オールマイト「マイワイフは女子高生」 (ワイフマン教授)
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第一章 奥様は女子高生
00 奥様は女子高生


 

 

 オールマイトには一人の友人が居た。

 彼の名は、邉元氣(ほとり げんき)。「ポジティブヒーロー"GENKI"」の名で活躍するヒーローだ。

 互いにヒーローとして活動していく中で二人は出会い、すぐに意気投合した。彼はオールマイトよりもいくらか年下だったが、明るく快活な性格で、気持ちの良い男だった。

 元氣との友好関係は10年以上続き、その間に彼は恋人を作り、結ばれ、愛子を授かり、そしてそれらをヴィランの手によって失った。そのたびにオールマイトは彼をからかい、祝い、その幸福を心から喜び、その不幸を我が事のように悲しんだ。

 ヒーローの宿命と呼ぶにはいささか無残が過ぎる、筆舌に尽くしがたいほどの様々な事があったが、それでも二人の関係は変わることは無かった。

 

 

 ある日の事だった。オールマイトの元に、そんな長らく関係を続けている友人から驚くべき知らせがあった。

 折しも宿敵オール・フォー・ワンとの抗争が激化していた時分の事だったが、元氣からの連絡もそれにかかわることだった。

 オールマイトにとって最も注目すべきだったのは、元氣の開口一番の言葉だった。

 曰く「娘が生きているかもしれない」と。

 

 

 オールマイト達がオール・フォー・ワンを追いつめていくに従って、敵陣営の足並は次第に乱れはじめていた。その綻びを手繰ることでさらに敵を崩していくという戦いの中で、元氣はとある情報をキャッチしたという。

 「『自己再生の個性を持つヒーローの娘』を攫い、それを育てているヴィランがいる」という話を。

 元氣の個性は「自己再生」だった。そして、彼の妻の遺体は事件直後にすぐ見つかったが、娘の遺体はついぞ見つかることはなかったのだ。

 

 子供は珍しい個性を持っておりオール・フォー・ワンへの供物として育てられていたが、ここしばらくのうちに敵陣営の形勢が悪化したことから、予定を早めてオール・フォー・ワンへと捧げられることになったという。

 これが事実なのだとしたら、その子が元氣の娘であるかどうかに関わらず、一刻も早く助け出さなければならない。そう誰かに言い訳するようにして、オールマイトは車よりも電車よりも早いスピードで、文字通り駆けつけた。

 

 郊外の小さな町にあるその場所は、見かけ上は小規模な診療所だった。街灯もまばらな夜の闇の中で、診療所のガラスの向こう側は防犯用と思しき緑色の淡い光に照らされて異様な雰囲気を醸し出していた。

 数秒ほど息を整えてから、観察もそこそこにオールマイトはまた走り出した。

 元氣はオールマイトの到着を待つと言っていたが、少しでも不穏な動きがあれば単独でも突入するとも言っていた。

 

 彼の姿は無く、周囲は不自然なほどに静かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だが、僕は「僕のヒーローアカデミア」に転生あるいは憑依したオリ主である。

 

 僕のヒーローアカデミアというのは一見ふつうの現代モノのように思えるけど、本編のつい5年前までは悪の帝王が裏社会に君臨していて、平和になったはずの本編時間でもなお町中で日常的に犯罪者が出現するような世界である。謎の宗教団体とか反社会組織も居るところにはいるし、ひと皮めくればかなりの危険が潜んでいる。

 この世界の住人は、運が良くても生涯のうちに何度かは犯罪を生で目の当たりにするし、運が悪ければ犯罪に巻き込まれて命を落とすか、あるいは望まずとも自ら犯罪者として生きることを余儀なくされる。

 僕が生まれた環境も残念ながら「なかなか運が悪い」ほうで、10歳になる頃、つい前世の記憶に目覚めてしまうほど不幸な目に遭ったものだ。

 けれども、それから7年。ヒーローに救い出された僕は、十分な環境の中、十分すぎる生活を送っていた。思うに、この世界は大きな辛い事があるぶん、大きな喜びも湛えているのではないだろうか。

 僕はこの世界で、運命の人と出会った。

 

 

 今僕の住んでいる家は、それなりに都会でそれなりに便利な住宅街にある。歩いて行ける距離にスーパーも家電量販店もあるし、駅もある好立地だ。

 夕刻。近所のスーパーから帰ってきた僕は、手早く食材の整理を始めた。昼の弁当を含め、三食を作るのは僕の仕事だ。

 僕も同居人もかなりたくさん食べるほうで、翌日の弁当に入れる分も含めると15人前くらいの料理を用意する必要があるけど、なんだかんだで僕は父が亡くなってから6年間自炊をしてきた経験があるし、ここ1年間は専業主婦をしていたので、特に手間取ることはない。

 そうこうしているうちに、ガチャリと玄関の鍵が開く音がして、僕は手を止めた。時刻は19時過ぎだった。僕の愛すべき旦那様の帰宅だ。

 

 僕が手を洗ってそれを出迎えに行こうとするよりも早く、素早く廊下を駆ける音がして…

 

「わ~た~し~が~…帰宅した(きタクシた)!!」

 

 リビングダイニングの扉がバーンと開き、筋骨隆々の大男が満面の笑みを浮かべて登場した。僕はそれを笑顔で迎えた。

 

「俊典さん、たまにそれをやりますよねぇ」

「…いつも思うけど、もうちょっとリアクションがあってもいいんじゃないかな?」

「僕がリアクションの薄い人間だっていうことはご存じだと思いますが」

 

 「キャー!ダーリンお帰り!」と言って飛びついてあげたら良かったのだろうか。確かにそのノリは彼に似合うけど、それはちょっと僕のキャラではきつい。

 僕の旦那様は比較的テンションが高めで騒がしい人だ。それに対して僕はあんまり感情表現が豊かではない。少し申し訳なく思う。

 そんなことを考えながら、彼のジャケットを受け取る。2mを大きく超える長身にボディビルダー並みの肉づきを持つ彼が着ていたジャケットは、女性として平均的な身長の僕が持つとローブのように巨大だ。

 

 ふぅ、という感じでネクタイを緩めてワイシャツのボタンを外している彼を見ているうちに、ふいに気になって、僕は手の中のジャケットを顔にあてて息を吸った。

 

「…ふんふん」

 

 決して嫌なものではなく、嗅ぎなれたにおいがした。

 顔に触れても肌触りが良い程々に高級な仕立ての生地を感じつつふた呼吸…する前にジャケットが奪われた。

 

「あっ」

「ヘイガールッ、何をしてるのかな!!?」

 

 俊典さんは自分の体でジャケットを隠すようにして抱える。僕はそれに対して悪びれることなく答えた。

 

「仕事後はどんなにおいがするかと思って」

 

 可哀想だから直接言ったりはしないけど、彼も年齢的にはそろそろ加齢臭を身にまとっていてもおかしくない。それは僕としても少々気になるところなのだ。…という言い訳だ。

 

「大丈夫ですよ。臭くなかったですから」

「ぐっ…これは喜ぶべきなのかな…?」

「むしろちょっと興奮しました」

「What!?」

「冗談です。…嘘というわけでもないですけど」

「!!??」

 

 この人はすごく良い反応をしてくれるから、ついからかって遊んでしまう。

 

「そうそう、まだ言ってませんでしたね」

 

 部屋の隅にしゃがみこんで頭を抱えてしまった俊典さんの背中にしなだれかかりながら、その耳元に囁いた。

 

「お帰りなさい、旦那様。 お食事にしますか、お風呂にしますか、それともわ・た・し?」

「………ディナープリーズ!!」

「あはは」

 

 アメリカンな振りには答えてあげられないけど、僕なりの新婚夫婦のノリとしては、これくらいで許してほしい。

 

 

 

 僕の名は八木桃香(ももか)。旧姓は邉。

 この春から国立雄英高校の1年生として通う17歳の女子高生で、日本の平和の象徴オールマイトこと八木俊典の妻だ。

 あとついでに転生者でもある。そういえば僕っ娘でもある。自分でも驚きの要素過多だ。

 

 たまに「なんでこんなことになったんだろうか」と思う時があるけれども、僕は今の自分にとても満足している。

 

 

 




 
いろいろ描写して説明してると長くなってしまうので、既に主人公はオールマイトと結婚している状態でスタートします。
なんでそんなことになったかについては、後々描きたいと思いますのでよろしくお願いします…
 
 


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01 雄英高校入学

主人公の個性が他の投稿者さんとちょっと被ってるところがあったりするけど、話のテーマ自体は全く別だからセーフのはず…
 


  

 

 僕の個性は「自他を再生させる能力」、すなわち癒しだ。

 

 具体的に言うと、僕の体液には生物のダメージを自他問わず回復させる能力がある。これは「自己再生」という個性を持っていた父と、水系統の個性を持っていたという母から受け継いだものだ。

 

 僕は10歳の時に父を亡くし、それからは父の友人だったヒーロー、オールマイトに後見されて暮らしてきた。彼が自ら僕を目にかけてくれたのは、それだけ父との友情と、僕の個性と、父を救えなかったという事実を重く見ていたからだろう。

 そんな中で、僕は、自分が他者を癒すことのできる個性を持っていることと、オールマイトと触れ合える立場にいることの意味を考えた。

 交流を深めるにつれて彼の人柄に惹かれつつあった僕は、さほど迷うことなく答えを定めた。

 AFOことオール・フォー・ワンとの決戦で致命傷を負うオールマイトを癒し、ひいては彼を苛むものから救い、彼を支える。それこそが自分という意識がこの世界に生まれた意味なのだと僕は確信した。

 

 それから僕は紆余曲折を経て、身体と個性を鍛え、オールマイトが決戦を終えてからは何年もかけて彼の傷を治療した。

 そして彼の傷が癒えてからは本格的に恋慕して、いくつかの段階を経て16歳の結婚可能年齢になったタイミングで彼と入籍することになり、さらに高校に進学していなかったところを同年齢の子供達より1年遅れで雄英高校に入学することに決めた。

 かなり省略した部分があるけれど、取りあえずそうして僕はこの場所にたどり着いた。

 

 

 

 

 4月8日水曜日。よく晴れた麗らかな日差しの中で、僕は国立雄英高等学校の入学式を迎えることができた。

 僕は特に緊張などすることも無く、いつも通りの時間に起床し、朝食と夫の弁当を用意した。

 国内最高峰のヒーロー養成校へ通うことへの緊張感だとか、ましてや新天地への不安なんてものは特に無かった。程度はあれど、社会人になれば、知らない場所に行って知らない人と会話して未知の作業をすることは、さほど珍しいことではない。いわばこれはその延長だ。

 僕の主観年齢は社会人だった前世を合わせればいい加減40歳ほどになるのだ。

 俊典さんが3倍近く年の離れた僕と交際する気になってくれたのも、精神年齢がそんなに離れていないからこそだ。

 16歳の少女と結婚した俊典さんはそれを知る大人たちから白い目で見られていたけれど、みなさんどうか夫を責めないであげてください。

 

 さて、それから起きてきた俊典さんと朝食をとり、式の準備や打ち合わせのために早くに家を出る俊典さんを見送り、僕も一息ついてから家を出た。(彼は「制服似合ってるぞ!」という、妻に対するものとして考えるといささか怪しいコメントを残して爽やかに出勤していった)

 

 僕の家は雄英高校の立地する丘のふもとにある。ヒーローの巣窟である雄英高校の周囲は治安が良く、地価の高い住宅街になっていて、その中の一つが僕の家なのだ。

 雄英高校の校舎は丘の下からでも十分見えるほどに巨大で、多数の生徒達が通学するのにふさわしく、きちんと道も整備されている。入試の時に一度通ったし、今更迷うことはなかった。

 

 浮足立った新入生たちに囲まれながら坂道を上がって、校門の巨大なゲートをくぐり、四本の棟が渡り廊下でつながっているようなお洒落な校舎に入る。

 不安はなくとも新鮮な気持ちは感じるものだ。このころになると、僕も流石に高揚感を覚えた。家で一度履いてみただけの上履きを鞄から取り出して、周囲の子供達の期待に満ちた表情を見ると、僕も嬉しい気分になった。

 そうして校舎内を移動し、ヒーロー科のエリアにたどり着いた。いっそう気分が上がる。

 今年の雄英高校一年生は、まさに原作の主人公達の学年だ。

 

 ひとつ言い訳しておくと、僕が高校に入学するまで1年のブランクを作ったのは原作キャラクター達に交ざりたいという下心があってのことでは決してない。

 もともと僕は高校に進学するつもりはなかった。それは、AFOのことを考えたら、おちおち高校に通っている余裕などないと思っていたからだ。

 

 AFOが原作通りに攻撃を仕掛けてきたならば、俊典さんが怪我を完治させていることにはすぐに気付かれるだろう。その時僕は決して敵側に自分の存在を知られてはならない。強くそう考えていた。

 僕の個性は時間こそかかったけれど俊典さんの怪我を治療できた。なら、AFOの傷だって治療できてしまうのだ。

 それが今になって姿を現すことを決めたのは、姿を隠す必要が無くなったからだった。

 

 

 中学校3年の12月ごろのことだった。深刻そうな顔をして現れた俊典さんが、「AFOが瀕死の重傷を負いつつも生きていたらしい。でも1年ほど前に結局死んだらしい」という内容の事を語った。

 当然AFOが生きていたことを俊典さんがこの時点で知っているのはおかしいし、そのAFOが死んだというのも原作を逸脱した驚くべき情報だった。

 

 最初、俊典さんはその情報のソースを教えてはくれなかったけれど、僕がしつこく聞き続けると、少しだけ話してくれた。

 いわく、AFOの弟子を名乗る男が俊典さんの前に現れ、AFOの生存と死亡を伝えてきたのだという。その時の問答から、その情報は真実だと俊典さんは確信したらしい。

 

 その男の名は死柄木弔というそうだ。

 僕は腰を抜かしそうになった。

 

 死柄木弔が語ったことが1から10まで真実かどうかはわからない。AFOが生存している可能性の調査も含めて、厳重な警戒・捜査網が俊典さんのサイドキックであるサー・ナイトアイの主導で今も敷かれている。

 でも、少なくともAFOの死亡に関してはかなり信憑性が高いとのことだった。

 ナイトアイは彼自身の情報戦能力も優れてるのに加えて「年単位の未来を見通せる予知能力」というすごい個性を持っている。原作でAFOの生存を見抜けなかったあたりが不安だけれど、それでも彼のいう事は一定の信頼がおける。

 

 死柄木弔はその場で俊典さんから逃げおおせたという。そしてその時に「あんたの真似してしばらくは外国にでも行ってみるよ」と言い放ったらしい。

 

 ともあれ、死柄木弔の動向がどうであるにせよ、肝心のAFOが居なくなったのならもう僕が個人的に警戒を続ける意味はほとんど失われたことになる。

 信じられないけれど信じたいような気持ちを抱えながら、なぜか萎んでいた俊典さんを慰めているうちに高校受験の時期は過ぎていた。

 それから俊典さんと結婚したりしながら、やっとAFOの脅威がもう無いということを受け入れることができた僕は、改めてこの世界で自分のやりたい事は何かないかと探した結果、「ヒーローとしての立身」という選択肢を見つけたのだった。

 

 ちなみにナイトアイは原作では俊典さんと仲たがいしていたけれど、この世界では仲たがいの原因を僕が取り除いてしまったのでいまだに元気にサイドキックをやっている。(ワン・フォー・オール継承者については揉めていたけど)

 実は僕と俊典さんが結婚する際に提出した婚姻届けに書かれている僕の保証人はナイトアイだったりする。彼は超熱烈なオールマイトファンなので、僕たち夫婦が彼に結婚の意思の報告をしに行ったときには、いろいろな感情が限界まで混ざりあって800%くらいに膨れ上がったような表情をしていた。

 

 

 

 

 ヒーロー科の新入生は全体に比べてだいぶ少ない。A組の教室に僕がたどり着くころにはすっかり新入生の人波は無くなっていた。

 ちょっとした恐竜でも通れそうなくらいの見上げるほどの大きな扉がA組の教室の扉だ。僕は思い切りよくそれを開いた。

 

 教室の中には既に多くの生徒がいて、その殆どが新たに教室に入ってきたこちらのことを伺っていた。

 座席表などは特に掲示されておらず、A組の面々は思い思いの場所に座っているようだった。ざっと教室を見回して顔ぶれを確認してから、軽く会釈して僕も適当に後ろのほうの空いている席に腰を下ろした。

 荷物を整えてから改めて教室を見渡すと、その横顔や後ろ姿はどれも僕の知識にあるものと同じだった。どうやらA組の中にイレギュラーは無さそうだった。

 席は原作通り20個しかなかったから、僕が追加された影響で誰かがはじき出されていることにはなるけれど…

 

 そんなことを考えていると、ふいに一つ席を挟んで隣の生徒からじっと見つめられていることに気付いた。

 ショートボブで、前髪を斜めにカットした黒髪の少女。耳元からイヤホンジャックらしきものが出ている。僕の見立てが正しければ、彼女は耳郎響香だ。

 

「………」

「……?」

 

 彼女はなぜか驚きと戸惑いを混ぜたかのような表情をしていた。

 しばし見つめ合うと、彼女は意を決したかのように席を立ちあがり、こちらに近づいてきた。

 

「……あ、あのさ…」

 

 耳に心地よいボーイッシュな声だ。僕がそれに応えようとすると…

 

 

 「おい、そこの君!!」

 

 

 ちょうどその時、真面目そうな長身眼鏡の生徒とツンツン頭のヤンキー…飯田天哉と爆豪勝己が教室の前方で言い争いを始めた。これは原作でもあったイベントだ。気付けば教室内の空席はのこり二つだった。

 少しそちらに視線を奪われたが、気を取り直して僕と少女は向き直った。

 

「…えっと、ウチは、耳郎響香」

「八木桃香と申します」

 

 まずは挨拶。挨拶は大事だ。

 僕が答えると、耳郎ちゃんは何かに納得したような表情をした。

 

「年明けに木椰区のショッピングモールで会ったお姉さん…えっと、ですよね…?」

「…?」

 

 「木椰区のショッピングモール」というのは、このあたりから数駅ほど離れた場所にある大型ショッピングセンターだ。僕もたまに変身した俊典さんと買い物に行っている。この冬は受験があったからあまり外を出歩いていないけど、確かに年明けには一度そこを訪れた。

 しかしその時に耳郎ちゃんと接触していたのだとしたら間違いなく僕自身が覚えているはずだけど…

 

「ほら、ナンパされてた…」

 

 耳郎ちゃんのその言葉で、僕も思い出した。

 

「……あっ、もしかして、あの時の格好いい女の子?」

「かっ、格好いいかはわかんないけど…とにかくそれ!」

 

 俊典さんが女性下着売り場に同行するのを嫌がったので別行動していたところ、二人組の男たちからナンパと思しき声かけを受けたことがあった。その時、どう対応したものかと困っていたところを知らない少女がサッと助けてくれたのだ。

 少女は上着のフードを被っていたから髪型もイヤホンジャックも見えなかったけれど、確かに目つきや声は耳郎ちゃんと似ていた気がする。

 まさかそんなところでA組の生徒と出会っていたとは…

 

 

 「お友達ごっこがしたいなら他所へ行け…」

 

 

 そこまで考えたところで、張り上げたわけでもないのによく通る声が聞こえて、またしても僕たちの会話が遮られた。

 寝袋を纏って転がる不審者が廊下にいた。そのあんまりな風体に教室の全員が注目したところで、彼は自分が担任の相澤消太であると語り、体操服に着替えてグラウンドに集合するようにと指示して去っていった。

 我らが担任相澤イカレイザーヘッド先生(略してイカ澤先生。親愛を込めて心の中でそう呼ぼう)はそれ以外本当に何も言わずに消えてしまったので、男どもは取りあえず教室で着替えることになり、女子は、長身の女子…八百万さんがたまたま女子更衣室の場所を知っていたから、そこで着替えることになった。

 女子は7人しかいないので、その場で自己紹介もすませた。

 

「ねえ、よくわかんないけど、早よ着替えたほうがいいよっ」

「うう…その、また後でっ」

 

 耳郎ちゃんは僕と話したそうにしていたけれど、可能な限り早くグラウンドに集合したほうがいいという雰囲気があったので後回しになった。

 

 ちなみに僕は自分のバストが普通くらいにはあると思っていたけれど、このクラスでは下から二番目だった。このクラスおっぱい大きい子多すぎでしょ。

 

 

 




 
 
そもそもあの世界おっぱい大きい人多いですよね
 


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02 個性把握テストとイカ澤先生

 本編に書くタイミングが見つからないのでこちらに書いておきたいと思いますが、主人公の誕生日は4月3日です。
 高校二年生にあたる年の生まれの主人公が4月当初から既に17歳だったのはそのためです。
 


 身体機能の一種たる個性には、「覚醒」あるいは「ブレイクスルー」とでも呼ぶべき地点がある。

 それは例えば、自転車に乗れなかったのが、ある日乗れるようになる。もしくは逆上がりができなかったのが、あるときからできるようになる。そんな、明確なレベルアップの瞬間だ。

 僕はそれを今までに2度経験している。

 

 自分を治すにせよ他人を治すにせよ僕の個性は結局のところ「再生」だけれど、その性質の根本は僕の体液に含まれた再生のエネルギーを操作することにある。それを明確に認識してより繊細に扱えるようになった瞬間、僕が身体に納めていられるエネルギー量は飛躍的に増加した。

 それ以来より多くのダメージを癒すことができるようになっただけでなく、以前をはるかに凌駕する体力の増加と高密度なトレーニングが実現した。

 

 そしてもう一つのブレイクスルーポイントは、そのさらに先にあった。僕はそれを「脳のリミッター解除」と名付けた。

 僕はエネルギー操作によって、意図的に人体の限界を超えたパワーを発揮することができる。

 

 僕のお父さんもこれらの力を持っていたそうで、単なる再生能力者だったお父さんが俊典さんと肩を並べてヒーローとして活動できていたのもこのおかげだと僕は聞いている。

 

 

「623m」

 

 僕のボール投げの記録をイカ澤先生が読み上げる。

 名前の順は僕が最後だから、すぐに他の人の記録と比べることができる。八百万さんが砲弾として射出したり、爆発さん太郎こと爆豪君が爆発で打ち出したりしたのに比べれば記録は控えめだけど、特に工夫がない遠投としてはクラスで一番だった。

 50m走、握力、立ち幅跳び、反復横飛び、いずれもそうだ。単純な身体能力は、今のところ僕がクラストップのようだった。

 

 そして。

 僕はちらりと横目で3つ前の出席番号の人物を見た。

 

 天然パーマの緑髪で、そばかすのある少年。緑谷出久。俊典さんが見定めたワン・フォー・オールの後継者であり、原作の主人公だ。

 

 

 俊典さんが急に「後継者を見つけた」と僕に言ってきたのは、ちょうど1年前の今頃だ。

 

 もともと、原作と違って健康体だった俊典さんは、あまり性急に後継を探すことに乗り気ではなく、「もう若くないしぼちぼち後継は見つけておかないといけないかな」程度の姿勢だった。

 でも、AFOの生存と死亡を知ってから 俊典さんは大きな心変わりをしたらしかった。

 

 その出来事以来、俊典さんは前々からお誘いのあった雄英高校に就職することを決め、徐々にヒーロー活動を縮小していき、そして半年もたたない間に緑谷少年を見つけてきた。

 どういう種類の思いを俊典さんがその時抱えていたのかは未だに分からない。ただ、僕がそれまで俊典さんに対していくら好意をほのめかしても「困ったな」という感じだったのが、それ以来真剣に受け止めてくれるようになって、ついには彼の方からプロポーズをしてくれたから、それは決して悪い事ではなかったと思っている。

 

 

 …さておき、緑谷少年だ。

 僕という人間が俊典さんと夫婦の関係にあることはAFOの存在が無かったとしても未だトップシークレットのため、僕は彼と顔を合わせたことは一度もない。

 しかし、俊典さんの後継者教育に対する気合の入れようは十分だったし、原作と違って俊典さんは万全の体調だったから、緑谷少年を取り巻く環境は原作よりも良い方に変化していたはずだ。

 僕も、緑谷少年が原作で死にそうになりながら10ヶ月間の訓練をこなしていた姿を不憫に思って、ばれない程度に僕の血液(回復効果あり)をこっそり仕込んだ弁当やドリンクを用意してあげたりもしていたし、その影響があってか、僅かにだけれどもワン・フォー・オールを使いこなせるようになっているようだった。

 彼は今のところ、全体的に僕の半分くらいの記録でこのテストを進めていた。ボール投げならば300m近く。個性抜きではあり得ないスコアだ。「フルカウル1%」といったところだろうか。

 

 緑谷少年は無個性ではありえないパワーを発揮したことで見事に爆発さん太郎に絡まれていた。

 

 

 そんなこんなで、最終的に僕は2位という高順位で個性把握テストを終えた。

 最下位は峰田君だった。イカ澤先生は最初「最下位は除籍」と言っていたので峰田君は死にそうな顔をしていたけど、最後に「合理的虚偽」の一言でそれを覆した。峰田君は泣いて喜んでいた。

 そして1位は八百万さんだった。流石にバイクや万力や大砲まで持ち出すことのできる彼女に敵う人間は誰も居なかった。

 ただ、測定のたびに前準備として道具を作り出してから臨んでいたから、彼女の成績は少々フェアではないところがあるかもしれない。イカ澤先生もテスト終了後に八百万さんにその点を注意していた。

 

 

 テスト終了後、イカ澤先生はホームルームも無いままその場で生徒たちに放課を告げた。実に自由だ。

 ただその際、僕だけ職員室について来るようにと言われた。

 朝から結局僕と話ができないままだった耳郎ちゃんは、さらに会話が遠のいてショックを受けていた。

 

「長くなりますか?」

「お前次第だ」

 

 イカ澤先生の返答は微妙だったけれど、その後すぐに耳郎ちゃんがやってきて、教室で待っていると伝えてきた。そんなに僕と話したいことがあるのだろうか。僕は首を傾げながらも、それに了承した。

 

 そういう訳で、僕は着替える間もなくイカ澤先生の後について校舎を歩き、職員室へと向かった。

 なぜ着替えさせてくれないのか尋ねてみると、イカ澤先生はじろりとこちらを見た後、「お前が着替えている間俺が待つのは時間の無駄だし、俺が案内しなかった場合お前が何らかの事情ですぐに職員室にたどり着かない可能性もあるから」と言った。なるほど合理的な判断だった。

 身体を動かしたから汗はかいていたけど、個性の影響で僕の汗は臭くない。僕としても一応許容範囲内だった。

 

 イカ澤先生が用があったのは、正確には職員室ではなく職員室に併設されている面談室だったらしい。いくつかある面談室のうちの一つに僕は通された。

 

「座れ」

 

 面談室にはソファーが二つと、その間に机が設置されていた。

 僕はイカ澤先生と向かい合う形でソファーに腰かけた。

 

「二つある。まずは補講についてだ」

 

 補講。その言葉を聞いて僕は気持ちを引き締めた。彼が僕とさっそく面談する用事があるとしたらそこだろうと思っていたから、動揺は無かった。

 

「取りあえず今日は午後からばあさんが留守で、明日のヒーロー基礎学の実習は多分夕方までかかる。ばあさんのところには明後日挨拶に行け」

「はい」

「そこで説明を受けて、初回は来週の頭からだそうだ」

 

 彼が「ばあさん」と呼んでいるのはリカバリーガールのことだ。

 僕はリカバリーガールから特別補講を受けることが決まっていた。

 

 

 

 正直なところ、僕はいわゆる「ヒーロー」になりたいとは徹頭徹尾思っていない。ヒーローに対する憧れも特に無いし、目立つことも好きではないのだ。

 それでもこうして雄英高校ヒーロー科にやってきたのは、数少ない僕の相談相手である根津校長に、ある可能性を提示されたからだった。

 

 雄英高校の養護教諭。治癒の個性を持っている僕ならば、もう高齢であるリカバリーガールの後継者になり得る。

 昨年度、AFOが居なくなったことを受け入れてこれからの身の振り方を考え始めていた僕に、彼はそう言った。

 

 

 君の個性を活かしたいのならそんな選択肢もあるってことさ。…逆に、そうでないなら個性を使うことは考えないほうがいいと思う。

 何のバックアップも持たずに治癒の個性をひけらかせば、確実に不幸な目にあう。

 市民から無責任かつ際限ない奉仕を求められて疲弊するか、特権階級に囲い込まれて飼い殺しになるか、あるいはヴィランに捕まって奴隷のように酷使されるか。

 修善寺(リカバリーガール)君も、今の立場だからこそ人間的な生活を送れているのさ。

 それでも日々、制約は多いけどね。

 

 そう根津先生は語った。

 

 

 僕は少し悩んだけれど、この提案を受けることにした。

 

 目立つ、行動に制約があるという難点はあったけれど、僕にとってリカバリーガールの後継者になるメリットは多かった。

 今までAFO陣営との戦いに備えるつもりで死ぬ気で鍛えてきた個性と身体を活かすことができるし、もしも僕の身が危険にさらされればヒーロー達が死に物狂いで守ってくれるようになる。これらは僕にとってはかなり喜ばしいことだった。

 そして何より名誉。

 治癒の個性はかなりレアなもので、さらにそれが有用なほどの能力を持っている例は日本ではなんと1例しか報告されていないという。それがリカバリーガールだ。

 彼女の後継者ともなれば、その地位にはかなりの名誉が伴う筈だ。

 そうなればもしかしてオールマイトの妻であると口にしても他者から認められる日が来るかもしれない。僕はそんなことを考えたのだった。

 

 

 というわけでこれは僕の人生に直接的にかかわってくる話題だった。イカ澤先生も真剣な表情を浮かべていた。

 

「一応確認しとくぞ。在学中はお前の個性は『自己再生』で通す。そうだな」

「はい」

 

 彼が低い声で言うのに、僕も同意した

 

 リカバリーガールは僕が彼女のもとで学ぶにあたって、ある条件を出した。それは、後継者候補としての教育は秘密裏に行うこと…ひいては、通常のヒーロー科の課程も他の生徒と同様に履修することだった。

 ただでさえ大変な雄英の学業に加えて、プラスアルファで勉強をしなければならないのは正直かなりキツイだろう。でも、これは彼女の優しさだった。個性を周囲に明かしてしまえばもう後には引けなくなるのだから。

 僕が本当に彼女の後継になるかは、卒業してから、あるいは卒業して十分経験を積むまで待ってから決める、とリカバリーガールは言った。

 

 そんな訳で、僕がリカバリーガールの後継者候補として入学してきたということどころか僕が治癒の個性を持っていること自体、事前に知っていた俊典さんと根津先生とリカバリーガールの他には担任のイカ澤先生にしか知らされていないという手筈になっていた。

 

「何度も言われてるだろうし、とっくに自覚してるだろうが、迂闊な事はするなよ」

 

 イカ澤先生は、本当に何度も言われてるし、誰に言われるまでも無く自分でそう思ってることを改めて言った。でも、僕はその言葉に神妙に頷いた。

 

 

「さて…補習に関してはそれだけだ」

「はい」

「で、もう一つは、お前の配偶者についてだ」

 

 イカ澤先生はここでバッサリと話を切った。そして、いきなり完全に別の方面の話題を切り出した。

 そうだ。この人はそのことも知っているんだった。

 

「最初に聞いておく。お前は100%自分の意思であの人と結婚してんのか」

「そこからですか」

 

 と思ったら、真面目な表情でイカ澤先生が予想外のことを尋ねてきた。

 

「主人とは愛し合っているつもりですよ」

「ノロケは聞いてねえ…!」

「すみません」

 

 さらっと答えてあげるとすごく嫌そうな顔をされた。まあ僕も同じ立場だったらそんなことは聞きたくないだろう。

 わかってて言ったけど。

 

「ハァ…じゃあ、言うがな」

 

 さっきの話題と変わって僕がヘラヘラしていると、イカ澤先生がまた真剣な表情を作った。

 

「これを聞いたら人権がどうたらって言い出す奴もいるだろうが敢えて言うぞ。お前、間違っても在学中に子供作ったりするんじゃねぇぞ。いいな」

「もちろんそのつもりです。ただでさえ特別なご配慮を頂いているんですから」

 

 すごい内容だったけど僕は即答した。これはさっきの話ともリンクしてくる真面目な話だった。

 いろんな方面に迷惑をかけることになるし俊典さんの名誉にも関わってくるから、雄英高校に在籍しながら子供を作ったりはしない。

 

「あと他の連中に悪影響が出るようなマネはするなよ。青春ドラマやりながら過ごせるほどこの学校は甘くない」

「はは、他の子達に異性交遊を特別オススメしたりするつもりはありませんよ」

 

 校則で禁止されているわけでもないみたいだから止めもしないけど。

 

「取りあえず、言っておきたかったのはこの辺だ」

 

 僕が修正が必要な特異な考えを持っていないことを確認できたのか、イカ澤先生はさして満足そうな顔はしていなかったけど、ひとつ頷いた。

 

「話はそれだけだ。行っていいぞ」

「はい」

 

 どうやら話はこれで終わりのようだった。

 僕は立ち上がるけど、イカ澤先生はだらんとソファーに座ったままだった。

 

「…相澤先生」

「なんだ」

 

 僕は扉をあける前に、ふと思いついてそちらの方を振り向いて頭を下げた。

 

「ご存じだと思いますが、主人は非常識なところがある人なのでご迷惑をおかけするでしょうけど、どうかよろしくお願いします」

「子供は自分の心配だけしてろ」

「あはは、すみません」

 

 ぴしゃりと言われてしまった。

 僕が笑っているのを見て、イカ澤先生はまた、ハァ…とため息をついた。そんなにハァハァ言ってるとステインになっちゃうぞ。

 

「…あのひとは俺が物心ついたくらいの頃からずっと非常識だよ」

 

 イカ澤先生は、「ったく、夫婦揃って……」とつぶやいて、さらにだらけた感じでソファーに沈んで天井を見上げた。

 

 もう僕と会話をする気はないようだった。僕は「失礼しました」と言って、部屋を後にした。

 

 

 

 廊下に出て、すぐに僕は早歩きで歩き出した。教室では耳郎ちゃんが待って居る筈だ。急いで着替えて戻らなければ。

 そうして歩きながら、僕はふと気になった。

 

 そういえば、イカ澤先生は僕の事情についてどこまで聞かされているのだろうか。

 

 僕は個性が本来「自他再生」であるところを「自己再生」と偽っていて、そのことは彼も了承している。

 でも、そもそも個性とは、幼少のうちに必ず医師の元で確認を受けて国に報告することが義務付けられているものだ。それをどうやって偽ることができるのか?

