神天地より (アグナ)
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プロローグ

エタ作者を信用してはならない(戒め)



……他の作品に筆が乗らないのでまた新作。
こうして未完の投稿作は増えていく。


 オーストラリア。或いはオーストラリア連邦。

 日本では豪州という略称で呼ばれることもある国である。

 

 国土自体が大陸と呼称される珍しい国家であり、近代日本においては海外留学先としてそれなりの知名度を誇っており、またオーストリアという別の国と間違うことから学生間では地理の授業で間違いやすい国名として知れ渡っていたりする。

 他の国々と違い、大陸全土を一つの国として成立させていることから知識の無い者には大雑把に領土の大きな広い国と思われがちだ。実際、大きなことには違いないのだが、イコールで人の生活圏が広いとはならないのだと、初めての海外旅行にして初めてのオーストラリア旅行に訪れた万里谷祐理は覚えた。

 

 というのもオーストラリア大陸において人の生活圏は全て大陸沿岸部に偏っており、大陸中心部から大陸沿岸部に至るまでの広い地域には殆ど街も人も存在していないのである。

 理由は単純に住みにくいからだ。

 オーストラリア大陸は内陸部とされるゾーンの大半が砂漠となっており、降水量も少なく、それに伴い非常に人の住みにくい酷暑となっている。

 古代、メソポタミア文明を始めとし、人の生活圏には常に大量の水が必要である。

 そのため降水量も少なく、またそもそもをして水の存在の薄い内陸部は人が住むには厳しい環境が広がっており、対して沿岸部は内陸部と比べ降水量も気候も人が定住するのに優れている。

 なので国土の九割以上が沿岸部で生活し、内陸部には殆ど人がいないという領土の大半を一見して無駄にしているような可笑しな人口比率になっているわけである。

 大地より海の方が領土の広い島国日本の生まれである自分から見れば非常に羨ましい話だ。

 

 本来ならば曰く、沿岸部を中心に広がっているというオーストラリアの都市巡りやら観光やらを楽しみたいのが年頃の少女としての本音だが、生憎と祐理がいるのは大陸東側に位置するグレートディバイディング山脈に秘されるように作られたとある人物の別邸である。

 元々は先住民(アボリジニ)が隠れ住んでいたとされる秘境を奪って、築き上げられたこの別邸は人里から特に隔離されており、人々の気配など微塵もない。

 

 おおよそ旅行するには全く適していない場所であり、必然、この場に集う祐理を含めた多くの少女たちもまた目当てが旅行ではないことは一目で分かる事実である。

 ……そう、祐理自身、これを旅行とは呼べないだろう。

 これは拉致。人知及ばぬ桁違いの王が、己が享楽のために起こした大規模な拉致である。

 

 集められた少女は全て優れた巫覡の適性を持つ巫女や魔女たち。

 自分を含めた少女らを集めた理由は『とある存在』を呼び出すため。

 そして目的はその者との闘争。

 

 人にして人にあらぬ暴君は、それ故に人を超えた者との闘争でしか愉悦を満たせない。

 何故なら他ならぬ『魔王』と退治できるのは、それに比する『神』だけだ。

 人類史上最強の戦士の相手は、やはり史上最強の相手が相応しいというわけだ。

 

「ひぅ……ぐす……お母さん、お父さん」

 

 ふと、泣き声に茫洋とした諦観の無意識から覚醒する。

 見れば自分のように集められた少女の一人が泣いていた。

 歳は十歳前後だろうか。泣いているため姿はそれ以上に幼く見える。

 

 察するに自分と同じく突然、館の主人に攫われたのだろう。

 両親の愛が恋し、頃合いの少女からすれば、この状況は正に恐怖である。

 であれば口に出るのが自身が庇護者であるのは必然であった。

 

 だが、その肝心要の保護者は此処には居ない。

 いるのは彼女と同じく憐れにも魔王の視線に射止められた生贄羊(スケープゴート)

 これから祭壇に焼べられる少女たちのみ(どうるい)

 

 ──だから。

 

「大丈夫ですよ、泣かないで」

 

「ふぇ……」

 

 己の心をひた隠して、祐理は幼い少女を腕に抱く。

 母のように、或いは姉のように。

 逃れ慣れない運命を察していながら、それでもこの一時は安堵の時間を抱けるように。

 自分の心を殺して、見ず知らずの少女を祐理はあやす。

 

「きっと、必ず助けが来ますよ」

 

「……本当?」

 

「ええ、神様はキチンと人を見てますからね。きっと悪い人には天罰が下ります」

 

「お母さんとお父さんに会える?」

 

「ええ、きっと。ご両親だって貴方のことを大切に思っているはずです。だから貴方を助けるために必ずやってきます。だからもう少しだけ良い子で我慢しましょう? ね?」

 

 恐怖に震えそうな手をあらん限りの力で押さえつけ、優しく少女の頭を撫でる。

 少しでも心安らぐように微笑んで、今一時のみ、未熟な母性で包み込む。

 そのお陰だろうか、歳幼い少女の顔に歪な、しかし安心したような笑みが浮かんだ。

 

「うん……私頑張る。ありがとう、お姉ちゃん」

 

「……っ」

 

 その言葉と笑顔に、思わず本心が溢れそうになる。

 不意打ち気味に脳裏を過る家族の姿。妹と両親。

 

 二人は無事だろうか、巻き込まれていないだろうか。

 自分自身に纏わる不安が心を苛む。

 そして、思い出した自覚は連鎖的に新たな不安を生んでいく。

 

 家族との思い出、友人との思い出、これまでのこと、これからの未来。

 もはや遙か届かぬだろう幻想(にちじょう)を想う。

 気丈な少女の心を確約された未来(げんじつ)が揺さぶる。

 

 嗚呼──嫌だ、怖い、哀しい……助けて、と。

 

「──君は強いのだな」

 

「え────?」

 

 己が内面(本音)に押しつぶされんとする少女に再び声が届く。

 今度は幼き少女の嘆きではなく、問いの言葉。

 目を向けば、そこには自分と同世代ぐらいの少女がいた。

 

「ああ、失礼──この状況、君も平等に恐ろしいはずだ。それなのに君は他の少女をそうして気に掛けている。……優しく、そして強い。素直にそう思ったんだ」

 

 銀髪に、真っ白な肌。

 青と黒(ネラッズーロ)の衣装に身を包んだ妖精染みた少女がそんな言葉を漏らす。

 賞賛なのか、はたまた単に感想なのか。

 その言葉に祐理は小さく首を振りながら言葉を返す。

 

「いいえ、私は強くなんて……。ただこの中では私は年上の方ですから。少しでもこの子たちの不安を払拭できればとそう思っただけです」

 

 そう、本当に強かったらそもそもこんな状況に陥っていない。

 せめて自分に、少しでも力があったならば。

 あの『魔王』に勝てずとも、少女たちを逃がせるくらいは出来たかも知れないのに。

 

 しかし自分も所詮は力なき一人の少女で生け贄に過ぎず。

 出来ることと言えば、少しでも安らかな末路になるよう心掛けるのみ。

 

「本当に……強くなんてないんです」

 

 不安な心を優しさで強がることしか出来ない、他の少女たちと何ら変わらない無力な生け贄だと。

 顔を伏せながら哀しげに祐理は言った。

 祐理の言葉に相手の少女は「そうか」と呟いた後、

 

「……侯爵が行おうとしている儀式は限りなく生存率は低いが、それでも巫女や魔女が必ず犠牲になるわけじゃない。生き残れる可能性だってきっとある」

 

 ボソリと、そんな言葉を漏らしていた。

 視線を彼方に飛ばし、事実のみを語るように。

 ……或いは少しでも希望を抱けるように。

 

 不意に吐かれた少女の言葉は、こちらを気遣う色を帯びていた。

 

「……ふふ、優しいんですね。貴女こそ」

 

「そういうわけではない。生き残れる可能性があると言うだけの話で、結局危険には変わりないからな。それに本来私は騎士として、貴女のような立場の人間を守るはずの立場にあるのだ。それがこうして貴女と変わらない立場に甘んじている以上、私は……」

 

 何かに苦しむように昏い顔をする少女。

 ただの巫女である祐理と違い、騎士と名乗るからにはそれが彼女の本分なのだろう。

 しかし、それが今は生け贄の少女たちと変わらぬ立場に甘んじている。

 その現実を、恐らく少女は後ろめたく思っているのだろう。

 

 だが、それも仕方が無いことなのだと祐理は思う。

 この館の主人をすれば、如何な騎士とてどうにも出来ない。

 出来るとするならばこれより数多の犠牲を経て顕現する者か、或いは館の主人の同類のみ。

 少女の無力は、批難するべきものでは無い。

 

「それでも──貴女はこちらを気遣ってくださいましたから」

 

 少女が今、出来うる限りの善を成してくれたから。

 それで良いのだと祐理は相手の少女に微笑みかける。

 

 祐理の、切なくなるような儚く哀しく……しかし優しい笑みに、少女は僅かに沈黙し、

 

「リリアナ」

 

「え?」

 

「リリアナ・クラニチャール。結社《青銅黒十字》に身を置く騎士だ。貴女の名前は?」

 

「……私は万里谷祐理。日本の巫女です」

 

 少女──リリアナの名乗りに祐理もまた自己紹介を返す。

 すると、祐理に対してリリアナは強く強く頷いて。

 

「その名前、きっと忘れない。生き残ったらならばまた会おう」

 

 そう言って、リリアナは身を翻して去って行く。

 彼女なりの優しさか、或いは慈悲か。

 再会を願う言葉を最後に彼女は振り返ることなく場を辞した。

 

「そうですね。また会えたら、今度は──」

 

 微笑と共に言葉にするのは限りなく可能性の低い未来の話。

 この局面を乗り切って、生き残って、無事に日常へ還れたのならば。

 今度はゆっくり同世代の少女として、対等な友人として。

 出会えたならば、それは素敵な──。

 

 前向きな展望に、傾いだ心が立て直される。

 そうだ、まだ終わっていない、終わっていないのだから。

 例え、可能性は低くとも、此処は頑張る(・・・)場面なのだ。

 

「……ひかり」

 

 そっと呟くは自分と同じ巫女にして、妹である少女の名前。

 ──しっかり。自分は姉なのだから。

 もう少しだけ、前を向いて、信じて、頑張ろう。

 

「きっと、生きて帰ってみせるから」

 

 それはささやかな宣誓。

 限りなく生き残る可能性が低い儀式を超えるための希望への祈り。

 不安はある。恐怖はある。

 それでも祐理は……前を向いて、行こうと決めた。

 

 例えその果てに待っているのがどうしようもない絶望だったとしても。

 だとしてもせめて、希望を見ながら倒れよう。

 強く、強く、祐理は心に誓った。

 

 

 

 ──だから、だろうか。

 絶望に手折られることなく、挑むように気を持つ少女へ答えるように。

 

 カツン、と。希望を運ぶヒールの音が力強く響き渡った。

 

 

 

 

「ふむ、刻限まであと半時、か……」

 

 館の中央。

 玉座のようにして在るその場所に館の主人が君臨する。

 

 理知的な雰囲気の老人である。

 銀灰色の髪を丁寧になで付け、ひげも丁寧に剃られている。

 何処かの大学で教鞭を執っている教授──。

 そう言われても誰しも納得するだろう容姿の人物。

 

 しかして老人は断じて大学の教授でも、理性的な好々爺でもない。

 寧ろ本質は外面の真逆。

 凶悪にして暴君、畏怖でもって王道を成す『魔王』に他ならない。

 

 名を──サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 

 人界に名乗る七つの魔王が一人。

 人類史上最強の戦士、神殺し(カンピオーネ)その人である。

 

「《鋼》に類する英雄ジークフリード。かの神であれば我が退屈な日々を払拭する闘争の時間を提供してくれよう。近頃は私の心を満たすに相応しい『まつろわぬ神』に遭遇する機会も少なくなったが、やはり自ら動いてこそ機会にも巡り会うというもの。……やれやれ、私としたことが受け身が過ぎたな」

 

 ヴォバンはこれまでの己を振り返り、クツクツと愉快げに笑う。

 闘争を愛し、臨むヴォバンはこれまで相応しい『まつろわぬ神』が顕現するのを待っていた。

 しかし歳を重ねることおよそ三百年。

 

 強大化する力は生中な神では己の飢えを癒やすに及ばず。

 また顕現する神との遭遇も若き自分と比べれば少なくなった。

 故にヴォバンは自ら動くことを決めた。

 

 巫女や魔女を揃え、自らの権能(ちから)と呪力で以て。

 己に相応しい神を己の手で召喚する。

 ……思えば、何故すぐにでもそうしなかったのか。

 

 我がことながら馬鹿らしい。

 臨む因果を坐して待つなど、何処までも己らしからぬ。

 

「私も歳を取ったと言うことかな?」

 

「──ええ、そうでしょうとも。三百年、しぶといことね。ヴォバン侯爵」

 

 独り言を漏らすヴォバン。

 その言葉に……あり得ざる返答があった。

 

 何処か皮肉げに、もしくは呆れるように。

 魔王として、暴君として恐れられるはずのヴォバンに投げかける声は不遜。

 その様、声音、恐れを知らぬ愚者の如く。

 

「ほう……人の館に言葉も無しに上がり込むとは、礼儀がなっていないな」

 

「それは貴方も同じ事でしょう? 所構わず魔女や巫女を攫うなんて。少女性愛(ロリータ)の趣味があるなんて存じ上げなかったわミスタ」

 

「ク、挑発のつもりかね? 随分と品のない罵倒だな」

 

 カツンカツンとヒールの音を立てながら迫る人影にヴォバンは愉悦を漏らす。

 何者かは知らぬが、己を相手にその不遜は悪くない。

 これから始まる祭りの余興に相応しい乱入者(きゃく)だ。

 

「何者だ?」

 

 楽しげに問うヴォバン。

 やがて──夜の帳が落ちる館に、月明かりに照らされた人影が浮かび出る。

 

 まず目につくのは夜天のような純黒の長い髪だ。

 それが腰丈まで伸びており、歩を進める動きに合わせて流麗に靡く。

 顔立ちからして恐らく東洋人。

 均等に整った容姿はモデルか女優のようで見目麗しい。

 

 さらには特徴的な緋色の瞳。

 『火眼金睛』と呼ばれる目には、強い意志を感じさせる光が映っている。

 極めて自信家──勝ち気な女。

 己の性を喧伝するように彼女は威を纏って、進み出でる。

 

「初めまして侯爵様。私は神上(かみじょう)御先(みさき)。四番目の神殺しと名乗れば伝わるかしら?」

 

「ふむ、確か三十年ほど前に極東に現れたという同族か。風の噂では行方知れずと聞いていたが、君がそうか」

 

「ええ、旅が趣味なの。目的もなく風の向くまま気の向くままにってね。侯爵様も、中々フットワークが軽い方だと聞いているから私の気持ちも分かってくれるんじゃないかしら?」

 

「分かるとも。気分気ままに自由に振る舞う、それは我々、神殺しに許された傲慢だからな」

 

 東洋人の女──御先の言葉にヴォバンは笑顔で頷く。

 同時に、館の影から五つの影が不意打ちに飛び出した。

 

『『『『『──ッ!!』』』』』

 

 無音無言で放たれる五つの気合い。

 それぞれ影が槍や剣、弓を手に御先へと何ら前兆もなく強襲し……。

 

 ──轟ッ! と刹那瞬いた黄金の焔に塵も残さず焼き尽くされた。

 

「ほう……」

 

 ヴォバンの口から喜悦と興味の色を含んだ感嘆符が漏れる。

 眼先、御先を中心部に吹き荒れた黄金の焔。

 その発生源たる御先の腕に乗る一羽の鳥を凝視する。

 

 力強い眼光を放つ黄金の鷹だ。

 仏や御神体を思わせる神聖さと高貴を纏う一羽の鷹。

 それが想像を絶する火力の焔を生み出したのだとヴォバンは看過する。

 

「神獣、それが君の権能、眷属という訳か」

 

「残念外れよ。正しくは眷属神(・・・)と呼んで欲しいわね。私が調伏した自慢の仔よ。貴方の従僕共に比べれば遙かに品も格も揃った、ね」

 

 そう言って、御先は塵となって舞う灰に流し目を送る。

 黄金の焔に焼かれた影の末路……ヴォバンの権能『死せる従僕の檻』に囚われた死者の残骸へと。

 

「言ってくれるな。生前は人間の中では名を馳せた部類の者たちのだが?」

 

「所詮は貴方に縛られる死せる敗北者たちでしょう。終わった者たちに負けるほど私と生きるこの仔たちは弱くないの。従僕風情じゃ話にならない。自慢の群狼を呼びなさいな」

 

「く、くくく……私を命ずるか! いいぞ、その不遜に傲慢、祭り前の余興としては悪くない。ミサキと言ったな小娘。私をそこまで挑発するからには、喰われる覚悟はあるのだろうな?」

 

 ヴォバンが喜色に彩られるにつれ、風が、雨が、まるで天変地異の予兆のように吹く。

 これこそが彼の力の一端、『疾風怒濤(シュトロム・ウント・ドランク)』による影響の発露。

 気分一つで天候を改変する魔王の権能に他ならない。

 

 常人であれば畏怖と戦慄を漏らす現象を前にしかし御先は尚も不遜。

 獰猛に犬歯を向いて、寧ろ歓迎するように笑う。 

 

「喰われる? まさか、死ぬのはそちらよご老体。貴方は私を挑戦者と思っているみたいだけど、私は貴方に挑みに来たわけじゃないの。──獲りに来たのよ、その首を」

 

「く、っは……!」

 

 その言葉がヴォバンの喜色を絶頂へと導く。

 傲岸不遜も此処まで来ればいっそ小気味いい。

 一体何時振りだろうか、無謀にも真正面から自分に挑んでくる馬鹿者は。

 

「ミサキと言ったな。良いぞ、ならば来るが良い! ジークフリードを前にした余興だ。先達として貴様に神殺し足るはどういうことか一つ教授してやろう!」

 

「ハッ、干からびた老人から教わることなんてこれっぽっちもないわ。潔くこれまでのツケを払いなさい! 貴方は六銭程度じゃ地獄にも渡れないことを教えてあげるわ────!」

 

 斯くて、黄金の焔と嵐統べる群狼の王が激突する。

 これが現代(いま)より、四年も前の出来事。

 

 ──自由気ままにして流浪の魔王、神上御先が姿を見せた一幕。

 彼女の歴戦に刻まれた一戦だ。

 

 そして時間は流れて──現代へ。

 八番目の王冠の誕生を機に、再び流浪の魔王が動き出す。



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北欧雷神①

 世界的に見て、エストニア共和国はさほど知名度のない国だろう。日本においてはバルド三国の一角、といえば歴史に賢い者ならば伝わるかも知れないが、やはり北欧という括りではスウェーデンやデンマーク、フィンランドという国々と比べるとエストニアの知名度は低いと言える。

 

 しかし近年はIT技術の発展に伴い、様々な先進国からIT分野における企業進出が行われており、今IT分野で注目を集める国として欧州では評価されている。

 また、その強みを生かすためにITを行政に導入する電子政府の設置や早期のIT教育など電子分野に国家全体として力を入れており、IT先進国家として知名度を徐々に伸ばしている。IT分野の急激な発展の背景には第二次大戦時にエストニアを併合支配した旧ソ連、ロシア連邦への牽制と警戒が含まれているものの、そういった政治的事情を抜きにIT技術を用いた新たな国家形態の有り様、モデルケースとして、エストニア共和国は好意的な視線で見られていた。

