バタフライ (非食用塩)
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賢者の石編
第一話 エスケープ・ゴート


 

 

 見慣れない紙質の手紙が無駄に事細かな住所で届いた。

 番地とダーズリー様方とあたしたちの名前までなら普段プライマリ・スクールから届く手紙も同様なので特におかしなことはない。あたしが心底ゾッとしたのは番地の後に書かれたこの文言だ。

 

『階段下の物置内』

 

 なんだこれ。

 いくら伯父と伯母があたしたちをよく思ってなかったとしても「いけ好かない生意気なガキを物置に住まわせています」だなんて、わざわざ言いふらすほどイカレた人達じゃない。

 面倒を見させられる状況を疎んじて、どこかの変態か臓器密売組織にでも売り飛ばすつもりとか?

 いや、これはバレた時に彼らの人生が終了する。悪事は得てして表に出やすいものだし、怪しげな組織と親しくできる神経が彼らにあるとも思えない。やれたところで継子いびり程度だ。とことん小市民と言ってもいい。

 もっと現実的に考えよう。

 あたしやハリーに手紙をくれる人は少なからずいる。といっても、うちの事情を知らない子はいないし、わかった上でまともでない振る舞いをしているなら、なにより早急に縁を切りたい。というか切る。

 問題は、相手と縁が繋がりもしていない場合だ。

「アレン」

 耳慣れた声がした。片割れがきらきらと澄んだエメラルドの瞳でこっちを見て、不思議そうに首を傾げている。

「どうかした?」

「それが、……なんだかよくわからない手紙が届いてて」

 その声を聞きつけたらしい。乱暴に椅子を引く音が聞こえたので、わざと少し声を大きくして言った。

「伯父さん、あたしとハリー宛に変な手紙が来てるよ。ストーカーかテロリストじゃないかな?」

 素晴らしいタイミングで廊下に出てくる伯父に感心しながら、怪しい二通の手紙を差し出す。伯父は口髭を震わせて唸った。

「おまえはなんでそう突拍子もないことを言うんだ。え?」

「暴力的な行為を厭わない人に無辜の人が狙われるのは突拍子もないことなの? ほら、これ見てよ。いかにも危ないものが仕込まれてそうに見えない?」

 薄く黄色味がかったこれは、おそらく羊皮紙だ。それだけ見ても物珍しさで子供が開けるのを見越しての犯行が考えられる。たまたまこれを手にしたのがあたしだからよかったものの、そこら辺にいる警戒心の薄い子なら何も言わずにビリッと開封して何らかの菌に感染、または毒物によって死亡してもおかしくはない。

「犯罪に近づかないのは賢明なことだがな、おまえの発想は一足飛びどころか三足飛びだと言っとるんだ」

「普通だよ」

「口答えをするな。大人をおちょくるのも大概にしろ」

 伯父が何かと目の敵にしてくるからといっていちいち言い返すのは悪い癖だという自覚はある。でも、あたしは決しておちょくりもからかいもしていない。

 廊下の壁に寄りかかったハリーはコントでも見ているかのように笑っている。甥に面白がられているのに気づかず、伯父は鼻息荒くあたしに詰め寄った。

 伯父は『まとも』であることにこだわりすぎる人で、おかしなことや突発的なことにはてんで弱い。テレビで映画を観ているだけなのに「こんなことがあるものか」だの「これだから頭のおかしい連中は」だのとブツブツ言っては、従兄──伯父にとっては息子──のダドリーに「五月蝿い」と毎度毎度どつかれている。それが実話の映画化でも伯父が理解できないものは全てないもの扱いされるのが常だ。

 そんな環境で育ったあたしは伯父と逆で、どんな事件も事象も人間の脳で考えつくものは全て起こり得ると考えている。これが超能力者からの手紙でも、ストーキングが極まった危ない手紙でも、はたまたテロリストが投函した危険物だとしても、何もおかしくないと考えている。

「大体な、家にいて犯罪に巻き込まれるなんぞ、真っ当に生きていればあるわけないだろうが!」

「北アイルランドの人に謝れ」

 おっと、つい声が低くなってしまった。あたしは殊更にっこりして伯父に手紙を押しつける。

「わかった。じゃあさ、あたしはハリーとダドリーと伯母さんを連れて向こうの通りに避難するから、伯父さんが開封して。中身がなんであれ、被害者は少ない方がいいよね? ねっ?」

「なっ」

 伯父は顔を赤くして声を荒げた。

「俺が死ねばいいとでも言うつもりか貴様!」

「ええー? 『真っ当に生きていれば犯罪に巻き込まれることはない』って伯父さんが言ったんじゃん。伯父さんは真っ当に生きてるから、この手紙を開けても何も起きないんじゃないの? そういうことだよね?」

 興奮して真っ赤だった伯父の顔が今度は紙のように白くなった。

 個人の生き方で(ラック)の数値が決まるなら、世の中はもっと平和だ。過激派の爆弾テロはことごとく失敗し、国民に支持される政治家は暗殺されず、人の集まる場所を狙った暴走車は全てエンストを起こすだろう。貧民街はなく、あらゆる差別はなく、親を亡くす子も子を亡くす親もいなくなり、みんなが幸せに生きられる。

 だけど、世界はそんなに優しくない。

「貴様ら宛の手紙をなんで俺が開封せねばならんのだ?」

「じゃあ、ここで開ける」

「やめんか!」

 再度怒鳴った伯父が手紙をひったくったので、一応言っておいた。

「それ住所が変なんだよね。どうしてあたしたちが物置で寝起きしてるのが差出人にバレてるの?」

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 伯父がおかしくなった。

 あの手紙には炭疽菌よりも恐ろしいものが入っていたに違いない。そんな風に勘ぐりたくなるほど、伯父は過度のストレスで躁状態に陥っている。朝も青い顔で思案に耽っているかと思えばいきなり大声で笑いだすので、食卓にいた伯父以外の全員がその度にビクッとした。

 例の手紙を開封した伯父はすぐさま不気味なくらい丁寧な口調で、あたしたち二人にダドリーの二つ目の部屋に移れと言った。あたしもハリーも宛先の不気味さが理解できていたので、異論は唱えず多くない荷物を持って二階に上がった。この件が落ち着いた頃にまた階段下の物置に戻れと言われるかもしれないので、今のうちにのびのびしておこうという魂胆もある。

 この家には寝室が四つあり、うちひとつが伯父と伯母の部屋、ひとつがダドリーの部屋、ひとつは来客用、ひとつはダドリーの物置になっている。ガラクタなんだかそうじゃないんだかさっぱりわからないものが部屋の半分を埋め尽くしていても、ベッドもカーペットもローテーブルも本棚もあるので住むのに全く支障はない。

「親父がおかしい」

「「いつものことじゃん」」

「いつにも増しておかしいって言ってんだよ。おまえらが原因だろ」

 そう言って鼻を鳴らしたダドリーを見遣った。

「訂正しよう。あの手紙はあたしたちの仕込みじゃないし、不気味な宛先はきみの両親があたしとハリーを物置で寝起きさせてたせいだ。いっそ最初から外にプレハブでも立てて閉じこめておけば別宅程度の宛名で済んだかもしれないのに」

 例の手紙を触る気も起きないので、処分は全て伯父か伯母に任せている。詳細はわからないが、最初があれだと、ここに移ったことは既に知られている可能性が高い。

「なんでおまえらがそんな面白そうな所に住まわせてもらえると思うんだよ?」

 プレハブが面白いとは。顔は伯父さんそっくりなのに、頭の固くないダドリーは面白いことを考えるなぁ。

「ダドリーは学校の物置になってるプレハブに入ったことがないんだっけ? あれは夏なら中にいるだけで死にそうなくらい暑いし、冬は寝ている間に凍死するくらい寒いんだよ。ちょっと風変わりだからって住みたがるのはよした方がいい」

 大真面目な顔をしてハリーが諭した。

「住みたいとは言ってねーよ。俺を変人扱いすんな」

 ダドリーがハリーの胸を指で差す。

「ったく。おまえら、部屋を明け渡してやった俺にちっとは感謝しろよなー」

 あたしとハリーは目配せし合ってお互いの考えを探ると、揃ってダドリーに笑いかけた。

「「感謝してまーす」」

「おう、大事に使えよ。──そうだ。あの辺はゴミだから次の休みに捨て、」

 言いかけたダドリーが頭を抱えた。

「いつ捨てられるんだこれ」

 それな。

「騒動が収まったら、かな?」

「収まるの?」

「今朝も親父があれを二十通くらい束にしてたぜ。初日よりも増えてるってさ」

「なにそれ怖い」

 笑いきれていない顔でハリーが言った。

 ここ数日、伯父が仕事を休んでいるのにも驚きだが、朝の六時から目覚ましを響かせて届く手紙を全て紙吹雪みたいに小さくちぎってみたり、郵便受けを板で万遍なく打ちつけてみたり、届く手紙を片っ端から焼いてみたり、トチ狂った行動は枚挙に暇がない。

「だろ。おまえらが受け取ってないのも、とっくにバレてるよな」

 差出人はどうやってうちの様子を探ってるんだろう? ベタなところで盗聴器とか? 調べてみようにも、今の伯父が見たら明後日な誤解をしかねない現状が歯がゆい。

 伯母の手伝いに階段を降りたあたしは、伯父が外に直結している出入り口の隙間全てを板で打ちつけて住人が出られないようにしているのに気づいて頭が痛くなった。

 これは悪夢だ。そう遠くない未来、部屋のドアを斧でぶっ壊した伯父がジャック・ニコルソンみたいな顔で「バーノンだよ!」と叫び出すかもしれない。

 二階に戻ると、ハリーとダドリーがローテーブルで頭を寄せ合って何やら話し込んでいたので、棚から本を一冊取ってベッドに座った。

「アレン」

 ハリーがあたしの肩を叩いた。

「お茶飲まない?」

 部屋にある時計を確認する。あっ、もうお茶の時間か。

「飲む」

 ローテーブルに並べられたポットとカップ、シンプルでトラディショナルなきゅうりとハムのティーサンド。バッテンバーグケーキは伯母がストレス発散に作ったものだ。

「一体、なんだってあんなに手紙が届くんだ?」

 ハリーがサーブしたお茶を受け取ってダドリーが言った。

「さあ?」

 初めて手紙が届いた日、伯父と伯母はひどく狼狽えて、あたしたち三人を居間から追い出した。差出人に心当たりがあるとしか思えない態度だ。

「嫌がらせにしては手が込んでるよね」

 たかが手紙と言い切れないのはそこだ。返事がないからって、そんなに何通も一遍に送りつけたりするものか? 督促状でさえ、何通も何通も同じ宛先に同じ差出人から同日に複数届くなんて聞いたことがないのに。

「不気味すぎる」

「これっておまえの好きな理不尽系ホラーみたいじゃないか。楽しまないのか?」

「リアルにそんなもの求めてない!」

 いくら『クリープショー』や『トワイライトゾーン』の再放送を嬉々として観ているからといって、あんな世界に迷い込みたい訳じゃない!

 怖いことに郵便受けが使えなくなるとなるや、手紙はドアの隙間だのトイレの小窓だのから無理矢理押し込まれるようになった。いつも来る郵便屋さんはノックなり呼び鈴を鳴らすなりして住人に受け取りを頼めばいいだけなので、そんなことをする理由はない。

 つまり、例の手紙の差出人は直接この家に来て、偏執狂じみた真似をしているということになる。

 伯父の行動もかなりおかしいが、手紙の主も頭がおかしいと考えた方が無難──無難とは。

 この時点で狂気はもう危険水域に達しつつあったのかもしれない。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 日曜日。

 疲労困憊した顔の伯父が、朝食の席でうきうきして言った。

「今日は最高の日だ! 郵便は休み! やっほーぅ!」

 ハリーとダドリーがこっちを見るので、ゆるく首を振って応える。

 直接届くものに郵便は関係ないといっても、伯父の憔悴ぶりを見たらそれを口に出すのは憚られた。いくらあたしが口の減らないガキだとしても空気を読むくらいはするのだ。

 テンションの高い声で一人喋り倒しながら新聞をマーマレードまみれにしている伯父の様子にため息が出る。と、何か落ちてくる音が聞こえた。

「ハリー、ダドリー」

 咄嗟に両隣の席にいたハリーとダドリーの手を引いてテーブルの下に潜り込む。できるだけ身を低くして、目と耳を塞いで口を開ける。爆弾への対策はこれしか知らない。だけど何もしないよりは遥かにマシだ。

 落ちてきたのは爆弾であって爆弾じゃなかった。何十、何百通もの手紙、手紙、手紙、手紙。部屋を埋め尽くすほどの手紙の洪水。煙突から大量の手紙がなだれ込んだのだ。

 ハッとしてテーブルの下から這い出した。

 手紙の差出人は屋根の上にいる! 

 どうにかたどり着いた居間の窓を勢いよく開け放つ。

「アレン?!」「戻れ小娘!」

 後ろで聞こえる声を無視して庭に走り出る。屋根を見上げた瞬間、背筋が凍った。

「なにあれ」

 梟が所狭しと並んでいる。玄関側に出てみれば、はみ出した個体が電線や樹木、果ては郵便ポストや隣とを隔てる低い柵にまでみっしりと羽を休めていた。手紙の差出人が梟とは言わないまでも、偏執狂が手紙の届け役に寄越していたのが梟であることだけは状況的に疑いようがない。

 その証拠とばかりに立ち尽くすあたしの前へ舞い降りた梟が手紙を置いていく。

 とてもじゃないが、拾ってみようという気にはなれなかった。

「アレン、どうしたの?」

 遅れて傍に来たハリーに、

「あれ」

と、指差した。その先にいるとんでもない数の梟を見て、ハリーの肩がビクッと跳ねる。

「ヒッチコックじゃあるまいし……」

「鳥に襲わせない代わりに手紙で攻撃するっていうのは斬新かもね」

 ジョークを飛ばすには声が震えすぎていて全然笑えない。ハリーが困惑した表情であたしの手を引いた。

「伯父さんが、戻って出発の準備をしろって」

「へ?」

 間抜けな声が出た。出発? どこに?

「家にいるから手紙が届くと思ってるんじゃないの。……無駄だろうけど」

 冷ややかな声でハリーが言った。気持ちはわかるよ、うん。

 こちらの行動が相手に筒抜けなんだから今すぐにでも警察に任せた方がいい案件だろうに、伯父は外聞を気にしているのか相談に行く様子はない。それどころか手紙から逃れることを優先している。

「差出人がしびれを切らして姿を見せてくれないことには終わりそうにないね」

 どちらからともなく早足で家に向かって歩き始める。

「伯父さんの発狂ぶりからして中傷の手紙かな」

「今さらぁ?」

「周回遅れでも無駄な正義感を発揮しちゃう人っているじゃん」

「あー、ジョンソンがそうだね」

「今はダドリーのことで何も困ってやしないのに『解決すべきだ!』とか言っちゃうやつ」

「今までスルーしてたけど、よく考えるとめちゃくちゃウザいな」

「でしょー?」

 無駄口を叩きながらも急いで戻って、着替えと筆記用具、それに飲みものが買えるだけの小銭をリュックに詰める。

「食料を持ってくる暇はなさそうだね」

 こんなことになるなら用意しておくんだったな。舌打ちするあたしの腕をハリーがつついた。

「マーズバーが二本とパンがひと固まり。水もあるから余程でなければ飢え死にはしないよ」

 ほら、とハリーが頭陀袋(ずだぶくろ)を開けて見せる。

「いつの間に」

 昨夜のうちに事を済ませておいたらしい。状況判断にリソースを割きがちなあたしは、ハリーの抜け目のなさに舌を巻いた。

 準備を済ませて玄関に行くと、伯父がドアに打ちつけた板を引っぺがしているところだった。ダドリーの困惑した表情が痛ましい。伯母は引きつった顔でがりがりと爪を噛んでいる。状況はより悪くなったと確信した。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 地獄のドライブは丸一日続いた。

 気が触れたとしか思えないハンドルさばきを披露する伯父に、あたしはヒヤヒヤしっ放しで、ダドリーが空腹を訴えているのが不思議に思えるほど、鋼の胃袋と言われたあたしの胃がまるで不満を訴えなかった。よっぽど怖かったらしい。

 夜が更ける頃合いになって伯父はようやく休む気になってくれた。それがどこかの町外れにある陰気臭いホテルだって、寝床がないより遥かにマシだ。それに眠れなくても横になっておかないと疲労が抜けないのは経験で知っている。

 温いシャワーで汗を流してベッドに倒れ込んだ。ダドリーも疲れていたようで、いつもならまだゲームをしている時間なのに、隣のベッドでいびきをかいている。

 ベッドサイドのテーブルにあった聖書を流し読みしているうちに、時計の針が日付を跨ぎかけていた。一人、窓辺で物思いに耽るハリーに声をかける。

「そろそろ寝よ?」

「うん」

 灯りを消して黴臭いシーツにくるまる。初めての外泊で物置よりひどい寝床を経験するとは思わなかった。

「ねえ、アレン」

「なに」

 目を開けたあたしに、ハリーがにっこりした。

「僕ね、ちょっと楽しいかも」

 意外な言葉に驚く。

「マジか」

「マジだよ。こんなに遠くまで出かけるのは初めてだし、見たことない景色もたくさん見てさ。なによりアレンが一緒だからね!」

 自分で言って照れたのか、ハリーはころんと寝返りを打って背中を向けた。

「きっと、アレンがいなかったらこんな風に笑ってられなかったよ。僕、双子に生まれてよかった」

「あたしもだよ、ハリー」

 ストーンウォールに進学して、新しい友達を作って、卒業したらどんな仕事に就こうか。

 そんな話をしながら、いつの間にか眠りに落ちていた。

 翌朝、おなかを壊しそうなコーンフレークには手をつけず、新鮮な牛乳と冷たいトマトの缶詰を乗せたたっぷりのパンを三人してがっついて食べた。

 伯父と伯母は食欲がないようだけど、こっちはそんなことを言っていられないのでもりもり食べる。あたしは昨日からの空腹が明け方にきてしまって、ずっとおなかが鳴りっぱなしだったのだ。

 これはハリーだけでなくダドリーにまで笑われたのをきっかけに、ちょっとばかり乱暴なじゃれ合いに発展した。流石に三人とも空腹でへにゃへにゃだったので長引いて叱られたりはしなかった。

 あたしたちのおなかがすっかりくちくなる頃、ホテルの管理者がやって来た。

「ハロルド・ポッターさん、それにアルトリア・ポッターさんという人はおられますかね。フロントにこれと同じものが二百ほど届いておりますよ」

 あたしとハリーは素知らぬ顔で水を飲み、ダドリーはちらちらと両親を窺い、伯父と伯母はあからさまに青ざめた。しばし考える素振りを見せた伯父が意を決した様子で管理者について行く。

「伯父さんって責任感が強い方なのかな?」

 ハリーがぼそりと言った。

「そりゃ社長やってるくらいだもの」

「そうだったね。すっかり忘れてた」

 この常軌を逸した差出人の行動を考えると、手紙を受取人に押しつけてしまうのが一番の解決策だ。それを伯父は頑なに渡さず、自分で全て解決しようとしている。その理由がなんであれ、血の繋がらない甥と姪を変質者に売り飛ばすような人ではないとわかってよかった。

 戻ってきた伯父の号令で車に乗り込んだ数時間後。伯母がなにやら提案していたけれど、伯父には聞こえていないようだった。奇矯な行動は時間を追うごとに増して、とうとうダドリーが父親の正気を疑う発言までしだした。

 あたしは車に盗聴器でも仕掛けてあるかもしれないと足下や天井、座席の隙間を調べてみた。どんなに探ってみても、それらしきものは影も形もない。

 赤い太陽が西へ傾く時間になって伯父が海岸の近くに車を停めて、自分以外を車に閉じ込めたままどこかに行ってしまった。

「どこに行ったんだろ」

 ダドリーの声に疲労を感じる。ぽつぽつと降り出した雨に気づいたハリーが窓から暗い鉛色の空を見上げた。

「伯母さん、大丈夫?」

 座ったまま意識を失ったように見える伯母に声をかけたら、何故かひどく驚かれた。

「なによ」

 そっけなく返されるのには慣れているので気にせず重ねて尋ねた。

「昨夜、ちゃんと寝た?」

 振り返った伯母の目にできた隈は疲労だけのものには見えない。伯母はふんと顔を逸らして、

「あんたには関係ないでしょう」

と突っぱねる。いつも通りの態度なので少し安心した。

 伯母はハリーを嫌っている以上に、あたしを嫌っている。あたしはそれほど嫌っているわけではないので寂しくないと言えば嘘になるけれど、何度言葉にしてもこっちの好意は伝わらなかった。

 今は憎まれ口を叩く余裕があると受け取っておく。

「伯父さんが帰って来たよ」

 ハリーの声に全員が窓の外を見た。

 戻った伯父は気持ち悪いくらい上機嫌で、長くて細い包みを抱えている。その形とサイズでライフルが思い浮かんだ。今回の事件はそれくらい用意していても足りないかもしれない。

 ヒッチコックよろしく梟に襲われないよう祈るばかりだが、その前に発狂した伯父が手に持ったそれを乱射しないかを心配すべきかもしれない。

「みんな降りろ!」

 号令に従って外に出ると、雨のせいか鳥肌が立つほど寒い。

 伯父が半音上がってキリキリした声で喋りながら、暗い海の彼方を指差している。もしかしなくても、あの岩場に行くらしい。

「今夜は嵐だぞぉ!」

 躁病患者のようなテンションで伯父が喚いた。

「親切な方が船を貸して下さったのだ! 食料もあるぞ! 総員船に乗れぃ!」

 手紙の差出人は身内でした、なんてオチが待っていそうな状況に顔が引きつる。ハリーも同じことを考えたのか乾いた笑いを漏らした。

 船に乗り込んで真っ先にブルーシートを探した。残念ながらそれに該当するものはない。襲い来る塩水を避けられないなら、できる限り子供達で身を寄せて寒さで体力を奪われないようにじっとしているしかない。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 あれから何時間も経ったような気がした。

 ダドリーが「着いたみたいだぞ」と言う声で我に返る。少し眠っていたのか、ハリーが眼鏡を押し上げて目をこすって先に岩場に上がったダドリーの呼ぶ声に「今行くよ」と返している。

「大丈夫か?」

 船から顔を出したあたしにダドリーが手を貸してくれる。割と大雑把な性格をしているくせに、こんな時はちゃんと紳士の振る舞いをするから侮れない。

「うん。ありがとね」

 あたしもレディを気取って素直に手を借りた。ちゃんと岸に上がったのを確認したダドリーが鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「海に落ちられでもしたら気分が悪いだろうが」

「それでもありがとうだよ」

 小さい頃は結構怪我をさせられたし、こっちも容赦なくひどくやり返していたけれど、ある事件を機に、今のような軽口と小突き合い程度の関係に落ち着いた。

 セカンダリ・スクールに進学すれば、お互いもっと大人の振る舞いを身につけていく。いつかはあのことも笑い話にできるだろうか。

 転ばないように慎重に歩いてたどり着いたボロ小屋は、お世辞にもいい場所とは言えなかった。作りこそ頑丈でも海風で吹き込んだ塩気のせいで中はひどい匂いがするし、暖炉は放置されて長いのか、僅かな薪も湿気っていた。

 伯父の用意した食料はポテトチップスが一人一袋とバナナが五本。腹に溜まりはしなくてもカロリーだけは摂れそうだ。

 中を見て回る。階段を上った奥の部屋に大人二人なら問題なく横になれそうなベッドがひとつあった。伯父と伯母はここで休むとして、ダドリーは一階のソファを使うことになるだろう。

「くそ、火が点かん!」

 伯父は尖った声で言ったかと思えば、

「今ならあの手紙が役立つのにな!」

と妙に上機嫌になったりして情緒が安定しないので運転の時とは違う意味でハラハラする。これは下手に刺激しない方がいいと判断して、子供三人は黙々とポテトチップスの消費に励んだ。

 予報通り深夜近くなって嵐が来た。伯母が奥から古い毛布を数枚見つけるとダドリーの寝床を拵えてやった。あたしとハリーは毛布一枚渡されただけでも上等だ。二人とも食べる割に縦にも横にも伸びてないので充分使える。

 ダドリーがいびきを響かせ始めるのを待っていたようにハリーが起き上がった。

「眠れない?」

 外の荒れ模様はひどく、窓もドアもひっきりなしにガタガタ鳴っているのでおかしな話でもない。

「眠れなくても横になった方がいいよ」

 あたしが言うのを聞いたハリーがむっとした。

「ひっどいなあ。もうすぐ僕とアレンの誕生日なのに」

「あ」

「忘れてたね?」

「ごめん」

 あたしたちは伯父と伯母からまともに誕生日を祝われたことなど、一度もない。

 毎年、日付の変わる時間まで二人で起きていて、こっそり歌をうたって終わり。そんなささやかなお祝いでも祝って祝われるのは嬉しいものだ。

「今年は変な手紙のせいでてんやわんやだったし、完全に日付の感覚なんてなくなってたよ」

「あー、もう。いったいなんなんだろうね」

 ハリーはリュックを引き寄せると、中から持ってきたマーズバーを二本取り出した。

「例年通りケーキはないけど、甘いものがあるだけ贅沢だね」

「うん」

 すっかり熟睡しているダドリーの腕時計を見た。あと五分ほどで日付が変わる。

 どこかで、ぎしりと軋む音がした気がする。驚いて辺りを見回してみても特に異常はない。

「この小屋、潰れたりしないよね?」

「基礎がダメになってなければ大丈夫じゃないかな」

 あと四分。

「家の方はどうなってると思う?」

「どうって?」

「手紙で埋め尽くされてたりとか」

「そんなことになったら、伯父さんが今度こそおかしくなるね」

 あと三分。

「ねえ、波にしては変に響いてない? 足音に聞こえる」

「こんな所に誰かが来るとは思えないな。ていうか、この天気に足音が聞こえるってどんな巨人なのさ」

 あと二分。

「ねえ。やっぱりこれ、誰かが近づいて来てる音だよ」

 ハリーにマーズバーを渡して立ち上がる。

「どうする気?」

「油断をついて、……どうしよう」

 あと一分。

「せめてソファの影に隠れて、ハリー」

「だったらアレンも」

「一緒にいると、何かあった時に気を逸らしづら」

「いいから!」

 ソファの陰に引きずり込まれた瞬間、爆弾でも落ちたような音と共に小屋が撓んで大きく揺れた。唖然とするあたしにハリーが言う。

「誰かがドアを叩いてる」

 それにしては随分な音だ。

 二度目のノックでダドリーが飛び起きた。ぐるっと部屋を見回してソファを下りかけ、背もたれの後ろにいるあたしとハリーを見つけて息をつく。

「何の音だ?」

「ノック」

「はぁ?!」

 ダドリーが素っ頓狂な声を上げた。

 そこに「きえええええい!!」と、甲高い叫び声を上げながら登場したのはライフルを構えた伯父だ。

「こんな夜更けに安眠妨害とはいい度胸だ! 不届き者め! 撃ち殺してくれるわ!!」

 とても『まとも』じゃない伯父の形相に腰が引けた。

 こんなところでライフルを乱射されて死のうものなら、四、五年は発見されない自信がある。だけど逃げ場なんてどこにも見当たらない。

 三度目の轟音とほぼ同時にドアが吹っ飛んだ。

 ドアを破壊したのは、縮尺を間違えたとしか思えない巨漢の大男だった。

「ぶ、物量で迫られても……」

 




伯父さんはどっちかというと気の毒な人の印象なんだけど、まともに拘るって設定に忠実に書いたらヤバい人になった。


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第二話 屑石かどうか決めるのはおまえじゃない

 

 大男は「よっこいしょ」と言いながら暢気に小屋へ侵入した。

「お茶でも淹れてくれんかな。ここまで来るのに随分苦労したんだ」

 まるで顔馴染みのような気楽さで言う。図々しいのか、神経がサターンVの発射塔並みに太いのか。

 ばこん、と景気のいい音を立てて大男はドアを枠に戻した。蝶番が壊れていることはまるっきり無視されている。

「少し空けろや、太っちょ」

 遠慮のかけらもなくダドリーを横に追いやって、大男は図々しくソファに腰を下ろした。ソファの脚が悲鳴を上げても気にしていない。ダドリーをデブ呼ばわりした大男の方が横に大きい事実は手も届かないほど高い棚の上に放り投げられたままだ。

 ソファの背もたれの後ろに隠れているあたしたちに気づいていないので、とっとと用件を済ませて帰ってくれればいいと思った矢先。

「ん?」

 うげっ。

「ハリーじゃねえか! いやぁ、元気そうでなによりだ!」

 大男が喜色満面で言う。こっちがヒヤヒヤしているのにはおかまいなしだ。距離を取ろうとしたあたしの横でハリーが立ち上がって眉をひそめた。

「どちらさまですか? 知らない人に『ハリー』なんて馴れ馴れしく呼ばれる覚えはないんですが」

 どこの誰とも知れない怪しい男に愛称で呼ばれたのでカチンときたらしい。あたしは落ち着けと言う代わりにハリーの右手を握る。こんなのが暴れたら小屋が木っ端微塵になるってば。

 大男はきょとんとした。それから「ああ」と手を打つ。

「そうだった。おまえさんに会ったのは、まだこーんなちっちぇー頃だからな。覚えてなくて当然だな。いやー、すまんすまん」

 軽い調子で大男が謝る。

「だったら、アレンのことも知ってるんじゃないの?」

 刺すような視線を向けるハリーに、大男は顔の大きさに似合わない小さな目を瞬いた。

「アレン?」

 心当たりがないのか、しきりに首をひねっている。

「僕の片割れだよ」

 大男はハッとして小屋の中を見回した。

「トリーか! どこにおるんだ?」

 誰だよ、と不愉快そうにハリーが呟いた。

「トリーってのは、アルトリアのことだ。俺らはそう呼んでたんだ」

「俺らって?」

「おまえさんらの両親と、その仲間だ」

 アルトリアの間を取って『トリー』。エリザベスが『リジー』になるのと同じか。一人納得しているあたしの背後で伯父が金切り声を上げた。

「今すぐ引き取り給え! この不法侵入者!」

「うるせえ、ダーズリー。バカ面晒してんじゃねえぞ!」

 そう言い返した大男は伯父の手からライフルを取り上げて、ぐにゃっと曲げた。なんという怪力。人間(?)があの太さの金属を飴細工よろしくひん曲げるとは。

 惨劇を避けるために慌てて立ち上がったあたしが名乗ると、大男はそうかそうかと頷いた。

「ハリーは父ちゃんそっくりに育ったなあ。でも、目は母ちゃんとおんなじだ」

 懐かしいのか、大男はハリーに光を見るように細めた目を向けた。その様子で気づく。

「誕生日おめでとう、ハリー」

 彼の用がある相手はあたしたちじゃなくてハリーだ。

「今日が誕生日なのは僕だけじゃないよ。ねえ、あなた本当に両親の知り合いなの?」

 イライラを隠そうともしないハリーに、大男がビクッとした。そしてひどく卑屈な態度でご機嫌伺いをするように言う。

「す、すまん。トリーもおめでとう」

「どうも」

 知らない人に祝われたいとは少しも思わなかったけど、突っぱねるのも面倒なのでそう返しておく。

 大男はコートの内ポケットからひしゃげた箱を取り出して言った。

「もしかすると俺がどこかで尻に敷いちまったかもしれんが、味は変わらんはずだ。ほれ、受け取れ」

 ぐいぐい押しつけられた箱を受け取る前に、ハリーがそれをさっと取り上げた。何が入っているのかわからないのに不用意に触るな、と言いたいらしい。あたしたちは目線を交わし合い、ハリーが慎重過ぎるくらい慎重に箱を開ける。

 中に鎮座ましましていたのは、ダドリーが毎年の誕生日に食べているよりもずっと大きなチョコレートケーキだった。上には緑の砂糖で書かれた『はりー たんじょびおめでと』というつたない文字がモリスダンスを躍っている。

 またも目線が交わった。今すぐにでもケーキを床に叩きつけそうな顔をしているハリーに、食べものに罪はないと手で制する。

「ありがとう、誰かさん」

 作り笑いをしてハリーが言った。

「それで、あなたはどこのどなたですか?」

「俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を任された番人だ」

 だからどこだよ。

 握手した手をかなりの勢いで振り回されているハリーをよそに首を傾げる。

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 ハグリッドはどうやってか湿気った暖炉に火を入れ、なんのかんの言いながらお茶の準備を始めた。部屋の端まであたしの手を引いて移動したハリーが声をひそめて言う。

「どうやったら穏便に帰ってくれるかな」

「用が済んだら帰るんじゃない?」

 ここまで追ってきたということは間違いなく手紙の件だろう。

「手紙は二人に来てるんだよ? あいつが本当に手紙の差出人なら、アレンにあんな態度を取るとは思えないんだけど」

「ハリーだけに手紙を寄越すわけにいかない事情でもあったのかも知れないね」

「それならますますあの態度は許せないな」

 緑の目が淀む。プライマリ・スクールに入って間もなく、身の周りで奇妙なことが頻繁に起きていた時期にハリーはよくこんな目をしていた。まるで世界の全てを呪っているような、なんて言うと陳腐極まりないのだけど、他に例えられる適切な言葉が思いつかない。

 不意にいい匂いが鼻を掠めた。ハグリッドが鼻歌をうたいながら暖炉でソーセージを焼いている。空腹には辛い誘惑におなかを抑えた。さっき食べた量では全く足りなかったダドリーがそわそわして伯父に叱られているのが気の毒になるほど、あたしも空腹だった。

「その太っちょは充分食っとるだろうが。ほれ、ハリー。……ひぇ、ト、トリーも、こっち来い」

 ハリーに睨まれたハグリッドが慌ててあたしにも声をかけた。放置しているとはいえ、慣れない呼ばれ方は非常にむずがゆい。

 それに空腹ではあるけれど、ソーセージを串ごと渡されても素直に齧る気になれなかった。

「これ、あたしたちだけで食べるの?」

 ハグリッドが用意したソーセージは八本。ダドリーに分けたって困る量じゃない。

「嫌だな」

 伯父と伯母は外聞に悪いのであたしたちが飢えて死ななければいいくらいに思っているが、ダドリーは違う。

 先日、ダドリーの誕生日に出かけた動物園でも自分にだけアイスクリームを買わせないように画策したり、フルーツパフェを少し食べてから「やっぱりチョコがいい」と我が儘を言うふりをして、フルーツの方をあたしたちに譲ってくれた。お茶の時間に人数分のお茶請けがあるのだって、ダドリーが伯母に物申して改善を図ってくれたからなのだ。

「これダドリーにも分けていい?」

 いつの間に切り替えたのか、ハリーがあどけない表情でハグリッドを見上げた。眼鏡越しにきらきらと二つのエメラルドが輝く。台詞も相俟って心優しい純真な少年さを際立たせた。

「いいよね?」

「……お、おう」

 あざとさも武器のうち。

 いつかそんなことを言っていた。

 相手に譲歩させるためならハリーは自分の可愛さを最大限生かす。そして、その威力は絶大だ。大抵の大人がコロッと騙されているのを横で何度も見てきた。

「はい、ダドリー」

 伯父さんにきつく睨まれても気づかない振りをして、ソーセージを差し出す。

「一緒に食べよ」

「いいのか?」

 戸惑った顔で言うダドリーに、ハリーがにっこりした。

「どうぞ」

 やっぱり空腹だったようで、がつがつとソーセージに齧りつくダドリーを見遣ったハリーの口許がほんの一瞬、無邪気とは無縁の笑みを浮かべるのを見た。

 真意を正確に理解して頭を抱えたくなる。ハリーは親切を装ってダドリーを毒見役にしたのだ。まだハグリッドを信用してないからといえば聞こえはいいけど、いくらなんでもそれはひどくない?

 視線に気づいたハリーは悪びれることなく微笑んで、

「冷めないうちに食べようよ」

と、まだ湯気の立つソーセージをあたしの手に持たせた。

 ぐぬぬ。

 一本目のソーセージをさっさと食べたハリーは、ありがたみのかけらもなく適当にケーキを切り分けて配った。

「それで、ホグワーツの人がなにしにここへ?」

 再度聞いても地名にてんで覚えがない。

「ホグワーツを知らんのか?」

「知らない」

 ケーキを頬張りながら首を振るハリーを見て顔を青ざめさせたハグリッドが凶暴そうな表情で伯父と伯母を睨んだが、すぐにハリーの方に向き直った。

「手紙を受け取ってないのはわかっとったがな、ホグワーツを知らんとは驚きだぞ。両親の話を聞いて不思議に思わんかったか?」

 随分昔、一度だけ伯母に両親の話を聞かせてほしいと頼んだことがある。あたしはそれを今でも後悔している。

 ひどい言葉で突き放す寸前に伯母が見せた顔が忘れられない。それでもなお話せと言えるやつの血は赤くないと断言しよう。抱えているものが今でも伯母を苛んでいるのだと、まだ小さかったあたしでも理解できたのだから。

 黙り込むあたしたちに、ハグリッドが下手くそなウィンクをしてみせる。

「おまえ……さんたちは魔術師なんだ。ちゃーんと勉強すりゃ凄腕になるぞ」

「何かの間違いじゃないのそれ。生まれてこの方、魔法なんか使ったことないよ」

 ねえ、と同意を求められて頷く。

 ハリーのあれはどっちかというと超能力だ。精神感応(テレパシー)念動力(サイコキネシス)瞬間移動(テレポーテーション)。坊主にされた髪が元に戻ったのは何に分類されるんだろう?

