友人がVtuberやってるって言いたい (未来へと繋ぐ楔の筆)
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言いたい話
吹雪く春の欠片
Vtuberというのは、非常に身近な存在だ。コメントに反応してくれるし、トイッターのリプライにも反応してくれる。こっちが名前を出すと、人に依るけどすぐさまイイネをつけてくれる。ラジオの向こう側の声優とか、テレビの向こう側の芸能人と違って身近で生きている感じがする。バーチャルだけどリアルなのがVtuberだ。
元声優オタク。今では立派なVオタクとなった私は、そんなVtuberの配信の中でも「Vtuberの話す思い出話に登場する友人A」に憧れていた。ニッチな憧れではないと思う。これこれこういう面白い事があったよ、という話をする時に出てくるAさんは、とても面白い。面白い人の周りには面白い人が集まるんだな、というのを何度思った事か。Aさんの行動が配信のネタになるくらいだから、相当だろう。
同時に、身バレが禁忌とされているようなVtuberの世界で、配信活動をしている事をバラしても尚付き合っていられる友人関係、というのにも憧れた。仲良しっていいよね!
私自身は配信とかそういうのはちょっと……というタイプだ。毎日毎日話すような事思いつかないし。死ねとか言われたら普通に傷つくし。一週間保ったら良い方だと思う。メンタルよわよわ侍。斬りッ!
なので、Vtuberやってそうな友人を作る事にした。
他力本願寺在住のメンタルよわよわ侍です。
しかし、残念ながら見つからなかった。というかVtuberやってる? なんて聞いて答えてくれるはずもない。やってるなら友達になろう、なんて言えるはずもない。は? で終わりだと思う。誰だってそーする。私だってソース。君はウスター。君は中濃。
仕方がないので、私の友達の中で唯一の陽キャに相談してみる事にした。
Vtuberやってくれないか、って。
「おねげぇしますだよリンリン。Vtuber、やってくんろ……?」
「まずそのキャラは何なの……?」
「お役人様に慈悲を乞う町民だよ見てわからないのこの無知!」
「人にものを頼む態度じゃないね!」
そうでごぜぇやしたへぇ。
ははーっ。
「でも、リンリンだけしかいないんだ……Vtuberやって大丈夫そうなメンタルの持ち主は!」
「京子ちゃんは?」
「あいつは陽キャじゃなくてヤンキー。まぁVtuberってヤンキー多いっぽいけど」
「壮一君は?」
「男Vの女友達とか彼女扱いされる奴じゃないですかヤダー! やだよ壮一の彼女とか死んでもヤダ」
「可哀想」
平身低頭。猛虎落地勢。DO☆GE☆ZA。
リンリンの足元に額を擦り付けて、お尻をフリフリして服従のポーズを取る。これ、リンリンのお母さんとかが見たらドン引きするんだろうなぁ。ウチのお母さんなら「誰が洗濯すると思ってんのよ」で一蹴される。家族仲はいいよ!
「……Vtuberって人に言われてなるものなの?」
「いや多分違う。なりたくてなるもの」
「じゃあダメじゃん。そんな気持ちでやったら失礼だよ」
「大丈夫。リンリンの面白さと可愛さと歌の上手さと金髪と子供っぽさとバカっぽさは私が保証する」
「ねぇ馬鹿にしてるよねさっきから」
してます!
あ、してません!!
「まぁやってみるのは良いけど、そんなやってみよう、って思って出来るものなの?」
「……素人調べだけど、機材とか色々かかる……ポイズン」
「そんなの持ってないけど」
「webカメラなら私のを貸そう。というか、配信する予定なんかないのに配信設備一式揃っているウチの機材を全部貸そう!」
「なんで揃えてあるの……?」
「オタクだからだよ……もしや自分にもできるのでは? 顔出ししなければ配信者出来るのでは? そう思っていた時期が私にもありました。三日坊主って本当にあるんだね!」
ゲーム実況者に憧れたとか、生放送見てたら自分もできる気がしたとか。そういう「気の迷い」でそろえた機材がいっぱいある。もう使うつもりないのにパソコンの周りに置いてある。オタクあるあるだと信じている。……信じてるよ……?
ただ、Vtuberになるための機材が揃っているかと問われると微妙だ。Vtuberになるには3Dモデルが必要なのだから。当然だけど、そんなものを作るスキルは私には無い! モデリングを行うためのソフトなら買ったけどね!!!
「お金がかかるなら、ちょっとママと相談しなきゃ」
「……三日、お待ちください。リンリンがやってくれるというのなら、不肖この青眼鏡、あらゆる準備を済ませましょう!」
「三日で用意できるものなの?」
「ふ、私を誰だと思っている」
「テンションの高いクラスメイト」
顔を上げて、リンリンの手を掴む。ちっちゃ。ロリかよ。金髪ロリとか最強か???
「Vtuberになっても、私と友達でいてね……!」
「薦めてくれた友達と縁を切る人に見える?」
「カッコイイ! 惚れちゃう!」
「電車でいつも前に座るお姉さんとベレー帽のお姉さんはどうしたの?」
「ごめん、リンリン……ッ! 私には心に決めた人がッ!!」
「気が多いなぁ」
カッコイイ人が多すぎる世の中が悪い。私悪くないもーん。
「それじゃあ、リンリン! 三日後! 全ッ力ですべてを用意してくるので、鼻を高くして待ってろ!」
「国を強請って、じゃないっけ」
「首を洗ってだよ!!」
それじゃ、お邪魔しました! と大きく言って、リンリンの家を後にした。さて、何から手を付けるべきか。正直個人勢だと視聴者数の問題で私の理想とするソレとは離れちゃうんだよなぁ。個人勢も好きな人多いけど、流石に企業勢と比べると視聴者数の隔たりがありすぎる。理想は企業勢……それも最大手。
ふむ。募集とかかけてないか見てみるか。某美少年アイドルグループも、親御さんや友人が勝手に応募するケースがあるとよく聞くし。同じ感じで私があることないこと書いて突き出せばワンチャンなんとかなるんじゃね???
いけんじゃね???
●
行けた。
色々いけない事をした。勝手にリンリンのメアドを使ったことは本当に悪いと思っている。事後承諾で許可を取ったので罪には問わないで欲しい。なんでメアドを知ってるか、って……。そりゃお前、親友だからだよ言わせんな恥ずかしい。
PR欄にも結構嘘を書いた。というか私からみたリンリンの印象を書いた。それがそのまま長所短所だ。勿論視点はリンリンに成りきって。オタクは文章を書ける。ふ、小学校に入る前からパソコンに触れているオタクを舐めるなよ! 今では視力が両目とも0.05な高校生はそうそう……いやまぁ最近はいるか! みんなスマホめちゃ至近距離で見るからさ!
色々と嘘を用いた履歴書とPR文を一日目に送り、既存のVtuberを見て特徴やらデザインやらを妄想するのが二日目。最終的には絵師さんとかモデルのママさんとかが決めるんだろうけど、まぁ知ったこっちゃない。配信ソフトの整備なんかは完全マニュアル化しといた。推しが困っている時のために教えられるように配信ソフトの扱い方は全て頭に入っている。過去に見聞きしたエラーやトラブルケースも全てファイリングしてある。オタクは文書作成能力が高いのだ。
そして三日目。
お話させてください、のメールが返ってきたのである。
もう狂喜乱舞だよね。これはすぐにでも予定を合わせねば、という事でリンリンにラブコール。
「リンゴンリンゴーン^q^」
『なに……?』
「明日の十時、予定ある? ないよね? だって春休みだもんね!?」
『まるで私が春休み何の予定もないみたいな』
「リンリン優しいから三日後! って言った私の事信じて予定入れないでくれたと思ってる!!」
『言い当てられるのは癪だけど入れてないよ。なぁに』
うっ、信じられている……!
信じられるとおどおどするのがオタク! だけどこれは夢のためだから!!
「聞いてください黄門様」
『違うけど聞くよ』
「ははっ。明日の十時から面接でございます」
『……何の?』
「Vtuberの」
『Vtuberに面接があるの?』
「あるのです。企業勢と個人勢、というのがありまして」
軽く、そこの説明をする。文字通り企業に所属するか個人でやるかの違いで、個人勢なら自分で始めて自分で終わらせられるから、面接なんかない。企業はバイトの感覚に近いかな、と教えた。本当はもう少し……正社員っぽい扱いだと思うけど、知らないし。
リンリンは話を聞いている内に、段々と相槌をしっかりしたものに変えていく。真剣な表情が伝わってくる。電話越しに頭下げるおじさんいるよね。
『ほへぇ』
「かわいいかよ」
『続けて?』
「辛辣かよ」
『……』
「それで、ほら、一昨日メアドの使用許可取ったじゃないですか」
『ああ。有無を言わさずに取らされたね』
「そのメアドとリンリンのパーソナルデータと嘘PR文で履歴書作って送り付けたらお話させてください、って」
『馬鹿なの?』
「バカに馬鹿って言われた……」
『馬鹿なの?』
「ばーかばーか!」
『馬鹿なの?』
う、コイツ一歩も引きやがらねぇ! く、こうしてても話が進まねえ、私は降りるぜ! 栄! 96000!
「悪いとは思っているんです。送った履歴書のコピーはメールに添付しておいたので読み込んでくれると助かりマックス」
『……送っちゃったならしょうがないけど、変なこと書かれてもそんなアドリブ力ないよ、私』
「一応全部あったことを脚色してるだけだから!」
『「プールを走って渡れるか検証した事があります。12mくらい行けました」これって中学の時の話だよね。ビート板繋げて浮かせてその上を走った奴』
「嘘はいってない! というかそれで12m行けたんだから普通に褒められるべき!」
『「遠くから飛んできた野球のボールをノールックでつかみ取り、投げ返すことが出来ます」これって野球のボールじゃなくてフリスビーだよね? しかも私に投げられたフリスビーだよね?』
「脚色です」
いいんだよこまけぇこたぁよ!
面接官は内容になんて興味ないよどうせその場で脱いで見せろとか言うんだ。
そんなところにリンリンはやれねぇ!!
『……資格とか、検定とか……全部合ってるの凄い嫌』
「一緒に勉強したからね! それはね! まぁ親友だからね!!」
『はぁ。わかったよ。私もこの三日間でVtuberの事勉強したし……。まだあんまり流行ってないんだね。前見せてくれた実況? のやつより動画が少なかった』
「若い土壌であるけれど、将来性は抜群だと思うよ。外から内へ閉じていった実況と、内から外へ広がっていくVtuberでは明確な差がある」
『五文字』
「私に任せろ」
『八文字だよ?』
「八音ではあるね」
Vtuberは今後もっともっと増えていくと思う。ここでなっておくことには、非常にメリットがあるはずだ。そういう打算もちょっとあったりなかったり。Vtuberの友人Aになりたい、っていうのは勿論だけど、リンリンなら大物になれる、っていう予感もひしひしと覚えているんだ。一話見て「このアニメ伸びそう」っていう感覚に似てる。
「明日、私ついていった方がいい?」
『むしろ来ないつもりだったのか』
「いやあちらさん側からしたら私関係ないじゃん? 邪魔かなーって」
『……確かに。っていうか、いると気が散って集中できなそうだからやっぱ来ないで』
「Oh...」
『提案した側がなんで傷ついてるの!?』
「乙女はガラスなんだZE……☆」
私もリンリンもいくつかのバイト面接は受けた事があるから、その辺の危惧は無いだろう。陽キャだし。陽キャは無敵。
「それじゃ、吉報を待つ!」
『はいはい、おやすみー」
通話が切れる。
おやすみ、って……まだ17時だぞリンリン! あんまり早く寝ると4時とか5時に起きちゃうぞリンリン!
それいけリンリン!
●
1 2 0 万 人 。
リンリンがデビューしてから二か月で到達したチャンネル登録者数である。
えー。
えー。
えー。
「どうかしてるぜ……!」
「ちょっと怖いよね……私、自分のことそんなに面白いと思ってないんだけど」
「いや面白いのは面白いし可愛いし馬鹿だから可愛いんだけど、120万てあーた。120万って痛いッ!?」
「今回のテスト、私の方が物理と現代社会上だったよね」
「いや総合点で圧倒的な差がああ私のプリン!」
リンリンのおうちでぷちぱーてー中です。何度も来てるけど、Vtuberとしてデビューしてからどんどん配信機材が増えて行って、結構ゴツゴツとした印象を与えるそれとなってしまっている。昔はあんなにめんこかったのにのぅ。
まぁ私が唆したんですけど。
「それで、激動の二か月を終えて、私に何をご所望ですか」
「旅行」
「……配信あるでしょ?」
「思ったよりお金入ってきてるから、旅行。行こう」
「ええっ! それはダメですよお姉さん!!」
「同い年だけど。なんでダメなの?」
「お金ってスパチャのことでそ? オタク君は配信機材や配信環境を充実させてね、っていう意味で投げてるから」
「このお金で友達と旅行行ってきな、って言われたよ?」
「後方あしながおじさん!!」
リンリンの配信すべてを追えているわけじゃないけど、彼女の配信は結構な額が注ぎ込まれるスパチャ祭りになっている。動画ではなく配信スタイルをメインにしたVtuberが少なかったのも原因ではあるのだろうが、庇護欲を掻き立てるバカっぷりがあしながおじさん達の財布のひもを緩くしているのだろう。
それに、私みたいなのが恩恵を授かっていいのだろうか。
「い、いや! だめだ……ダメだ、思いとどまれ私! 私はリンリンをVtuber界の星にするまで休んではいけないんだァァァアア!!」
「私だけで行ってもつまんないから一緒に来て、って言ってるの。別にお金は折半でいいから」
「……金土日で行くとして、配信は?」
「お休み」
「じゃあダメ。三日開けたらみんな飽きちゃうよ」
「じゃあ、旅先でもちょろっと配信しよう。ホテルとかで」
「う、うぅう……それなら……」
オタクは毎日更新に弱い。日が空いたものが久しぶりに更新されていても「……まぁこれもういいかぁ」ってなって追うのをやめてしまうのがオタクだ。毎日同じくらいの時間に、もしくは2回、3回行動をしてくれた方が、「追いきれないけど毎日やっているみたいだから時間があったら見に行こう」のポジションに入れる。オタク君たちの生活を鑑みて、夕方から深夜にかけての1時間から2、3時間を毎日配信するのが一番効率が良いように思うけど。
「配信、出る?」
「私はインターネッツに声晒したくない侍」
「友達には晒させておいてよくいうよね」
「ほんとうにわるかったとおもっている」
おっしゃる通りでございます。だって怖いんだもん。声がブスとか言われた日には軽く死ねる。
「じゃあ決まり! ホテルとかその辺は」
「やっておくよ。今日帰ったら色々準備しておくから、リンリンの予定は?」
「どこの土日も大丈夫。……じゃないや。えーと、再来週かな? 23、24は撮影入ってるから無理かも」
「撮影! すげえ、芸能人っぽい!」
「ねー。慣れちゃった自分がちょっと怖いけど、凄いよね……」
Vtuberって身近な存在だと思っていたけど、近くに中の人がいると、むしろ遠く感じるんだなぁって。心の一句。自由律句。
ところで。ところてん! シンタァ!
「配信ネタ。困ったりしてないですか!」
「結構やることいっぱいあるし、ゲームもほら、いっぱい買ったから大丈夫。見て見て、ひとりじゃ絶対やらないホラーとかも買ったんだよ」
「邪音!? あの映画原作の……これめっちゃ怖いけど大丈夫?」
「リスナーさん達と一緒にやるからヘーキヘーキ」
「……配信中に漏らしたりしないようにね」
「しないよ!?」
配信映えしそうだから前は手に取らなかったゲームを手に取ってみるって、凄く素敵な事だなぁって思う。それで好きなジャンルが増えたら良いし、好きにはならずとも「そういう世界があるんだ」って事が知れる。私はホラーとか絶対にやらないけどね!!!
「ほんとはVRのホラーが良かったんだけどねー」
「うちにHMDあるぞえ」
「……ちなみに聞くけどなんで持ってるの?」
「普通にVRゲームやるため。……なんだねその疑いの目は!! 私だって普通にゲームくらいやるわ!!」
「本音」
「一回やってみてめちゃくちゃ酔ったし首痛くなったから全然使ってない」
あんなに重いとは思わなかったんだよッ!
「声、出したくないならその間どっかいってる?」
「布団被ってる」
「……知ってると思うけど、私配信中キャラちょっと作ってるよ」
「私! みんなの事! 大好きだから!! ぐええええええ首絞めぐええええ」
「馬鹿にしてるよね?」
「ギブアップギブアップ死んじゃう死んじゃう」
「馬鹿にしてるよね」
「ごめんなさいごめんなさい!」
ようやく放してくれた。げほげほ。くそ、このドS女め……笑顔で首絞めとか、違う扉を開いてしまいそうになるじゃないか!!
持って……かれた……ッ! ナイ──ッ!!
「笑わないでよ?」
「わ、笑わないよーやだなー。あーストップストップそう手を下ろして首から放して。……まぁ、ふざけないでいうけど、笑わないよ。私が思ってた以上にリンリンが真剣にやってることなんて、私が一番よく知ってるし。歌みたも出してたじゃん。凄かった。カラオケで聞くやつの何百倍も凄かった。私、歌みた系しか出さないVtuberあんまり好きじゃないんだけど、リンリンならその路線もいけるな、って思うくらい……凄かった。配信も面白いし、元気貰えるし。凄く、応援してる」
「……」
え、なにこれ恥っず。え、なにこれ恥っず。え、なにこれなにこれなにこれ恥っず。なんで無言なの? 長文乙wwとか言ってくれないの? 言わないかぁリンリンオタクじゃないもんなぁうわーやば。やばやばやばみざわじゃんやば。
やば。
「あ、えーと、良い天気で」
「嬉しい」
「ほぇっ」
勝手に焦って、勝手にキョドって……リンリンの顔を見てみると、そこには太陽があった。あ、満面の笑みがあった。さっきのドSスマイルじゃない。同性の私でさえ惚れてしまいそうなほどの。
「嬉しい。結構不安だったんだよ。なってほしい、って言われてなったVtuberで、ちゃんとやれてるのかなって。その青眼鏡に、オタクの青眼鏡には適うのかなって。無理してるように映ってないかな、とか。笑われてないかな、とか。リスナーさんから面白い、って言われるのとは、やっぱり違う。不安だったんだ」
「リンリン……」
「今は私にも夢が出来たし、やりたいことも沢山できた。ねぇ、これでVtuberになれてる?」
あぁ。この子は、なんて素直で可愛いんだろう。これが天然か。養殖で作り上げたカワイイでは到底及びつかない自然の可愛い。エモい。エモすぎるぜリンリン。
脳内をてぇてぇが走る。うるせぇてぇの者! 今はだーってろ!
「誰が否定しようと、私が肯定するよ。リンリンは──立派なVtuberだ」
「ありがと」
脳裏をさらにてぇてぇが駆け巡る。消えろ消えろ! 散れ散れ! 友情にてぇてぇはいらねぇんだよ!!森羅万象てぇてぇになったら無価値になっててぇてくなくななるだろうが!!
「二か月前の質問。返すよ」
「にゅ?」
「何、にゅって」
「ごめんごめん。なに、続けて」
「うん」
言葉を少なくするとエモくなる。やめてほしい。Vtuberではないのでエモに耐えうる体構造をしていない。あまり過剰に摂取すると焼け死んでしまう。太陽光ォォォオ──!!
ぎゅ、と手を握られた。ひぇ。
「Vtuberになっても……私がこの先、もっともっと有名になれたとしても、友達でいてくれる?」
「は?」
「は? って……傷つくなぁ」
「あ、いやごめん。何言われるかと思ったら想定外すぎて。友達でいてくれる、って。当たり前じゃん? 私がなってって言ったんだし。というか、Vtuberの友達になる事が私の夢なわけで」
「なにそれ。変なの」
「あ、言ってなかったっけ。ん、まぁいいや。だから、友達止めたら夢を捨てることになるじゃん?」
「じゃあ私がVtuberやめたら?」
「元に戻るだけでしょ。Vtuberの友達から高校生の友達に」
全くこの不思議ちゃんは……というかお馬鹿さんは……。
何を言っているのかさっぱりわからんぞ。
「ん、スッキリした。じゃあ旅行の日程、お願いね!」
「ぱーちー終わらせる雰囲気だけどまだ13時だからね?」
「なんでこんな時間にぱーちーしてるんだっけ」
「夜に配信あるからって自分で言ってたじゃん……」
本当に大丈夫かこの子。頭。
「あのー、首に手が当たってますけどなして」
「今馬鹿にしたでしょ。心の中で」
「し、してませんぐぇぇえええ」
「……ねぇ、ちょっとだけ、一緒にお昼寝しない?」
「幼稚園児かなグゲェ」
「わ、ここ押すと面白い音でる」
「ちょいちょいちょいちょいグゲェ」
この子怖いよぅ。ドSが過ぎる!
で、なんて? お昼寝? ん?
「そう。お昼寝。しよ?」
「高校生にもなってお昼寝……?」
「 し よ ?」
「はい」
首を抑えられたまま、リンリンのベッドへ行く。同時に寝転がるって、顔を合わせる。首は押さえられたまま。なにこれ拷問? もしかし拷問される?
相変わらずにこにこしたままのリンリンは、私の喉をさらさらとさすりながら言う。
「先に寝てくれると嬉しいな」
「無茶なことを……」
「先に寝たら、放してあげる。私は意識を失う前に力を込めるから」
「おやすみ!」
よほど首絞めが気に入ったのか。だとしたら大変な性癖を植え付けてしまった。リンリンの未来のパートナー、ごめんなさい。あぁ!? リンリンが欲しけりゃ私を通してからにしろ! そう簡単にリンリンはやらねぇぞ! 町内会のおじさんおばさんとリンリンのリスナー120万人を引き連れてカチコミいったるからなぁ!
だめだ。興奮しては。
寝なければ。
「……」
「……」
シーサーペントが1匹。シーサーペントが2匹。シーサーペントが3匹……。
「……」
「……」
シークワーサーが一個。シークヮサーが一個。シークヮーサーが一個……。
「……」
あれ。喉を押さえていた力が消えた。腕の重さだけで十分に圧迫感はあるけど、これなら抜けられる。細心の注意を払って抜けて、改めて彼女を見れば──すやすやである。
眠かったのか。
……この子、ちゃんと寝てるのかなぁ。私が夜寝る時いつも配信してるけど。体調崩したら元も子もないってわかってるのかなぁ。
はぁ。
毛布を掛ける。これくらいはね。してあげないと。
「……添い寝がご希望のようですし?」
それくらいの要望も、叶えてあげますかぁ。
一応18時に目覚ましをセットして。そんなに寝ないと思うけど。一応ね!!
おやすみ!
後書け。
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開拓く次の景色
Vtuberには収益化という一大イベントがある。簡単に言えばスポンサーが応援してくれるかどうか、みたいな感じだ。スポンサーと直接関わるというわけではなく、運営を仲介に「広告費で広告元にも運営側にもお金を入れてくれる存在」と認識される事で、動画や生放送のアーカイブに広告を点けたり、スーパーチャットを投げてもらえるようにしたり、メンバーと呼ばれる有料会員……メンバーシップの発行が可能になる。もっと簡単に言うとお小遣いが稼げるようになるイベントだ。
その収益化、意外にもリンリンは結構な時間をかけた。デビューしてから三週間ほど経ってから、ようやくだ。その日はスパチャ祭りだったらしい。今もだけど。らしいというのは、私がぐーすかぴーすか眠りこけていた時の配信だったから。昼間に寝るなんてあんまりしない癖に、その日だけ眠っていたのだから私の運は-Dだろう。槍兵が死んだ!
んで。
リンリンは企業勢なので、収益はそのままリンリンの元へ、というわけではなく一旦企業を挟んでからリンリンにお給金の形で渡される。無論一律突っぱねて定額ほい、というわけではないらしく、スパチャとメンバーと広告、そのすべてが都度都度割合計算されてリンリンの手元にわたるので、金額が高ければ高いほどリンリンの元へ渡るお金も大きくなるスンポーである。喜べオタク。お前らのスパチャは届いているぞ! 税金はしこたま抜かれるがな!
そんな感じで収益化はVtuberにとってめっちょ大事なイベントなのだが、稀に、これを外されてしまうVtuberがいる。
運営側のミスの場合もあるけど、放送内容が広告主の基準に即していない、みたいな文言と共に、収益化を止められてしまうのである。ガッデム。まぁ収益化した時まではゲーム配信とか企画とかやってたVtuberが、いきなり公序良俗に反する放送してたらそりゃあね? そんなのにお金出したくないと思うのは当然だろう。
私は一応、これでも、一応ね? 一応女子高校生なワケで。そうJKなんです私。ジェイッ! ケイッ! なワケですよ。だからあんまりホラ、エルォイお話とか、下世話な話とか、不快な想像しちゃう話とかされると、ウ゛ッッッってなる。オタクな私でさえそうなのだから、一般ピーポーな広告主様たちはもっとだろう。
そーゆーことで、まぁ。
外されてしまったらしいのだ。
『それで、どういう対処をしたらいいか、聞きたいの』
「私一般ピーポー。わかってる? Vtuberでもないし、マネジメントパートナーでもないし、カウンセラーでもないの。馬鹿なの?」
『バーカ』
「切りまーす」
『ねぇ真剣に聞いてるんだよ?』
「真剣に返したのはこっちなんだよなぁ」
土曜日。正午を過ぎたあたりか、一通の着信があった。リンリンだ。リンゴンリンゴーン^q^。
リンリンからの無料通話。
「それで? なんだっけ、黒天使ニュニュ☆ニャン? であってる?」
『うん。合ってる』
「が、収益化外されたって? ……いやまぁ、うん。正直納得なんだけど」
『お友達になったから、どうにかしてあげたい。お願い天才青眼鏡!』
「えぇ~~そんなに褒められると拙者困るでござるなぁ~~」
『神! 悪魔! 外道! オタク!』
「褒めてなくない?」
こんな感じである。黒天使ニュニュ☆ニャンというVtuberと友達になったんだけど、最近収益化外されちゃって落ち込んでるからなんとかならないか、と。
いや無理じゃん。私にどうこう出来る話じゃないじゃん。私が広告主だ、とかならまだわかるけど、一般ピーポーの家の一般ピーポー娘に何ができると。
考える事は出来るけど。
「ん~……でもさ、黒天使ちゃんの配信チラっと見てるけど……センシティブと暴言と水音と……三大BAN要素が全部詰まってるワケですよ。まぁ水音に関しては本人そのつもりないんだろうけどさ」
『えろかわだよね』
「おいおいあの純粋なリンリンをどこへやった! 貴様何者だ!」
『いつまでも夢見る少女じゃいられないんだよ……!』
「純粋なリンリンなんていたっけ」
『中学で出会ったどっかの誰かさんに汚染されてから消えたかな……』
「ダレカナー」
件の黒天使ちゃんは、センシティブだった。事あるごとに言葉の端々で「んっ」とか「あぁんっ」とか出すタイプ。たまに狙ってやってない人いるけど、この子は完全に狙ってる。衣装も肌色率多めだもん。肌露出多いゴスロリとか多方に喧嘩売ってるよね。甘ロリいいよね。
そして言動も結構……なんというか、ウチの京子に似て、ヤンキー染みているというか。ゲーム配信で「死ね」とか「クソ野郎!」とか「この短小が!」とか……最後のはとてもとても私めの口からはとても。そんな暴言、罵詈雑言がポロッポロ出るタイプの、あんまり一緒にゲームしたくない系女子。そら収益化も剥がされますわ。
「黒天使ちゃんって企業勢?」
『あ、うん。ウチの人だよ』
「企業勢でよく……いや、何も言うまい。というか、企業勢なら別によくない?」
『企業勢だから収益化止まるとやばいんだよ? 会社にお金入れられないじゃん』
いやさ。
「別に収益源って広告メンバースパチャだけ、じゃないでしょ? ボイスとかグッズとか出してるんじゃない? ぶっちゃけ運営仲介料たっかいでしょ。じゃあ収益化とか完全につっぱねて、グッズ系統に専念して良いと思う。黒天使ちゃんの魅力がこのセンシティブさと暴言にあるっていうんなら、収益剥奪を怖がってその魅力を削いでしまうより、ガンガン押し出してってグッズボイスでオタクにお金使わせるのがいいよ。企業ならライブとかもあるだろうし。オタクはお金使いたいオタクと使いたくないオタクの二種類がいるんだけど、使いたいオタクは使えないとフラストレーション溜まるからね。吐き出せる場所があったらガンガン買ってくれるよ。使いたくないオタクはメンバーシップが存在しないって事で狂喜乱舞だろうし」
『……』
「今「いきなり長文で何コイツキモ」とか思わなかった?」
『いや、そういうトコは会ってからずっとだから何も……』
「ガッデム。あるいはジーザス。神は死んだ」
私は高校生なので。高・校・生! なので。見たことは無い。みーたーこーとーは、無いけど。無いけど、世間に……主にインターネット上にはR18作品というものがあるのは知っているし、なんなら普通に映画とかドラマとかでR18な制限のつくコンテンツがあるのを知っている。見たことは無いけどね!?
あるっていうことは、需要があるってことだ。暴力表現や暴言もそう。暴力的な作品なんてたくさんあるからね。その上でまだオタク君たちが……ファンがいるっていうことは、黒天使ちゃんの暴言に、あるいは声やゲームのプレイスキルに魅力があるって事だと思う。
なら、それでいいんじゃないか。
別に隠さなくたって。別に閉じ込めなくたって。
別に、変えようとしなくたって。
「ソル曰くバーニング混沌。もとい、
『……』
「な、なんとかいってくれよぅ。オタクは自信ないんだぞ! 独り言なら身の丈を越えた発言できる程イキれるオタクだけど、人前である事を自覚すると途端にか弱き生物になるんだぞ知らないのか!!」
『……』
「り、りんり~ん……?」
え、なにこれなにこれ私やらかした系? やらかしちゃった系? なにを間違えた? ソルじゃなくてサンだった? 混沌じゃなくてチャオスだった? ちゃおっす!
そうじゃないそうじゃない。もっと根本的な……あぁっ、高校生がそんなお金の相談に乗ること自体間違いか! あぁ神よ! とぅふるくーふたぐん! 千の仔を孕みし森の黒山羊よ!
『……いやさ』
「あ、はい」
『なんだかんだ、頼りになるなぁ、って』
「えーと」
『ニャンさんがお礼言いたいってさ。代わるよ』
「おいおい嘘だろ隣にいるのかよ聞いてないぞ今のイキりはリンリン相手だからであって知らんひ」
『まずは、ありがとう。私の動画を見たうえで、否定しないでくれて。そしてもう一つ、ありがとう。今の今まで嫌っていた私を肯定してくれて。重ねてありがとう。ちょっと運営の人と相談する事が出来たわ。本当にありがとう』
どっへえええ!
動画の時と声の印象違い過ぎて腰抜けるわぁ! もっと若いと……大学生くらいだと思ってたけど、これやっべー大人だぁ! 私なんかガキンチョ扱い出来る人だったぁ! 偉そうに色々言ったけどありがとうとか……ありがとうとか。ありがとう?
ん?
「あ、えーと」
『青眼鏡ちゃん、で良かったかしら』
「何故あだ名の方を!? あ、リンリンか」
『さっき自信がない、みたいなことを言っていたけど……安心して。貴女は凄いわ。今、一人の人間を勇気付けられたくらいには。彼女をVの世界に引き入れたのも貴女なんですってね。誇っていいわ。貴女の眼は、誰にも劣らぬ天眼よ』
「あぁ目薬」
『八十階からでも
「それは痛そう」
べちーん! ってなりそう。
『さて、私はすぐにでもマネージャーと話さないといけないから、この辺で。アニー、素敵なお友達の紹介、本当にありがとうね』
「うん! 頑張って」
『全く、配信内容をもっと健全なものにしてください、とか言ってきたあのマネージャー……ふふ、首根を掴んで言う事聞かせてやるんだから』
類は友を呼ぶ。ドSはドSを引き寄せるのか。Vtuber界怖い。
『お疲れ様ー』
「お給金いくらでますか」
『んー、今度会うときマッサージしたげる』
「……け、結構です」
『遠慮せずに~。じゃあ、私もまだ用事あるから、切るね~』
「遠慮じゃないです切れたァ!?」
く、不味い。次会うときまでに体表面の皮膚を固くしておかねば!!
リンリンのマッサージはマッサージという名の責め苦!! 特に喉を! 喉の保護を!! あと脇腹の保護をしなければ!!
どうやってだよ!!
●
突然だが、私には一目惚れしてしまった人がいる。二人いる。どちらかを選べ、なんて……私には出来ないッッ! あぁ、でもどっちか一人っていうんなら、電車の……いやベレー帽……いや電車の……あぁ選べない! ブラン!
というのも、私は高校に通うのに電車を使っている。ちょっとだけ遠いのだ。ギリギリ自転車通学範囲外。一駅挟んで向こうの高校だから、定期券で悠々電車通学である。通勤時間帯よりかなり早い時間を選んでいるので、電車には誰もいない。事が多い。
だけど、いやこれは本当に私に気があるとしか思えないのだけど、いやこれはもう本当に私に惚れていると信じてやまないのだけど、毎日毎日同じ車両の同じ席に、一人。めちゃくちゃカッコイイ系の女の人が座っている。その場所と言うのが私の前なのだ。対面挟んで私の眼前。セーラー服に身を包み、学生カバンを膝に乗せ、携帯の勉強アプリを開いて勉強している私の眼前で、見るたびに音楽を聴いている女の人。お姉さん。
私はこの人に一目惚れしている。現在進行形で好き好き大好き超愛している状態。だってかっこいいんだぁ。
こう、厨二的な形容をするなら、†すべてを諦めた眼をした女性†だろうか。ごめん言ってて超恥ずかしい。でも、本当に……なんだろう、死んだ眼、とかじゃないんだけど、達観とか諦観みたいな言葉が似あう人だ。身長は低いんだけど……大人! って感じがする。語弊を恐れずに言うなら、お婆ちゃん……違うな、仙女とか天女とか、そういう人じゃないモノ、みたいなイメージ。あくまでイメージね。
会社員らしく、一度だけ社員証を見た事がある。勿論完全な盗み見だ。あ、違うぞ。見えちゃっただけだから! 見えちゃったものは仕方ないから!
見えたのは名前のローマ字の頭文字だけだし……。
それ曰く、Kさん。ケーさんだ。計算!?
ということで、私はこの人を電車のKさんと呼んでいる。寺生まれじゃないしTでもない。
私はKさんが大好きだ。喋ったこともないし、まともに目を合わせた事も無いけど、本当に好きだ。漠然とした憧れ……カッコイイ女性、というものに憧れがある。適うなら「お姉さま!」と呼びたい。空間転移したい。呼び慕いたい。
目下、私の大学卒業後の進路先はKさんの会社である。名前知らないからどうにかして聞き出すか……
そして、もう一人。
こっちもカッコイイ系の女性。私の一目惚れした人。
二股になってしまうのは理解している! けど! けど! 私には選べない……。
こっちの人は名前も知らない。ベレー帽の人、と呼んでいる。
学校と駅の間の通学路でよく見かける人で、身長はそれなりに高く、そしていつも色鮮やかな服を着ている。ひと昔前のオタク女子、みたいな恰好に最新鋭のデザインを加えたみたいな、アンバランスな服。おかげでめちゃくちゃ目立つ……んだけど、彼女の出す「私、目に映る人間全員嫌いです」みたいなオーラが何人たりとて近づけさせない。
オーラというか目つきというか。さっきカッコイイ系と言ったけど、ちょっと怖いが入っているくらい、目がキツい。何度か話しているのを聞いたけど、言葉もキッツい。時たまオタク用語が入るので、あぁこの人もオタクなんだ! みたいな喜びも束の間、二言目には「ゴミね」とか「死んだ方が良い」とか……黒天使ちゃんのソレよりは幾分か柔らかいけど、めちゃくちゃ言葉のキツい人だ。
しかーし!!
かっこいいのである……。かっこ、いいのである!!
友達の誰かと携帯電話で話している時の姿! 嫌いですオーラを突き抜けてきた阿呆なナンパ男を竦ませる物言い! あと一瞬で、何の容赦も躊躇もなく警察に電話しちゃうその行動力! 手を上げようとしたナンパ男をさらりと躱す身体能力! 私が自然を装って後ろから抱き着こうとしたのにさらりと避ける察知能力!! 私が勇気を振り絞って「あ、あの!」と声を掛けても完全に無視できるその精神力!!!
かっこ、いいのである……かっこいいのである!!