 

「……すうー、はあぁ………」

 

 エストニア共和国が首都タリンの一角に造られた小さなカフェ。

 そこには緊張を解すように深呼吸を繰り返す少女がいた。

 

「下手に出すぎず、畏まりすぎず……でも不敬にならないように……」

 

 人が概ね描く中世ヨーロッパのイメージをそのままに残す首都の様相を背景にブツブツと独り言を呟く少女の名はティウ・マルティン。

 ドイツ騎士団から吸収された後、分団されたリヴォニア帯剣騎士団に所属する魔術師であり、騎士である。

 

 彼女が緊張しているのは今日この場所が『王』との謁見が行われる場であるから。まだ若手で未熟な二流騎士だが、それでも栄えあるリヴォニア帯剣騎士団の顔としてこの場に臨んでいるからにはヘマをする訳にはいかない。

 

 ──特に北欧ではあまり馴染みのない、かの王らとの会談ともなれば。

 

 伝聞ではあるものの、彼らの恐ろしさは北欧の辺境、エストニアまで轟いているのだ。

 

「──はぁい。貴女がリヴォニア帯剣騎士団派遣された騎士さんね?」

 

「は、ひゃい……!?」

 

 ぶるりと恐れに身を震わせているティウに対して不意に声が降りかかる。

 思わぬ出来事に情けない悲鳴を漏らす。

 驚きながら恐る恐る声の方へと目を向ければそこには一人の女が……。

 

「は、はは、はははは……初めまして、本日は我らリヴォニにゃ騎士団の申し入れに応じてくださりまして誠に恐悦次第にございましてあり、あり……!」

 

「あははは、これはまた随分と可愛い騎士様ね! そう緊張に畏まらなくても良いわよ。いきなり獲って食おうなんてマネはしないから。礼儀の方も三百年近く居座っているご老体や中二病拗らせた中華ゴリラと違って私は別に気にしないしね」

 

 緊張のあまり、噛み噛みながら訳の分からない文法で挨拶をするティウに対して相手の女はカラコロと耳触りの良いアルトボイスで笑いかける。

 開口一番の挨拶には思いっきり失敗してしまったものの、第一印象はどうやら好意的なものとなったようだ。

 その事実を半ば熱でショートした思考回路がたたき出すとまずは安堵の念にほっと知らず息を吐く。

 

「あ、これは別に貴女が怖くて団のみんなが私に大役を押しつけてきたからプレッシャーに今にも死にそうだったとか、そういう理由のため息じゃなくて、そう! ただ緊張しまくっていたけど、思ってたより優しそうで良かったとかそういう類いの息であり決して、貴女に対して含みあったモノでは無く……!」

 

「くく、オーケー。大体分かったわ。貴女本音が隠せないタイプね」

 

 ティウの思いっきり本音が暴露されている弁明を聞きながら女はくぐもった笑いを漏らしながらティウの性格を把握する。

 交渉役としてはあまりにも致命的だが、本人の口から出た自己申告によるところ、自分との会合を怖がった年上騎士たちの間で役目がたらい回しになった挙げ句、若輩者のティウの元まで巡り巡って、仕事が回ってきてしまったのだろう。

 

 不運なことこの上ないが、畏怖を隠して上っ面だけ媚びへつらうようなよく居る会談相手でないことは女にとっては幸運だった。

 何せ、そういう相手は正直嫌いだから。本音を隠すようなタイプの人間は唯我独尊に己が道を往く彼女とは相容れないのだ。

 だからこそ、逆によくも悪くも本音で語ってしまうティウの性格は可愛く映る。

 

「うん、いいでしょう。貴女が相手ならお願いを聞いてあげるのも吝かじゃないわ」

 

「ふぇ?」

 

 女の言葉に首を傾げるティウ。

 まさか目の前の女が内心、態度次第では即踵を返そうなどと思っていたなどとはつゆ知らずの、小動物のような態度だ。

 それがまたいっそ可愛らしかったものだから女は微笑を口元に浮かべながら先送りになっていた己が名を少女に告げる。

 

「──改めて。初めまして騎士のお嬢さん。私は神上御先。気軽に名前で呼んで欲しいわね。何ならお姉ちゃんって呼んでも良いわよ?」

 

 神上御先──世界に君臨する八つの王冠が一つ。

 極東生まれの王者は故郷から遠く離れた地にて騎士の少女と邂逅す──。

 

 

………

………………。

 

 

「──さて……じゃあ早速だけど話を聞きましょうか?」

 

 コトン、とコーヒーカップを置きながら御先が口を開いた。

 初対面から十数分。目の前の少女が落ち着く頃合いを見計らってから開口一番、御先は本題へと切り込んだ。

 御先の計らいで、まずはお茶をすることで雑談をすることで落ち着いたらしいティウもまた御先の言葉に小さく頷いて、この場が設けられた理由(ほんだい)を口にする。

 

「本日、御先さんにご足労戴いたのは他でもありません。我らリヴォニア騎士団、ひいてはこのエストニアを襲う重大事変を解決するため、そのお力をお借りしたいと思ってお声を掛けさせて戴きました」

 

「それは聞いた。というより見た。要するにアレでしょう?」

 

 御先が窓に視線を向ける。

 カフェの外から見える首都の街並み……ではなく、その頭上。

 曇天覆う稲光が不気味な暗い空を。

 

「先月から空を覆い続ける謎の曇天と絶えることのない雷の光と轟音。四月も始まったばかりだって言うのに幸先の悪いことこの上ないわね。と……ただの気象現象であるならば安心できたんでしょうね」

 

「はい。ですが、これは気象現象などではありません。首都タリン近郊のみならずエストニアを中心に広がり続ける雷雲は明らかに不自然な流れをしてますから。三日前なんかは北から強い風が流れ込んできたというのに雨が降るでも雪が降るでもなく、ただ雷雲が広がるのみ。そして気流の流れに問わず、雷雨はエストニアを滞空(・・)し続けている」

 

 そう、これがただの気象現象ならば大気の動きに伴って、気象状況を絶えず更新し続けているはずなのだ。如何に天気が悪いとはいえ、特別な事情もなしに一月間まるまる同じ気象状況というのはどう考えても不自然だろう。

 何らかの怪異であると見たエストニアの魔術組織、リヴォニア騎士団が調査を行った結果、エストニア第三の都市ナルヴァにて、異常の元凶と思わしき現象が観測されたのだ。何でも……。

 

「ロシア領との境に流れるナルヴァ川を境界線にするかの如く、落雷が絶えず地上を襲っていて、まるでロシアとエストニアを隔てるような動きをしていると」

 

「へえ。それはまた随分とあからさまな。そのことは何時?」

 

「つい先週のことです。調査自体は三月の終わりにはスタートしていたらしいのですが、何でも直接現地に趣いた調査員はどういう訳か度々落雷に直面し、調査後の記憶を失うという事態が発生していて……何かあるとは分かっていたんですが……」

 

「対策諸々を行って裏取りを取れたのが先週、というわけね」

 

「はい」

 

 リヴォニア騎士団とて、エストニアを代表する魔術組織としてそれなりに人材が揃っている。例え、魔獣かより高位の神獣による異変であっても調査するだけで数週間という長期間を必要とするほど人材乏しい組織ではない。

 イタリアを代表する『七姉妹』の一角《赤銅黒十字》や欧州にて魔術的権威を持つ『賢人議会』と比べれば、劣るものの、大抵の怪異であれば国内の戦力だけで即応できるはずだった。しかし、事態はこの通り長期化している。

 何故か、理由は簡単だ。魔獣や神獣などとは及びもつかない、国内戦力ではどうしようもない遙かな格上が、事の元凶だったからである。

 

「そう。今、エストニアには間違いなく、『まつろわぬ神』が降誕しております。それも天候を自在に操るほどの極めて強力な雷神です」

 

 ──まつろわぬ神。

 

 人が伝聞していた本来の神話の流れに逆らい、神話無き旧き時代の姿、形を取り戻さんと地上を彷徨う神格は『まつろわぬ神』と呼ばれるのだ。

 それは地上に顕現する意思ある災厄。人ならざる超常のモノ。流浪する神の摂理。

 本来の姿を取り戻そうとして放浪する彼らは往々にして、地上の人々へと災いを齎す。太陽の神であれば灼熱の世界を呼び覚まし、冥府の神であれば疫病を蔓延させるというように。ただ通り過ぎるだけで世界に影響を齎すのだ。

 意思の有無に関わらず、彼らは彼らであるだけで天災を起こす。

 

 そしてそれら不条理に抗う術を人々は持たない。例え高位の魔術師や聖騎士であっても神である彼らを打倒する手段は持ち得ない。故に無力。

 リヴォニア騎士団は原因をおよそ把握していながらも対応が出来ずにいた。

 

「つまるところ私に声が掛かったのは援軍要請って訳ね。場所も元凶も分かっているから後は対応だけよろしく頼みますと」

 

「はい……まこと勝手な申し入れであることは重々承知です。私たちとて騎士。本来であれば民衆の守り手として死力を尽くして災禍の原因を打倒すべきであることも分かっております。ですが……」

 

「相手が『まつろわぬ神』である以上、どうしようもないか。……でも懸命ね。自分の背丈をキッチリ把握しているわ。これで騎士としての誇りがどうたらで奴らに突っ込んでいっても犬死にですもの。私に話を持ってきた辺り賢いわ──因みに参考にだけど『まつろわぬ神』に挑んでやる-ていう命知らずは居たの? 居なかったの?」

 

「まさか! 魔獣か神獣ならばともかく『まつろわぬ神』に挑もうなどと言うものはいません! 普段は血の気の多い方々も『まつろわぬ神』が相手ではどうしようもないことは分かっていましたから。精々が非常時に備えて、最悪、国民を国外に逃がすための手はずを整えていたぐらいで……」

 

「へえ、そこでそういう発想が出来るのね。うん、悪くないわ」

 

 まさか、とぶんぶんと手を振るティウ。

 人によっては情けないとも、言われるだろうティウの言うリヴォニア騎士団の動きは御先から見てもいい対応だと感じる。

 

 そう、まつろわぬ神は原則、人ではどうしようもないのだ。

 何故彼らが天災と言い換えられるのか。それは文字通り彼らが天災に比する理不尽だからに他ならない。

 

 突然、火山が噴火したら。嵐が到来したら、津波が、隕石が落ちてきたのなら。

 果たして人はこれに対して何かアクションを起こせるだろうか。

 

 避難程度ならば出来るだろう。

 予め備えることも出来るだろう。

 しかし元凶そのものをどうにかすることなど出来ない。

 避雷針を造るなり、防波堤を造るなりが限界だろう。

 

 人は天災に対して乗り越えることは出来ても抗うことは出来ないのだ。

 来たる嵐を、人為的にどうにかしよう。

 そんなマネが出来るのは恐らくずっと未来の話か、あり得ざる架空の物語。

 今を生きる人間に、直接、天災をどうにかする手段はない。

 

 まつろわぬ神も同じだ。

 人の常識(ルール)を平気で塗り替える非常識(ルール)

 そういう存在である以上、人ではどうしても抗えない。

 

 例え、リヴォニア騎士団に勝る戦力と知識を保有する《赤銅黒十字》や『賢人議会』とて、この難局を乗り越える術を持っていないだろう。

 

 ──だからこそ、リヴォニア騎士団は彼女を召集した。

 

 今から三十年前にアジア圏に誕生した四番目の王冠。

 恐るべき《鋼》の英雄を打倒し、人にして人類を超える力を手にした王者。

 自由気ままに世界を渡り歩き、特定の場所、組織、地位に固執することなく、まつろわぬ神が如く放浪し、気ままに力を振るう放浪の王。

 

 人類最強の戦士、神上御先に。

 

「どうか我らにお力添えを頼み申し上げます! 私たちには貴女の力が必要なのです!」

 

 深々とティウが頭を下げる。

 その懸命な想い、彼女の誠心と願いに対して御先は。

 

 

「いいわよ? 私も暇してたし。あ、でも報酬はきっちり戴くから。そこんところよろしくねー?」

 

 呆気なく、いっそ頼んだ側が呆然とするほどに、一声で快諾したのだった。




今作はバトルメインでいきます。
無理に恋愛要素だの政治だのをぶち込むとだる……難しくなるので。

目指せ、傍若無人系神様殴ろうぜファンタジー。


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北欧雷神②

 エストニアは隣国フィンランドからの影響で、サウナ文化が一般的だ。それも熱した石に水を掛けて室内温度を上げるストーンサウナが主流である。

 蒸気で部屋を温め、室内での発汗作用を促進させるサウナは病や疲労から守ってくれるモノであり、ことエストニアでは精霊が住み着く地とも信じられる神聖な場所だ。

 まあ、一つ残念なのは入浴後は水風呂ではなく冷えたシャワーを浴びるのが一般的であるため、求める者は相応の設備があるスパなどを利用しなければならないのだが……。

 

「まあ、私には関係ないわね。熱いのも寒いのも苦手だし」

 

 と、エストニアに関する文化的知識を脳裏に展開しながらプールを思わせる高級スパを楽しむ女性。言うまでも無く神上御先その人である。

 サウナ文化など知ったことかと言わんばかりにのんびりとリゾート気分で高級スパを堪能する彼女はいっそ不貞不貞しい。

 しかも此処は首都タリンの高級ホテルであり、加えて貸切である。

 勿論、宿泊料サービス料は込み込みで騎士団持ち。

 これぞ『王』の特権であった。

 

「人のお金で贅沢三昧。んー、最高♪」

 

 とは御先の言。正に傍若無人にして自由奔放。

 神殺しらしい、ロクデナシ加減であった。

 

 半身浴の容量で身体を水につけつつ、ふちに背を預ける。

 透明な水面越しに彼女の白い肌と局部を覆う黒い水着が晒され、純黒の髪と普段の奔放な生活が生み出した無駄のない肉体美がとても艶めかしい様を醸し出していた。

 

『もっとも胸元は残念だがね』

 

「おいコラそこのエロ禿鷲。その羽捥ぐわよ」

 

『誰が禿鷲だ! 誰がッ!! 私は由緒正しき聖鳥だぞ!? 言うに事欠いて禿などと! それに私は客観的事実を告げただけだ!』

 

 この場には第三者の人間の姿はない。

 故に彼女の言葉に応じる存在などありはしないはずだが……。

 あろう事か、彼女の言葉に応じる声ならざる『声』があった。

 

「あら、禿鷲を舐めちゃいけないわよ? チベットやゾロアスター教なんかでは鳥葬の文化があるから神聖視されることが多いからね。人の魂を天へと返す重要な橋渡しの存在として信仰を集めているのよ、禿を舐めちゃあいけないわ」

 

『……都合良いご高説は尤もだが、君の場合は私を貶めるために使っていただろう。明らかに禿の部分を強調していただろう』

 

「別に禿を馬鹿にしているわけじゃないわ。貴方を馬鹿にしているのよ」

 

『もっと質が悪いではないかッ!!』 

 

 うがーと捲し立てるように叫ぶ『声』。

 最もそれは傍目には子犬のような甲高い鳴き声にしか聞こえない。

 キューキューとスパに反響する鳴き声に、彼女は鬱陶しげに浴場際に設置された真っ白なテーブルの上に佇む影に視線を向ける。

 

「五月蠅い。此処響くのよ」

 

『誰のせいだと……ええい! 何故、凶悪で野蛮な秩序を鼻で笑うような貴様が我が主だというのだ!』

 

「そりゃあアンタが負けたからでしょ、カルラ(・・・)。古代も古代から勝負の勝者は総取りが相場よ。なら勝者である私にはアンタを好き勝手出来る権限がある。だからこそこれは正当な権利。詰まるところアンタと私のカーストよ」

 

 お分かり、と鼻を鳴らしながら何処か楽しげに告げられる言葉。

 それに対してカルラと呼ばれた一羽の鷲(・・・・)はキューと一鳴き、さながら疲れたようにため息ならぬため鳴き(・・・・)をする。

 

『無念だ。我が権能を簒奪されるならばいざ知らず、よもや眷属化など』

 

「残念、それについては管轄外よ。恨むならパンドラさんを恨んで頂戴。殺した神の如何な部分を奪えるかは私の与り知らない所だし、あ、でも傾向として私って殺した神は基本的に眷属として使役することが多いのよねー。桃太郎みたいじゃない?」

 

 桃太郎、と自分で発想した言葉に思わずククッと笑う御先。

 それから「雉と犬は居るから次は猿ね」などと不吉な事を口ずさむ。

 

 というか、()とはもしや(カルラ)のことだろうか?

