彩る世界に絵筆をのせて (保泉)
しおりを挟む

第一章 数奇な出会い
柔らかいのとトゲトゲのと1


 

「平馬ちゃん、これ持っていきなさいな」

 

 バイト先である肉屋の扉を横に開けると、店の奥さんがレジ袋片手に俺を呼び止めた。

 

「偲江さん、なにこれ」

「売り物のコロッケと南瓜の煮つけ。余ってるから処分お願いね」

 

 渡された袋にはコロッケが四つ詰められたパックと深皿にラップがかけられたもの。一人暮らしの自炊の身としては大変助かる。

 

 助かるのだが。

 

「偲江さーん、また料理失敗したんですか、美喜ちゃん」

「そうなのよぅ。見事に撃沈、失敗作が大量にあってねぇ。暫くそっち処分しなくちゃいけなくって」

 

 困ったわ、とちらりと俺を見る偲江さんに気付かないふりをして、じゃあ遠慮なくいただいてきますねー、とさっさと店から出た。

 

 あのままだと失敗作まで押し付けられかねない。後ろから舌打ちなんて聞こえないから。

 

 

 家路をブラブラと歩いては立ち止まる。一人暮らしを始めて早三年、祖父が健在だった頃に比べて随分と時間が過ぎるのが遅くなった。

 

 そういえば、今日はまだ何も食べてないなと、傾き始めた陽を見つめて思う。

 

 前の人生では、どんなときでも三食欠かせなかったのに不健康になったもんだと、『昔』より白いがゴツゴツした手を目の上にかざす。隙間から見た世界はまだまだ明るかった。

 

 

 

 帰り着いた家の中は真っ暗だった。はて、玄関の灯りは自動で点く筈なのだが、と上を向くと電球が割れていた。そうっと下を見るとガラスの破片が落ちている。あっぶな、気づいて良かった。

 

 靴箱の横に置いてある箒とちりとりで、さっとガラスの破片を片付ける。後で掃除機をかけようと破片が落ちていた場所を、踏まないように跨いで廊下を進む。

 

 リビングのドアを開けようとして、状況のおかしさにようやく気づいた。

 

 

 電球が落下していたのならまだわかる。だが、電球は『割れていた』のは何故なんだ?

 自然にひびが入った、とするには電球を交換したのは1ヶ月程度前なので違うだろう。

 

 空き巣に入られたかな、とリビングの惨状を想像していたとき、物音が聞こえた。

 

 何かが倒れるような、鈍い音。どうやら犯人はまだいるらしい。逃げようとしたときに俺が帰ってきたのかもしれない。

 

 玄関に戻り、箒を手にする。武器代わりになるだろう。右手に箒の柄をしっかり握りしめ、リビングへ続くドアを開いた。

 

 ドアの先には今朝家を出たままの、それなりに整頓されたリビングだった。人の気配は感じない、と言っても気配なんか感じ取れたことはないが。

 

 首を傾げていると、小さく呻くような声が聞こえた。

 

「た、助けてくれ!」

「誰かいるのか?」

 

 男の声だった。切羽詰まったひきつるような声音。

 

「悪かった、あんたの家に空き巣に入った!いくらでも謝罪する!助けてくれ、こ、殺さないでくれ!」

「は……?」

 

 どういうこったい。

 

 箒装備の俺はそんなに凶悪か?いや、人影が見えないから俺の姿は判別つかないはず。とりあえず明かりをつけようと、ドア近くのスイッチを手探りで探す。

 

「あんたのところのガキだろ!?黒髪と金髪の外人のガキだ!ガキどもを止めてくれぇ!」

「え」

 

 暗かったリビングが明るく照らされ、俺は縛られた見知らぬ男とそれを押され込む黒髪の少年、そして此方にむかって腕を振りかぶる金髪の少年を見た。

 

「のわぁっ!」

 

 間一髪、金髪の少年の拳を避けることができたが、現状がサッパリわからない。

 

 どういうことなの。

 

「おっさん誰っ!つーか、この少年たちどなたっ?何で俺の家に美少年がいるんですかぁ!」

「俺は空き巣だっつってんだろ!俺が知るかぁ!アイツ等先に部屋にいたんだよ!知り合いじゃねぇのか!」

「おっさん割と余裕ある?おっと、ちょっと落ち着こうか少年!」

 

 攻撃を続ける金髪の少年の腕を掴み、捻って拘束する。床に押さえつけられながらも、少年はなお俺を睨みつけた。

 

「ディオ!」

 

 声に振り向くと、おっさんの側にいた黒髪の少年が此方に向かって駆け寄ってくる。あ、デジャヴ。

 

 体当たりの体勢になっている少年にむかって箒を投げつけ、少し怯んだ隙に足払いをかけると少年はスッ転ぶ。転んだ黒髪の少年の上に、拘束した金髪の少年を被せてまとめた。

 

 ああ、疲れた。

 家の中に不審者が三人ってどういうこったい。

 

 暴れられても困るので、少年たちも後ろ手と足を縛らせてもらった。少年たちの見目が良いので犯罪者の気分なんだけど。

 

 とりあえず少年たちをソファーに、おっさんを椅子に座らせる。

 まずは空き巣確定のおっさんから話を聞くことにした。

 

 おっさん曰く、割と有名の画家だった祖父の絵を狙って忍び込んだら、部屋にいた少年たちに荒っぽく返り討ちにされたらしい。

 

 俺の家を狙ったことを心底後悔しているようだった。まあ、そこまでボコボコにされちゃあね。

 

 

 おっさんは後で警察に引き渡すとして、問題は二人の少年たちかなぁ。最初におっさんが言っていたように、少年たちは外国人のようなのだ。

 

 黒髪の少年は緑の目だし、金髪の少年は琥珀の目。彫りの深い顔立ちで、どう見ても日本人ではない。

 

 つまり、言葉が通じない可能性が、あるってことだ。

 

「あー、俺の言っていることわかる?」

 

 日本語で話しかけてみるが、怪訝な表情を見る限り通じてない。

 

「『英語なら話せるか?』」

「!『ああ、わかる』」

 

 英語圏の出身だったのか、金髪の少年が反応を返してくれた。良かった、他の言語はわからなかったから。

 

「『まずは自己紹介しよう。俺は平馬、家名は中野。君たちは?』」

「『……僕はジョナサン。こっちの彼が』」

「『ディオ、だ』」

 

 黒髪の少年と金髪の少年は警戒心バリバリの様子だったが、きちんと名乗ってくれた。

 

 結構よい子……まあ、縛られた状態じゃ警戒心解けないよね、俺の精神衛生のためにもさっさと事情を聞かなければ!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

柔らかいのとトゲトゲのと2

 

 

 少年たちと話し合いの結果、よくわからないことがわかった。

 

 少年たち、ジョナサンとディオが住んでいたのはイギリスで、気がついたら俺の家のリビングに立っていたとのこと。

 

 これだけでも訳が分からないのに、生きていた時代が十九世紀終わり頃って……どういうことなの。

 

 

 今が二十一世紀始めの日本だと伝えるがなかなか信じなかったので、その当時なかったはずのテレビや洗濯機、冷蔵庫を見せてみる。少年たちはひとしきり驚いた後、好奇心の赴くままにペタペタと触っていた。

 

「これはなんだい?」

 

「……こんなところに爺さんの秘蔵DVDが。子供は見ちゃいけません」

 

 危うくセクハラするところだった。俺見たことないけど、禁止年齢マイナス三歳位までダメだよね、多分。

 

 

 

 一通り触って満足した少年たちが落ち着いたのを確認してから、もう一度俺の部屋に来た状況を尋ねた。

 

 ……やはり、廊下で少年たちが顔を突き合わせたら、気がつけばリビングに立っていた、としか分からないのようだが。

 

 そして少年たちはこの家から出られないらしく、実際に見せてもらったが窓から手を出そうとしても、見えない壁みたいなものに遮られているようだった。

 

 そんな状況で混乱しているところに空き巣のおっさんが登場し、手荒に拘束したみたい。アグレッシブだな少年たち。もしかして、おっさんいなかったらそれは俺に向けられていたってか。ナイスだおっさん。

 

 

 

 

 ちなみに、空き巣のおっさんについてだが。

 本来、警察に突き出すのが正しいのだけど、おっさんをフルボッコにした少年たちについての説明が非常に面倒なため(なにしろパスポートもない)、今回限りで見逃すことにした。

 

 但し氏名年齢生年月日、免許証のコピーなど身元の情報は控えて、次はないと念入りに脅してもらった。金髪の少年ことディオに。

 

 

 いや、ほら、言葉が通じないと何言ってるかわからなくて怖いでしょ?元々、おっさんは少年たちに怯えていたし、効果てきめんだった。

 

 

 

 

 

 おっさんを放逐し、少し休憩をと緑茶をいれて少年たちにも勧める。緑色がまずかったのか警戒する少年たち。俺が平気で飲んでるのを見て、恐る恐る口をつけている。

 

 もう少し落ち着くまで待っていてもいいが、そろそろ時間も遅くなってきた。着地点は決まっているのだから、さっさと終わらせた方が良いだろう。

 

 

「さて、二人とも俺の家からでられない以上、ここに住むしかない」

 

「……そうですね」

 

 

 カップをソーサーに置き、ディオが最初よりも丁寧に頷いた。なんか、いきなり丁寧になって気持ちわる……猫被り下手くそだな。

 

 

「別に敬語はいらないよ。鳥肌たったじゃん……ああ、薄ら寒い。

 まあ、俺が言いたいのは、衣食住と引換に絵のモデルやってくれないか、ってこと」

 

「モデル、かい?」

 

「そう。俺、絵を描くのが好きなんだよね。ジョナサンもディオも美少年だし、できれば頷いてもらいたい。

 嫌なら家事をしてもらうことになるけど、どう見ても坊ちゃん育ちだろうし、キツいと思うけどな」

 

 

 ただでさえ家事をしたことがない上、百年以上未来の台所なんか未知の世界だろう。

 ふふふ、これでモデルゲットは確実……!

 

 

 少年たちはしばらく悩んだあと、やたら決心した表情でモデルをすると言った。はて、なにゆえジョナサンは悲壮感漂っている?ディオもなして睨むの?

 

 

「なんか、力入ってないか?ヌードではあるまいし、そんなに決意が必要か?」

 

「違うのか!」

 

「変な覚悟しちゃったよ……良かった」

 

「ちょっと待て。お前ら俺に対する印象をはっきり言ってみろ」

 

 

 途端に視線を逸らす二人に、肩を落とす。ひょっとしなくてもこれはアレだよね?変態扱いされてたよね、俺。

 

 気まずそうなジョナサンと、未だ警戒を解かないディオ。……わんこ型ににゃんこ型だな。

 

 ささやかに逃避しつつ、野生動物を手懐けるなら餌付けかな、と俺はもらった惣菜をレンジで温めるべく立ち上がった。

 

 

「そういえば、二人とも日本食食べたことないよな。箸使ったことあるか?」

 

「ないかな。日本食も初めてだよ」

 

「僕もないな」

 

 

 うーん、それじゃ夕飯だけフォークとか使ってもらって、明日は箸講座だな。小豆確かまだあった筈だし、使えるようになったらぜんざい作ろう。

 

 

「おかずはお裾分けがあるから、ご飯と味噌汁だけ作るからちょっと待ってな。パンが良ければ食パンならあるけど、どうする?」

 

「僕はパンがいい」

 

「えっと、パンで」

 

 

 二人ともパンか、まあそうだよな。なら俺一人分だけ炊くより、キャベツ切ってコロッケサンドを作ろうか。 

 

 六切りの食パンにからしマヨネーズを薄く塗り、千切りしたキャベツとレンジで温めて崩したコロッケを挟んで、薄めたソースをかけてから半分に切る。

 

 スープはインスタントのワカメでいいか。明日は真面目に作ろう。

 

 

「即席で悪いが許せ。コロッケサンドとワカメスープだ」

 

 

 ありがたく食らえ子供達。俺の晩飯分けてるんだから。

 そう言うとディオとジョナサンは微妙な表情を浮かべた。何故に。 

 

 

「どうした、量が足りないか?なんだったらペペロンチーノでよければすぐに作れるぞ?」

 

「いや、足りるから大丈夫だよ」

 

「変な奴だと思っただけだ」

 

「ひどい!」

 

 

 なんてことだ、俺の印象が「変」で固定されてしまっている。というかディオ、敬語いらないって言ったのは俺だけどさ、もうちょっとオブラートに包むっていうか、隠すっていうか……しまった、外国人に求めるものじゃなかったこれ。

 

 

 少年達はきちんと出されたものを食べきり、空いている部屋――じいちゃんの部屋だったところと客間に案内した。定期的に布団は干しているし、大丈夫だろ。

 

 

 

 

 自分の部屋に戻って、少年達にあってから引っかかる何かについて考える。んー、どうも見たことがあるような気がするんだけど、何だったっけなぁ。

 

 

 似た芸能人でもテレビにいたか、とパソコンを起動して検索してみるが、あたりと思えるものはヒットしなかった。

 知人の名前を思い出しても、どうも該当がいない。考えすぎていると頭が痛くなってしまった。あほか。

 

 

 ベッドに転がって枕元にあった漫画に手をとる。唐突にひらめくキーワード。

 

 そう、漫画だ。漫画に関する何かだった。前に思ったことはなかったか?『昔』と違ってあの漫画が連載されてないって――

 

 

 俺はベッドから飛び起きた。

 

 

 

 『ジョナサン』と『ディオ』。

 

 

 

 そう、何故忘れていたんだ。何故気づかなかった。

 

 

 

 『ジョナサン・ジョースター』と『ディオ・ブランドー』!

 

 

 

 『昔』の世界にはあって、今の世界にはないあの漫画!

 

 

 

 

 

 

「『ジョジョの奇妙な冒険』の第一部の主要キャラじゃないか……」

 

 

 どうなってるんだ、と痛む頭を抱えて俺は再びベッドに身を投げ出した。

 

 




気づきました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二日目 午前中

 

 

 うんうん唸っていたらいつの間にか寝ていたようだ。俺ってば図太い。

 まあ、気にしてもしょうがないし?ディオが吸血鬼になったわけでもないし、今の俺にはどうしようもないってことに気がついて、思考を放棄することにしたんだけどね。

 

 今のところ俺のほうが腕っ節があるみたいだし、自分でも楽観的だとは思うがなんとかなるだろ。

 

 

 

 少年達は良く眠れただろうかと脳裏でちらりと考えつつ、あふれ出る欠伸をそのままに洗面所へと向かう。もうすぐ初夏になるためか、今日は一段と日差しが暖かい。気分良く鼻歌を歌いながら、洗面所の扉をくぐった。

 

 

 顔を洗い、目もスッキリ覚めた俺が朝食を作っていると、ディオがリビングに入ってきた。

 

 

「おはよう、ディオ」

 

「ああ、おはよう」

 

「もうちょっとで朝飯できるからなぁ、暇だったらジョナサンでも起こしてきてくれ」

 

 

 ディオは露骨にイヤな顔をしたが、すぐにリビングを出たあたり起こしてきてくれるようだ。

 

 

 今朝のごはんはオムレツにウインナーとサラダ、ホットケーキと野菜たっぷりコンソメスープだ。どう見てもレストランのモーニングですが何か?

 

 洋風の朝食がこれ以外うかばなかった……日本人なら仕方ない!きっと!

 

 余計なことを考えながら手を動かしていると、ディオがリビングに戻ってきた。続いてジョナサンも入ってきた。眠そうだけど、よく眠れなかったのかな?

 

 

「ありがとう、ディオ。おはようジョナサン」

 

「おはよう、ヘーマ。わぁ、美味しそうだね」

 

 

 手伝いのつもりか、盛りつけ済みの皿をテーブルに運んだディオに近づき、ジョナサンは目を輝かせる。

 

 しかし、ディオは何事もそつがないな。さらりと手伝っていく姿はまるで高級レストランのウェイターみたいだ。彼の生まれを考えると、相当他人の観察と努力を重ねたんだろう。

 

 

「ジョナサン、そこの食器棚の引き出しからフォークとか出してくれない?」

 

「うん、わかったよ」

 

 

 ジョナサンは手伝いとかしたことがないだろうなって感じだが、素直に頷くのでいい子ではあるんだろうな。坊ちゃんだが、嫌味がない。

 

 

 しかし対照的な二人だなぁ。

 

 

「ヘーマ、準備できたよ」

 

「あいよ。こっちも終了だ。スープ各自持ってけー」

 

 

 スープのカップをそれぞれ渡すと、二人はダイニングテーブルについた。自分の分のスープカップを持ち、食べ始めている少年達を見ながら席につく。

 

 

「味はどう?」

 

「悪くはないな」

 

「ディオ、君はっ!」

 

「ジョナサンはどう?」

 

「え、あ、美味しいよ」

 

「そっか、よかったー」

 

 

 そっけなく言うディオの反応に、ジョナサンが突っかかろうとしたところで話を振って差し止める。いえい、成功。

 

 

「百年以上前のイギリス人貴族が何食べてるかなんて、分からなかったからなぁ。口に合ったようでよかった」

 

「家のシェフ並に美味しいよ!ヘーマは料理人なのかい?」

 

「いや、ただの一般人だから。日本人全体で美味しいものが好きな民族なだけだから」

 

「へぇ、すごいな!でも僕はヘーマの料理が美味しいって思ったんだ、だからヘーマもすごいよ!」

 

 

 ――どうしよう、この子手放しで褒めてくるんだけど。ドヤ顔で美味いか聞いた俺がいたたまれないんだけど。そして餌付け簡単すぎるだろ、マジかよこの子だからディオに執着されるんだよ。

 

 ちらりとディオの様子を見ると、物凄く上品にホットケーキを食べている。無言だ。

 

 そういえば、昔のイギリスって料理の味よりも食べ方とかのマナーを重視していたような。すげぇな、俺も見習ったほうがいいだろうか。

 

 ……別にいいか。そのうち頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 食事のあとの片付けも終わり、ディオとジョナサンをダイニングテーブルにつかせて、それぞれの前に小豆が入った皿と空の皿、そして箸を置いた。

 

 

「えー、これよりアジアで使われる食器の箸講座を始めます。質問は受けつけない!」

 

 

 いきなり何言ってんだコイツ、って顔はやめてほしいなディオ……。箸を見て楽しそうなジョナサンくらいの興味を持って!

 

 

「仕方ない、質問を許可しよう。其処のもの言いたげなディオ君」

 

「早く先に進めてくれないか?」

 

「意外に修学意欲が高かった!

 あー、じゃあ二人に箸を使えるようになってもらおうと考えた動機について。……俺、洋食のレパートリー少ないから、二人が和食器で食事が取れるようになってくれないと辛い。何が辛いかってメニュー考えるのがきつい。だから、和食を食べられるようになれ!」

 

「わかった。僕、がんばるよ!」

 

 

 ジョナサン素直ー!なにこの子素直ー!俺の都合押し付けてるだけなのに、なんか『迷惑かけないように僕も頑張らなくちゃ』って考えてるのが簡単に読み取れる。

 

 ディオは……さっさとしろですね、はい。進めさせていただきますよっと。

 

 

「えー、まずは箸を一本だけペンを握るように持ちます。そう、親指人差し指中指の三本ね。そして親指を箸の太いほうの先よりに位置をスライドさせる」

 

 

 二人の手の形を修正しつつ、何とか綺麗に一本箸を持たせた。

 

 

「それからしばらく箸の細いほうの先を上下に動かしてみて。そう、親指を基点にね」

 

 

 しばらく上下運動をさせた後二人に手を固定させておいて、もう一本の箸を正しい位置に置いた。

 

 

「はーい、その状態でまた上の箸を上下に動かしてみて。今度は下の箸と先端が丁度重なるように」

 

 

 再びの練習。箸の正しい動かし方には反復練習が必要。これをやっているかどうかで、随分と箸が動かし安くなるからね。

 地道な動作しかやらないが、二人は真面目に練習している。基本努力家なディオはもちろん、初期では随分と学習に対して不真面目だったジョナサンまで……!お兄さん涙でそう。

 

 

「よし、じゃあ最終試験と行こう。箸を使って右の皿から左の皿へ、豆を動かしてみようか。焦らずゆっくり取り組むのがコツだ」

 

 

 せっせと豆を移動させる二人を見ながら、スケッチブックを手に取り鉛筆を走らせていく。うふふふ、二人とも顔がいいから目の保養だな。外国人だからか十代前半にしては背もガタイもいいから、絵に描いても見栄えがする。

 

 

「何ニヤニヤしているんだ?」

 

「おっと失礼。なんだ、ディオもう終わったのか」

 

「フン、僕にとってこれくらいたやすいことさ」

 

 

 少し眺めていた時間が長すぎたのか、ディオの呆れた声で現実に帰還する。彼の前には綺麗に移動し終わった豆が入った皿と空の皿。ほんと、可愛げなないくらい優秀だよね、お前。

 

 ジョナサンは、と。あと三分の一くらいか。

 

 

「お疲れ様。温かいお茶とクッキーを進呈しよう。お茶と言っても緑茶だけど。ジョナサンも終わったら飲もうなぁ」

 

「はーい」

 

「そういえばこの国には紅茶はないのかい?」

 

「あるけど高いし美味しい入れ方分からないし。入れてくれるなら必要なもん買ってくるけど?」

 

「じゃあ後でメモしよう」

 

「……飲みたいのか」

 

 

 流石紅茶の国の人。食後の紅茶は必須ですか。

 

 クッキーの数は限られているので、食べたいのか焦るジョナサンの前でこれ見よがしに頬張るディオ。ぶれないね、其処にしびれるあこがれる。

 

 

 

 ディオから遅れること数分後、ジョナサンはきちんと緑茶とクッキーにありつけました。

 

 

 

 

 

 ちなみに昼食にオムライスを出したら、二人にとても怒られました。

 

 




オリ主はいじめっ子


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二日目 午後

 

「ヘーマ、絵を見せてもらってもいいかな」

 

 

 昼食を取り終え、ディオから渡されたメモの品々を買いだしに行こうと出かける準備をしていると、ジョナサンがたずねてきた。

 

 

「俺の描いた絵、のこと?」

 

「そう。実は、あまりすることがないんだ」

 

 

 困った様子のジョナサンに、忘れてたと俺は頭を抱えた。

 ディオはどこから発掘してきたのか、英語版の児童書を読んで暇をつぶしているようだったが……ジョナサンは家捜しするタイプじゃない。それは暇だったろう。

 

 

「ごめん、配慮不足だった」

 

「ううん、お世話になっているのは僕のほうだから。それで、いいかい?」

 

「構わないよ。好きなだけ見てくれ……ディオにも言っておいてくれな。

 アトリエの場所は、二階の端にある部屋だから」

 

「ありがとう!」

 

 

 楽しみだ、とばかりに輝く笑顔のジョナサン。よし、なにか暇をつぶせるようなものを買ってこよう。ボードゲームやトランプさえも家にはないのだ。

 それか第二回、平馬君の特別授業・日本語講座編を開設すべきか。何でも出来るようにやってみようか。

 

 買い足しする品々を脳内メモに追加しつつ、見送るジョナサンに手を振りながら俺は昼間の住宅街に足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 買出しを終え、家に着いたのは午後四時過ぎだった。おやつの時間に間に合わなかった……。

 

 想定より時間が掛かってしまったのは、右手に抱えた大量の肉の塊の提供者のせいだ。偲江さんめ、差し入れは嬉しいけど毎回量が豪快すぎるよ。

 

 少年が二人泊まりに来ているなんて、言わなければ良かったのか。じゃあいっぱい食べるわよね丁度注文ミスで多く仕入れちゃったのよ大丈夫向こうのミスだからタダよ、なんて押し付けてくれちゃって。

 

 夜は和食にするつもりだったのに、せめて薄切り肉であればすき焼きとかに出来たのに……!

 

 ブロック肉の調理方法に頭を悩ませながら、玄関のドアをくぐる。購入物を台所に置き、ブロック肉を冷蔵庫に押し込んで一息ついた。

 

 

「あー、疲れた。ちょっと一服しよう……」

 

 

 電気ポットに水を入れ、電源をつける。急須に茶葉を入れ、湯飲みと買ってきた饅頭を準備すると、ジョナサンとディオを呼ぶために二人の部屋の扉をノックするが……返事がない。

 

 何度かノックをした後ドアを開けてみるが、二人は部屋にいなかった。はて。

 

 もしかしてアトリエか、と二階の奥の扉を開けてみると、椅子に座ってこちらに背を向けている二人の姿が目に入った。

 

 

「ジョナサン、ディオ」

 

 

 声をかけると二人は肩をはねさせ、勢いよくこちらを振り返った。その表情は驚きに満ちている。

 

 

「あ……ヘーマ」

 

「ただいま。二人とも絵を見てたのか?」

 

「ああ……そうだ」

 

 

 驚きつつもどこかぼんやりとした表情で、俺を見つめるジョナサンとディオ。様子のおかしい二人に何かあったのかと問いかけようとしたとき、ジョナサンが勢いよく俺の手を掴んだ。

 

 

「すごいっ!すごいよヘーマ!」

 

「いや、あの、ジョナサンっ」

 

「僕、こんなに絵で感動したの初めてだ!思わずディオも引きずってアトリエに連れてきちゃったほどさ!」

 

「お、落ち着け」

 

「落ち着けジョナサン。ヘーマが苦しそうだぞ」

 

 

 興奮しているジョナサンは俺の手を握り、勢いよく上下に振り続けている。ちょ、なんかこの子興奮すると力が強くなってない?ていうか、ディオを引きずったのか、ジョナサンが。その場面見たかった。

 

 引っ張られてガクガクしている俺を見かねたのか、ディオが止めに入ってくれた。

 

 

「あ、ゴメン」

 

「まったく、君は妙に力を発揮するときがあるな。

 そしてヘーマ、僕も君の絵に感動を覚えたよ。稀有な才能だな、まさか絵に心を奪われるような体験をすることになるとは思わなかった」

 

 

 そういうディオも興奮しているのか、少し頬が上気している。

 

 ――二人とも、ほめ方率直過ぎない?外国人のデフォルト?

 

 祖父が亡くなって三年、それ以来俺は誰にも絵を見せたことがない。元々、見せる相手も祖父しかいなかったし、ご近所の皆さんも俺が絵を描いているなんて知らない。

 

 爺さんが画家だったということは知っていても、だ。

 

 つまり、俺は自分の絵をほめられることに慣れていない。

 

 後から後から湧き出てくる気恥ずかしさに、二人から目を逸らしながら俺は小さい声でありがとうと言った。

 

 

 途端にニッコリ笑ったジョナサンとニヤリと笑ったディオを見る限り、聞こえないようにしたそれはばっちり届いていたらしい。チクショウ。

 

 

 

 

 一時間遅れのお茶の後、なぜかデッサン大会が始まっていた。どうやら絵に興味を持ったらしい。

 

 どうせなので描く対象はばらばらにして、俺→ディオ→ジョナサン→俺の組み合わせで描くことになった。

 

 シャッシャッと紙の上を鉛筆が滑る音と、うんうん唸るジョナサンの声が交じり合って少し面白い。きっとディオはやりにくかろう。

 

 

「こうして見るとさ、ヘーマって結構綺麗な顔しているよね」

 

 

 休憩のつもりかそれとも飽きたのか、ジョナサンが手を止めてまじまじと俺を見ていた。きっと飽きたんだろうなぁ。

 

 

「前髪とメガネであまり分からないけど、鼻筋は通ってるし唇の形が綺麗だし、僕なんかの絵のモデルにするにはもったいないくらいだよ」

 

「おい、ジョナサン動くんじゃない」

 

「ちょっとだけだって」

 

 

 椅子から立ち上がったジョナサンにディオが苛立った声を出す。ディオは完璧主義っぽいから真面目にデッサンしていたようなのに。

 

 ジョナサンは俺の前に立つと、俺の目元に向けて手を伸ばす。

 

 

「ほら、メガネを取れば…………」

 

 

 ジョナサンがメガネを外したので、極度の近視である俺の視界はぼやけて全く見えない。目の前にあるはずのジョナサンの表情さえ見えないから、なんで黙ったのかも分からないままだ。

 

 

「ディオ、こっちに来てくれないかな」

 

「僕はさっさと君に椅子に戻って欲しいんだけどな」

 

「いいから」

 

 

 いつになく強い口調のジョナサンに、面倒くさそうにディオが立ち上がり近寄ってくる気配がする。

 

 傍に来たかな、と感じたときに、ジョナサンが俺の前髪をかきあげた。

 

 

「!」

 

「……やっぱり、君にそっくりだよディオ」

 

 

 顔を上に向けられ、ぺたぺたと触られたりつねられたりする。いや、地顔ですから。

 

 それよりも俺の顔がディオにそっくりってどういうことだ。十九年生きてて自分の顔が整ってるだなんて思ったこと……ない以前に見えてねぇや。俺、小さい頃から目がすごい悪かったわ。

 

 見えないから目を細める癖があって、目付きも悪かった。なにガン飛ばしてんだガキ、って因縁つけられたのが爺さんとの出会いだったわ、そういや。

 

 

「ヘーマ、ディオを見て気づかなかったのかい?」

 

「俺、目がすごい悪いんだよ。俺のメガネのレンズを見ろよ。自分の顔なんてまともに見たことないし、メガネかけると度数高くて人相変わるから」

 

「ああ、なるほど」

 

「そろそろメガネ返してくれ」

 

 

 手を差し出すとそっと手のひらに何かが置かれる。形と重さから俺のメガネと判断して、長年の定位置にかけなおした。

 

 視界に入るのは、わくわくした顔のジョナサンと無表情のディオ。え、ディオどうした?

 

 

「本当にそっくりだよ。ディオの髪と目が黒になって、少し成長したみたいだった」

 

「世の中には似た人間が三人はいるとかいうけど、初めてだなぁ」

 

 

 人生初のそっくりさんが漫画の世界の住人とは。いや、ここは現実なんだけど。

 

 じ、っとディオを見つめていると、無表情だった彼は嫌そうな表情に変わった。うん、なんで嫌そうな顔になったのかは気になるが、無表情よりはいいかな。

 

 

「ヘーマは日本人だよね、両親のどちらかにイギリス人がいないかな?」

 

「なんでそう思うんだ?」

 

「だってそうなら、ヘーマ、君はディオの子孫かもしれないじゃないか」

 

 

 ここは百年以上あとの未来なんだろう?

 

 

 ジョナサンのその一言は、妙に俺の中に残った。

 

 この世界にはあの漫画はない。つまり、そういうことなのか――?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三日目

 昨日、二人が寝静まった後にネットでいろいろ検索してみた。SPW財団、ジョセフ・ジョースター、1989年の日本発飛行機墜落事故。

 思い出せるだけ、単語を検索したが、該当するものはなかった。

 

 

 ここが違う世界だったということに、これほどまで安堵する理由が俺にはわからなかった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 今日はディオとジョナサン、二人一緒にモデルになってもらうことにした。

 

 家に来た時に着ていた服で、応接間のソファーに腰掛けてもらう。鉛筆を走らせていると、ジョナサンが眠そうに欠伸をした。

 

 

「眠ってもいいぞ。ただし、よだれ垂らして居眠りしている絵になるけどな」

 

「起きます!」

 

 

 慌てて口元を確認するように拭うジョナサン。俺は喉で笑いながら、顔を洗ってくるように勧める。

 休憩にしよう、と告げるとジョナサンは急いで応接間を出ていった。

 

 

「忙しない奴だなぁ」

 

 

 鉛筆を置き、お茶でも淹れてこようと腰をあげた時、肩を掴まれた。

 

 そのまま下に押されて椅子に座った体勢に戻る。もちろん犯人は応接間に残った人物、ディオだ。

 彼は俺の座っている椅子の後ろに移動していて、強引に顔を上に向けさせられてメガネを奪い取られる。勢いが良かったせいで、耳が痛いんだけど。

 

 

「おい、ディオ」

 

「君の顔は母に似ている」

 

 

 耳を押さえながら俺の前方に移動したディオを睨むと、彼は淡々とした声で呟く。

 

 

「ジョナサンは僕に似ていると言ったが……フン、僕がこんな間抜け面と思われているとは不愉快だな」

 

「おいコラまてや」

 

 

 普通ここは母親の面影でデレる場面じゃないのか。ディオがデレるのなんてエンド前のジョナサンか神父位だろうけど。

 いやいや其処じゃない、そんなに言うほど間抜け面してるのか俺は。たしかにキリッとした表情なんかしたことないけれども!

 

 

 ディオはかきあげた俺の前髪を軽く引っ張る。ちょっと痛いからやめて欲しい。

 

 

「鬱陶しい前髪だな、切るか伸ばすかどっちかにしろ」

 

「確かにそろそろ散髪に行こうと思っていたけどさぁ」

 

「おや、こんな所にハサミが」

 

「……切るなよ?お前が切るなよ?ちゃんと店に行くつもりなんだからな?」

 

「このディオに任せるがいい」

 

「やめんかっ!」

 

 

 性質の悪い笑みを浮かべながら、右手にハサミを持って左手で俺の肩を掴むディオ。左手でディオの右手首を掴みながら、どうにか椅子から立ち上がろうとする俺。

 

 そんな攻防戦はジョナサンが戻ってくるまで地味に続くことになった。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 午後になって俺は数日前に用意していたキャンパスに下描きを始めていた。少年達にはボードゲーム系とトランプ、知恵の輪、英訳されている小説などを渡しておいた。

 どうにか時間をつぶしてくれることを願う。

 

 

 下描きを進めながら考えるのはジョナサンとディオの距離だ。

 

 ジョナサンのディオに対する容赦のなさが見え隠れしているため、恐らく『君がッ 泣くまで 殴るのをやめないッ!』イベントは終了している。

 

 

 原作に表現されていない七年間、それのきわめて初期の彼らではないだろうか。

 

 

 ジョナサンとディオは、互いが互いを強烈に意識している。自分が持っていないものに劣等感を抱いて、心の其処から欲しがっている。

 

 彼らはカードの表と裏だ。もしお互いが存在しなければ、ジョナサンは不出来なジョースター家の息子のまま成人したかもしれないし、ディオはジョースター家を繁栄させた当主として名を残したかもしれない。

 

 

 ジョナサンにはディオしか見えていないし、ディオもジョナサンしか見えていない。相手がいるから劣等感を持ち、相手がいるから驚異的な早さで成長する。

 

 

 そして成長したがゆえに、悲劇が起こり――互いの存在を許せなくなる。

 

 

 下描きの手を止め、マグカップから冷えたコーヒーをすする。

 

 

 俺が悲劇を止めるのは不可能だろう。

 彼らがここに来て三日目、二人が話す時間よりも俺と会話しているほうが随分と長い。

 

 行き成り百年後の時代に跳ぶ、という不可思議極まりない体験をした同類だというのに、ジョナサンとディオの距離はとても遠い。

 

 

 彼らは表向きとはいえ友人のように会話をするには、七年間の時間が必要なんだと思う。共通の話題、共通の体験……時間を共有したからこそ、互いを把握できた。

 

 

 いつまで彼らが俺の家にいるのかは分からない。だが、きっと長くはいないのだろう。

 

 そんな予感がする。

 

 

 

 一つ息を吐いたとき、ドアを叩く軽い音が鳴る。

 

「ヘーマ、三時になったからお茶しようよ」

 

 ひょっこりと顔をのぞかせたジョナサンに笑みを向け、俺はディオが淹れた紅茶を飲むべくリビングに向かった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 下塗りまで済ませたキャンパスに、描きこみを行っていく。絵の具を塗り重ねていくキャンパスは、すでに大まかな少年達の姿を描き出している。

 

 今日のうちにある程度進めておきたい。

 

 絵を描いているときに、こんなにも気持ちが急いたことはない。早く描いて完成させなければ、という言葉だけが頭の中を巡り続けている。

 

 

 何かに憑かれたかのように、一心不乱に筆を持つ手を動かす。

 

 

 自分なりに目処がついたとき、漸く筆をおくことができた。

 

 

 すると両腕を掴まれて引っ張られ、座っていた俺は無理やり立たされた状態になった。両脇にはもちろん居候の二人、ジョナサンとディオ。

 

 

「ようやく止まった」

 

「さあ、夕食にするぞ」

 

 

 なぜか怒った様子の二人に引きずられてアトリエを出る。

 

 

「いま、何時だと思っている?」

 

「え」

 

「もう十時だよ。声をかけてもまったく反応しないし」

 

 

 窓から見える外の景色は電灯の光以外は真っ暗だった。うわ、時間の感覚なくなってた。

 

 

「夕食はね、ディオが作ったんだよ」

 

「使い方はわかったからな、まったく百年後のキッチンは便利なものだ」

 

 

 料理できたんだお前、と呟いた声が聞こえたのか、出来ないと言ったつもりはないとディオは返した。ディオの家は昔酒場を経営していたんだって、と補足するジョナサン。

 

 

「芸術家というのは早死にしやすいと聞くが、食事の時間も忘れるようなら当然だろう」

 

「邪魔しちゃいけないと思って声かけなかったけど、これからは引っ張ってでも休憩させるから」

 

 

 ずんずんと進む二人に引っ張られる俺。

 

 俺の腕を取りながら、前日よりも打ち解けたように見える二人の姿。

 

 予想でしかないが、原作よりも打ち解けたのは早いだろう。

 

 切っ掛けは、イレギュラーは明らかに俺の存在。

 

 それはあまりにも些細な変化。

 

 良いことなのか悪いことなのか、影響があるのか無いのか……今の俺には判断が出来なかった。

 

 

 

 ただ、夕食のディオの作ったスープは、おいしかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四日目

 今日はジョナサンとディオの監視付での作業となった。

 

 監視といっても、二人はアトリエ内で絵を見たり小説読んだりしているだけなんだけどね。どうやら俺が自分に対しては大雑把で、頓着しない性格ということを見抜かれたらしい。

 

 昨日の過集中に入り込んだのは初めてだった、と言っても信用されない……人間、信頼を取り戻すのは並大抵じゃないと実感したよ、こんな事で。

 

 うう、たまたまなのになぁ。

 

 

 いつもとは違う、自分以外の息遣いがするアトリエで、下塗りした絵に描き込んでいく。俺の目を通して見た彼らの一部が、其処に存在できるように。

 重ねて重ねて、交じり合う色でさえも、二人の姿を際立たせるように。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「すごいね」

 

 

 描きあげた絵の横で道具の片づけをしていると、ジョナサンがポツリと呟いた。アトリエには俺とジョナサンしかいないようだ。ディオの姿は見えない。片づけを始める前はいたはずだから、もしかしたらお茶でも淹れているのかもしれない。後で分けてもらおう。

 

 

「僕とディオが鏡の前にいるみたいだ。きっと僕達を知ってる誰が見ても、この絵は僕達だってわかるだろうな」

 

 

 ちょっと、情けない気持ちになるけど。ジョナサンは頬をかきながら苦く笑う。

 

 

「どうしてだ」

 

「今の自分が、未熟だってわかるからだよ。これは、ヘーマから見た僕達だろう?」

 

 

 ジョナサン曰く、鏡で自分を見るよりもはっきりと、自分のだめなところが見えてくるのだと。

 

 

「元から僕は弱かった。紳士であろうと心だけは努めていたけれど、いじめられている女の子を庇うことはできても守ることが出来なかった。

 この絵は、そんな僕自身を容赦なく突きつけてくる。このままではいられないと、心を奮い立たせてくれる」

 

 

 この時代に来て、この絵が見れてよかったよ。

 

 

 静かに呟くジョナサンの目は、初日の途方にくれた少年の目をしていなかった。強い、覚悟を決めた『大人』の目。

 

 ……本当にこの年頃の少年は、あっという間に男になってしまうんだな。

 

 『昔』の経験がある俺には、けして出来ない羽化。進化が可能な彼らと違って、変化することしかできない。

 

 それでも、それでも。俺の存在が、彼らの助けとなれるのなら。

 

 

 

 俺はいくらでも、世界を切り取り塗りつぶそう。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 昼ごはんを作りながら、本当にあいつ等は十三歳かと悩み始めた俺。

 

 どうしてあんなにしっかりしているんだろうか。やはり時代か、どうせ俺は平和ボケした日本人さ。

 

 なんか釣られて俺までシリアスな雰囲気になってたんだけど。今思い返すと顔から火が出そう。なんだよ世界を切り取り塗りつぶそうって。厨二か、俺の病気はまだ治ってないのか。

 

 ともかく、今日のごはんは麻婆豆腐定食だ。レトルトを使っていない本格派だぞ、これでも。ご飯と味噌汁に漬物を添えてでっきあっがりぃー。

 

 

「おい」

 

「うっはぁぁいっ!」

 

「なんだその返事は」

 

 

 気を抜いた瞬間に声をかけられ、素っ頓狂な音を口から放り出した俺。あっぶねー、フライパン落とすところだった。

 

 振り返ると呆れた顔のディオ。手には茶色い封筒を持っているようだ。

 

 

「ちょっと驚いただけ。で、それなに?」

 

「わからん、新聞の間に挟まっていた。手紙か?」

 

 

 ……ああ、そうかまたかぁ。

 手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。まったく、いい加減に諦めればいいのに。

 

 

「ん、まあ。届くのを楽しみにする類じゃない手紙かな」

 

 

 びりびりと封を開けて中身を読むと、案の定、予想したとおりの内容が書いてあった。視線を感じて顔を上げると、ディオが説明しろとばかりに俺をガン見している。まあ、隠すことでもないし。

 

 

「初日にさ、空き巣のおっさんがいただろ。おっさんは俺の爺さんの絵を盗むつもりだったみたいだが、爺さんの絵ってこの家にないんだよね」

 

 

 正確には、爺さんはこの家で絵を描かなかった。家のアトリエは俺専用のものだ。爺さんが絵を描くのはいつも知人の家で、アトリエもそこにしかない。

 

 所有権もその知人が持っているし、ごくごく個人用のプライベートな絵しかないと聞いている。

 

 

「この手紙の主はさ、それを知らないんだ。俺もあの人も広めるつもりもない。だから俺の描いた絵を、爺さんが描いたと思い込んでるんだよなぁ」

 

 

 俺は絵を描いていることを爺さん以外の誰にも言っていなかったから、画材道具を買っているところを手紙の主は見ていたのかもしれない。

 

 

「勘違いしているこの人は、爺さんの絵を売れって何度も言ってきてるんだよ」

 

 

 実に困ったことだ。ないものを売れって言われてもどうしようもない。

 深く深くため息を吐いていると、ディオが鼻を鳴らした。

 

 

「そいつは実力行使も厭わんのだろう?」

 

「え」

 

「ヘーマの身体の動き、護身術程度だろうが人相手にあまりに慣れている。僕はこれでもボクシングの経験があるんだ。それなのに不意打ちの攻撃をいなされて、君にあっさりと捕まったからな」

 

 

 ディオの指摘は正解だった。

 

 

「よく柄の悪い人たちに絡まれるよ。適当に転がして逃げてるだけだけどな」

 

 

 軽い脅し程度なんだろう、まだ。より酷くなってきたら知人の人にも相談しないといけないだろう。

 

 

「まあ、なんとかなるよ」

 

 

 難しい顔をするディオに笑って、お盆を持ち上げた。さあ、お昼だ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「さあ、絵を選べ」

 

「意味が分からんぞ」

 

「もうちょっと詳しく言ってもらえないかなヘーマ」

 

 

 アトリエにて俺が描いてきた絵を前に、二人に向かって指を突きつける。呆れ顔と困った顔。数日で見慣れてきた表情を返す二人に、俺はにんまりと笑う。

 

 

「餞別だ。好きな絵持ってけ」

 

「餞別って、何故」

 

「なんとなくだ。記念だと思っとけ。いらないってんなら別にいいけど……ちょっと寂しいぞ」

 

 

 がたがたと身近な椅子を引き寄せて座る。これは本当に餞別だ。俺の勘というなんとも不安な指標ではあるが、彼らはもうすぐ帰ってしまう気がする。

 

 俺は彼らの絵を得た。だからこそお礼に何かプレゼントが出来ればと思ったんだ。

 

 

 ただ、俺は絵しか取り得がないから、気に入ったものがあれば持っていってもらおうと考えた。

 

 

「好きな絵、て言われてもなぁ。第一持って帰ることができるのかな」

 

「さあな、そこらへんは考えてないだろうあのバカは」

 

「ひどい……事実だけど!」

 

 

 しまった、持って帰ることが出来ない可能性を考えてなかった。なにか、なにかほかに記念になるものはないか……ってそうだ!

 

 

「写真撮ろう!」

 

 

 いいこと思いついた、と笑みを浮かべた俺とは対照的に、二人は不思議そうな顔をしている。

 

 

「写真って、そんな高価なもの大丈夫なのかい」

 

「一つ印刷するのに相当な時間と、有毒な薬品が必要と聞いたことがあるが」

 

「こんなところでジェネレーションギャップ!」

 

 

 写真って西暦何年から確立された技術だっけ?これってもしかして持ち帰ることが出来たらオーパーツなんじゃ……うん、気にしない。

 

 

「すぐ終わるから大丈夫。はい、二人とも其処に立ってー。カメラ位置オーケー、オートシャッターの準備オーケーと。二人ともここのレンズに視線合わせとけよ」

 

 

 急いで二人の間に立つ。どうせだから突っ立ってるのも楽しくないな!