「黙れ! いい加減にしろ!」

 伯父が叫んだ。

「それ以上言ってみろ! ただじゃ済まさんぞ!」

 怒り狂う伯父の陰で、伯母が血の気の失せた顔で慄いている。

「なんだと? ダンブルドアの期待を裏切りやがったくせに! ただじゃ済まんのはおまえらの方だ!」

「頭のおかしいジジイのことなぞ知らん! 貴様らのせいで、うちがどれだけ迷惑を被ったと思っとる!」

「ダンブルドアを侮辱するな!」

 ハグリッドが拳を振り上げるのを見て血の気が引いた。伯母さんが殺されるかもしれない。

「やめろ!」

 今にも二人を食い殺そうとしているようにしか見えないハグリッドの背中によじ登って、ガツンと踵を後頭部に叩きつける。

「伯母さんから! 離れろ!」

 二回、三回と繰り返してやっとハグリッドが我に返ったように身じろぎした。

「トリー? なんで怒ってんだ?」

 四度目の踵落としを寸前で止めて息をつく。

「怒るに決まってるでしょうが! あんたみたいな怪力野郎が伯母さんを脅すなバカ!」

 こいつがどういう環境に生まれ育ったか知らないが、プロの格闘家は武器を持っていなくてもその拳で人を殴れば問答無用で犯罪扱いになる。体そのものが凶器だからだ。こいつはさっきドアを吹っ飛ばしている。つまり、格闘家と同等かそれ以上ということだ。

 ハグリッドの肩の上から様子を窺うと、伯母は今にも倒れそうな顔で震えていた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 ハグリッドがようやくここに来た目的を話し始めた。あたしたちの両親は魔術師(ウィザード)だったらしい。

 それはあまりに荒唐無稽だとハリーが言った。

「両親は交通事故で死んだって聞いたよ」

 これがまた地雷だったようで、ハグリッドがぶち切れるのを火かき棒で脛を打って止める羽目になった。あたしはサーカスの動物使いじゃない。

 それよりも伯父が途中で何度も話を遮ろうとするのを伯母が悲痛な顔で止めていて、こっちの胸が痛くなってきた。両親やホグワーツのことって、どうしても聞かなきゃいけないのだろうか。

「ハグリッド」

 ハリーが首を傾げた。

「僕達は伯母さんの家で結構上手くやってるんだ。魔術師にならなくても生きていけるよ」

 それを聞いたハグリッドは虚を突かれたように目を逸らして、それからおずおずと言った、

「すまねえ。そういうわけにはいかねえんだよ、ハリー。少なくとも『おまえさんには』戻ってもらわなきゃならんのだ」

「それって」

 言いかけたあたしより大きな声を上げたのはハリーと、今まで黙って話を聞いていたダドリーだった。

「「はぁ?!」」

 二人とも息がぴったりだ、とかいつものようにからかう余裕は存在しない。ダドリーがここまで怒りに震えて眦を上げるのを、あたしは今の今まで見たことがなかった。

「どういうつもりだ」

 予想外の方向から攻撃されたからか、ハグリッドはぽかんとしてダドリーを見つめている。

「ハリーとアレンは二人きりの家族なんだぞ! 周りに継子だなんだっていじめられてもどうにかなってきたのはいつも二人一緒だったからだ! なのにハリーだけおまえらの所に来いとはどういう了見だ!!」

 あたしやハリーとの喧嘩でもこんな剣幕になったことはない。ハグリッドに掴みかかるダドリーを宥める。

「待って待って、何か理由があるんだろうからまず話を聞こう?」

 その横でハグリッドの手から落ちた手紙を拾い上げたハリーが宛名を確認しているのに気づいた。眼鏡越しのエメラルドを目蓋が隠したのはほんの数秒で、再度開かれた時には、もうなにかを心に決めたようだった。封筒を破る音がする。

「僕らが魔術師だとして、どうしてもあなたたちの所に行かなきゃいけない理由を聞かせてくれないかな。……何か、あるんでしょう?」

 視界の端で伯母が泣き崩れる。

 やっぱり。

 伯母はハリーを嫌っているわけじゃなかったんだ。両親をわざと悪く言ったり、あたしたちに辛くあたったり。そんないろいろは両親、いや、母に対する思いからだったんだ。

 何年も前に伯母がハリーを見て言ったことがある。

「あの子の目は母親と同じね」

 ハリーに冷たくしきれない理由。あたしを好ましく思わない理由。

 あたしとハリーは見た目が似ていない。どちらかといえば、あたしは伯母の方に似ていた。

 母は伯母の妹だから似ていても変じゃないけれど、伯母はそれを嫌がった。母と同じ目をしたハリーと伯母に似たあたしの仲が良いのが気に障るのだと察したのもその時だった。

 ハグリッドの説明を聞きながら、長く抱えていた疑問が解消されたことに息をつく。

 伯母が頑なに隠していたこと。伯母は伯母なりにハリーを思って、魔術師の世界とは無縁のまま生きさせようとしていたのだ。ハリーが母のように殺されないために。

 ハグリッド曰く、両親を殺したヴォルデモートとかいうテロリストをハリーが倒したという。でもどうやったのかはわからないそうだ。

 交通事故で負ったと聞いていたハリーの額の傷はその時のもので、だから少し奇妙な形なんだとか。ハリーがこっちを見た。

「アレンの傷もそうなの?」

 あたしの首には目立って大きな傷跡があるので、人に見られないようにいつも布を巻いている。既に身近な誰もが見慣れたそれがハリーの傷とは違うものだとどうしてか気づいていたので、ハグリッドの「違う」という返事にも驚きはない。

「アレンは落ちてきた屋根の木材で首を切ったんだ。死ぬかもしれんという傷だったが、止血魔法で生き長らえた。それが誰かの仕業かはわからんがな」

 ハリーが呪いを受けた夜に何故かヴォルデモートとかいうのが消滅して、その置き土産であたしは怪我をしたのか。そして、それをハグリッドや他の人が来る前に知って駆けつけた何者かがいる。彼らの世界にあたしを助けてくれた恩人がいるのは間違いない。

 探してお礼を言えたら、という気持ちはある。でも、声を殺して涙を流している伯母を放って出ていくのは、あまりに薄情じゃないだろうか。

 考えている間にも連れ戻さない選択はないとばかりに、ハグリッドはハリーがどれだけ有名なのか、どれだけ素晴らしい功績を成したのか喋っている。何をしたかはともかく、これだけあからさまに期待されるとしんどそうだ。

 その点、特に活躍していないあたしは戻る必要もない。行かなくてもいいなら残る、と口に出すよりも早くハリーが口を開いた。

「僕はアレンが行かないなら行かないよ。絶対行かないからね」

 口は笑みの形を作っていても、目が全く笑ってなかった。こうなったハリーは梃子でも動かないのは経験で知っている。

「ねえ、これ逃げられないやつだよ? 嫌だって言っても聞いてもらえなくない?」

「聞かなくても言うよ。あっちが一度でもアレンを『要らない』って言ったんだ。それってひとのことバカにしてるよね?」

 ハリーは感情が大きく揺れると必ず奇妙なことが起こるので、滅多なことで声を荒げない。今もそうだ。声がいつも通りでも怒っているのは明白だった。

「要らないとは言ってないぞ?!」

 冷や汗をかきながらハグリッドが弁明するのを、ハリーは冷ややかにあしらう。

「言ったも同然だよ」

「しかし、おまえさんが戻ってくれないと」

 ダドリーが怒ったのと同じく、ハリーもまたあたしを蔑ろにしたのを怒っている。ガベルを一打ちして有罪(ギルティ)と宣言する裁判官のように言い放った。

「知るか」

 見た目や口調がおっとりしているから騙されるだけで、ハリーは温和でもなければ優しくもない。己と敵対する者に一切容赦はない。

「あんたは『たまたま』『運良く』生き残っただけの僕たちに何を求めてるのさ? 嫌がる伯母さん一家に世話を押しつけて十年も放置しておいて今さら帰ってこいって何? ていうか何様?」

「いや、だからその、これはダンブルドアがお決めになったことで」

「ダンブルドア? 何者なのそいつ」

「ホグワーツの校長だ」

「へえ。じゃあ、僕が入学しなければ面目丸潰れだね」

 ハリーがそれはもう朗らかに笑った。

「僕らは予定通りストーンウォール校に行くよ。ね、アレン」

 きゅっと両手を握られて答えに窮する。

 ハリーとダドリーの気持ちを考えればハリーに一人で戻れとは言えないし、ハリーが行かないという道が残されていないのもハグリッドの態度で理解している。あたしに案内が届いていてもあたしは必要とされておらず、伯母の気持ちを考えれば余計行くとは言い難い。

「あのさ」

 言葉を間違えないように頭を絞る。

「ハリーはお父さんやお母さんが行った学校に興味ないの?」

「ん? ないとは言ってないよ? 行かなきゃ死ぬものでもないってだけで」

 いかにもな答えをありがとう。

「あっちでハリーが必要とされてるんじゃない?」

「ええー? 今さらノコノコ現れて『英雄様、どうぞお帰り下さい』なんてどの面下げて言ってんのって感じ。ダンブルドアとやらが何を画策したのかはともかく、それに乗ってやる義理なんてないよね」

 ご都合主義に反吐が出るってことですね、わかります。

 ハリーはちょっと困った顔をして首を傾げた。

「アレンは僕と離れたいの?」

「そんなわけないでしょ!」

 即答して後悔する。

「ほらね。アレンも僕と離れたくないって」

 笑顔でハリーが言ってのける。このままでは取りつく島もないと気づいたハグリッドが半泣きであたしに縋った。

「トリー、頼む! ハリーと一緒にホグワーツに行くと言ってくれ!」

 だからトリーって呼ぶのはやめてってば。なんてツッコミは野暮か。

 失言をかましたのはハグリッドだ。でも、きっかけはあたしの気持ちをハリーが的確に見抜いたこと。要するにあたしのせいで修羅場になったのだ。

 ハリーは物心つく頃には他人の思惑を読める子だった。心を覗かれていると思う人も少なからずいたし、気持ち悪がられた時期もある。そんな中でも、とりわけあたしの心はいつも的確に見抜いた。

 生まれる前からの付き合いだから仕方ない。それがこの状況を作っていたとしても、ハリーを責めるのは間違っている。

 あたしが覚悟を決めるしかなかった。

「わかった。あたしもホグワーツに行くよ」

 これでいいんだよね?

 ああ、伯母に顔向けできないな。

 母だけが魔術師に生まれて、きっと辛かったんだと思う。何より置いていかれるのが悲しかったに違いない。

 自分の知らない世界に飛び込んでいく母を、この人はどんな顔で見送ったんだろう。

 あたしだけでも彼らのいうマグルに生まれていれば、伯母も少しは救われたのかな。

「アレン」

 ダドリーがあたしの肩を叩いた。

「母さんのことは俺が何とかしとくから、おまえは自分のことをちゃんとやれ」

 言われて気づいた。

 伯母はひとりじゃない。ダドリーも伯父もいる。あたしが側にいなくても支えてくれる人がいる。ハリーはあたしがいなかったら、あっちでひとりぼっちになってしまうのだ。

「うん」

 心がすっと軽くなって息をついた。なんだかんだいっても、ほんの少しお兄ちゃんなだけはある。

「そうそう。アレンは僕のことで手いっぱいだからね」

 すました顔でのたまうハリーに軽い肘鉄を食らわして笑った。ハリーもダドリーも笑った。

 そんな温かなやり取りの横でハグリッドが大急ぎで手紙の返事をしたためているのは、見ないふりしておこう。

 




ハリーはダドリーを嫌ってはいないけれど、アレンほど大事でもない。


首の怪我に言及してる辺りをちょっと訂正(2020/04/07)


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第三話 ベリルガール

 

 

 目が覚めたら、もう日が昇った後だった。

 起き上がって思いっきり伸びをする。

「まだ寝てていいのに」

 ハリーが見たことのない小さな巾着を手に笑った。

「じゅうぶん寝たよ」

 そう答える端から大きな欠伸が出る。体のあちこちが強張っているのは、ハグリッドの重いコートにくるまって寝たからだ。

 コートには数え切れないほどたくさんポケットがあって、なんでもかんでも詰め込んであるようだ。その証拠に、コートを退けたあたしの手に可愛いヤマネが乗っかって黒い目をパチパチ瞬かせている。

「気をつけなきゃダメだよ。ハグリッドはケーキすら尻に敷く男だ。きみなんて気にかけずに踏んづけちゃうかもしれない」

 ハグリッドに踏ませるくらいなら野に放してやりたいが、生憎とここは絶海の孤島じみた岩場だ。小さなヤマネでも生きていくには厳しいのはわかる。当のヤマネはわかっているのかいないのか、しきりに顔を洗っていてとても可愛い。

 バサバサと大きい鳥の羽ばたく音が遠ざかる。あたしは二度目の欠伸をした。

「はい」

 キャップを外した水のボトルを顔の前に出される。

「ありがとう」

「持ってきてよかった」

 自分で思っていたより喉が渇いていたみたいで、一気に半分くらい飲んでしまった。昨夜は紅茶を少し飲んだだけだったし。……あれ?

「ねえ、岩場(ここ)に湧水なんかないよね?」

 あの紅茶の水はどこから現れたのか。

 血の気が失せたあたしを見て、ハリーはなんとも言い難い顔で首を傾げる。

「魔法じゃないの」

「へ?」

「僕らを迎えに来たハグリッドも魔術師(ウィザード)なんでしょ」

「水芸使って出したとでもいうのかよぉ」

 魔法でポンポン水を生み出すの? マジで? 制約もなしに?

「たぶんだけど物理法則を無視してるんじゃなくて、魔力を物質を変換してるとか、もっと簡単な方法を使ってるんじゃないかな」

「んん?」

「だからね、魔力──例えるなら電気でもいいけど、それで空気中の水分を集めてこう」

 ハリーは両手で空気を圧縮する真似をした。

「水になるのかなって」

「砂漠地帯だとできないねそれ」

「地下の水脈から引っ張ってくるのでもいいよ」

「それなら大抵の地球上でいけるかも」

 不意にソファの軋む音がしてハグリッドが起き上がった。

「何をコチャコチャ話してんだ?」

「「魔法で水を生み出す原理について」」

「原理? そんなもん気にするこたあねえよ」

 その返事に顔が引きつった。ハグリッドは魔術師なのに原理も知らずに魔法を使っていると?

「アレン、言いたいことはよーくわかるけどね。世の中の大半の人は『何で水道から水が出るんだろう?』なんてまず考えないでしょ? それと同じだよ」

 杖を振り振りシャランラーで水が出るのかそうか。

 あっちもこっちもヒトは深く物事を考えない生きものであることに大した違いはないらしい。それで生きていける便利さがあるんだ、と自分に言い聞かせる。

 物の原理がわからなくても水道や冷蔵庫が使えるのと同じ、同じ。よし。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 昨日のケーキの残りを朝ごはんの代わりに食べて食休みを終えると、ハグリッドが出かけると言いだした。

「出かけるってどこに」

「そりゃあ、学用品を仕入れに決まってる」

 鞄からメモ帳を出してページを一枚ちぎる。買いものに行って直接家に帰ると書きつけて、ダドリーの鞄の上に置いた。

「行こう、アレン」

 手を引かれるまま小屋の外に出て、ふと首を傾げる。

「ハグリッドはどうやってここに?」

「飛んできた」

「とっ、……そう」

 深く追及しても意味がなさそうだ。傘で船を叩いたら勝手に動くのも魔法だと割り切るしかない。それよりも伯母一家が帰れないと困るので、岸についてすぐ船を戻してもらった。

 近くの停車場からバスに揺られ、列車を乗り継ぎ、ロンドンくんだりまでやって来た。そこまではいいとして。

「ロンドンで買いもの?」

 ロンドンなんて数えるほどしか来たことはなくても、常識的に考えれば杖だの大鍋だのがここで買えるなんて思えない。

 半目になるあたしたちにハグリッドは肩をすくめて見せた。

「店を知ってりゃ買える。こっちだ、ついて来い」

 どんどん歩いて行くのを追いかけて少し。本屋とレコード屋の間に挟まれた薄汚いパブの前でハグリッドが立ち止まった。

 まさか闇の商人からでも買うとか言わないよね? そんなのいくらかかると──、あ。

「ちょっと待って!」

 図らずも大きな声が出た。

「お金! あたしたち、お金持ってない!」

 あまりに何も言われないのですっかり忘れていた。買いものをしたければ金銭は必須じゃないか。

 ハグリッドが円らな黒い目をパチパチさせて唸った。

「心配すんな。おまえさんたちの両親が、ちゃーんと残してくれてるからよ」

 ん?

「へえ、両親は僕たちに財産を残してくれてたんだ?」

 ハリーが冷ややかに言った。

「それ今まで誰がどうしてたの? 僕らの養育費をそこから出して、ちゃんと伯母さんに渡した?」

「そ、そういうことを俺にきくな!」

 同年代の中でも背の低いハリーと二メートルは下らないハグリッドの勝負は決着まで十秒。勝者はハリーだ。

「どうせ何もしてないんでしょ」

 ハリーはそう吐き捨ててドアに手をかけた。外観の薄汚いパブは、中も薄汚かった。もっと丁寧に掃除したらいいのに。

 店内を見回していたら奥からしゃがれ声がした。どうやらハグリッドに話しかけているみたいなのでスルー。と、急にしゃがれ声に黄色が乗った。

「な、なんと! あのハリー・ポッターさんか!」

 ハリーは本当に有名なんだな。

 面倒ごとの匂いを察知してさっさと距離を取れば、予想通りハリーがあっという間にたくさんの人に囲まれてもみくちゃになったので、適当に空いた椅子で騒ぎが収まるのを待つことにする。

 人気者は大変だなー(棒読み)。

「こ、こ、こんにちは」

 突然、後ろから物凄くどもった人に話しかけられて、店内にいた人はみんなハリーの方に行ったと思っていたあたしは飛び上がるほど驚いた。

「はい?」

 振り返ると、椅子に座っているのに見上げるほど背が高く痩せた神経質そうな若い男の人がぎこちない笑みを浮かべて、あたしにグラスを差し出した。

「──っき、君はハリー・ポッター君の、つ、連れなのでしょう? ま、まだ、し、し、暫く解放され、されないと思いますよ」

 グラスに水が入っている。待つならこれを飲んでいればどうかってことかな?

「ありがとうございます」

 なるべく愛想よくお礼を言った。でも、グラスを受け取ろうと手を出しただけなのに驚かれて、こっちまでびっくりする。

「大丈夫ですか?」

「だ、だ、大丈夫です!」

 親切だけど人見知りなの? あ、もしかして潔癖症かな?

 家の中の汚れをひとつも見逃さない伯母がチラッと頭をよぎる。

 親切な人はクィリナス・クィレルと名乗った。

「ホグワーツで先生をされてるんですか」

 こんなおっかなびっくりの人が教師をしていることに驚く。親切だし優しそうな人だけど、生徒を叱ったりできるのかな。

 なんて、そこはあたしが気にしても仕方ないか。

「あたし今度の九月に入学なので、また学校でお会いできますね」

 そう言ったら、クィレル教授はおどおどしながら、

「え、ええ」

と頷いて、伏し目がちにこっちを見た。

 サファイアのように硬く濃い青が白い頬を際立たせている。なんて綺麗な人だろうと思った。

「き、君の、な、な、名前はなんというのですか?」

「あたしはアルトリアです。アルトリア・ポッター」

「アルトリア」

 先生が震えた少し高い声で復唱した。そう呼ばれるのが久し振りでちょっと照れる。

「仰々しいでしょう? みんなにはアレンって呼ばれてるので、よかったら先生もそう呼んでくださいね」

 たははと笑ったあたしと目が合ったクィレル教授は、顔を赤くして目を逸らした。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇ 

 

 

 

 ハリーが解放されたのは時計の長針が半周した頃だった。

「疲れた」

 横に座ったハリーは、あたしの顔を見るなりグイグイとほっぺたを引っ張り回す。

「なーんで一人で逃げたのさぁ?」

「ひんはひょうははふのはハヒーははへはひ、ははひはほひゃはははーっへ」

「なに言ってんのかわかんない」

「ひひゃいひひゃい」

 そりゃあそれだけ人のほっぺたを引っぱっていれば、わかるものもわからないでしょうよ。

 呆れつつ好きにさせていたら、先生がおろおろと声をかけてきた。

「あ、あ、あの、お、女の子の顔に、そ、そ、そんなことしちゃいけません」

 ハリーは冷凍庫から出したメロン味の棒アイスよろしくキンキンに冷えた目で先生を見遣った。止めてくれるのはとても嬉しいけれど、ハリーは今すこぶるご機嫌斜めなんです。

「どちらさま?」

 震え上がるほど怯えているのを放置するのも憚られたので、ハリーの手を解いて説明した。

「ホグワーツのクィリナス・クィレル教授だよ。防衛術って教科を教えてるんだって」

「い、いえ、お、お、教えることに、なり、ました。い、い、以前は、マグル学を」

「そうなんですか」

 ハリーがよそ行きの笑みを浮かべた。

「はじめまして、ハロルド・ポッターです」

 愛想がよく物怖じしないし、多少ボロを着ていても英雄だと言われれば納得するほどのオーラをハリーは持っている。

 その出しどころもよく心得ていた。

「ど、ど、どうも」

 クィレル教授はひどく遠慮がちな様子で、差し出されたハリーの手を握り返す。その時、ハグリッドの呼ぶ声がした。

「呼ばれてるね。行こう、アレン」

「うん」

 椅子を下りて、クィレル教授を見上げた。

「これから学用品を買いに行ってきます。また学校で」

 ハリーを追いかけようとしたあたしは腕を掴まれて立ち止まる。

「先生?」

 どうかしたのかと振り返って見上げた。

 クィレル教授は何度も、口を開けたり閉じたりを繰り返す。吃音の様子からして、言葉を発するのが大変なのかもしれない。

 クィレル教授がとても深刻そうな顔で片手を口許に添えて身を屈めたので、あたしも背伸びして耳を寄せた。

「……気をつけて」

 それはどもりも震えもしていないけれど、小さく、躊躇いと戸惑いの混じる囁きで。

 気をつけるって何に? 迷子にならないように?

 あたしって注意力散漫そうに見えるのかな。でも、心配されて悪い気はしない。

「はい」

 魔術師の子供が通うのはどんな学校なのか本当は不安だったから、生徒(になる子供)を気にかけてくれる先生がいることにとてもほっとした。

 遅れて側に駆け寄ったあたしの手をハリーが握った。いつもより力がこもっている。緊張してる?

「アレン」

「なに」

「あの人と仲良くしないで」

「なんで?」

「上手く説明できない」

 珍しくハリーが乱暴に手を引いた。

「なんだろ、何か嫌な感じがした」

 曖昧すぎだよ。

 ハリーの表情を見ると、先生はあたしが迷子にならないか心配してくれただけだよとも言えなくて頷くだけに留めた。

 いきなり魔術師の英雄だなんて言われまくって少し混乱しているのかも。ハリーは元々目立つのを好まない子だし。

 この先も騒がれるのは目に見えているので、あたしはなるべくいつも通りにしていようと思った。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ハグリッドが案内の最初に言った。

 グリンゴッツのゴブリンともめるべからず、と。

 だが、ちょっと待ってほしい。銀行員とわざわざもめようとしてもめる人がいるの?

 グリンゴッツは魔術師にとって唯一の銀行で、重要な金庫は物騒な呪いがかかっていたりドラゴンが守っていたりするらしい。そこにわざわざ強盗に入ろうなんてやつがいたら、それはもう頭がおかしいとしか思えないそうだ。

 狂気の沙汰だ。

 ハリーが魔法省について尋ねている。こっちにも役所があるって、それはないと困るな、うん。

 タンブルウィードの如く話題は転じていくうちにクィレル教授の話も出てきた。なんでもここ一年ほどどこかに修行に出ていて、森でヴァンパイアに遭遇したり、そいつに血を吸われた犠牲者(死人?)に追い回されたりと散々だったそうだ。そのせいで、元々神経質なのに今じゃ何にでも怯えるようになったんだとか。

 ふむふむ。

 別れ際に言ってたのはそういう? でも、あれじゃまるですぐ近くに何かいたみたいな。

──「みたい」じゃなくて、本当に「いた」としたら?

 思い至ってゾッとした。

 もしかして、ハリーが感じたのもそれ?

 来た道を振り返り、戻るべきか否かの答えは数秒で出た。

 あたしが行っても役に立たないから戻らない。

 クィレル教授は防衛術を教える人だ。ヴァンパイアから逃れてこれたのなら、魔法の「ま」も知らないあたしが戻って足手纏いになるよりも本職に任せた方が確実だろう。

 ぐいと手を引かれた。

「アレン」

「わかってる」

 グリンゴッツは白亜でできているかのように真っ白な建物だった。

 入口に立つゴブリンにお辞儀を返して青銅の扉を潜る。中にある銀の扉には文言が書いてあった。大雑把にいえば泥棒すんなよと。

 中はかなり広い大理石のホールで、カウンターの向こうに何人もいるゴブリンたちが仕事をしている。これはよそ見していたら迷子になりそうだ。

 ハグリッドがカウンターに向かうので追いかける。

 ポッター家の金庫に行きたいんだけど。鍵はあるかい。ええっと確かここに。

 そんなやり取りをしてから、ハグリッドはポケットをいくつも引っくり返した。はずみで骨の型のビスケットをばらまいたハグリッドを見てゴブリンがめちゃくちゃ嫌そうな顔をする。客じゃなきゃ追い出されても文句は言えない。

「あれすごいね。ルビーかな?」

 ハリーが指さした方を見ると、右側にいるゴブリンが大人の握りこぶしほどもある真っ赤な宝石を山のように積んで、ひとつずつ重さを測っていた。

「たぶん」

 ハグリッドが鍵を見つけたようだ。ゴブリンは金色の鍵を見て「承知いたしました」と言った。

「これはダンブルドアからだ」

 ハグリッドがゴブリンに手紙を渡す。

「七一三番金庫の例のものについて」

 手紙を確認したゴブリンが重々しく頷くと、急に空気が薄くなった気がした。

 案内はグリップフックというゴブリンがしてくれるそうなので、挨拶として軽く頭を下げたら変なものでも見るような目を向けられたんだけど。何故。

「七一三番金庫に何があるの?」

 ハグリッドを速足で追いかけるハリーが言う。

「それは言えん」

 極秘だなんだと思わせぶりな態度でハグリッドは詳細を避けたが、それは気にしてくれって言ってるのも同然だ。

 先に行ったグリップフックがドアを開けた先は暗い。通路を覗き込むと松明が照らしている。その向こうに線路があるんですがこれは。

 口笛の音がしたと思ったら、無人の小さなトロッコが勢いよく走ってきて止まった。これも魔法で動いているのかな。

 ハグリッドがひどく幅を取ったものの、どうにか乗り込んでトロッコが発車する。

「アレン、ねえ、大丈夫?」

 はっとして周りを見るとトロッコが止まっていた。いつの間に。

「発車した途端に、目を開けたまま気絶してたよ」

「マジか」

「マジだ」

 周りを見る余裕すらなかったとは。不覚。

 緑色の煙が足下に流れてくる。グリップフックがもう金庫を開けていた。

 両親はどのくらいの財産を残してくれたんだろう。おそるおそる中に入って、ぽかーんとした。山積みの金銀銅がザックザク。

 待って。これを全部両親が?

「すごいねえ。これ僕らのお金だって」

「あっちだとどのくらいの金額になるのかな」

「さあ?」

 レートが知りたい。

「金庫ってひとつだけだよね?」

 ハリーが声をかけると、トロッコで酔ったらしいハグリッドはよれよれしながら答えた。

「ああ」

「僕名義のだけだとアレンが困るから、きっちり半分に分けてもうひとつ金庫を作ってよ。アレン名義で」

 どんどん話を進めるハリーを手で制した。

「待って待って。大丈夫だよ、また一緒に来ればいいじゃん」

 ハリーはむっとして首を振った。

「ダメ。僕とアレンは分身でもなんでもない別の人間なんだからね。もしまかり間違って僕が鍵を持ったまま行方不明にでもなったらどうするの? 困るのはアレンだよ?」

「……わかった」

 それぞれのリュックにお金を詰めている横でハグリッドがお金の説明をした。

 ガリオン、シックル、クヌート。二十九クヌートで一シックル、十七シックルが一ガリオンだと。

 覚えにくいな。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 その後で二つ目の金庫に行ったはずなのに、再度ハリーに起こされた時にはトロッコの乗り場に戻っていた。

「なんで起こしてくれなかったの?」

「すぐに用が済んじゃったんだ」

 銀行を出る前に出したお金を一部換金しようという話になる。これまでも近所の手伝いで小遣い稼ぎはしているけれど、現金があって困ることはないはずだ。

 ハグリッドに少し時間をもらえるか尋ねたら、

「次に行く先を教える。俺ぁ『漏れ鍋』で気つけ薬もらってくるわ」

と青ざめた顔で言われた。酔うより気絶する方がマシだな、うん。

 仕立屋で多少の時間を取るとのことで、ひとまず店の名前をメモ帳に書きつけて、カウンターで出したお金を二割ほど換金した。

「今後もお金を下ろす時に二割は換えておこうね」

 ポケットにお金をしまいながらハリーが言う。

「そうだね。何があるかわからないし」

 パブでの狂乱を考えてもハリーを伯母一家に預ける必要がどこにあったのかわからない。静かに暮らせるようにという配慮だとしたら、伯母の家は不向きにすぎる。

 仕立屋の看板はすぐに見つかった。

 二人揃って入ると、ふっくらした顔立ちの、藤色の裾の長い服を着た女性がにっこりした。

「あなたたち、ホグワーツ?」

 頷くと衣類は全部ここで揃うと言われた。奥にも採寸中の子がいるというのでハリーを先に行かせる。

 先に採寸していた男の子は痩せているわけでもないのに尖った顎をしていて、肌がひどく青白い。日焼けしない体質なのか、極端にインドアなのか。顔立ちは決して悪くないのに、プラチナブロンドの髪をオールバックに整えているせいで生え際がわかりにくい。

 ぼそぼそと話し声が聞こえる。世界が少し遠い。眠りに落ちる瞬間に似た暗闇が視界を塞いだ。

 

 ぺちぺちと頬を叩かれる感覚に目を開けると、見たこともないほど甘いマスクの美少年があたしを心配そうに見下ろしていた。

「あ、気がついた」

「……へ?」

 混乱するあたしをよそに、視界に入る顔の数が二つ増える。

「よかったぁ」

 そう言って息をついたのがハリーで、

「いきなり倒れるなんてどうしたんだ? 大丈夫か?」

と眉間にぎゅっとしわを寄せているのが先に採寸していた子だ。

 で、あたしを抱っこしてる子は誰だろう。少し年上のようだけど。困っていると男の子が微笑んだ。

「気分はどう?」

「まあまあ」

 頭を振って体を起こす。

 ハリーともう一人の子は大きな布を引きずっていて、まだ採寸の最中らしいことがわかった。倒れて数分も経ってないらしい。

「顔が青いね。低血糖かもしれないよ」

「ていけっとう?」

 プラチナブロンドの子がたどたどしく復唱して首を傾げる。年上の子も困惑した顔でハリーを見た。

「ブドウ糖が足りなくて具合が悪くなること」

「ぶどうとう……?」

 グルコースとかグリコーゲンとか言ってもわからなさそうだ。

「甘いものを食べれば落ち着く症状なんだ。ねえ、きみたちこの辺りに詳しい? どこに甘いものを売ってるか知ってる?」

 少しふらふらするなぁ。何か食べた方がいいのは確かだ。

 プラチナブロンドの子がポケットから取り出したものをあたしに押しつける。見たら綺麗な銀紙に包まれたチョコレートだった。

「眺めてないで食べろ」

 横柄な態度はともかくいい子だな。

「ありがとう」

 包みを開いて口に放り込むと甘さがじんわりと体にしみた。

 先に採寸を済ませた子が「また学校で」と出て行って、あたしも採寸されることになった。

「あの、お願いがあるんですが」

 マダムに声をかけると、何かしらと声が返ってきた。

「シャツはスタンドカラーにしてもらえませんか」

「あら、どうして?」

 説明は面倒だけど話さないことには始まらない。

「首に大きい傷があるので、あんまり人に見せたくなくて」

 マダムが顔を上げて、あたしの首を見た。

「わかったわ」

「それと、下はズボンにしたいんですけど」

「長さは?」

「このくらいに短くできますか」

 太腿の半ばを手で示す。それに対してマダムは深く突っ込んでこなかった。

「ただいま」

「おかえり」

 採寸を終え、カウンターで少し話してハリーのいる所に戻る。まだ採寸を始めてなかったのか、さっきの美少年がいて言った。

「大丈夫そうだね」

「うん」

「僕はセドリック。君は?」

 握手を交わす。

「アルトリアだけど、アレンで」

「わかった。君は?」

「ハロルド」

 ハリーとも握手して、セドリックがふと首を傾げた。何を言おうとしたのか口を開きかけてやめ、にっこり笑う。

「よろしくね」

「こちらこそ」

 ハリーも笑って返した。

 コンコン、と窓を叩く音がした。外に大きなダブルのアイスクリームを手にしたハグリッドがいる。

「そろそろ行かなきゃ」

「また学校で」

 セドリックが頷いて手を振ったので、あたしたちも手を振り返した。

 




章タイトル考える度に自分のセンスのなさにげしょる


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第四話 駆け抜けた夏の残像

 

 

 アイスクリームを食べたら、視界が明るくなった。

 小さい頃にも一度低血糖で倒れたことがある。あれ以来、伯母は食事抜きの罰を与えなくなった。こうして思い返してみると伯母の継子いじめって目に余るほどでもないな。

 うちはそもそもの事情が事情だからね。

 文房具屋で羊皮紙や羽ペン、インクにワックス、スタンプを見た。

 ハグリッドによると連絡手段は手紙が基本とのことで、レターセットも籠に入れる。ダドリーに手紙を送って驚かせてやろう。

 本屋は特にすごかった。天井までぎっしりみっちりと本が並べられている。大きさも材質も多種多様だ。

「すっごい」

 適当に手に取ってぱらぱらめくってみる。ルーン文字で書かれた本だの、白紙の本だの、あっちの本屋ではまずお目にかからないようなものばかりだ。

 ハリーが手に取った本は『呪いのかけ方、解き方』。いかにも魔術師(ウィザード)の本って感じ。

 教科書以外にも何冊か読めそうな本を見繕う。こっちの礼儀や常識には不慣れなので勉強しておきたい。

 鍋屋で大鍋を買い、上等な秤を買い、折りたたみ望遠鏡も買った。ハリーは新品らしく真鍮がピカピカのやつで、あたしはアンティークっぽく燻しになったやつだ。

「アレンはそういうの好きだね」

「うん」

 水晶の薬瓶も買った。あとはなんだっけ?

 ハリーにリストを見せてもらう。

「次は杖だね」

「おお、魔術師っぽい!」

 わいわい話していると、ハグリッドがわざとらしく咳払いした。

「あー、その、まだプレゼントを渡してなかったな」

「「プレゼント?」」

 ハリーと同じタイミングで首が傾いだ。

「そんなのいいよ。ねえ」

 同意を求められたので頷いて返す。

「わかっとる。だけどな、俺はずーっと、この十年ずーっと、ハリーの誕生日を祝ってやれんのを我慢してきたんだ。頼むから俺の我が儘を聞いてくれんか?」

「僕の?」

 耳聡さに苦笑いするあたしをよそに、ハグリッドは二人の誕生日だと必死で言い直した。

「動物をやろう。梟ならふたりで使えるし、手紙を運んでくれるいいやつらだ。な? それならいいだろ?」

 どうしても何か贈りたいらしい。わたしは肩をすくめ、ハリーは深く息をついた。

「わかった」

 ぱあっと目を輝かせたハグリッドは、杖屋まで案内するのももどかしそうに来た道を戻っていった。

 直後、真横にいたハリーが素っ頓狂な奇声を上げた。目線を追うと杖屋の看板が目に入る。

「紀元前?!」

 こっちの口からも変な声が出た。

「老舗だね」

「すっごい老舗」

 ショーウィンドウに杖が一振り。あれは売りものじゃないのかな。

 店内は埃っぽく、棚という棚に幅の狭い箱が詰められている。人影は見当たらない。──と、不意に四方八方から視線のようなものを感じて生唾を飲んだ。

 シューっと奥の方から音がする。何かが滑ってきて、ガコンと音を立てて止まった。

 梯子だ。梯子が滑ってきた。

 中程に人が乗っている。

「いらっしゃいませ」

 そう言って、その人は慎重な足取りで梯子を降りた。

 ヴィクトリア朝時代の男性が着ていそうな服装の老人の色素の薄い目が、ハリーとあたしを交互に見つめる。

「ハロルド・ポッターさん、かな」

 ハリーは少し驚いた顔をして頷く。こっちでちゃんとハロルドと呼ばれることがなかったので嬉しかったようだ。

「では、そちらはアルトリア・ポッターさんか」

 今度はあたしが驚いた。ハリーは有名でも、あたしを知っている人はいないものだと思っていたから。

「はい」

 返事をするあたしを見て、老人は薄く笑った。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 オリバンダーさんは両親がどんな杖を買ったのか、懇切丁寧に教えてくれた。

 売った杖は全部記憶してるんだって。すごい、と声を上げたのが聞こえたのか、オリバンダーさんがついっとこっちを見た。

 じっと見てこられて戸惑いつつも何か言うんだろうと思って待つ。が、オリバンダーさんは唐突に棚の方を見て、くしゃくしゃしたものを取り出した。

 今の間はなんだ?

