかつて間違えて誤射してしまった一回だけ。守る立場でありながら敵を撃つ事は出来ない狙撃手(スナイパー)。よそから見れば確かに足手まといに映ったことだろう。

 

「鳩原未来、だな」

 

 それでも必要としてくれた人がいた。

 部隊の一員として共に戦う事を選んでくれた隊長がいた。

 彼の指示に従い、敵の武器を破壊する事に専念して、あの常日頃から尊大で傲岸不遜かつ無愛想な上に口まで悪い射手の王がトドメを刺す。

 単純なそれがいつしか二宮隊の必勝パターンとなり、彼が率いる隊はA級でも上位の順位に上り詰めた。

 そしてついにずっと目指していた遠征選抜試験にも合格。

 ようやくボーダーに入隊した真の目的、かつて近界民(ネイバー)に拉致された弟の救出を果たす事ができる。

 ただそれだけを願ってずっと訓練にも励んできた。その悲願成就の時が近づいている。

 計り知れないほどの喜びに、嬉しさに満ちていたというのに。

 

「——鳩原、話がある。落ち着いて聞け」

 

 どうして世界はこんなにも残酷なのだろう。

 隊長からの突然の呼び出し。一体何事だろうと作戦室を訪れると、隊長から告げられたのは遠征選抜試験合格の取り消しだった。

 

「……えっ?」

 

 理解が追いつかない。

 だって、ようやく今までの努力が叶うと思っていたのに。

 

「やっぱり、あたしが、人を、撃てないから、ですか?」

 

 震える声で言葉を紡ぐ。

 隊長はただ『違う』と否定して、体を支えてくれたけど。

 でも、それならばどうして一度合格になった判定を取り消すほどの明確な理由を教えてくれないのか。

 決まっている。

 それが答えだからだ。

 

「——わかりました二宮さん。はい、大丈夫です。失礼します」

 

 強引に手を振り払って作戦室を後にする。

 上手く笑えていただろうか。正直、自信はない。今でさえ必死に平常さを貫くのが精一杯だから。

 ボーダー本部にいる事さえはばかられ、すぐさま本部を後にした。これ以上は耐えられない。耐えられるわけがなかった。

 

「どうして——?」

 

 耐え切れず一筋の涙が頬を伝う。

 どうして、今更取り消されたのか。

 どうせ願いが叶わないというのならば、どうしてもっと早くそう言ってくれなかったのか。

 入隊の時に、狙撃手(スナイパー)を目指した時に、二宮隊に入隊した時に、A級に昇格した時に、選抜試験を受けた時に。

 いくらでもその機会はあったはず。

 なのにどうして、ようやく願いが叶う目途が立った今になって、どうして?

 次から次へと疑問が湧きだしては答えが出る前に掻き消えていく。いや、違う。答えは最初からわかっていた。『鳩原未来が人を撃てないから』。だけどその事実があまりにも悔しくて、そしてどうしようもない。

 

「……いやだ」

 

 でも、それでもまだ意志だけは残っていた。悲願に手が届きかけたからこそ、今更諦める事なんてできるはずがない。

 

「——もしもし。鳩原です。今、お時間よろしいですか?」

 

 携帯端末を手に取り、ある人物へと電話をかけた。

 相手はかつて防衛隊員に対するものとは思えない交渉をかけてきた人だ。当初は『そんなことできるはずがない』と誘いを一蹴したが、彼の『気が変わったら教えてくれ』という言葉が脳裏に焼き付いていた。

 時間にして5分ほどだろうか。何度も念入りに手はずを確認し、通話を終える。

 

「やっぱりあたし、ダメなやつだ」

 

 自虐的な言葉が耳を打った。

 今からやろうとしている事はボーダーに対する明確な裏切り行為であるというのに。

 それをあっさりと決断し、行動しようとするなんて。

 本当に、ダメなやつだ。

 

 

————

 

 

 休日が終わり、再び平日が始まった月曜日。

 今日も警戒区域内には警戒音(アラーム)が鳴り響き、巡回を行っていた防衛隊員が忙しく現場を駆け回っていた。

 

「諏訪さん! 一体が突破しました!」

「チッ。止まんねえか。——紅月!」

 

 防衛任務の担当は諏訪隊。

 諏訪と笹森の二人がそれぞれ二方向から迫る敵に対応していたものの、笹森が一体のモールモッドを相手にしている間にもう一体が抜け出し、突破を許してしまう。

 これ以上はマズいと諏訪が名前を呼んだのは、前シーズンで彼も苦戦を強いられたライだった。

 

「エスクード」

 

 直後、モールモッドが侵入しようとした道の先に大きな壁がせり上がる。

 侵入を阻まれたモールモッドは進路を変更しようとしたが、すぐさまエスクードの真横を通って無数の弾丸がモールモッドへ襲い掛かった。弾丸はモールモッドの脚部を打ち抜き、巨体が地面に沈む。

 

「足は止めた。笹森!」

「了解です!」

 

 機動力さえ封じてしまえばこちらのもの。

 ライの指示に従い、笹森が弧月をモールモッドの急所めがけて突き立てた。

 これにより動力を失ったモールモッドは完全に機能を停止する。

 すべての近界民(ネイバー)を撃破し、今日も無事に防衛任務の役目を果たしたのだった。

 

 

————

 

 

「おっし。あとは引継ぎで終了だ。悪かったな、紅月。堤が急に来れなくなっちまってよ」

「構いませんよ。こちらも時間がありましたので」

「助かるぜ。引継ぎはこっちでやっとく。先に上がっててくれ」

「了解です。ではまた」

「おう」

「ありがとうございました!」

 

 ライは諏訪と笹森に一礼し、その場を後にした。

 本来ならば諏訪隊が防衛任務の担当だったのだが堤が急用の為に任務に間に合わず、急遽諏訪がライへ出動要請を出したのだ。

 こう言った事が可能な点もライが重宝される点だろう。

 本部住み込みであるため他の隊員と比べ比較的に融通が利き、しかもあらゆるポジションに対応できるため他の部隊と組んで戦っても不在の役を十分補う事ができる。いざという時のヘルプにはうってつけであった。

 

「おー。お疲れ諏訪さん」

「太刀川。この後はお前らか。じゃあ後は頼むぜ」

「了解。こちらの区域は確かに請け負った」

 

 しばらく歩いていくと諏訪と太刀川が鉢合わせとなる。諏訪隊から太刀川隊へと防衛任務を引き継ぐと、諏訪と笹森は本部へと向かって行った。

 

「相変わらずこういう時紅月は便利だよなー」

「確か堤さんが大学の補講で来れなかったんでしたっけ? 本当、急用でいざって時動けるから助かりますよ」

 

 去っていく二人の背中を眺めながら、突然の要請にも関わらず彼らを助けたというライの存在を太刀川と出水が振り返った。

 

「基本的に本部にいるからいつでも出撃できるし、いろんなポジションに対応できるし」

「メテオラで罠を仕掛けたりエスクードで道の封鎖もやるからな」

「完璧に便利屋って感じですよね」

「ああ。頼めばレポートとかも手伝ってくれるしな」

「いや、それはもう便利屋というか何でも屋では?」

 

 違うだろうと否定しつつ、出水もライの万能性には理解を示す。

 

「そもそも紅月先輩のあのトリガー構成はランク戦よりも防衛任務を想定しての事らしいっすからね。一人でもあらゆる戦況を想定して防戦し、攻勢に転じられるようにとか言ってたっすよ」

 

 かつて射撃対決でライから聞いた事を思い返してそうつぶやいた。

 一人部隊という事はもちろん、今後起こりうるであろう未知の近界民(ネイバー)からの攻撃を想定して日々備えているという彼の考えは立派なものだ。

 

「そういうやつだからな。個人の強さもそうだが、そういう役割が多いってのは上にとっても重宝されがちだ。あるいはそのうち、あいつも一人で一部隊相当と数えられるかもな」

「そうなったら心強いっすけどね」

 

 現時点ではまだ太刀川でさえそう見られていない、4人しかいないボーダーの異例な枠組み。いつしかその中にライも含まれるのではないだろうかと太刀川も軽い口調でそう言うと、出水も軽く笑ってその言葉に頷くのだった。

 

 

————

 

 

 さらに翌日の火曜日。

 ライは忍田に呼び出され、一人彼の執務室を訪れていた。

 

「——紅月隊が、ですか?」

「ああ。近々もう一度行われることになった遠征選抜試験、受けるつもりはないか?」

 

 今回の呼び出しの理由は、遠征選抜試験の誘い。ライ自身も目標として定めていた近界(ネイバーフッド)遠征の資格をつかみ取る気はあるのかどうか問うことだった。

 

「知っていることだろうが、A級には近界(ネイバーフッド)遠征試験を受ける資格がある。今度行われる遠征部隊はすでに選出されていたのだが、先日その一部隊の合格が取り消された」

「二宮隊、ですか」

「ああ。知っていたのか?」

「噂程度にですが、少しだけ」

 

 「そうか」と忍田は小さな息を吐く。彼の反応を見てライは二宮隊の遠征取り消しが事実であると確信し、目を細めた。だがそのライの変化には気づくことなく、忍田は説明を続ける。

 

「その通りだ。そしてその二宮隊の取り消しにより、空いた一枠を埋めるべくもう一度希望者を募り、選抜試験を行う事となった。君たち紅月隊もA級に昇格した。希望するならば遠征選抜試験を受験する事ができるが、どうする?」

 

 二宮隊に代わる戦力の招集。

 昇格したばかりでありながらもその候補に挙がるという事は上層部から力を認められているという証拠だろう。

 その評価は実にありがたいものである。

 

「そのように誘っていただけるとは光栄です。ですが——すみません。この度は断らせてもらいます」

 

 しかし、ライはその場で忍田の誘いを退けた。

 

「ふむ。強制ではないから別に構わないが、君はあまり遠征には興味はなかったかな?」

「いいえ。確かにいつか遠征には行きたいとは思っています。ですが、今はその時ではないと判断しただけの事です」

「時?」

「はい」

 

 問い返す忍田にライは折角の好機を断った理由について語り始める。

 

「まずそもそもこの遠征選抜試験が僕たちがA級昇格の前だったという点。代わりとなる部隊を選出するならば、その時点でA級であった部隊が選ばれるべきでしょう」

 

 一つ目はそもそも二宮隊が選ばれたのは紅月隊が昇格前だったという事だった。当時の選抜試験のやり直しを行うならばその対象も当時の面々で選ぶのが妥当であるとライは考えている。 

 

「加えて僕たちはまだA級に上がったばかりです。遠征よりもまずは今の環境に慣れる事こそが最善かと」

 

 二つ目は紅月隊が先日昇格したばかりであるという点だ。部隊を組んだ時期も他の部隊と比べると短い。ゆえに今はまだボーダー本部にて活動した方が部隊のためにもなり、他の隊員の批判をさけられると。部隊として基盤を固める事を優先していた。

 

「そしてもう一つあるのですが——」

「なんだ?」

「これは少し、個人的な事情になります」

 

 ライが珍しく言いにくそうに眉をひそめる。彼らしからぬ反応に忍田はどうしたのだろうと疑問に思いつつ、彼が言葉を発するのを待った。

 

「今年は、瑠花が高校を受験する年になります。彼女の学校生活に負担が生じないよう、できることならば長時間束縛されるであろう遠征はさけておきたいんです」

「——そうか。いや、その通りだな」

 

 うかつであったと忍田は己の判断を悔やむ。

 瑠花は4月から中学3年生となった。つまり今年は中学校生活最後の年となり、先には高校受験が控えている。

 これまでの学生生活とは比べ物にならない忙しさが待っているという事は想像に難くなかった。

 

「もちろんボーダーと提携している高校への推薦がもらえるというのならばそれでもいいのですが。しかし彼女にはそういった条件に縛られず、自分の進路をよく考えて、後悔しないようにしてほしいんです」

「なるほど。君の意見はよくわかった」

 

 彼の言うようにボーダーと提携している学校への進学を目指すのならばオペレーターである瑠花は推薦の資格をもらうことは容易であり、進学の苦難は少ない。

 だがライは簡単な道に目先が眩むのではなく、彼女には自らの進む道を考慮してこの先の進路を選んでほしいと考えていた。

 

「君がそこまで考えているのならば私から異論はない。すまなかったな」

「いえ。せっかくの誘い、ありがとうございます。もしも瑠花の進学先が決まったのならばまた話も変わってくるでしょう。その時はよろしくお願いします」

「ああ。よければこれからも瑠花の力になってほしい」

「もちろんです。僕にできることならば、いくらでも背中を押しましょう」

「そうか。ありがとう」

 

 本当に頼もしい存在だ。隊員としてはもちろん、人としても。

 損益だけでなく個人の事情や心境を考慮して物事を俯瞰的な視点で判断している。

 年下ではあるが、忍田は彼の存在に大きな感謝を抱くのだった。

 

「……それと、僕からも一つよろしいでしょうか?」

「む? 何かね?」

「二宮隊の選抜試験合格の取り消しについてです」

 

 忍田が感心する中、ライは許可を得て彼に問いを投げる。ライも気にしていた合格取り消しの事実に関して。

 

「今回、二宮隊が取り消されたのは鳩原隊員が『人を撃てない』からと聞きましたが」

「……その通りだ。近界(ネイバーフッド)では人型の敵と相対する可能性もある。その際に鳩原隊員がどうなるのか予想ができない。下手すれば彼女の存在がボーダーにとってのアキレス腱になるのではないかと危惧する声が上がった」

「やはりですか」

 

 決して無視できない意見だった。やはりそれが真相だったのかとライは深く息を吐く。

 

「君は鳩原隊員とは親しかったのか? 交流があったという話はあまり聞かないのだが」

「僕ですか? ……そうですね。確かに直接的な交流は少ない方でしょう。しかし僕と同期入隊である今の他、よく話す当真や国近が彼女のクラスメートである同年代の隊員です。しかも彼女は狙撃手訓練でも常に上位に入るだけの技量を持つ実力者ですから。話す機会は当然ありました」

 

 忍田の言う通り決してライと鳩原は特筆して親しいというわけではなかった。

 しかし同年代の隊員である上に知人を通して話を聞く事もあり、鳩原も訓練ではいつも優秀な成績を収めている。かつては彼女と奈良坂、当真の三人しかライに狙撃を当てることが出来ない時もあったほどだ。関心を寄せないはずがなかった。

 

「だからこそ、やはり残念ですね」

 

 そんな彼女が評価されないという現実があまりにも残念に思う。少なくとも狙撃の技量ではライでさえ鳩原には遠く及ばないほどだ。それほどの腕を持つ人物でさえ一つの弱点で合格を取り消されてしまうとは、そう簡単には受け入れることは出来ない事だった。

 

 

————

 

 

 さらに翌日の水曜日。

 この日は狙撃手(スナイパー)合同訓練が行われた。

 訓練の内容は補足&隠蔽訓練。いかにうまく隠れつつ、敵が潜伏している場所を予測し、狙撃まで行けるかが試される重要な訓練だ。狙撃手(スナイパー)でも得意不得意が別れる難しい訓練である。

 

「よー、紅月。今日はしっかり当ててやるからな。久しぶりに制覇させてもらうぜ」

「望むところだよ。当真も狙うのに夢中になって後ろをとられないようにね」

「おお怖い」

 

 訓練に備えているライに語り掛けたのは当真だった。

 基本的には訓練生は狙わず、有力な隊員だけ狙うという彼もこの訓練では中々ライに当てられない。そもそも彼は外れる弾は撃たないという信条を持っているため、余計に機会が限られていた。

 とはいえナンバーワン狙撃手(スナイパー)と名高い彼にこれほど言われた上に言い返せる相手はそうそういないだろう。

 

「んっ? おや、今日は鳩原来ているんだ」

「おお? 本当だな、あいつこの前の訓練の時はサボってた気がしたが」

「当真にそう言われたらさすがにかわいそうだよ……」

 

 普段は君のほうがサボっているだろうにと愚痴をこぼしつつ、ライは久しぶりに姿を見せた鳩原のもとへと歩み寄っていく。

 

「やあ、鳩原。大丈夫かい?」

「前はいなかったよな? もう来ても問題ねえのかよ?」

「……紅月君、当真君。うん。わざわざありがとうね。大丈夫だよ」

 

 自分の体調を気遣って話しかけた二人に、鳩原はぎこちない笑みを浮かべて返事をした。

 

「ありがとうね。もう——大丈夫だから」

 

 そう言って鳩原はまるで逃げるように訓練場へと向かって行った。

 

「やっぱあいつ気にしてんじゃねーか。全然大丈夫じゃねーだろ」

「……そうだね」

 

 まるで人と会いたくないような反応に当真はため息をこぼす。

 やはり遠征合格の取り消しの影響は残っているのだろう。

 

(ただ、なんだろう? 確かに様子はおかしいけれど——違和感? 上手く言葉に表せないけど、何か変な感じがする。この感覚はなんだ?)

 

 しかしライはそれだけではなく、鳩原の姿から形容しがたい何かを感じ取っていた。




後にこの話を聞いた太刀川
「えっ!? 進学できるんだからそれでいいじゃん!」
しばらくの間ライは口を利かなくなった。


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追憶

「ッ——」

 

 ライの体に衝撃が走り、わずかに仰け反る。

 決して隙と呼べるほどの弱点をさらしたわけではなかった。

 だが、隠岐からの狙撃を避けようとわずかに体をずらしたタイミングを見越して、その先めがけて放たれた銃弾まで連続でかわすことは容易ではない。

 最初の一発こそ避けたものの、二発目は彼が持つイーグレットを正確に貫いた。

 

「さすが」

 

 イーグレットの貫通を想定し、右手に刻印された部屋の番号を目にしてライは短く称賛の声を上げる。

 今当てたのは訓練前にも会話を交わした鳩原だった。

 狙撃の技量だけならばあらゆる隊員を凌駕するという彼女の腕はやはり健在だ。

 

「——さて。これ以上ここにいるのはまずいか。一旦立て直そう」

 

 この日初めての被弾を記録したライ。

 鳩原も即座に身を隠した以上、このままこの場に長居は無用だ。すぐさまライは屋上から屋内へと場所を移す。

 

(遠征取り消しの報を受けて気落ちしている様子はないな。それどころか迷いを振り払ったかのように思い切りが良い。切り替えたというならば良いが、僕の考えすぎなのか?)

 

 道中、自分に当てた鳩原について思考をめぐらしながら。

 彼はいまだに訓練前に抱いたあの妙な感覚が一体何だったのか答えが思い至らず、その疑問が脳にこびりついていた。

 

 

————

 

 

 その後ライはさらに当真からの狙撃こそ許したものの、彼らが放った二発のみの被弾に抑えて補足&隠蔽訓練を終える。

 

「どうしたよ。調子でも悪かったんじゃねーの?」

「そういう当真は調子がよさそうだね。いや、いつも通りといった方がいいかな?」

「どーだかな。ま、久々にお前を落としたし良い方だろーよ」

 

 そのライに的中させた当真は得意げに笑った。

 訓練では遊ぶ一面も見せる彼だが、このような実戦形式の訓練ではここぞという機会(チャンス)さえあれば必ず獲物を仕留めるのが当真だ。だからこそその狙撃から逃れる力を持つライを仕留める事は彼にとってもやりがいのあるもの。屈託ない笑みは満足感に満ちていた。 

 

「二人とも、お疲れ様」

「……お疲れ様」

「おっ。なんだ。鳩原師弟じゃねーか。もう本当に大丈夫みてえだな」

「お疲れ様。いつも通りの腕で安心したよ」

 

 するとそこに鳩原と絵馬、狙撃手の師弟が歩み寄る。

 絵馬は鳩原の愛弟子だ。二人の仲は良好で、彼らが一緒にいるときは両者ともあまり人付き合いが得意という性格ではないのだが穏やかな雰囲気を醸し出していた。

 訓練が始まる前は鳩原の様子が少し心配だったものの、ふたを開けてみれば正隊員たちを続々と撃破しての上位の成績を収めている。遠征取り消しは辛い出来事だっただろうが、無事に立ち直れたのかと当真は安堵の息を吐いた。

 

「心配かけちゃったかな? ごめんね」

 

 一方の鳩原は申し訳なさそうに調子を落として謝罪する。

 

「いやいや。お前がいつも通りなら別にいいだろ。なあ?」

「うん。上がどう判断しようと、君の狙撃の腕は一級品なんだ。それは僕らが良く知っている」

「そうだよ。そもそも鳩原先輩が自分を責める必要なんてないよ」

 

 自分を責めがちな鳩原の性格を知っているからか、3人は三者三様の言葉で彼女を勇気づけようと励ました。

 彼女の腕がボーダー内でも随一であることは事実。その力で今までも部隊に貢献していたのだから自責の念には駆られる事はないと。

 

「うん。ありがとうね」

 

 鳩原は笑みを繕ってそう短く返す。当真や絵馬は彼女の笑みに納得したのか胸をなでおろした。

 

「……鳩原。ちょっといいかな?」

 

 そんな中、ただ一人ライだけは彼女の笑みを鵜呑みにできなかったのか、一歩前に出て彼女に告げる。

 

「何? どうかした?」

「少し話がある。今日時間はあるか?」

「うーん。今日はちょっと。ごめんね。あたし、この後ユズルに訓練をつけようと思ってて。夜は犬飼君の誕生日だから、この後二宮隊の皆で焼肉を食べに行くことになってるんだ」

「どうしたの? 何か急用?」

「……そうか。いや、それなら良い。犬飼にもよろしく伝えてくれ」

 

 だが鳩原にも都合があるという事を知るとライはそれ以上深く聞こうとはしなかった。師弟やチームメイトと暮らす時間がいかに大切であるかは彼も重々理解している。何よりライが抱いていた疑問は確信がないものだ。ならばここでこれ以上首を突っ込む必要はないだろうと結論に至った。

 

「うん。わかった。ありがとうね」

「さてと。んじゃ、邪魔者たちは退散するとすっかね」

「そうだね。じゃあね二人とも」

 

 師弟の時間を邪魔するほど野暮ではない。当真が踵を返すとライも彼に続いてその場を後にした。

 

「久しぶりだね。鳩原先輩に見てもらうなんて」

「うん。——ごめん、ユズル。ちょっと待ってて」

「えっ?」

 

 ようやく訓練を見てもらえるとユズルの声が明るくなると、鳩原は何かを思い至ったのか、ユズルに一言そう告げると当真たちの後を追うように走り出す。突然の出来事に絵馬はその意図が読めず、ただ彼女の背中を見送るのだった。

 

「当真君。紅月君」

「おっ?」

「鳩原? どうしたんだ?」

 

 先ほど会話したばかりの鳩原に呼び止められ、二人は足を止める。

 彼らが振り返ったのを確認して鳩原は口を開いた。

 

「……ユズルは、本当に才能がある子なんだ。あたしの弟子なんかには勿体ないくらいに。だから、これからも、よろしくね」

「よろしくも何もお前の弟子だろ。何で俺らに言うんだ」

「まあ同級生の頼みとなれば力になるよ。鳩原がいない時とかには積極的に声をかけるようにするさ」

「まっ、それくらいならいいか。俺も一応クラスメイトだし。気が向いたら練習くらいには付き合ってやるよ」

 

 鳩原の願いにライはあっさりと、当真は渋々とだが頷く。二人とも鳩原とは同じ年代だ。彼女の頼みとあれば面倒ごとが嫌いな当真もそう強く否定する事はしなかった。

 

「うん。お願い」

「用件はそれだけか? ならさっさと戻ってやれよ。可愛い弟子が待ってるぞ?」

「ああ。夜は犬飼のお祝いもあるんだろう? なら今は絵馬との時間を大切にしてくれ」

「そう、だね。ごめんね、わざわざ」

「謝るような事じゃねーだろ。じゃあな」

「うん。それじゃあ、またね」

「……うん。またね」

 

 依頼を引き受けた当真とライは再び体の向きを変えると、手を振って鳩原と別れる。

 彼らの背中が遠くなって行くのを見届けて、鳩原は踵を返し——

 

「     」

 

 彼女の口から小さな声で、ある言葉が発せられた。

 

「——ん?」

「おっ? どうした?」

 

 ライが突然立ち止まり、後ろを振り返る。

 だが彼が反応した時にはすでに鳩原も訓練室へと戻っており、彼の視線の先には誰もいなかった。

 

「……いや、何でもない」

 

 多分気のせいだと視線を向ける当真に告げて、ライは歩き始める。

 その場ではまだ鳩原が言ったものだと判断がつかなかったため、仕方がない事ではあったのだが、彼の中で再び一つ疑問が影を落としていた。

 

 

————

 

 

 狙撃手訓練翌日の早朝。

 まだ寝ている者も多いであろう時間帯に、ライは警戒区域内を歩き回っていた。

 

『——ライ先輩。時間です』

「ん? もう時間か。わかった、じゃあ次の部隊に引き継いで作戦室に戻るよ。瑠花も朝早くからお疲れ様」

『はい。お疲れ様でした』

 

 仕事である防衛任務のパトロールである。今日はライが単独でその役を請け負っていた。

 紅月隊という一部隊として託されたとはいえ、一人で地域を任されたという事は戦力としての期待も含まれているのだろう。

 もっとも今回は襲撃が起こらなかったため実に平和な見回りであった。ライは手早く次の部隊へと引継ぎを済ませると、足早に作戦室へと戻っていく。

 

「お疲れ様」

「お疲れ様でした。今日は何事もなくてよかったです」

 

 作戦室に戻ったライを瑠花が笑顔で出迎えた。その笑みで幾分か気が軽くなったような感覚を覚える。

 

「そうだね。とはいえ朝早くから申し訳なかったな。瑠花も学校があっただろう?」

「いえ。公欠届は出してますし、途中からはいけますから大丈夫です」

「そっか。すまないな」

「いいえ」

 

 ボーダーに入隊している隊員は任務がある日は公欠届を出すことが認められていた。そのためこのような学業がある日の任務も支障なく行う事ができる。もちろんその分多少勉学に遅れる可能性もあるが、彼女のような真面目な性格ならばそれほど大きな問題ではなかった。

 

「さて。それじゃあ朝食の準備としようか。瑠花も食べていくかい?」

「いいんですか?」

「もちろん。ちょっと待っててね。先にカフェオレでもいれようか」

 

 もうお腹もすいてくるころだ。瑠花もライのお言葉に甘えようと頷くと、ライはさっそくカフェオレを作り始めると、慣れた手つきで瑠花の前にカフェオレの入ったコップを置いた。

 

「ありがとうございます。私も何か手伝いましょうか?」

「大丈夫だよ。瑠花は学校もあるんだからゆっくりしていてくれ」

 

 ライはフリーの身であるため、率先して動こうとする瑠花を制して朝食の準備へと移る。

 こういうところは相変わらずだなあと思いながら、しかし瑠花は時折無言で宙を見つめる彼の変化に気づき、首を傾げた。

 

「ライ先輩。何か考え事ですか?」

「えっ? ——そう見えたかい?」

「はい。少し、心ここにあらずというように見えたので」

 

 指摘されたライは「まいったな」と頬をかく。集中していないわけではないのだが、そのように指摘されるという事はやはり心が疑問に思っていた事にとらわれていたのだろう。

 

「ちょっと、昨日から考えていたことがあってね」

「何かあったんですか?」

「いや、そんな具体的な事があったわけじゃないんだ。ただ、知り合いの様子が妙に見えてね。上手く表現できないけど、その人の言動を見て何か変な感じがしたんだ」

「変な感じですか?」

「違和感とはまた違う、変わった感じでね。自分でもそれが何なのかよくわからなくてちょっと考えていたんだ」

 

 このまま自分の中で考えていても仕方がないと考え、ライは少し内容をぼかしつつ瑠花に悩みの種を打ち明けた。人と話す事で新たな視点が生まれる事もある。そう考えて話を続ける。

 

「違和感とは違う、ですか。何かその人らしからぬ行動だったとか?」

「うーん。そういうわけではないかな。色々あったけど、それなら真っ先に気づくはずだし」

「じゃあ何でしょう。誰かに似ているとか、どこかで見た覚えがあるとかそういう感じでしょうか?」

「……見た覚えがある。なるほど。既視感のようなものか」

 

 一理あるなと卵を焼きつつライは頷いた。

 体験したような覚えがあり、その記憶が薄れているようなものならばそれを刺激されて鳩原の姿と類似点を見出すというのは考えられる事だ。

 

(だが、そうだとしても一体何だというんだ。それに昨日のあの言葉——)

 

 一つの考えとして認めるも答えに直結はしなかった。

 何よりも彼が一番気にしていたのは彼が狙撃訓練の後、彼の耳にわずかに聞き及んだある一言。

 

『さようなら』

 

 別れを意味する言葉にライは一抹の不安を抱いている。

 

(あれは鳩原が言ったものだったのか? 直前までに告げていた彼女の発言とはわずかにニュアンスが違う)

 

 それまで鳩原は当真達と別れる際には「またね」と軽い調子で話して去っていたのに。

 深く考える必要はない事かもしれないが、なぜかライはその流れが引っ掛かっていた。

 

(それも既視感だというのか? だとしたら、一体どこで……)

 

 確かに既視感であるというのならばここまで自分が疑問を抱くのも納得がいく。

 それならば一体いつ見た覚えが、聞いた覚えがあるのかとライは考えをめぐらした。

 

(調子はよく割り切ったような様子でもあった。投げやりというわけではなく、何か覚悟を決めたようにも見えた。そして、あの別れを示すかのような発言——)

 

 思い出せないならば最近の事ではないはず。ライは次々と情報を整理しつつ、記憶をたどっていき——

 

《ありがとう。さよならだ》

 

 ライはそれが、かつて何度も、何人もの大切な人との別れを告げた自分の姿と酷似していたのだと気づいた。

 

「まさか……」

 

 ありえない、と否定するのは簡単だ。

 しかし鳩原の性格や彼女の言動、これまでの出来事がその答えこそが最も妥当であると判断に至る。

 鳩原の姿が、自分が存在する世界を去ろうとしたかつてのライ自身と酷似しているという答えに。

 

「——瑠花!」

「はい?」

「すまない、朝食は中止だ! 今すぐ調べてほしい事がある! 二宮隊に所属する鳩原未来のここ一週間のボーダー内での動向を探ってくれ。できるか!?」

 

 ライらしからぬ激しい声色に瑠花もただ事ではない事態を察知し、表情を引き締めた。彼も自分の命令が如何に無茶な事であるかは理解している。米屋からA級になった事で隊員の動向やトリガー使用の有無を調査する事が可能になったとは聞いているものの、それは特定の出来事に限定するからこそできるもの。ライが発言したように数日分の調査となれば一人でそう簡単にできることではなかった。

 

「……わかりました。任せてください」

 

 それでも瑠花は特に理由も聞かずに即座に頷き動き出す。

 

「大丈夫です。つい最近まで中央オペレーターとして働いていたんですから」

 

 今回のようにボーダー本部内全体で起こった事に関する事ならば、彼女の経験が活きるというもの。早速瑠花はパソコンの前に移動し、作業を開始した。

 

「ありがとう。頼む」

 

 事情も聴かずにすぐ動きだしてくれる姿に感謝しつつ、ライも次の手を打つ。

 ポケットから携帯端末を取り出すとある人物へと電話をかけるのだった。

 

「——もしもし。朝早くにすみません、紅月ライです。突然で申し訳ありません、大至急紅月隊の作戦室に来てください。あなたの力が必要なんです」

 

 呼び出す理由を説明する時間も惜しい。

 ライは事の重さを示すべく早口で、語気を強めて電話先の相手に協力を要請した。

 

(外れであるならばいい。だが、もしも本当だったならば——)

 

 止めなければならない。

 おそらく今の自分の考えが正しいのならば、どのような形であるかは不明だが鳩原はありとあらゆるものを犠牲にしようとしている。

 ——かつてのライのように。

 それだけは駄目だと、ライは携帯端末を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 未来の分岐点まで およそ600秒。



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ターニングポイント

 中央オペレーターとして、紅月隊のオペレーターとして経験を積んできた瑠花の動きは実に慣れたものだった。

 突然の事態にも関わらず淡々とキーボードへ入力を行いモニターを操作する。

 ボーダー内への入館記録、トリガーの使用記録、書類申請の記録などありとあらゆるデータから鳩原未来がここ数日のうちに起こした一連の行動を探っていった。

 

「——ライ先輩。気になるデータがありました」

「なんだ?」

 

 そしてその途中で引っかかる記録を探し出し、彼女の指が止まる。呼ばれるがままライは画面をのぞき込むと、それは鳩原が申請したトリガーの貸出履歴だった。

 

「数日前、鳩原隊員が新たに三つのトリガーの貸出申請を行ったようです。目的は新たなトリガーの試適、および指導となっています」

「三つ?」

「はい。私もその数は多いと考えます」

 

 二人が疑問を抱いたのは鳩原が借りたというトリガーの数だ。

 そもそも別のトリガーを試したいというのならば既存のトリガーを調整すればいいだけの事。仮に誰かに教えるのだとしても三つは多い。自分のもの、その弟子のものと考えても用意するのは一つを共有すれば事足りるし、多くても二つで十分なはずだ。新たに弟子をとったという事もありえなくはないが、彼女の性格と昨日の絵馬との会話から可能性は限りなく低かった。

 しかしながら鳩原は新たに三つのトリガーを借りているという。確かに違和感を抱くには十分なものだった。

 

(という事はおそらくトリガー貸出の目的は嘘だな。別な理由で三つのトリガーを持ち出した。その前提で考えなおしたならば、昨日の鳩原の様子は——!)

 

 そしてその仮定の上で考えた結果、ライは一つの答えに思い至る。

 鳩原が三つのトリガーを別の誰かに渡そうとしているのではないかと。そしてまるで別れを思わすような昨日の発言を照らし合わせるならば、その誰かたちとともにこの世界を去り、近界(ネイバーフッド)へ赴こうとしているのではないかと。

 

(遠征の夢が断たれた今ならばこの考えが一番妥当と言える。だとしたらマズい! 昨日が彼女にとって決意の時だったならばおそらくそれを実行するタイミングは——今日の朝)

 

 同年代の隊員たち、弟子、そしてチームメイトとの会話が旅立つ前の最後の別れであった可能性が高かった。

 余計にライは何故鳩原の様子に異変を感じ取っていたのかを理解する。彼女の様子が、しようとしている事はまさにかつての自分と同じだったのだから。

 もしもライの考えが正しいとしたら、鳩原が去るとするならば一番都合がいいのは今日の朝という事になる。別れを告げ、改めて覚悟を決めるために時間を少し置き、その相手に悟られないうちに人通りが少ない時間を選ぶはずだ。ライもそうしたように。

 

「……瑠花。引き続きそのトリガーの現在地を探ってくれ! もしもトリガーが起動されたならばレーダーで探れるはずだ。急いで!」

「わかりました!」

 

 指示を出せばすぐに瑠花は期待に応えてくれる。

 急がねばマズい。

 ライは最悪鳩原が命を絶つのではないかという最悪の予想も立てていた。その考えが外れたのは不幸中の幸いだが、それでもやはり鳩原が近界(ネイバーフッド)への密航を企んでいるというのならば止めなければならない。

 全てを犠牲に、我が身さえ犠牲にしようとしてでも目的を達成しようとしたものがどのような結末を辿るのかは、彼が痛いほど良く知っていたから。

 だから早く行動を起こしたかったものの、トリガーの使用履歴は見つからず、現在もトリガーを起動していないのかレーダーにその場所が表示される事はなかった。

 

「くそっ!」

 

 焦りばかりが浮かび上がる。時間はおそらくもうないはず。下手すればすでに時間切れなのかもしれないのに。

 どうにかしなければとライが考えをめぐらせていると——

 

「——来たか」

 

 ライの携帯端末が一つのメッセージを受信する。それは彼が要請した協力者の到着を告げるものだった。

 

 

 

 

 未来の分岐点まで およそ320秒。

 

 

 

————

 

 

 時間は少しさかのぼる。ライが次の防衛任務の部隊と交代を果たした少し後の事。

 会議室にA級部隊の隊長である風間が城戸司令に呼び出されていた。

 部屋の中には彼ら二人の姿しかない。風間は簡潔にこの招集の要請を問い、その返答を聞くと信じられないと首をかしげる。

 

「——それは本当ですか?」

「ああ。先ほど通信室より連絡があった。紅月隊のオペレーターが本部の監視カメラの記録や各種手続きの記録を調査していると」

 

 確かにA級になった紅月隊には有事の際に素早く対応できるようにと調査する権利は与えられていた。時が時だったならば今回の彼らの行動は何も指摘される事さえなかっただろう。

 

「ここ数日は特に近界民(ネイバー)からの侵攻が激しかったわけでもなく、今日の彼らの防衛任務でもそういった報告は受けていない。これは彼らが持つ特権の範囲を超えたものと言える。率直に言えば、紅月隊長がA級の特権を乱用し、何かを企んでいる可能性も否定しきれない」

「つまり紅月を捕縛せよという事ですか」

「いや、そこまでは言わない。だがこれを見過ごすわけにもいくまい。君は今から部隊を連れ、紅月隊長およびオペレーターの忍田隊員をこちらへと連れてきてもらいたい。この理由を彼らの口から聞きたいと思う」

 

 だが今は違った。ここしばらくは平和な時が続いている。異変が見られたという知らせも現状では届いていなかった。

 よって城戸は彼らの行動が与えられた権利の範疇を超えており、見過ごすことは出来ないと結論を出す。

 

「その調査の理由が正当なものであるというのならばこちらが引き継ごう。だがそうでないならば、あるいはこちらの指示に反するというのならば——」

「わかりました。直ちに部隊を率いて紅月隊の作戦室へ向かいます」 

 

 それ以上の言葉は不要だと風間は城戸の思惑を読み取ってそう答えた。

 おそらく城戸はライがボーダーにとって不都合な情報を探っている可能性も考慮して今回の招集を講じたのだろう。

 風間もライと少なからず親交があるだけに彼がそのような事をするわけがないと思いつつ、だからこそ彼が弁明の機会を与えられるようにと足早に作戦室を後にするのだった。

 

 

————

 

 

 

 そして風間は一度部隊の作戦室に戻ると、部下の歌川と菊地原を連れて紅月隊の作戦室へ向かった。

 

「チェッ。なんでこんな面倒な事を僕たちまで」

「無駄口をたたくな。これも任務だ」

「はあ。わかってますよ」

 

 小言をぼやく菊地原には風間が軽く注意を入れる。菊地原も命令とあらば従う隊員であるためそれ以上文句を続ける事はしなかった。

 

「ですが一体どうしたんでしょう? 紅月先輩がこのような疑われかねない事をするとは考えにくいですが」

「確かにな。何かしら感じ取ったものがあるのかもしれないが、それにしても上への報告をしなかった理由がわからない」

 

 一方、歌川は今回の対象であるライの行動原理が理解できず疑問を呈する。

 確かにこれは風間も報告を聞いた時から考えた事だった。

 何かしら調査したい、しなければならない事があったのだろうが、今回のような平常時にボーダー本部全体を調べるとなればそれは個人の範疇を超えたものであるという事は明白だ。疑念があるならば城戸司令や忍田本部長に話を通すのが筋なはず。

 

(もしも紅月の行動が正しいものであるとするならば、あいつが上に話を通すのが不都合だと考えた。あるいはそれでは意味がないと考えたという事になるが)

 

 そうしなければならない事態だとするならばそれが何なのかが想像できない。

 

(いずれにせよ、話は紅月達を城戸司令の元へと連れて行ってからだな)

 

 ならばもう本人に聞くしかなかった。

 そう考えているうちに風間たちは紅月隊の作戦室の前へとたどり着く。

 

「歌川、菊地原。俺が二人を連れてくる。ここで待機していろ。ありえないと思うが、万が一紅月がボーダーに刃を向ける気があるというのならば、わかっているな?」

「——はい」

「わかってますよ」

 

 風間が告げる最悪の想定に、歌川は重々しく、菊地原は飄々と頷いた。

 二人の様子を確認して風間が一人歩みを進める。

 ライ達が今も作業を続ける作戦室の扉へと手をかけて——

 

「おーい。ちょっと待ってくれないかな、風間さん」

 

 その風間に待ったをかける声が突如現れた。

 

「……迅?」

「迅さん!?」

「えっ。なんで本部にいるの?」

 

 横から呼びかけたのは迅である。本来本部にはいないはずの玉狛支部所属である彼がここにいるという事実に三人とも反応の大小はあれ驚きを隠せなかった。

 

「ちょっと紅月君に呼び出されちゃってね。火急の用事という事で急いで駆け付けたんだ。彼には約束もあるしね」

 

 迅はかつてライと交わした二人の約束を思い返しながらそう説明する。しかしライからの呼び出しという話を聞き、風間の視線は鋭さを増した。

 

「……呼び出しだと? どういう事だ。お前は何か聞いているのか?」

 

 いつものようにはぐらかす事は許さないという強い気迫が迅に当てられる。

 思わず迅は二、三歩後退しながらも風間をなだめるべく話を続けた。

 

「俺はとにかく来てくれって話を聞いただけだよ。まあでも、少なくとも彼がボーダーに敵対する気はないという事は保証しよう」

「……何か見えたのか?」

「うん。ちょっとだけどね。俺がしばらく本部にこない間にちょっとよくない未来が現れたみたいだ」

 

 上層部も頼りにしているという迅の副作用を知っているからこそ、風間は余計な口出しはせず、静かに彼の説明に耳を傾ける。迅も風間が聞く気はある事を悟ると彼を納得させようと説得を続けた。

 

「ここが重要な分岐点なんだ。今彼を止めるとボーダーの中で悲しむ人が増える」

 

 まだ迅もどのような事が起きるのかはっきりとした事はわからない。

 だがA級B級と数多くの人物たちに影響を及ぼすであろう事件が起こる事を予知し、警鐘を鳴らした。

 

「だからちょっと待ってくれないか?」

「ッ——」

 

 風間はライの事も迅の事も認めている。だからこそそう簡単に返答を下すことは出来なかった。

 そして彼らが問答を続けている間に、突如作戦室の扉が開かれる。

 

「いた! 迅さん!」

「おっ。噂をすれば」

「紅月」

 

 中から姿を現したのは話の中心であるライだった。

 

「迅さん、大至急お願いします」

「ん? いきなりだな、なんだい?」

 

 部屋から出るや、ライは迅に迫ると口早に要件を伝える。

 

「今から僕は二宮隊・鳩原を追跡します。だから、今から僕が向かうであろう未来の居場所をすぐに瑠花へ教えてください」

「ハッ?」

 

 どういう意味だと、迅が、風間たちが言葉を失った。

 鳩原の追跡というがその真意が読めず、呼び出された迅でさえ二の句が継げずに——

 

「……まじか」

 

 瞬間、迅の副作用が発動した。彼の目には確かにライの言う通りにライや風間たちがある場所へと向かう未来が映し出される。そしてその未来の行方はまだ決まっていなかった。

 

「そういう事か」

 

 ようやく迅はライが自分を呼んだ理由を理解する。

 迅の未来予知は近ければ近いほど、確定的なものであればあるほどその正確性を増す。たとえばその出来事がどこで起こるのかさえもわかるほどに。

 ゆえにライは未だにはっきりとしない現場の場所を特定するために迅を呼んだのだ。

 事実、迅がこの場に現れた事で未来は大きく動いた。ライへ場所を教える事でさらに未来の行方は変わるだろう。

 しかし。

 

「だがちょっと待ってくれ紅月君」

 

 そう簡単に教えるわけにはいかなかった。ここは本当に大切な分岐点だ。そう簡単に迅が一人で答えをだせるものではない。

 

「君のこれからの行動は、君自身の今後にも影響しかねないぞ。今ここで止まれば——」

 

 忠告を告げる迅だが、ライはそんな彼の肩をつかむと自分の方へ力強く引き寄せた。

 

「そのように考えている時間も惜しい! 迅さん、僕に協力するのかしないのか、どっちだ!?」

 

 ライらしからぬ迫力に迅は気圧される。

 反論は出来なかった。迅もこの未来に介入する余地がほとんどないと読み取っている。

 だから、彼の叫びを受けてそれ以上いさめる事は出来なかった。

 

「……わかった。すぐに瑠花ちゃんに教えよう。マップを見ればすぐに場所を特定できるはずだ」

「お願いします」

「おう。任せとけ。手取り尻取り教えておくから安心して」

「指一本でも触れようとしたら殺します!」

「えっ? 触れようとしただけでも駄目?」

 

 軽い冗談を挟みつつ、迅は協力に応じる。

 これでまず重要なキーパーソンは確保できた。

 後はもう一つの方だと、ライは風間たちの方へと向き直る。

 

「風間隊の方々。今話した通りです。僕はこれより鳩原隊員を追跡します。もしも僕の行動がボーダーに害だと考えたならばその場で斬ってもらって構いません。どうかこの場は力を貸してくれませんか?」

 

 語気を強めてそういった。

 聡い彼の事だ。風間たちがこの場に現れた理由もすでに察しているのだろう。

 

「……いいだろう。ならばすぐに向かうぞ」

 

 風間は二つ返事で快諾するのだった。

 

 

 

 未来の分岐点まで およそ100秒。

 

 

————

 

 

「鳩原が近界(ネイバーフッド)への密航を企んでいるというのか?」

「可能性の段階ですが。しかし彼女は自身のトリガーとは別に三つのトリガーを所持しています。しかもそのトリガーは現在行方不明。そのトリガーを共に密航しようとしている仲間に渡している可能性は否定できません」

「考えにくい事ですが、遠征へ強い意欲があった鳩原先輩ならばショックでそのような行動を取りかねないとも思いますね」

「えー。でもそれ相手素人ってことじゃないの? 滅茶苦茶じゃん」

 

 ボーダー本部の廊下を走りながら、ライは風間隊の3人へ簡潔に鳩原の行動について説明した。遠征から外れた衝撃から強行策をとるという考えは確かにありえなくはない。だがあまりにも無謀であるとしか思えなかった。

 

「いずれにせよ、もしも本当ならば止めねばなりません」

『ライ先輩! 場所を特定しました! マップに表示します!』

「ありがとう! ——風間さんたち、止まって。走っては間に合わないかもしれません。跳びましょう!」

 

 話の途中、瑠花からの交信がつながる。それはまさにライが待ち望んでいた報告だった。

 迅が未来予知で見た場所はボーダー本部からは遠い。ここからではトリオン体で急いでも2,3分は要するだろう。

 ならばとライは三人を呼び止めると、地面に左手をつけてトリガーを起動した。

 

「エスクード!」

 

 すると地面から巨大な壁が角度をつけてせり上がる。四人はその壁の勢いを利用して空高く飛び上がった。

 

「うっ! 本当に飛んでる!」

「あくまでもこれは跳躍の範疇だよ、歌川。それより風間さん、さすがに一度ではたどり着けません。着地後、再びエスクードを展開。さらに加速します!」

「わかった。二人とも、心の準備だけはしておけ」

 

 初めてのエスクードジャンプに歌川が新鮮な反応を示す中、風間やライは冷静に次の動きについて思案する。

 確かにエスクードカタパルトは強力な移動手段だがあくまでも跳躍だ。何度か乗り継ぎで向かうしかない。

 とにかく今は少しでも早く移動するしかないとライは次のトリガー起動に備えて——

 

『ライ先輩!』

 

 瑠花の叫びのような通信がトリオン体に響き渡った。

 

「どうした?」

『それが、目標地点に今(ゲート)が出現しました。同時に、(ゲート)の付近に鳩原隊員のトリオン体反応および所属不明のトリオン体反応が三つ出現しています!』

「なんだと?」

「……では紅月先輩の言う通り!?」

 

 おそらく一番聞きたくなかった、信じたくない報告だった。

 鳩原および見知らぬトリオン体の反応。ライの考えが最悪の形で的中したという事である。

 

「てかこれやばくない? 間に合わないじゃん」

 

 何よりもタイミングが悪かった。菊地原の言う通り、まだ門が出現した場所までは距離がある。このままではどう考えても間に合わない。

 

「……とにかく急ぐ!」

 

 いずれにせよやることに変わりはなかった。ライは地面に着地するやもう一度エスクードを起動する。四人の体は再び宙に飛び上がった。

 

「だが菊地原の言う通りだな。これは、間に合わん」

『……ライ先輩。正体不明のトリオン体反応のうち二つの反応が消失しました。門の中を潜ったと思われます』

「——っ!」

 

 とはいえ時間が圧倒的に足りなかった。

 風間の言葉を肯定するように、瑠花からすでに二人の人物が門を通って姿を消したという知らせが入る。

 思わずライは唇をかみしめた。

 上空に飛び上がった事でようやく目標地点が目に入ったが、まだここからでは500メートルは距離があり人影すら見えないほどだ。どう考えても間に合わなかった。

 

 

「——まだだ」

 

 だがそう簡単には諦められない。

 菊地原の言う通り、鳩原以外は素人であるというのならば、鳩原さえ止めてしまえば他の三人は引き返す可能性だってある。

 ならばなおの事余計にここで鳩原を止める必要があった。

 もうあらゆるものを犠牲にする手段を認めるわけにはいかない。ましてそれを、日本人(彼が取り戻そうとした人々)にやらせるなど——!

 

「瑠花! 鳩原の位置を教えてくれ!」

 

 即座にライは瑠花へ指示を飛ばした。叫ぶや否や、即座に鳩原の詳細な位置がライの視界に表示される。

 

「イーグレット、起動!」

 

 そしてライは右手に彼の得意とする武器の一つ、イーグレットを展開するや狙撃の構えを取り、スコープをのぞき込んだ。

 

 

 

 未来の分岐点まで あと8秒。

 

 

「ちょっと! 何してんの!?」

「黙って!」

 

 突如空中で武器を起動したライを不審に思ったのだろう。菊地原が苦言を呈すると、ライは声を張り上げて彼の言葉を遮った。

 ただでさえバランスが取れない空中の上に、エスクードで加速がついたために照準が定まらない。銃どころか体全体が揺れ動くせいで狙撃する事さえ難しかった。

 

(集中しろ! この一発ですべてが決まる!)

 

 そうでなくても連射が利かない狙撃手用トリガーだ。この機会を逃せば間違いなく未来は変えられないだろう。

 ライは腕の力で強引にイーグレットを押さえつつ照準器をのぞき込み、標的を探し続けて——十字線に目標が重なったと同時に、引き金を引く。

 

「行くな、鳩原!」

 

 未来の行く末がかかった銃弾が、撃ち放たれた。

 

 

 

 未来の分岐点まで あと2秒。

 

 

 

————

 

 

 

「どうしたの、鳩原さん? 二人はもう先に行ったよ」

「……あっ。はい、わかっています」

 

 明るい髪色の男性に呼び止められ、鳩原は踵を返す。

 彼女たちの目前には(ゲート)が出現していた。

 これを潜れば近界(ネイバーフッド)へ行ける。そして、無事に上手く事が運んだとしてもしばらくの間この地へ帰ってくる事はないだろう。

 まだ未練があったためか、そう簡単にすぐ足を進めることは出来なかった。

 今一度、鳩原はボーダー本部がある方向へ向き直るとぎこちない笑みを浮かべる。

 

「ごめんね、みんな。こんなあたしで、ごめんね」

 

 もう何度目になるのかさえわからない謝罪を口にした。

 こんな事になっては誰もが怒るだろう。わかっていたけれど、それでも鳩原は自分の目標である弟の救出を何としても果たしたかった。その協力をするという男の誘いを断る事はできなかった。

 

「——行きましょう」

「ああ。行こう」

 

 今度こそ大丈夫だと、鳩原は意識を切り替える。

 もう会う事はないかもしれないボーダーの人々の顔が脳裏をよぎって、鳩原は静かに目をつむり——

 

「ッ!?」

 

 一発の銃弾が、彼女の頭部を撃ち抜いた。

 

 

 

 未来の分岐点まで あと0秒。

 

 

 

「えっ——?」

「鳩原さん!?」

 

 一体何が起こったのか鳩原も近くの男も理解できない。

 

『戦闘体活動限界』

「……イヤ。待って」

 

 機械音だけが冷静に、淡々と事実を告げた。

 「ヤメテ」と精一杯手を門に伸ばすけれど、彼女の手は門に届くことなくトリオン体に罅が生じる。

 

緊急脱出(ベイルアウト)

 

 彼女の手はむなしく宙をつかんだ。直後トリオン体が完全に崩壊し、鳩原のトリオン体は光の筋を残してその場を飛び去って行った。

 

 

 

 

————

 

 

 

「……消えた」

『門の反応消失。新たに出現する様子はありません』

「そうか。結局正体不明の3人は鳩原抜きでも密航を決行したのか」

 

 残念だと、ライは口ずさむ。

 鳩原を止めたものの、残る一人も門を潜り抜け近界(ネイバーフッド)へと向かってしまった。

 門が閉じてしまった以上これ以上の追跡は不可能である。ライは悔しさのあまり拳を握りしめた。

 

「……紅月」

 

 そんな彼を呼んだのは風間だ。ライはその声に応じ、ゆっくりと振り返った。

 

「これから俺達は城戸司令のもとへ報告に行く。お前にもついてきてもらうぞ。聞きたい事が山ほどあるのでな」

「はい。わかっています」

 

 淡々と風間の要請に応じる。

 もはや未来は確定した。後はこの未来を辿っていくだけである。

 

 

————

 

 

 同時刻、二宮隊作戦室。

 本来ならば今日はまだ誰もいないはずの作戦室の緊急脱出用のマットに鳩原の姿があった。

 

「……どうして?」

 

 疑問があまりにも多すぎて言葉に詰まる。多すぎて、鳩原は感情の整理がつかず涙を浮かべて暗い天井をただ眺め続けた。

 

「やあ鳩原ちゃん。ちょっと失礼」

 

 だが、そんな沈黙は許さないと作戦室の扉が開かれる。

 入って来たのは迅悠一。彼は飄々とした態度のまま、鳩原の返事を待たずに言葉を続けた。

 

「君も聞きたい事があるだろうけど、その前に俺と一緒に来てくれないかな? 君にはその義務がある」

 

 丁寧な口調だが有無を言わさぬ圧力が言葉の裏に感じ取れる。

 そもそも違反を犯した自分に反論の機会などあるはずもなかった。

 

「……はい」

 

 鳩原は力なく頷く。もはや精根尽き果てていた。




女の子を止める事に定評のあるライ。というわけで(鳩原)未来の分岐点でした。
17話・未来から始まった迅との交流がようやく活きた回となりました。


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罪と罰①

「風間さん。一つ、お願いがあります」

「どうした?」

 

 本部に戻る途中、ライは先行する風間を呼び話を切りだした。

 

「城戸司令達への説明は自分が行います。事情はすべて僕が把握しているため情報の共有は僕一人がいれば十分でしょう。ですからこちらのオペレーター、瑠花を送り出しても構わないでしょうか?」

 

 内容は今回の行動をサポートしてくれた瑠花を学校へ送り出す事の許可を求める事。

 今日は平日であるため中学生である彼女も学校がある。もともと防衛任務が終わった後は登校する予定だったのだ。

 だからこそ彼女がこれ以上ボーダーの仕事に縛られる必要はないと彼は言う。

 確かにライの言う通り隊長の彼さえいれば済む話だ。トリガーの記録も残っている以上、オペレーターから話を聞く意義は薄い。何よりも学校生活を優先して構わないというボーダーの方針上、彼の言う通り学生である彼女は先に登校を促した方が無難だと風間は結論付けた。

 

「いいだろう。その代わりお前には余計に事情を聴く事が増えるだろうが、構わないな?」

「もちろんです。では」

 

 風間の許可を得てライは瑠花へ通信をつなぐ。

 朝食が中断になったこと、突然の活動に対して謝罪を述べ、瑠花を登校するようにと促したのだった。

 

(……これでいい。ここから先は、彼女が関わらない方が良い)

 

 その心中に、瑠花をこの先に行われる会議から遠ざけた真意を隠しながら。

 

 

————

 

 

 会議室にはボーダー上層部の人間が勢ぞろいしていた。

 城戸司令以下、根付・鬼怒田・唐沢・忍田・林藤とボーダーの中核を担う人間が集まっている。さらに彼らの他には風間と迅、そしてライと鳩原が招集されており、彼らの視線は一人の隊員・鳩原未来へと集中していた。

 

「——つまり、その雨取麟児という男の主導の下、君を含めた4人で近界(ネイバーフッド)への密航を図ったという事かね?」

「はい。あたしが直接会ったのはその麟児さんだけです。他の二人についてはよく知りません。彼が情報収集と人手を集めて、そしてあたしが全員分のトリガーを集める事を担当しました」

 

 城戸が確認のために問い返すと、鳩原は小さく頷く。

 雨取麟児(あまとりりんじ)。鳩原の口から首謀者の名前が挙げられた。

 風間隊から密航の話を聞いたときは城戸司令達は鳩原がこの計画を企てたのだと考えたのだが、彼らの予想に反して密航を企んだのは一般市民であり、鳩原はあくまでも協力者の立場であったと彼女は語る。

 

(ゲート)の出現場所、時間をあらかじめ分析していたようで。——前から話はあり断っていたのですが、事情が変わったため(・・・・・・・・・)あたしは彼に協力を申し出ました」

 

 しかも計画そのものはここ数日の話ではなく鳩原が遠征の資格を取り消される前からあったのだと彼女は言った。

 確かにこれほど大掛かりな作戦は綿密な準備が必要となるだろう。

 

「まさか(ゲート)の出現まで予見しておるとはな。その男、用意周到な人物と見える」

 

 とはいえボーダー本部でも予想が難しい門の出現位置を彼らよりも早く、正確に予想する事は簡単なことではなかった。専門家である鬼怒田でさえ雨取の知略には一目置いている。

 

「いずれにせよ前代未聞ですよ。一般人にトリガーを横流しにするなど! とてもではありませんが、看過できませんねえ」

 

 そしてその作戦に協力した鳩原に糾弾の目が向けられた。

 根付の厳しい指摘を受け、鳩原の体がビクッと震え上がる。たしかに密航以前の問題でトリガーを横流ししたという時点で大罪だ。ボーダーの技術の結晶であるトリガーを流出させたとあっては厳罰は免れないだろう。

 

「……どうなんですか、根付さん。今回の彼女に対する処罰は?」

「記憶封印措置をした上でボーダーから永久追放が妥当でしょう。今回の一件を他の隊員が真似したとなっては困りますよ。ボーダーの信用が損なわれる」

 

 唐沢から意見を求められた根付は厳しい結論を下した。

 前例のない事件だ。当然ながら処罰も罪に応じて大きくなる。さすがにこればかりは防げないだろうなと他のものも同意見なのか、忍田や風間でさえ異議を唱える事はなかった。

 

「お待ちください」

 

 しかし、その意見に待ったをかける声が現れる。

 発言の主は鳩原の横で事の成り行きを見守っていたライだった。

 

「城戸司令。発言の許可を求めます。よろしいですか?」

「許可しよう。何か意見があるのかね、紅月隊長?」

「ありがとうございます。それでは、自分から」

 

 城戸の許可を得たライは一つ咳払いをしてこの空気を換えるべく話を切り出す。

 

「確かに今回の鳩原隊員の罪に関しては無罪放免というわけにはいかないでしょう。他の隊員に示しがつかない、という面から見ても根付室長の意見には同意です。そもそも本人の再犯を防ぐためにも十分な処罰が求められると考えます」

「ッ——」

「そうだろうねえ」

 

 ライからも処罰に賛同の声が上がり、鳩原は表情を歪め、根付は二、三度頷いた。やはり皆処罰を下す点に関しては同じ意見を持っている。

 

「しかし、鳩原隊員の記憶封印措置およびボーダー追放に関しては反対です」

「むっ? どうしてかね、紅月隊長?」

 

 だがライが根付の処罰に関して反対の意見を呈した事で場の流れは変わった。

 

「メリットよりもデメリットの方が大きすぎると考えました。メリットに関しては根付室長の言う通りでしょう。しかしそれによって生じるデメリットがあまりにも大きすぎます」

「……ふむ。では、君が考える鳩原隊員を追放する事で生じるデメリットとは何かね?」

 

 何か感づいたのだろうか。唐沢は興味深そうに小さく笑って話の先を促す。

 

「一つは単純に戦力としての喪失です。鳩原隊員の狙撃の腕は狙撃手界のみならずボーダー全員が知るほど長けている。彼女ほどの腕利きがボーダーを去るとなれば大きな痛手でしょう」

「それくらいは私だって承知の上だ。しかし、腕があるからと言って処罰が甘くなってはまずいんだよ。実力さえあれば問題はないのかと不満がでかねない」

 

 反対意見を受けても根付は「それがどうしたのだ」と態度を崩さなかった。

 ボーダーを運営する身として引き下がれないのだろう。

 真っ向から否定され、しかしライの口はなおも止まらなかった。

 

「ええ。確かに本来ならばそうでしょう。——では今の話を前提の上で二点目のデメリット。その彼女が、敵の戦力となってしまう可能性については?」

「はっ!?」

「なに!?」

「……ほう」

 

 続けられたライの言葉に根付はもちろんその場にいるほとんどのものが驚愕の色に染まる。

 一体どういう意味だと皆の注目がライに集まった。一気に話の流れが変わった事を肌で感じ取り、ライはわずかに口角を上げる。

 

「もしも記憶封印措置を施し、追放となれば当然彼女は無力な一般市民となるでしょう。しかし、一つ疑問があります。果たして本来鳩原隊員と共に密航を試みた三人が、このまま素直に近界密航へ向かうでしょうか?」

「んー。つまり君は、彼らが鳩原隊員にもう一度接触する可能性もあるって言いたいのか?」

 

 林藤の問いにライは首を縦に振った。

 

「……確かに鳩原隊員の引き留めは彼らにとっては計算外だろう。ボーダー隊員という経験値を持つ協力者の喪失は大きな痛手だ」

「いやいや。だからどうしたというのです。相手はトリガーの経験がないんですよ? こちらのボーダー隊員が守り切るでしょう。それに仮にそうだとしても、ボーダーを追放した後となれば彼女は無力だ。そう警戒する必要はないでしょう」

 

 忍田も彼の意見を一考に値すると考える中、根付はそんな事は問題ではないと彼らの話を一蹴する。

 相手は戦闘経験のない一般人だ。鳩原もたとえ彼らと接触する機会があったとしても記憶封印措置を施した後となれば脅威になりえない。だから心配は無用だと口にした。

 

「本当にそうでしょうか? 彼らはボーダーのトリガーを持って密航したんですよ。つまり、こちらのレーダーには映らない可能性の方が高い」

「ッ!」

「バッグワームか」

「彼らが武器の意図を理解しているならば、間違いなく使うでしょう」

 

 しかし彼らが持って逃げたトリガーの存在によりそう簡単に結論を出す事はできない。

 レーダーから姿を消すバッグワーム。もしも彼らが使ったならばこれを完璧に迎え撃つ事は難しかった。

 

「……鳩原隊員。彼らが持っていったトリガーにバッグワームはついているのかね?」

「はい。基本的な装備ですので、すべてのトリガーにセットされています。一通りトリガーの説明もしたので、使う可能性はあると思います」

「そうか」

 

 鳩原が城戸の問いを肯定すると、城戸が深々と息を吐く。これで彼の想像と簡単に否定する事はできなくなった。

 

 

「鬼怒田室長のおっしゃる通り、相手はこちらよりも門について詳しい分析をしています。そんな彼らがこのままこちらの世界に関与しないと言い切る事は難しいと考えます」

「なるほど。それで君はたとえ記憶がなかろうと鳩原隊員が彼らの手に渡った場合、トリガーもある以上は向こうの戦力になってしまう可能性もあると考えたのか」

「はい。それに——」

 

 一つ間をおいてライはチラッと鳩原に視線を向けて話を再開する。

 

「もしも向こうについた鳩原隊員が、人を撃てるようになったらどうでしょうか?」

 

 続けられた言葉に誰もが目を丸くした。

 

「……どういう意味かね?」

「鳩原隊員が人を撃てない事は重々承知しています。しかしそれは果たして、今の記憶が失われた後でもそうなのでしょうか? ランク戦などでは味方であり見知った相手だからこそ抵抗があったという可能性もあります」

「それが、記憶封印措置によって変わる可能性もあると?」

「はい。加えて、近界(ネイバーフッド)で向こうにとって都合の良い記憶の措置を施される可能性も捨てきれない。そうなった場合、遠征にも選ばれるだけの力を持った隊員が丸々敵の戦力になるという可能性も否定できません」

 

 今まで人が撃てないのは相手が本来は味方である状態での話だ。

 それが事情が変わって何も見知らぬ相手となったならば。

 何よりも、敵の手によって鳩原が何のためらいもなく撃てるようになったならば。

 一度は黒トリガーにも対抗できる部隊と認定された部隊の一人だ。そんな彼女が敵対したとなってはボーダーにとって大きな負担となるだろう。

 

「待ちたまえ。そんなのは可能性の話だろう? そもそも向こう側にそれほどの技術があるとは——」

「何を仰いますか? ……目の前にその前例が実在する(・・・・・・・・・・・・・)ではありませんか。それは鬼怒田室長がよく知っているはずです」

「むっ?」

 

 根付の反論を遮り、ライは自分に手を当ててそう述べた。

 話を振られた鬼怒田は「どういう事だ」と首をひねったが、

 

「ッ!」

『あの男、すでに記憶封印処置がなされている』

『記憶の植え込みをされた形跡があった。詳しく調べなければわからない、我々の知らぬ技術でな』

「……なるほどな」

「鬼怒田室長!?」

「確かに、紅月の言う事は事実ではある」

 

 かつての自分の発言を思いだし、言葉に詰まる。

 そう。前例はあった。ライこそがその前例だ。

 ボーダーの技術を超える記憶の改竄。それを見つけたのは他でもない鬼怒田である。

 

「ああ。そういえば紅月隊長を発見した時にそのような話がありましたね。しかも、こちらの技術では治すことは不可能だったという」

「……確かに」

 

 鬼怒田だけではなく、唐沢や忍田も当時の話を思い出して納得の表情を浮かべた。

 

(これは決まったかな? こちらには彼の意見を否定するものがない。悪魔の証明となる)

 

 ライの意見を証明するものはボーダー側が示しており、逆に否定する証拠は存在しない。そもそもない事を証明すのはとても難しい事だ。ライ自身がそれを証明した今、彼の意見を覆すことは難しかった。

 

(惜しいな。相手の意見に乗りつつ、仮の例を挙げた事で話の流れを変えた。だからこそ、惜しい)

 

 この一連の空気を作ったのはライだ。互いのメリットデメリットを考慮しつつ、最後のトドメとばかりに相手がかつて指摘した証拠を挙げた。これだけの話術と計算ができる若い隊員を唐沢は評価しつつ、彼の存在を惜しむ。

 

「また、そもそも鳩原隊員がボーダーに残ったとしても同じ真似をするものが現れる可能性は極めて低いと思います」

「……どうしてかね?」

「こう言っては失礼かもしれませんが、今回の鳩原隊員の件は大失敗ですよ。前例がないからこそ警戒も薄かった。しかしながら密航には届かず結果的に一般市民に上手く利用されるだけの形になってしまった。確かにこれが成功したのならば真似もするでしょうが、彼女のような精鋭隊員が初めて行って失敗した事をやってみようと考えるでしょうか?」

「むぅ……」

 

 さらに今回の成否の結果も大きいだろうとライは付け加えた。

 A級隊員が無警戒の中、初めて行ったにもかかわらず失敗し、一人置いてきぼりになる形となってしまう。実力がある者が行っても失敗する事をもう一度やろうと考えるものは少ないだろうと。

 再犯を防ぐというメリットを考えていた根付も一理あると考えたのか考えに耽った。

 

「ならば紅月君に聞こうか。君は、今回の鳩原隊員の対応についてはどう考える?」

 

 城戸もある程度方針は決まったのだろう。そのうえで城戸は彼の思考を試すようにライへと意見を訪ねた。

 

「先も言ったように無罪放免というわけにはいかないでしょう。しかしボーダー追放とまでする必要はないと思います。今回の件は公にはせず、A級から降格したうえで個人ポイントの没収、およびしばらくの間トリガーを取り上げておく。そして今回の事件について彼女が知っている限りの事を話し、今後の捜査に協力すると約束させる事。これが最低限の処罰かと」

「……なるほど」

 

 ライも勿論今回の件についてはしっかり処罰を与えるという点には理解を示している。

 その前提の上で違反に対する処罰を与え、今回の捜査に協力させる事で彼女の罰を軽くさせようと考えていた。

 彼の意見に納得したのか、城戸は頷き大きく息を吐く。

 

「わかった。鳩原隊員の処罰については紅月君の意見も重々考慮した上で下すとしよう」

「——はい」

 

 追放は免れるかもしれない。

 鳩原にとっては大きな分岐点であるにも関わらず、鳩原は表情一つ変えることなく小さく頷くにとどまった。

 とにかく会議は重要な局面を過ぎる。これで残るは——

 

 

「では続いて、紅月隊についての処罰に関して話をさせてもらう」

 

 もう一つの議題、紅月隊の処罰に関してだ。

 話題が変わった事で場に緊張が広がる。

 

「今回の事件にあたって、紅月隊のオペレーター忍田隊員および隊長の紅月隊員がそれぞれ隊務規定違反を犯した事についてだ。一つはA級の枠を超えた隊員の調査、もう一つは訓練以外のトリガーの使用となる」

 

 その雰囲気の中、城戸は静かに淡々と事実を述べた。

 いずれも報告に上がった事で間違いはない。ライも反論はせずに静かにその言葉を受け入れていた。

 

「城戸司令、お待ちください。今回の件において、紅月およびオペレーターの行動はすべてボーダーに対し利のある事でした。紅月がいなければおそらく鳩原の密航を防ぐことはできなかったでしょう」

 

 しかしここまで静観を決め込んでいた風間が話に割って入る。

 風間も彼らの活躍を認めていた。何よりも彼らの動きが一貫して鳩原を止めるという事に専念している。そんな彼らがこのような形で処罰を受ける事があってはならないと身を乗り出した。

 

「私も同意見だ。確かに独断専行の面があった点は否定できません。しかし、それを考慮しても彼らが挙げた戦功は非常に大きなもの。そんな彼らを処罰したとなっては隊員の士気に影響しかねない」

 

 さらに忍田も風間に続いて紅月隊を庇うように席を立ち処罰に対し反論する。

 二人の言うようにライ達の活躍がなければ鳩原を止める事は出来なかっただろう。罪もあるがそれ以上の功があると彼らは語った。

 

「確かに君たちの言葉にも一理ある。しかし、私が今問題と考えているのは彼の今回の行動だけではない」

 

 風間と忍田の考えに理解を示しつつも城戸は厳しい意見を貫く。

 確かに紅月隊の今回の隊務規定違反も問題だが、それ以上に城戸はライ達のある点において強い疑念を抱いていた。

 

「紅月君。君に聞きたい事がある。噓偽りなく答えてほしい」

「……はい」

 

 今一度鋭い視線を向けられ、ライが重々しく返答する。

 紅月隊の今後がかかった問答が始まろうとしていた。



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罪と罰②

今回のお話には原作ワールドトリガー最新話のネタバレが一部含まれています。
コミックス派などの方はその点に注意して読み進めてください。


 議論の流れが鳩原からライに移った事を見届けて、迅はゆっくりと瞳を閉ざした。

 

(——ああ。やはりこうなったか)

 

 彼には未来予知の副作用(サイドエフェクト)がある。だからこそ迅はこれから先に起こる可能性が高い未来を知り、同時にその未来には自分が介入する余地がないという事を悟っていた。

 

(ここから先の流れは変えられない。変えられるとしたら当事者たちだけだ。だけど、その当事者たちの思惑が一致している)

 

 一度この未来に分岐した時点で道は決まっている。その道を辿る事は決定的である上に変えられる意志を、権利を持つ人間たちは各々の異なる都合で同じ道に進む事を望んでいた。

 だからこそここから先はどうしようもない。

 もはや自分にできる事はないのだと迅は見えているからこそ諦めもついてしまうこの優れすぎた自分の力を呪うのだった。

 

 

 

「君に確認しておきたい事がある。そもそも事の発端である、忍田隊員が鳩原隊員を調査するに至った経緯は何かな?」

 

 城戸が重々しく口を切る。

 すでに今回の一件について経緯はライや迅が説明を終えていた。ゆえに城戸には疑問が浮かんでいる。

 そもそもライがなぜ鳩原追跡を試みたのか。どうやって彼女が怪しいと考えたのか。

 

「我々の方に彼女が怪しいという情報は届いていなかった。しかしながら忍田隊員は防衛任務が終わるや否や、迷うことなく調査を進めていった。なぜ君たちはそこまで確信を抱いていたのか?」

「たしかに。鳩原隊員が協力者と密会している現場を見た、というわけでもなさそうですしねえ」

 

 この意見に根付も便乗しライへと疑問をぶつける。

 当然の疑問だろう。そもそもライ以外の隊員は誰も鳩原が密航を企てていると想像する事さえ出来なかったのだから。

 

「まさか君は、何か独自の情報ルートでも持ち合わせているのか? そもそも君が鳩原隊員を止めたのは、本当にボーダーのためだったのか?」

「城戸司令! あなたはまだ彼を疑っているのですか!」

「そう考えても仕方があるまい。それほど今回の彼らの行動は我々の理解から外れるものだった」

 

 まるでライがボーダーとは別のものの為に戦ったと言わんばかりの城戸の発言に忍田が異を唱える。だが反論を耳にしても証拠のない感情的な意見は城戸の心情を揺るがすには至らなかった。

 城戸は厳しい視線をライに向け、逃げる事は許さないと言外に語る。

 

「証拠となりうる物証や確信はありませんでした。鳩原隊員の調査を行ったのは、狙撃訓練の前後で彼女の様子に違和感を覚えたからです」

「違和感だと?」

「紅月君、嘘をつくならもう少しまともな嘘をつき給え。そのような説明で我々が納得すると思ったのかね?」

 

 当然のことながらライが正直に話しても彼の話が素直に受け入れられることはなかった。はぐらかしているのだろうと根付が言及するが、ライは意見を覆すことはしない。

 

「ですが事実です。その後、鳩原隊員がトリガーを独自に入手し、しかもいまだに一度も起動していないことから密航の恐れがある事を考慮し、迅隊員にも応援を要請しました。以降の流れは先も説明したとおりです」

 

 責められてひるむどころか臆することなくライは淡々と事実を述べた。あまりにも堂々とした態度からは彼が嘘をついている様子は感じられない。根付でさえこの言葉を否定することはしなかった。

 

「では君は、証拠もないままに独自で動き始めたという事か」

「その通りです」

 

 今一度問われ、ライは即座に肯定する。

 

「……なるほど。やはりな」

 

 その答えは予想通りだったのか、城戸は納得したように顔をうつむけ小さく息を吐いた。

 確かに報告を聞いた時に考えていたことではあったが、それが惜しく思う。

 

「ではもう一つ聞こうか。どうして鳩原隊員に違和感を抱いた時点で、それを我々に報告しなかったのかね?」

 

 さらに城戸は確信を得るためにもう一度疑問を投げかけた。

 それは風間も抱いていたものと全く同じもの。上層部から疑われる事は間違いないとわかっているはずなのに、どうしてそれを怠ったのかを。

 

「それは鳩原隊員が何か行動を起こす事を考えたら、報告し、説明する間にも時間がかかると思ったからです」

「本当にそれだけかね?」

「城戸司令? どういう意味です?」

 

 時間のロスを抑えたかった。十分納得できるし当然だと思える答えに城戸は納得できなかったのか聞き返す。どういう意味だと鬼怒田たちが問うと、城戸はその答えを諭すように話を再開した。

 

「そうだな。では、忍田本部長に聞こうか。もしも紅月隊長から鳩原隊員への様子がおかしいという報告を受けたならば、君はどうしたかね?」

「私ですか? さすがにその報告だけでは即座に捜査というわけにはいかないでしょう。何かしらボーダーと無関与の個人の事情による可能性だってあります。まずは他にも身近な人間から話を聞いて————ッ!」

 

 話を振られた忍田は淡々と本部長という立場からその先の流れを予想し、そして城戸の言わんとしている事を理解し、息をのむ。

 

「そう。それが答えだ。我々に報告したならば、そもそも鳩原隊員を止めるために動く事すらできなかった。そう考えたのではないか?」

 

 結論が城戸の口から放たれた。

 時間のロスどころではない。証拠がない現状では、話をしたところで効果は非常に薄かった。それどころかこの一件は上層部へ引き継ぐ事となり、それ以上の捜査をすることはライには難しかっただろう。

 彼はその流れを理解したからこそ、自分が独断で動かなければ何もできないと考えて動いたのではないかと城戸は分析していた。

 

「——一刻を争うと考えました。そして止められるならば少しでも可能性が高い方を選びたかった。ただそれだけです」

 

 明確に肯定も否定もしないが、ライの声を引き絞るような様子が明瞭に彼の意思を示している。

 

「そんな言葉ですべてが許されると思っているのか?」

 

 そんな彼を糾弾するように城戸は語気を強め、さらに鋭い視線をライへと向けた。

 

「今回は確かに君たちの行動が我々に利する方向へ動いたのだろう。だが、もしもこれが近界民(ネイバー)の陽動などの作戦であったならばどうしたつもりだ? 本部に待機している精鋭A級部隊の二部隊もの戦力が動き、さらに玉狛支部からもS級隊員が持ち場を離れた。個人が組織の意図に反し、身勝手な意志で動くなど、見過ごせることではない。当初の予定から外れれば組織全体が危機に陥る事だってある」

 

 城戸は規律を重んじる。それは突然の事態に対応するためでもあった。これまでに何度もあった大規模侵攻をはじめとした敵との戦いに備えるために。

 だからこそ今回のようなライの行動は許せることではなかった。規定を無視し、一人の判断で勝手に動く事があっては組織が成り立たない。

 

「しかも君には一度忠告しておいたはずだ。同じような事が起きればさらに重い処分を下すと。それを聞いてなお違反を繰り返すようなもの達を信頼する事は出来ない」

「しかし城戸司令。今回の活躍のみならず、彼らの存在は他のA級隊員やB級隊員も頼りにしているもの。それを処分したとあってはそれこそボーダーの戦力低下はもちろん、隊員の士気低下にもつながります」

「ああ。確かに惜しい戦力だ。だがこちらの指示に従わないというのならばその価値は半減以下だ。他の隊員も頼りにしているからこそ、彼らの動きはより大きな影響を及ぼしかねない。力があるからと見過ごせば反感を呼び、戦功をあげたからと見過ごせば『ならば自分も』と焦るものも現れるだろう」

 

 風間が仲介すべく話に割って入るも、城戸は彼らの戦力については認めつつも意見を曲げる姿勢を見せなかった。

 

「そもそも先に話していた通りだ。今回、彼らがボーダーに利した結果は公には出来ない。その中で彼らに処罰を下さないわけにはいかないだろう」

 

 しかも今回はライ達がボーダーに及ぼした影響の内容も悪い。鳩原の密航阻止、これは公表するわけにはいかなかった。ただ記録としてライや瑠花たちのトリガーの使用履歴などが残るのみ。その為罰を軽くするという事も難しい現状だった。

 

「隊長、そしてオペレーターの独断行動。これを許すわけにはいくまい」

「しかし……!」

 

 すでに結論は出ていると言うような城戸に忍田が食らいつく。これではあまりにも理不尽だと、必死に異論を発しようとするが。

 

「一つ、よろしいでしょうか」

 

 そこにライが待ったをかける。

 

「何かね? 何か反論があるならば聞くが」

「では一つだけ。瑠花は、忍田隊員は規定を違反などしておりません。彼女はただ忠実に隊長である僕の命令に従ったにすぎません」

 

 発言の許可を得たライはゆっくりと言葉をつづった。

 だがそれは言い訳ではなく瑠花への処罰の撤回を嘆願するもの。

 

「ですからどうか、彼女を責めないでください」

 

 言い終えると同時にライは深々と頭を下げる。

 

「……紅月君。君は」

「行動の責任は、それを命令した人間が背負うべき、背負わなければならない。そう考えています」

 

 唐沢の言葉を遮り、ライは己の意見を迷いなく言い切った。

 

(やはり惜しいな。力もある。意志もある。だが、時のめぐり合わせが悪かった)

 

 悲壮な覚悟を抱え全てを背負おうとする少年の姿を見て、唐沢は大きくため息を吐く。

 

「——他にも言っておきたい事があるなら言っておいた方が良いぞ。今言わなきゃ、多分機会なんてない」

「なにも。なにもありません。すでに僕が言うべき事は言い終えました」

 

 一度迅へチラッと視線を送った後、彼が無反応であることから事情を察した林藤がライへと語り掛けた。

 だがライは誘いを受けても弁明する事はしない。

 違反を犯した以上は罰を受けなければならないとそう考えていたのかもしれない。

 

「そうか。……紅月君。やはり君の本分は守る事にある。少なくとも私は一個人として、一人の若者の暴走を止めてくれた君には感謝している」

「はい」

「だが司令としての立場は全く別のものだ。そこに感情を含めてはならないと考えている」

 

 もちろん城戸とてライが鳩原を止めた行為そのものには感謝していた。

 だが司令として規律を守らなければならない。

 相反する立場と義務という観点から、城戸は公正な結論を下さなければならなかった。

 

「——以上だ。鳩原隊員、紅月隊長、迅隊員、風間隊長は退席するように。処分は追って沙汰する。それまで鳩原隊員と紅月隊長は作戦室で待機しているように」

 

 これ以上は聞くべきことはないと城戸は各隊員たちへ退席を促す。

 この指示に従い隊員が会議室から姿を消すと、改めて城戸をはじめとした上層部の面々は会議を再開した。

 

「鳩原隊員の件に関しましては個人への処分と部隊への処分となるでしょう。紅月隊の処分については如何致しますか?」

「……紅月隊長、そして紅月隊への処分となる。鳩原隊員と同様、こちらもあくまで隊長の隊務規定違反としてだ」

「部隊もですか? しかしそうなると……」

「仕方があるまい。公表できる戦果がない中での違反だ。加えて二人分の違反となれば隊長一人で抑えきれる話ではなくなるのだから」

 

 当然のように会議の内容は隊員たちへの処分の詳しい内容についてだ。

 もはや彼らへの処分は免れない中、該当する隊員たちへの処分は厳しいものが挙げられた。

 厳しい発言に林藤や忍田は眉を顰めるが。

 

「私も今回の件で紅月隊長が真にボーダー隊員であるという確信は持てた。そのうえで今回の結論に至った事を、皆も理解してもらいたい」

 

 厳しい処分だが城戸とてライの存在を認めていないわけではない。むしろ今回の件でようやく彼への疑念が晴れたといっても良かった。紅月ライという少年の真価が守る事にあり、そのために力を振るえる人間なのだと。

 

「……城戸司令」

「紅月君が忍田隊員を守る意思を提示してくれた点は非常に大きい。自分の罪が重くなっても構わないという姿勢は、忍田瑠花という人物に近寄ろうとした者とは思えないものだ」

 

 特にそう結論づけるに至った要因の一つは彼らにとって大きな意味を持つ。

 かつて紅月隊発足の際、ライが瑠花をオペレーターに選んだという話を聞いたときは様々な意見が飛びかったのだ。

 

「確かに。当初はこちらが用意した()に引っかかったと思う時もありましたな」

「迅隊員の予知があったとはいえ、侮れませんからねえ」

 

 鬼怒田や根付、当初は否定的な意見を述べていた者達も納得したように何度も頷く。

 

「彼のおかげで忍田瑠花の名前を出す意味は完全になくなった。彼は何も知らぬ事だろうが、また彼に助けられる形となってしまったか」

 

 一人の人間としては感謝してもしきれないほどの恩を城戸も感じていた。

 だが今はその思いを封印し、城戸は最後の決定を下す。

 

 

 

 

 

————

 

 

 

 その日のお昼過ぎ。

 ボーダー本部より全ボーダー隊員へ辞令が下された。

 

 A級二宮隊所属狙撃手(スナイパー) 鳩原未来 隊務規定違反により個人(ソロ)ポイント8000点没収。 

 同部隊をB級へ降格処分とする。

 

「鳩原さんが!?」

「嘘、なんで!?」

 

 クラスメイトである国近や今などは通達を信じられずに声を荒げる。

 隊務規定違反で部隊が降格など前代未聞だ。当然の反応だが。

 

「……なんで。鳩原先輩?」

「おいおい。これまさか——訓練生落ちか?」

 

 絵馬や当真はさらに事の重大さを理解し、表情を強張らせた。

 鳩原はA級隊員であるとはいえ、ランク戦で人が撃てないという弱点もあるため個人ポイントはそう高くない。

 だからこそ、今回の8000点没収は非常に厳しい処分だった。

 正規隊員は個人ポイントが1500点を下回ると訓練生であるC級に降格となる。今まで前例がない規則であるため、知る者は少ないのだが——今回のポイント剥奪により、鳩原はその一人目となってしまった。

 これだけでも非常に驚くべき事ではあるが、さらに事態は加速する。

 

「——はっ?」

「馬鹿な!」

「えっ? だって、この前あいつら昇格したばかりじゃねーの!?」

 

 奈良坂や三輪、米屋など親しい人物たちは通達内容が信じられず、目を疑った。

 だが何度見直してもその内容が変わる事はない。

 A級紅月隊隊長万能手(オールラウンダー) 紅月ライ 隊務規定違反により個人(ソロ)ポイント5000点没収。

 同部隊をB級降格処分とする。

 

 先日のランク戦を勝ち抜き、A級に昇格したばかりである紅月隊の降格。これは彼らにはあまりにも衝撃的な内容だった。

 

「……ライ先輩」

 

 それはもちろん、オペレーターである瑠花にとっても同じ事である。

 学校でこの通達を受け取った彼女は静かに事実を受け止め、処分を受けた隊長の身を案じていた。

 

 

「ッ——!」

「おい秀次! どこ行くんだ!」

「ボーダー本部へ行く!」

 

 休み時間、廊下で話していた米屋の制止を振り切って三輪は駆け出す。

 ——信じられない。信じたくはなかった。

 かつての処罰とは全く勝手が違う。とにかく何があったのか真相を知るべく三輪はボーダー本部へ向けて一目散に駆け出して行った。

 

 

 

 こうして事件は終息したものの、まだ波乱は続いていく。

 

「失礼するわね。紅月君。ちょっといいかしら」

 

 作戦室で処分を待っていたライの下へ一人の人物がやって来た。

 

「……加古さん」

「久しぶりね。知らせは見たわ。——ちょっと、話をしない?」

 

 やって来たのは加古隊の隊長・加古である。

 信じがたい連絡の直後であったにも関わらず、変わらぬ妖艶な笑みを浮かべて彼女はライをある場所へと誘うのだった。

 

 

 

 

「……すみません」

「謝罪ならいらん。もはや終わったことだろう」

 

 さらに同じく二宮隊の作戦室で待機していた鳩原の下にもある人物が現れる。

 男は厳しい目線と口調を崩さぬまま、鳩原を問い詰めた。

 

「とにかく全て話せ。一体何があった? 何故お前はこんな早まった事をした?」

 

 いつもよりも幾分か厳しい声色をぶつける隊長——二宮を前に、鳩原は恐る恐る口を開く。

 

 

 

 

「……本当に会うのか? 君が行くとかなりややこしい事になりそうだが」

「まあ。失礼ね忍田!」

 

 同時刻、ボーダー本部の一室では忍田が一人の少女と向き合っていた。

 忍田は何とかその少女を説得しようと試みるも、相手は聞く耳を持とうとはしない。

 

「降格の直後、人の出入りも制限されるであろう今会わなければ、今後ライと会う機会は中々作れないでしょう? 以前より話に聞いていた近界からの帰還者。しかも、彼女を助けたという今回の一件でより興味を持ちました。何より今後の彼の動き次第では、彼の力を借りることもやぶさかではありませんから」

 

 セミロングの黒髪に琥珀色の瞳、どことなくミステリアスな雰囲気を纏った女性はハキハキとした口調でそう告げた。語っている事情は正しいだけに忍田は苦笑を浮かべつつ、どうにかここで話を収められないかと頬をかく。

 

「とはいえ紅月君には君の事情は何も話していないんだ。そんな中で会いに行くのは」

「別にそれほど話せなくても今回は様子見だけでも構いません。ライと面と向かって普通に話すだけでわかる事もあるでしょう。それに——」

 

 説得を試みる忍田だったが、女性は尊大な態度を崩さず、むしろ彼を丸め込むように話を続ける。

 

「問題なんて何もないでしょう? だって紅月隊のオペレーターは、忍田瑠花()なんですから。私が会いに行って何が悪いのです?」

 

 そう言った女性——忍田瑠花は得意げに笑みを浮かべるのだった。




ええ、まさかのワールドトリガー最新話でしたね。
正直な話予想外でした。もうプロットとか全部書き直しですよ。すでに書いていた5万字以上もすべて消去。今回の話も一から書き直しました。
まさか彼女が読み切りからこれほど重要な人物へと変貌を変えるとは想定していなかった……


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瓜二つ

 「あなたに話したい事があるの」と言って作戦室を訪れた加古はライを伴ってボーダー本部屋上へと移動した。

 普段から解放されている場所とは言え、人気が多い場所ではないため今日も二人以外の人影は見つからない。

 加古は風になびく髪をなでながら、広がる街の景色や大空を眺めるのだった。

 

「今日はこの後雨が降るかもしれないわね。太陽にも雲がかかりはじめてるわ」

「そうですね」

「——私ね。あなたの事を太陽のようだと思ったの」

「太陽? どういう意味ですか?」

「大きく輝いては、あっという間に沈んでしまう。そんなあなたの様子がね」

 

 ライのいる後方へと振り返り、加古が少し寂し気な笑みを見せる。

 的確な例えにライは思わず息をのみ、言葉を詰まらせた。

 

「……ならばまた昇るだけですよ。もう一度輝くために」

「あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」

 

 だが少しでも雰囲気を変えようとライは必死に言葉を絞り出す。

 無理やり笑みを作ったうえでの強がりのような発言だが、自然と彼の発言には説得力があった。つられるように加古も笑みを深くする。

 

「それで、どうしたんですか加古さん? 僕に話があるとのことでしたが」

「あまり長居をしてはあなたが怪しがられるかしら。それなら単刀直入に聞くわね。——大丈夫よ。あなたたちに一体何があったかを聞くつもりはないから」

「ありがとうございます」

 

 事情を察して事件について深く聞こうとはしなかった。

 その配慮が今はとてもありがたい。

 彼も城戸司令達より今回の件については他言無用であることを厳しく言いつけられた身だ。尋ねられても説明ができない以上、加古のように最初から聞かないでおくという姿勢を見せてくれる人物は非常に貴重だった。

 

「一度は断られた事は承知の上で聞くわ。紅月君、私の部隊に入らない?」

 

 そして加古は今一度ライを加古隊へと勧誘する。

 かつて断りを入れた誘いである上にライの降格直後である状況でのこの話題。予想外だった発言にライは目を丸くした。

 

「僕が加古隊にですか? ……どういう意味です? 加古さんもわかっているでしょう。降格を受けたとは言え僕はまだ紅月隊の隊長ですよ。なのにそんな話に乗ると?」

「ええ。確かにそうね。でも、これがあなたの——いいえ。あなたたちの為だからよ。あなたも一つの案として考えていたはずじゃない? 今回のような処分を受けた今、このまま部隊の存続は望む事ではないと」

「————」

 

 反論はない。

 もしも的外れの意見であったならばライは即座に反論したはずだ。

 だがそうしなかった。

 彼の反応で可能性を見出した加古はさらに話を続ける。

 

「あなたは既にB級ランク戦を経て自らの力がA級に値すると証明した。あなたにはそれだけの力がある。それは皆も認めてるわ。真に周囲の期待に応えるためにも、私達と共に戦う事こそ選ぶ道ではないのかしら?」

「——たとえ加古さんの仰る事が事実だとして、上層部がそれを許すとでも? 仮にも降格の命令を下されたばかりの隊長が、そのような事を」

「許すわよ」

 

 ライは冷静な観点から問題を指摘するも、彼の言葉を遮って加古は自らの意見の正当性を主張する。

 

「ボーダーにはそのような取り締まりを罰する規則はないもの。城戸司令は規則を破るものには厳しいけれど、その範疇に収まるものならば強引なものでも認めるわ。そしてA級部隊は一名までならばB級隊員がシーズン中に加入したとしても、その部隊はA級として扱われると規則に明記されている。何も問題はないわ」

 

 あくまでもルールの範囲内での交渉。

 確かに最終的な判断を下す城戸司令はルールに厳格な人物であり、その枠から外れる人物には厳しかった。

 だからこそそのルールに則ったこの勧誘は全く問題がないのだと加古は目を光らせる。

 

「どうかしら、紅月君? あなたがB級の部隊に甘んじるのは惜しいと思う。防衛隊員として責任を果たす為にも、力を貸してくれないかしら。もちろんあなただけじゃない。瑠花ちゃんの事も精一杯フォローすると約束するわ」

 

 そう言って加古は右手をライへ向けて差し出した。

 ライにとっては好条件な話だ。加古の話す通りルールに関しては何も問題はない。もちろん降格した隊長が加わるとなれば批判は避けられないだろうが、彼女はそれも覚悟の上なのだろう。

 瑠花の事も気にかけてくれているという点もライにとっては非常に頼もしい話だ。

 力がある者が責任を果たすという非常に心動かされる話でもある。

 

「——申し訳ございません。加古さん。その手に応える事はできません」

 

 だが、ライはその手を取ることなく静かに首を横に振った。

 

「瑠花ちゃんと共にB級に残るつもり? そのもたらす結果がわかっているはずなのに。今回のあなたたちの降格はランク戦とは全く別のもの。おそらく、昨シーズンのようにすぐ上がるという事は難しいはずよ」

 

 冷静に分析し、何とか説得できないものかと加古は勧誘を続ける。

 事実彼女の言う事は正しかった。まだ彼らに正式に伝えられていないが、処罰によって降格された部隊はたとえランク戦で上位に勝ち残ってもこれまでのように昇格試験をすぐに受ける事は叶わない。

 ライもそれは予想していた。だが彼女の指摘を受けても表情一つ変えない。

 

「縁を捨てて、自分から動くつもりはないの? それともA級に残るより責任の少ないB級にいる方が居心地がよいと思ったのかしら?」

「その縁も含め、僕は僕自身の守りたいものを守ってきたつもりです。隊長としての責任を果たす自分の立場として、今は加古さんの誘いに乗る事こそ、責任を放棄し易きに流れる事となる。それは僕の望む事ではありません」

 

 確かにB級にいるという選択は楽な道であるかもしれない。

 だがそれ以前の話として隊長である自身が部隊を捨て、一人この勧誘を受ける事こそが無責任な行為であるとライは考えていた。

 力のある者の責務。加古の言いたい事は重々理解している。その上で隊員を率いるものとしての立場から、易々と彼女の手を取るわけにはいかなかった。

 

「……相変わらず意志が固いのね」

 

 右手を引っ込め、加古は残念そうに息を吐く。その表情を見て、ライは申し訳なさそうに眉を寄せるが、意志を変える事はしなかった。

 

「わかってくれとは言いません」

「いいえ。むしろ余計に惜しいと思うわ。——本当にもったいない。双葉もその方が喜ぶと思ったのだけど」

「申し訳ございません。ですが、無理です」

 

 返答を聞き、今一度加古は深いため息をつく。黒江の名を出しても意見を曲げないのならばこれ以上の説得は厳しいだろう。それくらいは容易に想像できた。

 

「わかったわ。私だってここまで言われて無理に引き抜こうとは思わないもの。でも、瑠花ちゃんも幸せね。ここまで言ってくれる隊長が一緒なんて」

 

 どこかうらやまし気な声色で加古はそう口にする。

 二人部隊である中、隊長がこれほど部隊の事を考えて発言した。ともに戦うものとしてこれ以上嬉しい事はないだろう。

 

「——いいえ」

 

 だが、ライはゆっくり瞼を閉ざすとその意見を否定した。

 

「瑠花に関しては、この先も共に行動するのはもう難しいでしょう」

「えっ? どういう意味?」

「先ほど話していた通りです。この度の一件、僕は隊長としての責任を取らなければなりませんから」

「……紅月君。あなた、まさか」

 

 重々しく意見を述べるライに、加古が目を丸くしてその真意を問う。

 ライはその問いにゆっくりと頷くのだった。

 

 

————

 

 

 学校を飛び出し、ボーダー本部へと向かった三輪の行動は素早かった。

 隊員専用の通路を伝って本部へと入場すると一目散に紅月隊の作戦室へと向かう。

 すぐにでも目的の人物を呼び出そうとして、しかし三輪の行動は作戦室の前に立つ二人の隊員によって制された。

 

「とまれ、三輪」

「よっ。秀次おつかれ」

「ッ!? 風間さん!? それに、迅!? ……さん」

 

 部屋の前にいたのは風間と迅だ。思わぬ実力者たちの出現に三輪は再び驚愕する。

 

「どういう事ですか、風間さん。どうしてここに?」

「……処罰に関する報告はみただろう。それを受け、しばらくの間紅月への面会には制限を設けさせてもらっている。同時に会えるのはオペレーターを除いて一人だけ。今は加古が紅月と会っていて、さらに先ほど別の面会の予約があってな。しばらくは無理だ」

「制限? どういう事ですか? 一体何があったんですか? 何故紅月を!」

 

 意味がわからず三輪は言葉を荒げた。事情がわからぬ中、そんな話は受け入れられない。説明を要求するのだが。

 

「悪いが説明は出来ない。今回の辞令について関係者達には緘口令が布かれた」

「緘口令? ……まさかそれは、城戸司令からですか?」

「そうだ。ここまで言えばお前ならばわかるだろう」

 

 ——他でもない、城戸司令直属の部隊長であるお前ならば。

 風間の話を聞いて三輪は息をのんだ。

 理解している。城戸司令がここまでの制限を下すという事は、公に出来ない何か裏の事情があり。

 それにライは深く関与しているという事だ。

 三輪は強く歯を食いしばる。理解できたからこそこれ以上強く聞く事は出来なかった。

 

「まあそういう事なんだ、秀次。だから様子見ならひとまずここは日を改めてくれないか? お前だって多分学校を抜け出してきたんだろ?」

「迅! ……どういうことだ。何故お前がここにいる。お前がこの一件に絡んでいるのか?」

「おいおい。さっき言ったろ。説明できないんだって」

 

 普段から嫌悪しているためだろう。風間の時とは比べ物にならない敵意を向けると、迅は降参するように両手を挙げて事情を説明する。

 

「なるはど。やはり関与していたか」

「なんでそうなるんだよ? そうとは限らないだろ?」

「関わっていないならばお前はいつものように呆気なく否定していただろう」

 

 普段の迅の飄々とした態度を思い出して三輪は舌を鳴らした。

 そもそも本来玉狛支部にいるはずの彼がいる事こそが異例なのだ。その彼がここにいるという事が何よりの証拠である。

 

「迅。一つだけ聞かせろ」

「だから俺からは何も言えないんだって――」

「お前は紅月が、あいつの部隊がこうなる未来が見えていた上で、この未来を選んだのか!? あいつらがこうなる運命になることを許容したのか!?」

 

 迅の話を遮り、三輪は怒りの感情さえ含んだ言葉を彼にぶつけた。他人事とは思えない覇気に迅も身がすくむ感覚を覚える。

 

「三輪」

「……ああ。確かに秀次が言うように、こうなる未来もあるという事は見えていた。この未来を通る事で悲しむ事や思い悩む人が減る。そう見えていたんだ」

 

 二人の間に風間が割って入ろうとするも、そんな風間を迅が手で制し、迅は三輪の意見を肯定した。

 迅には未来が見えている。ライが鳩原を助けようと動いた時にも、その行動によって彼らの降格が避けられないと知ったうえで手助けをした。

 もちろんライ自身が覚悟していた事ではある。

 だが、それでも迅が協力しなければ今回の処罰にはならなかった。この結果に迅も責任を感じている。

 

「ふざけるな」

 

 そんな迅の事情を知らない三輪は迅の胸倉をつかみ、目を見開いて訴えた。

 

「おい三輪!」

 

 風間が制止を呼びかけるが三輪は振り向こうともしない。

 

「部隊結成から半年たらず。そんな部隊ならば構わないとでも思ったのか? ——違う。一年だ。あいつはチームを発足する前から部隊の事を考え、すでに力を持ちながらもあらゆる人物たちのもとへ赴き頭を下げ、腕を磨いていた。あいつの事情から知人もいないからこそ余計に機会は限られた。それでも、必ず昇格するためだと語っていたのに」

 

 三輪も似たような境遇を持っているからこそライと接する時間は多かった。

 時に自ら教え、人を紹介していた彼だからこそ人一倍紅月隊のために奮闘していた隊長の事を知っている。

 1シーズンでの昇格ではなかった。昇格の機会の為にもっと周到に準備をし、戦力を蓄える。そんなライの姿勢を知っていたからこそ。

 

「——変わらないな、迅。多くの者のためならば目の前の者を見捨てる。あのときと何ら変わらない!」

 

 かつての自分と大切な家族の事を思い返し、三輪はいら立ちをぶつけた。

 そう言って三輪は迅を開放すると彼の返事も待たずに足早にその場を去っていく。

 

「びっくりした。秀次が珍しく紅月君に心を開いていると思ったら、まさかここまでとは」

 

 遠くなっていく背中を見つめ、迅は驚いた様子でそう口にした。そんな様子を見て風間はおかしそうに小さく笑みをこぼす。

 

「三輪の言うことは中々言い得て妙だな」

「えー。ひどくない風間さん」

「事実だろう。多くのもの(ボーダー)のために目の前の者(自分)を見捨てる。今だって何一つ言い訳も弁明もしなかっただろう」

 

 ——それがボーダーの為とはいえ。

 

「……さて。なんの事?」

 

 的確に真意を読み取る風間に、迅はとぼけながら深く息を吐くのだった。

 

「あっ、風間さん。迅さん。お疲れ様です」

「むっ。紅月か」

「よっ。加古さんとの話は終わりかい?」

「……ええ。大丈夫です」

 

 直後、曲がり廊下を通ってライが姿を見せる。

 迅が問うと少しライは表情をゆがませて頷いた。

 その様子から何かあった事を察しつつ、迅は話を続ける。

 

「ならよかった。ちょうどいい。もう一人君に会いたいという人が部屋の中に来てるよ」

「えっ?」

 

 

————

 

 

 迅から自分に会いたい人がいると告げられたライはすぐに作戦室の中へと戻った。

 平日であるため高校生以下の隊員という可能性は低い。

 誰か年長の人たちだろうかとライは予想を立てながら作戦室の中に戻ると。

 

「ライ先輩!」

「……瑠花?」

 

 彼の予想に反し、部屋のソファに腰かけているオペレーター・瑠花の姿があった。

 中学校に登校するように促し、部屋を去った事は確認していただけに驚きを隠せない。

 

「一体どうしたんだ、学校は?」

「早退させていただきました。あのような知らせを受けた後では、居ても立っても居られませんから」

「そうか……」

 

 まっすぐ言い切った彼女の声を聞いてわずかに眉を寄せると、ライはそれ以上事情は聴かずに席へ座るように促した。

 自分も彼女と向かい合うように腰掛けると話を切り出す。

 

「ならば知っての通りだ。先の会議で処分が決定された。紅月隊はB級へ降格。僕も個人ポイントを剥奪される事となる」

「——はい」

 

 重々しい話を聞いて、瑠花もゆっくりと頷いた。

 

「仕方がない事であるとは私も理解しています。ですが、ライ先輩があまりこの事を長く引きずる事はないと思います。ライ先輩は自分の守るものを守ったのですから。その点は誇ってよいと思います」

「——そうか。そう言ってくれると少しは心の負担が軽くなるかな」

 

 自分は割り切っているから問題ない。ライも行動の結果の果てに守った人がいる事を忘れないでほしい。

 そう語る瑠花にライは笑みを浮かべた。

 

「君には悪い事をした。折角素晴らしい初陣を果たした君まで巻き込んでしまった事、本当に申し訳なく思う」

「何を仰いますか。昇格は一人のものではありません。ですからそのような事を仰らないでください」

「……ああ。そうだね」

 

 ハキハキと的確にライの心境をくみ取って発言する瑠花の姿は非常にありがたいものだろう。

 降格となれば部隊によっては揉め事も生じるはず。なのにそう言った気配はみじんも見られない。

 

「とにかく今回の件は関係者以外には口外する事を禁止された。難しいと思うが君も気をつけてくれ」

「大丈夫です。事の大きさは私も理解しておりますから」

「そうか。助かるよ。——ところで、一つ君に聞いておきたい事があるんだけど」

「何でしょうか?」

「うん。大したことではないんだけどね」

 

 そう言うと、ライは一度頬をかいてゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「——君は誰だ?」

 

 一瞬の静寂が生まれる。

 問われた瑠花はライが告げた言葉の意味が分からず、首をかしげるのだった。

 

「誰だって、どうしたんですかライ先輩? 私ですよ?」

「ああ。二人部隊だから知らなくても無理はないだろう。確かに誰かがいる人前では君が言うように接していたからな」

 

 苦笑を続ける瑠花に向け、ライは確信をもって話を続ける。

 

「瑠花はね。作戦室で二人っきりの時は僕のことをお兄様と呼ぶんだよ」

 

 瑠花が目を見開いた。

 一体何を言っているんだと、理解に困った——わけではなく。

 

「……確かにその話は聞いていませんでした。あなたたちはそういう関係なのね」

 

 意味していたのは驚愕だった。ライの話に参ったと示すように深々と息を吐く。

 取り繕うのをやめた素の姿はやはり普段の瑠花がライに示す態度とは似ても似つかなかった。

 

「いや、それは冗談だ」

「えっ?」

「だが今の君の反応で僕の予想が正しいとわかったよ」

「私を試したのかしら?」

「ああ。言葉や様子の節々がおかしかったからね。ブラフを使うのが手っ取り早いと考えたんだ」

 

 当然の事ながら嘘であるのだが、その嘘を見切れなかった以上、ライの憶測が的中したという事を意味している。

 不審な点はいくつもあった。

 そもそも瑠花が学校を早退してこちらに来たのに連絡がなかった事。ライが彼女の進学について十二分に気を配っているだけあって学校を最優先させている。そんな彼女が早退した上に急いでいたとはいえ先に部屋についたにも関わらず連絡をしなかった事だ。

 また、会話の内容そのものは決して問題はなかったのだが、言葉の節々に普段の瑠花よりもどこか彼女よりも育ちの良さがうかがえた事。

 そして何よりも、瑠花がライの身を案じるセリフが少なかった事だ。彼女は賢いが、それだけでなく人一倍優しい性格であり、今回の報告を受けた直後ならば必ずライの身を案じているはず。だが「強くあれ」とそう勇気づける言葉はあれ彼を心配するそぶりは少なかった。

 

「さあ質問に答えてくれないかな? 君は誰だ? 瑠花の姿を使い、名前を騙って。一体何の目的かな?」

 

 今の問答を経てライは目の前の人物が自分の知る彼女でないと結論づけ、視線を鋭くする。口調は丁寧なままだが言い逃れは許さないという意志が声色に現れていた。

 

「誰、ですか。そうですね。あなたの疑問はもっともです。ですがそれなら私からではなく、あの人に託した方が良いでしょう」

「あの人?」

 

 そう言って彼女はポケットから携帯端末を取り出してある人物を呼び出す。

 ほどなくして一人の男性が足早に作戦室の中へと駆け込んだ。

 

「やあ。すまない、紅月君。何の説明もないままで驚いただろう? 私は何度も言ったのだが、彼女が聞かなくて」

「忍田さん?」

「遅いですよ、忍田」

 

 やって来たのは会議でも出会っていた本部長の忍田だ。

 何故彼がここに、とライは疑問を呈する中、彼女は本部長である忍田を咎めるように口をとがらせる。一方の忍田は「これでもすぐに来たんだが」と取り繕うばかり。

 ライは自分の知る瑠花とはあまりにもかけ離れた態度を忍田に取る彼女に、何よりそれを怒ろうともしない忍田の関係に疑問を深めていった。

 

「驚くというような話ではありません。ライは私が明かすことなく彼女との違いに気づいたのですから」

「そうだったのか? さすが、瑠花と長く一緒にいるだけあるな」

「……あの、忍田さん。先に説明をお願いしてもよろしいですか? 彼女は誰ですか?」

 

 女性と忍田が紅月隊の結束に感心する。しかし話についていけないライはすぐに忍田へ事情の説明を求めた。

 てっきりライは何者かがトリオン体の能力を使って瑠花の姿を借り、何かを狙っていたのではないかと考えていたのだが、二人の様子はそうと考えられないものである。

 

「ああ、すまない。彼女について説明させてもらう」

 

 一つ咳払いをすると忍田は改めてライへと説明を始めるのだった。

 

「彼女は忍田瑠花。私の親戚という事になっている。容姿や声も非常に似ているが——紅月隊のオペレーターである瑠花とは同姓同名の別人だ」

「挨拶が遅れましたが、はじめまして。忍田から話はよく聞いています」

 

 そして告げられたのは驚愕の真実。

 ライがよく知る瑠花とは別人である瑠花が目の前にもう一人いる。

 大切なオペレーターと瓜二つな存在の出現に、ライはすぐに理解する事はできなかった。




「瑠花はね。作戦室で二人っきりの時は僕のことをお兄様と呼ぶんだよ」
「……えっ、と? 何を言っているんですかライ先輩?」
「あれ?」

もしも予想が外れていた場合、ライが大変な事になっていた。


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(ライ)

「はっ?」

 

 忍田の説明を受けてなお、ライは彼の語る真実を受け入れきれずに言葉に詰まる。

 目の前に立つ女性はライがよく知る瑠花とは違う同姓同名の別人。そう言われても簡単に甘受するというのは難しいだろう。そもそもライはトリガーの力で全く別の誰かが瑠花の姿に化けているのではないかと想定していたのだからなおさらだ。

 

「瑠花と同じ? えっ? しかも忍田さんの親戚なら余計に——だってこんなに見た目も声も似て——」

「ああ。予想通り混乱したか。まあ君が困惑するのも無理もない話だ」

「……まさか忍田さんの隠し子?」

「断じて違う! すまない、一から説明するからよく聞いてくれ」

 

 挙句の果てには的外れの意見まで飛び出した。

 やはりこうなっては一から説明するしかないだろう。

 忍田は改まって彼女と、そしてボーダーの中枢にも関わる真相について話しはじめた。

 

 

————

 

 

 忍田の語るところによるとこういう事だった。

 近界民(ネイバー)からの侵略を防ぐために活動しているボーダー。この組織が正式に設立するより前から少数精鋭での活動は行われており、その時点で三つの近界(ネイバーフッド)の世界と同盟を組んでいた。

 そのうちの一国がアリステラという王国。

 アリステラは今から5年ほど前の戦争で滅亡した国だ。だがその際に星そのものを作るという強大なトリガー・(マザー)トリガーが戦争による混乱の中、ボーダー隊員たちの助けもあって密かに生き残りである幼い王女と生まれたばかりの王子と共に地球へ脱出したと言う。

 そしてその際にこの地へ亡命した王女こそが、今ライの目の前にいる忍田瑠花と名乗る女性なのだと。

 

「……つまり、彼女はこちらの世界へ亡命した近界(ネイバーフッド)の王女で、この世界で生きる為に偽名として『忍田瑠花』を名乗っていると?」

「その通りだ」

 

 理解が早くて助かると、忍田がライの意見を肯定する。

 にわかには信じがたい事だ。もしもこの説明をしたのが忍田以外の者だったならば鵜呑みにはしなかっただろう。

 とはいえ確かにそう言われてみると、先ほどの彼女の尊大な振る舞いにも納得が出来た。

 