 がばり、と二人の首に腕を回して引き寄せる。

 

「わあ、ヘーマ!?」

 

「おい離せ!」

 

「いいからいいから!ほら二人ともレンズに向かって笑顔!」

 

 

 

 カメラにはもちろん、いい笑顔の俺と、慌てたジョナサンと嫌そうなディオの画像が記録されてました。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五日目

 今日は朝からゲーム三昧だった。

 

 初日から作業に没頭していたせいで一緒に遊ばなかったためか、それともルールが分からなかったのか……おそらく後者だとは思うが、手付かずのゲームが結構残っていたからだ。

 

 まずはトランプと彼らにルールを教え、やってみるとすぐに上手くなったのはやはりディオだった。本当に器用だなコイツ。

 

 ジョナサンはひたすら勘が良く、相手を騙すタイプのゲームは見破る確率が異様に高かった。

 

 必然的に俺がビリだよ……。

 

 

「弱いな」

 

「あえて口に出すとは流石ディオ。そこはそっとしておいてくれよ」

 

「他のゲームするかい?」

 

「お気遣いなくジョナサン。次は勝つ……!」

 

 

 連勝しているためか、単純に俺が弱くて面白いのか……ニヤニヤ笑っているディオを睨みつける。チクショウ、鼻で笑われた。

 

 

「では何か賭けようか」

 

「のった!」

 

「二人とも!」

 

「別に良いだろう、賭けられるものは限られている」

 

 

 なにしろ僕達は財布も持っていないからな、とディオ。財布以前に当時のお金貰っても俺は使えないぞ。

 劣化が少なくて偽物と判断されるだろうし、俺が持っている日本のお金を彼らに渡しても結果は同じだろう。

 

 

「よし、じゃあ俺は昨日買ってきたプリンを賭ける!」

 

「僕は負けたら紅茶を淹れてこよう」

 

「うーん、僕はヘーマが隠してたマフィンかな」

 

「いつの間に見つけてきた!?というかそれ俺のだろ!」

 

 

 ちゃっかり自分の賭け金にするとは、ジョナサン……侮れん。

 

 く、勝てば紅茶とマフィンで休憩タイムだ。頑張れ俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果、肩を落としながら昼ご飯を作る惨めな俺……。

 

 

 そんな俺を笑いながら見ているのは、戦利品のプリンを食べるディオと、マフィンを食べるジョナサン。

 

 何故勝てん……。

 

 

「ゲームの時は表情が豊かだね。全部顔に出ているよ、ヘーマ」

 

「分かり易すぎて少々飽きたな」

 

「なん……だと……」

 

 

 つまり俺は良いカモってことか。泣くぞ。

 

 茶碗にご飯をしゃもじで荒っぽくよそう。今日のお昼は鯖の塩焼きと肉じゃがだこのやろー。

 

 

「食後にもう一つゲームをしようか」

 

「また賭け金ありで?」

 

「もちろんだ」

 

 

 食べ終わったプリンの容器を持って、ディオが台所スペースへ入ってくる。ゴミ箱に捨てながらニヤリとディオは笑った。

 

 

「そうじゃないと意味がない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事の後の片付けも終了し、俺達はテーブルを囲んでいた。

 

 手に持つのは午前中と同じトランプ。結局トランプしかしなかったな、ゲーム。

 

 

 勝負するゲームは、大富豪。俺の勝率が比較的高かったからだ。

 

 

「じゃあ、始める前に賭けるものを決めないとな」

 

「それなんだが、今回は自分が出せるものではなく、相手に要求したいものを賭けないか?つまり、勝者が自分が欲しいものを手に入れるということだ」

 

「んー、別にいいか。ジョナサンはどう?」

 

「僕もいいよ」

 

 

 トランプをきりながらディオの提案に頷く。ある程度混ざったあと、カードを配りだす。

 

 

「僕の要求は『ヘーマもイギリスへ連れて行く』だ」

 

 

 手が止まる。ディオを見上げると真剣な表情で俺を見つめていた。

 

 

「い、けるかどうか分からないけど?」

 

「試してみないとわからないだろう。チャンスは恐らく一度限りだろうが」

 

 

 僕は失敗するつもりは微塵もない。

 

 かすれる俺の声が、ディオの力の篭った声に押しつぶされる。俺の主観になるが、その表情と声音には冗談と感じられるものが一切含まれていなかった。

 

 

「なら、僕の要求も同じだね。ヘーマ、君をジョースター邸に連れて行く」

 

「ジョナサン、まで……」

 

「僕は……いや、僕達はもっと君と話していたい。君が描く絵をもっと見たいし、君に紹介したい人たちがたくさんいるんだ」

 

 

 ジョナサンは俺の手をとり、力強く握り締める。

 

 

 はっきり言って、俺は混乱していた。

 

 俺がジョースター邸に行く?十九世紀のイギリスに?……なんの冗談だ。彼らがここに存在しているといっても、俺が彼らの世界にいく意味がない。

 

 

 

「俺の、要求は……二人が写真と俺の絵の手土産を持って、元居る場所に戻ることだ」

 

 

 なぜなら俺の世界はここで。彼らの生きる世界とは、文字通り住む世界が違うんだ。

 

 

 沈黙を返す二人。その表情は、目は、この五日間で見たことがないほどギラギラしたもので。納得していないことがありありと分かった。

 

 その証拠に、二人は要求するものを変えてこない。

 

 二人が勝てば、俺が負ければ――何が何でも連れて行くつもりのようだ。

 

 

「要求はそろったな。じゃあ、はじめようか」

 

 

 配り終えたカードを、そっと裏返す。

 

 

 

 

 

 

 そして、俺は一番に抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 不貞腐れて不機嫌な二人を宥めるのには相当苦労した。ディオは予想していたけど、ジョナサンまでああも頑なになるとは……。

 

 時刻はもうすでに午後二時五十分を回っている。初日に二人が家に来たのが三時ごろだそうだが、もし帰るとすればこの時間くらいだろう、と俺の勘が言っている。

 

 外れたときはそのときだっ!笑い話になるだけさ。

 

 

「ほら、これお土産用のクッキー。昨日焼いた残りだけど食べてな」

 

「……」

 

「絵も持って行けるかわからないけど、しっかり抱えとけよ」

 

「……」

 

「二人とも返事しろよ」

 

 

 まさかの無視です。どうやらまだ納得していないようです。これは一発拳骨でもプレゼントしたほうがいいんだろうか?

 

 

「……ヘーマも」

 

「ん?」

 

「ヘーマも、ちゃんとご飯食べないとだめだよ。絵ばかり描いて、食事の時間を忘れないようにね」

 

「いや、あれはあの時だけ」

 

「忘れないようにね」

 

「わかりました」

 

 

 呟くような声音で、ジョナサンが俺に注意をするが、正直物申したいんだが。実際に言ったが目が反論は許さないと告げていた。前半の無邪気な少年は何処に。

 

 

 次はディオかなー、とちらりとそちらに視線を向けると、睨みつける眼光と交差した。

 

 

「って、痛い痛い左手がつぶれるゥッ!」

 

「フン、軟弱だな」

 

「握力勝負ならともかくお前掴んでるの手首だからな!?早く離さないと捻り返すぞゴラァ!」

 

 

 本当にコイツは、暇さえあれば俺を罵ったり苛めたりこうして攻撃してきたり……お兄さんそろそろ本気で泣くよ?

 

 ようやく解放された左手首を揉んでいると、何かを顔に投げつけられた。おま……もういいや。

 

 投げられたのはハンカチだった。端のほうにアルファベットで「ディオ・ブランドー」と刺繍されている。

 

 

「くれてやる。正直、僕達のほうが貰いすぎだからな」

 

「ディオがデレた」

 

「……妙に不快になったんだが、とりあえずつねっていいな?」

 

「ごめんなさいやめてください」

 

 

 力強く、そう、物凄く強く頬をつねられ、即効謝罪する。しまった、心の声が漏れた。いや、あまりの衝撃に自制心が吹っ飛んでいったぜ。

 

 

「僕もあげられたら良かったんだけど、ハンカチ持ってなかったみたいで」

 

「気にするなって。ジョナサンにはありがたい忠言を貰ったしな」

 

 

 しょんぼりするジョナサンの肩を叩きながら笑って言うと、一旦きょとんとした後にジョナサンは笑った。

 

 

 

「もうすぐだな」

 

 

 三時まで三十秒。

 

 

「ジョナサンは洋食でも綺麗に食べられるようになれよ。和食は大丈夫だったろ?」

 

「あはは、うん、頑張るよ」

 

 

 あと二十秒。

 

 

「ディオはそうだな、無茶はするなよ。何事も正道や王道が一番強いぞ」

 

「頭の片隅には残しておこう」

 

 

 あと十秒。

 

 

「それじゃあ、元気でな。風邪引くなよ」

 

「ヘーマも、元気で」

 

「……」

 

「ディオ?」

 

 

 あと一秒。

 

 

 ディオの右手が、俺の左手を素早く掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中には時計の秒針が時を刻む音だけが響く。

 

 そこに、俺一人が立っていた。

 

 

 

「本当に、三時だった……」

 

 

 人が二人減った空間は、俺の声がやけに大きく聞こえる。

 

 ソファーに腰を下ろしながら、右手に持ったハンカチと左手に残った手のあとを見た。

 

 

 アイツ、最後まで諦めてなかったな。

 

 

 残り数秒のときに掴まれた手。その前に掴まれたときよりも、ずっと強い力だった。周りを見ると、お土産代わりに渡した絵は消えている。クッキーも、三人で撮った写真も。

 

 

 なのに、俺はなんで。

 

 

「……あー、ちょっと行きたかったのか?俺」

 

 

 センチメンタルになった自分に苦笑いをするしかない。こちらから拒絶しておいて、実際は連れて行って欲しかったなんて……俺こそデレろよ。

 

 

 

 チャンスはもう通り過ぎてしまった。きっと二度と来ないだろう。

 

 

 俺はこの世界を選んだ。

 

 

 

「さあて、ディオの真似をして紅茶を淹れて……絵でも描こうかね」

 

 

 まだ明るい日差しが差し込むキッチンには、三人分の食器があって少し寂しいけれど。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ジョナサンの語り・ディオの独白

 

 ん?なんだいスピードワゴン。

 

 ああ……ありがとう、拾ってくれて。大事なものだったんだ。

 

 

 これはね、写真なのさ。

 

 

 違う違う。この時代のものじゃなくて、ずっと未来で撮った写真だ。

 

 

 そうだね、ひとつ昔話をしようか。昔と言っても七年前なんだけどね。

 

 

 

 

 七年前、僕とディオは突然百年後の世界に迷い込んだことがあった。

 

 冗談じゃないよ?何よりこの写真が証拠だから。

 

 

 

 迷い込んだ家の持ち主はヘーマ、この真ん中に移っている青年だよ。この写真はメガネをかけているから分かり辛いけど、ディオにそっくりな顔をしているんだよ。

 

 

 うん、僕はけっこう本気でヘーマがディオの子孫じゃないかって考えていたよ。

 

 

 

 彼は僕達が過去から来たことをあっさり信じて、家に置いてくれたんだ。

 

 

 そんな、ヘーマがお人よしなのは同意するけど、僕は違うよ。

 

 

 ヘーマは画家でね、とても素晴らしい絵を描いていたよ。ほら、僕の家に飾ってある湖の絵があるだろう?あれはヘーマが描いたのを貰ったんだ。

 

 

 初めて彼の絵を見たときは見惚れてしまって、自分だけで楽しむのがもったいなくて……読書中だったディオを引きずってアトリエまで行ったっけ。

 

 

 そう。あの時のディオの呆気に取られた顔は忘れられないなぁ。

 

 

 ディオは無理やり連れてこられて怒っていたけど、ヘーマの絵を見た途端、大人しくなってね。今考えるとヘーマの絵って物凄い効果があったんだなぁって。ディオも大人しくさせるのだからね。

 

 

 ディオはヘーマにも心を許していたから。

 

 

 見てすぐ分かるくらい、ディオはヘーマといると穏やかだった。妙にほっとけない雰囲気の彼を、ディオは罵って、苛めて、からかってた。酷い内容なんか一切なかったよ。全部、冗談みたいな気安い言葉だった。

 

 

 僕にとってもヘーマは兄が出来たみたいで、ずっと一緒にいられたらと思っていたよ。

 

 

 短い間だったよ。ほんの、五日間の時間だった。でも、何より眩しい五日間だった。

 

 

 

 

 ディオと僕は、彼と離れたくなかったから、彼をイギリスに連れて行こうと思った。

 

 でも、彼には断られてしまったよ。

 

 僕達がいる世界は自分の世界じゃないから、って。

 

 

 

 

 

 

 

 帰る直前、最後の最後に、ディオはヘーマの手を掴んだんだ。ディオは最後までヘーマを諦めなかった。

 

 でも、連れてくることは出来なかった。彼が渡してくれたクッキーや、絵は持ってこれたのに。

 

 

 

 ジョースター邸に戻ってきたとき、物凄く後悔をしたよ。どうして僕もヘーマの手を掴まなかったのかって。

 

 ディオだけじゃなくて僕も行動していれば、何かが変わったかもしれない。やらない後悔がこんなに苦しいものなんて、初めて知ったな。

 

 

 

 ああ、僕は今でも後悔しているよ。もしヘーマを連れてこれていたら、こんな結末にはならなかったんじゃないか、って。

 

 

 根拠はね、向こうでは僕とディオは本当の友人のように話していたからだよ。

 

 間にヘーマがいたとはいえ、ディオの言葉に一切の裏を感じなかったのは、あの五日間だけ。

 

 

 彼がいたら、ディオは穏やかに暮らしていただろうな。

 

 

 そうしたら、父さんも、ツェペリさんも、ダイアーさんも……皆で笑いあえていたんじゃないかって。

 

 たまに、そんな幸せな夢を見るよ。

 

 

 

 ごめん、暗くなってしまったな。少し思い出に浸りすぎたみたいだ。

 

 

 

 

 出発かい?三日後に予定しているよ。

 ああ、ありがとう。帰ってきたらお土産持ってくるから。

 

 

 スピードワゴンにはいろいろ世話になっているし、楽しみにしていてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この密閉された鉄の棺の中で、何度眠りから覚めただろうか。

 

 暗く静かなこの空間は、自分自身の身じろぎする音以外、無音だ。

 

 

 腕に抱えた頭蓋骨を見つめる。

 

 

 殺意と尊敬と侮蔑と友愛を感じた相手だった。手を尽くしても策を張り巡らせても、乗り越えてくる男だった。

 

 そんな相手の身体を奪い、頭部が腐って頭蓋骨になるまでどれほどの時間が流れたか。

 

 もとより朝日を浴びることなど二度と叶わない身ではあるが、太陽の動きが確認できない鉄の棺の中では、時間の経過がまったく分からなかった。

 

 

 再び身じろぎしたときに、上着の一部が破れたようだ。なにか平たいものが転がり、空間に軽い音を響かせる。

 

 

 これは、ジョジョの手帳か。

 

 

 ぱらぱらと中身を見てみると、どうやら旅行中の予定を記入したもののようだった。まあ、彼は二度とこの予定をこなすことは不可能だが。

 

 

 背表紙のところに、なにか挟まっていることに気づく。

 

 そっとそれを引き抜いてみると。

 

 

 

 慌てた表情のジョジョ、嫌そうな顔の自分。

 

 そして。

 

 心から楽しそうな、彼の不可思議な青年の笑顔。

 

 

 

 あまりにも懐かしい写真だった。

 

 

 これはジョジョが貰ったものだろうか。自分のものは自室に飾っていたため、ジョースター邸と共に焼け落ちているはずだ。

 

 そう思って写真を裏返してみると、「Dear Dio」の文字。

 

 

 

 ――これは、俺が貰った写真だ。

 

 

 

 何故ジョナサンが持っていたのだろうか。運よく燃えることがなかったとすれば、さっさと拾いにいけばよかった。

 

 

 ちょっとした後悔をしつつ写真を眺める。

 

 

 まだ十三歳のころだった。ジョジョに思わぬ反撃を食らってから、それほど時間がたっていない時か。

 

 

 初対面の印象は良くなかった。

 

 突然知らない家に閉じ込められ、不審な男を拘束した後だったということもあり、家に帰ってきた彼を不意打ちで攻撃した。

 

 そこであっさり返り討ちにあったのも原因のひとつだろう。

 

 

 絵のモデルをすることを条件にとはいえ、簡単に家への滞在を許可したヘーマ。ジョースター卿と同じような人間かと見下していたのは、当時の俺としては当然だった。

 

 

 

 翌日には何故か突然日本食の箸の講座を受けさせられ、なのに昼はオムライスというスプーンで食べる料理を出されジョジョと一緒にヘーマを怒り。

 

 午後にはジョジョに引きずられながら入ったアトリエで、生まれて初めて絵に意識を奪われるという体験をし……怒涛の体験のせいで俺の警戒心の一部が麻痺でもしてしまったのか、ヘーマに対して素で対応するようになってしまっていた。

 

 

 途中で気づくが、今更態度を変えるのはヘーマはもちろんジョジョにも不審に思われてしまう。これからどれほどこの家にいるのか分からないが、ジョジョにこれ以上不信感を持たれては今後に支障が出てくる。

 

 

 そう考え、態度をそのままにしていたが。

 

 

 それが心地よく感じたのは何日目のときだろうか。

 

 

 

 ヘーマが一人いるだけで、ジョジョとの会話も穏やかに進んだ。時折俺の言葉にくってかかろうとするジョジョを、ヘーマが言葉を挟んで流していたことも理由だろう。

 

 

 ヘーマとの会話は、一々反応を返す彼を俺がからかっていたのが大半だ。年上なのに妙に子供っぽい彼は、何をするにも反応が良かったから、苛め甲斐があったともいえる。

 

 

 

 彼と話すのは楽しかった。ずっと続いて欲しい五日間だった。

 

 

 

 

 

 結局、俺は彼に拒絶されたのだろうか。

 

 ゲームの弱い彼に、イギリスに連れて行くと言った。負けたら連れて行く、ゲームの弱い君に拒否権は無いと告げるつもりで。

 

 

 だが、最後の最後で彼はゲームの勝者となった。

 

 

 もし彼が俺の言葉を拒絶していなかったら。俺はどんな人生を送っていただろうか。

 

 

 法学の専門家として、弁護士や教授になっていただろうか。それともジョジョと一緒にジョースター卿の仕事を手伝っていただろうか。

 

 

 

 俺は吸血鬼にならず、人間のまま一生を終えたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 自嘲の笑みを口元に浮かべる。

 

 

 何を馬鹿な事を。このディオが知人の人間一人増えた程度で歩む道を違えるはずがない。

 

 もしヘーマをイギリスに連れて来れていたら。

 俺は真っ先に彼を吸血鬼にしていただろう。

 

 

 

 彼はお気に入りだったのだから。

 

 

 

 

 写真を手帳に戻し、そっと頭の横に置く。

 

 彼がいた時代まで相当な時間がある。身体も完全に馴染んではいないし、多少寝過ごしても問題ないだろう。

 

 

 

 次に会ったときは逃がさん。

 

 

 

 そう考えて何度目かも分からない、眠りについた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 得たもの失ったもの
不穏の影


 ジョナサンとディオが帰ってから一週間が過ぎた。

 

 

 当初は寂しさのあまり気落ちして相当暗い表情をしていたようで、バイト先の偲江さんに大層心配されてしまった。

 

 このところ毎晩夕飯をごちそうになっている。渡る世間に鬼は無しだよ。

 

 そして、家でご飯食べない=食材買わない=冷蔵庫空っぽという式が成り立つわけだ。俺が買い物サボっていただけだが。

 

 

 

 つまり今日の予定は買い出しである。

 

 

 

 いや訂正しよう。買い出しの予定だった。

 

 

 

「ありがとう美喜ちゃん」

 

「別に。あたし荷物運んだだけだし」

 

 

 偲江さんの娘さん、美喜ちゃんが食材を買いこんできてくれたのだ。

 

 美喜ちゃんは俺よりも年上だが、小柄で可愛らしい人だ。すぐに赤くなるし。大抵怒りでだが。

 

 

 買出しに出かけようとした直前に電話があり、代わりに行ってくるからあんたは外に出るなと厳命されたのだった。そして数時間後に玄関のチャイムが鳴ったのだが。

 

 

「美喜ちゃんが覇王の形相で玄関に仁王立ちしていたときは、命の危機を感じたけど」

 

「誰が世紀末覇者よ!あ、あれはちょっと荷物が重かっただけよ!」

 

 

 そのとき美喜ちゃん手ぶらだったよ?

 

 

 ツッコミをそっと胸にしまい込む。つつけば美喜ちゃんの跳び膝蹴りが襲ってくる。美喜ちゃんは背が小さいから、当たりどころが相当マズイ所になるからな。

 

 

 俺が実際に目撃した被害者は、偲江さんの旦那だ。

 

 切ない表情で崩れ落ちる姿は、思い出すたび何度となく背筋と急所を凍らせるトラウマとなった。

 

 

 

「あれ、この袋保存容器ばかり入っているけど」

 

「食材買うついでに商店街の皆が加工もしておいたわ」

 

「加工……うわあ、全部調理されてる」

 

 

 一番上の容器を手にとって蓋を開けると、ゴーヤーチャンプルが詰まっていた。その横のはキンピラらしい。

 

 

「美喜ちゃんはやってないの?」

 

「……あんた、あたしの料理食べたいの……?」

 

「いや、いらない」

 

「なら聞くんじゃないわよこの昼行灯!」

 

 

 小さい拳がボディに容赦なく突き刺さる。腹を押さえてうずくまる俺を、きっと美喜ちゃんは般若の顔で見下ろしているだろう。

 

 

「すいま……せん、した……」

 

「次はないわよ。まったく、顔色が悪いから心配してみれば……人を馬鹿にする元気があるなら大丈夫ね」

 

 

 見上げるとけして此方を見ようとしない美喜ちゃんの横顔。うっすら頬が赤いのは気のせいじゃないだろう。

 

 

「美喜ちゃん」

 

「なによ、とりあえずこっち見るな後ろを向けいいから早くさっさとしないとまた殴るわよ!」

 

「イエスマム」

 

 

 やべえ、美喜ちゃん恥ずかしさのあまり目に危ない光が灯っていたぞ。

 

 すぐに回れ右を実行し、彼女が落ち着くのを待っているとガチャリという音がした。

 

 

 んん?

 

 音に振り向くと其処には今にも玄関を出ようとする小さい姿。

 

 

「って、ちょっと美喜ちゃんなんで帰るの」

 

「うるさいわね……そう、用事があるのよ!」

 

 

 その言い方だと今理由を考えましたってバレバレですよ。

 

 

「差し入れでも食べてさっさと寝なさい。無理して動こうとしないこと。全快するまで店に来るんじゃないわよ」

 

「美喜ちゃん」

 

「み、店に迷惑がかかるからよっ!ぐ、具合が悪いときは家に電話しなさいよ……それじゃ!」

 

「あ」

 

 

 美喜ちゃんは言うだけ言って、勢い良く家の玄関を飛び出していった。相変わらず照れ屋だよなぁ。

 

 

 それじゃあまずは片付けしないとなぁ。玄関に大量に残された食材入りの袋と惣菜入りの紙袋。空っぽの冷蔵庫とはいえ、全部入るか少々心配ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 なんとか冷蔵庫に詰め終わったあと、妙に疲労感を感じてソファーに腰を下ろした。そんなに体力使っていないはずなんだけど、やはり体調がよくないらしい。

 

 一度自覚してしまうと、どんどん身体がキツくなるのが人間というもので。

 

 一時間もすると身体を起こしていることだけでも、相当辛く感じるようになった。

 

 

 うわ、まずいかもこれ。とりあえず洗面器に水ためてタオルと一緒に部屋に持っていっとこう。

 

 

 ふらつく身体でどうにか進みながら、洗面所へとたどり着く。風呂場から洗面器を持ち、水を溜めようと洗面台の前に立ったとき。

 

 

 

 鏡に映る宙に浮いた仮面を見た。

 

 

 

「ぎゃああああああああああッ!」

 

 

 

 そして一目散に逃げる俺。

 

 

 

 ゆうれ、幽霊じゃないの今の。なに俺初めて見たんだけど、どうしよう何すればいいの。払う、払うにはお清めの塩、台所だなよっしゃすぐに行くぜ。

 

 

 慌てながらも目的地を定め台所へと向かう俺だったが、如何せん今の体調は最悪で。進む速さはとても遅い。

 

 やべえ、これ追いつかれるんじゃない?生きてる人間でも余裕で追いつく遅さだろ、幽霊だったら壁通り抜けられるし、やだ怖いわー。

 

 

 追いかけてきているか、どうか確認したほうがいいだろうか。いや、こういうのは振り向いたら終わりというパターンが多い。ここはいっそたとえ進む速度が遅くても、一心不乱に前進したほうが吉とみた。

 

 

 しかし、とても気になる。

 

 

 幾ばくかの思案のあと、そっと後ろを振り向いてみた俺。

 

 

 そして見える、至近距離の仮面。

 

 

「めっちゃ近くにいる……」

 

 

 なにこれ近い。ちょうちかい。なんでこれこんな近くにいるの、俺もしかして憑かれたの?

 

 宙に浮く仮面を凝視していると、浮いているのは仮面だけじゃないことに気づいた。

 

 

 確実に中身があるだろう、しっかり手の形に膨らんだ手袋が浮いている。

 

 

 もうやだ、俺ホラー嫌いなのに。なんで自宅でこんな体験しなきゃいけないんだ、しかもこんな体調悪いときに!

 

 

 物凄く投げやりな気分になり、いっそ気絶してしまおうかと悩み始めると、手袋に頭を撫でられた。……うん、普通に感触があるね。

 

 

 え、これ幽霊じゃないの?

 

 

 俺の近くで浮かんだままの仮面を観察する。洋風なデザインの仮面だ。どちらかというと女性的なデザインだろう。浮かんでいる手袋も、どちらかというと細身の白い手袋だ。運転手とかの。

 

 

 はっきり言って生物には見えない。だって身体ないし。でも、幽霊というには俺に触れたし……幽霊が触れないってのは俺の推測でしかないんだけど。

 

 

 幽霊じゃない、生物じゃない。

 じゃあこいつは何なんだ。

 

 

「……あ」

 

 

 なんか似たような感覚が前にもあったような。というか、先日。

 

 

 俺は、あの少年達を見て、何を考えた?

 

 

 

「……つまり、またあれか」

 

 

 あの漫画は途中から超能力を絵で表現したものが登場していた。

 

 名前の由来は忘れたが、スタンドと呼ばれていた。

 

 

「お前は、俺のスタンド?」

 

 

 だめもとで聞いてみると、手で――親指と人差し指で丸を作っている。合ってるらしい、てか自我あるんだなコイツ。

 

 

 息さえも熱くなってきた身体は、安心したせいか力が抜けて俺は廊下に座り込んだ。良かったー、幽霊じゃなくて。

 

 

 まさか俺にスタンドが発現するなんて、思いもよらなかった。俺護身術は出来るけど攻撃苦手だし。あの漫画みたいにスタンドで殴り合いなんか絶対無理だろ。

 

 ああ、でも特殊能力特化なら近接戦闘はしないか。俺は何故戦う前提で考えているのか。やだよ戦うの。

 

 

 そういや、スタンドって闘争心ないと身体壊すんだっけ。主人公の母親が倒れていたよなぁ、高熱出して。

 

 

 

 ――あれ、それって今の俺と似てない?

 

 

 ぐらりと世界が回り、視界が傾いていく。体温より冷たい床の温度が心地よい。

 

 

 メガネが外れ、ぼやける世界に黒と金の色が見えた気がする。

 

 

「ジョナサン、ディオ……」

 

 

 俺、死ぬのかな。

 

 

 呟いたつもりの言葉は音にならず、空気に溶けるだけだった。

 

 

 そして俺の意識は暗転した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

騒がしい奴らと

 

 

 ひんやりとしたものが額に乗せられた感覚で、俺の意識が浮上した。

 

 頭や体が柔らかいものに触っていることから、どうやら俺はベッドに寝かされ、看病されているらしい。額のものは濡れたタオルだろう。

 

 

 やたら重く感じる目蓋をどうにか開けると、ぼんやりと人影が見えた。

 

 

 ……目ぇ悪いから誰かわからねぇ。

 

 

「お、やっと起きたか」

 

 

 人影は俺の顔を覗き込んだようで、眩しく感じていた視界に影がかかる。

 

 

「水は飲めそうか~?結構汗をかいてっから、飲んだ方がいいぜ」

 

 

 そういえばヒドく喉が渇いている。頷くと、そいつは俺の背中を支えて上体を起こしてくれた。

 

 

 口にコップのひやりとした感触があった後、少しずつ水を口に含んでいく。

 

 ある程度飲んだあと、もういらない、ありがとうと伝えると、そいつはどう致しましてと笑ったようだ。

 

 

 

 

 再びベッドに身体を降ろされる。いろいろ聞きたいことはあるが、どうも頭がぼんやりして何から聞いたらいいのかわからない。

 

 

 口を開けては閉じる俺のしぐさに気づいたのか、そいつはちょっと待ったと口にする。

 

 

「いま下でリゾット?っていうやつ、俺の相棒が作ってンのよ。とりあえずそれ食べてから話をしよーぜ」

 

 

 なにしろもう夜だ、とそいつの影が動く。多分、窓を指差しているんだろう。カーテンで遮られているのか暗い色が見えないけど。

 

 

「JOJO、彼が起きたようだな」

 

 

 ドアノブを捻る音と、知らない男の声。誰か部屋に入ってきたらしい……ここ、俺の家だよな?

 

 入ってきた男は俺の横たわっているベッドに近づいてくる……ような足音がする。

 

 

 もうそろそろメガネが欲しい。まったく現状がわかんねぇよ。

 

 

「具合はどうだ?勝手にキッチンを使用して悪いが、リゾットを作ってきた。体力を回復するためにも、少しでいいから食べたほうがいい」

 

 

 身体を起こされ、口元にスプーンが当てられる。促されて口を開くと温かいリゾットがゆっくり入ってきた。やけどをしない程度の温度になっているそれは食べやすく、身体がだるい今の俺でもある程度食べることができた。

 

 

「しっかし、シーザーちゃん料理できたのね」

 

「波紋の修行中に食事を自分で作ることがあるからな。このリゾットは俺が風邪を引いたときに先生が作ってくださったものだ」

 

「うっそぉ!リサリサが料理ぃ?」

 

 

 もぐもぐ食べる俺となにやら会話が盛り上がっている二人。聞き捨てならない名詞がいっぱい出てきたが、まずは目の前のリゾットと格闘しよう。

 

 

 食欲のなさを考慮して量を少なく注いでいたのか、何とか食べきることができた。そして食べたことと寝ている間に汗を流したことが良かったのか、今は倒れたときよりは身体が楽になった。

 

 

 目の前の二人にはいろいろ聞きたいことはあるが、とりあえずメガネを渡してもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺を看病してくれていたジョナサンそっくりの少年と金髪の少年は、なんというか、ジョセフ・ジョースターとシーザー・A・ツェペリというらしい。

 

 

 どう考えても第二部の人たちです。

 

 

 彼らがこうしてここにいるということは、ジョナサンは、ディオはどうなったのだろう。本来ならジョナサンは死に、ディオは彼の遺体とともに海の底に沈んでいるはずだ。

 

 

 けれど、目の前にいるジョセフの姿は、十三歳だったジョナサンと瓜二つ。

 

 その年頃で、十八歳のときに初対面だったシーザーとすでに出会っているという矛盾。

 

 

 

 さらに、ジョセフの母親であるリサリサが、シーザーの師匠となっている。彼女が波紋の修行を始めるのは、ジョナサンの息子で彼女の夫のジョージ二世がゾンビに殺されたのがきっかけだった、はず。

 

 

 いったい、どうなっているのか。

 

 

「先に聞きたいことがあるんだけどよぉ。おめえ、名前はヘーマであってるか?」

 

 

 俺は固まった。

 

 

「その反応じゃあ、あってるみてーだなぁ。あー、スピードワゴンのじいさんのボケじゃなかったのかよぉ~」

 

 

 オーノー!と頭を抱えるジョセフを凝視していると、シーザーが突然ジョセフを殴った。

 

 

「やかましい!病人の前だぞ、静かにしろ!……すまない、ヘーマさん。俺達が不審なのは重々承知しているが、まずは話を聴いてもらえないか?」

 

 

 呻くジョセフを冷たい目で見下ろした後、シーザーが真っ直ぐに俺を見た。断る理由もない、俺は素直に頷く。

 

 

 二人はどうやら俺がぶっ倒れている間に、現状認識を済ませていたようだ。前回の体験がある俺が一番混乱しているってどうなの。

 

 

「俺達は五十年以上前の過去からこの家にタイムスリップしたらしい。このジョセフの祖父、ジョナサン・ジョースターのように」

 

 

 シーザーの話は簡潔だった。修行の最中に突然この家に来たこと、ジョナサンが話した俺のことをスピードワゴン経由でジョセフが聞いていたこと、廊下に倒れている俺を看病したこと、その間に本の発行年月日の数字などでどうにか今の年代を特定したこと。

 

 

 そして、なぜか身体が幼くなっていること。

 

 

「スピードワゴンのじいさんから聞いていたからよ、タイムスリップしたこと自体は其処まで驚かなかったんだけどさぁ」

 

「流石に自分の身体が小さくなっているのは、……ひとりだったら叫んでいたかもしれないぜ」

 

 

 複雑な表情で自分達の小さくなった手を見つめる二人。似たような経験をしたこともあって、気持ちは非常に分かる。まあ、こちらはもみじの手だったけどな!

 

 

 俺の家に来て身体が小さくなったというのなら、タイプスリップ――実際には異世界トリップだが――が原因だろう。しかし、ジョナサンとディオは小さくなっていないのに、なぜだろうか?

 

 考え込んでいる俺を見ていたジョセフが、パンと両手を叩いた。

 

 

「まあ、今日はここまでにしておこうぜ。ヘーマの顔色も少し悪くなってきたし」

 

「そうだな。ヘーマさん、医者を呼ぶにはどうすればいい?電話の使い方はわかるんだが、何処にかければいいか……」

 

 

 シーザーの言葉は、ゆっくり首を横に振る俺の姿を見て止まった。

 

 

「これは、医者じゃ治せないから」

 

「……ひどいのかよ?」

 

「そうじゃない、病気じゃないんだよ。熱が下がるのを待つしかない」

 

 

 気遣う表情になったジョセフに、微笑んで否定する。

 

 俺の予想が正しいのなら、これはスタンド能力の暴走だ。

 

 スタンドは精神の強さとある程度の攻撃性を必要とする。そのどちらかが足りないと、スタンドは本体を害していく。

 

 俺も、強さと攻撃性のどちらかが足りないんだろう。

 

 

 息が熱い。このまま徐々に体温は上がっていくだろう。今現在でも十分だるい、ジョセフとシーザーがいなければ、倒れて水も食事も取れなければ早々に俺の身体は持たなかっただろう。

 

 

 そして、上がり続ける体温が下がるようなそのときは。

 

 

 俺がスタンドを制御できるようになったときか。

 

 

 命を失ったときだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二日目

 

 相変わらず俺の体調は悪いまま、朝を迎えた。

 

 食事担当はシーザーが担ってくれるらしい。朝ごはんは刻んだフルーツ入りのヨーグルトでした。

 

 

 しかし、美喜ちゃんに食料を買い込んできてもらってよかった。今の俺は到底買い物に出かけられないし、ジョセフとシーザーはこの家から外に出られない。

 

 冷蔵庫の中身がどれくらいもつかは分からないが、多分一週間くらいはいけると思う。もしどうしても足りないときは、美喜ちゃんに事情を話してヘルプを頼むしか方法はない。

 

 

 なるべくなら巻き込みたくはない。だが、飢え死にしたくはないよ、俺も。

 

 

 

「あー、良い汗かいたぜ。ヘーマ、お・ま・た・せ~」

 

 妙なシナを作ってジョセフが部屋に入ってきた。おうふ、美少年だけに視覚の暴力。後ろでシーザーが気色悪いと呟いているが、聞こえてないのだろうか。

 

 

「何していたんだ?」

 

「ちょーっとトレーニングを少々。感覚鈍っちゃうと拙いからねン」

 

 

 バチコーンと音がしそうなジョセフのウインクだが、ジョナサンと瓜二つの顔でされると非常に反応に困る。いや、これはもう面影がまったく被らないから、それはそれでいいのかもしれない。

 

 

「えーと、昨日は何処まで話したっけなぁ?」

 

「俺達がなぜ小さくなっていたのか、というとこまでだ」

 

 

 謎の部分だな。共通点が前回のジョナサンとディオと同じ年齢というだけだし。……それだけが理由ってことはないよな?

 

 

「背がちっこくなったからなのか、此処に来たからなのかはわかんねえけどよぉ……俺のセクシーな口についてたマスクも消えちまってるんだよなぁ」

 

 

 自分じゃ外せないってのに、と首を傾げるジョセフ。特殊な呼吸をしないと息が出来ないマスクのことだ、とシーザーが補足する。なんだそのドMマスクは、そんなものがあったのか。

 

 やっぱり記憶が完全じゃないしなぁ。細かいところは曖昧にはなるか。

 

 

 しばらく三人で悩んだが原因の特定が難しそうなので、取り合えずこの件は置いておくことになった。

 

 

「そんじゃあ、ヘーマから俺達に聞きたいことってないか?あ、俺の元の姿のスリーサイズもオーケーだぜ」

 

「誰がそんなもん知りたがるんだ。何でも聞いていいぞ、ヘーマさん」

 

 

 なんか妙に二人が優しいというかフレンドリーというか。あれか、前もっての知識と病人相手だからか。ちょっとジョナサンとディオのピリピリ感が懐かしい。

 

 いや、あえて空気悪くしたいというわけじゃないんだが。

 

 

 でもなあ、俺の聞きたいことってどうやっても空気悪くなるんだ。だってジョナサンとディオって、ジョセフとシーザーのコンプレックスというか重要な部分っていうか。いいの、俺本当に聞いてもいいの?

 

 

 ええい、ままよ!

 

 

「ジョナサンとディオについて聞いてもいいか」

 

 

 俺の言葉に二人は目を見張り、鮮やかな緑の色を翳らす。互いに目配せをしてから、決心したように俺を見つめなおした。

 

 

「そーだな、ヘーマは聞いておいたほうがいいかもな」

 

「ジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーの経緯、そして今もなお俺とJOJOに関連する因果について。すべて話そう」

 

 

 

 それは長い長い話だった。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 日もすっかり頂点を過ぎ、シーザーが作ったトマトソースのパスタを食べる。ちなみに食べているのは俺一人だ。二人は俺が食べ終わったら食事を取るらしい。真に申し訳ない。

 

 

「あまり慌てて食べないほうがいい、ああ、ほらソースがついている」

 

 

 そしてシーザーが過保護。そういや弟や妹が居たんだっけ?俺子ども扱いかい。現時点で君たちよりも背は高いし年も上なんだけど。

 

 ティッシュで俺の口元を拭うシーザーに遠い目をしていると、ジョセフがそれを見てからからと笑っていた。

 

 

「シーザー、俺はお前よりも年上だぞ?」

 

「それがどうかしたか?」

 

 

 俺絶句。ジョセフ大笑い。

 

 いやいや待とうぜ、お前スケコマシ担当だろ?友情には厚かったけどほぼ初対面の野郎にこの対応はないだろ。しかも年上と認識している男に。

 

 

「諦めろよヘーマぁ。シーザーちゃんはけっこうなお節介焼きだぜぇ?スピードワゴンのじいさんと良い勝負のな」

 

「なんというか、ヘーマさんには自然と丁寧な対応をしてしまうんだ」

 

 

 もしかしてあれか?前の俺だった名残に反応しているのか、スケコマシ部分が。

 

 でも十九年間を俺として生きてきて、感性もところどころ中途半端ではあるが結構男よりになっているはず。

 

 『女性』が残っている部分なんて、本当にごく僅かだと思うのに。

 

 

「なにそれこわい」

 

「え?」

 

「なんでもないです」

 

 

 異様な恐怖に襲われた俺は、そっとシーザーから視線を外した。外国の男すげぇ、流石女性に会ったらまず口説く文化だよ。サーチ能力半端じゃねぇよ。

 

 

 肉食系男子とはこのことか。そういやジョセフもそうなんだよな、将来不倫しているし。本当にジョナサンとは対照的だよなぁ。

 

 

 でも俺が考えるに、ジョナサンは尊敬できる父親と、競い合うディオがいたからこそ紳士に育ったのではないだろうか。

 

 初期の初期、結構発言にチャラさを覚えた記憶があるんだが……覚え間違いかなぁ。

 

 ああ、だめだ。ディオと相対するジョセフそっくりな性格のジョナサン……成人する前に血みどろの喧嘩を何度も繰り広げてそうだ。ジョースター卿の胃はさぞ痛かっただろう。

 

 

 俺は頭を振って妙な想像を振り払う。

 

 

「ほら、二人ともご飯食べてこいよ。というか、俺が食べ終わるの待たないでいいんだぞ?」

 

「はい却下。ヘーマちゃんはイイ子で寝とこうね~」

 

「薬箱の近くで見つけた氷枕も作ってきた。ほら、冷たくて気持ちがいいぞ」

 

 

 こいつら……俺を子ども扱いしてるだろ、やっぱりしてるだろ?

 

 かといって身体がきついのも事実。主張を押し通す気力もなく、促されるまま布団に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジョセフたちが部屋を出てから、そっと天井を見上げる。

 

 其処には、昨日から付き合いがある、仮面が浮かんでいた。マジでどこのホラー映画だよ。

 

 

 暴走しているからなのか、コイツはずっと姿を現している。どうやらジョセフたちには見えてはいないようだが。

 ゆっくりと降りてきた仮面は、宙に浮いた手で俺の頭を撫でる。コイツ、俺を撫でるの好きだよなぁ。

 

 

 

 スタンドに撫でられながら、午前中に二人に聞いた話について思考を移す。

 

 

 やっぱり、ジョナサンとディオはあの漫画と同じく死んでしまったらしい。

 

 

 きっとディオだけは生きているだろうけど、一週間程度前には俺の前にいた、あの二人が殺しあったということが……辛い。

 

 

 

 笑いあっていたのに。時折反発はしていたけど、俺の前で楽しげにしていたのに。

 

 

 ディオの言葉に了承すればよかったんだろうか。

 

 一緒に行けば、何か変えられたんだろうか。

 

 

 

 いや、何かは変わっただろう。

 

 でもそれが破滅を呼び込むかもしれないと思って、俺は拒絶したんだ。

 

 

 上手くいくかもしれない可能性を捨てて。

 

 それなりの結果がだせる楽な道を選んで。

 

 

 

 そしてそれをどうしようもない位に後悔している。

 

 

「でもさ、やっぱり怖いんだよ」

 

 

 呟く俺の声を聞いたのか、スタンドがぴたりと頭を撫でる手を止める。

 

 

「怖いんだ……」

 

 

 俺が動くことで、本来なら助かるはずだった誰かの命を、背負うことがとても怖い。

 

 

 

 

 お前はすごいな、ジョナサン。

 

 

 

 

 視力以外の理由でぼやける視界を遮るように、スタンドの手が俺の目元をそっと塞いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと心配そうに覗き込むジョセフとシーザーの顔が目に入った。

 

 ……一体何事?

 

 

「大丈夫かよ、ヘーマ」

 

「なにが?」

 

「怖い夢でも見たのか?」

 

「子供か!」

 

 

 行き成りの扱いに思わず飛び起きるが、素早い動きで二人にベッドに押し戻された。急な上下運動で頭が回る。

 

 

 二人を睨みつけるが、目元をそっと触れられて何を言いたかったのかを悟る。

 

 えー、俺泣きながら寝ちゃってた?涙の跡とか残ってる感じ?

 

 

 おやま、そりゃあ心配するよね。でも心配の仕方がちょっといただけないよね。

 

 

「やはり話すべきじゃあなかったのか……」

 

「お願い、本当にお願い。俺をちゃんと大人の男として扱って。そろそろ心がめげそう」

 

 

 いま絶対、こんな子供に早かったか、みたいなこと考えただろう、シーザーァ……!

 

 

「しかしな」

 

「どんだけ俺の印象は子供っぽいんだよ!?なんで渋るの?やめてよ、いじめよくない!

 助けてジョセフ、俺もう耐えられない!」

 

「そういう反応が理由なんじゃねーの?」

 

「ぐはぁ!」

 

 

 真顔で俺を心配するシーザーから逃げるように、ジョセフへ助けを求めたらカウンターで沈められた。

 ――なんてことだ、俺の味方はジョナサンしかいないっていうのか……?

 

 ディオ?アイツは苛めるほうに回るに決まっている。

 

 

 

 そしてさっきから気になっていたんだが。

 

 

 俺のスタンドが、スケッチブックを持って何かを描いているのは……つっこんだ方が良かったのだろうか。

 

 

 ジョセフたちには聞こえていないみたいだが、さっきからカリカリカリカリ一心不乱に描き続けている音と姿が見えるんだけど。

 

 

 ちらちらと視線を向ける俺に気づいたのか、スタンドは描く手を止めてスケッチブックをくるりと回転させる。

 

 

 其処に描かれているのは、泣きそうになっている俺の顔。

 

 

「っておいまてぇぇぇぇ!」

 

「ヘーマ!?」

 

「なんだぁ!?」

 

 

 突然大声を出した俺に驚くシーザーとジョセフ。

 二人の視線を気に止める余裕もなく、俺は逃げようとしたスタンドへ近くにあった濡れタオルを投げつける。

 

 しかし、ヤツはひらりと音で表現できるかのように、軽く避けた。ぐ、胴体がないから的が小さくて当たらん!

 

 つーか、スタンドに物理攻撃が効くか!アホか俺は!

 

 こうなれば直に殴るしかないとベッドから降りた俺を、シーザーが慌てて羽交い絞めにする。

 

 

「どうしたんだヘーマ!」

 

「離してくれシーザーァ……アイツ一発殴るんだから」

 

「おい、シーザー……もしかして熱が上がって幻覚が見えてんじゃねぇのか!」

 

「く、JOJOの言うとおりか!ならば……すまない!」

 

 

 シーザーの言葉に反応する暇もなく、首に衝撃を感じて俺の意識は落ちることとなった。

 

 

 あんのスカタンド……明日起きたら覚えていろぉ……!

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三日目 午前

  

 

 

 朝起きて俺が最初に実行した動作は、頭を抱えることだった。昨日の醜態が頭の中をよぎり、呻き声が口から漏れている。

 

 

 俺、なにしてんの……。

 

 

 スタンドが見えない二人の前で、スタンドに殴りかかろうと暴れて、あげく強制的に気絶させられるなんて……ジョセフとシーザーに申し訳なさと気まずさで顔合わせられねぇ!

 

 うわぁぁぁぁ、ジョナサンとディオに続いて、また俺の印象が変な人間で固定されてしまう!

 

 なんとか誤解を解かないと、俺の人格の尊厳まで危ないのではなかろうか。

 

 

 

 しかし、何故そういった行動をとったのかと説明するには、スタンドについても教えなくてはならず。

 

 じゃあなんでそんなことを知っているかと聞かれたりすれば、俺はあの二人に隠し通す自信がまったくない。

 

 

 スタンド能力についてだけ話せばいい?俺が余計な口を滑らしたら終わりだろうがっ!