 だとすれば遂に生物学上の分類すら遠くなる。

 

『おのれ、魔女(パンドラ)め! 出会うことがあれば我が聖火で絶対に火刑と処してくれる!』

 

 自分の眷属にあんまりに適当な主を目にして、カルラはそう叫ばずには居られなかった。勝敗の結果の従属であればまだ致し方なしと納得出来るものの、雑な扱いにはもの申したい。これでも彼は最強を担う神の一柱であったのだから。

 

「それにしても……せっかくのスパリゾートもこう天気が悪いと半減ね。昼は大浴場に降り注ぐ快晴の陽光! 夜はブルーライトが妖しげな高級スパ! っていうのがホテル側の売りなのに。やれやれ……」

 

 と、己が不吉を呪う眷属などを無視するように変わらず気ままに振る舞う女主人。その視線は大きな窓の外。どんよりとした雰囲気を醸す曇天に向けられた。

 

「全く、さっさと一仕事をこなしてもう一回来よ」

 

『不貞不貞しい奴め。少しは慎みという言葉を学ぶと良い』

 

「さあ、そんな言葉学ぶ予定は全くないわね。私、楽しむときは全力で楽しむ性格なの。いいえ、楽しむことに限らず、何事にも全力を出しているつもり」

 

 相棒が齎す『謙遜すべし』との忠言に返す言葉は強かった。

 それは彼女の芯の部分に触れるモノだったのだろう。

 先ほどからの人を揶揄うような声音に真剣さが宿る。

 

「私はね、『自由』が好きなの。誰にも縛られず、何物にも束縛されず、己の思うがままやりたいようにやって、そうありたいと振る舞う。鳥の貴方にいう言葉ではないけれど大空を飛ぶ鳥のように『自由』にやりたい」

 

 ──それは神上御先の根幹を成す生き方だ。

 人間社会における関係や立場、そこに住む上での文化に国柄。

 そういった個人を縛る道理こそしゃらくさい(・・・・・・)と彼女は言う。

 

「別に反社会的というわけじゃないのよ? 平和な社会での人殺しとか普通に悪だと思うし、闘争は嫌いじゃないけど人間の尊厳を嗤う虐殺や理不尽に何も思わないほど人でなしでもないつもり。でも、それを踏まえて私は自由にやりたい。誰かや何かに『私』が規定されるのは好きじゃないの」

 

 例えば、女は慎み深く、男の一歩後ろに控えろだとか。

 例えば、闘争は野蛮であり、忌避すべきという押しつけとか。

 例えば、極力人に迷惑を掛けず、常に謙遜すべしとか。

 

 ああ全く──何て雁字搦めで生きづらい。

 そんなモノは私の好みじゃない(・・・・・・・・)

 

「だから私は(・・)自由にやらせて貰う、それだけよ」

 

 阻むというなら問答無用。一切合切たたき伏せよう。

 無論、『自由』は安くないと知っている。

 勝手気ままに己を通すためには我を通すための力と能力が必要だ。

 だからこそ、彼女は己を守るためあらゆる困難を打倒してきた。

 

 世界を流離う自由を得る立場。

 国々で思うがまま振る舞うための言葉と知識と資産。

 こちらを規定せんとする暴力や権力に屈しない智慧と力。

 

 その大成果、果ての結果こそ──神殺し。

 

 自由を手にするため遂に天上天下の道理にすら逆らって彼女はこの立場に居る。

 

「今までも、そしてこれからも私は自由であり続ける。つまりはまあ、そういうことよ。そりゃあ困っている誰かには流石の私も手を差し伸べるけど、そうじゃないなら持っている権利と相手の好意に甘えて全力で今を楽しませて貰うわ。今、こうしているようにね」

 

『……フン、相変わらず善し悪しの分からない女だな貴様は』

 

「好意的な評価、そう受け取っておくわ」

 

 喋り続けたことに疲れたのか。んー、と声を漏らしながら伸びをする御先。

 それから全身を解しながら気まぐれに水面をバシャバシャと叩く。

 自由奔放の有様……彼女は己を鳥と例えたがどちらかと言えば猫のようだ。

 

『つくづく秩序の敵だな。だが、まあ……ある意味で人間らしいと言える、か』

 

 思わず神の身をして苦笑を漏らすカルラ。

 

 ──そういえば昔、似たような人物に出会ったことがある。

 

 奴は神であったが、神にして何処までも人間くさかった。

 多くに好かれ、多くに恨まれ──多くを齎した。

 遂に神々の王を戴く座にまで上り詰め、英雄神と崇められた。

 

『古今東西に限らず、似た人種は何処にでも居ると言うことか』

 

 あろう事か敵対者である己に友情を持ち出した大馬鹿者を思い出しながらカルラは静かに女主人の在り方に納得するのであった。

 感慨に耽るカルラ。

 すると、そう言えばと小さな疑問を思い出す。

 

『時にミサキよ。お前は傍若無人でありながら人間として守るべき最低限の義を知るというが、では此度の件もそういう事なのか? 弱きを守り、強くを挫くためにまだ見ぬ神と矛を交えると……』

 

 であれば一人の勇者としていっそカルラは振るう所存だ。

 神話の頃には理不尽をひっくり返すため、難題に挑んだこともある。

 女主人が弱者を助ける義によって立ったならば、己もまた全力で応えよう──と、傍若無人で好き勝手にやるだけの自由人であり、ロクデナシという評価を改めようという意のこもったカルラの言葉に、御先はキョトンとした表情の後……。

 

「え? 可愛い女の子に助けてって言われたら誰でも助けるでしょ普通」

 

『…………………』

 

 何当たり前のことを聞いているの、と言わんばかりに言葉を返される。

 途端、無言のまま憮然とした表情になるカルラ。

 

 弱きのために立ち上がる、義によって戦う。

 

 成る程、言ってることは間違ってはいない、間違ってはいないのだが……。

 どうしてこう、彼女の言葉になると途端に陳腐になるのだろうか。

 

『……どうも君の言葉は締まらんな。言っている言葉は間違いではないが中身が何処か軽薄になる』

 

「そうかしら? 善意を使うに極めてらしい(・・・)理由だと私は思うけれど? それに私見だけれど無償の善意ってなんだか好きになれないのよね。そりゃあ他者の幸福こそが我が人生って生き方に文句を付けたいわけじゃないけど、人間誰しも欲望ってモノを持っているじゃない? 対価を要求する下心ありの善意の方がよっぽどわかりやすいとは思わない?」

 

『ふむ、否定はしないが……まあ神殺し(魔王)らしい価値観、というべきか』

 

「でしょ? 今回、神様を呼び出した輩だって、下心ありだろうしね。いやあ、自分たちの後始末のために他国の魔術師たちを利用して私を使う辺りこっすい輩よね絶対」

 

『……何?』

 

 何でも無いように告げられた御先の言葉。

 しかし、カルラは耳を掠めたその内容に思わず鋭い目を向ける。

 

『此度の『まつろわぬ神』の顕現。これが人為的なモノだと?』

 

「ええ、多分ね。最初は霊脈かどっかの遺跡が勝手に暴走した結果かと思ったけれど、それならリヴォニア騎士団が前兆に気づいていたはずでしょ──地域を守る著名な国の騎士団が気象操作を可能とするほどの強大な神の降臨に、異常が起こるまで気づかないなんて、そんなことは無いだろうしね」

 

 ティウの言葉に嘘がないならば異常が起きて、騎士団が調査に乗り出したのは三月の終わりだという。しかし仮にも気象異常を引き起こすほどの存在が顕現するのに何ら前兆を感知できない……そんな事がありうるだろうか?

 国を代表するほどの魔術師が所属する魔術組織が?

 そして可笑しな点はそれだけではない。

 

「そして疑問点二つ目。リヴォニア騎士団は国を代表するほどの騎士団。でも言ってしまえばあくまで小国を代表する魔術組織よ。『賢人議会』やイタリアの『七姉妹』のような全世界でも通用するほどの人脈や組織の力を持っているわけじゃない。そんな組織が何でその『賢人議会』や『七姉妹』にも影を踏まさせない私を補足できたのかしら?」

 

『む……』

 

 神上御先──彼女の神殺しとしての経歴は浅くない。

 四番目の神殺しとして三十年間。

 世界中を放浪する彼女は多くの神々と争った。

 その過程で多くの魔術組織とも関わってきた。

 

 そのため、彼女の出生や個人情報はともかく、経歴と存在は多くの魔術師が知るところではある。

 が、自由を尊ぶ彼女はその気質から特定の場所や組織の属さない。

 言うなれば年がら年中、行方不明なのである。

 加えて、数ある権能の一つが持つ特性上、彼女の居場所を特定するのは極めて困難であり、また気まぐれな性格のため行き先を予測するのも不可能。

 

 別に侮っているわけでは無いモノの、言ってしまえばたかだか小国を代表する魔術組織風情が運以外の要素で彼女を見つけ出し、依頼することなど不可能なのだ。

 

「最後に、気象異常なんて大層な権能を持った『まつろわぬ神』らしき存在が、何故エストニアに限定して顕現し、尚且つ能動的な動きを見せないまま、ただただ沈黙しているのか……と。どう? これでも全部偶然だって言える?」

 

『確かに、偶然にしては出来すぎだと言えるか。では、人為的なモノだとしてその目的は何だという? まさか何時ぞやの神殺しのような──』

 

「ああ、いつかの侯爵のように戦うために呼び出したって? あはは、ナイナイ。新たな神殺しになってやるって馬鹿でもいない限りそんなことは無いでしょうね。他の神殺しにしても剣バカは最近誕生した神殺しと戦って、イタリアで療養中だって言うし、ヴォバンの爺さま、私が何処かに吹き飛ばしちゃったし、中国の中二病は態々北欧まで遠征するほど腰の軽い御仁じゃない。他も然りよ」

 

 現状、御先が把握している神殺しに限定するならば動ける神殺しは居ないと断言できる。唯一、可能性としては英国住まいの『エセ王子』が考えられるが、もし彼が絡んでいる場合、さっさと御先に弁明をしに来るか、真っ先に消しに来るはずだ。

 彼が頭脳派を気取っている限り、いつぞや行った御先の『嫌がらせ』を見逃せるはずがないから。

 

「──と、言うことで。『まつろわぬ神』は人為的に呼び出された、けれど神殺しの関わるような事件ではない。そういうことね」

 

『ふむ、ではその目的は……』

 

「利用しようって話でしょうね。守護神にでもするのか、はたまた違う思惑があるのか。まあ、その辺りはどうでもいいわ、私には関わりの無い話だし。ロシアの魔術師は国柄、外部に情報が漏れにくい。考えるだけ無駄でしょう」

 

 そう言いつつ、確信に満ちた言葉でアッサリと犯人に当たりをつける御先。 

 確信を言い切る様に思わず、カルラが口を挟む。

 

『ロシアとは、確かこの国の隣国の……。何故、その国の魔術師が主犯だと?』

 

「そりゃあこの辺りでリヴォニア騎士団にそれとなーく情報をリークできて、私の存在を感知して予め、声を掛けられるような組織力と魔術師がいそうなのが、此処じゃロシアに所属する魔術師だからね。他の魔術組織の可能性もあるにはあるけれど、北欧に住む魔術師は引きこもりが多い傾向にあるから」

 

 そういって肩を竦めながら苦笑する御先。

 他にも考えられる理由として、ロシアの魔術師は神秘探求のため国家絡みで遺跡の調査や発掘を行っていることや、近年、耳にした聖棺(アーク)の探索などという噂話が上がっている点など思い当たる節はあるが口にしない。

 

 何故なら政治やら何やら考えることは己の趣味じゃない。

 あくまでこの地には神を殺す戦士として招聘されたのだ。

 ならば、どうあれ役目に徹するのみ。

 

(気象操作、それも雷に纏わる神格……天使でも予防としたのかしらね。後の処理を神殺しに任せる当たり、思惑通りとは行かなかったようだけれど)

 

 何にせよ、己はただ依頼達成に動くのみ。

 如何なる神格が相手だろうと必ず打倒してみせるとも。

 

 意を決し、ザバッと温い水を弾いて立ち上がる御先。

 カルラが留まっているテーブルに掛けてあるタオルで水を拭きながらスパを出る。

 彼女に続くよう、カルラもまたその肩に降り立ちながら言葉を掛けた。

 

『では……』

 

「ええ、面倒事はさっさと片付けるに限るわ。そのためにまずは……」

 

 一呼吸おいて二つの声が重なる。

 同時に告げられたその言葉は────。

 

 

 

「まずは旅の疲れを癒やすためにマッサージを堪能しましょう」

『まずは此度の敵を打倒するための入念な準備をしなければな』

 

 

 

 自由奔放な神殺しと義を知る元英雄神。

 両者は残念ながら以心伝心とは行かぬらしい。

 



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北欧雷神③

 ──日本の八百万信仰に限らず、世界には多くの神が存在している。

 

 それは光の神であり、天空の神であり、大地の神であり、火の神であり、豊穣の神であり、戦いの神であり、死の神であり──。その種類は千差万別、神話や宗教や民話の垣根を越えて類似した信仰、類似した神々は世界に数え切れないほどに存在している。

 

 絶対者である神々、君臨者である神々。

 彼らは神話世界において人を、生命を、世界を統べる管理者であり、気まぐれに恵みを与え給う信仰を捧げるに相応しい存在であるが……。

 時として神々は神話世界より降誕して地上を流離うことがある。

 

 原点であり、原典である己が神話に背き、地上で気まぐれに災いを齎す流浪する神を人は『まつろわぬ神』と呼ぶ。そして、こうなった神は善なるモノであろうとも悪なるモノであろうとも関係が無い。地上を生きる人々にとって顕現した流浪する神とは災いであり、即ち災害である。

 

 嵐の神が降臨すれば天災が。

 海の神が降臨すれば津波が。

 地の神が降臨すれば地震が。

 此れこの通り神を神たらしめる“権能”が世界を覆い、災いをまき散らす。

 

 それに人が抗う術など無い。

 天地を襲う災害を予期できでも防げぬように。

 如何に科学が発展しても人の知恵は天災には及ばないから。

 

 故にこそ。《彼ら》は特級のイレギュラーとして君臨する。

 人に抗えぬ絶対の災害に抗い、神の力を……。

 “権能”を簒奪し、掌握する神に対する凶星。

 人より生まれ、人にあらざる最強の戦士達。

 人類を代表し、神に抗う(チャンピオン)

 魔術師たちはかの者らを畏怖と畏敬の念で以てこう呼んだ。

 

 神の権能を簒奪せしめる戦士────“神殺し(カンピオーネ)”と。

 

 

 

 

 『まつろわぬ神』は危険な存在である。

 しかし同時にそれを唯一殺すことの叶う《王》もまた危険な存在だ。

 君臨する王冠は極東に誕生した新王含め、現在は八つ。

 

 最古参の王で四年前の戦いの手傷から休眠状態にある()王。

 即ち、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 

 中国の武林と魔導を統べる女傑、二百年を生きる貴人。

 即ち、羅濠教主。

 

 その魔貌と魔性で混沌を齎す歴史を跨ぐ魔女。

 即ち、アイーシャ夫人。

 

 魔術結社『王立工廠』を率いる若き知識の探求者(フリークス)

 即ち、アレクサンドル・ガスコイン。

 

 ロサンゼルスに潜む正体不明の怪人、民衆の守護者(ヒーロー)

 即ち、ジョン・プルートー・スミス。

 

 剣に生き、剣で以てイタリアを統治する求道の愚者。

 即ち、サルバトーレ・ドニ。

 

 極東に誕生した二つ目の未熟な王冠。

 即ち、草薙護堂。

 

 そして……風の如くに生き、風の如く去る傍若無人の旅人。

 四つの神を下し、従える覇者──神上御先。

 

 彼らは皆、人にして神を超越した人類史上稀なる覇者であり、絶対最強の王ではあるが、同時にその本質は戦士である。

 つまりは根が戦うモノであり、本能が闘争を求める愚者なのだ。

 故に彼らは総じて我が強く、気まぐれで、暴君だ。

 

 時として『まつろわぬ神』にも似た傲慢なる気質で以て、世界に混沌を振りまく彼らは制御不能の暴風と何ら変わりなく、人類に味方するというただ一点で以て流離う神々と区別される。言わば人知及ばぬ者として両者はある意味同格なのだ。

 

 人であるが人ではないとはそういうこと。

 彼らは人にとって味方でこそあるものの、英雄でも救世主でもない。

 神を穿つ対極の暴力──魔王である。

 

 だからこそ、勘違いしてはならない。

 思い違いを起こしてはならない。

 あくまで神殺しは神を殺す戦士であり、救い主ではないのだと。

 

 そして──人は怖がりである。

 恐ろしいものには怯え、萎縮し、畏敬し……。

 裏では常に対策を講じる、智慧持つ強欲の者たちだ。

 

 獣が恐ろしいならば銃と罠で絶滅させる。

 人が恐ろしいならば潜ませた悪意で殺す。

 国が恐ろしいならば暴力で支配を強いる。

 

 そして、神や魔王が恐ろしいならば……。

 対抗する手段を求めてしまうのが人故の傲慢であり愚かさである。

 ならばこそ偏に彼らが悪いとは言うことは出来ない。

 

 元来、人とは強欲にして傲慢な愚かな徒なれば。

 愚かさ故に愚行を講じるのは人の持つ業なのだから。

 

「──少佐。儀式の準備、整いました」

 

 防寒対策のされた軍服を纏う男が敬礼と上司に告げる。

 一人着々と進む儀式を険しい目で眺めていた男……。

 『少佐』はその声を受けて重々しく頷き、口を開いた。

 

「ふむ。ご苦労」

 

 部下である下級軍人に告げ、彼は儀式所を見渡した。

 四方を囲うよう突き立てられた樫の木の柱。

 中央には火が焚かれ、その火に巨大な石像が照らされている。

 

 儀式所というには些か簡素であるものの、石像を前に焚かれた火の周りには魔術師であれば瞠目する神具が幾つも備えられていた。

 樫の木の枝に、山羊の皮、斧に車輪……どれも魔術的な意味合いにおいては至高の品であり、これらがあるだけで儀式所は不思議な荘厳さに満ちる。

 

 さらに簡素な儀式所にて膝をつき、祈りを捧げるのはどれも尋常ならざる魔力を秘めた魔術師や魔女たちだ。彼らは秘密裏にロシア軍の無神論者たちがかき集めた、東方正教会に属さない神の実在を知りながら神を信じない者たち。

 そしてそうでありながら強力な魔力と魔術を極めた精鋭である。

 

「魔術を使う魔術師に魔女、加えて『まつろわぬ神』に神殺しか……ふ、とんだ御伽話。まともに聞いて信じる者など無垢な少年少女ぐらいだろうよ。そしてその御伽話のためこうも我々が躍起になって集い、本気になるなどと」

 

 自身の滑稽ぶりに思わず失笑する少佐。

 軍人という何処までも現実を突き詰めなければならない身分の己が、よもや神やらそれを殺すものたちの実在を信じ、対策を講じるこの絵図。

 それがどうしようもなく可笑しかった。

 

「……少佐はまだ信じられませんか?」

 

「いや、君たちの言うことは事実なのだろう。今回の件に際して、私は正規のルートから上官にひいてはロシア政府に命令を受けたし、論法の根拠足る魔術も、それを扱う者も直にこの目で確かめた。神の実在などとても信じられないものだが、少なくともそれに類する者がいることも正しく理解したとも」

 

 だが、理解したからといってそれを実感として得るかは別だ。

 実際に見て、体験してもにわかに信じがたい事もある。

 ある日、突然魔法がありますなどと非常識を言われてもあくまで常識に生きる己にはピンと来る話ではない。それが神やら魔王やらとあれば尚のこと。

 

「とはいえ、これも任務だ。君らが言うところの魔術社会の情勢やら政治などは知らぬが少なくともロシア正教会の意向を置いて尚、政府が警戒するだけのことであり、対策を講じる必要があることなのは理解している」

 

 ──ことの発端はリトアニアに潜り込んでいるロシア政府お抱えの魔術師たちが偶然現地で発掘に成功した儀式所の中央にある石像にある。

 

 アレこそ魔術師たちが言う所の神体……いわゆる嘗て地上に君臨した神の残骸であり、『骸』であるというのだ。

 神の骸……竜骨とも呼ばれる代物を偶然に発見し、発掘した魔術師たちは真っ先に政府に対して報告を行い、稀少なそれを秘密裏にロシアへと持ち込んだ。

 

 当初は発見された神秘的遺産はロシア正教会の秘密機関に受け渡し、きちんとした調査と管理をするのが伝統であるのだが……ロシア政府に属する一部の高官。

 それが待ったを掛けたのだ。

 

 “此れは地上に残った神の残骸”

 “であれば、此れを用いれば神々を将来することが出来る”

 

 そう……意図的に神々を地上に降ろす儀式。

 『神々招来の義』──この神体を用いればそれが叶うと囁いた。

 

 ロシアは他国と比べれば魔術面でやや後陣を配する。

 古からあるイタリアの騎士団や英国にて設立された専門議会など各国がその歴史と特色を持った魔術結社を抱えているのに比べ、ロシアは教会の意向が強いためにどうしてもそういった魔術結社が起こりにくい傾向にあるのだ。

 無論、シベリアには数こそ少ないものの魔女の系譜を繋ぐ者たちが現存しているし、嘗ての歴史からローマやギリシアに大きな影響を受けたクリミア半島などにはそれなりの魔術名家もある。

 

 だが、それも他国の魔術結社と比較すれば規模は格段と下がるし、ロシア正教会の威光も世界に名だたる大宗教のそれと比べれば微々たるものとなる。

 何より、『まつろわぬ神』に対して、アメリカを初めとした大国が独自のコネクションにて対策を行えるのに対して広大な土地と国家としての力を持つロシアは魔術的な政治、軍事においてどうしても先進大国の後を行くことになる。

 極東、日本に二人も《王》が誕生しているのに対してロシアは現在、神殺しが一人も所属していない上、神殺しに対するコネクションも持ち得ない。

 

 魔術社会の事情は基本的に一般社会に持ち込まず、周知しないのが世界全体としての意向だが、だからといって居るのと居ないのではどうしても心に焦りが生まれてしまう。まして神々や神殺しが一国を容易く滅ぼせるというならば尚のこと。

 恐怖と焦りは感覚を麻痺させ、思考と視線を硬直させる。

 よって、降って湧いた逆転の可能性。

 それがどれだけハイリスクでも、ハイリターンならば手を伸ばすのが人間の愚かさだ。

 

 斯くして、危機感を覚えた統治者たちによって計画は密かに実行された。

 『護神招来計画』──神を以て神を征する目論見。

 彼らはそのために集められ、そのために集ったのだった……。

 

 レニングラード州西端にある都市。

 イヴァンゴロドにて計画は最終段階に移される。

 

 対岸のエストニアと国境問題で相争うこの場所は様々な不穏分子が蠢いているため、機密計画を行うために都合の良い立地であり、また中央からも遠いため途中で計画に気づかれてもすぐにはロシア正教会も手は出せない。

 

「──大義のためだ。相手が神でも魔王でも、しかと命令をこなして見せよう」

 

 少佐がそう告げると同時、最後の鍵が入場する。

 民族衣装を纏い様々な装飾品に彩られた十代前半ほどの少女だ。

 彼女こそシベリアから連れてきた魔女。

 極東においては媛巫女とも呼称される極めて高位の魔女である。

 

 ロシア国内でも数えるほどしか居ない稀少な人材こそ、儀式の行く末を握る最後の鍵であり、トリガーであった。

 

「では、総員配置につけ! 第一から第三小隊は即時戦闘に移行できる警戒態勢で待機! 護衛の魔術師たちは結界とやらを展開せよ!」

 

「「「了解!!」」」

 

 号令と共に一斉に動き出す軍人と魔術師たち。

 そんな騒々しくなる儀式所の中心では遂に儀式が発動する。

 

 ドンドン──ドンドンドン────!