 そこまで考えようとすると、僕の生い立ち以前のところにまで関わる根の深いストーリーを説明しなければならなくなる。

 

 

 僕は生まれてすぐにヴィランに誘拐され、10歳までその人物を親と信じて育てられていた。

 彼の名は、望月駆(かける)

 

 便宜上ヴィランとは呼んでいるけれど、正確なところを言うと、彼をヴィランに分類するべきかは微妙なところがある。望月は、言ってみれば、AFOの側近の「ドクター」と殆ど似たような立場の人間だった。

 医者として活動する表の顔を持ち、裏ではAFOの元で個性を研究するマッドサイエンティスト。 

 

 彼は僕の本当のお父さんの個性が再生だったことから、その子供も再生の個性を受け継ぐ、あるいはそこからさらに発展した個性を持つ可能性を考えて、僕を誘拐したのだという。

 そして、果たして僕が「自他再生」の個性をそなえていたのを確認すると、注目を集めるのを避けるために僕の個性を「自己再生」と偽って報告した。

 医者なので望月は当然医師免許を持っていて、個性を鑑定し申請する資格も持っていたわけだ。

 

 それから今に至るまで、僕の個性届にはずっと「自己再生」とだけ書かれているのだった。

 

 



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03 side耳郎

 

 

 その日、耳郎響香は少し遠出をして木椰区のショッピングモールに足を運んでいた。行きつけの楽器屋を冷やかしに行こうと考えていたのだ。

 

 年末年始はすっかり受験勉強と特訓に費やされた。

 つい1か月ちょっと後には日本最高峰の難易度を誇る高校への受験を控えているのだから、それは仕方ないことだけれども…それでもたまには息抜きが欲しかった。今日一日は楽器を好きなだけ弄って、明日からはまた頑張ろうと決めていた。そう、勉強はメリハリが大事なのだ。

 

 そう思って外に出たはいいものの、生憎、その日はひときわ冷える日だった。

 目的地は屋外型のショッピングモールだ。こんな大事な時期に風邪を引いてはたまらない、と響香は分厚く厚着をして家を出た。

 トレードマークのイヤホンジャックも頭から被ったコートのフードの中に隠している。あれは見てくれこそまるで無機物で強度もあるが、一応響香の耳たぶの一部なのだ。雪がちらつきそうなくらい冷える日にプラプラさせていて平気なほど響香は寒さに強くなかった。

 

(ヒーローになるんなら、このへんも何かしら改善してかないとなぁ…)

 

 ヒーローコスチュームやら、サポートアイテムでなんとかなるのだろうか。あるいはもっと鍛えたらその辺の感覚も我慢できるようになるのか。

 と、ふいに響香は頭を振った。

 

(…やめやめ。せっかく今日は息抜きだってのに)

 

 自分の目指すヒーロー像を考えるのは楽しいものだ。しかし、今日はそういうことは全部忘れてしまうのが目的だった。

 

 

 ショッピングモールは人がまばらだった。寒さ故か、あるいはクリスマス・正月というイベントのセールが片付いた頃だったからかもしれない。

 響香は両手をポケットに入れて軽く周囲を見回しながら歩いた。地図を見なくても楽器屋の場所は記憶しているので、その足取りには迷いが無かった。

 そのさなか、響香の視界の端に服飾店の買い物袋を持った少女が映った。

 高校生くらい…多分響香より1つか2つくらい年上だろう。上品なコーディネートが似合っている、なかなかの美少女だった。とはいえ、だからといってどうという事もなかったので、響香はすぐに少女への興味を失って視線を切った。

 しかし、10歩分も歩いてから何の気なしにもう一度そちらのほうを見た時、響香は「おや」と思った。

 

 少女は二人組の青年に話しかけられていた。

 最初は知り合いだろうかと思ったが、少女のほうに微妙な距離感があるのを見てすぐにナンパか何かだと察した。

 まああの容姿なら確かにナンパもされるだろう。響香はその様子を見ながらよくわからない感心を抱いた。

 

 響香はその様子をなんとなくそのまま眺め続けた。どうも少女はああいう手合いに慣れていないらしく、青年たちをうまくあしらえていないように見えた。

 そして、その表情に「誰か助けてほしい」とでもいうような色が見えた瞬間、響香はそちらに向かって駆けだしていた。

 

(えっと、え~っと…)「…お姉ちゃん!」

 

 少女と青年たちが響香の方を見た。

 言ってしまってから、響香はちょっと恥ずかしくなった。

 

(ヤバ、お姉ちゃんとか……!)

 

 考えなしに飛び出したせいで咄嗟に適当な名前が出ず、少女が自分と同じ黒髪だと思ってつい口走ってしまった。

 

「こんなところに居たの? ほら、父さんたち待ってるよ!」

 

 赤面してしまいそうなので取りあえず失敗は振り返らないようにして、響香はなぜか手袋を外しかけていた少女の手を強引に引いて小走りに駆けた。

 青年たちは突然現れた響香にあっけにとられた顔のまま、二人が去っていくのを見届けていた。

 

 

 多少離れた区画まで移動したところで響香は少女の手を放した。

 触れるほどの近くまで寄って初めて気づいた。香水だろうか、うまく形容できないがその少女からはすごくいい香りがした。

 響香は被っていたフードを少しあげて、改めて少女に向き直る。

 

「ごめん、いきなり。丁度目に入ったから助けたけど余計だった?」

「いえ、ありがとうございます。困っていたところでした」

 

 万が一、先程の状況が彼女の望んだものだとしたら申し訳ないと思って一応尋ねてみたが、やはり間違いでは無かったらしい。

 

「どういたしまして」

 

 恥ずかしい思いをした甲斐があった。少し得意な気持ちになりつつ、響香はひそかに胸をなでおろした。

 少女は意外に図太いタチらしい。安堵や困惑ではなく興味深そうに来た方向を振り返っていた。

 

「ナンパなんて、初めて受けました」

 

 あまつさえ、そんなことを独り言つよう呟いていた。

 街でのナンパというのは実際、ドラマや漫画で描かれるほどありふれたものではない。が、全くないわけでもない。目の前の容姿に優れた少女がそれを初めて経験するというのは少し意外に思えた。

 (ちなみに響香も1度だけだがその経験があった。中学2年生の時の事だった。その時は戸惑うよりも「なんだこいつロリコンか?」という警戒心が先立った)

 

 さて。と響香は心の中で一つ息をついた。

 

「お姉さん、これから何か用事はあった?」

「もう買い物は終わって帰るところでした」

「それならよかった。一人で?」

「いえ、家族と」

 

 ああいう形で少女を攫った以上、もし彼女がこれから一人でいるところをまたさっきの青年達に出くわしたりしたらトラブルになる可能性がある。助けた手前、最後まで面倒を見ようと思って尋ねると、ちょうど少女は家族と帰るところだという。

 

「…すみません、ちょっと連絡しておきますね」

「うん」

 

 少女は肩にかけていたポーチから通信端末を取り出して通話を始めた。これでその家族とすぐに合流できそうなら響香はもうお役御免だ。

 

「もしもし? はい。俊典さん、ちょっと合流の場所を変えてもらってもいいですか?」

 

 少女は「家族の俊典さん」にも丁寧語らしい。そう思いながら少女から目を離し、人波を見ていると…

 

「はい。どうも、ナンパを受けまして」

 

 その瞬間、電話口の向こう側から『なんだって!? そいつは一大事だ!!』という、いやにアメリカンな感じのオーバーリアクションが響香にも聞こえてきた。

 ついそちらを見るが、少女のほうはそれに全く動じていなかった。

 

「あはは、通りすがりの女の子が助けてくれてそれはもう終わりましたよ。………はい。今、○○って店の前に居ます」

 

 少女はそのまま手短に通話を終える。響香は気を取り直した。そして…

 

「すぐ来てくれるって?」

「はい。なにか凄く驚いてて、急いで来てくれるみたい「桃香! 遅くなった!!」

 

 「です」と少女が言い終えるより早く、先程電話越しに聞こえたのと同じ声が聞こえてきた。

 

(いや、早ッ…!)

 

 声の方を振り向くとそこに居たのは、手を伸ばしても届かないほどの長身でがっちりとした体格の金髪碧眼の男性だった。

 男性は目にもとまらぬ素早い動きで少女に接近し、力強くハグした。彼のやたら大きな体に少女はすっぽりと隠れた。

 

「桃香!無事で良かった!!」

「むぎゅう…そんなまるで事故に巻き込まれたみたいに…」

 

 そして男性は驚きに目を見張る響香の方を見ると、これまた素早い動きで響香の手を両手で掴んで握手してきた。

 

「君が妻を助けてくれたのかい? ありがとう! 握手しよう!」

「は、はぁ。…え? 妻?」

「ちょっと俊典さん、初めて会った女の子の手を握ったりしちゃ駄目です!」

 

 響香の手を握りしめる「俊典さん」の腕を桃香と呼ばれた少女が咎めるように引っ張ると、「Oops! 失礼」と言って男性は響香の手を開放した。でも、そんなこと以上に聞き捨てならない言葉が「俊典さん」の台詞にあった。

 響香は目の前の二人を交互に見た。二人はそれなりに歳が離れているように見えるが…

 

「あの、もしかして二人は、ご夫婦だったりするんスか…?」

「アッ…そうとも! 妻が世話になったね!」

 

 男性は一瞬妙な間を作ってから胸を張って肯定した。

 その隣で、うーん、というような表情をしながら少女は先程ナンパ男達の前で取りかけていた左手の手袋を外した。その薬指には、なんと銀色のリングが付けられていた。

 それがどういったものなのか分からないほど響香は子供ではない。

 

 

「えっ、ええええええ!?」

 

 

 新年早々、今年一番の驚愕が響香を襲った。

 せいぜい高校生くらいだろうと思っていた少女が、まさかそんな大人の女性だったとは…

 

「そこまで驚かなくても…」

 

 思わず声を上げると、少女は少し不満げに口を尖らせた。響香は慌てて弁解した。

 

「ご、ごめんなさい。てっきり、ウチと同じくらいかと思ってて…!」

「そんなに変わらないと思いますよ」

 

 そんなわけあるか。結婚してるなら普通に考えたら10歳近くは上だろう。響香の脳裏をそんな言葉が占めた。

 

 ともあれ…

 一つ息をついて、響香は二人を見た。

 

「…さて、えっと、旦那さんが来たならウチはもう行きますね」

「もう行ってしまうのかい? フードの少女。君さえ良ければ何かお礼がしたいが…」

「いいっす。お礼が欲しくてやったわけじゃないし」

 

 そんな事を言われるかもしれないと薄々思っていた響香はその申し出をきっぱりと断った。お礼が欲しかったわけじゃないのは全く本心だし、ここで謝礼を受け取ったりするのはヒーローっぽくない。そう思った。

 そんな響香を見て男性は、にっ、と笑った。

 

「HAHAHA これは失敬。ヒーローに対して失礼だったね!」

 

 その言葉に、胸がどきりとした。

 

 

 それから、一つ二つ会話を交わして響香は二人と別れを告げた。互いに名前も名乗らなかった。もう会うこともないだろう。

 

 ヒーロー。多分あの男性にとっては深い意図はなく放った言葉だっただろう。でも、その言葉は不思議と胸の中に残った。

 よくわからない高揚感に包まれていた。やっぱりヒーローになりたい。響香は改めてそう思った。

 

 そして、響香は仲睦まじそうに並んで立つ二人の姿を思い返す。

 物腰の柔らかい、良い香りを纏ったお姉さんだった。

 そして、男性はイケメンでは決してないが男前で、全身から「良い人」のオーラが出ていた。きっといい旦那さんなんだろう。…ノリも含めてなんかオールマイトみたいな人だったけど。

 響香も思春期の少女だ。若くして素敵な男性と結婚する、というシチュエーションには強い憧れを感じるところがある。

 あの女性と自分ではだいぶタイプが違うと思うけど、いろいろひっくるめて、自分もあんな大人になりたいな、と密かに思った。

 

 

 この日の出来事は響香の大事な思い出の一つになり、受験勉強への大きな原動力になった。

 そうして約二月後、響香は見事雄英高校に合格したのだった。

 

 

 

 

 そして。

 その思い出の相手がなぜか雄英高校で自分のクラスメイトとして現れた時、響香の「今年一番の驚愕」が更新された。

 

 




 
まずクラスメイトにこのポジションの女子がいるのは当初から想定していました。それがなんで耳郎ちゃんになったのかは自分でも覚えていません。でも耳郎ちゃんは可愛いので何も問題はないと思いました。

あとイヤホンジャックが冷たいのは苦手というのは原作のどこにも書いていないオリ設定です。あとナンパされた経験があるというのも。
そうだったら可愛いなと思ったゆえに。


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04 耳郎ちゃん

 


 

 僕は急いで着替えて教室に戻った。

 先生とそんなに長話をしていたわけじゃなかったけれど、クラスにはもう耳郎ちゃん以外に誰も残っていなかった。

 

 窓際の席で耳たぶのイヤホンジャックをすいすいと動かしながら待っていた耳郎ちゃんは、僕が教室に入るとその動きを止めた。

 

「すみません。お待たせしました」

「や、ウチが話したくて勝手に残ってたんだし…」

 

 待たせてしまったと思って謝ると、耳郎ちゃんはもじもじするようにして返事してきた。

 少し考えて僕は彼女が座っている席の前の席に座る。

 あらたまって二人きりになると少し戸惑いがあるのか、少し沈黙を挟んだ後に耳郎ちゃんが口を開いた。

 

「…お姉さん、あんなに強かったんですね」

 

 あんなに、とは個性把握テストの成績のことだろう。確かにナンパから助けてもらった身分の僕があれだけの身体能力を持っていた思うとギャップがあるかもしれない。

 逆に、耳郎ちゃんはあまり順位が振るわなかった。イヤホンジャックは今回のテストの競技ではあまり役にたたなかったし、彼女自身も常識的な範疇の身体能力しか持っていないようだった。

 

「鍛えてましたから。耳郎さんも体は鍛えておいて損はしませんよ」

「いやいや鍛えるって言っても程度ってものが」

「あはは」

 

 

 まあ、確かに普通の人間が普通に鍛えただけではこうはならないだろう。

 冗談を言っていると思ったのか真顔で言い返してくるのを、僕は笑って流した。

 

「ところで」

 

 僕は話題を変えることにした。

 この話をあんまり掘り下げると僕の個性のことだけじゃなくて、人に聞かせるようなものではない話までしなきゃならなくなる。まだ会って1日目だし、そこまで深い話をするつもりはなかった。

 

「耳郎さんはなんで僕に対して丁寧語なんですか?」

「えっ? だって、お姉さん年上だし…」

「歳の話しましたっけ?」

「したっていうか…」

 

 耳郎ちゃんは僅かに顔を背け、ちらちらとこちらを見ながら言った。

 

「お姉さん、既婚者なんでしょ?」

 

 

 ん?? 

 

 

 僕は動きを止めた。

 なんでそんなことを耳郎ちゃんが知っているんだ。

 

 

「ちょっと待ってくださいね…」

 

 僕は窓の外に目を向けて、耳郎ちゃんとショッピングモールで会った日の事を回想した。

 

 僕が下着を買いたいって言ったら俊典さんが「じゃあ私はヒーローグッズショップを冷やかしてこようかな!」とか言って逃げて…

 下着とついでに服を買って、俊典さんを待っていたら二人組の男達からナンパされて…

 そしたらフードを被った女の子が助けてくれて…そうそう「待ち合わせに来た妹」って感じの演技でその場から連れ出してくれたんだよね…

 こういう事情で待ち合わせ場所が変わった、って電話で伝えたら俊典さんがすぐに来てくれて…

 

『君が妻を助けてくれたのかい? ありがとう! 握手しよう!』

『妻が世話になったね!』

 

 

 …うん。 普通に言ってた。というか俊典さんとも会って会話してた。

 そんな奴が自分と同じクラスに高校1年生として居たら、そりゃあ気になって仕方ないのも道理だった。

 

 僕は窓から、耳郎ちゃんに視線を戻した。

 

「よく覚えていましたね」

「いやこんな印象的なこと普通忘れないから!?」

 

 普通はそうなんだろうけど俊典さんと一緒にいるとこういうことが割とあるから…

 僕は心の中で言い訳した。

 っていうか俊典さん、初対面の女の子に平気で握手しようとか完全にオールマイトのノリだし、焦ってたにしてももっと自重しろ。

 

 

 ちなみに、僕が俊典さん…つまりオールマイトと一緒に出掛けたりして大丈夫なのかと言うと、これが全然大丈夫だ。

 夫婦で外出する場合、原則的に俊典さんは普段よりもだいぶ痩躯に変身した状態で出かけているのだ。その名もスマートフォーム。

 これは僕が俊典さんに引き取られた当初、俊典さんがあまりに有名人すぎておちおち一緒に出かけることもできないということで無理やり捻り出された新たなフォームだ。

 いわく、全身の力をなんか凄く抜くことで、いつものムキムキマッチョ状態を多少のマッチョくらいまで萎ませるテクニックなのだそうだ。

 俊典さんは「プールでよく腹筋力み続けてる人がいるだろ? あれの逆さ!」と言っていた。原作のマッスルフォーム理論に輪をかけて意味が分からなかったけど、実現できているのだからすごい。

 筋肉が減るのと同時に顔の印象もだいぶ変わるし、これであの特徴的な髪型さえ変えてしまえばもう別人だ。そのおかげで、今までこの状態の俊典さんがオールマイトだと気付かれたことは1度もない。

 通勤中も基本的にこのフォームなので、「あの家をオールマイトが出入りしている!!」なんて事態にはならないで済んでいる。

 

 

 それにしても、釘を刺されたばかりなのに早速こんなことになるとは。これがイカ澤先生に知れたら、僕もそうだし俊典さんも何を言われるかわかったものではない。

 

「あの、このことは学校では秘密にしておいて貰えると嬉しいんですが…」

「もちろん。言いふらすようなことじゃないっス」

「ありがとうございます…!」

 

 低姿勢で頼んでみると、返ってきたのは頼もしい返事だった。僕は少しほっとした。後でもう一度念を押しておこうと思うけどこの分なら大丈夫だろう。

 

 あの時、何も僕たちの関係を自分からばらさなくてもいいだろうに、と思いつつも、まさかそれが後々問題になるなんて僕も考えていなかった。このことで俊典さんを責めるつもりは全然ないけれど、これからは互いに雄英高校に通うんだし二人とももう少し慎重に行動するようにしないと…

 

 まあ、別に僕の夫がオールマイトだとばれたわけでもなし、まだ当初想定していた許容範囲内。そう考えよう。

 僕は気を取り直して耳郎ちゃんと会話を続けることにした。

 

「で…話を戻しますけど、もっとフランクな言葉遣いで接してください。クラスメイトですし」

「…って言っても、お姉さんも丁寧語じゃないスか」

「僕はもともとこういう喋り方の人間なので…あともう自己紹介もしたんだから呼び方も『お姉さん』じゃなくて普通に呼んでください。なんなら『お姉ちゃん』でもいいですが」

「うっ、余計なとこも思い出してる…!!」

 

 耳郎ちゃんは顔を覆った。

 

「う~…」

「あはは」

 

 「お姉ちゃん」とは、僕を助けてくれた時の耳郎ちゃんの台詞だった。これはどうやら彼女にとっては覚えていて欲しくなかったことらしい。顔を隠しているけど、その頬は少し赤い。

 

「っていうか…お姉さん、八木さんは本当に生徒なの?」

 

 この子もちょっとからかい甲斐があるかもしれない、なんて思いながらにやにやと眺めていると、耳郎ちゃんは頬から下は手で覆ったまま半目でそんなことを言ってきた。

 どういう意思表示なのか、イヤホンジャックの片方がこちらを指している。あと取りあえず丁寧語はやめたようだ。

 

「ん、どういうことですか?」

「だって、結婚してるってことはそれなりに年上なんでしょ? 社会人が雄英に入れるとか聞いた事ないんだけど…」

 

 その言葉で僕は納得した。確かに一般的にはそういうことになるだろう。

 

「年齢制限は無いみたいですよ。でも、ヒーロー志望の人は経歴が気になるから普通は高校浪人してまでこの学校には来ないんだと思います」

「それは確かに」

「僕は中学校卒業から高校に行かないまま主人と結婚して、専業主婦をしてました。でも改めて、この学校でヒーローについて学びたいと思ったからこの学校を受験したんです」

 

 僕はすらすらと喋った。志望理由についてはほんの少し嘘を含んでいるのが申し訳ないけれど、それこそこれ以上の事は語りようがない。

 

「専業主婦があの身体能力を……!? なんて宝の持ち腐れ…」

 

 耳郎ちゃんは別のところに反応してわなわなと震えていた。それは僕もそう思う。

 

 たぶん耳郎ちゃんは僕が20歳とか、あるいはもっと上だと思っているんだろうけど、それは訂正しないでおいた。本当の年齢を言ってもいいんだけど、「じゃあ16歳で結婚したのか」とか敢えて驚かせたいわけじゃないし。

 夫の存在だけじゃなくて、年齢に関しても耳郎ちゃんは秘密にすると言ってくれた。

 

 

 それから僕は耳郎ちゃんと少し話をして学校を後にした。

 時刻はもう昼時を過ぎていたけれど、今日は入学式だけのはずだったので互いに昼食も持ってきていなかった。

 耳郎ちゃんは電車通学らしく、道が分かれるまでは一緒に帰った。その道すがら聞いた話によると、どうやら僕以外の女子はみんな体力テストの後に連絡先を交換していたとのことだった。

 明日こそはと思いながら、僕もさっそく耳郎ちゃんと連絡先を交換した。

 

 




 
オールマイトは主人公の後見人を買って出た訳ですが、一緒に外出もできないような身分ではとても役目を果たせません。なので必死に頑張りました。



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05 昼食

 
今回やっとクラスメイトとの交流らしい交流ができました。



 

 入学式の翌日。僕は前日と同じように、俊典さんより早く起きて朝食と弁当を用意し、俊典さんに弁当を持たせて、それを見送ってから自分も家を出た。そして昨日と同じ道を通って登校する。

 ルーティンのようなものだ。

 

 僕は徒歩ですぐの場所に家があって時間の調節がしやすいので、交通機関の定刻に左右される他の生徒よりも遅めに登校できる。昨日と同じく教室には既に多くの生徒がいて賑わっていた。

 

 教室に入ると、手前から3列目の最前列に座っている耳郎ちゃんと目が合った。ちょうど教室に入って一番最初に目が行くあたりだ。こちらが会釈すると、向こうも口元を綻ばせて小さく手を挙げてくれた。

 

「あ、おはよ! 昨日はどったの?」

 

 そんな僕に、一番ドアに近い席に座っているピンク色の髪と肌の黒目少女、芦戸三奈が話しかけてくる。

 耳郎ちゃん以外のクラスメイトとは昨日個性把握テストの後に別れて以来だ。「どう」とは、僕が連行された件についてのことだろう。

 

「おはようございます。提出した書類に不備があったみたいです。注意されちゃいました」

 

 昨日何の話をしたのかは流石に言えないので、少しぼかして当たり障りない返事をした。実際、僕が出した書類(個性届)に不備があるのは事実だった。

 

「えー! 初日からついてないねー」

「相澤先生容赦なさそうだしな。ドンマイ。 …あ、俺 上鳴電気。よろしくな!」

「よろしくお願いします」

 

 芦戸さんの隣の席の金髪の少年、上鳴君も話に混ざってくる。

 …知識があるから知ってるつもりになっているけど、僕はまだ女子としか自己紹介もしていなかった。

 それから芦戸さんの後ろの席の梅雨ちゃんさんと、上鳴君の後ろの席の切島君を交えて少しその場で話をしていると、地味な雰囲気を纏いながら地味な感じの継承者、緑谷少年が教室に入ってくる。

 

「おはようございます」

「…お、おはようございます…!!」

 

 緑谷少年は僕が挨拶すると何やらあたふたとしながらオウム返しの挨拶をくれた。

 …少年。初対面の女子と笑顔でシェイクハンドできるくらいじゃないと平和の象徴にはなれないぞ!

 

 そんなこんなで時間は経ち、朝のホームルームが始まる時間になったところで僕は自分の席についた。

 そして、ふいに気が付いた。

 

 あ、僕が来て押し出されたの、青山だ。

 

 僕は原作A組で出席番号1番…つまり今芦戸さんが座っている場所に座っていたはずの男を思い出した。

 ごめんねムッシュ青山。今どうしているか分からないけれど、どうか達者に暮らしてくれ…

 

 

 

 

 昨日の今日だけど、今日からは早速みっちり授業がある。

 それも初回の授業にありがちな自己紹介や授業内容の説明などで時間を潰すものではなく、教科書とノートを開いてのちゃんとした授業だった。

 本当は昨日のガイダンスの中で施設紹介や諸々の説明があって学校への導入がされる筈だったんだけれども、それはイカ澤先生の趣味によって「紙面にて説明」に変わってしまったので、そのクッションもない。おかげでA組の生徒からしてみると本当に何もかもが急に感じる日程だ。

 まあ、今はあわただしく感じてもそのうち慣れるんだろうけどね。

 そんなこんなで僕たちは昼休みを迎えた。

 

 

 

 雄英高校では生徒は掃除をしないらしく、昼の時間はひたすら昼食のためにあるらしい。

 本日の昼食は、女子全員と食堂でとることになった。八百万さんなどは弁当を持参していたけれど、弁当を食堂で食べても一向に問題は無い。

 ちなみに僕も今朝弁当を作ったけれど、学食を利用してみたかったので作ったのは俊典さんの分だけだ。

 弁当はこれからも作りたいと思っているけれど、リカバリーガールの補習の状況によっては断念することになる。というか、多分高確率で続けられなくなるだろうと予測している。

 俊典さんは4月1日から正式に雄英高校に勤め始めて、それから僕は弁当を作ってあげていたわけだけど、下手したらそれはもう来週には終わる可能性があった。だからそれまでは俊典さんには僕の弁当を食べて欲しいという僕の我儘だ。

 

 という訳で、学食に到着した僕は、他の皆に遅れないよう手早く日替わり定食(サバ味噌だった)とラーメンとカツカレーをそれぞれ大盛で注文した。

 これでも量はいつもより少なめだ。今日の午後はヒーロー基礎学の授業だし、帰ってからする日課のトレーニングの事を考えてもエネルギーは大量に摂取しておくべきだけど、僕が食べている間に他の人を待たせるわけにはいかない。

 しかしそれでも皆には大層驚かれた。

 

 

「え、それ全部食べるん…!?」

 

 僕が両手に持ってきたトレー2つに満載された料理を見て、麗日さんが目を丸くしながら聞いてきた。

 

「はい。僕は個性の都合上、たくさんエネルギーが必要なので」

「毎日それくらい食べてるの? すごーい!」

 

 個性の種類によっては大食いの人も居るだろうけれど、やはり異形型ではなく普通の外見の人間がこれくらい食べているのは珍しいんだろう。なにやら葉隠さんは喜んでいた。

 全員で手を合わせて「いただきます」をして食べ始めるけれど、会話は止まらない。

 僕はまず麺が伸びないうちにラーメンを食べきってしまうことにした。湯気のたつラーメンを一切冷まさずにすすり始めたのを見て、耳郎ちゃんが驚いた顔をした。

 

「ちょっ、ちょっと熱くないの?」

「僕は熱いの平気なので」

 

 僕は熱いのも冷たいのも平気な体質だ。

 梅雨ちゃんさんが「羨ましいわ」と呟いた。彼女は人間らしい容姿をしているけれど実質的にはカエルがモチーフの異形型だ。熱いのも冷たいのも得意ではないんだろう。

 

「私も個性のために多めに頂くようにしてますが、健啖でいらっしゃるのね」

「ヤオモモは体から道具を作り出す個性だもんね」

「ヤオモモ…!?」

「そうそう。八百万百だからヤオモモ。ちょっと慣れ慣れしかった?」

「い、いえ…! そんなことはございません。 私、あだ名というものに憧れていましたの!」

 

 そんな話をしている横で、八百万さんのあだ名が成立していた。

 「ヤオモモ」の命名者である芦戸さんは、ぶん、とこちらを振り向く。

 

「そういえば八木は八木桃香っていうんだよね。ヤギモモって呼んでいい?」

「それじゃあ僕は芦戸さんをあしどんって呼びますね」

「あしどん!? いいよ!」

「えーそれ私も呼ぶー!」

 

 いいのか。

 そして僕のあだ名も決まってしまった。

 

「ヤオモモとヤギモモ…お揃いですね」

 

 まあ、八百万さんが嬉しそうにしているから良いという事にしよう。

 

 

「ねーねー、ヤギモモも個性把握テストすごかったけど、どんな個性持ってるの? 食事関係?」

 

 早速ヤギモモを使いだした葉隠さんが尋ねてくる。この世界で人に個性を聞くのは支持政党を聞くのと同じくらい微妙な行為だけれども、この学校では個性を使用して切磋琢磨するのが前提なんだから別に隠すこともなかろうという判断なのだろう。

 

「僕の個性は自己再生です」

 

 僕は先生たちとの事前の取り決め通りの答えを言った。

 

「自己再生? 凄そうだけど…」

「でも、それって運動とは関係ないわ」

 

 他の子達も個性把握テストで2番手だった僕の個性には興味があったらしい。もぐもぐと口を動かしながらこちらの様子を伺っていた。

 

「身体の再生に使うエネルギーを操作して、運動に使っているんですよ」

「え、何それ! それじゃあ自己再生じゃなくてエネルギー操作の個性じゃん」

「いえ、やっぱり本来の使い方ではないので燃費は良くないんですよ」

「へー、だからいっぱい食べて貯めとくんやね」

 

 一通り語って、僕は常人では火傷する温度のラーメンをそのまま啜った。

 うん。専門店レベルの味だ…

 僕の口の中は一瞬爛れて、すぐに治った。

 

 

 再生能力者として熟達したからだろうか。僕の身体には痛覚が無い。痛みは身体の不調を示すシグナルだけれど、僕の身体は壊れてもすぐ治るからそれが必要なくなったのだ。

 僕の父も、完全な無痛覚ではないけれど痛みにはかなり強かったらしい。

 

 先程女の子たちにさらっと説明した身体強化の原理も、実際にはこれを前提とした血なまぐさいものだ。

 常人なら働くはずの自己防衛反応(脳のリミッタ―)を無視してエネルギーを込め、身体が崩壊するほどの強度で筋肉を使うことで僕の超人的な身体能力は実現している。

 これは痛みを感じる人間ならば一瞬の行使でも悶絶するであろう無茶であって、正常な能力の派生などでは決してない。筋肉に込めるのにも崩壊した体の組織をリアルタイムで修復するのにも大量のエネルギーを要するからこそ、僕は沢山の食事をとってエネルギーを溜めておく必要があった。

 

 医学的には、人間は潜在的な身体能力の20%程度しか発揮できていないらしい。

 僕は今のところ、なりふり構わなければ120%くらいの力を出せる。

 

 




 
この話を書くにあたって原作を改めて隅々まで眺めたつもりですが、ヤオモモがいかにしてヤオモモと呼ばれるようになったのかは分かりませんでした。
なのでこのSSではここであしどんによって名付けられたということにしたいと思います。

あと、主人公の個性説明で「人間は身体能力の20%くらいしか使えていない」と書きましたが、原作の緑谷少年が腕を壊したシーンで医者が「80%」と言っているシーンがありました。
原作を最大限重視していきたいとは思っていますが、あんまり数字が大きくなると派手になっていくので取りあえず本SSでは「20%」ということで進めてまいりますのでよろしくお願いいたします。


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閑話1 対人戦闘訓練①

今回は実験的にヒーロー基礎学の模擬戦をクラス全員分描写することにしました。全員の個性をいちいち解説していると冗長なので省略しており、ある程度原作を読んだ方でないと楽しめない可能性があるのでご注意ください。
原作の1年ヒーロー科対抗戦を読んだとき確信しましたが、40人のキャラクターを操って模擬戦闘を描ききった原作者は天才ですね。
 
※こちらは改稿前は5話分となっておりましたが、長い戦闘描写は本SSの趣旨に反するので2話の閑話といたしました。


 ヒーロー科の生徒は、サポートアイテムのメーカーに自分の個性と要望を伝えてコスチュームを作ってもらうことができる。

 僕のコスチュームは黒いワイシャツとベストに赤いネクタイ、そして黒いスラックスを合わせたもので、ちょっとした服屋に行けば揃いそうな、ヒーローとしては滅多に見られない地味なコーディネートだ。

 これは「日常的に着ていても違和感がない形で、血塗られてもそれと分かりにくい配色」という僕が提示した条件のもと会社がデザインしたものだった。

 目立つつもりは全く無く、ひたすら動きやすさと着やすさ、あとついでに洗いやすさに重点を置いた形だ。鋼鉄製のガントレットとブーツと、腰に差した大型サバイバルナイフ2本がかろうじてヒーローらしさを演出している。

 

「わっ、ヤギモモ格好いいねー!」

「八木さんのイメージとちょっと違うけど、仕事人って感じ?」

 

 まさしくヒーローといった感じのコスチュームを身にまとった女子たちは、僕の格好をそう評した。

 

 仕事人という感想は、僕にとってはあたらずとも遠からずと言ったところだろうか。これは僕が「自己再生という個性を持つヒーロー」として設計したコスチュームだった。

 作るにあたって一番注目したポイントは耐久性だ。

 個性の都合上、僕は戦闘となれば負傷が前提の立ち回りもすることになるだろうけれど、そのたびに服が破損していたのでは困る。なので僕は「再生するコスチューム」という要望を最重要項目として申請書に書いて提出した。幸いにも、何度かの協議の末にそれは実現した。

 このコスチュームは僕が身にまとっている限り、僕の身体の一部として再生することができる。

 原作でルミリオンが自分の毛髪を素材にすることで自分の個性による悪影響を受けないコスチュームを作っていたけれど、これはそれと似ている。下着まで含め、僕のコスチュームに使われている繊維は全て僕の髪の毛を加工したものだった。

 髪の毛なんてものを使っているわりに、生地は伸縮性があるし体毛らしい光沢もない。着心地も良く、僕はその出来栄えに十分満足していた。

 

 …材料を送る時、大量に束ねられた髪を見て俊典さんが怯えていた。

 平気で物理法則を超越してくるくせに、俊典さんはホラーが得意じゃない。

 

 

 

 女子たちとの食事の後、ついに数ある専門科目の中でも最も新入生からの注目度の高い「ヒーロー基礎学」の時間がやってきた。

 生徒達の期待に満ちた雰囲気の中、科目担当である俊典さんは、「わーたーしーがー、普通にドアから来た!!!」の言葉と共に、言うほど普通ではない姿勢で教室に突入してきた。

 僕はすっかり見慣れているけれど、他の生徒達からすればオールマイトはまだまだ画面の向こう側の人だ。彼の登場と共に教室は一気に浮足立った。1年間直接師事したはずの緑谷少年もなぜかその中の一員に含まれていた。

 

 そんなこんなで始まった第一回目のヒーロー基礎学はさっそく実習だった。それも、クラス内で2人組を作り、他の2人組とシチュエーション形式で模擬戦闘を行うという実践的なものだ。

 つまり原作通りというわけだ。

 ただ、僕と言う異物が含まれたせいか、その班分けは全く原作通りではなかった。

 

 

A:上鳴 緑谷

B:口田 八百万

C:砂藤 葉隠

D:爆豪 八木

E:障子 常闇

F:蛙吹 瀬呂

G:切島 轟

H:芦戸 峰田

I:飯田 耳郎

J:麗日 尾白

 

 

 原作では緑谷少年と麗日さんのペア、爆発さん太郎と飯田君のペアという組み合わせで最初の模擬戦が行われた。しかし、この4人は今回それぞれ別の人とくじ引きでペアになり、爆発さん太郎に至っては僕とペアという有様だった。

 

「てめェ、入試で1位だったって言う…」

「八木桃香と申します。よろしくお願いします」

「…誰がよろしくするか!俺はテメェの上をいくんだよ…!」

「………」

 

 一応と思って挨拶したけどもこの対応である。なんか敵視されていた。

 

 爆発さん太郎の個性把握テストの順位は、八百万さん、僕、轟君に次いでの4位。そして、こっそりと学内で公開されている入試実技の順位でも彼は僕の次点で2位の成績を修めていた。いずれも僕が入ってきた影響で順位が下がっただけで、彼は原作通りの力量を持っていると考えていいだろう。それを思えば、個々の能力的に僕たちはだいたいどの組と当たっても負けることは無いはず。

 でも、この実習の評価点は勝敗だけではない。

 あんまり俊典さんの前で無様な真似はしたくないんだけど、どうなることやら……

 そんな不安を抱えつつも授業は始まった。

 

 

 

 

_________________________________

 

 

 

 

 

 制限時間15分間で、生徒達はヒーロー組とヴィラン組に分かれて屋内での模擬戦を行う。

 ヴィラン組は「核兵器」と仮想設定されたオブジェクトを最後まで守り切ること、ヒーロー組はそれを奪取することがそれぞれの勝利条件だ。また、相手を専用のテープで「捕獲」することでも勝利したという判定を得ることができる。

 

