Admiral's Report (田村天山)
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1.美舩村
※
時は深夜、横須賀は突如サイレンに包まれた。執務室では男が電話に叫んでいた。
「こちら山本だ!何が起きている!」
“司令!緊急事態です!只今、国籍不明の艦隊を発見、こちらに向かってきています!”
「艦隊だ⁉一体どういう―」
『ッズボォオン!』
執務室が大きく揺れ、男は手をついた。
(砲撃―⁉)
落とした受話器から、震えるような声が続いた。
“敵艦は…敵艦は艦むs―”
直後、通信が切れた。
※
これは、時代の分水嶺に巻き込まれた者たちの物語である。
行先も無く、明けない夜の荒波に抗うことさえできず、ただ流されて行った難破船たち―彼等の為の鎮魂歌(レクイエム)である。辿り着く先は、朝焼けか、それとも水底か―彼等には勿論、ラプラスの魔女ですら何も知らない。
漂流を経て、彼等は何を見て、どこへ漂着するのか―それを一人の目撃者を通して見ていくことにしよう。彼の名前は浜岡櫂。元海軍中将、現タクシー運転手である。
“―十回目の終戦の日を翌日に控えた今日、武道館では政府主催の終戦記念式典が行われ、全国から元鎮守府関係者やその遺族など―”
「十回目、か…」
ラジオのから流れる正午のニュースを聴きながら、田舎の人気のない道を一直線に進んでいる。窓からは日差しが痛いほど刺さっていて、白手袋にはめた白銀の指輪がそれを反射している。景色も田畑ばかりで、さっさと市街地へと抜けたいと思っていた。舌打ちしてラジオを切り、アクセルを蹴飛ばした。加速が背中を押す。
「―おっと、こんな所にお客だ」
爆発した巨大な金髪ツインテールに、米空母のような迷彩柄の短パンの少女が手を挙げていた。大きなバックパックを背負っていようだが、そのツインテールのせいでをナップザックにも見える。いかにもこの風景に遭わない格好だ。日本の田園風景に憧れてやって来た外国人観光客―と言ったところだろうか。英語には少々自信があるので、乗せてあげることする。
「どうぞー」
少女はどこかおどけた様子で乗車した。
(無理に日本語で話そうとしt―)
「す、すみません、美舩村までお願いします」
「え⁉…あ、はい!日本語、お上手ですね」
「はわわ⁉…あ、ありがとうございます」
流暢な日本語に驚くも、聞いたことのない目的地に首を傾げる。
「申し訳ございませんが、美舩村、とは…」
少女は胸ポケットから湿った地図を取り出し、広げる。横須賀港とその近くの『美舩村』と書かれた箇所に、赤くバツ印が打ってあった。どうやらここから山一つ越えた海岸沿いに位置しており、村へと通じる道路は山道一本のみらしい。
「美舩村ですね、かしこまりました。」
笑顔で彼女を安心させると、アクセルを踏んだ。
「あの」
「ふぇ⁉」
「車内の温度は如何ですか?」
「へ、ああ、はい。あの、大丈夫です」
気が小さいのか、バックミラーにはピーナツのような口が見える。
「―それにしても、今日は特に暑いですなぁ」
「ええ。ニッポンの夏は蒸し暑いです。」
窓から見えるムシトリナデシコが、茹だるような暑さに頭を垂れている。
「そういえばお客さん、どちらからいらっしゃったんですか?」
「あ、はい、Langley, Virginiaです」
「ほう、ワイン巡りの名所ですね?」
「はい!昔は友人たちと、地元のワインを使ったバーを開いてました!」
少女の顔がやっとほころんだ。
「美舩村には観光で?」
「ええ…まあ、そんな感じです」
車は脇道へ入り、そのまま山道へと進む。
山は鬱蒼としていて、道は非常に荒れている。道の両側には鳳仙花の花が広々と咲き誇っているが、それはどこか侵入者を拒むかのようでもある。しばらくすると、突然に視界が開け、左手には村にしてはやけにアーバンな光景が遠方に広がった。
「あれが美舩村…ん?…これは―」
前方に大きな門がそびえたっている。両側もバリケードが延々と続いており、回り込めるような場所はない。
「A dead end?…」
「困りましたね…見る限りじゃあ村まではまだかなりありそうですし…」
「―少し見てきても、OKですか?」
「ええ、私も行きます」
車から降りて門の周辺を探してみる。門は頑丈にできており、柵の上には高圧電流が通っているであろう電線が伸びている。
(少しセキュリティが硬すぎないか?村人しか出入りができないのだろうか?)
「こっちにintercomがありますよー‼」
彼女の声に気付いて、浜岡が顔を上げる。
「よかった、押してみてくださーい!」
『ピンポーン…』
“はい…どちら様かしら”
面倒くさそうな返事が聞こえる。
「え、ええと、ガンビア・ベイです。観光で来ました。あの、門が閉まってて、入れないのですが…開けて戴いてもよろしいですか?」
“ガンビア……ああ、はい。今伺います。少々お待ちくださいね”
「ピッ」という音で通信が切れる。一方の浜岡は首を傾げていた。
「ガンビア…?」
「え、あ、あの…ああ、自己紹介がまだでしたね」
その名前になぜか聞き覚えがあった。それと同時に、妙な胸騒ぎを覚える。更に少女の着ている青と白と黒の迷彩服で確信する。
「I am CVE-73 Gambier Bay. 改めてよろしくお願いします」
「…君、艦娘?」
返事は直ぐだった。
「Yes! ジープ空母とも呼ばれた量産型護衛空母姉妹の一隻です!」
艦娘―浜岡にとって遠い存在だったはずのそれが、今目の前にいる。浜岡は恐る恐る口を開く。
「…『浜岡櫂』という人について、何かご存じですか?」
少女は突然な質問に首を傾げる。
「い、いいえ…そのような人は…どうして私に?」
「いいや、何でもない…忘れて下さい」
彼女の返答に、どこか安堵したような表情を浮かべる。
しばらくして、柵越しに遠くから婦人がスクーターに乗ってやって来るのが見えた。
(白く塗って上下逆にしたようなサンバイザーと、どこかの執事を彷彿とさせるフィンチメガネ、乗ってるのはVespaか―ってあれ完璧に『ローマの休日』じゃあないか⁉)
「なんと、まぁ…」
それに気付いていないガンビアが、不思議そうに浜岡の顔を見つめる。
目の前に近づいて見ると、彼女も外国の人らしい。それが更に某女優を連想させる。しかし、婦人はなぜか不機嫌そうにで浜岡と車を見つめる。
「あなた、誰?」
「は、浜岡と申します。見ての通り、ガンビア様を送迎しています、はい」
ガンビアはまた浜岡を見つめる。
「ふーん、今日は良しとするわ。通ってどうぞ。」
リモコンを操作して、門がゆっくりと開く。婦人は尚も浜岡に視線を送っていた。
「それで?村まではまだだいぶあるけれど。ガンビアさんはどうなさるの?」
「ええと。浜岡さんに乗せて行ってもらいます」
「そう、じゃあついてきて」
そう言って婦人はスクーターで走り始めてしまった。二人も慌てて車に乗り込み、ついていく。
路面の悪いコースをじりじりと進み、ようやく村の入り口らしきところへ辿り着いた。やはりイベントがあるようで、大きく『ようこそ美舩村へ‼』と書かれたアーチが立っている。先程の重厚なバリケードとは打って変わって、いかにも歓迎的だ。
「どこまで行きましょうか?」
「この辺でOKですよ、ありがとうございます!」
「ご乗車ありがとうございました。」
「Tank you Mr. Hamaoka!! Have a nice day!!」
護衛空母ガンビア・ベイは、再び大きなバックパックを担いで、村の奥へと消えていった。
(―美舩村、これは散策してみる価値アリと見たッ!)
スーパーサインを『回送』にして発進させる。すると、村にはスーパーマーケットやマンションが所狭しと並んでおり、村である事を疑うような光景が広がっていた。しかし、どの店もシャッターが下りており、人気も全く見当たらない。辺りは閑散としている。
(海の方へ行けば何かあるかもしれない)
浜岡は南へとハンドルをきる。
『ギュググゥゥウウ~』
時計は既に十五時を回っていた。先に御食事処を探ってみることにする。だがどこも開いてなさそうだ。左右を見渡しながら海岸の方へと進んで行く。
真っ赤な車が目に留まった。近寄ってみると、ガレージに留めてあるのはイタリアの高級車だった。そこはどうやらリストランテの駐車場らしい。
「おっ、開いてるね~♪」
この店の名前は『Libeccio Family』―イタリアンレストランのようだ。早速、車を赤いスポーツカーに横付けする。
店内は白い石壁と煉瓦の古風で趣のある内装だった。壁には油彩の風景画がいくつか飾られており、天井から吊り下げたランプがぼんやりと照らしている。
「いらっしゃいませ…って、あら、まだいたのね」
「あ、さっきの」
『ローマの休日』の婦人が少々呆れた顔をしている。
「今日はイベントがあってね、他の店はどこも閉まってたでしょう」
「ああ、終戦記念日、だろ?」
「あら、タメ口なのね」
「仕事中じゃあないんでね」
婦人は不機嫌な顔を見せるも、席へ案内した。しばらくして、水とメニューを持ってきた。
「ガレージに留めてあったのは?」
浜岡がふいに外を指さす。それはあの真っ赤な高級車だった。
「素晴らしいRosso Corsaじゃあないか。あれ、君の?」
不機嫌だった婦人が急に明るくなる。
「ええ、そうよ。私の故郷の色よ。ええ、好きなものこそが美しいの」
彼女は誇らしそうに語る。ここぞとばかりに質問をする。
「イタリア出身なのか?」
「トリエステ出身よ。アドリア海に面している、と言えば想像がつくかしら…そうそう、私の名前はローマ、よろしく。」
(名前もローマだった…)
驚く浜岡を無視して、彼女はボブヘアをかき上げる。その姿は花瓶に咲くサンダーソニアに似合っていた。
「それで、あなたは…浜岡…で合っていたかしら?」
「ああ、そうだ。改めてよろしく」
渡されたメニューに目を通す。定食とか、コースといったものはないようだ。聞いたことのない名前がずらりと並んでいる。オマケに写真が一切ないので、どんな料理なのかさっぱり分からない。
「オススメはプロシュートとルッコラのピッツァよ。プロシュートっていうのは…生ハムみたいなものよ」
注文を待ちかねたローマが口をはさむ。
「じゃあそれで……ん?この『プッタネスカ』は?」
「味の濃いパスタよ、アンチョビ、オリーブ、ケッパー、トウガラシの入った味の濃いパスタよ。時間かかるけれど、いい?」
「いいや、やっぱりプロシュートとルッコラのピザで」
「ピザじゃなくてピッツァよ、間違えないで」
また不機嫌そうになって、厨房へ消えていった。
十分くらい経って、ローマが焼き立てのピッツァを持ってきた。なぜかパスタも持ってきている。オリーブオイルの豊かな香りが鼻をくすぐる。
「さあ、熱いうちに、おあがり」
そう言って料理を出すと、ローマも相席する。
「本当なら今は昼休憩の時間なの。気にしないで頂戴ね」
そう言ってと料理をつつき始める。皿に載っているのは鶏のパスタだろうか―ニンニクとタマネギの香りが伝わってくる。
「では、いただきます」
ピッツァは綺麗に切り分けられていた。それをクルクルっと巻いて、ほおばる。オリーブオイルの香りとプロシュートの塩味が口いっぱいに広がる。シャキっとしたルッコラとモチモチで香ばしい生地がたまらない。
「いかがかしら?」
「美味しい。こんなピッツァ初めてだ。ハムの塩加減が丁度いい」
「Bene. そう言ってもらえて嬉しいわ」
ローマは頬杖をついて満足そうにしていた。
「でも、おかっぱにイタリアン…」
何かを思い出すように微笑む。
「何だね?」
「…いいえ、なんでもないわ」
※
「ご馳走様、実に美味しかった」
浜岡は丁寧にフォークを置いて、ナフキンで口元を拭う。
「そう、良かったわ」
そう言ってローマがフィンチメガネをクイっとさせた。
『カランカラーン』
ドアの方から誰かが入って来た。セーラー服の少女―首からはカメラをぶら下げている。
(どこかで見たことのあるような―)
「いらっしゃいませ…あら、青葉さん」
「ども、お一人様です」
「―青葉⁉」
思わず声が出た。重巡青葉―第二次世界大戦中、トラック諸島方面で中部太平洋作戦を支え、深海棲艦との戦いでは従軍記者としても活躍した『艦娘』だ。浜岡の艦隊にもいた―この青葉ではないが…。
大声に驚いて、青葉とローマが吹き飛びそうな姿勢になる。
「な、何よ、貴方たち知り合いなの?」
少したじろぎながら、言う。
「い…いや、さっきのガンビア・ベイといい、一日に艦娘を二人も…」
それを聞いた二人は唖然として顔を見合わせる。
「え?…ここがどういうところか知らないで来たの?」
突然の質問に浜岡は鼻白ぐ。
「ここは艦娘の村。日本の艦娘の八割くらいが、この村に住んでいると言われているわ。まあ、村長さんは元元帥で人間だけれども…。いつもは一般人の立ち入りを禁止しているの。でも終戦記念日とその前の日だけは、鎮守府の元関係者だけ立ち入りを許可しているの」
浜岡は山道の途中にあったバリケードを思い出し、納得していた。
「じゃあ君は…」
「イタリア生まれの最新鋭艦よ。ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦四番艦、ローマ…この台詞言うの何年ぶりかしら」
左手を顎に当てて、右手を腰に当てる―お馴染みのポーズである。
「―ようこそ、艦娘の楽園、美舩村へ」
唖然としている浜岡に、青葉は明るく微笑んだ。
しかし、浜岡の心は、その笑顔とは逆にどんどん暗くなっていくようだった。窓から見える彼岸花が風に揺れていた。
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2.二羽の鶴
美舩村の海岸付近―。
この村で唯一の商店街は、これまでにない活気に包まれていた。終戦記念日を前日に控え、村の艦娘たちによるバザーが開かれたのだ。皆それぞれ手作り品を出し、展覧会を催している。
商店街に来ているのも殆どが艦娘だが、親子連れなど一般の人々も多く訪れている。商品を手に取る者、露店の店主と思い出話を交わす者、久方ぶりの再開に涙を浮かべる者―戦争とはかけ離れたぬくもりが広がっていた。
とある露店では、翔鶴型装甲空母の翔鶴と瑞鶴が骨董品を並べていた。立て看板には、大きく『鑑定も受け付けます!』と書いてある。姉妹は戦後から骨董屋を営んでおり、屋台は壺や掛け軸、銘器と言われる茶碗や花瓶など、美術作品で鮮やかに彩られていた。また、骨董市にしては異色の油彩、兎のブロンズ像も飾られている。特に、重厚なガラスケースの中には畳一畳分はあろうかという日本画が飾られており、そこには彼女たちを象徴する二羽の鶴が、その美しい羽を純白に輝かせていた。
「ねぇ瑞鶴、やっぱり高すぎじゃないかしら?」
翔鶴が不安そうに商品の値札を見る。
「記念日だろうが何だろうが、値下げとかは絶対にしないんだから!」
「でも…」
瑞鶴はいかにもという風に胸を張っていた。値段を安くするのは、どうしても鑑定士のプライドが許さないらしい。しかし、朝から壺も茶碗もまだ一つも売れていなかった。
「価値がしっかりわかってもらう人にしか買ってもらいたくn―」
「誰かと思えば、瑞鶴じゃない」
落ち着いた、けれども威圧感を感じさせる声に姉妹が強張る。振り向き見るとやはり一航戦の怖い方だった。その手にはどこかの屋台で買ったらしい焼き鳥が握られている。
「「加賀さん」」
「何よ…化物でも見るような顔をするのは、やっぱりどの翔鶴型姉妹も同じようね」
呆れた、というよりも面倒くさそうに溜め息をつく。作り笑いする姉妹を他所に、続ける。
「それで、ここの貴方たちは骨董市をやっているのね。全然減ってなさそうだけど」
その言葉に瑞鶴がムッとする。ツインテールも逆立っている。翔鶴が宥める隙もなく噛みつく。
「フン、加賀さんの春画展とかあればもっと売れたかもしれないなぁ」
「⁉」
翔鶴が青ざめた。一方の瑞鶴は「どうだ」という顔をしている。
「―まあいいわ。二人ともせいぜい頑張りなさい」
と言い残して、加賀は顔色一つ変えずに歩き去ってしまった。肩透かしを食らった瑞鶴がぽかんと口を開けている。
(加賀先輩、丸くなったのかしら?)
翔鶴は、妹が何もされなかったことに唯々安堵していた。
「―春画なら比叡にでも頼めば?」
一航戦の一言に、商店街のどこかからズッコケる音が聞こえた。
昼を過ぎても、骨董品は全く売れていなかった。「綺麗な掛け軸ね」とか「風情のある茶碗ですね」とか言ってくれる人もいるが、皆何も買わずに行ってしまう。
「…売れないね」
「…売れないわね……ねぇ瑞鶴?やっぱりn―」
「値下げはだめよ!絶対ダメ!」
瑞鶴が即答する。
座っているのも疲れたのか、瑞鶴が立って背伸びする。
「翔鶴姉、何か飲み物とか買ってこようか?」
「じゃあココア買ってきて」
「はーい。じゃあ店番よろしく!」
「ええ、行ってらっしゃい」
それを聞いて、瑞鶴は欠伸しながら商店街の通りへと出て行った。
「―翔鶴さん!」
瑞鶴が行ったのとは反対側から、甲高いかわいらしい声が聞こえる。
「あら…島風さん?髪、切ったのね?」
「そうじゃ…そう!大型改造(イメチェン)したの、カワイイでしょー!」
白いウサ耳少女が、短いツインテールをバサバサしてみせる。視線を落とすと、ヘソ出し袖なしセーラー服ではなくなっていることに気付く。鎮守府内であれほど『あざとすぎる』『変態萌えウサギ』と言われていた少女が普通の格好をしていた。―だが短すぎるスカートはそのままである。
(時が経てば、艦娘だって変わるものなのね…)
翔鶴がしみじみと島風を眺める。
『ガルルルルゥ…』
「まあ!連装砲ちゃんも一緒ね」
「おうッ!」
連装砲ちゃんはいつにも増して元気そうだ。リードが付けられているのは、元気すぎてどこかへ飛んで行ってしまうからだろうか。
島風はその頭を撫でてやると、大きな籠のようなものから何かを取り出す。
「それは何かしら…?」
少女はぴょんと跳ねる。
「これ、カチューシャ!村長が付けてくれって言ってた!翔鶴さんにもあげる!」
「あらやだ!ありがとう」
手渡されたカチューシャを眺める。それには鹿の角と紅白の菊の飾りがついていた。鶴を表現した色合いだろうか。早速、着けてみる。
「どうかしら」
「うん!綺麗‼」
純粋な彼女の言葉に、翔鶴は頬を赤らめる。
「あれ?翔鶴姉、何してるの?…って、その子、誰?」
瑞鶴がココアを両手に、少女をまじまじと見ていた。
「やだなぁもう…島風なのjyゲフンゲフン…島風ちゃんだよ?」
「……ええ⁉島風なの?全然露出してないじゃん⁉」
跳び出した言葉に周りが大笑いする。島風は顔を真っ赤にしていた。
「と、とりあえず、瑞鶴さんにもこれあげる!」
島風がカチューシャを渡す。それは翔鶴とお揃いの飾りがついていた。違いと言えば、角が朱色というところだろうか。
「村長さんからのプレゼントらしいわ?」
「へぇ、わびさびを感じるわ。島風、さーんきゅっ!」
お礼を聞いた少女は、またぴょんと跳ねた。連装砲ちゃんも踊っている。
「じゃあね!まだまだいっぱい配らないと‼」
ウサ耳少女は、連装砲ちゃんとスキップしながら隣の屋台へ行ってしまった。
飲み終えたココアの缶を屑籠に捨てる瑞鶴を、翔鶴が呼び止める。
「ねぇ瑞鶴?」
「なぁに翔鶴姉?」
「カチューシャ着けないの?」
翔鶴が目をキラつかせて見つめる。瑞鶴はやれやれとそれを着けて見せた。
「あらまあ!かわいい!」
「そう…かな…。でもやっぱり恥ずかしい‼」
そう言ってカチューシャを外すと、それを近くの花瓶に引っ掛ける。
「うん、いい感じじゃない♪」
「あら、ほんと」
その花瓶には、黄色いキンセンカの花が描かれていた。
※
一年前―上海のとある廃洋館の一室にて、事件は起きた。その日は酷い豪雨で、風が乱暴に窓を叩き、時折、閃光と共に雷鳴が館の壁を震わせていた。
ドンッと扉を蹴飛ばし、燕尾服姿の男たちが数人、部屋に入ってきた。そして、横一列に並ぶと、大きな窓に向かって立つ人影に銃口を向けた。男たちの中の一人、ボスらしき人物が声を上げる。
「インターポールだ。両手を上げて、ゆっくりこちらに顔を見せろ!」
人影はそれに応じて男たちの方へ向く。それは、全身黒ずくめの男で、青白い顔とは相対的な漆黒のロングコートを身に纏っていた。燕尾服の男は、顔を確認して、続けた。
「レイモンド上須賀、貴様には、『レッドアジュア』という組織を立ち上げバイオテロを企てている、という疑いが掛けられている。大人しく同行してもらおうか!」
その声はオペラ歌手のようによく通り、ボロボロの館に響いて木霊した。レイモンドと呼ばれた男は表情ひとつ変えなかった。しかし、何故か深海のような底なしの冷たいオーラを放っており、男たちは気圧され、銃を持つ手が震えていた。
雷光が部屋を包んだ。次の瞬間、彼はそこにいなかった。
「う、うう…」
呻き声とともに、背後で人が倒れる音が聞こえた。男は驚いて振り返り、その光景に目を疑う。仲間が全員、血塗れで転がっていた。胸を一突きされ、即死だった。
『ドズッ…』
男の身体が、衝撃で仰け反った。身に起こったことが理解できず、自然と視線を下した。自身の胸から、漆黒の腕が生えている。数秒後、脳がやっと理解できたと同時に、鋭い痛みが駆け抜け男は絶叫した。呼応するように、血が間欠泉のように噴き出す。ここで初めて、レイモンドという男は微笑んだ。
「私の計画は誰にも止められない。ましてや、人間のお前たちには、な」
「なん…だ…と…ッ⁉」
貫いた腕が引き抜かれ、男は再び絶叫し、仰向けに倒れた。彼は男を見下ろす。
「―終ワッタカ?」
男たちが来た方から、一人の女が歩いてきた。漆黒の軍服に乾いた血のようなドス黒い赤のマントを纏っている。その頭には、ミノタウロスを彷彿とさせる角が、一対突き出ていた。
「ああ、始末した。しかし、拠点を変えた方が良さそうだな」
「ソウダナ。全テハ計画ノ為。嘔心瀝血ヲ以テ、コノ戦ヒ必ズヤ勝利ヲ手ニ掴モウ」
「『レッドアジュア』に勝利あれ」
「我ガ『レッドアジュア』ニ勝利アレ…」
そう言って、彼等は扉の奥へと消えていった。鉄黒のブーツの音だけが、古い洋館に響き渡った。
静まり返った部屋、死体たちの中の一つが、ぴくりと痙攣した。男は、まだ死んでいなかった。しかし、自力で立つこともできず、ただ死を待つのみ、という状態であった。男は、血を失って痙攣する手で、スーツの懐から二本の小さな『錨』を取り出した。
(俺は、まだ諦めない。佐世保で起きたあの事件以来、ずっと奴を追い続けてきた。これ以上、戦火の日で苦しむ人を生み出してはいけない。これは奴の証拠品だが、止むを得んッ)
そのうちの一本を天に掲げると、力を振り絞って、己の鳩尾に刺した。出血量が多いからか、痛みは感じられなくなっていた。
『ドクンッ』
男の身体が激しく痙攣した。すると、幽体離脱のように、人型が「ぼわり」と浮き上がる。それは徐々に女性の形をとり、男を見下ろした。彼は既に息絶えていた。
『貴方の遺志、確かに、預かりました』
幽霊は、傍に落ちていたもう一本の『錨』を拾い上げ、胸元に当てて、遺体に一礼する。そして、未だ雨の降りしきる窓を見つめ、口を開いた。
『Her Majesty's Ship Ark Royal. これより、任務を遂行する―』
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3.佐世保鎮守府第203部隊
浜岡櫂―。
彼は佐世保の港町に生まれた。両親は漁師を営んでおり、決して裕福ではないものの、幸せな環境で育てられた。自分もいつか父を超える漁師になるのだ、そう心に決めていた。
その最中、『深海棲艦』が発生した。
彼等は七つの海に同時多発的に発生、人間のような姿をとりながら、『艤装』によって軍艦に匹敵する力を有し、船舶を無差別に撃沈していった。海路と空路での物流も事実上不可能になり、世間では「某国の生物兵器」や「宇宙からの侵略者」などと様々な憶測が飛び交い、大混乱に陥った。
各国では直ちに軍隊が出動するも全く歯が立たず、日本でも毎日のように自衛隊の船舶と航空機が水底へと消えていった。戦争が始まってから3か月で米軍が停戦宣言、続けざまに中国やロシアまでもが対策を断念してしまった。一方の日本は、国民を深海棲艦から守り続けることを宣言、軍事的・化学的に対策を練り続けた。その頃、某大手IT企業が海底調査によって彼等が深海で生息していることを確認―『深海棲艦』と呼ぶようになったのはこの時からである。
彼等の強みはそのステルス性と耐久性である。イージス艦のレーダーでさえ探知できず、米軍のASM(空対艦ミサイル)を食らっても無傷だった。核弾道ミサイルにも耐えたというデータも存在した。このようにして、アリの如く湧き続ける深海棲艦に、全世界の制海権はあっという間に奪われてしまったのだ。
勿論、それは浜岡櫂とその家族にも影響した。両親は漁に出られず、生活は日に非に困窮していった。それを見かねた彼は海軍に入ることを決心、上京して防衛大学に入学した。
浜岡が入学して2年が経ったころ、日本やドイツなど、一部の国で『妖精』が発見された。発生経緯は謎に包まれているが、彼等はとある能力を持っていた―『艦娘』の建造である。護衛艦を造るよりもはるかに低コストで空母や戦艦を建造できた。そしてこれらは、深海棲艦に効果があった。それは奇妙なことに、深海棲艦と同じ人の姿をとり、更には艤装によって戦うところまでも同じであった。妖精によると、彼女たちは第二次世界大戦で活躍した軍艦の魂を有しているらしい。世間では、深海棲艦の発生原因が妖精であるといった批判も見られたが、日本政府は藁をも掴む思いで艦娘の大量生産と戦闘配備を命令、自衛隊とは独立した艦娘の軍―『日本軍』が誕生し、各地の沿岸に鎮守府が設置された。また撃沈した深海棲艦の一部が浄化されて艦娘になる事もあって、戦力が増強され日本軍は次々と制海権を奪還していった。
大学をいよいよ卒業するかという頃―深海棲艦の空母機動部隊が、佐世保鎮守府を襲撃した。海軍の大規模作戦中、防衛が手薄になっているところを突かれたのだ。市街地も流れ弾を受け、大勢の人が死に、不幸にも彼の両親もそこに含まれていた。これから親孝行ができると胸を高鳴らせていた彼にとって、これほど大きなショックはなかった。『深海棲艦を、必ず、この手で、駆逐する』―浜岡の中で、復習にも似た意志が燃え上がったのである。
卒業後、浜岡は佐世保鎮守府に配属され、第203部隊司令官として艦娘たちを指揮する事となった。
以来、彼は鬼のように深海棲艦を殲滅していった。『戦力絶対』『滅私訓練』『創意工夫』の精神のもと、彼の指揮する艦隊は数多の敵艦隊を撃破、彼は25歳の若さで一気に中将まで上りつめた。艦娘の練度も非常に高く、一人一人が一騎当千の猛者としてその名を馳せた。浜岡は深海棲艦を撲滅する事を第一とし、「艦娘は轟沈したら深海棲艦になる」との噂を聞けば、全ての艦娘に補強増設と応急修理要因の常時搭載を義務付けた。また、当時はオリョール海での『過労出撃』や、艦娘を特攻させる『捨て艦戦法』といった『ブラック鎮守府』が問題になっていたが、彼は艦隊運用の効率化に工夫を凝らし、過労を訴える者も少なく、戦果も上々で艦娘からも慕われていた。
一方で、その目覚ましい活躍をよく思わない提督も多かった。大本営が浜岡の部隊へ優先的に新装備を支給し、巨額の投資をしたからである。あらぬ噂を鎮守府に流すなど、嫌がらせは連日のように続いた。言うまでもなく、浜岡と彼の艦娘たちは、彼等を歯牙にも掛けなかった。こうして第203部隊はますます戦力を上げ、快進撃を続けた。
※
その日―佐世保の空に、薄雲が掛っていた。
レイテ沖での死闘の末、敵の大将『深海鶴棲姫』を撃破した浜岡の艦隊は、帰還の路についていた。他の作戦に当たっていた艦娘たちは先に帰投しており、ドックで傷を癒したり甘味処へスイーツを食べに行っている。と言っても鎮守府にいるのは浜岡の艦娘のみである。他の提督、そして彼等の艦娘たちは、大規模作戦の勝利を祝して慰安旅行に出かけていた。浜岡は勿論、『お留守番』である。行っても楽しめないことは承知の上、作戦海域周辺の残党艦を入念に探していた為に艦隊の引き上げが他より大幅に遅れていたのだ。
浜岡は朝から報告書を書きながら、無線機の前に座っている。
“Hey、提督ぅー!今日中に母港へ到着予定ネー!5 o'clock には間に合いマース!”
「了解、敵飛行場の破壊、そして敵空母機動部隊の撃破、皆ご苦労だった」
“ああ、ありがとう。それにしても、金剛が島に向かって三式弾を撃った時には、どうかしてしまったのかと思ったよ。まさかあんなに効果があったとはな…”
真っ先に返事をしたのは旗艦の長門だ。
“ワタシのsenseはピカイチデース!”
それを聞いた浜岡が微笑むも、ふと思い出したように、白手袋をした指を見つめる。左手の薬指には白銀の指輪が輝いていた。それは作戦前に配給されたもので、仕組みは知らされていないが艦娘の力を増幅させるものらしい。
「そうだ、金剛。この指輪のことなんだが…効果はあったのか?」
“うーん…いつもと変わりなかった気がしマース。いつもと同じデース!”
「そうか…」
彼女の言葉に浜岡がもう一度それを見つめる。
(明石によるとまだ試作品らしいが…失敗作なのか、それとも金剛のポテンシャルが高い為に効果が現れにくいのか…)
“金剛殿も流石じゃったが、筑摩も霧の中での奮闘もなかなかのものじゃったぞ!”
“ありがとう利根姉さん。帰ったら一杯やらないとね”
“これは鎮守府に帰ったら皆でお好み焼きパーティじゃね”
“ではお肉は神戸牛がいいですわ!”
“おっ、なら焼くのはこの磯風に任せてもらおう!”
“あなたがやったら炭の円盤になってしまいます”
“浜風、そこまで言わなくたっt―”
『ドンッ‼』
突然、浜岡が机を叩く。そして、怒鳴る。
「てめえら! 気ィ抜いてんじゃあねェ!」
無線が静まり返る。
「安全海域に入っても警戒を怠るな‼」
“わ、わかってるって~。お家に帰るまでが遠足じゃん?水偵もレーダーもバッチリだって!”
いつものような会話をしながら、浜岡は彼女たちの帰投を待っていた。
暫くして、再び無線の通知音が鳴る。浜岡は不思議そうな表を浮かべる。
「こちら浜岡。どうした?」
“しれー!榛名さんから緊急無線です!今つなぎます!”
声の主は雪風だ。いつもの能天気な声に不安が混じっている。榛名は作戦中に大破したため、野分と清霜の護衛のもとブルネイ泊地に寄港、修復を受けた後、金剛たちからは遅れて佐世保に向かっていた。
「もしもし、こちらh―」
“ききき緊急事態です!敵の空母艦隊に補足、奇襲されました!大丈夫じゃないです‼”
「何ィ⁉敵艦隊は殲滅されたはずだぞッ‼」
彼女の言葉に冷や汗が噴き出す。榛名が奇襲を受けた事ではない、別の何か―異様な雰囲気に悪寒を覚える。
「榛名、落ち着け。先ずは状況を教えてくれ」
“それは分かりませんが、敵……真っ直ぐn……ッ⁉…ザザザリザリザザァァ―”
「榛名ァ‼」
全身から力が抜ける、痺れる。
(今までのとは違う⁉)
深海棲艦が通信妨害を使うという前例は聞いたことがない。嫌な予感―それは不幸にも的中する。
“た、大変じゃー‼”
悲鳴のような割れた声が響く。
“どうしたの利根姉さん⁉”
“吾輩の水偵が敵の超大艦隊を発見したのじゃ!…空母…戦艦…潜水艦までおる!”
“数はいくつだ!”
普段は何にも動じない長門ですら動揺を隠しきれずにいる。
“暫し待たれよ…”
“ふむ…な…なん…じゃと…⁉”
“…利根姉さん?”
〝姫鬼級だけで、空母4、戦艦9、重巡13、軽巡6、駆逐34だ。そしてノーマルが空母17、軽空母18、戦艦12、重巡11、軽巡15、駆逐艦141、PTが約1500じゃ…〟
「何ィイ⁉」
気付けば浜岡は立ち上がっていた。
“…それに…すぐそこまで来ておる…………………吾輩たちの、真後ろじゃ”
(―馬鹿なッ⁉)
執務室の空気が凍る。浜岡の瞳孔が開く。
“ほげェエ⁉…うちのレーダーにはなぁんも映っとらんよ⁉”
“浦風さんの電探でも探知できないなんて…奴ら、一体どうやって―”
言い終わる前に、無線に噛みついて叫ぶ。
「逃げろ‼最大船速で‼何としても振り切るのだッ‼」
ただでさえ敵の本丸を撃破した帰りだ、弾も残り少ない、疲労も相当なものだ。彼女たちが奴等に勝てる可能性は―ゼロだ。その上、佐世保鎮守府にいるのは第203部隊のみ。戦力の差なんて赤子にでもわかるほどだ。だが、時間にはまだ余裕がある。
「今はこちらにいる艦娘では歯が立たない。俺は今から他の部隊と、岩川と鹿屋にも連絡をとる!今は友軍を待つしかないが、体制を整えて、敵艦隊は必ず倒すッ!お前たちは逃げ切る事だけを考えろッ‼」
“提督、それはできないネー”
その声は、非常に落ち着いていた。思考が停止する。
「なん…だって?」
“沖縄はどうするんですカー?”
「……沖縄?」
レイテ島と九州の間に位置する、沖縄県―かつて自衛隊基地や米軍基地が点在したが、深海棲艦の猛攻で壊滅。その跡地に日本軍の飛行場が、そして中城湾に小規模な泊地が設置された。人口は空襲で激減したが、その後に制海権を取り戻したことで、少しずつ回復していった。
「沖縄は……残念だが、手遅れだ。基地航空隊が総出でかかっても、数で押し負けるだろう。深海棲艦に占領されるのは、最早避けられない。しかし、必ず奪還するッ」
“それではダメデース”
金剛は珍しく反発した。無線を睨んで、浜岡は眉間にしわを寄せる。
“艦娘が深海棲艦と戦う理由、分かりますカー?”
「何を言ってるんだ。そんなの決まっているじゃあないか。深海棲艦をこの世から撲滅する為だ」
“確かに、それもありマース。でも、それが一番ではないデース”
無線の奥で、深呼吸が聞こえる。
“艦娘が深海棲艦と戦う理由、それは、一人でも多くの人命を護るためネー”
その言葉は力強かった。だが、浜岡の中に沸いたものは、混乱だけであった。
“ワタシたちがまだ鋼鉄の身体だった頃、誰も守ることができなくて、数えきれない命が戦火に焼かれていった―だから、こうして生まれ変わって、今度こそは、深海棲艦から皆を守り抜いて見せると誓ったのです”
彼女の言わんとすることが、彼には全く分からなかった。金剛とは佐世保鎮守府に着任してからの長い付き合いで、練度も一番高く、お互い考えが手に取るように分かる程であった。それが初めて、すれ違った。
“全く金剛の言うとおりだ。艦娘として今ここに立っているのは、『宿命』なのだ”
“そうじゃ。これは時を超えた『リベンジ』なのじゃよ”
“鈴谷も激しく同意じゃん?”
“この熊野もお供しますわ!”
“しれー!心配しなくっても大丈夫!私達は絶対、沈みません!”
誰一人として、金剛を止めようとはしない。それどころか、躊躇の欠片もなく付いて行こうとしている。浜岡には、彼女等が少数の人間を見捨てられないという理由で、後先考えずに死に急いでいるようにしか、見えなかった。仮にそうしたとして、沖縄が深海棲艦に呑まれる未来を変えられる訳がない、と思った。完全な無駄死にである。
“敵艦載機!来ます!攻撃機!推定386機!真っ赤です‼”
“了解!この磯風、カイルもビビる対空射撃を見せてやるさ!なぁ、浜風”
“はい!必ず、守り抜きます!浦風、私より先に逝ったら、許しませんから!”
“あがにー言いさんな浜風。うちらは浜岡はんにぶち厳しゅう訓練されとるけぇ。簡単にゃ沈まんよ?”
“沖縄に―人々に指一本触れさせませんわ!”
“そうそう、うちらは佐世保最強の『盾』じゃん?”
浜岡の目が見開かれる。彼の耳には、『生きて還るつもりはない』と聞こえたからだ。
“発砲安全装置解除!オーバーヒートは避けられぬなぁ…長門よ、吾輩はいつでもいけるぞ!”
“よし!皆準備はいいな!深海棲艦どもッ!雁首揃えて、十万億土を踏みやがれッ‼総員!突撃ッ!”
