クソゲス☆ド外道ファンタジー  (ペニーボイス)
しおりを挟む

プロローグ

つい思いつきで書きました。
そこまでグロかったり胸糞ったりしたくはないです。
↑何言ってんだこいつ


 

 第九代『勇者』が『魔王』を討伐してから、幾ばくか経つ。

 各地に平穏が訪れ、通商は回復し、治安と秩序も、その息を吹き返しつつあった。

 春先の心地よいそよ風と暖かい日光が、この国をより良い方向に導くに、相応しい幸運と恵をもたらさんとしているようにさえ思える。

 

 

 "全ての元凶"、魔王が死んだ今、この国には問題がないわけではないが…しかし魔王の存命中よりかは幾ばくかマシな状況だ。

 民は安心して道を歩け、狩人が魔物を恐れずに仕事でき、商人も積荷の心配をする必要がない。

 だが、そんな安寧期でも悲劇は訪れる。

 

 

 それは、一つの時代の区切りと言っても良かった。

 第九代"勇者"は老衰により、この世を去ったのだ。

 誰もが悲しみ、誰もが涙を流し、誰もが地に平伏した。

 

 魔王に引導を渡し、今ある平穏を生み出した立役者が、ついにその生涯を終えたのである。

 

 殆どの者は悲しんだ。

 だが、一部の者は悲しまなかった。

 殊、『国王』陛下には、勇者の死以上に慎重になるべき重大な事項が控えていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王国

 王都中心部

 大通りにて

 

 

 

 

 

 鍛冶屋はパン屋と仲が良い。

 何せどちらも旧知の仲だし、常に商売相手に困る事のない仕事をしている。

 それに、この王都でも1番の腕を持つ鍛冶屋と1番の規模を誇るパン屋が隣り合わせに店を持った事は、両方の顧客を相乗効果によって増加させるのに一役買っていた。

 破損した農具の修理に来た農民が、帰りがけに比較的安価なパンを買って帰れるのである。

 

 平穏な時代を迎えた今、鍛冶屋もパン屋も増え続ける顧客に嬉しいような、しかし少しだけ恨めしいような感情を抱いている。

 確かに顧客が増える事は彼ら商売人にとって嬉しいことだが、あまりに顧客が多過ぎると休む暇もない。

 だから彼らはいつも示し合わせた時間に一服するのを楽しみと励みにしていた。

 昔ながらの仲間と共に、懐かしい記憶を振り返りながら談笑するのはいい気分転換になる。

 

 

 しかしながら、今日この日は、いつもの歓談というわけでもなかった。

 今の喜しくも恨めしい状況を作り出してくれた当の本人が、棺の中に眠って、多くの人々に担がれながら彼らの店の前を通るのだから。

 

 

「全く、すごい人だな。」

 

「ああ。生涯をかけて魔王を討伐したんだ。すごい人だ。」

 

 

 鍛冶屋がパン屋に声をかけたが、長年の付き合いにも関わらず、どうやら真意は伝え損ねたらしい。

 鍛冶屋はもう少し丁寧に話すべきだった。

 "すごい数の人だな"、と。

 真意は違えたが、鍛冶屋はここからまた話題を修正する煩わしさよりかはパン屋の感想に自身の考えを合わせる方を選ぶ。

 その方が簡単で、手間もなく、角も立たない。

 

 

「……ぁあ、立派に人には違いないだろう。」

 

「この国も惜しい人を亡くしたもんだ。ほら、王宮のバルコニーにいる国王陛下を見てみろ…あんな渋い顔をして……」

 

「陛下にとっても、きっと心労が重いんだろう。勇者様は陛下にとってかけがえのない友人らしい…」

 

 

 鍛冶屋とパン屋は、勇者の棺を取り囲みながら進む喪服姿の人々を見送りながら、休憩をやめて再び仕事へと戻っていった。

 何せ今日は大通りにいつもより多くの人がいる。

 どれだけ哀しくとも、人間空腹感には勝てないし、勇者の葬儀の為に遥々遠方から王都へやってきた人間にとっては一流の製品を手に入れる数少ない機会でもある。

 だから鍛冶屋とパン屋は少しでも在庫を確保しておく必要があったし、既に手を動かしていた。

 

 

 

 

 

 王宮のバルコニーから見下ろす人々の列は、国王にとってはそれほど面白味のあるものではなく、寧ろ気分を害される物だった。

 何せ自身に向けられるべき敬意は勇者の亡骸に向けられ、自分はメインディッシュの付け合わせのような扱いを受けている。

 大きな棺を取り囲んで涙する国民への感想を、国王は左右にいる臣下にだけ聞こえるように、小さく呟いた。

 

 

あやつら大逆罪に処すべきだ

 

「国王陛下、どうか落ち着いてください。」

 

「勇者なき今、国民が頼れる存在は陛下のみとなりました。陛下の安寧は約束されたも同然です。」

 

 

 国王は左右に控える臣下の内、向かって右側の『近衛隊長』に顔を向けた。

 

 

「元々あやつなぞ必要ではなかったのだ!一個近衛連隊でもあれば、余の手であの魔王を葬れたのだ!」

 

「ええ、間違いありません、陛下。」

 

 

 近衛隊長は国王の意見を肯定したが、国王から向かって左側に控える『王国軍将官』は、より現実的な意見…というより事実を国王に突き付ける。

 

 

「ですが陛下。陛下と近衛連隊が王都を動くわけにもいかなかった事もまた事実です。我が王国を取り巻く情勢を鑑みれば…」

 

「言わずとも分かっておる!…全く、忌々しい連中め……『帝国』と『共和国』、我が王国の東西にこの不躾な隣国がなければ今すぐにでも『魔王国』に攻め入れるというのにっ」

 

「陛下、その場合であっても陛下と近衛連隊は王都にいるべきです。お忘れではないでしょう、我が国の制度では、地方の諸侯に隙を見せればいつ反旗を翻されるか分かりません。……ですが、陛下。それもようやく終わりです。」

 

「………ふふっ、その通り…勇者が死んで、"約束"を守る必要もなくなった。近衛隊長、前々から支持していた事項は進んでおるのか?」

 

「はっ、陛下。『剣士』と『僧侶』の居場所は特定済です。ですが、『女魔術師』だけはまだ特定できておりません。」

 

「あの女狐め、隠れるのだけは上手い…引き続き捜索させよ。…将軍!」

 

「はっ!」

 

「『辺境伯領』に伝令を出せ。勇者は死んだ。もう"奴"を生かしておく理由もあるまい。息の根を止め、魔王の血脈を止めるのだ!」

 

 

 将軍は姿勢を正すと直ぐに回れ右をきて配下の下へ向かう。

 さあ、歴史が動き出す。

 これまで勇者とそのパーティにおぶられていた過去はようやく終わるのだ。

 将軍は歴史の新たなる1ページを記す為、数いる伝令の中でも殊更に優秀な伝令に一枚の文書を手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王国・辺境伯領

 辺境伯居城内地下牢

 

 

 

 

 

 

 "辺境伯領"

 

 この国の北端は…"辺境伯"という爵位が指し示すように…魔王国領との境界線と接している。

 だから幾度も戦火に晒され、荒廃していたが、辺境伯居城だけはしっかりとした建築物として仕上がっていた。

 現辺境伯は老いの為に痴呆の気があるが、それでもかつて今は亡き勇者と共に魔王の軍勢と戦っていたのだ。

 

 美しき記憶は過去の物となり、辺境伯とその軍隊もまた、人々の記憶から忘れ去られていった。

 辺境伯領は魔王の脅威に震えようが震えまいが、また元の生活に戻ったのである。

 魔王との戦いで辺境伯領の民がいくら犠牲を払ったかなど、もう誰も気にしてはいなかった。

 せいぜい、労いの言葉をかけ、もてはやし、そして飽きた玩具のように捨て置くのだ。

 

 人間の本質は、勇者が魔王を殺した後も変わらなかった。

 

 

 話は脱線したが、辺境伯居城の地下には立派な地下牢があった。

 かつてはその地下牢に人が溢れた時代もあったらしいが、しかし、今ではそこに捕らえられている人物は1人しかいなかった。

 そして捕らえられる人物は、大仰に思えるほどの厳重な警備下に監視されている。

 この人物のために、遥々王都から近衛兵一個小隊が送られていた。

 

 無論のこと、近衛兵の中ではこの監視任務ほど避けたい勤務はないと思われている。

 動きのない任務だし、美味いものが食えるわけでも、遊びに行くところがあるわけでもない。

 辺境伯居城のお膝元だというのに、この辺りには一切の賭博場も娼館もなく、ただシケた酒場が一つあるだけなのだ。

 それでいて特別な手当も出ないとなれば、いくら屈強な近衛兵でも疲弊する。

 この日の夜、直接警備に当たっていた近衛兵2人も、存分に気を緩めていた。

 

 

「………なあ、聞いたか?勇者が遂にくたばったらしい。」

 

「ほぅ、あの勇者が…。結局、あの人もただの人だってこったな。」

 

「そういうこったろう。…それに、噂じゃこの任務もそろそろ終わるらしい。」

 

「"終わる"?」

 

 

 2人の内の1人が、片手を使って首を切る動作をする。

 もう1人はにやけ面を披露しながらうなづいて、その動作が何を意味するのか理解した。

 "これでようやくこの勤務も終わる"。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 至極真っ当な論理だが、それが指し示すのは監視下にある人物の死である。

 地下牢に入れられた人物はそれを聞いても尚微動だにせず、ずっと俯いたままでいた。

 そんな人物の様子を見て、2人の近衛兵はせせら笑う。

 

 

「しかし勿体ないな!あの身体なら一発ヤッてみたかったんだが!」

 

「おいおい、王のお達しを忘れるなよ?"魔の血脈を残すべからず"」

 

「ぎゃはははは!!ちげえねえ!!」

 

「諸君、失礼する」

 

 

 下品な会話を楽しんでいた近衛兵2人だが、流石に辺境伯の嫡男が入室したとなれば口を噤がざるを得ない。

 自らの兵を4名引き連れた辺境伯嫡男は、近衛兵2人に向かって正対する。

 間違いなく、先ほどの下劣な会話は聞かれていただろうが、幸いなことに、この男はそんな事に触れもしなかった。

 正直、近衛兵はこの男の事を尊敬するどころか軽蔑さえしていた。

 低身長で、顔も良くなく、おまけに聞くところによると肝っ玉も小さいという。

 もし、この男が先ほどの発言に難癖つけようものなら、近衛兵の右腕が"うなって"いたかもしれない。

 

 

「やあ、諸君。お勤めのところ申し訳ない。実は国王陛下より喜ばしい勅命が下った。…"魔王の娘を処刑せよ"」

 

「「おおっ!」」

 

「よって君達には死んでもらう」

 

「「は?」」

 

 

 あっという間の出来事だった。

 辺境伯の息子の護衛は、2人の近衛兵を長槍で打ち抜き、あろうことか国王陛下の兵士を始末したのだ。

 その間に嫡男は、もがき苦しむ近衛兵など目もくれずに牢の鍵を開ける。

 そして近衛兵を串刺しにする兵とは別の兵2人を率いて、囚われし者の拘束を解く。

 

 

「……頼むぜ、頼むぜ、お嬢ちゃん…どうか大人しくしててくれ…」

 

「………」

 

 

 人間の年齢にして、20代も半ばであろうか。

 豊満な身体と妖艶な雰囲気の間に、何か恐ろしいオーラを纏う彼女は、拘束を解かれても尚、微動だにしない。

 

 

「なあ、頼むよお嬢ちゃん。俺はバー●ー・マシューズでも何でもない。アンタ相手に礼儀を正したり教えを乞うことはできても、あの看護婦みたく下顎を舌ごと食いちぎられたりされたくはな」

 

 ガタンッ!

 

「うわっほおおおお!?」

 

 

 囚われし者…魔王の娘が急に立ち上がり、驚いた嫡男が素っ頓狂な叫び声を上げる。

 

 

「………シャ…ス」

 

「え?あ?はい?はい?何でしょうお嬢様?」

 

「…感謝する」

 

「あ、あ、はい、どうも。」

 

 

 コミュ障丸出しの嫡男だったが、これでようやく魔王の娘とコンタクトが取れた。

 あれだけ情けない側面はあるものの、実はこの嫡男にはある目的がある。

 その為にも、魔王の娘とのコンタクトは重要な課題だったのだ。

 

 

ゲルハルト、いつまで掛かってる?外の近衛兵は粗方殺して荷馬車に…Oh,JESUS…」

 

 

 地下牢にもう1人の男がやってきた。

 ひょろっとした長身で、血相が悪過ぎてミイラか何かのように見える男が。

 その男も、リ●グ…何かがきっと来そうな雰囲気を醸し出す魔王の娘の姿に微動だにできなくなる。

 

 

「ア、アンドレアス、少し待て。慎重にやろう、慎重に。」

 

「あ、ああ、うん、そうしたほうがいいだろうゲルハルト」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じられないかもしれないが、この世界で"史上最悪の犯罪"と呼ばれた出来事はここから始まった。

 つまり、落ちぶれた魔王の娘、辺境伯の嫡男、そしてよく分からないモヤシ男から始まったのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1 転生と順応

いきなり一人称になります


 

 

 

 

 

 

 20xx年

 

 某国離島

 

 

 

 

 

「こちらアルファ4-1!敵の航空攻撃は圧倒的です!増援はまだですか!?」

 

『増援…ザッ…持ち堪えろ』

 

「航空支援が無ければ無理です!空軍連中は一体どこに行ったんですか!?」

 

『制空権……ザッ……ロスト』

 

「ふざけるな!今すぐに後退させろ!敵の戦闘爆撃機にやられる前に!!」

 

『……ザッ………固守…ザッ…』

 

「くそったれが!くたばりやがれ!!」

 

敵機直上!!

 

「!?」

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な夢を見た。

 おかげで、全身が汗でグッショリ。

 まだ朝だっていうのに、気分とテンションは排水溝の下のアイツみたいになっている。

 ハァイ、ジョー●ィ〜

 

 私はどうにか上体を起き上がらせ、ベッドの上で額の汗を拭い、ベッドの脇にあるキャビネットの、そのまた上にある水差しをとって水を直飲みする。

 次いでタオルで顔を拭き、今度は全身に力を入れて、睡魔とオフトゥン特有の温かみからどうにか離脱した。

 グッショリ濡れた寝巻き姿のまま、愛用の万年筆を取り、そして着替えの下着も持参して風呂場へと向かう。

 

 

 

「「「おはようございます、ご主人様。」」」

 

「おはよう」

 

 

 メイド服を着た3人組が、風呂場の脱衣室の前で私を待ち受ける。

 普通ならウホッ♪ってなりそうなモンだし、実際私も最初の頃はウホッ♪ってなったが、今はもう見飽きてしまってそんな感想は抱けない。

 

 メイド服3人は別に私をウホッ♪っとさせるためにそこにいるわけではなく、私の執務着とタオルを持って来てくれただけなのだ。

 私は服とタオルを受け取って、1人風呂場へと向かう。

 そして、あいも変わらず熱いお湯に体を慣らし、身体中の汗を洗い流す。

 

 この習慣を身につけたのは、いつだったろうか?

 

 少なくとも転生前ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ、失礼。

 私はゲルハルト・フォン・ノルデンラント。

 ある王国の、辺境伯を務めている。

 …おとといから。

 

 

 と、言うのもこの3日間で状況が目まぐるしく変わってしまったのだ。

 半年前まで、私はある紛争地帯にいた。

 ある軍隊に属し、ある島にいて、ある敵軍と戦っていたのだ。

 ところがクソッタレファッキンな空軍がしくじったが為に、我々陸上部隊は敵の猛爆撃に晒された。

 直上に敵の戦闘爆撃機が迫っていたところまでは覚えている。

 思わず目を瞑り、どうせ両腕の破片が宙高く舞い上がるだけだと言うのに、私は両手を戦闘爆撃機の方へと突き出した。

 

 

 そして気づくと、私はこの世界にいた。

 この…剣と魔法が健在な世界に。

 居眠りしていたところを起こされて、アリストテレスかお前はってくらいに髭を生やしたオッサンに、君主たるものどうだとか、こうだとか、そうだとか、ドヤされていた。

 勿論、状況の把握には時間がかかったが、どうやら私は辺境伯の嫡男に転生し、そして辺境伯自身はもう先が長くない事を知ったのだ。

 

 

 最高じゃん!

 

 とは、思わなかった。

 え、だって辺境伯だよ?

 領民とかいんだよ?

 経営しなきゃいけないんだよ?

 外交しなきゃいけないんだよ?

 政治しなきゃいけないんだよ?

 嫌じゃん。

 そりゃあさ、さっきのメイドさんとかにウホッ♪するだけの毎日だったらハピネスなんだけどさ、そんな訳ないじゃん。

 絶対面倒臭いじゃん、色々と。

 

 案の定、面倒臭いことからは逃れられそうになかった。

 だが幸運も全くなかったわけではない。

 

 転生を果たしてから3ヶ月経ったある日のこと。

 補佐役として1人の男が連れてこられた時、私の幸運も捨てたモンじゃないと直感できたのだ。

 

 第一印象は、ヒムラー。

 バナナ●ンの日●とかじゃなく、ハインリヒ・ヒムラー。

 眼鏡をかけて、ひょろっとしてて、血相がめちゃくちゃ悪い親衛隊指導者の。

 だが、その男の能力はHHHh…ラインハルト・ハイドリヒに迫るものがあるだろうと、なぜか直感できたのだ。

 

 

 ひょっとして貴方、第三帝国から転生しちゃったりしてます?

 そうだなぁ……例えば、チェコでレジスタンスの待ち伏せ攻撃受けて気がついたら異世界転生果たしてたりとか。

 しない?

 はぁ。

 すいません、なんか興奮しちゃって。

 いやねえ、貴方もそのオドオドした感じからして転生しちゃった系じゃないかと思った次第で…えっ!?転生者!?貴方も!?

 

 

 

 時として、偶然は一致する。

 何の運命の悪戯か、一つの辺境伯領に、2人の転生者が揃ったのだ。

 彼は自らを、アンドレアスと名乗った。

 転生前はどうやら化学教師をしていたらしいが、転生前の名前は覚えていないらしい。

 私も転生前の名前なぞ覚えちゃいない。

 

 例え何の関係がなかったとしても、2人の人間が全くの別世界に放り出されたとしたら、なんらかの協力関係が出来上がるハズだ。

 少なくとも、私とアンドレアスは、そんな状況にいた。

 

 

 

 そんな訳で、2人で協力して、今それぞれに与えられた使命を果たさんと頑張って来た訳であるが….

 

 一昨日、ついに辺境伯がお亡くなりになられたわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂から出た後、私はそそくさと着替えを済ませて食堂へと向かう。

 地方貴族とはいえ貴族は貴族で、中々の内装とオシャンティーな食器が、私の数少ない癒しの一つでもある。

 ただ、私にはまだ配偶者はおらず、食卓のメンツといえば、むさ苦しいことこの上ない。

 

 

 まず、我が盟友アンドレアス。

 彼の肩書は『辺境伯主席補佐官』というものである。

 というものではあるが、実際その道で機能できるかと言えば疑わしい。

 ぶっちゃけ彼がその地位にいるのは、転生後の血脈によるもので、彼の能力によるものではない。

 それを言っちゃあ私も私だが、とにかく、盟友アンドレアスは重要な相談役として機能していた。

 

 

 

 領土における実際の執務は、これから述べる朝食会出席者によって支えられている。

 

 

 まず、辺境伯軍司令官の『オットー・フォン・カリウス』将軍。

 まるでビスマルクのような髭を生やし、ビスマルクみたいなピッケルハウベを被り、ビスマルクみたいに卵が大好きな大男。

 実質ビスマルクですね、はい。

 名前は戦車エースなのにね。

 彼の率いる辺境伯軍は、長年魔王の軍勢との戦いに晒されていたために経験豊富な将校が揃っている。

 

 次に、辺境伯領行政長官『ウンベルト・シュペアー』。

 大変頭のキレる男で、辺境伯領が抱えるある問題をどうにかしながらやりくりして来た人物である。

 ちなみにゲルマニアとか設計してたりはしない。

 ニュルンベルクの裁判にも出ていない。

 

 最後に、外務大臣『フリードリヒ・シュタイヤー』。

 朝食会メンバーの中では最長老の人物だが、恐らく、最もIQは高い。

 ちなみにそのIQは高齢を加味して加算されていない。

 ノヴ⚫︎シックスとかも関係ない。

 外交手腕はどうやら先代の辺境伯を唸らせるモノさえあったらしい。 

 ちなみに先述のアリストテレスは彼の事である。

 

 

 

 

 

 

 朝食会が始まってしばらく経った時、シュペアーが唐突に口を開いた。

 

 

「辺境伯様、先代の時代から薄々お気づきとは思いますが…我が国の財政収支は大変なことになっております。」

 

「………」

 

「よくご存知だとは思いますが、我が辺境伯領は魔王軍との戦いの為に、国家のリソースを軍事に当てざるを得ませんでした。」

 

「…リソースの転換は試みなかったのか?」

 

「率直に申し上げて、我が領内には農耕に適する土地が多くありません。転換にも限度があり、食糧は常に隣国から輸入している状態です。そして、その食糧輸入が財政を圧迫しております。」

 

「隣国………『方伯領』か…」

 

「じゃ・か・ら!!ワシが軍を率いて方伯領に攻め込むとあれだけ先代に進言して」

 

「落ち着けぃ、オットー。」

 

 

 ビスマ…違ぇ、カリウス将軍がテーブルをひっくり返さんとする勢いで立ち上がり、方伯領への軍事侵攻を提案したが、ベテラン外交官のシュタイヤーに即座に否定された。

 

 

「前々から言っとるじゃろう、オットー。我々が侵攻したとして、王国側が黙って見ておるとは思えん。」

 

「それに兵站はどうするんです?いくら経験豊富な将校がいたとして、食糧供給なしでは持ちません。…魔王軍相手の時は、国王の命令で方伯領から食糧が届きました。今現在、我が領内の食糧事情では前線に補給なぞできませんよ。」

 

 

 シュタイヤーにシュペアーが加勢し、カリウス将軍は黙り込んでしまった。

 将軍の言いたい事は分からんでもないが、行政長官と外務大臣はそれよりも現実味を帯びている。

 そう、まだ早い。

 方伯領への軍事侵攻を行うには、何らの下準備もなっていない。

 

 

 

 

 私としては先代の葬儀が終わった今、その為の準備を進めんと思っていたところだった。

 だからこそ、朝食会でずぅっとぼうっとしていたアンドレアスと共に先月、この城の地下にいたある人物を逃したのだ。




無理くり進めた感満載で順応早過ぎで新人物を雑に連発し過ぎな気がしますがその内登場人物とか地理とかまとめるので許してください何でもしますから何でもするとは言ってない


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2 純然たる劣勢

 

 

 

 

 

 

 資金力は全てを決定する。

 金があればモノが買え、人を雇え、場合によっては権力さえ手に入れられるのだ。

 勿論、金ではどうにもならない問題もある。 

 だが、金で解決できる問題の数は、きっとどうにもならない領域を凌駕している事だろう。

 昔見た、ある映画の主人公が放ったセリフを今でも覚えている。

 "ほぼ全ての人間には値札がついている"

 勿論、値札がついていない連中もいる。

 金で無理を通そうとする時、気にしなければならないのはそういった人間の存在だ。

 

 しかしそんなことを気にするのは、充分な金を手に入れてからでも遅くはない。

 ともかく、今は金が必要なのだ。

 私は最初から、手段を選ぶつもりはなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を目指さんとしている。

 …どのみちこの国に手段などありはしない。

 選択肢を選べるほど、国庫は潤沢ではないのだ。

 

 

 

 転生した私が治めることになった辺境伯領は深刻な食糧事情に見舞われ、貴重な資金源は食糧輸入に消え、めぼしい産業もなく、産出する資源も増産の見込みが立たないモノだった。

 ただし、鉄鋼業と石英の産出は光るモノがあり、資金を注ぎ込めば伸びそうな気配はある。

 肝心の金はないのだが。

 

 

 反対に、カリウス将軍が執拗なまでに侵攻したがっている、隣国の方伯領は真逆の状態にある。

 肥沃な土地と豊富な食物に支えられる伸び盛りの産業、安定した鉄鋼の産出、比較的熟練の技術者達。

 良質な鉄鋼石の輸出と、周辺地域を圧倒する製品の質は、この地域の国庫を潤わせている。

 そしてその潤った国庫と蓄積された技術力は、時代を先駆けるモノを産み出す素地を形成した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 方伯領

 方伯領軍本営

 軍技術開発部

 

 

 

 

 

 まるで複数の雷鳴が同時に炸裂したかのようだった。

 何か長い筒のようなモノを担いだ新兵の列が、標的として立てられた10枚の板を完膚なきまでに"撃破"する。

 その様子を後方から眺めていた『方伯』は…元来無口な人間にも関わらず…感嘆のあまり、隣に控える『方伯領軍司令』に感想を述べた。

 

 

「ほぅ、素晴らしい。この武器さえあれば脆弱な徒歩兵でも騎兵隊を撃破できるな」

 

「勿論です、方伯様。これでもし魔王軍の残党が北部から攻め入っても安心です。この武器があればあのおぞましい魔王軍騎兵であっても、徒歩兵は"臆することなく"、"遠距離から"、"安全に"、撃破することができます。」

 

「………辺境伯領は信用ならん。不甲斐ない奴らのせいで、何度魔王軍の侵入を許したことか…」

 

 

 

 辺境伯領の東隣に位置する方伯領は、東側を険しい山々、南側を『大公領』、西側を辺境伯領、そして北側の長細い、突出した地域を魔王国と接する国土から形成されていた。

 

 北側の魔王国と接する、ほんの短い距離の国境は、絶えず方伯領の悩みの種となっていた。

 今より遥か昔、辺境伯領軍と方伯領軍のやる気のない、たった10分の戦闘でその領有が決まったこの地域は、独特の地形から『三角地帯』と呼ばれている。

 この地域は肥沃な土地を含んではいたものの、その三角形の頂点は魔族が侵入を試みる突破口でもあったのだ。

 

 国王より魔王軍撃退を命ぜられていた辺境伯には、魔王配下の軍勢から王国全体を守る使命が与えられていた。

 方伯領はその見返りとして、辺境伯領に多大な食糧や物資を送り込んでいたのだ。

 だが、辺境伯領軍は、時として魔王の軍勢に耐えきれず、この三角地帯の頂点から方伯領への侵入を許した。

 その度に方伯領は少なくない損害を被り、辺境伯領軍の不甲斐なさに憤りながらも、どうにか魔王軍の南進を食い止めてきたのである。

 

 

 

「この新しい武器、『ハンドキャノン』があれば、もう辺境伯領軍の騎兵隊を頼る必要はありません。辺境伯に食糧を送る必要も。殿下の軍隊は国そのもの…つまり、国民全員を強力な徒歩兵とすることができるのです。」

 

「…司令、この武器の使い道はそんなつまらない事で終わるものでもなかろう。」

 

「…と、言いますと?」

 

「辺境伯領を攻め落とす。」

 

「なっ!…しっ、しかし、方伯様!辺境伯領には何もありません!有力な産業も、有益な資源も!ただ悪辣な魔族との境界線が増えるのみです!」

 

「そのような事、貴様に言われるまでもない。…だからこそ、狙っておるのだよ。魔王が死んで随分と時が経つ。勇者が死んだ今、国王陛下は魔王の娘を始末なさるだろう。国の長なき魔王国など烏合の衆でしかない。」

 

「………」

 

陛下は魔王国への侵攻を諸侯に命ずるはずだ。…そこで一番乗りするのは我々だ!魔王国は未知の領域!無論危険もあろうが、得られるモノも多いに違いない!このチャンスを貧乏な辺境伯なぞにくれてやる道理もなかろう!」

 

「な、なるほど!」

 

「我々の手には稀代の宝物、ハンドキャノンがある!魔王軍も辺境伯も恐れることはない!」

 

「しかし…方伯様。いくら方伯様のお志がご立派でも、国王が辺境伯との衝突を快く思うとは思えません。」

 

「…ふむ、貴様も中々繊細な奴よのぉ。案ずるな。戦争の理由なぞ待てば幾らでも出てくるものよ。それに、待てば待つほど、我が軍勢にとっても力を蓄える時間となるであろう!はっーはっはっはっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領

 辺境伯居城

 執務室

 

 

………いつものメンツを残して出て行け。…カリウス、シュペアー…それにシュタイヤー…アンポンタン…

 

 

 

 方伯が高笑いをしていた頃、辺境伯の執務室では、それまで執務室に詰めていた大勢の官僚が、その部屋の外へと追い出された。

 追い出した当の本人である私は、怒りに震え、近視のために掛けていたモノクルを震える右手で外して、目の前の地図に置く。

 地図を広げたテーブルのすぐ前では、ムスっとしたカリウス、油汗塗れのシュペアー、目頭を抑えるシュタイヤーがそれぞれの心境を抱きながら、私の方を見ていた。

 

 

 

「………全く産業がないっ!金がないっ!」

 

 

 私は突如怒り狂い、愛用しているハズの万年筆を地図に叩きつける。

 そのくらい、私の我慢は限界を迎えていた。

 

 

「魔王軍とあれだけ戦って発展したのが馬具と武器だけなのか!!…ボルシッチ!!」

 

 

 延々と怒り続ける私。

 執務室の外では官僚達が壁を通して聞こえる辺境伯の怒鳴り声に、顔を青くしていた。

 給仕長の女性など泣き出してしまい、傍の秘書に慰められている。

 

 

「そもそも国王の命令に忠実過ぎだ!!先代は何を考えていた!?魔王軍を撃退した後の事は頭に無かったのかよ!?視野狭過ぎの先代なんてファイっ嫌いだ!!

 

「じゃからワシが軍勢を率いて方伯領に攻め入ろうと…」

 

「兵站に回す金がねえっつってんだろうが!!単細胞なんてファイっ嫌いだ、ヴァーカッ!!

 

「状況を変えるためにも無理を通さぬとならぬじゃろう!我が軍の騎兵隊なら方伯領の素人共なぞ…」

 

「長い槍をただ持っただけの農民徒歩兵だけならまだどうにかなったかもしれん。だが、その方伯領がハンドキャノンを完成させやがったんだ!!チクショーメェェェェェェ!!

 

 

 私は万年筆を再び持ち上げて、再び地図に叩きつける。

 

 

「ハンドキャノンのような武器があればど素人の農民での騎馬隊を封じられる!ウォッ!騎兵の最大威力である突破力が破砕されればいくら優秀な騎士でもただの的にしかならん!その配慮がタルァンカッタァ!!…それとも督戦隊でも設けてただただ突撃させ続ければいいのか、スターリンのように!!」

 

 

 一通り怒鳴った私は、当然ながら疲れ、元いた椅子に座り込む。

 目の前にいる3人組は、不服や不安を抱えながらも、しかし、この新しい辺境伯が抱える問題も充分に理解しているようだった。

 

 

「…何か資金源を探さねばならん。先代は勇気だの武勇だのに取り憑かれてやるべき事をやってこなかった…それか、こういうのしか頭になかったんだ!"オッパイプルンップルン"!」

 

 

 ついに辺境伯の頭がどうにかなったかと顔を見合わせる3人組。

 

 

「前にも言ったが…将軍、あなたの作戦を遂行するためには兵站を強化せねばならん。そして兵站の強化には金が必須なんだ。金策を練らなければ我々は追い詰められ……最悪の場合には方伯領から侵攻を受けることになるかもしれん。」

 

「「「………」」」

 

「…ところで、あいつはどこに行った?」

 

 

 それまで3人組は沈黙していたが、私の質問に、長い長い間を置いて、シュペアーが答える。

 

 

「アンドレアス様なら、魔王国との国境地帯に向かいました。」

 

「国境地帯?…なんで?」

 

「何でも、"地質調査"だそうで。」

 

 

 

 はぁぁぁ…

 まったく、あの自由人め!!

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3 探索と発見

 

 

 

 

 

 

 魔王国

 魔王宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 この日、魔王国では戴冠式が行われ、厳かな雰囲気の中、歴代魔王の中でもとりわけて若い魔王が誕生した。

 その魔王は若さと共に、もう一つ斬新なモノを併せ持っている。

 それは性別で、かつて魔王国が女王陛下をその頂に置いたのは、全く持って大昔の事なのだ。

 

 新しき魔王は読んで字の如くを体現するかのような呼称で呼ばれる事になる。

 

新魔王

 

 この魔王は年齢や性別の他にも、その名に相応しい"新しさ"を周囲に示していくことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領北部

 国境地帯

 

 

 

 

 

 辺境伯領と魔王国との国境地帯には、『亜人種』と呼ばれる人々が暮らしていた…いいや、この際だから正しく言おう。

 

迫害されて、そこへ追いやられていた。

 

 そもそもこの人種がどういう人種かと言えば、指●物語の原作者から「私の設定をパクリやがって」とか言われそうな人種だ。

 つまり、ドワーフやエルフ、ハーフリングなど、()()()"穏便で善良な"亜人達。

 元々痩せた土地の多い辺境伯領の住人達にとって、彼ら亜人種を虐げる事は数少ない娯楽の一つであり、領主たる歴代辺境伯も彼らからその娯楽を奪おうとはしなかった。

 亜人種はまた、魔族からも虐げられていた。

 魔王とその配下は、彼ら亜人種を"人間との合いの子"として、同族とは扱わずに弾圧の対象としたのである。

 

 よって亜人種は、ただでさえ痩せた土地の多い辺境伯領の、その中でもより危険でより痩せた土地である国境地帯に追いやられていた。

 こんな無法地帯では治安なぞ見る影もなくなっていそうなものだが、不思議な事にこの地域でそういった類のモノはあまり見られない。

 住人達には、犯罪を行うエネルギーさえなかったのだ。

 

 

 

 "治安は良好"なおかげで、こんな危険地帯にも関わらずアンドレアスは自らの趣味に没頭できる。

 彼は転生前、化学者であり、そして化学者になる前から、未知のものへの探究心に満ち溢れていた。

 殊、植物においては、彼の探究心は常軌を逸していると言っても過言ではない。

 だから魔王国との境目にある国境地帯ほど、彼の関心を惹きつけるモノはなかった。

 魔界と人間界の合わさるこの地域には、見たことのないような植物が生茂る。

 まるでここはパラダイス。

 邪魔者のいない空間は、アンドレアスにとっても好都合だった。………のだが。

 

 

 

 あまりにもひょろっとしたモヤシ男が、上等そうな服を着て、護衛もなしにフラついている。

 ここの住人からすれば、カモがパックされてネギと一緒に置いてあり、その上カセットコンロや鍋に食器、調味料から魚沼産コシヒカリと一緒に放置されているようなモンだ。

 故に、ここの住人達の内、まだ立ち上がれ、まだ声を出せた者はモヤシ男を取り囲む。

 

 

「おい、そこのヒョロ男。一体だれの許可を得てウチの島を歩き回っている?」

 

 

 最初に声を出した若いドワーフは、精一杯ドスを効かせたつもりだった。

 だが、長年の空腹と疲労はあまりにも彼の肉体を蝕んでいる。

 おかげで、実際に出せた声はこんなモノだった。

 

 

「オイィ………ソコ…ノヒョロオ………」

 

「え?何?何かの呪文!?てか君達誰!?」

 

 

 アンドレアスはギョッとして青ざめる。

 だがそれは、若いドワーフの脅しに震えたからではない。

 今、彼の周囲は10人ほどの痩せこけたドワーフによって埋め尽くされ、その内の1人が呪文とも呟きとも取れない何かをブツブツ言っているのである。

 気味が悪くて仕方がないっ!!

 

 

「あ、あ、食べ物?あげるよ!?サンドウィッチしかないけど!!…あぁ、驚いた。」

 

 

 アンドレアスは自分のバッグからサンドウィッチを差し出して、最初に声をかけてきたドワーフに渡す。

 ドワーフ達は一切れのサンドウィッチを巡ってポスポスと力なく殴り合い始めた。

 その様子を見たアンドレアスは、悲しいような、愚かしいような、不思議と痛ましい感傷的な気分になり、思わず自身が取ってしまった行動の浅ましさを反省する。

 

 しかし、その時、アンドレアスは後に辺境伯領の運命を大きく変える光景を見ることとなった。

 

 

 力のない殴り合いの中、空腹と絶望と疲れから、痩せこけたドワーフが次々に戦線離脱する。

 そして戦線離脱したドワーフは、自らの持つみすぼらしい小物入れから、何枚かの植物の葉を取り出して口に咥え始めたのだ。

 アンドレアスはその葉に見覚えがあった。

 しかし、まさかこんなところで見る事になるとは全く思っていなかった。

 

 アンドレアスは自分の記憶が正しいか確かめるためにも、葉を咥えるドワーフの内の1人に駆け寄る。

 

 

「なあ、そこの君。その葉の名前を教えてくれないか?」

 

 

 葉を咥えるドワーフは、アンドレアスに面食らったようで、近くの仲間内にボソボソと相談を始めた。

 結局、相談はこのモヤシ男に協力した方がより多くのサンドウィッチを引き出せるかもしれないという結論に至ったらしい。

 声をかけられたドワーフはアンドレアスに小さく呟いた。

 

 

「………コッカ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領

 辺境伯居城

 執務室

 

 

 

 

 

 

 

 段々部屋の中が、財務省監査直前の半●直樹みたくなってきた。

 私の部屋は領中から集めた書類で溢れ、少な過ぎる睡眠と未来への絶望感はこの部屋にいる4人の男…私と、カリウス将軍と、シュペアー長官、それにシュタイヤー大臣…の精神を余す事なく病ませていた。

 何としても財源を確保せねばならないという事をこの閣僚達に認識させ、そしてそれを見つける作業に取り掛かるというところまでは進んだものの、早速どん詰まりというわけだ。

 

 この領内には最強の軍隊があるのに、それを養う方法がない。

 だから仮に防衛は何とかなっても、侵攻となると箸にも棒にも、なのだ。

 豊かな土地を手に入れるために侵攻する、そしてその侵攻のために金が必要、という目標が分かったのはいい事だが、相変わらず我が領内に産業はない。

 

 この"不毛"の領土から資金源を探し出すという、長期間にわたるストレスと絶望に晒される作業は、それに携わる人間を狂わせた。

 

 

 

 私の左手では、カリウス将軍が3本の万年筆と1個のインク瓶を使って自らの戦術教義を試している。

 カリウス将軍はインク瓶要塞を攻略せんと、万年筆を右に左に動かしては難攻不落の要塞にぶつけ続けた。

 その度に将軍の口元からは「どーん」だの「ちゅどーん」だの「突撃」だの「後退」だのといった言葉が飛び出して、結局は万年筆側が撤退を強いられていた。

 インク瓶要塞は中々に有力らしい。

 

 

 カリウス将軍の奥ではシュペアー長官が、羊毛紙からハネ出た繊維をひたすらに数えるという、我々が今取り組んでいる作業よりもよほど難関と思われる作業に没頭している

 既に2枚目の最後の一辺まで迫った彼は、幾ばくもしない内に、その不毛な計算を終えた。

 2枚を見比べて、そして全く生気のない笑みで「美しい」とだけ感想を述べる。

 私としては、2枚の羊毛紙からハネ出た繊維の差がどれだけあったのか多少興味を惹かれたものの、すぐにどうでも良くなった。

 

 

 戦術教義中のカリウス将軍と、新しい不毛な趣味を発見したシュペアー長官の目の前では、外務大臣シュタイヤーが、これでもかと口を大きく上げて寝息を立てている

 自らの君主や、他の同僚が頑張って起きている中、椅子に座り込んで大きくのけ反り、ただただ眠りにふけるその様は、側から見ていても天晴れだ。

 何より特徴的なのはそのイビキだ。

 私は横須賀市に何年か住んだことがあるが、F/A-18戦闘機の騒音でもここまでうるさくはなかったと断言できる。

 イビキに人を殺せる能力があるのなら、この外務大臣を戦場で眠らせるだけで、我々は王国全体すら支配できるだろう。

 

 

 

 かくいう私も、限界が近く、そして、それはやがてやってきた。

 

 私は突如立ち上がり、発狂したように…いや実際に発狂して金切り声を上げる。

 

 

「産業がNein!!Nein!!Nein!!Nein!!Nein!!」

 

「ある!!ある!!ある!!ある!!ある!!」

 

 

 発狂した私に、反対意見が寄せられる。

 これだけ探したってないんだからあるわけねえだろ、いい加減なこと言うんじゃねえ!!

 そう思った私が反対意見の主に視線を向けた時、そこには3枚の葉っぱを大事そうに抱えるアンドレアスだった。

 

 あまりの滑稽なその容貌のせいで、私の怒りと狂気は一気に失速した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4 "裏切り"の対価

 

 

 

 

 

 王国

 王都

 王宮前の広場

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍楽隊が整った旋律でドラムを鳴らす。

 トトトットット、トトトットット。

 きれいに整った礼服達によって奏でられる、きれいに整った旋律は、きれいに整った装備を着用した近衛兵達がある男を広場に引きづり出すまでの間、その音色を王都中に響かせていた。

 

 やがて、ある老いた男……屈強な3人の近衛兵に引きづられてきた、両手を身体の後ろで縛られ、顔に切り傷と痣と血を纏いながらも、その老練と言うに相応しい表情と肉体を併せ持った大男……が、広場の真ん中でボロ切れのように捨てられる。

 そのせいで地面に倒れ込む事になった大男は、屈辱を存分に感じながらも顔を上げた。

 

 

 目の前には王都の法務長官がいる。

 大男と近衛兵達の右側には軍楽隊の列。

 それから、大男と、法務長官と、近衛兵を取り囲むように、大勢の野次馬も。

 そして、法務長官の頭上には王宮のバルコニーがあり、国王陛下はそこから大男を見下ろしている。

 大男は、国王陛下に自らの扱いの不当さを訴えた。

 

 

 

「陛下ァ!!これは何かの間違いです!!」

 

「これより、国王陛下の名の下に即決裁判を開く!」

 

 

 懇願する大男を他所に、法務長官は手にする文書を声高らかに読み上げ始める。

 

 

「被告人、『剣士』!被告人はかつて第九代勇者と共に魔王征伐に赴いて是を倒し、王国の安寧に寄与をした!」

 

「そうです!国王陛下!そして、今もそうです!」

 

「国王陛下はこの功績を認め、被告人に近衛兵百人隊長の地位と、剣術指導の任を任された!」

 

「私は陛下のご命令を忠実に実行しております!」

 

にも関わらず!!被告人は王都で蛮行を繰り返し、国王陛下の信頼と与えられた恩恵を踏みにじった!!被告人は王都内で酒と女と賭事にのめり込み、陛下より任された任務を放置するどころか、それを咎めた同僚の近衛兵2名をその手にかけた!!」

 

「誤解です!陛下!!私は断じて!!断じてそのような事はしておりません!!私は確かに同僚を手にかけましたが、それは彼らがうら若き淑女を虐げんと」

 

「よって、国王陛下の名の下に、被告人を死刑に処す!!」

 

 

 大男、剣士は3人の近衛兵の内の2人に上体を起こされ、そしてそのまま広場に設置されていた大きな処刑台に叩きつけられる。

 あまりにも乱暴に叩きつけられたせいで剣士の肋骨は二本折れ、肺は十二分に圧迫されて呼吸すら苦しい。

 それでも尚剣士は顔を上げて声を張り上げる。

 国王陛下に、この冤罪の誤解を解いていただくために。

 

 

「陛下!!国王陛下!!我が君主よ!!どうかこの誤解を解く機会をお与えください!!さすれば私は、全力を持って…」

 

 

 剣士は突然、叫ぶのをやめる。

 彼が苦しみの中顔を上げた先にあったのは、期待していたモノとはかけ離れた光景だった。

 

 国王陛下は剣士を見下ろしながら、大変満足そうな顔をしている。

 今まで見た事のないくらい、満たされて、幸福を感じている顔だ。

 かつて勇者や僧侶や女魔術師と共に、魔王征伐完了の報告をした時でさえ、国王はあんなに満足げな顔はしなかった。

 

 その瞬間に剣士は全てを悟った。

 

 ただ絶望の表情を浮かべて凍りつく彼には、もう野次馬達からの罵声や軍楽隊のドラム、背後で3人のうち1番体格の良い近衛兵が大きな剣を鞘から引き抜く音も聞こえていない。

 絶望の表情は、段々と国王を睨みつける怨嗟の表情へと変わる。

 しかし彼が怨嗟を国王にぶつける時間は短かかった。

 やがて彼は、冷たい金属が自身の首筋にぶつかる感触を得て、それから永遠に意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずは1人目、か」

 

 

 国王は斬首された剣士の死体を眺めて、ほっと一息ついたようにそう漏らす。

 背後に控える近衛隊長も、何かにつけて「大義」だの「正義」だのと喧しい"問題児"が消えて安堵している様子だ。

 近衛隊長は国王陛下のやり方に感服していたし、やがてそれを口にする。

 

 

「流石です、陛下。噂を流したのは効果覿面でしたな。民衆はすぐに剣士を見放した。」

 

「…まぁな。余も伊達にこの玉座を温めていたのではない。貴様も良くやった。あの女の惨殺体と剣士の独断を結びつけるのは難しかっただろう?」

 

「"ハメを外した剣士が女を強姦し、挙げ句の果てに同僚と女を惨殺した"…筋書きが整えば、後は簡単です。奴にとっては、あの女を助けようとして同僚を手にかけた事が運の尽きでした。」

 

「ふっ。身の程知らずめが調子に乗るからだ。女の始末に近衛隊が関わっている証拠は残しているまいな?」

 

「勿論です陛下。近衛隊でもその手の仕事に長ける人材を使いました。」

 

「そいつは今どこにいる?」

 

「"土の中"です」

 

「よろしい」

 

 

 国王陛下は軽く伸びをして、バルコニーの椅子から立ち上がる。

 眼下では早くも野次馬達が日常に戻り、軍楽隊は兵舎へと行進し、剣士の死体は片づけられていく。

 それを眺める国王は、この光景がまるで自身の問題解決方法の縮図のように見えて、少しばかり愉快になった。

 

 

「勇者が余よりも先に倒れた事は僥倖であった。流石の余でも、魔王の首を持って帰った勇者のそのまた首を撥ねたとなれば民の反感を買う。…しかし、倅が玉座を引き継ぐためにも、問題は解決しておきたい。」

 

「これで剣士は消えました。僧侶は『教会』と対立して、現在は放浪の身とのこと。大公領での目撃証言も得ております。時間の問題でしょう。」

 

「教会に使者を送り、僧侶を正式に破門させよ。さすれば処刑の理由には困るまい。…しかし、問題は女魔術師。あの女狐の所在はまだ掴めぬか?」

 

「申し訳ありません、陛下。ですが、方伯領と辺境伯領のどちらかに向かった、というところまでは掴めております。今しばらくお待ち下さい。」

 

「ふむ………まぁ、良い。方伯と辺境伯にも使者を出せ。連中ほどの役立たずでも、女狐1人引きずり出すことくらいはできよう。…それすら出来ぬのならば、爵位を取り上げるまでよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯執務室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コカイン!?

 

 

 アンドレアスと2人きりの執務室で、私は恐らく、ここ最近で一等希望に満ち溢れたような表情で、明るい未来を約束されたような声を出す。

 "地質調査"から戻ったアンドレアスが持って帰ってきたのはある植物で、私の知る限り、その植物は麻薬に使われている。

 麻薬がありゃあこっちのもん。

 何たって、我が軍隊に潤沢な資金…兵站を供給できる。

 

 

「待てよ。コカの木がここにあるってんなら…えらいこっちゃ、戦争じゃ!!

 

「落ち着けゲルハルト。いくらコカの木があったとしても、精製しなければ意味もない。」

 

「そうなの!?」

 

「………無知め」

 

 

 アンドレアスから侮蔑を含んだ目で見られた。

 仕方ないじゃん!