「杖腕はどちらですか」

 気を抜いたところに声をかけられて肩が跳ねる。

「な? え? 腕?」

「杖を振る腕はどちらですか」

 利き手のこと?

「右、です」

 腕を伸ばして答える。頷いたオリバンダーさんは、くしゃくしゃしたものをピンと伸ばして「測れ」と言う。くしゃくしゃしたものの正体は巻尺だった。しかも巻尺が自分で測っている。なにこれすごい。

 オリバンダーさん曰く、杖の木材は様々あるけれど、中に入れる芯は三種類に限定しているんだそうだ。材質の組み合わせも含めて一振り足りとも同じ杖はなく、他人の杖では自分の求めるだけの力が出ないともいう。

「ではアルトリアさん。これをお試しください。黒檀に一角獣のたてがみ。二十五センチ、振りごたえがある」

「試すって?」

 どうすればいいのか。

「手に取って、振ってみてください」

 渡された杖を軽く握る。特に何の力も感じないし、振っても空気を裂く音がしただけだ。

 これでいいのかとオリバンダーさんを見上げる。……いや、なんでそんなに目が爛々としてるんですかね?

 妙な気迫にたじろぐあたしの手から杖を抜き取って、オリバンダーさんが次の杖を渡した。

「松にドラゴンの心臓の琴線。二十三センチ、頑固。どうぞ、お試しください」

 今度は指先にピリリと刺激がきた。これが杖の力なのかな。

 ヒュッと勢いよく振ると杖先から可愛い火花が散る。

 またオリバンダーさんは杖を取り上げた。思案しているのか棚を見上げて唸る。

「なるほどなるほど。こちらで少々お待ちください」

 そう言ってオリバンダーさんは梯子に登った。梯子が滑っていって姿が見えなくなる。

「杖っていうから先端にでっかい宝石でもついてるのかと思った」

 離れた場所で見ていたハリーが側に来て言う。

「持ってみてどう?」

「二本目は指にピリってきた」

「へえ」

 オリバンダーさんが戻って来ると、ハリーはスッと距離を取った。

「林檎にドラゴンの心臓の琴線。二十六センチ、極めてしなやか。どうぞお試しください」

 その杖は今までの杖とは違った。

 持ち手に見たこともない、美しい記号のような文字のようなものが彫られている。それ以外は節のひとつもなく、すらりとまっすぐでシンプル。

 不思議に思ったのは、今初めて目の前に出されたのに生まれた時から側にあるような親しみを感じたことだ。

「じゃ、じゃあ、試します」

 僅かな緊張を振り払って杖を持った瞬間、これだと確信した。

 あたしは思いきり振らずに空気を優しくなでるように振る。そうした方がより良い気がした。

 すると、指先からなにかが流れ出る感覚とともに、輝く赤い光のリボンが杖を振った軌跡を追うようにして中空にたなびいた。

──すごい。

「ブラーヴォ!」「うわぁ」

 オリバンダーさんとハリーが同時に声を上げる。

「お見事です、アルトリアさん」

 穏やかに笑ってオリバンダーさんは言った。

「あなたはよい魔女になりそうで、本当に楽しみですね」

「わかるんですか?」

「私は杖の作り手ですから、杖がどのような持ち主を選ぶのか、わかることもありますの。……それはとても良い杖です。大事にしてやってくださいね」

 杖をなでるオリバンダーさんの目はとても優しい。

 本当に杖が好きでこの仕事をしているのがわかって、あたしは微笑みながらしっかりと頷いた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 次はハリーの番だ。

「どうぞお試しください」

 ハリーは何度となくこの台詞を言われた。だってまだ杖が見つからないのだ。

 後ろから見ていても相当うんざりしているのがわかる。逆にオリバンダーさんの目は爛々としていて、手強い客にテンションが上がっているようだった。

 もう三十振りくらい試したよね。ああ、今日中に見つからなかったら困るかも。

 椅子を見つけて腰かける。

 それからさらに十振り試した辺りでオリバンダーさんが肩で息をしながらハリーを手で制した。

「ちょっと、……もうちょっとだけ待ってもらえますか。今度こそ見つかりますので」

 よろよろしながら梯子を登って、また姿を消す。体力的に大丈夫なのか心配になってきた。

「僕ってそんなに難しい客なの?」

 苛立ちを含んだ棘のある声でハリーが言った。

「相性とかあるんじゃないかな」

「ふうん」

 オリバンダーさんは梯子を降りるなり走って戻ってきた。

「これは滅多にない組み合わせですよ。──柊と不死鳥の羽根。二十八センチ、良質でしなやか。どうぞ、お試しください」

 取り出された杖が、ぐん、とハリーに意識を向けたのがわかった。入った時に感じたあれは杖の視線だったのか。

 理解した瞬間、全身から血の気が引いた。半歩後ずさったあたしに気づいたオリバンダーさんが人差し指を口の前に立てる。『しーっ』のジェスチャー。黙ってて、ってこと?

 店内が赤と金の光で明るくなった。ハリーの杖が見つかったのだ。

「アレン」

 はっとして顔を上げる。ハリーが目の前にいた。

「七ガリオンだって」

 杖の代金をまだ支払ってなかった。慌ててリュックの中から金貨を七枚出してカウンターに置く。

「あなた方が、」

 金貨をしまいながらオリバンダーさんが言った。

「双子に生まれて本当によかった。彼もそうであれば何かが違ったのかもしれませんが、もう過ぎたことですね」

「彼?」

 誰だ。

「お世話様でした」

 あたしを自分の背中で隠すようにしてハリーが言った。

「行こう。ハグリッドが待ってる」

 腕を掴んだハリーの手が震えている。何かあったのかもしれない。

 オリバンダーさんに視線を投げても意味ありげに微笑むだけで何も言わなかった。

 ドアベルを鳴らして通りに出る。目を刺す光が赤い。

 待ち構えていたハグリッドが純白の梟が入った籠を掲げて「誕生日おめでとう」と言った。

「綺麗な子だね」

「名前、考えなきゃ」

 ハリーが笑顔でお礼を言うと、ハグリッドは顔を赤くして向こうを向いた。

 仕立屋で頼んだ服を受け取ってパブに戻る。カウンターの以外に人の気配はない。クィレル教授の姿も見当たらなかった。

 地下鉄に乗って帰路についた。メモ帳に、今日あったことや得た情報の整理をしながら書きつけていく。そうしないと頭がパンクしそうだった。

 ハリーはずっと黙りこくったまま梟の羽を指でなでている。

 パディントン駅の構内に出るとハグリッドが言った。

「電車が出るまで時間がある。飯でもどうだ?」

「遠慮しとく」

 ハリーの即答にハグリッドが萎れた。

「ここまでありがとう。アレン、一緒に来て」

「うん」

 荷物を引きずって歩きだすあたしたちに、慌てた様子でハグリッドが声を上げた。

「ま、待った待った! これを渡すのを忘れてた!」

 前で通せんぼしながらコートのポケットを探るハグリッドは、目的のものを見つけてハリーに渡した。中身はホグワーツ行きの切符だと少し興奮気味に説明しているハグリッドの話を聞いているのかいないのか、ハリーは曖昧に頷いた。

「そんだけだ。じゃあ、またな」

 ハグリッドの気配が消えた。もう人波の向こうにも、あの縦にも横にも大きい影はない。

「説明不足」

 ハリーが不機嫌そうな声で言うので、

「一遍に全部はしきれないでしょ」

と返した。ハリーは、そうじゃないと首を振って、手のひらよりひと回り大きい紙きれをひらひらさせる。

「『九と四分の三番線』なんてすっとぼけた番号の乗り場が、わかりやすい所にあるわけないのに」

「あー」

 それは教えてくれないと困るわ。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 夏は瞬く間に過ぎた。

 今まで魔法に触れることなく生きてきたので、一年生で習うことはひと通り目を通しておく必要があった。プライマリ・スクールでも、最初の一年は知っていて当然のことを知っているかどうかをまず見られる。ホグワーツもきっとそうだろう。

 新しいことを知るのは楽しい。

 そんなあたしたちを、ダドリーは少し離れた所から見ていることが増えた。距離が遠くなった訳じゃなく、会話は普通にしている。

 様子からしてハリーに聞きたいことがあるようだけれど、ハリーはハリーで心ここにあらずなので話しかけにくいらしい。

 ハリーは今、自分のことで手いっぱいだった。

 自分の杖を指先で転がしながら、ハリーが話してくれた兄弟杖のことを考える。ハリーの杖にはヴォルデモートの杖と同じ不死鳥の羽根が使われているんだそうだ。

「警告されたんだと思う」

 ハリーは不服そうに言った。

 ヴォルデモートも偉大なことをしたのだ。と、オリバンダーさんは言ったらしい。

『一人殺せば人殺しだが、百人殺せば英雄だ』はチャップリンの映画だったか。その論理に従えば、ヴォルデモートも確かに英雄だろう。そのヴォルデモートを消し去った──と世間では信じられている──ハリーを英雄視するのもわからなくはない。

「不可抗力でも人を殺したかもしれない僕を敬うのは、ヴォルデモートを敬うことと大した違いはないよ」

 目を伏せて憂鬱そうに息をつく。ハリーは昔から殺人に限らず人の死が苦手だ。

 人殺しを絶賛する人は、自分がどれだけ残酷で無神経なのかわかっていない。それを思い知らされる。

「おかしいな」

「何がおかしいんだ?」

 すぐ近くで聞こえた声に飛び上がった。

「もう! びっくりさせないでよ、ダドリー」

「おまえがぼさっとしてるだけじゃねえか」

 べし、と額を押されて呻く。

「それで、何がおかしいんだって?」

「あっちには警察みたいな組織があるのに、どうして民間人のハリーが引っ張り出されるのかなって」

 ハリーが戻らなきゃいけない理由を考えあぐねて出てきた答えは『ヴォルデモートがまだどこかにいる』。このままでは否応なくハリーはテロリストの親玉の前に突き出されるということだ。それが囮としてならまだしも、民衆が求める英雄的行為という名の人殺しをするために。

「どんなに両親が優れた才能の持ち主だからって、子供もそうとは限らないじゃない? しかも、子供の頃から勇者として育てられたわけでもないのに向こうの都合であっちに行けこっちに来いってさ。そんなの本人じゃなくても腹が立つよ」

「ハリーを祀り上げることで得するやつがいるんだろ」

 憤慨するあたしに、なんでもないことのようにダドリーが言った。

「ハリーを英雄として活躍させることで、自分の地位が揺るぎないものになるやつは誰なんだ?」

「……ダンブルドア」

 ハグリッドの口から何度か聞いた名前を思いだした。

 あたしたちを伯母に押しつけておきながら、ハリーに戻るようにと手紙を寄越したホグワーツの校長。姿がわからないのもあって、あたしにはただひたすら不気味な存在にしか思えない。

「そいつに気をつけろ」

 ダドリーは、あたしの頭をひとなでして部屋に戻っていった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 八月最後の日、ハリーがトランクの中を確認しながら言った。

「伯父さんにキングズ・クロスに連れてってって頼むのは流石に可哀想かなぁ」

 子供がそこから乗車するなら家族も見送りに来るはずだ。こっちにあったとしても、伯父には頭のおかしい連中の群れがいるようにしか思えなくても仕方がない。

「公共交通機関を使った方がいいかもね」

「運賃わかる?」

「うん」

 グリンゴッツで換金した分で充分足りる額だ。乗り場は現地でそれっぽい人を探して解決を図ろう。

 翌日、少し早い時間に荷物を下まで運んで、ちょうど顔を洗いに出てきたダドリーに暫しの別れの挨拶をした。

「大荷物だな。大丈夫か?」

「うん」

 結構な重量があるといっても一人で運べないほどじゃない。今までこの家の庭仕事や買い出しを手伝ってきたので、そこらの子供よりは筋肉も体力もついている。

「ダドリー」

 いつものふんわりした笑顔でハリーが言った。

「いってきます」

「おう、気をつけてな」

「ダドリーもね」

 結局、伯父と伯母には声をかけずに出発した。

 大きなトランクをずるずる引きずっていたら人目を引くかと思っていたのに、全然そんなことはなかった。見る人のそれは好奇の目よりも親切心が勝るようで、段差で苦労していれば通りすがりのスーツの男性が手伝ってくれたりもした。

 キングズ・クロス駅に着いたのは十時を少しすぎた頃。

 トランクをカートに載せて運ぶ。プラットホームまで来ても、九番線と十番線の間に四分の三番線なんて半端な数字はない。

 魔術師にだけわかる入口があるならどうにか気づけないものか。

 ダイアゴン横丁の入口みたいに杖で叩く必要があるとか?

「わかんないなぁ」

 杖の意思がわかった時みたいに何か感じられるかと思ったけれど、期待は裏切られた。

「後三十分で発車だし、同類を探した方が早いかもね」

「そうだね」

 カートをハリーに預けて来た道を戻る。

 ペットとしてあまり連れていなさそうな生きものを連れてるとか、会話の内容が変わってる人とか、一人くらいはいないかな。

「アレン?」

 きょろきょろしていたら聞き覚えのある声に呼び止められた。

「やっぱりアレンだ」

 見るとセドリックがにこにこしながら手を振っている。

「セドリック! 声かけてくれてありがとう! 助かったよー」

 嬉しさのあまり飛びついた勢いのまま縋りついて脱力するあたしを慌てた様子でセドリックが支えてくれる。

「どうしたの? 何かあった?」

「九と四分の三番線がどこかわかんなくて困ってたの」

「ああ、なんだ。僕の手に負えないような大変なことかと思った」

 セドリックがにっこりしたので、あたしも笑った。渡りに船とはこのことだね、うんうん。

 ハリーに手を振ってセドリックがいたことを知らせる。心強い知り合いの登場にハリーもほっとしたように表情を緩めた。

「手伝うよ」

 セドリックがカートを引き受けてくれたので、ハリーも身軽になってついていった。

 ホームへの入口は改札近くの柱だって。これはわからないわ。

 列車の昇降口で荷物を担ぎ上げるのもセドリックがやってくれて、至れり尽くせりである。

「これでもシーカーやってるし」

 自慢げに言う表情は立ち居振る舞いより幼くて、ちょっと可愛い。

 それからセドリックはご両親に暫しの別れを言いに行き、あたしたちは空いたコンパートメントを見つけて荷物を入れた。

 窓の外で見送りの家族と子供たちがわいわいやっている。それを見ているのは面白いけれど、寂しいと思わないのは両親に対して薄情だろうか。向かいに座ったハリーは外に興味がないのか、黙々とペーパーバックを読んでいる。マイペースなのはいつものことだった。

 もう一度、窓の外を見る。大家族がいた。ひと目でわかったのは全員赤毛だから。顔もよく似ている。

 お母さんらしき人に鼻をグイグイ拭かれていた子が逃げだした。そんなにひどくやったら鼻が擦り切れるよ。

 




オリバンダーさんは曲者だと思ってる


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第五話 星の雨音

 

 

 汽笛が鳴る。

 ホームを離れ、見送りの声が遠くなってからようやくハリーがペーパーバックを閉じた。

「ああ、騒がしかった」

 ため息と一緒に吐き出した言葉に笑う。騒がしいのが苦手なのは、こんな時でも変わらないらしい。

「さっきは何を見て笑ってたの?」

 赤毛一家の一連のやり取りを話した。あの人たちが総勢何人いたのか数えておけばよかったな。

 こんこん、とノックの音が響く。見れば、さっき鼻を拭われていた赤毛の男の子が心底困った顔で廊下に立っていた。

「ここ空いてる?」

 ドアを少し開けて尋ねてきた。座席は彼がもう四人くらい座ってもあまりそうだ。

「他はどこもいっぱいみたいでさ」

 愛嬌のある笑み。いい子なんだろうな。

「どうする、アレン」

 どうぞ以外に返事のしようがなくないか。

 ハリーが息をついて、そう考えたあたしの頬を両手でむにゅっと挟んだ。

「顔が強張ってる。嫌なら嫌でいいんだよ、断るから」

 別にそんなつもりはないのだけど。

「あ、あの、僕、お邪魔かな?」

 男の子が出ていこうとしたので慌ててハリーの手をどけて言った。

「どうぞ、座って!」

「……いいの?」

 男の子にハリーが笑いかける。

「いいよ。ね、アレン」

「うん」

 ハリーの隣に腰かけた背の高い男の子は、ロナルド・ウィーズリーと名乗った。

「みんなはロンって呼んでる」

「あたしはアルトリア・ポッター。アレンって呼んで」

 手を差し出すと、ロンが手を握り返してハリーをまじまじと見た。

「ええっと、君ってもしかしてハリー・ポッター?」

 ロンの視線がハリーの額に向いている。魔術師(ウィザード)の間でこの稲妻型の額の傷は英雄の証と認識されていることを改めて理解した。ハリーがそれを好まないことも。

「初対面の人に馴れ馴れしい呼ばれ方をされる覚えはないよ」

 ふわふわした笑顔にそぐわぬ口調で返されて、ロンがヒッと身をすくめた。

「ご、ごめん。ええっと、きみの名前をきいてもいい?」

「ハロルド・ポッター。アレンや従兄はハリーって呼んでる」

 ロンが、あたしの方を向いた。

「アレンもファミリーネームがポッターだけど、きょうだい……ではないよね?」

 あたしの齢が上なら学年が上にならなければおかしいし、下ならまだ特急に乗れない。

「あたしとハリーは似てないけど双子なの」

 黒くぴんぴんした外はね髪にキラキラしたエメラルドグリーンの瞳のハリーと、ぐねぐねと好き勝手に巻いて縺れる濁った赤茶色の髪に暗い緑の目をしたあたしは性別以上になにもかもが似ていない。同じなのは身長くらいだ。

 ロンが「へえ!」と声を上げた。

「うちの兄に見た目が瓜二つの双子がいてさ、たまに母さんでもどっちがどっちかわからなくなるんだよ。君たちなら誰も間違えなくていいね!」

 朗らかに言うのをあたしもハリーも驚いて見つめた。なにこの子、素直すぎて眩しいんですけど。

 ハリーが肩の力を抜いて笑った。

「さっきはきつい言い方してごめん。きみも僕のことハリーって呼んでくれる?」

「もちろんだよ!」

 ハリーが愛称で呼ぶことを許すのは、ちゃんと相手を受け入れたということだ。魔術師の世界でも友人を作る気でいるのがわかって安心する。

 ロンは少しだけヴォルデモートについて質問してきた。一歳の時のことなので覚えていないとわかっても、やっぱり気になるらしい。

 ロンは少し考え込んでから、

「これはうちだけの話じゃないと思うんだけど」

と前置きして話し始めた。

「世間では『ハリー・ポッター』の名前は話題に上るのに、アレンは名前どころか、ハリーが双子の生まれだって話してる人すら聞いたことがないんだよ。これっておかしくない?」

 あたしの首に巻いた布が古傷を隠すものだと知って、ロンは痛ましげな目を向けてきた。

「おかしいよ。僕らを迎えに来たハグリッドも、僕にばかり話しかけてアレンはそっちのけだったし」

 その辺りについてあたしは仕方ないと思っていたけれど、ハリーはイライラしていたようだ。その話を聞いたロンもあからさまに顔をしかめた。

「失礼だな、ほんと。いや、知らなかった僕がどうこう言えた義理じゃないね、ごめん」

「ロンの場合は誰も教えなかったんだからしょうがないよ。知らないものはどうしようもない」

 センセーショナルな話題にほど民衆は食いつくものなので、これもまた仕方のないことではある。単に事故で死にかけたわたしなんて、ロンドン郊外で車に轢かれて死んだジョン・スミス氏(適当)並みに世間で話題にならなくて当然なのだ。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ロンの家族は母方のはとこ以外は全員魔術師らしい。その環境で、よく文化の違うマグルの中に飛び込んでいって会計士の職に就けたものだと感心した。

「じゃあ、君はもうたくさん魔法を知ってるんだね」

 ハリーに言われたロンは両手を振って否定した。

「それがそうでもないんだ。杖を持たせてもらったのも入学の案内が来てからだし」

「えっ、そうなの?!」

 魔術師生まれなのに魔法を学ばず十一年も生きてきたなんて。

 あちこちに魔法が渦巻いていたダイアゴン横丁を見ても、こっちで魔法がひとつも使えないのは、マグル的にいえば電気製品をひとつも使いこなせないのと同義だ。

 あっちじゃ三歳児だってリモコンでテレビを点けられるのに、こっちの子供は魔法で──例えばランプを点けることさえできないのか。

「それで今までどうやって生きてきたの?」

「魔法が必要なことは成人した年嵩の兄や母さんがやってくれてた。君たちはマグルと暮らしてて大変じゃなかった?」

 声高に不便だと言うほどのことはなかったと思う。

 今ならあれは魔法だったとわかる現象を引き起こして物置に閉じ込められたりすることはあってもいつだってふたり一緒だったし、伯父や伯母が知らないだけで開けようと思えば割と簡単に開けられるから特に危機感はなかった。あまり長期になると、ダドリーが気にかけてくれたし。

「うちは兄弟が多い上にみんな優秀だから、僕が頑張っても当然と思われるんだよね。ま、自慢できるような特技もないんだけどさ。それになんでもおさがりなんだ。このローブも元はビルので、杖はチャーリーの。ペットはパーシーのなんだよ」

「それはちょっとどうなの」

 ハリーが信じられないという顔をした。

「君が着てるのは、おさがりのおさがりのそのまたおさがりってことじゃない。それはいくらなんでもひどいよ。僕でさえダドリーから直接なのに」

 ダドリーはなんでもかんでも次々に買い与えられるので、よれる前にハリーに回ってくる。わたしは性別が違うので、伯母が渋々古着屋に連れて行って、最初に金額を決めて自分で選べと店に放り込まれていた。

 ハリーの反応にロンが明るい青の目を丸くする。

「そんなこと言う子は初めてだよ。大抵、僕の家が貧しいってからかってくるのに」

「からかうような話じゃないでしょ。成人してるお兄さんたちはどうしてるの? 家に仕送りはしないの?」

「う、うーん? 僕にはそこまで話してもらえないから」

「そう」

 わたしは服よりも気になることがあった。

「杖っておさがりにしていいものなの?」

「……さあ?」

 ロンが出して見せた杖は木の部分がボロボロに欠けていて、端から一角獣のたてがみらしきキラキラした繊維が覗いている。それだけじゃない。この杖はロンを持ち主だと認めていなかった。ロンの親御さんは杖が持ち主以外に使われても真っ当な威力は発揮しないとオリバンダーさんに聞かなかったんだろうか?

 あたしの林檎の杖は初めて手にした時から親愛の情を向けてくれている。杖が持ち主を選ぶというのは例え話じゃないのだ。

 十二時半をすぎる頃になって、通路で台車を押すような音がした。驚くあたしにロンが言った。

「車内販売だよ」

 ドアの向こうに愛想のいいおばさんが顔を出した。

「何かいりませんか?」

 お昼ごはんを買うのをすっかり忘れていたので、カートの商品を見せてもらう。

 妙に派手なパッケージに『百味ビーンズ』とか『風船ガム』とか書いてある。これは買わない方がいいやつ、と判断して大鍋ケーキとかぼちゃパイを取った。

「すみません。蛙チョコって何か入ってるんですか?」

 売り子のおばさんは、いいえ、と首を振る。

「それはプレーンなチョコレートよ。蛙そっくりに飛び跳ねるの」

 躍り食いかよ。

 あたしが材料に不安のなさそうなものだけ選んで買う横で、ハリーはどれも少しずつ手に取っている。得体の知れないものでも好奇心が勝るのは凄いよ。全く見習いたくない。

 普通の飲み物は紅茶とコーヒーから選べたので迷わず紅茶にした。全部で二シックル十五クヌート。食事代にしては安くついたんじゃないだろうか。

 席に戻るとロンが包みを開けて何故か目頭を押さえていた。

「どうしたの?」

「母さんがサンドイッチを持たせてくれたんだけど、僕はコンビーフが苦手だって、いつまで経っても覚えてくれないんだよ」

 母親は忙しいから忘れられるんだと言う。

 そんなものかな?

 ダーズリー家で五人分の食事の用意もよくやっていた身としては、伯父と伯母とダドリーとハリーの、卵やベーコンの焼き加減を覚えて変えるくらいなら余裕でできる。食事の準備以外に、掃除も洗濯も庭仕事も勉強もこなした上で。

 支払いを済ませて戻ったハリーが悪戯っぽく微笑むなり、買ってきたお菓子をロンの膝にぶちまけた。

「それっぽっちじゃ足りないよ」

 にっこり笑う。

「どれも食べてみたくてたくさん買っちゃったからさ、消費するの手伝ってよ。ねっ?」

 首がもげそうな勢いで頷いているロンの手からサンドイッチをかすめ取ったあたしは、ニヤニヤしながら席に座った。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ひとしきり顎を動かして栄養を摂取した後は、お待ちかねのチョコレートだ。なんでも中に有名な魔術師のカードが入っているらしい。

「僕はもう五百枚くらい集めたんだけど、まだアグリッパとプトレマイオスがないんだ」

 魔術師だから、まさかアウグストゥスの腹心ではないよね。たぶん古代ギリシャの天文学者か、ローマ神話の王様か。

 あたしが引いたのはアレイスター・クロウリーとキルケ。あのクロウリーみたいにマグルに知られた魔術師もいるのか。

 意外に思いながらつらつら眺めていると、正面からハリーが自分の引いたカードを見せてきた。

「これ、ダンブルドア」

 覚えのありすぎる名前だった。

 二十世紀初頭に黒魔術師(ダークウィザード)グリンデルバルドを破った偉大なる魔術師。ホグワーツの校長。ドラゴンの血の研究者。錬金術の共同研究。世の中ではそんな風に言われてるのか。

 ハリーも似た感想を抱いたようだ。ダドリーの助言の意味が実感を伴ってくる。

 ロンは既に持っているモルガナを引いたらしい。二人で他の箱を開けるのを眺め、じたばたするチョコレートを噛み割った。

 数時間ぶりにノックの音がした。

「あ、あのね、僕のヒキガエル、見なかった?」

 ドアを開けた半泣きの男の子に尋ねられて、全員が見なかったと答える。本格的に男の子がしゃくり上げ始めてしまったので、手に残ったチョコレートのかけらを口に放り込んで言う。

「あたしも探すよ。特徴があったら教えて」

 男の子はびっくりしたのか、何度か息を飲んだ。

「でも、その、迷惑じゃ」

「そう思ってたら言ってないよ。ほら、早く探しに行こ」

 男の子を廊下に押し出してドアを閉める。男の子はぽかんとした。そうして、やっと微笑んだ。

「優しいんだね」

「そうかな」

 褒められたくてやってる訳じゃない。あたしも人に助けられることが何度もあるから、できる時に返すようにしているだけだ。

「僕、ネヴィル・ロングボトム。きみは?」

「アルトリア・ポッター。アレンって呼んで」

 ヒキガエルのトレバーには脱走癖があるそうで、いつもふと気づくといなくなっているらしい。自由気ままに外へ出てもちゃんと帰ってくるヘドウィグとは大違いだな。

 あたしは通路を、ネビルはコンパートメントを探した。

「それは困ったわね」

 コンパートメントの中から声がした。

「私も一緒に探すわ。人手は多いほうがいいでしょ」

 ふっさふさの栗色の髪を背中まで伸ばした可愛い女の子がコンパートメントから出てくる。怪訝そうな顔をした女の子があたしを見て首を傾げた。

「あなたも一緒にヒキガエルを探してるの?」

「そうだよ」

 途端に女の子が表情を緩めた。

「あなた、いい人ね」

 いい人?

 よくわからないので曖昧に誤魔化してヒキガエル探しに没頭する。車両をふたつ移動したところで覚えのある声がした。

「こんな所で何してるんだ?」

 仕立屋でチョコレートをくれた子だ。

「ヒキガエルを探してる。きみ、見かけなかった?」

「残念ながらそれらしきものは見てないな。君のペットか?」

「ううん。あたし、ペットは連れてきてないんだ」

 ヘドウィグを「二人で使え」と言っていたけれど、そう言ったハグリッドはハリーへのプレゼントのつもりでいるに違いない。ヘドウィグもマスターはハリーであたしのことは遊び相手くらいに思っているようなので、あたしのペットはいないで正しい。

「あー、僕はドラコ・マルフォイ。君は?」

「アルトリア・ポッター。アレンって呼んで」

 よろしくと差し出した手を握ったドラコが驚いた様子で二度見してきた。

「ポッター? ハリー・ポッターの関係者か?」

「双子の片割れでーす」

「じゃあ、仕立屋で一緒になった彼がハリー・ポッターか。……似てないな」

「二卵性だからね」

 そこから双子には一卵性と二卵性があるんだお話すことになって、途中でゲコゲコ鳴きながら壁際を通り抜けようとするヒキガエルを捕獲した。

「ハリーなら、あっちのコンパートメントにいるよ。あたしはこの子をネビルに渡してくる」

 ドラコは頷いて、じっとあたしの顔を見た。

「どうかした?」

「今日は元気そうだと思って」

 初対面で低血糖を起こしたのを気にしてくれていたのかな。

「ちゃんと食べたからさ。ありがとう、心配してくれたんだよね?」

「ん、まあ、うん」

 ドラコは青白い顔を赤くしてそっぽを向いた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 先頭車両まで行っていたネビルにトレバーを渡してコンパートメントに向かっていると、いきなり横のドアが開いた。

「待って」

 さっきの可愛い女の子だ。

「あなたはあっちじゃ着替えられないでしょう。制服を預かってきてるから、ここで済ませていくといいわ」

「ありがとう。助かるよ」

 中に入ってドアとカーテンを閉めて、首の布がほどけないように気をつけながら服を脱いだ。シャツを着てズボンを穿く。黒のリボンタイを結んでサイハイソックスと頑丈なブーツを穿いたら、ローブを羽織っておしまい。

 すると女の子がぎょっとして、あたしを頭のてっぺんから足の先まで見た。

「あなた女の子よね?」

「うん」

 下着になったのを見ておいて何を言うかな。

「どうしてその──ズボンなの?」

「スカートで大立ち回りしたくないから」

「え?!」

 女の子が声を上げた。そんなに驚かなくても。

 ハリーが今後ヴォルデモートとやり合う時、あたしだけ何もしないで逃げるなんてありえないし、最初から戦うつもりでいた方が、いざという時に焦らずに済む。ズボンを選んだ理由としては真っ当じゃないかな。

「私たちは魔法を習いに行くのであって、総合格闘技を習いに行くんじゃないのよ。ええっと」

「アレン。本名はアルトリア」

 お互い名乗らないままだったので、改めて自己紹介しあった。

「ハロルド・ポッターに双子の片割れがいるなんて、本には載ってなかったわ」

 ハーマイオニーは本の方を疑っているようで、

「著者の取材が甘いんじゃないかしら」

と真面目くさって言う。

「どっちかというと英雄じゃない子供には用がないんでしょ」

「それこそおかしいわよ。わかれば家系図まで載せるのが歴史書の役目ですからね」

 確かに。神様にさえ家系図があることを考えれば、英雄とされるハリーの家族が誰なのか載っていないのは片手落ちかもしれない。

 ハーマイオニーと別れてハリーとロンがいるコンパートメントに戻ると、制服に着替えたロンがぷりぷりしていた。

「どうしたの」

 顔を上げたロンはこっちを見て驚いた後、ぴゅうと口笛を吹いた。

「クールな制服だね。特注?」

「うん」

 首に手をやって巻きつけた布が解けてないか確認した。

「こっちの方が動きやすいからさ」

 ハリーがリボンタイを整えてくれる。

「大立ち回り前提で制服を作った生徒はアレンだけだろうね」

「他の子はそこまでする理由もないし」

「まあね」

 荷物は置いて行っていいらしい。ローブの内ポケットに杖を入れて通路に出た。

 ポケットだと杖が中でグラグラするなぁ。はずみでぽきんと折れてしまいそうだ。近いうちにベルトに装着できるホルダーを作ってもらおうか。

 列車の外に、暗いこぢんまりしたプラットホームがあった。『ホグズミード』と駅名を記した看板が立っている。

「きょろきょろしてるとはぐれるよ」

「ごめん」

 ホームを出た先でハグリッドの声が聞こえた。一年生は別の道を行くらしい。ハリーと手を繋ぎ直して暗い道を慎重に歩く。

「どうしてこんな悪路を歩かされるのかな」

「さっきから何人か転んでるよね」

 木々が鬱蒼と茂っているせいで星明かりも届かない。灯りは先頭を行くハグリッドしか持っていないので、夜目の利かない生徒には辛い道行きだった。

「もうすぐホグワーツが見えるぞ」

 急に視界が開けた。そこは湖のほとりで、向こう岸の高い所に城がある。

「古城で魔法の修業かぁ」

 ハリーが英雄じゃなくて普通の魔術師だったら、周りの子みたいに二人してきゃあきゃあ騒いだかもしれない。

 あたしは古いものが好きだし、ハリーはかっこいいものが好きだ。いかにもな舞台で興奮しないはずがないのだけれど、先のことを思うと素直に喜べないのが本心だった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 組み分けの儀式とは何ぞや。

 それに答えてくれる人は小部屋を出て行ってしまったので、どうにかなるかと息をつく。少し離れた所で、ハーマイオニーが早口で何かをしきりに唱えているのが見えた。

 不意に部屋の温度が下がる。少し離れた所から連続で悲鳴が聞こえてきた。見れば、壁から二十人ほどの半透明なひとたちが宙を滑って移動している。

「ここお化けまでいるんだ」

 あたしの声に、お化けのひとりが気づいた。全身が真珠色と灰色の合間みたいな色の時代がかったドレスを着た綺麗な女性だ。

「お化けではなくてゴーストよ」

「は、はあ」

 違いが分からなくてまごつく。予想された反応なのか、ゴーストを名乗るそのひとはアンニュイな表情をして言った。

「新入生?」

「はい。組み分けの準備が終わるのを待っているところです、レディ」

 きっとすごく年上だろう。丁寧に返したらレディはほんの少し驚いた顔をした。そして、うっすらと微笑まれる。

「そう。頑張りなさいね」

 すいっと壁に吸い込まれるようにして消えるのを見送ると、別の声がした。

「珍しいですね」

 またゴーストだ。このひとの時代がかった衣装も面白い。

「彼女はとても寡黙な人なんですよ、ミス、」

「アレンと呼んでください、ミスター」

 ゴーストは嬉しそうに笑みを浮かべて頷いた。

「では、わたくしのことはポーピントン卿と。君のような生徒が我が寮に来るのを楽しみにしていますよ」

 ポーピントン卿は優雅に一礼して去っていった。

 そうして全てのゴーストが出ていくやいなや、周りにいた子たちがわっと話しかけてくる。

「なんで普通に話してるの?!」

「怖くないの?」

「肝っ玉座りすぎ!」

 やいやい騒がれて答えるタイミングが掴めずにいたら前方から厳格そうな声がした。さっき寮の説明をしてくれたマクゴナガル教授だ。

 指示に従って小部屋を出て大広間に入る。空中にたくさんの蝋燭が浮かび、両脇の長いテーブルに皿やゴブレットが並んでいる。

 上座にも長いテーブルがあった。そこが教員席だとわかったのは、カードで見たままのダンブルドアと『漏れ鍋』で会ったクィレル教授がいたからだ。

 テーブルの前を通る時にばっちり目が合ったので、嬉しくなって小さく手を振る。クィレル教授はひどく戸惑った顔をしたけれど、ちゃんと手を振り返してくれた。やっぱりいい人だ。

「あの天井、本当の空に見える魔法がかけられてるって『ホグワーツの歴史』に載ってたわ」

 ハーマイオニーの声がしたので天井を見上げる。遠い夜空まで吹き抜けているみたい。その幻想的で美しい光景に影が差しがちな心も少し弾んだ。

 ハリーがきゅっと手に力を籠める。正面の床に四本足のスツールと古いとんがり帽子が置かれた。

「手品でもやるのかな?」

「まさか」

 ハリーが笑った。

 そして、ここに来るまでにも結構驚いたつもりでいたのに、そんなのはまだ序の口だと思い知らされた。歌う帽子なんて初めて見たよ。帽子の声帯はどこにあるのかな。

「どれも当てはまらないなあ」

「わかる」

 勇気も忠実さも賢さも狡猾さも、ありますと大声で言えるほど偏った持ち方はしてないし、そもそも人間はそんなにわかりやすい生き物じゃない。

 巻紙を開いたマクゴナガル教授が生徒の名前を呼んだ。Aから順に生徒が帽子を被ると寮の名前を帽子が決めていく。結構時間がかかりそうだ。

 Gでハーマイオニーが呼ばれた。

「グリフィンドール!」

 帽子が叫んだ。

 Lで呼ばれたネヴィルもグリフィンドールだ。Mでドラコが呼ばれるとちょっとえらそうな態度で進み出て、帽子が頭に乗ったかどうかというタイミングでスリザリンと叫ばれていた。

 Pで呼ばれた子の中に、一卵性の双子を見かけた。パールヴァティはグリフィンドールで、パドマはレイブンクローに選ばれた。

「あたしたちも別の寮になったりするのかな?」

「もし別の寮にしたら、あの帽子を消し炭にするよ」

「お、おう」

 いよいよ名前を呼ばれる。

「ポッター・アルトリア」

 ここにいるほぼ全員の目が自分に向いているのがわかって心臓がびょんと飛び跳ねた。ぎくしゃくした動きで椅子に腰かけると、マクゴナガル教授が上から帽子を被せてくれる。

「おや、君は」

 帽子がまるで顔見知りのような声で言った。声を発したというより脳内に直接話しかけてきたというべきか。

「そうかそうか、ようやく来たのか」

「ようやく? あなたとは初めましてだよ、帽子さん」

 誰かと間違えているんじゃないの?