 ヴィラン組には5分の準備時間が与えられ、さらに時間切れでも勝利となる。

 それに対して、ヒーロー組は突入後、5階建てにもなる建物を探索しながらヴィラン組と相対することになる。

 この条件ではヴィラン側に有利で不公平だという意見も出た。しかし、オールマイトが「ヒーローはヴィランより不利な立場で戦わなければならない。それはプロの現場でも同じだ」と語ると、その不満の声も消えていった。

 

 対戦するペアの組み合わせと、そのどちらがヒーロー役、ヴィラン役を務めるのかはくじで決められた。

 まずオールマイトが引き当てたのはFとIの組だった。

 

 

 

・Fコンビ(蛙吹 瀬呂)がヒーロー、Iコンビ(飯田 耳郎)がヴィラン

 

「…どうしよっか。ウチ、音で探知はできるけど…」

「ううむ…それを頼って俺が先手を打って出るという作戦が有効かと思うが、蛙吹君と瀬呂君は捕縛に有利な個性だったはず。一人で特攻して捕らわれたとなれば取り返しがつかない…!」

「そうなんだよね…」

 

 状況設定はヴィランにとって有利とはいえ、それで優位に立てるとは限らない。

 前日の個性把握テストと二日間の交流で、生徒達はある程度互いの個性を把握していた。その情報が彼らを逆に悩ませた。

 

 飯田の個性は特に瀬呂の個性と相性が悪かった。飯田は足のエンジンによって高速で移動することができるが、そのぶん小回りはきかないし大きな音も出る。瀬呂がうまく対処すれば、飯田はほとんど何もできないまま捕獲されてしまうだろう。

 悩んだ末に結局、飯田・耳郎のヴィラン組は無難に最上階の一室に核を配置し、その場でヒーロー組を待ち受けることにした。

 ヴィラン組の二人はいずれもヒーロー組の二人より打撃力に優れた個性を持っている。その上で、耳郎の個性があればひとまず先手は取れるはず。そう判断した故の作戦だった。

 ただ、その判断は完全に裏目に出た。

 

 模擬戦開始から10分以上も経った頃だろうか。ふいに、バリバリバリ、という大きな音が耳郎のイヤホンジャックに響いた。

 その音は、長い時間息を潜めながら静寂の中で神経を張りつめさせていた耳郎にとってひときわ大きな音に聞こえた。

 

「ッた……!!」

「耳郎君…!?」

 

 反射的に耳を抑える耳郎と、それに驚く飯田。

 そんな二人の背後で、窓ガラスを突き破りながら瀬呂が外から部屋に突入してきた。

 

 

 

 

「瀬呂少年の『テープ』は他人にも扱うことができる。初めてのチームアップでよくぞそこに気付いて有効活用した!」

 

 模擬戦後の講評で、オールマイトはそう言ってヒーロー組を出迎えた。

 

「い、一体何が…」

 

 何が何だかわからないうちに瀬呂の「セロテープ」によって簀巻きにされて敗北を喫したヴィラン組の二人は、キツネにつままれたような表情だった。

 

 

 女子同士として耳郎と交流を持っていた蛙吹は、耳郎が個性の「イヤホンジャック」によって聴覚を強化できることを知っていた。しかも彼女は、コスチュームと個性の恩恵によって耳郎の聴覚をすり抜けるほど隠密に行動することができた。

 蛙吹は冷静に、たっぷりと時間を使って外壁を這いながらヴィラン組の居場所を探し当てた。また、それから改めて建物内に進入してその部屋の前に瀬呂から受け取ったテープを大量に敷設し、勢いよく剥がすことで直接床に対して大きな音を発生させ、耳郎の聴覚を攻撃した。

 瀬呂は蛙吹からのインカムによる通信を得て、それと同時に突入したのだ。

 

 

「ある程度時間が経っても相手の気配が見えなければ、インカムもあるんだし耳郎少女を信じて偵察に出るという手もあった。一度決めた方針を守ることは大事だけど、思考は柔軟に保たなくちゃ相手の土俵に立たされることになるぜ!」

 

 オールマイトはそう言って講評を締めた。

 

「くっ……! 猛省します…!!」

「他にもヴィラン側の手は考えられるけど、初っ端からあんまり紹介すると後の組の戦術に差し支えるからこの場では秘密としておこう!」

 

 

 

 

・Cコンビ(砂藤 葉隠)がヒーロー、Aコンビ(上鳴 緑谷)がヴィラン

 

 

 この模擬戦で上鳴と緑谷はとにかく葉隠に注目した。今回のルールでは、体のどこかに専用のテープを巻かれるだけで脱落扱いになる。これは透明人間として抜群の隠密能力を誇る葉隠にとってかなり有利な状況だろう。

 彼女は体内に取り込んだもの、掌の中に隠したものも透明化できるので、比喩ではなく完全に視認不能な状態で襲撃してくる恐れがあった。対して、彼女とコンビを組む砂藤は特にトリッキーなところもない単純な増強型の個性だ。対策の優先順位は低かった。

 

「まずは葉隠をどうするかだよな。今回のルールで透明人間って相当有利だぜ」

 

 ヴィラン側に与えられた準備時間、上鳴はそう切り出した。

 核の配置などもしなけらばならない以上、5分という時間はあっという間に過ぎてしまう。すぐに作戦を練らなければ勝敗にも関わってくるだろう。上鳴はそう考えていた。

 しかし、ヒーロー好きが高じて、他人の個性をヒーローとして役立てる手法を考えるのが趣味(あるいは癖)となっていた緑谷にとって、この5分という時間はまったく十分なものだった。

 

「そのことなんだけど…上鳴君の個性って、"帯電"なんだよね。常に帯電し続けて、人が近くを通った時だけ放電するよう調整できないかな」

「そうか! 静電気みたい反応するようにすりゃ、透明人間でも…!」

 

 上鳴は、合点がいったとばかりに手を叩く。緑谷は頷いて、早口で自分の考えた作戦を語った。

 

「まずは最上階で息を潜めて籠城する。あの二人は探査能力があるようなタイプじゃないから、それだけでそれなりの時間を稼げるはず。最終的には対決は避けられないだろうけど、砂藤君は何とか僕が抑えるから、その間、葉隠さんから核を守って欲しい」

「ああ…任しとけ!」

 

 

 ヴィラン組は十分な自信をもって臨んだ。

 いざ模擬戦が始まると砂藤が全ての扉を開けるのではなく破壊しながら建物を探索し始めて驚かされたが、二人はそれに釣られることなく身を潜め、いざ砂藤が突入してきても我を忘れることなく役割を果たした。

 

 結果はヴィラン組の勝利だった。

 

 

「体格で勝る相手からコンビと核を守り切った緑谷少年、危険が迫ってもコンビを信じてその場を動かなかった上鳴少年、ともに見事だった!」

「はい!」「ッス!!」

 

 勝利し、目を輝かせてオールマイトからの称賛を受けるヴィラン組の二人。

 それに対して、ヒーロー組の砂藤は個性の反動で虚ろな目をしながら悄然としていた。葉隠も姿こそ見えないが似たようなものだろう。

 

「砂藤少年の、扉を破壊するという工夫も面白かった。ただ、葉隠少女の個性を最大限に活用したいなら、もう少し徹底するべきだったな」

「はい…」

「私が砂藤少年だったなら、ある程度目星が付いたら後は全ての部屋に扉ではなく壁を破壊しながら侵入しただろう。そうすれば相手側の混乱も誘えるし、葉隠少女の侵入経路が固定できなくなる。君のパワーなら不可能ではなかったはずだ」

 

 勝った者より負けた者の方が得るものは多いとはよく言うが、それは事実だ。

 雄英高校に入学したばかりの1年生たちはこれから己の個性の長所と短所に向き合っていくが、敗北は生かすべきだった長所と克服すべき短所を浮き彫りにする。オールマイトは勝利した二人をよく褒め、それ以上に敗北した二人にアドバイスを与えていた。

 

 

 模擬戦はのこり三組。ヒーロー基礎学実習はまだまだ続く。

 ただ、ひとまず会場は移動することとなった。瀬呂が窓を1枚割ったくらいのことならばまだしも、砂藤は建物の扉を殆ど破壊してしまった。流石にこれでは状況が変わってきてしまう。

 

 緑谷は思った。

 演習場とはいえ、こんな簡単に備品を壊してしまっていいのだろうか?

 いや、それを言ったら入試などはもっと派手に色んなものを壊していた。だから多分大丈夫なんだろう。多分。

 

 

 

・Bコンビ(口田 八百万)がヒーロー、Hコンビ(芦戸 峰田)がヴィラン

 

 5分の間にヴィラン組が作戦を立てるのと同じように、ヒーロー組も自分たちの個性を伝え合って相手への対策を講じる。模擬戦が始まってからはその時々で臨機応変に対応していくべきだが、特殊な個性を持つ者同士が戦う場合、ここでの読み合いがそのまま勝敗につながる可能性は高い。

 

 

「口田さん。改めてよろしくお願いいたしますわ」

 

 コンビが決まった時にも挨拶はしていたが、八百万は口田にもう一度挨拶をした。

 

 八百万はクラスの女子の中では最も身長が高いが、口田はさらに大きく、見上げるような高身長の男だった。手足も太く、堂々たる体格を持っていたが、不思議と威圧感は無い。きっと彼の控えめで自信なさげな佇まいのせいだろう。

 

「………!」

 

 八百万の挨拶に対して、口田は慌てたように身振り手振りで挨拶を返してきた

 先程挨拶をした時に気付かされたが、個性のせい、あるいはいかなる主義主張があってか、彼は言葉を話さないらしい。

 会話しなくてはインカムでの通信ができない。それは場合によってはかなりのハンデになるのだが…

 

「私の個性は、体の表面から様々な物を創造するというものです。口田さんは?」

 

 少し困った気持ちになりながら、八百万は個性について尋ねた。

 喋らなくてもまあチームは組めるが、流石にこれは教えてもらわなければ話が始まらない。

 

「……! ……!」

 

 口田はしばし、わたわたと身体を動かし視線を左右に巡らせた。

 そして、諦めたように肩を落とし、それから空を見上げた。

 

「空を舞う気高き者達よ、姿を見せるのです…」

 

 喋った。しかもその声は彼の容姿とはかけ離れた、幼い少年のような甲高い声だった。

 唖然とする八百万の耳に、バサバサ、という羽音が聞こえてくる。口田の視線の先を見上げると、そこには何羽かの鳥が居た。

 鳥たちは二人の上を少し旋回した後、口田の肩にとまってリラックスするように首を傾げた。

 

「…鳥を言葉で操る能力ですか?」

「……動物とか、虫も…」

 

 口田はぼそぼそと答えた。どうやら人間相手に話せないわけではなかったらしい。八百万は腑に落ちない気持ちを感じながらも、とりあえずひと安心した。

 

 

 それから八百万は時限式の装置を組み込んだ大量のスタングレネードを用意した。口田が呼び寄せた鳥達に建物内部を探索させた後、問題なければこれらを建物内に設置してもらうという作戦だった。

 さらに芦戸の酸や峰田の「もぎもぎ」も一応警戒して、身体を覆えるサイズのマントを二人分作った。

 

「そろそろ時間ですわね」

 

 一通りの用意を終え、八百万は会心の笑みを浮かべた。

 その時、ちょうどオールマイトによってインカムの通信で模擬戦の開始が告げられた。

 

『それではBコンビ対Hコンビによる屋内対人戦闘訓練、スタート!』

 

 準備は万端。いざ挑まん。

 八百万は口田と顔を見合わせ、建物に向き直った。

 

 

 その瞬間

 

 

「オラアアアアアアアァ! ヒーロー共やったらああああああ!!!」

「うおー! そこかーっ!!!」

 

 

 あろうことか、鳥たちを突入させるよりも前に、建物の入り口からヴィラン組の二人がそれぞれの個性を乱射しながら飛び出してきた。

 

 

 

 

 

 試合は、意表を突くことに成功したヴィラン組の勝利だった。

 

 模擬戦開始直後、峰田はすぐに八百万に文字通り飛びついて自身の「もぎもぎ」を大量に付着させ、行動を封じた。事前にマントを羽織っていたものの、直接飛びつかれてはさしたる効果も発揮できず、八百万はあえなく戦闘不能となった。 

 そして八百万がほとんど活躍できずに捕縛された時点で勝敗は決していた。

 

 

「様々なアイテムを作り出すことができる八百万少女に対して、籠城は悪手に他ならない。ヴィラン組に勝ち筋があるとすれば、開始の合図と同時に打って出て、アイテムを作り出す暇を与えずに捕縛するという手のみだったろう。よくぞ勝機を見逃さなかった!」

 

 オールマイトの眼前には、膝をついてがっくりと項垂れる八百万と、それを慰める口田と耳郎。

 そして顔面にぼこぼこと凹凸を作って大量の鼻血を垂らしながらも満足げに佇む峰田と、それを冷たい目で見る女子、遠巻きに見守る男子達があった。

 

 峰田の傷は大半が模擬戦が終わってから負ったものだった。

 模擬戦中、峰田は八百万に抱きついた。それだけならばまだ相手の抵抗を妨げることを合理的に追求した行動と解釈することもできたのだが、峰田は明らかに八百万の胸部に触れるような形で過剰に接触していた。そのことが女子たちの逆鱗に触れたのだ。

 

 事態をどう納めたものか困った末に、オールマイトはそれらを無視して講評を始めた。

 峰田が制裁を受けた際、その顔面を殴打していた女子のうち一人は自分の妻だった。それがまたオールマイトにとって対処に苦慮するポイントだった。

 正式に勤務しはじめて数日目にして、オールマイトは教師という仕事の難しさをひしひしと感じ始めていた。

 

 

 

・Eコンビ(障子 常闇)がヒーロー、Jコンビ(麗日 尾白)がヴィラン

 

 気を取り直して、模擬戦は続く。

 授業時間は無限にあるわけではない。4組目の組み合わせが発表されるとただちに次の模擬戦の用意が為された。

 

 この試合ではAクラスでも特に鋭い目つきの持ち主であるEコンビがヒーロー役となった。

 とはいえ、そもそも戦闘に重きを置くヒーローは厳めしい容姿であることが多い。「ヴィランっぽい見た目ヒーローランキング」などというものもあるくらいだ。それを思えば、障子と常闇の容姿はまだまだ一般的と呼んでも差し支えない範疇だった。

 

 逆に、ヴィラン役になったJコンビは悪人には見えない温和な雰囲気を持つ二人だった。

 そんな温和な二人組、麗日と尾白は、互いの個性を手短に紹介し合った後、額を突き合わせて話し合いを始めた。

 しかし、その話し合いはすぐに暗礁に乗り上げた。

 

「障子君と常闇君ってどんな個性なのかな」

「うーん…障子はずば抜けた探知能力と怪力の複椀、常闇はスピードとパワーがある中距離対応の分身って感じかな」

「ええー! そのコンビ死角ないやん!」

「うん…正直、俺たちが正面から当たっても勝ち目は薄いと思う…」

「そんなぁ…」

 

 ヒーローコンビの二人はAクラスでも上位と言える強力な個性を持つ二人だった。

 障子は6本の複椀を持つ異形型だが、昨日の個性把握テストでは片側3本の腕を使って握力測定で540キロという数字を叩きだした剛力の持ち主である。さらに彼はそれぞれの腕の先端に目や耳などの器官を生成することが可能で、それを用いて死角のない探査能力も発揮できる。

 常闇は自分の影から「ダークシャドウ」と名付けられたモンスターを出現させて操ることができる。このダークシャドウは常闇自身の影から伸びるという制約はあるが、空中も含めて広い範囲を自由に素早く移動できるし、何より自立した意思を持っている。

 彼らはいずれも攻撃・探知の両方に秀でた個性の持ち主であり、さらに射程まで兼ね備えていた。この二人が揃ったJコンビは、今回の全組の中でも最も隙の無いコンビだと言っても過言ではない。

 五指で触れた相手を無重力状態にするという麗日の個性も対人制圧能力としてはかなり優秀だが、それだけで勝利を期待できるような相手ではなかった。

 

 麗日達は相手の強力さにいささか悲観的な気持ちになった。だが、当然そんなことで模擬戦を投げ出したりはしない。

 麗日は事前に渡された建物の見取り図を見ながらしばらくうんうんと唸った後、ふいに勢いよく顔を上げて、核の方を見やる。

 

「あの、先生…!」

『ん? どうかしたかい? 麗日少女』

 

 そしてインカムに向かって麗日は話しかけた。

 インカムからはオールマイトの返事がある。

 

「……核、隠しちゃっていいですか!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5分の準備時間が終わったことをオールマイトが宣言すると、ヒーロー組の二人は満を持して慎重に建物に潜入した。

 障子と常闇はお互いが単独で行動し得る能力を持っていると判断し、今までの生徒達とは違って二手に分かれて行動することを事前に決めていた。常闇が能動的に探索し、障子はゆっくりと移動しながらヴィラン組の動向を探るという役割分担だ。

 

 しかし。

 

「…全く動きがない。籠城を決め込んだか」

 

 障子は一本の腕の先に生成した口で、インカムに向かって囁いた。

 

 彼の残りの腕の先に生成された耳は、静寂に包まれた建物の中にあっては微細な足音でも感知できるはずだったのだが、その足音が一切しなかったため、ヴィラン組の存在を感知できなかった。

 麗日の個性を使えば無重力状態になって足音を消して移動することもできるだろう。しかし、だからといってそのことにさほどの意味があるようには思えなかった。そのような状態で襲撃してきたとして、それを見逃すようなヒーロー組ではない。

 

『こちらもまだ発見できない』

 

 インカムの先の常闇が応答した。彼も相手を補足できてはいないらしかった。

 

 それからまた暫く探索を続け、模擬戦開始から5分が経過した段階で二人は最上階である5階の探索に着手した。

 残り時間は10分。対して、未探索の領域は僅か。ヒーロー組にはかなり余裕がある筈だった。しかし、この状況を障子はどこか快く感じていなかった。

 このクラスに所属する生徒達は、すべてが国内最高のヒーロー養成校である雄英高校に合格した猛者たちなのだ。ヴィラン組の二人が籠城していたとして、無策で待っているなどという事態は考えにくい。

 障子たちの思いもよらぬ必殺の布陣で手ぐすねを引いて待っているのだとしたら、と考えると決して油断はできなかった。

 

 そうして5階の探索を続け………ヒーロー組の二人は5階の探索を終えた。

 核兵器はおろか、ヴィラン組の姿すらそこには見つけられなかった。

 

 

 

「どうなっている…!!」

 

 探索を終えてすぐ、障子は常闇と合流していた。

 二人は困惑した。

 ステージの見取り図を見て二人は互いに担当する領域を決めた。その全ての探索を終えたのに標的が見つからないのはなぜか。

 一番考えやすいのはどこかに探索漏れがあったという場合だが、そんな下らないミスをするはずがなかった。しかし、そうでないとしたら、一体…

 

「まさか…」

 

 そんな中、ふと常闇が呟いた。

 

「籠城ではなく、移動しているのか…?」

「……!!」

 

 その言葉の意味を理解した瞬間、障子は驚愕した。

 ヴィラン組が籠城ではなく、無重力による浮遊で無音のまま核と共に移動していたとしたら。それはあまりに運頼みな作戦だったが、時間稼ぎとしてはそれなりに功を奏するだろう。

 一つ頷き合って、二人は駆けだした。

 

 障子は焦る自分の心をなだめた。まだ時間はある。

 足音すら聞き分ける障子の聴覚によれば、これまで扉の開閉音はヒーロー組の二人がたてたものしかなかった。だとすれば、ヴィラン組は廊下を移動しているはず。ならば全力で捜索すれば見つけることは容易いはずだった。

 

 それから障子と常闇は息を切らしてすべての階の廊下をくまなく捜索した。時折すでに探索し終えた部屋も確認した。

 だが、ヴィラン組を発見することはできず、無情にも時間は過ぎた。

 

 そして、ついに「もしや麗日と尾白のどちらかが、葉隠のように視認不能になる個性の持ち主だったのでは?」という疑念が障子の脳裏を支配し始めたころ、オールマイトはタイムアップを告げた。

 

 こうして今回の授業で屈指の能力を発揮するはずだったJコンビは、自らの敗因すら理解できないまま敗北を喫した。

 

 

 

「…男らしくねえ試合だったなぁ」

 

 観戦していた生徒の一人、切島はこの模擬戦をそう評した。

 八木桃香が心の中で"爆発さん太郎"と呼んでいる少年などは「くそつまんね」とすら言っていたが、それは流石にあんまりだったので切島は聞かなかったことにした。

 

 それより、と切島は気を引き締めた。四組目が決定した時点で最終戦の組み合わせも決定している。切島と轟、そして爆豪と八木だ。

 切島は自分以外の三名の個性を良くは知らなかったが、彼らが相当の実力者であるということは知っていた。

 轟と爆豪の個性が攻撃的で非常に強力なものだということは昨日の個性把握テストで見ただけでも十分理解できる。そして八木は他の追随を許さない程の身体強化。しかも彼女は入試実技一位だというクラス内の噂を切島は聞いていた。

 

 最終戦は、四組目の地味な戦いとは打って変わって今日一番の熱くタフな戦いになる筈なのだから。

 

 

 

 EコンビとJコンビの模擬戦において、ヴィラン組であるJコンビがとった作戦は簡単なものだった。

 麗日は尾白と協力し、無重力の個性で自分たちと核を屋上へ運び、そのままそこでタイムアップまでじっと息を潜めていたのだ。

 障子たちがそれを発見できなかったのは、模擬戦の前に配られた建物の見取り図に「5階から屋上へ続く階段」が表記されておらず、また実際そのような階段が存在しなかったためだった。

 

 今回用いられたステージはあくまで演習用に作られた建物で、実際に町中に存在する建物のように人の生活を想定して作られたものではなかった。内装は無機質で、屋上にも給水塔を模したハリボテが置かれているだけという有様である。

 ヒーロー組は無意識のうちに屋上の存在を除外し、核もヴィラン組も存在しない建物内部を右往左往することになったのだった。

 これは本来ならばレギュレーション違反として模擬戦が中断するような案件だったが、ヴィラン組は事前にオールマイトに確認を取って、移動は試合開始後にするという条件付きで許可を得ていた。

 障子はクラス内でも最高峰に探知に優れており、常闇ならば特に労力もなくダークシャドウを屋上に送り込んで探索ができたことから、致命的なまでの不利にはならないとオールマイトは判断したのだ。

 

 ヴィラン組の作戦はある種クレバーなものだったと言える。ただ、戦闘を完全に放棄して逃亡を図るかのような所業は、「屋内戦闘訓練」としては大きな疑問が残るものだった。

 

 

 試合後、生徒達は微妙な空気に包まれていた。

 

「まず前置きをしておこう。この一戦、勝利こそしたが、ヴィラン組の取った作戦は模擬戦として考えるとあまり評価できないものだった。…だが、授業としては素晴らしい示唆に富んでいた!」

 

 しかし、そんな生徒達にオールマイト胸を張ってそう言った。その言葉に、気後れするように俯いていた麗日と尾白が顔を上げた。

 

「私は麗日少女と尾白少年に感謝しよう。ありがとう!」

「ど…どういたしまして…?」

 

 オールマイトはニカッと笑いながらヴィラン組の二人に親指を立てて見せる。その姿に生徒達も次第に姿勢を正した。オールマイトは講評を始めた。

 

「今回、ヴィラン組はヒーロー組と相性の悪さを感じて徹底的に交戦を避けるという手を選んだわけだが…切島少年!」

「お、俺っスか?」

「ああ。例えば君が同じ状況に置かれたとしたらどうした?」

「……俺なら、何とかして勝つ方法を探しました」

 

 講評が始まってすぐに突然指名された切島は、僅かに考えてから答えた。

 

「ゲームみたいにパラメーターがあるわけじゃなし、勝ち負けなんてやってみなきゃわかんねーじゃないっスか。逃げ腰じゃ勝てるものも勝てなくなる」

「うんうん。その考えもまた正しい」

 

 オールマイトはその答えに頷く。そして言葉を続けた。

 

「じゃあ、例えば今回はヴィランが兵器を守っているという設定だった。これが逆に、ヒーローが民間人を守っているという設定だったら?」

「…っ!」

 

 生徒達の雰囲気が変わった。

 

「不退転の意思で戦いに挑む。格好いいな! だが、ヒーローの本分は『守ること』なんだぜ。守るために必要ならば、敵に背を向けることは決して恥ではない。そのことを血気盛んな年頃の皆には覚えておいてほしい」

 

 これこそがこの組の模擬戦を通してオールマイトが生徒達に伝えたいと思った事だ。

 生徒達は真剣な目をして頷いた。一部、頷かない者も居たが、それでもちゃんと話は自分なりに咀嚼しているようだった。

 

「ヒーロー組の二人。思いもよらない状況に焦っただろう。その焦りを覚えておけ! そして、ヴィラン組の二人。次は戦って勝てるともっといいな!」

『はい!』

 

 ヒーロー組の障子と常闇、ヴィラン組の麗日と尾白が大きくうなずいた。

 

「個性同士での戦いは何が起こるかわからない。常にあらゆる可能性を頭の中に巡らせておくんだ。そしてそれは自らの個性に関しても同じことが言える。常に新たな一手を探し続けろ! それが君たちに更なる進化をもたらすはずだ!」

 

 オールマイトは生徒達を見回し、拳を握った。

 

「ウチの校訓、もちろん知ってるだろ? せーのっ!」

 

 

『Plus Ultra!!』

 

 

 生徒達の合唱を聞きながらオールマイトは密かに、我ながら若人たちに良い話ができたのではないかと内心自画自賛した。

 あと、生徒に対する発問が成功したことにも喜んでいた。今回の模擬戦を切島が「男らしくない」と評したのをオールマイトは聞いていて、彼ならば好戦的な解答をくれるのではないかと予想したのだ。

 ヒーロー科の生徒達は大概素直だし物怖じしないから発問がしやすいが、迂闊な聞き方をすれば正答を全て言われて指導側の喋る余地が無くなってしまう。欲しい答えを言ってくれそうな生徒を選んで指名するというテクニックをオールマイトは習得した。

 

 私も先生として日々、Plus Ultraだな!

 

 

 

 

「…先生、なんかエンディングみたいな雰囲気出てるけど、まだ一組残ってるっスよ」

「………そうだったね…!」

 

 オールマイトは現実逃避を強制終了された。

 

 

 残された4名は、八木桃香、爆豪勝己、切島鋭児郎、轟焦凍。

 

 よりによって、この4名。

 その顔ぶれを思い、オールマイトは身震いした。

 

(……この組み合わせは…ッ!!)

 

 日本最高のヒーロー養成校である雄英高校の、入試実技の上位3名と推薦合格者だった。

 

 敢えて乱暴な表現が許されるならば、これはすなわち、この年度における日本最強の高校1年生4名が一堂に会するということだった。

 会場は無事で済むのか? 他の生徒と共に建物の地下から観戦していて大丈夫なのか?

 

 何より、そのメンバーの中に妻が含まれているという事態は、オールマイトの心臓にとって少々よろしくないものがあった。

 

 




 
ちなみにこのたび用意しましたコンビと、ヒーロー・ヴィラン組、そして模擬戦の順番は全てランダムで決めました(主人公のコンビとその対戦相手は除く)
 


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閑話2 対人戦闘訓練②

 
A組がこの段階でどの程度互いの個性を把握していのかは正直わかりませんが、互いに全然知らないという状況ではあんまり作戦らしい作戦が成り立たない(戦闘に強い個性の持ち主が単純に勝利してしまう)と思ったので、このSSでは少なくとも男子は男子同士、女子は女子同士で個性の内容が共有されているのだという設定にしております。
(爆発さん太郎や初期ろき君などの協調性の無いメンバーは除く)
 



 

 

 

 

・Gコンビ(切島 轟)がヒーロー、Dコンビ(爆豪 八木)がヴィラン

 

 

 

 入学二日目にして行われた対人戦闘訓練。クラスメイト達の試合は中々見ごたえのあるものだった。

 

 原作とは違うチーム分けだったから「緑谷少年VS爆発さん太郎」みたいな派手な戦闘は無いけど、生徒達の工夫が随所に見られて面白かった。

 中でも、まさか八百万さんがああもアッサリ負けるとはこの場の誰が予想できただろうか。

 芦戸さんたちのチームの個性はトラップ作成に向いている。それに対して、身体能力はというと格別に優れているわけじゃない。

 芦戸さんは常人の範疇では運動神経がいいようだけど、峰田なんかはフィジカル最弱だ。それなのに迷わず敵の前に躍り出て戦ったその決断力は中々並じゃないと思った。

 結局この世界は異能バトルだ。力が強ければ有利だけど、何より大事なのは工夫や作戦なのだ。

 

 と、僕は思ったのに。

 

 

「………」

「………」

 

 僕と爆発さん太郎の間に流れる空気は最悪だった。

 

 準備のためにヒーロー組より先に建物に入って、核兵器の設置されている初期位置まで来た。その道中、二人の間に会話は一つもなかった。

 彼は相手チームよりもむしろ僕に対して敵意丸出しで、とても話しかけられる状態ではなかった。これでは作戦もクソもない。

 

 なぜ僕は彼にこんなに嫌われているのか?

 僕は入学までに彼との面識は一度もない。入試の会場も違った筈だから本当に恨まれる筋合いはどこにもないだろう。だとしたら、やっぱり理由は一つしか思いつかない。

 あれだ。今までなんでも一番だった男が、ここに来て一番になれなかったせいで拗ねてるわけだ。…いい歳こいて駄々っ子か!!

 

 内心で頭を抱えている僕をよそに、爆発さん太郎は核兵器の周囲をざっと確認すると、すぐに踵を返した。

 

「ちょっと、どこいくんですか」

「あ? よろしくするつもりはねーっつったろが!」

「………」

「俺は勝手にやる。お前も好きにやれや」

 

 目も合わせずに言い捨てて去っていこうとする。

 これにはさすがにいくら何でも少し頭に来た。こいつ何様のつもりだ。

 

 ちょっとぶん殴ってやろうと思って、その背中を追いかけて拳を振り上げる。

 

「ふんっ」

「…ッ…!!」

 

 しかし、爆発さん太郎はぎりぎりの所で気付いて身をかわした。

 流石に才能マンと呼ばれた男だ。本気で当てるつもりじゃないパンチを食らってはくれなかった。

 

「何しやがる!!!」

 

 そして鬼の形相で振り向いて僕の胸倉を掴んできた。もう片手も肩口に構えていて、掌の上で小規模な爆発が起こっている。

 この人、女相手でも全然容赦ないな。

 

「何はこっちの台詞です。そっちこそどういうつもりですか。やる気が無いなら迷惑なので早退してください」

「誰がんなこと言ったゴラァ!? 俺は一人で十分だっつってんだろうが!!」

「…相手が何者だか知っててそんなこと言ってるんですか?」

「ああ!!? 知るか! 誰が相手だろーが関係ねんだよ!!」

 

 流石は初期出荷分の爆発さん太郎クソ下水煮込み味だった。全く話にならない。至近距離から唾を飛ばして叫んでくるのが鬱陶しくて、つい胸倉を掴んでくる手を強く握りしめてしまった。

 

「関係あるよ。ふざけんなよ」

「……ッ!!」

 

 あとさっきからお前の手の甲が僕の胸に触れてるんだよ。そこに触っていいのは俊典さんだけなんだよ。…なんか真面目に腹が立ってきたぞ。

 

「……クソが…放しやがれ!!!」

 

 爆発さん太郎の手からミシミシと音がなる。反射的に左右に振って逃げようとされたが、個性の恩恵を受けてない常人の腕力で振り払われるほど僕の力は弱くない。

 むしろ、その手ごと押して彼の身体を壁際まで押し付け、その顔を下から覗き込む。

 

「国立雄英高等学校 推薦選抜合格者、轟焦凍」

 

 僕が掴んでいる手が小さく爆発を繰り返す。意図してのことか知らないけど、そんな猫騙しが再生能力者に効くか。

 

「一般選抜 実技第3位、切島鋭児郎」

「…何を…ッ!」

「1位の僕のことしか見えてなかったんですか? ねえ、第2位、爆豪勝己君」

「ッ!!!」

「彼らは決してモブなんかじゃない。あなたと紙一重のライバルです。それに他のクラスメイトだって、油断していると足を掬われますよ」

 

 爆発さん太郎は目を見開いた。その目には今まで以上の敵意が込められていた。しかし、それ以外の色も含まれているように見えた。

 そうだ。相手はよりにもよって轟君と切島君なんだ。本気でかかっても勝てるか分からない相手なんだぞ。お前も真面目にやれ。

 僕は補講を受ける以上、普段の授業でも十分な成績をとっておかなきゃならないんだ。それに何より、俊典さんの授業で僕のメンツを潰してくれるんじゃない。

 

「今までの人生 さぞかしつまらなかったでしょう。判りますよ。僕も中学校、死ぬほどつまんなかったです」

「テメェと一緒にすんなや!」

 

 拘束していた手を放してあげると、肩をドンと強く押された。

 その勢いで2歩分ほど下がる。

 

「でも爆豪君 良かったですね。ここにあなたを脅かすことができそうな人間がこんなに一杯いますよ」

 

 再度顔を覗き込むと、その顔にはたっぷりの凶相が浮かんでいた。

 

「少しは張り合いが出てきましたか?」

 

 しかし、その口元は笑みの形を作っていた。

 

 

 _________________________________

 

 

 今回の授業では、模擬戦に参加しない生徒達は大量に仕掛けられた監視カメラを通して模擬戦を観戦するのだが、監視カメラは音を拾わないため、会場側の会話はインカムを持っているオールマイトにしか聞こえない。模擬戦前の5分間、観戦する生徒達は会場の動きを見ながら彼らがどんな作戦を練ったのか想像するのだった。

 しかしこの最終戦に限って言えば生徒達は他の部分で大きく盛り上がっていた。

 

 ヒーロー組は轟の口数が少ないながらも多少の会話があったようだが、動き自体は殆ど無かった。それに対して、ヴィランチームの映像ときたら。

 

「後ろから相方に殴りかかった!?」

 

「ふ、婦女子の胸倉を掴んだだと!!??」

「あの野郎おおおお指が八木ッパイに「峰田お前まだボコられ足りねーのか…」

 

「逆壁ドンだぁー!!」

 

「おい、これ止めた方が…爆豪マジでヴィランみたいな顔してるぜ」

 

 爆豪と八木桃香は最初から仲間割れの様相を呈していた。これは今までの模擬戦では無かった流れだ。

 

 生徒達が騒ぐように、オールマイトとしてもこれ以上少しでも暴力が伴うようならすぐにでも実力で止めるつもりだったが、幸いと言うべきか二人の諍いはすぐに収まった。

 オールマイトはインカムを通じて二人を注意するに留めた。

 

「先生、桃香ちゃんは爆豪ちゃんとなんの話をしていたのかしら」

「う、うん。ちょっと過激だったが、八木少女が爆豪少年の協調性のなさを注意していた。爆豪少年も考えを改めたようだね!」

 

「あ、あのかっちゃんが!?? す、すごい……!!」

 当たり障りなく答えると、それを聞いた継承者が小さな声で驚いていた。

 

 

 最終的に、ヴィラン組は核兵器を初期配置である三階の一室にそのまま置き、自分たちは二人で階段前に陣取ってヒーロー組を正面から待ち受けることにしたようだった。

 

「でも、ヤギモモが先制攻撃しかけたのはちょっと意外だったよね」

 

 模擬戦が始まる前、ある女子生徒はこの一連の流れをそのように評していた。

 

 それを聞きながら、オールマイトはその言葉をひそかに否定した。

 

 八木桃香は一見、口調は丁寧で外見も人当たりも柔らかいため、優しい人物であるという第一印象を持たれることが多かった。しかしその実、頭の中ではシビアに物事を考えるタイプの人間なのだということを7年間の付き合いの中でオールマイトはよく知っている。