 私はウォ●ター・●ワイトでも、パブ●・エスコバルでもない。

 コカインがアブナイ類のヤクブ〜ツであることは知ってても、その精製がどうだのこうだのとかは知るわけもないのである。

 

 アンドレアスがため息混じりに、素人たる私に説明を始める。

 

 

「いいか、ゲルハルト。コカインってのはコカの葉を乾燥させて細かく割いて粉にしましたとか、そんなんじゃない。まず、細粉したコカの葉から溶媒を使って麻薬成分を抽出する。」

 

「ヨシ!やろう!だって石油ランプ的なモノあったもん!絶対溶媒っぽいものこの世界にあるもん!やろう!やろう!」

 

「だから落ち着けって。溶媒で抽出された成分は、アルカリと酸で中和して処理しなければならない。そうして出来上がったコカペーストを、更に薬品で処理して出来上がるのがコカインだ。」

 

「………つまり?」

 

「つまり………はぁ、コカインを製造しようにも材料が足らないし、材料の内の幾らかは存在するかも分からないし、もしあったとしても購入する資金がない」

 

「…………」

 

「……落ち込むなよ、ゲルハルト。何か資金源を当たってみたら…」

 

「おお!アンドレアス殿、お帰りですか!何か収穫はありましたかな?」

 

 

 私が物凄い落ち込んだ時、ちょうど執務室に3人の閣僚……つまり、カリウス将軍、シュペアー長官、シュタイヤー大臣が入ってくる。

 カリウス将軍はアンドレアスが何か手に持っているというだけで期待ルンルン状態なのが丸わかりだった。

 仕方あるまい、我々は皆精神的に追い込まれている。

 当のカリウス将軍なぞ、昨日まで万年筆とインク瓶を用いた戦争ごっこに興じていたのだ。

 

 

「あぁ、これは皆さん。まだ喜ぶには早いかもしれませんが、資金源になりそうなモノを見つけました。」

 

「おおッ!!」

 

「それは素晴らしい!!」

 

「さすがアンドレアス殿!!」

 

「ですが、これを資金源にするのに必要なモノがありません。」

 

「「「……………」」」

 

 

 アンドレアスの説明を受けながら、外人4コマみたいな反応をする閣僚達。

 

 

「……具体的に、どういったものが必要なのですか?」

 

 

 沈黙した閣僚の内、シュペアー長官がやや間を置いてから口を開く。

 先代の時代から国内の限られた物資を切り盛りしてきた人だ、物資調達に目処がつかないか知りたいのだろう。

 アンドレアスもアンドレアスで準備が良く、彼はリストを作成していて、それをシュペアーに渡す。

 

 

「ふむふむ…酸…アルカリ……こういったモノとなりますと、たしかに我が国では調達が難しいでしょう。」

 

「そこをどうにかならないかい、シュペアーたん?」

 

「たん?………まあ、こういったモノとなりますと、恐らく魔術師に頼むしかないかと」

 

「えっ!?あんの!?こういった物質あんの!?」

 

「え、ええ、はい、ありますよ。ですが、国内の魔術師では精製は無理でしょう。他領の、高練度の魔術師に依頼するという手もありますが、その場合は資金が足りません」

 

 

「やはりここはワシが騎兵隊を率いて他領に攻め入り、そこの魔術師を徴発するしか」

 

「カリウス!何度言ったら分かるんじゃ!そんな事をすれば王国が黙っておらん!」

 

「シュタイヤー大臣、落ち着いてください!それ以前に兵站に回す資金が」

 

「兵站が何だと言うんじゃ、シュペアー!ならば兵站を必要としないような迅速な前進を」

 

「それはあまりにも無謀というモノですよ、将軍!」

 

「オン!!オン!!」

 

「こうしとる内にも我が軍の軍事的優位はますます」

 

 

 

「うるせえええええ!!!」

 

 

 

 目の前でまたも総統地下壕が始まってしまったので、思わず声を張り上げた。

 こちとらどうするか決めたいのに、目の前で爺さん2人と同年代1人が怒鳴りあっていたら決まるモンも決まらん。

 とにかく、3人には落ち着いてもらい、私は静かに考え込む。

 

 

「……将軍?」

 

「なんじゃ?」

 

「もし……いいか、()()()、だぞ?……他領の魔術師を1人だけ騎兵隊に連れ去るとしたら、可能か?」

 

「楽勝じゃわい!!」

 

()()()()()()()()()()?」

 

「………無理じゃ。無理じゃわい、んなモン。そもそも国境を越える時点で、ワシらの軍事行動はそこの君主に伝わる。もし穏便に済ませたいなら、越境許可を取らんとのぉ。」

 

「うぅぅぅん…しかし….魔術師を拐うために越境させてくれなんて言えるわけもないし…そもそも連れ去る魔術師の選定で時間食いそうな…」

 

「失礼します!!王都より勅書が届きました!!」

 

 

 私の近衛兵……辺境伯軍では『親衛隊』という呼び方をするらしい……の1人が、王都から届いた勅書を持ってきたのはその時だった。

 

 

「前置きは省略、内容を。」

 

「はっ!…『辺境伯並びに方伯に命ずる。先刻、かつて魔王を討ち倒した勇者の従者の1人たる女魔術師が、王国とその民を裏切り魔王国の異端と手を組んだ事が明らかになった。女魔術師は現在、両伯のいずれかの領内に潜伏中と思われる。両伯においては、コレを速やかに発見し、王国と民の為、断罪せよ!』」

 

 

 勅書の内容を聞いた私は、我が辺境伯領の資金難を解決するための重大なステップを思い浮かべた。

 これなら、いけるかもしれない。

 別に天下布武を目指したいわけじゃないが、現状では、領内の反乱や他領の侵攻によって、いつ私の首が掻かれてもおかしくないのだ。

 

 自分の安全のために、やるしかないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5 未知との接触

 

 

 

 

 

 魔王国-辺境伯領国境地帯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一番良い例が、北朝鮮だ。

 かの国で未だにクーデターの気配がないのは、地政学上の理由と、情報上の理由がある。

 1人のリーダーとその親族、高慢な軍部、そしてごく一部の共産党員が伸び伸びとしていられるのは、ロシア・中国からの強力なバックアップと第二次大戦並みの情報統制が機能しているからだ。

 最近では中露のバックアップに綻びが見られ、アメリカや韓国に"ツンデレ"を繰り返しているし、情報統制も限界が近づいているが、それでも尚、彼らの言う"半島の統一"が現実となるのはまだ先の事だろう。

 

 

 

 さて、話変わって、辺境伯たる私が今一番に心配しているのは、領内での擾乱である。

 北朝鮮に負けず劣らずの食糧難に、カツカツの国庫…おまけに他国のバックアップなんてみる影もない。

 魔王国との戦いで鍛えられた、精強な軍隊を動員する"傭兵業"が貴重な財源となってはいるものの、こんな平和な時期、転がり込んでくる依頼は熊退治やオオカミ退治ぐらいなモノである。

 

 傭兵業での収入では、カンカンに熱った石に小便をかけるようなものだ。

 だから、この軍隊をこの先も維持して、或いは強大化して侵攻軍に仕立てるには。

 つまり、隣国に侵攻して豊かな穀倉地帯を確保し、領民を満足させ、領内の擾乱を防ぐためには、もっと大きな金がいる。

 

 

 一見平和な世の中に見えるものの、私自身は決して安心できる立場にいないのだ。

 ファンタジーな中世感満載のこの世界では、情報統制というものが驚くほど機能する。

 だが、「人の噂に戸は立てられぬ」ということわざが示す通り、隣国の豊かな様子はいずれ我が領民にも知れ渡るはず。

 隣国の君主は…つまり、方伯は、いずれにこにこ笑顔でやってきて「ああ!辺境伯領の哀れなことよ!救ってやらねば!」だとか言い出すに違いない。

 でなければハンドキャノンなんてモノを作りだすとは思えないのだ。

 あの新兵器……銃器が手元にあって、本当に自身の領地だけに満足するのなら、方伯はよほどの間抜けに違いない。

 その場合はこちらが侵攻する時、極めて簡単なので喜ばしい限りなのだが…。

 

 

 兎にも角にも、私が首を胴体に繋げて伸び伸びとする為には金がいる。

 金を稼ぐためには、王国が追っている女魔術師がいる。

 そして女魔術師を得る為に、今私は魔王国との国境地帯に、アンドレアスと2人きりで来ていた。

 

 

 

 

 

 

「親衛隊を連れてくるべきだったかな、ゲルハルト。いくらなんでも無謀に思える。」

 

「いいや、ここに親衛隊なんて連れてきたら全てが無駄になる。連中はずっと魔王軍と戦ってきた。魔族なんて見せたら何をするか…それに、秘密を知る人間は最小限の方がいい。」

 

 

 2人の人間が秘密を共有したとして、真に秘密が守られるのは2人の内どちらかがくたばった時だけだ

 私はアンドレアスを"くだばらせる"つもりもないし、私も私で"くたばる"つもりもない。

 だが、例え2人がくたばらなかったとしても、秘密を共有する人間は最小限にすべきなのだ。

 秘密が大人数に知れ渡れば、それはもう秘密とは呼べない

 そして秘密の破綻は、場合によっては全ての破綻さえ招くことがある。

 

 

 だとしても、こうやってたった2人の人間が丸腰で魔王の軍勢と退治するとなると、全身鳥肌モノだった。

 クリスマス・ディナーのメインを飾る七面鳥の如く、私の素肌にはブツブツが沸き立っている。

 そりゃあ、だって、怖いんだもん。

 

 オーガやオークやトロールやゴブリン。

 オオカミ男にヴァンパイア。

 やけに馬鹿でかい巨人までいた。

 それぞれが禍々しい鎧を身につけて、手には一撃で私達を消し去れそうな棍棒を持っている。

 空にはドラゴンが舞い、試し撃ちとばかりに火炎を吐き出していたし、その空模様は曇天と雷光に覆われていた。

 

 

 しかしまあ、こちら側とあちら側でえらい違いである。

 天を仰げば、本来自然界の悠長な気儘さに支配されているハズの天気は、まるで大英帝国がアフリカの国境線を引いた時のように真っ直ぐ分割されていた。

 分割されたこちら側は温暖な気候なのに、一直線の向こう側は大型ハリケーン・"カトリーヌ"の渦中にあるようだ。

 もし、この世界にお天気キャスターがいたら、いったいどういった予報をするのだろう?

 "…魔王国より辺境伯領側にかけては、春先に相応しい穏やかな天気ですが、魔王国から向こう側には全体的に厚い低気圧が…"

 

 

 空を見上げて妄想にふける私を、アンドレアスが肘で2回突いて現実に呼び戻す。

 気がつくと、犇く魔王軍の最前列に井戸が現れていた。

 なんじゃこりゃ。

 

 

「アンドレアス、あんなとこに井戸なんてあったか?」

 

「いいや。気付いたら井戸が現れてた…なあ、ゲルハルト。あの井戸から何が出てくると思う?」

 

魔王か…貞●か…サ●ラ・モーガンか…

 

「頼むから最初のやつだけにしてくれよ。」

 

 

 緊張半分、恐怖半分で井戸を見つめる私とアンドレアス。

 何たって、"1ヶ月ぶりの再会"である。

 

 表向きには、新魔王は、『突如覚醒し、辺境伯居城の地下牢に大穴を開け、近衛兵一個小隊を皆殺しにして立ち去った』事になっている。

 実際は私とアンドレアスがこういったときの為の味方を確保する目的で、新魔王を逃したのだ

 ちなみに、当然その後国王陛下から怒りのリリックが送られてきた。

 

 あの時はある約束をしたのだが、今になって気が変わって、私とアンドレアスを殺さないとも限らない。

 

 

 ♪クルッ、キットクルッ

 

 

 うっわマジかよ。

 何か来そうなBGMまで流してくんじゃねえよ。

 何も来なくていいよまだ死にたくないよ。

 痣とか呪いとかやめてね、間違っても。

 

 だがBGMは止まらない。

 そのうちに、井戸の縁を青白い手が掴む。

 続いて真っ黒な頭髪に覆われた頭が見えてきた…あれ、これひょっとしてオリジナルの方ですか?

 

 黒い頭髪はどんどんと這い上がり、白い和服まで見えてくる。

 ねえ、いや、ちょっと待って、あなたは呼んでいませんの。

 私めがお話ししたいって言って今日会うことになったのはね、井戸に閉じ込められた可哀想な女の人じゃなくてね。

 

 和服の女はついに半身を這い出し、地に手を着いた!

 そしてそのままこちらに向かって………

 

 

 ……は、来なかった。

 和服女は後ろから何かに引っ張られたらしく、無事に井戸へと戻っていく。

 替わりに這い上がってきたのは、グラマラスなボディを禍々しい衣装に押し込め、その頭部から2本のツノのようなモノを生やした女性

 

 そう、彼女こそ私とアンドレアスが1ヶ月前に逃した、新魔王である。

 

 

 

「………なあ、ゲルハルト。どうやって話しかけたらいい?」

 

「知らないかもしれないが、私はコミュ障なんだ。ファーストコンタクトは、どうか君の方から頼む。」

 

「最初に彼女と話したのはそっちだろう!…ま、まあ仕方ない。試してみるとするか。」

 

 

 何を思ったのか、ハーモニカを咥えるアンドレアス。

 彼は緊張した様子で、されどハーモニカにまだ息を入れないように気遣いながら深呼吸をする。

 そして意を決したように目を瞑り、ハーモニカを吹き始めた。

 

 

 ♪ファッ!

 

 ………ファ?

 

 ♪ファファン、ファン、ファファン!!

 ♪ファファン、ファン、ファファン!!

 ♪…ファファファファ〜…

 

 未来から暗殺ロボットがやってきそうな曲を奏でるアンドレアス。

 どうやら、私と一緒で彼もコミュ障らしい。

 あのな、我が友よ。

 これは「リ●グ」でも「未知との●偶」でも「ターミ●ーター」でも何でもない。

 そんな流暢にハーモニカ奏でたところで…

 

 

 目線を目の前の魔王軍に戻す。

 何てこった、目の前のオークやオーガやトロールやゴブリンが感極まって涙しているではないか!

 ターミ●ーターのいったいどこが泣けるというのだろう!

 

 彼らの感性には理解が難しい部分があまりにも含まれていたが、しかし、彼らも彼らなりの感情というモノを持っていることが明らかになったのは微笑ましい事実であり、私が自身の緊張を解すのに一役買ってくれる。

 

 気づくと新魔王様がこちらへと歩んでくるのが見えたが、その新魔王でさえも、ハンカチを片手に感涙の涙を流しているようだった。

 そして…さらに言えば…アンドレアスのように「未知との●偶」な接触をしなくとも、コミュニケーションが可能だった事が再確認される。

 

 ……新魔王は歯切りの良い"人間語"で切りだした。

 

 

「……感動的な曲をどうもありがとう!あぁ、久しぶりだね、友よ!君達から受けた恩は忘れない!勿論約束も!」

 

 

 私は少し、違和感を感じる。

 その違和感は、決して彼女の着る禍々しい衣装によるモノではなく、その衣装から飛び出ようとしている馬鹿でかい胸でも、彼女の口から飛び出てくる歯切りの良い発音でもない。

 私が違和感を感じたのは…他でもない、彼女の"口調"だった。

 

 

「こうしてわざわざ会いにきてくれたんだ、きっと"僕"の助けが必要になったんだね?…ああ、いいよ。君に助けられたおかげで、今の僕がある。何なりと言ってくれ。」

 

 

 え僕っ娘

 まさかの僕っ娘

 魔王が僕っ娘ってどういう事よ?

 つーかこんな僕っ娘いる?

 馬鹿デケエ胸を引っ下げて、艶がかった黒い頭髪を靡かせて、マリ●ン・モンローみたいな雰囲気纏わせて。

 まさかの僕っ娘かよ。

 馬鹿でかいおっぱいのついたイケメンかよ。

 

 

 ………あらやだ、めっさ好みじゃない!

 

 

 ぼへぇっとしていた私を、またもアンドレアスが肘で現実に戻してくれる。

 ああ、いかんいかん。

 つい新魔王の魅力に取り込まれるところだった。

 私はここへ来た目的を伝えるために、新魔王に向き直る。

 向き直ったが、目線は新魔王様の胸元に釘付けである。

(目が乾燥して)涙が出ちゃう、だって男の子だもん!

 

 

 

「……あの、えっとですね。…お久しぶりです、新魔王様」

 

「ああ!」

 

「あの。えと。それでですね、あの、いきなりこういったことを聞くのも不躾だとは思うんですがね…ええっと、死刑囚とか、そちらにいらしたりしてまして?」

 

「………」

 

「あっ、すいません、言い方変でしたしあまりに失礼でしたよね。お気を損ねてしまったのなら誠に申し訳ありませ」

 

「ふっ……さっきから…全くどこを見て話をしてるんだい、こ・ね・こ・ちゃん♡

 

 

 ズキュゥゥゥウウウンッ!!!

 

 

 私のハートがナニカに射抜かれる。

 何なんだこのおっぱい盛り盛りあ つ ま れ性壁の森は!?

 今度から禍々しい白瀬●耶とでも呼んでやろうか。

 

 

「そんなに僕の胸が気になるのかい?…まったく仕方のない子だ……さて、僕の領地に死刑囚がいるのかという質問だが…勿論いるよ。考えるだけで身の毛もよだつような連中が。」

 

「人数はどのくらい?」

 

「さあ。死刑の執行は定期的に行われるから、正確な数は覚えてはいないけど……ああ、そうだ。"連中"がいたな。」

 

「"連中"?」

 

政治犯さ。僕が領地に帰るまでの間、国政を好き放題にやっていた連中がいてね。僕としても扱いに困っていたところだ。なんせ1000名近くもいる。」

 

「なるほど…….では、新魔王様。私、辺境伯が責任を持ってその政治犯達を処刑すると言ったら、どうなさいますか?」

 

「………僕はからかわれているのかな?」

 

「い、いえ、滅相もありません。貴国にとっても囚人の処刑となると、無駄な金と手間のかかる仕事でしょう。私としては、ある条件を付けさせていただく替わりに、貴国のご負担を軽減させていただきたいのです。」

 

「だんだん話が読めてきた…つまり、君達は政治犯達に国境を越えて欲しいんだな?理由は分からないが、君は今"外敵"を必要としている。

 

「その通りです。」

 

「……ふむ。ならば良いだろう。僕としても、執行まで生かすのに金がかかるだけの政治犯を処刑する手間が省けるだけだからね。ただ、間違いなく全員殺してくれよ?………それじゃあ、そちらの言う条件とやらを聞こうか。」

 

「条件は2つです。一つは時期。私めがご連絡を差し上げた段階で投入していただきたい。」

 

「今すぐに、というわけじゃないんだね?」

 

「はい。そしてもう一つは、投入場所です…方伯領の三角地帯、ここに投入していただきたい。」

 

「………どうやら、"女魔術師絡み"のようだね。

 

 

 まずい!

 やらかした!

 彼女の父…つまり先代魔王は第九代勇者のパーティに殺されている。

 そのパーティのメンバーは、第九代勇者、剣士、僧侶、そして女魔術師!

 何てこった、私とした事が!

 まさか新魔王が私の狙いを見抜くとは思ってもなかったが、交渉がうまくいきそうになって完全に警戒を解いていた私も悪過ぎる!

 

 

 新魔王からすれば、女魔術師は親の仇。

 自身が辺境伯居城の、あの薄暗い地下牢で何年も過ごす事になった原因を作った張本人の1人でもあるのだ。

 そんな人物の為に利用されようとしていたと知れば、ここにいる軍勢を使って私達を粉微塵にしても不思議ではない!

 

 

 

 だが、幸いな事に新魔王は怒らなかった。

 淡い笑みを浮かべ、淡々と言い放つ。

 

「…まあ、僕もあの父親は好きじゃなかった。それに、勇者が国王と"約束"をする事になったのは………あの女のおかげでもある」

 

「……へ?」

 

「分かった、君の提案に乗ろう。命の恩人が、僕の手間まで省いてくれるというんだ。ありがたい限りさ!細部が詰まったらまた連絡してくれ…と言っても、またわざわざこんな辺境まで出向くのも大変だろう」

 

 

 新魔王はそういうと、自身から右方にある地面に向かって右手を伸ばし、そこに魔法陣を形成する。

 ファンタジーモノのアニメでよく見る類の、暗い紫色の魔法陣だ。

 

 

「誤解のないように言っておくけど、僕の魔法ではきっと君達の望むようなモノは作れない。魔族が使う魔法は『黒魔術』と言って、大方呪いをかけたり、怪物を合成したり…」

 

 

 魔法陣が強烈な光を放ち、私の目を眩ませる。

 一瞬の瞬きの後、どうにか目を開けて霞む視界の焦点を合わそうと努力した。

 その甲斐あってか、徐々に視界が回復する。

 

 

「…こんな風に眷属も呼び出せる

 

 

 黒魔術の魔法陣は消え、それがあった場所には新魔王の眷属……褐色の肌にプラチナブロンドの髪、そして、例によって馬鹿でかい胸を持った、スラッとした長身長モデル体型のダークエルフが召喚されていた。

 

 

「『ダニエラ』、いつか僕の命の恩人の話をしたと思うけど、彼がそうなんだ。君には彼と一緒に行って、僕との連絡役をしてもらいたい。」

 

「………」

 

 

 無言のまま頷くダークエルフ。

 何でよりにもよって下着とガーターベルトなんて際どいモン着て出てくんのよ

 ストリッパーみたいな格好をしたダークエルフはそのままこちらへと向かってきた。

 馬鹿でかい胸がたゆんたゆんと歩みに合わせて揺れている様子を見ながらも、私は別の事を考える。

 

 

 

 新魔王は何故女魔術師の動向を知っていた?

 

 王国が女魔術師を追っていることも、女魔術師の大方の居場所も知っているようだった。

 

 私が政治犯の派遣先に三角地帯を選んだのは、辺境伯領と方伯領の中で最も国王から逃れられそうな場所だったというだけの理由だが、しかし、新魔王は自身の推測に一定の自信を持っている様子だった。

 

 それに、勇者と国王の"約束"とは何だったのだろう。

 何故当時まだ幼い新魔王を殺さなかった?

 そもそも、勇者が"第九代"などという数字を重ねてきたのは、討伐した歴代魔王の直系をみすみす逃してきたからだ。

 せっかく今度こそ一掃できたというのに、何故そのチャンスを逃したのだろう?

 

 

 そうこう考えているうちに、馬鹿でかい胸が眼前まで迫ってきた。

 馬鹿でかい胸は私の目の前で仁王立ちし、私よりも余程高いその身長を活かしてこちらを見下している。

 だが、次の瞬間には信じられない事が起きた。

 

 

 馬鹿でかい胸が更に眼前へと迫り、私の顔面は馬鹿でかい胸への接触を果たしたのである。

 

 

「ふっ、可愛い子だ。新魔王様もああ言ってくれた事だし…。さあ、行こうじゃないか、我のプリンス♡

 

 

 あらやだ、めっさくさ好み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6 大きな拾い物

もし、これをご覧になろうとしているフェミニストの方がいらっしゃいましたら…お手数ですがこのタブを閉じ、何も見なかった事にしてください。


 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領内

 某孤児院

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も殺されはしなかったが、2人の孤児が連れ去られた。

 そこにいる誰もが、襲い掛かってきた野盗に抵抗する事ができなかったのだ。

 だから、孤児院を襲った3人の野盗達は好き放題に振る舞い、シスターやマザーを脅しつけている間に子供を物色、金庫を漁り、食糧庫から貴重な食べ物を持ち出した。

 3人の野盗が去った後、そこには空っぽの金庫と食糧庫、泣きじゃくる子供達、それに悲しみを堪えるシスターと、自身だけはどうにか正気を保とうと奮闘するマザーのみが残される。

 

 

「…シスター・フローレンス、我慢するのは良くありません。貴女はこの孤児院のためにどんな辛い日々も耐え抜いてきました。心の休息を咎めるほど、主は残酷ではありません。」

 

「ですがマザー…ぐすっ、子供達の前で私が泣いてしまっては…」

 

「ならば懺悔室へとお行きなさい。子供達は私の方で面倒を見ます。辺境伯様への報告も。…あの部屋であれば、主以外は誰もいません。さあ、早くお行きなさい。」

 

 

 限界を迎えそうになったシスターは、駆け足で懺悔室へと向かう。

 そのまま部屋のドアノブに飛びついたが、彼女はそこで一度目の前のドアに掲げられた彫刻を目にして動きを止める。

 そこにあったのは主の彫像で、彼女は自身の行為が主の怒りを買い、今度の事は主の怒りの罰なのではないかと思ったのだ。

 

 だが、すぐに思い直してドアを開く。

 彼女が毎日目を通す聖書に書かれている事が本当なら…主はそれこそ"残酷ではない"。

 彼女が犯した罪も、きっと赦されるはずなのだ。

 

 

 シスターは懺悔室の中に飛び込むと、ロザリオを手に取り、長年そうやってきたように祈りを捧げ始める。

 

 

「あぁ、主よ…我らが父よ……どうかこの愚かなる羊をお許しください…」

 

 

 とうとう限界が来たのか、泣き始めるシスター。

 

 

「うっ、えぐっ…私はかけがえのない友との約束をッ…ひぐっ…はだぜまぜんでじだ!!」

 

 

 シスターの涙は止まらない。

 …だが。

 彼女の表情は段々と険しくなっていく。

 孤児院を襲った悲劇をただ単に悲しんでいるというより、孤児院を襲った者共への復讐を誓ってすらいるように見える。

 

 

「友は言いましだ!…『アタシが犠牲になる事で、この世が救われるのなら』…!しかし私は約束を果たせず、立派な志を持つ彼女を裏切ってしまった!!」

 

 

 もうシスターは泣いてすらいない。

 その表情を支配するのは憎悪と憤怒。

 怒りに震える彼女の懺悔は、次第に宣言へと変わっていく。

 

 

「"あの子達"は巻き込まれるべきではなかった!彼女はそのために私を頼ったのです!悪辣な者共が彼女の意志をぶち壊しにしたのなら、私も奴らの意志を破壊する事をどうかお許しください!!」

 

 

 いよいよ語気が強くなるシスター。

 その形相は鬼のそれへと変わり、そしてその心は"かつて"のモノへと変わり果てている。

 

 

我が名誉にかけて、悪逆非道を叩き割らん!我は弓、我は槍、我は剣!!闇の中から打って出て、また闇の中へと帰る者!!いざ、我の正義を果たさん!!!

 

 

 

 彼女はその昔にある人物達と共に戦った者の1人であった。

 だが、魔王討伐後も彼女は他の誰よりも地味な生活を続け、その名が広まることはなかったのだ。

 だからこそ、王国からも、"悪辣な賊共"からも見過ごされていた。

 彼女が野盗に抵抗しなかったのは、子供達の目の前で惨殺劇を繰り広げたくなかったからであり、決してその実力がないわけではない。

 

 

 シスターはかつて、共に魔王と戦った者達からこう呼ばれていた。

 

 

猟師

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 孤児院から幾ばくか行ったところでは、3人の辺境伯親衛隊員が、この日"()()()()()()()()使()()()"覆面を燃やしている。

 彼らは辺境伯直々の命令であの孤児院から2人の子供を連れ去るように命ぜられていたのだ。

 正直、気の進まない仕事だった。

 彼らはまだ先代の辺境伯が生きていた時代に、困難な試験と厳しい訓練を乗り越えてきて親衛隊に入隊したエリート達なのだ。

 その誇りと正義感は、此度の任務に存分の疑問を投げかけている。

 

 

 

「新しい辺境伯様は…何故このような事をお命じになられたのか…」

 

 

 3人の内1人から、ついポロッと本音が溢れた。

 彼は3人のうちでも最も若く、その若さ故に正義感は人並みならぬものがある。

 その事は3人の内で最も古参のメンバーである『親衛隊隊長』もよく理解していて、しかし、立場上の義務も果たした。

 

 

「我らが親衛隊のモットーは"変わらぬ忠誠"!…訓練校で叩き込まれなかったか?」

 

「はっ!隊長!申し訳ありません!」

 

「…とはいえ、お前の言うことも分からんではない。確かに辺境伯様に忠誠を誓った身とはいえ、子ども拐いなぞしているのだからな。」

 

「隊長も疑問を?」

 

「他の皆には言うなよ?…先代の辺境伯様は頻繁に兵舎を回られ、我々ともよく酒を酌み交わしてくださったが、新しい辺境伯様はそういった事はなさらない。あの方の人となりは、正直俺にも分からん。」

 

「………」

 

「ただな、坊主。それだけで新しい辺境伯様を評価するのは間違いだ。………まだあの方が幼い頃、他家のご子息と模擬剣術試合をなされていたのを見た事がある。相手はあの方よりも大きな少年だった。…そこで、あの方は何をしたと思う?」

 

「…さあ。」

 

「片膝をついて、頭を垂れた。」

 

「なっ!?戦わずして負けを認めたのですか!?」

 

「いいや、まさか!あの方は跪く時に片手も地面に置いて、砂を掴んで相手の顔にぶちまけたんだ!」

 

「いやいやいやいや、大問題じゃないですか!?そんな卑怯なやり方するなんて…」

 

「…坊主、お前たちの世代は本物の戦争を知らんからな…戦争には"ずるい"も"卑怯"もない。勝者が全てを決める事ができ、敗者には何も残されない。騎士道精神を磨くのは立派だが、それは勝つか負けるかした後の話だ…戦いの最中に持ち出すものじゃあない。」

 

「……そう…なんでしょうか…」

 

「そんな顔をするな、坊主!あの方もあの方で立派な領主であることに間違いない。…さて、と。孤児院から"拝借"した物に手をつけるな、後で別の連中が孤児院に返しにいく。そろそろ行くぞ、帰りの道中も気を抜くなよ?」

 

 

 親衛隊長はそう言いつつも、自身の愛馬に乗せられている、手と足を縛られて猿轡をはめられた少年を見やった。

 この少年は孤児院で殆ど唯一"青年"と呼べる年頃の子供で、彼ら親衛隊員が野盗のフリをして襲いかかった時も他の子供達を庇うように飛び出してきたのだ。

 

 …もし、辺境伯様のご命令が本当ならば。

 この子供の行動には納得のいくモノがあったし、妙に辻褄も合うような気がする。

 だが、親衛隊長はそれを2人の部下に話すわけにもいかなかったし、話そうとも思わなかった。

 辺境伯様は彼に"絶対に他言無用"と念を押していたし、親衛隊長もその言葉を信頼の証と受け取っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯居城

 執務室

 

 

 

 

 

 

 

 私の下で働くことになったダニエラとかいうお色気暴発爆裂おっぱいイケメンダークエルフは、手土産とばかりに素晴らしい情報をもたらしてくれた。

 さっそくその情報を下に親衛隊長を派遣。

 すると、このおっぱいパツンッパツンッダークエルフの情報が本物であった事が確認された。

 それが、あの子供についての情報である。

 

 親衛隊長が連れ去った子供は、私が目的を果たす上で重要な役割を果たしてくれることだろう。

 いやあ、もう馬鹿デカおっぱいダークエルフさんに感謝っすわ。

 もう本当に素晴らしいよ、このおっぱいおっぱいダークエルフさん。

 マジでありがとう、おっぱい

 

 

「そんなに礼を並べる必要はない。我も我とて、さっそく新しい君主の役に立てたことを嬉しく思っている…もっと我を頼っても良いのだぞ、我の王子様♡

 

「うん、めちゃくちゃ頼るね、おっぱいさん。…ところでおっぱいさん何でこんな情報持ってたの?」

 

「ふむ、そんなに知りたいのか?我のプリンスは仕方のない子だなぁ。」

 

 

 私は自分自身を変態だと自負している。

 もうとんでもない変態野郎である。

 何たって馬鹿デカおっぱいダークエルフさんと執務室で2人きりになり、辺境伯専用の椅子に座って、その馬鹿デカおっぱいを側頭部に感じながら、馬鹿デカおっぱいと会話しているのだから。

 

 

「ダークエルフは黒魔術の使用に長けている種族だ。プリンスが新魔王様の黒魔術を見たように、あのような事もできる。だから先代の魔王は我らダークエルフを人間側への"斥候"として多用した。」

 

 

 今現在、このおっぱいダークエルフの耳は、典型的なエルフ耳ではなく、人間のそれになっている。

 それは彼女がこちら側…つまり人間界である辺境伯領の、更に辺境伯領主の執務室にいても不思議ではないようにするためだった。

 つまるところダークエルフは黒魔術によって、人間に"擬態"できるのである。

 

 

「"斥候"…スパイ、いや、間諜とか言った方が近いのかな?」

 

「おお!まさにその通りだ、我のプリンス!えらい、えらい♪」

 

キャッ☆キャッ☆

 

 

 おっぱいダークエルフのダニエラが私の頭をその馬鹿デカおっぱいに挟み込み、私はもう大興奮♪

 転生してよかったぁ〜、そう思えたのは転生以来初めてである。

 だって考えてみてくださいよ、クソクール系おっぱいイケメンダークエルフがおっぱいおっぱいしてくれるんだよ!?

 最高じゃん!

 

 

 

「………ゲルハルト…君はついに…」

 

「残念じゃ…」

 

「こんなお姿を見たら、きっと先代も…いや、歴代辺境伯ノ御先祖サマモ、草葉ノ陰デ皆泣イテヲルゾ

 

「…辺境伯様、どうかこのシュペアーだけには話しかけないでくださいね?」

 

うおおおおお!?お前らいつの間にいやがっ」

 

「危ない、我の王子様!」

 

 ぽよんっ♡

 バギィッ!!

 

「ヘブヘェッ!?」

 

 

 私は驚きのあまりひっくり返りそうになったが、ダニエラが私の背後から支えてくれようとした結果、後頭部が彼女のおっぱいに当たって跳ね返された。

 中々の強度で仰け反ったエネルギーをほぼほぼそのまま「ぽよんっ♡」と返されたので、私は目の前の机に顔面から着地したのである。

 鼻腔の中から鉄っぽい匂いを感じながら、私は目の前でドン引きにドン引きしている閣僚達に反論を試みた。

 

 

「お前ら部屋入る前にノックぐらいしろよおおお!!」

 

「ノックしたよ…きっと、そこのおっぱいに夢中で気付かなかったのだろうけど」

 

「武人が君主に物申すモノではないが、君主たる者、安直に色欲に走るのはどうかと思うぞ?」

 

「これでは辺境伯領の未来が心配じゃ…」

 

「帰っていいですか、辺境伯様」

 

「あんまりだ!!何なんだお前ら揃いも揃って!!ただ単に癒されてただけだろうが!!」

 

「「「「自重自重自重自重自重自重」」」」

 

「全員一致で否定してくんじゃねえ!!…で、何の用なんだ?」

 

 

 どうにか落ち着きを取り戻した私は、閣僚達にそう尋ねる。

 隣ではおっぱいダークエルフのダニエラがハンカチを持ってきて、私の鼻から出続けている鼻血を拭き取ってくれていた。

 人間に擬態した彼女は、表向きは『私の許婚』という事になっている。

 こんな褐色おっぱいが、明らかにサイズの合っていない服を着ておっぱいおっぱいしてるのに誰からも不思議がられないのは、彼女が黒魔術によって閣僚達の記憶を少し書き換えたからだ。

 よって私とアンドレアス以外は真相を知らない………すらっと恐ろしい事するよね?

 

 

 全員が全員、とっておきの報告をしたかったのに君主がおっぱいおっぱいはしゃいでたとか言いそうなツラをしてたから、きっと"あの件"の準備が整ったのだろう。

 そうは思いつつも、閣僚達に尋ねたのだが、案の定カリウス将軍が自信満々に応じる。

 

 

「…我が軍の精鋭達は準備を整えておる!ご命令とあらばいつでも任務をこなせようぞ!」

 

「うん、了解した。…かなり待たせてしまったし、規模も限定的だが…将軍、貴方の待ち望んでいた"侵攻作戦"だ。万事滞りなく進めてもらいたい。」

 

「勿論、言われずとも分かっておる!…分かってはおるけども婚約者とベタベタしすぎ」

 

「るせえ!何度も言うんじゃねえ!!…ともかく、これでようやく本腰を入れれるな。それでは、諸君。状況を開始しよう。」

 

 

 閣僚達は…特にシュペアーは…未だ侮蔑の視線を交えながらもそれぞれの執務へと戻っていく。

 私は横にいる許婚兼おっぱいに、一つ頼み事をした。

 それは彼女がここへ来た理由、新魔王への連絡である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こんなにおっぱい連呼してるSSはそうそうないと思います


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7 慢心と迎撃

 

 

 

 

 

 

 方伯領

 方伯居城

 

 

 

 

 

 

「北部より魔族の侵入!?本当か!?もう十数年ぶりになるぞ!?」

 

 

 方伯が官僚からの報告に、驚きとも喜びとも取れる反応を示す。

 その反応の中に"恐怖"が含まれていないのは、彼にはもう魔族を心配する必要がないからだ。

 喜びを示した理由は他でもない。

 これでようやく、新作兵器である"ハンドキャノン"を試すことができる。

 方伯はこの新しいオモチャを試す機会に待ち焦がれていたのだ。

 

 

「すぐにハンドキャノン隊を送り込めぃ!魔族の連中を粉微塵にするのだ!!」

 

「……しかし、方伯様。ハンドキャノン隊の運用思想はまだ固まっておりません。今しばらくお待ち下されば…」

 

「ならぬならぬ!一体どれだけの時間をかければ気が済むか!実戦だからこそ得られる経験もあろう。すぐに送れぃ!」

 

「はっ…承知致しました。」

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領

 辺境伯居城・執務室

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝というのは…特に平日の朝というのは、少なくとも私にとっては陰鬱なもので、これから始まる業務に向けての下準備は、それはそれは大層"かったるい"モノがある。

 そんな朝のルーティンの中で、唯一の救いと言えるもの。

 私にとってそれは髭剃りだった。

 

 無精髭を湿らせ、滑らかなシェービングフォームをその上に置いて、質の良い剃刀でソイツを剃り上げる。

 最も、剃るのは私自身ではない。

 仮にもこの辺境伯領を治める"トップの中のトップ"である私には、専用の髭剃り師を雇う権利があり、そしてそれは義務ですらある。

 

 私が雇った髭剃り師はメイベルという名前の女性で、ブロンドの短髪に蒼い目をした馬鹿デカい双丘の持ち主だ。

 正直に言って髭剃りをさせるとたまに皮膚を切り裂かれる時もあるし、剃り残しも少ないと言えない時すらある。

 だが、彼女は手元で何かしらを行う時、必ずと言って良いほど主張の激しい双丘が手首に先んじて前に出るのだ。

 よって私は頭の頂点から側頭部にかけて"至福"に至る事ができるし、朝の陰鬱な気分が隠れてしまう程度には"楽しく"なるのだった。

 

 

 

 さて、髭剃りを終えて顔を洗うと、私は自身の執務室へと向かう。

 朝食はそこに運ばれているはずだし、一日の業務はそこから始まる。

 執務室へ向かう私に、後ろからメイベルが話しかけた。

 

 

「そういえば、『帝国』の特使がお見えになっています。執務室へお通ししました。」

 

 

 大事な事ははよ言わんかい。

 帝国といえば、我々の王国の東側に位置する大国で、こちらの地方に使節を頻繁に派遣していた。

 大方諸侯の不満を探り出し、場合によっては寝返る可能性すら探し出そうと言うのだろう。

 私はまだ寝返る気はないし、こんな朝から話を翻しまくって煙を巻くような高カロリー消費の話し合いなぞしたくもないのだが。

 来賓がいる以上、朝食は来賓が帰った後という事になるだろう。

 私はため息を吐いて、執務室の扉を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の注文通り方伯領には政治犯が押し寄せている。君の言う最新鋭の武器を持った連中も迎撃に出るはずだ。」

 

「ハァ♡ハァ♡新魔王様…もっと我にお情けを♡」

 

「ふっ…仕方のない卑しい下僕だね、ダニエラは。」

 

 

 私は自らの執務室で目頭を押さえながら天を仰いだ。

 目の前では新魔王とその従属がレズプレイの真っ最中。

 禍々しい白瀬●耶が褐色ダークエルフおっぱいの口に手を突っ込んで、彼女の舌を弄り回すという構図はその方面が好きな方には堪らないだろうが、私としてはご勘弁願いたい。

 別に不快感を催すわけではないが、TPOというものを弁えて欲しいのだ。

 私は自分の椅子…つまり、辺境伯領主の執務机に配置されている椅子…に腰かけると、部屋の真ん中でレズプレイを繰り広げている人物に話しかける。

 

 

 

「あ、あの、新魔王様?」

 

「…ハァ。君は僕の友だ、ゲルハルト。友として忠告しておくけど、こんなところで僕の"本当の名前"を呼ぶのは感心しないね。」

 

何で来たんです?

 

「"何で?"…決まってるじゃないか。そちらの注文通りにコトを運んだと伝えるためさ。」

 

「連絡の為にダニエラさんを寄越したんじゃないんですか?」

 

「何だよ〜釣れないなぁ〜。せっかく君のトコの大臣達に催眠を掛けて、帝国の特使という偽装までして君のところに来たのに〜。」

 

 

 釣れないなぁ〜じゃねえんだよ。

 いやね、新魔王様。

 私めの注文通りやってくれた事には感謝しております。

 してはおりますけれども直で来る必要はありましたでしょうか?

 ヒトを催眠に掛けるとかいうヤバたんな事しといて?

 

 別に良いんですよ、大臣達に催眠を掛けたって。

 アンドレアスとシュペアーはコカイン製造の準備で忙しいし、カリウス将軍は出撃準備、シュタイヤーはコカインと戦争の資金源確保の為に帳簿を用意してるから、私の執務室に長時間いる事なんてありませんしねえ。

 そりゃあバレやしませんよ。

 でも、なんでまたわざわざ私の目の前でレズプレイなんかするんです?

 おかしいと思いません?

 私としてはおかしいと思って欲しいんですけどね。

 

 

 私の思いなぞ知ったことかと言わんばかりに、引き続きダニエラの舌を弄くり回す新魔王。

 ダニエラが時折ビクンッと痙攣するモンだから尚更見るに耐えないし、何か他に伝えたい事があるのなら早めに伝えて欲しい。

 新魔王はダニエラを十二分に弄り回すと、右手をダニエラの涎塗れにしたまんま私の方へ歩み寄ってきた。

 

 

「本当の事を話そう。同盟者としての君の手腕を見ておきたい。今回、僕にあんな要請をしたのはどうしてなのかな…こ・ね・こ・ちゃ・ん♡

 

 

 新魔王が椅子に座る私に迫ってきて、執務机に乗っかり、その向こう側にいる私の頬を右手で撫で回す。

 目の前に未だ悶絶しているダニエラのそれよりも馬鹿デカい双丘が迫り、新魔王のフレグランスな匂いに包まれるのだから本来であればこちらも悶絶モノなのだが。

 私の頬を撫で回す右手が褐色ダークエルフのねっとりとした唾液塗れゆえに、そんな気は起きない。

 

 

「う、うへっ……こ、今回の侵攻作戦には複数の目的があります。」

 

「ふぅん。…でもまさか、方伯領を奪い取るなんて事は考えてないんだろう?」

 

「ええ、はい。我々の目的は2つです。1つ目は方伯領に潜伏中と見られる女魔術師の確保です。彼女を発見し、こちらの領土へ連れ帰り、ある事業に協力してもらいます。」

 

「へぇ。でも彼女が協力を拒む場合はどうするんだい?それに、王都への報告は?」

 

「こちらも切り札を用意しています。彼女はNOと言えませんよ。王都と教会はすでに女魔術師に異端の疑いをかけています。王都には…」

 

「なるほど。また僕の国に泥を被せるのかい?」

 

「………」

 

「図星か…君も仕方のない子だ。」

 

 

 新魔王の唾液塗れの右手がこちらの首筋に回る。

 ネトっとした液体が首筋を通って背中に入りやがったので私はかなり身震いした。

 何プレイ?ねえ、何プレイなの、これ。

 

 

「まあ、いいさ。僕も国内の不満を和らげるために国王の名前を使っているし。…さて、もう一つの目的は何かな?」

 

「それは………最高機密でして…」

 

「最高機密?…ふぅん」

 

 

 

 新魔王の右手が首筋から背中へ入ってくる。

 否応なく背中に入ってくる液体に私は顔を痙攣らせ、自然と上半身を硬直させた。

 彼女はその反応を待っていたようで、自然と背筋を伸ばした私の顔面目掛けてメイベルの倍近い双丘をフィットさせる。

 オマケに耳元でASMRよろしく囁き声なんかで話してくるモンだからもう堪らない!

 

 

「僕と君の仲じゃないか?教えてくれてもいいだろう?」

 

「残念ながら…ただ、魔王国の不利益にはなりません、どうかご安心を」

 

「ふふん♡…僕に散々泥を被せておいてそんな事を言うのかい?僕が信じるとでも?」

 

「それは………そのぉ…」

 

「あ〜あ、残念だなぁ…教えてくれれば、色々とイイコト、してあげるのに♡」

 

「ふぇぇぇ」

 

 

 もうやだ、この新魔王。

 どこのエロスナックの熟女ママですか

 イイコトってなんですか、とても興味が…いかんいかんいかんいかん、理性を保て、理性を。

 

 

「ふっ………とは言っても無理強いも良くないね。」

 

 

 新魔王がやっと私を解放してくれたので、私は襟元を正して自分を落ち着かせる事ができる。

 何か変なものに取り込まれる一歩手前だった気さえした。

 彼女は今までとは打って変わって、今度は真剣な顔で私の方へ向き直る。

 

 

「君が何を考えているにせよ…いずれは方伯領を併合する腹積りなんだろう?」

 

「ええ、その通りです。」

 

「……今現在、魔王国での最大の懸念事項は国境線の安全保障だ。帝国とは険しい山脈、『共和国』とは広大な湖と河川で隔てられているから心配はないのだけど…この王国との国境からは幾度となく君らの軍勢がやってきた。」

 

「つまり、新魔王様は王国との国境線を安定させるために我々辺境伯領に方伯領を押さえさせた方が都合がよろしいという事ですね?」

 

「ああ、その通り。僕としても君との同盟関係を表沙汰にするわけにはいかないけど…君は僕を裏切ったりしないし…何よりできないだろう?」

 

 

 

 確かに私は新魔王を裏切れないが、それはこの新魔王のおっぱいに魅了されたからという訳ではない。

 いや、魅了されなかったわけではないが。

 

 私としても、今後自身の保身の為の行動を起こす上で新魔王との関係は殊更に重要なモノになるからだ。

 国境線の安全保障は私としても安定させたい問題だし、資金源がないまま再び魔族との戦争なんて背筋が凍る。

 魔王国からの支援はもはや王国側に同盟者のいない我々からすると有難い物だし、それに今そこの床で悶絶しているダークエルフの情報網があれば、行動の幅はぐっと広がる……いい加減起きたら、ダニエラさん?

 

 反対に新魔王としても、私の保身への渇望という意思を利用したいのだろう。

 彼女が取り組んでいる国内問題は恐らく我々のそれよりも困難で重大なはずだ。

 恐らくは長年の指導者不在で荒れに荒れた国家を纏める所からスタートしなければならない。

 こちらはまだ最初から国家として纏まっているだけ楽なのだろう。

 

 

「それじゃあ、君には期待してるよ…また遊びに来るからよろしく☆」

 

 

 新魔王は投げキッスしつつ、何やらよく分からないどこでも●ア的な亜空間を開いて部屋から出て行った。

 悶絶中のダニエラさんもようやく起き上がり、未だ若干フラつく足取りでこちらに寄ってくる。

 

 

 

「…………ふぅ…新魔王様…いつもより激しかった…」

 

「普段どんだけプラトニックなのよ、あんたら。…ダニエラさん、プレイの後で申し訳ないんだけど、方伯領方面の情報を収集してもらいたい。」

 

「ふふっ、任せておけ、我のプリンス♡」

 

「辺境伯様!方伯領より急報です!」

 

 

 私がダークエルフのおっぱいに新たな指示を下した時、伝令がノックもなしに執務室へ突入してきた。

 ノックぐらいしなさい、怒るよ?処すよ?首はねるよ?