 帽子は面白いものでも見たように笑った。

「それはそうだとも。私たちはもう随分長いこと、きみのような子を待っていたのだ」

「なにそれ」

 むっとして返せば、帽子は楽しげに脳内で笑い声を響かせた。

「己の正直に生きなければ、その稀有な資質は活かされぬ」

「帽子さん、もうちょっとわかるように話してよ」

「ああ、すまない。嬉しくてつい」

 帽子はようやくこちらに意識を向けた。

「さて、組み分けだ。きみはきっとどの寮でもやっていけるだろう。勇気があり、勤勉で誠実で、謙虚で頭がいい。いざとなれば計算高くもなれる」

 可能性はいくらでもあると言いたいのか。あたし程度でこう言われるなら大半の子がそうだろう。

「果たしてそうかな? 人間というのは成長するにしたがって変わる部分もあるが、変わらないところもある。きみの資質は生まれ持ったもの、変わらないものだよ」

 言葉の意味を考えてみたところでそれがなんなのか全然思い当たらない。所詮あたしはただの十一歳だ。

「よくわからない」

「今すぐにはわかるまい」

「経験を積めってことだね?」

「そういうことだ。うむ、きみはここがよかろう。──グリフィンドール!」

 頭の上で帽子が寮の名前を叫び、目の前が明るくなった。ぽんぽんと肩を叩かれる。

「大丈夫ですか?」

 さっきより幾分やわらかい声でマクゴナガル教授が言った。

「はい。グリフィンドールの席はあっちですよね?」

 ハーマイオニーが手を振っている方を指すとマクゴナガル教授は、

「そうですよ。さあ、お行きなさい」

と頷いて、あたしの背中を優しく押した。

 




組分け開始したのが何時くらいなのか未だによくわからない


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第六話 子午線に立つカラヴィンカ

 

 自分の組み分けを棚に上げるわけではないけれど、ハリーの組み分けもかなり時間がかかった。

 歓声を上げるグリフィンドール生の声に顔を上げもせず、ハリーはまっすぐあたしの隣に来て座るなり、ぎゅうっと抱きついてくる。

「疲れた」

「うん」

「ごはん食べたくない」

「食べないと夜中におなかすくよ」

「アップルシャルロット作って」

「無茶言わないの。ここで個人的に料理できるかわかんないし、林檎の季節にはまだ早いよ」

 重症だ。ぐずぐずなハリーの背中をさすって宥めるうちに組み分けが終わってパーティが始まった。

 上座からダンブルドアが意味ありげな視線を寄越してきたのを見なかったことにする。目を逸らした先でクィレル教授と重そうな黒髪の先生が難しい顔をして言葉を交わしているのが見えた。どうにも和気藹々という風じゃないので、明日からの授業について話してたりするのかもしれない。どっちの先生もすごく真面目そうだ。

 ん? 誰かに見られてる?

 視線を感じる程度なら、よくあることだ。でも、これは良くない。

 悪意や敵意、あるいは殺意。

 周囲を見回しても、誰がどこから見ているのかわからないのでなおさら気味が悪い。

「痛っ」

 ハリーが声を上げて腕に力を籠めた。

「どうしたの? どこが痛いの?」

 痛みで答えられないのか、ハリーはぐりぐりとあたしの肩に頭を擦りつけてくる。慎重にもう一度辺りを見回したら、教員席にいる黒髪の先生と目が合った。

 物言いたげにこっちを見る黒い目に、読めない表情。反応に困って首を傾げても、黒髪の人は口を真一文字に結んだままで察するためのヒントを与えてくれる素振りはない。

 うんうん唸っていたハリーが突然さっと顔を上げた。

「大丈夫?」

 ハリーは静かに頷いてテーブルの方に向き直ると、取り皿をいろいろなものでいっぱいにした。

「やっぱりちゃんと食べとく」

 疲れているのは本当のようで顔色が良くない。でも、何も食べないよりはずっといい。

「腹が減っては戦はできぬって言うし」

「そうだね」

 敵は近くにいると考えておいて支障はなさそうだ。わざわざこっちに戻ってきたハリーは、敵にとっては飛んで火にいる夏の虫だろう。

 両手で頬を軽く叩いて気合を入れる。いつどんなことが起きてもいいように、腹ごしらえだけはしっかりしておかなきゃ。

 ローストビーフにラムチョップ、ステーキ、グリルポテトにヨークシャープティング、豆に人参を取り皿にどどんと置く。肉に合わせたソースを回しかけている向かいで、パーシーと話していたハーマイオニーが顔を引きつらせた。

「ねえ、それ全部食べるの?」

 自分の取り皿を見て、ハーマイオニーを見る。

「うん。ていうか、これじゃ足りないね」

「……どこに入るのよ」

「どこって、胃袋に決まってるでしょ。他に入るところないよ」

 ハーマイオニーはなんとも言えない顔をした。

「おお、我らが英雄殿のご機嫌は直られたか」

「不穏な様子に我らも馳せ参じた次第である」

 同じ声が別の方向から聞こえた。ロンと同じ赤毛の、瓜二つの顔をした男の子たちがニヤニヤしている。チェシャー猫かよ。

「俺はフレッド・ウィーズリー。ロンの兄だ」

「俺はジョージ・ウィーズリー。ロンの兄さ」

「きみらはさっぱり似てやしないのに双子なんだってな?」

「俺たちなんて四六時中鏡を前にしてるみたいなものだぜ」

「「見てのとおりね」」

 二人は声を揃えて言った。

「初めまして、フレッドにジョージ。あたしはアルトリア。アレンって呼んで」

「「アルトリアだって?」」

 自己紹介したら、息もぴったりに驚かれた。

「我が家の親父はアーサーっていうんだ!」

「なんだか他人って気がしないよ、アレン」

 笑って返す横でハリーがとびきり愛想よく微笑んだ。

「僕はハロルド・ポッター。知らないうちに英雄になってた普通の子供だよ」

 フレッドとジョージは目を丸くして顔を見合わせた。一瞬の間を置いて爆笑する。

「いやはや英雄殿はきっついや」

「いいねいいね、気に入ったよ」

「「弟だけじゃなく俺らとも仲良くしてくれよ、ハロルド」」

「こちらこそ」

 二人が同時に出した手を、ハリーは右手と左手で掴んで振った。

 たんまり食べた後に出てきたデザートも存分に食べた。毎晩こんなにレパートリー豊富なごはんが出るのかな?

 周りの生徒たちが自分の家のことや明日からのことを話しているのをBGMに今日あったことを整理する。

 来るまでに問題らしい問題は起きなかった。セドリックとドラコに再会できたし、ネヴィルやハーマイオニーと知り合えた。トレバーも無事に見つかった。『漏れ鍋』でほんの少し話したきりのクィレル教授が、あたしのことを覚えてくれてたのは嬉しかったな。あんなの、その場限りの方便でもおかしくないのに。

 目蓋が落ちかけて我に返った。こんな所で寝落ちするのは、いくらなんでもまずい。

 周囲に意識を向けるとパーシーの声が聞こえた。

「ああ、あの人はスネイプ教授だよ」

 話を聞く生徒の視線の先に黒髪の先生がいる。

「薬学の先生なんだけど、本当は防衛術を教えたいらしいよ。黒魔術(ケイオスマジック)にすごく詳しいんだって」

「ああ、スネイプ教授? あの人、クィレルの席を狙ってるって専らの噂だよね」

 えっ、そうなの?

 再度教員席を窺っても、特に同僚以上のなにかがあるようには見えない。同調や否定ができるほどの判断材料もないので、あたしは黙って紅茶をすすった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

  Are you going to Scarborough Fair?

  Parsley, sage, rosemary and thyme,

  Remember me to one who lives there,

  For she once was a true love of mine.

 

 支度を整えて談話室に行くと、既に身形(みなり)を整えたハリーが『スカボローフェア』を歌っていた。

 プリベット通り近くの教会から何度となく聖歌隊への勧誘を受けたそのボーイソプラノは、いつ聞いても伸びやかで美しい。プロを目指せばきっと人々に愛されるのに、本人は趣味の域を超える気はないという。

 天は二物を与えずなんて誰が言ったんだか。

「おはよう、ハリー。今日もいい声だね」

「おはよう。嬉しいけど褒めるのは後にして、ここに座って」

 示されたソファにすとんと腰かける。ロスマリンの香りに振り返るとハリーが両手に液体のようなものを伸ばしていた。

「眠れた?」

「割と眠れたかな。でも何か変な夢を見た気がするかも」

「そかそか。あたしも夢は覚えてないや」

 ハリーの手を見る。これなんだろう? ハンドクリームではなさそうな。

「もう、変な顔しないの! これはヘアオイルだよ」

 ヘアオイルなんていつ買ったのか。

「ダイアゴン横丁の雑貨屋で見つけたんだ。使うなら直毛にするクリームよりはオイルでしょ」

 そう言いながらハリーがあたしの髪にオイルを馴染ませる。難解な縺れを優しくゆっくり解いては指で梳いていった。

「くせっ毛じゃなきゃ、毎朝こんなに困らないのに」

「直毛のアレンはアレンじゃないよ」

「ええー」

 引っかかりなく指が通るようにしたハリーは満足げに頷いた。

 縺れてないだけで髪はいつもどおり、好き勝手にぐにゃぐにゃとねじれている。これ親のどっちにに似たのかな。

「あなたたち、とっても仲良しなのね」

 にっこり笑って言ったのは、ルームメイトのパールヴァティ・パチルだ。プリベット通り近辺では見かけなかったインド系の美少女で、今も談話室の男の子たちの視線を一身に集めている。

「仲良しだよ」

 あたしもにへっと笑って返した。

「ハリーはね、毎朝あたしの髪を解いてくれるんだ」

 そう言うとパールヴァティは驚いた顔をした。

「からかったのに普通に返されるとは思わなかったわ」

 からかわれてたのか。でもまあ、怒るようなことでもないな。

「うちの片割れに、そういうのは通じないよ」

「みたいね」

 ロンとハーマイオニーが起きてきて、一緒に朝食に向かう。寮を出るまでは問題なかったのに、寮から一歩出た途端、あっちでヒソヒソこっちでヒソヒソとうるさいことこの上ない。

 ハリーを物珍しそうに見る目がいくつもいくつも、通りすぎた後まで追いかけてくる。それが朝だけならまだしも、一日中やられていれば側にいるあたしまで消耗するってもので。

「話しかけるかスルーするかどっちかにしろー!」

「まあまあ」

 初日からロンに宥められてしまった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ハグリッドがほいほい使っていたせいでかなり変な印象を持っていた魔法は、やっぱりそう簡単に使えるものじゃないらしいと知って安心した。授業で最初に習ったのも杖の振り方でも呪文でもなく、魔術師(ウィザード)非魔術師(マグル)の違いだった。

 宇宙に存在するもの──動物や植物、果ては星そのもの──全てに宿るエネルギーを真輝(エーテル)という。これを魔術師や幻獣は魔力に、それ以外の生物は電気に変換する。この変換の違いこそが種族の違いそのものだ。

 魔術師がマグルより長寿なのもエーテルの体内貯蔵量のみならず、それをどれだけ魔力に変換できるかが決め手になる。魔力には疲弊した細胞を回復し活性化させる力があるからだ。

 ちなみに魔術師の親から生まれたのに魔法が使えなかったり、使えてもごく僅かだったりする者はスクイブと呼ばれる。スクイブの魔力変換率は極端に少なく、ほとんどがマグルと同じ電気への変換に偏るために魔術師として生きにくいことが長年問題視されているそうだ。

 図書館の閲覧室で見つけた参考書を開いて、羊皮紙に考えたことを書いていく。

 魔法を行使するよりも、まず自分の魔力を杖に流せるようになれと言われた。魔力の流れを見る希少な辿眼(てんがん)の能力があれば自分の魔力の移動が目視できるのだけど、凡人なので体に流れる魔力を感覚で掴むしかない。

 何かわかりやすい指標があればいいのにな。

 それにしても今日は体がだるくて眠い。昨夜、遅い時間に天文学の授業があったからかな。ひと区切りつけたら仮眠を取らなきゃ。

 落ちる感覚にビクッとして目を開けると何故か仰向けに横たわっていて、白い天井が見えた。

 あれ? ここどこ?

 起き上がろうとしても体が重くて動かない。仕方ないので顔だけ横に向ける。ベッドに寝かされているのがわかった。

 室内の雰囲気からして医務室かな? でも、なんで医務室?

 心当たりのなさに焦る。と、そこへ白衣を着た年嵩の女性──ヒーラーと思われる──とクィレル教授が足早に歩いてきた。

「目が覚めたようですね」

 クィレル教授がベッドの脇に身を屈めて微笑みかけてきた。あれ? ほっとしてる?

 困惑していると女性が呆れたと言わんばかりに深く息をついた。

「図書館で倒れたあなたをクィレル教授がこちらまで運んでくださったのですよ」

「え? ええっと、……それはありがとうございました」

「どういたしまして」

 先生の大きな手に頭をなでられる。

 どうして倒れたのか思い返しても覚えがない。その間に女性がてきぱきと脈を診て触診を済ませ、先生に声をかけた。

「クィレル教授」

「はい」

「ここに座って彼女に魔力を渡してください。できるだけゆっくり」

「わかりました」

 ベッドの脇の椅子に腰かけたクィレル教授が、あたしの左手を両手で包み込むように握った。手のひらがじんわりと温かくなって、微かにぴりぴりしてくる。

「見たところ、あなたのエーテルの貯蔵量は通常の魔術師の半分にも満たないようです。魔力が我々魔術師の体を動かすために必須であることは既に授業で習いましたね? あなたの場合は魔力変換率が通常より高い上に消費すると変換されるべきエーテルが間に合わず、身体の機能が低下します。エーテルの貯蔵量を増やすことができれば解決するのですが、今の技術では根本的な解決が図れないので、いかに技術を身に着けようともスクイブより多少まし、という程度です」

 女性は説明するなり考え込んでしまった。

 スクイブより多少ましって表現が微妙にわかりにくいです。

「これまでに大きな怪我をしたことは?」

「小さい時に事故で首を切って死にかけたと聞いてます」

 話しているうちに、だいぶ体が軽くなってきた。右手で首に触ったら布はちゃんと巻きついていた。女性はあたしの首をチラッと見て頷いた。

「おそらく、それが原因で命数器官(バイタルオーガン)が正常に育たなかったのでしょう。かといって、あなたの魔力ではスクイブとして生きていくにも厳しいですね。──クィレル教授、そこまで!」

 女性の強い声に先生がビクッとしたのと同時にぴりぴりしていたのが止まった。

 すごい。魔力って感覚でわかるものなんだ!

 感動しているあたしの顔を、とびきり綺麗なサファイアブルーが覗き込んだ。

「楽になりましたか?」

 慈愛に満ちた声と表情にどきっとする。本人が自覚してるかどうかはともかく、クィレル教授はとても綺麗な顔をしているので心臓に悪くて困る。

 動揺を悟られたくないから頷いて返すだけにしておこう。

「お疲れさまでした。それで話の続きですが」

 突然、大きな音がした。勢いよく開けられたドアが壁に当たったらしい。パーティーの時に目が合ったあのスネイプ教授が、大股でまっすぐあたしが寝ているベッドの方へ歩いてきた。

 顔がめちゃくちゃ怖いんですけど。

「倒れたと聞いた」

 あ、なんだ。心配してくれてたのか。てっきり怒られるのかと。

「はい。今診てもらってました」

「具合は?」

「だいぶいいです」

 あたしの返答にスネイプ教授は深く息をついた。そのやり取りが途絶えたのを見計らって女性が口を開く。

「エーテルの不足を補うにはこちらで作る栄養剤を飲むか、食事量を増やすか。対処療法しかありません」

 まあそうなるよね。

「食事量を増やすって、今より食べればいいんですか?」

「量より回数を増やしなさい。休憩時間や教室間の移動中に少しでも何か食べること。シュガーレスとカロリーオフは禁止です」

 お、おう。

 予想以上に大変じゃないか。頭を抱えようとして、まだ左手が握られたままなのを思い出した。

 どうしよう? 手を離してくださいとは言いづらい感じ。

 切り出し方に迷っているところに遠雷の如く低い声がした。

「処置は終わったのだろう」

「うわっ」

 強制的に上半身が起こされて、クィレル教授の手が外れる。スネイプ教授が恐ろしく不機嫌な顔であたしの左腕を引いたのが原因だ。

「ヒッ、……で、では私はこれで」

 穏やかな表情が一転して真っ青になったクィレル教授が足早に医務室を出て行く。クィレル教授はかなり気の弱そうな人なので、あたしでも直視するのを避けるレベルで怖い顔をしたスネイプ教授に怯えるのも仕方ない。

 それはそれとして、スネイプ教授はどうしてまだあたしの腕を掴んでいるのでしょうか?

「あの、何か?」

 離してくれないと首の布が直せないわけですよ、ええ。

 凝視するあたしを見下ろしたスネイプ教授は鼻白んだ様子で手を離した。

「回復したのなら、とっとと寮に帰りたまえ」

 明らかにむっとしてるのに言葉の内容は優しい。顔が怖いだけで、実はただの不器用な人なのかもしれない。

「はーい」

 つい頬が緩むのをスネイプ教授に胡乱な目で見られた。

 白衣の女性にお礼を言って医務室を出て、角を曲がった所で立ち止まる。そして、さっきまでクィレル教授が握ってくれていた左手を右手でぎゅっと握りしめた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 寮に戻ったあたしを待ち構えていたのはハリーだけじゃなかった。それぞれのルームメイトとウィーズリー兄弟。まだ入学して一週間も経ってないのに心配してくれる人が結構いるみたいで嬉しい。

 フレッドがくれたバタービールを飲みながら、医務室で受けた説明をした。

「魔力由来の虚弱体質?」

「そんな感じ」

 ハリーのルームメイトのディーン・トーマスが言った。

「今回のことはすごく勉強になったよ」

 今こうやって普通に笑って話せているのは、クィレル教授が魔力を分けてくれたからだ。そう思うと胸の辺りがぽかぽかする。

「魔力譲渡なんて滅多にやらないからなあ」

「それだけアレンの体質が特殊なんだろ?」

 魔力の発露が遅れる事例は数あれど、後天的にスクイブ同然になるのはごく稀だという。

 考えてみるまでもなく、あたしは感情的になっても魔術師の能力を発揮したことが一度もなかった。だからこそ、ハリーが超能力を持っているんだと思い込んでいたのだし。

 両親が魔術師で、その子供のあたしたちも魔術師だなんて、それこそどこのファンタジーだって話だ。

「魔法は便利だけどね、魔術師ひとりで何もかもこなせるという訳じゃないんだ」

 パーシーが眼鏡のフレームを指先で押し上げて、至極真面目くさった顔をした。

「一人前の魔術師だって、杖や箒といった補助なしに魔法を使うのは至難の業だからね」

「そうなの?」

 身を乗り出すあたしに笑ったパーシーが右手の人差し指を立てる。

「杖なしで魔法を行使しようとすると──Aguamenti」

 ぽふんと間抜けな音がして、パーシーの指先から小さな蒸気の塊が出てすぐに霧散した。

「上手くいかないんだ。でも、杖を使えば」

 今度は杖を手にして同じ呪文を唱える。杖の数ミリ先から細く水が噴き出した。

「この通り発動する。魔術師が思い通りにならない魔力を相手に連綿と向き合ってきたからこそ、杖や箒をはじめとする術具(タリスマン)が開発されたんだよ」

 オリバンダーさんの杖屋が紀元前創業と知って唖然としたのを思い出す。あれは、地球上に大きな文明が生まれた頃には既に魔術師がいた証左だったんだ。

 納得している横でハリーが授業の時のように手を上げた。

「じゃあ魔術師は杖がないと無力ってこと?」 

「いいや」

 ジョージが首を振った。

「杖がなくても魔法が使える魔術師は存在する。ただ、杖を使った時と同じだけの効果を出せるのは、本当にごくごく少数の極めて優れた魔術師だけだ」

「そんなに珍しいの?」

「魔法を使いこなすには生まれ持ったセンスも重要だからな。ほら、マクゴナガル教授が猫に変身するだろ? あれなんて誰にでもできる魔法じゃないんだぜ」

 フレッドはそう言って肩をすくめた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 待ちに待った防衛術の授業は意外のひと言に尽きた。教室に充満するにんにくの匂いが目に染みる。

 これじゃ気が散るよ。主に飯テロ的な意味で。

「何してるの?」

 ハーマイオニーが窓を開け放って回るあたしを止めるのと、クィレル教授が教室に現れたのはほぼ同時だった。

「ミ、ミス・ポッター、な、な、何をしているのですか?」

「換気です」

 他になにをしているように見えるのかと。

「教室の空気を入れ替えないとアリルで窒息しますよ」

 クィレル教授はどこを見ようとしているのか、目をぐるぐる彷徨わせる。

「こ、こ、これはルーマニアの、きゅ、吸血鬼避けで」

「死人を引き連れてたとかいう? 今は昼間ですが、こっちの吸血鬼は昼夜に関わらず活動できるんですか?」

『フライトナイト』の吸血鬼が日光でトドメを刺されていたのでつい興味津々で尋ねると、クィレル教授が発作でも起こしそうな顔をしてヒュッと鋭く息を吸った。自分が教える教科にまで怯えるというのはどうも本当らしい。

「せ、せ、説明しますので、席に、ついて、ミス・ポッター」

 授業はあまり進まなかった。

 シェーマス・フィネガンが頭に乗っかるターバンについて質問をしたことで他の子たちもあれやこれや言いだして、クィレル教授が話す隙がない。

「ねえ、ハリー」

「んー?」

「先生って、いつからターバン巻いてたっけ」

「はあ?!」

 気のない返事をしたハリーが変な声を出した。

「『漏れ鍋』で会った時からしてたよ」

「あれ? そうだった?」

 初めて会った時のことを思い返しても、目の色だとか、顔立ちが綺麗だとか、親切な人だとか、普通に喋れる時もあるんだとか、そんなことしか出てこない。

 そんなわけで、ターバンの出所に興味は持てなかった。ただ、ターバンのせいで頭が三倍は大きく見えるので、重量的に首を痛めないかという意味ではとても気になる。

「ねえ、大丈夫?」

 顔を覗き込まれて驚いた。ハリーが首を傾げる。

「チャイム鳴ったよ」

「マジで?」

「マジで」

 うう、ちょっとぼーっとしすぎかな。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 金曜日は初めて薬学の授業があるので、早々に朝食を済ませた後はハリーとハーマイオニーと一緒に予習に励んだ。ロンも一緒にやらないか誘ってみたら、スリザリンと合同じゃやる気が出ないと言われてしまった。

「スリザリンの寮監は、いつもスリザリンを贔屓するんだ」

「誰がそんなこと言ってるの?」

「うちの兄」

 去年卒業した次兄を含む四人に聞いた話らしい。

 学校の決まりで優勝杯を取り合いさせている以上、自分が預かる寮生に点を与えたくなるのは大人げないが気持ちはわからなくもない。それにこれを悪習だと言ったところで規則はそう簡単に変わるものでもないし。

 良し悪しだけで物事は動かない。それは学校に限った話じゃない。

「教師が嫌なやつでも勉強しておかないと、後で困るのはきみだよ」

「だけどさあ」

「だけどもされどもない」

 バッサリ切って捨てるあたしを見て、ハーマイオニーが笑う。

 鳥の羽ばたく音がした。梟が郵便を運んで来る時間だ。テーブルに舞い降りたヘドウィグがハリーに手紙を取れと示す。ハリーは足に括られた手紙を解くと、差出人の名前を確認してポケットから出したご褒美用のフードをヘドウィグにやり、

「ちょっと待ってね」

と声をかけた。

 ヘドウィグはパチリと瞬いてフードを齧っている。

「どうしようかな」

 ハリーが開いた便箋をあたしに見せる。踊り疲れたみたいによれた字で書かれた手紙はハグリッドからだった。

 アフタヌーンティーのお誘いだ。

「行って来れば?」

 感慨もなく言うと、ハリーがむっとして睨んでくる。

「嫌だよ。どうして僕だけ行かなきゃいけないのさ」

 封筒にも便箋にもハリー宛と書いてあるだけで、どこにもあたしの名前は記されていない。

「ハグリッドはハリーに用があるんでしょ」

 あたしには彼と話すことはないし、ハグリッドがハリーにだけ話したいことがあっても別におかしくはない。

 何より、かなりどうでもいい。

 そもそもハリーとあたしは別の個体なんだから、人付き合いも別であるべきだし、それはプライマリ・スクールの頃から変わらない。

 ハリーにはハリーとだけ付き合う友人がいて、あたしにはあたしとだけ付き合う友人がいた。共通の友人もいた。おかしなことはない。

「アレンはさ」

 ハリーがまだ拗ねた顔をしている。

「僕だけが特別扱いされてて嫌じゃないの?」

 んん?

 意味がわからず、首が傾いだ。

「特に考えたことなかったな。あたしはあたしの頑張りを正当に認めてもらえればそれでいい」

 こっちに来る前にハリーが英雄扱いされるのは充分すぎるほどわかっていたので、こういう事態が起こるのは寧ろ普通だと思っている。それに、事実としてあたしはなにもしてないんだから特別扱いされる謂れはない。

 自分の成果を認めて評価されたいという気持ちはあっても、自分が納得できないことはひとつだってしたくない。あたしめちゃくちゃ頑張った! すごいぞあたしよくやった! と思えないことは頑張りとは言わないからね。

「いい点を取るのはとっても楽しいわよね」

 ハーマイオニーがしきりに頷く。

「数字はわかりやすくて好きよ。それを見てまた頑張ろうって思えるもの」

「その『いい点』をくれないって話だよ」

 ロンはまだ薬学の先生の話を引きずってるようで、うへえ、と舌を出した。

「だからって不当に落第まではさせないと思うよ。流石に教師の一存でそんなことしたら教育委員会とか理事会とかが黙ってないと思う。……こっちにそういうのがあればだけど」

 基準がよくわからないので断言は避ける。マグルの常識が通用しないのは肌で感じているし、文化も共通といえる部分がわずかしかないのも理解できている。

 ぶっちゃけ中世止まりなんだよねえ。

 ハリーが届いた手紙の裏に返事を書きつけてヘドウィグに持たせているのを横目で見て、息をついた。

 




タイトルむずかしい


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第七話 夜の底にある影青

 

 

 地下牢をリノベーションして教室にするなんてパンクすぎない?

 理科準備室みたいな棚を眺めていると、壊れそうな音を立ててドアが開いた。生徒全員がビクッとしても見向きもせず、スネイプ教授は教卓の前に立つ。

 出席の時、あたしの名前には触れなかったのにハリーの名前で嫌味を言いだしたのには驚いた。

 流行りには乗らない主義とかそういう?

 演説は悪くなかった。いや、ちょっとかっこよかったですと言ってもいい。それに杖を振らなくていいのは体質的にも助かる。

 ふむふむと頷いていると、

「ポッター!」

と呼ばれた。

 ハリーがあたしを見るので、あたしも見つめ返す。それからスネイプ教授の方を向いて、

「「どっちですか?」」

と尋ねた。

 あたしもハリーもポッターだ。せめてミスとかミスターとか、でなければファーストネーム辺りで呼んでもらわないと、どっちにしても返事はできない。

 スネイプ教授は不快げに眉を動かして、

「ミスター、ポッター」

と言い直した。

「はい」

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか答えたまえ」

 ニガヨモギはあっちにもあるのでわかるけれど、アスフォデルには覚えがない。予習したページにそれっぽい単語はなかった気がする。

 ハリーの向こうでハーマイオニーが自信満々に手を挙げているのが見えた。えっ、これわかるの? すごくない?

 ハリーはハーマイオニーを見遣ってからあたしを見た。「ごめんわかんない」と言う代わりに首を振ると、ハリーも「だよね」という顔をして、

「わかりません」

と答える。

 スネイプ教授はひとをバカにしたような笑みを口許に浮かべた。

「ハッ、有名なだけではどうにもならんようだな」

 それ授業に関係ないよね?

 顔を見なくてもハリーが同じことを考えているのがわかる。理不尽なことを言われたのだから当然だ。

「では、ベゾアールを見つけてこいと言われたら、どこを探すか答えたまえ」

 これは覚えがあるぞ。

 あたしが胃の上に手を当てるとハリーがすぐに察して答えた。

「山羊の胃を開きます」

 うわ。あからさまに舌打ちしたよ、この人。

 スネイプ教授はさらに言った。

「では、モンクスフードとウルフスベーンの違いは何だね?」

『僧侶の頭巾』と『狼の毒』。全問二つから薬学と無関係な質問はされないと仮定して、薬草の名前だということまでは推測が立つ。狼の毒というくらいだから薬にもなる毒草と、僧侶が頭にすっぽり被るやつに似た薬草の特徴を述べよってことだよね?

 違いを尋ねられるなら近縁種かな? いや、もしかして、わざわざ別の名前で言って違うものだと思わせる引っかけ問題……?

「同じです」

 ハリーが答えた。

「同じ植物です、先生」

 教室が静まり返る。スネイプ教授が歯噛みして言った。

「よろしい。だが、二問正解した程度でいい気になるようではな」

 ハリーとあたしの首が同時に傾いだ。

「アスフォデルとニガヨモギを合わせれば『生ける屍の水薬』と呼ばれる強力な眠り薬になる。ベゾアールは山羊の胃にできる結石で、大抵の薬に対する解毒の効果を発揮する。モンクスフードとウルフスベーンは同じ植物の別名で、鳥兜(アコナイト)という呼び名もある」

 説明を聞きながら羊皮紙に書きつけていく。この問題自体はかなり難しいけれど知っておいて損はなさそうだ。

「諸君。何故、今の説明を書きとらんのだね?」

 誰も書いてなかったの?

 ハリーとハーマイオニー以外の周りの生徒が一斉に羽ペンを走らせる音を聞いて、そっちに驚いた。

「ポッター……ミスター・ポッター。最初の問題に答えられなかったので一点減点」

 理不尽。

 実践はおできを治す薬の調合。これは予習していたところなので気をつければまず失敗はしないはずだ。暗記するとまではいかない手順の確認をしていると、横から腕を掴まれた。

「アレン」

 教科書から顔を上げたあたしにネビルが言った。

「僕と組んでもらえる?」

「いいよ」

 そんな不安そうな顔しなくても。

 棚から材料を持ってきて調合前の作業をする間、スネイプ教授は生徒の作業をひとつひとつ見て回った。

「ミス・ポッター。蛇の牙は小さくしすぎないように」

「はい」

 口調はきつくても、端的に悪い所を言ってくれるのは助かる。気の弱いネビルを怖がらせるのが良し悪しだけど。

「ネビル、鍋を火から下ろしてヤマアラシの針を入れて」

「わ、わかった」

 頷いたネビルがヤマアラシの針を鍋に入れた。

 パキ、と不穏な音がした瞬間、考える前に体が動いた。右手でネビルの腕を引いてその顔の前に左腕を翳す。直後に皮膚が焼けて激痛が走った。

 教室に一人分の悲鳴が響いた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 医務室に行くと、先日の白衣の女性──マダム・ポンフリーにきりきりした声でお説教された。

「一体何をどうしたら鍋が割れるんです!」

「鍋を火から下ろす前にヤマアラシの針を入れちゃいまして」

 やらかしたのがネビルだとは言わない。

 ネビルは失敗した薬を大量に被ったために痛みでずっとすすり泣きしていて、とてもじゃないが責める気になんてなれない。あたしは左腕に失敗した薬を被ったものの、マダムの解毒剤を塗られて数分で完治する程度の軽傷だった。

 個人的に怖いと思うのは痛いことよりも失敗した薬が服や床を溶かすことだ。これが皮膚に触れてもおできが大量発生するだけで済むのは何故なんだぜ。

 ベッドを仕切るカーテンの向こうからネビルの声がした。

「ごめんね。僕が組んでって言わなかったら、アレンまで怪我しないで済んだのに」

「気にすることないよ。誰だって失敗はするものだし、これで作業工程の確認はしつこいくらいでいいってわかったんだからよかったじゃない。それで、傷の具合は?」

「……もう少しかかりそう」

 皮膚の深いところまで入ったのかもしれない。大したことないあたしでもかなり痛い思いをしたんだから、ネビルはもっと痛いだろう。

「薬が目に入らなくてよかったね。目は鍛えてどうにかなるものでもないから、発狂レベルで痛かったかもよ」

「怖いこと言わないで!」

 想像したのかネビルが悲鳴じみた声を上げる。本当に、気づくのが早くてよかった。

 あたしのようにほんの一部とはいかず、制服もローブも壊滅的にダメになってしまったネビルは医務室の入院着を借りて寮に戻ることになった。

「新しい制服を送ってって頼まなきゃ」

 ネビルがしゅんとした。

「またおばあさまに叱られる」

「また?」

 聞き返したあたしにネビルは頷いた。

「僕ってどんくさいから、いつも叱られてばかりいるんだ。今回も『薬の調合に失敗するなんて! おまえの父さんはもっとずっと優秀だったよ!』って言われる」

 変なことを言うおばあさんだな。

「どんなにお父さんが凄い人でもネビルはお父さんじゃないじゃん」

「えっ」

「ネビルはネビルであって、お父さんはお父さんでしょ? お父さんみたいに凄い人になりたいのと、お父さんその人になるのは違うよ」

 ネビルが立ち止まった。

「アレンは、おばあさまと違うこと言うんだね」

「あたしはきみのおばあさんじゃないから」

 なんでそんなに親と比較されるのか謎だ。親御さんは、おばあさんを止めないのかな?

「とにかく、失敗が怖いなら確認は何度もしっかりやること。それで三つ失敗するところが一つに減るだけでも進歩だよ。ね、ほら泣かない泣かない」

 またぐずぐず泣き始めるネビルを宥めて歩くよう促した。

 寮の入口がある玄関ホールに出た所で、すらりと背の高い覚えのある姿を見つけた。

「おーい、セドリック!」

「やあ、アレン」

 振り返ったセドリックが微笑む。それがあまりに完璧すぎて、そこらに咲いている花があれば恥じて萎れるかと思った。

「何日ぶりかな。──どうしたの、これ」

 あたしを目に留めた瞬間、笑みが消えて予想外に強い力で左の手首を掴まれた。そのまま頭より高く腕を引き上げられる。

「えへ、薬の調合で下手打っちゃった」

「大丈夫なの?」

 愛嬌ひとつで誤魔化そうとしたら、眉を顰めたセドリックの声が低くなった。

「さっきマダムに治してもらったから全然大丈夫! あたしよりネビルの方がよっぽど大変なことになってたよ」

 袖が溶けていることを除けば全くなんともない。おできどころか切り傷ひとつない腕を指した。すると、セドリックは初めてそこにいるのに気づいたという顔をしてネビルを見た。

「君は?」

「……グリフィンドール一年の、ネビル・ロングボトムです、ディゴリー先輩」

 気圧されたようにネビルが半歩後ずさった。

「知り合い?」

 あたしが尋ねると、ネビルはとんでもないという顔で首を振った。

「その人、ハッフルパフのシーカーだよ」

 シーカー? 前にも聞いた覚えがあるような……?

「ごめん、それ何? 監督生みたいなもの?」

 一拍置いてセドリックが盛大に噴いた。

「ちょっ……違う……監督生……違う……」

 よっぽどおかしかったのか、息も絶え絶えだ。

「うーん?」

 シーカーってなんなの。

 ひとしきり笑って落ち着いたセドリックが説明してくれたところによると、こっちにはクィディッチと呼ばれる球技があるらしい。その中でも特に点を多く取ることのできる花形ポジションがシーカーなんだそうだ。

「バンドのフロントマンみたいだね」

「ふろんとまん?」

 あっ、通じなかった。

「目立つ役回りなんだねって」

 物凄くざっくりした説明にセドリックが笑みを浮かべた。

「そうだね。とても目立つし、責任も重大だよ。チームの勝敗を握ってるから」

「それはすごいな。試合はいつ?」

「十一月から」

 寒い時期に始まるんだな。覚えておこう。

 忘れないように数回復唱する。と、セドリックが両手であたしの顔を自分の方に向かせて、妙に深刻そうな目を向けてきた。

「君は僕を応援してくれるの?」

「え? するよ?」

 言われなくてもそのつもりだ。スポーツに興味がないといっても応援しない理由はない。

「ルールとか全然わかんないけどね」

 点を多く取った方が勝ち程度しかわからなくても問題ないと思う。たぶん。

 セドリックが目許を緩めた。 

「ありがとう。いつもより頑張れそうだよ」

 それは何よりだと笑ったあたしの右手が後ろに引かれた。

「ね、ねえ、アレン。そろそろ寮に戻らないと……」

 ネビルはまだ入院着だったんだ。

「ごめん。じゃあまたね、セドリック」

「うん、またね」

 手を振って別れる。グリフィンドール塔の階段を並んで登っていたネビルが言った。

「僕、あの人好きじゃない」

 暗い顔をしているのを見ると、問い返すのはどうにも憚れた。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 木曜日に飛行訓練が始まると聞いて、あたしとハーマイオニーは「うげ」と呻いた。

 魔術師の一般的な移動手段が箒なのは聞いていたし、そのうち授業でやると思ってはいた。飛行訓練の何が嫌といえば、勉強みたいに予習すればどうにかなるものではないことだったりする。

「安定感のないもので空を飛ばなきゃいけない理由がわからないわ」

 魔法は物理法則を無視したものが多すぎるというハーマイオニーの嘆きに同意しかできない。

 スリザリンのテーブルでドラコが寮生と話しているのが聞こえる。どうやら、もう箒に乗ったことがあるらしい。内容に興味があったので近くに行って声をかけた。

「ドラコはもう箒に乗ったことがあるんだ? すごいね」

 勢いよく振り返ったのはドラコだけじゃなかった。その周囲にいた子たちまでこっちを見ている。

 あれ? あたし変なこと言ったかな?