「ねぇその話もう何回目? 聞き飽きたんだけど……」
「何回でもするよ……ふっふっふ、リンリンは見たことが無いからわからないだろうけどね、本当にかっこいいんだぞう。多分リンリンも惚れる。あ、だめだ、リンリンは上げられない……加えてお姉さん達も私のものだ!!」
「私は別に誰かのものじゃないし、その人達も同じだと思うけど」
「反抗期かね? よろしいならば戦争痛い無理無理ギブギブ」
「よっわ」
この「二大カッコイイお姉さんの自慢話」を聞いてくれるのは、リンリン含む私の数少ない友人たちだけだ。カッコイイお姉さまに憧れる、というのを分かち合えるのが陽キャ馬鹿な壮一だけというのが死ぬほど悔しい。陽キャのくせに! 陽キャのくせに!
ちなみにだけど、この感情は所謂百合だのレズだの、なんかこう……恋愛的なものじゃない。「ああなりたい」が正しいかな。そりゃあ一対一で話す機会があったらオタクらしく盛大にキョドる自信があるけど、いやもし惚れてるんです大好きです一緒に住みましょうとか言われたら全然OKなんだけどいやいやもし告白……受けてくれますか? とか上目遣いのギャップでウワァァァアアアア!!
「まぁ、そんなに言うなら会ってみたいけどね。でも名前も知らないんでしょ?」
「……KさんとBさん」
「KさんはともかくBさんはベレー帽さんでしょ」
「よくベレーの綴りがわかったな」
「BERER?」
「やはり馬鹿だった」
バ行は全部Bとか思ってそう。ん、バ行……。
「そいで、今日はなんぞや」
「こないだ旅行、行ったじゃん」
「ああうん。スパチャで旅行。今考えても心苦しい温泉三昧」
「リスナーさんから、『出来たらでいいからああいう旅行配信とか今後もやってほしい』って言われてさ」
「……別に、言われたからって無理に行く必要はないんじゃないかなぁ」
「勿論言われたから行くんじゃないよ。ただ、ちょっと夏休みは忙しくなっちゃいそうだから、早い時期に行っちゃいたいなぁって」
「まぁ日程教えてくれたら取るけどさ。あ、配信はやること。あと私は声」
「出さなくていいから。あ、でも……その、さぁ。出さなくて、いいんだけど」
「なんだね」
珍しく。歯切れの悪い。歯切れってはっきりしゃべれの略って知ってた? 嘘ぴょーん。
「その……旅先での事、配信で喋っていい? 名前は伏せるからさ」
「ええええええええ!!」
「あ、やっぱりダメ? だ、だよね。声出すの嫌がってたし」
「違う違う待て待て待って待ってウェイトプリーズフリーズプリーズスタンダップ!」
「体重ください凍ってくださいスタンプ」
「いいよ! 話して! 全然! ノープロブレム!」
「映画泥棒」
「それはノーモア!」
ね、願っても無い機会来た! っていうか喋ってなかったんかい!
おおおおお! 夢が! 叶うよ!
あ、やば、ネタとか考えとかないと! 面白い事しないと!!
ってなってるネタは基本面白くないから自然体でいかないと!! 自然体? 自然体ってなんだ……自然……無……意識を……止めて……。
これが──この世の理──!
「ねぇ、聞いてる?」
「ム?」
「む、じゃなくて。どこまで話していい? やらかし話もいいの?」
「全部イイヨ! あ、でも話す配信は教えて欲しいみざわ」
「それは勿論。……あー、でも、その……嫌なこと言う人いたら、その」
「大丈夫大丈夫ブロックするよ速やかに!」
オタクは自衛が出来るのだ。いや見たら死ぬほど傷つくと思うけどそれはそれこれはこれあれはそっちにこっちはあっちに。
というか、えー。リンリンの可愛さの前でもそんなこという奴いるの? えー。もしかして……。もしかしてだけどさぁ。あぁ。もしかしてだけどさぁ。うわちょっと自己嫌悪強いんだけど。やば。
「ねえリンリン」
「なに?」
「嫌なこと、ない? 傷ついてない? ごめん、そうだったわ。私利私欲でリンリンをVの世界に送り出したけど……メンタル強いって思ってたけど、そうだよね、嫌なこと言う人いるよね。ごめん。辛いよね。ごめん……ごめん」
「え、何いきなり落ち込んでるの!? さっきまでテンションぶち上げだったじゃん」
「自己嫌悪がすごい。すまない……親友をネットの海に晒したままケアしないとか……最悪過ぎる……」
「うわー、想定外の所で落ち込んでる。あのさ、私がそれくらいでへこたれるように見える?」
「見えないけど……見えないだけで傷ついているかもしれないし……私にこそ見せたくない涙みたいなものがあるだろうし……うううううう」
やば。自分の後方保護者面もキモいんだけど、それを余りある自分の見通しの甘さに呆れる。なんだよメンタル強いから大丈夫って。こわ。そんな勝手なレッテルで親友を矢面に立たせられる過去の私こわ。今リンリンを困らせてまで自己嫌悪入ってる私もメンヘラすぎてやば。早く立ち直れ。はい、3、2、1。
っしゃぁ!
「という事で、今回の旅行はリンリンに尽くすからォァァアアアアア!?」
女子高生にあるまじき声が出た。アルマジロかよ。は?
リンリンはあろうことか、座っている私の足を払ったのである。意味が分からないだろう私もわからんわかっていればこんな声は上げん。
簡単に言えば、お尻の方を足で掬い上げつつ肩を押して上体を倒し、そのまま持ち上げた、という状況。所謂お姫様抱っこだけど、私とリンリンの身長体重は同じくらいなので、とてもバランスが悪い。グラグラ、グラグラとしたあと、ぼふん! とベッドに座り込んだ。あ、ちなみにここリンリンの部屋ね。
「なんでせうか」
「えー? 気に食わないなぁって」
「その顔こっっっわ」
「リスナーさんに可愛い笑顔って言われるヨー」
「じゃあ120万人全員見る目がないよ……」
「この間130万人行きましたー」
「それはおめでとう!」
それはおめでとうだけど! だけどもだっけっど!
何気に食わないって。どこでそんな言葉を覚えた! 京子か!? あの腐れヤンキーめ!! 腕力では敵わないから今度ブラの中にミミズ入れてやる!! あ、私ミミズ触れないや!!
「ねーねー。そういえば会ったときからそうだよねー」
「な、なにが。揺らすな揺らすな揺れる胸もないくせに痛い痛い太もも抓るのはマジで痛い!」
「なーんかさ、えーと、後方保護者面、っていうんだっけ? 私のやることなす事、危ないからよしなさい、とか、そっちは行かない方がいい、とか、テストはここ勉強しておくといいよ、とか」
「最後のに関しては聞かれたから答えてるだけグエ」
「余計なお世話がさー。お節介がさぁ。多いなぁって。嬉しいんだけどさぁ」
「あの! お腹はダメだと思います! それはボディブローに近い威力が出る! 出る! 色々出るからぁ!」
リンリンは、私不満です! という顔を隠そうともせずに言う。後方保護者面がキモいのは重々承知してるから! 直そうとしてるから! ごめんて! ごめんて! ニエンテ!
ふと。
リンリンが、
見下げ果てた。
「ねぇねぇ、いつまで上にいるつもりなの? そりゃ私の頭はそんなによくないけどさぁ。私、まだ並べない? ねぇ、学校一の天才青眼鏡さん?」
「──」
……え、何その恥ずかしい称号。
え、知らない知らない。何それ何それ。こわ。こわ。え、やば。何それ。こわ。
え? 何私二つ名ついてんの? ええーええーーえええーーええ。ええー! それやば。こわ。え、ウチの学校って二つ名つける文化あんの? †赤鬼の京子†とか†クソバカの壮一†とかついてんの? ウケぴ。
そこに†学校一の天才青眼鏡†入ってるの? ウケ……ウケないわ! なんじゃそりゃ!! おおおおお鳥肌やっば! さぶいぼさぶいぼ!
「ねぇだんまり? 私、これでも130万人のファンがいるんだよー。凄くない? 結構頑張った方だと思うんだよね。毎日配信してるし、動画も歌も出してるし、リスナーさんの名前覚えたほうが良いとか、口に出す言葉は一度飲み込んでから出した方が良いとか、言われた事全部守ってるし」
ねぇ、それでも足りないかなぁ。
リンリンは不満気に言う。いやぶっちゃけそんなアドバイス誰でも出来るし誰にだってするし当たり前の事なんだけどな、とか思っちゃいけないんだろうか。これは褒める流れだろうか。いや褒めたらそれこそ後方保護者面じゃないか? よくできましたー、じゃダメだろ。よくできましたー、が嫌いだからこうやって文句言ってきてるわけで、じゃあ違う手法で褒める……喜ばせないと。そう、頑張ったのだから報酬が必要。報酬。何が欲しいかな。
んー、旅行、は行くとして……奴隷? うわ自分の思考こわ。
Vに関係あることなら、機材とか? そういえば触覚スーツなるものが。めちゃくちゃ高いらしいけど。バイト何日くらいやれば買ってあげられるかなぁ。
「……その顔凄い不快。キスしていい?」
「あぁ、それくら──ダメだが?????」
ゾゾゾッ! と怖気が走った。こわ。
へ? え? いや、ん? なんて?
「ほら、キスって恋人がするものでしょ? 恋人は対等だから、キスしたら対等になれるかなって」
「いやその理屈はおかしい」
「じゃあ何をすればいい? 何が足りない? 私に、何があれば──保護者じゃなくて、友達になってくれる?」
後方保護者面、相当頭にキていたらしい。反省しないと。
そうだよなー、親友親友言うくせにやることなす事全部にいちゃもんつけてきたら、そりゃ怒るよ。クッ、中学に上がるまで友達がいなかったツケが高校生になった今帰ってくるとは……! 小学校の頃ぼっちだった奴なんて私くらいじゃないか! あいや、いっぱいいるか! なははは! どうせ教室の隅で恐竜図鑑とか唯一図書室に置いてあった歴史系の漫画とか読んで「頭いい子風」を装ってたんだろ知ってるぞ!
ぐわああああ!!
「ねえってば」
「す、既にお友達かと……。私は親友だとばかり」
「嘘ばっか。言葉では親友親友言ってるけど、私の事子供だと思ってるじゃん」
「そんなことはないぞぅ」
「じゃあ私が傷付いてそうだから、って勝手に落ち込まないでよ。傷付いた時に相談するから、その時一緒に泣いてよ。勝手に背負わないで、共有しようよ」
なんか言葉が全部詩的だなぁ、とかツッこんだら今度こそ首を絞められそうなので自重するとして。
いやはや。うーん。共有しようよ、と来たか。うーーーん。ううううーん。うーぅぅうううううぅぅううん。ドップラー。
でも切っ掛けが私にあるからなぁ。私がVtuberになって! とか言わなきゃ、付かなかった傷だし……。つまるところ、私がつけたようなものだし……。リンリンを傷モノに……ハッ!? じゃあさっきのキスっていうのは、嫁になるということ……!? リンリンは俺の嫁、ってそういうこと!?
「キスがダメなら、首を絞めるよ」
「なんでそうなる!?」
「確かにきっかけはそっちかもしれないけどさぁ、この前も言ったように、私にはもう夢があるの。Vtuberでやりたいことが出来たの。もうすぐ配信機材も新しいの買うよ。ずっと借りっぱなしだったものは返せる。まだダメ? さっき130万人とか言ったけど、もっと上を目指すよ。今いる人も新しい人も惹きつけて、誰よりも有名になるくらい頑張る。それでも足りないかな」
「あー、配信機材はあれそこまで質の高いものじゃないから、新しいの買った方が良いのは事じグエ」
「そういう話してないじゃん。そんなのわかってるくせにさぁ。ねえ!」
「へいギブギブへいギブギブそれ以上は爪痕が残るゥ」
「キスダメって言ったから、キスマークの代わりに爪痕くらい残させてよ」
「爪痕(物理)とは恐れ入りますねぇ!」
深く──鋭く、首にめり込んでくる爪の感覚。いやいやそこ人体の急所って知ってます!? 大事な血管とか神経系がたくさん詰まってるとこって知ってます!? あぁ、でも首絞めよりは息苦しくないかなー、とか首絞め基準に考えちゃう私の思考やば。
「ねえ! ねえ! どうしたらいいのか教えてよ! 私やだよ、ずっと距離離れたままなの!」
「あ、あんまり大声を出さないの……ご両親が」
「リスナーさんからプレゼントで防音材貰ったから大丈夫だよ」
「後方あしながおじさん多すぎる……」
しかしクラスメイトの首を絞めて恐喝する、なんて目的で使われるとはだれも予想していないだろう。ひぃ、殺される。
……にしては、大分力が緩んできているけど。
「あー、んー、うーんとね。まぁとりあえず130万人くらいじゃダメだね」
「……」
「歌動画の総再生数も、一番多いヤツで200万回だっけ。ダメダメ、そんなんじゃ認められない」
「……」
「あとテストもダメダメだね。一番ダメ。私を超すくらいじゃないと」
「それは難しい」
「私が教えるよ。認められたかったら、私に教えられるくらいになってよ」
「……」
対等と認めていない、だって?
当たり前じゃん。そんなの。だって、ずっと。ずっと。
「あのね、その程度で私に並ぼうとか……ちょっと笑えない。私はもっと高い所にいるよ」
ずっと、見上げていた。リンリンがはるか遠くにいて、私はそれをずっと追いかけていた。Vtuberの友達になりたい、という話をリンリンに持ちかけたのは、何も友達の中で唯一の陽キャだったから、だけではない。もっと。もっともっと……私欲に塗れた発想。
Vtuberは身近な存在だ。だから、リンリンがVtuberになれば──彼我の距離が縮まるんじゃないかと、期待した。結果はまぁ、見ての通り。遠い存在になって、さらに遠くに行こうとしているようだけど。
相互理解のソの字も無いほど、遠くに。
「……今、これ、手。力入れたらどうなると思う?」
「え、そういう距離!? 生殺与奪権という点においては今リンリンが最も近く握っているね!」
「そっちじゃなくて、こっち」
「ふわぅ!?」
ざらり、と。頭。後頭部で指が動いた。私の身体を支えるための腕が二本。内一本を首に持ってきていて、残った一本は頭の後ろにある。そこに力を入れて……もし、持ち上げたのなら。
「まさか首を取ると!?」
「こうなる」
──。
……。
……。
………………。
ん。
う。
「っぷは」
「……え」
私の──いつだって、夜眠るときだって止まる事のない思考が真っ白になった。いや結構嘘だけど、真っ白になったのは本当。
え。え。ダメって言ったじゃん。
ダメだが????? って言ったじゃん。
「これで堕ちてきてよ。高いとこにいるなら、今突き落としたよ。足に紐かけて、今引き摺り落した。ほら、
一緒に行こうよ。
「……わかった──なんて言うと思ったか! 馬鹿め、エモ空間でエモに適応できるのはVtuberだけだ! ハァーッハッハ! エモい言葉言えばオとせると思ったか馬鹿め! 馬鹿め、馬鹿め、ばーかばーか!!」
「ふんっ!」
「ム──?!? !?!? !!!! ??!! ???! ??!? !!??! ?? !?!!? ?!! !?! ??? ?!?? ?! 」
に、二回目だと!?
こいつ、本当に高校生か!?
「ね、なんで私が首絞め好きになったかわかる?」
「やっぱり好きになってたんだ! 誰だそんな性癖教えたやつ!!!」
「いいから、なんでか。答えて」
「……相手が苦しそうなのが見てて気持ちいいから、とか?」
「変態」
「ええええええええ」
リンリンは、私の首を撫でる。先ほどまで爪が食い込んでいた所を。さらさらと撫でる。
変態はどっちだよ……! 一番変態なのはリンリンのリスナーだよ!! あ、私のリンリンを変な目で見るんじゃねえ! 散れ散れ!!
「首を絞めるとさ、痕がつくじゃん」
「痕がつくほどキツく絞めたらそりゃね」
「首輪みたいで、良い」
「こわ」
こわ。
「だって、言う事聞いてくれないワンちゃんには首輪つけるでしょ?」
「私が犬だっていうのか! チワワよりボルゾイがいい!」
「首輪とリードつけておけば、とりあえず遠くには行かないと思うから。下にも上にもさ」
「ひえ」
ドSドSだと思っていたけど、そこまでか……。
おいおいおいおい、私の純粋なリンリンを返しておくれよ……。誰だこんなドSに育てたやつ!
「一番近くにドMがいるんだもん。そりゃこうなるよ」
「誰だそいつ! とっちめてやる!」
「鏡、見る?」
「そんなに痕になってる?」
「……ばっちり!」
「マジかよ明日学校いけねーじゃん休もうかな」
「皆勤賞は?」
「そんな真面目ちゃんに見えてた?」
「いや、電車のKさんを一目見るっていう」
「そうだった危ない危ないありがとう!!」
そうだ。私にはその日課があるのだ。いやまぁ学校のない土日とかは見てないとはいえ!
ベレー帽の人と違って、必ず起きるイベントなのだから逃す手は無い!
「……あーと、そう。そうだ! とりあえず旅行の日程組むから、スケジュール教えておいて。あとは」
「あとは?」
「……そっちがどうかは知らないけど、本当に親友だと思ってるから。それだけは、嘘じゃないから」
「ふーん」
「ふーんて」
「いや、他は嘘だったんだなーって」
「そういう意味じゃないよ!?」
いやそういう意味に聞こえるけどさ! ああ言葉選び間違えたよ申し訳ございませんねぇ!
「わかってるよ。うん、いつも頼りにしてるから」
「ちなみに聞きたいんだけど、†学校一の天才青眼鏡†って言ってまわってるのって、誰?」
「先生」
「……」
「担任」
「……嘘でしょうやめてください死んでしまいます」
「された人がいじめだと思わなかったらいじめじゃないんだよ」
「された人がいじめだと思ったらいじめですよね!?」
「いじめだと思うの?」
「……──~~~~~思わないけど!」
思わないけど!
けど!
「いいじゃん、全部事実なんだし」
「じゃあ今度からあの教師の事†世界唯一の真球ハゲ†って呼ぶ事にしよう」
「先生、まだ両側に髪の毛あるよ?」
「直に抜け落ちる。今呪いをかけた」
人を呪わば穴二つ。
ふ、バーリア! 90番台以下の呪いは効かぬ!
「それじゃあ、降ろしてくれませんかね」
「お昼寝しようよ。一緒に」
「またですか……」
「嫌?」
「……へいへい、お姫様」
……嫌じゃないけどさぁ。
嫌じゃない、んだよなぁ。これが。
書くことは何もない。
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芽吹く空の灯火
あ、と思った時にはもう体が動いていた。
珍しく音楽を聴かずに居眠りをしていた電車のKさんが、アナウンス……到着駅のアナウンスでハッと目を覚まして急ぎ足で電車を降りようとしたときの事だ。電車のKさんのカバンから転がり落ちたそれ──いつか、一度だけ見た社員証が電車の床に転がり落ちた。しかしKさんはそれに気付かず、降車してしまったのである。ここは私の降りる駅ではない。ではないけれど、十二分に学校に間に合うよう早起きしてあるし特に急ぎの用も無いしなんなら色々と展開妄想捗るじゃんコレ! と思った私は、すぐさまその社員証を拾い上げて電車を降りた。駆け込み乗車ならぬ駆け出し降車である。
実際、私の身体が全て車外に出た瞬間にドアが閉まったから、乗務員さんには迷惑をかけてしまってごめんなさいをしたい。あともう少しマージン取って閉めろ危ないだろ、とか言いたくはならない。言いたい。
さて、どれだけ人が少ないとはいえそんな風に焦って降りたら目立つ。別に私が「だぁらっしゃい!」とか叫んだってわけじゃない。わけじゃないぞ。お前の信じる私を信じろ。
目立てば注目が集まるものである。どれだけ外界に興味のない人であっても、流石に背後で大声を出されたら自衛観念的にも振り返るだろう。大声なんて出してないけどね?
「──……あぁ、落としてたんだ。ありがとう」
その人……こちらへ振り返ったKさんは、私を見て、私の手に掴むものを見て、お礼を言った。状況把握能力が高い。そして声の透明感よ。想像より何歳か幼い声をしている。しかしカッコイイ。というかクール。ビークール。ソークール。
「あ、はい。落とし物です。えーと……あれ?」
社員証を渡そうとして、ついついそこに書かれている文字を読んでしまった。いや盗み見をしている私が読んでしまったも何も無いとは思うけど、流石に面と向かって相手の持ち物を渡すときにそこに書かれている文字をまじまじと見つめ読む程私のマナーは悪くない、はず。あくまではず、だけど。まぁ読んじゃったんだけどね?
読むなら読むで、名前を読めば良かったものを……運悪く裏面で、そこに名前は書いてあらず、ただ「どこの」という部分に目を引かれた。
「館員証……
「見えない?」
「えーと……もしかして透明の大学とかなんですか?」
「あぁ、ごめん。わたし、大学生に見えないかな、って」
「大学生なんですか!?」
あ、また大声が。幸いもう周りにはあんまり人が……いるねぇ結構。人のプライバシーを大声で叫ぶとか私は死んだ方が良いのではないだろうか……ああ嫌われたんじゃないか……うう。
ヘラっていると、ぎゅ、と手を掴まれた。ん?
「ちょっと話そうよ。君、降りる駅ここじゃないでしょ? コレ届けるために降りてくれたみたいだし、こっちも次の電車来るまで待つことで対価にならないかな」
「え! あ、いや、え……。い、いいんですか?」
「うん、急いでないし。そっちこそ、いいの? 高校生でしょ? 知らない大人についてきて、大丈夫?」
「ついていくも何も駅の構内ですけど……」
「比喩だよ比喩」
あぶねえ。今の「いいんですか?」には「そんなご褒美いただいていいんですか!?」という意味が含まれていたのだが、Kさんは気付かなかったらしい。そりゃ気付かんわ。うひょひょ、願っても無い機会。あ、この笑い方は気持ち悪いから封印してってリンリンに言われてたんだった。再封印──!
Kさんは私の手を引いてベンチに座ると、「あ、ちょっと待ってて」と言って再度立ち上がった。その姿を目で追えば、自販機の方へ。こちらが何を言うまでもなく桃味の炭酸水を買ってきて、さらにはそれをハンドタオルで包んで渡してくるではないか。何故私が桃味を好んでいるとわかったのか。まさか私に気があるんじゃないか。いやぁモテモテで困るなぁ。
「これ、一応お礼ってことで。コレがないと、入れない場所があるからね。凄く助かった」
「あ、いえ、その、はい。お役に立てたのなら幸いです」
「ちなみに桃味は、君が勉強の時にいつも舐めている飴の味から予想したよ。合ってた?」
「見られてた──!?」
「いつも目の前に座るんだもん。そりゃ、時々は見ちゃうよ」
い、いえ、私の方が先に座っているのでまるで私が狙って座ってきているような言い方はやめていただけると! なんて事は言えるはずもなく、そして見られていたという事実にガクガク震えてしまう。僕は悪い半固体じゃないよ。
いやだって、いやだって、通学中は勉強しかしていないとはいえ……タッチ専用ペンを口と鼻の間に挟んで変な顔をしてたのとか、ペン回しをしすぎて電車の揺れで飛び跳ねたタッチ専用ペンが顔に突き刺さった瞬間とか、同じ状況でタッチ専用ペンがセーラー服の中に入っちゃってめっちゃ恥ずかしかったアレとか、全部見られてたかもしれないって事だ。グワァァア!!
あと今度このタッチ専用ペンお祓いした方が良いかもしれませんね!!
「青眼鏡ちゃん」
「え、どうしてそのあだ名を!?」
「当てずっぽう。その癖毛とか、目の色とか、色々特徴あるけど。その眼鏡──青眼鏡が第一印象に入りやすいと思ったから。君にあだ名をつけるなら、青眼鏡ちゃんかな、って」
「凄い……確かに当方青眼鏡と呼ばれております」
「そして君は、わたしの事をKさん、と呼んでいるね」
「!?」
な、なんだこの人! サイコメトラーか!? 私の心の中まで……いや待て、だとすると……私が毎度毎度Kさんを見るたびに思っていた「Kさんが告白してきたらどうしよう妄想パターン集」が全部見られている!? ま、不味い……普通に変態的妄想だからかなり不味い!! なんだよ『いきなり壁ドンしてきて口に咥えたポッキーを差し出して「一緒に食べない……?」って言ってくる』って! 今思うと意味の分からないシチュエーション過ぎる!
でも萌える。
「それも……当てずっぽうですか?」
「ううん。さっきからわたしに呼びかけようとして止める時に解ける口の形がケーだったから」
「それは怖い。あ」
「ごめんなさい、思ったことがついつい口に出てしまうタイプで……って言いたい?」
「ウ゛ッッッ」
で、でも私にはベレー帽の人が……! いやKさんに迫られたら断れない! ごめんリンリン! 私は、私は!!
「レナ」
「え」
「Kさん、だと親しみがないでしょ。レナって呼んで。大丈夫、本名じゃないから」
「何故当然のように本名じゃない名前を持っているのか」
「大人はみんな持ってるよ。まだまだ子供だね」
「絶対持ってない大人いるけど私が子供なのは事実です!」
電車のKさん。改め、レナさん。
レナさん……レナちゃんhshs……。本当だ、名前(偽)で呼んでみるとぐっと親近感増すなぁ。名前(偽)とはいえ。普通に偽名って言え。
「わたしは君の事、青眼鏡ちゃんって呼ぶから」
「このフレームもう変えられない……!」
「わざわざ青にしてるのは、気に入っているからじゃないの?」
「おっしゃる通りでございます……」
リンリンにも京子にも壮一にも「青眼鏡」と呼ばれていて、それを親しみと感じているくらいには、この青眼鏡は私のトレードマークになっていると思う。視界に入ると黒っぽいこれだけど、外から見るとかなり青い。青二才だ。違うか。
ようやく、レナさんに貰った炭酸水を開ける。ぷしゅ、という発泡音がした。
「ねぇ、青眼鏡ちゃん」
「あ、はい」
「いじめ」
「はい?」
「いじめられてない? もしくは、家庭内暴力」
「え。え? え、いえ、されてませんけど……なして」
「女子高生の首に
首?
……ああッ!
「あ、いえ! これは、ですね……その、友達と……」
「友達? まさか高校生の時点でDV彼氏?」
「いえ、男性ではなく……というか別に彼氏彼女ではなくですね!」
「……へぇ」
わ、忘れていた。昨日リンリンに付けられた絞首痕、この時期にはちょっと暑いと感じるインナースーツで覆っていたつもりだったけど、少しズレてしまっていたらしい。そう、そうなんだよ。それが普通の反応なんだよ! JKが! 女子! 高校生が! 首を絞めた痕なんてものを付けてたら、真っ先にそういう発想に至るのは普通なんだよ! まさか女友達が首輪を付けたくて絞めてる、なんて思わないだろういや今考えてもおかしいけど!!
「お友達、随分と上手なんだね」
「上手とは!?」
「気道や頸動脈諸々を外して、命にかかわらない部分にだけくっきり爪痕を付けてる。"首を絞めた痕"だけを絶対に残したいって表れだよ。大事にされてるみたいね?」
「なにそれ怖い」
「わたしも専門外だから詳しい話は出来ないけど、一応、ほどほどにね、とは言っておくよ」
「私の裁量でどうにかできる事ではないのですがわかりました」
そうなんだ……リンリン、ちゃんと私の事を考えて……! なんていう風な思考になってたら私はもうお陀仏である。リンリンちょっと怖すぎる。そういえばあの黒天使ちゃ……黒天使さんもそうだけど、もしやV界でセンシティブなお友達を作りすぎてる? いや別に悪いとは言わないけど……そっちに染まらないように今度一言だけ言っておくべきかなぁ。
「その子、親友?」
「え? あ、これ付けた子の事なら、そうです」
「誰が一番、その子に影響を与えているのか。って辺りかな」
「どういう」
ことですか、と聞こうとした。「まもなく電車が~」のアナウンスに掻き消されてしまったけど。どうやら、次の電車が来たらしい。レナさんはよいしょ、と席を立つ。あ、ハンドタオル。
「欲しい?」
「欲しいです」
「じゃ、あげる」
「わぁい……じゃなくて!?」
脊髄反射で欲しがってしまった。今まで見た事のない……悪戯っ子のような口角の上げ方で、そんな「トリックオアトリート!」みたいな感じで欲しいかどうか聞かれたらそりゃ欲しいって言っちゃうよ! ずるいよ! ありがとうございます大切にします!!
レナさんはそのまま後ろ手をヒラヒラと振ると、改札口の方にある階段を降りていった。
同時、電車が到着する。
「……なんか、ちょっとイメージ変わったかも」
貰ったハンドタオルを畳んで、いつもより少しだけ人の多い電車に乗る。
発射する電車。
窓の外に、渡勝大学が見えた。
進路先決定!!!
●
夢が叶った。
リンリンが配信中に、私の事を話したのである。無論まだ旅行には行ってないのでその話ではなく、普通に、日常的な日常の日常みたいな一ページ。いつものボケのぶつけ合いを、さらりと。そして反応は上々だった。願っていた通りの反応……「面白い子の元には面白い子が集まるんだなww」みたいなコメントが多数流れていた。
叶った。叶ってしまったわけです。あっさりと。蜊と!!
叶ってしまうと、何が起きるか。
い、言いてぇ……!
私の友人Vtuberやってんすよwwwって言いてえ……!!
「言えるワケないんだよなぁ!!」
「うわ、びっくりした」
「びっくりした人はいきなりお尻を蹴ったりしない!」
いつものようにリンリンの部屋。ちなみにリンリンの部屋とウチはかなり距離があるけど、定期券を使って電車で行き来しているので問題ない。通学以外の用途で使うのはホントはダメとか言われてるけど使えるんだから仕方がない。使うものは使う!
そんな感じでほぼタダで移動できるので私の家はリンリンのお隣さんのようなものである。違うか。
「あー、その、だね。リンリンや」
「なんだいお婆さん」
「その流れだとリンリンがお爺さんになるけど」
「ならないよ?」
「マジかお婆さん独り身か悲しいな」
今もそうだ。お尻を蹴る、なんて……いや私が過敏になっているだけか? 生け花か? とも思うけど、どうも、やることなす事ちょっと……ソッチ方向に寄っている気がする。ううむ、やはりこれは……酷くなる前に言うべきか。
でもコレ後方保護者面なんだよな~~~~~~~!
でも言う!
「リンリン、ちょっと」
「……」
「いきなり不機嫌になるじゃん」
「お説教しますよ、みたいな声色になったら誰だってそうなる」
「したいわけじゃないんだ……わかってくれ……」
「じゃあしなくていいよ」
「そういうわけにもいかない。あー、その。リンリン、最近の行動がちょっと……センシティブに寄りすぎていないか、という話をだね」
「この前それ不快だ、って言ったよね?」
言ったし聞いた。けど……。
「リンリンのVのキャラって、ソッチ方面じゃないじゃん? あんまり余所に影響されすぎるのはどうかなーっていう……」
「うーん、全然わかってくれてないね。どうしたらいいのかなぁ。やっぱ体に教え込むしか」
「そういう発言が気になるんだって……ほら、首に手を伸ばさない」
ぱし、と掴む。どこに来るかわかっている手など掴み取る事は容易! しかし私に手を掴まれて尚、至極不機嫌な顔を隠さないリンリン。むしろ睨みつけているまである。怖い怖い!
しかし! 私も! 退けないのである!!
「私のためを思って、とか言わないでよ?」
「リンリンの為を思って言ってるよ」
「……余計なお世話なんだけど」
「お節介で結構。全く、いつからこんな反抗期になったんだか……」
「それ本当に嫌だからやめて」
手が振り払われた。そして、今度は逆に……私の手をリンリンが掴んでくる。それだけでは飽き足らず、万歳の形をしたかと思うと思い切り横に振りまわして私のバランスを崩し、ベッドへと押し倒した。
押し倒した。押し倒されたァァァアア!? え、え、なにこれ! なにこれアレ? アレ? チョメチョメがチョメチョメになっちゃう奴!?
リンリンはしかし、私のようにふざけるでもなく……怒り露に私の事を睨みつける。
「ねぇ、嫌いになっちゃうよ」
「……それで、リンリンが良い方向に行くのなら……仕方がないと思う」
「Vtuberの友達になりたかった、って言ってたよね。あの時変な夢だって言ったけど、よく考えてみたら酷い事言われてるな、って思った。Vtuberならだれでもよくて、いなかったから私のトコに来たんだよね。私である必要はなかったんでしょ」
「七割はそうだね」
「はぁ……イライラするなぁ。その目。何それ。親友に向ける目じゃないよ絶対」
「……そうかもね」
「認めるんだ。認めるんだ。はぁ。認めるんだ」
「──ふざけないでよ」
うぐ、と咄嗟に口を抑えようとして、しかし両手が掴まれたままであることに震えた。私のお腹の上に、リンリンの膝が乗ったのだ。この間のなんちゃってボディブローとは違う、全体重ではないにしても……凄まじい重量が私のお腹にかかる。
苦しい。あと痛い。
「ねえ、何? もしかして、とは思ってたけど。さっき反抗期って言ったよね。あれで確信に変わったけど」
「うぐ、ぅ、ぇ……」
「私が今、こう、なってるの……誰のせいかわかってないとか言わないよね」
ぐ、ぐ、ぐ、と三度。
リンリンは膝を押し込む。
「うぎゅ、ぎゅ、わ、私のせいだと言うのかね!」
「本当にわかってないんだ。サイアク」
「なまじっか私のせいだとして、じゃあどうしたら反抗期をやめてくれるのかウゲェ」
「そういう"やめてくれるのか"とか言ってる限りはやめないよ」
決して全体重はかけない。ただ絶妙に痛くて苦しいラインで体重をかけてくる。だからこんなのどこで学んだんだって……。もしかして大手事務所だからそういう事を……?
……流石に無いか。いやあるとこはあるのだろうけど、流石にあそこであったら……今度調査入れるか。
「……だって、言う事聞いたってその態度やめないでしょ」
「ふぅぅ、う、う? いや、素直に聞いてくれるのならこっちも……」
「態度の話をしてるの! その……私が育ててる、みたいな態度やめろって言ってるの!」
今度は膝じゃなくて、というか脇腹の横に両膝を落として、私の両腕を押さえつけていた手を放して──ダン! と。私の顔の横に叩きつけた。物凄い至近距離にリンリンの顔が来る。あの、何故私は押し倒されているのでせうか。
これがこんな状況でなければ、たとえば映画のワンシーンであれば……そのままキスでもされそうな距離。しかしその顔は般若。ひい。
「そういう態度されるのが嫌だから! 正反対のことしてるの!! わかんない!?」
「……まぁ落ち着きなよ。落ち着いて考えてみ。それを反抗期って言うんだって」
「違うって言ってるじゃん……! 私は、同じとこに立ちたいのに、なんで下に見るの……なんで……」
──誰が一番、その子に影響を与えたのか。
ああ。まぁ、そうか。そんなにか。
私が──そんなにも、影響を与えていましたかね。こんな、無個性オタクの成れの果て、みたいな私が。だから……影響下にあるのが嫌で、他の、私からは受けないタイプの影響を積極的に受けているって? そんな。
そんな、馬鹿な事を。
「なんでこんな、目の前にいて……私を見てくれないの? 配信してる時の私も、いつも部屋で遊んでる時も、今こうして押し倒してる時でも、ぜんっぜん私を見てない! なんで!?」
「あんまり叫ばんとき……大事な喉でしょうよ」
「うるさいなぁ!」
耳を。両側からガッと掴まれた。
あ、来る。そう思った。事実──唇が来た。
けど。
「ん、ッ!? 痛っ……!」
「……」
想像していた
吸血鬼かな??? いやヴァンパイアかもしれない。竜の息子かもしれない。
「私にしてほしいこと。言ってみてよ」
「え、だからそれは、こういうセンシティブな事や過激な事をやめるように」
「そうじゃなくて。私のため、じゃなくて、私が出来る事。私が風音のためにやってあげられる事。言ってみて」
「……」
「無い?」
リンリンのため、でなく。私のため? 私に益となる事? そりゃ、Vtuberになってもらう事だ。で、これはやってもらった。そして私の話を配信で話す事。これもやってもらった。十二分に叶っている。全部叶っているから、求めることなど何もない。
そして、私はリンリンの人生を変える一端を担ったのだから、それを見届ける責務がある。彼女を導く責任がある。それのどこに不思議があろうか。
「あ、血。ダメだよ、飲んじゃ」
「……」
「あぁ、こういう風に言うと飲んじゃうか。じゃあどういえばいいかな」
「人間扱いしてよ」
……。
「わかった。子供扱いじゃないんだ。勘違いしてた。私の事、子供扱いしてるんじゃない」
人間扱いしてないんだ。
「……そんなことは」
「だから育成ゲームみたいに色々言ってくるし、こういう風に言うとこういう反応をするから、こういう言い方に直さないと、なんて言うんだ」
「考えすぎでは?」
「そういえば言ってたよね。電車のKさんやベレー帽の人に会うのもイベントだ、って。私の事もその人たちの事も、ゲームのキャラクターか何かだと思ってるんだ」
「確かにさっきの言い方は悪かったよ。謝るから。そして、そんなことは無いよ。私はリンリンの事大事に思ってる。人間扱いも何も、親友だよ」
「じゃあこっち見てよ。ずっと上の空で、ずっと他の事考えてる。私と話してよ。私を見てよ!」
「それは」
それは。
それは──。
「リンリンが私の事見てくれたら、考えるよ」
よいしょ、と。
覆いかぶさってきているリンリンの肩に手を当てて、上体を起こす。別段リンリンは力が強いとかそういうことはないので、起き上がってしまえばそれを止める事は出来ない。今までなすがままだったのは、私自らが抵抗していなかったから、である。抵抗するほどの事でもないかな、と思っていたから、である。
まぁ、ね。
「さっきから聞いてれば、ずっとさ。ずーっと、私の事見上げてるみたいだけど」
私そんな高いとこにいないよ。
「リンリンが幻視してる"天才"とか"頼りになる奴"よりずっと低いとこにいるよ。ちゃんと見て欲しいのはこっちの方です。私はずっとリンリンに注意をしてきたけど、低いから見える事がある、ってだけで、そこと同じ景色は見えない。だからもし、それが不快だったら」
早めに切り捨ててくれていいよ、私なんて。
その日。
私とリンリンは、初めて……ってほどでもないけど、喧嘩をした。
リンリンから「大っ嫌い!」の言葉を受けて帰路に就く。大嫌いかぁ。そうかぁ。
旅行組んじゃったけど、キャンセルかなぁ、これは。
私と行っても楽しくないだろうしなぁ。
●
「お前らまだそんな喧嘩してんの? まだ、っつかもう、っつか。熟年夫婦かよ」
「まぁまぁ京子! 今喧嘩してナイーブだろうから、優しく、な?」
「いや別にナイーブじゃないので変な気は遣わなくて結構です」
リンリンとの喧嘩後、一日目。
当然ながら普通に学校があるので一応目にはしたけれど、特に何も会話を交わさず席に着いた。四月にあった席替えの妙というか、リンリンと私の席はちょうど対角にある。ので、余計な小競り合いが起きることは無い……のだが。ちなみに昨日の配信は見ていない。トイッターも見ていないので、リンリンがちゃんと配信できたかどうか心配である。
「というか、何用。壮一はともかく、京子はそんな気を遣うとかいうタチじゃないででしょ」
「空気が重い。早く元に戻せ」
「いや、お互いが納得しない内に周囲がとやかく言って仲直りさせるのは違うと思うんだよ」
「まともな事を言うんじゃあないよ」
マイペースヤンキーと正論陽キャに囲まれて、屁理屈陰キャは死んでしまいそうです。
冗談はそれとして。
「リンリン落ち込んでる?」
「見てわからないのかオマエ。青眼鏡曇ってね?」
「落ち込んでるし怒ってるなぁ。何やらかしたんだ?」
「私とリンリンの立ち位置を教えてあげたら嫌われた」
二人は顔を見合わせ、溜息を吐いた。は? 何仲良くしてんだこいつら。
どっちも彼氏彼女いるくせによぉ! 別にいらないけどね!?