 

 

「何事だ?」

 

「方伯領北方より魔族の侵入あり!至急辺境伯騎兵隊の支援を求むとの事です!!」

 

 

 

 どうやら、伝令が持ってきた情報を聞く限り、私の計画は上手くいっているようだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8 人質の盾作戦

 

 

 

 

 

 

 方伯領 

 三角地帯北部

 

 

 

「だ、第二列、前へ!!撃て!!」

 

 

 甲冑を被った隊長が命じたにも関わらず、ハンドキャノン隊第二列は射撃を行うことができずにいる。

 第一列の一斉射撃は号令通りに行われたが、しかし、敵の魔族達はこの新しい新兵器を見てさえ勢いを緩める事はなかった。

 ハンドキャノンが雑多な魔族で構成されたこの敵集団の第一派を薙ぎ払った時、彼らは確かに一時足を止めた。

 だがそれも数瞬のことで、魔族達は再びハンドキャノン隊の方へと突進を始めたのである。

 

 

「第二列!何をしている!撃て!撃て!」

 

「隊長!第一列が浮き足立っています!射撃準備にはまだ時間がっ」

 

「このままでは蹂躙される!…もういい!各個射撃!撃て!撃て!」

 

 

 隊長の焦りは確かに理解できるものがあるだろう。

 実は新兵器によって狼狽ているのは、どちらかと言えば方伯領軍の方であった。

 彼らはこの火薬の射程と衝撃力が、脆弱な敵歩兵隊の進軍意思を破砕すると過信していたのだ。

 だが、彼らの言う脆弱な敵とは…彼らが知る由もないが…退路を絶たれた政治犯達であった。

 彼らは自分達が生き残る為には、もう前に出て人間を駆逐し、そこに住み着くしかないという事を十二分に理解していたのだ。

 新魔王はよほどのお人好しらしく、追放する政治犯達に武装を許した。

 生き延びて体勢を立て直せば、新魔王への復讐さえ夢ではない。

 そう信じる彼らにとって、例え目の前に轟音と死を振りまく兵器があったとしても足を止めるという選択肢はなかったのだ。

 

 

 隊長は各個射撃を命じたが、これは全く持って逆効果だった。

 命中精度を期待できないハンドキャノンは、散発的な射撃によって見事なまでにその利点を失う。

 いくら長弓や弩より射程が長くとも、当たらなければ意味はないのだから。

 

 

 魔族の侵入軍はいよいよ勢い付いて、ハンドキャノン隊の正面に迫りつつある。

 隊長は金切り声を上げて伝令を呼んだ。

 

 

「本営に伝言!この防衛ラインはもう持たない!射撃を行いつつ後退する!行け!」

 

 

 伝令は隊長のメッセージを記憶して早馬を飛ばす。

 しかし、悲しいかな、隊長がこの世で発した言葉はそれで最後になった。

 隊長の後頭部には近距離で発射された矢の先端が突き刺さり、甲冑はその衝撃力と貫通力から彼の後頭部を守ることができなかったのだ。

 伝令が去って隊長が"新たな旅立ち"を迎えた直後、魔族の歩兵がハンドキャノン隊の隊列に突っ込んだ。

 近接戦闘力を持たないハンドキャノン隊はただただ蹂躙されるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 方伯領軍

 本営

 

 

 

 

 

 

 

「報告!第44ハンドキャノン隊は壊滅!」

 

「第31ハンドキャノン隊は退却中!」

 

「第6近衛騎兵隊は包囲されました!」

 

 

 次々に報告が舞い込む本営に、件の伝令の言葉が届いたのは隊長が死んでから6時間後の事だった。

 それまでに方伯が自身を持って送り出したハンドキャノン隊の、実に30%は消耗するか、全滅するか、包囲されるか、或いは後退している。

 伝令が伝言を持ってきた第15ハンドキャノン隊もそのウチの一つで、本営に伝言が伝わる頃には50%の人員を喪失…つまり全滅していた。

 

 

 しかし、方伯領軍司令はそれでも慌てる事なく、ただただ考え込んでいる。

 情報伝達を伝令に頼るこの時代、情報が遅れるのは当たり前で、それ故に軍の司令官はその遅れを見込んだ決定を任されていたのだ。

 

 

「………」

 

「司令、ハンドキャノン隊は有効な手立てを打てておりません。我々の近衛騎兵隊は数が足りず、幾つかは包囲されております。」

 

「………」

 

 

 本営中に緊張が走る。

 方伯領軍司令が考えるその様は、威風堂々たるもので、その考えを妨げる行為は不遜とされてきた。

 それでも司令の副官が口を出したのは、危機感からであろう。

 こちらが送り出した新兵器は過信とこの陰惨な結果を招いた厄介者であり、敵を食い止める為には別の方策を打ち出さねばならぬという危機感。

 

 司令もそれを踏まえてか、ようやく口を開いた。

 

 

「…そう急ぐな。辺境伯領軍の援軍は呼んであるな?」

 

「はい。伝令の報告では、すぐに増援を派遣するという事でした。」

 

「ならばそこまで慌てる必要もない。ハンドキャノン隊の殆どはロクな練兵も間に合わなかった農民共だ。…残念な結果になったが今回は諦めるほかなかろう。」

 

「………」

 

「我々には強力な騎兵隊が必要だが、それはもうまもなく得られる。だから今しばらく待っておれ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立派な顎髭を蓄えて、ずんぐりと肥えたグスタフという男が、頗る重たい鎧を着て、自身の馬に乗る。

 馬はその重量に抗議の声を挙げるが、グスタフはまるで気にしていない様子だった。

 馬を歩かせ、自身の配下を見て回る。

 彼は辺境伯軍第4親衛騎兵連隊の隊長であり、もう50を迎えようとしているものの、若い頃は勇者とともに魔王の軍勢と戦っていた大のベテランだった。

 

 

 グスタフは今日、元々の配下である第4親衛騎兵連隊に弩とパイクを装備する親衛歩兵連隊を一個加えられ、その指揮を任されていた。

 軍の準備は万端。

 元々より、辺境伯から出されていた出撃準備命令によって、これらの準備は比較的早期に整えることができた。

 彼のような部隊指揮官にとって、トップの意思決定が早い事は殊更に助かる。

 

 辺境伯はまた、彼や、彼と同じような高級指揮官に、単純極まりない命令を与えていた。

『方伯領軍を援護し、方伯領内の魔族を一掃せよ』

 グスタフのような男にとってこの手の任務は得意中の得意で、彼自身はむしろ喜んですらいる。

 

 彼は自身の配下を一通り見て、その準備ができている事を確認すると、各隊の長に対して前進命令を下す。

 彼らは既に方伯領との国境沿いに展開していて、命令があればすぐに越境できる体制にあり、そしてその命令は下ったのだ。

 

 

「いつかは方伯領を攻め落とす為に越境したいものだな」

 

 

 絵空事とは自分でも思いつつ、彼は隊の先頭に躍り出た。

 だが、彼の願いはまもなく絵空事ではなくなることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第4親衛騎兵連隊とその付属とされた部隊が越境する少し前、彼らとは別の連隊に属する親衛隊員達の内一個小隊ほどが密かに越境していた。

 表向きは第4親衛騎兵連隊の後方連絡支援という任務を与えられていたが、その割には二頭立ての馬車を引き連れていて、その装備は連絡支援に必要な機動性を阻害しているように見える。

 だが、方伯領の国境を守る兵士がそんな考えに至るわけもない。

 方伯領の国境警備兵は既に自領の北部で魔族の侵入があった事も知っていたし、二頭立ての馬車は補給の都合で用立てたモノだろうと結論つけた。

 彼ら自領の為に来てくれた援軍に敬意さえ表して、別働隊の一個小隊を快く通したのだ。

 

 

 

「位置は間違いないんだよね?」

 

「ああ、我の王子様。そこにいなければ、女魔術師はとっくに首を吊っているか、どこかでのたれ死んでいるか、さ。」

 

 

 方伯領の国境警備兵は二頭立ての馬車を確認さえしなかったが、その馬車の中には2人の人物が載っていた。

 辺境伯と、"許嫁(ダニエラ)"である。

 

 

「どっかでのたれ死になんて困るぞ、おい。彼女には何としても生きていてもらわないと…」

 

「ほほう、我の王子様…よほどその女が気に入ったようだな。」

 

「気に入ったどころじゃない、いなきゃ困る。せっかく国庫の有り金を叩いて軍を動員したのに、肝心の目標を逃すなんてあってたまるか!」

 

 

 本来なら、私だってこんなハイリスクな任務に出向きたくはない。

 だが、リターンが"ハイ"という言葉を軽く超えているし、リスクの半分はもう支払ってしまったので結局出向く事にしたのだ。

 こういった大事なことは自身の手でケリをつけてしまうのがいい。

 しっかりと人生の舵を取れ。ニーチェの言うところの"自分の脚で"だ。

 

 

 馬車はまもなく目標となる廃教会に差し掛かりつつあった。

 周囲に建物はなく、朽ちた教会がただ一つあるのみ。

 一個小隊は予め決められた通りに分散して、退路を塞ぎ、周囲を巡回している。

 実際に突入する親衛隊員と私の馬車だけが、廃教会へとまっすぐ向かっていた。

 

 

 

 教会は大層立派な建物に見えた。

 昔はこの地域の中心となる存在だったのだろう。

 だが、大昔の魔王軍の侵入はこの辺りまで脅威を与えたらしい。

 住民達はより安全な南方へ逃げ出して、その生活の中心となっていた教会の職員も場所を変えたに違いない。

 今では、朽ちた建物がそこにポツリとあるばかりだ。

 

 

 馬車が止まり私はピッケルハウベと、かなり小型化された弩に弓矢を装填する。

 これだけ小型だと威力は限定的だろうが、まくまで護身用ということだろう。

 横に座るダニエラも、同じように弩を装填した。

 

 

 6人の親衛隊員達が廃教会の入り口に集い、突入の体勢をとっている。

 入り口に1番近い位置取りをしているのはかなり大柄の男で、2番目はこの前私の命令で孤児院から子供を連れ去った例の親衛隊長だ。

 親衛隊長は6人の男達と目配せすると、先頭の大男が廃教会の朽ちた扉を粉砕する。

 長剣を抜いた親衛隊員達がその後に続いて、廃教会の唯一の出入り口である扉から突入していった。

 

 

 幾ばくか物音が響いた後、親衛隊長が髪の長い中年女性を捕まえて廃教会から出てきた時、私は自身の幸運とありとあらゆる神々に感謝を捧げた。

 新魔王の協力を仰ぎ、国庫の金をかき集め、出兵までした努力は決して無駄ではなかったようだ。

 

 女は乱暴に衣服を掴まれて、私の馬車に乗せられる。

 両手首は身体の後ろでしっかりと縛られていたが、両目は鋭い眼光で私を睨みつけていた。

 私は正直少し圧倒されたが、圧倒的優位にいる事を自身に言い聞かせて口を開く。

 

 

 

「初めましてと言うべきでしょうな、女魔術師殿。」

 

「クソッ!一体どこでアタシの情報をッ!」

 

「我々には独自の情報網があるのです。」

 

「へえ!そいつは驚いたよ!アンタ達、魔王軍との戦争を忘れたっていうの!?……新しい辺境伯だな?一体いつから辺境伯は国王の従順な犬っコロになってしまったのか!」

 

「これは失敬な。我々としてはあなたを国王に引き渡す気などありません。」

 

 

 

 女魔術師の表情を見るに、私の言葉を信じていないのは明白だった。

 だから、彼女には嘘を信じ込ませるよりも、こちらの目的を伝えたほうが余程有効だろうと私は思う。

 そして私はその思いを実行に移す。

 

 

「取引をしたいんです。我々はあなたの身の安全を保障します。国王にも、方伯にも手出しはさせない。」

 

「………」

 

「これまで逃げ隠れには随分とご苦労なさったでしょう。もう心配はありません、我々は」

 

「対価は何?」

 

 

 女魔術師が第九代勇者と魔王を征伐した時、彼女はまだ十代…つまりは勇者と同年代だったという。

 あれから何十年!

 そんな彼女も今では熟女と呼べる年齢にほど近い。

 例え彼女のキャラボイスを田中敦●女史がやってたとしても私は驚かないし、むしろ順当だとすら思う。

 この世界の平均寿命は決して長くはないのだが、カリウス将軍やシュタイヤー、それに第4親衛騎兵連隊長が現役な割には、勇者の死は()()()()

 そのせいで剣士も、僧侶も、女魔術師も"割"を喰ったのだ。

 その逃亡生活の中で培ってきた胆力というものもあるのだろう。

 彼女の眼光によって、私は再び圧倒される。

 

 

「……我々があなたに求めるのは、ある物質の製造と提供です。我々の専門家によれば、あなたにとって造作もない」

 

断る

 

 まだ話してる途中なんだけどなぁ。

 

「アンタからは()()()()()()を感じる。魔王や国王と同じような…アンタが何を企んでいるにせよ、アタシは協力しないよ。」

 

「………なら、残念ですが。」

 

「ああ、国王にでも何でも引き渡しな。或いはその弩でアタシの脳天を打ち抜いてくれれば助かるんだけどねえ。」

 

「ははっ。…ああ、いや、私の言う"残念"はそう言う意味ではありませんよ。より"道徳的な"残念、という事です。」

 

 

 何を言ってるのか分からない感全開の彼女をそのままに、私は馬車の外にいる親衛隊長に向かって頷く。

 親衛隊長はその合図によって定められた手筈の通り、自分の馬へと戻っていった。

 そして馬の後ろに()巻きにして乗せていたある人物を連れてくると、馬車のドアを開け、女魔術師の隣に押し込んだ。

 

 

「………母さん…」

 

「…ッ!あ、あなた!…クソッ!このッ!腐れ外道ォォォオオオッ!」

 

 

 女魔術師が雄叫びを挙げて立ち上がりかけたが、その対面に座るダニエラが弩を脳天に押しつけて座らせる。

 私自身も彼女と同じように、()巻きにされている人物の脳天に弩を突きつけた。

 

 

「このサイズの弩では騎士の甲冑を貫通する能力なぞないでしょうが…この子供の脳味噌をシシケバブにすることならできる。」

 

「クソッ!クソッ!その子を離しな!呪い殺してやる!」

 

「離す?…ほっおう、いいでしょう。御望みであらば王都にでも解放しましょう。"女魔術師の呪われた血を受け継ぐ子供"…王都の近衛兵が喜んで狩りに来そうだ。」

 

「クゥッ!」

 

 

 ここまでで分かる通り、この前親衛隊長が孤児院から連れ去ったこの子供は、女魔術師の子供だ。

 それどころか、第九代勇者の子供でもある。

 

 

「あなた方は随分と悠長なロマンスに耽っていたようですね。この子が産まれたのは…控えめに言って15 年前でしょう。いやはや驚いた。そんなお歳で子供を設けるとは。」

 

「黙れッ!これ以上勇者を貶すなら殺すッ!」

 

「…ふぅん。確かに、これは失礼が過ぎたかもしれない。……さて、取引に戻りましょう。我々にご協力いただければ、この子とあなたは我々が責任を持って保護します。」

 

「………ッ!」

 

「断るなら…勇者とあなたのロマンスもここで終わりだ。」

 

 

 

 

 

 結局、第九代勇者と女魔術師のロマンスは終わらなかった。

 私は望んだモノを手に入れたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9 ロクデナシのマニュフェスト

 

 

 

 

 

 

 

 

 人類の決して短くはない歴史の中で、永らく決定的な役割を果たしてきた兵科といえば、まず疑いの余地なく騎兵であろう。

 チンギス=ハンのモンゴル騎兵は帝国を築き、ポーランドのフサリアはオスマン軍のウィーン包囲に穴を開け、コサック騎兵は常にロマノフ家の切り札であった。

 信頼性の高い機関銃と、精密な野砲が戦場に姿を現すまで、戦いの決定権を握るのは騎兵であったし、それはこの世界でも決して例外ではない。

 

 新兵器・ハンドキャノンでさえ足を止めなかった魔族政治犯達がようやっと足を止めたのは、見事に統率された重騎兵の群れが自らに向かって突進してきた時だった。

 重々しい鎧と、長い槍、強靭な騎馬が、速度と質量を伴って迫ってきた時、魔族達にはそれらを止める術が用意されていなかったのだ。

 よって、彼らは蹂躙された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1週間後

 

 

 

 

 辺境伯領居城

 執務室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グスタフの第4親衛騎兵連隊は救援に間に合い、魔族の侵攻軍…いや、グスタフの言うところの"大変可愛らしい集団"を尽く破砕した。

 方伯軍第6近衛騎兵隊を救出し、ハンドキャノン隊が持ち直す時間を与え、捕らえた捕虜は全て処刑したのだ…辺境伯命令で。

 

 方伯はこの小規模な戦争で、土地の安寧を得た。

 私の手元には彼からの修飾語たっぷりのお礼のお手紙が届いた。

 だが、私はそんな紙切れよりもずっと多くの物を得たのだった。

 この日私は閣僚達と共に、その()()()()を話し合っていた。

 

 

 

 

「国庫の有り金を叩いた甲斐がありましたな、辺境伯。方伯軍の実力はしっかり推し量ることができましたぞ。」

 

「ほほう、というと?」

 

「例のハンドキャノン隊など恐るるに足らぬという事じゃ!連中敵の歩兵さえ満足に…」

 

「違う、そうじゃない」

 

 

 私はちょうど一週間前に同じ場所でそうしたように、目頭を抑えて天を仰ぐ。

 自信満々に見解を述べるカリウス将軍は心強いが、戦争の前に私が言ったことを丸々忘れていたと言うのだろうか?

 ならこの将軍を更迭しなければ。

 

 

「おおっ、そうじゃった!辺境伯から命ぜられた事項もしかとグスタフに観察させましたゾイ!

 

「そう、それそれ。」

 

 

 『増援の出兵と共闘による方伯領軍の観察』

 コレこそが私が新魔王にさえひた隠しにしたもう一つの目的であった。

 第4親衛騎兵連隊長は越境を行う前にこの密命を帯び、それに準じた行動を取った。

 つまるところ、方伯領軍本営と連携を取ることで、向こう側の特性を掌握したのである。

 

 

 

「まず、方伯軍の編成から。連中は軍を主に4つの方面に割り振っておる。北部軍、南部軍、西部軍、南部軍。それぞれ守備範囲が決められており、主攻勢方向の軍に他の方面軍から援軍が出されるようになっておる。」

 

「随分と守備的な配置だな…指揮系統は?」

 

「これがかなり複雑じゃ。まず本営があるわけじゃが、この時点で系統が分かれておる。方伯直轄の『近衛騎兵』を運用する組織と、農地から徴発した兵を運用する組織とがそれぞれ別の本営を持っておるのじゃ。」

 

「…一元的な運用ができない、ということかな?」

 

「その通り。騎兵と徒歩兵で系統がキッパリ別れておる。今回の件では試験的に近衛騎兵側の本営が徴発兵の本営も兼ねたのじゃが…本営が徴発兵のハンドキャノン隊を見捨てた事から再び分離の方向へ動いておるようじゃな。」

 

「そいつは素敵だ、大好きだ。…他には?」

 

「末端部隊の伝令は単一の伝言を複数の機関に報告せねばならん。まず直上の上級部隊へ報告、その指揮官が重大と判断すればそのまた上級部隊へ。そのまた指揮官が重大と判断すればまずは部隊が所属する貴族へ、その後方面軍、方面軍司令官が重大と判断すれば本営へ……それも両方の本営へ。」

 

「何てこった…つまり、組織間の情報伝達は各組織の長や所属する土地の貴族の承認を受けねばならないし、情報を集積して方伯の判断を容易にする組織体もないわけか。」

 

「そもそもが違うの。方伯は方伯で近衛騎兵側本営の最高指揮官という位置付けにおる。方伯軍司令はその命令の実行者で、徴発兵本営を束ねるのはその副官という割り振りじゃ。」

 

「ん?どゆこと?」

 

「つまり…ワシもこんがらがっとるが……騎士と従者の関係をそのまま軍組織に拡大したのが方伯軍じゃ。徴発兵部隊は近衛騎兵の尻に敷かれとるというわけじゃが、徴発兵側も一応本営を持っておる。しかし、命令の優先権は近衛騎兵側にある。」

 

「それもう単一組織にした方がいいんじゃ」

 

「言ったじゃろ。今回の戦争で近衛騎兵側は徴発兵側を見捨てた。再分離は避けられんよ。」

 

「伝令の話が出たけど…それだけ複雑な系統を持つなら伝達には相当な時間を食うんじゃ…」

 

「勿論。一例を挙げると、第15ハンドキャノン隊があるのぉ。この部隊が後退の報告を挙げてから、本営にそれが伝わったのがなんと6時間後。あの限定的な地域でそのザマじゃからの。」

 

 

 驚いた。

 私が侵攻を恐れていた仮想敵国は時代遅れも良いところな…全く持って機能し難い軍事機構を持っているようだ。

 おおよそ軍隊で考えられる最も不効率な体制を考えればきっとこうなることだろう。

 

 

「徴発兵部隊の本営は方伯軍の副官が持っておるが、徴発兵を実際に指揮するのは徴発した地域の貴族ないし貴族が任命した者じゃ。」

 

「じゃあ、方伯軍の中にも2つの指揮系統があるのに、そこに別の指揮系統も絡んでるわけか…よくもまあ。」

 

「じゃから言ったじゃろ!方伯領の素人どもなぞ瞬殺じゃと!」

 

「まあまあ。…それはそうと、鹵獲したハンドキャノンの分解の方は?」

 

「グスタフが戦場で拾ってきたアレか?領内の鍛冶屋達を集めて調査させた。どうやら、あの無駄な紋様以外は腰を抜かすほど単純な作りらしい。こちらの鍛冶屋でも作れそうじゃ………金さえあればの。」

 

 

 

 すんばらしい!

 しかし、問題はその金が無いこと。

 我が領には金がなく、僅かに残った国庫の金もこの前の出兵で使い果たしてしまった。

 それに我が領内にコレといった産業があるわけでもない…そう、今までは!!

 

 

 

 私はカリウス将軍との話を切り上げて、今度はアンドレアスとシュペアーの方へ向き直る。

 

 

「コカインの製造の方はどんな感じ?」

 

「順調だ、ゲルハルト。女魔術師はこちらが望むものを全て製造できる。来週には量産体制が整うよ。」

 

「問題はコカの栽培ですね。魔王国との国境沿いにしか栽培に適した場所は…」

 

「かまわん、やりたまえ。あそこに住む亜人種共にやらせればいい。…今回の戦争で方伯からは食糧が送られてくるから、それを出汁に使うんだ。」

 

「かしこまりました。」

 

「モノを作ったところで販路がなければ何にもならない。()()()()()()に、欲深い間抜けな商人はいそうかな、シュペアー?」

 

『自由都市ハンザブルグ』にはそう言った輩はごまんといます。適当な者には目星をつけていますから、ご安心を。」

 

「大変結構。」

 

 

 次いで私は、シュタイヤー大臣の方を向く。

 

 

「シュタイヤー、軍と金はまもなく整う。つまり…」

 

「あとは外交の問題じゃな。我々が方伯領に攻め入るとすれば、王国は必ず黙ってはいまい。()()()()()が必要じゃ。」

 

「正当な理由」

 

「往々にして正当な開戦理由は次の内のどちらかじゃ。1つ、我々が攻撃を受ける。2つ、大義名分を掲げる」

 

「口を挟んで悪いが…辺境伯、方伯軍は此度の失敗で己の軍事能力を見直すハズじゃ。恐らく先に述べた指揮体系を見直す事から手をつけるのじゃろうが、それが整うまでこちらに攻め入るようなマネをするとは考えにくい」

 

「逆に考えよう、将軍。方伯領軍の指揮系統が旧態然としている今こそが好機だ。それ相応の大義名分があり、国王の承認を得れれば楽な戦いになる。シュタイヤー、何か提案は?」

 

「ワシを誰だと思うとるんじゃ。案がないわけなかろう…ただ、その案じゃと、最初にアンドレアス殿の薬物を口にするのは方伯と言うことになるがの。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領-公国領国境

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 賊の親玉は暗闇の中、自身の愛用の武器である大斧に向かって這いずっている。

 普段はそんな事しなくとも手下に一声掛けるだけで良いのだが、しかし、今彼らの拠点たる洞窟にいる生きた人間は2人だけで、それはすなわち親玉と彼を追い込んだ敵であった。

 親玉は這々の体でようやく大斧に辿り着き、その柄に向かって手を伸ばす。

 だが残念。

 親玉が斧の柄を掴む前に、重いブーツの底が彼の手を潰す。

 

 

「ぎゃあああああ!?」

 

「騒ぐな。質問に答えてもらおう。」

 

 

 ブーツの主は痛みに悶える親玉に鋭い蹴りを入れた。

 フードを深く被ったその威容からは、只者ではない…何か悍しい雰囲気を感じる。

 少なくとも、戦いの素人ではない。

 

 

「知らねえ!!俺たちは何も!!何も知らねえ!!本当だ!!」

 

「嘘を吐くな、お前達が孤児院を襲ったことは分かってる」

 

「孤児院!?…んなもん知らねえよ!!本当だ!!」

 

「まだ嘘を」

 

「本当に本当だ!!手下を皆殺しにされて自分まで殺されかけてんのに、此の期に及んで嘘なんか吐くかよ!!!」

 

 

 ブーツの主…シスター・フローレンス…つまり猟師は、親玉の様子を見るに嘘を吐くような状態でない事を見て取った。

 彼女が抱いていた予感はもう確信に変わりつつある。

 あの日、孤児院から女魔術師の子供を連れ去ったのはこの野盗共ではない。

 そもそも、手順があまりにも手際良く、華麗だった。

 それでも野盗の親玉を追い詰めたのは、確信を得るためだ。

 少なくとも、孤児院を襲ったのはこいつらではないという確信を。

 

 

「だ、第一、俺たちが孤児院を襲うなら目撃者なんて1人も…」

 

 ズバァアアンッ!!

 

 

 洞窟の内部に火薬の爆発音がこだまする。

 火縄式の片手用ハンドキャノン…言ってしまえばマスケット銃が、親玉の首から上を完全に破壊した。

 本来魔族の装着する固い鎧を打ち抜く為に設計されたその火器は、親玉の薄汚い頭を破壊するには十二分な威力だった。

 

 

 

 猟師は洞窟を後にしながら、考えにふける。

 孤児院を襲った連中は間違いなく()()()がそこにいることを知っていたし、その拉致を目的として行動していた。

 そこまでは分かるが、"なぜ"が分からない。

 国王は剣士を公開処刑したという。

 だがその国王も、女魔術師と第九代勇者の間に生まれた子供の事は知らないはずだ。

 一体誰が聞きつけて、何のために連れ去ったのか。

 

 逃亡中の友(女魔術師)の身を案じつつも、猟師は必ず()()()を連れ戻そうと決心していた。

 彼女は何があっても友との約束を反故にしようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10 誰でもない男

 

 

 

 

 

 

 

 商人アレハンドロは自由都市ハンザブルグにおける大多数の商人と同じように、金銭のためならどんな事でもやるタイプの男だった。

 そんな彼にとって、辺境伯領から持ちかけられた取引は実に良いモノに思える。

 後に人々は彼が辺境伯領の行政長官から栄えある『欲深くて間抜け』という称号を承っていたのだという事を知るようになるがそれはまだ先の話。

 彼は今有頂天で、王国の西側にある『共和国』へと荷を運んでいた。

 

 

 勿論、彼も最初は半信半疑だった。

 辺境伯領行政長官から呼びつけられ、何事かとは思ったが。

 少し前の方伯領における魔族侵入の際に捕虜から製法を得たという謎の()()を共和国で売り捌いて欲しいという依頼を受けた時は、そいつが本当に秘薬としての効能を持っているのか訝しんだものだ。

 

 だが、今では彼は行政長官を疑ってはいなかった。

 依頼を受けた後、無償で提供された試供品を試した事でこの秘薬の素晴らしさが嫌と言うほど分かったのだ。

 気分が高揚し、頭が冴え、五感が増強されるような何とも言えぬ感覚。

 最初の仕事で運んだ秘薬は無償で提供されたし、仮に売れなくとも彼が損を被ることもない。

 もし売れなければ…彼はそれを全て自分の為に使うつもりだった。

 

 

 秘薬は国境を超えた共和国でも売れ、2回目の商売ではその倍の量が売れた。

 アレハンドロも気づいていたが、どうやらこの秘薬の欠点はその依存性にあるらしい。

 でも一度に大量の量を必要とするわけではないし、少なくとも買える金は充分ある。

 共和国での商売は回数を追うごとに鼠捕り式に儲けが増えていたし、これからも増え続ける事が容易に想像できた。

 

 無論、儲けの幾ばくかは秘薬の持ち主に渡さねばならなかったが…それを差し引いてもアレハンドロの取り分は莫大だった。

 彼は今日も国境へ向けて荷を運ぶ。

 共和国での商売は、これで2桁になろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 商人アレハンドロが魔王国伝来の秘薬を売り捌いていたとき、方伯は王国の東側にある隣国・帝国からもたらされた"回復薬"を常用し始めていた。

 数日前に帝国特使を名乗る褐色の麗人がやってきて、その回復薬を手土産に持って来たのである。

 今日も方伯は自身の執務机…辺境伯の持つ机よりも余程立派な机…に白い回復薬の粉末で筋を作り、鼻でそれを啜っていた。

 

 

 

「………ふぅ…おお!素晴らしい!ここまで頭の冴えたのはいつぶりか!」

 

「方伯様…日々薬の使用量が増えているように見えます。くれぐれも節度を…」

 

「案ずるでない、司令よ!儂は今かつてないほど頭が冴えておる!軍の指揮体系の立て直しも驚くほど速く進んでおるではないか!」

 

「………」

 

 

 実際には、進んでなどいなかった。

 方伯から出される命令の量が増えただけで、その質は熟慮を欠いている。

 ただ単に勢い任せではないかと疑いたくなるような命令の数々は、相互が矛盾し、阻害し、その意図を永遠の暗闇へと誘い、更にその上に新しい命令が重なる有様だ。

 

 方伯軍司令は正直なところ、回復薬を使い始めてから不安定になり始めた方伯を心配していた。

 

 

「あの帝国特使…いや、帝国の提案は誠実な物だということもよく分かる。わざわざこのような素晴らしい回復薬を贈呈したのだからな。」

 

「方伯様…帝国特使の提案は、国王との衝突を招く可能性があります。」

 

「恐るる事はないっ!ハンドキャノンを装備する軍を持つのは、この王国中で我が軍勢だけ!帝国の後ろ盾があれば、この儂が次の国王になるのも夢ではなかろう!」

 

「………」

 

「前回の失敗をあまり引き摺るでないっ!…あの失敗は運用の固まっていないまま出撃を命じた儂にも落ち度はある。だが、それも実戦故に得られた経験であろう!儂に忠実な近衛騎兵は誰一人死なず、死んだのは徴発された農民だけ!良い事ではないか!」

 

 

 方伯軍司令は苦い顔をせずにいられない。

 司令自身、配下のハンドキャノン隊を見捨てるような判断を下したが、アレは失敗だったと思いつつある。

 彼は方伯領軍の複雑怪奇な指揮系統を一元化する事を生涯目標としていたのだが、自身の失策がその目標を遠ざけてしまった。

 農民徒歩兵のハンドキャノン隊を捨て駒にした事が、その"持ち主"である貴族達を怒らせたのだから。

 

 

「ハンドキャノンの装填に長い時間がかかり、それを補う為に三列を用いて断続的な射撃を行うという方法も失敗だったな…これでよぉうく分かった。ハンドキャノン隊の単体運用は現実的ではない。元来のパイク隊や弓兵との混用編成にすべきだな。」

 

「はっ!おっしゃる通りに。」

 

 

 司令は時々分からなくなる。

 回復薬に溺れているように見える方伯は、偶にこういったマトモな発言もした。

 あの褐色の麗人が持ってきた回復薬は果たして認めていい物なのか、それとも断ずるべき物なのか。

 

 下手に蜂の巣を突くわけにもいかない司令は、ただ方伯を見守ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯居城

 執務室

 

 

 

 

 

 

「すー、はー。すー、はー。」

 

 

 

 私は西の隣国にコカインをばら撒いて、方伯も薬漬けにしたわけだが、自身でコカインに手をつけようなどとは微塵も思わなかった。

 転生前の世界で、コカインがもたらす害悪を知っていたからだ。

 ヤクブツ、ダメ、絶対!

 "じゃあお前今一体何を吸ってんだ?"

 言わなくても分かるだろ、ハニー………ダニエラさんのおっぱいの香り

 

 

 

「う〜〜〜ん、ダニエラさんダニエラさんダニエラおっぱいさ〜ん」

 

「ふふふっ…本当に我の胸が好きだなぁ、我の王子様(プリンス)は♪」

 

「うんうん、だいしゅき〜〜〜。すー、はー、すー、はー」

 

「…………ゲルハルト、僕はもう帰っていいかい?」

 

「頼むアンドレアス。あと3秒待ってくれ。す〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

あん♡…吸いすぎだぞ、我の王子様(プリンス)♪」

 

「〜〜〜〜〜〜…っよしッ!それで、何の話だっけ、アンドレアス。」

 

 

 おいおい、どうしたアンドレアス?

 目が死んじまってるぜい?

 何だどうした、そんな目で見んなよ。

 トニー・モ●タナがコカイン吸ってるわけじゃないし、スカー●ェイスよりよっぽど健全だろう?

 こうして褐色長身爆乳イケメン美女の馬鹿デカおっぱいの香りを吸うとだな、頭は冴えるし、気合は入るし、そのくせコカインみたいに有害なわけじゃない。

 良いこと尽くめじゃねえか、なあ?

 

 

「…………」

 

「なんだその沈黙は」

 

「うん、分かった。手遅れなんだね、君は。悪いけど僕じゃ救えないよ。」

 

え、何それめっさ傷つく

 

「本題に入ろう。」

 

「お、おう。」

 

 

 アンドレアスは呆れたような顔だったが、私と話すとなると真剣な顔つきになった。

 その表情を見て私も少しばかり失敗したなという気分になる。

 彼は今コカイン製造の絶対的責任者であり、日々多忙な中私への報告をしにきてくれたのだろう。

 にも関わらずこちとらコカインならぬオパインを爆吸いしてたのだからあんな反応されても無理はない。

 今度は勿論私も真剣だった。

 

 

「コカインの販売は順調で、あのアレハンドロとかいう間抜けが商売を行う毎に売り上げは倍増してる。国庫も問題なく潤ってるよ。…ただ、問題が一つ。」

 

「問題?」

 

「ハンザブルグの他の商人達もその話を聞きつけている。国境地帯で活動を行う野盗連中の耳に入るのも時間の問題だ。」

 

「その話は我の情報網でも確認したぞ、我の王子様。手を打たねば、こちらの荷を襲われるやもしれぬ。」

 

「………分かった。アレハンドロを我がノルデンラント家の御用達商人にする。」

 

「!?…いいのか、ゲルハルト。易々とあんな間抜けに栄誉を与えて。」

 

「どうせ使い捨ての駒に過ぎんが、使ってる内は便宜くらい図ってやるさ。金ピカのメダルがあればこちらが護衛をつけても不自然はない。取引を寡占させてもな。」

 

「うぅん…我の王子様、一つ分からぬ事がある。販路を広げたいのであれば他の商人も使うのがよかろう?何故あの間抜けにこだわる?」

 

「ハンザブルグの間抜け共からあの商人を選んだ理由は、奴の口が固いという裏付けが取れたからだ。あの秘薬はあくまで魔王国から産出された物として流通させている。もしもの時、当家に疑いの目が向かないように真実の核心からは距離を置かせたいのさ。」

 

 

 

 そもそも、コカインを王国内で流通させなかったことにも理由がある。

 

 第一に、王国の宗教をその一手に握る『教会』の存在。

 公国内に総本山を置くこの組織体を、私としては味方につけておきたかった。

 コカインは遅かれ早かれ人をダメにする。

 そんなモノを王国内部にばら撒いたとすれば教会も黙っていまい。

 ただし、共和国は宗教に寛大な国家で、教会は共和国の人間を不信心者として嫌っていた。

 だから地獄落ちが決まっている連中に"魔王国の産物(コカイン)"を売り付けた事がバレても"お小言"程度で済むだろうし…私は近い内に献金を予定しているが…彼ら自身も利益を得られるとすれば文句は言わないはずだ。

 万が一我々に"異端の秘薬(コカイン)"を製造している疑いがかかっても、アレハンドロ1人に泥を被せて始末すれば良い。

 護衛を付けることは、速やかな処分を可能とするという点でこちらにも都合が良かった。

 

 

 第二に、共和国が将来的に仮想敵となる可能性があるということ。

 取らぬ狸の皮算用だが、我々が方伯領を手にした場合、バランス・オブ・パワーは大きく変わり、王国は勿論共和国にとっても脅威ないし標的になる可能性がある。

 王国は教会を味方につければ何とかなるとして、帝国と共和国の二つの隣国の内、少なくとも一つは混乱の種を振りまいておきたかった。

 帝国は現在孤立主義的な皇帝がその座にいる。

 こちらは当分安心だろう。

 しかし、共和国は民主主義的な体制のせいで長期的な観測は封建制度の国家より難しい。

 だからこそ混乱状態にある方が望ましいのだ。

 

 

 第三に、私は自身の領民やこれから自身の領民にしようとする者達がコカイン中毒になる事を望まない。

 生産の働き手達がヤク中などではとても順調な行政など働かないという者だ。

 保身のためにコカインの製造を始めたのに、コカインのせいで保身が危ぶまれるなど本末転倒。

 よって、少なくとも私は王国内でコカインを売る気はないのだ…方伯とアレハンドロを除いては。

 

 

 商人アレハンドロをスカーフェイスに仕立て上げ、新魔王様にはパブロ・エスコバルを演じてもらう。

 私は()()()()()男。

 トニー・●ンタナがマイアミでボロ儲けして、エスコバルがメデジンで悠々と暮らす間に、黙々とブツを作り上げて、こっそりと金儲けをするわけだ。

 

 儲けた金で軍隊を補強し、兵站を整えて、肥沃な土地を手に入れる。

 我が領民の暮らしが安定すれば、少なくとも擾乱は起きにくくなり私が生き延びる可能性はグッと上がるだろう。

 そしてその計画と目標の第一弾は、まもなく達成されると見込まれる。

 

 

 

「あともう一つ、これはカリウス将軍から頼まれた伝言なんだけど…」

 

「将軍から?」

 

「ああ。公国との国境沿いに根城を設けてた野盗グループの一つが皆殺しにされたそうだ。犯人は不明だけど、どうやら1人でやってのけたらしい。」

 

「………どうだっていい。好きにさせておけ。ルンバみたいなもんだ、こちらに害はないだろう。」

 

 

 

 

 

 後々分かることだが、この判断は全く軽率であった。

 そのルンバのせいで後日私はえらい目に遭う。

 だが今そのルンバはハンザブルグに向かっていたし、私は別の作戦にかかりきりだった。

 

 大詰めを迎えた作戦に集中するために、私はダークエルフおっぱいに顔を埋め、一気にオパインを吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11 信仰のパトロン

 

 

 

 

 

 

 公国領内

 教皇領

 大聖堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 建設中の大聖堂というのだから、サグラダファミリア的な物を思い浮かべていた。

 だが、実際にはそんな馬鹿でかい施設ではない。

 確かに聖堂としては大きい方だと思うが…こう言っては罰当たりかもしれないが…私の想像よりも背は低く、幅も狭かったのだ。

 

 

「今回の寄付には感謝してもしきれない、辺境伯殿。きっと主の恵みが、あなたに降り注ぐ事でしょう。」

 

「信者の1人としてなすべき事をしたまでです。」

 

「信心深い御心をお持ちですね。あなたのお父上もとても熱心な信者でした。…最近は教会への信仰を捨てる愚か者が後を絶たない…嘆かわしい事だ。それに引き換えあなたとその領民達は素晴らしい。皆、あなたの姿勢を見ているのでしょう。」

 

「お褒めいただき恐縮です。」

 

 

 私はピッケルハウベを小脇に掲げながら、教皇様の一歩後ろを歩いている。

 建設中の"大聖堂"はサイズこそ私の想像を超えなかったが、その内装は私の想像を軽く超えていた。

 凝った彫刻に素晴らしい装飾。

 だがその豪勢な内装が、教皇様肝いりの大聖堂建築計画に大きな影を落としていたのだ。

 つまるところ、建設費用が足りなくなった。

 教会は王国内のありとあらゆる優れた芸術家達を集めてこの大聖堂の建築に取り掛かったは良いものの、予算が思いの外高騰してしまう。

 金がなくては物は作れない。

 この大聖堂の建築は細々と続けられていたのだが、遂に資金が枯渇するかというタイミングで、1人の男が寄付を申し出た。

 それがこの私である。

 

 

『国』という名前が付くものの、『公国』は実際には王国の一部に過ぎない。

 便宜上、国という表現を使っているだけで、国王の親類である『公爵』が治める地域ではあるものの、実態は『教皇領』及び『教皇』が幅を利かせる宗教色の強い地域だ。

 公国は横に長い長方形の形をしていて、その北辺を辺境伯領と方伯領に、南辺を国王の直轄地に接しているが、その長方形の中にはあまりにも多くの教会とその関連施設がある。

 この大聖堂もそうした施設の一つになるはずで、当初の計画では何年も前に完成する予定だったのだ。

 

 

「巡礼にやってくる信者達もめっきり減ってしまったが、あなたの領民達だけは必ず巡礼にやってきます。巡礼に来れなくてもちゃんと贖宥状を購入する。…そして、あなたのように寄進も。」

 

「我が領民が信仰を欠くことはありません…私が約束致します。ですが…心配なのは他領の領民達です。待ち望んだ平和は歓迎すべきものですが…残念ながら、それが共和国の"疫病"を持ち込んでいます。」

 

「ええまったく!あの不信心者共に天罰のあらん事を!奴らと自由都市の詐欺師達が、迷える民を惑わしています!まったく嘆かわしい!」

 

「私としても自由都市の害虫どもを皆殺しに」

 

「…!…あぁ、忠実なる信徒、我が息子よ。気持ちはありがたいのですが、主の前でそのような事を口にしてはなりません」

 

「はっ、こ、これはつい…申し訳ありません教皇様。感情が昂ってしまいまして…」

 

「自由都市の詐欺師達から"民を救う"には国王の許可が必要です。大変立派なお志ですが、今は耐え忍ぶ時でしょう。…この度はわざわざ遠方から足を運んで下さってありがとう。あなたの行動を、主もきっとご覧になっておいでです。」

 

「いえいえ、大したことなど…」

 

「あなたの寄進のおかげで、信徒を救うための大聖堂の工事も再開できました。きっとこの世に同じもののない、立派な聖堂になるはずです。…何か困ったことがあれば、ご相談ください。」

 

「私は信徒として、一刻も早い大聖堂の完成に貢献したかっただけです。教皇様こそ、何かお困りになりましたらこのゲルハルトめにお命じください。必ずや駆けつけます。」

 

「良き信仰心です。お父上も主の下でお喜びでしょう。それではまた。」

 

 

 

 

 

 私は工事が再開した大聖堂を後にして、待たせてある馬車の中へと乗り込む。

 親衛隊の御者が馬に鞭を打って馬車を発進させると、私はふぅっと深いため息を吐いた。

 ずっと馬車に乗って待っていて、今では私と向かい合わせに座っているダニエラさんが、こちらに問いかける。

 

 

「手応えはあったのか?」

 

「うん、まあ、上々かな…当たり前だけど。人間、自分がやりたい事に金を出してくれる人間を無下にはしない。」

 

「………我にはよく分からない、前代魔王の戦争の時もそうだったのだが…」

 

 

 エルフやダークエルフの寿命は人間のそれとは比べ物にならない。

 遠い昔の事をつい最近のように覚えている。

 彼女は目を閉じ、私がまだ産まれる前の時代の記憶を遡っていた。

 

 

「人間は信仰の為に弓兵の射撃も厭わずに突っ込んできた。何故"そんなモノ"の為に、そんなことまでできるのだ?」

 

「逆に言えば、"それしかない"んだよ。勝算や収穫のない戦いをする時、ヒトの心には支えが必要だ。信仰は酷い境遇に遭った時の良い支えとなる…人間は、その支えがあるからこそ戦える。」

 

 

 信仰のチカラは恐ろしい。

 私は転生前に、そのチカラの恐ろしさを…間接的ではあるが…見てきた。

 人間は信仰の為に自爆ベストを巻き、AK47を持って、飛行機ごとビルに突っ込める。

 信仰の為に従軍し、信仰の為に無防備な人々を虐殺できる。

 信仰の為に全てを捨て、信仰の為に全てを奪うこともできる。

 宗教とその信仰は、人間に常軌を逸した行動をさせる事もできるのだ。

 

 

「………やはり…我には理解できないよ」

 

「理解できなくてもいいし、する必要もない。今大切なのは教会の信用を得ることだ。教会が私を支持すれば公爵も賛同せざるを得ない。国王だって教会との対立には二の足を踏むはずだからね。」

 

「ふむ、なるほど。つまり我の王子様(プリンス)()()()()()()()を味方につけておくのだな。…その為にあんな大金を教会に渡した。」

 

「確かに大きな出費だが、その効果は絶大だ。教会が私を信頼するなら、あの程度の出費屁でもないね。…まあ、それもこれもコカインのおかげだが。」

 

「そのコカインについてだが、新しく情報がある。」

 

「え、何々?」

 

「共和国政府がコカインの存在に気づきつつあるそうだ。」

 

「え?…マジ?早くね?」

 

「どうやら、勘の良い()がいるらしい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 共和国

 首都

 歓楽街の高級娼館

 

 

 

 

 

 

 大広間は酒池肉林の大騒ぎだった。

 時刻はもう夜中の2時だというのに、老若男女問わず浮かれて、騒いで、飲んだくれている。

 音楽家は滅茶苦茶に音色を奏でて、ポーターは常識外のチップに喜び、客達は危なっかしい足取りではしゃいでいた。

 何人かは我を忘れて飲みまくり、何人かは娼婦を連れて上の階へ、そして何人かは白い粉を鼻腔から啜っている。

 

 

 そんなバカ騒ぎの中、大広間の端っこの席でフードを目深に被り、静かに酒を飲む人物がいた。

 彼、いや彼女は周りが浮かれ騒いでいようともチビリチビリと酒を飲むだけで、その席から一時間近く動いていない。

 しかしその視点は常にある物質を捉えていた。

 バーカウンターで提供されている、あの白い粉である。

 

 

「潜入捜査についてももう少し教えておくべきだったわね、レティシア

 

 

 一時間近く観察を続ける彼女に、声がかけられる。

 フード越しに目線を向けると、胸元を大きく開いた真っ赤なドレスを身に纏う美女が目に入った。

 彼女は驚愕のあまり目を見開く。

 

 

「そ、ソフィア団長!?」

 

「しっ!声が大きいわ。…貴女、そんな格好しているけど、チョイスとしては最悪ね。周りと自分を見比べてごらんなさい。すっごく浮いてるわよ。」

 

「団長が何でここに」

 

「目的は…きっと貴女と同じよ、レティシア。」

 

 

 美女はフードの人物の隣に座ると、そのフードを優しく後ろへと引っ張った。

 フードの中からは顔…まだあどけなさの残る、可憐な少女の顔が現れて、その頬を紅潮させている。

 団長と呼ばれた女はその頬へ真っ白な指を這わせていく。

 

 

「勇気は認めるわ。でも、勝手に動くのは認められない。貴女1人でどうするつもりだったの?」

 

「わ、わたしはっ、自分にできる事をしたくて…」

 

 

 レティシアと呼ばれた少女も、このファムファタムっぽくて仕方のない女も、共にある組織に所属する人間だった。

 

共和国薔薇騎士団

 

 共和国の治安を担うこの組織は、女性団員によって構成される武装組織であり、その主たる任務は共和国内の治安維持と犯罪捜査であった。

 その隊長はソフィアという女性であり、この…魅力的な瞳の片方を見事なブロンドで覆う、目を見張るばかりの美女は、薔薇騎士団への所属から今に至るまで大きな功績を挙げてきた人物でもある。

 レティシアはまだ所属経験の浅い団員で、薔薇騎士団の中でも若手のメンバーであった。

 若いが故の熱意か、彼女は他のメンバーの誰にも相談せずに最近共和国内に流行している謎の秘薬について単独捜査を行おうとしたのだが。

 寄しくも彼女は薔薇騎士団団長とバッティングしてしまい、バツの悪い思いをする事になったのである。

 

 

「ふふっ、可愛い娘。…例の粉の件は、まだ手出しできる案件じゃないわ。」

 

「でも、あの粉が原因で死んだと思われる人物も何人か出ています。強い依存性があるという報告も…ただ手をこまねいているわけにはっ」

 

「落ち着きなさい。あの粉は王国内の自由都市から運ばれてる事も分かってる。運んでいる商人の名前もね。」

 

「ならっ、尚更押さえるべきじゃ」

 

上層部(うえ)の許可が出ないのよ。」

 

「そんな…」

 

「きっと賄賂でも積まれているのね。自由都市の商人がよくやる手口だわ。"日の当たる物は影へ、日の当たらない物も影へ"」

 

「それじゃあ、わたし達は…」

 

「どうする?王国に足を運んでみる?…知らないかも知れないけれど、王国の教会によれば、貴女とわたしの関係は()()になるそうよ?」

 

 

 ソフィアはそう言って、レティシアの唇を指でなぞった。

 赤毛を短く切った若い少女は団長の行動によって更に頬を紅潮させ、その赤さは彼女の赤毛に迫らんとしている。

 ベテラン騎士団長は、若き団員を揶揄いつつも、こんどは真剣な口調で語りかけた。

 

 

「まだ辛抱なさい、レティシア。この件には貴女も参加させるわ。今はどうか待っていて?」

 

 

 若い団員が黙り込んだまま小さく頷いたのを見て、ソフィアは安堵の表情を浮かべた。

 だが彼女の目線が、レティシアの向こうにあるテーブルを捉えると、表情は一気に険しくなる。

 テーブルに盛られる白い粉。

 ソフィアはそう遠くないうちに、この麻薬を取り締まるつもりだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

え?なんで今なの?