「ふん。グリフィンドールが気安く僕に話しかけるな。どうせおまえは今度の授業で箒から落ちるだろうがね」

 ドラコは態度こそ偉そうでも嫌味を言う印象がないのでまごつく。特に機嫌が悪いようにも見えないので、どう返したものか迷った。

 それに嫌味にしては少々引っかかる物言いだ。グリフィンドール生に話しかけられると何か問題があるのかな?

「落ちると決まってないけど、気をつけるよ」

 ドラコはぷいっとそっぽを向いてスリザリン生とだけ話し始めた。やっぱり変だ。

 この学校に他寮の子と話しちゃいけないなんて暗黙の了解があるようにも思えない。そうでなければあたしはセドリックと話せていないはずだし、パールヴァティはパドマと話せなくなる。

 グリフィンドールのテーブルに戻ると、ロンが東洋の仏像めいた怖い顔で両腕を掴んできた。

「ひどいこと言われなかった?」

「誰に」

「マルフォイに決まってるだろ」

 また随分と断定的な。

「言われてないよ」

 必ずしもあれをひどいことだとは思わない。遠回しに「落ちるようなヘマはするな」と言われたとも取れる。

「あいつには近づかない方がいいよ。それでなくてもアレンは」

 言いかけてロンが口を閉ざした。

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」

 ロンは首を振って、にこりと笑った。

「ママがクッキーを送ってきたんだ。一緒に食べない?」

「食べる」

 

 飛行訓練の当日、朝食の席でちょっとした小競り合いがあった。

 ネビルに届いた『思い出し玉』とかいうどう役に立つのか全く不明な術具(タリスマン)をドラコが持っていこうとして、危うくロンとつかみ合いになりかけたのだ。運良くマクゴナガル教授が通りかかったので不発に終わって以降、ロンはずっと不機嫌そうだ。

「朝のはドラコが悪いよね」

「だからって喧嘩は良くないわ。そうでしょ、アレン」

 優等生気質のハーマイオニーはロンの軽率な行動が目につくのか、ちょくちょくお説教モードに入る。

「どうかなあ。殴り合いで理解が深まらないとは言い切れないよ」

 あたしたちとダドリーの関係が改善したのは、お互いこれ以上やったらまずいと気づいたからだし。

「あなたね、自分が女の子だって自覚ある? 男の子と殴り合いして敵うわけないでしょ」

 きつい声でハーマイオニーが言った。

「魔法だってひとより使えないのに」

「ハーマイオニー、その言い方はムカつくからやめて」

 体質のことを言われたのはわかる。でも、まだ魔法を学び始めたばかりで自分の魔力との付き合いもわからないうちから、他人にできないと断言される謂れはない。

「あたし、ハーマイオニーはすごいと思うし尊敬もしてるけど、言葉の選び方が上手くない。そういう言い方されたらイライラするよ」

 ハーマイオニーは目を泳がせた。開きかけた口を閉じると目を伏せて言った。

「ひどいこと言って、ごめんなさい」

「わかってくれたならいいよ」

 ポケットからビスケットを出してみせる。

「食べる?」

 言いながらもう口に入れようとするあたしに目を白黒させたハーマイオニーがビスケットを咀嚼して、ふふっと笑う。

「もう。あなた怒ってたんじゃないの?」

「今は怒ってないよ」

「切り替えが早すぎだわ」

「それが取り柄なんで」

 二人でビスケットを齧りながら校庭に向かった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 授業で箒に乗るのは思っていたより難しくなかった。

 乗る乗らないより大きな事件が起きたために、あたしは今ソファの上で蹲って頭を抱えている。

 ハリーには箒に関して天性の才能があったようで、ドラコが投げた『思い出し玉』を空中で曲芸みたいにキャッチしてみせた。

 それはいいのだ。問題は、それをマクゴナガル先生に見られたことだった。

 授業中なのにどこかへ連れていかれるのを、あたしはただ見ているしかなかった。言い訳のきかない状況で出張っても役には立たない。

 こんなつまらないことでハリーが退学になったらどうしよう。

「ごめん。僕があれを落としたせいだよね」

「違う。ハリーの運が悪かっただけ」

 ネビルの落下する速度を考えればフーチ先生に何かできる余裕があったとも思えないし、ましてや箒に振り回されてパニック状態だったネビルを責めても意味がない。

「気にしないで」

 ここにいても落ち着けない。かといって部屋に戻ればルームメイトが気にするかもしれない。

 そう考えるだけで気が重くなって、あたしはネビルの肩を励ますように叩いて寮を出た。

 どこか誰にも見つからない場所を探そう。

 人の声がする場所を避けて歩くうちに教室のある廊下に出た。空き教室なら誰も来ないかもしれない。

 階段から離れた教室の適当なドアに手をかけた時、

「ミ、ミス・ポッター?」

と、聞き覚えのある声がした。

「はい」

 クィレル教授が怪訝そうな表情をして顔を上げたあたしを見る。

「こ、こ、こんな所で、な、何を?」

「人のいない所を探してました」

 自分でも驚くほど弱々しい声が出た。それを聞いたクィレル教授が眉根を寄せる。

「何かあったのですか?」

 答えに窮して口を噤んだ。言ってどうなるものでもない。

 ハリーは向こう見ずなことをしたんだし、あたしは元々ハリーのおまけでこっちに戻ったのだ。だから、あっちに帰るのだって大したことはない。

 嘘は言えず、誤魔化しきれもせず、黙って目を逸らした。

 叱られるかもしれないと思ったあたしの頭の上にやんわりと重みがかかった。そろりと目を上げると、クィレル教授があたしの頭に手を乗せて微笑んでいた。

「よければ、お茶でも飲んでいきませんか?」

 頭をなでる手と声が優しくて、しゃくり上げそうになるのを歯を食いしばって耐える。頷いてしまったのは、いつにも増して気が弱っていたからということにしておきたい。

 空き教室から離れていないところにクィレル教授の部屋はあった。

 大人が三人くらい余裕で座れそうなソファに座るよう示されて素直に従う。

 ふかふかのクッションを抱えてぼうっとしていると、クィレル教授が紅茶とお菓子を持って戻ってきた。

「ミルクは?」

「ストレートがいいです」

 美しい水色を湛えた紅茶のカップが置かれる。

 ただお茶を飲んでお菓子を食べた。喋らないと気まずいかと思ったのに、クィレル教授は気を悪くした様子もなく、空いたカップにお茶を足してくれる。

 学校なのを忘れそうなくらい静かな部屋にひと一人の気配があるだけで不思議と気持ちが落ち着いた。あたしがひとりきりで不安を囲ったことがないのを知るはずもないのに、クィレル教授はあたしに最も効果のある対処をしてくれている。

 あのまま空き教室に隠れて思考に溺れていたら、不安のあまり泣いてしまったかもしれない。

 つらつら考えて、ハリーが学校を辞めることになったらあたしも辞めようと決めた。ここに残って勉強したとしても、そもそもが魔術師として生きるのに向いていないのだ。体質のことを考えればマグルとして生きる方がまだましだろう。

 魔法を使わない生活が長くてよかった。

 でも。

 向かいに座る先生を見つめる

 物思いに耽っているのか、白磁の目蓋が青い目を半分隠していた。読書家らしく少しかさついた長い指が、今は細いカップの持ち手を支えている。所作一つさえ美しく繊細なので、その手の温かさを知っていても触ったら壊れてしまいそうに思えてしまう。

「な、なんですか?」

 視線に気づいた先生がこっちを見て目を瞬かせた。

「綺麗ですね」

「綺麗? 何がですか?」

「先生が」

「君は何を言っているのですか」

 自覚がないのか、頭痛でも起こしたように顔を押さえている。

「思ったことを言っただけですよ?」

 友達は少なくない方だし、伯父の仕事の関係もあって子供なりにいろんな人を見てきたつもりだけれど、その中にクィレル教授のような人はひとりもいなかったし、この先知り合えるとも思えない。

「初めてお会いした時からずっとそう思ってます。先生は綺麗で優しいって」

 教師にとってたくさんいる生徒のひとりでしかないとしても、あたしはクィレル教授がいると知ったから安心してホグワーツに来れたのだし、今もこうして心細く孤独に思い悩まずに済んでいる。

 こんな風に静かに寄り添ってくれる大人がいるなんて、今まで思いもしなかった。

「あっちには先生みたいな人いないだろうなあ」

 口にして気づいた。学校を辞めるのは大した問題じゃないんだと。

 プリベット通りに戻ってしまえば、住む世界が違う人と会うこともなくなる。先生と話す機会なんて二度とないに違いない。ここにはそんな繋がりしかないのが寂しくて落ち込んでいたのだ。

 だけど、これはどうしたものかな。

「それはどういう意味ですか」

「言ったままの意味ですが」

 先生があたしの座るソファの背もたれに手をついている。あたしの両肩のすぐ横に長い腕があるので、座ったまま腕と腕の間に閉じ込めれた状態だ。状況的に追い詰められているのはあたしのはずなのに、先生の方が追い詰められているように思えて首が傾ぐ。

「君は魔術師(ウィザード)でしょう。どうして今非魔術師(マグル)の話が出てくるのです?」

 向かい合う瞳の奥に炎が見える。

「学期が終わらなければ、どんなに帰りたくとも帰れませんよ。それとも、ホームシックにでもなりましたか?」

 ぞっとするほど妖艶な表情にそぐわぬ寄宿学校の教師然とした発言もさることながら、どうしてか親に置いて行かれる子供が泣いて縋っているように思えてきて混乱した。

「あの、そういうんじゃなくて」

 押し止めようとする声が聞こえていないのか、クィレル教授はさらに詰め寄ってどこか焦点の合ってない目で喋り続けている。

「君も私では頼りない、役立たずだと誹り、期待外れだと突き放すのですか?」

 ゆらゆらと炎が揺れた。真っ暗な中にぽつんと灯った蝋燭のように悲痛な光。

 少し悩んで、ハリーの情緒が安定してなかった頃によくやったように先生の頬に触れた。焼物のようでも触っただけで壊れたりはしないんだな、なんて場違いな考えが過る。

「しませんよ」

 正直なことを言えば実は今の先生は少し怖い。だけど突き飛ばそうとか逃げ出そうとか、不思議と選択肢にはなかった。

 昔のハリーに似ていたからかもしれない。

「あたしは先生がここにいてくれてよかったです」

 ハリーにもよく同じことを言ったな。

 でも、本心だ。あの時のハリーも今の先生も、あたしを一人ぼっちにしないでいてくれた。

 手を伸ばして、先生の後頭部をやんわりなでる。

「ちょっと深呼吸しましょうか」

 こっちの指示に従って息を吸ったり吐いたりするうちに落ち着いてきたのか、クィレル教授は鼻先にあたしがいるのを見留めるなり大袈裟なほど素早く身を引いた。

 勢いでテーブルに足が当たってカップが鳴る。

「……す、すみません」

 目許と頬を赤くした先生が手の甲で顔の下半分を隠した。やっぱりさっきまでのは正気じゃなかったらしい。

「元気づける側の私が動じているようではいけませんね」

「いえ、頼っていいと言ってくれる人がいるとわかっただけでも充分心強いです。ありがとうございます」

 クィレル教授は息をついて椅子に座り直すと、僅かな躊躇いの後にあたしの右手を取った。

「君は子供なのだから、もっと大人を頼っていいのですよ」

 ゆるく指の甲をなでられるのがくすぐったくて、ふふ、と笑い声が漏れる。さっきまでのことが嘘のように穏やかな目をしてクィレル教授が言った。

「大人も神様ではないので、助けてほしいと言ってもらわないとわかりません。私はただ、君のことが心配なのです」

 今度は嬉しさで笑う。もしかして、初めて会った時からずっとそんな風に考えてくれていたのかな。

「じゃあ、困った時は相談に乗ってください。そんなにはっきり心配だって言ってくれる先生、他にいないし」

 自分によくしてくれる人に心配をかけたくない気持ちはもちろんあるけれど、あたしがひとりで問題を抱え込むほどこの人を傷つけてしまう気がした。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

「退学が嫌なら、シーカーをやれって言われて」

 ハリーがうんざりした顔で切りわけたポークソテーを口に運んだ。

 話によれば、マクゴナガル先生に連れられて行った先でグリフィンドールのクィディッチチームでキャプテンをやっているウッドという先輩に引き合わされたらしい。

 天性の才能と小柄な体、それに曲芸じみたことをやる度胸と身軽さはシーカーにぴったりなんだとか。

「そういえば、セドリックもシーカーなんだって」

 あたしが言うとハリーがびっくりして、

「いつそんな話したの?」

と尋ねてきたので、先日顔を合わせた時の話をする。

「セドリックとはライバルになったわけだね」

「うん」

 ハリーがクィディッチのチームに入ったことは試合当日まで秘密だそうだ。サプライズかな?

「アレンはハッフルパフを応援するの?」

「『を』っていうか、『も』だね」

 ハリーがシーカーになるならどっちも応援する。どっちが勝っても嬉しいので問題ない。でも、他の子はそうもいかないようだ。

「なーんで他の寮の選手を応援するのさ?!」

 横から聞き咎めたシェーマスに詰め寄られて苦笑した。

「友達だから」

 他に理由はない。

「ディゴリーはハッフルパフだろ? 応援するなら自寮にしろよ!」

「どこを応援するかはあたしの自由じゃん」

 きい、と頭をかきむしるシェーマスをハリーが宥めた。

「アレンは自由人だから、そんなこと言っても通じないよ」

「クィディッチで自由に振る舞うなあああ!!」

 察した。クィディッチは、あっちでいうところのサッカーだ。熱狂的なファンがいるのも含めてそっくりだし。

 発狂しているシェーマスに聞こえないようにハリーが小声で「練習は来週からだって」と言った。

 食事を終えてお茶を飲んでいると、ドラコが大柄な少年を二人連れてやってきた。

「やあ、ポッター。最後の食事はどうだい? 帰りの汽車に乗る時は教えてくれよ。見送りに行くからさ」

「子分を連れてなきゃ何も言えないくせに」

 言われた本人より先にいきり立ったのはロンだ。ハリーは意味がわからないという顔をしているし、あたしはまた随分遠回しに心配してるなあと笑っているのに、ロンは一人で血の気が多い。

 ドラコの連れはボディーガードなのか、ロンに威嚇するように指を鳴らした。

「ねえ、ハリー。この子たちと追いかけっこしたとして、あたしもハリーも捕まらないよね?」

「どう見ても脂肪だもんねえ。これならまだダドリーの方がまだ足も速いし、力もあるんじゃないかな」

 ダドリーがいじめてきていた頃、あたしたちはとにかく早く走る努力をした。スピードと持久力を得るために家の手伝いを言い渡されるより早く起きて走り込みだってした。そうして追われては逃げ回るうちに、気がついたらダドリーの仲間の誰も追いつけないくらい足が速くなっていたというね。

 そうなると悪ふざけする余裕も出てくる。「ほーら捕まえてごらんなさぁい」と煽っては、ダドリー含むいじめっ子たちと校内で追いかけっこするのが二人の間で流行った。名づけて『浜辺の恋人ごっこ』である。

 閑話休題。

 ロンの態度にドラコが鼻白んだ。

「お望みなら僕一人でも相手になってやるさ。今夜、決闘(デュエル)なんてどうだい、ポッター。杖だけ使って相手に直は接触れないのがルールだ」

 魔術師らしく魔法で勝負しようと。だが、ちょっと待ってほしい。

「それはどっちのポッターに言ってるの?」

 ここにポッターは二人いる。

 ドラコが口許を歪めた。

「英雄の方だ」

「だってさ」

 ハリーがつまらなそうな顔で息をつくのに気づかず、ロンが横から口を出した。

「いいだろう。僕が介添え人をする」

 当事者ほったらかしで勝手に話が進んでいる。ドラコにデュエルを挑まれたのはハリーで、ロンじゃないのに。

「じゃあ、真夜中。トロフィー室で」

 ドラコはそう言うと、一言も喋らなかった無口な少年二人を連れて去っていった。

「ロン」

 ハリーが氷点下並みの冷ややかな目でロンを見る。たじろいだロンが「な、なに」と返した。

「君はいつから僕のマネージャーになったのかな?」

 勝手に話を進められたのが嫌だったらしい。ロンが謝るまでハリーはチクチク嫌味を言い続けた。

「デュエルなんだから白手袋投げるくらいすればいいのに。白手袋で顔をはたいてもいいけど」

 ロンが変な顔をした。

「白手袋って?」

「デュエルを申し込む時の決まりだよ。こっちじゃやらないの?」

「聞いたことないな」

 どうやら魔術師は浪漫というものがわかっていないようだ。

 




お題サイトさんの語彙力すごいなっていつも思う


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第八話 アトラスの末裔

 

 運が悪い時は、本当にとことん運が悪いもので。

 ネビルが今日までに返さなきゃいけなかった本を忘れていたと言うので消灯前ギリギリに寮を出たまではよかったものの、帰ってきたら額縁の中に『太った婦人』の姿が見当たらない。

「門番が鍵閉めて出てったら中に入れないじゃないのさ」

 げんなりするあたしを見てネビルがしょげ返った。

「なんで僕いつも君を問題に巻き込むんだろう」

「ああ、責めてない責めてない」

 仕方ないので廊下で並んで座って話をする。

 ネビルは薬草が好きで結構詳しい。実は最初の薬学の授業でハリーが出された三つ目の問題の答えがわかっていたそうだ。

 本当は答えたかったけれど、ハーマイオニーでさえ当ててもらえないのに自分が当ててもらえる気がしなかったと。気持ちはわかる。

 せっかくなので、あたしの好きなものの話もした。映画が好きだと言ったら、どんなものかと尋ねられたので自分の知識の範囲で説明してみる。

「写真が動くのとは違うの?」

「それに音楽と効果音と台詞がつくよ。ホラーとか冒険活劇とかSFとかね、いろんなジャンルがあって面白いんだ」

 残念ながらピンとこないという顔をされてしまった。

「これは観た方が早いな。ね、次の夏季休暇にでも一緒に映画観に行かない?」

 いっそ趣味の世界に引きずり込んでしまえばいいのでは。身を乗り出すあたしに気づいてネビルがびくっとした。顔を赤くして下を向いてしまう。

「おばあさまが、いいって言ったら、行くよ」

「わかった。あたしはどっちにしても行くつもりだから、ダメならダメでも気にしないでね」

 マグルだってすごいもの作るんだぞー。なんてね。

 不意に額縁がガタガタ鳴った。

『太った婦人』が帰って来たのかと思って立ち上がる。額縁が開いて中からロンとハーマイオニーが言い合いしながら出てきた。その後ろにはハリーの姿も見える。

 そういえば今夜決闘(デュエル)しに行くんだっけ?

 頑張ってねー、と声をかけて入れ替わりに寮に入ろうとしたあたしの腕をハリーが掴んだ。

「ん? どうした?」

 ネビルを先に行かせて立ち止まる。

「アレンも行くよね」

「え?」

 バタン、と音がして我に返った。

「入り損ねた!」

 ハリーがにっこりする。狙ってやったな。

「夜の学校を探検するなんてワクワクするでしょ」

 のほほんとしているハリーをハーマイオニーが人を殺せそうなほど怖い目で振り返った。

「暢気すぎよ、ハリー」

「そう?」

 マイペースさにかけてはハリーの右に出るものはいないと常々思っているので口は出さない。

 急かすロンに引きずられるようにしてトロフィー室に着いても誰もいなかった。わざわざ消灯時間後を指定したのは来る気がなかったからか。

「はめられたねえ」

 ハリーが一層暢気に言った。

「まだ時間じゃない」

 ロンが噛みついても撤回しない。申し込まれた時点でドラコに来る気がないのがわかっていたのだろう。

「だったら、なんであたしを連れて来たのさ」

「片割れがいない冒険なんてつまらないよ」

 ここに留まってフィルチさんに見つかるのだけはいただけない。

 気配に注意しながら入ってきたのと反対側のドアから廊下に出た。長い回廊に両脇にずらりと鎧が並んでいる。

 ここに首なし騎士(デュラハン)が混じってても変じゃない、なんて考えているずっと後ろでフィルチさんがミセス・ノリスに話しかける声が聞こえてきてドキッとした。

「急ごう」

 ハリーの声に従って足を速めようとしたロンが蹴躓いて鎧のひとつに突っ込んだ。崩れて寒気がするほど大きな音が響く。

「急いで! 早く走って!」

 ハーマイオニーが声を上げ、ロンが飛び起き、あたしとハリーはひたすら走る。振り返って追われているのか確かめる余裕もなく、息切れに耐え切れなくなって転がり込んだのは空き教室だった。

 ぐったりと壁に寄りかかって息を整える努力をした。疲労の度合いがひどい。午後に飛行訓練をしたのが原因なのか、自分でもよくわからない。

「アレン、動ける?」

「無理かな」

 流石に夜まで部屋に帰れないなんて思いもしなかったので間食になりそうなものは持ってないし、食べたからといってすぐに回復はしないのだ。

「落ち着いたら自力で帰れる……先に戻っていいよ」

 眠い。体が床に埋もれそうなくらい重い。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 上下に揺さぶられる感覚で目が覚めた。

 視界が赤い。びっくりして頭を上げたあたしにロンが喚いた。

「じっとしてろ!」

 どうやらまた意識を失っていたみたいだ。今は全力疾走するロンに背負われて逃亡中らしい。

「ダメだ、鍵がかかってる」

 立ち止まったロンの向こうでハリーの声がする。見れば前方は廊下の突き当たりで、鍵のかかったドアが道を塞いでいるようだ。

「ちょっとどいて」

 ハーマイオニーがハリーを横に押しやって、杖で鍵を叩いた。

「Alohomora!」

 カチッと音がした。ドアを開け、中に入って息を潜める。

 廊下でフィルチさんとピーブズが話す声がした。ピーブズにおちょくられたのか、フィルチさんが悪態をつきながら遠ざかっていく。

「よかった、見つからなくて」

 そう言って振り返ったハリーの表情が固まった。あたしを背負ったままロンが振り返るのにつられて背後を見る。

 え? ええ?!

 叫んだのが自分なのか他の誰かもわからない。走るロンの背中に力の入らない手でしがみつく以外、できることはひとつもなかった。

 随分経って、ロンが立ち止まるなり膝から崩れ落ちた。

「大丈夫?」

「……なんとか」

 ロンよりだいぶ小さいといっても、同い年の人間を抱えて走り回るのは相当しんどかったはずだ。

「まあ、あなたたち。どこに行ってたの?」

 ハリーがにこやかに答える。

「ちょっと散歩に」

 合言葉を言うと、ハリーはあたしを大きめの植木鉢みたいに抱っこした。

「アレンが軽くてよかったよ」

「確かにね。それにしても、なんであんな怪物を学校の中に入れてるんだろう?」

 身が軽くなったロンがよろよろと立ち上がる。ハーマイオニーが羽織ったガウンを弱々しく肩まで引き上げた。

「あれは何かを守ってるのよ」

「何かって?」

「そこまではわからないわよ。だけど、あの犬は仕掛け扉の上に立ってたわ」

「よく見てるね。あたし、周りを見る余裕なんて全然なかったよ」

 あの状況でそんなことまでと心底感心する。ハーマイオニーが顔を赤くした。

「たまたまよ、たまたま! それより、アレンは少し食べて飲まないとまた具合が悪くなるわよ」

 すっかり忘れてた。

「じゃあ、僕がお茶を淹れてくるよ。ハーマイオニーも飲んていった方がいいね。声が嗄れちゃってる」

 あたしを暖炉近くのソファに下ろして、ハーマイオニーに笑いかけたハリーは給湯室に入っていった。

 

 翌朝、ごはんをたんまり食べている横でハリーが切り出した。

「この前、ハグリッドに呼ばれたの覚えてる?」

「お茶に誘われたんだっけ」

「そう」

 ハリーはハグリッドの小屋で見た新聞の切り抜きの話をした。

「僕たちがダイアゴン横丁に行った日に盗難未遂事件があったらしくてね。狙われたのは僕たちも行ったふたつめの金庫だよ」

「へえ。何も盗まれなかったのは不幸中の幸いってやつだね。やっぱり中には入れなかったのかな?」

 盗難が未遂に終わったのはいいことのはずなのに、ハリーは浮かない顔で首を振る。

「二つ目の金庫の中には最初からお金も宝石もなかったんだ。ただ、五センチくらいの包みがひとつが転がってて、ハグリッドがそれを持ち出してたんだよ」

「えっ、あの広い金庫にそれだけ?」

 一つ目の金庫と同じ広さだとすればすっからかんといっても過言じゃない。ハリーは頷いてさらに言った。

「それに僕らはギリギリで泥棒とエンカウントせずに済んでる」

「うわ、狙いすましたようなタイミングだね」

 事を見越してダンブルドアが手を打ったのだとすれば、泥棒側の動きを掴んでいたということか。考えながら、もぐもぐとシェパーズパイを咀嚼する。

 ふと、あることを思い出した。

「あの日さ、クィレル教授に会ったの覚えてる?」

「うん」

「別れ際に呼び止められたんだ。その時に先生がね、あたしに『気をつけて』って言ったんだ」

 クィレル教授は学校で防衛術を教えるくらいの人だ。もしかしたら悪い予感でもしていたのかもしれない。そう考えたあたしの考えを読んでハリーが言った。

「それはどうかな」

 眼鏡越しのエメラルドがあたしを見る。

「クィレル教授こそ犯人の可能性もあるんじゃないの? そうじゃなきゃ、どうしてアレンに忠告めいたことをする必要があったの?」

 他の先生よりも気にかけてくれているのは本当だと思う。

 でも今はそれを横に置いて考えよう。映画や小説では、意味ありげな人は事件に関わっているものだ。犯人じゃないとしても、なんらかの関係があったっておかしくはない。

 翌週、ハリーの下に六羽のオオコノハズクが細長いものを届けた。それと手紙も。

 ハリーは「ええー」という顔をして教員席の方を見てから、手紙を開封して便箋を指先で叩いた。

「気づかれるなって言うならここに届けないようにしてほしいよ」

 その言葉で察した。届いたのはハリーがシーカーとして使うための箒だ。この長さだと他のものに擬態させるわけにもいかないのかもしれないけど、明らかに目立つ状況で送るのもおかしい。

 あるいはマクゴナガル先生のテンションが振り切れているとか。

「今夜から練習に来いって」

 疲れた声で言うハリーを労わるように肩を叩いた。

 ハリーが練習に行っている間、あたしはハーマイオニーと勉強しまくった。ハーマイオニーは記憶力が特に凄い。あたしが思い出せない単語もぽんぽん出てくるし、魔法の応用もきちんとこなしている。

 習った呪文や杖の振り方を何度も何度も繰り返しやった。発音はしっかり、杖の振り方を間違えないように。それ以外にも魔力が体を巡る経路を図で見て、お互いに確認したりもした。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 宿題に追われるうちに日はすぎてハロウィン当日になった。

 今日は両親が死んだ日で、ハリーが英雄になった日で、あたしが死にかけた日だ。

 こっちに来れば命の恩人のことでわかることがあるかもしれないと思ったけれど、あたしに関することは面白いくらい情報がない。図書館にある当時の新聞を見ても、ハリーが双子だという記事さえ見つからなかった。

 呪文学の授業では『浮遊』の実践をすることになった。

 これまではひたすら呪文を完璧に唱えることと杖の振り方を練習していたから、実際に何かを浮かせると聞いて生徒のテンションはだだ上がりだ。

 復習として見せてもらったフリットウィック教授の「ビューン、ヒョイ」という説明が可愛くて、ちょっと笑ってしまった。それに気づいた先生が、にこにこして杖のモーションを繰り返してみんなも笑わせたので和やかな空気が生まれる。

 全員がきちんとできたのを確認すると、一人に一枚、白くて大きな羽が配られた。これ、鳥の羽にしては大きくない?

 隣で呪文を唱えたハーマイオニーは一発でこれをこなした。あまりに素晴らしいので拍手したらフリットウィック教授も一緒に拍手して褒め、ハーマイオニーに五点加点した。

「いいですか。魔法とは自分の望みを叶える力なのです。杖の振り方や呪文はもちろん大事ですが、皆さんの羽根がどのように浮くのか、できるだけ詳細に思い浮かべてみましょう」

 フリットウィック教授は最初の授業でも「行使する者が強く願ったことを叶えるのが魔法です」と言っていた。「杖は自分の腕だと思いなさい」という発言に魔術師生まれの生徒まで驚いていたのは記憶に新しい。

 清らかな水で満たされたゴブレットに落ちた羽根が浮かぶ様子を思い描いて、杖を振りながら呪文を唱えた。

「Wingardium Leviosa」

 ハーマイオニーが歓声を上げた。羽が十センチほどの高さでふわふわと揺れていた。

「先生! アレンも成功しました!」

 ハーマイオニーがぴょんぴょん飛び跳ねるのを見て、フリットウィック教授が駆けつける。

「ミス・ポッター、もう一度できますか?」

「やってみます」

 深呼吸して杖を振る。呪文を唱えると、さっきよりもう少し高く羽が浮いた。

「おお、ミス・ポッターもやりましたね!」

 フリットウィック先生が椅子の上に登ってあたしの頭をよしよしとなでてくれた上に三点もくれた。なんて大盤振る舞い。

 ハーマイオニーは一緒に頑張った甲斐があったと言って喜んでくれたし、夜のパーティーはかぼちゃづくしだとフレッドとジョージから聞いてスキップするくらい気分が上がっていた。

 だから、午後の授業を終えて用を足しに入ったトイレで覚えのないゴーストに気を取られたのも仕方ないと言い訳したい。

 

「あらぁ。あなたもゴーストの仲間入りをするの?」

 マートルが楽しげに言う。

「しないよ! っていうか、なんで校内にトロールがいるのさ!?」

「誰かが招待したんでしょうねえ」

「迷惑だよ!!」

 マートルの泣き言を聞いていたらトイレにトロールが侵入してきましただなんて、冗談にしたって笑えない。

 何もかもが鈍い相手だから逃げきれているといっても、このままじゃいずれ体力が尽きる。

「ねえ、マートル! きみどうにかできないの?!」

「できるわけないでしょう。私はゴーストなのよ。何もできないからゴーストなの」

「ポルターガイストくらい起こせよぅ!!」

 叫んで床に伏せる。あたしの頭があった高さをトロールのこん棒が薙いだ。

「ポルターガイスト? それはピーブスに頼むのね」

 間を置かずに起き上がってトロールの次の動きを探る。と、誰かがトイレに飛び込んできた。

「アレン!」

 ハリーだ。ロンとハーマイオニーもいる。

「こっちに来ちゃダメ!」

 三人に気づいて向きを変えようとするトロールに砕けたドアの残骸を投げつける。トロールがこっちに気を取られた隙に言った。

「戻って! 誰か先生を呼んできて!」

 トロールが近づいてくる。狭い場所に四人もいたら思うように動けない。

「早く!」

「わかった」

 すぐに頷いてハリーが出ていく。ロンとハーマイオニーは、あたしとトロールを交互に見ているばかりで出てくれない。

「二人も出て」

「でも」

「でもじゃない! あたしはすばしっこいからどうにかなるけど、きみたちはそれほどでもないでしょ!」

 ひどい言い方をすれば邪魔のひとことで済むのだけど、心配して来てくれたのがわかっているので、それだけは言わないと決める。

 ロンが屈んで何か投げた。

 いい音がしてトロールの動きが止まる。

「君だけにいい格好はさせないよ」

 ロンが極度の緊張と生命の危機からか上気した顔で笑った。

「ここで君を置いて自分だけ逃げたら、グリフィンドールの名折れじゃないか!」

「その割には膝ガックガクだね」

「うるせー」

 ハーマイオニーは出口とトロールとを見比べると、キッと目を怒らせた。

「そうよ、私はグリフィンドール生なのよ! トロールにだって負けやしないわ!」

 わーかっこいー、なんて言ってふざける余裕はなかった。トロールがロンにこん棒を振り下ろそうとしている。

 あたしはまた残骸を拾った。でも、投げるには間に合わない。

「ロン、避けて!」「Protego!」

 あたしが叫ぶのと、ロンが飛びずさるのと、ハーマイオニーが呪文を唱えたのは同時だった。

 カシーン、と乾いた甲高い音がして、空中でこん棒が止まる。ハニカムが重なり連なる多面構造の透明な壁がロンとトロールの間できらきらと灯りを反射した。

「あんまり長くは防げないわ」

 ハーマイオニーの声はひどく冷静だった。

「ロン、『ビューン、ヒョイ』よ。やれる?」

「やれるか? だって?」

 上気した顔には恐れを上回る覇気が見て取れた。

「絶対にやるんだよ」

 ハーマイオニーの問いにニヤリと笑って返したロンが、フリットウィック教授にも劣らぬ美しい所作で杖を振り、正しく呪文を唱えた。

「Wingardium Leviosa!」

 呪文は的確にその効果を現した。

 棍棒がトロールの手をすっぽ抜け、宙に浮いて落下する。棍棒が頭に直撃したトロールは、その重さと硬さで昏倒した。軽い地響きを立てて倒れたそいつをそろりと窺えば完全に白目をむいていて、しばらく起きそうにない。

「こ、怖かったぁぁ」

 安心したら腰が抜けて床にへたり込んでしまった。ロンもハーマイオニーも興奮と緊張が解けたのか、青い顔で冷や汗をかいている。

 バタン、と音がして複数の足音が聞こえた。顔を上げたのに、いきなり視界が真っ暗になって驚く。

「無事、ですか? ど、ど、どこか、痛むところは?」

 一人で地震にでも遭ったようにガタガタ震えながら、クィレル教授があたしを抱きしめていた。真っ暗になったのはローブに顔が埋もれているせいだ。

「大丈夫です。怪我はしてません。怖くて腰が抜けただけです」

 先生は泣きそうに声を震わせて「よかった」と繰り返し言ったかと思うと、あたしを抱え上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだったので再度驚く。

 えっ、何? なんで?

 混乱して酸素の足りない魚と化したあたしをスルーして、クィレル教授はマクゴナガル教授に言った。

「ね、念のため、い、い、医務室に連れて行きます」

 マクゴナガル教授も驚いたようで四角い眼鏡の奥の目が丸くなる。しかし流石は副校長というべきか、すぐ我に返って頷いた。

「わかりました。事情は後で聞きます」

 早足で廊下を歩く先生に尋ねる。

「先生の方が死にそうな顔してますよ?」

 灯りが暗いからじゃないとわかるほど顔色が悪い。腰が抜けただけのあたしよりよっぽどマダムに心配されそうな様子なのに先生は頷くばかりで何も言わない。抵抗したところで下ろしてくれそうもない。

 自力ではどうにもできないので諦めて力を抜いた。自棄になって先生の肩に頭を預ける。

 この前、あたしのことを心配だと言ってくれたけれど、ここまで気にかけてくれる理由がよくわからない。今回は寮監のマクゴナガル教授も他の先生方もいたので気にすることはないはずなのに。

 それとも他に理由があるの?

 今きいたところで答えが返ってきそうにないので、何もきかないことにした。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 抱っこで運ばれてきたあたしを見たマダムは、またこいつかという顔をした。はい、あたしです。

 あたしをベッドに下ろしたクィレル教授はトロールの後始末があるからと言って、お礼を言う暇もなく医務室を出て行ってしまった。

 今度は何があったのかと問うマダムに一部始終を話すと、眉間にがっつり皺が寄った。

 トロールから直接攻撃を受けてはいなかったとはいえ、怪我をしていなかったという考えは改めよう。気づかないうちに細かい擦過傷がいっぱいできていて、あっちこっちがひりひりする。

 傷に容赦なく薬をすり込まれて涙目になっていると誰かの足音が聞こえた。後で話を聞くと言っていたマクゴナガル教授かもしれない。

 誰かが医務室の前で立ち止まったのと、ドアが勢いよく開いて衝突音が響いたのは同時だった。マダムがじろりとドアの方を見る。

「セブルス、ドアは静かに開けなさい」

 おっかない顔に黒づくめに萌え袖。間違いなくスネイプ教授だ。

「……すみません」

 この人、ドアの開け閉めが乱暴すぎるよ。いつかドアを壊すんじゃない?