「そうだ。ちなみにどうやって仲直りしてんの? 喧嘩した時」
「俺から謝る! とりあえずじゃないぞ。ちゃんと志保の意見を飲み込んで、受け入れて、でもこういう部分があったからすれ違ってしまったんだな、っていうのを確認して、喧嘩になってしまった事を謝るんだ。話し合いで解決できなかったのが悔しいからな!」
「声でけぇけどなんか正しい事言ってる気がするの凄いむかつく。京子は?」
「とりあえず取っ組み合いして、勝った方が正しい」
「バイオレンス過ぎる」
「殴り合いしないから問題ない」
「流血の問題じゃないんだよなぁ」
参考にならなすぎる。なんだこいつら。
いや、喧嘩になってしまった事を謝る、っていうのは凄く良い意見だとは思いますが! クソ! 陽キャのくせに! 陽キャのくせに! 陽キャだからか……?
「仲直りしたい、とは思ってるのか?」
「いやまぁ嫌われたままってのは直した方が良いと思うよ」
「仲直りしたいわけじゃないのかオマエ」
「リンリンが望むなら?」
二人は顔を見合わせ、溜息を吐いた。再放送か?
「これは長引きそうだな」
「だねー……。どっちも頑固だし。どうする? アニーにも話聞く?」
「壮一がやってくれ。こういう面倒なの、苦手だ」
「はいよー」
そういって、リンリンの方へ向かう壮一。なんだお前ギャルゲの主人公か? >話を聞くのコマンドでもあるのか? 大激励闘志戦慄激闘か?
「で?」
「で、とは」
「喧嘩の理由なんか、オマエがわかってないはずないだろ。自分のどこに非があるのか、何が悪かったのか、どうすれば仲直りできるのか、なんて。全部わかってるだろ、オマエ」
「それは買い被り過ぎ」
「アニーもお前もわかってて、でも譲れないからこうなってる。アニーのはちゃんとした理由。オマエのはくっだらない理由。違うか?」
「……くっだらない、か。確かに……そうだね」
ああ、クソ。そんなにわかりやすいか私。あの正論陽キャだけならともかく、この腐れヤンキーにまで悟られるとは。もっとポーカーフェイスを鍛えるべきか。
「オマエ、私の喧嘩の事馬鹿にしてたけど、オマエらがやってることも同じだからな。どっちも引かずに殴り合って、折れたほうの負け。そうだろ」
「私はともかくリンリンを一緒にするな」
「過保護な余り現実が見えなくなってたらセワ無いな」
「見えてるしわかってるからあんまり言葉にしないでくれよ。折れるだろ」
この喧嘩は、折れちゃいけないのだ。
折れてなぁなぁに終わるのが一番ダメだ。悔しいけど、あの正論陽キャの言う通り──互いの納得がないままの仲直りなど、意味はない。いずれ……今入った小さな傷が、やがて罅となり──この先の関係を壊し尽くすだろう。今、多少時間をかけてでも……しっかり修復する必要のある傷だ。
私のくっだらない理由なんか、簡単に捨てられる。現実を見ればいいだけだから。でもそれをしたって、リンリンは納得できない。私が折れる事はリンリンの納得には繋がらないのだ。
だから私は、それを無視していないといけない。
「重症だな、コリャ」
「リンリンは私がわかっているのすら嫌いなんだろうね」
「自覚あるのが殊更に重症。つか、致命傷」
一度。
一度、配信に私の事を出してしまったから、恐らくリンリンのリスナーは事あるごとに……もしくは時たま、聞いてくるだろう。「そういえばあの子、最近は?」とか「面白い話あった?」とか。全員が全員じゃない。聞いてくるのは本当に一部だけ。一部の人が、色んな配信で聞いてくるはずだ。オタクとはそういうものだから。
それを……仲違いしたまま、というのは。少し、不味い。
リンリンのキャラクター性は「誰とでも仲良くなれる」系統だから、仲違いをする相手がいるのが不味い。いや人間なんだからするだろうけど、Vtuberというのは……特殊なのだ。キャラクター性が決められているから、主張を一貫させる必要がある。生まれてから老いて死ぬまで主義主張の変わらない人間なんて気持っち悪いだけだと思うのだが、キャラクターであるのなら許容されてしまうのだ。
だからどうにかして、リンリンの納得を得つつ、仲直りをしないといけない。
さて、どうしようかな。
後書かない。
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破砕く涙の過誤
リンリンはパツキン美少女である。所謂ダブルというやつで、ともすればファンタジーなんかに出てきそうな容姿をしている。なお主言語はバリッバリの日本語で、なんなら英語の成績は最悪に近い。むしろ私や京子の方が出来るくらい、最悪である。常に赤点と言えばわかろうか。
そんなリンリンは、その優れた容姿と裏腹に、あんまり友達がいなかったらしい。少なくとも中学生までは積極的に遊んでくれる子が全くいなくて寂しい思いをしていたのだとか。まぁ周りの子の気持ちもわからんでもない。小学生時点でこんだけの美人さんだと、話しかけづらいってのはあるだろう。小学校なんて村社会みたいなもんだし。
そんな中、ずっと不安だった中学デビューで一番に声を掛けてきたのが──私、と。
いやー。
やっちまったな、って思ったよね。なんかめちゃくちゃ良い思い出話、みたいな語り口で言われた時には「あ、これは完全にやっちまいましたね」って思ったよね。
何を隠そう、中学の頃の私は「とりあえず人気者っぽそうな子の取り巻きになってれば旨い汁が吸えるだろうげっへっへ」みたいな思考だったから、クラスで一番の美少女に声を掛けに行った、というのが真相なわけですよ。リンリンの思うような「真っ暗闇の中から手を差し伸べてくれた人」的なソレじゃないのである。まぁ陰キャは陰キャでも自分の身の振り方を考えられるタイプの陰キャだったからね。身の振り方は考えられてもまさか希望に思われてるなんて思わないよね。
そんなすれ違いがあったのだけど、なんやかんやウマの合う性格だったらしく、私達はすぐに親友となった。リンリンが孤立していたのはリンリンの魅力を外部に出力する機会に恵まれなかった、あるいは媒体が存在しなかった事に起因しているというのはすぐにわかったので、積極的にリンリンの活躍できる舞台を探したり、人の集まっている所に無理矢理連れて行ったりしてあげればもうすぐに人気者である。リンリン本人は明るく元気な子なんだけど、成功経験が小学校時代に無かった事が勇気を失くす原因になっていたみたいなのだ。
ちなみに私はその輪に入らずリンリンとみんなを眺めている事が多かった。何故って、体力がないからね!! オタクが運動できると思ったら大間違いだぞ!!
晴れて人気者な中学時代を過ごしたリンリンは、今……つまり高校に入っても最初っから人気者だ。元々の容姿の高さからやっかみを受ける事は……まぁ何度かあったけど、リンリンは気付いていないのでオッケー。たとえどんなに人気者になっても頭は小学校から変わっていないというか、飾らずに言うのならバカである。暗記は出来るので暗記のみで行ける教科はそこそこできるけど、応用するとなると途端に点数が落ちる。成績も落ちる。
卓上電子計算機略して電卓を使っていい物理は得意みたいだけど。
バカなので、嫉妬娘たちの皮肉が効かないのだ……! 強いぞリンリン! バカだなリンリン!
そして同じ中学から進学してきた数十人の中で、特に仲の良い四人が私とリンリンと壮一と京子になるわけだ。私はリンリン以外と仲が良いつもりはないけど、リンリンは四人をひとまとめにしたがるので仕方がない。だって陽キャとヤンキーだよ? 仲良くできる要素がない。
「青眼鏡。ノート」
「一回くらい自分で取れ」
「サンキュ」
リンリンとの関係修復は今だ成っていない。まぁあれから話してすらいないので当たり前ではあるのだが、うーむ。どうしたもんかね。
「お昼買ってきたけど、青眼鏡は焼きそばパンで良かったっけ? あ、鮭おにぎりはこっちおいとくぞ京子」
「うむ」
「何故私が焼きそばパンを食べたいと知っていた」
「青眼鏡が食うもんなんか毎日同じだろ」
「……ほれ、300円」
「手数料はいらないって言ってんのにホント律儀だよなー」
今リンリンは教室にいない。先ほど私達以外の友達に誘われて教室を出て行った。どこかでお弁当を食べるのだろう。目で追ってしまうくらいには気になるけど、私が行ったら冷風吹き荒れて氷河期が来るので行けない。毎日のお弁当のおかず一品貰う、が出来ないのがくやしくやし。
「一週間以内」
「無理だな」
「でなきゃ私が困る」
「俺も困る。けど、無理だと思う」
「……わかってるよ、それくらい。今考えてるのはどう謝るか、じゃなくてどこで二人きりになるのがベストか、だ」
「強制的に話し合うつもりか。よしそれでいけ。そろそろ空気が不味い」
「他の人なら止めるけど、青眼鏡とアニーに限ってはそれで正解な気がするなぁ」
「今リンリンの下校経路から無理矢理腕引っ張って連れ込んでギリギリ振り払われなさそうな距離のカラオケ探してるから少し黙っててくれ」
「発想が犯罪者だよね」
リンリンに折れる気がなくて、私に折れる気がないのならこうするしかない。無理矢理二人きりになれる場所……事前に予約を入れておいて、さっさと入って扉側に立って閉じ込めてしまえば話さざるを得なくなるだろう。問題は私の腕力がそこまで強くない事。体幹も弱いから、本気で抵抗されたら無理だ。まぁリンリンも仲直りしたいとは思ってくれているだろうからそこまで抵抗することは無いと思うけど……いや、楽観視は無しの方向で。
とりあえずピックアップした三つの店。改めて探すとこの辺カラオケ店多いんだな、ということがわかった。なんてどうでもいい気付きなんだ。
「桃ソーダ、いる?」
「なんだお前有能か? 150円持っていけ」
「これ90円だぞ」
「ボーナスだが」
普段なら陽キャを褒めるなんてことはしないが、喉が渇いていたので正当報酬を払って桃ソーダをゲットする。学校の自販機は確かに安いのだろうが、買ってくる手間を考えたら40円くらい加算できる。タイミングが良い事でプラス20円。
ぷしゅ、という音。レナさんを思い出した。
「……そうだ京子」
「ん」
「お前の姉さん渡勝大行ってなかったっけ」
「流石だな青眼鏡。話した覚えがない事を知っている」
「流石はそっちだよ。働いてるのか聞いた時に大学通ってるっつってたろ」
「大学に通っているとは言った覚えがある。どこに行っているかは言った覚えがない」
「マジ?」
「捏造記憶で正解を引き当てたのだとしたらホントウに気持ち悪いぞオマエ」
本当に気持ち悪いかもしれんぞ私。
……いやまぁ、大学に行っている、というエピソードと直近の記憶がそうであってくれ、という願望を元に繋がっただけなんだろうけど。
「それが?」
「暇があったらでいいんだが、レナという名前の女性が学友にいないか聞いておいて欲しい。本名じゃなくてあだ名でもいい」
「……私を犯罪行為に加担させようとしていないか」
「珍しく察しがいい。今日までノート見せていただろう」
「チッ……卑怯者め」
犯罪行為だって? ハハハ。
ストーカー行為ですね! ええ!
「俺これ、警察に通報した方が良いヤツか?」
「馬鹿野郎私の進路先に必要な情報なんだよ理解しろ」
「中学から一緒にいて今まで青眼鏡の思考を理解できた瞬間が無い気がする」
「さっき焼きそばパン買ってきただろう」
「……本当だ!」
とりあえず計画は出来た。実行は今日の下校時。電車の時間も見ておかなければいけないか。最悪母親に迎えに来てもらう……いや「自己責任」って言われて終わる気がする。お父さんに頼むか……ちょうど帰ってくる時間だろうし。まぁそんなに遅くなるつもりはないんだけど。
桃ソーダを飲んで、焼きそばパンを齧る。うむ。いつもの味だ。
「明日には元通りになっている事を願うよ」
「任セロリ」
「明日になってもギスギスしてたらオマエぶん殴ってもいいか」
「鼻にタバスコ突っ込んでやる」
「私の方が速い」
うるへー。なんだその漫画みたいな台詞。「──私の方が速い」的なアレじゃん。オサレポイントバトルで勝てそう。その後技の説明して負けそう。
そんな感じで昼休みが終わる。時間ギリギリに帰ってきたリンリンは、やっぱり私の方を見ようともしなかった。
●
「……何?」
諸々端折って、ミッションコンプリート。一人でとぼとぼ帰るリンリンの腕を掴み上げ、「やめて」だの「ちょっと」だの言う彼女の言葉をガン無視し、予約を入れておいたカラオケ店へゴーシュート。店員さんは怪訝な顔をしていたけれど、リンリンも流石に逃げる気はなかったのだろう、大人しく部屋までついてきてくれた。
部屋にリンリンを入れて、ドアを塞ぐように立てばオペレーションNKNORAAAI開始である。
初手、不機嫌に「……何?」が来た、という話。
「喧嘩をしよう」
「してるけど」
「口論だよ。どっちかが泣くまで」
「……」
口だろうが手だろうが、面と向かわなきゃ喧嘩は終わらない。いや画面越しにでもできるかもしれないけど、それだって面と向かっていると言えば向かっているだろう。とにかく言葉を交わす必要がある。だから、強制個室が一番いい。
ずっと黙っている、なんてことも選べるけど……リンリンはそれをよしとはしないだろうし。
「確認しよう。リンリンは、私に認めてもらいたいんだったね。私に子供扱いしてほしくないし、人間扱いしてほしい。それについての答えはNOだ。君はまだまだ子供だし、手がかかるし、世話が焼ける。人間扱いしてほしいについては、勘違いだ。私は君を人間扱いしている」
「してない」
「しているよ。しているけど──君が成長している、という事については、無視している」
この「子供扱いしてほしくない」と「人間扱いしてほしい」は同じ問題だ。ただ、単純に……リンリンに私の腕の中にいてほしくて、あの孤独だったリンリンを可愛いと思う自分が愛おしくて、成長したリンリンを無視している、というだけの話。懐古厨、とは少し違うけど、私を頼ってくれる君が好きで、だから私を頼ってくれなくなってきた君を元に戻そうと必死なのだ。
もっと簡潔に、そしてオタクらしく言うなら──私は「中学の頃のリンリン」の厄介オタクなのである。
変わってしまった推しが嫌だから、駄々をこねている。アーカイブばかりを見て、現在を全く見ていない。
「そしてリンリンは、今のリンリンを見てほしいんだろう。だって目の前にいるんだから。こんなにも頑張っているのだから。ようやく──私が好むモノの世界で活躍できる日が来たのだから」
「……」
「気に入らなかったんだろ? リンリンがみんなと遊んでる時、私が遠くから眺めているの。それ自体が」
「……そうだよ」
「一緒に遊びたかったんだろ。勝手に保護者みたいに自分の事を推し出した私も、自分の所に来て欲しかった。そうでなくたって、近くにいて欲しかった。違う?」
「本当に嫌になるくらい、合ってる」
Vtuberになる事を引き受けたのはそういうことなのだ。
リンリンは、私が間近で見てくれる場所に。私が一緒になって喜んでくれる場所に、行きたかった。そして、裏方からじゃなくて、同じ目線で語れるようになることを望んだ。同じ世界に行けば、同じものが見れると踏んだのだ。
……結果は違った。あの出会いのように、すれ違いだ。私側にそういう意思がなかった。私はVtuberの友達のAさんになりたくて、それはどちらかというと裏方である。リンリンの望む立ち位置ではない。勿論リスナーも彼女の望む立ち位置と違うから、そもそもが勘違い。あるいは、リンリンがオタク文化に……配信というものに詳しくなかったから起きた弊害、とでもいうべきか。
もし、リンリンの望む立ち位置に私が就くとしたら、それは同じVtuberになる、という道だけである。
そしてそれは絶対に無い。私は怖いから、ならない。
「じゃあ問題だ。どうしたらいいと思う? 私は過去のリンリンを見ている愚か者だ。リンリンは今の自分を見て欲しい頑張り屋さんだ。どうなるのが正解かな」
「……どうしても、今の私は見てくれないの?」
「君が籠の外に行きたいという限りは」
「でも、昔の私のままだと、やっぱり今の私は見てくれない」
「そうだね。八方塞がりという奴だ。わかるだろ?」
私が過去のリンリンを見たいと、見ていたいと思っている限りは、リンリンの願いは絶対に叶わない。リンリンの正当な、極々当たり前で、当然の想いは私に届かない。だからやっぱり、縁を切るのが正解だと……思ってしまう。思ってしまえる、という方が正しいか。あの時に言った切り捨ててくれて構わない、というのはそういう意味だ。
リンリンはVtuberでやりたいことが出来たと、夢が出来たと言っていた。だからもう、むざむざ辞める、という選択肢を選ぶことは無いだろう。どうやったって、どうあったって、私を置いていくしかリンリンの取れる道がない。
「そうは、思わない」
「……そうかな」
「つまりは、私が頑張って、風音に今の私を見たい! って思わせればいい、ってことだよね」
「そんな事は思わないが」
「夏休みに、予定が入ってるって言ったでしょ」
「ああ、結構な期間が」
「まだ発表してないけど、初ライブをすることになった」
「……早くない?」
リンリンがデビューしてからまだ数ヶ月だ。というかVtuberのライブって……どうやるんだろう。大型スクリーンでも使うのか。盛り上がるか、それ。
……いや、130万人のファンがいる、と考えれば……出来ないことは無いか。
「来て」
「そりゃまぁ、行くけど」
「ちゃんと見て。私が今、どれだけの事をしているのか、どれくらい"先"にいるのか、見て」
「……先にいたら、私はそこには行かないよ? 過去のリンリンが好きだか」
「来たくなるから。ゼッタイ来たくなる。昔の私なんて霞ませて、今の私を見たくて仕方がなくなる。それくらいの事をする」
……。へえ。
大層な自信だ。強い目をするようになったと最近思う事が増えたけど……ああ、強い、なんてものじゃない。意思のある目だ。爆弾みたいな感情の籠った、目。目の前のリンリンは、牙を剥くような表情で、凄惨に笑っていた。
あぁ、もうそんなところにまで。
……やっぱりまだ、見たくないと思ってしまうな。あの……か弱かったリンリンを、可愛いと思ってしまう。結局私は、私の手でリンリンが変わっていく様が好きだったのだ。浅ましく愚かしく、その程度の友情を親友だのと名付けていた。それを……この子はまだ、続けようと、より強固なものにしようとしてくれている。
「わかった。楽しみにしているよ」
「うん。じゃあ、喧嘩は終わりね」
「いいや、一時休戦だ。私がそのライブを見ても尚、考えを改めなかったら……その時は」
「その時は私の部屋に閉じ込めて考えを変えてくれるまで出さないよ」
「まさかの監禁ルート」
……昼間、壮一が私の発想を犯罪者だと言ったけど、リンリンの方がよっぽどだ。よっぽど、バイオレンス。
──誰が一番、その子に影響を与えたか。
脳裏でニヒルに笑うレナさんを今だけは、と追い払う。
「じゃあ、仲直り……じゃないけど、形式上の仲直りということで、一曲歌わない?」
「何時間取ったの?」
「一時間」
「じゃあめいっぱい歌おうよ。一曲なんて言わずに」
「アニソン、行くかぁ!」
「教えてもらったのしか歌えないけど」
「いけるいける!」
こうして。
完全な和解、とは行かないけれど……とりあえず夏休みのライブまでは、元の仲良しに戻る事になった次第である。ヤッタネ!!
●
「や」
「あ、レナさん。こんばんわ」
帰り道。というか帰りの電車。いつも乗らない時間帯だったから混んでないか心配だったけれど、そこまでの人数は居らず、普通に座れる事に安心したのも束の間。この表現で合っていない事は重々承知だけど、あえて言おう安心したのも束の間──レナさんが声を掛けてきた。丁度、いつも私の座っている席に他の人が座っていて、レナさんの横に一人分空きスペースがあったのだ。空きスペースって頭痛が痛いよね。
声を掛けていただいたからには座らざるを得ない。クッ、乗車時間がもっと長ければ自然を装って寄りかかったりできたのに!! あるいはお疲れのレナさんが寄りかかってきてその髪の毛が私にブワァってファサァってあぁ!!
「座らないの?」
「座ります」
妄想もそこそこに、レナさんの隣に腰を下ろす。
「遊んできたんだ」
「あ、はい。友達とカラオケに」
「いいね。どんな曲歌うの?」
「あ、えーと、その……アニソンを少々」
ベレー帽の人はオタク用語連発してたからオタクだろうな、という親近感はあるんだけど、逆にレナさんはアニメとか全く見なそうな……陽キャとも違う、浮世離れした人だから、ちょっとだけ言い淀んだ。いやもう私のキョドりっぷりとかオタクっぽいとこは見られているんだろうけど、カッコイイ人の前で見栄を張りたい気持ちが抑えきれず。しかしアニソン以外の音楽ジャンルを全く知らないため、結局アニソンと答えたわけである。アニソンってジャンルなのか……?
「アニソンか。あんまり詳しくないや」
「予想通り……!」
「あぁ、でも……ボーカ……ああ、合成音声の曲は聞くよ」
「ボカノを知っておられる!?」
ボーカノイドという合成音声を編集して歌を歌わせるジャンルがある。割とオタク寄りのコンテンツだから、レナさんの口からその単語が出るとは思わずびっくりしてしまった。あ、声は押さえてるので! 所かまわず騒ぎまくる迷惑客じゃないので!!
「友人がね、曲を作ってるんだ」
「ボカノPのお知り合い!?!?!??」
こ、小声で驚いてますから! 大丈夫! 大丈夫だから!
しかし、人は見かけによらない……というわけでもないか。別に、レナさんがボカノ曲を作っているわけじゃないんだし。しかしボカノPの知り合いとは……凄い。凄く正直な所感を言うと、ボカノPはVtuberよりかなり遠い存在だと思っている。天才の集まりだ。いや売れてない、埋もれているボカノPももちろん沢山いるんだろうけど、曲を作れるという事自体が凄まじい。
そういえばリンリンもオリジナル曲出してたけど、つまり作曲家さんと知り合いになったという事だよな……しゅごい。
「歌、好き?」
「あんまり得意じゃないですけど、好きです」
「わたしも好き」
え。
告白!?!?!??!?!?!?
「いいよね。歌うと、わたしってこんなにいっぱい感情を持っているんだ、って……わかるから」
「ああ、やっぱりレナさんって感情薄めなんです……ってすみません!」
「正直でいいね。好感が持てる」
何を言っているのだこの口は。いや私自身はすさまじく感情豊かというか、壮一曰く感情百面相らしいので感情の出口は死ぬほど持っているからあんまりレナさんとは共感できないんだけど、その共感できないという部分が何故感情薄めとかいう罵倒表現に繋がるのか! 少しは言葉を抑える努力をしろ!
「気にしないでいいよ。自覚してる」
「本当にすみません……」
「でも、青眼鏡ちゃんの周りの友達は楽しそうだね。こんなに感情露わにしてくれたら」
「……あー」
好きな人の前だとこうなるけど、そうでもない人の前だとすんごい冷めた感じになるんですよね……。態度で好悪がわかる代表例とか、「人によって態度を変える」というのを辞書に収録するなら私の名前を載せるとか言われるくらい。
だからみんながみんな楽しいかどうかというと微妙……。なんてことをわざわざ言う必要はないか。合わせておくのが最善。
「いいんじゃない?」
「そうなんで、え?」
「友達が楽しければいいと思うよ。興味ない人とか、嫌いな人とか。そういう人の前で自分を出さないのは、特に間違ったことじゃないし。自分が一緒にいて楽しい人の傍でだけ、自分が楽しい、という事を表現出来るのなら……それは素晴らしい事だよ」
「……」
多分、そんな意図は無かったのだろうけど。ちょっとだけ刺さった。
私は今──今のリンリンの前で、自分が楽しい、という事を表現出来ているだろうか。過去のリンリンを投影して、その前で自分を出しているだけになっていないか。
私は彼女といる事を、楽しめているか。
「楽しめないのは、楽しむ努力をしていないから、かもね」
「……楽しむ、努力」
「そ。例えば、手に取った本を、それが全く知らないジャンルであっても、とりあえず楽しんでみる。そうすると不思議と、好きになる。自身の変革を恐れて"絶対に楽しまないぞ"、なんて気持ちで臨んでも、好きなものは増えないし、好きになることは無いよ。変革はしなければならない、なんてことはないから今のままでも何も問題はないけど」
もし、好きなものを増やしたいのなら。
まずは楽しむ努力をしてみるのも──選択肢に入れておくといい。
そう言って、レナさんは立ち上がった。
降車駅だ。
「折角わたしと出会ったんだから、自分の中に何か気付きがないか、探してみると良いよ。それじゃ、悩み悩んで苦しむと良い。頑張れ若人」
そんな風に、また後ろ手を振って去っていくレナさん。ぷしゅー、という音を立てて、電車のドアが閉じた。
……楽しんでみる。楽しむ努力……。
難しい事言うなぁ。
というか本当に何者なんだろうあの人……。
本当に仙女だったりして。
仙女がイヤホンで音楽聞いてたらそれはそれで嫌だな……。
まぁ、楽しむ努力。頑張ってみよう。
後に書く事はあったかもしれない。
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足掻く夢の傷跡
高校生の主軸は勉学である。が、中学生よりバイトが堂々と出来るようになったり、中学生の頃よりさらに広い交友関係の形成が行えるようになった事から、部活や趣味へ割ける時間的リソースが多く、一日の思い出の比率が「勉強」より「趣味」に傾いている高校生が大半であると思う。お金が増えて見聞が広まれば選択肢が増えるからね。
無論、増えた分だけ主軸の方を頑張らなければ、気付いた時にはチェックメイト、なんてことにもなりかねないのだが。
そんな、チェックメイト寸前なヤツが……すぐ近くにいた。
「次のテスト赤点一個でもあったら配信頻度を下げるゥ!?」
「私が言ったんじゃなくて、パパが……」
「く……親御さんの言う事だと私からのアドゥヴァァイスは無理そうだ……」
リンリンである。
何度も言っているが、リンリンはバカである。BA☆KAである。頭の回転は速い方だけど、知識が……常識力が圧倒的に無い。暗記は出来るくせに本を、文章を読まないので知識が身についていないのだ。いや別に本を読まない人全員が常識無い、なんて言うつもりはないんだけど、リンリンの場合その「本」の範囲は教科書や辞書に飽き足らず、マンガや雑誌にまで及ぶ。典型的な活字嫌い。
ただし自身の配信に来るリスナーのコメントを読むのは好きと言っていたので、食わず嫌いなだけだった可能性もあるが……中学生までそういうのを一切毛嫌いしてきたツケがコレ、というわけだ。
「物理と現代社会以外がヤバイか……」
「出る範囲が完璧にわかれば暗記できる部分は全部暗記して……」
「あー」
あー。
まぁ、そうか。別に全教科100点を取らせよう、ってわけじゃない。わかるとこだけ埋めるだけでも、高校のテストなんて赤点回避は余裕だ。一問一問の配点が高いからね。何度か大学入試やセンター試験の過去問をやったことがあるけど、こう、求められてるものが違うというか。あっちは「どれだけ持っている知識を活かせるか」が重要視されているように感じた。高校のテストは「どれだけ理解しているか」であって、「どれだけ応用できるか」はそこまでの比重を置かれていない。
リンリンの適応力の高さはチャンネル登録者数の伸びでわかるだろう。まぁ最近は伸び悩んでいるみたいだけど、それはそれとして。私がどうにか範囲内の問題……テストのテスト、みたいなものを作ってあげれば知識補完部分の赤点回避は行ける、か? 流石に応用部分のフォローは時間的に難しいだろうし。
「んー、二日欲しい。問題集作るから、あー、配信で使ってくれてもいいから、テストまでに全部やること」
「うぇー……」
「点数低かったら散々に馬鹿にされるといいよ。そうすれば多少の」
……ああ、危ない。克己心も形成されるでしょ、とか、勉強の大切さがわかるでしょ、とか。リンリンの嫌いそうなワードを出すところだった。あー、と。そう、こういう所が多分私の良くない所なんだな。レナさんに対してもそうだったけど、思った事を口にするのに躊躇がなくて、しかもちょっと小馬鹿にしているように聞こえる言葉選び。うん。危ないなホントにこの口!
「多少の?」
「多少の赤点回避には繋がるだろうからね。次のテストまであと二週間か。まぁなんとかなりそう」
「じゃあ、今日と明日は遊べない?」
「いつもみたいに長くは無理だけど、一、二時間なら大丈夫。どうせ作業するのは夜中だし。いつも通りリンリンの家でいい?」
「ん」
配信で使ってくれていい、と言ったのは、ちゃんと勉強しているか確かめられるからだ。やったやった詐欺をされては敵わないし。いやまぁリンリンだって配信できなくなるのは困るだろうから、真剣にはやると思うんだけど……それでも「今まで」を省みると、どうしても心配になってしまう。
いや「今のリンリンを楽しむ努力をする」というのを頑張ってみよう、とは言ったものの、こうも危なっかしいと難しいよなぁ、なんて。うーん、この調子じゃ、ライブを見た程度で心境の変化が起きるとは思えないけどなぁ。
●
ところで、リンリンのお母さんはバリッバリの外国人である。リンリンのように見た目外国人中身日本人というわけでなく、内外どっちも外国人。イタリアーナ・マッマだそうで、日本語もちょっとしか喋れない。だというのにリンリンが英語をほとんど理解していないのは、文法的な部分を必要としなかったから、なんだと。リンリンから聞いた話なので単純に覚える気がなかっただけなんじゃないかとか勘繰ってしまうが探りようのない過去である。
そんなお母さん……お母さまは、リンリンの容姿とほとほと似ている。いやまぁリンリンがお母さまに似ているのだろうけど、リンリンと接した時間の方が圧倒的に長いのでこちらの表現で許してほしい所。金髪ロング、青目、白い肌……大きい胸。現リンリンは中学生の頃から全くの発育がないとか言ったら殺されそうだけどそういう見た目のため、将来リンリンママのようになれるのかどうか私は心配である。もしかしたらこのままなんじゃないか、と。
「舌。出して」
「下!?」
「早く口開けて」
「あぁ、そっちか……そっちでもそっちだけどね!?」
そんな……まぁ、不埒な? 想像をしていたら、にっこり笑顔のリンリンが。レナさんといいリンリンといい、もしや脳内を読めるのだろうか。もしくは私自身がサトラレなんじゃなかろうか。最近そう思う事がよくありますまる。
「余計なこと喋る前に、ね?」
「ぇあー」
突き出した舌を指で抓まれ、さらにはそこに輪ゴムを……輪ゴム?
何故か私の舌根に輪ゴムを付けたリンリンは、私の唾液で濡れた指をティッシュで拭いて、「よし」と小さく呟いた。何が「よし」なのか。あとこれをやられたからといって喋れなくなることは無い、というのは理解しているのだろうか。
「じゃ、今から口閉じるの禁止ね」
「……」
え、なになに。なにこの時間。というか何の罰? 私何かしたっけ。いや色々してるけど、リンリンに何かしたっけ? ……いや色々してるなぁ。うん。
さて、当然のことながら、舌を輪ゴムで縛られているのだから唾液がじゅわじゅわ出てくる。じゅわっじゅわ出てくる。しかし口を閉じるの禁止と言われていて、さらには高校生にもなって涎を……親友とは言え人の家でよだれを垂らすわけにはいかない私は、当然。必然!
上を向くことになるわけである。
「はい」
「んぁぇー?」
上を向き、そっ首を晒している私にリンリンが近づいてきて、その両手が首を覆った。あ、これ
「口閉じて良いよ。輪ゴムも取っていい」
「ぇー……んー、んぐ」
輪ゴムを取って、汚いのでティッシュでくるんでゴミ箱に入れて。唾液は飲み込んで。ふう。なんだったんだ。
そうして振り向いたリンリンの手元には、化粧用のコンパクトミラーが。
「……チョーカー?」
私の首に、それまで無かったものがあった。黒いチョーカー。前面に丸いリングのついたシンプルなデザインで、高校生には……というか陰キャオタクな私にはあんまり似合わないオッサレーな感じのチョーカー。でも大人っぽさもあるし、というか結構高そうだな、とか思った。6000円くらいしそう。
……これを私につけたかったのか。プレゼント、という認識でいいのだろうか。
「くれるの?」
「うん。毎日のお礼」
「高そうなんだけど」
「プレゼントの値段気にするとかやめてよね」
「それはそう」
確かに失礼極まりない。いやでも高校生なんだ……あいや、リンリンにはお金がそれなりに入ってきている……けどそれは前の温泉旅行の時も思ったけどリンリンあてのスパチャ等々から出たお金であって! いやでも収入をリンリンがどう使うかは自由だし……。
プレゼント貰って、「高そうだから遠慮します」なんて言うのはあんまりにもあんまりだ。ここは素直に貰って、後日お返しをするか。私だってリンリンにお世話に……お世話に? なっていることだし。
「ありがとう。大切にするよ」
「うん!」
「でも、何故に輪ゴムを舌に巻くなどという遠回しな手段を」
「ん? んー……私が付けてあげたかったから、かなー」
「次付けてくるときは自分で付ける事になると思うのですがそれは」
「まぁまぁいいのいいの」
よくわからないけど、リンリンが幸せそうなので良しとする。
しかしお返しか。やばいな。オタクグッズなんか上げてもリンリンは喜ばないだろうし……いや別にプレゼントって喜ばせるためのものじゃなくて贈るためのものであって別に喜ぶかどうかで選択基準を付けるのは実はよくなかったりするんだよなとか思ったり思わなかったりサルバドール・ダリ。
……まぁ、店頭で悩むか。実物が目の前にないとどうしようもないし。勿論問題集作った後に、だけど。
「……そういえばさ」
「うん?」
「ダンスって出来る? 青眼鏡、なんでもできるよね?」
「オタクが運動出来るとでも?」
「でもなんだっけ、踊ってみた、だっけ? 昔やってなかった?」
「ギャァァアアア」
今一瞬灰になったわ。太陽光かなんかに焼かれて死んだわ。
……まぁ、オタクなら誰しもやった事があるはずだ。動画投稿するしないはあるだろうけど、踊り手さん歌い手さん達のダンスやアレンジを真似してカラオケで騒ぐヤーツ。中学の頃、何度かリンリンの前でひろ……やってしまった事がある。「どこでダンスなんか」と聞かれた時に、ふんぞり返って「踊ってみたというものがあってだね」とか偉そうに説明した気がする。死にたい。あ、死にたい。
……しかし、あんなのは猿真似である。というかモノホンのダンサーがやってるダンスを真似したものを真似しているようなものなので、劣化具合は相当だ。ダンス習ってたって人も幾人かいるんだろうけど、それの全てが動画越しに伝わってくるはずもなく……私のダンスなんて、ダンスのダの字も掴めない程度のふしぎな踊りになっていることだろう。
しかしよく覚えてるなぁ、そんなの。
「あぁ、ライブでダンスやるの?」
「それもそうなんだけど、その前に出すオリジナル曲のMVでダンスすることになって……トレーナーさん付けてもらってるから大丈夫ではあるんだけど、青眼鏡が出来るならそこからも取り入れたいな、っていう」
「無理無理。プロの眼に適うモンなんて一つも持ってないよ。私は所詮独学にわかの権化だし」
「そっか。うん、無理ならいいんだ」
そういうのは……世間に出す商品であるのだから、モノホンの指導に従うのが一番だと思う。私が余計な茶々入れたら壊してしまいそうだし。何より自分が実践できない事を教えるつもりはないと言いますか。ダンスも歌も習った事があるわけじゃないから、リンリンに教える事は何もない! 状態というか。
ぶっちゃけ大手企業にいるんだから、そういう……なんだ、ダンストレーナーやボイストレーナーはたくさんいるだろうし、そっちを頼ればいいんだよ。私なんか頼らないで、も──。
……あれ?