「驚きました。正直、一目見ただけでは別人だとはわかりませんでしたよ」

 

 隊長として同じ時間を過ごしているライが言うだけあって王女は非常に瑠花と姿が似ている。

 今一度だけ王女を一瞥するが、やはりどこを見ても瓜二つ。

 ——いや。よくみると王女の方が少し体の発育が良いか。

 ライは発育の良いある一点を見つけてようやく二人の違いを見極めたが、それでも注意して見なければ気づけなかっただろう。

 

「君がそう思うのも無理はない。むしろそれくらい似ているからこそ、我々ボーダーは彼女がこちらの世界で名乗る名前を決定したんだ」

「……それでは彼女の偽名は、近界(ネイバーフッド)の追手から身を隠すために?」

「ええ。私の弟は当時まだ赤ん坊でしたから、いくらでも誤魔化しようがありました。ですが私はすでに顔が知られていました。成長途中だったとはいえ顔つきから見破られる可能性も考えられます。ゆえに、私とよく似ているという忍田の姪の名前は名乗るにうってつけだったのです」

 

 忍田に代わって瑠花王女がライの疑問に答えた。

 ようは隠れ蓑と言ったところだろうか。

 強大な母トリガーを持つ王家の生き残り。そんな人物が存在すると敵に知られれば狙われてもおかしくない話だ。

 その点瓜二つな人物が実在するとなればそれを利用しようとしてもおかしな事ではない。

 

「王女の事を瑠花は知っているのですか?」

「いいや。彼女は知らない。ボーダーに入隊すると言う話も我々の想定外の事だった。だからこそ彼女が組織に加わってからは余計に気を配ろうと考えていたのだが」

「そこでライ。あなたが接触したという話で話は少し複雑なものになりました」

 

 名指しでライを呼び、瑠花王女は小さく息を吐いた。

 

「そうでなくてもあなたは近界(ネイバーフッド)からの帰還者という事で注目を浴びている中、『忍田瑠花』という人物に関与した。あるいはあなたが本当にスパイであり、こちらの出方を伺っているのではないかという疑いも浮上しました」

 

 『特に鬼怒田や根付からね』と瑠花が補足する。

 そう言われてようやくライは合点がいった。自分の立場、そして何よりも共に部隊を組もうとしていた女性が実はボーダーの中枢にも関与しかねない思惑に絡んでいる。上層部が目をつけるのも当然の話だ。

 

「なるほど。——しかし解せません。どうしてそのような話を僕に打ち明けたのですか? 別にその疑いが晴れたわけではないでしょう。それなのに情報の出所を増やすのは危険では?」

 

 同時に新たな疑問もわき上がった。

 これまで秘密にしてきた重要な案件をどうして今になってライに公表したのかだ。

 そもそも瑠花王女が単独で作戦室に訪問した事自体が異例の事態だ。

 スパイの容疑がある人物への対応とは思えない。

 

「その疑いが晴れたからだよ」

 

 だが忍田は彼の意見を真っ向から否定した。

 

「何故です?」

「先の騒動における君の働きと会議における発言が決定的となった。そもそも君が核心に触れるために近づいたならば事を荒立てる意味は全くない。A級に昇格した今となってはなおさらだ。それにも拘わらず君は鳩原隊員の暴走を止め、そして瑠花に処罰が及ばないようにと自ら盾になった。むしろ信頼に値する存在になったと言っても良い。その点は城戸司令とて認めている」

「————」

 

 穏やかな表情でそう続ける。

 彼の話を聞いてライは複雑な表情を浮かべた。

 たしかに忍田が語るような思惑は微塵もない。あの時はただ目の前の事に精一杯で余計な事を考える暇がなかった。その結果として近しい人物にまで影響が出ないようにと振舞っただけの事。当然の事をしただけなのにこのような評価をされてはこそばゆい。

 

「だからこそ君に彼女の話を打ち明け、そしてもしよければこれからの事を託そうと思った」

「どういう意味です?」

「そのままの意味ですよ。——ライ。これからは私の懐刀として私を守ってはくれませんか?」

 

 瑠花王女が本題に触れる。今回の来訪、それはライに助力を要請する事だった。

 

「彼女の存在はボーダー内でも知る人物は限られている。そのため重要人物ではあるのだが、彼女を守る存在もまた限られているという現状だ」

「その点、普段からボーダー本部に滞在するというあなたの存在は味方にできれば心強いというもの」

「……正気ですか? 僕は先に降格を受けたばかりの身。しかもあなたとは今日会ったばかりだ。そう簡単に僕を信用できると仰るのですか?」

 

 忍田も瑠花王女もライの事を信用して守護の役目を託そうとしている。

 だがライ自身はそう考えられなかった。

 ボーダー設立にも関与した亡国の王女、それを守る隊員となれば相応の力と信頼が求められる。一方でライはB級へ降格したばかりだ。とてもではないが身分不相応だと指摘した。

 

「だからこそあなたとお話をしたのです。あなたの性格と考えを少しでも理解できればと。そしてやはり忍田達の話は嘘ではなかったと確信しました。簡単に目の前の物事を判断しないという思慮の深さも信用に値します」

「なるほど。しかし、僕はまだ部隊の隊長でもあるのです。そう簡単にその任を受けるわけには——」

「わかっています。ですが私が今回あなたに声をかけた理由の一つは、あなたがオペレーターである彼女を庇った目的が『大切な存在だからこそ遠ざけておきたい』と考えたからです」

「ッ」

 

 鋭い指摘にライが息を飲む。表情にこそ出さないが、彼の眉がわずかに動いた瞬間を瑠花王女は見逃さなかった。

 

「ゆえに、もしもあなたが自由の身になったらで構いません。一つの案として考えてはもらえませんか?」

 

 そう言って瑠花王女はにっこりと笑う。

 落ち着きを払い、気高い雰囲気を醸し出す彼女からは確かに王女としての風格が感じられた。

 誘いを受けたライは瞼を閉じ、じっくり考えて。

 

「——王女殿下」

「えっ?」

 

 瑠花王女のすぐそばまで移動すると、その場で跪き頭を垂れた。

 

「知らぬ事とはいえ、この度の数々の非礼を何卒お許しください」

 

 臣下の礼を取って先に行った己の無礼を心から謝罪する。

 

「王女殿下の身に余るお言葉、恐縮至極に存じます。ご期待に応えたいという思いはあれど、私は未だに一部隊を率いる身でありおいそれと承知する事はできません。願わくは今しばらく選択の時間をいただきたく存じます」

 

 あくまでもライにとって最も大切なものは別にあった。だからこそこの場で了承する事は出来ず、まずは最も近い者と話す時間をいただきたいと願い出る。

 

「……ライ。あなた本当に一般人? こちらの世界でこれ程礼を尽くす人は初めて見ました」

「私はただのライですよ」

 

 驚きと疑問を含んだ称賛の声が上がるが、ライはそれをサラリとかわした。

 『ただのライ』という言葉は決して嘘ではない。少なくともこの世界で彼は何者でもないのだから。

 あくまでも白を切るライに瑠花は小さく息を吐く。

 

「そうですか。でも別にそこまで極端に構えなくても構いません。確かに敬う気持ちは持ってほしいと思いますが、私は国を追われた者。もう王女ではないのですから」

「何を仰いますか。遠く離れた土地、孤独の中でも矜持を持ち続け、凛とした姿勢を貫くあなたにこそ王女としての資格がある。私はそう考えました」

 

 少し自虐的な発言をもらした瑠花王女に、ライはうつむく顔をあげてそう答えた。

 おそらくは亡国の王女という彼女の立場が彼の心を動かしたのだろう。

 彼の瑠花王女を気遣う真っ直ぐな言葉が耳に届くと、瑠花王女は恥ずかし気に片手で口元を隠すとライを直視しきれずに視線を横へとそらした。

 

「なんというか、本当に忍田の言っていた通りですね」

「はっ? ……忍田さん?」

「いや、私は別に。普段の君の姿勢や迅から報告を受けたイメージをそのまま話しただけだが」

 

 とりあえず今度時間がある時に迅さんを問い詰めよう。

 ライが気持ちを新たにする中、瑠花王女は一つ咳ばらいをして空気を変えると改めて話を戻した。

 

「とにかくあなたの気持ちはわかりました。私とてこの場ですぐに返事をもらえるとは思っていませんでしたから。——もしもあなたの気持ちが固まったら、教えてください。待っています」

 

 今一度期待を含んだ笑みがライへと向けられる。

 その彼女の意図を理解して、ライも姿勢を正した。

 

Yes,Your Highness(かしこまりました、王女殿下)

 

 

————

 

 

(亡国の王女、か)

 

 瑠花王女と忍田が去った後、ライは作戦室で一人物思いにふけっていた。

 考えているのは当然新たに加わった情報・瑠花王女の事。

 ただでさえ実の妹のように大切に考えていた瑠花と瓜二つの女性。しかも王族を彷彿させる尊大な振る舞いに気高い雰囲気、そして本当に王族の生き残りであるという彼女の存在は、ライの中で大きな存在へとなっていた。

 

(……複雑だ)

 

 振る舞いや立場が瑠花以上に実の妹と酷似している。別にライが瑠花を気遣う理由はそれだけではないので特に気にする必要はないのだが、姿まで瓜二つであるという現状がライの心境を余計に複雑なものにしていた。

 どちらにせよ今後は彼女たちに対する接し方には気をつけないとな。

 そんな事を考えながらライは携帯端末をいじりながら時間をつぶしていく。

 待ち人が来ないだろうか、期待と不安を持ちながら待機をしていると。

 

「ライ先輩!」

 

 作戦室の扉が開かれた。

 学校からまっすぐ来たのだろう。鞄を手にした瑠花がライの下へとやって来た。

 

「瑠花! ——だよね?」

「えっ? はい。私ですけど?」

「……うん。よかった、瑠花だ」

 

 口頭で本人確認を済ませ、念には念をと彼女をじっくりと見つめ、彼がよく知るオペレーター本人だと確信しライは安堵の息をつく。その動作に瑠花が心配そうな視線を送るのだが、ライが気づく事はなかった。

 

「本部からの辞令は見ました。あれはもう決定事項なんですか?」

「——その通りだ」

「……大丈夫ですか? 私も大方の事情は把握しているつもりです。ライ先輩がこんな形で処分を受けるなんて」

「大丈夫だ。組織を守るという上層部の意思も理解しているつもりだ。そのうえで後悔はしていない」

 

 普段の明るい表情はなく、悔し気に顔をゆがませる瑠花をなだめる様にライは彼女の頭に手を置く。

 事実ライは今回の自分の処遇について不満を持ってはいなかった。

 後悔する事があるとしたら、それは隊員である彼女を巻き込んでしまったというただ一点のみ。

 

「——僕たちが部隊を結成した12月から数えて5か月ほど、約半年か」

「えっ? ええ、そうですね」

 

 突如話題が変わった事に疑問を覚えながら、瑠花が頷く。

 ライは彼女と共に戦ったこの5か月間の事を振り返りながら言葉を振り絞った。

 

「瑠花。短い間だったが、ここまで未熟な隊長について来てくれた事を感謝している」

「……えっ? ライ先輩? 何を、言っているんですか?」

 

 だってその言い方ではまるで――

 瑠花が信じられないと表情を崩す中、ライは話を続ける。

 

「君まで汚名を被る必要はない。上層部との会議で君の名は上がらなかった。おそらく隊長である僕が無理やり命令したと判断してくれたんだろう」

 

 こうしてライは嘘をついた。

 瑠花の名前も上がっていた、それを彼が取り消したというのに。

 これ以上彼女を巻き込む事がないようにとライは嘘の仮面をかぶる。

 

「——まさか、部隊を解散するなんて言うつもりですか?」

 

 聡い彼女は先を読んで問いただした。ライは穏やかな笑みを浮かべたままゆっくりと頷く。

 

「今ここで部隊を去れば、君は『隊長の暴走についていけなくなったオペレーター』ですむ。だがこのまま僕と一緒にいれば君まで隊務違反で降格した部隊の一員となってしまう」

 

 『隊長としての責任を取る』

 先に加古とも話した言葉の通りだった。ライはこの処罰を自分一人で引き受けるつもりでいる。

 

「前シーズンのランク戦で君はA級まで昇進した部隊をサポートしたという実績を得た。幸いにも今は5月。次のランク戦へ向けて新生部隊も多い。引く手数多だろう。確か弓場隊の王子も新しく部隊を作りたいとか言っていたかな? まあとにかく新生部隊も現れ、有能なオペレーターが求められる時期だ」

 

 たとえここで瑠花が部隊から去ったとしても、彼女を求める存在が多いシーズンだ。

 一時と言えどA級に上がった彼女ならきっとこの先も大丈夫だと信じてライは語る。 

 

「もちろん移籍に関しては僕も十分サポートする。別に今生の別れというわけじゃないんだ。だからこの一時の感情に惑わされず、君にとって何が最善なのか。よく考えてくれ」

 

 たとえ同じ部隊でなくなっても交流は続くのだ。

 瑠花が自分の為になる道が何なのか、この部隊に残る事が全てではないという言葉で締めくくって話を終える。

 

「待ってください。そんな簡単に解散だなんて!」

「——僕は、大切な人を傷つける存在を許す事は出来ない」

 

 ましてそれが、自分自身であるというのならば。

 瑠花は必死に訴えるが、ライは表情一つ変えずにそう断じた。

 

「隊員を傷つけるような存在が隊長でいる資格はない。僕は隊長の器ではなかった」

 

 ライは突如席を立つと机の引き出しから一枚の紙を取り出して瑠花の前に置く。

 それは部隊解散に関わる書類。すでに隊長であるライの名前が書かれており、後は瑠花の名前を書くだけで手続きが終わる段取りとなっていた。

 

「これは君に預けておく。——君を巻き込んでしまって、すまなかった」

 

 深々と頭を下げる。言い訳一つせず、ライはすべての責任を背負う事を決めた。

 

「……この紙は、私が預かるという事で良いんですね?」

「ああ」

「わかりました」

 

 頭を下げながら彼女の言葉を肯定するライ。

 するとその直後、彼の頭上から紙を引き裂く音が鳴りだした。

 『まさか』とライがすぐに頭をあげる。すると瑠花が手渡された書類を文字が読めなくなるほど細かく引き裂いていた。

 

「なっ——!」

「はい。これが私の答えです」

 

 開いた口が塞がらない状態のライに、瑠花がまっすぐな己の意志を示す。

 

「酷いです、ライ先輩。私の意見も聞かないまま話を進めるなんて」

「——瑠花。君は何もわかっていない。この先、周囲の人間からどのように言われるかさえ予想がつかない。加えて問題の内容から他言は全て禁じられる。何一つ弁明する事さえできないんだぞ!」

 

 自身の行動を糾弾する瑠花に、ライは必死に訴えた。

 緘口令が敷かれた今、紅月隊はたとえどのように言われようとも反論は出来ない。

 降格処分を受けた部隊がここから先どのような立場になるかは不明なのだ。

 

「頼む。リスクを背負うのは僕一人で十分だ」

 

 そんな先行き不明な道を共にすることはないと、ライは必死に説得を試みるが瑠花の気持ちが変わる事はなかった。

 

「もう、最初にかわした約束の事は忘れてしまいましたか?」

 

 そう言われてライの脳裏をよぎったのは二人が初めて出会った時に交わした言葉だ。

 『互いの力が必要になり、目指すものが同じだったならば力を貸してほしい』。

 お互いの力は今も必要としている。目指すものが変わったわけではない。

 ならばここで道を分かつ必要なんてないだろうと彼女は言った。

 

「私は一緒にいたいです。たとえそれが他の人にとっての悪い事だとしても、私にとっての正しい事ならば、私も悔いはありません」

 

 ——あなたがそう言ったように。

 瑠花もこの先の事を察して、それでも話を続ける。

 

「だってライ先輩は守りました。誰かを助けた人を一人にするなんて私にはできません」

 

 これこそが自分の正義なのだと。部隊を組む相手は他にいないと瑠花は己の気持ちを示すのだった。

 

「——瑠花。本当に良いのか?」

「はい」

「前回のようにすぐにA級に上がれる保証はない。それでも構わないと?」

「それでもまたライ先輩と共に進み続けるだけです」

「……そうか。ならば——ありがとう」

 

 ライは覚悟を決めた彼女の気持ちをそれ以上無視する事は出来ず。今一度頭を下げ、自分についてきてくれるという道を選んだ瑠花に最大限の感謝を告げるのだった。



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 ライが瑠花と話を交え、二人が決意を新たにしてから数十分後の事。彼はすぐに一人の隊員と連絡を取ると、ボーダー本部のある一室を訪れていた。

 

「——ライ。まさかこんなにも早くあなたの方から会いに来るとは思いませんでした」

 

 訪れた相手は先ほど対談したばかりの瑠花王女である。

 普段はボーダー本部内に住んでいるとはいえ彼女の素性から来客は限られている。今もライは忍田の案内を経て彼と共に部屋にやって来たのだ。

 

「申し訳ございません。しかし僕もあなたも中々会う事ができる時間は限られているでしょう。ですから答えが出たならば早いうちに返答しておきたい。そう考えましたので」

 

 秘匿性が求められる案件でもあるからこそ。

返答をいつまでも先延ばしにすることは良しとせず、また意志が固まった内に道を示しておくべきだとライは考えたのだ。

 

「そうですか。答えは出ましたか」

「はい。——申し訳ございません。この度のお誘いはお断りさせていただきます」

 

 答えを問う瑠花王女へ向け、ライは深々と頭を下げる。

 その彼の反応を見て瑠花王女は小さく息を吐いた。

 突然の誘い、彼女自身も簡単に了承されるとは思っていなかったのかもしれない。

 

「力を必要とし、求めてくれた事は嬉しく思います。しかし僕にとってはやはり瑠花(彼女)こそが僕の部隊のオペレーターであるのです。共に戦う彼女の信頼に応えたい」

 

 『一緒にいたい』と語ってくれた女の子の思いを無碍にはできないとライは迷いなく言い切った。二人の絆が窺える様相に瑠花王女は幾分か複雑な感情を覚える。

 

「——残念です。あなたが傍にいてくれれば心強いと思ったのですが」

「申し訳ございません」

「いや、紅月君がそのように深く考える必要はない。突然の事で君を悩ませてしまったな」

 

 釈明を続けるライを気遣う忍田。

 彼も今回の誘いは急である事をよく理解していたため特に気にしているそぶりは見られなかった。

 その気遣いはとても嬉しく思う。

 だが同時にライはそれだけでは気が済まなかったのか、さらに話を続けた。

 

「はい。そしてこの度は、お二人に答えを出すと同時に一つお願いがあって参りました」

「お願い?」

「何かあったのか?」

 

 何事だろうかと瑠花王女と忍田が目を合わせるが両者とも心当たりがないのか首をかしげる。一体なんの事なのかと二人は次の言葉を促した。

 

「お願いがあります。僕に、記憶封印措置をかけてくれませんか?」

「えっ?」

「——なに?」

 

 それは二人が考え付くはずもなかった事。

 ライは自らに記憶封印措置を施すことを望んだのだ。彼の言葉の意図がすぐには飲み込めず、二人は目を丸くする。

 

「僕は王女の願いには答えられません。そのため先に申し上げたように、情報の出所が増えただけの結果となりました。ボーダーの中でも限られた者しか知らない情報であるならば、ただの一隊員に過ぎない僕が知るべきことではない事です」

 

 瑠花王女の情報の特異性、および重要性を知っているからこそ。

 情報を守るためにライは自らの記憶を消し去ることを提案した。

 自分の記憶が操作されるという嫌悪すべき事態であるにも関わらず、ライの表情に迷いはない。

 

「ならば、王女の身に危害が及ぶ可能性を少しでも減らすために。ボーダーにとって致命になりかねないこの秘密が僕から漏れないように」

 

 お願いしますと今一度頭を下げ、はっきりと言い切った。

 

「それは、しかし……!」

 

 忍田の表情がゆがむ。

 そもそも彼は瑠花王女とライを引き合わせる事にはあまり賛同的ではなかった。

 ただでさえ特殊的な経歴の彼が今回の事件の一件から立場が悪くなったためだ。そんな相手にこれ以上の重荷を背負わせたくはない。ゆえにここで瑠花王女の事を忘れ、責任を減らすというのは悪くない話だが、だからと言って記憶封印措置を施すというのは気が引けた。

 

「……その必要はありません」

 

 すると、忍田が迷っている間に瑠花王女が代わって答えを示す。

 

「今のあなたの言葉こそが、記憶封印措置よりもはるかに信頼できる意志の表れだと判断しました。違いますか、忍田?」

 

 措置など施す必要もなかった。

 それだけ信頼できる人物だと聞いたからこの話を持ち掛けたのだと、確認する意を込めて瑠花王女が忍田にじっと視線を送る。

 その意図を理解し、忍田は小さく笑った。

 

「——ああ、その通りだな。私も同感だ」

「ライ。私も無理強いをするつもりはありません。しかしやはりこの本部内でも信頼できる味方は一人でも多く欲しい。どうでしょうか? ならば防衛任務外であなたの時間がある時で構いません。この先、忍田のように私を守ってはもらえませんか?」

 

 常に傍で構えている必要はない。

 だからどうか余裕のある時は守ってほしいのだと助力を願った。

 通学のないライにとっては悪い話ではない。王女からの願いという事もあって、ライもこの誘いを一蹴する事は出来なかった。

 

「それが、王女殿下の願いとあらば。微力ながら尽力させていただきます」

 

 再びライは臣下の礼を取って協力を約束する。

 瑠花が大切な存在であることは変わりないが、同時に亡国の王女という彼女の存在もそう簡単に割り切る事はできなかった。

 

「ありがとうございます。——ですが、先ほども言いましたがそこまで畏まらなくても構いません。呼び方にしても他の人がいる時などは不自然になりかねませんし」

「そうですか。ではどうしましょうか?」

「玉狛支部にも関係者がいるが、彼は瑠花嬢と呼んでいたな。それに倣うとするか?」

「——では、瑠花お嬢様と呼びましょうか?」

「まあ及第点ですね」

 

 本音はもっと砕けた調子でも良さそうなニュアンスが含まれていたが、そこはライとオペレーターである彼女との関係性も考慮したのだろう。

 これでひとまずライから瑠花王女への接し方は一つ改善されたが、当然ながらもう一つ気になる事はあった。

 

「ならば僕の呼び方も何か変えてはもらえませんか? なんというか、あなたの顔で呼び捨てにされるのが少し複雑な気持ちになると言いますか……」

「ああ、なるほど」

 

 ライが心底申し訳なさそうに語りだす。

 よく似た少女が『ライ先輩』と呼ぶ中、『ライ』と呼び捨てにする現状に色々思うところがあった。

 親戚でもある忍田もわかると何度も頷く。

 

「そうですか? まあ私だけお願いするというのも悪いですから構いませんが。——しかしどうしましょう。忍田達とは昔からの付き合いで通じるでしょうが、あなたは経歴の都合上そうはいきませんからね」

「ええ」

「私までライ先輩と呼んでは余計に気にするでしょう?」

「勘弁してください」

「そうでしょうね」

 

 ならばどうしたものかと瑠花王女は指を顎先においてじっと考え始めた。

 何かちょうどいい呼び名はないだろうか。ライのパートナーと被らず、それでいて自分が呼んでもおかしくないような呼び方。

 

「——ああ。そうだ」

 

色々と考え始め、そしてある会話を思い返すと瑠花王女は非常に良い笑みを浮かべて両の手を合わせる。

 満足のいく答えだったのか、瑠花王女は目を輝かせ、満面の笑みを浮かべたままライの近くへと歩み寄り。

 

「それなら、こう呼びましょうか? 我が愛しの——お兄様(・・・)

 

 組んだ両手の甲に頬を乗せ、上目遣いにライを見上げて訊ねた。

 

「……お戯れがすぎます!」

 

 墓穴を掘ってしまったか。

 思わずライは右手で顔を隠しつつ、叫びをあげた。

 立場はおろか呼び方まで実の妹を彷彿させる彼女に、ライの心が激しく揺らぐ。

 非常に効果抜群な一言だった。

 

 

————

 

 

 

(……正直、少し疲れたな)

 

 結局ライが折れる形で話は終わりを迎えた。

 この後の予定としては今度瑠花王女が外出する機会もあり、その時に時間が合えば護衛として行動を共にしてほしいと頼まれ、ライは了承する。話はひとまずそこで終わり、その場は解散となった。

 少し足取りが重い。

 ただでさえ妹のように大切に思っていたオペレーターと顔が瓜二つな上に、さらに振舞い方や接し方が実の妹と似てくるとなれば複雑にもなるというもの。

 とにかく今後、瑠花と接するときには対応を間違えないようにしなければなと意識を切り替え、作戦室へと引き上げていった。

 

「おー。お疲れ紅月君」

「大丈夫か? どこか気疲れしているように見えるが」

「……大丈夫です」

 

 まさか人間関係で悩んでいるとは言えず、声をかけてくれた迅と風間に軽く言葉を交わすにとどまるライ。

 

「ならば良いが。ああ、入るなら伝えておく。また一人、来客だ」

「えっ? また?」

 

 風間の伝言に一体誰だろうと首をかしげる。

 中学・高校生組が帰ってくるには少し早い時間帯だ。

 ならばある程度時間の都合がきく大学生以上の人物か。まさかイコさんあたりが来たのだろうかと予想を立てつつ、ライは作戦室の扉を開ける。

 

「ただいま。戻ったよ瑠花」

「あっ、ライ先輩! お疲れ様です。ライ先輩と話がしたいとお客さんが来ています」

「うん。聞いてるよ。誰かな?」

 

 いつもの調子で駆け寄る瑠花に安堵を覚えつつ、作戦室の中をのぞき込んだ。

 

「——えっ?」

 

 そしてソファに腰かける隊員の顔を見て思わず目を見開く。

 スーツを身にまとい、茶髪をセンター分けした顔立ちの良い男性。

 交流はないが、三輪や加古を通じて幾度か話を聞き、A級のランク戦の映像を目にした事でその実力はよく知る実力者だ。

 

「二宮さん?」

 

 最強の射手(シューター)、二宮の姿がそこにあった。

 

「ああ。直接会うのは初めてだな。二宮隊の二宮だ。まあ突っ立ってないで座れよ、紅月」

「——はい。わかりました。失礼します」

 

 客人とは思えぬ高圧的な振る舞いに、『あれ? ここ紅月隊の作戦室だよね?』と疑問を抱きつつライは促されるまま対面の席にこしかける。

 こうしてライは射手(シューター)の王と初めての出会いを迎えたのだった。




ライ「王女との話が終わったと思ったら今度は王が来てた……」

そう語る本人も元王。外交問題かな?


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主人公

 ライと瑠花が並んで席に着いたことを確認し、二宮が話し始めた。

 

「まずはうちの隊員が世話になり、迷惑をかけた事について礼と謝罪をさせてもらう。鳩原の暴走を止めてくれた事、心から感謝する。そしてその為にお前たちの部隊までが降格となってしまった事を謝罪させてもらう。——すまなかった」

 

 そう言うと二宮は立ち上がり、大きく頭を下げる。鳩原の独断行動を見抜けなかった事への後悔、代わって阻止してくれた二人への感謝の思いが込められていた。

 一方で突然の来訪者である二宮に頭を下げられたライは思わず息を飲む。

 ライはかつて加古から二宮の性格について話を聞いていた。実は二人はかつてチームを組んだ事があり、同級生であり、しかも同じポジションで隊長も務める事から交流も多いという。彼女いわく『尊大な上に無愛想』、『言葉も態度も偉そう』、『東さんと師匠以外に頭を下げたところを見た事も聞いた事もない』などなど。様々な話を耳にしたがどれもプライドが高く自尊心が高い人物の評であった。

だからこそ目の前で自分に頭を下げている二宮の行動は驚くには十分すぎるものだ。もしもこの場に加古がいたのならば一連の行動を動画に収めていたかもしれない。

 

「いえ、頭をあげてください二宮さん。今回の紅月隊の降格は全て僕自身が起こした行動の結果です。誰かに命令されたわけではなく、強要されたわけでもない。あなたがそこまで気にすることではありません。そのお言葉だけで十分です」

 

 とはいえいつまでも呆けているわけにはいかない。

 一連の事件について長引かせることはライにとっても本意ではなかった。

そもそも二宮は鳩原の事件について一切関与していない。だからこそそれ以上の言葉は不要だと二宮に頭を上げるように促す。するとライから許しを得た事でようやく二宮も頭をあげた。

 

「そのように言ってもらえるとこちらとしては助かる。いずれにせよ今回の事件はうちの()隊員の不始末だ。あいつには後でもう一度話をしておこう」

「……鳩原の様子は、如何ですか?」

 

 鳩原は処罰により前代未聞のC級降格を受け、トリガーの使用も禁止されている。

 そうでなくても密航が失敗した直後とあって心境は複雑だろう。

 果たして大丈夫だろうか、ライは不安を覚えて二宮に彼女の様子を聞いた。鳩原の話を振られた二宮はゆっくりと首を横に振る。

 

「正直な話、あいつがこの先立ち直れるのかどうかは俺にはわからん。少なくとも今はただ無気力な状態だ。抜け殻と言っても良い。こちらからの問いかけには素直に応じるが、ただ反応を示しているだけのようにも見える。何度も謝罪し、時折作り笑いを顔に張り付けて、ただ自分を責めているようだった」

 

 無理もない話か、とライは一人口ごもった。

 そうでなくても遠征取り消しも鳩原の存在が一因とされている。その上に今回の二宮隊B級降格が重なった。内向的な性格である彼女が気にしないわけがない。

 

「——ボーダーには残ったものの、鳩原が二宮隊に復帰する事はないかもしれない」

 

 二宮も彼女の様子を悟ったのだろう。わずかに目を細め、かつてのチームメイトと再び手を組む可能性は限りなく低いだろうと断じた。

 

「二宮さんとしても隊員たちに示しをつけるため、ですか?」

「それも一つではある。少なくとも俺の方からは『戻って来い』と声をかけるつもりはない。席は残しておくが、あいつが自力でB級に戻り、そして自分から復帰を願い、犬飼たち全員がそれを了承する事が条件だ。だが、元のような関係に戻るのは難しいだろうな」

 

 全てを捨てる覚悟で密航を実行した鳩原。

 彼女の違反の責任をとる形で降格となった二宮達。

 この両者の関係が元通りになる事は確かに言葉で語る以上に険しい道のりだ。

 形だけ元に戻ったとしても必ずどこかで溝が埋まれ、深まっていくことは容易に想像できる。二宮もそれをわかっているからこそこのように語っているのだろう。

 

「仮に元に戻れるとしたら、それは全てのケリがついてからだろう」

 

 だからといってすべてを諦めるというわけでもなく。

 二宮はこの時すでにその先へと目を向けていた。

 

「二宮隊は再び近界(ネイバーフッド)遠征を目指す。そして事件の首謀者たちを捕え、各々の目標を今度こそ達成する」

 

 改めて二宮はA級へと復帰し、そしてかつて目前で資格を失った遠征に参加し、目的を達成すると宣言する。そうする事で二宮隊は元の、本来の在り方を取り戻せるだろうと信じていた。

 

「鳩原のためにも、ですね」

「それはあくまでも目的の一つにすぎん。だが、確かに俺達は元々遠征を目指していた。ならばそれを達成しなければならないだろうな」

「……ええ。そうですね」

 

 不器用に小さく笑みをこぼした二宮を見て、ライと瑠花は顔を合わせて笑みを浮かべる。

 少なくとも二宮本人は気を使う必要はまったくないようだ。それどころか彼は誰よりも早く意識を切り替え、次の目標を目指していた。伊達に長年ボーダーで戦っているわけではない。

 

「——そして今回の密航事件についてだが、実は俺達二宮隊が事件の調査を請け負う事となった」

「えっ? 二宮隊がですか?」

「ああ。今回の事件は出来るだけ関係者は少ない方が良い。風間隊はいざという時に動けるため本部に備えておきたい。ならば直接事件そのものには関与していないうちが担当しても問題はないと上層部が判断したのだろう」

 

 なるほど、と頷いた。

 確かに二宮隊は鳩原を除けば事件の事は知らされていなかったし遠征に選ばれるだけの信頼を勝ち取っている。隠密な作戦を引き受ける事が多い風間隊をできるだけ調査の任につけさせたくないという思惑も理解できた。

 ならば上層部からの命令なのか二宮の方から打診したのかは不明だが、彼らが命令を受けるのは不思議な話ではない。隊員の責任をとるという意味もあった。

 

「そこでだ。紅月、お前も調査に協力してくれないか?」

「僕がですか?」

「ああ。上層部にもすでに許可は取っている。鳩原から情報を受け取ってはいるが、お前も事件の関係者だ。しかも誰よりもいち早くあいつの行動に勘付いていた。お前がいれば何か進展があるかもしれない。どうだ?」

 

 ここで二宮は彼が紅月隊の作戦室を訪れたもう一つの目的について打ち明ける。

 ライは同じく事件を知る者であり、誰よりも早く異変に気付く勘の良さを持ち合わせていた。また何か見落とすことがないようにと二宮は彼に協力を求める。

 

「わかりました。僕で良ければ同行しましょう。よろしくお願いします、二宮さん」

 

 彼にとっても少しでも早く事件が落ち着きを取り戻すというのならば願ってもない事だ。ライは二つ返事で申し出に応じるのだった。

 

「そうか。助かる。ならばこの後犬飼達と合流次第向かうとするぞ。——だが、行く前に準備をしてからか」

「準備ですか?」

「ああ。お前だけ違う格好というわけにもいかないだろうからな」

「……うん?」

 

 どういう意味だと首をかしげるライ。そんな彼に二宮は「すぐに終わる」とつぶやくにとどまった。

 

————

 

 

「……なんというか、ちょっと違和感を覚えるな」

 

 自らの格好を見てライは複雑な表情を浮かべていた。

 ライはトリオン体のままだがその姿は普段と異なっている。紅月隊の隊服ではなく、二宮隊の隊服であるスーツ姿へと換装を変えていた。複数人で行動を共にするならば服装は統一した方がよいだろうという二宮の意向である。

 とはいえ敵として見ていた隊員と同じ格好に着替えるとなるとやはり自然と違和感は浮かび上がった。

 

「えー。滅茶苦茶似合ってるよ、紅月君。ねえ?」

「はい。より引き締まった印象を受けます」

 

 一方でいつの間にか合流を果たしていた犬飼と瑠花は上機嫌に笑って彼の姿をほめたたえる。

 容姿が整ったライがスーツに身を包み、凛とした姿勢をとると確かに絵になった。場所が違えばさらにその環境にあった人物像となっていただろう。

 

「本当にすごいですね、トリオン体って。設定しておけばこういう感じに服装を簡単に変更できるんですね」

「そうだよー。設定を残しておけば他の部隊の隊服にもすぐ変えられるからね。色々試してみようか?」

「犬飼、瑠花を変な遊びに惑わすのはやめてくれないかな?」

「冗談だってー」

 

 素直に関心している瑠花をおかしな方向へ導こうといている犬飼には低い声を当て、無理やりその口を黙らせた。ライはおかしなことを覚えさせないようにと配慮しての事だったが、しかし瑠花は彼の姿を見て目を輝かせている。

 

「あの、ライ先輩」

「ん? なんだい?」

「記念に写真を撮ってもいいですか?」

「……何の記念?」

 

 どういう事だと全く意味はわからなかったが、まあいいかとライは許可を出した。

 「ありがとうございます」と言って瑠花は何枚か写真を撮ると満足げに頷く。

 

「この写真、加古さんたちにも送っていいですか?」

「——だ、ダメっ! とにかく加古さんだけはダメ!」

「どうしたの紅月君。加古さんと何かあった?」

「まああるにはあったけど、とにかく加古さんに送る事だけはダメ!」

 

 さすがに先ほど部隊へ勧誘されたばかりの相手に、他の部隊の隊服に着替えた写真となるとあらぬ誤解が生まれる事は容易に想像できた。しかも相手が加古の元チームメイトの部隊となればなおの事だ。ライはさすがに瑠花でもそれだけはダメだと厳しく諭すのだった。

 

「……そうですか。わかりました」

 

 さすがに隊長の命令に背く気はないのか瑠花は渋々応じる。

 しかしこの後、加古隊の隊員である黒江を通じて加古もこの写真を目にするのだがそれはまた別の話。

 

「ただ確かにライ先輩が仰るように、制服姿も見た事なかったので珍しいですよね」

「あーそうだねー。私服か隊服しか見かけないもん」

「そうかな? まあバイトの時はそっちの服に着替えるから確かにこういう格好は珍しいかも」

 

 現在ライは学校にも通っていないので制服を持っていない。普段はトリオン体でいる事が多く、私服を着るときも珍しいのでスーツ姿というのは非常に目新しいものだった。

 今まで見た事がなかった新たな発見に瑠花は嬉々として言葉を続ける。

 

「そうですよ。それにボーダーの隊服ってジャージのようなものが多いですから。なんだかコスプレみたいです」

 

 瞬間、その場に衝撃が走った。

 

「……瑠花、その言葉は二宮さんの前では言わないでね」

「えっ? 何でですか?」

「ほら、うちの隊長って結構そういうのうるさいからさ」

「はあ。まあお二人がそう言うならば、わかりました」

 

 きょとんと首をかしげる瑠花に二人は小さな声でつぶやく。

 二宮隊の隊服は隊長である二宮が決めたものだった。しかもその理由は隊服のコスプレ感を嫌ったものなのだ。それがジャージスタイルが主であるボーダーの中ではかえって浮いてしまい、結果的にコスプレ感が出てしまった状態であり、二宮は真剣に考えているのである。

ライと犬飼は辻を呼ぶため、そして連絡を取るために席を外していた二宮がこの場にいない事を確認し、安堵の息を漏らした。

 

 

————

 

 

 その後、ライの準備が整うと二宮は辻と共に合流し、二宮・犬飼・辻・ライの四人である場所へと向かった。

 行先は今回の事件の首謀者とされる雨取麟児の実家だ。何か地図などの手がかりが残っているかもしれないと判断しての事である。

 原因がトリガーのものとはっきりしているものの、彼の捜索願が出ていた事もあって警察と共に雨取家を訪問した。

 いつの間にか振り出した雨が徐々に強まる中、犬飼が前に出てインターホンを鳴らす。

 

「雨取家の人間との交渉は俺達が担当する。紅月、お前は何か発見次第教えてくれ」

「わかりました」

 

 傘の下、二宮とライが短く会話を交わした。

 確かに家族との話し合いとなればボーダー在籍歴も長い二宮隊が担当した方が良いだろう。ライはすぐに頷きを返す。

 ほどなくして家の中から雨取麟児の父母であろう二人の人物が顔を出した。

 

「こんばんは。突然大人数で押しかけてすみませんね。ボーダー隊員の犬飼と申します。雨取さんのおうちで間違いないでしょうか?」

 

 慣れた調子で犬飼が挨拶し、確認を済ませる。

 二人は案の定というべきか、向こうから早くも麟児の行方について問いただしてきた。無事なのか、見つかったのかと心配するそぶりは演技には見えず心から息子の安否を心配しているように見える。

 

「——以上、トリガーを使った形跡が発見されており——また、遺体が発見されていない事から、私達ボーダーはおそらく連れ去られてしまったのではないかと捜査をしています」

 

 相手を気遣いつつ穏便に済ませるべく、所々真相をぼかしながら話を進めていく犬飼。

 その様子をライ達はじっくりと見守りつつ——近くから注がれる視線に気づき、ライはそちらの方角へと目を向けた。

 

「……二宮さん」

「ああ。誰かいるな。中学生、あるいは高校生くらいの年齢か」

 

 ライだけでなく二宮もその視線を察している。

 二人の視線の先にはまだ顔つきが幼く、学生くらいの体つきで制服を身にまとった男の姿があった。相手も傘をさしているため詳しく顔をうかがう事は出来ない。だが野次馬にしては特に写真を撮ったりネットに書き込む様子もなくただじっとこちらを見守っており様子がおかしかった。

 

「雨取家の関係者か……?」

「少なくとも家族ではありません。先ほど警察の方に伺いましたが雨取家は4人家族。兄弟構成は兄と妹となっていました」

「ならば雨取麟児かその妹と親しい者の可能性が考えられるな」

 

 雨取家の人間ではないが赤の他人でもなさそうだ。男の様子から二人はある程度その正体について推測していく。

 

「……二宮さん。少しこの場を預けてもよろしいですか?」

「行くのか? 今は雨取家の調査が最優先だ。あいつが何か知っているとは限らない。それに下手にこの事件に興味を持つ者を増やしてもどうかと思うが」

 

 二宮は確実性がない以上は調査対象を増やすべきではないだろうと見知らぬ男へ関与する事に対して否定的な意見を呈した。確かにボーダーの不祥事に関わる事の調査範囲を広げる事はあまり得策ではない。それはライも承知していた。

 

「しかし今は雨取麟児という男の情報さえ不足しています。雨取家に関する情報は少しでもほしい。首謀者に関与している可能性があるならば行くべきだと思います」

 

 だがボーダー側の情報が不足しているというのもまた事実なのだ。

 雨取麟児の交友関係も不明のまま。

 ならばここは積極的にしかけるべきではないかとライは二宮に申し出た。

 

「……良いだろう。だがこちらから詳しい情報は流すな。関係ないとわかったら素早く引き上げてこい」

「紅月、了解」

 

 彼の考えも一理あると判断したのか、しばし考えこんだ結果二宮は許可を与える。

 許しをもらったライは早速立ち尽くしている男子生徒の元へと足を運んだ。

 相手は茫然としていたのだろう。ライが目の前に迫ってようやくその接近に気づく。

 

「……あっ、あの。僕は!」

「はじめまして。僕はボーダーに所属する紅月ライというものです。現在、行方不明者の捜索にあたっているのですが、このあたりで何か不審な人物を見たとかおかしな出来事があったとかそういう覚えはありませんか?」

 

 突然の出来事に男子生徒——顔をのぞき込むと、黒髪のショートカットにアンダーリムの眼鏡を付けた、まだ幼さが残る顔つきの少年が冷や汗を浮かべて狼狽えると、ライが先んじて身元を明かし、説明を始めた。

 行方不明者の捜索とは上手く言ったものだと自分でも思う。

 警察も行動を共にしている今、雨取家の人間とこうして真剣な問答を交わしている現状を関係者が目撃したならば必ずやぼろを出すだろう。

 

「行方不明者? ——ボーダーが調査しているという事は、まさか麟児さんですか!?」

 

 案の定、目の前の少年からは決定的なキーワードが飛び出した。

 『麟児さん』と対象を親し気に呼んだ上に、ライがボーダーであるという事にまで食いつく。この男は何かを知っていると考えて間違いなかった。ライの瞳がわずかに細まる。

 

「どうやらあなたは何か情報を知っているようですね。詳しくお話を聞きたいのですが、ご協力願えますか?」

「……はい。わかりました」

「ありがとうございます。それでは先にあなたの名前から伺ってもよろしいですか? 場合によっては今日以降もお話を聞くことになるかもしれませんので」

 

 少なくとも目の前の人物はボーダーに敵意はないのか素直に頷く。

 ライに名前を尋ねられても彼は一切抵抗するそぶりを見せることなく——

 

「——三雲。三雲修です」

 

 後にボーダーという組織で広く知られる事となる自身の名前を打ち明けた。



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契約②

「やはり、特にこれといった証拠は見つからなかったな」

 

 雨取家の捜索を終え、現場を含め目途を付けた一通りの場所を調べた後、二宮隊とライはボーダー本部へ帰還し、二宮隊の作戦室に集まっていた。

 コーヒーを口に含むと二宮が淡々とつぶやく。

 もともと今回のような大掛かりな作戦を立てた首謀者が証拠を残しておくとは思わなかったが、少しでも何か新たな切欠が欲しかった彼らにとっては残念な結果だった。

 

「当然ですけど家族も一切知らない様子でしたからね」

「妹さんもいましたが、衝撃のあまり茫然としているようでした。仲がよさそうなだけに、密航するとは思えなかったのでしょうね」

 

 犬飼や辻も彼の意見に同調して頷く。

 雨取家の家族は麟児の他に3人いるが、誰もが信じられないと口を揃えており、事件とはまったく無関係な様子だった。

年が近い妹も同様の反応である。感情を抑えるのに必死な様子の女の子は見ていて痛ましいものがあった。

 

「しかしだからこそわかる事もあります。痕跡を一切残さず、鳩原が不在となっても密航を決行した。最初から彼らは目的を達成しない限りはこちらの世界に帰らない覚悟を決めていたのではないでしょうか」

 

 とはいえ何もわからないからこそ推測もできるとライが意見を述べる。

 経験豊富な協力者を失っても密航を決行した麟児たち。相応な決意を固めていなければ出来ないだろう。彼らは無謀でも興味本位でもなく、各々の強い覚悟をもとにこの行動に移ったのだと。

 

「確かにな。そうでなければボーダーの情報網を上回ることなどできなかっただろう。——それで紅月。お前が話した男はどうだった?」

「ええ。ビンゴでしたよ」

 

 ふと雨取家の前で立ち尽くしていた男の姿を思い返し、二宮が話題をその謎の男に変える。

 やはり彼も何かしら関係があるのではと疑いを持っていたのだろう。

 視線を向けられたライはその疑問に答えようと小さく首を縦に振るのだった。

 

「少年の名前は三雲修。まだ中学生でした。雨取麟児に家庭教師として勉学を教わっていたようです。彼の妹とも親しいとの事。今回の密航についても、雨取麟児から話を聞いていたとの事でした」

「何だと?」

「話を聞いていたって、何それ? じゃあボーダーにはわざと黙っていたってこと?」

「確かにその通りなんですが、少し事情が違うよ。——彼は雨取麟児たちと行動を共にする予定でしたが、嘘の決行日時を教えられたそうです。先ほどの話と重なりますが、おそらくは雨取麟児がこちらの世界に残る妹を気遣い、彼に妹の事を頼んだのではないかと」

 

 大小の差はあるが、二宮達3人は三雲に関する話を聞いて驚きを隠せない。

 まだ麟児たち3人と鳩原の他にも密航を企んでいた者がいた。しかも首謀者のすぐ近くの存在だ。今回の調査では見過ごしてしまいかねなかっただけにこの報告は非常に大きなものである。

 

「……情報の信憑性はどうだ? その男が嘘を語っている可能性はないのか?」

「ないと考えていいでしょう。こちらが行方不明者の捜索と説明しただけで麟児の名前を挙げ、ボーダーである我々の存在に反応を示していました。加えて、ボーダーに協力者がいるという事まで知っていました」

「なるほど。それならば確かにその三雲君という中学生が言っている事は信じてもよさそうですね」

「おそらくは」

 

 辻の言葉にライも同意を示した。

 何も知らない第三者としてはあまりにも情報に通じすぎている。加えてライは相手の様子からも彼の話している事が真実であろうと感じ取っていた。

 

「あえて協力者をこちらに残し、情報を探らせるにしては彼があまりにも若い。おそらく本当に彼は雨取麟児たちと行動を共にする予定だったのでしょう」

 

 『少なくとも彼の中では』と付け加え、ライは話を区切る。

 三雲はまだ中学生だ。一人ボーダーの人間に近づき彼らと情報戦を挑むとは考えにくかった。ライは三雲という少年が真に麟児の密航についていけなかった事を悔やみ、そして彼の身を案じているのだろうと結論付ける。

 

「なるほど。それでそいつから何か計画について深い事は聞けたのか? 情報の出どころなどは?」

「……それがですね。実は少し厄介な事になりましたよ」

「うん? どういう事? あの後何かあったの?」

 

 二宮の問いにライが珍しく言いよどんだ。物事の決断が速い彼らしくない態度に犬飼はその真意を聞き返す。

 

「ええ。実はその三雲という少年、情報の開示に関してはこちらに条件を提示してきました」

 

 苦笑いを浮かべて、ライは三雲修と交わした契約について詳細に話し始めていった。

 

 

————

 

 

「——確かに僕は麟児さんから近界民(ネイバー)の世界へ行くことについて話を聞いていました。麟児さんが分析していた(ゲート)の発生予測地点もよく覚えています。おそらく麟児さんたちが消えた地点と一致するはずです」

「なるほど。もしもそれが本当ならば話が早い。こちらの調査もはかどるというもの。よければその地点について詳しく教えてもらえないでしょうか?」

「はい。ただ、それは構いませんが……」

「どうしました?」

 

 三雲はライとの話し合いにおいては麟児が密航を企んでいた事、そのためにボーダーの人間と取引を行っていた事、決行の日時や場所などを数日前から自分に打ち明けていた事などはしっかり聞き取りに応じていた。

 しかしより詳細な情報を求められると、そこで三雲は口ごもり、申し訳なさそうに視線を逸らす。どうしたのだろうかとライは先を促すと、

 

「……麟児さんの調査について、ボーダーはどこまで把握しているんですか? 僕も知る限りは話します。だからボーダーが調べている情報も教えてください」

 

 三雲は情報の開示ではなくあくまでも対等な立場で麟児に関する情報の共有を願い出た。

 迷いながらもはっきりと自分の意思を示した彼の瞳には『自分が麟児を連れ戻しに行く』という決意が感じ取れる。

 それはライもよく理解できた。しかし感情と理屈はまったく別の問題だ。眉をピクリと動かすにとどまり、ライは淡々とボーダー隊員としての答えを示す。

 

「残念ながらそれは出来ません。今調査している問題はボーダー内部でも非常に限られた者だけが知る問題です。調査している者でさえ、この事件を知りボーダー本部から力を認められたものだけと制限されているのが現状だ。その願いには応えられない」

「ならば、僕がそのボーダー本部から力を認められれば麟児さんたちの情報を教えてもらえますか?」

「——どういう意味です?」

 

 さすがに聞き逃すわけにはいかず、ライは三雲の語る言葉の真意を問いただした。

 彼は雨取麟児を知る者ではあるがボーダーとは無関係の一般人だ。とても条件を満たせるわけがない。

 

「今回の一件で自分の無力さを感じました。麟児さんまでいなくなってしまった今、何もせずにはいられないんです。——僕は、ボーダーへの入隊を望みます。ですから僕がいずれボーダーに入ってあなたが言う力を手にしたならば僕も捜索に協力させてください」

 

 雨取麟児に対する思いが、そしてこれはライは知らぬことではあるが彼の妹に対する思いが三雲にある決意を固めさせた。

 自分がボーダー隊員となり、麟児の居場所を探し出し、そして彼が消息を絶つ前に頼まれた妹を守るために、力を手にするためにボーダー隊員になるのだと。

 

「……その意気込みは買いましょう。しかしボーダー本部から認められるという事は簡単なことではない。親しい人がいなくなって気持ちが逸るのはわかりますが冷静になってもらいたい。ボーダーも今彼らの捜索に尽力している最中です。彼らの行方が分かり次第お知らせします。それで納得できませんか? あなたの情報とてあくまでも確認のために行っている事です。ボーダー本部に任せていただければ、後はこちらで捜索は進めていきます」

 

 若いながらに一つの目的のために力を求める。その気持ちはライも痛いほどよく理解できた。

 だがだからと言ってそう簡単に民間人を事件に巻き込む必要はない。

 ライはそう簡単に決断を急がないようにと優しい口調で三雲を諭した。

 

「——いいえ。納得できません」

 

 それでも三雲は一歩も退く姿勢を見せない。あくまでも自分から気持ちを折る事はしないという意志を示すのだった。

 

「そもそも、ボーダーの捜索は完全ではないんじゃないですか?」

「いきなりどうしました? そのような事は——」

「そもそも麟児さんたちの密航が成功できたことが根拠です。麟児さんは最初から近界民(ネイバー)が出入りするであろう場所を調べて計画していました。それがボーダーもわかっているならば、そもそも麟児さんたちの密航とて阻止できたのではないですか?」

 

 ライの言葉を遮って推測交じりに三雲は語る。

 事実、彼の言葉は的を射ていた。ボーダーは基本的に門が現れてから待機あるいは巡回している隊員が防衛に向かう。もともと門が出現する正確な場所がわかっていれば先回りしていた防衛隊員たちによって麟児たちの密航は叶わなかっただろう。

 

「つまりこの捜索は確認ではなく手探りで情報を集めているのではないですか? それならば僕が麟児さんから得た情報はボーダーにとっても十分利になるはずです。麟児さんたちの捜索はもちろん、今後の防衛任務のためにも」

 

 だからこちらの要求にも答えてほしいと、三雲はあくまでも情報提供ではなく同じ立場での協力を願った。

 自分の考えに自信を持っているのか、三雲は意見を言い終えると一息吐いてライをじっと見つめて答えを待つ。

 

「——なるほど。面白いな、君は。その場の状況と説明に流されず、己の確固たる意志を持ち合わせ決意を貫き通す。中学生とは思えないな。そういう人間は嫌いじゃない」

 

 するとライは軽く笑みを浮かべ、砕けた口調で話し始めた。

 三雲に興味を抱いたのだろう。先ほどまでの固い雰囲気は崩れ、面白いものをみつけたように目を輝かせた。

 

「僕がこの場で約束する。君がボーダーに入隊し、もしもその力を認められたならばわかっている情報を提示しよう」

「本当ですか!」

「——ただし、条件がある」

 

 とはいえ無条件のままこの場で誓う事は出来ない。現状を考慮したうえでライは三雲に要求を突きつけるのだった。

 

「さすがに期限を設けないわけにはいかない。——半年だ。ボーダーには強さによってA級、B級、C級というランク付けがされている。君がボーダーに入隊し、半年以内にB級に上がってもらう。それができなければその時点でこちらからの情報の提示はしない」

「……半年」

「君にとってはその期間が短いのか長いのか判断が難しいだろうが、半年あれば力のある隊員ならばB級になれている頃合いだと考えてもらえれば良い。まして、上層部に認められる人間となればなおさらね。だからこそこの条件を付けさせてもらった。こちらにも捜索の都合があるからね」

 

 ボーダーとしても情報はあって困るものではない。それは早ければ早いほど役に立つというもの。だからこそライは三雲がもし本当にボーダーの力になりうるならば目標に向かって邁進するように、なりえないならばそこまでだと厳しい決断を下すため、明確な基準を設けるのだった。

 

「わかりました。では入隊から半年以内にそのB級に上がり、そして力を認められればいいんですね?」

「当然ながらB級に昇格というのは最低条件だ。そこで満足してもらっては困るよ」

「——はい!」

 

 言われるまでもないと言わんばかりに三雲は力強く返答する。

 こうしてライと三雲、二人の少年は契約を交わし、別れるのだった。

 

 

————

 

 

「……勝手に約束を取り付けたのか」

「申し訳ありません。しかし彼の知りうる情報は役に立つと思いました。それにあくまでも上層部に認められればの話です。そう簡単にはいきませんよ」

「確かにな」

 

 仕方ないかと二宮が息を吐く。

 事実、二宮でさえ相手がここまで決意を示していたのならば条件を付けてならば約束したのかもしれない。ならばそれが少し早かっただけの事だ。

 

「上層部に認められればって、紅月君もまた曖昧な表現をしたものだね。つまり遠征に選ばれるってことでしょ? まず無理だよ」

「だけど彼が本当に雨取麟児を連れ戻したいならば、それは避けられない道だろう? ならば仕方ないさ」

「まあ確かにねー」

 

 それもそっかと犬飼も軽い調子で頷いた。

 三雲の望みは雨取麟児を発見し、連れ戻す事。それまでの間彼の妹を守る事だ。

 ならばライの提示した条件はなしえなければならない。むしろ早めに基準を設けられた事で目標へ向けて励めるだろう。

 

「道は示しました。後は彼次第です。——いずれにせよ、それまで僕たちは出来る限りの事をしておきましょう」

 

 捜索にせよ、訓練にせよ。まだまだやるべきことは多くあった。

 だから三雲修という少年の存在の有無にかかわらず、やるべきことをやり遂げようとライは気持ちを新たにする。

 ——そしてこの先、三雲がボーダー組織に大きな影響を及ぼす事になるのだが、この時はまだ知る由もなかった。 

 

「そうだな。とにかく今日の捜索はここまでとする。紅月は先に上がってくれ」

「了解しました。それではまた次の捜索の予定が立てば宜しくお願いします」

「ああ。——それと、最後にもう一つだけ頼みがある」

「何ですか?」

「お前の時間が空いている時で構わない。もしもお前が良ければ——」

 

 最後に二宮は別れ際にライへとある願いを頼み込んだ。

 一体何だろうと首をかしげる彼に二宮はゆっくりと口を開く。

 

「……わかりました。僕でよろしければ」

「ああ。頼むぞ」

 

 滅多に他人には依頼をしない射撃の王からの誘いにライはしっかり耳を傾け、そして大きく頷くのだった。




という事で二宮・三雲編はひと段落。
最後の二宮の頼みに関する描写が描かれるのは少し先に。
次回から時系列を進めていきます。


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不変

 雨取家の捜索から時間が経過した数日後の夕方。

 ライはある部隊の作戦室へ向かっていた。

 相手と約束した時間までおよそ7分ほど。十分余裕のある時間だ。これならば大丈夫だろうと足を進め——そして目的の作戦室へとたどり着き、その扉が開いている事に気づいて足を止める。

 

「こんばんは。弓場さんは——あっ。いらっしゃいますね」

 

 扉近くの壁を3度ノックした後にそっと部屋の中をのぞき込む。

 すると入り口からすぐそばの場所に会う約束を交わした相手であり部屋の主でもある弓場隊の隊長・弓場が厳つい顔つきで立ち尽くしていた。

 

「おお。よく来たな、紅月ィ」

「お久しぶりです。弓場さん。ランク戦以来ですね。今日はどうしましたか?」

「ああ。まあお前には色々言いたい事も聞きたい事も山ほどあるが、今日の主な用事はそっちじゃねェー。——帯島ァ!」

「ッス!」

 

 弓場の力強い叫びに呼応し、部屋の影から中性的な顔立ちと日焼けした肌が特徴的な隊員が顔を表した。

 B級弓場隊 攻撃手(アタッカー) 帯島ユカリ

 

「客だ。挨拶しろ」

「は、はい。えっと。は、はじめまして。帯島と言います」

「ああ。はじめまして。紅月隊隊長の紅月ライだ。よろしく」

 

 言葉に詰まりながらも帯島は軽く会釈をしつつライに名乗るとライも呼応して自己紹介を済ませる。

 初対面で年上の相手となれば緊張するのも仕方ないだろう。

 ライは軽く笑って緊張をほぐそうとするが。

 

「おい。帯島ァ」

「うっ」

「挨拶くらいきちんとしろや、もっと声出せ!」

「——っス!」

 

 弓場はそんな態度を諫め、もっと背筋を伸ばすようにと声を張り上げた。そんな声に当てられ、帯島はゆっくり深呼吸すると今一度ライへ向けて先ほどとは打って変わって凛と姿勢を正し、名乗りを上げる。

 

「自分、弓場隊に加わることとなりました攻撃手(アタッカー)帯島っス! 昨シーズンの紅月先輩の柔軟な戦いぶりに感銘を受けました! 自分はこの先、万能手(オールラウンダー)になるべく精進しようと思っています! よろしければ、自分に戦い方についてご教授ください!」

「——弟子入り?」

 

 真っ直ぐな言葉に驚きつつ、ライは相手の意図を理解して短くつぶやいた。すると彼の意見を肯定するように弓場が代わって話に入る。

 

「ああ。おめェーはもう知っているかもしれねェーが、王子と蔵内が独立して自分の隊を持つことになった」

「ええ。たしかに聞いています」

「そこで、この帯島が新たに弓場隊へ加わる事になったんだが、俺や神田の負担を減らすためにもこいつには剣の腕を磨きつつ射手(シューター)のトリガーも使わせるようにしてェー。一つ、頼まれてくれや」

 

 なるほど、とライは頷いた。

 昨シーズンまでの弓場隊には王子・蔵内という隊員が在籍していたが、この二人が隊を離れ新たに王子隊を発足する事となっている。

 そのため減った人員を補うために入ったのがこの帯島なのだが、銃手・弓場と万能手・神田と合わせるためにも帯島に万能手として学んでほしいと弓場は語った。

 戦略を立てる上でも非常に理解できる話だ。

 まだ次シーズンまで数週間はあり、新たなトリガーを練習するには十分だろう。

 

「本当に良いのですか、弓場さん? 教える相手が僕で。正直に言ってあまりお勧めはできません」

 

 教える事は決して苦痛ではない。

 だがライはこの誘いに対して否定的な意見を述べた。

 理由はもちろん己の立場を考慮してだ。

 ライは二宮隊と行動を共にする事になったという事情もあって他の隊員たちとの接触の制限については解除された。

 だからと言って処分を受けた彼の心象が消えたわけではない。特に彼の事を知らぬ隊員たちの目は冷ややかなものだ。ゆえに初対面であり、見たところ中学生くらいであろう帯島の相手をするのが自分であるという事にライは前向きに考える事はできなかった。

 

「……あぁ。そう言うと思ったから、おめェーに声をかけた」

「はっ?」

 

 するとライがすぐに応じるとは思っていなかったのか、弓場は「それがどうした」と言わんばかりの表情で応じる。真意が読めずライは首をかしげて先の言葉を促した。

 

「あんな処分を食らった後ならおめェーが他の奴らと関わらないようにするだろうとは思っていたからなァ。——あんまり自分を過小評価してんじゃねェーよ、紅月ィ。もう一年近くの付き合いだろうが。降格したからって俺らの評価はそう簡単に変わりはしねェーよ」

 

 今までのライの人間性を見て、聞いて、その上で弓場は紅月ライという人間が何の理由もなしに隊務規定違反を犯すはずがないと考えて。そして彼がふさぎ込まないようにとライのためにもこういった人との交流の場を設けていた。

 だからそんな事で縮こまるなと弓場は笑う。

 

「紅月先輩。自分も、緑川君たちから先輩の話は少し聞いてました。皆先輩の事嬉しそうに話してて、そんな人ならば自分も教えを受けたいと、そう考えました」

 

 さらに帯島も弓場の意見を後押しするように、一歩前に出て再び教えを願った。

 帯島はライと交流も多い緑川と同じ年代だ。ひょっとしたら彼以外にも年代が近い黒江などからも話を聞いていたのかもしれない。帯島の言う通り、きっとライの話を以前から聞いていたのだろう。初対面の相手に対する緊張感はなく、帯島はじっとライの目を見つめている。他の隊員と同じような接し方だった。

 

「……わかった。僕で良ければ力になろう。女の子の頼みを無碍にするわけにはいかないしね」

 

 ——今はその態度がライにとって非常にありがたかった。

 だからライもその期待にはしっかり応えるべく肯定の返事をする。

 こうして新たな師弟がここに誕生したのだった。

 

 

————

 

 

 帯島とライは弓場隊の作戦室で軽く10本の手合わせを行った。

 現時点で帯島がどれほどの腕を持ち、どのような戦い方をするのかをみるための模擬戦である。

 数分後、仮想戦闘場から二人がゆっくりと出てきたのを見て外から眺めていた弓場が声をかける。

 

「おぅ。どうだ、帯島の腕は?」

「悪くないと思います。特に防御に関して反応が良い。身軽な分手数で押す事もできるでしょう。B級上位陣のエース級と当たるのは厳しいでしょうが、そうでなければ条件さえよければ単騎での行動も不可能ではないかと」

「ありがとうございます!」

 

 純粋に戦った身として適切な評価をライが下した。

 まだ幼いとは言えB級に上がるだけあって筋が良い。特に守りに関しては得意なのか対応力が優れていた。弓場隊の一員として迎え入れるとしても問題はないだろうと彼女の腕を認めている。

 

「ただ、今すぐに射手のトリガーを使う事は反対です。少なくとも今シーズン中は弧月に専念する方がよろしいかと」

「あぁ? なんでだ?」

 

 しかしライは頼まれていた万能手への必須要件でもある射手トリガーの教えには反対意見を呈した。

 腕を認めているならば問題はないだろうと弓場は当然疑問の声をあげる。

 

「理由は単純にまだ彼女自身が弓場隊に、部隊ランク戦に慣れていないという事。まずは部隊としての戦い方に慣れさせるためにも使える武器を一つに決め、新生弓場隊の方針を立てていくことが重要と考えます」

「まあ確かにすぐ使いこなせるとは俺も思ってはねェーがなぁ」

「それと何よりも新たに手にしたばかりの武器を使いがちになる。かえって弧月の戦いがおろそかになり、注意力が散漫になる恐れがあります。弧月の戦いにおいて基礎が固まっている今はさらに経験を積ませてより柔軟性を持たせたい。そのうえで射手トリガーを教え、万能手として活躍するのが上策かと」

「——なるほど。おめェーなりにきちんと考えたみてェーだな」

 

 弓場自身も思うところがあるのだろう。納得して小さく笑った。

 覚えたての技術を使いたくなるというのは人の性だ。使える武器が少なく選択肢が限られているからこそ自分の戦い方を明確に理解し、存分に力を発揮できるという事もある。

 

「最初は弧月でチーム戦の経験を積んでいき、少しずつできる事を増やしていくのが彼女の、ひいては弓場隊のためになると思います」

「良く分かった。そもそも帯島の指導についてはおめェーに一任するつもりだった。万能手に関しても俺より知ってるだろうしな。おめェーの方針通りに進めてくれ」

「わかりました」

 

 教えを一任され、ライが力強く頷いた。剣だけだとしても教える事は多くある。出来うる限り力になろうと改めて帯島に向き直った。

 

「というわけだ。しばらくは剣のみでの指導になると思う。頃合いを見て十分経験を積んだと判断したら射手トリガーの方も僕が教えられることは教える予定だ。それで良いかな?」

「っス! どうかよろしくお願いします!」

「うん。よろしく」

 

 まるで体育会系のようなノリで力強く返答する帯島。そんな彼女につられるように笑いつつ、ライは「それと」と小さな声で付け加えた。

 

「弓場さんがいない時はもっと力を抜いて良いよ」

「えっ?」

「無理して気を張ると疲れるだろう? 僕といるときはもっと自然体でいて欲しい」

 

 弓場に聞こえないようにそっと耳打ちする。

 ライは最初の帯島の言動とその後の表情から帯島は本来は大人しい性格であり、弓場の教えで今のような振る舞いをしているのだろうと考えていた。

 もちろんその指導方針も一つの教えとして正しい。

 だがライはあまり無理をしないでありのままの姿でいて欲しいと願っていた。

 

「……は、はい。ありがとうございます」

 

 帯島は軽く会釈をしながら礼を述べる。核心を突かれたためか、わずかに赤くなった頬を隠すように。

 

「おう。もうこんな時間か。紅月ィ、帯島ァ。この後迅と生駒のやつらと飯食いに行く予定なんだ。一緒に来るか?」

「良いんですか?」

「皆さんがよろしければ……」

「おう。これから世話になるわけだし奢ってやる。じゃあ着替えたら行くぞ」

 

 チラッと掛け時計に視線を移し、彼と同年代の隊員である二人と約束していた時間が迫っている事を知り、弓場が二人へ提案する。

 折角の誘いだ。断る理由はないとそろって了承した。

 3人はトリガーを解除し、私服になると迅たちが待つであろうラウンジへと向かうのだった。

 

 

————

 

 

 そのころ、ボーダー本部のラウンジの一角に迅と生駒が並んで腰かけていた。

 

「そういえば生駒っち聞いた? 弓場隊に女の子入るって」

「おお。弓場ちゃんに聞いて写真も見たわ。またメッチャ可愛い子やで」

「ねえ。俺もチラッと見たけどボーダーには珍しい小麦肌でいいよね」

「せやな。いろんなタイプの可愛い女の子がおるけど健康的な感じがしてええなあ。弓場ちゃん、すでに藤丸ちゃんもいるのに羨ましいわ」

 

 話題の種はやはり同級生の部隊に入ることとなった女性隊員・帯島である。

 しかし彼らの場合、性格の事もあって話は帯島の容姿に関するものであった。

 他の隊員がいれば話題に関して制するよう諫めただろうが、案の定二人に突っ込める年上隊員は不在であり、嵐山や柿崎もこの場にはいない。

 

「気になるのはあの肌スポーツで焼けたのかな? 元々黒かったのかな? 野球部とかテニス部とかに入ってると噂も流れてるけど」

「自分そういうの未来予知で見れんの?」

「俺の副作用はそんな万能じゃないって」

「うーん。どうやろなあ。活発そうやし焼けたと考えてもおかしくなさそうやな。服の下も見れればどっちかわかるんやけど」

 

 さらに話題は発展し帯島の肌が先天性のものなのか後天性のものなのかについても広がった。

 あまり触れられないような事に関しても二人は真面目に討論している。

 いっそ見えない部分の肌も確認できれば結論はつくのだが。そう生駒が話したところで——

 

「……あっ。生駒っち、やばい」

「ん? どないしたん?」

 

 迅の表情に冷や汗が浮かんだ。突然の豹変ぶりに生駒は何事かと顔をのぞき込む。

 

「今、未来が確定した」

 

 そして迅は自分たちに訪れる悪い可能性が目前に迫っていると生駒に告げるのだった。

 どういう事だと生駒は周囲360度を見回し、何かあるのだろうかと警戒して。

 

「——紅月ィ」

「何でしょうか、弓場さん」

「おめェーは(生駒)をやれ。俺は()だ」

「紅月了解」

 

 いつの間にかチームメイト並に素早く連携をとるようになった弓場・紅月の二人が帯島を伴い、殺意を纏って迅と生駒に迫っていた。

 

「いや、違うから! 確かにちょっと公共の場で話すような内容ではなかったかもしれないけど深い意味はないから!」

「ちょっと純粋な疑問を話し合っただけやって!」

「それが遺言で良いのか? 最後の言葉にしては変わってるじゃねーか」

「弓場ちゃん目が笑ってない!」

「イコさん、食事の前に腹ごしらえの為に軽く運動と行きましょうか。ブースに入りましょう」

「運動どころか自分殺る気満々やろ!」

 

 この後、個人ランク戦において二人の男性隊員の悲鳴が木霊したとのうわさが流れたが、その主が誰だったのか真実は定かではない。

 

 

————

 

 

「——本気でやりおって」

「あんな話をあんな所でするのが悪いです。中学生が恥ずかしがると思わないんですか?」

「あかん。ぐうの音も出んわ」

 

 完全に師弟の立場が逆転している生駒とライの二人。さすがの生駒も反省しているのか、強く言い返そうとはしなかった。

 

「おう。そっちも終わったか」

「生駒っちも存分に絞られた感じ?」

「なんや。自分もとちゃうんか?」

「まあ俺が悪かったという事で受け止めたよ」

 

 異なるブースから出てきた弓場と迅も似たような様子である。おそらく迅の言う通り弓場から厳しい制裁を受けたのだろう。

 

「ん? ところでなんでライが弓場ちゃんたちと一緒におったんや? 偶然鉢合わせたんか?」

 

 ここでようやく生駒がライと弓場達が行動を共にしていたという事に疑問を抱き、ライ達へ問いかける。

 普段から時間を共にすることが多いわけではなく師弟関係でもない二人だ。当然の疑問だろう。

 

「偶然ではないですよ。弓場さんから彼女の師匠になってくれないかと頼まれましてね。先ほどまで手合わせしていたんです」

「はい。はじめまして、お二人とも。帯島っス」

 

 ライに視線で促され、帯島が挨拶を交わす。新たな師弟の誕生に迅は感心の声をあげた。

 

「へえ。帯島ちゃん、紅月君に教えてもらってるんだ。師匠探しは苦労するからね。早くに見つかって何よりだ」

 

 師匠は相手の都合もあってそう簡単に見つかるものではない。

 特に隊長職につく隊員は個人の私生活の用事もあるのでなおの事だ。その点ライという人材にたどり着けたのは得策と言えるだろう。

 

「……ライ。自分、またか!」

「えっ? イコさん、何がですか?」

 

 一方で生駒は視線を落とし、肩を震わせ、重々しい声をライにぶつける。意味が分からずライは呆けた声を出すと、そんな彼の両肩を握りしめ、生駒が涙交じりに口を開いた。

 

「また女の子を弟子にとったんか! 自分どんだけ女の子に声かけとんねん!」

 

 案の定、女の子と仲良くなる弟子への嫉妬の声であった。以前に黒江を弟子に取ったという話も後押ししている。

生駒は真剣そのものだがあまりにも熱すぎるその反応に周囲の声は冷めていた。

 

「生駒っち。さすがに大人気ないよ……」

「そうですよ。それに双葉もそうですが僕から声はかけていませんよ?」

「なんでや! 弓場ちゃん、なんで俺に声をかけなかったんや!」

「さっきの会話をしておいてよくそういう意見を出せるじゃねーか」

「あっ。はい。すいません」

 

 先ほどの話を出されては反対の声はあっさりと引っ込む。弓場もきちんと同僚の性格を見抜いていた。

 

「そっかー。帯島ちゃんもライの弟子になったんかー。……おい、ライ。ちょっと耳貸しや」

「なんでしょうか」

 

 『前にもこんな形の展開があったな』と思いつつ、ライは生駒に言われるがまま彼の元へと近づいていく。

 そして他の者には聞こえない様に細々とした声で弟子に語り掛けるのだった。

 

「つまり帯島ちゃんも俺の孫弟子になるってことやろ? 自分の口からちゃんと後で俺の弁明頼むで? 自分を立派に鍛えてくれた素晴らしい師匠やったってな。黒江ちゃんの時みたいに防犯ブザーは勘弁やで」

「自分で言えばいいじゃないですか」

「いや、あかんやろ。だってあの子中学生やろ? 俺が話しかけたら色々マズくない?」

「普通に話すだけなら問題ないですって」

 

 女の子が好きなのにいざ接しようとすると恥ずかしがる生駒。

 普段のように堂々としてればいいのに、とライは変わらぬ様子の生駒にため息を吐き、同時に嬉しさを覚えた。

 

「……生駒さん。良いんですか? 僕と師弟だなんて話してしまって」

「ん? 何がや?」

「僕の処分の話は聞いているでしょう? あるいは、僕とは出来るだけ関わりを持ちたくないと考えるかと思いました」

 

 いつものように軽い調子の生駒に、ライは諭すように話題を変える。

 違反を犯したものが弟子となれば師匠のイメージも悪くなるかもしれない。生駒の事を案じてライは指摘するのだが。

 

「——何言ってんねん。甘く見んなや。俺達が自分の処分について何も考えずにいると思うたんか? それなりに察してるわ」

 

 真面目な表情で生駒がつぶやく。

 仮にも師匠としてライと接してきたのだ。弟子の事はある意味人一倍理解している。

 だからこそ生駒も弓場同様に彼の事を信頼していた。

 

「本当ですか?」

「ああ。——どうせまた迅と女の子が絡んどるんやろ?」

「ちょっと、生駒っち?」

 

 惜しい。確かに迅と女の子(鳩原)が絡んでいるため実に的を射た指摘なのだが、根本的な所で色々と間違っていた。

 会話が聞こえていたのかそれとも未来予知で自身の悪い予知が見えたのか、たまらず迅が二人の会話に割り込む。

 

「……さすがですね。その通りです、イコさん」

「せやろ」

「ちょっと! 紅月君、君わかってない!? わかってて言ってない!?」

 

 生駒の発言を肯定するライに、大きく何度も頷く生駒。

 迅はそうじゃないだろうと慌てて弁明するのだが、身の潔白を証明する事はしなかった。

 

「なんやねん迅。違うんか? じゃあ何があったのか教えてや」

「えっ。いや、それは————言えない」

 

 緘口令が布かれている現状では何も詳しく話す事は出来ない。そんな迅の都合を知らない生駒は静かに「そっか」と小さく息を吐き、ライの肩にポンと手を置くのだった。

 

「安心せえ。全部わかっとる。俺は味方や」

「いや、生駒っち、何もわかってない!」

 

 優しい声色のつぶやきに、迅はひたすら待ったをかける。だが日頃の行いの為か生駒がこれ以上迅に振り返る事はなかった。 

 

「——せやからあんな事二度と言うなや。師弟やろ。自分とてもし黒江ちゃんとかが同じ事になっても同じようにするはずやで」

 

 瑠花だけではない。

 どのような事があろうと生駒たちもライとの関係が変わる事はないのだと年長者として、師匠としてそう語った。

 

「そうですね。はい。——ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

 

 だからライも素直に礼を述べる。

 この関係がこれからも続くことを願って。

 再び師匠と強くなれる未来を夢見て。

 

 

 

 

 

 

「——道に迷う弟子を諭す師匠。これはモテるんちゃうんか?」

「ええ。それさえ言わなければ」

「やっぱりそうなん? 水上にも似たような事言われたわ」

 

 明後日の方向を眺めてつぶやく生駒にライがツッコむ。

 やはりこの関係はしばらく続く事になるようだ。

 




「おめェーは間違わなかったな、紅月ィ」
「何がですか?」
「帯島の事だよ。よく初見であいつが女とわかったじゃねえかァー。結構間違うやつもいるんだがなァー」
「間違うもなにも。見て話してみればわかるじゃないですか」

 違いがわかる男・ライ。


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Next season

 日曜日、狙撃手合同訓練。正式入隊式を終えた狙撃手志望の新入隊員も交えた狙撃手の訓練日だ。

 今日より訓練に加わった者はやはり慣れぬ環境でまだ落ち着きがない様子である中、既存の隊員たちもまた普段とは異なる空気を醸し出していた。

 

「ねえ、あの人って……」

「ああ。紅月隊長だ。せっかく昇格したのにすぐ降格させられたっていう」

「勿体ないよなー。生駒隊が駄目だった試験を通ったって言うのに」

「A級になって天狗になっていたんじゃねーの?」

 

 一人の隊員、ライが訓練場に姿を現した事によって。

 狙撃手訓練は各々の都合により参加不参加の日があるものの基本的に同じ面子が集う。

しかも狙撃手のポジションではもう一人、トリガーの使用を禁じられた為に今はこの場にいない鳩原の存在が大きかった。常に成績上位者に名を連ねる二人の違反者が出たという事でどの界隈よりも話題が広がっている。

 当然彼らの性格や人付き合いを詳しく知らないC級隊員は特にその傾向が強かった。

 

(やはりこうなったか)

 

 隊員たちのひそひそ話が耳を打つ。わかっていた事だが、ライはわずかに目を細めた。

 先日彼が瑠花に話したように今回の事件の出来事について他言は禁止されている。たとえ詳しく踏み入らない話題だったとしても。

 だからどのように言われようともライはただ受け流すしかなかった。

 

(さすがにこの空気ではいつもの場所で訓練するのは得策ではないな。どこか、周りに人がいない場所を探すか)

 

 今日の訓練は隊員が自由なレーンに立ち、レーダーで指示された目標の的を撃ち抜くというレーダーサーチ訓練だ。

 近くに噂の主である自分がいては周囲の隊員たちに悪いだろう。そう考えてライは普段のようにB級やA級の同僚が集まる場所とは異なる位置を探し求めて歩き始めた。

 

「おー、紅月。何ウロウロしてんだよ」

 

 そんなライの背後から一人の隊員、当真がいつもと変わらぬ調子で語り掛ける。

 

「……当真」

「なんだよ、場所探しか? だったら俺の横来いよ。今日はユズルもいないみてーでな。ちょうど空いてんだ」

「いや、僕は」

「いいからいいから」

 

 すでに荷物を置いてある自分の隣のスペースへと当真は促した。

 ライは反対しようとしたものの、当真は強引に彼を引きずっていく。

 仕方なくライは言われるがまま当真の横のポジションに荷物を降ろし、訓練へと参加するのであった。

 

 

————

 

 

 一つ的を撃ち抜けばすかさず次の的が視界上にレーダーとして映し出された。

 すぐさま銃口をそちらへと向け、速射。慣れた手際でライはイーグレットを操作し、次々とターゲットを撃破していった。

 

《おう。今日も絶好調じゃねーか》

《ん? 当真?》

 

 するとその最中、訓練中にも関わらず隣に座る当真から内部通信が入る。

 突然の出来事に驚きつつもライは視線を動かすことはしなかった。指示された的に狙いを絞りつつ、同じように通信で返答する。

 

《どうしたんだ、急に。訓練中だぞ》

《だからだよ。今なら変な邪魔も入らずにお前と話せると思ってな》

 

 当真も引き続き狙撃しつつ、幾分か真面目な顔つきへと表情を変えて話を続けた。

 

《——ありがとうな、紅月》

《はっ?》

 

 そして唐突に感謝の言葉を告げられる。要領を得ない当真の語りにライは意味が分からず彼の本音をすぐに理解する事は出来なかった。

 

《なんの話だ? 最近君に勉強を教えた覚えはないけど》

《そっちの話じゃねえよ。鳩原の事だ》

《……どういう意味だ? どうしてそこで鳩原が出てくる?》

《ああ。まあ当然とぼけるよな》

 

 それも仕方ねえか、と一つ間をおいて当真は軽く笑みを浮かべる。

 

《確かに今回の処罰がお前と鳩原、どっちか一人だけってならわかんなかったかもしれねーけどよ。お前ら二人が同じタイミングで処罰を受けた。しかもあの会話の直後にだ。さすがにそこまで鈍感じゃねーよ》

 

 当真はライと同じように鳩原から絵馬を託される話を聞いていた。

 その日の様子から当真も何か不安を抱いていたのかもしれない。だからこそそのあとの二人の処罰で勘付く事が出来た。

 ライから肯定も否定もない中、さらに当真は自分の意思を打ち明けていく。

 

《多分、鳩原が何かしら無茶したんだろ? そんでお前が無茶してそれを止めたか助けた。そんなとこじゃねーのかよ》

《……さて、ね。どう考えるのかは君の自由だ。僕から語る事はなにもないよ》

《じゃあ俺が勝手にそう仮定したうえで言うぜ? 多分、そう考えているのは俺だけじゃねー。まず東さんは当然知っているだろうし、奈良坂あたりも何かしら察してんじゃねーかな。ユズルは余裕なさそうだからそのあたりのやつらはわかんねえけど》

 

 当真一人だけではなく、狙撃手として共に訓練をしてきた者達ならば勘付いているものもいるはずだ。そう当真は確信を抱いていた。

 

《一応クラスメイトでもあるしな。色々気にはなっていたんだ。——だからありがとよ。俺らじゃ関わる事すらできなかった鳩原の為に動いてくれて》

 

 ゆえに当真は仲間を代表して礼を告げる。狙撃手として、同級生として、戦友の為に動いてくれた彼に。

 

《外野の声なんて気にしないでいい。少なくとも俺達は、お前がA級に上がったくらいで(・・・・・・・・・・・)浮かれるようなやつじゃないって事は知ってるからよ》

 

 ライの戦う理由を知っているからこそ、何も知らない隊員の発言など聞く必要もないと当真は断じた。彼は良く知る隊員ならばそのような事は言わないと信じている。

 

《……そうか。君の言葉は嬉しく思う。だが、あくまでもそれは君の推測に過ぎない。そのような話はもう二度としないでくれ》

《おっと。こりゃ厳しいな。ヘイヘイ、どうせ俺は頭もよくねえしこれ以上突っ込んだりしねーよ》

 

 当真の話を聞いて思うところがないわけではなかった。とはいえどのような事情であれ他人に真相を明かす事はできない。ライはあくまでも平然さを貫き、当真の追及をかわすにとどめた。当真もこのままとぼけ続る事を察し、それ以上の追及を避け意識を訓練へと戻した。

 

《ああ。——なあ、当真》

《ん? どうした?》

 

 するとそこでライが最後に当真へと呼びかけを行う。

 

《僕の方からも言っておくよ。——ありがとう。信じてくれて》

 

 加古や生駒、弓場だけではなかった。

 他にも以前と変わらず接し、信じてくれる仲間がいる。

 その事実に、ライはひたすら感謝した。

 

《……そんな事で礼を言ってんじゃねーよ》

 

 当真は最後にそう言って通信を切る。

 何事もなかったかのように訓練を続け、いつものように的を撃ち抜いた。

 やはり今日もいつもの成績上位者が高得点をたたき出していく。この光景が変わる事はなかった。

 

 

————

 

 

「——ライ、お疲れ様。少なくとも気落ちはしていないようで安心した」

「奈良坂か。ごめんね、心配かけちゃったかな」

「いいや」

 

 成績を見て、様子を見て問題ないと判断したのだろう。狙撃の師である奈良坂も普段と変わらぬ調子でライに語り掛けた。

 

「俺達も城戸指令直轄の部隊として動いているからな。ある程度事情は理解できる。陽介たちも同様だ。三輪は少し荒れていたがな」

「荒れていた? ——大丈夫なのか?」

「ああ。少なくとも今は落ち着いているし割り切っている。ただ、しばらくはそっとしておいてくれ。結局事情を話せないとなれば、余計に負担となるかもしれない」

「……わかった」

 

 三輪隊はもっとも早くライと交流を持った部隊であり、城戸指令直属の部隊として様々な事情も知る複雑な立場にある。その中でも今回の騒動で一番気が揺れ動いたのは三輪だろう。

 ライとしても何かしら声をかけておきたい。だが奈良坂の言う通り、結局真相を話せないならば余計に不安を抱え込ませてしまう結果になりかねない。だからこそここは彼のチームメイトである奈良坂達に任せる事とした。

 

「あっ、紅月先輩! 奈良坂先輩!」

「ん。日浦さんか」

「日浦。元気そうだな」

「はい。お久しぶりです!」

 

 するとそんな二人の間に日浦が駆け寄ってくる。年齢相応の明るい表情で活気の湧く声は空気を一変させた。

 

「やはりさすがですね。今回もお二人とも上位の成績!」

「まあな。とはいえ今回は参加していない隊員も多いみたいだが」

「確かに。そういえば東さんや絵馬もいないんだって?」

「ああ。東さんは大学の用事、絵馬は個人的に話をしなければならない人達がいると言っていたが」

「それでも先輩たちはすごいですよ!」

 

 狙撃の腕に長けた隊員は訓練に来ていない者の中にも多くいる。鳩原の他にも東、絵馬など技量が優れる者もいた。当真のように訓練に全力で挑んでいないものもいるため謙遜する二人だが、それでも誇るべき事だと日浦は自分のように嬉しそうに語る。

 

(彼女たちも、そうか)

 

 その光景がまぶしく見えた。何も考えていないという様子ではない。日浦も、そして彼女のチームメイトもきっと当真達と似たような思いを抱いているのだと容易に想像できた。

 

「——あっ。そういえば、紅月先輩」

「ん? なんだい?」

 

 すると会話をしていてふと思い出したのだろう。日浦はじっとライを見つめて彼にある頼みを申し出た。

 

「実は那須先輩から紅月先輩に聞いてほしい事があるって言われたんですけど、今良いですか?」

「……僕が答えられることならば」

 

 日浦の口から発せられたのはライの射撃の師・那須の名前だった。

 体が弱い那須はあまり出歩けないからこそこうして日浦を介して質問をしてきたのだろう。

 答えられる事に限りはあると前置きをして、ライは日浦の言葉に耳を傾けるのだった。

 

 

 

————

 

 

 日浦の質問に答えた後、ライは彼女や奈良坂と別れて当真と共に廊下を歩いていた。

 

「今日はこの後どうすんだ?」

「この後は弓場隊と加古隊のところに行く予定だよ。稽古の約束をしてあるんだ」

「稽古? 新たな弟子取ったのか?」

「うん。ついこの間ね」

「マジかよ。——次シーズン当たる部隊からも弟子を取るとは余裕じゃねえか」

 

 そう言って当真はふざけた調子で笑う。

 確かに当真が語るように降格した紅月隊は再びB級ランク戦を戦っていくこととなった。

 当然ながら昨シーズン何度も戦った弓場隊との戦いは避けられないだろう。隊員が脱退したとはいえ上位に名を連ねた実力者たちを相手に力を貸すとは中々出来ない選択だ。

 

「わかっているよ。だけど問題ないさ。昨シーズントップに立った身として、そう簡単に勝ちを譲るつもりはない」

 

 だがライは支障がないとはっきり断じた。

 二宮隊もB級ランク戦に加わるとなれば上位陣の争いも一段と激しくなることは間違いない。その上で必ず勝ち上がってみせると語る彼の目に迷いはなかった。

 

「そうかよ。なら楽しみにしておくぜ。昨シーズンの結果がまぐれだったなんて言わせんなよ?」

「当たり前だ。エンブレム持ちとして、不甲斐ない姿は見せない」

 

 ライが隊服のエンブレムに拳を当てる。

 これは昨シーズンの戦果である、彼の戦う意味が込められた紋章だ。

このマークに勝利を誓う。ライのランク戦に対する意気込みはすさまじいものだった。

 

「相変わらず真面目だなー。俺ならまたB級でやるのかよって不貞腐れるところだぜ」

「そんな事言っていたらまた理佐に怒られるよ?」

「……やめろよ。そうやって名前を出すと本当に現れかねねーだろ」

 

 冬島隊のオペレーターの名前を出せば当真はすぐに震えあがる。冬島隊のパワー関係がよくわかる一場面だった。

 

「ふふっ。当真もそういう話を信じるんだね。——ん?」

「おっ? なんだ、本部から通知?」

 

 こうして二人が他愛もない話題に花を咲かせていると、二人の携帯端末が通知を知らせる振動音が鳴り始める。

 一体何事だろうかと二人そろってすぐに携帯端末を手に取り画面を開いて——

 

「えっ?」

「はっ? おいおい、何の冗談だ?」

 

 届いた知らせに、言葉を失った。

 

「カゲが、隊務規定違反?」

「影浦隊までB級降格? 嘘だろ?」

 

 それは彼らの同級生であり、影浦隊の隊長である影浦に処分が下されたという通知。

 

 A級影浦隊隊長攻撃手(アタッカー) 影浦雅人 隊務規定違反により個人ポイント8000点没収。

 同部隊をB級降格処分とする。

 

 通知にはこのように記されていた。

 

 

————

 

 

 

 影浦がその現場に遭遇したのは偶々だった。

 

「あ、あのっ! 待ってください!」

 

 影浦が偶々ボーダー本部の廊下を歩いている中、彼のチームメイトである絵馬の声が耳に響く。

彼らしくないどこか焦りと緊張を含んだ声色に疑問を抱きつつ目を見れば、会議室から退出する忍田をはじめとした上層部の面々を呼び止めている場面を目撃した。

 

「絵馬君か。どうした?」

「どうしてですか。どうして鳩原先輩が処分を受けなければいけないんですか! どうして!?」

 

 忍田に目的を問われると、絵馬が必死の形相で訴える。

 当然と言うべきか絵馬の目的は彼の師である鳩原の処罰について上層部から話を聞く事だった。話を聞いても何も打ち明けてもらえず、弟子として何もしていられない現状に耐えられなかったのだろう。

 

「それは……」

「——隊務規定違反。それ以上でも以下でもないよ」

「根付さん」

 

 言いよどむ忍田を手で制し、根付が彼に代わって絵馬の声に答える。

 根付はどこか辛そうに、残念そうに表情に影を落としてさらに話を続けた。

 

「罪を犯した者に対して当然の事をしただけだ。我々とて好きでこのような事をしているわけじゃない。むしろ我々は対応に困っている方なんだよ。まったく。突然このような大事になって、彼の存在の為に本来考えていた処分をする事さえ出来なくなった。こちらの身にもなってもらいたいものだ」

 

 根付はそう言って深々とため息を吐く。

 少しパフォーマンスが大げさに見えるが、困っている様子は事実のように感じられた。

 

(……()?)

 

 その発言の中、絵馬は気づけなかったが影浦はある言葉が気にかかり心の中で反芻する。

 現在話題の主は鳩原だ。女性に対して彼という表現はおかしい。

 根付の発言から推測するならば、他の男性の存在によって根付が考えていた鳩原の処分が不可能となり、上層部も対応に苦労しているという事になるが。

 

(まさかあいつか……?)

 

 影浦の脳裏に銀髪の隊員の顔が思い浮かぶ。鳩原と共に処罰を受けた隊員、ライの姿が。

 彼が何かしら上層部に働きかけて本来予定されていた鳩原の処分を変更せざるをえなくなった。本当ならば上層部がもっと厳しい処罰を鳩原に下そうとしていただろうと予測できる。

 だとするならば——

 そこまで考えて影浦の思考は根付の続く発言によって遮られる。

 

「彼女たちのせいでボーダーの評判にまで泥を塗られた。ボーダーに残す事を許しただけでも感謝してほしいものだよ」

「根付さん! それ以上は!」

 

 あまりにも言いすぎだと忍田が根付の発言を咎めた。だが根付は特段表情を変えたりはしない。自分は間違った事は言っていないと態度で示していた。

 その光景が、影浦の胸中を荒立たせる。

 

「おい」

「うん? ——影浦君?」

 

 いつの間にか影浦の足は根付たちの元へと向かっていた。

 彼の接近に気づいた根付達の視線が影浦へと注がれる。

 この時、影浦の中ではある記憶がよみがえっていた。

 一つは絵馬と鳩原、二人の師弟が仲睦まじく狙撃訓練に励んでいる様子。

 そしてもう一つは戦闘で、私生活であらゆる場面でボーダー隊員たちの力になっているライの姿だった。

 どちらもボーダーの仲間と共に、仲間のためにと尽力してずっと戦っている。

 そんな彼らが、こんな形で貶められるような扱いを受ける事が耐え切れなかった。

 

「おらああああっ!」

「んぐぉあっ!?」

 

 影浦が一気に根付のもとまで詰め寄ると、その下顎を下から勢いよく突き上げる。

 俗にいうアッパーが炸裂した。

 突然の暴挙に根付が反応できるわけもなく、勢い余って背中からその場に倒れこむ。

 

「ね、根付さん!? 大丈夫ですか!?」

「か、影浦! 貴様正気か!? 自分が何をやったのかわかっているのか!?」

 

 すぐにそばにいた忍田が駆け寄り、根付の安否を確認。その一方で鬼怒田は影浦を指さして糾弾するが、影浦は一歩も退く事無く絵馬を庇うように彼の前に立つと、根付を睨みつけた。

 

「さっきから黙って聞いてればゴチャゴチャとうるせーんだよ! 御託を並べれば俺らが黙って従うってか? 甘く見てんじゃねーよ!」

 

 後に根付さんアッパー事件と名付けられたこの騒動。

 影浦が自身に突き刺さった負の感情以外の理由で人を殴ったのは、これが初めての事だった。

 

 

———

 

 

「……何をやっているんだよ、カゲ」

「紅月かよ。なんだ、もう話を聞いたのか。耳が早いじゃねーか」

「通知が来たからね。誰でもわかるさ。しかも本部内で上層部を殴ったとなればね。今も大騒ぎだよ?」

 

 あの知らせの直後、すぐにライは一人影浦隊の作戦室を訪れた。

 部屋の中には今影浦のみ。残りのチームメイトは外出中のようだ。

 絵馬もいないがひょっとしたら彼はすでに帰宅したのかもしれない。

 

「どうしてこんな事を? 根付さんを殴ったんだって?」

「はっ。別に理由なんてねえよ。ただあのおっさんがむかついたから殴っただけだ」

 

 特別な理由なんてないと影浦が鼻で笑った。

 影浦は副作用の事もあって元々手が出るのが早い。暴力沙汰も珍しい事ではないため他の隊員が聞いたならばこれだけでも納得して引き下がっただろう。

 

「本当にそれだけか?」

「当たり前だろーが。他に何があるってんだ?」

「少なくとも君が自分個人の為に殴ったのならば、チームメイトから色々不満が出るはずだ。でもその様子はなさそうだから」

 

 今回の処罰は影浦だけでなく影浦隊の降格まで及んだ。個人だけでなく隊員を巻き込んだ形となれば隊長への批判は殺到し今も問い詰められていた事だろう。

 だが、チームメイトはすでに事態を聞いているはずなのにそのようには見られない。ならばきっと何か他の事情があるはずだ。

 

「……関係ねえだろ。つーか人の事言える立場じゃねえんだからそこまでにしておけ。聞くだけ無駄だ。テメエと同じように答えは出ねえよ」

 

 これ以上繰り返し聞いても答えは変わらない。明確な答えは出ないと影浦は告げる。

 今のライと同じように。

 そう言われてしまえば確かに同じ立場にあるライはこれ以上繰り返し質問を重ねる事は出来なかった。

 

「それよりだ」

 

 そんなことよりももっと言うべき事があるだろうと影浦がライの方へと向き直る。

 

「これで次のランク戦からは面白い事になりそうじゃねーか」

「二宮隊、影浦隊、紅月隊。エンブレム持ちが3部隊揃う事を言っているのかい?」

「ああ。テメエが勝ち上がった昨シーズンとは全く別物になるぜ。せいぜい楽しもうぜ」

 

 先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、影浦が好戦的な笑みを浮かべて言った。

 これで前代未聞のA級3部隊が降格。

 確かに影浦の言う通りB級ランク戦はこれまでとは全く異なる様相を呈する事になるだろう。

 

「——楽しめる余裕があると良いね。悪いけど僕は次シーズンでもトップを狙っていく。余裕が過ぎれば痛い目に遭うよ」

「上等だ。楽しみにしてるぜ」

 

 必ずや汚名を返上してみせると意気込むライ。

 相手が昨シーズンより手ごわくなろうとやることに変わりはない。

 必ずや勝利をつかんでみせると語るライに、影浦も迎え撃つと言うように口角をあげるのだった。

 

 こうしてここから約半年の間、B級の勢力図を決定づけることになるランク戦の開始の時が、少しずつ近づいていく。




東さんなら知っているはずという信頼感。
許せ、根付さん。これが最後だ。(半年ぶり二回目)

次回からのランク戦以降は少しダイジェスト風味にお送りします。


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玉狛支部

「おう。今日もみんなやっとるな」

「あっ、イコさん。お疲れ様です。ランク戦ですか?」

「せや。もうすぐ次のシーズンも始まるし肩ならししとこ思てな」

 

 土曜日の午前中。

 休みの学生も多く、個人ランク戦のブースは賑わいを見せていた。

 そんな中に攻撃手ならば知らぬものはいない実力者・生駒が現れる。米屋に用件を問われた生駒は目を光らせてそう口にした。

 今度のシーズンは今までとは比べ物にならない厳しいものになるだろう。それを生駒も理解しているのかもしれない。

 

「——ん。自分、ライがどこのブースに入っとるか知っとる? 結構ランク戦やっとるよな? ランク戦前にいっちょ手合わせしときたいんやけど」

「ライっすか? 今日はいないっすよ」

「えっ。珍し。あいつ、最近はランク戦やりこんどると聞いとったけど」

 

 生駒は幾度か周囲とモニターを見回し、目的の人物である弟子・ライの姿を探すも見つからなかった。疑問に思って頻繁に彼と戦っていると噂の米屋に問うも彼は今日不在であるという。

 あまり外部の人間との交流するという話を聞かない彼がいないという事実に生駒は首をかしげるが。

 

「今日は人と会う約束があるって言ってましたよ。朝早くに出かけたみたいっす」

 

 すでに話を聞いていた米屋があっさりとその答えを提示した。

 別に特段おかしなことではない。土曜日であるためライくらいの年代ならば誰かと外で会ってもおかしくはないだろう。

 

「……またか! あいつ、また女の子とデートしとるんか!」

 

 だが生駒は怒りを抑えきれずに感情を爆発させた。

 人と会うと聞いただけで女の子を想定しているあたり、彼が思い浮かべているライの人物像がよく理解できる。

 

「いや、相手の事までは言ってないっす。別に女子とは限らないんじゃ」

「それは違うで。そう言ってあいつ、この前も瑠花ちゃんとデートしてたんや。どうせ今日もそうに違いないわ」

「ん? でもさっき、紅月隊のオペレーターの子なら見かけましたよ」

「……ならきっと違う子とのデートやろな。ああいうやつに限ってちょっと好きな子と似ている子がいたら簡単に声をかけるねん。そうに違いない」

「ライってそこまで簡単に女の子と遊ぶようなイメージはないっすけど」

 

 これは言っても聞かないだろうなと、米屋は今はこの場にはいない友人を思ってため息を吐いた。きっと次に生駒と次に会った時は色々問い詰められることだろう。

 かわいそうにとライの事を気遣う米屋だったが、意外にもこの生駒の予想は非常に近しいものだった。

 

 

 

 同時刻、玉狛支部。

 ボーダーが管理する支部の一つであるこの施設に本部の車が一台訪れていた。

 

「到着しました。——どうぞ」

「ええ。ありがとう」

 

 一足先に助手席から降りて後部座席の扉を開けるライ。

 彼の手に招かれるような形で車両の後ろに乗っていた一人の女性、瑠花王女がゆっくりとこの地に降り立つのだった。

 

 

————

 

 

「るかねーちゃん!」

「陽太郎!」

 

 支部内に入るや否や、小さな男の子が瑠花王女の元に走り寄る。

 瑠花王女も彼の姿を見て笑顔があふれだし、二人は再会の抱擁を交わすのだった。

 

「彼が、瑠花王女の……」

「ああそうだ。名を林藤陽太郎という。一応林藤支部長の甥という事になっている(・・・・・・・・・・)

「なるほど。理解しました」

 

 ライの疑問に運転手として同行していた忍田が答える。

 瑠花王女は普段は本部に住んでいるものの、一週間に一回ほどのペースでこの玉狛支部を訪れることになっていた。今日はその護衛としてライも行動を共にしている。

 その目的はこの林藤陽太郎と会う事。瑠花王女の弟であり、こちらでは林藤の親戚という事で面倒を見ている少年だ。この説明でライは彼もまたボーダーにとって重要な人物であると理解し、同時に姉弟の温かい関係を目にして複雑な感情を覚えるのだった。

 

「まあうちではのびのびと暮らしてるよ」

「林藤支部長。お疲れ様です」

「護衛ありがとな。ま、こっちでの安全に関しては任せてくれ。うちも支部として最大限配慮しているからさ」

 

 彼の心境を配慮して林藤が声をかける。

 狙われかねない二人の皇族。複雑な立場ではあるが、だからこそ最低限の安全は保障すると林藤は力強く語った。支部長自らが語るのならば確かに陽太郎も不自由なく暮らせているのだろう。

 

「では、私はこれで。明後日になったら迎えに来る」

「うーす。了解ー」

「では紅月君、私は一足先に」

「わかりました。お疲れ様です」

 

 こうして送迎を終えた忍田は一足先にボーダー本部へと戻っていった。林藤たちに最後に一言かけて早々に車を走らせる。

 

「……さて。それじゃあ紅月君。君も用があるんだっけ?」

「はい。お二人はいらっしゃいますか?」

「もうすぐ戻ってくる。ちょっと別件があってね。来たらすぐに顔を見せるように言ってあるからそれまではちょっと待っていてくれ」

 

 一人残ったライにはまだ別に用があった。玉狛支部に所属する二人の隊員。その人物たちから話を聞く事、それもこの支部訪問の目的である。

 

 

————

 

 

「どうもー。戻りました」

 

 玉狛支部の応接室に一人の人物が陽気な声と共にもう一人の隊員を引き連れて入室した。

 声の主は迅悠一。言わずと知れたエリートボーダー隊員である。

 

「すまない。待たせてしまったか」

 

 もう一人は短い茶髪と大柄な筋肉質な体が特徴的な大柄な男性、木崎レイジだ。

 玉狛支部所属 木崎隊(玉狛第一)隊長 完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー) 木崎レイジ

 

「おー。お帰り。お疲れさん」

「大丈夫です」

「じゃあ後はお前たちに任せるぞ。じゃあな」

 

 二人の帰還を確認した林藤は後の話を彼らに託し、一足先に部屋を後にした。

 こうして応接室にはライと迅、レイジ。3人の実力者が集う。

 

「久しぶりだね紅月君。レイジさんとは初対面かな?」

「ええ。ですが話はかねがね伺っています。ボーダーに所属する唯一の完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)と」

 

 完璧万能手。攻撃手・銃手あるいは射手・狙撃手。すべてのポジションのトリガーで個人ポイント8000点を獲得した隊員に与えられる称号だ。当然ながら獲得するのは並大抵のことではなく、数多く存在する防衛隊員の中でも現在はレイジだけが該当している。

 

「まああくまでもそれは肩書きだ。他にも状況に対応できる人物は多くいる。それに、紅月。もうお前の存在によって唯一ではなくなっただろう」

 

 だが当の本人はその名におごることなく平然と構えていた。

 名前だけでは意味がないと語るその姿は非常に落ち着いている。まさに玉狛支部の砦と言えるだろう。

 

「いいえ。唯一ですよ。僕はこの前のポイント剥奪で万能手ですらなくなりましたから」

 

 対してライは自虐的に笑う。

 彼も先の部隊ランク戦と度重なる個人ランク戦、訓練を経て完璧万能手を名乗ることを許されていた。だが先日の処分によってポイントが急激に減少したことにより今は万能手ですらなくなっている。

 

「……そうだったか。すまない、配慮が足らない発言だった」

「構いませんよ。いずれもう一度取り戻す予定ですから」

「ま、君ならまたすぐに戻ってこれるよ。次のランク戦は大変そうだけどね」

「ええ。それは瑠花ともよく話し、準備を進めている所です」

 

 謝罪するレイジだがライは問題ないと明るく振舞った。言葉の通りもう一度取り戻して見せる、必ず取り戻すと意気込んでいるのだろう。彼の力をよく知る迅は気遣いではなく本心から彼の背を押すのだった。

 

「で? 今日はどうしたの? 俺達に話があるとのことだったけど」

 

 世間話を終え、迅が早速本題へと切り込む。

 滅多に本部から出ないライだ。護衛の任務もあったとはいえ、彼がわざわざ名指しで二人を指名して話をしたいというなど滅多にあることではない。

 

「本部内ではできない質問、というより相談が二つありまして。それについて二人から意見を伺いたいんです」

「なんだい?」

「答えられる限りで良ければ力になろう」

 

 ありがとうございますと一言置いて、ライは相談の内容を話しはじめた。

 

「一つは瑠花王女についてです。王女の弟がいらっしゃり、こちらの玉狛支部で預かっているという話を聞きましたが。玉狛支部はつまりこのお二人を守護する役割を任されている、そのための支部、隊員という事ですか?」

 

 最初の疑問は彼が守護を期待されている王女および王子について。

 玉狛支部の木崎隊はボーダーでも最強と呼ばれている。そんな彼らが存在する部隊が同盟国の王族を預かっているとなれば疑問を抱いても仕方がないだろう。

 

「んー。そのあたりの話は少し長くなりそうだから答えを言うと、ちょっと違うかな。うちは元々近界民と仲良くしようというスタンスを持っている支部ってだけ。昔からある支部という事もあって陽太郎のことを任されているけど、そのための支部ってわけじゃないよ」

「ああ。今後新たに隊員が加わっても陽太郎たちの事を話すことはない。また、あくまでも陽太郎を預かっているだけであるため本部の方での護衛には深く携わっていないというのが現状だ」

 

 この疑問に対する返答はノーだった。

 あくまでも玉狛支部は『近界民とも友好な関係を築く』という方針のもとに集まっている。長く存在する支部でもあるからこそ強力な隊員も集うが、あくまでも王族守護の為の部隊というわけではなかった。

 

「……なるほど。瑠花王女が語っていた護る者が限られるというのは本当でしたか。よくわかりましたよ」

 

 先の王女との会話を思い出してライは一つ息を吐く。

 もしも玉狛支部が陽太郎を守護するための支部ならば王女にも同等の役割を持つ味方が当然いるという事になっただろう。だがそうではなかった。つまり瑠花王女が語っていたことが本当であり、味方が限られるという事になる。玉狛支部の隊員が本部の件にはあまり関わっていないとなればなおさらだ。余計に守らねばという思いは強まった。

 

「ではさらに王女に関する話題について聞きたいんですが」

「うん」

「……皆さんの接し方とかを少し聞きたくて」

 

 続いてライは新たな疑問を言いにくそうに語り始める。

 

「接し方? どうしたの急に」

「すでに王女とは何度も会話を経ていますが、正直複雑なんですよ。いまだに瑠花とイメージが重なる場面も多くて」

「ああ。そうか、お前の部隊のオペレーターが本部長の姪だったか」

 

 思い出したようにレイジが問いかけると、ライがゆっくりと頷いた。

 

「しかも最近、王女がわざとらしく『ライ先輩』と声の調子まで変えて呼ぶこともあったんですよ……」

「なるほど。余計に誤解する場面が多いわけだ」

「間違えそうになることもあって申し訳ないんです。今日もこちらへ来る時、瑠花に人と会う約束があるって説明したら『女の人ですか?』と聞かれて思わず否定してしまって……!」

「まさか自分と瓜二つな人と会うなんて想像もできないだろうしな」

「これじゃあまるで浮気相手と秘密裏に会う男じゃないですか!」

「真面目な性格と複雑な状況が合わさって最悪な想像になってるよ」

 

 珍しく声を荒げるライに迅やレイジは彼の状況を察して心の中で涙する。

 確かに自分の隊のオペレーターと、そのオペレーターによく似た身分が高く他人に公言できない女性との付き合いは難しいだろう。

 

「そこはとにかく割り切るしかないと思うが。お前の場合はオペレーターの方が付き合いも多いのだろう?」

「いっそ忍田さんとかに相談して瑠花ちゃんにも説明してもらったら? 彼女に関しては当事者みたいなものだし、本部長関連となればそう強く否定されないんじゃない?」

「いや、浮気相手の事を話す馬鹿がいますか?」

「まずそこから考えを離れようか」

 

 迅の提案は考えが偏ったライの前に一刀両断される。『どうも瑠花ちゃん絡みの話になると彼って思考が冷静じゃなくなるな』と迅は首をかしげるのだった。

 

「まああまり深く考えない方がいいよ。あくまでも紅月君の中では最も大切なのは瑠花ちゃんの方なんでしょ?」

「当たり前ですよ。瑠花の事は本当の妹のように思っていますし、出会ってからもう長く時も経ちます。その上に一緒に任務にも励んできたんですから。だからそんな、彼女とよく似た女の子に『お兄様』と呼ばれただけで心が揺らぐなんてことは……」

「ん? あれ? やっぱり浮気?」

 

 どうやらライは妹あるいはそれに近しい存在にはとても弱いようだ。絶対にこの話題で彼をいじらないようにしようと迅は強く決意する。

 

「まあなのでせめて二人を間違わないようにしたいなと思って。お二人はきちんと二人を見分けて、どのように接しているんですか?」

 

 初めて会った時、王女が演技をしていたことを思い出しながらライが話を戻した。

 二人の容姿は非常に酷似している。片方がもう片方に似せて振舞えば困惑しかねないほどに。だからこそ接する機会が多いライはなおさら必ず間違えないようにと二人に問いかけるが。

 

「ふむ。と言っても俺はオペレーターの方の彼女とは接点がないからな。参考にはならないな」

 

 あいにくとレイジは瑠花と交流がない。王女とも特に深く会話を交えているわけでもないため良い意見は浮かばなかった。

 

「そうでしたか。迅さんはどうです?」

「俺? んー。特に接し方は二人とも変わらないかな。見分け方については、そうだな」

 

 続いて視線の先が迅に集まる。

 話を振られた迅は今までの会話を思い返しながら軽い調子で話を続け——

 

「副作用で見えた、お尻を触った時の反応の違いで見極めてるかな」

 

 陽気な声でその場に爆弾を投じるのだった。

 

「————」

 

 無言で立ち上がり拳を振り上げたライをレイジが全力で拘束する。

 

「紅月、落ち着け! 迅はなぜ今の話を聞いてそんなことを言える!?」

「だって最近紅月君は俺が瑠花ちゃんたちの近くにいるだけで俺と戦闘する未来が見えるから判断つきにくくって」

「嘘をつくな!」

 

 本当でした。

 