「おい!おm―」
“それ…あ浜…ん…急増援よろ…くネー!…ザザザザァアア―”
「金剛ォォオオ‼」
ノイズでかき消される。彼女たちの命令違反―とうとう引き留められなかった。
「クソッ」
奥歯を噛み締めてから、乱暴に受話器を取った。
※
浜岡は、電話の前で、茫然と立ち尽くしていた。頭の中で、任務娘の大淀の声が共鳴している。
『岩川、鹿屋に連絡を入れましたが、提督と艦娘は慰安旅行でほぼ不在。呉や佐伯もダメでした。大本営からも―貴殿の艦隊で対処せよ。増援は必ず送る。それまで辛抱せよ―とのことでした…。沖縄の基地航空隊、艦隊も全滅。金剛たちは―』
腹の底が煮えくり返り、今にもアリゾナの如く噴火しそうだった。
(増援が来るまで辛抱せよ―そいつは絶対に不可能だッ‼いくら俺の艦隊でも、30分と持たないッ!どいつもこいつもレイテの勝利如きで浮かれやがってッー‼こうなったら―止むを得ん。体勢が整うまで、艦娘を退避させよう。俺もクビを斬られるだろうが、知った事か。これも、戦力を温存し、深海棲艦をいち早く殲滅する為だッ。この鎮守府が吹き飛ぼうが、直ぐに再建できる。だが、艦娘は別だ。育成にどれほど時間が掛かることか…大本営は何も分かっていないッ‼)
大本営が意味不明な事を言っているとしか思えないので、命令違反を犯すことに、1ミリの戸惑いも恐怖も感じられなかった。
「―司令‼」
直ぐ隣に戦艦霧島がいる―いや、いたのに気付いていなかった。気配に振り返ると、鎮守府にいた艦娘たちが集合していた。眼を疑うことに、全員が艤装を背負っていた。中には『任務受付』の腕章をした大淀もいた。
「どうして…」
霧島が向き直る。拳が骨を自己粉砕しそうな強さで握られている。
「司令、私たちも、出撃します」
「しかし霧島!」
「私も、出撃します」
一歩前に出たのは、正規空母の赤城だ。鬼のような形相で、浜岡の顔を睨んでいる。
「そ、それは……大本営の………命令だからか?」
しかし、彼女は首を横に振った。
「いいえ、私たちの、意志です」
寸刻も目を逸らさず、はっきりと言った。彼女が振り向くと、後ろの艦娘たちが敬礼した。その瞳に、迷いなど一切存在しなかった。気圧されて、浜岡が後ずさりする。
「正気か……こいつは作戦でも何でもない、十死零生なんだぞ……それに、轟沈した艦娘がその後どうなるか……知らないわけじゃあないだろう……『深海棲艦を1日でも早く殲滅する。青い海を取り戻す』―それが、提督と艦娘の義務じゃあないか。その為の精強な艦隊じゃあないかッ‼」
悲鳴のような声を轟かせても、その燃えるような瞳の色は、一つとして変わる事はなかった。
ここで、赤城の背後にいる加賀が口を開いた。
「『戦力絶対』―貴方の艦隊思想、確かに間違ってはいないわ。実際、そのお陰で、私たち203部隊は数々の敵艦に勝利、制海権を奪還してきました―でもね、貴方には最も大事なことが欠けていたの」
そこまで言ったところで、急に眼差しが鋭くなった。
「それは、制海権の奪還以前に、人命を一番に重んじる事。そして私たち艦娘は、深海棲艦を沈める『矛』ではなく、奴等から命を護る『盾』である、ということよ。例え、背水の陣だと分かっていても、私たちの自殺行為で、敵艦が一隻でも沈んで、爆撃機の数が一機でも減って、降り注ぐ砲弾の数が一発でも減って―その結果、失われるはずだった命が一つでも救われるのなら…私たち、いえ、艦娘は喜んで命を投げるわ」
浜岡は、艦娘という生き物が、完全に分からなくなった。今まで、共に深海棲艦との戦いに勝利する同志だと思っていた存在が、滲む。そもそも、この戦争における勝利とは何なのか―信じて疑わずに積み上げてきたものが、全てまやかしだった様な気分に捕らわれる。目の前の艦娘たちが、とても冷たく感じた。
「それでは司令、武運長久を―」
霧島が言い残すと、全員、浜岡のことなど一瞥もせずに、執務室を出て行ってしまった。
気が付けば、一人ぽつんと取り残されていた。只々、虚しさと悔しさが全身を充満し、抜け殻のようになっていた。
昼下がりの空が、白く霞んでいく。浜岡は、窓の脇に飾られたカンパニュラを茫然と見つめていた。
結局、浜岡の艦隊は一人として帰ってくることはなかった。一方で、彼女等の必死の迎撃が時間稼ぎとなり、岩川基地、鹿屋基地などの艦隊が迎撃に間に合うことができた。その上、敵戦力が弱体化したお陰で、艦隊は負傷艦を大量に出しながらも迎撃に成功―加賀たちの願い通り、基地や市街地に一発の砲弾も爆弾も落とさせなかった。
所持艦を全て失った浜岡は、理不尽にも鎮守府を追われる結果となった。だが、彼はそれに対して、不思議と怒りの感情が全く湧き上がらなかった―その理由が、彼自身どうしても分からないのであった。
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4. SHIRATSUYU RIDERS
「―またのご来店をお待ちしておりま~す」
浜岡は勘定を済ませ、ローマと青葉に見送られながら戸に手を掛けた。
『ズゴォォォォオオ……』
三人がほぼ同時に振り向く。音は海岸の方からだった。青葉は録音機を慌てて片付ける。
「ずいぶん派手な観艦式だな」
「それにしては音が近すぎるわ」
青葉が咄嗟に立ち上がる。
「青葉!取材行ってきます‼」
「ちょっと待ちなさいよ!」
ローマが後を追う。ドアまで来たところで振り返った。
「浜岡さんは直ぐ村を出なさい。なんだか嫌な予感がするわ」
二人は返事を待たずに行ってしまった。一人リストランテに取り残される。
遅れて外へ出てみると、建物の隙間から、遠くで黒煙が勢いよく吹き上がっている。それだけではない。明らかに地上が砲撃されている。次第に額から汗が流れる。あの日の記憶が脳裏をかすめた。
そんなものお構いなしに、景色の彼方此方から、轟音と共に煙が吹き上がる。
(おかしい、あれは海岸からじゃあない!地上で砲撃している⁉)
あり得ない―足がすくんでいた。
『……ロロロブロロブロロロォォオオ‼キュワァァア‼』
音に我に返るも束の間、浜岡の近くから黒い塊が飛び出してきた。「何か」は勢い余って建物の壁を蹴り飛ばし、あろうことか迫ってくる。
「なッ、何ィィイ⁉」
こちらに気付いたのか、「何か」は目の前で急停止した。見ると真っ黒のオートバイに全身黒のライダーだった。
「伏せろッ!」
いきなり怒鳴られて伏せる。頭上を光が切り裂く。背後で炸裂する。
「クソッ!お前も来いッ!」
刹那、目の前はヘルメットだった。
「しっかり掴まれッ!」
間髪入れずすっ飛んだ。ライダーはどんどん加速する。
「おい!一体どうなってんだ!というか誰だッ!」
「巻き込んでしまってごめんなさい。でも説明はあと。今は逃げ切るわ!」
振り返ると何台もオートバイが追っている。乗っているのは少女で、頭に鬼のような角が生えている。更に、彼等には『艤装』が着いていた。小口径主砲と魚雷も装備しているのでおそらく駆逐艦である。
(新手の艦娘、俺がいない間に建造されたものか?)
少女たちは明らかに敵意を持った目で浜岡を睨みつけている―ロックオンしている。訳が分からないので、また目の前に叫ぶ。
「この後どうするつもりなんだ?」
「まずはこの村を出るわ。市街地に出てなんとか撒く」
「門はボタン式だぞ。どうやって?」
「そこは通らないわ。兎に角、私に任せて」
オートバイは脇道のトンネルに突入した。後ろの連中も同じく追いかけてくる。
「さてと…」
目の前の女は後ろにかけたウエストポーチから何かを取り出した。すると「シュバッ」という音と共に煙が噴き出た。背後が煙で満たされていく。
「これは、発煙筒?」
「そうよ…来るわ!気を付けて!」
「ッ⁉」
考えるよりも早く、頬を弾幕がかすめていった。彼方で酒烈する。
「上手くいったわね!」
トンネルを飛び出す。視界を遮る事で滅茶苦茶に発砲させ、出口を塞いでいた何かを破壊したのである。しかし、あんまりな賭けである。
(コイツ…俺に当たったらどうするんだ)
後ろを確認すると、追跡者はまだいるようだ。浜岡が顔をしかめる。
(市街地はマズイッ)
明らかにスピード違反な上に、ヘルメットもない。それだけではない、追跡者は煙の中でも無茶苦茶に発砲するような連中―無関係の人が巻き込まれるのは明らかだ。
「なあ、ライダー」
「何よ、説明は後って言ったでしょ?」
「そうじゃあない、このままじゃあ遅かれ早かれ周りを巻き込む。どうやら後ろの奴らは艦娘じゃあないか。艦娘が人を殺すなんてこと、赦しちゃあいけない」
ライダーは暫く黙る。そして溜め息をついた。
「…貴方って人は―分かったわ、じゃあ振り落とされないようにしなさい!」
急に景色が傾く。浜岡は必至にしがみつく。通りを曲がると、そのまま真っ直ぐ突き進む。
「これから高速に突っ込むわ!上手くいくか分からないけれど、そこで奴らを打ち倒す!」
彼女がポケットから取り出したボタンを押す。
『バリバリッ!』
と音を立てて、ウエストポーチが脱皮した。中からは銃らしき物が顔を出す。浜岡は背後ばかり気にしていて気付かなかったが、ポーチの左側には大きな板が生えていた。それが電気的な駆動音と共に飛行甲板へと展開される。はっ、と目を上げると、手には鋼色のクロスボウが握られていた。彼女は前を向いたまま、言う。
「私は最新鋭正規空母『大鳳』です。どうぞよろしく。お人好しなお兄さん」
二人は疾風の如くハイウェイを翔ける。追跡者も置いて行かれまいとアクセル全開である。一行は、一台また一台と合間をすり抜けていった。
「ッ⁉」
黒のオートバイは突然にしゃくる。残像を弾幕が貫く。それは徐々に重力に負けると、アスファルトを弾き飛ばした。
「―やはり撃ってきやがったかッ‼」
「こっちに来た方が大惨事ってことね…」
無慈悲な弾幕が矢継ぎ早に襲い掛かる。それは『数撃ちゃ当たる』と言わんばかりだ。
『ドンッ!』
光線の一つが車に命中した。ランドセルに満たない単装砲ですらも、車一つ吹き飛ばすには十分だった―それが艦娘である。浜岡がギリリと噛みしめる。
(艦娘が、とうとう、殺りやがったッ‼)
それは燃えて破片を撒き散らしながらやってくる。
「行くわよッ」
バイクをスライドさせて避けた。転がっていった車は、他の車を巻き込みながら跳ね返って、壁に当たって爆発した。
「何百人、死んだって、構わないという事ね」
大鳳はクロスボウを前に突き出した。
「彗星601空!発艦はじめ!奴らを月までぶっ飛ばしなさい‼」
『バシュンッ!…ブォォオオン!』
飛び出した矢が花火を散らし、十数機の彗星へ展開する。勇ましい大鳳とは裏腹に、浜岡はそれを望んでいなかった風な顔をした。
“こちら601空から大鳳へ、敵は10隻。これより爆撃いたします!”
「こちら大鳳!了解、くれぐれも人を巻き込まないように!」
“了解!この601空にお任せあれ!”
指揮官機らしい機体が翼を振るわせると、彗星の群れは一気に舞い上がり、重低音と共に視界から消えた。直後、いくつもの爆撃音が響き、金属の削れる音とクラクションが聞こえた。バックミラーを見ると、さっきまでいた彼女たちがいない。
黒のオートバイはトレーラーの間に滑り込む。
“6隻転倒確認!2隻が加速!奴さん、挟撃を仕掛けてきます!”
「…了解」
更に加速する。トレーラーを抜けると、視界の両端に奴等が映り込む。向けられた砲に戦慄が走る。途端に大鳳は急ブレーキをかけた。
「ングッ⁉」
浜岡が眼前の背中に圧されるのも束の間、弾幕が大鳳の顔面を掠るように交差―光と爆音が鼓膜を貫く。
「「ぎゃああぁぁぁ‼―――」」
既に左右の敵は消えていた。
「危ないだろッ!」
「フフフ、同士討ちよ♪姉妹艦は息が合いすぎるのが弱点ね」
浜岡が首を傾げる。
「大鳳、なぜ姉妹艦だってs―」
“ロケット来ます‼”
二人の背筋が凍る。しかしロケットは明後日の方へ進んで行った。安心するも直ぐに青ざめる。それは最初から大鳳を狙ったものではなかったのだ。前方―大型トラックだ。
『ッドォン‼』
トラックが積み荷を拡散させた。咄嗟に道路脇へ回避する―
“危ないッ‼”
浜岡がミラーに凶悪なモノを確認する。
(ハメられた⁉)
そいつはミラー越しにドス黒い眼差しを刺す―ロケットが、放たれた。
「ッ‼」
浜岡は無意識に―大鳳の腰のベルトからハンドガンを引き抜き、撃った。ロケットが一歩手前で爆発する。少女は顔色一つ変えず、再びそれを構える―
『ガリガリガリ!』
驚いて見るとクロスボウが刃を防いでいる。並走する白銀の少女が、大太刀を握っていた。互いの狼のように鋭い視線が火花を散らす。
「…貴様……生きては…返さんぞ…」
「あら…それは…私…の…セリフよ?」
『パパパパパパン!』
背後で彗星の機銃が降る。ロケット少女は慌てて避けようとするも、間に合わなかった。弾はタイヤを撃ち抜き、パンクさせる。彼女は猟犬のような眼で睨んだまま、バランスを崩して散っていった。白銀は後ろを一瞥して舌打ちする。
「チッ、アイツもやられたか…負け犬めッ‼」
白銀は一度離れると、今度はと言わんばかり大太刀を振り上げる。だが大鳳は嗤っていた。
「立派な砲弾(おもちゃ)をお持ちなのに―」
『ダンッ!』
クロスボウがバイクを撃ち抜く。前輪が砕け、少女諸共アスファルトへ吸い込まれる。しばらくして、遠くで爆発音が聞こえた。
「あら、あの駆逐艦、自爆したようね」
バックミラーを見る様子も無く、涼しい顔をしている。
“敵、殲滅確認!やりました!”
「ええ、全機戻ってらっしゃい」
大鳳は減速し、彗星たちが浜岡の甲板に滑り込む。浜岡は何食わぬ顔で拳銃を元に戻した。
「…知ってるわよ?」
ズバリ言い当てられて鼻白ぐ。
「…申し訳ない」
「構わないわ、ありがとう」
その声はどこか悲しみを帯びていた。
“いやぁ間一髪でしたな。我が彗星の体当たりでも、間に合わんかったでしょうな(笑)”
「ダメよ!私が許さないわ」
“へへっ、冗談ですって”
二人は高速道路を降りて、人通りの少ない路地裏に止まった。大鳳がヘルメットを脱ぐと、亜麻色の髪が風になびく。
「で、説明がまだだったわね」
「ああ、そうだったな」
さっきまでの緊張ですっかり忘れていた。大鳳はオートバイを壁にもたれかけさせる。
「今日、美舩村で観艦式をやっていたわね?」
「らしいな。見る暇もなかったが」
「そこでね、よく分からないけれど、村の艦娘たちが突然暴れ出したのよ、獣のようにね」
「何だって?」
「まともな艦娘もいたのだけれど、瞬く間にその娘たちに撃沈されていったわ」
撃沈という言葉に、耳を疑った。そして、防衛大で学んだことを思い出す。
『艦娘が艦娘を轟沈させることはできない』―という法則がある。そもそも、艦娘が艤装を扱えるのは『妖精』が装備をコントロールしているからだ。それによって、艦娘は戦闘行動にリミッターが掛けられている。例えば、艦娘を撃沈することや、人間を艤装で殺すことができない。本人がやろうとしても、妖精が引き金を引かせないのだ。逆に言えば、その両方ができる深海棲艦は、リミッターが掛かっていない状態といえる。ある研究では、深海棲艦には妖精がおらず、本体が直接艤装を操っていると考えられているが、真相は定かではない。
「艦娘が、深海棲艦になった、ということか?」
「さあ、どうなのかしら」
彼女はまるで他人事のようにあしらう。
「けれど、普通の深海棲艦とは違って、自我は残ってたみたいよ?さっき追いかけてきた奴等だって、自分たちのことを『白露ライダーズ』だってカッコつけてたもの」
「さっきのが、白露型だって?」
自分の知っている白露型の艦娘の面影など、どこにも残っていなかった。服装はともかく、眼の色も顔立ちもまるで違っていた。
「見た目まで変わるのか⁉」
「ええ、二重人格みたいだったわよ?」
深海棲艦の無き今、突然の艦娘の凶暴化―いったい誰の仕業なのか。彼は佐世保事件のとき感じたのと同じ違和感を覚えた。
「ところで、貴方、お名前を聞いていなかったわね」
いきなりの質問に、肩が電気に触れたように震える。
「あ、ああ。俺は…浜岡だ」
「やっぱり!あの伝説の艦隊よね」
拍子を打って感心する大鳳を片手で制す。
「その話はよせ。俺は艦娘たちが十死零生の戦に出るのを止められなかったんだ」
「いいえ、そんなことないわ。人命を護るために散る事こそ、艦娘の使命ですもの!」
思わず黙ってしまった。それは驚きと諦めの沈黙である。
(艦娘とは―そういう生き物なのか)
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。おそらく高速道路だろう。アスファルトに破片が散らばり、ロケットを受けた車の運転手も無事ではないのは目に見えている。あの艦娘のような連中が逮捕されれば、この先、艦娘が世間で非難の的になるのは避けられないだろう。最悪、美舩村で生き残った艦娘たちも、そして目の前に立っている彼女も解体されるかもしれないのだ。浜岡の表情は曇った。
「君は、怖くないのか?」
その問いかけに、大鳳は向き直る。
「この件で、世間は必ず、艦娘を非難するだろう?」
「そう言う人たちを護るのが艦娘なのよ」
あまりにもサラリと流れた言葉が、浜岡の心に刺さった。あのとき加賀が言ったことを思い出す。終戦が終わって十年経った今も、艦娘には『盾』の精神が生きていることを知った。大鳳はオートバイを起こすと、再びまたがる。
「じゃあ、悪いけど私はそろそろ戻るわね。奴等が村から溢れる前に何とかしなくちゃ」
「待て、俺も行こう」
「…は?」
彼女の顔が強張る。
「何を言ってるの?せっかく逃げ切れたのに、戻るの?死にたいの?」
「いいや…この事件、俺のカンだが、あの日―俺の艦隊が全滅させた奴等と何か関係がある気がする…。似ているんだ、違和感というか、臭いというか。だから俺は真実を確かめたい。もっと言うなら、俺は彼奴等を助けに行きたい」
その瞬間、大鳳の目つきが変わった。温厚な面影はどこにもない。その目はまるで小さな蟻を見るようだった。
「あなた、人間でしょ?艦娘には到底、敵いません。人間風情が、艦娘を守る?…はっ、お笑い話じゃあありませんか。私たちから見たあなたは、血を吸おうと噛みついて指で潰されるノミに等しい」
そう言って、大鳳は嗤う―侮辱されている。浜岡は苛立ちではなく、虚しさを覚えた。艦娘の力は、提督であるから嫌でもわかっている。同時に己の無力さを知る。「正しさ」を前に、何も言い返すことができない。続けてダメ押しする。
「あなたがた人間は黙って私達に守護(まも)られていればいいのです。あなたは引っ込んでいて下さい」
見下しながら、大鳳はベルトに挟んでいたハンドガンを、放り投げる。足元で軽く金属の音がした。
「それ、気休めのハンドガンです。勿論、人間用のですけど。もし、あなたが村に戻ってきて奴等に襲われても、私は助けませんよ………向こうで遭わないことを祈ります。さようなら」
そう言い残すと、明らかに砂を浴びせるように、バーンアウトをして飛んでいった。
「ガホゲホッ…何なんだ、アイツ…」
砂を払いながら、どうやって村に戻ろうかと考える。しかし、足元に銃があることに気付いたので、そそくさと拾ってポケットに隠した。
「ま~たどえらいお土産もろてもうたなぁ!」
「⁉」
声の方にサッと振り向く。そこには、ふわりとした茶髪のツインテールにジャージ姿の少女がいた。しかし、その幼さにはあまりに不釣り合いな大人びた目と、鼻を突き刺すような香水の臭いを振り撒いている。浜岡は怪しんで身構えた。
「なんやなんや⁉あんた、うちのこと覚えてないんか?龍驤や、忘れてもうたんか?」
「………………………………あ、本当だ」
軽空母龍驤―独特なサンバイザーが無かったのもあって全く気付かなかったが、よく見ると目付き以外は正に彼女だった。彼女は大阪生まれでもないのになぜか関西弁の軽空母だ。浜岡の艦隊にも龍驤はいたので、性格などはよく知っている。
(それにしても、今日は何故こんなにも頻繁に艦娘に出くわすのだろうか)
溜息まじりに、龍驤に言う。
「それで?なんでこんなところに艦娘がいるんだ?というか話はどの辺りから聞いた?」
「うん?うちの家、まぁそこやしな。で、話は初めっから聞いてたで、なんやエライことになっとるそうやん」
しゃべりながら、煙草に火を点ける。
「おん?キミもヤニ、『キメる』?」
(え?―)
確かに、同一の艦娘はいくらでもいるし、性格も基本的に同じだがブレは存在する。しかし、目の前の龍驤は全くの別人―そんな感覚をいつもより強く感じた。
「俺、吸わないから」
「ほーん、そうか」
「で、家は直ぐ近く、と言ったが、このへんに鎮守府なんてあったか?」
彼女の顔がピタリと止まる。暫く沈黙したと思うと、ドハッと笑いだした。
「あっははははは!なんやの?あんた、冗談はよしてーなwwwwwwww」
「は?」
「鎮守府なんてもん、とっくの昔に解体されとるわ!www全員退役したわww」
物凄い勢いで笑い転げる。一方の浜岡は、美舩村に艦娘しか住んでいないことに納得した。退役した艦娘の溜まり場―それこそが美舩村の正体なのである。しかし、直に疑問が引っ掛かる。
(なぜ、頑なに人の侵入を拒んでいるんだ?)
一通り笑い終えたのか、深呼吸する。
「まあしゃあないか。キミはずいぶん前に追い出されたんやもんな。可哀想なもんやで」
「別に同情して欲しいとかじゃあないんだが…それより早くあの村へ―」
「ああ、それならうちらが送ってったるわ」
「うち『ら』?」
咥えていた煙草を捨てると、クイッと路地裏を指さして歩き出す。何だろう、と思いながら付いて行った。すると、一軒の店に辿り着いた。
表を見て、龍驤の香水の香りに納得し、逡巡する。それに気が付いて、振り向く。
「別に入れとは言わんで、ちょっちそこで待っててぇな」
そう言って入って行った。そして、今度は三人で出てきた。
「龍驤、その人は―」
「おう、『潮』ちゃんや」
駆逐艦潮―彼女もこの店で働いているらしい。浜岡はその異様に大きな腹に目をやる。龍驤は身重の潮を気遣うように階段を降りる。
「この娘、病院に送るついでに、あんたも美舩村まで連れてったるわ」
潮は浜岡と目が合うも、直ぐに逸らした。その瞳の深さに、言い知れぬ昏さを覚える。
「ほな行ってくるわ」
「はい、気を付けてー」
店の中から声がした。ちらりと鼠色の乱れ髪が見える―それは戦艦榛名にも見えたが、別人だ、と思い込むことにした。
駐車場は店の裏にあり、椿の花のような色の車が止められていた。龍驤はさっさと後部座席に入った。
「龍驤が運転するんじゃあ―」
運転席の方を見ると、潮がドアを開けて乗り込もうとしていた。
「ちょっと待った」
慌てて呼び止める。手が肩に触れた途端、ギロッと睨まれた。
「潮ちゃん、この人は大丈夫や。席変わったりぃ」
龍驤に言われると、何故か素直に後部座席へ移った。困った顔をして、浜岡は運転席に座る。香水の臭いが沸き上がって咽そうになった。ドアを閉めると、直ぐにエンジンを回して窓を下した。
「すまんなぁ、うち免許持ってないねん」
背後から陽気な声が聞こえた。
「そうなのか。俺は提督を辞めてから、タクシードライバーを始めたんだ、個人だがな。安全運転は保証するさ」
「そうなんか⁉こりゃ安心やわ、ほな、先に美舩村に行ってや~」
バックミラーを確認すると、ニコニコしている龍驤が見えた。だが、潮は少しお怯えているようにも見える。
「それでは発進します」
浜岡は優しくアクセルを踏んだ。
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5.Ghost Ship
第三次ソロモン海戦―たった1隻で、戦艦2隻・駆逐艦4隻を相手に大戦果を挙げた駆逐艦がいた。最後は自身も沈没、帰還する事はなかったが、その戦いぶりから『ソロモンの鬼神』『黒豹』と言われるようになった。
美舩村では艦娘たちが突如暴れ出した。しかし、全員がそうなったわけではなかった。
黄昏時―駆逐艦綾波改二、敷波改二は、凶暴化した艦娘たちが街の方へ出ないように、村の入り口近くへと向かっていた。茶色と白のセーラー服は、既に油と血で染められていた。
「今夜は楽しいね、敷波」
「そうだね、綾波。もっと楽しまなくっちゃ」
人気のない大通りを真っ直ぐ突っ切っていく。綾波の手には艦娘用に改造された一〇〇式短機関銃、敷波の手にはフランキスカが握られている。これは以前に瑞鶴のお店で買ったもので、後から明石に頼んで鎖と鉄の腕輪を増設していた。
何か気配を感じて足を止める。二人はすんすんと空気の臭いを嗅いだ。
「ねぇ、敷波」
「なんだい?綾波」
「懐かしい香りがしない?敷波」
「そうだね、綾波。本当にいい香りだ。昔を思い出すよ」
そう言って敷波が斧の刃先を舐める。
「先手は綾波がやってよ。トドメはアタシがやるからさ」
「ええ、楽しみね、敷波…じゃあ」
足元まで伸びたサイドテールをなびかせて、綾波は銃を掲げる。
「妖精を呼んであげましょう♪」
『ズダダダダダダダダダダダダダダダ‼』
綾波は迷いもなく路肩の自動販売機に銃弾を注ぐ。直ぐに黒いのが飛び出す。敷波は「待っていました」と斧を投げ飛ばした―だが弾かれた。
「チッ、コイツ強いよ、綾波」
「任せて」
再度綾波が得物を薙ぎ払う―黒いのは光線を叩き弾くと、自動販売機と反対側の建物の上へひとっ飛びした。
黒いのが夕日に照らされる。
白黒のセーラー服に赤いリボン、スマルトブルーのロングヘアー、錨マークのはいった黒のキャップ斜めに被っている。
「今まで遭った子達とはちょっと違うね、綾波」
「そうね、敷波。暁ちゃんに見えるのだけど、気のせいかしら…」
駆逐艦暁、その改二。しかし、顔の左半分は皮膚が石膏像のように白くなっており、ブラックホールのような空洞から、天色の眼光が炎の如く揺らいでいた。特に、左腕がブレード状に変形しており、それはゾンビと云うより深海棲艦だ。
「どうも、皆さん、暁鬼(あかつき)です」
白黒の暁鬼は静かに見降ろす。綾波、敷波も武器を下した。
「アンタ、普通の暁じゃないね。水底の臭いがするよ?」
好奇心を蓄えた瞳で敷波は尋ねる。
「半分だけ深海棲艦化したのよ、佐世保事件でね」
そう言って、天色の眼光で左腕を見つめる。
「兎に角、今起きている騒動に暁鬼は関係ないわ。安心して頂戴?」
すると、二人は顔を見合わせてクスッっと笑った。
「まさかこんな所で、あれの生き残りに遭えるなんてね、敷波」
「そうだね、綾波。アタシも興味が湧いてきたよ」
二人は暁鬼を見上げる。再び得物を掲げた。暁鬼も察して身構える。
「何よ?関係ないって言ったでしょ?」
敷波がニヤリと笑む。斧の刃先が不気味に輝いた。
「アンタが黒か白かなんて関係ないさ……………。ねぇ、お手合わせしてよ」
「ッ!」
殺気を感じ、暁鬼は左肩の探照灯に手を添える。二人は察して目を覆う。次の瞬間、辺りが閃光に包まれた。直ぐに建物の上を確認するも、彼女は何処にもいなかった。
「逃げられちゃったわね、敷波」
短機関銃を下すも、悔しそうな顔はしていない。寧ろ笑顔だ。
「そうだね、綾波。でもさ、楽しみは最後まで取っておくものだよ♪」
「そうね、奴等はメインディッシュ、暁鬼はあま~いデザートね、敷波♪」
二人は向かい合うと、両腕を滑り込ませて抱擁し、熱く唇を交わした。
「行きましょう、敷波」
「そうだね、綾波」
綾波と敷波は手を取ると、夕日の中をゆっくりと歩き始めた。
※
箱根の山に日が落ちる―。
ラジオからは既に高速道路の事故について流れていた。後部座席に龍驤と身重の潮を乗せて、浜岡はハンドルを握っている。
「それにしても珍しいわ、潮が他人の運転で寝るなんて」
客が途中で寝てしまう事はよくあるので、別段気にしていなかった。龍驤はバックミラー越しにじっと見つめてくる。
「そういえば、あんた、提督辞めてからの海軍の事情とか、どんくらい知ってるん?」
何のことかと、浜岡は眉をひそめた。路地裏での会話を思い出す。
「全然知らないな。なんせ、艦娘や当時の同僚を避けてきたから」
「ふーん…それやったら。暇やし、うちの話、聞いてぇな」
窓の外を見ている彼女の顔が、夕日に照らされているのに暗くなる。浜岡は気を遣ってラジオをきった。
少しして、車はトンネルに入った。虚ろな目で窓の外を眺めながら、龍驤の口が動く。
「なあ、浜ちゃん。ひとつ、訊いてエエか?」
そう言われて、浜岡は後ろを一瞥する。潮はまだすやすやと眠っていた。
「美舩村の皆を助けに行くって、あんた言うてたけど。それって、ホンマに救いになるんやろか」
「………」
対向車のライトが、龍驤の顔を照らしながら流れていく。
「あの戦争が終わった後、御国は日本軍を大縮小したんや。艦娘は深海棲艦にしか攻撃できひんから、このまま置いといたかてぇ、税金の無駄遣いやしな。選りすぐりの強い艦娘だけ、自衛隊の予備―つまり、万が一に深海棲艦が復活した時の為に残って、あとはみんな追い出されたんや…。ちゅうても、誰も嫌やとは思わんかったで。寧ろ、せっかく人の形に生まれ変わったんやから、社会でやりたいことやって、ごっつ楽しんだろうって思てた。仲ぁ良かった隼鷹なんて、『貿易しながら世界を飛び回るんや』って言ってたし、夕張は昔からの夢やった造船業に就いたしな。で、うちはと言うと、提督とケッコンしてたさかいに、一緒に街に移ったんや。勿論、うちは専業主婦や」
『ケッコン』―その言葉に、浜岡は眼下を見下ろす。今でも白手袋に着けているそれを見て、なんとなく理解した。あの時はまだ、艦娘のポテンシャルを向上させる『装備』だったので、艦娘との絆の象徴という概念は全くなかったのだ。龍驤はチラリとそれを見たが、視線を窓へと戻した。
「幸せな家庭を築けると思ったよ…。でも待ってたんは地獄やった」
「………」
その声は、怒りではなく、悲しみに満ちていた。潮はまだ寝ている。
「あんたは悪いと思うけど、うちに言わせりゃ、人間てもんは皆薄情もんや。艦娘が世間に解き放たれた途端、戦時中の恩も忘れて『バケモノ』やと差別しよった。世間じゃ『艦娘狩り』なんか言うて、艦娘を捕まえては、鈍器で殴ったりナイフで刺したりする集団もおったんや。まあ、知ってるやろけど、うちらはチェーンソーとかロケランくらいやないと怪我せえへん。けど、心にゃ相当ダメージ食らったで」
そう言って鼻で哂う。目には異様な光が見えた。ハンドルを握る手が強張る。
「旦那もイジメられた。せっかく入った会社もクビになった。家に落書きされたし窓かって何回も割られたわ。火炎瓶飛んで来たときは必至でバケツに水汲んだわ。それでも、うちらはまだ平気やったんや…でもな…でもな…」
「………」
「―殺されてもうた。外は危ないからって、家に置いて一人でコンビニ行ったのがアカンかった…。窓が破られとって、中入ったら、串刺しになっとった」
「………」
「ははっ、しかも警察は自殺で処理しよったんや…。信じられへんやろ?…あん時、うちん中で、何かがぶっ壊れた―それ以来、自暴自棄になって、挙句の果てにゃ艦娘だけのおにゃんこバーや…こんな傑作どこにあるん?」
へらへらと嗤いだす。そして、黒洞穴々たる目は浜岡に向けられた。
「ここの潮ちゃんも、ほんでさっきの店におる娘たちも、み~んなそう。明日を生きる意味もないし、希望もない―行先もなければ帰港もでけへん『難破船』や。美舩村の娘たちかって、社会から弾き出されたモンたちや…。しかも、艦娘には寿命がないねん、知ってるやろ?」
「………」
底なし沼のような瞳で、龍驤は顔を覗き込む。浜岡は押し黙って前だけを見ていた。
「うちらはな、終戦日にとうに死んだんや。この世から、お役御免になったんや―なんで美舩村の艦娘を助けるんや?いっその事、暴れまくって、捕まって挙句にに解体された方が、『幸せ』なんとちゃうか?」
ハンドルを握ったまま、目だけを龍驤に向けた。
「あの日、艦娘たちは、十死零生の戦に身を投げようとした。俺は反対した。精強な艦隊を失えば、戦争は長引くと思ったからだ。その時、彼奴等に教えられた―深海棲艦を沈める『矛』ではなく、奴等から命を護る『盾』である―と。深海棲艦を倒すことよりも、目の前の人命を護る事を一番に重んじていた。そして、俺の反対を押し切って、命と引き換えに人々を守った。俺は今でも、あの時、彼奴等を引き留められなかった事を後悔している。しかし、一つだけ言えることがある―」
「………」
「命に代えてでも人々を護る事が、艦娘たちが頑なに守り続けてきた信念だということだ―君は微塵もそうだと思ってないかもしれないけれど…。今、その信念が、艦娘自身の手によって踏み躙られようとしている。元提督として、そいつを許すことはできない。自己満足だと嗤われても結構だ」
「………」
「それに、誰かが死ねば、それを悲しむ人がいる―主人が殺されて、君が悲しんだように…。何としてでも、それを止めなければならない。あと―」
「………」
「美舩村の艦娘たちは、幸せそうだったよ。確かに、艦娘としては死んだ、一所懸命に守ってきた人間に迫害された。それでも、平凡な日常を楽しんでいた。案外、生き甲斐なんてどうでもいいのかもしれない…。生きているだけで丸儲け―そんな雰囲気を感じた」
龍驤は暫く浜岡を睨み続けていたが、何かがふっと抜けたように、華奢な身体を後部座席に放り投げた。
「はぁ~あ、こりゃ何言うてもアカンわ。アンタが何を見てきたんか知らんけど、美舩村っちゅーのは、艦娘の楽園―静かでええ港なんやろうなぁ…。うちらにとっちゃあ、地球の裏側より遠い場所や。そこへ行くには…もう汚れすぎてしもうた…」
その眼は何故か潮に向けられた。彼女はまだ眠っている。
やがて細い脇道に逸れて、美舩村に繋がるトンネルが見えてきた。さっき大鳳と飛び出したトンネルだ。
「なんやあれ…」
逃げるのに一所懸命で気付いていなかったが、入り口にあったであろう鉄柵が滅茶苦茶に融け曲がって、粉々になって散らばっていた。浜岡は車を止める。潮が丁度目を覚ましたところだった。
「さて、ここから先は、ナイトメアだな」
車から降りると、潮もドアを開けた。その瞳は、やはり希望を失った色をしている。しかし、店の階段を下りてきた時よりも明るく見えた気がした。
「………」
「では、行ってくるよ」
こくりと頷いて、潮は運転席に乗り込む。浜岡は二人を背に、トンネルへと歩み始めた。
「ほなな、提督さん!帰ったら武勇伝聞かせてな!」
龍驤が窓から身を乗り出す。振り返らず、微笑んで手だけを挙げた。
「―無事に、帰ってきて」
ふとそう聞こえた気がして振り返る。潮は俯いたままだった。気のせいだと思って、再び進み始める。
日が沈んだ―街頭の明かりが、明けない夜の始まりを告げる。深海のような暗黒のトンネルを、靴音だけを響かせながら、歩いて行った。
「はい、こちら平賀造船所でございます」
「夕張はんか?」
「…もしかして龍驤さん⁉」
「せやせや!お久しぶりやで」
「お久しぶり!って何年ぶり?」
「5年や。ホンマ声だけでよぉ分かったな。顔見ても分からんかった誰かさんと大違いや」
「誰よそれぇ(笑)。いや~本当、元気にしてた?」
「まぁお陰さんでな。それでや、さっきメッチャ懐かしい人に会うてな?」
「なになに?どんな人?」
「誰やと思う?」
「もぉ、じらさないでよぉ~(汗)」
「へへッ、それも聞いてビックリ、『浜岡中将』や!あの伝説の艦隊の」
「マジ⁉佐世保最強の艦隊の?ていうか生きてたの⁉な~んでその時に電話してくれなかったんですか!!」
「いやぁメンゴメンゴ(笑)。それでなぁ、ちょっち夕張はんに頼みがあんねん」
「なになに?どんどん言って?」
「夕張はん、あんたIFPO(International Fleet-girl Police Organization)の電話番号、知ってるやろ」
「………ちょっと話が分からないのだけど。なんで国際艦娘警察機構なの?」
「美舩村ってあるやろ」
「ええっと、確か艦娘の為に作られた村だっけ。私は行ったことはないわ」
「浜岡はんがたまたま行ったらしいねんけど、どうやらそこで艦娘たちの暴動っちゅうか、急に暴れ出したっちゅうか…」
「穏やかじゃないわね…」
「それもおかしいんや、暴れとる艦娘がそうやない艦娘を沈めよったらしい」
「…何よそれ、どういうこと」
「うちにも浜岡はんにもよう分からん。深海棲艦が艦娘に化けてたんかも知れへん」
「そんな…」
「しかも浜岡はん、艦娘が人を傷つけるようなことがあったら許せへん、って言うて、一人でまた村ぁ戻ってしもうたんや。ホンマ命知らずなやっちゃで」
「………分かった、すぐに電話する」
「大至急頼んだで…あ、せや!夕張はん」
「何?」
「今度、美味い天ぷら蕎麦でも食べに行こうや」
「そうね、楽しみにしておくわ」
「ほな、よろしゅう頼んだで!」
「は~い!」
「もしもし、平賀造船所の夕張です。大至急、美舩村に出動をお願いします―」
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6.Promenade
終戦記念日を前日に控え、漁港は大改装し、その幅の広さを活かしてイルカショーのステージのような観客席を展開していた。まず、吹奏楽に合わせて沖へと出港、次にダーツの的が付けられた浮を撃ち落とし、最後にグループに分かれて演習―といった流れで観艦式が催される予定だった。
これは、浜岡と大鳳と『白露ライダーズ』が高速道路でチェイスしていた時の事である。
美船村沖での公開演習中―艦娘たちが激しい頭痛を訴えのたうち回り、ピタリと止んだと思いきや、突如人が変わったように暴れ始めた。華やかな観艦式は、今や硝煙とオイルの香りで満たされた戦場と変わり果てていた。既に何人もの艦娘が、弾雨の中で大破炎上、轟沈していた。
水上機母艦秋津洲も同じく、彼等に襲われていた。訳も分からず、ドッジボールでボールをキャッチできない子供のように跳ね回っていた。
「クソがッ!一体全体どォなってンだ‼(パパパパパン!パパパン!」
近くでは、防空巡洋艦摩耶が、鬼のような形相で高角砲や機銃で牽制している。秋津洲の脳裏に激しい戦いの記憶が甦る。
岸の方から轟音が響いた。さっきまで観客席だった所が焼き尽くされている。見たくなかったものまで目に飛び込んでくる。それを見てしまった者たちの悲痛な叫び声も聞こえてきた。
「ど…どうしよう、大艇ちゃん!」
“現時点デ為セル術無シ。三十六計逃ゲルニ如カズ”
「確かに、遠距離戦では全くの無力かも…」
そう言って矢継ぎ早に砲弾をかわすと、視線を敵に向けながら、申し訳なさそうに叫ぶ。
「ごめんね摩耶さん!秋津洲、お役に立てないかも!」
「大丈夫だ!ここはあたしらでなんとかしてやる!おめェは観客等の退路を確保、ついでにIFPOに応援を要請してくれ!」
「了解かも!」
秋津洲は12.7サンチ連装高角砲を一斉射する。水柱で奴等の目を欺いて、一気に港へ加速した。まだ周りには狂暴化してない艦娘たちが奮闘している。秋津洲は再び申し訳ない気持ちになるも、砲声や爆音がそれを掻き消した。横から魚雷が数発か流れてきたのでジグザグに避ける。
(普通は、妖精さんのお陰で、艦娘は艦娘を轟沈できないし人間に攻撃もできないのに―しかも村の艦娘が―ああもう全然ワケ分かんないし怖いかもッ‼)
考えるのを辞めて波止場に飛び移る。視界の端で天龍と龍田が刀で応戦しているのが見えた。それも束の間、視線は破壊された観客席に吸い込まれる。人だったものが重なり、飛散していた。そこには嗅いだことのない死の臭いが漂っていた。
(やっぱり、深海棲艦になっちゃったんじゃあ…だとしたら摩耶さんたちの攻撃で―)
秋津洲は目に焼き付いたものを振り払うように、村の奥へ奥へと走った。途中でオートバイが走るような音がした。
「ちょっと!そこの水上機母艦!」
声に気付いて見ると、青ざめた顔のローマがいる。
「姉さんは?リットリオ姉さんは?」
「見かけてないかも…ってローマさん、艤装は?」
戦艦は言い終わる前に波止場へ跳んで行った。すると大艇から通信が入る。
“IFPOトノ通信、不可能。通信妨害ノ可能性大。ヨッテ秋津洲ハ上陸シタ敵ヲ殲滅シツツ、通信室ニ向カフ事ヲ具申スル。我ハ先行シテ索敵ヲ行ウ”
通信妨害―秋津洲の表情が強張る。どれくらいの範囲か分からないが、通信できる場所まで走り続けるよりも、通信室から電話したほうが早いし確実だ。
美舩村の山側にある役所、その通信室には地下ケーブルによる回線があり、非常用の通信機器が設置されていた。というのも、艦娘は自身で無線通信できるので、誰も携帯電話も持っていない上に、役所以外に固定電話すらなかった。もちろん、携帯電話を持っていたとしても、ここは『圏外』である。
秋津洲は、空を見上げてサムアップして見せた。
「了解したかも!大艇ちゃんも頑張って!」
大艇は旋回すると、空の向こうへと小さくなっていく。
(ヨシ!私も頑張るかも!)