 

 一定のリズムで太鼓の音が天空へ向けて響き渡る。

 音に合わせて魔術師は呪文を詠唱し、巫女が舞を踊り始める。

 それはロシアの、というより何処か異国のそれを思わせるものだった。

 例えるならば少数民族が祭りで行うような。

 リズムも舞も何もかも──この国のそれとは形式が異なっている。

 

 太鼓の音が響き、呪文が送られ、舞が奉納される。

 儀式は喧噪の色を帯び、空へと届けとばかりに熱を増していく。

 

『おお大地に恵みを給う雷雲よ、おお天を統べる雷霆よ!』

 

『汝は恐ろしき者! 汝は老いたる者! 汝は裁きを齎す者!』

 

『天に響く太鼓の音を聞き届け給え!』

 

『天へと捧ぐ巫女の舞を見届け給え!』

 

『親しき者よ。今こそ大いなるその姿を地上に顕現させ給え!!』

 

年老いた老人(ウェザイス)!』

年老いた老人(ウェザイス)!』

天空で太鼓を鳴らす者(ウェザイス・デウス)よ!!』

 

『稲妻の威光を持ってして荒ぶる災厄から我らを守り給え!!』

 

 喝采轟く祭りの奉納。

 儀式の終わりを占めるが如く。

 舞を捧げる巫女の左右を通り、火の祭壇の前に魔術師が進み出る。

 進み出た魔術師たちは兎の死骸をそれぞれ火へと焼べる。

 炎に巻かれ、灰となっていく兎の死骸。

 これを以て全行程完了──告げるが如く石像が動き始める。

 

『おおお! おおおおおお! オオオオオオオオオオ!!』

 

 天を衝くような男の叫び。

 雄々しい咆吼に伴い、まるで恐れるように空が黒く染まっていく。

 耳を打つ雷の音に、青空を覆う曇天。

 

 大気に満ちる魔力は鳴動し、儀式所に何か強大なる者が降りてくるような重圧が襲いかかる──おお刮目せよ、神無き時代の寵児たち。

 これぞ稲妻。

 これぞ神々。

 これぞ雷神。

 

 信仰される土地にて、かの者こそ我らにとってのゼウスなりと呼ばれた偉大なる神性!

 

『誰ぞ、眠れる我を呼びたもう不届き者は! この狼藉、心して弁解せよ! 下らぬ些事にて呼び立てたならば我が怒りを知ることになると心得るが良い!』

 

 憤怒に歪み、血走る眼。

 皺を刻んだ老獪なる風情の斧を担ぐ老兵。

 雷纏いて彼方より。

 

 黄雷統べる雷神の言葉があらゆる生命を竦ませた。

 喝采せよ、喝采せよ。

 

 

 

 此処に『まつろわぬ神』は降誕した──。



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北欧雷神④

 ティウ・マルティンは騎士としては新米だ。

 リヴォニア帯剣騎士団というエストニアに根を下ろす伝統的な魔術組織に所属する両親を持ち、自身もまた魔術師としての適性を持って生まれた彼女は、当然のように伝統を受け継ぐ後進として育ってきた。

 そこに特別なドラマはなく、波風立つようなイベントはない。

 

 自身が魔術師であること、そして魔術結社に所属しているということ。

 二つの裏の顔こそ持っていた者の少女は一般的な年頃のそれと変わらない日常と変わらない経験で以てまだまだ先の長い人生を歩んできたのだ。

 だからこそ此度のような経験は人生に一度たりともない。

 『まつろわぬ神』の降臨、自国の危機、そして……。

 

「んー、相変わらず気分が滅入る天気ね。それにゴロゴロゴロゴロ鬱陶しいこと。何をしようとしているかは知らないけれど、この騒音被害だけで万死に値するわね。せっかく高級ホテルに泊まったのに、音のせいで八時間しか寝れなかったわ」

 

『……ふむ、私の知識からしてそれは十分な熟睡では?』

 

「バカね。高級ホテルよ、高級ホテル。飛び込むだけで全身が脱力するようなベッドとかあるのよ? 惰眠してくれっていっているようなもんじゃない。最低でも十時間ぐらいごろごろした後、ルームサービスでワインを嗜んだ後、ほろ酔い気分でマッサージを受けつつ、微睡むぐらいしないと元が取れないでしょうが」

 

『つくづく俗物だな貴様は……というか元が取れないと言うが貴様はびた一文も払っていないだろう』

 

「ふふん、愚問ね。だからこそ良いんじゃない! ペコペコと畏まってくる下々の施しを喜んで受け入れながら堕落の限りを尽くす……これこそ魔王の醍醐味ってものよ。存分に楽しまなきゃ損でしょ、損」

 

『……貴様は最低かッ!!』

 

 鼻歌交じりに都市ナルヴァへと続くイダ=ヴィル県の街道を歩きながら割とロクデナシな発言をする上機嫌な女性と会話に付き合いつつ、時折強い語気で罵倒を繰り返す鷲。

 曰く、“神殺し”の神上御先とその眷属神である。

 二人の会話に緊張感と呼ばれるものは欠片もなく、それこそ散歩でもするかのように口調は軽く、会話も盛り上がりを見せている。

 これから『まつろわぬ神』と殺し合いをしに行く者の会話にはとてもじゃないが聞こえない。

 

(なんていう剛毅……というか何も考えていないっぽい?)

 

 不敬にもティウが内心でそう思ってのも無理はなかろう。

 戦場に向かう道すがら会話は終始こんな感じであるし、かといって事前に出現した『まつろわぬ神』の情報や対策などの作戦会議を十全に行ったわけでもない。

 事前準備無しのぶっつけ本番。彼女がリヴォニア帯剣騎士団の依頼を受けた時もそうだが、彼女は何事にも気負わないし、深く考えない。

 万事が万事、まるで気分によって道を選ぶ旅人のように。

 神上御先は自由であった。

 

 伝統的な組織とはいえ、小国の魔術結社であるリヴォニア帯剣騎士団において“神殺し”など殿上人に等しい伝聞のみの存在であるが、それでも彼女らはその恐ろしさや伝説の数々を耳にたこができるほど聞いてきている。

 だからこそ、目前の飄々たる振る舞いの美女が“神殺し”であると言われても実感が得られない。何せ、あまりにも人間的だ。

 

 少々、自由人で傍若無人の気質こそあるものの精々がやや傲慢の風変わりな旅人程度の範疇に収まることだろう。

 神を下すほどの戦士にも魔王にも到底思えない。

 

(“神殺し”は恐ろしい者だってお母さんもおばあちゃんも言っていたのに……)

 

 曰く、傲岸不遜。

 曰く、唯我独尊。

 

 己こそ絶対の覇者なりと唱える彼らは最強にして最凶だ。

 一度彼らが動けば、その地は災禍の中心になるとも。

 故に決して、決して誰も逆らえないのだと。

 

 四年前、魔王の命令で各地で魔女や巫女たちが攫われているというニュースが騎士団内において騒がれた際、両親や家族がしつこく説いた話だ。

 “神殺し”は人に見えても人に非ず。最大の畏敬を持って接するべし、と。

 

 だが……。

 

「──ところでティウちゃん。エストニアのおすすめ観光スポットって何処かしら? 私、北欧には割と足を運んでるんだけれどエストニアは初めてなのよねー。やっぱり旧い遺跡とか教会とかがメインなの? それともド派手なカジノとか、風光明媚な景色とか、そういうの?」

 

「え、あ、は……はい。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂とか、後はタリンにある旧市役所とか建築物がエストニアの主だった観光地になります。景色の方をご所望でしたらタリンの旧市街を一望できるコフトウッツァ展望台などが御身のお眼鏡にかなうのではないかと……その、お望みでしたら騎士団から観光案内に人を出しますが……」

 

「別に良いわ。こういうのは自分の足と意思で行くのが旅の醍醐味だから……。それにしても相変わらず堅い堅い。もっとラフな感じで接してくれて構わないのに」

 

「も、申し訳ありません! わたし……じゃない、自分はまだまだ新米の騎士ですのであまりこういった場は不慣れで、御身の気分を害することに」

 

「だ・か・ら、そういうのが要らないって言ってるのよ。もっと軽くでいいの、かるーくね。……そだ、私のことは御先と呼びなさい。これ王様命令だから」

 

「え、えッ!?」

 

「ほらほらー、どしたのー、呼んでみなさいな」

 

 突然の無茶振りに瞠目するティウを見ながらニヤニヤと笑う御先。

 実年齢の差は親子でも違和感がないほどに離れているはずだが、生来の気質なのか御先の態度は姉が妹を揶揄うそれに酷似している。

 そこに魔王足る王威や覇気は一切無く、ティウからして何処までも普通だった。

 学校で話す年上の先輩や近所のお姉さんのそれと何も変わらない。いっそ今が非常時の非日常であることを忘れてしまいそうな程に。

 

「で、では……御先様、と」

 

「うーん。それも時と場合によっては良い感じの呼び方だけれど、今は良いわ。御先よ、御先。こうフランクに友好的な感じで」

 

『……こういうのが人間社会では時にぱわー(・・・)はらすめんと(・・・・・・)と呼ばれる訳か』

 

「五月蠅いわよ駄鷲。ていうか貴方こそ俗物ね、神様のくせに無駄な人間社会の知識を仕入れているなんて。そんなんだから神様(笑)なんて呼ばれるのよ」

 

『神様(笑)!? 一体誰だというのだ、この私をそんな不敬極まりない呼び名で呼んでいるのは! というかそれは一般化された呼び名じゃないだろうな!』

 

「安心しなさい。今私が考えた渾名だから。普及するのはこれからよ♪」

 

『貴様ァァァ──!!』

 

「あ、あの……」

 

「うん? ああゴメンなさい。ちょっと五月蠅かったわねこれ」

 

 ティウそっちのけで再び愉快な会話に戻る二人にどうすれば良いのか分からなかったが、幸い二人のやり取りはすぐに終わる。

 眷属神の方はこれ呼ばわりに対して抗議の声を挙げているものの、御先の関心は既にティウにあるらしく、眷属神の声を完全に黙殺している。

 

「それじゃあティウちゃん。フレンドリーにフランクに、さあ私の名前を呼んでみなさいな」

 

「は、はい……そ、それでは、その……み、御先さん!」

 

 ティウが御先の要求に出来うる精一杯で応じる。

 魔王を名前呼びなど両親が見れば卒倒しそうな状況であるものの、命令とあれば是非も無し。緊張に舌が縺れたが、何とか要求には応えてみせた。

 するとその健気な態度が御先は目を見開き、次いで。

 

「ッ! っくー、ナニコレナニコレ! 良いわ! 良い感じよそれ!!」

 

「わ、わわ、きゃ……!」

 

 歓声を上げながらティウを抱き寄せ、踊るようにクルクルと回る。

 思わぬスキンシップにティウが小さく悲鳴を上げるが一顧だにしない。

 

「こう、何? ザ・小動物っぽい感じ? どっかの禿鷲とは大違い! こんな妹か娘が欲しかったわ、全く!」

 

『貴様は“神殺し”だからな。喪女候補筆頭というわけだ!』

 

「てい」

 

「キューッ!?」

 

 軽いかけ声と共にティウを抱く御先の手先がブレた。

 声とは裏腹に恐ろしい速度の手刀が眷属神を強襲する。

 その威力に鷲は憐れにも吹き飛ばされ、素の悲鳴を上げた。

 

『き、貴様! この暴力女め! だから男が出来ないのだ!』

 

「ふん、勘違いしないでミスタ。私は出来ないんじゃない、作らないの。私は一つの場所に囚われるのが趣味じゃないから。身軽で自由気ままな旅人が似合ってるからこその独身貴族なの。作ろうと思って作れない敗北者たちと一緒にしないで下さる? 恋人を探して焦燥に追われる無様なんて、私は晒さないわ」

 

 胸を張り、髪をかき上げながら言い切る御先。

 当人の言う通り、そこに焦りや不安と言った態度は欠片もない。

 己は望むがままにあるのだと自信の笑みが称えていた。

 

 因みにこの時、言い合う二人が知らぬ所で何処かの英国重鎮の秘書を務める女性とアメリカが誇る“神殺し”が同時に胸を押さえて倒れかけたという。

 閑話休題。

 

「み、御先さん……様……!」

 

「あ、ちょっと我を忘れていたわ。苦しかった?」

 

「いえ大丈夫、でした」

 

 己の名前を呼ぶ声に御先は抱き寄せていたティウを解放する。

 衝動的に抱き寄せたことに謝罪しつつ、気を遣う。

 

「ゴメンなさい。ちょっと私好みに可愛かったから、ついね」

 

「そ、そうでしたか……可愛い、私が……?」

 

「ええ、とても」

 

 御先の評価にティウは思わず小首を傾げるが、御先は断言しながら頷いた。その言葉と評価があまりにもストレートなものだったからティウは頬を赤らめながら照れる。

 

「その、ありがとうございます」

 

「別に礼を言われることじゃないわよ、ただの事実だしね。でも……そうね。せっかくだから後で可愛い貴女に観光案内でもして貰いましょう。旅は道連れ世は情けってね。私は基本的に一人旅だけれど、やっぱり道中は賑やかなのが良いし」

 

「観光案内ですか? 構いませんが観光案内をするなら専門のガイドに頼んだ方が……」

 

「私は顔見知りの貴女が良いの。ダメかしら?」

 

「いえそんな! そういうことでしたら、一緒に同行させて戴きます! 観光地には然程、詳しくありませんが……地元で有名なチョコレートが美味しいお店とかなら案内できると思います。御先……さんの好みに添えるかどうかは分かりませんけど……」

 

 自信なさげなティウの提案。だが、そんな彼女を裏切るようにティウの言葉を聞いた御先の眼が爛々と輝き出す。

 そういうのを待っていたと言わんばかりに。

 

「チョコレート! 良いわねそれ。うーん、俄然やる気が湧いてきたわ!」

 

 そういって猫のように背筋を伸ばしながら微笑む御先。

 やはり、せっかく自由観光するならばパンフレットにありがちな場所巡りをするよりも外国ならではの文化や体験が出来る方が御先としては好ましい。

 万人が通りに王道を習うも良しだが、知る人ぞ知るものを観光する方が浪漫があるというものだ。

 

「うん、尚のこと……面倒事はさっさと終わらせないとね」

 

 後に楽しみが待っているというなら尚のことに是非も無し。自由気ままな旅の続きと現地で出来た知人との観光をするためにも無粋な仕事は速やかに終わらせよう。

 

「じゃ、そういうことでティウちゃん、戦いが終わった後に私の観光に付き合うこと。チョコレート以外にも色々とね。約束よ?」

 

 ティウとの約束に御先は風鈴のような涼やかな笑顔を浮かべる。

 一つ楽しみが出来たと言わんばかりに。

 

「はい……約束ですね。その約束を果たすためにもどうか……──我らが祖国を覆う曇天の災いから力なき我々をお救いくださいませ……『王』よ」

 

「ふふん、任せなさい。私は約束には義理堅いの。“私の上には天も神も人も非ず”がモットーだからね。道を阻む者は対等の下に、ぶっ飛ばすだけだわ」

 

 そして同時に足を止めた。

 

 

 

 そう──後に楽しみが控えているならば尚のこと。

 下らぬ騒ぎの解決など所詮は些事、蛇足に他ならない。

 

 首都タリンから一県跨いだ先にあるイダ=ヴィル県。エストニア北東部に存在するロシア領と国境を分けるその場所こそ此度の乱の爆心地である。

 

 『バルド海の真珠』とも称えられるイダ=ヴィルが誇るエストニア第三の都市ナルヴァから川を挟んで、向こう側。

 絶えず稲妻奔り、曇天が色濃いロシア領のイワンゴロドの城塞を御先は不敵に睨み付け、意識を切り替えながら、傍らの少女へ問う。

 

「街の避難はもう当然済んでいるわよね?」

 

「──はい、既に住民には騎士団の名義で予め街を離れるよう伝えてありますので。後の事は気にせず、ご存分に」

 

 当たりを見渡しながらに問う御先の言葉にティウが頷く。

 彼女の言う通り、平時は興隆を誇る都市ナルヴァは死んだ都の様に静まりかえっていた。リヴォニア帯剣騎士団の仕事だろう。

 集団催眠か、或いは人よけの結界か、ともあれ国家を守護する裏存在の面目躍如とばかりに都市には人という人の存在が失せていた。

 

 まるでそれは嵐の前の前兆であるかのように。

 否、正しくこれは前兆である。

 

 “神殺し”と『まつろわぬ神』。

 

 人知を通り越した超常の存在が相争わんと集っているのだ。

 空気は自然と重くなり、常人であっても今この場所に想像もつかないほどのチカラが働いていると無意識に予感できるほどの『圧』があった。

 それは人に限らず獣も同じなのか、都市には野鳥や野犬の影すらない。都市には相応しからぬ静寂が、より一層に緊張を重く奏でる。

 

「そ、なら良いわ。此処から先は私の領分。貴女も巻き込まれないように離れていなさいな。観光案内、楽しみにしているから。また後でね」

 