私って、頼ってほしかったんじゃないっけ?
「青眼鏡?」
「あ、ああ。ん。何?」
「そろそろ19時っていうのと、明日日直なのわかってるかな、って」
「いやリンリンじゃないんだからそれくらい把握してるよ~」
「……やっぱり青眼鏡って誘ってるよね。今、そのチョーカーがなかったら首を突いていたよ」
「なにそれ怖い……」
これからリンリンと会う時はこのチョーカー付けるの忘れないようにしよう。
ナチュラルに首を突く思考……なんだ、リンリンはVtuber界でセンシティブだけでなく殺人拳かなんかも学んでいるのか……?
●
リンリンの今を楽しむ努力、という事で、問題集の作成途中ながらリンリンの配信を見る事にした。まぁ文章書いてる時って暇だから他の作業したくなるよね。通話とか動画見るとか。
今日の配信は他の箱とのコラボらしく、私も初見な人と楽しそうに話している姿が映った。ヘッドフォン越しに、いつも聞いているリンリンの声より少しだけ高いその声が響く。まだ外向き用の声だな、なんて思ったりして。
コラボ相手はモルドラントパヤング三世という男性V。男性である。それも声からして30代そこら。いや異様に老け声の中学生とかいるから一概にそうと判断できるわけじゃないけど、この枯れ具合は30代のおっさ……おじさんじゃないかなぁ、と。
モルドラントパヤング三世……略してぱやさんは、設定として「異世界の辺境伯をやっていたモルドラント伯爵家の三代目で、馬上剣術を得意とする国で73番目に強い剣士」であるそうだ。なんじゃそりゃ、とか思っちゃいけないのがVの世界である。なんにでもなれるのがVtuberの良い所であるし、ツッコミ所が多い方が雑談の種になる。実際リンリンも「モルドラントってどういう意味なんですか?」とか「パヤングは焼きそばと関係ありますか!?」とか「一番強い人ってどんな人ですか!?」とか……まぁ、色々聞いている。
コラボは雑談コラボではなく、ゲームコラボ。バトルロワイアル系FPSのゲームをDuoでプレイしていて、二人とも集中しているだろうにリンリンがマシンガントークをするからぱやさんも困って……ないな。普通に喋りながらプレイしている。Vtuberとか実況者はこういう「トーク内容を考えながらゲームをプレイする」っていうのが出来る人ばっかりで凄いなぁ、と。
リンリンはあんまりゲームが得意じゃない。と、私は思っていた。少なくとも中学生まではそうだったはずだ。だが、どうだ。今……FPSなんて難しいゲームで、ぱやさんに助けられながらとはいえ、まともに動けている。何度かプレイしたことのあるゲームだけに、その動きが初心者のソレや致命的にゲームが出来ない人のソレと違う事はわかる。むしろ、中級者くらいの実力はあるだろう。
なんか。
もやっとする。
ぱやさんは随分と物腰の柔らかい人のようで、教え方も丁寧だった。これが何回目のコラボかわからないが、このまま続けていればリンリンも上級者になれるんじゃないかというほど……何か、可能性を見せつけられているようなそんな気がしてしまって。私は自然な動作でブラウザバックにカーソルを。
「……楽しむ努力。『自身の変革を恐れて"絶対に楽しまないぞ"なんて気持ちで臨んでも、好きなものは増えない』、か……」
もやっとするこの気持ちが……「絶対に楽しまないぞ」、という気持ちなのだろうか。そもそも何にもやっとしている? リンリンが誰かと仲良くしている事、は別に良い。リンリンの交友関係が広まるのは好ましいし、それがこういう優しい人なら大歓迎だ。リンリンが楽しくしている所を見るのも勿論好きだ。ちょっと言葉が過激かな、と思う所はあるけど、でも楽しそうだから良い。ゲームは楽しむために作られているのだから、それを素直に楽しめるのならそれが一番。ゲームを楽しんでリンリンを見て楽しめる。うん。最高か?
それで、じゃあ何がもやっとする、って。
「リンリンが……成長してる事を、見せつけられているから、かぁ」
やっぱり、そこなのだ。
私の方が上手かったゲームが、追いつかれている……追い抜かされているかもしれないという事実を認められない? そんなことは無い。私は別段上手い自信があるわけじゃないから。ただ、
ああ、そうだ。私はリンリンに頼られたいし、教えたい。導きたい。それを……リンリン自らが進むようになっている様が、どうしても受け入れられないと悲鳴を上げている。
リンリンに成長してほしくないと、願ってしまっている。
でも、その願いは届かない。
如実に成長していた。この数時間でさえ、目に見えるような成長がある。ぱやさんも驚いているくらい知識の吸収力が高い。触れてこなかったから……
私が、いつの間にか。あるいは最初から──リンリンの成長の妨げになっていたのだ。
それを良しとしていたのに、あろうことか私は……リンリンに外の世界に触れる機会を与えてしまった。Vtuberになるという、他のVtuberと必ず関わる事になるだろう活動を教えてしまった。
ああ、だから、私は私の行いで自身の首を絞めているのか。
「……これじゃ、リンリンの首絞めをどうこう言えないなぁ」
首のチョーカーを触る。存外気に入っていたというべきか、風呂上りだというのに貰ったチョーカーを付けてしまうくらいには付け心地が良くて、ずっと付けている。勿論首の水気は十分に取ってあるからね。
チョーカーを触って、撫でて……あぁ、と自嘲する。なんだろうねぇ。楽しむ努力……かぁ。
結局私は自分しか見えてなくて、その先に何が起きるのか、リンリンがどういう心境の変化をするのかを見極めることが出来ていなくて……こうして苦しんでいるわけだ。はは、何が天才青眼鏡だか。はあ。
画面の向こう。ぱやさんとリンリンがバトロワFPSゲームの一位になった様子が映し出されていて、「やぁったあ!!」とはしゃいでいる彼女の姿がそこにあった。ぱやさんも「やりましたね!」と声を弾ませていて……。その姿が余計に、考える意味のないIFを考えさせる。
もし、初めから……リンリンの周りに、こういう彼女の成長を妨げない大人がたくさんいてくれたら、と。そういう世界線であれば、リンリンはVtuberにはならなかったかもしれないけど……何か別の「今」があったんじゃないか、と。考えても仕方のない事だけど、考えてしまう。
問題集を作成しながら、また溜息を一つ。
『いや本当に、お世辞じゃなく天才だと思いますよ。自信持ってください!』
『えー? ……えへへ、嬉しいなぁ。友達にとびきりの天才がいるからあんまり実感湧かないんだけど、そ、そんなに?』
『ええ、俺……あ、いえ、私が保証します! このまま続ければ、Vtuberの中でも最上位目指せますよ!』
コメント欄で「俺助かる」「俺って言った!」「俺ェ! 俺オレオ! オレェオレオレェ!」等のコメントが流れる中、しかし私の心中は穏やかでなかった。自惚れでなければどう考えても私の事で……ぱやさんは私を知らないとはいえ、その「保証」は確実にリンリンの自信となろう。たかがゲーム、なんてことは絶対に言わない。ゲームだから、不味いのだ。ゲームだから……他のゲームでも出来るんじゃないか、他の事でも出来るんじゃないか。
どこぞの天才()に頼らなくても、教わらなくても、私は出来るんじゃないか、と。
リンリンが自信を持ってしまう。
それは良い事のはずなのに。
「……これでリンリンが完全に私から離れたら……恨むぞモルドラントパヤング三世……」
完全に逆恨みで完全にとばっちりな憎しみをぱやさんに向けて、私は配信を閉じるのだった。
●
「ねえ」
「は、はい!」
「……ありがとう、と礼を言っておくわ。それじゃ」
「あ、あの!!」
「何よ」
「……お茶、しませんか?」
白昼堂々、ナンパに成功しました。
リンリンに問題集を押し付けて、リンリン宛てのプレゼントを百貨店で悩み悩んで決まらずに帰る道の途中、久しぶりにベレー帽の人を見かけた。極々当たり前のようにその姿を
もし犯罪に巻き込まれているのだとしたら大変なので、いつでも110番通報出来るように携帯端末をポケットの中で握りしめつつ更に
そして大きく、溜息を吐いたのだ。
さらには「無いわね」と小さく呟いた。この距離なので声は聞こえなかったけど、カーブミラーに映るベレー帽の人の唇の動きでわかった次第。
ティンと来るわけですよ。これは
そして私は通学路でちょっと年季の入ったロケットを見つけているわけですね。持ち主がわからなかったので念のため中身を拝見させてもらった所、入っていたのは写真……ベレー帽の人と、妹さんだろうか、ベレー帽の人によく似た少女が満面の笑みで映っている写真。なおベレー帽の人はむすっとした顔で。
これでしょう。
これでしょうよ。
なので、その後ろ姿に声を掛けた。
「すみません、お姉さん」
「何よ、ストーカー」
一瞬崩れ落ちそうになった体をなんとか踏ん張って踏み止まる。す、ストーカー!? いえいえそんなことしてませんヨォ!?
などという弁明はせずに、拾ったロケットを見せる。少しだけ目を見張るベレー帽の人。
「……何が目的?」
「え」
「アンタ、前にも私の身体を触ろうとしてきたわよね。そういう趣味?」
「あ、その」
「確かにそれは大切なものよ。だから返して欲しい。対価が必要なのであれば、今すぐに支払うわ。金銭でもそういうコトでも、好きになさい。それを返してくれるのなら、なんだって受け入れるわ」
なんだって受け入れる、ですと……。ごくり。
あ、いやいや、私にそんな趣味は無いし、いやまぁ以前抱き着こうとしたのは事実だしその腰に両腕を回そうとしたことは事実なんだけど、いやその別にそういう趣味があるわけじゃないっていうかいやそうそう言う事じゃないっていうか。
「だんまり。足りないって事? ……何、こんな往来で、脱げ、とでも言うつもり?」
「す、ストップですストップ! そんな事言いませんから! これは返します無償で返します! 単純に落とし物を届けに来ただけです!」
「嘘ね。これが私のものだと知っているのがおかしいもの」
「すみません中身見ちゃいました! これで理由になりますか!」
「……」
余程大事なものなのだろう、ちょっと被害妄想強めなベレー帽の人は、私が差し出したロケットをそっと受け取ると、外傷や中身などを確認した後……丁寧に鎖の部分を巻いて、バッグの中に仕舞い込んだ。あのロケットはチェーンが切れていたから、元はどこか……首やバッグにつけていたのかもしれない。それが切れて落ちたって辺りかな。
そんな感じで無事に誤解も解け、じゃ、じゃあこれで! と去ろうとした私に、冒頭のお礼である。
私は嬉しくなっちゃってナンパをした。うれなん。
さて、喫茶店だ。ナンパは成功し、ベレー帽の人はしかめっ面ながらもお茶に付き合ってくれる事になった。
「制服。高校生よね」
「はい」
「私に何を求めるの?」
「いえ、ホントに、ただ少し……一度だけでもいいのでお話してみたいな、と思ってて……」
「じゃあ、前に抱き着こうとしてきたのは何?」
「気の迷い……で……」
「気の迷い」
そのー、ですね。いえ、初対面どころの騒ぎじゃない人に抱き着こうとしたのはマジで反省のいたすところ山のごとしなんですが、本当に邪な気持ちは無くってですね。
「……まぁ、良いわ。一応、恩人となるわけだし。それで、話したい事って?」
「その、まずはお名前を教えていただけませんか? ペンネームとかあだ名とか偽名でもいいんで」
「みく、と呼んでくれればいいわ。偽名よ」
「大人は全員偽名を持っているって本当だったんだ……」
「常識でしょ」
私の常識が間違っているのか。
「私の事は青眼鏡と呼んでください」
「そのままね」
「それで……あの、不躾で申し訳ないんですけど、あのロケットに映ってたみくさんに似た人って……」
「本当に不躾ね」
「う」
「妹よ。世界で一番嫌いな妹。同時に、世界で一番尊敬している妹」
……え、なにそれエモ。
え、なに? もしかしてこの人Vtuberか? 日常会話でエモを発信できる辺り、Vtuberの可能性が高いぞ? しかし、みく、なんてVtuber……聞いたことが無いな。
「青眼鏡は姉妹や兄弟、いるかしら」
「いえ、一人っ子で」
「シスコンやブラコンという言葉は幻想よ。覚えておきなさい」
「えぇ……」
「よくいるでしょう。姉が欲しい妹が欲しい兄が欲しい弟が欲しいだのとほざく、夢しか見ていないロマンチスト。ああいうのを馬鹿と呼ぶのよ。縁を断つことのできない他人なんて呪いにしかならないわ」
えー。お姉ちゃんか妹欲しかったんですけど……。えー。
えー。えー。
「でも、そのロケットに」
「これを愛情深く持っていると思っているのなら、救いようのないバカね。死んだ方がいいわ」
「酷すぎる」
「これは戒めよ。何かの弾みで妹が普通の人間だと誤認しないように、これを見て思い出すの」
「吸血鬼とかスライムとかなんですか?」
「……本当に救いようのない馬鹿がいたものね」
なにをう。
「……天才、という奴よ。傑物と言った方がいいかしら。なんでも出来て、何でもできて、何でも出来る妹なの。心から、嫌いだわ」
「うぅ……」
「なんでアンタがダメージ受けてるのよ」
いや……私自身はそう思っていないとはいえ、一応天才青眼鏡だのと呼ばれている身ですから……その、あんまり毛嫌いされると傷付く……。
「……連絡先、交換しましょう」
「え!」
「アンタ、放っておけないわ。もう少しまともになるまで面倒見てあげる」
「今はまともじゃないってことですか!?」
「そうよ。馬鹿だと言っているわ」
「直球過ぎる……」
本来こういうのって、ナンパした側が言うものじゃないのか、とか思いながら。
みくさんと
後書きになんか書けよ
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息吹く心の拠所
久しぶりに、例のバトルロワイアルFPSゲームを起動した。操作方法は覚えているけど、数か月前のランクは初期化され、ゼロから。無駄にスペックの良いPCと無駄に高音質なヘッドフォンとこれ以外に使いもしないゲーミングマウスと普通の椅子で、一戦、してみる。ばんばんばん。特に何の問題もなく、最終ラウンドを勝利で収める事に成功した。まぁ、レートの合ってない場所で戦っているのだから、初心者狩りをしたようなものだ。感慨もなく──そして、確実にリンリンより下手になっている事に愕然とする。
下手になっている……じゃ、ないのか。今私は無意識に無視しようとしたけど……私の落ち度であるように言おうとしたけど、違うんだ。違う……違うのかぁ。
リンリンが、上手くなったんだ。
リンリンが、止まっていた私を追い抜かしたんだ。
「……はぁ」
私は自分の事を、馬鹿ではないと思っている。少なくとも自覚──自認かな。自己分析が出来る程度には頭が良いと思っている。だからわかる。リンリンにライブを見せられるまでもなく、私は彼女の成長を認めつつあることを。ずっと無視してきた事実だけど……ああいや、だからこそ、一度目の当たりにしてしまえば正誤確認は容易い。頑張って誤認してきたそれの正しい形を理解する事なんて……それが出来ない程、馬鹿じゃない。
今のリンリンと共にいるのは楽しい。嫌じゃない。ゲームが上手くなろうが、歌が素晴らしいものになろうが、ダンスが出来るようになろうが、沢山の人達から応援される存在になろうが、リンリンは多分、私の傍にいてくれるのだろう。部屋にいると言うのに付けているチョーカーを撫でて思う。あの様子だと、離れる、なんて選択肢を思い浮かべる事もせず、たとえ違う大学に進んだとしても、一緒にいてくれるんだろう。
それはでも、友達として、なのか。
だって、このチョーカーの意味ってさ。友達、ではないんじゃないのかなぁ、って。
あぁ、思っちゃうよ。
知らないフリは得意だ。知ってることが沢山あって、わかる事も沢山あって、どんな質問にも答えられる──答えられるようになる自信がある。そういう生き方をしてきたし、そういう生き方を選んできた。
だから、知らないフリが出来る。知ってるフリより知らないフリの方が簡単だから。だから私は、ちゃんと、知らないフリをした。リンリンが満足気に付けてきたチョーカーの意味なんて分かりきってる。抵抗しなかったのも、指摘しなかったのも、リンリンが満足気だったからだ。彼女の満足を阻害してまで押し通す意思なんか、私には。
でも、この態度も……リンリンのこれも、友達に対するものではない。
友人を友人として扱う。これが、そんなにも難しいか。高校生にもなって、友達の作り方が……作り方じゃなくて、「友達であることを維持する方法」がわからなくなってしまった。
私は今、リンリンが友人であるかわからない。
「……ちょっと不味いスパイラルに入ってるか。……自問自答で傷付くとか、馬鹿みたいだな」
成長を促しておいて、成長するのが嫌だ、とか。
親友面をしておいて、友人かどうかわからない、とか。
矛盾というよりは、蝙蝠だな。どっちにもついて、でもどっちにもいない。
一つ大きく伸びをする。
じゃあ私はどうなんだろう、と考えた。リンリンは成長していて……それを認めざるを得ない所まで来ていて。じゃあ私は──。
●
「推し?」
「うん。出来た」
「ふーん。私としてはリンリンが推しという単語を使っているのが驚きだけど」
「デビュー当時は推しって言葉知らなかったから」
「そんな前からいたって事?」
「うん」
朝のHRが始まる前の空き時間。私もリンリンも凄まじく早く登校するタイプなので、こういう「教室に誰もいない時間」に駄弁っている事がよくある。今日も同じような一コマだ。構図としては私の前の席にリンリンが座っていて、紙パックのいちごミルクをちゅーちゅーやっている感じ。たまに一口貰ったりする。
7月の朝は涼しいんだか暑いんだか湿ってるんだかなんだかよくわからない空気で、一応窓は開けてあるけどあんまり風は入ってこない。でもエアコン付けるほどじゃない、というか流石に二人だけでエアコン付けるほど非常識じゃない。
「どんな人?」
「竹馬乗りながらテニスする人達」
「こわ」
というか危な。
「二人組なんだ」
「ううん、四人組。けど、動画に出てくるのは二人だけだね」
「へえ。どこが好きなの?」
「運動神経が凄いとこと、面白いとこと、ドロップキック」
「物騒な」
そんな異質な人たちなら私が知っててもおかしくはなさそうなんだけど、生憎と知らない。Vオタクを名乗ってはいるけれど、結局好きなジャンルのVしか見ないので、全般に詳しいというわけではないのだ。勉強不足か。もうちょっと見聞を広めるかな。
と言いつつリンリンから教えてもらったユニット名を調べて、とりあえず登録。帰ってから動画を見て登録の維持は考えるとして……ありゃ。
「登録者102人?」
「んー。あんまり知られてないの悲しいけど、私が配信で言っていいものか、っていう……」
「思ったより配慮する頭がある事にびっくグェ」
「あれ、く……チョーカーは?」
「いや流石に学校に着けて来たら没収されちゃいそうだし」
「むー」
「カバンに入れてあるから、ガッコの敷地内出たら付けるよ」
ご所望のようですからね。へえ。
「リンリン効果でバズらせるのは簡単なんじゃない?」
「だからそれが……なんか、恩着せがましいし……」
「増やしてやったぞ、みたいになっちゃう?」
「……うん」
まぁ難しい所だよなぁと思う。持つ者の視点、と罵られてしまえばそれで終わりだし、人に依っては上から目線で見てんじゃねえぞ、なんて言う人もいるだろう。本人たちは何をしてでもバズりたいのかもしれないし、逆に自分たちは自分たちの力だけで上を目指したい、というタイプかもしれない。その見極めは正直メンバーでもない限り出来ないだろう。
裏でコラボのお誘いをかけようものなら……それはそれで、断れば干されるかもしれない、みたいな思考に行きつく可能性だってあるわけで。これでもリンリンは企業所属で140万人のファンを擁する筆頭Vtuberなのだ。無理矢理、という流れはリンリンも好かないだろうし、かといってそのままにしておくのも、という所はある。
「マネージャーさんは、止めておいた方がいいかもしれませんね、って言ってた」
「しっかりした人がついているようで安、心……したよ。まぁ、これに関してはリンリンの納得次第だからなぁ。別に声を掛けない事を見捨てた、なんて言う人はいないだろうし、声を掛けずに楽しむのもアリだと思うよ」
「うん……そうしてる」
推しとコラボしたいかどうか、もあるか。リンリンにとって「画面の中にいて欲しい人達」なのか「一緒に遊びたい人達」なのかはわからないわけだし。
……安心した、なんて。冗談にしても笑えないけど
「ん……誰か登校してきたみたいだから、この話終わりにしよう」
「いつも思うんだけど、何が見えてるの?」
「いやこの角度からだと校門見えるんだよこの席。ほら、B棟の窓越しになっちゃうけど」
「視力低いんじゃないっけ?」
「低いから何か動くものがあったら楽観視せずに言ってるんだよ。もしかしたら先生かもしれないけど、まぁ止めておくに越したことは無いでしょ。個人が確認できる程だったら私はマサイの戦士になってる」
「ん」
……あるいは、ただ単純に「推しを布教したいだけ」なのかもしれないけど。
それはマネージャーさんと確認してもろて。
「青眼鏡の推しは誰なの?」
「リンリン」
「私がデビューする前は?」
「……教えない」
「えー」
教えられない。リンリンの情操教育に、あまりによろしくない。今でも応援してるし好きだけど、やる事が過激すぎる。あのアウトローを煮詰めたような人は……その、リンリンがもう少し大人になってから……いや、いつまで経っても教えられそうにないな。うん。お口チャック。
「ほら、この話は終わりだって」
「ぶー」
その膨らませた、可愛らしい頬をぷにっと潰して。
仕返しに喉を突かれるなどした。
●
テストまであと二日を切っているけれど、変わらず夕方のリンリンハウスに私はいた。意外や意外、というとちょっとアレなんだけど、リンリンはしっかり勉強をしているらしい。配信でやっていたのはそれはもう酷いものだったけど、そこから復習という名の暗記をしているらしく、範囲内の要点は大体覚えているのだそうな。先ほど口頭で軽くテストをしてみたけど、これなら赤点回避はいけるかな、という感じ。
「褒めてあげよう」
「他の事なら嫌だけど、これは素直に嬉しいので喜んであげよう」
「喜んであげるとは」
なんでも最近ゲーム熱が凄いらしく、今は家庭用ゲーム機で大混戦するスカッシュなゲームをしている。リンリンがベッドの上に座って、私はリンリンの足の間に座って。リンリンが吹っ飛ぶたびに両膝が閉まって私の肩が圧迫されるのをどうにかしてほしい。何故隣ではだめなのか。あと足で脇腹グリグリするのやめてほしい。足癖が悪すぎる。
お返しにリンリンの太ももへ息を吹きかけてあげる。
チョーカーの後ろのチェーンを思いっきり引っ張られた。
「そういう、ことか……!」
「ほらほら忖度しろー!」
「しかし残念!」
「あぁあああああ!!」
少し安心してしまっている自分がいる。このゲームは、私の方がまだ強い。圧倒的に強い、と言い換えてもいいくらい開きがある。
けど。
「リンリンは掴みを覚えるべきだね……ほら、攻撃しないであげるから掴んでみて」
「良いから殴られろー!」
「さっきからVのキャラ出てな~い?」
「キレたわ」
あ、この、腕に直接攻撃はズルいだろ!
「大人しく! ぶっ飛ばされてよ!」
「ハァーッハッハッハ、その程度の妨害では追いつけないぞリンリン! 弱い弱い弱い!」
「じゃあこうしよう」
「は?」
視界が真っ暗になる。え、何、私光を失った?
ゲームのキャラクターがボッコボコにされる音を聞きながら、目元に手をやれば……アイマスクか。いや卑怯にも程があるだろう……そんなに勝ちたいか。それで勝って嬉しいのかね。
「嬉しい!!」
「そかー」
「……というのは冗談で、そのアイマスク取らないでね」
ああ、やっぱりこれを付ける口実だったのね。それで、今回は何を貰えるのでしょうか。私からのお返しもまだなのに、いやぁリンリンは手厚いねぇ。
「口開けて」
「また輪ゴム?」
「いいから」
テレビの電源を落とす音が聞こえた。もうゲームはいいらしい。いや、こっちに移行する、という名分があったから利用しただけで、勝てないと判断したゲームを止めただけかもしれない。半分くらいそういう理由な気がするけど藪蛇だろうからノーコメント。
とりあえず口を開けて待っていると、突然前歯に何かが触れた。驚いて口を閉じようとして、カツン、という硬質な音に阻まれる。……歯ブラシ? にしてはブラシ感がないな。
「えっほ……?」
「触るよ」
「へぁぇ?」
触るよ、と言われてすぐに、来た。これは……リンリンの指? 真っ暗だから何も見えないけど、私の正面に回ったリンリンが私の口の中を触っている、のかな? 何のために?
あとこれ、形的に歯ブラシじゃなくてデンタルミラーか。なんでそんなもの持ってるんだろ。
「あぉー」
「うんうん、虫歯なし!」
「あんおあういん?」
遺伝的に虫歯菌がいない、というのもあるけど、歯の清潔はそれなりに保っているつもりだ。何をしたいのかよくわからないまま、デンタルミラーは抜かれていった。もう閉じて良いよ、とのことなので口を閉じて、唾液を飲み込む。アイマスクはまだダメらしい。
「会社で、大人の人に聞いたんだ。虫歯って移るんだって」
「あー、キスをすると虫歯菌が移るって言うね……待って」
「大人のキス、というのを教えてもらいました」
「待って」
しかし聞いちゃくれないのがリンリンである。
そのまま……リンリンは私の肩へ手を回し、いつかのように後頭部を掴む。いやこれってワイルドな男性が女性にやるタイプの──。
「ん」
この間の、唇と唇を合わせるだけのそれではなかった。教わった、というのは本当らしい。誰に、どうやって、という疑問を問い質す暇もなく──入ってくる。にゅる、と。唇を──歯を割って、入ってくる。絶対友達でやる事じゃないんですけど、とか、こんなとこリンリンの両親に見られたら大変だぞ、とか、そもそも私の恋愛対象は普通に男性なんですけど、とか……。
全部、吹っ飛んでいった。
アイマスク越しに、リンリンの荒い呼気が伝わってくる。今彼女がどんな顔をしているのか。今彼女が、どんな気持ちでこんな蛮行を行っているのか。これが恋愛感情で行われている事なのか、はたまた別の……もっと歪んだ気持ちで行っている事なのか。
わからない。もう私には、リンリンの気持ちが……彼女が友人であるかどうかが、わからない。だって今、私は襲われているのだから。
「っぷはぁ……」
「……」
「どう? 虜になっちゃった?」
……。
本気、なんだろうか。本気でそれを言っているのだろうか。
じゃあなんで、アイマスクなんか付けたんだろう。虫歯の有無を見たのだって、それは、だって。
「もう一回やるよ」
「……」
リンリンは、リンリンなりに私を引っ張り上げようとしているのかもしれない。頑なに動こうとしなかった私をどうにか動かそうとしているのかもしれない。けど、心底勝手なことだとは理解しているけど、もう私はリンリンを認めつつあった。自身の停滞を忘却しつつあった。でも、そんな時にこんなことされたら。
私の中にあった、「今のリンリンを認める」という感情が──「今のリンリンを避ける」という方向に固まってしまう。咥内を蹂躙されながら、でも、抵抗はしない。舌を舌で弄ばれながら、歯を撫でられながら、口を吸われながら……何もしない。私は、腕すらも力なく投げ出して、されるがままになる。
「ねぇ、どう? 気持ちいいでしょ? キス。これからもしてあげるからさ」
ずっと一緒にいて欲しい。
リンリンは言う。私のアイマスクも取らずに、言うのだ。
ああ、これはもしかして、「一方的に与えられる側の不快」がどれほどのものなのか、というのを実体験させてくれているのかもしれない。私が散々やってきたことを、その立場を逆転させて。それなら……ああ、謝るしかない。こんなにも、こんなにも。
こんなにも──悲しいのか。
与えられるだけ、というのは。
「他の人を見ないで欲しい。Kさんとか、ベレー帽の人の話を嬉しそうに話してる風音を見るたび、凄くイライラしてた。私だけを見てほしい。私だけに好きを注いでほしい」
同じだ。私も、リンリンが誰かを頼っているのを見て……言葉には出さずに、ずっと不安だった。私の腕の中からいなくなってしまう事に恐れを抱いていた。いつか私を見なくなってしまうんじゃないかと、怖くて怖くて仕方がなかった。
でも、それを今向けられて……ようやく気付く。
重いし、怖い。
なんでそんなことを言われなきゃいけないんだろう、って。思ってしまう。
「もう一回、するよ」
また来た。
余程感情が昂っているのだろう。私の呼吸を見る事すらなくなって、激しく咥内を──舌を
──"誰が一番、その子に影響を与えているのか"
「はぁ……!」
リンリンが"こう"なってしまったのは、じゃあ、やっぱり私のせいなのか。私が今までしてきたことを、形を変えて私に返してるだけだ。そうだ、あの時言っていたじゃないか。「毎日のお礼」って。
口の中に指を突っ込まれる。そして舌を抓まれ、ぐい、と引っ張り出された。むにゅむにゅと揉まれ、それを横合いから舐められる。舌裏にも伸びてくるそのザラザラは、随分と美味しそうに動き回っては抉るを繰り返す。ようやく放された舌も、しかし口を閉じるのさえ億劫で。
ようやくリンリンは、私の様子に気付いたらしい。
「……風音?」
「……」
「アイマスク、取るね」
視界が開ける。
突然の明るさに、しかし瞬きをしない。
「あ……」
「ごめん」
今瞼を閉じれば、涙が流れてしまうから。鋼の意思で、瞼を閉じない。閉じずに謝罪をした。
「今まで、ごめん。ようやくわかった。酷いことをしてきた。ごめん。ごめんなさい」
だから。
「もう、止めて欲しい。これ、返すね」
首のチョーカーを取って、リンリンに渡す。手に取ってくれそうになかったから、テーブルに置く。リンリンはびっくりした顔のまま、止まって動かない。袖で目元を拭いて、カバンを持って立ち上がる。自己嫌悪が凄い。とんだピエロだ。何が親友だ。私は今まで何をしていたんだ。リンリンにちゃんと向き合う事を避けてきたなんて可愛らしいものじゃない。リンリンに何を強いてきた。リンリンに何を押し付けていた。
「ま、待って」
「ごめん。ちょっと一人にしてほしい。本当に、今までごめんね。お邪魔しました」
彼女の制止を無視して、彼女の家を後にする。
風の当たる首筋が寂しいけれど、寂しがる権利などない事を思い出す。
レナさんにも、みくさんにも会うことは無く──私は帰宅した。
●
「
「はい?」
「ちょっと聞きたいんだが、数学科の補習教材の……」
そんなことは数学科の教師と相談しろよ、とか思わないでもないけど、そんなことは担任も重々承知だろう。その上で私に相談してきたという事は、生徒目線の話が欲しかったのか。
「あー、ちょっとコンピュータルーム使っていいですか? 簡単に作成しておきますよ」
「本当にすまんな。お前もテスト勉強があるだろうに……」
「昼休みの一時間程度でどうにかなるような勉強はしてませんよ。安心してください」
「頼んだ」
私のこっ恥ずかしいあだ名を広めているらしいこのハゲ……担任も、流石にテスト準備期間となると忙しそうだ。いや広めているっていうか使っているだけなんだろうけど。
パソコンを平均以上に使える、という事から資料作成を頼まれる事がたまにある。内申点稼ぎにもなるし、まぁ特に苦ではないので普通に承っているけど、なんならバイト代もらえそうだよな、とか思ったりしなくも無かったり。
コンピュータ室の鍵を受け取って、冷房のそこそこ利いた部屋に一人入る。マザーコンピューターの使用許可も取っているし使用方法も知っているのだけど、あんまり大事なファイルの入ったそれを一生徒が触るのもどうかと思うので、普通にその辺のPCへ。
高校数学は文字面だけじゃ何を言っているかわからない話が多いだろうから、図形付で資料を作っていく。文章は教科書のものをそのままに、図解だけをいくつか作った所で20分。印刷に5分かけて、スライド化したデータを大容量記憶メモリに保存。これで30分くらい。結構かかっちゃったな。
職員室に紙の資料とデータを持っていけばミッションコンプリート。
「ああ、新舞。ちょっといいか?」
「はい」
「この電卓なんだが、電源がつかなくてな。みて欲しいんだ」
「んー……ん? ……ドライバーってあります?」
「ああ、ここにあるぞ」
「この臭い、確実に液漏れなので……っと。あぁ、やっぱり。これ処分ですね。電池はもっと良いヤツ使ってください」
「処分か……」
「必要経費ですよ」
というか電源がつかなかったらまず電池を疑え。常識だろ。
「新舞さん、新舞さん」
「はいはいなんでしょうか」
「このマイクが……」
「中で断線してますね。工作の先生に半田で直してもらうと良いですよ」
「ありがとう」
……まぁ、頼られるのは悪い気はしないのだが。
さて、そろそろ時間なので教室へ急ぐ。職員室付近にいると何かしら仕事を頼まれて、修理だの作成手伝いだのエラーチェックだのなんだのと時間を食われるからあんまり近づきたい場所じゃない。
内申点の大事さに目がくらんで、入学早々にお手伝いをしまくったのが確実にダメだった。見通しが甘い侍。
教室に戻ると、ブラックコーヒーの缶をちびちびやってる京子と目が合った。何故って、私の机に座っているから。
「もうチャイムが鳴るぞ。退け退け」
「その前に殴らせろ」
「仲直りはしただろ」
「……また、だろ?」
京子の視線の先には──思いつめたように俯いて顔を上げないリンリンの姿が。
「……今回は喧嘩じゃないから、ちょっとほっといてくれ」
「……今回だけは見逃してやる。それと、姉貴から伝言。レナって人は知らない、だとさ」
「ありがとうございます、と伝えておいてくれ」
「ああ」
じゃあやっぱりアレは完全な偽名なのか。なんでそんなもん持ってるんだあの人……。
あー、せめて学年が分かればなぁ、と思っての事だったけど、所在すら掴めないとは。実は存在しないんじゃないか?
……今朝も変わらず音楽を聴いていたから、私の視界内にはいるんだけど。
「……あ、お昼食べてないや」
そういえば。まぁ食べなくても平気とはいえ……。ん?