 

「ふざけんなよ」。自分の妻が口にした言葉が脳内でリプレイされて、オールマイトは一つ身震いした。

 

 

 

_________________________________

 

 

 

 10歳で前世の記憶に目覚めて以来、僕は再生能力が無い常人だったら100回は死んでるような密度で自分を鍛えてきた。オール・フォー・ワンから最低限逃げ隠れができるようになるためにはそれくらいのことをする必要があると思っていたからだ。(本当にオール・フォー・ワンに目をつけられたら逃げきれる自信はなかったけれど)

 AFOが居なくなって、俊典さんのプロポーズを受けてからはあんまりハードなのはやっていないけれど、それでもトレーニング自体は継続している。

 だからつい一か月前、僕は自分が入試実技で1位を取ったと知った時も全く驚かなかった。むしろ思い通りの結果で安堵を覚えたくらいだった。

 こっちは悪の帝王と戦うために鍛えていたんだ。天才とはいえ中学生の子供なんぞに負けて堪るか。だいたいそうでなくとも1歳年上なんだぞ。僕は心の底からそう思っていたのだ。

 

 でも実際問題、悲しい事に僕の生まれ持った個性は基本的には戦闘向きじゃない。無理やりこじつけるようにして戦闘に応用できるようになりはしたけど、本来の用途は回復以外の何物でもないのだ。

 そこに来て今回の相手はなぜか、轟君と切島君という強力な二人組だった。

 

 原作のまだまだ序盤の体育祭編で既に「そこらのプロ以上」と言われた男と、同じく体育祭編で爆発さん太郎の爆撃を食らってよろけもしなかった鉄壁の男。

 ダーティーな作戦とか生死にかかわるような攻撃をしていいならまだしも、ただ単に無力化(しかも核に気を配りながら)するという条件下でこのコンビはいくらなんでも手に余る。

 もちろん爆発さん太郎だってこの二人を前に一人では為すすべもないはずだ。

 

 轟君と切島君が一緒に行動してくるかは分からなかったけれど、勝利するつもりならば相手と2対1の形になる可能性自体が許容できない。

 連携しないまでも、せめて僕と同じ空間で相手を迎え撃って欲しかったからこそ、僕は敢えて爆発さん太郎が嫌がるような事まで言って話を聞かせたのだ。

 

 そして、やはり爆発さん太郎にとっても、みっともなく敗北することは何をおいても避けるべきことなのだろう。彼はあの後、「推薦の轟とかいう野郎は俺がやる」とだけ言って歩き出した。つまり切島君は僕に任せるという事だ。

 轟君を相手に選んだのは、取りあえず入試で自分より下位だった切島君よりも推薦合格者の轟君と勝負したかったからだろう。近接しかできない僕は轟君とかなり相性が悪いから、その選択は僕にとってもありがたかった。

 

 僕は爆発さん太郎の後ろをついて歩きながら、昨日の個性把握テストから窺える範囲で相手の二人の大まかな個性を説明し、さらに僕自身の個性が自己再生であるということも語った。返事はくれなかったけれど、話自体はちゃんと聞いていてくれたようで、彼は階段の前で足を止めた。

 ヒーロー組は隠密裏に高い階層から侵入できるような個性を持っておらず、さらにこの建物は階層間を移動する階段は各階層に一か所しかない以上、ヒーロー組は必ずこの階段から現れる筈という判断だろう。

 

 試合開始まで残り僅かになったところで、彼は険しい表情で呟いた。

 

「いずれ全員ブッ倒して、俺が一番だってことを証明してやる…!」

 

 どう答えても怒りだしそうだったので僕は黙ってそれを流した。

 

 

『…準備はいいか! それでは、Gコンビ対Dコンビによる屋内対人戦闘訓練、スタート!』

 

 

 そして、俊典さんの声と共に模擬戦が始まった。

 

 

 俊典さんの言葉が終わってすぐのことだった。僕は何かが来るという漠然とした感覚を覚えた。それは例えるなら、地震の起こる予兆のような感じだった。

 その直後、パキパキという音と共に階段の下から白い冷気が壁と床を浸食してきた。

 原作でもあった、開幕と同時の凍結攻撃だ。

 

「……!!」

 

 浸食されつつある床に立っているのはまずいと本能的に察したのか、爆発さん太郎は咄嗟に飛び上がって両手の爆発で滞空した。僕はそんな便利なことはできないので、ただ片足を上げた。

 床についているほうの足は、床に氷が広がるのと一緒にみるみる氷で覆われていく。

 どう見ても湿気から発生したにしては氷の量が多い。原作の氷壁を繰り出す技からも想像できるけど、轟君の個性は、冷やすのと、氷を発生させるのと、二種類の能力がある気がする。

 僕の足が凍ってるのを見て、爆発さん太郎はぎょっとしたようだった。

 

「オイてめェなに食らってんだ!!」

「あはは、問題ないですよ」

 

 一通り床の氷の浸食が終わってから浮かせていた足をおろして、凍った方の足を地面から剥がす。靴は僕が全力で蹴る前提の強度で作ってもらっているから、これくらいの事では壊れない。

 ガンガンと地面を何度か踏みつけると、まとわりついていた氷も剥げて足も自由に動くようになった。

 

「この氷、轟君ですね」

「っ建物ごとかよ…!」

 

 浮遊をやめて地面に降り立った爆発さん太郎は顔が引き攣っていた。この威力は予想外だったようだ。

 まあ轟君は物心ついたころから日々吐くような訓練をして生きてきた人間だ。いくら才能マンとはいえ悪ガキを侍らせて緑谷少年を虐めて遊んでる暇のあった奴にそうやすやすと負けはしないだろう。そういう意味では彼は僕と少し似ている。

 ただ、だからといって手も足も出ないようではコンビの僕が困る。

 

「是非、ブッ倒してあげてください」

 

 さっき言ってたよね? 寒いけど頑張ってね。

 

「……上等だァ!!!」

 

 笑いかけてあげると、爆発さん太郎は凶悪に笑った。

 

 その時、ふいに階下から微かに物音が聞こえてきた。

 僕たちは同時に息を潜め、その音に耳を澄ませる。それは一人分ではない足音だった。

 根拠は無かったけれど僕たちは確信した。相手はこちらに向かってきている。

 考えてみれば当然のことだった。僕たちはさっきから大きな声で話して、二人ともそれなりに大きな音をたてていた。正面勝負が好きな切島君と、自信満々な轟君がそれを見逃すはずがない。

 

 何の合図もないまま爆発さん太郎は飛び出した。僕もそれに続く。

 

 素早く階段を駆け下りると、そこには2階の階段を登り切った形で身構える切島君と轟君の姿があった。多分階段を上っている最中にこちらが動き出したのを察して、急いで階段を上がったのだろう。

 切島君を巻き込まないようにするためだろうか、轟君のほうが一歩分ほど前に居た。

 

「正面から…!」

 

 個性を発動させた切島君が緊張した顔でそう言い終えるよりも早く、轟君と爆発さん太郎は殆ど同時に互いに右手を翳した。

 爆発音と共に、地震のような揺れが起こる。

 一瞬のうちに階段を埋め尽くすような氷壁がせり立ち、ほとんど崩壊しながらも爆発は受け止められていた。

 

 反発の爆風を受けながら爆発さん太郎が「チッ!」と大きな舌打ちをするのを横目に、僕はスピードを緩めずに突っ込んで氷壁の残骸を蹴り砕き、相手チームに肉薄した。

 氷のつぶてが相手側に飛んだけれど、一瞬氷の壁で見えなくなった間に切島君が前に出ていて全て受け止められた。それどころか、それらを無視して彼は既に拳を振り上げていた。

 邂逅からここまでわずか数秒だったのになかなか判断が早い。ただ全身に気合を込めているせいか、パワーはともかくその動きは多少のぎこちなさがあった。

 軽く拳を躱し、クロスカウンターの形で切島君の顎を掴んでそのまま2階の廊下へ駆ける。

 轟君がこちらを見て右手をかざしたけど、それは無視して走り続けた。背後で「てめェはこっちだ!!!」という雄たけびと共に爆発音が響いた。

 

「うおおっ!? 放ッ…」

「いいですよ」

 

 爆発さん太郎が活躍してくれることを祈りつつこちらも、もがき始めた切島君を廊下の突き当りの壁に思い切り叩きつけた。大して厚さのないコンクリートの壁と切島君とでは、切島君の方が硬かったらしい。切島君は壁を突き破ってその向こう側の部屋に転がった。

 

 部屋の中は「THE・廃ビルの一室」といった感じで謎の木材や壊れた机などが無造作に配置されているのが見えた。

 切島君で空けた穴を通って室内に入ると、彼は素早く起き上がって構えた。ダメージは殆どないらしい。知ってはいたけどやはり関心するほどの頑丈さだ。

 

「…くそっ! 分断か!」

「はい。爆豪君が一対一を希望したので」

「タイマンだと!? 漢らしいじゃねえか」

 

 爆発さん太郎のあれに関しては、男らしいと呼ぶべきか、子供っぽいと言うべきか。

 彼らの戦闘は順調に続いているようで、背後からまた大きな爆発音が聞こえた。

 

「っていうか、こんな話してる場合じゃねえ!」

「うーん、僕はもう少し話しててもいいんですけど」

「いやここは普通戦って勝った方がコンビ助けに行く流れだろ!? 急げって!」

「爆豪君は轟君と勝負したいって言ってたんですよ。その邪魔はしないつもりです」

「熱い心意気…! でもそれ授業的にありなのか?」

「負けても死なないで済む授業だからこそですよ。まあ、そうでなくてもあの二人の戦いは派手だから僕が居ても邪魔でしょう」

 

 本気を出せば介入できないこともないけど、そうなるとどうしても再生怪人じみた戦闘を披露することになるだろう。流石にこんな授業でクラスメイトにそんな傷を負わせて平気なほど彼らの根性も据わってはいないだろうし、下手したら模擬戦自体が中断してしまう。

 …というのは表向きの理由だ。

 個人的には、一対一を邪魔して爆発さん太郎から怒られるのはまっぴら御免だったし、ここで一回 思う存分同格(格上)と戦ってもらって天狗の鼻を折っておいた方が彼自身のためにも良いと思っている。

 僕はひたすら切島君の相手に専念して、もし爆発さん太郎が負けるようだったら轟君を相手にするつもりだった。

 ただ、やはりというか切島君は意見が違うらしい。

 

「そうかよ…でも、少なくとも俺は邪魔にはならねえ自信があるぜ」

 

 さりげなく延長した話にも律儀に付き合ってくれたけれど、これ以上は待ってくれないようだ。切島君は強気な表情を浮かべて、個性を発動して全身を硬化させた。

 

「それにやっぱヒーローなら仲間を助けねえとな。ここは通してもらうぜ!」

「二人が戦ってる間に核を探しに行くのもオススメですよ」

「その手もあったか! って、敵にアドバイスしてどうすんだ!?」

「あはは」

 

 この人も素直だから話していて楽しいなぁ。

 それに、倒しても不貞腐れたりしないでいてくれそうだから、すごくやりやすい。

 

「どっちにしろ僕に勝てたらの話ですから」

「…負ける気はねえってかよ!」

 

 緊張した表情にわずかに笑みを浮かべ、切島君は改めて構えた。僕もそれに合わせて静かに構える。

 

 ごめんね切島君。僕の個性、多分君の個性とすごく相性がいいんだ。

 

 

 

 そこからの僕と切島君との闘いはだいぶ一方的だった。

 

 鉄壁の防御力とまあまあの攻撃力、スピードは変化なし。それが切島君の個性だ。それに対して、僕は防御力こそないけど超人的な攻撃力とスピードを発揮できる。

 僕は彼を相手取るにあたって、個性によって身体の潜在能力を40%ほど開放するだけで十分な有利を確保できた。

 誰かの前衛だったとしたらかなりの脅威だった筈の切島君は、一対一の状況ではサンドバッグと化した。

 そして…

 

 1、2分くらい経っただろうか。散発的に反撃しながらもこちらに一発も当てられないまま、何十、何百発もの攻撃を浴び続け、切島君は呻いた。

 

「クソ、手も足も出ねえ…!」

「こういう時、本来なら相手の息切れまで耐えて勝機を探すんでしょうね」

「分析すんな! っつーか全然息、切れてねーじゃねーか!!」

 

 彼の言う通りだった。

 格闘というのはかなり体力を消耗するものだけれど、僕は全く疲れていなかった。

 

 普通の人間はエネルギーを化学物質という形で体内に蓄えている。それに対して、僕はエネルギーを「エネルギーという概念」として体液中に貯蔵している。化学物質は酸素と反応させてエネルギーを取り出さないといけないけれど、僕の謎エネルギーはそのまま使うことができる。この差は大きい。

 常人でもヒーローでも関係なく、人間はある程度以上運動すれば息が切れてパフォーマンスが落ちてくるのに、僕はそれがないのだ。極端なことを言えば、僕は体内のエネルギーが底をつくその瞬間まで呼吸をしないで活動できる。

 

 再生能力があるから怪我や筋肉の疲労による機能低下も無いし、僕の個性はかなり長期戦に向いている。それに対して、切島君の個性はそんなに長持ちするものじゃない。

 僕は、主導権を渡さないようにしながら彼のタイムリミットを待っていた。

 

「個性の相性ですね」

 

 ダメージこそ無いけど反撃不可能な身体能力差に、自分にだけある時間制限。彼からしてみれば僕は最高に相性が悪い相手だ。正直にそう指摘する。

 すると、切島君はきっ と目を見開いて大きく拳を振りかぶった。

 

「個性なんて関係ねェ!!」

 

 叫びながら振るってきた拳を避けながら、その語気の強さに僕は思わず手を止めた。

 

「誰が相手でもヒーローは戦うんだよ…勝てねえのは俺の漢気が足りてねえってだけの話だ!!」

 

 僕は驚いた。彼の口から出てきたのは一種の、巷でたまに囁かれることがあるヒーロー原理主義の一側面だった。

 

 「例えどんな敵が相手でも守るためならば歯を食いしばって戦うのがヒーローの本懐」という主張。これは理屈は理解できるものだが、普段それが匿名の場所以外で声高に唱えられることは殆どない。

 勝てない相手と戦うっていうのはつまり死ぬって事だ。他人にそんなことを真顔で言えるのはステインさんくらいだ。

 

「この際勝てねえのは仕方ねえけど、せめて轟がカタつけるまでは時間稼いでやるぜ!!」

 

 僕の目を正面から見ながら、切島君は拳を硬く握って宣言した。

 

「………」

 

 その姿を見て、僕は少し不安になった。

 この熱い男が本当にあと1分やそこらで個性を切らすだろうか。

 

 僕が彼を倒す前に爆発さん太郎が負けてしまう可能性を考えたら、これ以上時間を稼がれるのは大きなリスクだった。

 それに、そのひたむきな姿勢を見ていると、彼が隙を見せるのを高みの見物よろしく待っているというのは彼に対してちょっと失礼な気もする。

 しばしの静寂が僕たちの間を包んだ。遠くの方からはまだまだ元気な爆発音が聞こえてきた。

 

「…なんだよ?」

 

 彼の言葉を聞いてから無言のまま考え事を始めた僕を見て、切島君は戸惑いの表情を浮かべたけれど、その問いを無視して僕はひとつ息をついてから頷いた。

 

「それなら、ここからは少しやり方を変えていきますね」

「やり方…?」

 

 僕が必殺技かなにかを繰り出すと思ったのか、切島君は今までよりもいっそう硬く身構えた。その判断は正しい。

 

 潜在開放80%。 僕は心の中で唱えて、全身のエネルギーを活性化させた。

 

「絶対に個性を解かないで下さい。生身で当たれば『痛い』じゃ済まないので」

 

 言い終えると同時に床を蹴って接近する。切島君は僕の動きに全く反応できていなかった。

 20%が全力。今まではその倍の40%。そしてここからはさらにその倍だ。

 全身の軋みを感じながら強く拳を握りしめ、常人ならどこに当てても致命傷になる力で僕は切島君の腹部を思い切り殴った。

 

「がッ……!!」

 

 切島君は呻き声をあげ、倒れこそしなかったものの10歩分くらいは吹き飛んだ。僕の攻撃は硬化を貫いてダメージを与えているようだった。

 彼が姿勢を持ちなおす前に再度接近し、すれ違うようにしてその片足を蹴り上げ、つんのめった背中に肘を落とす。僕のスーツは肘にプロテクターがついてないから少し肘が壊れたけれど、それはすぐ治るから問題ない。

 僕は勢いよく地面に叩きつけられて僅かに跳ねた切島君の背中に馬乗りになり、スーツのポケットから確保用のテープを取り出した。

 

「ぐっ…ま、待てよ…!!」

「待ちません」

 

 ダメージは多少あるようだけど抵抗は激しく、何とか逃げようと身をよじるのを抑えつける。意識してやってるのか知らないけれど、切島君の身体は硬化すると鋭利に尖るので彼の身体を抑えつけている僕の腕も傷ついていく。痛くは無いけど血が出るからやめてほしい。

 そうこうしていると、ひときわ大きな爆発音がまた響く。これは近いように感じた。天井から埃が落ちてくるのを感じながら、態勢を整えて、片手でテープを切島君の腕にあてようとし…

 次の瞬間、駆け足の音が聞こえてきた。

 

 まさかと思い顔を上げると、所々煤けて体に霜を張りつかせた轟君が僕たちが明けた穴から息せきき切って部屋の中に飛び込んでくるのが見えた。その背後でもう一度爆発が起きて部屋の中に煙が舞い込む。

 轟君は左半身を覆うコスチュームの頭部分が戦闘中に壊れたのか無くなっていたけれど、まだ余力があるように見えた。

 

「…!」

 

 彼は僕たちの態勢を見て、反射的に右手を差し出し、そしてわずかに表情を歪めた。

 彼が何を考えているのか僕にはすぐ理解できた。僕を攻撃すれば切島君も巻き込む。彼はそれを躊躇したのだ。しかし、僕も動くことはできなかった。テープを巻こうにも、その隙を見せるわけにはいかなかった。

 

 一瞬の膠着。

 そして、それを破るように僕の下から声が聞こえた。

 

「やれ…」

 

 切島君は顔を上げ、轟君の方をまっすぐ見ていた。

 

「俺ごとやれ!! 轟!!!」

 

 その言葉に、轟君の瞳から躊躇が消える。

 

 どうするべきか。

 僕の思考が硬直した時、ふいに轟君が背後を振り返った。

 

 

「こ っ ち 見 ろ や !!!!!!!!」

 

 

 轟君が入ってきた穴から部屋に飛び込んできた爆風が轟君を吹き飛ばした。

 

 そしてそれを追うようにして足音が聞こえ、鬼のような顔をした爆発さん太郎が全身から湯気を立ち昇らせながら現れる。

 

「…二度目だ半分野郎…俺との勝負は飽きたかよ…?」

 

 肩で息をする爆発さん太郎は、こちらに目もくれずに爆煙の中にいる轟君を睨み付けた。

 すんでのところで防御して直撃を避けていた轟君は、油断なく構えてそれと相対する。爆発さん太郎はそれを見て、狂気的に笑って片手を構えた。

 

「まあこっちもちまちましたやり方じゃ埒があかねえと思ってた所だ…ここらで決着付けようぜ…」

 

 そして手榴弾をモチーフにしたガントレットのレバーを引き、ギミックから現れたピンに指をかける。

 教えてもらってはいないけど、僕は知っている。それは彼の全力の攻撃の構えだ。その証拠に、インカムからは俊典さんの声が聞こえた。

 

『…ちょっと爆豪少年、そいつはストップだ!!』

 

 しかし、その制止はもう爆発さん太郎には届いていなかった。

 

「大技か? おい、ここ屋内だぞ!」

「知るかよ防ぎゃあいいだろが!!!!!!」

 

 轟君も声を荒げたけれど、当然彼はそれで止まるような男ではない。

 

 流石にもう模擬戦どころではなかった。

 僕は咄嗟に切島君の身体を放し、その上に覆いかぶさるように伏せた。

 しかしその直後、切島君は僕の身体ごと素早く膝立ちに起き上がり、僕を背に庇った。

 その肩越しに、右手から極大の冷気を発する轟君と、ガントレットのピンを抜く爆発さん太郎の姿が見えた。

 

「後ろにいろ! 何する気か知らねえけど危ねえ!」

「あっ」

 

 そして今日一番の大爆発が起こった。

 

 

 

 

 それから数秒、轟音で働かなくなっていた耳が回復してきた頃。

 意外にも衝撃が少ないと思いながら目を開けると、そこには両手でそれぞれ轟君と爆発さん太郎の手を掴み、天に向けさせている俊典さんの姿があった。

 見上げてみると、上には三階層あったはずなのに青空が見えた。

 

「ゴホッゴホッ…そこまで! この試合は中止だ!!」

 

 粉塵にむせながらも、俊典さんは宣言した。

 

 

「さ、流石オールマイト…それにしてもあいつら無茶苦茶しやがって…」

 

 俊典さんの言葉と同時に、僕の前で構えていた切島君が尻もちをつくように座り込んだ。

 

 僕を庇って怪我でもしていたら、と思って軽く確認してみたけれど、特に怪我はないらしかった。

 僕が彼の負傷を確認しようとしているのに気付いたのか、切島君は得意げに親指を立ててみせてくれた。

 

「これくらいどーってことねえよ!」

 

 ギザギザの歯を覗かせて笑みを浮かべる。その姿は、誰か僕の知っているヒーローと似ている気がした。

 それを見て、僕も自分の頬が弛むのを感じた。

 

「切島君の『漢気』、見せてもらいました。すごく格好良かったですよ」

「…へっ、あんがとな!」

 

 放心していた爆発さん太郎が我に返って俊典さんに食って掛かっているのを横目に、僕たちは撤収の準備を始めた。

 

 

 その後は場所を移して軽く講評が行われた。

 でも、この模擬戦はどちらのチームもさしたる戦術もなく戦ってるだけだったので、あまりどうこう言うポイントも無かった。

 評価ポイントとしては、全員戦闘能力が優れていたと言われた。まあそうだろう。

 ただ、轟君と特に爆発さん太郎は厳重に注意されていた。

 最後の攻撃がぶつかれば、おそらく3階に置いてある核兵器も吹っ飛んでいただろうとのことだった。

 建物が崩壊するような攻撃を繰り出した爆発さん太郎もそうだし、それを避けたり受け流したりせずに正面から受けて立ってしまった轟君も今回の模擬戦の設定的に減点は大きいと言われていた。

 

 切島君は最後まで僕に確保されなかったファイティングスピリットと、爆発の際に僕を庇った行動が高く評価されていた。

 僕は特に見せ場は無かったけれど、切島君と一対一に持ち込んだときの手際と、爆発さん太郎にチームプレイをさせた事を「方法はさておき」という前置きつきで褒められた。

 

 こうして初めてのヒーロー基礎学実習の時間は終わったのだった。

 

 




次に戦闘らしい戦闘を描写するとしたら体育祭となります。


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06 夫婦の夜

 本日のヒーロー基礎学は午後のコマ全てを使うどころか通常の時程をはみ出すものだったので、授業が終わったらホームルームもなしに解散だった。

 教室の黒板にはイカ澤先生のものと思しき筆跡で「プリントを各自取って帰ること」とだけ書いてあり、教卓の上にプリントが置かれていた。

 いわく、「オールマイトが雄英高校に赴任したことが昨晩からメディアで話題になっている。まだ今日はちらほらしか居ないが明日あたりからはマスコミが増えてくる筈だ。話しかけられても適当にあしらえ」とのことだった。

 

 そして放課後、半分以上の生徒達が教室に居残って模擬戦の反省会が催された。

 この会には轟君と爆発さん太郎は当然のようにおらず、逆に緑谷少年は負傷していなかったため普通に参加していた。

 緑谷少年は持前のヒーローオタクっぷりを発揮して皆の人気者になっていたけれど、僕の個性の話になった時に目を輝かせて「ポジティブヒーロー"GENKI"と同じ個性だ!」と言われた時にはちょっと反応に困った。

 

 ちなみにこのとき、僕の腕が負傷していたことを後から知ったらしい切島君が謝ってきた。模擬戦中のことだったし模擬戦が終わる頃には既に治っていたから別に構わないんだけれど、彼もまた律儀な人だなぁと思った。

 

 そんなこんなで夕方まで学校に居て、学校から帰ってからはいつもの通り、夕食を準備して、学校から帰ってきた俊典さんと一緒に食べて、トレーニングをした。

 

 

 そして、夜。

 お風呂に浸かりながら、僕はぼんやりと考えごとをしていた。

 思うのは、自分の力についてだ。

 

 僕はAFO・死柄木陣営との戦いを想定して体と個性を鍛えてきた。

 純戦闘タイプの個性じゃないのに脳無とかマスキュラーみたいな強敵と対面しなきゃいけない可能性があると思っていたから、それはもう相当鍛えてきた。

 人生の殆どを鍛錬に費やしてきた。無痛覚なのをいいことに、再生能力を鍛えるためにわざと骨を折ったり指を切断してみたことだってある。一度だけ思いがけずそれを俊典さんに見られてしまった時には今まで見た事ないくらい怒られた。

 それだけやって鍛えてきたからこそ、入試実技で1位をとれたし、切島君や轟君とも十分戦えた。これは僕のひそかなプライドだった。

 でも、なんというか、これは今や自己満足の領域にあるものだった。

 

 AFOはいなくなっちゃったし、戦場に出るようなヒーローになるわけでもないし…リカバリーガールの後継を目指すことを決めた以上、これからの訓練は癒しとしての個性を追求する方向の一本でいいのだ。

 成績を落とすわけにはいかないとはいえ、僕のこれからのキャリアを考えると戦闘能力をこれ以上磨く必要性は薄い。

 

 薄いんだけれど。

 

 でもそれで僕のクラス内順位が下がったら、まるで入学当初に首席だった生徒がだんだん落ちぶれていくみたいでちょっと嫌なんだよなぁ…

 

「………」

 

 僕は湯船に口をつけて、ぶくぶくと泡を出した。

 

 この悩みは雄英高校に入学する前、リカバリーガールの後継を目指すと決めた時からずっと僕の中にあるものだった。

 癒し方面でも個性を鍛えれば多少は戦闘能力も上がるはずだから、他の生徒達にそこまで追いつかれたり追い抜かれたりすることはないだろうとは思ってるんだけれど…

 

 そうやって暫くうだうだしていると、壁の風呂給湯器のモニターについている時計が目に入った。

 湯船に浸かり初めてからもうそれなりの時間が経っていた。

 今日は俊典さんが先に入ったから長風呂しても問題は無いんだけれど、こうしていても特にいいことは無い。

 僕は考えを打ち切って風呂から上がった。

 

 まあ、こんなのは生きるか死ぬかを争点にしていた今までの人生にくらべればそもそもが贅沢な悩みだ。トレーニングはできる範囲でやっていこう…

 いつも結局、そんな月並みな結論で終わるのだった。

 

 

 髪を乾かしてリビングに行くと、俊典さんがソファーに座ってテレビを見ていた。

 

「なにか面白い話はありましたか?」

「ん? 面白くはないが…私が雄英に赴任したことが話題になっているよ」

 

 テレビの画面を見ると、そこには確かに俊典さんの画像と「オールマイト」「雄英高校」の字があった。そういえば、そういう内容のプリントがまさに今日配布されていた。

 

「入学式でサプライズ登場するために秘密だって言ってましたけど、テレビ局の人たちは後からそんな特ダネを知らされて大慌てだったでしょうね」

「HAHAHA そこはご愛敬ってことで! みんなも喜んでくれたよ!」

 

 僕はテレビの画面を見ながら、スリッパを脱いで俊典さんの隣に座った。このソファーは俊典さん(220cm、274kg)サイズなので僕は普通に腰かけられないから、足は床におろさず緩く両ひざを立てる形だ。そして背中は背もたれに、身体の片側は俊典さんにぴったりとくっつける。二人でソファーに座るときは大体この姿勢だ。

 この家の家具は僕のもの以外はだいたい俊典さんに合わせて作ってあるので、どれもこれも僕にとっては大きい。ソファーの座面はちょっとしたシングルベッドくらいの大きさだし、お風呂の浴槽もバタ足の練習ができるくらいの広さがある。

 

「しかし、A組は入学式がなかったのは残念だったな」

「新入生の代表挨拶が僕でも爆豪君でも轟君でもなかったから、相澤先生はもとからそのつもりで話を通してたんですよね?」

「今にして思えばそうだったんだろうけど、私は昨日の朝知らされたよ…」

「あはは」

 

 僕たちはテレビを見るともなしに眺めながら、たわいのない会話を交わした。

 

 

 それから暫く、僕たちはだいたい同じ姿勢で過ごした。

 そして時刻が22時をまわって、テレビが明日の天気の情報を流し始めたところで、おもむろに俊典さんが立ち上がった。

 

「…さて、今日はそろそろ寝ておこうかな!」

「え、明日は何かあるんですか?」

 

 僕はそれを見上げて思わず言った。

 この家での就寝時間は、僕がだいたい23時ごろ、俊典さんは23~0時の間だ。それを考えるとまだだいぶ早い時間だった。

 

「いや、何があるわけでもないんだが…」

 

 問うてみると俊典さんは口ごもった。これは何かがある時の反応だ。

 この人は本当に隠し事ができない人だな。

 

「なんですか、もしかして、したくなっちゃったんですか?」

「んんんっ!!? いやいや、むしろ今日はそんな気分ではないっていうか…!」

「………」

 

 冗談半分につつくと、俊典さんは強く否定してきた。

 僕はちょっとむっとした。 そんな言い方はちょっと失礼じゃないか?

 

 だからというわけではないけれど、本格的に追及する気になって、僕はソファーの上に立ち上がって目線を合わせた。

 まだ俊典さんの方が目線が高いけど、流石にこうすればだいぶ近づける。

 

「何かあるなら言ってください」

 

 改めて問いかけると、しばし目を泳がせた後、すぐに俊典さんは観念した。

 

「…今日、君が同年代の生徒達と触れ合っているのを見て、改めて年が離れているんだなぁと思ってね。理解していたつもりだったんだが」

 

 そして語った内容は、交際を意識した瞬間からずっと考え続けていた筈のことだった。

 

「そんなことが今更ショックだったんですか…」

「『そんなこと』て!!」

 

 僕が冷めた反応をすると俊典さんは「ガーン」という感じのリアクションをしたけれど、事実、いくら考えたところで年齢差は覆ったりしない。

 

「あと3年したら僕も社会人になるんだから気にならなくなりますよ」

「しかし…」

「しかしもカカシもないです」

 

 煮え切らない感じの俊典さんに、僕はぴしゃりと言った。

 

 彼は結婚しちゃうくらいに僕の人格を認めてくれているわけだけど、やっぱり僕の人生経験の少なさは気になるんだろう。確かにその気持ちは判る。僕が前世の記憶を持っているということは伝えていないし、もし自分が彼と同じ立場だったら僕も同じことが気になったと思う。

 でも、だからといって僕と彼との婚姻が正解だったかだなんて、そんなことは証明するどころか僕自身にだってわからない事だ。

 

 だいたい、その話をするなら、僕のほうが強く不安に思っている自信がある。

 僕は中学校に入ったくらいの頃からずっと一方的に俊典さんに対してモーションをかけていたんだけど、いざこうなってみると僕みたいな人間がなんで彼に好かれたのか分からないし、僕なんかよりも彼の配偶者にふさわしい人は絶対居る。

 それでも、そんなことは考えても仕方のないことだから、そういう気持ちには蓋をして生きているのだ。

 

「この話題は僕も気分が良くないので、あんまりあれこれは言いません」

 

 僕は俊典さんの両頬に手を添えた。

 

「もしどうしても気になるようだったら、もう仕方ないので不安なままでいてください」

「ええ!!?」

 

 驚かれても仕方ないものは仕方ない。

 僕はひとつ息を吸って、俊典さんと目と目を合わせて言った。

 

「僕はずっとあなたと一緒に居ますから、いつの間にか不安でなくなってください」

 

 少し恥ずかしかったけれど、これは大事なことだった。

 どうやら僕の気持ちは良いように伝わってくれたらしい。俊典さんは感極まった様子だった。

 

「桃香…」

 

 

 少し無言で見つめ合った後、僕たちはどちらからともなく無言でハグをした。

 

 

 考えても暗くなるだけの話はこれでおしまい。一件落着!

