IS-大空の行軍歌- (望夢)
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IS学園入学篇

以前よりもGPM成分を濃い目にして書き直してみました。


 

 女子校。女の園。時として物語の舞台となる秘密の花園。男子禁制の世界。

 

 その場所に、男である自分は居た。

 

 女性にしか扱えないマルチフォームスーツ。

 

 10年前に起こった白騎士事件によって注目された宇宙空間での活動を想定したパワード・スーツ。

 

 正式名称はインフィニット・ストラトス。

 

 無限の成層圏という名前を縮めてISと呼ばれている。

 

 というのが一般的なISの説明になる。

 

 だがこのISは何故か女性にしか動かせない。

 

 そのため、ISが世に現れて10年で世界には女尊男卑という風潮が渦巻き、男には生き難い世界へと変わってしまった。男よりも女の権利が強い世界。

 

 それこそ就職に至っても女性であるから優遇される世界になっていたりする。

 

 ネットの掲示板を漁ればそんな社会に涙を呑むしかない男の悲しい現実が犇めいている。

 

 しかしそんな世界を揺るがす事態が発生した。

 

 女性にしか動かせないISをひとりの男の子が動かしたのだ。

 

 それによって世界中の男たちはお祭り騒ぎだ。

 

 そして世界中で男に対するIS適性検査が一斉に行われた。

 

 女尊男卑とはいえ、たかだが10年程度の歴史で何千年も男が回していた世界が崩れるわけでもなく、世の中を回しているのはやはり男の力が強いということなのだろう。

 

 そのニュースを居間で母親と共に僕は見つめていた。

 

「母さん…」

 

「ん? どうかしたの?」

 

 僕は母に向けて言葉を紡いだ。

 

 ISが何故女性にしか動かせないかの真相は未だに不明だ。寧ろ不明のままの方が、今までは女性にしか動かせないISの存在を盾に我が物顔を通していた人間には都合が良い。

 

 ただ、男でISが動かせるなんて特例が他にも居たことを。そして、そんな特例が普通の男の子なのかと気になってしまうのは自分の出生故だろう。

 

 そんな普通とは違う生まれを持つ自分は、ISを動かした彼の事が気になってしまった。

 

「それが自分で考えたことなら、僕はなにも言わないよ」

 

 自分勝手な息子だとも思う。今までなんの為に人目に触れない生活を送って来たのだろうか。

 

 ただ、彼一人にこの事実を背負わせてしまって良いものかとも思ってしまう。

 

 奇しくもそのISを動かした男の子の名は「織斑(おりむら)」と言うらしい。

 

 自らの出生に関わる名を持ち、そんな特例ともなれば、あの悪夢の様な行いが何処かで続いていたのではないかとも思ってしまう。

 

 それを確かめる為にも、僕は彼に会う必要があった。

 

 そしてその方法は、今の世の中ならば簡単であった。

 

 今世間は二人目の男性IS操縦者が居ないものかと血眼になって草の根を分けて探している。

 

 IS適性検査を受ければ、会場が静寂に包まれ、誰かが息を呑む音さえ聞こえるほど静まり返った。

 

 その場で身柄を確保されてあれよあれよという内に、世界唯一のIS関連技術の専門育成機関であるIS学園に放り込まれる事になった。

 

「速水くーん、速水くーん!」

 

「あ、は、はい…」

 

「ごめんなさい速水くん。自己紹介をお願いします」

 

 目の前にドアップで写り込んだ、眼鏡を掛けた童顔の女性の言葉を耳にして現実に立ち返り、座っていた席から立ち上がる。

 

「あー、……えっと」

 

 正直自分がここにいるのが場違いの様な感じで居心地が悪かった。右も左も年下の女の子しか居ない。もちろん前と後ろもだ。

 

 教卓の前も可哀想だけれど、教室のど真ん中もかなり辛い。

 

 四方八方、360度を囲まれ注目されるなんて人生でそうはない事だ。

 

速水(はやみ) 厚一(こういち)です。趣味は料理です。3年間よろしくね?」

 

 しかし黙ったままでは埒があかないので、意を決して名を名乗る。

 

 なるべくフレンドリーな感じで笑顔を浮かべながら言ってみたものの、果たしてそれで正解だったかはわからない。

 

「なんかフツーの人?」

 

「じみっぽーい」

 

「そうかなぁ。顔は綺麗な人だと思うけど」

 

「優しそうな人でよかったぁ」

 

「優しそうっていうか、なよっとしてる?」

 

「織斑君の方が優しそうじゃない?」

 

 恥ずかしさが込み上げてきてスッと席についた。最初の彼の時のような女子の超音波攻撃は放たれることはなかったので良かった、と思う。こんな大勢の人間と関わった事がないから何が正解なのかわからない。

 

 織斑一夏に引き続き見つかった男性適正者。

 

 普通の一般家庭で育った16歳の少年。垢抜けしていない童顔を持つ速水厚一は、生まれてはじめて学生服というものに袖を通していた。

 

 ここまで来るのにはとても慌ただしい毎日だった。

 

 市の役所で行われた簡易適性検査をパスし、実物のISを装着し、動かせた時点で周囲を数機のISに囲まれて銃を向けられて拘束。

 

 そしてISと関わるか否かと突きつけられたが、断ったらどうなるかなんて口で言わなくても察せられる程の重圧を浴びせられた。

 

 せめて人間らしく扱って欲しいと嘆願して今に到る。

 

 断ったらそれこそ人権を無視されるようなことをされるかもしれないと思うとゾッとする。それこそ身体の至る部分まで解剖されてホルマリン漬けにされても不思議ではなかったかもしれない。

 

 だからといって安心して胡座を掻けるわけでもない。

 

 ここはIS学園。学校であり、義務教育の場ではない。

 

 なにがなんでも、机に齧りついてでも勉強に付いていかなければならない。でなければ、学ぶ必要もなしとされてモルモット扱いで一生日の光を見れないかもしれない。

 

 考えすぎだと思われるかもしれないけれども、今現在ISを動かせるのは自分と織斑一夏少年しか居ない。

 

 どちらも日本人だ。

 

 そして織斑一夏は織斑千冬先生を千冬姉ぇと呼び、姉弟の関係だと先程の彼の自己紹介の時に知れ渡った。

 

 織斑千冬の名は、ISで行う特殊競技大会。簡単に言ってしまえばISのオリンピックの様なもので、初代ブリュンヒルデの名を獲得した女傑だ。

 

 そんな実績を持つ逸材の弟。周囲の期待が目に見えるようだ。故に二人目の自分はおちおち止まったり躓いたりする事は出来ない。

 

 なにしろ自分はそういう後ろ楯がなにもないからだ。

 

 彼に比べれば自分はただの一般人でしかない。

 

 実績もこれから作っていかなくてはならない。自分の身は、自分で守って行かなければならなかった。

 

 1時限目の自己紹介のあとは普通に授業だった。

 

 分厚い参考書。電話帳かと思ってしまいそうなそれは事前に読んでおくようにと渡された。

 

 それを寝る間も惜しんで1度は目を通した。

 

 そこにさらに別に教科書がある。

 

「――であるからして。ISの基本的な運用は現時点で国家の認証が必要であり、枠内を逸脱したIS運用をした場合は刑法によって罰せられ――」

 

 教科書の内容を読み進めていく副担任の山田(やまだ) 真耶(まや)先生。

 

 童顔な顔つきは生徒として混ざっていても通用しそうな幼さを感じさせるが、確りと教鞭を振るっている姿はまさに教師だった。

 

 参考書は読んだ上に、ISという存在は自分とは切っても切れない存在だった。

 

 そうして前以て持ち合わせていた知識と、参考書を照らし合わせればどうにか授業についていく事は出来ていた。

 

「織斑くん、速水くん、なにかわからない所はありますか? わからない所があったら訊いてくださいね。なにせ私は先生ですからっ!」

 

 胸を張る先生である。頼りになりそうではあるが、一挙一動が先生と言うには愛らしくて威厳良く見せようとする姿が逆に微笑ましく見えてしまう。教師に対しては普通に失礼な考えかもしれないが、実際そうにしか見えないのだから仕方がない。

 

「取り敢えず今のところは大丈夫みたいです。またわからないことがあったら質問させてください」

 

「はい! 遠慮せずにどんどん訊いてくださいね!」

 

 元気な人。というか、此処に来るまで人の優しさなんて一切感じない様な対応が多く、ささくれている心が癒されるというか。単なる配慮なのかもしれないけれども、その気遣いだけでも厚一にとっては有り難かった。

 

 でなければ正直言って誰をこの学園内で頼れば良いのか厚一にはわからない。

 

 一夏少年がどうだったかはわからないが、これまで自分に向けられてきたものは敵意に近しいものだった。男であるのにISに乗れてしまう異物。一夏少年はあの織斑千冬の弟であるからという、ある種の、周囲を黙らせてしまえる環境があった。その違いだと厚一も理解していた。

 

「織斑くんも、わからない事があったら遠慮なく言ってくださいね?」

 

 朗らかというか可愛くて癒し系な女子が服を着てるのではないかと思うほどに、そんなイメージが湧く真耶を見ながら、一夏が席から立ち上がった。

 

「先生!」

 

「はい、織斑くん!」

 

 早速質問されて嬉しそうに笑顔を浮かべる真耶を真正面に臨める一夏少年を厚一は少し羨ましく思った。そう思う程に教室のど真ん中は本当にキツい場所だった。出来れば一番後ろの窓側の席が良かったと考えていたらとんでもない言葉が一夏から放たれたのだった。

 

「殆ど全部わかりません……!」

 

 その瞬間、教室の空気が固まったのを確かに厚一は感じた。

 

「え……、ぜ、全部ですか……? え、えっと…、織斑くん以外で今の段階でわからないっていう人はどれくらい居ますか?」

 

 あんまりの一夏少年の言葉に山田先生も困惑気味に教室を見渡して、厚一に視線が止まる。不安げに見つめてくる彼女に厚一は苦笑いを浮かべるしかなく、教室の沈黙が重かった。

 

「……織斑。入学前の参考書は読んだか?」

 

「古い電話帳と間違えて捨てちゃいました。あだっ!!」

 

「必読と書いてあっただろうが馬鹿者」

 

 参考書を読んでいれば今のところはわからないというわけでもない範囲であるはずなのに、本気でわからないという様子の一夏を見かねた担任の織斑千冬が動いたのであるが、一夏の返答に間髪入れず出席簿を叩き込んだ。

 

 それは怒られて当然だ。なにしろこのIS学園に入学する全校生徒が必ず読んでいるのだからだ。

 

「は、速水くん、どうかしましたか? 具合でも悪いんですか?」

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

 眉間を押さえて俯く厚一に真耶が慌てた様子で歩み寄るが、厚一は手で制した。ただあまりにも衝撃的な言葉に、自分の努力がバカを見たんじゃないかと思って激しい頭痛に見舞われただけであった。

 

「後で再発行してやる。一週間以内に覚えろ、いいな」

 

「いや、あの厚さは一週間じゃ……!」

 

「〝やれ〟と言っている」

 

「……はい」

 

 有無を言わさぬ千冬の眼光に撃沈する一夏だったが、それは一夏自身の過失であるのでだれもフォローのしようがない。

 

 昼休みになって。持ち込んだサンドイッチで昼食を済ませた厚一は午前中の授業の内容を復習していた。

 

 学校へ通ったことのない厚一は義務教育のすべてを母親や、母親の知り合いから受けていた。

 

 しかし世界でトップクラスの学力を要求されるIS学園の教育はハイレベルで、自分の生活が懸かっているだけに少しも遅れを出さぬ様に、復習をやらないわけにもいかないのだ。

 

「見て、速水くんもう教科書開いてるよ」

 

「え? じゃあさっきのお昼ご飯なの? 身体大丈夫なのかな」

 

「思ったより真面目な人なのね。ちょっと良いかも…」

 

 そんな感じの会話も厚一には聞こえていない。授業中にレコーダーで録音していた真耶の授業内容をイヤホンで聴いていたからだった。

 

 しかしそんな厚一の集中を妨げる者が居た。

 

 肩を叩かれて視線を上げると、そこには申し訳なさそうに片手で拝みながら立っている一夏少年が居たのである。

 

「なにか用かな?」

 

「あ、や、わりぃ。俺、織斑一夏ってんだ」

 

「うん。よろしくね、織斑君。僕は速水厚一」

 

 厚一が笑みを浮かべながら軽く自己紹介をして、手を差し伸ばすと、一夏はそれを受けて握手を交わす。

 

「よろしく、速水。あー、そ…、それでなんだけどさ」

 

「さっきの参考書の事かな?」

 

「あ、あぁ。それで、その…な…」

 

 同じ男同士で、今のところ授業に付いていけている厚一に教えを乞いたいという表情が剥き出しの顔を見て、厚一は一夏を嘘が吐けない実直な子なんだろうと思った。

 

 姉に似てイケメン男子の一夏ならば、さらに加えて織斑千冬の弟という肩書きがあれば大抵の相手には話し掛けて答えてもらえるだろう。態々同性の厚一の所に来る辺り、先程の失言もあってさすがに気まずいのだろうか。

 

「うーん。僕もあまりISについて専門的な知識があるわけでもないから、教えられることはほとんどないけれど」

 

「うっ。そ、そう、だよな…」

 

 最後の希望が絶たれたとも言わんばかりに肩を落とされると、悪いことをした気分になってしまうものの、その気になれば姉の千冬が居るから訊ね易いのではないかと思って、栄養ゼリーを開けて口を付ける。

 

「さっきサンドイッチ食べてたの見たけど。昼飯それだけなのか?」

 

「そうだよ? 最近食が細いから」

 

 主にストレスの所為であるのは厚一自身良くわかっている。だから一応栄養だけは摂取している食事になっていた。

 

「お腹いっぱいになるのか?」

 

「取り敢えずはね。あとは夜は普通に食べてるし」

 

 さすがに夕飯は気合いで普通の食事をしている。でないと身体が保たないのがわかっているからだ。

 

「まぁ、それでもよければ力になるよ」

 

 先程の授業で躓いているのなら自分にもまだ理解出来ている範囲だ。厚一は一夏がどういった人間なのか確かめる為にIS学園にやって来たのだ。手助けはすれど、無下に扱う必要は皆無だった。

 

「よかった。断られたらどうしようか途方に暮れる所だったぜ」

 

「あはは。そんな大袈裟な。織斑君だったら誰でも教えてくれたと思うよ?」

 

「そうか? いや、でもホント助かったぜ。んじゃ、早速で悪いんだけど良いか?」

 

「うん。別に構わないよ」

 

 一夏に教えながら復習も出来て一石二鳥だ。そう思った時だった。

 

 視界の端から煌めく金髪が近づいて来るのが見えたのは。

 

「ちょっと宜しくて?」

 

「へ?」

 

「君は確か…」

 

 突然のことで気の抜けた返事になってしまう一夏と、流れるような金髪が印象深かった女子の名前を厚一は思い出していた。

 

「イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットさん。で良かったかな? はじめまして、速水厚一と言います」

 

「あら。速水さんは良くわかっていらっしゃいますのね。そちらの失礼な態度の方とは違って」

 

 少し高圧的で高飛車なお嬢様な感じのセシリアを前にして名前を思い出した厚一は、彼女が自己紹介の時に言っていたイギリスの代表候補生という部分も加えて名を口にした。この歳から代表候補生に選ばれているという事はとても期待が掛けられているIS操縦者なのだと思いながら、自己紹介で自らの名を口にした。座ったままだと失礼かもしれないが、急に立てるような格好ではなかったのでそこは許して欲しかった。

 

「ですが。せっかくわたくしが声を掛けたというのに、座ったままでは失礼ではありませんこと?」

 

「ああ。ごめんなさいオルコットさん。ちょっと急に立てなかったから」

 

 そう言いながらボイスレコーダーとイヤホンのコードを膝の上から回収して胸ポケットに納める。

 

「なんですの? それは」

 

「ボイスレコーダー。山田先生の授業を録音して、お昼食べながら復習してたんだ。織斑君と話すのにイヤホンを外して膝の上に置いてたからね。まぁ、挨拶の前に片付けてからすれば良かったんだけど。そこまで気をまわせなくてごめんね」

 

「勤勉な方ですのね。その勤勉さに免じて、今回は赦して差し上げますわ」

 

「ありがとう」

 

 少し当たりの強い娘かと思ったものの、根は悪い娘ではなさそうで胸を撫で下ろす。ただそれも束の間だった。

 

「ですが! あなたはいただけませんわ」

 

 厚一には関心した顔を浮かべながら、一転して険しい顔を浮かべてセシリアは一夏を指差した。

 

「え? いやだって急に話しかけられた上に君の事知らなかったし」

 

「知らない!? イギリスの代表候補生であるこのわたくし、セシリア・オルコットを知らないですって!?」

 

 セシリアの事を知らないと言ってしまった一夏。それを受けて驚きに次いで怒りにも似た表情を浮かべて、セシリアは自分を指し示す様に胸に手を当てながら一夏に詰め寄った。

 

「おう、知らない。というか代表候補生ってなんだ?」

 

「……論外ですわ。あのミス千冬の弟だからどのような方かと思いましたのに。失望しましたわ」

 

「勝手に期待されて勝手に失望されても困るんだけどなぁ」

 

 額を押さえながら肩を落とすセシリア。とはいえ参考書を捨ててしまっている一夏にはわからないことだらけでも仕方がないかと結論付けた厚一は、どうにかフォローにまわる。

 

「オルコットさん。そうは言っても織斑君は織斑君で、織斑先生は織斑先生だよ。間違えちゃったとはいっても参考書を捨ててしまったから初歩的な事から何も知らなくても不思議はないことも理解して上げて欲しいな」

 

「そうでしたわね…。速水さんは勤勉な方ですのに、あなたはここに居る事の自覚が少ないのではなくて?」

 

「いや、俺は――」

 

 一夏が何かを言い返そうとした所で丁度予鈴が鳴ってしまう。正直助かったと厚一は胸を撫で下ろした。それで一夏の言葉が途切れたからである。

 

「予鈴ですわね。これにて失礼いたしますわ」

 

「うん。また話せると嬉しいな」

 

「速水さんであればいつでも歓迎いたしますわ」

 

 そう厚一には微笑みながら言って優雅に踵を返し、一夏にはひと眼もくれずにセシリアは去って行った。

 

「なんなんだ、アイツ」

 

「織斑君、さっきオルコットさんに言おうとした事は言わない方が良いよ」

 

「えっ、どうしてだ?」

 

「さっきさ。織斑君は、自分は望んでここに来たわけじゃない。そう言おうとしたでしょ?」

 

「あ、あぁ。まぁ…」

 

 自分が思っていた続きを察して、厚一は気持ちはわかるものの、ここは敢えて気持ち顔を真面目にして一夏を見つめながら口を開いた。

 

「このIS学園はね。入ろうと思って入れるところじゃないんだ。入試の難易度も倍率も世界トップクラス。それに加えて世界中のエリートが集まって来る。だからただ男でISを動かせるだけでここに居る僕たちとは心構えからして違うんだ。そんな中で努力もしてないのに珍しいからという理由だけでこの学園に入れてしまった僕たちの立場は、正直危ういんだ」

 

「それは…」

 

 正直言って危ういのは厚一自身だけだと思っているが、周りの印象を悪くすることもないだろうと敢えて一夏にも実感を持たせる様に男子という括りにしたのだ。

 

「だから頑張らなくちゃならないんだ。それが望む望まないにしても。ISを動かしてしまった以上、僕たちはISと無関係ではいられないんだ」

 

 そこまで話して担任副担任のふたりが入ってきたために話は終わりとして厚一は一夏に席に戻るように告げた。

 

 思ったことを口に出来るのは強味ではあるものの、それは考えて口にしないと必要のない敵を作ってしまう。それでもそんな風に真っ直ぐな一夏が少しだけ羨ましいと思った。

 

「さて。再来週に行われるクラス対抗戦に出る代表者を決める。クラス代表者は対抗戦だけでなく生徒会の会議や委員会などにも出席してもらう。わかりやすく言うなら学級委員だな。自他推薦は問わない。誰か居ないか?」

 

 HRになって千冬のその言葉にそこらじゅうで近場の女子たちがどうするかを話し合い始めた。

 

 学級委員となると千冬が上げた通りに色々な会議にも出なければならないのだろう。そうなると勉強に振り向ける時間が減るかもしれない。そうなれば人生が危うい。内申点に影響がありそうな役職になるだろうが、見えてしまった地雷を踏みに行くこともないと思っていた厚一だったが、そうは問屋が卸さなかった。

 

「はい! 織斑君を推薦します!!」

 

「私もそれが良いと思いまーす!」

 

「お、俺ぇ!?」

 

 自分が推薦されるとは思わなかったのだろう。一夏は素っ頓狂な声を上げて自分を指さした。

 

 それも仕方ない。何しろまだ一日目の放課後。織斑千冬の弟というフィルターが入ってしまうのは仕方がない。何しろあのブリュンヒルデの弟。だから強い。或いは男性IS操縦者という物珍しさというのもあるのだろう。

 

「な、なら俺は速水に一票入れます!!」

 

「こっちに飛び火するの!?」

 

 女子の賛成多数で決まるのだろうと高みの見物をしていた厚一も思わぬ攻撃に半腰が浮かぶ程度に椅子から立ち上がる。さすがにそれは勘弁してくれと厚一は一夏を睨みつけようとした所でガタリッと誰かが立ち上がった。

 

「ちょっと待ってください!」

 

 立ち上がったのは金髪で声の通りも良いセシリアであった。

 

「その様な選出は認められませんわ! 速水さんならばともかく、織斑さんでは些か実力不足ではないかと思います。実力からしても代表候補生であるわたくしがクラス代表を務めるのに相応しいと思います!」

 

「ではオルコットは自薦。そして他薦は織斑と速水だな」

 

「いや千冬姉ぇ、俺はやるとは一言も――」

 

「織斑先生だ、馬鹿者。それと自他推薦と言っただろう」

 

「横暴だって! 速水も何か言ってくれよ」

 

「…授業の補習時間がちゃんと貰えるのなら」

 

 千冬の態度から辞退は難しそうだと察した厚一は、せめて成績に影響が無いように、万が一の保険を掛けられる様に発言する。学級委員なんてしたこともないのだからどの程度で勉学に影響してくるのかまったく読めなかったからだ。

 

「良いだろう。もとより生徒には皆総じて平等にそういう権利はある。他にやるものは居ないな? ならば来週月曜日放課後に第3アリーナにて織斑、速水、オルコットの3名のISによる模擬戦を行い、その結果によってクラス代表を決める。間違っても手を抜こうなどとは思うなよ? それくらいの見分けはつく」

 

「う、マジかよ…」

 

 話が纏まってしまった事で項垂れる一夏を見て、項垂れたいのはこっちだと巻き込まれた厚一は声に出して言いたかったが、ぐっと堪える事で言葉を飲み干した。

 

 放課後、さっそく幾つか疑問点が浮上した厚一は真耶に頭を下げて質問していればいつの間にか補習授業の様相に変わってしまっていた。

 

「ありがとうございました、山田先生。お忙しいのに色々と」

 

「いいえ。私は先生ですからいくらでも頼っちゃっていいんですよ?」

 

 そうして得意げに胸を張る真耶ちゃん先生に癒されながら、厚一も帰り支度をしたところだった。

 

「それにしても良かったです。速水くんもわからないところがあって。置いてけぼりにしちゃってないか不安で」

 

「織斑君の場合は少し特殊ですよ」

 

 ホッとした様子の真耶に、厚一も苦笑いを浮かべながら言うしかなかった。

 

 事前知識のお陰もあって、更には寝る間も惜しんで参考書を目を皿にして読んだのだ。その成果は取り敢えず発揮されているので決して無駄ではなかったと少しだけ自信を取り戻した。

 

「そう言えば速水くんは寝泊りに関して政府から聞いていますか?」

 

「はい。確か空いている宿直室に泊まるだとかなんだとか」

 

 怒涛過ぎてすべてを覚えている自信はないが、一応記憶の引き出しにはまだ残ってくれていたらしい。関連するワードを言って貰えれば記憶を引き出せはした。

 

「それで。その宿直室が数年物置になっていて、片付けるまでは、その…」

 

「まさか女子と同室とか?」

 

 まさかそんなぶっ飛んだことにはならないだろうなと怪訝な表情を厚一は浮かべた。そんなラブコメにありそうな展開があってたまるかと思う。それ以上にもし万が一にお風呂でばったりなどした日には此方が犯罪者扱いにされて社会的に死ぬ運命が垣間見えた。

 

「いえ。取り敢えずは今使っている宿直室で、織斑先生と…」

 

「あ、成る程」

 

 言い淀む真耶に皆まで言わずとも厚一は察した。確かに相手がブリュンヒルデならば護衛と自衛の両面で心配なことはないだろう。

 

「すみません。数日の我慢なので」

 

「山田先生が謝る事じゃないですよ。それにちょっと好都合かな」

 

「こ、好都合って、速水くん、は、ハレンチなことはダメですからね!」

 

「いやまだ死にたくないので大丈夫です。ただISの事を色々と聞けるかなって思って」

 

「あ、そ、そうですよね。やだなぁ私ったら、あはは…」

 

 何を考えたかまでは言うまい。取り敢えず顔は幼くてもちゃんと大人の考えをする真耶を見て厚一は苦笑いを浮かべるのだった。

 

「でも速水くんは熱心ですね。まだ初日なのに、もう少し肩の力を緩めても良い気もしますけど」

 

「ええ。まぁ、心配性なだけですよ」

 

 親身になってくれていて癒される笑みを浮かべてくれる真耶にあまり暗い話を聞かせるべきではないと思った厚一は当たり障りのない理由で誤魔化した。

 

 そもそも厚一の懸念も被害妄想と疑念が生み出している唯の自己脅迫観念かもしれないのだ。とはいえ一度考えてしまうと中々その考えが払拭できないのも人の性だ。そして、そう考えさせる要因は自分の出生にも絡んでいるものだった。

 

「ああ。それと山田先生。訓練用ISの使用申請書って貰えますか?」

 

「ええ、構いませんけど。今から申請しても一週間後にまで乗れるかはわかりませんよ?」

 

「それでも一応お願いします。少しでもISには触れておきたくて」

 

「わかりました。じゃあこのまま職員室にまで行っちゃいましょうか」

 

「わかりました」

 

 真耶の先導で職員室に連れられた厚一は職員室中の教師の視線を向けられながらその場で訓練機の使用申請書を書き、その足で学生寮の宿直室に案内された。

 

「織斑先生。速水くんをお連れしましたよ?」

 

 ノックして真耶が要件を伝えてからどったんばったんと慌ただしい音が聞こえ、3分程してドアが開かれた。

 

「待っていたぞ。ご苦労だったな山田君。あとは私が受け持つ。入れ速水」

 

「あ、はい。それじゃあ山田先生、また明日」

 

「はい。また明日ですね、速水くん」

 

 手を振る真耶に別れを告げて宿直室に入る厚一を廊下の壁に追い詰めた千冬は逆壁ドンで厚一の逃げ場を無くした。身長としては厚一の方が高い筈なのだが、厚一は自分よりも身長の低く女性であるはずの千冬の放つ存在感に呑み込まれ、身動きが出来ないでいた。

 

「いいか? ここから見る事はすべて己の胸の内に留めておけ。長生きしたければ、な」

 

 ドスの効いた声に厚一はただ首を縦に振るしかなかった。

 

「少し散らかっているが、気にするな」

 

 宿直室に脚を踏み入れた厚一ではあったが。テレビの向こうのスターの現実の無情さに、ブリュンヒルデ織斑千冬像は木っ端みじんに砕け散った。

 

「これが…、少し…?」

 

 ゴミは一応はゴミ袋に纏まってはいるものの、酒の空き缶の量が物凄い上に、服も散乱している。というかどう見繕っても汚部屋一歩手前だった。

 

「取り敢えず座れ。突っ立っていても始まらんだろう」

 

「あ、あぁ、はい」

 

 授業で着ていたスーツ姿から動きやすいジャージ姿に着替えていても、そのオーラはブリュンヒルデ。しかし部屋を見た後だと私生活は意外とだらしのない人なのではないのかと思ってしまう。というより人間完璧超人なんていうのは何処にもいないのだろうと思った。それもそうだ、アイドルだってトイレに行くのだから、目の前の人も普通の人間という事だ。それで納得する。

 

「取り敢えず片付けましょうか」

 

「別に構わんだろう。数日過ごすだけだ」

 

「それでも綺麗な部屋の方が気分も晴れるんですよ」

 

 別に綺麗好きという訳でもないものの、こうして散らかっているとある程度は片してしまいたいと思う程度には散らかっていた。そも自分が数日でも寝ることになる部屋なので最低限は綺麗にしておいてもバチは当たらないだろう。

 

「食事は学食を使え」

 

「わかりました。お風呂はどのように?」

 

「私が入っていない時でならいつでも構わん」

 

「わかりました。それじゃあお先に貰っても良いですか?」

 

「いいぞ。それと食堂は8時には閉まるから注意しろ」

 

「はい。わかりました」

 

 軽片付けが終わったものの、身体がお酒臭く感じて一先ずシャワーだけでも浴びる事にした。

 

「はぁ…。なんとか1日目は乗り越えられた」

 