机の中に、メモと焼きそばパンが入っている事に気付く。メモには、お疲れさん! とだけ書かれている。ラップにくるまれた焼きそばパンを取り出して、壮一の方を見れば満面の笑みでサムズアップ。
陽キャにも程がある。少しくらい配慮を欠け。
パンは美味しくいただいた。
●
あぁ、本当に。
強がるのもいい加減にしないとなぁ。
ねえ。
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夜の声音が居付く
まだV要素薄目
「頼む~、リンリン! Vtuberになってほしいんだぁ」
そう言ってきた親友に、とても新鮮なものを感じて、話を聞いてしまったのが運の尽きだと思う。そこで、私はすべての運を使い果たしてしまった。
あだ名を青眼鏡というこの親友は、中学生の頃からの付き合い。あまり……ううん、全く友達のいなかった私を外に連れ出してくれて、みんなの輪に入れてくれた恩人。そもそも日本語があまり話せず、口数自体も多くはないママや、仕事で忙しくあまり家に帰ってこないパパより、ずっと、ずっと、一緒にいた気がする女の子。
今の私は彼女無くしてあり得ない。彼女との思い出や、彼女が教えてくれた事は全部覚えているし、私の支えになっている。
私の半分以上は、彼女の存在で成り立っていると言っても過言ではなかった。
もう少し小さい頃、私は自身の容姿が好きじゃなかった。嫌いだったかもしれない。金色の髪の毛。
青色の眼。目鼻立ちや顔の輪郭のどれもが、みんなと違った。カワイイとか、キレイとか、そう言ってくる人達が心から理解できなかったし、止めて欲しいと思った。だって私はこの見た目のせいで、みんなに話しかけてもらえない。異質な容姿のせいでいつも遠巻きに眺められるだけ。誰も私を見てくれない。
……今に思えば、少なからず……私にも原因があったのだと思う。自分から、みんなの輪に入ろうとしなかった。誘ってもらえるのを待って、話しかけてもらえるのを望んで、仲間に入れてもらえるものだと信じてた。
そんなことはなくて。小学校は、本当に寂しくてつらい日々が続いた。終わるまで、続いた。
中学に上がって、初めて話しかけてくる子がいた。それが青眼鏡。話しかけてきたと言っても、第一声が「君カワウィーネ」だったから、正直あんまり印象はよくなかった。この人も私の容姿を小馬鹿にする人なのかな、と。そう思ってた。特別視という名のからかいはもう散々だったから。
でも、違った。交わした言葉は三つだけ。
「今、楽しい?」
「まだわからない」
「わかった。任せて」
たったこれだけで、たったそれだけで、青眼鏡は私の事がわかったと言った。私の理解が全く追いつかない速度で、私を理解したと。怒りさえ込み上げるその身勝手な言葉も、彼女が真っ先に引っ張って連れてきた明るい男子と鋭い目の女の子の前に散って消えてしまう。
男の子と、どうみてもあんまり素行のよろしくない女の子。怖い、と思った。
でも。
「アニーちゃん、だっけ。俺はソーイチっていうんだ。よろしくな!」
「京子。この馬鹿とは長い付き合いなんだ。よろしく」
気さくに、まるで「いつものこと」みたいに自己紹介をしてくれた二人に、自然と、私も声を発することが出来た。まるで「今まで当たり前のようにしてきた事」みたいに、壮一君と京子ちゃんの手を握り返すことが出来た。
出来ないと思い込んでいたからできなかっただけで、元々できるんだよ、リンリンは。そう、言われた。
青眼鏡は「ということで」なんて言って私の手を引いて、わいわいと沢山のクラスメイトの集まる教室の中心に、放り込んだ。流石に静まり返るその場に、やっぱり無理かもしれないと顔を背けようとした。けど、青眼鏡が「ほれリンリン、自己紹介自己紹介! 大丈夫大丈夫リンリンのへったくそな英語は誰も期待してないから!」「出来るよ、君は。だってさっき出来たからね」。そう、背中を押してくれた。
私は、驚くことに緊張もせず……自分の名前と、へったくそな、と言われたように英語が全然わからない事と、よろしくね、と。それだけの、簡潔な挨拶をした。
目を瞑る事も、俯くことも無く……そしてそれは、まばらに上がった「よろしく!」「よろしくなー」「アニーちゃんでいい?」「えー、英語教えてもらおうと思ってたのに!」という暖かい言葉に迎えられた。ああ、本当だ、って。大丈夫だったんだ、って。
お礼を言おうと、そして貴女も一緒に、と。
青眼鏡の方を振り返っても、そこに彼女はいなかった。
中学三年生の頃、色々と悩む時期があった。進路とか勉強とか資格とか、色々。色んな人に相談して、青眼鏡にもいろいろ聞いて……でも、その時からすでにもう、ちょっとした煩わしさを感じていたのだと思う。聞いた部分だけじゃなく、聞いていない部分にまで「こうしたらいいんじゃないか」とか「こうするときっとよくなるよ」とか、そういう……なんだろう、助言のようなものを出してくる青眼鏡に少しだけ嫌気が差していた。
……その助言に従うと、私にとって良い事が必ず起きるから、さらに悔しくなった。天気予報の一つだって、青眼鏡は外さない。どれだけ外が晴れていても、ニュースで降水確率がゼロだと言っていても、青眼鏡が「傘を持って行った方が良い」というと必ず雨が降る。もしくは、傘が必要な場面に立ち会うことになる。
それは「天才」なんていう小さな言葉では言い表せない……予知とか予言とか、そういう類のことじゃないかと疑ってしまうような程で。彼女曰く「ちょっとした推理だよ」というそれに、仕方なく従う日々が中学の終わりまで続いた。何の損もない、本当に幸せで楽しかった──どこか効率的な、学校生活だった。
春休み……というか高校進学のための準備期間に入って、冒頭の言葉を投げかけられるに至る。
今まで「こうした方がいい」という助言ばかりをくれていた彼女が、「これをやってほしい」と頼み込んできた、珍しい出来事。
彼女が齎してくれた幸運の中でもとびきり最上級の、もうまたとないだろうチャンス。
私はそれを受けて──Vtuberになったのだ。
〇
調子に乗っていたんだと思う。
ファーストフード店や文房具屋さんでバイトをした事がある程度の職業経験しかなかった私が、青眼鏡の仕業とはいえ大企業の面接を受けに行くことになり──しかも、受かってしまった。私だってアイドルやモデルなんかのタレントへの憧れは人並みに持ち合わせている。だから、形は違えど「マネージャーさんを付けられて」「トレーナーさんとダンスや歌の練習をして」「カメラの前で、話して、歌って、踊る」。
そんな存在に自分がなったのだ、という事実は、でもプレッシャーよりも誇らしい気持ちが勝った。なんて幸運なんだろうと思ったし、そんなに自分は「出来る子」だったのかと、嬉しくなった。
ママもパパも、Vtuberという職業に理解はなかったけど、その大企業の名に「すごいじゃないか」と言ってくれた。凄いことなんだと、改めて思った。
高校入学を挟んで、二か月。
前代未聞のスピードで100万人の登録者を越え、120万人が私を見ているという時になって、ようやく、ちょっとだけ怖くなった。私はそんなに面白い人間なのか、と。
……それさえも肯定してくれた青眼鏡によって、私はさらに自信を持つことになる。
そして段々と調子に乗り始める。自信は確信に変わる。自分は面白いのだと。自分は実力で、ここまで登ってきたのだと。
私にはもう、青眼鏡の助言は必要ないのだと。
彼女は自虐的に「自分は付き合いが悪い方だ」と良く言っていた。でも、彼女と少しでも関わった事がある人からすれば、何を言っているんだろうと思うだろう。確かにちょっと口は悪い。でも、面倒見が良いし面倒事の解決能力が高いし、何より頭が良い。学業でも恋愛でもその他の事でも、なんだって相談に乗ってくれて、解決までの道筋を示してくれる。生徒だけじゃなく先生まで彼女に相談をするくらいだ。どれほど頼られているかなんて、推して知るべしだろう。
青眼鏡は私の事を「クラスの人気者」とからかうけれど、それを言うなら彼女は「学校全体の人気者」だ。確かに人と遊ぶことは少ないし、あんまり会話にも加わってこない。積極的に人と話すタイプじゃないのはわかっているけど、どれほど楽しそうにみんなが騒いでいたって、あんまり輪に入りたがらない。彼女自身の言う通り内向気質であるのは間違いないんだろう。
でも、私なんかよりずっと顔が広いし、様々な学年・学科の生徒・先生が彼女を頼りに来る様を「人気者」と称せずしてなんと言えばいいだろうか。ぶっきらぼうで、先生以外には不機嫌な顔を隠そうともしないけれど、それを受けて尚周囲が集まってくるほどの──有能。もしくは、天才。それが青眼鏡だった。
でも、だから、やっぱり。
そんな天才さんの助言で今の自分がある、というのがあんまり好ましく思えなくて、段々と彼女の元から離れるように──Vtuberの活動の方に集中していった。
私は私の実力で駆け上って、そして、あの天才の横に、天才の言葉無く並び立てるようになる──なれる素質があるのだと。
……その思い上がりは、残酷なことに、打ち砕かれなかった。
〇
歌も。ダンスも。配信も。動画も。何もかも──評価される。それも、いい方向に。
リスナーのみんなからだけでなく、会社の人達からも褒められる。誇らしかった。だってこれは、青眼鏡の助言のない領域。青眼鏡は歌もダンスもあんまり得意じゃないし、配信なんてやらないし、動画も出していない。だからこれは私の実力で、その評価は全部私のみに向けられたもの。
あれだけ嫌だった「かわいい」とか「綺麗」とかいう言葉も、Vtuberとしてのキャラクターを通してなら心地良く感じられたし、持て囃される事が楽しくなっていた。青眼鏡にさえ「面白い」と認められたその事実に鼻を高くして、どんどん調子に乗っていったのだ。
友達も沢山増えた。同い年の友達より、年上の……大人の友達が。ニャンさん。春藤さん。ユーリカさん。花ホルダーさん。色々な経験をしてきた人たちが、私の事を褒めてくれる。青眼鏡の関係のない所で、私を見てくれる人達がこんなにもいる。
嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて──。
私は青眼鏡に、今まで思っていた「嫌な事」の一部をぶつけた。
……その時は、上手く行った、と思った。ニャンさんに「キスをするのは恋人同士という証よ」という話を聞かせてもらった時は耳まで赤くなってしまったけど、不思議と自分が言う分には恥ずかしくなくて……なにより、いつも冷静な──言動はハイテンションだけど──青眼鏡が焦っているのが面白くて、自分の行動が彼女を驚かせていると言うのが嬉しくて、本当にキスまでしてしまった。
呆けた顔で私を見上げる彼女に心から──征服欲のような、「私はこの子に勝てるんだ」という思い上がりが体を満たしていくのを感じた。
キスも、首も。今まで
だから、その支配に少しでも見せた反抗心に、イラっと来てしまった。
〇
まだ言うか、と。
キスをされて、それを受け入れても尚、彼女は私に「助言」をしてきた。そっちにはいかない方がいいよ、と。何様なんだと思った。それくらい私は、思い上がっていた。
貴女の主人は私だと言わんばかりに。
だから、主導権はこっちにあるんだとわからせるために、彼女をベッドに押し倒した。噛みついてくる犬には躾が必要だと思ったから。イライラしていた。凄い。凄く。
気に入らない。気に食わない。その、私は心配しているんだよ、とでも言いたげな瞳が──心から、嫌い。
でも、嫌いになってしまうよ、と言っても、友達に向ける目じゃない、なんて自分を棚に上げて指摘しても、彼女は止めなかった。どころかもっと強い意思で私を窘めるように言葉を放つ。
ふざけるな、と。そう思った時には手が……ああ、膝が出ていた。
暴力に走るようになってしまうくらい、理性のタガが外れていたのだ。
でも、どんなに苦しめても彼女はその目を止めなかったし、その優しい声を止めなかった。情に訴えても、正当性を主張しても、彼女は今なお私を
なんで、この子は……私を認めない。私が上にいる。だって私は沢山の大人に認められる実力があって、沢山の人に見てもらえる魅力があって、貴女を支配する力があって!
あんなに、簡単に、貴女は私を
それとも、何?
もしかして貴女は、私を……主人でも、友達でもなく、ゲームのキャラクターか何かのように見ているの?
だから、私の「本気」が伝わらないの?
そうやって思いの丈をぶつけている内に、とうとう……ううん、ようやく、彼女が抵抗を見せた。
「リンリンが私の事見てくれたら、考えるよ」
──。
ゾッとした。
あれ? と。あれ? と。あれ? と。
おかしいな、と思った。
私の拘束なんか簡単に抜けられて、乾いた声で何か、酷く聞きたくない言葉を吐いて。
「もし、不快だったら。早めに切り捨ててくれていいよ、私なんて」
そっか。そう言って
あれ?
心に残った疑問が、消えなかった。
〇
マネさんから初ライブが決定した、という話を聞かされた時も、どこか上の空だった。
幾度となく自分の手のひらを見て、鏡を見て、考える。
自分が何に疑問を抱いているのか、わからないのだ。疑問を抱いたことは覚えているのに、何を疑問に思ったのかを忘れてしまった。忘れてしまった、というか……思い出さないように、脳が隠してしまった、みたいな感じ。
青眼鏡が無理矢理私の腕を掴んでカラオケ店に連れ込んできたときも、勝手に納得した様子を見せつける彼女に怒りを抱きながら、それを考えていた。いつものように自虐的で、自己評価が低い彼女の弁論を聞きながら。全く以て見当はずれな話をしている彼女は、私が支配欲に浸っていた事なんて微塵も考えていない様子で、自分が如何に愚かな視点をもっているか、というのを力説していた。
多分、素直に私の話を……ただの友達になりたいのに、みたいな言葉を信じているのだ。私の内心になんか気付かないで、まるで私が何も知らない馬鹿な子であることを前提として、話を進めていく。
あぁ、やっぱり。
もうこの子の言葉は私には必要がないんだな、と思った。
でも同時に、この子を手放すのは嫌だと思った。中学生の三年間をずっと抑圧されていたのだから、せめて同じ期間以上は返してもらわないと。そんなことを考えて。
「つまりは、私が頑張って、
あぁ、そうだ。主人を見失った犬だというのなら、私以外が見えないようにしてしまえばいい。
そうだ。別に深く考える必要はなかった。ライブで見せつけるのは勿論の事だし、何か形に残るものでも縛ってしまえばいいと考えた。
翌日、リスナーさんからもらったお金で、チョーカーを買って。舌を突き出して上を向く彼女に白い首に、それを着けた時……酷く興奮した。その意味がわからない青眼鏡ではないだろう。だけど、抵抗しないという事は、彼女が私の支配下にあると、彼女が私の下にいる事を認めたんだと。
嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらなかった。たまらない。たまらないと、顔に手を当てて喜んだ。
彼女が帰った後も、首輪を付けた彼女の姿を想像して……優越感に浸った。それほど、私は彼女に抑圧されていた──そう、感じていたんだ。
……でも、それだけじゃ足りなかった。まだ足りないと思ってしまうくらい、私の征服欲は膨れ上がっていたんだ。
〇
ニャンさんとのコラボがあった。青眼鏡と形だけの仲直りをして、だというのにパパから残酷な条件付きで配信頻度を下げろと言われる恐ろしい話があったけど、それはそれとして毎日の配信で。
その打ち合わせ中に、この間教えてもらったキスをした、という話になった。私から振ったんじゃなくて、ニャンさんが言葉巧みに引き出しただけ。でも、唇を交わすだけがキスじゃないのよ、と言われて衝撃を受けた。そこから妙に具体的な効果音や質感で語られる、大人のkiss。ぜひ、やってみたいと思った。
なんでも大人のキスは、されると気持ちいいらしい。上手い人がやると虜になってしまうのだとか。通話越しではあったけど、早速レクチャーを受けた。すごく、えちえちだった。
ニャンさんとのコラボを無事終えて、その翌日。
早速青眼鏡を家に招き、適当な口実を付けて目隠しをして、準備完了。
制止をかける青眼鏡を無視して唇を合わせ、さらに舌を入れる。自分の咥内とはまた違う温度の空気で満たされたそこにいた、驚いたまま動かない肉根をざらりと舐め上げれば、青眼鏡が肩をびくびくと震わせる。気持ちいいっていうのは本当だったんだ。じゃあもっとやれば、もっと虜になるはず。
舌で舌を舐めたり、無理矢理引っ張り出した舌を前歯で甘噛みして、その根元や横合いを舐ったり、頬の内側や歯を撫でまわしたり。息が続くまでやれること全部をやった。アイマスクで目は見えないけど、こうまでされたらあの反抗的な目もとろけている事だろう。ニャンさん曰く視界が塞がれていたほうが効果的ということなので、このアイマスクは取れないけど。
息継ぎをして、もう一回。
青眼鏡の咥内を蹂躙する愉しみが止められない。抵抗できないくらいドロドロに溶かして、私が上であることを思い知らせてあげる。私だけを見るように、Kさんだのベレー帽の人だの、よくわからない人達なんか見ないで済むように。
貴女は、私だけのために──私のいう事だけを聞いて生きていればいいんだから。
だから、また。息を吸って、またやる。
気持ちいいでしょう。虜になってしまったでしょう。私と一緒にいれば、これをタダであげるよ。私に従っていれば、私の魅力を分け与えてあげるよ。だって私はもう、貴女より凄いんだから。
だから、ずっと一緒にいようよ。
散々舐って──青眼鏡が、口を閉じるのを止めた事に気付いた。腕も足も力なく投げ出されていて、さっきから反応も無い。
あれ? と。また、疑問が湧いた。
恐る恐るアイマスクを取る。
「あ……」
彼女は、目隠しの下で尚目を開いたまま──泣いていた。
泣いていた。初めて見た。青眼鏡の涙なんて。
おかしいな。
「ごめん」
おかしい。
おかしいな。
「今までごめん」
違う。違わない?
ねえ。これは、そうじゃない……そうじゃなかったよね?
「ようやくわかった。酷いことをしてきた。ごめんなさい」
謝ってほしかった? 私を抑圧してきたことを?
……抑圧。そんなの──本当に、された? ねえ。本当に、された覚えがある?
「だから、もう──やめて欲しい」
そんな顔をされるような。
そんな顔を、させてしまうような。
なんで貴女が──謝っているの。
「今までごめんね」
そんな──もう、いなくなってしまうかのような言葉を。
〇
彼女の助言は、私に幸せを運んでくれていた。
それが、私の幸せが彼女に作られたもののようで、嫌気が差した。
──何を勝手な。その言葉に従う事を決めたのは私で、それを決めたのは、損をしたくなかったから──もっと幸せが欲しいと願ったからに他ならない。無視をする事を恐れたのは、自分だというのに。
彼女に関係のない所で実力を発揮し、それを認められた。
天才の言葉は必要なく、私は自身の努力のみで今この場に立っている。
──本当に? 誰かが声を掛けてくれるのを待つばかりで、Vtuberになったのだって彼女に薦められて。私に起きた物事のあらゆる切っ掛けは彼女が持ってきてくれたのに、彼女は本当に関係がない?
ずっと彼女に抑圧されてきた。私の自由なんてなかった。
だから今度は私が彼女を支配し返し、私を認めさせるんだ。
──彼女は自分のために、私へ言葉を投げかけていた? そんな馬鹿な。全て、私のため。私がもっともっとと強請ったから、彼女は身を粉にして私を守ってくれていた。それを支配と罵るのか。
ああ。
なんて──恩知らずなんだろう。
恩を仇で返す、という言葉があったと思うけど、まさにそれだ。私は。私は。
私は、今までに……彼女に何かを返したことがあっただろうか。
ずっと貰ってばっかりで、ずっと貰っていて、ずっと、ずっと、ずっと……与えられる事を受け入れていたのは、私の方なのに。
全部貰った。私が心から、一番楽しいと思える場所まで貰って、私は何か返したか。
何も。何も、返していない。どころか、彼女の声を無視して、彼女に勘違いの怒りを向けて。何が私の内心になんか気付かない、だ。素直に信じているんじゃなくて──信じてくれていただけなのに。私の言葉が、上の空から出たものじゃないと。心からの言葉だと。
ずっとずっと、彼女は私の事を信じて、色々してくれている。私は彼女の行動を、一切信じられていなかった。親友。どこが、だろう。
気付くべきだった。最初からキスだって、彼女は嬉しがっていなかったのに。私にされることは嬉しいはずだ、なんて勘違いをして──泣かせてしまった。やめて欲しい、と言われた。今まで無抵抗でいてくれたのは、私を信じてくれていたからだというのに。私はそれを裏切って、一線を越えたんだ。
テーブルに置かれたチョーカーを見る。
首輪。親友をペット扱いして、親友に自分を見て欲しいなんて。どの口が言うんだ。
「……あぁ、何やってるんだろ、私」
──"リンリンが私の事見てくれたら、考えるよ"
いつかの彼女の言葉が脳裏を過ぎる。
いつだって彼女の言葉は正しくて、その通りに行動すれば幸せが待っているし、それを無視すれば損をする。不幸になる。予知とか予言みたいな、彼女曰く簡単な推理だという、その言葉。
ああ、正しかった。もしあの時、どうにか踏みとどまって彼女を見ていれば。私を見せればいい、なんて考えだけじゃなくて、私が彼女を見る努力をしていれば、元の関係にまで戻れたかもしれないのに。
去り際の彼女の顔を思い出す。
悲しい顔をしていた。涙もそうだけど、あんな顔も……初めて見る。悲しい映画なんかを見た時のそれとは違う、心から後悔しているような、そんな顔。その表情にさせたのが、私。きゅう、と胸が苦しくなった。痛い。痛い。
痛くて、涙が出る。
ああ……。ああ。
──嫌だなぁ。また、一人になるのかな。
ああ──。
それは、どこから絡まっていたのか。
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鎖の軋歌が息巻く
デビュー前まではほとんど触らなかったパソコンを立ち上げ、いつも通りの配信ツールと様々な素材の入ったファイルを開いておく。3Dモデルを捉えるためのwebカメラとツール、マイク、ヘッドフォン、オーディオインターフェース等々。中学生の頃の私だったら触る事はおろか、知る事さえなかっただろう機材を整えて、一息ついた。
ゲームを起動して、既にセットにしてあるキャプチャウィンドウを可視化。自分のモデルとコメント欄を映すウィンドウも重ねて、おかしいところがないか一通りチェック。OK。
サイト側の配信準備をし、先に配信ツールを配信状態にして、自分がどう映っているかを確認。青髪の少女が……若干、しょぼくれた顔でそこにいた。
深呼吸。
ふう。はあ。
目を開ける。
するとそこには、いつも通りの……元気いっぱいの少女の姿が。
「……うん。大丈夫」
笑顔。怒った顔。悲しい顔。でも、軸にあるのは元気。そんな少女。
これが嘘だとは思わない。私から歪んだ部分を排除すれば、こうなれると思う。なれると信じている。だから、この私は特別で、普通で、真っ白な私なんだ。
サイト側の配信開始ボタンを、押した。
〇
「配信開始しましたー!」
どうやっているのかはよくわからないけど、開始直後に6人程の視聴者数。その後10、100、1000と増えていく。ゲーム実況だからか、とりあえずは3000人ちょっとで視聴者数の上昇は緩やかになった。
挨拶や「今日もかわいいね」とかなんとか言いながら入ってくるリスナーさん達。アイコンと名前と文字の川が、上へ上へと流れていく。配信ツール側にも*1コメントが流れていくけど、こっちにはアイコンが無いから出来るだけサイト側のものをキャプチャーしたものを見るようにしている。
配信画面にも、それを透過した枠が映っている。
「今日も
多人数戦闘型FPSゲーム……銃で敵チームを撃って、最後に残ったチームの勝利。昔、少しだけ触った事がある。やってみないか、と言われて、でも全然できなくて。ただ、オンラインで一緒にゲームが出来るのが楽しいから、というだけの理由でプレイしていた。それも、一週間ほどでやめちゃったけど。
それが、Vtuberになってから……がっつり一緒にやる人が出来て、その人があんまりにも熱心に私を上手くさせようとしてくれるものだから、段々と熱が入って……今じゃ、ソロ配信で野良に潜ってやるくらい、このゲームが好きになった。
このゲームだけじゃなくて、FPS、TPS*2と呼ばれる様々なゲームに手を出すようになったし、それで増えた友達や繋がりも結構ある。自社他社問わず、共通のゲームでコラボできるというのは何かと便利で、さらにそれが好きなゲームであるなら、雑談も弾む。
自分で言うのは思う所があるけれど、どうにも私はゲームが上手い……というか、コツを掴むのがとても速いらしく、リスナーさん達も見ていてストレスにならないから好き、と言ってくれている。出来るようになることが楽しくて、出来る事を増やすのが楽しい。
楽しむために、楽しく努力をする。それが出来るのは、みんなが褒めてくれるからだ。
「やっぱり面白いなぁ、このゲーム」
相手が人間だから、駆け引きが出来る。何をしてくるかの予想は出来ても確信は出来ないから、予想外が絶対に起きる。自分の理想に自分の操作が追いつかないからやきもきするし、一瞬でも理想に近づいた瞬間がとても気持ちいい。
敵を一人倒すだけで、リスナーさん達はとても褒めてくれる。上手い、とかナイス! とか。本当はコメント欄を見ている暇はない……はずなんだけど、最近はゲームに集中しながらコメント欄を読む、というのも出来るようになってきた。慣れてきた、って方が近いかも。
全力でやってれば、ミスをしても惜しい、とかgg*3とか、リスナーさん達はとても優しいコメントをくれる。でもやっぱり勝ちたいから、どんどん次をやる。少しずつ、上手くなる実感がある。褒められているともっと褒められたい! ってなるから、もっと頑張れるんだ。
だから、そのコメントが来た時──心臓が止まりそうになった。
──"なんか今日、元気ない?"
──"大丈夫?"
──"体調悪いんか"
一人、だけじゃない。結構な人数が……私を気遣っている。
何故? ちゃんと笑えてる。ちゃんと喜べてる。ちゃんと、真剣になれているのに。
「そんなことないと思う!」
──"体調辛いときは無理して配信しなくていいんだよ"
──"毎日やってるもんなぁ。一日くらい休んでも平気じゃね?"
「本当に大丈夫だよ? なんだろ、マイクの音質変わっちゃったのかな。この試合終わったらちょっと調整してみるね!」
取り繕う。取り繕う。必死で繋ぎ止める。おかしいことは無いはず。私は大丈夫なはず。大丈夫。大丈夫であるためにずっとずっと考えていたんだから。
あぁ、エイムがぶれる。動揺してる? なんで? 私は、だって、大丈、夫……。
「あー、もうすぐテストだから……」
──"いや早く寝ろよ"
──"もしかしてあの点数のままノー勉で臨むつもりですか……?"
──"赤点取ったら配信頻度下がるって言ってたけどノー勉マ?"
良かった。誤魔化せた。そう、緊張しているって事にすれば、それは間違ってない。テストが近いのは本当だし、それで緊張しているのも事実。だから、嘘じゃない。今の私は嘘じゃない。
嘘じゃないんだ。
──"あの問題集作ってくれた友達と勉強会でもしたら?"
「──……。べ、勉強はしてるケドナー」
勉強の話に必死でもっていく。元気がないのはそのせいだって。大丈夫だって。
──"あー、GG"
──"あと3チームか"
──"上手くなってるけど、ちょっとミス多めだね"
──"その武器好きなら引き撃ち意識すると良いよ"
──"よっぽどテストの話題で動揺したんやろなぁ"
「うー、テストの話題もうやめてー!」
そうだ。私の動揺はテストの話であって、体調が悪いのを無理している風であって、決して、決して。
決して。
「じゃあ次ね! 次の試合負けたら終わって勉強します!」
──"初動落ちフラグ"
──"普段なら終わってほしくないけど配信頻度下がるの嫌だからスナイプしてもいいですか?"
──"勉強しろスパチャ草"
〇
結局、コメント欄の予言者の言う通り初動落ちで、リスポーンの期待も間もなくチームが全滅し、宣言通り配信を終えることになった。ちゃんと勉強しろよ、とか。赤点だけは免れる事を祈ってる、とか。嬉しいような信用されていないような、複雑な気持ちを抱えたまま配信を閉じる。ツールから落として、サイト側を落とす。
そうした方が良いよ、と言ったのは……ああ。
「
声に出す。あだ名じゃなくて、名前を。
風音。自分の性格にあんまり合わない雰囲気だから、あだ名で呼んで欲しい、と。彼女は言っていた。どうだろう、と思う。確かに透き通る風のような雰囲気ではないし、歌もあんまり上手くないので音要素も薄い。
でも、いつもどこかで聞こえている風音のようで、私は好きだよ、と言った覚えがある。
ポエミーだね、と返された覚えもある。あの時は普通に脛を蹴ったっけ。
印刷された冊子とPDF、どちらもに起こされた問題集。冊子の方をパラパラとめくる。問題の方は先生から貰うものと遜色なく、冊子の後ろには解説がついている。堅苦しい言葉は使わないで、いつもの風音……というか青眼鏡の感じの文体で書かれたそれは、私には馴染み深く、覚えやすかった。
もう、書かれている事は大体覚えた。教科によっては「ここからここまで」という明確な範囲を教えてくれない先生もいるのに、この問題集には「ここまでしか出ないので安心して」という文字が添えられている。何が見えているのか、本当にわからない。
何を考えているのかも、全く……わからなくなってしまった。
少し前までは、わかっている、つもりではあったのに。つもりにすらなれなくなっちゃった。
「風音」
もう一度、声に出す。
初めての友達。私の友達が増えた切っ掛け。私の出来る事が増えた切っ掛け。私が、楽しい事を楽しいと思えるようになった、その入り口にいた女の子。暗い世界から明るい世界に引っ張り上げてくれて、明るい世界から賑やかな世界へ押し出してくれた──恩人。
──"今までごめんね"
「っ、あ……!」
まただ。まだだ。
気持ちの切り替えなんて出来るはずがない。引き摺っている。引き摺って、絡まって離れなくて、立ち上がることが出来ない程体が重い。
もし、嫌いだ、と言ってくれていたら。それでも私は自分の過ちに気付いて、泣くだけ泣いて──もしかしたら、謝っていたかもしれない。謝って、ごめんなさい、って言って、お願いだから、遠くに行かないでください、って……言えていたかもしれない。
でも、謝られたら、どうすればいい。どうすればいいの?
こうしてまた、風音に責任を押し付けようとしている自分も嫌だ。答えを教えてくる彼女が嫌で逃げた癖に、答えを誰かに求めようとしている自分に心底溜息が出る。
なんてちぐはぐ。なんて、不安定。
何故。何故。答えが出せない問いが、ふつふつと湧き上がる。どうして謝ったの? だって悪いのは、どう見たって、誰が見たって。何故彼女は私を見捨てない? こんな恩知らずを。こんな裏切り者を。なんで、私は。
私はまだ──彼女に助けてもらえると思ってるの?
胸を掻き毟りたくなるような、関節という関節が疎になっていくような、苦しくて悔しくて怖くて恐ろしい感覚が全身を満たしていく。手が、腕が震える。怖い。痛い。胸が痛い。喉が痛い。失ったものがどれほどの──自らがいらないと断じたものが、どれほど美しく、尊い価値を持っていたのか、ようやくわかった。
それが──私のVtuberとしての"殻"に、罅を入れてしまうほどに。
ああ──どうしよう。
〇
その時、無意識にずっと握っていた携帯が着信音を唄った。
恐る恐る表示名を見てみると──新舞風音の文字が。
なんて、タイミングだ。
配信を終えてすぐではないから、配信を見ていたわけじゃないんだろう。私が自問自答をして、彼女に助けを求めたその直後に、彼女からの着信。先見の明とか、簡単な推理とか、そういうものでは片づけられない程の──"絶好"。
通話ボタンを、押す。
『やぁ』
そんな、「いつも通りの」声が携帯のスピーカー越しに聞こえた。
やぁ、って。私達は今まで喧嘩……じゃないにしても微妙な空気になって、蟠りがあって、言い出せない空気とどうしようも出来ない焦りがあって……とにかく絶対にいつも通りなんかではないのに。
やぁ、って……。
本当に。
「何?」
『そろそろリンリンが苦しくて悔しくて怖くて恐ろしくて、泣き出してしまう頃合いかと思って』
「……」
『だからね、リンリン。
風音の声は震えていない。彼女の言葉にはほとんど感情が出ないし、抑揚を出すのもあんまり上手じゃない。なのに表情は百面相だから彼女も「ちぐはぐ」だ。だけど、通話だとそれが見えないからちょっとだけ怖い。どんな顔をしているのかわかるから、あくまでちょっとだけ。
『諦めよう』
「……え?」
『わかったよ。私は、リンリンの理想にはなれない。私は、リンリンに求めるものを変えられない。同時にリンリンは私の理想にはなれないし、リンリンは私に求めるものを変えられない。だから、諦めよう』
淡々と。
淡々と、マネージャーさんがしてくる業務報告のようなトーンで、恐ろしい話をする。
諦めよう、って。何。え?
「い、嫌……」
『折れたくないから、互いが互いの一番になるのは無理だから』
「待って……ねえ、待って」
『諦めよう』
友人である事を。一緒にいる事を、もう。
「待って! お願い、もう我儘言わないから!」
『それじゃダメなんだよ、リンリン。だって私は、我儘を言うリンリンを見ていたい。好きなのは我儘を言わないリンリンだけど、君がこれから、広い世界へ羽ばたいていくのを……カッコよくてかわいくて、みんなに愛されてみんなを愛して、どこまでも輝いていくリンリンを見ていたい。もう君に、こうなってほしいとか、こうするといいよ、なんて事は言わない。だから君が諦めない事も構わない』
だけど、私はもう諦めるよ。
『リンリンと友人になれて、本当に幸せだった。楽しかったよ。だから、楽しかった思い出を記憶にしたい。苦しい気持ちやつらい我慢で上塗りしたくないんだ。この先私達は、ずっとぶつかり続けるだろう。だって互いが互いに求めるものが矛盾している。無理なんだ。私達が共存するのは、絶対に』
「嫌だって言ってるじゃん! なんでそんな……私は、私はまだ」
『楽しい記憶にピリオドを打つよ。こうやって喧嘩別れする事が、リンリンとの楽しい思い出の最後にする。友人としての私はここで身を引くよ。あとは一視聴者として、君の姿を楽しませてもらう』
「じゃあ辞める!! Vtuber、辞める。風音に言われてなったけど、風音が何にも言わないなら、私が自分の意思で辞めても」
『ああ、いいよ。好きにしてくれ。私はいつまでも君のファンで、だけど友人じゃなくなるんだ。それだけ。私はこうするけど、君は自由だ。続けるも辞めるも。私はもう、何も言わないよ』
冷えていく。
足先から、腰に、お腹に、胸に、肩に。
冷たいものが昇っていく。蝕まれていく。ダメだ。
あぁ、ダメだ。ダメ。嫌。嫌だ。嫌だ! 私は今までの関係を変えたかった──けど、一緒にいる事は当たり前だった。そこだけは変わらないで、私が一番になりたかった。だけど、そこが、そこが無くなるのなら、彼女が友達じゃなくなるのなら。
何にも、残らないじゃないか。
「わ──私は、与えられるだけなのが、嫌なの。風音はずっと私のために、色々して……してくれてて! だけど、私だって、私からだって」
『そうだね。ずっと、一方通行だった。この間の事で痛感したよ。与えられるだけとは、こんなにも寂しかったのか、って。こんなにも悲しかったのか、って。ずっとずっと、君にこれを強いてきた。本当にごめん』
「そんな──」
『だから、終わろう? 諦めて──楽になろう。一番とか、上とか下とか。止めよう。友達じゃなくなれば、そんなもの、考えなくていいから』
──……ああ! もう!