 

 

 自分自身に対する信用のなさに少々うなだれるが、このままだとやはり幻覚症状と疑われて、心配され続けるのも嫌なので。

 

 

 

「幽霊が見えるぅ!?」

 

「そいつだけな」

 

 

 

 

 霊感青年・ヘーマ君誕生です。

 

 

 

 

「その、大丈夫か?」

 

「露骨に信用されてない!」

 

 

 気遣わしげに聞いてくるシーザー……とうわぁ、という表情のジョセフ。

 

 軽い口調で説明した俺も悪かったけど、あからさまな引き顔に泣くぞコラ。

 

 

「げっ……わかった、わかったから泣くなよ~、ほ~らイイ子~」

 

「泣いてねえ」

 

「今にも泣きそうだぞ……ああ、やはり熱も高いな」

 

 

 熱が上がって感情が不安定になっているんだろう、とシーザーが俺の脇に挟んでいた体温計を取って言う。

 

 ハンカチで俺の目元を拭ってから、シーザーはタオルを絞りなおして俺の額に乗せる。……おかんがおる。

 

 

 うーうー唸る俺を困った顔で頭をかくジョセフだったが、なにか思いついたのかぽんと手を叩く。

 

 

「んー、じゃあ証拠。な~んか幽霊がいるってバッチリわかるよーな証拠ってねぇの~?」

 

「証拠……」

 

 

 ジョセフの提案に、俺はふよふよと宙に浮いているスタンドを見上げる。なにか証明できる?と内心で問いかけてみると、そいつは指で丸を作った。

 

 そしてジョセフの近くにふよふよと移動してくる。

 

 何をするんだろうと俺がじっと見ていると、スタンドはおもむろにジョセフに手を近づけて。

 

 

「いだだだだだっ!」

 

「JOJO!?」

 

 おもいっきり彼の頬をつねり上げた。

 ひどい、引っ張るんじゃなくてねじっている……!

 

 ジョセフがどうにか痛みをなくそうともがいているが、スタンドに生身の人間は触れないためつねる行為を止められない。

 

 そろそろ離してあげて、と念を送ってみると、スタンドはすぐにジョセフの頬から手を離した。

 

 

「い、今のが幽霊かぁ!?」

 

「JOJOの顔が勝手に変形しているように見えたぜ……」

 

「ああ、うん、おもいっきりつねり上げていたよ……」

 

 

 ごめんジョセフ、と俺が謝ると痛みで少し不機嫌そうなジョセフは別にいいと顔をしかめていた。

 

 

「おー、いってぇ……つねられてる感触はあるってのに、触れねぇとは……こいつぁ、マジで幽霊だぜ!」

 

「ヘーマさん、俺も確かめてみたい。幽霊に俺の手に触れるように伝えてくれ」

 

 

 好奇心が刺激されたのか、少し目を輝かせているシーザーに苦笑を向け、俺はスタンドにシーザーと握手してくれないかと念を送ってみる。

 ジョセフの横に佇んでいたスタンドは、シーザーの正面に回ると彼の手を取った。

 

 

「おお……見えない、見えないのに触れていると感じる!しかし、これは……女性の手か?」

 

「……おめえー、そんなことまでわかんの?」

 

 

 見えないスタンドの手の感触に楽しそうなシーザーだったが、スタンドの手袋をしているとはいえ華奢な手に気づいたようだ。

 

 さすがスケコマシ担当。嫌そうな顔を隠しもしないそこのジョセフ。安心しろ、俺も同じ気持ちだ。

 

 

「凄いな、シーザー。たしかに幽霊はどっちかというと女性的だ」

 

「そうか、やはりな。

 俺に、君の可憐な手を取る栄誉を与えてくれて嬉しいよ。この手に似合う指輪の一つも持っていない俺を許して欲しい……いつかきっと、君に似合う指輪を見つけてみせる。

 それまで、どうか俺のことを忘れないでくれ。誓いのキスを君に」

 

 

 そう言って、シーザーはスタンドの手にキスを落とした。

 

 

 ……こいつ、幽霊まで女と知れば口説いているだと……。

 

 

 節操のないことを呆れればいいのか、スタンドでさえ口説くスケコマシっぷりに感嘆すればいいのか。

 

 俺はどんな表情をするのが正しいのだろうか。

 

 ふと反応が気になって、ジョセフの方を向いてみる。

 

 

 なにやら、必死に目を凝らしている。

 

 

「ジョセフ、何してんだ」

 

「いやぁ~、俺にも見えないかなーって思ってよぉ」

 

「多分無理じゃないかなぁ」

 

 

 今のところ、とつくけれど。

 どうせ五十年後には見えるようになるよ……見えないほうが良いのかもしれないけれど。

 

 見えなければ、ディオは海の底で眠っているということだ。物語は始まらない……悪のカリスマが存在しなければ、巻き込まれる人も少なくなるだろう。

 

 ただ、それでも嘆く人は無くならない。

 

 スタンド使いは遥か昔から存在する。ディオが関わって生まれたスタンド使いなんて、多くない。

 

 

 悲劇はそうそう覆ることはない。

 

 

 

「シニョリーナの幽霊はヘーマさんの願いは聞くんだな」

 

「……いや、どうだろうな」

 

 

 しみじみと羨ましそうに言うシーザーに苦笑しか浮かばない。シニョリーナって。お嬢さんって。お前スタンドの年齢まで手から把握したのかよ。

 

 それと俺の言うことを聞くというのも頷きがたい。スタンドが暴走しているからこそ、俺は臥せっているのだから。

 

 

「実験してみねぇ?幽霊がちゃんと言うこと聞くかど・う・か」

 

「ジョセフ~」

 

「いや~、こういうトコロってハッキリさせたほうがいいと俺思うんだよねン」

 

 

 椅子の背もたれに顎を乗せ、物凄く楽しそうに笑顔を浮かべるジョセフ。俺は実験体か。

 

 

「ま?安全第一ということで?水でも持ってこさせたらいいんじゃないの」

 

「水ね……」

 

 

 そういえば、ジョセフの孫が主人公だったときに、刑務所のなかにスタンドがいろいろ持ち込んでいたなぁ。あれも暴走状態といえばそうだったから、俺のスタンドでもできるかもしれん。

 

 

 ためしにと水を持ってきてと念じてみる。

 スタンドはこくりと頷いたあと、指をパチンと鳴らすような動作をした。

 

 ちょ、まて、なんか嫌な予感が……!

 

 

 スタンドを止めようにも間に合わず、突然、大量の水が頭上から一気に落ちてきた。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……わるい、ヘーマ」

 

 

 水が掛かってびしょびしょに濡れる俺。

 

 呆気にとられるシーザーと、引きつった顔で謝罪するジョセフを俺はジト目で見た。

 

 

 ……やっぱり俺のスタンドは制御不能の暴走中だった。

 

 

 ジト目を続ける俺を、正常動作に戻ったシーザーがひょいと抱き上げた。

 

 

「JOJO、まずは濡れた布団とシーツを換えてしまおう。俺はヘーマさんを着替えさせておくから、その間に終わるようにしろよ」

 

「ちょ、俺だけでかよ!」

 

「お前の提案でこうなったんだ。文句あるのか」

 

「……なーいでぇす」

 

 

 すたすたと俺を抱えたまま部屋を出て行くシーザー。最近の十三歳は力があるなぁ、と濡れて少し寒い手足をさすりながら、俺は素直に運ばれていった。

 

 

 抱き上げてる体勢?病人に優しい体勢だ。あとは聞くな。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三日目 午後

 

 

 昼食も終わり、ジョセフたちもトレーニング中の昼下がり。超暇です。

 

 

 身体はきつい。きついけれど起きてはいられる程度で、やることもないからつまらない。

 

 こっそり絵を描いていたらシーザーに見つかり、切々と怒られました。あいつ本当にお兄ちゃん気質だな。

 

 

 ついでに俺の絵を見たいとのことだったので、アトリエの場所を口頭で伝えた。二人とも、上手だな~と俺を褒めてくれるのはいいが、頭を撫でるのはやめてもらえないだろうか。

 

 まあ、ジョナサンとディオの絵も見たのか、微妙な表情を浮かべていたけれども。

 

 

 

 

 

 

 安静にするという言葉の意味をじっくりとシーザーに諭された俺は、ベッドに横になるしかやることがない。ほかに出来ることといえば、宙に浮かぶ俺のスタンドの観察だろうか。

 

 

 

 俺のスタンドは時々部屋の壁をすり抜けて外に出たかと思うと、俺の部屋に戻ってはスケッチブックになにやら描いている。

 

 たまにページが変わっているようなんだが、一体何を描いているのか。また俺の情けない姿ではないことを祈る。

 

 

 

 

 

 観察する俺に気づいたのか、スタンドはまたふわふわと俺の傍により、くるりとスケッチブックを裏返す。

 

 

 身構えた俺の目の前には、割れたコップを見ながら頭を抱えるジョセフの姿。

 

 隣のページにはそれをこっそり食器棚の奥に隠す姿が描かれている。

 

 

「……よし、ジョセフをつねってきてくれないか?十秒ほど」

 

 

 迷わず罰の執行を決めた俺に、スタンドは握りこぶしに親指を上に立てて了承する。部屋を出て行くのを見送った数十秒後、ジョセフの悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 ……そういや、つねる場所指定しなかったけど、何処つねったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドタドタと荒っぽく廊下と階段を歩く音がしたあとに、勢いよく部屋の扉が開かれた。

 

 

「ヘーマァ!おめえは幽霊になにさせてんだァ!?」

 

「つねらせた。部位は指定していない」

 

 

 具体的に何処をつねるかはスタンドの自由だ。ジョセフの反応を見る限り、相当まずいとこをつねったらしい。あえて聞くまい。

 

 

「それよりジョセフ。コップ割っただろ」

 

「コップ~?行き成りなんだ」

 

「幽霊が見てたらしい。戸棚の奥に隠しただろ?」

 

「うげ、ばれた!」

 

 

 最初はしらばっくれていたジョセフだったが、割れたコップの隠し場所を告げると正直に白状した。どうやらトレーニング中に誤って落としてしまったらしい。咄嗟に隠したようだが、行動が小さい子供か……

 

 ジョセフの後についてきたシーザーに殴られていたのでよしとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーニングを邪魔してしまったことを謝り、再び一人になった部屋でスタンドの描いた絵を見せてもらう。

 

 いつの間にか何枚も描いていたようで、ジョセフとシーザーの食事風景やトレーニングの様子、はては寝顔までストーカー並にバラエティに富んでいた。

 

 

 しかし、このスタンドの絵。俺の絵にそっくりなのだ。

 

 

 流石俺のスタンドというべきか、どうやら趣向も技術も似通っているらしい。さっきからカリカリと楽しそうに描き続けている。仮面だから表情ないので雰囲気で察する限りは。

 

 

 ちなみに今描いているのは二冊目らしい。一冊目は俺が今持っている。

 

 

 どうやら絵を見せてくれようとしているのか、どこから出したのか分からないスケッチブックはちゃんと俺が触れるようになっている。絶妙な暴走の仕方だよね、これ。

 

 

 自我も本体を自発的にからかう程度にはあるようだし、お願いも聞いてはくれる。

 

 

 はてさて、何の能力のスタンドなのやら。まさか写生だけが取り柄とかないよな?使用方法考えても一歩間違えれば盗撮まがいの使用方法しか浮かばないぞ。

 

 

 スタンドの手が止まる。どうやら俺の思考が流れたらしい。どことなく不満そうな雰囲気を感じる。

 

 じゃあ能力教えてくれよ、と不満を向けるとスタンドは頷き、ぺらぺらとスケッチブックをめくり始めた。開いたページは鉛筆で白黒のリンゴが描かれており、それを俺に向ける。

 

 そしてスタンドは、おもむろにスケッチブックの絵に手を突っ込み……手が入った。なんか水面みたいに波打ってるんだけど、何する気だ。

 

 

 

 

 引き抜いた手には黒い物体。ぽんと俺に向かって放り投げられて、慌てて手を伸ばしてそれを掴み取る。

 

 

 

 手にしたそれは、濃い灰色のリンゴだった。うわ、不味そう。

 

 

 え、もしかしてこれ抜き取ったのかとリンゴが描いてあったスケッチブックを見ると、描かれていた絵は存在せずに真っ白になっている。

 

 

「……スゲーなお前」

 

 

 手に持った白黒リンゴと真っ白なスケッチブックを交互に見つめ、呆然と呟いた俺の言葉にスタンドは照れたように仮面の頬に両手を添えた。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、絵から物体を取り出せると分かったところで、確かめなければならないことが一つある。

 

 

 これは本当にリンゴの味がするのかどうか、ということを……!

 

 

 いや、これほど重要なものはない。もしきちんと味がするのであれば、俺は今後の人生――スタンドの暴走から生き延びられたらという注釈はつくが――食費が一切掛からなくなる。

 

 なんて経済的なんだ俺の能力。まだ未確認だけど!

 

 

 

 

 とりあえずゴシゴシとシーツで白黒リンゴの表面を磨く。シーツには特に黒鉛がついた様子は見られない。

 

 最上ではリンゴの味、最悪は鉛筆の芯の味……まさに天国と地獄。

 

 

 最悪を考えつつ覚悟を決めて白黒リンゴにかぶりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……味うっす」

 

 

 

 結果、ほとんど味がしないが正解だった。

 

 なんていうか、美味しくもないけど不味くもなくて、食べれなくはない程度の味だった。むしろリンゴの味じゃなかった。触感はリンゴではあったが、これは別の何かだ。

 

 

 やはり鉛筆画だから味がないのだろうか?色鉛筆や水彩で描いたリンゴならどうなんだろう。

 

 

 次の実験だとスタンドを見上げると、彼女はすでに色鉛筆と水彩のリンゴをスタンバイしていた。……準備がいいね。

 

 

 まずは色鉛筆のほうから。

 見た目は先ほどの白黒リンゴよりも美味しそうではあるが、あえて淡い色で描いたのか実物になるとリンゴに見えない。

 かぶりついてみると、白黒リンゴよりは味はあるが、まだ薄め、といった状態。

 

 

 次は水彩のリンゴ。こちらは絵の具を濃い目で描いたのか見た目はリンゴそのものだ。食べてみるとこれは完全にリンゴの味がした。

 

 

 

 

 結論。どうやら絵のリアルさに味は左右されるらしい。

 

 色がリアルなほど味が濃く、実物に近い絵である方が味も再現できるようだ。

 

 

 なんて経済的に優しいスタンドなんだ。画材道具さえあれば世界中費用殆どなしで旅できるんじゃないか、俺。

 

 

 いいな、その生活。妄想に浸る俺の頭の上に、スタンドが絵に描いた花を抜き取っては放り投げる行為を繰り返す。地味に鬱陶しい。

 

 

 なんで花なんだ、と絵を見るとどうやら花畑を描いていたらしい。そこから一輪ずつ抜き取っているので、終わりが来るのは遠そうだ。

 

 花が二十輪を超えた時点で、どうやら面倒くさくなったらしい。俺の頭の上にスケッチブックを浮かせ、スタンドはパチンと指を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感再びっ!!

 

 

 

 

 

 

 俺が顔を引きつらせると同時に、スケッチブックから大量の花が落ちてきた。たやすく埋まる俺。

 

 そうか、午前中の水はこうやっていたのか。一度に出すときはこうするんだな、教えてくれてありがたい。でも何故俺にやる。

 

 顔に乗っている花だけどかし、起き上がるとそこは一面花畑だった。うわぁ、凄い量。

 

 掃除が大変そうだと起き上がろうとしたとき、ぐらりと世界が傾いた。

 

 

 

 

 

 

 ――あれ?

 

 

 

 

 

 

 視界で花が舞う。どうやらベッドに倒れたらしい。

 

 身体が動かない、瞼がやけに重く感じて今にも閉じそうになる。

 

 

 

 なんだ、この疲労感は。理由にはすぐたどり着いた。

 

 考えてみれば当たり前だ、俺は今スタンド能力の暴走中、そんな状態でこんなに大量の花を出すような能力。

 

 

 

 スタンドは生命力のエネルギー、能力の行使には生命力を使うのが当然。

 

 

 

 

 完全な自業自得、調子に乗ったさっきまでの自分にハリセンをお見舞いしたい。

 

 

 できれば次も目が覚めますように、と心から祈りつつ俺は瞼を閉じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五日目

 

 

 

 うっすらと目を開ける。その少しの動きでも自分の思うようにならなかった。

 

 

「ヘーマさん」

 

 

 声に反応して目を左に向ける。シーザーだ。少し眉をよせ、ほっとした表情を浮かべている。

 

 俺は、どれくらい寝ていたのだろう。

 

 

「まずは水を。含むだけでもいい……一日以上眠ったままだったんだ」

 

 

 シーザーの腕が俺の肩を抱え、コップの縁を唇にあてる。流し込まず、唇で舐めるように水分を得ていく。ゆっくりゆっくり繰り返し、どうにかコップ半分程度の水を飲み終えた。

 

 

「何か食べれそうか?果物をすりつぶしてくる」

 

 

 俺をベッドに横たえなおしたシーザーは、コップを持って部屋を出ていく。

 

 

 そうか、もう彼らが来て五日目になったのか。四日目は丸々眠ってしまったなぁ。

 

 

 ふう、と吐く息が熱い。

 

 

 ジョナサンとディオのとき、彼らは五日目の午後三時に帰った。もしかしたら、ジョセフとシーザーも同じように帰るかもしれない。

 

 もうちょっと、話していたかったけれど。

 

 

 

 ぼやけた頭のなかでそんなことを考えていると、ジョセフが部屋に飛び込んできた。

 

 

「ヘーマ」

 

 

 俺の名前を呼び、そっと額に手を置かれる。よほど今の体温が高いのか、見た目体温高そうなジョセフの手が冷たくて心地よい。目を細めるとジョセフは途方に暮れたような顔をした。なに、泣きそうになってるんだ。

 

 

「ごめんな、俺が水ぶっかけちまったから……」

 

 

 どうやら落ち込んでいるらしい。水は確かにジョセフの提案した実験で頭から被ったが、実行したのはスタンドな上に俺が倒れた原因は自業自得だ。ジョセフのせいではない。

 首を横に振るが慰められていると感じたのか、彼はより顔をしかめる。

 

 

 

 ああ、ジョセフがおとなしいとまるでジョナサンがそこにいるようだ。

 

 

 思わず手を伸ばす。

 

 

「ばかやろう、ジョセフのせいじゃない」

 

 

 よくはねた髪は癖があって少し硬い。頭を撫でようと思ったが、想像以上に体が動かなくてジョセフの髪をつかむだけになった。ついでにぐいと引っ張ると、素直に頭を引き寄せられてくる。

 

 

「おれがあのあとバカやったんだ。いいか、おれの、考えなしが原因なんだ」

 

 

 真っ直ぐにジョセフの瞳を覗き込みながら言う。

 

 

「おまえのせいじゃない。だから、わらえバカ」

 

 

 ジョセフの柔らかい頬を摘んで左右に引っ張る。無理やりに笑みの形にした顔は、ジョセフの顔が整っていることもあって酷く滑稽だった。

 

 

 

 俺は笑う。

 

 

「わらってくれ」

 

 

 

 彼は歪に、誰が見ても失敗したと思える顔で、笑った。

 

 ……ありがとな、ジョセフ。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 戻ってきたシーザーの手から摩り下ろしたリンゴを食べた後、俺は二人が今日帰るかもしれないということを伝えた。

 

 ジョナサンとディオのときもそうだったことも伝えると、二人は驚き、そしてじっと俺を見た。

 

 

「ふあんそうに、みるな。おまえらは帰るんだ」

 

 

 俺の体調が悪化したのを心配しているのだろう、シーザーはしかめっつらだし、ジョセフは口を真横に引いて黙っている。

 

 本当に、人がいい奴等だ。

 

 

「やること、あるんだろ」

 

 

 二人は交互に俺の世話をしながら、いつもトレーニングを重ねていた。ろくに場所もなかっただろうに、制限された中でも手を抜くこともなく。

 

 実際に見ていないから、スタンドの絵と想像するだけになるけれど。

 

 

 

 

 彼らはやらなければならないことがある。

 

 

 

 

 黙ったままの二人を見て、なにか渡せるものはないかと考える。

 ジョナサンとディオにはいろいろ準備ができたけれど、今回俺は寝てばかりだったから何も用意できていない。

 

 

 必勝祈願のお守りとか買ってきたかったなぁ。あと、健康長寿も。二人はいろいろ怪我をするから、交通安全でもよかったかもしれない。

 

 

 

 

 

 ――本当は、死ぬかもしれない彼らに、ゲームや漫画の復活アイテムでも渡したい。

 

 

 

 

 だって、今は修行中なんだろう?

 

 数日後……修行が終わった後、戦いに向かうんだろう?

 

 生存競争に、種族的に不利な相手に、命を張って立ち向かうんだろう?

 

 

 

 そしてその後。

 

 漫画では。

 

 

 

 

 そう、漫画では。

 

 

 

 

 脳裏に浮かぶのは、血に塗れたシーザーの姿。瓦礫の下から流れ出てくる、赤い赤い液体。

 

 

 

 いやだ。

 

 

 

 スタンドでさえも口説く姿、ジョセフを叱る怒った顔、くだらない冗談に呆れた表情……俺を褒めたときの優しい笑顔。

 

 

 

 ――ジョセフのせいだ。しおらしい顔をしているから、あいつにジョナサンが重なってしまった。

 

 俺は彼を見殺しにした。未来がわかってて、何もしなかった。何も出来なかったんじゃない、何もしなかったんだ。

 

 いい人のふりをして、あたりさわりなく、何も知りませんと目を逸らして、見捨てたんだ。

 

 

 きっと彼らは、それを知らない。

 

 こんな臆病で、自己保身が強くて、わがままで、人と距離を置くくせに寂しいと嘆く俺を。

 

 

 見せる前に、死んでしまった。俺と彼らの世界は離れてしまって、もう五十年も経っている。

 

 

 

 あの頃の彼らにはもう、会えない。

 

 

 

 

 

 

 また、繰り返すのか俺は。また後悔するつもりか。

 

 

 嘆いたままか。目を逸らしたままなのか。

 

 

 何時まで子供でいるつもりだ。もう、子供の振りはしなくてよくなったんだろう。

 

 

 

 

 

 与えられるのを、伸ばされる手を待つのはもう、やめよう。

 

 

 

 

 

 目を閉じていた俺は、あいかわらず宙に浮かんでいる彼女を見つめる。

 

 

 なあ、俺のスタンド。

 言いたいことは、わかるよな?

 

 

 やっちゃってくれ。

 

 

 

 彼女は、こっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突にジョセフとシーザーの前に現れた二つのお守り袋。それぞれ手に持ったことを確認して、俺は満足げに目を細める。

 

 

「これは」

 

「日本の、おまもりだ。おれ特製……肌身離さずもっとけ」

 

「特製って、いま行き成り目の前に」

 

 

 

 困惑するシーザーが手元のお守りと俺を交互にみやったとき、俺は血を吐いた。

 

 

「ヘーマ!?」

 

 

 ジョセフは声を荒げ、シーザーは俺の身体を横向きにする。血が喉に詰まるのを防ぐためだろう。

 

 

「無理に呼吸をしようとするな、ああ、吐いてもかまわない。ただ、飲み込もうとするな。口の外に全部出してしまえ……JOJO」

 

「おうよ」

 

 

 ゴホゴホ咳と口から吐く血が止まらない俺の背中をさすりながら、シーザーはジョセフを呼ぶ。

 

 

「血を吐ききったら波紋で治療をする。JOJOは水を持ってきてくれ、口を漱がせるんだ」

 

「わかったぜ……ヘーマ、ちょーっとまってろよ?」

 

 

 

 素早く部屋を出て行ったジョセフの姿を、俺は呼吸の苦しさで涙の浮かんだ状態で見送った。

 

 

「しー、ざー」

 

「話すんじゃない」

 

「おまもり、なくすな、よ」

 

「言葉を出すな!血が止まらなくなる!」

 

「どこにでも、もっていけよ。おとしたり、わすれたり、するんじゃないぞ」

 

「ヘーマッ!」

 

 

 

「やっと、さんづけがなくなった」

 

 

 目を見張るシーザーに、俺は口の端を吊り上げる。

 

 

「おれな、きっと波紋がきかない」

 

「……」

 

「シーザーは、わかってただろう?」

 

 

 

 波紋は、吸血鬼には毒だって。

 

 俺の言葉に、シーザーはきつく目をつぶる。

 

 

「ジョセフには、治療するっていってたけど。ほんとう、は、おれに波紋をつかう、つもりはなかっただろ」

 

 

 使うことになっても、自分の責任にするつもりだったのだろう。これ以上ジョセフの負担が増えないように。

 

 

 本当に、彼らしい。

 

 

「……ヘーマは、気づいていないだろうが。昨日、意識がない間に少しだけ波紋を流してみた」

 

 

 シーザーは俺の左手をとり、袖をめくる。そこには赤い線が何本も肌の上をはしっていた。

 

 

「ほんの少しで、ヘーマの手はこうなった……治療に使えるわけがない」

 

 

 熱のせいかな、こんなにしっかり入った傷に気づかなかったのは。

 浅いとはいえ、裂けたような傷跡はけっこうエグイかった。うわぁ……。

 

 

「ほんとうに吸血鬼なんだなぁ、おれ。たいよう、ゴホッ、大丈夫なのに」

 

「だから話すなと……そうだな、こんなに太陽の光浴びているのにな」

 

 

 昼間の光は、日当たりの良い俺の部屋に存分に差し込んでいる。直射日光ならアウトなんだろうか、なんか大丈夫な気がするけれど。

 

 波紋は別なんだろうか?波紋使いのシーザーやジョセフに触れても大丈夫だったから、皮膚よりも内側が太陽に弱いのかもしれない。

 

 

「水持ってきたぜぇ~」

 

「コフッ、待機ごくろうさま」

 

「……気づいても言うなっての。ほら、早く口ン中洗っちまえよ」

 

 

 扉の前でタイミングを見計らってたジョセフが入ってくる。さっさと戻ればよかったのに、なんで待ってたんだろうか。

 

 口に水を含み、ジョセフが水と一緒に持ってきたボールに吐き出す。血が混じって実にグロテスクです。でも口の中がすっきりした。

 

 

「ジョセフもおまもりなくすなよ」

 

「なくさねぇって。なあ、おめえが今こんなんなってンのはコレのせいだろ?」

 

 

 そうまでして作ってくれたンならなくさねぇよ。そう言ってジョセフは俺の頭を撫でる。こいつら最後まで子ども扱いするなぁ……段々あきらめてきたけれど。

 

 

「ジョセフは、心配。うっかり落としそう」

 

「たしかにな」

 

「シーザーちゃんまで!?ひっどぉ~、俺大事なもんはキッチリ管理するっての!」

 

 

 憤慨するジョセフを見て、俺とシーザーは笑った。俺達が笑っているの見て、ジョセフも顔を緩める。

 

 ああ、もったいない。こんなに楽しい時間を寝込んでしまうなんて。時計の砂は今回も、容赦なく底へ降り注いでいく。

 

 

「もうすぐ三時だな~」

 

「俺達が帰ったら、絶対医者に行けよ?」

 

「行くって言ってるだろ。何度言い聞かせるつもりだ」

 

「その妙に元気に見えるところが心配なんだ」

 

 

 リミットも迫り次第に口数が少なくなるにつれ、シーザーの小言が多くなる……ニッコリ笑って流したが。

 

 

「ジョナサンの孫のジョセフが来たから、今度はジョセフの孫辺りが又来るかも」

 

「よぉーし、なら孫にヘーマへの伝言頼ンどくから、しっかり聞けよ?」

 

「それ以前にJOJO、お前結婚できるのか?」

 

「スケコマシのおめえだけには言われたくねぇな!」

 

「なんだと!?」

 

 

 最後まで仲がいい二人に、笑みを浮かべたところで二人の姿が消えた。えぇー……

 

 時計を見ると丁度午後三時。今回もきっかり時間通りに帰ったらしい。挨拶する暇もなかったのは、賑やかな彼ららしいといえばいいのか、呆れればいいのか。

 

 

 二人がいなくなって静まり返った部屋を、スタンドがふわふわと浮いて移動する。そういや、コイツの名前も決めなくちゃなぁ。

 

 とりあえず少し休ませて。目をつむって内心呟くと、スタンドがそっと俺の頭を撫でる感触がした。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シーザーの告白・ジョセフの昔話

 

 

 

 シーザーが目を覚ましたのは、白い素材で構成された部屋のベッドの上だった。風に揺れるカーテン、腕に繋がれた点滴の袋と胸についたコードの先の機械を見る限り、どうやらここは病院のようだ。

 

 

「ここは……俺はいったい」

 

 

 漏れた声には力がない。彼には自分が何故こうしているのか分からなかったからだ。

 

 

「俺は、ワムウと戦って……死んだはずだ」

 

 

 死に掛けていた記憶がある。血も流しすぎ意識が薄れ掛けていたとはいえ、手足の筋肉は千切れる寸前で痛みが常に思考を覚醒させていたのだから。

 

 頭上から耐え切れないほどの衝撃があったのも覚えている。

 

 

「そうだ、JOJOは?俺の波紋は、ワムウのピアスはちゃんとJOJOに届いたのか!?」

 

「届いておるよ、シーザー」

 

 

 カーテンを開けて顔をのぞかせたのは、独りの老人だった。そしてシーザーはその顔に傷のある老人を知っていた。

 

 

「スピードワゴンさん!」

 

「目が覚めたのだな、シーザー。本当に、よかった……ッ!」

 

 

 老人――スピードワゴンの目から涙がこぼれる。安堵の笑みを浮かべる彼の表情は、混乱したシーザーの心を落ち着かせた。

 

 

「ここはSPW財団が経営している病院だ。安心して心身を休めるといい」

 

「それなのですが、俺は何故生きているのでしょうか。それも、怪我一つしていない身体で……俺は柱の男、ワムウとの戦いで自らの死を確信していた」

 

 

 涙をぬぐうスピードワゴンに、シーザーは自らの手を見つめながら尋ねた。体は調子が悪いどころか今までで一番調子が良いくらいで、すぐにでも戦いに駆け付けられるほどだった。

 

 シーザーの疑問を聞いたスピードワゴンは少し思案した後、リサリサから聞いた話なのだが、と語り始める。

 

 

「リサリサとJOJOが駆け付けた時、お前の波紋は感じ取れず……瓦礫の下から大量の血液が流れ出るだけだったそうだ。だが、瓦礫の下からまばゆい光が辺りを白く染め上げ、光が消えた後は無傷のお前が倒れていたと」

 

「光……ですか」

 

「何の光なのかはわからん。だが、シーザー。これに見覚えはないか?」

 

「それは……!」

 

 

 スピードワゴンがカバンからケースを取り出した。そのケースに収められているものは、シーザーがヘーマから貰った「お守り」で、あの別れの後首から下げていたものだった。つい胸元を見るが、そこに自身のお守りはない。

 

 

「これはお前が彼にもらったものだな?瓦礫の近くに落ちていたのを調査員が回収していた。これの中身を知っているか?」

 

「中身、ですか?いえ、ヘーマはお守りとしか」

 

 

 あのとき、彼はろくに力が入らない体で、ただただ手放すなと言っていた。特別製だとも言っていたが、それは突然宙に現れたお守りの作り方が、特別製なのだとシーザーは思っていた。

 

 

「この中には今は砕けているが、小さな玉が入っていた。私はこれが光を発したのではないかと考えている。

 その理由はこの玉の構成物質だ!この玉の物質はこの地上のどこにも存在しない!地球上どこを探しても、ここにあるこの小さな玉以外には!」

 

「これが、ヘーマに貰ったお守りの中身が……どこにもない?」

 

「宇宙から飛来した隕石に含まれる、未知の物質ではないかという仮説もあった……現存する隕石の構成物質を調査したが、どれとも異なっている」

 

 

 難しい表情を浮かべるスピードワゴンに対し、シーザーは穏やかな表情を浮かべていた。これだったのだ、彼が血を吐いてまで、体調をさらに悪くすることを承知でお守りを作り、手放すなと言い聞かせた理由は。

 

 

「……シーザー、彼は一体何者なのだろうな」

 

 

 ポツリとお守りを見つめながらつぶやくスピードワゴン。

 

 

「私は、彼の話をジョースターさんから聞いていた。話の印象はお人好しの人間というだけだった……いや、ディオに似ているという彼を、ジョースターさんの言葉でさえ信用していなかったのかもしれん。

 ディオという存在は、似ているというだけでそれほどの警戒心を持たねばならんのだ」

 

 

 そう言ってスピードワゴンは胸元から手帳を取り出す。その中には一枚の写真がはさまれている。ずいぶんと傷んだ写真だったが、それは最新の写真よりはるかに鮮明な像だった。

 

 ジョセフに似た少年と金髪の整った容貌の少年……真ん中に立っているのは、シーザーも見覚えのあるヘーマだ。

 

 

「これは、ジョースターさんが彼から貰った未来の写真だ。エリナさんに遺品として私が貰った……写真を見るたび悲しそうにしていたのでな。

 これを見ていると、私の考えがすぎたものではないのかと思う。ジョースターさんが言うように、彼は無害な存在で、ただ善意で行動する人間なのだと」

 

「ヘーマは……ヘーマは吸血鬼でした」

 

「なに!?」

 

 

 写真を見つめるスピードワゴンだったが、シーザーの言葉に驚愕した。シーザーが言葉を続けるの察して、荒げそうになった言葉を飲み込む。

 

 

「俺たちが彼の家に迷い込んだとき、彼は高熱で倒れていました。数日過ごし、彼の体調が悪化し丸一日意識が戻らなかった。その時に俺は彼の生命力を強化しようと、波紋を流そうとしたんです」

 

「だが、それは逆に彼を傷つけた、と?」

 

「……実際には、彼の中で吸血鬼の部分はとても薄く少ないのでしょう。現に、彼は太陽の光を浴びてもなんともなかった。

 だが波紋が彼の腕に傷をつけた時、俺は彼を疑ってしまった!どう見ても衰弱し、死に向かっている彼を、吸血鬼という理由だけで!」

 

 

 こぶしを握り締め、シーザーは叫ぶように内心を吐露する。

 

 

「彼はそんな俺にきっと気づいていた。それなのに、俺とJOJOを案じて……血を吐いてまでこのお守りを作ってくれたんです!」

 

「作った……この未知の物質を、彼が作り出したというのか!?」

 

「どうやったのかはわかりません……いまわかるのは、俺のこの命がヘーマによって救われたということだけ」

 

 

 スピードワゴンは静かに目を閉じた。自らの懸念が間違っているとは思わない。ヘーマという青年は確かに善良な人間であることはわかる。だが、それでもディオの血を継いでいると思わせるものも感じ取れた。

 

 ジョナサンのときも、今回の時も。彼はわずか五日間で彼らの心を魅了した。それはまるでディオのように、鮮やかな人心掌握の術ではないかとスピードワゴンは疑念を抱いていた。

 

 ディオは世界を支配しようとした。それは主に力によってのものだったが……ヘーマという青年も、同様の目的をいずれ持つようになるのではないのだろうか。

 

 

「私も、彼に会うことができればよかったのだが。そうすればこの疑う心もほぐれるかもしれん」

 

「そうですね……きっと疑う気力も無くなりますよ。アイツは、お人好しで子供っぽいやつですから」

 

 

 彼を思い出しているのか微笑むシーザーを見つめながら、スピードワゴンはそうか、とだけ答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 娘のホリィが倒れてから、ジョセフの動きは早かった。

 SPW財団に連絡し、ホリィの看護の人員を手配し、必要なものを次々用意していった。

 

「じじい」

 

「なんじゃ、承太郎」

 

「一つ聞きてえことがある」

 

 

 様々なところに電話をかけ、手配を続けるジョセフに承太郎が怪訝な表情を浮かべて尋ねた。

 

 

「おふくろが倒れてから、じじい、アンタの行動は随分と素早い。まるであらかじめこうなることが分かっていたみてぇじゃねえか」

 

「承太郎、それは……」

 

「かまわん、アヴドゥル。承太郎、お前の言うとおりじゃ。わしは何を準備すればいいかを知っておった……精神力が足りず、スタンドの力に呑まれる人物をこの目で見たことがあるからの」

 

 

 懐かしいものを思い出すように遠い目をするジョセフに、承太郎が視線で続きを促した。

 

 

「あれはもう五十年も前になる。承太郎にも昔話したことがあったか、わしがまだ十八の頃、吸血鬼を食料とする柱の男たちとの戦いのために修練をしていたころじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 シーザー……相棒とともに修練場に向かっているときだったかの。屋敷の廊下から突然別の家にわしと相棒は立っていた。

 

 そりゃあ、慌てたわい。だがな、わしはスピードワゴンの爺さんから、ジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーが体験した不思議な話を聞いておった。

 百年もの未来の世界へ、五日間だけ迷い込んだ話……わしはそれが自分にも降りかかったのだと察した。

 

 とりあえず家主を探そうとリビングらしい場所から廊下に出たとき、わしとシーザーは倒れている男を見つけたんじゃ。それがヘーマだった。

 

 

 彼は医者を呼ぶかと聞いたわしらに、医者では治せないと苦笑を浮かべておった。病気ではないとも、熱が下がるのを待つしかないとも。

 

 恐らく、ヘーマはそれがどういう存在か知っておった。

 

 わしと相棒には幽霊と紹介していたが、今はわかる。あれはヘーマのスタンドだったのじゃろう。

 

 

 ヘーマは段々意識を保つことが難しいようになっていた……わしらは五日間しか傍にいれんかった。その後彼が生きているかどうかも分からん。

 

 わしもわしで五日間向こうで過ごしたはずなのに、まったく時間がたっておらんかったから、ちょいと拙い事態になりかけたが……まあ、終わりよければすべてよし、じゃ。

 

 

 ただ、そうじゃな。生きているか確認する方法はある。

 

 

 ん?気になるか?

 

 

 そこで嫌そうな顔をするな、可愛げのないやつめ。

 

 ヘーマが言っておったんじゃ、ジョナサンの孫のわしが来たなら、わしの子供か孫もヘーマのところにくるかもしれないとな。

 

 

 というわけで承太郎!ヘーマのヤツにわしらが元気だってことを伝えて来るんじゃぞ!

 

 

 ヘーマはちょいとDIOに似ておるが、一見の価値がある美人じゃからの。……ん?性別は男じゃ。なに当たり前のことを……なぜ引いた顔でわしを見る?

 

 

 あー!もう見ればわかる!

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 変化
一難去って又一難


 

 

 

 起きて目に入ったのは、真っ白な天井でした。

 

 

「……まさか見知らぬ天井だ、という台詞を言う機会に恵まれるとは思わなかった」

 

 

 ぼんやりと天井を見ていた俺は、どうでもいいことを口にする。あ、結局ネタっぽく言ってない。勿体ないことをした。

 

 目だけ動かして周りを見てみる。淡いベージュのカーテンや枕元の機材、なにより右手に接着された点滴の管となれば、ここは病院だろう。あれ、もしかして俺、意識がないうちに救急車で運ばれたりしたのか?

 

 呼んだのは誰なんだ。俺の状態、思えば血だらけでご臨終だったけど……どう見ても。

 

 この病室は個室のようで、人の気配が薄い。起きたことを伝える為にも、俺はナースコールを押すことにした。

 

 

 

 

 

 ナースコールを押してからだが。

 

 まず、当たり前だが看護師さんが飛んできた。血圧と体温を測り、何処が痛いかなど聞き取りを受け。

 救急車で運ばれたことと運ばれてから二日経っていること、肺炎を起こしたせいで喀血したと思われることなどをお医者さんから聞き。

 最終的には警察から事情聴取……になるのか分からんが、話を聞きに来た。

 

 

 

 なぜならば、俺の家に空き巣が入ったらしい。

 

 何度目だよ、そんなに俺の家は入りやすいのかよ。そろそろ防犯についてもっと考えなくてはならないだろう。とりあえず窓の鍵は替えよう、開けやすい形みたいだし。

 

 

 

 まあ、今回についてはそれで俺は助かったのだが。

 

 

 

「よう、兄ちゃん」

 

「あれおっちゃん。暇なの?」

 

「見舞いに来たやつに言う言葉か」

 

 

 前に俺の家に空き巣に入ったおっちゃんが見舞いに来たとき、俺は大いに驚いた。思わず血を吐くくらい。むせる俺、焦るおっちゃん、そして看護師さんの怒りの表情。危うくおっちゃんが病室に出禁になるところだった。

 

 

 何故、おっちゃんが堂々と俺の見舞いに来ているのか。それは空き巣を発見したのがおっちゃんだからだ。

 

 

 あの日、おっちゃんは偶々俺の家の近くを通ることになり、金髪の少年がいないかビクつきながら早々に歩き去ろうとしていたところ、窓から俺の家に侵入する人影を発見した。

 

 自分が失敗したのに他人に成功されるのは悔しいと考えたおっちゃんは、なんと交番に行って警官を呼んできた。自身も空き巣をしているのに、たいした度胸だと思う。

 

 警官二人と一緒に空き巣犯が出てくるのを隠れながら待機していると、ヒドく焦った犯人が家から出てきた。

 

 

 当然、現行犯で確保されるが、どうも様子がおかしい。

 

 

 自分じゃないとしきりに言い募る空き巣犯を警官が宥めて尋ねると、この家の中に血まみれの人間がベッドに横たわっていたとのこと。

 

 あわや殺人事件かと騒ぎになったところに、五日間肉屋の店舗に顔を出さなかった俺を心配して、様子を見にきた偲江さん登場。

 

 事情を聞き、何かあったとき用に渡してある合い鍵で玄関から突入、グッタリした俺(血付き)を見つけて騒ぎは悪化。

 

 

 俺は救急車で運ばれたのだが、ここでジョセフとシーザーの生活の痕跡が問題になった。複数犯に俺が監禁されていたのではないかという事件に……

 

 

 あえて言おう。どうしてこうなった。

 

 

 

「兄ちゃんも大変だったなぁ、覚えてねーんだろ何にも」

 

「肺炎になるほど高熱出てたからなぁ」

 

 

 俺の意識がない間に警察による現場検証やら周囲の家への聞き込みやらあったらしいが……犯人が見つかるはずもない。痕跡が異世界の人間のものとは思うまい。

 

 

 証拠となりそうなのは、俺の発言で金髪と黒髪の人物がいた気がするという内容だけだ。実にアバウト。

 

 

「金髪と黒髪の二人組みって、あのガキたちとは違うんだよな?」

 

「ディオとジョナサンは違うぞー。二週間くらい前に帰ったし」

 

「そうだよな、兄ちゃんあのガキを楽々捕まえていたしな」

 

 

 戦闘力は確かに今回の二人組みのほうが遥かに上だけど。俺は精々チンピラから逃げ回る程度だからな。

 

 頷くおっちゃんに、俺はあいまいな笑みを浮かべた。

 

 

 ちなみにおっちゃん、偲江さんの伝で商店街にある魚屋で働くことになったらしい。これで空き巣に手を染めることもなくなると思うと、俺も感無量である。

 あの魚屋の大将はおっちゃんを心身共々鍛えてくれるだろう。……なんでおっちゃんそこ選んじゃったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 入院期間は二週間ほどかかった。俺は目が覚めたときにはそれなりに元気になっていたので、さっさと帰りたかったが……流石に血を吐いて高熱で倒れていた人間を、しっかり検査もせずに退院はさせないようだ。

 

 

 そう、俺は元気なのである。

 

 

 つまり、スタンドを制御することに成功したのだ。

 ただし俺のスタンドは常時発動型のようで、自我もある彼女は好きなように動き回っている。いまちょっと思い出したけど、傍に立つからスタンドじゃなかったっけ?この子思う存分移動しているけど、いいのかこれ。

 

 

 家のソファーに寝転がり、ふわふわ浮く彼女を見上げる。相変わらず仮面と手袋のみで、一見ホラーまっしぐらな子だ。そんな考えが流れたのか、彼女が落ち込んだ様子を見せる。……気にしているのか、すまん。

 

 

 目元を手で押さえる彼女を慰めるべく、俺は入院中に考えていた名前を教えることにした。ちょっと興味が出たのか、目元を押さえるのやめて祈りのように手を組んでいる。

 

 それはなんだ?マシな名前であってほしいと願っているのか?頷くんじゃないバカたれ。

 

 

「お前は、ピクテル。ピクテル・ピナコテカだ」

 

 

 ローマ神話の女神の名前を一部とって、絵を描くことが好きな彼女の、現実となる作品ばかりの絵画館。

 

 

「よろしく、ピクテル」

 

 

 差し出した右手をピクテルは掴み、握手をするのかと思いきや俺の手を引っ張って、仮面の唇で頬にキスをした。

 

 

「……ピクテル、シーザーの真似はしなくていいからな?影響受けるなよ?挨拶が欧米式なんて俺は認めないからな?」

 

 小首をかしげるピクテルの両手をとり、俺は懇切丁寧に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鼻歌を歌いながら浴室を掃除し、お湯を溜め、俺は二週間ぶりの風呂を満喫してご機嫌だった。

 

 

 いやあ、病院の風呂はどうにも入る気が起きなかったから、シャワーで済ませてたんだよね。久しぶりのお風呂は大変気持ちようございました。

 

 髪をタオルでガシガシと拭きながら、残り湯で洗濯もしてしまおうと、入院中に使った下着やらタオルやらを洗濯機へと放り込む。給水用のホースを手に取ったとき、浴室から盛大な水しぶきの音が聞こえた。

 

 

 何事だと驚いた俺は、給水ホースを放り投げて浴室のドアを勢いよく開ける。視界に入ったのは漂う湯気と、浴槽に浮かぶ五つの小さな姿。……どう見ても、幼児です。

 

 

 慌てて全員お湯から引き上げる。浴室の床に転がすのもあれなので、脱衣所にバスタオルを数枚引いて子供達を横たえさせる。呼吸を確認すると、気を失ってはいるが水は飲んでいないようで、静かに寝息をたてている。

 

 ほっと一息つくも、五人の意識のない子供を前に途方にくれる俺……物凄く特徴的な服装の子が一人いるから、その子だけはなんとなく予想はつくのだけれど。

 

 

 あー、とりあえず身体拭いて着替えさせるか。ピクテルに子供用の服を準備してもらいながら、俺は戸棚からバスタオルを取り出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小さくたって一人前

 

 

 

 ピクテルが用意した服は子供サイズの甚平だった。確かに体格あわせやすいし、着せやすかったけどさ。和風もいけるのね、この子。仮面が洋風だからそっちにいくと思ってた。

 

 

 子ども達を着替えさせて、布団に寝かせて毛布をかける。流石に五人分を着替えさせるのは大変だった。体力的にも、精神的にも。

 

 

 やっぱり、これって俺が誘拐犯なんだろうか。

 

 

 ソファーに腰掛けて、ちらりと子ども達を見る。年齢は上は小学校低学年、下は一歳ってところだろう。迷い込んでくる原理はさっぱりわからないが、子ども達にすれば突然見知らぬ所に来て、知らない大人がいるんだ……やべえ、泣かれる未来しか浮かばない。

 

 

 ま、一人……もしくは二人ほどは見た目通りの年齢かはわからないんだけど。特徴的な格好ーー学帽と鎖の付いた長ラン姿ーーをしていた一番年上の少年に視線を移動させると、バチリと視線が合った。

 

 

 

 ……すでに起きてらっしゃる。

 

 

 

 少年は鮮やかな緑の目で俺に向かってガンつけている。何この迫力、小学校低学年とは思えない。相当喧嘩に慣れているとみる。

 

 

「おい」

 

「はい、何でしょう」

 

「アンタの名前は」

 

「平馬ですが」

 

 

 ついつい丁寧語になる俺を凝視して、少年は眉間に皺を寄せている。うん、顔はジョナサンやジョセフそっくりなんだけど、雰囲気がぜんぜん違うな。前二人は柔らかいとか軽いのに、こっちは岩石だよ。

 

 

「じじいが言っていたのはこれか……」

 

「……ジョセフのことかな」

 

「ああ」

 

「じじい……あいつもうじいさんなのかぁ……」

 

 

 なんていうか、半月で五十年経ってると浦島太郎状態だよなあ。俺が見たジョセフの姿は十三歳だったから余計にそういう気分になるのかもしれない。

 

 

「じじいから伝言だ。わしらは元気じゃ、だと」

 

「今は一人称わしなのか。ま、元気ならいいや」

 

 

 遠い目をしていた俺に、いくらか視線が柔らかくなった少年がジョセフからの言伝を伝えてくれる。

 

 わしら、ってことはつまり『二人とも』元気なんだろう?