 シャワーを浴びるという最も個人が尊重される空間である所為か、緊張感も身体の疲れと共に流れ落ちて行く様だった。

 

「っ――」

 

 痛みだした胸を抑えて、深呼吸をして身体を落ち着かせる。

 

 1日中気を張り詰めているというのも結構久しぶりだった所為か、予想以上に疲れたらしい。

 

「というより、眠気が…」

 

 実は言うと、ここ何日もまともに寝れていなかったりする厚一。不安が募り過ぎて眠れないという不眠症を患っていた。

 

 鏡を見れば、ナチュラルメイクで誤魔化した目元の隈がハッキリと浮かび上がっていた。

 

「だめだ。お風呂入ろ」

 

 浴槽に座ってシャワーを浴びながら身体が冷えない様にお風呂に湯を張るという横着スタイルだが、体積が予め浴槽にある分必要な湯しか使わないという利点もある。

 

「あしたも、たいへn……」

 

 湯船の中で舟をこぎ始めてしまった厚一が、その後食事から帰って来ても姿はなく風呂場の電気がつけっぱなしで水の音がする事に疑問を持った千冬によって救出されるという事態になったのは余談である。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「まったく。湯船で寝るくらいならその前に布団で寝ろ。溺れたらどうする」

 

「すみませんでした」

 

 翌朝。起床時間にたたき起こされた厚一は千冬から説教を受けた。疲れていたとしても湯船で寝る事は溺れてしまう危険性が十二分に高い為だ。

 

 だが千冬もそこまで厚一を怒るようなことはしない。目元の隈を見れば厚一が不眠症に陥っているくらいは見抜けたからだ。

 

「まぁ、次は気をつける事だ」

 

「はい。ありがとうございました、織斑先生」

 

 助けて貰ったことのお礼を込めて頭を下げた厚一は、荷物からメイク道具を持ち出して、目元の隈を隠す作業に移った。

 

「手際が良いな」

 

「必要なことでしたからね。教えてもらったんですよ」

 

 正直嘗めていたというか、考えが浅はかだった。四六時中監視され、自由もなく家にも帰れない生活が数週間続いていた。不自由で、そして不安が募る生活は安らぎというものを奪うのには充分で。

 

 IS学園に入学する為に久し振りに家に帰ったとき、余程自分は酷い顔をしていたのだろう。母は心配そうにしていた。そしてそこからIS学園に入学する間の1週間、母の知り合いが代わる代わる訪ねてきては色々な事を教えてくれて行った。この隈を隠すナチュラルメイクもその中の内のひとつだった。 

 

「よしっ」

 

 メイクが終わった厚一は、そういう背景を知らない人間が見たら瑞々しい柔らかな笑顔を浮かべる男の子にしか見えない。それが外行きのメッキであるという事を知った千冬は気の毒に思えてならなかった。

 

 2日目の授業も何とか厚一は熟していった。引っかかりを覚えた部分は授業が終わった後に質問して頭に叩き込んでいく。

 

 昼休みもサンドイッチ、栄養ドリンクとエナジードリンクにエナジーバーをもそもそと食べつつ教科書の内容とノートと参考書。さらにノートPCまで広げてネットからも情報を拾って知識を蓄積していく。

 

 10年もあればネット社会でもISの基本的な公開されている機能に関しての質問というのは色々な掲示板でされていて、その答えも載っている。それがすべてではないのだが、男でISに関わるとなると、独学や大学の専門校に通って知識を身に着け、企業の技術者として関わる事になる。

 

 先達の男の技術者たちが後続の為に色々と親身になって教えてくれるのだ。そういうサイトを巡ることも厚一にとっては以前のライフワークだった。

 

 そのお陰もあって、ISの事を知っていたのだ。無論それだけではないのだが。

 

「速水くん。今日のこの後は空いていますか?」

 

「ええ。空いてますけど」

 

 放課後。昨日に引き続き真耶に質問をしていた厚一に真耶が問いかけた。

 

「それじゃあ、少し付き合って頂いてもよろしいですか?」

 

「構いませんけど。…もしかして、デートのお誘いですか?」

 

「そうですね。ある意味デートかもしれませんね」

 

「え?」

 

 少しからかうつもりで言ってみたものの、素面で返された厚一は返す言葉がなかった。

 

 そんな厚一にくすくすと笑いながら先導する真耶に、今一腑に落ちなかった物の、その後ろを付いて歩くうちに到着したのはアリーナだった。

 

「本当はちょっとズルい方法なんですけど、頑張っている速水くんに私からの応援です」

 

「これは、ラファール・リヴァイヴですよね」

 

 真耶に案内されたのは幾つもISが鎮座する格納庫だった。

 

「教員用に確保されているISです。非常時の緊急対応用に、教師向けに専用に配備されているISがあるんです」

 

「なるほど」

 

 そういって真耶に見せられた一機のラファール・リヴァイヴの前に厚一は案内された。

 

「1週間の間でしたら、このラファールを特別に速水くんにお貸しできます。あ、一応オフレコでお願いしますね? 他のみんなも訓練機の使用を待って乗ってますから」

 

「はい。わかりました」

 

 こうして真耶の個人的にか、或いは学園側からのものか、どちらかはわからないものの。男性IS適正者のデータを取る為に国から専用機が用意される一夏と違って自分は本当に何も期待されていないのだと思い知らされる気分だった。それも仕方がない。何しろ厚一のIS適正は『D』。IS学園ではまずパイロットコースには進めない適正値だったのだ。この適正ランクであるとどうなるのかというと、乗れはするし動かせもするが、戦闘などとてもではないが出来ない程反応速度が鈍いという事らしい。実際その為にISに搭乗しての実技試験を厚一は受けることが出来なかった。

 

「ありがとうございます。これでなんとか頑張れると思います」

 

「はい。取り敢えずさっそく乗ってみますか?」

 

「お願いします」

 

 ロッカーでISスーツに着替えるものの、スウェットスーツの様な全身ぴっちりした格好というものは結構恥ずかしい物だった。

 

 格納庫に戻ると同じくISスーツに着替えている真耶が待っていたが、普段の服と違っていうなればスク水みたいな格好は凄まじい凶器だった。

 

「それじゃあ、ISに搭乗しますが、乗り方は大丈夫ですか?」

 

「えーっと、確か座るように背中を預けるんですよね」

 

「はい。あとはISの方でパイロットに合わせてくれますから、身体にフィットするまでは動かないでくださいね?」

 

「はい」

 

 カシュッという音がして、身体に機械が触れて行くのを感じる。そのまま数秒が過ぎると別のラファールを纏った真耶が歩み寄って来た。

 

「はい。もう大丈夫ですよ。ハンガーロックを解除しますね」

 

 ハンガーにロックされていた機体が自由になったことで、僅かだが身体に重心が寄ったのを感じた。

 

「っ、とと…」

 

 若干ふらつきはしたものの、倒れる様なことはなかった。

 

 普段よりも高い視線の感覚が心を高揚させてくる。その高揚を落ち着かせる様に手を握っては開くを繰り返す。

 

「それでは、アリーナに出ましょうか」

 

 格納庫からピットに出て、真耶のラファールがふわりと浮き上がった。

 

「PICを起動してください。そうすれば浮き上がることが出来ますから」

 

「了解」

 

 パッシブ・イナーシャル・キャンセラー――通称PIC。

 

 イナーシャル・キャンセラーとは物体に働く慣性をコントロールする機能であり、慣性中和装置とも言われている。ISはそれを自分に向けて使う事で浮遊・加減速などを行うことができる。

 

 これを外向きに使えば完全に皆がイメージする通りのイナーシャル・キャンセラーである。

 

 真耶に手を握られながら、PICを起動する事で、厚一のラファールも重力の枷という力から解放されて機体が浮かび上がった。

 

「ではこのままアリーナに出てみましょう」

 

「はい」

 

 真耶に引かれてそのままピットからアリーナに出る厚一は浮いたまま中央まで連れられて、そこで手を離されたが問題なくラファールは浮いていた。

 

「次はスラスターを使った空中機動ですけど、取り敢えず危なくない上に向かって飛んでみましょうか」

 

「了解」

 

 背中のカスタム・ウィング――バックパックに存在する巨大な翼型のスラスターと、PICによりISは飛行を行う。

 

 絞り出すようにゆっくりと浮かび上がるラファール。感覚的にはもう自分がゲームの中にでも居るような感覚を厚一は味わっていた。しかし肌に感じる風がこれは現実だという事を教えてくれる。

 

「直立降下はPICを使います。まだ空中機動での降下は危険がありますから」

 

 追いついてきた真耶に言われたように、今度はエレベーターで下に下がるように降下を始める。それもゆっくりとだ。

 

 そしてまた上昇をするという事を繰り返して、お開きとなった。

 

「なにか機嫌が良さそうだな。それくらい良いことでもあったか?」

 

 同室2日目。

 

 ビールを飲む千冬にそう指摘される程に厚一からはご機嫌オーラが滲んでいた。

 

「はい。まぁ。嬉しいことがあったので」

 

 ただオフレコという事でISに乗ったことは濁した。あれがまだ学園なのか、または真耶個人の判断なのかはわからなかったからだ。

 

「そうか。そうしている方が生き生きしていて好ましいな」

 

「そ、そうですか?」

 

 ここまで興奮しているのも久しぶりの上に、千冬のような美人に好ましいとも言われると自然と顔が熱くなるのが感じられた厚一は、誤魔化すように頬を掻いた。

 

 それでも元気が有り余っている子供の様に身体がムズムズして仕方がなかった。

 

 ISとは無関係ではいられない。一夏に言ったその言葉は自分にも当て嵌まることだった。ISに乗るために生まれてきた自分がISに触れてしまったのだ。

 

 遠足を前にして楽しみで仕方がない子供の様にワクワクを隠しきれず、いつもとは別の意味で眠りの浅かった厚一だが。それは決して厭な気分ではなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ISに乗る上で重要になるのは技術もそうではあるが、知識というものもかなり重要なファクターとなる。どの機能がどう働いて動くのかという部分を熟知する事で、ISの機動というものは劇的に変わる。

 

 ただ、やはり動かすことが出来るのと、戦えるというのはまた別の問題でもあった。

 

 直線的に動けるのだが、滑らかに動くというのが厚一には出来なかった。

 

 カーブを曲がるだけでも一苦労であったりする。

 

 IS適正というものは、訓練や操縦経験の蓄積などで変化することもあるため、絶対値ではないとは真耶から教えられた事だ。

 

 故に厚一は毎日放課後になるとアリーナに赴いて真耶の教えを受けながらラファールに乗り続けた。

 

 授業での彼女とは違い、ISの指南をするときの真耶はとても厳しく声も張り上げるのだが、それもそれで新しい新鮮味があっていい刺激になっていた。

 

 綺麗に曲がれないならば多少無様でも直線で曲がれば良い。無論身体に余計な負荷が掛かるので真耶からは控える様に言われてしまったが、1週間しかない期間で戦えるようになるには多少の無茶は承知の上だった。

 

 ISを操縦するだけでなく、操縦に耐える為に身体を鍛える様にもメニューが組まれた。体力があるという事はそれだけでISでの戦闘時間の延長になると教えられたからだ。

 

 早朝に起床し、その頃には既に千冬も起きているので彼女に連れられて学園の敷地内をジョギングする事になった。千冬自身も身体が鈍らない様にそうして身体を動かしているとのことだ。

 

 とはいえ早々に体力切れになってしまう厚一に千冬は呆れていたが。

 

 それでも歩いてでも3kmの道のりを踏破し、宿直室に戻れば既に千冬はシャワーを終えていたので、シャワーで汗を流して、まだ色濃い隈を隠すメイクを施して朝食を取りに食堂に向かう。

 

 元々女子校であるというか現在も例外2名除いて女子しかいない所為か、量が少ない食事に少々の物足りなさを感じつつ味は良いので文句はなかった。それでも腹6分目という所だった。

 

 やはり物珍しいものを見る様な視線を浴びせられるが、隣に千冬が居るからだろうか、声を掛けられるようなことはない。

 

「おはようございます、織斑先生、速水くん」

 

「おはよう山田君」

 

「おはようございます、山田先生」

 

 唯一の例外は1組副担任の真耶であった。

 

 食事を終えるとそのまま監督として残るという事で真耶と共に席を辞した厚一は前日のISでの動きに関する事での質問を軽く挟み、宿直室に戻った所で登校時間までは前日の授業内容の確認という物が待っていた。

 

 それでも身近にブリュンヒルデと親身になってくれる教師が居る環境というのはとても恵まれていると考えられる余裕が出てきた。

 

 真耶は言わずもがな優しくも厳しいがそれでもそれは此方の想いに応えてくれているという事で苦には思わなかった。

 

 千冬も普段はクールビューティーで出来る女性ではあるが私生活は少しだらしがないところもあって、それでいても質問には真摯に答えてくれるところが教育者として尊敬出来る相手だった。何しろ今の女尊男卑という風潮を作ってしまうISに関わる第一人者。正直自分は避けられるのではないかと思っていたが、そんな感じは一切感じず接してくれることが安心できる事に繋がっていた。

 

 とはいえやはり、教室にいる間は勉強ばかりで自発的に誰かと話すこともなく、また真剣な表情でノートや教科書に向き合っている姿を邪魔するわけにもいかないという周囲の気遣いもあるのだが、厚一はすっかりクラスでは浮いた存在になってしまっていた。

 

「宜しいですか? 速水さん」

 

「ああ。オルコットさん。ごめんなさい、態々来てくれて」

 

 しかし声を掛ければ話すし、イヤホンを着けていても肩を叩けば反応して対応してくれる優しい人という印象は周りに存在していた。

 

「近頃放課後にアリーナへ向かう姿を見かけるのですが、なにかお困りのことはございまして?」

 

 そういわれて厚一はキョトンと僅かに目を見開いた。まさか代表候補生の彼女が態々自分に声を掛けて困っている事はないかと言ってきたのだ。それも今は対戦を控えた敵同士なのにである。

 

「わたくしが勝利するのは当然の事ですもの。ですが、努力を怠らぬ男性に手を差し伸べない程に狭量ではありませんわ」

 

 そこにはエリートというよりも生まれ持ったものの余裕というという物なのか、住む世界が違う人間というか、上手く言い表せないものの格の違いという物を素直に感じることが出来た。

 

「ありがとう。じゃあ、少し質問しても良い?」

 

「ええ。よろしいですわ」

 

 代表候補生という教師とはまた違った視点からの意見も聞ける機会に、厚一はこれ幸いにと飛び付いた。自分が生きる為には貧欲になるのは仕方がない事なのである。

 

 訪ねたのはISに関する空中機動の事だった。どうやれば上手く飛べるのかという事柄である。真耶はあれで厚一に無茶をさせないようにと慎重に教えてくれていることも有り難いのだが、それではどうしても数日後に控えている模擬戦には間に合いそうもないので、そういった事情を知らないセシリアに、あくまでも純粋な興味として訪ねたのだが、専門用語連発の上に彼女はどうも理詰めと高い計算の上でISを動かしている様であることを知れた。もちろん話の内容は3割程度しかついて行けなかったが、バッチリ録音はしているので後でその意味を調べて復習すれば良いだけだ。

 

 そしてまた1日が過ぎ、翌日は土曜日。そして日曜日を挟んで模擬戦が待っていた。

 

 午前中は授業のあるIS学園では放課後から本格的に銃器を実際に使用した実戦訓練に突入した。

 

「速水くん、本当に銃を扱った経験はないんですよね?」

 

「ええ。というより日本から出たこともないので銃なんて使ったこともないですよ」

 

 ターゲットドローンを使った射撃に、命中率は90%をキープしていた。それに真耶は純粋に驚いていたが、厚一からしてみれば足を止めて撃つという事はガンシューティングゲームをしている感覚で撃っていた為にそれほど自覚はない。敵が現れたら狙って撃つだけ。その動作で照準はハイパーセンサーが自動でやってくれる。武器の保持もパワーアシスト頼みだ。

 

 そして次のステップとして動くターゲットへの射撃も8割をキープし続けた。

 

 最後の自ら動きながら動くターゲットを撃つ射撃では流石に命中率は下がりギリギリで40%という所ではあったが、たった1日にしてそれだけの成果が出ているのだ。

 

 銃器の保持の仕方に、偏差射撃についても何度か修正を挟めば出来る様になった。教えれば教えるだけ覚えるというのは誰でも出来る事であって、しかしその速さという物は人それぞれで。

 

 厚一の場合は、やってみせ、言って聞かせて、させてみれば同じことが出来てしまうという覚えの良さに真耶もその手の才能があることを早々に見抜いていた。

 

 練度の関係で拙さや粗さもあるが、それも指摘すればすぐに修正して整える対応力の速さというのも高かった。

 

 日曜日は1日中ISでの訓練に当てたものの、やはり空中機動での難は拭えなかった。

 

 そして相手が高速のターゲットになればなる程に反応が付いて行かないという弱点も露呈した。

 

 それを踏まえての武装選択と対策。そしてセシリアのISに関する情報を頭に叩き込んでのイメージトレーニングなどであっという間に1日は過ぎていった。

 

「まさか速水くんにあんな才能があったなんて」

 

 人は正しく使わなければ動かないとでも言う様に、ちゃんと教えれば厚一はそれに応えるように動くのだ。ある種のロボットのように感じてしまうものの、言ったことをそのまま出来るというのはある意味でとても才能があるという意味でもある。

 

 それこそ真耶が教えた通りの動きを完璧に熟してみせるくらいには。

 

 最後の片付けとして毎日機体の簡易的な整備をしているものの、既にそれすらも覚えている。それでも不安なのか毎回毎回確認する様に工程を一つ一つ聞いてくるが、別に聞かなくても出来ているのに一つ一つ訪ねてくる厚一を真耶は、石橋を叩いて渡るタイプの人間なのだという風に位置づけた。

 

 それほどまでに一つ一つを呑み込み身に着ける厚一の、成長速度の速さには驚かされてばかりではあるのだが。

 

「それが生きる為に発揮しないとならないなんて。悲しすぎますね」

 

 毎日貧欲に知識も技術も求める厚一のその必死さの理由というものも、真耶は子供でもないので察していたし、知ることの出来る立場でもあった。

 

 だが敢えて口にしない厚一の気遣いを立てて、真耶もその話題には触れなかった。

 

 過負荷によって擦れているパーツを交換する。教えていないことまでは流石に出来ない様で、それが当たり前なのだからそれで良いのだが。それをサポートするのが教師としての役目だと真耶は思った。

 

「織斑くんは恵まれていますね」

 

 織斑千冬という世界最強の名を持った姉の庇護下に居る弟。確かに姉と比べられて苦労するだろう。しかし厚一のように死に物狂いで頑張らずともどうにかなってしまう立場にあるのも確かだ。

 

 大事な弟に手を出されて、あの千冬が黙っている筈もない。だから手荒な真似は一夏には降りかからないだろう。

 

 だからその分、何も後ろ盾もない厚一にそういった災難は容赦なく降りかかるだろう。

 

 国からも支援はない。それは別にIS学園での成績も活躍も期待されていないという事だ。

 

「そんなの、勝手すぎます」

 

 しかし世の中の男性の権威が掛かっているともなれば形振り構わずという事だってあるかもしれない。

 

 保護という名目でIS学園に放り込まれはしたものの、政府の受け入れ準備が整えばどうなる事か。IS学園に入れられたのもその為の時間を稼ぐためだとなれば不憫すぎて仕方がないが。

 

 真耶は同情だけで厚一に訓練をつけているわけでもない。その熱意に応える為に教師として教えているのだ。

 

 そして見えてくるその才能の輝き。だからこそその輝きを曇らさないようにするのが教師としての務めだと思っている。

 

「出来るだけの事はしました。あとは速水くん次第です」

 

 1週間という付け焼刃にもほどがある時間でイギリスの代表候補生に勝てる見込みはゼロに近い。だがそれは実際に戦ってみなければわからないのだ。

 

 もう一機のラファール・リヴァイヴ。そのシールドには焦げ跡があった。それは充分に厚一も勝算が生まれているという証だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 週が明けて月曜日。

 

 第三アリーナでは1組のクラス代表を決める為の模擬戦が行われるために、1年1組の生徒が皆集まっていたが、明らかに人数が合わない。他のクラスや2年生に3年生までもが集まっていたのだ。

 

 それこそ初の男性IS操縦者の戦いが見られるとあっては情報収集に躍起になるのも仕方がないというわけだ。

 

「大丈夫ですか? 速水くん」

 

「え、ええ。大丈夫、です」

 

 だがそんな状況に胃が潰れそうな男が居た。

 

 速水厚一である。

 

 別に注目されるを嫌悪しているわけではないのだが、相手はイギリスの代表候補生。一夏とも戦う予定も組まれているが、一夏のISがまだ届いていないので先に戦うのは厚一からだろう。

 

 そして無様に地に伏せる自らを想像してしまってから顔が青くなる一方だった。

 

「やる前から心配し過ぎだお前は。もう少し楽に考えろ」

 

「…はい」

 

 とはいえ、自分の失態がそのまま人生終了コースまっしぐらになってしまう為に考えずにはいられなかったのだ。

 

「大丈夫ですよ速水くん! 今日の為に1週間頑張って来たんですから、自信を持ってください!」

 

「はい。ありがとうございます、山田先生」

 

 真耶の気遣いも有り難いものの、やはりどうしても思考にチラついてしまうのだ。

 

 やる前に既に心が負けてしまっている。心配性の極地のドツボに嵌ってしまっている様子の厚一に、千冬も真耶も気の良い言葉を見つけられないでいた。

 

「時間だ。速水、たとえどのような結果になろうとも悔いのない戦いをして来い」

 

「速水くんなら大丈夫です。私は信じていますから」

 

「…ありがとうございます。行ってきます」

 

 ラファール・リヴァイヴを纏い。カタパルトに脚を接続した厚一は射出に備える為に姿勢を低くして、決まり文句を口から発した。

 

「速水厚一、ラファール・リヴァイヴ、発進する!」

 

 カタパルトによってアリーナに射出されたラファールはそのまま地面に向かって落ち、アリーナの中央に土煙を巻き上げながら着地した。

 

「まずまずだな。接地も見事だ」

 

「代わりに頭を抑えられてしまいますけどね」

 

 土煙とはいえそれはただスラスターによって巻き上げられたもので、地表から数センチという辺りで滞空しながら着地したのが千冬には見えていた。

 

 1週間でどれほどの物に仕上がったのか、隣で生徒を信じる真耶の表情を見て、千冬もモニターに集中する事にした。

 

「速水のやつ、大丈夫かな」

 

「相手はイギリスの代表候補生だ。一筋縄ではいかんだろう」

 

 そして自分のISの到着を待つ一夏と、その付き添いでピットにいる篠ノ之 箒もまた、モニターに映る厚一に視線を向けた。

 

「あら。最初のお相手はあなたですのね、速水さん」

 

「うん。織斑君のISはまだ搬入に時間が掛かるってことでね」

 

「そうですの。とはいえあまり期待してはいませんが」

 

 そう言いながらセシリアは、下方に居る厚一に向けてレーザーライフルのスターライトMk-Ⅲを向ける。

 

「始めましょう速水さん。あなたにはわたくしもそれ相応に期待していますわ」

 

「なら、その期待に応えなくちゃね」

 

 そして試合の開始の合図とともに、セシリアのISが構えるライフルの銃口にエネルギーが充填されているのをハイパーセンサーで確認した厚一は、ラファール・リヴァイヴの機体に大型の実体シールドを展開した。後方や前方を覆う様に肩のアタッチメントに装着されたシールド。

 

 機体の可動範囲を犠牲にしてまで防御力を高める。動けないのならば動かない戦い方をする。そんな単純な苦肉の策であった。

 

「いくら防御を重ねた所で、わたくしのブルー・ティアーズに撃ち抜けないものなどありませんわ!」

 

「どうかな…」

 

 引き金を引いたセシリア。そしてゼロコンマ数秒の内にレーザーはラファールに直撃する寸前の所で阻まれた。

 

「あれは、煙幕!?」

 

 厚一のラファールを包む様に展開される煙幕に、セシリアが放ったレーザーは減衰されてしまった。

 

「金属粒子反応…。チャフ用のスモークをレーザー減衰に使うとは。考えましたわね」

 

「悪いけど、対策は取れるだけ取らせて貰ってきたよ」

 

 セシリアのIS。イギリスの第三世代ISであるブルー・ティアーズの主兵装はレーザー兵器である。

 

 それを知った厚一は、出来る範囲での対光学兵器戦闘を想定した対策を練ってきた。チャフスモークをレーザー減衰用に使用するのもそのひとつだ。

 

 そのまま地表から厚一は格納領域から呼び出したアサルトライフルを連射する。

 

「っ、正確な射撃ですわね」

 

 それを避けるセシリアではあるが、その狙いが思った以上に鋭く向かってきたことに内心厚一の戦闘能力を上方修正するものの、ミドルレンジからロングレンジでの戦闘で自分が後れをとるなどという考えは微塵も浮かばなかった。それほどに努力をしてきたのだから。

 

 機体を動かしながらライフルで発射点を射つものの、厚一はその場をステップで飛び退いたり、僅かに身を捻って避けたり、摺り足での僅かな移動も折り入れて回避する。そして反撃にアサルトライフルを撃ち放ってくる。

 

 相手が煙幕の中から動かない上に、煙幕を飛び出して来る弾丸の軌道を逆算出来るのでセシリアからは狙いやすいのだが、代わりに厚一も絶えず同じくレーザーがやって来る方向に対処していた。

 

「まだ上手く空を飛べないご様子で」

 

「あいにくと、魂を重力に縛られている人間だからね」

 

 厚一の返しの意味は解らなかった物の、セシリアは厚一が満足に飛べないという予想を立てた。だから自分にもISでの空中機動制御に関して質問してきたのではないかと。

 

 飛べないISなど相手にしたところで勝利は揺るがない。IS学園に来て1週間と考えると良くISを動かして防いでいるとも思う。未だ様子見とはいえ自分の攻撃を上手く凌いでいるのだから。

 

 訓練期間を考えれば充分以上の成果であるとも言える。故に花を持たせるのはここまでで、これからは自分のひとり舞台の幕開けになる。

 

「そこですわ!」

 

「なんのっ」

 

 それでもいつまでも煙幕が厚一を覆っている訳でもない。煙幕が薄れて見つけたラファールの姿を的確に突くセシリア。

 

 しかし厚一はそれを肩の固定式の大型実体シールドで防ぐ。

 

 身動きできなければしないと割り切って戦術を立てている。その思い切りの良さを素直に称賛する。思っていた以上にしぶといものの。

 

「驚きましたわ。これほどまでにわたくしの攻撃を凌ぐISもなかなかございませんでしてよ」

 

「それは光栄だね。この1週間頑張った甲斐があるよ」

 

 そう余裕そうに返す厚一ではあるが、正直いっぱいいっぱいだった。

 

 それはIS適正の低さから来る反応速度の遅さだった。

 

 厚一はセシリアが銃口を向けた時点で既に防御か回避の選択をしなければならないからだ。でなければ間に合わない。実体弾よりもスピードの速いレーザーであるが故にである。

 

 その為、最終日の訓練では真耶にひたすら自分を撃って貰って最小限での回避や咄嗟での判断に磨きをかけた。

 

 絶えず銃口を見つめ続け、何処を撃たれるのかを判断する。動かないのは、動かない事で着弾点を把握しやすくするためだ。

 

「まさかな。1週間でこれなのか」

 

 厚一と1週間同室で過ごしていた千冬も口でのアドバイスという物はしていたが、それもこれも厚一の疑問や質問に答えるというくらいだった。

 

 基本的に人当たりも良く、しかしすこしぽやっとしているというかマイペースな部分もあるのはここ最近の私生活を共にして見えた部分である。

 

 それがたったの1週間で代表候補相手に防戦ではあるが付いていけている。

 

 モニターを見る真耶の顔はずっと厚一を見つめて不安もなく信じている。

 

「真耶、アイツに何をしたんだ?」

 

「特別な事は何も。ただ教えて、見せて、やらせて。それだけの1週間でした」

 

 そう。それだけなら特別なことは何もないのだが。

 

「それだけでいくら代表候補生相手だからとはいえ、一度も相手を見失っていないという事になるのか?」

 

 いくらハイパーセンサーで見えているとはいえ、それを処理する脳は別だ。そして厚一のIS適正ではとても戦闘に機体が付いていくような反応速度は出せないはずだ。

 

「私はただ、速水くんのお願いに応えただけですから」

 

 アサルトライフルからライフルに切り替えた厚一が空に飛び上がり、真っ直ぐセシリアに向かっていく。

 

 飛べると思っていなかったのだろう。一瞬セシリアのペースが乱れた所にアサルトライフルよりも正確な狙いの弾丸が向かっていくが、代表候補生だけあって切り替えも速い。

 

 直ぐに射線から逃れて反撃する。それを厚一は実体シールドで受ける。

 

「だが制動が甘い上に軌道も直線的だな。いや、あの反応速度でここまで飛べているのだから相当気合を入れてきたな」

 

 実体シールドで受けた瞬間に機体が流れる。それを無理やり押さえつける様な流れで軌道を修正して逃れる厚一ではあるものの、その動きは直線的で読まれ易く。さらに厚一の反撃は全く当たらずにセシリアの後方を過ぎて行くばかりであった。

 

「高速で移動する相手になればなる程に機体が付いていかないのか」

 