「レイジさん、どいてください。そいつ殴れない」

「落ち着け。また処罰を食らうぞ」

「大丈夫です。顔以外なら殴っても問題ないと上層部からお墨付きです」

「お前まで嘘をつくな! 城戸司令がそんなことを言うか!」

 

 本当です。

 

「落ち着けるはずがないでしょう。つまり迅さんは、会うたびに脳内で瑠花たちを辱め、その反応を楽しんでいるという事になる!」

「ちょっと待って。楽しんでるとは言ってないよ」

「そうだ。落ち着け、話せばわかる」

 

 迅の言葉は右から左へと聞き流された。どうにかこの場でとどめなければとレイジは必死に力をこめる。さすがのライもこの拘束を振り切るのは難しかったのか、矛先をレイジへと変えた。

 

「ならばレイジさんに聞きます。例えば、レイジさんが恋してやまない女性がいたとしましょう」

「なっ!? 何故そこでゆりさんの名前が出てくるんだ!?」

「レイジさんも落ちついて。ゆりさんのゆの字も出てない」

 

 完璧万能手ってみんな女性の話題になると弱くなるのかなと迅は一人現実逃避を始める。一方でライはレイジの口から「ゆり」という言葉が出た事で確信を抱いた。

 

「そのゆりさんを迅さんが見かけるたび、迅さんは彼女をもてあそび、好き勝手しているんです。どう思いますか?」

「許さん」

「それと全く同じ事なんですよ」

「よくわかった。行け」

「説得されないで、レイジさん!」

 

 あっという間にレイジは掌を返し、ライの背中を後押しする。味方が一瞬で敵になった事で迅の表情に焦りが浮かぶも、ある未来が見えてその感情は消え去った。

 

「どうしたのです。少し騒がしいですよ」

 

 応接室の扉が開かれ、瑠花王女が入室したのだ。

 

「お嬢様。——申し訳ありません」

 

 その姿を確認したライはあっさりと引き下がり深く一礼した。彼も王女の目の前でむやみに手を挙げることはしないらしい。

 

「ライ。このように声を荒げるなんてあなたらしくありませんよ。一体なにがあったのですか?」

「いやー、別に何も大したことなんてないよ。ちょっと話をしていただけ——」

「この男が王女たちと会うたびに凌辱する姿を思い浮かべていたと耳にしまして」

「紅月君!?」

 

 だが何事か問いかけられると迅の言葉を遮ってライはあっさりと暴露した。やめてと叫ぶも時すでに遅し。すでに彼の言葉は瑠花王女の耳へと届いていた。

 

「そうですか。——ライ」

「はい」

「鈍器はありますか?」

「問答無用!?」

「イーグレットでよろしければ」

「イーグレットで!?」

 

 この時、迅は瑠花王女にイーグレットで勢いよく殴打される未来が見えたという。そしてこの数秒後にそれは現実と化すのだった。

 

 

————

 

 

「……痛い」

「トリオン体だから何も痛くないだろう?」

「心が痛いんだよ、レイジさん」

 

瑠花王女が去っていった応接室で、腫れ上がった左の頬をおさえながら嘆く迅。痛覚がない体とはいえ女の子に鈍器で殴られたとなれば心が痛んだ。

 

「これに懲りたらいい加減その思考をやめてください。——話がだいぶそれてしまいましたね。まあ瑠花王女たちの話題についてはもうやめにします。もう一つお二人に、特にレイジさんに聞きたい事があります」

「俺に? 何だ?」

 

 何度説得しても中々止まらない迅の癖に苦言を呈し、ライは今度こそ話題の本筋を話通そうと一つ咳を吐く。

 しかも今度は付き合いが長い迅ではなくレイジを名指しして。

 一体どういう事だろうとレイジも疑問を抱きつつ話の先を促したのだった。

 

「ボーダー隊員のある人物について、その性格やこれまでの言動など知る限りのことを知りたいんです。レイジさんならつながりもあると聞いたので、今日はそちらの方を特に話を聞きたくて来たんです。協力願えますか?」

「ふむ。まあ俺が知っていること、話せる内容でよければ構わないが。一体誰の事だ? こちらの支部の人間か?」

「いいえ」

 

 ライが知りたかったのは一人のボーダー隊員の詳細。

 レイジならば知っているだろうと彼は語るが、さすがのレイジもなんでも知っているわけではない。よく知る支部の人間ならば話せることもあるだろうが、一体誰のことなのか。様々な隊員の顔を思い浮かべながらレイジは相槌を打つと、ライは静かに首を横に振った。

 

「……元二宮隊狙撃手(スナイパー)、レイジさんの妹弟子にもあたる鳩原未来についてです」

 

 上がったのはかつて二宮隊に所属し、現在はC級へ降格した鳩原の名前だった。

 

 

 

 

 月日は流れ。

 ボーダーは新ランク戦のシーズンとなる。

 そしてB級ランク戦はこれまでに類を見ない変動の時期を迎えるのだった。



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三強

 6月から始まり8月まで続く夏季のB級ランク戦は激動の3か月間を迎える事となった。

 まず大きな点としては今季より参戦するチームの増加である。

 昨シーズンまで弓場隊の一員であった王子が独立し、ランク戦に新規参加を果たす王子隊の他、先日までA級であった二宮隊および影浦隊の参戦。実力ある3チームが突如現れた事で昨シーズンとはまた異なる展開を見せる。

 初戦で二宮隊は王子隊と同じ昼の部・下位グループと当たると王子隊諸共敵を虐殺した。夜の部であった影浦隊も実力を遺憾なく発揮して大量得点を獲得する。瞬く間に中位グループ入りを果たすとこの二チームは二戦目も大勝し、三戦目で上位グループ入りとB級ランク戦を駆け上がっていった。

 その後も安定した戦いぶりを見せつけて元A級チームの実力を見せつける。

 そして彼らと同様にエンブレム持ちとなった紅月隊も昨シーズンの快進撃を再現するようにランク戦を戦い抜いていくのだった。

 

 

 

 

「鋼!」

「荒船!」

 

 太陽の日差しが降り注ぐ市街地C。

 長い階段が連なる街の中心部に広がる平坦な道で、二人の剣士が切り結んだ。

 一人は村上鋼。今やNo.7攻撃手と名高い鈴鳴第一のエース。右手に弧月、左手に盾モードのレイガストを構え、敵に食らいつく。

 対峙するのは荒船哲次。今シーズンから攻撃手から狙撃手へと転向した異色の実力者。同じく弧月を手に取り村上の振るう刃を受け止めた。

 この二人の因縁は非常に大きなもの。

 荒船が村上に弧月を教え、鍛え上げた師弟関係であり、そして同じ年代であることから私生活での親交も深い。ボーダー隊員の中でも特に親しい間柄だろう。

 そんな二人の関係も一時は危ういものであった。

 村上がちょうど荒船の個人ポイントを抜いた頃に荒船が攻撃手をやめ、狙撃手へとポジションを変更。完璧万能手を目指す荒船は元々予定していたことであり、時期は偶然重なってしまっただけなのだがこれを村上は自分が荒船を追い抜いてしまったせいだと自分を責めた。

 

『鋼は鋼のやり方で強くなって良いんだよ。近界民と戦う時は味方同士なんだから。荒船君だって「鋼が強くてよかった」と言うはずだよ』

 

 しかし隊長である来馬やチームメイトが落ち込む村上を激励。

 

『荒船。鋼にもきちんと君の目的をすべて話してほしい。言葉やコミュニケーションが足りないせいで仲間が孤立するのはごめんだ』

 

 さらに相談相手であったライも荒船と接触し、彼に村上と本音をぶつけあう事を推奨した。

 

『——だから俺にはお前とは違う俺の目的があるんだ。攻撃手はお前に任せる。もちろん、戦う時は容赦なく行くけどな』

 

 これにより荒船は立ち直った村上に改まって自身の掲げる完璧万能手を量産するという大望を示す。荒船が自分のせいで攻撃手をやめたわけではなく、自分の追い求める理想のために努力し続けているのだと知った村上はこれを大いに喜び。

 

『わかった。ならばその時にまた荒船に鍛えてもらえるように、俺も頑張るよ』

 

 荒船の目指す理論が実現する時に向けて腕を磨き続けることを誓うのだった。

 こうして元通りの関係に戻った二人は再び各々の訓練の成果を見せつける様に戦場で相対する。

 もう二度と迷わないと決めた二人の激突はすさまじさを増していった。

 徐々に村上の検速が増していく中、荒船も必死に相手の太刀筋を読みながらかわしていき——

 

「こりゃだるいわ。すみません」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 その間に、他の戦場で動きが生じていた。

 高台に陣取っていた半崎のトリオン体が、背後から突き刺された弧月により崩壊。すでに穂刈に撃破されていた太一に続き、戦場を後にするのだった。

 

「っ!?」

「半崎!」

 

 高台を狙撃手が取れれば有利であるこのステージで狙撃手が脱落。荒船隊にとっては大きな痛手だ。

 一体何者の仕業か、と考える必要はなかった。

 今度はその半崎が撃破されたポイントから射撃の嵐が二人めがけて降り注がれる。しかもただの射撃ではない。

 複雑な軌道を描き、あらゆる速度で迫る自由自在な弾は変化弾(バイパー)。B級でこのトリガーをこれほど器用に扱えるのは那須隊の隊長である那須か、あるいはもう一人。

 

「……ライか!」

 

 彼女の弟子であり、紅月隊の隊長であるライだけだ。

 ランク戦序盤で姿を消していたライがバッグワームを解除し、エスクードカタパルトで一気に二人の近くへと迫りくる。

 

「——旋空」

 

 着地するや否や、ライは弧月を右手で握りしめるとその腕を後方へ引いた。

 独特な構えは彼が幾度か今季のランク戦から見せていた新技。まずいと、荒船と村上は弧月を構えながら敵の動きを観察し。

 

「ちっ!」

 

 半崎とは違うポジションで備えていた穂刈が隊長を救うべく狙撃を敢行した。

 攻撃に転じる瞬間を狙った見事な一撃。銃弾はライの顔面目掛けて発射され、そして命中する寸前で突如展開されたシールドに受け止められる。

 

「まあ当たんねえか。さすがにな。悪いな、荒船」

 

 わかっていたことだがと舌を打った。

 こうしてライの攻撃を妨害する事はかなわず。ライはそのまま腕を突き出し——

 

「弧月」

 

 ライは握っていた弧月を手放し、荒船めがけて投擲した。

 

「ッ!?」

「なにっ!?」

 

 掛け声とは裏腹にライは必殺技を放つのではなく、武器である剣を放り投げるという暴挙にでる。予想と反した動きに攻撃の矛先となった荒船も、身構えていた村上も肝を抜かした。

二人ともその場から逆方向へ飛び上がり攻撃を回避しようとした中で虚をつかれた形となる。

 荒船はかろうじて弧月でライの刀をはじき返したものの、続いて突進してくる彼への対応は遅れてしまった。

 

「ちっ!」

 

 咄嗟の判断で突撃してくるライめがけて弧月を振るう。するとライは弧月を握った荒船の手首をつかみ、加速の勢いそのままに彼を投げ飛ばした。

 

「うおっ!?」

「旋空——!」

 

 地面に叩きつけられた衝撃で荒船が一瞬ひるむ。

これを見て村上は二人の注意が自分からそれている間に得点を狙おうと居合の構えをとった。

 

『待って、鋼君。危ない!』

『防げ、荒船!』

 

 その時、今と穂刈の通信が二人に警鐘を鳴らす。

 直後、ライの着地地点の地面すれすれにいつの間にか設置されていたトリオンキューブが分割。荒船と村上めがけて襲い掛かった。

 村上は間一髪レイガストで防御に成功する。

 だが荒船はライの姿が影になっていたという事もあり、すべては防ぎきることは出来ずに被弾を許してしまった。

 

「——ちっ。俺達が反応する事も織り込み済みか」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 皮肉を残して荒船も作戦室へと脱出していく。これで荒船隊は穂刈を残すのみと後がなくなってしまった。

 

「鋼! 穂刈君を発見した。こちらは任せて!」

 

 その穂刈の姿を来馬が捉える。残り一人だけとはいえ狙撃手が優位なステージである以上、潜伏される前に敵を撃破してしまおうと階段を駆け上がった。

 

『待ってください、来馬さん! まだもう一人近くにいるかも——』

「えっ? あっ!?」

 

 その動きを制そうと村上が叫んだものの、間に合わず。

 来馬は途中で何かに足を引っかけてその場で転倒してしまった。

 

「わ、ワイヤー?」

 

 その正体は地面すれすれに設置されていたトリオンで生成されたワイヤーだ。

 視力が回復するトリオン体でも凝視しなければわからない細さの罠に来馬は気づくことができなかった。

 

『——紅月君。来馬さんが罠に引っ掛かったよ』

「了解した。瑠花、狙いの座標を」

『はい。すでに立体図を送っています』

「ありがとう」

 

  そして罠にかかった獲物を逃す相手ではない。ライは来馬が足を止めた事をチームメイトから報告を受けると、即座に瑠花に支援を要請。彼の視界に来馬周辺の詳細なデータが浮かび上がった。

 

「悪いな、鋼。先にあちらを取らせてもらうよ」

「まさか!」

「エスクード」

 

 ライはそう言ってエスクードを起動。後ろに下がりながら上空へ飛び上がると、空中でイーグレットを起動。宙に浮いたまま狙撃を決行するのだった。

 

「スラスターオン!」

 

 仲間を守るべく村上は盾を凄まじい勢いで射出。なんとか弾道上に盾を挟み込もうと試みるもわずかに届かない。無情にも村上の盾の上を通り抜けて銃弾が突き進んだ。

 

『来馬さん! 来ます!』

「わかってる!」

 

 それでも必死に来馬を助けようと村上は通信をつなぎ続げる。彼の声に応じて来馬もシールドを前面に展開し、防御を試みた。

 

「いや。それでは防げない」

 

 だが、ライが放った銃弾は来馬ではなく、その後方に並び立つ建物のすぐ横の地面。建物の影に設置されていたトリオンキューブに命中した。

 

「えっ?」

 

 その銃弾が自分に向けられていると判断した来馬はこの目的に気づくことは出来ず。命中により炸裂した爆風の中に飲み込まれ、緊急脱出をはたすのだった。

 

「来馬さん!」

「これで残る鈴鳴第一は君だけだよ。鋼」

「——ライ!」

 

 何よりも守りたかった隊長を守れなかった事実を突きつけられ、村上は下唇をかみしめる。

 こうなったら少しでも得点を挙げて次につなげるしか村上には残されていなかった。弧月を握る手に今一度力を籠め、ライへと突撃していく。

 

(……まずいか? やることがなくなったぞ、俺)

 

 一方、もう一人の生き残りである穂刈は潜伏を続行しながら善後策を講じていた。

 すでにチームのエースである荒船が脱落。味方の方針としては隙が出来た瞬間、どちらでもいいから撃つようにと指示をもらったが、そう楽観視する事が出来なかった。

 

(鋼もライも防御・回避が高い。その気になれば簡単に倒されるだろう、俺が。しかも今はもう一人控えている、紅月隊に(・・・・)

 

 獲物は狙撃をあっさり許してもらえる相手でない上にまだ余力が残っているのだから。

 穂刈はため息を一つ吐いて照準器をのぞき込んだ。

 その先では村上とライが休む間もなく斬り結んでいる。

 

「ッ!」

 

 相手の弧月をレイガストで受け止め、弧月で斬り返した。

 村上は常に両手に二つのトリガーを展開し、攻防を繰り広げる。手数ではまず負けない速さと技量を持っていた。

 

「ふっ!」

 

 対するライが常時展開しているのは弧月のみ。その弧月が受け止められ、反撃の刃が振るわれるも返す刀で切り上げて弾き、一旦距離をとると炸裂弾(メテオラ)を起動。村上の足と顔めがけて発射し、相手の足と視界を奪おうと試みるが村上は構わずスラスターで突撃。ライへと肉薄する。

 

「くっ」

 

 今度はライが押される番となった。

 さすがにスラスターの勢いを殺すことは出来ずに弾き返される。態勢を立て直そうと後退するも、さらに村上は追い打ちをかけた。さすがに回避は間に合わずライは階段を背にして戦う事を余儀なくされる。

 

(これでは支援は敵わず、敵の攻撃が僕に集まる一方だな)

 

 高台からの支援は村上の姿がライの影になりがちなために難しく、敵の生き残りである穂刈もライへ狙いを定めやすくなった。

 立ち位置一つであっという間に不利な状況へと追い込まれたライ。

 村上の連撃をさばきつつ、対応策を考えはじめる。

 

『——紅月君。あたしが言ったタイミングで、伏せて』

『なるほど。わかった。頼むよ』

 

 すると彼の思考を読んだようにチームメイトが助け舟を出した。

 要領を得ない提案だったが、この言葉だけでライは彼女の言いたい事を理解し、即座に応じる。

 この間にもやむことのない村上の斬撃。袈裟懸けに斬りつける刃をギリギリでかわし、さらに振り下ろされた位置から返す刀で切り上げられた一閃を弧月で受ける。強力な衝撃を受けてわずかにライが後ずさる中、村上は勢いそのままに上段に構えた剣から強力な一撃が振り下ろされて——

 

『今!』

 

 瞬間、ライの耳に待ち望んだ通信が入った。同時にライはその場で弧月を手にしたまましゃがみこむ。剣先から逃れるような動きではないこの行動に、村上は一瞬迷いを抱きながらも刀をライへと向けて、

 

「——ッ!?」

 

 その刀が、衝撃によって弾き飛ばされた。

 高台から放たれた一発の銃弾が村上の弧月を撃ち抜いたのである。

 

(狙撃だと!? 俺が振り上げた瞬間を狙って。——ライが態勢を変えたのは、俺の攻撃をかわすためではなく、狙撃の射線を通すためか)

 

 一歩間違えれば狙撃がライを撃ち抜いたか、あるいはそのまま村上の弧月がライを襲ったであろう絶好のタイミング。それにも関わらず何のためらいもなしに実行したこの連携に、村上は思わず息を飲んだ。

 

「終わりだ、鋼」

「……してやられたな」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 そしてこの隙を見逃さず、村上の左胸をライの弧月が貫く。これが致命傷となり、村上もその場を後にするのだった。

 

「——参ったぞ。さすがに」

 

 一方、もう一人残っている生き残りである穂刈は悔し気に頭をかく。

 穂刈も彼とは異なる狙撃手が放った狙撃を目にした。そして穂刈はそれを確認してすかさずその相手を狙おうとしたのだが、敵は狙撃をするや否や自発的に緊急脱出(ベイルアウト)。すでにこの場を去ってしまっていたのである。

 

(お役御免というわけだな、これは。もう自分が脱出しても問題ないと考えたわけだな、向こうは。むしろこちらのチャンスを潰すため、オレが攻撃する前に撤退した。早すぎるだろ、判断が)

 

 あまりにも手際が良すぎた。彼女は自軍の勝利を信じてあっさりと撤退。明確な危機が迫ったわけでもなく、まだ敵が残っている中でそう簡単にできることではないだろう。

 

「……こりゃ死んだなオレ」

 

 穂刈はこの後の展開を予想し、静かにそうつぶやいた。

 そんな彼の言葉を肯定するように、ライは合成弾・変化炸裂弾(トマホーク)を生成。次々と高台へと打ち込み、爆撃を開始する。最後の一人である穂刈のあぶり出し、あわよくばそのまま撃破を狙ったこの攻撃を前に、穂刈も自発的に緊急脱出(ベイルアウト)することを余儀なくされた。

 

「穂刈隊員も自発的に緊急脱出! 最後まで生き残った紅月隊には生存点の二点が加算されます。——ここで試合終了! 最終スコア6対1対0! 紅月隊の勝利です!」

 

 

部隊得点生存点合計
紅月隊426
荒船隊1 1
鈴鳴第一0 0

 

 実況の武富が試合の終了を告げる。

 この日も紅月隊が大差で鈴鳴第一と荒船隊を退け、元A級の実力を示したのだった。

 

「やはり上位グループの常連、紅月隊が圧倒という結果に! 解説のお二方はいかがだったでしょうか?」

「うーん。まあ紅月先輩が大暴れした、って事に尽きるよね」

 

 武富に話を振られた佐鳥は頬をかきながら淡々と感想を述べる。

 まさにその通りだったために観客席の隊員たちもみな一様に頷いていた。

 

「そうですね。特に攻防の駆け引きが良かったと思います。相手に動きを読まれたと考えたうえで、さらにその先を行く。紅月隊は初参戦であった昨シーズンより注目度が上がり研究もされていく中、次々とその上をいくようなイメージがありますね」

 

 もう一人の解説役である蔵内もライのフェイントや置き玉であるメテオラの狙撃による起動などのシーンを思い返して冷静に語る。

 王子隊射手(シューター) 蔵内和紀

 彼も何度か紅月隊と戦ったことはある分、余計にその脅威が目に映っていた。

 

「対応力が優れている、といえばいいのでしょうか。戦況に応じて場を動かす力がある。紅月隊長の回避能力と個人戦の強さも健在ですし、やはり真正面から当たるのは厳しい相手でしょう」

「ねー。今回荒船隊の得意な市街地Cだったのに、大量得点したのは紅月隊って」

「確かに。荒船隊は移動中の別役隊員を撃破できたものの、それ以外は全て紅月隊に得点を奪われてしまいました。現在トップを走る二宮隊・影浦隊は得点力が高い中、紅月隊も高い得点を誇ると同時に失点を最小限に抑えています。これも強みと言えるでしょう」

 

 やはり伊達に試験を合格し、エンブレムを獲得したわけではない。

 皆その実力を知っているからこそ自然と解説にも熱が籠った。

 当然の事ながらハイレベルな戦いを目にして訓練生であるC級隊員たちもその強さに感心し、正隊員たちの言葉に耳を傾けている。

 

「今シーズンは彼女(・・)が加わって、より戦術の幅も増えていますからね。二宮隊・影浦隊・紅月隊の3強はこの先も続く可能性が高いと思います」

「ええ。紅月隊はRound6より新たに一名戦闘員が加わり、オペレーターを含めて3人部隊となりました。やはりこの変化は大きいですか?」

「そりゃそうだよ」

 

 「当たり前でしょ」と佐鳥はいつもの調子でそう口にした。

 

「狙撃手界隈でもトップの技量を持っていると言っても過言ではないからね。得点はないかもだけど、でも手ごわさは数倍あがったと言ってもいいよ」

 

 彼女の腕を知っているからこそ、佐鳥は心からその腕を認め、称賛する。A級隊員のお墨付きともなって、紅月隊の注目度はより増していくのだった。

 

 

————

 

 

「ふう」

「あ、紅月君。おかえり」

「ライ先輩。お疲れ様です!」

「ああ。今日も無事に勝てて何よりだ」

 

 時間は少しだけさかのぼり、ランク戦終了直後。

 最後まで生き残っていたライも紅月隊の作戦室に帰還した。

 大量得点を挙げ、部隊に勝利をもたらした隊長にチームメイトがねぎらいの声をかける。

 

「瑠花、迅速な支援助かったよ。来馬さんの撃破の有無によって鋼のそのあとの動きも変わっていただろうから。来馬さんが立て直す前に強襲できてよかった」

「いえ。できることをやっただけです」

 

 昨シーズンから続く瑠花との関係は良好だ。

 降格後のランク戦、当初は批判もあったものの今ではその声はすっかりなりをひそめている。変わらず快進撃を続けているという事もあって二人は今でもお互いを助け、信じていた。

 笑顔で瑠花との振り返りを終えると、さらにライはもう一人の戦闘員、ランク戦を支え続けた狙撃手へと視線を移す。

 

「君もね。スパイダーの仕掛けはもちろんだが、特に鋼への狙撃は助かった。あれがなければあるいは押し切られた可能性もある。非常に有効な支援だったよ。——鳩原」

 

 狙撃手の技量はあの東をも上回るともいわれる、狙撃の名手。

 かつては二宮隊に在籍し、一時は訓練生にまで降格した精鋭。

 今は紅月隊の一員として戦う鳩原未来の姿が、そこにはあった。

 

「ううん。あたしには、これくらいしかできないから、さ」

 

 そう言って鳩原は小さく笑う。

 紅月隊狙撃手(スナイパー) 鳩原未来

 彼女は謙遜するものの、鳩原の存在は紅月隊にとって大きな支えとなるのだった。




二宮隊:個人総合二位兼No.1射手。隊員二名も単独で盤面を抑えられる能力を持つ。隊員が一人減ったがむしろ手強くなった(王子談)
影浦隊:個人ポイント詐欺のエース攻撃手。火力が高く場を荒らせる銃手、中学生トップの個人ポイント持ちの狙撃手。
紅月隊:昨シーズン一人でB級トップまで駆け上がった隊長、ボーダー内でトップの技量を誇る狙撃手。

???「自分らなんでB級におんねん! はよA級に戻れや!」


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REGAIN COLORS

 鳩原未来の紅月隊加入。

 かつてはA級隊員の一員であり一度は遠征選抜試験にも合格するほどの実力者だ。力量のみを考慮するならばフリーの身になった今は『自分の部隊へ』と求める声も多数だろうが、処分により前代未聞の訓練生落ちとなった彼女を部隊に召集するという行為は並大抵の人物ではまず考えもしないだろう。

 そうでなくてもかつて彼女が所属していた二宮隊への配慮もある。それは彼女が引き起こした事件に関与し、事情を知るライにとってはなおさらのことだった。

 だからこそ、ライが彼女を自分の部隊へと招き入れられたのは、その当事者たちの思惑が絡んでいる。

 

 

「お前の時間が空いている時で構わない。もしもお前が良ければ——鳩原と話をしてやってほしい。そしてお前たちさえよければ、あいつをお前たちの部隊に加えてやってほしい」

 

 話を少しさかのぼり、鳩原が密航未遂を犯した日の夜。

 二宮は自室へ引き上げようとするライへある頼みごとをしていた。

 それこそがライに鳩原と会話を交え、そして彼女を彼らの部隊へと勧誘してもらう事である。

 

「鳩原を? 話をする分には構いませんが、彼女を紅月隊(うち)に? どういう事ですか。二宮さんも先ほど、お互いが了承すればまた彼女と共に部隊を組む事も考えると仰ったばかりでは?」

「確かにそうだ。だがその可能性が限りなく低い上に、そもそもそうなる前にあいつが駄目になる可能性も捨てきれない」

 

 淡々と事もなげに二宮が語った。

 仮にも長く精鋭部隊として共に戦ってきたチームメイトの今後に関わる大事な話題でありながら、彼の中では完全に割り切っているように感じられる。ひょっとしたら一隊長として冷静に隊員の行く末を案じているだけかもしれない。

 

「遠征部隊合格の取り消しに加えて密航の失敗。今の鳩原は挫折の連続に他者へ申し訳なさが重なって心が不安定だ。いつ爆発してもおかしくない爆弾と言っても良いが。同時に、放っておけばもう二度と自力では立ち直れないような状態でもあると俺は考える」

 

 ただでさえ自分を卑下しがちな彼女が今回の一件でより自分を責めるようになってしまった。

 殻に閉じこもっている今、下手に刺激すればその感情がどうなるかわからなくなる半面、このままでは何もできないまま時が過ぎてしまい、そして彼女はもう元の立場には戻れなくなってしまう。そんな予感が二宮にはあった。

 

「そして、おそらくだが俺達ではあいつを立ち直らせることは難しいだろう」

 

 そんな彼女を復活させる役目は自分たちではないという事も。

 鳩原は二宮達チームメイトを置き去りに一人密航を企てた。塞ぎがちな彼女が自分からもう一度仲間に、と声をかけるとは考えにくい。また先にも話したように二宮も隊長としてけじめをつけるために動くわけにはいかなかった。

 だからこそわかっていても解決は難しい。他者の手を借りようにも今回の事情を知る者は限られているため、第三者に頼むという行為は簡単ではなかった。

 

「だが紅月。お前ならばあいつを立ち直らせる事もできるのではないかと、俺は考えた」

「僕がですか」

「ああ。他でもない、関係者であるお前ならば」

 

 ただ一人、目の前の男を除けば。

 静かに二宮が頷く。

 鳩原にとってライは密航を阻止された人物であると同時に、自分のせいで降格させてしまった関係ない部隊の隊員だ。少なくとも聞く耳は持つだろう。

 

「狙撃手としての腕は俺が保証する。紅月隊の特性を考えてもあいつは役に立つだろう。戦力としては申し分ないはずだ。だからお前たちさえよければ、という条件で考えてはもらえないか?」

 

 もしも鳩原が加われば、並外れた狙撃の技術を持つ彼女は戦闘員一人というライを十二分にサポートすると予想できる。経験も豊富なため戦力としては十分なものだ。あとはライと瑠花の二人が彼女を認めるかどうか。二宮は鳩原の行く末を彼に託した。

 

「……わかりました。僕でよろしければ」

「ああ。頼むぞ」

「瑠花とも相談してみますが、おそらくは彼女も応じてくれるでしょう。僕としても彼女の力を評価していますし、部隊の強みが増すことに異存はありません。問題は、鳩原がそれに応じてくれるかどうかですが」

「お前が話して駄目ならば諦めもつく。そう気負うな。失敗してもお前の責任ではない」

「いえ。やるならばとことん全力を尽くします。僕にも彼女を止めた責任がありますから」

「——そうか。では後はお前に任せるぞ」

 

 強い意志を持って誓うライを見て、二宮は小さく息を吐く。

 これ以上隊長として二宮にできることはなかった。

 後はこの男が鳩原を上手く説得し、立ち直らせられるかどうか。良い報告を聞けるようにと、二宮は期待を籠めてライにすべてを託す。

 

「はい。進展があれば報告します。ただ、その。二宮さんは良いんですか?」

「何がだ?」

「鳩原が僕の部隊に加わることですよ」

 

 一方、ライはある事が気になって二宮に再度問いかけた。

 鳩原が元いた部隊ではなく紅月隊に加入。二宮はそれが気にならないのかと聞くと、二宮は鼻で笑う。

 

「問題ない。お前たちとB級ランク戦で戦う事を気にしているのならば、それは無用な心配だ。一人減ったところで崩れるほどやわな部隊ではない」

「ああいえ、そういう意味ではなく——」

 

 二宮隊が弱くなるという危惧ならば不要だと二宮は語るが、ライが心配していたのはそうではなかった。言いにくい事なのか、彼にしては珍しく言いよどみながらも言葉を絞り出し——

 

「二宮さんって、鳩原と付き合っているんですよね?」

 

 発せられた言葉を耳にした二宮の表情は固まり、後ろで話を聞いていた犬飼や辻は思わず噴き出した。

 

「……何を言っている?」

「ですから、二宮さんと鳩原って」

「聞こえなかったわけではない。紅月、お前は何を根拠にそう思った?」

「え? 違うんですか? 二宮さんと仲が良い人に聞いたんですが」

「誰にだ?」

「加古さんです」

「加古の野郎、ぬるい説明しやがって……」

 

 かつて二宮と同じ部隊に所属していた、同じ年齢、同じA級の隊長。確かに普通の人間が考えれば仲が良い二人だろう。その加古が話す内容ならば信じるのも当然だ。

 だが二宮は加古の名前が出た途端に機嫌を損ね、声の調子も幾分か苛立ちを含みはじめた。

 

「はっきりと言っておくが、それは事実ではない。俺はあくまでも鳩原ほどの才能が消えるのは戦力として惜しいと考えたからだ。他意はない。わかったか?」

「……あっ。はい。わかりました」

「本当にか?」

「ええ。もちろん。鳩原ほどの腕利きがこのまま姿を消すのは勿体ないというのは僕も同意見ですから。——では二宮さん。何かあればまた伺います」

「了解した」

 

 明らかに様子が変わった二宮の説明を受け、ライはそれ以上は深く聞く事はせず、彼に話を合わせその場を去る。

 背を返したライに二宮も鳩原を託し、二人は別れた。

 

 

 

————

 

 ちなみに、加古が二宮と鳩原の関係についてライへと話した時の事。

 

『ちなみに紅月君、もしも二宮君に鳩原ちゃんの事を聞いたらその場は適当に相槌を打つ程度にしてね。彼って結構見栄とかを気にするタイプだから、彼女と付き合っている事を隠そうと必死になると思うの。まず認める事はしないはずだから、あまり深くは聞かないようにしてあげてね』

 

 全て加古の読み通りであった。

 

 

————

 

 

 

「鳩原についてか。実力についてはお前もよく知っているだろう。パーソナリティに関しては温厚でお人よし。ひたすら内面を隠すために振舞う優しい性格。自分を卑下する一方、現状を打破すべく考えをやめない真面目な努力家。——と言ったところか」

 

 時が少し進んで、ライが玉狛支部を訪れた日の事。

 ライは鳩原の兄弟子であるレイジから彼女について話を聞いていた。

 人間性を問われたレイジは共に訓練や任務に励んだ日の事、人伝いに聞いた話を思い返しながら淡々と続ける。

 

「やはりレイジさんの目からみてもそうですか。僕が抱いている人物像と一致していますし、狙撃手仲間の隊員も似たような事を言っていました」

「そうだろうな。あまり自分から積極的に動くタイプではないが、その腕と性格から交流は意外と広い。狙撃以外にも何か部隊の助けができないかと色々試行錯誤していたな」

「そうなんですか?」

「ああ。たとえばスパイダーを取り入れたワイヤー戦術。実践投入までは至らなかったが鉛弾を使った鉛弾狙撃を練習したと聞いている」

「鉛弾って、確か三輪が使っている——」

「そうだね。秀次は銃手トリガーで使っているけど、鳩原ちゃんは狙撃手トリガーへの応用を考えたってわけだ」

 

 迅の補足にライはなるほどとうなずいた。彼はA級ランク戦の情報を知らないため鳩原の戦闘は狙撃による支援以外は詳しく知らなかったが、他にも味方を助ける術を持ち、その為に努力しようとする姿勢は非常に好ましい。たとえ自分で得点できなくても部隊のためにと動ける人材は貴重なものだ。

 

「それに気配りもできる人間だ。あいつが二宮隊に加わった際、当初はチームメイト間で中々コミュニケーションが取れなかったようだが、鳩原が上手く仲介に入って今の形まで作り上げたとも聞いている」

「えっ? それは初耳ですね。どちらかと言うと犬飼がその役目のような気もしますが」

「まあ隊長も結構硬い性格だから、彼もあまりはっきりと言えない場面があったんじゃない?」

「確かに二宮さんも最初から上手く部下との付き合い方ができるような人間ではなさそうですが……」

 

 初対面で『座れよ、紅月』と語り掛けられたときの事を思い出しながらライがつぶやく。

 真相は不明だが、同年代である自分以外に年下であり鳩原と同性の瑠花もいる都合上、そのように上手く隊員と交流できる人間性もライにとっては加点ポイントとなった。

 余談だが、オペレーターの氷見が男性と話す際に緊張する癖が抜けない際、鳩原が烏丸ファンである彼女に『烏丸くん相手に比べたら、他の人は緊張しないでしょ』と発言したことはレイジも知らされていない。

 

「……ですが、よかったです。レイジさんもそのように仰るならば、何も問題はなさそうだ」

 

 後は自分がどう話すか。

 一通り話を聞いたライは安堵の息を漏らした。

 少なくとも様々な味方が鳩原未来という人物像について、謙遜しがちで感情を抱きがちという欠点はある一方で、優しく真面目な人物だと評している。そんな隊員ならばもし味方になったとしても上手くやっていけると考えられた。

 

「お前がそこまで鳩原の事を聞くという事は、何かあいつにするつもりか? 今回の一件、お前も鳩原とはつながりが深いからそうだろうとは考えていたが」

「……何のことですか? 生憎と僕の降格は僕自身の失態で」

「ああ、紅月君。レイジさんは大丈夫だよ」

「——はっ?」

 

 今回のこの問答の真意を問われたライはわざと嘘を貫こうとするが、そこに迅が横から割って入る。大丈夫という言葉の意味が分からずライが首をかしげると、迅はさらに話を続けた。

 

「レイジさんは今回の一件について上から話を聞いているんだ。関係者以外では東さん、そして東さんの弟子であるレイジさんの二人が君たちの事件の事を知っている」

「そうだったんですか?」

「ああ。そう簡単に話をしない姿勢はよかったが、そのように身構える必要はない。——もしも鳩原と接触するならばよろしく頼む。どうかあいつを勇気づけてやってくれ」

 

 迅に続きレイジも首を縦に振り、彼の話を肯定する。

 そして兄弟子という立場からレイジもライに鳩原を助けてやってくれと依頼した。彼も妹弟子が今回のような事件を引き起こしてしまった事に何かしら複雑な思いを抱いていたに違いない。

 

「……はい。最善を尽くします」

 

 その信頼に応えようと、ライも頷くのだった。

 

 

————

 

 

 

 そしてさらに時は流れ、平日の夕方。

 

「……ごめんね。入るよ、紅月君」

 

 高校の授業を終え、真っ直ぐボーダー本部へ向かった鳩原が紅月隊の作戦室を訪れた。

 

「ああ。よく来てくれた鳩原。そちらも忙しいと思うが、こうして時間をとってくれた事に感謝する」

「いや、そんな。あたしは別に予定なんてなかったし大丈夫だよ」

 

 ライから『話したい事がある』と呼び出された鳩原。促されるまま彼女はソファに腰かけ、ライも反対側に座る。別の部隊の作戦室、しかも相手が相手とあって鳩原の動作は少しぎこちなかった。

 

「こちらどうぞ、鳩原先輩」

「あ、ありがとね」

 

 すると部屋の奥から瑠花が人数分のお茶とお茶請けを用意し、机の前に置く。

 お盆を置き、彼女がライの横に並ぶように座り、関係者3人がようやくこの場に集った。

 

「さて、あまり話が長引いて遅くなってしまっては申し訳ない。こちらから先に本題に入っても良いかな?」

「……その前に、あたしの方からいくつか聞かせてもらえないかな?」

「何だい? 別に構わないよ」

 

 短時間で用件を済ませようと口を開くライだが、話したい事があるのは鳩原も同じだった。ライから許可を得ると、鳩原は事件以後、ずっと抱えていた疑問を少しずつ吐き出していく。

 

「なんで、わかったの?」

 

 『なにが』と聞き返す必要はなかった。

 鳩原が問いただしているのはどうしてライが鳩原の密航を事前に察する事ができたのかどうかだ。

 誰も、弟子である絵馬やクラスメイトである当真や今たちはもちろん、師匠であるあの東でさえ気づく事は出来なかったのに。

 当然の質問にライは慎重に言葉を選びながら彼女に理解してもらえるようにとその悩みに答える。

 

「まずは訓練前後の君の様子がおかしかったからだ。どこかいつもと雰囲気が違った。加えてその後、当真と僕に語り掛けたあの言葉。あれが決定打になったね。以前、自分の都合で大切な人達に別れを告げた、ある人物によく似ていたから」

「……そっか。やっぱり、あの一言は余計だったかな」

 

 そういうと鳩原は『仕方ないか』と失敗を悔やんで頬をかいた。自らの失態に対する無念さが窺える。

 

「じゃあ、なんで? なんで——止めたの? なんで、行かせてくれなかったの?」

 

 だがまだ鳩原の疑念は尽きなかった。

 先ほどよりもずっと低い声色で、鳩原は続ける。しり上がりに語気が強まり、瞳から光が消えた彼女の表情は鬼気迫るものとなった。

 

「鳩原、君は——」

「あたしには、あれしかなかったのに! もう、遠征に行く機会さえなくなって、近界に行く手段は他になかったのに! 弟を助けるには、あたしはああするしかなかったのに! やっと、助けられると思ったのに! あたし一人がいなくなったところで、何も変わらなかったのに……なんで!?」

 

 ライの声を遮り、鳩原は嗚咽交じりに言葉を溢す。

 鳩原の目的は近界民に拉致された弟を救出する事。その目的を果たすには遠征という手段を奪われた彼女には密航しかなかった。

 鳩原の頬を一筋の雫が伝って地に落ちる。

 肉親を思う気持ちはライも痛いほどわかった。彼も戦う目的は同じだったから。

 

「決まっているだろう。仲間が自分から死地に赴くとわかっていて止めないものがいるか?」

 

 だからこそ、ライはあえて淡々と意見を述べていく。

 

「ならば聞くが、君は密航してどうするつもりだったんだ?」

「……どうするって、あたしは浚われた弟を……」

「相手の国に見当はついているのか? 場所がわかったとして、どうやって救出する? この星に帰ってくるまでのめどはついていたのか? ボーダーの中でも限られた人物しか遠征に行くことは出来ない。それだけ難しいという事はわかっているだろう」

 

 弟を救出するという目的は非常に立派なものだ。

 だが同時に非常に困難な事でもある。そもそも素性不明な星を探すだけでも大変な上に、内情を知らない星から拉致された人を救い、さらに無事に脱出するという事は計画を立てる事すら難易度が高い事だった。

 

「……全てを犠牲に、我が身さえ犠牲にしてでも守ろうとしたものなんて長続きしない。全てがうまくいく時間なんてごくわずかだ。僕はそう知っているから。だから、止めた」

 

 ライはかつてあらゆるものを捨て、大切なものを守ろうとして、それでも叶わなかった過去を思い返し、静かに告げる。もうこれ以上同じ思いはしてほしくないと、本心を述べた。

 

「自分を過大評価するなよ、鳩原。たった4人で密航しても、君の弟を助け出す事は不可能だっただろう」

「ッ……!」

「そして、自分を過小評価するな。何も変わらない? 君を思ってどれだけの隊員が苦悩したと思っている。君自身が考えている以上に、君の影響は大きなものだよ」

「……うぅ」

 

 密航の無謀さを諭し、そして彼女の周囲にいる大切なもの達の存在を改めて示す。

 鳩原も密航に失敗してから様々な人と接した。二宮からは散々苦言を呈せられ、クラスメイトである当真達からは何度も声をかけられ、心配された上に東からも話す機会を設けられ、弟子である絵馬に至っては鳩原の件で暴走し、影浦隊までが処分を受けている。

 そんな数々の出来事を思い返して、再び涙があふれだした。

 自分の事を思ってくれた人たちがいるという事があまりにも申し訳なくて、そして嬉しい。

 

 

————

 

 

「大丈夫ですか、鳩原先輩?」

「……うん。ごめんね、みっともないよね」

「いえ。お気になさらず」

 

 ようやく泣き止み、呼吸も整った鳩原。

 声をかけてくれた瑠花に礼を言いつつ鳩原は姿勢を正す。

 

「さっきからあたしばっかり一方的な事しゃべっててごめん。——先に、これを言うべきだったね。二人とも、ごめんなさい」

 

 先ほどは余裕がなかったため自分の事ばかりだった。

 意識を切り替えた鳩原はその場で立ち上がり深々と頭を下げる。関係ない二人を巻き込んで降格させた事に対する謝罪だ。机に頭をぶつけかねないほどの勢いだった。

 

「頭をあげてくれ。女性にそのように頭を下げられては居心地が悪い」

「私もライ先輩とすでに何度も話して、仕方がない事だったと考えていますから。私たちは独断で考え、動いたんです。あまり気にしすぎないでください」

「いや、そうはいかないよ。……二宮さんも言っていたけど、たぶんすぐには戻れないんでしょう?」

「おそらくね」

 

 二人は気にするなと声をかけてくれるものの、彼らがおかれている現状から鳩原は申し訳なさでいっぱいである。

 処罰による降格である以上は次シーズンでの昇格、というわけにはいかなかった。

 ライは少なくとも半年はまず上がれないだろうと覚悟している。

 そんな事態になってしまった事に、鳩原は自分を許せないでいた。

 

「……本当に、ごめんなさい。謝ってすむ問題じゃないってわかってるけど」

「まあ仕方ないよ。二宮さんも言ったかもしれないけど、もう過ぎた事だ。それをいつまでも語ったところで意味はない」

「でも、あたしのせいで……何か、あたしにできる事があれば何でも言って。できることなんて限られてるだろうけど、少しでも罪滅ぼしができれば……」

 

 何度も謝罪の言葉を述べる。そして少しでも彼らに返せるものはないかと鳩原は二人に問いかけた。真面目な性格であるためにこのまま何もしないというのは心情的に許せなかったのだろう。

 

「……君がそういうならば、最初に僕が言おうとしていた本題の話に入っても良いかな?」

「えっ? 本題?」

「ああ。今回君を呼んだのは君に頼みがあったからだ」

「あたしに? 紅月君が? あたしにできる事なんてあるのかわからないけど、何? できることなら何でもするけど」

「そうか。別に難しい話ではないよ」

 

 鳩原が二人へ問いかけた事を好機に、ライは本題を切り出した。首をかしげる鳩原に、ライは単刀直入に告げる。

 

「——鳩原。紅月隊に加わらないか? 僕の部隊で君の腕を存分に振るってほしい」

 

 鳩原に紅月隊への勧誘。あっさりと告げられたセリフに、鳩原はその意味をすぐに理解できず、呆けてしまった。

 

「……えっ? あたしが?」

「そうだ。君の実力は訓練でもよく知っている。奈良坂や当真、東さんをも凌駕する技術だと僕は評価した。もしも君が二宮隊への復帰に二の足を踏んでいるのならば、君を僕の部隊へ招き入れたい」

 

 重ねてライは鳩原を紅月隊へと誘う。ボーダーの中でも指折りの実力者たちの名前を挙げ、そんな彼らをも凌ぐという言葉は最大限の賛辞だった。

 彼女の複雑な心境を理解し、二宮隊の話題を挙げると、鳩原はやはりと言うべきか、緊張が強まる。

 

「でも、あたし処分を食らったんだよ? そんなあたしが一緒の部隊になったら紅月君たちまで……」

「そんなの僕も同じだよ。隊長が処分を受けたんだ。同じ身の隊員が一人増えたくらいで何も支障はない」

 

 毒を食らわば皿までと言わんばかりにライはきっぱりと問題ないと断言した。

 

「それに、あたし今訓練生まで落ちちゃったんだよ? もう正隊員ですらないのに……」

「君ならば三週間あれば戻ってこれるさ」

 

 当然だろうとライは迷いなく言い切る。

 

「え、っと。でも、二宮さんがなんて言うか……」

「これは二宮さんからも頼まれた事だ。許可は得ている」

「えっ。あの二宮さんが頼んだの?」

「うん。あの二宮さんが頼んだ」

 

 二宮の名前を挙げてもライは動じなかった。嘘だろうと確認しても首を縦に振るのみ。

 反応に困っている様子の鳩原は、肯定するのも否定するのも申し訳ないという様子だった。

 ならば彼女の背中をもう一押ししようとライはさらに話を続ける。

 

「さすがに元居た部隊に戻る事は難しいだろう。だが目標もない状態で戦い続けられるほどの気丈な人間は少ない。どうだろうか、鳩原。僕の部隊に加わり、目的達成のために力を貸してくれないか」

「目的って?」

「近界遠征だ」

「——えっ」

 

 こうしてライは自分の目的を、鳩原と同じ目的を語った。

 

「君とは少し理由が違うが、僕も近界遠征を目指している。そのためにはA級昇格は必須だが、昇格さえ二宮隊・影浦隊もいる中では難易度も格段に跳ね上がる。君の助けは非常に有効だろう」

「いや、何言ってるの、紅月君? わかってるの? あたし、その試験の合格を取り消されたんだよ?」

「知っているさ。だからどうした?」

 

 鳩原は近界遠征試験を合格したものの取り消されている。そんな自分がいては紅月隊でさえ同じ目に会いかねなかった。そう諭してもライは考えを曲げない。

 

「忍田さんから話を聞いた。人型の敵と対峙する際、人を撃てない君の存在がどう影響するか予想できないと。——それが問題になるというならば、戦えるもの()が戦えばいい」

 

 かつてライが瑠花と部隊を結成する際に語った時と同じ言葉を鳩原に送った。

 

「紅月隊のエンブレムを知っているか? あれは、ある女性をモチーフにしたものだが」

《……ライ先輩》

《大丈夫だよ。ちゃんと名前は伏せるから》

 

 エンブレムの話題になった途端、瑠花から内部通信が入る。やはりモデルとなっているため気恥ずかしいのだろう、頬がわずかに赤みを帯びているように見えた。ライは安心するように通信で返し、話に戻る。

 

「あれは守りたい者と、その者に代わってあらゆる状況で戦い抜くという意味を込めて作った。僕は誰が相手であれ、どのような状況下であれ戦い抜く。そう覚悟している。たとえ君の人を撃てないという事実が弱点になったとしても、僕が駆け付け、そして敵を討とう」

 

 もう二度と失うまいと誓った彼の言葉には重みがあった。いつの間にか鳩原も聞き入ったのか、真剣な表情で彼の言葉に耳を傾けている。

 

「二宮隊で駄目だったからと諦めないでほしい。ならば、その二宮隊を倒してA級に昇格したらどうだ? 上層部とて少なくとも再考せざるをえないだろう」

 

 かつての失敗も、それを超える実力を示したのならば結果も変わるかもしれない。だから諦めないでくれとライは訴え続けた。

 

「……それで、本当に変わるのかな?」

「まだ不安かい? ……そうだな。ならばこれも付け加えようか。もしもこの先、ボーダーが拉致被害者の救出など大掛かりな遠征を試みたならば、おそらく僕を遠征に組みこもうと考えるはずだ」

「えっ? なんで……あっ」

「ああ。君も僕の経歴は知っているだろう?ならば僕と組んでいる方がより可能性は高まるんじゃないかな?」

 

 まだ結論を出せない鳩原に、ライはさらに奥の手を提示する。

 ライの経歴。かつてA級隊員であった彼女ならば知っている、近界からの帰還者という情報。

 すでに向こうの記憶はほとんどないと上層部は知っているものの、彼の記憶の埋め込みを治すすべを探すため、あるいはそこから何かしらの手がかりを得るためにと同行させる可能性は十分考えられた。そんな彼と同じ部隊にいれば、確かに共に遠征に参加できる可能性も捨てきれない。

 

「経歴? ライ先輩、どういう事ですか?」

「……ああ。ちょっとボーダー本部の上層部と入隊前からつながりがあってね。その事だよ」

 

 事情を知らない瑠花は当然事情を把握できずに問い詰めるが、ライは真相を少しぼかしつつ返答した。このことも他言を禁じられていることだ。たとえ瑠花であろうともそう簡単に教えるわけにはいかない。

 

「どうだろうか、鳩原。君が先の行動を悔やんでいるのならば。失った信頼を取り戻すためにも、仲間の声に応えるためにも、紅月隊に加わってほしい。共に近界遠征を目指さないか」

 

 彼女の願いに沿った、揃えられるだけの条件を提示し、環境も整えた。

 後は鳩原の返答を待つだけ。最後に今一度ライが道を指し示す。

 

「それとも『何でもする』という君の言葉は嘘だったのかな?」

「ああ、いやそんな!」

 

 さらにライは緊張をやわらげるべく、冗談半分で笑いながら彼女に問いかけた。

 鳩原は必死に否定するとやがて彼の気遣いに気づき、つられるように笑って返事を決める。

 

「——わかった。あたしも紅月隊に加わるよ。あたしが紅月君の戦いをアシストする」

 

 一度はボーダーも、仲間も、その関係や感情を手放そうとした。

 しかし密航に失敗した今でも変わらず接し、力を求めてくれる人がいる。

 ならば今度はその手放そうとした色を取り戻す戦いに行こうと鳩原はライの要請を快諾した。

 

「ああ。よろしく頼む」

「私からもよろしくお願いしますね、鳩原先輩」

 

 ここに鳩原を加えた第二期紅月隊が誕生する。

 

 

————

 

 

 そして紅月隊加入を決め、謹慎期間が解けた鳩原は変わらぬ技量を見せつけた。

 ライの発言通り、最短となる三週間でB級へ返り咲くとそのままシーズン真っただ中である紅月隊へ加入。周囲を驚かせる。

 

「……紅月隊が一人増えたぁ? どういうこった? あいつ戦闘員は一人だろ?」

「そのまんまだって。一人増えてんの! しかもその相手が……」

「ユズルの師匠じゃねーか!」

「鳩原先輩! ……紅月隊、そっか。よかった……!」

 

 その初参戦となったRound6。対戦相手である一角、影浦隊は各々驚きを呈しつつ、絵馬は師匠の復帰に歓喜し。

 

「えー。紅月君の隊に隊員追加かいな。おいおい、一人でも厄介なのにアカンやろ!」

「しかも鳩原先輩って。あの人の腕A級でも並外れですよ」

「ああ。アカンやろ。鳩原ちゃんって。……あいつ、ハーレムでも築く気か!? 許さん、叩き斬ったるわ!」

「そういえばついに男1、女2で唯一女性の方が多い部隊になったっすね!」

「絶対彼そないなつまらん事考えとらんやろ」

 

 もう一つの部隊、生駒隊は明るい雰囲気を保ちつつも警戒心を強めていた。ただ一人、生駒だけは怒りを露わにし、嫉妬の炎に燃えていたが。

 

「じゃあ行こうか、鳩原。君の実力を見せつけてくれ」

「了解。できるだけの事をやるよ」

「サポートは任せてください。今回は北添先輩もいますので奇襲には気を付けて!」

 

 そんな反応を知る由もない紅月隊は鳩原の初陣という事もあって士気は高い。

 そしてこの初戦でいきなり鳩原の狙撃の腕が真価を発揮するのだった。

 

 

 

 

「よっしゃ! 鳩原先輩、発見! ——っと、おおっ!?」

 

 開始直後、運よく潜伏する鳩原を発見した南沢だったが、鳩原のワイヤートラップを見抜けず転倒。体制を立て直し、追撃しようとしたところを絵馬の狙撃に遭い撃沈。

 

《ライ先輩、鳩原先輩! 北添先輩の炸裂弾が打ち上げられました!》

「了解。見えてるよ。大丈夫。——全部、撃ち落とす」

「——へっ!? 狙撃!?」

 

 さらに北添が得意の適当炸裂弾で場を荒らそうとすると、宙を舞う銃弾をすべて撃ち抜くという荒業を見せつける。

 

「よっしゃあ! ようやく見えたなライ!」

「イコさん!?」

「ここでぶった斬ったるわ! 旋空、弧月——あれ?」

 

 そしてライと影浦が斬りあう中、生駒が漁夫の利を得ようと二人まとめて旋空弧月を放つべく構えたところを鳩原が狙撃。生駒の弧月を打ち抜き、破壊する。武器を失った生駒はあえなく撃破された。

 こうして的確なアシストを繰り返した結果、紅月隊が勝利を収める。

 その後も快進撃は続き、紅月隊は最終的に4位以降と7点差以上を突き放してのB級3位でシーズンを終えるのだった。

 




あらすじの話も回収。実はライだけではなく、彼女の事も示していました。


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運命

——その日、少年は運命に出会う。
やがてその意味に気づく物語。
この出会いが未来への分岐点。


「おー。見ました、二宮さん? 鳩原ちゃんが早速アシストを連発したみたいですよ」

「……ふん。見るまでもない。実力は俺達がよく知っていることだろう」

「まあ確かにその通りですね」

 

 鳩原の新部隊での初陣直後。

 防衛任務の最中であった二宮隊では、犬飼に話を振られた二宮が当然のように語っていた。

 ライから鳩原の了承をもらい、後は彼女がB級に上がるという報告を聞いてからは二宮は彼らに関与していない。下手に自分が話に加わることで複雑化する事を配慮しての事だ。

 

「いずれにせよやることに変わりはない。敵は全て撃ち落とす。たとえ誰が相手であろうとも。それだけだ」

 

 その相手が鳩原やライだったとしても。

 そう言って二宮は踵を返す。

 個人総合二位に君臨するだけあって彼の背中には自信に満ち溢れていた。

 そしてこの宣言通り、二宮隊は終始他の部隊を圧倒し、B級一位という前評判通りの首位でこのシーズンを終える。

 

 

 

 

「……あらら。やっぱり援護がつくとさらにすごいね。こりゃもし上位に上がったとしても大変そうだ」

 

 同時刻の那須邸。

 新生紅月隊の初陣となったランク戦の映像を見返した熊谷が冷や汗を浮かべながらつぶやいた。

 鳩原は自身で直接得点こそ挙げていないものの、部隊への貢献度には目を見張るものがある。

 ワイヤーによる時間稼ぎや敵の行動制限。狙撃による武器破壊に相手の援護の妨害。これらが完璧な精度と離れた距離から実行できるという点は非常に大きかった。鳩原の援護によりライの動きはより機敏に映る。加えて自分では得点できないという事をよく自覚しているからか、深入りせず無理をしないため、紅月隊の失点率が増加するという気配もみられなかった。

 

『そもそも紅月先輩は単独でもB級を勝ち抜ける実力でしたからね。援護が加わればそりゃヤバイですよ』

「何度か狙撃手訓練で見ましたけど、鳩原先輩も狙撃訓練は成績上位です。技術だけなら奈良坂先輩たちくらいかも。それ程の実力です」

「聞けば聞くほど厄介だね。やっぱり伊達にA級に昇格しちゃいないか。本来なら今もA級で戦っていたわけだし」

 

 志岐や日浦も改めて紅月隊の脅威を再認識し、皆苦言を呈する。

 二宮隊、影浦隊、紅月隊。A級を経験した部隊は皆対策を立てる事さえ難しいほどの実力を示した。部隊を組んだばかりである紅月隊ならば連携の面であるいは、という事すらない。的確に武器を打ち抜き、隊長を支援する鳩原の援護には高い熟練度が窺えた。それほどの技量である。

 

「ええ。でも、この先他の部隊も何かしら対策を立てて挑むはず。その間に何かしら突破口も見えるかもしれないわ。それまで、私達は目の前の戦いに集中しよう。少しでも上の順位に行くために」

 

 とはいえ上ばかり見ていても仕方がないと那須が冷静に述べた。

 現在の那須隊は中位グループで戦い続けている。

 二日目のランク戦で那須隊は二宮隊に蹂躙され、その力を思い知らされた。それ以降、一度も上位グループには上がれていない。新たに加わった二宮隊、影浦隊に押しやられた形であった。

 今一度昨シーズンのような成績を残すために。今は次の戦いに専念しようと隊長として、エースとして前を向く。

 

「……うん。そうだね」

『確かに元A級の三部隊は圧倒的ですが、他の上位グループは今期も変動がありますからね。まだチャンスは十分あります』

「うちもまた頑張りましょう!」

 

 そんな那須の姿勢にあてられて皆士気が向上した。

 那須隊も一度は上位グループまで上り詰めたのだ。もう一度あそこまでたどり着こうと意識を一つにする。

 

(……紅月先輩)

 

 そんな仲間の明るい姿を目にした那須はうっすらと笑みを浮かべ、そして窓越しに外の景色を眺めた。

 思い浮かべたのはまさに話題の的であった、彼女の射手の弟子でもあるライの事。日浦を経由して彼に聞いたある出来事の事であった。

 

『実は那須先輩から紅月先輩に聞いてほしい事があるって言われたんですけど、今良いですか?』

『……僕が答えられることならば』

『ではそのまま伝えますね。——紅月先輩がこの道を自分で決めた事だとしても、やはり思うところはあると思います。それでも紅月先輩は後悔せずに進めますか、と』

 

 那須が聞きたかった事は、果たしてライが降格を受けるほどの行動を起こして、それを後悔していないのか、これからこの道を振り返らずに前へと進めるかどうかという事である。

 もしも何かしらの思いがあるのならば那須もより深く話を聞こうと思っていた。

 その問いに対するライの答えは——

 

『……後から悔やむからこそ後悔さ。まずは進んでからの事だ』

 

 表情に変化は生まれない。迷いなく、そう言い切った。

 

『もちろん悔いる事はあったが、それはすでに払拭された。だから僕はもう大丈夫だ。——那須さんにも心配をかけてごめん、ありがとうと伝えてほしい。僕も今度直接伺うよ』

 

 降格の前と変わらぬ調子の問答だ。

 日浦からこの答えを聞いた那須は安堵した。そしてこれ以上自分が降格の件に関与する意味はないだろうと考え、以後はこの話題には触れないようにしようと心に決める。

 

(あなたがそう仰るのならばその通りなのでしょう。……なら、私が心配する方が失礼よね)

 

 那須もライの行動原理に対しては一定の理解を示していたからこそ。

 下手な問いかけや心配に意味はない。そう考えていた。

 

 

————

 

 

 

001二宮隊    
002影浦隊    
003紅月隊    
004生駒隊     
005東隊   
006弓場隊    
007王子隊    
008鈴鳴第一    
009香取隊    
010那須隊    
011漆間隊    
012諏訪隊    
013荒船隊    
014柿崎隊    

 

 6月から8月にかけて行われたB級ランク戦は以上の通りの結果で終わりを迎えた。

 昨シーズンとは上位グループの顔ぶれも一変するなど大きな転換期となったランク戦。

 しかしそのランク戦も終わりを迎えると、隊員は再び普段通りの平穏な日々を送っていた。

 

 

「——改めて世話になったな、紅月」

「こちらこそ。ランク戦では二宮さんに大変お世話になりました」

「そう言うな」

 

 二宮隊の作戦室。

 落ち着いた今、鳩原の加入に関して二宮が再びライを作戦室へと招待し、礼を告げる。

 一方のライはランク戦の事を思い返して皮肉交じりにそう返した。

 さすが個人総合二位にしてナンバーワン射手。ライも二宮を相手に真っ向から挑んで勝利を収める事はついぞかなわず、ランク戦は終わりを迎えている。

 

「鳩原の調子はどうだ? お前たちとは上手くやっていけそうか?」

「ええ。瑠花——こちらのオペレーターとも上手く馴染んでいますよ。鳩原も年下の隊員とは接しやすいのか、任務以外でも作戦室でよく話しています。同性だからこそ話せる事もあるでしょう。そういう意味では僕としても助かっています」

「そうか。それなら何よりだ。放っておくとふさぎ込む事もありえるからな。気にかけてやってくれ」

「……了解です」

 

 話題はやはり鳩原の件である。彼女はあまり明るい性格ではないため、もしも新たな環境でなれなかったらどうなるかと二宮も危惧していたが、その心配は無用であった。

 直接声をかけられない彼の不器用さに少し苦笑しつつ、ライは了承を返す。

 

「そういえばその鳩原も二宮さんたちの事を心配していましたよ」

「ほう? 一体なんと言っていた?」

「その——『あたしがいなくなって作戦室大丈夫かな。ちゃんと掃除できてるかな。スーツ姿の二宮さんが掃除してるところとは絶対に鉢合わせしたくないな』って」

「……そうか」

 

 かつて二宮隊では掃除の係は鳩原が一任されていた。

 そのためその鳩原が不在となった事で部屋の掃除ができず、散らかっているのではないかと危惧したのだろう。

 『確かに僕も掃除中の二宮さんとは顔を合わせたくないな』と考えながら、ライは鳩原の言葉をそのまま二宮に告げる。話を聞いた二宮は言葉に詰まりつつ、短く相槌を打つにとどまった。

 

「やはり鳩原もその為に伺うのは気が引けるようで。——もしよろしければ、僕が部屋の掃除をしましょうか?」

「その心配はない。鳩原にも伝えておけ。今は各自が掃除を行っているから問題ないと。そもそも個人総合二位でもある俺が他の隊員に掃除を任せているなどと知られれば面子がないだろう」

「……でも僕、個人・部隊総合一位(太刀川さんたち)の作戦室を毎月掃除しに行ってますよ?」

「そうか。ならばなおさら俺達が自分達でやる」

 

 太刀川と一緒にするなと、二宮は呆れすら感じられる声色でそう口にする。

 わざとらしくため息を大きくついて、空気を変えようと二宮は新たな話題を挙げた。

 

「他人の心配をするくらいなら自分たちの心配をしておけ。来月には、新たな悩みの種が生まれるかもしれないからな」

「来月? どういう事ですか?」

「まだ入隊が決まったわけではないが、入隊希望者の中に見覚えのある名前があった」

 

 まだ試験が先の話であるため確定ではない。

 しかしこの名前を見過ごすわけにはいかないだろうと、二宮はチラッと見た試験受験者のリストを見て偶然目にした名前をライへと告げた。

 

「——三雲修。雨取麟児の関係者だ」

「ッ!」

 

 それは二宮はもちろんライや鳩原にとって大きな意味を持つ者の名前である。

 二宮からその名前を聞き、ライの目は大きく見開かれた。

 

 

————

 

 

(本当にボーダーへの入隊を希望したか。……なるほど。どうやら彼の中で雨取麟児という存在はよほど大きなものらしい。あるいは他にも目的があるのかもしれないが)

 

 二宮隊の作戦室から作戦室へと戻る途中、ライは物思いにふけっていた。

 考えていることは当然ながら三雲修という少年についてだ。

 平穏な生活を送っていた中学生が自らボーダーという戦う組織に加わろうとするなど興味本位でなければよほどの覚悟が必要となる。ライも一度話してみて三雲という少年が明確な目的もなくボーダーに参加するような性格には思えなかった。だからこそ彼がボーダーに入隊しようとするならばよほどの理由があるのだろうと結論付ける。

 

(となると仮に彼が入隊できたとしても、あまり本部では会わない方がよさそうだな。鳩原の件がある。これからはより行動に慎重さが求められそうだ)

 

 いずれにせよ鳩原が紅月隊に加わった今、三雲と深く関与する事は好ましい現状ではなかった。

 二人が遭遇すればどのような出来事が生じるが予想がつかない。

 鳩原もつい先日まで心が不安定だったため、しばらくは鉢合わせしないように気を配らなければと決意する。

 

「ただいまー。戻ったよ」

 

 とはいえ今しばらくはあまり気にする必要はなかった。頭の隅に置いて普通に暮らそうと意識を切り替え、ライは作戦室の扉を開ける。

 

「——遅い! 何やっとんねん!」

「ん?」

 

 すると、ライが不在の今、紅月隊の作戦室からは聞こえるはずがない男の野太い声が響いた。

 そしてその声と同時に一人の男——生駒が駆け寄ってくる。

 

「……イコさん。どうしたんですか?」

「どうしたはこっちのセリフや。自分どこ行っとんねん。本部暮らしならいつでも部屋にいるようにせえや」

「無茶を言わないでくださいよ。僕にだって他にもやることはありますし」

「俺の気持ちになってみろや。いざ知り合いの男に会いに行ったらなあ、女の子しかおらんのやぞ! 『戻って来るまでどうぞ部屋の中で待っていてください』とか言われたらそら断れんし。けど俺一人やと女の子とも話せんし、すごい気まずかったんやけど!」

「えっ。じゃあ本当に無言で待ってたんですか?」

 

 ライの問いに生駒は何度も頷いた。『それは瑠花や鳩原も気まずいでしょう』と呆れつつ、剣の師匠をなだめる。ある意味こっちの方が面倒かもしれないな、と思いながら要件を問うのだった。

 

 

————

 

 

「……そういえば、なんか前よりも自分の部屋広くなってへん?」

 

 ようやく落ち着きを取り戻した生駒はソファに腰かけると、部屋を見回してそうつぶやく。確かに生駒の言う通り、以前より人が増えたにも関わらず紅月隊の作戦室は広々と余裕があるように感じられた。

 

「ああ。その件ですか。一度A級に昇格した件と、あと鳩原加入の件に伴って鬼怒田さんの手で少し増築しましたよ。新たに女性用のロッカールームを増やしたり、ベイルアウト部屋を分けたりしました」

「えっ。おいおい、この部屋女子用ロッカーあるの? ヤバない? 自分いくらでも入れるの?」

「大丈夫です。瑠花と鳩原、二人の認証以外では入れないようになってますから」

「部屋の主が入れない部屋があるのはそれはそれでどうなん?」

「まあ緊急時には解除できますので」

 

 ライが住み込みである以上は仕方ない事だが、やはり男女が同じ部屋(しかも女性の方が多くなった)となれば気を配る点も多い。そこは上層部もよく理解しているため紅月隊の作戦室は幾分か余裕を持てるようにと設計された。

 羨ましむ生駒だが、一番住む時間が長いライのスペースの方が実は少なかったりもするのだが、さすがにそこまで生駒が気づく事はなかった。

 

「それで? まさか部屋の様子を見に来たわけではないでしょう。どうしたんですか、イコさん」

「ああ。ランク戦終わった後やから丁度ええと思ってな。他の隊員も気になっとるやろし、俺が聞いとこと思ってな」

 

 生駒相手に雑談を続けてはいつまでも本題に入らないだろうと、ライが核心に突撃する。

 それを受けて生駒も幾分か真面目な顔つきと変わり、ゆっくりと言葉を紡いでいった。

 

「——自分なにやっとんねん」

「それ先ほども聞きましたよ?」

「そっちちゃうわ! しらばっくれても無駄やぞ。自分どんだけ女の子との関わり増やしとるんや。なんかシーズン変わる事にどんどんつながり増えとらん? 下は小学生から始まって同級生に、上は大学生に加古さんまで。恋愛ゲームの主人公か? ずるいぞ! 女の子と会うならまず俺を紹介するように言うとったやろ!」

「まあ、色々事情もあったので」

 

 特に鳩原の場合は。

生駒の怒りをあしらいつつ、ライは話を進める。

 やはり鳩原の加入に関しては生駒も思うところがあったのだろう。むしろよくランク戦が終わるまでこの話題について我慢したと褒めるべきかもしれない。

 

「というか何で加古さんと大学生を別枠にしたんですか」

「加古さんって大学生というかセレブ枠やん?」

「……なんとなく言いたい事はわかりますが」

 

 確かにどこかミステリアスな雰囲気を醸し出す加古は別枠と捉えても違和感はなかった。生駒の発言にライも同意を示す。

 

「あのー……」

「ん? どうした、鳩原?」

「いや。ちょっと話が聞こえたから、さ」

 

 すると後ろで控えていた鳩原が、二人の会話に気になるところがあったのか、二人の元まで歩み寄ると話に割って入った。

 

「えっと、その。生駒先輩」

「えっ。おっ、おう。どないしたんや、鳩原ちゃん」

 

 どこか他人行儀な鳩原に加え、生駒も反応が少しぎこちない。初々しいともいえるような反応をお互い示しつつ、鳩原は促されるまま話を続けた。

 

「紅月君から生駒さんたちの事も聞いてましたよ。降格の後でさえ師匠たちは私たちの一件の事を気遣って親しく接してくれたって。だから、その——ありがとうございます」

 

 最後にそう言って、深々とお辞儀をする。

 直接関与していないとはいえ、迷惑をかけた事に変わらない鳩原にとって、ライ達にも変わらぬ態度を貫いてくれるという姿勢はありがたい事だった。

 だからこそこうして真っ直ぐにお礼を告げる。

 

「……うん」

 

 一方、お礼を言われた生駒は明後日の方向を向き、両手で表情を覆い隠して短く返すのが精一杯だった。

 

「照れてるんですか、イコさん」

「いや、しゃーないやん。こんなん。……えっ? てかひょっとして自分いいやつだったのでは?」

「……一応誉め言葉と受けっておきます。」

 

 あまりこのような形で褒められたくないけど。

 少し面倒だと思いつつ、ライはずっと恥ずかしがっている師匠をなだめ続けるのだった。

 

 

————

 

 

「……よし。じゃあ話の続きと行こうか」

 

 気恥ずかしさから立ち直った生駒は改めて話を展開していく。

 

「えっ。まだですか?」

「ああ、さっきの話とはまた別口や。まあ本題終わったからついでにこっちも話しておこと思てな」

「できれば先ほどの話が本題ではなかった事にしてください。なんですか?」

 

 まともなことなのか判断がつきにくかった。

 とりあえず話を聞こうかとライはそれ以上は突っ込まず、先を促す。

 

「これは主に大学生以上の隊員と話し合った事なんやけどな。自分、しばらく防衛任務のシフト増やす事は出来るか?」

「防衛任務の? ええ。可能ではありますが、どうしました?」

 

 生駒が相談したのは防衛任務のシフトについて。普段から定期的に組んでいるため変更については難しいことではないが、一体なぜなのか。ライが疑問を呈する。

 

「一つは単純な理由や。そろそろA級のトップ3部隊が遠征に行くやろ? それに備えよ思ってな。大学生以上ならある程度時間の融通は効くから、自分もどうかと考えたんや」

「ああ、そういえばそうでしたね」

 

 一つ目の理由はまもなくA級トップ3である太刀川隊、風間隊、冬島隊が遠征に赴くという事だった。ボーダーの中でもトップの実力者たちが不在となる時期がくる。その期間に備えて今のうちから残ったメンバーで防衛任務を行おうという事だった。

 

「んで、もう一つの理由はな。——ちょっとこっちは確信がない事なんやけど」

「なんです?」

「なんか最近、任務とか俺らに会うわけでもないのに迅を本部近くで見かけるねん。なんかあるんやないかと思うてな?」

「迅さんを? 玉狛支部ではなく本部で?」

「せや。おかしいやろ?」

 

 同意を求められるとライはこくりと頷く。

 迅は玉狛支部所属の隊員だ。よほどの事がない限りは玉狛支部あるいは彼が任されている街の警戒の為に街中を出歩いていることが多い。本部に赴くことは稀だった。

 そんな彼を本部近くで目にする事が増えたという。確かに不思議に思うのも当然だった。

 

「せやから『なんかあるんやないか』って、俺とか弓場ちゃんは考えとんねん。あいつ暗躍が趣味やし」

「趣味かどうかはわかりませんが。しかし意図はわかりました。了解です。瑠花や鳩原は難しくても、僕単独で他の部隊に合流する事は可能ですから、うまく時間を合わせましょう」

「おう、頼むで」

 

 ライがその場で了承すると、その後二人は他愛のない会話を交えて生駒は作戦室を後にする。

 彼も同年代でありよく知る迅が動く以上、何かしらの事態を想定してという可能性が高かった。この考えにはライも同感である。ゆえに生駒の要望通りライも防衛任務に出る機会を増やし、緊急事態に備えるのだが。

 そんな彼らの思惑とは裏腹に、物語は進んでいく。

 

 

————

 

 

 

 ある日の夜。

 出歩く人がいない静寂な空気の中、近界民が出現するため立ち入り禁止とされている警戒区域の柵をペンチで切り落とし、ボーダー本部へと向かう人影があった。

 

(……やはりじっとなんてしていられない)

 

 その人影の正体は三雲修。かつてライが対話した中学生である。

 彼はつい先ほどボーダー試験の入隊試験を受け、そして不合格を宣告されたばかりだった。

 理由はボーダー隊員の素質であるトリオン量の不足である。戦闘員としてあまりにも才能が不足していると告げられ、試験会場を後にしていた。

 

(ボーダー基地に入り込んで、偉い人に直談判すればあるいは結果も変わるかもしれない。こんなところで立ち止まるわけにはいかないんだ!)

 

 しかし決して諦めたわけではない。

 むしろ結果を覆すために三雲は警戒区域に侵入し、ボーダー基地へ赴くという暴挙に出た。

 若さゆえの焦り、そして定められた目標が彼を急かす。

 B級はおろか入隊さえままならないなど受け入れるわけにはいかなかった。

 なんとしてもボーダーに入ってやると三雲は意気込み、ボーダー基地の目前まで迫って——

 

《門発生、門発生》

「……なっ!?」

 

 突然の警告に冷や汗が頬を伝う。

 一体何事なのかと考えるよりも先に、トリオン兵の出現が三雲に事態の急変を告げた。

 出てきたのは一体のバムスター。正規の防衛隊員ならば問題なく処理できる相手ではある。

 だが、目の前にいるのは武器を持たぬ一般人。倒す事はおろか太刀打ちすることさえできない非力な存在だ。

 

(やばい、食われる——)

 

 それはほかでもない三雲自身がよく知っている。

 だが、知識とは裏腹に体が言う事を聞かなかった。

 恐怖のあまり腰が抜かし、その場に倒れこんでしまう三雲に、バムスターが容赦なくその巨大な口を向けて襲い掛かり——

 

 

 

 一筋の光が、三雲を襲おうとしたバムスターの首を切り落した。

 

 

 

「——よう。無事か? メガネくん」

 

 誰よりもいち早く駆け付け、単独で敵を撃破したのは迅悠一。

 迅は安心させるように大きな笑みを浮かべ三雲へと語りかける。

 こうして迅と三雲。後にボーダーへ大きな変化を生み出す事となる二人が出会ったのだった。




やっと原作時系列に追いついた!
皆さんあけましておめでとうございます!
2020年はありがとうございました!
2021年もよろしくお願いします!


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大事なもの

 9月上旬のある平日の午後。学校の授業も終わり、放課後を迎えている時間帯。

 ショッピングモール内のある一角に位置するカフェの店内に三人のボーダー隊員の姿があった。

 

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「おー。やっと来たー」

「おいしそう。待った甲斐があったわね」

「そーだねー」

 

 鳩原、国近、今の前に各々が注文したパンケーキが並ぶ。

 高さがあり外見だけでケーキの柔らかそうな感触が伝わり、さらにシロップ特融の甘い香りが鼻をくすぐった。

 

「記念にみんなで写真も撮っておこっかー」

「そうね。ほら、鳩原さんももっとこっちに来て」

「う、うん」

 

 それぞれが匂いや見た目を楽しみつつ、それぞれが皿を写真に収め、さらに3人で来た記念を残そうと国近が二人に話を振る。

 今もその提案に応じると、オドオドしている鳩原をよびよせ、3人は国近の端末のカメラに視線を送った。

 

「じゃー、撮るねー。皆笑ってー。……はい、出来た。後で二人にも送るねー」

 

 いつもの緩い口調で、笑顔を浮かべる国近。変わらぬ様子だが心なしかいつもよりもさらにご機嫌なように見える。

 

「ありがと。それじゃ早速いただきましょうか」

「うん。そうだね。それじゃ」

『いただきます』

 

 今の言葉を合図に3人はパンケーキへと手を伸ばした。

 ケーキの弾力を楽しみ、熱で少しずつ溶け出したバターを3段重ねの厚焼きのパンケーキにしみこませ、ちょうど良い大きさに切り分け、口の中に放り込む。

 リコッタチーズの程よい酸味とパンケーキの甘味が口いっぱいに広がった。

 

『——おいしい』

 

 3人は口をそろえてそう述べると頬が緩み、ぺろりと平らげてしまう。

 癖になりそうなおいしさに皆談笑しながらもパンケーキを食べる手が止まる事はなかった。

 

 

————

 

 

 

「いやー、おいしかったねー。チームの皆とは別にこういう風に集まって食事を楽しむのも悪くないなー」

「そうね。最近はテストもあって少し忙しかったし、良い気分転換になったわ」

「うん。あたしも」

 

 食事を終え、ショッピングモールで買い物も楽しんだ3人はショッピングモールを後にする。

 3人はクラスメイトであるとは言え、様々な行事がある上に防衛任務で授業に参加できない日もあるため中々今日のように全員が集まって外出するという日は少なかった。

 普段から行動を共にする事が多いチームメイトとはまた違う。こうして同性の、同じクラスの仲間と他愛ない時間を過ごす事も普段とはまた違った楽しみがあった。

 

「……ねえ、二人とも」

「うーん。どうしたのー?」

「鳩原さん?」

 

 突如鳩原がその場で足を止め、二人を呼び止める。何かあったのかと二人は鳩原の方へと振り返りつつ、彼女の話を促した。

 

「その——今日は、ありがとね」

 

 本来ならば、もう二度とこんな時間を過ごす事はない。そう覚悟して鳩原は密航を試みた。

 弟の救出以外にはもう何もいらないと。そう決めて、捨てたはずだったのに。

 深く何かあったのかを聞かずに、今でもこうして変わらぬ日常を送れている関係を続けてくれる二人に心から感謝した。

 

「どしたどしたー? いきなりそんな畏まって。今日はお祝いも兼ねていたんだから主役がそんなに身構えなくてもいいんだよー」

「そうよ。折角鳩原さんが正規隊員に復帰できたお祝いだったんだから」

 

 ぎこちなく笑う笑う鳩原に、二人は大した事ないだろうと自然体で答える。

 そう。今の言う通り今回の外出には鳩原の祝福の意味も籠っていた。

 ランク戦シーズンの真っ只中であったために時間が取れなかったが、昨シーズンで鳩原は正規隊員に復帰し、さらに元居た場所とは異なるとはいえ部隊にも加わっている。

 訓練生にまで降格し、一時はどうなるものかと当真でさえ不安視していた。そんな彼女が正規隊員として変わらぬ姿を示している事はボーダー隊員として、クラスメイトとしてこれほどうれしい事はない。

 だから気にしないでと、二人は本心から告げるのだった。

 

「……うん。また、よろしくね」

 

 そう言って鳩原は口角を挙げる。不器用なりに、二人の気遣いに応えられるようにと笑顔を取り繕った。

 

 

————

 

 

 そのころ、紅月隊の作戦室。

 

「へー。それじゃあ今日鳩原ちゃんは皆で楽しんでる頃か」

「うん、そろそろこっちに戻ってくる頃かな? 次の入隊式の訓練指導の件で用事があるから、一応作戦室にも顔を出すと言っていたよ」

「そういえばもうそんな時期か。二宮さんがいればどんな反応したかなー」

 

 作戦室には瑠花の他に犬飼と辻、二宮隊の隊員が任務終了後の書類をまとめていた。

 今日は鳩原が私用のため不在、二宮も大学の講義のために席を外している。

 そのため今日の防衛任務はライと瑠花、犬飼と辻という変則部隊で臨んでいた。共に戦った事がないといえ、そこはさすがB級上位グループで幾度も渡り合った二部隊。お互いの事を理解し、巧みなチームワークで防衛に成功していた。

 

「いずれにせよ、鳩原先輩が元気そうでよかったです」

「それだよねー辻ちゃん。一時はかなり危なかったよね。よくここまで立て直したもんだ」

 

 犬飼のセリフに辻も続く。

 辻にとっても貴重なチームメイトだった先輩だ。変わらぬ人間関係を築いている事に心の底から安堵している。

 

「これも、紅月君が口説き落としてくれたおかげかな?」

「誤解を招きかねない言い方はやめてくれ、犬飼。僕はただ彼女の背中を後押ししただけだよ」

「いやいやー、そんな事はないでしょ。あの件の後、まともに話したのは二宮さんだけで、その二宮さんだって気遣いができる人じゃない。俺達だってあんまり話しかけてなかったんだよ? 多分他の同級生だって同じだろうし。——そのあたりは俺達も感謝しているんだよ」

 

 一瞬笑みが消え、真面目な表情でそう犬飼は語った。

 二宮の想定していた通り、結局あの事件の後二宮隊の面々が鳩原へ部隊へ再帰するよう声をかける事はしていない。皆鳩原との距離感を図りかねていたからだ。

 心配はしていた。だが単独で密航を果たそうとした彼女へ語り掛ける言葉が見つからない。それは他の隊員だって同じことだった。

 ——故に、その現状を打破したライに感謝しているのだと。

 

「……それは仕方がない。僕だって君たちの立場だったならばどうしていたかわからないさ」

 

 しかしライも犬飼達の心境も理解している。だからそう気にする必要はないと彼らに語り掛けた。

 

「そんなものかなー? 紅月君なら結局何とかしたんじゃないかなって、思うんだよねー。紅月君、イコさんも羨むくらい異性との交流もうまいし」

「それはイコさんが言っているだけだよ。僕は普通に接しているだけだ」

「でも俺も気になります。紅月先輩はどうやってそこまで女性と上手く溶け込んでいるんですか?」

「辻まで。……いや、君の場合はある意味本心か」

 

 茶化す犬飼をあしらうライの会話に、辻も前のめりの姿勢で話に加わる。

 そこまで食いつかないでくれと思ったライだが、女性恐怖症でまともに異性と話せない辻の様子を思い返して小さく息を吐くのだった。

 

「別にそこまで気を張る必要ないと僕は考えるからな。ただ自然体でいればいいとしか……」

「ライ先輩。お茶が入りました。どうぞ」

「ん。ありがとう、瑠花」

 

 当然な意見を述べると、お茶をいれていた瑠花が給湯室より現れ、ライの前へと湯呑みを差し出す。

 

「犬飼先輩も、どうぞ」

「おっ。ありがとうね」

 

 続いて瑠花は犬飼にもライ同様にお茶をそっと彼の前面に置き。

 

「辻先輩、どうぞ」

「あっ、あ……がと……」

 

 辻の前にも湯呑みを運ぶのだが、肝心の辻は瑠花から目をそらし、ぎこちなく体の前で手ぶりをして返答の意を示したのだった。

 

「……辻、そろそろ瑠花に慣れてくれないか?」

「いや、違。これは……」

「彼女は優しいし真面目な性格で、厳しく当たるようなことなんてないよ」

「その、えっと……」

 

 まともに瑠花と目を合わせる事さえ出来ない辻を見てライが苦言を呈する。

 二人が会うのは別に初めてのことではなかった。何度か本部で顔を合わせる事もあったのだが、極度に女性が苦手な辻は年下の瑠花でさえまともに話す事は出来ていない。

 瑠花は恐れるような人物ではないから安心するようにとライが告げても、辻は良い返事をする事は出来なかった。

 

「……辻先輩。よろしければ私、席を外しましょうか?」

「辻ちゃん! 中学生の女の子に気を使われてるよ!」

 

 しまいには瑠花本人から部屋を出たほうが良いだろうかと提言され、これはマズいと犬飼が辻の肩をたたく。

 さすがに中学生の女の子を部隊の作戦室から追い出すとなれば印象が悪かった。

 これはどうにかせねばと話を振るが、辻は未だに赤面しており中々打開策は浮かばない。

 

「出来ればすぐに慣れて欲しいくらいなんだけどな。辻の為にもなるし、瑠花の為でもある」

「うーん。それは俺も同意見なんだけど、中々うまくいかないんだよねー。ベテランの隊員が相手でも萎縮しちゃうんだよ。少しずつ刺激の弱いものから慣れていってほしいんだけど、写真でもダメなくらいだし」

「写真でも……?」

 

 しまいには本物でなくても難しいのだという犬飼には意見を聞き、ライはどうしたものかと頭を抱えた。さすがにここまで極端な恐怖症を抱えている人を見たのはライも初めてだ。考えても名案は思い浮かばない。

 

「んー。……なら試しにだけど、紅月君トリオン体を使って女装してみない?」

「何を言っているんだ君は?」

 

 すると犬飼が名案だと言わんばかりに陽気な声でライへと提案を持ち込んだ。

 ありえないだろうとライは相手にすらしないが、犬飼はさらに話を続ける。

 

「だって紅月君って体の線が細いし、顔も中性的だから似合うと思うんだよね。で、女装なら辻ちゃんの練習にもなると思わない?」

 

 犬飼は冗談半分で意見を呈する。

 確かにライの容姿は女性と見まがうほどの中性的で体も細い人気者だ。女装しても似合うだろうことは想像でき、元を知っているから辻の練習にはちょうどよいだろうと考えた。

 

「馬鹿な事を言うな! 誰がそんな事を好き好んでやると思うんだ? 大体トリオン体の準備だってそう簡単には——」

「あっ。そういう事なら私、ライ先輩が加古隊のユニフォームを着た姿のトリオン体をデータで保存してありますよ?」

「……はっ!?」

 

 しかしそんな恥ずかしい思いは出来るわけないとライは当然否定する。

 そもそもトリオン体の準備さえ忙しいのだからできるわけがない、そう正論で否定しようとして、予想外の瑠花から犬飼を支援する声が発せられ、ライの表情が驚愕に染まった。

 

「ちょっ、しかも加古隊? 瑠花、何で!?」

「それが、何処かから話が漏れたのか見られたのか、以前ライ先輩が二宮隊のユニフォーム姿に換装した事を知ったみたいで。それで私にこの前加古隊長から今度機会があればと、データが送られてきました」

「……犬飼、君か? 瑠花には加古さんに言わないようにと念を押してあるし」

「いやいや、そんなことしてないよ。むしろこういう事って女の子同士で同士で広がるものじゃない? オペレーターを通じて黒江ちゃんとかに伝わったんじゃないの?」

「馬鹿にするな。瑠花や双葉はそんな事をする人間ではない。僕の人を見る目が節穴だとでも言うつもりか?」

「うーん。過保護」

 

 経緯を説明すると、ライの疑念は犬飼へと真っ先に向けられる。そんなわけないと否定し、瑠花の方から黒江たちを通じて加古まで伝わったのではないかと弁明するが、真相を知らないライは二人がそんな事をするはずないと断言するのだった。疑念さえ抱かないその姿勢に犬飼も苦笑を隠せない。

 

「まあまあ。噂がどう広がるかなんて調べようがないですよ」

「確かにそうだが……」

 

 わかりようがない事を議論しても仕方がないと瑠花が意見を述べるとライも渋々と引き下がった。ライが真犯人の追及をやめると瑠花は安心して息を吐く。

 

「んー、じゃあ折角準備もあるわけだし紅月君やってみる?」

「加古さんも是非機会があれば試してほしいと言ってました」

「……なんで瑠花までノリノリなの?」

 

 そして犬飼がここぞとばかりにグイグイと話を進めると、瑠花も支援するように情報を差し出した。お調子者の犬飼ならまだしもなぜ瑠花まで乗り気なのか。ライはどうこの局面を乗り切ろうか、悩み始めたその時。

 

「紅月先輩。できれば改善のために、俺からもお願いしたいです」

 

 しまいには辻からも弱点克服に付き合ってほしいと頭を下げられる。

 犬飼とは違って真面目に心からのお願いに、ライもどうしたものかと視線を右往左往した。そして、何やら期待が籠った視線を自分に送り続けている瑠花と目が合う。

 

「……一回だけ。すぐに終わるからね」

 

 結局妹分の期待には勝てなかった。

 

 

————

 

 

 トリオン体のデータがあるためそこからは早かった。

 一度ライがトリオンをオフにすると、瑠花が素早くトリオン体のデータを変更して準備は完了。ライが再びトリガーを起動すると、そこには黒字に紫を基調とした女性らしいジャージに身を包んだライの姿があった。しかも変わったのは服装だけではない。胸部も女性らしく膨らみが増し、髪の毛は頭の横で二つ結ぶツインテール姿へと変貌を遂げている。

 

(なんでここまで完全な女装姿に……!)

 

 ライは思わずかつての世界の文化祭で味わわされた時の嫌な思い出を思い返し、羞恥心で頬を赤らめた。

 

「あっはっはっは! いやー、やっぱり似合ってるよ、紅月君」

「……後で見てなよ犬飼」

 

 変わり果てたライの姿を目にして犬飼は腹を抱えて笑うと、ライは『後で犬飼は殺そうと』心に誓う。

 

「わー……」

「瑠花。無言で写真を撮るのはやめてくれ」

 

 一方の瑠花と言えば感嘆とした表情でひたすらライの姿を写真に収めていた。それだけ今のライの姿が違和感のないものだったのだが、本人からすればたまったものではない。

 恥ずかしいからと付け加えると、渋々と瑠花も引き下がった。

 だが、この時ライは前回のように他人に画像を送らないようにと指示をしなかった事がまたおかしな方向へと話を展開させるのだが、この時の彼はまだ知る由もない。

 

「とにかく。ほら、辻。さすがに僕だとわかっていれば大丈夫だろう? 君の為にここまでやったんだから、早く慣れて——」

 

 それよりもとライは辻の方へと振り返った。

 ここまで体を張ったのだから弱点を克服してもらわなければ困る。

 頼むから早く治ってくれと辻に言い聞かせて。

 

「ちょっ。なん……紅……先……どこ……」

「ねえ。僕、今君の目の前で換装したよね!?」

「あー。レベルが高すぎて逆効果だったかな」

 

 辻は先ほどと同様に、ライから目をそらし言葉に詰まった。

 まさかあまりにも似合いすぎて駄目だったのかと、犬飼が複雑な表情を浮かべる中、ここまでやったのにとライは苦言を呈する。まさかここまで駄目だったのか。辻の致命的な弱点に頭を抱えざるをえなかった。

 

「ただいまー。紅月君、今戻ったよ」

 

 そしてこのタイミングで、作戦室に鳩原が帰還する。

 何も知らない彼女は常の調子でライに普段通りの挨拶をする調子で部屋の中へと入ったのだが。

 

「……あっ」

 

 隊長が加古隊のセクシーな隊服を纏い、コスプレのような姿となっている光景を目にして表情が固まる。

 

「えっと。お楽しみのところお邪魔しました……」

「待ってくれ、鳩原! 違う!」

 

 作り笑いを顔に張り付けて退出する鳩原をライが必死に呼び止めた。

 この後、彼が説得するまでに10分もの時間を要したという。

 

 

————

 

 

「あっはっは! いやー、それは大変だったな、紅月君」

「笑い事じゃないですよ。こっちは本当に恥ずかしい目にあったんですから」

「まあそりゃそっか。ごめんって」

 

 あの後、無事に鳩原の誤解を解き、資料作成も終えたライは二宮隊の面々と別れ、個人ランク戦を軽く行うとラウンジのブースで休んでいた。

 恥ずかしい目にもあった忙しい一日だったが、平穏なまま終わったのは何よりだ。鳩原の息抜きができた事も大きい。後は何か問題があるとしたら——

 

「……それで? 一体何の用ですか、迅さん。イコさんたちが最近あなたの姿を本部の近くで見る事が多いから気にかけていましたよ」

「へえ。生駒っちたちが。ま、そっちの件はとりあえず大丈夫そうだよ」

 

 休憩中に話しかけてきた、この迅の存在だろう。

 まさかこんな他愛ない話をするためにわざわざ玉狛支部から本部まで来たとは思えなかった。何か要件があるのだろうとライは迅へ促す。

 

「今日はちょっと、君に頼みたい事があってね」

「頼み?」

 

 彼の察しの良さに感謝し、迅は早速本題へと切り込んだ。

 この人からの頼みとは珍しいと考えながらライは相槌を打つにとどまる。

 また何か厄介な未来でも見えたのだろうかと、迅の話に耳を傾けるのだった。



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同期

「迅さんが、僕に頼みですか?」

「うん。そう」

「……一体何ですか? 僕とていくらでも時間があるわけではありませんよ」

 

 聞き返すライに迅は好物であるぼんち揚げを口に含みながら頷く。

 相変わらずマイペースな迅だが、彼が普段からこういう立ち振る舞いをしている事はライもよく知っていた。だからこそ気分を害する事はせず、淡々と話を進めていく。

 

「おっ。門前払いはされないみたいでよかった。——三雲君は知ってるか? 今度ボーダーに入隊する予定の子なんだけど」

「……ええ。知っています」

「そっか。なら話は早い」

 

 迅が口にしたのは、先日二宮との会話の中でも上がった三雲の名前だった。

 相手が事件の概要を知っている迅という事でライは即座に頷く。おそらく迅にも雨取麟児関連の情報が伝わっているのだろう。ライの返答を聞いて迅が満足げに表情を緩めた。

 

「その三雲君なんだけど、できれば君に鍛えてやってほしい。何人か弟子を鍛えた経験があって、時間がある君ならば行けるだろ?」

「……僕に彼の師匠になれと?」

「そういう事」

 

 迅の頼みとはライに三雲の手解きをしてほしいという依頼。

 突拍子もない誘いにライが目を丸くする中、迅は平然とした口調で続けた。

 予想もしないこの依頼にライは疑念を抱く。

 そもそも迅ほどの実力者まだ無名の隊員にこれほど注目を注ぐ事が異例だった。何かしら彼の未来予知が働いたのかもしれない。ライがそう結論付けるのは当然の事であった。

 

「お断りします」

 

 しかし、そこまで考え至りながらもライはこの依頼をその場で拒絶する。

 

「おいおい。即答かよ。——理由を聞いても?」

「……理由ならいくつかあります」

 

 断られるとは思っていなかったのか、迅は拒絶の理由を問いかけた。ライは小さく息を吐き、冷静に迅の頼みを断った理由について語っていく。

 

「まずは僕の部隊にとって時期が悪い。迅さんも知っているでしょうが、僕の部隊には先日鳩原が加わったばかりです。ようやく彼女も落ち着いてきたころであるというのに、あの一件の関係者が彼女に近づくというのは避けたい」

「ふむ。まあ確かに一理ある。だけど別に訓練だけなら作戦室を使わなくても出来るとは思うけど」

 

 一つ目は鳩原の存在だ。三雲は雨取麟児をよく知る人物であり、彼の安否を心配していた。そんな彼が鳩原と接触すればお互いにどのような行動に動くか予想できない。リスクを避けたいライは少しでも二人の接点を減らすためにと気を配っていた。迅は二人が会わない場所ならば、と意見を呈するがライは首を横に振る。

 

「二つめは、すでにいる弟子の存在です。以前僕はユカリを弟子に取りました。次シーズンの半ばくらいから射手のトリガーも解禁しようか考えている最中です。そんな中で新たな弟子を取ってしまえば彼女への教えが半端になる可能性は高い。そんな事は出来ません」

「……ああー。そういえば弓場ちゃんとそんな事言っていたっけ」

「はい」

 

 二つ目の意見を述べると迅もさすがに納得の表情を浮かべた。

 いつの間にか名前で呼び合うようになった弟子との関係は良好だ。帯島の成長も著しく、部隊ランク戦でも立派な活躍を示した。万能手を目指す彼女にとっては重要となる射手トリガーの戦い方の指導を本格的に考えていた頃である。だからこそそんな時期に新たな弟子を取る事は控えたかった。

 

「そして三つめは……僕が、忍田さんから直々の命令を受けているためです」

「忍田さんの? 一体なんだい?」

 

 思わぬ名前が飛び出し、迅の眉がピクリと反応を示す。

 本部長である忍田から直々の命令。この言い方から察するにおそらく瑠花王女の護衛とはまた別の命令なのだろう。

 

(何か俺のいない間に本部で動きがあったのか?)

 

 まさか何か見逃していた未来予知があったのだろうか、迅はじっとライを見つめ彼の説明を待った。

 

「瑠花を彼女の第一志望校に合格させること。それが今の僕にとって最大の使命なんです」

「……あー。そっか。君そういう性格だったね」

 

 そして続けられた説明に肩透かしを食らう。

 瑠花は今中学三年生。その彼女が目前に控える高校受験で目指している高校へ入学するために支援し、勉学をサポートする事。それをライは忍田からも頼まれ、日々教育に励んでいた。

 ライにとっては大切な妹分の将来がかかった重要な時期だ。他に優先すべきものないと熱意に語るが、当の迅は予想外の内容に頭をかく。

 

「えっと。瑠花ちゃんの勉強が大切なのはわかるけど、それ他の人ではだめなの? 何なら俺が教えても良いけど」

「……迅さんもそんな冗談が言えるんですね。僕があなたに瑠花の事を任せるわけがないでしょう?」

「あれ? ひょっとして紅月君の中で俺の信頼って皆無?」

 

 迅の提案を鼻で笑うライ。真顔で意見を否定され、迅は思わず冷や汗を浮かべた。「そんな事ないですよ」とライは笑顔で首を振るが、その笑顔がかえって怖い。

 

「迅さんの事は信頼していますよ。事戦力に関してはあの太刀川さんにも匹敵するほどの腕だと見込んでいます」

「おや。意外と高評価だ」

 

 かの個人最強(太刀川)の名前を挙げ、比べる相手などそうそういないだろう。ライのたとえ話に迅は頬を緩ませる。

 

「同時に、こと私生活においてはあの太刀川さんにも匹敵するほどの人間性だと見込んでいます」

「うん。やっぱり低評価だ」

 

 しかし、単位を捨て、ボーダー本部の廊下できな粉を溢しまくってきな粉餅を禁止され、『DANGER』を『ダンガ—』と読み、熊谷の読み方を六回連続で間違い続けたなど様々な伝説を持つ男・太刀川と並べられ、迅は力なくうなだれる。迅が瑠花たちにセクハラをしたことはよほど彼の中で大きく影を落としている事が窺えた。

 

「そもそも、どうして迅さんがそこまで気にかけているんです? 何か事情があるんですか?」

「……まあね。ボーダーの今後の為、と言っておこうか」

「またそう言ってはぐらかすんですね」

 

 狙いを問いただしても曖昧な表現にとどめる迅にライは深くため息をつく。未来予知の内容が複雑なものであるのかもしれないが、それでももう少し何か意見はないのだろうかとライは思った。

 

「そこまで言うくらいなら見込みがあるという事ですよね? トリオン量が多いんですか? あるいは何か格闘技を学んでいて戦闘技術を持っているとか?」

「いや、どっちもないよ。俺もさっき資料を見たけどどれも低い数値だったね」

「……その資料、僕にも見せてもらってもよろしいですか?」

「もちろん。じゃ、端末に送るよ」

 

 一体三雲という男は何者なのか。

 ライも興味を抱いたのかその素質を問うが迅はからっきしだったと手を横に振る。

 疑念を深めたライが迅へ資料を要求すると、ほどなくしてライの端末に三雲の隊員情報が送られてきた。そしてそのデータを見てライは目を丸くする。

 

「……ひどいな。そもそも、よくボーダーに入れましたね。たしかトリオン量が低い隊員って戦闘員として入隊は出来ないと噂があったと思いますが違うんですか?」

「一応そういう風にはなっているけど。まあギリギリ許容範囲だったんじゃないかな」

 

 ライが驚いたのは三雲の持つトリオン量だった。

 間違いなくどの正規隊員よりもはるかに低い。訓練生の中でも見劣りするほどだ。入隊試験で戦闘員として弾かれてしまいかねないほどに。ライは迅に今一度トリオンについて迅に問いかけるが、迅は曖昧に受け答えするにとどまる。

 

(トリオン量以外の項目、基礎体力テストの内容も悪い。筆記試験の内容は悪くないようだが。加えて武器がレイガスト? 銃手や狙撃手はトリオン量から不可能と判定されたのだろうけど。……消去法でレイガストになったとしか思えない)

 

 さらにライは資料に目を通していくが、筆記試験以外は褒めるような点がないほど成績が悪かった。

 しかもボーダーが判定した、彼の適した武器がレイガストであるという点もライにとってはマイナスに映る。トリオン量が低いためにトリオン消費が激しい銃手や狙撃手が外れたという点は理解できた。しかし人気が高い弧月、軽量で扱いやすいスコーピオンではなく、担い手が少ないレイガストが選ばれた理由は前者二つを扱うほどの運動神経がなく、それを補う防御能力を求めてレイガストとなったのではないかと考えたのだ。 

 

(少なくともこのデータを見る限りでは、彼が上と勝負できるようになるには3年はかかる)

 

 ゆえにライは三雲に対して厳しい判定を下した。三雲が望む結果、遠征に選ばれるには最低でも3年はかかるだろうと。

 

(C級はトリガーが一つしか使えない。頭は良くても武器が一つでは個人ランク戦を勝ち抜くのも難しいだろう。訓練だけで昇格するのは時間がかかる。……やはり戦闘向きではない)

 

 ボーダーの仕様上、訓練生が使えるトリガーは一枠のみ。レイガストだけでは機転を活かそうにも限界があった。どうしても三雲が戦闘で活躍する姿が思い描けず、ライは気まずそうに頬をかく。

 

「……迅さん」

「おっ? なんだ?」

「少なくともこの資料を見る限りでは、三雲という隊員がボーダーで活躍するとは考えにくい。そう言ってもあなたは彼がボーダーの為になるとお考えですか?」

 

 今一度ライは迅に問いかけた。

 少なくともライは彼に希望的観測を抱けない中、迅は彼がボーダーの為になる逸材だと考えているのか。

 

「——ああ。必ず」

 

 その問いに迅は迷いなく言い切った。

 

「……なるほど。わかりました」

 

 真面目な表情で肯定する迅を見て、ライもただ事ではない様子を悟る。

 一応迅にも鳩原の件で借りがあった。瑠花の事件で差し引きゼロになったとはいえ、ライ本人が彼に何かをしたわけではない。ならば迅の願いを叶える事も決して悪い話ではなかった。

 

(僕から条件を提示したから手助けをするのもどうかと思うけど。でも、彼に戦う理由と覚悟があるのならば……)

 

 何よりも『大切な人の為に戦う事を選ぶ』人間はライにとって好ましい人物像である。かつて彼がある契約者によって機会を得られたように自分も何か戦える切欠を作ってあげたいという思いもあった。

 

「先に言った理由の為、僕が直接教える事は出来ません。しかし人伝いに訓練内容を指示し、その人に訓練をつけてもらう事は可能でしょう。相手も週に1,2回程度ならばそう負担でもないはずですし。それでどうですか?」

「おう。何もしないより遥かに良い。よろしく頼むよ」

 

 加えてここまで迅がここまで注目する男がどのような存在に成長するのかという興味が、本当ならばボーダーの為に活躍してほしいという期待がある。

 折衷案としてライが代案を提示すると、迅は喜んで頷いた。

 

 

————

 

 

 9月のボーダー入隊式当日。

 式も最初の訓練も終えて様々な新入隊員が新鮮な気持ちでトリオン体を満喫し、他愛ない会話に花を咲かせている中。迅も期待を寄せている隊員・三雲は一人ラウンジで考えにふけっていた。

 

(本当に大丈夫なのだろうか。果たして僕はボーダー隊員でやっていけるのか……?)

 

 頬に冷や汗を浮かべながら飲み物を口に含む。

 三雲は入隊早々にこの先ボーダー内で活躍を示せるのか自問自答を繰り返した。

 

(仮想戦闘訓練では結局時間切れで近界民を撃破できなかった。防衛任務がボーダー隊員の本業なのに。僕よりも年下の隊員で撃破した人だっていた中でだ。……どうやったらうまくいくんだろう)

 

 思い浮かぶのは入隊式直後に代々行われる戦闘訓練だ。

 人によっては一分を切るタイムをたたき出すなど戦闘員としての素質が試される試験で三雲は最後まで近界民の攻略は叶わなかった。

 戦闘慣れしていないと言ってもそれは他の新入隊員も条件はほとんど同じ。

 それにも関わらず自分はクリアできなかったという事実が彼の中で重くのしかかった。

 

(他の訓練でも成績が良かったとは言えない。このままではランク戦をしたところで勝てないだろう。しかし訓練だけではどうしても貰える得点は限られる。手詰まりだ)

 

 戦闘訓練以外の内容も芳しくない。C級は部隊ランク戦がないため個人ポイントを稼ぐ機会は個人ランク戦か訓練のみだ。だがそのどちらでも得点を挙げる見込みがないとなるとうなだれるのも仕方がない話である。

 

(こういう時、誰か頼りになる先輩でもいれば教えてもらえたのに。……麟児さん)

 

 打開策が思い浮かばず、三雲は失踪してしばらく経った先輩の顔を思い浮かべた。

 彼を探し出すためにもこんなところで諦めるわけにはいかない。

 何とかせねばと、三雲は両の頬をはたいた。

 

(とにかく今は出来る事をするんだ。しばらくは訓練に参加して、他の人の個人ランク戦を観戦する。それで何かしらコツをつかんでいかないと)

 

 まずは地道に一歩から始めようと目標を立てる。

 道のりはあまりにも長く、いつ上に上がれるかなどの目途さえ立たなかった。それでも最善を尽くそうと様々な考えをめぐらせていく。

 

「……ああ、ようやく見つけた」

「えっ?」

「こんにちは。君が、三雲君かな?」

「はっ。はい。僕が三雲ですが。あなたは?」

 

 すると考えに集中していた三雲へと声をかける人物が現れた。

 名前を呼ばれて視線を上げるとおでこを出した緑灰色の短髪が目に映る。本人の確認を済ませるとどこか眠そうな目をした男性が、安堵した表情で話を続けた。

 

「ああ、はじめましてだな。俺は村上鋼。君が良ければ、俺が君にレイガストの指導をしようと思う。どうだろうか?」

「……えっ?」

 

 そして告げられたのはこれ以上ないほどの望みである武器の指導役を引き受けるという言葉。あまりにも都合が良く信じがたい誘いに、三雲は開いた口が塞がらなかった。

 

「僕に指導? 願ってもない事ですがどうして?」

「なに。君が俺も使っているレイガストのトリガーを支給されたと聞いてね。レイガストは正規隊員の中でも担い手が少ない。おそらく俺を含めても片手で数えて足りるくらいだろう。だから独自で学ぶにも苦労すると思ったんだ」

 

 戸惑いを隠せない三雲を落ち着かせるように村上は淡々とした口調で説明を続ける。

 村上の言う通りレイガストのトリガーを使用する隊員は少なかった。B級以上の隊員ではA級の一条と木崎、B級の村上のわずか3人のみ。しかも木崎の場合はレイガストを特殊な方法で使用する事が多いため厳密には二人だけとも言える。

 

「……俺も昔は知人にトリガーの戦い方を学んで覚えていったからな。教えてくれる人のありがたみをよく知っている。だから、君の話を聞いてよければと思ったんだ。どうかな?」

 

 ゆえに強くなるためには独学で成長するしかないが、人から学ぶ事でより上達できるというもの。村上もかつて弧月の戦いを荒船から教わる事で上達した。その事を思い返して、村上は今一度三雲に提案を投げかける。

 

「——はい。僕としては願ってもない事です。どうか良ければご指導のほどよろしくお願いいたします!」

「そうか。ではよろしく」

「こちらこそ、村上先輩」

 

 強くなれる機会が訪れたならば逃す手はなかった。

 三雲は瞬時に答えを出し、右手を差し出す。

 村上もこの手に応じる事でここに新たな師弟関係が成立した。

 

 

————

 

 

 同時刻、鈴鳴支部。

 玉狛支部と同じく警戒区域の外苑に存在する支部の一角に、支部所属ではない本部の戦闘員が一人訪れていた。

 

「——今回は鋼の件、快く許諾していただきありがとうございました。おかげで随分と負担が軽くなりそうです。本当に助かりました」

 

 応接室のソファに腰かけて深々と頭を下げたのはライ。

 彼に対面する位置に座り、礼を言われた来馬と今は「何も問題はない」と柔らかい口調で語り掛ける。

 

「僕たちもそんなに忙しい時期ではなかったから大丈夫だよ。同期である紅月君からの頼みとなればこちらも応えたいと思う。勉強で太一がお世話になったりしたし。それに鋼にとっても人とのつながりが広がる事は悪い話じゃないからね」

「そうですね。鋼君は副作用の事もあって友達作りが難しい時期もあったようだから。以前荒船君の計画を聞いて鋼君も指導者に対する認識も変わったようだから丁度よかったかもしれないわ」

「……ならばよかった」

 

 村上は物事がたちまち上達する副作用の為に幼少期は仲間はずれにされる事も多かった。

 今はボーダー内でも親しい間柄の者も多いが、村上の方から新たに関係を構築しようとするのはより良い傾向である。加えて荒船の完璧万能手量産計画の話を聞いてからというもの、村上もその荒船の夢に応えられるようにと一掃励んでいた。腕を磨くと同時に、荒船から指導を受けた身として何かその一役を担えないかという思いも浮かんでいる。

 その中で今回のライから『レイガストを扱う訓練生の師匠を引き受けてくれないか』という提案は彼の中で心惹かれる話題であった。

 

「希少なレイガスト使いである鋼ならば話の展開もしやすいですからね。『餅は餅屋』と言いますし、レイガストの教えについては一任しようと思っています」

「僕としても鋼の師匠役に期待しているよ」

「長く関係が続いてほしいですね」

「……うん。僕もそう思う」

 

 やはり武器の扱いならばその担い手である本職に託すのが一番というもの。そのためライは同期である来馬や今が同じ部隊に所属し、レイガスト使いである村上に三雲の指導を託したのだ。

 初めて師匠役を担う村上の姿に、普段の彼を知る来馬や今も期待を持っているようだった。

 

(これで強くなる切欠は出来ただろう。後は彼次第だ)

 

 迅からの要望には十分応えられたと言える。

 果たして彼の予知通りに三雲がボーダーにとって良い成果をあげられるかどうかは三雲の努力次第。

 まだ訪れぬ未来にライも期待を寄せながら、来馬や今の心許せる同期と話に花を咲かせるのだった。



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目標

 村上が三雲の師匠役を務めてから早くも10日程が経過した。

 本来は村上が鈴鳴支部で任務に勤しんでいるという都合上、週に二回ほどの間隔で三雲の合同訓練の合間にレイガストの教えをする他、村上が直接戦闘相手として彼の腕を見るなど良き指導役を務めている。

 

「……なかなかどうして難しい。お前に頼まれたものの、彼が正規隊員に昇格するのはかなり時間がかかるかもしれない。どうも俺では荒船のようにはいかないな。期待に応えられなくてすまない」

 

 だが村上の表情は暗かった。

 三雲は元々のトリオン量が少ない上に特に運動神経が良いというわけでもない。そのため動きは散漫だった。加えてレイガストは非常に重量のある武器。三雲が簡単に使いこなすのは難しく、簡単に上達するという事はない。残念ながら前途多難という言葉が今の現状にピッタリだった。

 ボーダー本部、紅月隊の作戦室。久々に友が隊長を務める部隊の作戦室を訪れた村上は、申し訳なさそうに依頼主であるライへ向けて語る。

 

「仕方がないよ。戦闘には向き不向きがある。鋼は特に上達速度も速かったしね。彼の場合は知識や経験を積めるだけでも大きいし、トリオン量の低さという弱点を少しでも補えるなら儲けものだ」

「そう言ってもらえると俺も助かる。人に教えるのはこれが初めてだからな。ゆっくりと鍛えていくとしよう」

「お願いね」

 

 とはいえそれはすでに予想していたこと。

 前もって迅から情報を仕入れていたライは仕方がない事だと村上を諭した。

 レイガストの扱い方については村上に任せた一方、ライからは村上が時間を取れない間はひたすら模擬戦闘および訓練に励むようにとさせている。

 理由としてはトリオン量の向上のためだ。トリオン機関は心肺器官や筋肉と同様に鍛えれば鍛えるほど向上する。三雲のトリオン量は訓練生の中でも見劣りするため運動神経の向上と並行してトリオン能力が少しでもマシになるようにと指示を出していたのである。

 

(攻撃手とは言えトリオンはあるに越した事はない。後々シールドや他のトリガーを使う事を想定するならば必須だし、そもそも他のポジションに転向するかもしれない。とにかく今は少しでも選択肢を増やしておかないとな)

 

 地力で劣る以上、少しでも力をつけさせておくべき。

後々三雲が少しでもできる事が増える様にとライは急がず地盤を固める事を優先させていた。下手に個人ランク戦に挑戦させても力はそう簡単につかないし、そもそもポイントが減ってしまう恐れがある。ゆえに知識と基礎能力を伸ばすことを優先する指導計画を立てていた。

 

「とにかく俺は引き続きレイガストの立ち振る舞いや扱い、盾と剣の切り替えを中心に教えていこうと思う。もしも何か進展があれば報告しよう」

「ああ。そちらについては鋼の専門分野だからね。お任せするよ」

「任せてくれ。——今度はまた、ランク戦でもしながらとするか?」

「構わないよ。個人でも、部隊でも」

 

 弟子への指導に関する話を終えると、二人は好戦的な笑みを浮かべて互いに視線をぶつけ合う。

 部隊ランク戦はもちろん個人ランク戦でも頻繁にぶつかり合う二人。穏やかな声色だが両者の間では火花が散っていた。

 

「次戦う時はやり返させてもらう」

「僕も、僕たちも負けるつもりはない」

 

 個人ポイントのランカーとして、チームのエースを担う者として。

 『お前には負けられない』と同年代の二人は静かに闘志をたぎらせていた。

 

 

————

 

 

 そしてライと村上の会話から約一時間後。

 

「——よしっ。今日はここまでとしようか」

「はっ。はいっ。ありがとうございました」

 

 ボーダー本部の一角に用意された鈴鳴第一の作戦室では戦闘訓練を終えた村上と三雲の二人が部屋を後にしていた。

 村上が三雲と条件を合わせ、お互いレイガスト一本のみを用いた戦闘訓練。

 何度も指導を続けながら手合わせしたものの、三雲は結局一度も村上に攻撃を当てる事ができなかった。村上は終始三雲の動きを観察し、助言を続けながらも常に余裕を保ったまま三雲を手玉に取っている。その腕に三雲はただ感銘を受けていた。

 

(まだレイガストの重みに振り回されるような感じだ。剣モードとの切り替えも思うようにできていない。この辺りは慣れていくしかないか。今はとにかく、村上先輩の動きについていけるようにしないと!)