 

 ならこれ以上良い報告はない。

 

 

「う……」

 

 

 ニコニコしながら少年を見つめていると、もうひとり起きた子がいるようだ。声の方向に視線を向けると、片方だけ前髪が長い子が布団から起き上がって、頭に手を当てていた。どうやらまだぼんやりしているのか、頭を横に振っている。

 

 

「起きたみてぇだな」

 

「その顔……もしかして承太郎かい?」

 

「ああ。で、テメエは花京院であってるか」

 

「そうだが……これは何かのスタンド攻撃なのか?」

 

「多分だが違うぜ。そっち見てみな」

 

 

 先に起きていた少年の言葉に、次に起きた子が俺のほうを振り返る。視線がしっかり交差したとき、少年の目が見開いた。

 

 

「DIO……!?」

 

「あー、人違いだ」

 

「何言って――」

 

「まあ、混乱するのも分かる、というか君らが百年前に生きていたディオのことを何故知っているのかわからないが……俺は中野平馬。この家の家主だ」

 

 

 少年――おそらく花京院くんの驚きを見て思うのは、やっぱりディオ生きてるんだぁ、ということだった。首だけで生き延びれるってやっぱり吸血鬼の生命力ハンパないわぁ。でも俺も半分以下だけど吸血鬼っぽいんだよな、太陽大丈夫だけど。

 

 え、やっぱり俺もそのうちびっくり生物になっちゃうのか?救急車送りになってから目の視力もあがって裸眼で大丈夫になったし、腕力も随分と……訂正、心なしか上昇した。それでも美喜ちゃんのほうが力あるけどな。あの子の先祖にはきっと鬼がいるに違いない。

 

 

「もしかして、ジョースターさんが言ってた」

 

「多分だがな」

 

「え、アイツ俺のことなんて言ったの」

 

 

 花京院くんの気になる言葉に質問すると、少年二人はそろって目を俺から背けた。何故。

 

 ジョセフ、アイツ……孫達に何吹き込みやがった?

 

 

「俺ちっちぇぇ!?」

 

 

 胡乱な目で顔を背ける少年二人を見ていると、次の子が起きたようだ。というか、寝起きで凄いテンション高いな。

 

 

「うるせぇ」

 

「承太郎も小さい!?でも目つきワリィ!」

 

「起きてすぐに元気だね、レオーネ……」

 

 

 金髪の少年は驚いてます、と全身で表現しながらなにやらわたわたしている。本人は凄く驚いて焦っているんだろうが、身体が小さいせいか傍から見ると物凄く微笑ましい。

 

 む、でも先ほどから騒いでいるせいで、残りの子も起きたようだ。

 

 

「……ママ?」

 

「うー?」

 

 

 しかし、どうも様子が先に起きた子達と違う。起きてすぐに流暢に話し始めた三人とは違い、残りの二人はきょろきょろと周りを見回している。心なしか段々表情が泣きそうになっているような……

 

 

「まま、どこぉ……」

 

「あぅ、ちぇー……うぇ」

 

 

 あ、やぱい。

 

 

「ふえぇぇぇぇぁああ!」

 

「うぇぇぁぁぁぁああ!」

 

 

 やっぱり泣いたー!?

 

 

 慌てて二人の傍に寄り、胡坐をかいて膝に乗せ抱える。大泣きしている彼らの背中を撫でながら、俺はつとめて優しい声を出した。

 

 

「よしよし、寂しかったなー。大丈夫、きっとママに会えるからなー」

 

 

 背中を撫でて、頭を撫でて、大丈夫だと怖くないと何度も何度も言う。次第に泣くのにも疲れたのか、気持ちが落ち着いてきたのか……ちみっこたちはぐずる程度になっていた。

 

 

「と、止まったか?」

 

 

 金髪の少年が恐る恐るソファーの背から顔を出す。何をそんなに怖がってるんだ君……よく見ると横に頭が二つあるな。お前ら三人何やってんだ。

 

 

「ごめん、僕一人っ子で」

 

「同じく」

 

「俺も俺も」

 

 

 つまり対処法がわからないと言いたいらしい。それで逃げるを選んだか……将来結婚したときに苦労するぞ、お前たち。

 困った顔をする花京院くんと承太郎くん、レオーネくんを手招きして呼ぶ。

 

 

 こわごわと近づいてくる三人の足元を指差すと、何故か三人とも其処に正座する。……座れって意味しか含めてないつもりなんだけど、まあいいか。

 

 

「右から自己紹介。はいどうぞ」

 

「え、俺から?レオーネ・A・ツェペリでっす」

 

「花京院典明です」

 

「空条承太郎だ」

 

 

 うん、ひとり意外だったけど三部だな!

 

 ……いやいや、其処重要じゃない。もっと今耳を疑うようなことがあっただろう。

 

 

「俺は中野平馬です。ところでレオーネくんは、シーザーの……?」

 

「あ、父さん知ってんだ。息子でーす」

 

「息子ぉぉぉぉッ!?」

 

 

 行き成り叫んだせいで、膝の上の二人がびくりと反応した。驚かしてごめんなぁ。

 

 まって、孫じゃなくて息子?アイツ、ジョセフと年齢離れてないよね。なのに承太郎くんと同じくらいの息子が……ああ、彼ら小さくなっているんだった。

 

 もしかしたらレオーネくんは承太郎くんよりもずっと年上かもしれないな、よし落ち着け俺。

 

 

「レオーネくんや。いま何歳?」

 

「十八だけど」

 

「希望は潰えた……」

 

「なんで!?」

 

 

 がくりとうな垂れる俺。シーザーは若い嫁でも貰ったんだろうか。あれだろ、大体五十歳ぐらいの時に生まれた計算だろ。……現代だとそんなに珍しくはないな。

 

 次に腕の中の子達だな。下を向くと、二人そろってこちらを見上げている。なにこれあざとい。

 

 

「どうしたー?」

 

「パパ」

 

「ぱー!」

 

 

 満面の笑みになった二人に反応することもなく、俺は石像のように凝固するしかなかった。くいくいと服を引っ張られる感触で我に返る。

 

 

「若く見えるけど、子持ちだったんだな」

 

「産んでない!」

 

「男が産めるか」

 

 

 レオーネくんの言葉に反射的に返すと承太郎くんからツッコミが入る。そうだった、いま俺男だった。

 平常心平常心と自分に言い聞かせながら、ちび二人に向かって笑顔を浮かべる。

 

 

「えーと、俺はパパじゃないぞ?」

 

「パパなの。しゃしんそっくりだもん」

 

「ぱーぱ。だっこ」

 

 

 写真にそっくり……俺が?写真の父親に?

 

 顔を上げると驚愕の表情の三人の少年。レオーネくんはこちらを指差して口をぱくぱく動かしているし、典明くんと承太郎くんは固まったままだ。

 

 

「お、なまえ教えてくれるかな?」

 

「しおばな はるの!」

 

「うーがろ!」

 

 

 きっと引きつっていた俺の笑顔を気にもせず、二人はこぼれんばかりの笑みで言った。

 

 

 パパの名前聞いたつもりだったんだが。それはともかく――なんてこったい。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まずは整理しよう

 

 

 

 ハルノくんと、うーがろくん――恐らくウンガロだと思うが――は泣いたことで疲れてしまったのか、あの後すぐに眠ってしまった。そっと二人を布団に寝かせ、俺と典明くんと承太郎くんとレオーネくんはリビングの隅へと移動する。

 

 

 ちょっと諸事情教えてくれないか、という俺の願いに三人は快諾し、ここにくる前までのことを話してくれた。

 

 

 

 ディオ、海の底から華麗に復活しスタンドを手に入れたら、ジョナサンの身体だからジョースター一族にも発現しちゃった、承太郎くんのお母さんが倒れてじゃあ元凶ぶっ飛ばしに行こうぜ!

 

 

 

 雑に略すとこんな感じらしい。雑にしすぎたかもしれない。

 

 

 

 承太郎くんと典明くん含むスタンド使い五人とレオーネくんで旅をしているそうだ。レオーネくんはスタンド能力こそ発現していないが、見えるらしい。波紋の使い手ということで回復役を買って出たとのこと。

 

 

「いまはシンガポールについたところ。マジで遭難しなくて良かったよ!」

 

「人生で三回飛行機が墜落してかつ船が沈没するって……ジョセフはお祓いにいった方が良いんじゃないか?」

 

「確実に伝えておくぜ」

 

 

 真顔で頷く承太郎くん。実に真剣な表情だ、旅が終わったら奴は神社にでも引きずられていくだろう。ジョセフは確かキリスト教徒だから教会のほうがいいのか?

 

 

 さて、承太郎くんたちの現状を認識する作業は終了したので、次はハルノくんとウンガロくんについてだが。

 

 

「あの子らの証言によると、父親は俺に似ているらしい。そこで質問だ……父親に心当たりは?」

 

「ある」

 

「信じられないけどね」

 

「どう考えてもDIOでしょ」

 

 

 ですよねー。三人の答えに頭を抱える俺。

 

 

 ひとつ問題がある。実は、俺の漫画の知識は後半にいくほどあまり残っていない。単に読み込みが少ないだけだろうけど、ディオに息子がいたことを覚えていなかった。

 

 

 あの子達が漫画に出てこなかった可能性もあるが、それはそれ、いまは気にすべきところではない。

 

 

 ちらっと寝ている二人を見る。着替えさせるときに見つけた類似点。その小さく細い首筋には、星の形の痣があった。承太郎くんにあったものと同じように。

 

 

「ディオの息子だけど、承太郎くんの親戚にもなるんだろうな。ジョセフの叔父か」

 

「うわ」

 

「五十歳以上年下の叔父……」

 

 

 俺の言葉にそれぞれの反応を見せる。承太郎くんは黙ったままだ。言っちゃだめなんだろうな、彼にも十歳以上年下の叔父がいるってこと……

 

 

 そう考えるとなんてカオスな家系だ。とりあえずジョセフを一発殴りたい。もげてしまえばいい。

 

 

 

「父親がどうあれ……先ほどの姿を見る限りただの子供ですね」

 

「そうだなー、むしろ父親を知らないって感じ。染まってないっていうか」

 

「写真とそっくり、というくらいだからな」

 

 

 花京院くんにレオーネくんが頷く。俺も相槌を打ちながら寝ているちみっこを見る。どうも、父親としてのディオを想像できないからなのか、彼らが育っている環境が良いように思えない。

 

 

 いや、アイツも百年生きてるし、少しは人間丸く……なるくらいだったらそもそも刺客とか送ってこないか。

 

 

 俺の中ではまだ十三歳の少年だからなぁ、印象が。悪の帝王オーラ満載のディオを見たら、俺泣き崩れるかもしれない。保護者的な感覚で。

 

 

 下手したらディオ本人も子供について知らない可能性もあるんだが。妬ましい。ほら、俺といういつの時代の子孫かわからない例があることだし。まだこの世界のディオの子孫って決まったわけじゃないけど。

 

 

 

「とりあえず母親が常識人じゃない場合は、保護したほうがいいかな」

 

「そうでしょーねー。担ぎ上げるバカたれもいるだろーしねぇ」

 

 

 俺の言葉にうんうん頷くレオーネくん。しかし、シーザーとは別の意味で軽い子だなー。ジョセフのほうが近いかもしれない。承太郎くんが固い印象だからなおさらそう思えるのかもしれない。典明くんはうまいこと二人をまとめている印象だ。優等生タイプという。

 

 

 やんちゃ系と硬派(不良)系と優等生系。実にうまくバランスが取れた三人だと思う。

 

 

「この子達の身元、もっと人数が増えるかもしれないけど……戻ったら調べて貰えるか?」

 

「ああ」

 

 

 力強く返事をしてくれた承太郎くんにほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話も長くなってきたので、とりあえずお茶を淹れることにする。

 

「お、結構美味い」

 

「そーか、ありがとな。実はディオに教わったんだよ淹れ方」

 

「ぶふっ!?」

 

 

 紅茶を口に含んだレオーネくんが噴出した。承太郎くんが汚えと顔をしかめ、典明くんが苦笑いで箱ティッシュを差し出す。

 

 もちろん狙ってましたが何か。ゲホゲホと噎せるレオーネくんに俺は笑顔でクッキーを差し出した。

 

 

「ごほ。……平馬さんってこういう人なんだなー……」

 

 

 聞いていたのと印象が違う、とクッキーを頬張りながら呟くレオーネくん。誰の話かは想像つくが、結構美化されてないかその話。

 

 

「あの、さっきから気になっていたんですが……そこでスケッチブック持ってずっと何かを描いているのは、平馬さんのスタンドですか?」

 

 

 おずおずと典明くんが指をさす先には、一心不乱にスケッチをするピクテルの姿。うん、彼女にとって通常運行ですね。

 

 全員に見られていることに気づいたピクテルは、いつものようにくるりとスケッチブックを裏返す。

 

 

 描かれていたのは先ほどのソファーの後ろに逃げた三人の姿と、隣のページには紅茶を噴出すレオーネくんの姿だった。

 

 うん、ナイスピクテル。愕然とする三人の今の姿も後で描いとけよ。

 

 

 

「こんなふうに絵が描くことが大好きな彼女だ。ピクテル・ピナコテカという」

 

「あの、描いた絵消してもらえないですか?」

 

「断る、だってさ」

 

 

 スケッチブックを持って首を横に振るピクテル。さりげなく俺の後ろに移動して、人を盾にしようとするんじゃない。

 

 典明くんが緑色のスタンドを出してなにやら紐を伸ばしてきているが、ひらりと避けるピクテル。うわ、絶妙に苛立たせる回避の姿だ。一度やられた当人としては、是非とも典明くんに頑張ってもらいたい。

 

 

 そして承太郎くんはスタンドが出せないらしく、不機嫌そうにピクテルの姿を睨んでいた。

 

 

 うん、そろそろからかうのやめてあげて、ピクテル。この子怒らせたらまずそう。

 

 

 

「ねー、平馬さん。父さん達が来たときもコイツ絵ぇ描いてたわけ?」

 

「ん?そうだぞ。見るか?」

 

「見る見る!」

 

 

 レオーネくんに向かって手招きすると、彼はいそいそとソファーに登って俺の横に座る。ピクテルにスケッチブックを一つ貸してもらい、ぺらぺらとページを捲っていく。

 

 

「うわ、若いな二人とも」

 

「僕も見たい」

 

「こいこい。承太郎くんは見るか?」

 

「……」

 

 

 黙ったままだが素直に寄ってくる承太郎くん。両脇はレオーネくんと典明くんで埋まっているので、ソファーの背もたれに登って、俺の肩を足場にスケッチブックを覗き込んだ。おい、遠慮ないな。

 

 

「じじい達は十八歳のはずだぜ。なんで少し若くなってんだ?」

 

「それが謎なんだよなぁ」

 

 

 承太郎くんたちも若くなっている。ジョセフとシーザーが五年とすれば、承太郎くんたちは十年といったところだろうか。それなのに、年齢そのままと思われるハルノくんとウンガロくん、それにジョナサンとディオという例もある。

 

 

 この違いは一体なんなのだろうか。

 

 

 思えば、これで迷い込むのも三回目になる。最初はあまりの現象に思考停止気味だったし、二回目は体調が最悪で考える余裕もなかった。

 今回は人数も増えて、見た目の年齢もさらに低くなっている。

 

 

 この現象は何時まで続くのだろう。行き成り途絶えるのだろうか、それとも知人の気配がまったくなくなるまで、時を進み続けるのだろうか。

 

 

 

 この世界に俺だけを置き去りにして。

 

 

 

 考えても仕方が無いことだが、胸を過ぎる寂しさに吐きそうになった息を喉で止めた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 眠っているちみっこ二人を起こさないように、俺はそっと買い物に出かけた。いや、入院から帰ってきたばかりで食料とか無くなっているからね。買出しに行かないと夕飯が無い。

 

 

 商店街で顔見知りに退院の挨拶をしつつ、買い物袋を両手に掲げて帰ってきた俺を迎えたのはちみっこ二人の突進でした。荷物、荷物がぶつかる!

 

 

「おかえりパパ!」

 

「りー!」

 

 

 俺の両足にくっついて嬉しそうに笑うちみっこ二人……ちょうなでまわしたい。

 

 

「こらこら、平馬さん困ってるだろー?ハルノもウンガロも離してやれって」

 

「いやー」

 

「やー」

 

 

 レオーネくんが二人を離そうとして抱き上げようとするが、ちび達は引っ張られるのが楽しいのかきゃいきゃいと笑っているだけで俺のズボンを離そうとしない。

 可愛いけど動けねぇ。

 

 

「ハルノ、ウンガロ。それくらいにしておけ」

 

「……うん」

 

「あい」

 

 

 承太郎くんの言葉にしぶしぶではあるが、素直に従う二人。あとからこっそり典明くんに聞いたところ、俺が不在の間に騒いでいた二人は承太郎くんに怒られたらしい。

 なんか、俺より貫禄ない?見た目八歳児に負ける俺の貫禄って……いけない、泣きそう。

 

 

「子育てって大変だ……」

 

 

 宥め役をしたと思われる典明くんとレオーネくんは、少しグッタリしているように思える。レオーネくんは帰ったらシーザーに極意を聞いてみるといい。アイツの保護者オーラはハンパないから。

 

 俺から引き剥がしたハルノくんはレオーネくんにくっつき、ウンガロくんは承太郎くんにひっつく。ありゃ、好き嫌いが分かれたなぁ。

 

 ハルノくんは承太郎から見えない位置に身体を移動させているが、ウンガロくんは胡坐をかく承太郎くんの足の間に座り込んでいる。承太郎くん、無表情だが実は困惑してないか。

 

 

「ウンガロは大物だなぁ、小さくなっているとはいえ承太郎に懐くなんてさぁ」

 

「ハルノは人見知りするのかな?ほら、大丈夫だから僕達もいってみよう?」

 

 

 感心するレオーネくんの横で、典明くんがハルノくんを促す。恐る恐る進むハルノくんをじっと見つめる承太郎くん……あ、額に汗かいてる。落ち着け、承太郎くん。

 

 

 どうにか承太郎くんの前に座り固まっているハルノくんと、どう対応すれば良いかわからないのか、同じく固まっている承太郎くんを見て、俺は口元を緩めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二日目

 

 

 

「第二回、平馬くんのためになる講座・サバイバル編をはじめます」

 

 

 朝食が済んだ後、唐突にそんなことを言った俺は、温かい拍手と冷たい視線を貰った。前者はレオーネくん、ハルノくん、ウンガロくん。後者は承太郎くんと典明くんだ。

 

 

「久々だなぁ、その何言ってんだこいつっていう視線。ディオにもそんな感じで見られたよ」

 

「平馬さんDIOにもやったんですね」

 

「ディオの時はアジアの食器講座だ」

 

「内容は聞いてねえ」

 

 

 冷静にツッコミを入れるのは典明くんと承太郎くん。この子達本当に十七歳と十八歳?真面目、不良なのに真面目だよ。堅物と言ってもいい……不良な堅物ってなんだろう。

 

 

「えー、それでは反対意見がないようなので進めます」

 

「いま意見求められていたか?」

 

「三人は現在エジプトに向かって旅を続けているとのこと。トラブルメーカーのジョセフもいるので、お兄さんは大変心配です。

 そんなわけで道中役に立ちそうなサバイバル術を、本を元に実践してみたいと思います」

 

「意外にしっかり考えてた!?」

 

 

 失礼だなレオーネくん。俺はいつでも本気だぞ?

 

 

「じゃあ、まず基本の水からだな。人間は水を飲まないと死にますが、綺麗な川がいつもあるわけではありません。綺麗に見えても雑菌がたくさんいたり、にごっている場合もあります。

 そんなときには水をろ過し、煮沸する必要があります」

 

 説明しながら、俺はせっせと道具をテーブルの上に準備していく。昨日の買い物のときにがんばって揃えたんだからな。みんなが寝静まってから材料切ったりいろいろ準備したりな。

 

「必要なのは底を切り取ったペットボトルに紐で取っ手を付けたもの。小石、焚き火の燃え残りの木炭、砂とか小砂利、最後に丸めたバンダナです。入れる順番も同じになります」

 

 

 底を切り取ったペットボトルに小石をいれ、木炭、砂、バンダナの順に入れていく。全部入れると地層みたいだ。まあ、それが狙いなんだが。

 

 

「入れ終わったら、蓋に小さい穴を開けます。錐とかあると良いけど、まあ、どうにか開けてくれ」

 

「最後投げやりですね」

 

「じゃあ、詰める前に開けておいてくれ」

 

 

 詰め終わったペットボトルの紐を持ち、その下にボウルを置く。典明くんに手伝いを頼み、朝ごはんのときの米のとぎ汁をペットボトルに注いでもらう。

 

 しばらくして、最初に入れたとぎ汁よりも、透明な液体が蓋の部分から滴り始めた。

 

 

「おー、結構透明になるもんだねぇ!」

 

「何回か繰り返せばもっと透明になるけどね。たまった水を十分くらい煮沸すれば、飲み水程度にはなるようだよ」

 

 

 興味深げに滴る水を見つめるレオーネくんとウンガロくん。ハルノくんはさっき俺が使ったカッターに手を伸ばそうとして、典明くんに止められている。

 

 

「海水を蒸留して水を作るという方法もあるけど、これは火にかけられる鍋と、水蒸気を冷やす蓋、水滴を受け止める器に、なにより海水を沸騰させ続けるための大量の燃料が要るから、実際には使えないな」

 

「燃料……」

 

 

 サバイバル本の蒸留に関するページを見ながら俺が言うと、妙な反応を返す承太郎くんたち。

 

 

「燃料、というのは……つまり火があればかまわねえよな?」

 

「まあ、沸騰させるんだからそうだな」

 

「平馬さん、燃料のあてがあるから是非教えてくれないか?」

 

「いいけど……」

 

 

 もしかして、その燃料というのはエジプト人な占い師さんじゃあないだろうな。

 

 

 旅の仲間を燃料扱いしている彼らに、俺は変な笑顔をむけるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 その後も火の起こし方、ロープの結び方など知識の提供と実践を繰り返してみた。一番作業が早かったのは承太郎くん。技術関係は本当に器用だ。

 次は典明くんで、かなり差が開いてレオーネくんだった。彼自身は非常に器用なのだが、横でハルノくんとウンガロくんが出来上がったものを解体していくためだった。

 

 

「ねえ、分解するんじゃなくて結んで頂戴よ……」

 

「え?」

 

「う?」

 

 

 無邪気にロープの結び目を解いていくちび達に、レオーネくんは半笑いを浮かべている。ファイトだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 午後になって、俺はバイト先に向かった。この数週間まともに働けていないので、迷惑をかけている分しっかり働く所存である。子供達にはきちんとご飯は食べさせているぞ、一応。

 

 

「よーし、平馬くん。俺はちょっとパチンコいってくっから店番頼むな!」

 

「させませんよ、昇一さん」

 

 

 いつものように店番を抜け出そうとする店の主人こと昇一さんを捕獲し、偲江さんを呼ぶ。後生だ行かせてくれと懇願する昇一さんを、微笑を浮かべた偲江さんに引き渡した。

 

 

「いつもありがとうね、平馬ちゃん。さ、覚悟は良いわねアンタ!」

 

「はん!これで懲りる俺じゃねえよ」

 

「そう。美喜ぃー、ちょっとおいでー」

 

「おま、それは卑怯だろ!?」

 

 

 微笑みの偲江さんからそっぽを向く昇一さんだったが、禁じ手・美喜ちゃん召喚に驚いてうろたえる。恐らくフライングニーパットが昇一さんに炸裂することだろう。

 

 さて、何時までもここにいるわけにはいかん。

 

 

「偲江さーん、俺おもてを掃除してきますねー」

 

「あら、気が利くわねぇ」

 

「平馬くん!いま俺を見捨てただろう!?」

 

「俺、これ以上トラウマ増やしたくないんです」

 

 

 これから始まるであろう、美喜ちゃんによる戦慄の仕置きはなるべく見ないほうが精神のためだ。何度も受けてるのに懲りない昇一さんって本当にすごいと思います。

 

 俺が店の前を箒で掃いていると、店内から男性の悲痛な声が響いていた。

 

 あーあーあー、俺はなーんも聞いてないぞー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくすると、美喜ちゃんが竹刀を片手に入り口から出てきた。あの、その竹刀は俺には向けられませんよね?……ね?

 

 

「平馬、お父さんを捕まえたそうね。よくやったわ」

 

「いえいえ、いつものことだからね」

 

 

 ええ、昇一さんを捕獲するのは本当にいつものことなので。頼むからその戦闘モードらしき物騒なオーラを仕舞っては貰えないでしょうか。

 

 

「最近、随分と大人しくしていたのは、どうやら油断を誘うためだったみたいね。ふん、わが父親ながら甘い見通しだこと。バレないとでも思っていたのかしら」

 

「そうですかい」

 

 

 だめだ、美喜ちゃん武将モードに入ってる。しばらくそっとしておいたほうが良いだろう。美喜ちゃんも俺に一声かけるだけのつもりだったようで、さっさと店内に戻っていった。

 

 

 俺、前世女性だったけど、あそこまでアグレッシブじゃあなかったよ……

 

 

 以前の自分と美喜ちゃんを比べて、あまりの違いに首をかしげながら、無心に掃除の続きを始める。

 

 

「平馬ちゃーん、お掃除どう?終わりそう?」

 

「あ、あとちりとりで取ったら終了です」

 

「それじゃあ、終わったらお茶にしましょー」

 

「はーい」

 

 

 さっさと掃除を終わらせて、俺は箒とちりとりを手にして店内に戻っていった。

 

 

 

 

 こちらを窺う視線に、気づかないまま。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三日目 前半

 

 

 朝食を食べた後、承太郎くんたちに拝み倒してモデルとなって貰うことを了承してもらった。ふふふ、ぶっ倒れていた期間を含めて三週間、何も描けてないからな!俺の右手が唸るぜ。

 

 

「それで、じっとしていればいいのかな?」

 

「いや、好きなようにくつろいでいてくれ。普段の様子を描きたいからさ」

 

 

 俺の言葉にほっとした様子の典明くん達。小さい子供のかしこまった様子よりも、遊んでいる姿のほうが描いてて楽しいし。声に出したら怒られることを考えながら、俺は鉛筆をスケッチブックに走らせる。

 左横には、同じように手を動かすピクテルの姿。流石、俺のスタンド。

 

 

 そして、右横にはノートに落書きをしているウンガロくんの姿がある。俺のまねをしているのだろうか。覗き込んでみると、どうやら三人を描いているらしいが……え、なにこれ一歳程度の絵じゃないんだけど。

 

 

 上手い、年齢にしては相当に上手い。画材はクレヨンだが、色を塗るときに単色じゃなくて複数組み合わせているだと……幼児の描く絵じゃない。

 

 

「平馬さん、どうしました?」

 

 

 ウンガロくんの思わぬ才能に唖然としていると、そんな俺の様子に気づいたのか典明くんがスケッチブックを覗き込んできた。そのときにウンガロくんの絵が目に入ったのか、俺と同じく絶句する。

 

 

「ウンガロ……すごいね、これ」

 

「すごいよな……」

 

「うごーちゃめ!」

 

「あ、うん、ごめんねウンガロ」

 

 

 典明くんが座っていた場所からいなくなっていることに気づいたのか、ウンガロくんがぷりぷりと怒る。かわいい。その様子に笑みをこぼしながら、典明くんがソファーに戻っていった。

 ふむ、大分馴染んでいるな。

 

 

 もう一人のちびっこ、ハルノくんはというと。レオーネくんの膝に座って絵本を読んで貰っている。なんて微笑ましい光景……ピクテル、彼等の姿は任せたぞ。

 

 ピクテルに後を託し、俺は寝転がって漫画を読んでいる承太郎くんを描く。漫画が楽しいのか、心なしか表情が柔らかい。

 

 そういえば、承太郎くんって父親いなかったっけ?あれ、出張しているだけだったか?

 それはさておいて、思春期に父親もしくは相談できる大人の男性がいなかったからかな、不良になったの。

 

 ジョセフの時点ですでに片鱗がある、とか考えちゃあいけない。アイツあれでも、おばあちゃんにみっちり教育されての結果だから。余計悪いか。

 

 

「薄笑いを浮かべてんじゃあねえよ。不気味だろうが」

 

「おや失敬。ジョセフを思い出したらつい笑いが」

 

 

 ギロリとした視線を寄越してくる承太郎くんに、軽く謝る。再び鉛筆を動かそうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。宅配だろうか。

 

 立ち上がり玄関に向かう途中に、全員が俺を見ていることに気付く。

 

「ああ、たぶん宅配だと思う。ゆっくりしておいてくれ」

 

「ラジャー」

 

 

 レオーネくんの返答を背に受け止めながら、俺は玄関へと歩いていく。なんか送られてくるものってあっただろうか、入院で使っていたものは昨日のうちに届いているから心当たりがない。

 

 

「はーい、どなた……」

 

「こんにちは」

 

 

 玄関のドアを開けてそこに立つ人物を見た俺の言葉は途切れた。その人は女性で、スーツを着ていて、年は偲江さんよりも下だろうか。柔和な笑顔を浮かべて玄関のポーチに佇んでいた。

 

 

「なにしに来たんですか」

 

「貴方が退院したと耳にしたもので。お見舞いに行こうとしたのですが、妙な邪魔が入りましてね」

 

 

 よければこれどうぞ、と菓子折りを差し出すその女性を、俺は無表情で見下ろしていた。

 

 

 俺にとってこの人の評価は、人の話を聞かないはた迷惑な人というものだ。爺さんの絵のファンのようで、手元に残された絵はないと何度言っても、この家にあると信じきっている。

 ディオがいたときに封筒を送ってきたのもこの人で、月に一度は絵を売れと手紙を送ってくる。

 

 

「いりません。見舞いなら用が済みましたね、お帰り下さい」

 

「いえいえ、お見舞いに行こうとしたのは貴方が入院していた時ですよ。今日は違います」

 

 

 ドアを閉めようとしたが、素早くカバンを隙間に挟まれ防がれてしまった。くそ、さっさと閉めておけばよかった。

 

 

「絵はないと何度もお伝えしたはずですが」

 

「私も何度も申しましたよ、冗談でしょうと」

 

 

 俺は頭が痛くなった。何回このやり取りを繰り返せば、この人は俺の言葉を受け止めてくれるというのか。俺だって絵があるならさっさと売ってしまいたいぐらいだ。まあ、この人以外の人に、だが。

 

 

「中野正孝の絵は早々手放すには惜しいものだというのは重々承知です。おじい様であるのならなおさら。あの美人画だけでなく風景画さえ艶やかな作風は、万人には受けずとも私のような人間の心を捕えて離さない」

 

 

 こうして語り始めるのもいつもの流れだ。毎回聞いていると内容が似通ってくるので、正直聞いていてつまらない。なんともまあ、己の都合しか見ようとしない姿勢は、俺に嫌悪感を持たせるのに十分だった。

 

 爺さんの絵のファンでさえなければ、とっくに警察を呼んでいる。

 

 うんざりしながら聞き流していると、高めの声が俺の意識を引き戻した。

 

 

「いい加減に人様の家の玄関で、自分の妄想を垂れ流すのをやめたらどうかしら。毎回懲りないわね、アンタも」

 

「……貴女も毎度毎度どこから聞きつけてくるのかわかりませんが、いつも私の邪魔をして」

 

 

 小さい体躯に不遜な態度、溢れる覇気の持ち主こと美喜ちゃんだった。腕を組んで仁王立ちする姿は、微笑ましさよりも頼もしさを感じる。

 

 この人が俺のもとを訪ねるたび、どこから聞きつけてくるのか美喜ちゃんが駆け付けてくれる。毎回大変助かるのだが、状況が悪化するのも常の事で、少々この後が恐ろしい。

 

 美喜ちゃんは内心怯えている俺を一瞥すると、門を通ってこの人と俺の間に入り込んだ。

 

 

「美喜ちゃん」

 

「病院周辺をうろついてるって情報が入ったから、近いうちに来るとは思ったけれど。まあ、よくも恥も知らずに訪れることができたものね。前回あれだけ盛大に叩き出してやったことを忘れたのかしら?」

 

「姑息な嫌がらせ程度、寛容な私には通りませんよ。貴女も子供じみた行為は見た目だけにしてほしいものですね」

 

「見た目がおばさんよりはマシでしょ。ますますしわが増えてるんじゃない?もっと肌のケアしたらどうかしら、手遅れだろうけど」

 

「貴女も会うたびに口が悪くなっていますね。ゆとり教育とは女性の質さえも低下させたというのでしょうか」

 

「女の質が下がっているのはアンタでしょう」

 

 

 ……怖い。俺、まったく口を挟めません。

 

 にらみ合う二人はまさに龍虎。火花じゃないんだよ、散ってるのは。おかしいなあ、今は初夏のはずなのに鳥肌が止まらない。

 

 女の口喧嘩とはここまで戦慄するものだっただろうか。最近……俺が昔女だったことを疑うのが多いなぁ。性格の問題だろうか……そうであっても怖いのは変わらないが。

 

 

「……いけませんね、貴女が姿を現した時点でこれ以上の交渉は無理だというのに、長引いてしまいました」

 

「交渉?ただの嫁き遅れの欲望の押しつけでしょ。残念な年齢の人はさっさと帰りなさいよ」

 

「どこもかしこも乏しいお嬢さんに言われたくはありませんね。少しは一般男性に需要のある容姿になってみたらどうです。では、平馬さん。またお会いしましょう」

 

「来なくていいです」

 

 

 ようやく二人の罵り合いは終わり、帰ろうとする人に俺はローテンションで返事をする。もう来ないでください、毎回貴女と美喜ちゃんのやり取りがトラウマになるんです。

 

 その人は俺の言葉に一瞬固まったように見えたが、スタスタと門から出て行った。

 

 

 嵐が過ぎ去ったことに胸をなでおろす俺の前に、またも仁王立ちの美喜ちゃんが一人。

 

 

 次は何ですか……!?

 

 

「平馬、アンタの危機管理がなっていないのは後で説教するけど」

 

「説教は確定なんですね」

 

「家に誰がいるのかしら?」

 

 

 びしりと固まる俺。それを冷静な目で射抜く美喜ちゃん。

 

 

「今までのアンタならすぐにドアを開けるようなことはないのよね。一人暮らしだし、インターフォンもないから来訪者には気を付けているもの。――誰か知り合いがいない限りはね」

 

 

 心の汗を流し続ける俺をしり目に、美喜ちゃんは推論を続けていく。

 

 

「そして知り合いがいるなら、さっきの女がぐだぐだ言っているときに出てこないのも不思議。気になるのが人間の性というものよ。アンタがうっかりドアを開ける程度に、気を許しているならなおさら。

 考えられるのは助けを求めるのは憚るか弱い女子供か、第三者に姿を見られたくない人物」

 

 

 美喜ちゃんって本当何者なんだろう。ばっちり当たっているんですけど。イエスともノーとも言えない俺を笑ってくれ、こういう時に女に嘘をついてはいけないのは体験済みだ。

 

 

「平馬。あたしの推論が間違っているならいいんだけど、まさか犯罪に手を染めてはいないわよね?」

 

 

 美喜ちゃんの言葉に、リビングにいるであろう人物たちを思い浮かべる。

 一歳から八歳までの幼児が五人、親元から離されてかつ俺の家から出られない状態。

 

 

 ……否定ができない!

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三日目 後半

 

 

 

「じゃあ、確かめさせてもらうわね」

 

「え!?ちょっとまって!」

 

 

 思考が停止していた俺にしびれを切らせたのか、美喜ちゃんが俺とドアの隙間を通って玄関に入ってきた。不法侵入だと告げて時間稼ぎをする暇もない。

 

 素早く靴を脱ぎ、リビングの扉に向かって廊下を歩く彼女を止めようと手を伸ばすが、宙をかくだけになった。歩くの早い!

 

 そして美喜ちゃんの手によって扉が開かれーー

 

 

「……誰もいないわね」

 

 

 

 『五人がくつろいでいる』リビングを見て、そう言った。

 

 

「おかしいわね、確かに五つの気配を感じたのだけれど……」

 

 

 当たってます。ちゃんと五人います。

 それなのに何故だろう、美喜ちゃんには彼らが見えていないようだった。きょろきょろと周りを見回す彼女の後ろから、警戒をしている五人に向かって口元に指を一本立ててみせる。年長組みの三人がこくりと頷いた。

 

 

「あら、子猫がいたのね」

 

「え」

 

 

 どうやって彼女を家から穏便に帰ってもらうか考えていると、美喜ちゃんがしゃがみこんだ。その手の中には白く小さな子猫の姿。

 なぜここに猫が!?

 

 視線をめぐらせると、俺に向かって親指を上に立てるピクテルの姿。もしかして能力で出したのかこの子猫!動物もOKだったのか。そしてナイス判断だ!

 

 

 ご丁寧に五匹いる子猫は眠そうにカーペットに転がっている。美喜ちゃんは一匹を抱きあげ、俺に振り返った。大きな瞳でじっと俺を見つめているのは、観察しているのか。俺はなるべく平静でいることを努めて、彼女の目を見つめ返した。

 

 

 美喜ちゃんはため息を一つつくと、今はこの子たちの気配だと誤魔化されてあげるわ、と笑って言った。ははは、ばれてーら。

 

 

「じゃあ次は説教ね。其処に正座なさい」

 

「は」

 

「聞こえなかったかしら?」

 

「イエスマム」

 

 

 小さな指で示されているカーペットに、俺は素直に正座する。

 

 

「アンタねぇ、さっさと自分の顔が良いことを自覚しなさい」

 

「顔?」

 

「最近はあのビン底眼鏡をしなくなったから、多少は自覚しているでしょうけど……いい?アンタの顔は憎たらしいほど綺麗なのよ!嫉妬心すら浮かばないくらいに!」

 

「いひゃいいひゃい」

 

 

 俺の頬を思いっきりつねる美喜ちゃん。なんで俺はつねられているのだろうか。

 

 

「それに、いい加減あの女が絵を買うために来ているわけじゃないことにも気づきなさいよ!あれアンタのストーカーなのよ!?」

 

「ストーカー!?」

 

「アイツはとっくに、平馬がお爺さんの絵を持っていないことは気づいているの。アンタに会うための口実よ……警察の調書によるとね」

 

「警察……」

 

「一度警告受けてるはずなのに、まったく諦めるそぶりもないなんて」

 

 

 頭が痛そうに顳顬を揉む美喜ちゃんだが、俺も同じように頭が痛いんだけど。なにそれ、あの人俺のストーカー?爺さんの絵が目的じゃなくて単なる口実だって?

 

 ふざけんなよ、爺さんの絵のファンだからって俺は警察沙汰にしなかったのに。本人はとっくに警察に警告うけてるだと?

 

 

 俺にとって、爺さんは絵の師匠だ。絵の画材はけして安くはない、でも爺さんは俺が小さい頃から存分にそれらを使わせてくれた。爺さんの絵に憧れ、俺も同じように絵が描けるようになりたいと思っていた。

 

 

 大好きな爺さんの絵が、口実あつかいされているのは、俺にとって逆鱗に値した。

 

 

 ぐらぐらと怒りが湧きあがる俺を見ていた美喜ちゃんは、ぎゅうと俺の鼻を指で摘んで引っ張った。

 

 

「なあに物騒な顔してんのよ。関わろうとするんじゃないわよ、余計喜ばせる気?」

 

「なにしょれこあい」

 

「アイツ時々あたしの言葉にも嬉しそうにするのよ?平馬がいないとき限定だけど」

 

 

 予想以上にあの人がヤバいんですが。俺の怒りは悪寒とともに沈静化することになった。

 

 腕をさすっている俺の前に、美喜ちゃんがしゃがみ顔を覗き込んでくる。

 

 

「ねえ、平馬。アンタは今までいろんなことを見ていなかった。人の欲望も、自分の容姿でさえもね。それがどんなに危ないことか、アンタはちゃんと分かってる?」

 

「美喜ちゃん」

 

「本当に綺麗なのよ、あたしも初めて会ったときは見惚れたくらい。それは平馬に有利なことも運んでくるし、逆に今回みたいに求めてもいない好意を寄せられることもあるわ。

 その舵取りは、平馬自身でしかできない。アンタが流し方を学ばなきゃだめ」

 

 

 美喜ちゃんはそう言うと、俺の頬を両手で包んだ。

 

 

「あたしが何時までも守れるわけじゃないの。いつも傍にいられるわけじゃない……だから、きちんと考えなさい。アンタがその容姿と付き合っていく方法を」

 

 

 彼女の顔は見たことがないほど心配の色を浮かべていて。その真っ直ぐな視線に憧れと、自分自身への情けなさを感じ取っていた。

 

 

「かっこ悪いなぁ、俺。こんなに心配させるなんてさ」

 

「ふん、別にいいのよ。平馬は可愛い弟分だもの、お姉ちゃんがあれこれ世話をするのは当たり前よ」

 

「おとうと、ぶん」

 

 

 珍しく、美喜ちゃんは微笑んでいた。いつもなら言っている途中で恥ずかしくなって、眉間にしわを寄せているのに。

 

 つまり、今の言葉は心の其処からの彼女の本音で。

 

 

 俺はそれを、なぜか少しも嬉しいと思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美喜ちゃんは一通り子猫を愛でた後、来たときと同じく颯爽と帰っていった。疾風のような人である。

 

 

「今の女性は?」

 

「バイト先の娘さん。ご両親共々大変お世話になってる人かな」

 

 

 リビングのドアを見つめた典明くんに美喜ちゃんについて説明する。

 

 美喜ちゃんとの付き合いは俺がこの家に来てからだから随分と長い。幼馴染ともいえるかもしれないな、そういえば。

 

 小柄なのに非常にパワフルで照れ屋で優しい、からかうと楽しい人だと俺が言うとなんだか生温い視線を貰うことになった。何故。

 

 

「俺達が見えてなかったみてーだな」

 

「DIOのときはどうだったの?」

 

「ちゃんと見えてたよ」

 

 

 空き巣のおっちゃんは、ジョナサンとディオを認識していた。今回の美喜ちゃんは五人の姿が見えなかった。年齢や人数の違いはあるが、それがどういう意味を持つのかが分からない。

 

 共通点がなさすぎて、情報が足りない。

 

 

 考えるのが面倒になりソファーにだらしなく座った俺を、レオーネくんがニヤニヤと笑いながら見ている。なんか嫌な予感がする。

 

 

「それよりもさぁ……今の子とどこまでいったのー?」

 

「はあ?」

 

「まーたまた。隠すようなことでもないでしょ~?どう見たって平馬さんの好きな子だって分かるし」

 

 

 頭を殴られたような衝撃だった。

 俺が好き?俺が、美喜ちゃんを?

 

 口元に手を当てる。

 

 黙りこんだ俺を見て、レオーネくんが目を見開いた。

 

 

「まさかまだ無自覚だった?え、あんなに傍目でとろけた表情していたのにマジ?」

 

「レオーネ、君ちょっと黙ってくれ」

 

 

 気まずそうな表情で慌てているレオーネ君を、典明くんが叩く。承太郎くんはこの会話に入るのが面倒なのか、帽子を顔に被せてソファーに寝転んでいる。

 

 そのクールさを今とても分けてもらいたい。

 

 

「たしかに美喜ちゃんのこと好きだけどそれは人間的なっていうか、可愛いし優しいし尊敬できる女性ではあるしいつも世話になってるから好意は持って当然だろ。そう、当然だ。うん問題なし」

 

「すげぇ言い聞かせてる……じゃあさ、あの子に彼氏できたらどうする?」

 

「ボコる」

 

「即答!?」

 

 

 バカヤロウ、美喜ちゃんに近づいてくる男なんか、十中八九特殊性癖の持ち主に決まってるだろうが。万が一、そう万が一彼女につり合う男であったとしても、そう簡単に認めるわけにはいかん!