 それでも真耶の顔に揺るぎはなく、厚一のラファールを見つめ続けていた。

 

「恐ろしく身持ちが硬いのですね」

 

「ガードは硬くしてきたからね」

 

 それでも反撃の瞬間の僅かな隙を突かれ、厚一のラファールのシールドエネルギーは削れて行っている。だが、セシリアのブルー・ティアーズのシールドエネルギーはほとんど減ってはいない。高速戦闘になればこうなる事はわかっていた事だが、敢えて厚一はこういう戦法をとった。

 

「それでも、この攻撃が捌ききれますか? お行きなさい、ティアーズ!!」

 

 そしてセシリアは素直に厚一の守りの固さを認め、そうであっても対応しきれない手数で攻めることを決める。

 

 機体から分離する機動砲台端末。ブルー・ティアーズの名前にもなっているビット兵器。第三世代武装が縦横無尽に駆け抜け、四基のビットから放たれるレーザーが四方八方より厚一のラファールを襲って来る。

 

「なにをっ」

 

「南無三!」

 

 実体シールドで身を守りながら厚一のラファールがビットの猛攻の中を突っ切って、セシリアのブルー・ティアーズに向かって行った。

 

 さらに武装もアサルトライフルに再度切り替え、弾幕を放ちながらセシリアの回避行動を阻害する。

 

「ですが、ティアーズは4基だけではありませんわ!」

 

 ブルー・ティアーズの腰のユニットが前方を向き、そこからミサイルが放たれる。

 

 避けきれないタイミングで放たれたその攻撃、厚一のラファールと正面から衝突し、炸裂した爆発は炎と黒煙を上げる。

 

「んなっ!?」

 

 だがその爆発が起こした爆炎を実体シールドで身体の正面を防御しながら厚一のラファールは突き抜けてきた。

 

 そのまま正面からセシリアのブルー・ティアーズと厚一のラファールは衝突する。

 

「こう近づけば四方からの攻撃は出来ないよね」

 

「しまっ」

 

 厚一はアサルトライフルとは別に構えたのはバズーカだった。

 

 打ち出された弾頭の直撃で再び煙幕が、今度はセシリアも巻き込んで広がる。

 

 こうなってしまうと、ブルー・ティアーズの兵装の殆どが封じられてしまう。

 

「インターセプター!」

 

 直ぐ様思考を切り替えて近接戦闘用の実体剣を抜く。この時既にセシリアの中に余裕というものは抜けていた。目の前の相手は全力を出さなければ負けると思考よりも早く本能が警鐘を鳴らしていた。

 

 振り下ろした実体剣はしかし、手首の装甲の窪みに挟まれて防がれてしまう。

 

「とった!!」

 

 近接ブレードを装備した厚一は、実体剣を受け止められて無防備になったセシリアへ突きを放つ。

 

 それでも無意識でセシリアの身体は動いていた。振り抜いた切っ先は直撃せず、ブルー・ティアーズの左側の非固定部位を貫いて捥ぎ取って行った。

 

「躱された…っ」

 

「油断いたしましたわ。ですが、わたくしにも意地はありましてよ…!」

 

 一連の流れでセシリアは末恐ろしい相手だと厚一を評価した。必要以上に動かずに飛ばなかったのも、最初からこの流れを作る為の作戦だったのだと思うと、見かけによらずエグイ性格をしていると思わずにはいられなかった。飛ばないことで飛べないのだとこちらの油断を誘い。そして実力を隠し、ここぞという所で牙をむく。まるで普段は大人しいのに急に危害を加える獣の様だ。

 

「それでも、もう手札はございませんでしょう!」

 

 突きを放ったことで厚一も防御に切れ目が出来ていた。自爆も覚悟でミサイルを放つセシリア。

 

 その通り、厚一はすべての札を切り尽した。それで届くほどに代表候補生という存在は安くはないという事だった。

 

「ぐあああああっっ」

 

 懐に連続する衝撃にそのまま体勢を崩し、アリーナの地面に墜落する厚一のラファール。

 

 シールドエネルギーはまだ残っているが、それでも相当な高さから落下している。絶対防御があるから死ぬわけではなくても意識があるかどうかは別だ。

 

 土煙が晴れると、そこには俯せで倒れている厚一のラファールの姿があった。

 

「随分粘ったものだな。しかし此処までか…」

 

 たった1週間の、しかも放課後という限られた時間での訓練で代表候補生の第三世代ISに旧式の第二世代ISで傷を負わせた。結果としては大戦果であるが。さすがにこれ以上の試合をさせるわけにはいかないと判断した千冬ではあるが。

 

「いいえ。まだです」

 

 しかしそれを止めたのは真耶の言葉だった。

 

 モニターではゆっくりとだが、立ち上がるラファールの姿があった。それでも機体はボロボロだ。シールドエネルギーもだいぶ削れている。既に勝機は失せている状況であるのにも関わらず、厚一の目は、それを見守る真耶の目は、一欠けらも諦めてはいなかった。

 

「あれほどの攻撃を受けてまだ立ち上がれるなんて。驚嘆に値しますわ」

 

 100mは届くだろう高さで戦っていて、そこからの落下である。ISの絶対防御であれば死ぬこともない。シールドバリアもある為に大きなケガをする事もないだろうが、それでも衝撃まではどうにもならない。パイロットを保護するとはいえ、それは死なないように守る為で、そうでなければ強烈な衝撃で気を失うという事も充分にあり得るのだ。

 

 それでも厚一は立ち上がっている。ふらつき、中腰になって腕をだらりと下げているためにちゃんとした意識があるかどうかは疑問ではあるが、肩で大きく息をしているのならば意識はあるのだろうと判断する。

 

「ですが。これでフィナーレですわ!」

 

 ビットに命令を送り、厚一のラファールを撃たせる。それでシールドエネルギーを削り切る。

 

 だが厚一はステップで横に避け、さらには身を捻って掠めるレーザーを回避する。

 

 回避が終わると背中にISの半身ほどはあるだろう巨大なコンテナ状のパーツを装備した。

 

 そのコンテナから厚一のラファールは無数のミサイルを放ってくる。

 

「わたくしのティアーズがっ」

 

 その攻撃の嵐に2基のビットが巻き込まれた。

 

 そのまま厚一は撃ち切ったミサイルコンテナをパージ。あとは両腕の武装。アサルトライフル、バズーカ、ライフルと様々な武装を次から次に撃ち尽くしては切り替えて次の武器を手に弾幕を張り、残る2基のビットまで破壊し、セシリア自身も回避行動に専念しなければならない程の行動を余儀なくされるのだった。

 

 更にはそこから再びミサイルコンテナを装備し、コンテナからありったけのミサイルをセシリアに浴びせて行く。

 

 それを迎撃する事をセシリアは選択する。さすがに多数の誘導兵器を振り切れる程の広さはアリーナにはないからだった。

 

 ミサイルを撃ち落とすと当然生まれる爆発。そこから瞬時に離脱しようとしたセシリアはガクンッと機体が上昇できないという未知の感覚を味わった。

 

 それはブルー・ティアーズの脚部に巻き付いたワイヤーがその上昇を止めていたからだ。その先にはワイヤーの射出機を腕に装着する厚一のラファールの姿があった。

 

 そのまま思いっきり力任せにワイヤーを引く厚一。このワイヤーは災害救助時のIS仕様のワイヤーの為、パワー型ISが引っ張ったとしても千切れはしない強度があった。

 

 その引き寄せる力に僅かにセシリアの体制が崩れた時だった。一瞬で間合いを詰められたのだ。その加速力は普通のISの加速力では引き出せないものではあるが、とある技法を使えばその限りではないのだ。

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)――っ!!」

 

 ここまで、こんなにも魅せられる相手というのは初めてのことだった。これがたったの1週間、ISに向き合った人間が出せる実力なのかと。

 

「っ――!?」

 

 だが、間合いに踏み込み、腕を引き絞った厚一の背中で爆発が起き、やっと掴んだ二度目のチャンスをふいにしてしまう。

 

 厚一のラファールの背中。メインブースターのあるカスタム・ウィングが火を噴いて黒煙を上げていたのだ。

 

 考えられるのは落下時の衝撃。それに機体が耐えられなかったのだろう。そうと、その場で誰が判断出来ただろうか。

 

 よろよろと厚一のラファールは地上に降り立ち、そして機体のシステムを通じて降伏を認めた。

 

 その隣にセシリアも降り立ったが、俯く厚一に何も掛ける言葉が見つからなかった。

 

「速水さん…」

 

「いやぁ。やっぱりオルコットさんは強いや。ありがとうございました」

 

「あっ…」

 

 PICだけで機体を浮かばせて、ピットに戻って行く厚一を見送るセシリアだったが、次の模擬戦が控えているのを思い出す。それでもその背中が見えなくなるまではその場を動く事が出来なかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 厚一がピットに戻ると、そこには白いISを身に纏った一夏の姿があった。

 

「お疲れ様、速水!」

 

「あ、うん。ありがとう、織斑君」

 

「俺、かなり感動したぜ。最後は惜しかったけど、それでも男でもあんな風に戦えるんだって思うと胸が湧いてくるっていうか」

 

「そうだね。次は君の番だから、頑張ってね」

 

「ああ! 任せとけ!」

 

 とはいえ、ブルー・ティアーズのパーツ交換や補給にパイロットの休憩もあってインターバルもあるだろうとは思いながら、厚一は歩いてハンガーの方に向かって行く。

 

「速水くん」

 

「山田先生…」

 

 そんな厚一を迎えたのは真耶だった。

 

「ごめんなさい。負けちゃいました」

 

「お疲れ様です。でも、まだ終わりじゃないですよ」

 

「え?」

 

「オルコットさんの次は織斑くんとの模擬戦もありますよ? 今のうちに修理と補給を済ませましょう」

 

 そういういつも通りの笑顔で言う真耶に、厚一は自分の瞳から勝手に涙があふれて行くのを感じた。

 

「っっ、ごめん、なさいっ…」

 

 彼女の顔を見たとき、込み上げてきたのは悔しさだった。だからこれが悔し涙だと理解したのは涙を流して数秒経ってからだった。

 

「大丈夫です。速水くんは自分を出し切って、最後まであきらめなかった。悔しいと思うのは、そういう事なんですよ?」

 

「っ、ぅっ…っっ」

 

 それでも止まらない涙を腕で拭って、ISをハンガーに固定する。

 

「さ、次の模擬戦に間に合う様に修理を始めましょうか」

 

「…はい」

 

 悔しくて悔しくて溜まらない。だけども、まだ終わっていない。そう言い聞かせて、厚一はラファールの修理に取り掛かった。

 

「ご苦労だったな。速水」

 

「織斑先生」

 

 目元の涙を拭いながら、厚一は千冬と相対した。

 

「申し訳ありませんでした。織斑先生にもアドバイスを頂きながら負けてしまいました」

 

「悔しいのはわかる。だが落ち込むな。高速切替(ラピッド・スイッチ)瞬時加速(イグニッション・ブースト)。たった1週間で、新人のいったい何人に同じことが出来ると思う。誇れ。それがお前に指導した山田先生への感謝だ」

 

「はい」

 

 それでも流れる涙の余りを拭う厚一を見ながら、実際目の前の男の才能の高さという物が計り知れなかった。

 

 それも、踏み込みのタイミングや敵の隙を作る戦術性はとてもではないがISに触れて1週間と考えればオーバー過ぎる物だった。そして動きの端々に見え隠れするもの――タイミングを見切っての踏み込みの呼吸は何故だか自分と重なり、多種多様な武装を駆使し、相手を追い詰める戦い方は代表候補生時代の真耶の戦い方に通じるものがあった。

 

 笑顔で和気あいあいとラファールの修理を始めた真耶と、その真耶を見てまた悔し涙を流す厚一を見て、いったい何を吹き込んだのかと千冬は気になって仕方がなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 一夏は興奮した様子でアリーナに浮いていた。

 

 手に汗握る勝負という物は正しく今さっきまで行われていた戦いの様なものだと言えた。

 

 モニター越しにもピリピリと闘気が伝わってきそうなほどの光景だった。

 

 だから、あの時、ISのスラスターがダメになって、それ以上は戦えないと判断して負けを認めた厚一の姿に、どうしようもなく悔しさというのが一夏にも込み上げていた。

 

 それでも少しでも元気になって貰えればとあまり言葉も考えずに話しかけてみたものの、既にその時には厚一の瞳は潤んでいた。

 

 男の悔し涙は決して恥なんかじゃない。

 

「お待たせいたしましたわ」

 

「ああ」

 

 目の前の蒼いISを睨みつける。

 

 自分が纏う白式の武装はブレードが一本だけだ。だが、その名は一夏にとってはとても重いものだった。

 

 姉の振るった剣。そして男として、先に挑んだ友の仇を取る。

 

 そんな二つの想いを胸に一夏はセシリアと対峙した。

 

「わたくしはあなたにそれ程の期待はしていませんが、今は気分がとてもよろしいのです。なので、最初から全力でお相手してさしあげますわ!」

 

「上等だ! 速水の仇は俺が取ってやるぜ!!」

 

 試合開始と共に一夏は動いた。それはセシリアが既にスターライトMk-Ⅲを向けていたからだ。

 

「機動性はなかなか。初手は回避しましたのね」

 

「俺にだってこれくらいっ」

 

 1週間。一夏は箒と共に剣道の腕を取り戻す事に集中していた。というより体力トレーニングもやっていて、ISに関係する事はこれっぽっちもやっていなかったのだが、白式は思い通りに動いてくれているので正直助かったととも思う。

 

「ですが、これはどうでしょうか? ティアーズ!」

 

 早速セシリアはブルー・ティアーズ最大の兵器であるビット兵器を使用した。

 

 武器がブレード一本しかない一夏からすれば距離を開けられれば一方的にやられる未来しか見えていないのでどうにか接近しようともするものの、そうはさせまいとビットの攻撃が一夏に降り注ぐ。

 

「ブレードしか展開していないようですが。まさか武器がそれだけとは言いませんよね」

 

「おあいにくさま。この剣は世界最強の名を継いでるんだ。俺にはこれで充分だ!」

 

 そう返したものの、正直言うと結構辛いやせ我慢だった。

 

 ブレード一本で世界を取った姉。それと同じことを自分が出来るのだろうかと思ってしまう。それでも冷静に攻撃を見て身体が動くのは箒とのトレーニングのお陰だった。

 

「そうですか。では踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

 

「こなくそーーっ」

 

 セシリアの放つライフルのレーザーを一夏はその手の雪片弐型で斬り払う。

 

「っ、サムライの国の方は驚かせてくれますわね」

 

「そいつはどうも、もっと驚いてけ!」

 

 一夏は被弾覚悟でセシリアに接近する事を選んだ。先の試合を見る分に、一番威力があるのはレーザーライフルで、ビットは手数でダメージを稼ぐ武装だとアタリを付けた。何故なら厚一もビットの攻撃に関しては必要以上の防御をせずに捨て身で突進していたからだ。その判断を信じて、ビットの攻撃は最低限避けるだけで基本無視。レーザーライフルの攻撃に注力する。そして懐に飛び込んでも油断はしない。ミサイルが待っているからだ。

 

「ビットを見向きもしないなんて。あなた方は少々おかしいのではなくて!?」

 

「実力で劣ってるんだから一々気にしたってしかたねぇだろう!!」

 

 そしてビットは一夏にとって死角から襲って来ることも理解する。その上、セシリアがビットを操っている間、本人は動けないこともわかった。故に死角に意識を割いてビットの攻撃を無視し、セシリアが動けない間に近寄るしかないと一夏は考えていた。

 

 だが接近を許して痛い目を見たのはセシリアも同じだった。故に一夏を近づけまいと一定の距離を保ち続ける。それこそ瞬時加速(イグニッション・ブースト)で懐に入られる可能性すら視野に入れて、徹底的に距離を稼ぐ。

 

 近付く一夏と、離れるセシリア。お互いの距離は一定になるが。アリーナという限定された空間であるとどうしても逃げ場がなくなってくるために一度距離を再び開ける為にクロスレンジに入らなければならない。

 

 そこは一夏の距離だった。

 

「もらったっ」

 

「っ、インターセプター!」

 

 接近戦用のショートブレードを装備し、一夏の握るブレードの一撃を受け止めるセシリア。

 

「わたくしに剣を使わせるなんて…っ」

 

「今だ、白式!!」

 

 その時。雪片弐型の刀身が展開し、エネルギーブレードが生成され、つばぜり合いからブレードの刃を巻き上げられたセシリアは無防備な懐を一夏に晒してしまう。

 

 巻き上げて隙を作ろうとしていた一夏の方が切り返しは速かった。何よりも剣の間合いで負けるつもりもなかった。

 

 流れる様な横一閃の一撃に、ブルー・ティアーズのシールドエネルギーがごっそりと持っていかれた。

 

「なんて攻撃っ」

 

 だがセシリアも無様に負けてやるつもりは毛頭なかった。

 

 腰の実体弾型のティアーズを起動し、その砲門を一夏の白式に向けて放つ。

 

 至近距離の爆発。自爆覚悟の一撃。だが、それをされる覚悟も一夏にはあった。

 

「はあああああ!!!!」

 

「やあああああっっ」

 

 爆炎から身を乗り出して雪片弐型を振るう一夏と、スターライトMk-Ⅲを向けてトリガーを引いたセシリア。

 

『織斑機、シールドエネルギーゼロ。オルコット機、シールドエネルギーゼロ。よってこの試合は引き分けとなります』

 

 先ほどの静かに終わった模擬戦とは違い、観客席からは大歓声が巻き起こった事で、互いに止まっていたセシリアと一夏の時間は動き出した。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 本日3度目の模擬戦にして、最後の戦いは。今現在確認されている男性IS操縦者同士の一騎打ちだった。それこそアリーナの観客席には入り切らない程の生徒の数が犇めいていた。

 

「さっきはおめでとう。君は強いんだね、織斑君」

 

「そんなことないさ。速水がセシリアと戦っている間にあいつの動きを見れたからさ」

 

 厚一の称賛を、一夏は厚一が戦って情報を知ることが出来たからだと返した。それだけでふたりは身構えた。もとより男同士なのだ。口で語るよりも手っ取り早い方法は血が知っていた。

 

「行くぞ速水!」

 

「うん。お互い頑張ろうね」

 

 そうして試合が始まった。

 

 厚一はスナイパーライフルを装備し、一夏を狙う。レーザーに見慣れた一夏の目は実弾のスピードを如何にか見極める事が出来たが。それでも続けざまに放たれる弾丸に次々と被弾を許した。

 

 セシリアの正確無比の攻撃も脅威だったが、それに輪を掛けて厚一の射撃は強烈だった。

 

 実弾というエネルギー兵器には出来ない連射速度で弾丸を放ち、一夏の態勢を崩し、本命を打ち込んでいるのだ。

 

「まさかあのような射撃も出来るとは思いませんでしたわ」

 

 試合が終わって、ピットに居るセシリアが呟いた。自分の時とは違う戦い方。という事は先ほどの戦い方は本当に自分を想定して考えてきた必勝の策。そう考えると嬉しさが沸き上がって、光栄に思った。

 

「本当にどういう仕込みをした、真耶」

 

「別に。速水くんの射撃の腕は相当な物なんです。ああして動かなければ、動いている相手でも80%程の命中率を出せるんです。オルコットさん相手ならば難しいですけど、まだISに乗ったばかりの織斑君が相手ならそこまで速く動くことは出来ませんから」

 

 先ほどから千冬が見る厚一の光景は異様としか言えなかった。

 

 そして、自分の特性をよく理解して、戦っているのだともわかった。

 

 互いに動き偏差射撃する場合になるとIS適正の所為で反応できなくなってくるものを、自分は動かずに相手の動きの先を読んで、弾丸を置くような置き射撃をしている。それこそそうできる未来予測と高い計算が求められるのだが、ISに関してはズブの素人の一夏が相手であるから動きも読みやすくて誘導もしやすく、更に実弾兵器という弾丸と武器が保つ限り連射がエネルギー兵器よりも速い利点を生かして戦っている。

 

 そうした知識も真耶の入れ知恵ならば、とても1週間しかISに触れていない人間に教える知識量を遥かに超えている可能性もある。というより高速切替や瞬時加速を教えた時点で普通に超えている。

 

 モニターではこのままでは削り負けると判断した一夏が、ブレードで弾ける弾を弾きながら接近を仕掛けていた。

 

 間合いに入って振り下ろされる刃を、同じく近接ブレードで受け止めた。だがそこから厚一はもう片手で握っているアサルトライフルを撃ち込んだ。

 

 至近距離でアサルトライフルの直撃を許した一夏は堪らずによろけそうになるものの、それを踏ん張って白式の単一仕様能力である零落白夜(れいらくびゃくや)を発動して切りかかるが、それを厚一は肩の実体シールドで受け流した。

 

 それによって身を逸らされた一夏が振り向いた時には目の前には刃を振り下ろす厚一の姿が映っていた。

 

 立て続けに振るわれる斬撃をどうにか身を捻って避け、さらには雪片弐型で受け流すものの内心生きた心地のしない一夏ではあるが、後には退かずに踏み出し、雪片弐型を振るった事でブレードを弾き飛ばしたが。そうして武器を振り下ろして切り返す所に空いた懐の隙間に、厚一のラファールはバズーカを構えていた。

 

 至近距離でどうしようとも避けることの出来ない一撃が一夏の白式の胸に刺さり、炸裂した爆発と共に一夏の身体が打ち上げられる。

 

 その勢いを利用する様に厚一のラファールは瞬時加速(イグニッション・ブースト)で一夏の白式をアリーナの壁に打ち付け、接射状態でアサルトライフルを撃ち続けた。

 

『織斑機、シールドエネルギーゼロ。勝者、速水厚一!』

 

 空になった弾倉を捨て、新しい弾倉をアサルトライフルに装填する厚一のラファールに向けて勝利者宣言が出されるのだった。

 

 その瞬間。先程の試合にも負けない程の歓声が上がり、厚一は静かにアリーナに広がる空を見上げた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「やりましたぁぁぁっ!! やりましたよ速水くん!!」

 

「や、山田先生!?」

 

 ピットに戻って来た厚一に思いっきり真耶は抱き着いてきた。とはいえケガをさせないようにラファールをしゃがませた結果。真耶の凶器に顔が包まれるという結果になってしまったのだが、気恥ずかしさよりも嬉しさが込み上げていた厚一はびっくりしたものの、気にはならなかった。

 

「すごいです、かっこよかったです、やれば速水くんは出来るんです!」

 

「…はい。先生のお陰です」

 

 1勝1敗。負けて勝った。戦績としてはペケであるが、それでも勝てたという嬉しさは引くことはなかった。なにより涙を浮かべるくらい喜んでくれる真耶の姿に、今度は厚一も嬉し涙が溢れてきたのだ。

 

 嬉し涙を流した記憶などなかった厚一からすればそれは未知の喜びだった。

 

「だーーっ、つえーな速水っ!!」

 

 対する一夏は同じような期間で明確に勝敗を決せられた厚一に対して負けた悔しさが口を突いて出た。

 

「お前がオルコットの動きを速水との試合を通して見た様に、逆もまた然り。だったようだな」

 

「それでも接近戦に持ち込まれてKO負けだぜ? これが悔しく思わずにいられるかよ!」

 

「ならばどうするんだ? このまま負けたままで良いのか?」

 

「いいや。絶対次は勝つ!!」

 

「ああ。それでこそだ一夏」

 

「おう!」

 

 一夏も箒に励まされながらも、次なる目標が決まった。その光景をセシリアは静かに見守っていた。そして一夏への評価も改めざるを得なかった。

 

 見下した相手に引き分けにされた。ISに関わった時間で言えば負けたといっても過言でもない結果であった。何しろ本気でやって引き分けなのだ。それもブレード一本の相手に。これが負けでなくてなんというのか。

 

「織斑さん」

 

「ん? なんだ」

 

「謝罪いたします。あなたを見下していたことを。あなたはお強い男性だと、改めさせていただきますわ」

 

「え、あ、ああ。まぁ、俺もそう思われるようなことをしたからな。でも、速水に言われたんだ。俺たちみたいにただここにやって来たのとは違って、みんな努力してここに居るんだってこと。だから俺だってこれから頑張っていくつもりだ」

 

「そうですか。あなたがどれほど成長するのか、わたくしも楽しみですわ」

 

「おう。その時はお前にも勝つからなセシリア!」

 

「ええ。ではわたくしも鍛錬を怠るわけには行きませんわね」

 

 男は女の顔色を窺い、いつも頭を下げて機嫌を窺う様な弱い存在だと思っていた。だが、今日対峙したふたりの男はそうではなかった。

 

 自分と真正面から相対し、そして自分の勝利を信じて向かって来る強い心を持っていた。

 

 そして再戦を言い渡されて感じるのは高揚感だった。それは次が楽しみだという感情だった。本国では他の候補生と争っても感じなかった闘争によって感じた気持ち。そして自然と口にした更なる向上心。

 

「お疲れ様ですわ、速水さん」

 

「お疲れさまです、オルコットさん」

 

 涙の流れた赤い目元を拭いながら相対する厚一を、情けないとは思わなかった。人間嬉しければ涙を流す事はあるのだから。

 

「先程織斑さんと再戦の約束を果たしてきましたわ」

 

「そうなんだ。じゃあ、僕もその再戦の約束を交わしても良いかな?」

 

「はい。喜んで」

 

 そしてたったの1週間の合間に高等技能を習得してきた目の前の男の成長もまた、セシリアは楽しみだった。

 

 それこそセシリアにとって男の価値観にヒビを入れたのは目の前の男なのだから。

 

 優しげで、それでいて最後の瞬間まで諦めなかった強い意志を持つ瞳に射抜かれたときはセシリアも心が高鳴った。ISで競う事がとても楽しかったのだ。

 

「次は負けないから」

 

 涙目ながらも、普段の人のよさそうな人畜無害の顔ではなく、キリッとした真面目な顔に、そんな顔も出来るのかと不覚にも少し思ってしまったセシリアは、その顔を見つめて返事を返した。

 

「ええ。次こそはちゃんとした決着を」

 

 そうしてセシリアは厚一に手を差し出していた。その意図を察した厚一も、セシリアの手に自分の手を差し出して強く握り合った。

 

 男の人なのにとても細くて柔らかい手だとセシリアは厚一の手を握って思うのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「で、結局真耶にどういう教育をされたんだ」

 

 その日の夜。宿直室でいつもの様にビールを飲む千冬に絡まれながら厚一は質問攻めにあっていた。

 

「どうって。ただ教えられたことをやっていたとしか…」

 

 ISの実技に関して真耶が他人に教えている所を見たことがない厚一には何が違うのかという基準もないのでそう答えるしかなかったのだ。

 

 それを聞いて千冬は厚一から真耶が施した指導を聞くのは無理だと判断した。それでなのに真耶は頑なに厚一にはただ教えただけだというだけだ。あの真耶が珍しく頑固なのだ。気になって仕方がない上に、どう教えたら1週間で高等技術を˝3つ˝も教え込むことが出来るのかというのだ。授業が終わってから放課後は6時くらいには切り上げているのはアリーナの使用履歴でわかっているのだが、そうなるとたったの2時間ほどの平日と、土日で仕上げてきたという事である。出鱈目すぎるのも良い加減にしろと言いたいところだった。

 

「なにか真耶に見せられたりしたか?」

 

「いえ。ただ山田先生が動いたとおりにラファールを動かしたり、先生が教えてくれた通りに撃って、切って、動いてって感じでした」

 

「なんだそれは…」

 

 まるで真耶が見せた通りに動いただけだと言わんばかりの厚一の言葉に、訳が分からず千冬は追及を止めた。というより同居人の勝利を祝う祝賀会と評して酒の本数がいつもより多くても文句を言われないのだ。というより本人も酒気に当てられて少し酔っているのか、頬が朱いのだ。無粋だったかと話題を切り上げた。

 

 しかしまさかそれが言葉のままの意味だという事をこの時の千冬は知る由もなかったのである。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日。興奮冷め止まぬ女子から昨日は凄かったとか、かっこよかったとかとちやほやされて、気恥ずかしながらありがとうと返し、赤くなる頬を誤魔化すように苦笑いを浮かべながら頬を掻く厚一の姿が目撃され、クラスの中でも浮いていた厚一も少しは受け入れられた様だった。

 

「先日の模擬戦の結果を踏まえた結果、代表者はセシリア・オルコットさん。に、なるのですが。ご本人より辞退するというお話が来ました」

 

「というわけで次点での戦績は速水だが。速水、お前はどうする」

 

「え? 僕だったんですか」

 

「1勝1敗。負けたが勝っただろう。それで差し引きゼロだ」

 

「ちょっと待って千冬姉ぇ! 俺は!?」

 

「織斑先生だ馬鹿もん。そしてお前は1引き分け1敗。白星が一つもないお前がビリで確定だ」

 

「そ、そんな…」

 

 どうするのかという視線を千冬から受け取り、捨てられた子犬の様な視線も一夏から受け取る厚一だったが、答えは決まっていた。

 

「頑張ってね、織斑君」

 

「だと思ってたよちくしょーーーっ!! いだっ」

 

「静かにせんか馬鹿者」

 

 無情な厚一の言葉に一夏が吠えたが、瞬時に千冬に鎮圧されるのだった。

 

「そもそもなんでふたりして断るんだよ!」

 