クッソ雑でアレなんですが、登場人物と国家の設定をぶっ込んでおきたいと思います。
多分ここに載ってない人間も出ますし、情報量多すぎるので「こいつ誰だよ」って思ったらこのページを見てくだされば幸いです。


 

 

 

 

 

登場人物及び国家設定

 

 

 

 

 ☆王国

 

 ●辺境伯領

 

 王国北西の地域一帯を治める。

 長年北と国境を接する魔王国と戦争をしていた為に国土は荒廃。

 痩せた土地が多い為、食糧持久もままならない貧弱国家。

 魔王との戦いに従事していた軍隊は王国内最強だが、それを支えるための資金がない。

 戦争のせいでまともな産業も育たずにいたが、逆に戦争に関連する鉄鋼業と軍馬の産出には定評がある。

 

 

 ○ゲルハルト・フォン・ノルデンラント

 

 本作の主人公、現辺境伯にして麻薬王。

 身長が低く、顔もよくなく、糖尿病予備軍。

 転生者であり、転生前は某国軍隊にいた。

 相棒であるアンドレアスと共に麻薬製造・販売で軍資金を稼いだり、誰かを暗殺したり、薬中にしたり、誘拐したり脅迫したり窃盗したり…とにかくロクな事をしない。

 基本臆病で、小物感丸出しであるにも関わらず、自己の生存と悦楽に関しては積極的。

 後述の新魔王を脱獄させた張本人。

 オパイン依存症

 

 

 ○アンドレアス・ケミヒャー

 

 主人公の相棒にして辺境伯政府高官。

 こいつも転生者であり、転生前は化学教師を(ドコノブレイキング・バツ⚫︎ダヨ)。

 化学知識についてはかなりの知識があり、主人公も補佐したりする。

 ひょろっとしていて、血相が悪く、普段ぼぉっとしているが、主人公以上には豪胆。

 大抵の場合冷静。倫理観もまとも。

 

 

 ○オットー・フォン・カリウス将軍

 

 辺境伯領軍総司令官。

 タマゴ大好き人間なビスマルクみたいなビスマルク。

 彼の率いる軍勢は長年魔王軍と戦っていたため経験豊富だが、そのせいか少しばかり自信過剰なきらいがある。

 軍事そのものに関しては大変優秀で部下からの信頼も厚い。

 

 

 ○ウンベルト・シュペアー

 

 辺境伯領行政長官。

 資源と産業に乏しい辺境伯領の財政と内政をどうにかやり繰りしてきた天才。

 考えが煮詰まると羊毛紙のハネた繊維を数え始める。

 辺境伯の側近の中では1番年齢が若い。

 アンドレアスのコカイン製造を支え、軍に物資を供給する影の功労者。

 

 

 ○フリードリヒ・シュタイヤー

 

 辺境伯領外務大臣。

 先代の辺境伯を唸らせる実力を持つ、ちょっと説教臭い外交の名手。

 側近の中では最長老。

 大変思慮深い人物であり、多正面作戦を毛虫のように嫌う。

 

 

 ○ダニエラ

 

 辺境伯の許嫁。

 その正体は新魔王の眷属であり連絡要員。

 おっぱい馬鹿デカイケメンクールダークエルフとかいう性癖を盛りに盛ったナニカ

 オパインの製造元。

 ダークエルフの寿命は人間と比較にならない物があり、前戦争時代には王国はもちろん共和国や帝国にも諜報網を張って活躍。

 その諜報網も活かして辺境伯や新魔王を助ける。

 

 

 ○親衛隊長

 

 辺境伯直轄部隊『親衛隊』の総大将。

 君主に信頼される良き軍人で、甘いも酸いも噛み分けたベテラン。

 辺境伯から直接秘密任務を下されることが多い。

 

 

 ○グスタフ

 

 第4親衛騎兵連隊隊長。

 肥満体の大男。

 

 

 ○ハウフトマン

 

 辺境伯軍徒歩兵部隊の総指揮官。

 カリウス将軍とは旧知の仲。

 

 

 ○メイベル

 

 辺境伯お抱えの髭剃り師。

 自称"スタイリスト"

 

 

 ○ステファン

 

 服役中の猟奇的大量殺人犯。

 前職は医者。

 

 

 ○エルドリアン

 

 辺境伯領一帯の鉄鋼業を統括するギルドの長。

 辺境伯の無茶振りに振り回される。

 

 

 

 ●方伯領

 

 西側に辺境伯領と国境を接する地域。

 統治者は方伯。

 肥沃な土地と資源を抱えて優秀な技術者を持つ反面、軍事経験には乏しい。

 

 

 ○方伯

 

 バーガー●ングみたいな見た目の典型的な"王様"。

 それなりの領地経営者であり、配下の軍勢は新兵器"ハンドキャノン"を装備するに至るが、軽率な判断で失敗を招く。

 領民を見下しているきらいがあり、配下の離反を招いている。

 辺境伯の陰謀によってコカイン中毒にされる。

 

 

 ○方伯領軍司令

 

 方伯領軍の総司令官。

 状況把握に定評があるものの、決断力は低い。

 軽率な判断で味方の離反を招く。 

 

 ○方伯領軍副官

 

 司令の副官。

 方伯領軍の構造に危機感を抱くが、方伯と司令の妨害で改革が捗らない。

 

 

 

 ●公国

 

 北に辺境伯領と方伯領、南に国王直轄領と国境を接する横に長い長方形の領地を持つ地域。

 名称に『国』がつくが、実際は王国の一地域。

 統治者は公爵だが、公国に総本山を置く教会の影響が強い宗教色の強い地域で、公爵は政治に関心がない。

 教皇は直轄地の獲得に野心的。

 

 

 ○公爵

 

 国王の従兄弟に当たる人物だが、政治的な野心も欲望もなく現状に満足している。

 芸術への造詣が深く、絵画と彫刻を愛する文化人。

 

 

 ○教皇

 

 王国中の宗教を一手に担う教会の指導者。

 公爵と同じく芸術好きで、そのために建設中の大聖堂に大金を注ぎ込んだ。

 長引く平和で巡礼者が減り、贖宥状の売り上げが落ち込んでいることを信仰への離反だと憂慮している。

 直轄地である教皇領の獲得にも野心的であり、国王に見切りをつけて大聖堂の建設費用を負担した辺境伯と準同盟関係を結ぼうと画策する。

 

 

 ○聖騎士団長

 

 教皇の軍事組織である聖騎士団の司令官。

 至って普通の武人であり、部下からも慕われているが、騎士団の勢力の小ささを心配している。

 

 

 

 

 ●国王直轄地

 

 その名の通り国王が直接統治する王国南部一帯の地域。

 この地域を指して『王国』と呼称する場合もある。

 方伯領と並ぶほどの穀物生産量に加え、王国全体でもトップクラスの産業と軍隊を有するが、全体的に旧世代感が否めない。

 

 

 ○国王

 

 国王直轄地の統治者にして、王国全体のトップ。

 東西の隣国、共和国と帝国を脅威と捉えており、安全保障のために領内統治機構の統一を目論む。

 また、行き詰まりを見せつつある領内の産業を進展させるため未知の領域である魔王国への侵攻を画策している。

 穏便な態度を装いつつも陰謀を張り巡らせる狡猾な人物で、目的のために手段を選ばない。

 国民全体に自身こそが安寧の拠り所であるというメッセージを与えるために、先代魔王を討伐した勇者のパーティ抹殺を実行する。

 

 

 ○王国軍将官

 

 この国で随一の軍事機構を束ねる将官。

 軍事のプロであり、配下の兵士たちは絶対忠誠を誓っている。

 しかしながら軍事以外には疎い傾向があり、これが稀に国王をイラつかせる。

 

 

 ○近衛隊長

 

 国王直轄部隊・近衛隊を率いる隊長。

 国王と同じく陰謀家であり、彼の右腕として働きつつも、ある野望を秘めている。

 

 

 

 

 ●旧勇者パーティ

 

 かつて先代魔王を倒したとされる伝説の存在。

 

 

 ○第9代勇者

 

 魔王討伐の中心人物であり、実際に魔王をその手にかけた真の英雄。

 今でも彼の伝説は民々の語り草であり、崇拝の対象でもある。

 だが、早すぎた彼の死は後に悲劇を起こすこととなった。

 

 

 ○剣士

 

 かつて勇者と共に魔王軍と戦った剣の達人。

 魔王討伐後は国王近衛隊に迎えられていたが、国王の策略により汚名を被せられ処刑される。

 

 

 ○僧侶

 

 かつて勇者と共に魔王軍と戦った聖人。

 魔王討伐後は各地巡礼の旅に出るが、剣士の公開処刑を聞きつけて身を隠す。

 現在辺境伯領ないし方伯領のどちらかに潜伏中。

 

 

 ○女魔術師

 

 かつて勇者と共に魔王軍と戦い、その後は勇者との間に子供を設けた魔術の匠。

 剣士の公開処刑を聞きつけて方伯領内に潜伏するが、辺境伯に捕らえられる。

 子供を人質に取られて協力を強要された結果、コカイン製造の片棒を担がされた。

 現在辺境伯領にて監禁中。

 

 

 ○猟師

 

 かつて勇者と共に魔王軍と戦った狩人。

 しかしながら遠距離からの援護に徹し、その栄光に預からなかったために国王から見落とされる。

 その後は修道女として孤児院にいたが、勇者の息子が拐われた事に激昂して独自捜査に乗り出す。

 

 

 ○"第10代勇者"

 

 勇者と女魔術師の血を引く青年。

 孤児院で正体を隠されて生活していたが、真相を知った辺境伯の命令で拉致される。

 現在辺境伯領で監禁中。

 

 

 

 ●自由都市ハンザブルク

 

 多数のギルドが集う商業都市にして、王国の交易の中心地。

 どの勢力からも政治的に離隔されていて、自由な商取引を可能にしている。

 背の高い城壁に囲まれ、豊富な資金力で傭兵軍を雇っているために軍事力も高い。

 

 

 ○市長

 

 ハンザブルクの行政責任者。

 本人も元は商人であり、自由なハンザブルクこそが商人の理想郷だと標榜している。

 有能な統治者でもあり、さまざまな政策でハンザブルクを発展させてきた。

 

 

 ○アレハンドロ

 

 辺境伯お抱えの御用達商人。

 最近まで中堅の1商人に過ぎなかったが、コカイン取引のお陰でハンザブルク有数の大商人に成長する。

 共和国への販路を開拓し、その後も販路を広げようと画策。

 共和国の治安当局にマークされる。

 本人もコカインを常用。

 

 

 ○傭兵隊長

 

 ハンザブルクに雇われた傭兵隊の隊長。

 防備の簡単な地形にある自由都市の構造と、格段に高い報酬に満足している。

 市長から提供される報酬で、自身の傭兵軍の装備を常に最新の物にしていた。

 

 

 

 

 

 ☆魔王国

 

 王国の北部と国境を接する魔族の国家。

 先代魔王の領土拡張政策により、王国と戦争を引き起こす。

 第9代勇者に魔王が倒された後は無政府状態となるが、帰還した新魔王によって徐々に治安が回復している。

 

 

 ○新魔王

 

 かつて勇者に倒された魔王の娘で、戦後は永らく辺境伯領に監禁される。

 なんらかの理由でそのまま監禁され続けていたが、勇者の死によって死刑執行が決定。

 だが、刑の執行寸前に現辺境伯によって逃され、その後は魔王国の再建に腐心している。

 無政府状態にあった国内を立て直すために国境線の安全保障を希求しており、辺境伯とは水面下の協力関係を気づく。

 魔王国建国以来初の女性魔王であり、おっぱいクソ馬鹿デカクソクールクソイケメン魔王とかいうあつまれ性癖の()

 別名"禍々しい白瀬●耶"

 

 

 

 

 

 ☆共和国

 

 王国の西側にある民主主義国家。

 寛容な社会と言論の自由により国家を発展させてきたが、近年では政権が目まぐるしく交代し安定しているとは言い難い。

 現政権は女性大統領のアンヌ・ソワールだが、野党のルイエ代表との指示差はほぼ互角。

 

 

 ○アンヌ・ソワール

 

 共和国女性大統領。

 リベラルな思想の持ち主で、寛容さと自由を大切にする共和国の文化を守ろうとしている。

 野党のフランソワ代表とは次期大統領選を巡って舌戦を繰り広げており、今のところは彼女が優勢とはいえ余談を許さない状況にある。

 寛容さを表に出しつつも、「寛容だからこそ、非寛容には非寛容であるべき」をモットーとしており、秩序を乱すコカインの存在を問題視。

 薔薇騎士団を用いて流通の途絶を図る。

 

 

 ○フランソワ・ルイエ代表

 

 野党側のベテラン男性政治家。

 現大統領の掲げる寛容さを"過剰"であると非難しており、移民受け入れの制限や軍備増強の必要性を強弁する。

 野党派閥から幅広い支持を得ているが、薔薇騎士団を疎んじたり、後述のアグノエル家との関係など、黒い噂も跡を絶たない。

 

 

 ●薔薇騎士団

 

 共和国の治安維持を担う組織で、構成員は全員女性。

 後述のアグノエル家からは目の敵にされている。

 アグノエル家の活動を監視しつつ、最近共和国内に流行りつつあるコカインの流通経路を追う。

 

 

 ○ソフィア

 

 薔薇騎士団の団長。

 頭脳明晰な美女であり、ソワールから絶大な信頼を得ている。

 任務には忠実だが政治的な欲を抱かない理想的な"警察官"。

 部下からの人気も高く、グッズが出回るほど。

 後述のレティシアとは恋愛関係にある。

 

 

 ○レティシア

 

 薔薇騎士団の新米団員。

 人一倍正義感が強く、そのせいで勝手な行動を取ることもしばしば。

 勇敢でもあり、弱者の弱みにつけ込むようなコカインの存在を心底嫌っている。

 先述のソフィアとは恋愛関係にある。

 

 

 ●共和国軍

 

 共和国の軍事組織。

 任務は共和国の防衛だが、一部警察権を与えられており、時折薔薇騎士団と衝突する。

 

 

 ○ヴァレーズ大将

 

 共和国軍最高司令官。

 頭のキレる男だが、政界への進出を視野に入れており、事あるごとに衝突する薔薇騎士団を疎ましく思っている。

 

 

 ●アグノエル家

 

 共和国随一のマフィア。

 薔薇騎士団の取締りによって収入が目減りしていたが、コカイン流入によって盛り返しつつある。

 

 

 ○ドン・アグノエル

 

 アグノエル家の大ボス。

 基本的に温厚な人物だが、ビジネスを邪魔されると恫喝も厭わない危険な人物になる。

 王国自由都市の商人・アレハンドロと組んで共和国中にコカインを広める。

 

 

 

 

 

 

 ☆帝国

 

 王国の東側に位置する専制君主国家。

 軍事大国として有名だが、共和国と過去に大規模な海戦をして負けて以来軍事行動を控えている。

 

 

 ○皇帝

 

 現帝国の皇帝。

 かつては拡張主義を唱えていたが、共和国との海戦で敗れて以降は孤立主義に徹する。

 

 

 ○皇太子

 

 帝国の次期指導者。

 冒険大好きなお年頃故に父とはしょっちゅう対立している。

 事あるごとに隣国への侵攻を目論んでいる。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12 マルゲリータ

 

 

 

 

 

 

 

 第二次世界大戦はアメリカ合衆国の製造力を示す上で最も適切な時代であろう。

 かの工業大国は主力戦車を五万輌も生産し、その兵站に必要な輸送車両、ジープは勿論、ありとあらゆる火砲、航空機、戦闘艦から個人の持つライフル銃に至るまでその動員規模に見合った装備品を生産したのである。

 いや、そればかりではない。

 アメリカ合衆国は自国の膨大な需要を満たした上でイギリス人やフランス人、ロシア人や中国人に至るまで、ありとあらゆる盟邦達に装備や物資を送る余力があったのだ。

 

 

 そんな工業超大国の事だから、銃後の民生事情は日本やドイツのそれに比べて格別良かったに違いないと思うかもしれないが、それは誤りである。

 

 一例として、民間乗用車の生産をあげよう。

 1943年、アメリカ合衆国の自動車メーカーが一般消費者の為に製造した乗用車が何台であったか?

 驚くべきことに、たったの600台である。

 

 ここからわかる事があるとすれば、アメリカ合衆国があれだけの製造力を持って枢軸国を屈服せしめたのは、その保有資源のみによるというわけではないという事だろう。

 資源や生産リソースをどこへ集中投入するか…つまりはモノをいかに使うかという点においても、アメリカ合衆国は傑出していたのである。

 

 

 辺境伯領の国庫は過去10年でも見ないほど、順調な回復傾向にあった。

 とりあえず食糧の購入に必要な分は固定費として差し引かねばなるまい。

 領民はもう飢えに我慢できないだろうから、不満が高まらない内に食糧を供給するのは定石に思える。

 

 さて問題は残りの額をどう使うかだ。

 先に述べたように、モノがあっても使い道を正しく選択できなければ、それは宝の持ち腐れとなる事だろう。

 では、それを避ける為にどう割り振るべきか。

 私はもう、腹の内ではほぼほぼ決めてあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 転生前からイタリア料理は大好きだった。

 最も一般的な庶民料理であるピッツァ或いはそのアメリカナイズド版であるピザは、私にとって幼い頃のイコンですらあった…つまるところ、崇拝の対象だったのだ。

 母親がピザの出前を頼む時、私は必ずその動きを察知して新聞の折り込みチラシと睨み合う母親の前に躍り出た。

 その頃一等好きだったピザは、トマトソースベースの…ポテトサラダを乗せたジャーマン何たらとかいうピザで、後々調べたことだが地元のローカルチェーン店くらいでしか取り扱っていない商品だった。

 

 人間の味覚は歳と共に変わっていく。

 地元を出てから、かつて崇拝の対象であったジャーマン何たらに出会う事はめっきりなくなったし、歳を取った私の舌にあの味はいささか甘過ぎるようにも思える。

 ジャーマン何たらを玉座から蹴落として、次に私を魅了したピザは、マルゲリータだった。

 

 トマト嫌いにとっては拷問みたいなもんだろう。

 これほどシンプルなピザもない。

 トマトソースにモッツァレラが乗っかり、大抵の場合萎れたバジルが添えられている。

 このバジルが若々とした状態のマルゲリータは見たこともないが。

 とにかく、ジャーマン何たらに比べれば至ってシンプルな事に間違いはないのだろうが、トマト嫌いどころかトマトが好きすぎてトマトから嫌われてるんじゃないかという私にとって、これ程にまで魅了されるピザはなかった。

 

 ただし残念な事に、これまで辺境伯の宮廷料理人でピザないしピッツァを作れる者はいなかった。

 そもそもトマト自体、辺境伯領のみならず王国全体で食される事はあまりなかったらしい。

 

 だがここに来て私はピザないしピッツァを作れる人物を手に入れたのだ…ダニエラさんである。

 

 

 

 

「我のピッツァは美味しいか、王子様(プリンス)?」

 

美味ちぃ美味ちぃ

 

「語彙力がスペイン内戦中のゲルニカだよ、ゲルハルト。ピカソが描いたやつより酷い。」

 

 

 

 グルメレポート能力云々言われたって、私は別にグルメレポーターでも何でもない。

 だからアンドレアスからの意見には静かに首を振る事で答えたし、私はそうやりながらもシュペアーの方を向く。

 彼も今私と同じように熱々のマルゲリータを頬張っている。

 数週間前まで目の下に濃ゆいクマを作っていた彼だが、今ではそのクマも薄くなり、笑顔で食事を楽しんでいた。

 長年財政の切り盛りに苦悩していた人物が笑顔になることなんてそうそうない。

 もし、それがあるとすれば…その()()()()()()()()した時だろう。

 

 

「だって美味ちぃんだもん。なあ、シュペアー?」

 

「なかなかに素晴らしいですね、辺境伯様。トマトの程よい酸味にチーズの香りと食感…病みつきになりそうです。」

 

「わしゃダメじゃ、辺境伯殿。胸焼けがする。」

 

「胃もたれもするのぉ」

 

 

 シュペアーの理想的な食レポに引き続き、シュタイヤーとカリウスとかいう2人の爺さんの愚痴が並ぶ。

 だからやめとけっつったろお前ら。

 マルゲリータにポテトフライなんて若者が食っても胸焼けするし胃もたれもする。

 だってのに「おおっ↑なんじゃそれ?わしらにも食わせろ」とか言ってたお前らが悪い。

 

 今、我々は例によって昼食会の真っ最中。

 ダニエラさんのピッツァを見て、閣僚達は皆それを食べたがった。

 故に良い歳した権力者達がマルゲリータを囲んでポテトフライを食べるなんていうお誕生日会みたいな状況が生起している。

 

 私は胸焼けに苦しむ高齢者達を無視してシュペアーに再び話を振った。

 

 

「こんな所で仕事の話なんかしたくないが…新たな収入の用途は支持通りにやってくれたかい?」

 

「勿論です、辺境伯様。コカインのおかげで鉄鋼業の技術力は凄まじい勢いで発展していますよ。」

 

「ハンドキャノンは問題なく作れそうかな?」

 

「ええ!豊富な資金を担保にできますから。鉄鋼業ギルドの長…エルドリアンという男ですが…彼によると、改良型まで製作が可能とのことです。」

 

「ほっほお、そいつぁあ素晴らしい!エルドリアン君には引き続き資金を供給しよう。」

 

 

 金は万物の特効薬だな、私はそう思わずにいられない。

 魔王との戦争からこの方、領内の鍛冶屋連中は仕事がなくて困っていたはずだ。

 聞けば連中は農具の修理や軍用品の細々とした収入で何とかやってきたという。

 それが資金を注ぎ込めば世界最高の工房に生まれ変わるとは。

 おかげで私も伸び伸びとやっていけそうだ。

 

 

「コカインの製造も順調そのものですが…問題が」

 

「何かな?遠慮せずに言ってくれ。問題の掌握が早ければ解決も早い。」

 

「現在、コカの葉は採取によって得られた原料を用いています。…つまり、野生のコカの木からとっているわけです。」

 

「栽培には着手しているんだろう?」

 

「はい。ですが、コカの木はすぐに育つわけではありません。採取にも限度がありますから、コカインの流通量を継続させるには、現状維持するしかありません。」

 

「つまり、増産してしまうと先に原料が底をつくわけだ。」

 

「その通りです。採取できるコカの量を見積もりましたが、やはり現状が精一杯。…つまるところ…」

 

()()()()()()()()()()()()()()()…今しばらくは。」

 

「はい」

 

「始める前から分かっていたことだ。長官、私が最重要視するのはコカイン製造技術と軍事技術。そちらに資金を回してくれ。将軍には悪いが、軍装備の更新は後回しになる。」

 

「…まあ、しばらくは戦争になりそうもないしの。それに、方伯軍相手なら装備更新は火急の要件ではないわい。」

 

 

 将軍はそう言ってナイフとフォークを自身の皿の上に置く。

 どうやらもう"カンバン"らしい。

 シュタイヤー大臣もとっくの昔に"カンバン"だったので、残る3人でこの量を食べなければならない。

 まあ、3人でこの量なら食べれる

 

 

「ふう、悪いけどゲルハルト。僕ももう"カンバン"だね。」

 

「え?ちょ、おい!嘘だろアンドレアス!?」

 

「なぁに、心配は要らぬ。我が残っている。」

 

 

 白旗を掲げたアンドレアスの代わりにダニエラさんが席に座ると、シュペアーもシュタイヤーもカリウスも皆席を立って部屋から出て行った。

 残されたのは半ダースのマルゲリータと、私とダニエラさん。

 つまりピッツァは2人で食べ切れるか、食べ切れないかのギリギリの量が残っている。

 

 

「我は4切れいただこう。王子様(プリンス)は2切れ食べてくれ。」

 

「…それじゃ、仰る通りに。」

 

 

 ピッツァを2切れ取り分けて、自分の皿に盛る。

 ダニエラさんは残りを自身の手前に持ってきて、内1切れを頬張った。

 

 

「我ながら中々の出来栄えだ…ふふっ、我の王子様(プリンス)がマルゲリータを食べたいと溢した時は驚いたが」

 

「そんなに?」

 

「ああ。トマトは魔族でも食べたがらぬ。こんなに美味しいのに…勿体ない。」

 

 

 ダニエラさんが1切れ食べ終わるまで、私はその様子を傍で見ていた。

 なんつーかね、色っぽい。

 褐色モデル体型ダークエルフがピッツァ食ってるだけなのにめちゃんくそエロい。

 そんな私の邪な視線に気がついたのか、ダニエラさんがこちらに妖艶な笑みを投げかける。

 

 

「我の食事がそんなに珍しいか?」

 

「あ…うん…いや…うん」

 

 

 トマトソースがピッツァから滴り落ちて、ダニエラさんの胸元に垂れた。

 赤い液体が形の良い円錐形をなぞるように滴り落ちて、私は滴から目が離せない。

 ダニエラさんは笑い声を漏らす。

 

 

「ふはははっ、我の王子様(プリンス)は本当に仕方のない子だなぁ!」

 

「…あ、ああ、申し訳ない。あまりにも…その…何というか…」

 

 

 褐色の人差し指が私の唇を抑えた。

 突然の暴挙に私は目を丸くする。

 目の前のダークエルフはまだ妖艶な笑みを浮かべたままだったが、その目は真剣だった。

 

 

「…新魔王様から許可を頂いた。」

 

「な、なんの?」

 

「………我はもう新魔王様の眷属ではない。王子様の、本当の許嫁になれる。」

 

 

 ………は?

 

 何そのサイコーなサプライズ。

 だってさ、よく考えろよ?

 褐色モデル体系爆乳クソイケメンダークエルフが私の許嫁?

 一体全体何があったらそうなるんだ?

 ひょっとしてアレか?

 罠か?罠なのか?

 また大声で笑い出して「ふははっ、冗談だ!」とか言って凹む私を笑い飛ばすのか?

 

 だが、いつまで経ってもダニエラさんは笑わなかったし、妖艶な笑みは真剣な表情へと変わっていく。

 

 

「え、マジ?なんで?」

 

「………我の王子様は良き統治者だ。側で見ていてそう思った。」

 

「いや、あの…良き統治者が人の子拉致して脅迫する?」

 

「ああ。必要によっては、な。…だから…」

 

 

 クソイケメンダークエルフが褐色の顔を赤らめる。

 少なくとも2人でピッツァの残骸を片付けんとしてる時にする表情じゃない。

 

 

「もし良ければ…だが。我をこの先も側に置いてくれぬか?」

 

「………マジで言ってる?」

 

「ダメか?」

 

「いや、全然良いけど」

 

 

 ダークエルフの顔が綻んで、歓喜の表情に包まれる。

 そして私の顔面はあまりにも巨大な双丘の谷間に包まれた。

 

 

「嬉しいぞ、我の王子様!」

 

「ふご!ふごふごふご!」

 

「ああ、いや。この関係に至って、この呼び名はおかしいか…」

 

 

 ダニエラさんはそのまま物思いに耽ってしまった。

 物思いに耽るなとは言わないが、それをやるなら私を双丘の谷間から解放してからにしてほしい。

 オパインの過剰摂取(オーバードーズ)と窒息が原因で死にそうだ。

 

 

「ふご!ふごふご!」

 

「では何と呼ぼう……!…そうだ、これが良い。」

 

 

 ダニエラさんの腕が後頭部に回り、私の頭はより強い圧で谷間に押しつけられる。

 柔らかい胸と良い香り。

 だけども、ちょっとだけでいいから放して欲しい。

 本当に窒息しそう…

 

 

「これからもよろしくな、我のハニー♡

 

 

 英語圏では恋人同士をハニーだのダーリンだの呼ぶらしいが、別にダーリンが男、ハニーが女という決まりがあるわけではない。

 だけどもなぁ…

 イケメンおっぱいダークエルフにハニー呼ばれるのもなぁ…

 

 この際仕方がない。

 私は少々恥ずかしかったが、どうにか"隙間"を確保して、ダニエラさんの呼びかけに相応しい言葉を返した。

 

 

「愛してるよ、ダーリン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13 ようこそ、ドクター

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこれは?」

 

 

 国王はある書簡を見て、怪訝な顔をしながら首を傾げる。

 書簡の送り主は方伯。

 国王の知る限り、教養もあり礼儀も正しい知識人で、彼の直筆文章の美しさは毎度彼を感嘆させた。

 だが、今国王の手の中にあるそれは、教養とは程遠いものだ。

 筆は乱れ、文字列は上下し、そして何より…その文字は国王に読み取ることができないほど乱雑に書かれている。

 

 

「…一体あやつの身に何があった?」

 

「陛下、誠に…残念なお話ですが…」

 

 

 国王の側に控えていた近衛隊長が国王に耳打ちする。

 話の内容が誰にも聞き取れないほど小声での報告にも関わらず、国王の顔はどんどん赤黒く染まっていき、その目は充血、怒りに満ち溢れた表情へと変わっていく。

 近衛隊長が全てを報告して国王陛下の耳から顔を離した直後、彼は怒りをその場でぶちまけた。

 

 

「そんな噂話など信じられるか!すぐに真偽の程を確かめさせよ!!」

 

「陛下、既に使いの者を出しております。」

 

「……おのれっ…方伯ッ!…あやつには役割があったというのに…」

 

 

 国王の1番の心配事は、その統治機構の分散であった。

 魔王国の脅威が強かった時代。

 北側から侵入した魔族への対応は困難を極め、王国軍はその足止めに失敗する事も多かった。

 そこで、国王は地域の統治機構を分散させ、それぞれの地域が各々の任務に邁進する事で効率的な迎撃態勢を構築しようとしたのだ。

 

 北西部の地域は辺境伯領として、魔族からの王国防衛の任を与えて指折りの精鋭を送り込んだ。

 北東部には方伯領を設けて食料・物資の供給にあたらせた。

 中部の、元々教会の勢力が強い一帯には公国領を作って前線兵士の心の支えとし、ハンザブルクには自由都市としての権限を与えて王国内で産出しない物資の確保を命じた。

 そして、国王とその直轄地は、全般の調整と諸外国から王国全体を防衛する任を引き受けた。

 

 

 まだ魔王軍が国境を超えているうちは、この機構が驚くほど機能した。

 だが国王にとってはその時でさえ、統治機構を分散させた事を後悔していたのだ。

 

 王国が魔王国との戦争をしている時、隣国の共和国と帝国は鬼の居ぬ間と言わんばかりに大掛かりな戦争に興じていた。

 

 元々、王国はこの2カ国の陸路通商ルートとして重要であった。

 だが王国が戦場と化すと、彼らは自然と海に通商ルートを求めたのだった。

 王国直轄地の更に南部にある海域が、共和国と帝国の新たな戦場となる。

 当初は軍事大国として名高い帝国の圧勝が予想されていたが、"人間界"でも新米国家である共和国は多数の小型船舶と海賊を用いて帝国相手の非正規戦を繰り広げたのだ。

 結果として共和国は海の通商ルートの覇権を手に入れ、帝国は孤立主義へと方向転換を余儀なくされる。

 そして…この戦争の不参加者に交渉の席は用意されなかった

 

 

 国王にとってこの出来事は、トラウマと言って良いほど屈辱的なものだった。

 魔王との戦争が終わった暁には、何としても共和国のクズどもを彼が所持するはずの海域から追い出したい。

 そのためには一度バラバラにしてしまったモノを再び纏めなければならないが、その上で邪魔だったのは勇者とそのパーティであった。

 

 王国の民たちは魔王との戦いに疲れて平和を望んでいた。

 再び国内が戦火に包まれれば、民たちの国王への求心力は低下し、"無駄な"戦争を引き起こした国王を打倒して勇者を頼ろうとするだろう。

 だからこそ国王は辛抱強く待ち続けたのだった。

 

 

 ようやく勇者がくたばった!

 かつてのパーティ仲間には汚名を着せて、1人は処刑し、1人は魔王国へ追いやった。

 もう1人は未だ潜伏中だが、いずれ燻り出してやる。

 これでようやく王国の再編成に移れる事だろう。

 もし諸侯が抵抗して戦争が始まっても、民の傷は癒えているはずだし、もはや国王以外に安寧の拠り所は存在しない。

 その為の施策を始めようとした矢先にこの始末!!

 

 方伯は有用な手駒であった。

 しかし噂が本当ならば、彼はもう駒として使えない…使い物にならない。

 だからこそ国王は怒り狂っていた。

 

 

「誠に…残念ですが、少なくとも方伯が女魔術師を匿っていたという話は本当のようです。」

 

「………確認したのか?」

 

「はい。私の直属の配下を向かわせました。例の廃教会には女魔術師が魔術研究に用いた痕跡があったとのことです。」

 

「くそ!…その()()が本当ならば此度の噂もまた真実であろう!奴は魔族の薬に溺れておるッ!!」

 

 

 国王が書簡を投げ捨てて、手近にあったサイドテーブルをひっくり返す。

 上に乗っていたワインが木目調の床に身を投げて、瓶は粉々に砕けてしまった。

 その中身がどうなったかは言うまでもない。

 

 

「どうかお気を確かに、陛下。"方伯が女魔術師を魔王国に逃した"という()()の裏が取れた以上、方向転換をしなければなりません。」

 

「誰を使えば良い!?」

 

「………辺境伯を」

 

「辺境伯!?あの間抜けか!?良いか、"あの時"魔王の娘をみすみす逃してしまったのはあの大間抜けだぞ!?」

 

「魔王の娘が暴走したとあらば、人間が止められなくて当然です。…それに、奴は確かに間抜けですが、その分扱いやすくもある。陛下からの命令に抵抗することなく従うでしょう。」

 

「………」

 

「どうかご決断を、陛下」

 

「…致し方あるまい。方伯は黒魔術に取り込まれた。辺境伯に命じて、奴を"救って"やれ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領

 重犯罪者地下牢

 

 

 

 

 

 

 ここにいる連中は、ただ死刑が執行されるのを待っているだけの連中だ。

 薄暗く、湿気ていて、カビと腐った肉の臭いがする。

 牢に閉じ込められている連中は様々で、壁にチョークで文字列を書き続けるヤツもいれば、気が触れたのか高笑いするヤツもいて、或いはオイオイと泣き続けるヤツもいた。

 

 

 私はハンカチで鼻と口を押さえながら、目的の牢へと向かっている。

 正直、ひとりぼっちでこんなところに放り出されたら、泣き叫びながら小便を漏らすことだろう。

 幸いな事に私は親衛隊の護衛を連れているし、側にはダニエラさんもいる。

 おかげで泣いてもないし漏らしてもいない。

 

 

「それにしても酷い臭いだな、ハニー。折を見て我の腋の下の匂いを嗅ぐと良い。」

 

「何故に腋の下限定?…まあ、冗談はさておき…看守長、例の犯罪者の牢はまだかな?」

 

「あと少しです…ほら、あそこの牢。囚人番号57番!面会者だ!」

 

 

 思ったより囚人番号の数字が小さかったので私は統治者として安心する。

 どうやら囚人番号57番並みの重犯罪者はそうそういないらしい。

 それは、この地域の治安が良いということだし、犯罪者が少ないのはとても良いことだ。

 

 囚人番号57番は泣いてもいないし笑ってもいなかった。

 ただ小さなロウソクの火と向かい合って、なにかの書物を読んでいる。

 この薄暗い地下牢に閉じ込められているにしては品性さえ感じられたし、そしてそれはどうやら私の勘違いではないようだ。

 

 

「面会者?…看守長さん、私には面会するような者などいませんが?」

 

「誰だと思う、57番。辺境伯様だ。」

 

「…辺境伯様直々に刑の執行をしてくださるのですか?」

 

「いや、そうじゃない。…看守長、この囚人の拘束を解いてくれ。」

 

 

 看守長が信じられないという顔で私の顔を見たが、私は黙って小さく頷いた。

「どうなっても知りませんよ」という意図を存分に含んだ瞳を投げかけながらも、看守長は囚人の拘束を解く。

 囚人番号57番も驚いた表情をしている。

 私は驚きのあまり立ち尽くす囚人に話しかけた。

 

 

「…前職は医者だそうだね。何でまたあんな事をしたんだ?」

 

「………」

 

「きっとこうだろう。君は()()()んだ。救っても救っても跡を絶たない患者達…或いは救おうとしても救えない患者達。あまりに多くの死に携わったせいで、君の精神は壊れてしまった。」

 

「………死は芸術なんです、辺境伯様。主が創造なさった芸術だ。人間は生まれた瞬間から死と共にある。」

 

「…そうかもしれない。ともかく、君は大勢を手にかけて、標本でも作るかのように切り刻んだ。私の領地で殺人は重罪だ。君は良くて絞首刑。」

 

「最後に自分自身がとっておきの"芸術品"になれる…辺境伯様、これ以上の栄誉はない。」

 

「だが…君はまだ"芸術"を作り足りないんじゃないか?」

 

「何故そう思うんです?」

 

「もう満足してるなら、医学書なんて必要ない。」

 

 

 囚人番号57番がロウソクの火で読んでいた文章は最新の医学書だった。

 どうやって入手したのかは知らないが、彼は私が来るまで貪るようにそれを読んでいたに違いない。

 この殺人鬼が良く本を読んでいるという話も、看守長から聞いている。

 

 

「君を雇いたいんだ、57番。」

 

「雇う?…ははは、辺境伯様。私は主治医に向いているとは思えませんよ?」

 

「違う。"芸術家"として仕えてもらいたい」

 

 

 囚人番号57番の瞳が輝いた。

 きっとこんな事を考えている。

 "これでまた新しい作品を作れる"とかなんとか。

 

 

「よろしいのですか?…本当に…本当に本当に本当によろしいのですか?」

 

「勿論、君さえ良ければね。」

 

「喜んでお受けします!こ、これで私のアトリエは…!」

 

 

 正直気色悪いし、この殺人鬼の気味悪さには小便を漏らしそうだった。

ダニエラさんの腋の下にシャブりつきたいし、実際この地下牢から出たらシャブりつこうと思っている

 え?なんて?

私の方が気色悪い?

 ハハッ!ご冗談を。

 とにかく、この殺人鬼が私には必要だった。

 実際にも気色悪い犯罪者である事には違いがないが、しかし()()()()()()()()()()()はずだ。

 

 

「"囚人番号57番"じゃ呼び辛いし、君はもう囚人ではない。新しい名前もやろう…そうだ、こういうのはどうかな?………『ステファン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14 殺人カンバス

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯居城

 地下室

 

 

 

 

 

 

 椅子に縛り付けられた少女は汗だくで、その身体は小刻みに震えていた。

 白衣の医者らしき男が仕事道具を用意していたが、誰が見たところで治療行為を行なっているとは見做さないだろう。

 汗に塗れる少女とは対照的に、男の態度は冷静だった。

 歯科医が検診を行うかのように、男は淡々と準備を済ませて、そして同じように淡々と言葉を発する。

 

 

「…人体とは面白いものです…特に痛覚は。痛みは身体の持ち主に危険を知らせるための信号でもあります。これ以上の負荷はその体の部位の如何の機能が損なわれる、失われる、或いは…最悪の場合、死に至る危険を教える。」

 

「………」

 

「痛覚がなければ、人間どうなるでしょうか?その人は痛みを感じない、という事になりますよね?つまりどの程度が危険なのか分からない…何をすれば危ないのか、身体の機能が損なわれるのか、死に至るのか…全く分からんのです。」

 

「………」

 

「かつて私の"患者"の中にそういう人間がいた。いやあ、助かりましたよ。大人しくて。色々と手間が省けたものです。」

 

 

 男はかつての回想に浸りながらも、少女の方へ縛る。

 猿轡を噛ませられた彼女は、異様な男の雰囲気に目を大きく見開いていた。

 瞳孔は開いて目は血走り、時折滝のような汗が入り込む。

 その度に彼女は目を瞬かせるが…どうやらこの状況は夢でも幻でもないらしい。

 

 追い込まれた彼女に出来ること。

 明らかに危害を加えられようとする時、往々にして人々がするであろう行為を彼女は実践する。

 何のことはない。

 猿轡をどうにか外し、男を罵倒したのだ。

 

 

「ぷはっ!…気持ち悪い人!でも、何をされたって口を割るものですか!」

 

「ふぅん…一体、何故そこまで"彼"を庇うのです?」

 

「あの人は弟を助けてくれた!病気に苦しんでいた弟を…うっ、ぐすっ…本当に良くしてくれた!アンタみたいなクズに渡してたまるものでsひぎぃ!?

 

 

 涙ながらに喚く少女の腕に一本の針が刺さる。

 それを差し込んだ男は笑顔を浮かべていたが、その目に生気はない。

 あまりにも気味の悪い笑みを見た彼女は震えながらも、しかし不思議なことに自らの感覚が鈍っている事に気がついた。

 

 

「い、一体何を…」

 

「心配ありませんよ。これはコカインという新しい薬物を少しアレンジした物です。痛みを軽減させるという特徴を強化してみました。例えば…そうですね。今あなたをアイアンメイデンに入れたところで、あなたは痛みを感じることなく死ぬでしょう。」

 

「ひッ」

 

「ああ、ご安心を。私は貴女を殺す気なんてありませんよ。貴女は無事にここから出てこれる。」

 

「い、痛めつける気でしょう!?あの人について喋るまで!!」

 

「ええ、貴女にはいずれ喋っていただきますが…でも痛めつけるわけじゃありません。」

 

 

 男は再び少女から離れていく。

 代わりに部屋の隅にある大きなカンバスに向かっていった。

 そのカンバスには大きな麻布が掛けられていて、その上で木枠に据えられている。

 男はそのカンバスを枠ごと持ち上げると、まだ布を掛けたまま少女と向かい合わせた。

 

 

「拷問って、何だと思います?何のためにして、何を得ようとしているのか?」

 

「痛めつけて…真実を話させる」

 

「ああ、そんなに緊張しないでください。…そうですね、多くの人はそう思うでしょう。しかし私の見識は違います。」

 

「………」

 

「痛みを与えるのは"恐怖"を与えるためです。恐怖から逃れるために、人は口を割る。…でも、良く考えてみてください。苦痛のあまりデタラメな事を喋られても、誰1人として真相は分からない…本人以外はね。」

 

「………」

 

「それにうるさい。尋問者の耳にも良くないんですよ。だから…私は貴女に痛みを感じさせない。貴女に感じてもらうのは"恐怖"です。」

 

「…………ぅ」

 

「お花が好きなようですね。貴女を良く知る人間から聞きましたよ。だから…きっと気に入ってもらえるんじゃないかと思うんです。」

 

 

 

 男がカンバスに掛けた布を取り払う。

 現れたのは絵画だった。

 それはそれはもう、悍しく、グロテスクで、"美しい"、絵画。

 

 人間の手のひらのようだった。

 だがそれはとても綺麗に切り裂かれている。

 指先の動脈や静脈が広葉樹の葉脈のように広がって、赤と青の気色悪いコントラストを醸し出していた。

 

 

「"お花"みたいでしょう?…勿論、こうなってしまったらもう二度と元には戻れない。」

 

「……いや、いやぁ」

 

「人間のソレとは思えませんよね?…人間が1番恐れている事態の一つにアイデンティティの喪失が挙げられます。"自分が自分でなくなる感覚"。それが将来永年に続くと知ったら…それも毎日毎日視界に入るとしたら…いやぁもうそれは恐ろしい。」

 

「いやぁぁぁ、いやぁぁぁ…お願い、なんでも話すからぁ」

 

「叫べないでしょう?薬が効いてきた証拠だ。残念ながら、貴女が喋るにせよ喋らないにせよ"施術"は進みます。理由は先程お話しした通り。つまるところ、恐怖を味わってもらうためです。人は恐怖を前にすると正直になる。さて、歌ってもらいましょうか。お嬢さん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メイベル、君はスタイリストなんだよな?」

 

 

 私は真っ赤な血に染まった右手を見ながら、お抱えの髭剃り師に問いかける。

 今現在私の右頬の一部に裂傷が走り、そこからはヘモグロビン色の液体が流れ出ているという状況。

 にも関わらず、私の素晴らしい髭剃り師はその馬鹿でかい胸を張る。

 

 

「勿論さ!アタイほどのスタイリストはこの領中でも見つからないね!」

 

「じゃあ我が領民の同胞男性諸兄は夜な夜なロクに眠れないわけだ。ひょっとしたら…明日の朝には無精髭じゃなくて首の動脈を切り裂かれるんじゃないかと…」

 

「悪かった悪かった!アタイのミスだよ!ほら!アンタの大好きなコレで機嫌を治しておくれ!」

 

 

 メイベルがご自慢の馬鹿でかい胸を私の顔面に乗せる。

 勿論の事私は少し機嫌を治したが、しかし完全に上機嫌になることはできそうにない。

 正直偶に髭剃り師を変えようかと思う程度だ。

 しかし、ダニエラさんに髭剃りを頼んだら長剣を持ってきた時から、私に選択肢はないのだと再認識させられている。

「我に任せろマイハニー♡」じゃねえよ。

 マイダーリンに任せたら髭どころか首から上ごと剃られる

 

 もういい、メイベル。

 せめて残りの髭だけは上手いことやってくれよ?