 しかし、大戦の演者となるはずの“神殺し”の調子は変わらない。

 御先は春風のような軽い口調で微笑んでいた。

 微笑みながら──充溢する魔力と研ぎ澄まされていく本能と直感がこれでもかとばかりにティウに対して『引け』と言外に命じている。

 

 此処から先は『覇者』と『神々』の戦場であると。

 

「ご武運を──信じています」

 

 ティウもまた、御先に習うように意識を切り替えた。

 御先の言葉に頷くと戦いに巻き込まれないよう速やかに御先の元を離れていく。その去り際に信頼の言葉を残しながら、少女は戦線から離脱していった。

 

「──良い子ね」

 

『貴様とは大違いだな』

 

 ボソッと口に出た言葉に相方が皮肉に笑う。

 しかしその皮肉に対し、御先は……。

 

「ええ、全く。──だからこそせめて信頼には応えなくっちゃね」

 

 肯定と決意で以て答えを返した。

 

 そう……どれだけ平和的に見えても。

 どれだけ温厚に見えても。

 彼女の本質は覇者であり、戦士であり、王であった。

 

 御先は世界を愛している。

 人も文化も国も自然も、認識が及ぶ何もかもを。

 千差万別、多種多様、なればこそ面白いと。

 極彩色に輝いている色彩豊かなこの世界が大好きだ。

 

 だからこそ彼女は常に全力で楽しむ。

 俗的な欲望も、生意気な相棒との悪態も、可愛い年下の少女との会話も。

 全てが全て、好きだからこそ衝動のままに。

 自分を偽らずに自分らしく、やりたいようにやるのみ。

 

「だから、これもその延長。私は何気ない日常も愛しているけど、それと同時にやっぱり非日常も大好きなの。せっかくの人生ですもの、山あり谷ありのドラマチックな方がやっぱり映えるってものでしょ」

 

 そう、彼女は色とりどりが好きなのだ。

 生を受けたならば全部堪能しないと勿体ないから。

 何気ない日常を愛するように、血沸く闘争もまた然り。

 

「何処までも私は私のやりたいようにやる。他の事情や柵なんて私にとっては知ったことじゃないし関係ない。邪魔するというならば粉砕するだけのこと」

 

 我とは即ち、自由の徒である。

 故に阻む者──此れ一切は障害であり、敵なり。

 例え神であろうとも自由気ままな旅人の足は止められない。

 

「さっさと出てきなさい、不貞腐れの雷神さん。何か文句があるんだったら手っ取り早く暴力(チカラ)で話を済ませましょう」

 

 不敵に微笑み、挑発するように御先は告げた。

 何よりもそっちの方が愉快だと。

 これまで欠片も見せなかった獰猛な空気を漂わせながら。

 遂に四番目の王冠が神に対して戦を宣する──。

 

 そして……。

 

 

『獣が。我を誰と心得るか』

 

 

 雷霆が天罰の如くに来襲した。



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北欧雷神⑤

『獣が。我を誰と心得るか』

 

 轟き渡るは天の咆吼。

 曇天を引き裂き、大気を焼き尽くす高熱の雷霆が御先ただ一人に目掛けて襲いかかる。視界を覆う光の槍はもはや何億ボルトか見当もつかない致死量の雷撃である。当たれば即死どころか灰塵と化すだろう。

 されど、御先は口元に笑みを浮かべたまま一言。

 

「顕現──」

 

 刹那、雷霆に匹敵する熱量が御先の傍らで膨れ上がった。

 その正体は御先の肩に乗る一匹の鷲である。

 カルラと呼ばれた金翅鳥の瞳が燦然と黄金の輝きを浮かべたと同時、御先を覆う外層大気(コロナ)のように黄金の焔を展開し、雷霆の悉くを祓い焼く。

 

 焔の城壁に弾かれた雷霆は蜘蛛の巣状に飛散し、周辺の建物や街路を衝撃と轟音で以て蹂躙する。後に残るは見るも無惨な黒い焼け跡のみ。

 神の雷霆は一瞬にして御先の周囲を真っ平らの荒れ地と変えた。

 

「へえ、流石に大した物ね。それに初手から神々の雷霆使うなんて剛気なこと。随分と激しい挨拶じゃない」

 

『……黙れ』

 

 不敵に笑い、天を仰ぐ御先に対して返ってきたのは友好的な色など一切無い憤怒の声。次の瞬間、いっそ煌めく雷が見上げる視線の先で瞬き、人を象る。

 

「──我を誰と心得るか……跪け、獣」

 

 同時に生じた音と輝きは常人ならば竦むであろう超自然の成す奇跡であったが、御先の様子は以前変わらず寧ろ面白いとばかりに光の向こうに現れた人物へと笑いかけた。

 

「ふーん、鉄の槌に雷、それに天候操作の権能か。典型的な雷神、天空神の特徴ね」

 

 見る者を射竦める眼光で御先を睨む、鉄の槌を背負った巨躯の老人。遂に姿を現した神に対して御先の感想は淡泊なものだった。

 というのも御先は雷霆という天空神や雷神が主だった武器として使う権能を目の当たりにした時点で名は絞り込めずとも既に目前の雷神がどういった存在か、見当がついていたからである。

 

 何故ならば──。

 

「雷雨は古来から人々に恐れと恵みを齎す武の象徴にして豊穣の象徴です。

 特に東欧圏の人々──スラヴ人たちの起源を決定付けたチェルノレス文化の影響で穀物栽培や青銅文化が盛んだったから東欧圏の雷神は特に恐れと豊穣の両側面を持った神が多い……察するに貴方もその系譜でしょう。起源をインド・ヨーロッパ語族に連なる天空神。それが独自の文化と信仰を経て異なる名を獲得した地域特有の神──」

 

 チェルノレス文化──或いは黒森文化とも呼ばれる前11世紀ごろから前8世紀ごろに栄えたこの文化は特にスラヴ語族の発展という意味合いにおいて大きな影響を及ぼしている。何故ならば、この文化発展によりスラヴ人は青銅器時代から鉄器時代への変遷期を迎えるのだから。

 

 技術発展に伴う生活水準の上昇。技術革新によって生まれる農具は農耕スキタイ人──東ヨーロッパ北西部のスラヴ語族たちに様々な恩恵を与えた。

 盛んとなる穀物栽培は輸入という形で他民族との文化交流を生み、上昇していく技術は農具に止まらず、早い時代から馬具や城塞を生む礎となる。

 正にスラヴ人発展の転機である。

 ゆえにこそ、チェルノレス文化にて興隆を誇った彼らこそ、今日までに続くスラヴ人の旧き系譜の一つ原スラヴ人(プロト・スラヴ人)であるとされる。

 

 そして今日の東欧圏に住まうスラヴ人の原形とも言えるものたちが生み出したのは優れた技術や知識のみに非ず。

 大地に恵みを齎す雷雨、大地を耕す鉄の文化。

 これら二つは東欧における雷神信仰に多大な影響を与えている。

 

「大地に恵みを齎す雷雨と大地を耕す鉄は、結果として豊穣の象徴として結びつけられる。実際、東欧では多くの雷神が鍛冶神の顔を持っているのがその証明よ。まあもっとも後の時代に関わってくるヴァイキング、スカンジナヴィア人の文化も少なからず影響していたんでしょうけどね」

 

 ヴァイキングに関しては閑話休題とばかりに肩を竦める御先。こちらもこちらで少なからず影響がある話なのだが、此処では語るつもりはないらしい。

 

「そういえば、此処エストニアと並ぶバルド三国のうちに数えられるリトアニアにはスタルムジェーの楢っていうヨーロッパ最古の木があるそうね。何でも樹齢は数千年を数え、古い時代には雷神を信仰する神木として崇められたとか」

 

 雷は高い場所に落ちる。

 それは現代人でも知る俗説であるが、古代においても同じだったのだろう。

 人より高い場所、即ちは木々に落ちる雷を見て古来の人はこう連想した。天から注ぐ雷は樹木に落ちる。

 

 つまり──神々は木に宿る、と。

 

「故に古来の東スラヴ人たちは雷神のことを指してこう呼んだ。雷を打つ者(ペル・ウン)、と」

 

 そして、この名こそ東欧の全ての雷神に通じる神名である。雷雨と共に木を打ち鉄を打つ、畏敬と豊穣の存在。

 即ち雷神と鍛冶神、二つの顔を持つ神格。

 

「名は変じてペルーン、それが貴方よ。どうかしら? 私の見解に異議はある? 東欧スラヴ神話の最高神様?」

 

 或いはペルナクス、ペールコンス。地域や地方で名は違えど、その本質は変わらず。鉄と豊穣を司る雷神に、御先は悪童のように問いかけた。

 

「──血に餓えた獣畜生……その程度に捉えていたが」

 

 御先の長口上を聞き届けた雷神、ペルーンは呟きながら瞑目する。

 まるで自分を律するように、激情を内に飲み込むように。

 そして、次瞬。開眼した雷神の眼に浮かんだのは……。

 

「まさか……我が神名を無作法にも口ずさむ痴れ者でもあったとはな」

 

 嘆息。度しがたいほどの愚か者を見下しながらペルーンは息を吐いた。

 諦観と嘆きと呆れを瞳に乗せて、首を振る。

 全く何たる事か、ここまで人は神威を忘れているとは。

 

「恐れ敬う心なく、我が名を口ずさむ貴様といい。眠れる我を己が野望のためだけに叩き起こさんと欲した愚者共……なぁ、おい。貴様らは何故そこまで愚かなのだ」

 

 もはや一周して理解できぬと雷神は言う。

 目前の、神を前にして未だ恐れの一つも覚えない女に向けて。

 人が持つ愚かさの象徴的とも言える彼女へと。

 

 女は応える。愚問なり、無知蒙昧。

 それこそ今更、言うまでも無い。

 

「目の前に(かのうせい)があれば、登りたくなる。それが人間という生き物よ、今更私が言うまでも無いでしょう?」

 

「──────」

 

 そう、人間とは可能性の獣である。

 傲慢とも取れる飽くなき向上心で発展をし続ける、この地球上もっとも栄えたる生命体である。霊長の頂点、惑星の支配者。

 元より、神とは人以上が存在せぬ人が己を律するために化した枷なれば。

 人がどれだけ愚かなのかなど言うまでも無いだろう。

 

 何せその愚かさゆえに、遂に己で化した秩序(カミ)まで超克せんと猛るのだから。

 ゆえに両者は不倶戴天。世界の秩序を担う神と秩序を凌駕せんとする人間はどうあっても相容れない。

 

「さァてと、私は自分の推測が正しいと分かって満足したし、貴方の疑問にもキッチリ答えたわ。じゃあ、そういうことで……さっさと殺し合いましょうか」

 

 カツンと、ヒールの付いたブーツの音を宣戦布告と言わんばかりに高らかと鳴らし、御先は一歩踏み出す。

 眼前の神へ向けて、傲岸不遜に。

 

「私は人、貴方は神。私は“神殺し”、貴方は『まつろわぬ神』。お互いがお互い、認められない対極同士の不倶戴天。決して交わらないし、認められない。ならさっさと白黒付けましょうよ。方法は極めて簡単、古来から互いの上下を定める法則は一つだしね」

 

 相容れない生命が、互いの責任と尊厳を懸けて争う……。

 これは──弱肉強食

 遙か昔からこの惑星で行われて来た競争。

 この世を説く、たった一つの明解な唯一無二の真理だ。

 

「約束が控えているの。だから……四の五の言わずにかかってきなさい──時代遅れのロートル神ッ!」

 

 此処は人界、天地の狭間。

 太古の秩序が要らぬなら、鏖殺すべきは神にあり。

 

 恐れ知らずの人類代表(カンピオーネ)が、神へと手切れを突きつけた。

 

 大罪が如き、その愚行。

 もはや神が見逃す理由は欠片も無く。

 

「……一月ほど前、お前によく似た愚かさを持つ者どもがいた。なあ獣よ、その者たちは一体どうなったと思う?」

 

「……さあ、見当もつかないわ。宜しければ教えてくださる?」

 

「いいだろう、教えてやる。その者たちはな……」

 

 言葉と共に刹那──膨張する極大の呪力と神威。

 神の心を映すように、曇天の空に黄金の雷霆が轟き渡る。轟々と落雷が地に落ちる。燦然とした光が地上を満たす。

 

 ──刮目せよ、神威を忘れた愚者共よ。

 

 これぞ神が証明。紛うこと無き天を統べる権能である。

 我こそは雷神、天空統べるまつろわぬ者。

 お前たちが太古の秩序を忘却するならば、今一度その痴愚に天から罰を与えよう。

 

 Deus(デウス) vult(ウルト)

 全ては神が望むこと。神が下した決定である。

 

 

「──鏖殺だ。誰一人何一つ、このペルーンの怒りから逃れられぬと知れッ!!」

 

 

 相互理解などとうに不能。

 神を恐れぬ愚者目掛け、太古の秩序が進撃す──。

 

 

 

 

「わぉ、さっきよりも増して派手ね」

 

『自分で挑発しておいて言っている場合か、戯け』

 

 ペルーンを中心として流動する曇天の空。

 そこには埋め尽くさんばかりの雷、稲妻、幕電が絶えず瞬き、渦を巻きながら広がり続けている。空を光一色に染め上げ、支配する様は雷神持つ権能の強大さを御先へと見せ付ける。

 

 轟々と音を鳴らして回転する大雷雲(スーパーセル)

 先に挨拶代わりと放たれた雷撃とは比べものにならない超電力は、御先はおろか戦場となったナルヴァの街を滅ぼしてしまうだろうものだ。

 

 此れぞ正しく『神鳴り』。

 バルト地方雷神の源流たるペルーンの力であった。

 

 しかし、御先の笑みは崩れない。

 否、寧ろいっそ楽しげに口元が三日月に歪む。

 嗚呼、そうだとも。こうでなければお話にならない。

 

「インド・ヨーロッパ語族に起源を持つ雷神、東欧雷神の中においても最現流に属する豊穣を司る鉄と雷の神格。神格で言えば主神級よ。その神威はそれこそ雷神ゼウスや北欧神話のトールに匹敵する」

 

 そう、雷神というカテゴライズにおいてペルーンは間違いなく最高神だ。

 振るう雷は並の神格を引き裂き、打ち砕くであろう。

 ゆえに──。

 

「もしかしたら貴方を倒してしまうかもしれないわねー、そう思わない? 金翅鳥(カルラ)

 

『ふん──抜かせ。雷神風情が我が両翼を受け止められるものかよ』

 

 片割れの相棒を挑発するように言う御先の言葉にカルラが鼻で笑う。

 その口調にはいっそ傲慢とも取れる自負があった。

 眼前に広がる雷雲を、この程度と笑えるほどの自負が。

 

我が主人(ミサキ)よ、つまらん煽りは止めろ。曰く、さっさと終わらせるのだろう? 蒼穹を照らす輝きなど燦然と輝く太陽があれば十二分──耳障りな雷霆など鬱陶しいにも程があろうに』

 

「ふふ、こういう時だけ気が合うわね。貴方とは。普段の貴方は口煩く喧しいけれど、今の貴方とは親友になれそうっていつも思うわ。できれば常時そうしていて貰いたいのだけれど?」

 

『そういう貴様こそ常時そうしていて貰いたいものだな。この我を降した“神殺し”として、普段の貴様は格や威に欠ける』

 

「冗談。それじゃあ周りを怖がらせちゃうじゃない。一期一会は旅の花よ? 行く先々での出会いもまた旅の醍醐味なのに。第一──」

 

 御先の身体を膨大な呪力が満たす。

 充溢する呪力は神にも比する格別のものである。呪力はそのまま爆発寸前の風船のように膨れ上がり、そして──。

 

「こういう過激な感情(ノリ)はあんまり好きじゃないのよ。私?」

 

『ハ、その口元を直してから言うのだな馬鹿め!』

 

 闘争を前に喜悦を浮かべる主に眷属が笑う。

 挑む敵が大敵であればあるほど燃える。

 そんな魂の持ち主だからこそ──自分の主に相応しい。

 

 鷲の王もまた、主と同じく総身に溢れんばかりの闘志を満たした。

 

 さあ、知るがいい雷神よ。

 火の象徴とは不死なれば、鋼の英雄は無敵なり。

 神々統べる王の雷だろうとも我が飛翔を止められない。

 

「──我は義に()って立ち、義に()って力を振るう者なり!」

 

『邪悪なる者は戦慄せよ、煌々たる焔を前に不死なる鳥の神威を知れ!』

 

 同時、布告が如くに唱えられる二重の呪文。

 “神殺し”たる御先の化身が、その権能(本性)を顕わにする!

 

 ──KYUUUUUAAAAAaaaaaaa!!!!