「わたくしは代表候補生ですもの。確かに実力から言えばわたくしがクラス代表戦に出る事が勝利する上でも有利でしょう。しかし織斑さんや速水さんが成長できる機会を奪ってしまう事にも繋がりかねないので辞退させていただきましたわ」

 

「僕もほら。負けちゃってる上に勉強頑張らないとだから」

 

「俺にも同じことが言えると思うんだけどそれは」

 

「だって、織斑君に勝っちゃったから」

 

「お前優しいくせに良い性格してると思うよ」

 

「そうかな? よくわかんないや。あははは」

 

 取り敢えず笑って誤魔化した。

 

 敗北者に権利などないのは世の常なので、結局一夏がクラス代表をするという事で話は決着したのだった。

 

 そしてお昼には珍しく厚一は席を立った。

 

「あれ、速水くんご飯は?」

 

「今日くらいは普通に食べようかなって思って」

 

 それを聞いて声を掛けた女子というか、教室中に居た女子が厚一を見た。

 

「あ、明日は、どうなんでしょうか?」

 

「うーん。どうしよう。最近買い物してないからご飯作れないし。また食堂で食べようかな?」

 

「そうなんだ。あ、引き留めたりしてごめんね」

 

「ううん。じゃ、またね」

 

 そう言って厚一が教室から出て行くと、教室では明日の昼食をどうするのかという相談会が繰り広げられることとなった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 IS学園に入学して半月も過ぎた頃。と言ってもクラス代表候補決定戦が行われてから1週間ほどが過ぎ、座学だけではなく実際にISに関する実技も入るようになった。

 

 その日は校庭に1年1組の生徒が集められていた。

 

「これよりISの基本的な操縦を実践してもらう。織斑、オルコット、速水。試しに飛んでみろ」

 

 あれから厚一は模擬戦で使用したラファール・リヴァイヴにそのまま使用の許可が下りたので、一応は専用機持ちの仲間入りを果たしていた。

 

「え!? 俺も!?」

 

 自分が呼ばれるとは思っていなかったのか、一夏は自分を指さしている。その間にセシリアと厚一はISの装着を済ませていた。

 

「流石だなオルコット。それに速水もオルコットとほぼ同時とはな、良い傾向だ。織斑も早くしろ。熟練の操縦者なら展開に1秒もかからん」

 

「う、は、はい…」

 

 中々ISを展開出来ない一夏と、同じ期間でセシリアとほぼ同じくらいの速さで展開を終えてしまえる厚一の違いは練習量の違いやイメージトレーニングの差もあるのだろう。

 

 放課後に付きっ切りで真耶に指導を受けている厚一からすればこれでもまだ真耶に見せて貰った速度よりも遅くて満足できないくらいだった。なまじ同じラファールという機体を使っているだけに、そのイメージと実際の違いのズレが気に入らないという理由で少しでも近づこうと日々努力を絶やさないのだ。

 

 そういった意味では、独学で努力している一夏よりも厚一は数段先んじて歩いているとも言えた。

 

 一夏は白式の待機状態のガントレットを掴んで名を呼ぶことで展開を完了した。

 

 そして3人同時に飛び立ったのだが、その先頭を行ったのは厚一のラファールだった。続いてセシリアのブルー・ティアーズ、そして一夏の白式が続いた。

 

瞬時始動(イグニッション・スタート)なんて、いつ覚えましたの? 速水さん」

 

 スタートダッシュは先頭に居た厚一ではあるが、直ぐにセシリアが追いついて横並びで飛びながら質問を投げた。

 

「この間かな。山田先生に覚えておいて損はないって言われて」

 

 瞬時加速よりも停止状態からの始動になる為、覚える難易度はそこまで高くはない。と言うより瞬時始動によって先ずは瞬時加速のやり方を教える場合もある。しかし1週間前の模擬戦では使っていなかったのでその後に身に着けたのだろうとセシリアは予測を立てた。

 

 言ってしまうと瞬時加速を覚えてしまえば無用の技術である上に、開幕で相手に一直線機動で突っ込むような軌道は誰もやらないのでそこまで重要視はされていない技術ではある。

 

『なにをやっている織斑。出力スペックでは白式が一番上なんだぞ』

 

「そんなこと言ったって、急上昇とか習ったの昨日だぜ? 昨日の今日で上手くやれっていうのは無理が…」

 

 そう言おうとした所で既にセシリアと空中機動で踊るように戯れている厚一の姿が一夏の目に映った。セシリアが厚一の手を引っ張ってリードしてはいるが、厚一の飛び方は少しぎこちないもののちゃんとしている。

 

 それを見ると出来ないとは言えなかった。

 

 地表から数百メートルは離れた地点で、一夏の到着を待ちながら空中で踊る二人に一夏が漸く追いついた所で次の指示が入る。

 

『今度は急降下と完全停止をやってみろ。目標は地表10センチだ』

 

「ではおふた方。先に下でお待ちしておりますわ」

 

 そう言って先にセシリアが先行した。ハイパーセンサーでそれを見ていたが、見事に目標の10センチで止めたのは流石は代表候補生と言ったところだと厚一は感心していた。

 

「じゃ、先に行くからね」

 

「あ、お、おう」

 

 そう一夏に言い残して、重力に従う様に厚一はラファールを落とす。

 

 重力に引かれて落ちて行く機体。数百メートルはあってもそこから落ちて行くのはISという鎧の重さのお陰であっという間だ。

 

 スカイダイビングをするように身体を広げて空気を掴み、落下速度をコントロールしながら、PICを起動して機体の態勢を立て直す。そして制止させるものの。

 

「32センチか。次はもう半拍遅らせてみろ」

 

「はい。頑張ります」

 

 少しタイミングが早かったようだ。思った瞬間に反応が返って来ないというのはそれを加味して早めに反応するというまた別のタイミングを求められるため難しいのだが、そうも言ってられない。次は成功させると誓って上の一夏を見上げると――。

 

 下に――どころか地面へと全速力で突っ込んできそうな勢いで、機体を動かしていた。

 

「イナーシャル・キャンセラー全開!」

 

 一夏の白式を受け止めながら、完全停止までを処理する。

 

「あ、危なかったぁ…」

 

「わ、悪い速水。助かった…」

 

 背中に地面が当たっている感触を感じながら厚一は息を吐いた。

 

 助けられた一夏も厚一の腕の中で謝罪する。

 

「これはこれでアリかも…」

 

「速水くん優しいからやっぱり受けなのかな?」

 

「でも織斑くんからの誘い受けとか良くない?」

 

 一部に燃料を投下する事態にもなりつつ、近づいてきた千冬に厚一は軽く頭を叩かれた。

 

「他のISの前に飛び出すな馬鹿者。最悪あのまま地面に激突もあり得たぞ」

 

「はい。すみません」

 

「だが完全停止は見事なものだ。そのまま精進しろ。それと織斑は後で反省文5枚だ」

 

「うぐ、はい…」

 

 流石にあのままだと地面に突っ込む未来が見えた一夏も反論できずに素直に従うしかなかった。

 

 そして立ち上がった一夏に次の課題が言い渡された。

 

「織斑、武装を展開してみろ。それくらいは出来るだろう」

 

「は、はい!」

 

 ここまで良い所がない一夏は今度こそと意気込んで白式の武装である雪片弐型を展開した。

 

「遅い。それでは展開している間につけこまれるぞ」

 

「はい…」

 

 一夏からしても渾身の速さだったのだが、それでも数秒掛かっていた。それでも遅いと言われて一夏は肩を落とした。

 

「次はオルコットだ。織斑、良く見ておけ」

 

「はい…」

 

 肩を落としながらもセシリアに一夏は視線を向けると、一瞬で雪片弐型よりも大型のスターライトMk-Ⅲを展開した。

 

「1秒弱か。まあまあだな。だがそのライフルを横に向けるのは直せ」

 

「こ、これはわたくしのイメージを乗せるのに大切な」

 

「˝直せ˝と言っている」

 

「はい…」

 

 千冬に睨まれてセシリアも撃沈した。そうなるといよいよ残るのは厚一である。

 

「では速水、やってみろ」

 

「はい」

 

 そう返事して。厚一も武装を展開する。

 

 両肩の実体シールドと空いている左手にもアサルトライフル。

 

 合計1秒半程で展開を完了した。

 

「1秒半程度か。ふたつ同時に呼び出してそれならば今のところは合格だ。次は1秒を切れる様に努力しろ」

 

「ありがとうございます」

 

 ホッと胸を撫で下ろす厚一。だがやはり真耶の手本の方がすべて一瞬で展開していたので内心ではまだまだだと思っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「織斑くん、クラス代表就任おめでとう!」

 

『おめでと~!!』

 

 放課後に行われた一夏のクラス代表就任パーティー。いつもの様に真耶に放課後の訓練をしてもらおうと思ったものの、クラスでの祝い事には参加した方が良いという言葉を貰い、一応食堂の片隅でラファール・リヴァイヴのマニュアルに目を通しながら厚一も参加していた。

 

「いやー、やっぱ盛り上げていかないとねー」

 

「ほんとほんと。唯一の男子が居るクラスだもん。一緒になれて良かったぁ」

 

 という感じで盛り上がっている同級生の女子を見ていると今更嫌だとは言えないので、一夏は腹を括った。

 

「でも織斑くんで大丈夫かなぁ」

 

「あら? なんか不安なの?」

 

「不安というか、心配? 速水くんだって凄かったし」

 

「セシリアさんには負けちゃったけど織斑くん圧倒してたもんね」

 

「負けっていうか、あれISの故障がなかったらどうなってたかわかんないよ?」

 

「あの時の速水くんかっこよかったよね。普段は優しく笑ってるのに、あの時は獲物を狩る猛獣? みたいな顔しててカッコいいなって思ったよ」

 

「あたしあの時真正面の席に居たけど、こうビビッてなんか凄かったよ。だからゆっくり降りて行く速水くん見て泣いちゃった」

 

「あー、あれは泣くよねぇ。こう、イケるって時に不慮の事故でぽしゃる虚無感と悔しさってのはさ」

 

「でもあの時の速水くんやっぱり笑ってたよ。男の子ってその辺さっぱりしてるよね」

 

 一夏の話題で盛り上がる一方で、厚一に割と近い方の席では厚一の評判について盛り上がる女子も多かった。

 

 実際、あの中である意味注目度が高かったのも厚一だった。

 

 千冬の弟である一夏。イギリスの代表候補生であり専用機持ちのセシリアに対して、厚一には特別さはなかったのである。ある意味平凡。であるから一番感覚的には大多数の生徒と同じ感覚だったのだ。

 

 それが蓋を開けてみれば、代表候補生に追いすがり、更にブリュンヒルデの弟には圧倒して勝利した。

 

 その上に高速切替と瞬時加速を披露していたのだ。1週間という準備期間でそんな技術を身に着けた。そんな非凡さに天才なのではという噂も独り歩きしているが。1組の女子からすると努力して身に着けたんだろうという想いが強かった。それくらい普段は勉強熱心な厚一が教室では目撃されているからだった。

 

 今も食堂の集まりの片隅で何かの本を熱心に読んでいる姿が映る。ちなみに本に指を添えて文章をなぞっている時はとても集中していて話しかけないのが暗黙の了解として1組では成立していた。

 

「というわけでして、今の速水さんはそっとしておいてくださいな」

 

「なるほど。わかったわ。またあとでコメント貰いに来るから、速水くんに名刺渡しといてくれる?」

 

「ええ。それくらいでしたらお受けいたしますわ」

 

 そういう暗黙の了解を知らずに突撃取材を敢行しようとした二年生の新聞部部長の黛 薫子をセシリアがブロックしていた。

 

 せっかくのお祝いの席で、輪を外れるというのは空気の読めていない行動と言って遜色ないものだが、彼が見せる真剣さと勤勉さというのは1組にとっては最早日常だったので、殊更に悪感情を持たれるようなことはなかった。

 

「速水さん、記念写真を撮りますので、お時間よろしいでしょうか?」

 

「あ、う、うん。ごめんね。つい集中しちゃって」

 

「ふふ。一度集中してしまうと中々戻ってきませんものね」

 

「こ、声を掛けて貰えれば戻ってくるよ」

 

 指が本から離れたタイミングですかさずセシリアが声を掛けて、記念写真を専用機持ちで撮る事になったことを告げる。ついマニュアルに夢中になってしまった厚一は頬を掻いて自分はあまり写真映りは良くないと辞退しようとしたものの、セシリアが腕を引っ張って厚一を真ん中に左右をセシリアと一夏が固めたのだが、写真を撮る瞬間に1組のほぼ全員がフレーム内に押し寄せておしくらまんじゅうみたいな状態になってしまって憤慨するセシリアと、さすがに女の子の香りや軟らかさに包まれて気恥ずかしくなる厚一が目撃されて悪ふざけをした女子が引っ付いたり、それをセシリアがひっぺがそうとしたり、巻き添えにあって一夏もひっつかれて箒が不機嫌になったりと。

 

 騒がしくも平穏な日常は続くのであった。

 

 

 

to be continued…

 



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クラス代表戦篇

いまさらながらもようやく榊ガンパレ全巻集められた所為か、頭の中がガンパレード状態でどうしようもないので投稿です。

しかしラファールの武装関連を人型士魂号ベースにしたら一撃必殺のとっつきを降ろした影響か、戦闘描写がかなり地味になってしまいましてね。ちなみに前回ワイヤーを残したのは士魂号でもワイヤーくらいなら武器にしても良いかなって思って残しました。


 

 椅子に両手首と両足首を固定されて身動きは出来ない。

 

 VR機器の様な厳ついゴーグル状の機械を付けられていて前は見えない。けれども自分の状態を知る事が出来ている。

 

 それは曲がりなりにも自分はISコアと精神を同調させているからだった。

 

 ほんの一部であっても、今の自分はISの各種センサーを通して自分自身を認識していた。

 

 男にISを扱える様にさせる実験。遺伝子レベルでの調整から投薬に外科手術。

 

 投薬の負担に耐えられず、手術の負担に耐えられず、そもそも生まれることもなく、死んでいった同類の数はいったい幾つだったのだろうか。

 

 自己を認識した時から僕には死がすぐ目の前にあった。

 

 明日死ぬのかも知れない。明日は生きていられても明後日死ぬのかも知れない。それとも今日――。

 

 実験を耐え抜いても自分の現状こそが極限状態……。安らぐことも許されないそこは戦場だった。

 

 死ぬか生きるかを天秤に懸け、生を勝ち取る為に戦うだけの毎日。

 

 生きたい、生きたい、ただ生きたいとだけ願い続けて。

 

 幾人もの実験体が産み出されては廃棄される中を生き延び続けた。耐え続けた。ただ生きたかった。

 

 そんな日々はある日、けたたましいサイレンの音で終わりを告げた。

 

 ラボの中が慌ただしくなって、警備兵が走っていく。

 

 研究員の喧騒を蹴散らしてただ生き続けるだけの日々を終わらせてくれた人が居た。

 

 僕はその人の血を半分持っていたから、僕はその人を母と呼ぶことにした。

 

 51番という番号しか持たなかった僕に、速水厚一という名を与えてくれた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「っ――!!」

 

 ガバッと掛け布団を蹴り飛ばしながら飛び起きる。

 

「ハァっハァっ…」

 

 まだ太陽が昇ろうとする早朝。薄暗い部屋で、布団の上で自分の肩を抱きしめる。

 

「っ、ぐっ…」

 

 苦しくなる胸を掻き抱く。

 

「最近は、平気…だったのに……っ」

 

 ひとりで眠ると未だに見てしまう過去。何度も何度も苦痛を味わう、人を人とも思わない施設での日々。

 

「……困ったなぁ」

 

 ごろっと布団の上に横になる。ひとりで寝るといつもこうだ。

 

 だからひとりになった最近は眠れない――深く眠らずに身体は休めても意識は起きる毎日を過ごしていた。

 

 それも織斑先生との同居が始まったお陰で少しはマシになって寝れるようになった。

 

 それでも今はまたひとりで部屋に居る。だから眠ってしまって見たくもない悪夢を見てしまう。

 

「誰かを連れ込むなんて、出来ないもんね」

 

 それこそ社会的に抹殺されそうなので論外である。

 

 身体を起こして電気を点ける。シャワーで寝汗を落として、鏡に映る自分の顔を見れば、死んだ魚様に目が酷く濁っていて、顔色も死人の様に真っ青だった。目元にも最近は落ち着いていた隈がまた出来てしまった。能面の様に生気を感じない顔を数回叩いて気分を入れ替える。

 

「よしっ」

 

 シャワーを出た後はジャージに着替えて朝のジョギングである。

 

 少しずつ身体を慣らして3kmを走破する。また戻ってシャワーを浴びて、食堂に向かって朝食を取る。その次は部屋に戻って一通りの復習をする。あとは時間になって登校する。

 

 それが速水厚一の朝の基本行動だった。

 

 それがその日はちょっと違っていた。

 

 千冬との同居関係が終わると、生活リズムも少々変わった為にあまり朝から千冬と顔を会わせることも減り、フリーになった厚一にようやく朝から女生徒も話しかけられるようにもなった。

 

「おはよー、速水くん」

 

「隣良いですか?」

 

「うん。いいよ」

 

「やった! 失礼しまーす」

 

「あ、ちょ、ズルいっ」

 

「へへーん、こういうのは早い者勝ちだもん。ねー? 速水くん」

 

「そ、そうなのかな?」

 

 厚一は苦笑いを浮かべながら隣に座ったりする女子に曖昧な返事をする。確か同じクラスの女の子だったとは思うけれども名前が出てこなかった。

 

 厚一は端の席を好むので隣には一人しか座れない事が多い。その為、厚一の隣の席に座るには迅速な行動が必要になってくる。

 

 ただ中にはあからさまに身体をくっつけてくる娘も居るので気が気でなかった。いつポリスメンでも呼ばれるのかとヒヤヒヤしながら食事を終えることもあった。

 

 そうでなくともやはり一夏以外の唯一の男子生徒ともなれば様々なことを根掘り葉掘り質問攻めに遭う。そうなっているのもIS学園に入学して暫くは机にかじりつく勢いで勉強していた厚一に声を掛け難かった反動でもあった。 

 

 食堂の食事は女子向けの量である為、先に食べ終えてしまう厚一は食堂を出て、思いっきり肩から力を抜いた。

 

「はぁぁぁ。女の子ってパワフル…」

 

 朝から精神的疲労を感じながら部屋に戻ろうとすると、ズイッと誰かが後ろから飛び付いて顔を出してきた。

 

「朝からモテモテで大変だねぇ。でも、まだまだヒヨッコな子達で満足出来るのかな? 速水厚一くん」

 

「うわわわわわわっ?」

 

 前に倒れそうな姿勢を保つために力を入れながらも急な事で驚き、更に肩から飛び出してきた綺麗な女の子の顔にも驚き更に気恥ずかしくなって二重の驚きで軽いパニックになる。

 

「間近で見ると綺麗な顔ね。それに、フフ、顔赤くなっちゃって。テレてるのかな? かわいいなぁ…キミみたいな子、わたしの好みなんだよねぇ」

 

「っっ!!??」

 

 頬が触れる程に顔を近づけられ、蕩ける様な甘い声で耳元で囁かれ、更には身体も密着しているので背中に柔らかいものは当たっているし、足も何故か絡まされているし。動きたくても動けず。まるで蛇にでも絡まれたような気分で。それでいてそんな蜜のあるアプローチに厚一の頭は沸騰寸前だった。

 

「わたし、更識楯無。よろしくね、速水くん」

 

「こっ…こ、こ、こちらこそ…」

 

 しかしはて、どこかで聞いた覚えがあると記憶を辿ろうとした厚一だったが。

 

「何をしている小娘」

 

「あ、織斑先生」

 

「お、織斑先生!?」

 

 ドスの効いた声で厚一の思考を中断したのは青筋を立てている千冬だった。

 

「別に何もしていませんよ。ただ、無防備な速水くんにそれじゃあ悪い子に襲われちゃうって教えていただけですよ?」

 

「お、おそう…!?」

 

「ほう。悪い子というのは貴様の様な輩か?」

 

「いーえ。わたしなんかよりも、もーっと悪い子に、です」

 

「ふん。生徒会長ならばそれらしく振る舞え」

 

「了解しましたぁ」

 

 そう言って楯無が離れたことで自由になったが、千冬の言った生徒会長という単語で楯無の事を厚一は思い出した。

 

「あ、そういえば入学式で挨拶してたっけ」

 

「あら、覚えていてくれたなんてお姉さん嬉しい」

 

 そう言って口元を隠す様に開かれた楯無の扇子には「愛の力!?」と書かれていた。また濃いキャラの人が現れたと厚一は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「でも無防備なのは本当だから気をつけなさい。親切なお姉さんからの忠告よ?」

 

「うん…。ありがとう、更識さん」

 

「楯無って呼んでちょうだい。名字で呼ばれるのあまり好きじゃないの」

 

「そうなんだ。わかったよ、楯無さん」

 

「はい。それじゃあまた会いましょ、速水くん」

 

 そう言って楯無は厚一にウィンクして去って行った。それを厚一は手を振って見送った。

 

 驚かされはしたものの、悪い人ではなかったようだ。

 

「それで、奴に何をされた」

 

「え″っ!? と、とと、特には…っ」

 

 千冬にそんなことを聞かれた厚一は先ほどまでの楯無との絡みを思い出して見る見るうちに顔を赤くしていた。

 

「やれやれ。女に耐性が無いのも考え物だな」

 

「そ、そういうわけじゃ…」

 

 普通に接している分にはなんともなく余裕を持っている厚一ではあるが、楯無の様に身体を絡め合うスキンシップなどになるとどうしても気恥ずかしくなるのは男として仕方のない事であった。

 

「だが、急接近してくる女子には注意しろ。お前は貴重な存在であり、ここには様々な国の「女」が居る事を忘れるな」

 

「はい…。わかりました」

 

 千冬は万が一のことも考えておけという注意のつもりだったのだろう。とはいえ、そんな生々しい事にも気をつけなければならないと考えると人間不信に陥りそうだった。

 

 いつも通りに教室に辿り着き、いつも通り授業が始まるのかと思えば、その日はそうでもなかった。

 

「そう言えば速水さん。2組に転校生がやって来たことはご存じでして?」

 

「転校生? ううん、知らないよ」

 

 始業前の朝の登校時間。教室にて厚一はセシリアと話していた。大抵はISの事に関する事なのであるが、今日は話題が違っていた。

 

「でもこの時期に珍しいね。入学式に間に合わなかったのかな?」

 

 何しろまだ4月なのだ。それなら何かトラブルでもあって入学式に間に合わなかったのだろうかと思った厚一ではあるが、それだと転校生という表現は使わないようなと首を傾げた。

 

「おそらく国から送られてきた斥候ですわね。お国は中国からという事ですが、途中編入となると先ず代表候補生という線が濃厚ですわね」

 

 ただでさえ入学基準が厳しいIS学園に途中から籍を置くのだからそれ相応にまた厳しい基準がありそうなのは予想できる事だった。

 

 とはいっても2組ともなればお隣さんではあるが直接自分には関係なさそうだと判断して、ISの空中機動に関しての意見をセシリアに求めるのだった。それを聞いて仕方ないという表情を浮かべながらも、頼られているという嬉しさを滲ませながらセシリアも厚一の質問に答えるのだった。

 

 すると教室の出入り口、と厚一から見て前方の席が騒がしくなった。

 

「噂をすれば影、ですわね」

 

「かわいい女の子だね」

 

 そこでは一夏少年と話す、やや小柄でツインテールの勝ち気そうな少女が教室の入り口のドアに腕を組んで凭れ掛かっていた。

 

「鈴? お前まさか鈴か…!?」

 

「そうよ。中国の代表候補生、(ファン) 鈴音(リンイン)。宣戦布告しにやって来たわよ」

 

「なにカッコつけてるんだ? 全然似合ってないぞ」

 

「んなっ!? あ、アンタねぇ、人が折角カッコよく登場したんだから空気読みなさいよ!」

 

 そんなやりとりを見て、元気な娘だなぁと、厚一は微笑ましく思った。第一印象としては一夏と同じく表裏が無さそうな娘という印象を抱いた。

 

「おい」

 

「なによ!! って、ち、千冬さん…っ!?」

 

「織斑先生だ。それにもうSHRの時間だ。邪魔だから早くどけ」

 

「は、はい!! 一夏、またあとで来るから逃げるんじゃないわよっ」

 

「さっさとどけ馬鹿者」

 

「きゃんっ、っっぅ、し、失礼しましたぁ…っ」

 

 頭に出席簿を食らって退散する嵐のような少女。一夏の知り合いであるのなら千冬の恐さという物も昔から知っているのだろう。

 

 とはいえ、怒らせるようなことをしなければ厳しくも優しい先生だというのが厚一の織斑先生像である。なお私生活の千冬はカウントしないものとする。

 

 そうして午前中は普通に過ぎたのだが、一夏に誘われて食堂に赴いた厚一は再び嵐の様な少女と邂逅する事となった。

 

「待ってたわよ一夏!」

 

 ラーメンの入ったどんぶりをトレーに乗せて声を張り上げる鈴に、立ち止まった一夏であるが。彼女は一夏に用がある様子。自分は無関係なのでその脇を通り過ぎて厚一は食券の券売機に向かう。

 

 最近は洋食周りをローラーしていたので偶には和食でも食べようかとアジフライ定食を選択する。

 

「あーっ、アジフライ定食売り切れかぁ」

 

 そんな声が厚一の背後から聞こえると、しょんぼりと肩を落とす一夏が目についた。

 

 どうやら厚一の頼んだアジフライ定食が最後だったらしい。

 

「はい、織斑君」

 

「え? 食券? アジフライ…、って、良いよ。悪いし」

 

「いいからいいから」

 

 そう言っていつもの様に軟らかい笑みを浮かべながら一夏にアジフライ定食の食券を渡して、券売機の盛りそば大盛りを注文した。

 

「気分的に和食ならなんでも良かったんだ。だからそれは織斑君が食べてよ」

 

「悪い…。サンキューな、速水」

 

「うん。よろしい」

 

 礼を述べる一夏にニコニコと微笑みかける厚一という、普通の友達のやり取りでしかないのだが。一部女子の妄想を掻きたてる燃料になる光景を提供しつつ。一夏の隣に厚一が座し、一夏の隣に箒。厚一の隣にセシリアが座る。ここ最近の時間が合う時に同伴する定位置での座り方だった。 

 

 その反対側に鈴が座った所で一夏と鈴の会話が始まった。

 

「それにしても久しぶりだな。元気にしてたか?」

 

「普通に元気よ。アンタこそ、偶には怪我病気しなさいよ」

 

「どういう希望だよそれ」

 

 そんな風に互いに気心が知れている間柄の会話を展開する二人に箒が割って入った。

 

「それで。一夏、そろそろどういう関係なのか説明してくれるか?」

 

 それはそれはいつもよりも一段低い声で詰め寄りそうな勢いで箒は一夏に問う。

 

「どうって、ただの幼馴染だよ。お前が引っ越した後に鈴は引っ越してきたんだ。去年国に帰っちまったけどな」

 

 それを聞いて別の意味で厚一は鈴に興味が湧いた。少なからずセシリアも一夏の言葉に目を見開いていた。

 

「えーっと、凰さん、で良いかな?」

 

「ん? あぁ、確かもう一人の男でIS動かしちゃった方の速水厚一でしょ? 鈴でいいわよ。その方が呼ばれ馴れてるし」

 

 こうサバサバした子なんだと、普通の女の子よりも付き合い易そうだと思いながら厚一は鈴に質問を投げた。

 

「じゃあ鈴。もしかして去年1年で代表候補になったの?」

 

「ええ。まぁ、ちょっと大変だったけど」

 

「そうなんだ。凄いんだね、鈴って」

 

 代表候補生の凄さは身近にいるセシリアで痛感している。そんな代表候補生にたった1年で登り詰めたと聞かされては、素直に凄いとしか言葉がなかった。

 

「ありがと。でもどんなやつかと思ってたけど、案外普通…というか、なんか人畜無害そうなやつね。ケンカとかしたことなさそうな。それでISに乗るなんて災難ね」 

 

「あはは。自分でもそう思うよ」

 

 思ったことが口に出る感情的なタイプなのだろう。それでも悪い気がしないのは彼女の人柄なのかもしれない。

 

「それでも速水さんは努力を怠らずに日々邁進しておりますわ。鈴さん、あまり人を見掛けで判断しない方がよろしいですわよ」

 

 鈴が率直な印象を口にしたところで、少し険しい表情を浮かべてセシリアが割って入った。

 

「あ、そう。ていうかアンタだれよ」

 

「申し遅れましたわ。わたくしはイギリスの代表候補生のセシリア・オルコットと申します。以後お見知りおきを」

 

「へぇ、イギリスのねぇ」

 

 にこやかながら笑っていないセシリアと、口元は笑っているのに目が笑ってない鈴の間で火花が散る光景を厚一は幻視した。

 

「でも、そこまで言うなら速水って強いんでしょ? どう、あたしと勝負してみない?」

 

 まるで獲物を見つけた獣のような眼光を向けられてビクッと身体を震わせる厚一だったが。いつも通りの苦笑いと頬を掻くコンボを添えて鈴に口を開いた。

 

「あー、うん。有り難い申し出だけど、そんなに強くないから期待外れになるかもしれないよ?」

 