「わか、ってない……わかってないじゃん! 全然!!」
『リンリン……』
「それが嫌だって……一方的に"自由"を与えて、もう終わりにしよう、とか! 勝手な事言って、結局何も変わってない! 何にも……わかってないじゃん。私の事」
『──……」
勝手に自己完結して、勝手に折り合いをつけて、勝手に「諦めよう」とか言って。
もうやめるよ、と言った癖に、すぐやっている。何も変わっていない。何もわかってない。だから、私は──。
『そうだね。私は、リンリンの事……何もわかってないんだろうね』
あ、と。
渇いた声が出た。
違う。そんな、違う。なんで今私、風音を責めて……。違う。そうじゃなくて、これを……私を変えなきゃいけないのに。私が変わらなきゃ、風音は離れてしまうのに。
なんで、また……私が被害者みたいな事を。
『ごめん。それと、ありがとう。三年とちょっとかな。君の友人であれた事が、何よりも誇らしいよ』
声が出ない。私はまた、取り返しのつかない事をやったんだ、という思いだけが体を抜けていく。
友達がたくさん増えて、親友を失う。それは。それは。それはそれはそれはそれは。
「……ライブ」
『うん?』
「ライブ。見に来て」
『うん、行くよ。友人としてじゃなく、ファンとしてね』
「じゃあ、色んな歌を教えて欲しい」
考えるな。無い頭で考えたって、良い言葉は選べない。自分がどこまでも馬鹿だって自覚しないと、余計なことを口走らないで、このつながりを絶対に切らないようにして、どうか。どうにか。
「勉強も教えて」
『……』
「問題集全然わからなかった。これじゃ赤点取っちゃう。だから、勉強教えてください」
『……』
「ゲームもアニメも、もっと教えて欲しい。リスナーさん達の話題にまだついていけない事がある。映画とか小説とか、面白いものを教えてください。配信で話せるような、ほど、深くまで」
頬を何かが伝う。目が熱い。滲む。
奥歯が震える。心臓の音がうるさい。
「私が、羽ばたくために。大成するために。有名になるために。誰からも愛されるために」
『……リンリン』
「貴女が必要です。……そばにいて欲しい。苦い思いをして、つらい我慢をして、たくさん喧嘩をして、絶対に叶わない理想を押し付け合って……一緒にいたい。一緒にいて。どこかへ、行かないで」
嫌だよ。私は。
私は。
「私は──絶対に、諦めない。風音にも諦めさせない。たとえ私達が、将来別々の道を進んでも……違う人を好きになっても、私達が友達である事は絶対に諦めたくない」
Vtuberは止めない。友達も止めない。私は風音の世界の中心に居続けるし、彼女を決して逃がさない。
「絶対に、逃がさないから」
『……強くなったね』
「もう一回、首輪を付けに行くから。でも今度は私も付けるよ」
『せめてチョーカーって言ってくれないかなぁ』
「首輪だよ。鎖でつながれた首輪。お互いの鎖を握って、ケンカしよう」
『物騒な……』
私が風音とともにいる事は、確定事項だ。
だって。
「私のVtuberとしての名前、知ってる?」
『そりゃ勿論』
「言ってみて」
私の名前は。
『
「ううん。
『?』
〇
「赤点──回避、しましたぁ!」
──"おめでとー"
──"マジで回避できる辺り問題集やばくね?"
──"DLしたけどその辺の参考書よりわかりやすかった"
──"この間の総合点五教科で246点だったね"
「なんでそんなことを覚えてるの!?」
──"英語16点"
──"英語16点"
「英語は苦手なの!」
──"点数って公開できるやつ?"
──"総合点だけでも教えてくれー"
──"いや、五教科だけじゃないだろ? 問題集五教科以上あったし"
──"高校のテストって選択科目とかあるよね"
「ふっふっふー! 聞いて驚けぇ! なんと! 五教科で363点……!!!」
──"うせやん"
──"100点以上アップやば"
──"それでも低いとか言っちゃいけない?"
──"問題集作った友人Aちゃんis何者"
「しかも! 全教科50点以下無し……!」
──"マ?"
──"えらい"
「しかもしかも!! 現代社会……100点!!」
──"天才じゃん"
──"前々から天才だとは思っていたが……"
──"あれ、じゃあ他の四教科で263点……あっ"
──"60点以上取れば落第は逃れるのでセーフ"
「はーはっはっは! どやぁぁああ」
──"問題集やってそこまで実力あがるなら普段勉強してないだけ説"
──"Aちゃんに感謝しろ"
──"配信頻度ダウンの危機を救ってくれたAちゃんありがとう!"
──"ちなみにAちゃん何点だったか聞いた?"
「……」
──"おい誰だ今聞いたの地雷だったっぽいぞ"
──"目に見えてしょんぼりした顔になってて草。トラッキングすげえ"
──"かわいそうはかわいい"
──"24"
「……満点だった」
──"やばすぎで草"
──"NYMUちゃん用の問題集作っておいて自分満点とか天才か?"
──"でもなんでしょんぼりしてるん?"
──"いーなー。俺も友達の女の子に勉強教えてもらって100点以上アップしてーなー"
──"まずは友達を作れ"
──"あっ"
「この前は勝てた教科があったのに……」
──"でも現代社会100点だったんでしょ?"
──"社会だけ並んだ"
──"天才に抗おうとするのは流石の負けず嫌い"
──"ゲームなら勝てるだろうし! 多少はね?"
「げーむもかてない……」
──"化け物か??"
──"頭良くてゲームできるとか、Vtuberになった方がいいんじゃ"
──"Vtuberは頭が良かった……?"
──"友人AちゃんV化計画"
──"A子ちゃんはなんかやってないの?"
「多分今頃近所の大学生のお姉さんをナンパしてる」
──"えっっっっ"
──"キマシ"
──"頭良くてゲーム上手くてナンパ師で……?"
──"馬鹿と天才は紙一重っていうよね"
「私が馬鹿だって言いたいのかー!!」
──"?"
──"?"
──"?"
──"なんで?"
「……あれ、紙一重って何?」
──"ごめんね……"
──"ごめんね……"
──"本当に赤点回避したんか?ww"
──"NYMUちゃんは異世界生まれだから日本語と英語できなくても仕方ないよ"
「ばかにされているきがする」
──"してないしてない"
──"してないポヨ"
──"してる"
──"ごめんね……"
「……もういいでーす。配信終わっちゃうから」
──"拗ねた"
──"拗ねたー"
──"終わらないで"
──"さっき告知あるっていってないっけ"
「おおお! そうだった! ナイスコメント! そうそう、告知があってさ。ふっふっふ、聞いて驚けサンショの木!!」
──"ざわ……ざわ……"
「なんと! 八月二十二日!! 私の所属するDIVA Li VIVAで、ライブがあります! それに出ます!!」
──"マ?"
──"ちっか"
──"行きます"
──"デビューしたばっかなのにすげーな"
「詳細は公式トイッターを見てね! それじゃ、お疲れさま!」
──"たーばさ"
──"乙"
──"おゆ"
──"お疲れさまー"
〇
嫌いではなく、嫌だ。
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縁@友情≒感情<
結論から言えば──私達は、元の関係に戻った。
行き過ぎないし、踏み込み過ぎないし、適切な距離を保って、過干渉しない。元の──つまり、中学で出会った頃の関係に。親友ではなく、友達……友人に戻った。
絶対に逃がさない。絶対に離れさせない、というのは勿論だけど、何も同じ方向を向かなければいけないわけではないし、同じ目的を持たなければいけないわけではない。私の思う私に出来る事、私がやって得すると思う事。青眼鏡の思う正しい事。青眼鏡が思いつく損得勘定の全て。
多分、傍から見れば……感情や執心を無視すれば、青眼鏡の言う事の方が9割方正しいんだろうと思う。世間一般に「よく見られる」行動規範の全てがそこにあるんだと思う。でも、そんなのは知らない。
私の行動が、言動が、たまたまそれに沿う事があるかもしれないし、思いっきり逸れる事があるかもしれない。それを受けてリスナーさん達や会社の人達が何か注意をしてくるかもしれないし、私は反省するかもしれないし、しないかもしれないし、また青眼鏡に忠告……ううん、文句かな。そういうのを言われるかもしれないし。
かもしれない事だらけで……それでいいんだと思う。
多分、恐らく、きっと。
青眼鏡だって、未来が見えているわけじゃない、みたい。よく考えてみれば、未来が見えているのなら自分のテストが毎回満点じゃないのはおかしいし、割と周りと喧嘩したり予想外な事に驚いていたりあとよく転ぶ。運動神経が引くくらい無いのでまぁ頭に養分が行き過ぎなんじゃないか、とか思うけど、少なくとも青眼鏡単体を見ているとそこまで天才的じゃあない。
彼女の凄い所は、「タイミングが絶好」なんだとわかった。
私が困っている時、私が助けて欲しい時に、私を助けられる知識を必ず持っている。通話をかけてくるのも、急に話題を振ってくるのも、何故か私がその問題に悩んでいる時で……だから私は彼女に「全て理解されている」と勘違いしていた。
息が合う、と言えばいいのかな。逆に合わなすぎるのかもしれないけど。
思考……考えの流れが一緒。最近ぱやさんに教えてもらった言葉を使うなら、思考のタイムテーブルが同期している……って感じ。
多分海外とかにいても、同じ時に同じことを考えていて、青眼鏡側にだけその考えの答えを出せる知識がある。双子とか、そういうものに似てるかな。全然違うし、お互いの考えてる事なんかまったくわからないけど、もし思考を覗ける誰かが私達を同時に見たら、「なんだ全く同じことを考えてるじゃないか」、って呆れ返るんだろう。
私は感情的に、青眼鏡は客観的に。反対ですらない……なんだっけ、ねじれの位置? みたいなところから、お互い向き合ってると勘違いしたまま大声で喧嘩している。それが私達だ。
凄く良い関係だな、って思う。だって、それでも……友達でいたいから。
「NYMUさん? 大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、麻比奈さん*1。多分、デビューしてから今までで……絶好調だから」
「ふむ。何か良い事があったみたいですね。この間していた、友達と仲直り出来た話の続きと見ました」
「鋭い……!?」
「あの時と同じにへらっとした顔ですから。お友達は、今日いらしているんでしたか」
「どっかには居ると思う」
私の前の人達……Vtuberじゃなくて、違う部署に所属する歌手の人達が歌っている。さっきはロックバンドみたいな人達だったけど、今は男女デュエットの……ジャンルはわかんないけど、ポップでキャッチーな曲。いい感じに盛り上がった場を……私は任される。トリじゃないけど、ここで輿を折ると後続に影響が出る事だろう。
出番はもう少し先……五分後くらい。
深呼吸。
「……そういえば、先ほどLONEの着信があったみたいですよ。NYMUの携帯に」
「あれ、電源切ってなかったっけ……ごめんなさい」
「まぁマナーモードにはなっていたので問題ありませんが……ふふ、中身、見ますか?」
マネさんが私の携帯を持ってくる。トラッキングスーツを着ていると微妙にスマホ持ちづらかったりしなくもないんだけど、受け取って……ああタッチがあんまり反応しない、けど、なんとか……。あ、本当に通知来てる。……青眼鏡から?
「は?」
マネさんがビクッと肩を震わせるくらい、ひっくい声が出た。
──"会場でKさんと出会ったので恋人繋ぎをしながら見ます。頑張れ"
「……」
本当に。
本当に。
ホントに、絶好のタイミングで……挑発してくるなぁ!
Kさんとやらが来ている事には驚きだけど、それにばったり会って、手を繋いで私の晴れ舞台を見る、と。いやなんで? と思わないでもない。ただ私の中には、「また勝手にどっか行きやがって」という……いやうん、多分冷静な自分が見たらドン引きするだろう、どこまでも自分勝手で横暴な考えが煮えくり返っていた。
嫉妬とかそういう可愛らしいものじゃない。私達は、互いに互いの中心にいなければ気が済まない。別に自分は相手を中心に置かないにも関わらず、だ。
「調子は絶好調とのことでしたが、やる気は出ましたか?」
「やる気どころか怒気だよ……!」
「結構ですね。さ、時間です。機材トラブルは起きないよう細心の注意を払いますが……」
「起きたら慌てずに、だよね」
「はい」
Vtuberの技術は、まだまだ進化の途中。だからアクシデントが絶対に起こらないとは言えないし、リアルの歌手さん達よりも頻度は高め。
……でも、大丈夫な気はしている。
だって青眼鏡が今朝、何も言わなかった。今、余裕そうに「頑張れ」なんて言ってきている。
じゃあ大丈夫だ。彼女に未来なんか見えないんだろうけど、彼女が大丈夫なら、私も大丈夫。私の心に溢れる自信は、青眼鏡が見てくれている事にある。
息を吸って──笑う。実際にお客さんの前に出て行くわけじゃないけれど、表情を作って。
崩した。
私は頭が良くないんだから、考えずに行こう。考えずに行って──ありのままに、普通に、彼女を……ううん、来てくれた人、ネットチケットで見てくれている人、会社の人、関係者の全て。
私が魅了する。彼ら彼女らの世界の中心に私が来るように……来させるように。
だって──私は今、Vtuberなのだから。
●
「どうでした? 無理矢理誘っちゃいましたけど」
「うん──凄かった。心を打たれたよ。でも、なんで2人分のチケットを持っていたの?」
「え!? あ、いや! それは、その……いえ! 別に他意は無いというか」
「最初から誘うつもりだったの?」
「アイヤー……その、そうです」
「でも良くわかったね。わたしがあのお店にいるって」
「えと……そのー……」
「そういえばわたしの大学にいる友達がね、レナ、って名前の学生を知っているか、って聞いてきた」
「ゴゲラグフッ」
「あと大学から家への帰り道で、青眼鏡ちゃんみたいな背丈の女の子を見る事が増えたなぁって」
「グワラベッ」
「あのお店、昔から通ってて、店長のお婆ちゃんとも仲が良いんだけど、数週間前から"昔のアンタみたいに連日来店してくれる学生さんがいるのよ"って嬉しそうに話題を振られたよ」
「ヌゴンガッ」
「スポーツ観戦とかドームライブでもないのになんで双眼鏡持ってるの?」
「……その」
すみませんでした。
「普通にストーカー行為だからね?」
「ごめんなさい……」
「でもまぁ、このライブを見れたのでプラマイゼロ……いや、ゼロなんて言うのはあの子……NYMUちゃん、だっけ。あの子に失礼か。少なくともプラスではあったし……ちょっと、興味が湧いた」
「でしょうでしょう! いやぁ~……可愛いんだNYMUちゃんは! かわいいんだ!」
「立ち直りが早いね。そして随分と激しいね」
「ええそりゃもう! だって、だってあの子は私の」
──言いてえ!
あのVtuberは
けど。
「……私の、最推しなんですよ。一生をかけてもいい程に。もう──三年以上、ファンやってます」
「あの子三年目なの?」
「あ、いや、三か月以上の間違いでした」
「大胆な間違い方だね」
それを、押しとどめる。
言いたいだけでいい。言いたいまででいい。私はどこまでも──ファンのままで、良いんだ。
「ねえ、青眼鏡ちゃん」
「はい?」
「夢、ある?」
レナさんは。
ライブ会場の方向を見ながら、言う。
「将来の夢、ってことですか?」
「別に今でも良いよ。やりたい事。なりたいもの。残したいもの。叶わない事」
「夢」
リンリンにVtuberになってもらう、という夢は叶った。リンリンが私の事を配信内で話す、という夢も叶った。リンリンが……NYMUが沢山の人に愛される姿を目撃すると言う夢も、叶った。
ああ、将来の、なんて遠くじゃない。私の夢はずっと叶い続けていて──それはやっぱり、すべてをリンリンに依存している。起因している。それじゃだめなんだろうし、それでいいと思う。
「夢」
声に出そう。私はどうにも、他人に考えが悟られづらいらしい。表情には出るけど、考えまではわからないらしい。そんなの当たり前だけど、当たり前じゃない方が楽しい。だから、声に出して言う。
「空を」
「空?」
「空を飛びたいですね。遠く、高くまで」
ああ。初めて口に出した。
小さい頃からの夢だ。現実を見ないで、無理だという知識を無視して、ずっと持っている夢。乗り物や機械に頼らず、空を飛ぶ。誰しも考えた事があるだろう。それを、高校生になってまで持ち続けているかどうかは別として。
「私は多分、空から落ちてきたんですよ。青眼鏡が好きなのは、空色だからです。少なくとも私は、この視界に映るものくらいは……空であってほしい」
「随分と詩的な表現だね」
「中二病ですよ。中々治りません」
「治す必要はないよ。それに、素敵だと思う」
空から落ちてきた。ファンタジーな表現だし、学校で言ったら笑われるだろう。いや、どこで言っても馬鹿にされると思う。突然何を言い出すんだ、頭を打ったのか、って。そう言われるんだ。レナさんはレナさん自体が不思議な人というか仙女みたいな人だからこうして肯定してくれているけど、私は普通を知っている。普通から見れば、あまりにも……幼稚な夢だ。
「私は多分、誰かの夢になるために生まれてきたんです。私は誰かに夢を与えるのが目的だった。それで、その目的は達成しました。なので、あとは元居た場所に帰りたい。それが空であるだけで、空を飛びたいというか、空に戻りたい、が近いですかね。家に帰るみたいに、なんでもないように」
「……誰かの夢になるため」
気恥ずかしい事を言っているのはわかってる。こっぱずかしい事を言っているのはわかっている。勘違い乙。中二病乙。邪気眼みたいなものだ。そんなの知ってる。だからずっと、声に出さなかった。自分すら出さなかった。だって否定されたくない。否定されるのが怖い。私は否定されたくない。
それでも、夢は変えられない。私は私自身を曲げられない。曲げられるような性格なら、リンリンと衝突もしていないだろうし……そもそも友人になっていたかどうかも怪しい。
この人は否定しないだろうから、話せる。リンリンには……どうだろう。まだ、無理かな。
「雨が降ってきたら空を見るじゃないですか。手を翳すじゃないですか。傘を差すじゃないですか。アレです。私は空から色とりどりの傘がくるくるしている所を見たかったから、雨として落ちてきた、みたいな。誰かが私の言葉で、私の行動で夢を持ってくれることが何よりうれしくて、私はそれを遠くから眺めていたい。横からじゃなく、上から。元の場所から、みんなが輝くところを見たい」
「雨が降るのは迷惑かもよ?」
「今傘を持ってない人は雨や空を罵るんでしょうね。でも、傘を持っている人の上にしか降りませんから」
「局所的だね」
「1m四方の超局所的ゲリラ豪雨です」
それはもう放水だよ、とレナさんは笑う。
でも、と。彼女は、微笑んだ。え、なに? 告白? めっちゃ可愛いけど?
「わたしは傘を持っていたみたいだから、ここらで失礼するよ。あと10秒くらいで、君に無理矢理バケツを被せてくるような……暴力的な未来が待ち受けているだろうから」
「どういう」
じゃ、と。レナさんは後ろ手を振って、去っていく。別に傘は持っていないし、なんなら行先……同じ駅を経由するから帰る方向は同じなのに、何故か私を置いていく。
……フラれた?
「……着信? え、こわ。本当に10秒なんだけど」
レナさんが角を曲がった直後、携帯が振動した。取り出してみれば……リンリンの文字。いやまだライブ片付けの最中なんじゃもんじゃ、と思いながら通話ボタンを押す。もんじゃ焼き。
「えー、こちらブラボー10。状況をどうぞ」
『ライブ、どうだった?』
「こちらブラボー10。めちゃくちゃ良かった」
『惹かれた?』
「こちらブラボー10。周囲の車通りはそこまででもない」
『ばーか』
「ばーか!」
っとにこの子は!
口が悪いったらありゃしない!
「……良かったよ。最高だった」
『Kさんって人、今いる?』
「んにゃ、さっき別れたよ」
『……一言文句言おうと思ったのに』
「なにゆえなにを」
『私の青眼鏡を盗るな泥棒! って言おうと思ってたのに』
いやホントに。
あの喧嘩の後から、リンリンはちょっとどころじゃなく過激になった。Vtuberとしても、暗黙の了解みたいにされている事情にも結構踏み込んでいくようになったし、私が以前から止めた方が良いよ、と言っていたことをかなりの頻度で無視するようになった。もうそれを咎めたりは……いやするんだけど、その度に取っ組み合いのつかみ合いになって、最終的に私が負けて「私が正しい。いいね?」「アッハイ」になるんだけど。
なんというか……自分の欲求に素直になった、というべきか。嫌な事は嫌だと、好きなことは好きだというようになったのだ。凄いことだと思う。私は否定されたら立ち直れないから自分を隠しまくってるけど、リンリンは一万二万と誰かが見ている前で、それを口にだすのだから。
「でーきれば仲良くしてほしいかなー、って……」
『無理。会ったことないけど、無理。……まぁKさんとかいうのは置いといて。最高だった、って言ったよね』
「言ったよ」
『私の所にまで来たいと思った?』
「いんや? すごいなぁ、かっこいいなぁ、で終わり」
『……』
「同じところにいなくていいんでしょ? 私はファンとしてリンリンを応援するし、リンリンは私をファンとして扱いなよ。友人ではいてもいいけど、そんな高い所にまで行く気はないよ。疲れるし」
『今日。ウチに来て』
「いや、お疲れ様でした配信とかあるんじゃ」
『どっちが強いか戦争じゃああ!!』
『NYMU、静かに。スタッフが驚いてますよ』
『それはごめんなさい! ……来なかったら、酷いからね』
「やーい怒られてやんのー」
『キレたわ』
ぶちっと、通話が切られた。
キレやすい若者だぁ。
……まぁ、なんだろうね。
私とリンリンは友人に戻った。仲良しこよしの大親友! ってわけじゃない。互いを肯定しあう親友! ってこともない。
互いに首輪を付けて、取っ組み合って殴り合ってどっちが正しいかをはっきりさせて、でも嫌いじゃない。そんな関係。随分と物騒だと、レナさんなら言うだろう。あの人「随分と」って言葉好きだし。
カバンから折り畳み傘を取り出して、差した。
周囲、差している人はいないから奇異の目線で見られるけど──ぽつ、と。
ぽつ、ぽつ、ぽつと。雨が降り出した。
「……杞憂5割。勘5割。なんて、リンリンは信じてくれないんだろうけど」
降水確率は10%だった。だから折り畳み傘を持ってきた。空気が湿っていた、というのもある。
で、降るならそろそろ降るかな、と思ったから差した。その勘は当たった。
未来なんて見えるわけがない。ただ私は、勘が良いだけだ。割とテストもそんな感じでやってる。だから毎回満点にはならない。暗記は出来るけど、長ったらしい応用はたまに面倒になってやめることがある。それくらい、完璧じゃない。
空から水が零れている。
詩的な表現だけど、別に誰が聞いてるわけじゃないから、良い。
「ちっぷちっぷちゃっぷちゃっぷらんらんらん、ってね」
ああ──少しくらいは。
●
「ねえリンリン?」
「なんだね」
「私はキスとかそういうの、嫌だって言っているよね」
「うんうん。知ってる」
「じゃあ唇を近づけないで貰えますかぎゃああああ」
「んー」
……あの喧嘩の後から過激になったのは、言葉だけではない。
私が散々拒否した、割と傷付いた感じの、結構タブーな感じで終わった例の「襲われた」事件。それをものともせず、リンリンは私にキスをしてくるようになった。
正直、引いている。だって同性だし。いやキスやハグがコミュニケーションのツールとして用いられている文化があるのは知っているけど、それにしたって全部が全部マウストゥーマウスじゃないし、そしてここは日本だ。リンリンも別に海外産まれってわけじゃない。
ただ、私がめちゃくちゃ嫌がるから。
取っ組み合いで9割負ける私への罰ゲームとして、キスをされる。舌を舐られる。割と本気でやめて欲しい。また絶交したいのかこの子は、とか思いながら口を蹂躙されている。
「っぷはぁ。んー、やっぱり良いなぁキス。私、好きな人が出来たら毎日のようにキスするんだー」
「好きな人? ……私を通してからにしてもらおうか」
「別に今いる、ってわけじゃないんだけど……というか、私の恋路に口を出す気?」
「リンリンだって私とKさんとの恋路に口を出しているじゃないか……」
「私はいいの。風音はダメ」
「横暴が過ぎる」
このあたりの平行線は何も変わっていない。
私は良いけど貴女はダメ、というのを互いにやっている。文句も言うし口論もする。あ、口争いってそういう、キスとかそういうバトルじゃないぞ。キスバトル……うわぁ。
「企業の人達にキスとかしてないよね?」
「ニャンさんとはした」
「……」
「嘘だよ嘘。というか、あの人案外ガード固いんだよね……」
「私はリンリンが怖くなってきたよ……」
怖い、と言えば。
「ところでコレはいつ外してくれるのかね。君、自分が今めちゃくちゃ恐ろしい事をしている自覚はあるかい」
「んー? 何が? 似合ってるよ?」
「本気で私はそういう趣味ないからやめてね……?」
じゃらじゃらと音を立てる──鎖。
それは首のチョーカーにつけられたリングと……両腕に掛けられた手錠の中間の鎖に繋がっている。さらには、足にも革製の……なんて言えばいいんだ、足枷? みたいなものと、それにつけられた物干し竿みたいなポール。
立つことも普通に座る事もままならない姿勢で、私のお腹の上にリンリンが馬乗りになった状態で、先ほどキスを受けたわけだ。
……誰だよ本当に。こういう知識をリンリンに植え付けてる奴。黒天使さんなら一度話付けなきゃ……私の身が危ないんだけど。
家に来るなり眼鏡を取られてアイマスクをされて、いきなり手錠を付けられるヤツの気持ちがわかるかね。
「ねー、何されると思う?」
「リンリンちょっと重くなった? お腹にかかる荷重がグフッ」
「そういう青眼鏡はちょっとぷるぷるになったねー。バランスボールみたーい」
「お腹の上で跳ねるのはやめていただけると」
「じゃあ余計なことは言わないでおこうねー」
ごもっともです。
「しかしリンリンよ。手錠をしたのは間違いだったな。ふ、こうやって鎖を引っ張ってピンと張れば、ガードになるのだ!」
「うん、ちょっと失敗したな、って思ってる。後ろにすればよかった」
「これで近づけアフゥンッ!?」
「でもその姿勢、脇ががら空きなんだよね。あとこうやって……私が鎖をくぐると、どうなるかな」
「……卑怯な!」
私が脇を閉じるためには、リンリンを引き寄せなければいけなくなった。そうでなくとも、チョーカーに繋がった鎖のせいで首を持ち上げざるを得ない状況だ。策士め!!
「見える? これ。同じ首輪」
「だからチョーカーと言いなさいよ……。ああ、本当だ。リンリンの白い首に嵌っておりやすね」
「うん。手錠に着いた鎖を外して、私のコレのリングにつける」
「あの……私本当にそっちの趣味はなくてですね」
「よし、これでオッケー。あ、手錠は外してあげる。首のやつは取らないでね」
そういって、テーブルに置いてある手錠の鍵を取らんとするリンリン。方向転換で一回、体を伸ばすので一回。お腹に結構な衝撃がくる。ようやく取れたのか、かしゃ、という軽い音と共に手の錠が取れた。ふう。
しかし依然として足枷と首の鎖は繋がったまま。もー、何がしたいのか言ってくれないものか。リンリンの考え読めないんだよなぁ。
「じゃ、ゲームやろうか」
「……マ?」
「ちなみに配信するから、黙ってもらって」
「嘘じゃん」
「友人Aとの決闘って枠取ってあるから、そのつもりで」
「手錠無かったらハンデないようなものだけど、いいの?」
「長時間足を延ばして座る恐怖に震えるがいい」
……じゃあどいてもろて。
しかしリンリンは退かない。
「ちょっと首絞めてもいい?」
「さてはライブで頭を打ったな?」
「舌を抓む、でもいいんだけど」
「さてはリンリンじゃないな貴様」
「どっちもやっちゃお」
左手が口の中に突っ込まれて、右手が私の首を掴んで。
自由になった手でその両方を掴むけど、うんともすんとも動かない。そのまま、にゅるりと舌を引っ張り出されて、ぐぐいと喉を押された。
「ぁ、ぇ……」
「うん……たまんないね」
「ぇげ」
「前さ、青眼鏡が言ってたじゃん。相手の苦しむ顔が気持ちいいから、とか。あの時は本気で変態さんなんだな、この子って思ったけど」
「ぅれえぁ」
「今ちょっとだけ理解できる。これ、爽快感凄いね」
手が離される。
ぇほ、けほ、と咳き込んでから──言う。
「変態!」
「涙目じゃん。ちょっとキュンと来たかも」
「ひいい誰か助けてぇ」
「首輪繋がってるんだなーこれが」
「あのマジで割とドン引きしてるの伝わってる?」
「うん。でも風音相手には遠慮しないって決めたから」
行き過ぎない。踏み込み過ぎない。過干渉しない。
けどそれは遠慮するということじゃない。恐ろしい話である。互いが互いを嫌い合うまでは、本気でぶん殴ると言っているのだ。嫌わない限りは全力で嫌がらせをするぞ、と。
「……配信」
「配信?」
「ボッコボコにするから。リスナーさん達の前で、完膚なきまでに、エンターテインメントとか全く考えずに、空気悪くなるレベルで叩き潰してやる」
「ふん、出来るもんならやってみてよね。言っておくけど私、師匠をつけてめちゃくちゃ強くなってるから」
「今まで得意キャラ以外を使ってあげていたんだけどな……。仕方ない。世界ランキング2位の実力を見せてあげよう」
「……それ本当の話?」
「そのキャラだけだけどね」
大混戦するスカッシュなゲームは、読み合いのゲームだ。それがタイマンであるなら、読み合いはかなり簡単になる。バトルロワイアルなFPSゲームやCPUが相手のゲームと違って、このゲームは理詰めでなんとかできるからかなり得意。複雑な動きがいらない、というのも大きいか。
「はっはっは……怖気づいたかね」
「つまり青眼鏡に勝てば、私は1位ってことだよね」
「いやそんなに単純じゃないんだけど……というか一応ハンデがあるの忘れてないよね?」
「手錠がなければハンデにならないんでしょ?」
……。
屁理屈を!
「よいしょ、と。じゃ、配信準備するから、そこで立つことも出来ずに眺めていて」
「言い方よ」
「声出したくないなら猿轡でもする?」
「なんでそんなの持ってるんだ……」
「1000円くらいだったよ」
「そういうサイト、年齢制限あるんじゃ」
「ジョークグッズ販売サイトって便利だよね」
そういえばさっきの手錠もやけに軽いと思ってたけど、そういう事か……。ふむ。じゃあこの足枷もガチャガチャやってれば取れそうだな。
まぁ取らないけど。
「と、いうかですね、リンリン」
「うん。私も気づいた」
リンリンが配信準備のために立ち上がる。
立ち上がれば。
鎖がピンと張るわけで。
「うぐぐぐ」
「足枷を取ってくれれば立ち上がってそっちにいけるんだけどなー」
「這いつくばって腕の力だけで来てよ」
「いやーうつ伏せになれないから無理かなー」
「じゃあ無理矢理引っ張るよ」
「痛い痛い首にめり込んでるチョーカー壊れちゃう待って待って」
非協力的な態度を止めて、仕方がないのでお手紙食べた。じゃない、仕方がないので匍匐前進的な感じでリンリンの方へ行く。
頭を撫でられた。犬か私は。
「はい、準備完了。声出さないように気を付けてね」
「勿論。冷静に叩き潰す」
「……配信終わった後に足痺れてても遠慮なく蹴るからね」
「何故蹴る事は当たり前なのか」
……なんだか感慨深いものがある。リンリンの配信風景なんて、見る機会はなかったし。
私の貸した配信機材はとうに返却されていて、だからこれはリンリンが買った機材だ。結構な値段のものがちらりほらり。それだけ真剣なんだろうなぁ。
「はーい! 配信始まりましたー!」
突然、トーン割り増しでマイクに向かって声を出すリンリン。いや笑っちゃいけないとは思ってるし別に馬鹿にする意図はこれっぽちもないんだけど、ちょっとニヤニヤしちゃうっていうかいやそのオグフッ!?
「ひ、ひざ……」
「え? 誰かの声が聞こえた? そうだよ、今前に話した友達のAちゃんが遊びに来てるんだ! 放送タイトル通り、ここで雌雄を決す……決闘をするのである!!」
「鬼……」
ギロリと睨まれた。単一指向性のマイクっぽいから、口に手を当てて喋れば拾わないだろう。さっきのはいきなり過ぎて呼気を漏らしてしまったが、もう大丈夫。
「ちなみに放送後半からは視聴者参加型にするから、準備しておいてね!」
聞いていないですけど?
というか振り返り配信は? ライブの後ってそういうのするもんじゃないの? Vtuberのライブなんて見たのはリンリンのが初めてだからセオリーはわからないけど、声優ラジオとかだとライブ後の回は感想一色みたいになるよ?
リスナーさん達も話したいんじゃないの?
「ふっふっふ! ライブ成功したからね……! この勢いで、リベンジも成功させる!」
──"無理じゃね?"
──"ごめんなさいAちゃんさん……この子、突然こういう事言いだすんです"
──"NYMUちゃんなら誰にだって負けない!"
ちらっと見えたコメント。愛されてるなぁ。
……それを目の前で叩き潰すのは忍びないけど……遠慮はいらないみたいだし。
「じゃあ──決闘じゃあ!」
●
「えぐえぐ……何もできなかった……」
──"友達Aちゃん何者だよ"
──"つっっっっよ"
──"ランカーだろあの動きww"
──"なかないで"
いやまぁ、うん。
リンリンは操作は上手いけど、相手が見れてないというか。読み合いの経験値が圧倒的に足りない。強いけど、相手を弱くする方法を知らないというか。うん。
「……よし! みんな! 私に力を貸してほしい!」
──"討伐クエだ"
──"頑張れ親衛隊"
──"然り! 然り! 然り!"
足枷のポールを蹴るとか、首輪をグンと引っ張りとか、色々妨害をしてきた。だけど、それで妨害されるのはリンリンも同じなわけで。正直ほとんど邪魔にならなかった。コメントもリンリンが何やら妨害工作をしているのは伝わっているようで、「セコすぎるww」とか「NYMUちゃん、変わっちまったな……」とか、結構言われてる。この子そういうの気にしないから平気だろうけど。
そして入ってくる視聴者。うわ、見たことある名前がいる。1位の人はいないみたいだけど、サブ垢の可能性も無いことは無いし……いやそんなぽこじゃかランカーが集まってても怖いんだけど。
さらに懸念があるとすれば、リンリンが自キャラに集中しなくてよくなったことによって……妨害し放題、という状況になった。
「いいかみんなぁ! 私はリアルでAちゃんに妨害するから! みんなはゲームでAちゃんを倒すんだよ!」
──"あまりにずるい。あまりに"
──"狡さの殿堂"
──"レイドバトルかよ"
──"7vs1で負ける、ってことは……無いよな?"
「敵は天才! 油断しない事!」
──"ごめんね友達のAちゃん……ごめんね……"
──"弱い者いじめになるか、ゾウがアリを踏み潰すか"
──"でもさっきの試合、三戦して一撃も食らわなかった辺り相当だぞ"
──"敵は天才、って良い言葉だな"
「うん。
……ああ。
私の夢は──ああ、じゃあ、なんだ。
──"天才やってるとは"
──"天才は職業だった……?"
「負けないよ」
「え」
──"今の誰の声だ?"
──"Aちゃん以外だったらやばいだろ"
──"幽霊かもしれないだろいい加減にしろ!"
──"友人Aちゃんいない説"
なんだよ、それ。
こんなところで宣戦布告なんて。そんなの、受けるしかない。
私は言えない。友人がVtuberやってるって、言えない。そういう誇示はしない。
でもリンリンは言う。言える。私が──私が、天才だって。誇らし気に言える。
いやぁ。
そうまで持ち上げられて、無様に負ける、なんて。面倒だから頃合い見てわざと負けようか、とか思っていたなんて。いやぁとてもとても。
ははは。
じゃあ、私はリンリンの誇りであり続けよう。
空に帰りたいとかいう夢は、まぁレナさんにでも預けて。だってリンリンは、私の夢であり続けてくれるのだから。
じゃ、†学校一の天才青眼鏡†……行きまァす!
〇
というところが、私と青眼鏡のお話のオチ。
これが、私とリンリンの物語の締め括り。
あと少しだけ、青眼鏡の物語は続く。
あと少しだけ、リンリンの物語は飛んで続く。
けど、これが……こんな終わり方が、わたしに繋がるお話です。
翌年にデビューを果たす、6人グループの──その先で生まれ変わる、1人の。
それじゃあ、また。
この後に小話がいくつかあるっぽいど
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言えない話
みくさんと私 / 友人たち
「折り入って相談したいことがございます」
「聞くだけ聞いてあげるわ」
「その……みくさんは、同性愛について……どう思われますか?」
なんというか、みくさんは大量の砂糖を噛み潰したかのような顔をした。
「……同性愛そのものは、別に。どうとも思わないわ。好きになった相手が男だったか女だったか、という違いがあるだけで、男だから好きになる、女だから好きになる、なんてフィルタリングはしないでしょう。逆を言えば、好きだけど同性だから好きって思ってはいけない、なんてことも無いわ」
「でも……」
「ネット上では相手の性別なんかわからないでしょう。それでも言動で、文章で、創る音楽で、描く世界で……作品ではなく作者を愛する事はある。恋愛と好悪はそう大差のないものよ。上品ぶって甘酸っぱいものに仕立て上げたいのが恋愛、気恥ずかしさを感じずに純粋な思いを伝えたいのが好悪。相手を想う気持ちに相手の性別は関与しないわ」
なんか、意外だった。みくさんの口から「相手を想う気持ち」だとか「純粋な思い」とか……なんだろ、ちょっとピュアめの言葉が出てくる事が。いや失礼極まりない思考だなやめよやめよ。
「ただ、アンタの聞きたいことはそれじゃないでしょう。同性愛の正当性ではなく、友達から受けた告白の対処法、じゃない?」
「……まぁ、みくさんには散々LONEで相談してますから、バレますよね」
「本当に告白されたのかしら」
「いえ、その……あー、その、言葉を選ばずに言うと……襲われた、と言いますか」
「警察に突き出しなさいそんな奴」
ぴしゃり。いやまぁそうなんだよなぁ。リンリンのあの行動は、私以外にやっていたら普通にヤバイというか。和解したとはいえこっちの合意なしにキスしてきたり首絞めてきたり手足縛ってきたりお腹に乗ってきたり……。あれ、本気で犯罪行為。
い、いやいや。過剰なスキンシップと思えば……うーん。
「アンタはそのレイプを愛情表現と受け取った、ってワケ?」
「れっ……い、いや、そこまではされてないっていうか、別に私に危害があったわけでもないし、痛い思いを……いや痛い思いはしてるけど怪我をするほどじゃないし、その」
「縁を切るのだけは絶対に嫌だから擁護するけど、レイプに関してはどうしても受け入れられない、って事ね」
「……はい。あ、ほんとにそこまではされてなくて」
「合意がない過剰なスキンシップは普通に違法よ。安心なさい」
そういうことじゃないんですけど!?