 

 そう思って僕が満足していると、俊典さんが僕の耳元で小さく呟いた。

 

「…やっぱり君で良かった」

 

 そういうことを本気のトーンで至近距離で言うのはやめてほしい。

 

 

 

 

 …というか、さっきからずっとくっついていた上にこんな話をしていたせいか、なんだかすごくムラムラしてきた。

 

 10秒だか20秒が経ち、頃合いだと思ったのか俊典さんが僕の背中から手を放したけれど、僕は放さなかった。

 俊典さんが少し曲げていた背中を戻すと、僕の足がソファーから浮いた。

 

「も、桃香?」

「………」

 

 無言のままぶら下がる僕に、俊典さんは戸惑っていた。

 この人は頭はいいのにこういう察しはすごく悪い。

 

 僕は黙って床に降りて、夫を寝室に誘った。

 

 この期に及んでそんな気分じゃないとか言わせないぞ。

 

 

 



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第二章 巨悪のいない世界と今後の展望
07 学級委員長と昼食


このたび前話までを改稿しました。アンケートご協力ありがとうございました。

設定の大きな変更は以下の二点です

AFOについて:既に故人です。一昨年の冬、オールマイトのもとに死柄木弔が先生の訃報を知らせに来ました。主人公達が彼の言葉の真偽を確認する方法はありませんが、AFOは決戦の後遺症により本当に死んでます。死柄木弔はその後、若き日のオールマイトの真似をして海外に行くと言って去っていきました。ナイトアイが必死に捜索していますが、その行方は知れません。

主人公が雄英にやってきた目的:根津にリカバリーガールの後継者にらないかと誘われたため。ただしその立場を目指せるほどの治癒の個性を持っていると周囲に知られればもうそれ以外の未来が選べなくなるので、当面は「自己再生」の個性を名乗ることに。このことを直接の関係者以外で知っているのはイレイザーヘッドのみ。

これらの変更に従い、01話、02話の文章がそれなりに変わっております。


 金曜日、朝。

 

 雄英高校でマスコミに対する注意喚起がなされた翌日。さっそく大挙して押し寄せたマスコミによって、雄英高校の校門前はがやがやと賑わっていた。カメラを構えたテレビクルーや報道記者たちが道行く生徒達の足を引き留めるおかげで、ちょっとした混雑が起きている。

 そんな中で、あるテレビクルーは坂を上がってきた女子生徒二人組に目を付けた。

 二人が身に纏うブレザーの肩章と袖のライン模様がヒーロー科のものだと見るや、彼らは我さきにと二人に近づいていってマイクを向けた。

 

「おはようございます! オールマイト赴任についてお聞きしたいんですが!」

「オールマイトですか? 格好いいですよね。大好きです」

「はい、それで…」

「大きい男の人っていいですよね。体が大きいとやっぱりパーツも大きくなるじゃないですか」

「え? あの…」

「引き締まってるのに太い太腿とか、胴の幅が僕の肩幅よりも広いのとか、すごい素敵だと思うんですよ」

「えっと……ありがとうございました!」

「はい。どういたしまして」

 

 

 

「いや、いくらなんでも適当すぎでしょ」

 

 逃げていくインタビュアーを見ながら、耳郎ちゃんが呆れたような顔で呟いた。僕はへらへらと笑った。

 今日は偶然坂の下で耳郎ちゃんと出会い、二人で並んでの登校だった。

 

「嘘をついたり訊かれたことに答えてあげなかったわけじゃないのでセーフだと思ってます」

「質問の隙が無かっただけだから! まあウチも聞かれたら適当に流そうと思ってたけど…」

 

 そう言ってから「っていうかさっきのってさぁ…」と、耳郎ちゃんはこちらを見ながら、何か言いたげにむずむずと口元を歪めた。

 そういえば、耳郎ちゃんは僕の夫がさっき言った特徴にちょうど当てはまる人物だということを知っている。

 昨日から幸せ気分だったせいか図らずも朝からノロケを聞かせてしまったようだ。

 

「八木さんってああいう事言わなそうなイメージだったんだけど…」

「あはは」

 

 そのイメージは正しい。インタビューを煙に巻くためとはいえ、僕はあんなことを人に言う人間ではない。

 今日はたまたまだ。そう、たまたま。

 

 ちなみに僕にとって最もビジュアル的にストライクな男性は、耳郎ちゃんも見た事があるスマートフォームの俊典さんだ。

 スマートフォームは、なぜか筋肉が減るのと同時に体重も軽くなって顔の彫りも浅くなる。

 普段のマッスルフォームな俊典さんも勿論好きだけど、スマートフォームだと多少細くなるから抱き着いたときに背中に腕が回せることが判明している。あと、顔も「平和の象徴」感が薄くなるから個人的に好きだった。

 まあそんな事言ったら絶対無理してスマートフォームを維持しようとするだろうから本人には言わないけど。

 

 下駄箱に差し掛かったところで、ふいに耳郎ちゃんは僕が持ってきていた二つの鞄の片方に目を向けた。

 

「ところで気になってたんだけど、その荷物なに?」

「これはお弁当ですよ」

「うわぁ…」

 

 うわぁとは何だ。確かに普通の女の子の10倍くらいはあるけど。

 

 

 

 

 と、そんなふうにいい感じに始まった今日一日だったけれど、朝のホームルームが始まるなり僕のテンションは急降下した。

 

 三日目にして見慣れてしまったローテンションのイカ澤先生は、やってくるなり昨日の戦闘訓練の話もそこそこに「学級委員長を決めてもらう」とクラスに宣言した。

 そして、「方法はなんでもあり」と言って、彼は教室の隅に備え付けていた私物の寝袋に包まって横になってしまった。

 

 この出来事自体には別にどうとも思う所はない。しかし、これは原作でもあったイベントなのだ。その一点が凄く重大なことだった。

 本来なら学級委員長を決めたこの日、昼休憩中に侵入者警報が鳴り、そこからUSJ編のシナリオが始まる。これが緑谷少年と死柄木弔の因縁の起点となる訳だけれど、僕にとってこのイベントは別の意味を持つ。

 すなわちAFO再始動の狼煙。

 僕はまさにこの日の事を考えて6年間活動していたわけで、もうAFOも死柄木弔も居ないといってもやっぱり何も感じずにはいられなかった。

 

 学級委員長決めは飯田君の熱烈な提案によってクラス内投票で決めることになったけれど、そんな訳でちょっと上の空だった僕は、適当に飯田君の名前を書いて投票した。

 

 そして、結果を開けてみたら。

 なんと僕と梅雨ちゃんさんが2票ずつ獲得で当選ということになった。

 

 

 原作で票を獲得していたはずの緑谷少年と八百万さんが自薦の1票だけだったのはまあ分かる気がした。昨日の戦闘訓練は原作とは違う形になっていたせいで二人とも際立った活躍はできていなかった。

 しかし、誰か二人が僕に入れたというのはちょっと僕には理解しがたい事態だった。

 僕の一体どこに委員長としての資質を感じたのだろうか。

 

 結果をよく見てみると、麗日さんと轟君が得票数0で、あと飯田君も僕の1票しかなかった。単純に考えればこの自薦をしなかった3人が僕に2票、梅雨ちゃんさんに1票入れたということになるんだろうけれど…

 

「誰かが私に入れてくれたのね。嬉しいわ」

「………」

「で、どっちが委員長やるんだ」

 

 梅雨ちゃんさんと二人で教卓の前に立つと、教室の脇に転がっていたイカ澤先生がもぞもぞと寝袋から這い出てきた。

 僕は梅雨ちゃんさんと目を見合わせて、すぐに先生に向き直る。

 

「蛙吹さんにお願いします」

「桃香ちゃん、いいの?」

「はい。僕は特になりたかったわけではなかったので」

「それじゃあありがたくやらせてもらうわ」

 

 僕が委員長を譲ると、梅雨ちゃんさんは少し嬉しそうに頷く。そんな微笑ましい絵面だというのに、空気の読めない爆発さん太郎からは「だったら辞退しろや!」という野次が飛んできた。

 僕が辞退したところで君が繰り上がり当選することだけはあり得ないだろうから落ち着きたまえって感じだけど、確かに辞退という選択肢は僕も視野に入れていた。

 でも、それは許さんとばかりにイカ澤先生がこちらをじろりと見ていた。

 

「もうホームルームの時間も無いし結果に従わないのなら多数決の合理性がなくなる。委員長は蛙吹、副委員長は八木で決まりだ」

 

 そしてそれ以上有無を言わせず、イカ澤先生はクラスに宣言してしまった。

 威圧感を放ちながらのその言葉をひっくり返せる人間などこの場には居ない。生徒達はひたすら頷いた。

 

「帰りのホームルームでは他のクラス委員を決めてもらう。その時はお前達が仕切れ」

「はい」

 

 まあ選ばれたからには頑張ろう。

 ただ、みんながやりたかった委員長職を僕がとってしまったのは少し申し訳なかった。

 

「票を入れてくれた方、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 そう思ってひとつ礼をすると、クラスの皆は明るく拍手してくれたので僕はすこし安心した。

 

 爆発さん太郎は拍手に紛れて追加の野次を飛ばしていた。そして、「まあ言うても八木は入試首席だしな」という誰かの呟きを聞くとついに発狂した。

 

 

 

 

 そして昼。僕は屋上で昼食をとることにした

 

 雄英高校では、昼食は基本的に食堂以外の場所で食べてもいいことになっている。食堂では弁当やパン、おにぎりなども販売しているから、食堂の混雑を嫌う人はそれを買って移動して食べることができるのだ。

 俊典さんいわく、代表的な場所は、教室、校舎外のベンチ、そして屋上だそうだ。

 このことを女子たちに伝えると、他の女子たちも一緒に屋上に行ってみようという話になり、さらに麗日さんと食事を共にしようとしていた仲良しの緑谷少年と飯田君もそれについてくることになった。

 

 総勢9名のちょっとした大所帯を引き連れて扉を開けると、屋上には誰も居なかった。

 床は人口芝生で整えられていていくつかベンチも置いてあり、確かに昼食の憩いの場として使えそうな形だった。

 

「屋上はこんな風になっているのね」

「誰も居ないね」

「ヒーロー科は人数が他の科より少ないからでしょうか」

 

 女の子たちが口々に言いながら入ってくる。

 

 雄英高校の校舎は大きな1階部分から4つの棟が出ている形をしていて、棟はそれぞれの科に割り当てられている。僕たちが今いるのはもちろんヒーロー科の屋上。ヒーロー科は総数が少ないからその分利用率は低くなるというのは道理だ。

 逆に、他の科の屋上は多少異なる趣を見せていた。

 

「あそこ、なんか作業してる」

「おお、あの棟は確かサポート科だな!」

 

 多少人が居て昼食に興じている棟もあったし、緑谷少年が気付いて指さした先の棟などは、何人かの生徒達がなにやら空を飛びそうな機械を組み立てていた。

 

 そんなこんなを尻目に、僕はフェンス間際からそっと眼下を見下ろした。

 

「なんか見える? …あ、朝のマスコミ! まだ居たんだ!」

「大変やね。こんな時間どうせ誰も通らんし、ご飯食べに行ったらいいのに」

 

 そう。屋上からは校門と報道者たちが見える。それが、僕が今日屋上に足を運んだ理由だった。

 何も起きないと知りつつも、校門を直接確認できるような場所でもないとどうにも落ち着かなくて食欲がわかなかったのだ。

 こんな事になるならこんなに作ってくるんじゃなかったなぁと思いながら、教室から持ってきた鞄を地面に置いて中からお重を取り出すと、僕の隣で校門あたりを眺めていた葉隠さんがオーバーリアクションで声を上げた。

 

「その鞄、レジャーシートとか入ってるのかと思ったよ! 全部お弁当!?」

「はい。沢山作ったので何かお好きなものがあったら取ってくれてもいいですよ」

「『作った』って、全部八木さんが作ったん!? すごいなぁ!」

 

 残すのも勿体ないし、他の皆にもおすそ分けするとしよう。

 

 

 それから、僕たちは八百万さんが作ってくれた大きなレジャーシートに車座に座って昼食をとった。

 緑谷少年と飯田君はこういう形になるとは思っていなかったようで、女子に囲まれて恐縮していたけど、二人とも八百万さんがレジャーシートを作るためにシャツを捲り上げた時に素早く目をそらして微動だにしなかったことから、女子たちからは高い評価をもって受け入れられていた。

 

 食事中の会話で、一番メインの話題になったのは朝の委員長選挙についてだった。

 

「それにしても委員長も副委員長も2票で当選って、凄い接戦だよね」

「皆さん自薦に票を入れられてましたものね。その中で1票でも他の方からの推薦を得られたという事はそれだけ大きい事なのでしょうね」

 

 多くの生徒達は結果についてさほど思うことはないようだったけれど、一部の生徒はその限りではない。その一員である八百万さんは、一滴の悔しさを噛みしめるように苦笑して言った。

 

「そういえばヤギモモは委員長やる気無かったんだったら他の人に票入れたんでしょ? それでも2票入ってるのヤバくない?」

「まあヤギモモめっちゃ強いし落ち着いてるもんね。ほんとに同い年か!?って感じだし、票が入ってるのも納得できたかなー」

 

 女子の中で最も落ち着きのないコンビ(僕のことをヤギモモと呼ぶコンビと言ってもいい)である葉隠さんと芦戸さんが、それに相槌を打つように続いた。

 耳郎ちゃんはその言葉を聞き、ちらりと僕の方を見て「まあな」みたいな顔をしていた。この子は僕のことをだいぶ年上だと思っている。

 

 まあ強さはさておき、確かに実際僕の主観では僕は彼らの倍以上生きている。今生で前世の記憶に目覚めてからの7年間に前世の人生を合わせればもう40歳ほどにもなるのだから、流石につい先日まで中学生だったピチピチの高校1年生に比べればはるかに落ち着いて見えるだろう。

 むしろそうでなければ僕は自分の在り方を見直さなければならなくなる。

 というか、反応に困るのでみんなあんまり僕を褒めないでほしい。

 

 そんな僕の思いをよそに、テーブルマナーは几帳面に守りつつも男の子らしくむしゃむしゃとご飯を食べていた飯田君が口を開いた。

 

「昨日、爆豪君を御した手腕も少々暴力的ではあったが見事だった。俺は最後まで八木君と梅雨ちゃん君と緑谷君のいずれに票を入れるか悩んだ…」

「ええっ僕に!!? って、あれ、飯田君も1票入ってたよね!?」

「俺は結局梅雨ちゃん君に投票したよ。その票は誰かが入れてくれた一票だ」

 

 ありがたい、と飯田君は嬉しそうに言った。

 彼が梅雨ちゃんさんに投票したということは、僕に投票したのはどうやら麗日さんと轟君かな。

 

 

 

 そんな感じでのんびりとした雰囲気のなか昼休みは過ぎた。

 その間屋上に訪れる人は結局おらず、気付けば昼休みの時間は終わりに近づいており、僕たちはそそくさと弁当を片づけて教室に戻った。

 侵入者を告げる警報など鳴ることもなく、これからも屋上に定期的に行こう、なんて平和な会話をして今日の昼休みは終わった。

 

 ただ、一つ心残りができた。

 みんなに弁当のおすそ分けをする中で僕は緑谷少年にも卵焼きをあげたんだけど、彼はそれを一口食べるなり、少し驚いたふうに「この味…」と呟いた。

 飯田君がそれを聞き咎めると、緑谷少年は慌てて「いや、お母さんの味付けによく似てて!」と言いつくろっていたけれど、その姿を見て僕は遅まきながら気付いてしまった。

 

 昨年、緑谷少年の特訓の際に僕は俊典さんを通じて彼の分の弁当も作ってあげていたけれど、俊典さんはちゃんとそれが自分の妻が作ったものだと緑谷少年に説明したという。

 緑谷少年はオールマイトが妻帯者だと知って相当驚いたらしい…というのはまあいいとして、何が言いたいかというと、つまり緑谷少年は約1年間「オールマイトの奥さんが作った弁当」を食べているのだ。

 流石に1年もやっていれば彼が僕の作る料理の味を記憶していても全く不思議ではなかった。

 これはもしかして早まったか? と、イカ澤先生の不機嫌そうな顔が脳裏をよぎって僕の背中に冷たい汗が一筋流れた瞬間だった。

 それから緑谷少年は何種類かおかずを取っていって、じっくり味わって食べていたけれど、それ以上何かを言う事はなかった。

 

 …まあ気持ちを切り替えよう。

 ちゃんと何事も無く昼食の時間は終わったんだし、放課後にはリカバリーガールの特別補講の第一回目が待っている。

 僕はそう思うことにした。

 




 
飯田君が梅雨ちゃんさんに投票したのは、戦闘訓練の際の梅雨ちゃんさんの冷静さと判断力に感服したからでした。
そして緑谷少年にも投票したいと思ったのは、入試の時に一も二も無く人助けを優先した行動に一目置いていたからでした(このSSの緑谷少年は原作よりも多少個性が使えるようになっていますが、0P仮想敵を倒すためは結局原作と同じ行動をすることになりました) 
 


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08 特別補講

 
原作ではブラドキング先生が「ヒーロー資格試験は6月と9月にある」と言っていましたが、仮免許試験の後に公安の人は「次の仮免許試験は4月」と言っていました。
ブラドキング先生が「仮免許ではなく本免許の試験」という意味で言っていたのだとしたら矛盾は生じませんが、そしたらなぜそんな紛らわしい要らない情報を教えてくれたのかってことになるので、ここは素直に6月と9月にあるんだという事にしておきたいと思います。
 
 


 放課後。僕は人目を避けて保健室を訪れた。

 保健室の扉を前にして、僕は少し緊張していた。リカバリーガールとは個人的に面識はあるけれど、特別補講を受ける生徒として顔を合わせるのは初めてだった。

 いち生徒と同じようにノックして入室する。

 

「いらっしゃい。よく来たね」

 

 扉を開けると、大して身長の高くない僕のさらに胸ほどまでしかない小さいお婆ちゃんが迎えてくれた。リカバリーガールだ。

 

 雄英高校の保健室は一見普通の学校の保健室に近いレイアウトをしているように見えるけれども、実際はレントゲン室や手術室なんてものも併設されている。そしてそれらの設備を管理、維持するために、保健室のさらに奥には大きな準備室も用意されていた。

 僕はその準備室に案内され、設置してあったテーブルを挟んで向かい合うようにしてリカバリーガールとソファーに座った。

 

 リカバリーガールとは、前世の記憶に目覚めた10歳の当初からの付き合いになる。なので特にこれといって特別な前置きもなく会話が始まった。

 

「久しぶりだね、桃香。ここしばらくあんまりゆっくり話す機会が無かったけど、家庭はうまくいってるかい?」

「はい。お蔭さまで」

 

 懐から取り出したお菓子を差し出しながら、リカバリーガールは優し気な笑みを浮かべる。このお婆ちゃんは会うといつもお菓子をくれる。

 

「俊典さんは優しいですし、色々気を使ってくれますから」

「優しいは優しいけどねぇ。あいつは優柔不断だったりウジウジしたりするところがあるからね。そういう時はバシッと言ってやるんだよ」

「あはは」

 

 彼女は、僕と俊典さんとの婚姻関係を知る数少ない人達の中でも唯一の女性だ。

 優しいかと思いきや意外と毒舌なところがあるけど、いろいろな女性視点でのアドバイスをくれるありがたい人でもあった。

 

 それから僕達は少し雑談をして旧交を温めた。

 しかし、時間は有限。彼女は忙しい人だし、保健室にだっていつ人が来るとも限らない。

 

 

「さて、そろそろ本題に入ろうか」

 

 他愛のない話の切れ目で、リカバリーガールはそう切り出した。

 表情は優し気だったけど、その目には真剣な色が宿っていた。ぴりっと空気が変わる感触がして、僕も姿勢を正した。

 

「最初に聞いておこう。あんたの育成プランだけど、早いのとゆっくり目の、どっちがいい?」

 

 そして彼女が口にしたのは、僕の予想とは異なる内容の言葉だった。

 

「それって…どう違ってくるんですか?」

「どっちにしろあんた次第になってくるけどね。最短で卒業と同時に完成、最長なら9年以上かかるだろう」

 

 思わず聞き返した僕に対して、リカバリーガールは右手の5本の指に左手の4本の指をあてて示す。

 

「他人さまの身体をいじくろうってんだから、本来ならうちを卒業してから医師免許をとって、それから始めるのが正規のルートってもんさ。これが9年コースだよ」

「そんなに待てません。最短でお願いします」

 

 僕は迷わず答えた。即答だ。

 

 リカバリーガールは微笑むような苦笑するような表情を浮かべた。

 僕と俊典さんとの人生設計を考えるなら、いろんなことを急がなければならない。3年でも長いくらいだ。僕のそんな考えがわかってるからこういう顔をするんだろう。

 

「なら頑張んな。ただでさえみっちりの9年を3分の1に圧縮するんだ。だいぶ無理することになるからね」

「はい」

 

 こういう時、リカバリーガールはこちらの意思を否定も肯定もしない。有り難い事だった。

 僕が頷いてみせると、リカバリーガールは説明を続けた。

 

「色々並行して進めていくよ。まずは6月までひたすら医療の知識を詰め込んで、ついでに個性も鍛える。そして6月になったらヒーロー仮免許をとってもらう。試験は実技のみだから、まあうちの入試で1位を取ったあんたなら頑張れば何とかなるだろう」

 

 仮免をあと2か月でとは、多少の困難は覚悟しているとはいえ随分しれっと言ってくれる。

 そしてそれ以上に…

 

「1年生は6月試験は受けられないって聞いたことがあるんですけど、可能なんですか?」

 

 つい僕はまた口を挟んでしまった。

 

 ヒーロー資格試験は6月と9月に国内3か所の会場で行われるけれど、入学から僅かふた月の6月試験で1年生が試験を受けることは許されないと聞く。

 仮にもヒーローとして力を振るうための資格だし、法令とかに関して必須の履修内容があって6月時点では受験資格が無いんだろうと僕は想像していたんだけれど…

 

 そんな僕の疑問に、リカバリーガールは丁寧に答えてくれた。

 

「受験資格はヒーロー科高校の生徒なら誰でもあるよ。1年生が6月で受験する許可が出ないのは、ただ単に受かったとしても得がひとつもないからっていう学校側の判断さね」

 

 いわく、仮免というのは1年生にとってはインターンに行くための切符だけど、ただでさえ1年生でのインターンは賛否両論あるのに、ましてや入学から2か月の時点でなんて誰にとっても良い事が無いとのことだった。

 それを聞いて僕は納得した。確かに、学校からしてみればその前に教えておきたいことは山ほどあるだろう。それに、ヒーローだってつい少し前まで中学生だった子供をサイドキックにしようとは普通思わない筈だ。

 

 ただし僕の場合は。

 

「あんたは私が付きっ切りで面倒を見るし、現場に出るメリットも十分ある。他人を治す経験は貴重だ。仮免を取ったら私の助手としてバンバン個性を使ってもらうよ」

「はい」

 

 他人を治療する経験。それは最も僕に欠けていたものだ。

 

 個性は使わなければ鍛えられないというのは常識だ。でも、その前提からすると「他者に治癒をもたらす個性」というのは実に鍛える機会が乏しい。

 そう都合よく怪我人とは出会えないし、出会ったとしても医療行為を実施するにはいろんな障害がある。

 僕はたまたま自傷からの回復なんて非常識な特訓を実行できたからリカバリーガールの後継という話が来るくらいに個性を鍛えられたけど、それにしたって回復力が強いだけで、実際に他者を治癒しなければ鍛えられない部分はまだまだ未熟だ。

 その最たるものが、現状判明している僕の最大の課題である「燃費」だった。

 

 他人を治療する際にも僕は僕自身の体力を用いて負傷を回復させるけれど、これは大きな制約だ。

 例えば一般人が多少の負傷をしているくらいならば僕はかなりの数を治癒できる自信がある。でも、トップヒーロー級の強力なパワーを秘めた人間が瀕死の重症を負っていたとすると、複数どころか一人治癒しきれるかも怪しい。俊典さんを治した時なんて、色々と今よりも条件が悪かったとはいえ年単位の時間がかかったくらいだ。

 僕はこれから医学を学び、大勢の人を治癒していく中で、この問題を解決できるように個性を進化させていく必要があった。

 そしてそれが可能か否かで、僕が本当にリカバリーガールの後継者になれるかが決まる。

 リカバリーガールが多少の無理をしてでも後継者教育を秘密にするとしていたのは、もし僕がこの問題を解決できず彼女の後継に相応しい能力者になれなかった場合の僕の立場を考えてくれてのことだった。

 

 

「そうそう」

 

 と、僕が改めて決意を固めていると、リカバリーガールが空気を変えるように部屋の片隅を指さした。

 

「活動してもらう時に使うヒーローコスチュームもできてるよ。折角だから一度試着していきな」

 

 示された先を見ると、ジェラルミンケースのようなコスチュームケースがあった。教室の壁の中に収納されているのと同じものだ。

 それを持ってきて開けてみると、中に入っていたコスチュームは、ちょっと格好いいデザインの半袖膝丈ワンピースの衣装に白衣を合わせたものだった。ワンピースはタイトな作りで、縁取りなどのデザインはちょっとリカバリーガールのものに似ているかもしれない。

 サポートアイテムとしては、白衣の内側に接続できる謎のいくつかの機械や注射器、その他にはチョーカー、底の高いヒール、伊達眼鏡、付けぼくろ、赤髪ロングのウィッグなどが付属していた。

…というか後半のこれはサポートアイテムというより…

 

「変装グッズでは…」

「まごうことなき変装グッズさね」

 

 リカバリーガールはにんまりと笑いながら肯定してきた。

 

 いわく、機械以外は全部、雄英高校のサポート科が作ってはみたけれどヒーローとしては特に使い道が無くてお蔵入りしたアイテムだそうだ。

 特に眼鏡は顔の印象をさりげなく変える特殊なデザインで、チョーカーは声帯の振動に干渉して僅かに声を変える優れものだとか。

 

「本番で着るときは化粧もおし。化粧のやり方は知ってるかい?」

「はい。一応」

「そうかい。そしたらそのうち化粧道具もここに持ってくるんだよ」

 

 そう言って、リカバリーガールは保健室のほうに戻った。

 着替えろということだろう。

 

 

 

 

 

「おや、なかなか別人になったねえ。これならクラスメイトが見てもわかりゃしないよ」

 

 コスチュームケースに付属していた鏡を見ながら四苦八苦してコスチュームの着用を終えると、リカバリーガールが急須と湯呑を載せたお盆を持って準備室に戻ってきた。

 

 僕は改めて鏡を見た。確かにこのコスチューム(変装グッズ)は良くできていて、鏡に映る姿に自分でも違和感を覚えるほどだった。

 ただ、コスチュームの胸部に大きなパッドが入れられていたのは非常に遺憾だった。今なら僕はAクラス上位の巨乳である。

 

 そんな悲しい思いをよそに、リカバリーガールはお茶を湯呑に注ぎながらあっけらかんと話を始める。

 

「先の話をするけど、あんたは仮免許を取ったらまずこの保健室で私の助手をしてもらう。インターン扱いで授業を抜けて来ることになるし、時にはクラスメイトと出くわすこともあるだろう。変装は大事だよ」

 

 確かに最初からリカバリーガールの外回り(病院巡回)についていくわけにもいかないけれど、保健室に居れば顔見知りと会うリスクはかなり高いだろう。

 僕は素直に頷いた。

 

「あと基本的に仮免許に申請するのとは別のヒーローネームで活動してもらうから、真面目なのと適当なの両方考えとくんだよ」

「あの、それって大丈夫なんでしょうか」

「今更だねぇ。何かあっても私と根津とオールマイトがなんとかするから安心しんさい」

「………」

 

 なんとかと言ってもそんな簡単な話じゃあるまい。これには流石に簡単には頷けなかった。

 僕が何と言っていいか分からず口ごもっていると、保健室側から小さくノックの音が聞こえた。

 どうやら隣の部屋に来客があったらしい。

 

「ああ、はいはい」

 

 それに応えてリカバリーガールは「よっこいせ」と立ち上がって部屋から出ていく。

 手持ち無沙汰になってお茶をちびちびと飲んでいると、来客者の声が聞こえた。

 

『どうしたんですか、リカバリーガール』

 

 その良く通る太い声は非常に聞き覚えがあるものだった。

 どうやら僕が着替えている間にリカバリーガールは俊典さんを呼んだらしい。

 

 そのまま二人は僕の居る準備室に入ってくるようで、少し悪戯を思いついた僕は、居住まいを正した。

 それからすぐに横開きの扉が開いて俊典さんが姿を現した。

 

「おや、これは失礼!」

 

 準備室に人が居ると気付いて、俊典さんはオールマイトらしくニカッと笑った。

 僕も立ち上がってにっこりと笑ってみせた。

 

「初めまして。フィーネと申します」

「ああこれはどうもご丁寧に。えーっと…」

 

 俊典さんは快くそれに応じようとして…首を傾げた。

 そして。

 

「……桃香?」

「………」

 

 ちょっと驚かせてあげようと思ったら、こちらが驚かされた。

 まさか一言交わしただけでばれるとは。

 

「よくわかりましたね」

「いやぁ、まあ…」

 

 僕が目を見開いていると、俊典さんは少し照れたように頭を掻いた。

 

「これでも桃香の夫だからね」

 

 その言葉に、僕は自分の顔が熱くなるのを感じた。

 

 そうして僅かにできた会話の隙に、リカバリーガールが滑り込んできた。

 

「はいはい、今後この子はこの格好で活動してくから覚えときな。来てもらって悪いけど用はこれだけだよ」

「ええっ!?」

「さあ忙しい平和の象徴さまは帰った帰った」

 

 彼女は俊典さんの足を押して部屋の外へと押しやる。

 そして戸惑う俊典さんをよそに、扉がぴしゃりと締められた。

 俊典さんはしばし扉のまえに佇んでいたようだけれど、すぐに諦めたようですごすごと去っていった。

 

 リカバリーガールは僕の方をじろりと見る。

 

「あんたね、校内で旦那といちゃいちゃするんじゃないよ」

「す、すみません…」

 

 今のは僕のせいではないと思うんだけど……

 

 

 そしてやれやれと頭を振りながらのっそりとソファーに座ったリカバリーガールは、お茶を一口含んで僕に向き直った。

 

「それにしても、もうヒーローネームを決めてたのかい?」

「はい。ヒーローを目指すって決めてから、ずっと考えてたんです」

 

 それはさっき僕が名乗った名前に対するコメントだろう。

 僕は頷いた。

 

 人を治癒するヒーローだから、「元気」という意味から取ってfine。そして。

 

「英語のfineを読みかえて、FINE(フィーネ)です」

「いい名前だね」

 

 リカバリーガールはまた苦笑するような顔をした。

 

 …僕のお父さんの名前も「元氣」だったけれど他意は無いぞ。他にいいのが思いつかなかっただけだからね。

 

 




 
「良い人なのは分かるし治療行為なのも分かるけどなんかキスしてくるお婆ちゃん」のいる保健室に、謎の若いお姉さん(巨乳←偽)が赴任することに。
 
コスチュームは、グランブルーファンタジーのドクターみたいな衣装を想像してください。
 
 


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09 回想 side継承者とオールマイト 前

お久しぶりです。
回想シーンとなります…


 それは1年前、緑谷出久がOFA(ワン・フォー・オール)を身に着けるために厳しい修行を課されていた日々のこと。

 夏真っ盛りの季節の中、中学校では夏休みが始まり、緑谷少年の特訓もますます加熱していた。

 

 日中のトレーニングは、緑谷少年の住む地域の近くにある不法投棄物だらけの海浜公園が主な舞台だ。景観はともかく、この海岸はトレーニング場所としてはうってつけだった。

 この時期でも多少は涼しく、水泳や砂浜でのロードワークもできるし、流れ着いたゴミを使った訓練もできる。

 何より良いのが、人目に付きにくいというところだ。

 オールマイトはこの頃にはもうだいぶヒーローとしての活動を縮小しており、その分、付きっ切りで緑谷少年のトレーニングを見ていた。細身のスマートフォームに変身していたため誰かに見られてもさほど問題はなかったが、時折挟まれる会話の内容を考えれば人の気配が無いに越したことはないのだ。

 

 なお、緑谷少年の特訓は基本的に肉体づくりに終始しているため、オールマイトの役目は師匠というよりはトレーナーに近い。しかし、これが結構重要な仕事だった。

 特訓中の危機管理はもちろん、最近の緑谷少年は「やる気がありすぎる」ため、トレーニング密度を適度に調節してやる必要があった。

 オーバーワークは逆に効率を悪化させるし、ましてや体調不良でその後のトレーニングにまで影響が出てしまっては本末転倒というものだ。オールマイトは根性論も割と好きだが、だからといって理屈を軽視したりはしない。

 

 その日も、緑谷少年は朝早くから吐くほどのハードなトレーニングをこなし、それをオールマイトは応援し、叱咤激励した。

 そして、タイミングを見計らって正午前に緑谷少年に昼食を取らせた。

 

 

 

「すごい、今日は素麺だ!」

 

 緑谷少年は顔を輝かせてオールマイトを見上げた。

 

 オールマイトが持ってきた今日の弁当は、保温機能のあるランチジャー型の弁当箱だった。

 ジャーの中では、茹でられた素麺と、麺つゆ、そして冷やし中華のごとく色とりどりの具が、小分けにされた容器に入って氷で冷やされていた。それはまさしく夏の風物詩、素麺だ。

 さらに別の包みには、保存性が良く、冷たくても美味しく食べられる料理が保冷材と一緒に入っていた。

 

「素麺って弁当にできるんですね」

「私も今初めて知ったよ。ユニークなアイデアだが夏にはぴったりだな!」

 

 師弟は顔を見合わせて笑いあった。

 

 ゴミの山に埋もれるように浜辺に存在する桟橋、その先端にひっそりとたたずんでいる休憩所が二人の定番の昼食スポットだった。

 屋根があるというだけでなく、海にせり出しているぶん他の場所よりも涼しい海風が吹いてくれる。こうしてこの場所で昼食をとり、日陰の下で休むのが訓練中の数少ない憩いの時間だ。

 

 平均的な成人男性の4倍近い体重をほぼ筋肉で稼ぐオールマイトと、かなり強度の高い運動を日々こなす成長期真っ盛りの男子中学生。ともに食事の量は多い。二人が豪快にかき込むうちに、大量にあった弁当はみるみる減っていった。

 そうして弁当が残り少しになったころ、「それにしても」と、緑谷少年は口を開いた。

 

「オールマイトの奥さんって本当に料理が上手なんですね!」

 

 思わぬコメントに、オールマイトは少しドキッとした。

 オールマイトは内心の動揺を隠して親指を立てて見せた。

 

「まあね! 自慢のワイフさ!」

 

 緑谷少年が何の気なく口にしたであろう言葉は、実はオールマイトが抱えていた後ろめたい気持ちを刺激するものだった。

 何が後ろめたいのかって、人間の血が入った料理を食べさせていることがだ。

 

 ここのところ、妻…桃香が弁当を作ってくれるようになってからの緑谷少年のバイタリティは少々異常だった。そして同じ弁当を口にしているオールマイトも、絶好調の日々が続いている。

 料理に治癒の効果を含んだ血液が混ぜこまれているのだろうとオールマイトは考えている。

 オールマイトはこのことをかなり早い段階で察していたが、この治癒が緑谷少年のトレーニングにとって非常に有益なのは間違いなく、これの有無が彼の成長、ひいては雄英の合否という進退に関わる可能性もあることを考えたら、後継者を望む師としては止めることはできなかった。

 

 ちなみに血液が混入した料理だが、味は抜群に良い。なにせ桃香の血液は「美味しい」。

 自然界に存在する「嗅覚や味覚に快の感覚をもたらす物質」は、だいたい生体にとって有益なものである。逆に言い換えれば、人間はエネルギーを多く含む物や体に欠けている栄養を含んでいる物に美味や芳香を感じるようにできているということだ。

 その点から考えれば、桃香が治癒のエネルギーを載せた体液はいわば生物にとって純度100%の有益なものであり、それが他者にとってこの上なく香しく美味であるのは自然なことだと言っていい。

 桃香という名前も彼女が生まれた際に果物のような芳しい香りを感じたことから付けたものだと、オールマイトは彼女の父親である元氣から聞いた事があった。

 そんな裏事情など知る由もなく、緑谷少年は美味しそうに弁当を頬張り続けていた。

 

 ふいに、オールマイトは手に持っている器の中の麺つゆを見た。

 多分、この中にもほんの数滴程度だろうが桃香の血液が含まれている。

 桃香が他者に対して個性を使用するためには基本的に彼女自身の血液を消費する必要があって、この部分を否定することはできない。

 目に触れるように置かれる事は決して無いが、オールマイトの家の台所には、消毒が容易な総プラスチック製の太い針の注射器が常備されている。

 本当は多少効率が下がるものの血液以外の体液でも彼女の個性を使用できるとのことなのだが…

 かつて負傷を治癒してもらう際、血液以外の選択肢を希望したところ、「じゃあ他に僕のどの体液を飲んだり塗ったりするんですか」と端的な指摘を受けて、口を閉ざすしかなかった苦い記憶がオールマイトにはある。

 

 しかし、かつては保護者として、今は夫として、彼女が多少なりとも自分に傷をつけることについてはやはり常々思うところがある。とりわけ桃香の自傷行為にまつわる事に関してはトラウマ級のエピソードがいくつもあって、オールマイトは実にナーバスな思いを抱えている。

 

「………」

 

 暗い回想が始まりそうになるのを振り切って、オールマイトは打ち寄せる波に目をやった。

 そしてふと、隣に座る緑谷少年のことを考えた。

 

 OFAを継承するにあたって、オールマイトは緑谷少年に対していくつか必ず伝えておくべきことがある。

 唐突ではあるが、そのことを語る機会があるとしたら、それは今この時であるように思えた。

 

 数瞬ほど考え、オールマイトは緑谷少年に向き直った。

 

「…緑谷少年。午後のトレーニングを始める前に、少し話をしよう」

「…? はい」

 

 その改まった様子を感じたのか、空になった食器を置いて緑谷少年もオールマイトを正面から見た。

 オールマイトは語り始めた。

 重い話になる。まずは軽い所から。

 

「私が妻と結婚したのは、実はけっこう最近のことなんだ」

「そうなんですか?」

「というかぶっちゃけ君を後継者に指名してからだ」

「なるほど…」

 

 首を傾げた緑谷少年が相槌を打とうとして、しばし動きを止める。

 オールマイトと緑谷少年が出会ったのがこの4月のことで、現在は7月。その間に婚姻したのだとしたら…

 

「って、それついここ数か月のことじゃないですか!!!??」

「HAHAHA。その通りさ!」

 

 緑谷少年は目玉が飛び出さんばかりのオーバーリアクションをしてくれた。期待通りの反応に、オールマイトは大きく笑った。入りは上々だ。

 

「っていうか、それが改まって伝えたかったことなんですか!?」

「そうとも!」

「……!? …!!?」

 

 あたふたと身振りする緑谷少年と、快活に笑うオールマイトとの間に静かな風が吹き渡る。

 オールマイトは穏やかな海に目線を向けた。

 

「私はそういう人並みの生活とは無縁で生きていくものだと思っていたんだ。長い事ね」

「…! そんなこと…」

 

 ここから始まる話は、笑い話でも小粋なアメリカンジョークでもない。

 それを感じたのか、緑谷少年は体をこわばらせた。

 