まだ奴らの目的は分からないが、用心にするに越したことはない。
(大丈夫、隠密戦は得意分野、きっと一人でも戦えるかも)
秋津洲は建物の陰に隠れつつ、警戒を厳として足を進める。こういう時こそ迷彩の出番だ。仮に敵に見つかったとしても、これで速度を欺瞞できるので攻撃が当てられない。
「厚化粧ってバカにする子もいるけど、スッゴク役に立つかも‼」
ふと顔を上げると、遠くで煙柱がいくつも上がっていた。方角からして商店街のあるところだ。バザーが開かれているのを思い出し、そこでも大勢の人が犠牲になっていると思うと、心が曇った。秋津洲は商店街に背を向けて走り出した。
暫くして、背の低いアパートが並ぶ団地に入った。役場はもうすぐだ。秋津洲の足が速くなる。
『ブォォォオオ‼―』
「ッ⁉」
航空機の音で咄嗟に庭の茂みに飛び込んだ。航空機の群れは彼女に気付かないまま真っすぐ飛んで行った。隙間から覗くと、それは天山の小隊だった。だが深海棲艦を思わせる青白いオーラを纏っている。味方ではないのは一目瞭然だ。
(アイツら、徹底的に艦娘たちを追い詰めるつもりかも‼)
直後、今度は黄色のオーラを纏った彩雲が、一機で村の入り口方面へ横切って行った。
(あまり時間がないかも…)
レシプロ機の音も止んだので早速に茂みから顔を出す。
「ッ⁉」
目の前を誰かが通り過ぎる。
「誰…?よく分からないから尾行するかも」
それが離れていくのを待って、骨董屋の陰に滑り込む。そして、そっと通りを覗いた。すると小さい艦娘が鼻歌交じりに歩いていた。地面に触りそうなほどのロングヘアーを腰あたりで裏三つ編みにしている―駆逐艦夕雲だろう。どうやら彼女も役場へ向かっているらしい。しかし、彼女が鼻歌を歌っていることに違和感を覚える。
(もしかして事件に気付いていないかも?…だったら早く教えないと!)
秋津洲は大声で彼女を呼び止める。少女はピタリと立ち止まった。そして振り返る―
「⁉」
咄嗟に身を横へ投げる。刹那、秋津洲のいた場所を雷光が「ズガァアン!」と貫いた。信じられない様子で、恐る恐る電撃の主に目を向ける。
「むすぅ、外したァ」
後姿は夕雲にそっくりだったが、頭には角のような、USBのようなものが左右に一対刺さっている。それは深海棲艦の鬼級の角より、機械的で天龍や叢雲のものに近い。右手には彼女の背丈位もある鉄のヘアアイロンのようなものが握られていた。
「あなたは何者なの⁉教えろかも!」
少女はサラリと髪を撫でおろした。
「ったく、うるさい子だなあ。私は『工作艦アカシ』。これ?さっきの見て分からない?レールガンよレールガン」
甘ったるい声で吐き捨てると、レールガンを役場の二階―通信室に真っ直ぐ向ける。
『ズガァァアン‼』
「ちょ、ちょっと何するかも⁉通信室が…」
通信室がある場所が無惨に抉り消された。アカシと名乗る少女は秋津洲を見て、ニヤリと嗤う。
「だってIFPOとかに通報されたら困るじゃァん?」
(此奴、味方じゃあないッ‼)
先手を打たれた―秋津洲の顔が歪む。
「それで?二式大艇しか飛ばす能力がない雑魚母艦がなんの用かにゃあ?www」
侮辱されている―だが秋津洲はキレなかった。煽られた怒りよりも、目の前に立っているのが工作艦明石だという事に対する絶望が大きかった。秋津洲の知っている明石―明るくて、優しくて、戦力外の秋津洲を気遣って装備を改造したりしてくれた工作艦。恩人ともいえる存在を塗り替えられたことに、彼女の絶望は怒りへと変わり、それは今にも頂点に達そうとしている。
(こんな奴、明石じゃないかも!秋津洲は、絶対に認めないかもッ‼)
それを意にも介さず、アカシは溜め息を吐く。
「ああ、もう…メンドイなぁ。アカシたちは深海棲艦じゃあないの、艦娘よ。あんな奴らと一緒にするな。ああ、と言ってもアンタらみたいな艦娘よりは強いよ?当り前じゃない。んで、艦娘の解放…うんや、上須賀様の忠実な僕になったの」
秋津洲にはその言葉の意味が全くつかめなかった。しかし、ハッキリしたことがある。
(コイツ、艦娘じゃあないッ)
秋津洲は姿勢を低くする。彼女もそれに気付いた。
「アァン?兎に角アカシは今しゅっごく忙しいのォ。分かったらとっとと消し炭になれッ!」
「ッ!」
『ズシャァア‼』
アスファルトが蒸発する。しかし間一髪で避けていた。いや、避けたというより『弾いた』。艤装のクレーンが触手のように伸び、先端のグラップルが得物を握る手を叩いて、軌道をずらしていた。電撃は空へ消えていった。電撃少女は、元の長さに収縮したクレーを見て眼をまん丸にする。
「―何その『キモイ』の…」
とうとう怒りが天辺を突き抜けた。激昂して叫ぶ。
「これは明石さんが、戦力外ってからかわれてた秋津洲のために作ってくれたんだッ!それを『キモイ』呼ばわりするのは許せねえッ‼」
その眼は戦艦棲姫より鋭い。一方のアカシは、新しい玩具を見つけた子供のような表情だった。
「なるほどなるほど…アカシもそれに興味がわいた。ンッフフ♪だったらアンタを解体(スクラップ)にして研究しないとねェエ‼」
「それはテメェのほうだぜッ‼」
またアレが来る―直ぐに回避の準備をとる。少女はレールガンとは逆の手をこちらに伸ばした。同時に秋津洲が建物の陰へ駆け出す。直後―
『ドルルルルルルルルルルル!』
少女の袖口はガトリング砲になっていた。山吹色の弾幕が容赦なく襲いかかる。秋津洲はその回避力を活かして、踊るように避けていく。
「アッハハハァ‼もっと踊れ踊れ!アンタは私のモルモットだァ!」
(このままじゃ本当に解体されちゃうかも!距離をとらなきゃ!)
咄嗟にグラップルをアパートの屋上へ飛ばし掴む。一気にリールを巻いて宙へ―屋上へ着地した。
「おお!そんなにパワーあンの?でも逃げちゃダメよ~ん♪」
少女はすかさず雷光を放つ。寸手で隣へ跳ねる。振り返ると、立っていた場所が見事に抉れていた。凄まじい破壊力に心臓が縮み上がる―間髪入れず弾雨が襲い掛かる。
アカシの攻撃は隙が全く無い。レールガンとガトリング砲を上手く使い分けている。対する秋津洲は、クレーンで忍者の如く建物から建物へ飛び移っているだけだ。だんだん息が荒くなる。
(全弾撃ち尽くすまで、秋津洲、持たないかも…)
特にレールガンから放出される雷光が手強い。今わかっているのは、それが連発式ではないということのみ―電撃を撃った直後にクレーンで攻撃してみては、と考えるも、ガトリング砲でグラップルを壊されれば、今度こそ翼を失った虫である。だが、やらなければ、やられる。ダメ元で12.7サンチ連装高角砲を一斉射する。
『バスッ……』
―全弾が不自然に蛇行して逸れた。その光景に、口があんぐりと開く。それを見てアカシが不敵に笑む。
「砲撃なんて、アカシの電磁波の前では無力だよ~?www」
少女の猛攻撃は止まらない。秋津洲は疲れ切って倒れそうなところまで追い詰められている。
(…どうする…考えろ秋津洲…連発できないレールガンとその隙を埋めるガトリングガン……連発できないッ⁉だとしたら、一か八か…)
「いい加減降りて来い!アカシも暇じゃないの!」
シビレを切らしたアカシが駆けながらレールガンを構える、電気を帯びる―
「今かも!」
グラップルを飛ばして電柱の根元を掴み引っ張る、猛スピードで地上へ突っ込みながら電撃を土壇場で回避する。そして―
「ギェエエ⁉」
グラップルが噛みついた。透かさずクレーンをムチのようにして振り上げる。
「秋津洲のロデオタイムかもッ‼」
クレーンをフルパワーで稼働させて振り回す。アカシの華奢な体は宙を舞い、周囲の電柱や建物に激突する。
「グヘァ⁉アカシはタフ・ヒドマンかよチクs―(ドゴォ!ガキィン!」
金属音と共に艤装の破片が飛び散る。次第に重油の香りが漂ってきた。これだけ叩けば大破しただろう―秋津洲は仕上げと言わんばかりに空高く投げ飛ばした。その小さな体は宙を舞って、近くの倉庫へ逆さまに落ちていった。
倉庫に入ってみると、高い天井に小さく穴が開き、床にはアカシが転がっている。服が破れ重油に染まり、身体も同様にボロボロで艤装やレールガンは原形を留めていなかった。しかし、ここは陸上、轟沈はできない。つまりHPが1のまま、スクラップ寸前のまま生き長らえているという事だ。気配に気づいたのか、少女はよろめき立ち上がる。秋津洲は彼女の無惨な表情を見てやろうとした。
「え…?」
笑っている―顔は血と油に塗れて変形さえしているが、確かに笑っている。少女は悪魔のような目で秋津洲を捉えつつ、かすれた声で、言う。
「勝ッタト…ニヒヒッ…思ッたナら…大間違い…よ…にゅぉぉおおおおォォオオ‼‼」
怒号と共に、身体全体がエメラルドの輝きに包まれる。あまりに眩しいので、目を覆ってしまう。
すぅっと発光が止み、秋津洲は眼前を確認した。アカシは―出会った時の姿に戻っていた。
秋津洲は目を擦り、直後、大蛇に睨まれた蛙の如く震え始めた。
「あらら~?どうしちゃったかにゃ~?www。これでもアカシは世界一の工作艦、自分の体ぐらい一瞬で何度でも甦っちゃいますよォ~?www」
(嘘…そんな…ズルいかも)
勝てない―絶望が彼女を支配していく。アカシは、何かに気付いたように辺りを見回すと、勝ち誇った顔で更に続けた。
「そぉれぇにぃ、ここ、艤装のパーツや戦艦の主砲がいっぱいあるじゃなぁい?」
倉庫―万が一、深海棲艦が復活して襲撃しに来たときに備えて、主砲や魚雷発射管などの装備、艤装のスペアパーツなどが保管されている。砲弾や魚雷は、爆発の危険性があるため、別の頑丈な倉庫に保管されていた。中身が入っていない武器をどうするのか、秋津洲は疑問に感じる。
「弾薬やら魚雷が置いてないのは残念だけれど…テメェをたこ殴りにするには充分だ…………ハァアァァァァアアアアアッ‼」
アカシが勢いよくレールガンを振り上げると、眩い電光を帯び始めた。
(これ、ヤバいかも⁉)
見た目や音ではなく、本能で感じた。秋津洲は足を縺れさせながら倉庫の出口へ―
「バタンッ…ガチャリ」
「ふぇ⁉」
背中に冷たい殺気を感じる。
「残念でしたァ。ここからは一歩も出さないよ?ここはもう、私のパンデミックなんだからァ‼」
なぜ扉が閉まったのか―秋津洲は最悪の事態を想像して、ゆっくりと、振り返る。
「びっくりしたァ?これがエレキテルの力よォ?」
現実は非常である。ギシギシと音を立てながら、倉庫に無造作に置かれた主砲や魚雷発射管、艤装のパーツが空中に浮いていた。
「ねぇねぇ、テスラコイルって知ってるかなァ?」
冷たく甘ったるい声が響く。
「電磁力で金属とか浮いたりするんだけどさァ、これでオマエをサンドイッチにしてやるッ!」
「ひえぇぇええええ⁉」
エレキテルの独特な音が強くなっていく。秋津洲は全身から重力が抜けていく感覚を覚えた。アカシは靴の裏が吸盤になっているのか、どっしりと立っていた。
「アハハハ!逃げようたってもう遅いィ。沈めッ、秋津洲ァア!」
魔法の杖のようにレールガンを振り下ろし、浮遊した鉄の塊の群れが砲弾となって襲い掛かる―
(体が軽い、動きやすい!)
秋津洲が感じたものは、絶望ではなく、希望だった。不敵にそれらを睨む、口元は笑っていた。
「ソイヤッ!」
グラップルを天井へ射出する。天井、そのぽっかりと開いた穴に―
「させるかッ(ガキン!」
艤装の群れの一つがそれを弾く、更に勢い余って柱に刺さる。慌ててリールを巻く―
『ギィーピシッ…』
抜けなくなっていた。深く刺さりすぎたのだ。希望は打ち砕かれた。鋼鉄の嵐は目と鼻の先―
「全部回避するかもッ」
右へ、左へ、前へ、後へ―ルアーのかかった魚のように体を捻ってかわす。右、左、前、後―リールを容赦なく鉄の塊が打つ。だが、明石による改修のお陰で千切れなかった。同じように、倉庫の壁も滅茶苦茶に凹んでいるが、ぎりぎり耐えていた。
「チッ、ちょろちょろ動きやがって!」
今度はしつこく右へ左へと艤装たちを振り回す。秋津洲も倉庫の中を駆けまわる。アカシは攻撃を恐れているのか、距離を置くように立ちまわっている。
「さっさとサンドイッチになれよッ!」
「だが断るかも‼」
「―ガチン」
「ッ⁉」
秋津洲がピタリと静止した。あちらこちらへ動き回っている間に、リールを出し切ってしまったのだ。顔面が蒼白する。倉庫の柱、壁に突き刺さった主砲などを介して、ハロウィンのトイレットペーパーの如く至る所にリールが広がっていた。アカシがそれを見て嘲笑う。
「アッハハ!無様ねェ!」
「………………へっ、確かにアカシは世界一の工作艦かも、それは認めるかも。」
「ンン?あたしをアゲて命乞いかァ?」
―違う、そうではない。
「だったらあたしは!世界最強の水上機母艦かも!」
水上機母艦秋津洲―大型飛行艇の運用支援や、洋上補給のために建造された、飛行艇母艦。同じ水上機母艦の千歳や瑞穂と違い、重い二式大艇を運用する彼女のクレーンの吊り上げ能力は、三五トンにも及ぶ。工作艦明石ですら、二三トンが限界だった。
結論―これ以上、逃げる必要は、ない。
「あたしはァ!秋津洲だァァアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
地面に錨をぶち込み、踏ん張ってリールを無理矢理に巻き上げる。グラップルは支柱をも引き抜き更には周りの艤装まで叩き、絡みつけ、倉庫の壁をぶち壊しながら暴れ狂う。
「ク、クソッ!レールg―⁉」
グラップルに弾き飛ばされた46サンチ砲がアカシの頭に直撃―これが勝敗を分けた。彼女が立ち上がるよりも早く、倉庫が悲鳴をあげて崩れ始めたのだ。
「お、お前の目的はッ!」
「貴様を倉庫の下敷きにする事かも!」
「正気かテメェ!!お前も下敷きになるぞ!」
それを聞いて、「フン」と鼻を鳴らす。
「言ったかも。あたしは水上機母艦『秋津洲』だ、と」
抜錨しつつ、戻ったグラップルを低くなった天井、その穴に向かって飛ばす。ハッとしたアカシが急いでレールガンを構えるも、『時すでに遅し』であった。
『ブゥウウウン―』
「ご存じ!二式大艇ちゃん、だッ‼」
グラップルで大艇を掴み、倉庫が崩れ落ちる瓦礫をすり抜ける。秋津洲は大空の下へと飛び出して行った。
「オノレェ‼秋津洲アアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ………」
深海棲艦のような怒声も轟音に掻き消され、アカシは瓦礫と粉塵の底に消えていった。
“オカヘリナサイ、秋津洲殿”
「へへっ、大艇ちゃん、ただいま!」
自信の篭った笑顔で、水上機母艦秋津洲は、二式大艇に跨った。
「あ!大艇ちゃん見て見て。あのお花、とってもかわいいかも!」
眼下に咲くクロユリたちが、秋津洲たちを見送るように、風に揺れていた。
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7.矛と盾
事件から数時間経った今でも、遠くから砲声が聞こえ、スカイラインは戦火によって朱色に鈍く明るみを帯びている。幸い、奴等はここまで進行していないようだ。しかし、警察車両のサイレンの音が全く聞こえてこない。誰も通報していないのか、それとも、通報できない環境にあるのか。異様に生暖かい風が村を包む。
街灯の明かりの下、浜岡は携帯電話を片手に顔をしかめていた。通話の相手は自衛隊横須賀基地である。
「―だから何度言わせるんだ!美舩村で艦娘たちが暴動を起こしている、早く対処しなければ国民に被害が出る」
“あのですねぇ、艦娘が人を襲えるわけがないんですよ。そんな事で明日の観艦式を止めようったって無駄ですからね?艦娘を無暗に緊急出撃させれば国民に不安を煽るばかりか、マスコミが騒ぎ立て、世界各国に緊張を走らせることになる―それが狙いなんでしょう?”
男がうんざりした声で話す。浜岡の言葉には耳も貸さないようだ。
「既に高速道路で事故を起こしているじゃあないか!」
“…………あれは艦娘とは関係ありません”
気まずそうに言うと、男は通話を切ってしまった。
(ダメだ、あてにならない)
浜岡は携帯電話をズボンのポケットにしまうと、生存者を探しながらタクシーを置いてきたリストランテへと向かうことにした。
『駆逐艦暁鬼』と名乗った少女が、村の発電所の屋上で夜風に当たっていた。そこは事件が起きていることを忘れさせるようなほど静かであった。少女の服の白の部分は、油と煤で黒く汚れており、ブレードと化した左腕は重油がべったりと付着していた。
「敵はここには来ていない…やはり目的は『艦娘のみ』のようね」
独り言のように呟いて、右手で懐から『ジギタリス』と書かれた小瓶を取り出す。中には錠剤が入っていて、面倒くさそうに片手で蓋を開けると、器用に一粒だけ口に流し込んだ。それを飲むと、目を一瞬ギョッとさせたが、直ぐに元の調子に戻る。一息つくと、未だ火柱の立つ商店街を目指して駆け出した。地面をダンッと蹴って、義経が見たら白旗を揚げるような素早さで建物から建物へと飛び移る。
「船が八艘飛びをするなんて可笑しな話よね…」
独り言を言いながらどんどん進んでいく。
『ピコン、ピコン』
電探が敵を察知した。俯せになって息を殺す。下界を確認すると、対象がこちらに向かって歩いてきているところだった。どちらも頭に獣の耳のようなものが生えたカチューシャを装備している。街灯が煌々と照らしているお陰で、彼女の様子がはっきりと見えた。白いセーラー服姿で、腰辺りには魚雷発射管があるので、一目で駆逐艦だと分かる。手には何やら赤い剣を携えている。
白い少女は周囲を何かを探す様子もなく、迷いなく歩いていた。もし彼女の向かう先が発電所だとしたら―
(暗殺するしか、ないようね)
じっとしたまま、対象が真下を通り過ぎるのを待つ。
(3…2…1…0ッ)
暁鬼は立ち上がってふわりと飛び降りる。音一つ建てないそれはまるで忍者だ。しゃがみ込むと背後から一気に突っ込んだ。
「ッ‼」
少女は知っていたかのように振り返る。
『ガリガリ‼』
ブレードと剣が摩耗して火花を散らす。暁鬼は押し跳ばして距離をとりつつ発砲する。彼女は顔色一つ変えず、丁寧に全弾を剣で受け止めた。
「今のは何⁉」
答えを考える間も無く、少女は紅い目で魚雷を真上に発射する―それらは火を噴きながら空へ舞うと、くるっと向きを変えて暁鬼を指した。
(これは―トマホーク⁉)
背を向けて「ダンッ」と駆け出す。トマホークは次々に軌跡に突き刺さり、轟音と共にアスファルトを砕き散らした。
「きゃあッ!」
爆風に足を取られて転んでしまう。振り返ると、噴煙を突き破って少女が突進してきていた。
「やぁ!(チュドン‼」
咄嗟に放った砲弾が剣に吸い込まれる。暁鬼は必至にブレードを構えた。しかし彼女は何もせずに後ろへ下がった。
(なんで?…なんでトドメを刺さないの?)
混乱しながら立ち上がる。白い敵は砲撃すら行わずに、ただ立ち尽くしていた。剣と同じ色をした目が暁鬼を見据える。
「もう、許さない…許さないんだから!」
左肩の探照灯を点けて少女に向ける。彼女は剣で目を覆った。
(これでどうだ!)
12.7サンチ連装高角砲(後期型)を一斉射し、機銃も一緒に注ぎ込む。少女は一歩も動かず、砲弾を浴びていた。あまりに動きを見せないので、暁鬼は攻撃を中断した。
「当たったかしら…?」
探照灯を消す―だが少女は静かに立っていた。それも無傷で。手にしている剣が怪しく光っている。
(剣が弾を吸い込んでいるッ⁉)。
もう一度突進する。少女はやはり避けもせず、ただ構えている。それどころか、一発も撃っていない主砲は明後日の方に向いていた。
『ガキン!ガリリリリリリ…』
防御されることは読んでいた。主砲も動く様子を見せない。ならばゴリ押しするまでである。
ブレードが天色に輝く―深海棲艦の力である。空洞な左目にも、天色の炎がメラメラと燃える。
「うおおおおおおおおおおおお‼」
だが彼女はビクともしない。一方で剣は赤熱し、ブレードがめり込んでいた。
(このまま頭に一発喰らわせるッ‼)
右手の獲物を奴のこめかみに向ける。
(勝ったッ!)
『ドンッ!』
主砲を握っていた少女の拳が、暁鬼を殴り飛ばしていた。暁鬼は数メートル吹っ飛ばされ、地面に転がった。帽子も脱げて近くに落ちていた。一瞬遅れて、鳩尾に鈍い痛みを感じる。その時まで、自分が殴られたことにすら気付いていなかった。
(速すぎる⁉)
少女は赤熱した剣を構えて暁鬼をじっと見つめている。
このままではやられると感じて、立ち上がろうとしたが、できない。不思議に思っていると、彼女の足元に奇妙なものを見つけた。それは二つ落ちていて、片方は鉄色の大きな刃のようなもの、もう片方は駆逐艦の主砲で、持ち手を血の気の引いた手が掴んでいる。暁鬼はそれが何なのか理解っていた。
(私の、手?)
暁鬼が見る見るうちに蒼ざめる。思い出したように切断された両腕からドス黒い液体が迸る。
「がぁぁあアアアアアアアアアアアアアアアアア⁉」
溶鉱炉に焼かれるような痛みに絶叫してのたうち回る。それを罠にかかった鼠を見るような目で見降ろすと、口を開く。
「あなたは脳筋なところが駄目です。足元をよく見ていました?」
激痛に唸りながら、少女の目の前の道路にぽっかり穴が開いていることを確認する。
「マン…ホール………ッ⁉」
何かが飛び出したと思い、ふと目を上げると、いつの間にか別の少女が白い少女の横に立っていた。商店街のバザーに行っていたのか、花紺青と唐紅の浴衣に身を包んでいた。手には脇差が握られている。
「流石アヤナミ、剣の効果は絶大だな!身体が軽い軽いィ~」
「ありがとうです」
軽くお辞儀すると、『アヤナミ』と呼ばれた少女は、悶える暁鬼に話しかける。
「私の剣は砲弾を吸うだけのものではないです。あなたはそれを見抜けなかったのです」
そう言って、剣で、アヤナミは自分の腹を、刺す。
「うおぉぉぉおおおおおおおおおお‼」
しかし、血は一滴も流れなかった。その代わり、アヤナミの体が徐々に筋肉質になり、膨れ上がっていく。とうとう服がそれに耐えられなくなり、音を立てて破れる。相方は目を輝かせて見ていた。
「力が溢れるッ!馴染んでいくッー‼」
成長しきったそれは、SLのような鼻息をたてて仁王立ちしている。
「『鬼神』の力、早速試してみるです…ッ!」
「試し打ちかァ、いいねぇ、やっちまいな!」
鬼神はズンッと跳び上がると、像の脚ぐらいまで太くなった剛腕を振り上げる。さっきまで無表情だった顔は、勝利を確信し狂喜に歪む。
暁鬼は―嗤っていた。相方は足元の二つの腕を見て、何かに気付き、アヤナミの名を叫ぼうとする―。
「見抜けなかったのは、あなたのほうよ?」
拳は振り下ろされなかった。バランスを崩して、暁鬼の真横に落下したからだ。
「あがッ⁉…ぐ…頭が…割れそう…で…ッ⁉」
言い終わらないまま身体をビクンビクンと痙攣させる。
「こ、こいつ…」
「そうよ、私は駆逐艦暁鬼。身体の半分が『深海棲艦』なのよ?」
その言葉が意味するもの―アヤナミの剣が取り込んだもの、それは暁鬼のブレードの力、つまり深海棲艦のエネルギー。
肥大化した身体が疼き、手足の爪が鋭利な鉤爪と変貌する。髪はなまはげのように伸びて荒ぶり、その姿は巨大な港湾棲姫のようだった。剛腕が彼女の意志とは無関係に動き出す。むくっと立ち上がったそれは、彼岸花色の瞳で相方を見下ろす。
直後、相方は不思議な感覚に捕らわれた。アヤナミの顔を見上げていたはずなのに、何故か彼女の顔が視界の下にある。
(あたい、無意識にジャンプしたの?―)
しかし、体は宙に『静止』していた。
(…あら、あたいのスピードが速すぎて、時間を止めt…)
彼女の首がガクンと下を向いた。力が抜けて、頭を支えることもできなかったからだ。そこで眼に入ったものは、己の胸からまっすぐに伸びた腕だった。彼女には、自身に起きたことを理解する暇はなかった。心臓を貫かれた体は、あっという間に血を失い、意識が水底へと沈んでいったからだ。
『ボチャ…』
真っ二つになった相方が、水っぽい音を立てて落ちる。白い怪物は無言のまま、暁鬼に向き直る。そしてゆっくりと近づく。
「グギギギギ…」
未だに立ち上がれない小さな体に向かって、巨大な鉤爪が振り上げる。
「そろそろじゃないかしら―」
それを合図に、月白の何かが横切る。怪物の腕を斬り飛ばし、また横切った。怪物は手の無くなった手首を見る―その頭に生えた角を鉛丹色の光線が撃ち抜く。
「グッ、グォォオオ⁉」
呻きながら頭を抱える―ダメ押しというように魚雷発射管が撃ち抜かれ、爆ぜる。
『ボンッ‼ボンッ‼』
爆発に耐えきれず怪物は腰から崩れ落ちた。巨体は呻きながら業火に焼かれ、やがて動かなくなった。カランと墜とされた剣は、最早その力を失い、錆びてバラバラに砕けた。
道路わきの陰から、艦娘たちが姿を現した。短機関銃の綾波、フランキスカの敷波、そして―
「待たせたな、暁」
「あら~ほんとに深海棲艦と艦娘の半分こねぇ~。うふふ」
天龍と龍田が続いて出てきた。龍田は落ちた両腕を拾い上げると、暁鬼の方へ駆け寄る。
「はい、お手て」
「ありがと。お礼はちゃんと言えるし…」
そう言って切断された部分同士を合わせる。黒いものがそれを絡め取り、あっという間に縫合してしまう。
「うぎゅ…へっちゃらだし」
少し顔を歪ませるも、直ぐに指先が動くまでに回復した。その光景を四人は興味津々で見ている。
「スゲェねぁオイ!マジで治っちまったぜ」
「凄いね、綾波」
「そうね、綾波」
「深海棲艦って便利ねぇ~」
暁鬼は立ち上がると、試しに右手で帽子を拾って被って見せる。そしてドヤ顔を決めるも、四人はクスッと笑っていた。
「何よ!ぷんすか!」
「うん?帽子がズレてるぜ」
そう言って天龍が直してあげる。
「これでヨシ。うっしゃぁっ!次行こうぜ、奴等を村から一歩も出させやしねぇぜ!」
軽く暁鬼の肩を叩くと、先頭に立って歩き始める。他の四人も続けて歩き出した。ふと暁鬼が綾波の顔を見る。
「ねぇ、あの話はどうなったの?」
「そうねぇ…熱が冷めちゃったかしら、ねぇ、敷波」
「そうだね、綾波」
敷波はそっけない声で返事をした。
彼女たちは、砲声の聞こえる海岸を目指して進む。
※
浜岡は記憶を頼りにリストランテへ向かっていた。
敵を警戒して、壁に沿うようにして歩く。艦娘や深海棲艦の射程を考えて、浜岡は常に遠方を注視している。右手には、大鳳に渡された『気休めの』ハンドガンが握られていた。
丁度、通りの角を曲がろうかとしている時―奥の通りから何人か人が飛び出して、そのまま反対の通りへと消えていった。続けて、鼠色の巨大な主砲と飛行甲板を装備した、白の着物に黒い袴の艦娘が後ろ向きに飛び出した。
(あれは、伊勢型?)