 昇一さんと結託して撲滅せねば。

 

 決意に拳を握り締める俺を見ながら、典明くんたちはひそひそとなにやら話していた。

 

 

「……どう見ても好きな相手の彼氏に嫉妬する男だよな?」

 

「こういうのは本人が自覚しなきゃ無理だろう。周りがせっつくものではないよ」

 

「平馬さんの場合はせっつかないと失恋する可能性高いだろ。弟扱いしかされてねーぞ」

 

「まあ、確かに……承太郎、君はどう思う?」

 

「俺にふるンじゃねー」

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四日目

 

 

 朝食を食べたあと、今日は何しようかと考えながら子猫をかまう俺。

 

 

 昨日、とっさにピクテルが出した子猫たちだが、どうやら生物というよりはゴーレムとかに分類されるようだった。つまり俺やピクテルの意志によって、ある程度操作ができるということだ。

 

 どこまで出来るか試していた最中に、二足歩行でリモコンを前足で一生懸命抱えながら俺に向かってきたときは、あまりの愛らしさに鼻血出るかと思った。なんてことさせるんだピクテル、だがグッジョブ。

 

 

 ピクテルが出した猫じゃらしに爪をたてる子猫たちを、ハルノくんとウンガロくんは並んで座りながら覗き込む。ガン見し過ぎると警戒されるぞ~、もう少し離れような。

 

 

「にゃんこ」

 

「にゃーこ」

 

「ふわふわ~」

 

「ふあふあ~」

 

「ウンガロ、まねしちゃだめ」

 

「め?」

 

「そう、だめ」

 

 

 ビデオ、ビデオカメラはないか?

 二人のやりとりを目に焼き付けつつ、辺りを見回していると俺の顔に柔らかいものが勢い良く衝突した。んだこれ、クッション?

 

 飛んできた方向を見ると、其処には物凄いしかめっ面で俺を睨みつける承太郎くんの姿。何事。

 

 

「平馬さーん、DIOにそっくりな顔でその表情しないでくれよ。流石にヤバい」

 

「ヤバい!?」

 

「DIOがその表情してると考えたら気色悪くて僕も攻撃しそうだったよ」

 

「典明くんまで!?」

 

 

 つまり承太郎くんも気色悪いって思ったってことだよな。すげぇへこむ。

 

 おのれディオ、まさかジョースター家だけでなく俺まで影響を及ぼすとは……しかし解決方法がない。

 

 ああ、そういえばディオにも間抜け面って言われたっけな。もうちょっときりっとした表情すればいいのだろうか。

 

 

 俺なりに真面目な表情を浮かべてみることにしたが、みんなの反応は良いとは言えず。

 

 

「なんかDIOがわざと真面目な表情しているみたいで殴りたい」

 

「典明くん酷い」

 

 

 俺はどうすればいいって言うんだ。

 というか、みんな俺に慣れてきたな。扱いの雑さが微妙にディオを思い出すんだけど。

 

 

 最初のシーザーに印象を吹き込まれたのだろう、丁寧な態度よりはよっぽどいいが。

 

 

「よーし、わかった。腹を割って話そうじゃないか。主に俺に対する印象について!」

 

「変な奴」

 

「変な人」

 

「変人」

 

「全部一緒の意味だから!お前ら仲いいな!」

 

 

 落ち込む俺を見ながらケタケタと笑う三人。承太郎くんまで笑っているだと……

 

 

「やっとデレ」

 

「スタープラチナ」

 

「いだぁ!?」

 

 

 突然承太郎くんの横に青い人影(ミニマム)が現れ、俺に拳骨を落としてきた。あれ、スタンド出てきてるだと……?

 

 

「な、なんで今頃」

 

「きっと、怒りが可能にしたんだね」

 

「さあて、覚悟はいーか平馬」

 

「ロープロープ!流石に俺死んじゃう!」

 

 

 ニヤリと意地悪く笑う承太郎くんに近くにあった電源コードを掴んで見せる。拳を構えていた青の戦士(ミニマム)が承太郎くんの後ろに戻るのを見て、俺はほっと息を吐いた。

 

 承太郎くんがスタンドを出せるようになるとは。元々発現していたのだからありえなくないが、何故最初は出すことが出来なかったのだろう。怒りでパワーアップって何処の戦闘民族だ。

 

 

「なんか今回は不思議なことばっかりだ……!」

 

「今回って、三回目だろ?傾向とかないのかよ」

 

「ジョースター家が毎回メンバーにいるってことしかないよ、レオーネくん」

 

 

 頭を抱える俺の肩を叩くレオーネくん。客観的に見たら幼児に肩を叩かれる成人間際の男……なんて光景だ。もう少ししっかりしよう、俺。

 

 

「ヘーマパパ、これなにー」

 

「ん?んなっ!?」

 

 

 とことこと近づいてきたハルノくんが持っていたのは、ジョナサンが見つけた爺さん秘蔵のDVD。慌てて取り上げ、中身を見たかと尋ねると彼は首を横に振った。

 

 

「なぁにぃ?慌てちゃって~、もしかして平馬さんって熟女趣味なの?」

 

「俺のじゃない。亡くなった爺さんのもんだ」

 

「へぇ、まあ平馬さんはどっちかというと幼女が……いてぇ!」

 

「子供の前で何を言い出すつもりだ……?そしてハルノくんに持たせたのも、コレの中身を知ってるお前だな?」

 

「あ、はは……いやん、平馬さんったら目が据わってる」

 

 

 ハルノくんとウンガロくんの前でも構わないレオーネくん、いやレオーネに俺は拳骨を落とした。

 

 ふむ、少々見た目の幼さもあって甘く接したのもいけなかったか。ここはシーザーの代わりにきちんとしつける必要があるな。つまり仕返しです。

 

 

「一、梅干し。二、笑い茸。三、電気あんま。好きなものを選べレオーネ」

 

「なんか俺に対する容赦がなくなってる!?」

 

「僕は三かな」

 

「二だな」

 

「了解、二つセットだな」

 

「なんで二人が選ぶんだよ!?そしてセットもありなの!?」

 

「先着順だ」

 

「されるの俺なのに!?」

 

 

 俺の提示した選択肢を迷いなく選んだ典明くんと承太郎くん……もう呼び捨てでいいか。典明と承太郎はニヤニヤ笑いながらハルノとウンガロの目と耳を塞いでいる。

 

 

「ご協力感謝っと!」

 

「ぎゃー!」

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 

 昼を食べてから、俺は眼鏡屋に出かけた。午前中にディオと似た顔でそんな表情をするなと散々言われたからな、前につけていたメガネのレンズを度なしだが換えてもらいに行ってきた。

 

 リビングに入るとお茶請けをかじる典明がおかえりと迎えてくれた。

 

「あれ、眼鏡……買ったんですか?」

 

「フレームは前から持ってたやつ。どうも俺の素顔は不評らしいからな!」

 

 

 これなら文句はあるまい。しかし、やっぱり眼鏡があると落ち着くな、小さい頃からずっと掛けていたからなぁ。

 

 

「結構根に持つタイプ……」

 

「レオーネ、もう一回いくか?」

 

「ケッコウデス」

 

 

 片言で首を横に振る少年。少しトラウマ作ったかもしれない。だが後悔はしていない!

 

 

「そうだ、午後は何したい?特にないならサバイバル講座・救難信号の出し方か、俺は絵を描こうと思うけど」

 

「なんかリアルで必要そうなところにいくね」

 

 

 だってジョセフがいるんだろ?必要になるぞ絶対。

 

 話し合いの結果、救難信号の講座のあと自由行動ということになった。ハルノとウンガロはぬいぐるみを抱えてお昼寝です。

 

 

 講座は救難信号の出し方だけだったので長くはかからず、すぐに自由時間となった。

 

 

 俺はアトリエに入り、昨日の夜までに下塗りまで済ませたキャンパスに筆をおいた。今回描いているのは、前回の来訪者ジョセフとシーザーだ。うちに来たときのだから、十三歳の姿だけどな。

 

 

 ほかの五人は何をしているかというと、また何故か全員アトリエにいる。絵を描く姿が珍しいらしい。思い思いにアトリエに置いてある絵を見たり、俺の横で絵を描いていたりする。もちろん絵を描いているのはウンガロだ。どうも幼いながらも彼の趣味として確立しているようだ。

 

 

「ウンガロは何を描いてるんだ?」

 

「ちぇー」

 

 

 ……どうしよう、わからない。この家に来る前に一緒だった人かと聞くとこくりと頷く。ママかと聞くが違うようだ。

 まあ、どうやら名前で呼んでいるようだし、もしかしたら乳母とか……ディオが乳母とか雇うのか?わからん、百年の隔たりは大きい。

 

 

「……不思議な格好をした人だな」

 

「ふしぎ」

 

「ああ、わかりやすいな」

 

 

 帽子か髪型かわからない頭に、なにか分からない模様が入った顔、アルファベットのTとDをあしらった耳飾り、そして胸元にハートが入った服……なんてインパクトのある格好なんだ。

 

 なんかどっかで見たことあるんだよなぁ、と頭の中を探りながら俺は手を動かした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五日目

 

 

 今日は五日目。残り時間を五人と過ごそうとしていたら、電話がかかってきた。

 

 

「はいもしもし」

 

『お――』

 

 

 声が聞こえた瞬間、受話器を戻し電話線を抜いた。いつのまに家の電話番号知りやがったあのストーカー(アマ)

 

 

 さて、家から出ると拙そうだ。今日も引きこもることとしよう。

 

 

 

「今日の題目は調理実習でーす」

 

「サバイバルネタ無くなったのか?」

 

「室内で出来ること限られてるからな。土産代わりにクッキーでも持って帰れ」

 

「お菓子も作れるんですね」

 

「脳内では成功した」

 

『おい』

 

 

 台所にて材料を準備してから、俺はエプロン着用で両手を叩く。ツッコミの声を揃えた年長組にピクテル特製エプロンを差し出し、着けるように促した。黒いの、青いの、白のふりふり……おい最後。

 

 

「俺は黒だ」

 

「僕は青で」

 

「待ったぁ!先着順は不公平だと思います!」

 

「仕方ないなぁ、レオーネに白は譲るよ」

 

「それが嫌なんだよ!」

 

 

 嫌がるレオーネ、気持ちは分かる。そんな彼に朗報なのか追撃なのか、すでにピクテルが別の色を用意してくれているぞ。ピンクのふりふり。

 

 

「レオーネ、それにしとけ」

 

「なんで!俺だっ……て……」

 

 

 俺の声にこちらを振り向いたレオーネは、ピクテルの持つピンクなふりふりが目に入ったのだろう。声がか細くなった後、小さな声で白でいいですと聞こえてきた。

 

 

 ちみっこたちは見学ということになった。流石に難しいだろうからなぁ。

 

 

 

 で、みんなで作った結果だが。

 

 

 

「まあ、それなりに上手く出来たんじゃないか?焦げてないし。食べてみろレオーネ」

 

「あ、けっこういける。小麦粉と砂糖と水だけで作れるモンなんだなぁ、クッキーって」

 

「最低限だけな。実際に作ったの初めてだが、食えるモンができてよかった」

 

 

 毒見役……と呟き複雑な顔でクッキーを食べるレオーネを見てから、承太郎と典明も皿に手を伸ばす。焦げてないから例え生でも腹は壊さないと思うぞ、できたての今に限るけど。

 

 ハルノとウンガロにも食べさせてみたが、気に入ったのか頬張って食べていた。リスか。

 

 

 

 さて俺も食べようと取り分けた自分の皿を見ると、量が妙に少ない。ん?きちんと分けたはずだけど……

 

 

 後ろのほうからサクサクと音がしていたので振り向いてみると、其処にはピクテルが浮かんでいた。片手で仮面の下側を前方に傾け、もう片方の手でクッキーを持って仮面の下に……下に?

 

 

「仮面って取れるのか!?」

 

 

 思わず叫ぶとビクリと動揺したように跳ねたピクテルが、否定するように縦にした手と仮面を横に振っている。誤魔化せてないから、しっかりと目撃しているから。

 

 

「どうしたの平馬さん行き成り叫んでさ」

 

「いや……どうもピクテルの仮面って外せるみたいで。クッキー食べてたんだよな」

 

 

 俺の言葉に一斉にピクテルを見る三人。口元あたりを手で押さえながら、否定するピクテル。やっぱり誤魔化せてない。

 

 無理やり捕まえますか、という典明の言葉が聞こえたのか、ピクテルはスケッチブックにすらすらと何かを書き出した。

 

 

 

 そしてこちらに見せた其処には『セクハラです!』の文字。

 

 

 ……ピクテルが絵じゃなくて文字を書くなんて、そんなに嫌だったのか。

 

 

「セクハラ、ってなんですか?」

 

「はぁ!?」

 

 

 心底不思議そうな典明の声に驚く俺。だがほかの二人も不思議そうにしている。

 まさか、本当に知らないのか?意外なジェネレーションギャップ……セクハラって何年から出てきた言葉だっけ?

 

 

「セクハラ、正式にはセクシャルハラスメント。日本語での意味は『性的嫌がらせ』だ」

 

「……」

 

「……」

 

「……そういう言葉が未来にはあるんだね」

 

 

 物凄く気まずい沈黙がリビングに広がることとなった。そこでほっとしているピクテル、お前にも一因があるからな。

 

 

 

 

 

 その後はどうにかゲームなどをすることで妙な雰囲気は消え去った。よかった、最終日の記憶がセクハラで埋まるところだった。

 

 

「平馬さんて弱っ」

 

「やかましいわ、自覚済みだ」

 

「これでレオーネが承太郎と並んで一位だね」

 

「次は負けねぇ」

 

 

 

 そして来る午後三時まで残り十数分のころ。俺はウンガロに張り付かれていた。

 

 

「いーしょ!」

 

「こら、ウンガロ。平馬さんから離れないと。困っているだろう?」

 

「や!」

 

 

 首を横に振るウンガロに困った顔の典明。ちなみにハルノは半泣きでレオーネに抱きついている。どうやらいじらしくも我慢をしているらしい。

 

 動きそうになる身体を制御しつつ黙っていると、どうにか典明と承太郎でウンガロを引き剥がした。泣き喚くウンガロを承太郎が抱きかかえている。

 

 最初とは違って随分小さい子に慣れたよなぁ、と感慨深い思いがある。

 

 

 

 随分慣れた。これできっと三人は、ディオの子供でも心を砕いて保護してくれるだろう。優しい彼らは、自身に懐く子供を無下にはできないだろうから。

 

 

 血筋がどうあれ、ただの子供だということを、俺は知ってもらいたかった。

 

 

 ディオだってそうだった。この家に来たときは、ただの子供だった。たとえジョースター家に養子に来る前に実の父親を手にかけていたとしても、彼はまだまだ子供だった。

 

 

 道を変えることができる可能性を、十分に持っていた。

 

 

 ハルノとウンガロは、とても幼い。幾通りの選択肢がその先にはある。ディオのときよりも、もっと多く選べる道がある。

 

 俺は、その手助けをすることが出来ただろうか。

 

 

 

 

 ディオを見捨てることを選ぶことによって。

 

 

 

 

「スタンドは本体の願いを反映することが多い」

 

 

 突然話し出した俺を、五対の眼が見つめる。

 

 

「生来のスタンド使いは、当人の得意なことから能力が決まる。突然発現したスタンド使いは、そのとき自身が強く願ったことが能力になることがある」

 

「願い」

 

「だからディオも、きっとそういう願いがスタンドの能力の元になっているはずだ」

 

 

 ディオの「ザ・ワールド」は時間を止める特殊能力を持つ。彼は、いったいどんな気持ちで時間を止めたいなどと思ったのだろうか。

 

 

 そして、目の前には同じ特殊能力をもつ承太郎がいる。

 

 

 

 ジョナサンとディオはカードの表と裏だった。

 

 承太郎とディオは、きっとカードの対なのだろう。

 

 

 

 相違点が多すぎるはずなのに、どこか一緒の二人。きっと承太郎は誰が見てもディオと違って、誰よりもディオに似ている。

 

 

 違うからこそ、似てるからこそ。彼らが並び立つことは、ない。

 

 

「ディオをよろしくな。アイツを、止めてやってくれ」

 

「……ああ」

 

 

 複雑な表情を浮かべることもなく、承太郎は真っ直ぐ俺を見て頷いた。

 

 

「ぱーぱ!」

 

 

 三時まで後数十秒というときに、ウンガロが承太郎の腕の中で暴れだした。元はどうあれ、今は八歳児の腕力しかない承太郎は、ウンガロを抑えられず手を緩めてしまう。

 

 幼い力を振り絞って暴れていたウンガロの小さな身体が宙に放り出される。

 

 床に対して頭を下に向けて落ちていくその姿に、俺は無我夢中で腕を伸ばした。

 

 

 どうにか小さな身体を抱え込むことに成功するが、勢いが良すぎて俺は転び、ガツンとテレビ台に頭をしたたかにぶつけることになった。

 

 

「平馬さん!?」

 

 

 驚く声と駆け寄る足音をどこか遠くで俺は聞いていた。

 

 

 すっころんだ挙句頭打って気絶なんて、なんて格好悪い別れる前の光景だ。願わくはジョセフあたりに彼らが話さないことを。絶対笑われる……。

 

 

 そして俺は意識を失った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初流乃の嘆き・年長組の現状報告

 

 

 その日、初流乃はいつもどおり誰もいない部屋で目を覚ました。母親はいない。夕方から朝にかけて彼女が家にいないことはあたりまえだった。

 

 布団から出て、初流乃は冷蔵庫を開ける。食材は殆ど入っていないが、彼は食パンを見つけた。牛乳をコップに入れてそれと一緒に食べる。

 

 

 それほど広くない部屋の中に、初流乃のパンを咀嚼する音だけが響く。

 

 

 数日前まで、彼は『パパ』と『兄達』、それに『弟』と一緒にいた。

 

 

 どうしてそうなったのかは分からないが、いつもどおりに初流乃が眠って、起きたらあの家にいた。共に生活した時間は短く、楽しかったがゆえにあっという間に過ぎ去ってしまった。

 

 

 それはまるで夢の中の出来事のように。

 

 

 ポロポロと初流乃の瞳から涙がこぼれていく。

 

 

 あの夢とくらべて、いつもどおりの日々はとても寂しかった。抱き上げてくれる手もなく、頭を撫でてくれる手もない。食べ物はつめたいパンばかりで、温かさなんてまったくない。

 『にいちゃ』と笑いかけてくれる弟もいなければ、何かとかまってくれる『兄達』も、柔らかく笑う『パパ』もいない。

 

 

 ただただ静かな部屋があるだけ――

 

 

 

 あんな楽しい夢見なければ良かったと、初流乃は何度も思う。

 

 

 

 そうだったなら、独りだって平気だったのに。

 

 

 

 小さな嗚咽を聞く者はいなかった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 気がつけば、承太郎達はホテルの部屋に立っていた。抱えていたはずのハルノの姿はなく、部屋中を探したが見つからない。どうやら、平馬のところに来たときにいた場所へ戻ってしまうらしい。

 

 

「お、身体戻ってる!良かった~」

 

 

 元の身長を取り戻した三人は、高くなった視界に安堵する。流石に五十センチ近く差があると違和感しかない。

 

 

「時間は……全く過ぎてないね。僕達は五日間、彼の元にいたというのに」

 

「時計があってりゃあな。じじいのとこに急ぐぜ」

 

 

 平馬のところに行く前は、レオーネが部屋まで承太郎達を呼びに来たところだった。どうやら敵の刺客がホテルに入り込んでいるらしく、まずはジョセフの部屋へ集まることになっていた。

 

 足早に三人がジョセフとアヴドゥルの部屋に行くと、中には二人しかいなかった。ポルナレフはまだ来ていないようだ。

 

 

「じじい、平馬のところに行ってきた」

 

「なに?」

 

 

 ドアを閉めるなりそう言った承太郎にジョセフは目を見開く。

 

 

「とりあえず元気そうだったとは言っておく。が、本題はそれじゃあねえ」

 

「元気ならよいが、本題とは何じゃ」

 

「DIOに息子がいる。少なくとも二人は確実だ」

 

「なんじゃと!?」

 

 

 驚いたジョセフは花京院とレオーネに視線を向ける。二人とも頷くのを見て頭に手を当てた。

 

 

「……今のヤツの身体は祖父ジョナサン・ジョースターのもの。DIOめ、なんということを」

 

「首の後ろには星の痣も確認している。平馬のところに俺達と一緒に来ていた……まだ一歳と三歳くらいのガキだ」

 

「六十歳年下の叔父じゃと……!? 予想外すぎるわい!」

 

「ジョースターさん……」

 

 

 頭を抱えるジョセフに同情の視線が降り注ぐ。普通はそんな存在がいるなんてことはありえない。

 

 

「探せばまだいるかもしれねえ。俺達は平馬にガキ共の保護を頼まれたんだ」

 

「そうじゃな、SPW財団に連絡をとりDIOの居場所と共に捜索してもらおうかの」

 

 

 承太郎の言葉にジョセフは身体を起こし頷いた。父親は半分はどうあれ、もう半分はジョナサンだということは変わらない事実。ジョセフが保護に同意する理由として十分だった。

 

 

「それで、名前は何というんじゃ?」

 

「ハルノとウンガロですよ。ウンガロは家名がわからなくて、ハルノは……なんだっけ」

 

「しお……ええと、一度聞いただけだから覚えてないな」

 

「確認しておらんのか……そうじゃ」

 

 

 記憶を思い出している三人に呆れた視線を向けるジョセフだったが、何かを思いついたのかいそいそと荷物を漁りだした。そして取り出したのはポラロイドカメラ。

 

 

「これで念写すれば場所がわかるかもしれん。まずはウンガロじゃったか? その子からやってみよう」

 

「できるのかじじい?」

 

「今までDIOしか写らんかったが、存在を知っておれば可能かもしれん。ま、試しじゃ」

 

 

 ハーミット・パープルを出しカメラに向かって振り下ろす。カメラの破壊とともにフィルムが吐き出され、画像が浮かび上がるのをジョセフは手に持って待つ。

 

 

「……? どうした、じじい」

 

 

 しかし、ジョセフは写真を手に持ったまま声を失っていた。目は見開き、その表情はありえないものを見たとばかりに強張っている。

 

 

「なぜ」

 

「ジョースターさん?」

 

「なぜお前が写るんじゃ、ヘーマ……!?」

 

 

 震えるジョセフの声に承太郎が写真を奪う。その写真には泣いているウンガロの姿と、ぐったりとした様子で目を閉じた、意識のない平馬が写っていた。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 部屋の中に幼い子供の泣き声が響く。

 

 倒れる男性を一生懸命に揺らしながら、子供は泣いていた。男性は先ほどから動く様子がなく、目をつぶったまま反応を返さない。

 

 泣き続ける子供のいる部屋に、足音が近づいているのにも気づかずに、子供は男性を呼んでいた。

 

 

 軋む音をたてて、扉が開く。

 

 

「ウンガロ様、どうなさいました」

 

 

 扉を開けた青年は、泣く子供の近くに倒れる人影を見て足を止める。だがすぐに子供の近くに歩み寄り、子供を抱き上げた。

 

 

「ちぇー、パー……ひぐ、おきな……」

 

「パー? ……ああ、パパ。ウンガロ様、貴方の御父上はDIO様ですよ」

 

「でぃ……ちがーの、ぱーなの……」

 

 

 しきりに訴える子供に、青年は横たわった男性の顔を自分の方に向ける。その容貌が露わになったとき、青年は息を飲んだ。

 

 

「これは……」

 

 

 男性の顔は青年の主によく似ていた。青年は子供がこの男性を父親だと訴えている理由を理解する。以前に主の写真を見せたことがあることも思い出した。

 

 青年は時計を確認する。今の時刻はすでに夜。主は眠りから覚めているだろう。

 

 まずは報告をしなくては、と青年は子供をベッドに降ろしてから男性に近づく。この男性が何者かはわからないが、これほど主に似ているとなると床に転がしたままというのも気にかかる。

 男性の身体をソファーに移動させてからタオルケットをかけた。

 

 足早に青年が部屋を出て行ったあと、残されたのは男性と子供の泣く声。

 

 

 男性――平馬が自らに起きた現象を認識するまで、あと数十分。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 再会
暗闇の中で


 

 

 俺が目を覚ますと辺りは真っ暗だった。身動きしようとするとズキリと後頭部が痛む。あいたた、これはたんこぶになっているだろうな。

 

 起き上がろうと手をついた下から軋むような音がする。これは、ベッドのスプリング?俺は床に転がっていたはずなのだが、どうしてベッドに。

 

 疑問に首をひねっていると、部屋に喉を鳴らすような笑い声が響く。……誰かいるのか。

 

 

「起きたか、ヘーマ」

 

 

 聞こえてきた声に馴染みはなく、俺の名前を呼ぶイントネーションに微かな既視感を覚える。

 声の方向を振り向くと、暗闇の中で僅かに見える金と赤。

 

 

「……ああ、見えないのか。これならどうだ」

 

 

 蝋燭の火によって暗闇に沈んだ部屋が浮かび上がる。洋風の壁、窓枠にカーテン。そして豪奢な一人掛けの椅子に座る男がひとり。

 

 金色(こんじき)の髪に白磁の肌、爛々と輝く紅の眼とそれらを見覚えのある場所に配置されている容貌。

 

 

「ディオ……か?」

 

 

 記憶にある姿よりも成長し、どこか退廃的な色香を纏うその男は、俺の呟きに口角を吊り上げた。

 

 

 

「驚いたぞ、お前が私の屋敷に転がっていると報告を受けたときは」

 

「……やっぱり、ディオの屋敷なのかここ」

 

「そうだ。そしてお前がいた時代よりも二十年近く昔になるな」

 

 

 会いに行く手間が省けたと、ディオはくつくつと笑う。こいつ後二十年待つつもりだったのか……多分、俺のいた世界はこことは異なるはずなんだけどな。俺が来なかったら、どんなことになってたんだろう。

 

 苦笑いを浮かべる俺に何を思ったのか、ディオは俺が座り込むベッドに近づいてくる。俺に向けて伸ばされる腕をじっと見ていると、首筋をそっと触られた。

 

 

「もう少し寝たままだったら、私と同じものにしたのだが」

 

 

 つまり俺は血を吸われる危機だったと。危ねぇ、起きてよかった。

 もう半分くらい吸血鬼だろうが、太陽の下を歩けなくなるのは痛い。俺は世界をまだ旅する夢があるんだ。

 

 

「まだ完全に吸血鬼になるつもりはないから、やめてくれ」

 

「完全に? どういう意味だ」

 

「俺、皮膚の下は吸血鬼みたいでな。太陽の光を浴びても問題はないが、波紋は身体が傷ついた」

 

 

 分かったのは事故なんだけど、と頬を掻きながら俺が言うとディオは目を丸くした。おお、驚き顔は変わらないな、昔の面影が十分にある。

 

 

 目の前でひらひらと手を動かしてみると、不快だったのかベシリと払いのけられた。ひどい。

 

 ディオは黙ったままなにやら考え込んでいると思えば、おもむろに俺の手を取った。左手で俺の手を掴んだまま、右手の爪をナイフのように尖らせ……っておいまてや。俺は慌ててディオの右手を掴んだ。

 

 

「なにをする」

 

「こっちの台詞だ。ディオお前今何しようとしている」

 

「ちょっと切るだけだろう」

 

「手首をか!? 勢いよく血がでるだろうが!」

 

「ついでに食事もしようと思ってな。腹が減ってるんだ」

 

「そっちが本音だろうが! やめんか!」

 

 

 似たようなやり取りを一ヶ月ほど前にした覚えがあるんだが。あの時と違うのは止めに入ったジョナサンがいないことと、俺とディオの腕力的な力関係。

 

 

「ぐぬぬ……!」

 

「おやおやぁ~? どうしたヘーマ、私はまだ少しも本気を出していないぞ、ン?」

 

「にっくたらしい楽しそうな顔しやがってぇ……!」

 

 

 ニヤニヤ笑うその顔を殴りたい。以前ならともかく、今のディオは俺よりも遥かに体格が良く、かつ完全に吸血鬼でもあるため力も強い。

 

 俺は奮闘するが、あえなく力負けしてベッドに背をつけることとなる。悔しそうな俺を見て晴れやかに笑い、ディオは俺の手を離した。どうやら勝ったのが相当嬉しいらしい。邪気のない笑みに気が抜ける。

 

 

 なんだ、ディオはやっぱりディオのままだ。

 

 俺が知っている部分のディオが失われていないことに安堵する。

 

 

「私の勝ちだな」

 

「お前まさか初日に取り押さえられたこと、まだ根に持ってたのか?」

 

「……さて、夕食はまだだろう?テレンスに用意させよう」

 

「わざとあからさまに逸らすなよ……」

 

 

 鼻歌を歌い出しそうなほど、機嫌の良い様子に苦笑する。これは、俺との再会を喜んでくれている、ってことで良いんだよな。

 

 

「それとも血の方がいいか? ならば見繕ってくるが」

 

「一般の食事で! 俺まだ血はいらないから!」

 

「ほう、それは妙な現象だな。半分は吸血鬼という状態も不可解だ。ふむ……少しばかり切ってもかまわんな?」

 

「かまうわ! まだ諦めてないのか!」

 

 

 見繕ってくるってあれか、誑し込んでいる……自分から寄ってきている女達のことか。ディオの女の趣味って見た目は良さそうだけど、性格面で多分俺ついていけない。いやいや、それ以前に血を摂取とか無理ですから。

 

 伸ばされる手を避けるためにベッドから降りると、ディオの隣に立つ。……こいつでかいな、いや身体自体はジョナサンのものなんだが。首の太さとかよく合ったと思うほど、マッチョだ。

 

 

「テレンス」

 

「――は、ここに」

 

「客人だ、夕食の準備を。私も一緒にとる」

 

「かしこまりました」

 

 

 ディオの声に静かに扉が開き、一人の男が入ってくる。逆光でよく顔が見えないが、恐らく若い男だろう。ディオの指示に一礼をすると、こちらに視線を向けずに部屋を出て行った。

 

 

「さて、料理ができるまで時間もある。それまで今までのことを話そうではないか」

 

「俺はともかく、ディオは話すことが多そうだな」

 

「そうでもないさ。大半の時間は眠っていたからな」

 

 

 ベッドに腰掛け肩をすくめるディオの視線を受けて、俺も同じように腰掛ける。

 

 俺にとって、離れている時間は一か月程度。それでも随分といろんなことがあった。ディオもきっと、俺が知らないいろんなことがあったはずだ。吸血鬼になった、スタンドが目覚めた……あの時と違っていることなんて多くてしょうがない。

 

 

 これから、どうなるかはわからない。俺がこの世界に来てしまったことで、さらに世界が変わっていくかもしれない。

 

 

 でも今は。今だけは――俺の隣で、笑う彼と共に。

 

 おだやかに時が過ぎるのを、楽しむことができればいい。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 暗めの食堂で、ディオと夕食をとることになった。

 

 

「今度は私からマナー講座でもしてみるか」

 

「う、食べ方が下手なのは自覚している。つーか、当時のマナー重視のイギリス貴族と比べるな」

 

「では決まりだな。今日は目こぼしするが、明日からは覚悟しておけ」

 

 

 ディオが目を付けたのはやはり俺の洋食のマナー。ほとんど食べたことないから、テレビなどで紹介されていたことをあやふやに実行しているに過ぎない。完璧主義のディオにとっては非常に気になるらしく、明日からスパルタを覚悟せねばなるまい。

 

 ディオ自身?もちろんとても優雅に食事を続けている。

 

 

「食事は気に入ったか?」

 

「ああ、美味しいな。さっきの、テレンスって人が作ったのか」

 

「あまり人を入れるわけにもいかん。テレンスには執事も任せているが、料理も作れるので兼任してもらっている」

 

 

 その仕事の配分はあんまりじゃあないだろうか。執事の仕事内容を理解しているわけではないが、多忙だろうということは俺でも予測できる。本人が納得しているのなら差し出口をすることもないが、今度こっそり聞いてみようか。

 

 

 ディオはワイングラスを傾けながら、楽しそうにデザートと格闘する俺を見ている。なんか物凄く見られているんだが、そんなに俺のマナーは拙いんだろうか。……拙いんだろうなぁ。

 

 グラスの中身がワインというには色が不透明というところは見ないふりをする。

 

 

「なあ、ディオ」

 

「ン、なんだ?」

 

「俺がこの屋敷で発見されたとき、お前の子供――ウンガロが俺と一緒にいなかったか?」

 

 

 俺がすっ転んで気を失う前、小さなウンガロを抱えたままだった。それも、落ちているところを庇っていたものだから、しっかりと抱えていたのだ。

 もしかしたらそれが原因でこの屋敷に俺が引き込まれたのではないかと考えると、ここにウンガロもいるはずだ。

 

 ディオは俺の問いに首を横に振った。

 

 

「テレンスにはこの屋敷の一角にお前が倒れているのを見つけた、としか。そもそもこの屋敷には私の子は住んでいないのだ」

 

「そう、なのか」

 

「ああ、育てるのに良い環境でもない。生まれた子は母親の親族の元へ預けている」

 

 

 まあそうだよなぁ。ディオは夜しか行動できないし、執事の人が料理人も兼任しているくらいだ、人手も足りないのだろう。

 

 泣いていたあの子が心配だが、屋敷から離れているのであればSPW財団の人たちが見つけてくれるかもしれない。承太郎、ジョセフ……頼むぞ、人任せになるが本当に頼りにしてるからな。

 

 

 

 そうして俯いていた俺は、ディオが笑みを深めたことに気付かなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日差しの中で

 

 

 屋敷に来た初日は、ディオに付き合って夜間はずっと起きていたため朝に眠り、丁度正午に目を覚ました。昨日はほぼ貫徹しているようなものなので、非常に頭が重い。この屋敷に滞在中は夜型の生活になるようだ。

 

 与えられた部屋のベッドから身体を起こす。この部屋には窓がない。正確には窓が開けられないように板が打ちつけられている。

 窓が開く部屋もあるようだが、俺の身体が半分吸血鬼という妙なことになっているため、安全のためにとこの部屋を勧められた。

 

 

「おはようございます、ヘーマ様」

 

「おはよう、ヴァニラ」

 

 

 ドアを開けるとヴァニラという男が立っていた。昨日ディオから紹介され、この屋敷で働いているそうだ。ヴァニラさんと敬称を付けていたら、本人から断固拒否された。その説得時にディオ賛美を大量に聞かされたが、あまりの崇拝ぶりに途中で怖くなって俺が折れた。

 

 ちょっとディオも引き攣った顔をしていたが、ヴァニラはきっと気づいていない。

 

 

 ヴァニラはタオルを俺に渡し、洗面用の水が入った盥を机の上に置く。昨夜自分で汲みにいくとも伝えたが、これも断られた。屋敷内で迷子になりたいのか、というディオの言葉に沈黙するしかなかった。そんなに広いの、この屋敷?

 

 

「食事は準備できておりますが、いかがなさいますか」

 

「あ、じゃあお願いします。……あの、もう少し砕けた言葉にはできないかな」

 

「いたしかねます」

 

「……ソウデスカ」

 

 

 ヴァニラ……なんてきっぱり断る人なんだろう。もうあきらめた方がいいんだろうか、この下にも置かない対応に。ヴァニラもディオの使用人なら一応俺は客人扱いみたいだし、普通は断るか。

 

 しかしこのヴァニラという人物、恰好は給仕服だが、なんか妙に体格が良いというか。自分自身が筋肉ががっしりある方じゃないから、気にしているだけなのかなぁ。

 

 ヴァニラに案内されながら、夜よりは明るい廊下を歩いていった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 食べ終わった後、再び部屋に戻った俺はベッドに転がっていた。理由は簡単、暇なのだ。

 

 ディオは眠ったままだし、画材道具は一切手元に無いし。ピクテルは自分用のものを持っているのだが、今回はなぜか出てこない……はて、いつもは勝手に出てくるのだがどうしたのだろうか。

 

 そういえば、俺は自分からスタンドを出そうとしたことがなかった。いつもピクテルから出てくるからな、必要がなかったともいえる。よし、ちょっと試してみよう。

 

 ピクテルの姿を思い浮かべて、出てこいと念じてみる。ポンッと軽い音とともに、ピクテルが目の前に現れた。なんだその効果音は。

 

 出てきたピクテルだが、どうも様子がおかしい。動きが挙動不審というのか、怯えているように見える。え、なになにどうしたのピクテル。

 

 

 なんだどうしたと念を送ってみると、ピクテルはスケッチブックを取り出して何か書き始めた。裏返したそれには『幽霊がいっぱいで怖い』という小さな文字。

 

 

 ……え、いるの幽霊。

 

 

 こくこくと頷くピクテルはバイバイとでもいうように手を振ると、姿を消した。待って、消えないでピクテル。せめて黙っていて欲しかったよそんなこと。ちょおこわいんだけど。

 というか、お前の存在が幽霊に近くないかピクテル。

 

 呼べどもピクテルは出てこない。スタンドに居留守を使われる本体って、俺しか存在しないのではないだろうか。街の喧騒も届かないこの屋敷は、部屋に響く音も少なく、かすかな物音に俺の肩がはねる。

 

 

「見えないからこそ怖いとはこのことかッ! いるって断言されても俺どうしたら……」

 

『怖がりなんだね、ヘーマって』

 

「当たり前だ! ホラー系は苦手なんだ!」

 

『えっ』

 

「……えっ」

 

 

 ――な、なんか今、声聞こえなかったか。むしろ俺、名前呼ばれなかったか。周りを見るのが怖くてベッドに俯せたままだが、これは覚悟して顔を上げるべきなのか?

 

 いやまて、これはきっと罠で顔をあげたらゾンビが覗き込んで……ってそれ早く逃げなきゃまずい状況ー!

 

 

『もしかして、僕の声が聞こえるのかい、ヘーマ?』

 

「気のせいじゃなかった!……って、なんで俺の名前が」

 

 

 再度聞こえてきた声に起き上がって振り返ると、背後の壁紙が透けている成人男性の姿が見えた。即座に目を逸らす俺。なんかおったよ……。

 

 

「ゆ、ゆうれ……」

 

『ま、待って! 確かに幽霊だけど! 僕だよ、ヘーマ。ジョナサンだよ!』

 

「は」

 

 

 離脱経路を確認していた俺は、どう見ても幽霊な成人男性から聞こえてきた名前に思わず顔をそちらに向けた。透けているが黒い髪に健康的な肌の色、しっかりした太い眉に見上げるほどの巨躯。

 

 浮かぶのはあの日の静かに絵を見る少年の姿。

 

 

 ――この絵を見れてよかったよ。

 

 

 しかと面影を残す、意志の強い緑の眼。

 

 

「ジョナサン……?」

 

『そう、僕だ。会えて嬉しいよ、ヘーマ』

 

 

 穏やかに微笑む青年に向かって、俺は思わず身近にあった枕を投げつけた。

 

 

『えええ!?』

 

「なにあっさり死んでんだアホッ!しかも化けて出てくるとはどういうことだッ!嫁さん待ってんじゃねーのかサッサと成仏しろ!」

 

『え、いや、ゴメン……その、成仏はね?ディオが僕の身体使ってるから、それに引き摺られているみたいなんだ』

 

 

 オロオロしているジョナサンに向かって、俺は突然のホラーに怖がった故の半ギレで文句を言う。なるほど、ディオの身体として生きてはいるから、それに縛られていると。おいディオ、ジョナサンここにいるぞ。

 

 

 むっすりと黙り込んだ俺を、おどおどした様子でジョナサンが顔を覗き込む。ギロリと睨みつけると苦笑いされ、苛立たしげにシャープな頬をつねろうと手を伸ばした。

 

 

 しかし、その手は頬に触れることはない。

 

 

『――ゴメン』

 

「なんで、お前が謝る」

 

『君にそんな顔をさせた』

 

 

 ジョナサンの手が俺の目元を拭うように動く。それで俺は自分が泣いていることに気づいた。

 

 

「……馬鹿野郎」

 

『そうだね』

 

「お前もディオも馬鹿だ、阿呆だ」

 

『うん、僕達二人とも大馬鹿だったよ』

 

 

 シーツを握り締める。何かに縋らないと大声で泣き出してしまいそうだ。俺は文句を言う資格はないのに、ジョナサンが受け止めてくれるのを良いことに八つ当たりしている。

 

 

 彼が死んだのは、俺のせいだ。警告できたことを過信して言わなかった。

 

 大丈夫だと思っていた。楽しそうに笑う彼らを見て、きっと漫画のようにはならないと。ささやかに言葉を与える程度の選択肢しか選ばず、結果的に二人を見捨てたことになる。

 

 

 そして、再び俺はディオを見捨てる決意をしたはずだった。一番良い結果に導けるように。

 

 

 なのに……見捨てることを決意したくせに、俺はいまさら何を戸惑っているんだろう。二人を見捨てたことを後悔したから、切り捨てることを躊躇しているだけなんだろうか。

 

 

 俺は、誰を助けたいんだろう。

 

 

 シャツの袖で涙を拭う。思考がぐるぐる回って苦しい。

 

 

「二人じゃない、三人ともだ……大馬鹿野郎は」

 

 

 最善を選べない俺は、自分の心すら統一できない俺が……誰が見ても一番の馬鹿だ。

 

 だけど、今伝えるべき言葉は。穏やかな目で俺を見守るジョナサンに返せる言葉は、再会の喜びを。

 

 

「俺も、会えて嬉しいよジョナサン。できることなら、生きたまま会いたかった。食べ歩きとか、旅行とか、三人で行ってみたかった」

 

『ヘーマ……うん、二人でディオを引きずって買い物とかしたりね』

 

「絶対、アイツ文句言いながら屋台の料理食べてそう。舌に合わんとか言ってるのに完食したりさ」

 

『旅行の日程はキッチリ決めてそうだ。きっと時間がずれたら怒り出すな』

 

 

 想像上のドタバタ旅行は、とても楽しかった。ジョナサンと俺は二人でくすくすと笑い、ディオがどんな反応をするだろうかを予想しあった。

 

 

 もう、二度と実行することが出来ないことが残念なくらい、楽しい旅行になっただろう。

 

 三人で、太陽の下で。多分喧嘩も沢山するだろうけど、最後には笑って終わるような。

 

 

「行きたかったなぁ」

 

『ヘーマ……』

 

「俺の覚悟が足りてたら、行けたのかなぁ……ッ!」

 

 

 話しているうちに乾いた涙は、次々と溢れて止められない。ありえたかもしれない『もしも』を夢見て、俺は胸をかきむしる。

 

 

「もう、後悔なんてしたくないのに……何をすればいいかわからないッ!ディオもジョセフも承太郎たちも、全員大切なのになんで……ッ」

 

 

 一番最初の後悔が、今の状況を作り出している。大切な友人達が、互いの大切なもののために争っている。止められるのは、どちらかの死だけで。

 

 俺は――選べない。

 

 歯を食いしばる俺に、ジョナサンの穏やかな声が降りてくる。

 

 

『僕は、ヘーマに会えてよかった』

 

「ジョナサン……?」

 

『僕達に会ったせいで、ヘーマは今苦しんでいる。でもね、何故かそれが嬉しいんだ。そんなに大切に思ってもらえる人に出会えたんだって』

 

 

 ジョナサンは、俺を抱きしめるような位置に腕を移動させた。大きな身体が覆いかぶさる。

 

 

『泣いてくれてありがとう、ヘーマ』

 

 

 ……お前は本当に馬鹿だ、俺に何ができるかもわからないというのに。上から降る優しい声に、俺は必死に声を押し殺した。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

望む未来を描くために

 

 

 起きたらディオが俺の顔を覗き込んでいた。どうやらいつのまにか眠っていたようで、時刻は既に夜となっているみたいだった。

 

 視界にジョナサンの姿はない。ディオがいるから隠れたのか、そもそも昼間しか見えないのか。また、彼に会えるのだろうか?