 スネイプ教授がここに来たのは、マクゴナガル教授に代わって事情聴取するためだった。

「何故、トイレにいたのかね」

「マートルと話してました」

「パーティーに行かなかった理由は?」

「泣いてる子を放置して行けないでしょう」

「……やつはいつもああだ」

「あれ日常風景なんですか?」

「知らなかったのか」

「今日初めて遭遇したもので」

 きかれて困ることでもないのでサクサク答える。

 話すごとにスネイプ教授は片手で額を押さえるようになり、とうとう深くため息をついた。

「運が悪かったな」

「そうでしょうか」

 首を傾げたら睨まれた。そんな獲物を獲り損なった猛禽類みたいな顔しなくても。

「巻き込まれたのがあたしでよかったと思いませんか? ネビルやドラコだったら死んでましたよ」

 あたしはここに来るまでに魔法を覚えなかっただけで、足の速さや荒事に対する耐性がかなりついている。坊ちゃん嬢ちゃん育ちで追いかけられたり暴力を振るわれたりすることに慣れていない子がトロールとエンカウントしていたら、間違いなく頭を潰されていただろう。

 あの場にいたのがあたしで本当によかった。

 へらへらするあたしを見て、スネイプ教授が不満げに鼻を鳴らす。

「そんなところが似ることはないだろうに」

 誰に?

 聞き返そうとしたら、べしっと頭をはたかれた。

「痛いです」

「痛くしたのだから当然ですな」

 あたしが何をしたっていうんだよ。

 スネイプ教授が用は済んだとばかりに医務室を出て行く。その歩き方が少し変──片足を引きずってるように見えた。

 

 それからしばらくトロール退治の話題で盛り上がる周囲を適当に流す日が続いた。退治したのはロンとハーマイオニーなので、言えることといえば「二人ともかっこよかった」しかないのもある。

 十一月に入ると急に寒くなった。ベストとジャケットを着込んでも寒いと言ったら、

「裾が短いからでしょう」

と、ハーマイオニーに呆れられた。

「長いと足にまとわりついて動きにくくなるじゃん」

「そんなに走り回る必要がどこにあるのよ」

「またトロールに遭遇しないとも言い切れないよね?」

 一度入ってきたものが二度入ってこないと誰が証明してくれるのかと返したら、ハーマイオニーは言葉が見つからなかったらしく、羊皮紙に向き直ってレポートの続きを書き始めた。

 じきにクィディッチの初試合が始まると聞いたので競技場に足を向けてみた。今日はハッフルパフのチームが練習している。観客席がとても賑やかだ。大半は女子生徒。歓声を聞くにみんなセドリック目当てらしい。

 黄色い声がうるさいので、観客席から離れたピッチの端っこに座って上を見る。

「よくあんな飛び方するなあ」

 あたしはハリーと違って箒は得意でも不得意でもない。一方、クィディッチの選手は結構ハードに飛び回っていて、目で追うのもかなり苦労する。

 地上にいても冷えて寒いのに、あんな速さで風除けもなしに箒で飛び回ってたらもっと寒いに違いない。見ているだけでも寒さが増してマントの前をきっちり合わせた。

 びゅんびゅん風を受けて翻るユニフォームが上空の風の強さを物語っている。みんな元気だなぁ。

 いい加減体が冷えてきたので玄関ホールに向かおうとしたあたしの目の前に、セドリックがまるで鳥のように降り立った。ハッフルパフの蜜蜂みたいなカラーのユニフォームを着ている。

 これが舞い降りるってやつかと納得するほど鮮やかな着地だった。

「観に来てくれたんだね」

「うん」

 ハリーの練習も観に行きたいのにウッドがダメって言うし、なんてことはセドリックに関係ないことなので頷くだけに留める。

「クィディッチってすごいね。見てるだけで目が回るかと思った」

「ルールわかる?」

「全然」

 ハリーとダドリーはよく一緒にサッカーを観ていたけれど興味はなかった。クィディッチだってハリーやセドリックがやっていなければ様子を観に来ることもなかったと思う。

「前にシーカーは点数が多く取れるって言ってたよね? どんなことするの?」

「スニッチ──ってボールなんだけどね、それを取ると一五〇点入るんだよ」

 練習で使ってたボールは二種類あったように見えた。普通のと、やたら元気に飛び回るのとどっちだろう?

「どのボール?」

 セドリックは「うーん」と首を傾げた。

「そうだな。今度の試合で僕が取ったら見せてあげる。だから試合、観にきて」

「わかった」

 頷いて返したあたしの頬にグローブをはめたセドリックの指が触れた。

「絶対勝つからね」

「おう、頑張れ」

 手を振って箒に飛び乗ったセドリックは、元から空の生きものだったような軽やかに競技場の方へ飛んでいった。

 




賢者の石は終わってるけど、その先はいつになるかわからない


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第九話 少年インマヌエル

 

 ハリーの初試合の日はわくわくして目が覚めた。

 今までずっと練習を見るのも禁止されていたから、ようやくハリーの勇姿を見られるのだ。テンションが上がるのも当然だった。

 身支度を整えて談話室に下りれば、ハリーがいつものようにヘアオイル片手に待っていた。好き勝手に絡む髪を毛先から順に髪を解しながらハリーが言う。

「ハッフルパフの練習、見に行ったんだって?」

「うん」

「どんなだった?」

「すごかった」

 選手が目まぐるしく飛び回るのを見続けるのは結構疲れる。もっと動体視力が良ければ楽なのに。

「ハリーこそ練習どうだった?」

 数拍の間を置いてハリーが答えた。

「えげつなかったね」

 どれだけしごかれたのか知れないが、声に若干の疲れを感じる。

「本番は大丈夫そう?」

「たぶん?」

「そこは『全力で行く』だろ」

 野太く大きな声がした。顔を見るまでもなくグリフィンドールチームのキャプテン、オリバー・ウッドである。ハリー曰く、マクゴナガル教授並みのクィディッチ狂。

「まったく、ハリーはやる気があるんだかないんだか」

 ウッドが腕組みをして、あたしの頭の上──ハリーの顔を見る。

「そんなじゃ優勝なんて夢のまた夢だ! もっとシャキッとしろ!」

「はぁい」

「だからシャキッと!」

 ハリーは基本マイペースでぽやぽやした空気を醸し出していて口では全くやる気を見せないけれど、本気を出すと大抵のことはこなせるオールラウンダーだ。それに何より相当な負けず嫌いなので、負ける心配はするだけ無駄だろう。

 朝食も昨日と同じくたっぷり食べたハリーがのんびり試合に備える横で、ウッドがまだ煩く激励しまくっていた。

 十一時。校内にいたほぼ全ての人が観客席につく。

 あたしもロンとハーマイオニーに連れられて空いたベンチに座る。常識外れに大きな応援旗のライオンをディーンが描いたとネビルから聞いて心底驚いた。絵柄はデフォルメしているのに、ちゃんとかっこいい!

 両チームの選手がピッチに現れると同時に観客席がわっと沸いて、耳が痛くなった。

 審判はフーチ先生だ。耳を刺す笛の音が響き渡る。

 やっぱり選手の動きが目まぐるしくて全然追いきれなかった。無理すると眼精疲労になりそうだ。

 実況によれば、おとなしいボールがクアッフル、やたら元気なボールがブラッジャーらしい。

 とするとこの球技、ボールが三種類も使われてるってこと?

 ブラッジャーは危険なボールだ。さっきから棍棒を持った選手が何度も打ち飛ばしている。そうしないと選手を狙って追尾する魔法がかかっているみたいだ。

 スニッチはどこにあるのか、ぐるりと見回しても三つ目のボールの影はない。

 グリフィンドールが点を取ったと声がした。

 ロンの向こう側からハグリッドが現れたので、そっとベンチを降りて端に寄る。あんな巨漢がベンチに座ったら間違いなく押し出されてしまう。

 ハリーはかなり高い所にいた。シーカーはスニッチを取ることを優先しているのかもしれない。

 歓声の合間に実況が「スニッチ」と言ったのが聞こえた。

 どこ? どこにボールが?

 目を凝らしても見えない。と、ハリーが急降下して、スリザリンの選手(おそらくシーカー)とマッチ・レースになだれ込んだ。だからボールはどこよ?

 スリザリンの選手が体当たりした勢いで箒ごと回転しながら弾かれたハリーは、ぴたりと空中で止まって体勢を立て直す。

 スリザリンチームにはスポーツマンシップという言葉は存在しないんですかね?

 グリフィンドールの観客席がブーイングで溢れ返った。

 試合が再開して少し経った頃、ハリーの箒が変な動きをしだした。最初はグラッとか、ゆらゆらっと揺れていただけだったのに、いきなりぐうんと大きく揺れてハリーが箒にしがみつく。

「ねえ、なにあれ? どうしちゃったの?」

 ロンに声をかける。

「わからない」

「フリントの体当たりで箒が壊れたんじゃない?」

 シェーマスが言った。

「んなことあるかい。箒には強力な黒魔術(ケイオスマジック)でしか悪さができんようになっとるんだ」

 つまり、箒の不調は人為的なもので、しかも大人の誰かがやっているということだ。

 ハーマイオニーが素早くハグリッドの双眼鏡を取り上げて他の観客席を見渡した。ロンが困惑した様子でどうしたのか尋ねると、

「スネイプ教授が呪文を唱えてる」

と震える声で言った。

「ちょっとごめん」

 ハーマイオニーから双眼鏡を借りて、スネイプ教授がいる向かいの観客席を見る。

 確かにスネイプ教授は呪文を唱えている。でも、もう一人、少し離れた所で上空を見つめながら呪文を唱えている人がいた。

「ありがとう。ちょっと行ってくる」

 ロンに双眼鏡を押しつけて走り出すあたしの後ろでハーマイオニーが叫んだけど、内容は聞こえなかった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 向かいの観客席に上がって二人の先生を探す。

 やや遠くにいるのがスネイプ教授で、割と近くにいるのがクィレル教授だ。

「やっと追いついた」

 息せき切ったハーマイオニーが肩を掴んでくる。

「スネイプ教授なら私が止めるから、」

「そっちは任せる。あたしはクィレル教授の所に行くよ」

 ハーマイオニーの言葉を遮ると変な顔をされた。

「どうして?」

「呪文を唱えてる」

「え?」

「クィレル教授も呪文を唱えてるんだよ」

 ハーマイオニーが青ざめて頷いた。

「わかった。気をつけてね」

 二手にわかれて観客席を走る。先生は呪文に集中しているのか後ろに立っても気づかないので、灰色のローブをぐっと引っ張った。

「何してるんですか先生」

 驚いたクィレル教授が大袈裟に飛び上がって振り返る。

「ミ、ミ、ミス・ポッター、」

 何の呪文を唱えていたのかはわからない。スネイプ教授がいた方から悲鳴が聞こえるのと向かいの観客席から歓声が上がっているのから察するに、ハリーの箒の不調は改善されたようだ。

 じっと先生を見上げる。

「顔色が悪いですよ」

 クィレル教授はビクッとして顔を背けると早口で答えた。

「す、少し寝不足なだけです」

「そうですか」

 くるりと回れ右する。はっきりしているのは、どちらの先生も呪文を唱えていた。それだけだ。

 何をしていたのだとしても、ここで問い詰めたって事情を教えてはくれないだろう。後ろ暗いことがあるならなおさら。

「アレン、」

 名前の方で呼ばれたことに少なからず驚いて足を止める。振り返るとクィレル教授が真っ青な顔で震えながら、ほんの僅か、こっちに手を伸ばしかけていた。

「なんでしょう?」

 先生は口を開いたけれど声を発することなく口を閉ざして下を向いてしまったので、あたしは何も言うことなくその場を去った。

 観客席を降りた所でハーマイオニーが待っていた。

「アレン、ちょっと」

 頷いてついて行った先は控室の裏だった。ここなら誰にも見られずに済むと踏んだらしい。

「どうかした?」

 ハーマイオニーは苦い顔をした。

「あなた、どこまでわかってるの?」

 どこまでとは。

「私はスネイプ教授にしか気づかなかったのに、あなたはどうしてクィレル教授に気づいたの?」

 指で頬をかく。

「クィレル教授については、双眼鏡で確認したらそうだったとしか」

「あの二人、結構離れた場所にいたわよ」

 偶然見つけられるはずがないと言いたいらしい。ハーマイオニーの性格からして、納得できる答えが得られるまで追及の手を止めないだろう。

 さて、どこから話したものかな。

「グリンゴッツに泥棒が入った事件は知ってる?」

 ハーマイオニーはきょとんとして、すぐに頷いた。

「新聞で読んだわ」

「あの日、あたしとハリーもグリンゴッツに行ったんだ。ハグリッドの案内でね」

 校長の手紙。あたしが見ていない二つ目の金庫。先生の警告。

 あまりにもできすぎている。最初からこうなるように仕組まれていたような事件だ。

「じゃあ、クィレル教授はハリーを助けようとしてたってこと?」

「そうとも限らないよ」

「どうして?」

「『漏れ鍋』で会った時から、ハリーは先生にいい印象を持ってないんだ。あたしの人間関係に口を出すなんて、よっぽどのことだよ」

 普段は他の生徒との付き合いにもハリーは何も言わないし、誰と仲良くしようと全く気にしない。でも、先生にだけは、はっきりと警戒を示していた。

「だからって敵だ味方だなんてことで考えてるつもりもないよ。もしかしたら、どっちも何か仕掛けてたのかもしれないからね」

 気になるのは別のことだ。ハリーに危害を加えようとしたのが本当だとして、どうしてスネイプ教授もクィレル教授も、あたしに親切にしてくれるのか。

 英雄の片割れでも凡人すぎて取るに足らないと思われてる? それとも情が移るように仕向けてる?

 どっちも違う気がするな。

 最初に魔力供給の処置を受けた時、スネイプ教授もクィレル教授に対して、ちょっときつい振る舞いをしていた。二人が同じ黒魔術系の人だったとして、仲が悪かったら効率が悪くなりそうなものだけど。

 密談を終えて寮に戻ると、ハリーはロンと一緒にハグリッドの所に行ったとラベンダーが教えてくれた。

 

「ニコラス・フラメル?」

 ハーマイオニーが首を傾げた。

 夕食を終え、談話室で寝る前のお茶を飲むのが最近の習慣になりつつある。今夜の話題は午後にハグリッドの所に行ったハリーとロンは頭が三つある犬──もふもふちゃん(フラッフィー)──がハグリッドのペットだったこと、ニコラス・フラメルなる人物が盗難未遂事件に関わっているのを聞き出してきたことだ。

「聞いたことのある名前だわ」

 ハーマイオニーが言うので、

「錬金術師でしょ。あっちでも名の知れた人だよ」

と言ったら物凄く驚かれた。

「何で知ってるの」

「創作物にちょくちょく登場するから?」

 エンターテイメント好きには割と普通の知識だ、たぶん。

「フラメルとダンブルドアがどうにかした何がしかを銀行から持ち出して、もふもふちゃんに守らせてるの? でもどうして学校に?」

「銀行の次くらいに安全だからって言ってたよ。全っ然信じられないけど」

 ハリーが容赦ない言葉を付け加える。本当に安全ならトロールは入ってこないもんね。

 それからしばらくは事件らしい事件もなく、ひたすら勉強漬けの日々を送った。廊下や教室の寒さ対策に、ハーマイオニーが教えてくれた青い火の魔法は魔力の消費が少ないのでとても重宝している。

 クリスマスを前にしてハリーが言った。

「アレンはあっちに帰る気ある?」

「迷ってる」

 先日届いたダドリーからの手紙には「無理すんな」と書かれていたので、何が何でも帰らなければいけないわけでもない。

「今年は君たちだけで残ることにはならないから安心しなよ。僕ら兄弟も居残りなんだ」

 ロンの両親は休暇を利用して、ルーマニアで竜騎士(ドラゴンライダー)をやっている二番目のお兄さんに会いに行くそうだ。やっぱり乗りこなしたりもするんだろうか。

 ファンタジーの王道、竜騎士とかかっこよすぎかよ。

 日に日に大広間がクリスマスらしくなっていく。ダーズリー家でも家じゅう赤と緑になって、外にはライトアップまでしていたけれど、魔術師(ウィザード)のクリスマスもなかなかすごい。

 ぼうっとヤドリギの下に突っ立っていたら声をかけられた。

「意中の相手もいないのにそこに立つな」

 誰かと思ったらドラコだ。今日もツンツンした態度が絶好調だな。

「ここにいちゃいけないの? なんで?」

 リースを眺めるのは魔術師的にアウトなの?

 ドラコは驚いたように目をみはり、

「ヤドリギの下にいる婦女子はキスを求められたら応えなきゃいけないんだ。それとも君は、誰彼構わずキスするような不埒者か?」

「あっ、そういう! ありがとう、全然知らなかったよ」

 ぽんと手を打つ。そういう伝承の類はダーズリー家では教えてもらえなかったから助かった。

「ふん。これだから庶民は」

 ドラコはそう言って、そっぽを向く。なんだかんだいって根っから親切な子だ。

 ニコラス・フラメルについての調査は大して時間を要することもなかった。錬金術師だとわかれば参考書籍を探すのにも苦労しない。

「賢者の石ねえ」

 ハリーは咥えたジンジャースティックをぴこぴこ動かす。

「こんなもの手に入れてどうするんだろう?」

「そりゃあ」

 ロンが勢い込んで言おうとして、

「……寿命を延ばしたいとか、裕福になりたいとか」

と、だんだん自信なさげに声をすぼませた。

 ハーマイオニーが本のページをなでる。

「これがあれば『例のあの人』を復活させることができるのかも」

「へ?」「マジで?」「どうやって?」

 三人の声が被った。ハーマイオニーは「あくまで推測よ」と前置きしてから言った。

「そもそもハリーが一歳の時に何が起きたのかさっぱりわからないのだけど、少なくとも『あの人』はここ十年ほどは暴れられないくらい弱体化してるのは確かよ。だったら、何がしかの手段で復活させたい黒魔術師(ダークウィザード)が現れてもおかしくないでしょう」

「ヴォルデモートの回復に賢者の石が使えるってこと?」

 ハリーの問いにハーマイオニーは深く頷いた。

「ええ。飲めば不老不死になる生命の水(アクア・ヴィタエ)が精製できるんだから、死にかけなり重傷者なりに飲ませれば全回復するでしょうね」

 ああ、それは欲しがってもおかしくないな。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 実家に帰るハーマイオニーを見送るとクリスマス休暇が始まった。

 女子寮はあたしだけなので、男子寮に行って久し振りにハリーと同じベッドで眠ったりもした。

 男子生徒は女子寮に入れないのに女子生徒が男子寮に入れるのは何故なんだぜ。

 人が極端に少ないので談話室は好きなソファに座り放題だ。暖炉の側の肘掛椅子に座って、パンとかクランペットとかマシュマロとか、ジョージがくれたレモンとハーブのソーセージも炙って食べた。

 休暇中、ロンがチェスの名手だと知った。ウィザードチェスは喋るし動くし相手の駒をぶっ壊す凶悪なやつらだ。一度、ポーンをつついて危うく手を切られそうになったからね。油断ならないったら。

 イブの夜、またハリーと枕を並べてベッドに潜った。少し浮かれた声で明日の御馳走は何か、どんなパーティーだろうかと話し合う。

 翌朝、夢の中にいたあたしをハリーが乱暴に揺さぶって起こした。

「どうしたの?」

 欠伸混じりに尋ねる。

「なんか、プレゼントが」

「そりゃあクリスマスなんだから、……ええ?!」

 ハリーが指す足元を見て変な声が出た。ざっと見て二十個は下らないんじゃない。

「なにこれすごい」

「すごいっていうか怖いよ。こんなにもらう覚えがない」

 本人の自覚はともかくハリーは人気者だ。英雄としてもシーカーとしても。

「だいじょうぶ、ファンからだって」

「あ、ああ」

 ハリーに自分の部屋を見てくると言い残して男子寮を出た。

 部屋のベッドを見ると予想以上のプレゼントがあった。それぞれの差出人はハリー、ハーマイオニー、ロン、ラベンダー、パールヴァティ、ネビル、シェーマス、ディーンにフレッド、ジョージ、パーシー、セドリック。マクゴナガル教授にフリットウィック教授。それに名前のないものが二つ。

 ほとんどが間食に良さそうなお菓子だった。それ以外にはハリーがシルバーのピアス、ハーマイオニーは革表紙の手帳、セドリックからはカラフルなビーズのヘアピン。マクゴナガル先生は行儀作法の本、フリットウィック先生は子供向けの簡単な呪文の本だった。

 差出人の名前のないプレゼントも開けてみる。

 ひとつめは誰かすぐにわかった。知り合いで傷薬作成キットなんてものをくれるのはスネイプ教授くらいだ。こっちに疑われてると思いもしないのか、自分の想定外からぶん投げられたいい人っぽい振る舞いにひどく困惑した。

 もうひとつは高級チョコの詰め合わせ。はて、こんなものくれる友達なんていたかなと、ひとつ摘まんでみて差出人が判明した。仕立屋でドラコがくれたのと同じ味だ。

 名前を書かずにお礼のカードを送ってみようか。

 全部のプレゼントを開封して包み紙を退けたところに、もう二つプレゼントが隠れていた。ひとつはダドリーからで中身は『ターミネーター2』のノベライズだ。こっちじゃ観に行けそうにないと手紙に書いたのを気にしてくれていたらしい。もうひとつは封筒で、開けるとメモが入っていた。伯父と伯母の連名だけど筆跡は伯父。クリスマスに帰らないことへの返事が書いてあった。それだけかと思ったら封筒の底に五〇ペンス硬貨が一枚入っていた。

 ええっと、これでたまには電話くらいしろって意味かな? いやいやまさか。

 男子寮に戻ろうとして談話室に降りるとハリーが手編みのセーターを着てソファに腰かけていた。

「あったかそうだね」

 あたしの反応に、ハリーが変な顔をした。

「届かなかった?」

「何が?」

「セーター」

「それらしきものはなかったよ」

 そこにロンが来て「ごめん」と言った。

 あたしたちにプレゼントを贈る人がいないかもしれないと、ロンがお母さんへの手紙に書いてくれたらしい。ハリーにセーターと手作りのファッジが届いたのはその根回しのおかげというわけだ。

 ロンは信じられないと言いたげに頭を抱えた。

「まさか母さんがアレンに贈らないとは思わなくて」

「慈善事業じゃあるまいし、よその知らない子にプレゼントを贈る人なんてそうはいないよ」

 ハリーはロンと同い年で英雄として名が知れているだけに、親近感があるのかもしれない。あたしは世間に名前すら知られていないのでその判断は割と正しいと思う。

「じゃあ、これは?」

 ハリーがポケットから銀色の布を出した。半分透けた布に星と月の模様が織り込まれた美しいマントだ。

「綺麗だね」

「それは『不視(みえず)の外套』っていう、すごく貴重なものだよ」

 ロンがマントを広げてあたしに着せ、壁際の姿見の前に立たせる。

「ほら見て」

「おう」

 びっくりした。マントを被った部分が映ってない。

「光学迷彩みたい」

「えっ?」

「光学迷彩。マグルの技術だよ」

「なにそれすごい」

 これはお父さんの形見だと手紙に書いてあったそうだ。ちなみに差出人は不明。

「これ本当に父さんのものなのかな」

 ハリーは胡散臭そうな目で『不視の外套』を見た。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 御馳走に舌鼓を打って、鼓膜がいかれそうなクラッカーを何発も鳴らしまくり、フランベされた温かいプディングをみんなで食べた。

 パーシーのプティングにはシックル銀貨が入ったようで「歯が折れるかと思った」と苦笑いしていた。

「似合うよ」

 マジカルクラッカーから飛び出したチロリアンハットをあたしに被せてハリーが笑う。テーブルできょとんとしていたハツカネズミに豆をあげると美味しそうに食べた。

 今日は先生方も気を抜いているらしく、ワインが何本も空になってテーブルの上で横倒しになって転がっていた。

 そんな和やかな空気の中、試合の日以来、話す機会のなかったクィレル教授の方を見遣る。周りにいる先生方に話しかけられても短く答える以外は全く口を開かず、丁寧な所作で食事を済ませて長居することなく席を立った。席に着いている間にこっちを見ることは一度もなかったし、あたしも敢えて声をかけていない。

 昼過ぎにみんなで雪合戦やチェスの観戦をして、夜にまた楽しくクリスマスらしい食事をした。いつも以上におなかいっぱいになって、いい気分のままハリーのベッドで眠りに落ちた。

 翌朝、ハリーがなんとも言えない顔をしてあたしを起こした。

「変な鏡を見つけた」

「鏡?」

 談話室にある姿見とは違うのか。

「そこにいない人まで映るんだ」

 ハリーは昨夜寝つけず、ちょっとのつもりで散歩に出たという。

「『不視の外套』がどこまで有効なのか試したいのもあってさ。どうやらフィルチさんには見えてなかったようだけど、ミセス・ノリスにはバレてたね」

 許可なく開くと叫ぶ本があるという図書館の閲覧禁止の棚から逃げ出したハリーは、そのまま廊下を進んだ先にドアが半端に開いた空き部屋を見つけたので、ひと休みしようと中に入った。

「なんにもない空き部屋なのかと思ったら、正面に大きい古い鏡があってね」

 そこにいない知らない人が映った、と。

「どんな人?」

「黒髪に赤い目の美男子。それが僕に笑いかけてきたんだ」

「誰それ」

「知らない」

 ですよねー。

「鏡の縁に『私はあなたの顔ではなく、あなたの心の望みを映す』って彫ってあったのも不可解でさ」

「ハリーはその美男子みたいになりたいの? 外見的な意味で」

「まさか」

 ハリーは笑いながら首を振って、ふと真顔になった。

「でも、あれって見つけたのが僕だったからいいものの、他の生徒が見つけるとまずくない?」

「望みの内容によっては危険かもしれないね」

 顔を見合わせて頷き合う。

「「壊しに行こう」」

 その夜、火かき棒片手に鏡のある部屋に行った。

「これがその鏡だよ。見てみる?」

「うん」

 鏡の正面に立つ。

 そこにはあたしとハリーだけでなく、ホグワーツでできた友達や先生たち、ダーズリー家の三人にプライマリ・スクールの友達もいて、みんな種族の違いなんてないみたいに楽しそうに話したり遊んだりする姿が映っていた。

 見えたものを教えるとハリーはとても嬉しそうに微笑んで、あたしの頭をなでた。

「アレンらしい望みだね」

「うん」

 あたしたちは火かき棒を構える。

「よし、せーのでかち割るよ」

「オッケー」

 せーの、と振りかぶって振り下ろした。

「ちょおっと待ったー!!」

 そこへ叫びながら白い影が鏡の前に飛び出したのを、ギリギリのスレスレで避ける。驚いて見遣れば、鏡の前にビリー・ギボンズより長い髭の老人が膝に両手を置いてぜえはあと肩で息をしていた。

「ええっと……?」

 誰この人。

 困惑するあたしとは逆に、ハリーが不機嫌そうな顔で言った。

「こんな時間にこんな所で何をしてるんですか、校長」

「えっ、校長?!」

 老人があまりにも取り乱しているので気づかなかった。言われてみれば確かにいつも教員席のド真ん中で食事している人だった。

「な、何故『みぞの鏡』を壊そうとするのかね?」

 息を整えながら校長が言う。ハリーは訝しげな顔で答えた。

「危険物を放っておけないので」

 ねえ、と同意を求められて頷く。下手にはっきりと望みが見えてしまうだけに、内容によっては発狂する人がいてもおかしくない。

「心配せずとも明日には別の場所に移すことになっておる。じゃからその、壊すのはやめてほしいのう」

 校長は好々爺のような振る舞いをした。だったら最初からこんな所に鏡を放置しなきゃいいじゃん。せめて戸締りするとか。

 あたしの考えを読んだのか、校長がこっちを見て言った。

「儂にも都合があってな」

「例えば、僕にこの鏡の存在を知らせるためとか?」

 ハリーが全く警戒を解いていないので、あたしも改めて身構える。周囲の評価はともかく、あたしたちにとってアルバス・ダンブルドアは得体の知れない不気味な爺さんでしかない。

「おぬしは、……いや、そうじゃな。その通りじゃよ、ハリー。儂はおぬしにこの鏡の性質を知っておいてもらいたかったのじゃ。この先、必ず役に立つ時が来るからの」

 校長が指先で鏡に触れた。

「この鏡は人の心のいちばん奥底にあるいちばん強い望みを見せてくれる。それだけのものじゃ。ただそれだけのものに心を奪われ身を滅ぼした者も多いがの」

 やっぱり危険物じゃないか。

 顔を見合わせるあたしたちに校長が言った。

「アルトリアよ。おぬしの見たものは、随分と平和に満ちておったようじゃが」

「それだけ世の中が不穏なんでしょうよ。こんなちょっとの違いでここまで隔離しなきゃいけないものなんですか?」

 そのせいでいつまでも意識が中世じゃ意味がない。その点においてはまだマグルの方が賢いだろう。

 校長は何らかの感情に目を揺らしただけで、疑問に対する答えを出すことはなかった。

 




自分で書いておいてなんだけど一話ごとの文字数多いな


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第十話 暗がりに潜むもの

 休暇が終わりハーマイオニーが学校に戻ってきたので『みぞの鏡』のことを話すと、信じられないという顔をされた。

「三頭犬の次は危険な術具(タリスマン)? 校長は学校をなんだと思ってるのかしら」

「それな」

 あれが貴重なものなのはわかる。だけど、まだ魔術師(ウィザード)としても人間としてもペーペーの子供が半数を占める学校に置く必要があるのか。大体、賢者の石だってそうだ。スネイプ教授とクィレル教授が黒魔術師(ダークウィザード)だったとして「石を出せ」と暴れられたら生徒に死人が出るかもしれないのに、えらく暢気に構えている。

 つい先日のハリーが箒から振り落とされそうになった事件だって、もしハーマイオニーが気づいて行動してくれなければどうするつもりだったのか。

 ハリーがまたクィディッチの練習に追われている。次の試合はスネイプ教授が審判をするそうだ。

「審判なら下手なことはできないね」

「わかるもんか。誰よりも近づけるんだから、いつ呪いで撃ち落とされるかわかんないだろ」

 おおっと、そうくるか。

「でも、今まで割と注意深くやってきた人が、いきなり人目も憚らず呪いをぶちかますものかなぁ。その気があるなら箒を呪った時点でもっと派手にやってるんじゃない?」

 それにハリーが箒の名手だと知っていたら、あんな方法を取るのは悪手でしかない。殺す気なら確実に殺せる魔法がいくらもあるのに、わざわざ助かりそうな魔法を使うなんて。

 ジャムサンド・ビスケットを齧って息をつく。

 あの呪いがが本当は物凄く凶悪なものであったとしても強力な魔法には()()()()()反対呪文が存在するので、ハリーが振り落とされずに済んだのは誰かが呪いの威力を下げる魔法を使っていたから、ということも充分にあり得る。

 これは先生のどっちがどうよりも、呪文を唱えていた人が二人いたことの方が重要だ。二人がかりで呪いをかけていたのだとすれば目的を完遂できないのはおかしい。途中であたしたちに止められたとはいえど、充分に時間はあったのだから。

 一連の状況からして、先生のどちらかが呪いを軽減していたと考えた方が違和感がない。

「次の試合はハッフルパフとなの?」

 びっくりするあたしにハリーが頷いた。

「そっかぁ。じゃあ、どっちも応援しないとね」

 グリフィンドールにはハリー、ハッフルパフにはセドリック。どっちが勝ってもおめでとうだ。

「なぁんだ。アレンは僕だけを応援してくれるのかと思ったのに」

 頭の上から声が降ってきた。真上を向いたあたしを馴染みの美少年が見下ろした。

「おはよう、セドリック」

「おはよう、アレン」

 にっこりしたセドリックが隣の空いた席に腰かけた。

「ハリーも出るのに、セドリックだけ応援するんじゃ片手落ちだよ」

 あたしはどっちが勝っても嬉しい。『どっちの味方』じゃなくて『どっちも味方』だ。セドリックは鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をした。

「君ってほんと面白いね」

 面白い、とは。

「堂々と敵のスパイしにきてんじゃねえよ」

「俺らの後輩を誑かそうとはいい度胸だな」

 むっとした顔で立ち上がったフレッドとジョージがセドリックに噛みつく。

「スパイのつもりはないよ」

 飄々と答えるセドリックを見てジョージがイラっとした顔をした。

「アレンにちょっかい出してるのは認めるのかい」

「それは君がどうこう言うことなのかな?」

「アレンは俺の後輩だ」

「友人とそれほど差のない関係だね。身内ですらないし」

 君たちは何ゆえに喧嘩腰なのでしょうか。バチバチと火花を飛ばし合う二人に、どう声をかけたものか悩む。

「試合開始早々ピッチの染みにされたくなければ口を慎んだ方がいいんじゃないか、ディゴリー」

「君こそ気を抜いてブラッジャーを打ち損ねないように気をつけるべきだよ、ウィーズリー」

 勢いよくテーブルを叩いたあたしをセドリックとジョージが見た。

「勝負は試合でつけなさい! 負けず嫌いもほどほどに!」

「あー、ごめん」

 ジョージがようやく表情を崩し、

「そうだね。正々堂々と勝負しないとダメだよね」

と、セドリックが微笑んだ。

 

 放課後、談話室で本を読んでいたら変な音と悲鳴が聞こえた。談話室の入口に両足がくっついたネビルがいる。

「どうしたの?」

 うつぶせに倒れている側に駆け寄った。足が固まっているだけで怪我はしていないようだ。

 ネビルはぐずぐず泣きながら年上のスリザリン生に『足縛りの呪い』をかけられたと訴えてくる。スリザリンは気位の高い貴族階級が目立つけれど、性質が悪いのは貴族よりも下層階級だ。あいつらまったく躾がなってないんだもの。

 ネビルのふくらはぎに手をかざしてみる。もやもやした魔力の気配があった。

「Solvere」

 ネビルの足の上で杖をナイフのように振る。

「解けた?」

「うん」

 ネビルがしんどそうに立ち上がってお礼を言った。

「今のは固定された術式を(ほど)く呪文ね。簡単だから覚えておくといいよ」

『Finito Incantatem』を使えたら手っ取り早くていいのだけど、あたしは授業で使う以外にはできるだけ魔力の消費を抑える必要がある。今使ったのは、少量の魔力で術式の一番弱い箇所を切って編み上げた呪文を無効にする魔法だ。

 ネビルはうつむいて首を振った。

「僕は君みたいに上手くできないよ」

「やらないうちに諦めるの?」

 びくり、とネビルの肩が震えた。

「できないって言い続けてるだけでいいの?」

 どんなに頑張ってもできないことは誰にでもある。それはもうどうしようもないので誰かの助けを借りる他ない。

 だけど、何もしないうちから諦めたら本当にできないままだ。

「ネビルはあたしよりもずーっとたくさん魔力があるのに」

 魔力があれば魔法が使えないなんてことはまずない。魔力がなければホグワーツに入学すらできないのだから。

 ネビルは振り払うようにかぶりを振って男子寮に戻っていった。

 翌日の防衛術で人狼に噛まれた時の対処について習った。これはもう噛まれないようにするのが最重要かつ最優先だ、うん。

 授業中、クィレル教授は一度もあたしの方を見なかった。後ろ暗いことがありますと白状しているも同然の振る舞いだ。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 試合が近くなると、ハリー以外の選手にだんだん落ち着きがなくなってきた。

 アバフローケーキをもぐもぐしているあたしにロンが言った。

「これまで七年連続でスリザリンに優勝杯取られてるんだよ! 悔しいだろ?!」

「別に」

「即答?!」

 優勝杯は誰かがひとりで頑張ればなんとかなるものでもないので、地道に授業で点を稼ぐのみだ。

「あたしは自分が満足できればいい」

「自由か」

 翌日の午後、意気揚々とピッチに向かうハリーと、死んだ目をしたグリフィンドールの選手を見送って観客席のいちばん前の席に座る。

「あっ、校長先生が来てるよ!」

 ハーマイオニーの向こうでネビルが向かいの観客席を指さした。

 流石に前回の件で責任を感じたのか?