「なに言ってんだよ速水! クラス代表戦でセシリア追い詰めたし、俺にだって勝ったじゃないか!」

 

「へぇ…」

 

 やんわりと断ろうとした言葉をぶち壊した一夏の言葉を聞いて、獲物を前に舌なめずりをするような声を漏らす鈴にどうしようかと本気で厚一は困っていた。ちなみにそんな一夏を咎める様にジト目でセシリアは睨みつけた。

 

「な、なんだよセシリア。なんで睨んで来るんだ?」

 

「…いいえ。なんでもありませんわ」

 

 肩を落として内心セシリアはため息を吐いた。しょうがない。一夏は良くも悪くも真っ直ぐなのだ。それが良さであって悪さでもある。それが今は悪い方向に働いてしまったのだ。

 

 貴族として大人との腹の探り合いもするセシリアからして、今の一夏の行動は完全に善意だろうがアウトだ。

 

 厚一の交渉の席を横からいきなり出て来てぶち壊してしまったのだから。

 

「と、取り敢えずお昼食べよう? 鈴もラーメン伸びちゃうよ」

 

「ま、そうね」

 

 取り敢えず話題は保留。そういう意図を込めて、というより話していると昼休みが終わりそうなので一時休戦という視線を込めて言葉を放った厚一に、それを汲み取った鈴も受け入れ、互いの箸が漸く進むことになった。

 

「お疲れ様ですわ、速水さん」

 

「うん。ありがとう、オルコットさん」

 

 肩を優しく叩かれながら気遣われるセシリアの優しさが胸に染みた昼食だった。

 

 その日の放課後である。職員会議で真耶の訓練が受けられない厚一は、普段の貸し切りになっている第二アリーナから、放課後には生徒向けに解放されている第三アリーナに向かった。

 

 第三アリーナでは訓練機を纏った女子たちが日本の第二世代量産型ISの打鉄と、厚一も使用しているラファール・リヴァイヴを纏って訓練していた。

 

「見て、速水くんだ!」

 

「アリーナに来てるところなんて初めて見た」

 

「あれ? いつもは第二アリーナに居るはずじゃ」

 

「え、そうなの?」

 

 という感じで、ほとんどは一年生の女子が厚一の事を話していた。

 

 最も、第二アリーナは厚一の訓練時間では立ち入り禁止になっている為、訓練風景を見る事は叶わないのでこういう風に人の目がある場所で訓練するというのも新鮮な気がしていた。

 

「あれ。おーい速水ー!」

 

「む?」

 

 そんな姿を見つけた一夏が手を降って厚一に呼び掛ける。そうすれば箒も厚一の事を認識して顔を向けた。

 

「あら。今日は山田先生とのデートはよろしいのですの?」

 

 PICでゆっくりとアリーナの地面に居る自分達に向かって降りてくる厚一に手を差し伸ばして、言葉を掛けるセシリア。厚一の操縦技術に今更着地の補助は必要ないのだが、ISでの実技授業などで先導(リード)することも多い彼女の無意識な気遣いだった。それを無下にするのは彼女の優しさとプライドを傷つけてしまうとわかっているので、厚一も甘んじてセシリアのブルー・ティアーズの手を取った。

 

「なっ、でで、デートぉ!?」

 

「うん。今日は山田先生、職員会議の準備で忙しいんだってフラれちゃった」

 

「ふふ。では、傷心の殿方をわたくしが癒して差し上げましょう」

 

「お手柔らかに。フロイライン(お嬢様)

 

 デートと言う言葉に驚いている一夏を置いてけぼりに寸劇の様な言葉の応酬で会話をする厚一とセシリアに、箒も付いていけない世界に大丈夫かこのふたりは? という視線を向けていた。

 

「は、はや、速水! や、山田先生とつ、付き合ってるのかよ!?」

 

「うん。毎日放課後にデートしてるんだ」

 

「あれほどお上手なんですもの。きっと毎日激しいお付き合いをしているのでしょうね。わたくしの身体が保つかしら」

 

「あはは。保たないのは僕の方かもしれないけどね…」

 

「まぁ。そんなに激しいんですの? それはわたくしもお慰めのしがいがありますわ」

 

「お前たち。流石に私でもふざけているのはわかるぞ」

 

「あ、ぁぁ、ぁっ」

 

 箒がツッコミを入れて茶番劇を終わらせるが、一夏はわなわなと震えて顔が真っ赤で沸騰していた。

 

「いやぁ、織斑君の反応が面白くてつい」

 

「ふふ。速水さんとお話をしていると楽しくてつい」

 

「はぁ…」

 

 詫びれもなく言うふたりに箒はため息を吐いて諦めた。一夏が再起動するのはもう少し時間が掛かるであろう。

 

「しかし。織斑さんも純情なお方ですのね。ご苦労お察しいたしますわ。篠ノ之さん」

 

「うっ。まぁ、そうだな」

 

 セシリアの言葉に一瞬赤くなるものの、普段の一夏を思い出して肩を落とす箒に厚一も苦笑いを浮かべて彼女に同情する。箒が一夏の事を好きなのは普段から見ていればわかる上に、おそらくは鈴もそうなのだろう。だが肝心の一夏が絵に描いた様な鈍感朴念仁である為にふたりの恋は無事成就するのだろうかと心配になった。

 

「それで、速水さん。如何なさいますか? 山田先生がどういう教練をしているのかわたくしは存じ上げていませんので、何を教えられるかはわかりませんが」

 

 そして漸く真面目な言葉で要件を話すセシリアに、最初からそう話せと箒は思わずにはいられなかった物の、あれはちょっとしたお遊びと狼狽える一夏が実際面白かったので興が乗ってしていたものに過ぎない。些か品に欠けるかもしれなかった物の、空気を合わせてくれた厚一のノリの良さと一夏の反応に少し悪戯心がくすぐられたというのもある。

 

「じゃあ、射撃を見て貰っても良い?」

 

「ええ。構いませんわよ」

 

 という事でスナイパーライフルを構える厚一をシューティングレンジに誘って、セシリアは先ずその射撃を見た。

 

「おい一夏、帰って来い」

 

「ぁぅ、ぁ、ぁあ……」

 

 一夏が鈍感なのはもしかしたら物を知らなすぎるからじゃないかと、箒は思わずにはいられなかった。

 

「命中率96%。また腕を上げましたわね」

 

「これ以上が無理なんだ。山田先生は今はこれでも良いって言ってくれるけど」

 

「ご納得がいかない様子ですわね」

 

「先生は目の前で99.89%を見せてくれたからね」

 

 ターゲットが表示されてからの反応速度。そして命中率。どれも一月で身に着けるのには無理ではなくとも、やはりオーバーペースではある。

 

 そしてセシリアは、厚一の感覚が少しズレていることに気付いた。それを真耶が気づいていないとは思えない。それを指摘しない理由でもあるのだろうか。

 

 もしくは指摘していても、厚一の設定している理想が高すぎるのだろうか。

 

 理想が高い事は何も悪くはないのだが、しかしそれに現実が追いつかなければ意味がない。

 

 それこそ教員と生徒を比べた所で仕方のない事なのだ。でなければ何のために教員が存在するというのか。

 

「回避のタイミングは悪くありませんわ。あとゼロコンマ3秒程早く回避すればレーザーのエネルギーの影響も受けずに避けられますわ」

 

「うん。ありがとう。やってみる」

 

 射撃の後は回避行動も見て欲しいという事で、レーザーを完璧に避けられるようにと言われて、敵に塩を送るような事になるのだが。それでもセシリアは厚一の熱意に負けて回避行動を実際に攻撃を撃ち込んで問題を修正していく。

 

 気づけばアリーナの使用時間も終わりが迫っていた為にお開きとなった。ロッカールームの備え付けのシャワーを浴びて、さっぱり気分で厚一は寮に戻った。

 

「一夏のバカ!! 犬にかまれて死ねっっ」

 

 ほっかりぽかぽかで少し顔がぽややんっとしている厚一の耳に物騒な言葉が聞こえて慌てて周囲を見渡したら後ろから誰かにぶつけられてしまった。

 

「うわわわわわっっ」

 

「きゃああっ」

 

 いきなりの事だったので反応も遅れてそのまま厚一は倒れてしまった。

 

「いたたた。な、なに?」

 

「ごっ、ごめんなさい…っ」

 

 顔を後ろに振り向ければそこには鈴が居た。ぶつかって来たのが鈴らしく、厚一の背中に倒れるような形で居た。

 

「ケガはない?」

 

「うっ、うん…」

 

 取り敢えず倒れた姿から向かい合う様に座り合ったものの、ケガはなさそうなので安心するのも束の間。

 

「……紅茶で良ければご馳走するよ」

 

「っ、……うん」

 

 涙を溜める鈴に、厚一は立ち上がって手を差し出した。

 

 物置だった宿直室を片付けた部屋であるから一通りの設備は揃っており、ひとつの部屋を誰かと共有して生活しなければならない寮での生活であるから厚一はプライバシーが一番守られている生活を送っていた。

 

 泣いている鈴をあのまま返してもルームメイトにその理由を話さなければならないだろうと思い至った厚一は、落ち着くまで鈴にお茶をご馳走するという名目で部屋に連れて来たのだ。

 

 なんだか犯罪を起こす一歩手前な状況推移であるが、純粋に鈴を心配しているのであって決して疚しい事はないと結論づけて紅茶の入った湯呑をお盆に乗せ、テーブルの前に座る鈴の所に戻った。

 

「はい。どうぞ」

 

「…いただきます」

 

「熱いから気をつけてね」

 

 湯呑に紅茶という紅茶の愛飲家にはバカにされるかもしれないものの、あり物の道具はこれしかないので仕方がないのだが。茶葉に関してはセシリアから貰った物なのでとても美味しいのは確かだった。

 

 ダージリンティーの香りを楽しみながら、ちびちびと飲んでいくと、コトリとテーブルに湯のみを置く音が聞こえた。そして鈴が立ち上がった。

 

 口に合わなかったかと、香りを楽しむために瞳を閉じていた。という事にして涙目の鈴を見ないようにしていた厚一が薄目を開けて彼女を見ると、そのまま鈴はゆらりと幽鬼の様な足取りで厚一の前に来ると、そのまましゃがんで厚一の胸に凭れ掛かって来たのだった。

 

「り、鈴…?」

 

「やっぱりあたしって、魅力ないのかな……」

 

 耳を凝らしていても聞こえるかどうかという程の声量で放たれた声に、厚一は紅茶の入った湯呑を取り敢えず脇に置いて、鈴の頭を撫でながら、背中を優しくぽんっぽんっと、泣いている子供をあやすように叩いてやると、次第に肩を震わせた鈴は声を押し殺して厚一の服にしがみついてその胸に顔を押し付けながら泣き始めてしまったのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 たっぷり30分は泣いた鈴が落ち着いたころに厚一は鈴に何があったのか訊き始めた。

 

「一夏が、約束を覚えてなかったの」

 

「約束…?」

 

 それはまだ一夏も鈴も中学生の頃の、小さな女の子の精一杯の勇気を振り絞った。

 

 ちいさくてとてもたいせつなおはなし。

 

 その頃の一夏はよく鈴の親が経営していた中華料理店に通っていたらしい。

 

 そして一夏の事が好きだった鈴は勇気を出して、料理が出来る様になったら毎日酢豚を作ってあげるという約束をしたという事だ。

 

 だが、今日。つい少し前。厚一の背中に鈴が追突した原因はそこに在った。

 

 鈴のそれはある意味一生分の勇気を振り絞っただろう告白。

 

 だが一夏はご馳走してくれるという意味で受け取ってしまっていた事だ。しかも、酢豚を「作ってあげる」という言葉を「奢ってくれる」とまで鈴に言ってしまい、内容まで若干間違えて覚えていなかったというのがトドメだった。

 

 つまり味噌汁を毎日作ってくれと言う告白の変化球だが、それでもその時の鈴にはそれで精一杯だったのだろう。

 

「じゃあ、もう鈴はどうすれば良いか、わかってるよね?」

 

「…うん」

 

 厚一の胸から膝に頭を移してうつ伏せになっている鈴の頭を絶えず撫でたり手櫛で髪を梳いたりして、背中も一定のリズムで変わらずに叩いていた。

 

 それはとても心地が良くて、色々な感情でぐちゃぐちゃになってしまった鈴の心を温かく包んでいた。

 

「織斑君がああなのはもうすぐにはどうにもならないから、はっきり言うしかないよ」

 

「そうね。あいつ、中学の頃だって告白してきた女の子の『付き合ってください』って言葉を買い物に付き合ってくださいって意味に曲解したのよ!? あり得ないってば! どんだけバカなのよっ! バカ! ニブチンっ! 唐変木!!!!」

 

 相当鬱憤が溜まっているらしい。泣いてぐちゃぐちゃになった感情が落ち着いたところで改めて一夏に対する怒りが爆発してきてしまったらしい。

 

「でも好きなんでしょ?」

 

「うっ、う~~~~~っっ」

 

「あはは」

 

 横に向いた顔で厚一を見上げていた鈴はその返しに恥ずかしくなって厚一の膝の間に顔をうつ伏せに埋めて唸りだした。

 

 そんな姿が可愛らしくて、微笑ましくて、厚一は笑った。

 

「さ、いつまでもこんな格好してたらダメだよ。こういう格好は、好きな相手の前でしてあげないとね」

 

 誰にだって弱ってしまう事はある。誰かに甘えて泣いてしまうことだってある。それでも何時までも女の子が無防備な姿を男に見せていてはダメだと鈴を立たせようとするも。

 

「……いいもん」

 

「え?」

 

 無遠慮に泣き散らしたのが今更に恥ずかしくなってきたのか。耳まで赤くなりながら、それでもまた顔を半分だけ横にして鈴は厚一を見上げた。

 

「…厚一なら、いいって、言ったの」

 

「はい?」

 

 流石に何を言われているのか言葉は理解できても意味がわからなかった。

 

「大丈夫ってわかるから」

 

「僕も一応男なんだけどなぁ…」

 

 苦笑いを浮かべながら今一言葉の意味が見えてこずに頬を掻く厚一。つまりどういうことなのだろうか。

 

「いいじゃん。現役女子高生に甘えられてるんだから…」

 

「そう言うのって恋人同士とかでするもんじゃないかな?」

 

「そう? 別にあたしが気にしてないんだから良いんじゃないの? それに厚一の膝の上ってなんだか安心するし」

 

「安心するしって言われてもなぁ」

 

 嬉しくはあるものの、鈴の様な可愛らしい女の子にくっつかれていると妙な気分が湧いてきてしまう程度には厚一とて男の端くれではあった。

 

「ふーん。厚一はこんなあたしでもちゃんと意識してくれるんだ…」

 

 そんな厚一の様子を見て、ニタニタと厭な笑みを浮かべて鈴は言ってきた。

 

「鈴って確信犯だよね?」

 

「そりゃ、一応自分の身体のレベルくらいわかってるもん」

 

 膝の上でうつ伏せからから仰向けになった鈴は、泣いた後だから仕方がないのだが。潤んだ瞳と朱い頬は思わずドキリとしてしまう魅力があった。

 

「そっか。まぁ、鈴は可愛いんだから大丈夫だよ」

 

「ほんと? あたしでも魅力ってある?」

 

 狙ってやってるのか天然なのか。膝の上で小首を傾げる今の鈴はとても魅力的に映っているのは確かな事だった。

 

「あるよ。元気な所。サバサバしてるから付き合いやすい所。こんな風に甘える所。ツインテールもポイントは高いと思うよ」

 

 厚一は鈴の頭から手を放して肩を掴んで身を起させた。のだが、不満げな顔を浮かべた鈴は腰を上げて身体を後ろにずらすと、厚一の膝の上に腰を落としてしまう。

 

 そのまま肩越しに振り向く顔は涙で目元が赤くなっているが、それでも元気にはにかむ鈴の顔がそこにはあった。

 

「え、っと…。鈴?」

 

「…一夏が好きじゃなかったら厚一に惚れてたかも」

 

 昨日今日会った女の子にそう言われて、それが可愛い女の子ならば余計に意識するなというのは無理な話で。厚一の脳裏に千冬の忠告が甦るが、流石に傷心の女の子を突き放す様な非情さは持ち合わせていなかった。

 

「あはは。鈴みたいな女の子に好かれるなら光栄だね。さ、お風呂貸してあげるから顔とか洗ってきなよ。もう良い時間だからね」

 

「うん。…ありがと」

 

 そう感謝して小さく笑みを浮かべる鈴を見て、厚一も柔らかい笑みを浮かべて返事を返した。

 

「どういたしまして」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌朝。クラス対抗トーナメントの対戦相手が発表され、申し合わせたかのように1組代表の一夏と、2組代表の鈴の対戦カードが組まれていた。

 

「よかったの? 鈴の事探してたみたいだよ?」

 

「いいの! 女の子との約束を覚えてない男の風上にも置けないバカ一夏はしばらくムシしてやるっ」

 

 その日の厚一は昼を屋上で食べていた。食堂に向かおうとしたところを鈴が誘って、彼女の手料理の酢豚を食べていた。甘辛で丁度良い酸味か箸をいくらでも進ませる。肉も軟らかくて、なのに野菜類はしゃきしゃき感が消えていない。

 

 作り方を教えて貰いたいくらいだったが、花嫁道具のレシピを教えてなどとは言えなかったので断念した。

 

「ご馳走さま。美味しかったよ」

 

「お粗末様。当然よ、一夏に目に物見せたくて必死で練習したんだもの」

 

「そんな大事な料理なのに僕に食べさせちゃって良かったの?」

 

「いいの! 昨日のお礼だってあるんだから、厚一は別なの」

 

 そう言って弁当箱を片付けた鈴は、屋上の芝生の上で正座で座っていた厚一の膝に寝転がって頭を乗せた。

 

「鈴?」

 

「頭、撫でて」

 

「あはは。りょーかい」

 

「んっ」

 

 酢豚をご馳走になったお礼にこれくらいならば構わないと、厚一は鈴の頭を撫でた。撫でるだけでなく手櫛で髪を梳く。これが鈴は好きなのは昨日の時点で厚一は見抜いていた。

 

「んー…。気持ちいい。厚一の手ってヤバいわね。クセになりそう。ていうかもうなってるけど」

 

「そうかな? 普通だと思うけど」

 

「気持ちよくて溶けそう……」

 

 まるで猫みたいだと思いながら、昼の予鈴が鳴るまでそのまま海から吹く風を感じながら静かな時間を過ごすのだった。

 

 その日の放課後。訓練を終えて部屋に戻って来た厚一だったが、部屋のドアがノックされて開けてみれば、物凄い不機嫌で今にも泣きそうな鈴が立っていたので、また紅茶を淹れる事になった。

 

 一夏に反省の色なし。さらには鈴を貧乳呼ばわりしたらしい。

 

 いや鈴はこの身体にして丁度良い大きさの胸だと思う厚一だったのだが。

 

「あの箒だかモップだか知らないけど、あの子見れば足りないって思うじゃない!!」

 

「あー、うん。まぁ……?」

 

 と言われて箒の事を思い出す。確かに箒も普段の制服姿や、先日のISを纏っている時のISスーツではっきりした大きさを見ると、高校生であれは大きすぎるとも思わなくもない。それを言うならセシリアくらいの大きさで充分であるとは思うし、人それぞれの身体に合った大きさという物はある。

 

 その中に一部例外として真耶を思い浮かべたが、それは仕方がない。あれはもう一つの凶器だ。

 

「どうせ厚一も大きい方が好きなんでしょ?」

 

 ここ数日ですっかり気に入ってしまわれたらしい膝枕を貸しつつ、不貞腐れた様子で言う鈴の言葉に厚一はどう返した物かと悩むものの、下手に誤魔化す様なことはせずに答える事にした。

 

「好きというか。目は行っちゃうかな。相手それぞれだからどうとも言えないけど。だから胸がどうこうじゃなくて。僕はありのままの鈴が好きだから、今は今のままでも良いと思うんだ」

 

 率直な意見を口にしてみたものの、それが告白したみたいに感じて気恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻く。

 

「やっぱ厚一はあのバカと違って乙女心がわかってるわね」

 

「そうかな? 普通だとは思うけど」

 

 取り敢えず喋る事でささくれた乙女の心は元気になったらしい。

 

「ねぇ。もうちょっとこうしてて良い?」

 

「うん。別に構わないよ」

 

 元気に見えても思春期真っ盛りの女の子。好きな相手に傷つけられる様な言葉を浴びせられて平気なはずはなく。鈴の甘えをただ厚一は赦すだけだった。

 

 そしてクラス対抗戦当日。一年生の全生徒がアリーナに集まっていた。

 

 厚一は専用機持ちという事で特等席であるピットの中のモニターで観戦する事が許された。それは同じく専用機持ちのセシリアや、一夏に着いてきた箒もピットに入っていたが。

 

 厚一は一夏の側のピットではなく、鈴が待機してる方のピットに姿があった。

 

「あれ、厚一じゃん。どうしたの? もしかして敵情視察?」

 

「まさか。ただ今日は恋する女の子の味方なんだ」

 

「ぷっ。似合わないセリフ」

 

「うん。自分で言ってみてそう思った」

 

「そっ。でもありがと。ここで一夏の奴をギャフンと言わせるところ見ててよ」

 

「うん。行ってらっしゃい、鈴」

 

 ハイタッチを交わしてISを纏って飛んで行く鈴の背中を、その勝利を願って見送った。

 

 1組の厚一が2組の鈴を応援するのは裏切り行為なのだが、それでも個人的に応援するくらいの自由はあってしかるべきだと思う。

 

「こちらにいらっしゃいましたのね。随分と探しましたわ」

 

「オルコットさん? どうかしたの」

 

 鈴の姿を見送っていると、まるで時を見計らった様に背中からセシリアの声が降り掛かって振り向いた。

 

「いいえ。あちらのピットに速水さんの姿が見られませんでしたので」

 

「そう。なんだか悪いことしちゃったね」

 

 それは2組の鈴を個人的に応援しようとしていた手前、ちょっとした後ろめたさもあって誰にも告げずに鈴のもとにやって来てしまったのだが。わざわざセシリアに探させてしまったのなら彼女には伝えるべきだったかと反省する。少なくともセシリアは話せばわかってくれる相手であると知っているのだから。

 

「構いませんわ。速水さんが何処に居ようとも、それは速水さんの自由ですもの」

 

「うん。ありがとう」

 

 何処に居ても自由。

 

 何気ない言葉だったのかもしれない。だが、果たして今の自分に自由などあるのだろうか。

 

 IS学園という如何なる国の干渉も受けない場所であるからこうして自由に過ごせているのだろう。

 

 だが、この学園から一歩外に出た時は?

 

 そこには唯の速水厚一という無力な人間が居るだけだ。

 

 国が本気になれば一個人の人生など簡単に消せるのだ。

 

 簡単にはISを使えない学園の外では最悪の場合なにもできずに何処かへと連れていかれてしまうという事だってあるかもしれないのだから。

 

「…申し訳ありません。失言でしたわ」

 

「そんなことないよ。ごめんね」

 

 そんな事を考えてしまった厚一の内心を察したセシリアが謝罪するものの、そういう事を察せさせてしまった自らの脇の甘さこそ過失であったと謝る。

 

「速水さんはこの試合をどう見ますか?」

 

「能力的には鈴が上だろうね。単純なISの搭乗時間に1年程で代表候補生になった才能と実力。たぶん鈴は感覚でISを動かしてるタイプだ。それでもって近接戦闘型。属性が織斑君と丸被りだ。一撃必殺の刃も当たらなければどうってこともないだろうし」

 

「あれを捌いた方の意見は説得力がありますわね」

 

 実際捌けずに大ダメージを負って引き分けたセシリア。それを見て自分の身に触れさせなかった厚一。実感の籠った分析だった。

 

「オルコットさんはどう見るの?」

 

 先日の放課後に一夏と共に居る光景を目の当たりにしたので、少なからず一夏にも何かしらの指導をしているのではないかと厚一は見ていた。

 

「一応隠し玉は用意してありましてよ。ただあとはタイミングですが」

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)かな?」

 

「あら、わかっても種明かしが早くては面白味が欠けてしまいますわ」

 

「あはは。ごめん。でもそうなると5分ってところだね」

 

 瞬時加速と零落白夜の組み合わせはそれこそ国家代表時代の千冬と同じ組み合わせである。

 

 あとは使うタイミング次第で勝ちを拾える可能性はある。

 

 モニターでは既に一夏と鈴による試合が始まっていた。

 

 ブレードと青龍刀が激しくぶつかり合って火花を散らしていた。

 

「なかなかやるわね。反応速度は悪くないみたい」

 

「当たり前だ。剣の間合いで負けられるかよ」

 

「そういえばそうね。千冬さんと同じステージだもんね。でもチャンバラやるだけがISじゃないのよ!」

 

 幾度か打ち合い反応速度を計った鈴は次の行動に移った。

 

 鈴のISである甲龍(シェンロン)に搭載されている第三世代兵装――両肩の非固定部位から放つ衝撃砲が一夏の白式を吹き飛ばす。

 

「今のはジャブだからね」

 

「っ、なんだ今の…」

 

 一夏からすれば見えない何かにいきなり殴られて吹き飛ばされた気分だった。

 

「衝撃砲?」

 

「空間自体に圧力をかけて砲身を生成。余剰で生じる衝撃それ自体を砲弾として放つ。わたくしのブルー・ティアーズと同じく第三世代兵装ですわ」

 

「砲身どころか砲撃が見えないのか。クロスレンジじゃ相手にしたくないなぁ」

 

 とはいえ見えないのならば見えるようにする方法はある。

 

 そう考えている厚一の横顔を見るセシリア。

 

 既に鈴を攻略する方法を考えているのだろう。気が早いかもしれないが、それでも仮想敵としてイメージトレーニングをする事は大事なことだ。

 

 ISに乗る事で開花する才能。もし厚一が女であれば苦労する事もなく気楽なぽやっとスクールライフも送れたのだろうが。それはもしもの話。故に獲物を狩るような獰猛さの見え隠れする表情でモニターを観戦する厚一を痛々しくも思う。

 

 試合は鈴がクロスレンジでの衝撃砲を放つことで優勢に進み、一夏は劣勢に立たされつつあった。

 

 どうしても近づかなければ攻撃が出来ない一夏であるが、攻撃を受け止められ、そして受け流され、衝撃砲を撃ち込まれる。何度攻めても最終的な運びはその様に反撃されてしまう。

 

 どう攻略すれば良いのかという物が一夏には思いつかなかった。タイミングを計ろうにも、零落白夜は諸刃の剣だ。相手のシールドエネルギーを直接切り、絶対防御を発動させ、シールドエネルギーを大幅に消耗させる代わりにその発動中は自らのシールドエネルギーも消費するのだ。

 

 故に使いどころが難しいが一撃必殺なのは間違いない。

 

 それで姉は天下を取ったのだ。

 

 同じ血が流れている自分に出来ないはずがない。千冬に比べて自分は遥かに劣っていても、条件は同じ。あとは逆転の瞬間まで粘り続けて絶対に勝つのだという想いを胸に、一夏は耐えていた。

 

「…織斑君の空気が変わった。仕掛ける気だね」

 

「え?」

 

 鈴の攻略法を考えながらも、厚一は一夏の動きも見ていた。クラス代表決定戦で戦った時よりも格段に動きにキレがあった。そして瞬時加速を手に入れたのなら、タイミングさえ合えば試合をひっくり返せる可能性は充分にある。そして一夏の顔が変わったのを厚一は見逃さなかった。

 

 そして、仕掛けようとする一夏を制止する様にアリーナに大爆発と振動が響き渡った。

 

「なっ!?」

 

「なんですの!?」

 

 その光景とピットにまで響いた地響きに、セシリアと厚一は座っていた待機用のベンチから立ち上がった。

 

「織斑先生」

 

 緊急事態だと把握した厚一はすぐさま管制室の千冬に通信を入れた。今日のクラス代表戦で監督として管制室に詰めているのは知っていた。

 

『此方でも把握している。侵入者だ。それとアリーナの遮断シールドが最大レベルで設定されてここは陸の孤島になった』

 

「加えて緊急用シャッターも降りてますね。これじゃ逃げられない」

 

『そういう事だ。今現在上級生と教員で解除を試みているが時間が掛かる。制圧部隊の投入もまた然りだ』

 

「ピットはおっぴろげですけどね」

 

『なんだと?』

 

 厚一の言う通り、ピットは遮断シールドも緊急用シャッターも降りていない。ただし、アリーナの中に向かうのにはという条件が付いているが。

 

「中に入って二人を援護、回収。制圧部隊突入までの時間稼ぎを提案します」

 

『ダメだ。最悪の場合援護に向かう側をも危険に晒す可能性も高い』

 

「とはいえ自分の方が織斑一夏よりも動けるのは確かです。さらに言えば白式は致命的に遅延戦闘に向いていません。それでは凰鈴音も危険に晒すことになります。そうなれば日本の国際情勢的によろしくないのではありませんか?」

 

『速水、きさま…』

 

「速水さん…っ」

 

 厚一の言葉を聞いていた千冬とセシリアにはなにを考えているのか充分に理解できた。

 

 日本の立場を守り、更に有益な存在を守る為にも、無価値な自分を投入して制圧部隊到着までの捨て石にしろということなのだ。

 