 せいぜい、その辺が関の山。

 

 

 髭剃り師のミスを水に流して、馬鹿でかい胸のスタイリストが再び髭剃りに取りかかった時、今度は部屋のドアがノックされた。

 そのせいでスタイリストがビクッとなって、今度は私の左頬に裂傷が走る。

 もうやだよこの野郎。

 こんな調子じゃ来週にはレザーフェイスになってらあ。

 

 左頬の出血を拭き拭きしながら、私はノックしてきた大馬鹿野郎に入室を促した。

 "大馬鹿野郎"は恭しく入室すると、素敵な笑顔を私に向けてくれる。

 目に生気が感ぜられないのが残念だが。

 

 

 

「ステファン先生。何か分かりましたか?」

 

「ええ、辺境伯様。例の"患者"について、"目撃者"が見つかりました。」

 

「患者?…へえ!辺境伯様!アンタ病院を建てたの!?」

 

「すまないメイベル。少し席を外してくれないか?」

 

「なんだい連れないねえ!アタイは除け者かい!?」

 

「頼むメイベル。…今日のミスはなかった事にするから。」

 

「おっと…それじゃアタイはこの辺で。」

 

 

 二十代半ばの元気なスタイリストが部屋から出ていくと、そこには1人のおっさんと1人の殺人鬼が残る。

 ピクニックに行って帰ってきた、みたいな殺人鬼の様子を見るに、本当に満足のいく"作品"が出来上がったのだろう。

 だが、私は彼の作品に興味はなかった。

 私の関心は作品の中身、つまり彼の犠牲者が持っていた情報だ。

 

 

「内容を聞こう。」

 

「"患者"はこの辺境伯領内にいます。彼女が"患者"に会ったのは四日前です…そう遠くは行っていないはずです。」

 

「王国中で手配されているなら尚更な。どこへ向かったかは分かったか?」

 

「はい。どうやらハンザブルクへと向かったようです。共和国に亡命するのではないでしょうか?」

 

「…素晴らしい働きだ、ステファン。」

 

「勿体ないお言葉です、辺境伯様。"作品"を"保存"出来ないのが残念ですが。」

 

「悪いがそこは諦めてくれ。領主が君の芸術に携わっていると知れたらただ事じゃ済まない。」

 

「心得ております。では私めはこれで。」

 

「彼女はちゃんと()()()おくんだぞ?」

 

「勿論です、ご心配なく」

 

 

 

 殺人鬼も部屋から出て行くと、私は軽く伸びをした。

 ようやっと方伯領との戦争に重要なピースが集まりつつある。

 残るピースはあと一つ。

 私はそいつを確保するために、ある人物を呼び出した。

 

 

「…いるかな、ダーリン?」

 

「ここにいるぞ、マイハニー♡

 

「気配を消していてくれるのはすごく安心できるよ。ありがとう。」

 

「フッ…案ずるなマイハニー♡あの殺人鬼がハニーを手にかけようとするなら、我がこの身を持って守ってやろう。」

 

 

 普通は立場逆だと思うんだけどね。

 私の方が守ってやる云々言うべきだと思うんだけどね。

 だってダニエラさん見るからに強キャラじゃん?

 私がダニエラさんの前に出たら「素人は黙っとれ」とか言われそうじゃん?

 

 

 

「…頼みがあるんだけどさ。」

 

「何だ、マイハニー?」

 

「親衛隊長に連絡してくれる?僧侶はハンザブルクに向かった、とね。」

 

 

 

 僧侶があの少女と歩いていたという情報が領民から提供された時点で、私は彼を逃すつもりはなかった。

 これは非常に重要な事実でもある。

 一つは、領民が私に忠誠を…それもとびきりの忠誠を誓いつつあるという事。

 何たって前回の戦争で魔王を倒してメンツの1人よりも私の命令…正確には国王の命令だが…を優先したというのだから。

 ここ最近の著しい財政回復は領民の心をガッチリマンデーしたらしい。

 少なくとも領民の心をガッチリマンデーしてるうちは擾乱とか起きそうにないのでこれからもガッチリマンデーしてやるぜコカインでガッチリ!

 

 そしてもう一つの重要な事実。

 本来ならばもう少し時間が掛かったであろう戦争の下準備を終えることができるということ。

 既に国王から、「方伯が黒魔術にハマっている疑いがあるので事実の場合は殺っちまえ」という旨の指令が届いている。

 ここに教皇からのお墨付きが加わればもう怖いものはない。

 そして教皇のご機嫌を取るための材料が、ふと手元に転がり込んできたのだ。

 

 

 異端の僧侶を差し出せば、教皇はきっと上機嫌。

 同じく異端の疑いある方伯の失脚に、反対票は入れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15 ノルウェー風味の鉄鋼業者

 

 

 

 

 

 

 敵の数はおそらく5人。

 その内3人は騎馬に乗っている。

 馬の駆ける速度は人間のそれとは比べ物にならないが、徒歩の人間が優位に立つ場合もあった。

 狭い場所や地形の酷い所では、馬は人間を追っていけない。

 だからこそ彼は追手の内3人からは確実に逃れるために…或いは時間を稼ぐために…欝蒼とした森の中へと駆け入った。

 

 背の高い樹木が彼を囲み、足元がその根に時々引っかかる。

 ふらつき、鈍り、偶に転ぶが、しかしそれでも彼は足を止めるわけにはいかない。

 背後から聞こえる追手の声は、正確に彼のことを捕捉している証左でもある。

 今ここで立ち止まれば彼に明日はない。

 

 しかしながら、彼はやがて立ち止まった。

 止まるという行為が彼にとってどれほど不利益な行為であったとしても、彼は止まるしかなかった。

 目の前に重々しい甲冑を装備した騎士が10人ばかりいれば致し方のないことだろう。

 

 

「…お話をしたいだけだと言ったはずです、僧侶殿。」

 

 

 騎士達の内、最も華美な装飾を施した男が口を開く。

 僧侶は足を止めつつも、次善の策を考えていた。

 

 

「話す?…ははっ、私はただの聖職者です。辺境伯親衛隊の騎士様にお話しすることなど何も…」

 

「辺境伯様がお話しをされたがっています。生前の先代の武勇伝をお聞きしたいと。悪いようには致しません。」

 

 

 嘘を吐きやがれ。

 僧侶は心の内に毒づく。

 剣士が王宮前の大広場で公開処刑されてから、彼は公国を超えて方伯領へと至り、更には女魔術師の誘拐を受けて辺境伯領にまで逃げてきた。

 国王がここに来て、魔王討伐の貢献者達を殺して回る理由は一つしかない。

 彼らの影響力を恐れているのだろう。

 

 僧侶が考えている内にも追手が彼に追いついた。

 騎士達や追手達は右へ左へ歩んで行って、今や僧侶を囲い込んでいる。

 完全に退路を塞がれた僧侶に、抵抗の術は残されていなかった。

 

 

「くっ…この、愚か者共!国王の策謀に疑いも持てぬのか!?」

 

「国王陛下に策謀があるのかないのか、それを判断するのは少なくとも私ではありません。…連れていけ、辺境伯様がお待ちだ。」

 

 

 

 騎士達とその配下は手早く僧侶を縛り付けると、乱暴に馬車の中へと放り込む。

 直衛も馬車に乗り、御者が手綱を握ると、1番華美な装飾を施した騎士…親衛隊長は馬車と隊列を辺境伯居城へと向かわせる。

 随分と時間がかかってしまったと、親衛隊長は思っていた。

 ハンザブルグまではあと15マイル。

 危うく取り逃すところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯居城

 執務室

 

 

 

 

 

 

 

 ちょうど昼飯を食べ終わってから3時間経った時、私の小腹が空腹感を訴え始めた。

 昼飯はダニエラさんが拵えてくれたスパゲティ・ペスカトーレだったが、そいつを食べ終わってから3時間何をしていたかと言えば、新式装備部隊の編成と運用方法についてカリウス将軍と話し合っていたのだ。

 

 珍しい事に、私とカリウス将軍の意見は驚くほど一致した。

 鉄鋼業ギルドの長によれば、改良型のハンドキャノン…通称『マスケット』は極々簡単な、最低限のみの加工を施す事で順調な調達が可能だという。

 我々は2人とも、あんな"消耗品"に大枚叩いて装飾なんぞ施したくもないという意見だったし、量産を最優先事項とする事に合意した。

 

 運用方法についても話は淡々と進んだ。

 グスタフのレポートによれば、方伯軍は弓矢より飛距離はあるものの精度は期待できないハンドキャノンを密集隊形で用いる事によって不足分を補っていた。

 我々も、もちろんその方法に倣う必要があるし、しかし倣っただけでも足りない。

 方伯軍ハンドキャノン隊はパイクや槍を持った魔族の近接歩兵に対処できずに一方的に蹂躙された。

 ハンドキャノン隊に近接戦闘能力がないのだから当然ではあるが、現実を直視するのであればこの事態に対策を設けねばならない。

 

 

 我々が考えた対策は2通り。

 1つはオーソドックスな方法で、要するに"合いの子"だ。

 ハンドキャノン隊とパイク隊を混成にして遠近両用の部隊とする。

 もちろん、それまでの兵科を組み合わせるものだから余分な訓練やコストを掛けずに済むという美点があった。

 ただ、欠点もないわけではない。

 ハンドキャノンとパイクという、2つの異なる武器を同一の部隊で扱った場合、その部隊には2通りの命令系統が生じる事になるのだ。

 命令系統はすべからく一元化される方が望ましい…攻撃においても防御においても。

 敵に衝撃を与えた直後に続けて迅速な攻撃を加えるためにも、より効率的な防御拠点の構築と火力の連携を行うためにも。

『船頭多くして船山に登る』とはよく言われる諺だが、軍隊の頭が"双頭の鷲"では困るのだ。 

 

 

 

 より効率的な運用を目指すのならば、ハンドキャノン隊にパイク隊をくっつける以外の選択肢を取らねばならない。

 もしその選択肢がないのであれば、優先順位と克服の難易度を見比べて、その如何を勘案して決断する。

 決断に必要な材料は多くの場合人に頼るが、よほど重大な場合は自身の目で確かめるに限るのだ。

 

 

 執務室の中央テーブルには辺境伯領内を代表する鉄鋼業従事者達が集っている。

 鉄鋼業といえば青いヘルメットを被った作業着のおっさんを思い浮かべる方も多い事だろう。

 私も当初はその頭でいたが、しかし我々は今ファンタジアなノスタルジック世界にいることを忘れてはならない。

 ギルドという名のカルテルが幅を利かせ、共産党なぞ見る影もない今、職人達を経営・監督し、労働組合に代わって福利厚生の弁を図るのは親方だった。

 

 

 エルドリアンは辺境伯領の内でも指折りの親方だ。

 前戦争時代には勇者パーティの豪腕・剣士に装備を献上した事もある。

 この剣がとある中ボス戦で重要な役割を果たしたらしく、若き日のエルドリアンは一躍時の人となった。

 

 時は無情にも流れていき、剣士に笑顔で剣を貢いだ若造も、今では立派な顎髭を蓄えた親方となっている。

 多くの職人達をまとめ上げ、指導し、監督して今日この日まで食わせてきたのだ。

 その気苦労は彼の容姿のさまざまな箇所に投影されている。

 浅黒く焼けた肌、白髪混じりの頭髪、でっぷりと肥えた体型…そして使い古された、ヴァイキングを彷彿とされる仕事着。

 

 

 ヴァイキング風の仕事着は、恐らく精錬加工によって生じる火花から肌を保護するための装備であろう。

 彼が選んでここに連れてきた職人達も同じような服装をしている。

 そのヴァイキング共が私の目の前で食事をしている様は圧巻だった。

 

 

 

「…すんませんねえ、辺境伯様!俺たちゃあ普段この時間に昼食を取るんでさあ!!」

 

「い、いや、急に呼び出したのは私の方だからね…かまわないんだが…もしアレならダニエラさんに頼んで何か持って来させようか?」

 

「いんやだとんでもねえ!領主様にそんな手間をおかけするまでもないでさぁ!こんな立派なテーブルで飯を許してくれただけでもありがてえ!…それに俺たちゃあいつも飯を持ち歩いてます!」

 

「そ、そうか。ならいいんだが。…何を食べてるんだい?」

 

 

 猛烈な食事をする彼らの内、1人のヴァイキングが立ち上がった。

 よく見ればその1人だけが白い肌をしていて、恐らくは…たぶん、きっと…女性なのだろうと判別することができる。

 どうやらヴァイキング達の弁当はこの女性が用意したらしく、彼女は胸を張って私の質問に答えた。

 

 

「ス●〜ム、ス●〜ム、ベーコン、アスパラ、ス●〜ム!!」

 

 

 ヴァイキング達が貪る弁当の内の一つを指差して、甲高い声を挙げる彼女。

 どうやら、この世界でもランチョンミートはス●ムと呼ぶらしい。

 彼女は続けて別の弁当箱を指差す。

 

 

「ス●ム、ベーコンエッグ、ス●ム!ス●ム、ス●ム、ソーセージ、ス●ム!ス●〜ム、ス●〜ム、ス●〜ム、ス●ムとス●ム!!」

 

「「「ス●〜ムス●〜ムス●〜ムス●〜ム♪」」」

 

「おだまリィイッ!!おだまリィイッ!!」

 

 

 女ヴァイキングが紹介を続けると、食事を取っていたヴァイキング達が歌い始める。

 彼女が歌うヴァイキング達に甲高い声で喚き散らすと、その傍に座っているエルドリアンは頭を抱えて深いため息を吐いた。

 そりゃあな。

 部下達が領主の目の前でモン●ィパイソンやり出したらそうなるわな。

 

 

「すんません、領主様。」

 

「……いや、気にしなくていい。彼女は?」

 

「嫁のヒルダでさぁ。こう見えて料理の腕は一品で、こいつの作るス●ム料理と来たら…」

 

「「「ス●〜ムス●〜ムス●〜ムス●〜ム♪」」」

 

「おだまリィイッ!!おだまリィイッ!!」

 

 

 

 

 

 しばらくするとヴァイキング(鉄鋼業者)達の食事は終わり、私はようやく本題に入れることとなった。

 エルドリアンを先頭に整列し、皆が私の言葉を待っている。

 私はコーヒーを一口やってから、深く呼吸を吐き出して話し始めた。

 今日この日彼らを居城に呼びつけたのはなぜなのか、その理由を。

 

 

 

「………あるモノを作って欲しい。加工は難しいかもしれないが、君たちの改良した発火方式なら理論上は可能なモノと見ている。」

 

「なんですかい、これは?」

 

「改良型ハンドキャノン…マスケット部隊に近接戦闘能力を持たせるための装置だ。構造は単純に見えるが、それなりの強度が必要になる。」

 

「………できないことはないでしょうが、お時間はいただきたい」

 

「可能な限り早急に頼む」

 

「待ってくだせえ、辺境伯様。俺たちゃあマスケットの生産で手一杯なんでさあ。俺たちだけじゃあとてもじゃねえが」

 

「資金は用意できる。マスケットの製造にはギルド外の業者も当たらせたまえ。君たちはこの装置を優先するんだ。」

 

「!?…辺境伯様!?まさか俺たちが作り上げたマスケットの図面を、タダでくれてやれてやれって言うんですかい!?」

 

「………では、こうしよう。ギルド外の業者がマスケットを生産する場合、その業者は君たちのギルドに対して一定の額を納めなければならない。」

 

「………」

 

「要するに、『ライセンス生産』だ。これなら価格の崩壊は起きにくく、粗悪な模倣品も出回りにくい。ライセンスの決定権は…エルドリアン、君にあるわけだから、殺生与奪の選択はいつでもできる。」

 

「なるほど…」

 

「バックアップは心配するな。"臨時収入"が入ってね…当分はそちらに優先するし、ライセンス生産に関する辺境伯令は本日中に公布する。…だから、くれぐれも頼むよ?」

 

「わかりやした、辺境伯様。何とかしてみます。」

 

 

 

 ヴァイキングならぬ鉄鋼業達が出て行った後、入れ違いにダニエラさんがやってきた。

 会合が終わるまで別室で待つように伝えておいたのだが、それでも彼女の事をみると正直ホッとした気持ちになる。

 どうやら、その内心は顔に出ていたようで、ダニエラさんは笑みを浮かべながら私の顔面をおっぱいで挟んだ。

 

 

「君主とは寡黙なモノだ、ハニー。…ハニーの顔と来たら随分とよく"喋る"。」

 

「ふぉふぇんふぇ、ダーリン。ふぁふぃふぁふぉう」

 

「まあ、正直なところ、我もハニーと離れるのが寂しいよ。…ところで、親衛隊が遂に僧侶を捕らえたらしい。今こちらに後送中だそうだ。」

 

 

 ダニエラが私の顔面をおっぱいから解放する。

 まだ鼻先に残るダニエラさんの残り香を感じながらも、私は執務机の上にある地図を見た。

 例の少女が僧侶を目撃したのは…

 

 

「ここだ、ハニー。親衛隊長も危うく取り逃すところだった。」

 

「ハンザブルクまでおよそ15マイル。ステファンの予想通りだったな。…しかしまあ、間に合って良かった。」

 

「いよいよか、ハニー?」

 

「ああ、ダーリン。モノが揃って、教皇に僧侶を届けたら…いよいよ状況開始だ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16 カノッサの悦楽

 

 

 

 

 

 

 

 長い人生を生きていれば、人間誰しも壁にぶち当たる。

 やりたくもない仕事や、飲みたくもない酒。

 決定的に馬の合わない人間との付き合い、行き先不透明な事業、いい加減な指示と責任放棄。

 姿形や大きさは変われど、壁というものは誰にでも立ちはだかるし、避けられない時の方が多い。

 

 マキャベリ曰く、「どうせ避けられない戦争であるならば機先を制するべきである」

 だが人間とは不便なもので、どう頑張っても"機先を制する"気分になれない時はあるだろう。

 気分でなくとも、障害があるかもしれない。

 ハンニバル、カール・マルテル、ナポレオン。

 このような素晴らしい指導者達は、きっとそんな障害を傍に退けてしまうような…天才だったのだろう。

 

 しかし、私は凡人である。

 凡そ凡人というにしても色々と欠点の多い凡人である。

 気は回せないし、不器用だし、背は低いは、自律は足りんわ、自分に甘いは…

 

「そんな事ないぞ、ハニー。我はハニーの良いところもたくさん知っている♡」

 

 うんありがとうダニエラさん、でも勝手に人の頭の中に入って来ないで?

 

 とにかく、私のような凡人には避けたい事態に直面した時に凹まない鋼のメンタルなんてないし、その障害を取り除くための知恵なんて持ち合わせてはいない。

 どうしても機先を制する気になれなかった場合、多くの場合人々がそうするように、私も所謂"受け"の姿勢になって全てが過ぎ去るのをじっと待つのである。

 

 

 

 

 

 

 

 目の前で人が焼け死ぬのは見るに耐えないものがある。

 腐ったような臭いが撒き散らされ、人が力のあらん限りで暴れ回り、そして全てを灰に変えてしまう。

 焼けただれた肌を見るのも、焼けた屍肉の臭いも、きっと好きな人は極々一部だ。

 

 本当ならこんな光景は見たくなかった。

 だが焼き殺された男は、私がここに連れてきた人物だったのだ。

 教皇様の一歩後ろで火刑を観閲するのは栄誉ある事らしい。

 だから私は僧侶が異端として火刑に処されている間、その光景を眺めていなければならなかった。

 

 

 

「辺境伯殿、此度は感謝を。おかげで異端の僧侶を罰する事ができました。浄化の炎が彼の魂を救い、主の御許にお導きくださる事でしょう…何はともあれ一件落着です。」

 

 

 教皇様はとても素敵な笑顔でそう仰ってくださったが、私としてはまだ口と鼻に当てたハンカチをしまう気にはなれなかった。

 まだ死の臭いがあたりを支配しているし、やはり火刑の壮絶な光景が脳裏に焼き付いてしまっている。

 

 

「…ほほう、やはり辺境伯殿も火刑を見るのはこれが初めてのようですね。」

 

「ええ、はい、お恥ずかしながら」

 

「恥など、とんでもない!…本来ならば、こういった火刑が行われる事自体が恥ずべき事なのです。あなたは哀れみ深く慈悲深い。良き信徒はすべての隣人を愛せますが、異端はそういった人々の良心につけ込む。」

 

 

 教皇様が刑場を見下ろすバルコニーから歩き始めたので、私としては内心ホッとする。

 焼死体なんて見ていて楽しいものでもなんでもないし、強烈な臭気はまだしばらく霧散しそうになかった。

 私も教皇様に続いて踵を返すと、正面にいたダニエラさんが早速おっぱいを頭に押し当ててくれやがる。

 ダニエラさん?TPOわきまえて?

 なんでこんな宗教施設のど真ん中でそんな色欲ダダ漏れチックな事するのかな?

 異端認定されるでしょうが。

 やめなさい。

 

 

 視界の端が教皇様のお顔をとらえると、案の定怪訝な顔をしているのが分かる。

 ダニエラさんも訝しまれているのに気付いたようで、私の頭をおっぱいの中に囲いつつも、この凶行に走った理由を教皇様にぶち上げた。

 

 

「あっ…これは…我とした事が…申し訳ない、教皇様。我のハn…いや、フィアンセは心が善良過ぎてこのような残酷な光景には耐えられぬ。心の傷にならぬよう…」

 

 

 しんみりとした口調で後を濁し、静かに目を瞑るダニエラさん。

 大 失 敗 だ よ

 教皇様は怪訝な顔をしたまま微動だにしない。

 せっかく信用を得るために僧侶を遥々届けに来て見たくもない処刑にまで立ち会ったってのにこれじゃあ台無し

 

 

「うん…辺境伯殿、良い婚約者を貰いましたな。理想的な夫婦になるでしょう。」

 

「………あ、ありがとうございます」

 

 

 良かったねダニエラさん。

 教皇様が超絶優しい人で。

 これ普通の人だったらプッツンだよ?

 プッツンプリン案件だよ、これ?

 

 教皇様の懐の深さに安心・感謝しつつも、私は自身をダニエラさんから離してもらい、教皇様と共に歩き続ける。

 

 

「さて、話は変わりますが…辺境伯殿。誠に残念なお話を耳にしました。」

 

「方伯殿の事でしょうか?」

 

「はい。異端の魔術に取り込まれてしまった、と聞いています。」

 

「ええ。私も国王から聞きました。…教皇様、もしお許しいただけるのなら…」

 

 

 そこまで口にした時、教皇様が人差し指を挙げて私の言葉を止める。

 

 

「辺境伯殿。方伯はもう手遅れです。浄化の手段はあなたに一任しましょう。」

 

 

 正直、少し面食らった。

 確かに方伯との戦争支持を得るために僧侶を探し回ったわけだが、"タイミング"が早すぎる。

 少なくとも私の見積もりでは、方伯の処遇を決める話し合いにはまだ早いのだ。

 何より、教皇様の方から方伯殺しのGOサインが出るなんて思ってもいない事で、私の方から許可を具申する形式に持っていく手筈だった。

 

 

「…本当に…よろしいのでしょうか、教皇様。」

 

「残念ですが致し方のない事です。…黒魔術のせいで方伯は自分の肌を掻きむしり、訳のわからぬ戯言を喚いて、見るも無残な様子だそうです。楽にしておやりなさい。」

 

「はっ!教皇様の御命令とあれば!」

 

 

 私は教皇様に一礼してその場を離れようとする。

 方伯領攻撃の"大統領命令"が下ったのだ。

 私は急いで領地に帰り、山ほど大量の物事を行わなければならないだろう。

 侵攻作戦の最終調整、参加人員の確保、兵站の準備、方伯領との外交チャンネルの閉鎖etc。

 だが、急いで場を離れようとする私を、教皇様が呼び止めた。

 

 

「どうかお待ち下さい、辺境伯殿」

 

「!?…こ、これは失礼致しました、教皇様。」

 

「いえ、無理もありません。あなたも戦争のための準備があるでしょうから…ですが、もう少し話を聞いてはくださいませんか?」

 

「私でよければ、よろこんで」

 

「ありがとう。…王権に対する教会の立場が中立だというのは、あなたもご存知でしょう?」

 

「はい、存じております」

 

「ですが、最近あの国王が不可侵の領分を犯そうとしています。」

 

 

 教皇様がため息混じりにそう言った。

 私は王国内における教会の立ち位置というものを知っている。

 "神聖にして絶対不可侵"

 少なくとも、私の知る限りこの世界では大方絶対不可侵性は守られていた。

 かつての戦争の時代には、国王は教皇の赦しを得てから魔王国への反抗作戦を開始したという。

 

 だがしかし、時代の趨勢は変わりつつある。

 長引いた平和は、人々の心にも平和をもたらしたというより平和ボケをもたらした。

 かつて藁にも縋る思いで手にしていたものも、あっさりと手放して忘れ去る。

 これこそが人間というものだ。

 

 教皇様はこの現状にあって…何かしらの私欲が絡んでいないとも思えないが…信徒の離反を憂いている。

 彼に必要なのはまさしく"暴力"であった。

 右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい。

 おかげで教皇様の両頬は腫れ上がっているように見える。

 だから教皇様は同盟者を求めていた。

 教会の絶対不可侵性を保っているのに必要とされる物を持ち合わせる同盟者を。

 

 

 一方私はといえば、やはり教皇様のような同盟者が必要だった。

 国王が私に方伯との戦争許可を出した真の目的は、恐らく領地の統合だろうと私は見ている。

 共和国と帝国というビッグプレイヤーが集うテーブルに参加したくて仕方がないのだろう。

 だからこそ前戦争時代の英雄の処刑をもやってのけたし、方伯を切り捨ててより便()()()()()…要するに私…を代替に充てたのだ。

 このままではせっかく方伯に打ち勝ったとしてもその"取り分"に介入される可能性は高い。

 国王と対立してまで取り分を守り通すか、それとも………

 昔誰かの格言で、こんなものがあったと思う。

 

『戦争を始める前に、まず終わらせ方から決めねばならない』

 

 

 

 私は教皇様に向き直り、姿勢を正した。

 教会の影響力は確かに衰えてあるかもしれないが、国王の目論みが私の予想通りながら、またも国内が戦争の炎に包まれる。

 今度の方伯戦など前哨戦に過ぎない。

 民達は怯えて再び藁に縋り始める事だろう。

 その時藁を貯め込んでいた者こそが勝者となる。

 

 

「教皇様。前にも述べましたが、私は忠実な信徒の一人として、教皇様のお力になりたいと思っております。国王が教皇様に不遜な態度を取ったとして、私とその領民達は教皇様の味方です。」

 

 

 

 教皇様の目が大きく見開いた。

 その表情から察するに、恐らく過去に同じ文言を誰かに…きっと方伯に並べて、にべもなく断られたのだろう。

 彼の反応は、この仮説と辻褄があう。

 

 

「おお…!我が息子よ!…なんとお礼を言って良いか………これから、あなたと私は"剣の友"です。お互い、必要なことは気兼ねなく言えるようにしましょう。」

 

「ええ、教皇様。………このような場面で申し訳ないのですが、早速お願い事が御座います。」

 

「何かな?遠慮せずに言いなさい。」

 

 

 私が教皇様に耳打ちすると、彼は再び驚いた顔をして目を見開いた。

 

 

「なにを…それしきの事!?任せておきなさい!!万事滞りなく致しましょう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僧侶1人の身柄で、私は二つの物を得た。

 一つは方伯との戦争へのGOサイン。

 これで心置きなく侵攻を開始できる。

 そしてもう一つ、私が得たもの。

 それはかけがえの無い友情であり、同盟関係だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17 越境開始

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領-方伯領国境地帯

 

 

 

 方伯軍国境警備部隊はある時期を持って機能不全に陥った。

 ある者は弓矢で、ある者は短剣で、またある者は槍によって。

 闇夜に紛れた敵は何らの躊躇もする事なく彼らの殆どを音もなく殺害していき、そして静まり返った国境を大軍が超えていく。

 その大軍を見ながらも、顎髭の大男は隣の副官に問いかけた。

 

 

「順調か?」

 

「はい、つつがなく。方伯軍の士気低迷は本当のようです…あれでは案山子の方が役に立つ。」

 

「くれぐれも案山子如きに出し抜かれるなよ?念のため関所から逃げ出した運の良い奴がいないか確かめろ。この侵攻作戦の肝は()()()()()()()()()()。連中に知られるわけにはいかない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 方伯居城

 

 

 

 

 

 

 

「方伯様っ!方伯様っ!辺境伯領との国境の一部と連絡が取れません!」

 

 

 方伯領軍副官は方伯の自室の扉を何度も叩いたが、中からは呻き声に近い何かが聞こえるのみでマトモな返事は帰ってこない。

 今では別に珍しいことでも何でもなく、方伯はあの白い粉に取り憑かれてから、自分の部屋に閉じこもる事が多くなった。

 最近ではその頻度も頂点にあり、もはや誰も方伯の姿を見ていない。

 政策や命令…その殆どは相変わらず支離滅裂だった…は分厚い扉越しに出され、侍従長を困らせていた。

 

 

「諦めろ、方伯様は取り乱されておる!」

 

「諦められますか、司令!我らの畑が攻撃を受けているのですよ!今すぐ迎撃許可をいただきたい!」

 

「権限は方伯様がお持ちだ。」

 

「なら………もう構いません、私の独断で迎撃します!」

 

「正気か貴様ッ!処刑モノだぞ!」

 

「司令こそ正気ですか!事は一刻を争うのに、無闇やたらと規則に縋り付いて!責任を取るのが怖いのなら、全て私に擦りつけても構いません!私は迎撃します!」

 

 

 副官は司令に背を向けて歩き出す。

 正直なところ、あの方伯と司令の下で働く事自体嫌気がさしていた。

 彼らには何度も国境線沿いの警備強化を具申していたにもかかわらず無下にされ、挙句の果ての今日である。

 

 だが、彼はこの方伯領を愛してやまない男だった。

 方伯と司令の目を盗みながら、細々と軍の改革も行ってきた。

 何の抵抗もなしに辺境伯領の田舎者共に、この土地をくれてやるつもりはない。

 

 

 

 おそらく、方伯領軍は方伯居城から東側にある平原で侵攻軍を迎え撃つことになるだろう。

 今ならそこで迎撃体制を整えられる。

 地の利は活かせないが仕方あるまい。

 できる事なら国境沿いの森林に遊撃部隊を潜ませておきたかったな、そう思いながら、副官は足を早めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯居城

 執務室

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿でかい胸を持った背の高い褐色の麗人が、ボディラインに沿った黒コートを羽織り、乗馬ズボンを履いて、品の良いなめし革の長靴に足先を収め、挙げ句の果てに腰にサーベルを挿してピッケルハウベを目深に被っていると、エロさを通り越して悶えるほどの格好良さになる。

 私とカリウス将軍、それに徒歩兵部隊総司令官のハウフトマンなる人物の3名は、ダニエラさんと同じ軍装をして煙草を嗜んでいたところだったのだが。

 ダニエラさんが軍服を着て颯爽と現れた時には、彼女は仮にも一地域の君主、壮年の将官、ベテラン司令官の3人を余裕で差し置いて『軍服の似合う人物第一位』に躍り出たのだった。

 

 

「こらこら、ハニー♡煙草の吸い過ぎは良くないと、普段からあれほど言っているだろう?」

 

「「「…………」」」

 

 

 

 絶句。

 絶句である。

 

 私も将軍もハウフトマンも皆呆けたように口を開き、手には煙の昇る紙巻きたばこを持ったまま、まばたきすら惜しんで褐色の麗人に見入っている。

 はっきり言って、今この場にいる中で1番軍人っぽいし、どこかの戦争で敵をなぎ払った伝説の騎兵隊長とか言われても全く納得できることだろう。

 にも関わらずそのあまりにも大きな胸はタイトなハズの軍服を外へと押し出していて、そのギャップがたまらなく股間にクる

 この場に将軍とハウフトマンがいなかったら今すぐにでも駆け寄ってあの胸にダイブする自信しかない。

 

 

「おーい、ハニー?将軍?…どうしたんだい、皆。我の軍装がそんなに珍しいのか?」

 

「「「………」」」

 

「そう魅入られると恥ずかしいモノがあるなぁ。まあ無理もない。我も我でプロポーションには自信が」

 

 

 パッツンッ!!!

 

 

 凄まじい効果音と共に、ダニエラさんの軍服のボタンが弾け飛ぶ。

 どこのボタンかは言わずもがな。

 最早押し留めるモノがいなくなった軍服の胸元からは褐色肌の柔肌が覗き、その谷間からはえもいえぬ蒸気が登っている。

 

 

 この許嫁、スケベ過ぎるッ!!!

 

「………はぁ、"また"このボタンか。…ん?どうした、ハニー?…ふふふっ、ひょっとして上着を脱いで欲しいのかい?」

 

「どう見てもダニエラ殿が…色っぽい!」

 

「下も脱がせろ…いや…全部だッ!全部脱がせろッ!!」

 

 

 良い歳してテンションMAXの将軍とハウフトマン。

 私も私で、先ほどダニエラさんの谷間から出てきたえもいえぬ蒸気を吸い込んでしまったが為に、同じくHIテンションである。

 

 

「ダニエラさん…ちょっと見ない間に急に…いい許嫁(おんな)になったな?」

 

「よせやぁい」

 

(かわいい!)(かわいい!)(かわいい!)

 

「そ、そうじゃ、スモウを取ろう!」

 

「そうだ、そうだ、ソレがいい!」

 

「大変盛り上がってるとこ悪いんだけど、ちょっといいかな、ゲルハルト。」

 

 

 

 あわや執務室がハッテン場と化すところで、ジト目をしたアンドレアスが入室する。

 いやぁ本当に危ないところだったよアンドレアス。

 君が来るのがあと数分で遅ければ、きっと私は職務をすっぽかしてダニエラさんの色んなトコをくんかくんかし始めていただろうからそのゴミ屑を見るような目は止めろ

 

 

 

「配下の軍隊がキチンと君の指示通りに動いてる時に一体何やってるんだよ。」

 

「いやぁ、すまんアンドレアス。で、要件は?」

 

「グスタフの連隊から早馬が来た。我が軍は現在方伯領内に侵入、損害なし、配置予定地域には遅延なく展開可能とのこと。」

 

「よし、予定通りだ。方伯領軍がこちらの動きに気付くのは時間の問題になるだろうから、グスタフには油断しないよう返答してくれ。それからオスター河の浅瀬を今夜中に調べさせろ。」

 

 

 

 南北に長い方伯領と辺境伯領の国境線の中でも、今回の侵入地点を選んだのには理由がある。

 グスタフが侵入した箇所から東に進むと大規模な森林があり、部隊の機動力は制限されるものの隠密な展開・配備が容易だからだ。

 この森から東側には川がある。

『オスター河』と呼ばれるこの川は、大昔から方伯領内の農耕地に豊富な水と養分を供給してきた。

 その川を渡河すれば農耕に適した平原があり、我々は方伯領軍が侵攻に気づけばここに防衛線を張るだろうと睨んでいたのだ。

 

 

 アンドレアスが新しいメッセージを持って出ていくと、"ダニエラたんハァハァ状態"から立ち直った我々は執務机の前に戻る。

 机上には方伯領の地図があり、その上にはすでに我々の軍勢を表す駒が置かれていた。

 私はその駒を辺境伯領国境地帯から東に進んだ森林地帯に置き直す。

 置き直すとダニエラさんが手持ちぶたさなのか私の頭のすぐ隣で腕を大きく上げてクッソエロい腋の下を展開しやがった。

 何してんの、いやマジで。

 

 

「どうだハニー、落ち着くだろう?」

 

「………」

 

「落ち着かないか?…そうか、少し悲し」

 

「わあああい!おかげでめっさ落ち着くよ、ダーリン☆」

 

「そ、そうか!ハニーに喜んでもらえて我も嬉しい!」

 

 

 愛情表現が独特過ぎない?

 この前もそうだったけど、なんで腋の下のクッソエロフェロモンで人が落ち着くとか思ってんの?

 あなたは私を発情させたいのか?

 もうちょっとTPO考えて欲しいとアレほど…もういいや。

 

 ダニエラさんの腋の下の香りを嗅ぎながら、カリウス将軍の方を見る。

 

 

「方伯領軍はこの平原に展開してくれるかな?」

 

「侵攻軍を迎え撃つならここしかないわい。連中は精鋭の第6近衛騎兵隊は勿論、戦力の殆どをこの平原に配置するはずじゃ。ここを突破されれば方伯の居城まで一直線、ただで明け渡す訳がなかろう。」

 

「ハニー、もし敵がここ以外に部隊を配置するとすれば、それは森林地帯だと我は思う。でも展開中の部隊から交戦・損耗の報告がない段階で、ハニーの作戦の第一段階は成功したと見るべきだと思うぞ?」

 

「………うん、分かった。それでは第二段階に移ろう。グスタフには待機させ、第8軽騎兵連隊を前面に出せ。ハウフトマン、マスケット連隊は森林地帯内に展開・待機だ。」

 

「仰せの通りに。」

 

 

 

 敵が気付いていないのであれば、一気に方伯の城まで攻め入ったほうが良いように見えるかもしれない。

 だが、私としては敵に戦力を残したまま降伏など、決してして欲しくはないのだ。

 

 

 

 

 

 既存の統治機構がしっかりとしていて、国民が君主に忠誠を誓っている君主国を征服するには、主に2通りの方法がある。

 

 

 一つは穏便に済ます方法

 代表的な例が政略結婚だろう。

 この場合は、被侵略国家の統治機構は変わらず、君主が新しくなったとしても、それは自分達がこれまで忠誠を尽くしてきた君主及び統治機構の延長線上ともいえるものなので、これからも忠誠を尽くすことが期待できる。

 ハプスブルク家は戦争の神ではなく恋愛の神によって一大帝国を築くことができたわけだが…しかし、残念ながら我々はヴィーナスを頼れない。

 

 

 だからこそ、もう一つの手段を用いなければならない。

 それは暴力的な手段である。

 敵の君主を殺し、既存の統治機構をズタズタにして、その上に新しい君主と統治機構を据えるのだ。

 

 この為に必要な事は、敵の軍勢を野戦において徹底的に叩いて潰しておく事なのだ。

 野戦で敵軍に再起不能なほどの損害を強いれば、敵は首都の防備能力さえも失い、国民も戦意喪失、君主の城は丸裸も同然になる。

 もしも敵を生半可に叩いて余力の残存を残してしまったら、それは後々において反乱の種火となるのだ。

 

 よって私は…私と私の辺境伯領軍は、方伯軍の主力が平原に出張るまで待つのである。

 我らが新兵器・マスケットが敵のハンドキャノンよりも優秀で、こちらの戦局の優位を確約すると、私は確信していた。

 だからどんなにむず痒くても、待たねばならない。

 夜明けまで待てば方伯領軍は異変に気づき、直ちに迎撃を試み、そして我らが軍勢に完膚なきまでに叩き潰されるはずなのだ。

 

 

 そう考えると、夜明けが待ち遠しい。

 私はダニエラさんの腋の下に顔を埋め、深呼吸をする。

 品の良い女性の柔らかな匂いがして、私は少しばかり安堵を得た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18 オスター河畔の戦い

 

 

 

 

 

オスター河畔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「斥候に出した連中から報告は?」

 

「…それが……帰ってきません。川を渡る手前の情報までは持ち帰って来たのですが…そこから先に派遣した斥候隊は誰一人として……」

 

「なら間違いない、敵はあの森に隠れてる。」

 

 

 方伯軍は陣地の設営に一晩丸々使ったわけだが、おかげでどうにか辺境伯軍への迎撃態勢が整った。

 オスター河の浅瀬を正面に布陣した彼らは、新鋭のハンドキャノン隊を中心として古典的な防備を築くことに成功したのだ。

 方伯軍副官は完全に安心とまではいかなくとも、少なくともこれで時間稼ぎができるはずだと踏んでいる。

 何のための時間稼ぎかというと、彼らの後方にいる民間人の避難及びオスター河畔に展開する主力以外の部隊のゲリラ化だ。

 

 副官自身、圧倒的な軍事力を誇る辺境伯軍との戦いに正面きって勝てるとは思っていない。

 だが、この陣地で敵に相応の出血を強いる事ができれば、今度は連中が犠牲を払って手に入れた領土と領民そのものが重大な負担となるだろう。

 ハンドキャノンを持った徒歩兵が、分散し、占領軍に一撃を加えて退避、連中は有効な手立てを打てずに損耗を増やすハメになる。

 やがては占領政策に行き詰まり、この土地から出て行かざるを得なくなるはずだ。

 

 

 副官は改めて自分の陣地を見渡す。

 理想的とは程遠いが、効果は発揮できるはずだ。

 彼は敵の第一撃は騎兵によって行われると予想している。

 辺境伯軍の重騎兵といえば、王国内に知らぬ者はいないのだ。

 彼が敵の司令官なら、騎兵による前線突破、その後まっすぐ方伯居城を目指す事だろう。

 だが連中には誤算がある。

 方伯軍は前回の魔族侵入の後、ハンドキャノンをより増産させた。

 貴族の所有であった徒歩兵部隊の指揮系統を近衛騎兵側の本営に統一させるために、副官はこれまで散々骨を折ってきたのだ。

 その効果の程はまもなく現れる。

 敵は指揮系統も疎らな方伯軍など重騎兵のみで片付けられるとタカを括っているに違いない。

 大きな代償を支払えば…もしかすると…退却さえするだろう。

 

 

 

「副官殿!前方の林縁を!」

 

 

 ついに敵方が動いたらしく、彼の側にいた兵士が声を上げた。

 見れば敵の重騎兵隊がオスター河の渡河を開始している。

 

 

「やはり騎兵で来たか!ハンドキャノン隊に射撃準備命令!統制は私が行う!」

 

 

 彼が心血を注いだ指揮系統の改善は早くも機能し始めている。

 命令から一拍を置いて、陣地にいる全てのハンドキャノン隊が装填を始めた。

 三角帽子を被った彼らは元は農民で、だからこそ副官は彼らにこの戦争の目的を語り、宣伝して闘志を奮い立たせのだ。

 "これは我らが畑を守る戦いである"と。

 徒歩兵部隊も近衛騎兵も、前回とは比べものにならないほど士気を挙げている。

 迫りくる重騎兵隊の轟音に怯む事なく、臆する事なく未だ誰も押金に手をかけていないのはその証左であろう。

 

 

 重騎兵隊は尚も突進をやめなかった。

 連中はハンドキャノンの威力を見縊っている。

 あの重厚な鎧は間違いなく辺境伯親衛隊のものだ。

 奴らの鼻っぱしをぶん殴ってやろう。

 だがまだだ。

 まだ引きつけねばならない。

 

 

 馬蹄が地面を叩く音、振動がやって来る。

 しかし副官は右手を挙げただけでまだ撃たせはしない。

 いや、まだ。

 まだだ。

 まだ引きつけろ。

 

 

 彼は自身の思う絶好のタイミングで、右手を一気に振り下ろす。

 統制されたハンドキャノン隊は、その合図によりハンドキャノンの押金に指をかけ、そしてハンドキャノンは火縄と火薬を接触させて小さな鉄球を打ち出した。

 鉄球は高い初速で飛んでいき、重騎兵の厚い鎧をも貫いていく。

 重騎兵隊の第一派の足が止まり、連中の何人かが倒れ、そして大勢は早くも逃げ出し始めていた。

 

 

「うおおおおお!やったぞ!」

 

「重騎兵をやってやった!」

 

「再装填急げ!再装填!」

 

 

 方伯軍の陣地からは歓声が上がる。

 副官も今度こそハンドキャノンが有効に活用された事で自信を深めた。

 だからこそ自身の計画に従い、ハンドキャノン隊の一歩奥にいた近衛騎兵に命令を下す。

 

 

「敵は足を鈍らせた!今だ!連中を追撃しろ!」

 

「近衛騎兵隊抜刀!突撃!!」

 

 

 敵の親衛重騎兵は明らかにハンドキャノンの統制された射撃に狼狽していた。

 多くの者は一旦退却を試みている。

 しかし追撃するは第6近衛騎兵隊、方伯軍でも屈指の強者だ。

 

 騎兵隊長が怒声を張り上げ、近衛騎兵達が雄々しく突撃していく。

 逃げ遅れた親衛重騎兵を討ち取りながら、森に逃げ込む残党を刈り取らんとしていた。

 

 やはりな、と副官はほくそ笑む。

 連中はハンドキャノンの真価を理解していなかった。

 高い代償を払った今、彼らはようやくその真価に気づいたわけだが…今となってはもう遅い。

 重騎兵隊を追う我らが近衛騎兵を見ながら、副官は彼らが敵を殲滅する様子を思い浮かべて笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 しかし、実際は…ハンドキャノンの真価を理解していなかったのは副官の方であった。

 

 

 

 親衛重騎兵隊が森に逃げ込んで、近衛騎兵隊はそれの追撃に向かう。

 だが、彼らが森に入らんとした刹那、逃げ場のない河の浅瀬に至った時、森の林縁から幾つもの閃光が走ったのだ。

 

 閃光の次に轟音が鳴り響き、近衛騎兵隊は蜂の巣にされていく。

 方伯軍のそれよりも統制された銃火と、幾十にも重ねて放たれる射撃に、近衛騎兵はなすすべもない。

 気づけば方伯軍が仕留めた親衛重騎兵よりも遥かに多くの近衛騎兵が、その銃撃に倒されている。

 

 

 副官は衝撃のあまり言葉を失った。

 

 

「…………()()()()()()()…だと?」

 

 

 そんなはずはない!

 連中、あれだけの数のハンドキャノンをこの短期間に揃えたというのか!?

 それに林縁には火縄の煙一つさえ上がっていなかった。

 もしあれだけのハンドキャノン隊を潜ませていれば、嫌でも煙に気がついたはずなのだ!

 

 

 疑問の答えはやがて林縁沿いから姿を現して、オスター河の渡河を始める。

 ピッケルハウベに黒い制服、そして方伯軍が持つ肩打ち式から随分と洗練されたデザインの"ハンドキャノン"。

 辺境伯軍の徒歩兵部隊は素早く渡河を終え、隊列を組んでこちらへ前進を始める。

 ざっと見ただけで、方伯軍が劣勢に陥ったことは明らかだった。

 敵の数はこちらの3倍。

 そして徒歩兵部隊の全てが改良型ハンドキャノンを装備している。

 悠然と向かって来る隊列とその背後から響いてくるドラムの音が恐怖心を掻き立てた。

 

 

 

 辺境伯軍のハンドキャノン隊はやがて射撃姿勢を取る。

 我に帰った副官は、配下のハンドキャノン隊へ統制をかけた。

 

 

「撃ち方用意!まだ撃つな、引きつけるんだ!」

 

 

 幸い、連中はまだハンドキャノンの適正な射程距離を抑えていないらしい。

 連中が射撃姿勢を取ったのは、こちらのハンドキャノンの有効射程より僅かに遠い場所だった。

 流れ弾が当たらない事はないが、ハンドキャノンは1度撃てば再装填に時間が

 

 

 

「撃てッ!!」

 

 ドドドドムッ!!