 

 

「泣いたのか」

 

 

 目元に指で触れられる。号泣といってよい泣き方をしたため、恐らく腫れているのだろう。

 眉をひそめる彼に、笑みを向ける。

 

 

「ちょっと、いろいろため込んできたものが噴き出しただけだ。もう平気」

 

 

 起き上がる俺をディオがじっと見つめていたが、追及することは止めたのか軽く息を吐いた。意地っ張りめ、と呟く彼にまあな、と返す。

 

 ――意地を張るしかないのだ、容易く揺れる心を支える為には。どんなに嘆き悲しんでも、選択肢が変わることはない。俺は、俺ができることをやらなくては。

 それが俺が求める結果を残すことになるかは、わからないけれど。

 

 

「ディオ」

 

「なんだ」

 

「画材を用意してほしい。……絵を描きたいんだ」

 

 

 俺にできることは、昔から絵を描くことだけなのだから。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ディオに画材の調達を頼んだ後、昨日の宣言通りマナー講習が実行された。実はディオ、暇なのかもしれない。

 

 

「正直言って箸が欲しい」

 

「……私とジョジョには別の文化の食器を習わせておいて、まさか出来んとは言うまいな?」

 

「真剣にやらせていただきます」

 

 

 慣れないフォークとナイフに弱音を吐くと、ディオの鋭い視線が俺に向けられた。文句言わずにさっさと慣れろと冷たい視線が言っている。ですよねー。

 

 

「希望通りナイフとフォークだけに限定したのだ、簡単だろう」

 

「お前の求めるレベルが高いんだよ。それなりの形にはなっただろう」

 

「私が指導しているというのにこの程度とは……頭が痛いな」

 

 

 俺のマナーはそんなにダメか。真っ当に修めたディオから見たら、一般の日本人のマナーって相当レベルが低そうだな。

 

 

「そうだ、罰をつけた方が良いかもしれんな」

 

「え」

 

 

 良いことを思いついたとばかりに楽しそうな表情になるディオ。嫌な予感しかしないぞ。

 

 

「ある程度作法が見れるようになれば、私が髪を整えてやろう」

 

「……それも諦めてないのかお前。寧ろご褒美なのかそれは」

 

「但し。失格になれば……ヘーマの血を私に捧げてもらおうか」

 

「何故食事作法で生死がかかるんだ?」

 

 

 どちらに転んでもディオしか得しないけど、本気なのだろうか。

 

 

「私がこんなに優しく教えているというのに、残念だ」

 

「まてい。それはもう俺が失格になるって言ってるようなものだろうが!」

 

 

 どうやら本気で俺の血を狙っているらしい。ディオは負ける勝負はしようとしないから、それだけ俺の作法は合格点から程遠いようだ。

 

 いや、俺本気出すし。流石に命かかると真面目に頑張るしかない。制限時間はどれくらいかわからないが、短くされる可能性も考えつつ、今まで教わった内容を俺は思い起こしていた。

 

 

 

 その結果。

 

 

 

「……何故最初から本気をださないんだッ!」

 

「いたいいたいいたいいたいぃッ!お前の力でアイアンクローは辛い!」

 

 

 合格を貰って、ディオに怒られました。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 どうにかディオを宥め、俺は今スケッチブックを手にしている。

 

 先ほどのマナー講座だが、実はディオは真剣に取り組んでいたようで、なかなか怒りを解いてくれなかった。真面目にやらなかった俺が悪いのだけど、ディオは人に教えることは苦にならないらしい。努力は嫌いじゃないからな、ディオは。

 

 

 モデルはディオに頼んだのだが、どうやらこれから外出するらしく断られた。俺のマナー講座が長引いたせいで時間が押しているらしい。本当にすいませんでした。

 

 

 その代わりに、ひとりの占い師を紹介された。

 

 

「ヒッヒッヒ、お初にお目にかかりますじゃ、エンヤと申しまする」

 

「どうも、平馬です」

 

 

 ニコニコと皺くちゃな顔で笑っているエンヤさんに、困惑しつつも頭を下げる俺。

 

 昨日から思っていたけれど、どうしてこの屋敷の住人は俺に友好的なんだろうか。ディオに似てるっていっても、雰囲気は全く違うから『テメェ、DIO様と似た顔でへらへらするなッ!』くらいは言われると思っていたんだが。実際に承太郎たちに言われたし。

 

 

「DIO様も外出なされて、ヘーマ様もさぞ退屈されていらっしゃるでしょう。宜しければこの婆の占いでも一ついかがですかの」

 

「え、いいんですか?」

 

「かまいませぬ。そしてヘーマ様、どうぞ私めに敬語を使うのはおやめくだされ。貴方様はDIO様の大切なお客人ですじゃ」

 

 

 エンヤ婆――呼び方も訂正された――に押し負け、彼女に対しても敬語を使わないようになってしまった。ディオの知り合いって自己主張が強い人物多くないだろうか。

 

 

 占う内容は最近の俺の周りで起こる出来事について。今回、俺まで来てしまったので条件がさっぱりわからなくなっていたため、渡りに船だった。

 

 

「ふうむ……これは」

 

 カードを捲りながら、エンヤ婆は頷いてじっと思案している。

 

 

「まずは一枚目、運命の輪のカードですじゃ。これは問題が今どのような状態にあるかを示しておりまする。ただしこれは逆位置、現在はすべて悪い方向に向かっておるようですじゃ」

 

 

 すべて悪い方向に、というのはよくいったものだ。俺の選択した結果によって、ディオとジョースター家の因縁は続いているのだ。

 

 

「二枚目、月のカード。これは問題を解決する糸口を示すもの。ヘーマ様の中に迷いがあり、道を見つけることこそが解決になりましょう。

 

 三枚目、恋人のカードですじゃ。これはヘーマ様が希望する方向を示しておりまするのじゃが……どうやら愛するものと共にいたいと思われているようですじゃ。四枚目の気づいていない方向性を示すものが、星のカード……ヘーマ様の希望が叶うことを心から望んでおられるようですじゃの」

 

 

 エンヤ婆の言葉を俺は黙って聞く。彼女は本物の占い師なのだろう、これまでの結果はすべて俺の内面を現していた。

 

 それならば、示してくれるのだろうか。俺が進むべき道を。

 

 

「五枚目、太陽のカードの逆位置。これは問題のこれまでのプロセスを示しておりまする。安易な方法に頼ってしまわれたのが原因で、失敗しておられるようですじゃ。

 

 六枚目は問題がどのように変化するのかの予想ですじゃ。これが力のカード……うむ、どうやら努力は必要としますが、強い信念を持っておれば乗り越えるチャンスはくるようですじゃ。

 

 七枚目は……ヘーマ様、なにか御無理でも?」

 

 

 突然エンヤ婆が俺の顔を覗き込んできた。思わず俺はのけぞったが、いきなりなんなんだろうか。

 

 

「七枚目はヘーマ様の現状を示すもの。これは皇帝のカードの逆位置……無理をしていると示しております。顔色もそれほど良くありませぬ。

 本日はこれで終わりにいたしましょう、どうかお休みくだされ」

 

「いや、待って。最後まで聞きたい。……俺は大丈夫だから」

 

「――ならば、続けますじゃ。

 八枚目、ヘーマ様をとりまく環境を示しておりまする。これが悪魔の逆位置、どうやら問題からヘーマ様を切り離そうとしておるようですじゃ。

 

 九枚目、問題をヘーマ様自身で解決できるかどうかですじゃ。隠者の正位置……方法を改める好機と読み取れまする。可能ではありますが、好機を見逃せば失敗するようですじゃ。

 

 そして最後の十枚目。問題の結果がどうなるのかですじゃ。

 示されたカードは愚者の正位置。すべては始まりに戻り、ゼロからの出発と示されておりまする。

 

 ヘーマ様がどの道を選ぼうとも、次の道はすでに用意されているようですじゃ。貴方様はいずれ去る者……好きなように動くことこそが良いようですじゃ」

 

 

 エンヤ婆はすべて言い終わると、タロットカードを懐にしまった。やんわりと俺をベッドに追いやると、体を休めるようにと告げて部屋を出て行った。

 

 

 ベッドに転がりながら、占いの内容を反芻する。

 

 いずれ去る者とエンヤ婆は言った。つまり、俺のこの世界に滞在することは長くは続かないと告げられているのだろうか。

 

 この再会こそが奇跡で、だからこそ好きに行動しろと。

 

 

 占いだと信じないわけにはいかない。この世界の屈指の占い師である、エンヤ婆の結果ならなおさら。頭の中にしっかりと残さないといけないだろう。

 

 

 望む未来を得るためにも。

 

 

 

 




エンヤ婆の話し方がわからない。

ちなみにタロットで実際に占いました。
……ガチでこの結果が出ました。びっくりした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前途多難な現状

 

 

 明るい陽射しが心地よいはずの昼。俺はジョナサンを捜索していた。てっきり起きたら部屋に居るものと思いこんでいたが、まさか消えているのではないかと不安になったのだ。

 

 部屋中には居ないことを確認し、廊下へと足を踏み出す。そういえば、俺ひとりで部屋から出るのは初めてかもしれない。いつもディオかヴァニラが側にいたからな。

 

 暗い廊下を進むと、ようやく光が差し込む窓に出会えた。この屋敷に来てから太陽に全くあたっていない俺は、窓を開けて手を外に出そうとした。

 

 

 したのだが。

 

 

 いま、俺は無言で指を押さえている……理由は突き指。窓の外に透明な壁があるかのように、俺の手は窓の枠を通ることがなかった。

 

 

「参った、まさか今度は俺が外に出られないとは」

 

 

 痛む指先をさすりながら、計画の変更を余儀なくされたことに頭を痛める。屋敷を抜け出して、大元を解決してしまおうと考えたのだが。

 

 簡潔に言うと、ホリィ・ジョースターのスタンド完全制御だ。

 

 スタンドを制御する一番の方法は、スタンドの認識と闘争心の発露だと俺は考えている。

 あまり闘争心がない人間でも、大切な存在というものはあるはず。

 

 

 もし、自身がスタンドを制御しなければ、大切な存在が失われるとしたら。

 

 

 そして目の前に元凶がいるとすれば。

 

 

 闘争心の乏しい人間とはいえ、守るためにそれを引き出すことは可能ではないだろうか。

 

 

 題して、承太郎達人質にして聖子さん恐喝作戦。なんて酷いタイトルだ。

 

 

 

「……でも、所詮は絵に描いた餅かぁ……別の方法考えないとな」

 

 

 しかし別の方法といっても、屋敷から出られない以上は手段も少なくなってしまった。

 

 次の作戦はジョセフ達とどうにか連絡をとる……ただ、とってからどうするのか、その先が思いついてないのが難点だ。

 

 SPW財団を経由するとしても、まずジョセフ達が移動を続けているため、彼らからの連絡を待つしかない。

 

 

 いっそ、DIOに直談判してホリィさんを誘拐……いかん、思考が物騒になっている。いつの間にか窓枠を掴んでいたのか、力を入れすぎて指が白くなっていた。

 

 煮詰まってもよいことはない、部屋に戻ってスケッチブックと鉛筆でもとってこよう。俺は窓枠から手を離し、振り返ると廊下の先に一人の男が立っていた。

 

 

「いかがなさいましたか、ヘーマ様」

 

 

 落ち着いた声音で尋ねるその人は、両腕で白い布を抱えている。その容貌に俺は見覚えがあった。

 

 

「ウンガロの絵にそっくりだ」

 

「……以前ウンガロ様の養育係もしておりました。こうしてご挨拶をするのは初めてでございますね。私、執事のテレンス・T・ダービーと申します」

 

「あ、中野平馬です。えー、テレンスさんが屋敷で倒れている俺を見つけたと聞いたのですが」

 

「ええ、その通りでございます」

 

 

 静かにこちらに歩いてくるテレンスさんは、どうやら俺とあまり年が変わらないようだ。じっと俺の顔を見つめる彼に気まずくなって、視線をそらす。なんで凝視されてるんだ俺……ああ、ディオに似ているからか。

 

 

「何かをお探しでございますか?」

 

「え」

 

「先ほどから何度か辺りを見回している姿をお見かけしております。DIO様をお探しであれば、お帰りになるのは本日の夜の予定でございますが」

 

 

 なんだ、ディオは今いないのか。いや、俺のキョロキョロしている姿を見ていて放置していたのかこの人。結構いい性格……というよりも、もしかしたら仕事が忙しいのかもしれない。彼がいま抱えているのも洗濯物のシーツだろう。

 

 

「そうですか、じゃあ俺は部屋に戻ります。仕事の邪魔してすみませんでした」

 

「いいえ。後で紅茶をお持ちいたしましょう。では失礼いたします」

 

 

 素早い動きで一礼して去っていくテレンスさん。無駄のない動きはまさに仕事人である。

 暇があるようならば、後でモデルを頼もうと考えつつ、俺は部屋へと歩き出した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 紅茶を持ってきてくれたテレンスさんにモデルを頼んだところ、二つ返事で了承してくれた。ついでとばかりに敬語を止めさせられたが。

 

 部屋の中に鉛筆の音だけが響く。しばらく没頭していると、テレンスが口を開いた。

 

 

「先ほど、ウンガロ様が私の絵を描いたと仰っていましたが」

 

「ああ、そうだな」

 

「まだ一歳程度の絵でよく私とおわかりになられましたね」

 

「そこはウンガロの絵の才能かな。一歳児とは思えない見事な絵だったよ」

 

 

 誰でもあの子の絵を見れば、輝く才能に気がつくだろう。そしてそれを磨いてみたいとも。

 爺さんも、俺と会ったときにそう思ったのだろうか。

 

 

 どうやらテレンスはウンガロの絵を見たことはないらしい。お絵かき道具を与えたこともなかったと……初めて描いてあの絵なら、実に先が楽しみだ。

 

 

「あの子達は元気だろうか」

 

 

 最後の記憶は泣いているウンガロと泣きそうなハルノの姿。寂しい思いをしていないかと不安になる。彼らについて、俺が出来ることはない。精々、ディオに二人以外に生まれた子供はいないかと尋ねるくらいだ。

 

 

 俺の後悔がなければ……ジョナサンとディオの因縁がなければ、生まれてくることもなかった子どもたち。

 

 

 

 

 誰かが生き残れば誰かが死に、誰かが死ねば生まれるはずの命が消える。

 

 きっと、俺の願いと選択はどこかの誰かを不幸にするだろう。

 

 

 

 

 

 それでも俺は――諦めるつもりはない。

 

 

 

 

 

 

「ヘーマ、様」

 

「なんだ、テレンス」

 

 

 困惑した声に視線を向けると、目を見張るテレンスの姿があった。いいえ、と首を横に振る仕草は何故かぎこちない。体調でも悪いのだろうか、仕事量もとんでもないだろうし、休ませた方が良かったか。

 

 

「長く引き止めて悪かった。何か手伝えることはないか? 掃除なら手を貸せるけど」

 

「お気持ちだけ頂きます。DIO様が掃除しているようで落ち着きませんので」

 

 

 そっけなく断るテレンスにそれ以上何も言えなかった。

 

 脳裏に割烹着と三角巾をつけて藁箒を持つディオが一瞬浮かび、即座にイメージを振り払う。危ない、完全に想像してたらディオに会った途端、俺は噴出すかもしれん。掃除する姿までカリスマがあったら、もう俺どんな反応すればいいのか。

 

 

 笑うのを耐えている俺を一瞥して、テレンスは部屋から去っていった。

 

 

 もちろん、誰もいなくなってから俺は思う存分笑い出した。よし、絵に描いてみよう。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「なんだこれは」

 

「ディオです」

 

「ほう、私か。ではもう一度聞くぞ? な・ん・だ・こ・れ・はッ!」

 

「ほおらいはいれすッ!」

 

 

 割烹姿のディオの絵を着色していると、ディオが帰ってきて絵が見つかってしまった。当然だがディオはお怒りである。ちぎれる、頬がぶちっといっちゃうッ。

 

 

「出来心でしたッ! でも悔いはなしッ」

 

「そうか、頬の肉がいらぬようだな」

 

「やめて冗談ですごめんなさい」

 

 

 さっさと破れと呆れた声で言われ、しぶしぶスケッチブックからページを一枚破り取る。

 

 手を差し出すディオに渡そうとしたとき、横から出てきた手が紙を俺から取っていった。

 

 

 目線を横に移動させると、なぜか出てきているピクテル。おま、幽霊が怖いんじゃなかったのか。

 

 

 彼女の手元にはスケッチブックが開かれており、俺から持っていった絵がその中に吸い込まれていっている。へー、物を入れることもできるんだ……っておい。

 

 

「待てピクテル!?」

 

 

 俺の制止を気にもとめず、彼女は手早くスケッチブックを閉じてヒラヒラと手を振ってから消えた。

 

 

 や、やりやがったアイツ……!

 

 

 恐る恐るディオの様子を窺うと、彼は素晴らしい笑みを浮かべている。

 

 う、うわぁ……。

 

 後退りする俺の肩をガシリとディオは掴んできた。

 

 

「今のがお前のスタンドか、ヘーマ」

 

「そ、そうでーす」

 

「出せ」

 

「それが、出てこなくて、な」

 

 

 さっきからヘルプを出しているのだが、全く応答がない。泣ける、自由過ぎる己のスタンドに心で涙がでちゃう。

 

 

「本体が危機に陥れば、出るだろう」

 

「待て待てお願いちょっと猶予をください! 目が怖い、やめ、く、首は死守ッ!」

 

「馬鹿め、首以外でも吸血は可能だ」

 

「ヤバ……こ、のぉ……出てこいピクテルゥゥ!」

 

 

 

 その後、ギリギリ吸われる前にピクテルは出てきた。当然描いた絵はディオに破棄されたが、コッソリピクテルが模写したページがあったことは、彼には黙っていようと思う。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

運命の時間

 

 

『おはよう、ヘーマ……え?』

 

「……おー、おはよ……う?」

 

 目を覚ませば俺の寝るベッドの近くに立ち、にこやかに挨拶をしてきたジョナサンを、ピクテルが平手打ちで叩いた光景を目撃する。一気に寝ぼけた目が覚醒したが、何があった。

 

 見ればジョナサンも頬を押さえて唖然としている。

 

 

「ジョナサン、説明を頼む」

 

『僕も何がなんだか……その、僕は彼女になにか不快な思いでもさせてしまったのだろうか?』

 

 

 落ち込むジョナサンと怒っているように見えるピクテル。ジョナサンには心当たりがないようだから、次はピクテルに事情を聴かないとな。

 

 ピクテルの方に顔を向ければ、なにやらガリガリと勢いよくスケッチブックに書いている。顔の至近距離で見せられたスケッチブックには『ジョナサンがいなかったから幽霊が多くて怖かった、私もテレンス描きたかったのに!』となにやら憤慨しているようだ。

 

 

 ピクテルや、それはあんまりな八つ当たりだ。

 

 

 近くにピクテルを呼びよせ、仮面の額部分に力を込めたデコピンを実行する。額部分を押さえて蹲るピクテル。本体の俺も痛いが、監督不行届きとして受けるべきだしなぁ。

 

 

「本当にすまない、ウチのピクテルが」

 

『いや、かまわないよ。僕がいるならほかの幽霊は見えないのかい?』

 

 

 ジョナサンの問いにピクテルは頷いている。そのほかの幽霊が俺には見えないのだが、ただ単に見逃しているだけなのだろうか。ほら、隙間から覗いているとか……想像したら背筋が寒くなってきたな。ジャパニーズホラー的なのはお断りしたい。

 

 

「昨日姿が見えなかったけど、どうしてなんだ」

 

『僕はあまりディオの傍から離れられないみたいなんだ。正確には僕の身体からなんだろうけど、昨日はディオは出かけていただろう? 僕も一緒に屋敷の外にいたんだよ』

 

 

 そうか……今のジョナサンは身体に対しての地縛霊みたいなものなんだな。だからディオが動けばジョナサンも動かざるを得ないと。まあ、それはともかく。

 

 

「ディオがお前を認識していないみたいなんだけど、それは?」

 

『……えっと、そのだね』

 

 

 幽霊はスタンド使いには見えるとすれば、ディオに見えないということは変だった。もしかして、気まずいとかで会えないからとかなんだろうか。

 狼狽えているジョナサンを見つめていると、観念したように彼は口を開いた。

 

 

『ディオが起きているときは、大抵夜で女性と一緒なんだよ』

 

「聞いた俺が悪かった」

 

 

 それは姿を見せられない。むしろディオの姿を見ること自体が気まずい、あれはジョナサンの身体だから彼にとってとても複雑な心境だろう。そして覗き見するほどジョナサンの紳士度は低くない。

 

 むしろ、その現場に鉢合わせていない俺が珍しいのかもしれない。まあ、俺からディオの部屋に行くことはない上に、夜になればディオから訪ねてくるからなぁ。

 

 

 ……ん?もしかして俺って軟禁されてるのか?

 

 

 どっちみちこの屋敷から出られないなら同じことか。ジョナサン達の場合はこの屋敷より俺の家が狭いこともあって、窮屈な思いをさせただろう。それに比べればこの部屋は広いし、特に問題はない。

 

 

「まあいいや、とりあえずモデル頼むな」

 

『……本当にヘーマは絵のこと以外は気にしないよね』

 

 

 苦笑するジョナサンの反応を了承とみなして、俺は笑みを浮かべてスケッチブックを手に取った。

 

 

 ――そうでもないんだぞ、今は。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 キャンパスに下絵を描き、下塗りを済ませて乾かすこともなく描きこんでいく。これほどまで急ぐのは久しぶりだ、前回のディオとジョナサンの時ももう少し時間を掛けていた。

 

 

 無心で筆を動かす。豪華な椅子、不敵に笑うディオ、その後ろにはジョナサンと『人間だったころのディオ』が佇んだ構図。昔と今の彼らの姿。

 

 

 仕上げの段階に入って休憩のために筆を置くと、俺はキャンパスの前の椅子から座る場所をベッドに変えられていた。

 見上げれば、呆れた顔で俺を見下ろすディオがいる。

 

 

「あまりにも昔だったので忘れていたな。ヘーマは無理やり休憩させなければいけなかった」

 

「ディオ」

 

「テレンスが嘆いていたぞ。起きてから水もとっていないらしいな」

 

「……いま、何時だ?」

 

「夜中の一時だ。ほら、水だ。まずは飲め」

 

 

 ディオが差し出すコップを受け取り、中身を飲み干す。自覚はなかったが、かなり喉が渇いていたようだ。息を吐く俺の隣にディオがどかりと腰を降ろした。

 

 

 彼は完成前の俺の絵を黙ったまま見つめている。

 

 俺もコップを手に持ったまま、声をかけることもなく同じようにキャンパスを見ていた。

 

 

「海の底で永い眠りについていたとき、私はお前を連れ帰れたらどうなっていたかと考えたことがある」

 

 

 口を閉ざしていたディオが、絵を見つめたまま言う。

 

 

「その時はバカな考えだと一笑したが、最近は連れ帰れないことこそが『運命』に定められていたのだと……そう理解するようになった」

 

「『運命』ねぇ」

 

「歴史は繰り返す――この言葉は正しい。正しく『世界の歴史』は繰り返している。未来がいずれ過去となり変えられないように、過去も再び未来となるんだ」

 

 

 誰も『運命』を変えられない。俺はそう言ったディオの顔を見た。その表情はどこか憔悴しているように思えた。

 

 

「私とジョジョの因縁も『運命』という『神』によって決められている……私は、運命すら支配する力を手に入れたい」

 

 

 ろうそくの火が揺らぐ部屋は、天を仰いだディオの顔を俺に見せてはくれなかった。ただ、彼が強く拳を握り締める音だけが、俺の耳に届いていた。

 

 

「ディオは、自由になりたいのか」

 

「自由、か。そうだな、何かを強制されるのは嫌いだな」

 

 

 ふ、と笑いをこぼすディオ。彼が辿ると思われる道を、俺は知っている。原作という『運命』を知ることによって。

 少しだけ、変えることが出来たと思っていた。シーザーは生き延びたし、レオーネという息子も生まれた。だがそれは、世界という単位では何も変えられていないのか。

 

 

 ディオは語る。自分のスタンドは『天国』へ行くための鍵だと。

 

 

「このスタンドには先がある……私が全てを支配した先に、お前がいるんだ、ヘーマ」

 

「俺、が?」

 

「最初は、ただ未来にお前がいると考えていた。ヘーマの家から見た景色から、文明が進んでいるのは確かだった。だが、私がこのまま二十年程待っても、お前にはたどり着かないだろう」

 

 

 文字通り世界が違うのだからな、とディオは嗤った。ひどく滑稽なものを見たような、いびつな笑み。

 

 

「世界は円環で閉じられている。地球という星が滅び、また生まれるまで何十億年という途方もない歳月がかかる。ヘーマがいる世界が過去なのか未来なのか……いまだ特定は出来てはいない。

 だが、私は必ず全てを支配し――お前にも会いに行く」

 

 

 真っ直ぐに俺を見るディオの目は、偽りを感じられなかった。どうして、彼は俺にそうしてまで会おうとするのだろう。たった五日間だけ、一緒にいただけの俺に。

 

 

「どうして、お前は俺に会いたいんだ」

 

「なんだ、お前は私に会いたくないのか?」

 

「そういう意味じゃない。俺が、お前に何をしてやれたっていうんだ」

 

「ヘーマが変な奴だからかな」

 

「なにそれ。回答でもないし理由でもないぞソレ」

 

「――十分な理由さ」

 

 

 怪訝な顔をしている俺に対してディオは楽しそうに笑うだけで、それ以上何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 絵が完成したのは、明け方近くになってだった。ディオは絵を描く俺の姿をずっと見ていたようで、出来上がった絵を俺の隣で眺めていた。

 

 少し残念だ、とディオは呟く。

 

 

「私が目的を達したら、ヘーマに会いに行くときにこの絵を持っていけない。流石にキャンパスが風化してしまうだろうからな」

 

「おい、出来上がったばかりなのに、もう壊れることを考えるのか。頭の中に保存しとけ」

 

「わかったよ」

 

「まったくおま……え……?」

 

 

 完成した開放感に水を差され、ディオを睨みつけようと振り返った俺の視界に、見慣れたリビングが映った。

 

 慌てて周囲を見回すが、何処にも先ほどまでいた景色はない。俺の描いた絵も、画材道具も、見慣れた豪華な部屋もディオの姿も。俺の家のリビングにある家具が、見えるだけ。

 

 

 膝の力が抜けた。倒れこむ身体をソファーの背に縋って支え、どうにか床に座り込む。

 

 

 そんな――まだ、まだ時間はあったはずだ。今日は五日目の朝で、これからディオに考えを提案をするつもりだったというのに。俺は、選択肢を間違えたのか?どこだ、どこを間違えた!?

 

 

 また俺は、後悔しなければいけないのか――?

 

 

 ぎり、と拳を握る。その動きで、俺は右手に筆を持ったままだということに気づいた。ディオに用意してもらった、あの世界の絵筆。

 

 

 ――まだだ、まだ終わってない。

 

 

 俺は立ち上がり、自分の部屋に向かって駆け出す。引き出しを開け、しまってあった折りたたんだ布を取り出した。

 

 

 以前に、別れ際にディオから貰ったハンカチだった。筆と同じ、あの世界に依存する物品。

 

 

 あの世界から来たものは、例外なく帰っていった。

 

 

 でも、この二つの物はまだ帰っていない。帰れていない。つまり、あの世界と繋がったままということ。

 

 

 同じ時間に行けるとは思っていない。もしかしたら、全てが終わった時代に行ってしまうかもしれない。

 

 

 だが、だからといってやらない理由などはない。

 

 

 ハンカチと筆を握り締める。俺はリビングに戻ってただただ祈った。あの世界に再び渡れるように、俺の理想を手に入れることが出来るように。

 

 

 いつも運命の時間、午後三時を示していた時計の前で。

 

 

 

 

 

 かちり、と針が動く音がする。見上げた時計の長針と短針は、十二と三に切っ先を向けていた。

 

 

 そして――俺の視界は切り替わる。

 

 

 見慣れたリビングから、見覚えのない部屋へと。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

覚悟のかたち

 

 

「ガッ……!」

 

 俺が視界の移り変わりに慣れる前に、床に身体を引き倒された。後ろ手に拘束され、目元を覆いながら頭を床に押し付けられる。

 

 

「エッ、誰!?」

 

「離れているんだスージーQ。DIOの刺客かもしれん」

 

「わ、わかったわ」

 

 

 身体に走る痛みによって、遠く感じる男女の声。

 なんだか懐かしい声と知っている名前が耳に届いたが、ギリギリと腕が極まっているため痛くて声が出ない。床をバシバシ叩いて降参の意思表示をすれば、力が少し緩められた。痛みが軽くなり、詰めていた息を吐く。

 

 

「えー……こちら、中野平馬です。間違っていたら悪いけど、そこにいるのはシーザー?」

 

 

 間違っていたらその時と、投げやり気味に問いかけてみれば、再び回る俺の視界。う、ちょっと気持ち悪い。

 

 顔をしかめている俺の目の前には、金髪の男――三十代程度のシーザーの顔があった。あれ、思った以上に若い。波紋か、波紋効果なのか……そういえば孫同然の年齢である、息子のレオーネがいるんだ。きっと奥さんもまだ若いから、若さを保っているのかもしれない。

 ガシリと顔を両手で掴まれて引っ張られ、微妙に顔と首が痛い。

 

 

「本当に、ヘーマだ……」

 

 

 シーザーは呆然とした表情で俺の顔を眺めていたと思えば、くしゃりと破顔した。

 

 

「ヘーマッ! 無事でよかったッ!」

 

「うわッ!」

 

 

 ぐいっと腕を引かれ、起き上がらされると感極まったように抱きつかれた。俺が慌てていると横でキョトンとしていた老女が思いついたようにぽんと手を叩く。

 

 

「あらまあ! 貴方がヘーマなのねッ! シーザーを助けてくれたってヒト!」

 

「いや、まあ……お守りは渡しましたけど」

 

「一度お礼を言いたかったの!」

 

 

 老女、おそらくスージーQさんは満面の笑みで俺に抱きついた。

 

 ……なんだこの状態は。シーザーとスージーQさんにサンドイッチにされている俺。何故抱きつくんだ二人とも、俺はどこでフラグを踏んだのだろうか。

 

 

 ぎゅうぎゅうと抱きつかれながらも、俺は辺りに視線を巡らせた。シーザーはいいとして、スージーQさんがいるとすれば、恐らく彼女もいるはずだった。

 

 

 俺から見て右後ろに、畳の上に敷かれた布団が見える。きっと其処に横たわっているのだろう、ホリィ・ジョースターが。

 

 

 シーザーの腕を軽く叩き、離してくれるように頼む。シーザーが腕を離すと、スージーQも俺から離れた。

 

 履いたままだった靴を脱ぎ、布団の傍にしゃがみ込む。力なく横たわるホリィは眠っているというよりも……人形のように生気を感じられない。もはや体力も尽きかけている様子の彼女を、棘のついた蔦が巻きつき、覆っていた。

 

 俺がDIOの屋敷にいた時期が、旅のどの位置かは分からない。ただ、俺は正気を保ったエンヤ婆に会ったということは、少なくとも前半だったと思う。

 

 なのに、今のホリィはどう見ても末期。意識すら保てない彼女にスタンドを制御しろといっても、到底出来るわけがない。

 

 

「そうか、ホリィのことも知っているんだなヘーマは」

 

「承太郎に聞いた。シーザー、ジョセフ達が旅立ってから今日は何日目だ」

 

「……もう48日になる」

 

 

 やはり、一ヶ月近く時間が飛んでいる。かなりの時間を失ってしまった、いや、まだ時間は残されている。まだタイムリミットは過ぎていない、諦めるには早い。

 

 

 ピクテルが俺の横に浮かぶ。

 

 

 今、俺が考えているのはピクテルのスケッチブックの中に、ホリィのスタンドを入れるという方法だ。俺が描いた絵とはいえ、現実の紙をピクテルはスケッチブックに仕舞いこんでいた。

 

 

 それなら、生物やスタンドも出来るのではないかと、俺は思いついたのだ。

 

 

 あのまま屋敷に俺がいたら、ディオにこれを相談しようと思っていた。ホリィを誘拐するのには時間が足らなかったため、一時的にディオにスケッチブックに入れるか試してもらうつもりだった。

 

 

 ジョセフ達から逃げるようで多分ディオは嫌がるだろうから、断られる可能性が高いとは予測していたけれど。いざとなれば不意討ちする予定だったが……どういう巡り合せなのか、いま俺はホリィの傍にいる。

 緊急性も高い今、試さないことはない。

 

 

 できるか、と俺はピクテルに問う。ピクテルはしばらく動かなかったが、そのうちスケッチブックに文字を書き込んだ。その内容は『今の貴方では無理』というもの。

 

 

「今は無理、か」

 

「ヘーマ?」

 

「ん、シーザーはスタンドが見えなかったな。幽霊の彼女と相談していたんだ」

 

「あのシニョリーナの? しまった、今日は指輪を持っていないぜ」

 

「……変わんないなぁ」

 

 

 そういや指輪を贈るとか言ってたな。また会えるかどうか分からないってのに、キチンと準備しているあたりはシーザーらしい。

 

 口元が緩み、張り詰めた気持ちが少し萎んでいく。

 

 

 ピクテルは今の俺では無理だといった。つまり、いずれは出来るようになるということだ。何が足りないのかは分からない。経験なのか、覚悟なのか、それとも単なる想像力なのか。

 

 

 わからないが、思いついたことはある。

 

 

 ピクテルに用意を頼み、俺は立ち上がって部屋の障子を閉めていく。夕方前の明るい部屋は、襖と障子に締め切られて薄暗い。そんな状態になってから、部屋の蛍光灯をつけた。

 

 

「ヘーマ、何をするつもりだ。それに、その袋は……まさか血液か?」

 

「そうだよ。ピクテルに用意してもらった」

 

 

 俺が手に持っているのは血液のパック。ピクテルにリアル重視で描いてもらったものだ。容量は大体四百ミリリットル、献血一回分だ。

 

 

「吸血鬼は人間よりも生命力が高い。血を飲めば、中途半端な俺の状態は吸血鬼に傾くはずだ」

 

 

 パックを触りながら、どこから飲めばいいのかと悩む俺の手を、シーザーが掴む。顔を上げると俺をにらむように見るシーザーの顔があった。

 やっぱり、止めるよなぁ。俺は困った表情を浮かべていることだろう。

 

 

「邪魔しないでくれよ、シーザー」

 

「何故吸血鬼になる必要があるんだッ!」

 

「別に、不老不死を望んでとかじゃない。必要なんだよ、今の俺には」

 

 

 ピクテルの能力を十全に行使するためには、今の俺じゃ足りない。足りないなら、補うしかない。例えそれで俺が、太陽の下を歩けなくなったとしても。

 

 

 やればよかったなんて、二度と思いたくはない。

 

 

 俺はシーザーの腕を振り払って突き飛ばした。非力な俺が、鍛えているシーザーを振り払えるなんてな。だが、今は好都合だ。

 

 

 血液パックの端を噛み切り、こぼれる血液を舐めてからパックに吸い付いた。

 

 

 一口ずつ飲み込むたびに、充足感が俺の身体を満たす。足りていなかった栄養を、全身が求めている。頭の中が鈍くなると同時に、非常に冴えわたっているようにも感じた。

 

 パックの中身を飲み干し、口の周りについた血液を舐めとる。

 

 頭の中は、妙にスッキリとしていた。空になったパックをピクテルに渡し、俺をずっと警戒し続けるシーザーに笑いかけた。

 

 

「なんか俺、変わったところある?」

 

 

 身体を点検してみるが、感覚が鋭くなっている以外はあまり変化がない。髪の毛を触っている俺を呆れと困惑が混じった複雑な表情で見ながら、シーザーは俺の目が赤くなっていると指摘した。

 

 

「よし、それだけだな。いまのところ問題ないか……理性飛んでたらシーザーに対処してもらおうと思ってたけど、杞憂でよかったよかった」

 

「……お前は酷いヤツだな」

 

「冗談ですごめんなさいふざける方向を間違えましたッ!」

 

 

 本気で悲しそうな表情をするシーザーに俺は慌てだす。やっば、ディオに比べてシーザーの方が繊細だったというか、誰にでも同じように冗談は言うべきではないね。本当にごめんなさい。

 

 

 気を取り直してホリィの横に再びしゃがみこむ。心配そうな表情のスージーQをシーザーが宥めてくれている。何も説明していないのに協力してくれるなんて、本当に世話焼きな人だ。

 

 

 ピクテルに目配せをする。彼女は先ほどとは違いこくりと頷くと、自身の仮面に手をかけた。

 

 

 仮面を外すと同時にピクテルの周囲が歪む。

 

 隠れていた容貌は露わになり、紺色のクラシックドレスに包まれた華奢な肢体が浮かび上がる。

 金色の長い髪が豊かに広がり、いたずらっぽい笑みを彩る目は深い緑で楽しげに細められている。

 

 

 俺に似た容姿の女性の後ろには、いくつもの真っ白なキャンパスがはめ込まれた、大小さまざまな額縁が浮かんでいた。

 

 

 ――というか、実体あったのかピクテル。確かに仮面を外してクッキーをつまみ食いしてたけどさ、お前セクハラって言ってただろうが。いいのか外して。

 

 

 楽しそうなピクテル(元仮面、現在美女)を見て、俺が最初に思ったことはそんなことだった。

 

 




警告タグ、残酷な描写追加しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Stand by me

 

 

 

 ピクテルがするりと俺の首に華奢な腕を回す。彼女に後ろから抱きつかれている状態だ。ぐりぐりと俺の頬にすり寄る姿は、まるで大型犬などのペットに懐かれたようだった。まあ、ピクテルだからな。

 

 

 いやいや、それよりはまずホリィのスタンドの対応が先だ。意識も無いのだから早い方が良い。

 

 

 しかし、茨のスタンドはがっちりとホリィを包み込んでおり、無理に外そうとすれば彼女の身体が保たないだろう。

 俺はまず、ピクテルに絵の中から水差しを取り出してもらう。

 

 

「それは?」

 

「水だ。俺が作ったやつだが」

 

 

 ピクテルの絵から生み出されたものは、俺の生命力から作られている。俺が食べても使った生命力が還元するだけだが、自分以外に与えれば生命力を譲渡できる……ハズだ、たぶん。

 

 まー、試したことないからぶっつけ本番でやってみるしかないだろう。飲食に適しているかどうかは、承太郎達で大丈夫だったから……おそらく、いけるはずだ。

 

 シーザーにホリィに水を飲ませてくれるように頼む。俺はいま吸血鬼だから、なるべく彼女に近づかないようにした。先ほどから、スージーQさんが少し不安そうにしているからなぁ。

 

 

 意識がないので、少しずつ流し込んでいく。

 

 

 半分以上飲ませた時、ピクリとホリィの瞼が動いた。

 

 

「ホリィ!」

 

「……あ……ママ……?」

 

 

 ゆっくりと開いていく瞼に、スージーQさんが飛びつくようにホリィの顔を覗き込んだ。ホリィはぼんやりとした表情ではあるが、スージーQさんを認識し返答もできた。

 

 涙目で抱き着こうとするスージーQさんを、俺は慌てて止める。ホリィの体調は完治したのではなく、一時的な回復に過ぎない。ゆえにまだ安静が必要なのだ。

 

 俺はホリィの身体に巻きつく茨が、先ほどよりも緩くなっていることを確認する。

 

 

「もう少し待ってください。初めまして、俺は中野平馬といいます。ジョセフとシーザー、承太郎たちのまあ、知り合いです」

 

「平馬、さん。知ってるわ……パパが良く話してくれたもの」

 

 

 ホリィは柔らかい笑みを俺に向ける。まだ熱が下がっていないから身体がきついだろうに、気丈な女性だ。

 

 

「ジョセフに何を吹き込まれたか気になるが……こっちにいる俺のスタンドは見えますか?」

 

「その、金髪の可愛い女の子のこと……?うん、見える」

 

 

 可愛いと言われ頬に両手をあてて喜ぶピクテルは置いておいて、とりあえずピクテルから聞いた条件は満たせた。後はスタンドを取り込むだけなんだが……いつまで喜んでるんだピクテル。

 

 俺がピクテルを半目で見つめると、ピクテルはしぶしぶといったように額縁を手元に取り寄せた。

 

 

 彼女は右手でホリィの茨のスタンドの端を掴み、白いキャンパス部分に触れさせる。茨は一瞬ピクリと動いたが、するするとキャンパスに吸い込まれていく。

 

 

「あ……根っこ?」

 

 

 茨のスタンドは暴れる様子もなくキャンパスに飲み込まれていき、それはホリィの背にあった根元まで全部入ってしまった。植物状のスタンドだから、根があるのだろうか……もう少しよく見たかった気もする。

 

 

 全部入ったキャンパスは、淡い光を発している。それはもう白いだけのキャンパスではなく、ホリィのスタンドだろう植物状のものが描かれている。どうやら成功したようだ。

 

 

「体調はどう?」

 

「え? あッ! なんともないわッ!?」

 

 

 まじまじと額縁を見ていたホリィだったが、俺の声に驚いたように布団から起き上がる。まだ安静にしたほうがいいんだけどなぁ。

 

 

「ちょっとホリィ、いきなり起き上がっちゃって平気?」

 

「ママ、身体が軽いくらいよ! スタンドも身体から離れてるし、平馬さんのおかげねッ」

 

 

 元気にはしゃぐホリィを見てスージーQは目を丸くしている。いやあ、明るい人だ。多少はやせ我慢も含んでいると思うが、身体は楽になったようでよかった。

 

 

「ヘーマ……」

 

「どうしたシーザー、なんかすげぇ泣きそうな顔をしてるぞお前」

 

「お前は、吸血鬼に……人間を失ってまでホリィの命を……ッ!」

 

 

 あとは俺の肩を掴むシーザーをどうにかしなくては。男泣きしているシーザーは俺の声が聞こえているのかいないのか……ないとは思うが、うっかり波紋を流さないでくれよ。

 

 

「そんなに気にすることないって。俺は必要だからやっただけなんだからさ」

 

「だがッ!」

 

「はい聞きません。スージーQさんもホリィもだからな」

 

 

 耳を塞ぐ俺をシーザーはむっすりと、スージーQさんとホリィは笑顔で見ていた。……なぜ笑顔?

 

 

「OK、言わないわ。そのかわり~」

 

「感謝を全身で表現すればいいもの、ねッ」

 

 

 二人は笑顔で俺に抱き着く。その様子を見てシーザーまで抱き着いてきた……俺が吸血鬼寄りになってなかったら力不足で倒れていたぞ。あれ、シーザーとスージーQさんって兄妹だったか? 行動がとても似ている。

 

 こうなると俺は苦笑するしかない。そしてピクテル、今の状態を描かないでいいから止めてくれ。

 

 

「このままのんびりしたいけど、まだやることがあるんだ」

 

「……JOJO達のところに行くんだな?」

 

 

 シーザーの問いに俺は頷く。ホリィのリミットが無くなった今、ジョセフ達は早急にディオを倒す必要がなくなった。停戦交渉をするなら今しかない。

 

 ピクテルが差し出す服や靴を着込んでいく。黒地で分厚いUVカット仕様の布らしい。帽子や手袋まできっちりつけてから、最後にフード付きのマントを羽織る。

 

 ……いまの俺、全身黒ずくめで吸血鬼感が物凄い気がする。黒髪赤眼と相まって、実にファンタジーだ。

 

 

 襖を少し開いて光を部屋に少量差し込ませる。そおっと左手を光に翳してみる……よし、灰にならない。とりあえずフードが外れなければ、即座にどうこうなるということはなさそうだ。

 

 

 そのまま、手を窓の外まで進める。今回は、ディオの屋敷のように俺の手が阻まれることはなかった。

 

 理由は俺が『赤ん坊の時から』受けているスタンド攻撃の弱体化だろう。

 

 

 思えば不思議だった。

 

 

 俺には両親がいない。前世の記憶を思い出したときには、俺はすでに施設で生活していた。

 小学校に入学する前、公園で絵を描いていたときに爺さんが声をかけてきた。そしてその数日後、俺は施設を出ることが決まったのだった。

 

 

 公園で絵を誉められたため、それがきっかけで引き取られたと俺は思っていた。

 

 だが、子どもを引き取るにしては爺さんの生活能力はあまりに低いのだ。引き取られてからの数年間、俺を育てたのは爺さんではなく偲江さんだと断言できる。

 

 偲江さんは爺さんの姪で、昔から母親……爺さんの姉と共に爺さんの面倒をみてきたらしい。本当に家事能力は壊滅的な才能の持ち主だった。

 

 

 独り身で生活能力も低く、画家という不安定な仕事をしている爺さんが、姪の偲江さんの養子にしてまで、なぜ俺を手元に置こうとしたのか。

 

 

 あの家に突然現れた俺を、知っていたからじゃあないだろうか。

 

 

 今まで俺の周りに起きた不可思議な出来事。この原因は、爺さんだ。きっと爺さんはスタンド使いなのだろう。能力を考えるなら、異なる時代の物体を呼び寄せるとかそのあたりだろう。

 

 スタンドは本体が死亡した後も存在し続けることがたしかあったはず、爺さんが亡くなってから三年……スタンドはその力を失い始めているのだろう。

 

 

 ほら、今もふとした瞬間に見慣れたリビングの景色がちらつく。

 

 

「ジョセフは、俺の渡したお守りは持っているか?」

 

「五十年前の戦いのときは忘れていたようだが……しっかり叱っておいたから持ち歩いているはずだ」

 

「前のとき忘れてたんかい。まあ……今持っているならいいか」

 

 

 ジョセフに渡したお守りは、今の俺にとっての道しるべだ。俺の家のリビングを経由して、お守りがある位置に移動する。言葉にすれば簡単だが、できる可能性は不明。なにせやったことはない。

 

 

 でもなぜだろうな。爺さんのスタンドだと仮定してから、なぜかできるような気がする。

 

 

 偏屈な人だった。俺以上に絵にしか興味がなくて、いつもどこかに出かけていて家にいない人だった。でも絵に関することなら、いろんなことを話してくれて、いろんな場所に連れて行ってくれた。

 

 誕生日プレゼントでさえ画材を選択する人だったが、毎年授業参観には来るような肝心なところは押さえる人でもあった。

 

 

 今度もまた、ニヤリと笑いながら爺さんは手を貸してくれるんじゃないか。そんな風に俺は思うのだ。

 

 

「じゃあ、ちょっと頑張ろうかね」

 

 

 肩を回す俺にピクテルが寄り添う。微笑む彼女に笑い返して、俺は準備する姿を黙って見守っていた三人に振り返る。

 

 

「また、会えた時にはお茶でもしようか」

 

「じゃあ、私はケーキを焼くわね!」

 

「あら、ホリィがケーキなら私はクッキーでも作ろうかしら」

 

「俺は紅茶かコーヒーか……JOJOには何をさせるか悩むな」

 

 

 軽い口調でかわす言葉。どの時代の住人かわからない俺は、彼らに二度と会えないかもしれない。

 

 だがどういう形であれ、ジョナサンとディオにはまた会えた。

 

 

 シーザー達にもきっと会える。再会を信じて今は先に進もう。

 

 

 俺の視界が歪む。

 

 

『やれるだけやってみな。しかたねぇから尻拭いしてやるよ』

 

 

 耳に届く懐かしい声。低く笑うその声に押されるように、俺は畳の和室から夜の異国の路地裏へと移動していた。

 

 

 ……あれ、ジョセフ見当たらないんだけど。

 

 

 辺りを見回してみるが、どう見ても路地裏で人の影さえない。あるのは木箱とか段ボール箱ばかりだった。

 

 おかしいな、お守りのところに行くつもりだったのだが、ずれてしまったのだろうか。

 

 

 とりあえずここから移動しようと路地の先に見える大きい通りを眺めていると、ピクテルが俺の肩を叩いて地面を指差した。

 

 

 促されるままに下に視線を移動させると、妙に見覚えのあるお守り袋。

 

 

 

 あの馬鹿(ジョセフ)…………また落としてやがる。

 

 

 

 

 




次の更新は日曜日です。
後はいつも通りにする予定です。

ピクテル・ピナコテカのスペックそのうち公開予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

手向けと強行

 

 

 俺はお守りを拾い、まずジョセフ(バカ)を探すことにした。

 

 

 エジプト――実に幸運なことに、ここはエジプトだった。大通りを歩く人に聞いたので間違いはない。旅の途中に立ち寄った街の可能性もあった……そうだったら俺はきっと泣く。

 

 

 異国の街並みを堪能する暇もなく、俺はビルの壁をつたって屋上まで登る。吸血鬼の身体能力は実に便利だとつくづく思う。この溢れ出る万能感、俺も目的がなければ押し込めることは難しいだろう。

 

 

 

 屋根の上に上り、一つ深呼吸をする。さて、何処で騒ぎが起こっているのか。

 あのトラブルメーカーの代名詞のことだ、騒ぎがある場所にきっとジョセフはいる。

 

 

 

 

 屋上から街を眺めていると、何人も同じ方向に逃げている姿が確認できた。必死に逃げるほどの何か……それはスタンド使い同士の戦いの可能性がある。俺は屋根から屋根へと飛び移りながら、逃げる人たちが走ってきた方向に進んでいく。

 

 

 しかしどうもたどり着いた先は、騒動はあったのだろうがすでに終わっているようで……確かに物や地面は壊れてはいる、だが犯人と予想できる人物達がそこにはいない。

 

 おそらく彼らは移動しながら戦っているようだ。これでは場所の特定が難しい。

 

 

「……ん?」

 

 

 他に何か異常が起きている場所はないかと再び屋上から確認していると、遠くで宙に何か浮いているのが見えた。

 

 目を凝らしてみると、つばのある帽子を被った半透明な初老すぎの男……。

 

 あれ、なんか「漫画」で見たことあるんだけどあの人。

 

 

 本当……なぁんで幽霊になってるのかなぁ、ジョセフッ!