 いや、そうとも限らない。気紛れか、ちょっと牽制かけておくか、くらいの軽い気持ちかもしれない。

 試合開始のホイッスルが鋭く鳴ったので立ち上がって叫ぶ。

「どっちも頑張れー!」

 ハリーとセドリックがひらりと手を振って上空へ飛んでいった。

 目をこらして姿を追うと、上空に向かったはずの金と紅の稲妻が落ちてきた。ほんの少し遅れて黄色と黒の風が追いかけてくる。

 ふたりはスネイプ教授の側をギリギリでかすめ、地面より数メートル前でハリーがなにか掴んだようだった。どちらも地面にぶつかることなく方向転換したのを見てほっとしたのも束の間、ハリーがぐっと拳を上に突き上げる。

「スニッチを獲った!!」

 ハーマイオニーが叫ぶと同時に観客席がわっと沸いた。一拍遅れて事態を理解する。

 みんなが祝賀会をやろうと盛り上がっている。あたしは少し離れてのんびりと校庭を歩いた。赤く光る夕日が綺麗なので、沈むまで見ていたい気分だった。

 後で参加するようにと言って城に戻るフレッドとジョージに手を振って、湖を臨む場所へ足を向ける。 

 ふと誰かの気配を感じた。悪い気配じゃない。まるで優しく見守られているような雰囲気に戸惑って周りを見ても人影はなかった。

 気のせいかな。

「アレン!」

 呼ばれて振り返る。城の玄関からセドリックが手を振っていた。

「そんな所で何してるんだい?」

 西の空を指して答えた。

「夕日を見てる」

 セドリックは傍まで来て空を見上げると感嘆の声を漏らした。

「今日の夕日はとびきり綺麗だね」

「でしょ。これは見ないともったいないなって」

 ホグワーツは他に高い建物がなく空気が澄んでいるので、とても見晴らしがいい。プリベット通りでは見られない素晴らしい星空だって拝める。ここに来るまで、満天の星空はプラネタリウムでしか見たことがなかった。

 夕陽を見つめてセドリックが言った。

「あれどけ大見得切ったくせに負けちゃうなんて、僕ってほんとかっこ悪いよね」

 軽い口調なのに声が震えているのに気づいて危うく振り返りそうになったけれど、男はかっこつけたいものだ、とハリーが言っていたのを思い出して踏み留まる。セドリックもハリーに劣らぬ負けず嫌いのようなので、そこには触れない方がいいかもしれない。

「試合は次もあるんでしょ? だったらまたこの次に頑張ればいいんじゃないかな。今回負けたから応援しないなんてケチなこと、言わないからさ」

 頷いたセドリックが袖で顔を拭っているのが目の端で見えたのを、素知らぬ顔で見なかったことにした。

 冬の太陽が山間の彼方に沈んでいく。もうすぐそこまで夜が迫っていた。

 

 祝賀会が終わり、みんなが部屋に引き上げ始めた。あたしはひとりソファに座って談話室が静かになるのを待つ。

 今日の試合では何も起きなかった。それが早期に決着がついたからなのか、ダンブルドアの目をかい潜れないと思ったからなのか。ともあれ誰も呪いを被らずに済んだのはよかった。

「アレン」

「やあ、ハリー。お疲れさま」

 軽く手を上げて応える。ハリーは向かいのソファに腰かけた。

「学期前からのことを考えてみたんだ」

 ハリーが呼び戻されたのは英雄としてヴォルデモートと戦わせることが目的で間違いない。ハリーは目を伏せて言った。

「たぶんヴォルデモートは僕がこっちに戻るとわかってたんだ。ダンブルドアが僕を呼び戻して彼と戦わせると予測したから、賢者の石を狙ったんじゃないかな」

「んん? それだとヴォルデモートはダンブルドアの手の上で踊りまくってない?」

「そこは僕も変な気がしたんだけどさ、彼の勝ち目は、現状だと賢者の石を手に入れて復活する以外にないのかも。そうでなきゃ、わざわざ危険を冒してまで手下に石を盗ませようなんて考えないでしょ」

 ハリーは少し自信なさげな声で言って頬杖をつく。

「実は、クリスマスに『みぞの鏡』を見つけた時、スネイプ教授とクィレル教授を見かけたんだよね」

「え?」

 思わず身を乗り出しすと、きろりと眼鏡越しのエメラルドが見た。

「スネイプ教授がクィレル教授に『どちらの側につくのかはっきり決めておけ』って言ってた。ねえ、アレンはどう思う? どっちがどっちだろう?」

「それは……」

 断言できない。ただ、あたしに対しては二人ともいい先生だ。たとえ裏で何をしていたとしても。

「アレンは中立の立場で物事を見ようとするよね」

「人は善悪だけで語れるほど単純じゃないから」

 あたしは自分が完璧になれないことを知っている。大人がいつも正しく振る舞えないことを知っている。人間にはいいところも悪いところもある。絶対的に正しい人なんていないし、絶対的に悪い人だっていないのだ。

「真相がどうあれ、あたしはハリーの味方だよ」

 ハリーは笑って「知ってる」と頷いた。

 その後は復活祭の休暇も潰す勢いで猛勉強した。あたしは決して頭がいい方じゃないので、ハーマイオニーが一緒に勉強してくれるのはすごく助かる。それに何だかんだ言いながらロンもかなり頑張っていたので、これまででいちばん平和に過ごした気がした。

 試験が終わった翌日の夕食時、ハリーがふとなにか思い立った様子で顔を上げた。

「ハグリッドに会ってくる」

 何しに?

 あたしだけじゃなく、ロンとハーマイオニーも首を傾げている。

「あれを守ってるのは三頭犬だけじゃない。僕なら『鏡』を何かに使うとしても、そこまでに何か足止めできるものを用意するよ」

「『グーニーズ』でも財宝の前にトラップを仕掛けるもんね」

 誰それ? と尋ねるロンをスルーしてハリーは続けた。

「『あれ』は無人の洞窟じゃなく学校で現在進行形で守られてるから、泥棒がトラップを解くのに時間がかかればかかるほど守る側には有利に働くんだ」

「侵入したことがわかる仕掛けがあれば、より効果的ね」

 ハーマイオニーが頷いた。

「それは複数の先生に協力してもらえばいいんじゃないかしら。私が校長なら、簡単には破れないあくどいトラップを先生方にたんまりお願いするわ」

「だよね。僕でもそうする。で、そのトラップの中でも三頭犬は入口を守るだけあってかなり難関なはずなんだけど、ひとの手に負えない幻獣を四階の廊下までそう簡単に連れていけるものなのかな?」

「あれってハグリッドの飼い犬だよ!」

 ロンが勢いよく立ち上がった。

「あの口の軽いハグリッドから犬の扱いを聞き出すなんて簡単じゃないか」

 ハリーがさらに問いかけた。

「じゃあさ、ここ数週間、何も起きなかったのはどうしてだろう?」

「ハグリッドの口を割らせるための準備期間!」

 日付が変わる頃、あたしたちは人目を忍んでハグリッドの小屋に向かった。ハグリッドは最初こそ巨体で何か隠そうとしたものの、折れて渋々あたしたちを小屋の中に通した。

 ひと抱えもある卵を鍋から出してテーブルの上に置く。

 ぱきぱき音を立てて割れた卵から孵化したのは、両腕に羽を持つドラゴンの幼生だった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 早足で歩くドラコに追いついて笑いかける。

「言いそびれてたけど、すぐマクゴナガル教授に言ってくれて助かったよ。ありがとう」

 ドラコは変な顔をしてあたしを見た。

「どうして君に礼を言われなくちゃならないんだ」

「あたしたちが話す手間が省けたからさ。ドラゴンの飼育は法律違反なんでしょ?」

 ロン曰く、一七〇九年に制定されたワーロック法で民間人によるドラゴンの飼育は違法になったんだそうだ。見た目がどんなに可愛くても凶暴なのには変わりない。そんな危険生物を学校の敷地内で飼育しようとするハグリッドの思考回路が謎だけど、追求しだすと終わりが見えないので横に置いておくことにする。

「よく知ってるじゃないか。そんなことも知らない野蛮人を学校で雇うのか気が知れないね。さっさと人事を雇うなり、校長を挿げ替えるなりすればいいのに」

「それには同意せざるを得ないわ」

 ダンブルドアは頭がいかれてるとしか思えない。もちろん、悪い意味で。

 ハリーを矢面に立たせるとしたって、学校で教えていることは初歩の初歩だ。ルーク・スカイウォーカーレベルの天才肌ならまだしも、ハリーは混合型のオールラウンダータイプだ。つまり、できることに偏りがある。

 子供を英雄に仕立て上げたければ幼いうちから手許に置いて鍛え上げればいいのに、このままだと大した魔法も使えないレベル1かそこらで魔王と戦うことになるとどうなるかわからないらしい。

 したたかな性格だけで魔王が倒せるなら、最初から勇者なんか必要ないっての。

 小屋の前で罰則の内容を聞いた全員揃って声を上げた。

「「「「「はあ?」」」」」

 禁じられた森での探索や作業自体はいい。管理者や教師が許可して同行することが前提だし、今回もハグリッドがついてくる。問題は探索の内容だ。

「この罰則を決めたのは誰なの? 怪我した一角獣を保護するだけならまだしも、危害を加えた犯人は捕まってないんでしょう? ハグリッドがついて行かないグループが犯人に遭遇したら危険じゃないの!!」

 怒り心頭のハーマイオニーがキリキリ問い詰めにかかる。ハグリッドは頭を抱えて唸った。

「ダンブルドアの指示だ! 俺に言わんでくれ!」

 この時、居合わせた生徒全員の気持ちがひとつになったと思う。

 ダンブルドアはやばい。ハリーに功績を与えるためなら生徒に死者が出ても平気なサイコパスなんだ、と。

 ハーマイオニーとロンはハグリッドと、あたしとハリーとドラコはビビリだという大型犬のファングと一緒に森に入った。

「どうして犯人は一角獣を襲いまくってるのかな? 彼らって、かなり凶暴だよね?」

 小動物を殺傷するのとはわけが違う。俊敏で警戒心の強い大型の奇蹄目を襲ったとして、即死させられず下手に手傷なんか負わせようものなら逆襲される可能性が高い。いくらヒト科の中でも頑丈とされる魔術師だって彼らの蹴りを食らえばただでは済まないはずだ。

「聞いた話だが」

 ドラコが前方に目を凝らしながら言った。

「一角獣の血には命を長らえさせる力があるらしい」

 痛いくらい心臓が跳ねた。

「それを得たとしても代償があまりに大きすぎる。一角獣は聖なる生きもの。……だから、殺してその血をひと口でも飲めば呪われ、生きながら死ぬことになる」

 命を長らえる必要がある者。心当たりはひとりしかいない。

 今まで危害を加えられたと判明している一角獣は三頭。二頭は軽傷で一頭は重傷で命に別状はなし。今のところは。

「アレン」

 腕を掴まれて振り返ると、ハリーがきつい眼差しであたしを見た。

「ひとりで行動しない。迷子になったらどうするの」

 無意識に単独行動しようとしていたらしい。犯人の目星がついていたとしても、夜の森で一人別行動をとるなんて死にに行くようなものなので素直に頷いて返す。

 だけど、悠長にしてはいられない。

「犯人が間違いを起こす前に止めなきゃ」

 どっちでも、どっちもでも、ヴォルデモート本人でも止める。効果はどうあれ呪われて生きていくなんて辛いことになるべきじゃない。

「ちょっと待て。いつから犯人を助ける話になったんだ?」

 ドラコが怪訝な顔をした。

「……君たち、まさか犯人を知ってるのか?」

「知ってるっていうか」

「おおよその目星はついてる」

 ドラコが何が言おうとしてハッとした。何か聞こえる。二人して周囲を見回した。

「動物の鳴き声みたいなのが聞こえないか?」

「聞こえるね」

「行こう」

 小道を抜けて藪をくぐり、ひらけた平地に出る。踏み出した足が、べちゃりとしたものを踏みつけた。

 足下に水銀に似た色合いの液体が飛び散っていた。見たこともないのに一角獣の血だとすぐ理解できる。森に落ちているにはあまりに異質なそれ。

「うぁ」

 ハリーが呻いて額を押さえた。

「おい、どうしたポッター」

 ドラコがハリーの様子を窺ってくれているので、あたしは銀色の血溜まりの先を見た。一角獣はまだ生きていて、その上にのしかかるようにして黒い影がある。

 この場にいない者の声が聞こえた。

 そいつが唆している。

 笑いそうな膝を励まして、あたしは一歩前に踏み出した。

「先生、」

 もう一歩。

「先生、飲んじゃダメです」

 どっちが誰とか何者かとか、そんな下らないことにかまけている余裕はない。あたしの目の前で禁忌を犯そうとしている人を止められるなら、それだけでいい。

 影がすっくと立ちあがる。渦巻いていた疑念が確信に変わった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 森を出て頭痛が落ち着いたハリーから、それはもうカンカンに怒られた。

「どうして無茶をするの」

 確信を持って呼びかけた直後、ハリーの姿を捉えた影に襲いかかられ、あたしがハリーと影の間に立ち塞がったのでドラコは相当慌てたらしい。そこへ更なる影が飛び込んできた。

 森に住むケンタウルスだ。

 影はケンタウルスの突撃から逃れて、箒もなしにどこかへ飛び去っていった。

「君も魔術師なら杖くらい構えろ」

 ドラコにまで叱られている。

 あたしはどっちにも怪我してほしくなかっただけなのに。

 使える魔法に大した威力はないけれど、それでも本気を出せば怪我をしない訳じゃない。

 それにハリーとドラコは焦っていたから気づいてないようだけど、あの場には姿のない──あの人に寄生しているやつがいた。でなければ「血を飲め」と言う甲高い声が聞こえたことの説明がつかない。

 十年前のあの日、あいつの体が使い物にならなくなっていたのだとしたら。あいつがあの人を唆して、新しい体を手に入れようとしているのだとしたら。

 ハグリッドの小屋に戻ってきて自分の手がひどく震えているのに気づいた。無我夢中でも怖いのには変わりなかったらしい。

「どうしたらいいんだろう」

 甘い紅茶を出されても全く気が休まらない。

「何かわかったのなら話して」

 あたしのつぶやきをハーマイオニーが耳聡く拾った。

「犯人がわかった」

「え?」

 ノーバートがルーマニアに連れていかれた悲しみですすり泣くハグリッドを確認してから、ハーマイオニーの耳元で囁く。

「あれはクィレル教授だよ」

 驚いて僅かに身を引いたハーマイオニーも声を潜めた。

「どうしてそんなことがわかるの?」

「身長」

「え?」

「この学校でクィレル教授より身長が高いのは、ハグリッドしかいないんだ」

 初対面の時にも思ったほどクィレル教授は飛び抜けて背が高い。

 少なくともあたしには優しくしてくれているから、ハリーを殺そうとしたり石を盗もうとしたりする理由が全くわからなくて本気で疑いきれなかった。だけど、さっきのではっきりした。

「先生はヴォルデモートに体を乗っ取られかけてるかもしれない」

 ハーマイオニーが青ざめて、あたしとロンの腕を取った。

「戻りましょう」

「ねえ、ハグリッド」

 唐突にハリーが声を上げた。

「なんだ?」

「ドラゴンの卵を手に入れた時の話をしてよ。僕たちも知る権利があると思うんだ。なんせ、今回の罰則はハグリッドの巻き添えを食ったようなものだしね」

 にっこりと可愛らしい笑みを浮かべているが、その口調は有無を言わさぬものだ。ハグリッドは「あー」とか「うー」とか呻いていたけれど、じき観念したように話し始めた。

 曰く、ホグズミードのパブでフードをかぶったままの怪しい人物にたっぷり酒を飲まされた挙句、より凶暴なドラゴンを育ててみたいことから、もふもふちゃんの手なづけ方まで詳しく話してしまったと。

 ハリーは聞き出すだけ聞き出すと、引き留めるハグリッドをスルーして小屋を出た。

「ダンブルドアに話した方がいいよこれ」

 早足で歩きながらロンが提案した。

「無理ね」

 ハーマイオニーがかぶりを振る。

「今までもそうだけど、校長は何もしないわよ。ハリーに解決させたいんだもの」

「そうなんだよねえ」

 ハリーがため息をついた。

「どうあっても僕が英雄として動かなきゃいけないように仕組まれてるからね。でも、ここでクィレル教授を見捨てるのは寝覚めが悪い」

 今ならまだ間に合うかもしれない。

「あの廊下に忍び込むならタイミングが大事だな。もし盗みに行くとして、どんな時が狙い目だろう?」

 ハリーがハーマイオニーに目を向けた。

「私なら校長がいない時にするわね」

 即答するのを聞いて笑う。いや、でも確かにそうか。

「でもさ、ハリーに解決させるなら学期中に対決させなきゃいけないんじゃない? ちょうど今試験が終わってみんな気が抜けてるし」

 一大イベントが終わって先生も生徒も気が緩み切っている。

「校長の所在をきいた方がいいかもしれないね」

 あたしたちは急いで駆け出した。

「マクゴナガル教授!」

 ドアを叩くと、何事かと言いたげな顔をしたマクゴナガル教授が部屋から出てきた。

「そんなに慌ててどうしました。罰則は終わったのですか?」

 ハーマイオニーが息込んで言った。

「はい、ついさっき! 校長先生が今どこにいらっしゃるかわかりますか?」

「校長ならつい数時間前に魔法省へ出かけられましたよ」

「いつお帰りになるでしょうか。学期末には間に合いますよね?」

 ハーマイオニーの問いかけをマクゴナガル教授はいい方に誤解したらしく、ほんの少し目許を緩めた。

「明日の午後には戻られますよ。さあ、寮へ戻ってお休みなさい」

「はい、ありがとうございました」

 あたしたちはマクゴナガル先生にきちんと一礼して、すぐに早足で歩き出す。

 決戦は今夜だ。

 四人で『不視(みえず)の外套』を被って寮を出ればいい。だけど、談話室までは大丈夫だろうという期待は見事に裏切られた。

「どこに行くの?」

 ソファにネビルが座っていたからだ。

 




細かい設定がないからかなり好きに書いた


インディ・ジョーンズよりグーニーズの方が私的にトラップみが強かったので変更
読み返したら時間的にありえないこと言ってたので、ハーマイオニーとマクゴナガル教授の台詞をおかしくない程度に訂正(2020/04/07)


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第十一話 アストラ

 

 

 Tell her to make me a cambric shirt,

 Parsley, sage, rosemary and thyme,

 Without no seam nor fine needlework,

 And then she'll be a true love of mine.

 

 ハリーが澄んだ声で『スカボローフェア』を歌うと、それまで唸り声を上げていたもふもふちゃんはすぐに気持ちよさげな寝息を立て始めた。

 サイモン・アンド・ガーファンクルが歌っていたのとはメロディもテンポも違うバラッド。ハリーの一番お気に入りだ。

「仕掛け扉を開けましょう。ハリー、もう少し歌ってて」

 三人がかりで扉を開けた時、ドアの向こうでピーブズの声がした。

「おやー? 誰かがこんな時間に寮の外をうろちょろしてるぞー?」

 動じた様子もなく、ハリーは手振りで中に行くように示す。ロンとハーマイオニーに続いて、あたしも飛び込むと歌が途切れてハリーが降りてきた。

 さて、これはなんだろう?

 あたしは腕に巻きついた蔓を見て考える。意志を持って巻きついているというよりも、動くものに反応しているような。

「苦しい! 助けて!」

 ロンがわあわあ叫びまくっているのを放置して尋ねた。

「ねえ、ハーマイオニー。これ何かわかる?」

「冷静すぎ!」

「悪魔の罠よ」

「わかるのかよ!」

「えーっと、なんだっけ?」

「だからなんでそんなに冷静なの?!」

「暴れなければ抜けられるわ。じっとして」

「「オッケー」」

「だからなんで君たちそんなに落ち着いてるのさ?!」

 君がやかましいだけだよ、ロン。

 ハーマイオニーの言う通りにじっとしていると体を締め上げていた蔓が徐々に緩んで再度落下した。空中で一回転して勢いを殺してから着地する。

 あたしと同じように着地したのはハリーだけで、ロンとハーマイオニーは、受け身も取らずにドサドサ落ちてきた。

「大丈夫?」

「へ、平気よ、これくらい」

 ハーマイオニーに手を貸したら何故か少し顔を赤らめられた。ロンもハリーの手を借りて立ち上がる。

「君たち身軽すぎない?」

「ダドリーとしょちゅう追いかけっこしてたから」

「木に登ったり飛び降りたり、プライマリ・スクールの三階のベランダからベランダにジャンプして渡ったり、よくやったよね」

 学校のベランダは少し距離があって逃げ道には最適だったなぁ。

「アレンのことずっとやんちゃだと思ってたけど、やんちゃの域を遥かに超えてたわ」

「そう?」

 必要があって身についた能力は使わなければ損だよね。

 ん?

「ねえ、変な音が聞こえない?」

 三人があたしの顔を見る。

「変な音って?」

「小鳥が飛び回ってるみたいな」

 ロンが耳に手を当てて音を探る。

「すっごく微かな音は聞こえるけど、鳥の羽ばたきかどうかまではわからないな」

「アレンって耳がいいのかしら?」

「行ってみればわかるでしょ」

 ハリーは恐れもせずに歩き出した。いつものマイペースだ。

 石の道を進んで行くにつれて音が大きくなってきた。突き当たりのドアを開ける。

「ええっと」

 ぽかんとしたロンが、五階分くらい吹き抜けになった部屋の天井を見上げた。

「どうして鍵に羽が生えて飛び回ってるのかしら」

 ハーマイオニーも呆然と天井付近を旋回しているものを見る。

「捕まえてドアを開けろってことでしょ。ハーマイオニー、試しに出口を開けてみて」

 たっと駆けて行ってドアに手をかけたハーマイオニーはドアを押したり引いたりして、さらに「Alohomora」と唱えてみて首を振った。

「どうやらそのようね」

 ハリーは辺りを見回して、ある一点で目を止めた。そこには縄ででも吊り下げられたかのように箒がぷかりと浮かんでいる。

「ここに箒があるなら、捕まえるのはそう難しくなさそうだね」

 流石は最年少シーカーだ。言うことが違う。

「ハリーの腕に見せどころだな」

 ロンの激励にハリーは微笑んで箒を掴んだその瞬間、背筋に寒気が走った。

「伏せて!」

 ハリーの側にいたロンに飛びついて押し倒す。物凄い勢いで飛んできた鳥もどきたちが、素早く上空へ舞い上がったハリーを追いかけていく。

「こっわ」

 青い顔でロンが言った。

「もうちょっとで全身穴だらけになるところだったよ。ありがとう、アレン」

「どういたしまして」

 起き上がって一緒に出口の方へ移動する。ハーマイオニーが上に向かって叫んだ。

「ハリー! 捕まえるのは古くて錆びてる鍵よ!」

 箒に触れたら串刺しに来るというえげつない仕掛けが魔法の分類からしてフリットウィック先生の分野だと思い当たり、あんな可愛らしい先生の中に潜むものが僅かに窺えた気がして身震いする。

 ハリーは助言を元に目的の鍵を見つけると捕まえるために、鳥もどきの中にガンガン突っ込んでいく。つつき回されるのはどうでもいいらしい。

 ほどなくして捕まえた鍵を手に急降下して「ロン、パス!」と投げつけ、ロンはそれを迷いなくキャッチした。速攻で開錠してドアを開け放つ。

 ハーマイオニーは杖を構えて鳥もどきを警戒しつつ、あたしとロンを先にドアの向こうに押しやって自分も入った。ハリーは何度か旋回して鳥もどきを確実に引き離してから、箒ごとこっちに突入した。

「閉めて!」

 ハーマイオニーが力いっぱいドアを閉めると、ドアに連続した硬い音がしばらく続いた。僅差で無事にクリアしたとわかって全員が大きく息をつく。

「次はなにかしら」

「さあ?」

 またしばらく石の道が続く。早足で歩くあたしをハーマイオニーが引き留めた。

「待って、アレン。食べるもの持ってる?」

「今それどころじゃないよ」

「いいえ、重要よ。あなたもう何時間も食べてない上に水分も取ってないわ。このまま先に進めばまた倒れるわよ」

 ハーマイオニーはあたしの両肩を掴んで言った。

「そんなに焦ってどうしたの?」

 焦らないわけがない。一角獣の時に邪魔されたあいつは、きっと何が何でも先生の身体を乗っ取るつもりだ。

 あたしの推測が正しければ、もうあいつと体を共有するまでに至っている。時間が経てば経つほど先生を助けられる可能性が低くなる。そんな気がする。

「アレン、いいことを教えてあげる。相手がなんであれ、人の意思に敵うものはないのよ」

 首を傾げると、ハーマイオニーは辛抱強く説明した。

「死人よりも生者の方が強いの。死人はね、生者につけこむことはできても生者の意思には到底敵わないのよ」

 そういえば「何もできないからゴーストなの」とマートルが言ってたっけ。それはつまり――。

「考えるのは後にして。……もう! やっぱり何も持ってないじゃないの! これ食べなさい、ほら」

 ハーマイオニーが呆れ顔でポケットから出した包みを解いて口に押しつけてくる。チョコレートと爽やかなミントの香りがした。

 問答無用とばかりに笑顔で口に押しこまれるそれを3枚ほど大人しく食べると、ようやく納得した様子で解放された。

「栄養補給は済んだね?」

「うん」

 次の部屋に入る。薄暗い室内に何かが蹲っていると気づいて飛びずさる。ハリーが後ろからあたしを抱き留めた。

「なにここ、お墓?」

 カタコンベという単語が頭をよぎる。不気味な光景を前にして言葉にならない声が漏れた。

「墓地じゃない。チェス盤の上だ」

 ロンが前に進むとボッボッと音がして両脇に火が灯った。

「ウィザードチェスだね」

 駒にルールを教わったハリーが微笑んでロンを見る。

「君の得意分野だ。任せてもいいかな」

 ロンの明るい青の目が輝いた。

「オーケー。じゃあ、みんな駒と入れ替わって。ハリーはビショップ、ハーマイオニーはルーク。アレン、君はキングだ」

 それぞれ指示された駒に声をかけて交代してもらうと、心臓に悪いゲームが始まった。

 あたしはチェスのルールがさっぱりわからない。リバーシくらいなら簡単だし、意地でも勝とうとしなければ普通に楽しめるのでハリーやダドリーともよく遊んだ。でもチェスは戦略第一の頭脳戦だ。勝ち負けに拘りのないあたしに向いてないゲームの筆頭といえる。

 ロンは着々と駒を進めたし、進めていたはずだ。

「みんな、次の手を見ても絶対に動揺するなよ。下手に動かないで。ハリー、次の手でキングにチェックメイトをかけて。いいね?」

 何かに気づいたハーマイオニーが青ざめる。

「待って、ロン。まさかあなた」

「これも戦略だよ、ハーマイオニー。ひとつの犠牲もなくして進める道は少ない。そういうことさ」

 ロンはどこまでも冷静だった。必死で言い募ろうとするハーマイオニーに、ハリーがおっとりした声で告げた。

「任せた以上、指揮官の命令には従うものだよ」

 ロンがハリーを見て不敵に笑う。二人の少年の間には全幅の信頼があるようだ。

「よし、行け」

 ナイトが進んで白のクイーンの前に躍り出た。クイーンの振り上げた剣で馬が貫かれ、トドメとばかりに薙いだそれでロンが勢いよく吹っ飛ばされる。

 思わず踏み出しそうになる足を堪えてハーマイオニーを見る。ハーマイオニーは唇を噛みしめて、指示された通り盤の上でまっすぐ立っていた。

 それを確認してから、ハリーがキングの前に進んだ。

「チェックメイト」

 キングが王冠を足下に投げだして、ようやくゲームが終わった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 ロンは気絶していた。あれだけの強烈なアタックを食らって骨が折れなかったのは奇跡かもしれない。

 ハーマイオニーが触診で擦過傷以外に怪我らしい怪我がないのを確認して、ほっと息をついた。

「次はなんだろうね」

 相変わらずのんびりした口調でハリーが言った。

「これがハリーに進ませるつもりで作られたものなら、授業を受けてない先生のトラップはないと思うわ。これまでにクリアしたのはスプラウト教授の悪魔の罠、飛び回る鍵はフリットウィック教授と、フーチ教授もかしらね? さっきのウィザードチェスはマクゴナガル教授でしょ……」

「じゃあ、残りはクィレル教授とスネイプ教授だね」

 慎重にドアを開ける。ひどい悪臭に思わず鼻を塞いだ。

 気絶したトロールを見たハリーがうっすらと笑みを浮かべる。

 ハロウィンに現れたトロールは、クィレル教授が連れてきたので間違いないようだ。

「倒しておいてくれてありがとうってところかな。結果的に魔力の温存になったよ」

 先にトロールを跨いだハリーが手を貸してくれる。ひょいと飛び越えたあたしは振り返ってハーマイオニーに手を差し出した。

「気をつけてね」

 ハーマイオニーは顔を赤くしてあたしの手を取る。

「もう、なんなの……。さっきといい、紳士みたいな振る舞いして」

「ダメだった?」

「ダメじゃないけど」

 ドアを開けてまた石の道を歩く。突き当たりのドアを開けて中に入った途端、背後に殺意を感じるレベルの熱を感じた。

「うわぁ燃え盛ってるねえ」

 紫の火がドアを覆って轟々と鳴っている。出口も黒い炎で塞がれていた。もたもたしていると室内の酸素がなくなるんじゃないのこれ。

「ここでは何をすればいいのかな」

 部屋を見回して、奥のテーブルに瓶が並んでいるのを見つけた。

 いくつか並んだ瓶のひとつを手に取って栓を抜いてみたら、くらっとくるくらい強いアルコールの匂いがした。

「これお酒だ」

 瓶を戻して二人を見遣る。テーブルに置かれていた巻紙に顔をくっつけるようにして、ハーマイオニーが内容を読んでいた。

「わかりそう?」

 顔を上げたハーマイオニーの目がギラリと光る。

「これはパズルよ。私がやっていいわね、ハリー?」

「よろしく」

 既に解く気満々だった。

 ハーマイオニーは瓶を確認して巻紙を読み直し、うーんと唸ったかと思ったらすぐに「わかった!」と声を上げた。めっちゃ早い。

「先に進むのは、いちばん小さい瓶よ」

 瓶を取る。中身は二口に少し足りない。

「一人──ギリギリ二人分かな。戻る瓶は?」

 ハーマイオニーが右端の瓶を指した。

「よし。じゃあ、アレンは僕と来て。ハーマイオニー、君は戻ってマダム・ポンフリーに怪我人がいることを知らせて」

「わかったわ」

 瓶の栓を抜く。

「アレン。さっき言ったこと、忘れないでね」

 ハーマイオニーが瓶の中身を飲んで身震いする。そして、大丈夫と言う代わりか、あたしに微笑みかけてから部屋を出て行った。

「さっき言ったことって?」

 ハリーが中身を控えめに飲んで瓶を寄越した。薬は溶けかけのソルベみたいに冷たい。

「死んだひとは生きてる人に勝てないんだって」

「そりゃそうだね。ゾンビでもなければ死んだ人には体がないし」

「誰かに憑依してたら?」

「本体の意識のあるなしがポイントかなぁ」

 熱く感じない火をくぐって長い長い階段を下りていく。

「アレン」

「なに」

 ハリーが、ちらとこっちを見た。

「助けてあげてね」

 返す言葉に迷った。この世に絶対なんてない。だからといって何もしないでいるには情が移りすぎていた。

 あたしに何ができるのか、まだ少しもわからないけれど。

「善処する」

 最下層に行くにしたがって、ハリーは痛むのか、しきりに傷のある辺りをさすった。

「大丈夫?」

「我慢できないほどじゃないけど痛い」

 この先にいるのはどっちなのか。

「それでも今の彼ほどつらくはないんじゃない?」

 階段はそのまま円形のホールに繋がっていて、そこにあの『鏡』があった。そして。

「貴様しもべのくせに俺様に逆らうのか!」

「嫌です。私はもう嫌です」

 腹話術をしているみたいにクィレル教授が二つの声を発していた。顔色が紙みたいに白く、痛みがあるのかひどく苦しそうに見える。

「あー、お取込み中にすみません?」

 ハリーが暢気に声をかけるとクィレル教授が顔を上げた。

「ポッター」

 ハリーを見て、あたしを見る。濃い青の目からこぼれた涙が白磁の頬を伝って石の床にいくつも落ちた。

「ここまで来てしまったのですね」

 狼狽と恐怖と悲しみがないまぜになった声だ。

「どうせ僕は来なきゃならなかったし、アレンも来ないわけにはいかなかったんです」

 ハリーが笑みを寄越したので、あたしもしっかりと頷いて返す。

「先生を助けにきました」

「私を?」

 怪訝な顔をされた。

「ダンブルドアでさえ見捨てたのに?」

 予想していたことだ。そうでなければ、この一年、放置したままにしている訳がない。

「だからです」

 ここにきてようやくあたしは本当の意味で先生が優しくしてくれた理由を理解した。

 この人はきっと、世間から目を向けられず、気にかけられることもないあたしに自分を重ねていたのだ。

「ダンブルドアが先生を見なくてもいいじゃないですか。あたしが先生のいいところを知ってるし、そいつとさよならしてあたしたちと一緒に地上に戻れば、知らない先生のいいところ、これからもっとたくさん見つけられますよ」

 先生はひどく戸惑った様子で目を泳がせた。

「そうそう。そんな寄生虫より役に立たない死に損ないに、若くて健康な体をくれてやるなんてもったいない」

 ハリーがにっこりした。

「言ってくれるではないか」

 甲高い声がした。夜の森と、さっき聞いたのと同じ声だ。クィレル教授が目に見えて怯えるのをよそに、あたしは右の頬に右手を、ハリーは左の頬に左手を当てて首を傾げた。

「魔王ならもっと威厳があるかと」

「そんなの元からないんじゃない」

 先生のいる辺りから、ぞっとするような殺気を感じる。あたしは半分閉じていた目蓋を少し上げてニヤリと笑った。

「き、君たち、彼を怒らせては」

「黙れ、役立たずが」

 脳天を突き抜ける甲高い声がクィレル教授を罵った。

「小娘如きに絆されおって」

「私は貴方の配下である前に一人の教師です。生徒を気にかけるのは当然でしょう」

「石を手に入れられないばかりか、一角獣すらまともに殺せない貴様が何を言う」

 先生が震えて頭を抱える。

「私はこんなことのために貴方と手を組んだつもりはありません」

「そうか。……ふん、もうよいわ。貴様より使えそうな者がここにおるのでな」

「ダメです!」

 制止の言葉を叫んだ直後、先生が感電でもしたみたいに体を引きつらせて床に倒れた。その拍子にターバンが解けて、その下にあった長いブルネットが散らばる。

 どうしよう。どうやってあいつを追い出せばいい?

 息を切らした先生が顔を上げた。

「……ハリー・ポッター以外の生徒には、手を出さないと約束したでしょう!」

「貴様がとっとと俺様にその体を寄越せばよかったのだ。そうすれば万事丸く収まったものを」

 高笑いがホールに響いた。クィレル教授が再び床に伏して苦しみもがいた。

「先生?!」

「待って」

 駆け寄ろうとするあたしをハリーが止めた。

「あいつ、本格的にクィレル教授を乗っ取る気だ」

 ハリーを見て先生を見る。声が重なって、ザリザリしたノイズが混じった。

「やめろ……やめてくれ……」「貴様はそこで眠っていろ!」

 顔を上げた時、先生は先生じゃなくなっていた。

 あの美しく硬質な青の瞳に光がない。

「これでも往時にはまだ足りんな。嬲り殺しにして貴様らの魔力もいただくとしよう」

 ヴォルデモートが、ばさりと髪を後ろにやった。

「死に損ないのくせに欲深だなあ」

「他人の体がなきゃ何もできないくせに」

 先生を取り戻したければ、こいつと戦うしかないのか。

「ゴーストにすらなれない半端者だもの」

「そっか。じゃあ、あたしたちがご案内しよう」

「どこまで?」

「言うまでもないよ」

 こんな時の決め台詞はこれしかないよね。

 あたしたちは二人同時に杖を構えた。

「「Hasta la vista, baby」」

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 と、かっこつけてはみたものの。

 エクソシスムなんてやったことないし、ましてや特定宗教に帰依すらしていない。これはどう手を打ったものか。

 箒もなしに空中を滑るように飛んできたヴォルデモートを横飛びで避ける。ハリーは右へ、あたしは左へ。的が二つある分、あっちが多少不利かな?

 正面から魔法を使って、どのくらいの効果があるか考える。こいつは腐っても魔術師としての経験値だけは高いのだ。

 ハリーが慣れた手つきで杖を振る。

「Orchideous Maxima」

 杖先から大量の花が溢れかえる。なんで花? と思ったのはヴォルデモートも同じだったのか、鼻で笑おうとしたようだ。その余裕はハリーが次の呪文を唱えた瞬間に消し飛んだ。

「……Oppugno」

 色とりどりの花がぴょんぴょんと立ち上がり、ヴォルデモートの方を向いた。花びらが閉じて開く。

「めしか?」「腹が減った」「肉!」「肉寄越せ!」

 花たちが一斉に喋り始める。花に歯の生えた口ができていた。あの鋸歯で噛まれたら痛い程度では済まない。花の形こそ違えど、これはまるで『リトルショップ・オブ・ホラーズ』だ。

「肉!」「肉!」「肉!」「肉!」

「うわあああああ!!」

 口々に連呼しながら襲いかかる花たちを見たヴォルデモートが悲鳴を上げた。これはどう言い繕っても気持ち悪い。

 ぞっとしているあたしとは対照的にハリーはひどくご機嫌だ。

闇の帝王(ダークロード)を名乗るくらいなんだし、もう少し頑張ってもらおうかな。──Avis、Oppugno」

 楽しそうに杖を振る。今度はキバタンに似た鳥が杖の先から10羽ほど飛び出して口を開けた。

「キキャキャキャキャ!」「餌か?」「餌だな?」「新鮮な肉!」」

 訂正しよう。こいつらキバタンじゃない! キバタンに乱食い歯なんて生えてない!

「死なない程度に齧るんだよ」

 にこにこして言うことかなー?

 ハリーはヴォルデモートが逃げ回るのを見つめている。どうする気だろう?