 

 雷鳴をかき消して天空に響く鳴き声。

 我こそが大空の覇者なり……と。

 

 焔を纏う鷲の王が真なる姿で君臨した。

 

「火の鳥だと? 眷属の、それも畜生風情が許しもなく雷神の空に昇るかッ!」

 

『フン、それは此方の台詞だ。雷神風情が我が物顔で空を荒らすな。不愉快だ』

 

 ペルーンの眼前に現れたるは炎の身体を持つ鳥。

 いわゆる、『火の鳥』である。

 全長数十メートルにも及ぶ巨体に、身に纏う黄金の焔。

 それは正しく神鳥と呼ぶに相応しい威容であった。

 

 ──鳥は太陽に最も近い存在である。

 

 原初の人々は見上げることしか出来ない空を自由自在に駆ける鳥の姿を見て、彼らのことを天を統べる神の眷属であると信仰した。

 人の日常生活に寄り添う自由なる空の住人をある時は隣人として、ある時は協力者として、またある時は導き手として。神の使者であり、最も身近な隣人であると人々は彼らを崇めた。

 神話に登場する『聖鳥』などは、その最たるものであると言えよう。

 

 だが、鳥を遣いと捉える者が居るならば。鳥こそが大空を統べる支配者であると捉える者も居た。

 例えばエジプトの神話において鳥は永遠を司る獣であり、朝と夜を行き来する魂の運び手であると信じられていたし、また東洋においては太陽の中に住まう存在として、太陽神に等しい信仰を集めることもあった。

 空を飛ぶ鳥は太陽に最も近かったが故に。

 時として大空を翔る彼らは太陽信仰と結びつけられ、日の神となったのだ。

 

 そして、その最たるが『火の鳥』の神話。

 不死と()を統べる、太陽神の系譜。

 

『そこを退け! 異国の雷神ッ!!』

 

「退くのは貴様だ翼を持った畜生め! 己が程度を弁えよ!」

 

 曇天と雷雲の空を閃光のように突き進む火の鳥の姿を雷神が喝破する。

 怒りと共に放たれる何条もの雷撃、雷撃、雷撃。

 それらは一つも違わず火の鳥を穿ち、打ち据え、焼いた。

 

 しかし見るがいい。火の鳥は止まらない。

 黄金の焔を纏う炎鳥は曇天と雷雲の空を突き進む。

 恐れず進むその勇姿はまるで勇者の如く。

 邪悪を払う英雄のように、焔の鳥は天昇する。

 

『小雨だな。雷撃程度で我が飛翔を止められると思うな!』

 

 雄々しい嘶きを天空高らかに吼えて、火の鳥は一条の光となって雷神へと突貫する。尾を引く焔の残光が流星のように空へ軌跡を刻みながら煌々と瞬いた。

 

「雷神の空を太陽神モドキが駆るだと!? 不敬! 不遜! 傲慢なるぞ! 曇天覆う雷雲の空に太陽の出しゃばる隙間は無かろうがッ!!」

 

 その突撃に激怒を唱えるペルーン。

 今は雷神が統べる空である。故に太陽の化身たる獣などあってはならないのだから。

 

 憤怒と共に両手に持った鉄の槌を三度と振るう。すると大気に衝撃が奔り、渦を巻く大雷雲が轟音を鳴らしながら形を変えてゆく。顕れたのは……。

 

「馬の顔……? 神獣か」

 

 地上で見守る御先が呟くと同時に、ビリビリと鼓膜を震わす雷馬の嘶き。

 大電量の雷が、光線と見紛う馬蹄となって火の鳥を踏み抜いた。

 

『ぐッ……』

 

 超速の攻撃は火の鳥の両翼を以てしても回避不能。背中を打ち抜いた衝撃と熱量に堪らずカルラはくぐもった声を上げる。カルラを直撃した雷馬の正体は恐らく神話においてペルーンが乗るという翼ある馬の化身であろう。

 御先はペルーンを指して雷と鍛冶を司る豊穣の神と呼んだが、ペルーンが持つ神格はそれだけではない。時代が流れると共に人々に恵みと恐れを齎す豊穣神はやがて戦乱の時代に軍神、戦神として崇められることとなる。

 

 西暦を数える頃に登場した東スラヴ人について記した年代記『原初年代記(過ぎし年月の物語)』において、彼は戦を前にした騎士たちに武器による誓いや戦場での加護を願われたという。また、中世ヨーロッパにおいて栄華を極めた東欧の国家、キエフ・ルーシの大公妃聖オリガや、その聖オリガの夫であるスヴャトスラフ1世が愛人の子、ウラジーミル1世などもペルーンに戦での加護を願った。

 

 そう、東スラヴにおいてキリスト教が台頭するまでスラヴ神話に君臨するペルーンは、時代と共にその神格を増しながらキエフを守る六柱の一柱として人々から絶大な信仰を集めていたのだ。

 

 だからこそペルーンはただ人々に恵みを齎すだけの豊穣神に非ず。守護神として、人々を外敵から守る戦神でもあるのだ。

 

 だからこそペルーンは容赦しない。

 己が空を穢す外敵を。

 神を殺さんと欲する神殺しの眷属を。

 

「我が領空より地に落ちろ! 害獣!」

 

 雷の馬蹄に次いで襲い来るは暴風の柱。近寄る者を粉塵と化す竜巻が唸りを上げてカルラへと迫る。さらに追撃と降り注ぐ雷、雷撃を増長させる大粒の豪雨。

 大自然の猛威がカルラという一存在向けて波濤のように猛威を振るう。

 

 桁違いの猛威を前にさしものカルラの突撃は中断を要され、煌々と燃える焔の輝きは光輝を放つ雷にかき消されていく。これぞスラヴ人たちに崇められてきた最源流の雷神が神威。

 不死を名乗る火の鳥の威光も、その神威には為す術も無く灯火と化して……。

 

「オン・ガルダヤ・ソワカ──火の象徴とは不死なれば、雨風を起こす悪龍とて汝の焔を侵すに能わず!」

 

 刹那──嵐に揺られる地上に泰然と構える主が祈りの真言を告げる。それはカルラが仏典にまつろわされた際に名乗った迦楼羅天の真言。

 三毒喰らう霊鳥として魔を喰らえ──と。

 急急如律の令を下す。

 

『──然り。この身は邪悪の敵なれば、降魔成す迦楼羅の炎を見るがいい!』

 

 主の命に確と眷属神は答えて見せた。

 風前と化した灯火が大火と燃える。黄金の焔が再び雷光に増して輝きを放った。

 応とも。日輪()の象徴とは不死なれば、再び火の鳥は遙か天空を飛翔する。

 

「チィ──悪あがきを! ならば此れで地上の主諸共悉くを葬り去ってやろう!」

 

 気勢を取り戻したカルラを見下ろしながらペルーンは舌打ちしながら手に持つ槌を指揮棒が如く振るう。その棒先は迫るカルラに突きつけられて……。

 

「戦場に響く雄々しい車輪の音を聞け! これこそ戦陣を征く雷神の威光なるぞ!!」

 

 ペルーンの指揮に応じ、大雷雲がまたしても姿を変えた。顔のみであった雷雲の馬から今度は全身の形を形成する。

 そして曇天が体を成した雷神率いる雷馬は馬蹄を振り上げ、甲高い嘶きを雄々しく吼えた。

 

「敵対者よ。怯え、竦み、恐怖するがいい──戦陣を征け! 我が眷属!」

 

 咆吼。進撃。

 神の勅令を実行せんと大気を踏み鳴らし、雷馬が迫る。

 流動する大雷雲はカルラの全形を飲み込み、その身体を満たす雷撃、豪雨、竜巻、強風の悉くで以てカルラを鏖殺せんと牙を剥き──。

 

 ──KYUUUUUUAAAAAaaaaaaa!!!!

 

 響き渡る破魔の叫び。

 金翅鳥が持つ光厳の焔が、災禍の全てを焼き尽くした。

 

「何ッ……!?」

 

 降魔の音波に飛散する雷雲の眷属。

 急激に生じた熱波の気流に身を押されながら雷神は驚愕を口にした。

 その隙を穿つ火炎の翼。

 障害物を祓い滅した霊鳥の火が、神の玉体を叩きつけた。

 

「ぐ、うおおおおおォォォォォォ!?」

 

 咄嗟にペルーンは両手に構えた鉄の槌を盾代わりと翳して、焔の翼を受け止める。

 しかし煌々と燃える火炎の勢いは凄まじく、神をして受け止め、踏み止まることを許さなかった。

 

 瞬く間にペルーンは翼に圧されて吹き飛ばされる。何とか空中には留まり、地上に叩きつけられる無様は晒さずに済むがしかし雷神に安堵はない。何故ならば……己が。あろう事かスラヴ神話に君臨する東欧最源流の雷神が。

 

「我が押し負けた(・・・・・)!? 馬鹿な……!」

 

 あり得ないとばかりにペルーンは現実を疑う。

 それもそのはずだ。

 雷神ペルーンの格は紛れもなくギリシャ神話のゼウスや北欧神話のトールといった主神に匹敵する絶大な神格と比肩する、言わば最強クラスの雷神である。

 主神級の雷神を純粋な火力のみで押し込むなど、ただの霊鳥程度に出来るはずがない。

 もしもそんなことが可能だというならば、目前の霊鳥はそれこそ……。

 

『フン……東欧の雷神も多少はやる。先の一撃、いつぞやインドラを思い出したぞ』

 

 それでも己には及ばないと、カルラは鼻を鳴らした。

 しかし雷神はそれに激怒することなく驚愕に眼を剥く。

 己の雷を下と評したカルラの言葉に、ではない。

 カルラが挙げた名に、である。

 

「インドラ……インドラだと!?」

 

 インドラ。それは知る人ぞ知る最強の雷神。

 インド神話に語られる神々の中でも尤も信仰に厚く、権勢を誇る神である。

 強大な神々が数多存在するインド神話において神々の王として崇められ、雷を用いて多くの敵対者を打ち払い、自陣に勝利を齎してきた様は最高位の雷神・英雄神に相応しい。

 そんな神王の雷撃を耐え凌げる霊鳥など……一柱しかいない。

 

「我が雷を凌ぐ神鳥……そうか貴様は蛇竜殺しの《鋼》の英雄……!」

 

『我が名に辿り着いたか雷神よ。──如何にも我こそはカシュヤパ仙とヴィナターの子、蛇竜を喰らう定めを帯びた火の霊鳥ガルダである。……尤も、主に権能と調伏(簒奪)されたことで今は仏典の迦楼羅に当てられた名を語っているがな』

 

 ペルーンの言葉に然りと頷く火の霊鳥。

 そう──彼こそは多くある神鳥の中でも最強の存在。親より受け継いだ蛇竜への憎悪を以て、あらゆる蛇竜を殺滅する焔の英雄。

 赤い翼を持つ者(ラクタパクシャ)

 インドラを滅ぼす者(スレーンドラジット)

 水銀のように動く者(ラサーヤナ)

 

 即ち──『大鵬金翅鳥(スパルナ・ガルトマーン)』。

 

 “神殺し(カンピオーネ)”神上御先が征した神にして、二番目に簒奪されし権能ある。

 

『我が肉体はインドラの雷をも凌ぐ《鋼》なり。故に──雷神の威は、我が身に及ばず』

 

 対神・対蛇竜においてガルダに並ぶ霊鳥無し。

 文字通り、彼こそは最強の神鳥である。

 

 高貴なる黄金の焔が、もはや曇天無き空に二つ目の太陽が如くに輝く。

 

 いざ覚悟せよ、最強の雷神。

 最強の神鳥、黄金火焔の竜殺しが主の剣となりて、その命脈を焼き切らん。

 

『征くぞ……異国の雷神ペルーン。インドラすら認めた焔の威光をその目に刻むがいい!』

 

 斯くて火の鳥が飛翔する。

 雷神の進撃を阻み、砕き、勝利を収めるがために。

 

 闇を払う無謬の光輝が、天空にて燦然と輝いた。



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暁に遠雷は散る

 吹き荒れる暴風と、暴風を打ち消す熱波の気流。

 常人ならば直立することすら困難な強風域となっているナルヴァの街で御先は平然と強風の発声源たる戦場を見上げ、黙している。

 御先の眼前で繰り広げられるは神鳥と雷神の戦い。それは紛れもなく神話の風景であった。

 

 飛翔一閃、神鳥が火焔を纏って雷神へと幾度目かの突撃を敢行する。身に纏う黄金の焔はインド神話において火神アグニとさえ同一視された竜蛇を滅する聖なる炎。不死をも燃やし尽くす燎原の火。

 並の神格ならば受けただけで消滅は免れない最強の焔である。

 

『灰塵と化せ……東欧の雷神よッ!』

 

 元より、対竜において並ぶ者無き最強の神鳥であり、《鋼》の英雄であるガルダの権能を防ぐことなど簡単に出来ることでは無い。

 インドラすら滅ぼす者……かの雷神すらガルダの火気を前にすれば敗走するだろうとまで言われた金翅の火はそこらの神格に打破できるほど温い火力などしていないのだから。

 

「抜かせ、この程度で我が倒れると思うてか!」

 

 そう、だからこそ──ガルダの火気を前に未だ拮抗している雷神ペルーンは、やはり並の神格などではなかった。東欧の地で広く信仰され、この地の雷神が源流とまでなった神の実力は紛れもなく最強クラスだ。

 現に突撃する焔の神鳥が一撃を真っ向から雷神は受け止めた。両手で以て、神鳥の両翼を押さえつけ、突撃を押しとどめて見せたのだ。

 とはいえ、如何な雷神とて素手で神滅の聖火を受け止めることなど不可能である。例えペルーンが雷神として高い神格を誇っていようとも火力という舞台上においてガルダの聖火は尚も最強。

 何せ、御先が持つ四つの権能の中でも最火力の眷属である。

 金翅の焔はそれこそ、七日七晩消えぬと謳われる最古の魔王が操る劫火に匹敵する。

 

「ぐぬぅ……おおおおおお!!」

 

 しかし……それでも雷神は拮抗する。何故ならば目前の雷神はただの雷神では無い。鉄と戦をも司る最強の雷神である。

 見れば、神鳥を受け止めるペルーンの両手には鉄の手甲が嵌められている。

 それは己が眷属を屠られ、神鳥の権能を遂に認めたペルーンが対抗手段として持ち出した神鳥の焔を防ぐ防具であった。

 

 手甲のみならず、兜に鎧に靴と全身とまでは言わないが、出現当初の鉄槌のみを持った姿からは一変して装備を調えている。

 恐らく鍛冶神としての一面を持つペルーンの権能による創作物らであろう。つまりペルーンは雷神としての権能のみならず、鍛冶神としての権能をも持ち出していることになる。付け加えてさらに……。

 

「オオオオオオオォォォォォォ!!!」

 

 雄々しい叫びと共にペルーンがガルダの腹部を蹴り上げる。それと同時にペルーンはガルダの下に潜り込むように身を屈めた。

 それによってガルダは突撃の推進力をそのままに、受け止めるペルーンの姿を見失ってVの字を描くようにペルーンの頭上を抜けていった。すると、ペルーンはすぐさま姿勢と鉄槌を構え直し、通り過ぎる神鳥の背後を取って、鉄槌を無防備な背中に叩き墜とさんと振り抜く。

 

 だがそんな見え透いた手など当然ガルダは読んでいる。無防備を晒していると見せかけたガルダは有り余る焔の推進力に更なる力を加えて一気に加速。そのまま縦に円を描く形でクルリと回転。逆に鉄槌を構えたペルーンの背後を取り返し、その背中に向けて重力をも味方に付けた超速の突撃を行う。

 巨大な戦闘機が行う宙返り(ループ)が如き、人知を超える速度と質量で行われた空中機動に流石の雷神も付いていけず、ペルーンは焔の直撃を受けてしまう。

 本来ならばそこで詰み。神鳥の焔を浴びれば如何に雷神とて生き残ることなど出来ないのだから……尤も、それは生身で直撃したならば、の話である。

 

 直撃を受けるペルーン。しかし今の彼には鍛冶神として編み上げた自慢の防具が存在している。例え無名とてそれは神が作りたもう神造防具。

 神鳥の一撃を受けて鉄は真っ赤に燃焼しているものの溶ける気配は依然無い。同じ場所に重ねて数度と攻撃を受ければ話は変わってくるだろうが、一撃二撃は鍛冶神が作った防具は神鳥の焔であろうと超えることは出来ない。

 

 神鳥の突撃をまたも防いだペルーンは、鉄槌を天に翳す。

 やはり神鳥(ガルダ)との空中格闘戦(ドッグファイト)は分が悪いとみたか、ペルーンは何も無い空に再び雷神の領域を形成する。

 何処からとも無く出現するのは帯電する黒雲。先の眷属が披露した大雷雲とまではいかないものの、地に影が落ちるほどの巨大な黒雲を召喚した。

 

 そして刹那に打ち放たれるはガルダの機動すら上回る音速を超える光の裁き。大出力の放電撃が二重三重とガルダの逃げ場を無くすように満遍なくばら撒かれる。

 一瞬の間に天と地を行き来する幾つもの光の柱。

 大雷霆による常軌を逸した規模の狩猟荷電網(ハウンドプラズマ)

 それを前にして、しかしガルダの動きに迷いや諦めなど皆無であった。雲間に窺える帯電具合から雷霆のランダムな挙動を予知して、巧みに上昇からの下降加速(ハイ・ヨー・ヨー)下降加速からの上昇高度(ロー・ヨー・ヨー)と空中機動を使い分け、熟練のパイロットが操縦する戦闘機のように雷霆を潜り抜けた。

 

 両者一歩も退かぬ壮絶な攻防。距離を取って鏖殺せんと唸るペルーンと距離を詰めて滅殺せんと猛るガルダ。

 曇天と蒼天を背後において戦う二者の神々は、大空の支配権を争うように。互いが互いを打ち砕かんと絶えず重なり、暴威を振るう。

 

「──読み通り形勢は此方にあり、ね」

 

 入れ替わる神々の攻防撃。

 未だ決着を見せぬ戦いを傍観する“神殺し”は冷静に戦況を下す。

 

 一見して両者は互角。

 どちらも決定打を見いだせずにいるように見えるが、実状はやはり決め手があるガルダがペルーンに一歩勝っているという所だろう。

 確かにペルーンは強大な神格なれど、火力という舞台ではそれでもガルダが上を行く。実際、鍛冶神して作り上げた防具を一撃で半壊させて見せたことからもその火力の限りは証明出来る。

 あれほどの一撃を受ければペルーンとて再起不能に陥ることなど一目瞭然。

 

「私の眷属獣たちの中でも尤も火力に秀でているからね、あの仔は。しかも相手が雷神ともなれば相性は竜蛇並に抜群。このまま行けばまず間違いなく勝つのはあの仔」

 

 それは冷静な判断元に下される当たり前の現実である。

 機動力、火力、そして相性。総合力において目前の神格を凌駕しているからこそ訪れるだろう終着点。当然の結末としてペルーンはガルダに破れるだろう。

 しかし……。

 

「あの防具……それに鉄槌、か」

 

 御先の権能の中でも最大火力を誇るガルダの一撃を半壊したとはいえ、耐えて見せたあの防具。一見して特別性が垣間見えないあの防具は恐らく、本来的な防御力以上に極めて高い耐火性(・・・)を持っているはずだ。

 何せ、単に防御力が高いだけではガルダの一撃を前に融解して終わりだ。ガルダの一撃には防御力以上に火に対する高い耐性が求められる。

 

 そしてあの鉄槌。眷属の召喚や雷雲操作など必ず雷神としての権能を振るう際に起点となっているのは鉄槌であった。

 ……もし、あの武器が単に農耕信仰に由来する神具ではなく、れっきとした雷神としての側面から来る代物であった場合。アレは恐らく……。

 

「そういえば古代の石斧(・・)は鉄槌と形状が似通っていたわよね。そうじゃなくても槌も斧も使用用途が違うだけで形は類似してるし、所によっては槌を斧と同じく象徴化する伝承だってある。実際、北欧神話の雷神が持っている武器の名は──」

 

 斧は雷神の逸話を語る上で切り離せない物品だ。

 古来において斧とは雷電を払い、嵐を遠ざけると信じられてきた。実際、ギリシャ圏の文化として有名な、クレタ島で栄えたというミノア文明などでは両刃斧のことをラブリュスと呼び、落雷を司るモノとして神官たちに祭具として持ち寄られたと聞く。

 それに斧……特に戦斧の類いはインド・ヨーロッパ語族の民族間によく見られた武器の類いでありギリシャ圏で呼ばれる両刃斧(ラブリュス)の別名──ペレクスとは元々はインド・ヨーロッパ語族における斧を意味する言葉だったとか。

 

「ペレクス……ペレクスかァ。起源といい、出典といい。どう考えてもこれはアレよね」

 

 ペルーンは東欧雷神でも最源流に位置する雷神であり、その発展には印欧神話。即ちインド・ヨーロッパ語族が深く関わっているとはペルーンを挑発する際に多少触れた話題だが……御先の予測通りの代物であるならば。

 あの鉄槌は間違いなく──雷神由来の神器。

 雷神を雷神たらしめる権能の具現であろう。

 

「世界蛇を打つ雷槌……保険は掛けておくか」

 

 同じく相関性を持つ雷の巨人が成した偉業を脳裏に思い浮かべながら御先は保険と称して新たな一手を布石と置く。

 

「──顕現」

 

 御先は唄うように一言。

 己が権能(チカラ)を発言するキーワードを口にする。

 次瞬──御先の傍らに『ナニカ』が顕れる。

 

 その姿は見えず、形は朧気で、気配は無い。

 しかし見えず分からず感じずとも。

 そこには確かに『ナニカ』が居る。

 