「私だったら、絶交するわ。そんな奴。友達ならまたどこかで作ればいいし。家族はそうもいかないけど、言ってしまえば友達なんて赤の他人よ。似た性格の奴なら世界中探して回ればどっかにはいるでしょう」
「それは……嫌です」
「じゃ、諦めなさい。無抵抗であることを諦めなさい。本気で抵抗すれば……ああ、アンタの細腕じゃ無理か」
「そうなんです……いつも抑え込まれて、馬乗りに……そこから首絞めとかキスとか」
「想像よりも激しいわね。今軽く引いたわ。嘘よ。ドン引きしたわ」
常識がある人っていいなぁ。
しみじみ思う。リンリンに常識が無いとは言って……言ってるわ。うん。リンリンには常識が欠けていると此処に断言しよう。
「縁を切るのも嫌、襲われるのも嫌。抵抗するのは無理。じゃあ二人きりになるのを避けるか」
「それも、ちょっと無理ですね」
「……本当に嫌がってるのか怪しくなるわね。それ、自分から空腹のワニが幾頭もいる檻に裸で入っていって、食べないでくださいって懇願しているようなものよ。私はここにいたいんです、って。無理があることぐらいわかるでしょ」
「でも良いワニなんで……」
「じゃあ噛みつかれるのも食べられるのも許容しなさい。もしくは、ワニにハムスターになってくれ、と懇願するか。どっちかね」
「あー……うー……」
そう、だよなぁ、って。
いや客観視すればするほどリンリンが悪者に見えてくるから怖い。違うか。私が自ら襲われに行っているように見える、のか。リンリンが悪いと言うよりは、私が無防備すぎる。でもなぁ。抵抗……うーん。怪我をするレベルの喧嘩になるのは避けたいし……。
でも……さっきみくさんは異性同性は関係ない、と言っていたけど、そう言われたからといって同性からのキスに忌避感があるのは隠しようがないわけで。いや散々っぱらVtuberに、というか声優ラジオに出すメールとかでも百合を強要するような事を言っておいてなんだけど、自分がやるとなると……うう。
「嫌悪感があるんじゃないの?」
「嫌悪感……」
キスが気持ち悪いか、と言われると……どうなんだろう。気持ちいい事は絶対に無いのでそこは置いておくとしても、キスされることが……口の中を転がされる事が気持ち悪いか、というとそうでもない。その、えーと、性的な……快感的なものは一切無い。
あるのは、生理的に無理、という常識の恐怖感だけ。
「ふむ。じゃ、例えば。今私が、アンタにキスをしたい、と言ったら……どう思うかしら」
「え、ええっ! いやそれはその、みくさんがどうしてもというのなら吝かではないと言うか、したい、というのなら受け入れる準備がありますというかそのなんというか私からがっつきたいわけじゃなくこれはあくまでみくさんの愛情表現だというのなら割と行けると言うかでもその前にハグさせていただけないでしょうかとかそういう」
「じゃあ、アンタが嫌なのは同性にキスされることや友人から告白を受ける事じゃなく、襲われる事、ね。無理矢理。強制的に。一方的にされるのが嫌なだけ。もしその子がキスさせてください、って頼み込んできたら、アンタは渋りながらも了承するのよ」
「……」
想像に易かった。
もしリンリンが、しおらしい様子で「キスしたくて堪らないの」って言ってきたら……うわぁ。ドン引きだ。自分に。やば。何このドS思考。うわ。うわー。
「アンタの友人は自分を制御できないサディスト。最悪の部類よ。パートナーに恐怖しか与えないサディストはただの迷惑な奴だもの。ま、偶然にもアンタがその迷惑を「嫌だな」程度にしか思わないヤツだったから、なんとかなってる。怖いとか嫌いとか、閾値の超えた反応をするヤツならとっくに縁を切っているわ」
「相性抜群ってことですか」
「逆ね。何故ならアンタもサディストだから。ただし、自分を制御できる上に隠し通せるサディスト。SにもMにもなれる奴、というのは一定数いるけれど、そういうのの本質はサディストよ。ただ、相手をコントロールする状況を作る事で疑似的にマゾヒストになれる、というだけのね。アンタはそれ。生粋のマゾヒストじゃないから一方的に襲われる事に納得が出来ないだけで……そうね、襲わせている、とでも思い込めば、案外すんなり納得できるんじゃない?」
なんでそう、ナチュラルにサディストとかマゾヒストとかいう言葉が出てくるんだろう……。しかし、うーん。まぁ言われてみれば……私の一挙手一投足に誘われてリンリンがそういう行動に出てしまう、と考えれば……?
いや無理がある。だってリンリンの意思バリ強だもん。
「あるいは」
みくさんは、一つ思いついたように……悪戯を思いついたように。こっちを見た。
ファミレス中に天使が通る。いやファミレスで話す話題ではなかったな、と猛省している所でございます。
「アンタが態度を変えて、高圧的になんか命令してみれば……案外あっちがコロっと転じるかもしれないわね」
●
「ねぇ、リンリン」
「ぬぁにぃー?」
「ちょっと、三回回ってワンって言ってみてくれない?」
「は?」
冷たい……というか、劣悪な空気が流れる。
今まで床に寝そべって足だけベッドの上に上げていた、いっそ清々しい程に姿勢の悪いリンリンが、ものっそい冷酷な目で私を睨む。私はベッドにもたれかかって座っているから、丁度目が合う……んだけど、位置的には見上げられているはずなのに、相対的に見下されている構図。
……くれない、じゃお願いになってしまうか。命令……。高圧的……。
「だから、その場でクルクル回って、犬みたいに吠えろ、って言ってるんだけど」
「……」
リンリンは、持っていた携帯を置いた。そしてゆっくりと体を傾け──私が何かを言う前に、その両足で私の首をがっちりと挟んだ。首四の字固め──いや! ヘッドシザーズ!?
そのままベッドの方へぐい、と押さえつけられる。わぁ、流石リンリンダンスをやっているだけあって足の筋肉が凄いね! 苦しいね!!
「もう一回言ってみて?」
「ぐぐぐぐう」
「ねえ。何? 言いたいことは遠慮なく言い合う、って決めたのは事実だけど、そこまで行く? ちょっと調子に乗りすぎじゃない?」
「うぐぐぐぐぇ」
「……足に涎かかったんだけど」
……そうか、それが嫌か。
ならこれはキュウソネコカミだと思え!
「うわ!」
JKとは思えない悲鳴を上げ、思わず足を解き、私を解放するリンリン。ふっふっふ、手にすりつけた唾液を塗りたくってやったわ!
……きったな。手を舐めたのも汚いし、それを人につけるとか頭沸いてないか私。
「……ふう。わかったよ。青眼鏡。わかったわかった。そうなんだね」
「えっと」
「じゃあ、私がどこを舐めても、文句は言わないよね?」
「ヒェッ」
いやそれは! キスならまだしもそういうがっつりしたのは本気で嫌でして!
あの。
「そういう気の迷いが起こらないように、みっちり教えてあげる……」
あの。
●
「転がるどころか激化した、と」
「はい……」
「それで、どこまで舐められたワケ?」
「二の腕を吸われて……舐め回されて……本気で怖気が」
「へえ。じゃ、キスマークでも付けられたんじゃない?」
「吸引性皮下出血なら……」
「ロマンの欠片もないわね」
大体こうなる事を予想していたのか、微笑みを隠そうともしないみくさん。彼女の言う通り私の左二の腕には赤い痣がついていて、プールを含む体育の授業がある日じゃなくて本当に良かったと思う。まぁそろそろ寒くなってきたからプールの授業もそうそう無いんだけどね。
みくさんはブラックコーヒーにガムシロとシュガースティック三本を入れた……なんか、そこまでするなら最初からもう少し甘い奴頼めばいいのに、とか思わないでもないそれをストローでカラカラやりながら、さらにスマホを弄りながら私の話を聞いている。あんまり目線合わせてくれないんだよね。
「手の打ちようはありますでしょうか……」
「初めから言ってるけど、相手を変えるのは至難よ。その子はアンタに心底惚れている、とかじゃないみたいだし。多分Mっ気が出るとしたら、惚れた相手にだけ、でしょうね。アンタにはお仕置きとか悪戯とかの意味合い……あと、アンタが本気で嫌がるから、という付加価値だけでやっているのだろうし」
「怖い」
「だから縁を切れって言ってるんだけどね。ま、アンタだってその子に恋愛感情があるわけじゃないみたいだし……愛のないスキンシップ。犬がスカートの中に入ってくるようなものよ。嫌悪感や羞恥心はあれど、そこまで悩む必要はないんじゃない?」
まぁ、そうだ。リンリンからの愛情表現ではあっても、それが告白であるというわけではない。だからまぁ、気にしないでもいいと言えば気にしないでもいい。私がこれ以上余計な事をしなければヒートアップはしないっぽいし……いや舐められる吸い付かれるのは結構、結構な事なんだけど。割と怖気の走る行為なんだけど。
……気にしすぎ、かぁ。愛のないスキンシップだからこそ、意味は無いから問題ない……うーん。そんなに割り切れないけどなぁ。
「次はその場で脱げ、とか命令してみない?」
「……それ、私が脱がされませんか」
「簡単に予想できる未来よね。楽しみだわ」
「私結構真面目に相談したつもりだったんだけどなぁ」
「真面目に悩んでいる悩み事が、私から見たら真面目に悩む程のものじゃないのだもの。答えの書いてあるプラバンを首に提げて、私はどうすればいいですか、なんて聞いてくるヤツに返す言葉はバラエティー色溢れるエンターテインメントくらいよ。次は指を舐めろ、とか言ってみるといいわ」
「あれ、もしかしてこの人最悪の部類では?」
「失礼ね。正解よ」
カッコイイお姉さん、というイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。代わりに中から、まともっぽいことを言いながら相手を惑わす妖怪みたいな見た目のみくさんが微笑みとともに現れた。妖怪は失礼過ぎないか私の脳内。
でもこれは、あれだ。
一番合っている言葉を言うなら。
「相談する人、間違えたかな……」
「アンタの人間関係は大体手遅れよ。安心なさい」
なんなんだこの人……。
●
「アニーとの距離感がわからない? ……熱でもあんのか、青眼鏡」
「青眼鏡とアニーの距離感かぁ。俺に言わせてもらえばわからないのはこっち……というか、みんな、というか」
「7月にあった仲違い事件以降、面倒事は収まったと思ったんだが、また拗らせてるのかオマエ」
9月の教室は微妙に寒いような暑いようなよくわからない空気に包まれていて、除湿のかけられたエアコンがこれまた微妙な送風を行うなまったるい空間に、いつもの三人。リンリンは委員会の仕事で席を外している。
「そう言わないで、親身に相談に乗ってくれると助かる」
「オマエ、助かるなんて単語を知っていたのか。意外だ」
「京子、そのペットボトル取ってー」
自分でもちょいとキモめなのは理解している。こういう風に相談をする事は今まで……まぁあったにはあったけどこうもしおらしいのは無かったから。マイペースヤンキーと正論陽キャに聞くことなんかないわけで。
ただこれに関しては私一人で答えを出すと七月の二の舞というか、あんまりいい結果にならなそうなので相談、という次第。
「距離が近くて困ってるのか? それとも遠いのか?」
「壮一……クソ正論陽キャの癖に、ちゃんと相談に乗ってくれるのか」
「まぁ友達が困ってたらそりゃ手を貸すさ。青眼鏡だけじゃなく、アニーにも関係ある事なら尚更だろ」
……コイツ、ホンマ。
「近くて困ってる。リンリンは……その、私に近すぎる気がする」
「馬鹿だな、オマエ」
「お前にだけは言われたくない」
「馬鹿だろ。別にアニーはオマエに近づいてなんかない。オマエが近づいてるんだ」
「中学で会ったときからアニーのスタンスはあんまり変わってないように見えるっていうのは俺もそう思う」
私が、近づいている。
それは。
「たとえ話だが、その辺の男子連中がアニーに告白したら、オマエはどうする?」
「私を通してからにしてもらおうか、って立ちふさがる」
「それだよ」
「それだな」
「……」
「オマエのそれはボケも含まれてるんだろうが、出会ったときには無かったヤツだよ。そうも過保護じゃなかったし、そうもアニーに入れ込んで無かった」
「中学の時アニーに告白した男子結構いたけど、青眼鏡は"おおリンリン! また告白されたのか……流石!"とか囃してたよな」
「依存しているのはアニーじゃなくて、オマエなんじゃないのか?」
深い──深いため息を吐く。
懐かしい話をする。そして、忘れていた話をするものだ。
こいつらを見ていると、私は本当に……いや、今はどうでもいいか。
私か。体重を預けていたのは。
もうちょっと……離れてみるか。見守っているだけ、というのがお気に召さないようだから、見守っていよう。遠慮はするな、って事だったし。
「明日の昼、購買のパン二つでどうだ」
「おう」
「俺はいらないけど、まぁ手を打つ、って言っておくよ」
ありがとう。助かった。
というのは、口には出さないで。
●
「青眼鏡……なんでそんな隅っこにいるの?」
「別に」
「……?」
いや離れて見守るってこういうことじゃないってわかってるんだけど、流石に突然距離を離すのは露骨すぎてヤな感じなので、とりあえず物理的な距離を離す事にしてみた。リンリンは何やら動画編集をしているようで、つまりほぼほぼ無言のままリンリンの部屋で時を過ごしているわけだ。
いつもの三倍、距離を取って。
当然怪訝な目で見られた。
「……」
「……」
無言の時間が続く。そうだ、これでいいんだ。これが出来る関係がちょうどいい。親友ではなく、友達として。いやまぁそれぞれが違う事をしているのに同じ空間にいる、というのが単なる友達に出来るかどうかと問われると微妙な顔をせざるを得ないのだが、そこは考えないものとする。
ふと、真剣な表情でPCに向き合うリンリンを見た。リンリンのその横顔を。
……かっこよくなったなぁ、と。あのか細い、か弱い中学生リンリンはもういないんだな、と。それでいいと思うし、それは寂しいとも思う。成長期かな、私も。中学生リンリンだけを見ていたかった私がだんだんと小さくなっていって、今のカッコイイリンリンを見れるようになってきている。
もっと早くこれが出来れば……なんていうIFは、やっぱり考えないものとする。
こんなにかっこいいんだ、告白してくる男子も絶えないだろう。
それは……ああ、ちょっと複雑だけど、喜ばしいことなんだ。そう、思えないといけない。
「視界って案外横に広いんだよ?」
「さっきからこっちをチラチラ見ていた事なら知ってるよ」
「……何? 私の顔、そんなに面白い?」
ひと段落ついたのか、大きく伸びをしたリンリンが私に向き直る。胸はあんまり成長してないね!!!
「いんや? いつも通りのリンリンだよ」
「ふぅん。ま、いいけど。暇ならちょっとゲームの相手してくれない? 今回声は録らないから喋っていいからさ」
「またボコしていい感じ?」
「co-opだから、ガンガン無双してくれていいよ」
「へえ」
珍しい。私に勝つことに必死で、対戦ゲーばかりしてきたリンリンが。いやバトルロワイアルFPSゲームみたいに私が勧めたやつで協力プレイだったものはいくつかあるか。それでもリンリンから、というのは珍しい。しかも声を録らないという事は……ダイジェスト形式で投稿するのかな?
「PCゲーなの?」
「リスナーさんが作ってくれたやつ」
「……有能あしながおじさんがよ」
ファンメイドのゲーム、というのは……割とある。溢れている、とは言わないが、二次創作についてのガイドラインをしっかり設定している企業であれば、そういうゲームをツクーレルアプリやソフトを使い、二次創作的なゲームを公開する事も少なくはない。
それの、リンリン向けのやつ。しかも二人プレイ可能ときた。
……そんなことあるか?
「A子ちゃんとやって、ってさ」
「ご指名ですかい」
「リスナーさん達には仲の良いエピソードしか話してないからね……私達は互いの身体を洗いっこするような関係に思われてるみたい」
「うわぁ……」
オタク君、百合妄想好きだねぇ。
「操作はコントローラ?」
「ううん。wasdとijkl」
「うせやん」
なにその特殊キー配置。しかもそれ、体くっつける必要ない??
え、もしかしてそれが狙い? だとしたらそのリスナー害悪だよリンリンマジモンの害悪。そして天才。
「しかも無双ゲー……さらに言えばこれツクーレル奴じゃないじゃん。雲丹艇の……かなり作り込まれている……!?」
「だからプレイして動画にしたいな、って」
「なるほど」
お優しい事で、とか言わない。
まぁこれだけ心血注がれていれば、とりあえず触ってみたくなる気持ちはわからないでもない。自分をゲーマーなどと騙るつもりはないけど、新作ゲームならフリーゲームでも触ってみたいのが人間のSAGA。
しかし距離よ。離すつもりだったのに、近づきMAXENDだよ。
「スキルは数字キーで使うらしい。青眼鏡はテンキーだね」
「スキル要素があるんだ……あれ、それだとリンリンやりづらくない?」
「だから青眼鏡を
「無双してもろてってそういうことね」
強い方にハンデをつけて均等にするより、強い方を動きやすくして無双した方が色々映えるのは事実だ。でもリンリンファンに「でしゃばるな」とか「NYMUちゃんを活躍させるのが当たり前だろ」とか言われないかな……空気読めねえなコイツとか言われたら私傷付くんだけど。
「リスナーさん達、早くA子ちゃんとコラボしてほしいってうるさいくらいだから大丈夫だと思うよ」
「言いそう……」
「一索」
「最近のリンリン麻雀配信多いよね」
軽口はそのくらいに、リンリンが普段使っているゲーミングチェアをどかして、丸椅子二つに座って……ゲームを開始する。肩が擦れ合うほどの距離。うう、なんだかなぁ。
「逃がさないから」
「え?」
「始まるよ。結構スピード感あるから気を付けて」
「そもそもこのゲームis何? ジャンルは?」
「ゾンビ無双ゲーム」
……リンリンの配信と何の関係があるんだ……?
〇
京子ちゃんと壮一君に、青眼鏡から相談された、という事を聞いた。
正直な話をするなら、青眼鏡が誰かを頼るというのは意外だったし、彼女にも何かしら変化が起きているんだなぁという事実に複雑な気持ちになったり。
その相談内容と言うのが、私との距離感がわからない、というもの。彼女は近すぎると感じていて、京子ちゃんは青眼鏡が近づいたからだ、という事を言ってやった、と言っていた。
京子ちゃんと壮一君は私のこの本性を知らないからそういう事が言えるんだろう。私から青眼鏡に向かう依存心がどれほど強烈かを知らないから。
でも、というか、だからこそ。
無理矢理纏めた考えを実践実行に移すのが速すぎる青眼鏡の事だから、今日ウチに来た時くらいには「距離感の調節」みたいなのをやってくるんじゃないかと想像した。
そしてそれは、想像通りだった。先読みは青眼鏡の専売特許じゃないんだ。青眼鏡に関する事なら、ちょっとずつ読めるようになってきたことにふふんと鼻を鳴らす。
多分、まずは形から、という感じで明らかに座る位置を離してきた青眼鏡。
昨日つけたキスマークがまだ残っている事に青眼鏡の虚弱さを感じつつ、動画編集の合間合間に彼女をチラ見する。その度に目が合った。つまり、青眼鏡は私の横顔をガン見していたということだ。
あんまり心地良い視線でない辺り、多分私が成長したなぁ、みたいな後方保護者面な事を考えているんだろう。それに対して必要以上に嫌悪を示すことは無くなったけど、嫌なものは嫌なので仕返しをする。
やる機会がなくて取っておいた、何故か責任を感じていたニャンさんからのプレゼント。キスの話を私にしたことが友達と仲違いをさせてしまった、と勝手に自分を責めていたものだから、励ますのに結構時間がかかった。いや軽率に友達と喧嘩した旨をニャンさんに話した私が悪いんだけど……。
それで、仲直りをするなら「体を密着させて」「息を合わせて一つの目標に向かい」「同じ達成感を味わえばいいわ」とのことで、このゲームを作ってきたのである。
そう、作ってきたのだ。ソロモードもあるこのゲーム、結構普通にゾンビゲーをしていて面白い。なんでも元居た会社のノウハウとのことだけど、夏休みの一か月間でこのクオリティを出せる人はかなり優秀な人材なんじゃないかとちょっと震えた。なんでこの人ライバーやってるんだろう、って。
ともかくこの「ゾンビパニックで仲直り! 肩を寄せ合って生き残れ!」というキャッチコピーのセンスはないんだなぁ、なんて失礼なことを考えてしまうゲームをリスナーさん作と偽って、青眼鏡にやらせることにした。
逃がすものか。
これだけ私を依存させたのだから、勝手に離れる、なんか。許さない。近すぎる事に震えてほしい。私の熱で青眼鏡を焦がし続けてあげると決めたんだ。逃げるなんて許さないからね。
……私も絶対、逃げないから。
ぷるぷるの二の腕は吸い甲斐があった、とのこと。
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ASMRの話
ASMRというものがある。AutonomousSensoryMeridianResponse……ま簡単に言うと聞いて気持ちいい音、あるいはその感覚を指す言葉だ。バイノーラルマイクで録音する事が多いためか、バイノーラル録音のことをASMRと言うケースが散見されるが、マイクを使う事が全て歌唱、というわけではない様に、バイノーラル録音をしたからと言ってASMRにはならない……というのがオタクの心情である。
加えて言うと、出力側……イヤホンやヘッドフォンもバイノーラル録音対応でないと質が落ちる、という話も。
そんなASMR。触れる、ひっかく、叩く、撫でる等から、雨の音や風の音、雷、虫、鳥といった環境音まで広くを扱うジャンルであるが、大きく分けると二つの括りができる。
即ち、
初めに私の好みを言っておくと、私はNo talkingをよく聞く。眠る時、作業をする時。声が入っていると集中を阻害されるというか、その程度で乱れるほど集中力は低くないが、聞きたいか聞きたくないかで言えば聞きたくない。声のない音だけの空間が耳に心地いいと、そう思っている。
ただこれはどっちが素晴らしいか、という話ではなく、私が好きか苦手かの話。
そう、だから、あくまで。
あくまで今からされることそのものが嫌ってわけじゃない、という事だけは明記しておきたい。
そのものが嫌ってわけじゃないだけで、される事は嫌なんだということも明記しておきたい!
●
「ねぇ青眼鏡」
「なんだねリンリン」
「マイクになってくれない?」
「?」
一瞬、言われた意味がわからなかった。すわ猟奇的な発想が一瞬頭に浮かぶが、リンリンに限ってそれはないだろうから首とマラカスを振って脳裏から追い出す。
さて、マイク。マイクになれと。
……は?
「ASMRって知ってる?」
「ああ。そういうことか」
「ん。ダミーヘッドって言うのは流石に買えなかったし、他のマイクもちょっと高すぎて手が出せなくて」
「あーねー」
100万300万とするマイクなんか高校生が手に出来るものではない。たとえどれほど収入が入ってきていても、だ。190万人のファンを擁するリンリンはしかし、金銭感覚はまだ高校生のままだから。あるいはDIVA Li VIVAのスタジオならそういう設備があるのかもしれないけど、ASMRの収録というのはあんまり人前で見せたいものじゃないだろうし。
うん、それなら協力しよう、と。
……私、いるか?
「これ、耳の後ろのとこにつけて」
「ほー。なるほど?」
「私のいつも使っているゲーミングチェアこと社長椅子に座って」
「そんな名前だったんだ……」
「私は喋るけど、青眼鏡は喋らないでね。呼吸くらいはいいけど」
「呼吸を許されなかった場合が考えられるの怖くない?」
あれよあれよの間に背もたれの頭部が外された椅子に座らされ、その平らになったところに首をコテンと預けさせられ、腕を肘置きに、足を椅子の脚に縛り付けられ──。
「え、そこまでする必要ある?」
「念のため、だよ」
「何の懸念があるというんだ」
「寝言さえ言わなければ寝ちゃってもいいからね。今から二時間」
「なっが」
「寝言言いそうになったらガムテープで口塞ぐね」
「こっわ」
ということで、と。
配信が始まった。
え、生放送なの?
●
初めに、指が来た。
たたたん、と。たたたん、たたたん、たたたん、と。
髪を上から、指で軽く叩く。Head spa、あるいはScalp Massageと呼ばれるそれと、Tappingの合わせ。どっちも好きだし、髪の毛の上からTappingするのは評価点が高い。ダミーヘッドへのマッサージだとプラスチック感が否めないし、理髪トレーニング用のダミーヘッドの髪の毛はどこかゴワゴワしていて、梳いてもザラザラとしたノイズが激しくなってしまいがちだ。人間の頭皮だからこその衝撃と音の吸収性、というものがある。これは高評価。マイクが私じゃなければ。
たたたん、たたたん、たたたん、とリズミカルに叩かれていく頭は、しかしどこか気持ちがいい。頭皮の血行がよくなる。
うーむ。
気持ちいい。
「みんな、こんばんわー」
いつもの元気な声から囁き声にシフトチェンジしたリンリンのそれが、私の耳朶を打つ。いや正確に言えば打たれているのは耳裏につけられたマイクなんだろうけど。どっちでもいいか。
……しかし、こそばゆい。配信者としてでも、友達としてでもないリンリンの声。何の変換もされていないそれが、私の間近で放たれて、しかし行先は私ではないという不思議な感覚。
次に、さらに指が来た。
でも今度は叩くんじゃなくて、髪の間に指が入りこんで、それを梳いていく。指の腹が毛根に、頭皮に触れて、そのまま外側へ出て行く。一応自慢にはなるけど、私は癖毛ゼロの超ストレートなので、リンリンの指がどこかに引っかかるという事はない。こちらも痛みを感じることなく、指が髪を泳いでいく。
掬っては返され、掬っては返され。
いや、んん……っと。髪の毛を触られるのは別に良いし、私もよくリンリンの髪の毛弄るから何にも文句は無いんだけど、髪の毛を持ったまま耳に近づかれて囁かれたり息を当てられるとその……頭皮に息が吹きかかると言いますか。
なんだろう、この感覚。言い表しづらいんだけど、ホラ、脇って普通隠すじゃん。夏の陽キャ女子なら出すかもしれないけど、本来隠す場所じゃん。人体的に関節っていう急所だし、汗をかく場所だし、ムダ毛あったら嫌だし。
それを、隠しているそれを無理矢理開かれて、息を吹きかけられている、みたいな……。言葉にしづらい。人に見られて然るべきではない場所を、友達に見られている、という感覚が……総毛立つ、というか。
「気持ちいい? ……よかったぁ」
あんまり、喋るASMRが好きじゃない。
けどVtuberというコンテンツには結構噛み合ったジャンルであるのは間違いない。行動や企画が面白いVtuberが沢山いて、その中でも男女問わずのイケボが人気を博すものである。かっこいい、かわいい、聞き心地の良い声。Vtuberは映像と音の両方で楽しませるコンテンツだから、出力の半分である声を武器にするのはなんらおかしなことではなく、リスナーがそれを求めるのも同じく当たり前なのだろう。声目当てじゃない、って人が普通じゃないって話じゃないからね?
そういう文化のあるVtuberが、声を聴かせるための配信をする。バイノーラル録音機器で、気持ちのいい音と共に、聞き心地の良い声を聴かせる。
需要と供給を満たしたジャンルであると、そう思う。
「ふぅーっ。……どう? 私の位置、わかる?」
だから本当に単純に、私が苦手なだけ。
さっきから耳を吹かれるたびに、喋られるたびにゾゾゾっと毛が逆立っているが、必死の思いで声を抑える。意識していないとヘンな声になりそうだし。また幽霊か、とか言われてしまう。
そういえばこの間のゾンビゲームの動画、いつ上がるんだろ。結構経ったけど。
リンリンの指が後頭部を通り──うなじへと差し掛かる。
顎二腹筋の辺りに薬指が、環椎の辺りに中指が置かれ、両の人差し指と親指が首のマッサージを始めた。生え際のザラザラした音が、静かな部屋に響く。ちょっと恥ずかしい。
親指をそのままに手のひら全体が顎を伝って首前部へと到達し、そこをさらりさらり、さわさわと指が通り抜ける。恥ずかしいのもあるけどかなりくすぐったい。
「どうかな、今首元触ってるんだけど……伝わってる? ……ちぇ、やっぱりだめかぁ」
私の鎖骨付近を触りながら、リンリンは少しだけ悲しそうな声を出した。
まだ、バイノーラル録音の技術として、耳より前の音、というのはあんまり拾えない。良いマイクでいいイヤホンを使うと耳の前方30°くらいまで判別できるようになるのだけど、そういうマイクやイヤホンは物凄く値が張る。イヤホンだけでも二万近くする。買ったけど。
しかしそれをリスナー全員に求める、というのは酷な話。リンリン側もまだまだ上のマイクを目指せる程度のマイクしか持っていないようだから、ここら辺が現状の限界。
だから鎖骨を触っても伝わらないんですよリンリン。
「え? 耳舐め? ……それは今月のボイスに、ね?」
ファッ!?
え、そんなえちえちなもの出してるんですか!?
私知らなかったよそれ! 知ってたら止めたのにおのれDIVA Li VIVA! リンリンにディープキスを教えたり、猿轡を教えたり、拘束具を教えたり……ろくなことせんな! いや本当に青少年に何を教えてくれてるんだ! 訴えるぞ!
「し、心音? ……そ、そんなの聞こえるのかなぁ?」
これは、リスナー……くそ、私も聞く立場だったらGJと親指を立てるところだけど、今はGDと親指を下に向けなければいけない。だってやられるの私だから。
Heart Beatもそこそこ人気のジャンルだ。元々人間は一定のリズムを安心と捉えるものだけど、そういうものとは隔絶した安心感を齎してくれる。人生の心音。ノーブルポリス。
そして、その収音方法といえば。
「……」
「……」
一瞬、目が合った。こっちを見下ろす目。でもドSリンリンの冷たいそれじゃなく、大丈夫? というこっちを気遣う類のそれだったから、まぁ、渋々。目を瞑って、頷く。……あれ、みくさんの言う通りの事してないか、私。
そしてそれは──ゆっくり、来た。
右耳。マイクのある場所に、ふに、とくっつけられるそれ。
決して大きくはない……というか小さい部類の柔らかさは、しかし確かにトクトクと生物の強さを出している。少しだけその脈が速いのは、流石に緊張しているからか。というか普通に恥ずかしいんじゃないかなぁ。録音とはいえ、心臓に……胸にマイクを当てる、なんて。
その音をリスナーに聞かせる、なんて。
暖かい。そろそろ寒くなってくる時期で、リンリンの部屋は暖房がついているとはいえ──こう、服越しの人肌の暖かさ、というのを右耳だけが感じている。マイクがどれほど音を拾えているのかはわからないが、少なくとも私はばっちり聞こえていて、非常に安らぐ思いでいっぱいだった。
「どう、かな……? 鼓動が速い? しょ、しょうがないでしょ、恥ずかしいんだよぅ」
……リンリン、というかNYMUちゃんは可愛いなぁ。今の私が言ってたら即座に首絞めが来ていたよ。
リンリンのドS加減を極限まで薄めた状態……つまり中学リンリンの成長した姿……おや? 案外私の理想像に近いのでは?
リンリンの成長を認める事にした私だけど、好きなのが中学リンリンである事は変わらないわけで。
……行け! リスナー! もっとリンリンを恥ずかしがらせろ! 素直にさせろ!
「反対の耳、行くね」
反対の耳に来た。
変わらず……安心感と温かみが私を襲う。ぬぅ、囁きアリで寝るワケないじゃん、とか思っていた私が敗北していく。結構眠い。明日土曜日だから泊まって行ってもいいという事実が私の眠気を加速させる。家への連絡? 二日以上開けなきゃ大丈夫大丈夫。ウチは放任主義だから。
しいて言えばリンリン家への迷惑だけど、割とオープンに受け入れてくれてるんだよなぁ。リンリンのお母さんもお父さんも。うーむ。眠い。
「あ、ちょっとミュートにするね」
「……?」
「眠そうだから、毛布取ってくる。さっき寝言言いそうになったらガムテ貼るとか言ったけど、まぁこっちでなんとかミュートにするから、気にしないで寝て良いからね」
「んぅ……」
その話完全に忘れてたわ。
けど、なんだ。なんか気を遣ってくれているみたいだし。いや多少どころか多大に手足の拘束で寝づらいとはいえ……ま、流石のリンリンも寝込みを襲う、なんてことはしないだろうし。
寝るかぁ。
「戻りましたぁ。あ、寝る人はおやすみなさい。今日夜の配信無いからね」
「……」
んんう。
●
「おかしいなぁ。私はリンリンに多大なる信頼を寄せて、君を信じて眠ったというのに、何故後ろ手と足を縛られてベッドに転がされているんだろうか」
「あんまりにも無防備だったから、つい」
「目が覚めた時の恐怖感がわかるかね。お風呂に入っていた、とか……手足縛られてアイマスクされて猿轡噛まされて、割と本気で誘拐されたかと思ったよ」
「ごめんなさい」
「素直に謝るのは良いけどアイマスクと猿轡は本当になんなの」
「叫ばれるとママが来ちゃうし、ちょっと見られたくないものが部屋にあったから。あ、今は隠してるよ」
「じゃあ取ってくれないかな! アイマスク!」
「ダメ」
時刻は21時半……だと思う。眠った時間は体感でしかないけど、リンリンの配信があの二時間後に終わったとして、さらにお風呂の時間を考えればそれくらいで辻褄が合う。ご飯はまだ食べていないようだし。
リンリンのこの縛り癖は本当にどうにかした方が良いと思う。社会に出た時大変……というかヤバいよ。恋人出来ないよこんなんじゃ。アァ!? 恋人!? 私を通してからに……あ、いや、これ過保護なんだったっけ。危ない危ない。
「これから何をするつもりなのか」
「さっきの、聞いてた?」
「いやだから寝てたんだって」
「青眼鏡が寝る前に言ってた」
「……拒否権は?」
「無い。と、言いたいところだけど」
「おお」
「断ったら私特製、レシピを見ないで作った砂糖マシマシオムレツをプレゼント」
「やります」
「暗記は得意だって」
「今期の家庭科の成績を述べよ」
「2。人の話をよく聞いてから行動しましょう」
「ほらァ!」
自分だけお風呂に入ってスッキリサッパリしたリンリンが、寝転がる……というか寝転がされている私に覆い被さる。いつだかのなんだかを思い出すけど、まぁそれなりに心持ちが違うから恐怖感は薄い。ああでも、全部みくさんの言う通りというか、私はどうしてこう……危険とわかっているものに心を許すのか。コレガホントウニワカラナイ。ニライカナイ。
青りんごの香り。私が中学の時にプレゼントしたシャンプー、ずっとお気に入りだね。エモ。ハーッハッハ! そう簡単にエモに流されると思うなよ! 私はVtuberではないのでエモ耐性は低い! その程度のことで懐柔できると思ったら大間違いだ!
はむ。
「っひゃぁ!?」
「おぉ……凄い、ちょっと今感動してる。青眼鏡って女の子らしい声出せたんだ……」
「友達4年目になるけど最高峰に余計なお世話!」
「でも録音中に叫ばれると困るので、丸めたタオルと猿轡を噛んでもらうね」
「ちょ、え、んむ」
タオルを口に詰め込まれて、その上から猿轡。完璧に声が出せなくなった。でもこれ涎出ちゃうよ、生理現象で。あ、もう一枚タオルが顔の横に敷かれた。ザラザラ感でわかる。用意周到……まるで私みたいだ。失敬な、私はこんな犯罪者染みた行為はしないぞ!