『バカなことを言うな。お前も一人の生徒だろうが』

 

「二兎を追う者は事を仕損じますよ?」

 

 既に厚一はラファール・リヴァイヴを展開し、機体を包む大型シールドまで展開している。

 

「待ってください! わたくしも共に」

 

「オルコットは待機。要救助者収容と同時に侵入者への警戒を厳に。救助対象に対して妙な真似をする様なら迷わず撃て」

 

 ただ冷たく厚一はセシリアの言葉を遮り、瞬時始動(イグニッション・スタート)でアリーナに飛び出した。

 

 その背を直ぐに追いたかったセシリアであるが、足が床に貼りついたように動かなかったのだ。気づけば胸の前で組まれた手がカタカタと震えていたのだ。

 

 まるでいつもの優しい厚一などはじめからどこにもいなかったかのように、能面の様な表情とどす黒い闇を携えた瞳を向けられて恐怖してしまったのだ。

 

 アリーナに入った厚一はすぐさま地表で空に向かってドカドカとビームを連射している侵入者に向けて突進した。

 

 黒く、両腕が異様に太く、頭部も複眼カメラという異形のISに向かって。

 

「速水!?」

 

「え? なんで厚一が居んの!?」

 

 謎のISに向けて一直線に向かって行くラファール・リヴァイヴ。それの操縦者が厚一だと表示されると直ぐに一夏と鈴のISに通信が入った。

 

『お二人とも、速水さんが時間を稼いでいる内にこちらのピットに逃げ込んでください!』

 

「な、セシリア!? 速水を置いて行けってのかよ!!」

 

「…それしかないって事ね」

 

「鈴!?」

 

「よく考えなさい! あんたのエネルギーはほとんど残ってないんだから足手纏いでしょうが」

 

「それでもエネルギーが無いわけじゃない!」

 

「そんな状態でどう戦おうっていうのよ!!」

 

『言い争いをしている場合ではございませんでしてよ! ここは一度戻って態勢を立て直さなければなりませんわ』

 

「だからって速水だけ置いて退けるかっ」

 

 頑なに退こうとしない一夏に鈴は怒りが募っていた。

 

 正面からミドルレンジで次々と武装を展開して弾丸の嵐を浴びせているものの、シールドを貫通できていないのか謎のISはビクともせずに厚一のラファールに向かってビームを浴びせている。

 

 その間にも厚一の視線がチラチラとこちらを向いているのを、鈴はハイパーセンサーで確認していた。

 

「ここは逃げんのよ! あたしたちが居るから厚一も気になって集中して戦えてないのがわかんないの!?」

 

 厚一の纏うラファールは大型の実体シールドを両肩に装備した防御型。近接型であり試合によって少なからず消耗している自分達よりも遅延戦闘向きであることは、ISの世代差を考えても理解できる事だ。

 

 セシリアの言う通りに先ずは一度撤退して体勢を整えて、戦えるだけのエネルギーの補給をして第三世代IS三機の集中攻撃で侵入者を仕留めるというプランが一番効果的でもある。今此処で駄々を捏ねることこそ無駄でしかなく、そして自分達を信じて殿と囮を買って出た厚一の想いを無下にすることだとどうしてわからないのかと。

 

 それでも幼馴染みとしての付き合いから言葉で言っても今の一夏は頷きそうにないのはわかってしまうため、殴ってでも担いででも連れていこうとした時だった。

 

「っ、くっ!!」

 

「あっ、ちょっと待ちなさいってば一夏!!」

 

『織斑さん!?』

 

 鈴の制止を振り切って、一夏は厚一のもとに向かった。

 

 なんで同じ男で、同じ期間しかISに乗っていなくて、それでいて目立った武器も載せていない第二世代のISで戦っている厚一を置いて、どんなISでも一撃で斬り伏せられる自分が逃げなければならないのか。

 

 確かにシールドエネルギーは鈴との戦いで消耗している。そう長くは戦えないだろう。それでも戦えなくなる前に相手を力を合わせて倒せば良いはずだ。一夏はそう考えていた。

 

「うおおおおおっ!!」

 

「織斑君!?」

 

 謎のISに切りかかる一夏だったが、間合いに入る前に謎のISが気づき、その砲口を一夏の白式へと向けた。

 

 攻撃をギリギリで回避し、零落白夜を叩き込む。

 

 その為に加速した一夏の目の前に割って入る影があった。

 

「速水!?」

 

 ビームが謎のISから放たれ、それを厚一は肩の実体シールドで受ける。

 

「っ…ぐ!」

 

 その衝撃は凄まじく、PICで浮いている機体を揺るがして後退させる程のものだった。

 

「此処は僕に任せて早く行って!!」

 

 そのまま厚一は一夏に目もくれずに謎のISに向かって瞬時加速で間合いを詰めた。

 

 再びビームが放たれるが、それをまた実体シールドで受けるものの二発目には耐えられずに、実体シールドが融解を始める。それでも構わずにラファールを突き進ませる。さらに三発目の直撃を受けたビームの爆発の中に厚一のラファールが消える。

 

「速水!!」

 

 叫ぶ一夏であったが、爆煙の中を肩の実体シールドをパージした厚一のラファールが突き抜けて行く。

 

「でええええええあああっ!!!!」

 

 その手に握り締めたブレードを振り下ろすも。

 

「っ――!!」

 

 謎のISの巨大な腕が木端の様に厚一のラファールを撲り飛ばした。

 

 地面を転がり、アリーナの壁にぶつかって漸く止まるラファールは遠目から見ても火花を散らしていた。

 

 攻撃された負荷で駆動系にダメージを負ってしまったラファールはめり込んだ壁から動き出せずにいた。

 

 そんなラファールに歩み寄って、謎のISは腕のビーム砲を向けてエネルギーをチャージする。連射していても相当の威力を持つビーム砲をわざわざチャージする意味はただひとつ。この場で厚一を仕留める為だと誰にでもわかった。

 

「やめろぉぉぉぉ!!」

 

 それをさせまいと、今一番謎のISに程近い一夏が斬りかかるが、振り上げた雪片弐型ごと腕を掴み上げられてしまう。そのパワーはISを軽々とアリーナの壁まで撲り飛ばせるだけあって、白式でも押し切れないどころか抗うだけで精一杯だった。

 

「あっ…」

 

 ラファールを撲り飛ばした謎のISが、一夏の方を向いた。

 

 一夏の頭で再生される、撲り飛ばされるラファールの姿。そして壁に激突し、火花を散らす機体。

 

 自分より強くて、目標で、いつか戦って今度こそは勝つと決めていた男が、あっさりとやられた。

 

 呆けている一夏を嘲笑う様に再度謎のISはラファールの方に向き直った。

 

「やめろって言ってんでしょうがあああっ!!」

 

 ビーム砲をチャージしていた腕を斬りつけて射線を外したのは鈴の甲龍だった。

 

「その手をお離しなさい!」

 

 更に白式の腕を掴んでいた腕を狙撃して撃ち払ったのはセシリアのブルー・ティアーズだった。

 

 そのままブルー・ティアーズから次々と放たれるレーザーを避けながら謎のISは白式から離れていった。

 

「セシリア!」

 

「織斑さん、早く速水さんを!」

 

 アリーナのフィールドにまで降りて、自身の前に立ったセシリアにそう言われて一夏は厚一に視線を向けた。身体を動かしてもISが動いてくれないのか、まだラファールは壁にめり込んだ状態で抜け出せていなかった。

 

「厚一を助ける時間は稼ぐから早く行きなさいよ!」

 

「ま、待てよ! 時間を稼ぐなら俺が」

 

 更に鈴も一夏の前に出て告げるも、一夏には納得出来なかった。

 

「機体特性的に見ても鈴さんと組む方がより効果的に足留めが可能ですわ。織斑さんの白式ではわたくしにも負担が掛かります。今はそうしたリスクを負うことは出来ません。それでも聞いて頂けないのならハッキリと言わせていただきます。足手纏いは邪魔なので早く速水さんを助けて下がってください」

 

 スターライトMk-Ⅲを油断なく構えながら声だけでセシリアは一夏に告げる。その声には突き放すと共に僅かばかりの棘があった。

 

「くっ。でも、男が女を置いて逃げるなんて」

 

「個人の感情で今、わたくしたち全員の命を危険に晒していることを理解してください、織斑さん」

 

 実力的にも、機体の特性と現状のシールドエネルギーの残量でも、今は一夏が厚一を救助して撤退する事が最も推奨されるべき行動である。

 

 代表候補生としてそうした判断基準を持ち合わせているセシリアと鈴は迷わずそうした選択をする事が出来る。

 

 だが、専用機を持っていても普通の生活を送ってきただけの一夏にはそうした判断基準を学ぶ様な時間はなかった。

 

「なにぼさっと突っ立ってるのよ!! はやく行きなさいよ!」

 

「う…っ」

 

 鈴にまで怒鳴られて促されても、一夏の足は厚一のもとへは迎えなかった。

 

 今この場に留まらずに厚一を助けに向かったとして、二人に危機が訪れたらどうすると考えてしまう。

 

 この場に留まって三人で協力して侵入者を機能停止にしてしまえば安全に厚一を助ける事だって出来る。

 

 自分にはそれを可能とする武器があるのに、セシリアには取りつく島もなく足手纏いで邪魔だと言われてしまった。

 

 ISを操縦する基礎を教えてくれたセシリアにそう言われてしまえば、その通りに今の自分は足手纏いなのかもしれない。

 

 それでも確率はゼロじゃない。

 

 それを鈴も、鈴ならわかってくれると思った。

 

 なのに鈴にさえ突き放される言い方をされてしまった。

 

 どうして。なぜ。理由は――。

 

 そして厚一を見たとき、アリーナの壁でめり込んで動けないラファールが居るはずの場所で大爆発が起きる。

 

「なっ!?」

 

「なに!?」

 

「速水さん!?」

 

 誰も謎のISから目を離していないのに起こった爆発に、誰もが目を向けてしまう。

 

 爆煙の中から飛び出して来たのは厚一のラファールだった。しかしその装甲はボロボロで焦げていた。そしてアリーナの壁の瓦礫と共にコンテナの破片が散乱していた。

 

「ミサイルコンテナを自爆させて脱出なさった? なんて無茶をっ」

 

 その光景から瞬時に厚一の行動をセシリアは導き出したものの、思いついたところで実行に移せるものでもない。下手を打てば自身のシールドエネルギーを削り切ってしまい、最悪敵の目の前でISを解除されて生身で放り出されてしまい兼ねなかったのだから。

 

 アリーナの地面に降り立つ厚一のラファールは、そのまま膝から崩れ落ちて四つん這いになってしまう。間接部から散らしている火花から満足に動くことも出来ないと誰が見てもわかってしまう。

 

 それは謎のISにも言える事だった。

 

 威力よりも早さ。

 

 肩のビーム砲から誰が反応するよりも速くビームが放たれた。

 

「速水っ!」

 

「速水さんっ」

 

「ダメ、間に合わないっ」

 

 それに気づいた一夏が厚一のもとへ飛び出すが、鈴が言うように間に合うものではなかった。

 

 迫り来る閃光を前にして、満足に動けない機体の中でも、厚一は足掻いていた。

 

 いつだってそうだ。生きる為には戦わなければならない。でなければ待っているのは死だ。

 

 切り刻まれるのも、

 

 焼かれるのも、

 

 潰されるのも、

 

 折れるのも、

 

 すべて経験してきた。

 

 生きる為に――。

 

「僕の死はお前じゃない」

 

 地面を蹴ってアリーナを駆け抜ける。脚部駆動系にレッド・アラート、無視――。

 

 右カスタム・ウィング破損、無視――。

 

 右腕装甲破損、無視――。

 

 あぁ、自分が酷く厭になる。

 

 わかっていて自分から足を踏み入れた茨の道なのに。

 

 安らかに、穏やかに、不安もなく生きたいだけなのに。

 

 だから、だから、だから――。

 

 今は生きる事だけを考えよう。

 

 先ずはビームを減衰させるためにハンドグレネードを投げる。

 

 投げたハンドグレネードを律儀に迎撃して撃ち落とした謎のIS。だがハンドグレネードは火薬の爆発ではなく煙幕を撒き散らした。

 

 あのISが無人であることは最初に相対した時点で判った。

 

 ISは人間が乗って動かす物なのに、あのISからは人間の生命の息吹を感じない。自分のテレパス能力が通じない相手は、死人であるか、そもそも人ではないものだけだ。

 

 そして目の前のISは動きにも一定のパターンがある様な動きをする。人間には出来ない反応速度で攻撃もされたことで豪腕の直撃を許してしまった。

 

 ISの無人化など聞いたことはないものの、今はそれを考える時でもない。

 

 極限下での集中。普段は抑えていたコアとのリンク係数すら上限を超えて精神をISコアとリンクさせる。

 

 機体の一挙一動がダイレクトに思考反射で動き始め、身体の感覚がISに置き換わって行く。

 

 思考の処理速度は量子演算の速度に。視界はハイパーセンサーに、身体の感覚は各種のセンサーに。

 

 だから今は身体の節々が痛い。撲られたダメージがフィードバックしてくる。

 

 それでも量子演算速度に達した思考と、ハイパーセンサーに置き換わった視界で捉えたビーム攻撃に対して最良にして最低限の回避を選択する。

 

 ひたすら摺り足での僅かな移動による回避。そうしたギリギリで当たらない場所への移動はかなりの神経を使わされるものの、機体と同調している今の自分はコンマ単位で動く事が出来る。身体が機体を動かすのではなく、機体が身体を動かしているからだ。

 

 展開した微粒子の金属を含む煙幕によって威力の減衰が起こっているビーム攻撃だからこそ最低限の回避で済んでいる。これでビーム以外の攻撃手段があればまた別の方法を考えないとならなかったものの、幸いにして遠距離への攻撃手段はビームのみだった様だ。

 

 それでもただ撲るという攻撃だけで相当のダメージを負わされた豪腕の一撃には注意しなければならず、チャフスモークであっても大したセンサー妨害は出来ていないようで、謎のISは近接戦闘に移行し、その豪腕で此方を撲り飛ばそうと向かってくる。

 

 反撃に転じる一手に欠けていた。何か今の形勢を変えられる一手はないかと思考を巡らせていると、アリーナの中を高エネルギー反応が突き抜けて行こうとしているのをハイパーセンサーで捉える。

 

 そのエネルギー反応には覚えがあった。

 

 メインスラスター全開と同時に地面を蹴って飛び上がれば、スラスターが巻き起こした突風に煙幕は吹き飛ばされ。今まで自分が居た場所を青白いレーザーが貫いていく。

 

 後ろを見ずともハイパーセンサーは360度すべての情報を読み取れる。

 

 自身の背後には蒼いISを纏う金髪の少女の姿を確認できる。

 

 自分はひとりじゃない。頼もしい戦友(とも)が居てくれる。

 

 青白いレーザーはそのまま突き進み、謎のISの胴体へと直撃した。

 

 それによって体勢を崩した謎のISの背中を、厚一が動き出した時点で動いていた鈴が斬りつける。

 

 そのまま謎のISは仰向けに倒れて動かなくなる。

 

 その様子を着弾と同時に着地して見届ける。

 

『ご無事ですか、速水さん!?』

 

「うん。まぁ、なんとか、ね…」

 

「ビックリしたわよ。急に跳び出すんだもん」

 

「あぁ、ごめんね。でも助かったよ」

 

 片膝を着来ながら厚一は鈴に述べ、通信ウィンドウに見える心配そうな表情のセシリアにも無事だと微笑み掛ける。

 

「ホラ、そんなボロボロじゃ動けないでしょ? 手、貸したげる」

 

「ありがとう、鈴」

 

 敵が動かなくなったとはいえ油断は出来ない。それでもまともに動けそうにない厚一を守りながら移動するのは一番近くに居る自分が適任だと、鈴は歩み寄って厚一のラファールを引っ張り起こす。

 

 歪んだフレームがギシギシミシミシメキメキと不穏な音を立てていて、その音を聞いた鈴は顔を険しくさせた。

 

「こんな状態で良くあんなに動けたわね」

 

 四つん這いから文字通り跳ぶ様に駆け出した厚一のラファールの異常な動き。こんな機体の状態から出来るはずのない動きをしていたのを端から見ていても信じられないものだった。

 

 こんな要救助の状態で危険地帯に長居をさせるわけにはいかない。出来ることなら一夏に任せた方が良いものの、万が一謎のISが動き出すかもしれないと考えると、やはり自分が厚一を運ぶのが良いと、その方が楽だと鈴は思った。

 

「ねぇ、厚一。一夏って専用機持ってるけど、その辺の教育ってどうなってるか知ってる?」

 

「ごめん。僕もその辺りはわからないんだ」

 

 まだ転校してきたばかりの鈴ではわからない専用機持ちとしての教育度合いを訊ねるものの、一夏が何処までそうした教育を受けているかは厚一にもわからないことだった。

 

「鈴、速水、後ろ!!」

 

 一夏の叫び声が響く。その声に後ろを振り向いた鈴の目には、謎のISが地面に倒れ伏しながらも腕だけを向けてビーム砲を向けている姿があった。

 

「え……っ」

 

 撃たれる前にせめて厚一をどうにかしようとした鈴の身体が傾いた。

 

 鈴が振り向いて謎のISの行動を目にする前に、ハイパーセンサーの捉えていた真後ろの映像を認識していた厚一の方が動くのが早かった。

 

 鈴の甲龍をタックルで突き飛ばしたのだ。

 

 その背中にビームの直撃を受けて厚一のラファールは地面に倒れ伏す。

 

「厚一!?」

 

「速水ーー!!」

 

 慌てて駆け寄る一夏と、鈴は直ぐ様厚一のラファールを守るように甲龍を盾にさせ。

 

 無言で素早く謎のISのビーム砲を撃ち抜き、そのまますべてのビットを展開させ、ミサイルまでも発射した集中砲火を浴びせるセシリア。

 

「鈴さん!」

 

「わかってる! 一夏どいてっ」

 

「鈴、俺はっ」

 

「心配なら背中見てて! このまままっすぐピットに向かうから!」

 

 ビームの直撃を受けた時に気を失ったのか。動きもなく俯せに倒れている厚一のラファールの脇の下に腕を通してそのまま飛び上がる鈴に、一夏は声を掛けたが、一刻を争うかもしれないのだ。構うよりも役割を与えてしまえと鈴は一夏に背後の警戒を任せて言ったままピットに厚一を担ぎ込んだ。

 

 謎のISが倒されたからか、アリーナのピットには既に医療班が待機していて、鈴はあとを任せるしかなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「っ――ぐっ」

 

 頭痛に苛まれて目を覚まし、身を起こそうとして身体の彼方此方が痛んだ。

 

「……知らない天井だ」

 

 そんなことを呟いて、自分に何が起こったのかを思い出す。

 

 鈴を庇って謎のISに撃たれた時、ダメージのフィードバックに耐えられなくて気を失ったのだと。

 

「それでも……生きてる」

 

 右腕を伸ばせば包帯が巻かれていた。痛みから火傷の類だと見当がついた。

 

 クラス対抗戦から三日が経っていた。そこまでの深い傷だったのだろうか。

 

 身体を起こすと医務室の先生がびっくりした様子で検診を始め、どこかに連絡した。

 

 すると数分して千冬がやって来た。

 

「気分はどうだ?」

 

「…どうでしょうね」

 

「そうか」

 

 そのまま頭部に重い拳を頂いた。

 

「っ˝、お˝お˝お˝お˝っっっ」

 

 あまりの痛さは感じていた頭痛を忘れる程で。今まで出したこともない呻き声を出せてしまった。

 

「教師の指示を聞かんからだ馬鹿者」

 

「あ、あははは」

 

「笑って誤魔化すな」

 

 頬を掻いて誤魔化していると、パタパタと忙しく走るような音が聞こえてくる。そしてガラッと医務室のドアが開かれ――。

 

「速水くん!!」

 

 スッと身体を退けた千冬の影から飛び出してきた凶器に呼吸器官が塞がれてしまう。

 

「よかったぁぁぁ、よかったですよぉぉぉっ。とおおおっっっても、心配したんですからあああっっ」

 

 声からして涙でぐしゃぐしゃなのだろう真耶の姿を簡単に想像出来る厚一であるが、さすがに口まで塞がっているとどうにも出来ないので、頭を抱きしめている真耶の腕をタップする。

 

「ぷはっ。はぁ、…。おはようございます、山田先生」

 

「はい。おはようございます、速水くん。って、そうじゃないですよ! いったいどれだけ心配して気が気でなかったか――」

 

 そのまま30分程説教をされた。気づいたら千冬はいなくなっていた。

 

「――というわけですから、次からはあんな無茶はしてはいけませんっ。いいですね?」

 

「はい…」

 

 泣きながら説教されるという忙しくも心に響く言葉にダメージを受けながらどうにか返事を返せた厚一の鼻孔を、ふわりと軟らかい香りが包んだ。

 

「本当に、よかった…」

 

 それが真耶に抱きしめられている事を理解するのに2秒の時間を要した。

 

「ごめんなさい」

 

 だから心配させた真耶に謝る事しか厚一には出来なかった。

 

「それは私よりも、心配させて待たせたクラスのみんなに言ってください」

 

「はい…っ」

 

 目元を腫らしながら笑顔を作る真耶に、厚一も笑顔を作って答える。

 

 大きなケガは右腕や肩、一部は背中にまで到る火傷であるらしく、その他にもISに殴られた胸に青あざが出来てしまっているという事だった。

 

 一応立って歩く分には問題ないので、腕の保護を兼ねて右腕は暫くは吊り下げて生活する事になりそうである。骨折したわけでもないのに大げさなのだが、擦れると痛いので庇うのに気を使うよりもわかりやすい処置だった。

 

 なんでも肉が焦げてISのパーツに貼り着いていて外すのに苦労したのだとか。

 

 ダメな部分は切除して人工皮膚を移植されたという事だった。消えない傷になるそうだが、元々腕を出すようなファッションは好まない質なので人目に晒すこともないだろう。

 

 真耶に付き添われて、教室に向かった厚一は休み時間になったと同時に教室のドアを開けた。

 

 そうすると教室中の注目を浴びる事になる。

 

「…た、ただいま」

 

 沈黙が流れ、最初に反応したのは一夏だった。

 

 ゆらりと席を立ち、うつむき加減で厚一に近寄ると、ガバッと抱きしめられた。

 

 正直腕がこすれる上に胸が圧迫されて悲鳴を上げたい程に痛かったのだが。

 

「っ、っぅっ、よかった、…よかったっ」

 

 自分の周りの人間はいつから涙脆くなったのだろうかと思いながら、左腕を背中に回しながら、後頭部を撫でる様に抱きしめてやる。

 

「ケガはない?」

 

「っ、けがをしているのは、どっちだよ……」

 

「うん。でも、織斑君が無事ならよかった」

 

「ほんとうに、もうすこしじぶんのしんぱいをしろよなぁ…」

 

「うん。大丈夫、生きてるから」

 

「そうじゃない…っ」

 

 肩に顔を埋めて泣いている一夏の頭を撫でながら、そのまま泣き止むまで待つものの、次の授業の予鈴で肩をビクつかせて跳ねた一夏が今度もガバッと身体を離した。

 

「速水。俺、なにも出来なかったどころかみんなの足を引っ張って、速水にまでこんなケガ負わせて」

 

「……織斑君はなにも悪くないよ。誰だって悪くないんだから気に病まないで」

 

「でも、それじゃ気が済まないんだ。セシリアと鈴の言うことを聞いて、俺が速水を助けていればあんなことには」

 

「それを言うならそもそも僕が不用意に近づいて撲られたのが原因だから」

 

「それよりも前にそんな事になったのはやっぱり俺の所為なんだ。千冬姉にも言われた。山田先生にも」

 

「そっか。うん。でももう過ぎた事だからいまさらどうこう言っても時間は戻らないからね。だから次を気をつけてくれればそれで良いよ」

 

「速水……」

 

 次を気をつけてくれれば良い。でもそれは厚一が無事だったから言える言葉であって、そうでなかったらと思うとこの数日の間一夏は気が気でなかった。そして後ろめたさのある相手に赦されてしまうことがなにより辛かった。

 

「俺、速水のケガが治るまで責任持って看病する。だから遠慮しないでなんでも言ってくれ」

 

 左手を両手で握りしめられて、ズイっと顔を近づけられてそんなことを言われた。

 

 いつ織斑弟√なんて開拓したのだろうかと、厚一は首を傾げそうになった。

 

 そして特別措置として、厚一の席は教室の中央から最前列の一夏の隣になって、机もくっつけるという事にまで発展するものの、ものの一時限で一夏は勉学方面では役に立たないことが露呈。逆に厚一が一夏に教える側になってしまう。結局はセシリアの隣に移動する事になった。

 

「腕の方はよろしいのですか?」

 

「うん。火傷だからね」

 

「そうですか。そして、申し訳ございませんでした。あの時わたくしは僅かばかり気を抜いてしまいました。その所為で速水さんに大ケガを負わせてしまい、なんとお詫びをすれば」

 

「オルコットさんも、そんな自分を責める様なことなんてないよ」

 

「ですが…」

 

 この三日間。セシリアも気が気ではなかった。表面的にはいつも通りだったが。それは演じていた事で、本国での外行の仮面を被っていた事でどうにか平静を保てていた。

 

 しかし一夏は酷いものだった。心ここにあらずというという程に半分生ける屍だった。

 

 自分が意固地になって言う事を聞かなかった所為で厚一がケガを負ったと思い込んでしまい、周りがどう励ましても反応が薄かった。

 

 それが厚一が戻ってくるとウソの様に元気になった。

 

 だが現金なのは自分もそうだとセシリアは思っていた。

 

「本当に、心配いたしましたわ」

 

「うん。ありがとう、オルコットさん」

 

 いつも通りに笑顔を浮かべながら謝る厚一。右手が自由ならば頬でも掻いていただろう。

 

「織斑さんではありませんが、わたくしに出来る事がございましたらなんでも申してくださいまし。オルコット家の誇りに懸けて遂行させていただきますわ」

 

「あはは。その時は甘えさせて貰うよ、オルコットさん」

 

 そして笑って、軟らかく温かい笑みを浮かべてくれる厚一の存在が何よりも心を満たしてくれる感覚をセシリアは味わっていた。

 

 昼休みになって、今度は嵐のような少女が噂を聞きつけて1組にやって来た。

 

「厚一が帰って来たって!?」

 

 ばたばたばたと厚一の席にまで駆けて来て本人を目の前にしてペタペタと身体中を触って満足したのか、ホッと鈴は息を吐いた。

 

「取り敢えず無事そうで安心したわ」

 

「うん。心配かけてごめんね、鈴」

 

「まったくよ。でも無事に帰って来てくれて良かったってことよ」

 

「うん。ただいま」

 

 タッチを交わして、そのまま昼食に食堂へ向かう事になった。メンバーは一夏、箒、セシリア、鈴、そして厚一といういつもの顔ぶれだった。

 

 慣れない左利きに悪戦苦闘する厚一に一夏が昼食のドリアを食べさせたり、食器の片付けにはセシリアが動いたり、鈴は世間話に乗せてこの3日間の状況を厚一に伝えたりした。そんな中でひとりだけ箒だけは居心地が悪そうにしていた。

 

 それも仕方がない。箒は一夏の付き添いであって、厚一との絡みはそこまであるわけではないのだから。

 

 しかも今回厚一が大ケガを負った理由は出自はどうあれISなのだ。

 

 箒にとって身内の作った機械で他人が傷ついた事に等しいのだ。そんな負い目から端の方で遠慮していたのだが。

 

「篠ノ之さんも、お見舞い来てくれてありがとう」

 

「いや。私はただ、付き添いで」

 

 厚一がケガを負って手術を終えた次の日に面会自体は可能だった為に、休み時間や放課後も厚一の見舞いに当てた一夏に付き添いで箒も医務室を訪れていたのだ。

 

 その時に、事の重さと現実味を感じてしまって、厚一の顔がまともに見れなかったのだが。話し掛けられれば相手の顔を見ないわけにはいかないというのは箒の性分だった。

 

 そこには朗らかに笑う厚一の笑顔があった。

 

 あんなことがあったのに何故笑っていられるんだと。問うことが出来るのならば問いたかったが、そんな空気ではなかった為、箒は言葉を呑み込んだ。

 

 放課後。

 

 厚一の姿は整備科にあった。例のISとの戦いで損傷したラファールの修理を依頼する為である。

 

 整備科では学園で管理している訓練機を教材にして実習をしているのだが、厚一のラファールは教員カスタム仕様とはいえ基本構造は同じなので、修理はそこでされることになったのだ。

 

 ちなみに寝ている間に修理に出されなかった理由としては、ISは操縦者の生命維持を第一として機能に組み込まれているために、そこらの計器よりも正確にバイタルチェックが出来る上に、容態が急変する様な場合でも搭乗者の健康を維持するからだ。その辺りは元々宇宙空間という過酷な環境で活動する為に開発されたために便利な機能として使われ続けている物だった。

 

 そして厚一も退院し、漸く修理が出来るという事だった。

 

 さすがに個人レベルで修理できるレベルではない為、更には派手にぶっ壊したという事もあって良い教材になるというのは千冬の言葉だった。

 