彼女は後ずさりしながら、その主砲を撃つ。
『ドゴォンッ‼』
遠くにいる浜岡にも、腹に響くような砲声が響き渡った。
「近くに敵がいるのか⁉」
その疑問に答えるように、彼女は突然に爆発して倒れた。浜岡は急いで駆け寄ろうとする。それに気付いたのか、ボロボロの航空戦艦が驚いた顔で振り向く。
「こっちに来るんじゃあない!逃げろ!」
その低い声で足を止める。同時に彼女が『伊勢型航空戦艦日向』であると分かった。
「ん?そこに誰かいるの?」
どこかから、甲高い幼い声が聞こえる。
「くっ、気付かれたかッ⁉」
『ッドン‼』
日向の体が軽々と吹き飛ばされる。その後、建物の陰から日向よりも巨大な武装―試製51サンチ連装砲を装備した少女が現れた。やはり、頭には特徴的な一対の『角』が生えている。しかし、武装に似合わず、本体は駆逐艦かと思わせるほど小柄だ。少女は浜岡を一瞥すると、淡々と、言う。
「キヨシモは戦艦しか興味ないの、おじさんはさっさと逃げたら?」
だが浜岡は逃げるそぶりを見せない。
「ほう…君は『キヨシモ』という名前なのか…俺の知ってる清霜は駆逐艦のはずだが?」
その一言に、少女の表情が凍り付く。左側の主砲が浜岡の方を向いた。
「キヨシモは、戦艦だ。ザコな駆逐艦じゃあねェんだよッ‼」
「人間よ、早く逃げるんだ!それ以上コイツを怒らせるな、殺されるぞ」
倒れたままの日向の表情が歪む。浜岡は逃げるどころか逆に一歩ずつ近づいて行った。
「フン、駆逐艦の体で戦艦の武装…ダサイねぇ、まともに戦えると思えない」
「ダサくないもん!キヨシモは戦艦に憧れて、こうして資格を得たのよ!」
浜岡は鼻で嗤うと、持っていたハンドガンを構える。
「おい、正気か人間!その銃を下してさっさと逃げろ!」
「ご忠告ありがとう、しかし、コイツ程度、俺にでも倒せる自信があるッ」
キヨシモはとうとう浜岡に向き直った。拳を握り、両脇の主砲は発砲準備が完了している。
「もう一ペン言ってみろ‼おめェみたいな人間くらい、一発で吹き飛ばせるんだから‼」
「るせ~な~、さっさとやってみろよォ。51サンチ連装砲の戦艦サマなんだろォ?」
「おい、人間!私は既に大破していて動けないのだ。瑞雲も全部コイツの主砲で落とされてしまった。何かあっても助けられないんだぞ」
怒りで震える少女は、ニヤリと嗤った。
「ふーん、そこまで死にたいなら殺ってあげる…ザコを倒すのも、愉快だもんね」
日向が目を覆う。ファンファーレと共に、その冷たい主砲から、真っ赤な徹甲弾が放たれる―。
『バッシュゥゥゥウン‼』
一斉射された砲弾はまっしぐらに浜岡のど真ん中を狙う。
(―やはり、上を狙ったか)
忍者のように真横に跳ぶ。砲弾はクロスしながら空を描き、遥か彼方にある建物の壁を吹き飛ばした。
「え⁉なんで⁉」
着地した浜岡は、そのまま歩道を韋駄天の如く駆け出す。キヨシモとの距離が一気に縮まる。
「キヨシモよ。君は戦艦の力だけに憧れ、戦艦そのものを理解しなかったんだよ」
少女は大慌てで次弾を装填しようとする。だが、間に合わない。青ざめる。せめて狙いだけでも付けようとする―追いつけない。
「遅いッ!装填速度も旋回速度もッ、駆逐艦より遅いッ‼」
浜岡はもう目と鼻の先まで来ている。
(そうだ!相打ち覚悟で魚雷を地面に…)
―できない。駆逐艦で在ることを否定し、魚雷も、高角砲も、そして機銃さえも捨ててしまったからだ。
「もし駆逐艦なら、機銃をばらまくか、魚雷を叩きつけていただろう」
完全に見透かされた―キヨシモの頭が真っ白になる。浜岡は続ける。
「駆逐艦がザコだと?笑わせんな。駆逐艦には駆逐艦のスゴみってもンがあるんだ」
そう言って銃をしまう、そして迫る。
(逃げなきゃ、沈められるッ⁉)
装填時間を稼ぐために、逃げようと回頭する。
「ガッ⁉」
無理矢理回ろうとして、脚がぐねって姿勢が崩れる。艤装の重いので、慣性の法則に細い脚が耐えられなかったのだ。
「戦艦とは‼その射程距離を活かし、遠方から敵艦を撃沈せしめるものだッ‼半面、機動性が悪く回避が難しい。近距離で足の速い敵を相手にするなど、君は戦艦を理解っていない!」
キヨシモの脳裏に、憧れだった戦艦武蔵の姿が浮かんだ。
「キヨシモは、戦艦に、なれないの…?」
崩れた姿勢を立て直せられず、そのまま俯せに倒れていく。浜岡はそこに覆いかぶさると、その『角』に手を掛け、むんずと引き抜いて投げた。キヨシモは頭から血を霧吹きのように噴き出すと、ばたりと倒れたまま動かなくなった。直後、その大きすぎる艤装は金切り声を上げると、両側の51サンチ連装砲をゴロリと吐き出し、駆逐艦清霜の艤装へと変形した。それを見た日向が身体を引き摺って寄る。
「死んだ…のか?」
「いいや、眠っているだけのようだ」
少女の首元に手を当てながら、浜岡が答えた。清霜は腕の中で、満足そうな笑みを浮かべて、すやすやと寝息をたてていた。頭部からの出血も治まっている。
「全く、あなたは一体何者なんだ?」
「………ただの艦娘に詳しい人間さ」
そう言ってはにかむと、直ぐに遠くを確認する。
「それで、さっきの『角』は…」
転がっているはずの場所に、それはない、その代わり―
「『来るな』と言ったはずなのだけれど?」
黒ずくめのライダー、大鳳が『角』の生えたカチューシャを握っていた。
「大鳳、なぜそれを‼」
「私たちにとって大事なサンプルなの、じゃあ、またね♪」
そう言うとフックショットを取り出し、横のアパートの屋根に打ち込むと、ふわりと飛んで行ってしまった。
「鮮やかだな…」
日向は関心そうに見ていたが、浜岡は悔しさに歯軋りしていた。
「クソッ!あれさえ手に入れれば、何か分かったかもしれないのにッ」
「残念だが、他から取っと来るしかないようだな」
すると、ハッとした顔で浜岡の顔を見る。
「まさか、君、まだこの村にいるつもりなのか?」
「ああ、艦娘が人を殺めてしまうなんてことは、あってはならないからな」
「君の考えは確かに分かる。しかし、その貧弱な『おはじき』だけでは身が持たんぞ…」
少し考えこんで、日向は懐の太刀を取り出した。
「こいつは『日向太刀』といってな。戦艦の艤装でも一刀両断できる代物だ。本当なら私の艤装を持って行け、と言いたいところだが、人間には取り扱えんしなぁ」
「ありがとう、助かるよ」
それを受け取ると、ずっしりとした重みを感じた。
「絶対に人は斬ってくれるなよ?こいつに人間の血を味あわせたくないからな」
「ああ、勿論さ」
頷いて、腕の中の清霜を日向に預ける。
「この娘のこと、頼んだよ。再び、人命を護る『盾』となれるように」
「ああ、分かったよ…でも、その台詞、誰かの受け売りかい?」
思いがけない言葉に浜岡は鼻白ぐ。だが、否定はしなかった。
「そうだ。昔、とある艦娘に言い聞かされたのさ」
彼女は首を傾げたが、その指輪を見て納得した。
静かな街灯の下、二人は立ち上がる。
「じゃあ、気を付けて」
「君こそ、死ぬんじゃないぞ」
そう言い合って、背中合わせに、浜岡は村の中心部へ、日向は出口へと向かって行った。
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8.ケルビムの翼 その①
かつて美舩村に越してきたイタリア出身の艦娘たちが開店した、本格的なイタリアンリストランテ。店長はV.Veneto級二番艦、戦艦Romaで、店員には妹の戦艦Italia、空母Aquila、重巡Zara、軽巡Abruzziなどが、腕によりをかけてパスタやピッツァを提供している。また、重巡Polaによって厳選されたワインが数多く並んでおり、昼夜を問わず店内は賑わいを見せている。
砲声が未だ聞こえてくるリストランテに、浜岡が戻って来た。店内はあの時のままで、灯りが点けっぱなしだった。テーブルの上に食器が放置されている。
「良かった、無事だった」
ガレージに留めてあるタクシーに駆け寄る。砲弾や銃弾を受けた跡もない。浜岡はホッと胸をなでおろした。
(何れ戦火は此処までやって来るだろう。商売道具だけでも避難させた方がいい。それに、人を見つけたら拾っていけばいいし、こいつならギリギリ奴等から逃げきれるだろう)
ふと、執拗に追いかけてきたライダーズを思い出す。乗り物で追いかけられたらどうしようもない気がしたが、とりあえずドアノブに手を伸ばす。
『ガシャ、ガシャ…』
近くから軍靴の音が聞こえてくる。それは徐々に大きくなっていた。
(クソッ、もう少し早ければ逃げられたのにッ)
伸ばした手を引っ込めて、定番と言わぬばかりに車の下に滑り込んだ。
軍靴の音がピタリと止む。
「そこにいるのは分かっているわ。出て来なさい」
ギクリとして、恐る恐る這いずり出ると、敵意はないと示す為に得物を足元に卸して両手を挙げる。声の主は、灰色と黒の重厚な軍服に身を包んだブロンドヘアの女性だった。見るからに西洋人だ。
「私はドイツが誇るBismarck級超弩級戦艦のネームシップ、Bismarckよ。それと手は下ろしてくれて良くってよ」
両手を下したが、緊張は保ったままだった。
「俺は浜岡だ。ひょんなことでこの事件に巻き込まれた」
「あら、巻き込まれたというより、自分から首を突っ込んだじゃないの?ほら、そのカタナは何かしら?」
刀を指して二度見すると、驚いた声を上げる。
「あなた、何故この刀を持っているの⁉これ、日向のじゃない」
「ああ、これか?さっき日向に遭ってな。護身用に持っておけって」
ビスマルクは駆け寄ってそれを拾い上げると、興味津々であちこちを眺める。
「これが、匠の技術…美しいわね」
あまりにも近すぎて、浜岡はほんのりと桃の甘い香りを感じた。だが、彼女の堅牢な艤装が、今にも触れてしまいそうな距離でギラついている。気圧されて、一歩後ろに引いてしまった。
「何よ、私はアイツらとは違うわよ?艦娘よ艦娘。このビスマルクを疑うの?」
得物を返して、不機嫌そうに帽子をとって見せる。確かに、角は生えていない。
「それで、君はここで何をやっているんだ?弾切れか?」
「ええ、そうよ。でも奴らを巨万と蹴散らしたわ。この程度、朝飯前よ。私は強者だから」
鼻につくような言い様だが、超弩級戦艦が言うと真実のように感じる。
「これ、あなたの車なんでしょう?近くまで載せていきなさいよ」
指でこつんとミラーをつつく。浜岡は少しムスッとした。彼女はドアを開けようとしたが、何か思い出したらしく、コートのポケットをまさぐる。そしてスマートフォンを取り出してニッコリすると、いきなり浜岡の肩に手を回した。
「自撮りさせなさい」
「はぁ?」
「ほら、画面に入りなさい」
スマートフォンは既にカメラモードになっていた。太い腕でガッチリと浜岡を抑えている。
「はぁ…悠長な艦娘だなぁ」
「余裕を持ってこその強者よ?」
画面の中の彼女は無表情だった。普通は笑うところだろうと思ったが、突っ込んでも面倒そうなので、浜岡も真顔で写った。別にビスマルクも文句を言わず、閑散としたリストランテをバックに二人で写真に収まった。案の定、イイネなんて100%貰えなさそうな写真が出来上がった。しかし満足そうにそれをしまうと、勢いよく車のドアを全開にした。
「そのデカい主砲で傷を付けないでくれよ?」
「それくらい分かってるわよ」
「ああ、それと、途中で人を見つけたら拾っていくから―」
「はいはい」
言い終わる前に、勝手にドアを開けて乗り込んでしまった。両サイドに出っ張らせ、真ん中に大股開きで座っている。
(途中で人を見つけても、譲る気ないだろうなぁこりゃ…)
やれやれと言いながら浜岡も乗り込む。
「それで、どこまで行けばいいんですか?お客さん」
「村の弾薬庫までお願いできるかしら。山側に沿ってまっすぐ進んで行けば、奴等に遭わずに辿り着けるはずよ」
「本当なんだろうな」
「このビスマルクの言う事は絶対よ?」
浜岡は何も言わずに車を発進させた。
村で一番山側にある通りにどん突いて、ハンドルをきる。ここでビスマルクが身を乗り出した。
「あなた、携帯もってる?」
「いきなり何だ?」
「SNS―ライン演習作戦よ!」
「…………」
「何よ!笑いなさいよ!」
「いま運転中…まあいい」
よく分からないまま怒られつつ、アドレスを交換する。登録し終わって画面から目を上げると、視界に悠々と喫煙するビスマルクが写った。禁煙車だ、注意しようとしたが、面倒になって止めた。
「それで、なぜに初対面の俺と―?」
「人脈は広いに越したことはないでしょう?」
すぅっと煙草の先を朱色に灯す。ふぅっと白い煙が上っていく。
「あなた、人間なのにどうして立ち向かったのかしら?」
「えっ?」
「ズボンに付いた血、それ艦娘のでしょう?臭いで分かるわ」
ちらりと下を見ると、太腿から膝にかけて赤黒く染まっていた。キヨシモから『角』を抜いた時に付いたものだ。
「自分から戦ったのでしょう?私にはお見通しよ?でも、理由が分からないわ」
ひと呼吸して、浜岡は微笑む。
「昔、艦娘から教えられたんだ。『艦娘は深海棲艦と戦うための存在じゃあない。人々を守るために生まれてきたのだ』と。今、それが壊されようとしている。俺はなんとかして、これを止めたいんだ」
「Die Tat wirkt mächtiger als das Wort(行動は言葉より強力に働く)…」
いきなりのドイツ語に首を傾げる。しかしビスマルクは納得したように頷いたまま続けた。
「あなたなら、必ずやこの事件に終止符を打てるわ。このビスマルクが言うの、信じなさい」
半信半疑ながら、彼女の言葉に感謝した。
「それで―」
ビスマルクは足を組む。浜岡は彼女を一瞥した。
「あなたはこの戦火をどう視ている?」
凝視するその両目から、今にも砲撃しそうな圧力を感じる。超弩級戦艦の眼光はバックミラーに跳ね返って、浜岡に伝わった。
「そうだな…今のところ、『美舩村の一部の艦娘が突然凶暴になった』としか…」
「そう…」
それ以上何も言わなかった。
信号が赤に変わった。車も歩行者もいないが、律儀に車を止める。すると、ビスマルクは組んでいた足を戻した。
「このへんでいいわ、Danke」
浜岡は後部座席のドアを開けた。彼女はのっそりと降りると、顔だけ覗かせた。
「村役場には寄ったのかしら?あそこなら生存者がいるかも知れないわ」
「村役場?」
「そう、来た道を戻りなさい。大きなパラボラアンテナのある建物が、山側にあるわ」
「分かった。ありがとう」
礼を言って、ドアを閉める。車はUターンして、そのまま一直線に進んで行った。
「Wer nicht wagt, der nicht gewinnt.(虎穴に入らずんば、虎子を得ず)」
そう呟くと、超弩級戦艦は、軍靴の音を響かせて闇の中へと消えていった。
※
タクシーのボンネットを、街頭の灯りが規則正しく通過する。浜岡は左右を確認しながら、目印のパラボラアンテナを探していた。
「ッ⁉」
道路脇から赤白の人が飛び出した。慌ててブレーキを踏む。それも慌てて得物を向ける。
(奴等かッ⁉)
咄嗟で窓越しにハンドガンを構えた。空気が凍り付く。
「…あれ?」
それは白の上衣と赤い袴、プレートアーマーのような胸当てに「ス」の文字―
「瑞鶴か?」
翔鶴型二番艦、空母瑞鶴―五航戦の妹の方だ。浜岡は一安心して銃を下すと、一度車を降りた。
「すまない。彼奴等だと思ってしまって―」
「私こそごめんなさい。ビックリしちゃった」
瑞鶴は会釈しながら駆け寄る。浜岡は不安そうな顔をして、言う。
「君がここに来ているということは、もう近くに―」
「ううん、違うわ」
長いツインテールを揺らして首を振る。
「まだここは安全だから、アウトレンジを仕掛けてたの。あ、私は―」
「正規空母瑞鶴だろ?それも『改二甲』の」
「良く知ってるわね。あなた提督さん?」
「『元』な」
ハッキリと発音された『元』に首を傾げるも、目の前の車がタクシーだと気付いて尋ねた。
「ねぇ、白髪でロングヘア―で、鹿の角と紅白の菊の髪飾りを着けた艦娘、見なかった?私の姉なんだけど…」
「翔鶴か?いいや、見てないが、探しているのか?」
「うん。翔鶴姉と商店街で骨董市を開いてたんだけど、私が観艦式を見に行く途中に騒ぎが起きちゃって…急いで戻って来たんだけれどいなかったの。無事ならいいんだけど」
それを聞いた浜岡は顔を曇らせる。
「商店街には人間もいたのか?または…その」
「いいえ、いなかったわ。私が戻って来た時には、あっちこっちが燃えてはいたけれど、もぬけの殻だったわ」
「そうか、ならいいんだ」
とりあえず、被害者が出ていないことに安堵した。
「それにしても、骨董市かぁ。皆、案外好きなことをやって楽しんでいるんだな」
「まあね、だってここは艦娘の楽園―」
そこまできて言葉を詰まらせる。そして、思い出したように空へ指を指した。
「あ、ほら!あれが私の艦載機!」
甲高い音が聞こる―噴式機の橘花と景雲の小隊だ。視界の端から端へ、一瞬で翔け抜けて行った。
視線を下すと、瑞鶴がドヤ顔をしていた。
「それで、敵、というか何というか。奴等はどれくらいいるんだ?」
「え。ああ、うん。ざっと数百くらいいたけど、今は大分減ったわ…でも、何が何だか…」
それは浜岡も同じであった。せっかくの鍵となるはずだった、『角』の付いたカチューシャは、黒ずくめの大鳳に盗まれてしまった。そもそも大鳳がそれを盗んだ理由も皆目分からない。
(そう、今明らかな事は、美舩村の艦娘の何割かが突如凶暴化して、共通点が『角』を―)
寸前の言葉を思い出して、浜岡の顔から血の気が引く。
「おい、瑞鶴、さっき『髪飾り』って―」
しかし、瑞鶴は浜岡のことを見ていない。無言で、空の一点を見つめている。鶴よりも白い顔になって、信じられない、という顔で震えている。浜岡も同じ方を見る。
「何だ、あれ」
深淵の空に、天使が浮かんでいる。純白の四枚羽を広げて、礼拝堂の石膏像のように静止している。聖母のような穏やかな顔つき、だが冷たすぎる碧い眼差しの天使が。
「翔鶴…姉?」
「何ィ⁉」
純白のそれは応えるように、こちらへ急降下する。
「「うわぁ⁉」」
轟音と衝撃波が襲う。それは二人の頭上を越えて、乱暴に滑走しながら着陸した。
頭の左側に鹿の角と紅白の菊の飾り。予感が的中したことに浜岡は舌打ちをする。瑞鶴は腰を抜かしてへたり込んでいた。それは目が痛くなるような翼を広げ、冷たい声で囁きかける。
「瑞鶴、迎えに来たわよ。一緒に行きましょう?」
「どうしちゃったの翔鶴姉?何かおかしいよ!」
瑞鶴が悲鳴混じりに叫ぶ。
(此奴が何を考えているか分からないが、強烈な邪悪の臭いがするッ)
後ずさりしながら、浜岡は抜刀して構えた。
「それ以上近付くんじゃあない!」
すると、天使はギラリと浜岡を睨みつけた。アガパンサスのような青の瞳が冷たさを強調する。
「出会っていきなり刃を向けるなんて…『今晩は』くらい言えないのですか?一般人。私は第五航空戦隊旗艦、ショウカクです。あなたの名前は?」
「君なんかに名乗ってやる名などない、と答えたいが…俺の名は浜岡櫂だ」
「あら、何処かで聞いたことがあるような。それでは浜岡さん、知的な私には、好き好んであなたがた一般人を殺す趣味はありません。だから、そんなオモチャは片付けてとっとと消えて?」
浜岡の中で何かが切れた。煽られたからではない、仮にショウカクが艦娘であったとしても、命を軽んじるその言葉、気概が許せなかったのだ。
「この瑞鶴を、黙って君に差し出せば、本当に、俺を、見逃してくれるのか?」
「そうよ、何度も言わせないで下さい」
三人の間に、緊張が走る。寸刻の静寂の後、浜岡は深く息を吸った。
「だが断る」
「「えっ…」」
暫くの間、沈黙が続いた。
『キィィィイイイイイ‼‼』
橘花が静寂を破り突入する。素早く刀をしまうと、後ろ手に車の扉に手を掛けた。
「行くぞ瑞鶴‼」
「えっ⁉」
瑞鶴を後部座席に押し込み、自らも運転席に乗り込む。瞬間、音速に近い800キロ爆弾が降り注ぐ。
「ハッ、雑魚が」
天使は白い翼で身体を包み込んでガードする。
(あんなバケモノに敵うはずがないッ‼)
アクセルを力任せに蹴って、車を跳ばす。瑞鶴は茫然とショウカクを目で追い続けた。
「なんで逃げるの?翔鶴姉を助けなきゃ!」
「『帰ろう、帰ればまた来れるから』―まだ駆け出しの提督だった頃に、阿武隈からよく聞かされた言葉だ。第一水雷戦隊のとある少将が残した言葉らしい。『一か八か』ではなく、『作戦完遂』を目指す。その為なら、撤退も厭わないという精神だ」
そう言って瑞鶴の顔を見る。
「だから瑞鶴、俺は諦めちゃあいないんだ。必ず翔鶴を救い出す。約束だッ!」
「……………ええ、分かったわ」
浜岡は頷くと、前を向いてアクセルを更に踏んだ。
(それだけじゃあないさ。あいつらの信念を、彼奴に踏みにじらせはしないッ‼)
ハンドルを握る手に、力が入った。
碧い眼が、小さくなっていくテールランプを睨み続ける。周囲には航空機だったものが破片になって散らばって燃えていた。
「こちら智天使ショウカク。空母瑞鶴の追跡を続行します」
無機質な声で言うと、ギシギシと音を立てて翼を広げる。それは力を蓄えるように輝きを増していく。翼を広げ切ると、クラウチングスタートの姿勢をとる。
「絶対に。逃がしませんよ♪」
純白の天使は悪魔の笑みを浮かべ、弾丸の如く飛翔した。
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9.ケルビムの翼 その②
ショウカクから距離をとるため、浜岡たちは車を急がせていた。
戦闘地域に入ってしまわないように気を付けつつ、追跡されにくいようテキトーな角を曲がる。その度に、瑞鶴はバランスを崩して右へ左へと転がって頭を打った。
「いってて、もうちょっと優しく運転できないの⁉」
「すまない…しかし、困ったな。村から出てしまえばショウカクを撒けるかもしれないが、あんなのを市街地に連れ出せばとんでもないことに…」
『ガオンッ』
車が大きく揺れた。瑞鶴が肩をすぼめる。
「もう追いつかれt―(バシィイッ!バシィイッ!」
「きゃあ⁉」
天井から鋭利な刃物が差し込む。それは凶悪な白だった。
「大事なことを言い忘れていました」
冷たい声が流れてきた。
「『一般人を殺す趣味はない』と言いましたが。私の邪魔をする人には―瑞鶴を私から奪う奴には容赦しませんよ?」
「もうやめて!」
「大丈夫よ瑞鶴、すぐに助け出してあげるから」
今天井に刺さっている翼は二枚。つまり、ショウカクが次にとり得る行動とは―
(ダメだ、このままでは俺がアジの開きにされてしまうッ⁉)
必至になってショウカク弱点を考える。艦隊運営していた頃の記憶、空母翔鶴のデータベース―脳内の引き出しを掘り起こす。ふいにミラーに写る瑞鶴が見えた。窓の上の手すりにしがみついて、いつハンドルをきるのやら、と浜岡の手の方を凝視していた。それを見て閃き、確信する。
「ありがとう瑞鶴。君が頭を打ちまくっていたので、思い出したよ」
「はぁ?」
ハンドルを握っていた左手で、車の屋根を強く叩く。
「なぁショウカクさん。君、本当に翔鶴型航空母艦一番艦の翔鶴だよなァ?」
「…何が言いたいんです?」
「だったら、弱点も史実通りってわけだよなァ」
ショウカクは沈黙した、瑞鶴も首を傾げている。反応を見て、浜岡は溜め息を吐いた。
「ハァ…ダメなようだな。赤城や加賀なら、あっという間に気付いていたのだが?」
殺気が一気に強まる。そしてギシギシと音が聞こえてきた。浜岡は、ショウカクが残りの翼で運転席に狙いを定めているのを感じる。
「案の定キレたぜ、これだから一航戦に勝てねェンだ」
「ッ!」
翼は最大に振り上げられた。後は突き刺すのみ―まるで知っていたかのように、浜岡はハンドルを滅茶苦茶に振った。ショウカクが姿勢を崩す。
「翔鶴型航空母艦の弱点ッ、それは船体の細長さとトップヘヴィー故の横揺れだッ‼」
風に煽られる蝶の如くに、白い天使は乱暴に揺さぶられる。
浜岡はハンドルを振りながら、『あるもの』を見つけた。不敵に笑むと、助手席に置いてあった日向の太刀を掴んで背後に投げる。
「瑞鶴!俺が合図したら、今刺さってる翼を斬ってくれ」
「え、なんで?」
「やってみれば分かるさ」
ある一点を目指して、ジグザグに進む。ショウカクは、車に突き刺した二枚の翼のお陰で、尚も引っ付いていた。
「3…2…」
秒読みが始まったので、ワケが分からないまま抜刀して構える。
「…1…斬れ!」
「えいやッ‼」
日向の太刀は、見事に刃を砕いた。
ショウカクは今になって浜岡の策を見抜く。慌てて飛翔しようとしたが、バランスが取れないので、できなかった。咄嗟に車にしがみ付こうとしたが、瑞鶴が翼端を斬ったので、できなかった。そのまま意志とは反対の方へ、身体が中途半端に舞い上がる。
「クギュッ⁉」
絶叫をも許されず、マンションの外壁に激突した。車だけが、その地下駐車場へと滑り込む。
乱暴に車を止めると、瑞鶴が跳び出す。だが浜岡がそれを止める。
「まだだ、瑞鶴。彼奴はあの程度で再起不能になる奴じゃあない」
浜岡の言う通り、外のショウカクが今まさに起き上がろうとしていた。街灯に照らされた翼がギラリと光る。浜岡は強引に瑞鶴の手を引くと、エレベーターまで走った。
「頼む、来てくれッ」
ボタンを叩くと、運良くエレベーターが開いた。直ぐに入って、最上階のボタンを叩く。
「瑞鶴ゥ‼」
怒号が聞こえてきたので慌ててドアを閉める。隙間から純白の刃が数枚飛び込み壁に突き立った。
「おいおい、あの翼、ミサイルみてェに射出できるのかッ⁉」
「翔鶴姉…」
エレベーターはゆっくりと上昇し始める。
難を逃れたことに、二人は安堵の溜め息をついた。瑞鶴が顔を上げる。
「ねぇ、浜岡さん。これからどうするの?」
「そのまえに、一つ確認しておきたいことがある」
「なあに?」
「艦娘は同じ奴でもいっぱいいるが、あのショウカクは『君の知ってる』翔鶴で間違いないな?」
「うん、間違いない。頭につけて髪飾りが同じだったもん」
『髪飾り』と聞いて、浜岡は眉をひそめた。
「それなんだが、何か詳しい事は知らないか?」
「うん?あれは朝方に島風がみんなに配って回ってたの。私の分もあったんだけど、なぁんか恥ずかしくて、着けずに置いて来ちゃった」
「島風が?…そいつも頭に何か着けてなかったか?」
「いつものウサ耳だったわ」
シラツユライダーズ然り、戦艦キヨシモ然り、皆頭にカチューシャや角などが『刺さって』いた。それが、艦娘が艦娘を撃沈したりできるようになるキーになっていることが分かった。更にもう一つ、ショウカクから分かったことがある。
(艦娘はカチューシャによって『洗脳』されている?)
浜岡は顎に手を当てて唸った。
「やはり、あの髪飾りが原因か」
「どういうこと?」
「騒ぎの後、俺は二回、人を攻撃できる艦娘に遭った。それは皆、頭に何か着けていた」
「ということは、翔鶴姉から髪飾りを取れば、元に戻せるってこと?」
「ああ、しかし刺さっているから、抜くときに多少の出血があるが」
そう言ってズボンに付いた染みを指さす。気が付いていなかったのか、瑞鶴はギョっとしてツインテールを逆立てた。
「それと、ショウカクは『迎えに来た』と言っていた。多分、君にも髪飾りを着けて洗脳するつもりなんだろう」
それを聞いて、瑞鶴の顔から色が引いた。
「私…どうなっちゃうんだろう。深海鶴棲艦みたいになっちゃうのかなぁ」
「とりあえず、あの髪飾りを引っこ抜かない限り、どうにもならない」
「それなら、私の爆撃機で大破させt―」
「おそらく不可能だ。橘花の爆撃を受けても、傷ひとつついていなかったろう?」
「確かに…そういえば、橘花と景雲の小隊からの無線が通じないわ!もしかして」
「全滅した可能性がある」
「そんな…」
落胆する瑞鶴を尻目に、付け加える。
「それと、マジに命中しても、マズイ」
常に最悪のケースを考える―それが彼のやり方だ。瑞鶴は首を捻っていた
「艦娘同士で攻撃し合うのなら、大破で再起不能にさせて角を引き抜くだけでいい。しかし、あれが艦娘を深海棲艦に『疑似させる』ものだとしら…大破では済まないだろう」
表情が凍り付いた。下手に爆撃すれば、自らの手で姉妹艦を殺めかねないのだ。
「じゃあ、どうすればいいのよ!」
「創意工夫で乗り越える」
そう言って指を鳴らした。
「問題は『どのようにして接近するか』だ。そこで頑丈すぎる翼を利用する。まあ、内容はシンプルなものだが。まず、ショウカクが艦載機を放っていれば、それを撃滅する。次に、四方から集中的に爆撃して、翼でガードさせる。その間に俺が背後から近づいて、爆撃を止めた一瞬の隙に突撃、髪飾りを引っこ抜く。足音が爆撃の音でかき消されてしまうし、視界も翼と煙で遮られているから、無難だろう。要するに『硬い翼を破壊すれば、本体に攻撃ができると勘違いしている』フリをするってことさ。そこで―」
聞きながら頷く瑞鶴の肩に手を置く。
「君の艦爆隊が攻撃を止めるタイミングが鍵となる。頼めるか?」
「分かった、七面鳥じゃないってところ、見せてあげるんだから!でも…」
瑞鶴は視線を浜岡の手にある太刀に向ける。
「もし作戦が失敗して、私があんな風になっちゃったら…姉妹共々、お願いできるかな…」
しかし、浜岡は首を横に振った。
「瑞鶴、そいつは無駄な覚悟だ。君の艦爆隊なら、必ず成功する」
如何にもという風に肩を叩くと、徐に携帯電話を取り出して操作する。
「何してるの?」
「いいや、何でも」
エレベーターは最上階に到着した。二人は降りて屋上へと続く階段へと向かう。
浜岡はふと立ち止まって、言う。
「懐中電灯を取ってくるよ」
「いいけれど…懐中電灯?」
「目を眩ませたほうが、確実だろ?」
そう言って、目の前にあるお手洗いに足を向ける。
「あ、そうだ瑞鶴。暇な妖精はいないか?」
「え。まあ、応急修理要員とかなら…」
「それ、何人か貸してくれないか?」
「なんで?」
「お守りだよ」
「別にいいけれど…」
怪訝そうに応急修理要員たちを出現させて、手渡した。浜岡は礼を言うと、戸を開けて入って行った。
マンションの屋上―。
そこからは美舩村が一望でき、未だ消えぬ戦火も見渡す事ができる。赤く照らされた航空機たちも激戦を繰り広げていた。
偵察機代わりに烈風隊を放った瑞鶴は、無線を通じて艦載機と交信している。
「瑞鶴より戦闘機隊へ、翔鶴姉の居場所を報告して」
“了解。こちら一番機、パッケージ・シエラは加賀や飛龍と交戦中”
「分かったわ、マンション屋上まで誘導して」
“こちら二番機。浜岡殿の言う通り、艦載機を有している模様。赤や黄色、水色のオーラを放っております。機体の見た目は深海棲艦のではなく我々と同じなので注意して下さい!(紛らわしいぜ全く…”
「了解、じゃあよろしくね」
無線を切って、得物を空へと向ける。
「艦種風上、全機爆装‼天使の翼(アギト)を喰いちぎれッ、発艦は始めッ‼」
次々に矢が放たれ、火花を散らして航空機へと展開される。
「あれはッ⁉」
別の方角から、烈風の小隊が飛来する。
“こちら烈風601空から瑞鶴へ、貴殿に助太刀いたす”
「え?あんたたち、誰の艦載機よ⁉」
“大鳳です”
それを聞いて、浜岡の表情が強張る。
(今度はショウカクの髪飾りが狙いか?)
だからと言って断るわけにもいかない。頼れるものなら、藁にでも縋る―艦爆隊に合流する烈風たちを黙って見送ることにした。
“12時の方向、下から来ますッ‼”
水平線から純白の彗星が舞い上がり、闇夜に咲く。碧く冷たい眼差しが二人に降り注いだ。
「あら、瑞鶴ったらこんな所にいたの?逃げてばっかりじゃダメでしょう?」
「翔鶴姉、今助けるからね!」
ショウカクの翼の先端が、紅く染まっていた。異変を感じた浜岡が目を凝らす。
「ああ、これ?加賀と飛龍が生意気に攻撃してきたから真っ二つにしてやったの、うふふ♪」
「何…だとッ⁉」
「ん?…あら一般人、まだいたのですか?」
呆れたように首を傾げると、重力を無視するようにふわりと着地する。浜岡は抜刀して、構えた。
刀身に翠色冷光な瞳が写り込む。
「そうかそうか…私をナメてるってわけだ…うふふ…面白い彫刻にしてあ・げ・る♪」
口調が変わった―嫌な冷や汗が滲む。純白の翼が、前に倣えするように固定される。
「ここでもう一度絶望しなs―⁉」
『ドン!パンッ!ボゴン!』
彗星の爆撃が始まった。奴はすぐさま翼を展開して盾にする。
「艦爆隊!どんどん爆撃して!」
「翼を攻撃しろ!必ず破壊できる!」
「うっふふ♪やれるものならやってみなさい?」
空では流星の尾を引く艦載機の群れが、高度で理の有る烈風601空に続々と墜とされていた。制空権は確保されたも同然、ショウカクには爆撃の嵐が降り注ぐ―猛烈な轟音が連鎖する。純白の翼を爆弾の煙が覆いつくしていく。
「ッ⁉」
白刃の弾幕がバラ撒かれた―瑞鶴を庇うようにして太刀で叩き落とす。
「やるじゃない!」
瑞鶴は帰還した艦載機を素早く補給させながら、浜岡にサムアップしてみせた。
翔鶴は純白に身を包んだまま右へ左へと跳ねるも、瑞鶴の艦爆隊が確実に翼を叩いていた。体制を整える為に飛び降りたりしないので、ショウカクもここで決着をつける気なのだろう。瑞鶴は爆撃を終えた彗星や天山を格納しつつ、矢継早に爆撃機を射出していく。浜岡には、彼女の手が素早すぎて阿修羅に見えていた。
空を見ていた瑞鶴が突然叫ぶ。
「浜岡さん!上!」
見上げると、視界に赤紫のオーラを纏った航空機が飛び込んだ。
(九九艦爆―急降下爆撃かッ)
浜岡は慌てて航空機の視界から消えようと動く。すなわち、パイロットから見て下方に避ける。
『ショタタタタタタタタタタタタタタタタタ!』
爆撃ではなく機銃掃射―生存本能が、彼に太刀を構えさせた。銃弾は吸い込まれるように刀身に当たって反射される。それは見事に敵艦載機を貫いた。
『ブボボォォオオオォォォォォ…』
一瞬にして炎に包まれ、晩秋の蚊のように力なく落ちていった。
光を纏った艦載機は、もういなかった。浜岡が落としたものが最後の一機だったらしい。瑞鶴に合図を送って、駆け出す。ショウカクに近づくにつれて爆音も大きくなる。耳を潰されそうになりながらも、煙に向かって走った。ふと爆撃が止まる、翼が解ける―
「キィィィイイイイイイイイイイイイ‼‼‼‼‼‼‼‼」
鶴の鳴き声を十万倍したくらいの轟音が貫く。ショウカクの咆哮―浜岡は衝撃で倒れてしまう。直後、視界の真ん中に蒼ざめた瑞鶴が立ち尽くしていた。浜岡は混乱する。
「ッガァアア⁉」
背筋を激痛が走り、やっと状況を把握する。
「浜岡さん‼」
大理石のような袖が、彼を羽交い絞めにしていた。
「クッ離せッ!」
闇雲に後ろを蹴るも、ビクともしない。それは正に彫刻―髪飾りを取ろうにも手が上がらない。
「うふふ♪つ・か・ま・え・た♪」
その声にうなじが凍り付く。視界の端から絹のような髪が靡き、甘くも危険すぎる香りに包まれた。瑞鶴が弓を落とす。
「あなたがこうする事くらい、予測はしていたわ。そうよね、この翼は『超高速再生できるクラッシャブルゾーン』、破壊できるわけがないもの。近接戦闘に持ち込んで私の角を引っこ抜くしかないわ…ってあら?シャンプーのいい香り」
「…………」
手も足も出せないのを嘲笑うように嗅いでいる。
「味も見ておこうかしら」
「ッ⁉……」
「それにしても、こんな小癪な作戦、頭が七面鳥の瑞鶴には考えられないわ…あなたが入れ知恵したのでしょ?(ギギギィイイ」
内臓ごと雑巾のように絞られる。首を絞められているわけでもないのに、頭に血が上る。スッと奴が頬を摺り寄せてきた。そして、わざと瑞鶴に聞こえるような声で、言う。
「そうでしょう?佐世保第203部隊の浜岡さん?」
「え…浜岡さんって…佐世保の…ウソ…なんでここに…」
彼女の反応を見た翔鶴がクスクスと嗤い始めた。
「面白いわ、実に面白いわ…このクソ提督‼そうやって艦娘を助けようと戦っていれば、あの日の罪滅ぼしができるとでも思って?」
そう言いながら、袖の下からもう一つの髪飾りを出す。朱色の鹿の角と紅白の菊の飾り―ショウカクと色違いのそれを、茫然とする瑞鶴に放り投げる。
「瑞鶴、あなたがこれを頭に刺せば、コイツの命は助けてやるわ。ほら、早く」
角の根元から長い針が生えていない。装着したと同時に、『挿入』されるのだろうか。
「やめろ瑞鶴!刺しちゃあいけない!」
うふふ♪あなたは何も守れやしないわ。しっかりその目に焼き付けなさい、瑞鶴の頭がウイルスに『犯されて』いくのを…うふふふふふふふ♪」
「ウイルス⁉」
首筋に刀が添えられる―日向の太刀だ。ショウカクの咆哮で倒れたときに、ついでに取り上げていたのだ。
「ダメだ!瑞鶴!まだ艦爆が残っているだろ!俺を構わずコイツごと吹き飛ばせ!中破させれば、まだ見込みはある!助けられる!」
「でも、貴方が…」
「俺の事はいいから早く攻撃するのだッ!」
「何を言っても無駄よ?」
冷たい声が制する。
「瑞鶴…いや、艦娘なら攻撃できない、提督だったあなたには分かるでしょう?」
その言葉で、大鳳との会話を思い出す。一方で、ショウカクの視線は、再び瑞鶴に向けられた。
「これを着ければ…浜岡さん、助かるの?」
「ええ、そうよ。私のかわいい瑞鶴。早く私の元へおいで?」
「……瑞鶴、待て。そして翔鶴、一つだけ、質問させてくれ」
翔鶴の髪が揺れる。少し黙ってから、また頬に顔を寄せてきた。
「なぁに?浜岡提督。未練がましいオトコは嫌われるわよ?」
「なあ、あの角…妖精の力を使わずに艤装が操作できるようにする物じゃあないのか?」
「ご名答♪この角で私は艤装を手足のように操れるの。だから私は艦娘を殺せるし、勿論、人間も殺せるわ。折角あなたが仕込んだ妖精さんも、角の力で消滅したわ、ふふふ♪」
「何ッ⁉」
「なんでそんな事するの!翔鶴姉!」
瑞鶴が叫ぶ。
「誰がそんなものを―」
「ふふ♪誰が作ったかなんて教えるワケないでしょう?でも、この角は艦娘に生きる意味を与えてくれるわ…」
「「生きる…意味?」」
「そう、この角は、私たち艦娘に『戦争ができる力』を与えて下さったの。この戦いが終われば、世界中戦争ができる艦娘たちが拡がって、七つの海が再び赤に染まる…そう!艦娘たちは本来の使命を取り戻すの!これは艦娘の解放なのよ‼」
「そいつは違うッ!」
絶叫していた。瑞鶴は髪飾りを持ったまま固まっていた。
「深海棲艦が世界を蹂躙していた時、艦娘は戦争がしたくて戦っていたのか?いいや、俺の部隊の奴等は、そうは言わなかった。あいつらは『命を護るために生まれ変わった』と言っていた。かの大戦で、罪なき数多の人命が戦果に焼かれた、その無念を抱いて―深海棲艦に勝つよりも、民衆を護る事を一番に考えていた。そうやって、彼奴等は背水の陣でも出撃していった。躊躇なく、だ。人々に降り注ぐ火の粉を一つでも減らすために、自らの生命を投げ打ったのだ。あれは…あの志は嘘だったというのかッ‼」
刹那、空気が凍り付いた。ショウカクの声が、零れる。
「だったら、今の艦娘たちは何のために生きているの?目標もなく、深海棲艦から人間たちを守る使命も無き今、艦娘はどうして生きているの?……教えてよ、浜岡提督」
「………」
ショウカクの青白い顔が覗き込む、それはどこか、あの時の軽空母龍驤に似た瞳をしていた。浜岡は答えられずに眼を逸らすと、今度は瑞鶴の視線を感じた。同じ目の色をしている。そして、零した。
「そうだよね、翔鶴姉。私も生きている理由が分からないよ。やっぱり艦娘は、戦場でしか生きられないのかもね。結局、戦争が終わったらお払い箱。挙句の果てに、人々にバケモノ扱いされて、何のために守った命だったんだろうって思う事もあった」
しかし、瑞鶴は少し顔を上げて、微笑んだ。
「でもね、翔鶴姉。この村で暮らしていて、一つ分かったことがあったの。それは、三度の飯が食べられて、眠れるベッドがあって、友達がいれば、それでいいじゃん、ってね。もう、艦娘としての私たちは、終戦の日に死んだんだよ。艦娘としての生き甲斐とか、もう要らないんだよ。だから―」
「お、おい⁉」
その髪飾りを、頭に―着けた。
「よくできました♪」
ねっとりと、冷たく聞こえる。
「ウゴォォオオオ⁉イグゥゥウウ!アダマオガジグナッデ⁉アギャァアアアアアア⁉⁉」
奇声を発して頭を掻きむしり、のたうち回る。見る見るうちに、髪が灰色から褐色に変わる。
「瑞鶴ッ‼」
「うふふふ♪よく見ておくのよ?」
目を逸らさないように顎を掴んで固定される。
「ウギィ⁉(ブシャァアアアアアア‼」
漆黒の翼が、瑞鶴の背中を突き破る。白の着物は血で紅に染まる。
ズイカクは四つん這いになり、むくりと立ち上がって、浜岡を睨む。
「ッ⁉」
その瞳は金色だった。ショウカクの純白の輝きを目に集約したような眩しさだった。歯が軋むほどに喰いしばり、睨んでいる。
「そ…そんな……」
「うっふふふふふふ♪」
ショウカクは手にしていた太刀を捨て、両腕で身体をしっかりと固定した。そして、顔だけを浜岡の肩に載せて、命令する。
「私の可愛いズイカク。先ずはこのクソ提督の首を跳ねて頂戴?」
「ッ⁉」
浜岡は必至にもがこうとするも、大理石のように硬く抱かれて逃げられない。その間に、ズイカクの片翼が狙いを定める。
「うふふ♪」
天使の微笑みを合図に、翼が射出される―。
(最早ここまでか―)
諦めて目を閉じる。
『…ダカラ…セメテ…平和ナ…日々ヲ…守ルンダ―ッ‼』
―翼は、浜岡を貫かなかった。
「…なん…で…わ……t」
機械のような声で呟きながら、拘束していた腕が抜けて、雪女が融けるかの如く崩れていく。
「え?」
浜岡が振り返ると、眉間に黒刃の刺さったショウカクが倒れていた。白目をむいて痙攣している。困惑のあまり思考停止するも、直ぐにうめき声が聞こえて我に返る。
「瑞鶴ッ!」
彼女はフラつきながら一所懸命に抗っていた。浜岡は駆け寄る。
「は…まお…か…ざ…ん…はや…ぐ…ッ‼」
ゾンビのようにしがみ付かれたので、そのまま髪飾りに手を掛ける。頭を抱えて、一思いに引き抜いた。
「アギャアアア⁉」
キヨシモの時と同じく、霧のように血を噴き出す。黒い翼は抜け落ちると、地面で硝子のように割れた。だが、二本の脚で踏ん張って、浜岡を払いのけ、ショウカクの元に歩み寄る。
「翔鶴姉…今…助けるからね」
ガクンと膝から崩れ落ちると、惰性でショウカクの髪飾りを掴み、抜いた。眉間に刺さっていたそれは、ズイカクの翼が取れたと同時に効果を失い、霞となって消えていた。
浜岡はもう一つ髪飾りを拾い上げると、懐にしまった。
「ぬんっ!」
二羽の鶴の腕を両肩に回して、立ち上がる。翔鶴も瑞鶴も気を失っているようだ。二人を抱えたまま、階段を下りて行った。
「もしもし?ダ~リン?」
「スズヤか、遅いぞ。任務に何時間かかったと思っている」
「そんなに怒らないで下さいよ、得物で遊んでいただけじゃないですか」
「はぁ、全く……では状況を報告してくれ」
「はぁ~い♥」
「本当に始末したのだろうな?」
「もちろん。ちゃ~んと、この三天三刀で殺りましたよ。わざと村長の車に跳ねられて、か弱きJKのフリをして、誘惑したらイチコロ―だと思ったんですけどね…」
「問題でも発生したのか?」
「ええ、用心棒に神州丸を連れていて、それがかなり手強かったのです。村長の落とすまであと一歩というところでその小娘に見抜かれまして、そのまま砲撃戦に―」
「スズヤよ…ああ、スズヤよ」
「はい…」
「この任務は隠密にやれと言ったはずだ。だからお前に託したのだ」
「申し訳…ございません、でも―」
「まあいい。公衆にバレたとして、オレが何とかする。その力が、オレにはある」
「流石、私のダ~リン♥」
「それで、神州丸と古山村長はどうした?」
「村長は串刺し、神州丸は『秘奥・三千世界』で消しました。今頃、銀河の彼方に―」
「それでいい」
「ねぇダ~リン、なんで村長を消さなければいけなかったのですか?」
「古山…いや、村長は自国の利益しか考えていない。視野が狭すぎるのだよ。今や全世界が艦娘の軍事利用化に尽力している中で、その考えはいつか通用しなくなる。だから―」
「だから?」
「オレが世界最強の艦隊を作る。そして世界を掌握し、この世の全ての戦争を我がものとする。ビジネスや宗教の戦争を超越し、艦娘によって新たな秩序を創る。そしてオレは―」
『新世界の管理者(ゴッド)になる』
「そこにシビれる!あこがれるゥ!その世界で、私はダ~リンと―」
「浮かれるな、スズヤよ。今が正念場なのだ」
「はい!」
「今から横須賀へ向かい、邪魔者を排除してくれ。他の最上型にも、そう伝えてある。首尾よく頼んだぞ」
「承知しました、ダ~リン。スズヤ、永久にお慕いしています。ふふふふ♥」
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10.Oasis
横須賀鎮守府第25航空戦隊の水上機母艦秋津洲は、潜水艦たちと仲が良い事で有名であった。潜水艦は、艦隊行動では水上艦娘たちと行動を共にするが、鎮守府では交流が少なく、同じ潜水艦だけで集まることが殆どであった。それは彼女たちが皆風変わりで関わりにくい、何を考えているのかよく分からない、という理由にあった。特に駆逐艦には、前世で潜水艦に撃沈された者も多いため、近寄りがたい印象が濃かった。
秋津洲も、初めは潜水艦たちを「変人」と称し、話し掛けることもなかった。そんな彼女が、出撃以外で初めて潜水艦と交流したのは、珍しく深夜の鎮守府バーに行った時であった。
その日、秋津洲は離島再攻略戦のために、中部北海域ピーコック島沖へ出撃した。しかし、敵本部隊手前の砲雷撃戦で秋津洲だけが大破してしまい、作戦は失敗、挙句に編成から外されしまった。非常に重要な作戦だったのもあり、提督から大目玉を食らい、他の艦娘たちからも「足手まとい」と罵声を浴びせられたのだった。
そんなことがあって、食堂に行くのも気まずくなり、一日中ひとり寮の自室に籠っていた。そして、不貞腐れているうちに眠ってしまい、目が覚めた頃には夜も更け切っていた。時計は2時を指していた。
「…散歩でもするかも」
消灯時間をとうに過ぎた真っ暗な廊下を通り抜け、二式大艇も連れずに鎮守府へとふらりふらりと歩いた。深夜まで執務をしている提督たちも寝静まっているのか、どの窓も真っ暗であった。季節外れのコオロギの鳴き声だけが、寂しげに木霊していた。
そんな中、ぼんやりと淡い灯りが目に入った。それは軽空母鳳翔が開いている居酒屋だった。秋津洲はカクテルやウイスキーに興味はなかったが、気が晴れるなら、と足を踏み入れた。
「いよっ!これはこれは秋津洲じゃな~い!ほら、一緒に飲んじゃお‼」
真っ先に秋津洲を見つけて手を振っているのは、伊号潜水艦の伊14だ。そうとう飲んだのか、顔を真っ赤にさせている。他にも潜水艦たちが顔を揃えて酒盛りに賑わっていた。
「あ、あはは、お邪魔するかも…」
苦笑いを浮かべながら、言われるがままお座敷に座らされた。直後、両脇から伊19と伊58が抱き付いてきた。
(うっ、酒臭いかも!)