 

 あまりにも目指す先は遠いが、目の前に生きたお手本がいるという事は非常に頼もしい。目標が近くにある事で追いつこうというやる気が出てくる上に参考になった。

 聞けば村上は今No.4攻撃手と呼ばれるほどの腕利きであるという。

 これほどの逸材が自分の為に時間を割いてくれているのだ。三雲はこの師匠との出会いに感謝でいっぱいだった。

 

「今日もご指導ありがとうございました。訓練でももっと動けるように頑張ります」

「ああ、その意気だ。合同訓練で得られるポイントが少ないとは思うが、塵も積もれば山となる。今はとにかくトリオン体での動き、レイガストの使い方に慣れてくれ」

「はい!」

 

 三雲としては少しでも早くB級に上がりたいという思いは当然ある。

 だが、合同訓練でも後れを取っている自分が師匠である村上と同じ立ち位置に立つのは時期尚早だと結論を下していた。その点は自分の力を明確に教えてくれたという事で村上が師匠となったもう一つの意義をなしていたのかもしれない。

 

「あとは——そうだな。俺もたまに本部に個人ランク戦をしに来るが、それを見るのも勉強になるかもしれない。同い年の紅月や荒船、影浦という隊員とよく戦う。対人戦闘でどういう風にレイガストを使うのか、どういう狙いで動くのかの参考になるだろう。良ければ今度見に来ると良い」

「紅月。紅月先輩ですか」

「ん? 知っているのか?」

「あっ、はい。一度だけ話した事があります」

 

 さらに知識をつけるためにと、村上が友の名前を挙げながら提案すると、聞き覚えのある名前に三雲が反応を示した。

 三雲にとっては彼がボーダーで強さを追い求める理由になった隊員だ。忘れるはずもない。

 

「村上先輩。その、紅月先輩ってどういう人なんですか?」

「気になるのか?」

「ええ。C級隊員たちの間でも様々な噂が流れている人なので」

 

 ふとライの顔を思い返しながら三雲が村上に訊ねた。

 入隊してからボーダー内では人伝いに様々な噂を耳にするが、正規隊員だけでなく訓練生の中でもライの名前は時折話題に上がる。

 ただ、あまりにもその内容は様々だったため三雲はその人物像をつかみかねていた。

 例えば良い噂の内容を挙げてみれば、

 

『実力なら戦闘員の中でもトップクラス』

『烏丸先輩や奈良坂先輩、嵐山さんたちと同じくらい女の子から人気がある』

『下手な大学生より頭が良い』

『食堂とかでも働いている姿を見かけるけど雰囲気が温かい』

『男女問わず人望が厚い』

『おr——んんっ! かの天才剣士・No.6攻撃手の生駒達人が一から育て上げ、世に送り出した万能の一番弟子や』

 

 などなど。

 実力や外見だけでなくその人間性などを評価する声も多い。

 だがその一方で悪い噂も同じくらいの頻度で流れていた。

 

『学校に通ってないみたいでボーダーに入るまでの経歴やその間の人物関係が不明瞭で怪しい一面がある』

『どこかの紛争、戦争地域で兵士として戦っていた』

『上層部の前で隊員を殴って処分を受けた』

『徹底的な反近界民派の為、玉狛派の筆頭である迅隊員とは犬猿の仲』

『二宮隊長から彼女を寝取った』

『師匠の教えと信頼を裏切り、女の子を次から次へと手玉に取るジャグラーみたいな奴やな』

 

 などなど。

 先ほどの話とは打って変わって平和とは程遠い、好戦的かつ裏があるような人物像である。

 あまりにも相反する内容であり、どう受け取って良いのか解釈に悩むものだった。

 三雲にとってライとの対話は避けては通れない道。今のうちにどういう人間なのかだけは知っておきたい。年代が同じでよく戦うならば村上も知っているだろうと恐る恐る尋ねた。

 

「——良いやつだよ。一時は良くない話も流れたが、少なくともあいつを知っている人間ならば皆一様にそう答えるはずだ」

 

 弟子の問いに、村上はこれ以上ないほど簡潔に答える。

 友に対する揺らぎない信頼が籠ったその一言は、三雲の中のライという人物像に答えを示すには十分すぎるものだった。

 

「それに腕も確かだ。B級の中でもトップクラスであると言って間違いない」

「……村上先輩から見てもですか」

 

 No.4攻撃手の彼が断言するのだからその実力は相当なものなのだろう。当時の彼は知らぬ事とはいえ、三雲は約束した相手がボーダー内でも力のあるものだと知って、彼の頬に冷や汗が浮かぶ。

 

「ああ。気になるならばそれこそ個人ランク戦を——いや、そういえばもうすぐあれがあったか」

「え?」

「丁度いい機会だ。お前もボーダートップクラスの腕前を見ておくといい」

 

 そう言って村上は軽快に笑った。

 一体どういう意味なのか。三雲が村上の発言の意味を知るのは、この一週間後のことである。

 

————

 

 

 

 太陽の光が降り注ぐ昼の市街地。

 雲一つなき晴天の下、二人の剣士が斬り結んでいた。

 

「——行くぞ、これで終わりだ」

 

 最初に踏み込んだのは攻撃手最強——否、ボーダー隊員最強と名高い太刀川だ。

 太刀川の一挙一動を観察し、動き出すタイミングを図る相手の意識を切り裂くような鋭い踏み込み。アスファルトがえぐれてしまいそうな程の力強い勢いで地面を蹴る。

 上段から振り下ろされる弧月。

 20メートルはあるだろう距離を一歩で詰め、強烈な一撃が敵に襲い掛かった。

 

「このままでは終われません!」

 

 最強に相対するのは銀髪の少年——ライだ。

 急接近する弧月の強襲をこちらも弧月ではじき返す。

 衝撃がライの体に走る中、太刀川が二撃目、薙ぎ払いを繰り出した。休む間もない連撃をライは弧月で受け流すと、反撃に転じようと太刀川の喉元めがけて弧月を突き出す。

 

「おっと」

 

 その一撃を太刀川は軽く上体を動かしてかわした。

 涼しい顔で敵の反撃をしのぎ、さらにもう一度ライへと斬りかかる。

 一度でも対応を間違えればシールドでも防ぐことは不可能であろう必殺の刃。

 一撃、二撃、三撃と弧月同士が衝突し、火花が散った。

 縦横無尽に振るわれる渾身の連撃を、ライは持ち前の反射神経で凌ぎ切る。

 

「——ッ。ああ!」

 

 そしてただひたすら防戦に徹するというわけでもなかった。

 太刀川の剣先が自身に迫る中、その攻撃を剣で滑らせるように受け流すと剣の柄元を蹴り上げ、弾き飛ばす。

 攻撃を止められた太刀川は今度はライの足元を狙って弧月を横に薙ぐも、ライはすぐさま弧月を合わせて衝撃を殺すと後ろに飛び、弧月を中段に構える。

 

「倒す!」

「来い、紅月!」

 

 勢いよく飛び出したライの突撃を、太刀川は真っ向から迎え撃った。

 衝突する弧月、鳴り響く金属音。

 激しい鍔迫り合いが繰り広げられる中、ライは膂力で太刀川の体を徐々に後方へと押していく。

 

「……まじか」

「おおっ!」

 

 そしてついにライの弧月が太刀川の剣を押し退けた。

 勢いに負けてバランスを失った太刀川の体が後方に飛ぶ。

 追撃を警戒してすぐに太刀川が視線をあげると、その先で下段の構えを取るライの姿が目に映った。

 

「旋空——」

 

 距離が開いた、ただの攻撃手ならば攻撃手段がない状況下。

 だが旋空使いならば必殺の間合いであるこの状況を、その一人であるライが逃すはずもない。

 太刀川と同じ師匠からも受け継いだ、彼の必殺の刃が太刀川に狙いを定めた。

 

「させねえよ」

「ッ!?」

 

 そしてそれは太刀川も同じこと。

 まさに一瞬の出来事だった。太刀川は一瞬でライとの距離を詰め、彼に肉薄する。

 トリオン体の身体能力の向上だけでは説明がつかない急加速は、グラスホッパーによるものだ。加速装置であるこの足場を踏んだ太刀川が、勝負を決めようと賭けに出た無防備なライへと襲い掛かる。

 

(マズい!)

 

 シールドを張っても太刀川の斬撃を受けきるのは難しいだろう。

 避けようにも旋空を放とうとした今では遅すぎる。旋空を打つのは間に合わない。

 防御も、回避も、攻撃もままならない状況。悩む時間もない中。

 

「なめるな!」

「うおっ!?」

 

 突撃に対し、ライも前に出た。ライは太刀川を飛び越える様に、その場から飛び上がる。

 衝突の瞬間、互いに弧月を相手に向け、上空で交錯する二人。

 飛び上がる際にライは体を捻っていたのか激突後、ライは空中で一回転。

 対する太刀川はすかさず急停止し、向き直る。ライを睨みつけ、必殺の構えを取った。

 

『旋空、弧月!』

 

 そしてライは回転の勢いそのままに弧月を振るい、応じる様に太刀川も弧月を切り上げる。

 旋空によって瞬間的に拡張した刃がお互いを仕留めるべく襲い掛かった。

 そして——両者共に体が横一文字に両断される。

 

「……やはり、目標はまだ遠い」

「相打ちか。惜しかったな」

『戦闘隊活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 最後の攻防の結果は互角。

 互いの必殺技が相手の体を切り裂き、致命傷を負わせていた。

 二人のトリオン体にたちまち亀裂が走り、揃って市街地を後にする。

 こうしてこの日のライと太刀川の戦いは終わりを迎えた。

 

「10本勝負試合終了! 1dayトーナメント準決勝第一試合を制したのは、やはりこの人! 太刀川隊員!  前評判通り順当に決勝へと駒を進めました!」

 

 試合終了の時を見届けた解説の武富の声が観客席に響く。

 彼女の実況が正式にこの試合の終了を、太刀川の勝利を知らせた。

 

 5-3-2

太刀川 〇〇×△〇 〇×〇×△

紅月  ××〇△× ×〇×〇△

 

 ボーダー職員の企画によって時折開催されるイベントの一つ、1対1の1dayトーナメント。

 風間や二宮など不参加の隊員も多いとは言え、腕を磨こうと向上心にあふれる者や好戦的な隊員、イベント好きの実力者たちが集うこの大会。

 ライはこの日、緑川・辻・村上という強敵との戦いを制するものの最後は最強の壁によって阻まれ準決勝で姿を消すのだった。



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新技

 数多くの猛者たちとの激戦を繰り広げ、準決勝で敗退。

 名だたる隊員を抑えて高順位を獲得したのだ。誇ってよい戦果と言えるだろう。

 だが、ブースより姿を現したライの表情はすぐれなかった。

 

「3勝か。どうも4勝の壁が厚いな」

 

 太刀川とはこれまでも何度か個人ランク戦を行った事がある。

 あらゆる単位を捨てて個人ランク戦に熱狂している太刀川は本部の滞在期間が長いライとはしばしばしのぎを削っていた。

 しかし何度挑んでもライが太刀川を相手に勝ち越した経験はない。

 最高でも10本勝負で3勝を奪うのがやっとの事だった。むしろ今回は相打ちがあったとはいえ太刀川の白星を5つに抑えられたのは最上の結果と言えるだろう。

 

「よう。残念だったな、紅月」

「太刀川さん。決勝進出おめでとうございます。お手合わせありがとうございました」

 

 すると同じく戦いを終えた太刀川がライへと声をかけた。

 ライが当たり障りのない挨拶をすると、太刀川はにやりと大きな笑みを浮かべる。

 

「おう。後は任せておけ。お前の分も優勝を取ってくるさ。遠征前の最後の祭りだ。きちんと勝っておかないとな」

「——はい」

 

 その笑顔がライにはまぶしく見えた。

 これこそが彼がこの戦いに対する思いが強かった理由である。

 まもなく太刀川隊を含むA級の上位3チームが近界遠征に出発し、こちらの世界を後にすることとなっていた。

 ボーダー隊員の中でも有数の実力者たちが一気に旅立つ。だからこそそれまでにこちらの防衛の事は心配ないようにと安心させたかった。

 

(仕方がない。それに何も防衛任務は僕だけの力ではないのだから。次の部隊ランク戦で、さらに上に行ってやろう)

 

 とはいえ負けてしまった以上は仕方がない。

 むしろ街の防衛に関してはチームでの強さがよりものを言うのだ。

 ライの意識が次の戦いへと向けられた。個人ではなく、部隊での戦いに。

 

「決勝でこけたりしないでくださいよ。太刀川さんが優勝してこそ意味があるんですから」

「おう」

 

 だからこそ今はただこの戦いの勝者に心からのエールを送る。

 頂点に立つ男はその期待に真っ向から応えた。

 慢心ではなく、確固たる自信から抱く心の余裕である。決勝を控える中でもボーダー最強はいつも通り平然に構えていた。

 

「——なんや。ライ、自分負けてもうたんか。折角決勝で師弟対決が実現するかもと思うとったのに」

「あー。やっぱりそっちもかよ」

「ん? 生駒に米屋か」

 

 すると二人の会話に生駒と米屋が割って入る。彼らは太刀川とライとは逆側のブロックの準決勝に進んだ隊員だった。

 同じ時間に始まった準決勝。そろそろ決着がついてもおかしくない時間帯である。

 

「お疲れ様です。……という事は、そちらの準決勝の結果は」

「もちろん俺や」

 

 いつも通りの様子の生駒に、どこか悔しさがにじみ出ている米屋。

 勝敗を察するには十分なものだった。ライの予想通り、生駒が自らを指さして決勝へと進んだ勝者を告げる。

 

「俺も4本取ったんだけどなー。最後はまた綺麗に生駒旋空決められて終わっちまった」

「ランカーとして負けられんわ。こういうイベントは注目度もそれなりやからな。……しかも決勝で師弟対決となればそら盛り上がるはずやったのに。自分何負けとんねん!」

「今回ばかりは返す言葉もありません」

 

 口をとがらせる米屋。さらに生駒も少し語気を強めてライに不満をぶつけた。

 実はライは準決勝が始まる前に生駒から『決勝で待っとるで』と宣言をされており、戦う事を約束していたのである。

 だがライの敗戦によりそれは叶わなかった。相手が太刀川とはいえ、彼もさすがに自分の敗北によって苦情が出たとなれば無視はできないのだろう。珍しく素直に生駒へ謝罪する。

 

「ま、終わっちまったもんは仕方ねえ。それより3位決定戦だ。よろしく頼むぜ、ライ」

「あれ? ひょっとして陽介知らないのか?」

「あ? 何がだ?」

 

 殊勝なライとは対照的に、いち早く切り替えた米屋は次の戦いを心待ちにしていた。

 心底わくわくしている様子の米屋に、話しかけられたライは違和感を抱き首をかしげる。彼のセリフに米屋が聞き返すと、ライは彼を諭すように話を続けた。

 

「このトーナメント、3位決定戦はないよ」

「えっ!? ねえの!?」

「うん。だから僕たちは自動的に3位で終わりだ。後は決勝戦を残すのみとなる」

 

 ライの説明に米屋は声を荒げる。彼の言う通り元々3位決定戦は予定されていなかった。要項に書いてあったのだが、どうやら米屋は目を通していなかったらしい。

 ライは淡々と語っているが、それを聞いて米屋は天を見上げる。

 

「マジかよ。お前との対戦も面白そうだと思ってたのに」

「いや、君とは普通に個人戦もするじゃないか」

「それはそれだっての。イコさんじゃねえけど、やっぱりこういう特別な戦いでこそみたいなものがあるだろ?」

 

 米屋も戦い好きな性格だ。生駒とは理由こそ異なれど、戦いたいという思いはあった。

 得意げに語る米屋からは心底楽しみにしていたであろう様子がうかがえる。

 

「まあ仕方がないさ。後は決勝を見届けよう」

「せやな。——まあ良く見ておけや、ライ」

 

 ライは米屋の肩を叩き、優しく声をかけた。

 一方で決勝進出を決めたもう一人の勝者である生駒は力強い声でこの先の戦いを見届けるように告げる。

 

「弟子の敵討ちというのも、まあええやろ。俺が最強を超える瞬間、目に焼き付けさせたるわ」

「……誰に言っているんですか、イコさん?」

 

 何故かライや米屋とは別の、明後日の方向に視線を向けながら。

 弟子を倒したボーダー最強を今こそ倒してやろうと心に誓った。

 そしてこの10分後、前評判通り太刀川が無難に優勝を決め1dayトーナメントは幕を下ろす事となる。

 

 

————

 

 

「……すごい」

 

 トーナメントが終わった直後。

 観客席ですべての試合を見届けた三雲は感嘆の声を漏らした。

 

(正直に言えば、次元が違う)

 

 ボーダーの中でもトップクラスの実力者たちが力を示した熱戦の数々は素人目からも胸が躍るものがある。三雲も戦いの連続の中で彼らの力、技量に驚かされてばかりだった。

 

「どうだった、三雲」

「あっ。村上先輩。お疲れ様です!」

 

 立ち尽くす三雲にこのトーナメントの観戦を進めた村上が歩み寄る。

 戦いを終えたばかりの師匠に三雲は短く労いの言葉をかけた。

 

「ああ。——まさか俺が直接ライと戦えるとは思っていなかった。良い姿は見せられなかったな」

「そんな事はありません。むしろとても勉強になりました」

「そうか? それならよかった」

 

 村上は謙遜するが、三雲の言う通り彼とライの戦いはどちらが勝ってもおかしくない激戦だ。最終的に6勝4敗でライが勝利したとはいえ、最後まで勝敗の行方は読めなかった。

 自分の訓練とは違い、師匠が見せた本気の戦いは三雲にとってよい刺激となる。

 

「はい。たとえ今正規隊員に上がれたとしても、通用する世界ではないと改めてわかりましたので。とてもよい経験でした」

「……焦りや不安もあるだろうが、今はまだ基本を叩きこんでいこう。まだ始まったばかりなんだからな」

「ええ。改めてよろしくお願いします!」

 

 自分の立ち位置を再確認したうえで、今は無理でもいつか追いつこうという気持ちになれた。

 師匠の気遣いに応えられるようにと三雲は声を張り上げる。

 こうしてトーナメント出場者のみならず、様々な隊員の心に変化を生んで、また一日は過ぎていくのだった。

 そして舞台は再び次の部隊ランク戦へと進んでいく。

 ボーダーの精鋭中の精鋭であるA級の三部隊が不在の中行われたランク戦。主力であるB級隊員たちの腕が試されるこの戦いで、紅月隊は再び話題の中心となるのだった。

 

 

————

 

 ランク戦ROUND3、昼の部。1位二宮隊、3位紅月隊、5位弓場隊、6位香取隊の4つ巴の戦い。

 王子隊と入れ替わる形で上位に戻って来た香取隊が選択したステージは市街地A。

 基本的なマップであり特徴がない点が特徴であるこのステージ選択は、敵対する3部隊が皆特徴がバラバラであるため、下手な小細工をせず、今の実力を知るためにこのステージを選んだといったところであろうか。

 いずれにせよ隊員たちの地力と底力が試される戦い。

 

「辻先輩発見。落とすわ」

「あっ。香取……さん、来る……」

『嘘! 辻ちゃんすぐ行くから逃げて!』

 

 まず先手を取ったのは香取隊だった。

 各隊員が合流を狙って動き出す中、先手を取るべく隊長である香取が移動中の辻を強襲する。

 極度に女性が苦手である辻は案の定、犬飼・二宮と合流する事さえできず、何もすることができぬまま緊急脱出を余儀なくされた。

 

「犬飼先輩発見しました。——ん。新たに一つトリオン反応が消えてますね。香取隊の誰かかな? この様子だと狙撃手以外に最初から消えてたのは紅月先輩かもしれないです」

 

 さらに辻の救出に向かっていた犬飼の姿を外岡が捉える。

 同時に外岡はマップからトリオン反応が一つ消えた、すなわち何者かがバッグワームを起動した事を確認した。辻と香取の戦いが終わった直後に使ったとなると二宮隊あるいは香取隊のどちらかの隊員が使った可能性が高い。真正面から当たる傾向がある二宮が使うとは考えにくく、隊の方針から三浦あるいは若村のどちらかが使ったという考える方が妥当だろう。

 これでバッグワームを使用しているのは外岡の他は3名となった。一人は鳩原、もう一人は若村あるいは三浦と想定すると残る隊員は紅月だろうと結論付ける。香取隊両名がバッグワームを使う展開は少なく、かく乱のために一人はマップ上に姿をさらす事が多いためだ。

 

『ん。ありがとな、外岡(トノ)。じゃあ犬飼には弓場さんと帯島で挟み撃ちにしよう。紅月の位置はわからないが、外岡の位置がわかってないならうちには仕掛けにくいはずだ。香取隊の二人が動く前に取ってくれ。二宮さんと香取ちゃんの方は、俺が向かおう』

『よォし、気張れよ神田ァ! 前にですぎんじゃねェーぞ!』

『了解ッス! 任せてくださいッス!』

 

 この情報をもとに、弓場隊は部隊を二つに分けた。

 マップの東側、犬飼の下には近くにいる弓場・帯島の両名を向かわせ、反対の西側で香取と周囲にいる二宮には指揮を執る神田自らが赴く。いまだに姿が明らかになっていない外岡の存在がライと同様に他の部隊にとっては脅威になるだろう。香取隊の動きを探りつつ、神田が敵エースたちの集う戦場を抑えている間に得点を狙う動きであった。

 早速会敵した弓場は得意の早撃ちで犬飼に襲い掛かる。

 威力に特化した銃撃は容赦なく犬飼のシールドを撃ち抜いた。

 

「やっぱり一人で撃ち合いは厳しいか。……でも、それなら」

 

 一対一では弓場に分がある。犬飼は曲がり角を曲がりつつ、建物の壁を破壊して足場を崩し弓場の足をわずかに遅らせた。

 逃げに徹した——というわけでもなく。

 

「見えてるよ、帯島ちゃん」

「ッ!」

 

 その一瞬の間に挟み撃ちを狙っていた帯島へと銃口を向ける。

 攻撃手である帯島では手も足も出ない距離だ。一方的に削られてしまいかねない展開に帯島が息を飲んだ。そんな彼女の心境とはお構いなしに、犬飼のアサルトライフルが火を吹く。

 

「——追尾弾(ハウンド)!」

「おっ!?」

 

 ——ただそれは、相手がただの攻撃手ならという話。

 今の帯島は違う。弧月の機能をオフにすると犬飼の銃弾をシールドで受けきり、帯島は新たにサブトリガーに組み込んだ追尾弾を起動。横に射撃を放つと、犬飼の進路方向から無数の射撃が襲撃する。

 

『射撃トリガー単体ではその威力の点から得点を狙うのは難しい。だからこそ特にチーム戦で大事なのは如何に相手の動きを読み、その選択肢を潰すかだ。特に追尾弾は敵を追うという都合上、どこに向かって撃つかという目的でも狙いが変わる。相手の防御を分散するべく多角的に放ったり、逃げ道をふさぐべく相手の進む方角へ撃ったりと様々だ。難しいかもしれないが、ただ撃つのではなく常に考えて立ち回るんだ。それが、必ずやチームに追い風をもたらす』

 

 帯島の師匠から教わった知恵が活きた動きだ。

 犬飼の動きを読み、その自由を奪っていく。

 

(こっちに防御をはらせるだけでなく、弓場さんから逃げる俺を阻害する攻撃か。ずいぶん練習してたみたいだね)

 

 受ける側である犬飼も攻撃の狙いに気づき、珍しく彼の頬に冷や汗が浮かんだ。

 

「ビックリしたよ。誰かに教わっていたのかな?」

「……はいッス!」

「参ったな」

 

 犬飼の呼びかけに帯島は素直に答える。年相応の純粋な思いが今は脅威に映った。

 

「よくやったァ帯島ァ! このまま畳むぞ!」

「怖いよ、弓場さん」

 

 帯島に足を止められた為に悠々と弓場が犬飼に追いつき、再び早撃ちが猛威を振るう。やはりシールドでは防ぎきれず、犬飼の右腕が吹き飛ばされた。

 

(まずいな。二宮さんは香取ちゃんたちと相対しているから来れそうにない。任務通りこの場を抑えるには、とにかくこの二人を射程範囲に抑えつつ、他の部隊と鉢合わせるか)

 

 これ以上まともに戦っても事態が好転しないという事は火を見るよりも明らかである。

 ここは銃手の射程を活かして遠巻きに戦いつつ他の敵と戦わせるのがベストか。

 判断するや否や、犬飼は大きく後上方に飛びつつ、突撃銃を再展開する。

 

「逃げんのかァ犬飼ィ!」

「それが任務なので」

 

 弓場の煽りをサラリと受け流す犬飼。

 狙うは敵の足元。二人を同時に足止めするべく突撃銃を弓場から帯島へとめがけて薙射した。

 

「ッ!?」

 

 だが。

 犬飼が突撃銃を薙ぎ払おうとしたその瞬間、彼の手に強い衝撃が走る。突撃銃が何者かの狙撃によって撃ち抜かれたのだ。

 

「まさか」

「ごめんね犬飼。紅月君が君がいると邪魔だって言うから」

「……普通、不利な元味方の方を狙う?」

 

 狙撃の主は鳩原。

 700メートルは離れているであろう屋上から放たれた一撃は狙い通り犬飼を無力化した。

 得点を狙うならまだしも、武器を破壊するならば敵が多い方を狙っても良いはずなのに。

 それだけライが犬飼を強く警戒していたという意識の表れなのだが犬飼が知る由もない。

 

「もらったぜェ、犬飼ィ」

「あーあ。今日は良い所なかったなー」

 

 そして武器を失った犬飼は急接近する弓場によって蜂の巣と化した。

 辻、犬飼とトップを走る二宮隊の二名が早々に脱落するという急展開は観客席を驚かせる。

 

『よくやった、鳩原。すぐに南東に向かってくれ。おそらく香取隊が迫っている』

「了解。……あ、本当だ。少なくとも一人は来てるね」

『——おそらくもう一人もバッグワームで近くにいるはずだ。警戒してくれ』

 

 その間も戦況は止まらなかった。

 ライはすぐに狙撃を敢行した鳩原へ後退の指示を飛ばす。彼の予想通り姿は見えないが鳩原に迫るトリオン体の反応が発見された。ここまで姿を見ていないためおそらく香取隊の誰かだろう。ならば連動してもう一人も動いているはず。

 

「犬飼先輩が落ちた! 鳩原先輩の位置が分かったのはでけえ。紅月先輩の動きは不明だが、少なくとも今なら弓場隊や二宮さんの乱入はないはずだ。このまま鳩原先輩を追うぞ!」

『わかったよ!』

 

 その読み通り鳩原の元にはバッグワームを起動中の若村と新たにカメレオンを起動した三浦が急接近していた。

 狙撃手を発見した以上、放置するという手はない。他の敵が現れないうちにと速足で市街地を駆け抜け、鳩原との距離を詰めていった。

 

「見つけた!」

「あっ!」

 

 そしてほどなくして若村が鳩原を視界に捉える。

 中距離戦ではいくら技量に長けた鳩原といえど不利であるという事は明白だった。

 

「ここで仕留める!」

 

 今こそ二点目を取る。若村は地面を強く蹴り、さらに加速した。

 

「えッ!? うおっ!?」

 

 そして速度を速めた直後、何かが足に絡まり若村はその場で転倒してしまう。

 受け身さえ取れずに地面に横たわる若村。何事かと目を凝らせば、足元に——否、あちこちの壁に張り巡らされたスパイダーの数々を目撃する。

 

「スパイダーの、陣?」

「エスクード」

「ッ! ろっくん!」

 

 まるで陣形のように組まれたスパイダー。

 その光景に若村が目を奪われている最中、消えていたトリオン体が一つマップ上に姿を見せた。

 三浦の叫びが木霊する戦況下で、北から人影が空を切って彼らに迫る。

 

「ここで終わりだ、香取隊」

 

 エスクードジャンプを利用したライが空から駆け付けた。

 

「紅月先輩!」

「来るよ、ろっくん!」

 

 すぐに若村は立ち上がってアサルトライフルを上空へと向け、三浦もカメレオンを解除。弧月を構えてライを見据える。

 

「悪いが君たちでは止められない」

 

 敵軍が万全の構えで待ち構える中、ライは空中で変化弾を起動、分割した状態で自分の周りへと展開した。

 迎撃する若村のアステロイドの射撃が放たれた直後、ライは空中に張られた一本のワイヤーをつかんでその場で回転。勢いをつけて方向転換すると、さらにその先のワイヤーを蹴ってもう一度切り返す。さらに壁とワイヤーを器用に使いこなして俊敏に動き回った。

 

(……なんだ、これ。速すぎる! グラスホッパーを使う葉子並か!? 捉えられねえ!)

 

 徐々に敵が近づいてくるというのに、本来なら空中では身動きが取れないはずの相手に一撃を与える事さえ出来ない。自軍のエースを彷彿させるほどの身のこなしは若村を驚愕させるには十分なものだった。

 

「もらった」

 

 そして目で追いかけるのがやっとであった若村のすぐ近くにライが着地する。彼の鋭い瞳が若村を射抜いた。

 

「……くっそぉお!」

 

 負けじと若村もサブのシールドを前方に起動し、盾の隙間からアステロイドを今一度ライへと向け撃ち放つ。弾丸が発射されると時を同じくして——態勢を低くしたライが急接近。若村の視界から消えたと思った瞬間、若村は足元から崩れ落ちた。

 

「えっ……?」

 

 地面にたたきつけられる寸前になってようやく若村は自分が足払いを受けたのだという事実に気づく。

そして次の手を打とうと動く事さえできぬまま、ライの放った変化弾が上空より降り注いだ。若村は最後まで敵の動きを見切る事が出来ず、緊急脱出を余儀なくされる。

 

「ろっくん!」

 

 味方の脱出を目にした三浦が敵を討とうと弧月でライに斬りかかった。

 だがライはバックステップでその斬撃をかわすと、二撃目が繰り出される前に空中へ飛び上がる。先ほどと同様にワイヤーにつかまると再び縦横無尽に空中を駆け巡って三浦を翻弄する。

しかもただ相手を惑わすだけではなかった。今度は動きながら変化弾を打ち出し、中距離から三浦へと仕掛けていく。

 

(マズい。この距離じゃ手も足も出ない!)

 

 攻撃手では届かない距離から高速移動しながらの自由自在な射撃。射撃トリガーの威力が低いから何とか防ぎきれているものの、このままではただ追い詰められるだけであるのは明白だった。

 そんな彼の予想通り、シールドで何とかしのいでいる三浦の元へとライが詰め寄ると彼を横から蹴り飛ばす。

 バランスを失った三浦に容赦なく降り注ぐ変化弾。必死にシールドを広げて防御を試みるも、突如射撃の軌道が一点に集まり盾を突き破った。一点集中攻撃が三浦のトリオン体を撃ち抜いていく。

 

(高速移動からの格闘技で翻弄し、変幻自在の変化弾で敵を仕留める。強い……!)

 

 素早い身のこなしに近接戦闘、予想不可能の射撃。その脅威は留まる事を知らなかった。三浦も攻略の糸口をつかめぬまま、戦場を脱出する。

 これによって紅月隊の二点目が記録され、あっという間にこの試合のトップに躍り出た。

 

「さすが。助かったよ、紅月君」

「問題ないよ。このワイヤー戦術も使えるな。戦況が良ければ多対1でも通用するとわかったのは収穫だ」

 

 速攻で二得点を挙げたライを鳩原が通信越しに讃える。

 しかしこれも新たに取り入れた鳩原のワイヤー陣があってこそ。従来ならば体格の小さい者ほど俊敏性が高く小回りが利くため、今回のような高速戦闘には向いている。そこをライは持ち前の反射神経と運動神経を発揮してワイヤーや壁を使いこなし、立ち回っていた。

 機動力で追い詰め、変化弾で相手を仕留める。今のライは射撃の師匠である那須の戦いを独自の形で再現していた。

 

「とはいえ、休む暇はないな」

『ライ先輩! 北西より来ます! ——弓場隊です!』

「……ああ。やっぱりか」

 

 とはいえ新たに手にした戦術を顧みる時間はない。瑠花からの通信がライと鳩原の気を引き締めさせた。

 

「落ちたのは香取隊か? なら先にいるのは紅月か。ずいぶんと勝負が早ぇじゃねぇか。さっきの援護はありがたかったが、勝負は別だ。いくぜぇ、帯島ァ!」

「ッス!」

 

 犬飼を仕留めた直後、香取隊を後ろから追うように南下していた弓場隊が紅月隊へと目標を変えそのまま急接近する。

 弓場隊と帯島、新たに二人の戦力が紅月隊へ牙をむいた。

 

「どうする、紅月君?」

「少し下がってワイヤー陣の中で迎え撃つよ。鳩原は狙撃ポジションに移ってくれ。——弓場さんが相手なら好都合だ。二宮さんたちが反対側で戦っている今が好機。もう一つ新技を試すとしよう。瑠花、周囲の詳しいマップ情報と張られているワイヤーの位置情報を送ってくれ」

『わかりました!』

 

 新たな敵を前に鳩原から意見を求められると、ライは平然とした様子でそう語る。弓場ほどの実力者が迫っているという中でもいつもの調子を崩さなかった。

 ライは左手にトリオンキューブを生成すると、弓場達が迫る方角へと視線を向ける。瑠花へと指示を飛ばした紅月隊のエースは仕掛けてくる相手を悠々と待ち構えるのだった。



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先見

 一目散に飛び出した弓場と帯島。

 目標まであと80メートルほどの位置に近づいたところで弓場がステージ上に設置されたギミックに気づく。

 

「ワイヤーか……? 何時も以上に張り巡らされてんじゃねェーか」

「ッス。ただのトラップじゃなさそうッス」

「ああ。さっき二人を速攻で片づけていやがったのもこれを使ってだな。まだ仕掛けてこねェーって事は、飛び込んで来いってわけか」

 

 建物のあちこちに張り巡らされたワイヤーがこの先で敵が待ち構えているという事を告げていた。

 射程では紅月隊が上回っている。

 それにも関わらずまだ仕掛けてこないという事は狙撃手の位置がばれるのを嫌っての事か、あるいはワイヤー陣の中での勝負によほどの自信があるということか。

 いずれにせよ紅月隊が万全の態勢で待ち構えているのはこのワイヤーが——その先でライが半身を引き、居合の構えを取っている事実からも明らかであった。

 

(抜刀術? 旋空か? ——だが、今ここで旋空弧月を使えば折角のワイヤー陣が崩れるはず)

 

 あの姿勢は彼も得意とする旋空の構えだ。

 しかしここで範囲が広い旋空を使ってしまえば折角のワイヤー陣が崩壊し、整えたフィールドは崩壊してしまうだろう。

 弓場を足手に足場を崩すのが目的か、あるいはかつてのランク戦のように旋空はフェイントで何か他のトリガーを狙っているのか。

 

「——上等じゃねえかァ、紅月ィ」

 

 どちらにせよ構わない。

 弓場はニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。

 乱戦ならば弓場も得意とすること。フェイントであろうとも帯島もいる今ならば十分対応も可能だ。

 

「行くぞ帯島ァ! 相手が師匠だろうと手ェ抜くんじゃねえぞ!」

「了解ッス!」

 

 今一度士気を高め、弓場隊の二人がワイヤー陣へと向かって突撃する。

 さらに速度が速まり二人がライとの距離がおよそ30メートルまで迫ったところで、勝負は動いた。

 

『距離30メートル!』

「——旋空弧月」

 

 瑠花の掛け声を合図に、ライが渾身の一刀を振り抜く。

 振り抜きの際、細かいわずかな捻りの入った抜刀術は旋空によって一気に伸びる刃と化し、そして——ワイヤーにあたるその瞬間、よけるようにその軌道を変えて弓場へと襲い掛かった。

 

「なにっ!?」

 

 まるで刃そのものが生きているような動き。

 ワイヤーにあたると思われていた刃がそのまま自分へ向かってくる光景に、弓場でさえ目を丸くした。

 命中の寸前でかろうじて頭を振り、首のかすり傷程度でとどめる弓場。

 

「旋空——弧月!」

 

 だが、まだ終わりではない。

 弧月を振り抜いたライがそのまま旋空弧月の5段突き。

 防御不可能の必殺の刃が、容赦なく体勢を崩した弓場へと襲い掛かった。

 瞬く間に弓場の体に風穴が5つ生まれてしまう。

 

(ワイヤー陣を壊さないために、あえて範囲の狭い旋空弧月だと? それにさっきのはまさか、本部長の技か……!?)

 

 ワイヤーとワイヤーの間を通り抜けるような精密な攻撃。さらに最初に放たれた忍田本部長を彷彿させる曲がる旋空。どちらもワイヤー陣とは両立が不可能であるはずの旋空を実現可能とするものだった。

 

「弓場さん!」

「……チッ。行け帯島ァ!」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 不意を突かれた強襲に成す術なくトリオン体に亀裂が走る。

 とはいえただでは終わらないのが弓場だった。

 叫ぶ帯島に道を作るべく、弓場は斜めにリボルバーを薙ぐ。

 ライに目掛けて放った銃弾はかわされてしまうが、壁にめがけて放った弾は狙い通り壁を破壊し、ワイヤーの支えを奪う事に成功する。

 

「あの一瞬でワイヤーを破壊する方に切り替えたか。さすがだ、弓場さん」

「ライ先輩、勝負ッス!」

 

 瞬時の判断で味方の進路を確保した弓場を賛辞するライに、帯島が仕掛けていった。

 この距離ならば射手トリガーを覚えた帯島も攻撃が可能だ。変化弾(バイパー)を起動するライに帯島も追尾弾(ハウンド)で迎え撃つ。

 さらに左手の弧月で目の前のワイヤーを斬りつつライとの距離を縮めていった。

 

(射程持ちの隊員との戦いでは相手の手を空けさせない。弾を防ぎつつ、接近戦に持ち込む!)

 

 叩きこまれた訓練をもとに、果敢に敵陣へ飛び込んでいく。

 師匠との訓練でも帯島は優れた対応力から射手トリガーで敵を動かし時に動きを封じ、弧月で斬りこむ戦いを得意としていた。やはり使い慣れた弧月こそ彼女の武器だ。帯島はワイヤーを斬りながらもワイヤーを手にし跳ぼうとするライめがけて弧月を振るった。

 

「——ッ!」

 

 帯島の放った斬撃は、しかしライを斬る事は叶わず。振り抜こうとしたその瞬間、何者かの攻撃で弾き落とされていた。

 

「ここで鳩原先輩の狙撃——!」

「ナイスヒット」

 

 帯島の目が驚愕に染まる中、ライの体が宙に浮く。

 小刻みにワイヤーを蹴って自在に飛び回りつつ、全方位から帯島へ変化弾(バイパー)を撃ち放った。

 鳥籠か、一点集中か。

 帯島がギリギリまで弾筋を見極めようと観察する中、突如多くの弾が帯島を上空から襲うように軌道を変えると同時に一部の弾が帯島の斜め後ろの電柱へと進路を変える。

 一体何事かと帯島がそちらへと視線を向けると、その先には一つのトリオンキューブが設置されていた。

 

(置き弾!)

 

 一点集中と見せかけての置き弾との挟み打ち。自由自在に動き回り、敵を翻弄する動きはまさに那須そのもの。

 逃げ場のない射撃の嵐に、帯島は全身を覆う固定シールドを展開。

 射撃と爆発の勢いをかろうじて守り切った。

 

(防いだ! すぐに立て直す!)

 

 そしてすぐに立て直す。すぐさま弧月を再展開し、周囲を警戒する帯島。

 

「ッ!?」

 

 そんな彼女の背後から、ライは弧月を突き刺した。

 

「覚えておくと良い、ユカリ。待ち構える射手と戦うならば必ず周囲の警戒と撤退経路の確保を怠らないように。戦場に変化が生まれたならばその情報を忘れないで。相手はその変化を利用してくる。——君ならばできる」

「……ッス」

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)

 

 弓場と帯島が侵入した、二人がワイヤーを破壊した経路からの不意打ち。ワイヤーがなくなった以上、ライも弧月を存分に振るう事が出来た。

 師匠から新たな教訓を授かり帯島も戦場を後にする。

 

「これで4得点か」

『お疲れ様、紅月君』

『まだ二宮隊長も健在です。向かいますか?』

「——いや」

 

 若村、三浦に続き弓場と帯島。4人の隊員を撃破して紅月隊は4得点を獲得した。

 ランク戦に参加している戦闘員は半数ほど残っているためまだ勝負の行方は分からない。瑠花はさらに西進して二宮の撃破を狙うか進言するが、ライは静かに首を振り、バッグワームを展開した。

 

「ここまでだ。もう向こうの戦いも決着を迎えるはず。今のうちに姿を隠そう」

 

 レーダーから姿を消したライ。彼の言う通り、ちょうど西の戦場も決着を迎えていた。

 遠い空から二つの光の軌道、緊急脱出の軌跡が出現する。

 それは香取と神田、二人の隊員のものだった。

 

「くそっ……!」

「止められないか、悪いね弓場さん」

 

 三つ巴の戦い。しかも香取は機動力を活かして次から次へと攻め立てる一方、神田は冷静に二人との距離を保ち迎撃できるように構えるという対照的な二人との対戦。さらに一発とはいえ外岡からの狙撃もあった。

 対応を間違えれば自分が落ちてもおかしくなかった戦いを二宮は火力で押し切り、見事に二得点を獲得する。

 

「……チッ」

 

 しかし得点を挙げたにも関わらず、二宮は不満をあらわにした。

 外岡は一発撃った後は潜伏し、神田の存在もあってすでに居場所はわからず。残っている紅月隊の二人も行方をくらましていた。敵が残っているにも関わらず狙える敵がどこにもいない。これ以上の追撃は不可能であった。

 

「時間をかけすぎたか。やられたな」

 

 結局二宮もバッグワームを使用しランク戦は激しい攻防から一転、静かな展開を迎えた。その後は誰も姿を見せる事無くランク戦は終了の時間となる。

 

時間切れ(タイムアップ)! ここで試合終了! 最終スコア4対2対1対1。紅月隊の勝利です!」

 

部隊得点生存点合計
紅月隊4 4
二宮隊2 2
弓場隊1 1
香取隊1 1

 複数チーム生存のため生存点はどの隊にも付与されなかった。

 純粋な得点だけの結果となったこの試合は4得点を挙げた紅月隊の勝利で幕を閉じる。

 

 

————

 

 

「1得点か」

「やっぱり上位は厳しいね。また中位に戻るかも」

「……仕方ないでしょ。あんた達も狙撃手を狙って駄目で。あたしも神田先輩たちが二宮さんを狙ってたのに攻め切れなかったんだから。これが上位の壁って話よ」

「葉子」

「ちょっとジュース買ってくる」

 

 敗戦の香取隊では暗い空気が流れていた。

 特に心配なのはどこか投げやりな様子の香取だ。しばらくの間香取隊は上位グループと中位グループを行き来しており、エースである香取も上位グループとの戦いでは中々得点をあげられていない。エース対決で真っ向から敗れる事が多かった。

 超えられない上級者の壁はあまりにも険しい。未だにエースは殻を破れずにいた。

 

 

————

 

 

 同時刻の二宮隊はサバサバとしていた。

 

「……すみませんでした」

「辻くんはいつもの事だし仕方ないよ。香取ちゃんが突撃してきたのは転送運もあったし」

 

 申し訳ないと頭を下げる辻を氷見が慰める。

 二宮隊オペレーター 氷見亜季

 彼が女性を相手に手も足も出ない事は皆承知の事。そのため彼を責める声は上がらなかった。

 

「反省するのは俺もだからねー。最低でも紅月君が現れるまで弓場さんたちを抑えなきゃいけなかったのに、鳩原ちゃんにしてやられちゃったもん」

「射程ではトップ3の中でも紅月隊が一番上だからな。あいつらもそれを承知の上で仕掛けてきたのだろう」

 

 犬飼も頬をかきつつ自省の言葉を繰り返す。

 元同僚からの挟撃もあったとはいえもっと粘って戦場のコントロールをしなければならなかった。

 二宮隊、影浦隊、紅月隊と元A級の三部隊の中でも狙撃手トリガーを使う隊員が二人もいる紅月隊が遠距離の戦いでは抜きん出ている。

 特に二宮隊はもう狙撃手がいないのだ。これからも用心しなければならないだろうなと二宮は苦言を呈した。

 

「今日はしてやられた。紅月が乗ってくればまだ展開は変わっていたはずだ。……東さんではないが戦況と心境を良く読んでいた、あいつらの作戦勝ちだ」

 

 二宮にしては珍しく、勝者である紅月隊を素直に誉め称えて振り返りを終える。彼は何故紅月隊が戦闘続行をやめて潜伏に専念していたのか、その理由を見抜いていた。 

 

 

————

 

 

「1得点か。中位グループの展開次第では順位がかなり変わるな」

「やっぱり悔しいなあ。二宮さん相手とは言えトノのサポートがあっても凌ぐのがやっとだった」

「すみません。二宮さんの射程を考えて積極的に撃てませんでした」

 

 得点が伸び悩み、弓場は険しい顔でスクリーンを凝視していた。

 敗戦の直後となれば嫌な予感が浮かぶのは仕方がない。神田は少しでもこの敗戦を活かそうと反省するが、この話題となればやはり皆それぞれ悔やむところがあった。外岡が小さく頭を下げる。

 

「仕方がないよ。あそこでトノを失うわけにはいかなかったからね」

「自分も次は得点できるよう頑張ります!」

「うん。帯島は貴重な前衛だからね。期待してるよ」

「はいッス!」

 

 とはいえ後の展開を考慮すれば外岡の生存は必須だった。だから悔やむ必要はないと神田は外岡をなだめた。

 終わった事は仕方ない。次は必ず得点をあげようと意気込む帯島に、神田は心からの期待の念を送った。

 

(やはり皆今シーズンの意気込みはすごい。少しでも上の順位を狙ってくれている。……俺も負けられない。最後のランク戦だ。弓場隊を必ずや上に押し上げてやる)

 

 そして神田もただ声援を送るだけではない。

 彼にとってはこれが最後の部隊ランク戦。残るチームメイトたちにせめて良い結果を残そうと今一度自分を鼓舞するのだった。

 

 

————

 

 

「ライ先輩。どうして最後二宮さんたちを狙わなかったんですか? 外岡先輩が残っていましたが、それでも十分生存点を狙える状況だと思いました」

 

 一方、ランク戦を制した紅月隊の作戦室では部屋に戻ったライに瑠花が疑問を投げかけていた。

 二宮隊が隊長を残して全滅しており、敵は二宮と最初からバッグワームを使用していた狙撃手の外岡の二人だけという事は得点の推移からわかっている。

 ならば隊長一人となった二宮に仕掛けて生存点を狙ってもおかしくはなかった。外岡も状況を考慮すれば漁夫の利を狙って二宮を狙撃する可能性もあったはず。そして二宮さえ落とせば炸裂弾を持つライならば潜伏する敵のあぶり出しもできる。貴重な得点の機会だったと瑠花は考えていた。

 

「いや、二宮さんが相手となればたとえこちらが鳩原と二人で挑んだとしてもそう簡単にはいかなかっただろう。相打ちが精一杯だった可能性が高いし、外岡も間違いなく僕たちを狙ったはずだからね」

「えっ?」

「外岡君も? やっぱりうちが勝っていたから?」

「うん。そういう試合展開もそうだけど、そもそも弓場隊が一つでも上の順位を狙うなら、二宮隊よりもうちを狙うだろう?」

 

 鳩原の問いかけにライはゆっくり頷く。

 確かに従来ならば外岡が二宮を狙ってもおかしくはなかった。

 しかしこのランク戦は少し事情が異なる。今シーズンの弓場隊の意気込みから、弓場隊は紅月隊の得点を阻止し、少しでも上の順位に上るためまずは紅月隊を倒すことを優先するだろうとライは読んでいた。

 

「……あまり話は広がっていないが、今シーズンで神田がボーダーをやめる予定になっている」

「えっ?」

「そうなの?」

「ああ。遠くの大学に進学するためだそうだ。だから最後にこのランク戦で弓場隊を一つでも上の順位にという意識が普段よりも強い」

 

 同じ年齢、弟子が同じ部隊であるという事情もあってライは神田から進路について話を聞いている。

 今シーズン限りで神田はボーダーをやめるという事になっていた。そのため最後に神田は良い結果を残すため、他のメンバーは快く送り出すためにと上の順位に上り詰めようという意識が強くなっている。

 だからこそ狙うならば一位の二宮隊よりも順位が近く、今日のランク戦でもポイントをあげている紅月隊。そう考えるのは当然のことだった。

 

「となると実質二対二といってもおかしくはなかった。しかも外岡は潜伏がうまく、狙撃の回数こそ少ないが、その少ない機会を必ずものにする。あのまま挑めば僕は間違いなく落とされただろう。一点を狙ってより多くの失点が生まれた危険性が高い」

 

 狙いの一致から二対二となりかねない場面である。加えて外岡の上手さと紅月隊はライしか攻撃が出来ない以上、ライが倒された時点でそれ以上の得点は期待できない都合からライは継戦を避けていた。

 

「だからこそあの場で潜伏したんだ。そうする事で外岡はもちろん、あの場では射程で最も劣る二宮さん、あるいは生き残ったのが他の隊員だとしてもその後の動きを制限できた。相手がこの試合で対峙していない二宮さんならば、ワイヤーを使った動きを隠す事もできたしね」

「……なるほど。そうでしたか」

「ランク戦は失点より得点が大事とは言うけど、失点する可能性が高いってわかりきっているなら割り切るのも大事だよね」

「ああ。ランク戦を勝ち抜くという意味でも、その先を見据えるという意味でも、僕は賭けを挑むくらいならば一つでも多くの堅実な勝利を狙う。個人の強さの序列を決めるのは個人戦でもできるしね」

 

 全ては部隊の勝利の為だ。

 その言葉で締めくくり、ライは笑顔を浮かべた。

 ただ戦うだけではない。俯瞰的な視点で戦場を見て、退く時は退き、勝利を手にする。

 結果的に二宮という『強い駒の働きを止める』という戦いはこの戦いを見守っていたある面々にも大きな影響を及ぼすのだが、彼が知る由もなかった。

 

 

————

 

 

 ランク戦の観客席を一望できる特別席。

 使用するものが限られているこの一室に、今日は忍田と城戸、そして唐沢。上層部の三人の姿があった。

 

「……まだあのような隠し技があったとは。紅月君には驚かされてばかりですね」

「私もだ。確かに一度彼に教えた時にあの技も見せてはいたものの、その場では操りきれていなかった。3連撃を習得しただけでも十分脅威だったものの、まさかさらに成長していたとは」

「おや。忍田本部長もご存じでなかったとは。教えから独自でも成長してくれるとは教えられ上手と言ったところですかね」

 

 元A級であり上位に君臨する二宮隊と紅月隊、さらに今シーズンでボーダーをやめるという話が浮上している隊員が所属する弓場隊と注目度が高い組み合わせだった。香取隊も何度か上位グループに顔を出しているという事もあってどの部隊も期待がかかる。

 3人はそう言った事情もあってランク戦の、隊員たちの様子を見に来たのだが、忍田には及ばないとはいえ師匠の技を一部であろうと再現したライの技術に唐沢も忍田も舌を巻いていた。

 

「……加えてあのワイヤー陣。あれは鳩原隊員が狙われた時のカウンターといったところか。今までも彼女が狙われた時はエスクードカタパルトによって駆け付けることが多かったが、その後の自在な動きを可能としている」

「そうですね。空中で身動きが取れない時間を大幅に軽減し、むしろ自由度を増した。射手トリガーで二得点も挙げているという点も他の部隊には大きなプレッシャーになるでしょう」

 

 さらに新たに姿を見せたワイヤー陣についても城戸が言及する。

 鳩原があらかじめワイヤー陣を作っておくことで、狙撃後に狙われたとしても時間が稼げる上にエスクードジャンプで駆け付けたライが素早く戦場を駆け巡る事が出来た。その俊敏さから本来は得点が難しい射撃トリガーでも得点できるとなればその脅威度はさらに増す。他の隊員は嫌だろうなと忍田は苦笑するのだった。

 

(しかも、早々に撤退する事でそのワイヤー陣の動きを二宮隊は直接目にする事は出来なかった。これは次の戦いにも影響する)

 

 それは二宮隊も同じこと。後で映像を見たとしても直接経験するかしないかでは大きく異なる。特に俊敏性などは体感しないとわからない。苦戦は必至だろうと唐沢は紅月隊の次の試合展開へと繋げた戦術を評価した。

 

「指揮官としてみれば『自分の力を見極め、自分にやれることをやる』、『強い駒の働きを止める』という戦果を期待できるという点も素晴らしいと思います」

「……懐かしい言葉を聞いたな」

 

 さらに忍田はかつての上司の言葉を例に出し、その考えを褒めると城戸がうっすらと目を細める。

 無理に勝負を仕掛けるのではなく、敵を足止めして生き残るという点は遠征部隊として求められる素質だった。それをこの部隊ランク戦から見せつけている。忍田の言いたい事を理解しているのか、城戸の表情はいつもよりも柔らかいものだった。

 

「人を撃てないという事から遠征から外れた鳩原隊員を十分カバーし、生き残れる。確かに彼らならば次にもう一度試験を受けるような事があれば、結果は変わるかもしれんな」

 

 『もちろん、次があればだが』と付け足して城戸は口を閉ざす。直接言葉にする事はなかったが、城戸も彼らへの期待を示しているのと同義であった。

 

「……正直意外ですね。城戸司令も彼らに目をかけていたとは。自分はそもそも鳩原隊員が紅月隊に加わる時点で反対すると思っておりました」

 

 そんな城戸の姿を見て、唐沢が問いを投げる。

 確かに彼の言う通り処罰を受けて降格処分を受けたライと鳩原が同じ部隊になるという事態は批判が避けれないもの。事実この話が出たときには根付が反対意見を呈していたのだ。

 だからこそ城戸もひょっとしたら彼女の加入には何かしら介入するのではないかと思っていたが、その様子はない。普段から厳しい城戸を知っている者からすれば当然の疑問だった。

 

「確かに、そういう意見があるということは重々理解している。だが——違反を覚悟して密航を試みた者。違反を覚悟して密航を阻止した者。この二人が共にいれば、もう同じ違反が起こる事はないだろう。そう判断しただけだ」

 

 そう言い残すと城戸は立ち上がり部屋から退出していく。

 過ちが繰り返される事はない、今度こそ彼らは自分たちの力で目標を達するのだろうと若者たちの未来を見据えていた。

 

 

 

 

 その後、紅月隊はついに一時は二宮隊を上回りB級1位に返り咲くなど快進撃を続ける。

 以降も二宮隊や影浦隊をはじめとした強敵との戦いを繰り返し、そのシーズンで一度も得点が失点を下回る戦いはなく、最終的にB級2位でこの年最後のシーズンを終えた。

 こうして様々な隊員がさらなる成長を遂げていく中。

 物語はここで誰もが予想せぬ展開を迎える事となる。

 

 

 

 

 

 

 

『まもなくだ、ユーマ。もうすぐユーゴの故郷に辿り着く』

「お、いよいよか。日本だっけ? ——長かったな。さて、それじゃあ着き次第『基地』というやつを見に行くとするか」

『学校の手続きなどもある。忘れないようにな』

 

 赤目に白髪、小柄な体格と独特な見た目の少年が小さなロボットのような宙を浮かぶ機械と会話していた。

 まもなく近界から日本へと足を踏み入れようとしているこの少年。彼の登場が、新たな戦いを呼び起こす。




アニメで久々にユーマたちが登場した回に合わせて!
ついにこちらも登場です!


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イレギュラー門~黒トリガー争奪戦編
急変


 ある平日の事。

 昼食時を過ぎ、普通の学生ならば眠気に負けじと授業に臨んでいる時間帯。

 本部暮らしであるライはいつものように防衛任務に勤しんでいた——わけではなく。

 ある人物たちと共に駅近くの大型ショッピングモールへとやってきていた。

 

「それでは、少し待っていてください」

「行ってくるねー」

「はい。ごゆっくり」

 

 共に来ていた瑠花王女が沢村を連れてお店の中へと入っていく。

 彼女たちが店内に並んでいる服の数々を眺めているのを見届けて、ライは少し離れたところに設置された椅子に腰かけた。

 先に買い物を済ませた袋を横に置き、携帯端末を取り出す。

 時間を確認し、まだ十分余裕がある事を確認してライは安堵の息をこぼした。

 

「おっ。紅月君じゃん。今日はどうしたの?」

「ん? ——迅さん!」

 

 だが。

 突如横から見知った声——迅に声をかけられるとライはすぐにその場から立ち上がり、半身の構えを取る。

 

「えっ? 何で俺が声をかけただけでそんな風に身構えたの?」

「迅さん。僕は今日、彼女の付き添いで来ているんです。不審な人物を見つければ警戒するようにと言われています」

「ああ、やっぱりね。君が外出しているからそうだと思ったよ」

 

 警戒を続けたまま、ライが淡々と先の質問に答えた。

 本部に滞在する事が多い彼が外出する理由については迅も容易に思いつく。ゆえにそれは特に疑問を抱くことはなかったのだが。

 

「で、何で身構えたの?」

 

 自分を見ただけで警戒する理由がわからず、迅は問いを重ねる。

 

「不審な人物を見つければ警戒するようにと言われています」

「俺の聞き方が悪かったのかな?」

 

 まるでゲームのNPCのように同じ言葉が返ってきた。

 どういう意味だ。これではまるで迅が不審であると言っているようなものではないか。

 

「申し訳ありません。しかし今回は忍田さんが不在の中、お嬢様と沢村さん。二人の女性がいます。さすがに未来予知を持つあなたを相手に二人を同時に守るのは先手を打っておかないと厳しいので」

「……紅月君。勘違いしているかもしれないから言っておくけど、俺は時も場所も選ばずに女の子のお尻を触るわけじゃないからね?」

 

 ライは上司がいない上に被害を受けかねない相手が二人もいるのだから仕方がないと弁明する。

 本当に迅がセクハラをやりかねないと疑っているようだった。

 あんまりな話だと迅もたまらず反論する。

 

「でも僕、あなたが時も場所も選ばずに瑠花のお尻を触っていた現場を目撃しているんですよ」

「おっと。正論で殴るのはやめてくれ」

 

 すると、かつて迅がまだ明るい時間のボーダー本部という公共の場で起こした話を持ち出し、迅の意見を容赦なく切り捨てた。さすがにこの話には迅も反論しようがなく、降参の意を示す。

 

「本当ですか?」

「本当だって。今日だってあくまでも町の人たちの様子を見に来ただけだって。——ちょっと、気になる未来が見えたからね」

「——見えた?」

 

 懐疑的な視線を続けるライだったが、突如雰囲気の変わった迅の発言に表情が一変した。

 『未来が見えた』。つまり迅の副作用が働いたという事。

 彼の副作用の有効性はライも痛いほどよく知っている。ゆえにライもただ事ではないのだろうと彼の言わんとする事を察し、耳を傾けた。

 

「そ。ただ正直な話、俺自身信じられない未来だし、まだ確定ではないっぽいから特に話してはないんだけどね」

「……一体何事ですか?」

「んー。話しても良いけど、一応二人が戻ってきてからでも良いかな?」

「なるほど、わかりました」

 

 しかし今回は予知の内容が迅にとっても不測の事態。

 そのため先にボーダーの重要人物である瑠花王女を見て、敵の狙いが彼女に向けられないか判定してからでよいだろう。

 そう迅が答えるとライも深くは踏み込まず、二人が戻るまで待つ事となった。

 

「で、紅月君は二人の付き添いと」

「ええ。今日は防衛任務も入っていませんでしたし、この後カゲたちと会う予定まで時間がありましたから」

 

 改めて迅が用事を問うとライは穏やかな表情で続ける。

 長く続いた部隊ランク戦が終わったという事で、今日ライは同年代の隊員たちと共に食事をする予定となっていた。

 先日まで争っていた相手もシーズンが終われば良き友。彼らの仲の良さが窺える一面である。

 

「……あー、なるほど。だからか」

 

 その言葉に迅は納得した表情を浮かべた。

 

「どういう意味です?」

「いやいや。この後君がみんなと一緒にいる未来が見えただけだよ」

 

 『だから問題ない』と迅は飄々とした態度で返す。

 掴みどころのない彼の説明にライはただ首をかしげるのだった。 

 

「——戻りました、お兄様。あら?」

「迅君? どうしたの?」

「荷物お持ちしますよ」

「どうもー。偶然紅月君を見かけたからちょっとね。——しかしB級上位の隊長が荷物持ちって考えるとすごいな」

 

 すると買い物を終えた瑠花王女と沢村が二人の元へと歩み寄る。

 ライは素早く沢村から荷物を預かり、迅は当たり障りのない説明を行った。

 周囲の目もあるために瑠花王女はあえてライをこのように呼んでいるのだろうが、迅はまるで『執事みたいだな』と人ごとのように思った。

 

「——うん。よかった。とにかくこちらは何事もなさそうで」

 

 勿論二人の未来を確認する事を忘れずに。沢村たちが事件に巻き込まれる事はないとわかり安堵した。

 

「どういう事?」

「何でもありませんよ。それでこの後はどうしますか?」

「そうですね……」

 

 沢村も何か察したのだろう。すかさず問い詰めるがライが間に入って話題を変える。その空気を読んだ瑠花王女は今後の予定を考えて下顎に手を当てて考え始めた。

 

「では、行きたかったカフェがあります。そこで飲み物を買って今日は終わりとしましょう。沢村、今日は一緒に服を選んでくれてありがとうございました」

「いえいえ。私も楽しかったですし」

 

 何か起こりうるならばあまり長居はするべきではない。一件用事を済ませた後は帰路に就こうと決断した。

 

「お兄様も。休みの時にごめんなさい。ですが久々に外の空気を吸って少しは気晴らしになったでしょうか?」

「ええ。お心遣い、ありがとうございます」

「——あなたは少し根を詰め込みすぎです。少しは休む事も覚えてくださいね」

 

 沢村に続きライにも礼を告げる瑠花王女。

 彼女もライが働き詰めである事は忍田から聞いている。

 トップチームが不在であるという状況、自分の能力を活かしたいという彼の真面目さを知っているからこそ。

 どうか体を大切にしてほしい。

 そう言われるとライは柔らかい笑みを浮かべた。

 

「大丈夫です。お嬢様の年相応の表情を見て英気を養えましたから」

 

 先ほど、無邪気な様子で沢村と共に服を選んでいる瑠花王女の姿を思い浮かべて。

 

「——まったく。あなたという人は」

 

 その答えに少し気恥ずかしくなったのか瑠花王女は視線を外してつぶやくのだった。

 

「そうだよねー。働いてばっかりだと疲れるもんねー。俺もたまには休みを入れとかないと……」

「迅。あなたはダメです。もっと働きなさい」

「俺も休ませてよ!」

 

 一方、迅がのほほんとした声色でライに同調すると、瑠花王女は『それは許さない』と厳しい声で断じた。

 

「ひどい。俺だって陰ながら頑張っているのに」

「まあ、働いている姿を見せればきっと考えも変わりますよ」

「そうかな。——よしっ。じゃあ早速紅月君に一つアドバイスを授けよう」

「アドバイスですか?」

 

 めそめそと嘘泣きを始める迅。しかしさすがに哀れに思ったライに慰められると、すぐに迅は立ち直って目を輝かせた。

 

「この後。紅月君はボーダーの皆に会いに行くと思うけど、その時は普段着のままトリオン体に換装しといてくれ」

「トリオン体にですか? ……わかりました」

 

 ライは二つ返事で頷く。ふざける一面もあるが仕事はきちんとこなすのが迅だ。彼がこういうならば何か意味があるのだろう。

 その後、3人は迅と別れると瑠花王女の提案通りカフェに立ち寄り、ボーダー本部へと戻っていった。

 そして作戦室へ戻ったライはしばらく時間を潰し、夕方に再び本部の外へ向かう。

 行先は影浦の実家である『かげうら』だった。

 

 

————

 

 

 その日かげうらに集まったボーダー隊員は6人。

 影浦、北添、ライ、水上、村上、荒船。B級でも知らぬ者はいないであろう面子が揃っていた。

 

「よーっし。そろそろ焼き上がったか? んじゃ、固い挨拶は抜きだ。お疲れー」

『お疲れ様―!』

 

 全体を見回し、各々の焼き物が仕上がった事を確認し、影浦が緩い音頭を取る。

 彼の声を合図に皆飲み物が入ったグラスを手にし乾杯した。

 店自慢のお好み焼きを頬張りつつ会話を弾ませる。

 

「ん。美味い。やっぱりカゲのところの味が一番だな」

「だな。位置的に高校からも近くて皆集まりやすくて助かる」

「そういえば高校はそろそろ冬休みだよね? 皆勉強の方は大丈夫なの?」

「あー。それな。まあ俺とかは大丈夫やけど、何人かヤバイやつもおるわな」

「……カゲ、言われてるよ」

「お前もだろうが、ゾエ。なに人ごとみたいに言ってんだ」

 

 高校生だからか、勉学の話題となるとたちまち一部の人間の表情が暗くなった。

 もうすぐ大学受験が控えているというのに大丈夫なのだろうか。

 最悪、太刀川のようにボーダー推薦という奥の手もあるのだろうが、先の未来が心配になるライであった。

 

「そういう点で一番心配なのは当真君だよね。今って学校は休学扱いになっているのかな?」

「鳩原が彼は公欠だって言っていたよ。だから出席は大丈夫だろうけど、成績は……どうなるかな」

「まあ無理だろうな」

 

 この場にはいない当真の事を北添やライが不安視すると、村上がバッサリと切り捨てる。

 厳しい意見だが反対の意見はないのか皆「だよなあ」と口をそろえるのだった。

 

「そういえばその鳩原ちゃんも今シーズンからまたまあ嫌な戦力になったなぁ。あの遠ければ武器破壊、近寄ればワイヤー陣とか敵からすれば最悪のパターンやったで」

 

 鳩原という名前で水上が思い出したようにランク戦を振り返る。

 水上は指揮能力が高く盤面を制するのがうまい隊員だが、その彼をもってしても『嫌な戦力』と語らせるほど鳩原は敵にとって厄介な存在であった。

 

「あれねー。うちも戦う回数が多いからよくわかるよー。ゾエさんのメテオラも撃ち落とされたりして大変だったなー」

「敵に評価してもらえたならよかったよ」

「ハッ。得意げになりやがって。まあ確かに鈴鳴との戦いでは面白かったな。鋼がスラスターで離脱したと思ったらワイヤーに引っかかって空中で三回転半決めてただろ」

「カゲ、その話はやめてくれ……!」

「個人的にあのワイヤーを使った格闘術には興味あるな。機会があれば俺も挑戦してみたいが……」

 

 そして水上だけではない。ここにいる面々はランク戦で戦い、目にしたからこそその脅威をよく理解していた。次々と話題が思い浮かんで話を膨らませていく。

 

「どうなんや紅月君? すでにまたなんか次の新しい作戦でも立てたりしとるんか?」

 

 鋭い視線をライに向け、水上が冗談半分で問いかけた。

 すでに次のランク戦へ向けた動きは始まっている。

 何か少しでも情報を漏らせば、とわずかな期待を持ってライの姿を見据えた。

 

「さて、どうだろうね。だけどいつ誰が来ようと対抗できるように準備は進めているよ」

「……参るわ。それ一番困るやつや」

 

 するとこの試すような質問をライは淡々と受け流す。

 呆気なくこの疑問に返された水上は渋々と偵察は諦め、お好み焼きへと箸を伸ばすのだった。

 

「早速腹の探り合いか」

「えー。もう次の戦い始まってるの? ゾエさん怖い」

「まさか。こんなのちょっとしたコミュニケーションだよ。——ん? ごめん、ちょっと電話に出てくるね」

 

 早くも次シーズンへ向けた情報戦の展開に村上や北添は息を鳴らす。

 だがライはこの程度ならば戦いでもないだろうと軽く否定して——懐の端末が着信を知らせている事に気づいた。

 相手は忍田本部長だった。無視するなどできるはずもなく、一言断りを入れてライは席を立ち通話に応じる。

 そして一分ほど通話を終えたライが戻ってくると、ライは席につく事無く他の五人に告げるのだった。

 

「皆、すまない。食事を中断してくれ」

「ん? どうした?」

「この近くにゲートが開くらしい。まもなくだ」

「はっ?」

 

 続けられた言葉に皆が息を飲む。

 ここは警戒区域の外だ。ボーダー本部の技術によって門が開かれる事はない地域。

 そこにゲートが現れるなど信じられず、皆その言葉をすぐに飲み込む事はできなかった。

 

「どういう事? 本部の近くじゃなくて?」

「ああ。どうやら今日他にも警戒区域の外で門が開かれていたらしい。防衛任務の部隊は間に合わない。こちらで対応してくれと忍田本部長の指示だ」

「えっ? それマジなん?」

「迅さんの予知もあったらしい」

「はぁ? それガチなやつやん」

「悪い、任務入ったから出てくるわ。戻ってくるから置いといてくれ」

 

 皆半信半疑だが、忍田本部長の命令と迅の副作用の告知があったとなれば動かないわけにはいかない。

 すぐに席を立つと各々がトリガーを起動し、戦闘隊に換装するのだった。

 

「てことは合同部隊だね。指揮は誰がとる?」

 

 するとここで問題が浮上する。

 普段同じ部隊に所属しない隊員が揃った以上、合同部隊での戦闘となるのだが一体誰が戦闘の指揮を執るのか。

 北添の指摘に皆が顔を合わせあう。

 

「まあ普段から部隊を指揮してる隊長か水上だよな」

「こういう時のリーダーってランク順か年齢順になるか」

「年齢順ならカゲが一番誕生日が早いね。A級の順位も一番高かったしカゲでお願いしようか」

「せやな。頼むで」

「あぁー? ちっ、めんどくせえ」

 

 荒船や村上が誰に頼むか思考する中、ライがいち早く影浦を指名した。

 悩んでいては初動が遅れる。人選的に問題ないだろうと水上も同調すると影浦は隠すそぶりも見せずに悪態をついた。

 

「しゃーねえ。よし、おめーら。俺が指揮るぞ」

『了解!』

 

 だがいつまでも不満を述べても仕方がない。

 影浦は後頭部をかきながら全員を見回した。全員が了承したのを確認し、影浦は口を開く。

 

「紅月ィ。なんか案出せ」

「……えっ? 僕?」

 

 だが、それは指揮権をライに譲渡するというもの。

 突然の指名にライが困惑する中、他の四人は「やはりか」と予想していたのか小さく息を吐く。

 

「結局こうなるんかい」

「絶対どこかで放り投げるかなとはゾエさんも思ってた」

「まあ現在の順位を考えて文句があるやつはいないだろう」

「頼むぞライ」

 

 とはいえ指揮官が交代となっても皆すぐに適応した。同年代だけあって皆慣れている様子である。

 

「——わかった。じゃあ移動しながら話そう。先に荒船、君は先行して狙撃ポジションへ移動してくれ。近界民が出現次第、すぐに迎撃を」

「荒船、了解」

「この防衛はとにかく人と建物に被害が出ない事を優先する。近界民の出現を確認次第、僕がエスクードを展開して道を封鎖する。鋼、カゲの二人は突撃し敵の動き出しを止めてくれ」

「村上、了解」

「影浦、了解」

「ゾエさんと水上は二人の援護を。今回はゲートの発生が読めない。常に鋼やカゲを援護し、二人がカバーできない敵を迎撃してくれ」

「ゾエさん、了解」

「水上、了解や」

 

 ならば期待には応えなければならない。

 ライは走りながら次から次へと指示を飛ばした。

 今までの常識から外れた防衛任務。被害を防ぎつつ、余裕をもって対処しようと考えをめぐらせていく。

 

『来たぞ。——戦闘開始だ』

 

 そしてその間に門が開き、二体のバムスターが、さらに遅れて二体のモールモッドが飛び出した。

 マンションの屋上でバムスターをいち早く発見した荒船が狙撃を開始し、開戦の合図を告げる。

 

「よしっ。——エスクード」

 

 さらにライもエスクードを起動。

 街並みに沿っていくつものバリケードが出現し、建物をネイバーから隠したのだった。

 

「もう一つ。使ってくれ、カゲ、鋼!」

「よしっ」

「了解した」

 

 さらにライは自身の近くにもエスクードを展開。

 影浦と村上に合図を送ると、二人は共にエスクードカタパルトで一気に加速する。

 

「こんなところに現れやがって。調子に乗ってんじゃねえぞ!」

「場所が悪かったな。仕留める!」

 

 ボーダー内でもトップクラスの腕を誇る攻撃手二人が敵を斬り刻まんと襲い掛かった。

 

「よしっ。僕らも射撃で援護する」

「オッケー。行こうか!」

「はよ終わらせて飯の再開や」

 

 その二人を中距離戦に優れたライ、北添、水上が支援する。

 無数の弾丸が近界民に向けられ、いくつもの風穴を生み出すのだった。

 

 

————

 

 

 戦闘はあっという間に終わりを迎えた。

 あの後さらに再び門が一つ出現したものの、すぐさま荒船が狙撃。ライ、水上、北添もたちまち応戦し、近界民は降り立つ前に撃破された。

 その後警戒を続けるも増援の様子はなく、ライが代表して本部へ通信をつなぐ。

 

「——本部。こちら紅月。近界民の撃破を確認。新たな門の出現は見受けられません」

『こちら本部。紅月隊長、突然の対応感謝する。他の隊員にも引き上げるよう伝えてくれ』

「紅月、了解」

 

 ほどなくして忍田から任務終了を告げられ、皆一息ついた。

 突然の事であったが皆年齢が近く実力にも長けた面々が集っている。人的・物的被害を出すことなく戦闘を終えるのだった。

 

「よっしゃ。終わったなー。ほな戻るか」

「いやー、ビックリだったね。警戒区域の外に出るなんて初めてじゃない?」

「確かに。基地ができてからはこんな事一度もなかったはずだ」

「本部の方で門の座標操作に何か不具合が生じたのか。考えにくい事だが……」

「そんなの上がなんかしら対策とるだろ。俺らが考えることじゃねーよ」

 

 とはいえ前代未聞の襲撃に皆一様に疑問を呈する。

 そんな中影浦は戦闘員が考える事ではないと彼らの考えを一蹴した。

 確かに研究員でもない彼らが考えても結論がでない問題だ。ここで討論を続けたところで答えが出るわけではない。

 

「……ただ、やはり気になるな。ちょっと調べてみるか」

 

 しかしライはそう簡単に割り切る事は出来ず。

 この騒動を収めるために調査する事を決断するのだった。

 

 

————

 

 

 ライ達の戦闘が開始する少し前の事。

 ボーダー本部周囲の警戒区域では一人のボーダー隊員が立ち尽くしていた。

 

「なっ……!」

 

 驚愕のあまり言葉につまる。

 そこに立っていたのは訓練生の三雲だった。

 彼は中学校から帰宅の途中、同級生からこの警戒区域まで連れられ一方的な暴行を受けていた最中にバムスターと遭遇。

 同級生を守りつつ、c級隊員の近界民との戦闘は違反としりながらもレイガストを起動した。

 しかし防御はよくても巨体をほこるバムスター相手に効果的な攻撃を仕掛ける事は出来ず、その巨体に押し込まれている中。

 

『弾』印(バウンド)『強』印(ブースト)二重(ダブル)

 

 その窮地を救ったのは、今日三雲のクラスにやって来た白髪赤目の転校生・空閑遊真だった。

 トリガーを起動した彼は勢いよくバムスターへ突撃したと思えば強力な蹴りをお見舞いし、さらに威力をました拳をバムスターへ叩き込み、跡形もなく消し飛ばす。

 

「よう。平気か? メガネ君」

「……僕の名前は三雲修だ」

「そっか。オサムだな、よろしく」

 

 バムスターを粉砕した遊真が呆然とする三雲を安心させるように声をかけた。

 その姿に、かつて同じように自分を助けてくれた迅の姿を思い浮かべ、三雲は自分の名前を告げる。

 名前を聞いた遊真は人懐っこい笑みを浮かべてその名前を繰り返した。

 そして三雲は次々と遊真から話を聞いていく。

 今彼が使ったトリガーは遊真の死んだ父親の形見であり、彼の『知り合いがボーダーにいるはずだ』という言葉に従って日本に来たという事だった。

 

「……つまりお前の親父さんもボーダー関係者だったんだな」

「違うよ。ボーダーなのは『親父の知り合い』で親父は関係ないよ」

「はっ? だってトリガーを持っているじゃないか。トリガーはボーダー隊員しかもてないんだぞ」

 

 父親がボーダー隊員ならばトリガーを持っていたという事にも納得がいく。

 だが遊真は彼の言葉を否定した。

 トリガー持つ事ができるのはボーダー関係者のみ。だからボーダー関係者でないとおかしいだろうと三雲は考えたのだが。

 その考えは遊真の続けられた言葉の前にあっけなく崩れ去った。

 

「オサムが言っているのは『こっちの世界』の話だろ? ——俺は門の向こうから来たんだ。おまえらが言う『近界民(ネイバー)』ってやつだ」

「……はっ!?」

 

 再び三雲は驚かされる事となる。

 自分を助けてくれた転校生が、ボーダーが戦う近界民の一人。

 遊真の発言を三雲はすぐに受け止める事は出来なかった。



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未知

 ライは一人道路の真ん中でうずくまり、アスファルトがかけた地面をのぞき込む。これは二宮の『アステロイド』が撃ち込まれた跡だ。

 トリオン兵撃退後、今度こそ『かげうら』で食事を済ませたライは皆と別れ彼らが対処した場所とは別の襲撃場所へと向かっていた。

 『かげうら』近くの十字路に出現した、警戒区域外に現れたゲートはその日3件目。

 その前に起きた一件目は本部基地から玉狛支部の中間地点に出現し、レイジと迅が対処していた。

 そして二件目は今ライが訪れている、ボーダーでは二宮達が通う大学近くの交差点。こちらは二宮が偶々近くにいた為彼が応戦し、すでにトリオン兵は撃破・回収されまもなく道路の封鎖も終了しようとしている。

 

「……ふむ」

 

 顔をしかめ、深く考え込む。

 眉間にしわが寄る表情からは3件も続いた警戒区域外に現れた門——ボーダー本部でイレギュラー門と呼ばれるものについて何か共通点がないか、発生した場所の特徴はないか探っている様子が窺えた。

 

『どうでしょうか、ライ先輩。少なくとも回収したトリオン兵からは通常のトリオン兵と大きな差異は見られないとの報告がありましたが』

「……そうだな」

 

 作戦室からオペレーターである瑠花からの通信がつながる。

 彼女には本部で調査、分析した結果が分かり次第報告するようにと伝えているが、やはりそう簡単に良い結果は返って来なかった。

 何か新たな発見はあるか、そう問われたライはゆっくりと立ち上がり、何度か周囲を見渡してから答えを告げる。

 

「わかった事は——共通点はない。としか言えないな」

『そうですか……』

「うん。そもそもケースが少なすぎる。3件だけではデータとして不十分だろう。もちろんそこから答えを導き出せれば一番だが、さすがに原因究明は難しいな」

 

 しかしライの口から出た結論も事態解決に導けるものではなかった。

 彼の言う通り本日で未知の事件が3件も起こったとはいえ、情報収集し解決するには少ない数値である。

 門の発生した位置に特にこれといった共通点は見当たらず、発生した時刻もバラバラであった。現状では『門が警戒区域外に現れた』という以外に地形的、時間的共通点は見つからない。

 

「あえて共通点をあげるならば、突然の出来事でありながら犠牲者が出ていないという事くらいだな」

『えっ? それは、ボーダーの方々が迅速に対処したからでは?』

「もちろんその通りだ。だが、門が現れたのは警戒区域の外。防衛任務に就いている隊員も近くにはいなかった。一件目はまあ迅さんがいるから別として、二宮さんも僕たちも近くにいたから対応できただけだ。果たして、僕たちが近くにいたのは偶然なのかどうか」

『つまり、ボーダー隊員の近くにイレギュラーな門が発生したと?』

 

 ひょっとしたらね、とライは自分と同じ推測に辿り着いた瑠花に同調した。

 未来予知が見える迅は事前に現場に辿り着いても不思議ではなかった。しかし二件目と三件目は別だ。二宮は大学からの帰り道の最中だったという話であるし、ライも警戒するよう忠告されていたとは言え元々『かげうら』に行く予定だったのだ。決してわかっていて向かったわけではない。

 

「だがそうだとしてもやはり断言するには早すぎる。本当に僕たちが近くにいたのは偶然という可能性だってある。最近はボーダーの隊員数も増えているから隊員の居場所は特に関係なかったかもしれないから」

『やはり答えは出ず、と言う事ですか』

「ああ。引き続き警戒するしかないな。——よし。一度僕も本部に戻るよ。瑠花、それまでは休んでいてくれ」

『わかりました。何か報告があったらすぐに連絡します』

「ああ。よろしく頼む」

 

 いずれにせよ現場の状況、最近の増加したボーダーの隊員数などと言った問題から決めつける事は出来なかった。

 少なくとも今日明日はこのイレギュラーな門についての対応が求められるだろう。

 ライは瑠花に休憩に入るよう伝えると、自分も隊員専用の本部直通通路を使い本部へと帰還するのだった。

 

 

————

 

 

(一件目の対応者は迅さんとレイジさん。そして二件目は二宮さん。三件目は僕の他にカゲ、鋼、ゾエさん、荒船、水上の六人。——正規隊員であるという共通点以外は人数もバラバラで絞りようがないな。正規隊員なら誰でもよかったという事か? だが一体何のために……)

 

 本部の廊下を歩く最中、ライは一人物思いにふけっていた。

 考えている事は当然今日起きたイレギュラー門についてである。

 一つの仮説として地形ではなく人員を狙っていたのではないかという憶測に基づき考えてみたが、それでも相手の狙いまで読み取ることは出来なかった。

 出来うる限り早急に対処したい事案であるために敵の狙いも予想を立てておきたい。

 そう強く思うものの、残念ながら答えに辿り着くことは出来なかった。

 そして深く考えているライの下に、一人の隊員が歩み寄っていく。

 

「紅月。少し良いか?」

「うん? ——ああ、三輪か! 久しぶりだね。今日は防衛任務だったんだっけ?」

 

 声をかけたのは三輪だった。

 ライにとってはボーダーの中で最も古い付き合いであるが、最近は中々話ができていなかった隊員である。相手の顔を見て人懐っこい笑みを浮かべるライに、三輪も小さく息を吐いた。

 

「そうだな。実はその防衛任務で気になった事がある。お前にも少し話を聞きたいんだが、大丈夫か?」

「構わないよ。イレギュラー門について、だよね?」

「いや、それとは別件だ」

「えっ?」

 

 話題はボーダーにとって悩みの種であろうイレギュラー門だと結論づけてライは聞き返すが、三輪は静かに首を横に振る。

 それ以外に今何か優先すべきことでもあったのだろうかとライが首をかしげると、三輪は表情を険しくして話を切り出した。

 

「あくまでこれは確認だ。……紅月。今日の夕方、お前はどこを何をしていた? それを証明できる相手はいるか?」

「夕方?」

 

 まるでライのアリバイを問うような三輪の話の切り出しにライもつられて表情が硬くなる。三輪の考えが読めなかった。夕方となればイレギュラー門が発生した時間に近いが、それとは別件だという。

 真意が読めない中、それでも事実を告げるべきだろうとライは淡々と三輪の質問に答える事とした。

 

「僕なら今日はお昼ご飯を本部で済ませた後は駅前近くのショッピングモールで買い物をしていたよ。一緒にいた沢村さんがそれを証明してくれるはずだ。戻ってきた後はしばらく作戦室で時間を潰したあと、本部直通通路を使って『かげうら』でカゲ、鋼、ゾエさん、荒船、水上達同級生と共に食事をしていた。そして食事の最中に忍田本部長から連絡があり、イレギュラー門の対応を行った。『かげうら』に戻った後はイレギュラー門について個人的に調べたい事があったから現場に向かって、そして今戻って来たところだ。それは瑠花が報告もしているし現場の写真もあるから証明はできると思う。——今日の午後の行動については以上だ」

 

 補足もいらないよう、問われた時間の前後の行動も踏まえてライは三輪に説明する。

 本部内の行動なら監視カメラもあるし証明は容易だ。本部外でも様々な人物が証人になっており特に疑わしい点は存在しない。

 

「……そうか。よかった。すまないな、突然」

「よかった? 何かあったのか?」

 

 三輪もそれを理解して肩の荷を下ろした。

 彼の反応に疑問を抱いたライは三輪の不安する内容を知るべくもう一度聞き返す。

 安心したのか三輪もあっさりとライの行動を探っていた理由を話し始めた。

 

「実は今日ボーダー本部基地周囲で、ボーダーに登録されていないトリガー反応の痕跡が見られたトリオン兵を回収した。俺や陽介が駆け付けた時にはすでに撃破した者はその場を去っていて、俺は上層部の命令で破壊した者の調査をしていたんだ」

「基地の近くで? という事は警戒区域内か。なるほど、確かにそれなら警戒区域内だからイレギュラー門とは別件というわけだね」

「ああ。だからこそ俺達も警戒している。また新たな問題が浮上したとなれば、対処しなければならないからな」

 

 ボーダー隊員が持つトリガーとは別のトリガーによって破壊されたトリオン兵の発見。

 確かに三輪が調査するのも無理がない話である。ボーダー隊員以外のトリガーとなれば、それは近界民(ネイバー)のトリガーによるものという可能性が最も高いのだから。

 

(あるいは、また僕が何か行動に移したのではないかと疑われたのかな?)

 

 上層部の命令だと言っていたし、とライは心の中でつぶやく。

 確認という言葉がその表れである一方、三輪だけはライの事を信じて聞いてきたのだろうことは予測できた。

 とはいえ短期間に例外が続けば自分が疑われてもおかしくはないとも思う。いくら上層部からも信頼を得られようと、最も内部で疑わしい存在が誰かと考えれば、突如としてこの地に現れた自分の名前が挙がるのは無理もないことなのだから。

 三輪に気づかれない様に平然を貫きつつもライは一抹の寂しさを感じ取っていた。

 

「今は何人かの隊員から話を聞いている。当時、時間的余裕があった者やボーダー基地で待機していた者にな。何かしらの目撃情報があればと思ったが。——今のところ有益な報告はない」

「了解したよ。僕もタイミングが悪かったな。おそらく移動中か食事中のどちらかだ。基地で待機していたならば、僕もすぐ調査に向かえたのに」

「——お前が気負う必要はない。私生活を拘束する権利など誰にもないんだから」

 

 『そう言ってもらえると助かるよ』とライは小さく笑う。

 三輪も昔と変わらず接してくれる。処罰後はあまり話を交える機会がなく、奈良坂からふさぎ込んでいるという話を聞いていたからこそ、ライは三輪のいつも通りの気遣いを感じ取り安心した。

 

「……ただ、イレギュラー門もそうだけどそっちの方も重要だね。そのトリオン兵に何か特徴とかはあったのかい?」

 

 同時にそんな彼の負担を少しでも減らせるようにと、ライも何か協力できればとトリオン兵の詳細について聞きだした。特に情報公開を禁じられている内容ではないならば問題ないだろうと三輪も当時の様子を思い返しつつ、口を開く。

 

「ああ。トリオン兵そのものは普通のバムスターだった。ただ、バムスターの形が分からなくなるほどバラバラに吹き飛んでいて、おそらくA級以上の実力はあるだろうと推測している」

「バラバラに? つまり、切り刻まれていたという事か?」

「いいや。回収班によると打撃痕が二つしか見つからず、高出力の一撃をぶつけられた事によって破壊されたようだ」

「では打撃の衝撃でバラバラに? それは本当か?」

 

 話を聞いたライはとても信じられず、三輪に聞き返した。

 だが三輪の答えは変わらず『もちろんだ』と返すとライは深刻な表情でしばし考え込む。

 

「……三輪」

「ん? どうした?」

 

 重々しく名前を呼ぶライ。彼の変化を感じ取り三輪も身構えて彼の言葉を待った。

 

「君も気を付けた方が良い。そのトリオン兵を撃破した相手は、僕たちだけでは対処できないかもしれない」

「何?」

 

 深刻な顔つきで告げられた言葉に三輪も息を飲む。

 ただの推測で終わればいい、だがもしも自分の考えが正しかったとしたら。

 ライは嫌な予感が止まらなかった。

 

 

————

 

 

(二度の打撃で大型のバムスターを跡形もなく破壊。——従来のトリガーの出力ではありえない話だ。同じ戦法を取るレイジさんのスラスターでさえ、殴り飛ばす事は出来ても跡形もなく吹き飛ばす事なんて出来ないはず)

 

 未知の相手が放った攻撃。

 ライはその桁外れな威力を理解し、見えない敵の脅威を感じ取っていた。

 

(だとするならば、相手は従来のトリガーとは比べ物にならない特殊なトリガーの持ち主だという可能性が高い。おそらくは迅さんや天羽と同じ——)

 

 普通の敵ではない。

 おそらくボーダー隊員では『強すぎて勝負にならない』というあの二人と全く同じトリガー。

 

(——(ブラック)トリガーだ)

 

 高いトリオン能力を持つ者が自らの全トリオンを注ぎ込み、命と引き換えに作り上げるという黒トリガー。

 それが今、ボーダーの関与しないところで身近に迫っていた。

 

(こちらに利するならばいい。だがもしもボーダー隊員と刃を交えるような事になるならば、その時は)

 

 まだトリオン兵を排除していただけでボーダーに被害は出ていない。

 ゆえに今は姿も力も明らかになっていない強敵よりも、実際に被害が続出しているイレギュラー門の対応に当たるべきだろう。

 ——しかしだからと言って油断は出来ない。

 いざという時に備え、ライは一人覚悟を決めるのだった。

 

 

————

 

 

「……またイレギュラー門が出た? やはりか」

 

 翌日。

 午前の食堂のバイトを終えたライは割烹着から着替え、食堂で昼飯を食べている所で調査任務をしていた米屋と出会い、共に食事をとりつつ彼から今日も現れたというイレギュラー門について話を聞いていた。

 

「ああ。しかも三件もだとよ。それぞれ加古さん、犬飼先輩、二宮さんが対応して犠牲者は0だけど上層部は対応に追われているらしいぜ。特にメディアからの指摘が連続して根付さんたちが天手古舞いしてるとか」

「今日も二宮さんが遭遇したのか……」

 

 必死に対応する根付に大変だなと共感しつつ、ライは二宮の下に現れたトリオン兵に同情した。果たして敵に好かれているのか嫌われているのか。いずれにせよ射手の王が相手となればおそらく手も足も出ないまま撃破されただろうことは予想できる。

 

「もう昨日今日だけで6件だぜ? さすがにヤバイよな」

「僕も同感だ。しかも午後に限った話ではないともわかったし。いつどこに襲撃が来るかわからないという事だから」

「おかげでしばらくは休む間もなさそうだ」

 

 『本当に参っちゃうぜ』と米屋がわざとらしくため息をついた。

 そう考えるのも無理はない。今まではボーダー基地周囲に誘導できるというシステムがあったからこそ犠牲も人員の疲労も最小限に抑える事が出来た。

 だがその前提が崩れればボーダーも対応がいつかは間に合わなくなり、市民が三門市を去っていく事になるだろう。

 今はまだ犠牲者が出ていないから最悪の未来にはなっていないものの、いつそうなってもおかしくない事態であった。

 

「そうだね。狙いが絞れればいいのだけど。今日も発生場所はバラバラなんだろう?」

「ああ。時間も全然違うみてえだぜ」

「……法則性はなしか。後は近くにいた隊員くらいだろうけど、二宮さん以外は皆昨日とは違う隊員だし」

 

 何か突破口はないだろうか。

 昨日の出来事も思い返しつつ、ライは今一度思考をめぐらせた。

 場所、時間はやはり共通点はない。

 対応した隊員も二宮を除いて皆異なる面子であった。ポジションも異なっており特に気になる点はないようにも思える。

 

(何人もいた僕たちを除けば、近くにいたのは迅さん、レイジさん、二宮さん、加古さん、犬飼、もう一度二宮さん。ボーダーの中でも有数の実力者たちで年齢も上の人たちだ。他に何か気になる事は――)

 

 年齢、階級、経歴、所属、能力などなど。あらゆる観点から隊員たちに共通する点はないだろうか。ライは情報を次々と整理、分析していき——

 

「……トリオン量か?」

 

 一つの項目。ボーダー隊員に求められる才能であるトリオン量という結論に辿り着いた。

 

「はっ? いきなりなんだよ?」

「昨日と今日、対応した隊員について少し考えてね。それで気になったんだけど——」

 

 ひょっとしたら、と前置きを置いてライは米屋に自分の仮説を打ち明けはじめる。

 この事件の突破口となるかもしれない一つの可能性について彼が論じようとした、その瞬間。

 

『緊急警報、緊急警報。門が市街地に発生します。市民の皆様は直ちに避難してください』

 

 ——市街地から甲高い警報が鳴り響いた。



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ニアミス

『三雲。お前に教えている立場である俺がこう言うのは申し訳ないが。——このままではお前が強くなるにあたって根本的な解決はできないかもしれない』

 

 ふと、三雲の脳内にかつて特訓中に師・村上から指摘されたつぶやきがよぎった。

 

『入隊直後、C級の時から頭角を現す隊員というのはトリオン量が豊富であったり身体能力や運動神経が高かったり何らかの武術をやっていた者などが多い。だが、お前はトリオンも身体能力もギリギリで武術経験があるというわけでもない』

『……はい』

 

 持っている者との差異、三雲の力量を理解したうえでの冷静な分析は的確なものである。

 配慮や甘えなど余分な感情を排した指摘は三雲も痛いほどよくわかっていたことであり、彼の口からも特に反論の言葉はでなかった。

 

『もちろんそれを覆すための戦術などは存在する。特に攻守の入れ替え、反撃するタイミングを他のトリガーを使って隙を作り、逆転を狙うなんて事は正隊員では日常茶飯事だ。しかし、C級隊員のままではトリガーが一つしか持てないためそれも期待できない』

 

 新たな武器を手に入れようにも己の立場がそれを許さない。

 今持っているトリガーだけで戦うにはあまりにも手札が少なく、弱かった。

 強くなりたい。その思いは本物だが、思いの強さが必ずしも成長に直結するわけではなかった。

 

『もちろん今後も基本的な訓練を続け、体になじませる経験を積むという事は将来につながるだろう。ただ、お前が強くなったと自覚できるのはだいぶ先の話になると思う』

『大丈夫です。少なくとも、こうして村上先輩に知識を授かったり訓練の相手をしていただけるだけでも自分にはもったいないくらいですから』

『そうか? そうだと俺も嬉しいな』

 

 今すぐ強くなりたい、強くなっておきたいという思いはある。

 ただ、他の隊員のように何かやって来た実績があるわけでもなくトリガー経験も浅い自分がそう簡単に強くなれるなどそんなご都合主義な話があるとは彼も考えていなかった。

 だからこそ高望みはしない。

 その場は師弟が互いに当たり障りのない受け答えをして、引き続き訓練を行っていた。

 ——だが。

 

(……やっぱり、村上先輩や空閑の言う通りだったのか。C級隊員の僕では……!)

 

 今だけは、強くなれなかった自分の過去を悔やむばかりだ。

 7件目のイレギュラー門。その発生場所は三雲も所属する三門市立第三中学校の敷地内だった。

 門より出現したのは二体のモールモッド。

 この学校にはボーダーの正規隊員が所属せず、近くに見回りの防衛隊員もいなかったためこのままではただ犠牲者が出るのみ。そんな状況下で居ても立っても居られなかった三雲はモールモッドを食い止めることを決断した。

 

『……本当にオサム、死ぬぞ? モールモッド一体殺すためには最低でもオサムが一五人は必要だ。仮に殺せたとしても一二人のオサムはやられてる。俺は大人しく他のボーダーを待っていた方が良いと思うぞ』

 

 すると勇み立つ三雲の姿勢を諫めたのは空閑だ。

 昨日も自分たちを助けた空閑を三雲は近界民であっても彼は信用に値すると考え、正体を隠すように何度も警告し、三雲もその正体について他言はしないと決めていた。

 その力ある近界民からの忠告。

 正体を明かすなと言った以上は彼の力を借りるわけにもいかず、自分が戦いに行くのもおそらく空閑の予想通り勝ち目は薄いのだから、彼の言う通り大人しく避難すべきなのだろう。

 

「——僕は行く。勝ち目が薄いからって、逃げるわけにはいかない!」

 

 それでも三雲は戦う事を選んだ。

 勝機は限りなく低い。加えてC級隊員である自分は本来訓練以外でのトリガー使用を禁じられているのだからたとえこの場を切り抜けたところで先はないだろう。

 しかし、だからと言って何も出来ない自分を許す事が出来なかった。

 トリオン体に換装した三雲はレイガストを起動し、校内へ侵入したモールモッドを追跡する。

 

「うおおおおお!」

 

 間一髪、生徒たちに刃が振るわれる寸前で追いついた三雲はレイガストで敵のブレードを切り落した。

 攻撃を防いだ次は刃モードから盾モードに切り替え、窓ガラスから侵入したモールモッドを叩き落とす。

 

「皆、すぐ上へ逃げるんだ!」

 

 巨体が外へ落下した事を確認し、三雲は学生たちへ避難するよう指示を飛ばした。

 皆一目散に三雲の横を通って階段を上っていく様子を気配で察しつつ、視線はもう一体のモールモッドへと向け続ける。

 直後、鋭い一撃が三雲へ襲い掛かった。

 

「ッ!」

 

 まるで鞭のようにしなるブレード。

 それを盾ではじく。

 すかさず反撃へ、と移ろうとする三雲に今度は逆のブレードがや休む間もなく襲い掛かった。

 

(——速い! 駄目だ、倒そうにも近づく事さえできない!)

 

 左右のブレードが次から次へと迫りくる。

 敵の連続攻撃を前に三雲は盾で受けるのが精一杯だった。

 もしも三雲が正規隊員だったならばあるいはスラスターなどのオプショントリガーを使ったり、他の攻撃用のトリガーで別な突破口を探していたかもしれない。

 だが三雲はC級隊員。レイガストしか使えず、それだけで逆転を狙えるほどの身のこなしも持ち合わせていなかった。

 

「ッ!」

 

 そして、ただ防ぐだけの展開が長続きするはずもなく。

 ついにレイガストの盾が破れ、モールモッドの刃は三雲の体を切り裂いた。

 

(しまった——!)

 

 トリオン体に亀裂が走り、爆ぜる。C級隊員のトリガーには緊急脱出機能もないため、モールモッドの眼前に無防備の三雲の姿が取り残された。

 

(だめだ、もう。今度こそ、)

 

 かつて味わった死の恐怖が再び三雲に襲いかかる。

 あの時のような誰かが助けてくれるなんて奇跡はもう望めない。

 今度こそ、終わりだ。

 モールモッドのブレードの刃先が三雲に向けられた。

 

(死―—)

 

 もはや守る術がない三雲は衝撃に備え、瞳を閉ざす。

 

『盾』印(シールド)二重(ダブル)

 

 瞬間、三雲の耳に響いたのは空閑の声だった。

 恐る恐る目を開けると、空閑がトリガーを起動してシールドを展開して。

 まるで三雲を守るように彼の目の前に立っていた。

 

「空閑!? お前何をやっているんだ! トリガーを使えば近界民だとばれるから使うなって!」

「ああ。だからオサム、お前のトリガーを少しだけ借りるぜ」

「……えっ?」

 

 これ以上空閑のトリガーを使えば彼が近界民だと判明するのは時間の問題だ。

 咎める三雲であるが、空閑もただ無策でこの場に現れたわけではなかった。

 彼の左手には、先ほどまで三雲が使用していたボーダーのトリガーが握られていた。

 

「トリガー、起動」

 

 たちまち空閑の体がトリオン体へと換装される。

 三雲の愛武器であるレイガストを握り、対峙するモールモッドを睨みつけた。

 

「大丈夫だ。オサム。これなら俺がやったってバレない」

「なっ。駄目だ! 空閑! それは、訓練用のトリガーなんだ!」

 

 制止を呼びかける三雲を他所に空閑は駆け出す。

 自分の何倍もある巨体を相手に真っ向から突っ込んでいった。

 モールモッドのブレードが振り下ろされる中、空閑はすれ違いざまに両の刃を切り落とす。

 

「こういう狭い場所では、自由に動ける俺の方が有利だ」

 

 相手の武器を破壊すると同時に背後を取ると、刃を壁に突き刺して急ブレーキ。がら空きであるモールモッドの背中からレイガストを振り落として一刀両断した。

 

「なっ……!」

 

 一瞬の攻防で自分を倒したモールモッドをあっさりと撃退した空閑の姿に三雲は開いた口が塞がらない。

 だが、驚いている余裕もなかった。

 空閑の横、窓ガラスの方角から先ほど叩き落としたモールモッドが再び壁をよじ登り、空閑を攻撃せんとブレードを振るう光景が目に入る。

 

「空閑!」

「おっ、そっか。もう一体いたな」

 

 三雲の叫びに呼応するように空閑は盾を起動しこの猛威を防いだ。

 そしてすかさずレイガストの矛先をモールモッドへ向けて刃を突き出して。

 

「ん?」

 

 レイガストが衝突する寸前、大きな衝撃と破裂音が響いた。

 強力な一撃により機能を停止し、続けざまにレイガストがモールモッドを貫いた事でモールモッドは完全に崩壊。

 音を立てて校舎の外へと落ちていく。

 

「……なんだ、今の? 俺の他に攻撃が来なかったか? ボーダー隊員か?」

『少なくとも周囲五百メートル以内にトリオン反応は見られない。ボーダーだとするならば狙撃手によるものだろうな』

「ふむ。では急いだ方がよさそうだな。じゃ、オサム。頼んだぞ」

「はっ?」

 

 明らかに第三者による攻撃。おそらくあの一撃だけでもモールモッドが撃破されていただろうと予測できるほどの衝撃がモールモッドの急所に放たれていた。

 その攻撃の出どころを疑問に思う空閑だったが、近くにはまだトリオン反応が見られない。

 おそらくは狙撃手によるものだろうと宙に浮かぶお目付け役のトリオン兵・レプリカの指摘に空閑も真相を隠すべく次の行動に移るのだった。

 

 

————

 

 

 同時刻、三門市立第三中学校からおよそ700メートルほど離れたマンションの屋上に、ライの姿があった。

 

「——命中(ヒット)

『お疲れ様です、紅月先輩』

「ああ。綾辻も突然のサポート、ありがとう。今度何かおいしいお菓子でもごちそうするよ」

『わっ。やった!』

 

 イーグレットでモールモッドを撃ち落としたライは綾辻と通信をつなぎ、彼女の助力に感謝の言葉を述べた。

 あの警報の直後、ライはすぐに席を立つとトリガーを起動し、基地の外に出るやエスクードカタパルトで跳躍。

 それを二度繰り返し、いくつもの建物の屋上を飛び越えて現場までの射線を通すと、かつてある事件でも実行した空を移動中の狙撃を敢行。モールモッドを撃破していた。

 当時は見回りの嵐山隊が遠くにおり、間に合わないかもしれないという綾辻からの報告。それを聞いたライの行動は的確で、彼女のサポートもあって無謀な狙撃も成功させた。嵐山隊の到着より早く攻撃を実行した彼の行動はお手柄だろう。

 

「それより、綾辻。本当にもう一体の敵性反応も消えたのか? ——うん?」

『ええ。これでイレギュラー門から出現したトリオン反応はどちらも消滅しました。確認できたのはその二体のみです』

「……どういう事だ」

『えっ? どうしました?』

 

 オペレーターをねぎらいつつ、ライは警戒を怠らないように、今度は屋上から落ち着いた状態で照準器をのぞき込む。

 綾辻と戦況を確認しつつ撃破したモールモッドの姿を捉えて。

 そしてその光景に疑念を抱いた。

 

「僕は今イーグレットを一発撃っただけだ。それなのに、あのモールモッドには鋭い切創のような大きな跡がみられる」

『本当ですか? では、その近くにもう一体を撃破した隊員がいるはずです。見えますか?』

「……だめだな。ここからは見えない。すでにフロアを移動したのかもしれない。嵐山さんたちは?」

『まもなく現着します』

「そうか」

 

 明らかに狙撃とは別に致命傷となった痕跡だ。

 となると先に消滅したもう一体の敵を撃破し、さらにこの攻撃を行った人物がいるはず。

 それも駆け付けたライでもなく、防衛任務で向かっている最中の嵐山隊でもない別の誰かが。

 

「……ならば綾辻。すまないが後は嵐山隊に任せるよ。一度僕はボーダー本部へ戻る」

『わかりました。ご協力感謝します』

 

 とはいえ見つけられない以上は仕方がない。

 ここから先は任務に当たっている嵐山隊に引き継ぐべきだろう。

 ライは綾辻に以後の仕事を託すと自らは背を返しボーダー本部へと歩き出した。

 緊急戦闘以外の場面にまで首を突っ込むのは出過ぎだろう。相手がA級・広報部隊の嵐山隊となればなおさらだ。それよりも本部待機を命じられている自分はまた非常事態に備えなければならない。

 

「構わないさ。防衛任務は防衛隊員の仕事だからね。何かわかったら教えてくれ。場合によっては、僕も後程あの学校を見に行くよ」

『もちろんです。それでは、また』

 

 ゆえに急いでライはその場を後にした。

 綾辻と通信を切ると真っ直ぐボーダー本部へと帰還する。

 もちろん、正体不明である謎のトリガー使いについて注意を払いながら。



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分岐点

 三門市立第三中学校校舎の敷地内。

 一時はボーダー隊員たちによる現場調査および破壊された近界民の回収のために封鎖された区域も解放され、ボーダー隊員も撤収しているイレギュラー門が発生した現場である。

 対応に回っていた嵐山隊もすでにこの場を去っている中、ライは一人この場所を訪れ現場検証を行っていた。

 

(——モールモッドは二体とも一撃で両断されていた。僕が狙撃した方もたとえ狙撃がなくても撃破されていただろう。校舎の内外にはいくつもの破壊された壁。モールモッドによるものならば、狭い場所で単独で撃破するためには相応の機動力と身のこなしが必要になるはずだ。ブレードをかわしつつ一撃で仕留める。それをやっていたのが、本当にあの彼なのか……?)