 

 

 口の端が吊り上るのを感じながら、俺は勢い良く屋根を蹴って走り出した。みるみるうちにその幽霊に近づいていき、宙に浮いているジョセフの襟首を掴んでそのまま地面にまで引き摺り下ろした。

 

 

『ノォォォォッ!? なんじゃあッ!?』

 

 

 地面に勢いを殺さずに降りたせいで多少地面が陥没したが、なあに後でSPW財団が直しにくるだろう、多分。

 

 掴んでいた襟首を離してやると、ジョセフは緊張した顔で俺を振り返るがすぐに驚きに表情が変わった。

 

 

『ヘーマ……! いやその目はッ!』

 

「お久しぶり。他は後にしろジョセフ……テメェ、なに人が必死に作ったお守り落とした挙句、血抜きのために首を落とされた鶏みたいに、身体と魂がサヨウナラしてんだゴラァッ!?」

 

『へ、ヘーマ? お前、話し方というか人格変わっとらんか』

 

「馬鹿野郎には変わるわッ!」

 

 

 胸倉を掴んでがくがくと揺さぶる俺に、ジョセフは引きつった顔を向ける。今の俺は相当剣呑な顔をしている自覚はある、だから大丈夫だ。

 

 深く深く息を吐いて荒ぶる内心を落ち着かせる。今はジョセフに八つ当たりしている場合じゃあない、ジョセフの胸倉から手を離して真正面から顔を見た。

 

 

「詳細は省くが、ホリィの体調は回復した。スタンドは俺が預かっているからもう大丈夫だ」

 

『な』

 

「質問は後! まずお前の身体は何処にあるんだ、お守りを拾ってきたんだよ」

 

 

 いろいろ聞きたそうなジョセフを制して、俺は身体のありかを聞く。お守りさえジョセフの身体に渡せれば、ジョセフの蘇生自体は大丈夫なはず。

 

 目の前にぶら下げられたお守りを見てジョセフは目を丸くし、小さく落としとったのかと呟いていた。気づいていなかったのか、そうか、次回の説教項目がまた増えそうだな。

 

 

 俺の様子に気づいているのかいないのか、ジョセフは俺から視線をそらし軽く笑って方向を指で示した。放っておけば空に浮かんでいってしまいそうなジョセフの腕を掴んだまま、俺は教えられた方向に走り出す。

 

 腕から吊り下げられる形になったジョセフは、俺の肩を掴んでいるピクテルを見て首を傾げている。

 

 

『ところでヘーマ、そこにいるお嬢さんはお前の知り合いか?』

 

「スタンドだ」

 

『そうか、スタンドという……スタンドォッ!? マジか! わし、承太郎からお前のスタンドは仮面だと聞いておったんじゃぞ!?』

 

「それも間違いないからな……と、あれはレオーネか?」

 

 

 記憶より成長しているが、見覚えのある金髪の男が倒れた人に向かって何やら手をかざしている。倒れている人物も帽子が横の幽霊に似ている為、ジョセフの身体で間違いないだろう。

 

 数メートル離れた場所に着地すると、手の波紋はそのままにレオーネがこちらを振り返って睨みつけてきた。

 

 

「……は?」

 

 

 俺と俺の横に浮かぶジョセフと俺にそっくりなピクテルを見て、レオーネは口を開けて固まった。まあ、気持ちは分かる。

 

 

「え、ジョセフさんが二人、何でここに平馬さんがっていうか、そちらのそっくりなお嬢さんは誰ですか!?」

 

『落ち着くんじゃ、レオーネ』

 

「そうそう、深呼吸しておけよー」

 

 

 混乱するレオーネをジョセフにまかせ、俺はピクテルからいろいろ受け取っていく。量が片手で抱えるには難しくなったころ、レオーネが額を押さえながら俺の近くに歩いてきた。

 

 

「落ち着いたか」

 

「ほぼ。聞きたいことが多いんだけど、後なんだよね?」

 

「後だな。はい、これ渡しておく」

 

 

 レオーネにジョセフが落としたお守りとピクテル製の手袋を渡す。

 

 

「お守りはシーザーに渡したものと同じジョセフのもの。手袋はピクテル特製だからスタンドも掴める。これでジョセフを掴んでおいて」

 

「うわぁ、聞きたいことが増えた。一つだけ聞かせて、其処の美女ってピクテル?」

 

「正解」

 

 

 俺の回答にどんよりとした表情で手袋をつけていくレオーネ。なんで前の時には、とか、子供の特権使ったのにとか聞こえてくる辺り、放置しておいていいだろう。

 

 

「ジョセフ、他の皆は?」

 

『アヴドゥルは下肢を失って病院に、花京院はDIOに腹を貫かれたところまでは知っておる』

 

「花京院については今のところギリギリ生きてるってところ。親父が来ていて治療を代わってもらったから大丈夫だと思う。ポルナレフとイギーは承太郎と一緒のはずだよ」

 

 

 レオーネの言葉にシーザーが来ていることを知る。アイツ、あれから文字通り飛んできたんだなぁ。そして「漫画」と違い、ジョースター側に死者がいないことに驚く。最終手段のアイテムだったが、使用しなくても大丈夫かもしれない。

 

 

「ジョセフさんの身体は仮死状態みたいで、波紋送っていたんだけど……魂抜けてるとは思わなかった」

 

「了解、ならジョセフはこれ食べといてくれ。レオーネはジョセフの魂掴みながらでいいから、これ飲ませておいてな」

 

 

 ピクテルが出したリンゴをジョセフに、水が入った水飲みをレオーネに渡す。魂と身体に生命力与えていれば、多少は何とかなるだろう、ジョセフだし。ついでに血液パックが入ったクーラーボックスも一緒に渡す。

 

 

「確かジョセフはB型だったよな。あとで病院の人に輸血してもらえ、普通の血液よりはなじむはずだ」

 

「平馬さんって本当に便利な人だよね。俺んちにいてほしいよ」

 

「人を家電と同じ扱いするんじゃあない」

 

 

 俺も自分以外がこの能力を持っていたら同じ反応をしただろうけども。

 

 レオーネの額を小突こうとして、寸前で波紋使用中ということを思い出してやめた。危ない、手がぱーんになるところだった。

 

 怪訝な顔のレオーネに誤魔化すように笑いかけ、俺は立ち上がった。

 

 

 ジョセフとレオーネが俺を見つめる。

 

 きっと、俺を問い詰めたいだろうに猶予をくれる優しい彼ら。

 

 そんな彼らを裏切る俺を、二人はきっと気づいている。渡した品々が手向けだと、知っていて黙って受け取ってくれる。

 

 

 俺は本当に良い出会いに恵まれた。

 

 

 傍にいるピクテルの腰を抱き、片手で抱えあげる。これからは急ぐことになる、今の俺のスピードにピクテルはついていけない。ピクテルがつかまったことを確認して、俺は二人に心からの笑顔を向けた。

 

 またな、という言葉に返されたのは、頑張れよという応援だった。

 

 

 

 

 

 

 夜の街を走る。すでに時間は大分過ぎており、明け方までどのくらい時間が残っているかは分からない。一応対策はしているが、まだ朝日に対して実験を行っていないため、どれほど保つかはわからない。

 

 

 そのとき、ぞわりと背筋が冷える。

 

 反射的に、俺はある方向へと走り出していた。こっちだ、こっちにディオはいる。

 

 

 探すのに時間が掛かりすぎていたのか、嫌な予感とともに俺は脚を急がせる。心は急いて足が縺れそうになるたびに、ピクテルが俺の頭を撫でて宥めてくれた。

 

 そんな彼女を抱えなおしながら、俺は走った。

 

 

 見通しがよくなったその場所で、俺は二人の人影を見た。

 

 

 ひとりは黒い髪の男。もうひとりは金の髪の男。

 

 

 目的の人物を見つけたと少し心が緩んだとき、金の髪の男が動くのを俺は妙にゆっくりとした世界で見た。

 

 

 

 いけない、これでは間に合わない。

 

 

 

 俺はピクテルを離し、近くに転がっていた『それ』を掴んで、金の髪の男へと弾丸のように近づく。

 

 

 金の髪の男の攻撃は、たやすく黒い髪の男に防がれていた。

 

 

 そして黒い髪の男の拳が金の髪の男を貫いたそのとき、俺は『それ』を――――道路標識を横へと振り切った。

 

 

 

 

 道路標識は鋭利な刃物となって、金の髪の男――ディオの首を宙へとはね上げた。

 

 

 

 




ピクテル・ピナコテカ(女神の絵画展)

【破壊力 - E / スピード - C / 射程距離 - A / 持続力 - A / 精密動作性 - A / 成長性 - D】

遠距離操作型の人間型。但し自我がハッキリと存在しているので、本体の意思とは異なる行動をとることが多々ある。

通常は女性的なフルフェイスの仮面と、手首から先のみの手袋の姿。仮面を外すと本体の平馬によく似た容貌の、紺色のクラシックドレスを着た金髪美女という、人間と遜色ない姿をしている。

能力はピクテルのスケッチブックに描いた絵を実体化させることと、生物以外をスケッチブックの中に入れること。

そして額縁で飾ったキャンバスに生物(スタンド含む)をコレクションすること。
描く絵や閉じ込める対象はピクテルの同意が必要。

絵の実体化やキャンバスの作成には本体の生命力を必要とする。大量の実体化や特殊な能力をもつアイテムなどを実体化させると、本体が生命力の急激な減少に耐えられず、最悪生命を失う危険性がある。
実体化させた飲食物を他に与えることによって、生命力の譲渡を可能とする。
実体化させた物の性能は絵のリアルさに依存し、ピクテルの画力は本体と同じとなる。


キャンバスへのコレクションは、対象がピクテルへの好意を持てば、取り込むことができる。ただしキャンバスに対象を直接触れさせなくてはならない。



スタンドのモデルはトラウマソングこと絵の中に閉じ込められるあれから。







つ「B83/W57/H84」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ゆずれないもの

投稿予約忘れていました……すいません。


 

 

 落下していくディオの首を、道路標識を放り出して受け止める。驚愕に彩られた顔で俺を見る彼に、安堵した表情を向けた。

 

 首から下の身体は、黒い髪の男こと承太郎の攻撃によって皹が入り、崩れ去っていく。ディオの頭部を確認してみるが、切断面以外に傷はない。どうやらギリギリ間に合ったようだった。

 

 

「どういうつもりだ、平馬」

 

 

 承太郎がディオの首を抱えた俺を強い緑の眼で見つめる。

 

 彼にはディオを止めてくれるように俺は頼んでいた。ホリィもジョセフが倒れたのもディオが原因だ、いま承太郎は破裂しそうな感情を無理やり抑えているのだろう。

 

 ここに現れた俺を疑いながらも、反射的に俺を傷つけないように。

 

 

「ホリィはもう大丈夫だ。彼女のスタンドは俺が預かった、もう発現することはない」

 

「ほう、それで」

 

「……ジョセフも仮死状態にはなっているが、回復する見込みがある。典明達もシーザーが治療しているらしい」

 

「それは良いニュースだな……が、随分と回りくどいぜ平馬。さっさと本音を言ったらどうだ」

 

「俺は、ディオとジョースター家の停戦を望む……って言いたかったんだけどな、ちょっと間に合わなかった」

 

 

 もう少し早ければディオの首とジョナサンの身体を切り離す必要もなかっただろう。

 ただ、この状態は俺にとって都合が良いのは確か。ディオを止めることに意識を裂かないでいい……酷いことではあるが。

 

 ディオは黙ったまま俺を見ている。俺もまた、ディオの視線から逃げずに受け止めていた。

 

 その様子を見ていた承太郎が、一つ息を吐いた。

 

 

「そいつを生かすってことが、どういうことを引き起こすのか……全部解って言ってんのか」

 

「――ああ」

 

「平馬。テメーがDIOのことを気にかけてたことは俺も知ってる。知り合いが死ぬのは誰でも見たくねえ、どうにか抜け道を探す気持ちも分かるつもりだぜ。

 だが、停戦だといってそいつが止まるとは……俺は思えねえ」

 

「そう、だな。だから……ディオは俺が連れて行く」

 

 

 このまま停戦したとしても、承太郎の指摘通りディオは止まらないだろう。承太郎達、戦闘に特化したスタンドを持つ彼等だからこそ、まだディオがスタンドに慣れていないからこそ、彼をここまで追いつめることができたのだと思う。

 

 これ以上ディオに時間を与えると、ますます手がつけられなくなるだろう。吸血鬼である彼は、永久に全盛期のまま成長を続けるのだから。

 

 

 だからこそ、俺がこの子を連れて行く。

 

 同じ吸血鬼で、スタンドを封印する能力を持つ俺が、ずっとそばにいる。

 

 ディオの目的を諦めさせることができないのであれば、俺がその道を阻もう。

 

 

 ジョースターの一族の代わりに、俺が因縁を引き継ぐ。いまの俺にできることは、それくらいだ。

 

 

「俺の能力で、ディオの身体だけを封印する。俺にはそれができる」

 

「……つき合うつもりか、永遠に」

 

「そうだな、この世界が滅びるまで頑張ってみようか」

 

 

 前世で二十数年、今世でもうすぐ二十年。まだ半世紀も生きた記憶がない俺は、不老不死になるという実感があまりない。知り合い全てが死に絶えた経験はないが、誰一人知らないことなら経験はある。

 

 意外とうまくいくのではないか、と楽観的に俺は考えていた。

 

 

 ディオを両手で抱える。

 

 

「ディオ、お前の身体だけ封印させてもらう」

 

「……ふん、今の俺に拒否権などないのだろうが」

 

「まあな、今回は強制的に実行させてもらうわ。ピクテルおいで」

 

 

 不機嫌なディオの様子に内心で驚く。もう少し抵抗すると思っていたのだが、妙にあきらめが早いな。

 

 離れて待機中のピクテルを呼び寄せると、初見の二人が驚いているのを感じた。二人とも仮面のピクテルは知っていたからな。

 

 

「スタンドは仮面じゃねえのか」

 

「中身がありまして。改めて、うちのピクテルです」

 

「そういや、菓子をつまみ食いしてたか」

 

 

 承太郎の疑問の声に改めて紹介する。納得した表情の承太郎とは異なり、ディオはピクテルを凝視したまま固まっている。

 

 ああ、そういえば前に俺がディオの母親に似てると言われたことがあった。なるほど、ピクテルは俺と違って金髪で女性型だから、もしかしたらよく似ているのかもしれない。

 

 

 ふむ、ならば今がチャンスだな。

 

 

 ピクテルに目線で合図をすると、彼女は微笑んだまま頷いた。あれ、もしかして意図的にディオママに似せようとしていたりしないか、ピクテル。いつもよりおしとやかに見えるぞ。

 

 

 ピクテルは真っ白なキャンバスを取り出すと、ディオに近づけ触れさせる。ゆっくりとディオがキャンバスに飲み込まれていき、全部入ったところでピクテルがキャンバスに額縁を付けた。

 

 中央に眠るようなディオの首が描かれた絵がそこに浮かんでいる。

 

 よしこれで身体の封印は完了だ。後は……戻ってから続きをやろう。

 

 

「これで、俺の目的は終了かな」

 

「やれやれだぜ。最後の最後で好き勝手しやがってまあ」

 

「あはは、悪いな」

 

 

 腕を上に向けて伸びをする俺を、承太郎が首を鳴らしながら呆れた顔で見る。

 

 

「で、これからどうするんだ」

 

「んー、一度戻るよ。次に来るときはどれくらい時間がたってるかはわからないけれど、な」

 

 

 俺は承太郎に自身が受けていたスタンド攻撃について教える。俺がどの時代の人間かわからないため、再会できるかもわからないことも。

 

 承太郎が納得した表情を浮かべたところで、視界のノイズがひどくなってきた。どうやら、時間がもうないらしい。

 

 

「ジョセフにさ、トラブルメーカーもいい加減にしろって言っといてくれ」

 

「おう、きっちり神社にも連れて行くぜ」

 

 

 軽く右手を上げる。承太郎も同様に手を上げ、ぱあん、と高い音を立てて互いの手のひらを叩いた。

 

 きっとまた会えるのだ、別れの挨拶はこれくらいでいい。

 

 

「じゃあな」

 

「ああ、またな」

 

 

 珍しく笑みを浮かべる承太郎に、俺も笑い返したところで、視界が家のリビングに戻ってきた。

 

 その場で靴を脱ぎ、ソファーに身体を投げ出した。

 

 ああ……疲れた。ほんっとーに疲れた。

 いったいどれだけ曖昧な予測を元に博打を打っていたか。最後なんかマジでギリギリだった。あの時ディオの首を切り落とすことを選んでいなければ、衝撃が頭部にも伝わっていただろう。

 

 ぐったりとする俺をくすくすと笑いながら見ているピクテルが、ディオの身体を封印した絵を取り出す。

 

 それに手を突っ込んだかと思うと、すぐに何かを引っ張りだしてきた。

 

 

「よう、ディオ。気分はどう?」

 

『……いいと思うか?』

 

 

 引っ張りだされたそれに向かって、俺は笑いながら声を掛ける。不機嫌な様子の彼は、俺をギロリと睨んできた。

 

 

「いいじゃないか、懐かしいサイズで」

 

『良くないッ!』

 

 

 金色の髪と赤い目は変わらない。首から下の身体はきちんと存在するが、ついこの間までの巨躯ではなく、俺が懐かしいと思う十三歳程度の身体。

 

 少年姿のディオが、『俺のスタンドの一部』としてそこに存在していた。

 

 

「しかたないだろ、ピクテルがその大きさに設定したんだから」

 

『大体自分のスタンドだというのに、何故お前が制御できないんだ!』

 

「ピクテルだから仕方ない」

 

 

 この子俺の言うこと聞かないからな、とからからと笑う俺にディオは頭が痛そうに手を当てる。俺は自我がないスタンドというものがよくわからないからな。自分がもう一人いるってどういう気分なんだろうか。

 

 未だ仮面を外したままでふわふわと宙を浮いているピクテルは、楽しそうにディオの様子をスケッチしている。うん、通常運行だな。

 

 

 じっとピクテルを見続けていると、視線に気づいたのかピクテルが俺の方を振り向いた。そのままじっと二人で見つめあっていたが、何か思いついたのかピクテルがスケッチブックとペンをしまって、一つの絵を取り出した。

 

 背面を俺に見せているので描かれている絵はわからないが、ディオの絵以外にあるのはホリィのスタンドの絵だったはずだが、何をするつもりなのだろうか。

 

 

 ピクテルは先ほどと同じように絵の中に手を突っ込む。そして引き出されたものを見て、俺は――――いや、俺とディオは固まった。

 

 

『あ、あはは……やあ、ヘーマ……それにディオ』

 

 

 ピクテルに襟首を掴まれたままの、十三歳くらいのジョナサンの姿を見つけて。

 

 

 おま……ピクテル、いつの間に。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

兄弟のつながり(レオーネ・ジョルノ・ウンガロ)

この話より性格について独自設定が入ります。原作とは異なる性格のキャラが出てきますので、ご注意ください。


 

 

「今回も収穫なし、か」

 

 

 SPW財団所有の建物にある一室。自分用の仕事机に向かいながら、レオーネが金色の頭をガリガリと掻く。手にしていた報告書を放り投げると、バサリと音を立てて机の上に落ちた。

 

 先程まで彼が目を通していたのは、DIOと関係をもったと思われる女達の中から、妊娠をしていた者を抽出したリスト。

 現在の所在地を調べたそれは、ほぼ調査が終了している。だか、ハルノの母親と思われる人物だけが、所在不明となっていた。

 

 

 生まれた国である日本にはいないことは判っている。

 

 だがその後の足取りが掴めていない。

 

 

 最も可能性が高い国はイタリアだとは判明しているのだが、調査員と現地のギャングとの間で揉め事が起きてしまったため、これ以上の調査の続行が難しくなってしまった。

 

 

 レオーネはマグカップからコーヒーを啜り、資料の隣にある便箋を広げる。

 

 

 それはDIOの息子である、ウンガロからの手紙であった。

 

 

 ハルノを除く、所在が判明したDIOの息子たちはウンガロも入れて全部で五人いた。残念なことに二人は既に亡くなっていて、残りのうち二人――ウンガロもだが――は母親も既に亡く、施設に保護されていた。

 

 ウンガロは一時的にディオの屋敷でテレンスによって育てられていたようだが、平馬が来た頃に施設へ預けられた。テレンスによると、DIOは平馬を軟禁していてウンガロのことも彼に教えなかったらしい。

 

 垣間見える執着心に、レオーネ達はDIOを連れ帰った平馬が心配になったものだ。

 

 

 ウンガロからの手紙は、主に近況が書かれていた。共に暮らす二人の弟と毎日楽しんで遊びまわっているらしい。リキエルとドナテロという年子の少年たちと、ウンガロが兄として頑張っている姿が目に浮かぶ文章だった。

 

 他にも承太郎の娘、徐倫とも一緒に海で遊んだことも書かれている。兄と慕う承太郎がなかなか帰ってこないので、会ったら文句を伝えてほしいとも書かれており、レオーネは苦笑を浮かべた。きっと直接承太郎にも手紙を送っているのだろう。

 

 

 DIOとの戦いからすでに八年、赤ん坊だったウンガロも随分と大きくなった。

 

 

 同封されていた写真をレオーネは眺める。笑顔を浮かべている四人の子供たちの姿。ここに本当ならハルノが入るはずだった。自分たちがあの子供を見つけられていたのなら。

 

 ハルノはレオーネに懐いていた。一人を寂しがる子供だった。レオーネも弟ができたみたいで、あの五日間何かとハルノをかまっていた。

 

 

 どうか、元気でいてほしい。

 

 幼い笑顔を思い出して、レオーネは報告書を引き出しにしまいこんだ。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 道を歩いていたジョルノは、ふと後ろを振り向いた。誰かに呼ばれたような気がしたが、振り返っても誰もいなかった。

 

 

 気のせいだと判断した彼は、再び歩き始める。目的地は図書館だった。

 

 

 ジョルノがこの国、イタリアに帰化してすでに七年。最初は言葉もわからず、養父や近所のチンピラから虐待やイジメを受けていたが、ある一人のギャングの男に出会ったことで状況は一変した。

 

 ジョルノは自分を救ってくれたギャングの男を尊敬しているが、男はけして彼に名前を名乗ろうとせず、遠くから見守るだけ。会話も交流も少なかったが、それでもジョルノは男に憬れていた。

 

 

 ギャングスターを目指すほどに。尊敬する相手には、断固反対されているのだが。

 

 

 図書館の中に入り、ジョルノが向かう先は日本語の本が置かれているエリア。その一角、絵本が置かれている場所で彼は一冊の本を棚から取り出した。

 

 

 それは、ジョルノがまだハルノと呼ばれていた頃、夢のような五日間で兄たちに読んでもらった絵本だった。

 

 

 当初、ジョルノはあの五日間を夢だと思っていた。自分の子供に興味のない母親ではあったが、流石に五日間もジョルノがいなければ、戻ってきた彼に何か言うはずだ。

 

 しかし彼女はジョルノの不在にまったく気づいていないようだった。

 

 よって彼は夢だと判断した。優しすぎて見たくなかった、思い出すたびに苦しい夢だと。

 

 

 少し傷んだ表紙の絵本を開く。この絵本があの五日間を現実にあったと証明している。この七年間、ジョルノは何度もこの絵本を読んだ。

 

 

「ヘーマパパ、レオーネ、ノリアキ、ジョータロ……ウンガロ」

 

 

 今でも思い出せる名前。苦しかった夢も、時が流れるにつれ優しい思い出になっていった。優しい思い出と、ギャングの男が見せた仁の姿、それが今のジョルノを支えるものになった。

 

 

 絵本を棚に戻し、ジョルノは図書館の出口へと進んでいく。

 

 

 今はまだ、自分すら養えない子供であるけれど。いつかきっと彼らに会えるとジョルノは信じていた。

 

 

『にいちゃ』

 

 

 再会が叶わぬ弟にも、きっと会える。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「兄ちゃーん、何やってんだよ」

 

「あ、悪い」

 

 

 ぼんやりと庭の木を眺めていたウンガロにドナテロが声を掛ける。二つ年下のこの弟は、ウンガロが一人で佇んでいるのがつまらないのか、いつも呼びに来る係になっている。

 

 

「ウンガロ、オヤツできたみたいだよ。手を洗いに行こうよ」

 

「早く来ないと、全部俺が食べるぜ!」

 

 

 もう一人の弟、リキエルも呼びに来た。走り出そうとするドナテロの襟首をつかみながら、おっとりと微笑んでいる。少し締まって苦しそうなドナテロを見かねて、ウンガロは慌ててリキエルの傍に走り寄った。

 

 

「だめだよ、ドナテロ。この前食べ過ぎて夕ご飯食べれなかったでしょ」

 

「う、だってスージーばあちゃんのお菓子ウマいんだもん」

 

「ホリィ姉ちゃんの夕ご飯だってウマいだろーが。もったいないぞー、どうするハンバーグだったら」

 

「神はなぜ俺に試練を与えるのか……!」

 

「アホ」

 

 

 お菓子か夕食かで神に祈る弟の頭を、ウンガロは(あい)を込めて叩いた。

 

 

 

 

 

「あ、やっときた。おそいよー」

 

 

 三人がわいわい騒ぎながらリビングに向かうと、徐倫が既に自分の分のケーキを確保してソファーに座りこんでいた。

 

 

「徐倫、お前大きいのとったな!」

 

「はやいものがちだもん」

 

「僕これにしよう」

 

「俺はこれ」

 

「あー! 俺まだ選んでない!」

 

「早い者勝ちだよ」

 

 

 ドナテロが徐倫に突っかかっているうちに、自分のケーキを選ぶリキエルとウンガロ。それに気づいたドナテロだが、リキエルの声にがくりと肩を落とした。

 

 

 その様子をケーキの製作者、スージーQがにこにこと笑って眺めている。

 

 

「ねえ、おばあちゃん。実際の大きさって変わらないよね」

 

「そうね。どれも一緒よ」

 

「ドナテロにとっちゃ重大なんだろ」

 

 

 リキエルが呆れた顔でドナテロを見ている横を、ウンガロが笑いながら通りドナテロに近づいた。落ち込む弟はフォークをくわえながら、プラプラと足を揺れさせている。

 

 

「ほら、俺のちょっと分けてやるから。うまいケーキを不味そうに食べるなって」

 

「……兄ちゃん大好きッ!」

 

 

 満面の笑みで抱き着いてきたドナテロと共にウンガロが後ろに転び、分ける予定のケーキ自体がダメになったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 夕食の後、自分の部屋の窓からウンガロは星空を眺めていた。

 

 昼間のあのとき、兄であるハルノの声が聞こえた気がした。

 

 当時のことはウンガロはおぼろげであるが覚えている。承太郎と典明、レオーネと『にいちゃ』と一緒に、『パパ』のところに迷い込んだ。

 

 今は『パパ』が実の父親でないことをウンガロは知っている。そしてこの間、本当の父親と『パパ』が一緒にいることも聞いた。

 

 『パパ』に会いたい気持ちはもちろんあるが、ウンガロは『にいちゃ』にも会いたかった。

 

 

 ドナテロとリキエルは彼を兄として慕ってくれるが、ウンガロ自身は自分が兄に向いていないと思っている。それは彼自身の行動が記憶にある『にいちゃ』の模倣であり、『パパ』の真似事でもあるからだ。

 

 

 レオーネがハルノの行方を捜しているが、もう何年も見つかっていない。

 

 

 それでもウンガロは信じている。兄はきっと生きていることを。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 新たな道
やって良いこと悪いこと


 

 

 俺が長年生活し住み慣れた居心地の良いリビングに、重苦しい雰囲気が充満している。

 

 気まずそうな顔のジョナサン、むすっとした表情のディオ、二人の様子に頭を抱える俺と、ウキウキと満面の笑みのピクテル。

 

 

 まずは君が楽しそうで何よりだよ、ピクテル。

 

 

「それでは第一回中野家会議を始めます」

 

『不参加』

 

『僕も同じく』

 

「なにも即答で断らなくても良いだろ……」

 

 

 鬱蒼としている雰囲気を和ますちょっとした冗談のつもりだったのに、二人にバッサリと両断されて俺は落ち込んだ。

 

 

 なんだよ、お前ら仲良いじゃんかよ。そのままおしゃべりとか始めちゃえよ。

 

 

 内心不貞腐れるが、二人はそのまま話しだすこともなくまた黙り込む。

 

 これは埒あかないな、と俺は現状に判断を下し最終兵器を呼び寄せる。

 

 

 ピクテル、やっておしまい。

 

 

 二人を指差す俺にニンマリと笑顔を浮かべ、ピクテルは頷いた。

 

 

 彼女はまず何十匹も大小様々な猫ゴーレムを、二人が見えない位置に実体化させた。わあ、リビングの一角だけ凄くもふもふだ。

 

 次に何やら粉のようなものが入ったボウル程度の器を取り出した。何をするのかと眺めていると、ピクテルはそれを二人に向けてぶちまける。

 

 

 次の瞬間だった。のんびりしていた猫ゴーレムたちが、一斉にジョナサンとディオに向かって殺到した。

 

 

『うわぁぁッ!?』

 

『猫ッ!?くそ、まとわりつくなァッ!』

 

 

 一瞬でもふもふに埋もれる二人。どうやら粉の正体はマタタビらしい。呆然と俺がその光景を眺めていると、横でピクテルが親指を立てた。うん、確かに沈鬱な空気はぶっ壊れたけどさ、他に方法は思いつかなかったのかい?

 

 ピクテルに尋ねると、マタタビに群がる猫を一度見てみたかったとのこと。確かに一見の価値あるスゴイ光景だけどな、どうやって止めるつもりなんだ、この惨状を。

 

 頷いた彼女が指を鳴らすと猫ゴーレム達は瞬く間に消え去り、そこにはヨレヨレの二人だけが残されていた。本当にお疲れさまです。

 

 

「元気?」

 

『後で、殴る……絶対にッ』

 

『僕も……手伝う』

 

 

 あ、まずい。ディオだけでなくジョナサンまで怒らせたようだ。鋭い光が宿った目を俺に向ける二人に、思わず顔が引きつる。お茶を淹れてくると言い残し、俺は台所へ駆け込んだ。念のために確かめたいこともあったからだぞ、けして逃げたわけではない。

 

 

 

 お茶を淹れてからリビングに戻ってきた俺に、ディオとジョナサンは笑みを向けてきた。うわ、なんだろう怖い。お湯を沸かしている間に笑い声が聞こえてきたから、大丈夫だと思ったのに。

 

 

『悪戯が過ぎるようだ……年上としてしっかりと躾けないといかんな』

 

 

 慄いて足を止めた俺を、ディオが腕を引いて促す。多少強引にソファーに座らされると、目に入るのは覚悟を決めたような凛々しいピクテルの顔……俺がいない間に何があったのか。

 

 

 そうやってピクテルに意識が向いていたため、迫る不穏な影に気づくこともなく……俺はやすやすと頭部に衝撃を受けた。

 

 割れそうなほど痛む頭頂部を押さえて見上げると、口の端だけを吊り上げたディオの笑み。その右手は強く握られている……多分、俺は拳骨を受けたのだろう。

 ピクテルもソファーに座りながら頭を抱えて涙目になっている。そういえば、スタンドと本体は感覚を共有するのだったか。先ほどの決心した顔はこの痛みに対してなんだな。

 

 

 満足そうなディオと、涙目のピクテルをみてやり過ぎたかと困った顔になったジョナサンに、俺は苦笑いを返すしかなかった。

 

 

 ――まあ、気まずい空気が無くなってなによりだ。

 

 

 

 

 冷めてしまう前にとお茶を飲んでクッキーを頬張る。同じく食べている最中のディオとジョナサンに、このクッキーの製作者は承太郎達だと伝えると、微妙な顔と驚きつつも嬉しそうな顔を返された。ディオよ安心しろ、そのとき彼らはミニマムサイズだ。

 

 

「落ち着いたところで、俺から発表がある」

 

 

 顔を上げて怪訝な表情を浮かべる二人に、俺は大したことはないけどな、と前置きをする。

 

 

「俺も家の外に出れないみたいなんだ」

 

『……』

 

 

 なんともいえない視線が俺に突き刺さる。

 

 

『それは重要じゃないのか?』

 

『僕達と違ってヘーマは生身なんだから、食料がないと生きていけないんじゃ』

 

「そうなんだけどな。本題は俺がこの世界に、異物として認識されてるということのほうが重要かな」

 

 

 俺は二人に爺さんが本体だと思われるスタンドとその能力について教える。

 二十年間受けていたスタンド攻撃だが、ジョナサン達の状況を顧みると俺もいずれ元の場所に戻る可能性が高い。爺さんの亡きいま、スタンドは徐々に力を失っているため、壊せばすぐに戻ると予想できる。

 

 だから餓死の心配はない、と俺が告げると二人がほっとした表情を浮かべた。

 

 

 ……なんか心配されるっていいなぁ。

 嬉しくなって二人の頭を撫でようと手を伸ばしたが、すげなく叩き落とされた。つれない。

 

 

『やめろ、俺達は百をとっくに超えているんだぞ』

 

『孫どころか玄孫までいるんだからね?』

 

「改めて感じる年月の差……」

 

 

 目の前にいるのは十代前半の少年であるのに、実際は俺の倍以上……。改めてピクテルはなんでこのサイズに設定したのだろうか。横でお茶を飲むピクテルに聞いてみると、嵩張るからと返答された。それは酷い。

 

 

 のんびりとティータイムを楽しんでいると、玄関のドアが開く音が聞こえた。入ってきた人物はそのまま廊下を進んでいるらしい足音が聞こえる。

 

 やべ、鍵を閉めていなかったと俺が構えると、ディオとジョナサンもそれぞれすぐに動けるような体制になった。あ、これ大丈夫だ。何があっても俺は無事だな。

 

 

「……うおぅッ!? なんだいるじゃねぇか!」

 

 

 頼もしい二人を爺くさい気持ちで見ていると、リビングに入ってきたその人物は俺を見て驚いた。

 

 

「おっちゃんじゃん」

 

「ひぃッ! よく見るとこの前のガキ共!? また来たのかよ!」

 

「怯えない怯えない。二人とも、このおっちゃんとは和解しているから睨まないで」

 

 

 ディオとジョナサンを見て青ざめた顔で逃げ腰のおっちゃんを宥めながら、二人に向かってひらひらと手を振る。二人は俺を一瞥した後、浮かしていた腰をソファーに下ろした。

 

 一触即発状態は回避したけれど、なぜおっちゃんが俺の家にきたのだろうか。

 

 しかもジョナサン達が見えているし……いや、そういえば前もピクテルが出した猫ゴーレムは、美喜ちゃんも見えていたな。二人はいまピクテルが能力で出しているから、おっちゃんには見えているのだろう。

 

 

「で、おっちゃん何の用?」

 

「何の用って、兄ちゃん家に電話が繋がらねぇからだろう。ずーっと通話中でおれぁ、てっきりまた倒れているものかと思ってなぁ」

 

「通話中? ――あ、電話線抜いたままだった。心配させてごめん」

 

 

 そういえばあの人から電話が来て抜いたままだった。おっちゃんに経緯を説明すると哀れみの目を向けられた。どうやら俺の事情は誰かから聞いているようだ。

 

 

「兄ちゃんも災難だな。おれは嬢ちゃん……偲江さんの娘さんな、あの娘に聞いたんだけどよ、随分と厄介な女に惚れられてるらしいじゃねぇか」

 

「早く諦めてくれないかねぇ」

 

「その顔じゃ難しいだろ」

 

『厄介な女? ヘーマ、もしかして前の封筒の手紙か?』

 

「うっひょおおおッ!?」

 

「おっちゃん落ち着け、身構えるなって。そういやディオは封筒を見ていたか。あれ、俺のストーカーだったらしいよ」

 

 

 しみじみ頷くおっちゃんだったが、俺の後ろからディオが声を掛けた途端に跳びあがり、玄関側の壁に張り付いた。あらま、おっちゃんに対する脅しが効きすぎてるのか。ここまで怯えられると悪いことをした気分になる。

 

 

「……し、心臓に悪いっての」

 

「おっちゃんはビビリすぎ。近づかなければ噛まないって」

 

「そっちの坊主は猛獣か……?」

 

 

 この坊主は鬼門だ、と後ずさりしてリビングのドアから廊下に出ようとするおっちゃん。

 

 しかしそんなおっちゃんを、リビングのドアが勢いよく開くことによって突き飛ばした。

 

 

「いでぇッ! な、なにするんだよ嬢ちゃん!」

 

「……あら、人を待たせている事をすっかり忘れているのかしら?」

 

「あ」

 

 

 成人男性を突き飛ばせるほど勢いよくドアを開ける人物など心当たりが一つしかない。

 

 

 小さな体躯に威風をたたえて、美喜ちゃんがそこに仁王立ちしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明らかになる事実1

 

 

 

 どうして小柄な十代前半の姿で、威圧感を出せるのだろうか。

 

 俺はよく美喜ちゃんの後姿を見ながらそう考えたものだが、その威圧感を受ける側になったことはあまりない気がする。精々、俺が彼女をからかったときくらいだ。

 

 

「正次さん」

 

「へいッ!」

 

 

 美喜ちゃんが名前を呼んだだけで、おっちゃんの背筋が鉄棒でも入ったようにしゃっきり伸びた。

 

 おっちゃんもしかして、美喜ちゃんを怒らせたことがあるのか。脂汗が酷いというか、ディオのときよりも反応が激しいのが俺、とっても気になる。

 

 怖いから聞きたくはないけれど。

 

 

「随分と元気に叫んでいたけれど、いったい何があったのかしら」

 

「いえッ! ちょっぴりトラウマな坊主と遭遇して挙動不審になっていただけです!」

 

「……確かに挙動不審ね、いまも」

 

 

 軍の上官に報告するかのように言うおっちゃんに、美喜ちゃんは呆れた視線を寄こした。

 

 

「おっちゃん、何があった」

 

「後生だから聞かないでくれッ!」

 

 

 好奇心に負けて尋ねた俺の言葉で思い出したのか、ガタガタと震えるおっちゃん。それを見ながら、ディオが軟弱な、とつまらなさそうに呟いた。まあ、ビビリ過ぎではあるけど、俺は人のこと言えないから黙っておく。

 

 そんな俺達を美喜ちゃんは顔を顰めて眺め、口を開いた。

 

 

「ねえ、正次さん。さっきから()()()()()()()()

 

「え? 誰って……兄ちゃんに決まってるじゃねぇか」

 

 

 驚くおっちゃんの顔を見てから、美喜ちゃんはリビングを見渡す。

 

 

「そう、平馬がいるのね。でも……私には見えないわ」

 

 

 美喜ちゃんの言葉を理解するのに、時間が掛かった。

 

 

 俺が、見えていない。

 

 これは、俺がこの家から出られなくなったことと関係しているのだろう。あの世界に行く数日前まで、俺は美喜ちゃんと会話をしていた。きっかけなんか、それぐらいしかない。

 

 

「この部屋に、何人いるのかしら。正次さん以外に三人……それに分かりにくいけれど、もう一人いる気がするわ」

 

「……本当に嬢ちゃん見えてねぇのか? 当たりだ、兄ちゃんと金髪の坊主に黒髪の坊主、それと兄ちゃんにそっくりな良い女がいるよ」

 

 

 相変わらず美喜ちゃんの気配察知能力は素晴らしいな。彼女は生まれる世界を間違えているのではないだろうか。美喜ちゃんなら大型生物が跋扈する世界でも、狩人として生きていけると俺は思う。

 

 半笑いを浮かべる俺の肩を、ディオが叩いてきた。

 

 

『気づかないのかヘーマ』

 

「何を?」

 

『その男、ピクテルが見えているぞ。――スタンド使いだ』

 

 

 ディオの指摘に俺は勢い良くおっちゃんを振り返る。

 

 そういえば、家に来る彼らを見たことがあるのはおっちゃんだけだ。その期間に来客がなかったこともあるが、別の空き巣犯は除いても美喜ちゃんしか家に入っていない。

 

 そして美喜ちゃんには、承太郎達は見えていなかった。

 

 おっちゃんと美喜ちゃんの違いは、スタンド使いかどうか――。

 

 

「おっちゃんさ、最近身の回りに不思議なこととか起きてない?」

 

「不思議なことぉ?」

 

「いつもとは違うことが起きた、とかでもいいから」

 

 

 俺の問いにおっちゃんは唸りながら心当たりを探している。あまりにもウンウン唸っているので、思い当たらなければいいと止めた。

 もしかしたら、目覚めかけている状態かもしれないし、特別困っていないなら急く必要もない。

 

 

「どうやらおっちゃんは幽霊を見えるようになったようです。おめでとう。墓参りのときは特に気をつけて」

 

「それはめでたいのか!? ……幽霊って、兄ちゃんもしかして」

 

「死んでない、まだ死んでない」

 

 

 表情が青ざめ始めたおっちゃんの肩を叩いて宥める。まあ、人間では無くなってはいるが、生きているのは間違いない。

 

 俺の手を掴みながらおっちゃんは脈拍を測っている。まだ中途半端な吸血鬼でよかった。完全に吸血鬼になっていたら、体温がとても低いから更なるおっちゃんの混乱――多分ゾンビ扱い――を生んだだろう。

 

 安堵した様子のおっちゃんをちらりと見て、美喜ちゃんは『正確に』俺のいる場所に視線を移した。あの、本当に見えてないんだよね、美喜ちゃん。

 

 

「とりあえず平馬、正座」

 

「はいッ」

 

「に、兄ちゃん……アンタもか……!」

 

 

 美喜ちゃんの言葉に即座に従い、その場に正座する俺。その様子を見ておっちゃんが同士を見るような目を俺に向けている。ピクテルも俺の左隣で同じく正座をしている……顔が強張っているのは俺の影響だろうか。

 ディオとジョナサンについては背後にいるので分からない。でもきっと呆れられていると思う。

 

 すまない二人とも、俺は美喜ちゃんに対して完全に反抗心が折られているんだ。

 

 おっちゃんの視線の位置によって俺が正座したことを把握したのか、美喜ちゃんが一つ頷いてポケットから携帯を取り出した。

 

 そのままどこかに電話をし始めた彼女をぼんやりと見ていると、ジョナサンが俺の横に移動してきた。

 

 

『彼女は友達?』

 

「あー……血の繋がっていない姉。一緒に暮らしたことは殆どないけど」

 

 

 俺は戸籍上で偲江さんの養子のため、美喜ちゃんとは義理の姉弟となる。引き取られて早々に爺さんと生活を始めたので、同じ家の内で生活をしたことはほぼない。

 感覚的には幼馴染のお姉さんが近い。背は小さいけど。

 

 

「平馬」

 

「すみませんでした!」

 

「お母さん達今からくるから、キリキリ吐いてもらうわよ」

 

 

 ……よかった、内心がばれたのではなかった。そして声も聞こえなくてよかった、自ら暴露するところだった。

 

 だからおっちゃん、わざとらしく俺から視線を逸らすのはやめてくれ、美喜ちゃんにバレるから。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「あらまあ、ここに平馬ちゃんがいるの? 見えないわねぇ」

 

 

 店を臨時休業し、急いできたのか多少息が弾んでいる偲江さんが、おっとりと言った。全然動じてない。

 

 

「ごめんなさいね、お父さん出かけていていなかったのよ」

 

「何時もの逃亡?」

 

「そうなのよ。あとでお願いね」

 

「わかったわ」

 

 

 恐らくパチンコ屋という逃亡先にいるであろう、昇一さんの無事を祈る。せめて逃げなければいいのに、どうして彼は目を盗んで出かけるのだろうか。パチンコ屋に行くのは禁止していないというのに、不思議なものである。

 

 

「さ、正次さん。平馬ちゃんの他に誰がいるか教えてちょうだいな」

 

 

 偲江さんに促されて、おっちゃんはソファーのどこに誰が座っているのかを伝えていく。順番としては左からピクテル、ジョナサン、俺にディオだ。

 

 

「ピクテルちゃん、ジョナサンくん、平馬ちゃんにディオくんの順ね。まあ、はじめましての子ばかりね、おばさんは偲江というの。平馬ちゃんの養母よ」

 

 

 平馬ちゃんと仲良くしてくれてありがとうね、と偲江さんは微笑む。偲江さん、俺は小さい子じゃない。ディオとジョナサンも困惑しているというか、ディオは眉間にしわを寄せている。ちょっと我慢してくれ、こういう女性なんだ。

 

 二人は俺の話し合いということで、とりあえず黙って聞く方針をとるようだ。正直傍にいてくれるだけで、今の俺には心強く感じる。

 

 偲江さんは俺達の座っている位置をじっと見ていたかと思うと、困った顔をして頬に手を当てた。

 

 

「ねえ、美喜ちゃん。ピクテルちゃんと平馬ちゃんって、同じ気配をしていないかしら」

 

「お母さんもそう思うのね。同じというよりも、平馬の一部が分離しているって感じじゃない?」

 

「あ、そうそう。そんな感じねぇ」

 

 

 疑問が解決してすっきり、といった表情の偲江さん。美喜ちゃんの気配察知は、偲江さんからの遺伝なんですね。そしてスタンドは見えなくても気配は感じるとはどういうことだ。

 爺さんがスタンド使いだったとすると、血縁である偲江さんと美喜ちゃんが素質を持っていても全くおかしくはないが。

 

 

「でも不便ねぇ、ちゃんとお顔を見て話せないなんて」

 

「二人とも幽霊が見える素質があるから、気合で見れるかも」

 

「おいおい……」

 

「正次さん、どうしたの?」

 

「いや、兄ちゃんがお二人も俺みたいに幽霊が見える素質があるとか言ってます。気合で見れるかもなんて冗談言ってますけど」

 

 

 おっちゃん、冗談なんだから通訳しないでよろしい。

 だいたい、そんな簡単にスタンドが見れるようになるわけじゃない。見えたら見えたで、生命力と闘争心が足りなければ、俺みたいにぶっ倒れることになるのだから。

 

 ……二人については問題ないだろうけど。

 

 

「気合ねぇ……思い込めばいいのかしら」

 

 

 おっちゃんと偲江さんが笑っている横で、妙にやる気になっている美喜ちゃん。いや、確かにスタンドってそれが出来ると信じることは大切だけど、そう気合でできるものじゃ……。

 

 

「どうして平馬の目が赤いの、カラコン?」

 

 

 ……うん、なんかそんな気がしていたよ。美喜ちゃんならやってやれないことはないって。ホント美喜ちゃんって何者だろうね?