 というわけでボロボロになったラファールを改めて前にしてしょんぼりする厚一を上級生になる女子たちが元気づけながら、折角なので修理風景を見せて欲しいと頼み込まれ、俄然やる気になった彼女らの作業効率はいつもより3割ほど向上したとかなんとか。

 

 とはいえ放課後の短い時間で直ぐに修理できる損傷ではないので、数日は預けなければならないことを言われて物寂しくなるものの大切な相棒を綺麗にお色直しする為だとグッとこらえた。

 

 そうして整備科という普段なら立ち寄る機会もまだないので見学している時だった。

 

 薄暗い部屋で手元のディスプレイの灯りだけで何やら作業している女の子を発見した。

 

「こんばんは」

 

「っ、ひゃ、っひゃい!?」

 

 いきなり声を掛けたからだろう。女の子はびっくりして厚一を振り向いた。

 

「あ、ごめんね。驚かせちゃったね」

 

「あ、いえ。…速水、厚一、さん?」

 

「う、うん。そうだけど」

 

 知らない女の子に名乗る前から名前を知られているという未だに慣れない事に、生返事になってしまう庶民の辛さであった。

 

 ただ、女の子の見た目のイメージがどこかで見たような印象を蘇らせた。

 

「なにか、用…?」

 

「えっと、暗い所で何してるのかなぁって。それに目が悪くなっちゃうよ?」

 

「これくらいの光源があれば平気…」

 

「そう? なら良いんだけど」

 

 どうもあまり歓迎されていないような様子だったので立ち去ろうと思ったものの、暗がりに慣れた厚一の目に映ったのは、ハンガーに固定されたISだった。

 

「IS? 見たことない機体だけど。もしかして専用機?」

 

「…うん。打鉄弐式って、いうの……」

 

「打鉄の後継機かぁ。なんかカッコいいね」

 

 そう厚一が言うと照明が点いて打鉄弐式の全容が露わになった。

 

「色は打鉄と同じなんだ。背中の非固定部位のあれってミサイルポッド? 6基8門の48? うわぁ、火力凄そう」

 

「でも、未完成…、だから……」

 

「未完成? なのになんでここに…」

 

「……もう、良い?」

 

「あ、うん。ありがとう、見せてくれて」

 

「うん……」

 

 とはいえこれ以上は邪魔かと思って、厚一は踵を返した。

 

「あ、あの…!」

 

「ん?」

 

「私、4組の更識(さらしき) (かんざし)…、です…」

 

「1年1組速水厚一です。よろしくね、更識さん」

 

「…苗字では、呼ばれたくないから。名前で呼んで…」

 

「うん。わかった。じゃあまたね、簪さん」

 

 自己紹介をして、いつもの様に笑顔を浮かべてから整備科をあとにした厚一。

 

 そして更識と聞いて生徒会長の楯無を思い出したものの、帰る所に質問に戻るのも気恥ずかしかったのでまた今度でいいかと判断して寮に戻るのだった。

 

 

 

 

to be continued…

 



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日本の代表候補生篇

ちょっとした手直しのはずが変な電波を受信した。


 

 片腕生活という物は厚一にとって未知の物で、移植した人工皮膚が癒着するまでの間は激しく動かすことも出来ないので訓練自体もすることが出来なかった。

 

 その時間を代わりにラファール・リヴァイヴの修理に当てることが出来た。

 

「ソフトウェアが未完成ってこと?」

 

「うん。ハード面は9割程どうにか完成してるけど…、一度も動かしたことがないこの子は何も知らない状態で、稼働データすらない……から」

 

 放課後のラファールの修理時間を終えた後の厚一は毎日ひとりで打鉄弐式を弄っている簪のもとを訪ねていた。

 

 最初は見ているだけの関係だったものの、数日通っていると話もするようになった。

 

 簪の打鉄弐式。

 

 日本の代表候補生である彼女の為の専用機で、現在の日本の量産型IS打鉄の後継機でもある。

 

 だが開発委託を受けていた倉持技研が一夏の白式開発にデータ収集や解析に人手を取られてしまい開発計画が事実上の凍結になってしまったという事だった。

 

 第三世代機として開発が進んでいたものの、政府からの依頼と一夏の特異性。そうした案件は日本の代表候補生用のIS開発プロジェクトを一時凍結して優先的にリソースを振り分けるものになってしまうのも致し方ない。

 

 ただ、実際の被害者である簪からすれば堪ったものではない。

 

 今はIS学園機体開発計画の先駆けとして簪が引き取り細々と開発を行っている状態だった。

 

「でもそれなら学園の優秀な人とか手伝ってくれると思うんだけど」

 

「…いいの。私が…、自分で仕上げたいって、我が儘を言ってるだけだから……」

 

 その言葉に並々ならぬ決意めいたものを感じて、厚一はその手の話題は避けようと決める。

 

 しかしそれも良くない傾向であるとも分析していた。自分一人でやらなければならないという強迫観念に近い何かが簪にはあるようなのだ。

 

 他者を遠ざける傾向があり、人を寄せ付けない雰囲気さえある。厚一がこうして話せているのもファーストアタックで図らずも打鉄弐式に興味を示し、その外見から武装を言い当てたからという所が大きかった。

 

 そんな多連装のミサイルを扱うシステムに興味を持ちどんな機能が備わっているのか。日本の第三世代ISであり代表候補生の専用機でもあるため、簪が厚一に打鉄弐式について語ることは殆どないのだが。

 

 ラファールに武装として多連装ミサイルコンテナを搭載していた厚一は、ミサイルのロックオン等はどうするのかと訊ねたところで話は転がり始めた。

 

 ISは宇宙空間で活動する為に生まれたものであるため、多数の目標を認識する事は可能だが、基本的に1対1の試合形式と、ミサイル等の誘導兵器は対IS戦闘においては有効とも言い難く、銃器に関してもマニピュレーター保持で狙いをつけるために余り重要視されてはいない分野でもあった。

 

 厚一のラファールでもミサイルを使用する際の自動ロックオンではひとつの目標をロックオンするだけで。複数の目標にロックオンするにはマニュアルで対応するしかない。

 

 そうした手間を自動化するマルチ・ロックオン・システムをこの打鉄弐式は搭載する。そう聞いてしまうと気になってつい見に来てしまっていた。

 

「そうなると実際に動かしてデータを取るしかないかな? データ取りなら手伝うよ」

 

「そう、ね。うん。…そう、しようかな……」

 

 今のままでは皮だけが進んでも完成させる為の中身が追いついていかないことは、簪にもわかっていた。

 

「じゃあ、明日の放課後なんてどうかな?」

 

「……うん。じゃあ、明日…」

 

 人に見られたくないという事ならば、真耶に事情を話せば第二アリーナを使わせてもらえるかもしれないし。その分ラファールの修理に立ち会えないのではあるが、私情よりも優先するべき事であると決め、内心で相棒に謝罪した。

 

「……どうしてそう、親身になってくれるの…」

 

「それはほら、頑張ってる女の子が居るんだもん。応援してあげたくなるでしょ?」

 

「…やっぱりそういう感覚なの……?」

 

 いつもの様に笑顔で言う厚一に、疑うような視線を向けて簪は返すものの、それには特に何も思わずに、本心を口にする。

 

「というのもあるけど、友達を助けたいって思う事はいけない事かな?」

 

「……とも、だち……?」

 

 友達というのはまだ気が早いだろうとは厚一も思っている。良くて放課後に軽く話す知り合い程度であるかもしれない。

 

 それでもこの女の子の背中を支えてあげたいと思ったのだ。

 

 彼女がどう思っているかは別として、厚一にとっては簪はもう友達と呼ぶ距離の人間だった。

 

 片付けをして整備科から簪と並んで帰るのもここ最近の厚一の帰宅コースだった。

 

 明日の放課後にまた会う約束をして簪と別れる。

 

 ここまでしていればもう友達だって言っても良いだろう。

 

 そして自室に戻ってしばらくすると訪ね人がやって来る。

 

「こんばんわー、厚一」

 

「いらっしゃい、鈴」

 

 沸騰したお湯で急須と湯呑を温めていると、ラフな格好をした鈴がやって来た。

 

 整備科に居ても帰りは訓練時と同じ6時には部屋に居る為、それを見計らって鈴がやって来るのだ。

 

 セシリアから貰った紅茶が美味しかったことを伝えると茶葉がなくなりそうなタイミングで新しいのをくれるので紅茶が切れる事はないのだが、少し申し訳なく思いながらも受け取り、その代わりセシリアの望むお願いを時々聞いているのだ。

 

 イギリスの代表候補生で貴族でもあるセシリア。IS学園に通うために日本語も勉強しているが、漢字の読み書きに関してはまだ弱い部分があるらしく、そういう部分で役立てるのは嬉しかった。

 

「お邪魔致しますわ、速水さん」

 

「いらっしゃい、オルコットさん」

 

 そして今日は丁度茶葉が切れそうなタイミングだったのでセシリアも態々部屋まで茶葉を持ってきてくれたのだった。

 

「んげっ。今日はセシリアが来る日だったかぁ」

 

 厚一の膝の上に座って凭れ掛かっていた鈴が邪魔された事に顔を顰める。自分が甘えているところを他人に見られたいわけでもない鈴は渋々と名残惜しそうに厚一の膝の上から降りる。

 

「あらあら。お下品ですわよ、鈴さん」

 

 普段から厚一の隣には大体セシリアが居る。

 

 ケガを負ってからは左手という利き手ではない方の手しか使えないために、ノートが取れない厚一の分までノートを用意して放課後前には内容を纏めて渡してくれる彼女には一生頭が上がりそうにないと思う。

 

 部活もある上に頻繁に異性の部屋を訊ねるのもどうかと思っているセシリアに対して、なんだかんだほぼ毎日厚一の部屋に入り浸っている鈴。

 

 その日に2組で起こった事や、更にはまた一夏が一夏がと、色々と報告して来る姿は妹が居たらこんな感じなのだろうかと思う程だった。

 

 そういうわけでタイミングが被れば厚一の部屋で鉢合わせはするのだ。

 

 3人分の湯呑を用意して、紅茶を淹れると、セシリアがキッチンにやって来てお盆に乗せた湯呑を運んでくれる。配膳関係に関してはセシリアが先んじて行動する為に暗黙の了解の様になっていた。

 

「ありがとう、オルコットさん」

 

「これくらいの事ならば構いませんわ」

 

「ねー、厚一。これ開けても良い?」

 

「そうだね。持ってきて貰える?」

 

「おっけー」

 

 キッチンの収納棚を漁っていた鈴がクッキーを見つけたのでそれを持ってきてもらう。茶菓子にしたら甘いだろうし、高級感のある紅茶に申し訳ないかもしれないが、厚一は悲しき庶民の舌なのでどちらも美味しく楽しむだけだった。

 

「それで、ラファールはいつくらいに修理終わりそうなの?」

 

「今週末か来週かな。結構ボロボロにしちゃったから」

 

「寧ろあの程度で済んだことの方が幸運ですわ」

 

 ラファールのダメージランクはD判定。中破ではあるがほぼ大破というありさまだった。

 

 装甲はすべて交換。内装系も交換が多く、フレームにまでダメージが及んでいた。整備科の先輩女子たちでもこんなに壊れた機体を修理するのは初めてだと言われたほどだった。中には新造したほうが安上がりなのではないかという意見もあったのだが。

 

 それでもあのラファールだけは直してあげたかったのだ。

 

 自分に付き合わせてしまった相棒が自分の所為で廃棄されるのは後味が悪い。だからどうにか直してほしいと頭まで下げるくらいに愛着が湧いていた。

 

 それこそ最初は真耶の気遣いから生まれた出逢いで、一時的な相棒になるはずだったのかもしれない。

 

 でも、学園側の配慮とはいえこの2ヶ月肌身離さず身に着け毎日身を預けた翼に愛着を持つなと言うのは無理な話だった。

 

「しかし。結局あのISを送り込んだ相手もわからず、調べようにも箝口令が出されてしまっては下手に手を出すことも出来ませんね」

 

「それで良いんじゃない? また同じことが起これば今度はあたしがぶっ飛ばしてやるわよっ」

 

 手のひらと拳を打ち合わせ、闘志を燃やす鈴に、厚一は苦笑いを浮かべながらそんなことは起きないことを祈る。1対1であのISと戦う事は危険だと自身の経験から思わずにはいられないからだった。

 

 そんなこんなでお茶会を一時解散、夕食の為に食堂に向かう。

 

「あ、おーい速水!」

 

 すると今度は一夏がやって来る。一応7時半には食堂に来るようにしているので、最近ではそれを知った一夏が時間を合わせて10分前には厚一を待っている光景が目撃された。

 

 まるでご主人様を見つけた犬みたいだと女子に思われていることを一夏は知らない。

 

「や、織斑君。先に食べてて良いのに」

 

「いや。速水の食事の方が大事だからな」

 

 そして食事を食べさせるのがいつの間にか一夏の仕事になっていた。その隣で控えている箒に申し訳なく思いながら笑いかけると、それに気づいた箒も会釈する。なんとも絶妙なバランスで保たれている光景だった。

 

 翌日。

 

 厚一はシャワーを浴びて、腕の包帯を取り換える。元々の皮膚と人工皮膚の境目がむず痒いが我慢して、薬を塗り、ガーゼを当てて包帯を巻き直すのだが。

 

「はい。これで終わったわよ」

 

「ありがとう、鈴」

 

 そうした作業を一人で出来ないわけではないのだが、包帯の交換は鈴が率先して受け持ってくれていた。

 

 自分を庇ってケガをした厚一の世話をする事は鈴にとっては借りを返す意味でもあるのだが、そもそもからしてケガを負う原因を作ったのは自分でもある為に申し訳なく思っていた。そんなことを言い始めると一夏まですっ飛んで来そうだから黙って世話をされていろと鈴に言われてしまっては、黙ってお世話をされるだけだった。

 

 少し早めに食堂へ向かい、真耶を捕まえた厚一は第二アリーナの使用許可を貰いに行った。理由も説明すれば真耶は快諾してくれた。それと教員用の打鉄を一機使用する許可も取り付ける。さすがにケガ人である厚一をISに乗せる事に難色を示されたものの、ISに乗っていればケガが酷くなることはないという事を押し通して説き伏せた。

 

 そして放課後。先に整備科に赴いた厚一は今日はラファールの修理に立ち会えないという断りを入れて、打鉄弐式を整備しているいつものハンガーの前で簪を待った。

 

「……お、お待たせ…っ」

 

「ううん。今来た所だから」

 

 そんな事をやって来た簪に告げながら、第二アリーナの使用許可が下りたことを告げて移動。フォーマットとフィッティングを済ませた簪の前に、打鉄を纏った厚一が現れたのだった。

 

「……それ…打鉄…」

 

「ここって教員用のISの格納庫もあるからね。借りてきたんだ。データを取るなら相手が要るでしょ?」

 

 右腕にもアーマーは装着しているが、機能ロックして動かないようにしているため負担は最小限だ。

 

「……そこまでしてもらう資格なんて、私には…」

 

「資格とか関係ないよ。友達なんだから遠慮しなくていいんだからさ」

 

 そう言って厚一は、真耶が自分にしてくれたようにPICで浮きながら簪の打鉄弐型の手を取った。

 

「じゃあ、先ず浮くところから始めようか」

 

「…うん……」 

 

 ISの稼働データの取り方は真耶から聞いている。ほとんど自分が初日に真耶にやって貰った通りの事だった。

 

 真っ新な状態のISは巣から飛び立つ雛を導く様に飛び方を教えていく作業になるのだとか。

 

 他のISの稼働データを使えなくもないのだが、専用機ともなると一から機体に教えてデータを蓄積する方が搭乗者の思う様に動かせる様になるとのこと。代表候補生からしてISの搭乗時間の多さは最低でも300時間を超えてくるのはそうした個人に合わせてのデータ蓄積の為の搭乗を膨大に行うからというのだから納得できるものだった。

 

 手を引きながらアリーナの中央まで先導して、上昇と下降移動から始める。動くだけなら基本的な動作機動で充分なので数日あればデータは集まるだろうという事だった。さすがに戦闘ともなると数を熟さないとならないらしい。

 

 ISと搭乗者はパートナーの様な関係だと授業で言っていた真耶の言葉を厚一は身をもって実感していた。

 

 打鉄は日本の第二世代量産型ISで、初心者にも優しい操作性が売りでもある機体なのであるが。

 

 ラファールの様に機体を動かそうとすると反応がすこぶる鈍いのだ。乗り慣れたラファールと代車で借りた打鉄は反応速度に倍程度差が出る。

 

 ゆっくり動く分には問題はないのだが、高速機動をする勇気はなかった。

 

「…本当にIS適正D、なの……?」

 

「うん? うん。そうだけど」

 

 打鉄弐型に稼働データを蓄積させながら、厚一の動きを見ていた簪はとてもではないが信じられなかった。

 

 IS適正はそのままISの反応速度に影響して来る。

 

 専用機持ちの最も多い適性Aランクで、一秒に10個の命令をISに行えるとしたら、厚一の場合は同じ一秒に命令できるのはどう頑張っても4個程度の命令が限界の適正だった。

 

 歩いたり動いたりという単純な命令ならば大丈夫でも、空を飛ぶとなると処理する情報や命令する場面は飛躍的に増大し、高速機動戦闘ともなれば更に命令は増える。

 

 厚一が綺麗に曲がれないのも、綺麗に曲がる為の命令の数を行えないからだ。

 

 だがそれを厚一は命令できないなら出来ないなりに、命令できる部分だけで機体を動かし、更には命令の先行入力という形で処理していた。

 

 それは相手がどう動くのかという未来予測。更に命令処理後に自分がどうあるのかという未来予測。かなりの計算を必要とする物だった。

 

 厚一の纏う打鉄はそういった命令に慣れていない為に戸惑ってしまい機体の動きが悪いのだ。しかしそれを踏まえて最適化し、見た目には直ぐに滑らかに動く様になっていた。

 

 そんなことをしていると知らない簪からすれば、D適正でA適正の代表候補生並のマニューバーを出来てしまえる光景が信じられなかったのだ。

 

 それでも未だに高速戦闘時における命中率は5割に届くかどうかだった。それは速ければ速い相手に追いつこうと機動側に命令のリソースを割くために、照準補正の命令にまでは比重を寄せることが出来ないからだ。

 

 被弾覚悟であれば、直線的な軌道になる代わりに命中率は高くなるのだが。ままならず自分を指導してくれる真耶には毎度申し訳なさが込み上げる程だった。

 

 裏技としてISコアとの同調率を引き上げる方法はあるものの、それは緊急時以外には使わないことにしている。IS適正を自由に出来るという時点で、世界中から身柄を引き渡せと言われてしまうのは目に見えているからだった。緊急時にIS適正が上下するというのなら、それは火事場の馬鹿力としての言い訳も一応は立てられる。

 

 そういうわけで放課後を使って打鉄弐式の稼働データ取りは始まった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「彼がかんちゃんに接触した、か…」

 

 生徒会室でIS学園生徒会長にして簪の姉である楯無は厚一に関する報告書を読んでいた。

 

 他人と分け隔てなく接する人間と評判な厚一だが、積極的に関わっているのは代表候補生ばかりというのは単なる偶然なのだろうか。

 

 イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットは能力は高い物の貴族であること、そして若干男性を見下している部分があるはずだったのだが。それが今では見る影もなく厚一の傍に控える騎士(ナイト)の様な淑女っぷりを発揮している。

 

 中国の代表候補生の凰 鈴音に関しても、一夏の事が好きなのにも関わらずにある意味一夏に対する以上に自分を曝け出させている。一夏の居ない前ではダダ甘えの唯の女の子にまでなっている。

 

 元日本代表候補生だった山田真耶も、他人を傷つける事を恐れて日本代表の座を自ら手にしなかった人物がスパルタ教育を施すまでになっている。

 

 そのお陰もあってか、まだ入学から2ヶ月程度しか経過していない現時点において、今年度の第三世代ISを専用機として持つ代表候補生と比べても見劣りはしない実力を持っている。

 

 そして今度は日本の代表候補生であり、楯無の妹の更識簪とも交流を持ち始めた。

 

 それこそ人を寄せ付けずに整備科の生徒にも全く見向きもしなかった簪が、出逢って1週間程の相手と会話して、更には打鉄弐式の開発にも関わらせた。

 

 IS学園に入学して2ヶ月でこの動きと人脈構築。

 

 末恐ろしすぎて接触を避けていたほどである。

 

「彼は本当に厄介だわ」

 

 織斑一夏が実直さの中にある固い信念で人を魅了する人間ならば、速水厚一はそのおおらかさと柔軟さと包容力で他人の心にいつの間にか自分を住まわせるという魅了よりも質の悪い人心掌握術の持ち主だ。しかもそれを天然で発揮しているのでなお質が悪い。

 

 それでも、それがわかっていても、速水厚一を逃がさない為の一つの楔として妹を利用しようと画策しているのだから嫌なものだ。

 

「…青の息子、ね」

 

 かつて10年前の、最初のIS学園の一期生。

 

 その中に居る女生徒が、速水厚一の母親だった。

 

 クラスの21人全員を虜にして、恋人にした女性。その能力は織斑千冬よりも優れていた。だが卒業後は行方をくらましていた存在。

 

 速水(はやみ) 舞一(まい)

 

 厚一と同じように朗らかな笑みを浮かべた青い髪の女性。

 

 人は彼女を青の速水と呼んだ。

 

 10年前ともあってその名を知る者は学園においても少ない。当時学生としてIS学園に通っていた教師陣が知る程度である。

 

 ようやく見つけた資料も写真も数少ない。何故なら今から5年程前に一度、学園の施設の一角が吹き飛んでいるからだった。

 

 当時のIS開発実験の失敗という事になっているそれが。資料や記録の悉くを吹き飛ばし、当時かなり日本の裏は荒れたらしい。何故なら何処ぞのバカがIS学園の施設を襲撃したからだった。何処の誰かはわからない。

 

 更識もかなり苦労したというのを聞いている。

 

 そんな人の記憶にしか存在しない幻想の様な女性と、親子の厚一。

 

 他の経歴を調べてみたものの、速水厚一は小学校や中学校に通った記録はない。

 

 それ以上は調べる事が困難であった。

 

 その理由は芝村一族の妨害にあっているからだった。

 

 軍関係から政治家、財閥まで幅広い勢力を持つ軍閥一族である芝村一族。

 

 そんな一族とも繋がりのある速水厚一。

 

 そんな経歴の持ち主に大切な妹を関わらせるのは言語道断であったのだが、それでも何年も笑っていない簪が、厚一の前では笑う様になった。

 

 更識としては監視し、必要ならば処分する。

 

 甘い姉として、更識の人間としての折を合わせられたのがそのラインだった。

 

「だからお姉さんを裏切らないでね、速水くん」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「うーん…」

 

 その日、厚一は首を傾げていた。

 

「やっぱりなくなってる」

 

 厚一の私物はすべて政府によって与えられている物だった。

 

 それこそ歯ブラシの一本から最新式デスクトップPCまで。

 

 当然衣服類も政府から与えられたもので一から必要分を揃えたものだ。

 

 なのですべて卸した時の記憶もつい最近。

 

 だが、足りない、のである。

 

「靴下の数が……、合わない…」

 

 どこかに忘れたのだろうかと思ってアリーナのロッカーや、寮のランドリーも見て回ったのだが、それでも目ぼしい場所には落ちていなかった。落とし物が無いか千冬に聞いてみても空振りだった。

 

 一応困るわけでもないのだが、特に忘れ物をした記憶はないので腑に落ちなかったのである。

 

 ラファールの修理が漸く終わる嬉しさから小さなことが気にならなかったという事もあった。

 

 その日も特に変わりはなく授業を終えて、昼休みの昼食でも一夏に食べさせられ、午後の授業を終えて放課後になる。

 

「……そういえば、今日だったっけ…。ラファールの修理が終わるの……」

 

「うん。だから今日からはラファールでのお手伝いになっちゃうんだけど」

 

「構わない…。慣れている機体の方が、良い…、と、思う……」

 

「簪ちゃんがそう言ってくれるのなら、そうさせて貰うよ」

 

 厚一がラファール・リヴァイヴではなく打鉄に乗っていたのは簪の打鉄弐式に合わせての事だった。

 

 後継機であるのなら大本の機体の方が合わせるのには丁度いいのではないかと思ったからである。

 

 しかし専用機として登録もされている上に慣れた機体の方が乗りやすいのも確かな事だった。

 

「今日は荷電粒子砲の試験だよね?」

 

「うん……。…いつも、ありがとう……」

 

「良いって。簪ちゃんはデータが取れるし、僕も参考になったからね」

 

 打鉄弐式のデータを取りながら、ISの稼働データの収集にアジャストまで。情報関係に強い簪に学ばせて貰った厚一にも実りのある日々だったのは確かだ。基礎部分は真耶から教わっていたものの、代表候補生向けの専用機に適応する知識を学べたのは大きな収穫だった。

 

 第二アリーナへ修理の終わったラファールを搬入し、久しぶりの相棒に身体を預ける。

 

「うん。やっぱりしっくりくるこの感じ」

 

 ハンガーロックを解除し、ピットに赴けば打鉄弐式を纏った簪が待っていた。

 

「お待たせ、簪ちゃん」

 

「…ううん。じゃあ、今日もお願い……」

 

「うん」

 

 荷電粒子砲の稼働データを取るためにひたすら厚一は撃たれ続ける役であるが、乗り慣れたラファールに乗れたことで、まるで水を得た魚のように元気良くアリーナの中を飛び回った。

 

 厚一の立案で始めた稼働データ採取は初めの1週間程で終わってしまった。そこは技術のある代表候補生である。更にメカに強い簪本人の力もあった。

 

 故に今は戦闘機動テストとその稼働データ採取の段階になっている。

 

「それじゃあ、始めるよ」

 

「…うん……」

 

 互いに向かい合って動き出す。

 

 簪はミサイルポッドの山嵐(やまあらし)から大量のミサイルを放ってくる。

 

 其々が独自の機動を描く独立稼動型誘導ミサイルは避けるのに苦労する。実際厚一は打鉄で相手をした時はこれを使われると手も足も出ないのだ。

 

 これも第三世代兵装の一つで、マルチロックオン・システムによって6機×8門のミサイルポッドから最大48発の独立稼動型誘導ミサイルを発射するものだった。

 

 だがこの部分が一番の難関で、とても簪ひとりでどうにか出来る範疇を超えていた。何しろ日本が国力を注いで作っていた機能だったのだから。

 

 それをハイパーセンサーの網膜認証システムと火器管制システムを合わせ、さらにISには量子コンピューターが使われているのだからという理由で、個別にロックオンしたミサイルの誘導を全部機体側に処理を丸投げする形で一応の形を完成させた。

 

 考えたのは厚一だった。しかしとは言ってもその連動プログラムを組んだのは簪であったが。

 

「凄い……」

 

 ラファールを身に纏った厚一の動きは、打鉄を纏っていた時などとは比べ物にならない程の物だった。

 

 瞬時加速によってミサイルとの距離を開けたと思えばスプリットSで機体を捻って、機体を包むように大型の実体シールドを肩のアタッチメントに装備し、ミサイルの中を物ともせずに向かってきたのだ。

 

 ミドルレンジの距離に入って、背中に搭載された2門の連射型荷電粒子砲である春雷(しゅんらい)で迎撃するものの、荷電粒子が機体のシールドエネルギーに干渉するギリギリでバレルロールでの回避をして向かって来る。

 

 近接武器である対複合装甲用の超振動薙刀である夢現(ゆめうつつ)を抜き、振り下ろすが。

 

 そこの一撃はいつの間にか握られていた近接ブレードで防御された。超振動刃がブレードを切り裂く前に瞬間に一歩間合いを開けられてアサルトライフルを撃たれる。

 

 至近距離で銃弾を浴びるのは不利だと間合いを開けた途端に今度は再び近接ブレードで切りかかって来て、受け止めようとするとアサルトライフルで撃たれる。

 

 斬り合っていたかと思えばいきなり銃に持ち替えての近接射撃、間合いを離せば剣に変更しての接近格闘。押しても引いてもダメージを簪は受けた。

 

 砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)と呼ばれる攻防安定した高等戦法のひとつである。

 

 高速切替によってブレードを持っていたのに次の瞬間には銃を握って撃っているという中々えげつないコンボも可能であるものの、厚一にとってはラファールでないと出来ない攻撃だった。

 

 そのまま簪は反撃するものの、鉄壁の防御と的確な攻撃と次々と切り替わる武器の応酬に対応しきれずに削り負けてしまった。

 

「ご、ごめんね。つい、熱くなっちゃって」

 

 途中からは稼働データ集めではなく普通に戦闘をしていた厚一は、両手を顔の前で合わせて拝み倒すように簪に謝罪した。

 

「…大丈夫。お陰でこの子も良い経験になったと思う……から」

 

 最近はISで戦う事をしていなかった所為で思ったよりも動けていなかった。それでも代表候補生でいられる程度には腕を落としていなかった自分が勝てなかった。それどころか後半はすっかり厚一にペースを握られ続けていた。

 

 それでも悔しいという前に、微笑ましいと簪は思ってしまった。

 

 まるで子供の様にキラキラした晴れやかな顔で向かって来る厚一に見惚れていたからだ。

 