 

 破壊痕と調査担当の嵐山隊から聞いた報告から当時の様子を探る。

 この敵を撃破したという、三雲修の顔を思い浮かべながら。

 だが実際にその光景を想像すると疑惑の表情へと変わった。

 二体のモールモッドを訓練生が一人で対処するというのは簡単なことではない。まして三雲がこれを成し遂げたという事実が信じられなかった。

 

(迅さんの資料が正しいならば正規隊員に上がることさえ困難な実力だったはずだ。だが報告に上がった動きを考えれば、正規隊員でも上位に位置するくらいの実力を持っている事になる。にわかには信じがたい)

 

 ライはかつて迅から入隊時の三雲のデータを受け取っており、彼の戦闘員としての資質を知っている。

 トリオン量や戦闘経験など、どれをとっても戦闘員向けとは思えない非力な存在だった。

 三雲が入隊してから間もなく3か月ほどが経とうとしている。急激な成長、火事場の馬鹿力、窮地での覚醒などが決して考えられないわけではないが。

 

(それに何よりも、イレギュラー門がこの地に発生した(・・・・・・・・・・・・・・・・)こと。それ自体が違和感だ)

 

 原因を調査していたイレギュラー門の出現場所に居合わせた事自体がこれまでの予測からは考えにくい事である。

 あまりにも予想から離れた出来事の連続に、ライも頭を悩ませていた。

 

「……ここはやはり関係者に一度話を聞いてみた方が良いな」

 

 とはいえいつまでも考えてばかりいても話は進まない。

 調査を進展させるためにライはある人物の下にメッセージを送り、了承の返事を得るとその隊員の下へと足を運ぶのだった。

 

 

————

 

 

 

 ボーダー本部の一角に存在する会議室。

 上層部の面々が集うこの部屋には今日もいつも通りの人員が揃う一方で、初めてこの部屋を訪れた隊員も椅子に腰かけていた。

 普段とは異なる空気を醸し出す中、さらにある一人の隊員が本部長補佐・沢村と共に入室する。

 

「入りまーす。迅悠一、お召しにより参上しました」

「——ご苦労」

 

 敬礼と共に挨拶を行って姿を現したのは迅。

 傍らに立つ沢村から何やら冷たい視線が向けられる中、彼女の視線をどこ吹く風と受け流し、所定の場所へと向かうのだった。

 

(この人は、あの時の——!)

 

 先に召集を受け、椅子に腰かけていた三雲は自分の横へと歩み寄って来た迅の姿を見てかつての出来事を思い浮かべる。

 一度はボーダー試験で不合格を言い渡され、それでも耐え切れずに上層部へ直訴しようとした日の事。あの時に襲撃を受けた際に助けてくれた隊員こそが迅だった。思いがけない再会に目を奪われる中、迅が彼の視線に気づいたのか軽い調子で話しかける。

 

「おっ。君も呼ばれた組? 名前は?」

「あっ、三雲です」

「ミクモ君ね。俺は迅。よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 

 初対面同士の普通の挨拶。

 「さすがに覚えてはいないか」と迅の反応に三雲が少し寂しさを覚える中、ようやく招集した面々が集まった事を確認して城戸が口を開いた。

 

「では、本題に入ろう。昨日から市内に開いているイレギュラー門の対応策についてだ」

 

 やはり投じられた話題は三門市に多くの被害をもたらしているイレギュラー門について。

 今日もライや三雲が遭遇した一件の後、さらにもう一件の門が警戒区域外に発生し、新たなる大型の爆撃用トリオン兵・イルガーにより多大な被害を許してしまった。

 これ以上の被害を許すわけにはいかない。そのためこの話題を真っ先に投じたのは当然のことだろう。

 

「待ってください。まだ三雲くんの処分についての話が終わっていません」

 

 そこに待ったをかけたのは忍田本部長だった。

 中学校で発生したイレギュラー門でのトリオン兵撃退に加え、イルガーによる市街地爆撃が行われた際には住民の避難誘導および救助活動に三雲が尽力したと報告を受けている。

 鬼怒多や根付は処分すべきだという厳しい意見を呈する中、忍田はこれほどの活躍が見込める隊員はむしろ正規隊員に昇格させ、より力を発揮できるように環境を整えるべきだと論じた。

 

「確かに本部長の言う事にも一理ある。——しかし、ボーダーのルールを守れない人間は必要ない」

 

 だが忍田の反対意見を受けても城戸の意思は揺るがない。断固としてルール違反を犯した者は許すことは出来ないという姿勢を貫いた。

 

「三雲くん。君がもし今日と同じような場面に遭遇したならば、君はどうするかね?」

「——目の前で人が襲われていたならば、僕はやはり助けに行くと思います」

 

 もしも同じ状況に陥ったならばどうするか。己の性質を試すような問いに、三雲は真っ直ぐな答えを打ち明ける。

 当然これには鬼怒多をはじめ多くの者から処罰すべきという意見が再燃した。今回のケースが特別というわけでなく、以後も繰り返される可能性があるというのだから当然の反応だろう。

 

「これ以上はもういいでしょう。それよりもイレギュラー門です。第一次近界民侵攻以来の被害が出てしまったのです。対応しなければ市民は不安に駆られて三門市を去るでしょう。被害にあった人々、建造物への補償も馬鹿にならないでしょうし……」

「資金に関しては問題ありませんよ。まあ今日くらいの侵攻が続けばスポンサーの支援も厳しくなるでしょうが、そこはどうですか鬼怒多開発室長?」

「……開発部が総出で調査しておるが、まだ原因究明には至っておらん。対応処置としてトリオン障壁を張ることで門の発生を強制的に抑えておるが、それも46時間しか効果が持たない。この制限時間までに何とかせんといかんのだが、このままでは——」

 

 三雲の処罰に関する議論はもう必要ない。

 それよりもイレギュラー門の対応を如何するか。犠牲を抑えるためにそちらを討論すべきだろうと根付や唐沢、鬼怒多といった面々は各々の視点から意見を呈した。しかしやはり事態が好転するような言葉は出てこない。

 

「だから今日はお前が呼ばれたんだ。やれるか、迅?」

 

 ゆえにこういう時こそお前の出番だろうと迅の直接の上司である林藤が迅に呼びかけた。

 強力な副作用を持つ彼の力は上層部も頼りにしている。

 今回も何か対策はあるかと意見を求めた。

 

「もちろん。実力派エリートですから」

「何!?」

「何か見えたというのかね!?」

 

 迅が呑気な声で問題ないと告げる。

 誰もがまだ解決の糸口さえつかめていない中、迅の答えは一堂を驚愕させるには十分すぎるものだった。会議室に集まった隊員たちの注目が迅に集まる。

 

「ええ。ただ——そのイレギュラー門の原因を見つけるにあたって、彼の処分をおれに任せてもらえませんか?」

 

 すると皆の視線が自分に向かう中、迅は三雲の肩に手を置いてそう告げた。

 

「……彼が関わっていると?」

「はい。おれのサイドエフェクトがそう言っています」

 

 城戸に尋ねられた迅は不敵な笑みを浮かべて肯定する。

 サイドエフェクトを語ったという事は真に何かが見えているのだろう。力の事を知らない三雲を除いた全員が迅の言いたい事を理解して息を飲んだ。

 

「……わかった。お前の好きにすると良い」

「城戸指令!? しかし!」

「イレギュラー門の解決が最優先事項だ。皆が言っていたようにこれ以上の犠牲を容認するわけにはいくまい」

 

 さすがに三雲の処分を一任するのはどうなのかと反対意見が出る中、城戸は迅の要求を容認する。城戸にとっても今日の犠牲者の数は印象が悪すぎたのだろう。

 さすがにトップである城戸が認めたとあっては強く否定は出来ない。

 誰もがそれ以上は口をはさむ事はせず、この場は解散になると思われた。

 

「——待て、迅」

 

 だが、一人。

 ここまで城戸の後方で待機し、静観を決め込んでいた三輪が迅に食い下がる。

 

「おっ? どうした秀次?」

「お前は彼をどうするつもりだ?」

「別にどうもしないよ。ただ突破口を見つけるのに彼が必要みたいでね。ちょっと力を借りたいだけさ」

 

 呼び止められた迅は変わらぬ口調で淡々と疑問に答えた。

 特に何かをするつもりはない。事件解決の糸口を探るために三雲の存在が必要なのだと何気なく口にした。

 

「本当に彼の力が必要なのか? 彼の弱みに付け込んでお前の企みに利用するだけではないのか?」

「おいおい。そんな企んでなんかないって。なんだよ、俺が処分されそうな後輩を助けるのがそんなにおかしいか?」

「ああ、おかしいな」

 

 飄々とした態度を崩さない迅に対し、三輪は敵意さえ露わにし己の意見をぶつける。

 三雲の処分。それを防ぐような姿勢の迅に疑惑を抱いたのだろう。

 

「あの時、あいつが処分される事を容認したお前が、そのように誰かを庇うなど」

 

 かつて三輪の親しい人物が処分を受ける未来を目にした上で、その道を選んだ迅が、今度は名も知らぬものを助けるのかと。三輪は冷静さを保ちつつも苛立ちを言葉に籠め、迅に真っ直ぐぶつけた。

 

(あいつ? 誰の事だ?)

 

 二人の知人を指し示すような言葉だ。だが三雲にはそれが何を指し示しているかわからない。三輪の言い方では迅がまるで誰かが処分される事を知っていたような言い方だが、そもそも一隊員がそのような事を知る事ができるのか。

 話についていけない三雲。そんな彼の様子など知る由もなく、迅達は話をさらに進めていく。

 

「……あの時とは事情が違う。これを見てみろよ、秀次」

 

 携帯端末を操作し、迅は三輪をはじめ全員に見える様にあるニュースを画面に映し出した。

 画面には今日のイルガ—によって被害を受けた市街地の住民たちへのインタビューが表示されている。人々が救助にあたったボーダーの眼鏡をかけた男性隊員——三雲を称賛し、感謝している姿が見られた。

 

「言うまでもなく三雲くんの事だ。この情報をもとに上手く話題を展開できれば、今回の被害で悪くなったボーダーの印象も好転するだろう。でもここで彼を処分するような事になればそうもいかない」

 

 遅かれ早かれこれだけ話題にあがった隊員の事は後々メディアにも取り上げられるだろう。

 その時に三雲を除籍処分などにしたと説明すればどのような事になるか。規律を守るためとはいえ人命救助に一躍した若者を追放したのかとメディア界隈からの批判は避けられないだろう。

 

「だからちょっと待っててくれよ。さらにイレギュラー門の問題解決にも貢献したとなれば、反対する気だってーー」

「ふざけるな」

 

 罪を上回る貢献をしてみせる。そう得意げに語る迅だったが、三輪は彼の言葉を遮って反論した。

 

「『対外的な理由がある』。それだけなのか? その理由がないから、あいつは——!」

「そこまでにしておきたまえ、三輪隊長」

 

 今にも感情を爆発させそうな三輪だったが、寸前で城戸が手で制する。

 直属の上司の言葉とあって、三輪はすぐに冷静さを取り戻り姿勢を正した。

 

「……すみません。冷静ではありませんでした」

「構わん。——とにかく、イレギュラー門の調査は迅に一任する。今日は解散だ。次回の会議は明日の21時に行う。遅れないように」

 

 一礼し、元の位置に下がった三輪。それを確認して城戸は解散を告げる。

 それぞれ席を立ち、ようやく張り詰めた空気から解放されていった。

 

「さて、じゃあよろしく頼むぜメガネくん」

「ッ! ——はい!」

 

 迅も去り際にそっと三雲の肩を叩き期待の言葉を添えた。

 『メガネくん』とかつて助けてもらった時と同じ呼び名。自分の事を覚えていてくれたのかと、三雲は笑顔で頷く。

 

「……三雲くん。一つだけ質問してもいいか?」

「えっ? あっ、はい」

 

 迅や上層部の人間が退出する中、三雲も部屋を後にしようと背を返した。

 するとその三輪が三雲を呼びとめて質問を投げかける。

 先ほどまで迅と厳しい口調で話していた三輪が相手とあって、三雲は内心冷や汗を浮かべながら振り返った。

 

「昨日、警戒区域でバラバラになった大型近界民が発見された。あれも君がやったものか?」

「えっ!?」

 

 この説明だけで空閑と初めて会った日、空閑が撃破したものだろうとすぐに思い至る。

 

「現場付近にはきみの同級生がおり、我々が保護した。昨日、あの近くに正隊員はいなかった。君がやったというなら腑に落ちる」

「……はい。ぼくがやりました」

 

 話の流れに矛盾が生じないならば、ここは自分がやった事にして捜査の手をここで止めるべきだろう。そう判断して三雲はゆっくり頷いた。

 

「そうか。ありがとう。ゆっくり休んでくれ」

 

 質問は以上だと、三輪は手を振って三雲を送り出す。三雲も軽く一礼して会議室を後にするのだった。

 

「城戸司令、うちの隊で三雲を見張らせてください。三雲は近界民と接触している疑いがあります」

「どういう事かね?」

 

 三雲が去った後、三輪は城戸に彼の監視を進言した。

 三輪の話によると今日のモールモッドには三雲のトリガーによる反応が見られたが、昨日のバムスターからはボーダーに属さないトリガーの反応が残されていたという。

 すなわち近界民のトリガーが使われていたにも関わらず三雲は自分がやったと証言した。彼が何らかの形で近界民と関係を持っているという疑いがあるという事である。

 

「証拠がある以上、疑って然るべきです。こちらの件もこれ以上野放しにするべきではありません」

「いいだろう。三輪隊に任せる」

「近界民の存在を確認できた場合はどうしますか?」

「そんなもの決まっているだろう」

 

 三輪隊が動けば問題はないだろう。城戸は謎のトリガー使いの件を三輪隊に一任する事を決めた。

 命令を受けた事で三輪も自由に動く事ができる。

 念を込めて近界民と接触した際の対応を確認すると、城戸は厳しい表情で続けた。

 

「——始末しろ。近界民は我々の敵だ」

 

 情け容赦は必要ない。

 見つけ次第始末するようにと城戸は告げた。

 

「了解しました」

 

 この言葉を聞いて三輪は安堵の息を溢す。三輪は近界民の存在を許さない城戸一派の人間だ。これで穏便に事を進めようと言われればどうなったか自分でも予想がつかなかった。

 とにかく城戸から直接指示を受けた以上ためらう事はない。

 必ずや近界民を見つけ出し、そして仕留めようと決意を新たにした。

 

「——失礼します」

「ん?」

「誰かね?」

 

 すると、突如会議室の扉がノックされる。

 特にこの後誰かが来る予定はなかったはずだ。一体何者か、三輪も城戸も予想がつかないまま、突然の来客へと問いを投げる。

 

「紅月隊隊長、紅月です。城戸司令および三輪隊長に報告したい事があるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 帰って来た声は、まさに先ほどの会議の話題にも間接的に触れられていたライのものだった。

 

「紅月!」

「……入りたまえ」

「失礼します」

 

 三輪は思いがけぬ友の出現に目を見開き、城戸は冷静に入室の許可を出す。

 部屋の主の許可を得て、ライはゆっくりと部屋の中へと入っていった。

 

「お疲れのところ申し訳ありません」

「構わない。さて、報告があるという話だがどうしたのかね。紅月隊長」

「はい。昨日より発生しているイレギュラー門、および三輪隊長が調査に当たっている謎のトリガー使いについて気になる事がありましたので報告に上がりました」

 

 要件を尋ねられたライは淡々とした口調で話し始める。いつもの柔らかい雰囲気は鳴りを潜めていた。その様子が、ライの報告が非常に難しい話題であるという事を示している。

 

「ほう。何かわかったことが?」

「直接的な原因はまだ何とも。ですが昨日より出現しているイレギュラー門の共通点について思い至った点と、新たな問題が浮上しました」

「——続けたまえ」

 

 城戸は聞く価値があると判断し、余計な口は挟まずに話の続きを促した。

 

「一件目から六件目のイレギュラー門。これらの出現は全てトリオン量の高い正隊員の近くで発生していました」

「トリオン量?」

「はい。ボーダー隊員全員の記録を確認しましたが、現在遠征に出ている隊員を除いた中でトップクラスの隊員たちの周囲で発生を確認しています」

「……それで二宮さんや加古さん達か」

「おそらくは」

 

 その説明を受け、三輪は納得したのだろう。良く知る知り合いの隊員の名前をあげると、ライは小さくうなずいた。

 

「ふむ。つまり敵の狙いはトリオン量が高い人間というわけか。敵は何らかの探知能力を持った何かでイレギュラー門の発生場所を選んでいると」

「はい。……ただ、本日起きた七件目でこの推測に疑念が湧きました」

 

 城戸も相手の目的に理解を示す。

 その一方でライはこれまでの対応者全ての共通点を抱きながら、今日の出来事によって自分の考えに懐疑的になったと語った。

 どういうわけか、そう眉を顰める三輪だが、すぐに彼の意図を理解して答えに至る。

 

「三雲の事か」

「……僕も報告を聞いて驚きました。七件目の対応に当たったのは三雲隊員とのことですが、彼はトリオン量がかなり低い。とてもではないですが、先の前提で考えればあそこでイレギュラー門が出現する可能性は限りなく低い」

 

 その通りだとライは説明を続けた。

 やはり何度調べてみても三雲のトリオン量に関するデータに変わりはない。多少は入隊時よりはマシになったようだが、それでも訓練生の中でも見劣りするほどだった。

ゆえに今日の襲撃に関しては彼の一件のみ例外であるようにも考えられる。

 

「——ならば、発想を変えてみるとどうでしょう?」

「どういう事かね?」

「敵の狙いです。トリオン量が多いものを狙ったと仮定して、それは正隊員であるかどうかに関わらない、そもそもボーダー隊員以外でもあり得るのではないか。狙われたのは三雲隊員以外の人間であったとするならば?」

 

 そこでライが考えたのは、七件目で敵が狙ったのが三雲以外の人物ではないのかという事だった。

 今まではどれも近くにいた正隊員がトリオン量が多いものばかり。だからこそ先の結論に至っていた。しかしその前提が少し異なるものだとすれば話は変わってくる。

 

「他にもあの中学校にはトリオン量が豊富なものがいるという事か」

「それだけならば良いのですが。——実はそこでさらにもう一つ問題が」

「……何かね?」

 

 まだ何かあったというのか。城戸が静かにライの説明を待った。

 

「三雲隊員はレイガストの扱いや基本的な戦い方を村上隊員より指導を受けています。僕は先ほど鈴鳴支部を訪問し、彼から話を聞いたのですが、とてもではないが正隊員に昇格するのはまだ無理だろうとのことでした」

「ッ!」

「ふむ。興味深い話だな。あの村上隊員の言葉であるならば真実だろう」

 

 ライの口から告げられた村上の発言。

 No.4攻撃手と名高い彼の名前は三輪と城戸もよく知っている。

 だからこそ村上の見解は彼らに大きな影響を及ぼした。

 

「では、紅月。七件目のイレギュラー門で対応したのは——」

「おそらく三雲隊員とは別の何者かで間違いないかと。そしてその何者かあるいはまたさらに別の第三者が、トリオン兵に狙われるほどのトリオン量を持つ者である可能性が高いと僕は考えます。イレギュラー門の問題が解決しないならば注意を払い続ける必要があるでしょう」

 

 三輪に促されるまま、ライが結論を述べる。三雲の陰に隠れてトリオン兵を撃退した者が、トリオン量に長けた何者かが三門市立第三中学校に存在すると。

 

「現時点ではトリオン量が多いのがその撃退した者なのかどうかは判断がつきませんが、三雲隊員ではない誰かがこのトリオン兵撃破に関与しているのは間違いないはず。昨日のバムスターを撃退したのも、近くにいた関係者の事から察するに同一人物とみて良いと考えます」

「……なるほど。それで君は三輪隊長も探していたわけか」

 

 ようやく城戸はライが自分だけでなく三輪も同時に探していた理由に思い至った。

 昨日に続いて同じ中学校に属する者の間で未知の事態が発生している。ならばどちらも同じ人物が関与していると考えるのは当然のことだった。

 ライは三輪が昨日の一件を捜査していると知り、この二つの案件を同時に調べていくと判断してここまで来たという事である。

 

「よくわかった。紅月君。ここまで調査し、分析してくれた事に感謝する」

「いいえ。防衛隊員として当然の事をしたまでです」

「そうか。ならばついでと言っては悪いが、もう少し君に頼みたい事があるのだが、よいかね?」

「……一体何でしょうか?」

 

 あくまでも平然と構えるライの姿は頼もしいものだった。

 それを見て城戸は彼を信用できると考えたのか、ライに期待を寄せて提案する。

 ボーダー本部司令からの頼みだ。そう簡単に頷く事も否定する事も難しい。

 ライは慎重に言葉を選びつつ、城戸の次の言葉を待つのだった。



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邂逅

「一体何でしょうか? 他でもない城戸指令からの頼みとなれば、可能な限りお応えしたいと思いますが」

 

 当たり障りのない返答をするライ。

 下手な答えが出来ないと同時に司令の願いを無碍に出来ないという考えから警戒が前面に出る言葉だったが、そんな彼に城戸は「そう気負う必要はない」と一言溢す。

 

「あくまでもこれは私個人の頼みであり、君が受けようと受けまいと君や君たちの部隊に対する評価が変わることはないと前もって言っておきたい。ただ、いずれの答えにせよ今回の話は他言無用である事をここで約束してほしい」

「もちろんです。下手に話が明るみになって謎が解明される前に相手が逃げるような事があってはなりませんから」

「うむ」

 

 意見が揃い、城戸は軽く頷いた。

 城戸のライに対する評価は決して悪いものではない。むしろB級隊員という枠組みの中では上位に位置するだろう。

 彼の入隊直後は確かに不明な点が多く、当時は何かあればA級隊員たちに適切な処理を許可するほどに警戒をしていた。しかし例の一件以降、城戸も彼の本質を理解してからはライの実力や性格、立場も相まって彼を高く買っているのだ。

 

「このイレギュラー門および謎のトリガー使いの問題が明らかになるまでで構わない。それまでの間、紅月隊は一時的に私の直属の部隊に加わり、三輪隊と共に本ケースの調査に協力してはもらえないか?」

「……つまり、城戸指令直属の隊員になれと?」

「その通りだ」

 

 城戸の説明を受けライの目がわずかに細まる。

 ボーダーの指揮系統は命令の重複を避けるため、直属の上官のみが部下の隊員に命令する事ができるようになっていた。現在本部に所属しているライの指揮権は本部長である忍田が握っており、忍田の命令によって任務に勤しむ事となっている。

 

「今回の件はあくまでも従来の防衛任務のシフトとは異なり、別任務として調査に臨んでもらう事となる。しかし今の忍田君の指揮下のまま私が君にその命令を下す事は出来ない。あくまでも本部所属である隊員が行うのは基本的な任務のみであるためだ」

 

 本部の隊員は本来警戒区域のパトロールをはじめとした防衛任務が主であり、特別な仕事を請け負う事はなかった。

 今回のような特別な調査、本部の隊員が関与しない極秘の任務は城戸司令直属の隊員が行う事となっている。かつてライの調査を風間が行っていたように。

 

「よって一時的に指揮権を私にゆだねてもらいたい。手続きはこちらで済ませよう。防衛任務ではないため従来の報酬は出せないが、特別手当を用意する事を約束する。万が一の場合でも君が特に手を下す必要はない。悪い話ではないと思うが、どうかね?」

 

 今は風間をはじめとした城戸指令直属の隊員たちの多くは遠征の為不在だ。より優秀な戦力は必要となる。

 だからこそ君に頼むと城戸は条件を提示した。

 ライにとっても決して悪い話ではない。むしろ事件の早期解決を望む彼は自らが引き続き調査に関わることを正式に許された事で自由に動く事が可能だ。

 反面、忍田司令の指揮下から城戸司令の指揮下に映るという事で何も変化が生じないというわけではなかった。ライもそれを理解したからこそ、唇に手を当てしばし考え込む。

 

「急な話で申し訳ないが、できる事ならばこの場で答えを出してもらいたい。あまり長期化させる問題ではなく、この話が外に出るのは避けたいからだ。どうかね?」

 

 突然の誘いに悩むのは仕方ないと共感したうえで城戸はそう付け加えた。

 事情は把握している分、余計に判断に迷う。

 さらに10秒ほど様々な可能性を考慮し、自分がどうすべきか悩み抜いて。

 

「……わかりました。城戸司令の要請に応じましょう」

「ライ!」

「そうか。感謝する、紅月隊長」

「しかし」

 

 ライは城戸の要請を受ける答えを出した。

 共闘できる答えにほっと胸をなでおろす三輪。城戸も簡潔に感謝の意を示す。

 だが、ただ応じるわけではなかった。

 そこでライは一度言葉を区切り、話を続ける。

 

「僕もこの件は可能な限りすぐ解決すべきだと考えています。城戸司令の指揮下に加わる事に異存はありません。ですがいくつか条件があります」

「……何かね?」

 

 ただで引き受けるわけにはいかない、飲んでほしい話があるとライは言った。

 仕方がない事だと理解すると同時に、一体何を要求するつもりかと疑念を抱きつつ城戸は話の先を促す。

 

「一つはあくまでも事件解決のために城戸司令の指揮下に入るだけであり、決して城戸司令の派閥に入るわけではないという事。もう一つは紅月隊としてではなく僕が単独で城戸司令の配下に加わり、鳩原隊員や忍田隊員は従来通りの任務に励んでもらうという事。そして城戸司令の命令に従う範囲における行動に処罰を課さない事。以上の条件を飲んでいただけるならば微力ながら力になりましょう」

 

 許可を得たライは三つの条件を提示した。並べられた彼の意見に城戸は「なるほど」と嘆息する。

 

(派閥争いに協力するつもりはない。現時点でこれは別に問題ではない。彼が単独で臨むというのも他の隊員を巻き込みたくはないという事だろうが、こちらにとっても情報漏洩を避けられるという点で好都合だ。三つ目の条件もこれ以上の問題事を避けたいという事だろう。あくまでも善意の協力者という立場で臨むという意志の表れか)

 

 現在ボーダーは三つの派閥に勢力が別れていた。

 近界民の徹底的排除を謳う城戸派、市街地防衛を第一とする忍田派、近界民との友好的な関係を目指す玉狛派だ。ライは街の平和を願う一方で遠征を目指している、城戸派と忍田派の中間にいるような存在。どちらか片方に肩入れする事は避けたいのだろう。

 また、本来の役割とは異なる任務にチームメイトを巻き込みたくない、下手な処罰によって立場を悪くしたくないという思いから第二・第三の条件を提示した。

 ライの立場にたってみれば当然の考えであり、同時に城戸にとっても決して悪くない条件である。

 

「……良いだろう。その条件を全て飲む事を約束する」

「了解しました。ではよろしくお願いいたします」

 

 ゆえに城戸は即座に了承の答えを出した。ライも彼の返答に満足し、改まって協力を約束する。

 

「任務には明日から臨んでもらう。詳細は追って連絡しよう。——話は以上だ。今日はゆっくり休んでくれ」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 

 あくまでも報告に来てくれた彼をこれ以上縛るわけにはいかなかった。

 軽く手を振って退出の許可を出すと、ライは一礼して部屋を後にする。

 彼が退室し、再び部屋が静寂に満たされると城戸が再び口を開いた。

 

「……三輪隊長。確か君は紅月隊長とは親しかったな」

「はい? 確かに自分の部隊があいつを最初に発見したという事もあってそれなりに交流する機会はあると思いますが」

 

 突然の話の切り出しに三輪は素直に応じる。

 三輪隊は確かにライとは接点が多かった。トリガーの基本的な扱いを教え、生駒を紹介した三輪。普段から個人ランク戦を繰り広げる事が多い米屋。狙撃を教え、那須を紹介した奈良坂。兄弟子である古寺。オペレーターである月見も発見直後のライを世話した他、日常でも接する機会はあると聞く。下手なB級隊員よりも親しいと言える間柄だろう。

 

「よく振り返ってみれば、あまり紅月君の私生活について直接人から話を聞いた事はないと思ったので君に少し聞いてみたい。彼は、従来からああいう人間なのか?」

「……と、言いますと?」

「話を聞いて何も感じなかったか? 彼が調査した件もそうだったが、その場の話や情報に流されず、大局を見て考え結論を下した。私との一対一での話でも一切臆することなく自分やチームメイトの事を案じて条件を提示し約束させている。私はとても未成年とは思えない存在だと思った」

 

 真意を読み取れなかった三輪に城戸が説明を続けた。

 ライの報告や今の城戸との協議は城戸の観点から振り返っても立派なものと感じられる。お互いの意見をまとめつつ不利が出ないようにと交渉を進める姿はとても17歳とは思えなかった。

 

(大切な存在を遠ざけようという彼の意思は、やはり相変わらずのようだ)

 

 かつて彼が鳩原や瑠花を助けようとした時と同じように。ライの変わらぬ方針が今一度強く感じられた今、城戸は三輪へと視線を向けた。

 

「確かにあいつを頼りにしている隊員は多く、他人への影響力が大きいと思います」

 

 おそらくは自分も、と心の中で付け加えて三輪はさらに続ける。

 

「あいつも自覚しているからこそ期待や責任に応えるべく振舞っているのではないでしょうか。そしてそうする事ができる隊員だと、自分は考えます」

「——なるほど。参考になった。君も遅くまですまなかったな」

「いえ。これも任務ですから」

 

 三輪もここまで評価している人物ならば見る目は間違っていないだろう。

 そう判断して城戸は三輪にも下がるように言ってその場は解散となった。

 こうして波乱の一日は終わりを迎え、翌日を迎える。ここから騒動解決へ向けた長い闘いが始まろうとしていた。

 

 

————

 

 

 そして次の日の早朝。公式な手続きを終えた事を確認したライは城戸の命令に従い、三輪隊の作戦室を訪れていた。

 

「おはよう。早いわね、紅月君」

「月見さん、おはようございます。本日はよろしくお願いします」

「ええ。城戸指令や三輪君から話は聞いているわ。よろしくね」

 

 月見が上品な笑みを浮かべて出迎える。朝早い時間帯だが凛とした姿勢を崩さない月見にライもつられて背筋を伸ばした。

 

「よーっす。よく来たなライ」

「歓迎するぞ」

「陽介、三輪。ありがとう。しばらくお世話になるよ」

 

 さらに月見につられて米屋と三輪の二人もライの登場に気づき、部屋の奥から姿を見せる。頼れる友人の姿にライも笑みを深くした。

 ちなみに本日の午前は奈良坂・古寺の狙撃手組二人が不在であるため戦闘員はこの3人で調査を進める事となる。

 

「頼りにしてるぜ。なにせ今回は戦闘より調査がメインになりそうだからな。お前がいれば心強い」

「陽介はこういう仕事は苦手だからな」

「仕方ねーじゃん。戦闘員なんだし」

「だからといって調査も手を抜かないようにね。しっかりサポートはするし、戦闘になったときは頼らせてもらうよ」

「任せておけって」

 

 調査が主な仕事となりそうなためか、米屋が一人悪態をついた。

 彼は勉学面ではあまり優秀とはいいがたいためか、こういう事が苦手であろう事は予想できる。理解を示しつつ三輪とライが奮闘を促すと、米屋は意識を切り替えて不敵な笑みを浮かべた。

 

「なにせ人型近界民が出るかもしれねえんだろ? 今から楽しみだ」

 

 事件の先に待ち構えている可能性がある敵を見据えて。

 三雲が近界民のトリガー使いと繋がっている可能性が高いという報告から、この騒動の裏側には人型の近界民が潜んでいる可能性が高いというのが城戸司令の見立てであった。

 この知らせを受け、元来戦闘好きな米屋は士気が高い。たとえ実際に人型近界民と敵対するような事があろうと気落ちするような事はないだろう。近界民を全て敵とみなしている三輪も同様だ。

 

「……その点だが、紅月。お前は大丈夫か?」

「ん? 大丈夫って何が?」

「陽介も言うように今回は人型近界民と接触する可能性が高い。今までのトリオン兵と異なり人間が相手となる。だから、少し気になってな」

 

 だが、ライはどうだろうか。三輪は彼を気遣い、心配げに声をかけた。

 今までのトリオン兵とは、ランク戦での対人戦とは勝手が違う。実戦の場で人と敵対する事になるかもしれないのだ。加えてライの経歴を考えれば余計に意味合いが特殊性を増す。

 

「もしも気がかりならば俺から城戸司令に進言して——」

「その心配は必要ないよ、三輪」

 

 やはりこの任務の変更を促そうかと、続けようとした三輪を遮ってライが言った。

 

「ありがとう。だけど大丈夫だ。たとえ敵が人であろうとも——僕の親しい存在に害を成すというのならば。相手を攻める事になんの躊躇いもない」

 

 冷たい視線が突き刺さる。普段の温和で接しやすい空気からかけ離れた、まるで人が変わったかのような彼の雰囲気に当てられ、三輪は思わず頬を冷や汗が伝う感覚を覚えた。

 

「そうか。愚問だったな」

「じゃあその時は誰が倒せるか競争だな。悪いけど一番槍はもらうぜ」

「いや競争より協力しようよ。三輪隊の強みは連携なんだから」

「別に構わないけれど、競争でもいいからきちんと仕事はしてね、陽介くん」

「わかってますって」

 

 皆がやる気になっているならば何も問題はない。特に先行しがちな陽介をなだめつつ、こうして4人は意識を一つにした。

 

「それじゃあ確認するわ。三輪くんと陽介くんは三雲くんを尾行、調査。紅月くんは三門大三中学校の調査、終わり次第三輪くんたちと合流。いいわね?」

「ああ」

「了解っす」

「紅月、了解」

 

 最後に月見から今日の方針について確認し、早速三輪・米屋・ライの三人は行動に移る。

 三輪と米屋の二人は事件と関連性の高い三雲の自宅へと向かい、ライは関係者の多くが所属する三門市立第三中学校へと再び足を向けるのだった。

 

————

 

 

「——はい。こちらになります」

「ご協力感謝します。拝見します」

 

 三輪達と別れ、現場についたライは職員室を訪れ、教員から学生名簿を借りていた。

 先の騒動において事件の調査で聞きたい事があり、その生徒の名前を知りたいという名目で借りた学生名簿。次から次へと怪しい人物はいないか、三雲の関係者らしき人物はいないかと探っていく。

 

(——ん?)

 

 ふと、二年生のあるクラスの生徒の名前を発見してライの目が止まった。

 

(雨取千佳。この子、見た事がある。——そうか、雨取麟児の妹か)

 

 それはかつて彼が調査していた事件で一度目にしていた女の子、雨取千佳。

 ライは半年前、雨取家で彼女の姿を確認している。見間違うはずもなかった。

 

(しかもこの子と三雲は親しかったと聞く。もし何かあった場合、三雲が彼女を庇う可能性は非常に高い。まさかこの子が……?)

 

 ライの瞳が疑惑の色に染まる。

 かつての事件の関係者であり三雲と親しい女子生徒。接点を考えれば何かしら関与していてもおかしくない話だった。

 

「……すみません。一度生徒から話を聞いて来ようと思います。また何か進展があればご協力をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ。それはもちろん」

「ありがとうございます。それでは」

 

 念のため、ライは彼女の同級生の顔を記憶に入れると断りを入れて職員室を後にする。

 ライが向かったのは中学校の校門の前だった。

 登校時間が近くなり、続々と中学生が登校してくる。

 その中学生たちの顔を確認しつつ、ライは目標の相手を待っていた。

 

(いきなり直接本人に聞いても効果は薄い。クラスメイト、できれば同性の子に話を聞きたいところだ)

 

 探しているのは雨取千佳本人ではなく、彼女のクラスメイト、特に女子生徒だった。

 クラスメイトで同性ならば特に親しいはず。そう考えてライは記憶に残っている顔の学生がやってこないかとその時を待つ。

 ほどなくして機会は訪れた。前髪がはねた明るい短髪の女の子。特徴的な猫目の少女を発見してライはゆっくりと近づいていく。

 

「おはよう。少し時間をもらっても良いかな?」

「……へっ? あたし? どちら様っすか?」

「失礼。僕はボーダー隊員の紅月と言う。実は先日、この中学校で発生した近界民の被害状況などを調査していてね。当時対処に当たっていた隊員の関係者もいるという事で色々な人から話を聞いているんだ。少し協力してもらえないかな?」

 

 突然の声掛けに驚きを隠せない相手を怖がらせないようにと、柔らかい声色で説明するライ。

 あくまでも調べているのは有り体な被害状況。こういえば特に疑われる事はないだろうと話をすると、案の定女の子は納得したのか「あーなるほど」と手をついて頷く。

 

「それならいいっすよ。といっても話せることなんてあるかわからないっすけど、あたしでいいんですか?」

「勿論。それじゃあ当時のクラスの様子から——」

 

 快く許可をくれた彼女に感謝しつつ、早速話を進めていった。

 近界民発生当時の様子から避難経路、生徒の集合具合、被害の状況、事件後の様子などなど。一通りの話を聞いたライは満足げに頷く。

 

「ふむ。ありがとう。とても参考になったよ。——それじゃあ君のクラスは皆無事に難を逃れられたんだね?」

「ええ。避難室に逃げた時と終わった後に先生が確認してたんでそれは間違いないっす」

「そうか。突然の出来事だったが何もなくてよかった。こちらの対応が遅れて申し訳ない」

「いえいえ! そんな頭を下げなくても!」

 

 確認を済ませ、ライは深々と頭を下げた。

 ボーダー隊員として未然に防げなかったことへの謝罪。ライからすれば当然の事だが、突然初対面の相手に頭を下げられ気まずくなった女の子から促されてようやく頭をあげる。

 

(さすがに襲撃の前後で避難室にいたのならばトリオン兵を撃破するのは不可能だ。となると彼女の線は外れ。誰かほかの人物が関与しているという可能性が高い。また別の人物を当たるとするか)

 

 これで三雲が雨取を庇っているという線は消えた。

 他にこれと言った名前が見つからなかったためまた一から調べなおしという事になる。

 仕方がないかと息を溢しつつ、気持ちを切り替えた。

 

「ご協力、ありがとう。おかげで当時の様子がよくわかった。時間を取らせて悪かったね。それじゃあ授業頑張ってくれ」

「あっ、ちょっといいっすか?」

「ん? なんだい?」

 

 これ以上時間を取らせるのは悪いとライが教室へ向かう事を進めるが、女の子からまだ

用があるのかライへと声をかける。

 まだ何か話すことはあるのだろうか。変わらず柔らかい表情を浮かべて続きを促した。

 

「えっと、この件とは関係ない事なんですけど、いいっすか?」

「もちろん」

「それじゃあ……」

 

 一つ間を置き、少女は息を整えると意を決して話題を投じる。

 

「実はあたし、今度ボーダーに入隊するんですよ」

「……君が? なるほど、一月に入隊式があるからその時にかな?」

「そうっす! でも正直あたしボーダーに知り合いとかいないし、今度入隊前の訓練とかもあるらしいんですけど良くわかってなくて……」

 

 不安げにそう口にする少女。

 先ほどまでは活発に話をしてくれた彼女らしからぬ姿ではあるが、無理もない話だとライも共感した。

 なにせ今まで戦闘とは無縁だった少女だ。そんな女の子がいきなり知っている人もいない環境下で戦闘訓練となれば不安も大きいだろう。

 

「なので折角といったら申し訳ないんですけど。もし訓練とかでわからない事とかあったら相談に乗ってくれないですか? えっと——紅月先輩でしたっけ? 紅月先輩も隊員なんですよね?」

「うん。一応一部隊の隊長を任されている」

「隊長!? すごいじゃないっすか!」

 

 隊長と知るや、目を輝かせてライを見る少女。名前の響きが相当大きかったように見える。

 

「どうっすかね? 仕事とか忙しいかもしれないんですけど、何かの縁と言う事で……」

 

 そう言って少女は申し訳なさそうに今一度お願いした。

 この頼みにどうしたものかとライは一考する。

 決して時期的に厳しいというわけではなかった。黒江に続き、帯島も射手トリガーを解禁して以降成長が著しく、今では実戦での戦闘訓練を繰り返すくらいで細かい指導はすでに終わっている。残るは瑠花の勉学指導だが彼女は真面目で成績も優秀だ。最後の追い込みの時期ではあるものの、丸一日付き合うというわけでもないためそれほど時間の制約が苦しくはない。

 この事件も一通りの終わりを迎えればライを縛るものは殆どなくなると言っても良い状態だった。

 

(ならば協力してくれた子の頼みを断る理由はない、か)

 

 ライとしては勇気を振り絞って頼んだ少女の願いとあって、できる事ならばかなえたい。

 折角の出会いだ。無碍に断るのは野暮だろうとライは決断を下した。

 

「——わかった。良いよ。僕が教えられることならば指導しよう」

「本当っすか!? ありがっとうございます!」

「どういたしまして。改めて、僕は紅月ライだ。君の名前は?」

 

 了承するとたちまち少女の顔から不安が消え笑みにあふれる。

 年相応の元気な姿を見てライも気を良くしつつ、再会に備えて彼女の名前を尋ねた。

 

「夏目です。夏目出穂と言います。よろしくお願いします!」

 

 こうして猫目の少女——夏目出穂はライと邂逅を果たす。やがてボーダー本部で二人が再会するのは、そう遠くない未来の事であった。



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進展

 雨取千佳のクラスメイト——夏目と約束を交わすとライは手を振って彼女と別れた。

 いつかはまた接点が生まれるかもしれないが、少なくとも今はその時ではない。

 とにかくまた一から関係者を探り出そうとライは再び職員室へと足を向けた。

 

「中学三年生ならば上級生がいない以上、世話になった先輩を庇ってという可能性はない。となると後輩である雨取千佳が違った今、考えられる有力な候補はクラスメイトの誰かといったあたりか」

「——ぼんち揚食う?」

「ッ!? ……迅さん?」

 

 おおよその見当をつけながら歩くライの背後から、音もなく現れた人影が唐突に声をかける。

 驚きつつも振り返ると、玉狛支部に所属している迅の姿が目に映った。

 

「ははは。紅月君がビックリするところを見るのは珍しい」

「……あなたならばどうせお得意のサイドエフェクトでこちらの反応などわかっていたでしょう。何の用ですか?」

 

 のほほんと笑う迅。そんな彼を見てライはわざとらしく大きなため息を吐いて、簡潔に用件を問う。

 

「ん。今日の午後から下手すれば数日にわたる大仕事があるからさ、それに備えるために本部に戻っていてほしいって伝えに来たんだよ。ほら、これがその命令書」

「はっ? 大仕事?」

 

 そう言って迅は一枚の紙をライへと手渡した。

 城戸司令から命令を受けたばかりである中、新たに下された命令書。疑問に抱きつつもライは受け取った文書に目を通す。確かに正式な手続きを踏んだ命令書であり、何か迅が細工をした形跡は見られなかった。

 

「……迅さん」

「何だい?」

「大仕事とは、一体どのような内容ですか?」

「さあ? 俺も渡すように言われただけで、詳しい内容とかはまだ」

「そういう意味ではありません」

 

 『知らされてはいない』と続けようとした迅の言葉を遮って、ライはさらに問いを投げる。

 

「あなたに何が見えているのか。僕が聞いているのはその一点ですよ」

 

 上からの命令内容ではなく、未来視の力を持つ彼が知っている事とは何なのか。ライが知りたかったのはそこだった。

 ライが三輪達と共に正体不明のトリガー使いの調査を始めたタイミングでの新たな命令。大仕事となれば当然ながらその間この任務は中断を余儀なくされるだろう。

 だからこそライは迅へと鋭い視線を向けた。

 彼がライに指導を頼んだ三雲修。その人物の調査の妨害ともとれるタイミングで仕掛けてきた迅の行動に、ライは疑念を抱いたのだ。

 

「うーん。そうだな……」

 

 向けられた視線から迅も相手の思惑を理解したのだろう。頬をかきつつ、迅は重々しく口を開いた。

 

「知っていると思うけど俺の力だって万能じゃない。だからすべてが見えているわけではないんだ」

「ええ。存じています。それを知ったうえであなたが見えているこの後の事を知りたい。断片的な情報でも構いませんよ」

「じゃあ結論から言おう。今ボーダーを騒がせているイレギュラー門。その謎が今日判明する。その対処が今回の任務だ」

「……何?」

 

 まさか、と反論を試みようとしたライだが、迅の能力は彼が痛いほどよく知っている。彼がこのようなボーダー絡みの大事で虚言を吐くような人物ではないという事も。

 これまで原因不明だったイレギュラー門の対処となれば確かに大事だろう。どこに発生するかさえ不明だった門を抑えようとするならば人員を割くという事も理解できた。

 残る疑問があるとすれば、

 

「一体どうやって? 鬼怒田室長でさえ究明はできなかったはずです。どのような手段で、一体誰が謎を解くんですか?」

 

 その問題解決がどのように行われていくのかだ。ボーダーが誇る開発部でさえ頭を悩ませている問題。とてもそう簡単に解決できるとは思えなかった。

 

「さてね。さっきも言ったように俺も全部が見えているわけじゃないから。だから俺もちょっと今から色々と人を当たってくる予定だ。いやー、エリートはやることが多くて大変だ」

「……そうですか」

 

 のんきに、場を和ますように笑い飛ばす迅からは言葉の本気度を測ることは難しい。いつもと変わらぬ調子で接する彼に、ライは息を溢した。

 

「わかりました。正式な命令書もある以上、今はあなたの言葉で納得するとします」

「おお。頼むよ。大仕事だから備えも必要だ。君にはまた別の面でも仕事してもらいたいし」

「言われずとも」

 

 隊員としての戦力以外にも役目はある。迅の望む事を理解し、ライは小さくうなずいた。

 

「よかった。それじゃあ俺はもう一仕事してくるよ」

「……迅さん。最後にもう一つだけ聞いてもよろしいですか?」

「何だい?」

 

 任務に関する話は終了している。

しかしまだ迅に聞いておきたい事が残っていたライは背中を向けた迅を呼び止めて問いを重ねた。

 

「あなたがかつて僕に指導するようにと頼んでいた三雲修。彼の事を覚えていますか?」

「——ああ。覚えているよ」

 

 調査を行っている三雲の名前をあげると、迅は少し間をおいて肯定の意を示す。

 否定されれば困っていたところだったが覚えているならば話は早い。

 

「あなたは以前、彼の存在が『ボーダーの今後のため』だと僕に話しました。その未来は変わっていませんか?」

 

 あの時の言葉に嘘偽りはないのか、今もなお三雲修という存在がボーダー組織にとって有益な人物である未来が見えているのか。

 ——もしもこの答えが望ましいものではないのならば。

 ライはわずかに視線を細め、迅を問いただす。

 

「変わっていない。断言するよ。今後も変わることはないと俺は見ている」

 

 逃げることは許さないと訴える視線に、迅も真っ向から答えた。

 

「——了解です。では僕はここで引きあげます。後は頼みますよ」

「おお。ありがとう」

 

 真剣な表情で、彼が望んだ答えが返って来たならばこれ以上ライが首を突っ込む必要はない。

 何よりも最善の未来がすでに見えている迅からこれ以上時間を奪う事が躊躇われた。

 後の事を迅に一任し、ライは職員室の教員に一言声をかけるとボーダー本部へと戻っていく。

 来る未来に備えるために。

 

 

————

 

 

「んー。どうやらライの方も駄目だったみたいだな。向こうにも迅さんが行ったとなると、迅さんも本格的に動いてんのか?」

「……くそっ。迅め!」

 

 携帯端末で連絡を取り合いながらボーダー本部内の廊下を進む米屋。

 彼の話を聞いて三輪は隠すそぶりも見せずに悪態をついた。

 彼ら二人は三雲の動向を探っていたのだが、ライと会う前に彼らの下に出向いていた迅が同様に命令書を渡して撤退させていたのである。

 その足で迅はライの元へと向かい、そしてさらに別の場所へと足を運んだのだが、彼らが知る由もなかった。

 

「ここぞという場面で出てくるとは。——忌々しい。だが、これで迅が何らかの形で関与しているという事は明白になった。今後はあいつの存在を考慮した上で、全員で動くぞ」

「だな。さすがにタイミングが良すぎだ。迅さんが絡んでるとなると面倒だけど、ライもいるし大丈夫だろ」

 

 いずれにせよ三輪や米屋たちが任務に当たろうとした直後での介入となれば、彼が何らかの形で調べようとしていた三雲修の件についても何かしら知っている可能性が高い。

 それを念頭においてさえいれば、ライという助力もあるためさほど心配はいらないだろう。今後はより警戒心を強めて臨まねばと三輪はこの任務が終わった後の仕事へと意識を向けた。

 

「とりあえずライと合流して、向こうの話を聞きつつ意見のすり合わせだな。ひょっとしたらこの大仕事の合間にも何か切欠が生まれるかもしんねーし」

「……ああ。さすがにこの短時間では紅月もさほど情報を掴めてはいないだろうが」

 

 三輪と米屋が城戸司令に報告に上がっている間にライもボーダー本部へと帰還している。今は作戦室に籠っているという彼と一度合流し、今後の事を相談しようと二人は紅月隊の作戦室へと向かっていた。

 ほどなくして目的地にたどり着く。

 すでにライには二人で向かう事は報告済みだ。軽くノックをし、二人そろって部屋の中へと入室した。

 

「紅月、入るぞ」

「おつかれー。——ん? あれ? ライ、どこだ?」

 

 軽い挨拶を部屋の主へと向けた三輪と米屋。

 だが、彼らを出迎えると予測していたライの姿は見えない。

 話し合いをする旨は伝えてあったために不在であるとは思えないのだがと米屋が首を傾げると。

 

「あっ。二人とも来たのか? ちょっと待っていてくれ!」

「紅月?」

 

 部屋の奥からライの声が響く。何か作業中であったのだろうか、よく耳を澄ませると水の流れる音などの生活音が耳を打った。

 その音が止むや、ようやくライが部屋の奥から姿を見せる。

 

「お待たせ。ごめんね、ちょっと準備をしていたものだから」

 

 いつも見慣れた隊服ではなく、割烹着と三角巾に身を包んだ状態で。

 

「……一体何をしていたんだ?」

「あー。ひょっとして昼食作ってたりしてたか?」

 

 当然の疑問を投げる二人。

 任務直後とは思えないような恰好は、たまに食堂で彼を見かけるときの姿ではあるが、今はその時ではない。ひょっとして昼食に備えて何か料理でもしていたのかとつぶやくと、ライは「それもあるけど」と説明を始めた。

 

「迅さんから今回の仕事が日をまたぐ可能性もある任務と聞いていたからね。それに備えてすぐに食べれるような携帯食を作っておこうと思って準備していたんだよ。先に食堂の人たちにも話して時間が出来た時にって頼んでおいたけど、僕の方でもやれるだけのことはやっておこうと思ってね」

「ああ、そういう」

 

 続けられた言葉でようやく納得し、三輪も頷く。

 トリオン体と言えどその活動は無尽蔵にできるわけではなく、そのエネルギーの源は使用者のトリオン量によるものだ。そしてトリオンは肉体と同様に栄養や休息によって回復される。

 しかし日をまたぐ任務となればどこかで休養を挟む必要が出る一方で、栄養補給も難しくなる可能性は高かった。ゆえにその事態に備えてライは前もって仕事仲間にも連絡し、仕事の合間に準備するよう依頼しつつ、自身もいつでも食べれるような食事を作っていたのだという。

 

(……そういえばこいつはこういった事もできるんだったか)

 

 たまに忘れがちだが、ライという男はこういったことにも融通が利くのだったと三輪は小さく息を溢した。

 戦闘以外にもこういった細かい点にも気を配り、事を進めていく。改めて目の前の少年の能力の高さに感心するのだった。

 

「ついでに二人の分も作るから昼食を食べながら話をするかい? そんなに時間はかからないと思うけど」

「いや、さすがにそれはいい。そこまで世話になるつもりはない」

「でも陽介はそのつもりのようだけど?」

「ライ―。飯まだー?」

「くつろぐな!」

 

 いつの間にか席に座り、子供みたいにバンバンと机を両手で叩き、昼食を催促する米屋。

 他部隊の作戦室にも関わらずまるで自室のようにふるまう同僚に三輪は声を荒げた。

 

「僕は別に構わないよ。それに——あまり他の場所で話すような内容でもないだろう?」

「……なるほどな。わかった、お前の言葉に甘えるとしよう」

 

 人当たりが良さそうで、それでいてどこか含みを持つ笑みを浮かべると、三輪もライの意図を理解し、渋々と頷く。

 三輪も米屋の隣の席に座り、ライが料理を終えるまでしばし時間を潰すのだった。

 

 

————

 

 

「……嘘だろ。お前、なんでこの短時間でまた新たな交友関係作ってんの?」

 

 おにぎりを口に含みながら、呆れたような口調でつぶやいたのは米屋だ。

 昼食をとりながらお互いの成果を報告する3人。

 だが三輪と米屋に至っては尾行を始めようとしたと同時に迅に呼び止められてしまったのでほとんどはライからの報告であった。

 その中で彼がまたボーダー内での交流の輪を広げたと話を聞き、米屋は言葉を失う。

 しかも女の子。『これはイコさんもキレるわ』と米屋はこの場にはいないナンバー6攻撃手に心の中で同調した。

 

「彼女の件は別に本題ではないよ。僕だって知っていて声をかけたわけじゃないし。——いずれにせよ、こちらも大きな進展は生まれなかった。強いて言うならば、謎のトリガー使いの存在や三雲修の周囲で起きた事件でも迅さんの見ている未来に変化はなかった、あっても本筋に影響が出るようなものではないと分かった事か」

「ん? どういう事だ? 何故そこまで言い切れる?」

「別に迅さんからそこまで聞いたわけじゃねえんだろ?」

 

 迅からライへ『三雲修という存在がボーダーの為になる』と話をされたことは聞いている。

 しかしそれは今回の事件と直接関与するものではないはずだ。

 それにも関わらずどうしてそこまで断言できるのかと二人が聞き返すと、ライは『少し前の事だけど』と言葉を区切り、再び話を続ける。

 

「以前にも迅さんから三雲修という人物について話を聞いていたんだ。そしてその時にも同じような評価を下していた。今回の事件で何らかの形で彼に変化が生じ、ボーダーに敵対するような存在になったならば話は変わってくるだろう?」

 

 迅の未来視の中で三雲修はボーダーに益する存在と称されたのは今回で二度目であった。

 もしもイレギュラー門や謎のトリガー使いの出来事に三雲が暗躍しているようならばその評価も変わることは間違いない。

 しかしそうではなかった。つまり今でも『三雲が修がボーダーに利する存在である』という未来は変わっていない、あるいは変化が生じていても誤差の範囲であるという事になる。

 

「迅が嘘をついているという可能性は?」

「さすがにそこまでする理由はないだろう。迅さんが嘘をついてまで彼を庇う理由がない」

 

 迅を毛嫌いしている三輪は彼の供述が偽りであるという可能性も考慮するが、ライはそうは思えなかった。

 古参の実力者であり、今までもそのサイドエフェクトでボーダーの力になっていたというのが迅悠一だ。ここにきて今更ボーダーを裏切るような真似をするとは考えにくい。

 

「——とはいえ、だからと言って僕も調査をやめるつもりはないから安心してほしい」

 

 ならば迅が黙認している以上はこれ以上の三雲への調査を中断するのか。

 答えは否だった。

 ライはおにぎりを食べ終えると水を飲み干し、一息ついてから話を再開する。

 

「確かに彼がボーダーの力になるという結果は確かだろう。だが、それまでの過程は不透明だ。まだ話の全貌が見えてない中、警戒をしておくに越したことはない」

 

 未だにライの中で真相は見えていないのだから。

 たとえ良い未来につながるのだとしても、もしもその過程で彼に近しい存在や仲間たちに影響が及ぶ可能性とて考えられた。

 

「複数抱えている問題の一つが解決されるならそちらに力を尽くそう。そしてイレギュラー門の問題が解決次第、再び三雲修の調査に戻る。それでいいかい?」

「……異存はない」

「おう。とりあえず目の前の任務に集中って事だな」

 

 とにかく今はボーダーを最も悩ませているイレギュラー門の排除。

 それに全力を尽くし、そしてもう一度城戸指令の任務に勤しもうと方針を確かめ合う。

 こうして彼らは再び防衛任務へと戻っていき——

 

 ほどなくして迅の主導の下、イレギュラー門の元凶である小型近界民の一斉駆除作戦が全部隊へと告げられたのだった。

 

 

————

 

 

「——これでもう30匹目、かな?」

「それくらいになるか。僕たちの隊だけでこれほどとは。かなりの量の近界民潜伏を許していたと見える。おそらく千はくだらないだろうな」

『そのようです。どうやら『数千はいると考えてくれ』と忍田本部長が』

「ええーっ。さすがに多すぎじゃない?」

 

 人の顔の大きさくらいの小型近界民・ラッドを見下ろしつつ、ライと瑠花の言葉を耳にした鳩原が苦言を呈する。

 作戦が始まってから2時間が経過しようとしている中、紅月隊だけでもすでに30体を超える撃破・回収数を記録していた。

 今は活動を停止しているラッドは他の近界民の中に格納される形で侵入。従来は地中に隠れ、人影がいなくなったころに活動を始め、周囲の人々からトリオンを吸収して門を開くのだという。そのためここまで発見も遅れてしまったわけだが。

 

「これは本当に大掛かりな仕事になりそうだ」

 

 さすがのライもため息をついてしまった。

 元々は迅が発見してきた一体のラッドの解析、部隊の集結、一般市民への伝達などの仕事があったために任務が始まったのは日が傾きかけたころだった。

 そのため気づけば夕方を迎えようとしている中、まだレーダーには無数の標的が映し出されている。あまりにも膨大過ぎる量であるためC級隊員まで駆り出されているというこの駆除作戦。確かに迅の言葉通り、日をまたぐ任務となるだろう。

 

「仕方がない。——瑠花」

『はい? どうしました?』

「やはりどう計算しても今夜中に終わるような話ではなさそうだ。こちらでもレーダーで敵の捜索は出来る。瑠花は時間を縫って休憩に入ってほしい。冷蔵庫の中に夜ご飯の準備とかはしてあるから、よかったら食べていてくれ」

「……『帰りが遅くなる』って家族に連絡を入れるみたいなセリフだね」

 

 ライと瑠花のやり取りを見て鳩原はそうつぶやいた。確かにまだ中学生である彼女に無理をさせるべきではないが、色々と捉えようがありそうな発言である。もしもこれが二宮だったならば絶対に出てこないような内容であった。

 

『大丈夫ですよ。——少し、嬉しいですし』

「ん? 何が?」

 

 指示を受けた瑠花はそう言って言葉を濁す。真意が読めない発言にライが聞き返すと、瑠花は少し間をおいて話を続けた。

 

『その、ライ先輩がしばらくは防衛任務も独自で動くと話を聞いて、ちょっと不安な気持ちがあったので』

「————」

 

 寂し気な声色が脳に響く。瑠花の話を聞いたライは言葉を失い、その場で立ち尽くした。

 

『今回のイレギュラー門の事もあって、ひょっとしたら何か危ない事件に関わっているのではと心配したんです。でも、またこうして何時ものように話ができて嬉しいんです』

 

 心配する気持ちは当然だろう。

 ボーダーの技術でも解明できない事件が発生し、犠牲者も出てしまっている現状だ。そんな中で隊長であるライが独断で動くため部隊から離れるという話が浮かべば気が気でない。

 城戸司令から厳しく口止めされているために深く説明ができなかったとはいえ、そんな事は弁明にはならなかった。瑠花をこのような気持ちにさせてしまった事をライは心から悔やむ。

 『僕もだ』という言葉を飲み込み、ライは口を開いた。

 

「——大丈夫だ。おそらくだけどそっちの件も長くはならないよ。とにかく、無理はしないでくれ」

『はい。わかりました』

 

 念を押して忠告すると瑠花も素直に応じる。彼女の答えに満足し、ライは一度通信を切るのだった。

 

「……鳩原」

「ん? どうしたの?」

「ああは言ったものの、僕が動いている件もいつ収束するかは不明だ。僕も様子を見に作戦室へ顔を出すつもりだけど、それまでは君も瑠花の面倒を見ていてほしい」

「紅月君……」

「頼む」

 

 そう言ってライは頭を下げる。瑠花の心情を知ってしまった今、これ以上不安を抱え込ませないようにと考えての配慮であった。

 

「うん。わかったよ。そんなに畏まらなくても、あたしだって紅月隊の一人なんだから。言われるまでもないよ」

「ありがとう。改めて君がいてくれてよかった」

「……あたしが言える立場じゃないけど、面倒な事に関わってそうだしね。でも、もしできることがあったら言ってね。その時はあたしだけでも力になるよ」

「そうか」

 

 隊長の頼みに、鳩原は快く応じる。

 隊員としての心構えもあるし、彼女は一度二人に大きな貸しを作ってしまった身だ。

 いざという時は一人でもライの力になると約束すると、ライは緊張を解き、柔らかい笑みを浮かべるのだった。

 

(いざという時は鳩原だけでも、か。確かにもしも黒トリガー使いと戦うようになればそれもやむなしだな。——いずれにせよ彼女を巻き込んでたまるか)

 

 ライは謎のトリガー使いが黒トリガー使いであると見当をつけている。

 並の実力者ではたとえ集団で挑もうとも対等に相対する事も難しいと言われている強大なトリガー。それが黒トリガーだ。

 ゆえにライは迅の未来予知の保証があってもなお未だ姿が見えないトリガー使いへの警戒を解くことはできない。

 強大すぎる力がもしも望まぬ形で振るわれれば、どのような結末を生み出すのか。

 それを痛いほど知っているから。

 

 

————

 

 

 ラッドの一斉駆除作戦は昼夜を徹して行われた。

 日付も変わり、夜明けを迎えた頃、ようやく作戦は終わりを迎える。

 

『ラッドの反応の消失を確認した。これでラッドは全て駆除された』

「オッケー。——よし、作戦完了だ。皆、長時間よくやってくれた! ゆっくり英気を養ってくれ! お疲れさん!」

 

 三門市一面を見渡せる建物の屋上で、ユーマの相棒であるレプリカの分析を受けた迅が全隊員へと告げた。

 各隊員がようやく長丁場を乗り越えたという事で体を伸ばしたり、栄養補給を行ったり、仲間同士で喜びを分かち合ったりとノビノビしている様子が確認できる。

 

「これでイレギュラー門は……」

「ああ。もう開く事はない。明日からはいつも通りの日々に戻れる」

「そうですか」

 

 迅の説明を受け、傍らで控えていた三雲も安心したのか一息溢した。

 

「まさかこんなに短時間で終わらせるとは予想外だ。やはり数の力はすごいな」

 

 この事件を解決に導いた空閑も感慨深そうに頷く。

 ラッドという原因を見つけたのは彼だった。かつて三雲と共に遭遇したバムスターと戦闘した跡地からラッドを発見・撃破し迅と三雲に伝えたのである。

 

「おいおい。一番の功労者が何を言っているんだ。おまえがボーダー隊員だったら戦功授与できるくらいの大手柄なんだぞ?」

「ほう。それはそれは」

 

 そんな空閑の頭を撫でつつ、迅が彼のボーダーにもたらした影響の大きさを諭した。

 甚大な被害をもたらしたイレギュラー門の解決は城戸司令も望んでいた事。これを成し遂げた彼の手柄は確かに計り知れない。

 

「ならその手柄をオサムにやってよ。いつか返してもらうからさ」

「……はっ?」

 

 その手柄を三雲に渡してほしいと空閑は彼を指さして語った。

 『一体何を』と三雲は言葉に詰まるも、迅は名案だと言わんばかりに空閑の意見に同調する。

 

「たしかにそれがよさそうだ。メガネくんの手柄となればクビどころかB級昇格となるだろう。これだけの戦果を挙げたとなれば上層部だって文句はないはずだ」

「いや、何を言っているんですか! だって今回この近界民を見つけたのは空閑であって僕は何も!」

「まあまあ。その遊真と会えたのだってメガネくんとのつながりがあったからだし、十分な橋渡し役になったと言えるんじゃない?」

「そんな無茶苦茶な……」 

「いいからもらっておけばいいじゃん。オサムが貰ってくれないと手柄が誰にもわたることなく消えちゃうんだぞ」

 

 三雲一人だけが納得できない中、迅と空閑が次々と手柄をもらうようにと背中を押した。

 確かに三雲にとってB級の昇格は今一番の望みと言っても過言ではない。

 だが、何もしていないのにこのような形で他人の手柄を受け取って良いのかと良心が訴えた。

 

「B級、つまり正規隊員になればトリガーも使い放題だ。学校の時みたいに基地の外で使っても誰にも文句は言われない。トリガーだって訓練用ではなく正規のものが使える。折角機会が転がり込んできたんだ。強くなれる時に強くなっておかないと、いざって時後悔するぞ?」

「でも……」

「それに——」

 

 迅が何度言葉を重ねても中々首を縦に振らない三雲。

 とはいえ彼も絶対に受け取るつもりはないという様子ではないのか、迷っている様子である。

 あと一押しすれば話が進むと考えた迅はここぞとばかりに話の核心へと突っ込むのだった。

 

「メガネくんはある子を助けるためにボーダーに入ったんじゃなかったのかい?」

「……それは!」

「ふむ?」

「なら、今のうちに助けられる力を身に着けておくべきじゃないのかな」

 

 最後の一押しを受け、三雲の表情が一段と強張る。

 空閑は彼の人間関係を知らぬため首を傾げる中、迅は三雲の顔つきから確信に至った。

 

「……わかりました。そうしてもらえますか? 迅さん、よろしくお願いします」

 

 三雲の中で譲れない点があったのだろう。ようやく三雲はこの機会をB級昇格の手柄とする事を決断する。

 待ち望んだ答えを耳にし、迅は大きな笑みを浮かべるのだった。

 

「任せてくれ。いやーよかった。予想以上に三雲君の周りに人が近づこうとしているから、ここで話が纏まって助かった」

「……それって紅月先輩の事ですか?」

「コウヅキ? ああ、学校で迅さんが話しかけてた人か」

「そうそう」

 

 昨日の出来事を思い出し、三雲は先輩隊員の名前を挙げる。

 迅とライが出会った時に三雲も空閑と一緒に建物の陰で様子をうかがっていたのだ。

 彼らが所属する学校に立ち入り、何かをしていた様子は確認できたが、まさかそれが自分も関わる事だったとは。

 

「三輪隊が調べるのは見えていたけど、紅月君まで関与するかどうかは五分五分だったからなー。一度引き受けたとなれば彼の性格上、これからも調査しそうだし、どうしたものか」

「調査って、ひょっとして空閑の事を!?」

「多分ね。まあでもそう意識しないで良いよ。むしろ下手に隠そうとしたりするとかえって不審に思われるだろうから、いつも通り暮らしてほしい。メガネくんとユーマがよく一緒にいる事だってすぐわかるだろう」

 

 『だからそう気負わないでくれ』と最後に言い残して迅はその場を後にする。

 行先はボーダー本部。

 内容はもちろん任務完了の報告、そしてこの功労者である三雲修の名前を告げ、彼の処分の撤回と戦功授与を求める事だ。

 

(問題はユーマの事を知った時に彼がどうなるかだな)

 

 戦功をあげたとなれば必ず論功行賞で名前は公開される。そして三雲の名前が出ればライは三雲が何らかの情報源を近くに持っている事を確信するだろう。その情報源が謎のトリガー使いと同一人物であるという結論を下すかもしれない。彼の考えの結果はわからないが、どのような答えにせよライとユーマの距離は著しく接近する事は火を見るより明らかだった。

 

(最善の未来にはメガネくんもユーマも、それに紅月君の存在も必要だ。ここで関係がこじれてはマズい)

 

 三輪隊と同時に調査を始めた事から、迅はライが城戸司令の指示の下動いていると考え、その対処に思考を働かせる。

 立場は違えど3人ともこれからの戦いに必要な存在だ。どうにか上手い決着点を見出せばならない。

 

「……ま、うまく立ち回るとするか」

 

 ならばそれは自分の役目だ。

 暗躍を趣味とする迅は、うっすらと笑みを浮かべて足早にその場を去っていった。

 そして彼の思惑通り、数時間後に三雲修のB級昇格が正式に認められることとなる。



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接触

 土曜日の昼下がり。

 今は近界民警戒区域の近隣地域となって人口が減少した事により、閉鎖された弓手街駅の近くにそびえる建物の屋上に迅悠一の姿があった。

 彼の視線はまさにその弓手街駅構内へと入っていった人物たちに向けられている。

 一体彼らがどのような経過をたどるのか。それを静かに観察していると突如懐にしまい込んでいた携帯端末から着信音が鳴り響く。

 

「もしもし。こちら実力派エリート。一体どうしたんだメガネくん?」

 

 すぐに電話主を確認し、電話をかけた相手——三雲に用件を尋ねると、電話からは三雲のひどく動揺し強張った声色が届いた。

 

『迅さんですか! 大変なんです! A級の部隊が今空閑と戦って——』

「ああ。知っているよ。今三輪隊とユーマが戦っているのが俺の位置からも見えてるから」

『えっ!? 見えている!? 近くにいるんですか!』

「うん。ちょうどバトり始めたばかりだろ?」

『なっ。それなら早く助けに——!』

 

 迅が動向を見ている事を知ると、すぐに助力を要請する三雲。

 彼は正規隊員に昇格したとは言えまだまだその力は弱い。とても三輪隊と渡り合えるはずもないと自分でもわかっている上に空閑からも『手を出すな』と言われている中、迅に助けを求めるしかなかった。

 だからこそこうして焦りを浮かべているのだが、迅は動こうとしない。

 

「大丈夫だよ。——それに、そもそも俺が動く事は出来ないみたいだからね」

『えっ!?』

 

 自分が動く必要はなく。また、前提として動く事は出来ないのだと迅は説明した。

 電話越しに話している三雲は理解できるはずもないが、そう語った迅は視線を後ろに向け、ゆっくりと近づいてくる人影のほうへと向き直った。

 

「——動かないでください。迅さん」

「悪いけど一旦切るよ、メガネくん」

「やはり、あなたが一枚噛んでいましたか」

 

 先日も迅が接触した銀髪の少年、ライが鞘に納めている弧月に手をかけたまま、迅に制止を呼びかける。

 迅は言われるがまま通話を切ると両手を挙げて無抵抗の意を示すのだった。

 

 

————

 

 

 時は少しさかのぼる。

 ラッド掃討作戦の直後の事。

 イレギュラー門騒動の収束。そして三雲修の正規隊員への昇格。

 この一連の流れにより三輪隊やライが調査に当たっていた問題の一つが解決された一方で、彼らが抱いていた疑惑がさらに深まる事となった。

 

「……どう思う?」

「まあ明らかにおかしいよな。情報源も迅さんなんだろ?」

「俺も同感だ」

「同じく。話が出来過ぎている気がしますね」

 

 三輪隊の作戦室。

 隊長である三輪の問いに米屋、そして今日から調査に合流している奈良坂と古寺が揃って頷く。

 

「かつて近界民が襲撃した現場からラッドを発見、回収したと報告になっているけど。回収班が発見できず、開発局が解析できなかった問題を一人で解決したとなればね。あらかじめ原因を知っていたか、どこからか情報を入手した可能性が高いだろう」

「その情報源が現在調査中のトリガー使いであると紅月君も見ているのね?」

「ええ」

 

 彼らだけではない。

 共に調査に当たっているライも月見に話を振られて『おそらくは』と肯定した。

 ボーダーの技術力は非常に高い。ここで働いている職員たちの腕前も相当なものだ。

 そんな彼らが全く足取りを掴めなかった新たな近界民を単独で発見したという報告に、皆疑いの目を向けている。

 

「ただ、その場合は迅さんもその人物と接触している可能性は高いでしょう。最低でも三雲から何らかの話を聞いていると考えた方が良いと思います」

「だろうなー。じゃなきゃ率先して俺らの調べを邪魔しないだろうし、そもそもサイドエフェクトがある」

「その場合、俺達が調べようとした場合は迅さんが再び介入してくるだろうな」

「……迅さんと戦うのは正直考えたくないですね」

 

 古寺が実際に迅と戦う光景を目に浮かべて冷や汗を浮かべると、皆表情を曇らせた。

 ここにいる隊員たちは迅がボーダーの上層部にも一目置かれる実力者である事は当然知っている。

かつてはあの太刀川ともトップを争ったという歴戦の猛者。それが迅だ。

だからこそそんな相手と相対するかもしれないという可能性は彼らの思考を鈍らせる。

 

「しかし迅さんもそう波風を立てたくはないはずだ。イレギュラー門の問題が解決したとはいえ、騒動が収まったばかりだし太刀川さんたちが不在。そんな中で隊員同士の正面衝突は避けようと思うだろう」

 

 とはいえ迅がそう簡単に刃を向けるのかとなると話は違うと語ったのはライだった。

 ここ数日間、ボーダーは防衛任務だけでなく被害が出た市民への対応などもあって忙しい日々を送っている。遠征に出たトップチームも帰ってない現状では迅もあまり事を大きくはしたくないはずだと。

 

「——どうだろう。一つ提案だ。三輪と陽介、二人は引き続き三雲を調査。奈良坂と古寺は戦闘に備えて二人を遠距離から支援。僕はその周囲を警戒して迅さんが来ないかを警戒する。もしも迅さんが予想通り近くにいて介入を試みようとした場合は、僕が迅さんを抑えよう」

 

 ならばこそとライは今後の方針を提示した。

 最も動向が読めない迅を自らが抑え、その間に三輪隊の面々で調査を続行。場合によってはその制圧に当たると。

 

「紅月。迅にお前ひとりを当てるというのか?」

「おいおい。さすがにそれは悪手じゃね? せめて奈良坂か古寺のどっちかはつけた方がいいだろ」

「先ほども言ったように迅さんは手を出すことに消極的なはずだ。仮に三輪たちが戦闘になったとしてもこっちも戦う必要性がでるとは限らないしね」

「——確かにいつどこから現れるかわからない援軍を警戒するよりは、紅月君に任せた方が良いかもしれないわね。私たちが固まる事で従来のフォーメーションを展開できるわ」

「はい。戦力の分散や月見さんの負担を減らすためにもこれが一番良いかと」

 

 三輪や米屋は当然反論するも、ライの補足に月見の賛同も相まって流れが変わる。

 確かに迅という不覚的要素を確実に抑えられるなら元々の三輪隊の形を維持できるという事からライの意見は最も確実な手と言えた。

 

「……万が一、迅さんと本格的な戦闘となった場合は?」

 

 だが最悪のパターンを考えて奈良坂がライに問う。

 もしも迅が積極的に手を出す事をためらわず、彼と戦うような事になったならば。

 起こりうる可能性を指摘されたライは、うっすらと笑みを浮かべて。

 

「それならそれで構わない。もちろん僕が押し切られ、敗北する可能性もあるしそうなれば三輪隊の方も厳しくなると思うけど。——それは次につながる敗北となる」

 

 迷いなくそう言い切った。 

 

 

————

 

 

 そして時間軸は今に戻る。

 ライと迅。両者共にまだ武器を手にしていないものの、緊迫した空気が張り詰めていた。

 

「——紅月君がこっちに来る可能性も見えていたんだけどな。俺の言葉は信用できなかったかい?」

 

 警戒を続けるライに迅が呼びかける。

 先日も二人が話した際に迅は改めて自身のサイドエフェクトの話を持ち出して三雲と彼が抱えている秘密の有益性を説いていた。

 近界民への警戒が強い三輪が率いる三輪隊は仕方がない。だがライならば説得も不可能ではないと思っていたのだが。

 

「今の流れを見たら仕方がない事でしょう。調査を続けていた三雲が、一度はトリガー使用者の候補に挙がっていた者と行動を共にして。しかもその彼女が未知のトリガーを使用した上に……あんなトリオン量を持っていると判明すれば」

 

 先ほど目にした膨大なトリオンキューブを思い返し、ライは苦笑を浮かべる。

 ライもここまでの三雲の、そして彼と行動を共にしていた雨取、空閑の動向を目にしていた。

 何かしら秘密の相談があったのだろう。無人となった弓手街駅に入るや、どこからか出てきた近界民と思わしき黒い機体を使い、雨取がトリオンキューブを起動。この時点でやはり三雲が正体不明のトリガー使いと接点があるのは明白となった。

 しかも驚くべきはここで明らかになった雨取のトリオン量だ。

 トリオンキューブは常に使用者のトリオン量に比例して最高の大きさで形成されるのだが、その大きさが桁違であった。

 

(結果的に彼女がトリガー所有者ではなかったようだが、あれが一番の驚きだったな。遠目とはいえ僕の4倍はありそうな大きさだった)

 

 人一人飲み込んでしまいかねないほどの大きさのキュービックはライですら目にしたことがないほど。ライはおろかあの最強の射手・二宮すらも容易に上回るだろう。

 とにかくこうして三雲が何者かを庇っている事が明白となり、さらに空閑本人の自供と実際のトリガー起動により、雨取ではなく傍で控えていた空閑が調査の目標であるトリガー使いであると判明。

 三輪隊は三輪・米屋の二人を前衛に立てて空閑を捕えるべく戦闘が始まった。

 空閑が複数のA級隊員相手に傷を負い、これをピンチと見た三雲が迅に助力を求めたのだが、彼もライによって足止めを食らってしまい、そして今に至る。

 

「それに、あえて言わせてもらうならば、やはりあなたの言葉を過信し、鵜呑みにするのは危険だと判断したので」

「危険、ね。なんでかな?」

 

 己のサイドエフェクトの事を知ってそれでも未来を託してはもらえなかった。その事実を残念に思いつつ、迅はライにその理由を問う。

 

「理由は三つ。一つは未来が見えるといえどもそれはあなたの主観が入った未来である事。最善の未来だとしても、それが個人の意思が入ったものならばそれは最善とは言い切れない」

「……なるほど」

「あなたの力を疑っているわけではないし、信じたいとは思いますがそれは僕の私情だ。今後の展開に影響しかねない決断に私情が入ってはならない」

 

 最善の未来。それは、人の味方によってさまざまな捉え方があるというのがライの意見だった。

 ライも決して迅の事を信じていないわけではないものの、その感情だけで何も知らない、しかも黒トリガーの所有者だと予想している相手を信じる事は出来ないと。

 

「よくわかった。俺の視点からだけで判断するのは不満だったか」

「不満ではないです。ただ不安が消えなかった。それが二つ目の理由です。あなたのサイドエフェクトにも見落としがある。最善の結果だけを見て最悪の過程を見落としてしまっては本末転倒だ。戦いはかけ事ではないのですから」

「これは手厳しい」

 

 さらにライはかつての迅とのやり取りから得られた彼のサイドエフェクトの効果を思い返しながら続ける。

 これはおそらくは自身もその迅の未来視の裏をついたという実績があるからこその意見だった。

 ライは犠牲が出る事を嫌い、リスクを避ける傾向がある。

 だからこそ今回も三輪達の調査への協力を惜しまなかったのだから。

 

「そして三つ目の理由。これはあなたの力と言うよりはあなた自身の事ですね」

「と、いうと?」

「あなたは瑠花に手を出した。ただそれだけです」

「……私情を挟んでるじゃん」

 

 著しく低くなった声のトーンで語られた言葉に、迅は頬をひくつかせた。

 ちょっと待ってほしい。決断に私情が入ってはならないとは何だったのか。

 

「違いますよ。僕にとって彼女は例えるならば何人たりとも傷つける事はならない宝物のようなもの。その宝物にあなたは土足で近づき傷物とした。そのような人物、警戒してしかるべきでしょう。これを私情と言いますか?」

「たとえ話とわかっているけど女の子の話で傷物としたって表現はやめてくれない?」

 

 つまり『一度犯罪を犯した人間を疑うのは当然の道理であり私情ではない』という事だろう。わかっていたはずだったが、改めてライの瑠花を庇護しようとする思いの強さにたじろぐ迅だった。

 

「まあそんな点ですね。——あなたが関わると状況が荒れそうでしたし」

「まあ、確かに秀次もいるからそう考えるのは仕方がないか」

「それだけではありませんよ」

「ん?」

 

 『状況が荒れる』とライは語る。

 迅はその言葉を自身を毛嫌いしている三輪がいるためだと受け取ったのだが、他にも理由はあるのだと話を続けた。

 

「僕はあなたを切り札(ジョーカー)のような存在だと思っています。あなたが加わるだけで盤面を一気にひっくり返す事もできると」

 

 三輪のようにただ迅という存在を疎んじているというわけではない。

 ライは迅という戦力を規格外の存在と捉え、評価していた。そのような存在は出来ることなら戦いに関与させる事無く処理しておきたい。

 

「そこまで評価してもらえるとは光栄だね」

「だからこそあなたは盤面の外にいてもらいたかった。このまま手を出さないでください。あなたがトリガーを起動しようとしたならば、僕はあなたに刀を向けなければならなくなる。僕もこのような状況下で大事にはしたくないので」

「……君ならばよく知っているだろう。『模擬戦を除くボーダー隊員同士の戦闘を固く禁ずる』。また隊務規定違反で瑠花ちゃんを傷つけるつもりか?」

 

 抵抗するならばトリガーを使う事もためらわないという姿勢のライに、迅が彼の大切な者の名前を挙げて忠告した。

 仮にも一度処分を受けた彼が知らないわけもない。

 しかし、迅の話を聞いてもライの表情に変化は生まれなかった。

 

「問題ありません。今回の任務に参加するにあたり、城戸司令とは『調査協力における行動に処罰は課さない』と確かに約束しました」

「——へ?」

「正式な調査をトリガーを使ってまで妨害したとなれば正当防衛と受け取ってもらえるでしょう。迅さんにはそのまま処分が下されるでしょうが。まあそうなればたとえ僕が敗れたとしても、迅さんには最低でもトリガー没収くらいの処分は下されるでしょうね」

 

 まさかの城戸司令との間で設けられた衝撃の契約を耳にし、迅は言葉を失う。

 

(そういう事か。『盤面の外』って、俺を本当にこの件から除くつもりか)

 

 そこまで見越してこの任務に当たっていたのか。

 読み切れなかった事実は迅を驚愕させるには十分だった。

 ただ、もちろんライとて最初からこの未来を見越していたわけではない。処分を課さないという約束を交わしたのは万が一の際に自分の立場が危うくなるリスクを避けるためだった。

 だが、迅というボーダー隊員が相手になるという場面になって話が変わる。

 迅の言う通り隊員同士での私闘は禁じられている。ゆえにこの規則が迅というジョーカーを封じ込める有効な一手になると考えたのだ。

 事実ライの話を聞いた事で迅は一切の手出しができなくなる。

 ここで万が一トリガーを使おうものならばライの想定通りに事が進むのは明白だった。

 

「このまま大人しくしていてください。迅さん。もうまもなく決着はつく」

 

 弓手街駅の方角へと視線を向け、ライがそう口にする。

 戦いは徐々に三輪隊が優勢となっていた。

 奈良坂・古寺の援護狙撃を前に空閑は逃げ場所を失い、徐々に米屋の鋭い槍裁きを前に削られる。さらに三輪の鉛弾を半身に食らってしまい、機動力を大きく損ない、その場で膝をついてしまっていた。

 三雲は空閑を援護する事に二の足を踏んでおり、迅も抑えている。

 誰の目から見ても勝敗は明らかだった。

 

「……紅月君、君は俺が盤面の外にいて欲しかった、と言ったね」

 

 しかし。

 空閑や三雲の身を案じているはずの迅から余裕の表情が崩れることはない。

 むしろ笑みを深くして変わらぬ調子でライへと尋ねた。

 

「ええ。それがどうしましたか?」

「実はね。俺も同じ気持ちだったんだよ」

「……どういう意味ですか?」

「俺も君には、できれば盤面の外にいて欲しかったんだ」

「はっ?」

 

 小さく疑問の声をあげるライ。

 迅の言い分を読み切れなかった彼に、迅は重ねて続ける。

 

「さっき言ったろ? 紅月君がこっちに来るのも見えてたって。君が俺に協力しない場合は、こっちにきて、そして俺が足止めできる(・・・・・・・・)と見えていたよ」

「——まさか!」

「どうやら君は俺の事を評価してくれているみたいだったからね。——はい、未来確定」

「三輪! 陽介!」

 

 本当に動きを止められていたのは迅の方ではなく、ライの方だった。戦う事無く、自分が直接介入する事もなく。迅はここにいるだけでライの意識を向けられたのだから。

 ようやく迅の真意を理解し、ライは急いで前線で戦う同僚二人へ通信をつなげるが、わずかに遅かった。

 地上から空中へ黒い弾丸が無数に打ち上げられる。

 弓手街駅構内で起こっていた戦い。その盤面はたった一手でひっくり返された。

 

 

————

 

 

「……ッ!」

 

 体に打ち込まれた鉛弾——正確に言えばその重しを付与する性能をコピーされた銃弾をいくつも撃ち込まれ、その重みにより地面にたたきつけられた三輪。

 腕一本動かす事さえままならず、三輪は悔しさのあまり歯を食いしばった。

 途中までは上手く行っていた。戦闘は完全に三輪隊が終始優位に立っていた。

 三輪と米屋、二人の連携で追い詰め、空閑が逃げようとしても奈良坂と古寺の狙撃手が逃げ道を封じ、さらに三輪が得意の鉛弾で動きを制限する。

 三輪隊の得意パターンがはまり、あとはとどめを刺すだけだったというのに。

 

 

(俺の鉛弾をコピーした——違う。この威力は、攻撃をコピーした上で何倍もの威力で打ち返してきたんだ! つまり『他者の攻撃を学習するトリガー』! ありえん。そんな反則じみたトリガーが存在するのか……!?)

 

 その三輪の得意技が転じて空閑の逆転の一手と化した。

 自身の鉛弾とまったく同じ性能。だがはるかに上回る威力の攻撃。

 三輪は空閑のトリガーの真の性能を思い知り、予想をはるかに超えた敵の強さに冷や汗が頬を伝う。

 

「——さて。改めて話し合いしたいんだけど、良い?」

「……ッ!」

 

 地面に這いつくばる三輪を見下ろして、空閑が告げた。

 憎き近界民のこの態度に三輪のいらだちは増すばかりだが、手も動かす事さえ出来ない現状では何も出来ない。

 三輪は睨み返すのが精一杯だった。

 

《——そのまま動くな、三輪。陽介》

「ッ!?」

「ん?」

 

 その三輪を救うように、ライからの通信が二人の下へと届く。

 空閑も背後から何かが急接近する気配を感じ取ったのか振り返った。

 するとエスクードジャンプで空を割くように、ライが弾丸のごとくスピードで彼らの下へと跳んでくる。

 彼の右腕は今度こそ弧月が握りしめられており、狙いを定めるや空中で抜刀した。

 

「旋空、弧月」

 

 瞬時の間に三度振るわれた弧月は旋空によって刃が拡張され、空閑に、そしてその近くの三輪・米屋へと向かって行く。

 

「うおっ!?」

 

 切り裂かんとする刃を空閑はサイドステップを踏んでかわし。

 

「くっ!」

「おおっ! さすが」

 

 三輪と米屋の体に打ち込まれた鉛弾のおよそ半数ほどが切り落とされた。

 

「無事か、二人とも!」

「……ああ。問題ない」

「つっても、まだ動くのはキッツイけどな」

 

 三輪と米屋の間に着地し、すぐに二人の安否を確認するライ。

 どちらも特に大きなダメージは負っていないものの、やはりまだ鉛弾の影響が大きいのか立ち上がる事はできずにいた。

 

(二人とも鉛弾を撃ち込まれている。三輪のトリガーを反射した——にしては弾数が多すぎるし、そもそも鉛弾にはそんな芸当ができるトリガーではない。しかも三輪達は半数を切り落してもなお身動きがとれないほど重さが増している……? という事は)

 

 その光景にライは空閑のトリガーの性質を分析し、そして三輪と同じ結論へと至る。

 

《敵のトリガーは相手のトリガーを模倣し、それを上回る威力で放出する能力。といったところか?》

《核心はないが、俺もそう考える》

《マジ反則だろ。ライに切り落してもらったけど。これ、まだ動けねえぞ》

《……そうか》

 

 ライの推論に二人とも声をそろえて肯定した。

 できれば外れて欲しかった答えが正しかったと知り、ライは小さく息を溢す。

 

(——捕縛は失敗だな。戦いを続けても意味がない。いや、それどころか不利になるだけだ)

 

 これ以上の戦闘は無意味だと判断するとライは弧月を鞘に納め、そしてトリガーを解除した。

 

「おっ? コウヅキ先輩は戦いに来たんじゃないの?」

「三雲から聞いたのか? いや、おそらくは迅さんか。ならば自己紹介は不要かな。——これ以上の戦闘は益がないと判断した。少し話をしたい。応じてもらえるならば今日はもう僕も三輪隊も君を攻撃する事はないと約束しよう」

「おい、紅月!?」

「どうだろうか?」

 

 生身の体に戻った相手に気を許したのか、空閑の方から話しかける。

 相手の様子に話しあう余地があると判断したのか、ライは三輪の叫びに一瞥するにとどまり、交渉を始めた。

 

「——ふむ。嘘はついてないな」

 

 じっとライを見つめる空閑。

 やがてその言葉を真実だと判断すると、空閑は年相応ににんまりと笑う。

 

「いいよ。俺もそのつもりだったし。俺は空閑遊真。コウヅキ先輩、でいいんだよね?」

「……ああ。紅月隊隊長、紅月ライだ。話し合いに応じてくれてありがとう」

 

 警戒心を悟られぬように、ライも自己紹介に応じて柔らかな表情を浮かべるのだった。



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質疑応答

「いやー何事も無くて良かった。紅月君が突撃した時はビックリしたけども」

「迅さん!」

「やー、メガネくん」

 

 ライと空閑が軽い挨拶を済ませ、わずかに空気が緩んだ現場に迅が颯爽と姿を現した。

 待ちわびた人物の登場に三雲はようやく肩の荷を下ろす。

 見ると、迅の隣にはいつの間にか姿を消していたレプリカ、さらにその後ろには奈良坂と古寺の二人がバッグワームを着けたまま控えていた。

 

「……なんだ。ここで出てくるんですか、迅さん」

「その方が良いと思ったからね」

「しかも奈良坂達まで連れてくるとは。これではカウンターもままならない」

 

 一方でライは迅が二人を連れてきた光景を目にし嘆息する。

 三輪・米屋の両名が戦闘不能になった中、いざ約束を反故にされたという時の備えとして狙撃手が必要だったのだが、それも不可能となってしまった。

 やはりどこまでも先を見越されてしまうのかとため息を吐きたくなるのも仕方のない事だろう。

 

「……迅! 一体何をしに来た!? 俺達を嘲笑いにでも来たか!」

「そんなんじゃないって」

 

 対して三輪は毛嫌いしている迅の登場に怒りを露わにした。激情を向けられた迅はその声を受け流しつつ、空閑の下へと歩み寄りながら話を続ける。

 

「お前らがやられるのも無理はない。なにせ遊真のトリガーは、(ブラック)トリガーなんだから」

「ッ……!」

「黒トリガー!」

「……黒トリガー?」

 

 迅が空閑の頭に手を置いて説明すると、三輪は驚き、米屋は衝撃の表情を浮かべ、聞き覚えのない三雲は首を傾げた。

 

「……でしょうね」

 

 ただ一人、ライは納得の表情で迅の言葉を受け取る。

 

「おや。紅月君はもう予想していた感じ?」

「以前聞いた近界民撃破の情報から想像していました。確信に至ったのは先ほどの三輪達への攻撃ですね。これだけの威力・性能を量産型トリガーが出せるはずもない」

「その通り。話が早い。だから三輪隊は良くやった方だと思うよ。遊真に殺す気がなかったとしてもね」

 

 補足するようにそう付け加え、迅は三輪隊の戦いぶりを称賛した。

 本来ならば黒トリガーは一部隊で相手するような戦力ではない。それほどの強さを誇っているのだ。そんな相手に一時的とはいえ有利に戦いを進めていた三輪隊の戦いは、皮肉を抜きに称賛に値するものと言えた。

 

「……殺す気がなかった、か」

 

 空閑に敵対の意思はないと彼を庇うような台詞。

 確かに黒トリガーが最初から真価を発揮していたならばもっと早く決着がついていてもおかしくはない。近界民を一撃で粉砕したあの威力をお見舞いすればそれだけで三輪達が吹き飛んでいてもおかしくはなかった。

 そういう意味では迅の説明には特に違和感もないのだが。

 

「ふむ。空閑遊真君、と言ったね。いくつか質問をしたい。君の名前から判断するに日本人のようだが、それは偽名なのか? そのトリガーは一体どのようにして手に入れたんだ?」

 

 より正確に相手を知るべく、ライが空閑へと尋ねた。

 先ほどまで敵対していた相手に無防備で近づくことに危険を感じた三輪は声を荒げて注意する。

 

「紅月! そいつを信じるのか! そいつは近界民だぞ!」

「落ち着いてくれ、三輪」

 

 三輪の過去を知っているからこそ彼の気持ちは痛いほどわかった。だがここは事を荒立てる場面ではない。

 微塵も話し合う余裕を持っていない三輪の態度を諫める様に、ライはわざと大きくため息をつくと、

 

「少なくともこの場において彼を敵と見做すのは早計だと僕は考える。あまりにも情報が不足している。相手が話し合いに応じてくれるというんだ。話を聞くべきだろう」

 

 と、冷静な口調で言う。

 ライの言葉にそれでも嫌悪感を振り払えない三輪はまだ反論を続けようとするも、ライは突如内部通信をつなげて『それに』と一つ間をおいて説明を続けた。

 

『彼が『近界から来た』。その一点で近界民であるというのならば、僕はどうなる?』

『ッ!』

『僕も君にとっては近界民であると、そう判断するか?』

『……馬鹿げたことを言うな! お前は、違うだろう!』

 

 そんなわけないだろうと三輪が答えると分かったうえでの問いかけに、三輪は苛立ちをぶつける先もわからず、一方的に通信を切る。

 

「俺は、絶対に認めん! ——緊急脱出(ベイルアウト)!」

 

 やがて三輪はこれ以上空閑と同じ空間にいることを良しとせず、一人その場を後にした。

 

「うおっ。なんだこれ」

緊急脱出(ベイルアウト)だよ。正隊員のトリガーにはトリオン体の破壊と同時に自動的に基地へ送還されるシステムが組み込まれているんだ」 

「へー。便利だな」

 

 迅の説明を聞き、空閑は三輪がボーダー本部へと跳んでいった軌跡を見上げながら呑気につぶやく。

 

「——ま、それじゃあさっきの話の続きとしようか」

「ああ。よろしく頼む」

 

 そして今度こそ話し合いを進めようと、空閑はライと向き合うのだった。

 

「まず、名前に関していえば本名だよ。というか、何ならボーダーの人に聞いてみてくれない? 俺がこっちの世界に来たのは、親父に『オレが死んだら日本に行け』、『オレの知り合いがボーダーっていう組織にいるはずだ』って言われたからなんだ。このトリガーも、親父の形見だ」

「……なるほど。迅さん、心あたりは?」

「いや、俺にはないよ」

 

 古参の隊員であるというならば迅が該当するも、彼に話を振っても迅は手を横に振って否定する。

 

「ならばより上層部の古くからいる人たち、城戸司令や忍田さんに聞くべきですね。ちなみにそのお父さんの名前は? できれば、その知り合いの名前も覚えていれば教えて欲しい」

「空閑有吾だよ。あと、親父が言っていた知り合いの名前は——『モガミソウイチ』」

 

 空閑有吾。こちらは聞き覚えのない名前であり反応を示すものはいなかった。

 だが二人目、知り合いの人物の名前・モガミソウイチの名前に表情にこそ出さなかったが迅とライは心中でその名前を反芻した。

 

(モガミソウイチ、最上宗一か? 迅さんが手にした黒トリガー・風刃となった人(・・・・・・・)

 

 ライはその名前を一度資料で目にしている。

 ボーダーが管理する黒トリガー、そのうちの一つである風刃と化した隊員。かつてはその風刃の所有者をめぐって隊員同士での争奪戦が繰り広げられたともいわれている。

 もしもその通りだとすれば空閑の考えている目的は果たせなくなるという事になってしまう。

 

「わかった。ただ、そのモガミさんという人物は少なくとも僕の知る限りでは現在ボーダーに在籍している人物に心あたりがない。そちらも含め上層部の方々に聞いてみるとしよう」

「ほう。それはありがたい。よろしくお願いします」

 

 淡々とライは話を進めた。まだ確信がない上にここで話して勝手に事を進めることを嫌ったためにあくまでも穏便にこの場を収めることを優先した話しぶり。それを察したのか、迅も余計な口出しはしなかった。

 

「その上で君にもう一つだけ聞いておきたい」

 

 最後に上層部への報告で欠かせない情報を聞き出すべく、ライは問いを重ねる。

 

「空閑君は、そのモガミソウイチさんと会ってどうするつもりだったんだ? もし会えなかった場合はどうする?」

「ふむ。そうだなー」

 

 仮定の話とは言え、深くは考えていなかったのだろうか、空閑は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「俺がもともと向こうにいた世界では戦争に参加していたんだけど、そっちの戦争は終結してやることがなくなったんだよね。だから親父の話に従ってこっちに来たんだ。俺の体が少し特殊でね、それを治すためにこっちの世界に来たんだ。後は……もう一つ理由があるけど。それは話すと長くなるし、こっちの事情をよく知らないから、話すならもう少し調べてからにさせてよ」

「……ああ、構わない。それで、最後の答えは?」

「それね。そっちがちょっとどうかな。どうも重しの人と言いこっちは近界民は肩身が狭いようだから、ちょっと悩みどころって感じかな」

 

 重しの人とは三輪の事だろう。彼ほど近界民を毛嫌いしている人物は早々いない。

 

「まあそう簡単に結論が出る事ではないし、そう出していいものでもないさ。——参考になったよ、ありがとう。君の話は間違いなく上層部に報告すると約束しよう」

「おっ。助かります。コウヅキ先輩が話ができる人で良かった」

「……こちらこそ。陽介、奈良坂、古寺」

 

 少し大きな声で静観を決め込んでいた三人を呼んだ。

 いつの間にか米屋もトリガーを解除しており、三人は足をそろえてライの下へと歩み寄る。

 

「僕は一足先に本部へ戻るよ。三輪だけが戻っている状況では情報が不足しているし、偏りそうだからね」

「良いのかよ? 迅さんとも話していたみたいだからお前に任せていたけどさ」

「……今日はここまでで問題ない。そう判断したんだな?」

「ああ」

「それじゃあ仕方ないですね。もう三輪先輩も戻っちゃいましたし」

 

 ライの方針に特に反対の意見はないのか、皆確認を済ませると異論を唱える者はでなかった。

 三人がそれぞれ納得したことを確認すると、ライは最後に迅を一瞥し、その場を去っていく。

 

「じゃあ、迅さん。また何かあなたに、あるいはあなたを通じて聞くこともあるかもしれないので空閑君、そして三雲の事をよく見ておいてくださいね」

「ああ。よく見ておくよ」

「——それでは」

 

 再び先ほどと同じようにエスクードカタパルトで宙を舞った。

 あっという間にライの姿は小さくなっていき、本部めがけて一直線に進んでいく。

 

「……迅さん。俺も確認しておきたいんですが、その黒トリガーが街を襲う近界民の仲間ではないんですよね?」

「ああ。それはおれが保証する」

「そうですか。ならば俺から言う事は何もありません。——俺達も引き上げるぞ」

「はっ、はい!」

 

 ライがいなくなったあと、奈良坂が迅へと単刀直入に問い、臨んだ答えを得るとそれ以上追及する事はなく彼もライの後を追った。古寺も先輩の後を追うように踵を返す。

 

「じゃあ俺もいくとするかな。——おっと、その前に」 

「ん?」

 

 米屋も二人に続こうとするが、ふと何かを思い出して再び空閑の近くへと歩み寄った。

 生身である上に特に戦意も感じられなかったために空閑もじっとその様子を眺めている。

 

「お前つえーな。今度は一対一でやろうぜ。そっちの方が面白そうだ」

「……ふーん。あんたは近界民嫌いじゃないの?」

 

 軽い調子の態度からは近界民を嫌っているようなそぶりは感じられなかった。

 共に戦っていた隊長である三輪とは正反対のようにとれる様子に空閑は首を傾げる。

 

「俺は近界民の被害を受けてねーからな。個人的な恨みとかはねーよ。ま、あっちの二人は近界民に家を壊されてるからそこそこ恨みがあるだろうし、さっき飛んだ秀次に至っては、目の前で姉さんを近界民に殺されてるから、さっきのような態度はまあ一生続くだろーな」

 

 当時の、大規模侵攻時の記憶を思い返しながら米屋は言った。

 あの時の惨劇は知っている者にしかわからない。現に空閑も身内がなくなったという点に思うところがあるように茫然とはしているが、それほど強い衝撃を受けているようには見えなかった。

 

「……なるほどね。じゃあコウヅキ先輩は?」

 

 ならばライはどうなのかと空閑は先ほど跳んでいったライを思い返して尋ねる。

 先ほどの会話からは三輪のような強い敵意や憎悪といった負の感情は感じられなかった。

 あるいは彼も米屋のように近界民から直接の被害は受けていないのだろうかと軽く考えて訊ねると。

 

「ライか? あいつも、いや、どうなんだろな。あんまり恨んでいるとか聞いたことがないような気がする。ただ——あいつも母親と妹を近界民に殺されて、あいつ自身もちょっと痛い目にあった(・・・・・・・)からな。少なくとも近界民そのものに対して良いイメージは湧いてないんじゃねえか」

 

 現実はそう単純な事ではない。むしろその内容は三輪よりも相当重いもの。

 痛い目にあった、とは言い得て妙だと米屋は語りつつ思った。

 本当はそんな簡単な話ではないが、勝手に話して良いような内容でもなく、米屋もそれ以上語ることはしない。

 

「……そっか」

「陽介! 行くぞ!」

「おーう。じゃあな。次は手加減なしでよろしく!」

 

 空閑がゆっくりと頷いた。

 すると奈良坂が早く撤収すべく米屋の名前を呼ぶ。

 彼も任務であることを思いだし、最後に空閑と約束を交わしてその場を後にした。

 ようやく戦った相手全員が退散したことを確認し、空閑は黒トリガーを解除する。

 

「さて。じゃあ俺も基地に戻るか。ちゃんと報告がなされているか心配だし」

 

 さらに迅も本部に戻ろうと背筋を伸ばした。三輪隊にライもいるとは言えど今後の動きを読むためにも今は本部に行っておく必要がある。どのように転ぶとしても、また盤面の外に出されかねない展開は避けたかった。

 

「メガネくんも一緒に来るか? どうせ後々遊真の事で呼ばれるだろうから今一緒に行った方が良いと思うよ」

「……はい。行きます。空閑、千佳。二人はどこかで待っていてくれ。また後でな」

 

 三雲もきちんと全てを報告すべく迅と同行する事にした。

 空閑と千佳に最後に一言告げて、三雲は迅の後を歩いていく。

 彼らの後ろ姿が見えなくなるまで見送って、空閑と千佳も動き出した。

 

「それじゃあわたしたちも行こうか。近くに神社があるから、そこで待とう」

「わかった。悪いがチカ、案内を頼む」

「うん。ついてきて」

 

 地形についてはずっと三門市に住んでいる千佳の方がよく知っている。空閑は先導する千佳に従い、道なりを歩きはじめた。

 

「……レプリカ。コウヅキ先輩の事、どう見た?」

 

 その道中、空閑は千佳に聞こえないくらいの声量でレプリカへと問いかける。宙に浮かぶレプリカもそれに応じ、最小限に抑えた声で空閑の応答に応じた。

 

『どう見た、というのは? ユーマは何か彼について引っかかる事があったのか?』

「いや。何もないよ。コウヅキ先輩の話の中に嘘は一個もなかったし」

『ならば、さほど気に留めるほどではないのではないか? 先に本部へ戻った隊員のように怒りを見せる事もなく、こちらとの交渉にも積極的に応じていた』

 

 決してライの態度に怪しむ点があったわけではない。

 むしろ迅が来る前から積極的に話に応じ、味方を制していた姿は空閑にとっては非常に助かるものだった。

 

「だからこそだよ」

 

 しかし、その姿こそが空閑にライを意識させる原因だったのだと空閑は言う。

 

「槍の人の話通りなら、コウヅキ先輩も家族を近界民に殺されているんだろ? それなのに、同じ境遇の味方があんな風に訴えていたのに、初対面の相手に全く感情の変化すら見せないなんて事があるのか?」

 

 家族を奪われたならばむしろ三輪のような態度こそが自然なのだ。

 肉親の仇。それを目の前にしたならば何かしらの感情を抱くはず。しかも少し前まで敵対していた相手だ。

 しかしライはそんな様子を微塵も感じさせず、淡々と事務的に空閑から情報を収集するに務めていた。

 

「——向こうの世界ならまだわかるんだけどな」

 

 まるでかつて空閑がいた国の人物のようだと、付け加える。

 かつて空閑がいた戦争真っ只中の国の中には彼のような人物もいた。

 戦時下でいつどのような時でも敵に弱さを見せないように、感情の機微を悟られないようにと立ち振る舞う。

 言葉や態度はもちろん、表情や声色。徹底して個を殺す、隙を見せない超人。

 それと同種のようだと。

 

『ふむ。ユーマがそう感じたならば注意すべきかもしれないな。私もいくつか気になる点はあったが』

「おっ。何々?」

 

 その考えに納得しつつ、レプリカもライを観察している中で気づいた情報を空閑と共有する。

 

『彼が武装を解除した時の事だ。無防備のように見えたが、私にはあれがユーマを誘っているようにも見えた』

「……攻撃の瞬間を狙撃手に狙わせるって事? でもそれあまりにも無謀すぎないか?」

『何らかの攻撃を避ける、あるいは防ぐ手段があったのかもしれない。いずれにせよ、ユーマの方から攻撃させる事で、『こちらは休戦の姿勢を示したが相手は応じなかった』という攻める口実を作るような誘いに見えた』

「怖。戦争を始めるための常套手段じゃん」

『もちろん私の考えすぎという見方もあるがな』

 

 そうだと嬉しいと思いつつ、空閑は警戒心を強めた。

 確かに話し合いを求めた相手を攻撃したとなれば敵は一気に攻勢に出るだろう。休戦を唱える味方を黙らせる理由にもなりうる。

 

『そしてもっと警戒しておくべきは、彼の話していた話は全て条件付きであったという事だ。今日一日は問題ないだろうが、ボーダー上層部との話次第では明日以降、彼が再び敵として現れる可能性もゼロではない』

「だろうね。それはおれも思った」

 

 レプリカの言葉に空閑は何度もうなずいた。

 『応じてもらえるならば今日はもう僕も三輪隊も君を攻撃する事はないと約束しよう』

『少なくともこの場において彼を敵と見做すのは早計だと僕は考える』

 などなど。

 空閑との話し合いの中では応じる姿勢を見せつつも、状況次第では態度が変わりかねない、変わっても支障が出ないような態度を終止貫いていた。

 

『ふむ。——こうなると、ユーマは嘘をついていないと語ったが、それも少し注視すべきかもしれないな』

「ん? どういう事?」

 

 相棒の言いたい事が読み切れず、空閑が疑問を呈する。

 彼も迅と同様に、優れたトリオン能力者に発言する副作用を持っていた。空閑の副作用は『相手の嘘を見抜く』というもの。相手が嘘をつけばそれが黒い煙となって視覚化され、どのような話であれそれが嘘であるかを見抜くという能力だ。

 例外はなく、どのような相手であろうと通じないという事はないはずなのに。

 

『全く感情の変化が見られないという点で少し思い至った点がある。ユーマ、一つ聞くが果たして嘘とはどういう意味だ?』

「なんだよその聞き方。どういう意味って、本当の事じゃないとかそういう事じゃないの?」

『その通りだ』

 

 ユーマの答えをレプリカは肯定する。

 当然だろう。今更自分の能力の根底にも関わる話であるのだから間違えようがない。

 だが、レプリカの話はここで終わらなかった。

 

『ならば、その人物にとって話す内容が正しく真実だと捉えている事(・・・・・・・・・・・・・)ならば、間違っている事だとしても嘘ではなくなる(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)という事だ』

 

 わずかに空閑の目が見開かれる。

 ありえないと一蹴するのは簡単だ。今までもそのような人物と会った事はなく、副作用の正確性は非常に高いもの。

 ただ、無視するにはあまりにも大きすぎる情報でもあった。

 本当にあり得るのか。これまでの経験から仮定を想定しつつ、重々しく口を開く。

 

「……ありえなくない? そんなの、戦時下どころか周りが敵しかいないとか、いつ誰に殺されてもおかしくないような環境下で育ったとか特殊な状況で生まれなきゃなりえないでしょ」

『それでもなお稀だろうな。私の考えすぎであるならばそれに越したことはないのだが』

 

 可能性は限りなく低いと理解しつつ、レプリカは前提を加えた上で告げた。

 

『もしも本当にそれをできるとするならば彼は神か——悪魔だな』

 

 すでにライという男の精神は人の領域を超えているかもしれないと。

 

「——なるほどね。ああいう人は厄介だな。というかコウヅキ先輩ってB級じゃなかったのか? キトラの言うA級よりは下のはずなのに、なんでA級の隊員たちよりも積極的に動いてたんだろ? ミワ隊の人たちも素直に従ってたし」

『年功序列というものかもしれないな』

「そんなものか。——まあ、とにかく今はオサム達を待つしかないな」

 

 とはいえいつまでもここで話し合っていても結論は出ない。

 今は本部へ話し合いに行ってくれた人たちを待とうと、空閑は会話を打ち切り、千佳の後をゆっくりと追うのだった。

 

 

————

 

「……なるほど。報告、ご苦労」

 

 そのころ、ボーダー本部会議室では上層部の面々、そして三雲と迅、ライの三名が集まり、城戸をはじめとした幹部へと空閑に関する一連の事件とその流れについて説明を終えていた。

 空閑というイレギュラーな存在の今後に関わる大きな分岐点。

 城戸はゆっくりと三人の労を労う言葉をかける。

 そして、空閑に対するボーダーの姿勢を固める会議は始まったのだった。



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派閥

「……有吾さんのお子さんか。有吾さんが亡くなった事は非常に残念だが、本当に有吾さんのお子さんであるならば今は彼との出会いを喜ぶべきだな」

 

 三雲、迅、ライの3人の報告は情報量が多く、上層部の面々——特に忍田、林藤、城戸といったボーダー最初期から活動していたメンバーに多大な衝撃を与えていた。

 忍田は空閑の父であるという空閑有吾の死を聞き悲しみに暮れるも、その遺児の出現に頬の力を緩める。

 空閑の語っていた通り、彼の父の名を挙げた事でボーダー組織の空閑に対する認識は大きく変わった。空閑有吾は旧ボーダー時代から活躍した男。城戸の同期に当たり、林藤や忍田にとっては先輩にあたる存在であるため無視できない大きな人材だ。

 その空閑有吾が彼らの前から姿を消してから長い年月がたった。今になって彼の息子を騙るとは考えにくく、しかも知り合いであるという最上宗一もライの想定通りの存在であったため、彼らは空閑という人物を空閑有吾の息子とみて間違いないと受け取っている。

 

「たしかにな。もしも空閑が今も健在であったならば、喜ぶべきだったのだろう」

「——おや。城戸司令にとっては遊真の存在はそんなに嬉しいものではなかったんですか?」

 

 一方、城戸は忍田の発言に一部共感を示しつつも、そう言葉を濁すにとどまった。その発言に裏を感じ取った迅はここで道を間違わぬように目ざとく問いかける。

 

「手放しに喜ぶ事は難しいという事だ。もしも空閑が共に来ていたならば話も早かっただろう。だが、今こうして敵対関係となり、相手の目的もここでは果たせないと判明した。加えて彼はこちらの世界やボーダーに対して無頓着であると聞く。話をまとめるのは困難だろう」

「……確かに。父親もその知人もすでにこの世を去っているとなれば、彼の動向は読めなくなりますね。相手はこちらを警戒しているようですし」

 