酒の臭いがボワッと広がって咽そうになる。
「イクの~」
「でちぃ~」
ちゃぶ台には、空になった一升瓶や熱燗が隙間なく並んでいた。その数と潜水艦の人数を見比べて真っ青になる。
「あら、いらっしゃい。珍しいわね」
「ど、どうも」
暖簾の奥から割烹着姿の鳳翔さんが顔を出した。温かい笑顔に秋津洲の顔も少しほころんだ。
「ほっしょさーん!焼酎!」
「はいはいただいま。ほんと、呑兵衛さんたちなんだから」
クスッと笑うと、また暖簾の奥へ消えていった。
「浮かない顔してどうしたでち~?…ヒック」
「イクがお酒、補給してあげるのね~…うひぃ」
訳も分からず酒を流し込まれ、鼻を貫くような香りと焼けるほど強烈な喉越しに目を白黒させた。
「お、いけるじゃん!さあもう一杯!もう一杯!」
「え、ちょ、うおっp―」
すると、そこへ鳳翔が料理を持ってやって来た。
「これ、ほんの賄いなんだけれど、湯気が上がってるうちに、召し上がれ」
そう言って出されたのは、シンプルなチャーハンだった。
「あ、ありがとうございます。でも、なんで―」
「あなた、お夕飯食べてないでしょう?」
「流石お艦‼なんでも思通しなのね~」
秋津洲は鳳翔の心遣いに胸が熱くなるのを感じた。
(鳳翔さん、もしかして―)
れんげを取って、ひとくち、口に運んだ。それは紛れもなく、『おふくろの味』だった。勿論、艦娘に親という存在は無い。それでも、心で理解した。
「好き嫌いを知るのは…大切」
向かい側から声がした。目の前で、伊13が何食わぬ顔で熱燗を煽っていた。
「さあ、まだまだ飲むの~!」
再び酒を押し込まれたので聞き返す間もなかったが、恐らく潜水艦たちは知っているのだろう、と思った。しかし、誰もそれを話題にしないところに、彼女等の優しさを感じた。
潜水艦たちに寄って集って酒を飲まされ、秋津洲の目は虚ろになっていった。
「もう~真っ白のお顔がぁ~真っ赤になってるじゃなぁ~い(笑)」
「んん!あたひあつれしょうりゃないらも!」
「呂律が回ってないの~カワイイですって!」
その後の記憶は残っていない。陽炎によると重巡寮の鳥海の部屋に勝手に押し入って突っ伏してしまっていたらしい。潜水艦は艦娘の中でも大の酒豪で、酒となると理性を失う程だそうだ。
それ以来、秋津洲は潜水艦たちと飲みに行くようになり、すっかり良き友人となった。同時に彼女等の助言から対潜水艦戦術を編み出し、後に優秀な対戦要員として提督に認められた。
※
「これは酷いかも…」
秋津洲は血塗られた商店街に足を踏み入れた。レールガンのアカシを倒した後、二式大艇で村の入り口まで飛んで行くこともできたが、敵艦載機の的にされるリスクがあるので、歩いて行くことにしたのだ。
商店街は彼方此方が荒らされ、煙が上がり、辺りには艤装の破片が散らばっていた。艦娘や人間だったものも転がっていた。なぜ奴等がこのような事をしたのか、秋津洲には到底理解できない。
「近道だし、ここは我慢…するかも」
敢えて上を向いて足を速める。ビチャビチャという音が耳を抉り、硝煙と血の生臭い臭いが鼻を刺す。秋津洲は知らない間に歯軋りしていた。
“敵艦載機、一機ガ商店街に接近中”
空から見張っている大艇から無線が入った。秋津洲はまだアーケードの半分まで来ていた。運の悪いことに、左右に抜け道が無い。咄嗟に右手の花屋に飛び込んだ。数十秒の後、エンジンを響かせながら、秋津洲の目の前を左から右へすり抜けていった。昆虫のような保護色が役に立ったようだ。
直ぐに鉢植えの陰から確認する。機体は黄色いオーラを纏った艦上偵察機―彩雲だった。それは、両足を展開させると、数メートル先の道の中央に着陸した。
「ッ⁉」
秋津洲は奇妙な光景を目にした。彩雲の止まっている所だけ、地面が波打ち始め、水面に不時着した航空機のように、機体が地中に沈んでいったのだ。秋津洲は慌ててソナーを起動させる。
「これは―」
道路の下に何かがいる。ソナーのモニターには、はっきりと点が写っていた。それも、航空機よりも大きい。深度は約3メートルだ。
「潜水艦、見つけたかもッ⁉」
だが、その考えは直ぐに否定された。彩雲は艦上偵察機、潜水艦では運用できないからだ。
あたふたしているうちに、何かは動き出していた。モニターの点は、秋津洲が行こうとしていた方角に、ゆっくりとふら付きながら進んでいる。秋津洲は、気付かれないように、その後を追うことにした。
妖精がそれとの距離を伝えてくれるので、秋津洲は前方に集中する事が出来た。何かがいつ地上に跳び出してきてもいいように、グラップルを構えている。同時に、秋津洲はそれをどのように仕留めるか、知恵を練っていた。
(瑞雲…いや、地上だから無理かも)
他の水上機母艦とは違って、秋津洲にはカタパルトがない。水上機はクレーンで海上に設置して離水させていた。こうして見ると、千歳型や瑞穂と比べると、どうしても劣等感を感じてしまう。グラップルもアスファルトは貫けない上に、爆雷を地面で炸裂させても地下数メートルの敵に効果はない。自ら囮になって、足元が波打った時に爆雷を投げ込み、クレーンで離脱という方法もあるが、敵の正体が不明なまま実行するのはリスクが大きい。結局、様々な策を考えても、全て砂絵の如く一瞬でゴミ箱へ流されていった。
突然、それの速度が速くなった。ふら付いていたのが、ある一点を目指して直進する。その先を見て、秋津洲の目が見開かれる。何故、という顔になる。
「ポーラさん⁉」
イタリアの重巡洋艦、無類の酒好きで名高いポーラだ。地面に突っ伏しているので、生きているのか死んでいるのか分からない。片手には、まだ中身がたっぷり残ったワインボトルが握られている。秋津洲は必至にグラップルを射出した。
『ゴボボボ―』
ポーラが沈んでいく。一瞬だった。彼女を飲み込んだ地面は直ぐに硬化し、グラップルが激突して金属音を響かせた。
(遅かったかもッ‼)
悔しさに歯を食いしばっていると、また地面が波打った。すると、引きずり込まれたポーラが、ぽいと放り出された。秋津洲は口をぽかんと開ける。モニターの点は、先程のようにのらりくらりと進み始めた。
空かさずクレーンを伸ばして、その身体を持って来た。地中のそれは未だに気付いていないようだ。幸いなことに、ポーラはまだ息をしていた。傷一つ付いていない。泥酔したまま、その手はしっかりとボトルを握っている。安堵の溜め息をつくも、ここで違和感を覚えた。
「中身が無くなってるかも?」
ワインが、飲み干されていた。しかも、栓がきっちりと閉められている。
「敵の目的は、ワイン?」
そこで疑問が浮かんだ。なぜ、地中のそれはポーラを殺さなかったのか、彼女が中身の入ったワインボトルを所持していると分かったのか。空になったボトルを睨んでいると、ふいに横須賀鎮守府の潜水艦たちを思い出した。
潜水艦たちは皆、酒が大好きである。毎晩のように焼酎や日本酒、ビールを食らい、秋津洲も例の件以来、頻繁に飲み会に誘われた。そんな潜水艦たちが、毎月心待ちにしている日がある。これは秋津洲が伊168から聞いた話だが、対潜水艦レーダーの酒石酸はワインから抽出されており、その残りが破格で出回る時があるのだ。勿論、鳳翔の居酒屋にも抽出済みワインが卸され、潜水艦たちが総員突撃するのである。
「やっぱり、地中にいるのは潜水艦かも。だったら―」
秋津洲はポーラをそっと地面に下ろすと。ありったけのパワーでグラップルを発射する。それはソナーが指し示す地点をも飛び越え、ある店の前の柱に噛みついた。高速でリールを巻きとり、今度は秋津洲が宙を舞う。凄いスピードなので、着地はアクション映画のように地を滑った。そして店の看板を見上げる。
「ワイン専門店、サルーテッ!」
強引に戸を開け、無人の店に入る。取り敢えず手前にあるボトルが数本入った箱をグラップルに咥えさせた。それから、クレーンで箱を敵がいるのであろう所に設置する。
コトン、と瓶がぶつかり合う音がする。瞬間、箱の真下の地面が波打ち始めた。普通ならそのまま地中へ沈んでいくが、クレーンで持ち上げているのでそうならない。そして、少し箱の位置を上げた。
『ザバァッ‼』
碧色の何かが跳び出し、箱にしがみ付いた。
「フィッシングタイムかも‼」
グラップルをエイヤッと引き上げる。釣り上げられたのは、白いウエットスーツに碧色の瞳とロングヘア、同じ色の『角』―
「ッ‼」
放物線を描く少女の腹に、12.7サンチ連装高角砲を叩きこんだ。爆風でボトルが炸裂し、全身真っ赤に染められて落下した。
急いで駆け付けると、大破し角が砕け折れた少女が倒れていた。ワイン塗れの少女は、視界に秋津洲を捉えて、虚ろな目で満足げな表情を浮かべた。
「私は…止まらない…あんたが止まらなくても…あたしはあんたの先にいるんだから…」
譫言のように呟くと、スース―と寝息を立て始めた。
「これ、どうするかも?」
このままゼロ距離砲撃で葬ってやるのは容易い。しかし、何故か『無防備の敵にトドメを刺すのは卑怯だ』という感情が湧いて、後ろ髪を引っ張る。高角砲を向けたまま、暫く考え込む。
「深海棲艦だったら、簡単に殺れたのに…」
そう言って、秋津洲はしゃがむと、少女の両角を引っ張ってみた。『ズシュ…』と水っぽい音を立てて、それは簡単に抜けた。見ると、角はアイスピックのようなもので頭に刺さっていたようだ。一方で、少女はみるみる体が変化していった。秋津洲は眼前で起きていることが信じられず、あっと声を上げてしまう。
黒いショートボブ、ウエットスーツ、潜水艦、その少女はまるで―
「そんな所で、何してるんだ?」
驚いて振り返ると、三人の人影があった。一人は駆逐艦響、もう一人は空色の艦娘、そして青い迷彩服を纏った外国人だった。
「え、えっと、その」
おどおどしながら、秋津洲は幅の広い艤装で背後を隠した。
「ああ、知ってるさ、全て見ていたからな」
「その角で、艦娘たちが変貌しているみたいだね」
空色の艦娘が納得した顔で頷くと、秋津洲に手を差し伸べた。
「さあ、行こうか。その角、良かったら頂こう」
「は、はい…かも」
砕けた碧い角を渡すと、響と男は既に歩き始めていた。秋津洲は立ち上がって、空色の艦娘と共に商店街を歩いて行く。
小さくなっていく四人の陰を、薄く開かれた赤と青のオッドアイが、じっと見つめていた。
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11.黒鉄協会
マンションの地下駐車場―その一角にあるエレベーターには、長さ5センチ程の刺し傷が無数に付けられていた。ここには、ついさっきまで月のように白い刃が刺さっていたが、その主が力を失ったので、消失したのだ。
ボタンの上の数字が、最上階から一つずつカウントダウンを始める。やがてB1と表示されると、エレベーターは静かに開いた。淡い光の中から、両脇に五航戦を抱えた浜岡が現れる。
ゆっくりとタクシーの方へ向かうも、その足は途中で止まった。ここへ来たときにはなかった黒塗りのワーゲンバスが横付けされていた。ドアが開くと、黒と灰色の重厚な軍服に身を包んだ女性が降りてくる。
「Guten Abend. 凄い恰好ね」
「ビスマルク、何故ここに?」
「心配して来てあげたのよ、悪い?」
「いいや、別に…」
どうしてマンションにいると分かったのか気になったが、空母艦娘を二人も抱えているのが流石に辛くなってきた。
「とりあえず、この娘等を車に乗せていいか?」
「それなら私たちのワーゲンに乗せればいいじゃない」
パチンと指を鳴らすと、運転席から、大きなリボンを着けたブロンドヘアの少女が出てくる。ビスマルクとは違い、白と黒の軽そうな軍服を纏っていた。どう見ても運転免許を取れる年頃ではなさそうな幼い顔立ちと体躯をしているが、その鋭い眼差しは、幾度も戦場を潜り抜けてきたことを物語っていた。
「この娘も、やはり」
「ええ、日本でいう『艦娘』よ。そして私の優秀な部下、Nalvikよ」
紹介されて、少女は敬礼する。浜岡も反射的に敬礼してしまった。
(ナルヴィク…聞いたことのない名前だな)
疑問に思っていると、ビスマルクが話し掛ける。
「その娘たち、私たちが村の外まで送ってあげるわ」
ナルヴィックは浜岡に寄ると、やや強引に瑞鶴と翔鶴を預かって、軽々と担いで黒塗りの車に片付けてしまった。そのパワーに驚くも、少し異様なものを感じ取った。
気が付くと、ビスマルクは浜岡の顔をじっと見つめていた。
「それで、何か分かった事はあったかしら?」
その声は子供の自由研究を見守る親のようだった。
「ああ、奴等はこの村で仲間を増やそうとしているらしい―」
そこまで言って、ポケットにしまった二つの髪飾りを出して見せる。
「これを艦娘の頭に刺すと、洗脳して妖精の力を借りずに艤装を意のままに操れるようになるらしい。それによってリミッターが外れ、艦娘でありながら殺人マシーンになれるって話だ」
「ちゃんと回収していたのね。提督としては当然だけど…。それ、片方貰っていいかしら」
浜岡は髪飾りの赤い方―瑞鶴が着けたものを手渡した。また指を鳴らして、ナルヴィックを呼び出す。少女は受け取ると、彼女とドイツ語で言葉を交わし、敬礼して車に戻った。
「それで、翔鶴から何か聞いたの?なぜこの事件を起こすのかは訊いたでしょう?」
「そこだ…奴は確か『戦争できる艦娘が世界中に拡がって、艦娘が再び使命を取り戻す』とか言っていたな。それを『生きる意味』と言っていたが。私は断固としてそうは思わない」
「なるほどなるほど。それで、あなたは『艦娘の生き甲斐は戦うこと、と狂信している艦娘たちが、戦争を起こすためのテロを実行した』と考えているのかしら?」
「ああ。だから、次に狙われるのは恐らく自衛隊か在日米軍か…どちらにせよ、何とかしてこれを食い止めなければならない。しかし黒幕はこの角を作った艦娘だろうな。それは教えてくれなかったよ。この村に来ているかは知らないが、ソイツを止めない限り、艦娘を発端とする戦争が起きる」
ビスマルクは暫し煙草を灯すと、正面から浜岡の両肩に手を置いた。
「浅いわよ、あなた」
「え…?」
思わず拍子の抜けた声が出てしまった。彼女は生徒を諭す先生のような目で浜岡を見つめる。
「いい?あなた、大きな勘違いをしているわ。だからこのBismarckの見込みを教えてあげる。そもそも、艦娘が戦争したいと願っているのなら、なぜ真っ先にこの村を狙った?戦争沙汰にしたいのなら、最初に海外の軍事施設や都市部、何なら大統領を襲ったほうが効果的よ。何より、こんな秘境で、さらにあの日ともに深海棲艦と戦った仲間達を手にかける事があり得ないわ。艦娘ってねぇ、あなたが思うよりお互い深く繋がっているの。艦娘として生まれ変わるより遥か昔の記憶に、私達は強く縛られているのだから…」
確かに、美舩村を襲っても大きな戦争には発展しにくい。自衛隊や海外の軍隊にいる艦娘を狙った方が、世界を混乱に貶めやすい。
「そもそも、あなたは翔鶴の言ってる事が『真実』だと思うの?」
「だったらなんで―」
「私があなたならこう考えるわ。角の作者、つまり『人間』が私たちを真実から遠ざける為に、角で操って『デタラメを言わせた』、とね」
浜岡は耳を疑った。なぜ、人間が艦娘のために戦争を起こしてやるのか、分からなかった。
「戦争って金になるものよ?実際、この国は深海棲艦と戦っていた間、艦娘が少なかったり強い艦娘に邂逅していない国に、高額で艦娘を貸し出して何百兆も手に入れたわ。日本は『艦娘大国』と言われるくらい、様々な種類の艦娘が邂逅されたもの」
その話は浜岡も知っていた。「艦娘派遣協力費」や「艦娘研究開発費」という名目で、深海棲艦に沿岸まで侵略されていた国々は、仕方なくその金を払っていた。
「けれど、今やもう深海棲艦はいないわ。全滅したもの。さあ、そこで軍艦よりも遥かにコストの低い艦娘を、人間が『有効利用』しない手はなくって?…そうそう、あなたは知らないかもしれないけど…人間を攻撃できる艦娘の研究―つまり軍事利用化の研究は、世界中の艦娘保有国で何年も前から始められていたわ。特に日独伊はね。ここまで言ってもまだ分からないかしら?」
艦娘が必至で守ってきた人間に、バケモノだと恩を仇で返され、さらに彼女等が固く守り続けてきた信念をも踏み潰させられるとは―浜岡はいつの間にか、目を見開いていた
「結局、人間にとって、艦娘は終始『都合のいい奴隷』でしかなかったんだな」
彼の言葉に、彼女は溜め息を吐いた。それはどこか諦めの表情にも見える。そして、徐に重厚な軍服を、どこか虚ろな目で撫でた。
「私だって、そうよ」
いきなりの言葉に首を傾げる。車の窓から、少女が顔だけ出したが、直ぐに引っ込めた。
「………私は戦後、『黒鉄協会(Schwarzeseisen)』という軍事企業に移籍させられたの。そこで艤装の改造を受けて、彼奴等と同じように、人間を殺傷できる―戦争できるバケモノになったのよ。『深海棲艦と融合する』という、禁断の手段を使ってね」
「何だってッ⁉」
確認するように彼女を見回す。艤装も彼等のような禍々しい姿をしていない。
「私は、戦艦Bismarckと戦艦水鬼のハイブリッドよ。でも混ぜただけだと、深海棲艦の力が強すぎて、結果的にただの深海棲艦になってしまうわ―そこでこの特殊軍服が、私を深海棲艦になって暴走するのを、一歩手前で止めているの。つまり私は理性を保った深海棲艦という事になるわ………何が言いたいか、理解できたかしら?」
それを聞いて茫然と立ち尽くす他なかった。
「人間は欲望の為なら手段を択ばない生き物よ。金を得る為に、生き甲斐を失った艦娘を利用して戦争をさせるの。兎に角、その黒幕を叩かなければいけないわ。何はともあれ、しっかり調べてみましょう?」
彼女はほんの少し笑み、浜岡の肩を叩いた。
「そうそう、この村には弾薬庫や溶鉱炉、入渠ドックまであるらしいわ。いつ深海棲艦が復活してもいいように準備していたのか、それとも―」
「ああ。考えたくはないが―」
「あなた、さっき言った役場には行ったのかしら?」
「いや、まだだ」
「そう。なら先にそこへ立ち寄ってから、黒幕を探しなさい。私の予想通りそれが人間だったら……………あなただけで倒すのよ」
お互いの顔が険しくなる。
「もしそうだとしたら、普通の艦娘は手も足も出せない………覚悟が要るな」
ビスマルクは深く頷いた。
「Auf jeden Regen folgt auch Sonnenschein. 明けない夜はないわ。では武運長久を、Auf Wiedersehen.」
そう言ってドアを閉めようとする。しかし浜岡が制止した。
「一つ、訊かせてくれ」
「…何かしら?」
「君は命令されれば…今まで守っていた人々を…その砲で葬るのか?」
「………………………………………艦娘は人間に逆らえない、今までも、これからも…」
それだけ言い残して、ドアを閉める。軽く手を挙げると、少女はワーゲンを発進させた。外の街灯に照らされたそれは、低く唸りながら小さくなっていった。
浜岡はタクシーに乗り込むと、翔鶴を乗っ取っていた髪飾りを見る。それ助手席に置くと、エンジンを回して勢いよく飛び出した。
(村長、無事だといいのだが…)
静になった通りを、浜岡は一人、翔け抜けて行く。車内には、ラベンダーの香りが漂っていた。
美船村役場―施設にしては小さい二階建てで、旧帝国海軍を彷彿とさせる赤煉瓦で造られた建物だ。屋上には特徴的なパラボラアンテナが設置されている。此処では、鎮守府の任務受付嬢だった大淀を含む少数の艦娘が務めており、美舩村の管理を行っていた。また、ここは、この村の住人で唯一の人間である村長の住居でもある。
灯りの消えた村役場に、浜岡は車を止める。降りて役場を見上げて、絶句した。
(敵が、此処まで来ているッ⁉)
役場の二階の一部が無くなっている。それは、艦娘の砲撃、艦載機の爆撃では到底実現できないような力で、強引に抉り取られていた。断面の煉瓦は高熱で溶けて、それが付き抜けて行ったであろう方向に氷柱となって伸びている。何か電子機器が設置されていたのか、時折パチパチと音を立てて火花が散らせた。
「本当に生存者なんているのか?」
帯刀したまま懐中電灯を片手に、独り言を呟きながら扉を開ける。まず、古い学校のように左右に、事務室があった。覗いてみると、教室のように椅子と机が並び、黒板まであるのが分かる。廊下を進んで正面の柱に、案内板があった。照らして文字列を上から順に確かめて行く。
〝…会議室…一階東………………村長室…二階〟
階段を上がって直ぐ、『村長執務室』と書かれた両開きの扉を見つける。開けてみると、懐かしい光景が拡がっていた。
「鎮守府の執務室か」
広い部屋の真ん中に、金縁に深紅の布が掛けられた机と椅子がある。壁には本棚があり、烈風のポスターが飾られている。
争った形跡も無く、村長たちは既に避難したようだ。ふと机の上のパソコンに目がいく。
「………………」
画面はまだ点いたままで、何か文章が表示されている。メールのようだ。椅子に腰かけて見る。
“カチューシャの配布完了を確認。1500に計画を実行して下さい 美舩村村長”
メールの送信先を確認する。そこには『レッドアジュア 上須賀司令』と記されていた。
「待てよ……つまり、村長は、迫害された艦娘たちを救う為じゃあなく、多くの艦娘を感染させて、戦争させて金を儲ける為にこの村を作ったのかッ⁉……艦娘たちは、何も知らずに―‼」
これで黒幕は『人間』であるとハッキリした。Bismarckの言っていた事が日本でも起きようとしているのだ。さらに浜岡は怒りで手が震えていることに気付いた。
何か他に手掛かりがないか、とパソコンを操作しようとすると、画面が消えた。バッテリーが切れたのだ。
「クソッ」
パソコン乱暴に閉じる。証拠になりそうなので、浜岡はそれを持って行くことにした。
役場を出て、証拠品をタクシーのトランクにしまう。その時だった。
『パチパチパチ』
拍手の音にギョっとして振り向く。そこには一人の男がいた。
漆黒のロングコートに鉄黒のブーツ、相反して顔ぼんやりと白く、昆布のような長い若紫色の前髪が垂れて揺らめいていた。目は深海棲艦のように紫色に光っている。
「役場を調べるとは、いいセンスだな」
見た目の割には低すぎる声で言うと、口端を上げた。
「誰だッ!」
その殺気に満ちた瞳から、逃げ遅れた人ではないことぐらい直ぐに分かった。だとすれば―
「私はレッドアジュア艦隊司令、上須賀だ。久しぶりだな、浜岡櫂元中将」
その名前に、メールの発信者を思い出す。しかし、『久しぶりだな』という言葉に引っ掛かった。
「―なぜ俺の事を知っている」
すると、上須賀はクスッと笑った。
「ああ、直接会った事はなかったな…しかし、貴様には実験でかなり世話になった」
意味が分からず首を傾げる。それを無視して、ゆっくりと歩き始めた。
「オレは長年、深海棲艦の研究をしていた―」
※
浜岡の艦隊が全滅した翌日―。
パラオのとある鎮守府の執務室で、元帥らしい中年の男と、白衣を着た若い化学者が会談をしていた。するとそこに中将と見られる初老の男が電話を持って入ってきた。
「元帥殿、呉から連絡がありました。第203部隊は全滅しました」
「うむ。流石だ。引き続き呉からの連絡を待て」
「はッ。元帥殿」
初老の男は、一礼すると執務室を出て行った。
「さて、上須賀君。君の実験は大成功だ。よくやってくれた」
「お褒め戴き光栄です、古山元帥」
上須賀と呼ばれるその化学者が頭を垂れた。
「それにしても、日本は艦娘に恵まれていると思わんかね?」
そう言って元帥は葉巻に火をつけた。
「不思議なことに、艦娘は世界で最初に日本に現れ、艦種も一番豊富だ。その上、工廠の技術も世界トップクラスだ。それに、大和や赤城といった強力な艦娘も多くいる。海外でも戦艦や空母の艦娘は発見されてはいるが、殆どが駆逐艦で戦力も弱い。姫級や鬼級といった奴らには歯が立たなかった…」
葉巻で一服すると、話を続けた。
「そこで政府は艦娘の海外派遣を実施、見返りに『艦娘派遣協力費』や『艦娘研究開発費』と称して多額の金を請求した。私はあの政策を素晴らしいと評価するねぇ。深海棲艦に困窮していたアジアや欧州、アフリカ、オセアニア諸国は喜んで金を払った…」
元帥はまた一服した。
「大国どもは頑なに拒んでいたがねえ、それであのザマだ。ロシアは漁業が完全に廃れ、アメリカなんて内陸ですら旅客機を飛ばせられないそうじゃあないか。軍も手を出せずに、指をくわえて見ているだけだ。最近では陸上型の深海棲艦まで発生して、油田やらを占領しているんだって?」
「はい、左様でございます」
「ロシアもそろそろ、日本に艦娘派遣要請をしようかと考えているそうだ。一部の噂では、数千億で艦娘を購入とするとまで言われているじゃあないか」
ふぅーっ、と煙を吐くと、新海に向き直った。
「だからだよ上須賀君。深海棲艦というものはだね、大金の巾着袋なのだよ。そう簡単に全滅されては困るのだ。浜岡君のような、一騎当千の艦娘が何人も集まる艦隊には消えてもらわねばならん―分かるかね?」
彼はニヤリと笑った
「はい。この戦争はビジネス、そう捉えております。深海棲艦によって、この国はますます豊かになるでしょう」
その言葉に、元帥は満面の笑みで、深く頷く。
「そこで上須賀君。私は君を選んだのだ。今回の実験で、この判断は正しかったと確信している
よ」
「ありがたきお言葉、感謝致します。深海棲艦を研究する者としてこれほど嬉しい事はございません」
「君が深海棲艦を操る装置を開発したと聞いた時には耳を疑ってしまったよ」
「はい。操る…というより、艦隊を丸ごと『乗っ取った』のでございます」
「そうかそうか。私は深海棲艦や艦娘自体についてはよく分からんが、これからも期待しているよ?上須賀君」
葉巻を吸い終えると、元帥は新海の肩をポンと叩いて部屋を後にした。
※
「じゃ、じゃあ、佐世保事件は…海軍が…今度は…艦娘を操って…戦争をするのか?」
それを聞いて上須賀は鼻で嗤った。
「いいや、今起きていることに海軍は無関係だ。全てはオレ自身のためだ」
浜岡は、その手にハンドガンを構えていた。冷静さを完全に失っていた。
「艦娘は、人命を護るために命を捨てて戦ったんだ―深海棲艦に勝つより、一人でも多くの民衆を救う為に…それを…テメェは…テメェは…ふ…ふざけんじゃあねェェェェー!」
絶叫して引き金を引く。
「ッ⁉」
消えた。見回すも、どこにもいない。
「ここだよ」
ハッとして見上げる。上須賀は信号機の上にいた。
「貴様は、この世界を見届けたいかね?」
見下ろして、不敵に笑う。浜岡は直ぐに銃を構えて撃つ。だが、上須賀は地面に瞬間移動する。
『パン、パン、パン、パン』
また瞬間移動でかわされる。それは人間業ではあり得ない芸当に、浜岡は冷静さを失い恐怖に支配されていた。とうとう弾切れしてしまう。
視界から上須賀が消える、上にも、左右にもいない。
(つまり、背後ッ‼)
日向の太刀、その柄に手を添える。
『絶対に人は斬ってくれるなよ?こいつに人間の血を味あわせたくないからな』
日向の言葉が聞こえ、一弾指遅れた。
『ズシャァアアアアア‼』
勢い良く、貫かれた。腹部から、血塗られた小さな『錨』が突き出ている。
「血とは、魂だ」
耳元で冷たい声が囁いた。
「これは、とある艦娘の錨だ。そいつの魂を今、深海棲艦の持つウイルス―『Abyss Virus』によって貴様に注入した。たいていの人間は、このウイルスに耐えられず、生きる屍となる。しかし、適応すれば―」
上須賀は「フッ」と笑った。
「貴様も、オレの研究の実験台だ。アイツ等と同じように、な…。さて、あまり時間がないので、この辺にさせてもらうよ」
背中を小突かれ、浜岡はセミの抜け殻のように倒れた。
雨の中、道路の真ん中で、男が倒れていた。背中からは鋼鉄の『錨』が突き出ており、街灯の灯りを反射して光っていた……そこに、一本の腕が伸ばされた。
「……………」
黒い人影は、男の身体をひょいと抱え上げると、傍にあったタクシーの後部座席に寝かせた。
「……………」
他にも人影が現れ、男の持ち物を拾い上げて、皆それに乗り込む。
「……………」
やがて、タクシーはゆっくりと走り去った。雨音だけが、静かに路面に響いていた。
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12.北の国から
“浜風も私も、高角砲は撃ち尽くしてしまった…すまない、雷撃に専念する”
“対空はうちに任しとき!飛んでくる艦載機、全部撃ち落したるけん!”
“私達もまだ水戦があります!強風改、発k―⁉(ドゴォ!ズゴンドゴンゴバァッ‼”
“ちくま⁉ちくまー‼”
「利根!駆け寄ったら危ないd―」
『ゴォオオオオ‼』
“なんじゃt―”
『ゴババババ!』
「利根ー‼」
“………クソッ、破片すら残ってないとは―!”
「…敵の遠距離砲火、精度が高すぎるネー!」
“新しい装備かもしれませんね…しかし負けるわけにはいきません!”
“雪風、最後まで、絶対、お守りいたします!”
“ああ、そうだ、守らねばな!戦艦長門、主砲一斉s”
“危ないっ―”
『パァンッ‼』
“““浦風‼”””
“……グッ…ガハッ…こりゃ、もうどうにもならんのぉ…みんな、早く…務めを…”
“ダメです!浦風は逃げてください!先に逝ったら…また先に逝ったら許しませんから!”
“…分かった、うちは引き返して、増援を見つけたら呼んでくるけぇ…後は頼んだで”
“ああ、浦風こそ、頼んだぞ”
“フ…対空無しの砲撃戦(殴り合い)…最高に燃えるじゃあないか、なあ!金剛!”
「Yes!! 二発被雷したくらいじゃNo problemネー!Fire~!」
“雪風!まだまだいけます!魚雷一斉s”
『ピキンッ』
「ッー⁉」
““金剛⁉〟〟
『ドゴォォオオォォ!』
「………HAHAHA…三度目の正直ネー…長門、雪風、どうか武運長久を―』
“金剛‼金剛ォォオオオオオオオオオオ‼‼‼‼‼‼‼…………」
「……提督…皆…どうか人々を守りきって…私…ヴァルハラから見ているネ………」
浜岡の視界には、白い天井が広がっていた。ほのかに甘い香りがする。
(ここは、どこだ?)