 

 

「ぐわあっ!」

 

「ぎゃああああッ!」

 

 

 副官の自信は音を立てて崩れていく。

 敵は我の有効射程の外側から、極めて統制された銃撃を、我々が行うより精密に行った。

 こちらのハンドキャノン隊の第一列は射撃姿勢を取っていて、立姿故に敵の弾幕をモロにくらってしまった。

 挙句、従来のハンドキャノンより余程早く再装填まで済ませてしまったのだ。

 もはや恐怖に駆られた元農民のハンドキャノン隊兵士は陣地から逃げ出し始めていて、副官にそれを止める術はない。

 

 

「着剣!!」

 

「「「「着剣!!」」」」

 

 

 副官の理性も、程なく崩壊した。

 それは敵のハンドキャノン隊が刃渡りの長い剣をハンドキャノンの銃口付近に装着した時だった。

 その動作一つで、3個ハンドキャノン連隊が3個パイク兵連隊に早変わりした。

 敵の士官が「突撃!」と叫んだ時、方伯軍副官には、もうできることなど何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領

 辺境伯居城

 

 

 

 

「そういうわけで、敵の野戦軍は文字通り壊滅したそうだ、ハニー。」

 

「………犠牲になった親衛隊員には特別の葬儀を手配しよう。教皇様も来てくださる。」

 

 

 

 私の配下の軍隊は方伯軍の守備陣地を、まるでバターにナイフを入れるようにサクッと攻略した。

 1番の勝因は、やはり新型のマスケットであろう。

 

 エルドリアンの開発チームは、銃手の顔付近に火種が来る点火方式を嫌がった。

 火縄方式は命中精度こそ高いが、危なっかしいし、何より火縄の維持は大変な労力になる。

 代わりに彼らが提示してきた点火方式は、所謂フリントロック方式だった。

 これなら火縄を維持する必要はないし、もう一つの利点もある。

 

 それは銃剣の装着が可能になると言うことで、それはマスケットを装備した徒歩兵部隊が素早く突撃・追撃部隊に変身できることを意味していた。

 これならマスケット部隊のケツにパイク兵部隊をくっつけて行かせずに済むし、何より指揮系統を複雑にせず、尚且つ圧倒的多数の人員を正面に配置できるのだ。

 

 従来のハンドキャノンとは異なり、構えて狙えるデザインに進化したことで、射撃はより精密になり、当然装填もより早くなる。

 シュペアーに命じて、我々のマスケット隊には薬包も装備させていた。

 尚更装填速度は上がるし、一々火薬量を調整したくて良いので射撃も均一になり、そして簡単な訓練で誰でも扱えるようになる。

 とはいえ、農民を徴収する気はなかった…彼らには彼らの役割がある。

 我々の手元には高度に訓練された職業軍人からなる徒歩兵部隊がいる。

 マスケットの簡便さは、この勇敢な兵士を再装備させるのに一役買ったのだ。

 

 

「…ああ、ハニー。やはり()()()()()が気になるのか。案ずるな、誰もがハニーの考えを分かってくれている。」

 

 

 ダニエラさんが、恐らくは渋いツラを晒していた私の顔を優しくおっぱいに挟み込む。

 彼女の言う通り、親衛隊を囮として使ったのは良心の呵責に苛まれる出来事だった。

 

 

「ハニーは敵の切り札である近衛騎兵…特に第6近衛騎兵を排除したかった。敵の切り札を残していればこちらの手立てさえ制限を受けかねないからな。だから連中を誘き出して掃討する必要があった。」

 

「………」

 

「ほら、我でもちゃんとハニーの考えを分かっているんだ。亡くなった勇敢な将兵も分かってくれるさ。」

 

「………何度も言うけど、彼らの葬儀は」

 

「分かってる、分かってるよ、ハニー。手配は済ませておいた。だから、ハニーはハニーにしかできないことをしてくれ。」

 

 

 

 ダニエラさんの言う通り、私にはまだやらねばならん事が盛り沢山とある。

 私は自身のケジメをつけるために、やはり思いっきり吸い込んだ。

 何をって?…オパイン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19 やり残しは許さない

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦争の素人は後先考えずに追撃をしたがる。敵の罠なんて発想はあってないようなもんだ。味方が優勢に見えるならそれは尚更。おかげで我々は助かったわけだが。」

 

 

 辺境伯軍はオスター河畔で方伯軍主力部隊を打ち破った後、間髪おかずに方伯領内に侵攻・浸透して敵の拠点を一つずつ潰していった。

 この際主力となったのは、オスター河畔の場合とは異なり迅速な展開が可能な騎兵部隊だ。

 あの戦いで囮として使われた親衛重騎兵連隊は、今度は主力として敵の副戦力部隊を速やかに包囲・撃滅。

 方伯軍主力部隊の"後始末"を徒歩兵部隊が請け負っている間、連中は多少改善されはしたものの依然複雑な伝令系統を負っていた方伯軍は主力の壊滅に気づきもしないまま重騎兵に殲滅されたのだ。

 

 おかげで、敵の膨大な損害に対してこちらの損害は鼻先で笑ってしまうほど軽微で済んだ。

 今私はダニエラさんと馬車で方伯の居城へ向かっているところである。

 軽率な判断をしてくれた素晴らしい方伯軍副官はオスター河畔で戦死。

 残る司令と方伯自身は城に立て籠もっていたが、方伯軍主力部隊を始末し終わった徒歩兵部隊が堂々と居城まで行進してそれを包囲せしめると、司令はあっという間に開城してしまった。

 

 さて、ここで問題となるのはこの2人の馬鹿者をどう処理するかである。

 

 

 

「国家間の戦争の終わらせ方ってのは、それ自体は簡単なんだ。どちらかがどちらかに降伏文書を送って、お互いの印鑑を押してそれで終わり。だが、今回私は一つの国家を()()()()なければならない。君主国が他の君主国を終わらせる時、留意すべきことはなんだと思う?」

 

「ハニー、我は一介の"許嫁"に過ぎない。想像もつかないよ。」

 

「…では、教えておこう。君主()の味方を誰一人として生かしておかないことだ。方伯に忠誠を持つ人間が残れば残るほど、反乱の種になりかねない。」

 

「なるほど、ハニーが方伯を薬漬けにしたのはそのためか。」

 

「まさしくその通り。…よくやってくれた。方伯はきっと今でもあの薬が帝国からもたらされた物だと信じていることだろう。しかしそれ以外の人間には魔族の秘薬だということが知れ渡っている。領民は魔族の秘薬にうつつを抜かす君主にウンザリ来てるはずだ。そこで、私が登場する。」

 

「ハニーも中々の悪よのぉ。だが手段を選ばないスタンスは嫌いではない。…寧ろ素敵だぞ、我の王子様(プリンス)♡」

 

「いや。ちょ、ダニエrぶふぉっ」

 

 

 ダニエラさんが抱きついてきて、私の顔面はその豊かな豊穣の谷間に埋もれる。

 こんな事今まで何度もあったが、やはり毎度繰り返されるイチャラブ☆パールハーバーに守備よく対処できるほど、私は器用な人間ではないらしい。

 ダニエラさんの熱い抱擁は馬車が方伯居城前に到着するまで続いたし、馬車の御者は盛大な咳払いによって目的地への到着を告げた。

 すまんね、ホントに。

 

 

 やがて、私とダニエラさんは馬車から降り立って、方伯の居城の中へと徒歩で向かう。

 

 方伯の私室に至るまでの長い長い階段を登り…登り…登りなげえな、おい

 いくらなんでも段数多過ぎだろうが。

 結構若手の部類に入るはずの私でもキツいよ、この階段。

 何なのこの階段。

 少しはバリアフリーとか考えたらどう?ねえ?

 任期で君主が決まる民主主義国家とは違って、この国も封建制度なんだからさぁ。

 君主年老いたらどうすんのよ。

 ガックガクじゃん、膝とか腰とかガックガクじゃん。

 

 

 それとね、ダニエラさん。

 一段登る毎に「大丈夫?おっぱい揉む?」とか言いながら上衣はだけさせるのやめてもらっていいですか?

 言い忘れてたけど、息切れしながら登る私のすぐ後ろからマスケットを持った親衛隊の衛兵が2人ついてきてるからね?

 2人とも困惑してんじゃん?

 人前でそういう事するの痴女の所業だからね?

 純潔さを保って、人として。

 あ、ダークエルフとして、か。

 

 

 

 私は息切れをしながらも、どうにか方伯の執務室に到着する。

 荒い呼吸を整えながら部屋のドアを開くと、そこには我々に先んじて入城したカリウス将軍とハウフトマン、それから方伯軍司令が気をつけをして待っていた。

 

 

「ご苦労、将軍。此度は誠に大活躍だったな。」

 

「…辺境伯殿」

 

「なんだ?」

 

少しは運動せい!

 

「………」

 

 

 うん、分かってる。

 私の運動不足は本当に問題だ。

 問題だけれどもこんな場で言うなや

 おかしいじゃん、色々と。

 知らないのかもしれないけど、私は今から辺境伯領の君主として方伯軍の降伏文書にサインする立場なんですよ?

 そんな場で配下の軍人がそんなこと言います?

 ちったぁ空気読んだらどうです?

 

 私は将軍を無視して方伯軍の司令と向かい合う。

 彼と私の間には机が置かれていて、その上には羊毛紙が置いてあった。

 それは大層立派な降伏文書で、私は内容を確認し、側にあった羽ペンでサインをする。

 

 

「…賢明なご判断です、司令殿。ご自身の個人的な忠誠より領民の事を思われたのでしょう。」

 

「ええ、はい。方伯様はあの薬のせいで始終取り乱される状態でして。」

 

「なるほど。あなたほど賢明な方がいらしてよかった。」

 

 

 

 私は振り返って、今度は親衛隊の衛兵と向き合った。

 彼の持つマスケットを奪い取り、この見事な工業製品を眺めながら再び方伯軍司令と向かい合う。

 

 

「どうです?見事なモンでしょう。」

 

「ええ、全く。我々の軍はそのマスケットで粉微塵にされました。」

 

「このマスケットは様々な用途に転用が可能です。例えば歩兵に持たせて騎兵の迎撃に使わせたり…士官クラスの人間を狙い撃たせたり…それから…」

 

「………」

 

間抜けを処刑するのにも使える。」

 

 

 私はマスケットの銃口を方伯軍司令の頭に向けて、躊躇う事なく引金を引く。

 司令の頭は粉微塵になり、血と脳漿が周囲に飛び散った。

 

 

「うおっ!グロいグロいグロいグロい撃つんじゃなかった!」

 

「ぅう〜ん、大丈夫か、我の王子様♡ほら、我の腋の下の匂いでリフレッシュ♡」

 

「まったく。何もここで撃たんでもええじゃろうに。」

 

「外に連れ出すのも面倒だわ、こんな間抜け。ああいう人間はすぐに掌を返すし、軍人としても人形としても使えない人間を生かしておく理由はない。…それにこの居城はいずれ取り壊す。何せ隅々まで"異端に"穢されているからね。」

 

 

 衛兵にお礼を言いながらマスケットを返し、死体を処理するように命じる。

 すぐに他の衛兵も入ってきて、頭の半分無くなった死体を毛布に包んで部屋の外に運び出していった。

 

 

「将軍、方伯自身は今どこに?」

 

「御命令通り刑場に引っ立てておるわい。」

 

「よろしい。教皇様はご到着なさったのかな?」

 

「あとはお主待ちじゃよ、辺境伯殿。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 方伯居城から少しばかり離れた場所にある広場には、多くの群衆が集まっていた。

 そりゃそうだろう。

 これまで代々この地を受け継いできた方伯が、刑場に引っ立てられて処刑されるというのだから。

 

 方伯は今十字架に磔にされており、その足元には薪が積まれている。

 辺境伯親衛隊がその薪に油を撒き散らして、轟々と燃える火を大きな木棒に蓄えていた。

 教皇様は既に刑場から離れた台の上にいて、聖書をその手にとり、此度の火刑に相応しいページを探っている。

 "願わくば、異端の魂が清められん事を"

 現実世界では、火刑は死体がなければ最後の審判を受けられないから異端に対する刑罰として行われるらしいが、こちらの世界の宗教では最後まで救いのために行われる前提となっている。

 

 実際、磔にされている方伯を見れば火刑が救いにさえなるという見解に至れるかもしれない。

 

 

 彼は元々プックリと肥えた、人好きのする典型的な"王様"であった。

 バーガー●ングを思い浮かべていただければ容易に想像できるだろう。

 それが今では痩せ細り、ガサガサの長髪で顔を覆い隠して、骨のような腕にいくつもの掻き傷や切り傷を浮かべている。

 親衛隊は方伯をここまで引っ立ててくる間に一切の暴力を振るっていない。

 コカインの幻覚作用が、彼を自傷行為に追い込んだのだ。

 

 

 民衆はただただ信じられないと言わんばかりの目でそれを見ている。

 中には早くも石を投げている者もいた。

「異端め!」「焼かれろ!」「殺せ!」そんな罵声もよく聞こえた。

 

 

 私は恐れ多くも教皇様と同じ台に上がって、民衆を静める。

 これから始まる火刑の理由を述べるためだ。

 

 

「静粛に!」

 

 

 ざわめいていた民衆が一気に静まり返る。

 皆知りたくて仕方がないのだ。

 何故自分たちの君主がここまでやつれているのかを。

 私は存分に間を開けて…ヒトラーがかつてそうやったように…群衆を焦らしてから、喋り始める。

 

 

 

「………私の忠実なる軍隊が方伯軍と衝突するに至ったのは、決して己の領土的野心によるものではない!」

 

 

 真っ赤な大嘘だが、群衆はただそれを飲み込んだ。

 

 

「残念なことに、この方伯は異端の秘薬に取り込まれてしまった!そこで!国王陛下が!異端を罰せよと大号令を発せられたのである!」

 

 

 今度は群衆が歓声を上げる。

 ここから分かるのは、この国の領民はもうすでに方伯を見捨てているということ。

 私は念のため、言葉で群衆を煽り立てる。

 

 

「方伯が諸君にしたことは決して許されざるものではない!この男は自身の快楽の為に薬にうつつを抜かし、内政を大いに混乱させて、善良かつ誠実な諸君らを苦しませた!…それどころか!諸君らの大切な家族を軍隊に取り!自身の身を守る為の盾として扱ったのである!」

 

 

 親衛隊のガードがいなければ、群衆は方伯の下へ駆け寄って、その手で八つ裂きにしてしまいそうな勢いだった。

「殺せ!」「殺せ!」という悍しいコールが鳴り止まず、私はより大きな声を出さねばならない。

 

 

「此度は、至極光栄なことに、教皇様にご足労いただけた!教皇様直々にこの極悪人の魂を清めていただける!これは処刑ではない、浄化なのだ!!…最後に、親愛なる領民諸君へ。この極悪人の混乱した治世の下、よくぞ耐えた!…辛かったろう!苦しかったろう!痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!!諸君らに栄光と主の御加護のあらんことを!」

 

 

 

 群衆の怒声が再び歓声に変わる。

 これで彼らの忠誠の対象は完全に変わった。

 方伯から、私の方へ。

 1つは方伯が異端に染まったという事実によって。

 もう1つは、異端を火刑に処す私の冷淡さによって。

 そして最後に、信仰のチカラによって。

 

 教皇様が合図をして、方伯に火が放たれる様子を見ながらも私はそれを確信した。

 群衆の中には誰一人として嘆き悲しむ者はいなかったのだ。

 

 

 できれば火刑なんか二度と見たくもなかったが。

 だが、私は事が終わるまでここにおらねばなるまい。

 本当に恐ろしい事に、私は火刑の観閲に慣れてしまっていた。

 

 …だからね、ダニエラさん。

 慣れたって言ってるじゃん?

大丈夫?おっぱい揉む?」 じゃなくてさ。

 群衆の前なんだから、本当にやめて?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20 戦後処理

 

 

 

 

 

 辺境伯居城から南にいくばくかの離宮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ〜これは凄いですぞ、辺境伯殿!誰もが皆美人揃い!方伯も女の趣味だけは良かったようですな!」

 

 

 ハウフトマンが有頂天でそう言った。

 我々は今、火刑に処された方伯の側室を囲っていた離宮にいる。

 徒歩兵部隊の総司令官がまるで初めてソープランドに行った若者の如くはしゃいでいる姿は眉を潜めるモノがあるが、しかし、私はそれを咎める事ができない。

 

 なんのことはない、私もソープランドに初めて行く若造みたくなっていたのである。

 

 

「………おっぱいあった?」

 

「………」

 

 

 黙り込むハウフトマン。

 少しだけ質問がド直球過ぎたかなと反省する。

 だが、彼が黙り込んだのはドン引きしたからではなかった。

 

 

「…それは………その……ありませんでした

 

「………火刑。」

 

「待たんかいッ!!」

 

 

 強烈なラリアットが私を襲う。

 ひっくり返ってから起き上がると、顔を真っ青にしたアンドレアスがそこにいた。

 

 

「…イテテテ…こんなところで何してるんだアンドレアス!」

 

「それはこっちのセリフだ!ようやく戦争に勝ったばかりなのに何してるんだよ!?」

 

「いや、貧乳は異端だから火刑に

 

その発想の方が異端だよ!そんな事、言うだけでも世の中の御婦人の殆どを敵に回しかねないよ!?もっといえば画面の向こうの紳士淑女の皆様まで敵に回しかねないからマジでやめろ!!!

 

「そうだぞ、ハニー。貧乳は貧乳で良いところもある。自分の考えに凝り固まるのはよくない事だ。」

 

 

 いつの間にか背後に控えていたダニエラさんが、重たい双丘を私の双肩にドサッとおきながらそんなことを言う。

 

 

「説得力ないよ!?ダニエラさんが言ってもまったく説得力ないよ!?ほら、ゲルハルト!君からも何か…」

 

聞こえる…」

 

「ゲルハルト?」

 

「ダニエラさんのおっぱいから…聞こえる…高齢者達の声が

 

「ゲルハルト、やめろ、そんなところから高齢者の声なんか聞こえてこない!それに君は兵庫県議会議員でも何でもないだろ!!」

 

ごゔれいじゃのウワッハァァァアアアッ!!

 

正気に戻れゲルハルトォォォオオオッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 危ない危ない。

 方伯の側室の姉ちゃん達見てたらつい取り乱してしまった。

 ダニエラさんというものがありながら何をやってるんだ私は。

 落ち着きを取り戻す為にも今一度オパインを。

 す〜〜〜〜〜はぁ、ふぅ〜↑生き返るぅう!

 

 さてさて。

 なんでまたオパインを摂取したかというと、私はこれから国王陛下の代理と会議をしなければならないからだ。

 

 正直、「ああやはりか」というのが本当のところ。

 以前も述べたが、国王は恐らく国内の再統一に腐心している。

 方伯が消え、権力の空白地帯が生まれれば付け込んでくるのは火を見るより明らかだった。

 だからこそ、私は教皇様にお願いして切り札を用意したのだ。

 準備は万端、オパインもOK。

 私はこれ以上なく落ち着いた気分で、会議の場となる旧方伯居城会議室のドアを開ける。

 

 

 方伯は円卓会議に憧れていたらしい。

 部屋のど真ん中にはドデカい円卓があり、その半分は既に王国と公国の関係者で埋められていた。

 私はせいぜい間抜けな顔を取り繕って、すごすごと席につく。

 ファーストレディたるダニエラさんが私の隣に座ると、真向かいの王国代表が笑顔で私を称えた。

 

 

「この度は素晴らしいご活躍でしたな、辺境伯殿。国王陛下もお喜びになられています。」

 

「陛下のお力になれて光栄です。」

 

「ご謙遜なさらずに。あなたはこの国の英雄です。…さて、国王陛下より、あなたに親展を預かっています。」

 

 

 ほら来た。

 適当に持ち上げたら、自身の要求を通す為に多少の褒美を与えて、肝心なところは自分で抑える気でいやがる。

 連中は今回我々に何一つの援助もしていないのに、タダ乗りする気満々で嫌がるのだ。

 

 

「陛下はあなたに旧方伯領の北部一帯をお任せになられる予定です。あなたの働きに対する褒賞というわけです。」

 

「ぅ〜ん…」

 

「どうされました?…まさか、ご不満があるわけではありませんよね?国王陛下に反旗を翻すおつもりですか?」

 

「いいえ、滅相もない。ただ…」

 

「辺境伯殿。あなたのご活躍は陛下も重々承知していらっしゃいます。しかしその上で、旧領と併せての領土運営は重荷ではないかと心配してくださっているのです。」

 

「しかし」

 

身の程を弁えろ!!

 

 

 いきなり王国代表が怒鳴りながら立ち上がったので私は仰天した。

 心臓に悪いわ。

 ダニエラさんは殺意MAXの表情を浮かべたが、少しくらい怖がる演技でもして欲しいもんだ。

 ファーストレディがしていい顔じゃないよ、それ。

 

 

「田舎の辺境貴族が一度勝ったぐらいで調子に乗るんじゃない!王国の手にかかれば辺境伯領など一も二もなく粉微塵にできるんだ!」

 

「ああ、落ち着いてください。私は何も国王陛下の方針を批判してるわけじゃありません。」

 

「では何が不服だ!?」

 

「それは…ですね…まもなくご到着されると思うのですが…」

 

 

 

 ちょうど良いタイミングで会議室のドアが開く。

 王国代表ときたら、どこぞの宣伝漫画みたく口をパクパクさせていやがった。

 そりゃそうだろう。

 いくらなんでも、教皇がここに顔を突っ込んでくるとは誰も想像できまい

 

 

「あぁ!ちょうどいらっしゃいました。」

 

「遅れて申し訳ない、辺境伯殿。少々混み入った用がありまして。」

 

「いいえ、とんでもありません!こちらこそご足労いただきありがとうございます!…王国代表殿も教皇様の事はご存知かと思いますが…」

 

「え、ええ、は、はい、勿論です、教皇様。お、お会いできて光栄です。…しかし、なぜ教皇様がこちらに…」

 

「簡単な事ですよ、王国代表殿。方伯は異端の薬に毒されていました。それはつまり、彼の旧領内に異端が隠れ住んでいてもおかしくないということです。一度穢れてしまった地は、主の教えによって浄化されなければならない。」

 

「………」

 

「…国王には後ほどお伝えするつもりですが、この方伯旧領は浄化がなされるまで教会に預けていただきたい。」

 

「そ、それは…その」

 

「もしや?ご不服なわけではありませんよね?我々が異端を取り締まるのに反対なされるなら、あなたにも異端の疑いがある。」

 

「ウッ…し、しかし、それは私の一存では決めかねます」

 

「国王も許可を出すはずです…彼が異端でなければ。」

 

「…………クッ…わ、分かりました。陛下には私から伝えます。」

 

「よろしい。さて、残念ですが、我らの聖騎士隊のみでは広大なこの土地を維持するのは困難です。そこで、辺境伯殿には聖騎士隊と共にこの土地の運営に携わっていただきたいのですが…」

 

「喜んでお受け致します、教皇様」

 

「お待ちください、その任であれば我らが王国が…」

 

「ああ、いえ、大丈夫です。あなた方の手を煩わせるまでもない。忠実な信徒たる辺境伯殿がいれば十分です。…ご不服はありませんよね?」

 

 

 

 

 

 

 会議は我々…教皇様と私の"大勝利"に終わった。

 王国代表は苦渋の表情を浮かべて去っていき、私は教皇様に謝意を述べる。

 

 

「この度ありがとうございます、教皇様。おかげで欲深い国王の食指からこの領土を守れました。」

 

「いいえ、これしきのこと。迷える信徒を助けるのは聖職者の務めです。それに、これでこの領土は表向きには教皇領となりました。信仰を捨てた信徒が再び戻ってくる…私は何の支援もしていませんから、それだけでも大きな収穫です。」

 

「実際の経営はお任せください、必ずや領民達を忠実な信徒に戻します。…話は変わりますが、大聖堂の建設は順調ですか?」

 

「…あぁ、実を言うと費用が嵩んでおりまして」

 

「ご心配なくとも、我が領民達や兵士達…勿論私を含めて辺境伯領全体が此度の戦で得られた主の御加護にささやかながら御礼をさせていただきたいと考えております。つきましては……………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺境伯領内

 辺境伯居城近郊

 

 

 

 

 

 

 方伯領でのゴタゴタは全て片付いた。

 後のことは辺境伯居城からでもコントロールできる。

 戦争というのはまず終わらせ方から決めるものなのだ。

 だからこそ私は方伯にコカインを吸わせ、教皇様を味方につけ、万全の準備を整えてからアクションに移った。

 結果はご覧の通り。

 我々は豊かな穀倉地帯の実質的な支配権を手に入れた。

 国王に妨害されることなく、である。

 

 

 疲れ切った私は頭をダニエラさんの馬鹿でかおっぱいに預けながら、半ばうたた寝を打っている。

 彼女はまるで聖母のように微笑みながら、私の頭を受け入れてくれた。

 良い香りと温かな体温と柔らかさが私を更に深い眠りへと誘う。

 

 

「こう言ってはなんだが、ハニー。今寝ては夜に眠れなくなってしまうぞ?」

 

「…ふぅぇぅぇぁ…」

 

「ほら、ハニー、起きて?」

 

「…あっ、ああ、すまんすまん、つい。」

 

「寝るのは帰ってから…我と一緒にでも遅くはないだろう。帰ったら我がたっぷりと癒してやる。」

 

「ぐへへへへ、ありがとうダニエラさん」

 

 

 今絶対、顔面がエロオヤジだった自信がある。

 

 

「…しかし、本当にやり遂げてしまうとは…我のハニーとはいえ驚いた。」

 

「いや、正確にはひと段落ついただけだ。こんなのまだ序の口にしかならない。」

 

「………ハニー、もしかして」

 

「ああ、その通り。今回の件で王国は我々を敵対者と見做すだろう。もう都合の良い操り人形だとは思わない。普通ならそれで喜ぶかもしれないが、私は違う。王国と戦争するとなると、今回どころの騒ぎじゃないからな。」

 

「本当に王国と戦争になると思うか?もしかすると…」

 

「有り得ない、絶対に戦争する事になる。国王が生きているうちに自身の野望を果たすとすれば、私と教皇様を倒すしかないんだ。」

 

「………」

 

「…とはいえ、まだしばらくは"休憩"できる。国王もすぐに教皇様を敵にはできんだろうからな。その休憩時間に何をするかが肝になってくるんだ。」

 

「ハニーは何をするつもりなんだ?…その休憩時間に。もう決めてあるのか?」

 

「ああ、幾つかは。まあ、詳しくは城に戻ってからでも遅くはないさ。」

 

 

 そこまで言った時、私の目が馬車の車窓から3人の男達の後ろ姿を捉えた。

 3人とも汚れた長靴を履いていて、泥で汚れたピッケルハウベを被り、重そうな荷物を背負って歩いている。

 間違いなく我が領の徒歩兵だ。

 

 

「馬車を止めろ!今すぐに!」

 

 

 御者に声を張り上げる。

 馬車は急停止し、馬車に後続していた護衛の親衛重騎兵2人も止まった。

 馬が鳴き声を上げ、徒歩兵達は何事かと振り返る。

 

 

 私は停止した馬車から降りて、そのまま徒歩兵に歩み寄った。

 彼らの気持ちはよくわかる…少なくとも分かるつもりでいる。

 どうやら彼らは私が自分たちの"大ボス"だと認識したらしく、直立不動の姿勢を取った。

 

 

「君たち、こっちに来なさい!…ハウフトマンには帰りの馬車を用意させた。君たち全員分のだ。奴の怠慢か?」

 

「いえ、辺境伯様。帰りの馬車はありましたが、途中で車軸が折れちまいまして。」

 

「そういう事か。どこへ向かうんだ?」

 

「フライベルグの外れにある村です。俺たち3人ともそこの出身で…」

 

「ここから80kmはあるぞ…ちょっと待ってろ」

 

 

 

 私は自分の手荷物を馬車から下ろし、ダニエラさんにも馬車から降りてもらう。

 御者のテッセンが嫌な顔をしたが、私は泥だらけの徒歩兵を馬車に乗せた。

 

 

「そう嫌な顔をするな、テッセン。ボーナスを弾んでやるから。彼らをフライベルグの外れまで送り届けてくれ。」

 

 

 馬車を出発させ、私はダニエラさんに向かい合う。

 ありがたいことに、彼女は理解を示してくれた。

 

 

「…兵卒としての従軍経験でもあるのか、ハニー?」

 

「そうだよ、ダーリン。ずっと昔の事だけどね。…すまないけど、重騎兵の予備の馬に乗って帰る。」

 

「ハニーは乗馬が苦手ではなかったか?」

 

「正直言うとそうだが、歩いて帰るわけにもいかんだろ。」

 

「なら我の後ろに乗れ、ハニー。乗馬ならお手の物だ。」

 

 

 

 

 その後、私は居城に辿り着くまでダニエラさんの身体に後ろから抱きつくような姿勢で馬に乗って帰った。

 ダニエラさんの良い香りと体温を感じながら、こんなことを頭に浮かべて。

 "あのさ、普通乗馬のポジション逆じゃね?"



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 囚人面会

 

 

 

 

 

 

 現在よりずっと後

 共和国東部

 重犯罪刑務所

 

 

 

 

 

 

 若い記者は少々苛立っていた。

 オフィスの窓際で燻る生活からどうにか抜け出すチャンスを得られると思っていたのに、目の前の男ときたら俺より"燻って"やがる。

 だが記者は辛抱強く待つしかない。

 相手の機嫌を損ねれば、それこそ自分の欲望を満たすことなどできないだろう。

 

 遠い異国の習慣を耳にしたことがある。

 その国では神官が全ての権限を握っているらしい。

 神官が左と言えば左。

 右と言えば右。

 昨日左と言っていても、翌朝に右と言えば右になる。

 なぜかって?

 そりゃあ、あんた。

 それが()()()()()()()だからさ。

 残念ながら、それが本当に神様が神官にご自身の意向を示したものか、それとも神官が神様の名を騙っただけなのか判別はできないが。

 

 

 辛抱強く待った若い記者は、自らの忍耐力によってついに望んでいたものを得られることになった。

 ただ…"その時"まではあと数刻待たねばならない。

 記者の欲しい物を握っていた人物は、長年の心労でとても捻くれてしまったようだ。

 

 

 

「……そう、じゃあ君の望む物を与えよう。ただ私はもう歳でね。全てを覚えているわけじゃない。」

 

「覚えている範囲で結構です、どうかお願いします。」

 

「ふむ。それでは……ああ!忘れてしまった!何か"飲み物"があれば思い出すかもしれない。」

 

「………」

 

 

 若い記者は目の前の男を監視している看守に目配せする。

 看守はこの面会室に入った時から、今の今まで眉間に皺を寄せていた。

 今回も看守は眉間に皺を寄せて、それから鋭い眼光を記者に向ける。

 "お前の考えは分かっているが、そいつは俺が許さない"

 この看守は表情で考えを伝える能力があるのではないかと疑いたくなるくらい、彼の意思は強く伝わってくる。

 

 それでも、記者は自前のカバンの中からブランデーとグラスを取り出しながら看守にこう言った。

 

 

「長官の許可は得ている。君は下がっていてくれ。」

 

 

 ブランデーをグラスに注いでやりながらも、記者は目の前の男に愚痴を垂れる。

 

 

「…もうこんなやり取りは数十回とやっています。そろそろ話してはもらえませんか?」

 

「必要なら何百回、何千回とだってやるとも。悪いがね、君。共和国のブランデーは()()()()においても高嶺の花だったのだよ。」

 

 

 ブランデーを注ぐ記者の手がピタッと止まる。

 彼は怒りと猜疑心を理性で押さえつけたような目で目の前の男の顔を見た。

 男はポロッと漏らしてしまった一言をとても後悔している様子だが、覆水盆に返らずの言葉の通り、もうどうすることもできない。

 

 

「やっぱり!しっかりと覚えていらっしゃる!」

 

「………」

 

「どうして話して下さらないんです!」

 

「…仕方がないだろう!全部話してしまったら、もう誰もブランデーを持ってきてはくれないじゃないか!」

 

「ふはぁ、呆れた。…分かりました、こうしましょう。あなたが私に話してくれたら、決まった時期にブランデーを届けさせます。」

 

「ただの口約束では信用に足らんよ。」

 

「でも、信用するしかありません。あなたは重犯罪刑務所に収監中の政治犯だ。もう先は永くないし…失礼ながら、共和国政府は何度恩赦しても()()()()()()()()()()()()()()()()。…つまり」

 

「共和国政府は私を飼殺しにするつもりだ。…そうだな。………君は紳士かね?」

 

「…最も紳士らしい紳士とは言えませんが、それでも紳士です。」

 

「仕方がない…今の私に選択肢はない。君の提案を受け入れよう。ただ…紳士として約束は果たしてくれ。」

 

「ご心配なく。」

 

「なら安心だ。…ところで、私は君にどこまで話したかな?…どうも思い出せない。ブランデーを飲めば」

 

「もうその手には乗りませんよ?」

 

「いや、今度ばかりは本気で言っている。その素晴らしい産物を私に恵んで貰えんかね?」

 

 

 記者はため息をつきながらも、男を言う通りブランデーのグラスを差し出した。

 男は手錠の掛けられた両手でそれを掴むと、ゆっくりと味わうように琥珀色の液体を口にする。

 しばらくの時間のあと些か頬を紅潮させた彼は、スラスラと流れるように話し始めた。

 

 

「…そうだ、思い出した。オスター河畔の戦いの後、辺境伯殿が方伯と軍司令官を始末したところまでは話したな。」

 

「はい。辺境伯…ゲルハルトはついに望んでいた物を手に入れた。しかし、彼は望んだ物を手に入れたにも関わらず、そこで立ち止まる事が出来なかった。」

 

「その原因は何だと思う?」

 

「一般的には、コカインの収入で増強させた国力によって自信過剰になったと思われていますね。でも、私は違う。」

 

「ほほう。では、君は何が原因だと思う?」

 

「彼は最初から王国全体を支配下に収めると言う野望に取り憑かれていた。コカインはそのための手段に過ぎず、方伯領はほんの手始めだった。…彼は覇権主義の権化だったのでは?」

 

「ふははははっ!…まるで分かってないな。」

 

 

 男は声を挙げて記者の意見を笑い飛ばす。

 まるで、とんでもない陰謀説を聞いたかのように。

 記者は多少不愉快な顔をしたが、男はまるで気にも留めない。

 

 

「……辺境伯殿はある思想家を贔屓にしていた。」

 

「どういう思想家です?」

 

「我々の知らん思想家だよ。これは辺境伯殿からの受売りだが…その男の本によれば、人間は必要に迫られてはじめて行動する生物らしい。」

 

「………つまり?」

 

「彼もまた、必要に迫られて行動したに過ぎない。」

 

「ふっ、何を仰るんです?ゲルハルトが辺境伯領の領地に安寧をもたらしたいだけであれば、方伯領を併合しただけで終わったはずです。」

 

「君は何も分かっていないのだよ。…辺境伯殿は確かに方伯領を併合した。領内の食糧問題は以前比べて格段に良くなったし、擾乱の可能性は下がった。だが、それでめでたしとはならない。」

 

「…なぜです?」

 

「何故!?何故か!?そんなことも分からないのか!?国王からすれば、装備を充実させた高練度の軍隊を持った連中が、その腹を満たせるだけの食糧を得て、自分の対岸に居座ってるんだぞ!?これを脅威と言わずして何という!?」

 

 

 男が突然声を張り上げて、記者は幾分圧倒される。

 注がれたブランデーの香りか、それとも回顧による頭脳の活性化か。

 彼は今、現役時代の俊英さを醸し出していた。

 

 

「………それじゃあ、ゲルハルトは国王との衝突を予測していたと言うんですか?」

 

「『戦争は終わらせ方から決める物』…それがあの方の口癖だった。それは彼にとって鉄則であり、勝利の鍵であり、しかし()()()()()でもあった!…辺境伯殿は終わらせ方を決めることはできても、気まぐれな運命が仕掛けた罠を見通す事は出来なかった!」

 

 

 先ほど記者に言われた通り、男はもう決して若くはなく、それどころか老人と呼ぶに相応しい年齢である。

 男は一通り語ったあとに激しく咳き込み、記者はその背中をさすった。

 そのおかげもあってか、男は幾分か落ち着いたようで、時間はかかったものの、やがて呼吸を整える。

 

 

「………我々は貴国に負けた。だというのに、その貴国はあまりにも永く平和を享受し過ぎたようだ。…これでは我々が負けた意味もない。あの時代を、国家を、戦争を、無駄だったなどと言わせてなるものか。」

 

「………」

 

「私はようやく分かった。これは私の最後の使命なのだ。カリウス殿も、シュタイヤー殿も、辺境伯殿もアンドレアス殿も皆死んでしまったが、私だけは生き延びた。ここで腐っていくだけの運命だと思っていたが…その理由がようやく分かった。」

 

「………」

 

「いいかね、君。これから私が話すことは全て記録してくれ。…我々の全てを今から話すが、これはブランデーなんぞのためではない。我々の同胞や、貴国の犠牲者の死が無駄にならないようにするためなのだ。」

 

「………ならブランデーは」

 

あ、待って。やっぱりブランデーも欲しい。」

 

 

 記者は再び呆れた顔をしたし、男の背後にいる看守は吹き出した。

 おかげで若干場の空気が和んだようにも思える。

 男をもっと饒舌にさせるためにも、記者は再びグラスにブランデーを注ぐ。

 その後使い古して手帳を取り出したが、すぐに考えを改めて新しい手帳を取り出した。

 目の前の男はこれから一国の"生涯"を語るつもりでいる。

 この手帳で足りるかどうかも分からない。

 

 

「…それでは、改めて。まずはあなた自身のことを聞かせてください。」

 

「ああ、わかった。」

 

「あなたの、お名前は?」

 

ウンベルト・シュペアー。最終役職はノルデンラント家行政総監。」

 

「あなたの仕事で、もっともやりがいを感じた部分は?」

 

「仕事の正面幅が広かったこと。」

 

「なるほど。…それでは、逆にあなたの仕事の嫌いなところは?」

 

「仕事の正面幅が広かったこと。…あまりにも。そして、それはどんどん広がっていった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21 オードブル

 

 

 

 

 

 

 

 

 オスター河畔の戦いより1ヶ月後

 辺境伯領

 辺境伯居城

 

 

 

 

 

 

 

 

 実に大きな収穫であった。

 我がノルデンラント家において、穀倉地帯の獲得がどれだけ重要であったことか。

 我が軍は強者揃いではあったものの、その強者達を動かす燃料も提供できない貧弱国家であったのだ。

 それが今はどうだ!

 我が家領の領民達の食卓には黒いパンではない白いパンが並び、1日の食事に困ることなく、統制された価格によって誰もが腹を満たせるのである。

 これぞ私が夢見た領地経営!

 私が心の底から望んでいたものだ!

 

 

 

 そんな事を考えながら、私は温かいベッドから中々外に出られずにいる。

 何故ならベッドの中に素晴らしい許嫁が控えているからだ。

 

 

「………んっ♡…ハニー、もう少しこっちへおいで。我のおっぱいで温まると良い。」

 

「言われなくてもそうするよ、ダーリン」

 

「ふふっ…本当に仕方のない子だな。…来週の挙式は問題なさそうだ。」

 

「驚くことなかれ、教皇様が取り仕切って下さることになった。」

 

「ほぉ…それは楽しみだな、マイハニー。」

 

「…ダーリンには悪いことしたかも。…そちらの信仰に反するかもしれないから。」

 

「魔王国にある信仰といえば、歴代魔王に向けられる忠誠心以外は何もない。だから、我の信仰は気にするな、ハニー。正直、そこまで気にかけてくれた事は嬉しいが。」

 

「それなら良かった。…あぁ〜↑ダニエラダニエラダニエラおっぱいさぁぁあん!これで正々堂々ダニエラさんのおっぱいにしがみついていられるよおおおおおお〜↑」

 

「あんっ♡こら、ハニー?そんなに強く抱きつくなっ♡…慌てなくても、もうすぐれっきとした夫婦になれるだろう♡」

 

「朝からイチャついてるとこ悪いんだけどさ、僕ぁもう帰って良いかい?」

 

 

 あまりにもすっばらしいばかりの朝を迎えていたばかりに、アンドレアスの事を蔑ろにしてしまった。

 いやあ申し訳ないアンドレアス。

 あと数十分はかかると思うから、後でまた改めて来てくれると…ダメ?

 はぁぁぁ。

 はいはい、わかりましたよ。

 

 

「このままダニエラさんとイチャついてると、朝食会議に遅れる事になる。カリウス将軍になんて伝えるんだ?…辺境伯は今嫁といちゃついてて出席できませんなんて言えるとでも?」

 

「分かった、分かった、わぁぁかった!今行くから。」

 

「ほら、私のハニー♪出かける前にキッス♡

 

「わあああい!キッチュだぁ!」

 

ゲルハルトォ!!

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 キッチュはしてもらったが、結局はダニエラさんも朝食会に参加することになっている。

 彼女は頭脳明晰な女史でもあり、私の良き補佐ともなってくれるからだ。

 

 我々が方伯領を併合した効果は市井のみならず、我々自身の食卓にすら現れていた。

 以前1週間の内の6日間を占めていたボソボソとした食感のライ麦パンは姿を消し、卓上にはバターをふんだんに使用したに違いないクロワッサンが並んでいる。

 ソーセージが()()()()()いるように見えるのは幻覚ではなく、サラダの具材の種類が増えているのも勘違いではなかろう。

 使用人たちには新しい悩みができたらしい。

 手に入る食糧が増えた事で、日々のメニューを考え直さなくてはならないそうだ。

 何という贅沢で幸せな悩みであろうか。

 

 

 我々は主に祈りを捧げ、しかるのちに食事を始める。

 柔らかなクロワッサンを切開してジャムをぶち込んでいると、まずカリウス将軍が、本日の朝食会最初の発言を行った。

 

 

「…正直、少し疑っておったがの。辺境伯殿がこれほどの事を本当にやってのけるとは思っておらんかった。」

 

「大逆罪に処そうか、将軍?」

 

「ほっほお!やれるもんならやってみぃ!」

 

「こ、この老害……まあいい。将軍をはじめとして、皆本当によくやってくれた。…だが、これは第一段階に過ぎない。我々は最初の目標を確保したが、これで終わりというわけではないんだ。」

 

 

 シュペアー長官が疑惑を含んだ表情でこちらを見る。

 

 

「と、仰いますと?…まだ拡張戦争を続けるおつもりですか?」

 

「いや、それは少し違う、シュペアー。我々がどれほど平和を望んでも、戦争は向こうからやってくる…皆も薄々感じていると思うがね。」

 

「確かに、この前の王国代表の発言を聞く限りは、友好的な態度ではなかったのう。」

 

 

 シュタイヤーが口を挟み、一同はその発言に頷く。

 王国は我々に方伯を討てと命じたにも関わらず、労いもほどほどにその成果を横取りしようという意図を隠そうともしていなかった。

 教皇様の加勢が無ければ、我々は今クロワッサンなど食べてはいられなかっただろう。

 

 

「シュタイヤーの言う通り、王国は我々を威圧した。教皇様にはご支援をいただいたが、それによって国王は我々を"敵"だと認識したに違いない。」

 

「あの不信心者めっ!」

 

「将軍、その怒りは戦まで取っておいてくれ。…ともかく、国王は教皇様の権力を奪いたがっているし、我々の領土も取り上げたい。だから連中は遅かれ早かれ我々を攻撃する。…衝突は目に見えているのに、わざわざ座して待つ必要はないわけだ。」

 

「では、辺境伯様。次はどのような手を打つのですか?」

 

「いい質問だシュペアー。国王との衝突が明白であっても、まだ本格的な戦争をする潮時じゃあない。国王の領域は、この国家の中で最も統制の取れた軍隊によって守られ、最も豊かな土地と産業がそれを支えている。方伯軍と戦うのとは訳が違う。」

 

「なら、辺境伯殿。ワシらはどうするべきじゃ?」

 

「準備を進める。…国王との全面衝突に備えた準備を。具体的には………『自由都市ハンザブルグ』、ここを我が領の傘下に収める。」

 

ブフォオッ!

 

 

 カリウス将軍が吹き出して、クロワッサンの断片とコーヒーの飛沫を卓上にぶちまけた。

 きっしゃないなぁ。

 吹き出すなら顔を卓上から背けなさいよ、まったく。

 

 

「…な、何を言い出すかと思えば!気でも狂ったか!?」

 

「私は正気だ。ハンザブルグを攻め落とせば輸入資源の調達を我々で独占する事だってできる。それにあの街は共和国への窓口だし、狡猾な国王が連中に助けを求める事のないように塞いでおきたい。」

 

「簡単に言うがなぁ!ハンザブルグの城壁は、もう100年の間破られておらぬのだぞ!それにお抱えの傭兵団は精鋭中の精鋭!それこそ方伯軍とは訳が違うわい!」

 

 

 正直なところ将軍が怒鳴り散らすのも無理はないかな、と少しばかり思った。

 ハンザブルグの防衛設備と傭兵団についての資料は既に手元にあったし、その武勇伝は辺境伯領内の子供達にすら伝わっている。

 

 

 自由都市ハンザブルグ、その始まりは今と変わらない。

 あの街はその成り立ちからして交易都市だ。

 王国は遥か昔から、その領土内で産出しない資源の確保を、この交易都市を通じて行っている。

 

 商人たちは最初は国王に対して忠実に振る舞っていたが、希少資源の取引で莫大な富を築くと、やがては自由に商売をしたいと思うようになっていく。

 歴代国王は事ある度にこの都市に干渉してきたし、それは大抵の場合商人達にとってありがたくないものだった。

 交易都市の商人たちはその内に王国内の諸侯に比類ないほどの富を持つようになり、その富で強力な軍を雇って国王を脅迫するようになる。

 "我々に自由を、さもなくば王国に死を"

 

 歴代国王にとって最大の脅威は魔王国であった。

 それ故、交易都市の商人と諍いを起こして希少資源の流通を途絶されれば、自身が窮するのは目に見えている。

 余裕のない戦争は、この商人たちに自由をもたらしめたのだ。

 交易都市は自由都市に名前を変え、その内にハンザブルグなどという大層な名称を自らに与えた。

 以来、商人たちは常に時代の最先端の兵器と兵士を雇い、自らの資産を守り通してきたのだ。

 国境沿いの山賊共、共和国から流れてきたロクデナシ、時には国内諸侯や国王の軍勢からも。

 将軍も言うように、100年の間、あの街の防壁と傭兵団を撃ち破った者はいない。

 

 

「将軍らしくないな、いつもなら勇んでいるところだろ?」

 

「わしは決して愚か者ではない!打算もできぬ愚将と一緒にしてくれるな!」

 

「これは失礼…では将軍。私がハンザブルグを攻め落とせと命じた場合、我が軍に足りない物は何かね?」

 

 

 考え込むカリウス将軍。

 あのね、もうね。

 どっから見てもビスマルクだわ。

 ほっとけば電報文に加筆しそうなくらいビスマルクだわ。

 

 将軍は一通り考え込むと、私の方を見て頭の中で纏めたであろう意見を述べる。

 

 

「まず、情報が足らん。防壁の事を傍に置いておくとしても、敵の兵力、装備、編成、そのいずれも分からんとすれば何の手も打てん。」

 

「その通り、まずは情報がいる。よって…明日、私とアンドレアス、それにダニエラさんの3人で偵察を行ってくる。」

 

「「ブフォオッ!」」

 

 

 今度はシュペアーとシュタイヤーが吹き出した。

 3人とも顔を背けなかったせいで卓上はソンムの戦いと化してしまう。

 しかし、彼らはそんな事を気にも留めていない様子だった。

 

 

「頭が狂っておるのではないか!?」

 

「辺境伯様、私としても同意できません!そもそも適任の者なら他にもいます!」

 

「例えば?」

 

「親衛隊長なら間違いなく任務を遂行しますよ!」

 

「……シュペアー、君がハンザブルグの商人だったとしよう。親衛隊長が平服を着ていたとして、どう見ても屈強な身体つきの見知らぬ顔の男たちが城壁の内部を見て回っていたら…どう思う?」

 

「………」

 

「彼らはこう思うだろう。"どこかの間抜けが偵察を送り込んだのだ"と。」

 

「しかし、その理屈で言えば辺境伯様ご自身が行く方が…」

 

「私はハンザブルグへ向かうための名目を用意できる。何たって、ハンザブルグにはノルデンラント家お抱えの商人がいるんだぞ?」

 

「あっ…」

 

「私がお抱えの商人を訪ねたところで、誰が偵察だと思う?護衛もつけていないような、無用心な大間抜けの田舎者な地方貴族が城壁の内部をジロジロ見てたって、誰も怪しむ事はない。せいぜい鼻先で笑って終わりさ。」

 

「じゃがの、護衛をつけないのであれば、それではあまりに無用心」

 

「心配するなシュタイヤー。ダニエラさんはとても優秀な護衛にもなれる。ね、ダーリン♪」

 

「ああ、その通りだよ、マイハニー♪…2人くらいの護衛など容易いものだ。」

 

「…あまり大勢を連れていくと却って注目を引く。我々を無知な田舎者と思わせておくのが上策だろう。」

 

「一つよろしいですか、辺境伯様?」

 

 

 シュペアーがおずおずと手を挙げて質問をする。

 私は彼の方を向き、発言を促した。

 

 

「どうしたシュペアー?」

 

「辺境伯様は、ハンザブルグから帰ったら何をするんですか?」

 

俺、帰ったら結婚すr死亡フラグ立てさせんな馬鹿野郎ォォォオオオッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22 自由都市

 

 

 

 

 自由都市ハンザブルグ

 市長室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コン、コン、コン

 

「開いている、入りたまえ。」

 

 

 ドアがノックされ、1人の男がそのドアを開いてやってくる。

 彼はこの自由都市を警護する傭兵軍の責任者であり、その任務は城壁の内と外に分けられていた。

 つまりは、壁の内側では警察任務、外側では軍事任務にあたるのだ。

 最近は100年もの間この街を守り続けてきた城壁に挑むような愚か者もいないので、彼ら傭兵軍は専ら城内の治安維持に当たっている。

 

 そんな彼は今日、彼らの雇い主である市長の執務室にやってきたわけだが、本来の要件に入る前に、まずは目の前で机に向かって執務を行なっている雇い主のお粗末な身辺警護状態に対しての責め句を言い渡すことにした。

 

 

 

「ドアを3回ノックしただけで相手を入れるのか?…無用心にも程がある。」

 

「それだけを言うためにわざわざこの部屋に来たのかね。心配せずとも私の首を狙うような輩はおらんよ。」

 

「何故そう言い切れる?」

 

意味がないからだ。私の前任者も、恐らくは後任者も、現状の市政から大きく路線変更をしようとはしない。つまりはね、私を殺しても代わりは幾らでもいると言うことだ。」

 

「アンタは殺されるかもしれないんだぞ?怖くはないのか?」

 

「ああ〜怖いね。だが、そうならないために君たちを雇っている。ここに忍び込んで切り取ったりすげ替えたりしても大して変わらない首を狙っている輩を城壁の外に留めておくのが君たちの仕事だ。余計な心配はしなくて結構!」

 

 

 市長はそう言って、人懐こい笑みを浮かべる。

 傭兵隊長は深いため息を吐きつつも、「はいはい、わかってますよ」と言わんばかりに両手を挙げた。

 彼は市長とは長い付き合いだが、この笑みの"威力"は変わらない。

 この笑顔の素敵な初老の男がまだ現役の商人だった時から傭兵隊長は彼の護衛をしていたが、この男が笑みを浮かべながら説得した時は、必ずと言って良いほど商談相手は殆ど全てを妥協したのを何度も見ている。

 

 

 市長はそんな傭兵隊長の様子を見ながらも、書類仕事の手を止める事はない。

 何せ王国中の商取引の中心地こそ、このハンザブルグなのだ。

 この街の市長には、その商業都市を運用するためのありとあらゆる便宜を図る職務が課せられている。

 まさに寸刻を惜しむほどの仕事量があった。

 

 しかしながらこの人好きのする市長は、それほどの仕事と向かい合っていても古い友人を蔑ろにする事はない。

 彼は机上でペンを指先のように操りながらも、目の前の傭兵隊長とのやり取りを続ける。

 

 

「君の事だから、そんな事を伝えるためにここに来たわけじゃないだろう?」

 

「ああ。耳の早いアンタの事だから知っているとは思うが…昨日高級娼館で喧嘩があった。」

 

「勿論知っているとも。酔っ払い共の喧嘩だが、先に殴ったのは、"面白いヤツ"だったな。辺境伯お抱えの商人、アレハンドロだ。」

 

「殴られた方も"面白い"ヤツだった。」

 

「ああ、酔っぱらった娼婦だろう?高級娼館の娼婦が客を挑発するなんて、たしかに面白い」

 

「そうじゃねえ。…こいつは噂に過ぎねえが、殴られたのは共和国薔薇騎士団の団員らしい。」

 

 

 市長のペンがピタッと止まる。

 彼はそのままペンを傍に置き、腕組みをして傭兵隊長の顔に見入った。

 

 

「共和国が?…何故?」

 

「こいつも確証のない話だが、アレハンドロは何かしらの薬物を共和国の連中に運んでいるらしい。取引相手はあの共和国のマフィア・アグノエル家で、アレハンドロは連中と組んでボロ儲けしてる。」

 

「たしかに、市の届出では奴は奴隷商人だが…金回りは良い癖に、奴の"商品"に上玉はいない。その話が本当でもおかしくはないな。」

 

「アグノエル絡みの噂に昨日の喧嘩、こいつは偶然か?」

 

「………」

 

「それに…アンタも感じているだろう?全てがチグハグなんだ。アレハンドロは粗末な商品しかないのに金回りは良い、奴のケツを持ってる辺境伯は領内に産業もないくせに方伯との戦争に勝つ、共和国は危険を冒してウチを嗅ぎ回る…一体何が起きてやがる?」

 

 

 市長は腕組みをしつつも椅子から立ち上がる。

 組んだ腕の内の一本は彼の顎へと向かい、その手はやがて顎を抱えた。

 彼が考え込むときはいつもこうなるし、それは傭兵隊長も何度も見ている。

 

 

「………この都市が標榜する理想とは、何だと思う?」

 

「さあな。俺は傭兵だ。理想とは縁がない。」

 

「"自由"だよ。自由な取引、自由な思想、自由な生活。自由こそがこの街をハンザブルグとなし得る最も重大な要素なんだ。」

 

「………」

 

「…私が考えるに、この街の自由に対して良くないことが起こっているようだ。私は施政者としてこの問題に対処しなくてはならない。…アレハンドロと辺境伯の関係をもう一度洗ってくれ。積荷が何か分かれば、アグノエルと共和国の方も片付くはずだ。頼むぞ、この街の概念そのものがかかっている。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻

 アレハンドロ私邸

 

 

 

 

 

 城壁に囲まれた都市の中で自然の緑を見つけるにはどうするべきだろう?