 城戸の言葉に唐沢も追従した。

 元ボーダー組織に所属していた人物の息子と言ってもそう簡単に受け入れる事は難しい。

 そもそも城戸たちが息子がいるという事実を把握していなかった事からも空閑遊真という人物とこちらの世界に関する接点は非常に薄いという事は明白だった。もしも彼が何らかの願いがあるならばそれを切欠に交渉を始める事も出来ただろうが、それも叶わない。それどころかライの『もしも最上宗一と出会えなければどうするのか』という質問に否定的な発言をしていたという事実も城戸にとってはマイナスに映る。

 

「ならば彼を一度ボーダーへ誘ってみてはどうでしょうか? 本部の事は警戒していますが、うちならば俺がすでに何度か会話もして警戒心は薄いです。少なくとも話は聞いてくれるでしょう」

「何っ!?」

「近界民をボーダーに入れるというのかね!?」

 

 しかし迅はまだ手はあると空閑の玉狛支部への勧誘を提案した。

 迅の言う通り、彼は空閑から信頼も得ており、彼からの誘いとなれば話のテーブルには応じるだろう。

 とはいえ元ボーダー隊員の息子とはいえ、空閑はあくまでも近界民。鬼怒田や根付からは反対の声があがった。

 

「ええ。黒トリガーがボーダーに入れば大きな戦力だ。余計な消耗を生まずに済みます」

「私も賛成だ。可能性があるならばぜひとも試しておくべきだろう」

「じゃ、私も賛成で」

 

 黒トリガーほどの力となれば取り込めるに越した事はない。迅がそういえば忍田も真っ先に同調し、林藤も流れに乗って手を挙げた。

 

「一理はあるものの……」

「果たして敵対した近界民が味方になるのかどうか……」

「ふむ。現状を鑑みるに、下手な争いは避けるべきだと思いますが」

 

 その理屈はわかるからこそ、鬼怒田や根付は強く反論できない。

ここまで静観を決め込んでいた唐沢もそう語るに留まり、明言を避けた。

 

「……良いだろう。黒トリガーの件は今は置いておくとして、空閑遊真に勧誘を進めるとしよう。迅、そして三雲隊員。信頼を得ている君たち二人から、話を進めてくれ」

「城戸司令!?」

「——了解」

「はい!」

 

 賛否両論の雰囲気が流れる中、トップである城戸の口から勧誘を許可する命令が下された。

 鬼怒田は声を荒げ反対の意を示すものの、迅や三雲の返答によってかき消される。

 

「では二人は早速向かってくれ。会議はここで解散とする。何か進展があれば報告するように。それと——紅月隊長。君は少し残ってくれ」

「……わかりました」 

 

 こうしてこの日の会議は終了を迎えた。

 この決定に三雲や迅は気をよくして会議室を後にし、さらに林藤や忍田も席を立つ。

 続々と人が減っていき、そして部屋には城戸と鬼怒田、根付、唐沢と言った城戸一派、そして待機を命じられたライの5人が残された。

 他の面々が退出された事を確認し、城戸が再び話を展開する。

 

「紅月隊長、実際に目にし、話をした君に聞きたい。君の目からみて空閑遊真という人物は信じるに値する相手か? 彼は今後どうすると読む?」

 

 城戸は単刀直入にライへ本筋を問う。突如話を振られたライはわずかに目を細め、慎重に言葉を選んだ。

 

「城戸司令。僕は——いえ、私はあくまでも彼とは今日出会ったばかりであり、話をした時間もごくわずかです。それゆえに情報は非常に限定されたものとなりますが」

「それで構わない。三輪隊長からも話を聞いているが、中立な立場に立てるであろう君から第三者としての意見を聞いておきたい」

「……わかりました」

 

 重ねて頼まれてしまえば話を流す事も難しい。

 ライは小さく息を吐いて一つ間を置くと、城戸の期待に応えるべく空閑遊真という人物について語り始めた。

 

「戦闘力に関してはおそらく三輪隊長も語った通りで間違いないはずですので、人間性について語らせてもらいます。彼は三雲隊員と同年齢という事もあって年相応の表情を見せるときもありますが、敵対していた相手と向き合っても動じないほどの胆力があります。おそらく近界で多くの国を渡ってきたのでしょう。強い敵対心は見られず、あちらから仕掛けてくる可能性は極めて低いとみられます。現時点ではこちらから何か手を出さなければ無害と考えてよいかと」

「……ふむう。では、君も彼を信じても良いと?」

 

 戦闘力はもちろん、決して物怖じしない態度はライにとって非常に好感的に見えるものだ。相手から積極的に仕掛けるそぶりを見せないという点も荒立てるつもりはないという意思表示と考えられた。

 空閑を擁護する言葉が並び、『君も迅達と同じ意見なのか』と根付は冷や汗を浮かべてライへと問いを重ねる。

 

「——それはまた別の話です」

 

 すると、意外にもライからは否定の意見が飛び出した。

 

「何故だ? 紅月、お前は空閑遊真という人物を評価しているように聞こえたが」

「彼には『自分』がないと捉えました。こちらの世界に来た理由も目的も全て父親からの言葉です。しかもその目的は果たせない。となれば——」

『——もう、生きる意味がない』

「——彼がこちらの世界を去るという可能性は捨てきれない」

 

 鬼怒田の発した疑問に、ライは苦々しい記憶を呼び起こしながら答える。

 彼もかつて生きるべき理由を、場所を失って失意の中消えようとした過去があった。

 だからこそ空閑も同じ道をたどる可能性はあるだろうと考える。その意見は確かにありえる話だった。唐沢が彼の話に続く。

 

「なるほど。迅隊員の誘いに応じず近界に戻るという事か。確かにそれも十分考えられますね」

「はい。応じるならば何か別の目標を作ることでしょうが、果たしてそう簡単にできるかどうか。そして仮に応じたとしてもそのまま玉狛支部に残るでしょうね。となれば、また別の問題が浮上するという事は、城戸司令はよくご存じでしょう」

 

 さらに先の展開を読んでライがそう話を締めくくった。

 

「なるほど。よくわかった」

 

 別の問題、それが派閥問題を指しているという事は語るまでもなく城戸も理解している。

 ボーダーの三つの派閥がある中、今でこそ城戸派が一番大きな勢力となっているが、もしも空閑が玉狛支部に加わればその勢力図がひっくり返るだろう。それほど黒トリガーとは大きな戦力だ。たとえ空閑がボーダーに加わったとしても、迅と合わせて黒トリガーが玉狛支部に二つもあるという展開は許容しがたい。

 

「君の言う通りだ。空閑の息子がボーダーに加わろうと、この世界を去る事になろうとも。黒トリガーは何としても我々が手に入れる」

 

 たとえ相手が親しかった知人の息子であろうとも関係がなかった。

 険しい表情を浮かべたまま、城戸が確固たる方針を示す。揺るぎようのない意志が示され、鬼怒田や根付は安心して肩の力を抜いた。

 

「ご苦労だった、紅月隊長。本来担うべきでない任務にも忠実に励んでもらい、感謝する」

「いえ。お役に立てたのならば幸いです」

「うむ。ただ、空閑遊真の問題は解決していないがここまでで十分だ」

「——と言いますと?」

 

 予想していなかった城戸の言葉にライの眉がピクリと反応する。まだ問題が未解決である以上、ライは今後もこの事件に関与するつもりだったのだが。

 

「君に頼んでいたのはあくまでも正体不明であったトリガー使いの調査だ。その役目はすでに果たされた。これ以上は約束を反故する事になるだろう」

「僕は別に構いませんが……」

「加えてつい先日、隊員を総動員して任務に当たった事により防衛任務にも滞りが出来ているのが現状だ。本部に滞在していた君をこれ以上こちらの任務に当てる事は得策ではない。君にはまた本部で有事の際に備えて欲しい」

 

 続行の意思を示すライに城戸が正論をぶつけた。

 城戸の言う通りそもそものライの役目は人物判明までの調査であり、今日の戦闘で明らかとなっている。さらにラッドをC級隊員まで駆り立てて捜索した直後とあり、普段様々な場・環境で防衛任務に当たっていたライの不在が防衛任務に大きな影響を与えていた。

 防衛隊員の本来の仕事がおろそかになっては本末転倒である。こう説明をされてはライも強く反論は出来ず、ただ頷くしかなかった。

 

「……わかりました。では僕はここで調査からは外れ、防衛任務に戻ります。三輪隊長たちにも話をしておきましょう」

「話が早くて助かる。今回の報酬は追って沙汰しよう」

「はい。それではこれにて失礼します」

 

 それ以上意見する事はなく、ライは素直に一礼して会議室を後にする。

 こうして防衛隊員が全員去った後、真っ先に口を開いたのは鬼怒田だった。

 

「……よろしかったのですか、城戸司令? 紅月は単独であっても相当な戦力になるでしょう。防衛任務とてイレギュラー門が解決した今ならさほど問題にはならないはず。引き続き任務に当てなければ、三輪隊だけでは黒トリガーの回収は難しいのでは……」

 

 すでにボーダーの悩みの種であったイレギュラー門が生じる事はない。

 ならば三輪隊が敗れた今、ライ抜きでは黒トリガーを手にする事は難しいだろうと意見した。

 

「構わん。それよりも忍田君も賛同に回った今、本来彼の指揮下にある彼をこちらに置いておくことは得策ではない。それこそ派閥争いが本格化する恐れがある」

 

 城戸がライを解任した理由は派閥争いが激化するのを恐れての事。そもそも彼を任務に引き入れることが出来たのは敵が正体不明の相手であったからこそ。ライも空閑がボーダーに入るとなればこれ以上城戸側につくとは言い切れず、元々の上司にあたる忍田が空閑遊真を支援する側に回った事でライもそちらに回る可能性も考えられた。強引にライを留めておくことで忍田派が完全に玉狛派側につく大義名分とされても問題である。

 

「戦力としても、問題はない。まもなくこちらの戦力が揃う」

「揃う? どういう意味ですか?」

「もうすぐ帰ってくるんですよ、根付さん」

 

 戦力低下に関しても城戸は承知の上だった。余裕さえ感じられる言葉ぶりに根付が聞き返すと、唐沢が彼の疑問に答える。

 

「あと数日で、遠征中のA級トップ3部隊が帰還する予定です」

「なるほど!」

「おお!」

 

 その報告に鬼怒田も根付も表情を明るくした。

 長くボーダーから離れていた城戸直属の部隊、トップ部隊の帰還。これほど頼もしい存在はない。確かに彼らがいれば黒トリガーといえど恐れる必要はなかった。

 

「その通りだ。遠征組に三輪隊を合流させ、A級4部隊合同で黒トリガーを確保する」

 

 城戸がそう言って話を締めくくり、今度こそ会議は本当の終わりを迎える。

 A級4部隊が揃えば確実に事は成功すると皆信じて疑わなかった。

 

 

————

 

 

「よかった。また会えましたね、お兄様」

「……お久しぶりです。この度はご心配をおかけしました」

 

 自分を笑顔で出迎えた瑠花王女にライは深々と頭を下げた。

 ライが調査に当たっている間は当然本部で備えることが出来ないため、瑠花王女にも断りを入れていたのだ。その役目が終わったと報告すると、彼女から顔を見たいというメッセージをもらい飛んできたのである。

 

(お兄様と呼ばれただけで少し気持ちが軽くなるのだから、僕も相当だな)

 

 特別な愛称で呼ばれて心臓が柔らかく脈を打つ感覚を覚えた。どこか温かい気持ちになった自分の事を単純だと思いつつ、ライはうっすらと笑う。

 

「話は忍田からも聞いています。……まだ波乱が起きそうですね」

「大丈夫です。何があろうともあなたの事は僕が守ります。改めて今一度約束しましょう」

「——ええ。信じていますよ」

 

 再び黒トリガーを担う人物が現れ、それをめぐって対立が起きかねないという事は瑠花も耳にしていた。

 同盟国の組織で内部対立が起こるとなれば不安に思って当然の事。彼女の感情に理解を示しつつ、ライは再びこの場で彼女を守る事を誓ったのだった。

 

「ただ、しばらくの間は不便を感じさせてしまうかもしれません。明日以降はこちら側も向こう側も何か動きが出る可能性があります。外出も制限が出るかもしれません」

「明日以降? 今日は大丈夫という事ですか?」

「はい。僕から黒トリガーへ今日一日は手を出さないと約束しています。玉狛支部から勧誘の話をするという事になっていますので、今日一日は事態が動くことはまずないでしょう」

「そうだったのですね」 

 

 瑠花王女の存在はボーダーにとって非常に重要なものだ。

 彼女の身に何かあれば組織の存続にも影響しかねない。そのため空閑の動向が読めない間は彼女の行動に制約が生まれてしまうのは当然と言えた。

 

「ですので、もしもどこか出かける用事があるならば今日済ませておいた方が良いと思います」

「ライ、あなたはこの事態がいつまで続くと読んでいますか?」

「……どうでしょう。城戸司令はどうあっても黒トリガーを確保したいようですので。黒トリガーの、玉狛支部の出方次第ではあるでしょうが、一週間近く続くという可能性も十分あるとは考えます」

「まあ!」

 

 ライの予測に瑠花王女は目を丸くする。大事であるとはいえ、一週間も長引くとは彼女も考えていなかった。ただでさえ立場の為にあまり自由に動き回れない中、それほどの期間の行動制限が出るとなれば不満もたまる。

 

「残念です。年末なので品ぞろえも増えますし、先日桐絵からも色々と情報をもらったのでまたお洋服など買いに行きたかったのですが」

「服ですか。となるとやはり沢村さんと一緒の方がよろしいですね」

「そうですね。ただ、響子が頷くかどうか」

 

 不服そうに瑠花王女がため息をついた。

 桐絵とは玉狛支部の小南桐絵の事だろう。瑠花王女の妹である陽太郎が玉狛支部に預けられており、さらに瑠花王女とは年齢が同じという共通点もある。彼女とこういう話をしていてもおかしくはなかった。

 他の買い物ならばライ一人で十分だろうが、衣類となれば同姓からの声を聞きたいと思うのは当然だ。しかし沢村も仕事があるため当日にいきなり付き添いを頼んでも難しいはず。

 

「……僕からの観点でよろしければ、彼女の分もお供しますがどうでしょう?」

 

 普段は洋服などの買い物時はライは外で待機するようにしていた。

 さすがに女性物の服屋に異性である自分がいるのは居心地がよくないからだ。

 しかし今回に至っては仕方がないと割り切り、ライは自ら意見を述べる。

 

「よろしいのですか?」

「ええ。僕でよろしければ」

「……本当に?」

「二言はありませんよ」

「では、ランジェリーショップでもお兄様の意見をお願いしますね?」

「全力で沢村さんを説得します」

 

 揶揄うような笑みを浮かべて誘う瑠花王女を前に、ライは初めて彼女に掌を返したのだった。さすがに下着を一緒に選ぶのは耐えられなかった。

 

 

————

 

 

 その後、結局ライは忍田を通じて沢村を説得した。

 しかし彼女の仕事が終わるのを待ったために、出かけたのは話から二時間ほどが経過してからだった。

 

「響子、今日はありがとう。よろしくお願いします」

「任せて、瑠花ちゃん!」

 

 遅くなったものの、瑠花王女と沢村に疲れや不満は見られない。沢村もついでに自分の買い物をするようで、意気揚々とモール内を歩いて行った。

 護衛件付き添いのライは被りの深い帽子とサングラスを着け、二人の少し後ろを歩く。

 

(……よかった。本当に沢村さんが来てくれてよかった)

 

 もしも沢村が話に応じてくれなかったならばライは自分の浅慮を責める事になっただろう。心の内で彼女に多大な感謝を告げるのだった。

 

「では、僕はここでお待ちしています」

「できるだけすぐに戻ってくるね」

「……それとも、男性からの意見を教えてもらえますか?」

「ここでお待ちしています」

 

 手を振る沢村、重ねて誘う瑠花王女を見送り、ライは少し離れた場所に移動すると携帯端末を取り出す。

 何か緊急の用事はないか一通り目を通した後は時間を潰すべくニュースアプリを起動して——

 

「なんだ。またこんなところで会うなんて奇遇だね、紅月君」

 

 ふと、背後から聞きなじんだ声に呼びかけられた。

 

「……なるほど。小南の方からの誘いというのも、あなたの思惑が混じっていましたか」

「なんの事?」

「本部で会おうとすれば城戸司令やその派閥に入っている者の目に止まる。だから僕が外に出るしかない環境を見たんじゃないんですか? ——迅さん?」

 

 振り返れば、会議室で別れたばかりの迅の姿が見えた。 

 呆けた声を続ける迅に、ライは視線を鋭くして問いかける。

 

「疑い深いなあ。——ま、ヒマならば少し話をしようよ。君に提案がある」

 

 そんなライの緊張をほぐすように、迅はそのままの声の調子で話をはじめたのだった。



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幕開け

「提案ですか?」

「そっ」

 

 言葉を繰り返すライに、迅はゆっくりと頷いた。

 

「先に言っておきますが、三雲や空閑の修行相手を頼むというのならば謹んでお断りしますよ」

 

 本来ならば迅は玉狛支部で空閑の勧誘を行っているはず。

 その彼がこうして出向いていることからすでに勧誘は終了し、迅の思惑通りに事が運んでいるのだろうと予測したうえでライは話を続けた。

 たとえボーダーに入ろうとも城戸が黒トリガーの奪還を狙うという事はライも直接話を聞いた為に確信を持っている。おそらくは迅もそれくらいは読んでいる事だろう。

 ゆえにこれから先ボーダーの精鋭隊員たちに狙われる可能性が高い後輩たちの指導を頼もうというのならばそれは出来ないとライは先んじて釘をさすのだった。

 

「ああ、それなら大丈夫。うちの頼れる先輩たちが、メガネくんたちの指導をしてくれる事になったから」

「なるほど。それは豪華な顔ぶれだ」

 

 先輩たち、すなわち木崎・小南・烏丸の玉狛第一の面々の事だろう。

 ボーダー最強部隊ともうわさされる隊員たちが直々に指導するとなれば確かに問題はない。

迅自身を含めないという事は、彼自身は指導には当たらず他の仕事に集中するという意識の表れだろうか。

 

「ならば迅さんほどの人が一体僕に何の用です? 城戸さんたちの動向を知りたいというのならば無駄ですよ」

「そのようだね。どうやら君は、今後も遊真たちを監視する秀次たちとは別行動のようだし」

「——やはりあなたという存在は反則だ」

 

 事の顛末を聞く事無く先を読む迅に、ライは呆れを含んだため息をこぼした。

 迅の言葉通り、ライはすでに三輪隊と話を通し、防衛任務に戻る事を伝え、情報共有もこれ以上は必要ないと伝えている。ゆえに極秘任務を続行する三輪隊とはしばらくの間連絡を取る事すらなくなるだろう。

 相変わらず未来が見えるという迅の存在はライにとっては複雑な存在だ。

 様々な思惑や意思・目的をもってことに望む戦略家にとってはその展望を全て見透かされる存在など受け入れがたい一面がある。加えてかつて経験した過去の出来事を思い返し、もしももっと早くに出会っていれば悲劇を避けられたのかもしれないと思わざるをえない時があるが故に。

 

(いいや。それは今更か)

 

 だがすでに終わった事に対して「もしも」を考える事は意味がない。いつまでも過去を悔やんでいては前へと進めないだろう。

 ライはそれ以上深く考えるのをやめ、迅と向き直るのだった。

 

「そんな回りくどい事じゃなくて、君にはもっと直接動いてほしくてね」

「……あなたも、まだこの戦いが続くと考えているようですね」

「もちろん。そう言うって事は、君も同意見なんだろう?」

「ええ。——まもなくお嬢様たちが戻ってくるでしょう。手短にお願いできますか?」

「ああ。じゃあはっきりと言おうか」

 

 今日でこの黒トリガーをめぐる戦いが終わるわけがない。迅はライや城戸司令の思惑を読み切り、ライに自らの思惑を告げるのだった。

 続けられた内容は、ライが予想していた考えの一つだ。わざわざ迅が出向くのだからこれから起こる戦いは今日の戦いとは比べ物にならないほど規模で、実力者たちによって繰り広げられるのだろう。

 わずかにライの目が細まる。

 返答次第で事の顛末が変わりかねない。事の重要性を察したからだ。そんな提案を前に、ライは——

 

 

————

 

 

 同時刻、玉狛支部。ここに玉狛支部に初めて出入りした三雲たちの姿もあった。本来3人は実家暮らしなのだがもう夜遅い事、本部から刺客が来る事を警戒して親と連絡を取り、支部に泊まることとなったのである。

 

「——今日一日は、色々あったな」

 

 玉狛支部の屋上で三雲が一人つぶやいた。

 今日だけで何日分もの情報量が頭の中に入ったような感覚がある。

 雨取が近界民に狙われる原因、彼女が持つトリオン量、本部の隊員たちとの衝突、空閑が持つ黒トリガーとその影響力、派閥争い。ここまででも大層な話である上に、この支部に来てからも話題は尽きなかった。

 

「空閑が何とか話に乗ってくれたのは良かった。おかげでまだ可能性はつながっている」

 

 驚くことにここの支部長である林藤と最初に話をした際に空閑はボーダー入隊の話を断ったのだ。

 理由は空閑の目的がすでに達成困難であると判明したためだ。

 ライの予想通り、空閑が探し求める最上とは迅が持つ黒トリガー・風刃そのものだった。しかも空閑の真の目的は黒トリガーとなってしまった父・空閑有吾を復活させる事であったとレプリカは語る。そのためボーダーの技術でも目的は果たせないと明確になってしまった事で彼の気力はそがれてしまったのだ。しかも今の空閑の体はトリオン体で出来た疑似的なものであり、本来の彼の体は今もゆっくりと死に向かっているという。ただでさえゆっくりできない現状下の中での悲報は彼を挫折させるには十分なものだった。

レプリカに『空閑へ生きる目的を与えて欲しい』と頼まれ悩む中、さらに予想外の事態が起きた。

 

『ちょっとでも可能性があるなら、わたしは自分で捜しに行きたいの』

 

 玉狛支部のオペレーター・宇佐美からボーダーの話を聞いた雨取が入隊を決意したのである。彼女はかつて近界民に攫われて行方不明になった友人、そして兄の雨取麟児を探す事を望んでおり、近界へ遠征する事もあるというボーダーに加わり、遠征に出る事を望んだのだ。

 当初は三雲は彼女の身を案じて反対したものの、彼女の意志は硬く、三雲が折れる事となる。さらに彼女を助けるために二人で部隊を新設する事を決意し、玉狛支部から遠征部隊の選出条件であるA級を目指すこととなった。

 

『仕方がない。じゃ、おれも手伝うよ。オサムとチカだけじゃすぐ死にそうだし、部隊での戦闘ってのも楽しみでもある。——オサムがリーダーになるって条件で、チームに入ろう』

 

三雲がこの話を空閑に打ち明けると、彼も思うところがあったのだろう。二人に力を貸す事を約束してくれた。

 どういうわけか経験者である彼ではなく三雲をリーダーにするという条件に三雲が戸惑ったものの、雨取の推薦もあって三雲が隊長として部隊を組む事ととなる。

 こうして空閑と雨取の入隊、三人で部隊を組む事を決断して改めて林藤の下へ向かうと、どうやら迅の未来予知によって彼らの動きはわかっていたようで、あっという間に入隊・転属手続きは済まされた。後は保護者の書類を残すのみである。

 自分たちでできる事はもうなく、明日から本格的にA級を目指して動く事となった。

 空閑や雨取は部屋に戻り、明日に備えて英気を養えている事だろう。

 

「僕も、じっとはしていられない」

 

 だが三雲は違った。

 彼は経験豊富な空閑、トリオン量に恵まれた雨取の二人と比べて自分の力が劣っていると自覚している。

 その一方で二人と比べて有利な点もあった。

 隊長となるならば自分が足を引っ張るわけにはいかない。

 

「……もしもし。三雲です。夜遅くにすみません。報告したい事と、相談したい事がありまして」

 

 三雲は少しでも良いスタートを切るため、行動に移すのだった。

 

 

 

————

 

 

 翌日の朝。

 身支度と朝食を済ませた三雲たち三人は、迅と宇佐美からボーダーおよびトリガーについての説明を受けていた。

 

「——というわけで。これからみんなは遠征部隊入りを目標に、まずはA級昇格を目指します! そのために前提として、修くんに続いて千佳ちゃんと遊真くんもB級に昇る必要があります!」

 

 片手でメガネをクイっと上げ、宇佐美がホワイトボードを駆使しつつ解説する。

 ボーダー隊員はA級、B級、C級の三つの構成に分かれており、正隊員であるB級以上にならなければ部隊ランク戦には参加できない。そのためまずは遊真と千佳にもB級になるのは必要条件だ。

 

「次の正式入隊日が一月にあるからね。二人はその後から訓練や個人ランク戦という模擬戦に参加して、B級に上がるための個人ポイントを参加してもらうよ」

「なるほど。それまでは正規隊員にはなれないんだな」

「ちなみに遊真。お前の黒トリガーは使えないぞ。黒トリガーはその性質上、強すぎてS級扱いとなってランク戦から除外されるんだ。だから今の内からボーダーのトリガーに慣れておけ」

「うおっ。そんな仕組みがあったのか。了解です」

 

 宇佐美の説明にさらに迅の指摘が加わり、空閑は残念そうにうつむいた。

 戦闘慣れしている空閑は早いうちからポイントを稼ぎ、正規隊員に昇格したいくらいの感覚なのだが、制度がそれを許さない。さすがに初めて使うトリガーでは確かに勝手が違うため練習が必要となるだろう。三雲たちと別れるわけにもいかず、渋々と彼の話に従うのだった。

 

「遊真くんは戦闘員で行くとして、千佳ちゃんはどうしよっか。オペレーターという選択肢もあるけど……」

「いや、戦闘員一択でしょ。あんなトリオン量、戦闘に出さないのは勿体ないよ。近界民に狙われやすいみたいだし、戦う手段を身につけた方が良い」

 

 一方、雨取はどうするべきだろうかと宇佐美が二つの方針を提示するが、空閑がその悩みを一刀両断する。一度彼女のトリオン量を確認した以上、あの才能を無駄には出来ず、加えて彼女の近界民に狙われやすいという傾向を考慮した当然の判断だった。

 

「……そこまで言うほど?」

「うん。見ればわかるよ」

 

 重ねて問う宇佐美に遊真は小さく頷く。

 

「私もこれからの為にも自分で戦えるようになりたいです」

「そっか。じゃあ戦闘員だね。ポジションはどうしようか」

 

 さらに雨取本人の強い意志もあって彼女も戦闘員としての道を考える事になった。

 となれば続く問題はポジションとなる。できるだけトリガーを試す前から適正を考慮して彼女に合うポジションを選びたい。だが、雨取は運動神経が良いわけではなく、これまでスポーツの経験があるわけでも突出した思考力があるというわけでもなかったため中々名案は浮かばなかった。

 

「……千佳は足はそれほど速くないですが、長距離走は速い方です」

「おっ。なるほど、持久型か」

「はい。他にも根気強く忍耐力があって集中力が必要な作業も真面目に取りくむし、身体の柔軟性も高い方だと思います」

「おー。さすが良く見ている」

 

 するとここで三雲が助け舟を出す。一番雨取と付き合いが長い彼は優れている点もよく知っており、全く嘘が含まれていない彼女の長所は空閑を感心させた。

 

「持久力があって、根気よく、集中力があって、柔軟性良しか。——うん、結論が出ました。これらの分析を踏まえた結果、千佳ちゃんに最も適したポジションは——」

狙撃手(スナイパー)だな」

「そう、狙撃——って迅さん! アタシが言おうとしたのに何で言っちゃうの!」

 

 三雲の話から宇佐美が導き出した答えを出そうとしたその瞬間、ここぞとばかりに迅がおいしい所だけ持って行ってしまい、宇佐美は不満を露わにする。

 悪びれる様子も見せない迅に宇佐美の機嫌はさらに悪化し、彼に不満をぶつけ続けて、

 

「——ちょっと!」

 

 突如部屋の扉が乱暴に開けられ、一人の女性が姿を現したのだった。

 

「楽しみにしていたあたしのどら焼きがないんだけど! 一体誰が食べたの!?」

 

 背中まで届くほどの明るい茶色の長髪に鳥の羽のようなクセ毛と緑色の目が特徴的な女性は玉狛支部が誇る精鋭隊員の一人。

 玉狛第一のエース攻撃手・小南桐絵だった。

 玉狛支部所属 A級隊員 攻撃手 小南桐絵

 小南は涙交じりに自分のおやつが失われていた衝撃を声にし、部屋にいる面々を睨みつける。

 やがて彼女の視線はカピバラ・雷刃丸の背中に乗って一人熟睡している陽太郎を捉え、乱暴に逆さまの状態でつるし上げた。

 

「さてはまたおまえか!? おまえの仕業か!? そうなんでしょ!?」

「うーん。たしかなまんぞく……」

「やっぱりお前かー!?」

 

 陽太郎の寝言で自白ともとれる発言が飛び出し、小南の機嫌は悪くなる一方だ。そんな小南のお仕置きを初対面である三雲は冷や汗を浮かべて見守る。

 

「あー、ごめんねこなみ。昨日お客さん用のお菓子に出しちゃったの」

「はぁ!? どういう事!?」

「ゴメンって。今度奢るから許して」

「あたしは! 今! 食べたいの!」

 

 すると見かねた宇佐美が陽太郎を助けるべく真相を暴露した。

 しかしたとえ接待用だとしても小南が好物を勝手に使われて許せるはずもなく、怒りの矛先が宇佐美へと向けられる。

 

「どうした、小南。少し騒がしいぞ」

「いつもの事じゃないですか」

 

 瞬く間に部屋が騒々しくなる中、さらに二人の男性が部屋の中へと入って来た。

 木崎と烏丸、小南と同じ玉狛支部の隊員たちである。

 

「ん。……迅さん。ひょっとしてこの三人が玉狛支部に入る新人ですか?」

「はあ? 新人? 何それ、そんな話聞いてないんだけど!」

 

 そして烏丸が宇佐美と向かい合うように座る三雲たちの姿を見つけ、迅に語り掛けた。

 どうやら小南だけは話が通っていなかったようで、今度は彼女の視線が迅へと向けられる。

 

「ああ。まだ言ってなかったな。実は——この三人は、おれの弟と妹なんだ」

「……!?」

 

 迅はおもむろに立ち上がると三雲たちが座る後ろのソファに回り、目を輝かせてそう説明した。

 突発的な発言に三雲は驚愕し、木崎や烏丸は彼の意味不明な発言に開いた口が塞がらず。

 

「えっ。……いや、嘘でしょ! あんたライさんが来た時も同じ嘘ついて滅茶苦茶怒られていたじゃない!」

「あら。バレちゃった。小南なら通用すると思ったのに。腕をあげたな」

「あんたあたしのこと馬鹿にしてるの!?」

 

 小南は一瞬だけ引っかかったものの、かつての経験から彼の嘘を見抜く事に成功した。

 

「修君たちに説明しておくねー。このすぐに騙されちゃう女の子が小南桐絵17歳」

「はぁっ!? これっぽっちも騙されてないんだけど!?」

 

 宇佐美の説明に小南は目ざとくツッコむが、宇佐美は気にする事なく簡潔に紹介を続ける。

 

「で、こっちのもさもさした男前が烏丸京介16歳」

「もさもさした男前です。よろしく」

「こっちの落ち着いた筋肉が木崎レイジ21歳」

「人間やめてないか、その紹介?」

 

 一方、烏丸や木崎は雑な紹介をされても深く言及するような事はせず、さらっと受け流した。対照的な反応に三雲たちは早くも玉狛支部内の人間関係を感じ取るのだった。

 

「——よし。全員揃ったし本題に移るとするか。レイジさんたちも聞いてくれ」

 

 必要な人材がそろった事を確認し、迅は話を再開する。

 この一言で緩んだ空気もすぐ引き締まり、木崎たちも迅の話に耳を傾けるのだった。

 

「この三人はこれから部隊を組んでA級を目指す。当然ながら簡単な道のりじゃない。だが、都合よく入隊式——彼らのC級ランク戦が解禁される1月8日まではまだ三週間と猶予がある。この期間で彼らを鍛えたい。そこで、レイジさんたちにはそれぞれ彼ら3人の師匠となって、マンツーマンの指導をしてもらう」

 

 入隊式まではおよそ3週間ほどの余裕がある。

 折角のボーダー隊員と関わりがあるというメリットを逃す手はなかった。この期間で3人には一段と強くなってもらおうと、迅はチームメイトへと協力を依頼する。

 

「ちょっと、何よそれ。私達何も聞いてないんだけど!」

「まあまあ、小南。これは支部長(ボス)の命令でもあるんだ」

「……支部長(ボス)の?」

 

 突然の発言に小南は不満を呈するが、迅が林藤の名前を挙げると小南の反論は勢いを失った。長年ボーダーに在籍し、支部長として君臨する彼の存在は彼女の中でも大きなものなのだろう。

 

「そういわれては仕方がないな」

「そっすね。仕方ないっすね」

「……むー」

 

 さらに同じ立場である木崎や烏丸が揃って了承の意を示した事で逃げ道はなくなった。

 ここで一人駄々をこねては空気が悪くなるばかり。それくらい小南も重々理解している。

 

「わかったわよ。でもそれなら——こいつはあたしがもらうから」

 

 ならば仕方がないと小南が渋々頷き、空閑の下へと歩み寄って彼の指導を受け持つ事を決断した。

 

「三人の中ならあんたがいちばん強いんでしょ? 見ればわかるわ。あたし、弱いやつはキライなの」

「ほう。よくわかっていらっしゃる」

 

 長年戦ってきた中で身についた戦士の勘だろうか。

 一目見て小南は空閑の実力を見抜いていたのだ。褒められた空閑も悪い気分ではなく、彼女の評価に笑顔で返す。

 

「じゃあ千佳ちゃんはレイジさんだね。狙撃手経験あるのうちではレイジさんだけだから」

「は、はい。よ、よろしくお願いします……」

「ああ、よろしく」

 

 さらに狙撃手経験から雨取の担当も木崎一択であった。

 宇佐美に指示されて雨取が小さな声で木崎に挨拶をすると、木崎もできるだけ怖がらせないように穏やかな声で応えた。

 

「となると、消去法で俺の相手は……」

「はい。よろしくお願いします」

 

 残る烏丸は同じく取り残された三雲とペアを組む以外の選択肢はない。

 こうして小南と空閑、木崎と雨取、烏丸と三雲という三組の師弟が成立したのだった。

 

「よーし。じゃあ皆、それぞれ師匠の指導をよく聞いて、入隊式までしっかり鍛えてもらってくれ!」

 

 彼らならば問題ない。

 迅は笑顔でそう言い、3人の奮闘を祈って話を締めくくるのだった。

 

「あれ。迅さんはコーチしないの?」

「3人がいれば必要ないよ。それに、やることもあるからな。じゃ、後は頼んだよ」

 

 そう言って迅は宇佐美の誘いを丁重に断り、支部を後にする。

 おそらくはまた何か暗躍するのだろうなと見送られ、街中に瞬く間に消えていくのだった。

 

「じゃあ行くわよ。トリガーの事とか教えてあげる」

「よろしくお願いします」

「狙撃手は他のポジションとは少し勝手が違う。まずは簡単な狙撃訓練を見せてもらうぞ」

「は、はい!」

 

 迅に続き、小南や木崎も早速訓練に取りかかろうと行動を開始する。

 空閑、雨取の二人も師匠の後に続き、部屋から退出するのだった。

 

「それじゃあ俺達も行くか」

「はい! ——あの、烏丸先輩」

「どうした? 何か用事でもあるか?」

 

 彼らの続こうと烏丸も足を外へと向ける。

 三雲も彼の後を追おうとして、ある事を思い出し師匠を呼び止めるのだった。

 

「実は、少し試したい事があります。よろしいでしょうか?」

「——なんだ?」

 

 意外だな、と烏丸は心の中でつぶやく。

 何か訓練する前に弟子の方から頼まれるとは思ってもいなかった。

 一体何を頼むのだろうか。新弟子の提案に興味を抱きつつ烏丸は次の言葉を待つのだった。




「彼は、おれの弟なんだ」
「はっ?」
「えっ!? そうなの!?」
「はっ?」
「ごめん、思っていたより紅月君が怒っているから今のなしで。……そんなに駄目だった?」
「妹に手を出すような兄は殺されても文句はないですよね?」
「怖!」
 ※経験済み


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三雲修

 三雲が初めての烏丸との訓練に臨むにあたって、新たな師匠に頼んだ事はとても簡潔なものだった。

 

「特訓なんですが、いくつか試してみたいトリガーがあるんです。何度かトリガーを入れ替えつつ指導してもらってもよろしいでしょうか?」

 

 そんな事かと烏丸は肩の力を抜く。わざわざ訓練前に弟子自ら志願するのだから何かもっと大きな試みを考えているという想定もしていたので拍子抜けした。

 迅の話によると三雲はB級に上がったばかりだという。すなわちまだ訓練用トリガーから従来のトリガーになったばかり——あらゆるトリガーの使用解禁を許されたばかりという事だ。

 

「別に構わないが、ただ闇雲に試してもあまり意味はないぞ。どんなトリガーなのか試すならば良い。しかし人には向き不向きがあるからな。それを理解したうえでやろうというならば、お前のやりたいようにやってくれ」

「はい。ありがとうございます!」

 

 師匠の許可を得て三雲が満面の笑みを浮かべる。

 訓練生時代に一つしか使えなかったトリガーの制限が解除され、色々な武器を使えるようになったとなれば新しいものに挑戦したくなる気持ちも理解できた。

 ゆえに最初は彼の自由意思を尊重し、暴走しそうならばそこで止めれば良いだろう。

 そう考えて烏丸は簡単に許可を出したのだった。

 

 

————

 

 

『玉狛支部に転属か。良いんじゃないか? 親しい人がいるならば近くで手を貸すのが一番だろう。俺はきっと良い転機になると思うぞ』

『ありがとうございます。——村上先輩』

 

 昨日の夜の出来事。

 三雲が電話をかけていた相手は彼がレイガストの使い方を学んでいた村上であった。自身も似たような覚えがあるためか、夜遅くであるものの村上の声色は非常に優しい。

 内容はもちろん本部から玉狛支部へ所属が移った事を知らせる事の報告。そして環境が変わった事による対応法について尋ねる事だった。

 

『それで、玉狛支部に移った事でこれからどうしていくべきかと思いまして。本部に行く機会が減ったとなれば当然個人ランク戦への参加や観戦は難しくなりますし、一人で練習していくには限界があると思ってしまって』

『……確かにな。転属したばかりで本部につきっきりになるのはイメージも悪いだろう。しばらくは支部の環境になれることから始めるべきだ』

『はい』

 

 村上の意見に三雲も肯定の意を示す。彼の悩みとは新たな環境で強くなるためにはどうするべきかという事だった。

 玉狛支部をはじめとした本部とは系統が異なる支部では当然の事ならがランク戦は行われない。個人ランク戦や部隊ランク戦を行う、あるいは観戦するためにはボーダー本部を訪れる必要があった。部隊ランク戦の観戦だけならば解説・実況も行われるためその限りではないのだが、個人戦は違う。

 三雲もこれまで何度か個人戦を見学し、先輩隊員たちの戦いを見て、感じて技術を学ぶ事もあったためにこの変化は一番大きいものとも言えた。

 

『俺としては、玉狛内でも新たな師匠を見つけることが一番だと思う。お前くらいの年齢の場合は同級生も少ないしな』

『えっ? 新たな師匠を?』

『ああ。玉狛支部は強い隊員が集まっているから都合が良いだろう』

 

 迷う彼に村上は玉狛支部に移った事で生じたメリットを生かすべきだろうとアドバイスを送る。

 彼や宇佐美が語るように玉狛支部は精鋭揃いだ。

 支部長の林藤が歴戦の猛者である上に完璧万能手の木崎、エース攻撃手の小南、実力派万能手の烏丸、経験豊富な宇佐美、そして暗躍する達人者の迅。

 最強の部隊とも噂される玉狛支部はボーダーの中でも精鋭中の精鋭が集っていた。だからこそそこで直接教えを受けるのが一番だろう。村上はもっともな指摘を送るが、三雲は二つ返事で頷く事はできなかった。

 

『ですが僕はすでに村上先輩から教えを受けています。それなのに他の人から指導されて良いんでしょうか?』

 

 教えを乞う相手が何人もいれば、結局どの教えも中途半端にしか身にできないのではないか。一人の人に集中してついていくのが人間関係を構築していくうえでも良いのではないかというのが三雲の意見だった

 ゆえに三雲は自身の悩みをそのまま打ち明けたのだが、村上はこともなげに彼の苦悩を一刀両断する。

 

『気にする必要はない。俺の知り合いも『は? 新たな師匠? おい、今度はどこの女の子や! 俺とは遊びだったんやな! ——ん? 男? ほーん。ならええんちゃう? 色んな人の下で学ぶ事で得られる事も多いやろ』って言われていたからな』

『そ、そうなんですか……?』

 

 声の調子まで変えて当事者になりきる師匠の話に三雲の頬がひくついた。

 『それはただ師匠の人が興味を失っただけでは?』と思ったものの話が逸れてしまいそうなので口には出さない。しかしそこまで言わせるとはその村上の知り合いという人物はよほど異性関係が緩いのだろうか。できれば近寄らないようにしよう、三雲は硬く決意する。

 

『だから深く悩む必要はない。すべてを学ぶ必要はないんだ。俺の友がよく言っている事だが、『一つでも新たに吸収し、活かせる事があるならば挑戦してみるべき。まずはやってみてからだ』。きっとお前も新たな挑戦で得られるものがあると思う』

『——はい!』

 

 最後に村上は挑戦し続ける友の言葉を借りて三雲の背中を後押しした。

 師匠からの強い勧めは彼にとっては大きな心の拠り所となる。

 こうして三雲も新たな師匠から指導を受けるにあたり、大きな進歩を遂げようとしていた。

 

 

————

 

 

 玉狛支部トレーニングルーム、001号室。

 訓練用にトリガーで作られた空間は背景や障害物も何もない殺風景な部屋だ。ここで三雲と烏丸はまずは三雲がどれだけの実力を持っているのかを図るべく本気で戦闘を行っていた。

 三雲の要望通り、彼がトリガーを変更してから行われた一戦は、やはり烏丸優位の中で戦闘が繰り広げられていく。

 

「くっ!」

「どうした。守ってばかりでは勝てないぞ?」

 

 上段から振り下ろされた弧月をレイガストで受けるのが精一杯の三雲を煽るように烏丸が語りかけた。

 続けざまに振り上げた刀を、三雲は必死に食らいつきレイガストの盾を軌道上においてしのぐ。盾に罅がはいるが、まだ割られてはいない。とはいえトリオン量で劣る三雲では確かに烏丸の言う通りこのまま削られておしまいだろう。

 ただ受けに回っていてはジリ貧だ。あの日、学校で近界民に押し切られた時のように。

 

「わかって、います!」 

 

 それくらいは三雲自身も理解している。レイガストの特徴、自身の力量は他の師匠に嫌と言うほど指摘されてきた事だった。

 

「スラスター、オン!」

 

 だが今は彼にも他の武器がある。

 レイガストにのみ使用できるオプショントリガー・スラスター。今ならば三雲も使用できるこの武器を使い、レイガストを盾のまま大降りに振るった。加速が重なった衝撃はすさまじく、実力で優る烏丸を勢いよく弾き飛ばす。

 

「おっ」

炸裂弾(メテオラ)!」

 

 相手が後方に吹き飛ばされた瞬間、新たにサブトリガーへ入れ替えた炸裂弾(メテオラ)を起動。瞬時にトリオンキューブを生成すると、分割した弾が烏丸の頭や手足と幅広く襲い掛かかった。

 

(狙いを定めさせない手か。悪くない)

 

 シールドを広く展開せざるを得ない攻撃だ。射手がよく使うテクニックに烏丸も素直に称賛する。

 弾は烏丸が起動したシールドや地面に激突し、爆風が部屋中に立ち込めた。

 瞬く間に視野を奪う煙が広がる中、三雲が爆風を突っ切りレイガストを前面に構えて突撃する。

 

「ちっ」

 

 これを烏丸は弧月で受け止めた。

 追撃の一手を封じたが、ここで三雲は攻め手を緩めない。鍔迫り合いになるやスラスターを再び起動。盾を横に薙ぎ、烏丸を吹き飛ばした。

 体勢が崩される烏丸だが何とか両足で踏ん張り最低限に抑えて追撃に備える。

 するとレイガストを盾から剣モードへと切り替える三雲の姿が目に映った。

 トドメの斬撃を警戒して烏丸が身構えする。

 そんな彼に、真横から爆撃が容赦なく襲い掛かった。

 

「……なにっ?」

「取っ、た」

 

 烏丸のトリオン体にヒビが伝わる。

 瞬く間に彼の体が崩壊し、この一戦は終了した。

 特別な事ではない。腕のある射手ならばよく使われる技術・置き弾だ。それを三雲は最初の炸裂弾の際に全てを発射せず一部だけはそのまま残しておき、烏丸の意識が完全に逸れたタイミングで死角から解き放った。

 訓練生時代に何度も目にし、知識を学びながらも使う事が許されなかった技である。

 それがようやく自分のものとなり、三雲の力となっていた。

 

 

————

 

 

「……正直に言って驚いたな。一本取られるとは思っていなかったぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 十本勝負を終え、部屋を出た烏丸は三雲と共に水分補給を取りつつ声をかけた。

 三雲が烏丸を相手に取れた勝利はあの一本のみ。あの戦い以降は烏丸も三雲の実力を図るという意識ではなく、本気で相手するという意識で臨み、9本の勝利をつかみ取った。

 それ以後は三雲が一度も勝てなかったとはいえ、本気を引き出したのだから出来過ぎの成果と言えるだろう。烏丸の言葉に過剰な賛辞は含まれてなく、心からの本音だった。三雲もそれを感じ取ったためか彼の返答は明るいものである。

 

「たしか、村上先輩にレイガストを学んだと言っていたな?」

「ええ。体をなじませる事を優先に、レイガストの使い方や戦い方を。特に僕の場合はトリオンが限られているので、将来正規のトリガーを使えるようになった時に自由に動けるように指導してもらいました」

「なるほどな」

 

 三雲の説明で烏丸は合点がいったのか軽く息を吐いた。

 確かに村上の指導ならばここまで動きが慣れているのも納得できるし、B級になって本領を発揮できたというのもうなずける。

 理由としては村上の話通りトリオン量とトリガーの制限だ。

 生まれつきトリオン量が少ない三雲は同じ武器を使うにしても出力が少なく、身体能力でも劣る彼は武器本来の性能を引き出せない。さらにスラスターなどのオプショントリガーも使えないため敵の意表を突いたり反撃の機会をうかがう事は難しかった。

 

(自由な身になった事でようやく村上先輩の教えが活きてきたという事か)

 

 しかしB級に昇格し、その問題が解決した事で話は一変する。

 スラスターを使えば相手の態勢を崩したり意表を突くこともできるし、メテオラなどの他のトリガーを使う事で多角的な攻撃が可能となった事で相手の裏をかくこともできるようになった。

 特に村上の動きをスラスターによって模倣できるようになったことは非常に大きい。現に烏丸の動きを封じる事につながっていた。

 

「……射手トリガーについても村上先輩から学んでいたのか? 鈴鳴支部には射手はいなかったと思うが」

 

 気になる点があるとするならば、三雲が射手トリガーにも着手していたと感じられた点である。

 村上の本職は攻撃手だ。中距離戦も人に教えるとは思えないが、彼のチームメイトの中にも射手はいなかった。そのため村上やその周囲の人間が三雲に教えたとは考えにくい。

 

「あ、いえそれはその——」

 

 答えにくかったのか、三雲は後頭部をかきながら言葉を濁した。

 烏丸に『答えたくないならば答えなくても良い』と諭され、ようやく先の言葉を紡ぐ。

 

「そちらに関しては独学というか、直接習った師匠はいません。ただ——」

「ただ?」

「——村上先輩から『よく見ておくと良い』と言われて、紅月先輩のランク戦のログを見て独自に研究はしていました。さすがにあんなに上手くは動けませんけど、スラスターなども使って上手く工夫すればと見様見真似にやってみたんです」

 

 烏丸の目が見開かれた。

 ——紅月。

 烏丸がまだ太刀川隊に在籍した時、何度も最強と呼ばれた隊長と斬り結ぶ姿を目撃したが、その相手が彼だ。しかも出水とも射手対決をするなど攻撃手以外にも様々な面を持っていたともいわれる多芸に秀でた先輩隊員である。

 

「そういう事か」

「えっ?」

「お前が良く動けていた理由が分かっただけだ」

 

 首を傾げる弟子にそう言って烏丸は話を終えた。

 トリオン体の動きは村上の指導の下、感覚が身についていたおかげで向上したのだろう。さらにもう一人、実際のお手本を目にした事で自分が戦い、トリガーを操るイメージが出来ていた。

 三雲は簡単に言っていたが、決して楽な事ではない。

 

(村上先輩や紅月先輩の思惑は知らないが、こいつは里見先輩と同じ強さを身に着けようとしているのかもしれない)

 

 彼の言葉通りならば、三雲は現銃手最強と似た道を辿ろうとしているのだから。

 ライの戦法(スタイル)を村上の技術(テクニック)で模倣する。

 自分の力のなさを良く理解したうえで、最大限の工夫をしていた。ライは相手の裏をかくために様々な戦法を身に着け、ものにしていたがそれを追うように三雲も上達している。

 もちろんまだまだ粗削りな面はあるし見本と比べれば戦いの幅が狭く鋭さで劣る。何よりも迫力に欠けていた。トリオン量の問題もあって本家と比べれば見劣りするだろう。

 しかし可能性は見いだせた。基礎が磨き上げられているならば伸びる余地は十分ある。

 烏丸は始まる前とは比べ物にならないほどの期待を三雲に寄せるのだった。

 そんな彼らの下に空閑や小南が姿を現し、さらなる衝撃を与えるのはこの数分後の事である。

 

 

————

 

 

『城戸司令。遠征部隊より通信が入っております』

「ああ。続けてくれ」

『はい。『遠征部隊は無事にメノエイデスを出立。およそ68時間後に本部基地に到着予定』とのことです』

「そうか。ご苦労」

 

 その頃、ボーダー本部会議室。

 予定通りの報告を耳にすると城戸は労をねぎらい、通信を切った。

 部屋の中には今城戸が一人だ。

書類に目を通していた最中の報告に、城戸は誰に言うともなくつぶやいた。

 

「あと三日か……」

 

 遠征部隊であるボーダーのトップ部隊が帰還するまで、作戦が開始するまであと三日。彼らが帰り次第作戦を練り、実行に移す事となる。

 近界民との衝突は避けられないだろう。黒トリガーとの争いとなれば激戦は必至だが、トップ部隊に三輪隊も加われば勝機は十分すぎるほどだ。

 作戦会議の内容次第だが、開戦の時はそう遠くない。城戸は短い言葉の中に様々な感情を籠め、再びペンを動かすのだった。

 

「——失礼します」

「……ああ。面会予約はもらっている。入り給え」

 

 そんな中、三度扉がノックされ入室の許可を求める声が扉越しに響く。

 落ち着いた声の主を理解し、城戸は静かに入室を促したのだった。

 ほどなくして一人の隊員が城戸と面会し、ある内容を進言する。

 

 

 まだ、結果(未来)は決まっていなかった




「イコさん。最近新入隊員の間で僕が女遊びをしていると噂が出ているそうなんですが、心当たりありますか?」
「はっ? 自分、師匠の事を疑っとるのか? あるわけないやろ」←元凶
「……そうですか」


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帰還

『門発生、門発生』

 

 近界民の襲来の元である門の発生を告げる警報がボーダー本部基地中に鳴り響く。

 だが、その音を耳にしても防衛隊員は任務に就いている者も非番の者も含め、誰一人現場に駆け付けようとはしなかった。

 それもそのはず。

 この門はボーダー本部内に発生し、ボーダー隊員の帰還を告げるものなのだから。

 

『遠征艇が着艇します。付近の隊員は注意してください』

「ようやく来ましたな。待ちくたびれましたぞ」

 

 やがて門からゆっくりと巨大な遠征艇が現れ、専用格納庫へと降り立った。

 地を揺らし、重厚な音が空間中に響き渡る。

 待ちに待った遠征部隊(トップチーム)の帰参に鬼怒田が口角を上げる。彼につられるように根付や唐沢といった彼らを出迎える上層部の面々の表情が明るくなった。

 ただ一人、トップである城戸を除いて。

 彼だけはいつもの毅然とした態度を崩すことなく、戻っていた遠征艇をじっと見つめるのだった。

 

『……来たか』

 

 同じころ。

 ボーダー本部の作戦室の一角で、そして警戒区域内のあるビルの屋上で、ライと迅が全く同じ言葉をつぶやく。

 

「太刀川さんたちが戻って来たという事は」

「ここから忙しくなりそうだ」

 

 二人ともこれから起こるであろう戦いを見据えていた。

 もちろん、まだその戦いが発生すると確定していたわけではない。太刀川や風間と言った帰還したばかりのメンバーの動向次第だろう。

 とはいえ両者共に間違いなく争いは起こり、その時は決して遠くはないのだろうと悟っていた。

 

 

 

————

 

 

「長旅ご苦労だった。皆無事の帰還を果たせて何よりだ、ボーダー最精鋭部隊よ」

 

 ボーダー本部会議室。

 風間から遠征の成果である新たなトリガーを受け取り、城戸は部隊を代表して集まった3名、太刀川・風間・当真の三名にねぎらいの声をかけた。(冬島隊隊長である冬島は訳あって出れなかったために当真が代理で出席)

 

「——さて。お前たちには帰還早々で申し訳ないが、新たな任務を言い渡す。現在玉狛支部にある黒トリガーの確保だ」

「黒トリガー……!」

「玉狛? どういう事です、城戸司令? 迅が何かやらかしたんですか?」

 

 さらに城戸は悩みの種であった黒トリガーの騒動をいち早く解決すべく、すぐに三人に命令を下す。

 突然の指令だが、三人とも特に嫌な顔は浮かべていなかった。

 しかし黒トリガー、しかも玉狛というキーワードに風間は衝撃を覚え、太刀川は真意を理解できずに問いを返す。

 

「三輪隊、説明を」

「はい。では私から」

 

 城戸が先に召集していた三輪と奈良坂へ視線を向けると、奈良坂が立ち上がり話を引き継いだ。

 

「事の発端は12月14日の午前。追跡調査により近界民を発見し、交戦にて黒トリガーの発動を確認しました。その能力を我々や紅月隊長は『相手の攻撃を学習し、自分のものにする』と分析しています」

「……こちらのトリガーを!」

「ん? 奈良坂、今お前紅月隊長って言ったか? あいつも戦闘に参加していたのか?」

「いえ。当時の彼は迅隊員の警戒に当たっており、その後例の『紅月旋空』にて三輪・米屋両名の救出にあたったものの、そこで矛を収めています」

「ふーん……」

 

 顎に手を当てながら、太刀川は思索にふける。

 何か気になった事があるのだろうか黙り込んだ。彼の考えは読めないが、何か考えが思いつけばまた口を開くだろう。奈良坂は説明を再開する。

 

「その後、玉狛支部の迅隊員が介入。彼が近界民と面識があったために停戦となりましたが、その近界民は玉狛支部を訪れると、迅隊員の手引きでそのまま玉狛支部へ入隊した模様。そして現在に至ります」

「はあ!? ボーダーに入隊した!? そんなのありか!」

「玉狛ならばありえない話ではない。すでに前例があるからな」

 

 奈良坂の言葉に当真が『信じられない』と言葉を荒げた。

 とはいえ玉狛に所属する技術者は近界民であり、過去に同じことがあった以上は不思議な話ではない。当真を諭す風間の声は非常に冷静なものだった。

 

「それよりも問題なのは、その近界民が黒トリガー持ちであるという事だ。その近界民と迅の風刃。二つの黒トリガーが玉狛にあるとなれば、ボーダー内のパワーバランスは崩壊する」

「その通りだ」

 

 問題なのはこれにより玉狛に二つの黒トリガーが存在するという事。

 黒トリガーは容易に戦況をひっくり返す事が出来る強力な武器だ。それが二つとなれば、ボーダー内の均衡が釣り合わなくなる。

 それだけは何とかしなければならなかった。

 風間の言葉に城戸がゆっくりと頷く。

 

「それを見過ごすわけにはいかない。お前たちは三輪隊と共に何としても黒トリガーを確保してもらう」

 

 顔に走る傷跡を指でなぞり、最終的な命令を下した。

 

「マジかー。これ玉狛の連中も黙ってないだろうし、内部抗争になるんじゃねーの?」

 

 この後に起こりうる戦いを察し、当真が呑気な声で悪態をつく。

 

「……当真」

「ヘイヘイ。仕事とあればちゃんとやるよ。——ただ、『三輪隊と共に』って紅月は? あいつは任務に参加しねえの?」

 

 風間に鋭い視線を向けられた当真はわざとらしく大きなため息を溢し、そして同年代の少年を思い返してそう口にした。

 先の報告でライの名前が上がったのだから何らかの任務についていたはずだ。それにも関わらず黒トリガー回収の命令には名前が挙がっていないとはどういう事なのか。

 

「彼はお前たちが戻ってくるまでのつなぎだ。三輪隊のみでは制限があると考えたが、お前たちがいるならば問題はないと任務から外れてもらった。——まさか彼抜きでは黒トリガーを相手取るには力不足という事はあるまい?」

「もちろんです。城戸司令」

 

 城戸司令の説明に風間は静かにうなずいた。

 確かに三輪隊だけならば協力を要請するのも理解できるが、今は違う。遠征部隊に選ばれるという事は、そういう事なのだから。

 

「……黒トリガーの行動パターンとかはわかってるのか? まさか正面から殴り込むわけにはいかないだろ?」

 

 しばらく静観を決め込んでいた太刀川が両手を頭の後ろに回して口を開く。

 

「はい。黒トリガーは朝7時頃に玉狛支部に到着。夜9時から11時の間に玉狛から自宅へと戻るようです。現在はうちの米屋・古寺の二人が監視しています」

「なるほど。——じゃあ、作戦決行は今夜としましょう」

 

 疑問に奈良坂が答えると、太刀川はあっさりとそう言った。

 

「……ハッ!?」

「今夜!?」

 

 あまりにも早急すぎる決断に周囲がどよめく。遠征部隊は先ほどこちらの世界に帰ってきたばかりであり、加えて黒トリガーが相手という中、まともな判断とは思えなかった。風間や当真は声には出していないものの太刀川の表情をじっとのぞき込み、鬼怒田や根付といった面々は難色を示す。

 さらに彼らだけでなく三輪も同じ考えであった。ここまで口を挟まなかった彼もさすがに太刀川の判断の甘さを指摘しようと沈黙を破った。

 

「太刀川さん。いくらあんたでも相手を舐めない方が良い」

「舐める? なんでだ、三輪? 相手のトリガーは『学習する』のが能力なんだろ? なら今頃もさらに『学習』して強くなってる可能性がある。なら敵に『学習』の機会は与えるべきじゃない。だから紅月も下手な戦闘は避けたんじゃないのか?」

「……!」

『これ以上の戦闘は益がないと判断した』

 

 ふとライの発言が脳裏によみがえる。

 今思い返せば、あの時の三輪は冷静さを欠いていた。もしも自分がまだ動ける状態だったならば間違いなくライと共に黒トリガーに挑んでいたことだろう。

 それが敵の強さになるとも考えずに。

 

「な? なら早めに終わらせようぜ。ずっと見張りしてる米屋や古寺に悪いしな」

 

 三輪が納得したとみるや、太刀川はそう言って話を締めくくる。

 

「なるほど。なら俺も賛成で」

「確かに早期の解決が望ましいな」

 

 さらに当真や風間までも賛成の意志を示したとなれば、これ以上反対の意見が出てくる事はなかった。

 

「——では、よろしいですか? 城戸司令?」

 

 隊員たちの賛同は得た。最後に太刀川は城戸へ振り返り、最終的な承認を求める。

 

「良いだろう。指揮官はお前だ、太刀川」

「了解」

「ただし、くれぐれも注意してほしい。迅隊員が迎撃の準備をしているという噂も上がっているのでな」

 

 問題はなかった。

 城戸は太刀川の方針を容認し、最後に一つ注意を促す。考えられる限りの最大の脅威の可能性に、室内が再びざわめいた。

 この場に迅の実力を把握していないものはいない。当然の反応だろう。

 

「……へえ」

 

 ——ただ一人、太刀川だけは城戸の言葉に満面の笑みを浮かべると、

 

「そいつは、俄然楽しみになってきた」

 

 宿敵との戦いに胸を躍らせるのだった。

 太刀川慶、迅悠一。かつて攻撃手最強を争った関係の二人。迅がS級隊員となった事で二人の戦いはしばらくの間行われなくなったのだが、それが思わぬ形で再現されようとしている。

 戦闘狂とも呼ばれる太刀川がこの知らせに喜ばないわけがなかった。

 

「じゃあ夜まで作戦を立てるか」

「まずが襲撃地点の選定が先だろうな」

「なるほど。じゃあそのあたりは三輪隊から移動ルートを聞いて絞るとしようか」

「了解です」

 

 こうして作戦会議は終了する。

 後はじっくり作戦を立案し、夜まで備えるだけだ。

 各隊員は部屋を退出すると太刀川や風間を中心に作戦計画を立て始める。

 

「問題はその黒トリガー使いの能力がどれくらい応用が利くかだな。ふむ。——なあ三輪」

「なんですか?」

 

 太刀川は報告の資料に目を通し、そしてある項目を目にして三輪の名前を呼んだ。

 

「お前の鉛弾が滅茶苦茶威力あがって返されたって報告になっているけど?」

「……ええ。威力だけでなく連射性能が低い鉛弾の弾数までかなり増えていました」

「弾数が増えたってどれくらいだった?」

「外れた分も考慮すれば、20はくだらないかと」

「マジか」

 

 三輪の発言に太刀川は目を丸くする。嫌な予感がしたのだろうか、珍しく冷や汗を浮かべると頬をかきながら恐る恐るつぶやいた。

 

「まさか、紅月の紅月旋空まで真似されて、同じくらい量が増えるって事はないよな?」

 

 この太刀川の一言により、空気が凍り付いた。

 

「……えっ?」

「まさかそんなことが」

「どうなんだ? 黒トリガーとなると限界が予想もつかねえけど……」

 

 風刃ほどの射程距離はないとしても、三輪の鉛弾並にあの必殺技を返されればさすがのトップチームといえどもただではすまない。

 太刀川の脳裏には20人に増えたライが同時に旋空の連撃を解き放つ光景が浮かんでいた。カオスである。一体どれだけの悪事を働いたらそのような攻撃を受ける場面になるというのか。

 

「やっぱり早めに解決しないとやばそうだ」

 

 答えは出ないが最悪の可能性を捨てきれなかった。

 太刀川の言葉に皆が揃って頷く。むしろ事前に気づけて良かったと言えるだろう。もしも想定もせずに対峙し、そして本当に繰り出されれば苦戦は必至だったのだから。

 

 

————

 

 

「お、おおお!?」

「ちょっと! なによこの数値!? 壊れてるんじゃないの!? 黒トリガーレベルじゃん!」

 

 同時刻、玉狛支部。

 本部で襲撃の計画を立てられているとは想像もしていないため、穏やかな休憩時間を過ごしていた。

そんな中、雨取のトリオン量の測定結果が出るとその桁外れの数値に宇佐美や小南が目を丸くする。

 

「千佳ちゃんすごいよ! こんなの見た事ない!」

「一体この体のどこにこんなトリオンが……!?」

「えへへ……」

 

 宇佐美が雨取の頭を撫で、小南が両の頬を引っ張った。

 木崎の『トリオン量が切れるまで狙撃訓練に励め』という指示の中、彼の想像に反し、予想を超える時間がたってもなおトリオンが切れず、訓練を続けていた雨取。そのトリオン量は黒トリガーを除けばボーダー隊員の中でも最高の数値を誇っていた。

 

「雨取のトリオン能力はA級隊員をも凌ぐ。能力や性格も狙撃手向きと言えるだろう。このまま訓練を積めば、十分エースになれる素質がある」

「おおー! レイジさんのお墨付き!」

 

 さらにトリオン量だけではないと木崎が補足する。

 ひたすらに訓練を続けるだけの忍耐力、そして集中力は狙撃の機会を待つ狙撃手にとって求められる力だ。これからも訓練を続ける事で技術が身になれば正規隊員の中でも見劣りしないだろう。木崎はそう信じていた。

 

「となると、三人の中では千佳ちゃんが一番将来有望かな?」

「むっ。うちの遊真だって強いよ!」

 

 宇佐美が雨取の明るい未来を思い描くと、小南が負けじと空閑をつかみ上げて反論する。

 実力を認めあい、名前で呼び合うようになった二人の関係はとても良好なものだった。

 

「今でもB級上位と戦えるくらいの腕があるし、トリガーに慣れればすぐA級レベルになるんだから!」

「うむ。こなみ先輩よりも強くなります」

「いや、それはないから。勝つのはあたしだから。調子に乗るな」

 

 目を輝かせて調子のよい発言をする弟子を軽く小突く小南。

 慣れないトリガーの中、空閑は小南から10本勝負をして2~3本は安定して取れるようになるなど力を示していた。

 

「そっか。じゃあ遊真くんには先にトリガーの説明をしておこうか。本当はB級に上がってからなんだけど、その方が勝手がよさそうだし」

「よろしくお願いします」

 

 負けず嫌いの小南が認めるならば昇格もそう遠い話ではない。宇佐美は早くも彼が様々なトリガーを使い込なす姿を想定し、計画を立てていくのだった。

 

「で? そっちはどうなのよ、とりまる。そのメガネは使い物になるの? 言っとくけど、玉狛(うち)に弱いやつはいらないからね」

「うっ」

 

 そして雨取、空閑と続けば当然次の矛先は三雲へと向けられる。

 小南の鋭い視線が三雲を射抜いた。

 容赦のない発言に三雲の頬を冷や汗が伝う。

 

「少なくとも、次の部隊ランク戦までに形にはなると思いますよ。基礎や知識が固まっている分、そっちの二人よりも戦闘以外にも時間をさけそうなので」

「あら、そうなの?」

「ええ」

「烏丸先輩……!」

 

 しかし、烏丸が弟子を助ける様に三雲を支持する意見を述べた。死の助け舟に三雲の表情が和らぐ。

 

「しかも、さっき小南先輩を『超かわいい』って言うくらいの余裕はありましたから」

「!?」

 

 その直後、烏丸が目を輝かせてありもしない発言を呈した事で再び空気は一変した。

 

「えっ……!? そうなの!?」

「うむ。確かに言っていたような気がする」

「ホント!? もー。ちょっとあんた本当にやめなさいよ、そういうの!」

 

 しまいには空閑までもがこの冗談に乗っかったために小南の疑惑は薄れていく。

 本当にそう言っていたのかと信じたのだろう。小南はすっかりと三雲に気を許し、ぎこちない笑みを浮かべるのだった。

 

「すいません嘘です」

「……はっ!?」

「だから嘘です。こいつそんな事一言も言っていません」

「なっ。……騙したな! このメガネ!」

「いえ、騙したのは僕じゃないです!」

 

 あっさりと烏丸が真実を暴露すると、小南の怒りはなぜか三雲へと解き放たれる。後ろから羽交い締めにし、何度も頭部をぽかぽかと殴りつけた。突然の豹変に三雲はただ必死に呼びかけるしかできない。この拘束はしばらく続くのだった。

 

「まさか本当に信じるとは。さっきは紅月先輩の件で嘘とわかったんだから、こっちもすぐ嘘だってわかると思ったんですけど」

「違うもん! ライさんは本当に『魅力的だ』って言ってくれたもん!」

 

 かつての経験から今度もすぐに見抜かれるとは予想外だったのか、烏丸がそうつぶやくも小南は必死に反論する。

 

(……紅月先輩、本当に言ったのか)

 

 彼女の言葉に三雲は目標とする相手を思い返し、彼の人物像に疑問を深めるのだった。

 こうしてのどかな休憩時間を過ごし、3組は各々午後の訓練に励んでいく。

 彼らの知らないところでまもなく大きな戦いが繰り広げられるとは、誰も考えてもいなかった。

 

 

———— 

 

 

 その日の夜。

 無人の住宅街をいくつもの影が疾走していく。

 三輪を先頭に太刀川や風間と言った面々が続き、襲撃ポイントを目指していた。

 当然のように奇襲を気づかれない為に全員がバッグワームを展開している。黒いマントをなびかせ、廃棄された建物の間を駆け抜けていった。

 集まっているのは皆精鋭中の精鋭だ。ただ並んでいるだけでも迫力がある。

 特に戦闘を行く三輪の表情は強張っており、一段と凄みを増していた。

 

「おいおい三輪。張り切るのも良いがもっとゆっくり走ろうぜ。今からその調子じゃ疲れちゃうぞ」

「……」

 

 その三輪に茶々を入れる様に太刀川が言う。

 舌打ちをするまでには至らなかったが、それでも『やはりこの人は苦手だ』と三輪は内心考えるのだった。

 だが確かにまだ見張りだった米屋や古寺が合流するまで時間がある。

 少しは足を緩めても良いだろうかと、そう考えて、

 

「止まれ!」

 

 太刀川が前方に見覚えのある人物を捉え、叫んだ。

 その声に呼応して三輪を含む全員がその場で足を止める。

 道の先には城戸が危惧していた通り、迅悠一が行く手を阻むように道路の中央で仁王立ちしていた。

 

「迅……!」

「なるほど。やっぱりお前が出迎えるか」

「なんだ。わかってたの、太刀川さん。久しぶり。——で? 精鋭部隊の方々が勢ぞろいでどちらまで?」

 

 三輪が憎らし気にその名を呼び、眼前の相手を睨みつける。

 太刀川もいつでも応戦できるように警戒し身構える中、迅は緊迫した戦況とは不釣り合いな飄々とした態度で答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃ライは——

 

「ん? ライ、それは——ティーポットに、お菓子か? 自分、そんなん持ってどこ行くん?」

「こんばんはイコさん。先ほど知り合いの女の子から『身内が体調を崩したので何か回復しそうなものを用意してほしい』と連絡を受けたので届けに向かっているところです」

「ぶん殴ってもええ?」

「駄目に決まっているでしょう」

 

 生駒につかまっていた。



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急転

「マジで迅さんじゃん! おいおい、本当にやる気かよ」

 

 予想通りの迅との接触。「嫌になるぜ」と当真が息を漏らした。

 

「よう当真。久しぶり。冬島さんはどうしたんだ?」

「うちの隊長なら船酔いで今頃——」

「余計な事を敵にしゃべらなくて良い、当真」

「っと。そうだった。りょーかい」

 

 彼の声に、姿が見えない冬島隊隊長・冬島の行方が気になったのか迅が当真に話しかける。

 当真は何気なくその疑問に答えようとしたが、風間が少しでも情報を隠すべく彼の言葉を遮るのだった。

 

「俺たちを待ち構えているということは、こちらの目的もわかっているという事か?」

「うちのかわいい新入りに手を出しにきたんだろ? これから伸びる若い芽が育つのを邪魔しないでほしいんだけどな」

「無理だ、と言ったらどうする?」

「ならば俺は実力派エリートとして、彼らを守る事になる」

 

 好戦的な笑みを浮かべる太刀川の発言に、迅も腰に備えた風刃に手を添えて答えた。そちらの返答次第では、黒トリガーを抜く事さえいとわない。そう言外に語っていた。

 まだ刀を抜いていない。

 しかし迅のこの宣言に三輪をはじめ、急襲部隊全員が身構えた。

 

「余裕だな。お前ならば知っているだろう? 遠征部隊に選ばれるという事はすなわち、『黒トリガーに対抗できる』と上層部が判断した部隊という事だ。俺達の部隊を相手にお前ひとりで勝てるというつもりか?」

 

 風間が迅を睨みつけるが、相手は笑顔を崩さない。

 迅とてそれくらいの事は知っていた。

 だからこそ、ここまで準備してきたのだから。

 

「まさか。遠征部隊に三輪隊が加わったとなれば、俺の黒トリガーでもよくて五分五分と言ったところだろう。——『おれ一人だったら』ね」

 

その言葉の直後、迅と遠征部隊の中間地点に建つ家屋の屋上に、三つの影が降り立った。

赤を基調とした隊服に、盾と五つ星のエンブレムを胸に宿す部隊。

 

「嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により、これより玉狛支部に加勢する!」

 

 忍田派の筆頭である嵐山隊が参戦する。嵐山がそう宣言すると迅を支援するように彼の後ろに着地し、さらに木虎と時枝も続いた。

 

「嵐山隊だと!」

「なるほど。忍田本部長派と手を組んだか」

 

 予想外の敵の援軍。

 三輪が苦々しく表情を歪め、太刀川は冷静に戦況の変化を察してつぶやいた。

 嵐山は『忍田本部長の命』と言っていた。つまり城戸派・忍田派・玉狛派とボーダーに属する三つの派閥の内、二つの派閥が敵に回ったという事になる。

 これで黒トリガー二つと本部隊員の1/3が敵側となった。もはや一刻の猶予もない。

 

「ああ。嵐山たちがいれば、こっちが勝つよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる。——さて、どうする太刀川さん? ここで退く事をお勧めするけどね」

 

 敵の機微に乗じ、露骨に煽る迅。

 笑みを深くしてそうつぶやく相手に、しかし太刀川はつられるように口角をあげるのだった。

 

「珍しく本気だな、迅。おもしろい。——おまえの予知を覆したくなった」

 

 それが開戦の合図となった。

 太刀川が懐の弧月を引き抜き、構える。

 同時に奈良坂や当真をはじめとした狙撃手たちが潜伏すべく移動を開始し。

 三輪や風間たちが前に出て、嵐山たちも応戦すべくアサルトライフルを握りしめた。

 

「太刀川さんなら、そう言うと思ったよ」

 

 迅も対抗すべく風刃を引き抜いた。

 暗闇の中、刃が緑色の輝きを纏い周囲を照らす。

 ライも『一手で戦局をひっくり返す』と危険視していた迅の力が、真価を発揮しようとしていた。

 

 

————

 

 

「嵐山隊だと……!?」

「ど、どういう事ですか!」

 

 嵐山隊の参戦。

 この情報は前線で戦う戦闘員だけでなく、事の顛末を見守るボーダー上層部をも驚かせるには十分すぎる衝撃であった。

 ボーダーの顔と呼ばれ、忍田派の中でも最有力部隊と言っても過言ではない。それが嵐山隊だ。彼らが敵に回ったという事実に鬼怒田は声を荒げ、根付は信じられず視線を右往左往する。

 

「迅隊員がここまで本気であったとはな」

 

 城戸もさすがにこればかりは考えていなかったのか、そう呟いた。

 迅だけならば何も問題はないと考えていた為に敵の援軍は寝耳に水である。苦戦は必至だろう。

 

「……どうしますか、城戸司令。何か手を打ちますか?」

 

 戦況の変化に対応するならば早い方が良い。唐沢が城戸に促すと、しばし考えに耽った城戸が重々しく口を開いた。

 

「とりあえずこの行動の真意を問うべく、忍田くんをここに召喚しよう。さらなる敵の援軍を防ぐ事にもつながる」

「それだけで良いのですか? 迅隊員が出たという事は、おそらく勝機が視えている(・・・・・)と思うのですが」

 

 あまりにも積極性に欠けた手だ。

 遠征部隊の力を信じていると思われるが、過信して万が一彼らが敗れるようなことがあっては後手に回る事になる。追撃をしようにも相手が立て直してしまっては機会を損ねる事となるだろう。新たに部隊を編成するとなれば時間がかかるのだから。

 唐沢は最悪の可能性を想定し、さらに進言を重ねるのだが。

 

「構わん。すでに、いざという時に備えた手は打っている」

 

 問題が生じたときの備えならすでにある。城戸は唐沢の言葉を切り捨てた。

 この決定の直後、すぐに忍田が召喚に応じ会議室に来室。

 城戸が彼から話を聞いている間に菊地原が撃破されたという報告が上がる。さらに程なくして歌川が落とされ、風間と太刀川も緊急脱出寸前という最悪の知らせが伝わった。

 もはや形勢は玉狛・忍田派に、迅側に傾きかけたと思われたその時。城戸がついにある人物に命令を下したのだった。

 

 

————

 

 

 迅・嵐山隊とA級合同部隊の戦いは二手に分かれ、二方面で行われていた。

 一方は迅と太刀川および風間隊、そして当真を除いた狙撃手による戦い。こちらは迅の副作用と風刃という相乗効果によって迅が優位に立っている。

 もう一方の嵐山隊と三輪・米屋・出水・当真の戦いは合同部隊が優勢を保っていた。

 米屋が木虎のワイヤートラップに引っかかり、撃墜されたものの米屋はただでおわらず置き土産に彼女を屋外に突き出し、射撃の的とする。出水の攻撃は時枝が間一髪でフォローに回り防いだものの、当真の狙撃が彼の頭と木虎の足を撃ち抜いた。

 すでに嵐山の体にも鉛弾が撃ち込まれており、嵐山隊は機動力を大きく失っている。

 このまままともに正面からぶつかっては勝ち目がない。嵐山はそう判断し、カウンターを狙って自陣に相手を引きずりこむ手を考案したが、相手が乗ってこなかった。三輪と出水が迅の方へと進行を開始。嵐山を無視して敵を挟撃しようとする動きを見せた。

 これが本当に迅を狙うのではなく、あくまでも嵐山たちを引きずりだすことが狙いだと嵐山や木虎は読んでいた。しかし三輪達の相手を任された以上はこれを見逃すというわけにもいかず、追撃を選択する。

 

(急がなきゃ。嵐山さんが狙われる前に、速攻で落とす!)

 

 バッグワームを展開し、レーダーから姿を消した木虎が闇夜を賭けた。

 現在、嵐山と木虎は別行動である。出水と三輪、レーダーで位置が判明している二人を嵐山が後方から追い、その間に木虎が潜伏中の当真を探索していた。

 嵐山が敵対している合同部隊のうち、残っているのは三輪・出水・当真の三名だ。そのうち三輪と出水だけは常にレーダーに映っているために所在が判明しているのだが、狙撃手である当真だけはバッグワームを常時展開しているため、今はどこにいるのかさえ分からない。

 そしてこの当真こそが最も危険な相手であると嵐山と木虎は考えていた。

 並み居る狙撃手を差し置いて狙撃手一位に降臨する天才。先ほども時枝を打ち抜き、木虎の足を奪ったその腕は誰もが認めるもの。そんな脅威が姿を消し、今もこちらを狙っている圧は相当なものだ。故に真っ先に排除し、後顧の憂いを断つことが最善策。

 

(今ならば当真先輩たちも油断しているはず。そのうちに!)

 

 木虎は自身の左足へと視線を落とす。

 先ほど当真に吹き飛ばされた左足には、スケート状に形を変えたスコーピオンが展開されていた。スコーピオンの自在に形を変えられる性質を応用し疑似的な義足としたのである。

 常と比べれば当然速度は劣るものの、それでも普通に移動する分には支障はない。おかげで木虎は次々と狙撃ポイントをしらみつぶしに駆け巡ることができた。

 敵は潜伏する敵を探すだけの木虎の足がないと考え、嵐山が今も交戦している三輪・出水のどちらかを狙っていると考えているはず。敵が誤認している今が好機だ。

 近くの公園から騒々しい爆撃音が木霊する中、木虎は戦場を一望できるマンションの階段を駆けあがる。

 

(——いた!)

 

 そして木虎はついに標的を視界にとらえた。

 当真のシンボルマークであるリーゼントがベランダから飛び出している。彼が構えるイーグレットは眼下の公園へと向けられており、やはり奇襲に対しては無警戒のようであった。おそらくは機動力を奪われた相手が自分に来るとは思ってもいないのだろう。

 

(ここで落とす!)

 

 木虎は当真が侵入した経路と思われる空きっ放しのドアから部屋の中へと侵入する。

 当真と同様に木虎もバッグワームを展開している今ならば接近に気づかれる事はない。音を立てないように慎重に、かつ迅速に当真へと近づいていった。

 そしてついに当真のがら空きの背中が眼前に迫る。

 このまま義足となったスコーピオンを振り払えばおしまいだ。木虎は助走をつけ、ベランダへと一目散にかけていく。

 

(獲った!)

 

 当真の頭部だけを見て、勢いよく駆ける木虎。

 左足を振り上げ、切れ味のよいスコーピオンが当真の頭を真っ二つにする。

 

「ッ!?」

 

 ——そのはずだった。

 軸足である右足が何かに引っかかり、バランスを失った木虎はその場で転倒してしまった。

 

「なっ!?」

 

 衝撃に思わず声を漏らす木虎。

 一体何が、と木虎は自分の動きを阻害したものへと視線をむける。

 そこには良く目を凝らさないと見えない鋼線が仕掛けられていた。

 

「ワイヤー……?」

「ああ。暗くて全然見えなかっただろ(・・・・・・・・・・・・・)?」

「——ッ!」

 

 それは先に木虎が米屋撃破の為に使ったものと全く同じトリガー・スパイダーだった。

 意趣返しと言うような当真の口調に、木虎は奇襲の失敗を、こちらの狙いが悟られていた事を察する。

 しかし接近戦ではあくまでも万能手である木虎が有利なのだ。

 木虎は急いで足に力を籠め、ベランダでイーグレットの銃口を向ける当真に接近する。

 今度こそスコーピオンで切り裂こうと左足を振るい——その刃が届く直前、当真の姿は跡形もなく消え去ってしまった。

 

「消えた!? どこに——!?」

「終わりだ」

 

 木虎が突如姿を消した当真の位置を探すよりも早く。

 反対側のビルに転移した当真が放った弾丸が、彼女の頭を撃ち抜いた。

 

『戦闘体活動限界、緊急脱出(ベイルアウト)

 

 この彼女の脱出は、戦況が一挙に変わる事となる発端となる。

 そんな事も知らずにまた一人敵を撃破した当真は得意げにある人物へと通信をつなぐのだった。

 

「いやー、助かった。まさか本当に木虎がこっちに来るとは思わなかったぜ。お前の言う通りに備えておいて正解だ。隊長まで連れてきてくれたんだからな、マジで助かった」

『お礼ならうちの隊長に言ってあげて。あたしはただ彼の指示に従っただけだからさ』

「——本当、あいつがいると退屈しねえな」

 

 敵の接近に備え、ワイヤートラップを仕掛け当真を守った彼女は、自分を卑下して誇ろうとはしない。

 彼女の言葉に当真はその隊長の姿を思い出し、うっすらと笑うのだった。

 

 

————

 

 

「……これは!」

 

 出水の炸裂弾から身を守るためにシールドを集中展開していた嵐山は、背後から自分を貫いた射撃の弾道に目を見開いた。

 決して気づけなかったわけではない。だからこそ嵐山は回避行動に移ったのだが、弾はその逃げた先が分かっていたかのように突如向きを変え、嵐山の体を撃ち抜いた。

 誘導弾ではない。相手の動きを読み、その軌道を操縦者が設定できる変化弾だ。

 しかし今のようにリアルタイムで設定できる隊員などそう多くはいない。那須か、目の前で対峙している出水か、あるいはもう一人だけ。

 ——まさか。

 嵐山が新たな敵を理解したが、もう遅い。トリオン体はあっという間に崩壊し、木虎の後を追うように戦線を離脱するのだった。

 

「嵐山さん!」

 

 隊長の脱落に佐鳥が声を荒げる。

 理解しがたい出来事の連続であった。

 木虎が奇襲に失敗し、撃ち落とされ。嵐山も背後からの変化弾に貫かれ脱出した。

 あの変化弾は出水のものではない。佐鳥が常に出水の攻撃を警戒していたし、オペレーターである綾辻の分析もある。つまり第三者の攻撃によるものだ。次々と味方が脱出し、一気に嵐山隊が危機に追いつめられる。

 

「こうなったら、二人だけでも!」

 

 しかし嵐山の脱落で三輪と出水の警戒も緩んだのか、二人は無防備な状態をさらしていた。

 味方が自分を残して全滅してしまった今、このタイミングで決めるしかない。

 佐鳥はバッグワームを解除し、両方の手でイーグレットを構える、彼お得意のツイン狙撃を試みた。

 二丁のイーグレットが敵に照準を定め、瞬時に銃口が火を噴く。

 同時に放たれた二射は不意を衝ければどんな相手であろうと関係なく脅威と化すだろう。

 

「——エスクード」

 

 そして狙撃が三輪と出水を撃ち抜こうとしたその瞬間、二人を守る様に突如二枚の大きなバリケードが地面からせり上がった。

 弾はその盾にあっけなく阻まれ、音を立てて消滅する。

 

「ええええ!? 嘘でしょ!?」

「そこか」

 

 自慢の必殺技が難なく阻止され、佐鳥が慌てふためいた。

 そんな佐鳥を、バッグワームを解除して無防備となった敵を彼が見逃すはずがない。

 佐鳥同様にバッグワームを解除してエスクードを展開していた彼は、建物の陰から勢いよく飛び出し、標的へと迫った。

 

「やばっ!」

 

 暗闇から突出した影に佐鳥も即座に気づく。

 負けじとイーグレットを構えなおし、照準を謎の影に向けて引き金を引く——

 

「ッ!?」

 

 引く事が、出来なかった。

 イーグレットを握る右手に衝撃が走る。

 何処からか放たれた狙撃が佐鳥のイーグレットを正確に撃ち抜き、破壊してしまったのだ。

 

武器(イーグレット)破壊……!? まさか!」

「させないよ、佐鳥。彼の邪魔は許さない」

 

 動揺する佐鳥に、少女がスコープ越しに告げる。

 こんな芸当ができる隊員などボーダーでもただ一人しかいない。佐鳥の頬に冷や汗が伝った。

 そしてこの間にも彼女の隊長である敵が接近。勢いよく地を蹴り、佐鳥に肉薄した。

 

「このっ!」

 

 最後の意地で佐鳥は残ったもう一丁のイーグレットを敵に向ける。

 このような至近距離で当たるとは思っていない。それでもせめて軽傷でも残せれば御の字だ。今度こそ佐鳥の指が引き金を引いた。

 

『ほらよ、使え』

「っ!?」

 

 しかし、宙に浮いた敵の姿が一瞬で消える。佐鳥が放った弾は敵を貫く事無く、闇夜に消えていった。

 

「ありがとうございます」

「あっ……」

「——冬島さん」

 

 そう言って佐鳥の背中に回った彼は弧月を佐鳥に突き刺し、ワープの支援を施した冬島へと礼を告げる。

 佐鳥のトリオン体はゆっくりと崩壊し、一筋の光を残してボーダー本部へと飛び去っていったのだった。

 

『なーに。お前が持ってきてくれた物のおかげでだいぶ酔いが収まったからな。これくらいお手の物だ』

「無事に乗り物酔いから回復できたようで何よりですよ。遅くなったけど、終わる前に来れてよかった」

 

 最後の敵が消えた事を確認し、少年は冬島に穏やかな声で通信をつなぐ。

 受け答えする冬島の声も非常に落ち着いたものだった。帰還直後は乗り物酔いがひどく、この作戦への参加は厳しいものだったのだが、今は戦闘に参加しても問題ないくらいに回復している。

 

「——さて、と」

 

 冬島の無事に安堵の息を吐き、少年は三輪と出水の元へと降り立った。さらに彼の後ろに隊員である狙撃手の少女も続く。

 二人の出現に出水が、三輪が目を見開いた。

 

「あらら。なんだ、結局来たんすか」

「——紅月!」

 

 すでに彼は任を解かれ、防衛任務に戻っているという話だったのに。

 

「遅くなってすまない。一応形式的に言っておこうか。——紅月隊、現着した。城戸司令の命により、これよりA級合同部隊に加勢する」

 

 頼もしい援軍——ライ、そして鳩原が冬島と共に遅れて参戦するのだった。

 

「まだ戦えるか? 出水、三輪。余力があるならば行こう。戦いは終わっていない」

 

 こうして黒トリガー争奪戦は新たな展開を迎える事となる。

 ライは出水と三輪に奮起を促すと、太刀川たちが戦っている方角へ鋭い視線を向けた。




当真正存。
嵐山隊全滅。
鳩原参戦。
ライ参戦。
冬島参戦。
出水、三輪の被弾なし。

未来が滅茶苦茶変わった。


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名分

 話は4日前までさかのぼる。

 弓手町駅で三輪隊とライが空閑が初めて出会った日の夜の出来事。

 モール構内でライと出会った迅は、ライにある事を提案したのだった。

 

「おそらく数日後、太刀川さんたち遠征部隊がこちらの世界に帰還する。城戸さんは太刀川さんたちにそのままユーマの黒トリガーの奪取を命じるだろう。君はその戦いに参戦してほしい」

 

 迅の発言にライの目が鋭さを増す。

 正確に言えば迅と直接戦闘したわけではないが、先に敵対したばかりの相手からの提案。その内容は、これからも続くであろう黒トリガーの争奪戦に加わってほしいという信じがたいものだった。

 

「……本気で言っているんですか?」

「もちろん」

「お断りします」

 

 ライはすぐに迅の真意が読み取るまでには至らない。しかし念のため迅の発言が彼の本意である事を確認すると、即座に否定するのだった。

 

「ありゃ。なんか最近紅月君には断られてばかりだな」

「当たり前でしょう。そもそもあなたとて僕が簡単に引き受けるとは思っていなかったんじゃないですか? 僕は別に玉狛派というわけでもないし、空閑や三雲に特別な信頼を置いているというわけでもない。何より、僕には守らなければならないものがある」

 

 露骨に不満気な表情を浮かべる迅にライは正論をぶつける。

 ライはボーダー内の派閥においては城戸派よりの忍田派に位置する存在だ。町の防衛を第一に考える一方で遠征への希望を、侵略する敵への反攻を目指している。玉狛派とは正反対と言える立ち位置だ。

 加えて今回の黒トリガー争奪戦における重要人物である空閑や三雲と人一倍親しいというわけでもなく、むしろ彼は守りたいものの為にボーダーの中心である城戸との敵対は避けたいという思惑があった。

 だからそんな提案を受け入れられるわけがない。ライは明確な拒絶の意志を告げるのだが、すると迅はどういうわけか軽く笑みを浮かべた。

 

「あー。ちょっと違うな。別にこっちの味方になってほしいわけじゃないんだ」

「はっ?」

「言っただろ? この戦いに参戦して欲しいって。別に俺達の味方じゃなくても構わない。——いや、むしろ君には城戸司令側として、A級合同部隊側として戦ってほしい」

 

 ライの目が見開かれる。今度こそライは迅の正気を本気で疑った。

 彼は味方ではなく敵としてライの参戦を望んでいると言う。とてもではないが信じられなかった。

 迅の言葉通りならば、これから彼は太刀川をはじめとした遠征から帰還したA級合同部隊と戦闘になるはずだ。いくら迅と言えど余裕はないだろう。それにも関わらずさらに自分の負担を増す事になりかねない提案を自ら打ち明けるなんて、まともではなかった。

 

「……理解できませんね。一体それであなたに何のメリットがあると?」

「いやいや。俺じゃなくてボーダーの事を考えてだよ」

 

 素直にライが理由を問うと、迅は顔の前で手を横に振って疑問に答える。

 

「俺とて一人で遠征部隊を相手にして絶対に勝てるとは思ってもいない。だからできれば忍田さんと手を組めればと思っている。まだ忍田さんに軽く話を通しただけだけど、忍田さんは今回の黒トリガー奪取には反対しているから乗ってくれる可能性が高いだろう。——ただ、仮に忍田さんが認めて忍田派が玉狛派と手を組むと言っても問題がないわけではない」

 

 忍田派はボーダー本部の中にもそれなりに所属する隊員が多い有力派閥だ。彼らが味方となれば確かに戦局は大きく変わる事だろう。

 ただ、彼らが玉狛派に味方する事で発生する問題もある。

 その説明にライは忍田派の内情を考慮し、思考に耽った。

 

「……内部分裂、ですか」

「そういう事」

 

 そして答えに至る。「話が早くて助かる」迅は軽快に笑うのだった。

 

「忍田派の中でもスタンスは大きく違う。城戸派寄りの人もいれば玉狛派寄りの人もいたりと様々だ。だけど、生憎と城戸派よりの人が多いのが現状。柿崎のような性格でもそっちみたいだし」

「そうですね。あの東さんでさえ、どちらかと言えば城戸派よりと言えるでしょう」

 

 二人が語る様に同じ忍田派の中でも人により立場が異なる。その中で当然と言うべきか、城戸派よりの隊員が多いというのが実際であった。

 やはりこれはボーダーの成り立ちが要因と言えるだろう。

 そもそもボーダーは近界民の被害を受けた三門市を守る名分で創立され、反近界民を謳って活動をしてきた。入隊する者の多くは近界民の侵攻により何らかの被害を被っている者が多い。となれば近界民には悪いイメージを持っている者が多数を占めるのは当然であった。

 その中で『敵を許せない気持ちはあるが町の平和を最優先したい』と考える隊員が忍田派に属する。だからこそ忍田派が近界民を守るために玉狛派と手を組むとなれば、そんな彼らが反意を抱くかもしれない。

 

「東さんだけじゃない。君だってそうだろう? 自覚がないのかもしれないが、君とて人に与える影響は相当なものだ。カゲや鋼と言った同級生たちはもちろん、加古隊や那須隊、生駒隊とかいろんな人たちに影響を与えている」

「おだてても何も出ませんよ」

「本当のことだって。君が動こうとすればついていく人は多いだろうし、君が意見すれば納得する人もいると思う。羨ましいね、まるで王様みたいだ」

「…………」

 

 声には出さないものの、そのたとえにライの表情が歪んだ。彼の不満を感じ取った迅はすぐさま話題を広げようと話を続ける。

 

「だからこそ、君にはこの一戦で終わらせるためにもむしろ城戸派側に参戦して欲しい。たとえ忍田派で不満が生まれようとも、君が城戸派側で参戦していて、そして話が丸く収まったならば不満はそう出てこないだろう」

「代理戦争というわけですか」

「そんな感じかな」

「なるほど」

 

 仮に忍田派の中で手を組む事に異を唱える事になろうとも、影響力が大きいライが参戦し、そして無事に事が収まったならばその不満も膨らまなくて済むだろう。

 不満が爆発する前に小さな騒ぎで収めておく。その考えはわからないわけではなく、ライは小さく頷いた。

 

「迅さんには、話を丸く収める手段があると?」

「まあ、一応ね。どのような形であれ城戸さんがさらに仕掛けるような事はないと思うよ」

「……ふむ」

 

 つまり、この先空閑の方から何か問題を起こさない限り城戸が彼の存在を除こうとはしないように働きかけるという事か。

 ライは一つ息を吐き、迅の取りうる考えを幾重もの予測する。

 

「そしてもう一つは、まあ彼女だね」

「お嬢様?」

 

 悩むライへ向けて迅は沢村と共に買い物を楽しんでいる忍田王女へと視線を向けて語った。

 

「知っての通り、今彼女は忍田さんの管理下にある。事実上忍田派に属していると言って良い。だからこそ彼女がいる中で忍田派がうちと手を組んで、仮にもボーダーのトップである城戸派と本格的に事を構えるのは、まあ対外的に色々とまずい。例のトリガー(・・・・・・)の事を考えればなおさらね」

「……でしょうね」

 

 ライ自身、国同士の複雑な外交関係を熟知しているからだろう。複雑な表情を浮かべ迅の言葉に頷く。瑠花王女はボーダーと同盟国にあたる国家の今やトップと言える存在である。そんな彼女が所属する派閥が同盟国の最大勢力である城戸派と敵対するというのは彼女自身の事ではないとしてもイメージが悪い。

 加えて、ボーダーにとって生命線ともいえる母トリガーを動かしているのも瑠花王女だ。彼女の立ち位置が及ぼす影響はより大きなものとなるだろう。もしも本当に忍田を支持するような事になればそれこそ全面戦争に発展しかねない。

 勿論瑠花王女自身が前線に出る事は難しいため彼女の指針を示す事は難しいが、今は彼女の近くで備える彼がいた。だからこそこの手が使えるのだと迅は話を続ける。

 

「そんな中、今彼女の守りを担う役目にいる君が城戸派として参戦すれば、名目は保てるかなって。城戸司令としてもあくまでもボーダー内の内部抗争という戦いに専念できる。いざという時は『彼女もそれを望んだ』と言えば忍田さんも悪くは思わないだろう」

「逆にいざという時は、僕の独断行動だと切り捨てれば良いという訳ですね」

「いやいや。そんなトカゲのしっぽ切りみたいな事はしないって。なにせ、本部にとっては三輪隊を撃破した黒トリガーが、彼女の弟も暮らす場所に足を運んでいるんだからね。だから、君がそれを疑問視して彼女に話をかけたとしてもおかしくはない」

 

 最悪の提案に迅は首を横に振った。迅もここでライを見捨てるような意志はない。彼の戦う動機もきちんと用意してある。あくまでもボーダー内の争いが大きくなる前に発散させるために協力を仰いでいるのだから。

 

「まあ、そんなわけだ。それに——いや、これは良いか」

「一体何ですか?」

「何でもないよ。いずれにせよ君にとってそう悪くない話であるはずだ。城戸司令に大きな借りを作れるし。先に契約を交わした君ならば、隊務規定違反に関する罰則を生じさせないと約束させる事だってできるだろう。何よりも君の大切なものを守る戦いとなる」

 

 迅が飲み込んだ最後の理由は気になるが、確かに迅の提案はライにとっては不利なものではない。城戸司令に先と同様の条件を飲んでもらえれば罰を受けるリスクはなく、事前に争いごとを防ぐ事もできる。何より今もなお平和を楽しんでいる王女の立場を守る事につながるのだから。

 

「……一度、お嬢様にだけは話を通しておきます。彼女から許可をもらえればという前提でどうでしょうか?」

「ああ、もちろん」

「わかりました。ですがよろしいのですか?」

「何がだい?」

 

 いずれにせよ瑠花王女の立場に関わる話であるのならば彼女に打ち明けておくのが筋というものだろう。その前提の上でライは迅の提案に応じるのだった。

 快諾を受けると、さらにライはある事を気にかかり問いを投げる。

 

「僕があなたを倒してしまうかもしれませんよ?」

 

 やるからには手を抜いては合同部隊に疑われ、白い眼を向けられる事になることが予測された。

 ゆえに本当に参戦するならば全力で迅と相対する事になるだろう。ライは好戦的な笑みを浮かべ、そう言った。

 

「ああ、楽しみにしているよ。ま、そうはならないんじゃないかな? 俺の副作用がそう言っている」

「ふっ」

 

 彼の笑みにつられるように迅も笑い、ライを煽る。

 その言葉を最後に二人は別れ、ライは瑠花王女や沢村と合流し帰路につくのだった。

 こうして様々な思惑を含んだ戦いへの道が開かれた中、最後の一歩を踏み出すか決断を下す時が訪れる。

 

「……そうですか。林藤や迅だけでなく、忍田も城戸と対立するかもしれないと」

「ええ。同盟国でこのような内部での争いを繰り広げる事、非常に申し訳なく思います」

「構いません。どの世界でも、どの国でも必ず通る道ですから」

 

 ボーダー本部、瑠花王女に当てられた一室でライと瑠花の二人が真剣な声色で話し合っていた。

 内容は当然先ほどの迅から受けた提案の事である。ライから忍田が城戸と敵対する可能性があるという報告を受けても瑠花王女の声は落ち着きを払っていた。

 育ちの良さ、王女として国の情勢をよく知っているからだろう。荒れずに事を構えている彼女の気質は非常にありがたいものだった。

 

「そしてあなたは城戸の元で戦う、と?」

「はい。そうする事で、どちらに情勢が傾こうともお嬢様の立場は守られると考えました」

「確かにあなたの言いたい事はわかります。あくまでもボーダーの中枢を担う城戸と同盟国のトップである私が敵対するという形は出来るならば避けたい。たとえ直接矛を構えることがなかったとしても遺恨を残すのはこの先を考えるとよくないでしょう。ならば命令権がないとはいえ、あなたが私の意思を示すという名目で城戸に協力するという話は、確かに悪くはないですね」

 

 ライの意見に瑠花王女も理解を示す。できるならば他国の内部抗争に参加するという事態を避けたいが、忍田が玉狛に味方する時点で多少の影響は出るだろう。ならば彼女を守る立場のライが参戦する事で瑠花王女の立場を守る事につながる。

 

「ゆえによろしく許可をいただきたく存じます」

 

 そう言ってライは深々と頭を下げた。

 彼は守りたいものの為ならば戦う事を惜しまない。

 迷いのないライの姿勢に、瑠花王女はしばらく思案に暮れ、そして——

 

「なりません」

 

 その頼みを拒絶した。

 

「——そうですか」

「ボーダー隊員であるあなたからの提案に私が賛同を示すという行為自体が問題となりかねません。それこそ余計な誤解が生みかねない。そうは考えませんか?」

「否定は、しません」

 

 彼女の意思もわからないわけでもない。ライからの意見に同調を示したと明らかになれば勘違いの元となる可能性は捨てきれない。

 また、自分を守護する者が独断で派閥争いに加わろうとするとなれば止めようとする気持ちになるのも当然と言えた。

 たとえこの先自分に関わる事になるとしても、静観を決め込んで『何も知らなかった』、『忍田の独断であった』と貫く事も不可能ではないだろう。もちろんその時は忍田と瑠花王女の間に情報伝達、意志疎通の不備に関する指摘などが生まれるかもしれないが、次善の策を取れる。

 ただ、やはり彼女の立場を守りたかったライは寂し気に口を閉ざすのだった。

 

「ですから」

 

 すると瑠花王女はそこで一度言葉を区切り、大きく息を吐くと一段と大きな声でライに告げる。

 

「アリステラ王国王女として我が刃・ライに託します。城戸の一派に協力し、その力を示してください。この争いを一刻も早く収めてください」

 

 許可を出すのではなく、王女自ら依頼するのだと。

 思いがけない言葉にライは言葉を失った。

 

「勘違いしないように。私はあなたの言葉に乗せられたわけではありません。同盟国として、ここでトップである城戸に貸しを作っておくという事は悪い話ではない、そう判断しただけの事です。忍田は私に話を通さずに事を進めたのですから、問題があれば私の方から話をしましょう。陽太郎の事は心配ですが、林藤とて悪いようにはしないはず。加えて発案者の迅、さらにはクローニンも玉狛支部にいるのだから何も問題はありません」

 

 進言を受けたからではなく、あくまでも自分の意思によるものだと瑠花王女が語る。

 弟の事も含めて何も気にする事はない。

 

「理由ならば、『同盟国としてもトップである勢力を超える力を持つ派閥が存在するのは危険と判断した』などいくらでも作れますからね。後々調べた結果、問題はないだろうと判断したとなれば忍田たちとの和解もできるでしょう」

「……はい。忍田さんの性格を鑑みれば話をまとめる事は難しくないでしょう」

「ええ。介入に関する大義名分は問題ありません」

 

 彼女と忍田、さらには林藤などの関係性はいくらでも修復できるのだから。

 ならば今はここでアリステラ王国とボーダートップの関係をより強固なものにしておくべき。二人は同じ結論に至った。

 

「ゆえに何の憂いもありません。お願いしますね——お兄様」

Yes,Your Highness(かしこまりました、王女殿下)!」

 

 こうしてライは瑠花王女の願いの元、城戸派に協力者として参戦する事を決意する。

 後々のボーダー内での分裂を防ぎ、同盟国との関係を確かなものとする。彼にしか出来ない役目を果たすために。

 

 

「……なるほど。迅隊員が忍田君と手を組む可能性があると」

「はい。まだ話をしただけのようですが、少なくとも迅さんは間違いなく城戸司令達の攻撃を読み、備えている事でしょう」

「ふむ。迅隊員ならばそうだろうな。よくわかった」

 

 そして三日前。

 ライは城戸に迅から戦いに備え忍田派と協力して戦う予定であること、自分も迅からこの戦いに参戦するように誘われた事を報告した。

 ただ、話の内容すべてを報告したわけではない。迅からの誘いは保留したと答え、彼から城戸司令側として参戦するように話を受けた事は伏せ、その代わり——

 

「王女に確認した所、彼女は城戸司令達と争うつもりはなく、むしろこの問題の早期解決を望み、私に城戸司令に協力するように依頼されました」

 

 迅ではなく瑠花王女から城戸へ助力するよう求められたのだと説明した。城戸はその言葉に目を細め、じっとライを見据える。

 

「彼女にこの事を話したのかね?」

「はい。それが必要だと判断しましたので。すでに黒トリガーは王女の弟君が住む場所にいます。あるいは同盟国の危機にもなりかねない問題です。加えて考えにくい事ですが、もしも忍田さんが本格的にボーダー本部と争う事となった場合、彼女に協力を求めるという強硬策に出る可能性も捨てきれなかったので、一刻も早く彼女の意思を確認すべきだったと申し上げます」

「そこまで問題が大きくなると君は考えているというのか?」

「本来ならばまずないでしょうが、もしも次の戦いでも決着が収まらないような事になり、黒トリガー同士で争うような事になれば忍田本部長でもありうるかと」

「……そうか」

 

 黒トリガー同士、すなわち迅ともう一人の黒トリガー・天羽の事を指しているのだろう。確かにそうなれば忍田が最後の手段に出てもおかしくはない。城戸は大きく息を吐いた。

 事実、ライの語る通り城戸は遠征部隊の作戦が失敗した時の次の計画としてもう一人の黒トリガー・天羽の出撃を考慮している。ただ、彼は実力は確かであるものの問題が大きい。一度戦いに出れば町は跡形もなく消し去り、被害は甚大なものになるだろう。

そのため彼が出撃するとなれば忍田が対抗するために本来ならばとらない方策をとってもおかしくはなかった。そしてもしもその策がなされたならばボーダーは大混乱に陥るだろう。

 

(……そう考えれば、むしろこの時点で彼女の協力を得られたのは好都合と考えるべきか)

 

 ゆえにその可能性がなくなったという情報は非常に大きい。むしろ彼女もこの騒動の解消を望み、支援を約束するという情報で心配は完全に掻き消えた。

 

「君は今回、彼女の要望によって戦うと?」

「いけませんか? ボーダーに害が及ばない限り王女を護り、彼女に従う事を認めたのは他でもない城戸司令達のはずです。彼女としても城戸派を超える敵対勢力が誕生する状況は危険だと判断し、その状況を打破するために私に要請した、となれば問題はないでしょう。——もちろん、事情を知らないものには私はあくまでも忍田派が玉狛派に加勢する事を嫌ったという名目で参戦します」

「なるほど」

 

 あくまでもライはボーダー隊員であり、瑠花王女は彼の上司という訳ではない。しかし、ある程度の自由を保障するためとはいえ彼女に護衛役であるライへ多少の命令権を許したのは確かに上層部だ。そのため彼の意見を城戸も強く否定はできない。

 あまり隊員が入れ込みすぎるのは司令としては好ましくない様相だが、今回に限っては表向きの理由もあり、これにより同盟国側の明確な意思表示になるのだから好都合か。そう結論付けると、城戸はようやく結論を下した。

 

「よくわかった。ならばボーダーとして彼女の助力に感謝し、君にも戦いに参戦してもらう。以前と同じ条件で私の指揮下に入ってもらおう」

「はい」

 

 ライの立場を考慮し、城戸は前回と同様の条件を提示して彼を指揮下に入れる事を約束する。これで思う存分戦える。ライは笑みを浮かべて姿勢を正した。

 

「——ただし」

 

 しかし話はそこで終わらない。城戸も先の展開に備え、万全の態勢を整えるべく話を続けた。

 

「君を指揮下におく事は限界まで先とする。正確には遠征部隊が帰ってくる日からとしよう」

「……動きを読まれないように、ですか?」

「そうだ。そしてもう一つ。君が参戦する事は他の者達には話さず、出撃は遠征部隊のみでは勝利が難しいと判断してからだ。あくまでも君は、忍田派と玉狛派が合流する意見に同意できなかった善意の協力者として参戦するのだから。以上の二つを付け加えさせてもらう」

 

 相手に動きを悟られないために可能な限り先延ばしにし。

 さらにあくまでも忍田派が玉狛派と合流した動きに対抗するという形をとるために動きをずらす。

 これならば真の事情を知らないものも納得するだろう。ライも城戸の意見に深く頷いた。

 

「こちらとしても異存はありません」

「それは何よりだ。ついては君には後程作戦決行日などの概要を私から追って知らせる事としよう。それまでは待機しておいてくれ。遠征部隊だけで片付けば一番だが、ね。」

「了解です。では、私からも一つよろしいでしょうか?」

「ほう。何かね?」

 

 特にライにとって不満点はなく、これ以上意見する事はないはずだ。まだ何かあるのだろうか、城戸は先の言葉を促した。

 

「つきましてはこの度の戦いに当たり、我が隊の鳩原も参戦の許可をいただきたいと思います」

 

 挙げられたのは彼の部隊のもう一人の隊員・鳩原の名前だ。予想もしない人物の名前に城戸の目がわずかに見開く。

 

「鳩原隊員を?」

「はい。迅隊員、さらに他の精鋭もいるとなれば彼女の支援能力があれば心強い。当然、彼女には機密事項は伏せておきます。如何でしょうか?」

 

 確かに迅という黒トリガーを相手にするにあたって戦力は大いに越したことはない。城戸もライの言いたい事がわからないことはなかった。

 しかし城戸はあの事件以降、ライの評価は改めたものの鳩原に対する印象は改善されていない。訓練生からB級へと昇格し、今もランク戦で活躍しているという事実は評価しているもののそこまでだった。あくまでも一隊員にすぎず、特別評価しているわけではない。ゆえにこのような秘密裏に行う作戦に彼女を参加させる事に二の足を踏んだ。

 

「彼女にも名誉挽回のチャンスを与えたいのです」

 

 迷う城戸にライはそう言って頭を下げた。

 

「遠征部隊にも匹敵する彼女の力を、今一度評価していただきたい」

 

 かつて一度は遠征部隊にも選ばれた鳩原の力を城戸に見てほしいと告げる。

 元々の発端は鳩原の、彼女が所属する二宮隊の遠征部隊取り消しが呼び起こした事だ。

 だからこそ、その遠征部隊と共に強敵と戦う事で彼女の汚名をそそぎ、名誉を取り戻せれば。隊長としての気遣いが前面にあふれ出ていた。

 

「……わかった。特別に鳩原隊員の出撃を許可しよう。戦闘に出る事になったならば、共に励んでくれたまえ」

「ありがとうございます」

 

 その真っ直ぐな姿勢に当てられたのか、城戸は短く息を吐き、同行の許可を出す。

 意見を認められるとライは先ほどと同様に満面の笑みを浮かべるのだった。



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傑物

 城戸との会合を経て無事に鳩原の参戦を認められたライは、すぐさま鳩原を紅月隊の作戦室に呼び、彼女と一対一で話し始めた。瑠花王女などの情報は避けつつ、玉狛派と城戸派が争う事になり、ライが城戸派に協力する形で参戦する事。鳩原も協力して欲しいという事などを簡潔に説明する。

 もちろん強制の命令というわけではなく、嫌ならば断ってくれても構わない。そう前置きをしてライは鳩原の意思を訪ねた。

 

「そうなんだ。わかった。いつも通りやるね」

 

 すると鳩原は詳細を知らぬまま呆気なく首を縦に振る。

 疑問を口にする事もなく、不満を唱える事もなく。あまりにもあっさりと頷くために説得のための理由をいくつも用意していたライは苦笑してしまった。

 

「……良いのかい? 君からすれば色々と不思議に思う事や疑問もあると思うんだが」

「良いよ。だってきっとあたしが知らない方が良い事とかあるから詳しい話は省いたんだよね? なら聞かない方が良いと思う。紅月君の立場が悪くなったら困るし」

 