 いくらメンタルを削りにこられたところでヴォルデモートがいつまでも逃げ回っているはずもなく、鳥をかい潜り、無詠唱で花を燃やして数を減らし始めた。

「ううん、あの程度じゃ揺らがないか」

 杖を自分の腕のように前に出して、ハリーが次の呪文を唱えた。

「Descendo」

 白く細い光が走る。ごとん、とヴォルデモートの足下が数十センチ凹んだ。勢いのまま転んだヴォルデモートに、花と鳥が大喜びで襲いかかった。

「Incendio! Incendio! Incendio!」

 無詠唱で使う余裕もないのか、死に物狂いで呪文を唱える声が聞こえてくる。

「Expulso!!」

 爆発音がした。煙と鳥の羽と花の残骸の中から、目を血走らせたヴォルデモートが姿を現した。

「くそっ、馬鹿にしおって……」

「どうしたものかなあ」

 めらめらと殺気を放つヴォルデモートをハリーはじっと見つめた。

 その緊迫した状況を破ったのはヴォルデモートだった。その指先が動くのとほぼ同時にハリーがあたしを突き飛ばす。とっさに受け身を取って起き上がったあたしの首が折れそうな力で締め上げられた。

「アレンを離せ! おまえが殺したいのは僕じゃないのか!」

 目だけで状況を確認する。ハリーが魔法の縄でぐるぐる巻きにされて動けなくなっていた。

「黙れ」

 その一言でハリーの声が出なくなった。首にかかった手にさらに力が籠る。気管と血管を両方押さえられているせいで頭に圧がかかって目の前がちかちかしてきた。あたしが声も出せずにいるのを見下ろしたヴォルデモートが嗜虐的な笑みを浮かべる。

「遊びは終わりだ」

 首の骨を折られるのかと思いきや、ずるずるとあたしを引きずって歩いていく。そして、あの『鏡』の前に放り出した。

 ごっと肺に空気が入って咳き込んだ。勝ち誇った顔でヴォルデモートが言う。

「その鏡に何らかの仕掛けがあるのはわかっている。助けてほしければ『石』を手に入れろ」

「別にあたしは助けてもらわなくてもいいよ?」

 死んでも大した影響ないし。

「おまえの代わりに片割れを殺してもいいんだぞ」

 先生の顔と声でなんてこと言うんだこいつ。

 反撃しようにも、さっきのドタバタで杖を落としたらしく、今は気休め程度の反撃もできそうにない。

「わかったよ。……まったく、言うことなすこと全部悪役のテンプレのくせに」

「無駄口を叩くな」

 へーへー、とテキトーな返事をして鏡を見る。そも平面からどうやって立体を取り出せというのか。

 鏡の中では前に見た時と同じようにみんなが楽しく過ごしている。平和でのどかな光景だ。隅々まで見たところで、五センチくらいの石らしきものはどこにもない。

 あたしは『石』なんてほしくないけれど、状況を良くするためのヒントが見つからないかと目を凝らした。

 と、不意に奥の方でクィディッチをしていたハリーが空中で小さな物をキャッチした。大きく旋回して、あたしの横に着地する。

 目の焦点をずらせば、ハリーが床に転がってジタバタしているのが見える。焦点を戻すと金と赤のユニフォームに身を包んだハリーが握っていた手を開いた。

 その手の上に赤く透き通った石がある。歪なくせに天然の結晶と違って母岩もなく、ヒビもインクルージョンもない。人工結晶かな?

……あれ? 賢者の石って魔術的な人工結晶なんじゃ?

 ハリーが「ご名答」とでも言うように笑い、鏡に映ったあたしにその石を渡した。鏡の中のあたしはそれを見て微笑み、ズボンの左のポケットにすとんと落とす。

 ずしりとズボンに重みがかかった。

 ええっと、もしかしてこれって……。

 今すぐにでも確認したい。でも、もしあれだったら奪われる。

「どうした?! まだ見つからんのか!!」

「大人のあんたにわかんないものが、子供のあたしにわかるわけないでしょ」

 バカなの? と鼻で笑ってやる。

「何が見えるか言ってみろ」

「友達と家族と先生たちが仲良くクィディッチしたり、談笑したり、お茶飲んだりしてる」

「う、嘘を──嘘じゃない……だと……」

 言いかけて唖然とされる。そんなの嘘つくところでもないし。

 んん? でもなんで嘘ついてないのがわかったんだ?

 もしかすると、もしかして。

「あんた、人の考えてることがわかるの?」

 ヴォルデモートが、あたしを見てぎょっとした。

 




一人二役ってめちゃくちゃ美味しいと思うの


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第十二話 ブルーベルを君に

 

 そんなに驚くこと?

 いちばん身近な人間が、さらっとこっちの考えを読んでくる生活をしている身としては、片割れに限らずそういう能力を持った人がいても全然おかしいとは思わない。小説みたく魔術師(ウィザード)の世界が特殊能力の博覧会なら、あっちにいるより遭遇する可能性は何倍にも跳ね上がるだろうと思っていたのもある。

「貴様は恐れないのか」

「何を?」

 今までの横柄な態度はどこへやったのかと思うほどヴォルデモートは戸惑い、目を泳がせている。

「己の心を覗かれれば人は皆恐れるものだ」

「そうかなぁ?」

「は」

「あたしは怖くないよ」

 その答えにヴォルデモートは口を開きかけたまま、目を丸くして後ずさる。

「なんだ貴様は……! 何故恐れない?!」

「慣れだよ慣れ」

 あっ、絶句された。

 暢気に喋り続けてるわけにもいかないし、どうしたものかな。誰かいい案を出してお願い!

 と、鏡の中から誰かが手を振った。ハーマイオニーが鏡の中のあたしの左手を取っている。

 自分の左手を見下ろして首を傾げた。それがヒントなの?

 左手で自分の体に触ってみた。左手で左の肩を脇腹を。ズボンのポケットに手を入れる。硬い、でもほんわりとあたたかいそれがなんなのか、左手を示された意味がわかった。

 これは魔力、いや、違う。真輝(エーテル)の結晶だ。

 そうか。純度の高いエーテルを供給し続ければ、魔法使いにとって寿命なんてないも同然なんだ。

 指先からじわじわと流れ込む生きとし生けるもの全ての源が、自分の中で魔力に変換されて体全体に満ちていく。それに伴って視界が変わっていった。

 空気中に渦巻く自然のエーテルが、城に満ちる魔力が、飛散した魔力の残滓が、人の体に宿る金色の光と靄のような灰色の影が見える。

 今ならあたしでも杖なしで魔法が使えるかもしれない。

 一回、二回と深呼吸する。結果を正確に思い描いて、杖を振る時の動きで手首を動かした。

「accio、あたしの杖!」

 呪文を知っていても使ったことはない。だけど、フリットウィック教授の言う通り、自分の望みを実現するのが魔法なら必ず成功すると強く信じる。

「習ってもいない齢で使えるわけが、」

 パシンと乾いた音がして、この一年で馴染んだ感触が手の中に戻ってきた。

「おかえり、相棒」

 林檎とドラゴンの心臓の琴線、二十六センチ。この世界でずっと待っててくれた、あたしを選んでくれた杖。

 我に返ってハリーの方へ走るヴォルデモートの後ろで杖を振った。

「Finito Incantatem」

 縄が解けて身を起こしたハリーにヴォルデモートが掴みかかる。次、次の呪文は。

「ぎゃあああああ!!」

 耳をつんざく悲鳴がホールに響いた。

 叫ばれたハリーも何が起きたのかわからないという顔をしてこっちを見ている。

「な、なんだこの魔法は?!」

 甲高い声がひどいノイズで乱れた。一瞬迷ったハリーがヴォルデモートの手を掴むと、再度悲鳴が上がった。

 ヴォルデモートがハリーの手を思いきり振り払う。

「殺してやる!」

 目を血走らせ再び掴みかかったヴォルデモートは、抵抗したハリーの手が触れるなりまたも絶叫した。手のひらから煙が上がっている。

──痛い? 熱い?

 ハリーが青ざめて後ずさった。

「僕に近づくな」

「殺してやる」

「近づくなって言ってるだろ!」

「貴様など」

「僕が死ぬ前におまえが死ぬからやめろ!!」

 どっちも様子がおかしい。二人の間に割って入ると、あたしの腰にハリーがしがみついてきた。

「嫌だ、僕は誰も殺したくない」

 自由を奪われても状況を打破しようとしていたとは思えないほど動揺しているのを見て察した。

 滅多なことで動じないハリーにも苦手なものがあった。それは『死』だ。昔は物語でキャラクターが死ぬことさえ泣いて嫌がっていたほど死を恐れている。

 自分の死ではなく、自分以外の死を。

 どう作用してヴォルデモートに痛みを与えているのか杳として知れないけれど、あたしはハリーの手に触れられても何も起きない。ハリーに殺意を持つヴォルデモート、ひいてはクィレル教授の体を殺しかねない力が働いているのか。

 ヴォルデモートが自ら引かなければ、ハリーは望まずして殺人を犯すことになる。

 これはゴーストのなり損ないに止めを刺すのと、生きた人を殺すのは同じじゃない。あたしもハリーも生きた人間が人質にとられているのを見捨ててまで闇の帝王を倒すような人非人にはなれない。

 深呼吸して状況を確認する。

 動揺しているのはヴォルデモートも同じらしい。あたしに手を伸ばしかけたものの、ハリーがいるのに気づいて半歩後ずさった。

「諦めた方がいいんじゃない?」

 ヴォルデモートが睨みつけてくる。

「死にたくないから、そんな半端な状態でいるんでしょ? これ以上続けると、あんたも先生も死んじゃうかもしれないよ」

 どうしてか、泣いている小さな迷子を前にしているような気持ちで話しかけている。

「あんたは死にたくない。あたしは先生を助けたい。あんたが退いてくれれば、どっちも解決するんだよ」

 ハリーの手を解いて、ヴォルデモートに一歩近づいた。

 映画や小説なら理不尽に人が死んでも、物語だからと割り切れる。だけど今ここで起きていることは現実なのだ。決着を急げば失うものがあまりに多い。

「ここは痛み分けってことにしてくれない?」

 もう一歩、あたしが足を踏み出すのを見たヴォルデモートが『怯えて』後ずさった。

「寄るな」

「なんで?」

「俺様は貴様らの親を殺したんだぞ?! もっと恨み恐れるものだろうが!」

 いや、確かに親の仇といわれればそうなんだけど。

「ごめん。そういうのよくわかんない」

 親がいなくてもハリーがいてくれたから誰のことも恨まずに生きてこれた。それはこの先もきっと変わらないと思う。そもそもあたしは先生を助けに来たのであって、こいつを倒そうなんて、ここに来るまで少しも考えていなかったから。

 ヴォルデモートが愕然として立ちすくむ。あたしは一気に間合いを詰めて、クィレル教授の体ごとヴォルデモートを抱きしめた。

「やめろ! 離せ!」

「お断りします」

「殺されたいのか?!」

 靄が揺らいで声にかかるノイズが強くなる。先生の意識が少しでも戻りかけているのなら、あたしの声が聞こえるはずだ。

「離せ!」

「先生」

 引きはがそうとした手を掴んで言った。

「一緒に帰りましょう、先生」

「……君は、私が恐ろしくはないのですか」

 震えた少し高い声。先生の声だ。

「全然」

 まだ問題は解決していない。

「だから、とっととそいつを追い出してしまいましょう」

「黙れ小娘!」

 甲高い声でヴォルデモートが喚く。

「俺様に逆らうとどうなるか、身を以て知っているだろう! 殺せ! 小娘を殺せ!」

「大丈夫、先生ならできます。だって、あたしが知る中でも、先生はとびきりすごい魔術師(ウィザード)だから!」

 人に魔力をわけられる。箒もなしに空を飛べる。トロールを使役できる。論理的に物事を考えることができる。あたしの孤独に寄り添ってくれる。全部全部、その辺に掃いて捨てるほどいる魔術師にはできないことばかりだ。

「うるさいうるさい! こいつにそんなことができるものか!」

「あたしは先生ならできるって信じる」

 クィレル教授は心底驚いたという顔をした。 

「私を、信じる?」

 笑って頷く。そんなの当たり前のことだからだ。

「魔法は望んだことを実現する力ですよ」

 先生が心から望むなら、それは絶対に叶う。

「──そうです。魔法とは、そういうものです。どうして忘れていたのでしょう」

「やめろクィレル! 力と名誉が! 賞賛が! ほしくないのか?!」

 ヴォルデモートの叫びを聞いても先生は揺るがなかった。

「そんな大層なもの、私の身の丈に合わないのだと実感しました。……貴方には、わからないでしょうね」

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 迷いのない魔術師は強い。

 気を失った先生の体が傾くのを受け止めようとして支えきれず床に転がる。追い出されたヴォルデモートは霞とも煙ともつかない姿で、どうにか起き上がったあたしを睨んだ。

「このままでは済まさんぞ」

「無理だよ。ここには、あんたを受け入れる人がいないもの」

 自業自得と断じるには気の毒すぎる姿に、なんとも言えない気持ちになる。生きている人間に敵わないのはゴーストと同じだ。

 そうだ。慌ててハリーの横に屈んで肩を揺さぶる。

「ハリー、ハリー? 大丈夫だよ、もう誰も死んだりしないよ」

 顔を上げたハリーがあたしを見て、少し離れた所に倒れている先生を見た。

「どういうこと?」

「先生が自力で追い出したんだ」

「マジで?」

「マジで!」

 よかったと胸をなで下ろしたハリーが、ふと表情を暗くした。

「ねえ。僕が英雄とかさ、やっぱり間違いじゃないの?」

「どの口が言うか! アバダを返されて落ちぶれた俺様に謝れ!!」

「いや、あんたもよく考えてみなよ。当時一歳の幼児に何ができるっていうのさ? たぶん他所の人の仕業だよそれ」

 またあのキンキンした声で喚き散らすヴォルデモートから目を逸らして、ハリーは汗の滲む額を押さえた。

「ダンブルドアは僕とあんたを対決させようとしてたみたいだけど、とんだ番狂わせだったね。あのじいさん、アレンをとことん舐めてかかってたからさ」

 こっちを見て苦笑いするハリーにどう返せばいいのか。

「あんたもわかったでしょ。アレンは魔力よりなによりすごい力を持ってるって」

 思い当たることがあったのか、ヴォルデモートはぐっと言葉を詰まらせた。

「アレンはね、魔法なんか使わなくても縫い目のないシャツを仕立てられるし、涸れた井戸でも洗濯ができる。一粒の胡椒を撒いて畑いっぱいに実らせることもできる。ひとはその力を愛というのだけど」

「貴様もダンブルドアと同じことを言うのか」

 低い声でヴォルデモートが唸ると、ハリーは投げやりな態度で言い放った。

「さあ? 僕が実感してる愛と、ダンブルドアが言うそれが同じかどうかは知らないな。……それで提案なんだけど」

「なんだ」

 横柄な態度はそのままに、しかし話を聞く姿勢を見せたヴォルデモートに、おや、とあたしは首を傾げた。

「出直さない?」

「は?」

「あんたも体がないんじゃどうしようもないでしょ。結局『石』は手に入らなかったみたいだし、僕もさっきやって見せた悪ふざけくらいしかまだ使える魔法がなくってね。どうせならお互い全力で殺り合いたいじゃない? それに今回みたいに人質を取って僕をなぶり殺しになんかしたら、いくらあんたでも大手を振って勝利宣言なんかできないよね? どこぞの校長じゃあるまいし、そこまで厚顔無恥じゃないでしょ」

 あれを悪ふざけと言い切るのもどうなんだろう。ブラウン管に映る作られた映像なら笑えても、リアルであんなのに襲われたらひとつも笑えないぞ。

 同じことを考えたのかヴォルデモートがハリーを()めつけた。

「よかろう。次会う時が貴様の最期だ」

「ありがとう。その日を楽しみにしてるよ」

 ハリーがにっこりするのを見て盛大に舌打ちすると、ヴォルデモートはどこかへ飛び去って行った。

──これでミッションクリア、かな?

「あああああああ」

 突然、ハリーが大声を出した。

「へ? なに?」

 びっくりするあたしをスルーして仰向けに倒れる。

「ええっと、大丈夫?」

「疲れた」

 端的な答えに息をついた。こっちではなにもかもが一年生なのに、いきなりラスボスと対決させられたのだから疲れて当たり前だ。

「アレンは元気だね。魔力の残量は? 眩暈や吐き気はしない?」

 あ。すっかり忘れてた。

「しない。ていうかあたし賢者の石持っててさ」

「ええ?!」

 ばね仕掛けのおもちゃみたいにハリーが飛び起きた。

「いつ手に入れたの?」

「ええっと、『鏡』の前に立った時かな」

「よくバレなかったね」

「うん」

 ハリーは何もしなくてもあたしの考えてることを読めるのに、ヴォルデモートは意識しないと読めなかったっぽいからなぁ。血の繋がりがないから? よくわかんないけど。

 ポケットから取り出した賢者の石を灯りに翳した。結晶の中で薄紅色をしたエーテルが靄のように渦巻いている。

 

 二人で賢者の石についてあれこれ話していると、不意に足音が聞こえてきた。見ると、マダム・ポンフリーとスネイプ教授とダンブルドアの三人が階段を駆け下りてくるところだ。

 いつもより数倍ひどい顔色をしたスネイプ教授は、駆けつけて早々ハリーとあたしに大怪我がないのを確認すると、

「まったく……」

と呟いて額を押さえた。

「クィリナスは?」

「気を失ってます」

 子供二人では動かしようがなかったので、気の毒だけどそのまま床に寝かせておいた。が、その結果に驚いたのはマダムでもスネイプ教授でもなく、ダンブルドアだった。

「生きているのかね? 本当に?」

「生きてますよ。嘘をついて、あたしに何の得があるんですか」

 クィレル教授の生存は想定外だと言いたいのか。

 イラっとして睨むあたしにダンブルドアは手を上げろ(フリーズ)と言われた時のポーズをして首を振った。

「嘘だとは言っておらんよ。しかし、どうやって」

「先生が自力でヴォルデモートを追い払ったんですよ」

「「ねー」」

 状態の確認をしていたマダムが手を叩く音で全員の注目を集めた。

「はい、おしゃべりはそこまで! そこの男手どもは怪我人を運びなさい!」

 医務室の番人らしい剣幕に、流石のスネイプ教授もダンブルドアも「はい」としか返せなかったようだ。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇

 

 

 

 事件の後、空いた時間はずっと医務室にいた。

 ハリーの頭痛はそれほど長引くことなく、あたしも擦り傷くらいしかなかったので当日のうちに寮に戻れた。ロンは頭を強く打った可能性があるとのことで一晩泊まらされていたけれどね。

 クィレル教授はヴォルデモートを追い出すのにかなりの力を消耗したようで、まだ昏々と眠っている。

 後は目が覚めれば問題ないとマダムに言われたし、魔力の補給に来たスネイプ教授にまで同じことを言われた。それでもあたしは先生が起きるのを待ちたいので頑として医務室に居座っている。

 三日目の午後、ベッドの脇で読書していたら、クィレル教授が身じろぎしたのに気づいた。

「先生?」

 本を置いて様子を窺う。白磁の目蓋がゆっくりと持ち上がり、ぼんやり瞬きしたと思ったら寝坊でもしたみたいに飛び起きた。

「ミス、……ポッター、」

 大声を上げかけたクィレル教授は、あたしの顔を見るなり尻すぼみに名前を呼んだ。

「はい。お加減はいかがですか?」

「だいぶ、いいです」

「それならよかった。おかえりなさい、先生」

 あたしが笑うと先生も照れたように笑って「ただいま戻りました」と言った。

 改めて受けた診察の結果、どこにもまったく異常なし。部屋に戻っていいと言われたクィレル教授は困惑を隠せない表情であたしとマダムを交互に見た。

「あの、……それだけ、ですか?」

 振り返ったマダムが片眉を上げる。

「それだけとは?」

 先生は青くなったり赤くなったりして、しどろもどろに返した。

「オーラーに引き渡すとか、そういうことは」

 それを聞いて「ああ」と手を打った。

「先生には後日事情聴取があるそうですよ。でも、引き渡しはないと思います」

 どこでどうやってヴォルデモートと関わったのかについては根掘り葉掘り聞かれるに違いない。罪に問われるのもあれだけど、何度も何度も繰り返し同じことをきかれるのもしんどいと聞くのでちょっと心配だ。

 にべもなく医務室を追い出された先生はヒンキーパンクに騙されたような顔で首を傾げた。

「一体何がどうなっているのでしょうか」

「何って?」

 慣れた手つきで長く豊かなブルネットの髪を後ろにまとめたクィレル教授が、右手の拳を顎に当てて思案する。

「結果はどうあれ私はヴォルデモートと手を組んでいました。投獄されたとしても仕方のない身です。それがどうしてまだホグワーツにいるのでしょう」

「先生、何か捕まるようなことしましたっけ?」

 刑務所に放り込まれるほどの悪事、とは。

「き、君は何を言っているのです! 私はグリンゴッツに侵入して、きみの片割れを箒から振り落とそうとまでしたのですよ? それに一角獣も、」

 直接的な言葉が憚られたのか、クィレル教授は口籠った。

「ああ。一角獣なら、みんな元気になって森に帰りましたよ」

「え?」

 聞き返すのも無理はない。でも、本当のことだ。

「どの個体も全て回復しました」

 あたしたちが見つけた個体はかなり危険な状態だった。といっても元が人類と比較するだけ無駄なほど頑丈な幻獣だ。手当てを受けたらみるみる元気になって、昨日の昼頃には土産とばかりにハグリッドを蹴っ飛ばして森に帰ったとロンに聞いている。

「グリンゴッツには侵入しただけで何も盗んでないですし、例の呪いも未遂ですよね。ハロウィンの時もトロールを引き入れはしたかもしれませんが、パーティーの解散前に全校生徒の前で知らせたことで早期避難ができて犠牲者は一人もいませんでした。ええっと、……他に何かありましたっけ?」

 指折り数えてみても刑罰レベルの害は思いつかない。

 

 階段を上って先生の研究室がある階まで来たあたしたちは早足で歩いてきたフリットウィック教授と顔を合わせた。

「目を覚ましたと聞いて医務室に向かっていたところですよ、クィリナス! 具合はどうですか?」

「は、はい。マダムには、い、い、異常なしと診断されました」

 にこにこしている上機嫌なフリットウィック教授に対して、クィレル教授は目を泳がせ、つっかえつっかえ答えている。どうやらあのどもりも全てが演技じゃなく、すごく緊張した時に出るもののようだ。

「それは何よりです。……ミス・ポッター、ずっとクィリナスについていてくれたのですね」

「はい。あたしも心配だったので」

 クィレル教授は学生時代、フリットウィック教授の教え子だったと聞いている。出身寮がレイブンクローなのもあって、様子がおかしいのを気にしていたそうだ。

 行動に移せなかったのが誰のせいかは言うまでもない。

「できることならついていたかったのですが、先にどうしてもしなければならないことがありましてね」

 それを聞いて思わず身を乗り出す。

「どうなりました?」

 フリットウィック教授がサムズアップして笑った。

「上手くいきましたよ!」

「やりましたね!」

 あたしと手を取り合って飛び跳ねたフリットウィック教授は、話に全くついていけていないクィレル教授の視線に気づいて、こほんとわざとらしく咳払いした。それから、経験豊かな教師らしい威厳を以て言った。

「来学期のことですが」

「はい」

「クィリナスにはマグル学に戻ってもらいます」

「え?」

 ぽかんと口を開けた教え子に今度は慈愛溢れる笑顔を向けて、フリットウィック教授が小さな手でちょいちょいと手招きした。おどおどと身を屈めるクィレル教授の頭を優しくなでる。

「この一年、本当に大変だったでしょう。よく頑張りましたね」

「……はい」

「今後、困った時は些細なことでも私に相談してください。もう一人でなにもかも抱え込んじゃダメですよ」

「はい」

 実はこの数日、フリットウィック教授とバーベッジ教授は、一度でもヴォルデモートと通じたのを盾に取ってクィレル教授に退職を命じようとするダンブルドアの説得にあたっていた。だから、せめてあたしだけでも、と傍についていたのだ。

 二人の熱意がダンブルドアに通じたのかどうかはさておき、目的は果たせたわけだ。これ以上の贅沢は言わないでおこう。

「さぁ、今夜はパーティーですよ。ミス・ポッターもクィリナスもたくさん食べて、元気になりなさいね」

 廊下を歩いていく小さくて大きな背中に、クィレル教授は深々と頭を下げた。

 

 殊更ゆっくり歩いて部屋の前に着くとクィレル教授が話したいことがあると言って、あたしを部屋に招いた。 

 何か言いたそうに口を開きかけて、思い直したように首を振る。

「君が、私のどんな予想も固定観念も平気で飛び越えるのには、本当に驚きましたよ」

 そんな風に言われるようなことしたっけ?

 首を傾げても答えはない。先生は、その濃い青の綺麗な目を眩しそうに細めただけだ。

「ありがとう。私が今こうして生きているのは君のおかげです」

 片膝をついて恭しく頭を下げる。クィレル教授は、そっとあたしの右手を取った。

「君は闇に身を落とした私を恐れ断罪するどころか、己の危険を省みることなく手を差し伸べ、命ばかりか心まで救ってくれました。……ですが、君の神にも勝る尊い行いに私が返せるものなど、この命しかありません」

 感謝されてるのはわかる。わかるけどこれはその。

「そんなに重く考えなくても」

 えらいことになっているのは理解できた。でも、こんな人生に幾度もあってたまるかという状況に、空いた左手をわたわたと宙に彷徨わせるくらいしかできない。

 クィレル教授は目を伏せて静かに告げた。

「遠くない未来、彼は『ハリー・ポッター』を殺すために舞い戻るでしょう。次に敵対するのは彼一人ではないかもしれない」

 ぞっとした。

 純血でない人々が、純血主義でない人々が、魔法と関わりのない人々が意味もなく殺される日が来る。多くの犠牲が払われるその日までに、あたしたちは今より少しでも強くなる必要があった。

「世は混乱を極め、皆が疑心暗鬼になり、不安ばかりが募ります。事実、『あの日』まではそうでした」

 両親が死に、ハリーが呪われて、ヴォルデモートが体をなくして、あたしが死にかけた『あの日』以前。

「遠くない未来にあの恐ろしい時代が来ると確信しているのに、今はそれほど怖くないのですよ。これも君のおかげですね」

 向けられた麗しい笑みに驚いて鼓動が一拍飛んだ。

「この先、どんな悲惨な未来が待ち受けていたとしても、私は二度と挫けることはないでしょう。その力を齎してくれた君に、私は誰よりも一生、忠実であると誓います」

 手の甲にやわいものが触れて大袈裟なくらいビクッとした。

 やっぱりそうだ。映画で見たことがある。これは騎士が君主の前でやるあれだ。……けど、あたしはただの一般人だ。

 ああもう! どうしてこうなった!?

「駄目、ですか?」

 そんな捨て犬みたいな目をしないでほしい。

「そ、そんなの、先生の心の内で決めてください! あたしは先生が無事に戻ってきてくれただけで、本当にもう何もかもオールオッケーなんですから!」

 頭がぐるぐるして舌が回らない。

 ほら、全然かっこつかないじゃん! ここまで言われるようなこと何もしてないのに! なんてことだ、ほんとに!!

 そんな威厳の欠片もないあたしを見て先生が本当に嬉しそうな顔をするから、あたしは行き場を失っていた左手で茹で上がったように熱い自分の顔を隠すしかなかった。

 

 

 

◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇ 

 

 

 

 寮に戻ったあたしの顔を見てハーマイオニーが言った。

「どうしたの?」

 ど、どうしたって。

「どうもしないよ」

 あれはただの決意表明だ。もう二度とヴォルデモートなんかに誑かされたりしないって、それだけの話だ。うん。

「その割には随分顔が赤いよなあ」

「どう見てもなんかあったよなあ」

 ニヤニヤ、ニヤニヤ。

 未だに喋らないとどっちがどっちかわからない二人が、左右からあたしの腕を掴んだ。

「え、いや、ほんとに何もないよ?」

 プライベートなことを勝手に話すのはよくない。

「ちょっとくらいあるだろ」

「ないわけないよな、後輩」

「「顔が赤い理由とかさ!」」

 ハーマイオニーまで期待の眼差しを向けていて、まったく助けてくれそうにない。なんなんだよ、もう。

「わかった。わかったから離して」

 解放された勢いでソファに顔を埋める。

 これは嘘じゃないし、本人にも言ったことあるからいいか。

「あの人、近くで見ても綺麗で困る」

 フレッドとジョージが揃って首を傾げた。

「「誰の話だ?」」

「クィレル教授」

 二人は顔を見合わせて、さらに首をひねった。

「よくわかんねえ」

「うん、わからん」

「理解しなくていいよ。美的感覚なんて人それぞれだし」

 夜になった。

 大広間は緑と銀のスリザリンカラーで飾りつけられて今年の一位を祝っている。生徒の席にも教員席にも空きはない。一年の始まりの日と全く同じ顔触れだ。

 マクゴナガル教授が軽快にゴブレットを鳴らす音がした。好き勝手におしゃべりしていた生徒が揃って教員席に注目すると、ダンブルドアが咳払いして言った。

「また一年が過ぎた! 皆が御馳走にかぶりつく前に寮対抗杯の表彰を行うぞい。四位 グリフィンドール三一二点! 三位 ハッフルパフ三五二点! 二位 レイブンクロー四二六点! 一位 スリザリン四七二点!!」

 スリザリンのテーブルから歓声が上がった。

「よしよし。スリザリンの諸君、よくやったぞ。しかし、このつい最近の出来事も勘定に入れねばのう?」

 途端に大広間が静まり返った。最近? 何かあったっけ?

「実は駆け込みで点数を与えねばならん者がおる! えー、ではロナルド・ウィーズリー君。ここ数年で最高のチェスゲームを見せてくれたことを称え、グリフィンドールに五〇点を与える!」

 ああ、あれね。にこにこ笑顔のハリーに肩を叩かれたロンが照れて顔を真っ赤にした。

「次! ハーマイオニー・グレンジャー嬢。地獄の業火に囲まれようとも冷静に論理を展開し対処したことを称え、グリフィンドールに五〇点を与える!」

「ハーマイオニーがいなかったら、あの部屋は絶対に抜けられなかったよね。ありがとう」

 まだお礼を言ってなかったのでここで言っておく。これまた真っ赤になったハーマイオニーが周囲の視線にわたわたした挙げ句、テーブルの上で組んだ両腕に顔を埋めてしまった。

「次! アルトリア・ポッター嬢。揺るぎなく公平な判断に基づき類稀なる行動力を発揮したことを称え、グリフィンドールに五〇点を与える!」

 え、あたしも?!

 仏頂面のスネイプ教授の隣でクィレル教授が嬉しそうに拍手しているのを見たら、なんだか急に恥ずかしくなってきた。評価される嬉しさより大勢の前でされることの恥ずかしさの方が上回った。

「次はハロルド・ポッター君」

 校長が無駄に溜めたので、大広間がまた静まり返った。

「君のその並外れた勇気と精神力を称え、五〇点を与える!」

 ハリーは大して嬉しそうでもない顔で肩をすくめた。あれ? グリフィンドールがスリザリンを追い越してない?

 テンションの落ちたスリザリンを完璧にスルーしてダンブルドアが続けた。

「えー、次! ドラコ・マルフォイ君。視界がままならぬ中、恐ろしい怪物に立ち向かった果敢なる勇気に五〇点を与える!」

 あっ、追い越された。これで今年はスリザリンが優勝かな?

 ざわざわし始めた大広間に、またダンブルドアの声が響いた。

「勇気にもいろいろある。敵に立ち向かうのはもちろんじゃが、味方に立ち向かうのもまた勇気じゃ。それを評してネビル・ロングボトム君に一〇点を与える!」

 状況を理解するのに多少の時間がかかった。みんな顔を見合わせ、自分の暗算が間違ってないかお互いの表情から読み取る。

 わっと一斉に歓声が響いた。

 同点優勝だ!

 

 翌日、試験結果が貼り出された。

「……マジで?」

 呪文学はともかく、他はあまり自信がなかったのにどの教科も上から数えた方が早いなんて信じられない。

 あたしの横から、ちょっと不機嫌そうな声が聞こえた。ハーマイオニーだ。

「首席の私と勉強しててビリとか許さないわよ」

「ですよねー。あっ、ネビルはどうだった?」

 横にいたので声をかけるとネビルが嬉しそうに笑った。

「どうにか落第はしなかったよ。あとね、薬草学の点数がすごくよかったんだ」

「ほんとだ。前に得意だって言ってたもんね」

 トランクに着替えや教科書を詰めている最中に『夏季休暇中の注意』というプリントが回ってきたので、休憩がてら読んだ。国際機密保持法と未成年者の責任問題を考えれば真っ当な内容だったので安心したよ、うん。

 先にホグワーツ特急に乗り込んで、ハグリッドがハリーに話しかけているのをコンパートメントの窓越しに眺める。

 ほんと、ハグリッドってハリーのこと好きだよね。

 話を終えて足早にコンパートメントに入ったハリーは早々に外面をかなぐり捨て、行儀悪くどすんと席に座った。

「これお詫びだって」

 分厚い本かと思って開いてみたらアルバムだった。まだ赤ん坊といって差し支えない年頃のあたしとハリーを抱っこしている二十代前半くらいの男女や、ハンサムな黒髪の青年と少し困ったような顔をした青年、他の人よりちょっと小柄でふっくらした顔の優しそうな青年の写真が何枚も何枚もあった。

「これが両親だよね? この人たちは?」

「両親の友人だって」

 一通り見てからアルバムを返すと、ハリーは家族四人で映った写真を一枚、あたしに寄越した。

「一冊しかないから、これはアレンが持ってて」

「ありがとう」

 あたしを見て微笑んだハリーが、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

「根っから悪い人じゃないんだけどさ、時々、ハグリッドは僕が嫌いなのかと思うよ」

 どこが?

 あれだけ懐いているのに実はハリーのことが嫌いとか、ちょっとあり得ない気がする。

「だってさ、これなんて明らかに片手落ちでしょ? なんで僕にだけ用意するのさ? 巻き込まれたのはアレンも同じじゃないか」

「ハリーが持っててくれれば、あたしは見たい時に見せてもらえて助かるよ」

 憤慨してもしょうがない。ハグリッドは『そういう人』なのだ。

 誰にだって優先順位というものがある。あたしがハリーを優先するのと同じで、ハグリッドが優先したいのはハリーなのだ。ただそれだけのことでしかない。

 もらった写真を少しの間眺めてから、写真が変に曲がらないようにそっと革表紙の手帳に挟んだ。

 ロンとハーマイオニーがコンパートメントに来て間もなく、列車は予定通り発車した。

 帰りは行く時よりもずっと賑やかだった。みんなで喋ったり、お菓子を食べたり、夏休みの予定を話したりした。他のコンパートメントから遊びに来る子もいて、この一年で友達がたくさんできたのを実感する。

 日が傾く頃、列車がキングズ・クロス駅に到着した。

 マグルの服に着て、重い荷物を手にプラットホームに降り立つと、車が行き交う都会の匂いに懐かしさを覚えた。

 自力で家まで帰るつもりだったのに、ダドリーの鶴の一声で伯父さんが車を出してくれることになったと手紙をもらったのは数日前だ。

「改札口は複数作った方がいいと思うわ」

 ホームから出る順番を待つ間、ハーマイオニーは駅の改善策について語った。

「夏休みに三人で泊まりに来てよ。母さんに話しておくからさ」

 クリスマスの件以来、ロンは母親の話題を避けていた。おおよそ間違いなく、あたしを気遣ってのことだ。とはいえ、親御さんも同意の上で招待されるとなれば断る理由はない。

 ダドリーはともかく、伯父と伯母は、あたしにもハリーにも長く家にいてほしくないだろうし。

 ゲートをくぐって改札を抜ける。

「ママ、彼よ! ハリー・ポッター! ほら、ママったら!」

 耳が割れそうな金切り声に驚く。入学式の日に見た女性と女の子がいて、女の子の方がチアノーゼでも起こしそうな勢いで女性を揺さぶるのが見えた。

 ロンのおかあさんがこっち──正確にはハリー──を見て笑った。

「この一年、どうだった?」

「いろいろあったけど楽しかったです。セーターとお菓子、ありがとうございました」

 ハリーがとびきりよそ行きの笑顔で答える。まだ話が続きそうなのでダドリーの姿を探した。

「よう、なーにキョロキョロしてんだ?」

「ダドリー」

 ぽんと頭をはたかれて振り返る。元から大柄なのに、この一年でまた背が伸びたみたいだ。

「人が多いから、どこにいるのかわかんなくってさ」

「おまえチビだからなあ」

 ニヤリと意地の悪い笑みに肩をすくめて返すだけで何年振りかと思うほど懐かしく感じるのは、きっとこの一年の密度が高すぎたせいだ。

「ただいま」

「ん、おかえり」

 不愛想な声で返されるのも去年と同じなので、つい笑ってしまう。

 伯父が話しかけてくるロンの母親を怪訝そうに見ながら、最低限の言葉を交わしている。少しは魔術師嫌いが収まった……わけないか。

「帰るぞ」という伯父の声が聞こえたので、ロンとハーマイオニーに軽い別れの挨拶をした。それからいつの間にかさりげなくあたしのトランクを片手にハリーと先を歩いていたダドリーにお礼を言って、その横に並んだ。

 




賢者の石編ここまで

読んだ人に少しでも楽しんでもらえてたら嬉しい


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