 それはきっとこうだ。

 "金持ちの邸宅を見つければ良い"

 

 

 アレハンドロは享楽主義のブルジョアのようだった…NKVDに見つかれば即座にラーゲリ送りにされる類いの。

 彼は我々との取引で得た富によって、城塞都市の馬鹿高い土地を大量に買って豪勢な邸宅を建てていた。

 様々な商店が集う市を抜けてすぐのところに、観葉植物に覆われた敷地があり、そのど真ん中に金ピカの邸宅がある。

 整えられた芝の奥にはプールまで備えられていて、私は誤ってコロンビアにでも来たのではないかという気分になった。

 

 豪勢な邸宅の豪勢な門の前に立っていると、奥の邸宅からアレハンドロの使用人がこちらに向かってやってくる。

 

 

「辺境伯様ですね?お待ちしておりました。こちらへどうぞ。」

 

 

 ウチの居城よりも豪勢なのではないかという邸宅に魅入っていた私とダニエラさん、それにアンドレアスは乗ってきた馬車を使用人に引き渡し、別の使用人の案内で邸宅に迎え入れられる。

 邸宅からは、これまた豪勢なセーブルのコートを着込んだアレハンドロが2人の美女を侍らせてやってきた。

 アレハンドロの服装とは対照的に、2人の女はペラッペラのベリーダンサー風衣装に身を包んでいる。

 2人とも別嬪さんだが、残念なことに胸のサイズはダニエラさんには及ばない。

 だから私は変に興奮することもなく、平静を保っていられる。

 保っていられるからソーシャルディスタンス保ってダニエラさん。

 さりげなくおっぱいを背中に押し当てないでもらえません?

 浮気を心配してるなら杞憂でしかありませんわよ?

 あとその鬼の形相やめて?

 お2人さん引いてるでしょ?やめてあげて?

 

 

「遠いとこからわざわざすみませんねえ、辺境伯様。」

 

「いやいや。商売はどうだ?…順調かな?」

 

「ええ、おかげさまで繁盛してますよ。問題がないわけじゃありませんが…心配には及びません。」

 

「心配に及ぶかどうか決めるのは私だ。昨日は商館で喧嘩したらしいな?」

 

「大したことじゃありませんよ。ただの痴話喧嘩です。」

 

「だが相手は共和国の警察組織だったらしいじゃないか?…ここに来る道中に色々な話を聞けたが、私としては君の軽率さが心配になってきた。何度も言ってるが、私が君を選んだのは」

 

「"慎重で口が固いから"…そうですね、辺境伯様。昨日のはやり過ぎました。それに注意を怠った。二度とやりません。」

 

「今回は許そう。だが次はないぞ?…さて、本題に入ろう。」

 

「事前に頼まれていた項目はまとめてあります。立ち話もなんですから、どうぞ奥へ。」

 

 

 

 案内人は使用人からアレハンドロに変わり、我々は邸宅の中へと進んでいく。

 2人の美女は途中で抜けてよくわからない部屋へと入っていき、その部屋からは何か燻したような臭いが漂っていた。

 この男が商品にも手をつけているのは知っていたが、納金を怠らない内は締め上げるつもりもない。

 ただ、流石に主要取引相手との面会前に"キメる"ようになったら、私はこいつを殺す命令を出さなければならないが。

 

 

 アレハンドロは…当然の事だが…今はシラフのようで、書類で散らかっている書斎に入ると、私に見せるために纏めておいた資料を並べ始めた。

 

 

「これが、ハンザブルグの警備状況です。…余計な事を申し上げますが、こいつはかなり"ホネ"ですよ。」

 

「分かってる。…ふん…なるほど、たしかにこいつは"ホネ"だな。」

 

「傭兵軍の規模は大きくはないが…我々の思っていたよりかは大規模だぞ、ハニー。」

 

「それに地形にも難があるね。ハンザブルグの東西は森に囲まれ、北には大河が流れてる。城壁に達する前に、野戦でこちらの戦力を削ってくるはずだ。地の利は向こうにあるから…」

 

 

 ダニエラさんとアンドレアスが言うように、この都市に真正面から挑むのは無謀がすぎる。

 とはいえ地形のせいでゴリ押し以外は難しい。

 守るに容易く攻めるに難しいとは、この城塞都市のために用意された言葉のようにすら思えた。

 

 

「攻め入るとすれば…それもこの都市を陥落させて維持できるほどの兵力を持ち込むとすれば、南側からしか手はないな。傭兵軍の装備は分かるか?」

 

「ええ、辺境伯様。連中は新しい小火器を配備したようです。何でも火薬を使う類のモノで、名前は…えっと…」

 

「…まさかとは思うが…ライフルか?」

 

「ええ!はい!そう、ライフルです!…何故ご存知なのですか?」

 

「ライフルの数はどのくらいだ?恐らくそれほど大量に供給されてはいないと思うが。」

 

「はい、腕の良い猟兵を中心に全体の4分の1を配備しているようです。」

 

 

 なんてこった!

 ようやっとマスケットを手に入れたと思ったら今度はライフル銃かよ!

 私は軽く目眩を覚えて座り込む。

 

 

「ライフルはこちらのマスケットの倍以上の射程距離から、数倍の精度で弾丸を放てる。一列横隊のマスケット隊など…いや、それより怖いのは指揮官への狙撃だ。統制の取れていないマスケット隊は…畜生、オスター河畔の再来だぞ。」

 

「それもこちら側で、ね。アレハンドロ、傭兵軍のライフルは前装式かい?」

 

「はい。何しろ装填に時間がかかるようです。」

 

「そうなると"初期"のライフル銃か。…いいや、ダメだ。王国との衝突すら控えている。我が軍に必要以上の損害を被ってまでここを制圧する余力はない。」

 

「ではどうするハニー?」

 

「………()()()()()()()()()()()()はなんだと思う、ダニエラさん?」

 

「………?」

 

 

 私は次の手の取り掛かりを絞り出しつつあった。

 この都市の傭兵軍と正面切って戦うのはあまりに危険が過ぎる。

 ではどうするか。

 こちらの兵力で傭兵軍を削れないのであれば、連中を自壊させるしかない。

 そして自壊させるには、この国全体に大きな衝撃を与えなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23 経済戦争

お久しぶりでしゅ!
前回更新からだいぶ日が経ってしまったので忘れられてると思う部分もありますが覚えていてくださった方や目を通して下さった方々には大変感謝の念を感じると共に未来永劫の感謝を(くどいのでカット


 

 

 

 

 

 

 街頭の店で、1人の女性がお茶を啜っていた。

 彼女は品の良い香りを楽しみながらも、しかし周囲に十分な注意を払っている。

 フードを目深に被っていたからか、或いは元から影の薄さに定評があったからか、周囲の人間は誰も彼女の事を気に留めていないようだった。

 

 山賊を尋問してからかなり時が経つ。

 猟師はあの後も十代目勇者の行方を追ってはいるものの、今のところ何の手がかりも得られていなかった。

 ハンザブルグほど人の出入りが活発な場所ならもしや、そう思ったのだが…どうやら思い違いだったようだ。

 結局のところ、彼女は遥々足を伸ばしてやってきたハンザブルグでお茶を飲む以外の何物も成し遂げていない。

 彼を拐った賊共が何者かによらずとも、時が経てば経つほど勇者の不利は目に見えていた。

 

 彼女はふと、顔を上げる。

 あと2週間。

 恐らくは、それが捜索にかけられる時間としては限度だろう。

 あの悪党共の目的が何であるにしろ、それまでに"あの子"を見つけなければ、きっと生存の望みは薄くなる。

 それにしても奴らは"あの子"の正体を本当に知っていたのだろうか?

 

 そんな事を考えていると、街頭から見える人の多い通りのど真ん中で4人ほどの人間が馬に乗ってやってくるのが見えた。

 その内3人はピッケルハウベを被っていたし、故にどこの誰だか遠目でもよく分かる。

 

 アレは…辺境伯に違いない。

 つい最近、異端に染まった方伯を懲罰したという"話題の"領主だ。

 そんな彼は自由都市の城壁を見上げて、気の抜けたように口を半開きにしている。

 恐らくあの田舎者の辺境伯は100年間この自由都市を守ってきた壁に、心底感心しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は壁の造りを見るに、この自由都市を攻略する上で確かな一撃を与えるには既存の全ての火器では不可能であると判断せざるを得なかった。

 この壁の逸話には癪に触るものも多いが、確かにそれだけを語る価値はあろう。

 こんな壁の頂上からライフル銃で撃ち下ろされた日にはもうたまらない。

 現状のままでは私の軍隊はこの壁に新しい逸話を付け加える以外は何ひとつ果たすことはないだろう。

 

 

「…こりゃあ骨が折れるな。見事なもんだ。」

 

「ええ、辺境伯様。事実、今まで一度も破られてませんからね。…さてと、通貨の話でしたね?」

 

「ああ、アレハンドロ。ハンザブルグで流通してる通貨について知りたい。確かこの国は銀本位制を採用していたな?」

 

「はい。王国は貨幣をハンザブルグで発行し、換金可能な銀は国王が管理しています。自由都市とはいえハンザブルグも王国の一部だけあって、ここでも同じ通貨が信用されていますよ。」

 

 

 アレハンドロはそう言って、自身の派手な財布から銀貨を取り出した。

 驚くなかれ。

 この通貨の名称は『ジンバブ=エドル』

 遠い昔にジンバブなる商人が考案した銀貨が由来らしいが………なんというか…なんだろう、この…通貨危機を経験してそうな名前、もうちょっとどうにかならなかったのかな?

 

 兎にも角にも、私はその銀貨を見つめながらアレハンドロに問い続けた。

 

 

「王国内に銀の鉱山はない…少なくとも今のところ発見されていないな?」

 

「ええ、そうです。銀は専ら共和国で産出され、国王がその輸入量を管理する権限を持っています。だから魔王との戦争の間、諸侯の通貨を統一できた。」

 

「そりゃあ戦争中だってのに通貨もマチマチじゃ困るからな。国王が財政の主導権を握っていたからこそ統一した戦争指導をできた、とも言える。…と、なると銀の密輸はやはり無理かね?」

 

「できないことはありませんが、相当な資金と時間が必要ですよ。」

 

「ハニー、水を差すようで悪いが…辺境伯領の財政は大幅に回復したとはいえ限度がないわけでない。銀を密輸するとなれば、流石に国庫も打撃を受ける。王国との戦争を考慮すればかなり厳しい。」

 

「それに時間もかけられないしな。…国王は金の流通量も管理してるのか?」

 

「いいえ、辺境伯様。金に関してはそもそもハンザブルグでも流通量が少ない。まあ、共和国で調達しろとご命令されるなら、銀の密輸よりはよほど簡単で余計な費用はかかりませんよ。…勿論値は張りますがね。」

 

「確か…現在王国で一番金を多く保有してるのは教会じゃなかったかい、ゲルハルト?」

 

「そうだな、アンドレアス。教皇様の直轄地には金山も含まれてる。"保険"の方はこれで担保できそうだな。問題は、やはり銀の調達か…。」

 

 

 もうこの時点でお気づきの方もいるかもしれない。

 私はこの国に莫大な量の銀を流通させる気でいる。

 

 かつて欧州では銀本位制が覇を唱えていた。

 だからこそスペイン人達は遠く離れた南アメリカまで出向いていって、先住民達を極限まで酷使して銀をかき集めたのだった。

 しかしそうしてかき集められた銀も、いざ欧州に辿り着くと彼らの思い通りにはいかなくなってしまう。

 南米から大量にもたらされた銀が、欧州に存在していた銀の価値を押し下げてしまったのだ。

 結果として欧州ではインフレーションが巻き起こり、銀山を保有していたフッガー家や土地収入に依存していた旧来の封建領主を没落させてしまったのだった。

 

 たしかに、この『価格革命』には欧州での人口増加も充分に加味されているし、実際のところ銀の流入はあまり影響しなかったという説もある。

 しかしながらこの典型的なファンタジー世界に於いて人為的な『価格革命』を起こすというなら、有効打は期待できるはずだ。

 近年銀の産出が増加傾向にある共和国では既に金本位制に移行しつつあるというし、そもそも自国通貨の根拠を輸入資源に頼るのは大変よろしくない。

 国王がその辺をどう考えているにせよ、私にとって『価格革命』は…もし相応の備えが間に合うのであれば…魅力的な選択肢に思えた。

 銀の価値さえすり減らすことができれば、この街はすぐに陥落する。

 

 

 問題はその銀をどこから調達するか、である。

 確かに共和国では銀の増産が進んでいるが、その密輸となるとアレハンドロという通りリスクと費用と時間がかかりすぎる事だろう。

 最悪の場合、自分から絞首台に登るような形になる。

 だからそれ以外の選択肢をどうにか見つけ出す必要があった。

 

 私は同行するアンドレアスの方に向き直る。

 

 

「ねえ、アレハンドロ。ないとは思うけど安定した電力とかあったりする?」

 

「言いたいことはわかるよ、ゲルハルト。僕も同じことを考えてた。必要な薬品ならあの女魔術師が揃えてくれるだろう。粗銅なら新しく獲得した方伯領内にある。…けど、問題は電気だね。」

 

「なんか…三相交流とか出せる便利なモンスターとかいないかな?」

 

「夢を見過ぎだよ、ゲルハルト。」

 

「横から口を挟んですまぬが…ハニー、その"さんそーこーりゅー"とは、どんな竜なのだ?」

 

「ダニエラさん、ドラゴンじゃなくて電気だよ、電気。」

 

「でんき…?」

 

 

 ファンタジー世界の住人に近代文明というものを伝えることのなんと難しいことか。

 私は身振り手振りでどうにか伝えようと奮闘する。

 

 

「ほら、なんていうかな。バリバリ、ビリリッ!ってくるやつ。」

 

「ばりばりびりり」

 

 

 ダメだこりゃ

 

 

「そんな例えじゃ分からないよ、ゲルハルト。…ダニエラさん、雷って言えば分かるかい?」

 

「おお、なるほど!それなら我でも出せるぞ、ハニー!」

 

「うんうん、そうか。分かってくれたなら…今何つった?

 

 

 衝撃のあまり目をひん剥いたのが自分でも分かる。

 そんな私の様子を察したのか、馬上のおっぱいデカデカダークエルフは渾身のドヤ顔で腕を組んで見せた。

 …分かった、正直に言おう。

 私の目線は腕組みで寄せられたおっぱいから離れない。

 

 

「さっすがダーリン!」

 

「ふふん。もっと我を頼ってもいいのだぞ?我の王子様(プリンス)♡」

 

「驚いたな…」

 

 

 アンドレアスがそう言いつつも目線をアレハンドロの方へ向けた。

 あくまでダニエラさんの"種族"に関する話は我々だけの秘密である。

 ところが彼の心配は杞憂だったようで、肝心のアレハンドロは雇い主をほっぽり出して道行く娼婦を追いかけ始めていた。

 処してやろうかな、あいつ。

 

 

「その程度のことなら"我々"でも対応できる。」

 

「雷を人為的に起こせるのか?」

 

「ああ、ハニー。黒魔術を使えば容易なことだ。殊、安定した出力が欲しいならダークエルフの右に出るものはいまい。」

 

「すっばらしいね、おっぱいさん!」

 

 

 未だに腕組みおっぱいから目を離せないせいでつい本音がダダ漏れになってしまっている。

 道行く子供が一瞬怪訝な顔でこちらを見つめたが、すぐに母親が「見ちゃいけません」とか言いながら連れ去って行った。

 そうだな、見ない方がいい。

 このおっぱいは私専用ザ●みたいなモンだからね!

 

 

 

「ただ………ハニーがどれだけを求めているのかは分からぬが…求められる量によっては条件があろうな。」

 

「それは…どんな条件?」

 

 

 ダニエラのおっぱいを凝視しながら条件を問う。

 おっぱいは少しばかり間をおいてから、私の耳に口元を寄せて問いに答えた。

 

 

「我の仲間を何人か集める必要がある。…まずは、再び新魔王様に会ってもらわねば。」

 

 ええ……

 ………あのエロスナックママ擬きにまた会うの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24 パーリナイト☆ピーポー

 

 

 

 

 

 

 

 ダニエラさんの黒魔術でもってして、新魔王の居城までワープできるってのは大変ありがたい話だった。

 なんたって、魔王国だぜ?魔王国!

 徒歩で行けば巨人に踏み潰されそうだし、馬で行けば巨人に踏み潰されそうだし、馬車で行けば巨人に踏み潰されそうだ。

 だからその危険極まりなく思える過程をスキップできるのは本当にありがたい。

 

 ダニエラさんの、「あなた普段からバニラか何かだけを食べて過ごしてます?」って言いたくなるレベルで良い匂いのする柔肌に抱きつかなければならないという貞操上の問題はあるにせよ。

 私とアンドレアスは他に適当な手段も見当たらないし、やらなければならないことは電力の確保だけではないので、2人してこのエロスの塊みたいなダークエルフに抱きついて魔王城へとワープした。

 

 

 

 さあ!読者の皆様!ここで質問です!

 魔王城って一般的にどんなイメージ持ってます?

 ああ、いえ、直感で構いません。

 魔王城も魔王城、それも魔王の御前にございます。

 なんというか…影の奥から「フッハハハハ!」「イッヒヒヒヒッ!」みたいな笑い声が響いてきてヤベェ薬でもやってんのかと訝しんだり、壁から変な液体が垂れてて権力者の居城たる建築物にあるまじき施工ミスに二重の意味で驚いたり、そこら中蜘蛛の巣があったりイモリが這いずり回ったりしてるのを見て清掃業者という専門分野の存在に改めて感謝したりするとは思うんですが。

 

 でもって魔王の居室に着くとアレでしょ?

「良くぞ辿り着いた勇者よ、我に従えば世界の半分を云々」っていうテンプレートが投げつけられてくるんでしょ?

 まあね、相手の言うことを鵜呑みにするのは良くないとしてもね。

 向こうから提示するって事はさ、向こうからすると「世界の半分」ってのは魔王の財産の半分と見なすのが普通じゃない?

 大体そのくらいのステージになると人間界への侵食は失敗してるパターンが王道だと思うんだけどさ、つまり、魔王は手持ちの魔界の中の半分を勇者に差し出すっつってんのよ。

 で、大抵の場合、勇者の方はいちもにもなく「断るっ!」って言うでしょ?

 

 

 せめて講和条約の交渉の機会くらいは与えても良くない?

 

 

 アレ?

 アレなの?

 無条件降伏すら受け入れないスタンスなの?

 魔王からしたら自分の掌握下にある世界の半分って帝政ドイツにとってのヴェルサイユ条約並みにキツい内容だと思うけどそれすら許さないスタンスなの?

 確かに大方において人間界が魔王の侵略を受けてるから云々みたいな設定はあるにせよ、しかしその発端まで描写されてる場合って少ないわけじゃん。

 発端分からないのに講和条約も許さないってあなた一体何されたのよ。

 

 それからさ、魔王亡き後の統治体制まで考えてます?

 魔族とかさ、あんな…人間から見ると陰湿な土地で生き抜いて魔王の絶対君主体制につき従ってるわけでしょ?

 つまりは独裁体制によってしか統治されない可能性があるわけですよ。

 なのに、そんな内実も分からないのに…戦後の統治ビジョンもなにもないのに、勇者個人の判断で全体主義者もビックリな絶滅戦争か何かを始めようってんですか!?

 

 

 

 

 

 …………ま、典型的な勇者の狂える全体主義思想に対しての考察はさておき。

 私達は魔王城に到着した。

 勿論五体満足、ダニエラさんの豊満な身体に野郎2人でしがみついているという大変間抜けな絵面を除けば特に異常はない。

 

 ところがワープした先の魔王の居室というのが…なんというか……………

 

 

 

 思ってたんと違うッ!

 

 

 何もない大きなだだっ広い部屋の奥に禍々しい玉座があって魔王が座ってるってのが我々の先入観なんですよ!

 なのに、この新魔王の居室ったらイビサ島かなんかですか!?

 

 まず持って到着した瞬間にドゥンドゥンドゥンドゥン☆』って感じのEDMが流れてるし、バーカウンターがあるし、ダニエラさんと同じダークエルフの方々が水着姿や下着姿でレッ●ブルの缶とかカクテルとか持ってEDMにノッてるし、その上デイビッ●・ゲッタとスヌー●ドッグまでいやがるしッ!

 

 そんなダンスフロアで辺境伯領伝統の軍服にピッケルハウベな我々の浮いてることったら!

 こちとら新魔王にお願い事のための面会に来たんだし、前もってダニエラさん通じてアポイントメントは取ってあったはずである。

 あまりにやかましいEDMに負けないように、私はダニエラさんの耳元で大きな声を出した。

 

 

「ダーリン、ここって本当に魔王城なの!?」

 

「ああ、ハニー!正確には魔王城ではないが、新魔王様はここにおられる!」

 

「ああ、だよね!こんなパーリ☆ナイトなところが魔王城なはずはない!」

 

「魔王城は建築の老朽化耐震設計に難があったことから閉鎖された!ここは新魔王様が新しく設けた居城…通称"不夜城"だ!」

 

「………なんて?

 

「魔王城は」

 

「いやいやいや、そうじゃなくてね、ダニエラさん。つまりは…ここが新魔王の居城なの?」

 

「ああ、そのとおり!新魔王様はあちらにいらっしゃる!」

 

 

 ダニエラさんがパーリ☆ナイトなダンスフロアの奥の方を指差した。

 私はいい加減にダニエラさんにしがみつくのをやめて、彼女の指差した方角を見る。

 なんてこった、妖艶な雰囲気と豊満なお身体の持ち主でいらっしゃる新魔王は際どい下着に身を包み、ダンスフロアの中央奥側でポールダンスをご披露なさっていた

 

 

 

「………頭が痛くなってきたよ、ダニエラさん。」

 

「?……ああ、人間界にはこのような文化はないから」

 

「いや…うん、まあ、色々とカルチャーショックだわ。」

 

 

 カルチャーどころじゃないが、とにかくショックである。

 なんじゃこりゃ。

 魔王の城の名前が"不夜城"ってのは、まあ、センスがないわけじゃないと思う。

 でも"不夜城"の意味が、『我が王国に落日はない』とか『日の登ることのない魔界の象徴』とか言うんならまだしも『ヤァヤァ者ども、朝まで共に踊り明かそうぞ』なのは想像の遥かに斜め上過ぎた。

 魔王城の閉鎖理由があまりにも現実的な割にそこからのステップアップ具合がオリンピックのハードル跳び選手さながらなせいで、私の頭の情報分析能力はその許容値を大きく超えてしまう。

 

 

「なぁ、ゲルハルト…」

 

「アンドレアス、少し待ってくれ。さもないと私の頭は過熱で強制ログオフしてしまう」

 

「見てみろよ、これ全部"電気"だ」

 

 

 アンドレアスにそう指摘されてハッと我に返った。

 確かに、ダンスフロアを照らしているライトもドゥンドゥン系のEDMも電力がなければ不可能な類である。

 人間界との文明レベルがかなり違うことには焦燥を覚えるが、しかしながら私の見る限り魔王国全体にこの文明の恩恵が波及していない事は不思議だった。

 

 あっ、そうだ。

 電気だ、電気!

 私は自身の目的を思い出す。

 わざわざダニエラさんに抱きついて電気をもらいに来たのは、ハンザブルグの防備を"溶かす"必要があるからなのだ。

 

 本来の目的を思い出した私は、ダンスフロアで踊っているパーリーピーポーならぬパーリーダークエルフやパーリーサキュバスの間を通り抜けて新魔王がいるボールダンスステージの方へと向かった。

 つーかなんで女のダークエルフとサキュバスしかいないんだ、このダンスフロア!?

 これプライベートで来ればハーレムかもしれないけど公務で来てる以上地獄だからね?

 男女の比率がおかしい…男性と思われるのはデイビッド・●ッタとスヌー●ドッグと我々しかいない…し、何だって全員下着かビキニなんだよ!?

 

 ダークエルフとサキュバス達のムワッとしたような芳しい香りを避けていきながら、どうにか理性を保ってポールダンスステージに辿り着く。

 妖艶なポールダンスを踊る新魔王の下まで来ると、ダニエラさんが声を張り上げた。

 

 

 

「新魔王様!辺境伯とアンドレアス殿を連れて来ました!どうかご面会を!」

 

「…ん?……ああ!来てくれたのかい!」

 

 

 汗だくの新魔王がポールダンスを終えてステージを降りてくる。

 ただでさえ衣装も雰囲気もエロいってのに汗でヌルテカってる分余計にエロい。

 おまけにこの新魔王、ダニエラさんの下まで寄ってきて彼女と濃厚なディープキスまでしやがった。

 もうやだ、このエロ魔王。

 

 

「……んぷっ…ふふふ、認証した。おかえり、ダニエラ♡」

 

「なんたる認証システムなんだ…」

 

「さてと。こんな場所で立ち話もなんだから、応接室に行こうじゃないか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで応接室ボックス席なんだよおおおッ!?

 応接室ボックス席ってあるか普通!?

 キャバクラじゃねえんだぞこの野郎!?

 

 

 私はこの魔王国の新しい国家元首の趣味に辟易している。

 ダンスフロアを出て下の階に向かい応接室と言われたのは、中央にダンスフロアのものより少しだけ小さなポールダンスステージのあるジェントルマンズクラブじみた部屋だった。

 静かな音楽と、中央で新魔王に負けず劣らずのセクシーポールダンスを繰り広げるサキュバス、それに赤と黒を基調としたレザーシート、更には豪華なシャンデリア。

 新魔王はなんの躊躇いもなくその部屋の一角にあるボックス席に我々を誘った。

 

 

「ふぅ…久しぶりだね、2人とも。今度はわざわざそっちから会いに来てくれるなんて…僕は嬉しく思ってる。」

 

「新魔王様、お飲み物は如何なされますか?」

 

 

 如何なされますか?じゃねえよ!

 やっぱりキャバクラじゃねえかよ!

 我々がボックス席に入ると間髪おかずに上下黒下着、ガーターベルトのとんでもない格好をしたナイススタイルのサキュバスがメニュー表片手に注文を取りに来た。

 

 

「うん、それじゃあ…僕はワインを。君たちもせっかくだから何か飲むといい。」

 

「こんにちは〜♪お兄様、お隣失礼してもよろしいですか?」

 

 

 新魔王がワインを頼んだ頃合いで、さっきのサキュバスとは別のサキュバスや女ダークエルフ達が5〜6人ほど我々のボックス席に入ってきた。

 皆様ダニエラさんや新魔王に負けず劣らずのナイスボディ具合。

 あ、あの、新魔王様?

 我々は仮にも一地域の代表で、あなた様はこの魔王国全体の支配者であらせられると思うんですが。

 その国家間協議をこのキャバクラボックス席でやろうってんですかい?

 

 

「心配しなくても大丈夫、この娘達は僕の個人的な護衛だよ。…それよりも…何か飲まなくていいのかい?」

 

「ええと…………それでは…せっかくのご厚意ですので」

 

「ビールもあるしワインもある。なんでも好きなものを頼むと良い。」

 

「………ぅぅぅぅぅぅうううん、コーヒーをいただけますか?我々は現在公務中ですので。」

 

「ふっ、君たちは真面目だね。まぁ、良い事さ。特に僕の同盟者なら、ね。」

 

 

 こんなやりとりをしている間にも先ほどのサキュバスやダークエルフ達が我々の間に入り込んでくる。

 私自身はポールダンスを終えてまだ上気している新魔王の柔肌と、ダニエラさんの柔肌の間に押し込められた。

 なんでこうなるのよ。

 やがて飲み物が運ばれてくると、新魔王は今までとは打って変わった様子で本題に踏み行った。

 

 

「さあ、それじゃあ話し合いといこう。君はまた僕に何か頼みたいことがあるんだね?」

 

「ええ、閣下。実を言いますと…ダークエルフの魔術師達をお借りしたいんです。」

 

「何のために?」

 

「あなた方が上のダンスフロアで使っている、"電気"が必要になりまして。」

 

「"電気"……なるほど、あの黒魔術の動力源か。確かに彼女達なら造作もなく扱える。」

 

「お兄様変わってるんですね…あんな技術欲しがる種族なんて滅多にいないのに。」

 

 

 ボックス席に乱入してきたキャバ嬢擬きの護衛の1人が私に向かってそんなことを言った。

 

 

「そうなのか?」

 

「こら、エミリア!そんな言葉を使うのは、同胞の印象が良くないよ?」

 

「あっ!ごめんなさい、新魔王様!」

 

「…うん、まあ…でも。エミリアの言う通り、彼女達の魔術は歴代魔王によって『軟弱』のレッテルを貼られていてね。僕が新しい魔王になるまで、使おうとする者はいなかった。…正直、僕としては君が興味を持った事自体が意外だよ。」

 

 

 意外じゃなかろうが、宝の持ち腐れやぞそれ。

 歴代魔王も歴代魔王でなんたってこう、揃いも揃って頭の固い連中だったのだろうか。

 電気使えるってやっべえアドバンテージやぞ。

 

 

「それで、どの程度の人数をお望みかな?」

 

「上のダンスフロアで消費する電力を担保できるだけの人数が必要かと。」

 

「なら…300人から400人ほど、かな。」

 

そ ん な に …」

 

「当然さ!ダークエルフの魔術師1人が生み出せる"電気"の量は決して多くはない。だから供給量には絶対の限度があるんだ。」

 

 

 

 なんとなく、魔王国で電気が省みられなかった理由を推測することができる。

 新魔王のダンスフロア程度なら安定した供給を提供できるにせよ、国家全体となると不可能なのだろう。

 ダンスフロアのライトにしろスピーカーにしろ、恐らくはダークエルフの魔術師達が生み出したものに違いないが、歴代魔王達は"そんな不安定なもの"に頼らずとも自前の力で人間をねじ伏せられると思っていたに違いない。

 しかしながら、それは国家全体と考えた場合であり、我々の用途では十分に見込みを得る事はできよう。

 

 

「新魔王様、是非ともお願いしたくあります。」

 

「わかったよ、ゲルハルト。君は大切な友だ。その要請は受諾しよう。」

 

「おおっ!ありがとうございま」

 

「た・だ・し。見返りと言ってはなんだけど、僕からもお願いがある。」

 

 

 新魔王が私の唇を指で押さえながら、腰の上へと乗ってくる。

 うおおおお乗るな乗るな乗るな乗るな無理無理無理無理エロいエロいエロいエロいッ!!!

 新魔王は色っぽくて仕方のないお顔を私の方にグングンと近づけてくると、耳元でそっと囁いた。

 

 

「………君のところの新兵器…マスケット、だったかな?…アレをどうか譲ってもらいたい。」

 

「……んんんんんんん、何故でしょう?」

 

「ダンスフロアは見たろう?…信じられないかもしれないけど、僕の政権の支持母体は彼女達なんだ。」

 

 

 ハッとして我にかえり、それで合点がいった。

 この城にダークエルフとサキュバスしかいないのは、おそらくは新魔王が自身の確実な掌握下に置けている種族が彼女達しかいないからだろう。

 

 

「ダークエルフの男性は極めて少ないし、インキュバスはほとんど居ない。だから鎧で身を固めた他の種族に対して、彼女達の力だけでは分が悪くてね。」

 

「魔術でどうにから凌げるが…新魔王様はより確実な方法が欲しいんですね?」

 

「ふふっ♡…その通りさ。だから…開発したての新兵器だし、無理を承知なのは知っているが…どうか僕にもその兵器を分けて欲しい。」

 

「…数は幾つほど?」

 

「ダークエルフの魔術師達の頭数分を。300〜400挺あれば嬉しいかな。」

 

 

 マスケットの量産体制はすでに整備されているし、奪取した方伯領の職人達もエルドリアンのフランチャイズに組み込んでいる。

 時間は多少かかるにせよ、決して不可能な注文ではない。

 エルドリアンには数を伝えるだけで良いし、シュペアーには帝国向けの輸出だとでも言えば良かろう。

 

 

 

「分かりました。この前の政治犯の件もあります、調達しましょう。…ついでと言ってはなんですが、旧方伯軍の残した大量のハンドキャノンもあります。ご一緒に如何です?」

 

「ああ…!ありがとう!本当にありがとう!」

 

 

 きっと国内の再整理に躍起になっているであろう新魔王は喜色の笑みを浮かべて、未だ上気しているその大きな胸の谷間に私の顔面を包み込んだ。

 交渉成功。

 されども私は早く帰りたい。

 まだ他にも仕事はあるし、ここに長居してると頭の中が色々とグチャグチャになりそうだからだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25 警察活動

 

 

 

 

 辺境伯領居城前

 

 

 

 

 

 

 クラッシュキャップを被った歩兵の列が、悠然と目の前を進んでいく。

 彼らは新しく編成された歩兵部隊で、それまでこの世界に存在していたどの部隊とも性質を全く異にするものであった。

 この部隊には、私の統治下にいる全ての成人男性が一度は入る事になっている。

 彼らはそこで我々の新しい武器であるマスケットの使い方を習得し、塹壕を掘り、歩兵として使い物になる最低限の知識を積み込まれるのだ。

 そうして何ヶ月かを過ごした後、彼らは元の生活へ戻っていく。

 大抵の場合彼らは農民で、私が新しく編入した方伯領の出身が多い。

 彼らはマスケットの使い方を覚えたら、「もうこんなことは懲り懲り」とでも言いながら畑仕事に戻るはずだ。

 私としても彼らを動員したくはないから、「こんなこと」はそれっきりにしてやりたい。

 ただし残念なことにその後も彼らには定期的に訓練を課すし、或いは私の都合によらず、"それっきり"にならない可能性は十分に有る。

 

 

 新しく編成された『動員軍』の行進を側から見ているだけでも、彼らが実際の戦闘になれば防御目的以外には使い物にならない様子が見てとれた。

 そんな部隊を編成した理由は、防御目的において彼らが必要になるであろうと私が予測するからに他ならない。

 魔王国から"技術者達"を招いて、少し前まで女魔術師が隠れ住んでいた廃教会に送り込み、そこで粗銅を電気分解させている間にも、私の戦争計画は着々と進みつつある。

 私もシュタイヤーも多正面作戦なんてファイっ嫌いだが、それを強いられる場合があるのなら、最低限の防御ラインを構築して職業軍人部隊が一方を片付けるまで持ち堪えられるような存在が必要だ。

 ただの農民にマスケットを持たして送り込むなら方伯軍の二の舞にしかならないし、それなら定期的な訓練を課して集団として行動させる癖をつけておくだけでも事情は多少変わる。

 

 

 

「時期尚早ではないか?」

 

 

 私の隣で行進を観閲するカリウス将軍が隊列に敬礼を送りながらそう呟く。

 彼の言わんとしていることも分かるし、私はその点を勘案した上でこの部隊の編成を命じた。

 それでも将軍が蟠りを感ずるのであれば、私は領主として理由を説明する義務を負う。

 

 

「…言いたいことは分かる。確かに我々が今攻略せんとする自由都市相手と、国力を総動員した全面戦争になるとは思えない。仮に攻略が失敗しても、自由都市側にはこちらに攻め入る理由も余力もないのだから、結局は間抜けな辺境伯があの壁に伝説を付け加えるだけになる。」

 

「ならこの時期に農民の動員を始めずとも良いじゃろう。もうすぐ作物の刈り入れが始まる。一部とはいえ、その人手を奪うとは…シュペアーが聞けばなんと言うか」

 

「将軍、私の思うに戦争を始めるに当たっては、基本的に"適切な時期"など存在しない。ある偉大な人物の格言を借りるなら『平和は次の戦争への準備期間』に他ならないんだ。」

 

「………」

 

「自由都市を攻略するには、今"帝国から亡命してきた技術者達"が精製している銀が必要になる。しかしその銀を使うことは国王への宣戦布告をも意味することになるだろう。」

 

「儂にはそれが分からんのだ、辺境伯殿」

 

「私が企図しているのは通貨への攻撃だ。王国の財政を一括する通貨体制を攻撃するのだ、将軍。国王がそんな事態を許すとは思えないし、いくらアレハンドロをこき使っても銀の出どころは隠し切れないだろう。多少の時間は稼げるかもしれないが、その時に農民を動員して訓練しても手遅れだ。」

 

「じゃから今のうちから簡単な訓練だけでも施しておくと…」

 

「そう言うことだ。心配せずとも動員して訓練する農民分の経済的損失は、国家の経済規模から見ても十分に許容できるだけの数にしてある。」

 

「こんなまどろっこしいことをするくらいなら、通貨への攻撃以外の方法を模索する方が早いような気もするがの。辺境伯殿の言う通りなら、今回の自由都市攻略が王国との全面戦争への引き金になる。」

 

「目先だけを見るならそうかもしれないが、こちらがどう出ようと王国はいずれ我々と戦争を始めるのだ。どうせ戦争になるんなら、先手を打った方が断然良い。」

 

 

 

 戦争なんて大嫌いだ。

 そりゃ戦列歩兵なんてかっこいいし、軍服姿のダニエラさんなんかは悶えるレベルのそれなのだが。

 しかし実際に砲火を交えるようなことは嫌いでしかない。

 

 ただ、こちらがどれだけ戦争を避けようと向こうからやってくるものは止められない。

 それがそう遠くない未来に起こり、防ぐ方法がないのであれば、私は先に敵を潰しておくことを選択する。

 

 

 通貨体制への攻撃はあの交易都市の防御体制を溶かしてくれることだろう。

 さながらマーガリンをオーブンに入れるように。

 そうなれば私の手元には魔王国との戦いを重ねた経験豊富な職業軍人達が、王国軍と対峙するに十分なだけ残ることになる。

 ならば自由都市攻略の方法…通貨への攻撃…を替える必要はない。

 

 これは国王への最後通牒になるだろうが、どのみち戦いは避けられんのだ。

 先手を打つには、寧ろ通貨への攻撃はこちらに有利な混乱をもたらしてくれるだろう。

 あとは幾つかのモノが揃えば…

 

 

 

 

 

 

 

 観閲行進を見終わった後、私は領主としての日常業務に戻っていく。

 戦争への準備は着々と進んでいるし、特に大きな問題はない。

 執務室に戻るなり、私の机の上に置いてあったシュペアーからの報告書がそのことを直実に指し示していた。

 

 

「………合成銀の生産は順調なるも必要量の確保には時間が必要…まぁ、最初からそんな物は期待していない。寧ろよくここまで順調に進めてくれたもんだ。」

 

 この場にはいないシュペアーにひとり賛辞を送りつつ、次の項目を読む。

 

「エルドリアンか…"例の兵器は完成間近、改良品の製作にも取り掛かる"…素晴らしい、アレはあくまで間に合せだからな。理解してくれて嬉しいよ、エルドリアン。」

 

 報告書の最後を飾るのは我が領が誇る最高の外交官のシュタイヤー。

 実を言うと、彼には自由都市ハンザブルグを攻略する前にある下調べをしてもらっている。

 この報告書の最下段にあるのはその結果報告だった。

 報告書の末尾、その段落のタイトルから目を通してみる。

 

 

『自由都市における共和国勢力の警察活動について』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 共和国領内

 王国との国境付近

 

 

 

 

 

「今だ!アグノエル一味を逃すな!」

 

 

 レティシアの号令と共に、アグノエル家の輸送馬車隊を共和国薔薇騎士団のメンバーが取り囲む。

 1人の銀色の華々しい装飾を纏う重装騎士がアグノエルの馬車の行手に立ち塞がったが、馬車の荷台で立ち上がったアグノエルの手勢が臆することなくマスケットを構えて1発放った。

 放たれた鋼鉄の小さな弾は重装騎士の硬い兜を迷うことなく破壊して、その着用者の脳髄も兜と同じ目にあわせる。

 美麗な薔薇騎士団の女性騎士はその鉄球によって頭の上半分を見るも無惨な状態にされ、もんどり打って騎上から転げ落ちた。

 

 

「くそ!奴らマスケットを持ってやがる!」

 

「一体どこから調達したんだ!?」

 

 

 共和国においてはマスケットは一般的な装備だったが、その供給は軍によって厳重に管理されているはずだった。

 一介のマフィアに過ぎないアグノエル家の手勢がその火器を使って仲間の1人を惨殺したことが、猛訓練を重ねたとはいえ未だ年端のいかぬ少女に過ぎない彼女達を狼狽えさせる。

 

 

「う、狼狽えるな!馬車が逃げるぞ、追え!…くそ、ベレニス!」

 

 

 レティシアは呆然とする仲間達を叱咤しながらも、自身は頭を打ち砕かれた仲間の下へと駆け寄った。

 ベレニス…眩いばかりの金髪と、雪のように白い肌の持ち主…は青い瞳で天の一点を仰ぎながらも、自慢の白い肌から桃色の断片を露出させている。

 生存は絶望的で、レティシアが駆け寄っていた時には案の定ベレニスは既にこの世の人ではなくなっていた。

 

 

「私がッ…私が馬車を止めていればッ!」

 

 

 悔しさのあまり、レティシアはベレニスの亡骸を抱き抱えながらも涙する。

 新米団員のレティシアは通常ならば隊を指揮できる立場ではない。

 だが最近隣国の自由都市から流れ込む危険な薬物の調査に対する人一倍の熱意から、団長ソフィアによって今回の作戦のいち指揮官に任命された。

 だが結果はこれ。

 彼女は馬車を止めることもできず、大切な仲間をひとり失っただけだった。

 

 

「レティシア!何をしてるの!?馬車を追うわよ!」

 

「団長…」

 

 

 アグノエル家の輸送隊は自由都市からの積荷を複数のルートで運んでいる。

 つまりブツを積んだ輸送隊を捜査するためには騎士団のメンバーを分散させて同時に張り込む必要があったのだ。

 団長はそのうちの一隊をレティシアに任せたわけだが、マスケットの馬鹿でかい銃声を聞いて早くも駆けつけてきたらしい。

 

 

「嘆くのは後になさい!ここで馬車を取り逃せば、ベレニスも報われないわ!」

 

「で、でも!」

 

「ほら、さっさと馬に乗る!…ハイヤッ!」

 

 

 ソフィアは狼狽えるレティシアを掴み上げて自らの馬の後ろに乗せ、馬に掛け声を浴びせて全速力で走らせる。

 そうしながらも、彼女自身にしがみつくレティシアを励ました。

 

 

「タイミングは完璧だった。連中がマスケットを持っているなんて、誰もが想定外だったはずよ。あなたはよくやったわ。」

 

「でも団長、私は…ベレニスを…」

 

「ベレニスは無駄死になんかしていない。…ソワール大統領はあの薬物を違法化しようとしているけれど、野党のルイエ派に妨害されているわ。薬物を違法化できない以上、私たちにあの輸送隊を検挙する権限はない。」

 

「…………」

 

「でも、奴らはベレニスを撃った。アグノエルの邸宅に辿り着くまでに捕らえれば、別の方から調査の突破口が開けるはずよ………ッ!?」

 

 