 例えるならばそれは日の出を前にした際、稀に見受けられる幻日のような。視点と対象の間に挟まった透明な板があるような。

 蜃気楼のような幻の、されど確かにそこにあるという確信。

 それが確かに、『ナニカ』の存在を明確に訴えている。

 

「相変わらず恥ずかしがり屋さんね、貴方は。それとも狩猟本能という奴かしら。姿形が隠れていないと落ち着かないっていう」

 

『────』

 

「ああ、ごめんなさい。別に揶揄っているわけじゃないの。ただいつも通りで安心したってだけよ。それで頼み事なんだけれど、ちょっとガルダの奴がヤバくなったらサポートしてあげて欲しいの。八割でこちらの勝利は確定しているけれど、あの鉄槌が予想通りの代物だとすると、受けるのはちょっと不味いから」

 

『────』

 

光源(・・)については心配しなくても大丈夫よ。アイツが空でああやっている限り曇天が完全に空を閉ざすことは無いだろうし、いざとなればアイツ自身を代替に隠れられるでしょう? 貴方なら」

 

『────』

 

「こちらのことなら心配しなくてもいいわよ。いざとなれば私が出てボコるし。ま、今回はそうならないだろうけどね。私から売った喧嘩でも無いし、観光ついでのバイトみたいなものだし。権能の簒奪は多分、出来ないだろうけど……ヴォバンの爺さんみたいに力集めが趣味って訳じゃ無いしね」

 

 平時と変わらぬ調子で『ナニカ』と会話を交わす御先。

 相手の存在は見えずとも気にした様子は微塵も無い。

 それは彼の性格と権能を確かに把握しているからだろう。

 

 幾度か言葉をやり取りすると御先は、

 

「じゃあ、任せたわよ。ハスキー」

 

『─────ッ!』

 

 音叉のように響き渡る超高音の波長。

 人間には聞き取れない音域での音波は紛れもなく咆吼だ。

 それと同時に『ナニカ』が途方もない速度で御先の傍らを駆け抜ける。地を駆けるその速度は上空で高度な機動戦を繰り広げるガルダのそれに勝るとも劣らない。

 

 そうして姿の見えない新たな眷属は御先の命を実行するため、姿を見せないままに戦場へと駆け参ずる。万が一の逆転の目。それを確実に摘み取るために。

 一族最強と言われた『彼』は忠犬の如く、役目に準じる。

 

 

 

 

“やはり、空中戦ではこちらが上だ”

 

 暴風雷火の空中戦でガルダは目前の雷神を強敵と捉えながらも己が優位を確信する。

 それは何も彼の傲慢からでは無く、絶えず入れ替わる雷神との攻防の果てに出た結論であった。

 

 目前の雷神は確かに強い。インド・ヨーロッパ語族を源流に持つ雷神にして東欧地方に伝わる雷神の太源。成る程、格だけで語るならばそれは文字通り神話における主神級。雷神ゼウスや嘗て己と凌ぎを削ったインドラ王に匹敵する桁違いの神格である。

 しかし、天を統べる王と天を翔る勇者では、後者にこそ分があった。

 

 何故ならば天空神、雷神の類いはあくまで空の支配者である。その強大な力は嵐を起こし、雷雨を操る天候支配という絶大な権能の担い手なれど、そもそも己が戦うことを前提にした存在では無い。彼らは空という領土の王であり、君臨者であるのだから。

 だが、ガルダは違う。彼は遍く天を駆け抜け、邪悪を啄み滅ぼす勇者だ。蛇を滅ぼさんという憎悪から生まれた彼は生粋の《鋼》であり、竜殺しの英雄。

 インドラをも超えるとさえ謳われた最高位の神鳥だ。

 

 支配者と英雄。空における優位性は確かに後者が勝るだろうが、こと空中においての戦ともなれば百戦錬磨は後者である。ただ支配するだけの存在では天翔る金翅鳥は落とせない。

 加えて、戦う相手が雷神であるならば尚のこと。神話の頃から雷霆に対する高い耐性を持つガルダである。雷撃程度ではその肉体に傷が付くことなどあり得ない。

 

「おのれ、ちょこまかと鬱陶しい!」

 

 付かず離れずで接戦し、火の粉を振りまくガルダに業を煮やしたかペルーンが虫でも払うようにブォンと大きく得物の槌を振るう。すると、雷神の意に触れた風たちが暴威的な勢いで渦を巻き、まるでのたうち回る蛇のようにガルダへと大口を開けて迫る。その様は生ける竜巻である。

 

『この程度、温いわ戯け!』

 

 回避、防御? 否、押し切るのみ──と、ガルダは恐れずして迫る竜巻へと突貫する。

 膨大な気流は鉄を拉げ、内部の存在を圧殺できるほどの暴力を誇っている。故に自ら取り込まれたガルダはそのまま空中での身動きを封じられ、為すがままに潰されるが必然であったがしかし。

 

『金翅の焔よ……!』

 

 甲高い神鳥の咆吼が高らかに響き渡る。

 次瞬、纏う黄金の焔の火気が恐るべき勢いで増していく。禍津よ消え失せよとばかりに拡大する焔は熱波で以て風を焼き、空気を急激な勢いで膨張させてた。それはさながら太陽の熱に焼かれるが如く。

 よって生じるは温められた空気による猛烈な上昇気流。竜巻内部で発生した激しい気流はあっという間に竜巻をも飲み込み、上回る台風となりてガルダを守る暴風壁となる。

 

「小癪! 我が力を奪うなど!」

 

『貴様の力不足だろう。天空の支配者ぶるならばもっと巧みに操ってみせるのだ、なッ!』

 

 怒りで以て糾弾する雷神。

 しかしガルダは不敵に鼻で笑う。

 そして不遜な態度のまま羽ばたきと共にガルダは台風を雷神目掛けて叩きつけた。

 

「オオオオオオオオ!?」

 

 巨大なハンマーに殴られでもしたかのように押し飛ばされるペルーン。何とか大気を足場に踏みとどまるモノの、必死の表情と叫びに余裕の類いは一切無い。

 正にやっととばかりにペルーンの動きが完全に縛り付けられる。

 

 

“──此処だ”

 

 

 刹那、狩りを行う猛禽の如く研ぎ澄まされたガルダの眼力が勝機を見た。

 駆動機関(エンジン)に火を焚きつけるように己が両翼へ焔を注ぎ、遙か天空を見据えて急上昇を行う。雷神の支配圏足る暗い雷雲を押しのけて、対流圏と成層圏の境界領域……対流圏界面へと躍り出る。

 見下ろせば広がるのは大気圏内に浮かぶ膨大な浮雲、見上げれば常闇が広がる大宇宙。

 強烈な日の光のみが悠然と聳える空と(ソラ)の境界線。

 

 雷神の支配領域から抜け出したガルダは、眼前。雷神が囚われている台風を見下ろす。

 衛星写真で見かけるような台風の目と稲光。

 いっそ壮観とも言える気象現象を確と視界に収めて──。

 

“終わりだ、東欧の雷神よ──!”

 

 ──翔る。

 地上の獣へと飛びつく鷲のように。

 或いは地上目掛けて墜ちる隕石のように。

 

 焔の輝きを残光にソラを一閃しながらガルダは雷神へと急降下突撃を敢行する。

 速度にして音速を凌駕し、第二宇宙速度という桁違いの速力で雷神へと迫る。

 回避も防御も許さない。速力と聖火による二重の破壊突撃。

 身動きを封じられた雷神にもはや打てる手は無く……。

 

 

「──いざ、雷神の怒りを知れ。見上げる空に響き渡る天霆こそ、赫怒を吼える雷神の叫びである!!」

 

 

『ッ!?』

 

 地の底から響くような声が初めてガルダに怖気を覚えさせた。

 そして次瞬、“光”がガルダの眼前に立ちはだかる。

 

『何ッ!? グッ……オオオオオオ!!』

 

 咄嗟にガルダは強引な回避行動を取る。

 急な機動に重力と運動エネルギー等の負荷により、全身が軋むことさえ厭わず、ガルダは全力で目前に迫る“光”を回避しにかかる。

 それが功を奏したか、ガルダは“光”を何とか回避し、そして見た。

 天空を文字通り両断する、神威の雷霆を。

 

 ──戦慄せよ。ソラを舞う不届き者よ。

  此れぞ東欧雷神が持つ最大最強の権能。

  神々すらも恐れる大雷電の一撃である。

 

「射貫け──ペル・ウン!」

 

 其はモーセの十戒の如く。

 天を裂き、雲を裂き、両断せしめる光の斬撃。

 あらゆる敵を滅ぼし尽くす裁きの一撃。

 受ければ必死(・・)と断言できる絶大な力の奔流であった。

 

“──ッ、これが!”

 

 此れこそが東欧圏雷神が最強たる権能──!

 勇者の全身を初めて戦慄が駆け抜ける。

 確信する──アレはインドラの槍(必滅の一撃)に匹敵する力であると。

 

『……成る程、最強の名は伊達では無いとそういうことか!』

 

「然りだ、神鳥。そして見事と認めよう。よもや我が一撃を前に未だ健在でいられるとは思わなんだ」

 

 唸るガルダに応えるペルーンは声音こそ怒りに濡れたままだが、その言葉には微かな賞賛が込められていた。そう賞賛だ。ペルーンは己が一撃を回避して見せた勇者に対して、初めて負の感情以外のものを抱いていた。

 

 古来──絶大な威光を以て空を収める雷神は多くの畏敬を集めた。

 それは空という見上げる事しかできない場所に渦巻く雷という強大な力に対して畏怖と敬意と信仰を抱いたからであり、“力”の象徴として遙かな地上現象に神を見たからだ。

 

 インド神話のインドラから始まり、ギリシャ神話のゼウス、北欧神話のトールと、天空神・雷神の類いが雷を“力”の象徴して扱うのはこの信仰が根差すが故。

 金剛杵(ヴァジュラ)雷霆(ケラヴノス)雷槌(ミョルニル)

 雷を扱う神々はその殆どが“力”の象徴として、雷に纏わる武器を所有している。

 

 取り分け、ペルーンの扱う槌、これは鉄器時代の偏差の最中に生み出されたもの。言わば、当時の人々が鉄器という新たな技術確立によって農具、武器等のを使い力を伸ばした時代の代物。

 富と武力を増した象徴とも言える(モノ)と雷神信仰が結びついた結果の武具である。

 その並ならぬ力はあらゆる敵対者を押しのけ、破滅させる最強の具現。

 雷神ペルーンを象徴する、核とも言えるものだ。

 

 それを前にして、生き残って見せたガルダの力はペルーンをして認めざるを得ないものだったのだ。

 恐れを抑え、怒りを超えたその胆力。まさしく見事、と。

 

 だが──。

 

「次は無いぞ……神鳥よ」

 

 再び槌を振りかぶる。

 膨大な熱と帯電する雷がペルーンの持つ槌に宿った。

 

『ッ! させんッ!!』

 

 それを見て、ガルダは即応する。

 焔を纏い狙うは雷神の持つ槌。

 雷を司る象徴足る武器を破壊せんとガルダは突撃をする。

 

 あの威力、受ければガルダでもただでは済むまい。

 ならばこそ打たせてはならないと戦慄を抑えてガルダは飛んだ。

 しかし、そう……しかし。

 

『くっ……遠いか!』

 

 無理な回避機動によってペルーンと生じた相対距離は埋めがたい。

 そもそも天を割るほどの大雷霆。

 避けるためにガルダは相応の距離を取ってしまっている。

 故にこの場では再装填を行うペルーンの方が僅かに先手を有した。

 

「では散るがいい──蛇殺しの勇者よッ!!」

 

 手向けとばかりに僅かな敬意を言葉に乗せ、ペルーンは挑みかかるガルダに向けて無慈悲に雷霆司る槌を振り下ろす──その刹那に──。

 

『──────』

 

 音叉のように、されど雄大な自然を思わせるような咆吼が響く。

 それは何処か寂寥感と雄々しさを与える狼犬(ガルム)の遠鳴き。

 僅かな間隙に生じたその異常が──驚愕となって争う雷神と神鳥を襲う。

 

「何だとッ!?」

 

『これはッ!?』

 

 雷神の両腕が止まる。

 それは目を見開くほどの驚愕からである。

 何せ、しかとその目に捉えていたはずの神鳥が二体になっている(・・・・・・・・)

 まるで鏡合わせのように同じ姿、同じ焔、同じ速度で双子のように並行しながら己に向けて迫ってくる。その光景を前にして雷神は驚愕と共に硬直する。

 

 神鳥の動きが鈍る。

 それは驚愕からである。何せ、この咆吼の正体を彼は知っているから。

 姿無き番犬。陽光に隠れる幻の獣。己と同じく、御先に従えられる眷属獣。

 まさかこのタイミングで介入してくるとは、否、介入できるとは。

 まるで状況を予期していたかの様なこの上の無い援護。

 

 両者、一瞬に生じた変化の差違。

 それこそが、この場における勝負の決定的な差となった。

 

『チィ──あの小娘! 我の敗北に賽を振っていたなッ!!』

 

 本人ならば『保険』だのと嘯くだろうが。

 要するに何処かの誰かはこの状況を察していたのだろう。

 その判断に四割の感謝と、六割の憤りを向けながらガルダは硬直するペルーンの、雷神を象徴する槌目掛けて一直線に突撃し、そして……。

 

 ──KYUUUUUAAAAAaaaaaaa!!!!

 

 粉砕。破壊。

 空を切りながら槌を一閃したガルダの焔が、遂に雷神の武具を打ち破った。

 

「おお、オオオオオォォォオオオオ!!?」

 

 己の神格に亀裂が走るのを自覚しながら雷神は叫び、手を伸ばす。

 このままでは終わらん、と。まだだと神鳥に伸ばした手はしかし。

 

「グッ……ガッ!」

 

 直後、横合いから襲いかかった強烈な力によって中断される。

 勢いよく地上へと叩き落とされる肉体。

 離れていく空の風景。ペルーンは落下しながら彼方に在らざる第三の影を見た。

 

『──────』

 

 太陽の光を浴びて、虚ろに揺らめく四足獣の姿。

 悠然と君臨する地上の狩人の姿を幻視し──雷神ペルーンは天から墜ちた。

 

 

 

 

 

 轟音、衝撃。意識の断絶は刹那で幕を閉じる。

 総身を巡るのは痛みと喪失感。

 核となる雷神の槌を失い、今やペルーンは満身創痍である。

 故に──。

 

「勝負あり、そういうことね。雷神様」

 

「──ぬうぅ……ぐ、おのれ……神、殺しィ!」

 

 カツンと響いた足音と勝利を告げる宣言にペルーンは唸り声を上げる。

 横たわったまま視線を向ければ、そこには勝ち誇ったような笑みを浮かべる神殺しの姿。

 ロングコートを風に揺らしながら立つ姿は、何処となく王者の威風を漂わせている。

 

 一度もまともにペルーンとガルダの戦場へと踏み込まなかった癖に。

 勝利者として、その出で立ちはこの上なく相応しい。

 

「戦ったのはあの子だけど、あの子は私の従僕。それに敗北したのだから喧嘩は私の勝ちってことね」

 

 肩を竦めながら、悪戯をした子供のように笑う御先。

 

「ま、死闘と呼べる代物じゃ無かったし、パンドラちゃんのお眼鏡には適わないだろうけど、依頼はクリアって事でいいわよね」

 

 言葉の割りにさして残念がる様子も無く無念を告げる。

 パンドラ──神殺したちの母の名と。簒奪の儀の不成立を。

 

 神殺しは何も神を殺せば力を得られるというモノでは無い。

 初回ならばともかく、相応の戦振りを見せなければ女神の目には留まらない。

 故に今回の戦いにおける御先の報酬は人間から貰う予定のものに限られるだろう。

 

 だが、気にすることでは無い。

 元より御先は闘争そのものは好んでもその結果には無頓着だから。

 勝利の二次を手に入れられるのならば戦利品など二の次である。

 

「私は“勝利”し、貴方は“敗北”した。これが結果よ、雷神様。甘んじて受け入れなさいな」

 

「ぐ、ぬうぅぅおおおおオオオオオオオ!!!」

 

 そう──だからこそその結果をこそペルーンは認めない。

 まだだ、まだだ、命在る限り不倶戴天の敵を打たんと。

 瀕死の肉体に鞭を打ち、継戦しようと叫びながら全身全霊を込める。

 

「わお、流石は東欧圏最強の雷神。タフなものね、けれど……」

 

 立ち上がらんとするペルーンに御先は僅かな驚きと賞賛の声を上げる。

 絶命とは言わないものの、雷神の核となる武器を破壊したのだ。

 『まつろわぬ神』としてそれは致命的な傷であり、満身創痍たる重傷だ。

 

 しかし、それでも動こうとするペルーンの気合いにこそ御先は賞賛を覚えたのだ。

 けれど、それはそれ(・・・・・)

 御先は目を細めて口ずさむ。

 

 これは喧嘩。人と神による互いの尊厳と誇り(プライド)を懸けた戦いである。

 ならばこそ決した結果を敗者は甘んじて受け入れなければならない。

 それこそが対等な決闘による“勝者”と“敗者”の義務。

 認められないというならば……より明確な結果で以て示すのみ。

 

「いざ、南の空に輝ける太陽を見上げよ! この輝きこそ滅亡の禍つ星! 地上に生ける生命全てに平等なる滅びを与えてきた大衝突の具現なり! 二つ目の予言より大風が吹き荒れ、邪悪は失せる! しかと見よ、暁にて輝ける明星の光こそ全ての征服者たる我が威容であるッ!!」

 

 呪いの文言と同時、御先の全身を絶大な力が覆う。

 両手両脚は加熱したように朱く揺らめき、暴風が鎧のように御先を護る。

 

 大地を踏みならし、突貫する御先。

 その速度足るや優に音速へと迫り、一瞬にしてペルーンを間合いへ収める。

 驚愕する雷神が反応(アクション)を起こすより早くに放たれる神速の掌底。

 ペルーンの心臓を確と標準した一撃は確かにペルーンの命脈を捉えていた。

 

「ガァ、ハ……ッ!」

 

「此れにて決着──さらば、古き偉大なる雷神よ」

 

 御先が告げると同時に、ボロ屑となっていく雷神の骸。

 骸はそのまま風に揺られ、灰のように暁の空へと散る。

 

 

 

 斯くして──此処に、神殺しは完遂された。

 これを以て一月に渡る動乱の日は幕を閉じる。

 神殺しの勝利によって、再び北欧に平和な日々が戻るのであった。




北欧雷神、完。

途中から北欧なのか東欧なのかよく分からんというツッコミは無しで。
当初はペルナクスを扱う予定だったのだが、諸々の事情からペルーンの方が良い感じになるって方向転換のせいで若干、タイトルと噛み合わなくなってしまったのだ。許しておくれ。

次回からは舞台を日本に原作主人公とやり合う予定。
変わらず不定期更新ですが、エタるまでよろしくお願いしまする。



感想・評価、お待ちしております。


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魔王来臨-序

久しぶりに筆を取ったので違和感あったらすみませぬ。
近頃、リアルが忙しいものでしてね……。


では、新章をばご堪能あれ。


 イタリア、サルデーニャ島。

 