 オールマイトが伝えなくてはならないことの一つ。それは、ヒーローのもつ負の側面だった。

 光は強いほど影も際立つ、という言葉をオールマイトは聞いた事がある。華やかに見えるヒーローの世界にも影はあり、そして「平和の象徴」の影はより色濃い。

 オールマイトは、今は懐かしい、逞しくも可憐な黒髪の女性を脳裏に思い描いた。

 

「私の師匠にあたる女性は、先代OFA継承者でもあった」

「お、女の人だったんですね」

「そう。そして彼女は、継承者として悪と戦う中で夫を亡くしている」

「…そんな……!?」

「それだけじゃない。これは私も最近知ったことだが、我が子の身を守るために彼女が断腸の思いで離縁した息子は、屈折した思いを抱えたまま不幸な形で生涯を閉じ、孫に至ってはヴィランになった」

「……!!」

 

 緑谷少年は明確に息を呑んだ。

 オールマイトは言葉を重ねた。

 

「緑谷少年。世の中には、ヒーローだからこそ守れないものがある」

 

 

 




書いてたら長くなっちゃったので2つに分割しました。
次話はこの続きとなります。


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10 回想 side継承者とオールマイト 後

2つに分割した後編です。



 志村奈々。彼女は強く、優しく、愛情深く、正義に生きた人だった。本当に立派なヒーローだった。しかし、灯台の下は暗いとは実によく言ったもので、彼女はOFA継承者として立派に戦った代わりに、自身にとって最も大切なものを守ることができなかった。

 そしてそれはオールマイトにも言えることだった。

 

「私の妻の話だが、彼女は元々ヴィラン事件の被害者でね。一度は救出したものの、またヴィランに狙われる可能性のあった彼女を、私は仲間と共に一時匿っていた時期があった」

 

 自分の妻には悪いと思いながらも、オールマイトは多少ぼかしながらそれを語る。

 

「そんな日々の中で、ある時、彼女が自衛のために個性を鍛えようと無茶な事をしているのを見つけて私はそれを止めたんだが…そしたら『常に一緒に居て守ってくれるわけじゃない癖に口出しをするな』と言われた」

「えっ……!?」

 

 まだ緑谷少年に聞かせるべきでない情報も多く含んでいるため敢えて詳細は省いたが、実際はこんなさらりとした話ではなかった。

 

 6年前…AFOとの闘いが続いていた頃のことだ。桃香はまだ11歳だった。

 当時、多忙極めるオールマイトは、仕事の合間を縫って数日に1度程度の頻度で彼女を匿う場所を訪れ、彼女と食事を共にしたり、都合がつけば共に外出したりする生活をしていた。

 そんなある日、普段とは違う時間に都合がついて、桃香を驚かせようと連絡もなしにこっそりセーフハウスを訪れたところ、キッチンから強い芳香が漂っていた。そして、そこには見られてはならないものを見られたという表情の桃香が居て、彼女の片手とシンクは鮮血に染まっていた。

 オールマイトが問いただすと、個性を鍛えるために自傷をしていたという。

 焦りと驚きのまま二度とそのような事をするなと叱責すると、桃香はそれを上回る剣幕で怒鳴り返してきた。

 

「僕だって好きでこんなことやってるわけじゃない。自分の身を守るために必要だと思ったからやってるんです」

「じゃあ、どう助けてくれるっていうんですか」

「僕が攫われて、個性を奪われて、殴られて、犯されて、ついに殺されそうになったころにようやくやってきて『助けて』くれるんですか」

 

「四六時中一緒にいて守ってくれるわけじゃないくせに、『大丈夫』とか軽々しく言うな!!!」

 

 オールマイトはその時の事を未だに時折夢に見る。

 

 彼女の身になってみれば当然のことだった。

 彼女の個性はAFOにとって非常に有用なもので、彼女の存在が知れればAFO自らが襲撃をかけてくる可能性もあった。もしもそうなった時、それを止められるものはオールマイトだけだ。しかし、そのオールマイトがいつも傍には居ないのだ。

 オールマイト達とて、AFOの動向やその他情報の監視には手を尽くしていたし、もしもの事があればいつでも駆けつけられるように最大限の心配りをしていた。だが、それが実際に命を脅かされている彼女にとって果たしてどれだけの慰めになっただろうか。

 彼女はもしAFOに個性を奪われる瞬間が訪れたとしたら、その前に自ら死を選ぶつもりでいただろう。交流の中でオールマイトはそれを察していた。

 当時、まだ小学生だった少女がそんな覚悟をしていたのだ。

 

 怒鳴り返された直後、返す言葉を見出せなくて呆然と立ち尽くすオールマイトに、我に返った桃香は涙を流しながら縋りついてきた。

 「ごめんなさい」と繰り返すその声をオールマイトは一生忘れないだろう。

 今現在、時折オールマイトが桃香と暮らす家にサプライズ気味に唐突に帰宅することがあるのも、この時のことと無関係ではない。

 

「冷や水を浴びせられた気分だったよ。結局私達は彼女を救ってなどいなかったし現在進行形で守れてすらいなかったんだということを突き付けられた。彼女はヒーローに囲まれながらも不安の中に生きていて、自分で自分の身を守ろうとしていたんだ」

「で、でも、それは……!」

 

 オールマイトが語ったことに対して緑谷少年は何かを言いかけた、しかし、結局言葉にできずに飲み込んだ。

 オールマイトはそれを見てひとつ頷いた。他ならぬ緑谷少年にはそれを口にしてほしくなかった。

 頑張っていたんだから仕方のない事だとか、たった一人を守るためにオールマイトを拘束することは合理的ではないとか、それらしい、まっとうな意見はいくらでもあるだろう。しかし、それらは「誰かを諦める」ことを肯定する言葉以外の何物でもない。

 その果てにあるものが、先代継承者の救われなかった息子や孫なのだ。

 

 しかも。

 

「しかも、彼女の懸念は正しかった」

「えっ…!?」

「彼女を狙う可能性があるヴィランというのは、私にとって不倶戴天の敵とも言える凶悪なヴィランだった」

 

 AFO…悪の帝王。

 これも今の話の本筋とずれるためオールマイトは敢えて詳細には語らなかったが、緑谷少年にはいずれその存在とOFAとの関係も説明しなくてはならない、

 

「結局、私はそのヴィランを討ち果たしたんだが…最後の戦いの後も、奴は息を潜めて数年間生きながらえていたんだ。そしてその数年間のうちに奴は私の妻の存在を知ったらしい。たまたまそうしなかったというだけで、奴はその気になれば最後の力を振り絞って彼女を襲撃できたんだよ」

 

 オールマイト自身も負傷を癒して過ごしていたその期間、常に桃香の周りに万全なフォローがあったわけではなかった。もしものことがあった時、彼女が頼りにできるものは己の鍛えた力だけだっただろう。

 そして彼女の個性がAFOに渡ってしまえば、オールマイトの治療は中断し、AFOは復活する。彼女も生きては帰らなかっただろう。全てがおしまいだった。

 

「この事を私に教えてくれたのは、そのヴィランの後継者を名乗る男だった」

 

 『志村転弧』…またの名を『死柄木弔』と名乗る男。

 曰く、AFOは桃香を襲撃するという一か八かの賭けよりも、後継者を育てることを優先したという。

 

「そしてその男というのは…さっき話した、私の師匠の孫でもある」

「………」

 

 緑谷少年は返事を返さなかった。

 オールマイトがそちらをちらりと見ると、緑谷少年はこわばった表情のまま下を向いてわなわなと震えるばかりだった。あまりの情報量に、心の処理が追いつかないのだろう。

 

「彼が私にぶつけてきた言葉…一言一句違わず思い出せるよ」

 

 オールマイトはそれを察しながら、敢えて話をつづけた。

 これをもう一度語ることはオールマイトにとっても辛い事だ。だからこそ今、この機会に全て話しておきたかった。

 

 

 半年前の、冬のある日の事だった。

 突如現れた死柄木弔は、出会いがしらのたった一言でオールマイトを縛った。

 

『よう、平和の象徴。動くなよ。さもなければ俺の仲間が邉桃香をお前の思いもよらないような悪質な方法で徹底的に苦しめてから殺す』

 

 最初、オールマイトは目の前に現れた白髪の男が親し気な口調で一体何を言っているのか理解できなかった。そして、理解が追いつくと戦慄した。

 目の前の男は、邉桃香という少女の存在を知っていて、さらに彼女がオールマイトにとって格別の人質になり得ると知っている。

 しかも、オールマイトの観察眼は、その男が自らに追随するほどの戦闘力を持っていることを見抜いた。

 

 状況は最悪だったが、この段階ではまだ必死に逆転の手を探る気概をオールマイトは持っていた。

 しかし、白髪の男…死柄木弔がAFOの後継者であると名乗り、自らの来歴を滔々と語りはじめると、オールマイトの心は自分でも驚くほど容易く折れた。

 

 一通り語り終えた死柄木弔は、絶望の表情のまま立ち尽くしているオールマイトを見て、さも愉快そうに嘲笑いながら黒い靄の中に姿を消していった。

 

 死柄木弔が去っていくのをただ見送った後、我に返ったオールマイトは必死にセーフハウスへと駆けた。幸いにも桃香はいつも通りの様子で、息せききってやってきたオールマイトを不思議そうな表情で迎えてくれた。

 結果的には、あの日、死柄木弔はオールマイトと言葉を交わしただけだった。

 だが、オールマイトは確信している。

 死柄木弔がその気になれば彼が最初に言った事が実現しただろう。彼にはそれを為せるだけの力があった。

 

 死柄木弔は去り際に言い放った。

 

『あんたらはこの国を守ったかもしれないけどな』

『肝心なものは一つも守れちゃいない』

 

 それはオールマイトだけではなく、彼の祖母…志村奈々にも向けられた言葉であることは明らかだった。

 『命だけじゃなく心も助けてこそ真のヒーローだと私は思う』……師の言葉だ。

 その師の手から零れ落ちた者が、最悪のヴィランとなった。

 オールマイトもまたそれと同じだった。

 最も救うべき者を全く守れていなかった。失わずに済んだのは、ただ単に運が良かったからだ。

 

 死柄木弔がもし桃香を害していたならば、オールマイトは純粋な心で彼を憎むことができただろう。

 しかし、彼はそれをしなかった。

 平和の象徴とは何か。ヒーローとは一体何なのか。死柄木弔はひたすらに、全存在をもってそれを問いかけていた。

 そしてオールマイトはその問いに答えを返すことができなかった。

 

 苦難の人生を歩んできたオールマイトをして、これほどの挫折は他に無かった。

 こうしてオールマイトは、自らというヒーローが斜陽を迎えたことを明確に自覚した。

 

 

 過去に思いを馳せていたオールマイトの耳に、潮騒の音が戻ってくる。

 苦しい回想とは裏腹に、よく晴れた夏の海はこの上なく爽やかだった。

 

「死柄木弔が何を考えているのかは依然として分からないままだが、いずれにせよ、若く力を増していく彼にこれから老いる一方の私は抗しきれない。彼が師匠の孫だとか、そういう私の心情を抜きにしても、私にはもう死柄木弔を討つことができない」

「………」

「ヒーローとして恥ずべきことだが、私も戦いを次の世代に引き継がなければならない時が来てしまった。だから、私は後継者を探していたんだ」

 

 オールマイトは隣で緑谷少年が身じろぎするのを感じた。

 

「…オールマイトは」

 

 そして発せられた彼の言葉は、意外なものだった。

 

「後継者ができたから奥さんと結婚する踏ん切りがついたんですね」

「ああ」

 

 躊躇うことなくオールマイトはそれを肯定した。

 

「彼女を守らなければならない。彼女を守りたい。その思いはずっと変わらない。死柄木弔との邂逅を経て、その思いは一層強く明確になった」

 

 平和の象徴はここまでだ。しかし、残りの生涯をかけて今度こそたった一人守るべき人を守る。

 いつ何時何者が来ようが、他の全てを放り出してでも絶対に桃香を守る。それが死柄木弔に対するオールマイトの最後の意地だ。

 

「でもな。ナンバーワンヒーローとか、平和の象徴とか、そういう立場から離れて改めてそう考えた時、私は彼女を愛していることに気付いたんだ」

 

 ヒーローの権化であるオールマイトが他者に対して抱く認識は、「市民」か「仲間」か「敵」の三通りしか無かった。そうでなければならなかった。

 だが、平和の象徴を引退することを考える中で、オールマイトは初めてその思考から解き放たれて物事を捉えることができた。そしてそれと同時に、オールマイトは彼女に対して格別の思いを抱いていることを自覚した。

 はっきり言って、それは性愛ではなかった。

 桃香は友人の忘れ形見で、オールマイトが救うことのできなかった人で、命を削るほどの傷を癒してくれた恩人だ。それでいて親子ほどの歳の差もあるのだから、ヒーローとしての立場が無かったとしても下心など向くはずもない。

 しかし、彼女のひたむきで地に足のついた好意が、オールマイトの考えを変えさせた。

 彼女の思いに応えてあげたいという気持ちと、彼女を一人の女性として愛することで自分もまたよろこびを得ることができるだろうというヒーローらしからぬ身勝手で打算的な確信。それらが結びついて、オールマイトは彼女を己の唯一の人にすることを選んだのだった。

 

 ただ、これはどう飾り立てようとも、結局のところオールマイトが他の人を守ることを止めて彼女だけを守ることにしたという話に違いない。これを知れば世間はどういう感想を抱くだろうか。

 

 オールマイトは緑谷少年を見やる。

 

「軽蔑したかな?」

「いえ」

 

 即答だった。

 

 ふいに目が合う。

 濃い緑髪の少年。彼もまたオールマイトを見返していた。そしてその目は強い光を湛えていた。

 それを見てオールマイトは、彼を後継者として指名したことが間違いではなかったことを確信し、魂が熱くなるような感覚を覚えた。

 

「緑谷少年」

 

 オールマイトもまた強い思いを込めて、緑谷少年の目を見た。

 

「君は何かを守るために何かを捨てないでくれ。私が死柄木弔に提示することのできなかった答えを出してほしいんだ」

 

 これこそがオールマイトが最も伝えたかった事だった。

 オールマイトは最後まで桃香とその他大勢を天秤にかけることしかできなかった。先代もそうだ。

 だが、今はオールマイト達が駆けた時代よりもずっと平和で、そしてOFAもオールマイトの代を経ることで大きく力を増している。

 死柄木弔という不確定要素は居る。しかし、今だからこそ目指せるはずなのだ。

 オールマイトの、その先を。

 

 One For All(一人()皆のために)の先を!

 

 緑谷少年は大きく頷いた。

 

 

 

 




だいぶ引っ張りましたが、主人公とオールマイトの過去はこれで3分の2くらい語ることが出来ました。
あと3分の1はまたいずれ…


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11 USJ

ファンブックでは雄英高校は週休一日制となっていますが、このSS内の雄英高校は土日休みということにしています。

前回の投稿で評価、お気に入り、コメントを頂き、改めてどれも励みになると強く実感しました。皆さまありがとうございます!


 入学して初めての週末は、クラスの女子たちからお誘いがあって買い物に行って、あとは家を掃除してリカバリーガールからの課題をこなしているうちに終わった。

 ちなみに買い物は、一人暮らしを始めたばかりの麗日さんの日用品を買いそろえようというのがメインテーマだった。ある程度は地元で両親と買いそろえて引っ越してきたみたいだけど、暮らし始めてみるとやっぱり足りないものが多かったらしい。

 高校1年生が家具や家電みたいな種類の買い物をする機会はあまり無いからか、これが結構盛り上がった。(最初、八百万さんが「棚程度の簡単な物なら作りましょうか?」と言いだして、麗日さんもだいぶ苦しんでいたけれど結局買うことになった)

 

 あとリカバリーガールからの課題だけれども、彼女が求めてきているレベルは相当高かった。

 かつて僕が前世の記憶に目覚める以前、医者でもあった僕の偽父(ヴィラン)によって医学のレクチャーを受けていたという記憶が残っている。そして僕自身、解剖学と組織学に関しては個性のために自前でそれなりに勉強していた。でも、そんなものは殆ど貯金にはならなそうだった。

 残念ながら僕の弁当作りは当初の予想通り、早々に断念することになった。まあ、これからも機会を見て作っていくことにしよう。

 愛妻弁当を職員室で食べる俊典さんを想像しながら弁当を作るのは僕の楽しみなのだ。

 それに、クラスの皆とまた屋上でご飯を食べようって約束したしね。

 そんなこんなで2週目が始まり、何事も無く週の半ばを迎えた。

 

 

 

 水曜日。

 先週の委員長決定に引き続き、この日、僕はまた朝から憂鬱な気持ちを覚えていた。

 アレが来る日だからだ。

 生理ではない。いや、生理もきているけれど。

 アレというのは、USJだ。

 

 俊典さんは1年A組のヒーロー基礎学実習の担当でもある。なので朝食の時に何の気なしに今日の実習の内容について尋ねてみたところ、「レスキュー訓練だよ!」と爽やかに答えてくれた。

 このタイミングでレスキュー訓練ということは、つまりUSJだ。このことを知った時、僕の脳裏に緊張が走った。

 

 前の報道陣襲撃事件は結局起きなかったけれど、それはそれであって、僕がUSJ事件を完全に無い物として見做せる理由にはならない。

 というのも、報道陣襲撃事件などなくとも、黒霧のワープゲートやAFOの謎の転移個性さえあればUSJに襲撃を仕掛けてくること自体は全く可能であり、ほんのわずかな可能性に過ぎないとはいえ、少なくとも僕の視点ではUSJ事件はまだ起き得る余地があったからだ。

 

 まるで疑心暗鬼のような感じで自分でもちょっとどうかと思う。でも、ここが僕にとっての最後の見極めポイントだった。

 今までAFOが居ないことを理解、納得したつもりで暮らしてきたけれども、自分でAFOの死体を確認したしたわけでもないし、やっぱりどこか燻る思いがあった。だからこそ先日の報道陣襲撃の時にも穏やかな気持ちではいられなかった。

 しかし、このUSJで襲撃が無かったらやっと僕は気持ち的に一つの区切りをつけられる気がするのだ。

 …これでもし突然黒い靄の中から死柄木弔がこんにちはしてきたら僕は吐く。

 

 

 という訳で来たる午後のヒーロー基礎学実習。

 イカ澤先生が現れて予定通りに「レスキュー訓練」を宣言し、僕たちはコスチュームに着替えて移動することになった。

 訓練場所はやはりUSJのようで、着替えた後はバスで移動するとのことだった。

 

 ひとまずコスチュームを受け取って皆で更衣室に移動。

 そして僕が部屋の隅でもそもそと着替えていると、麗日さんが話しかけてきた。心配そうな表情だった。

 

「大丈夫? お昼も食欲無かったみたいやけど…」

 

 食欲が無かったと言われるのは、それもその筈。今日の昼、僕は食堂で大盛のカレーを一つしか食べていない。これはいつもの食事量から考えると3分の1くらいだ。流石に傍から見ていてもだいぶ不自然に思えたのだろう。

 

「んー、生理?」

「そうです」

 

 芦戸さんがさらっと聞いてくる。それが原因というわけではないけれど、一応肯定しておいた。

 

「うーん…実習にかぶると大変だよね…」

「まあ大丈夫ですよ。ホルモン剤を飲んでますし」

「え? それってピルってやつ?」

 

 と、そうやって会話していると他の女子も会話に参加してきた。

 

「え、ヤギモモ ピル飲んでるの?」

「中学の保健の授業で習ったけど、本当に効くのかしら?」

 

 ピルというのは、一般的には低用量ピルと呼ばれる薬だ。

 低用量ピルの最も有名な薬効は避妊だけど、その他にも月経に起因する不快症状を改善する効果があって、このために服用している人は世の中多い。

 

「確かに飲み始めてから症状は改善しましたよ。周期も殆どずれなくなりましたし」

「「へぇ~」」

「そう聞くと、ヒーローを目指す身として導入を検討した方がよいのかしら…」

 

 多くの場合月経中と月経前には痛みやめまいなどが伴う。そういう運動能力を低下させるようなイベントが月に一度数日、多ければ十数日間もあるというのは、命がけの肉体労働をするヒーローにとっては切実な問題だろう。

 いつの間にか女の子たちは皆真剣な表情で僕の話を聞いていた。

 

「ちょっと恥ずかしいけど、大事な事だわ。ミッドナイトやリカバリーガールに聞いてみてもいいかもしれないわね」

「そだね…今度、皆で聞きに行ってみようよ」

 

 そうしていつの間にか、近々女性ヒーローへのインタビューが催されることになった。

 その中でただ一人、僕が既婚者であることを知る耳郎ちゃんだけが若干挙動不審だった。

 

 まあ実際、僕は「軽い」方だし、痛覚もないので不快症状の最たるものである生理痛も無い。

 それなのに低用量ピルを飲んでいるのは、ひとえに家族計画のためだ。

 こんないたいけな子達のまえでそんなことは口が裂けても言えないけど。

 

 そして着替え終わったらみんなでバスに乗車した。

 個性の話題で盛り上がる皆をよそに、僕は一番後ろで黙って目を瞑る。

 寝ている振りをしながら、もし万が一のことが起こったとしても動揺しないで済むように精神統一に励んだ。

 バスはほんの10分程度でドーム状の巨大な建造物の前へとたどり着いた。

 学校の敷地内で、位置的には校舎の裏手。周囲には緑地とソーラーパネルが張り巡らされていて、バスは正面の入り口と思しき場所に止まった。

 よし、行こう。そしてヴィラン連合、ひいてはAFOの不在を確認しよう。

 と、僕が気合を入れて最後にバスを降りたところで、耳郎ちゃんがそっと声をかけてきた。

 

「…ねえ、本当に大丈夫? 駄目そうなら休ませてもらおうよ」

「いえ、大丈夫ですよ」

 

 …そんなに普段と違う顔をしていただろうか。気を付けなければ。

 

「なんだよ、八木、調子悪いのか?」

「う……」

 

 そうこうしていると、話が聞こえてしまったのか悪気ない様子で切島君がやってきて、普通に大きな声で話しかけてきた。

 内容が内容なので、耳郎ちゃんはちょっと嫌そうな微妙な顔をした。

 切島君の声で多くの生徒達が振り返った。そしてその中の一人、峰田の目がきらりと光った。

 

「生」

 

 り、と言い終わる前に目を三角にした耳郎ちゃんが峰田にイヤホンジャックを突き刺そうとして…それより先に大きな影が疾風と共に現れた。

 皆がその影の正体を認識する前に、その影からは聞きなれた声が発せられた。

 

「峰田少年!」

「おっ、オールマイト!?」

 

 それはオールマイト…すなわち俊典さんだった。

 

「前回も言おうと思っていたんだが…」

 

 ざわつく周囲をよそに、突然瞬間移動的に現れた俊典さんは深くしゃがんで峰田と目線を近くすると、大きな手で峰田の両肩を持つ。

 そして見下ろしながらニカッといつものように笑った。

 

「そういうのはヒーローを目指すなら控えたほうがいいぞ」

 

 ただし顔が近い。

 

「は……は、はい…」

 

 その圧力を受けている峰田は受信した携帯電話のごとく振動しながら頷いた。

 

「オールマイト…」

「さすがナンバーワンヒーロー、紳士ですわ…」

 

 HAHAHA! と笑う俊典さん。男子たちは苦笑気味に、女子たちは嬉しそうにそれを見た。

 僕も嬉しい気持ちになった。

 多分他の人が相手でも俊典さんなら峰田を窘めたと思うけれど、こうして飛び込んできてくれたのは僕がセクハラされそうだったからじゃないだろうか。そう思うとちょっと嬉しい。いや、だいぶ嬉しい。

 

 峰田が「でもこれこそがオイラのアイデンティティーなんであって…」などとブツブツ呟き、飯田君に「もっと健全なアイデンティティーを獲得するんだ!!」と熱弁されているのを尻目に、俊典さんはマントを翻してみんなの方に向き直る。

 

「さて…順序が狂ったけど、私が来た!! ようこそA組の諸君!」

「今回もオールマイトが見てくれるんですね!」

 

 緑谷少年が歓喜の声をあげると、俊典さんは胸を張って緑谷少年に頷いた。

 

「その通り! 今回の実習は私と相澤君と、もう一人の教員が担当するぞ。さあ、中へ入ろう!」

 

 1年間も個別指導を受けていたというのに、緑谷少年がクラスで一番俊典さんの登場に喜んでいる。本当に俊典さんのことが好きなんだなぁ…

 そうして生徒達が移動を始めると、相澤君ことイカ澤先生がのっそりとバスの中から姿を現した。

 

「…飯田、峰田。遊んでないで行くぞ」

「はい!」

「はい……」

 

 

 ドームの中に入ると、すぐに下りの大階段があり、その向こうには燃えたり崩れたり水が流れたりと様々な環境を再現しているゾーンが見えた。

 そして手前には宇宙服がモチーフであろうモコモコのスーツを身にまとった人。彼女は、テーマパークのような光景を見て盛り上がる生徒達に向かってスピーカー越しの声で朗らかに語りかけた。

 

「皆さん、待ってましたよ!」

 

 スペースヒーロー、13号だ。

 ちなみに、ヘルメットともこもこの服で全身が隠れている上にイカ澤先生並みの高身長、さらに一人称が「僕」、など諸々の理由で勘違いされやすいみたいだけど、女の人だ。

 

「ここは水難事故、土砂災害、家事、etc.…あらゆる事故や災害を想定し、僕がつくった演習場です」

 

 …そういえばこの人も丁寧語の僕っ娘だな。これが個性被りか。

 

 と、語りだした13号先生の話を聞こうとしていると、後ろから肩をちょんとつつかれた。

 俊典さんだった。

 

「ええと、八木少女。体調が悪いという話だったけど…」

 

 振り返った僕に、俊典さんは余所行きスタイルのさらに囁き声で話しかけてくる。

 そう言われて気付いた。

 そういえば、今朝から続いていた不安や緊張感が収まっていた。さっき俊典さんが来てからだ。

 

 今更のように思い出した。

 そうだ。もし何かがあってもこの人が居れば大丈夫なんだ。

 

 俊典さんが居るんだから脳無だろうが死柄木弔だろうが、それこそAFOが来たって大丈夫。そう思ったら、突然いろんなことが大したことではないように感じられた。

 

「先生に会ったらだいぶ良くなりました」

「んっ…!? ………よく分からないけどそれは良かったな!!」

 

 って言ってるうちに、原作でヴィラン連合が現れたタイミングはもう過ぎていた。

 汗をかく俊典さん尻目に、僕はぐっと手を握った。

 

 

 

 それから僕達は、山岳ゾーン、被災市街地ゾーンなどで、ヒーローと要救助者の役に分かれて救助訓練を行った。

 当然ヴィラン連合は現れることなく、至極平和なものだった。

 

 ちなみにこの実習の一番の見どころは、要救助者役になった飯田君の迫真の演技だった。

 

 滂沱の涙を流しながら「助けてくれ!!! ヒーローーーーー!!!!」とか「良かったなあ麗日君!!!!俺たち助かるぞ!!!!!!!!」とか叫んで、気絶者という設定の麗日さんを笑わせて苦しめていた。

 

 



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第三章 体育祭と職場体験
12 体育祭と職場体験


ファンブックに中間試験は6月にあるという記載がありますが、職場体験直後の実習(5月半ば)でオールマイトが「この調子で期末試験も頑張れ!」的な事を言っている上に、期末直前には砂藤君が「中間は入学したての時で範囲も狭かった」と話していました。

ファンブックを優先するなら6月、原作を優先するなら4月くらい(5月頭の体育祭のさらに前)には中間試験があったことになります。
このSSでは4月説を採用して中間試験は4月にあるということにしたいと思います。




 雄英体育祭は、国立雄英高校の行事の中でも最も外部からの注目度が高いものだ。日本全国に大々的にテレビ中継されるし、市民達もそこで切磋琢磨する未来のトップヒーロー達に大きな関心を抱いている。

 熾烈な競争の果てに雄英高校ヒーロー科に入学してきた新入生達にとっても、体育祭は憧れのステージだ。

 

 

 USJの実習が終わった翌々日の金曜日。イカ澤先生は朝のホームルームで「2週間後に体育祭がある」と唐突に宣言した。A組の皆も入学してまる一週間以上が経ち、段々と学校に慣れてきて先の事を考える余裕が出てきたタイミングでのことだった。

 当然、教室は猛烈に沸き立った。

 残りの期間で集中して個性を鍛えようと決心する者、テレビ映りを気にする者、職場体験ひいてはその後のサクセスに思いを馳せる者。皆が目を輝かせた。

 イカ澤先生は体育祭と職場体験との関係を生徒達に説明し、チャンスを無駄にするなと念押しした。

 そして、皆を燃え上がるだけ燃え上がらせておきながら、「それはそれとして来週は中間試験だ」と言って鎮火させて朝のホームルームを終えた。

 

「タイミングもあるし内容も中学校の復習みたいなもんだが、無様な点数は取るなよ。…八木、お前はちょっと用事があるから職員室来い」

 

 と、そんな起伏の激しいホームルームの後、僕はイカ澤先生に呼び出された。

 教室あるいは廊下じゃなくてわざわざ職員室でする話となると、基本的にはリカバリーガールの特別補習関係だ。でも補習に関してはリカバリーガール本人とちゃんと予定をやりとりをしている。一体なんだろう。

 不思議に思いつつも素直についていく。

 そして職員室前に到着すると、併設された面談室に案内された。前にも一度使った部屋だ。

 

「体育祭のことだ」

 

 後から入ってきた僕が扉を閉めるなり、イカ澤先生は立ったまま切り出してきた。

 

「体育祭の一年の宣誓は例年なら一般入試の主席がやることになってるんだが、お前はどうしたい?」

 

 僕は内心でポンと手を打った。

 そうだ。すっかり忘れていたけど、そういえばそんな役もあった。

 

「強制ではないんですね」

「一応な。お前がやらないなら次席の爆豪に話が回る」

 

 なるほど、と思いつつ、僕は少し考えた。

 別に人前に出て宣誓をすること自体は構わない。でも、これはそういう言葉の字面以上の意味を持っている事だった。

 

「…その1か月後にもう仮免許試験があるんですよね」

「『雄英潰し』を知ってたのか」

 

 先生は片眉をあげた。そしてすぐに思い直したように「…まあ、想像もつくか」と呟いた。

 

 雄英体育祭で存在感を示すことができればヒーロー事務所からのオファーも来やすくなるし、一般への認知度が上がれば自分で事務所を持った際にも有利だ。

 しかし、有名になるということは、個性を知られるということでもある。

 日本全国に自分のスタイルと弱点を晒してしまった雄英高校ヒーロー科は、ヒーロー仮免許試験のバトルロイヤル的なシーンではこれ幸いとばかりに他校生から集中的に攻撃されることになる。これこそが雄英潰しだ。

 轟君とか夜嵐イナサみたいな、知っていても対策不可能な圧倒的パワーの持ち主だったらこんなことは別に気にしなくてもいいんだろうけれど、残念ながら僕の個性はそういうタイプのものではない。

 しかも僕は同級生と一緒に試験を受けるわけじゃないし、同じ会場で受験するかもしれない雄英の先輩に伝手があるわけでもないから、誰かとチームを組んでフォローしあうこともできない。

 間違ってもこの仮免許試験で落ちるわけにはいかないことを考えれば、こんなところで目立つ真似はするべきではなく、代表宣誓なんてもってのほかだ。突き詰めて考えればそもそも体育祭に参加すること自体がリスクだった。

 

「俺も同意見だ」

 

 僕が自分の考えを伝えると、先生は頷いた。

 

「一応こうやって意見を聞きはしたが、実際シビアにお前の目的を追求するなら体育祭に出るのは合理的じゃない」

「ってことは…」

「ああ。お前は体育祭に出なくていい」

 

 まさかの体育祭参加免除。もしかしてこの人ならと思ったけれど、本当に体育祭に出なくてよくなるとは思わなかった。

 さすが、どこまでも合理性を追求する男だ。

 僕が驚いていると、先生は首をすくめた。

 

「経営科や普通科で出ない奴は結構いるからな。本来参加は自由なんだよ」

「そういえば確かにそうですね」

 

 言われてみれば確かに、例年経営科で出場する生徒はほぼいないらしい。彼等は試合を観戦したり、自分なりの商売を実践していると聞く。

 「だが」と先生は言った。

 

「流石にヒーロー科の人間が仮病とかよくわからん理由で体育祭をボイコットするんじゃ言い訳がつかない。そこで婆さんと協議した結果、お前には別のプランを用意した」

 

 そう言いながら先生は手に持っていた出席簿からひらりと紙を一枚取り出した。それは学校行事予定のカレンダーだった。

 

「一年生は体育祭の翌週の火曜日から日曜までの6日間 職場体験が予定されているんだが、お前はそれを早めて体育祭の直前から婆さんについて職場体験を始める」

 

 行事予定を示す先生の指を追いながら、僕は先生の言葉を咀嚼していく。

 

「体育祭当日も含めて計12日間活動。その後、他の連中が職場体験に行くのと入れ違いで帰ってきて、残りは抜けた期間の補習だ」

 

_______________________

 

① 4/30(木) 

② 5/01(金)

③ 5/02(土) 体育祭準備

④ 5/03(日) 体育祭

 

⑤ 5/04(月) 代休のため休校

⑥ 5/05(火) 代休のため休校

⑦ 5/06(水)

⑧ 5/07(木)

⑨ 5/08(金)

⑩ 5/09(土)

⑪ 5/10(日)

 

⑫ 5/11(月)

  5/12(火) 1日目 他の生徒の職場体験開始

  5/13(水) 2日目

  5/14(木) 3日目

  5/15(金) 4日目

  5/16(土) 5日目

  5/17(日) 6日目 他の生徒の職場体験終了

 

  5/18(月) 通常授業再開

 

※①~⑫はイレイザーヘッドの提案した桃香の職場体験。以降の5/12~5/15は補習。

________________________

 

 

「………」

 

 僕はすぐには返事ができなかった。

 体育祭には当然リカバリーガールも救護として参加する筈で、この予定の通りなら僕もそれに付き添うことになる。ちょっとした怪我がたくさん出る上に、学校内で話が済む体育祭は、僕の個性の練習にはもってこいの場所になる。

 でも、これだと僕の職場体験はもう今月末から始まることになる。残りの日数にしてもう半月も無い。いくらなんでも急だし、流石に現時点では心の準備もできていなかった。

 僕自身が恥をかくくらいならまだいいけど、もし何かがあればリカバリーガールの顔にまで泥を塗ることになるのだ。

 そんな僕の様子を見てか、先生はひとつ息をついて行事予定を出席簿に仕舞った。

 

「まあ、こっちは今すぐ決める必要があるわけじゃないし、このまま実施する必要もない。このことは今日の補習で婆さんと話をしてみろ」

「…そうします。ありがとうございます」

「ただ、こいつはお前なら実行可能だと思って婆さんが提案したプランだ。それは覚えとけよ」

 

 白目がちの目でにこりともしないままだったけれど、結構優しい言葉だった。

 やっぱりこの先生はいい先生だ。

 

「さて…取りあえず宣誓はしない。体育祭も参加しない方向だな。それじゃ授業も始まるし教室に戻っていいぞ」

「はい、失礼します」

 

 話はここまでのようだった。

 放課後にリカバリーガールと相談、と頭の予定表に書き込む。

 

 そうして踵を返そうとした所で、先生が「…そうだ、言い忘れてたが」と言った。

 

「職場体験にしろインターンにしろ、校内で活動する前にはお前の特別補習まわりの事情をハウンドドッグに説明するからな」

「………はい…」

 

 その言葉に、僕は思わず渋い顔をしてしまった。

 

「…………まあ、ハウンドドッグにも思うところはあるんだろうが、俺個人としてはハウンドドッグの態度は擁護できんと思ってるよ」

 

 僕がハウンドドッグと聞いて顔をしかめたのを見て、イカ澤先生は微妙な顔をして目をそらしながら言った。

 

 ハウンドドッグとは、そのヒーローネームの通り猟犬がモチーフの異形型の個性を持つ雄英教師だ。この人は個性の恩恵で優れた猟犬に匹敵する嗅覚を持っていて、それゆえに僕という生徒とオールマイトが婚姻関係にあることが事前に説明されていた数少ない人物の一人だった。

 しかし彼は僕たちが夫婦であることを好意的には考えていないらしく、初めて対面した時には鋭い目で僕を見てきたし、同僚として俊典さんにも当たりが強いという。

 彼の授業は何度か受けたけど、たまたま夜の運動会のあった翌日に授業を受けた時なんかは、その時間中ずっと不機嫌でA組の生徒達を困惑させたりしていた。

 まあ、彼なりの正義感からいって、17歳(結婚した当初は16歳)の少女と五十路の男が結婚している上に性生活まで営んでいる状況は受け入れがたい事なんだろう。理解はできるし、そういう考えを多くの人が持つことは僕も否定しない。

 その少女が自分の務めている高校の生徒で、その五十路の男がナンバーワンヒーローなのを考えれば、さらに複雑な思いだろう。そこも同情しよう。

 でも、実際僕と俊典さんの夫婦関係には何の問題も違法性もないんだから放っておいてほしかった。

 

 だいたい、自分の性的な事が夫以外の男に筒抜けになっていることをいちいち自覚させられているこっちだって平気ではないんだぞ。

 しかもあいつがそんなだから、事情を知ってる他の人たちまでいろんなことを察してしまう恐れまである。

 

「…事情が事情だし取りあえずは我慢しろ。そんでもし我慢できなくなったら俺でも婆さんでも、何なら校長でもいいから言え。なんとかするから」

「はい……」

 

 察してしまう恐れが。察してしまう恐れが!