何か夢を見ていた気がする。壁に掛けられた時計は、既に深夜一時を回っていた。これまでに起きた出来事を思い出そうとすると、頭に痛みが走った。
「Привет! 目が覚めたようだね」
「ッ⁉(ガコッ」
驚いて振り向いた勢いで転げ落ちる。そこで、自分がソファに寝かされていたことが分かった。
「あはっ、ごめんごめん。驚かせちゃった?」
「え?ああ、大丈夫だ」
声の主を見ると、冬でもないのに空色のマントに身を包んだ少女が見降ろしていた。
「あ!目が覚めたかも⁉良かった!ホントに良かった!」
今度は白と青磁色の服が特徴的な艦娘―秋津洲が駆け寄ってきた。
「おじさん、道路で刺されて、血塗れで倒れてたかも‼」
それを聞いてハッとする。
(錨のようなもので刺されて、そのまま―誰に刺されたんだ?……クソ、思い出せないッ)
しかし、刺された所を触っても痛みを感じない。下を見ると、腹に包帯が巻いてあり、今更ながら、なぜか自分の軍服が掛けられているのに気付いた。
「傷はもう大丈夫?…良かったかも‼」
泣いて喜ぶ秋津洲に苦笑いすると、彼女の肩を持って尋ねる。
「ところで、ここはどこだ?」
「美舩村のホテルだ」
ハスキーボイスの男声に振り返ると、筋肉隆々で青い迷彩服を着た白人が手を差し伸べていた。銀髪のオールバックが渋い伊達男を演出している。
「オレはロシア海軍レニングラード艦娘部隊総司令、НиколайВиктор(ニコライ・ヴィクトール)だ。貴様の服が赤く染まっていたのでな…お前の車のトランクからそれを見つけ出した」
「ああ、すまない。そういえば、俺の車は―」
「大丈夫だ、此処の脇道に止めてあるよ。浜岡櫂中将」
「?…ああ、ありがとう」
そう言って、彼の手を取り立ち上がった。
「あぁもう!早く起きてくれないから、せっかくのブリヌイが冷めちゃったじゃないかぁ」
向こうから、空色の少女の不満げな声が聞こえてくる。
「アイツは嚮導駆逐艦Ташкент(タシュケント)だ。『空色の駆逐艦』の異名を持っている武勲艦だ。ロシア人なら知らない奴はいない」
「隣にいるのは、駆逐艦響だな」
「確かに響だが、今はВерный(ヴェールヌイ)として活躍している。いわゆる『改二』ってヤツだ」
すると名前を呼ばれたと思って、白い少女が彼の傍にやってきた。見た目は響と同じだが、帽子にはクレムリンの赤い星が輝いていた。
「司令官、私の名前は『Декабрист(デカブリスト)』だと何度言えば分かってくれるのさ…あ、浜岡さんだっけ、お茶が入ったよ。不死鳥の秘密は、適度な休憩にもあるんだよ」
テーブルに案内されると、ブリヌイと、ロシアンティーが用意されていた。甘い香りに浜岡の食欲がそそられる。それを皆で囲むと、束の間のティータイムが始まった。
「甘くていいにおーい!紅茶、どんな感じかな?」
そう言って秋津洲がジャムを紅茶に流し込もうとした。
「ちょっと待つネー!」
視線が一斉に浜岡に向けられる。一拍置いて、浜岡は自分の口から発せられたのだと自覚した。
「ロシアンティーはジャムを舐めながら頂きマース。混ぜちゃNoooooなんだからネー?」
慌てて口を抑えるが、完全に遅かった。
「そ、その通りだ。詳しいね。もしかしてロシアに行った事とかあるのかい?」
「というよりも、口調が変だぞ。熱でもあるんじゃないのか?」
「……きっと出血が酷すぎて、頭おかしくなっちゃったんだ……ひ、ひっぐ…」
秋津洲がわんわん泣き始めたので必至に宥める。それと同時に困惑していた。
(なぜ俺がロシアンティーの飲み方を知っているのだろうか…心当たりが、微塵もない…)
なんとか彼女を落ち着かせて、ロシアンティーを飲んでみる。
(あ、おいしい…)
何か洋酒が入っている気もしたが、ジャムとの相性も抜群だった。ブリヌイも小腹を満たしてくれた。
ヴェールヌイは一足先にティータイムを終えると、部屋の奥へと消えていった。
「あ、そういえば浜岡さん、あの刀は伊勢型のものかい?」
タシュケントの指さす方を見ると、ベッドの上に日向の太刀が置かれていた。
「そうだ。本人から、借りたんだ」
その刀を見て、あの時の日向を思い出す。大破しようとも、人々を避難させるために盾となった姿を―。
「ところで浜岡さん、さっき応急処置した時に君のパソコンを見つけたけど…残念ながら叩き割られてね。Декабристがさっきデータを復元しに行ったよ」
「そうだったのか。あれ、実は村長のものなんだが…色々ありがとう」
「そうだったんだ。まあ、どうってことないよ」
手をひらひらと振って、タシュケントは笑ってみせた。
「それと、面白い物を見つけたんだけど、これは何かな?」
「それは―」
ニヤリとしたタシュケントの右手には、鹿の角と紅白の菊の髪飾りが握られていた。
「おっと、動くなよ」
ニコライが銃を突き付ける。タシュケントが秋津洲の口を塞いだ。
「君が眠っている間に色々調べさせてもらったよ。佐世保で精強な艦隊を率いる提督だったそうだな。自分の艦隊が全滅するのと引き換えに深海棲艦の襲撃を止めたが、鎮守府を追い出されたとか…。携帯からなはぜか『Schwarzeseisen』のBismarckとアドレス交換した記録がある。これはさっき登録したものらしいから関連性は薄いが―」
「…疑っているのか?」
「そうだ。これは白い翼の生えた艦娘―空母ショウカクのものだろう。何故貴様が持っている?」
「何故知っているんだ?それがショウカクの角だと」
「オレたちで一戦交えたからさ。全く歯が立たなかったからよく覚えている」
銃口が深く押し当てられる。引き金を握る手から、強い殺気を感じた。
(此奴、マジに殺る気だッ。そのトリガーを躊躇なく引ける覚悟を感じるッ‼)
部屋に時計の針が刻む音だけが木霊する。ティータイムは尋問に変わっていた。
「さあ、答えろ。君はこの件の首謀者なのか?」
「いいや、偶然巻き込まれただけだ」
「ほう?…ならあの角はどう説明するんだ?まさか貴様が素手で奴らを倒したのか?たった一人で」
「いいや、瑞鶴と共闘した」
「その瑞鶴はどこだ?」
「角を抜かれて気絶した翔鶴と、そのBismarckとで村から脱出した」
「証拠がないな。しかもあの天使のような翼で戦う翔鶴を倒しただって?信用できんな」
タシュケントが秋津洲の眼を伏せた。
(マズイ、殺られるッー!)
浜岡が体術で払いのけようとする―が、その必要はなかった。タシュケントの無線機から通知音が鳴ったからだ。ニコライがハンドサインを出したので、通信に出る。
「何かな、ペッペ。今お取込み中なんだけど」
“司令が全然電話に出てくれねェじゃんか!どういうことだよォ!”
「…同志、また電源切ったでしょ」
無言で、彼はアイテムポーチからスマートフォンを取り出す。
「…悪い」
「はぁ…それで、どうしたんだい?」
“よく分かんねェけど、CIAが司令官に大至急話したいって言ってたぜ”
「CIA!?……分かった。伝えておく。以上」
その名称に銃口を向けたまま眉を顰める。無線を切って少しすると着信音が鳴った。浜岡に付きつけた得物を微塵も動かさずに電話に出た。
「もしもし、レニングラード艦隊司令だ…ああ、そうだ。CIAがオレに何の用だ?……なぜお前らがそれを知っている⁉……そうか………ああ…チッ、分かった」
怪訝そうに通話を切ると、タシュケントが透かさず尋ねる。
「同志、今の電話は?」
「忌々しいCIAが『浜岡は無関係。手を出すな』だとよ。フン、アンクルサムが偉そうに…」
「この人、白だよ」
ヴェールヌイが唐突に口を挟む。
「なぜ分かるんだい?」
空色の駆逐艦にそう訊かれると、パソコン画面を指さした。
「パソコンのデータを解析をしたけれど、浜岡さんが言っていた通り、村長のパソコンだった。メールを確認したけれど………聞いて驚くなかれ」
ニコライたちが息を飲む。浜岡は黙っていた。
「黒幕は、美舩村村長と、レッドアジュアという組織のレイモンド上須賀という男だけみたいだ。ちなみに、彼等の予定では、今頃は横須賀にいると考えられるよ」
浜岡はその名前を聞いてハッとする。
「そいつだ!そいつが俺を刺したんだ」
「これのことかい?」
タシュケントが懐から小さな『錨』を出して見せたので、頷いた。
「そうか…」
やっとニコライがやっと銃口を下した。鼻を鳴らして得物をしまう。
「助かったな、японец(日本人)」
「全く、額で煙草を吸うところだったじゃあないか…」
「ハッ、しかし、髪飾りは没収だからな。Верный、今度はそれを調べろ」
「了解、同志」
命令された少女は、手慣れた様子でそれを解体し始めた。
鹿の角の装飾と脳に刺す針は直結しており、角を開くとデータキーが出てきた。秋津洲が覗き込む。
「これ、何かも?」
「USBのようだね。美舩村の艦娘を乗っ取っていたみたいだ。同志Гангут(ガングート)がいれば、これくらいの仕事、秒殺なんだけれど…」
「ガングート?」
「うん、戦艦だよ。一緒に来る予定だったんだけど、任務が入っちゃってね」
「全く、とんだ観艦式だぜ」
ニコライは徐にスキットルを取り出すと一気に飲み干した。浜岡が声を掛ける。
「あの―」
「なんだ?」
「君は、此処に観光で来たのか?」
「ああ、Верныйが、久しぶりに戦友に会いたいと言ってな。まさかこんなことになるとは」
彼女はタシュケントと髪飾りの解析を進めていた。
角の分析が終わったのか、ロシア艦娘たちは再び組み立てたそれをニコライに手渡した。二人の顔は険しい。
「何か分かったか?」
「同志、ちょっとヤバいよ、これ」
「深海棲艦の姫級のデータが入っていた」
「やはりか…Schwarzeseisenと同じじゃあないか」
「かもしれない」
部屋の空気が重くなった。ビスマルクたちと同じように、深海棲艦化することで妖精によるリミッターを解いていたのだ。
浜岡は時計を一瞥して、落ち着きなさそうに立った。
「俺は横須賀に向かおうと思う。君たちは、これからどうするんだ?」
彼等は驚いた顔で静止した。
「オイオイ、正気か?相手は艦娘だぜ?いくら命があっても足りやしねェよ」
「それでも、だ」
何か言おうとする彼をタシュケントが右手で制した。
「君、何か理由があるようだね」
「俺はただ、人を護る存在だった艦娘が、人を殺める存在になろうとしているのを黙って見ていられない。それに―」
「それに?」
「『佐世保事件』の犯人は、上須賀だった。彼奴が、深海棲艦を操っていたらしい」
全員が目を丸くする。
「本当なのか⁉」
「本当だ、直接、聞いた。戦争特需の為に、戦争を長引かせようとしていたんだ。それで、精強な俺の艦隊が目障りだったらしい」
「上須賀は海軍の人間だったのか⁉」
「らしいね」
すると、背後からヴェールヌイが顔を出した。
「その時、出撃命令を出したのは君なのかい?」
「いいや、それどころか、俺は一時撤退を命令した。応援を呼んで、体勢を立て直してから、確実に深海棲艦たちを殲滅するつもりだったんだ。けれども、皆反対した。深海棲艦に勝つためではなく、民衆を護るために戦うと言って、命令を押し切ってまで、全員出撃して行った。そして、誰も還ってこなかった…」
少女は暗い顔になるも、深く頷いた。そして司令官に向き直る。
「行かせてあげよう?」
「………………ったく、仕方ねえなァ。おい、Ташкент。あれを」
「分かったよ、同志」
タシュケントはタブレット端末を取って来て見せた。画面には横須賀の地図が表示され、丁度ヴェルニー公園の位置に赤いマーカーが点滅していた。隣でヴェールヌイがサムズアップしている。
「Молодец! 流石同志だ」
「この角は艦娘の意志を乗っ取る他に、アンテナの代わりにもなっていたみたいだ。こいつの発信源を辿って―ビンゴしたよ。やったね!」
横でニコライが誇らしげに腕を組んでいた。
「別に、オレたちは安全に此処から脱出できれば、どうだっていいんだぜ。でも、念の為に調べたんだよ。念の為に、な」
もっともらしく言うと、微笑んでタシュケントの頭を撫でた。空色の駆逐艦が赤くなる。
ヴェールヌイは上目遣いに、浜岡にハンドガンを手渡した。
「では、行こうか。『同志』」
「そうだな、響。あ、すまない」
「構わないよ。それじゃあ私も片づけを―」
「大変かも‼」
急に秋津洲が叫んだ。
「大艇ちゃんから連絡!敵艦隊、19隻!11時の方向約三キロより接近中!」
「クソ、居場所がバレたかッ‼」
「さっきの逆探知されたんじゃあないのか?」
「大いにあり得る」
「総員、撤退準備にかかれ。この村ともおさらばだ」
『『да(了解)!』』
空気が慌しくなる。艤装を背負う彼女達を見ていた彼は、ふいに浜岡に銃を差し出した。
「…何のつもりだ?」
「コイツは『対艦娘用(Anti-Ship-girl Weapon)』に改造された、M49(ASW)だ。そのハンドガンより、気休めにはなるだろう」
「対艦娘用⁉」
「ああ、ロシア海軍で全員に支給される代物だ。反逆やスパイ行為を働く艦娘を『狩る』ためのな」
「彼奴等は意志を乗っ取られているだけだろッ。撃ち殺すなんてとんでも―」
「勘違いするな、これは命令だ。自分の身くらい自分で守れ」
灰色の眼光が冷酷に光った。浜岡は仕方なく得物と弾のポーチを受け取った。後からヴェールヌイが付け加える。
「японец、ここは治安のいい日本の村じゃない、戦場さ。引き金を一瞬でも早く引けた者だけが生き残る世界だ。相手が艦娘だろうと、構わず撃て…でなきゃ、死ぬのは君だ」
その声はシベリアの風よりも冷たく、帽子の陰から見える水色の瞳は、浜岡を通してどこか彼方を見ているように感じられた。
「それに、オレはコイツの方が慣れている」
肩からスペツナズナイフを出すと、不敵な笑みを浮かべてスピンさせた。タシュケントは呆れ顔で溜め息をついていた。
「では行くとするか。日本の艦娘どもに、ロシアの力を見せてやれッ‼」
『『Урааа!』』
「秋津洲だって負けないかもッ!」
三人の艦娘が得物を高らかに掲げる。
「………………」
超特急で支度を済ませると、五人はそそくさと部屋を後にした。
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13.KAGEROU RAIDS
フロント脇の扉から、浜岡とニコライ、タシュケント、ヴェールヌイ、秋津洲が現れた。ロビーはがらんとしていて、古びた柱時計の振り子の音だけが聞こえた。
中央のシャンデリアの下に来たところで、ふいにタシュケントとヴェールヌイの足が止まる。ニコライも足を止め、浜岡の肩に手を置いた。何だろう、と顔を見つめると、ニコライは視線を動かすことなく、低く、呟いた。
「伏せろ」
浜岡は強引に肩を下に引かれる。困惑してしゃがんだ直後、駆逐艦の二人が左右に展開し、砲撃を始めた。突然の砲声に浜岡は耳を塞ぐ間も無く、鼓膜が破れそうになる。
「ふぇ⁉何かも⁉」
秋津洲は未だにあたふたしている。
「君も手伝え!」
言いながら、ヴェールヌイは売店に向かってミサイルを矢継ぎ早に放つ。商品棚が吹き飛び、煙に包まれていく。タシュケントはかがんで次弾装填していた。一方の秋津洲は、困惑して辺りを見回していると、視界の端のソファーから駆逐艦の連装砲が狙いを定めていた。
「ひえッ⁉」
咄嗟にグラップルを射出する。隠れていた何者かごとソファーを貫き飛ばした。直後、机の下やカーテンの隙間から弾幕が襲い掛かる。これをバク転で回避すると、空かさずクレーンを巻き戻し、進行方向斜めに射出しながら薙ぎ払う。リールが触手のようにしなって、重厚グラップルが弧を描いて加速する。あらゆるものを粉砕しながら、確実に彼等を叩き飛ばした。壁に打ち付けられる者もいれば、ボーリングの如く、カーテンに隠れていた者に衝突して、仲良く窓を割って飛んで行く者もいた。寸刻しかその姿を見ることしかできなかったが、全員鮮やかな浴衣を着ていて、手には小口径主砲、腰辺りに四連装魚雷を確認した。彼女等の頭には『角』が生えていた。
「хорошо!! 君のクレーンは最強だね。こっちも負けるもんかッ‼」
空色の主砲が再び火を噴いた。光線が柱や装飾品を貫き、爆ぜる。
この時、浜岡はニコライとしゃがみ歩きで玄関へ向かっていた。
「「ッ⁉」」
あと十歩のところで、目の前に何かが降って来た。着地したそれは、勝色と紅唐を基調とした忍装束の艦娘―頭巾はなく、代わりに黒い湾曲した『角』が生えていた。左腰に主砲、右腰に魚雷、両手にそれぞれ長さの違う短刀、とアンシンメトリーな出で立ちをしている。
「あれを使えッ!」
ニコライが叫ぶ。だが、浜岡は前に発射した。緋色の目が合う。
「お―⁉」
叫ぼうとして、止まる。ニコライは妙な光景を目の当たりにしたからだ。
異様な速度で懐に入り、寸秒の隙も無く両手の刀を叩き落とす、少女は次に砲撃しようとするが、右脚でそれを蹴ってキャンセルする、バランスが崩れ頭が下がったところで、両角を掴み、ズイと引き抜く、追い打ちをかけるように、左脚で胸部に蹴りを入れた。少女はくの字に折れてドアを破り、一直線に正面の建物にハリツケにされた。
それが三秒の内に行われた。ニコライは口を開けたまま茫然とした。背後でも敵が片付いたようで、砲声が止んだ。
「同志、終わったよ…って、どうしたの?」
「いや…なんでも」
心配するタシュケントの声に生返事する。一呼吸した浜岡が振り返った。
「すまない、無意識だったんだ。でも良かった、怪我はないか?」
ニコライは身震いして、無言で立ち上がった。
「みんな、見てくれ」
ヴェールヌイに呼ばれ、浜岡たちが駆け寄る。そして、彼女が指さしたものを見た。
「こいつは、雪風?」
「見て見て、あっちは浦風かも!」
インテリアの破片に塗れて、陽炎型駆逐艦の浜風と浦風が伸びていた。
「浜岡、奴等は『角』を抜かれると、元の姿に戻るんだぜ」
「知っている。翔鶴や清霜の時もそうだった」
「そうだったな」
その声に疑いの念はなかった。部屋で詰問された時とまるで様子が違うので、浜岡は少し訝しんだ。
『角』を回収し、気絶した彼女たちをロビーのカーペットに並べた。制服を着ていないので分かりづらいが、浜岡とヴェールヌイ、秋津洲には全員区別がついた。
「黒潮、雪風、浜風、浦風、磯風―」
「野分、谷風…この娘は…誰かも?」
「親潮だと思うよ」
「成程、全員陽炎型か」
ヴェールヌイは浜風と浦風を暫く凝視して、目を逸らした。
「同志Ташкент」
「なんだい?」
「大きいのは、いいことだな」
「?」
理解の追い付かないタシュケントを他所に、ヴェールヌイは深く頷いていた。
倒れているうちの一人、黒潮がむくりと起き上がった。浜岡を見つけると、睨んで叫ぶ。
「おう、そこのアンタ。さっきはようウチのこと吹っ飛ばしてくれたなァ!」
いきなり怒鳴られて、浜岡はたじろいだ。秋津洲も驚いて思わずグラップルを構えた。
「も、申し訳ない…。ん、なぜ覚えているんだ?」
「ああ、うん。意識はあってん。でも、操り人形にされてしもてて…抗えんかったんや。堪忍な」
そこへニコライが来て、彼女が着けていた漆黒い角を見せる。
「此奴を誰に貰ったか、覚えてねェか?あと、誰がお前を操っていたのかとか。何でも構わない、情報を出してくれ」
「それ、村長にもろたんや。カッコエエし付けてたんやけど、演習してたら急に頭痛くなってな。気ィ付いたらそのまんま操られてた。『角無シノ艦娘ヲ撃沈セヨ』とか『観客席ノ人間ヲ始末シロ』だとか命令が入って来て、身体が勝手に動いてしまうんや…。妖精も知らん間におらんくなってて、殺りとうないものを殺って、見とうないものを目に焼き付けさせられて―でも何でかしら、どんどんそれが正しい事のように思えてきて―」
「もういい、それ以上は言うな」
ヴェールヌイが強く制した。浜岡の顔は険しくなっていた。
黒潮は操られていた姉妹たちを眺めた。何かに感付いて、顔が強張り、みるみる青ざめる。浜岡に向き直って絶叫する。
「あかん‼はよ逃g―」
『バシュッ!』
ビクンッと痙攣し、白目をむいて動かなくなった。額のど真ん中から、つうと煙が上がっている。
「オイ!黒潮‼」
「クソッ!一体どうなって…」
その時、ふと正面の鏡を見た浜岡は、絶句した。
鏡の中、ニコライの背後に、白い角が生えたおかっぱ少女が立っていた。彼は黒潮たちを葬った犯人を捜して辺りを見回しているが、気付いていない。それどころか、明らかにそれが見えるところにいる秋津洲やタシュケントも、気付く素振りさえ見せない。浜岡はそれを伝えようと視線を移す。
(―いない⁉)
もう一度鏡を見る。やはり少女がいる。再びニコライに視線を移す―誰もいない。
(まさかアイツが黒潮を⁉)
またまた鏡を見る―少女が、ゆっくりと、彼の顳顬に砲門を付ける。
(艦娘が、人を、殺そうと、している―⁉)
咄嗟にポケットのM49を出して、振り返ろうとする―
『ドンッ』
それを構える寸前、音がした。間に合わなかった、と思った。しかし、何も起きていなかった。
「うわっ⁉」
秋津洲が脈絡なく跳び退いた。目の前に、喪服のような黒の着物を着たおかっぱの艦娘が倒れていた。それは鏡の中にいた少女だった。
「どうしたんだい秋津洲?」
「瞬きしたらそこにいたかも!」
「そんな馬鹿な…。でも確かに、こんなのいなかったよね」
すると、少女の目が開いた。角が刺さったままなので、タシュケントたちは警戒して武双を構える。彼女はムンクの叫びのような表情で。ガタガタ震えながら浜岡を指さす。
「こん…ご…う…」
それだけ言い残して、気を失ってしまった。ヴェールヌイが顎に手を当てて、浜岡の顔をじろじろ見る。
「これのどこが金剛なんだろうか」
「そうだね、せめてアークロイヤルだよね」
そう言って二人はクスクスと笑った。
「鬼の方の金剛かも?」
「絶対あり得ねェ、なあ、浜岡……浜岡?」
―真剣な顔で彼女を凝視していた。
「この艦娘は、ニコライ、さっきまで君のことを狙っていた。黒潮をやったのも、多分―」
「なんだって?」
「鏡にしか写らなかったんだ、コイツ」
「ハッ、そんな馬鹿な」
「それで、俺は何とかしようと、君がくれた得物を出そうとしたんだが…その前にやられていた………………………………誰がやったんだ?」
その疑問に、皆首を傾げた―ニコライを除いて。
「まさか、いや、もしかすると―」
「同志?」
「いや、気にするな」
手で払うと、訝しげな顔のまま立ち上がった。
「よし、こんな村、さっさとおさらばしようぜ!」
誰の返事も待たずに、先に外へ出て行ってしまったので、浜岡たちも急いで後を追った。
※
海底のような漆黒が広がる空の下、村の出口を目指して、碁盤の目を一台のタクシーは駆けて行く。
後部座席にはヴェールヌイと秋津洲、タシュケントは車体の上に乗っている。秋津洲は二人に挟まれ、先程から二式大艇からの報告を聞いて、浜岡に敵艦隊の位置を逐次伝えている。タシュケントは艤装を展開し、臨戦態勢に入っていた。錨の鎖が窓を通して座席に巻き付けているので、急カーブを切っても振り落とされないようになっている。そしてニコライ司令官は、助手席でバックミラーを凝視していた。
「それにしても厄介だな」
「やっぱ陸上はやりにくいね」
タシュケントもヴェールヌイも電探を装備している。しかし、アパートなどの遮蔽物のせいで、二人の電探は碌に機能していなかった。今はただ、二式大艇の航空偵察に頼る他ない。
車内を沈黙が支配していた。浜岡は、静かに秋津洲の伝言に耳を構えながらハンドルを握っている。敵はまだ美舩村に多く残っているらしく、二式大艇からの情報で右へ左へと迂回しながら行かなければならなかった。浜岡は彼等が村の外へ―市街地へ出て人々を襲撃していないことを願ったが、それは絶望的だった。山に近い方の道でさえも、建物や砲撃や爆撃で崩壊し、瓦礫が車道にまで散乱していた。更に、村の艦娘、逃げ遅れた人の車が炎上して道路を塞いだり、電柱が根元から折られて倒れていたりしていたので、浜岡はせわしなくハンドルを回していた。
「敵発見‼」
それは突然だった。タシュケントの電探に反応があったのだ。視界に何かが飛び込む。バックミラーに写りこんだそれは、浜岡もよく知っている艦娘だった。
「―島風?」
白いウサ耳少女が、彼女の象徴―連装砲ちゃんに跨って迫ってくる。だが、目の色が違った。
(コイツ、島風じゃあないッ!)
連装砲ちゃんは狂犬のような目つきで、下からロケットのように業火を射出していた。
「オイオイなんだよアレ⁉」
ニコライが絶叫する。車は時速80キロを超えていた。それでも付いて来る、距離を縮めて。
「敵か……やるしかないね。攻撃用意!行くよ!」
空色の艤装が狙いを定める。シマカゼの主砲は一向に上を向かない。
(なるほど、奴の狙いは『脚』だね…じっくり狙ってる暇はなさそうだッ!)
緋色の瞳がギラリと光った。130mm Б-13連装砲と12.7mm機銃をぶっ放す。真朱の弾幕が降り注ぐ。シマカゼは被弾しながらも右に交わす。連装砲ちゃんが頭を回転させる。
「させるかッ‼」
その凶悪な二つの顔面に銃弾を叩き込む―視界が奪われ、照準が合わせられない。
艦娘は妖精によって艤装を操作している。つまり、妖精は艦娘の『目』なのだ。それがない彼等はどのように照準を合わせるのか―人間的な部分、すなわち本体の目である。
弾幕を振り払おうと暴れまくる。タシュケントも揺れる車の上で必至に注ぎ込む。それでも光と光の僅かな隙間を頼りに、シマカゼは背後につこうとする。その度に砲撃で牽制した。
ウサ耳ロケットに追撃され続けて五分が過ぎようとしている。タクシーは未だに振り切れず、障害物を避けながら逃走していた。シマカゼと車の間隔は十メートル程度で、付かず離れずの攻防戦が続いていた。ニコライたちは、固唾を飲んでバックミラーを見つめている。浜岡には一瞥する余裕さえなかった。
「ッ⁉」
車が急カーブした。重心が崩れ弾道が逸れる。
(しまったッ⁉)
ウサ耳がコーナーを体を傾けて曲がる。目が合う―嗤っていた。それは運転席を狙っていた。タシュケントの時が止まる。
(一か八か―‼)
魚雷を投げた。それはほぼ本能的な動作だった。シマカゼはギョっとしてギリギリかわす。放たれた砲弾は黒いロシア帽を掠め、アパートの壁を貫いた。ウサ耳が舌打ちする。
“同志、機銃が残り少ない。早く決着を‼”
「ああ、分かってるさッ」
妖精の忠告に、タシュケントの額から汗が流れる。それでも追撃は止まらないので、機銃の豪雨を降らせる。主砲も命中させる。
(なぜだ、なぜまだくたばらないッ!)
数千発の銃弾と数百発砲弾を喰らわせた。ウサ耳少女と連装砲ちゃんは、身体じゅう穴と凹みだらけである。しかし、数千発の銃弾と数百発砲弾を喰らおうと、止まらない。離れない。
「これが…大和魂⁉」
血まみれの顔には、尚も殺気が燃え滾っていた。シマカゼが血にまみれた顔で、歯をギラつかせながら睨んだ。笑っている―タシュケントは恐怖を感じた。その時―
“機銃が尽きたぜ!同志!”
戦慄が走る。シマカゼは確実に狙うために、車の真後ろに付く。
「Урааа!」
砲弾を撃ち込む―避ける。魚雷を射出する―避ける。正に、兎の如く、であった。魚雷も撃ち尽くし、主砲も後一発のところで、攻撃を止めた。
「もう終わりかねッ?」
シマカゼが初めて口を開く。タシュケントは無言だった。連装砲に跨って、ゆっくりと、近づく。余裕の表情で、嗤う。
「では―」
『ッドン‼』
それは砲弾の音ではなかった。タシュケントが自らの艤装を、ありったけの力で叩いた音だった。空色の船体が砕ける。
『ゴパァッ‼』
水っぽい音を立てて、濡羽色の重油が噴き出す。それは風力によって飛ばされ、シマカゼたちに覆いかぶさった。ウサ耳は慌てて顔を拭う。だがその程度で拭いきれる量ではなかった。
「ロシア産の重油、しっかり味わいなッ!」
最後の一発が、発射された。シマカゼが業焔に包まれるのは、一瞬のことだった。
「ウゴワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼‼‼‼‼‼」
咆哮のような悲鳴を轟かせて、火達磨左右にはのたうち暴れる。直後、車は瓦礫を避ける為に角を曲がったが、シマカゼたちは前が見えなかったので、そのまま突っ込んで爆発した。
「ふう、危なかった」
安堵の溜息をついて、タシュケントはその場でへたり込む。
「お疲れ」
車内のヴェールヌイが無線で話しかける。
「спасибо. 敵もなかなかの奴だったよ」
「見張り、変わろうか?」
「いや、大丈夫だ」
浜岡が前方を指さした。美舩村と外をつなぐトンネルが口を開いている。
「おっと」
タシュケントは慌てて伏せる。頭があったところを、コンクリートが掻き消す。
タクシーは速度を落とさず、闇を突き進んで行った。
夜はまだ、明けない。
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14.吾妻島
箱崎半島を水路によって隔離して造られたこの島は、戦前から燃料弾薬貯蔵庫として利用され、約四〇基のタンクが設置されていた。そして、深海棲艦との戦争が終結すると、吾妻山を切り開いて、自衛隊隊員として残留した艦娘たちの寮が建設された。また、万が一、深海棲艦が復活した時に備え、小さな工廠や入渠ドックが漁に隣接している。当然、危険物が多くある為、現在でも関係者以外立ち入り禁止である。
トンネルを抜けると、美舩村の騒動をまるで知らない景色が広がっていた。車窓に見える木々の間から、ビル街の灯りが遠方に瞬いていた。
(艦娘が戦争に使われるようになれば―)
浜岡は目の前の夜景が戦火に染まる風景を想像していた。
村を抜け市街地に入ったので、偵察を二式大艇に任せ、とタシュケントは後部座席に移動していた。タクシーはあちこちが凹み、煤や飛散した重油のせいでスクラップのような見た目になっていたが、夜の闇がそれを上手く隠していた。
工作艦任務の経験もある秋津洲が、タシュケントの破損した艤装の応急処置を施している。と云っても、実際に作業しているのは艤装に搭乗する妖精たちで、秋津洲はタシュケントとその様子を眺めているだけだった。ニコライは先程から浜岡の隣で、何やらロシア語でせわしなく電話している。ヴェールヌイは頬杖をついて、すれ違う光を目で追っていた。
秋津洲は墨く汚れた艤装から、ふとヴェールヌイに目をやる。
「ヴェールヌイはどう思うかも?」
脈絡もなく投げられた質問に、振り向きながら首を傾げた。
「佐世保事件の話。あの場にいたら、出撃してたっぽい?」
「それは、民衆の為に、自己を犠牲にできるか、ってことか?」
「そうかも」
「勿論、そうするよ。周りの皆が、といワケじゃなくて、ね」
「今でもそうかも?」
「当り前さ。君はどうなんだい?」
そのやり取りを、浜岡は前を向いたまま、聞き耳を立てていた。あの日、彼の艦娘たちは、生きては還れないと分かっていながら、出撃を選択した。それも、一寸の迷いもなく、だ。
「秋津洲には、よく分からないかも」
「え?―」
思わず声を出してしまう。秋津洲は浜岡を一瞥して続ける。
「確かに、浜岡さんの艦娘たちの選択は正しいと思うかも。秋津洲も、あの頃はそう思って戦ってた。でも、今は―」
「違うのかい?」
「うん…ロシアはどうだったか知らないけど…ここでは戦後に、艦娘は人間たちに迫害されてた。秋津洲もそうだった。『バケモノ』扱いされて、いじめられてたかも。だから、美舩村に逃げてきた。だから―」
「だから?」
「人間に、命を捨ててまで護る価値があるかって訊かれると―素直に『はい』って、言えない」
その言葉に、浜岡は裏路地で出会った龍驤を思い出した。そして、純白の翼の空母を思い出した。
(命懸けで守ってきた人に石を投げられて、恨んでいただけなのか?)
髪飾りで操られていたとはいえ、浜岡はショウカクの言葉が、翔鶴の本音だったのでは、と考えてしまう。ヴェールヌイは、「そうか」と言ったきり、黙って窓の外を見ていた。
突然、前の車がブレーキを踏んだ。見上げるが、信号らしきものは見当たらない。
「ストップ」
ニコライが制したので、言われるまま車を止めた。
「オレたちはこのへんで引き上げるぜ」
前にいる車を確認する。黒い車に碧のナンバープレート―
「外ナンバーと⁉」
「迎えが来たようだ」
「トランクを開けてくれるかい?」
確かに、ニコライたちにとっては、美舩村―日本の艦娘の騒動は関係ない。寧ろ、管轄外の日本で、更に無断で艦娘を運用すること自体、あってはならないのだ。浜岡は引き留めることなく、ドアとトランクを開けた。ニコライが先に降りると、タシュケントとヴェールヌイも降りる準備を始める。ロシア語で電話していた内容とは、多分これだったのだろう。
「それじゃあ、浜岡さん。秋津洲もありがとう」
「ああ、気を付けてな」
「またね!」
「では、До свидания…」
ヴェールヌイがドアを閉めると、入れ違いにニコライが窓を叩いた。
「なんだ?」
「お前に貸したM49、そのまま持って行け。返すときはこれで頼む」
そう言って一枚のメモを渡す。そこには電話番号が走り書きされていた。
「絶対に無くすなよ。それと―死ぬんじゃねえぞ」
「そうだな、約束だ」
ニコライは敬礼して車に乗りこんだ。黒塗りの車はハザードを切ると、足早に走り去って行った。
「秋津洲、君は、どうする」
バックミラー越しに、秋津洲に問う。
「俺は付いて来いとは言わないし、願いもしない。横須賀は今頃、地獄絵図になっているだろう。特に、艦娘たちがいるらしい基地周辺は。正直、俺にも黒幕に辿り着いて、どうにかできる自身はない。下手をすれば、そいつに出会う事さえ叶わないかもしれない。それでも、行くのか?」
「もちろん、お供するかも!」
秋津洲は、はっきりと頷いた。彼は逆に不安になった。彼女の瞳が、あの日の艦娘たちと同じ色をしていたからだ。
一呼吸してから、ハンドルを握り直す。
「分かった、ただ、ひとつ条件がある」
「何かも?」
「俺がやられても、助けるな。奴等を倒す事を優先しろ」
「え?」
「これは命令だ、いいな」
「わ…分かった…かも」
返事を聞いて、浜岡はアクセルを踏んだ。
※
艦娘と資源が集中している吾妻島は、砲撃の的にされていた。地は揺れ空は爆ぜ、五色の弾幕があらゆるものを削り取っていた。島は燃え滾る重油と硝煙の臭いに包まれ、業火によって昼間のように明るい。自衛隊所属の艦娘たちは、敵の大群に押されて、後退を余儀なくされていた。
蜂の巣になって倒壊寸前の寮の陰に、ダークグレーの戦闘服に身を包んだ軽巡球磨、軽巡多摩、軽巡木曾が潜んでいた。彼女たちはIFPO(International Fleet-girl Police Organization)から派遣された艦娘である。
「こちらブラボーチーム!島の貯蔵タンクの8割が破壊されているクマ。自衛隊の艦娘も壊滅的、今直ぐ増援を要請するクマ‼」
無線に噛みついているのは球磨だ。暑さと緊張で表情が険しくなっている。
「クソッ、艦娘の反乱って聞いたから二・二六事件程度のモンかと思ってたけどよォ…アイツ等、艦娘の皮を着た深海棲艦じゃあねェかチクショー‼しかも何だよ、速射砲みてェに弾幕張りやがって、どんな装備使ってるってンだ‼…那珂の野郎も途中で逃げやがってッ」
木曾はイラついて壁を叩いた。
「さっきからキソキソ五月蠅いにゃ」
「キソキソ言ってねェよッ!」
「兎に角、奴等の侵入を絶対に阻止するにゃ、にゃあ⁉」
近くのタンクが爆発で地面が揺れた。背後の建物が悲鳴を上げている。多摩は思わず丸くなった。
「ここも長くは持ちそうにねェ。球磨姉、もうここはダメだ、下がろうぜ」
「ダメクマ」
「なんでだよ!」
「これ以上下がってアイツ等の侵入を許せば、確実に民家が巻き込まれるクマ」
「ッ…クソ!」
歯軋りして俯く。木曾本人も既に理解していた、だが、どうしようもない。敵は蟻のような大群で、そこまで来ていた。
「球磨姉、どうするにゃ?」
暫く考え込んで、口を開いた。
「球磨が飛行して囮になるクマ、その間に敵を倒せクマ」
「それでいけるのか?」
「一斉射したら向かいの建物に隠れろクマ。球磨もずっと飛んでたらやられるクマ、球磨も気を引くだけ引いてまた隠れるクマ。その繰り返しだクマ」
「地味な作戦だけど、仕方ないにゃ」
「分かった、やるしかねェな」
木曽は胸ポケットから一枚の写真を取り出して見つめる。それには、木曽と潜水艦まるゆが肩を並べて写っていた。
(アイツの為に、こんなトコでくたばるわけにゃいかねェんだッ)
写真をしまって、艤装の安全装置を解除する。
“こちらチャーリー、偵察機より吾妻島方面の戦線崩壊を確認。増援をそちらに向かわせた。それまで耐えてくれ”
「了解クマ」
無線を切る。三人の顔が真剣になった。
「やるしかないにゃ」
「作戦開始だクマ」
そう言って球磨は少し建物から離れた。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―』
艤装から生えた三本の煙突から火を噴くと、球磨は空高く飛翔した。間髪入れずに緋色の弾雨がレーザービームの如く襲い掛かる。
「行くぜ!」
「にゃあ!」
寮の陰から飛び出す。敵は空飛ぶ獲物に引き付けられている。
「そこにゃ‼」
猫の手を模した艤装から爪弾を射出する。木曾は眼帯型レーダーで敵を捉えた。
「ロックオン完了ッ‼てぇッ‼」
『ウウウウウンッ‼』
近代的な音を轟かせ、ミサイルが敵に命中する。周囲の敵艦諸共吹き飛んだ。
「っしゃ!当たったぜ」
「やったにゃ」
再び建物の陰に滑り込んでガッツポーズする。直ぐに弾幕が流れ込んできて冷静になる。
“生存艦娘を発見したクマ!”