 馬が突如として鳴き声を上げながら前脚をあげたので、ソフィアは愛馬の手綱を弾きながらも何事かと前方を見る。

 そこには幾つかの死体が点々と転がっていて、ソフィアとレティシアはその死体が薔薇騎士団の装備を纏っていたことにショックを受けた。

 その遥か前方からはマスケットの轟音と悲鳴が聞こえてきて、馬車を追っている団員達が地面に転がる死体と同じ憂き目にあっていることが容易に想像できる。

 

 アグノエルのような犯罪者がマスケットを入手することが難しい以上、薔薇騎士団の装備はそれの相手を前提として定められてはいなかった。

 これ以上の損害が出ないうちに、ソフィアは指揮官としてあの馬車を諦めることを選択しなければならない。

 苦虫を噛み潰したような顔をしながら、ソフィアはその判断を下し、そして同時にアグノエルがマスケットを持ったという事実からある人物に疑惑の念を向けることになる。

 …共和国軍最高司令官、ヴァレーズ大将に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬車は無事にアグノエル邸に辿り着いたものの、その御者とマスケットの射手は褒められはしなかった。

 それどころか惨いやり方で殺されて、ドン・アグノエルが自邸の庭で飼っているワニの餌にされたのだ。

 ドン・アグノエルはそうやってようやく怒りを収めた後に、自身の執務室に戻って手紙の続きを書き始める。

 アグノエルの相談役は"出来立てのご馳走"にありつくワニの群れを遠目に眺めながらも、ボスに疑問をぶつけてみた。

 

 

「…ボス、彼らは共和国薔薇騎士団の追跡を撒いたのです。あの仕打ちは…」

 

「撒いた…?私はそうは思いませんよ?」

 

「………ボス…」

 

「ああ、いえ、どうか落ち着いてください。彼らは共和国薔薇騎士団の騎馬隊に出会した時、マスケットをしまって堂々としておけば良かったのです。ところがあんな小娘共を見た瞬間に怖気付いてマスケットでその内の何人かを撃ってしまった。…薔薇騎士団はこれで大手を振って彼らを逮捕できる。ですから、これはまあ…一種の予防策のようなものです。」

 

「すいません、ボス」

 

「分かっていただければ結構。…それでは続きを書きましょう。さて、どこまで書きましたっけ…ああ、そうだ。"親愛なる辺境伯殿、あなたの忠実な取引相手にして…"」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26 俺たちずっとズッ友だよ☆

 

 

 

 

 

 辺境伯領大聖堂

 

 

 

 

 

 

「………ゲルハルト・フォン・ノルデンラント…主に祝福されし北部の守護者…汝はダニエラ・ラ・フェルリータを妻と定め、いかなる時も支え合い愛し合うことを誓いますか?」

 

「誓います」

 

「ダニエラ・ラ・フェルリータ、汝はゲルハルト・フォン・ノルデンラントを夫と定め、いかなる時も支え合い愛し合うことを誓いますか?」

 

「誓います」

 

「大変結構、それでは誓いの接吻を」

 

 

 ダニエラさんとプルァトニックキッチュを終えた時を持って、私とダニエラさんはめでたく夫婦となった。

 今より昔、まだ先代魔王と勇者達が戦っていた時には教皇様が有力諸侯の結婚に立ち会うことは普通のことだったらしい。

 ところが平和な時代が訪れると、この伝統は急速に色褪せてしまっていく。

 国王がいつ頃から教会のチカラを邪魔に感じていたかは知らないが、その思惑が手伝っていたことは日を見るより明らかだろう。

 

 辺境伯が教皇様の立ち合いの下挙式したことで、この伝統も再び陽の目を見ることになった。

 これまで長い平和のためにあまり顧みて来られなかった辺境伯領最大の聖堂もこの儀式の為に大掛かりな修復作業が行われていたし、他地域よりはマシとはいえ宗教との関わりが薄れていた辺境伯の住民達も再び主の教えに戻りつつある。

 それはつまり教皇様の教えに忠実な信者の確保に、私が細やかながら貢献させていただいたことを意味した。

 

 

 

 挙式を終え、私とダニエラさんは教皇様と対談することになった。

 

 

「わざわざご足労いただき、誠にありがとうございます。」

 

「いえいえ、私こそお招きいただき本当にありがたく感じていますよ。…あなたの領民達は以前にも増して信仰に篤くなっていますね。この伝統が復活したことで他の諸侯の領民達も目を覚ますと良いのですが。」

 

「あとはあの欲深い国王と不信心な自由都市の連中くらいなものでしょう。」

 

「ええ、そうですね。私たちは彼らの目を覚まさせてやらねばなりません。」

 

 

 ここまでは良し。

 私と教皇様の利害は完全に一致している。

 

 まず、言うまでもなく国王は両者共通の敵だ。

 方伯領の戦後処置会議はまさしく良い例だが、教皇様と国王の対立は修復が不可能なレベルに達している。

 しかし教皇領がその総本山を置く公国が政治に無関心な国王の親族によって管理され、その国王の親族が教皇領の傀儡となっている現状教皇領の包囲は避けられるにせよ、教皇様にとってはすぐ南に広大な国王直轄領が広がっていること自体が脅威なのだ。

 聖騎士隊の精強さは有名だが、国王軍の本格侵攻に耐えられるほどの数はいない。

 教皇様が国王と対立しつつも直接的な対決を決断できないのはこの為で、逆に国王は教皇様の宗教的権威から彼を攻撃できないのだ。

 だからこそ国王は教会の影響力を削ぐべく、チマチマと宗教的な伝統をもみ消してきた。

 平和な時代がこれを手助けして、人々は信仰から離れがちになった為、教皇様は軍事的な同盟者が必要になる。

 

 一方私もまた、国王に対して脅威を感じている。

 共和国と帝国が座るグレートゲームへの復帰を夢見る国王は国内の統一を急いでいた。

 私と方伯の戦争で両方が消耗すると踏んでいたのだろうが、結果は全くの予想外だったに違いない。

 その上、私は方伯領の分割会議に教皇様の影響力を持ち込んだ。

 国王からまず間違いなく"敵"として認識されているし、国家全体の長となる権力者と張り合う為には、戦争の正当化のためにもそれに見合うような別の権力者が必要となる。

 国家の権威に頼れないなら、宗教の権威に頼ろう…そういうわけで私も教皇様との同盟関係が必要になった。

 

 国王は私達共通の敵。

 そして敵の敵は味方、教皇様は味方…出来れば永遠に"ズッ友"していたい。

 

 

 次に自由都市。

 私はこの都市を資源確保と流通支配の観点から制圧したい。

 国外でしか産出しない希少資源とその流通経路を握れば、国王の軍隊はじわじわと壊疽していく。

 そうなれば私達はこの国で最も規模の大きな軍隊を撃ち破ることができるだろう。

 

 教皇様としても、やはりこの自由都市は抑えておきたいに違いない。

 というのも、自由都市の商人達は教会の影響力を国王の影響力と同等に嫌っていたからだ。

 国中で最もカネとモノが集まる市場から締め出されているわけだから、教会がこの町に参入しないだけでどれだけの損失を招いているか想像に難くない。

 

 

 だからやはり、この点でも私たちは共通の利害関係…"ズッ友"だと判断できる。

 ゆえに今日。

 そう、こんな…素敵なダニエラさんと誓いのキッチュをした直後だからこそ、教皇様にある提案をぶち上げねばならない。

 

 

 

「教皇様、単刀直入に申したいことがございます。」

 

「おお、辺境伯殿。あなたは息子も同然です、なんなりと…」

 

「私は自由都市、並びに国王との戦争準備を進めております。」

 

「!!」

 

「我々は近いうちに、まず自由都市を攻撃するでしょう。しかし私達が使う方法において、国王の参戦は免れません。私の同盟者たる教皇様への攻撃にも踏み切るでしょう。」

 

 

 普段温和な表情を崩さない教皇様が初めて渋柿を噛んだようなお顔をなされる。

 無理もない。

「これからあなたの領地は攻撃され、その原因は我々が作ります」と宣言されたのだから。

 

 

「それは………時期が早いのではないでしょうか」

 

「いいえ、教皇様。あの貪欲なる国王は、国内の精神的支柱であるあなたの権威ですら奪おうとしておるのです。じわじわと、目に見えぬよう卑劣なやり方で!」

 

「………」

 

 

 教皇様の表情が困惑から薄ら怒りを含んだ表情に変わる。

 指摘されたくないことを指摘された人間の表情だ。

 しかし私は引かないし、引くわけにはいかない。

 私自身のためにも、ダニエラさんのためにも、そしてこの"ズッ友"のためにも。

 

 

 

「…ハニー、今日は我とハニーが結ばれためでたい日だ。その話はまた別の日に」

 

「いいや、ダニエラさん。今話しておかないと。…教皇様、不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんが、私がこのお話を今日のような日にしたのは気紛れではありません。これは私の覚悟でもあるのです。」

 

 

 教皇様はそこで私達が見たことのないような、少しばかり恐ろしげな表情をなされる。

 それはミサの時に壇上で浮かべるものでも、私と教皇様がこれまで交わしてきた"お願い"レベルのやり取りで浮かべるものでもない。

 国内最大の宗教的権威が、自らの保身と利益を天秤にかける、シビアな政治的判断を思慮するときの顔だった。

 

 

「……あなたの作戦を行動に移せば、間違いなく教皇領は攻撃を受けます。聖騎士隊は勇敢ですが国王の総攻撃には持ち堪えられません。あなたの軍は自由都市攻略に向かうのですから、私達は援軍を期待できない。」

 

「我々は今動員軍という新しい部隊を編成中です。簡易な訓練しか積んでいませんが、攻撃には使えなくとも防御においては使い物になるでしょう。彼らを防衛の為に派遣します。」

 

「国王の常備軍は常に訓練を重ねた職業軍人で編成されています。申し出はありがたいが…国王軍の主力攻勢に持ち堪えられるとは思えません。」

 

「ええ、ですので教皇様におかれましては開戦と同時に我が領に避難していただければと」

 

馬鹿なことを!

 

 

 教皇様はここで初めて声を荒げる。

 正直私としてもこれは言いたくなかったが、現実的に考えるならばこの提案は避けることができないものだ。

 だから私は謝罪しないし、したくともできない。

 

 

「私は同盟者を見誤ったのかもしれませんね!我が領は1ミリたりとも国王に明け渡しません!」

 

「明け渡せと申し上げるわけではありません!たしかに国王は一時的に土地を得るでしょうが、ノルデンラント家の名に賭けて必ずや取り返します!その為に自由都市を短期間に攻略する作戦計画まで準備してあるのです!」

 

「その作戦がうまくいく担保はないのでしょう!?…その場合はどのように責任を持つのです!?」

 

「私の首で治るのなら、教皇様には辺境伯領をお譲りします!!」

 

 

 そういう問題じゃない、そんなことは分かっているつもりだ。

 だが私が突然立ち上がりながらそんな事を言ったせいで教皇様は些か圧倒なされたようだった。

 

 もちろん私は自分の首を差し出したくはないし、教皇様がこんな男の首をもらってもきっと嬉しくないだろう。

 しかし私の"覚悟のほど"を示すには十分だったようで、やがて教皇様は怪訝な顔をしながら私に問いかけた。

 

 

「何故…そこまでなさるのです?国王が己の欲深さゆえに破滅することもあるでしょう…それを待ち、機を見て」

 

()など!そんなものはありません、教皇様!国王が己の欲に破滅するにせよ、その寿命により衰えるにせよ、いずれはその前に国王は教皇様や私に対して遅かれ早かれ牙を剥くのです!」

 

「………」

 

「教皇様も感じていらっしゃるはずです!国王は教会影響力低下に腐心している!この国の領民達が信仰から離れていったのは教皇様のせいでも、長引く平和のせいでもありません!国王が卑劣にも裏で糸を引いておるのです!国王にはそれだけの理由がある!」

 

「………」

 

「自由都市を抑えればこの国の流通を支配できます!さすれば国王軍の主力部隊といえど干え上がらせることができるでしょう!国王軍は防御に徹する動員軍との戦いで消耗し、次いで我が百戦錬磨の主力部隊の餌食になるのです!」

 

「…………」

 

「躊躇してはなりません、教皇様。"避けられぬ戦いであれば先手を打つべし"…国王が次の手を打つ前に、私に先手を打たせていただきたいのです。そしてその為には教皇様のご協力が不可欠です。」

 

 

 教皇様の表情から恐ろしげな感情が消え去って、それは再び思慮と困惑と渋柿のそれになる。

 しばし長い間考え込んだ後、教皇様は私の顔を覗き込んだ。

 そうしてやっと、私に声をかける。

 

 

「…辺境伯殿。ここまで率直に胸の内をお話しくださるとは…検討させていただきたい、とお答えしたいところですが、私としても国王の謀略は見るに耐えぬものがありました。…もはや砲火は避けられぬのかもしれません。」

 

「………」

 

「分かりました、辺境伯殿。一時とはいえ国王に領地を明け渡すのは癪ではありますが、それがあの強欲な悪魔を打ち倒す助けになるのでしたら………ご協力致しましょう。」

 

「!………誠に、誠に有難い幸せにございます、教皇様!」

 

「あなたもわざわざこのめでたい日に、私から疑念すら向けられかねないお話をしたのです。これはあなたの覚悟のほど、そうですね?」

 

「はい、教皇様」

 

「ならばあなたは本当に良き信徒です。私の判断にも、間違いはなかったようですね。」

 

 

 教皇領は温和な笑みではなく、"宗教的権力者"としての顔のまま、私にそう仰った。

 これが意味するところは、私はとうとう教皇様の本心の…その一端かもしれないが…信頼を勝ち得たということだろう。

 つい達成感故に泣きそうになったし、ダニエラさんも私の気持ちを汲んでから両目に薄ら涙を浮かべてくれている。

 浮かべながらおっぱいに私の顔面を受け入れる準備をしてくれている。

 今日はオパインをオーバードーズするからなこの野郎!

 

 

「…さて、辺境伯殿。そうなると、私たちは何をご協力できましょうか?」

 

「教皇様、まずは金を買ってください。」

 

「はい?…金、ですか?金山ならばそれこそ教皇領に」

 

「いいえ、違います。そうではなく、国王の金を買い込むのです。我々も勿論、この国中の金を買い込む予定です。」

 

「それは…何のために?」

 

「実を申しますと教皇様、この国の銀は、まもなくゴミクズになるのです。」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27 宗派分裂

 

 

 

 

 

 数ヶ月後

 

 

 自由都市

 ハンザブルグ

 

 

 

 

 

 

 給料の支払日に傭兵隊長が困るなんてことはこれまで一度もなかった。

 なんたって自由都市の市長の金払いは、王国で他に例を見ないほど気前が良い。

 現に傭兵隊長がこの都市の防備を請け負ってから今日まで、一度も給料の不満なんて物は出なかった。

 

 ところが今回の給料日はそうではなかった。

 大勢の傭兵がこれまでより高い金額を支払われたにも関わらず、不満を口にしたのだ。

 

 

「もう少しだけでいい、給料を上げてくれ!」

 

「何だってんだ!これまでより多く払ってるはずだろう!」

 

「物価が桁違いに上がってやがるんだ。先週はタバコが5エドル銀貨だったのに、今週は15エドル銀貨もかかりやがる!」

 

「なっ…」

 

 

 自由都市だけでなく王国全体で物価高が続き、市井の生活は圧迫されている。

 傭兵は生産性のある職業ではなく給料も基本的には据え置きのため、物価高による恩恵を受けられる立場にはない。

 市長が物価高を考慮して傭兵隊の給料を上げようにも、市税によって賄われるそれの限度は決して大きくなかった。

 故に傭兵達は市長の配慮を理解していたとしていても不満を述べねばならないし、或いは大抵の場合は理解していなかった。

 

 100年間に渡って外敵の侵入を防いできた伝統ある"傭兵隊"を受け継ぐものとして、その構成員には選り抜きの傭兵達が集められている。

 彼らに抜群の報酬を与えるだけの財力があったからこそこの自由都市は繁栄を得ることができたと言ってもおかしくはない。

 つまるところ、自由都市が傭兵を引き止められる理由は財力によってのみなのだ。

 だからもう既にこの段階においてさえ、自由都市傭兵隊から離れていく優秀な人材は多かった。

 

 

 窮した傭兵隊長はどうにか説得すると言って不満を口にする部下達を引き止めると、市長室へとその足を向けた。

 傭兵隊長は軍事組織を動かすにあたってはプロフェッショナルだが、経済に関してはその相対に位置する。

 だから旧知の仲である市長に、この異常な物価高について説明をしてもらおうとしたのだ。

 

 市長はもう、例の人懐っこい笑みを浮かべていなかった。

 眉間に深い皺を寄せ、あるグラフと向かい合っている。

 珍しくもペンを操る手を止めて、その神経を一枚の紙に注いでいるようだ。

 

 

「そろそろ君が来る頃だと思っていた。…残念ながら私にはこれ以上彼らの給料を上げることはできない。」

 

「いったい…いったいなんだってこんな事になっちまってるんだ!?」

 

「…少し前から教皇が大聖堂の建築を再開して物価の高騰を招いているのが一つ。教皇は金回りが少々良くなって、生涯目標である大聖堂のためにアレコレ買い集めてる。だから物価が上がる。」

 

「他には?」

 

「方伯と辺境伯の戦争の影響で、商人の中には物資の買い溜めを目論んでいる輩もいる。それも原因といえば原因だが…本質はもっと別のところにある。」

 

「そりゃいったい」

 

「銀自体の値打ちが下がってることだろうな。…今やこの国の市場には、かつてない量の銀が溢れかえっている。」

 

 

 傭兵隊長にはますます意味が分からない。

 それは彼が経済に対して無頓着が過ぎるからではなく、彼も彼で市長の横である程度の仕組みを見てきたからこそ困惑しているのだ。

 

 

「銀が溢れる?…何言ってやがる、銀の流通を制御しているのは国王とこの自由都市だ。溢れるならアンタが流出を止めれば良い。」

 

「我々は銀の流通をしっかりと管理していた。過去の記録を調べ上げたが、どこにもミスは見当たらない。」

 

「ならなんで…」

 

「…教皇領の金回りの良さの原因を調査させた。教皇には最近新しい友達ができたらしい…それがあの辺境伯だ。」

 

「辺境伯?」

 

「ああ。教皇の大聖堂建築費用はゲルハルト・フォン・ノルデンラントが出している。ノルデンラントはその為に莫大な額の銀を市場にばら撒いた。」

 

「ちょっと待て!辺境伯領だろう!?あそこには今だってまともな産業なんかねえ!そんなことすりゃあ辺境伯は破産する!」

 

「そこが謎なのだよ。辺境伯の支出は領地収入に見合ったものではない。…計算が合わないんだ。辺境伯は出どころ不明な銀を市場に垂れ流してる。」

 

「…アレハンドロ!奴だ!辺境伯御用達の商人!奴が銀の密輸に関わっているに違いない!」

 

「アレハンドロの積荷ならもう調べさせた。奴は最近金を仕入れてる。だが銀を扱った記録も証拠も出てこない。銀の暴落を見越したのなら情報源が気にかかるところだが、扱っているのが金なら奴は合法な商人だ。我々に奴を拘束する権利はない。」

 

「なら銀の出どころはどこだってんだ!?」

 

「………銀を輸入できるのはこの()()()()()()()()()………まさか………とにかく、アレハンドロはこれ以上調べられん。奴の潔白は証明されてしまった。」

 

 

 自由都市・ハンザブルグ。

 自由な商売に、自由な文化、自由な生活。

 誰にでも自由を保障することで成り立ってきた交易都市は、自らが大切にしてきたモノに首を絞められている。

 

 アレハンドロを締め上げるわけにはいかない…奴はこの交易都市が掲げる理念を盾にしている。

 市長も傭兵隊長もこの盾に傷をつけることはできなかった。

 

 

 

「とにかく、だ!どうにかしねえとこの街を防備する傭兵は1人、また1人と去っていく!大して役に立たねえ奴ならまだしも、昨日は腕の良い射手が10人も抜けた!物価高騰が続けば来週には100人、いや300人は抜けてるぞ!?」

 

「落ち着くんだ。この物価高と貨幣価値の急落具合なら、国王も黙って見てはいられまい。剣を振り翳してでも価格統制と市場への介入を行うはずだ。」

 

「そりゃあ国王だって破産なんてしたかねえだろうしな。」

 

「国王を頼るようになるとは癪だが…はぁ、年貢は毎年納めている。その分の働きは期待しよう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公国領内

 王国諸侯財務会議会場

 

 

 

 

 

 

 

 いつもならこの会議は定例会的に開かれているだけだった。

 王国全体で流れている銀の流通量は国王と自由都市によって定められており、会議の発言者は国王側と自由都市側に絞られる。

 これまで公国と教皇領は王国内の経済状態に無関心だったし、方伯領と辺境伯領の代表は発言しないのが暗黙のルールと化していた。

 つまるところ、この会議は基本的に国王の定める経済計画の伝達の場に過ぎないし、大抵の場合経済的なチカラを持つ自由都市が幾つかもの申して修正を求めるに過ぎない。

 

 方伯領が辺境伯と教皇によって二重統治される事になった今、この会議には現在王国財務大臣、自由都市経済顧問、公国/教皇領財務代表、そして辺境伯領代表としてウンベルト・シュペアーが出席していた。

 

 

「この度は臨時の財務会議に出席いただきご苦労様です。皆様ご存知でしょうが、最近において銀の価値は急落の一途を辿っており、我が王はこれによる国内の不健全な経済状況を憂慮していらっしゃいます。」

 

「失礼、発言を御許可願いますか?」

 

「自由都市経済顧問殿、発言を許可します。」

 

「ありがとうございます。…国王陛下は、銀の暴落の原因は何であるとお考えでしょう?」

 

 

 この質問が攻撃の意図を含んでいる事に気づかないほど、シュペアーは鈍感ではない。

 自由都市の経済顧問は教皇領が大聖堂建設を名目に物資を買い漁り、特に装飾を名目とする金の買い込みが銀の暴落を招いていることを知っている。

 ならば当然、辺境伯領が教皇領の消費する銀を担保しているのも把握しているし、その銀の出どころがまるで分からないという事実も掌握していることだろう。

 だから自由都市経済顧問は教皇領と辺境伯領を攻撃するし、王国財務大臣も自由都市と認識を共有していると考えるべきだ。

 

 何が財務会議だ。

 こんなものは臨時会議の名を借りた尋問の場に過ぎない。

 

 

「国王陛下は最近の教会の大聖堂建設に関わりがあるとお考えです。教皇領代表殿、あなた方は大聖堂に必要な金を金額に糸目をつけずに買い込まれている。そうして支払われる銀が市場の不安定化を招いているのです。」

 

「それは甚だ失礼な物言いですね、財務大臣殿。我が教会は主の偉大なる御慈悲を讃える為、そして何より誠実な信徒の為に後世に語られる聖堂を作らんとしておるだけです。」

 

 

 いつもなら。

 そう、いつもなら公国/教皇領代表は話を別の方向へ逸らしたことだろう。

 大抵の場合、政治に無関心な公国の統治者は適当な代表を気分によって選び出してこういった会議に送り込む。

 だから不幸にもその人選に当たってしまった人間は、公国と教会に責任がいかぬようより立場の弱い辺境伯領や方伯領に責任を押し付けようとする。

 

 ところが今日公国と教会を代表しているのはいつもとは違って教会の人間であった。

 国王とは別の面で大きな権威を持つ教会が真っ向から王国の追及を否定したとなれば、財務大臣としても面白くない。

 シュペアーは財務大臣の右脚が机の下で忙しなく動いているのを見たし、自由都市の代表も渋い顔をしている。

 

 

「我々教会としましては自由都市こそ疑われて然るべきと思います。国内で算出しない銀の輸入を担っているのは他でもない()()()()ではありませんか?教会や辺境伯領に無から銀塊を作り出すことなどできないのですから、調整された量をあなた方のどちらかが多めに仕入れたと見るべきだ。」

 

 

 教皇様はこの会談に教会でも屈指の胆力を持つ配下を送り込んだわけだが、その一句一文は辺境伯によって刷り込まれていた。

 辺境伯領と教会は王国と自由都市を攻撃すると決めた時から緊密に連携を保っているのだ。

 シュペアーはこの会議が行われる前に行われた作戦会議で、辺境伯が述べていたことを思い出す。

 

『国王と自由都市は決して一枚岩ではなく、それどころか水と油の関係だ。国王は自由都市に権力を分け与えたと思っているし、自由都市は国王に権利を奪われたと思ってる。互いに疑念を持たせれば、両者は簡単に対立する。』

 

 

 辺境伯が旧方伯領の廃教会でやっていることを知らない限り、国王と自由都市は出どころ不明な銀が出回る理由をお互いの背信に求めるのが定石だと思われた。

 どちらかが自分の私腹を肥やす為に相手を裏切って、辺境伯に銀を流しているのだと考える。

 特に自由都市は辺境伯の銀が教会に流れ、教会がその銀で金を買っていることを知っているだろうから余計に国王を疑うはずだ。

 そしてこの推測は、果たして正しいようだった。

 

 

「何を戯言を!…しかし…確かに教会側の発言も一理ある…財務大臣殿、過去1年間の年次収支を開示していただけませんか!?」

 

「なっ!自由都市如きが王国を疑うか!特権を与えた国王陛下の恩を忘れよって!」

 

「まぁまぁ、お二人とも。…物価高の原因が何であれ、我々教会や辺境伯殿よ領民達も困っているのは事実です。そこで、我々教会としては新しい提案をしたい。」

 

 

 遂に被っていた仮面を脱ぎ捨てた2人の代表が大声を張り上げた時、教会の代表が静かに立ち上がる。

 そして国王と自由都市の両者を引き裂く決定的な提案を口にした。

 

 

「………銀の信用低下は止められますまい。で、あれば教会としては通貨を変えることを提案します。」

 

「通貨を変える…だと?」

 

「銀が信用ならない以上、我々は金によって通貨の信用を回復することを提案致します。」

 

「馬鹿なッ!!」

 

 

 国王の財務大臣は目の前の机をひっくり返さんという勢いで身を乗り出す。

 それは国王の最大の権利のうちの一つであり、決して犯される事は許されぬものだからだ。

 しかし教会の代表は悠々とこう問いかける。

 

 

「ほう、ではあなたに銀の信用を回復する手立てがおありですか?」

 

「…ッ……それは………」

 

「我々は信徒の苦しみを黙って傍観するわけにはいかぬと考えます。新しい通貨の発行が民の助けになるのであれば、我々はこの提案を我々だけでも実行に移すつもりです。…既に、辺境伯様にはご賛同をいただいております。」

 

「…………ッ…」

 

 

 確かにただ表面だけを見れば、この通貨切り替えで得をするのは金を買い込んだ教会と辺境伯領という事になる。

 ところが、根本的な銀の過剰流入の原因を探るとなると、国王と自由都市は先も述べた通り互いの背信を疑わなければならない。

 これまで完璧に機能していた銀の輸入管理体制の存在が、逆に互いの首を絞めているとも知らずに。

 

 

「………自由都市としても、これ以上銀の信用低下が続くようであれば新通貨に切り替える用意があります。」

 

「おのれ自由都市!やはり貴様ら裏切りおったか!?」

 

「裏切ったのはそちら側では!?教会はあなた方からも多くの金を買ってる!全ては自作自演なのでしょう!」

 

 

 

 

 

 

 結局この臨時会議は、王国内の経済的調和を図る目的では間違いなく大失敗だった。

 しかし国王と自由都市の間に亀裂をもたらすという辺境伯の政治的目的は存分に達成されたのである。

 辺境伯、ゲルハルト・フォン・ノルデンラントはこれでもう国王軍が自由都市の救援に来る可能性を確実に排除できたのだった。

 

 

 教会がこの時提案した新通貨はのちに王国のエドル銀貨に取って代わる事になる。

 つけられた名は『聖金貨』。

 流通が始まる事には、単に『セント』と呼ばれ始めていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28 傭兵を用いるべきではない理由

 

 

 

 

 

 

 

 国王との戦争はカウントダウンを始めた。

 もう後戻りはできないし、後悔したって遅い。

 ならばやる事は決まっているし、その大方はこれまでと同じだ。

 常に先手を打って、敵を砕く。

 

 

 

 

 自由都市攻略の為に必要な物は全て揃っている。

 エルドリアンは間に合わせとはいえ注文の品を用意してくれたし、未だに止まらぬ銀の暴落が自由都市の防備を溶かしていた。

 我々の主力軍は自由都市に向かっていたし、訓練を受けたばかりの動員軍には動員令が発布され、彼らは公国の領土内で塹壕を掘っている。

 

 つまるところ、我々の準備は殆ど完了していた。

 後は私が実行のボタンを押すだけ…だったのだがそれもつい先ほど済ませてしまった次第。

 そのボタンとは教皇様からのご命令で、曰く『堕落してしまった自由都市を信仰の下へ戻す』使命が我々に課せられたのだ。

 

 大義名分を得たことで、我らが辺境伯領主力軍のマスケット銃隊は今やエルドリアンによって製造された新しい兵器を引き連れて自由都市へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由都市

 ハンザブルグ

 

 

 

 

 

 

 

 

 マキャベリが傭兵軍を"信用してはならない"と述べたのは、根本的な理由からである。

 即ち金で動く兵隊は、自国の国民軍と比べて戦意を保持する理由に欠くのだ。

 国土を犯されても何も失うものもない彼らは、自軍が劣勢と知るや容易に持ち場を放棄するし、ややもすると元の雇い主を裏切ったりもする。

 だから金があるなら傭兵軍を雇うよりも国民軍の拡充に努めたほうが賢明なのだ。

 

 

 自由都市防衛の担い手であった傭兵達もこの例に漏れなかった。

 銀の暴落により自由都市を去った者以外の傭兵達も、軍備を整えた辺境伯領軍の軍勢が向かっていることを知るや我先を競って逃げ出した。

 今や100年間の無敗を誇る城壁に留まるのは、僅か200名。

 いずれも傭兵隊長と浅からぬ縁があるか、昔々から今の市長に雇われているかのどちらかだった。

 所詮は金目当ての傭兵にさえ慕われていたのは市長の人徳の成すところだったが、しかし徐々に迫りつつある辺境伯領軍のドラムの轟を前にすると、なんとも言えぬ無力感が傭兵隊長を襲う。

 

 傭兵隊長は市長の判断を信じていた。

 たしかに傭兵の大半は逃げ出したが、希望を捨ててはならない。

 この街には無敗の鉄壁と高精度なライフル銃がある。

 たしかに再装填に大量の時間が必要になる代物ではあるが、しかし自由都市を攻撃することで国王をも敵に回しかねない辺境伯領はこの都市の攻略に多くの犠牲を伴うわけにはいかないはずだ。

 故に、この聳え立つ城壁の上から銃隊の指揮官を狙い打っていけば。

 必要以上の犠牲を嫌うであろう辺境伯領軍が手を引くことも考えられる。

 傭兵隊が装備する前装式ライフル銃の有効射程は200mほどあるのに対して、マスケット銃のそれは50mほどしかない。

 その上傭兵隊は城壁の上にいるので、多少は射程の延伸を期待できるし、銃列を率いる指揮官を視界に捉えることもできるだろう。

 理屈でいけば、市長の言い分には傭兵隊長の人生を賭けるだけの利益がある。

 

 

 やがては辺境伯領軍のドラムの音が近づいてきて、城壁の上で襲撃に備える傭兵達にその姿を見せた。

 ピッケルハウベを被って黒い軍服に身を包んだ男達がマスケット銃を担い、壮麗な隊列を組んで向かってくる。

 その隊列の両脇には歩兵と同じ軍装にサーベルを携えた軽騎兵達が展開し、歩兵と軽騎兵の更に一歩後ろを胸甲を纏った重騎兵が続いていた。

 

 辺境伯はこの自由都市を攻め落とすために、あまりにも巨大な軍団を派遣してきたらしい。

 しかし本来なら包囲が上策の攻城戦に、地形の問題により正面からしかぶつかることができないのだ。

 指揮官が狙撃され、その都度攻勢を止めなければならないとすれば、今度はその大兵力が兵站を破綻させてしまう。

 

 傭兵隊長はこの大兵力と向かい合いながらも、彼我の概ねの距離を目測していた。

 敵の隊列は2kmほど離れた稜線の向こうから姿を現してこちらに向かっている。

 腕のいいライフル銃手なら通常の有効射程を超える300mの狙撃だって可能なのだ。

 それを知らぬに違いのない敵の指揮官は、悠然と隊列を城壁に向けて来る。

 

 

 だがしかし、突然に指揮官が号令をかけ、それまで悠然と歩いていた歩兵と騎兵の隊列がその場で止まる。

 歩兵がその場に片膝をつき、そして騎兵は左右に散開を始めた。

 まるで…そう、まるで後方から何かが来るのを知っているかのように。

 

 答えはすぐに()()()()()

 直径75ミリほどの鉄球が、しゃがみ込んだ歩兵隊の遥か頭上を飛んでいく。

 火薬によって飛ばされたそれは発射薬の燃焼とその熱の伝導によって膨張していて、膨らんだ鉄の塊はやがて100年の歴史を持つ城壁に突き刺さった。

 運動エネルギーの供給を受けていた鉄球は歴史ある防壁にぶち当たるとその一部を易々と崩落させる。

 

 

 

 防壁の意義とはその()()であった。

 弓兵が間接武器の主要地位を占めていた時代、重力の助けを得た弓矢の威力は地面から打ち上げられる弓矢の威力を凌駕していたのだ。

 だからこそこの防壁は100年もの間無敗でいられた。

 この壁に挑んできた者達は、"いかにして壁の上の敵を減らしていくか"を主眼に捉えていたからだ。

 

 

 ところが火薬と治金の複合体が、たった今その伝説を文字通りに"破壊"した。

 辺境伯にはもう、壁の上の兵隊がどうであろうが問題はない。

 かの軍勢が装備しているのは青銅製の軽量野砲で、発射速度と精度に問題はあるものの、主として弓兵や攻城櫓を想定した防壁など簡単に打ち破る事ができる。

 

 こうなると、傭兵隊長にはもう打つ手などない。

 唯一無二の強みを無くした彼が対峙するのは辺境伯の大軍で、固い絆で結ばれていたはずの仲間達は早くも逃げ出し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったな。アレが100年無敗の防壁とは。歴史の割にはあまりに呆気ない。」

 

 

 指揮下の軍勢を崩落した防壁から突入させた後、自由都市方面の攻略軍司令官に任命されたグスタフはそう言ってため息を吐いた。

 彼の直接の配下たる親衛重騎兵など、本当の意味で出る幕すらなかった。

 とはいえグスタフも安心していられる身分ではない。

 辺境伯は今回の自由都市攻略が王国との戦争に繋がると見ている。

 グスタフは迅速に自由都市を制圧し、その後若干の駐留軍を残してから南に向かわねばならない。

 その頃には、練度の高くない動員軍連中が相当数消耗しているはずだった。

 

 事態は決して楽観視できないが、しかしグスタフの副官はむしろ喜んでいるように見える。

 

 

「将軍、これからが本番ですよ。王国の近衛騎兵と本気で殴り合える。」

 

「そんなことは望みではない。辺境伯殿はこの戦いのように、"殴り合う"のではなく"殴る"ような戦いがお好きなのだ。ただ、残念ながら今度はそうもいくまいが。」

 

「王国は方伯領や自由都市とは違いますからね。本当の意味での戦争になるでしょう。私や将軍も、敵の矢弾に斃れるかもしれない。」

 

「王国近衛騎兵と戦う意義はそこにあろう。肝心なのは矢弾によって斃れる事ではない。誰の手によって斃れたか、だ。低級魔族の流れ矢や、民兵の突き出す槍などにやられては死ぬにも死にきれまい?」

 

「まさか!我々は辺境伯領の最精鋭ですよ?そんな間抜けな事にはなりませんでしょう。」

 

「だといいがな。マスケットの普及は、最早我々辺境伯軍の独占物ではない。方伯との戦争を見ていた国王は既にマスケットの増産に踏み切っているはずだ。…マスケットのような銃火器は騎兵の威力を減少させていくだろう。やがて我々のような重装騎兵は役目を終える。」

 

「我々が?馬鹿な!考え過ぎですよ、将軍!」

 

 

 副官が楽観的でいることは、グスタフのような指揮官にとっては好都合だった。

 彼が部下に求めるのは盲従であり、命令に対してその熱心を向けるような思考であった。

 とはいえグスタフは、もう自身の年齢も加味して"馬から降りる"頃合いだと思っている。

 先ほど楽観的な副官に語った言葉は決して虚言の類ではない。

 グスタフは必ずやそうなると見ていた。

 だから、彼としては国王との戦争で有能な戦略家であることを辺境伯にアピールしておきたい。

 さもないと、マスケットが進化をした時に、彼は失職する事になるだろう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29 火消し部隊

 

 

 

 

 公国教皇領

 国王直轄地との国境地帯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「連中は辺境伯の民兵共!つまりは寄せ集めの雑兵に過ぎん!このまま防衛線に穴を開けろ!」

 

 

 栄えある王国近衛騎兵第5連隊の隊長が、そう叫びながらサーベルを前方へ突き出した。

 彼らは教皇=辺境伯連合軍の2つめの塹壕を突破してきたところで、既に配下の3割がマスケットと弩、そしてそれらよりもよほど恐ろしい砲弾の犠牲になっている。

 

 辺境伯軍が完成させたらしい青銅砲と同じようなものを、王国軍は既に持っていた。

 しかし、王国のそれは臼砲であり、持続発射速度には優れるものの、辺境伯軍の野砲のような機動性は持ち合わせていない。

 故に近衛騎兵第5連隊は国境沿いの防衛陣地の突破に砲火力の助けを得ることができなかった。

 

 確かに王国軍も辺境伯軍も、打ち出される砲弾の種類に炸薬弾を加えられていない。

 王国でも目下研究中だし、それは辺境伯領でも同様と考えられる。

 しかし問題は砲弾自体の威力ではなく、その発砲と着弾による"音と衝撃"であった。

 

 辺境伯軍の防衛線の奥深くから放たれるたった2門の青銅砲の砲弾は、直撃しない限り何らの傷ももたらすことはなかったが、しかし近衛騎兵の乗る馬を怯えさせるには十分な威力を発揮した。

 敵に向けて全力疾走していた馬が砲弾の着弾音に怯えると、突如としてその足を止め、慣性エネルギーを殺そうとする。

 それは乗馬している騎兵にとっては制御できない災悪であり、彼らは大抵の場合バランスを崩して落馬した。

 暴れる馬の脚からどうにか逃れたとしても、そこで待っているのは教皇=辺境伯軍のマスケットや弩である。

 一線級の貴重な戦力が民兵にやられることほど大きな損失はないだろう。

 

 

 第5連隊は損耗激しい第3連隊と交代して防衛線突破に臨んでいた。

 先にこの防衛陣地を攻撃した第3連隊長は、教皇領が辺境伯軍から応援として民兵隊を受け取ったという情報を知らされると、この陣地を鼻先で笑い、「第5連隊には掃討をお願いすることになるでしょう」とまで言ってのけていた。

 ところがその第3連隊長は2番目の防衛線に達したところで落馬し、教皇の歩兵に弩で殺されている。

 敵は塹壕を掘っていて、その中に辺境伯軍の民兵や教皇軍の弩兵が身を隠しながら馬上の騎兵を狙い撃っていた。

 塹壕自体は魔王との戦争時代から存在する、新しくもない方法だったのだが、砲弾やマスケットと組み合わせることによってここまでの威力を発揮するとは…国王軍の誰も思っていなかった。

 

 

 

 3番目の防衛線は二重の塹壕により成り立っていて、それまでの2つよりも明らかに強固だと思われる。

 辺境伯軍の青銅野砲は位置を変え、着弾をより近接に修正した。

 じきに砲弾が飛来して、密集隊形で塹壕に突っ込んでくる人馬の集団に飛び込んだ。

 馬が何頭か転倒し、そうでなくとも振り払われる騎兵が大勢いる。

 マスケット兵はまだ銃を撃っていないが、砲弾による災悪を逃れた人馬を撃たんと待ち構えていた。

 

 

「まだ撃つな、引き寄せろ!」

 

 

 辺境伯の動員兵は訓練を終えたばかりの人員を多く含んでいた。

 彼らは元は農民で、方伯領のハンドキャノン隊と同じように戦いのプロではない。

 状況が劣勢と見るや逃げ出してもおかしくはないし、統制に従わないことは想定されるべきである。

 にも関わらず、号令を出す辺境伯軍の下士官はその心配をしていなかった。

 

 1つは動員軍がその訓練期間の大半を、統制に従事させることに重きをおいて費やしていたことがその理由である。

 マスケットのような簡便な兵器は、習熟に大量の時間を要するものではなかったし、それに辺境伯軍は動員軍にマスケットへの習熟を期待してはいなかった。

 そもそも滑空銃身から放たれる丸玉に、精密な命中制度など到底期待できない。

 マスケットの基本的な運用の肝は、集中運用による弾幕の発揮である。

 そのためには個々のマスケットの取り扱いを訓練させるよりかは、隊列を組ませ、行進させ、号令に慣れさせる方が重要であると辺境伯は判断した。

 故に動員軍は短期間とはいえ統制を絶対の規律とみなすように訓練されたし、多少の脱走者はいたものの、それは目を瞑るに耐えられるものだった。

 

 

 下士官を安心させる2つ目の理由は、この戦いが"偉大なる主のための戦い"であると宣伝されている事だった。

 

 辺境伯は動員軍の出撃前に、教皇の演説を聞かせていた。

 元はただの農民とはいえ、日頃から従順な信徒となっていた動員軍兵士にとり、教皇の言葉は彼らに目的意識を植え付けるのに十二分に役割を果たしたのだ。

 繰り返される魔族の侵入と痩せた土地での生活は、この素朴で頑強な農民達にとっての信仰をより確固たるものにしていた。

 ゆえに"信仰のための戦い"ともなれば、この農民主体の動員軍が想定以上の機能をすることも期待できる。

 国王の近衛騎兵を前にしても脱走者が少ないことは、この証左と言っても過言ではなかった。

 

 

 

「クソっ!農民の癖に騎馬突撃を見て逃げ出さんとはっ…敵ながら感心する!」

 

「隊長、前に出過ぎです!どうか我々の後に続いてください!」

 

「指揮官が臆していては部下に示しがつかん!全隊私について来い!」

 

 

 隊長がそう言った時、砲弾の飛来音が耳をつんざいた。

 時期に野砲弾が着弾して騎馬が暴れ、先頭の隊列が崩れ始める。

 隊長はその様子を見て取りながらも命令を叫んだ。

 

 

「隊列を崩すな!このまま敵の陣地に突入する!」

 

「隊長!右翼に甚大な被害が」

 

 

 隊長の側まで馬を駆けさせて状況報告を行おうとした副官の頭が消し飛んで、ついでとばかりに隊長自身も肩に鈍い衝撃を受ける。

 すぐ後には隊長に引き続いてくる彼の部下たちもマスケットの弾丸や弩のボルトによって落馬していった。

 統制された一斉射撃により隊長の部下たちも次々と斃れていくが、それでも隊長が馬を止めることはない。

 敵の設定したキルゾーンで立ち止まっていることこそ自殺行為に他ならず、ましてや騎兵突撃を継続するためにはその要となる突破力を維持しなければならないからだ。

 

 

 騎兵の接近に伴い、防衛線のマスケット銃隊も射撃を一斉射から自由射撃に切り替え始める。

 接近する距離に比例して精度は高くなっていき、倒される部下も増えていくが隊長の馬が止まることはない。

 彼は身をかがめ、空気を切り裂くような音を間近に感じながらも一本目の塹壕へと距離を縮めていく。

 

 そしてついに、隊長の愛馬が塹壕の上を通過した。

 渾身の気合いと共に隊長はサーベルを振り下ろし、その長い刃が一本目の塹壕のに潜む辺境伯軍動員兵の側頭部を捉える。

 頬から後頭部に至るまで長くて深い刀傷を強いられた辺境伯の兵士は、塹壕の深くに押し込められた。

 愛馬の突進により隊長が過ぎ去った後にも彼の部下が続いていき、敵の動員兵をサーベルで切り裂きながらも進んでいく。

 

 

「次の塹壕線を突破する!」

 

 

 隊長が被弾の痛みを感じさせないような怒号を張り上げた。

 彼の部下は任務に忠実で、2本目の塹壕から放たれてくる矢弾に怯むことなく各々の愛馬を駆り立てる。

 敵は2本目の塹壕に1本目のそれよりも多くのマスケット銃を配備していたらしく、より密度の高い銃撃に次々と近衛騎兵が討ち取られていく。

 しかし彼らが馬を止めることはない。

 塹壕の先に勝利があることを信じて、一層に馬を駆り立てた。

 

 

「かかれ!」

 

 

 隊長が再び怒号を張り上げ、騎兵の隊列が塹壕を超えた。

 再び振り下ろされるサーベルと、その切先の犠牲となる動員兵の悲鳴。

 サーベルが兵を切り裂き、馬脚が兵を押し込んで、隊長とその一隊は遂に3番目の防衛線を突破した。

 

 

 二重の塹壕のその先に、敵の野砲が配備されていた。

 ピッケルハウベを被った辺境伯の砲兵は、重厚な守備陣地を突破してきた精強なる騎兵の出現に大いに狼狽しているようだ。

 隊長と部下たちは塹壕を突破した勢いを止めることなく砲兵に襲いかかる。

 マスケット銃数挺で自衛を試みた敵の砲兵は、しかし勢いに乗る近衛騎兵になすすべもない。

 彼らの何人かは討ち取られ、或いは逃げ出し、遂に隊長と部下達は厄介極まりない敵砲兵を無力化して勝利の雄叫びをあげる。

 

 

「うおおおおっ!やったぞ!辺境伯の防衛線をやってやった!」

 

「勝ったんだ!遂に!やってやった!」

 

「国王陛下万歳!近衛連隊に栄光あれ!」

 

 

 

 だがしかし、隊長は部下の歓声の中でハッキリと耳にした。

 馬の足音………それも、重装備に身を包んだ男たちの乗る重騎兵特有の、腹の底から響くような蹄鉄の為す振動を伴う轟音を。

 ようやく馬を止め、敵の砲兵陣地で歓喜する部下たちは、誰も彼もがどこかしらに弾丸か矢を受け、更にはこれ以上ない程に疲弊していた。

 そんな彼らに対し、敵は差し向けたのだ。

 

 

 

 辺境伯直属の最精鋭部隊、親衛重騎兵隊を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 詰まるところ、王国に対する我々の戦術はこうだった。

 何重もの防衛陣地を構築し、動員兵に敵の騎兵を迎え撃たせる。

 マスケットと何重もの塹壕は、国王の近衛騎兵を殲滅するには不十分かもしれないが、あまりにも多くの出血を強いることはできるだろう。

 

 

 そう。

 動員兵のみで敵の近衛騎兵を殲滅できるとは私だって考えていなかった。

 だから親衛重騎兵隊と正規歩兵の一部を自由都市の攻略に参加させず、防衛線の後方に配置した。

 

 敵の精鋭たる近衛騎兵が波状攻撃を行えば、いくら堅牢な陣地でも突破は見込める。

 一部でも穴を開けることができれば、彼らはその後防衛線の後方に展開して浸透…教皇様の領土内部に入り、あらんかぎりの破壊を働いて防衛陣地の意味を葬り去れるだろう。

 

 だからこそ、私は親衛隊の一部を派遣した。

 彼らは動員兵と共に防衛線の維持に参加するわけではない。

 それは動員兵の任務だし、もしそれを完璧にしようとすれば自由都市に差し向ける重騎兵がいなくなる。

 しかし防衛線の火消しをするなら、その一部だけでも十二分だった。

 

 あの重騎兵隊の主たる任務は"火消し"だった。

 私は近衛騎兵の一部が防衛線を突破することを予測し、大いに出血した彼らを押し潰せるよう重騎兵を機動戦力として用いたのだ。

 結果はご覧の通り。

 

 

 私の主力部隊が自由都市から転戦する前に教皇領に侵入するという国王の目論見は、見事に失敗してしまった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。