 

 僕は両手で顔を覆った。

 根津先生やリカバリーガールみたいに高齢だったり同性だったりネズミだったりするならまだしも、若い男性にこんな気遣いをされるのがこれほど恥ずかしいとは…

 

 それもこれもハウンドドッグのせいだ。なんて嫌な奴なんだ…!!

 

 …まあ、こんなことを考えていても仕方がない。

 それより、職場体験をするなら実際に患者を相手に医療行為をすることになるし、身分を偽っての活動を始めることにもなる。それに備えて頭に詰め込んでおかなきゃいけないことや考えておくべきことは山ほどあるだろう。

 今はそのことだけを考えよう…中間試験もあるんだし…

 




なんていやらしいHEROなんだ…


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13 sideA組 八木桃香の不在

これまでA組の生徒達が発言するとき、誰が言ったかを明確にする必要のない発言に関しては意図的に「○○が言った」などの説明文を省略してきました。
ヒーローアカデミアは口調に割と特徴があるような無いような感じなので、同じ場面で同じ発言をする可能性があるキャラが何通りか想像できちゃいますが、お好きにイメージして脳内で映像化していただければと思います。



 中間試験を終えて、翌週の金曜日。体育祭を二日後に控え、雄英生徒達のテンションは最高潮に達していた。

 

 ヒーロー科を不合格となって普通科に入学した一年生には鬱屈した思いを抱えている者も居たりするが、基本的には大多数の雄英生が体育祭を歓迎しているし、心待ちにしている。

 朝から校舎内には熱気が満ちていた。

 イレイザーヘッドはそれをぼんやりと感じながら、自分が担任をする1年A組に向かって歩く。

 この雰囲気はイレイザーヘッドが生徒として在籍していた頃も同じで、少し懐かしいようにも感じていた。

 まあ、自身は体育祭に特別な情熱を傾けるような生徒ではなかったから、他の生徒達を尻目に自分のすべきことをしているだけだったが。

 そんな事を考えているうちに、教室にたどり着く。生徒達の元気な話し声が聞こえてくるのを感じながら、イレイザーヘッドは扉に手をかけた。

 

「ホームルームを始めるぞ」

 

 わいわいと賑やかにしていた筈の生徒達は、イレイザーヘッドが扉を開けた瞬間には静かに整然と着席していた。オンとオフがきっちりと別れている、実にイレイザーヘッド好みの合理的スタイルだ。

 クラスには担任のカラーが出るとは言うが、入学式から僅か数日で自然とA組の生徒達はこうなっていた。

 

「先生ー、ヤギモモが居ないけどどうしたんですかー!」

「八木か」

 

 イレイザーヘッドが教卓につくと、教室の最後列で、透明人間の葉隠が、手…というより袖を挙げて見せながら発言した。その葉隠が言う通り、彼女の隣の席は空いていた。

 担任としてイレイザーヘッドが知る限り、八木桃香は近隣から徒歩で通学しており、交通状況に全く左右されることなく毎日1分以内の誤差で正確に定刻の5分前に登校してくる生徒だ。確かに本来ならばこの時点で居ないのはおかしい。

 だが、今日はそれでいい。

 イレイザーヘッドは、ほんの数分前に職員室で顔を合わせた赤毛の女のことを思い返した。

 そしてこのことが本日の朝のホームルームの本題だった。

 イレイザーヘッドは教室全体を見渡しながら口を開いた。

 

「八木は今日から職場体験に行きました。帰ってくるのは5月半ばです」

「職場体験って……」

 

 言葉の意味を理解しかねたのか、生徒達は一瞬呆けたように静かになった。

 

 

「ええええええ!!!!」

 

 

 そして爆発した。

 

「どこのヒーロー事務所に!?」

「いやいや、っていうかこんなタイミングで…!??」

「八木さん、そんな事一言も…」

 

 生徒達は口々に喋り出す。まあこうなるだろうな、と思いながら、イレイザーヘッドは睨みをきかせてそれを静まらせた。

 さて、ここからは力技だ。

 

「八木の職場体験に関しては、全て秘密だ」

「秘密!!?」

「名を明かさないのも、こんな時期になったのも、八木の職場体験先からの要望だ」

「な、何だよそのヒーロー事務所…!?」

 

 あんまりな言いように生徒達は大いに困惑していた。イレイザーヘッド自身、おかしなことを言っている自覚がある。

 しかし、これは納得させなければならないのだ。

 八木桃香の職場体験とはつまり保健室での勤務。コスチュームでの変装の完成度はかなり高く本人の意識も十分とはいえ、発覚の危険は常にある。

 リカバリーガールに関わる諸々の活動は、少なくとも彼女の在学中は秘密のことなのだ。同級生の連中には興味自体を失ってもらわなければならない。

 

「八木がお前らに何も言わないで行ったのも、話せなかったからだ」

「そんな…」

「間違っても八木本人に尋ねるなよ。八木が居ようが居まいが話題にもするな」

 

 イレイザーヘッドは強い口調で言いきった。

 

「八木の職場体験先を詮索しようとした奴は問答無用で除籍する」

 

 ピシリ、と空気が引き締まる。「除籍」の言葉に、生徒達もイレイザーヘッドの本気度合いを察したらしい。

 

「ここで一つ制度の勉強をしようか」

 

 念押しするつもりで、イレイザーヘッドは口を開いた。

 

「除籍、除籍と言うが、実際のところ学校において除籍というのは非常に例外的な措置でな。学校をやめると一口に言っても、普通はそいつが在籍していた記録は残る。除籍ってのはその記録すら消すってことだ」

 

 退学者でも指導の記録は残るし、在籍していたという証明を発行することは可能だが、除籍者はそれすらなくなる。

 

「例えば、入学後に入試時の不正が発覚した時とか、悪意ある欺瞞によって学籍が捏造されていた場合とか。そいつが入学・在籍していたこと自体が間違いだった場合に適用されるのが除籍って措置だ」

 

 つまり、除籍された者は、以後、雄英高校に在籍していたことそのものを否定されるということだ。

 

「俺はそれでいいと思っている。この程度の約束も守れない奴にヒーローは務まらない」

 

 イレイザーヘッドが言いきると、生徒達は緊張した面持ちで静まり返った。これだけ言っておけば八木桃香の職場体験について詮索するような生徒は居まい。

 その中で、一人の女子生徒がおずおずと手を挙げた。蛙水だ。

 

「先生、一つだけ教えて欲しいの。桃香ちゃんは明後日の体育祭には…」

「出ない。職場体験中だからな」

「ケロ…」

 

 これには多くの生徒が反応した。特に何人かの生徒達は顕著だった。

 ヒーロー基礎学実習で八木桃香としのぎを削った者達と、彼女と特に親しくしている女子生徒達だ。

 

「八木は明確に自分の目指すヒーローの具体像があって、そのために必要な教育が雄英高校で受けられるか、入学前から既に校長レベルで話を通している。師事するヒーローにも話はついてるし、今更顔を売る必要はないんだよ。6月には仮免許も取得して、正式にインターンとして授業も抜けるようになる」

「か、仮免許って、ヒーロー免許の!?」

「そう。監督者の責任の下、ヒーロー活動を行うための資格だ」

「ヤギモモ、6月からどっかのサイドキックになるってこと!?」

 

 イレイザーヘッドはついでとばかりに八木桃香のインターンの話もしてしまった。

 リカバリーガールの話ではインターンは平日にも容赦なく行う計画だそうで、八木桃香はそのたびに居なくなることになる。その時になってからまたクラスにこの話をするのは二度手間だ。

 他の意図もある。

 芦戸が叫んだ通り、仮免許のインターン生とて、ヒーロー活動を行う以上は市民からサイドキックヒーローとして認識される。すなわち、曲がりなりにもれっきとしたヒーローの一員になるのだ。

 同級生がヒーローになろうとしている。イレイザーヘッドの期待通り、生徒達はこれまでの話とは違うふうに顔色を変えた。

 

「あの、それって俺たちは…」

「駄目だ」

「な、何で…!」

 

 自分たちも仮免許試験を受けられないのか。インターンに行けないのか。イレイザーヘッドは来るだろうと思っていた質問を即座に却下する。

 

「プロの現場に何があって、その中で自分はどんな風な立ち位置で、どう貢献するか。想像じゃなくて具体的なプランがあんのか。それが無いなら当然許可はできない」

 

 そもそも1年生時点でのインターンは、実力、心構え、信頼、いずれの面でも歓迎できることではないとイレイザーヘッドは考えている。現時点で自分のクラスの生徒達にそれを許可するつもりはもちろんなかった。そしてインターンに行かないのなら仮免許も必要ない。

 生徒達を正面から見返しながら、イレイザーヘッドは言う。

 

「『雄英入学はゴールじゃなくてスタートライン』って話は、よくするもんだ。だが、八木と同じだけリアルにそう考えていた奴がこの中にどれだけ居る。…八木はもうお前らの二歩も三歩も先に行ってる」

 

 ぐ、と生徒達は皆、気圧されたような表情をした。

 それでいい。

 この一件は、他の生徒達のやる気に火をつける火種にしようと考えていた。だからイレイザーヘッドは敢えて生徒達の前で八木桃香を少し過剰に持ち上げてみせた。

 

「真似しようとはするな。だが焦れよ」

 

 そして最後一言を言い残し、イレイザーヘッドは教室を後にした。

 

 幸いこのクラスは負けん気の強いやつらが多い。燃える奴はこれだけで簡単に燃えあがってくれるだろう。

 八木桃香には、仕事を増やすだけじゃなくて少しはクラス経営の役に立ってもらう。

 

 イレイザーヘッドは廊下を歩きながら思いを巡らせる。

 

 八木桃香がほかの生徒の何歩も先を行っているというのは、実際本心からの言葉だった。

 彼女の個性の柱は3つある。個性の根幹である自他を治癒する能力と、無痛覚であることを利用し筋肉の潜在能力を開放して活動する技術と、エネルギーを体内に大量にストックする能力だ。そして、これらはそれぞれが個別の個性だったとしても強力な部類だと言える力である。もとは単なる治癒能力だったものを、彼女はそれだけ応用できるほどにまで鍛えたのだ。これは驚異的なことだと言っていい。

 人間の個性がこの領域に至るために必要な才能と努力の量を雄英高校ヒーロー科の教員であるイレイザーヘッドは当然熟知している。目に見えやすいパワーだとか派手さ云々は抜きにして「個性の鍛え具合」に限って言えば、八木桃香は轟や爆豪のような卓越した生徒すら数段突き放したステージにいた。はっきり言って、実力派のプロと比較しても全く遜色がないレベルだった。直接的に戦闘に役立たない筈の個性であの爆豪を抑えて入試実技1位を獲ったというのは伊達ではない。

 戦闘方面での伸びしろはもうあまりないだろう。だが、それゆえに彼女は実技的には校内での訓練よりも実践での経験を積むことを優先したほうがより効果的な学習ができる段階にあると言える。

 八木桃香は本当にこの時期に職場体験、ひいては近々インターンに行くに足る生徒だったのだ。

 

 ただ、その事実こそがむしろイレイザーヘッドを悩ませた。

 

 それだけの力を得るまでには、いかなる尋常ではない経験があっただろうか。

 彼女の個性や身体能力が「家庭や公共の施設で普通に練習していれば鍛えられる」ような類のものではないということは、ある程度個性というものを理解している者からすれば一目瞭然だった。彼女の力の裏には、文字通りの血なまぐささを思わせる程の訓練と、それを支える狂気的なまでの使命感あるいは強迫観念が存在した筈だ。

 それに、イレイザーヘッドは彼女が自分の身体への負傷を全く厭わないことをこれまでの実習で察している。そのようなシーンを見たわけではないが、彼女は恐らく指が一本取れた程度のことでは眉も動かさないだろう。いくら痛みもなく治るからといって、あの年齢でその境地に至った神経は流石に普通ではない。

 八木桃香はそれほどまでにして得た力で一体なにと戦おうとしていたのか?

 基本的に一人きりで活動してきたアンダーグラウンドヒーロー・イレイザーヘッドとて、教員になってからの分も合わせればプロとしてのキャリアはもう12年にもなる。

 彼女の力。彼女とオールマイトとの関係。彼女の中学校からの内申書。1年間の高校浪人期間。それらの情報から、「飽くまで一つの可能性に過ぎない」と思考の端に追いやりつつもイレイザーヘッドが導き出した想像は、かなり具体的で正確なものだった。

 

 イレイザーヘッドは、八木桃香がかなりの修羅場を経験していて、相応のトラウマを持っている筈だと見ている。その上で、ヒーローとして直面する様々な状況に対して彼女がどのような反応をするのか、このような短期間の付き合いでは想像ができなかったし、ましてや満足に教育することもできなかった。

 普通の生徒ならそれでもまだ良かったのかもしれない。しかし、彼女の活動は身分を偽って行うものなのだから、醜態を晒せばそこで何もかもが終わりになる可能性も十分あるというのに。

 そしてイレイザーヘッドは悩んだ末に、自分の主義ではないと思いつつも、より八木桃香と付き合いの長い校長とリカバリーガールの判断に信頼を委ねつつ、今回の職場体験で彼女の姿勢を測ることにした。

 校長やリカバリーガールはこういう事で贔屓や甘い顔をするタイプじゃない。この職場体験は彼らが許したことである以上、それなりの意味や価値があるに違いないのだ。

 それを加味して、さらに「最初の仕事が体育祭という校内行事であるのを含め、活動が基本的には校内であること」「活動中は常にリカバリーガールと行動を共にすること」。それが、イレイザーヘッドが担任として責任をもって書類に判子を捺く条件だった。

 

「……ったく…」

 

 …今年の受け持ちは本当に厄介な生徒が多い。

 イレイザーヘッドは改めてそう思うのだった。

 

 

………

 

 

「雄英に入った後の話とか、勿論考えてなかったわけじゃないっつーか、なんならガキの頃からずっと考えてたけどさぁ」

 

 イレイザーヘッドが去って空気が弛緩したところで、ぽつりぽつりと生徒達が会話を始める。さほど盛大な騒ぎにならないのは、イレイザーヘッドに散々脅されたからだろう。

 その中で瀬呂が背後に向きなおり、後ろの席の常闇と話し始めた。

 

「それって半分夢とか願望みたいな話だったんだよな。まず入学できるかが分かんないわけだろ。だったらそこを目標にして走るしかないじゃん」

「そうだな…」

 

 倍率300倍、日本最高の難易度の入試に合格することが当たり前の通過点だと言える根性の持ち主が果たしてどれだけいるだろうか。それが虚勢や慢心でなく、さらに合格後のために着々と布石を打っておくなど。

 常闇は複雑な面持ちで頭を振った。

 

「事前に学校と交渉してヒーローと渡りをつけようなど、俺は想像することすらできなかった。凄まじい行動力と自負心だ」

「で、入試主席かよ。嫌んなるぜ。先行きすぎだろ八木ぃ~」

 

「チィッ!!!」

 

「うぉっ!」

 

 突然、自分が背中を向けていた方から突然大きな舌打ちが聞こえて瀬呂はびくりとした。瀬呂がそちらの方に目をやると、その先には筆舌に尽くしがたい恐ろしい表情をした爆豪が居た。

 人に先んじられる事を何より嫌うのが爆豪という少年だ。瀬呂の言葉…ひいては今回の事がよほど腹に据えかねたのだろう。

 

 そんなクラスの様子を尻目に、峰田が緑谷に話しかけた。

 

「にしてもよー、入学前から校長と相談とか普通ありえねーだろ。八木、家族にプロヒーローでもいんのかな」

「ヒーローかぁ。そういえば八木さんの家の話って聞いたことないや」

「だろ?親とかヒーローなんじゃね?」

「…そうかもしれないね」

 

 「だとしたらずるいよなぁ」と呟く峰田に対して、緑谷は曖昧に口をつぐんだ。

 彼は知っていた。

 自己再生と、その再生のエネルギーを用いて身体能力を強化して戦うヒーロー。彼女と全く同じ戦闘スタイルを持つヒーローを緑谷は知っていた。

 「ポジティブヒーロー"GENKI"」

 個性がマッチしなかったためオールマイトとチームアップすることは少なかったが、かのトップヒーローと親友関係にあるとされていた男性ヒーローだ。

 緑谷が生まれる少し前から小学校の高学年になるくらいまでが主に活躍していた時期で、オールマイトが格別好きだった緑谷は、彼のことも大好きでよく知っていたのだ。

 個性は多くの場合遺伝する。ちょうど緑谷と同世代の子供がいてもおかしくない年齢だった筈だし、八木桃香が彼の娘であるとしたら状況証拠的にもまったく違和感がなかった。

 

 ただ、緑谷はそのことを軽々に口にはできなかった。

 そのポジティブヒーローは7年前にヴィランとの戦いに斃れ、亡くなっていた。

 

 同じ個性。

 かつて自分が考えなしに八木桃香に対して口にしたことを今更思い出し、緑谷はひとつ汗を流した。

 

 

 

 

 



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14 職場体験1日目 フィーネというヒーロー

微妙にテンポというか区切りの悪さを感じていたので、このたび各話を章で区切ることにしました。


 ヒーロー科職員室にて。

 

 チャイムが鳴るとざわざわとしていた職員室が静まり、最後の鐘の音の余韻が消えるのと同時にエクトプラズム先生が立ち上がった。

 

「オハヨウゴザイマス」

 

 そしてエクトプラズム先生の挨拶の言葉に、それぞれが返事を返す。どうやらエクトプラズム先生が職員朝礼の進行役らしい。…年長だからかな?

 

「ソレデハ本日ノ朝礼ヲ始メマス。本日ノ学校行事ハ、16時ヨリ中間試験ノ成績会議ガ予定サレテイマス」

 

 ヒーロー科の職員は少なく、職員室も比較的こじんまりしていて先生たちの顔が良く見えた。

 イカ澤先生や、ミッドナイト先生、13号先生、セメントス先生…その他多くの先生たちと、そして何より俊典さん。彼らをこうして眺めるのは非常に新鮮な気持ちだ。

 しかし、こうして実際に走り出してみると、自分が中々凄い事をしようとしていることに改めて気付かされる。

 生徒の身分で変装して先生たちの中に混ざろうとしているだなんて。

 社会人だった前世の記憶を持っているから堂々としていられるけど、僕が正真正銘の17歳だったら果たして平然としていられたことか。

 

 雄英高校ヒーロー科の職員朝礼。僕は職員室の隅の席に座ってそれに参加していた。

 僕の職場体験の始まりだ。

 

 

 エクトプラズム先生は連絡事項の伝達を終えると、職員室中央部の席に座る根津先生の方を向いた。

 

「デハ最後ニ校長先生…」

「やあ! 皆おはよう! 最初にエクトプラズムが言ったけど今日は放課後に中間試験の成績会議があるから皆忘れないようにね。まあ、体育祭を明後日に控えて、ヒーロー科の生徒達は中間試験の成績なんて気にしちゃいないだろうけどね!」

 

 HAHA! と根津先生は笑う。

 それから根津先生はテンポよく語り続けた。それはもう長々と語り続けた。

 そして、話し始めてから時間にして数分後…

 

「………ということもあって、毎年中間試験が終わると訓練が過熱して保健室はてんてこ舞いになる。今年も体育祭目前で、今日あたりからは来室者数も格段に増えてくるだろう。そこで! 皆も気になっていただろうから私の話はこのくらいの短めにしておいて、頼れる助っ人の紹介さ!」

 

 根津先生はそう言って話を閉じた。

 …彼の言う通り、今回のお話は短めに済んだほうだ。先生のお話が一々長いということは以前から付き合いのある僕も良く知っている。

 そんな考えはさておき、根津先生とリカバリーガールに促されて、僕は起立した。

 

「おはようございます。初めまして、フィーネと申します。本日から一週間あまり皆さんと一緒に勤務させていただきます。不慣れで至らないところがあるかとは存じますが、よろしくお願いいたします」

 

 ヒーローとして特に何かキャラ付けするつもりはなかったし、これといって特徴のない挨拶に留める。すると、これまた実に普通に拍手が返ってきた。

 ただ、先生たちは僕に興味がない訳ではないらしい。興味ありげな表情を浮かべている人が大半で、職員室内が少しざわつく。

 プレゼントマイクなどは隣の席のイカ澤先生に「フィーネってヒーローネームだよな。知ってる?」と小声で話しかけて「知るか」と冷たくあしらわれていた。

 そんな中、リカバリーガールが立ち上がってパンパンと手を叩いて注目を集めた。

 

「この子は基本的に私について保健室に居るからね。あと、期間後もちょくちょく私と行動を共にする予定だから、その時はたまに校内で会うこともある筈だよ」

 

 その言葉と同時に先生たちの目つきが真剣なものに変わり、そこに込められた興味の色もさらに深くなった。

 

 リカバリーガールは「保健室にいる」ことではなく「リカバリーガールに付く」ことを強調した。単なる臨時のお手伝いさんなら、こんな紹介の仕方はしない。これは実質自分のサイドキックであると宣言したも同然。 

 即ち、先生たちはこの『フィーネ』という人物をリカバリーガールの後継者候補として認識した筈だ。

 

 身が引き締まる思いだ。

 

 

 

 というわけで、僕の雄英高校 初勤務である。

 実際は職場体験なんだけど、体面的には勤務だ。教職員も含めて殆どの人たちが僕の事をプロヒーローだと認識している以上は勤務だ。

 僕がこうして身分を偽って活動するのは入学前からリカバリーガールとの取り決めで決まっていたことだ。

 リカバリーガールがヒーロー公安委員会と交渉してくれた内容によると、公安委員会の保有する公式の記録上、フィーネは飽くまで八木桃香であり、今も高校生がヒーロー名を名乗りながら職場体験をしている状態に過ぎないらしい。

 しかし、市民がインターン生をプロのサイドキックヒーローと勘違いするのと同じで、敢えて職場体験と宣言しなければフィーネは誰の目からもプロのヒーローとしか映らない。

 事情を知らない先生たちの反応の通り、現状フィーネは「いつの間にか現れた治癒の個性を持つプロヒーロー」とみなされていて、公安委員会までもがそれを黙認している以上、誰かがボロを出さない限りはこの勘違いが正される事は無い。

 こうして合法的に架空のヒーローが実体化し、高校生の八木桃香と謎のプロヒーロー フィーネは別の人間として存在することになった。

 このフィーネが僕自身だということを公表するかどうかは、僕が正式にプロとして活動することになってから決めるという約束だ。

 

 

 職員室での挨拶を終えリカバリーガールと連れ立って保健室に戻った僕は、ひとまず急須でお茶を淹れた。助手として働くにあたって、医療の知識だけじゃなく、この保健室のどこに何が置いてあるかも説明されている。

 リカバリーガールは「ありがとうね」と言って僕の淹れたお茶を一口啜ると、ふぅ、と一息ついた。

 

「さて…取りあえず悪くない滑り出しだね」

「はい。あとはどんな生徒達が来るか、少し緊張します」

「そんなに突飛な理由で来るやつは滅多に居ないよ」

 

 改めて気合を入れている僕に、リカバリーガールは優しく微笑んでくれた。

 今回僕が保健室に勤務するにあたって、2週間足らずの準備期間で、普段の学校生活や体育祭で保健室への来室件数が多かった事例をひたすら詰め込んだ。

 擦り傷、打撲、捻挫、切り傷、骨折、頭痛、発熱、鼻血、生理痛、咳、めまい、倦怠感、虫刺され。さらに、この学校の生徒達の持つ特殊な個性と、それにより発生し得る特異な症状。ありとあらゆるケースと、その模範的な処置方法、そして僕の個性を利用した場合の対処の仕方を教わった。おかげで実践的な知識量はかなりのものになったと思う。

 リカバリーガールの言う通り、確かにこの学校で保健室に来る程度の症状ならほぼ解決できると思えるだけの自信はあった。

 

「簡単な処置は任せるからね。今のうちに薬の準備をしておきなよ」

「はい」

 

 僕は答えながら、白衣の下、コスチュームのワンピースの腰の横に装着した装置に目をやった。

 ここで言う薬というのは、ありていに言えば僕の血である。ただ、血液そのままというわけではない。

 そもそも僕の個性は僕の体液を媒介にするわけなんだけど、常識的に考えて、患者の前で一々自傷して血を絞り出してみせたり、舐めときゃ治るとばかりに人さまの傷に唾液をつけたりするわけにはいかない。この問題を解決するのがこのサポートアイテムであり、僕のヒーローコスチュームの肝だ。

 機能は大まかに分けて2つで、僕の血を採取することと、採取した血をパッケージして冷蔵保管すること。

 僕の体液の治癒力は熱を加えても変化しないけれど、密閉して冷蔵しておかないと時間が経つごとにだんだん劣化していく性質がある。イメージ的には食材が悪くなっていく感じだ。だから、料理に混ぜるみたいな使い方ならまだしも、薬として医療行為に使うならちゃんと管理できるこういうアイテムが必要になるのだ。

 

 装置のボタンを押すと、白衣の中で僕の上腕に巻かれたバンドから出てきた注射針が腕に刺さり、血液を機械の中に吸入し始めた。僕自身もその血液に意識をやり、治癒のエネルギーを濃く注ぎ込んでいく。

 そして規定量を採取し終えると針が抜ける。

 これから機械の内部で血液は遠心分離され、薄く色のついた透明な液状成分と赤い固形成分に分かれる。その後、液状成分はアンプルに充填されて冷蔵保存される。これをそのまま塗り薬として使ったり専用の注射器に装填して注射したりすることができるという寸法だ。

 そして残った固形成分はカプセルに封入されて経口摂取用になる。僕の治癒の個性は基本的に液状成分のほうに宿るんだけれど、こちらにも少しは治癒能力が残るので有効活用だ。

 

 これで薬の用意は十分。

 それから、僕は与えられた席に座りタブレット端末を起動した。

 これは教科書兼ノートであり、僕は来室者を待つ間はこれを使ってリカバリーガールに口頭での指導を受けて過ごすことになる。

 この職場体験は休憩として与えられた時間以外に暇な時間は一切ない、みっちりの12日間になる予定だ。

 ちなみにタブレットを使うのは入室してきた人に見られた時のことを考えて「勉強してます感」を無くすためだったりする。

 

 

………

 

 

 僕の勉強が始まってからしばらく時間が経ち、気付くといつの間にか昼飯時も近くなっていた。

 それなりに長いこと机に向かっていたことに気づいた僕たちは、休憩のために改めてお茶を淹れなおして一息ついた。

 

「まだ誰も来ないですね…」

「今日は静かだねぇ」

 

 保健室には未だ、用があってやってくる教職員以外は誰も訪れていなかった。

 

 このまま誰も来ずに一日目が終わるのかという考えがよぎって少し気が抜けそうになるのを、それではいけないと思い直す。

 保健室に誰も来ないというのは平和で良いことだが、ここは天下の雄英高校なのだ。

 

 雄英高校のヒーロー科はだいたい週に2回実習をするようだけど、3学年6クラスあるから平均すると毎日どこか2クラス以上のヒーロー科が実習をしていることになる。ましてや今は体育祭直前。ヒーロー科の実習は災害救助などではなく、戦闘や個性鍛錬といった怪我人が出やすい内容を集中的にやっている。このままずっと来室者なしで一日が終わるというのは考えにくい。

 それにサポート科の実習も偶に怪我をする人が出る。ちょっとした火傷や切り傷などがメインだけど、ごく稀に高いところから落ちたり指をプレスしたりするなどの大怪我もあるという。

 

「昨日も1年の女子が何か爆発させたって言って目をまわして運ばれてきたねぇ」

「それは大事無くて良かったですね…」

 

 サポート科の実習は爆発する。要チェックだ。

 

 リカバリーガールは、やれやれと苦笑した。

 

「まあ、不思議なものだけど、波ってやつがあるんだよ。来ない時はちっともなくて、かと思えばいきなり何人も来たりする。私達は患者がいつ来ても迎えられるよう準備しておかなきゃいけない」

 

 と、そんなことを話していたのが呼び水になったのか、突然保健室の扉がドンドンと力強くノックされた。

 僕たちの目が扉へ向かう。

 そして僕たちの返事を待たずに扉が開き、1年B組担任のヒーロー、ブラドキング先生が姿を現した。

 彼は熱血な指導が持ち味の先生で、A組のイカ澤先生とは正反対のタイプだ。

 

「失礼します! 実習中に怪我した生徒を連れてきました。切り傷です」

 

 そう言いながら入室してくるブラドキング先生。ちらりと僕の方を見た。そして彼の後から、肩と腕を露出したヒーローコスチュームを身にまとった男子生徒が赤く染まったタオルで前腕を抑えながら入ってくる。それは何度か見た事のある顔だった。

 

「1年B組、鉄哲徹鐡、失礼しまァす!」

 

 





てつてつてつてつが現れた!


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15 職場体験1日目 最も暑苦しい男

評価、感想、誤字報告、どれも励みになります。ありがとうございます!
ただ誤字報告は時折こちらの意図のために適用できないことがあるのが申し訳ないですが、どれもありがたく思っていますのでこれからもよろしくお願いいたします。


 てつてつてつてつ。バリバリな目元が特徴の、ヒーロー科1年で最も暑苦しい男だ。

 大声で入室してきた鉄哲君に、リカバリーガールは立ち上がりながら渋い顔をした。

 

「静かだと思ってたら途端に騒々しくなったね」

「失礼しましたァ!!」

「おい、鉄哲!」

「………!」

 

 リカバリーガールだけじゃなくブラドキング先生にも怒られ、鉄哲君は「むん」と口を閉じた。彼は余程意識していないと大きな声しか出せないらしい。

 俊典さんのことが好きになったくらいだし僕は暑苦しい人は基本的に好きなんだけど、この人の暑苦しさはちょっと異常だ。

 …そういえばこの人は原作では体育祭の前にA組に宣戦布告しに来てた筈だけど、USJ事件が無かったからかそんなイベントは無かった。今更だけど心操少年も現れてない。彼は普通科だから顔も見ていないし、そもそも入学してきているのだろうか。

 軽く調べてみた感じでは、少なくともB組のメンバーは僕の記憶違いがなければ原作通りなんだけど。

 さておき、僕も画面を消したタブレットを置いてすぐに立ち上がった。

 

「随分元気な怪我人だねぇ…で、切り傷かい」

「ええ」

「ちょっとここに座って見せてみんさい」

 

 リカバリーガールが手近な所にあった机の椅子を示すと、鉄哲君は頷き、椅子に腰かけて腕のタオルをずらした。タオルの下からは、前腕から一部上腕にまでかかる20cmほどの長さのさっくりと切れた傷が現れた。一瞬切創が見えたと思ったらすぐに沸き出てきた血に隠れ、そのまま血がだらだらと流れ始める。

 鉄哲君は傷口を抑えていたのとは別に、脇にタオルを挟んでしっかり脇を締めている。その割には結構血が出ているから傷はちょっと深い。

 ただ、部位的にも血の色的にも動脈が切れているわけではなさそうに見えた。綺麗な切り口だし、治るのも早いだろう。

 しかし僕みたいな人間と違って正常な痛覚があるだろうに、鉄哲君もよく平然としてるものだ。

 

 リカバリーガールは1秒か2秒にも満たない、それこそ一瞬と言ってもいいほどの短時間だけ傷を観察して、「ふむ、いいよ」と言ってまたタオルで傷を抑えさせた。

 そして僕の方を見ると何でもない事のように言った。

 

「フィーネ。私はデータ入れとくからあんたが処置しんさい」

 

 その言葉にブラドキング先生は少し驚いた様子で、興味深そうにこちらを見た。鉄哲君はよくわかっていないのか特にこれといって反応はなかった。

 

 「はい」

 

 いきなりのご指名とはいえ、取りあえず僕に異論はない。傷の深さはともかくとして、切り傷は僕にとって数ある症状の中でも最も治癒が簡単な部類の怪我なのだ。

 治癒の行程も明確にイメージできる。僕は使い捨ての手袋を取り出してつけながら返事をした。

 

 

「よろしくお願いしゃす!」

 

 鉄哲君は先程静かにしろと言われてから黙っていたけれど、流石に無言のままというのはいけないと思ったのか、僕が彼の前の椅子に座ると頭をさげつつ挨拶をくれた。まだまだ勢いはあるものの、さっきよりは小さい声だった。

 

「はいよろしくお願いします。初めまして、フィーネです」

「1年B組、鉄哲ッス!」

 

 挨拶をしながら救急箱から大きめのガーゼをとり、腰の機械から取り出したアンプルを開けてそれに中身を沁みこませた。冷蔵されていたのでひんやりと冷たい。

 

「鉄哲君。腕を机に置いてね」

「ウス」

「痛かったでしょう」

「いえどうってことねえッス!!」

「あはは、偉いね。…ちょっと傷に触るからね」

 

 十分な量をガーゼに吸わせたのを確認してから、鉄哲君が抑えていたタオルを取る。それから素早く傷口を覆うようにガーゼをぴたりと貼り付けて、その上から止血するように両手で押さえて真っすぐ圧迫した。僕の治癒の力は媒介する液体が体外に出ても触れてさえいれば少し操作ができる。適当に塗っておくだけでも傷を癒すことができるけれど、僕が触れながら個性を発動させることでさらに効率的に治癒ができる。

 ただ、やっぱり自分以外の人に傷口を触られるのは痛かったのか、鉄哲君は眉間に皺を作って「む…」と言った。

 

「この傷はどうしたの?」

 

 会話は続ける。会話もれっきとした医療行為の一部分だ。

 切り傷を治癒するイメージで個性を使いながら話しかけると、鉄哲君は少し表情を緩めて口を開いた。

 

「俺の個性は体を鉄にするんスけど…斬る系の個性持ってる同級生の鎌切ってやつと模擬戦してた時、近くでキノコの個性のやつが滅茶苦茶胞子飛ばしてて、取っ組み合いながら二人揃ってでけェくしゃみして、そん時にこっちの個性切らしちまって斬れました!」

 

 A組の体育祭前の最後の実習は昨日で、個性抜きの体術訓練だったけど、B組は違ったらしい。

 あと、キノコの個性のやつというのは小森希乃子ちゃんだ。彼女も特殊な症状を発生させ得る個性持ちとしてリストの中に名前があった。

 と、このあたりで僕はガーゼから手を放した。あれくらいの傷ならこんなところだろう。

 

「それはまた珍しい事故だね… はい、治りましたよ」

「え!?」「何!?」

 

 話しながらガーゼを取って軽く拭いてあげると、血で汚れているけど傷が消えた腕が姿を現した。完治だ。

 すると鉄哲君だけじゃなく、黙って見ていたブラドキング先生もリアクションをくれた。

 

「スゲェ!!? いつの間に!??」

 

 鉄哲君は自分の腕を色んな方向から見ながらしきりに驚いていた。

 僕は手袋を外してガーゼと一緒にゴミ袋に入れながら、水道を示した。

 

「嬉しいのは判るけどまずは手を洗おうね」

 

 それから、血のついていた腕を水道でごしごしと洗って改めて「跡形もねェ!!」と叫んでいる姿を見て、リカバリーガールは「本当に騒がしいやつだね」と呆れていた。

 僕は新しいタオルを取り出して哲鉄君の腕を拭いてあげた。ついでに血のついていた身体も拭いてあげようとすると、流石に恥ずかしいと思ったのか鉄哲君はバッと後ろに下がった。

 

「じ、自分で拭けます!」

「君は自分の二の腕とか背中が見えるの? やってきた患者を可能な限り完璧な状態にして戻すのが私達の仕事なんだから」

 

 これはリカバリーガールの教えだ。

 別に今手が離せないような作業があるわけではないし、それに中途半端に血や汚れの付いた状態で校舎を歩かせない方が絶対に良い。追いかけて背中や腹部を拭ってやる。

 すると、くすぐったそうにぴくりぴくりと身体が跳ねた。なんだかおもしろい。

 ふと思いついて口を開いた。

 

「くしゃみとか、くすぐりみたいな、体から力が抜けるような時でも個性を切らさない訓練をいずれやる必要があるかもね」

「確かに! …随分ダセェ絵面の訓練になりそうスけど」

「あはは。相手を強制的に笑わせる個性を駆使して対人戦闘をするヒーローもいるくらいだし、生理反応も馬鹿にできないよ」

「なんだと…!!」

 

 しかしこの人も結構いいリアクションするな。やっぱり俊典さんと同じ系統の人だ。

 

 それから一つ二つ話をして、鉄哲君たちは演習場に戻ることになった。

 

「生徒をありがとうございました」

「あざッした!!」

 

 鉄哲君は敬礼をし、ブラドキング先生も、にっ、と口元を綻ばせてこちらを見てくれた。

 ブラドキング先生の中で僕は「謎の人物」から「同僚としてやっていけそうなやつ」くらいにはなれたかな。

 

 二人を見送った後、僕はリカバリーガールが端末に入力した来室者記録を見せてもらいながら、その入力方法を教わった。端末のインターフェイス自体は良くできたもので、だいたいの事は見ればわかった。次に生徒が来たときにはリカバリーガールに見てもらいながら僕が入力することになった。

 

 そんな話を終えた後、ふいにリカバリーガールが言った。

 

「しかしあんた、旦那に操立てるつもりなら他の男に色目使うんじゃないよ」

「えっ?」

 

 そのあまりに予想外な言葉に、僕はリカバリーガールをまじまじと見た。

 滅多な事言うのやめてもらえます??