「……よし、始めるよ。タオル越しでもンーッとかの唸り声は入っちゃうから、出来るだけ静かにしてね?」
「……」
コクコクと頷く。流石にこれ以上の抵抗は意味をなさないだろうし、何より身の危険がある。これ以上に恐ろしい事をされかねない。うう、二の腕を吸われた時のおぞましさが蘇る……。
「ね。なんでこうなってるか、わかる? ……私さ、言ったよね。満月の夜は特別な日だから、部屋に入らないで、って。それなのに貴方は……。だから、お仕置き」
待て待て待て待て待て待て待て。
一瞬何の話かと思ったけど、そういうシチュエーションボイスなのね! 私は同人声優にも詳しいからわかるよ! 瞬時理解ができるよ!
でもそこじゃない! いやそこだけど、そこじゃない! NYMUちゃんの設定部分あんまり詳しく知らないからちょっと興味深いんだけどそこじゃない!
高校生に! 何を言わせてるんだ! 台本書いた奴は!!
「縛る必要ない? だってそうしないと、抵抗するでしょ? だーめ、今日は私の玩具になってもらうんだから……」
「ンンンンーッ!!」
「……ちょっと。唸り声ダメって言ったじゃん。あーあ、最初から撮り直しだよ」
「ンー! ンー!」
「何? 涎が鼻にでも入った?」
っぷは。
「台本書いた人誰? ちょっと本気でクレーム入れるわ」
「私」
「……あのね、リンリン。シチュエーションボイス出すの今回が初?」
「自分で台本書くのが初」
「今までと毛色違うなーって思わなかった?」
「自分らしさを全面に出してください、ってマネさんが」
「リンリンらしさじゃなくてNYMUちゃんらしさなんだよなぁ!」
もしかして馬鹿なのでは? あ、馬鹿だったわ。最近行動が大人びてきて忘れてたけど、馬鹿だったわ。
危ない危ない。今のが世間に出ていたらと思うとゾっとする。いや審査段階で叩き落されるだろうけどさ。その辺のブランディングがわからない企業じゃないだろうし。
「書き直し! 少なくとも私がOK出せるヤツにしなさい!」
「また保護者面して……」
「これは一般常識! 倫理観! こんなえちえちなの高校生が出してるって知られたらコトだっつの! 企業側もダメージだっつの!」
「私高校生だって公表はしてないもーん」
「学生だって言ってるだろうが」
「大学生かもしれないじゃん」
「大学生があんな問題集解くわけ」
「……でも、締め切りこの土日だし」
「なんでそんなギリギリまで録らないんですかね……!」
勉強とか提出物を先送りにする奴は、それが突き返された時のリスクをまるで考えていない。提出期間が長く取ってあるのは楽できる期間を設けるためじゃなくてそういうリスクヘッジのためだってなんでわからないんだ……。
リンリンは典型例オブ典型例なんだよなぁ。
「手足縛られてアイマスクしてる人に怒られても全然心に響かない」
「あーあーいいのかなー。台本書き直し徹夜で手伝ってあげようかとか考えてたのにいいのかなーそういう事言っちゃって」
「別に、今のままでも……」
「絶対マネージャーさんに「馬鹿ですか?」って言われるよ」
「なんで会った事もない人の物真似が上手いの……?」
なんとなく。
「……むー」
「良いからコレ解いて。今から……あー、明日の朝までに仕上げるから。規定時間とか資料、ある? もしくは前のボイスの台本」
「あるけど……フルデータ購入者特典だから……」
「じゃあ後でお金払うよ。私もファンだから。今は時間が惜しいから見せて。あとPC借りるよ」
「……」
アイマスクが剥がされ、手足の拘束も解けた。少しばかり肩を回して、指を伸ばして。
午後のASMR枠で使っていたゲーミングチェアに座る。横から立ち上がっていた様々なソフトをリンリンがセーブ&終了し、テキストエディタを開いた。さらに一つのファイル……[sボイス_台本]と銘打たれたそれを開く。ファイル名に日本語使うのやめなさい。あとナンバリングしなさい数字で管理する人困るから。
「……はい」
「ん。じゃ、ちょっと集中するから。出来るだけ急いで終わらせるけど、リンリンは寝てていいからね」
「やだ」
「なんか拗ねてる?」
「早くやって」
……なんか、すんごい文句あり気な顔。めっちゃ睨んでくるし。
保護者面がそんなに嫌かね。いやでもさっきのは本気でヤバいしなぁ。リンリンが、それこそ大学生くらいになったら
そういうのが好きなリスナーもいるだろうけど……んー、まぁ少数……というか、
だから、ここは我慢してくれると助かる。アライグマ。
「さて」
前にも言ったけど、オタクは文章が書けるのだ。
さらに言えばさっき得た知見……NYMUちゃんは中学リンリンをそのまま大きくした姿であると考えれば、解釈一致の……自分で書いてて、解釈不一致で自爆しない台本が創れる。得意分野と言ってもいいだろう。
……昔、舞台とはいえ台本を書いた経験があったのは幸いだったか。あのスケボーバスケサークル元気にしてるかなぁ。
「さて」
二度、心を切り替えて。
仮眠も取ったし、イけるイける!
●
横目で、ベッドの方を見る。
膝を抱えたまま、寝息を立てているリンリン。私と違って眠らずに配信していたのだし、ASMRなんていう気を張り詰める、緊張する事を二時間もやっていたのだ。そりゃ疲れる。
首から肩をぐいーっと伸ばしながら、音を立てないように立ち上がって、先ほど私に掛けられていた毛布をリンリンの肩にかける。
台本は八割完成。なんだかんだ言って、私はリンリンのファンなわけで。今のリンリンが混じらないように、且つ昔の、一歩目を踏み出すことが出来たリンリンオール解釈一致文章を叩き込めば、十分量が取れる。
加えてまぁ、恥ずかしながら。仮想相手を私に設定すれば……元気で可愛らしい、そして一応、親友だったころのNYMUちゃん、の出来上がりである。
……私だけの宝物。
それを彼女のリスナーに見せるのは非常に口惜しい。
ふむ。
けど、推しの布教だと思えば……うん。いいな。
私の大好きなリンリンを、みんなに見てもらう。素晴らしい。良きものは独占するだけが楽しみ方でなく、広く広めて、知ってもらって、共有する事もまた……。
「……そういえばリンリン、ご飯食べたんだろうか」
食べてないんだろうなぁ。変に気を遣って、変に意地を張って。
オムレツ、だっけ。あるのかな。
ちょっと降りて……。
「オムレツの感想は朝言ってあげるから、寝なよ。変に対抗心燃やさないでさ」
「……やだ」
「おやすみ」
子供扱いしないで、とかいうくせに、やっぱり子供だなぁ、なんて。
おやすみね、リンリン。
明日はリテイク地獄だぞv!
●
これを喧嘩と呼ぶのかは別とする。
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癒えない話
「え? そうなんですか?」
「うん。そうなの」
学校へ向かう電車の中。
珍しく手招きをされて、彼女──レナさんの隣に座った私は、とあるお話を聞いていた。
「じゃあもう、会えなくなりますね」
「そうだね。ここしか、接点が無いから」
話の内容は、彼女が通学方法を電車から自動車に変える、というもの。
今冬を過ぎて、2月になったら、もう。
レナさんとは会えなくなってしまうそうだ。行きも帰りも。当たり前か。
「……お世話になりました」
「言うほど会ってたっけ? それにまだ12月だから、もう少しだけ時間はあるよ」
「あ、そうですね……。お世話になった、というか……ちょっとモノの考え方が変わったというか。レナさんが言ったあの言葉で、色々……色々あったんです。ケジメとか、絡まったものの解消とか」
「それは変わった、って言わないよ。人は言葉じゃ変われない。青眼鏡ちゃん、君に起きたのは変化じゃなくて、成長。私の言葉で変わったんじゃなくて、私の言葉で成長が起きただけ」
「違いは、立っている場所の差、ですか?」
「目線の高さの違いかな。進む必要はないよ。どこかへ行くことも無い。ちょっとだけ背が伸びた。そんな感じ」
ちょっとだけ、背が伸びた。
ああ。じゃあ私は。
中学リンリンをみていた中学青眼鏡は、もう。
中学青眼鏡is何。
「やりたい事」
「
「……わたしに慣れた?」
「やってほしい事はやってもらって、夢は他の人に語りました。私がやりたい事。後はそれだけですよね」
「もう見つけてるよね」
「レナさんに言う必要は」
「ないよ。君の一番大事な子に言うといい」
はい。
じゃあ、そう言う事で。
レナさんの言う通り、別れはもう少し先のはずなのに……。
なんだか本当に、ここでお別れのような気がした。
「またね、青眼鏡ちゃん。お元気で」
「あ……はい」
また。
●
正直あんまり、歌が得意ではない。作曲も絵も無理。文章は書けるけど、物語が書けるわけではない*1。こと創作という点において、私は何の役にも立たない人間であると自負している。創作……いや、芸術か。
だから本当に、心から純粋に、私はリンリンを尊敬していた。
私からしたら意味が分からない。歌で人を惹きつける仕組み。ダンスで人を魅せる仕組み。雑談で人を楽しませる仕組み。それがどういう効果を持っていて、どういう心理を引き起こすのか、はわかる。知識としてわかるし、先読みとしてわかる。結果は簡単に推理出来る。
けど、過程が。発生が。
てんでわからない。1mmも理解できない。尊敬というより、埒外なのかもしれない。凄いと思うし、かっこいいと思うし、可愛いと思うし、楽しいと思うけど、何故それを出せるのかが全く理解できない。エンターテインメントという概念が私の中にはないのだと。そう思う。
人を楽しませる。人を喜ばせる。暗い道行を照らす事は出来ても、華やかにすることはできない。必要ではあるのだろう。私という存在は、何も見えない人にとっては必要になる。けれど、一度足を踏み出した人間にとっては無用の長物だ。自分で光を発せられるのなら、道行を照らすだけのライトは要らない。
必要。
実用は必要だ。
私は。
高校一年生。冬。
まだ在学一年の身なれど、進路を決める事にした。
「県外の大学に行く? ……なんで?」
「ちょっと、やりたいことが出来た」
「……
「Kさん、私が進学する頃には卒業してるらしいから、その理由はナシ」
「まさか……私から離れたいから、とか……言わないよね」
「それこそまさか。友達は止めないよ。ずっと」
けど。
「私が誰かにやってほしかった事は、リンリンがやってくれた。ありがとう」
「……」
「リンリンには話してないけど、私には夢があってね。それはKさんとベレー帽の人に話した」
「私は教えてもらえない?」
「いつかね」
ちょっとあっち向いてね、と。柔らかく、言う。
怪訝な目をしながらも特に反抗せずにそっちを向いてくれたリンリンの、その首に。
手を回した。
「知らない内に、よくわからない人の言葉で、私は成長していたんだって。そうだよね、測るものがなきゃ、自分の身長が伸びたかどうかなんてわからない。微々たるものなら、尚更」
「冷たい」
「ごめんごめん」
別に首を絞めるわけじゃない。リンリンじゃないんだ。私は、普通。
普通に。
彼女の首に、それを巻いた。
「……ペンダント? 可愛い」
「一応、私からのお返しということで。あのチョーカーに込められた意味は、なんだか物騒なものだったけど、リンリンからのプレゼントだし。一度は突き返して、今度は同じものを付けて。それでも君から貰ったって事実は変わらない。だから、お返し。同じ首に巻くものだけど、チョーカーよりは拘束力がない」
青い宝石のあしらわれた小さなペンダントだ。
「でもこれ……結構」
「プレゼントのお返しの値段を気にするとか、止めて欲しいな」
「そこもお返し?」
「うん」
こっち向いていいよ、と言った。
振り返るリンリン。彼女の金髪が下がる首元に、青く光る石。あちゃー、ちょっと浮いてるかも?
そういう美的センスはないからなぁ、私。
「これ、なんて宝石なの?」
「タンザナイトだよ。結構脆いから、大切にしてね」
「そりゃするよ、勿論」
リンリンの青い目とは少し違う色味。もっと青い、碧い宝石。
「青眼鏡の青?」
「そう思うなら勝手にどうぞ」
「違うんだ。うーん。どっかで見た事がある色味……」
「一番似ている色のヤツを選んだからね」
リンリンに一番近い子の色だ。私が良く見ているあの子。
彼女自身は、あんまり見ていないのかもしれないけど。
「……あ、もしかして、私……じゃない、NYMU?」
「うん。NYMUちゃんの髪の色。似てるでしょ」
「ほんとだ。もしかしてイラストレーターさんはこの石を参考にしたのかも」
「なんてリクエストしたの?」
「……それは言えない」
そりゃ、嬉しいことだね。
「やりたいことが出来たんだ」
唐突に話を戻して、もう一度言う。
やりたいことが出来た。私が、やりたい事。今まで他人に求め、仰いできた私が、やりたい事。
「リンリンのためじゃない。他、誰かのためじゃない。誰かに何かを聞かれた時、その全てを答えられるように、って勉強してきたけど、そうじゃなくて……私が私として
何度も言う。
言い聞かせているのはリンリンに。そして、私自身に。
頑張って思い込まないと、私が否定してくるから。止めといた方がいいかも、とかなんとか。
「やりたい事って、何なの?」
「マネージャー業。それを学ぶために、キャリアを得るために、行きたい大学が出来た」
あるいは、行うだけなら。
もしかしたら、大学なんて行かなくてもいい可能性はあった。
けど、どうしても高卒では入れなそうな場所だから。
「マネージャーさん?」
「うん。芸能マネージャー業だね。先見の明と時間管理、その他諸々……私は自分が出来る方だと自負しているよ」
「そりゃ……そう、だと思う、けど」
「DIVA Li VIVAに入りたい。考えたんだ。私はVtuberにはなれないし、なりたくもない。リンリンとはバラバラで別々の位置で手を繋ぎ合おうって言ったけど、リンリンだけ忙しくてリンリンだけカッコよくて、私は夢も無くお金を稼ぐために生きるのは……なんか。納得いかない」
正直なところ、たとえ大学卒業後に運よくDIVA Li VIVAへマネージャー業として入ることが出来たとしても、リンリンに付かせてもらえるか、と言ったら多分無理だろう。そんなに社会は甘くない。DIVA Li VIVAに入れるかどうかさえ怪しい。
けど、なんか。
私にしては珍しく、なんの考えも無く、思う。
納得できないな、と。
リンリンが凄いのは先に述べた。凄い。超凄い。尊敬してる。理解できない程尊敬してる。
けど、この先友達でいた時に、例えば旅行を企て……もとい、企画したとしよう。
ごめん、その日撮影入ってて忙しいから。って。
ないわー。
「ウチの社長物凄いフレンドリーだから高卒でも入れてくれると思うけど……」
「社長に人事能力は無いでしょ。それに、そういうコネ使うの嫌だからさ。リンリンも嫌だったんでしょ? 私の力があって今がある、みたいなの」
「……わかってたんだ」
「ん。手に取るように。私も嫌だね。リンリンの対等の友達として、リンリンのコネで大企業に入るとか。後々悔やみそうだし、考え込みそう」
考える事は同じだ。
考え方に違いがあるし、考える事が同じだなんて思っていないけど、でも考えている事は同じ。
リンリンは今だった。私が後に来たかもしれない。だから、予防する。先人が目の前にいるんだ。反面教師にするにはもってこい。
「なんで今、そんなこと話したの? まだ12月だし……」
「年が変わるからだよ。年末に、それまでの清算をしたいと思うのは当然じゃない?」
「年度末にすればいいのに」
「そこは個人の価値観だね」
気分の問題かもしれない。
これ以上、私は自分を引き摺りたくなかった。この話をする時にペンダントを渡したかった、というのもある。丁度タンザナイトは12月の誕生石だし。えそれ関係ある?
「だから、リンリンがどこの大学へ行くのか知らないけど、私はそこに行きますよ、ってこと。言いたかったのはコレと」
「と?」
うん、と呟いて、私は言う。改めて。
改まって。居ずまいを正して。笑って。
「アニーナ・マージリンさん」
「久しぶりに呼ばれた気がする。何? 新舞風音さん」
「私と」
友人になってください。
そう、言った。
「……? 今、そうだよ?」
「うん。だから、改めて。今までの……なんかよくわかんない、拗れまくった縁を一旦切って、今ここで友達になろう。握手をしよう。私は来年から、私の目標に向かって全力で邁進するから、君も全力疾走してほしい。お互いの事を考えないで、とは言わないし、普通に遊び行ったり旅行も行く」
だから、積みあがったものだけ。
傍らにおいてはくれないだろうか。
「そんな都合の良い事、私が了承すると思う? こっちは今のやり取りだけで感情ぐっちゃぐちゃなんだけど」
「じゃあ、私のためを思って、了承してほしい」
「……」
「私のために、私を想って、私に益がある事として、私が大事だから、私が大切だから、私を友達としてみていたいから、私の目標のために、私がやりたい事を為すために、私の……私を、応援したいから」
私を見てくれるのなら。
「それは、ずるいじゃん。ズルじゃん。それは、だって、それは……私が、気にしてる事、じゃん」
「うん。多分その辺りで悩んでいるんだろうな、って。思ってた」
「ダメだよ。それは。レッドカードだよ。退場退場。BANだよ。放送だけじゃなく、チャンネルごとBANだよ」
「ダメなんだろうね。リンリンが一番苦しんでて、一番気にしてて、突かれて一番嫌なんだろう所に付け込ませてもらったから。優しい君が、一歩前に進んだ君が、ずぅっと悔やんでいる事だって、私はわかってる」
「本気でサイアクだよ? それ。風音がやってることは脅し。人質を取って、こっちの要求を飲め! って言ってる。わかってる?」
「勿論。私のためを想うのなら、改めて友達になってください。それが、私への
リンリンは怒った顔をして、憎々しい表情を浮かべて、苦しんで悩んで、私をギロリと睨みつける。
心から許し難い事をされた、というように。
いうように、じゃなくて、されたんだけど。私がしたんだけど。
「……凄く、嫌だ。今凄く不快」
「だろうね」
「でも、風音が望むのなら……私は、返さないといけない」
リンリンが、私の手を。
握った。
「改めてよろしく、リンリン。ところで痛いんだけど」
「よろしく、青眼鏡。これくらいの罰は受けて欲しい」
握手って痛いんだなぁ。
なんて。
……ここまでだ。
私とリンリンが、仄暗い関係で結ばれていたのは。
ここからはもう、明るく、清々しく──余計な感情のない、友人として。
ここで、私のお話は、終わり。
〇
「恋人と別れたの?」
「うん……凄く最低な別れ方だったよ。こっちの弱みに付け込んで……今でも怒りが込み上げてくる」
「喧嘩別れ……。ごめんなさい、やっぱり私のせい、かしら」
「あ、うーん、ニャンさんのせいじゃなくて。なんて言えばいいのかな……私はあの人に凄く助けてもらっていて、物凄い量の恩があって。でも今まで仇しか返せてなくて、それを悔やんでいたんだけど……」
「それを悔やんでいるなら、恩返しとして別れてくれ、ってか? 酷い男もいたもんやなぁ。とっちめたろか?」
「う……いや、その……春藤さんみたいにサッパリしてる奴じゃないから……」
DIVA Li VIVAには休憩スペースと呼ばれる場所がある。いくつかのテーブルと椅子、無料の自販機と軽食販売機。外を一望できる場所にあるここは、結構色んな人が休憩しに来る。
最近では恒例になった恋愛相談を、ニャンさんに……そして男性ギタリストの春藤さんに聞いてもらっていた。先日の青眼鏡の暴挙について。言葉はぼかしてあるんだけど。
「未練たらったらやん、自分」
「ぐ」
「でもその人、多分もう脈なし、でしょうね。そういう男は……恋をしている時だけ執着心が強いくせに、一度熱が冷めると勝手に冷静になって勝手に真剣に考えて、勝手にちゃんとした望みを掲げているものよ」
「お? なんや、経験談か?」
「セクハラですよ?」
「おお怖い怖い。……しかしまぁ、ニュニュの言う通りかもしらんなぁ。とっとと忘れて次の恋をするに限るんやないか。そんな最低男はすっぱり忘れて」
「春藤さん、それは流石にデリカシーがなさすぎかと……。傷心真っ最中に次の恋、って。NYMUちゃんはまだ高校生なんですよ? しかも初恋。少し前までは私と会う度にどこが凄いだのどこがカッコイイだのどこが尊敬してるだのどこが可愛いだの、散々惚気話を語ってくれた」
「わー! わー!」
春藤さんにデリカシーが無いのは同意するけど、ニャンさんにもプライバシーを保護するという心が一切ないから怖い!
「ま、デビューして一年……は経ってないんやったか。にしたって年の節目、ばーちゃる? に専念するには良い機会やろ。心機一転、こっからがっつり活動していくのもアリやと思うで?」
「NYMUちゃん。もし一人でいる時に考えてしまう……考え込んでしまうようなら、春藤さんの言う通り活動に専念するのは良い選択だと思うわ。傷は時が癒してくれるというけれど、忙しければ忙しい程、傷の治りは早いの。他に考えなきゃいけない事が沢山できるから」
「……この傷は、癒えない気がするなぁ」
多分、ずっと。
……その方が良い気がする。
「ネガティブになっとんなぁ。おっし、今からレコーディングでもせんか? 適当なレコ室借りて、思いっきり歌えばちったぁ気も紛れるやろ」
「もしくはゲームをする? さっきゲームコミュニティにぱやさんがログインしていたから、フルパーティで行けるわ」
「その場合一人余るんやけど」
「後ろで賑やかしでもしておいて?」
気を遣われているなぁ、と思った。
そうだよね。私が落ち込んでたら、みんな……そうなるよね。ニャンさん達は大人で、私は子供で。
うー。
うー。
よーっし。
「とりあえず歌配信! 二回行動でゲーム!」
「あんまり無理をしない方が……」
「その調子やNYMU! おら、ニュニュも歌おうや」
「いえ、私歌はあんまり……」
「収益化剥がれてるニュニュのチャンネルでやればカラオケでも歌えるやんな?」
「春藤さん……もしかして天才?」
「ちょっとNYMUちゃんまで……!」
正直なところ、整理がつく気は全然していない。
けど、この前みたいに……私が落ち込んでいると、リスナーさん達に透けてしまう。だから、元気に悩むことにしよう。
いつか正解が出るかもしれないし、いつか答えが思いつくかもしれない。リスナーさん達に、DIVA Li VIVAの人の誰かに、聞こう。色々聞いて、聞いて、どこかに納得を探す。
友達という繋がりは切れないと青眼鏡本人が言った。じゃあ大丈夫。そもそもあと2年ちょっとは一緒なわけだし。うん。
「あ! 花ホルダーさん! カラオケいかない?」
「ふぇっ!? い、いや自分これから企画打ち合わせッス……」
「……本当に?」
「うっ……」
「ホンマ嘘吐きやのぅ自分。さ、連行させてもらうで」
「げぇっ、春藤!?」
「女もおんで」
「げぇっ、暴言天使!?」
「あら。そう呼んでいたのね。じゃ、カラオケでじっくり聞かせてもらいましょうか?」
「あ、麻比奈さん! ちょっとカラオケ行ってくるね!」
「はい。報告は要りませんが……。まぁ、いってらっしゃい」
負けるわけにはいかない。それだけは絶対に嫌だ。
青眼鏡だけが立派になって、私はうじうじ悩んだまま、とか。折角あっちが対等とかいう言葉を持ち出してきてくれたんだから、今度こそ完膚なきまでに叩き伏せて、私がマウントを取る。並び立って、私を見せつけて、馬乗りになって。
どうだ参ったか、と。言う。
勝手にスタートラインを合わせてくれたあの天才に、変な遠回りや複雑な感情を抱くことなく勝てる場が目の前に広がったのなら、仕方がないから、お望み通り全力疾走をしてあげる。
青眼鏡のために、ね。
「……ばーか」
ひっそり。こっそり。
言われっぱなし、っていうのは……うん。合わないから。
青眼鏡のばーか。
子供らしい罵倒をして。
私は。
あと一話だけ続くヨ
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言えた話
EXTrail
好きな人が出来ました。
そう伝えた時、彼女は、最初はびっくりした顔を作って、その後心配そうな顔をして、最後に薄く笑って、言った。
「おっっっっっっっそ」
久しぶりに首を絞めるなどした。
〇
「いやおっっっっっっっそ。え? これ私が間違ってる? 遅すぎてちょっとお腹攣ったわ本気で笑ってる今ちょっと待ってちょっと待って今首絞めると呼吸困難で死ぬから待って待って」
「こっちは結構真剣に! 結構悩んで! 結構迷って! 覚悟を決めて打ち明けたの! それを笑うとか……!」
「いやだってリンリン好きな人が出来たってブフッ、今? 今? ぷくくく。だって今何年生よぷふ、三年だよ三年。高3の2月! 2月下旬! あぁお腹痛い! ああ蹴るな蹴るなお腹を蹴るなァ!」
最近は色々お互い忙しかった。受験とか資格試験とか。お互いの家に行く頻度は中学や高1の頃に比べれば激減し、それでも時間を作って会いましょう、と言った日が今日。学校以外で久しぶりに膝を突き合わせてみれば、なんとウザいことか。こんなにウザかったかこの青眼鏡。それとも私の耐性が落ちている? それはありそう。
このところ、まぁ困るなぁっていうコメントもそこそこはあったけど、
「あぁ~、笑った笑った。それで、誰? まさか壮一とか言わないよね。リンリンが好きになりそうなところというと……渋沢とか? 郡山も運動神経抜群で」
「学校の人じゃない」
「は? じゃあDIVA Li VIVAの人? 社内恋愛は……結構厳しいんじゃない? 色々やっかみを受けそう。男女コラボもしづらくなるんじゃ」
「好きになったのは、女の人だから大丈夫じゃないかな」
「……」
青眼鏡は居ずまいを正すと、手を合わせ、黙祷した。
割と本気で蹴り飛ばす。
「そういうとこだぞ! このDV彼女め! 私はその人が可哀想でならないこれから沢山の暴力や首絞めや首輪なんかの隷属化が待ち受けているんだ祈りだってするさ!」
「好きな人にそんなことするわけないじゃん!」
「友達にだってそんなことしちゃいけないんだぞ!」
「それはそう」
「ようやく自覚できるようになったんだねリンリン……」
それなりに常識を学びましたのです。
あと少しOSHITOYAKASAというのを学び始めたともいう。
「でも雑に扱っていい友達が青眼鏡しかいないんだもん」
「そりゃ光栄だけど、全く嬉しくないね?」
「嬉しいくせに~」
「リンリン私にフられてからちょっとナルシ入ったよね」
「あの出来事をフられたと言うなと何度言ったら」
二年前の友達に戻ってください事件は、見方を変えれば私が青眼鏡にフられたようなものだ。見方を変えれば。私は全く、これっぽちも、1㎜たりともそうは思っていないんだけど、この話を誰に相談しても「フられて傷心中なんだね」としか返ってこなかったので、客観的に見て私はフられたらしい。
このことを青眼鏡本人に言ってみたら、その時も爆笑された。今の今に至るまでずっと擦られ続けている。その度に蹴りを入れている。
「んー、もしかしてだけど、さっき覚悟決めた、とか言ってたのって、それ?」
「……」
「一瞬でもその気にさせたんだから、ちゃんと青眼鏡にはちゃんと断りを入れておかないとダメだ、とか……そういう馬鹿なこと、考えてたり」
「……ばかなことじゃないし」
「ビンゴ」
青眼鏡が青眼鏡越しにウィンクをする。なんかそういう喜怒哀楽の百面相がちょっと大人っぽいな、とか思ってみたり。
私はまだ子ども扱いされる。身長が伸びないからなんだろうけど、それ以外にも理由がある気がしてならない。青眼鏡に身長を追い抜かされた時は悔しくて悔しくて正座をさせた青眼鏡の膝に3時間座りながらゲームをやらせてもらった。
「まぁこの二年でリンリンもオタクになったってことだね。オタクは一途だから、自分を好いてくれている人がいるのに他の人を好きになっちゃった、っていう三角関係な状況に耐えられない。すーぐNTRとか言っちゃう。簡単に負い目に思う」
「別に負い目になんて思ってないし」
「うん、それでいいんだよ。だってほら、例えば私に好きな人が出来たとして、リンリンは怒る? それとも、応援してくれる?」
一拍、考える。
青眼鏡に好きな人が出来た。そう聞いた時、私は。
「とりあえず青眼鏡の痴態をその人にバラす手段を考えるかな……」
「最低だな?」
「好きなプレイは首絞めとSMですよ、って教えてあげる」
「本気で最悪だなぁ! あと違うし!」
この気持ちは、なんだろう。
青眼鏡の恋路を妨害したい、という気持ちではない気がする。でも。
「どことも知らぬ馬の骨に青眼鏡をやるのは納得できない、みたいな?」
「うん……なんか、イラっとはするよね」
「リンリン、それはね。私の方が知ってるんだぞ、っていうマウント心だよ。今私も、その女の人に抱いてる心。怒ってるわけでもないし、普通に応援はしたいんだけど、それはそれとして「お前にリンリンの何が分かるんだ! 私の方が知ってる事多いんだぞ背骨を撫でられるのが弱いとか!」っていう、マウント」
「その話誰かにしたら久しぶりに縛るからね」
「やめてもろて」
だからこれは、逆転すれば。
青眼鏡は続ける。
「そこでリンリンについての理解度が十分なら、手を繋いでリンリンの良さを語り合える。決して同担拒否ではないからね、私は。ということで会わせろください」
「えー」
えー。
「まー、さっきは遅いとか言ったけど、学校じゃなくて社内の人なら遅くも無いし、頑張ってよ。私はもうすぐ引っ越しでいなくなるけど、進展したらLONEで教えて。2ショットを送ってくれてもいい。R18な画像でもイイヨグエッ」
「お姉さんとはそういうのじゃないから!」
「へ、へぇ~。お姉さんって呼んでるんだぁ。ぷくく、どんだけ猫被ってるのやら」
「それは……そうなんだよねぇ」
「ありゃ、思ったよりクリティカルヒット」
ちょっとだけ、気にしている。
お姉さんの前では、元気で可愛いNYMUちゃんそのもの! って感じで過ごしている。ファーストコンタクトがそうだったし、そんなにプライベートで会う機会がまだ無く、ほとんどが仕事場での出会いなわけで、NYMUから私に戻るチャンスが無い。
どうなんだろう、って。
私は実は、結構苛烈な性格で、客観視したらかなり重い女で、独占欲もとても強くて。
そもそもこれが恋なのかどうかもわかっていない。ところはある。
初めてなんだ。「カッコよくて好きになった」って経験が。昔青眼鏡に感じていた「私のものにしたい!」っていう感情じゃなくて、どっちかというと……「あの人のものになりたい」みたいな、自分が自分だとは思えない感情の方が強い。
「ふむ。ねこかぶリンリンから暴力リンリンになった時、嫌われてしまわないか……と。難しい話だねぇ」
「その呼称の可否は置いておくとして、結構悩んでる。何かいいアイデアないかな、†学校一の天才青眼鏡†さん」
「わざわざ
「歌が上手い!」
「お、おう。私が聞きたいのは性格の特徴なんだけどね?」
「カッコいい。けどちょっと理屈っぽい? ニヒルな感じ。でも割と熱血」
「じゃあ大丈夫でしょ。へぇ、そういう性格なんだ。いいんじゃない? で終わりそう」
「なんで会ったことも無い人の物真似が上手いの……?」
「そろそろ特技になってきた」
理屈っぽいのは青眼鏡も一緒だけど、青眼鏡と違う所は、あんまり肯定しない所かな。ちょっと否定的な世界観を持っている気がする。まだ全然話せてないから断言はできないけど、否定的……ううん、どっちでもいい、がしっくり来るかも。
青眼鏡は今もずっと保護者面。干渉は減ったけど、それでもたまにぶつかる程保護者保護者してくる。お姉さんはそういうのないけど、発言の重みでたまにこっちが勝手に影響を受ける事がある。
「リンリンが地球で、私が木星。オネエサンとやらが太陽って感じだね?」
「太陽って感じじゃないなぁ」
「なんにせよ、会ってみない事には。今週の土日とかどうよ」
「ごめん、撮影……」
「んー、次の週は私が用事あるからな……」
「そもそも引っ越しまでに会える日がここしかなかったもんね」
「ふむ」
私も青眼鏡も結構なハードスケジュールで、青眼鏡に至っては毎日のように資格試験を受けている程。何をそんなに取っているのかと聞いたところ、とりあえず取れるだけ取ってみようかと思ってて、とかいう頭のおかしい回答が返ってきた。なんでも出来たほうが楽しそうじゃん? とのこと。
これでいてオタク活動は欠かしていないというのだからちょっと怖いよね。
「……じゃ、会える時まで取っておくよ。リンリンの彼女になるっていうんなら、いずれ会うことになるだろうし。今は縁が無かった、ってことで」
「彼女になるかどうかは……。まだ片想いだし」
「おりょ、競争率高め?」
「一人、なんか夫婦みたいな感じでいっつも一緒にいる人がいるみたいなんだよね……。会ったのは一回きりなんだけど、その一回目で「あの人は渡しませんから」って宣戦布告されちゃってさ」
「それは怖い」
私も重苦しい女であることは重々承知しているんだけど、あの人もすっごく重たい人な気がする。そういえばあの人も眼鏡だったなぁ。
「メンヘラの見本市かな?」
「なんか言ったよね」
「断定!?」
別にメンヘラじゃないし。
……じゃないし。
「いつか、紹介してよ。大学行ったら会う機会あんまないかもだけど、卒業してからでもいいからさ。彼女として、じゃなくてもいいよ。フられて尚友達でいるのは得意でしょ?」
「怒るよ」
「ごめんごめん。冗談冗談。マイケルマイケル」
蹴った。
「うー、なんで私ってこう、私を好きになってくれるかわかんない人ばっかり好きになるんだろう」
「そんな恋する乙女みたいな台詞吐いても直前に友人の腹を蹴っているのは誤魔化せないぞ」
「私ってそんなに魅力ないかなぁ」
「スルーかぁ。はぁ。ま、恋ってそんなもんだよ。世間一般を見ても、ね。自分を好きになってくれるかわからない。なってくれない可能性の方が高い。でも好きだから仕方がない。好きって伝えるしかない。自分をよく見てほしくて、良くみてほしくて、自分といるとどれだけ良いのかをアピールしなきゃいけない。誰かの想いを独占するんだから、それくらいの代償は必要でしょ」
「……青眼鏡だって恋愛経験無いクセに」
「恋愛相談だけは死ぬほど受けてきたからねぇ。自分の魅力はあんまり関係ないんだよ。相手の求めるものと自分が出せる魅力が噛み合う事の方が稀で、だからこそ変わろうと努力するわけで。好きになった方の負け、っていうのは良く言ったものだよ。悩み悩んで恋せよ乙女。私は応援しているよ。リンリンが幸せになる事をさ」
なんか。
本当に、ちょっと大人になったなぁ、って。そう思った。
いや、壮一君も京子ちゃんも、クラスのみんな……大人になっていっている。卒業式まで残すところ数日で、そこから私達は大人に半歩を進めるのだ。ううん、もう大人、かな。
私は。
どうだろうか。
「ふむ。これはある人の受け売りなんだけどね。リンリン」
「うん」
「大人というのは、成るものではなく、帯びるもの、なんだそうだ。昆虫が変態するように形態が変わるわけじゃない。階層があるわけでも、ステージがあるわけでもない。ただ少しずつ帯びていく。それは自分では気付かなくて、誰かに見られて初めて気付かれる」
あぁ、なんだか大人びたなぁ、ってね。
「あくまで気付かれるものなんだ。だから、私達の自覚はいつまで経っても子供。大人になったね、って言ってくれる人が現れるまで、大人っぽいなぁ、って言ってくれる人が現れるまで、リンリンはずっと子供」
「……青眼鏡は、思ってくれないの?」
「うん。全く思わない。リンリンはまだ子供だよ。それを言うのは、私じゃない」
にっこり、優しく。
あやすように言う。
「ねぇ、次はいつ会えるかな。次にこの家に来るのはいつになるだろう」
「別に、いつでも来ていいよ」
「いつか、にしておこうか。その方が楽しそうだ」
ああ。
やっぱりまだ、遠いんだなぁ、って。
早く、追いつかなきゃ、って。
そう、思った。
「あれ……レナ、さん?」
「や、久しぶり」
「え、え、え?」
それは、まだ不確定な未来の話。
私も私もわたしも知らない先の可能性。
「なんでここにいるか、聞いてもいい?」
「受かったなら連絡してよ……!」
だから、そうなるように、そうなってくれるように。
未来がここを楔に出来るように、刺しておくための物語。
「んー、まぁ理由はいろいろとあるんですけど」
言いたかった言葉を。
「友人がVtuberやってまして」
「何ですか?」
「金髪ちゃんがたまにつけてるペンダント。あれ、青眼鏡ちゃんがあげたもの?」
「あ、はい。そうです」
「この間愛おしそうに舐めてたよ。もしかしてソウイウ関係?」
「……今度キツく言っておきます。ソウイウ関係じゃないです」
「ヒュウ、ママが現れたね。これは金髪ちゃん大変だぁ」
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