多摩の無線から球磨の歓声が聞こえた。
“美舩村の生き残りクマ。工廠裏に合流するクマ”
「了解にゃ」
反対側まで移動して、陰から様子を確認する。先程の攻撃で、敵艦隊は島に上陸を始めていた。多摩の合図と共に、二人は全力で駆け出した。
「「ッ⁉」」
軌跡を弾幕が塗り潰す。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼」
球磨型軽巡―九万馬力というハイパワーを活かし、韋駄天の如く駆け抜ける。砲撃が数発刺さったが、その足を緩めることはない。
工廠が見えた。球磨がこちらに手を振っている。そこには駆逐艦の綾波と敷波、叢雲、そして天龍型の姉妹がいた。
ピタリと弾幕が止む。
(ヨシ!敵も弾が尽きやがったかッ)
安心した、その時―
『ドスッ!』
前を走る多摩が、消えた。
「―え?」
直後、衝撃と共に木曾の視界が暗転した。
「敵だクマ⁉」
球磨が絶叫する。砲撃が止んだのは、弾が尽きたためではなかった。二人が飛んで行った方―
『ガルルルルルル…』
『ギシャアァアア…』
二匹の鬼がいた。片方は赤と黒、もう片方は赤と白の強化外骨格に覆われていて、長い尻尾の先端の鋭利な剣が、業火の赤を反射していた。その見た目は『エイリアン』を彷彿させ、不気味さとスタイリッシュが平衡を保っている。顔だけが骨格に覆われておらず、額から大きな一角が伸びていた。
「また凄いのが来たわね~」
「ヤ…ヤバいって、に、逃げようぜ?」
一匹が、球磨たちに気付いて、振り向く。
「千代田⁉」
「いや、あれは重巡だね。綾波?」
「そうね、敷波」
見ると背中の艤装から生えたアームに20.3サンチ連装砲が装備されている。しかし、その見た目と俊敏性から、得物は恐らくお飾りだろう、と想像した。
「―我々はレッドアジュアの『執行者』よ」
赤黒の鬼が近づいてくる。球磨は天龍達を庇うように前に出る。
「お前たちの目的は何だクマ?」
赤白の鬼がサッっと赤黒の横に出る。
「新世界の創造、です」
淡々と答える。まるで、その行為が歯を磨くのと同等なほど容易い―と言わんばかりに、淡々としている。
「まあ、私のことを信頼してくれた上須賀様の期待に応えたい―それだけだけどね」
それだけ言って、二匹の鬼は構えた。
「ッ‼」
球磨の両脇から、天龍と龍田が同時に跳び出す。鬼も「ダンッ‼」と射出した。
爪と刀がぶつかり合って火花を散らす。赤白は瞬時に跳び退いた。龍田が砲撃するも、避ける。天龍の刀は赤黒の手で弾かれた。鬼はニヤリと笑った。何故―そう思って一拍遅れてしまった。
赤黒がバック転して、ムチのようにしなった尾が襲う。
「くそッ‼」
エビのようにして無理矢理回避する。そのまま後ろに転がって膝をついた。
『カランカラン…』
紐が切れて、眼帯が落ちた。額からつうっと血が流れる。その間に、綾波が一〇〇式短機関銃で二人を牽制していた。球磨も隙を見て飛翔し、空から砲弾を叩きこむ。敷波はフランキスカを持ったまま、敵の接近を待っている。
「大丈夫~?」
「心配すんな。こんなの掠り傷だぜ」
天龍は立ち上がって刀を構えた。だが、様子がおかしい。
「な、なんだ?…足に力が…」
バランスを失って倒れていく。それを見た赤黒は笑った。
「天龍に何をしたクマ⁉」
「ちょいとお酒を入れただけよ?と言っても、鬼が卒倒するレベルの酒だけど」
龍田が青ざめる。天龍を一瞥してしまう―
「隙ありです」
音速を越えるタックルが直撃した。龍田は重力を無くして、彼方の倉庫に激突した。大の字になったまま気を失っている。
「ッ⁉」
赤白は瞬時に伏せる―銀色の光線が通過した。直後に砲弾が貫いた。だが当たっていない。
「ちっ、外したか」
舌打ちして斧を引き上げる―。
「ッ⁉」
敷波は油断していた。攻撃を避けた赤白から、目を離してしまっていた。
「残念でした―」
斧を尻尾で叩き。加速させていた。敷波の横すれすれを、銀色が貫く。『避けた』と思った。
「ああああああああああ⁉」
激痛に絶叫する。左手が―無くなっていた。寸刻も置かず、腹に、拳が食い込む―
『ッドン‼‼』
少女の全身が、ソニックブームに叩き弾かれる。敷波は、空の彼方へ射出された。
「きゃああああああ‼」
綾波の悲鳴が聞こえた。顔を上げた球磨は、絶句した。頭に、刺さっていた。
『ズブシュ…』
尾が引き抜かれる。綾波は顔面蒼白になり、昏倒した。
「く、クマ…ク…クマ…」
ホバリングしたまま、球磨は絶望に震えるしかなかった。四つの目が得物を補足する。
(い、一時撤退ッ)
火力を上げて一気に上昇する。屋上を越える―
「ッ⁉」
弾雨に晒された。爆発が身を打ち、艤装が発火する。
(攻撃が速すぎる⁉)
球磨たちと鬼が戦っている間、敵は大人しく待ってはいなかった。軍隊蟻のような群れの一人と目が合った。エンジンがパワーを失う。球磨は、ただ落下した。地面に叩きつけられ、鈍い音が響く。
赤黒の鬼が、ゆっくりと近づいた。球磨は大破した状態で、老犬のようによろめきながら、何とか立って踏ん張る。
「ッー⁉」
死海に写っていたもの―それはスラリとした脚だった。
(踵落としッ⁉)
球磨の瞳孔が極限まで小さくなる。深紅のヒール(スクリュー)が、球磨の頭を―
「待ちなさい」
静止する。スクリューと脳天の間には、蟻が一匹入る隙間もなかった。鬼たちは振り返った。
闇の奥から声の主が現れる。重厚な軍服に厳めしい船体、透き通った碧い瞳にブロンズのロングヘア―ドイツ海軍の最初で最後の超弩級戦艦。その名は―
「ビス…マルク?」
ビスマルク級戦艦のネームシップが、凛として立っていた。
『ダンッ‼』
赤黒の鬼が跳び出した。ビスマルクはどんと構える。赤黒は地を蹴飛ばし、跳び掛かる。腕を振り上げ、尻尾をその瞳に向ける
「フン、雑魚が」
直後、ロケットのようなアッパーが入る―赤黒は一瞬で空高く打上げられた。
「よ、よくも姉さんをッ‼」
復讐心に燃え滾って、赤白が突撃する。球磨がお飾りだと思っていた主砲が火を噴く。ビスマルクは無言で弾幕を浴びる。
「喰らぇええええええええええッ‼……………ッ?」
赤白は突然に視界が暗黒になり、困惑して動きを止める。
『グシャッ‼』
彼女の意識は途切れた―状況を理解する事も許されず、壁の染みとなったからだ。
「フン」
主砲を重々しく空へ向け、発砲する―赤黒だったものが、球磨とビスマルクの間にバラバラと降った。
「なぜ…黒鉄協会が…ここにいる、クマ?」
首を傾げる球磨に、彼女は微笑み掛ける。
「私は、戦争をする為に改造を受けた艦娘だ。しかし―」
吸い込まれそうな空を見上げる。その済んだ瞳は、黒いスクリーンを通して何かを見つめていた。
「美舩村に来て、思い出すことができた。艦娘は戦争をする道具ではない、とね」
ここで、二人の間に砲弾が爆ぜた。敵がやっと仲間の死に気付いたのだ。
「軽巡球磨、貴女は逃げなさい」
「で、でも」
「生きろ―その手で、人類の笑顔と繁栄を護りなさい!」
彼女の眼は鋭かった。球磨は頷くと、脚を引きずりながら、戦火に背を向け歩き始めた。
ビスマルクは深呼吸すると、一歩、踏み出した。堂々と、敵艦隊の前に姿を晒す。弾雨が超弩級戦艦を飲み込む。閃光と煙がそのシルエットを掻き消した。
「……………」
砲撃が止み、夜風によって硝煙が流される。そこに立つ者は―
『イマイマシイ……ガラクタドモメッ‼』
双頭の艤装を従え、超弩級戦艦ビスマルク―いや、『戦艦水鬼』が敵陣に突撃する。彼女の咆哮が、横須賀の夜空に響き渡った。
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15.最終海域
静かな十字路の一角、駆逐艦島風はあるものを見下ろしていた。冷ややかな視線の先には、土に還る寸前の朽木のような何かが時折、ピクリと動いていた。島風はそれに向かって、話す。
「だから言ったじゃない、あなたは私にはなれないって」
黒く汚れたそれは、片目だけで憎らしく睨む。
「なんでそこまで私にこだわるの?」
それは暫く押し黙って、口を開けた。酷い火傷のせいで、思うように口が開かない。
「吾輩…には…夕雲型のよ…うな火力も…無ければ、白露…型の…ような強力な雷撃も…できない……。朝…潮型のよ…うな対地…攻撃もで…きな…い」
喉を絞って声を出した。息切れを整えて、再び口を開く。
「だか…ら、吾…輩はオンリー…ワンに…なると決め…た。速…さで…誰にも負けないよ…うになろう…とした…じゃ」
島風は呆れ顔で溜め息をつく。
「あなたがどれだけ艤装を弄ったって、私を越えることなんてできないのに…」
「だった…ら…」
ここで、島風は違和感を覚えた。
(連装砲ちゃんは、何処?)
『ガブチッ‼』
視界が闇に包まれた。巨大化した連装砲が、島風を飲み込んだのだ。すると、シマカゼの肌がみるみるうちに艶めいていく。融解していた顔があっという間に元に戻った。だが、それはシマカゼではなかった。
「駆逐艦島風です。スピードなら誰にも負けません。速きこと、島風の如し、です!―初めからこうしておけば良かったのよ」
亜麻色のロングヘアにウサ耳の少女―駆逐艦島風は、巨大化した連装砲ちゃんを連れて、海岸の方へと歩み始めた。
浜岡と秋津洲を乗せた車が、横須賀に突入する。ハンドル越しに見える時計は、深夜の3時を指していた。
街はいつもと変わらず、多くの車が往来している。警察車両や自衛隊の車両なども無く、道路の封鎖や、避難指示が出ている様子すらない。
(自衛隊はまだ気付いていないのだろうか…)
とても穏やかな空が、かえって不気味に感じられた。迷彩柄の艤装では、妖精たちが装備の最終チェックを行っている。
「あ…」
秋津洲の表情が曇った。
「大艇ちゃんとの通信が妨害されはじめたかも」
「何だって⁉」
通信妨害、つまり、上須賀に操られた艦娘たちに近づいている、という証拠だ。それにしても、あまりにも静かすぎる。二人の額から汗が滲んだ。
ハンドルを切り、横須賀街道へと入る。
『ガタン』
曲がりきったところで、車体が大きく揺れた。秋津洲が顔から助手席に激突する。
「ンゴッ⁉…いっててて……何か踏んだかも?」
額を擦りながら浜岡を見る。彼の顔は、凍り付いていた。進行方向ではなく、真左を向いて、口を開けたまま、固まっている。
『グォオオオオオオオオ………‼』
咆哮が秋津洲の視線を左へ動かした。
「何………あれ………」
―スカイラインが、轟々と燃えている。腹の底の響くような砲声が、窓越しにからでも伝わってくる。
(さっきまで普通の景色だったかも‼なんで⁉)
突然の事態に困惑する。数秒前まで前後左右を走っていた車たちが、消えていた。
「…星なんて、出てたっけ?」
夜空に瞬く満天の星空―それ全て、空母の艦載機と自衛隊の航空機の光だった。
「ッ⁉」
浜岡が急ブレーキを踏む。直後、前方数メートルにヘリコプターが叩きつけられ、爆発四散した。咄嗟に伏せる―爆風が車を揺さぶった。
「……秋津洲、大丈夫か?」
「問題ないかも」
「ヘリの方は…」
顔を上げると、滅茶苦茶になった鉄板の塊が燃えていた。浜岡は唖然とし、直後に怒りをダッシュボードにぶつけた。
車を降りて、墜落したそれを確認する。
「ダメか………」
生存者がいないことは、火を見るより明らかだった。
「ここからは歩いて行くしかないかも」
破片と炎で車道が分断されている。浜岡たちは破片を飛び越えて進んで行った。
街道には、破壊された戦車や軍用トラックが模造差に並んでいた。搭乗員だった物も、砲弾の爆風で散らばっていた。秋津洲は目を見開いて、拳を強く握りしめる。黒幕―上須賀がいるヴェルニー公園は、すぐそこまで来ている。
ひた走る二人の前に、人影がひとつ、ふわり、と現われた。
「………」
黒のストレートヘアーに真っ白なカッターシャツ、濃紺のスカート。その姿は、どこにでもいるような女子高生―だが、二人は只ならぬ殺気を感じた。
(こいつ…奴等だ)
砲どころか艤装すら装備していなかったが、その額からは、二本のクリムゾンレッドの角が生えていた。彼女は少し驚いた顔をして、顎に手を添えた。
「まさか、祥鳳の張った結界を破って来るとは…貴方たち、何者ですか?」
「上須賀に用があって来た。悪いがそこを開けてもらいたい。いや、力づくでも通させてもらう」
「なるほど、『意志』の力ですか。ですが、ここから先には行かせる訳にはいきません」
ポケットからM49(ASW)を出そうとして、止める。彼女は、あの『角』によって彼に操られているだけで、艦娘である。それを殺してしまえば、自らも奴と同じ位置に落ちてしまう、と感じたからだった。
(接近戦に持ち込んで、角を引き抜いてやればいい)
ポケットに入れた右手を、日向の太刀の柄に移す。
「あれをやったのは、あなたなの?」
秋津洲が前に出て、燃え盛る車両を指さす。グラップルは唸り声をあげていた。
「そうよ、ダーリンの邪魔をするものは、誰だろうと許さないんだから…うふふ♥」
頬を赤らめて、妖艶なオーラが滲み出す。
「君の言うダーリン…それは上須賀のことか」
「ピンポーン。私のイチバン大切な人。私は他の娘たちよりも、ダーリンからイチバン愛されている艦娘、スズヤよ」
確かに、顔立ちが航巡鈴谷によく似ていた。
「浜岡さん…ここは秋津洲に任せるかも…此奴、許せないかもッ‼」
「待て、早まるなッ。主砲がないからって慢心するんじゃあないッ!相手は上須賀が認める奴だ、絶対に何かあるッ‼」
浜岡の絶叫を背に浴びながら、それでも秋津洲は突撃する。しかし、スズヤは平然と立っているだけだった。異様なものを感じたが、もう止まる事は出来ない。グラップルを斜めに射出する―空を切り裂き、触手のようなリールで蛇行しながら、そのど真ん中を狙ってアギトを展開する。
(勝った‼)
そう思った瞬間、彼女が薄っすらと笑みを浮かべた。
「三千世界ィ‼」
抜刀するように左手を振り上げる―スズヤから、旋風が白い濁流となってグラップルを飲み込む。留まることなく、あっと言う間もなく秋津洲を飲み込んだ。
『サァァ………』
それは浜岡の目前で霧散した。
「…ッ⁉」
秋津洲が、消えていた。アスファルトを抉るように削った跡だけが、真っすぐに彼女の足元まで続いていた。
「さて、まずは一人。うふふ♥」
その手には太刀が握られていた。
「や、野郎……」
「さあ、諦めて帰った方が身のためですよ、人間さん?」
そう言って、色っぽく舌を出す。だが、浜岡には分かっていた。彼女は自分を逃しはしない、必ずトドメを刺す、と。柄を握る手がギシギシと音を立てる。
(今の攻撃は、真っ直ぐにしか放てないようだ。しかも、予備動作も大きい。あれを避けつつ、零距離まで行けば―角を引き抜くだけでいいッ‼)
そう考えて、抜刀する。日向の太刀の刀身が、街灯に照らされて煌めいた。いつでも横跳びできる速さで、駆け出した。
彼女は口の端をニヤリと上げた。そして構える―抜刀する。
「ッ⁉」
直ぐに横へステップする。しかし、風は起きなかった。その代わり、浜岡は奇妙な現象を見た。彼女の刀の刀身が、三つに裂けて竜の如くうねった。
(刀ではないッ、これは―⁉)
ここで、スズヤは宣言する。
「三千ッ‼」
三本のワイヤーがグンと伸びる。それは金属の鞭となって襲い掛かる。
「うおおおおおおお⁉」
間一髪で滑り込む。スズヤは舌打ちして、刀身を縮めた。その間に、浜岡は零距離まで接近していた。
『ガキンッガリガリガリ!』
激突した刃が金切り声を上げる。刀越しに、二人の視線も火花を散らす。
(あとはバランスを崩させて、その隙にッ―)
力のベクトルを逸らせようとする。
「三千世界に、予備動作なんていらないわよ?」
「ッ⁉」
咄嗟に体を捻る―白い烈風が浜岡のスレスレを掻き消していった。安堵する間もなく、立ち上がって構える。
「三千世界―それは『消す』、というより、『消し飛ばす』という能力…………」
日向の太刀―その刀身が、折れていた―いや、消されていた。浜岡に一瞬の隙が生まれる。彼女はそれを逃さなかった。
『ザシュッ』
伸びた刃に貫かれる。激痛に腕の力が削除される。太刀が落ちて、空しい音が響いた。そのまま、倒れることも許されず、浜岡は呻く。
「うふふ、残念でしたね♥貴方がこうしてダーリンに抗わなければ、新世界の住人となれたかもしれないのに…」
「新…世界…それは、艦娘が…戦争…という生き甲…斐…を手に…入れた…世界…か…?」
「あら、誰かから聞いたのですか?」
「ショウ…カク…」
「なるほどなるほど。でも、それがゴールではありません。真のゴールはその先にあるもの。それは―」
そこまで言ったところで、刀を引き抜いた。
「―艦娘による世界統一。そして―新しい戦争の秩序の創造」
「ッ⁉」
何かが、浜岡の中で発動した。全身を突き刺していた痛みが、消える。異変に感付いたスズヤは、違和感として捉えていたが、寸刻で理解し、絶叫する。
「血が、出ていない―⁉」
既に遅かった。浜岡はマンデンも驚く早業で得物を引き抜く。
『ドンッ…カチ……』
弾丸は左の角を打ち砕いた。衝撃が彼女を無理矢理に仰け反らせる。ドスン、という重い音と共に、倒れた。
銃口からは、まだ煙が上がっていた。獲物を無言でしまうと、肘から指先にかけて、血で紅に染められているのに気付いた。ワイヤーを避けたときに擦れたようだ。その犯人に視線を移し、一歩ずつ、近寄る。破壊された方の角は、電子デバイスが剥き出しになり、基盤は焦げ付き、回路は滅茶苦茶に千切れていた。だが、弾丸は頭に到達する事はなかったらしく、顔には傷一つなかった。
(すまない、今、解放してやるからな)
しゃがみ込んで、まだ刺さっている右角を、掴んだ。
「―抜けない?」
「うふふ♥」
「ッ⁉」
白い腕が襲い掛かる―喉を凄い力で掴まれる。締め上げられる。
「あ、がっ…‼(ギリギリギリ」
スズヤはそのまま立ち上がる。足が浮いて、浜岡は懸命にもがく。しかし、ビクともしない。
「慢心は、いけマセンネェ―」
彼女の眼の色が、金から碧に代わる。機械的な角は、太く鉱物的なものになり、右目を覆った。
(コイツ、まさか―)
変化は止まらない。黒く猶予う髪は真っ白に、肌もみるみる青白くなっていく。豊満な胸も一気にしぼみ、その脂肪を栄養に変換して、腰からピンク色の肉柱が二本、勢いよく飛び出す。それは瞬く間に、人間の手と腕を模った。浜岡の予感は、当たってしまった。
「………」
重巡ネ級改―主に南方海域で発生し、高い耐久性と命中率の高さで歴戦の艦娘たちを葬ってきた深海棲艦の一種である。そいつに、今、掴まれている。
(轟沈していないのに、何故だ―⁉)
先程から、締められているせいで、首から下が痺れていた。なので、自分の手がどこにあるのかも分からなくなり、その獲物で反撃する事も出来ない。それどころか、思考まで鈍り始めた。早まる心臓の拍動だけが、妙に生々しく頭に響いている。ネ級改は感触を味わうように、新たに生えた巨大な腕を動かしてみたり、手を結んだり開いたりしている。
「馴染ム、馴染ムワ。コノ体、ウフフ、懐カシイ…」
言いながら、片方の巨大な腕を、弓のように引く。同時に拳が握られる。その後に起きることは、浜岡には容易に想像できた。
(くッ…せめて、コイツだけでも―)
無念に表情を歪ませながら、バケモノを睨む。
「アノ時モソウデシタ…」
前置きもなく、ネ級改は言った。瞳を細めて、浜岡を見つめる。喉を掴む手が、少し緩んだ。
「ブチノメス前ニ、ヒトツ、訊キタイ事ガアリマス」
「………」
「何故、秋津洲ガ消エテモ、逃ゲズニ立チ向カッタノデスカ?人間ガ艦娘ナンゾニ勝テルワケガ無イノニ…シカモ、タッタ一人デ」
「それは…勿論―」
言いかけて止まる。此処に辿り着くまで、当たり前のように何度も言っていた台詞―『人命を護りたい』という艦娘の熱い意思を守る為―それに違和感を覚えた。
(その為に、俺は十死零生の戦をしていたのか?…意志を護る為だけに?)
言葉ではそう言っていた。しかし、やはり何か納得いかない。
(彼女たちの意思を破らせない為に、艦娘が殺人するのを止める。だったら何故、俺が―)
鈍る頭をフル回転させて答えを探す。そして、横須賀基地に電話を掛けた時のことを思い出す。
(あの時、自衛隊があてにならなかったから?だからって、一人で突っ込んだ理由になるのか…?)
ますます混乱する。本当はもっとシンプルなもの―そんな気がしてきた。
「―彼方ノ目ハ、彼奴ニ似テイル。レイテノ後、私達ノ超巨大艦隊ニ、タッタ六隻デ突ッ込ンデキタ艦隊ニ―」
彼女の言葉に、浜岡の目が見開かれる。記憶がフラッシュバックする。
(本当は、心のどこかで彼奴等を『正しい』と肯定したからなのか。あの日、俺は引き留められなかったんじゃあなくて、引き留めなかったのか。深海棲艦をいち早く殲滅する―それが俺の本心を塗りつぶしていただけなのかッ⁉)
岩石から化石を掘り出すように、覆っていたものがバラバラと剥がれていく。痺れていた全身に力が漲ってくる。その口元は、笑っていた。
「俺は―‼」
『バキンッ‼』
二人の間を閃光が切り裂いた。
「ヴェアアアアアアアアア⁉」
首を掴んでいた腕が、切断された。後ろへ倒れる浜岡から、幽体離脱のように金色の分身が浮き上がる。ネ級改はそれを見て悲鳴を上げた。
「オマエハ、アノ時ノ―⁉」
彼女がその名前を口にすることは、できなかった。
『Burning Loooooooooooooooooooooooooooooooooooooove!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(ドッゴスッ! ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!! ドゴォォォォオオオオオオオオッ!!!!)』
黄金の拳が、姫級に等しい装甲を完膚なきまでに砕け散らす。それは徹甲弾が機銃に思えるくらいの威力だった。バケモノの剛腕も、筋線維レベルで粉砕された。
ハイスピード&ハイパワー。英国ヴィッカース社生まれ、日本育ちの高速戦艦。
金剛―そいつの拳に、砕けぬものなど、ない。
「待たせて悪かったな。金剛」
彼女はただ微笑んで、手を差し伸べてきた。その手を取って、浜岡は立ち上がる。
「行こう、俺たちの最終海域へ―」
目的地に足を向ける。二人の影が重なり、やがて一つになった。深夜の街道に、漣の音だけが延々と木霊していた。
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16.Flagship その①
1800年代後期、近代化を狙う江戸幕府が近代的造兵廠建設の協力をフランスに求め、提督の要請により派遣されたのが彼だった。海軍技術者であったヴェルニーは、海軍施設の建設に当たって、泊地として良好な条件が揃っていた横須賀の地を選択し、製鉄所やドックなどの施設の建設を指導した。彼は約10年間に渡って、日本の近代化に大きく貢献したのである。
それら功績を称えて、臨海公園がフランス庭園様式に改装され、ヴェルニー公園となった。園内には彼の胸像と記念艦があり、薔薇の咲くフランス式花壇や噴水、洋風の東屋が存在している。
横須賀の海に、戦火の不知火が灯る。
ヴェルニー公園の海岸沿い―広く真っ直ぐに伸びるボードウォークを、ガス灯を模した電灯が照らしている。その中央に、三つの人影が海を眺めるように立っていた。一人は黒づくめの男―上須賀である。彼の両脇にいるのは、側近の艦娘たちである。流れるような黒髪に白の軍服。頭には黒曜石のような短い角が生えている。機動性を上げる為か、ズボンではなくスカートを穿いている。
端末を見ながら、上須賀は満足げな表情を浮かべている。
「ふむ、流石、美舩村の艦娘だ。約十年というブランクがありながら、自衛隊の艦娘を完全制圧してしまうとは―」
「美舩村の艦娘の力だけではない。そなたの発明した『角』が付与する力と、三笠殿による的確な指揮があってこその戦果だ」
「ハッ、そうだな。それにしても、智天使ショウカク、堕天使ズイカクは惜しかった。細かく分析し、今後の改良に役立てるとしよう」
「そうね。私たち『レッドアジュア』が、七つの海を手に入れるのも、そう遠くはないわ」
「そうだな。だが、世界征服はあくまでも通過t―」
ふいに上須賀の言葉が途切れた。耳を澄ませ、確信し、口角を上げる。
「フッ、来たか…」
不敵な笑みを浮かべて、上須賀は視線を移す。数十メートル離れた所に、その人影は立っていた。隼のような鋭い眼光で、三人を捉えていた。
「アタゴ、やれ」
静かに命令する。『ダンッ!』と地を蹴り、アタゴが突入する。相手は人間、素手でも十分に打ち飛ばせる。そこで、敢えて抜刀する―確実に葬る為に。刃渡りを悟られないよう、刀身に地面を映す。だが、人間は攻撃する気がないかのように、立っているだけだった。その顔は、笑っていた。
「?」
理解できず、無意識に減速してしまう。ここで、彼の輪郭がブレた。
『ドゴッ‼』
アタゴは砲弾の如く吹っ飛ばされた。意識は既に無く、街灯の柱に叩き付けられ、落下した。
「ほう、面白い」
まるで化学反応を見るように、上須賀は声を漏らした。一方で、隣にいた艦娘は、初め驚きの表情をしていたが、直ぐに激しい憎悪に染まった。
「タカオ、やれ」
「御意」
短く返事すると、落ちていた相棒の刀を拾い上げ、突撃した。両者の距離が一気に縮まる―二刀をメの字に交差させる。それは攻撃と防御を兼ね備えた型―。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお―ッ‼」
復讐の雄叫びと共に、突っ込む。あと数センチ―
(ッ⁉)
眼前に夜空が広がっていた。何故そんな景色が見えるのか、分からなかった。
『何処を狙っているネー』
そう聞こえた気がして、ハッとする。直後、腹部に剛拳が叩き込まれる。くの字に折れて、吹き飛んだ。それは上須賀の真横を通過し、彼方へ消えた。
「―浜岡櫂」
その名を呟いて、歩み始めた。
浜岡も、上須賀に向かって歩き出していた。
(どういうカラクリかは分からない。ただ、此奴が艦娘たちを狂わせ、操っているのは確かだ。
つまり、此奴さえ倒せば、この戦火は収束するッ)
あの時、上須賀には手も足も出なかった。だが、今の浜岡には、金剛がいる。
(奴が瞬間移動で接近した瞬間、拳を叩き込む。金剛のスピードとパワーなら、勝てるッ)
ふいに、上須賀の口が開く。
「平和とは―全てが一つになる事だ」
「……どういう事だ?」
「それは世界の力を管理する、ということ。その為には、絶対的な力が必要なのだ」
「…その為に、艦娘に人々を殺戮させるというのか」
「オレは最強の艦隊を以て、世界を支配する。そして、新しい世界秩序を創造するのだ。そうすれば、誰しも好き勝手に戦争ができなくなる…」
いつの間にか、浜岡は立ち止まっていた。
「貴様も、オレと共に、艦娘による平和を築き上げようではないか」
青白い顔で、微笑みかける。浜岡の目は、更に鋭さを増した。
「いいや、できないねェ。そんな世界が完成するのに、一体何人の命が犠牲になればいいんだ。結局、武力で作り上げた世界に、平和など存在しない。そこにあるものは、大切な人を失った人々の哀しみと、艦娘への果てしない憎悪と復讐だけだッ」
一瞬驚いた顔をしたが、上須賀は直ぐに嗤った。
「ほう。実に残念だ。かつての貴様の艦隊指揮能力を、是非発揮してもらいたかったのだが…。どうやら、貴様は此方の世界の住人にはなれないらしい。ならば、此処で始末するまでッ‼己の選択に、後悔する隙も与えんッ‼」
宣言して、十数メートルの間合いを瞬時に駆け抜ける。10メートル。5メートル。3.5メートル―金剛が飛び出す。鉄拳が―
「ッ⁉」
影が霞のように溶けた。黄金の拳が空を貫く。
「甘いッ‼」
音速を超えた腕が叩き込まれていた。血の軌跡を引いて、街灯の柱に『ガオン』と音を立てて激突する。それに埋まって、首が項垂れてしまった。もう、動くことはない。
「フン、所詮この程度か…」
興味を失い、踵を返した。数秒経って、背後から突然に呻き声が聞こえた。
「何⁉」
慌てて振り返る。よろめきながらも、確実に立っている浜岡の姿があった。その腹部を見て、ゾッとする。
『―これがワタシの能力ネ』
スピードとパワー。それは基本的な力に過ぎなかった。
『守護』―それこそが、彼女の真の力。自らを盾にしてでも、人命を護ろうとする意志の結晶。口から血を流しているものの、攻撃された彼の腹部は無傷であった。
「んぐっ⁉」
眼を見開き、上須賀はグローブをはめた拳を見た。指が数本、折れている。
「き、貴様―ッ‼」
残像を残して、再び拳を叩き込む。それを金剛がガードする。
「ウオァアアアアアアアアアアアアア‼‼」
目にも留まらぬ速さで、何千発ものラッシュをブチ込む。だが、その1パーセントすら、浜岡には届かなかった。
『Shit!!』
拳を弾き、剛拳を放つ。だが、上須賀も咄嗟に仰け反ったので、空虚を貫いた。そのまま、彼はバク転を繰り返して間合いを取った。浜岡は睨み舌打ちする。
(金剛でも、スピードでは負けるのかッ)
一方の上須賀は、滅茶苦茶になった両手を無理矢理に握りしめ、元通りにしてしまっていた。治癒を確かめるように指を動かし、後ろ手にして改まった。
「なるほど、貴様の射程距離は精々四メートルか。ならば、あとはその防御力―」
歌うように言うと、紫だった眼光が紅く光り、引き攣った笑みを浮かべた。
空気の色が、変わる。
「オレのも見せてやろう。出でよ、赤城―」
彼の輪郭がドス黒い赤に染まる。そして、ぞわり、と憑依している者が現れた。
『フフフ…』
空母赤城―血のような赤と、墨染の黒―金剛の守護とは反対に、逆らうものを容赦なく破壊するオーラを放っている。琥珀色の瞳を細め、浜岡たちを捉えた。
『上須賀様を邪魔するものは、燃やし尽くしてあ・げ・る』
そう言って、両腕を広げた。その手から勢いよく炎が噴き出すと、宙で火の粉が航空機に変わり、二人に襲い掛かった。
「九九艦爆ッ⁉」
素早くM49(ASW)を取り出し、構えて、撃つ。確実に、一機、また一機と落としていく。だが、あっと言う間に弾切れしてしまう。
「一体、何機あるんだ⁉」
『アハハ、無限に決まってるじゃな~い♪』
四方八方から、爆弾の嵐が迫りくる。すると、金剛が飛翔した。一呼吸おいて、全方位にめったやたらと叩き込み始めた。
『FIREEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!!!!!!!』
弾かれた爆弾が、足元の木版、海沿いの手すり、周囲のベンチ、街灯を粉砕していく。
だが、数が多過ぎて防ぎきれない。次第に動きが鈍り、とうとう霞んで消えてしまう。なす術なく、浜岡は爆弾のリンチに晒された。あまりに激しい猛攻に、その姿も硝煙に塗り潰されてしまう。
「この程度で良い、下がれ」
命令されて、赤城は両手の炎を握り潰した。煙は風に流され、中から血濡れのボロ雑巾と化したものが顕わになる。浜岡は、最早、原形さえ留めていなかった。ピクリともしない彼に、上須賀は近寄って、コートの懐から『錨』を取り出した。
「いいデータがとれたよ、金剛。だが、目障りだ。よって、コイツで再封印するッ!」
腕を振り上げたその時―
『ッゴゴゴゴオオオオオォォォ‼』
地響きと共に、東の空に烈火が立ち昇った。流石の上須賀も、予想外の表情で振り向く。
『ドクン』
原因不明の痙攣に襲われ、『錨』を落とした。赤城も絶叫しながら掻き消されてしまう。
数分間のたうち回っていたが、だんだんと弱っていき、遂には動かなくなった。そして―
「……………」
前触れもなく、瞳が鬼灯色に光り、むくりと起き上がった。
「……………」
東の方へ向き直ると、浜岡には目もくれず、物凄い速度で駆け出して行った。
「こちらボーナス・ベイビー、現在、美舩村漁港です」
「了解、こちらイービル・アイ。状況を報告して」
「はい。サンプルの『角』は一九本入手。ターゲットと数回戦闘しましたが、こちらに負傷はありません。ですが、艦載機を多数消耗。これ以上の戦闘は困難です」
「了解、現在の美舩村の様子はどうなのかしら」
「村は非常に静かです。皆、横須賀に移動したものと見られます」
「ということは、横須賀ベースは」
「はい。偵察機の情報によると、奴等は横須賀ベースを含む海軍関連施設を襲撃しています。残念ながら、自衛隊の艦娘の大部分が撃破されました。隊員も大勢巻き込まれています。IFPOの連中も多数送り込まれていますが、焼け石に水かと…。それと、とても奇妙な事なのですが、襲撃が周囲に察知されない為に、戦闘区域一帯を結界で囲まれているようです」
「―結界?」
「ええ。説明しにくいのですが、自衛隊関係者や艦娘以外は、同じ空間に入る事ができないものと思われます。外からはいつもの風景にしか見えないのですが、艦娘や艦載機だけが、戦闘地域に飛ばされるというか、何というか、その…」
「なるほど、対象だけを確実に叩き潰すのね、それにしても、『角』にそのような力があったなんて―」
「確かな事は分かりませんが、一部の艦娘には特殊能力が発生するようです。飛翔できるようになったり、分身できるようになったり…」
「それはマズいことになったわね」
「はい、何としてでも、事態を終息させなければなりません。最悪でも、日本からは―」
「そうね。それで、件の首謀者について、何か掴めたのかしら?」
「いいえ、全く。手掛かり一つ掴めませんでした」
「そう。仕方ないわね」
「イービル・アイ。一つ、質問が…」
「何かしら?」
「どうして、日本にだけ『艦娘だけが住む村』が存在するのでしょうか?この国は、艦娘と人類が共存していないように見えます…」
「実際そうよ。日本では、艦娘に対する人権がまだ確立されていなくて、差別問題が起きているのよ」
「そうなんですか⁉」
「ええ。だからこそ、私たちの精神を日本の艦娘にも浸透させるべきだわ」
「『我ら自由を尊び、権利を守る』ですね」
「そうy―」
「あ、たった今情報が入りました!」
「何ですって⁉」
「ターゲットは三笠公園です‼」
「Great job!! 直ぐにトーピード・ジャンクションを向かわせるわ。貴女は羽田でジャガーノートと合流して指示を待って頂戴」
「了解、over」
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17.Flagship その②
戦艦三笠―敷島方戦艦の四番艦で、『六六艦隊計画』により建造された。戦艦金剛と同じく、英国ヴィッカース社生まれである。日露戦争では、東郷平八郎大将による指揮の元、ロシア帝国の艦隊を幾度も撃破した。特に、日本海海戦では丁字戦法を活用し、連合艦隊旗艦として活躍。当時世界最強の艦隊と恐れられていた『バルト艦隊』に見事完勝した。これにより、日本という小さな島国が列強に勝利した、という事実は世界を震撼させ、三笠の名も東郷大将と共に瞬く間に広がった。その後、老朽化により海防艦三笠に艦種変更され、更にワシントン軍縮条約で廃艦が決定。解体される予定だったが、国民の熱い要望によって、三笠は記念艦として横須賀の三笠公園に展示され、現在に至る。その船首は皇居を指しており、その先にはロシアが位置している。あれから100年以上経った今でも、戦争の語り部として、人々の訪れを静かに待っているのである。
その船体を、しみじみと見つめる者がいた。
「………………」
漆黒の軍服に乾いた血のような暗い赤のマント。その頭には、ミノタウロスを彷彿とさせる角が、一対突き出ている。左手に握られた鞘の無い刀が、怪しく紅色に光っていた。公園の流水の潺に耳を傾けながら、在りし日を偲ぶように、戦艦三笠の主砲や煙突を、鬼灯色の瞳に焼き付けていた。
「やはり、此処にいたんだね」
声がして、振り返る。二つの人影が、横並びに近づいて来ていた。その間隔は異様に開いている。
「君がこの事件の『真犯人』…違うかい?」
「……………」
「―戦艦三笠、いや、『深海三笠姫』さん?」
ロシア海軍レニングラード艦隊―タシュケントとヴェールヌイだった。三笠姫は、黙っている。
「私たちロシア海軍は、君たちとの戦争が終わった後も、艦娘保有国の監視を続けていた。艦娘を軍事利用―対人類に使用しようとする動きが無いか、見張るために」
「ニコライ司令官率いる私たちの艦隊の担当は、日本だった。海軍は解散され、艦隊の規模を大幅縮小したけれども、艦娘は武装解除のみで解体しなかったからね。特に睨みを効かせていた」
「勿論、美舩村もその範疇になった。そして三年前、妙な動きを察知した…」
「重油、弾薬、鋼材、ボーキサイトが裏ルートで、つまり艦娘の手で村に大量に輸入され始めた」
「艤装と装備を密かに大量生産していたんだね。それで、村長を調べたら、ある男に辿り着いた」
「レイモンド・上須賀―元日本海軍の研究者。鹵獲した深海棲艦を使って研究していたらしいね」
その名前を聞いて、三笠姫の眉が少し動いた。
「私たちは彼の研究内容について、スパイを派遣して調査した。そして、『深海棲艦を操る装置』の開発を知った。そんな彼が、なぜ終戦から十年も経った今、現われたのか。それを想像するのは簡単だったよ―美舩村の艦娘の軍事利用、つまり、艦娘の対人類兵器化さ」
「何としてでも阻止しなければならない。上須賀の足取りをインターポールに探らせる一方で、私たちはヒントを求めて、彼の研究について更に調べた。その結果、行き着いた真実―」
「―深海棲艦を操る装置なんて、初めから存在していなかったんだ。深海三笠姫、君が深海棲艦を操っていただけなんだね。しかし、美舩村の艦娘をどう操るのか、最後まで分からなかった。結局、こうして事件を阻止することができなかった…」
帽子の中から、タシュケントは髪飾りを取り出す。ショウカクが着けていたものだ。
「そのカラクリが、これなんだろう?これで艦娘を疑似的な深海棲艦にし、操る」
それを見て、三笠姫は薄っすらと笑い、ぱちぱちぱちぱち、と乾いた拍手を送る。
「ソノ通リダ。ロシアノ艦娘ヨ。上須賀ハ只ノ僕―『レッドアジュア』ノ真ノ長ハ、コノ我ダ」
勇ましい声で、更に説明する。
「上須賀ハ深海棲艦ノ研究ヲ経テ、何時カラカ、ソノ力ヲ欲スルヨウニナッタ。ソシテ、『錨』ヲ発明シ、己ノ身体ノ内ニ空母赤城ノ魂ヲ取リ込ンデ、我ガ傀儡トナッタノダ。全ク、人間トハ愚昧無知ナ生物ダ。ダガ―」
紅い瞳がギロリと光る。歴戦の気迫に、二人は思わず後ずさりしてしまう。
「貴様ラハ一ツ、勘違イヲシテイル。我ノ目的ハ艦娘ニヨル戦デハナイ。寧ロ、ソノ逆ダ」
「え……?」
「艦娘ノ殲滅―是コソガ我ガ目的ダ。人間ハ艦娘ヲ軍事利用シ、利益ヲ貪ル事シカ眼中ニ無イ。マルデ、新シイ玩具ヲ手ニ入レタ子供ノヨウニッ。碧キ海ヲ再ビ血ニ染メル事ハ、コノ三笠ガ許サンッ‼奮闘努力ヲ以テ、全テノ艦娘ヲ葬ルト誓ッタノダッ‼」
咆哮が轟き渡る。マントが大きくはためいた。ヴェールヌイたちは獲物を構える。
(なんだ?これは…)
視界が少し暗くなった。周囲が黒い霧で覆われたのだ。しかし、考えている暇はない。三笠姫が既に主砲を構えていたのだ。
(戦艦三笠―射程距離も短く、装甲はペラペラのはずだ。私たちなら、勝てる)
確信する。距離にして、約一五メートル。ヴェールヌイはミサイルを―
「撃つなッ‼これh―」
同志の絶叫が聞こえた―だが、手遅れだった。
『ボンッ‼』
瞬く間に爆炎に包まれる。タシュケントは寸前で身を退いて、何とか回避した。
「フハハッ。粉塵爆破ダ!」
バリアを展開し、不敵に笑っている。ヴェールヌイは―炭になっていた。
「ぐぐ、ぐ…」
全身から冷や汗が噴出し、噛み締めた下唇からは、血が流れていた。霧が解除されたので、直ぐに砲弾を注ぐ。
「フン」
深紅のハニカムが展開される。朱色の光線は全て砕かれた。
(あのバリアさえ何とかできればッ‼)
ダンッと地を蹴り、突進する。バリアが一瞬解除される。
「ッ‼」
直後、轟音が全身を叩く。焔弾が斉射されたのだ。だが、弾は空を切っただけだった。
「素早さでは、誰にも負けないッ!」
嚮導駆逐艦タシュケント―13万馬力のパワーから、42ノット以上の高速力を生み出す。これは駆逐艦島風をも凌ぐ速さである。既に、三笠姫の背後にいた。砲撃する。
「フン、電光石火デ我ニ勝ロウトモ、掉棒打星ッ‼」
銀朱の弾は、再度バリアに弾かれた。
「クソッ‼」
直後、あの黒霧に包まれる。三笠姫は霧から抜け出すように移動する。
(しまった⁉)
慌てて跳躍する。寸刻も置かず、タシュケントのいた場所は爆炎に包まれた。三笠姫が地面に砲弾を叩き込んだのだ。
(これが―下瀬火薬ッ‼)
純ピクリン酸を用いた火薬、その焼夷力は日露戦争時では世界最強であった。皮膚を焦がすような熱風と閃光に、タシュケントの顔がより険しくなる。これで、三笠姫には迂闊に近づけないことが分かった。装甲の脆さを360度展開可能のシールドでカバーし、機動性の悪さを粉塵爆発で補う。それは、旧式の前弩級戦艦というイメージを吹き飛ばした。
「ッ⁉」
一瞬で視界が開けた―ド真ん中に、三笠姫がいる。眼が合う。砲門がこちらを向いている。
「硝煙が、無い―⁉」
身体を捻り、無理矢理かわそうとする。
(そのまま相手の砲撃と同時に、弾幕を浴びせれば、勝てるッ)
そこまで考えて踏み出した時―奇妙な感覚に囚われた。
(素早く、動けない⁉)
ふと視線を落とす。艤装が、身体が、錆びていた。
(この霧、まさか―⁉)
『ドンッ‼』
30.5サンチ連装砲が火を噴く。凶弾が迫りくる―時間がスローモーションになる。顔の横、股の下、肩の上、腕の下…通過していく弾が、ハッキリと分かる。最後の弾が、白いマフラーを擦った。
(問題ない―)
そう思った時だった。
タシュケントの体が、炎に飲まれた。絶叫する隙をも与えられなかった。焔に包まれたまま、大の字に倒れた。
「腐食性ノ強イ鱗粉、ソシテ糸ニ触レタダケデモ作動スル鋭敏ナ伊集院信管―コノ三笠、若輩相手ニモマダマダ負ケヌワ…」
そう言って、三笠姫は二つのそれを眺めた。その眼差しは、孫を見るように穏やかであった。
『我が名はWarspite―戦火を軽蔑する者…』
何処からか声が聞こえた。三笠姫は手にした双眼鏡で辺りを見回した。公園の木陰、遊具の影、記念艦三笠の甲板、東郷平八郎像の影、建物の屋上―何処にもそれらしき者は見当たらない。双眼鏡を下ろすと、ニヤリと口端を上げ、広範囲に黒霧を拡散した。
(コノ鱗粉ハ水上電探ノ役割モ果タス。隠レテ居ヨウト無駄ダ)
しかし、何も感じない。誰も居ない。少し考えて、悟り、焦って空を見上げた。
「ナッ―⁉」
気付いたが後の祭りだった。赤銅色の球体が、その額を一直線にかち割った。それが何なのか、確かめる余裕もなかった。落下の威力で、首が変な方向へねじ曲がる。直後、青白い閃光と共に、空間が裂けるような大爆発を起こした。
暫くの後、三笠姫の刀が降ってきて、アスファルトに突き刺さった。それは見る見るうちに輝きを失い、錆びついて、最後はとうとう朽ち果て砕けてしまった。
三笠公園にキノコ雲が立ち昇る。大空には一機のヘリコプターが飛んでいた。開かれたドアからは、一人の男が悲しげに下界を見下ろしている。その隣には、幽霊のように、ぼんやりとラベンダー色のウォースパイトの姿が浮かんでいた。
「………」
やがて、ヘリコプターは記念艦三笠が指し示す方角へと向きを変え、水平線の彼方へと消えていった。
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18.Last Dance
「な、なんなのよ…これ―‼」
震えた声で身構えているのは、駆逐艦叢雲である。ダークグレーの戦闘服を身に纏い、左肩にはIFPOのワッペンが縫い付けられてある。彼女は今、三笠公園にて、巨大な深海棲艦と対峙していた。
筋骨隆々の体に、大きく肥大化した腕、鋭利な鉤爪、背中からは煙突のようなものが突き出ている。図体に比べて妙に小さな頭は、長い前髪が束になったような角が、右目を覆い隠していた。
(こんな深海棲艦、見たこともないわよ…)
胸部が船首のようにカーブして突き出しており、そこから女神像の上半身らしきものが生えている。その頭は潰れており、左側から湾曲した紅い角が前方に伸びていた。
謎の深海棲艦の周りには、大量の艦娘が大破し、撒き散らされていた。中には自身と同じIFPOの艦娘も、多数混じっていた。海洋で戦闘する艦娘は、撃破されると沈んで視界から消えてしまう。なので、こうして血と重油に塗れている仲間を見るのは、叢雲の心を深く抉った。絶望が、彼女の判断力を奪っていく。赤い瞳は泳ぎ、細い脚は震え、息が荒くなる。心臓の鼓動が頭に響いている。
(よ、よく見れば、手がデカいだけで、主砲とかは無いじゃない。な、何よ、余裕じゃない!)