 それに、と一拍置いて鳩原は続ける。

 

「紅月君が決めた事ならばきっとあたし達の事を考えてのことだろうから。少しでもあたしにできることがあるならば、手伝いたいんだ」

 

 「だから一緒に戦うよ」鳩原は率直に自分の意思を隊長に告げる。頬に力を籠めて笑みを作って、信頼を形にした。

 

「——ああ。よろしく頼む」

 

 ならば隊員の信頼には応えなければならない。それこそが隊長としての責務だろう。

 ライは彼女の思いに応えるためにそう返答するのだった。

 

 

————

 

 

「……あっちゃー。マジか」

 

 異なる場所での戦い。嵐山隊の全滅を視て迅の笑顔が引き攣る。

 この戦いが始まる前、迅にはライの参戦に関して大きく三つの未来が視えていた。

 一つは、そもそもライがこの黒トリガー争奪戦に参戦しない未来。彼は現状維持を望み、傍観者である事に徹する。この場合は彼だけでなく冬島や鳩原の参戦もなくなる事で木虎が当真を撃退し、嵐山が囮となる事で佐鳥が三輪・出水の両名を負傷させ、ここで戦いが終わるはずだった。

 二つ目は、ライが個人で合同部隊に加勢する未来。迅の要望に応じたものの、あくまでも一戦闘員として戦う事に専念するため、やはり冬島や鳩原は参戦しない。そのため木虎が当真を落とす点は共通だが、嵐山は撃退され、佐鳥は逃げ切るものの三輪・出水の両名は無傷で彼と合流し、戦闘を続行する事となる。

 そして三つ目が、最も可能性が低いと思われていた、現実と化しているこの未来()だ。ライが鳩原・冬島という強力な助っ人を引き連れて参戦するという迅にとっては最も厳しい未来である。嵐山隊が殲滅され、合同部隊は殆どダメージを負っていない。考えうる限りでは最も条件が厳しいものであった。

 

「紅月君、俺の想像以上にやる気になってないか?」

 

 そもそもこの参戦の切欠が迅の発案によるものだ。迅はライが自分の事を警戒しているという事を先の衝突もあってよく知っている。だからこそ彼の話には乗ってもそこまで身を投じる事はないと第二の未来が可能性が高く、最後の道は非現実的だと思っていた。

 

「なんだろ。何か城戸さんたちに吹っ掛けられたかな」

 

 まさかその理由がライにとっては最も大切と言っても過言ではない妹分からの頼みに変わったからだとは、迅も想像できないだろう。

 

「——なるほど。紅月の作戦参加もお前の読み通り。いや、むしろお前の掌の上であったという事か」

「この野郎。俺達と戦いながら、違うところを見ていたのかよ」

「いやいや。そんな余裕はなかったよ。さすが攻撃手トップランカー達だ。予想通りの実力だった」

 

 そう一人つぶやく迅の足元でうずくまる二人の人影が、恨めし気に迅を睨みつけた。

 風間と太刀川、攻撃手のトップ2である。彼らは狙撃手の援護の元、複数人で迅との戦いに臨んだのだが、勝利を得る事は叶わなかった。

 すでに菊地原と歌川は離脱し、風間と太刀川もいつ緊急脱出してもおかしくないほど全身に傷を負っている。対して迅は風間のスコーピオンで片足に軽い傷跡を受けた程度でほとんど無傷という状態だった。

 多対一という迅にとっては圧倒的に不利な戦況であったにも関わらず、ボーダーの実力者たちを圧倒してみせた迅。風間たちが不満を呈するのも当然の事だろう。迅の評価も嫌味のように聞こえてしまう。

 

「ここまでか。残念だ」

 

 もはや脱出は避けられないだろう。風間はこの後の展開を察して歯を食いしばった。

 

「後は紅月や三輪、出水達次第か。——せいぜい気をつけろよ、迅」

「ん?」

 

 太刀川も後輩たちに後を託しうっすらと笑みを浮かべる。そして最後にかつてのライバルへ向けて忠告を残そうと視線を上げるのだった。

 

「紅月は、一対一で戦えば俺が七対三くらいのペースで勝つだろう」

「だろうね」

 

 たとえ話を振ると迅は即座に頷く。

 事実、ライは優秀な駒ではあるが最強かと問われればそうではない。単騎で戦うならば彼よりも勝る相手はボーダーの中だけでも何人かの名前が挙がる事だろう。

 

「だが、もしも同じ条件下で部隊を率いて戦うという事になれば、その勝敗は逆転する」

「……太刀川さんがそこまで他人を評価するとは珍しい。何かあったのかな?」

 

 太刀川は日常生活では不真面目な面が目立つが、事戦闘に関しては冷静かつ俯瞰的に物事を考えられるタイプだ。決して誰かを過大評価したりはしない。そんな彼がここまで他人を称賛するとは滅多にない事だ。

 

「昨年度の年度末。チーム戦の1dayトーナメント」

「はっ?」

「お前は支部にいたから知らないだろうがな。臨時チームを組んで勝敗を競ったイベントがあった。年齢が近い隊員同士でチームを組むって話でな、俺は二宮と加古の二人と組んで挑んだ」

「……最強じゃん」

「ああ。実際俺達は優勝候補だと思われていた」

 

 ボーダー職員が企画担当するイベント・1dayトーナメント。昨年の冬の出来事を思い返して太刀川が語る。

 攻撃手最強・太刀川、射手最強・二宮、感覚派射手・加古。A級一位を経験したことがある実力者が揃った部隊であり、能力・経験・実績とどれをとっても隙がないチームで、迅も3人が集う姿を思い浮かべて『大人気ない』と顔をひきつらせた。

 

「だが俺達は、決勝で紅月が率いる一八歳組に敗れた」

「————」

「カゲ、紅月、鋼、当真。向こうも相当な面子だったが、それでも俺達が優勢だと思われていた。だが、結局最後に勝ったのはあいつらだ」

 

 太刀川の説明に迅は言葉を失う。彼の言う通り太刀川達を破った人員も戦力としては過剰と言えるものだ。攻撃手四位の村上に狙撃手最強の当真。さらにB級トップ3の部隊の隊長である影浦とライが集結している。並大抵の相手では太刀打ちできないだろう。

 だが、単騎性能でみればやはり個人ポイントなどあらゆる面から見て太刀川達の方が圧倒的に上だ。

 これまでの戦績から見ても同様である。話の中心であるライを振り返っても、個人戦では太刀川に勝ち越せた事はないという話だし、部隊ランク戦でも二宮と一対一の状況では勝てていないという記録を見た。加古も定期的にライを作戦室に呼び出しては彼をしばらく身動きが出来ないほど徹底的に叩きのめしているという噂を耳にした事がある。

 他の隊員たちもランク戦の勝敗を振り返れば似たような状況だろう。一対一では勝率が低いと思われた戦闘員を集め、その中で勝利を手にした。

 ——信じられない。

 迅が驚愕に目を見開く中、太刀川は話を続ける。

 

「あいつは個としても十分強いが、軍を率いる事でさらに凄みを増すだろう。そして今、あいつは十分すぎる戦力を得ている。一手間違えれば、詰むぞ?」

 

 出水、三輪、奈良坂、古寺、当真、冬島、鳩原、ライ。自分自身も含めれば戦闘員だけでも八名という数、質共に申し分ない戦況と言えた。

 たとえ黒トリガーを扱う迅と言えど、気を抜けば負けかねない。

 自分を圧倒した相手に、ボーダー最強は煽る様に笑って言った。

 

「……忠告ありがとう。だけど、そうはさせないさ」

 

 太刀川の言葉を聞き終えると、迅は風刃を四度大きく振るった。

 緑色に輝く刃が太刀川と風間共々空間を引き裂く。もはやトリオンが残っていなかった二人は呆気なく切り捨てられ、本部へと緊急脱出した。

 これで風間隊と太刀川、こちら側の前衛部隊は全て撤退。狙撃手組は太刀川達が撃破された事で警戒しているのか撃ってこない。三輪達との合流を待っているのだろうか。

 

「さて。もうひと踏ん張りだ」

 

 いずれにせよ、まだ迅の戦いは終わっていない。

 最強を撃破したものの、ある意味それ以上に厄介な存在がこちらに向かって来ようとしているのだから。

 

 

————

 

 

「——おおっ。頼もしい援軍ってやつだ」

「紅月!」

 

 ライ、鳩原、冬島の加勢に出水と三輪が揃って歓喜の声をあげた。

 二人の出迎えにライも笑顔で応じる。

 

「お疲れ様。これでこちらの戦闘は片が付いたね」

「……レーダーの反応はなし。うん。大丈夫だよ、紅月君」

 

 念には念を入れて鳩原がレーダーの精度を上げて確認するが近くに敵の反応はなかった。黒トリガーにはバッグワームがついていないため、すぐに敵が仕掛けてくる事はないだろう。動きがあれば警戒している奈良坂や古寺が知らせてくれる。

 ようやく一息つけたと、当真は自慢げに笑い始めた。

 

「へっへっ。おかげで時枝(とっきー)に木虎と大戦果だ。隊長まで来れるとはビックリだぜ」

「まあ、俺も休めるなら休んでおきたかったんだけどな」

 

 隊員の言葉に冬島が苦々しく呟く。事情を知っているライはただ乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

 

「本当ならばもう少し早く着きたかったんだけど。冬島さんの回復を待っていたのと、ちょっと予想外のトラブルに巻き込まれてね。遅くなった」

「十分ナイスタイミングだったと思いますけどね。なんかありました?」

「本部で何か動きがあったのか?」

 

 申し訳なさそうに言葉を濁すライ。

 戦闘中だった出水や三輪は一対彼の周囲で何があったのか想像もできず、単刀直入に問いを重ねる。

 

「いや、動きがあったというか……」

 

 言いにくい事だけどと前置きをしてライは時間を遡って順番に語り始めた。

 

 

――――

 

 

 ボーダー本部、冬島隊作戦室。

 

「……おお。確かに少し楽になったかも」

「そうですか。心配でしたが、無事に効いてよかったです」

 

 太刀川をはじめ、A級合同部隊が迅と遭遇したころの事。

 作戦室では部屋の主である冬島がティーカップに注がれたハーブティーの香りを楽しむと、ゆっくり一口飲み干した。

 目をつぶり、身体を楽にしているとあれほど自分を苦しめていた酔いが少しずつ引いてきたような感覚を覚える。

 眉間の皺が少しずつ浅くなった事を確認し、給仕をしたライは満足げに目を細めた。

 

「乗り物酔いには薬以外にもこういった食べ物や飲み物で症状が和らぐ事がありますからね。チョコレートは血糖値をあげる事で脳が活性化するし、ハーブティーはすっきりとした香りと清涼感のある味わいがリラックス作用がある。ちょうど部屋に茶葉やチョコが残っていたので良かったです」

「ありがとな、紅月。いや、本当にありがとう」

 

 冬島は重ね重ねライに礼を述べる。

 ライが冬島隊の作戦室に運んでいたのはチョコレートとハーブティーの茶葉とその一式だった。冬島は遠征艇の長旅ですっかり乗り物酔いでダウンしてしまい、戦闘にも参加できずに先ほどまで横になっていたのだが、それを見かねたチームメイトがライに回復できるようなものを用意して欲しいと要請したのである。

 

「おかげで助かったな。風間さんたちもいるから大丈夫だと思うけれど、何があるかわからないし。うちの部隊は隊長も出れずに負けましたなんて話になったらムカつくからね」

「えー……」

 

 その要請の主である少女は横髪をかきあげてうっすらと笑みを浮かべる。隊長から何かを訴える視線が刺したが、無視に徹していた。

 真木理佐。冬島隊のオペレーターであり、トラッパ―とスナイパーという異色の部隊を的確に支援する女子高生である。黒のショートカットに切れるようなツリ目が特徴的。中性的な話し方と年上であろうと物怖じしない性格はとても一六歳とは思えない雰囲気を醸し出していた。

 

「なら何よりだ。僕としても冬島さんの存在は大きいし、理佐からの頼みとなれば断れないしね。君も元気そうで何よりだ」

「ええ。あなたも健在のようで何より」

「もちろん。皆がいない間は大変だったけど、その分充実していたよ。後でチェスでもしながら語ろうか?」

「じゃあ、まずは仕事を片付けなきゃね」

 

 その真木をライは名前で呼び、親し気に再会を喜び合う。二人はチェスという共通の趣味を持ち、時間がある時にはよく互いの作戦室でチェスを指していた。どちらも落ち着きがあり、冷静な思考を持つ事からも話が合う事は多く、ボーダー隊員の中でも交流は盛んと言える関係である。

 

「えっ。ちょっ、自分、あの真木ちゃんの事も名前で呼んどるの? しかも距離感近ない? ヤバない? ヤバイよな? んっ、あーホンマや。このハーブティー嗅いでるとなんか俺もすっごいス―ってリラックスしてきた気がするわ」

「イコさんは話すのか飲むのかどちらかにしてください。危ないですよ」

 

 そんな二人の会話によからぬ想像を浮かべたのか、なぜかライの隣でハーブティーを味わっていた生駒がここぞとばかりにツッコんだ。ティーカップを片手でつまみながら激しく弟子を揺する姿は正直に言って危なっかしい。ライは苦言を呈するのだが、生駒が調子を変える事はなかった。

 

「別にヤバくなんてないですって。彼女はたまたま共通の趣味があって一緒に時間を過ごすことがあるからそういう機会があっただけで、名前で呼ぶ相手なんてそういないですし」

「へー。自分でもそうなん?」

「そうですよ。この前も那須さんを一度下の名前で読んだら『そういう関係はまだ早いと思います』って断られちゃったくらいですから」

「……うん? うん?」

 

 一瞬納得しかけた生駒だったが、実際に那須がそう語る場面を想像して首をかしげる。

 ひょっとしてまた弟子を切り捨てる口実ができたのでは? そう疑問が浮かんだのだが、現場を見ていないためこの考えは審議待ちと判定された。

 

「ちなみに、なんで落ち着きとは正反対に位置するようにも見える生駒が一緒に来ているんだ?」

「僕もわかりません。何故かついてきました」

 

 『呼んだのは紅月だけだったはずなのに』冬島が当然の疑問を抱くものの、当事者であるライも師匠がついてきた理由が思い至らなかったために首を傾げるしかなかった。

 

「だって、こいつがまた女の子に呼ばれたとか言ったんやもん! そら師匠として弟子が道を踏み外さんように見守るのは当然やろ?」

「いや、『もん』って……」

「届けに行くだけだと言ったんですけどね」

 

 まるで子供のようだ。

 駄々をこねる生駒に、冬島やライは呆れるばかりである。

 

「まあ、俺も相手が真木ちゃんだと知ってれば多分ついていかなかったんやけどな……」

 

 しかし生駒としても真木に対して苦手意識があるのだろうか、聞こえないような声量でぼそっとつぶやいた。どうやら彼女のクールな一面が生駒にとっては恐ろしく映っているようだった。



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再戦

 こうしてライの助けもあって何とか冬島はほどなくして動けるくらいに回復した。

 これでようやく太刀川達の後を追う事が出来る。ライ達は本格的に出撃の準備に取り掛かるべく、まずは任務の部外者である生駒を生駒隊の作戦室へ帰そうと声をかけた。

 

「イヤや」

「えっ」

「えっ」

 

 だが、ここで予想外のハプニングが生じる。

 ライが『これから冬島さんや理佐たちと用事があるのでイコさんは先に帰ってください』と話した所、生駒は不貞腐れてその場に座り込んでしまったのである。

 

「あの、イコさん。『イヤや』じゃなくてですね」

「まーたそうやって俺の事仲間外れにするんやろ? 知っとるで。自分最近こそこそ動き回っとるって話やん? また夜遊びでもする気か? そうはさせんで。今日という今日は絶対に動かんぞ。俺も仲間にいれてや」

「夜遊びではないですよ」

「じゃあ用事ってなんや?」

「……任務(人に言えない事)ですので」

「やっぱり夜遊び(人に言えない事)やん!」

「困ったな。何て言えば良いんだろう?」

 

 引き受けた任務の秘匿性もあって、上手く説明する事さえ難しかった。

 半端な説得では生駒が全く引き下がる姿勢を見せず、ライは上手い手が見つからず前髪をかきあげた。

 

「まあまあ。生駒、お前はたしかこの後防衛任務のシフトが入っていただろう? そっちの仕事に専念してくれよ」

「水上とかおるからええんですわ。一回くらいならサボっても『まあイコさんやししゃーないか』ってなるんで」

「隊員にそう思われるのは隊長としてどうなんだ?」

 

 しまいには冬島が仕事の話を出しても生駒は動揺する素振りすらみせない。

 同じ部隊を率いる身としてあまりにも考えたくないシチュエーションをあっさり受け入れる生駒の姿勢は、冬島には理解しがたいものだった。

 その後もライや冬島は何とか説得を試みるものの、生駒は断固とした決意でその場から立ち上がろうとすらしない。

 

「はぁ」

 

 すると、彼らの説得を見かねたのか、真木が大きなため息を一つ吐き、ゆっくりとした足取りで三人の元へと歩み寄った。

 

「生駒さん」

「なんや、真木ちゃ……ん?」

 

 真木が普段と変わらぬ声色で生駒を呼ぶ。

 座り込んでいた生駒は見上げる形で真木へと視線を移し、その声に返事をしたのだが。

 目と目があった瞬間、生駒は気づいた。彼女の冷たく鋭い視線が、自分を射抜いているという事実に。

 嫌な予感がする。本能が生駒にそう告げた瞬間。

 

「働け」

 

 ドスの効いた声が響いた。そんな気がした。生駒は全身の血の気が引いた感覚を覚えた。

 短い一言は声のトーンが一段と下がったように聞こえて。底冷えするような声が耳を打った。

 

「…………はい。いや、あの。ごめんなさい」

 

 生駒が涙交じりに頭を下げる。

 弟子や年上の説得にも応じない生駒だったが、女子高生のたった一言であっけなく陥落したのだった。

 ゆっくり立ち上がると真木に視線を合わせたまま少しずつ後ろずさり、そしてそのまま作戦室を後にする。

 

「なんでやああああああ! 弟子はあんなに距離感近いのに、なんで俺ばっかりこんな目に会うんやあああああああ!!!!」

 

 作戦室の扉が閉まった後、廊下からは生駒の慟哭が聞こえたような気がした。

 

 

――――

 

 

「——と、そんな訳で遅くなっちゃってね」

「どういう訳で?」

 

 最後までライの話を聞いた出水だったが、結局生駒の行動理由がよくわからず首を傾げた。ライも同じ意見であったためにそれ以上語る事はしなかった。

 

「まあ、とりあえずそれはいいだろう」

 

 話題を変えようと三輪が大きく咳払いをする。

 

「残るは迅一人だ。しかし、単独とはいえ黒トリガーである奴は侮れない。太刀川さんたちもダメージが大きいという話だ。並大抵の事ではないだろう。紅月、何か策は」

 

 あるか、と続けようとして。三輪の背後から出現した二筋の光が本部めがけて空高く弧を描いて、そして消えていった。

 

「あれは!?」

「……太刀川さんと風間さんがやられたな」

「まさか!」

 

 ライのつぶやきに三輪が言葉を荒げる。

 ありえない。

 太刀川と風間はボーダー本部に数多く在籍する攻撃手たちを抑えてトップに君臨する二人だ。さらに歌川と菊地原、奈良坂と古寺のサポートもあったのだ。まず負けるような事はないはずだ。それなのに敗れたというのか。

 

「出水」

「ハイハイ」

 

 三輪が動揺を露わにする中、ライは淡々と戦況を変えるべく出水に指示を飛ばす。

 

「国近に、太刀川さんたちの戦闘記録を僕たちに送るように伝えてくれ。少しでも黒トリガーの情報が欲しい」

「了解。柚宇さん」

『はいはーい。聞こえているよ。早速戦闘記録を皆に送るねー』

 

 出水が名前を呼ぶと、戦場に似つかないのほほんとした声が響く。

 国近が慣れた手つきでキーボードを操作すると、ほどなくしてライをはじめとした隊員たちに太刀川達が目にした戦闘の映像がライ達の脳裏に映し出された。

 迅が手にする剣からは11本の緑色に光る帯が放たれていた。彼が軽く剣を振るうと、瞬く間に光は壁を伝って菊地原の首を撥ね、歌川の体を切り裂いた。

 さらに斬撃を時間差で発現する事で遅れて現れた風間と太刀川を両断し、戦闘不能に追い込んでいる。

 

「厄介だな。トラップにも使えるとなると、迅さんのサイドエフェクトと合わさって最悪の組み合わせだ」

 

 一通りの記録に目を通し、ライは短く舌を打った。

 敵の強さを皆も同様に評価したのか他の仲間たちも同様に苦言を呈する。

 

「てか反則じゃん。剣のくせに遠隔攻撃もできるってなんだよ」

 

 と出水が苦笑いを浮かべる。

 

「しかもこれ、紅月の旋空弧月よりもさらに範囲が広いんじゃねーか?」

 

 当真はいつもの調子でつぶやいた。

 

「少なくとも風間さんはそう分析しているね」

 

 鳩原は隊長の事をよく知っているために冷や汗を浮かべている。

 

「狙撃手の攻撃も完全に視えているしなー」

 

 冬島は作戦を練りつつ、どうしたものかと考えを巡らした。

 

「……無防備な姿をさらせばすぐ撃破されるというわけか」

 

 三輪は苛立ちを覚えたがここで感情を露わにすることはせず、冷静に分析した。

 皆脅威を抱いた一方、打開策が中々思い浮かばない。さすがは黒トリガー、情報が明らかになっても簡単に対抗策は思い浮かばなかった。

 

「どうだ? 紅月、何か案はあるか? あるならばお前に託そうと思う」

「そうだね。というか、僕で良いのかい? 三輪だけでなくここには冬島さんもいる。年齢的にもランク的にも指揮を執るのは僕ではないと思うけれど」

 

 とにかく方針を固めなければなにも始まらない。三輪はライに指揮権を譲渡し、後を託そうと考えたがこの場にはA級二位でこの中では最年長でもある冬島がいた。そのため冬島が作戦の指揮を執るべきだろうとライは冬島に視線を移すのだが。

 

「俺もまだ本調子ではない。また体調を崩せば迷惑をかけるからな。できる事ならば自分の仕事に専念させてくれ」

 

 冬島は体調の悪化を考慮して辞退した。ライは先ほどの彼の不調を知っていた為このように言われてしまっては強く否定できない。

 

「俺は指揮とかしねえし」

「頼みます」

「迅を相手に、冷静に戦うためにはお前が適任だろう」

 

 当真や出水、三輪が期待を籠めてライに託すのだった。 

 仕方がないか。

 ここにいる隊員たちは皆A級という合同部隊であるため抵抗があったのだが、こう期待されては仕方ない。

 

「——わかった。ならばここからは僕が指揮を執る。各自、僕の指示の元動いてくれ!」

『了解!』

 

 ライは一つ息を吐くと、決意を固めるのだった。

 答える隊員たちの声は力強い。さすがは歴戦の猛者たち。迅と風刃、黒トリガーの驚異的な力を目にしても、恐怖心にかられるものは一人もいなかった。

 

 

 

「——来るか」

 

 大通りのど真ん中で迅は一人、その時を待ち構えていた。

 すでにリロードを終えた風刃には上限である11本の光が帯となって纏っている。

 一本で視界に入る敵を容易に真っ二つにできる切れ味だ。たとえ相手が8人いようとも問題ない数である。

 

「君と戦うのは半年ぶりくらいかな?」

『うん。俺も試験官としてやるべき事は終わったし、一息つけるな。君との戦い、中々面白かったよ』

『次はこのような試験という形ではなく、全力の迅さん(・・・・・・)と戦ってみたいものですね』

「さすがにあの日はここまでは視れなかったな。懐かしい」

 

 迅は一度だけライと戦った日の事を思い返した。

 かつて、まだ紅月隊の戦闘員が一人だけだったころ、迅がライの力を試すべく立ちはだかった昇格試験の日の事である。

 あの時はまだお互いの事を、お互いの力をよく知っていなかった。

 迅はライの事を忍田なども一目置いている訳ありの実力者というイメージを持っていた。

 ライは迅の事を未来を予知するセクハラ常習犯というイメージをもっていた。

 その後さまざまな人物との交流や事件を経て、お互いに相手の事を知り、その力を認めている。

 

「あの時とは、だいぶ状況が違うけれど」

 

 違う事があるとするならば、対峙する状況だろう。

 受験者と試験官としてではなく敵同士として。ライはより多くの実力者を率い、迅は黒トリガーを手にして。

 目的も当然試験の合否を巡ってではなくではなく、お互いの守る者の為の戦いとなる。

 先にライも語っていたように手を抜くことは出来ない。ここで全力で敵と相対しなければ意味がない。

 だからこそ。

 

「来なよ紅月君。あの時と同じように、この実力派エリートが迎え撃とう」

 

 向かってくる敵を返り討ちにしようと風刃を握る拳に力を込めた。

 かつて行われた昇格試験でライを苦しめた迅が、黒トリガー争奪戦第二ラウンドの始まりの時を静かに待ち受ける。

 

 

 

 

 

 ライははじめにずっと迅の監視を続けていた二人、奈良坂と古寺へと通信をつなぐ。

 

「奈良坂、古寺。迅さんの様子は?」

『動きはない。だが風刃のリロードは完全に終了したようだ』

『こちらからは光の帯が11本確認できます。何かあればすぐ報告します』

「よし。二人は牽制と風刃の監視に努めてくれ。相手は迅さんだ。僕と三輪、出水が仕掛けるまでは撃つな」

 

 支部側への突破を許したくないという事情もあってか、迅から仕掛けてこないという状態はライにとっては追い風だ。

 まず条件は一つクリアされた。

 続いてライはもう一人の狙撃手・鳩原へと指示を飛ばす。

 

「鳩原! ポジションにはついたか?」

『こちら鳩原。もうすぐ着くよ。こちらも問題なし』

「わかった。確認だが、例のトリガーは持ってきているな?」

『うん。言われた通りセットはしてきた。だけど、正直自信はないよ?』

「君の腕ならば十分だ。僕は信じよう。タイミングはこちらで指示する。合わせてくれ」

『鳩原、了解』

 

 彼女からは少し気弱な声が帰って来たが、彼女が謙遜しがちであるという事は隊長であるライがよく知っていた。一言応援の言葉を残すと、続いてもう一人の狙撃手・当真へ。

 

「当真」

『ほいほい』

「君は独自の判断で動いて良い。迅さんを仕留めるタイミングがあれば即座に撃ってくれ。最悪僕たちを巻き込んでも構わない」

『言ったな? よしっ、任せておけ』

「ああ。任せたぞ」

 

 狙撃手最強である当真には余計な指示は不要だ。彼には単独で行動する許可を与え、簡潔な指示に留める。

 

「出水!」

『聞こえてますよ』

「この戦いでは君が落とされるかどうかで大きく戦況が変わるだろう。とにかく動き続け、絶対に迅さんの視界に入るな。不満があるかもしれないが、先に指示したように戦ってくれ」

『了解』

 

 迅との戦いで重要な戦力となると考える出水にはより慎重に徹するようにと言い聞かせた。

 

「冬島さん」

『おう』

「今回は下手に攻撃系のトラップを仕掛けると迅さんに利用されかねない。合図がない限りはワープの設置に専念してください。また、出水と三輪・僕の3名が狙われれば優先的に逃がしてください。タイミングや位置は理佐に任せます」

『了解だ』

 

 特殊な立ち位置であるトラッパ―・冬島にはこの戦いでは徹底的にサポートに徹するべく役割を限定させた。特に近~中距離戦の要となる3人の動きに警戒するよう伝え、指示を終える。

 

「理佐」

『ええ』

「冬島さんに伝えた通り、スイッチボックスの設定は君と冬島さんに任せる。そして、今回のプレイヤーは君だ。盤面の調整は任せるよ。上手く動かしてくれ」

『責任重大だね。じゃあ、間違ってもキング(あなた)は落ちないでね』

「もちろんだ。よろしく頼むよ」

 

 さらにライは冬島隊の作戦室で支援役を担う真木にスイッチボックスの設定および細かい作戦の調整を託した。

 盤上を広く見て、駒を動かす。王を取られず、相手を詰ませる。

 チェスに見立てたたとえに、二人とも揃って「フッ」と笑みをこぼすとどちらからともなく通信を終えるのだった。

 

「三輪」

「……ああ」

 

 そして、最後に共に最前線で戦う三輪には直接語りかける。

 

「太刀川さんや風間さんたちがいない今、近距離戦は僕と君の二人が担う事になる。責任は重大だ」

「わかっている」

「風刃は近距離戦ではただのブレードとなる事は太刀川さんが証明してくれた。僕たちが抑えられればそれだけこちらが有利になれる。——陽介がいないのは残念だが、僕が彼の代役を務めよう。上手く合わせてくれ」

「問題ない。お前の戦いはよく理解しているつもりだ」

「それは頼もしい」

 

 ライと三輪。彼ら二人が対迅における近接戦闘員となる。彼らの戦いの結果で戦闘の行方が変わりかねない。三輪もその役割の大きさを理解しているため、普段から迅に抱いている苛立ちだけではなく、任務を成し遂げようとする責任感が。そして何よりもようやく目の前の友人と共に重要な局面で戦えるという喜びが沸き上がり、彼の気持ちをより強固なものとしていた。

 心強い友人の言葉に、ライも笑みを深くする。

 

「一番槍は僕が行く。——行こうか。迅さんに教えてやろう。戦略と戦術の違いを!」

「ああ。行くぞ!」

 

 すでに太刀川も風間もいない。たった一人の敵によって最精鋭隊員たちが蹴散らされた。

 だが、相手がそんな黒トリガーであろうと恐れるに足らず。

 最強を退けた切り札(ジョーカー)に、ライが全ての手札を切って勝負を仕掛けていった。




「動ける戦闘員の中で、後々の展開にも生きるだろうという事で、僕が選ばれた。で、的確にサポートできる人材が欲しくて僕が鳩原に同行を頼んだ。そしたら、騒ぎを聞きつけたイコさんが行きたがって。イコさんがどうしても行くって聞かないもんだから理佐が仕方なく説得……って感じだな」
「ピクニックかよ」


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迅悠一

 先の抗争の際にライは迅の事を『切り札(ジョーカー)』と例えた。

 この言葉に偽りはなく、事実彼はボーダー隊員の中でも迅という存在に一目置いている。その理由は彼が黒トリガーを持っているから、未来予知を持っているから、というだけではない。

 ライが彼の事を警戒しているのは、迅悠一という存在の有り様であった。

 飄々とした態度を崩さない彼の姿からは感じにくい事だが、人には見えないものが見えるという精神的負担は大きなものだ。本人が望もうとも望むまいとも目にしてしまうという人の理から外れていると言ってもおかしくはないような立場にあって、それでもなお平然としている彼の在り方が。

 しかも迅は古参の隊員。ライが知らない戦闘も数多く経験してきた事は想像に難くない。その死線を潜り抜けてきたというのだから彼の力は、精神力は桁外れだろう。太刀川や風間をはじめとしたボーダーの精鋭たちを蹴散らしたというのだから底が知れない。

 ——だからこそここで彼と戦う事に意味がある。

 戦況がここまで進んだ事によって、ライはようやく迅がかつての会話の際に告げなかった真意を読み解いていた。

 

 

 

————

 

 

 敵の襲撃を待ち構えていた迅の目に、突如異変が映し出された。

 

「おっ。さすがに前回と同じ手では来ないか」

 

 まだ状況に変化は生まれていない。狙撃手や射手の攻撃が打ち出された様子が見られない上に、攻撃手が接近してきた姿もなかった。

 しかし突如として迅は上体をわずかに倒すとその場でバックステップを踏み、後方へと下がる。

 彼が地面を蹴ったのと時を同じくして、先ほどまで彼がいた場所を取り囲むように4枚のエスクードがせり上がった。

 おそらくはエスクードで迅を包囲して身動きを封じ、視界を封鎖しようとしたのだろう。

 狙いは良いが相手が悪い。迅は展開途中のエスクードに足をかけるとさらに勢いを増して跳躍。そのまま空中で風刃を振り上げ、真上から切りかかってくるライの弧月を受け止めた。

 

「やあ。久しぶりだね紅月君。嵐山たちじゃ止められなかったか」

「それもあなたならば見えていたんじゃないんですか?」

「一応ね。でも、可能性はあまり高くないと思っていたんだけどな」

「ならば今のうちにあなたの計算を修正しておいた方が良いですよ」

 

 それ以上の言葉はいらないと、ライはさらに力を強めて弧月を振り切った。

 落下の勢いが加わっていた事もあって膂力が強く、迅が地面に叩きつけられる形となる。

 着地に成功した迅だが、休む間もなかった。

 空中にいたはずのライが突如として消え、迅のすぐ目の前まで迫る。

 冬島のスイッチボックスだ。攻撃や移動など様々な用途に用いられる専用のトリガー。今回は味方の位置をすかさず別の場所まで転送できるテレポートとして使用されていた。

 続けざまの連続攻撃に、迅は慌てる事無く風刃を背中を通して勢いよく切り下ろした。刃は背後から迫りくる一発の銃弾を弾き、ライの攻撃を迎撃する。

 

「——チッ」

「悪いね、視えてるよ」

 

 背後からの狙撃は古寺のものだった。

 先ほどライによって形成されていたはずのエスクードはすでに4枚とも消えている。背後にあるバリケードという存在を相手が誤認している間に死角から狙撃を決めようという意図の攻撃だったが、迅はそのコンビネーションも予知していた。

 鍔迫り合いが続くが、今度は迅が押し切った。

 ライが後方へと吹き飛ばされた中、彼を援護すべく二つの道路を挟んだ先の住宅街から突如無数の銃弾が上空へと打ち上げられる。

 

誘導弾(ハウンド)。——いや、変化弾(バイパー)か。なるほど。確かにこれならば射手の位置がわかりにくい)

 

 弾は上空で向きを変え、迅を追うような軌道を進む。迅が対処すべく移動しようとした中、一部の弾はその移動先を読んでいたのか先回りするように弧を描く光景を目にした。

 

「徹底して対策しているね。なら、こっちかな」

 

 それを見て迅は反転。ライに向かって直進するとすれ違いざまに風刃を横薙ぎに払った。ライは当然これを受けきるが、変化弾は先を読まれていた事もあって壁に激突して消失する。

 

《あー。変化弾(バイパー)じゃやっぱり読み切られますよ!》

《わかっている。それでも構わない。むしろ出水の居場所を悟られる方がこちらにとっては痛手だ。そのまま出水は継続して変化弾で支援を続けてくれ》

《出水、了解》

 

 予知する相手に変化弾を当てる事は至難の業だ。しかしこれで良いのだとライは出水の愚痴を切り捨てる。

 現在出水は確かにライ達が斬り結んでいる道路から二つ先の場所に立っているのだが、詳細の位置は変化弾を打ち上げた場所よりさらに2メートルほど南の場所だった。変化弾のルート設定によって地表すれすれを進んでから上空に進み、さらにハウンドと誤認するように滑らかな軌道を描く複雑な設定を施したのである。

 迅は未来予知で相手の居場所も容易に察知しかねない。そのため敵に居場所を悟られないようにというライの意図を反映した方針であった。

 

《しかしやはり未来予知は厄介だな。——国近!》

《はいはーい》

《国近を主体に月見さんと二人で迅さんの逃走経路を予測、分析して出水と狙撃手組に送ってくれ。少しでも情報を詰めたい》

《りょーかーい》

 

 とはいえさすがに出水の支援の効果の大小では展開が大きく変わるのは間違いない。

 ライは射撃の精度を上げるべく国近に新たな指示を飛ばし、自身は右腕にトリオンキューブを形成した。

 

「それまでは僕が凌ぐ」

「おっ。万能手の本領発揮かな?」

 

 距離が空くや、中距離戦へと移行する。ライの万能性を活かした動きだ。予想通りの動きに迅が笑みを深くする。

 

「だけど、一つ違うんじゃないか」

 

 そう言って迅は風刃を前に構え、さらに空いている左腕を後ろへと突き出した。

 

「僕がじゃなくて、僕たちがだろ?」

「ッ!」

「……迅!」

 

 前にテレポートしたライと、バッグワームを解除して背後にテレポートした三輪。二人の斬撃を同時に防ぐ。

 ライの弧月は風刃に受けきられ、三輪の弧月は持ち手の右手首を抑えられてしまい、奇襲は失敗に終わった。

トリオンキューブのフェイクもタイミングを合わせた挟撃も、全て予知通り。呆気なくこちらの攻撃を防ぎきる相手に、三輪は歯を食いしばった。

 

「よいしょっと」

「ぐっ!」

「三輪!」

 

 すると迅はその三輪をライに向けて叩きつける様に放った。すかさず彼を庇うべくライが後退しつつ受け止めるが、その彼らめがけて風刃の斬撃が解き放たれた。

 

(ここで来るか!)

 

 咄嗟の出来事でさすがのライも回避行動は間に合わない。

 必死に弧月を前に出し、シールドを展開して衝撃に備えるライ。

 斬撃が身を襲おうとしたその瞬間、再び彼らの姿が迅の目の前から消えたのだった。

 

「——さすが冬島さん」

《二人とも無事か?》

「……ああ」

「助かりました。今のは本当に危なかった」

 

 窮地の二人を救ったのは冬島だ。いざという時に備えてすでにワープを設置していたのだろう。

 すぐに追い打ちをかけようとした迅だが、そこに3方向からの狙撃が向けられ行動には移れなかった。

 

《やはり風刃を使用した直後でも隙はないか》

 

 標的が身をよじって回避すると、奈良坂は悪態を隠すことなく舌を打つ。

 

《そうですね。狙撃では紅月先輩の言う通り支援に徹するしかないかと》

《あたしも刀を狙ったけどあっさり躱されちゃってるし》

《……場所を変えよう。こちらも少し距離を詰めながら敵の動きを見定める。より狙撃の密度を増やし、援護するぞ》

《了解》

 

 奈良坂だけでなく古寺や鳩原も苦言を呈した。

 並み居る狙撃手の中でもトップクラスの実力者が募っているものの、彼らをもってしても迅に対して一発を当てる事すら難しい。むしろ相手の回避能力の高さに加え、今三輪達に放ったような反撃を彼らも想定しなければいけないのだから本当に厄介な話だ。

 風刃は射程が異常なほど長い。下手に一か所に留まっては返り討ちにされるリスクがあった。奈良坂の提案により狙撃手の三人はより近くの狙撃ポイントに場所を変えて味方のサポートに徹するのだった。

 

 

—————

 

 

 奈良坂や古寺、鳩原達狙撃手一同が狙撃場所を移動する中、もう一人の狙撃手・当真は一人ビルの屋上でじっと照準器を覗き込んでいた。

 

「おいおい。本当に面倒な展開になったな。まともな狙撃チャンスすらねえじゃねえか」

 

 常にレティクルの中心に迅の頭を捉えながら、当真はぼそりと口ずさむ。

 ライから『自由に動いてくれて構わない』と指示された当真はまだ戦闘が再開してから一度も狙撃を行っていなかった。

 ただひたすら傍観に徹し、必殺の機会を待っている。

 

『無駄口を叩くのは良いけど、やるなら必ず仕留めてね』

「おーう。聞いてたのか。わかってるって真木ちゃん。仕事はしっかり果たすって」

 

 独り言を拾った真木に弁明するようにそう返してため息を吐いた。

 誰かに言われるまでもない。

 奈良坂やライは援護や敵の行動阻害の為に狙撃を密に行う事によって戦況に絡んでいくが、当真は違う。

 彼の信条は一撃必殺。

 外れる弾は撃たない。

 隠密行動が必須とされる狙撃手だからこそ敵を一撃で仕留めなければいけない。その一撃は必ず決める。

 

(やるならやっぱり迅さんがこっちの誰かを落とす時だな。いくら達人と言えど均衡が崩れれば必ずどこかに隙が生まれるはずだ。——絶対に逃さねえ)

 

 最強の狙撃手は静かに、勝負の時を待った。

 

 

————

 

 

 迅は前から迫るライと真っ向から斬り結ぶ。

 互角の切り合いを演じながらポジションを変える事を忘れない。角度を積極的に変える事で三輪の援護射撃をためらわせ、鉛弾が飛んでくるようならば付近の電柱やコンクリートを切り上げて防御壁とする。

 

「チッ!」

 

 一発でも決まれば勝負が大きく変わるであろう鉛弾を容易に対応され、三輪の表情が歪む。それどころか迅は三輪が拳銃を手にするや否や、突如向きを変えて三輪に斬り込んできた。

 ブレードトリガー、それも風刃の出力となればシールドで防ぐことも容易ではない。

 脅威が目前に迫るとここで冬島がワープを起動。三輪を迅の攻撃から逃すことに成功する。

 

「頼むからそろそろ一発くらい当たってくれよ!」

 

 迅の近くに味方がいないとみるや、出水の変化弾が上空から降り注ぐ。

 さらにライも炸裂弾を起動し、二方向から射撃トリガーが迫った。

 すると迅は塀を飛び越えて扉を打ち破って住居の中に侵入。一時的に身を隠した。

 

「奈良坂、古寺。南側を狙ってくれ。迅さんを追い込むぞ」

 

 こちらも中へ追っても問題はないのだが、太刀川の時のような待ち伏せのリスクもある。

 ライは迅をあぶりだすべく変化弾を起動し、住居の中へと撃ち出した。

 するとその直後、1階のベランダの窓が音を立てて割れた。ガラスが散乱する中を突っ切って、一つの影が勢いよく飛び出していく。

 

「来た!」

「……いや、待て古寺!」

 

 この機を逃す手はないと、素早く反応した古寺が引き金を引いた。

 狙撃が放たれた中、古寺は師の制止の意味を、弾が目標と命中してからようやく気付く。

 

(えっ!? イス!?)

 

 暗闇、そして割れたガラスの散乱が古寺の反応を遅らせた。

 

「まず一人だ」

「古寺!」

 

 二階から屋上へと躍り出た迅が風刃を大ぶりに振るう。

 奈良坂が叫ぶが、わずかに遅かった。

 即座に離脱しようとした古寺の体に光の刃が伝心する。

 トリオン体は風刃の一振りによって呆気なく両断され、崩壊した。

 

《狙いは狙撃手の方だったか。——三輪、出水! 同時に仕掛けてくれ! わずかで良いから迅さんの足を止めるんだ!》

《わかっている》

《了解!》

 

 罠を意識し過ぎた己の失態を悔やむもライは即座に切り替え、新たに指示を飛ばす。

 反対側の道路に悠々と降り立った迅を追って三輪も駆け出し、弧月を手にして迅に切りかかった。

 奈良坂・鳩原の援護狙撃、出水の援護射撃を避けた迅はこの斬り込みを真正面から受け止める。

 

「エスクード」

 

 同時に、ライはエスクードを起動。後方から前方へ急な角度をつけて展開し、一気に急加速した。

 先ほど迅が打ち破った窓から飛び出し、さらに柵も弧月で斬り崩すと、迅の姿を視界にとらえる。

 

「仕留める」

 

 敵を捉えるや否やライは居合の構えを取った。

 迅の意識が自分から逸れ、三輪が一時でも敵を抑えている今が好機。

 

「旋空弧月!」

 

 今度こそ一撃を決めようとライの旋空が解き放たれた。

 

「悪いね、紅月君」

 

 その瞬間、迅の口から謝罪の言葉が発せられる。

 

「それも視えてるし。——俺は君よりも、君の師匠たちの事を見てきたんだ」

 

 迅悠一。ボーダー本部ができる前から戦い続けてきた古参。

 人一倍戦闘経験が豊富な彼はありとあらゆる戦いを目にしてきた。

 敵味方問わず様々な人物との戦いや模擬戦を経験した中には、当然ながらライの旋空の師匠にあたる忍田や生駒も当てはまる。ライ以上に迅は彼らの戦いを知っていた。彼よりも旋空の強みも、タイミングも、仕組みも理解している。

 

「それは失策だったよ」

 

 そう言うと、鍔迫り合いを行っていた三輪を押し切りライの方角へと振り返る。

 横向きに倒れ込むような形で上体を倒して、風刃を振るった。

 横一文字に切り裂く刃をギリギリで躱すと、その刃の下を光の筋が突き進む。

 

「なっ!?」

『ハッ!?』

 

 ライはもちろん、その場で戦う、見守っている全員が驚愕に目を見開いた。

 ありえない。

 旋空と風刃の大きな違いは、その射程距離も勿論だが、さらに加えてその攻撃が刃そのものなのか斬撃によるものなのかにある。

 風刃は遠隔斬撃であるのに対し、旋空の特性はあくまでも刃の拡張。弧月の伸縮であり、間合いの確保である。

 だからこそ、旋空の発動で迅に向けられた刃は弧月そのものであり、その弧月を風刃の伝導路として迅に利用された。

 

(旋空に合わせて、風刃を放っただと……!?)

 

 しかし理屈はわかっていても実行に移せるような話ではない。

 旋空の起動時間は人によるが、ライや生駒、忍田のような達人レベルの者達は0.2秒から0.3秒前後と言ったところだろう。

 そんな避ける事さえ難しい攻撃を完全に見切って反撃に転じるなど人間業ではない。

 あらゆる強敵たちを撃破してきた必殺の一撃を辿って、ライに死が迫る。

 

「迅、悠一!」

 

 この時、ライは真に理解した。

 風刃という黒トリガーを持っているから、迅が厄介なのではない。

 未来予知という副作用を持っているから、迅が手ごわいのではない。

 迅悠一という男がその両方を完璧に使いこなしているからこそ、彼はジョーカーなのだと。

 

「紅月!」

 

 三輪の叫びが戦場に木霊する。

 一筋の光が、ボーダー本部へと向かって飛びたっていった。

 

 

————

 

 

「……マジかよ。そんなのありなのか」

 

 恐る恐る呟いたのは、ビルの屋上で待機していた当真だった。

 彼にとっても迅のカウンターは非常に恐ろしいものに映った。

 今となっては師匠に倣って『紅月旋空』という呼び名さえついた達人技をカウンターとして使おうなどまず常人では考えようもないだろうし、実行に移そうとすら思えないだろう。

 それを難なく実行する事を可能とした未来予知、そして経験則。すべてが恐ろしい。

 

「しかも——俺の狙撃まで視ていたとか、本当にふざけてんだろ」

 

 加えてその先の未来までも見通していたという、彼の完璧ぶりが。

 当真の体には頭から股下にかけて大きな切傷が走っていた。

 これは古寺の時と同じ、風刃によるものだ。

 あの時、迅がライに向かって風刃を放った際に、当真は誰よりも冷静さを保ち、逆カウンターとして迅の狙撃を敢行しようとしていた。

 だがその時に迅が風刃を撃ったのは一発ではなかった。

 一発はライの弧月を辿ってライにめがけて。

 そしてもう一発を続けざまに地面を辿って当真にめがけて。

 地中を辿った瞬時の光。カウンターを狙っていた当真は気づくことができなかった。

 旋空も、そのあとの狙撃の未来も視えていたのだろう。それらすべてを回避し、さらに両取りを狙って風刃を使った。

 規格外れも良い所だ。人間業ではない。もはや苦笑いするしかなかった。

 

「悪いな。一足先に抜けるぜ」

 

 最強の狙撃手、当真。迅を前にして一発も放つ事無く戦線離脱を余儀なくされる。

 

 

———— 

 

 

「惜しいな。今ので当真と紅月君、二人とも落とすつもりだったんだけど」

 

 当真の緊急脱出の跡を見上げながら迅がそうつぶやいた。

 彼の言う通り迅は本気で同時撃破を目論んでいた。

 不意を突いた黒トリガーの攻撃。射程はもちろん速度も尋常ではない風刃は普通ならば呆気なく撃破されていたことだろう。

 

「被弾の直前、弧月を手放す事で回避したのか。あれに反応するなんてさすがの副作用だ」

「……嫌味にしか聞こえないんですけど」

 

 だが、ライはまだ生きていた。

 迅の言葉通りライは咄嗟の判断で握っていた弧月を放し、ギリギリのところで直撃を回避したのである。ライの反応速度が活きたものだった。

 

(しかし当真が落ちたのか。これで決定打を決めることが余計に難しくなった)

 

 とはいえ状況は悪い。

 当真が先ほどの攻撃で落とされ、古寺に続いて戦線を離脱した。

 風刃の残弾は8発。

 対して残るこちらの戦力はライ、鳩原、三輪、奈良坂、出水、冬島の6名。相手の弾数も減っているが、迅はまだ攻撃を一撃も受けていない。劣勢と言える状態だろう。

 

《理佐。僕の右腕の傷は?》

《まだトリオンの余裕はある。とはいえバッグワームや射撃トリガーも使っていたから長期戦は避けた方が良さそうだよ》

《そうか》

 

 しかも直撃を避けただけで、ライに被弾がないわけではなかった。

 真木の報告にライの表情が歪む。

 彼の右腕は肘から先がなくなっていた。弧月から伝播した斬撃は刀身から広がって近くの右腕を襲ったのである。

 

(これで接近戦に制限がかかった。三輪もいるとはいえ左腕一本で迅さんに挑むのは難しい。本来ならここで撤退すべきだろう)

 

 この時点で二人が落とされ、自身も負傷。

 対して敵にはまだ余裕が残されている。

 必殺の一撃も攻略され、有効的な攻略法は見いだせていない。

 太刀川達さえも撃退した相手に、ここから逆転するのは至難の業だ。

 援軍も期待できない為に普段のライならばここで撤退策を選んでいたかもしれない。

 しかし。

 

『アリステラ王国王女として我が刃・ライに託します。城戸の一派に協力し、その力を示してください。この争いを一刻も早く収めてください』

『お願いしますね。——お兄様』

「……今は違う。まだここで引き下がるわけにはいかない」

 

 脳裏に王女との約束が蘇り、決意を確固たるものとした。

 ライの瞳に覚悟の炎が宿る。

 彼にしか出来ない役目を託してくれた彼女の希望に応えるために、まだ終われない。

 そのために、ライは勝負に出る事を決めた。

 

《鳩原。ここからは例のトリガーで行こう》

《えっ? このタイミングで? でも、普通の狙撃でも当たらないんだよ?》

《ああ。その通りだ。だからこそだ》

 

 隊長からの指示に、鳩原が疑義を唱える。

 まともに当てる事さえ難しいならば一発勝負に出るべきではないだろうと訴えるが、ライは引き下がらなかった。

 

(勝ってみせる。この絶望的な状況からでも……!)

 

 諦めたわけでも自棄になったわけでもない。この戦況をひっくり返すのだと、ライはただひたすらに勝利を見据えていた。




迅「その通りだ。副作用の能力など。俺にとっては強さの次の備品に過ぎない」
ライ「でも瑠花たちへのセクハラに悪用しただろうがあ!」
迅「ぐはーっ!」
出「もっともだーっ!」


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紅月ライ

「ありゃりゃ。仕事増えちゃった。参ったなー、もー」

 

 急激に変動した戦況、そして新たに下された命令に国近が愚痴をこぼした。

 状況は芳しくなく指揮官の打つ手も未来が視える相手に対しては確実性に欠けているものであるためこの反応は仕方がない事だろう。

 もちろん悪態をつきながらも手を止めるような愚は犯さない。流れるような手つきでキーボードを叩き、味方への支援を施していく。

 

「さすがに当真を落とされたのは紅月も予想外だろうからな。大きな決め手を失ったんだ。あいつも賭けに出るしかなかったんだろう」

「ねー。太刀川さん・風間さんと続いて個人ポイントランカーがまたやられちゃったからねー。こりゃー大変だ―」

「チッ。痛い所を突きやがって」

 

 一足先に作戦室へと戻っていた太刀川が国近の心中を察し、彼女を宥めた。

 そんな彼に国近が呑気な声で指摘すると、隊長としても個人ポイント最高という立場としても先の迅との戦いでの結果はふがいない点があったのか、太刀川は短く舌を打つ。

 

「まあ。確かに次々とランカーがやられて不利な状況に陥った。あいつも傷を負ったとなればこれじゃあ長期戦も難しいだろう。——だが、問題はない」

 

 ただしこの戦いの展望についてさほど悲観的になっているわけではなかった。

 すでに戦力の大半を失っているものの、まだこちらにも勝機はあると太刀川の目がキラリと光る。

 

「ほー? 意外。迅さんはわかるけど、紅月君の事までそこまで太刀川さんが買っているなんて。その根拠は?」

 

 国近とてライの力は認めている。同年代という事で交流もあるし何度か解説としても彼の戦いを見てきた。一度はA級にも昇格したのだ。その力は伊達ではない。

 しかし明白に不利となったこの場面で太刀川のように断言する事は難しかった。一体どういう理屈なのかと彼女は疑問を唱え、小さく首を傾げる。

 

「別に根拠なんてものじゃないが」

 

 そこで言葉を区切ると、後ろ髪を掻き上げて太刀川は続ける。

 

「紅月は困難に陥れば陥るほど自分の力を発揮できるタイプの人間だと思うからだ」

 

 国近は知らない事だが、太刀川は前にも目にしたことがあった。

 それはライがB級のトップに立ってA級の昇格戦として挑んだ迅との模擬戦。

 あの時も今と全く同じような状況だった。

 初めて相対する強敵に磨いてきた己の力は届かずに跳ね返され、立て直すのは簡単なことではない。もしも他に見ている者がいたならば十中八九ライの敗北を考えていた事だろう。

 だがライはそこから立て直した。自分たちの持ちうる力を活かし、考えうる限りの最大のパフォーマンスを繰り広げて。

 だから今回もやり遂げる。

 あまり精神論などの具体性に欠ける物事を信じる事はしない太刀川であったが、なぜかそう確信を抱くほどの何かを直感的にライから感じ取っていた。

 

 

————

 

 

「ふーっ」

 

 ビルの屋上で鳩原が呼吸を整えていた。

 先の狙撃位置から移動し、迅との距離はさらに近づいている。もしも動きを気取られれば風刃によって即座に撃破されかねなかったが、どうやらその心配は杞憂だったようだ。

 後は自分が決めるだけ。

 トリガーを切り替えてその時を待つだけの鳩原だが、緊張の為なのか冷や汗が頬を伝った。

 

「——集中」

 

 張り詰めた空気を和らげるべく、ゆっくりと瞳を閉ざし、自分にそう言い聞かせた。

 

「大丈夫。今は紅月君たちもいる。あたしは指示通りやればいい」

 

 この戦い、鳩原はライの要請によって参戦を決めた。

 今でもまだ彼女は彼らに負い目を感じている。だからこそ自分の力を求めてくれたライの期待には応えたかった。

 

『鳩原先輩』

「はっ、はい!」

 

 突如通信越しに聞きなれない大人びた声が響き、思わず鳩原の体が硬直する。

 真木はその反応に幾分かの不安を抱いたものの口にはする事無く淡々と指示を飛ばした。

 

『月見さんと国近先輩から予測データが来ました。彼の動きに合わせてタイミングとコースを伝えます。お願いしますよ』

 

 月見と国近が行っていた分析が終了したという待ち望んだ知らせだった。

 瞬時に鳩原の意識が切り替わり、視線が鋭さを取り戻す。

 

「——了解」

 

 鳩原が実戦で使用するのはこれが初の試みとなるトリガー。

 だが技量に関していえばボーダー隊員で右に出るものはいないと呼ばれる彼女だ。目にもはや迷いはなく、静かにスコープを覗き込んだ。

 

 

————

 

 

 当真を撃破し、ライの右腕を切り落とした。

 風刃の弾数にも余裕がある今、迅は徐々にライと三輪を押し返し、敵を玉狛支部から遠ざけていった。

 

「どうした、二人とも。そんなんじゃ俺は落とせないよ?」

 

 敵を煽る様な言葉を告げつつ、近接戦闘を繰り広げるライ・三輪のコンビと斬り結ぶ。

 二人は常にどちらかが敵の死角を取れるようにと位置を変えているが、未来予知を持つ迅は次の動きを読み取っており、時に建造物で射線を切り、時にもう片方の敵を盾として立ち振る舞う事で凌いでいた。

 

「チイッ!」

「おっと」

 

 迅がライめがけて斬りかかると、彼を援護すべく三輪の鉛弾が放たれた。

 最初の二発を体を仰け反って躱すと近くの壁を蹴って方向転換。続けざまに三輪の鉛弾が放たれるが弾は迅が通過した建物の壁を打ち抜き、錘が形成された。

 

「そう易々と鉛弾を受けたりはしないよ、秀次」

 

 攻撃をかわした迅はそのまま今度は三輪へと切りかかる。

 彼が弧月に持ち換えると二合、三合と切り合い、ライの横薙ぎの斬撃を刃で受け止めて距離を取った。

 後退した位置を読んたのか狙撃が一発飛んでくるが、迅はそれも容易に躱す。

 

(おかしいな。さっきから狙撃が全然飛んでこない。二人の狙撃手を撃破したのだから当然だけど、撃ってきているのは一人だけ? 鳩原ちゃんも来ているならもう一人はいるはずだろう?)

 

 攻撃を難なく回避した迅だが、敵の動きに納得がいかず疑念の念を抱く。

 どうも当真の撃破後から狙撃の密度が少なかった。

 古寺・当真の狙撃手二人を撃破したとは言えど、まだ敵には奈良坂と鳩原の二人の狙撃手が残っているはずだ。

 しかしライ達の攻撃が再開してからというもの、狙撃の援護は一人によるものだけとしか考えられないほど機会が減っていた。

 迅を相手にする以上、決められないとしても動きを制限するために少しでも狙撃を行うべきであるはずなのに。

 

(何か考えがあるのか。それともランク戦のように鳩原ちゃんが何か準備をしているのか?)

 

 ふと脳裏によぎったのは紅月隊が部隊ランク戦で見せている戦いだ。

 鳩原が布くワイヤー陣に敵を引きずり込み、ライが強襲を仕掛けるというここ最近よく見る様になった彼らの得意パターン。

 そうだとするならばライや三輪が徐々に後ろへ下がる姿も罠のように見える。押されるフリをして迅を不利な場所に引きずり込もうとしているとしたら。

 

「まあ、まだ問題はないな」

 

 正誤は不明だが、まだ問題となるほどではない。

 少なくとも自分が敵陣におびき寄せられて撃破されるという光景は映し出されていなかった。そこまで確定した未来が視えてないならば今は目の前の攻撃に備えようと、迅は意識を切り替える。

 

変化弾(バイパー)!」

 

 正面のライ、そして離れた道から打ち上げられた変化弾が迅へと襲いかかった。

 その弾を避けようとして、直後迅は正面から放たれた弾の正体に気づいて足を止め、風刃を足元めがけて横振りに放って後退する。ライが放った射撃は風刃に阻まれて爆散した。

 変化弾と見せかけての炸裂弾。生駒隊の水上が得意としている技術だが、生憎と未来が視える迅には効果が薄い。

 

「煙幕を狙ってなら無駄だよ」

 

 直後、煙を割いて飛来する狙撃を風刃で弾き、突っ切って来た三輪の弧月を受け止めた。

 

「そのまま抑え込んでくれ、三輪!」

「わかっている!」

 

 三輪と迅が鍔迫り合いを繰り広げるとライの叫びが迅の背後から響く。冬島のテレポートで後ろに回ったのだろう。

 ライは即座に弧月を握る左腕を引いて必殺の構えを取った。

 さらに三輪も素早く片手を腰元に回すと、先に鉛弾のリロードを終えていた拳銃を手にする。

 前からは三輪、背後からはライ、そして斜め上空からは出水の攻撃が迅に同時に襲い掛かる。

 

「さすがの連携だな。と、なると!」

「ぐっ!」

 

 不利な体勢とみるや、迅は三輪を力で押し切り、弾き飛ばした。

 さらにその振り切った風刃を背後へめがけて斬撃を飛ばす。

 

「ぐっ!?」

 

 この一撃は反射神経に優れるライが寸前でかわしたものの、これで体勢が崩れた。

 上空から振り注ぐ射撃を防ぐべく、迅は射撃とは反対方向の屋根へ飛び移るべく身を屈めて、

 

「——えっ?」

 

 跳んだ先で鉛弾に直撃する自分の未来が視えて、動きは中断されてしまった。

 

「獲った」

 

 その一瞬の隙を精鋭と呼ばれた彼らが見逃すはずがない。

 素早く立て直したライの旋空弧月が解き放たれた。

 

「しまっ——!」

 

 否、彼だけではない。さらに三輪が放つ鉛弾も今度こそ発射された事で逃げ場を失った。

 仕方なく迅はその場で本来の回避行動とは逆側へと転がり込むように移動して二人の攻撃を避け、そして——出水の放った変化弾に腹部を撃ち抜かれた。

 

 

————

 

 

命中(ヒット)。ようやくだね」

 

 ようやくこの戦いが始まってから初めて迅に大きなダメージを負わせた。その事実を確認し、指揮官である真木が静かな声で口ずさむ。

 

「ヒューッ。さすがだな。今の、鳩原の鉛弾だろ? ここまで読んでいたのか?」

「そうだね。迅さんがちゃんと彼らの攻撃をこちらの予定通りに回避して、鳩原先輩の鉛弾に自ら飛び込んできてくれる(・・・・・・・・・・・・)かどうかは賭けだったけど。上手くいってよかったよ」

 

 先ほど緊急脱出し、作戦室で戦況を見守っていた当真が口笛を吹き、調子よさげに尋ねる。

 迅が目にした鉛弾は三輪によるものではない。この戦いが始まる前に鳩原がライの指示の元に入れ替えたトリガーによるものだった。

 鉛弾は相手に重しを付与して動きを制限する強力な武器であるものの、その代償として弾速が大きく低下する。そのため短距離で拳銃に組み込んで戦う三輪はまだしも、狙撃となるとボーダー随一の技量を持つ鳩原でもこのトリガーを当てる事は非常に難しかった。

 なにせ動く相手に命中させなければならないのに銃弾が非常に遅いのだ。普通ならばまず当たるはずがない。

 だからこそ今回の鳩原はあえて目標の位置とは異なる場所にめがけて鉛弾狙撃を敢行した。撃ったのはライ達が同時攻撃をする前。迅が彼らの攻撃を避ける先をオペレーターが収集したデータから予測し、そして実行した。結果、弾はゆっくりと空中を突き進み、迅の逃げ場所へと飛来した。

 

「——『人を撃てなくても、王を詰ませる事はできる』って彼は言っていたよ」

 

 会議の際にライが放っていた言葉を反復する。

外目では鳩原の今の狙撃には意味がなかったように見えるかもしれない。だが間違いなく彼女の狙撃が今の攻撃を成功を呼び込んだのだ。

真木は手元にあるチェス盤のルークを前進させる。

 

「深夜という時間帯の中で撃ち出された黒い弾。しかも自分にめがけて撃ってきていない狙撃だ。さらに連続攻撃で情報を圧迫させた。三輪隊長の鉛弾とも未来が重なって迅さんでも直前まで視えなかっただろうね」

 

 鉛弾は弾が黒くなるという性質を持つためこの暗い街中では余計に気づきにくかった。

 加えて迅の未来予知はそもそも確実性が高い未来は先んじて視えるものの、確実性に欠けるものは寸前にならないと視えないという性質を持つ。

 加えてライの虚偽の射撃に煙幕、三輪の突撃、出水や奈良坂の連続攻撃などで情報が圧迫されていた。

 そのため迅は自分が回避しようとしてようやく本来は被弾しない鉛弾に命中する未来に気づいたという事であった。

 

「迅さんが黒トリガーじゃなくて部隊での戦いならば看過されていただろう。鉛弾を使っていた分バッグワームを使えなかったから、味方やオペレーターの指示で何かしら気づいただろうし。あらかじめ嵐山隊を壊滅できたのは助かったな。おかげで向こうの情報を制限できた」

「なるほどな。ここまで全部あいつの思惑通りってわけだ」

 

 この戦い、迅は玉狛支部の味方の支援なしで戦っている。

 だからこそ本来の部隊ならば気づけた情報にも気づけなかった。

 綾辻も弾道分析や周囲の警戒、風刃の軌道、トラッパ―の仕掛けたスイッチボックスの解析など情報に追われていたのだろう。支援の面で複数の部隊で挑んでいる合同部隊に後れを取ることとなった。

 

「迅さんには悪いけどこっちは部隊で戦っているからね。使える情報は全部使って行くよ」

「……真木ちゃんこえー」

「聞こえているよ、当真」

「ゲッ!」

 

 相手は黒トリガーだ。容赦はしない。

 当真の愚痴に目ざとく注意し、そして——

 

「これでチェックよ」

 

 真木は黒のキングを手に取った。

 

 

————

 

 

《迅さんに休ませる暇を与えるな! ここで仕留めるぞ、出水!》

《了解!》

 

 ようやく相手に大きなダメージを与えることが出来た。

 後は押し切るだけだと、ライは作戦を次の段階へと移行させる。

 すなわち出水の前線参加。先ほどまでは道路を挟んだ場所で支援に徹していた出水も迅を目視できる位置に移動し、アステロイドとハウンドの両攻撃(フルアタック)を繰り出した。

 

「チッ!」

 

 さらに攻撃の密度が増えた事に思わず舌打ちをする迅。

 シールドがない以上、真っ向から受けるわけにはいかない。

 三輪とライ、二人と切り合いながらなんとか射撃を振り切るべく、跳び上がろうとするが。

 

「くそっ」

 

 実行に移す事は出来なかった。

 風刃を振るうと地面を這って斬撃が出水へと向かって行く。

 衝撃がいくつかの射撃を飲み込み、弾数が減った射撃を切り落し、最小限の回避でこの攻撃を乗り切った。

 直後、迅が向かおうとした一軒家の屋上に鉛弾が突き刺さる。鳩原のトリガーによるものだ。

 

「何も自分の手で直接敵を撃破する事が全てではない。味方の一手が敵の逃げ道をふさぎ、次の動きを妨げる事が出来たならば、それで十分なんですよ」

「……さすがだ紅月君。ここまで俺の副作用に徹底して対策を打ってくる相手なんて早々いない。未来予知の面目が丸つぶれだよ」

「あなたは未来を視て行動に移すのだろうが、未来を読んで手を打つのが戦略家だ」

 

 そう。さながらチェスを指すように。ライの脳裏には盤上が浮かび上がっていた。迅という王を追い詰めるべく、次々と駒を動かし、その逃げ道をふさいでいく。

 

「ここで決めさせてもらいます!」

 

 奈良坂の狙撃を屈んで回避した迅にライが斬りかかる。

 突撃からの上段切り。当然視えていた迅はそれに対抗しようと風刃を掲げて、

 

「むっ!?」

 

 ライの姿が迅の視界から消える。

 

「ぐっ!?」

 

 背後から横薙ぎに払われた弧月を何とか受け止めた。

 今のは間違いなく正面からの斬り込みだったはず。未来予知で視えていたしライの動きが間違いなくそうだった。

 だが、冬島のワープトリガーによって寸前で未来が切り替わっていた。

 

「休む暇なんてないですよ」

 

 刃を受け止めた迅だが、ライの背後に置かれたキューブに目を見開く。

 

「まずいな」

 

 たまらず迅は再び風刃を起動。

 キューブが発射される前に撃ち落とすものの、炸裂弾による爆風が広がった。

 すぐに一歩後退して煙から逃れる迅に、今度は三輪が斬りかかる。

 

「逃がすものか、迅!」

「一息くらいつかせても罰は当たらないと思うんだけど、な!」

 

 これを刀で受け、加速の勢いそのままに三輪の刃を振り払う。

 そのまま直進して迅が目指すは出水だった。まずは中距離戦の要を落とそうと駆け出す迅。そんな彼の目に、背後から伸びる刃が体を突き刺す未来が映しだされる。

 

「他の相手を気にしている場合ですか?」

「次から次へと……」

 

 ライの煽るような言葉を耳にして迅は足を止めた。

 風刃を斜めに構えてカウンターの姿勢を取る。

 そしてライがまさに弧月を前方に繰り出そうとしたその時。

 

「むっ!」

 

 再び未来が変わり、迅のすぐ上から迫るライを視た。

 ワープしたライが瞬時に体制を入れ替え、上から弧月を振り下ろしたのだ。かろうじて弧月を受け止めた迅だったが、不意を突かれた事で防戦一方となってしまう。

 

「この戦い方は……」

 

 冬島と真木の主導の元に繰り出されるライの連続攻撃に迅が面を食らった。

 間違いない。

 狙撃手最強という当真と比べると当然戦術は全く異なるものの。瞬時にあちこちへ移動しては消え、敵を撃破する、まさに神出鬼没。この戦法は冬島隊の戦略そのものだ。

 

 

————

 

 

「確かに未来予知という副作用は脅威だ。だが先んじて行動するが故に、その裏をかかれた際には次のアクションへの反応がワンテンポ遅れる。リアルタイムでの状況変化の中での戦いは、彼の副作用の方が上手だよ」

 

 瞬時のテレポートはライですら意識の外にあるものだった。

 だからこそ本来ならば対応する事は難しいのだが、ライだからこそできる荒業なのだと真木が語る。

 超高速精密伝達。次々と変化しうる状況下でも瞬時に適応できるライの能力は、彼の読みの強さも相まって味方の無茶な支援にも応え、迅と渡り合っていた。 

 

「何よりも、これまでの彼の経験が活きた」

 

 そしてこれは普段から様々な部隊の者達と組んで戦ってきた多くの適正を持つライだからこそできた戦い方であった。

 紅月隊のエンブレムが指し示すように、ありとあらゆる戦いを披露する彼らの力が黒トリガー()を追い詰める。

 

 

————

 

 

 ここが勝負所と読んだのか、連合部隊の攻撃の手が止むことはなかった。

 ライと三輪の挟撃、出水の射撃、さらに奈良坂の援護狙撃、鳩原の進路妨害。

 ありとあらゆる攻撃が迅の思考を割いていく。

 風刃の残弾数は残り4つ。当真を落としてから半減したというのに、あれから一人も落とせていなかった。もはや迅に余裕はない。

 

「……まさか、ここまでとはね」

 

 苦笑を浮かべて迅がボソッと呟いた。

 

「終わりだ、迅!」

 

 今一度三輪が迅へ突撃する。

 数合切り合ったところで、奈良坂に加えてさらに鳩原の狙撃も迅へと迫った。

 今度は通常の狙撃に切り替えたのだろう。

 かろうじて迅は上体を倒して躱すものの、続けざまに出水が放ったメテオラが足元に来るとたまらずその場から跳躍する。

 

「逃がすか!」

 

 迅が塀に足をかけるや否や、テレポートで屋上に飛び移った三輪が鉛弾の銃口を彼の頭に向けて。

 

「——墜ちろ、迅悠一」

 

 三輪と共に迅を挟み込むように移動したライが、弧月を抜刀する。

 この戦況を決する一撃が、繰り出された。




皆さんお久しぶりです。
前回の更新から一回目および二回目のワクチン接種があり、副反応であえなくダウンしてました。38度超えとかマジでつらい。
無事に復活しましたので引き続き更新頑張っていきます!


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和解

 前からは盾を無効化する三輪の鉛弾が。

 後ろからは盾を破壊するライの旋空弧月が。

 防御困難である二人の得意技が迅に容赦なく襲い掛かる。

 仕掛けるタイミングもコースも完璧の連携だ。どちらかを躱そうとしてももう片方を食らってしまうだろう。しかも両者とも被弾してしまえばここで勝負が決まりかねない決め技だ。

 ライも迅の撃破を確信した中で、

 

「——まさかここまで最高の結果を得られるとはね(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 迅がうっすらと笑った。

 己の敗北を悟ったからではなく、事前に予知してきた未来で考えうる限り最も良い未来を歩み切れた事への達成感に満ちた声をあげて。

 すると迅は空の左手を宙に掲げると、風刃でその腕を肘から切り落し、勢いそのままに振り切った。

 

「なっ!?」

「なんだと!?」

 

 攻撃を仕掛けたライと三輪が驚愕に目を見開く。

 宙を舞った左腕が三輪の鉛弾を代わりに防ぐ盾となり。

 先ほどと同様のカウンターとなる斬撃がライを襲った。

 

「チイッ!」

 

 瞬く間に飛来する攻撃をライは咄嗟に弧月で受け止める。しかし斬撃の衝撃はすさまじく、完全には受けきれずにライの顔に大きな傷が走った。

 

「……ッ!」

「紅月!」

「痛み分けだね」

 

 トリオンが漏れる傷を抑えるライに、迅が飄々と告げる。

 迅の肩にも旋空弧月によるトリオンの漏出が視られた。

 どうやら迅は反撃と同時に回避行動に出たものの、彼でもあの密な連携攻撃を完全に避ける事は出来なかったようである。

 

「——さて。これだけ戦えば十分だろう」

 

 傷跡をじっと眺めた迅は誰に言うともなく呟いた。

 すると右手に握りしめていた風刃を鞘にしまい、右手を掲げてライ達に提案を持ちかける。

 

「ここで手打ちにしないか? そちらがうちの後輩である遊真から手を引いてくれるというのならば、こちらはこの風刃を本部へ差し出そう」

 

 それは休戦の持ちかけだった。

 空閑遊真の入隊を合同部隊に、本部に認めさせるためならば迅は合同部隊をも蹴散らした風刃を引き換えとして譲り渡すと。

 桁外れの提案に誰もが耳を疑った。

 

 

————

 

 

「手打ちにする、だと……? ふざけるな!」

 

 真っ先に迅の誘いに反応したのは三輪だった。

 そのような話を受け入れられるはずもないと露骨に怒りを露わにする。

 元から彼が迅を毛嫌いしている事に加えまだ戦いの最中、しかも上手く対応されたとは言え迅の片腕を落とす事に成功した事も相まって反発心が強まっているのだろう。

 

「俺達は城戸司令から直々に近界民の黒トリガーを奪取するように命を受けているんだ! 今更お前の口車に乗って任務を放棄するとでも思っているのか!」

「おおっと。まあ秀次ならそう言うと思ったよ」

 

 取り付く島もない後輩の態度に迅も思わずたじろいだ。

 視えていたとは言えここまで明確に敵意を示されると居心地が悪い。

 どうしたものかな、と迅は視線をライへと移す。

 

「君はどうだい? 紅月君」

「……あなたが話を持ち出したのならば、もう視えているのでしょう?」

 

 声をかけられたライは呆れた表情を浮かべてため息を吐いた。言葉の通り、迅はすでにどのような返答をするのか読んだ上でライに話を振ったのだろう。

 そもそもライが城戸司令側として参戦するように頼った理由として、この役目も期待していたのだろうから。

 

「奈良坂、鳩原。攻撃を中止してくれ。冬島さんは二人と合流を」

《……了解した》

《鳩原、了解》

《あいよ》

 

 通信をつなぎ、遠距離から支援をしていた3人へと指示を飛ばす。三者三様の反応だったが誰も強い反発を示すものはなく、淡々と指揮官の指示に従い動き出した。

 

「紅月! お前、本気か! 迅の話を飲むと!?」

「落ち着いてくれ、三輪」

 

 まだ三輪は納得していない。

 それにも関わらず勝手に方針を決めたライに三輪は声を荒げるが、ライは落ち着いた口調で彼を諭した。

 

「そもそも城戸司令の命令は『玉狛支部にある黒トリガーを確保する事』なんだろう? 別に空閑遊真を指定しているわけじゃない。城戸司令が本当に恐れているのは各勢力のパワーバランスの崩壊だ。ここで風刃が本部の元に置かれるならば、空閑遊真が玉狛支部に加わろうとも問題はない。たとえ彼が反旗を翻しても制圧できるだろう」

 

 迅の提案は確かに城戸司令の意思に沿ったものだ。

 玉狛派に迅と遊真、二人の黒トリガーが並び立つのを警戒したというのが今回の襲撃の一番の理由である。

 だからこそそのうちの片方が本部にわたるというのならば結果に大差はないだろうとライは言う。

 

「……しかし!」

「そもそもこの戦力では空閑遊真から黒トリガーを奪うなど到底不可能だ。それにこれ以上続けて迅さんを撃破できるかも不明瞭だしね。ならば確実にここで黒トリガーを抑える事が一番司令の期待に応える事になると僕は考える」

 

 さらに戦局の話をあげてライは重ねて説明する。

 さきの風刃の攻撃もあってライは緊急脱出寸前の状態だ。そうなれば合同部隊の残る戦力は三輪・奈良坂・鳩原・冬島の4名のみ。迅も負傷しているとは言え確実に勝てる見込みはなかった。

 そのためここから空閑遊真を襲撃して黒トリガーを奪取する事は戦力的に余計に難しい。ゆえにここは話に乗るべきだという彼の考えは的を射ていた。

 

「それにね」

『この争いを一刻も早く収めてください』

「僕個人としてもこの件に関しては長引かせたくない。早期の解決を望んでいる」

 

 しかもライは瑠花王女と交わした約束がある。

 彼女の願いを叶えるという点に関しても断る理由はなく、この誘いはまさに打って付けだった。

 

「さっすが紅月君。話が早くて助かるよ。説得力がある君がいてくれてよかった」

「……ここまで視えていたのならば、あなたは大したものですよ」

 

 迅の発言にライはモール構内での密談を思い出し、ため息をこぼす。

 あの時は三輪の名前を出すことはなかったが彼の説得も踏まえてライをこの場に招集したというのか。

 一体どこまでが真意なのか、底が知れない迅の存在はやはりライには脅威に映る。

 

「紅月! お前は本当にそれでいいのか! 近界民がのうのうとこの地にのさばる事を許して!」 

 

 すると話が決着を迎えようとする空気を引き裂いて三輪の怒声が響き渡った。

 その瞳には憤怒が湧き出ている。

 三輪は自分の事はもちろん、家族を近界民によって失ったというライの境遇に親近感を覚えていた。

 

「お前は、家族の仇が憎くはないのか!」

 

 だからこそ『どうしてお前は簡単に迅の話を受け入れられるのか』と訴える。

 三輪には理解できなかった。近界民は全て憎き敵。全て葬らなければ気が済まないと思っているからこそ。

 

「……三輪。あくまでもこれは僕の考えとして聞いてほしい」

 

 彼の気持ちはよくわかる。

 本当の事情は異なるが、家族を失ったという事実は同じだ。

そのうえでライは静かな声で慎重に言葉を選んで答えを返す。

 

「そもそも僕は母上や妹の事で近界民を恨んでなんかいないよ。もしも、もしも恨んでいるような存在があるとするならば。それは——守りたいと願いながら二人を守れなかった、僕自身だ」

「————」

 

 彼の思いを知り、三輪は言葉を失った。

 話を聞いた事はなかったが同じだと思っていた。

 あるいは自分以上に心の内に憎悪を抱いているのではないかという考えを抱いた事もあった。

 だが違った。家族の喪失で自責の念に駆られていたというライの答えは、三輪にひどく重くのしかかった。

 

「すまない。三輪、ここで退いても構わないか?」

「……好きにしろ。指揮官はお前なのだから」

「わかった。ありがとう」

 

 覇気を失った三輪はそれ以上反論する事はなく、ライの声に投げやりに答えて踵を返した。

 

「では迅さん。先に城戸司令達に話を通させてもらいますが、それで構いませんね?」

「ああもちろん。まあ、大丈夫だよ」

 

 『おれの副作用がそう言ってる』

 いつもの常套句を口にして、迅は軽い調子で笑うのだった。

 

 

————

 

 

 結局その後、城戸司令をはじめとした城戸派の幹部が皆迅の要望を快諾した事で戦いは終わりを迎えた。

 三輪隊、冬島隊の面々が迅を伴って会議室へと向かい、ライは鳩原と別れて瑠花王女の元へ報告に向かう。

 

「お疲れ様でした」

 

 戦いを終えたばかりのライに、王女は惜しみない賛辞の声をかけた。

 すでに時刻は深夜を迎えている。

 本来は高校生である年代の彼女は眠気に負けてしまってもおかしくはないのだが、そんな事は微塵も感じさせない凛とした姿勢でライを出迎えた。

 

「はい。夜分遅くに失礼いたします。本来ならば明日出直すべきなのでしょうが、真っ先に報告すべきだと思い、参りました」

「ええ、大丈夫です。——私の元にも城戸から話は通っています。しっかり活躍してくれたそうですね」

「ありがとうございます」

 

 合同部隊に加勢し、敵の援軍を撃破し、個人最強である者達が敗れた相手と渡り合い、そして相手から休戦を持ち掛けさせるまでに追い込んだ。瑠花王女も決してライの実力を疑っていたわけではないが、期待以上の働きをしてくれたと言える。

 

「特にあなたが迅からの休戦の誘いに応じ、反対する合同部隊の隊長を説得してくれたという点も大きなものです。おかげで私のスタンスを示せましたし、後々の反発を防ぐことにも繋がるでしょう。忍田もおそらくは気持ちを汲んでくれるはずです」

 

 さらにライが真っ先に戦闘の中止の方針を示した事もプラスであった。

 瑠花王女は城戸に貸しを作りつつ、この争いの早期解決を目的として参入を決めた。彼女の代役として戦いに臨んだライの姿勢はしっかり彼女の考えを反映したと言える。

 

「その点に関しては、忍田さんには少し申し訳ないですがね。何せ忍田さん直属の部隊である嵐山隊の半数を僕が撃ち落としてしまったのですから」

「致し方ありません。そもそも忍田が私に話を通さずに決めたのですからお相子です」

「ハハッ。どうかお二人の諍いは避けてくださいよ。忍田さんの困った顔が目に浮かびます」

 

 年相応の反応も垣間見える瑠花王女を目にし、ライは忍田の先を案じて進言した。

 難しい年ごろの少女である彼女との関係に苦心する時代もあったという忍田だ。今回の一件の謝罪も合わせて今度話を持ち掛けようとライは決意する。

 

「——おそらく近々迅さんが風刃を本部に差し出した旨が発表されるでしょう。それでようやくこの一件は収束を迎えると思います。そうなればまた時期を見て玉狛支部を訪問する事もできるでしょう。もう少しの辛抱を」

「そうですね。あの子にも影響が出ないうちに決着がついて本当によかった」

 

 さらに彼女が最も心配したであろう弟・陽太郎との再会についても忘れずに付け加える。

 勢力争いに決着がつけば、瑠花王女の訪問を縛る心配もない。黒トリガー不在の時に護衛を着ければ万全だろう。

 幼い弟の顔を思い出し、瑠花王女が柔らかな笑みを浮かべた。

 

「今から楽しみです。——そうだ。発表と言えば、私からもあなたに言っておきたい事があります」

「何でしょうか?」

 

 両手を合わせ、嬉し気に頬を緩める瑠花王女。

 一体何事だろうか。

 まったく想像がつかなかったライは静かに彼女の言葉を待った。

 

「実はあなたが来る直前に迅から私の方へ通信がありました」

「迅さんから? ——あの男、今度は通信越しに何かやましい事を!? あのような男の虚言に耳を貸してはなりません。早くペッしてください!」

「通信なんですが?」

 

 迅への信頼ゼロである。

 自分がいない時にオペレーターの少女を彼が何度かセクハラしていたという事実が想像以上に重く響いているようだった。

 今度彼が不在の場面で迅と一対一になる場面は気を付けよう。瑠花王女は決意する。

 

「まあ、あなたにとっても悪い話ではありません。おそらく迅としても何かしらあなたに報いたいと思ったのでしょう。迅の方から城戸たちへ、あなたがより自分の力を示せるように進言する事があるとそう語っていました」

 

 ライを宥めると、瑠花王女は改めて迅から伝えられた事を耳打ちした。

 

 

————

 

 

「……そうか。そういう事か、迅」

 

 会議室。

 椅子にずっしりと深く構えた城戸が固い表情のまま迅へ鋭い視線を向けた。

 視線が合った迅は動じることなくその場に立ち尽くす。

 会議はすでに終わりを迎えていた。迅の要請通り、風刃を本部に預ける代わりにボーダー本部は空閑遊真のボーダー入隊を認め、これ以上の襲撃はしないと取り決めた。

 黒トリガーの扱いは慎重に扱わなければならない議題だが、ただでさえ混乱が続いた現状だ。長引かせるわけにもいかず、城戸はその場でこの提案に頷く事となった。

 これでようやく黒トリガー争奪戦は終わり、会議はお開きになる、はずだったのだが。

 続けて迅が城戸へと告げた言葉によって会議室にいる面々の表情が強張った。

 

「お前は最初からこの戦いだけではなく、その先の戦いまで視越していたというわけだな?」

 

 核心を抱いて問いを投げる。あるいは城戸も迅とライの間に何らかの話があった事にまで勘付いたのかもしれない。

 

「本気かね、迅君!?」

「確かにあやつは一度はA級に昇格した。今回の戦果もある。しかし、仮にもB級の一隊員にそのような特別扱いは……」

 

 根付は声を荒げ、鬼怒田は不安要素を述べて反対の意思を示した。

 二人の反応も無理もない話だ。迅が口にしたのはボーダーの中でもごく一部の者にのみ与えられた特権のようなもの。それをB級隊員に与えるなど考えられなかった。

 

「私は面白いとは思いますけどね。指揮能力があり、単騎での活躍もできる彼だ。一つの手として考えても十分なものかと」

 

 対して一考の価値ありと口を開いたのは唐沢だ。部隊ランク戦も何度か目にし、ライの戦力を評価している唐沢は賛成の意を示す。

 

「……私も賛成だ」

 

 続いて忍田も賛同した。迅の台詞でこの一連の出来事の裏を理解した忍田は素早く彼の支持に回る。

 

「別におかしなことではないでしょう? かつては単独でA級に昇格し、今日の戦いでは太刀川さんや風間さんでも有効打を与えられなかったおれを追い込んだ。しかもあなた方が『黒トリガーには対抗できない』と評価を下した鳩原隊員を起用して。即興で様々な部隊の戦いに対応できるという彼の強みも防衛任務で特に適している」

 

 なおも頷かない城戸達へ向けて、迅は改めてライの評価する点を挙げて説得を試みた。

 事実、迅はライの戦力を高く評価している。人には考え付かない方法で、実行しようと思わない戦い方を披露する彼の存在は大きなものだ。

しかも迅と二度戦った中で彼は二度も最高の未来を勝ち取った。こんな芸当ができる戦力は早々いない。

 これから先も最高の未来を進むために。

 

「紅月隊長を、単独で一部隊として動かせるように権限を与える事を今一度進言します」

 

 小南、迅、木崎、忍田。現在ボーダーで四人にしか与えられていない、防衛任務において単独で一部隊として動かせることができる権利。

 それをライにも与えるようにと迅は城戸に奨めるのだった。



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岐路

「わしは断固として反対だ!」

 

 再び迅から告げられた言葉に、鬼怒田が真っ先に反対の意見を呈した。

 怒声と共に握りしめた右手をテーブルに叩きつけ、重々しい音が会議室内に響き渡る。

 

「『一人一部隊扱いと見做す』。これは現状ではボーダー本部創設前より戦い、力を認められた4人にのみ与えられた特権なのだぞ! それを紅月に対して認めるなど!」

 

 鬼怒田の語る様に現在のボーダー隊員でこの権利を与えられているのはわずか4人だけ。個人最強の太刀川や迅と並ぶS級隊員である天羽でさえも該当しない特別な枠組だ。精鋭と呼ばれるA級隊員の中でも一握りの隊員、そしてノーマルトリガー最強と呼ばれる忍田のみが該当する立ち位置である。力があれば誰にでも与えても良いというものではない。

 

「力に関しては先ほども申し上げた通りですよ。あなた方とて彼の戦いぶりについては聞き及んでいるはずだ」

「……まあ、確かに制度として古株にしか認めないと定めているわけではないからねえ。そういう意味では彼の実力を反映して新たに一人付け加えても良いのかもしれない。別にこちらとしては何かを負担するという話でもない。私も特段強く否定する事はないと思いますが」

 

 迅の言葉を引き継ぎ、根付もボーダーのメリットデメリットの点から考慮して意見を述べた。

 先ほどは思わぬ提案に驚愕した根付であったが、冷静に考えればボーダー幹部としてみれば悪い話ではない。

 単独で動かせることができる隊員が増えるとなればそれだけ戦術の幅も広がるというものだ。

 一方でA級などのランクとは全く異なる枠組であるためにライへ何か個人的な報酬が付与されるという事でもなかった。ならば選択肢を増やすというこの話は特段問題があるというわけではないのだが。

 

「だからこそだ!」

 

 それが問題なのだと鬼怒田が声を張り上げる。

 

「実利のない権利だけを与えてどうする! 責任を背負わせるならばそれに見合った報酬を与えるのが筋であろう! しかも紅月だぞ! わかっているのか!? あの事件で我々が降格させておいて、未だに戻る機会さえ与えられていないというのに!」

 

 鬼怒田の怒号の勢いはすさまじく、誰も口を挟む事は出来なかった。

 鬼怒田が反対しているのは何もライの力を認めていないからではない。

 そう。この権利はA級のように何か個人に特段報酬が与えられるわけではない。ただ命令権を持つ者がその隊員を自由に動かせるようになるだけであるため名誉ではあるものの益はない。

 そもそも他の二部隊と異なり、ライの降格に関しては理不尽な面があった。ボーダーの規則や情報の漏洩の為に犠牲となったという点だ。にも関わらず、ボーダー隊員を守るために動き、ボーダーの名を守るために処罰を受ける事となり、まだB級である事を余儀なくされているライに与えるなど、ただ彼の負担が増すばかりだ。

 実際のところ、二宮隊・紅月隊・影浦隊の元A級に所属していた3部隊はB級降格後は昇格試験を受ける事さえできていない。実力不足による降格ではないため、処罰として3部隊にはその受験権利を剥奪されているのだ。

 このような状況下で『上にとって必要だから』という理由でライにこちらの方針だけを通すのはあまりにも不条理だろうと鬼怒田は訴えた。

 

「むう」

「それについては私も同意ですね。さすがに虫がよすぎる話ではあると思います。彼のみならず、隊員たちの上層部に対する不満が溜まりかねない」

「私も同じ考えだ」

 

 勢いに押されて根付が黙り込む中、唐沢と忍田が賛同の声をあげる。

 発言者である鬼怒田に続き3名の意見が揃う事となった。

 まだこの話については残る城戸と根付の意見が出ていないが、この場に集う者の過半数の者の見解が一致した事になる。

 

「ええ。なので、もう一つおれの方から進言させてください」

「迅君?」

 

 この流れを逃すわけもなく、迅が一歩前に出て、城戸に真っ直ぐ視線を送って口を開いた。

 

「もう良いでしょう。あれから約半年。紅月君の部隊もですが、二宮隊も影浦隊もB級の部隊を圧倒し、全てのシーズンで3位以内を独占した。その期間大きな問題はなく、むしろあなた方へ貢献していた。当事者であった鳩原隊員も模範的な行動を示して、当時のあなた方が問題としていた戦力に関する予想をも覆した。彼らの道を阻む理由はないはずだ。むしろこれ以上彼らをB級に留めさせていては他の正規隊員たちの不平不満も増すばかりです」

「——なるほど。そちらが本当にお前が我々から引きずり出したかったものか」

「力のある彼らには相応の活躍する舞台が与えられて然るべきでしょう?」

 

 迅の台詞に城戸が肩をすくめる。

 風刃と対抗する手段として城戸達に借りを作らせたのも視ていたというのならば、ここまでの流れが全て彼の思惑通りという事だ。

 ライを一個人で動かす価値がある事を城戸達に示し、賛同者を集めて。そこで発生する問題点を解決する策を同時に提示する事ですべての不満を解決する。

 

「二宮隊・紅月隊・影浦隊の3部隊を再びA級へ昇格していただきたい」

 

 これでようやく彼に報いることができる。

 迅は柔らかな笑みを浮かべてそう発言したのだった。

 

 

————

 

 

「少し意外でしたよ、開発室長」

「むっ? 何がだ唐沢くん?」

 

 会議がようやく終わり解散となった後、会議室を出たところで唐沢が鬼怒田へ声をかけた。要領を得ない問いに鬼怒田が首を傾げると唐沢が一つ間をおいて話を続けた。

 

「あなたが紅月君の事を案じ、支持した事ですよ。降格の際の会議ではどちらかと言うと中立寄りの立場であったような覚えがあるのですが、何かありましたか?」

 

 忍田や林藤ならまだ理解できる。ライは忍田から技を学んだというし、迅や瑠花王女関連の話題で林藤とはよく縁があった。

 しかしライと鬼怒田の繋がりについてはよくわからない。

 鬼怒田は物事の決断においては情に流されずにどっしりと構える人物であった。根の良い人物ではあるのだが、率先してライを庇おうとするとは信じられなかった。

 

「——ふん。大したことではない。わしとてランク戦などでやつの戦いぶりは目にしている。常人では考え付かないようなトリオン体の使い方、トリガーの駆使は開発部でも評価が高い。だからこそそんな奴が評価に反した不当な立場に居続けるのは納得できなかっただけだ」

「なるほど」

 

 確かにライの戦いは従来の人間では考え付かない戦法も多い。

参考にする人物も多いのは開発部でも同様という事だろう。唐沢は納得の表情を浮かべた。

 

「まして、奴が妹を失ったという事情もあればな」

 

 加えてライの妹を失っているという過去も鬼怒田の心境に少なからず波を与えたのかもしれない。

鬼怒田には実家に送り返した愛娘がいる。そんな彼女と同年代くらいの妹を失ったというライの事を無意識に気にかけていたのだろう。

 

「それに——」

 

 さらに付け加えていうならば、

 

「わしは紅月の体の現状を、誰よりもよく知っている」

 

 開発部室長として検査した彼の体の事が心に引っかかったから。

 鬼怒田は自分の表情が苦虫を噛み潰したように歪んでいるのを自覚しながら、重々しく呟いた。

 

 

————

 

 

「本当にお前の行動は理解できないな。簡単に風刃を引き渡しやがって。俺のリベンジをどうしてくれるんだ?」

「そんな事言われてもおれからはもうできる事はないよ」

「……風刃を使って俺達を撃破する事で風刃の価値を高め、そのお前に紅月を対抗させる事であいつの価値も釣り上げたかったのか?」

「さっすが風間さん。話が早い」

「ふん。ムカつくやつだ」

 

 一方その頃、同じく会議室を離れた迅は廊下で太刀川と風間、先に戦った二人につかまり質問責めにあっていた。

 すでにボーダー本部から風刃が本部の手に渡ったという事が彼らにも伝わった事で迅の思惑を二人とも理解し、口をとがらせている。

 撃破された上にこの戦いが彼の思惑の上だと判明したのだ。無理もないだろう。

 

「正直な話、負けるのは当然ダメだけど勝ちすぎてもちょっと展開的に良くなかった。そういう点で紅月君がそっちについて上手く立ち回ってくれたのは大助かりだったよ」

「あいつが引き際を見定める事も計算の内か」

 

 風間の口からため息がこぼれる。戦いにおいて引き分けに持ち込むというのは勝つよりもよっぽど難しい事だ。非常に綿密な戦況のコントロールが要求される。

 それにも関わらず、この男は精鋭中の精鋭たちを相手取り、しっかりと成果をあげつつも達成した。もはや呆れすら抱いてしまう。

 

「で? そこまでお前が立ち回ったんだから相当の目的があるんだろうな? 近界民と紅月は、そんなにこの先の戦いで役に立つのか?」

 

 迅が黒トリガーを差し出してまで動いたのだからそれに匹敵するだけの価値があるはず。

 太刀川は迅を逃がさぬようにじっと見つめて核心に切り込んだ。

 三輪隊を単独で撃破した近界民、何度も戦った事があるライの事は認めている。だが、迅が風刃を、師の形見を手放してまで優先する価値とは一体どのようなものなのか。

 

「——うちの遊真ならそういうのを期待してってわけじゃないよ。あいつにはボーダーで楽しんでもらいたくってね」

 

 この質問に迅は表情を変えずに淡々と答える。

 彼の言葉に偽りはなく、迅は本当に遊真にこの世界で、ボーダーで楽しい時間を送ってもらいたいと願い、遊真の入隊を認めさせたのだから。

 

「紅月君については——まあこれでボーダーが助かる未来が生じたわけだけど」

「だけど?」

 

 一方で、ライの話題となると迅は言葉に詰まり、表情を歪める。

 太刀川が相槌を打つ中、迅は後頭部をかきながら言葉を絞り出して、

 

「まだ安心できない未来が視えちゃったんだよね」

 

 そう答えたのだった。

 新たに浮上した未来。

 それは決して楽な道のりではなかった。

 

 

————

 

 

 その頃、話題に上がっているライは瑠花王女の元を離れ、冬島隊の作戦室を訪れていた。

 

「改めて今日は助かったよ。鳩原の分もかねて礼を言わせてもらう」

 

 人懐っこい笑顔を浮かべ、ライが真木に対して礼を述べる。告げられた真木は小さく手を振って問題ない事をアピールしながら感謝の言葉を受け取った。

 

「別に。大したことじゃないよ。今回は他のオペレーターもいたから思ったより処理は少なかったしね」

「そう言ってもらえると助かる。瑠花にはこの時間にまで負担を強いるわけにはいかなかったからね。君が二つ返事で応じてくれたのは幸いだった」

「あら? 私には負担をかけても良いって意味?」

「現に君は期待に応えてくれただろう?」

「フッ。そういう事にしておこうか」

 

 お互いがお互いの力量や性格を把握しているからだろう。

 二人の間に遠慮はなく、必要のないものだった。

 黒トリガー争奪戦において、ライは『紅月隊』と名乗って参戦していたが、これは正確ではない。紅月隊のオペレーターである瑠花は不在であり、戦闘員であるライと鳩原のみが参戦し、真木の支援の元に戦っていたのだ。

 ライが語る様にこの夜遅くに受験も控えている中学生を駆り出したくはなかったというのも理由だが、おそらくは他にも理由があるのだろう。そこまで察したものの真木は深くは尋ねずにライの言葉をそのまま解釈する事とした。

 

「まあそこまであなたが気にしなくて良いよ。うちの当真も最後はあっさり退場していたからね。下手すれば途中からすることがなくなっていたわけだし」

「痛い所をつくねー真木ちゃん」

「実際俺も万全の状態ではなかったからな。——うっ!」

 

 オペレーターの辛辣な言葉に当真が目ざとく反応する。

 本来の冬島隊は敵を討つのは当真一人であるため、こう強く指摘されては否定もしにくい。

 しかも冬島の体調も完全に復調していたわけではないのでなおさらであった。冬島も真木の言葉に同調し、再び気分が悪くなったのか突如両手で口元を抑え始めた。

 

「大丈夫ですか、冬島さん?」

「ああ。すまん。トリオン体から戻ってちょっと気が抜けたと思ったのかもな」

「酔い止めの薬を持ってきましたが、飲みますか?」

「助かる。——ふう」

 

 冬島はライから飲み薬を手渡されるとすぐにコップに水を注ぎ、一緒に飲み込んだ。

 一息つくと薬を飲んだという安心感からか早速顔の緊張がゆるんだように見える。

 

「まったく。危うく今日の任務に参戦すら出来かねなかったんだから困ったものだよ」

「そこは本当にすまない……」

「まあまあ。こうして無事に終わったわけですから」

「そうだぜ真木ちゃん。あんまり責めてやるなって。むしろ戻って来たばかりなんだからちょっとはゆっくりと気を休めてだな」

 

 再び真木の手厳しい、容赦ない指摘が冬島に襲い掛かった。

 冬島の弱っている姿を見かねてライと当真はたまらず助け舟を出して彼を守ろうとしたのだが。

 

「ゆっくりする暇があるの、当真? さっき今先輩から公欠中に出されたという課題が山ほどあるって言ってなかった?」

「————」

 

 彼女の矛先が自分に向けられると、当真も黙り込んだ。

 

「……おい、紅月」

「何だい?」

「お前の力を見込んで頼みがある」

「彼に自分の課題をやらせるならやめときなよ、当真」

「俺まだ何も言ってねえじゃん」

 

 咄嗟に目の前の人材に助けを求めようとしたのだが、真木に先手をくじかれてしまう。相変わらず容赦がない。

 

「いつもの事だしわかるよ。当真達が考え付きそうな安易な考えくらいはね」

「……こえー」

 

 年上に対する発言とは思えない真木の態度に、当真は頬をひくつかせた。

 

「紅月、お前よく真木ちゃんとあんな自然体で気軽に話せるよな」

「えっ? そこまで?」

「ああ。実は俺も同じ考えだ」

 

 先の会話を思い出し、当真と冬島が小さな声でライに耳打ちする。

 

「だって年上であろうとお構いなくキッツイ指摘するし喝を入れるから恐れられているんだぜ?」

「たしか若村とかは見下されてる気がするとか話してたな」

「んー。僕はそうは思いませんけど」

 

 真木は16歳とは思えない落ち着いた物腰から、手厳しい意見が飛び出すことが多い。

 だからこそ彼女を恐れる隊員も多く、そんな真木と変わらずに接するライに二人は驚きを抱いて話したのだが、当のライは思い当たる節がないのだろうかいつもの調子で答えた。

 

「そもそもこちらが真面目にしている分には理佐は非常に理知的で頼りになる人だし、発言は非常に的を射た言葉ですから。むしろ彼女は穏やかな性格で、理不尽に怒ったりなんてしませんよ?」

『それはお前が真木ちゃんに怒られるような事をしていないからだろ』

「そんな威張って言われましても……」

 

 ライの口からは想定に反した評価が飛び出す。

 しかしこの人物像は相手がライのような真面目な人物であるからこそ。そんなのは自分たちには当てはまらないだろうと二人が声を揃えて反発した。

 

「んっ?」

 

 彼らの意見に『仕方がない』と続けようとして。

 ライはポケットの中の携帯端末に通知が来た事に気づいた。

 すぐに視線を端末へと移し、内容に目を通す。

 その知らせを見て、ライの目が見開かれた。

 

「どうしたの?」

「ごめん。招集がかかった。僕はここで失礼するよ」

 

 真木の問いかけに短く答えてライは素早く自分の持ち物を整理し始めた。

 

「招集? なんだ、さっきの任務についてか?」

「ええ。おそらくは。——城戸司令からの招集ですので」

 

 呼び出し主の名前を挙げれば冬島もそれ以上尋ねる事はしない。

 ライは一礼すると冬島隊の作戦室を後にし、会議室へと急ぐのだった。



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再起

「度々呼び立ててしまってすまない。しかもこのような真夜中だ。抵抗はあったのだが、今回の決定に関しては君たちの意思確認後、できるだけ早期にもう一度会議を開き、最終決定を下す必要があったのでね。招集に応じてくれた事、感謝する」

 

 会議室に一人入ってきたライに城戸は静かな声で謝罪と感謝の言葉を述べた。

 部屋の中には城戸とライの二人のみ。他の上層部の面々はすでに部屋を後にしている。城戸の語る通り、あくまでもこれは先の会議で決めた事をライに告げ、その後改めて会議を開き、決断を下すという事だろう。鬼怒田や根付、唐沢といった城戸派の面々も不在なのは、彼の率直な意見を聞きたかったという意志の表れかもしれない。

 

「いえ。構いません。私も任務の直後で体がすっかり覚醒していましたから。やるべきことがないわけではありませんが、城戸司令の命より優先するものなどありませんよ」

「うむ。君のそう言った殊勝な姿勢はありがたい。しかしこのような時間帯でもまだ仕事があったという事かね? 忍田君も語っていたが、どうやら多忙な生活を送っているという君の話は本当だったようだ」

 

 ライの気遣いに表情筋をわずかに緩めつつ、城戸は思った事をそのままライに問い返した。

 忍田から防衛任務以外にも様々な仕事を積極的に取り組んでいるとは聞いていたが、まさかこのような深夜の時間帯にまで及んでいるとは想像もしていなかった。

 

「ああ、いえ。今回はちょっと違います。太刀川隊長や当真隊員たちから遠征中にたまっていたレポートや宿題提出の手伝いを頼まれていまして」

 

 しかし続けられた説明に肩透かしを食らう。精鋭中の精鋭たちの予想外の一場面を耳にして、城戸は言葉を失った。

 

「……なるほど。よくわかった。後で忍田君を通じて彼らには少し灸をすえるとしよう」

「えっ? いえ、構いませんよ。いつもの事ですし」

「そうか。いつもの事なのか」

 

 ライは淡々と答えるものの、即座の返答がかえって彼らの印象を悪くする。高校生・大学生としてこのような状況は決して芳しくはなかった。

 やはり後で忍田君に一報を入れておくべきか。

 そんな事を考えつつ、話が本筋から逸れてしまった事に気づいて城戸は小さく咳払いを入れた。

 

「そちらの点は君の負担が減る様にこちらも留意しよう。——さて、夜も遅いし本題に入ろうか。改めて今回の任務、ご苦労であった。君の働きは他のA級隊員や敵対していた迅隊員も高い評価を下している。精鋭部隊に勝るとも劣らない活躍であったと」

「過分な評価、ありがとうございます」

 

 惜しみない賛辞を受け、ライは小さく会釈した。落ち着いた対応に小さく頷き、城戸は一つ間をおいて話を続ける。

 

「ついては今後の防衛任務のためにも、君の働きを見込んで権限を与えるべきであるという声もあがった。そちらについて君の意思を確認したく、君をこの場に召集する事となった」

「権限、ですか?」

「ああ。君も聞いた事はあるだろう。忍田君を筆頭に木崎隊員・小南隊員・迅隊員に認めている、単騎で一部隊と見做し、防衛任務に当たらせるというものだ。それを君にも、と今回の戦いを見て推す者が現れてね」

 

 思いもしない提案にライの眉がピクリと反応した。

 彼の動きを知ってか知らずか、城戸はさらに説明する。

 

「とはいえこの権限は与えられるだけでは特に報酬が増えるという事はない。もちろん近界民を単独撃破する機会が増える事によって従来の出来高払いが増える事はあるが、固定給が生じるという事ではない。あくまでも部隊運用に当たってより指揮の手札を増やしたいというこちらの思惑によるものだ。——どうかね? この話、受けてもらえるだろうか?」

 

 会議で鬼怒田が不安視していた事をありのままライへと伝えた。

 この提案は決してライにメリットがあるわけではない。そのため後で『聞いていない』と不都合が生じないように、公平性を保つためにありのままを伝える事を城戸は選んだ。

 ボーダーの為という意味合いが強い、かつての彼に対する決断と似通った提案に、ライは。

 

「わかりました。それが人々を、仲間を守る事につながるというのならば、喜んで引き受けましょう」

 

 二つ返事で快諾した。

 

「——良いのかね?」

「はい。私でよければ微力ながら全力で任務に当たりたいと思います」

「そうか」

 

 繰り返し問われても意志に迷いはない。

 ライが戦うのはあくまでも人を守るためであり利益は二の次であった。だからこそ自分に益がない事であろうとも、それで後々の戦局につながるならばとはっきりと意思表示する。

 

「わかった。ではその方針で進めさせてもらう。——そして、その上でもう一つ君に、君たちに話すべきことがある」

「もう一つ? まだ何か?」

 

 招集の目的が終わったものと思っていたライは続けざまに放たれた言葉に目を細めた。

 城戸の口から話すのだから重要な案件なのだろうが、正直予想がつかない。しかも『君たちに』とわざわざ強調するように語った事が気にかかった。

 

「ああ。他にも進言があってね。仮にも特権を与える隊員が、A級隊員たちと互角の実力を示した紅月隊が、そしてその君たちと同等の戦いをランク戦で演じている二宮隊・影浦隊がいつまでもB級であり続けるこの現状はいかがなものかと」

 

 ——まさか。

 言葉にはしなかったものの、ライは先の展開を予想して表情を崩した。

 

「そこで来たる戦いに備えるためにも君たち3部隊を今一度A級に戻すべきではないかと提言がなされた」

 

 そしてやはりライが想像した通りに城戸は語った。

 降格から約半年間。元A級としてのプライドを守るためにも、3部隊はB級3位以内の座を独占し続けた。

 だがそれでも彼らが昇格試験を受験する事を認められる事はなかった。

 あるいは部隊を解散しない限りはもう二度と声を掛けられないという思いも脳裏をかすめていたからこそ、この発言は非常に大きな衝撃を与えたのだった。

 

「……では」

「しかし」

 

 ライが恐る恐る質問をしようとしたその矢先、城戸に先手をくじかれる。

 あまり好ましくない、話題を転じようとする話し方にライの目が細まった。

 

「現状を鑑みて、君たち3部隊を昇格させる事は不可能であるという判断に至った。すでに前シーズンの昇格試験を受ける日程は終了しており、予算の算出や部隊運用、スカウトの派遣調整などは決定している。このような状況下で3部隊もの隊員たちが一斉に枠組を変えるのは、かえって任務および業務に支障が出るだろう」

「——なるほど」

 

 『あるいは』という希望を打ち砕く解説に、しかしライは冷静に頷く。

 彼も部隊運用や組織運営については理解を示していた。

 A級とB級の隔たりは大きい。特に緊急時においてはこの二つを分けて指揮する事もあるだろう。そうなると戦闘員とオペレーターを合わせて約10人というこの変更は大きく影響を及ぼす事となる。

 有事に備えて本部で待機する隊員、前線へと駆り出される隊員など役割分担するにあたってもこの意味合いは大きい。

 わかるからこそ強く言い返す事はできなかった。

 

「そこでだ」

 

 とはいえだから何もしないというわけでもない。どこか気落ちした雰囲気のライに、城戸はこの空気を変える一手を打ち出した。

 

「その代わり、君たち3部隊にはA級昇格試験を受験する資格を回復させ、次シーズンでB級2位以内に入れたならば昇格試験を受ける事を可能とし。そしてA級に戻れたならば時期に関わらずすぐに遠征選抜試験を受ける事を認めよう。もちろん、鳩原隊員の認定取消に関してはなかった事としてだ」

 

 すぐに昇格させる事はできない。

 だが他の部隊と同様に昇格試験の受験資格を回復させ、そして彼らの目的であった近界遠征のための試験も即座に参加できる事とする。さらに一度は合格を取り消されたという鳩原の選考に関しても見直すという。

 即座には不可能だが、それでも一度は断たれた道が再び可能性を帯びる事となった。ライ達にとって最善ではないもののその次には良いと言えるほどの好条件である。

 

「——ありがたい。こちらとしては僕はもちろん二宮隊長たちにとっても文句はない決定でしょう」

 

 現実的に可能な手段としては最適解だ。ライも特に反対はなく、この城戸の言葉を素直に喜んだ。

 

「そうか。この決定については後日、正式な辞令として公表する。次シーズンからは改めて君たちはB級2位以内を目指してもらう。他の部隊と同様にだ」

「もちろんです。そこまで認めて下されば十分です。今までと何も変わりませんから」

「ならば何よりだ。——話は以上だ。異論がなければさがりたまえ」

「わかりました。それでは、失礼します」

 

 資格さえ取り戻し、平等な機会を得られたのならばそれ以上望む事はない。後はただ自分たちで取り返すのみ。

 それだけの自信と実績は持っていた。

 互いにこれ以上語る事はなく、ライの承諾を持って深夜の会談はこれで終わりを迎える。

 ライは深く一礼して会議室を後にする。浮かれる様子はないが、それでも雰囲気は非常に和らいだ接しやすいものだった。

 

「どうやら、上手く事が運んだようだね」

 

 その様子は話を聞かずとも話し合いの行く末を悟るには十分なものだった。

 部屋の外でライの出現を待っていた隊員——迅は軽い調子でライに声をかける。

 

「ええ。おかげさまで、と言っておけばよいでしょうか?」

「いやいや。おれはボーダーの為に動いただけだよ。——ちょっと話がしたいんだけど、良いかな?」

「……まあ、答え合わせは早めにしておくに越したことはないですね」

 