 イタリア半島は西方、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島。イタリアに五つある特別自治州の一つで、周辺島と合わせてサルデーニャ自治州と呼ばれることもある。

 主に工業、商業、サービス業、IT業、観光業などを産業の中心としており、特に観光業に関しては島の北東部に広がる風光明媚な海岸、通称エメラルドビーチと呼称される煌めく海、美しい青空、輝く太陽と必要三種を全て揃えた世界的にも有名な場所であり、高級セレブが挙ってバカンスを楽しむリゾート地として有名である。

 

 そしてそんな美しい白と青が織りなす浜辺を贅沢にも一人独占する男がいた。

 いや、独占すると言うよりも普段は観光客や地元の人間が多く居る場所でありながら何故か今この時に限って彼を除いて人影は存在していなかった。

 

 地元の人間なのか、彼はラテン系のハンサムな顔立ちに金髪。身につけるアロハシャツと頭の上に乗せているグラサンは浮かべる微笑と相まって陽気だろうその気風に適している。

 だが、同時にアロハシャツから覗く肉体には、隙という隙は無く、雰囲気に反して鋼のように鍛え上げられ、引き締まっている。

 一種、幼稚とも取れる陽気さとまるで荘厳な戦士の気風を漂わせる二面性を持つ男。勘の良い者ならばある種の危険さを察することが出来るかも知れない。

 

 この男は──陽気なその性格なままにとんでもない事をやらかしかねない。

 

 それは一言で言えば、馬鹿だの阿呆だのと形容されるのだろうが、そのやらかす馬鹿の度合いによっては罵倒や侮蔑を通り越して畏怖を覚えることだろう。

 例えば──神に挑み、勝利し、その権能を簒奪する。

 そのような馬鹿をやらかした男であったならば……成る程、人々が馬鹿や阿呆と罵倒しながら決して侮ることはないだろう。

 

 事実、彼はその様にしてイタリアを治める王としてあるのだから。

 

 サルバトーレ・ドニ。今代に現れたる七番目の王冠。

 通る字は『剣の王』。

 鋼の魔剣を携えた、イタリア最強の騎士王である。

 

「相変わらず見えないねェ」

 

 ぼやくようにドニが呟く。

 今、この場には彼しかいないはずなのに。

 まるで彼以外の何かがいると言わんばかりに。

 

 そしてそれを証明するようにドニの立ち尽くす砂場の地点。

 そのすぐ横が唐突に爆発を起こした。

 

「っと──」

 

 爆発と同時、ドニは飛び退りながら手に持つ獲物。鋼の魔剣を振るう。

 斬檄が大気を揺らし、届く筈のない剣閃が爆発地点に斬の着弾する。

 

 権能『斬り裂く銀の腕(シルバーアーム・ザ・リッパー)』。

 

 まつろわぬヌアザより簒奪したその権能は右手で手にしたあらゆる物体を斬り裂く魔剣へと変貌させる権能。

 液体、気体など形持たないモノであれ斬り裂くことが出来るため、当然魔術や霊体と言ったものにすらその効果は及ぶ。

 見えぬ存在とて、喰らえば無傷では居られまい。

 

 故に瞬間的に刃の長さを拡張することで、剣士の間合いを遙かに超えた範囲で効果を及ぼしたドニの魔剣は確かに異変を捉えた筈だったのだが……。

 

「ん、遅かったね、残念。相変わらず厄介だよねえ、見えない上に速いなんてさ」

 

 難敵を前に楽しげに呟くドニ。

 直後、そのドニの身体が突き飛ばされたように宙を舞う。

 

 恐らくはドニの次瞬を先読みしていたのだろう。

 飛び退ったドニの合わせ、その背後に回り込んだだろう見えない敵がドニに強烈な当て身(タックル)を見舞ったのである。

 

 まるで新幹線にでも撥ねられたように突き飛ばされたドニは白く美しい海岸を通り越して碧い海を水切りのように跳ねる。

 しかし、常人ならば挽肉にでもされかねない衝撃にあって、ドニは意識を維持したままあろう事か体勢を整え反撃に出ていた。

 

「よっ──ッと!!」

 

 かけ声と共に剣が伸びる。先ほど一瞬だけやって見せた魔剣の機能。

 それを今度は限界まで伸ばし、維持する。

 

「──ただ一振りであらゆる敵を貫く魔剣よ。全ての命を刈り取るため、その輝きを宿せ!」

 

 呪文と共に手にした魔剣をドニは投擲する。

 魔刃の呪文を受けたその魔剣は刃渡り、七、八メートルにまでその長さを拡大しており、それが銀の流星となって恐ろしい速度で以て見えぬ敵を強襲する。

 さしもの見えない敵も吹き飛ばされながら即座に反撃してくるとは予想が付かなかったのだろう。

 回避するよりも早く着弾するだろう魔剣を前に見えぬ敵はその場に立ち尽くしたまま──。

 

 

『RUOOOOooooouuuuu──ッ!!』

 

 ──それは空の遙か彼方まで響くような何処までも澄んだ美しい獣の咆吼だった。

 

 何処か郷愁の念を抱かせる遠吠えは見えない敵を中心にドーム状の音領域を形成、あわや届きかけた魔剣の機動をねじ曲げ、あらぬ方向へと導く。

 その現象はまるで屈折。仮に盾や防壁の類いだったならば魔剣は斯くと獲物を仕留めたことだろう。

 しかし、投擲に際した、慣性や力の方向性そのものをねじ曲げられてしまえば、魔剣は効力をそのままに明後日の方角へと受け流されてしまう。

 

 姿無き敵──『獣』が成したのは正にそれだ。

 

 元より彼は雪原に現れたる幻の陽光。

 陽炎が如くあるその在り方は、侵す全てを惑わし、はね除ける。

 古くより獣の咆吼が魔性を祓うと言い伝えられるように。

 

 例え魔剣であれ、その有り様を崩すことは適わない。

 

「んー、外したか。やっぱりまだ本調子じゃ、わっぷッ!?」

 

 残念そうに呟きながら海に落ちるドニ。

 彼を突き飛ばした慣性がようやく効力を失ったお陰だろう。

 間抜けな悲鳴を漏らしながら、力試しは幕引かれた。

 

 

 

 

「相変わらずの出鱈目振りね」

 

 開口一番、御先は腰に手を当てながら全身海水まみれで浜に上がってきたドニを呆れたような態度で迎え入れる。それに対してドニは笑いながら言葉を返した。

 

「そうかな? お師匠と比べれば僕の戦い方はただ剣を振るだけだからね。飛んだり燃えたり、透明になったり、津波を起こしたりするのに比べればまだ世間的には普通なんじゃないかな?」

 

「──驚いたわ。あの(・・)サルバトーレ・ドニの口から「普通」なんて言葉が出るなんて。明日は嵐のまつろわぬ神でも顕現するのかしら?」

 

「そりゃあ良い! 本調子じゃないのが今のでよく分かったからね。リハビリがてらちょっと本気で戦いたい気分だったんだ!」

 

「……あのね、今のは嫌みだったんだけれど?」

 

「あれ? そうなの? お師匠は予言の力とかそういうの持ってなかったっけ?」

 

「持ってるわけないでしょ。そんなつまんない力。手に入るって言われても断るわ」

 

「んー……そっかー、残念」

 

 ブルブルと大型犬のようなしぐさで髪の毛に付いた海水を払いながら心底残念そうにするドニ。

 その態度に御先は意外そうに声をあげる。

 

「珍しいわね。今の会話の流れならてっきり「じゃあちょっと他の神殺しと決闘してくる」って言ってトラブルを巻き起こしにいくと思ってたのに」

 

「護堂と決闘してからアンドレアに凄く怒られちゃったからね。暫くは大人しくすることにしているのさ」

 

「ふーん。暫く、ねえ……」

 

 半ば気分屋であるこの男の暫くがどれぐらいの期間か知れたものではないが……。

 まあ己には関係のない事情であるからと御先は聞き流す。

 もとより旧知であるドニの元に出向いた理由は別にある。

 

「ま、アンタのことはどうでもいいわ。それより丁度良いから聞かせなさい。貴方に次いで現れた新しい私の同胞……八番目の神殺しについて、ね」

 

「何だ。やっぱり護堂について聞きに来たんだね。いきなり襲われたからてっきり久しぶりに殺し合おうって話だと思ってたのに」

 

「馬鹿ね、それなら初手でカルラを叩きつけてたわよ」

 

「流石はお師匠。そういう知り合いだろうが容赦ない所はぜんぜん変わらないね」

 

「そういうアンタはヴォバンの爺様ごとぶっ飛ばした時から変わらないわね。いいえ、寧ろ増したかしら? 馬鹿さ加減が」

 

 御先の一言に酷いなァと笑うドニ。先ほどから続く辛辣な言葉一つ一つを気にかけない限り、やはりこの男は大物(バカ)だと御先は再認する。

 

 ──神上御先とサルバトーレ・ドニ。

 二人の関係は今からおよそ四年前に遡る。

 

 当初、新参者であったドニは四年前、己が剣の師であるラファエロに言われた言葉を信じ、『己と同等以上の敵』を探して世界を放浪していた。

 そして厄介ごとを巻き起こす神殺しの性か、案の定サルバトーレ・ドニは一つの厄介ごとに半ば顔を突っ込むことになる。その厄介ごとこそ、『まつろわぬ招聘の義』。

 ──嘗て御先が魔術師たちより依頼を受け、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンと殺し合うこととなった事件。その当事者の一人として。

 

 曰く、神も神殺しも含めドニにとっては『同等以上の敵』が三人も揃った戦争。

 喜び勇んで参戦したドニは御先とヴォバンが争う隙に招聘された『まつろわぬジークフリード』を討伐すると連戦を望んで二人の戦いに介入した。そしてその結果……。

 

「もう一回殴り飛ばせば、脳の回路が正常になったりするのかしら?」

 

 目前の女傑によってヴォバンごとなぎ倒されたのだ。

 以降、二人は名目上は『同盟者』として関係が続くこととなる。

 

 元々戦いに憎しみを持ち込まない両者である。

 加えて他者をあまり考慮しない自由人の気質が噛み合ってか時折、殺し()いながらも二人は隣人同士のような感覚で接し合うに到ったのだ。

 因みにドニの御先に対するお師匠という呼称は、「何となく僕の剣の師匠に似てるっぽいから」という適当な理由で定着したものであり、特に深い意味は無い。

 

「──それで、護堂の話だっけ?」

 

「ええ。貴方、早速噂の少年とやり合ったんでしょ。聞いて少し驚いたわ。まさか貴方が負けるなんてね」

 

「引き分けさ。勝ちきれなかったのは事実だけどね」

 

「成り立ての新人に相打ちまで持っていかれた段階で実質的な負けでしょう。そういう負けず嫌いなところはやっぱり馬鹿でも神殺しってね」

 

「お師匠には負けるさ。白か黒かに一番うるさいのはお師匠じゃないか」

 

「当然でしょう。少なくとも私にとって喧嘩は勝者を決めるんじゃない、敗者を決めるものなの。相手に認めさせて初めてそれは“勝利”となるのよ」

 

「……へえ、じゃあまだ僕はお師匠に負けてないってことかー」

 

「──そうね、まだ(・・)、ね」

 

 刹那、両者の間に緊張が奔った。

 ミシリと空気に亀裂が入るような錯覚と共に増大する存在感。

 満ちる呪力と闘争心は両者が並々ならぬ戦士である証明だ。

 

 交換されるは無言の内に交わされる“意志”。

 『勝つのは己だ』と言葉以上に雄弁な眼差しが物語っている。

 そして──。

 

「ま、決着は何れつけるとしましょうか」

 

 その一言と共に何事も無く全てが霧散する。

 ケロリとした態度で語る御先と同じくドニも肩を竦める。

 

「そうだね、その時を僕も楽しみに待っているよ。お師匠と、それから護堂とね」

 

「ふうん、そんなに気に入ったの噂の好敵手(フィアンセ)は」

 

「ふふふ、よく聞いてくれたね。そう、僕と護堂は何れ雌雄を決そうと誓い合った仲なのさ。いわゆるライバルって奴だね!」

 

「そう」

 

 ふふんと誇るように笑うドニの言葉に御先は興味なさげな返事を返しながら、内心で噂の人物の評価を下方修正する。──なるほど、相手もドニと同じ同類(バカ)であると。

 噂の本人が聞けば心外だと首を振りそうな評価を下した。

 

「ああ、そういえば同じ日本人だったね、お師匠と護堂は」

 

「そうよ、それもあって確認しに来たの。別に故郷に思うところがあるわけじゃあ無いんだけれど、向こうには何人か知己もいるし。事と次第によってはすぐにでもリタイア(・・・・)して貰おうって考えてたのよ。随分と好戦的だって話も聞いてるしね」

 

「確かにねー、僕と最初に決闘した時はつれない態度を取ってたけれど、いざ決闘になると向こうもノリノリだし。僕と一緒で根っこは戦いが好きなんだと思うよ?」

 

「それは貴方の予想?」

 

「ううん、直感さ。よく当たる」

 

「そ。なら、その通りなんでしょうね」

 

 何せ、剣の才だけで神を殺しせしめた戦士の言葉である。

 そうでなくとも神殺しの持つ獣の如き直感は、まず真実の的を外さない。

 

「となると本格的にリタイアも視野に入れた方が良さそうね。向こうには前にヴォバンの爺さまぶっ飛ばした時に助けた子も何人かいたし、一度面倒を見たからには最後まで救いきらなきゃね」

 

 御先に日本への特別な思い入れはない。

 故郷ということで多少は思うところはあれど、基本的に風の向くまま気の向くままで地を行く御先である。故郷に新たな神殺しが誕生し、根を張っているからと言って、その事実自体に思うところはない。

 だが、日本には嘗て同じ神殺し、ヴォバン侯爵から救った巫女や魔術師が幾人かいる。

 

 別に彼らにも対して思うところはないのだが……それでも彼女には一度救ったという『責任』がある。

 動機はどうあれ、彼女は一度彼らを救うと決め、救ったのだ。

 ならば彼女には、その選択を決断した責任があるだろう。

 

 少なくとも彼女の美学においては一度手を差し伸べたからには救い切るまでが責任だ。

 だからこそ、迷った。未知の神殺し、草薙護堂。

 救った彼女らの安寧を考え、果たして詰んでおくべきか否かを。

 

「うーん、どうしたものかしら?」

 

 基本、即断即決の彼女にしては珍しい迷い。

 そんなお師匠の様子を横合いから見ていたドニはあっけらかんとした態度で。

 

「じゃあさ、手っ取り早く護堂と戦えば良いんじゃ無い? そしたらお師匠は護堂のことがよく分かると思うし、僕としても護堂が経験を積めて強くなれるだろうし……これって日本でいう一石三鳥って奴じゃないかい?」

 

「アンタね……。私は何処かの馬鹿や老害と違って淑女なのよ。そんな何でもすぐに暴力で物事を解決しようっていうのは好きじゃ無いのよ」

 

 と、鼻を鳴らしながら胸を張って言う御先。

 ドニは内心、嘘だと確信しながらそんなことを一切感じさせないにこやかな笑みで言葉を続ける。

 

「でも殴り合えばこそ相手をより理解できるってもんじゃないのかい? ほら、日本では親友同士は川辺で殴り合うものなんだろう?」

 

「それは男同士の友情における話よ。しかも多分に間違っているわ。第一、喧嘩をするにしても理由が無いもの。私は別に愛国主義者ってわけでもないし」

 

 そもそも特定の領地や活動地域を持たない御先である。

 自分の島を新参に荒らされたから絞めにいく……などとは。

 御先には最も似合わない戦闘動機(りゆう)だ。

 

「……理由かァ」

 

 御先の言葉にドニはらしくなく思考を凝らす。

 

 ──ドニにとって好敵手は強ければ強いほど良い。

 まして自らが決着を望む相手ならば尚のことである。

 だからこそドニとしては、何れ決着をつける相手を強くすることは得な話なのだ。

 

 なので出来れば己の師と護堂を戦わせ合いたい。

 そうすれば護堂はより力を付けるだろうし、何より相手が己の師ならば両者戦いの末、どちらかが倒れようとも雌雄を決すべき宿敵がどちらか一人は残る。

 

 師か護堂か、出来れば両方とやれれば万々歳だが、ドニとしてはどちらでも構わない。

 故に彼は似合わぬ奸計を巡らせ、そして──ふと、思い出す。

 

「あ」

 

 護堂のお付き……己が幕下にある魔術結社に所属する少女のことを。

 

「──そういえばお師匠。お師匠がヴォバンのじいさんから救ったっていうのは巫女さんだったよね?」

 

「そうだけど、珍しいわね。アンタ、そういうことは些事と覚えないタイプじゃない?」

 

「僕は物覚えが悪いからね、否定はしないよ」

 

「で? 救ったのが巫女だとどうなのよ?」

 

 ドニらしからぬ言動に御先は訝しむように尋ねる。

 この男が何を言わんとしているのか、と。

 果たして、ドニは、

 

 

「護堂はこっちで愛人を作るぐらい女好きだからねー。僕はそういうのに興味がないから分からないけれど、僕と決闘した理由だって確か、俺の女に手を出すなーって感じの理由だったからね」

 

 

 瞬間──ギシリ、と何かが割れるような錯覚が場を満たした。

 

 

「へぇ──……愛人、ね」

 

「エリカ・ブランデッリっていう娘だよ。そういえば最近は名前を聞かないから日本に連れて行ったんじゃないかな? そうそう、日本と言えばこの間、何とかっていう『まつろわぬ神』が現れたらしいんだけれど、相手が女神だったからって護堂は逃がしてあげたらしいよ? 他にも聞いた話じゃ護堂は女好きで何人もの娘を侍らしているとか何とか。こっちの魔術結社にいたときにも何人もの女の子と一緒にお風呂に入ったとかそういう話を聞いたこともあるし」

 

 極めて出所の怪しいフワッとした噂話を持ち出す辺り、この男の脳の出来(げんかい)が見える。

 それでも真実を掠めている辺り、流石は神殺しだった。

 無論、噂の張本人が聞けば首を凄い勢いで横に振りそうな話であるが。

 

 しかし、事ここに到っては真偽などはどうでも良かった。

 何故ならば。

 

「成る程、つまりは女の敵ってわけ」

 

 凄む御先を前に、見事、ドニの奸計は結実したからである。

 

「これはちょぉっっと『挨拶』が必要ね」

 

「分かるよ。僕の日本の知り合いの人たちも新顔には挨拶が大事だって言ってたからね」

 

 どの場合の挨拶が世間一般における挨拶とは異なっているのは言うまでも無い。

 その結果、御先が次にいう言葉は聞くまでも無かった。

 

「ドニ、アンタちょっと適当言って、日本へのチケット取っといてくれない?」

 

「任せておくれよ。他ならぬお師匠の頼みだからね。アンドレアにすぐ手配させるさ」

 

 ふふふっと、両者異なる意味合いで重なる笑い。

 斯くして次なる騒乱の地は決定された。

 

 舞台は日本。

 神殺しの歴史に稀とみる同族同士の戦いが此処に定められた。

 来たる波乱を前に、もう一人の主役は、

 

 

「……なんだ? 今、ものすごい寒気と勘違いを感じたような」

 

 

 遠き地で知らず、平穏が壊れる音を直感するのであった。



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