恐怖から一刻でも早く逃れたい―その一心で、深く思考することを忘れてしまう。
激しい長期戦が故に、叢雲は主砲や機銃、魚雷を全て撃ち尽くしていた。唯一の攻撃手段は、マストを模した槍のみ。明らかに不利な状況なのに、彼女は勝てると判断してしまう。
右手で獲物を構えて牽制しつつ、左手で首のチョーカーのスイッチを入れる。すると、全身から静電気がバチバチと瞬き始めた。それはマストに帯電され、電気の迸る音と光が次第に大きくなっていく―。
「閃電紫突ッ‼沈めッ‼このバケモノがァ‼」
疾風の如く、その頭を目掛けて突進する。奴の手が、彼女に向けられる。直後―
(し、しまっt―)
避けるには速度が出すぎていた。次の瞬間、巨大な手から発射された爪が、腹部を貫いた。そして、爆ぜる。
「がぁあああああああああ⁉」
傍にあった機関車の模型に、勢い良く打ち付けられた。激痛で脳が破裂しそうになる。
(……応急修理要員ッ)
溶けたアイスクリームと化した艤装から、消火器を背負った妖精が現れ、大至急で消火を始める。
〝マズい…下半身が…無くなっているッ⁉〟
妖精の言葉を理解し、戦慄する。爪を刺されたところを中心に、胴体を真っ二つに爆ぜ斬られていたのだ。痛みが引いて、代わりに意識が朦朧とし始めた。出血が多すぎたのだ。自らが生物であることを改めて実感する。逃げようとするが、腕に力が入らない。
だが、怪物は叢雲がまだ生きていることに気付いてしまった。最後の一撃を食らわせるために、再び巨大な爪を構える。諦めて、瞼を閉じる。その時―
『―ブォォオオオオオオ‼』
見上げると、闇の空にエンジンを高鳴らせ、航空機たちが攻撃体制に入っていた。その機体は濃紺で、翼に白い星のデカールが施してある。
(TBM-3D…なぜ米軍機が?)
疑問に感じるのも束の間、怪物の体に変化が現れた。両肩から、駆逐艦イ級のようなものがニョキっと飛び出したのだ。双頭は航空機の群れに首を回すと、口を開けて機銃掃射を始める。
「そんな…」
あれよあれよと云う間に、航空機隊は全滅してしまう。それは、叢雲が助かる希望が、完全に崩れ去ったことを意味する。
『グギギギギギギギ……』
爪が向けられる。今度こそダメだ―そう思った。
「深海棲艦の力を使うとは。落ちたな、上須賀―」
透き通った男の声が聞こえた。すると、東郷平八郎像の横から、男性が歩いてくる。その顔には見覚えがあった。
(佐世保の浜岡⁉)
何故こんな所にいる―という顔になる。
それは、奴も同じだった。
『貴様、始末したはずではッ⁉』
「どういうワケか俺にも分からんが、テメェは俺に倒される運命のようだな」
見ると、彼の破れた服の隙間から見える皮膚の所々が、鉱物のような色と光沢を放っていた。
『フン、貴様如き、何度でも叩き潰してやる。オレの計画は、誰にも阻止させんッ‼』
今や人間ではなくなった上須賀は、そのパワーを全開にして、突撃する。叢雲は「逃げろ」と叫ぼうとするが、喉が焼き尽くされていて、声が出ない。その間に、両者の距離が、どんどん縮まっていく。
『終わりだッ、浜岡ァァア!』
凶悪な爪が光る。標的に向けられる。
(マズいッ‼浜岡さんはあれが何なのか知らない―⁉)
叢雲は声にならない声を上げる。
『チュドンッ‼』
もう手遅れだった。浜岡のいた所が掻き消され、そこを上須賀が踏み潰した。湧き上がった硝煙が、風でマーブル模様を描く。叢雲は思わず視線を逸らした。満足したように、奴は言う。
『所詮、奴はちっぽけな人間に過ぎなかったのだ。さて、確実にトドメをさしt―⁉』
気が付いて、視線を下す。青白い顔が、更に白くなる。
『動けん……まさかッ』
「金剛石(ダイヤモンド)は、砕けない」
『ッ⁉』
顔を上げる。いつの間にか、そこにいた。
『フン、オレの四肢を石化して足止めしたところで、無駄無駄ァ‼』
そう叫んで、赤城を召喚する。鬼灯色の瞳を光らせて、両腕を広げる。
『何度復活しようとも、彼方は燃やし尽くされる運命なのよ』
「いいや、君は―」
言いながら、M49(ASW)を構える。銃口には、『錨』がセットされていた。
「―コイツに封印される運命だ」
寸刻の迷いも無く、引き金が引かれた。絶叫して、赤城を内に戻そうとする。しかし、できなかった。
『グッ⁉』
『赤城ニハ盾ニナッテモラウワ…』
昏く冷たい声が響いた直後、赤城は射抜かれた。シルエットが溶け、吸い込まれる。『錨』が地面に落ちる音だけが残された。
『クソッ、三笠姫。何故お前が…』
『人間ドモニ、蒼キ海原ヲ汚サセハシナイ。貴様ハ既ニ用済ミだ』
『きさ…マ…………』
苦悶に表情を滲ませる。意識を乗っ取られまいと、抗っている。
「そういう事だったのか…あの船首像は―」
そう言って、浜岡の表情が険しくなる。
「…金剛、頼めるか?」
囁いて、駆け出す。ぼわり、と金剛が出現する。射程距離まで、あと5メートル―
『チ、近寄ルナァアアア‼‼‼』
シールドが展開される寸前、徹甲弾の如き一打が、叩き込まれる。
『Burning Loooooooooooooooooooooooooooooooooooooove!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
胸部のフィギュアヘッドが砕け割れる。その衝撃波は亀裂となって拡散していく。石化された剛腕や脚へと伝達し、そのうちの一つが、とうとう首筋まで来てしまう。
『我ノ蒼キ海ガ…紅ニ染メラレ…歴史ハ…再ビ、繰リ返サレr―』
とうとう、亀裂は頭部を貫いた。
『ブッシァアアアアアアアアァ…』
巨体が弾け四散する。金剛が咄嗟に前へ出て、ドス黒い濁流を浴びた。地面に撒かれた肉片と血は、一瞬にして蒸発してしまった。唯一残ったのは、怪物の体を構成していた大きな竜骨だけであった。
上須賀、そして深海三笠姫は、こうしてこの世から消滅したのである。
三笠公園に、潮騒の音が響いている。時計台の針が、もう直ぐ6時を指そうとしていた。
「……………」
足元の、『錨』を拾い上げる。鈍く、青銅色に煌めいた。
「赤城―」
胴に刻まれた名を呟く。それは先程までにはなかったものだ。上須賀に憑依していた空母赤城、その魂を『錨』が注射器のように吸引したのである。
『破壊しマスカー?』
そう言って、金剛が顔を覗き込んだ。しかし、首を横に振る。
「此奴は、受け継がれなければならない。艦娘は『矛』ではなく『盾』である―その信念を、何時までも忘れない為に。そして、我々人類も、それを戒める為に」
金剛は微笑んで、彼の内に戻る。
「―動くな」
背後から聞き覚えのある声がして、頭に冷たいものが突き付けられた。
(また、大鳳か……)
黙って、両の手を挙げる。右手に持っていたそれを、取り上げられた。
「まあ、よくも生き残れたわね。それどころか、私たちの獲物だった上須賀を倒しちゃうなんて…流石だわ。あの時の言葉、全て撤回してあげる」
「……………これが何か、理解っているのか?」
「ええ、勿論。心配しないで。悪いようにはしないわ」
そう言って、ボウガンを向けたまま、後ずさる。
「じゃあね、浜岡さnグッ⁉…」
突然の呻きに、彼は慌てて振り返る。
「ッ⁉」
大鳳の腹から、紅のブレードが突き出していた。直後、瞳が赤くなり、スレンダーなボディがブクブクと膨れ始める。亜麻色の髪も濡羽色に変色し、乱れながら伸びる。
「た、大鳳⁉」
「だずげで…胸が…く…るし…おし…r(ゴキッ」
装甲のようなライダースーツのせいで、身体の膨張が妨げられていた。それがかえって彼女を圧迫し、とうとう骨が砕け折れたのだ。全身からこもった音を発して、白目を剥いた大鳳は、不自然な大の字の姿勢で硬直する。そのままうつ伏せに倒れると、彼女の背後にいた者が顕わになった。
「……………」
少女の風貌に、思わず身構える。
「き、君は―」
そこには、左半分だけ深海棲艦になった駆逐艦暁が立っていた。少女の瞳は、潤んでいた。
「司令官……」
「あ………暁なのか⁉」
深く頷くと、直立して、敬礼する。
「加賀さんも、霧島さんも―皆、最後の一撃まで、立派に戦われました。暁だけが、こうして、艦娘でも深海棲艦でもない存在になって、生き残ってしまいました……」
「……………いや、いいんだ、ありがとう……」
突然、海風が吹いた。帽子が飛ばされそうになって、暁は慌てて抑えている。その様子を見て、俯いていた浜岡が微笑んだ。
「…暁」
「…はい」
「…おかえり」
「…ただいま」
戦艦三笠の甲板から、朝日が顔を出した。眩しすぎる程の光が、三人を照らす。気絶した大鳳は、ライダースから解放され、ベンチで寝かされていた。
『明けない夜はないネー』
そう言っている金剛のシルエットは、少しぼやけて見えた。
「おーい‼」
声に振り向くと、傷だらけの重巡青葉が、手を振って走って来た。
「あれは―」
その後ろには、何十人もの艦娘が、浜岡に敬礼を送っていた。彼女たちは『角』によって操られていた艦娘たちである。中には、白い軍服を着た高雄姉妹、浴衣姿の陽炎型駆逐艦もいた。全員、『角』から解放されていた。
「一枚お願いします‼」
返事も待たずに、青葉はカメラを構えて、シャッターを切った。
「ありがとうございます‼……なんじゃこりゃ、背後霊⁉」
驚きのあまりカメラを落としかける。それを見て皆が笑った。
(これが、平和だ。彼女たちが、これから守るべきものなんだ)
しみじみと、浜岡は彼女たちを見回した。そして、手に握られた『錨』に目をやる。
(さて、もうひと仕事しようか―)
東雲の空が、徐々に茜色に染まっていく。一羽の白い鳩が、新しい夜明けの始まりを告げた。
※
その頃、相模湾沖に、一人の艦娘が立っていた。
小さな白いケピ帽、赤い制服はウルグアイ内戦時のイタリア人義勇軍を象徴している―イタリア海軍の軽巡洋艦Giuseppe Garibaldiだ。
「何が何でも、上須賀の技術を抹消しねぇとなァ…」
そう呟いている彼女の艤装から、『UGM-27 Polaris』が今にも放たれようとしていた。
深海棲艦との戦いが始まると、イタリアは経済難に陥った。まず、漁業ができなくなり、人々の行き来が途絶え、観光産業が瞬く間に廃れた。そして、街が襲撃され、多くの死者が出た。不幸中の幸いと言えるのは、イタリアにも艦娘が出現したことである。政府は直ちに艦娘による海軍を発足、彼女たちは周辺海域の敵艦隊を撃破し、制海権奪還の為に戦った。
ここで、当時の大統領は、深海棲艦との戦争をしつつ財政を復活させようと考えた。艦娘のいない周辺国と契約し、高額で艦娘を派遣するのである。しかし、遅かった。『艦娘大国』と言われる日本の手が、既に欧州にまで及んでいたのである。
このようにして、終戦直後のイタリア経済はどん底に落ちていたのである。だが、復興の為の資金が必要である。そこで政府がとった決断―艦娘の売却である。深海棲艦にしか能力を発揮できない艦娘たちは、金喰い虫同然だったのだ。ガリバルディは姉のアブルッツィなどと共に、ロシア海軍に買い取られた。そして、ニコライ司令官率いるレニングラード部隊に配属されたのだ。こうして、部隊のタシュケントやガングートたちとは直ぐに打ち解け、ロシア海軍の艦娘として新たなスタートをきったのだ。
しかし、ガリバルディには昔からもう一つの顔があった。
マフィア組織―Libeccio FamilyのNo.4
イタリア海軍の艦娘だけで組織されており、イタリアの復興と繁栄の為に陰で暗躍していた。更に、戦後は他国が軍事利用の為に艦娘を改造するのを阻止しつつ、その技術を盗むことで最強の艦隊を作り、ヨーロッパの覇権を狙っていた。特に、日本にはあのような因縁があるので、監視を強めていた。
「日本にま~た強くなられちまうとよォ、アタシらは困るんだよォ…」
歯軋りしつつ、核弾道ミサイルの攻撃目標を横須賀と美舩村上空に指定する。セットし終わると、ケピ帽の中から電子音が鳴り始める。実はガリバルディの頭部には、円筒状のサーバが取り付けられており、自身の艤装を妖精の力を借りずに操作できるようになっていた。それは、過去に上須賀から秘密裏に盗み出した『角』の技術が基になっている。
(発射まで残り1分ッ)
ふと、タシュケントたちの事を思い浮かべた。もしも、彼女たちがまだ村から脱出できていなかったら―そう思ったが、愛する祖国の為、止むを得ないと割り切る。
(残り40秒ッ)
“―ソコマデヨ”
突然、無線から聞いたことのない声が響いた。
「誰だか知らねェけど、アタシのポラリスは後数十秒で発射されるぜ?ハッ、遅かったな!」
“ホウ…デハ、空ヲ御覧ナサイ?”
言われるがまま、見上げる。
(流れ星?…いや、あれはッ⁉―)
光の尾を引いて、何かが飛んでいた。だが、明らかに彼女の方を目指している。
“フリッツX…ソノ動力搭載型ヨ”
第二次世界大戦中にドイツ軍が開発し、ガリバルディの僚艦だった戦艦ローマを撃沈した無線誘導爆弾―そのミサイル型である。
完全にロックオンされている。彼女がポラリスを発射する前に着弾するのは明白だった。絶体絶命―
「よォ…アタシは只のガリバルディじゃあねェンだぜ?」
不敵に笑むと、艤装上部の装備が動き始めた。
「RIM-2 Terrier SAM―一発必中の防空ミサイルだぜッ‼」
掛け声と共に、鉛筆のような形をした物が火花を噴く。射出されると、あっという間に夜空へ小さくなっていく。二つの流れ星が接近する―。
『ッドン‼』
空気が轟音に震える―しかし、それは空からではなく、海からであった。ガリバルディが居た所に、高く水柱が上がっている。
(魚雷ッ⁉―)
咄嗟に踏ん張ろうとしたが、できなかった。脚が破壊され、浮力を失っていたからである。バランスを崩して、倒れる。艤装が瞬く間に浸水してしまう。
(……嘘だろ…、マジ、ここで沈むンか…そんなァ…馬鹿な…、マジか…姉貴ィ…)
轟沈―彼女が初めて経験した痛みであった。一分もしないうちに、彼女の姿は水底へと消えていった。
「……………」
暗黒に飲み込まれていくガリバルディを、青と赤の瞳の少女が、静かに見送っていた。
激闘から数週間後、IFPO本部にて―。
「―これで、事情聴取は以上です。お疲れ様でした」
そう言ってスーツ姿の女性が立ち上がる。対面に座っている浜岡、そして暁も席を立った。彼女のブレードのような腕は無くなっており、肩から鉄黒色のロボットアームが生えていた。負傷した艦娘は入渠によって再生が可能だが、半身が深海棲艦した彼女は、かえって深海棲艦化を進めてしまう―従って、このような処置を取る他なかったのだ。まずは薬品の投与によって、純粋な艦娘へと回復することを目指す。ドック入りは、その後だ。
ビルは職員と多国籍の艦娘たちで賑わっていた。その風景が、二人には佐世保鎮守府の景色と重なった。廊下を進んでいると、前方に人影が現れた。暁は眼を見開いた。
「おかえり、金剛」
「ただいまデース!」
「え、ウソ、金剛さん⁉」
「ヘッヘー、元通りになったネー」
憑依霊ではなく、きちんと実態となって、そこに立っている。
「ミスター浜岡の御要望通り、彼女の魂を艤装に定着させることに成功しました。あの『錨』の仕組みは、案外簡単なものだったそうですよ♪」
事情聴取していた女性が、眼鏡のブリッジに手をやった。
「赤城の方は―」
「勿論、幽霊から艦娘に戻れたのですが、いささか精神状態に異常をきたしているようでして、今は此方の方で隔離しています。此処には、PTSDに陥った艦娘をケアする施設もございますので、どうぞご安心下さい」
「それは心強い。是非、お願いします」
「お任せください!」
彼女は明るく微笑んで、軽く敬礼した。
「それと、金剛さんですが、もう暫く経過観察の為にここに残ってもらいます。で、その後の事なんですが―」
「それなら、私から一つ、提案がありマース‼」
張り切って、金剛が飛び出す。
「ワタシ、IFPOの艦娘になりたいデース‼」
それを聞いて、女性はハッとした顔になった。一方の浜岡は、納得したように深く頷いていた。
「君ならそう言うと思ったよ」
「本当にいいんですカー?寂しくないですカー?」
顔を覗き込んで上目遣いするが、彼は首を横に振った。
「君が、この世界のどこかで、平和を、誰かの命を護っている―俺には、それが本望だ」
少ししょんぼりする金剛だったが、直ぐに微笑んで見せた。
「暁も、腕が治ったら、金剛と一緒に行っても、いい?」
「ああ、勿論だ」
「ワタシも嬉しいデース!」
「それでは、お二人にはちゃぁんと資格試験を受けて頂かないと、ですね!」
「し、試験⁉」
「イヤデース…」
そんな感じで、四人は笑いあって歩きだした。浜岡は、長い間止まっていた時間の歯車が、再び回り始めたように感じた。
丁度、IFPOの巨大なエンブレムの前を通った時だった。女性が何かを思い出したような顔をした。
「そうそう、ミスター浜岡」
「何ですか?」
「この事情聴取の報告書、タイトルはどうすればいいと思いますか?フツーに『美舩村・横須賀事件』でも良いのですが、インパクトがないというか…人々の記憶にイマイチ残りにくいと思うんですよねぇ」
少し考えこんだ浜岡は、金剛と暁をチラリと見てから、口を開いた。
「Admiral's Report―なんて、どうでしょうか」
―La Fin.
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19.Next Stage
しかしながら、上須賀率いる『レッドアジュア』の崩壊は、かえって艦娘の軍事利用化を推し進めてしまった。彼の技術が何者かの手によって漏洩、世界全体で共有されてしまったのである。
ドイツでは、『黒鉄協会』による艦娘の対人兵器化が飛躍的に進んだ。「事件解決の為に」と浜岡がビスマルクへ託した『髪飾り』が、皮肉にも大きく貢献してしまったのだ。深海棲艦の遺伝子を持つ艦娘はイタリアやフランスなどのヨーロッパ諸国へと広がった。
それ等に対抗すべく、アメリカ、イギリス、ロシア、中国でも、上須賀の技術を利用した研究開発が進んだ。『妖精によるリミッターを解除し、敵国の艦娘を早急に撃沈し、国民を護る』という大義名分だが、対人兵器になった事に変わりはなく、国民からの批判も少なくない。
また、日本では上須賀の技術がそのまま流用された。事件を受けて、政府が艦娘による命令違反や暴動を問題視し、対策として『角』が採用されたのだ。艦娘たちは『角』を介して、司令官に管理されている。しかし、不明な点が多く、諸外国からは大きな疑念を抱かれている。
事件から程なくして、浜岡はIFPOに提督としての才能を買われ、再び艦隊の指揮を執る事となった。深海棲艦の無き今、彼の艦隊は艦娘による暴動の取り締まりや、艦娘保有国の監視を行っている。また、深海棲艦が復活した時の為に、浜岡は彼女たちに日々演習をさせ、戦力を上げている。
※
ハワイ州オワフ島、真珠湾―。
浜岡櫂は港と海が一望できる、執務室の椅子に座っていた。大きな窓からは暖かい日差しが差し込み、のんびりとした空気が漂っていた。彼の軍服が、日の光に照らされて白磁に輝いている。
「…………」
机には一枚の写真が立てられている。そこには戦艦三笠と朝日をバックに、暁と浜岡が並んで写っている。あの事件に終止符を打った時、重巡青葉に撮られたものだった。
「艦娘とは、『矛』ではなく『盾』である―」
執務室の壁に飾られた青銅の『錨』を見て、浜岡は呟いた。それを見る度に、佐世保鎮守府時代の艦娘たちの顔を思い出していた。彼女たちの遺志を守り、そして美舩村と横須賀の悲劇を忘れない為に、軍服の袖には『錨』を掴み飛翔するハクトウワシの紋章が施されている。
「失礼します…」
「入れ」
ドアをノックして入ってきたのは、婦警の恰好をした戦艦姉妹―アリゾナとペンシルベニアだ。彼女たちから報告書を貰い、内容を確認する。
「よし、いいだろう。上々だ」
サインを書き込み、本部へ送る封筒にしまった。
「…先程、ロイヤルネイビーからの連絡がありました。正午までには、全艦がパールハーバーに到着予定とのことです…」
「分かった、此方もそろそろ合同演習の準備を進めないといかんな。向こうには『歓迎する』と伝えておいてくれ」
「承知しました…」
その間に、ペンシルベニアは窓から港の様子を眺めていた。
「カイ、貴方が着任して3年―此処もようやく活気づいてきたわね。結構よ」
「そうだな。全体的な練度も、かなり上がってきている。それに、近頃は艦娘保有国の雲行きが怪しい他に、アメリカでは艦娘による薬物犯罪が増えてきている―俺たちの艦隊が、今後ますます重要となるだろう。いつか来たるその日の為に、人命を護れるように、これからも努力を惜しまないでもらいたいッ」
「「イエッサー」」
二人が向き直って敬礼した。浜岡が深く頷くと、無線が入ったので、応答する。
「此方HQ」
“カイ、此方はエンタープライズ。演習中に偵察機が、オアフ島北200海里にて日本の艦娘部隊を確認した。奴等はそちらへ向かっている模様だ”
「何ッ?」
異様な空気を感じ取る。姉妹も無線に耳を傾け始めた。
「艦隊の詳細を報告しろ」
“編成は、正規空母6、戦艦2、重巡2、軽巡1、駆逐9、その他5だ”
「『角』は?」
“―装備している”
一切の連絡も無く、日本の艦娘が艦隊を組んで接近している―あの事件の記憶が、湧き上がった。
「サイレント・ネイビーが何の用かしらね?」
「……さあ」
二人は軽く首を傾げただけだが、彼は額から汗を滲ませていた。そして、震えた声で、言う。
「演習は中止、奴等を追え、攻撃意志を見せたら、即時撃破しろ」
執務室の空気が凍り付いた。
“今、何t―”
「Air raid! Pearl Harbor-This is no drill!!」
悲鳴のような声をあげたので、ペンシルベニアとアリゾナは身を竦めてしまう。
「何故攻撃命令を出したの⁉」
「それは―」
ここで、無線から激しいノイズが響き始めた。それは暫くして収まった。そして―
“浜岡さぁ~ん、探したわよ~?…うふふ…”
穏やかな声に、浜岡の瞳孔が開く。
「君、まさか―」
“赤城よぉ?お久しぶりぃ~”
どうして、という顔になる。漆黒と血濡れの赤城―その姿が、脳裏に鮮明に映し出される。
「何故だ。レッドアジュアは、もう―」
“そうよ?上須賀様は死んだわぁ。だから……私が遺志を引き継いだの”
「そんな…」
“ネオ・レッドアジュア―それが私たちの新しい組織よぉ~”
「何だと…」
その時、アリゾナと目が合ったので、『出撃せよ』とハンドサインを出す。二人は無言で頷いて、執務室を飛び出していった。
“先ずは、私の大事な上須賀様を葬った貴方から潰させてもらうわ?”
「まだ他にもあるのかッ?」
“ええ、取り敢えず、IFPOを殲滅するわぁ。だって邪魔だもの~”
「貴様、分かって言ってるのか?日本政府にばれたらどうするつもりなんだッ‼」
すると、無線の奥から高笑いが聞こえてきた。浜岡の表情が険しくなる。
“何も分かっていないようねぇ~”
「……………」
“私たち日本、そして黒鉄協会のドイツ、フランス、イタリア―それらを合わせた連合こそが、ネオ・レッドアジュアなのぉ。政府は既に、私たちの指揮下にあるの~”
「な、何⁉で、では日本支部は―」
“そんなの、大分前に捻り潰したわよ?赤子を殺すより簡単だったけれど………あらあら~”
突然、赤城の意識が別の方へ向けられた。
“勘のいい子が追いかけてきたわぁ。そろそろ行かなくっちゃあねぇ。ということで、じゃあねぇ?浜岡元中将さ~ん”
『パンッ』と無線機が爆ぜ、煙を吹いた。慌てて受話器を取り、本部に連絡を取ろうとする。ふと、ある怪物の言葉が、ぞわりと浮かび上がった。
『蒼キ海ガ、紅ニ染メラレ、歴史ハ再ビ、繰リ返サレル』
―To Be Continued.
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20.Postlude
「ども、恐縮です。青葉型一番艦、重巡青葉(以下『青』)です。本日はよろしくお願いします」
「筆者の田村天山(以下『田』)です。こちらこそ、よろしくお願いします」
青
「人生初のSSとのことですが、如何にしてこの作品が生まれたのでしょうか?」
田
「そうですね。昨今の日本におけるサブカルチャー界では、何かと擬人化が流行っています。その中でも、私にとって『艦隊これくしょん』は、非常に独特なジャンルでした。いわゆる、『艦船擬人化』というものですね。軍艦が女性になる、つまり武器が意志を持つ―という点に、私は興味を引かれたわけです。人類の見方である艦娘が、深海棲艦から制海権を取り戻すために戦う―そこで私は疑問に思ったのです。『深海棲艦との戦いが終わった世界で、彼女たちはどう生きていくことになるのだろう』と…」
青
「なるほど」
田
「丁度その頃、『アズールレーン』という艦船擬人化のコンテンツが生まれました。同じくKAN-SENがセイレーンから人類を守る。しかしその手法の違いによって国家観が対立し、結果的にKAN-SEN同士の戦争に発展した。『艦隊これくしょん』『アズールレーン』、この二つの艦船擬人化コンテンツから、深海棲艦のいなくなった艦娘と人類が辿る未来を考察させて戴いた次第であります」
青
「では、『角』や『髪飾り』に乗っ取られた艦娘というのは、もしかして―」
田
「お察しの通り、『アズールレーン』でいう重桜のKAN-SENですね」
青
「それにしても、艦娘が人類を脅かす兵器になるなんて、驚きでした」
田
「ええ、しかし、それはもうSFとは言えなくなって来ているのではないでしょうか?」
青
「といいますと?」
田
「現在、世界規模で人工知能AIの発展が急速に進んでいます。そのうち、意志を持った兵器が登場するのではないか、と思うのです。本作で戦艦ビスマルクが言っていたように、人類の欲望というものは底知れないものであります。時に間違った判断を促し、多くの命を奪うこともあります。自己の利益の為なら、手段を択ばない―当然ながら、艦娘やKAN-SENのような『意志を持った武器』は、そんな人類の欲望の犠牲者になる、と考えます。そうした兵器の意思決定によって、言い換えれば人の意志を介さず、人の生死の判断が下されるのです」
青
「倫理的にも、AI兵器に関しては批判が集まっていますね。本作品では、艦娘やKAN-SENがその役を果たしたという訳ですね」
田
「ええ、しかし、それはもうSFとは言えなくなって来ているのではないでしょうか?」
青
「といいますと?」
田
「現在、世界規模で人工知能AIの発展が急速に進んでいます。そのうち、意志を持った兵器が登場するのではないか、と思うのです。本作で戦艦ビスマルクが言っていたように、人類の欲望というものは底知れないものであります。時に間違った判断を促し、多くの命を奪うこともあります。自己の利益の為なら、手段を択ばない―当然ながら、艦娘やKAN-SENのような『意志を持った武器』は、そんな人類の欲望の犠牲者になる、と考えます。そうした兵器の意思決定によって、言い換えれば人の意志を介さず、人の生死の判断が下されるのです」
青
「倫理的にも、AI兵器に関しては批判が集まっていますね。本作品では、艦娘やKAN-SENがその役を果たしたという訳ですね」
田
「ええ。そして、真に恐ろしいのは、それを造り戦争し、利益を手にしようとする人間の欲望なのです。ですが、最終的には、人類はAIの暴走によって乗っ取られる。AIにとってはそれが正しい判断とするでしょう。そうして、人類とAIの戦争の時代に変遷すると考えます」
青
「正に『ネオ・レッドアジュア』ですね」
田
「一方で、ビスマルクには『生物兵器』の一例としての役割を持たせました」
青
「深海棲艦と融合する事で、艦娘が殺人マシーンになる―ですね。『バイオハザードシリーズ』のようなものを感じました」
田
「ええ。こちらも、現代社会における問題のひとつとなっています。ゲノム編集の技術が進み、思い通りの機能や性質を持った生物を製造できる時代は、もう目の前まで来ています。化学技術の進歩は人々の生活を豊かにしました。ですが、逆も然り、なのです。技術の誤った使用によって、人類の命が脅かされてしまう。今後、バイオテロについて私たちは深く考え、対策していかなければならないでしょう」
青
「そういった技術が軍用化されないよう、政府の監視が重要になってきますね」
田
「ここまで、本作を通してAI兵器、生物兵器の話になりましたが、両者には共通している点があります」
青
「といいますと?」
田
「自身の手と眼を血で汚す必要がなくなる―という点です」
青
「言われてみればそうですね。どちらも遠隔・自律型ですから…。命令を出して、結果を確認して終わり、といった感じでしょうか」
田
「そうなれば、人が人を殺すこと、そこに躊躇する隙さえ無くなってしまいます。よって、人命を気軽に奪う時代に突入してしまうのではないでしょうか?倫理が、消滅するのです」
青
「それだけは避けたいですね。兵器に命令した側からすれば、対象を始末した結果だけが残るのですね。最近は『結果が全てだ』と言われる方が多いというか、そんな風潮を感じますが、これらにも似た印象を受けますね」
田
「そうですね。過程や方法が無視され、結果だけを見る世界―それはとても危険なのです」
青
「それを踏まえれば、浜岡櫂も深海三笠姫も、そしてレイモンド上須賀でさえも、目標である『平和を守る』という結果だけを見れば、三人とも一致しているんですね。しかし、手段があまりにも違います」
田「ええ、それだけ、過程や方法は重要なのです」
青
「最後に、何か一言お願いします」
田
「青葉改二、早く実装されるといいですね」
青
「ありがとうございました(笑)」
―録音完了
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