 彼の語り方、ここで待機していた事、今回の騒動の経緯などから城戸へ進言した者が誰なのか、ライもある程度察しはついていた。

 ならば一連の出来事を確認しておくことは悪い話ではない。

 迅の誘いにライは二つ返事で頷くのだった。

 

 

————

 

 

 

「風刃の受け渡し、空閑遊真の入隊認定、合同部隊の攻撃取消。そして3部隊への昇格試験受験資格の回復に、僕の単独行動の権利の認定。ここまでが、あなたの視ていた未来ですか」

 

 ボーダー本部の中庭へと場所を移し、迅が購入したコーンポタージュを受け取って、ライが口火を切る。

 振り返ってみるとこの短時間で非常に大きな変化が起きたものだ。

 しかもあえて話題にはあげていないものの、さらに同盟国との関係なども裏では働いていたのだから影響はより重大なものである。

 

「いくつか視えていた中でも最高の、それでいて可能性がかなり低かった未来、ってところかな?  特に最後の二つは君の活躍なしではありえなかったからね」

「なるほど。あなたの中で僕の期待値は低かったと視えますね」

「いやいや。期待はしていたけどそれをはるかに超えてきたってだけだよ。そもそも鳩原ちゃんとか冬島さんたちまで借り出してくるとは想像が難しかったからさ」

 

 すでに敵対関係は終わったからこそ二人は冗談交じりに話を展開していた。

 現にこの未来を成し得た可能性は限りなく低いものだった。そもそもライが参加するかしないかの時点で分岐が始まっており、さらに他の参加者の有無によって未来は容易に変わりうる。下手すれば嵐山隊が三輪や出水達を迎撃して収束する事態もあり得たのである。

 その上で合同部隊との共闘が上手く行くか、迅を翻弄できるかという問題だった。非常に険しい道のりであった事は、火を見るよりも明らかである。

 

「僕を単騎で動かせるようにしたというのは、今後何らかの重要な、大きな戦いがあると?」

「うん。結構そこが重要なポイントでね。色々とできる、自由に動き回れる人材が欲しかったんだ。きっと君ならば受けてもらえると思っていたよ」

 

 さらにライは与えられた権限について切り込んだ。

 迅にとってもこの決定が大きなものだったのだろう。コーンポタージュを飲みほし、息を整えると真剣な表情で話を続けた。

 

「話を聞けば意図を勘付くと思ったし。君は何かを守る事に関して機敏みたいだからね。今回の任務、瑠花ちゃんを外したのもそれが理由だろう? いざという時、また彼女も隊務規定違反をしたと言われないように彼女を遠ざけた」

 

 忍田から今回の騒動に関与した隊員に対しては皆隊務規定違反の処罰は与えないと耳にしている。そしてそのオペレーターの中に瑠花の名前が入っていなかったことから、迅は改めてライが真木にも隠していた彼の本質を見抜いていた。

 『大切な存在だからこそ遠ざける』

 かつてのあの時のように彼女を騒動の中心から遠ざけたのだと。

 

「……仰っている言葉の意味がよくわかりませんね。そもそも瑠花は今まで隊務規定違反など犯していない。紅月隊の降格は僕個人への処罰によるものです。彼女は何も関係がない」

「ああ。ごめん、そういう事になっていたね」

「迅さん」

 

 しかしライはあくまでも平然と彼の意見を否定する。強く釘を指すものの、迅はわざとらしく笑うためにライは視線を細めて彼を睨みつけた。

 気分を害した事を理解して迅もさすがに引き下がり、空気を変えるべく咳払いを一つ入れる。

 

「悪かった。——とにかくこれで君たちは皆元に戻れる機会をつかんだわけだ。鳩原ちゃんもさほど負い目を感じずに済むだろう」

「そうですね。それに関しては僕としてもこの戦いに参加した甲斐があったというもの。お互いに目的を果たせて何よりです」

「ああ。おれとしても遊真を本部に認めてもらうってのが重要だったんだ。秀次の仲介もしてくれて本当に助かったよ」

「そこは少し難しい事になりそうですが……」

 

 親しい友人の名前が出るとライの表情が暗くなった。

 結局三輪とは完全にわかりあえる事無く別れており、米屋達チームメイトに任せる事になっている。

 最後に見た三輪の表情は暗く、何を考えているか読めない状態であった。いずれタイミングを見てしっかり話すべきだろう。

 しかしそれは時を置くべきだとも考えた。ライの打ち明けた彼の考えは三輪にとっては受け入れがたい事であり、衝撃を受けていた事はよくわかったから。

 ゆえに今ここで気にするべきはむしろ——

 

「空閑遊真、か」

 

 迅がここまで執着する空閑という存在だろう。ライは今一度新たにこの地に現れた近界民であり、騒動の元となった幼い少年の名前を反芻する。

 

「あなたがここまでした人物だ。しかもかつてあなたが僕に指導を依頼した三雲も共にいる。相当重要なポジションになるんでしょうね?」

「どうかなー。ま、俺としてはあいつにはボーダーで楽しんでもらいたいって一心だな」

「……そうですか」

 

 再度問いかけても明確な答えは返ってこなかった。

 迅は緩い口調でのらりくらりとかわすのみ。あるいはこれが本当に彼の本心であるかのように。

 これ以上は聞いても無駄だろうと判断したライは大きくため息を吐いて、そして迅に誓った。

 

「今回の一件は、僕たちにとっても重要な局面となった。あなたがここまで信を置くというのならば。——約束しましょう。空閑、三雲、雨取。彼ら彼女らがボーダーに敵対しない限り、ボーダー本部の中では僕も陰ながら彼らを守り、支援していきます」

 

 玉狛支部に所属し、あちこちで暗躍を続ける迅ではいざという時にボーダー本部内で彼らを守り続ける事は難しいだろう。特に近界民である空閑は何かの拍子で問題とされかねない。三輪のように反近界民派も多い。だからこそその時は自分が仲介に入るとライは約束するのだった。

 

「おお。それはありがたい。皆も心強いだろう」

「ただしあくまでも中立的な立場としてですよ。彼らの方に明らかな非があるとするならば話は別だ」

「それで十分だよ」

 

 『ありがとう』と短く告げて迅は頭を下げる。

 

「君がこちらに協力的になってくれてよかった。——なら、ついでにもう一つお願いがあるんだけど良いかな?」

「何ですか?」

「うん。これは君自身の事ではないんだけどね」

 

 ここまでライが迅に対して心を開いてくれた今ならば話をつけておくべきだろう。

 そう判断した迅は喜び勇んでライに新たな望みを託す。

 

「来年の頭くらいかな? 時期が来ればまた話そうと思うけど。君の部隊のオペレーターである瑠花ちゃんを、しばらく玉狛支部(うち)に派遣してくれないかな?」

「殺すぞ迅悠一」

「判断が早すぎる」

 

 返答までわずかコンマ1秒。ライの驚異的な反射神経により、迅に対する温和な態度は早くも崩れ去った。

 

「人の心はないのか? 恥を知れ外道」

「うん。君にこの話題をするならば説明を先にするべきだった。全部話すからちょっと待って欲しい。わかった。順を追って説明するから」

「二度とボーダー隊員を名乗るな。今すぐ僕の旋空弧月の射程から消えろ」

「一度選択肢を間違えただけでそこまで言う!?」

 

 もはや排除すべき敵としか見ていないような冷たい目で迅を射抜く。

 言葉の端々に殺意が籠められており、迅は慌てて弁明を開始するのだった。




瑠花王女「それは災難でしたね」
迅「彼、保護欲が強すぎるんだよ。今回の騒動に参戦する事を決めたのだって瑠花ちゃん(王女)の事だったでしょ? 君からも少し諫めておいてよ。君の言葉なら耳を貸すはずだからさ」
瑠花王女「んー。でも私からすればライがそこまで怒るのは私達をそれだけ大切に思っているって感じて嬉しいんですよね。……ねえ迅。あなた今度ライに会ったら『瑠花ちゃんたち、君がいないところだと君に見せられないような可愛い一面もあるんだね』って意味深な笑みを向けて言ってくれませんか?」
迅「瑠花ちゃんは新たな戦争を始めたいのかな!?」

サイドエフェクトは関係なしに迅はライが烈火のごとく怒る姿が視えたという。


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転機①

 迅悠一には未来が視える。

 副作用・『未来予知』によって浮かび上がるその光景は、迅が望むと望まないとに関わらず、生じうる可能性が高ければ高いほどより早いタイミングで、より正確な情報で浮かびあがる。

 この時すでに迅には近々勃発するであろう大きな戦いにおける幾重もの未来が視えていた。

 彼の意志に関わらず良い未来も、悪い未来も平等に。

 

 あちこちに瓦礫や破壊痕が残るボーダー本部の近くで、三雲が血溜まりの中に伏していた。大きく開かれた彼の瞳に生気はなく、防衛隊員が止血や蘇生措置を試みるが反応は返ってこない。おそらくは考えうる限りで最悪の未来と言えた。

 

 ——止めなければならない。

 

 終戦後のボーダー本部の空気は異常なほど暗い空気に包まれていた。部隊のチームメイト同志が集まってお互いを支え合っているようだが、見慣れたはずの隊員の姿がどこを探しても見つからない。長年共に戦い、暮らしてきた隊員たちの絆はあっさりと打ち砕かれていた。

 

 ——止めなければならない。

 

 まだ戦時中なのだろうか、本部内で弧月を握りしめるライの姿があった。警戒区域内で戦っていたはずの彼は、一つの報告を聞くや即座に身を翻して本部へと帰還した。

そして戻って来た彼は、ある部屋に広がる光景を目にして目を丸くした。

 言葉を失い、立ち尽くす彼の前に、何かがいる。

 その何かが通り過ぎた跡には、瓦礫の山が広がり、多くの隊員たちが血を流して倒れていて。

 味方の中には、彼の大切な存在の姿も——

 

 そしてライは理性を捨て、獣のような咆哮をあげて、突撃していった。

 

 ——止めなければならない。

 

 今ならばまだ止められる。

 今ならばまだ変えられる。

 

 最悪の未来を回避するために、迅悠一は一人暗躍し続けるのだった。

 

 

————

 

 

「城戸司令達から聞いているかもしれないけど、近々近界民からの大きな規模の攻撃が予想されている」

「……聞いてはいませんが、予想はついてました」

「あれ? さっきの会議で話題には出なかったんだ?」

「城戸司令もできる限り情報は隠したかったのでしょう。ですが、いきなりこのような話題が浮上したんです。何か大きな戦いに備えているという意向は語らずとも伝わりましたよ」

 

 「なるほどね」と迅が一息ついた。

 もちろん城戸が現段階ではB級であるライに情報を伏せた、という観点はあるだろう。

 しかしそれだけではなく、何らかの意図を彼や他の隊員たちに考えさせようとしたのかもしれないか。そんな予感が迅にはあった。

 上層部は将来を見据えて、ボーダー隊員から次期幹部を見定めようとしている動きが見受けられる。今回の情報規制もその一端として彼らの変化を伺おうとしたのではないかと。

 

「まあ君が感じ取っているならよかった。で、問題はそこだ」

 

 いずれにせよ今はそこは重大な事ではない。もっと近い未来の為に動こうと迅が話題を振った。

 

「その攻撃は、かつての大規模侵攻レベルに匹敵すると予想されている。下手すればまた三門市にも被害が及ぶかもしれない上に、ボーダー本部内にも犠牲が生まれる事も危険視されている」

 

 迅の説明にライの表情は一段と険しくなった。

 数年前に起きたという大規模侵攻についてはライもデータで目にしている。1200人以上という犠牲者を出し、三門市が半壊したという戦いは悲惨なものだった。

 その惨劇と並ぶ戦いが、しかもボーダー隊員にも犠牲者が出るとなればライも気が気でなくなるのは仕方のない事である。

 

「つまり警戒区域外にまで戦闘は波及し、さらにボーダー本部への侵攻も起こるかもしれないと?」

「ああ。戦線は非常に広くなるかもしれない。だからこそ上層部は対応すべく君に権限を与えたんだろう。ただ……そこは良い点でもあるけど、悪い点でもあるんだよね」

 

 素早く状況を把握するライに頷きつつ、迅は顔をしかめた。

 彼が単独で動く事で前線で戦う隊員たちの負担が軽くなるという一面はある。

 同時に彼の性質が戦況によってはマイナスに働きかねないという事態も見過ごすわけにはいかなかった。

 

「多分だけど紅月君はもしボーダー本部で何かあれば、ましてや瑠花ちゃんたちに何か危険が迫るとなれば、きっと真っ先に駆け付けるだろう?」

 

 ——たとえ自分の託された役目をかなぐり捨ててでも。

 迅はライの戦う理由を嵐山と似たようなものだと考えていた。かつて嵐山は入隊する際に『有事の際はまず真っ先に家族の元へ駆け付ける』と語った。そして家族が無事ならば心置きなく最後まで戦い抜くと。

 それだけ家族の事が第一であり、大切なのだ。

 そしておそらくはライも同じ事。

 

「はい」

「……だろうねー」

 

 やはりライはあっさりと頷いた。

 わかっていた事だが、ここまでハッキリと頷くとは。清々しく感じるほど迷いが一切ない彼の返答が今は少し恨めしい。

 

「ただ、もしそうなると前線の負担はかえって増えるばかりだ。一段と大きな役割を担う事になった君が一時的に戦線を離れるとなればね」

「だから瑠花を玉狛支部に送れと?」

「うん。王女の方はもともと警備が厳しいし忍田さんの存在もあるから問題ないよ。玉狛支部はどうやら襲撃の心配はなさそうだし、いざという時の備えもある。彼女を大切に思うなら、乗ってみてもいい話だと思うけどな」

 

 一部隊相応の戦力が消えてしまっては戦線が崩壊するリスクがあった。

 ならばその可能性を少しでも減らすためにと迅は提案する。

 ライにとっては大切に可愛がっている妹分のような存在だ。彼女の身を案じる彼からすれば悪くない、むしろ良い提案ではあった。

 

「……僕はあまり賛同できません」

 

 だがライは苦々しい表情を浮かべ、消極的な姿勢を見せる。

 

「ふむ。前みたいに積極的反対というわけではないようだけど、理由は?」

「瑠花一人だけを逃がす、という姿勢自体があまり望ましくない。ならば他の隊員はどうなりますか? 彼女だけを特別扱いするというのは彼女にとっても他の隊員にとっても良い印象を与えないでしょう」

 

 先の話を聞く限りではボーダー本部に犠牲が生まれる以上、危険性はどの隊員にも平等に訪れる。自分の部隊のオペレーターだけを逃がすという手はライ個人としては喜んで受けたい話ではあったが、一隊長としては簡単に応じることが出来ない話であった。

 

「しかもその先が玉狛支部なんでしょう?」

「ん? そこが問題? 遊真の事ならば何も——」

「あなたがいるでしょう」

「おれか」

 

 空閑の事ならば心配は無用だと、説明しようとした迅であったが、矛先が自分に向けられて頬が引き攣る。

 

「玉狛支部に瑠花を送るという事は、例えるならばセクハラ被害者をセクハラ常習犯が住まう場所に送りだすという事です。僕としては到底賛同できません」

「もうちょっと良い例えはなかった?」

 

 というか例えになってない。信頼度が負に振り切ってるライの目は非常に冷たいものだった。

 

「でもその心配は不要だよ。その頃になれば、おれは敵襲に備えて街の各所を回る事になっている。どこに被害が出るのか、いろんな人を見て探るためにね。玉狛支部に滞在する時間はほとんどなくなっているはずだ」

「なるほど」

「最初の理由にしたって、同じく単独行動が予想されるおれとの連携を図ってとか色々理由付けは容易だ。実際玉狛支部は3人もの新入隊員が入った分宇佐美の負担が大きくなるからね。瑠花ちゃんの存在が助かる、というのは本当の話だ。むしろレイジさんたちも動きやすくなる。結果としてボーダー本部への襲撃を狙う敵が現れようとも対処はしやすくなる」

 

 だが、ここで退くわけにはいかないと迅は正論をぶつける。

 ライはメリットとデメリットをしっかり提示すればきちんと話を聞き、冷静に判断を下す人物であるという事はわかっている。さらに本当に大切な存在を守るためならば、彼女を自分の手元から遠ざける事も良しとするという事も。

 だからこそ来る戦いの時の為に、迅は考えうる限りの材料を用意し、ライへ提示した。

 

「……わかりました。確かにあなたの言い分は僕としても納得のいくものだと理解しました」

「おお。それじゃあ」

「ですがこれは僕一人の一存で答えを出す事は出来ません」

 

 迅の真剣さを感じ入ったのか、ようやくライも渋々ながらも同意を示す。

 とはいえ慎重な彼はすぐにこの場で返事をすることはしなかった。

 

「これは瑠花の同意が必要となるでしょう。彼女の了承を得ない限りは簡単に頷くことはできません。明日以降、彼女に『人員が増えた玉狛支部へのサポート』という名目で話を通し、その上で応じてくれれば、という事でいかがですか?」

 

 ライ個人の話ではなく、瑠花の動向に関わることならば自分がこれ以上勝手に話を進めるわけにはいかない。

 一度彼女に話を聞いてからにしたい、という彼の話は迅にとっても最もな意見であった。

 

「ああ。そうしてもらえると助かる」

「説明の際、彼女に本部襲撃の可能性がある話は避けた方がよろしいですか?」

「君の判断に任せるよ。どうせ近いうちに忍田さんから隊員たちに説明がされる予定だからさ」

「……わかりました。では瑠花に話を通し次第、あなたに連絡します」

「よろしく頼むよ」

 

 確認したい事もすでに聞き終えた。

 相談後の報告について述べて、二人はその場で別れる。ようやく長い一日が終わりを迎えたのであった。

 

 

————

 

 

 そして合同部隊と迅の戦闘から一夜明けて。

 ボーダー隊員たちには正式な辞令が下された。

 一つは迅がS級からA級へとランクが変わったという事。

 そしてライが今日から単独で防衛任務に臨む事を認めるという事。

 最後に、二宮隊と紅月隊、影浦隊の三部隊に次シーズンからA級昇格試験の受験資格を回復させるという知らせであった。

 この通達に隊員たちの反応は様々なものである。

 

「おおっ。本当に迅が戻って来たんだな! これは、面白くなってきた」

 

 太刀川は好敵手が同じ立ち位置に戻って来たことをただひたすらに喜び。

 

「うーん。嬉しいけど残念ねー。これで紅月君が私の勧誘を受ける事はまずなくなっちゃったみたいだし」

「素直に喜びましょうよ。私は、やっぱりよかったと思います」

「……そうね。どうせなら紅月君やどこか二宮隊以外の部隊が勝って、二宮君たちの昇格を真っ向から阻止してくれないものかしら?」

「加古さん……」

 

 加古は複雑な表情を浮かべつつも、黒江と共に親しい者の吉報を喜び、そしてかつての同僚に対して苦言を呈し。

 

「あぁ? なんでいきなり認めやがったんだ? 今まで何回勝ったところで受けさせなかったくせによ」

 

 影浦は突然の自隊への知らせに首を傾げ。

 

「えっ? どういう事? これ全部ヤバない? ヤバイよな? つまり迅は個人戦に復帰するって事で、俺の攻撃手6位の座を狙ってくるやろし。ライは一人で防衛任務に参加するって事で、余計に目立つやろし。上3部隊は次のシーズンとか絶対ガチで二位以内を狙ってくるやろし。——なんやこれ。おかしいやろ。あかん、地獄や! 地獄が生まれた! 助けて、マリオちゃん!」

「知るか!」

 

 生駒は目前に迫りつつある危機に冷や汗を浮かべ、細井に冷たくあしらわれ。

 

「——ふん。迅と紅月か。また何かがあったというわけか」

 

 二宮はこの辞令から何かしらの事態があったという事を察して息を溢し。

 

「……紅月」

 

 三輪は無気力な目で、無感情な声で友の名を呼んだ。

 

 

————

 

 

 中学生や高校生が授業を終え、続々とボーダー本部へ学生たちがやって来たころ。紅月隊の作戦室には瑠花が訪れた。

 

「ライ先輩!」

「ああ。お疲れ様、瑠花」

 

 入室と同時に勢いのある声をあげた彼女をライは優しく出迎える。

 部屋の中に鳩原の姿はなかった。今彼女は弟子の絵馬と共に狙撃訓練を行っている最中だ。ライが瑠花と二人っきりで話したい事があるという相談を受け、席を外しているのである。

 

「はい。……知らせを見ました。良かったです。また私達も挑戦権が得られるようになって」

「ああ。我慢強くランク戦を戦ってきた成果が実を結んだんだ。君の活躍のおかげでもある。誇って良い」

「ありがとうございます。それは嬉しいんですけど。——何か、あったんですか?」

 

 純粋に再びチャンスを得た事に嬉しさを抱きつつも、聡い彼女は悟ったのだろう。この通達の裏で、自分が関与していない場所で大きな出来事があった事を。自らの内に宿った複雑な胸中についてライに問いかける。

 

「急にどうしたんだい?」

「だって今回の通達は迅さんのものと同時で、しかもライ先輩個人に関してはさらに二宮隊・影浦隊とは異なりもう一つ個人的な任命がありました。昨シーズンのランク戦が終わった直後でもないのに、おかしいなと思って。少し前にもライ先輩が単独で動いていた時があったから気になったんです」

 

 タイミングと他の部隊との内容の違いは彼女に疑惑を抱かせるには十分なヒントであった。そうでなくてもライは城戸司令の任務を受諾するために彼女たちと別れて行動している時もあった。

 またライが何かの騒動に関与していたのではないかと不安の色を浮かべる瑠花に、ライは安心させるよう柔らかい笑みを浮かべる。

 

「気にしすぎだよ。前は太刀川さんたちが遠征でいなかったから、その分の仕事の一部を託されていただけだ。A級の仕事には正規隊員はあまり関与していない特殊なものもあったからね。むしろそう言った事もこなしたからこそ、今回のような通達に至ったんじゃないかな?」

「そうなんですか?」

「ああ。これからはトップチームも戻って来たし、もう同じ事はないだろう。君には心配をかけてしまったようだな。ごめんね」

「……いえ。ライ先輩がそう仰るならばそうなんでしょう」

 

 どこかまだ納得していないような様子であったが、『隊長の言葉ならば』と瑠花がそれ以上この話題について触れる事はなかった。

 相手の立場を考えて不要に足を踏み入れないでくれるその姿勢がライにとっては非常にありがたい。

 

「ああ。次シーズンは改めてもう一度A級を目指していく。またよろしく頼むよ」

「もちろんです。鳩原先輩もいますし、きっと大丈夫です」

 

 改めて二人はA級昇格を誓った。

 かつて昇格した時とは違い、今は鳩原という名サポーターもいる。ボーダー内で彼女に並ぶ狙撃技術を持つ者はいない。支援能力の高さもこれまでのランク戦で見せつけた。二宮隊・影浦隊と元A級が3部隊も並ぶ今の環境は厳しいが、自分たちならばやれると彼らの姿は自信に満ちている。

 

「ありがとう」

 

 成長し、支えてくれる彼女の存在にライは心の底から感謝の言葉を告げた。

 そして一つ間をおいて、ライは本題に切り込もうと真剣なまなざしで瑠花を見つめる。

 

「さて、瑠花。今日は少し君に話しておきたい事がある。良いかな?」

「何ですか?」

「うん。これは迅さんからの提案なんだけどね」

 

 依頼主の名前を前置きして、ライは話し始める。

 

「来月の頭、つまり新年を迎えた後。君を玉狛支部に派遣して欲しいと頼まれた」

「……えっ?」

 

 突然の要請に瑠花の表情が固まった。無理もないかと、ライはさらに詳細について続けていく。

 

「どうやら玉狛支部に新たな新入隊員が加わるようでね。現在玉狛支部にいるオペレーターは一人のみ。手がいっぱいになりそうだから、よければ手伝ってもらえないかと」

「ああ、なるほど。ビックリしました。移籍とかそういうわけではなく、本当に手伝いでという事ですね」

「もちろんだよ」

 

 どうやら玉狛支部へ転属しないかという誘いだと誤解して動揺したようだった。

 彼女の心配を一蹴すべく、ライはハッキリと自分の意志を口にした。

 

「君から脱退の要請を受けたのならば話は別だが、そうでもない限り紅月隊のオペレーターは後にも先にも君しかいない。僕はそう考えている。だからそんな心配は無用だよ」

「……ありがとうございます」

 

 ライが素直に思った事を口にする。すると真っ直ぐな信頼を瑠花は気恥ずかしく思ったのか、少し視線を下げて頬を赤らめた。

 そんな彼女の様子を知ってか知らずか、ライは頼まれた仕事について話題を投じる。

 

「その際には出来うる範囲で君には紅月隊を支援しつつ、新入隊員に簡単な指示を出してもらう事になる。幸いうちの戦闘員は二人と少なく、新入隊員たちにも単純な指示を出す程度で良いそうだ。今の君ならば不可能という事ではないだろう。宇佐美の支援もあるしね」

「なるほど」

 

 あくまでも通常の任務と同様にこなしつつ、簡単な支援をこなす。そう難しい事ではない。

 瑠花もここまでは理解できるものであった。先輩オペレーターもいるならば心強い。さほど難しい問題ではなかったのだが。

 

 

「……ライ先輩」

「なんだい?」

「何か、他にも理由があるんでしょうか?」

 

 まだ自分に依頼した理由があるのではないかと問い返す。予想しない反応にライの眉がピクリと動いた。



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転機②

「どうしてそう思う?」

 

 すぐに答え合わせをしたりはしない。

 少しでも彼女に考える癖をつけさせようと、ライはあえて反応を示さず、瑠花がそう疑問を抱くに至った理由を問いかけた。

 

「わざわざ私個人にこのような事を訪ねてきたのが不思議に思いました。私よりもっと経験豊富な方や玉狛支部の人とつながりがある人がいるでしょう? そういった方々に託した方がお互いにとって良いはずです。それに——」

「それに?」

 

 瑠花も長い間オペレーターとして経験を積んできたものの、彼女より経験が豊富なもの、技量に長けたものは多くいる。玉狛とのつながりが深い者も同様だ。

 故にもっと適任であるオペレーターがいる中で自分を選んだいう事実が違和感を生み、さらに瑠花が素直に頷くことができなかった原因は、

 

「それだけの理由でライ先輩が迅さんの話を受けるとは思えないです」

「——なるほど」

 

 迅を警戒するライが彼の頼みを引き受けたという事こそが瑠花にとっては不思議な話であった。彼女もライが自分や黒江、帯島たちの事を気遣っているという事は感じ取っていた。だからこそそんな彼が常に警戒をしている相手の願いを簡単に引き受けるとはとてもではないが思えないと。

 素晴らしい観察力と分析力だ。

 ライは妹分の成長を喜ばしく思いつつ、やはり全て話をしておこうと決断する。

 

「その通りだ。僕もこれだけならば到底引き受けなかっただろうし、瑠花があのような男がいる場所へ行くことに賛同するとは到底考えられなかった。——今から話す事は、他言無用で頼む。近々正式に発表されるという話だけど、一応ね」

 

 ライは念には念をと瑠花に注意を入れて、迅の言葉をそっくりそのまま打ち明け始めた。

 

 

————

 

 

「また近界民の大規模な侵攻が……!?」

 

 ライの説明を受け瑠花は言葉を荒げた。彼女を落ち着かせるべくライは大きく頷き、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「ああ。そしてボーダー本部にも被害が及ぶ未来もあるらしい」

「だから、迅さんは私を玉狛支部へ移すようにと?」

「君が巻き込まれる、そんな未来が視えたようだ」

 

 正確に言えば迅はそこまで断言していないのだが、迅の口ぶりからライは瑠花が何かしらの攻撃に巻き込まれるのだろうと予測していた。

 そもそも瑠花が攻撃とは無関係な場所におり、襲撃を受けないのならば彼女からの通信や合図ですぐにライは冷静に戻るだろうし、本部で待機している隊員たち、場合によっては忍田などが即座に対応に当たるはずだ。

 それなのにわざわざ迅がここまで警戒してライに単独で交渉に当たるという事が、彼女が何らかの形で攻撃の被害にあう可能性があると断定しているようなものだった。だからこそライは迅の話に一定の理解を示したのだ。

 

「そこまでわかっているならば、もちろん僕たちだってより警戒するんだけどね。だけど万が一の可能性もある。それを避けるためにも、君には安全な場所にいて欲しい」

 

 隊長としても、ライ個人としても。瑠花の身を案じて、ライはそう言った。

 

「とはいえこれは命令ではない。瑠花の意見を聞きたくて話をしたんだ。あくまでも君の意志を尊重する。ボーダー本部の方がいざという時駆け付けやすいだろうし、君も勝手がわかるだろう。そもそも未来だって確定していないんだから。君が行きたくないならば、これまで通りここで僕たちのサポートに徹して欲しい」

 

 最終的な決断は彼女次第だと告げて話を終える。後はただ彼女の答えを待とうと、ライは口を閉ざした。

 

「イヤです。行きません」

「————」

 

 返事はすぐに返ってきた。

 案の定だ。思った通りだ。やっぱりだ。当然だ。わかりきっていた事だ。予想した通りだ。想定内だ。

 瑠花は迷うそぶりを見せる事すらなく迅の誘いを拒絶した。

 ライは内心で「ほらみろ」と架空の迅に向かって言い放つ。幼い女の子にあのような仕打ちをしたような人間の話など誰が簡単に応じたりするものか。ライの心に暗い感情が渦巻く中、瑠花は淡々と自分の意見を続けた。

 

「本部に残る私を心配して、という事ならばなおさらです。私だけ安全地帯に行くなんて我慢できません」

 

 仲間たちが危険地帯に赴く中自分だけ安全な場所にいるなんて許せない。

 ですから、と少し間を置いて。

 

「その時はライ先輩が守ってください」

 

 瑠花はそうライに頼むのだった。

 危険が迫ると知って、それでも彼女の声に迷いはなかった。

 

「……当たり前だよ」

 

 純粋な信頼に応えようとライが頷く。

 言われるまでもない。

 もう二度と大切な存在を失ってなるものか。

 今度こそは彼女たちを守り抜いてみせる。ライは瑠花の頭にポンと手を置いて誓うのだった。

 

 

————

 

 

 

「——なるほど。よくわかった。では、紅月隊員については、有事の際には遊撃部隊として本部や施設の防衛および隊員たちのサポートに回ってもらうことにしよう」

「そうですね。前線で迎撃に当たってもらっても良いのですが、そっちの方が余計な心配はなさそうです」

 

 ライから断りの知らせを受けた迅は、すぐに忍田の下を訪れ、来る大規模侵攻に向けての討論を行っていた。

 本人から叶うならば本部基地の防衛および周囲の警戒に当たりたいという要請があり、彼の提案に応えようと意見をすり合わせる。

 本来は単独で動かせるライを近界民迎撃のため最前線に配置する予定だったのだが、本人の強い希望もあってその方針は変更となった。役割は大きく異なるが、それでも問題はないだろう。二人の中に心配はなかった。

 

「これでボーダー本部における犠牲者に関する可能性はかなり低くなったでしょうし」

 

 むしろ大きな不安が一つ軽くなったのだから。

 瑠花がボーダー本部に滞在し続ける事となったためにまだ可能性はある。しかしライに守備・サポートの任務に徹底させる事でその未来が来る可能性は薄くなった。迅としては今回の提案で応じようと応じまいと未来を回避すべく動く予定だったのだ。結果としてまた一つの悪い未来は回避する方向へ移っただろう。

 これで本当にライがすぐに本部へ戻るような事態になろうとも対応はしやすいだろうし、何より多くの者がそういった可能性が高いという情報を共有できた。突然重要な人物が現場を去る状態と事前に予想している状態では全く話が違う。ライ本人もあらかじめ意識する事で敵の動きを読みやすくなるだろう。

 

「後はまた情報を詰めてから部隊の配置だな」

「ええ。とりあえずこの件に関してはここまでで良いでしょう」

 

 これで一つ悩みは減った。とはいえまだまだ悩み事は山積みだ。

 三雲の件や正規隊員たちの事。それに——

 

(後は紅月君の未来をどうするか、だな)

 

 話題の中心人物であるライに視えた、最悪の未来をどう回避するか。

 消えない不安を解消すべく、迅はまた一人動き出すのだった。

 

 

—————

 

 

 その頃、ライも来る戦いに備えて行動を開始していた。

 今度の戦いはボーダー本部や市街地にまで戦線が展開される、大規模な戦いとなる。少しでも事前に情報を手にし、感覚をつかんでおきたい。

 そう考えたライはある人物と連絡を取ると、ボーダー本部のラウンジへと足を運んだ。

 

「こんにちは。紅月先輩、お疲れ様です。それとおめでとうございます」

 

 ソファに腰かけていると、ほどなくして彼が呼び出した相手である那須がライに気づいて声をかけた。

 

「ありがとう。またチャンスを手に入れられてよかったよ。——那須さんの体調は大丈夫かな?」

「ええ。近界民の大規模捜索後は防衛任務も特に入れてなかったので、最近は調子が良いんですよ?」

「そうか。それは何よりだ」

 

 あまり体が強くない那須の調子を気遣うライだが、彼女は気丈に振る舞い万全をアピールする。

 その知らせにライは良かったと胸を撫でおろした。あるいは日を改める必要性があるとも考えたが、その心配はないようだ。

 

「今日那須さんを呼んだのは頼みがあってね。明日、時間は空いているかな?」

「明日? ええ、学校が終わった後でよろしければ大丈夫ですけど。射撃訓練ですか?」

「うん。ちょっと違うけど、でも射撃に関する事ではある」

「と言いますと?」

 

 いつもの射撃訓練ではないが射撃に関する事。一体どういう事なのかライの要望がわからず、那須は首を傾げて先を促す。

 

「警戒区域外の市街地における射手の立ち回りや移動ルート、射撃の軌道の設定。射手の立ち回りを専門分野である那須さんに少し相談をしたいんだ」

「警戒区域外、ですか?」

 

 那須が繰り返し問うと、ライが静かに頷く。

 

「警戒区域外は正直僕は土地勘があまりない。データだけではなく、感覚として今のうちにつかんでおきたいんだ。特に射撃は味方との連携も必要になる上に市街地での戦闘となれば機動力が必要となる。両方を兼ねた那須さんと意見を共有したい」

「それは構いませんけど」

 

 状況を考えればライの求める適正は那須が当てはまった。

 射手には他にも優れた実力者たちが集うが、ライも扱う変化弾を武器とし、機動力に長けた隊員となれば那須がうってつけの存在だろう。

 ゆえに理解できない話ではなかったのだが。

 

「また警戒区域外で戦闘が起こる可能性があるんですか?」

「……万が一に備えてだよ」

 

 つい先日も警戒区域の外で門が生じた事例があるために決しておかしい話ではなかった。しかしその事件は先日収まったのだからそこまで対策を打つ必要があるのかは疑問である。

 改めて那須が尋ねるとライは曖昧に言葉を濁した。

 ライも確信があるわけではない。迅の未来だって外れる可能性があるのだから断言はできなかった。

 内容が一般市民も暮らす市街地という事もあって余計に情報の重要性は高い。下手に言い切るわけにもいかず、そのためライはこうしてうやむやな答えを返した。

 

「——わかりました。私でよければ構いません。いざという時、私にとっても有益になるでしょうし、念を入れておくに越した事はないですから」

 

 これ以上聞かれるとライは対応に困るところだったのだが、ライの心中を察したのだろう。それ以上那須が深く疑問を呈する事はなかった。

 了承の返事をすると、ライは気持ちが軽くなり、笑みを浮かべる。

 

「ありがとう。じゃあ明日の放課後だね。人も集まりやすく建造物も多い映画館の近くを特に念入りに調べておきたいから、一緒に来てくれ」

 

 何も深い意味はなく、淡々とそう口にした。

 

「えっ? 映画館、ですか?」

「うん」

「あっ、そうですか。はい、良いですけど、別に……」

 

 すると突然行き先が映画館の周囲であると知った那須が突如切れが悪くなる。所々言葉に詰まり、何か言いたげだが言葉にするのは憚られるような状態であった。

 

「あの、紅月先輩」

「なんだい?」

「その。二人っきり、で行くんですか?」

 

 自分の勘違いではないだろうか。念のためにと那須は恐る恐る尋ねる。

 するとライは彼女の疑問を悪い意味で受け取ったのか、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「ごめん。僕と二人では嫌だったかな? それなら他の人にも声をかけるけど」

「いえ、いいえ。そうではないです。大丈夫です。……それでは、また明日」

 

 那須はそう言うと、頬を赤らめてそそくさと退散していった。

 何か変な事をしてしまったのだろうか。ライは自分の発言を振り返るが、答えが出ることはなかった。

 

 

————

 

 

「許さんぞライイイイイイイ!!!!」

「何事ですか、イコさん」

「とぼけんなや。こっちは全部情報をつかんどるんや」

「ですから何の事ですか?」

 

 次の日の夜、ボーダー本部に帰還したライは廊下で生駒と出くわすと、必死の形相を浮かべる生駒に壁へと追い詰められた。

 すさまじい叫びをあげて怒りを訴えるものの、ライには一体何に対するものなのか見当がつかない。

 

「とぼけても無駄やで。隠岐と海が証言しとんや。自分が夕方、那須さんと並んで良い感じで映画館の方へと向かってくのを見たってなあ!」

「はい。それで?」

「『それで?』ちゃうやろ! 自分、一人だけ那須さんとデートなんかして、許されると思っとるんか!」

「デートじゃないです」

 

 チームメイトの発言を決め手として生駒は弟子に言い寄るものの、ライは微動だにしない。

 

「ここまで来てまだとぼけるつもりか? 言い逃れしようとも無駄やぞ? 早く吐いた方が楽やで?」

「これは取り調べなんですか?」

「ずいぶん楽しそうに歩いてたって言っとったで? ほなら那須さんと何の話をしてたのか洗い浚い話してみ?」

 

 あくまでも無罪を主張するというのならば話を聞こうと、生駒は当時の様子を聞き取り始める。万が一これで少しでもデートの雰囲気を少しでも出したらさてどうしてやろうかと身構えて。

 

「何って。屋上での移動経路や変化弾の弾道設定、置き弾の設定位置に——」

「ちょっと待って」

 

 自分とは住む世界が全く異なる内容を想像していた生駒は、ボーダーで聞きなれた言葉の数々を耳にして困惑した。

 

「えっ? 何? どういう事? 自分アホなん? なんでデート中にそんな戦闘の話とかしとんの? それデートで言ったら嫌われるやつちゃうん?」

「だからデートじゃないと言っているでしょう。那須さんには射手の観点からいつもとは異なる場所の戦いについて意見を聞いていただけですって」

「おー。なるほどな。いやちゃうで? 俺は本当は全部わかっとったんやで? でも隠岐達が『あれは間違いない』って言うて聞かんかったんや。俺は弟子を信じとったんやけどここは一つあいつらの為に白黒ハッキリさせたろと思うてな?」

「……そうですか」

 

 あっさりと手の平を返してライの肩を上機嫌に叩く生駒。態度が急変した師匠をライは優しい目で見るのだった。

 

「ほならそのあとは特になんもなく戻ってきたんやな?」

「いえ。一通り分析が終わった後は那須さんが『折角ですので』と誘ってくれたので一緒に映画を見て」

「はっ?」

「そのあとは近くの喫茶店に入ってゆっくりしながら他愛のない会話をして」

「おい?」

「デパートに入って色々お店を見て回って——」

「黙れや」

「何故?」

 

 いつもの調子に戻っていた生駒だったが、ライからその後の話をされるとすぐさま表情が険しくなり、ついには敵意をむき出しにしてライを睨みつけた。

 

「誰がそんな事を話せって言ったんや?」

「イコさんです」

「人のせいにすなや!」

 

 ライは正直に話をしたのだが、生駒の怒りが収まることはなかった。



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再会

 那須と外出し、生駒に問い詰められた翌日の土曜日。

 今日は特に防衛任務のシフトも入っていないため、ライは午前中作戦室で瑠花に試験勉強のサポートを務めながら本部で待機し、そして間もなく16時を迎えようとしたところで作戦室を後にした。

 

「良い所で会ったな、ライ」

「……扉を開いた瞬間に遭遇するって、待っていたんですかイコさん?」

「さっき来たところや」

 

 そしてライが部屋を出たと同時に生駒とゴーグル越しに視線が合う。

 廊下で仁王立ちしていた師に、ライはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「いやな、個人戦やりにきたとかでさっき迅と会ってな? ここで待ってればすぐに自分が出てくるって教えてくれたんや」

「副作用の無駄遣いですね。で、何かありましたか?」

 

 絶対に使い道を間違えてる。同時にここまで確実性があるものならば読めるものなのかと、ライは迅の未来予知の力に感心しつつため息をこぼした。

 

「おお。自分に話したかどうか忘れたけど、女の子にウケが良いかなってギターを始めたんや。けどな、披露する機会がまずないという事に気づいたんや」

「なるほど。それで?」

 

 初耳である情報だが、下手に突っ込めば話が長くなるという事はいつもの付き合いでわかっていた。ライは聞き手に徹し、情報把握に努めるのだった。

 

「んで、さっき柿崎と迅とその事について話したら、迅が『料理とかいいんじゃないか』って言いだしたんや。ついでに自分が料理できるんだから、ちょっと頼んでみたらって」

「……ほう」

 

 面倒ごと(イコさん)を全部押し付けたな。

またライの中で迅の株は低下の一途をたどり続ける。

 同級生の評価が暴落する中、そんな事を知る由もない生駒はさらに話を続けた。

 

「そういえば自分よくここでも料理をするなーって事思い出して、ほなら頼んでみよかなって。今日も本部内にいたみたいやしなんか作っとったんやろ?」

「まあ、確かにおやつにもチュロスを作って瑠花たちにもあげましたが」

「チュロス?」

 

 つい先ほどの出来事を思い返してライが答える。聞き覚えのある単語を耳にした生駒は彼の言葉を反芻し、問いを返した。

 

「チュロスって、あのねずみの国で食べるやつか?」

「そうですね。瑠花の同級生たちがこの前遊びに行って食べたという話を聞いたそうで。なので気分だけでも味わってもらえたらなと」

「あれって夢の国でしか作れないようなやつとちゃうの?」

「もしそうだとしたらどうやって僕らは現実で食べるというんですか?」

 

 相変わらず本気なのか冗談なのか判断がしづらい師の言葉だ。

 ちなみにチュロスとは本来はラテンアメリカ各国で食べられている揚げ菓子の一種であり、現在の日本では生駒が語る場所の他にもドーナツ屋さんなどでも販売されている食べ物である。

 

「はー。でもやっぱすごいな自分。お菓子作りまでしとるんか」

「本場には及ばないでしょうがね。まあでもこれで気分転換になったらと思いますよ。すべての試験が終わったら一緒に行こうかと約束したのでこれが彼女の士気向上につながってくれたら」

「ちょっと待て」

 

 可愛がっている妹分の事を案じ、幾分か穏やかな声でそう続けるライ。

 しかしその内容が生駒にはあまりにも聞き逃せるものではなく、目ざとく食いついた。

 

「自分、昨日那須さんと出かけた次は今度は瑠花ちゃんと二人っきりでテーマパーク? おかしいやろ。なんで自分だけそんな……!」

「ああいえ。その頃は試験だけでなくランク戦もまだ残っているでしょうし、都合がよければ部隊の皆で行こうかなって」

「女の子が増えとるやん!」

 

 紅月隊の男女比は1:2で女子が多い珍しい部隊だ。当然部隊での外出となれば人数比がそのまま現実と化す。

 そんな事は許せないと、生駒は語気を強めて訴えた。

 

「あかん。それはあかん! 年頃の男女が3人だけで外出なんて、イコさんは許さんで!」

「ええ。瑠花も同年代の知り合いがいた方がよいでしょうし、那須隊や加古隊の人たちにも声をかけてみようかなと話にはなりましたが」

「おお、なるほど。たしかに防犯的な意味でも人数はいた方がええもんな。さすがに3部隊もおればしっかり男女比も改善され、て? ——余計に悪化しとるやんけえ!」

 

 一瞬納得しかけたものの、今名前が挙がった部隊のメンバーを脳裏に思い浮かべ、生駒は怒りのあまり怒鳴り散らした。

 紅月隊だけの場合の男女比=1:2

 3部隊合同の場合の男女比=1:10

 生駒もビックリの圧倒的な人数差である。

 

「あかんやろ。それこそ何で俺の部隊を誘おうとか考えないんや? イコさん泣きそうや」

「生駒隊は、南沢が気づいたらどこかに行ってしまいそうで危ないかなって」

「正論」

 

 咄嗟に自分の部隊を名指ししたが、確かにライの言う通りふとした拍子で行方をくらましそうな後輩が簡単に想像でき、それ以上強く言う事ができなかった。

 

「アカン。ここまで弟子とモテ度の差があったんか。さすがにここまで計画立ててるとは思わんかったわ」

「別にモテてませんって。今日も少し瑠花を怒らせてしまいましたし」

「女の子に現を抜かすからや。——あっ。間違った。言う事と思う事間違ったわ。それは大変やな。何があったん?」

「……今の指摘を受けてそれでも続けろと?」

 

 すぐに訂正してもすでにライの耳に届いてしまっている。

 だが生駒は『はよ』と急かすばかりで逃げ場を与えてくれない。仕方がないかとライは一つ間を置いて説明を始めた。

 

「先ほど言ったようにおやつを作ったんですけど、試験のストレスや勉強ばかりの生活のせいか、瑠花が『最近少し体重を気にしてて』と話しまして」

「ああ。まあ受験シーズンはしゃーないわな。運動もあまりできへんやろし、オペレーターやから本部でも基本的に座ったままやろし」

「そうなんですよね」

 

 受験生とあって今までの規則正しい生活から少しリズムが崩れ、体格も変化が生じても不思議ではない。むしろ多くの人が抱える悩みの一つだろう。これは生駒も納得できる事であり、ライの言葉に何度も頷く。

 

「なので一言声をかけて抱っこしてみたんですけど、やはり軽かったから『大丈夫だよ』と言ったんですが、それでちょっと怒られちゃって」

「自分何しとんの?」

 

しかし続けられた言葉は生駒の理解の範疇を完全に超えており、納得できず疑問を呈した。

 

「いやいや。そら怒るやろ。女の子を抱っこするとかそんなんいくら仲良くても」

「でも僕、初めて瑠花と会った時にも抱っこしましたし」

「はっ?」

 

 生駒の目が驚愕に目を見開き、『まさか』と視線で訴えるもライはびくともしない。

 

「いや、さすがに冗談やろ? 初対面の女の子にそんな事したらしばらくは口を利いてもらえなくなるやつやん。自分どうやってそこからオペレーターの勧誘とかしたんや?」

「えっ? その日のうちに二人で部隊を組むと約束しましたよ」

「なんで????」

 

 おかしい。そんな事ありうるはずがない。

 しかしライの顔からふざけている様子は見られなかった。

 つまり本当に彼の語る言葉が真実だと、これが師弟の間に存在する決定的な戦力の差だというのか? 生駒は二人の間に存在する明瞭な壁の存在に戦慄する。

 もちろん真相はライが瑠花を危機から救うために咄嗟に起こした出来事であり、お互いそこまで気にする余裕がなかったというのが答えなのだが、生駒が己の勘違いを正せるはずがなかった。

 

「ライ。やっぱりモテるためには自分から学ぶしかないと確信したわ」

「そんな確信いらないです」

「まあまあ、そう言わず。な、今度また料理とか教えてや。今後の為にもなるかもしれんやろ?」

「後者に関しては確かにその通りなんですが」

 

 その通りではあるのだが、やはり生駒が考えている本来の目的から抵抗感を覚えてしまう。

 とはいえ料理は生活に必要なスキルである事はまた事実。あるいはここで教える事がいつか役に立つ可能性も捨てきれなかった。

 

「わかりましたよ。ですが今日すぐには無理です。時間があるときに声をかけますから、それで今日は下がってください」

「おお、頼むで! ん、でも自分今日は防衛任務入っとらんやろ? どこに行くつもりやったんや? ランク戦か?」

 

 何とか弟子からの快諾を得て生駒が一息つく。

 そして『今日は無理』という話と彼の行動から、予定がないはずの彼が本来は一体どこに出かける予定だったのか。ふと疑問に思った生駒が問いを投げた。

 

「はい。佐鳥から仮入隊者の指導の手伝いを頼まれてまして。今から狙撃手訓練場へと向かうところです」

 

 尋ねられたライは淡々とそう答えて生駒と別れると、訓練場へと向かって行った。

 

 

————

 

 

 生駒との問答で時間を食ってしまった。

 余裕がある様に出るつもりだったので幸いにも遅刻はしなさそうだが、佐鳥は訓練生が早めにくれば先に始めていると語っていた。

 遅れがあっては申し訳ないと、ライは少し足早に歩を進める。

 訓練場に辿り着くと、やはり指導は始まっていた。佐鳥が一人の少女を相手に何か説明を続けているようだ。おそらくは彼女が話に上がっていた仮入隊者だろう。

 

「佐鳥!」

「おっ? おー、お疲れ様です! 来てくれたんですね!」

 

 少し大き目の声で名前を呼ぶと、指導担当である佐鳥が笑みを浮かべてライを出迎えた。

 

「ああ、すまないな。約束よりも遅れてしまったか」

「いやいやとんでもない。まだ予定よりも早い時間ですし、本当に助かりますよ」

 

 ライが一言謝罪するが、元々佐鳥が訓練者を気遣って時間を早めただけだ。だから気にする事はないと、佐鳥はむしろ助っ人の登場に感謝するのだった。

 

「あー!」

「うん?」

 

 突如として佐鳥の隣にいた少女の口から大きな声が木霊した。

 

「いたー! 佐鳥先輩、この人っす。えっと、そうだ。紅月先輩!」

 

 少女はライを指さして彼の名前を呼ぶ。

 名指しされたライは彼女の顔を見ると、見覚えのある顔立ちに記憶を呼び起こした。

 大きめな猫目に前髪が少しはねた明るい短髪の少女。間違いない。十日ほど前に調査の為に接触した生徒であった。

 

「君はたしか、三門第三中学校で会った——夏目さん?」

「はい。お久しぶりっす!」

 

 確認の意を込めて名前を呼ぶと、夏目は嬉しそうに年相応の笑みを浮かべる。

 

「えっ? なんだ、紅月先輩の知り合いだったんですか?」

「ああ、ちょっとね。名前までは見ていなかったから気づかなかったよ。ならなおさら丁度いいな。佐鳥、彼女の訓練指導は僕が受け持つよ。たしか他にも嵐山隊の仕事が残っていただろう? そちらに行ってくれて構わない。何かあればすぐに報告する。」

「おお。それは助かります!」

 

 嵐山隊の仕事は多忙を極める。一つでも仕事が減るならば大助かりだ。

 佐鳥は大喜びで後の事を任せ、作戦室へと戻っていった。

 

「いやー、本当に会えるとはビックリしました。仮入隊の間、ここに来るか迷ったんですけど、紅月先輩にお願いした事もあったし、せっかくだから来てみようかなって」

「うん。僕も丁度佐鳥にお願いされた日で助かったよ。狙撃手志望とは知らなかったから、ちょうど日が合って良かった。——銃を扱うのは初めてだよね? じゃあまずは基本的な構えから教えて、そのあとで実際に練習してみようか」

「お願いします!」

 

 ライの説明を受けた夏目はニッと笑い、頭を軽く下げた。

 黒江や帯島とはまた違ったタイプだ。下手に気負う様子もなく、年相応の明るさに当てられ、自然とライも頬が緩むのであった。

 

 

————

 

 

「肘を落として、膝の少し前くらいの位置で固定して。脇を閉めて。銃の後ろを肩の付け根部分に当てて固定して。——そう。姿勢はそんな感じだ」

「はいッス」

「よしっ。それじゃあよく的を狙って」

 

 膝立ちの姿勢について教わり、夏目がじっと数百メートル先の的へと狙いを定める。

 初めてならば枠の中を射抜ければ上等と言えるだろう。

 夏目の後ろに控えるライは彼女の構えに乱れがないか注視しながら時間を図り、タイミングをうかがう。

 

「撃て!」

 

 ライの声を合図に、イーグレットの銃口が火を噴いた。

 すさまじい速度で放たれた銃弾がまっすぐ突き進み、そして着弾する。弾は的の枠の中、中心から左下に十五㎝ほどずれた位置を撃ち抜いていた。

 

「当たった!」

「うん、良いね。初めてでこの結果は良い結果と言えるだろう」

「本当っすか?」

「ああ。そうしたら今の感覚を忘れないように連続でやってみようか。もう一度構えて」

「了解!」

 

 初めて狙撃銃を使い、そして命中した喜びから歓喜の声をあげる夏目。

 ライの称賛もあって気をよくしたのか、言われるがまますぐにもう一度構えなおす。

 そして今度は一発を撃った後は、構えをそのままにさらにもう一回、二回と繰り返した。

 リロードをしながら弾を10発ほど撃ち続ける。結果、枠外に逸れた弾は三発、下に逸れた弾が二発、上に逸れた弾が一発、左下にそれた弾が四発という結果であった。

 

「うー。やっぱり難しいっすね。中々真ん中にはいかないか」

「狙撃訓練に関しては慣れが必要だからね。繰り返しやって行くことが大切だ。感覚をつかんでいけば自然と上達していくよ」

「本当っすか?」

 

 狙っても最初から的の中心部に当てるのは難しい。

 思うように弾が進まず、夏目は悔し気に顔をしかめる。

 ライの言うように反復練習が必要となるために仕方のない事なのだが。

 

「おー? なんだ紅月、また新しい女の子か?」

 

 どう諫めたものかと、ライが考えに耽っている所に陽気な声がかかる。

 振り返るとリーゼント頭がすぐに目に入った。先日も共闘したばかりの当真である。

 

「当真。人聞きの悪い言い方はやめてくれよ」

「悪い悪い。どーもお嬢さん。俺は当真勇。同じ狙撃手だ、よろしく」

「どうも。夏目っす」

 

 軽くライに謝罪を入れて当真は夏目に自己紹介を済ませた。そして視線を夏目が練習していた的へと移し、ライに問いかける。

 

「今日はなんだ。訓練日じゃねえ時に個人練習の手伝いか?」

「いや、彼女は少し違うよ。仮入隊だ」

「あーなるほど。見た事ないと思ったらそういう事か」

 

 だから初めて見たわけだと納得の表情を浮かべる当真。

軽い調子で語りつつ、当真の鋭い視線が的と銃痕をじっと捉え続けていた。

 

「ちょっと横から見てたけど、それなりに枠内は捉えられてるが、偏りがあるって感じか」

 

 初心者ならば決して悪くはないが、改善の余地は大いにある結果だ。当真は『手伝ってやるか』と二人に歩み寄る。

 

「よし、ちょっと働くか。俺の指示通りにやってみろ」

「いいんすか?」

「ああ。紅月、お前は横から見てろよ」

「横?」

 

 言われるがまま夏目は再び先ほどの姿勢に戻り、照準器越しに的を見据えた。

 ライもレーンの横へと移動し、夏目の態勢や視線をじっと観察する。

 そしてある一点に気づき、ライの眉がピクリと動いた。

 

「はい。もうちょっと右狙って。もっと、もっとだ」

「えっ? まだっすか?」

「いーからいーから。やってみ」

 

 夏目が狙いを定める中、当真はアドバイスを続ける。その声に従い、姿勢を維持したままゆっくりと銃を右へと移動しながら狙いを定めて。

 

「はいそのままー。撃ぇーい」

 

 合図が出るとその位置で銃身を止め、引き金を引いた。

 当真の声に従った銃弾は、一発で的の中心を捉えていた。

 

「うお! マジど真ん中! スゴ!」

「なっ。さっきのは左に寄り過ぎてたんだよ」

 

 自分で撃ったとは信じられない。思いもしない結果に夏目は戸惑いの色を隠せない。

 だが当真は全く動じる事無く『当然だ』と調子よく笑うのだった。

 

「——なるほど。片目照準によるブレか」

「多分な。明らかに片側に寄ってたから、後は好きに片目と両目、どっちの照準でも慣れさせれば良い感じに仕上がるだろ」

 

 横で控えていたライが当真へと歩み寄る。彼も夏目が先ほどまで上手く行かなかった原因に思い至り、当真に声をかけるとは当真は軽く頷いた。

 片目照準、つまり一方の目を閉じて反対の目だけで対象を見て狙いを定めるという事だ。逆に両目を開けたまま照準を定める事を両目照準と呼ぶ。

 よく照準器を覗き込む際には片目照準で行うが、人は左右で見る像がわずかに異なり、左右に位置のずれが生じてしまうのだ。

 横から眺めていたところ、夏目も無意識のうちに片目で狙いを定めていた事に気づいた。当真もそれを知ったからこそ水平方向のズレを計算し、修正させたのだろう。

 原因さえ分かってしまえば、あとは当真が語る様に片目でも両目でも行わせ、精度を高めさせていけばいい。

 両目照準にも照準器と目標を直線的に同時に視る際に二重に見えてしまったりするデメリットがある一方で視野が広がるというメリットがある。とにかく練習を積み、本人が感覚をつかんでいくことが一番だろう。

 

「よくすぐに見抜いたね。さすがNo.1狙撃手といったところか」

「煽てたってなにもでねーよ」

 

 指導担当というわけでもないのだから、注意深く観察していたわけでもないはず。それにも関わらずあっさりと原因に気づき、その対処まで完璧にこなしたのだから大したものだ。

 ライが素直に当真を称賛すると、彼はいつものように小気味よく笑うのだった。



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始まり

 日曜日、定期的に行われる狙撃手訓練ではいつも通りの光景が広がっていた。

 奈良坂や鳩原をはじめとした優秀かつ真面目な性格の隊員が成果を残しつつ、当真や絵馬と言った訓練に対しては本来の調子では臨まない隊員は実力に反して低い順位に収まっている。

 訓練後は各々の調子を語りつつ、さらに反省点をあげたり今後の予定を振り返ったりしていた。

 

「あかんなあ。通常訓練では敵わんなあ」

「でも隠岐はこの前の補足訓練がよかったじゃないか。今はまだそこまで順位を気にする時じゃないよ」

「せやね。まだシーズンまでは時間があるし、ぼちぼちと上げていくようにしますわ」

 

 隠岐が愚痴をこぼすと、ライが彼を励ますように肩を叩く。

 同じB級同士という事もあって互いに遠慮はない。

 今は12月だ。次の部隊ランク戦までは期間が残されているのだ。少しずつならしていくか、と隠岐は軽い調子で笑った。

 

「お疲れ様、二人とも」

「……お疲れ様」

「おお、鳩原先輩、ユズル。お疲れさんです」

「お疲れ様」

 

 すると、反対側から歩いてくる鳩原・絵馬の師弟と鉢合わせた。

 

「相変わらず鬼みたいな精度やなあ、鳩原先輩。精密無二って感じですわ」

「鳩原と奈良坂のそれは、本当に並外れてるよね」

 

 鳩原の撃った的へ視線を移し、隠岐とライは呆れを含んだ声色で口にする。

 彼女と奈良坂が撃った的は中心部だけがくりぬかれていた。何発も撃った後にも関わらずである。つまり二人の狙撃は全てが的の中心部を撃ち抜いたという事になる。狙撃手が多いとはいえ、ここまで安定した技量を持つ隊員はこの二人くらいだろう。

 他にいるとするならば、

 

「ユズルは相変わらず遊んどるし」

「そこは当真と同じだね」

 

 目の前の少年と、ナンバーワン狙撃手くらいだろう。

 今日の絵馬の的を見ると、どうやら台形の形を作りたかったらしい。銃痕が綺麗な直線に並び、台形をかたどっている。

 本気になれば中心へぶつける事くらいたやすいだろうに、遊び感覚が抜けないのは彼も当真と同じ感覚のようだ。

 

「いいじゃん。別に訓練なんて本気でやらなきゃいけない理由なんてないんだしさ」

「あはは。まあユズルがそれでいいならいいかなって」

「師匠である君がそういうならば、僕もこれ以上は口出しはしないよ」

 

 本来はよくないのだが、本人の気質というものもある。

 師匠が認めているならば下手な指導はかえって気を悪くするだけだ。ライは大きく息を吐き、二人の対照的な師弟をじっと見つめた。

 

「……そういえば、ユズルは今中学二年生だっけ?」

「え? そうだよ。どうして?」

「そうか。それなら彼女と同い年か。ちょうどいいかも」

「彼女? 紅月先輩、誰の事?」

 

 ふと絵馬に思い返した事を確認すると、ライは『いい機会だ』と笑みを繕った。

 絵馬が首を傾げる中、ライは『もしも都合がよければ』と尋ねたうえで訓練の後にある人物と引き合わせたのだった。

 

 

————

 

 

「——おお。確かにこの姿勢だと余計に安定するかも」

「そう。なら良かった。俺もそうだけど、夏目は先輩たちと違って小柄だし、狙う前に姿勢とかポジションをよく意識した方が良いかもしれない」

「なるほどー」

 

 訓練場の一角で夏目を指導する絵馬。

 今日初めて会ったばかりの二人であったが、ライの仲介に加えて同じ学年、同じポジションを志すものとあって打ち解けるのは早かった。

 今日、夏目はライに頼み込んで連日の訓練を希望していたのである。昨日当真の教えもあって徐々に上手くなっていく感覚に気をよくしたのだろう。

 まだ二日目ではあるものの、今日はさらに似た体格の絵馬の指導もあってより精度が上がっているようであった。初心者であるからこそ伸びしろも大きいという事だろう。

 ボーダー隊員の中でも若い二人が試行錯誤を繰り返す、よい傾向だろう。その二人の様子を、少し離れた位置でライと鳩原、隠岐にさらに当真を加えた4人が見守っていた。

 

「なんだなんだ。ユズルにもモテ期が来たかー?」

「そういう君とて彼女に指導していたじゃないか、当真」

「いやいや。俺はちょっとアドバイスを送っただけだぜ。あいつみたいに懇切丁寧ではねえよ」

 

 茶化す口ぶりの当真はそう言ってライの指摘も笑い飛ばした。

 狙撃手は他のポジションと比べて希望人数が限られており、その分コミュニケーションも同じポジション内で完結しやすい。だからこそ絵馬にとってもこうして貴重な同年齢の話し相手ができる事は良いつながりになるだろう。その事実を喜んでいるように見えた。

 

「ユズルの年齢だとただでさえ隊員が少ないからね。表情には出さないけど、ユズルも嬉しいんじゃないかな」

 

 師匠である鳩原も同じ心境であった。特に鳩原は一度自分の事で彼にも大きな負担をかけてしまった。その彼が同じ年齢の隊員となじめている姿は師として純粋に嬉しく思う。

 

「彼女がこのままボーダーに入れば、また狙撃手界隈がにぎやかになりそうやなー。元気そうな子やし。しかも紅月先輩や当真先輩、さらにユズルも彼女に仕込んどるとは。これは先が楽しみですわ」

「……まあ、時間はかかるかもしれないけどね」

 

 頼れる師匠の顔ぶれは非常に恵まれた環境と言える。夏目の明るい未来を想定して隠岐ははにかんだ。

 その一方で、ライも同意を示しつつ、今の狙撃手の環境を考えて曖昧に言葉を濁した。

 

(狙撃手のB級への昇格条件は訓練に参加し、三週連続で上位15%に入る事だ。決して簡単な話ではない。どうなるかな)

 

 狙撃手というポジションは他と比べて昇格条件が順位に依存するという特殊なものだ。

 絵馬や当真のように訓練では本気を出さない者もいるとはいえ、15%の中に入るには長い期間を擁する事になるだろう。

 夏目の成長を期待しつつも、彼女の早い成長のためにはどう教えていくのが最善なのか、ライは一人思考に暮れた。

 

 

 

「ユズルは、紅月先輩とは親しいの?」

「ん? どうしたの、急に?」

「いや、紅月先輩にはこの前話をしておいたけどさ。ユズルには今日いきなりの頼みだったじゃない? なのに快く応じてくれたからさ。リーゼント先輩も来てるけど今日はユズルに任せてるみたいだから」

「……当真先輩の事かな」

 

 チラッと絵馬が視線を逸らすと、当真の特徴的なリーゼントが目に入った。まず間違いないだろう。

 

「まあね。同じポジションの武器を使うし。……前は、少し俺の方が紅月先輩に突っかかった時もあったけど、今はそうでもないよ」

「え? なんで? 何かあったの?」

「大したことじゃない。忘れて」

 

 失言だった。

 絵馬はそれ以上は何も答えないと夏目を手で制し、それよりも訓練に集中するようにと改めて指示を飛ばすのだった。

 

 

 

————

 

 

 

 鳩原の降格、C級落ちという話を聞いた時、絵馬は何が何だかわからなくなった。

 二宮隊の誰に聞いてもまともに相手にしてもらえず、本人に聞いても彼が満足する答えが返ってくる事はない。

 そんな絵馬にとって、彼女と同じく降格したというライの存在は、良いものとしては映らなかった。

 

「あんたが、何かしたのか、紅月先輩……! あんたも、何か絡んでるんじゃないのか……!」

 

 時を同じくして降格となった二人。

 その事実から絵馬は何かしらの繋がりを理解したものの、しかし正しい判断を得られなかった。

 師匠が重大な規定違反を犯すなんて一人でするとは思えない。

 ライが鳩原を唆し、そしてこのような結果に導いたのでは。そんな思いが先行し、ライを問い詰めた事もあった。

 

「……僕が答える事は何もないよ、絵馬」

「ふっざけるな!」

「おい、やめとけユズル!」

 

 強張った顔で尋ねられたライは、何も答えない。

 言い訳も、弁明もなに一つしないまま絵馬の糾弾を受け止めた。

 そのあと絵馬は彼に何を言ったのかは覚えていない。ただ、胸の内に留めておけない怒りを吐き散らして、当真達に止められた事だけは覚えている。

 結局それでも感情が収まる事はなく、しまいには上層部の元へと強引に押し入って話を聞きに行ったことがあった。

 それが影浦の暴走につながり、影浦隊までもが降格となってしまった事は非常に申し訳がなかった。

 それからほどなくして、絵馬の部隊までが降格となった事を心配して、謹慎が解けた鳩原が彼の元へと訪れた。

 心配をかけた事について謝罪すると、鳩原は絵馬を窘めるように語った。

 

「違うんだよ、ユズル逆なんだよ」

「逆?」

「紅月君たちがいなかったら、きっとあたしはむしろここにいる事さえできなかったと思う。それに——まだ言えないけど、多分、さらに助けられる事になると、思う」

 

 その時はどういう意味か理解できなかった。

 だが次のシーズン、鳩原が紅月隊に加わったという話を耳にして、ようやく理解する事ができた。

 

「鳩原先輩! ……紅月隊、そっか。良かった……!」

 

 もしもライが元凶だとするのならば彼の部隊に加わるなんて真似をするはずがない。逆に鳩原の言う通りだとするのならば、彼の部隊に加わるという話にも頷ける。

 ここでようやく絵馬は自らの勘違いに気づくと、そのランク戦が終わった直後、ライの元へ改めて赴き、そして謝罪するのだった。

 

「紅月先輩。ごめん。俺が前に紅月先輩に怒鳴り散らしたことがあったと思うけど、鳩原先輩がいるのを見て自分が間違っていたとわかったよ。本当に、ごめん」

「……構わないよ。勘違いの元となったのは僕だ。君が謝罪する必要はない。それより今後も絵馬が僕たちと良い関係を築いてくれるのならば、それに越した事はない」

「うん。ありがとう。——ユズルで良いよ。皆、そう呼んでるし。師匠も紅月先輩の部隊に所属するなら、そう呼んで欲しい」

 

 ライが絵馬を許し、先の付き合いを約束すると、絵馬は下の名前で呼ぶ事を望み、ようやく二人の勘違いは解消することとなった。

 ただ、その代わりとして元々鳩原が在籍していた二宮隊が鳩原を戻そうとしなかった事について、隊長である二宮に対してはより強い敵意のようなものを抱くようになってしまったのだが、それはまた別の話。

 

 

————

 

 

 

「んじゃ、俺は用があるし、先に抜けるぜ」

「あたしたちも今日はユズルとご飯に行く約束してるから」

「お疲れ様。夏目も頑張って」

 

 夏目の個人練習を終えると、当真と鳩原・絵馬の三人が一足先にその場を後にした。

 三人の姿が見えなくなると、ライ達も訓練室の片づけを終えて帰り支度を始める。

 

「さて、俺はイコさんたちと飯行く約束しとるけど、お二人はどうするん?」

「僕は彼女を送ってから作戦室に戻りますよ」

「何から何までありがとうございます!」

「いいよ。来たばかりで迷いやすいしね」

「ほなら途中まで一緒に行こか。イコさんとかもその辺におるやろし」

 

 準備を済ませ、三人も本部の出口へ向かって歩き始めた。

 途中、夏目の視線が右往左往する。ボーダー本部は広く、曲がり角も多いため複雑な構造に戸惑っているのだろう。

 

「さっすが。本部っていうだけあってすごいっすね」

「そうだね。僕はここで過ごす時間が多いから今は大丈夫だけど、昔は人に頼って教えてもらう事も多かったな」

「知り合いがおらんと迷った時に困るからなあ。同じ場所に戻るのも一苦労や。夏目ちゃんも何かあったら俺らを探してくれてええで」

「そうするっす」

 

 先輩たちの優しい気遣いに夏目は素直に甘える事とした。まだ中学生とあってこの素直さは訓練でも内容を吸収するにあたってよい方向につながるだろう。

 

「おっ? 隠岐、こんなとこおったんか」

「ん? おお、イコさん。ちょうど向かうところでしたわ」

「イコさん、お疲れ様です」

「なんや。ライも一緒かいな」

 

 すると、曲がり角を曲がったところで生駒と遭遇した。弟子であるライも一緒にいる事に気づくと『ちょうどいい』と手を叩く。

 

「今から水上達と飯行くんや。この前の料理の話も合ったし、良ければ瑠花ちゃんもつれて飯でも——」

 

 行こう、と続けようとして。

 生駒はライの影に控えていた夏目と視線が合った。

 

「あ、どうもっす」

 

 小さく会釈する夏目。その夏目をじっと見て、そしてライへと視線を戻し、

 

この、裏切りもんがああああああああああああああああああああ

 

 喉がはち切れんばかりの怒声をあげた。

 生駒は激怒した。必ずやかの邪知暴虐の王を除かなければならないと決意した。

 生駒にはモテ方がわからぬ。けれども弟子のモテる事に対しては、人一倍に敏感であった。

 

「……念のため聞きますけど、一体何を裏切ったと?」

「もう自分なんて弟子やない! 散々嘘をついて、騙して、裏切って! 自分だけまた新しい女の子に声をかけるなんて!」

「イコさん。それは違います。あなたは勘違いしています」

「何がや?」

「僕は声をかけられた側です」

「なお悪いわ! なんで俺が一緒の時に声をかけられんねん!」

 

 そんな事を言われましても、とライが弁明するが生駒は聞く耳を持たない。

 

「いやいや、イコさん。女の子の前で大人気ないですって。彼女ビックリしとりますよ?」

「なんや。隠岐、お前も共犯かいな。モテない男はそんなに邪魔か?」

「アカン。俺まで共犯扱いなっとるわ」

 

 しまいには仲介に入ろうとした隠岐でさえ敵と見做され、生駒の暴走は止まる気配が見られなかった。

 

「イコ、さん。ひょっとして紅月先輩が言っていた生駒隊長っすか?」

 

 するとここまで静観を決め込んでいた夏目がライの話を思い返し、生駒へと尋ねる。

 女子からの声掛けとあってか、生駒は幾分か気を落ち着かせて夏目に視線を合わせて語り掛けた。

 

「ん? なんや、話聞いとるんか。君、こいつの言う事なんて鵜呑みにしたらあかんで。どうせ俺の事も『ちょっと強い芸人(笑)がいるんだよ』とか言って笑っとったんやろ?」

「僕が今まで一度でもそのような発言をしましたか?」

 

 ライを指さしてありもしない話を展開する生駒。そんなわけないとライが反論するが、その言葉を右から左へと聞き流す。

 

「いえ。『——生駒達人。僕も師事した剣の達人で、抜刀術で右に出るものはいない歴戦の猛者』って言ってましたけど」

 

 その言葉を否定するように、夏目はライが語っていた生駒の評価をそっくりそのまま口にする。

 約三秒。沈黙の時間が流れる。

 

「——その通りや。俺こそが歴戦の猛者や」

 

 すると沈黙を破って、生駒がその評価は正しいと断定した。

 

「ライ。わかっとるやん、自分。ええで。その感じ。その感じで俺を知らん相手にはバンバン師匠の事を語り伝えるんやで?」

「……もう僕は弟子ではないと仰ったはずでは?」

「わかっとらんなあ。そんなん弟子を超える弟子・真弟子にするって事に決まっとるやろ」

「なるほど。よくわかりました」

 

 何一つわからないが、この場は頷いておくのが正解だろう。

 知略に長けた策士は順応性にも長けていた。

 

「まあそういう事や。君も何か俺に教わりたい事とかあったらいつでも」

「あ。イコさん、彼女は狙撃手志望という事なので、残念ながらイコさんが役に立てる事は何もないかと」

「なんでや」

 

 気をよくした生駒は夏目にもライに続くように、と声をかけようとしたものの、ライの指摘に表情が固まる。

 

「どちらかというと隠岐に聞くかもしれませんが」

「せやなあ。俺も訓練の後とかなら時間もあるし」

「おい。ライと隠岐は良くて俺はダメやと? 結局顔か。男は顔なんか!」

「いえ、ポジションです」

 

 至極当然の話なのだが、生駒は都合の悪い話に耳を貸そうとしない。

 ずるい、と子供のように駄々をこねる姿に弟子と部下はため息をこぼした。

 

「でも、なんか俺にできる事とかあるんやないの? たとえば、ほら。的になるとか」

「むしろイコさんはそれで良いんですか?」

 

 それでも必死に何か自分にもないだろうかと、ライ達へ縋りつく。

 しかしまだ夏目が仮入隊という事もあり、基礎を固める時期であるためその願いは却下された。最後まで生駒は抵抗した。

 

 

————

 

 

 こうしてライは瑠花や夏目の世話をしながら日々を過ごして行った。

 

「あれ? 紅月君、今日はどこかお出かけ? クリスマスだし、誰かと出かけるの?」

「そういう予定はないけどね。ただ今日は加古さんの誕生日でもある。加古さんにつかまったら危ないかもしれない。先に誕生日プレゼントは双葉に渡すように伝えておいたから、今日は一日どこかに身を隠す事にするんだ」

「暗殺者に狙われている標的みたいな言い方」

「ですがライ先輩。今年の加古さんはそのライ先輩の行動を予想したのか、ライ先輩がいない間に炒飯をお皿ごと送ってきています」

「何で受け取ったんだ瑠花……」

「双葉ちゃん経由だったので多分ライ先輩は断らないだろうなって」

「舐められたものだな。僕が双葉の頼みとあれば大局を見誤るとでも思っているのか……!」

「見誤りそう」

 

 クリスマスは今年も加古炒飯を堪能し、無事に死亡して。

 

(瑠花の高校受験が成功しますように)

 

 お正月にはお参りをし、瑠花の受験祈願を行って。

 その日は、あっという間にやってきた。

 一月八日、ボーダー隊員正式入隊日。

 

「さて、みんなはどういう経過をたどるかな?」

 

 狙撃手の指導員として呼ばれていたライは狙撃手用訓練場で待機し、新入隊員がやってくるタイミングをじっと待っていた。

 その頃、新入隊員が集まる会場には彼が見知った顔がいくつもあった。

 

「うわー。結構いるなー」

 

 一人は夏目。あれ以降もライ達と共に訓練に励んだ少女だ。

 予想以上の人ごみに冷や汗を浮かべている。

 

「——よし、頑張れよ二人とも」

 

 さらに別用で本部に用があった三雲が付き添いとしてきており、三雲は横に控えている二人へと声をかける。

 

「うん!」

「ああ。いよいよスタートだ!」

 

 その三雲に声をかけられた、雨取、そして空閑。

 玉狛支部に加入した新星二人である。

 雨取はオドオドしながらもしっかり前を見据え。

 空閑は自信満々に腕を鳴らし、始まりの時はまだかと好戦的な笑みを浮かべていた。



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ボーダー入隊編②
鮮烈


 ボーダー隊員入隊式用に装飾が施されたロビーに正式入隊を果たしたC級隊員たちが所狭しと集まる中、壇上に一人の男性が上がり、彼らを一瞥して式辞を述べる。

 

「ボーダー本部長、忍田真史だ。君たちの入隊を心から歓迎する。三門市の、強いては人類の未来は君たちの双肩に掛かっていると言っても過言ではない。それを常に意識し、日々研鑽に励み、正規隊員を目指してほしい。——君たちと共に戦える日を待っている」

 

 手短に、新入隊員たちのやる気を駆り立てるような想いを込めた言葉で締めて、忍田は最後に敬礼した。

 まだ彼らはスタート地点に立っただけだ。ここから忍田が語る、『共に戦う』ことができる正規隊員に昇格できるのは一握りだろう。

 だからこそ今はまだ余計な言葉は不要だった。

 後はボーダーの顔と呼ばれる者達に託すのみ。 

 

「私からは以上だ。この先の説明は嵐山隊に一任する」

 

 忍田の指名を受け、4人の男女が忍田と入れ替わる形で壇上に上がる。

 今までテレビで何度も目にしてきた有名人が勢ぞろいしている光景に、たちまち新入隊員たちから黄色い歓声が上がった。

 

「嵐山隊! テレビに出てた!」

「本物の!」

「わぁーっ。嵐山さん!」

 

 赤いジャージ風の隊服に身を包む嵐山、木虎、佐鳥、時枝。オペレーターである綾辻を除く嵐山隊のメンバーが一列に並んで新入隊員たちの前に立つ。

 名の知れ渡る、容姿も優れた美男美女が至近距離にいるとあって周囲は一気にざわめきだした。

 

「ふむ。さすがの人気だな、アラシヤマ」

 

 そういえば学校の時もすごかったな、と空閑が学校での騒動を思い返して独り言をつぶやく。

 他の隊員が訓練生共通の白い隊服を着こなしている中、彼だけが玉狛のエンブレムが刻まれた黒い隊服に日本人には珍しい白髪、非常に小柄な体形と少しこの場では浮いているような存在。下手すれば彼の方が嵐山隊よりもよっぽど注目を集めそうな姿なのだが、空閑はそこまで意識していないようだった。

 周囲が浮つく中、空閑だけは落ち着き、感心した声をあげる。

 

「あーあー。はしゃいじゃって」

「素人まるだしだな」

 

 いや、彼だけではなかった。

 空閑のすぐ隣に陣取っていた3人の男。嵐山隊に対して空閑とは正反対の印象を抱いているのだろうか、同期が騒ぐ様子を冷たい目で眺めている。

 

「ふむ? なあ、今のってどういう意味?」

 

 何か裏の事情を知っているのだろうか。

 興味本位で空閑が3人組に声をかける。

 

「あっ? なんだこいつ?」

「頭白。外人か?」

「いいよ。教えてやる。無知な人間ほどあっさり踊らされるって話だ」

 

 突然の声掛けに二人が対応に困る中、3人のリーダー的存在のオールバックの少年が空閑の疑問に答えた。

 彼いわく、『嵐山隊は宣伝用の部隊』、『実際は顔で選ばれただけ』、『実力が伴っていないマスコット部隊』という事らしい。

 ボーダーに通じている者ならば誰でも知っている事だと得意げに語る姿からは嘘をついている気配はなく、空閑の視点からも彼の口から黒い煙は見られなかった。

 

「……本気で言ってるのか? ウソではないみたいだが。まさかコウヅキ先輩みたいなタイプか?」

「いや、おそらく違うだろう。無知ゆえに情報に踊らされているとみえる」

「ふむ。そんなとこか。まあ明らかに様子が違うしね」

 

 まさか先日交戦した先輩隊員と同タイプなのかと疑問を抱くが、懐に忍ばせたレプリカの言葉に追従し、無用な心配だろうと警戒を解く。

 空閑が3人組と他愛のないやり取りをしている間にも嵐山隊の説明が続く。

 まずは入隊指導をするにあたって、先に狙撃手組だけが指導員である佐鳥に続き、別の訓練場に移動する段取りになっているとのことだった。

 

「一人で大丈夫か? 千佳」

「うん、ありがとう」

「しっかりな、チカ。また後で会おうぜ」

「うん。遊真くんもね」

「はーい。それじゃあ狙撃手組はこっちねー!」

 

 三雲が彼女を心配する中、空閑の応援を背に受けた雨取が小さく手を振って一足先に会場を後にする。

 他にも狙撃手を希望する隊員たちが佐鳥の後ろに続き、式典会場から去っていった。

 狙撃手希望者全員が移動したことを確認し、嵐山たちは残った攻撃手・銃手希望者たちへと向き直る。

 

「じゃあ改めて。攻撃手組・銃手組を担当する嵐山隊の嵐山准だ。まずは——入隊、おめでとう」

 

 簡潔な挨拶と、歓迎の決まり文句を口にする嵐山。

 その彼と視線があったような気がして三雲は小さく会釈し、空閑も手を振って応えるのだった。

 三雲と空閑は近界民の中学校襲撃時に嵐山隊と直接会話を交えており、嵐山が彼の弟と妹二人を助けてもらった事で恩を抱いている。今は公平な立場で立っているとはいえやはり無視はできなかったのだろう。

 

「先ほど忍田本部長も言っていたように君たちは訓練生だ。防衛任務に就く為にはB級に昇格し、正隊員にならなければならない。ではどうすれば正隊員になれるのかを先に説明しよう。皆、自分の左手の甲を見てくれ」

 

 嵐山に促され、新入隊員が一斉に自分の左手へと視線を落とす。

 そこには4桁の数字が刻まれていた。

 この数字が今起動している戦闘用トリガーをどれだけ使いこなしているかを数値化したものだと嵐山は語る。多くの人間は1000ポイントからのスタートであり、この数字を4000まで上げる事がB級すなわち正隊員昇格の条件であると。

 

「仮入隊の間に高い素質を認められたものはすでにポイントが上乗せされている。それが即戦力としての期待だと受け取ってもらって構わない。その心構えで励んでくれ」

 

 そう嵐山が続けると、先ほど空閑が話しかけた3人組が数字を見せつけるように左の手の甲を体の前にかざし、得意げに笑う。

 皆彼らの方へ振り返り、そしてその数値にざわついた。

 リーダー風のオールバックの男が2200、そばかすの男が1900、ニット帽をかぶった目つきの悪い男が2100の数字であった。

 空閑もまだポイントが1000であり、スタート時からすでにほぼ二倍もの得点が離されているという状況という事だ。だから先ほども得意げだったのかと空閑は納得の表情をうかべる。

 

「このポイントをあげる方法は二つある。週二回の合同訓練で良い結果を残すか、ランク戦でポイントを奪い合うかだ。まずは君たちには訓練から体験してもらう。ついてきてくれ」

 

 ようやく隊員たちが落ち着いた頃を見計らって嵐山が説明がそう続け、先導すべく会場を後にする。

 彼の後ろに続いて残った新入隊員たちも訓練場へと向かうのだった。

 

「いよいよ正式訓練か。ようやくだな、リーダー!」

「待ちに待った俺達のデビューだ」

「ああ。弱者たちに見せつけてやるとしよう。強者の戦いというものをな」

 

 早くも来る戦いに心を躍らせる3人組。

 しかし、彼らは知らない。

 この新入隊員の中に、数々の歴戦を潜り抜けてきた本当の強者がいるという事実を。

 

 

 

————

 

 

「さあ、狙撃手志望の諸君。ここがオレたちの訓練場だ」

 

 場所が変わって、狙撃手訓練場。

 部屋に辿り着いた新入隊員たちを、佐鳥が手を広げて出迎えた。

 

「広い……!」

「これが本当に建物の中なのか!?」

 

 10フロアをぶち抜いて作られた部屋は奥行きが360メートルもあり、屋内とは思えない部屋の大きさに皆驚きを隠せない。

 

「やっぱいつ来ても広いなー。……あっ!」

 

 ただ一人、感心した声でつぶやいたのは夏目だ。

 あちこちを見回して、さらに佐鳥の後ろに控えている指導役の正隊員である東、荒船、そしてライの姿を見つけ、小さく会釈する。

 ライも彼女の反応に気づいて軽く笑いかけるのだった。

 

(緊張はしてなさそうだな。今日は訓練といっても練習で終わるとの事だし。むしろ、気になるのは……)

 

 夏目がいつもの調子であることに安堵したライは他の新入隊員たちへを視線を移す。

 彼女を含め、新入隊員は合計8名いた。その中には、夏目以外にもライが見覚えのある姿もあった。

 

「まずは訓練の流れ、そして狙撃手用トリガーの種類をしってもらうよ。えー、今期の狙撃手志望者は1,2,3……7人か」

「佐鳥、違うよ」

「えっ?」

 

 指導する相手を順に数えていく佐鳥だが、一人足りない。

 見落としに気づいたライが即座に警告すると、ライの指摘の直後、夏目のほぼ真後ろから一際小さな手がおそるおそる上げられる。

 

「あ、あの。すみません。8人です」

「うおっ! ホントだ! ゴメン、オレが女の子を見逃すなんて! ゴメン、マジでゴメン! 8人ね!」

 

 挙手したのは雨取だった。

 小学生と見誤ってしまうほど小柄な体が夏目達の影に隠れて見えなかったのだろう。

 雨取がおずおずと前に出ると、佐鳥が何度も謝罪の言葉を繰り返す。

 

「さすがライ。女の子となると見逃さねえな、お前は」

「イコさんみたいな言い方はやめてくれよ、荒船。資料で確認を済ませていただけだ。それより——東さん」

「ん? どうした?」

 

 小声で茶化してくる荒船を軽くあしらい、ライは東へと声をかける。

 

「あの小さな女の子、何か話を聞いていますか?」

「いいや。俺の方には何も話は来ていないが。何かあるのか?」

「……いえ。それなら構いません」

 

 東にさえ何も事情が伝わっていないという事ならば、迅がサプライズとして雨取の情報を本部に隠していたのだろう。

 ライは旧弓手街駅で見た彼女のトリオン量を思い出した。

 あれほど巨大なトリオンキューブは見た事がない。多くのボーダー隊員としのぎを削ったライでさえ経験のないものであった。あの射手の王・二宮でさえも凌駕するだろう。

 

(一応心配で指導員に参加してみたが、東さんが知らないならば大きな問題はないな。まあ、最低限の警戒だけはしておくか)

 

 もしもあのトリオン量が訓練で暴発したり基地を破壊するようならば一大事だが、そんな未来がありうるならば迅が前もって東、最低でも佐鳥たちに警告しているはず。

 とりあえず注意しておくことに越したことはないだろうと、ライは今一度新入隊員たちへ視線を戻すのだった。

 

「——よし。じゃあ早速正隊員の指示に従って、各自訓練を始めよう!」

「はい。それじゃあ一人ずつレーンに入ってくれ。どこでも好きな場所で構わない」

 

 一通り説明を終え、佐鳥の声を合図に訓練が始まる。

 ライも彼の言葉を引き継いで新入隊員たちへ移動を促し、その指示に従って皆移動を開始した。

 各々が狙撃手の基本的トリガー、イーグレットで早速練習を試みる。

 慣れぬ狙撃とあって多くの者は狙いが定まらない中、早くも的の枠内を撃ち抜いていく者もいた。

 

「うん。良い調子だ」

「あっ。どもっす!」

 

 その一人が夏目だった。ライが小さな声で語り掛けると、夏目が人懐っこい笑みを浮かべる。

 

「今はあくまでも体験という名目になっている。気負わずに、当真やユズル達が教えてくれたことを思い出しながら続けてくれ」

「——了解!」

 

 指導してくれた隊員の名前を耳にし、夏目の表情が引き締まった。

 今一度引き金を引くと、銃は的の中央からわずかに逸れた位置を貫いた。

 順調の結果と言えるだろう。

 彼女は問題ない。そう判断してライは視線をさらに奥、雨取の方へと向ける。

 雨取も一発目で枠内を捉えていた。見事な腕と言えるだろう。

 しかし一発目を撃ち終えた雨取は何かを探るように視線を右往左往している。

 何か不都合があったのか。ライは声をかけようか迷ったが、彼よりも先に雨取が近くで控えていた東を呼び止めた。

 

「あの……」

「うん? どうした?」

「撃った後、走らなくて良いんですか?」

 

 彼女の疑問に、東、ライ、佐鳥、荒船と教官役の4人が目を見張る。

 他の訓練生たちは意味が分からず懐疑的な表情を浮かべていたが、正隊員たちは皆、彼女がそこまで意識しているのかと、感心していた。

 

「えーと。今は走らなくて良いんだよ」

「あっ。そうなんですか、すみません」

 

 東が優しい声で諭すと、雨取はすぐに頭を下げる。

 すると二人のやり取りを見ていた訓練生たちの間で「当たり前だろう」と笑い声が飛び交った。

 

「狙撃手は走んないでしょ。隠れて撃つのが仕事なんだから」

「えへへ……」

 

 夏目もその一人だった。

 彼女の指摘を雨取は笑ってごまかしている。

 だが、狙撃手の意識としては雨取の発言は正しいものだった。

 

(今日の訓練が終わったら後で教えておかなきゃな)

 

 彼女らの受け答えを見守っていたライは訓練の後を考えて小さく息を吐いた。

 彼は仮入隊の期間、夏目に狙撃の術に関して指導はしてきたが狙撃手としての指導はしてこなかった。

 基本的に狙撃手は近接戦闘に向いていない為位置を知られると大きく不利になる。相手の接近を防ぐことを目的に数発ごとに狙撃地点を変える即時離脱が基本的な立ち回りだ。だからこそ雨取の話の通り、撃った後はすぐに走る。

 本来はB級に上がってから、正隊員となってから教える事であるためにライもセオリー通り教育はしなかったのだが。

 折角知る機会を得たのだから、これを逃す手はない。些細な出来事を記憶に刻む事で強く意識するだろう。

 

(同期がすでにここまで意識しているとなれば意欲にもつながるはずだ。……しかし。雨取千佳。彼女の師匠はすでにB級にあがると確信しているという事になる。玉狛支部で狙撃手の指導ができるとなれば、レイジさんか)

 

 同時に彼女の師匠であると予想される木崎の顔を思い浮かべ、ライは小さく笑った。

 奇しくもボーダーで二人しかいない完璧万能手が教えを施す狙撃手二人が同期入隊を果たしたというわけだ。しかも同年代の女の子。互いに競い、切磋琢磨するだろう。

 

「それじゃあ、次は狙撃手用トリガーの紹介をするね」

 

 一通り皆が狙撃を体験し終えたタイミングで佐鳥が説明を再開する。

 新入隊員たちも体験した万能タイプのイーグレット、弾速特化型のライトニング、威力特化のアイビス。

 それぞれ起動した現物を全員に提示した。

 

「こっちも、そうだな。女の子二人に試し打ちしてもらおっか」

「あっ」

 

 さらにアイビスの威力をわかりやすく体験してもらおうと、佐鳥が雨取と夏目、二人を指名する。

 だが雨取のトリオン量で大型トリオン兵用のアイビスを使うのは危険だ。下手すれば本当に基地が破壊されかねない。

 これはマズいと、ライは制止を呼びかけようとして、だがライはその言葉を飲み込んだ。

 

「どうした?」

「いや、なんでもない」

 

 ライの様子を不審に思った荒船が尋ねるも、ライは曖昧に言葉を濁す。

 

(通常の任務や訓練では彼女と関りがない僕が口を出すのはマズい。実際見た方が東さんたちも納得するだろうし、ここは見守るとしよう。——彼女の力を試すチャンスでもある)

 

 ライが雨取のトリオン量を知るきっかけになったのは、旧弓手街駅での戦闘だ。

 当然だが内密の任務で知った事であるため、あまり口外して良い話ではない。下手に説明して雨取の方が口を滑らせてしまう恐れもある。

 何より実際の威力を東たちに、夏目たちにも見てもらった方がよいだろう。その方が強く印象に残ることとなる。

 ライにとっても彼女のトリオン量を推し量る良い機会だ。

 

「荒船。ここを少し頼む」

「ん? 構わないが」

 

 万が一に備え、ライはその場を荒船に預けて訓練場の側面へと移動した。

 

「じゃ、君からね。アイビスであの大型近界民の的を狙ってみよう」

「わかりました」

「よーし。構えて。3、2、1。……発射!」

 

 佐鳥の声に従い、雨取がアイビスを構え、狙いを定める。

 カウントが迫る中、照準はそのままに、ゆっくりと引き金に添える指に力をかけて。

 引き抜いたと同時に、爆音が室内にとどろいた。

 

「なっ!?」

「えっ!?」

 

 爆弾が爆発したような轟音。

 けた違いな威力が衝撃波を生み、周囲へと伝達していく。

 近くにいた佐鳥が思わずたじろき、後方に控えていた新入隊員たちが後ろずさり。

 東や荒船も予想外の衝撃に目を見開いた。

 

「——エスクード!」

 

 ただ一人、嫌な想定をしていたライだけは動揺しなかった。

 爆音からこの後に起きる事態を察し、備えとして的の真後ろにエスクードを素早く展開する。

 すると持ち主の声に従って巨大な壁が地面からせり上がった。

 一枚、二枚、三枚とアイビスが的に直撃する寸前でかろうじて防御壁が完成する。

 あらゆる攻撃を無効化する強固な壁。これまでも多くのボーダー隊員たちの攻撃を防ぎ切ったものだ。

 その3枚の盾を、的を射抜いた銃弾はいとも簡単に打ち砕き、さらに勢いそのままにボーダー基地の外壁をも撃ち抜いていった。

 

「…………」

「…………」

 

 銃弾が空に消えていく。

 爆音が鳴りやんだ室内は静寂に支配され、驚きのあまり誰も身動き一つ取れなかった。

 皆が言葉を失う中、この原因の主は壊れた機械のようにギシギシと聞こえてきそうな程ゆっくりと後ろに振り返り。

 

「その……ご、ごめんなさい……」

 

 青ざめた表情で、謝罪するのだった。




祝、100話到達!
そのおめでたい話でチカの基地破壊という衝撃っぷり。……やっぱり威力おかしい。
到達記念に何か催しをしようと思います。Twitterで意見を聞いたりするかも。
改めてこれからもよろしくお願いします!


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発端

 狙撃手志望者たちが雨取の砲撃によって激しい衝撃を覚えていたころ。

 攻撃手・銃手組の間でも大きな騒動が起きていた。

 

「なっ。なんだこいつ!? マジか!」

「これは、驚きですね……!」

 

 訓練を個室で観戦していた諏訪や堤がその光景に目を奪われ、言葉を失う。

 新入隊員が行う事が恒例となっている近界民戦闘訓練。大型近界民を相手に如何に戦えるか、どれだけ早い時間で倒しきれるかを試される試験である。

 一分切れれば優秀とされる試験。歴代のクリア記録を見ても黒江の11秒、木虎の9秒、緑川の4秒など、現ボーダーの主力とされる秀才たちも倒しきるには数秒は要する試験であった。

 

「0.6秒でクリア……!? 歴代最速のタイムだ!」

 

 その試験を空閑はわずか0.6秒と一秒すらかける事無く近界民を地に沈めた。

 

「こんなもんか」

 

 当の本人は飄々とした態度で余裕を崩さない。

 突如として現れた新星に誰もが目を疑った。

 

「そういう事だったのね……」

 

 ただひとり、木虎だけは他の隊員たちとは異なり、空閑の実力に納得する。

 彼女はかつてイレギュラー門が発生した際に空閑と遭遇していた。

 中学校の襲撃、彼女は三雲以外の第三者の介入によって近界民が撃破されたのではないかと疑っていた。

 そしてその事件の際、常に三雲の傍に控え、常人とは思えない雰囲気を醸し出していた異質な存在が空閑であった。

 

「三雲くん。あなたの学校を襲った近界民を撃退したのはあなたじゃなく、彼ね? そうでしょう?」

 

 木虎は確信をもって、彼女の隣で訓練を見守っていた三雲に問う。鋭い視線は嘘は許さないと雄弁に語っていた。

 すでに空閑の正体が近界民であるということはボーダー本部にばれている。ならばこれ以上は隠す必要はないか、そう考えに至った三雲は観念し、小さく息を吐いた。

 

「ああ。そうだよ」

「やっぱり! そういうことだと思っていたわ! 三雲くんひとりであんなことできるはずないと思っていたもの!」

「……そうか」

 

 なぜか得意げに語る木虎に三雲は相槌をうつに留まる。

 負けん気が強い彼女にとって、同年齢である三雲という実力を計りかねる存在は不気味に思えていたようだ。

 

「――訓練はどんなかんじだ? 修」

「あっ」

「か、烏丸先輩! お、お疲れ様です!」

「おう」

 

 すると、突如彼女たちの後ろの廊下から声がかかる。

 声の主は玉狛支部の隊員、烏丸であった。

 木虎にとっては憧れを、好意を抱いている男性である。突然の来訪に彼女は頬を赤らめ、平常心を保とうと必死に声を振り絞った。

 

「空閑がかなり目立っていますけど、それ以外は順調ですね」

「そうか。まあそこは予想通りだな。……今回も嵐山隊は入隊指導を受け持って大変だな。よくこなしているよ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 空閑が注目の的になるであろうことは玉狛支部の人員は予想していた事。三雲の報告に納得し、そしてそんな突然の即戦力の登場という事態にも滞りなく進行を進める嵐山隊の姿に烏丸は感心した。

 彼の言葉を素直に受け取り、さらに木虎はここぞとばかりに烏丸に提案する。

 

「あの、よろしければまた稽古をつけてもらえませんか? 最近は烏丸先輩と本部で会う機会も限られていますし」

「お前はもう十分強いだろ。教える事なんてないよ」

「そんな。まだまだですよ」

 

 木虎はすでにA級部隊のエースだ。力は十分すぎるほどにある。

 だからそれは無用だろうと烏丸は指摘するが、この機会は逃したくないと木虎は続けて言う。

 どうしたものか、と烏丸は悩んだが。

 

「……そういえば、お前は修と同い年だよな?」

「はい、そうですが?」

「なら丁度良い。お前もこいつに色々教えてやってくれ。俺の弟子なんだよ」

「はっ!? ……弟子!? 三雲くんが、烏丸先輩の、ですか!?」

「ああ、そうだ」

 

 烏丸が提案すると、木虎は衝撃のあまりその場で硬直した。

 弟子、つまり一対一で訓練し、指導するという親密な関係。

 しかも玉狛支部となれば本部よりも人が少ない分、より接する時間が増えるだろう。

 

(う、羨ましい……!)

 

 三雲の恵まれた環境を知り、木虎は羨望の気持ちを抑えきれなかった。

 

「お前にとってもそう悪くない話だと思うぞ。村上先輩もこいつにレイガストの基礎を叩きこんでくれたから、今後弟子を取るとしたら村上先輩と指導方針について語れると思うし」

「えっ!? 村上先輩からも教えを!?」

 

 さらに続けられた説明に木虎が目を丸くする。

 村上、すなわち村上鋼。木虎にとってはまた特別な意味を持つ人物の名前である。

 

「ああ、そうなんだ。――木虎もやっぱり村上先輩の事は知っているか」

 

 今や攻撃手No.4と言われる実力者、それが村上だ。

 ボーダー隊員ならば当然知っているだろうと、三雲は特に深い意味もなく呟いたのだが。

 

「まあ木虎の場合はちょっと特別だからな」

「えっ?」

「木虎と村上先輩は同期入隊なんだよ」

「そうなんですか!?」

「……そうよ」

 

 三雲の声に小さく頷く木虎。

 木虎がA級で村上がB級であるとはいえ、木虎は決して彼を過小評価していない。

 それどころか瞬く間に攻撃手として、個人で頭角を現した村上は彼女にとっては非常に大きな存在なのだ。

 

「そう。村上先輩も、か」

 

 木虎は誰に向けるでもなく、小さな声で呟いた。

 

 

――――

 

 

 同時刻、ある部隊の作戦室に二人の男女が机を挟んで話し合っていた。

 

「お、お久しぶりです。――二宮さん」

 

 その部屋・二宮隊の作戦室の主に、かつては自分も一員だった少女、鳩原は恐る恐る口を開く。

 

「そうだな。紅月がいなければ滅多なことでもない限り一人では訪れようともしなかったお前が、こうしてあいつがいない時に来るのは珍しい」

「えっと。その、やはり居心地が悪いというか、申し訳ないというか」

 

 彼女が作り笑いを浮かべる中、対面に座る男性・二宮は淡々と事実を述べた。

 一切の配慮が感じられない厳しい声を前に鳩原はいたたまれず頬をかく。

 やはり訪れるべきではなかったか、せめて他に誰かいて欲しかったと来て早々に後悔が彼女の頭の中に浮かび上がった。

 

「前口上はいらん。お前が一人で来たという事は、やはり何か目的があっての事だろう?」

 

 鳩原が言葉に詰まる中、二宮が先んじて彼女の要件を問う。

 無駄をあまり好まない二宮の性格に由来する言葉だが、今はそれが少しばかり嬉しく思う。

 

「はい。本当は、紅月くんから『今日はあまり外出しないように』って言われてて。それに今日は頼まれたわけでもないのに紅月くんの方から訓練の指導に参加するって聞いて。それで何かあったのかなって思って調べて分かったんですけど」

「なんだ?」

「……今日入隊する狙撃手の一覧に、気になる名前を見つけて」

 

 二宮に促され、鳩原は『これです』と一言添えて端末を机の上に差しだした。

 その端末を手に取り、入隊者一覧の項目に目を通す二宮。

 やがて普段は目にしない狙撃手の項目の中に見覚えのある名前を目にし、二宮はその場から立ち上がった。

 

「……わかった。鳩原、お前は紅月の指示通り待機しておけ」

「えっ? 二宮さんは?」

 

 端末を鳩原に返し、二宮は彼女に短い指示を出して話を終えようとする。

 一体自分はどうするつもりなのか。鳩原が問いかけると、

 

「確認する事ができた」

 

 二宮はそう告げて、作戦室を後にしたのだった。

 

 

―――― 

 

 

「――なるほどな。面白い」

 

 訓練生たちに加え嵐山隊や諏訪など多くの達員たちが空閑という逸材に皆注目する中、他にもこの一連の光景を観覧席で目撃していた者がいた。

 その一人が風間である。

 歌川、菊地原の同部隊の二人と共に訓練の様子を観察していた彼が、沈黙を破ってゆっくりと訓練場へと降りていく。

 

「風間さん。来ていたんですか」

「ああ。訓練室を一つ貸せ、嵐山。迅の後輩の実力をこの手で確認する」

「待ってください! 彼はまだ訓練生で、トリガーだって……」

「俺は構わないよ」

 

 突然の風間の申し出。

 手合わせをしたいと言っても空閑は入隊式を今日迎えた身でありまだ訓練生だ。トリガーも訓練用でスコーピオンを一つセットしているだけ。

 とても勝負にはならないだろうと嵐山が間に割って入る。

 なんとか止めようと試みるが、当の空閑はやる気満々で風間の提案を受けようと譲らない。

 

「いいや。お前じゃない。――三雲修。お前だ。お前の実力を確かめたい」

 

 だが、風間は視線を空閑から三雲へと移して改めて告げた。

 訓練生ではなく、正規隊員に昇格したお前ならば問題ないだろうと、重ねて誘う。

 

「受けなければならないという規則はないぞ、三雲くん」

「模擬戦は互いの合意がなければできない。お前がやりたくないなら今断っておけ」

 

 嵐山と烏丸は三雲の身を案じ、拒否も手であると助言した。

 風間はA級3位の部隊を率いる隊長。個人でも攻撃手2位の地位に立つ実力者だ。

 とても今の自分が太刀打ちできるような相手ではない。

 それは三雲もよくわかっていた。

 

(――でも、遠征部隊に選ばれるためには、いずれは超えなければならない相手だ)

 

 だが、いつかはこの強さとも向き合わなければならない時がくる。

 ならば今のうちにその強さを知っておきたい。

 確固たる目的が、三雲を挑戦への道へ背中を推し進めた。

 

「わかりました、受けます。よろしくお願いします、風間先輩」

 

 背筋を伸ばし、はっきりとした声で三雲が風間に肯定の返答をする。

 この答えに烏丸や嵐山はもちろん、空閑も含めたこの場を見守る隊員たちが皆揃って感嘆した。

 

「――はいはい、訓練が終わった人は先にラウンジに戻って休憩するよ」

 

 新入隊員たちが珍しい対戦を前にどよめく姿を目にし、時枝がいち早く指示を飛ばした。

 強敵との模擬戦を見世物にする必要はない。彼の細かい気配りに三雲は小さく頭を下げた。

 

「修。わかっていると思うが」

「はい。僕が勝てる相手ではない、そうですよね」

「わかっているなら良い。無理はするな」

「はい!」

 

 烏丸が最後に確認を済ませると、弟子の肩を叩いて送り出した。

 強さを測り違えているわけでないならばそれでいい。

 決して三雲が無謀で挑んでいないのならば意味はあるだろうと。

 こうして風間と三雲の模擬戦が始まろうとしていた。

 

 

――――

 

 

『模擬戦、開始』

 

 始まりの合図と共に、風間の両手にはスコーピオンが、三雲の左手にレイガストの盾が展開される。

 初めて会敵する敵の様子を三雲はじっと観察する。

 

(スコーピオンか)

 

 軽量で自在に変形する事が出来るという攻撃手用の武器、スコーピオン。軽い説明は玉狛支部で空閑と共に受けている。

 ただ、知識として知っていても経験は非常に薄い。

 訓練生時代は弧月を使う攻撃手が多かったし、玉狛支部でもスコーピオンを操る隊員はいなかった。空閑という例外はいるが、彼はここ数日は小南と付きっきりの訓練に励んでいた為に手合わせする機会がなかった。

 自分よりもずっと小柄な体格の風間が、軽いスコーピオンを二つ持つ、二刀流の構え。武器の特徴から考えて手数を武器に相手を翻弄するスピード重視の相手であろう。

 ならばまずは相手の動きに慣れ、見極める事がポイントだ。

 距離を取りつつ射撃で応戦しようと、三雲は右手にトリオンキューブを展開した。

 

「なるほど。レイガストを盾として使う、防御寄りの射手か」

 

 そんな三雲の心の内を見抜いたかのように、風間の静かな声が三雲の耳を打つ。

 直後、その声が言い終わるのと同時に風間の姿がうっすらと空間に溶け込むように消失した。

 

「消えっ……!?」

 

 三雲が驚く間に戦況は動く。

 その場から消えたと思われた風間の姿が三雲の真横から突如出現。

 彼の胸元に刃を突き立てた。

 

「なっ!」

『トリオン供給器官破壊。三雲ダウン』

 

 的確に急所を狙った攻撃は一撃で三雲を戦闘不能に追い込んだ。

 成すすべなくあっさりと攻撃を食らい、機械音が風間の一勝目を告げる。

 速い事はもちろん、今の攻撃の脅威はそれだけではない。

 

(カメレオン……!)

 

 見たことがある(・・・・・・・)トリガーの正体に三雲も気づいていた。

 隠密トリガー・カメレオン。

 他のトリガーを一切使用できなくなる代わりに、トリオン体を透明化し、敵から視認出来なくするというオプショントリガーだ。

 そのカメレオンを使い、音もなく高速で接近し、一撃で仕留めるという暗殺者のようなスタイル。初見では反応する事さえできなかった。

 

(大丈夫だ、落ち着け)

 

 模擬戦用に設定された訓練室であるため、修のトリオン体が即座に回復する。

 態勢を立て直しながら、修は動揺を抑えようと必死に自分に言い聞かせた。

 

「立て三雲。まだほんの小手調べだ」

 

 対する風間は淡々と表情一つ変えず、冷たい口調でそう語った。

 

「わかっています……!」

 

 息つく間もない、そんなことは言われるまでもないと三雲も己を鼓舞する。

 三雲が立て直したことを見届けて、再び風間はカメレオンを起動。彼の姿が三雲の視界から消えた。

 

(消えたけど、カメレオンはただ見えていないだけだ。そしてカメレオンを使っている間は他のトリガーを使えない!)

 

 かつて村上との個人訓練中に並行して目にしたランク戦の映像(ログ)と、その時の対処法を思い返す。

 カメレオンは無敵なわけではない。カメレオンを使っている間は他のトリガーを使えず、攻撃・防御いずれかに切り替えるためには一度カメレオンを解除する必要がある。

 

「アステロイド!」

 

 三雲の武器はレイガストだけではない。

 右手にトリオンキューブを展開、即座に分割し、前方――先ほど風間がいた地点にめがけて撃ちだした。

 威力が低い代わりに弾速に振り切った射撃。ダメージを与えるのではなく、風間の位置を特定するために、シールドを使う事を強制させることを目的として打ち出された弾丸は。

 しかし、標的を捉える事無く、空を切った。

 

「正解だが」

 

 攻撃直後、無防備となった三雲の背後から風間の声が響く。

 

「その程度の攻撃は読んでいる」

「ッ」

 

 レイガストを旋回させる間もなく、風間の刃が三雲の首を貫いた。

 

「伝達系切断。三雲ダウン」

 

 あっという間に二戦目の決着がつく。

 まさに一撃必殺。相手に反撃の隙さえ与えない高速の斬撃。

 手も足も出ない猛攻を前に、三雲は歯を食いしばった。

 

「三雲ダウン」

 

 三本目、真横から胴体を横一文字に切り裂かれた。

 

「三雲ダウン」

 

 四本目、背後に回られ、胴体を斜めに切り落とされた。

 

「三雲ダウン」

 

 五本目、やはり背後からスコーピオンを一突きされた。

 あまりにもあっさりと、傷一つ負わせることができないまま風間の蹂躙が続く。

 

(……この程度か?)

 

 三雲が何も出来ないまま撃破される様に、風間は気落ちした。

 レイガストの担い手は珍しいが、それ以外は特徴がない、正規隊員としては下のレベルであろう実力。

 迅が黒トリガーを手放してまで守ろうとした後輩だ。必ずや何か見どころがあるのだろうと、そう期待していたのだが。

 こんなにもあっけないものなのかと、風間は三雲に対する期待をほとんど失いかけていた。

 

「――なるほど。わかりました」

 

 その時。

 三雲が膝に手をついたまま、口を開いた。

 顔がうつむいているために表情はうかがえない。

 しかし。

 

「ようやくわかりました。風間さんのカメレオン、その対策が」

「……ほう」

 

 続けられた言葉に、風間の眉がピクリと揺れる。

 三雲が顔をあげるとその表情には笑みが浮かんでいた。

 

(ハッタリか? それとも本当に何か手が浮かんだのか)

 

 それが虚言なのか真実なのか風間には読み取れない。だが少なくとも彼はカメレオンという風間の武器を知ったうえで語っている。カメレオンが一時流行し、そして廃れていって時は経つ。そのためカメレオンについて知らない者もいるが、彼は無知なわけではない。

 ならばそれを知ったうえでどうするというのか。

 三雲修という人物が期待に応えられる人間なのか見てみたい。そんな思いが再びよみがえった。

 

「ならばやってみると良い。答え合わせと行こうか」

「はい。お願いします」

 

 つられるように風間も小さく笑って、再び姿を消す。

 三雲は小さく息を吐いて呼吸を整えると、

 

「――行きますよ、村上先輩、烏丸先輩、紅月先輩」

 

 彼は己が教えを受け、影響された先輩隊員たちの名を挙げ、その姿を脳裏に思い浮かべた。



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