 そんな僕の思いをよそに、リカバリーガールはお茶をすする。

 

「『患者は可能な限り元の状態に』ってのは確かに私が教えた事だけどね。それはそれとして血の汚れぐらいだったら男には適当にタオル渡しときゃいいんだよ」

 

 僕のさっきの言葉はいともたやすくひっくり返された。

 

「良い事教えといたげるよ」

 

 そしてリカバリーガールはこちらをちらりと横目で見ながら、楽しそうに言った。

 

「あんたもそのうちわかるだろうけど、このポジションはすごく男からモテるんだよ。ヒーローのね」

「は、はぁ…」

「怪我を診てやるってのと、同じヒーローの立場ってのがいいんだろうね。私も若いころはそりゃもうモテにモテたもんさ。プロポーズも何回受けたことやら思い出せないくらいさね」

 

 まるきり冗談みたいな話だ。でも、全く冗談を言っているふうではなかった。

 

「流石に今はもうそんな感じじゃないけどね、私がヒーローじゃなくてヒロインって呼ばれてるのも伊達じゃないんだよ」

 

 確かに、リカバリーガールの称号は「妙齢ヒロイン」だ。

 てっきり僕は「マダム」みたいな一種の敬称だとばかり思っていたんだけど……

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「あんたも順調にいけばヒロインとして相当な人気者になるだろう。来る患者全部にさっきみたいな対応してたら、そのうちせっかく治した旦那の胃に穴が開くよ」

 

 その言葉で、僕は俊典さんの顔を思い描いた。

 

 俊典さんはただでさえ僕と年齢が離れていることに引け目を感じている。それなのに僕が若い男から言い寄られているのを見たりしたら、地味に大きなショックを受けるに違いない…

 

「あ、明日から指輪つけてきていいでしょうか…」

「それがいいね」

 

 

 

______________

 

 

 

 

 1年B組の実習担当はA組と同じく基本的には担任とオールマイトというコンビだ。

 演習場に残った生徒達はオールマイトの指導と監督のもと訓練を続行していた。しかし、鉄哲とブラドキングが姿を現すとすぐにそれを中断して二人を囲んだ。そしてカマキリがモチーフの異形型である鎌切と、水玉模様のドレス型コスチュームを纏った小柄な小森がその中で申し訳なさそうに鉄哲の前に立つ。鉄哲の負傷事故に関わった二人だ。

 

「わりィな…」

「ごめんねぇ、鉄哲」

「いいってことよ。怪我してこその訓練だぜ!! つーか今回のは俺のミスだろ!」

 

 気おくれした様子の二人に鉄哲は親指を立てて、さらに傷のあった部位を示して見せた。

 

「傷だってこうして綺麗さっぱり治ってんだしよ!!」

 

 その様子を見て鎌切と小森の二人はほっとしたようで、周囲の生徒達も心配が解けたのか和やかな空気になった。

 このクラスの生徒達は皆協調性に富んでいて、まだクラス結成からひと月ほどだが非常に仲が良い。このことは担任であるブラドキングにとっても嬉しい事だった。

 他の生徒達も口々に鉄哲を労わる言葉をかけた。もちろんオールマイトもだ。

 

「血がいっぱい出てるのを見た時はどうなることかと思ったけど、痕もなく治ったんなら良かったよ」

「流石はリカバリーガールですな!」

「ん」

 

 ブラドキングは適当なタイミングで私語を終わらせて実習を再開させようかと考えていた。しかし、注目度の高い話題がポンと出て少し思案する。雄英高校に現れた新たなヒーロー、フィーネのことをこのタイミングで生徒達に説明してしまうのも良いかもしれない。

 案の定、生徒たちはそれに食いついた。

 

「いや、それがよ、保健室に知らねェヒーローが居たんだよ。その人に治してもらったぜ!」

「! リカバリーガール以外に、治癒を為せる個性を所持したヒーローが居たのかい!?」

「おう、フィーネって名前のヒーローだったぜ」

 

 鉄哲が同意を求めるようにブラドキングを振り向くと、ブラドキングもそれに頷いた。

 

「ちょうど今日赴任された先生だ。これからずっと学校に居るというわけではないらしいが、不定期で保健室の手伝いをされるとのことだ」

「先生、教えてくれても良かったのに」

「教えたら大して用もないのに保健室にお邪魔する奴が出るだろうが」

「嫌だなぁ僕たちそんな事しませんよ」

 

 クラスのリーダー格である物間が他の生徒達を代表するように言ってくるが、ブラドキングはそれをぴしゃりと跳ね返した。物間はヘラヘラと笑った。

 物間は身内と認めた相手以外には人を食ったような不遜な態度をとるが、基本的に頭は良い男だ。彼ならば「大人の視点」を持たずとも、リカバリーガールに匹敵する治癒の個性を持ったヒーローなどという前代未聞の存在が何の前触れもなく雄英高校の保健室に現れたことの意味を理解できる筈であり、姉御肌の拳藤と共にクラスを内部から良いようにコントロールしてくれるだろう。

 

「まあともかく、その先生にはこれからお世話になることがあるだろう。特に明後日の体育祭ではな。くれぐれも失礼のないように!」

「はーい!」

 

 ブラドキングは「くれぐれも」の所で力を込めてクラスを見る。生徒達は素直に返事を返してきた。こういうところもこのクラスの好ましいところだ。

 

 それから改めて時間を確認するともう授業時間があまり残っていなかったので、ブラドキングはオールマイトと軽く相談して撤収の準備を始めることにした。準備と言っても、細かいゴミや動かした設備などは施設管理ロボットが元通りにしてくれるので、生徒達がやることはクールダウンをして忘れ物がないかを確認するだけだ。

 生徒達の新しいヒーローへの興味は強いようで、クールダウンの最中にも鉄哲は数人の生徒達に囲まれていた。

 

「ねえ鉄哲。そのヒーローってどんな人だったの?」

「おう、かなり若そうだったな。ありゃ10代っつっても信じられるぜ。そんでもって白衣着てて、太縁の眼鏡で、長い赤毛で、あとなんだったかな…そういや胸がでかかったな! あといい匂いした!!」

「おい」

 

 ブラドキングは鉄哲の頭に拳を落とした。

 ゴツンと大きな音がして、生徒達は苦笑した。

 特徴を言うにしても胸や匂いは無いだろう。

 

 ところで、鉄哲が「10代つっても信じられるぜ」だとか「胸がでかかった」などと言うたびにピクリピクリと密かにオールマイトが振動していたことに気付いた者は一人もいなかった。

 

 




本文中でブラドキング先生が考えた「大人の視点」というのは、突然前触れもなく現れたフィーネという治癒の個性持ちのヒーローが公安委員会の秘蔵っ子なんじゃないかとか、それに伴ってその人物の背景にはいろんな事情があるんじゃないかとか、そういうある程度社会的な基盤がないと出てこない発想のことです。
物間はまだ子供ですが頭がいいからその辺も何となく「多分何かあるんだろうな」と察してくれるだろうということを言いたかったわけですが、文章の流れが悪くなるので省略してしまいましたね。


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16 職場体験3日目 体育祭当日

職場体験○日目という表記をしていますが、日数はとびとびになります。


 初日、最初に鉄哲君が訪れたのを皮きりに、保健室にはぼちぼちと来室者があった。

 リカバリーガールは僕に個性を使わせるたびに「何をどう再生させるイメージを持ったか」を報告させ、工夫や改善できるポイントを教えてくれた。また、どういう治療をしたときにどれだけ薬(アンプル)が必要だったかも詳細に記録した。

 この職場体験期間、僕はこの作業に終始することになる。何なら、仮免許取得後のインターンでもしばらくはそうだ。

 他者の身体を治す経験を積むのと、自分の操る治癒のエネルギーを数値化することが、プロヒーローとしてのヒーラーを目指すにあたっての僕のひとまずの課題だった。

 

 大前提として、治療対象自身の体力を使って治癒を行うリカバリーガールと違って、僕は僕の体力を使って他者を治癒する。この違いはすなわちキャパシティの違いを意味する。

 大勢を治療する必要がある時、リカバリーガールだったら手あたり次第に治癒を振りまけるけど、僕は自分の残り体力の限界以上には治癒を施すことができない。これはヒーラーとして活動することを考えると大きな制限になってくる。

 患者をトリアージし、自分の体力と相談しながらどれだけの治癒を施すかを考えていく。それが僕のスタイルになるだろう。

 そこで重要になってくるのが「慣れ」と「数値化」だ。

 他者の治癒に慣れればそもそも必要なエネルギーが減る。そして数値化が完了すれば、僕自身の持つ残りのエネルギーからあとどれだけの治癒を行使できるのかということが正確に把握し管理できるようになる。

 リカバリーガール曰く、これが高いレベルで身に付き、少なくとも災害の救援を問題なく一人でこなせるくらいにならなければ正式にヒーローデビューさせるつもりはないという。もしもその域に到達する前に現場に出て、「もうエネルギーが残ってないのにさらに重傷者が運ばれてくる」なんてことになれば人を見殺しにすることになるからだ。その時の僕の心情はもちろん、僕のヒーローとしての風評も大変な事になるだろう。

 それでも救われる人が一人でも多いならば…とかいう俊典さんみたいなキマッた志は僕にはないし、リカバリーガールもそんなことをさせるつもりはないって話だ。

 

 未だ僕のヒーローとしての先行きは明確ではない。

 でも、もしも僕が一人前のヒーラーとして身を立てることができたならば、僕は素晴らしいヒーローになれるともリカバリーガールは言った。

 僕はリカバリーガールが治せない程の深刻なダメージを負った人間でも治癒することができるのだから。

 

 

 

 そんなこんなで、僕の勤務が始まって3日目になった。

 1日目は平日で、2日目は体育祭の準備日。そして3日目の今日は体育祭。

 そう。今回の職場体験の山場である雄英体育祭だ。

 

 雄英体育祭は、校地内に設置された3つのスタジアムで各学年に分かれて行われる。

 各スタジアムにそれぞれ救護室と救護班が配置されることになっているけれど、特にリカバリーガールが詰める救護室は1年生のスタジアムに置かれることになっていて、ここが本部として扱われる。これは毎年の事だそうで、リカバリーガール曰く、入学したての1年生は個性のコントロールが甘く戦闘行動にも不慣れだから最も危険なのだとか。

 考えてみれば、確かに1年生はまだ入学して一か月だ。サポート科も拙い技術で開発したアイテムで参加してくるし、一部の普通科もヒーロー科編入を夢見て必死になっているからますます危険だろう。

 逆に、2年生、3年生にもなると安定してきて、ヒーロー科以外の生徒も良いように行動するようになって危険度はぐっと減るので、リカバリーガールはそちらに行くことは基本的にないということらしい。

 2年生、3年生の負傷者は極力それぞれのスタジアムで対処して、リカバリーガールが処置する必要があると判断された者は、脱落扱いとなり本部に運ばれてくる手筈になっている。

 「ケガしたらいつでも治してもらえるなんて思うなよ」というヒーロー科の生徒へのメッセージも含まれているらしい…

 

 というわけで2年生と3年生の生徒達には悪いと思いつつ、僕はリカバリーガールと共に1年生ステージの本部に待機していた。

 

 救護室本部に設置されたモニターには各ステージの様子が映されていた。

 これから開会式が始まるというタイミングのため、どのステージにもまだ生徒達は居らず、満員の観客席だけが見えていた。ちなみに音声に関しては全てのモニターを同時にオンにすると意味が分からなくなるので、基本的に1年生ステージのものだけを流すようにしている。

 保健室からマイカップとポットを持参した僕とリカバリーガールは、お茶を注いで、他の先生達がお土産に買ってきてくれた外の出店のたこ焼きをつまみつつそれを眺めていた。

 外では花火がドンドンと打ち上げられ、大勢の人たちが集って賑わっている様子がわずかに響いてくる音として感じられた。

 

「さて、そろそろ始まるね」

 

 リカバリーガールが湯呑を両手で持って、なんでもない風に呟く。

 僕も体育祭の要綱をちらりと見て開会式の時間を改めて確かめ、モニターを見上げた。もうじき開会の宣言があり、生徒達が入場してくる。そしたら体育祭の始まりだ。

 そんなことを考えていると、アナウンスがスピーカーを通して聞こえてきた。

 

『ご来場の皆さま、本日は国立雄英高等学校 体育祭へお越しいただき、誠にありがとうございます』

 

 聞き覚えの無い、優しげな男性の声だ。

 そのまま、開会に先立っての注意事項が述べられて、それが終わるとアナウンスは一拍置いた。

 スタジアムを満たしていた喧噪が消えて、客席の誰もが固唾を飲んで開会の宣言の瞬間を見守っているのがモニターにも映っていた。

 そして…

 

『ただいまより国立雄英高等学校 体育祭 一年生の部 開会式を挙行いたします。選手入場…エビバディクラップユォァヘァンズ!!!!!???』

 

 アナウンスの声は突然最近聞きなれてしまった非常に特徴的なヒーローのものに変化した。

 

「えっ、今のプレゼントマイクだったんですか」

「今回はこういう趣向なんだねぇ」

 

『雄英体育祭!! ヒーローの卵たちが我こそはとシノギを削る年に一度の大バトル!!』

 

 それからプレゼントマイクは1年生11クラスを小気味いい調子で適当に紹介しながら、生徒達を入場させた。

 

 「ヒーローの卵たち」。

 雄英体育祭というのは明らかにヒーロー科の生徒たちが活躍する前提のお祭りだし、皆もそう思っている。そのことに関して僕が思う事は特に無いけれど、一部の普通科の生徒たちが体育祭に対してマイナスな思いを抱いていることを考えると少し微妙な言葉だ。

 どうしようもない事を思い煩う子供たちに対してわざわざ丁寧に気を使ったりしないし納得するのを待つつもりもない、という大人たちの雄英魂を感じる。

 

 そんなことを考えていると、一人のきわどいコスチュームを身にまとった女性がステージに立つのが映った。1年生では近代ヒーロー美術史という名の授業を担当しているヒーロー科の教員、ミッドナイトだ。

 ミッドナイトはユニバース級のナイスバディだけど、それと比例して日本人女性としてはかなり大柄と言える身長の持ち主だ。

 あんまり身長が高くても着れる服が少なくなるし、男の人より身長が高いのもどうかなと思うので、さほど羨ましいとは思わない。

 別に羨ましくなんてないんだからな。

 

『選手宣誓!』

 

 さておき、ミッドナイトは手に持った鞭を一振りすると、マイク越しに増幅された声で宣言した。

 

『選手代表! 1-A切島鋭児郎!!』

 

「切島君…?」

「今年の3位の子だね」

 

 大会の実施要項は一通り眺めたけど、選手代表の欄は空欄になっていた。それが切島君だったとは。

 僕が選手宣誓をしなかった場合は爆発さん太郎に話を持って行くとイカ澤先生は言っていたけど、爆発さん太郎がそれを断ってさらに入試実技3位の切島君まで話が回ったんだろうか。

 確かに爆発さん太郎の性格なら僕の代わりに宣誓なんてのを嫌がることは十分あり得る。でも僕みたいにちゃんとした理由があるならともかく、ただ「嫌だから」なんて理由で役目を放棄するような真似をあのイカ澤先生が許すのか…

 

 そんな僕の思いをよそに、切島君は緊張した面持ちで台の上に上がり、1年生たちの前に立った。そしてそのまま片手を高く上げて漢らしく言い切った。

 

『宣誓!! 我々雄英高校1年生は!! 正々堂々、全力で戦い抜くことを誓います!!!』

 

 何の変哲もない、普通の体育祭らしい選手宣誓だった。

 原作の爆発さん太郎のような宣誓はあれだとしても、自由な雄英高校としてはちょっと盛り上がりに欠ける宣誓だったかもしれない。あんまり興味はなかったからよく覚えてないけど、例年はもう少し特徴のある挨拶だった気がする。

 

 切島君の宣誓に応えるように、ほどほどに盛り上がった感じの拍手や歓声が起こる。

 それから切島君は深くお辞儀をして…

 ……そのまま動きを止めた。

 

 礼にしては、頭を下げている時間が長い。

 1秒、2秒とたつにつれて会場がざわつき始める。

 

 

『つまんねぇ挨拶で悪かったな…』

 

 

 ふいに、切島君の呟くような声が聞こえて僕は少しどきりとした。

 それは小さな声だったけれど、マイクは拾っていた。

 

 モニターには、頭を下げたままの切島君のアップが映された。

 切島君はそのまま口を開いた。

 

『1年ステージの選手宣誓は、ヒーロー科入試の実技首席がやるのが慣例なんだって…。でも今年は、1番の奴も2番の奴も代表を蹴りやがったから3番手の俺のところまで回ってきたんだ…』

 

 突然語り始めた切島君に対するみんなの困惑する様子がモニター越しに伝わってくる。

 何が始まるのか目が離せないぞ。リカバリーガールは僕の隣でにやりと愉快そうに笑っていた。

 っていうか爆発さん太郎、本当に選手代表を断ってたのか…

 

 そんな僕の思いをよそに、皆が見守る前で切島君はばっ、と顔を上げて、大きく息を吸った。

 

 そして

 

『俺は!!!!』

 

 マイクがキーンと鳴る。

 

『そんな理由でこの場所に立ってることがすんげぇ悔しいんだよ!!』

『だから、俺はこの体育祭で勝つ!! 俺が代表だったのが偶然とか間違いじゃなかったんだってここにいる全員に認めさせてやる!!』

 

 

 その言葉から数瞬して、会場が大きなどよめきに包まれた。

 フィールドに出ている生徒たちの声もどこかのマイクを通して聞こえてきた。

 

『テメェが勝つだあ!!??』

『黙って聞いてりゃカマしてくれんじゃねェかオイ!!!』

 

 …聞き覚えのある声だ。というかカメラが生徒たちの方を映して、ヤジを飛ばす爆発さん太郎や鉄哲君が映った。他の一部の生徒達も「調子乗るなよオラァ!」とばかりにヤジを飛ばしている。

 君たち、これ全国放送になるんだけどそれでいいのか…

 

 画面には、反発して声を上げる者以外にも、多くの生徒達が切島君の言葉を真剣な表情で聞いているのが映っていた。

 切島君が腕を大きく振り、生徒達に叫んだ。

 

『そうだ…お前らも目指せよ、1番を!!』

『A組もB組もC組も、どこの科だって関係ねえ!!! お前らも悔しくねえのかよ!!??』

 

 その熱気に釣られ、生徒達も口々に反応を返す。

 その声はだんだんと大きくなっていき、観客の歓声と混ざっておおきなうねりになった。

 そしてそれが最高潮に達したとき、強い緊張を含みながらも好戦的な笑みを浮かべて、切島君は空を仰いだ。

 

『っしゃあああ!!!!! やるぞ!!!!』

 

 

『以上!! 選手宣誓!!!』

 

 

 今日最大級の歓声が会場を包み込んだ。

 

 

 後から聞いた話だと、切島君は、代役として宣誓をする以上あまり我を出した宣誓はできないと思っていたという。

 そうでなくとも、この宣誓は2番手どころか3番手とたらい回しになってやってきた役目なのだから、あまり胸を張って挨拶できる気分でもなかっただろう。

 そんな中精一杯の挨拶をしたつもりだったのに、会場はいまいち盛り上がり切らない雰囲気。

 しかも、限られた画面越しに見ていた僕にはわからない事だったが、切島君が主席でも次席でもないことを知っている目の前の1年生たちはことさら微妙な反応をしていたらしく、それを見て切島君はついプッツンしてしまったらしい。

 

 

『静まりなさい!!!』

『いいわ…最高よ!! 1年生ステージでこんな青臭くて燃える選手宣誓、未だかつてあったかしら!!!』

 

 画面の中ではミッドナイトが大盛り上がりしている。

 

 それを見ながら、僕は知らないうちに両手で持っていたカップからお茶を一口飲んだ。

 熱い。今年の雄英体育祭は熱いぞ。

 何かが起こってもおかしくない。

 

 

「あんたこういうの好きだねぇ…」

「……いいじゃないですか」

 

 僕自身が冷めてる人間だから、熱い人のことは応援したくなるんだ。

 

 




  
二次創作における雄英体育祭の宣誓にはいろいろパターンがあると思いますが、切島宣誓パターンはまだ見た事がない…
(基本的に特殊タグは使わないんですが、今回は必要かなと思って使用しました)


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17 職場体験3日目 復活の「A」

今回、私は皆さんに嘘をついてしまったことを告白しなければなりません。



 大盛り上がりの宣誓の直後、ミッドナイト先生は体育祭競技の開始を宣言した。

 僕は事前に職員用の要綱を読んだから内容を知っているけれど、第一競技はスタジアムの外周を走る障害物競走だ。障害として用意されているのは、入試の時の各種ロボット、綱渡り、地雷原。つまりまあ原作通りだ。

 ここからは僕も観客気分ではなく、ちゃんと運営としての視点で体育祭を見守らなければいけない。

 早速だけど、この第一競技が僕にとっての本日の山場だ。

 この競技は擦り傷や捻挫などのちょっとした怪我をしやすい内容になっているし、骨折レベルの負傷も十分あり得る。参加者も多いから、そこそこ大量の怪我人が発生する見込みだ。

 

 ミッドナイト先生が競技内容の説明を終えると、設置されたランプが点灯を始め、スタジアムから出るためのゲートが開く。第一競技のスタートだ。

 そしてにわかにゲート周辺で人だかりがごちゃごちゃし始めた。

 

「ああ、あそこで早速誰かが怪我してるんでしょうねぇ…」

「そうさねぇ。こんな始めのところで真面目に小競り合いしてもあんまり意味はないんだけどね」

 

 リカバリーガールはやれやれといった風に言った。

 第一競技のコースの全長は4km。スタジアムの外周と言いつつ、実際はかなり遠くまで走らされる。障害物競走にしては異常に長い距離設定だけど、これは恐らく意図的なものだ。

 足を使うにしろ何かしらの個性を使うにしろ、この距離を全速力で駆け抜けるのはスタミナに恩恵のある個性の持ち主以外には不可能。

 基本的にこの競技は、速さではなく体力を問うものなのだ。

 リカバリーガールが言う通り、この時点での10秒や20秒のロスは大した差にはならない。

 

 もっと言えば、3つの障害物エリアすら実はそんなに意味はなかったりする。障害物以外の単に走るだけの区間が長すぎるから、よほどもたもたしない限りは体力さえあれば追いつけるのだ。

 短い距離で速さだけを問う競技内容だったら、たまたま適した個性を持っている人間が勝つこともあるだろう。しかし、体力勝負となれば日々の積み重ねがものを言う。

 この競技はヒーロー科が勝てるようにできている。

 逆に言うと、この競技で負けるような奴はヒーロー科にふさわしくないし、勝てるだけの肉体強度を備えていた生徒はヒーロー科への編入を考慮されるだけの価値があるとも言える。

 

 ちなみに、八百万さんとかサポート科みたいな生徒達は適したアイテムがあれば体力と無関係にレースをすることができるけど、「妨害可能」というルールがあるために突出することはできなくなっている。

 人が必死になって走っている横をバイクだか乗り物で悠々と走り去ろうものならそれはもう集中攻撃を食らうことだろう。場合によってはアイテムを強奪される可能性すらある。

 

 と、考察しているとモニターの映像がスタジアム外から見たゲートの様子に切り替わった。内部の人込みを抜けて続々と生徒がゲートから出てくるのが見える。その先頭を走るのは赤白の髪の少年、轟君だった。

 そして轟君がいくらか走るとその足元から突然地面が凍りだす。轟君の後続への妨害だ。

 冷気の波が通り過ぎた後、それを傍観していた生徒は凍り付いた足を地面に固定され、それ以外の生徒達も氷の張った地面を歩くのに苦戦し始める。

 ご機嫌なプレゼントマイク先生の実況と、それに付き合わされている解説役のイカ澤先生のローテンションな声を聴きながら、僕はぼんやりと思う。

 今日の気温なら足が凍ってる人たちは霜焼けにならないで済むだろうけど、転ぶ人は多そうだなぁ…

 

 そんな中、数人の生徒達が人波から飛び出す。

 爆発さん太郎、切島君、八百万さん、常闇君…轟君の個性を知っているA組の生徒達だ。B組やその他の一部の生徒達もそれに続く。

 その中に一人、光線を放ちながら空中に飛び立った男子生徒が一人。

 ヒーロー科の生徒ではない。彼は腹部にベルトを巻いていて、そこから光線が出ているようだった。

 

「……うん?」

 

 すごく見覚えのあるプレイスタイルを見てつい声が出た。

 

「何かあったかい?」

「いえ…あのレーザーを出している生徒、強そうな個性ですけどヒーロー科では見覚えがないなと思って」

 

 こちらを見てくるリカバリーガールに適当な言い訳をする。

 というか、あれは、もしや。

 

「ああ、あれは普通科さね。優先度が下のやつだったから見覚えはないだろうけど、あれも一応保健室の要注意個性リストに名前があるやつだよ」

 

 保健室で管理されている、負傷や特殊な症状を誘発し得る個性のリスト。

 ヒーロー科や一部のサポート科の生徒達の情報はだいたい僕も見せてもらっているけれど、プライバシーの観点からそれ以外の優先度の低いものまで開示されているわけではない。

 彼はその優先度の低いほうのリストに名を連ねる者だという。

 

「1年C組 青山優雅。個性は臍からレーザー光線を出すそうだね」

 

 レーザーの最大殺傷能力が高い上に、ベルト型のアイテムをつけてないとたまに不随意で個性が発動する欠点がある。あと、個性を使い過ぎると腹痛になる。そのあたりの事情から普通科ながら要注意リストに名前が載っているのだとリカバリーガールは教えてくれた。

 

「第二競技に進めるのは上位42人…ヒーロー科が全員通っても残り3つの枠があるからね。あの勢いだと青山は第二競技まで残るかもしれないねぇ」

 

 リカバリーガールはのんびりとお茶をすすりながら言う。

 僕は予想だにしない情報を呑み込むのに忙しかった。

 

 ムッシュ青山……!? いないと思ったら普通科に居たのか…!!!

 

 僕たちの注目を集めるその金髪の男は、轟君の作った氷のゾーンを飛び越えて着地すると颯爽と駆け出していった。これで彼も立派なトップ層の一員だ。

 

 そうやってしばしモニターに映る青山を眺めていると、ふいに僕たちの手元のタブレットのアラームが鳴る。その画面には『1年生ステージから搬送中!』と表示されている。

 これは学校が用意したシステムで、搬送されてくる生徒がいた場合事前に知らせてくれるものだ。

 後ろ髪をひかれつつも、青山から保健室に頭を切り替える。

 

「第一号だね」

「所属はサポート科。主訴は捻挫と打撲と書いてありますね。最初のゲートでしょうか」

「だろうねぇ」

 

 そんなことを話しているうちに、壊れたアイテムを抱えた男子生徒が担架に乗せられてやってきた。運び手は雄英の誇る便利ロボットだ

 

『オラ! 怪我人ダゾ!』

「し、失礼します…」

 

 どうやらこの生徒は最初の混雑で転んで捻挫をした上に、踏んだり蹴ったりされたらしい。体にはいくつも足跡がついていた。

 彼は痛みを堪えているのか渋い表情をしていたけれど、僕を見てはっとした顔になった。

 

「あっ…! もしかしてフィーネさんですか?」

「ええ、初めまして」

「初めまして、よろしくお願いします!」

 

 昨日からこういう反応をする生徒は少しずつ増えている。

 僕が赴任してから3日。新しい保健室のヒーローが校内でじわじわ噂になっているようだ。

 

 それから少しすると、大小の怪我をした生徒がぼちぼちとやってくるようになった。

 リカバリーガールが診断、データ入力をし、僕が治癒を施すという体制で捌いていく。

 

 そして作業に集中しているうちにモニターを見ている暇はなくなってしまい、競技のことが頭から離れてきた頃…

 

 突然遠くからドド、と花火のような音が聞こえ、室内にわずかに振動が響いてきた。

 何事かと保健室に居たみんながモニターに目を向ける。

 すると、大きな歓声とともにプレゼントマイクの興奮した声が聞こえてきた。

 

『爆 撃!!!!! 空から地雷を爆発させて妨害ーーー!!!!』

 

 

 1年生モニターにはリプレイと思しき先頭集団のゴール前争いの様子が映っていた。

 そこに居たのは轟君、爆発さん太郎、緑谷少年、わずかに遅れて切島君とB組の塩崎さん。

 スローモーションで走る彼らの前方で、ピッ、と後方の空から降り注いだ一筋の光が地面をなぞった。それからわずかに遅れてその場所に埋めてあった地雷が一斉に炸裂した。

 

『奴は…普通科、C組の青山ーーーー!!』

 

 爆風にあおられて僅かに立ち止まる先頭集団の前に空から青山が舞い降りる。

 そして青山はスタジアムに背を向けてレーザーを乱射…後続への妨害をしつつその勢いでゴールへ向けて飛び始めた。

 その映像を最後に、画面がリアルタイムのものに戻って、一人突出した青山がだんだんと追いついてくる先頭集団から逃げる構図が映された。

 

 あ、青山がトップだと……!? いつの間に……!!?

 普通科に居るってことはヒーロー科を落ちたんだろうけど、ここまでできるのにどうして落ちたんだ…!?

 

「ああ、青山…!」

「青山君っ…!」

 

 驚愕で手を止めた僕をよそに、彼のことを知っていると思しき普通科の生徒達がモニターに釘付けになって彼の名を呼んでいた。

 あまり目をそらしているわけにもいかないから平静を装って作業に戻りつつ、モニターから聞こえてくるプレゼントマイク先生達の実況に耳を傾ける。

 

『いい!!! 普通科が、良い!!!!』

『多くの普通科がヒーロー科に追随してるし、トップ争いに参加している奴までいるな』

『リタイアも想定より少ねえしスゲェぞ!!? 切島の宣誓で奮起したか!?』

『ちょっとやる気出したくらいで出るパワーじゃないだろ。例年より明らかに普通科のレベルが高い』

『ヒーロー科お前ら負けてらんねぇぞ!!?』

 

 先生たちは口々に普通科を称賛している。僕が処置している普通科の生徒もそれを聞いて嬉しそうだった。

 そして競争はラストスパートに入ったのがプレゼントマイク先生の実況で伝わってくる。

 

『C組青山逃げ切れるか!!? A組轟、爆豪、緑谷が追う! 切島とB組塩崎も追いついてきてるぞ!! 先頭集団スタジアムへ!! ……ゴーーーール!!!』

『ゴールの瞬間は団子だった。着順はビデオ判定だな』

 

 少し作業の手が空いてモニターを見ると、上位6名ぶんが空欄のまま7位以降の順位表が埋まっていくのが見えた。

 続いて、画面には先頭集団でゴールした6名が順にアップで映される。

 

 轟君。苦々しい表情だった。

 爆発さん太郎。怒りと同時に驚愕をあらわにしている。

 緑谷少年。継承者として是が非でも1位を獲らなければならないと思っているのだろう。祈るような表情だった。

 切島君。団子とは言うけれど自分が1位より一歩出遅れたことを認識しているのか、悔しそうだ。

 塩崎さん。彼女も厳しい表情をしていた。

 そして青山。

 

 青山はスタジアムに背中から飛び込んできたまま地面に墜落して、仰向けに転がったまま滝のような汗を流してぜいぜいと荒い呼吸をついていた。

 6人…というかゴール者の中で一番苦しそうだったけれど、わずかに首を起こし、スタジアムを見渡してスタジアム内の大型モニターに自分が映っているのを見つけると、表情を無理やり笑みの形にした。

 

『僕が……』

 

『来たよ゙っ☆』

 

 スタジアムが歓声で包まれた。

 

 

 第一競技

 

 1位 緑谷出久

 2位 轟焦凍

 3位 爆轟勝己

 4位 切島鋭児郎

 5位 塩崎茨

 6位 青山優雅

 




「青山不在」タグがありながら、青山が出てきてしまいました。
出さなきゃいけないという使命感を感じたんだ…
青山がこれだけ健闘できた理由とか、普通科が強かった理由はまたいずれ…

ちなみに緑谷少年は原作よりワンフォーオールに馴染んでいますが、長距離走をノーダメージで走り切れるほどには馴染んでいなかったので、要所要所で使っていくスタイルで走っていました。原作のような奇策を使わなくてもトップになれたものの、最初から最後まで轟、爆轟、緑谷の三すくみで互いに妨害し合いながらトップを走っていたため、ぶっちぎり状態にもなれませんでした。(塩崎さんと気合切島君が彼らに追いつけたのもそのため)ただ、最後の一歩はやはりワンフォーオールを持っている彼が強かったため1位は彼のものとなりました。
 
 


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