 打鉄で戦っている時はいつも窮屈そうだった。基本的にそんなマイナスな顔を見せず、見せても苦笑いしかない厚一であるが、それは簪だから見る事の出来た顔だった。慣れたラファールと同じ動きが出来ないもどかしさが自然と出てしまっていたのだ。

 

 だから、ラファールで晴れやかな顔で向かって来る、それこそ同じ人間が操っているのかと思えるほどに別の動きになった厚一を見続けていたから最後まで戦ってしまったのだった。

 

「…やっぱり、ラファールの方が合うみたい……」

 

「うん。でも、この子だからかな。一緒に飛んでて楽しいんだ」

 

「……楽しい? 戦う事が……?」

 

「ううん。一緒に飛べることが。この子は僕に生きる為の翼をくれるんだ」

 

 それは少し悲しげで、でも嬉しさもある切ない笑顔だった。

 

「あれ?」

 

 そんな時、厚一のラファールが光に包まれたのだった。

 

「え? まさか…」

 

 光はラファールの姿を変えて行った。

 

 胸を包むロボットの様な装甲。

 

 カスタム・ウィングも背中の高さから腰程の高さにまで下がり、新たに肩に直接、ハードポイントとスラスターのある装甲が装着され、腕の装甲も肩から手首までをすっぽりと包み、ヘッドセットも頭を包みヘルメットの様に形を変えた。脚も装甲に殆ど包まれていた。

 

 全身装甲という顔が露出していなければ普通にロボットに見えてしまう程にISとしては重装甲の機体に変化したのだった。

 

「…一次移行した!? 学校の訓練機は不特定多数の人が使うから、フィッティングもパーソナライズも出来ない様になってるはず……」

 

「お前……」

 

 試しに飛んでみると、今まで感じていた重りがすべて無くなった様に思い通りに機体が動く。カーブも綺麗に曲がれるようになった。完全停止も思ったタイミングに止まる。

 

「そっか。そうなんだ…」

 

 今までは借り物で、でも今は、自分専用のISに生まれ変わったラファールに、厚一はただ胸の装甲を優しく撫でた。

 

 一度データ収集は中断し、真耶に連絡を取ってアリーナまで来てもらった。

 

「これは、見事に形が変わってしまってますね」

 

「あはは。どうしましょう」

 

 機体のシステムにアクセスしたところ、形状制御のリミッターがすべてオフになっていた。

 

 いくらなんでもこの部分は生徒に弄れない領域の技術の話であり、これを操作するにはメーカーにまで持っていかなければならないのだ。

 

 考えられるとすればIS側からリミッターがオフにされたというくらいである。

 

 ISの自己進化機能が機体のリミッターを超えた。

 

 そうとしか考えられなかった。

 

「こうなってしまってはおそらくこのラファールは速水くん専用のISとして正式登録されることになると思います」

 

「そうですか。良かった…」

 

 そう聞いて厚一はホッと胸を撫で下ろした。勝手に一次移行させてしまったので機体を取り上げられて初期化されてしまうのではないかと思ったからだった。

 

 しかしそうまでして一緒に飛んでくれるという相棒の存在が厚一には嬉しかったのだ。

 

「…良かったね……」

 

「うん。驚かせてごめんね、簪ちゃん」

 

「別に良い…。珍しい物も見れた、から……」

 

 ラファールが個人に合わせた変化の一例というのは目の前で滅多にみられるものじゃない。

 

 貴重な瞬間に立ち会えたことだけでも簪にとっては良い時間だった。

 

 そして次の日の翌日に、一次移行したラファールは厚一の専用機として認められることになった。

 

「まさかISまで口説き落としてしまうとは。さすがですわね、速水さん」

 

「うん。僕もこの子と飛び続けられるのは嬉しいよ」

 

 待機状態で今までは認識番号を刻まれたドッグタグだったのだが、指輪に変化したラファールを厚一は左手の人差し指にそれを嵌めた。というかそこにしか嵌められなかったのだった。

 

 右腕も私生活をする上では問題なくなってきたのでノートも自分で書ける様になった為に席が元に戻るのかと思うと少し寂しい気分もあった。

 

 なお一夏の食事補助は朝食をひとりで食べる事が出来たので終了となった。その時物凄く寂しそうにしながら、何かあったらいつでも言ってくれと両手を握りしめながら言われた。

 

 その日のISの実技授業にも参加出来た厚一は皆の前で新生ラファールをお披露目する事になった。

 

「うわぁ、カッコいい。なにあれ、本当に元々ラファール・リヴァイヴだったの?」

 

「もはや別物というか、ロボットみたい」

 

「でも基本的な部分は変わってないからラファールだっていうのはわかるね」

 

 そんな感じで新生ラファールのウケは良かった。

 

 そんな今日は1組と4組の合同授業だったので、もちろん簪も専用機持ちとして参加していた。

 

「やっぱりみんなもカッコいいって思うんだ…」

 

 新しい厚一のラファールは一見すればロボットに見えるデザインに変わった。特に搭乗者を守るように胸やお腹といった前面に露出は一切なく、腕も肩も太腿も装甲に覆われ、唯一の露出は顔だけという物だった。その顔も、額のセンサーデバイスを降ろせば目元を覆う仕様になっていて、露出は口許に限定されるものになる。

 

 増加した重量でも機動性が下がらない様に背中にもスラスターユニットが増設されていた。元々あったカスタム・ウィングのメインブースターと合わせて20%の機動性が向上している程だった。

 

 色も深緑だった装甲が青になって明るい色の印象になった。

 

 別物の機体になった機体に、エスポワールと名付けた。

 

 ラファール・エスポワール――希望の風という意味を持たせた名前だった。

 

「今日はISでの連携行動を実践してもらう。織斑、オルコット、速水、更識。お前たちに先ず見本を見せて貰う」

 

「…はい。織斑先生……」

 

「何だ更識」

 

 千冬が名を呼んだのは専用機持ちの名前だった。そして好都合に代表候補生2名と、素人2名という組み合わせに気付いた簪は手を上げた。

 

「…私は厚一とペアを組ませて貰っても構わないでしょうか……」

 

 その簪の言葉に二クラス分の視線が注がれた。内気な簪には少々キツイものだったが、メンバー構成を考えたらここで引くわけには行かないので気丈に腕を上げて千冬を見続けた。

 

「まぁ、良いだろう。速水、お前は更識と組め。オルコット、織斑とペアを組め」

 

「かしこまりましたわ」

 

「よろしくな、セシリア」

 

「ええ。ISでの連携という物をわたくしが織斑さんにご教授致しますわ」

 

「お、お手柔らかに頼む……」

 

「あら。それでは速水さんに置いていかれてしまいますわよ?」

 

「むぅ。それは、イヤだな。うっし、遠慮なく頼むぜセシリア」

 

「ええ。承りましたわ」

 

 厚一の話題を出すとかなりチョロい一夏を微笑ましく思いながらも、そうでなければおそらく簡単に負けてしまうと、セシリアは厚一と簪に視線を向けた。

 

「いきなり名前呼ばれてビックリした」

 

「…め、迷惑、だった……?」

 

「まさか。やっと名前で呼んで貰えて嬉しかったよ。よろしくね、簪ちゃん」

 

「…わ、私も、呼び捨てで、良い……」

 

「え? 良いの?」

 

「……と、ともだち、だから…」

 

「じゃあ、そう呼ばせて貰うね。簪」

 

 其々がペアのもとに向かうのだが、厚一が簪の名前を呼んだことに更に周りの視線が向くが、千冬の目があるのでだれも己の中の言葉を口にする事は出来なかった。

 

 空に飛び上がる4機のIS。先頭は白式だった。

 

 漸く思う様に空が飛べるようになってきた一夏は、あとから向かって来る3人を見る。

 

 セシリアのブルー・ティアーズはすぐ後ろに居る。その少し後ろを簪の打鉄弐式の手を引いて厚一のラファールが続いていた。

 

 すると一気に加速して厚一と簪は一夏を追い抜いた。

 

「うえっ!?」

 

「まさか同時に瞬時加速(イグニッション・ブースト)を…!?」

 

 その加速力は瞬時加速の物であることは、それを一番の武器にして磨いている一夏にもわかったのだが。

 

「驚くというか、余程互いを信頼していますのね。これは強敵ですわよ、織斑さん」

 

「ど、どういう意味だ?」

 

「一歩間違えれば衝突してしまう様な事を、相対速度を合わせ、そして同じ加速力で瞬時加速を使ったのです。互いの機体の性能を把握し、更に互いの呼吸を合わせ、そして互いを信じなければ成し得ないということですわ」

 

「いつの間にそんなことを。あの子4組だろ?」

 

「更識簪。日本の代表候補生の方ですわ。先程のやり取りを見るに、交流は深そうですわね」

 

 そんな会話をしながら、厚一に合わせる代表候補生の簪が凄いのか、簪に合わせる厚一が凄いのか訳が分からなくなったものの。

 

「スゴいんだな、速水」

 

 という感想しか一夏は出せなかった。

 

「…良い顔。ちょっと、気が晴れた……かも」

 

「あはは。あとで怒られないと良いけどなぁ」

 

 同時に同速度での瞬時加速という一歩間違えれば衝突事故を起こす事をした自覚のある厚一は千冬の雷が落ちないか心配するが、簪の気持ちもわからなくもないのでとことん付き合う事は最初から決めていた。

 

 地表から数百メートルに達して停止すると、次の指示が来る。

 

『よし、それでは両ペアで模擬戦だ。一発当てたら降りてこい。だが互いに連携を意識して動く様に』

 

 という事なので後衛が一撃でも被弾したら負けというルールにして模擬戦を始める事となった。

 

「厚一、私に前衛をやらせて…!」

 

「いいよ。存分にやってきて」

 

「うん……!」

 

 本来ならば後方支援向きである武装をしている打鉄弐式だが、セシリアと一夏がペアではどうしても一夏が前衛になってしまう。

 

 だから簪は一夏と一戦交える気持ちを厚一に伝えた。それを了承し、武装を展開する。

 

 武装はライフルとミサイルコンテナ。後方支援向けの装備を選択する。

 

 一夏が飛び出したのを合図に、簪も一夏に向かって行く。それをセシリアは援護する様に簪を牽制する。が、それを厚一の狙撃が許しはしなかった。

 

「こちらの気勢を制する気ですわね。射撃もより正確になられて」

 

「いつもセシリアを見てたからね。これくらいの距離なら」

 

「光栄ですわね…!」

 

 そのままセシリアと厚一の撃ち合いが始まるが、どちらも一発の被弾を許さない。それはどちらも互いのマニューバーも射撃も相手は知っているからだった。

 

「せやあああっ」

 

「くっ」

 

 ブレードを振り下ろす一夏に、簪は薙刀の柄で受ける。

 

「1組の織斑一夏だ。よろしくな」

 

「っ、私はっ、あなたを…、殴る権利がある……!」

 

「は? おわっ」

 

 一夏の勢いを押し返し、荷電粒子砲で弾幕を張って一夏を近づけないようにする。

 

「っ、たああああ!!」

 

「んなくそっ」

 

 体勢を崩された所に薙刀を振り下ろす簪。獲物のリーチの差で受けるしかなかった一夏はブレードで防御する。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! いったいどういう事だよ」

 

「何も知らないで。あなたが居たから私のISは見捨てられた…!」

 

「はあ!?」

 

「倉持技研はあなたのデータを欲しいから、私のISを切り捨てた。…でも感謝もしてる。お陰で厚一と逢えたから。でも、それとこれとは話が別……!!」

 

「わけわかんねーって、ぐっ」

 

 そこから蹴りを入れられ、一夏は後退する。もう一度間合いを詰めようとした所で、弾丸が一夏の白式に撃ち込まれた。

 

「うわああっ、は、速水!?」

 

 ライフルを連射しながら突っ込んで来る厚一に、セシリアはどうしたのかと思えば、今度は簪がセシリアに向かって荷電粒子砲で牽制を加えていた。そして厚一が手を伸ばすと、簪も手を伸ばし、互いが手を掴むと背中合わせになりながら回転して、大量のミサイルを放ってきたのだ。その数は60発以上と確認された。

 

「いいいっ!?!?」

 

「織斑さん! っ、このミサイルは…!」

 

 其々が別々の機動をする特異なミサイルの嵐に迎撃をするセシリア。一夏もセシリアをミサイルから守る盾になったり、ブレードで切り裂くのだが。

 

 それによって生じた大量の爆煙に厚一と簪を見失ってしまう。

 

「どこだ!?」

 

「こう視界が悪くては…」

 

 そして、爆煙を引き裂き、セシリアのブルー・ティアーズを弾丸が直撃したのだった。

 

「くっ、今の攻撃は…っ」

 

 煙が引き裂かれた先、そこにはライフルを構えた厚一の姿と、自分たちよりも上空で空間投影端末に指を置く簪の姿があった。

 

「やれやれ。なんとか当たった」

 

「ナイス…、ちゃんと当たった……」

 

 爆煙の中。見えない場所への攻撃を成功させたのは爆煙を上から見下ろす簪の測距データがあったからだ。

 

 爆煙に紛れて上昇した簪は、煙の切れ目からセシリアの座標を厚一に送り、その座標に向かってライフルを撃ち込んだ。

 

 結果煙を引き裂き、弾丸はセシリアのブルー・ティアーズに直撃したのである。

 

「でも良かったの? 織斑君との勝負」

 

「…今は授業。あれは宣戦布告……」

 

「そっか」

 

 取り敢えず連携という意味では合格点を貰った厚一と簪だったが、軽めの拳骨は頂戴する事になった。やっぱり怒られたのである。

 

「まったく。厚一も人誑というか、オンナたらしよねぇ」

 

「そんなつもりはないんだけどなぁ」

 

 放課後。厚一の部屋には、厚一の膝に座って凭れ掛かる鈴が言う。

 

「つもりはないって。じゃあなんで今まで影も形もなかった4組の子と親しくなってるのよ」

 

「なんでって言われても」

 

 それを言われてもなんとも言えないというか。それを言うなら鈴にも同じことが言えてしまう。

 

「別に良いんだけどさ。でも気をつけなさいよ? 一夏と違って厚一は守ってくれる人が居ないんだし」

 

「うん。だからオルコットさんと鈴には感謝してる」

 

「あたしは好きでやってるから別に良いわよ」

 

 一夏には千冬が居るものの、厚一にはそうした表立って守ってくれる人間が居ない。

 

 入学したての頃は厚一が他人に構っている余裕もなく近寄り難い雰囲気でもあったのだが、2ヶ月経って余裕も出てきてそうした雰囲気もなくなったことで話し掛けられる事も多くなった。

 

 それでも教室ではセシリアが横に居てISに関係する話ばかりしているから話し掛け難いのと、厚一が勉強熱心なのは1組の誰もが知ったいるので、IS関係の話をしている時は話し掛けないのが暗黙の了解になっていた。時には厚一を独占するセシリアに不満がないわけではない声もあるものの、そうした意見は自分以上にISに関して語ることが出来るのならばいつでも変わるとセシリアは言う事で沈静化する。どう頑張っても今現状で代表候補生であるセシリア以上にISについて語ることが出来る生徒は1組には存在していなかった。そのセシリアからして勉学に勤しんで授業で習うことの何歩も先を邁進しているのだから追いつくのは何時の事やら。

 

 そこにどうセシリアのメリットが絡むのかはわからないものの、鈴の場合はこうして厚一に甘えるという実益も兼ねて放課後は厚一の部屋に入り浸っていた。そうでもしないと唐変木の一夏から受けるダメージを癒せない。

 

「好きな男に傷つけられたのを別の男の所で甘えて癒すなんて、ヤな女よねぇ」

 

「良いんじゃないかな。それで鈴がいつも通りの鈴で居られるなら、僕は構わないよ」

 

「……そういうこと、軽々しく口にするんじゃないわよ」

 

 そんなだから放っておけなくなる。そして、自分も離れたくなくなる。

 

 何をしても甘やかしてくれる。慰めて励まして、気の済むまで一緒に居てくれる。

 

 そんな都合の良い厚一に甘えてしまっている自分が厭であるのに、この暖かさを手放したくないと思ってしまっている。

 

 居心地が良いと思ってしまっている。

 

 何からも守ってくれる様な暖かさ。そんな暖かな場所を傷つけさせるものかと、自分も出来るだけ守ろうと思う。

 

 果たして日本の代表候補生はどう思っているのかと、鈴の簪に対する興味はそれに尽きた。

 

「速水さん、いらっしゃいますか?」

 

「はーい!」

 

「ちぇー。今日はここまでかぁ」

 

 戸を叩いたのは声からしてセシリア。というよりこの部屋には基本的に鈴とセシリアしか訪ねて来ないので、鈴が居ればセシリア、セシリアが居れば鈴以外の来客はない。

 

「お邪魔致しますわ」

 

「もう。ホント邪魔よ」

 

「あらあら。今日もでしたの? 鈴さん」

 

「良いじゃない別に。厚一はダメだって言わないんだし」

 

 セシリアの指摘に、厚一の膝の上に座ったまま鈴は答えた。一々降りるのも面倒になってきた最近の鈴は、セシリアが来てもどうする事もなくなってきた。

 

「速水さんも少し鈴さんを甘やかしすぎでは?」

 

「うーん。まぁ、僕もイヤってわけじゃないから」

 

「そうよ。ウィンウィンなのよ」

 

 一方的に甘えている事の何処がwin-winなのかと問いたかった。これでは厚一が可愛そうではないかとも思うものの、二人がそれで良いのならば部外者が口を挟む事でもないのだろうと思いつつも、鈴の厚一へのベタ甘えはセシリアでも一言物申したくなる事だってある程だった。

 

「それより速水さん。お友達がお待ちでしたわよ?」

 

「え?」

 

 今日は特に誰とも予定はなかったはずと思っていると、サッとセシリアが身体を移動させる。そこには簪が立っていた。

 

「ちょっとセシリア!」

 

 それに声を張り上げたのは鈴だった。

 

 自分とセシリア以外には誰も来たことのない厚一の部屋に他の誰かが来るなんて想定外だった鈴は、すっかりだらけて甘えている姿を第三者に晒すことになってしまうのだった。

 

「ふふっ。気を抜き過ぎているからこうなるのですわ、鈴さん」

 

「なにしてくれちゃってるのよ! どーすんのよコレ!」

 

 噛みついていくものの厚一の膝の上から動く気配のない鈴。もう手後れな程度にどっぷりと寛いでいた。

 

 取り敢えず口封じの為に鈴は簪を睨み付けた。

 

「…ひっ……」

 

「ヘタに言い触らしたりしたらぶっ飛ばすからね」

 

 厚一からは見えていないが、物凄い形相で睨み付ける鈴は本気だと簪にも理解出来て、頷く事しか出来なかった。

 

 名残惜しくも鈴が膝の上から降りた事で動ける様になった厚一は簪になにか用事があったのかと訊ねた。

 

「…その、…ゆ、夕食、誘いに……きて」

 

 鈴にチラチラと視線を向けながら用件を伝えた簪。本当は逃げたかったものの、簪の退路を塞ぐようにセシリアが佇んでいる為に退くことは出来なかった。

 

「うん。別に良いよ」

 

「…そ、そう。やっぱり、だめ……。…え……?」

 

 断られると思っていた簪の手を取って厚一はその申し出を了承した。

 

「鈴とオルコットさんは?」

 

「あとから行くから先行ってちょうだい」

 

「わたくしは先程済ませてしまいましたので。またお誘いくださいな」

 

「うん。じゃあちょっと行ってくるね」

 

「あ、こ、厚一……!」

 

 鈴とセシリアから返答を貰った厚一はそのまま簪の手を引いて部屋を出て行った。

 

 部屋に残った鈴は探るような視線をセシリアに向けた。

 

「どういうつもりよ。まったく」

 

「どうもこうも、速水さんにお友達が増える事は良いことではなくて?」

 

 セシリアがどういうつもりなのか。決して厚一を害そうという意味がないのはわかるものの、簪は日本の代表候補生。つい1週間程前まで影も形もなかった存在の台頭に、警戒心を抱いてしまうのも仕方のない事だった。

 

「あまり警戒なさらずともよろしいかと。更識さんはそうした事に向いている人間ではありませんもの」

 

「セシリアが言うならそうかもしれないけど」

 

 権謀術数など頭を使うことに関しては現役貴族であるセシリアに及ばない事を理解している鈴は、そうした面を彼女に丸投げしている。

 

 そのセシリアが簪をどう見ているのか。

 

 厚一は自分に対してそうであるようにガードが甘い。一見してガードは硬く見えるものの、少しでも深い関わりを持つようになるとガードが緩くなる。

 

 簪のあの様子からして、向こうから積極的に関わったというのは想像し難い。となると、厚一の方からなにかしらの関わりを持ったと考える方が自然だった。

 

「厚一も必死なのかなぁ…」

 

「無理もありませんわ」

 

 厚一の交友関係は、セシリアが把握している限りにおいて専用機持ちと代表候補生だけ。

 

 自身と、鈴、そして新たに加わった簪。教師という意味で真耶が含まれる。一夏とは数少ない同性であるから一夏から関わりを持っている節がある。が、それだけだ。

 

 他の女子生徒とまったく話さないわけではないものの、軽い挨拶程度。部活の朝練などでセシリアが居ないときは授業内容の復習をしているので話し掛けられる事も少ない。そんな厚一に話し掛ける事が出来るのは鈴か一夏くらいだった。それでも部屋に居るときとは違って、鈴に対しても厚一はISに関しての質問が多い。感覚でISを動かしている鈴からすると改めて伝わる言葉に置き換えるのは苦労するのだが、世間話で済んでしまう一夏と比べて、ISの事ばかり話している厚一との学校での会話は、そのまま二人の立場の違いを感じられるものだった。

 

 立場の保証の違い。一夏には千冬が居るからそうした事を感じる事もないのだろう。

 

 ただそうではないことを理解している厚一が落ち着けるのは何時になることやら。

 

 少しでも自分の立場を築く為に必死であるから、交友関係にも偏りが出てしまうのだろう。

 

 ただ貧欲に知識を求めているだけ。知識を貰う代わりに、厚一自身も鈴やセシリアに対価を支払っている。

 

 そう取り決めたわけでもない。ただ自然にそうした関係になっていた。ただそこに利害の一致という寂しいだけの関係ではないことも確かだった。

 

「セシリアはなんで厚一を守ってあげてるのよ」

 

 鈴からすれば普段の自分の態度がそのまま理由になっているから今更話すことでもないと思っている。でもそれならセシリアはどうしてなのか。損得勘定を抜きにした時、セシリアには厚一に対して何が残っているのか。

 

「そうですわね。織斑さんともそうですけれど、速水さんはわたくしのライバルですから。互いに競いながらもそこには相手を蹴倒そうというものはなく、尊重と敬念を持つ慎みのある関係というのは本国では望む事が出来なかったものですから。そうした関係を壊したくない。守れるのなら守りたい。いえ、貴族として守らなければならないと思ったのです。わたくし、セシリア・オルコットが担う使命であると、勝手ながらそう決めたのですわ」

 

 一般人と貴族の差か。思ったよりも壮大な言葉が飛び出して来た。しかしセシリアの言うことはわからないわけでもない。

 

 代表候補生になるために他のライバルを蹴落として来たからわかる。IS学園に居るとそうした陰鬱な空気が全くないのは、学園という学舎であるからか。それとも女だけの生活空間ではないからか。

 

「小難しく言ってるけど。結局セシリアもあいつらが好きだからってだけじゃん」

 

「見も蓋もない言い方をすればそうですわね。とはいえ、鈴さんの様に殿方に対する好意というよりも、あくまでも友人としての親愛の感情の方が強いのですけれど」

 

「じゃあなんで厚一の部屋には来てるわけ?」

 

「さあ。それを探るのは野暮というものではありませんか?」

 

 セシリアの言い分ならわざわざ厚一の部屋を頻繁に訪ねる理由がないはずだ。

 

 その答えを導き出すにはセシリアに対するリサーチが不足している。別に明らかにする必要もないのだが、他人の異性に対する気持ちが気になってしまうのは10代女子の性というもの。

 

「で、結局はどうなのよ。一夏と厚一、どっちが良いの」

 

「どうでしょうか。織斑さんは純粋で真っ直ぐな所が魅力だと感じる方が多い様ですね。速水さんに関してはやはりあの優しさと柔らかさが魅力なのでしょう。ただ織斑さんよりも情熱的な方であると知っているのは何人居ることやら」

 

 そこでセシリアは話を切り上げて、遊ぶような微笑みを鈴に向けるのだった。

 

 これ以上は薮蛇だと感じた鈴は身を退かざる他ない。好きな男が居るのに別の男に甘えて慰めて貰っている自分の方が追求されるとなんとも言えない立場にあるからだった。

 

「まぁ、人それぞれよね。じゃ、あたし食堂行ってくるから」

 

「ええ。行ってらっしゃいまし」

 

 反撃される前に話を切り上げて部屋を出ていく鈴を見送り、その気配が去ったのを確かめて一息吐く。

 

「わたくしが速水さんに拘る理由、ですか…」

 

 それはただの運命の分かれ道のひとつ。

 

 自分が間違っていた事を気づかせてくれたのが厚一だったから。

 

 世の中の男を見下していた自分を変える切っ掛けをくれたのが厚一だったから。

 

 クラス代表を決める試合の順序が違えば或いは厚一ではなく一夏にこの想いを向けていたかもしれない。

 

 そうなった自分を想像するのは難しい。

 

 ただ、厚一に対して向けるこの感情は男女の情念のそれとは違う。

 

 それは厚一がか弱い立場に居たからか。必死な姿を見たからか。自分を見つめ直す切っ掛けをくれたからか。

 

 英国貴族として、このか弱い人を守らなければならないと思ったのだ。

 

 再戦を約束し、生き急ぐ様にISと真剣に向き合う姿に目を奪われる様になった。

 

 それでも自分は貴族であるのだからと自らを律して、教えを乞う一夏と厚一の両名に分け隔てなく平等に接してきたつもりだった。

 

 それでも一歩を踏み込んでくる厚一と過ごす時間の方が多かった。

 

 一の疑問を解決すると去っていく一夏と、一の疑問を解決すると二の疑問、三の疑問と、次々に知識を取り入れる為に質問する厚一との質疑は放課後の自室に縺れ込むことも珍しくはない。その対価として自分がなにか役に立てる事はないかと言われて、実は苦手だった漢字についての教えを乞えばさらに関わる時間は増える。勉強の合間に出していた紅茶を気に入って貰えればその茶葉を譲り、それを口実に部屋に訪れられる様にわざわざ小分けにした程だった。

 

 英国貴族である前に自分もまだただの子供だったかと思わずにはいられなくとも、飾る必要のない相手と少しでも長く居たいと思ってしまうのは仕方のない事だった。

 

 クラス代表戦での侵入者騒動を経て、その想いは強くなった。

 

 失うことを恐れた。

 

 日だまりの様な笑顔が見れない数日はとても苦しかった。あの時気を抜かなければといくつもの後悔を重ねた。

 

 しかし過ぎた事は覆せないのだから、後悔を献身に変え、そして改めて心に誓った。何者からも厚一を守ろうと。

 

 だからどうして厚一を守るのかと問われても今更の事だった。

 

 今の自分をどうにかしたいのならば、それこそクラス代表を決める時の試合に間に合う様に一夏の白式の搬入を急ぐか、厚一にラファールが渡らないようにするか、そもそも厚一をISに入学させないか、或いは自分とは別のクラスにするか。

 

 考えただけでそれだけの分岐があって。しかしどれもこれもセシリアにとっては自発的に選べる選択肢ではない。それが世界の選択肢だというのなら、この世界の運命に感謝を捧げる。

 

「さて。今は一人きりですものね。速水さんは部屋に返ると先ずは靴下を脱ぎますからね」

 

 ブルー・ティアーズのBT操作で鍛え上げた空間認識能力を無駄にフル稼働させて、周囲に人気がないのを確認して向かうのは脱衣場。

 

 洗濯籠の中に光る純白の靴下。足の接地面はどんな人間がどう気遣っても薄汚れてしまう禁断の箇所。

 

 再度念入りに周囲の気配を探り……。いざっ!

 

「……ふぅ」

 

 一瞬の早業でその純白の靴下を手に掴み、制服の上着の隙間に押し入れたセシリアは、ダミーの靴下を洗濯籠に放り入れる。こうすれば靴下の数は変わらずに、持ち主に違和感を持たせる事もない。サイズもメーカーも態々同じものを用意しているのだから違和感を抱かれようはずもない。

 

「だというのに、不躾な方がいらっしゃいますわね」

 

 速水厚一の騎士を自負するセシリアをして、厚一が最近靴下を何処かに忘れているか落としているかもしれないことに頭を悩ませて居る事を当然知っている。

 

 それが一度や二度ならばあり得ないわけもないと言えるのだが、靴下が足りないと感じる頻度が増えてしまえば如何にぽややんとしている厚一とて違和感を感じずにはいられなくなる。

 

 自分以外のハンターの仕業であることは明確。

 

 そうした噂が厚一にだけ発生していて、一夏にはない事を考えると、自分を陥れる為の罠か。

 

 この程度で自分が厚一と築いた信頼を揺るがせると思われたのは心外だが。

 

「もう少し、泳がせておきましょうか」

 

 まだ影が見えているかどうか。尻尾を出すまでは堪えて待つしかない。

 

 脱衣場の天井を一瞥して、セシリアは脱衣場をあとにした。

 

 

 

 

to be continued…



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