 

 気合で見るだけとはいえ素質を開花させた義姉に、俺は遠い目をするしかなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明らかになる事実2

 

 

 

「お母さん、気合で何とかなりそうよ」

 

「あらホント? なら頑張っちゃおう」

 

 

 そんな母娘の会話の後、本当に見えるようになった偲江さんは台所にお茶を淹れに行ってしまった。

 

 何なんだこのハイスペック親子は。ちらりと横を見ると、ディオが唖然とした表情を浮かべている……俺としては、いつも感じていたこの置いてけぼり感を共有する人がいてくれて、大変嬉しく思う。

 

 偲江さんが席をはずしているため、残された俺たちは美喜ちゃんの鋭い視線を、ただただ受け止め続けている。

 

 

「似ているわねぇ、ホント。平馬の方が間が抜けているけど」

 

「うぐ」

 

 

 どうやらディオと俺を見比べていたらしい。そんなに俺は表情がゆるいのだろうか。ちなみにピクテルについては幽霊で納得されている。

 

 

「美喜ちゃん、俺も覇気とか出せるかな?」

 

「平馬じゃあ、精々威嚇が限度じゃないかしら」

 

「……」

 

『フッ、同感だな』

 

『ははは……』

 

 

 即答で無理だと断定されてしまった。落ち込む俺を見て美喜ちゃんは華奢な顎に指をそえ、思案する。

 

 

「そうね、私と何度か立ち合えば少しは覇気がでるかもしれないわね」

 

「諦めます」

 

「だから無理なのよ」

 

 

 偲江さんが持ってきたマグカップの紅茶を飲みながら、美喜ちゃんは笑って言う。すいませんね、へたれで。

 

 

「心構えがないんだもの。鍛えればいいところまでいくと思うけれど、言葉だけで強制されてもアンタは続かないわよ。

 其処の二人、平馬を動かしたいのなら飴か鞭を用意しなさい。経験的に、飴のほうが自主的に頑張るから楽よ」

 

『ああ、試したことがある。良いことを聞いた』

 

『マナー講座計画に盛り込もうか。後で相談しよう』

 

 

 なにやらディオとジョナサンが俺の教育を計画している。仲良くなるのはいいが、その分俺にしわ寄せが来そうな予感がひしひしとするのだが。

 

 

『ピクテルにもそれでいこう』

 

 

 ジョナサン、ピクテルが物凄く驚いた顔をしているぞ。てっきり俺が台所にいるときに話し合ったと思ったのだが、ピクテルが聞いていないとは筆談でもしていたのだろうか。

 一緒に頑張ろうか、とピクテルに伝えると気落ちした様子で彼女は頷いた。

 

 

 

 偲江さんが茶請けまで用意した後、俺はざっと最近起こった一連の出来事を伝えた。流石に俺が吸血鬼になったことは伏せたけれど、それ以外はありのままを。

 

 目を白黒としているおっちゃんはともかく、偲江さんと美喜ちゃんの二人の反応といえば。

 

 

「あら、タイムスリップなんて素敵。近代のロンドンの様子なんてぜひ聞きたいわ」

 

「ふーん、二人は随分と強いと思ったけど……ひとつ手合わせ願いたいわね」

 

 

 偲江さんはいいとして、美喜ちゃんの回答が時代を間違えている。にこやかな笑顔なのに、獲物を狙う狩人のような身を竦ませるものを感じる。

 

 ディオとジョナサンも感じているのか、同じように口の端を吊り上げた笑みを浮かべたり、真剣な目で美喜ちゃんを見つめ返したりしている。やめて落ち着いて、この家が壊れてしまう。

 

 

「それよりもさ、信じるの?」

 

「あら、正孝叔父さんに慣れた私に死角はないわ! 昔から見えないお客さんがいるなんて普通だったもの」

 

「……お母さん、それ最初に言っていれば説明省けたんじゃないの?」

 

 

 あっさりと暴露する偲江さんに美喜ちゃんが突っ込みを入れる。

 

 偲江さん、知っていたんだ……。俺が悩んだ期間は一体……あれか、相談すればよかったのか。下手に隠したのが拙かったのか。

 

 思わぬところに鍵があったことに俺は愕然とするしかない。ピクテルが慰めるように俺の頭を撫でる。いつもすまないねぇ。

 

 

「ま、過ぎたことは気にしても仕方がないわ。それで、目が赤い理由は?」

 

「……黙秘で」

 

「へえ?」

 

 

 美喜ちゃんの目が細められた。それだけで背筋に冷や汗が流れ出したことを感じる。

 

 だが、これだけは言えない。

 

 気の遠くなるような長い生を、俺が歩むことは伝えてはいけない。

 

 

 言えば二人は俺を案じるだろう。

 

 言えば二人は自分を責めるだろう。

 

 

 行き着く先がたとえ生き地獄に繋がっていたとしても、俺は笑って二人と別れたい。

 

 

 何もかも中途半端な俺の、男としての意地だ。

 

 

 ぐっと口元を引き締める。逸らしそうになる目を美喜ちゃんのそれと交差させる。威圧感に耐えて視線を合わせていると、美喜ちゃんの目が一瞬開いて、そして和らいだ。

 

 

「まったく、ちょっとは男の子になったじゃない」

 

「平馬ちゃんも男の子になっていくのねぇ。もうすぐ成人なのにぽやぽやしているから、私、心配していたのよ」

 

「性別間違って生まれているんじゃないかとも思ったわね」

 

 

 うんうん頷いてる二人の言葉に、俺は顔を引きつらせる。ディオとジョナサン、俺とピクテルを交互に見るんじゃない。どうせ俺は中途半端な奴ですよ、ふん。

 

 仕方ないわね、と美喜ちゃんは笑う。偲江さんも微笑んで俺を見つめている。その笑顔があまりにも優しくて、俺は涙腺が緩みそうになるのを必死に耐えた。

 

 

「泣き虫はまだ治りそうにないわねぇ。平馬ちゃんらしいけど」

 

 

 偲江さんの言葉に、俺は歪な笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 夕食は偲江さんの手作りで豪華になった。美喜ちゃんは昇一さんを捕まえに出かけ、その背にぐったりとした人間を背負って帰宅した。ディオもジョナサンも彼女に慣れたのか、その光景を気にしなくなっている。

 

 おっちゃんのみビビッていたが、それが正しい反応だから大丈夫だよおっちゃん。

 

 昇一さんはやはりスタンド使いの素質はないようで、バグな二人とは違い俺を見ることはできなかった。俺が元のところに帰ることを美喜ちゃんの通訳で伝えると、彼は大いに残念がった。

 

 

「俺はてっきり、平馬くんがうちの美喜を貰ってくれると思ってたんだがなぁ。そっかぁ、帰るのか」

 

「なにを言ってんだ昇一さんは」

 

 

 ビールを片手に俺の肩を掴む昇一さんは、すでに酒臭い。あえて肩を触れられるように俺が調整しているが、もうやめたい程だ。

 

 何時もよりペースが早いが、今日は見逃されているようで偲江さんはテーブルの反対側で微笑んでいる。……見逃されているんだよね?

 

 戦々恐々としながら味噌汁を飲んでいると、昇一さんはじっと俺を見て言った。

 

 

「なにって、平馬くんうちの美喜のこと好きだろ」

 

「ぶふッ!」

 

「何時ちゅーのひとつでもするかと思ってたら、手ぇださねーんだもんな」

 

 

 せっかく偲江と賭けてたのに、と不貞腐れた様子の昇一さんの横で、俺は気管に入りかけた味噌汁によって咳き込む。なんてことを賭けてんだこの二人は。

 

 

「いっそ今やっちまえ! 記念だ記念」

 

「黙れこの酔っ払い」

 

「なんだぁ、美喜。お前いっちょまえに恥ずかしがってんのかぁ? 見た目通りになってどうすんだよこれ以上よぉ」

 

 

 ニヤニヤとからかう態勢に入った昇一さんに向かって、美喜ちゃんが近くにあった二リットルサイズのペットボトルを振り下ろす。鈍い音を立てて昇一さんが倒れた……中身入ってないのにな。

 

 

「平馬ちゃんは無理よぉ。美喜からいかないと」

 

「お母さんまで何言ってるの!? ちょっと押さないでよ!」

 

 

 偲江さんがにんまりとした顔で美喜ちゃんを俺が座っている場所へ押し出そうとしている。それを見ていた残り三人は、それぞれ特徴的な笑顔を浮かべて立ち上がった。

 

 

『せっかくだ、俺たちも退くとするか』

 

『キッチンでお茶を淹れてくるよ』

 

「ちょっくらトイレにいってくらぁ」

 

「お前ら何に気遣ってるの!? ちょ、この空気どうすればいいんだよ!?」

 

 

 ピクテルも姿を消すんじゃない。ちょっと戻って来い、今すぐ早急にッ!

 

 俺の内心の叫びとは裏腹に、ピクテルも野郎共もリビングから姿を消した。この場にいるのは、俺と美喜ちゃん、気絶した昇一さんと笑いを耐えている偲江さん。

 

 すでに美喜ちゃんは偲江さんの手によって俺の横に座らされている。顔を赤くして俯いているその姿は正直可愛……落ち着け俺。空気にのまれすぎだ。

 

 

「さ、存分に食べちゃいなさい」

 

「後生だからやめて偲江さんッ!」

 

 

 俺は目元を両手の平で覆う。きっと俺は耳まで赤くなっているだろう。へたれねぇ、という偲江さんの声が耳に届くが、俺は聞こえん。聞こえんぞ。

 

 

「なんだよ、だめだったのか。兄ちゃん情けねぇな」

 

『腰抜けめ』

 

『もう少し大人にならないといけないのかな』

 

 

 うるせぇ、てめぇらさっさと戻って来い。正直これ以上されたら俺は泣くぞ。

 

 目を覆ったまま野郎共に悪態をついていると、かすかな空気の動きを感じた。

 

 

 なんだと思うよりも前に、唇に何かが触れる。

 

 

「お」

 

『ほう』

 

『まったく……』

 

「あら」

 

 

 全身が硬直した俺は、視界を塞ぐ自らの手をどかすことも出来ず、触れるそれが柔らかいことだけを感じ取っていた。

 

 

 どれくらい過ぎたか、接触が終わって数秒たっても、俺は動けず目隠しも外せなかった。

 

 

 

 本当にヘタレなんだから、と小さく呟く彼女の声が……どこか嬉しそうに聞こえる。

 

 

 

 

 

 

「ほーッ! 美喜、お前やるじゃねぇか! ほれ、もっとぶちゅーっといけ!」

 

「寝てろ酔っ払いッ!」

 

「あぐッ!?」

 

 

 正直、昇一さんの空気の読めなさが大変助かりました。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界への別れ

 

 

 次の日の朝、家に泊まっていった美喜ちゃんたちを、俺は玄関の中から見送った。

 

 俺が今日にも帰るだろうということは伝えてある。爺さんのスタンドを壊すまで、もう少しこの家に、この世界にいることはできた。だがそれでは、俺はこの世界に心を残してしまうだろう。

 

 

 これ以上俺の欲が出る前に、この家から離れるつもりだった。

 

 

 いいのかい、とジョナサンが俺に聞く。

 結局、俺は美喜ちゃんに何も伝えなかった。彼はそのことを言いたいのだろう。

 口元をゆがめて、いいんだと俺は返した。

 

 

 彼女は人間で、俺は吸血鬼。もう、時間が流れる早さは異なっている。

 

 

 何も伝えるつもりはない。何も聞くつもりもない。

 

 俺と彼女の間にあるのは、家族愛だけでいい。

 

 

 欲のないことだ、とディオが嗤う。聖人でも目指すつもりかと嫌そうにも言う。

 

 そんなつもりはないと俺が言っても、信じていないようだった。本当に、そんなつもりはないのだが。俺はただ、そう……意地を張っているだけなのだから。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 爺さんのスタンドを探すことになった俺達だが、俺にひとつ心当たりが合った為、まずはリビングから始めることにした。

 

 

『で、これが怪しいということか』

 

「そう、この壁掛け時計」

 

 

 そろって見上げるのはリビングの壁に掛けられた、古めかしい振り子時計だった。この時計がいつも三時を示すと誰かが来訪し、また元の場所に帰っていった。

 

 

「実はこれ、電池を変えたことが一度もなくて。爺さんがソーラー時計だと言っていたから信じていたけれど、よく考えるとこの古さでそれはないよなぁ」

 

『ソーラー時計……ああ、太陽の光を燃料とする発電方法があったな』

 

『へぇ』

 

 

 意外にもディオはソーラー発電を知っていた。流石にジョナサンは知らないようだったが、本当に勤勉な奴だな。

 

 話がずれたが、俺がこの時計を怪しいと思った理由はもうひとつある。

 

 俺がディオの屋敷に行った後、一度家に戻ってきたときのことだ。あの日、承太郎達は午後三時になって元の世界に帰っていった。そのときに俺も世界を移動したため、再び戻ってきたときは『来たときとまったく同じ時間』となっているはずだ。

 

 つまり時刻は午後三時に既になっていた。

 

 

 だが、その後……俺が再びあの世界に行ったとき、もう一度時計は三時を示している。

 

 リビングに戻るときに、時間が遡ったということはない。そうすれば俺はリビングにまだ居たはずの承太郎達と、なにより俺自身に会っている筈だ。

 

 それがなかったということは、つまり時計の針が戻っていたということ。

 

 

 故障であるのなら、今も時計は止まったままか現在の時刻とずれているはずだ。しかしテレビの時間を見る限り、一分たりともずれはない。

 

 爺さんの言うとおりソーラー時計だとしても、電波時計ではない。時刻を合わせる機能がないにもかかわらず、この時計は正確に時を刻んで示している。

 

 

 怪しいことこの上ない。

 

 

 ディオとジョナサンに俺の考えを伝えると、二人とも納得した。

 

 

『試しても一つ時計が壊れるだけだからな』

 

「なるべく壊したくないんだけどなぁ。爺さんとの思い出だしさ」

 

『ねえ、ヘーマ。ピクテルにそのスタンドを封じてもらったら、効果は消えるのかな』

 

「あ」

 

 

 ジョナサンの提案に、ぽんと俺は手を叩く。そうか、本体の死後も継続するスタンドでも、封じられたら効力を無くすかもしれない。効果が消えなかったら消えなかったで、とくに問題もない。

 

 俺は肩の上あたりに浮いているピクテルに目配せをする。彼女は頷き、真っ白なキャンバスを取り出して壁にかけた時計に近づける。

 

 

「あ、待った!」

 

 

 もう少しで触るところで、俺はピクテルを制止する。慌ててキャンバスを時計から離したピクテルが、何故止めるのかと不満そうな顔をしている。

 すまん、ちょっと準備が足らなかったので待ってほしい。

 

 

『どうした?』

 

「忘れ物があって。ほら、ジョナサンとディオを描いた絵。あれだけは持って行きたい」

 

『……ヘーマ、後ろ後ろ』

 

 

 急いでアトリエに行こうとした俺にジョナサンが肩を叩いて指を差す。振り向いた先には自慢げな顔をしたピクテルと、その手に収まったスケッチブックの中に描かれている見たことのある絵。

 

 本当に、お前は気が利くスタンドだなぁ。手回しが早いといえばいいのか、俺の絵だから良いが下手すると持ち逃げもしそうなピクテルに俺は頭がとても痛い。なぜなら奴はジョナサン誘拐という前科がある。

 窃盗という犯罪だけはしないでくれな。

 

 

 

 さっきはそのままだったが、安全のためにディオ達には絵に戻っていてもらう。どうなるか分からないから、念のためだ。

 

 意気揚々とキャンバスを時計に近づけるピクテル。ゆっくりと時計が飲み込まれていき、姿が完全に消えたとき俺の視界はぐにゃりと歪んだ。

 

 

 これはいけたか、と内心で拳を握り締めていると、不意に俺を襲う浮遊感。

 

 

 驚いた俺が口から言葉を漏らす前に、なにか柔らかいものに当たって、すぐに床に身体をしたたかに打ちつけた。

 

 なんなんだ、今回は地面からの高さがずれていたのだろうか。痛みにもだえながら周囲の状況を把握しようとするが、真っ暗で何も見えない。いまは夜なのだろうか。

 

 

「なんだあ~!?おやじの上に黒い布が落ちてきやがったぜー!?」

 

「布ってゆーよりはよお~、あれは服っぽくねーか?」

 

 

 どうやら近くに人がいるらしく、突然現れた俺に驚いているようだ。だけど布が落ちてきたって……まあ、マントというか外套というか着たままだからな、布が落ちてきたように見えるだろう。

 

 しかし最初の柔らかいものとは人だったのか。とても驚いただろうから大変申し訳ない、怪我をしていないといいんだが。

 

 

「じょ、仗助くんッ……あれ、布の端から見えているの、手じゃあないかなーッ」

 

「あ~? ありゃあ……手だよなあ~」

 

 

 ギシギシと木を踏みしめる音がする。板張りの床を歩いて俺に近づいているのだろう。先に起き上がろうにもまだ痛みが続いているせいで、どうも動けない。

 変だな、俺はこんなに痛みに弱かっただろうか。

 

 俺の傍に来た人物はひょいと布をめくりあげる。突然視界が明るくなった俺は、目を細めて光の量を調節する。

 

 

 ……ちょっと待て、これ太陽の光じゃあないか?

 

 

 慌てて布を被ろうと手を伸ばすが、布を持っている人物の力が強いのか、俺の力ではびくとしない。

 

 戻って早々死ぬって嫌だなあ、と諦めはじめた俺の前に、ぬっと人の顔が現れた。

 

 

 それはどこか見覚えのある、宝石のような緑の目。

 

 

「あ、赤ん坊だッ! 康一ッ、この黒い服の中によー、赤ん坊がいるぜッ!?」

 

「え、ええ~ッ!?」

 

 

 赤ん坊?

 

 

 俺の身体は目の前の人物にたやすく抱きかかえられ、いま自分が太陽の光が差す部屋にいることに気づく。しかし身体を焼くはずの光を浴びても、俺の身体は崩れ去ることはない。

 

 

 もしかして、と恐る恐る手を目の前に持っていく。

 

 

 視界に入るのは何時も見慣れた骨ばった大人の男の手ではなく、小さく柔らかそうな子ども――いや、正直に言おう――赤ん坊の手だった。

 

 

 俺の脳裏に、エンヤ婆の言葉がよみがえる。

 

 

『すべては始まりに戻り、ゼロからの出発と示されておりまする』

 

 

 俺はこの予言をどんな経緯を辿ろうが、いずれ元の世界に戻ることを示していると思っていた。

 

 だが違う、始まりに戻るものは他にもあったらしい。

 

 

 今の俺は、恐らく爺さんの家に来た当初の年齢の身体だろう。施設の先生に聞いた話によると、恐らく生後六ヶ月程度のはず。

 

 

「おめーらの弟かよ?」

 

「違う……俺たちは二人兄弟だぜッ! 俺と億泰だけだッ!」

 

「そうだぜ~、おふくろも俺がすげーガキのときに死んじまってるしよーッ!」

 

「なら……この赤ん坊、一体どこから来たんだろう?」

 

 

 とりあえず身体が小さくなっているのは、もうしょうがない。どうにもできない部分だと諦めよう。

 

 

 それよりも俺は先ほどから……とても気になっていることがある。

 

 出てきた名前……『仗助』『康一』『億泰』という読んだ覚えのあるこれらの名前。

 

 

 俺を抱き上げている人物を見上げる。リーゼントというインパクトのある髪形をしているが、誰かに似ている顔立ちに特徴的な緑の目。

 

 多分――いや絶対、彼の名前が『仗助』ではないだろうか。

 

 

 つまり……ここって、四部?

 

 

 どうやら再会の約束を果たすことはできそうだ、と俺は少しほっとした。身体が小さくなったのは予定外だが。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

絡み合う因縁

 

 

「おーえうー」

 

「お、話したぜぇ~。なに言ってるかわかんねーけどよー」

 

 

 抱きかかえられたまま、どうにかコミュニケーションを取ろうと声を出してみたのはいいが、舌が回らないというか口が動かず碌に発声できなかった。降ろしてくれって言ったつもりだったのだが。

 

 

 今のまま、ピクテルを出すのは拙いだろうか。むしろ今の俺はスタンドを使えるのか?

 精神が退行していないためピクテルを出すことはできそうだが、赤ん坊の身体なので生命力が足りず実体化は難しいだろう。

 

 

「てめーらッ、なごんでんじゃねーぞーッ!」

 

「あ、兄貴……」

 

「弓から手を離せ、億泰~ッ! 俺の邪魔をするんならよ~、容赦はしねーぜッ!」

 

 

 仗助くんと小柄な少年――康一くんが俺の顔を覗き込んでいると、少し離れた場所に立っていた青年が声を荒げた。

 

 俺はあまり四部の詳細は覚えていないため、いまがどの場面に値するのかは分からない。ただ、この緊迫感が漂った状況であるから、漫画に描かれた場面ではないかと思う。

 

 

「康一……ちょっとこの赤ん坊を頼んだぜ」

 

「わッ!」

 

 

 冷静に状況を見据える仗助くんが、俺を康一くんへ渡して一歩前に出る。康一くんは慌てて俺を受け取り、はらはらとした表情で仗助君と青年達を交互に見ていた。

 

 

『よこせ』

 

「え……?」

 

 

 確か弓と矢って重要なアイテムじゃなかったか、と記憶を探る俺の耳に、聞きなれた声が届いた。奪い取るように俺の身体は康一くんから離れ、白い手を持つ人物に抱きかかえられていた。

 

 

 見上げると其処には少年姿のディオの姿。え、出てこれたのか、というか俺の身体は大丈夫なのか。

 

 ディオの肩の上に現れている仮面姿のピクテルが、手の平サイズの小さなメモ帳程度のスケッチブックを手にしている。もしかして、それは今の俺が出せる最大のサイズなのか。

 

 それに書かれた文字によると、『スケッチブックとキャンバスは別物だから大丈夫』とのこと。ふわっふわな説明ありがとう。あとで詳しく教えてくれ。

 

 

 突然現れたディオに康一くんは後ずさって離れ、青年達も彼らを止めようとしていた仗助くんもこちらを振り向いた。

 

 

「誰だてめーは」

 

『随分とまあ、小さくなったものだなヘーマ。気分はどうだ?』

 

 

 意地悪気に笑いながらディオは聞いてくる。少年姿になったときの仕返しか、俺のほうが状況悪くなってるじゃあないかい。

 

 ところで無視された状態の青年の顔が非常に険しいのだが、それはどうするつもりなのか。

 

 

 俺がしきりに訴えると、ディオは今気づいたとばかりに青年達へ顔を向け、つまらないものを見るような表情を浮かべている。

 

 

『私に意識を向ける前に、屋上にいる覗きをどうにかしたらどうだ』

 

「!」

 

 

 その場にいた全員、一斉に天井を見上げる。明るい空を切り取った明り取りの窓に、こちらを覗きこんでいる人影があった。

 

 

「ひ、人だッ! 屋根の上に人がいるよッ!」

 

「おめーらの身内ってわけじゃあなさそーだな、さっきの言い方じゃあよ~」

 

「当たり前だッ、俺達は三人家族だぜッ」

 

 

 誰もが天井の窓に気をとられていた。億泰と呼ばれた青年の後ろの壁、正確には壁にあるコンセントからバチリと火花が散る。

 静電気のような小ささだったそれは、すぐに人間大の大きさになり億泰くんに向かって腕を振り上げる。

 

 

「億泰ゥーッ! ボケッとしてんじゃあねーぞッ!」

 

 

 億泰くんと共に弓を掴んでいた兄貴と呼ばれた青年が、彼を庇うように殴り飛ばす。その無防備な背に電気のスタンドが拳を当てる瞬間、その姿が横に吹き飛んだ。

 

 

『ぐぁ!』

 

『間に合ったみたいだね、よかった』

 

 

 拳を握り締め、転がる電気のスタンドを見下ろしながら、少し微笑む少年姿のジョナサン。ううむ、こんなに大きいサイズを実体化しているというのに、やはり俺には負担がない。

 

 億泰くんとお兄さんはジョナサンによって助けられ、それまでの怪我はあるが命に関わるようなものはないようだ。彼らは電気のスタンドを睨みつけると、警戒しながら立ち上がる。

 

 

『うぅ……虹村形兆に一発入れることはできなかったが……これは頂いていくぜーッ!』

 

「あッ!? 弓と矢が……電気になっていくッ!」

 

 

 瞬く間に物質である弓と矢がエネルギーである電気に変換されいく。電気のスタンドはニヤリと笑うとコンセントに戻っていった。

 

 

「きさまッ!」

 

『これを利用させてもらうよ~ッ。あんたにこの「矢」でつらぬかれて、スタンドの才能を引き出されたこの俺がなーッ!』

 

 

 形兆くんが自身のスタンドを動かす前に、電気のスタンドは姿を消した。先ほどジョナサンに不意打ちをされたばかりだ、追撃を恐れたのだろう。

 

 乱入者が去り沈黙が広がる部屋の中で、一人だけ動く者がいる。

 

 

「……おやじ、どうしたんだよぉ~?」

 

 

 億泰くんにおやじと呼ばれた、肉の塊に手足と顔のパーツがついたような生き物。彼が酷く怯えた様子で後ずさりながら、俺を見ながら目を見開いていた。

 

 いや、正確に言えば俺ではない。

 

 彼はディオを見て怯えている。

 

 

『どこかで聞いた名前だと思えば、虹村ではないか。ほう、随分と愉快な姿になったな』

 

「うひぃぃぃッ!」

 

『どうやらその姿になっても主人のことは忘れていないらしい。ふむ、なかなか忠誠心が高いじゃあないか。感心感心』

 

 

 蹲る彼を楽しそうに見ながらディオは歩き近寄っていく。俺も抱きかかえられたままのため、一緒に近づいていくのだが……嗜虐的な顔をしているディオをどうやって止めようかと悩む。

 

 

「それ以上動くんじゃあねーよ」

 

 

 掛けられた声にディオの足が止まった。彼の前に立ちはだかるのは仗助くんとそのスタンド。真っ直ぐにディオを見据える目は、ジョナサンや真剣なときのジョセフによく似ている。

 

 

『その目、その顔立ち……ジョースターの一族か』

 

「一応そーみたいだぜー、最近知ったんだけどよぉ~。それより、あんたに聞きてーことがあるぜ」

 

 

 ディオもすぐにジョースターの血筋と気づいたのか、身長差で見上げながら警戒を少し強めたのがわかった。ジョナサンは少し嬉しそうだなあ……ひ孫だぞ、仗助くんは。

 

 

「あんた、さっきおやじさんに向かってよー、主人がどーのこーの言ってたよなぁ~ッ。もしかしてあんたの名前、DIOって言うんじゃねーだろーなぁ~ッ!」

 

「なに~ッ!?」

 

「DIOって……承太郎さんが言っていたッ!?」

 

 

 おや、と見知った名前が出てきて、俺はディオの服を引っ張る。気づいたディオは俺を残念そうな顔で見つめたが、一つ息を吐いてからジョナサンに目配せをした。

 視線を受けたジョナサンは頷き、ディオの横に立ってにこりと笑みを浮かべた。

 

 

『承太郎というのは、空条承太郎であっているかい?』

 

「し、知り合いなんですかッ?」

 

『どうだろう、僕はお互いの名前を知るくらいだ。ひとつお願いしたいのだけど、承太郎と連絡をとって貰えないかな』

 

『“ヘーマが来た”……そう言えば飛んでくるだろうさ』

 

 

 柔らかいジョナサンの態度にまず康一くんの態度が軟化する。まあ、この面子強面だからなぁ、穏やかなジョナサンの空気に安堵するのも分かる。

 ただ、他の三人は未だディオを睨みつけたままだ……ディオも不敵な笑みを返さない。

 

 しばらく睨みあいが続いた後、仗助くんが深々と息を吐いた。

 

 

「しょーがねーなあーッ! とってやるからちょっと待ってろよぉーッ」

 

「仗助くんッ!」

 

「康一ィ~、ちょっと俺の家の電話から、承太郎さんに連絡してきてくれねーか。俺はこいつらの見張り兼治療をしておくからよー」

 

「わ、わかったッ!」

 

 

 慌てて部屋を出ていく康一くんを形兆くんが止めようとしたが、仗助くんが彼の腕を掴んで止めた。そのまま彼のスタンドが形兆くんに手を伸ばし、あっというまに怪我が無くなっていく。

 完治した怪我を見つめながら、形兆くんは複雑な表情を浮かべていた。

 

 

『ほう、良いスタンドだ』

 

「そりゃどーもッス」

 

 

 自分の怪我を痛そうにしながら確認している仗助くんに、ディオが珍しく褒め言葉を言っている。まあ、確かに即座に怪我を完治できるスタンドってすごいよなぁ。

 そんなことを考えていたらピクテルに頬をつねられた。すいません、スタンドがピクテルで本当に良かったです。

 

 

『自分の怪我は治さないのかい?』

 

「俺のスタンドは自分のことは治せねーッスよ。傷の治りは早いけどよー」

 

『そうか……』

 

 

 曾孫が気になるジョナサンは仗助の腕に手を置いた。その手から光が漏れ、徐々に仗助くんの傷が小さくなっていく。

 

 

『治せないと分かっているのなら、もう少し戦い方を考えなくていけないよ』

 

「あんたも治療ができるスタンドを……?」

 

『これは波紋さ』

 

 

 驚く仗助くんと少し得意げなジョナサン。その姿は外見年齢はどうあれ、俺には曾孫を驚かせて嬉しい爺さんにしか見えない。

 

 未だこちらを睨む虹村兄弟の視線を受け流すことに留意して、俺は早く承太郎が来ることを心から願った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とるべき手段とは

 

 

 

 康一くんが連絡を取りに行ってから数十分後、康一くんと承太郎が部屋に入ってきた。中にいる全員を見回してから、いろいろと言葉を飲み込んでいる様子が窺える。きっとどれから突っ込めばいいか迷ったのだろう。康一くんから状況を聞いて、険悪な空気を予想していたと思うし。

 

 

「何故、全員でカードゲームを?」

 

「暇だからッスよ~。そこのスタンドが出してくれたッス」

 

 

 仗助くんがピクテルを指差すと、承太郎にひらひらと手を振るピクテル。当然、彼女の手にもトランプが握られている。

 

 現在、部屋の中で車座に座ってババ抜きの真っ最中である。虹村兄弟に親父さんも参加している……座る位置は俺とディオ、ピクテル、ジョナサン、形兆くん、親父さん、億泰くん、仗助くんの順だ。

 

 俺はカードが持てないし、なにしろディオが俺を離さないのでペアで参加中だ。

 

 

 いや、最初は俺達だけでやっていたのだが、仗助くんが参加してから次々となし崩しに加わっていった。最後まで参加しなかったのは形兆くんだが、ゲームに夢中になってきた億泰くんにせがまれて渋々加わっている。

 ゲームの結果は、顔に全部出る億泰くんがビリだ。

 

 

 承太郎はひとつ頷くと、仗助くんや形兆くんに経緯を確認し始めた。明らかにツッコミどころのディオやジョナサンの姿を流すとは思わなかった。流石は承太郎、全く動じていない。

 

 会話を横で聞いていると、どうやら形兆くん達の親父さんがディオの部下だったらしく、肉の芽なるものを植えつけられており、ディオがこの世界から消えたことで暴走をし始めたらしい。

 それで親父さんが不死の生物となってしまい、人間として死なせてやりたい形兆くんはそれが可能なスタンド使いを弓と矢によって探していたようだ。

 

 ちらりと俺はディオを見上げる。

 

 俺が彼を助けることがなくても、今回のことは起こってしまっただろう。いや、虹村家以外にも同じように肉の芽が暴走した部下がいるはずだ。

 生きているかどうかは分からない。顔が粘土のように崩れていったという表現だと、植えつけられた人によってはその後の人生に絶望し、自殺した者もいるだろう。

 

 承太郎達、SPW財団が彼らを見つけているのかどうかはわからない。特に驚愕した様子がないため、もしかしたら発見済みなのかもしれない。

 

 だとしたら、俺に何か出来ないだろうか。

 

 

「平馬」

 

 

 承太郎の声に俺は顔を上げる。何時の間に近づいていたのか、俺の顔を覗き込むような体勢で其処にしゃがんでいた。少し考えにふけりすぎていたらしい。

 

 

「お前は平馬で間違いないな? DIOといる時点で疑いようがないが」

 

 

 俺は頷いた。身体は小さくなっているが、精神だけは元のままだった。俺の家に来訪してきた彼らのことも、家族のことも……前の人生のことも覚えている。

 

 そして承太郎が言った名前に青年達は反応し、ざわめき出す。

 

 

「いろいろ聞きたいことがある。俺の泊まっているホテルについてきて貰うぜ。いいな?」

 

『ふん、元よりそのために貴様に連絡をとったのだ』

 

『いろいろ、本当に色々話したいことがあるよ……僕も』

 

 

 騒ぐ青年達を振り向くことなく、承太郎は俺達に同行を求めた。同意し立ち上がるディオ達を確認してから、青年達にお前達もついて来いと一声かけて部屋を出て行く。俺達が続くと、慌てて青年達も部屋を飛び出してきた。

 

 

「俺の借りている車は五人乗りなんでな。ディオとそいつは戻してくれ」

 

 

 虹村家の門の前、路駐をしている車は確かに多く乗れても五人。ディオとジョナサンを見ると片方は不機嫌そうに、片方は微笑んで頷いている。ピクテルが二つの額に入ったキャンバスを取り出し、ディオとジョナサンの前に浮かべた。

 

 ディオは俺を抱えたまま、康一くんの前に立つ。

 

 

『小僧』

 

「エッ、はいィッ!?」

 

『一時的に貴様に預ける。傷つけることは許さん』

 

「わ、わかりましたァッ!」

 

 

 康一くんはビクビクと怯えながらも、ディオから俺を受け取る。ディオは彼がしっかり抱いたことを確認してから、キャンバスに向けて手を伸ばした。

 

 するするとディオの身体が中に飲み込まれ全部入った後、仗助くんがもの珍しそうに絵を覗き込んでいる。よく分からないものに近づくなんて、度胸が据わっている子だ。

 

 それぞれ車に乗り込むと、重苦しい空気漂うドライブの時間、という出来るだけ体験したくはないものを経験しながら、車はホテルへと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――起きろ、平馬」

 

 

 ゆさゆさと身体を揺すられて、俺は自分が眠っていたことに気づいた。車ってどうしてこうも眠くなるんだろう。

 

 ぼんやりと目を擦りながら見上げると、そこには呆れた表情で俺を覗き込むディオとジョナサン、真顔の承太郎がいた。はて、ホテルに着いたのだろうか。

 

 

『本当に良く寝ていたね。説明全部終わっちゃったよ』

 

『肉体は完全に赤子のようだな、本能には勝てんか』

 

 

 え。

 

 俺は慌てて起き上がろうとするが、手足をばたつかせるだけだった。うう、筋力が足りないから上手く動けぬ……ッ!

 奮闘している俺を見かねたのか、ジョナサンが俺を抱き上げる。高くなった視界で辺りを見ると、割と豪華な部屋が目に入った。未だかつて泊まったことがないレベルの部屋だ。うらやましいが、承太郎ほどの体躯だと安い部屋のベッドじゃあ寝にくいだろうな。俺が寝ていたであろう、広いベッドを見ながら納得する。

 

 その部屋の中でソファーに座る学生服の青年達が四人、俺のほうを微妙な表情で見ているのは……俺の中身が成人間際ということを知ったのだろう。

 困惑と同情と警戒が入り混じった複雑な表情だ。なんだろう、胸に酷く突き刺さる。

 

 

「途中、少々イザコザはあったが……全員事情は把握済みだ」

 

『イザコザというか、一触即発というか……大変だったんだよ?』

 

 

 疲れた表情のジョナサンに、俺は思わず頭を下げる。暢気に眠っていてごめんなさい。

 

 一触即発だったのは虹村兄弟とディオだろうなあ、と承太郎の資料であろう本を読んでいるディオを横目で見る。きっと悪どく煽ったに違いない。

 

 そういえば、虹村兄弟の親父さんはディオの部下だったのだから、スタンド使いなのだろうけれど……一体どんな能力だったのだろうか。

 

 

『ん? 虹村の能力は千里眼といえばいいのか。ある程度のデータは必要だが、世界の何処にいても確認できていたぞ』

 

 ピクテル経由でディオに聞いてみると、あっさりと教えてくれた。どうやら隠すつもりはないらしい。しかし便利だなぁ、千里眼なんて。データがあれば遠くの景色も見れるのか……ん?

 

 

「……もしかしてだが……十年前のとき、やけに俺達が行く先々に刺客が現れたのは」

 

『虹村の能力だな』

 

 

 嫌そうな顔で尋ねる承太郎に、楽しそうに答えるディオだった。確かに千里眼的な能力があれば、先回りし放題だ。

 非常に有用な能力だった上に、ディオに心から心酔していたわけではないからこそ、親父さんは肉の芽を埋め込まれたのだろう。ディオは用心深い奴だから、他にもそんな協力者達がいたのかもしれない。

 

 しかし、肉の芽が暴走したというのなら、暴走を抑える方法はどうすればいいだろうか。

 

 一つは俺が吸血鬼になり、彼を吸血鬼とする方法。正確にはゾンビになるが、ゾンビになることが出来れば太陽が弱点となり、死ぬことは可能になる。

 

 ただし、これは俺が赤ん坊の姿で吸血鬼になってしまうことと、親父さんの命が助からなくなる。最後の最後、どうしても他の方法がないときにのみ、選べる手段だろう。

 

 一つは仗助くんみたいに治療ができる、または元に戻すことが出来るスタンド使いを探す。今のところ候補はいないが、肉の芽の暴走初期ならともかく、全身に融合した今では治療も難しいだろう。

 

 最後は、賭けになる。できるかどうかわからない上に、できたとしても結果が良い方向に行くかどうかもわからない。

 

 家族の承諾が必要だな、とピクテルに代筆を頼んで俺は承太郎を呼び寄せた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ただいま実験中


執筆中にパソコンが再起動……泣く泣く書き直してできました。




 

 

 承太郎に提案した実験は、一部成功という結果に終わった。何をしたかというと、俺の髪の毛を親父さんに食べさせてみたのだ。

 

 肉の芽とディオの身体の繋がりが絶たれた為に暴走したのなら、新たな繋がりを構築すれば通常の肉の芽に戻るのではないか。

 

 

 そこで正確性には欠けるが、おそらくディオの遺伝子的な繋がりがありそうな、吸血鬼っぽい俺である。

 

 

 虹村家にて、切った俺の髪を親父さんの口に放り込んでみたら、膨張した肉はそのままだが、肌がブツブツではなく少しすべらかになったのみ。

 

 成功したとも言い切れない結果になり、落ち込む虹村兄弟を仗助くんと康一くんが元気付けていた。本当に中途半端でごめんなさい。

 

 

 

 

『失敗の原因は、ヘーマが完全な吸血鬼ではない点だろう』

 

 

 実験から数日後、ホテルの承太郎の部屋にてソファーに座りながら、スラスラと万年筆で実験結果をまとめていたディオが、ペンを置いてそう言った。お前似合うなぁ、レポート纏める姿。

 

 

『少しとはいえ……改善しているのならば方法としてそれほど間違っているわけではない。だが、元は吸血鬼である私の細胞に、今のヘーマが近いとは思えん』

 

「つまり現状では改善が難しいと」

 

『この案ではそうなるな』

 

 

 きっぱりとディオに断言され、俺は顔を覆う……手が小さくて覆いきれないぞチクショウ。

 

 

『もしくは、東方仗助の能力次第だな』

 

 

 ダブルショックに落ち込んでいた俺だが、続いたディオの言葉に顔をあげる。ようは認識の問題だと彼は言った。

 

 

『ヤツは虹村が十年間探し続けた、破れている古い写真を直してみせた。つまり十年以上壊れたままのものでも、直せるということだ。

 今の虹村の状態を肉の芽によって壊れたものとヤツが認識できれば、崩れる前の身体に戻るやもしれん』

 

 

 目から鱗だった。

 

 つまり、仗助くんに長い時間をかけて壊れたものを直させてみて、『可能』という認識を植え付ければいいということか。

 長い時間をかけて壊れたものってなんだろう。風化したものって直せるのだろうか、そこのところをうまく認識を誘導しないと、できないという考えに固定されてしまう危険性もある。

 

 

『元の形に戻すということは、物体が経験した時間を巻き戻すということにもなる。今は直すことのみに目が行っているようだがな……ん、巻き戻す……』

 

 

 本当にとんでもないスタンドだよなぁ、クレイジー・ダイヤモンド。ディオや承太郎の時を止める能力もすごいけど、巻き戻せるって便利だよなぁ。

 

 ピクテルが俺の頬を両側から引っ張る。お前も便利だから安心なさい、だから手を放してください……嫌だじゃないです。

 

 俺がピクテルとの攻防を繰り返していると、何か考え込んでいたディオが顔を上げた。

 

 

『承太郎……アレッシーは生きているか?』

 

「アレッシー?」

 

『セト神のスタンドを持った男だ。対象を若返らせる力を持っている』

 

 

 心当たりがあったのか、承太郎がハッとした表情を浮かべた。なるほど、と呟いた彼は机の上の電話でどこかに連絡をし始める。

 

 

 どういうことだ、とバシバシとシーツを叩いてディオの気を引いてみると、何故か抱き上げられた。違う、抱っこをせがんだんじゃない。解っててやっているだろうお前。

 

 

『虹村を額に肉の芽がある年齢に調節して若返らせ、その時に肉の芽をとればどうなるのかと思ってな』

 

 

 あやすように背中をリズムよく叩くディオ……嫌がらせか、嫌がらせなんだなコノヤロウ。

 

 若い頃に戻すか……でも、戻った瞬間に肉の芽が暴走し始めることにはならないのだろうか。多少ではあるが、俺の髪の毛でも効果があった為、すぐに暴走はしないと思いたいが。

 

 

「どうやら今すぐには連絡が取れないようだ。居場所がわかりしだい、報告が来るようにしておいた」

 

『あくまで可能性の一つだ。別にヘーマも急がんだろう……それより東方仗助の能力の調整方法を検討するべきだな』

 

 

 受話器を置いた承太郎に頷くディオ。この二人が揃うと物事がテキパキとスムーズに進むな。なんというハイスペック……俺、必要なんだろうか。ここに美喜ちゃんを投入すると、またカオスになるんだろうなぁ。

 

 

 ディオの肩あたりの服を掴んで、ため息をつく俺。そんな俺を励ますつもりなのか、ガラガラを手に持って、頭を撫でてくるピクテル。

 

 ガラガラはどうして持っているんだい、ピクテルさんや。

 

 聞くと仗助くんに貰ったらしい。ほう……流石はジョセフの息子だ。今度来たときは覚えていろ。

 

 

 復讐計画を練りながら、俺はそのまま眠りの世界へ旅立った。リズムよい振動って赤ん坊には心地よすぎるぜ……ちょうなきたい。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 次の日、朝の散歩から戻ってきた承太郎に連れられて、俺は外に出た。海岸の近くにまで歩き続けた承太郎は、辺りを見回してからようやく口を開いた。

 

 

「つい先ほど、SPW財団経由で伝言があった。ジジイが明日の正午に港に着くらしい」

 

 

 ジョセフが来る、その言葉に俺は目を見開いた。何故、というかアイツはもう八十近い年齢だったはずだが、この危険なときにこの町に来て大丈夫なのだろうか。

 

 俺の言いたいことがわかっているのか、承太郎が必要だから来るんだと首を振った。

 

 

「俺がこの杜王町に来たのも、ジジイがこの町に潜むスタンド使いを念写したからだ。今回も音石がどこに潜伏しているのか、探るつもりなんだろうぜ」

 

 

 それだけじゃあねえだろうがな、と憂い顔の承太郎に俺は苦笑を浮かべるしかない。

 

 

 電気のスタンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーの本体こと音石明は、虹村家から弓と矢を盗んだ後、その姿を晦ませていた。

 音石のスタンドを目覚めさせた形兆くんが素性を知っていたのだが、流石にそのままそこで生活をするようなことはせず、所在が不明になっていた。

 

 一度承太郎に警告の連絡をしてきていたが、慎重な性格なのかそれきり接触がない。

 

 

 そんな音石を探すのに、ジョセフの念写はとても重要な手がかりとなる。

 

 

「ようやくおばあちゃんの怒りが落ち着いてきたってのに、またこじれなきゃあいいが」

 

 

 承太郎によると、多少どころでない私情が挟まっているようだけれど。まあ、恋した女性と息子に会いたい気持ちは分かるけどさ、スージーQさんのことを考えるとなぁ。ううむ。

 

 

『ジョセフの奥さんがどうして怒っているんだい? 孫に会いに来るなら一緒にくればいいのに』

 

 

 俺はそのとき、承太郎が固まったのを見た。

 

 そういえば俺達、承太郎から仗助くんの家族構成聞いてないな。俺は漫画で知っていたから特に聞かなかったし、てっきり俺が寝ている間に聞いているものかと思っていた。

 

 

 つまり、ジョナサンは知らないらしい。

 

 

『なんだジョジョ、お前気づいてなかったのか』

 

『ディオ、なんのことかな?』

 

『東方仗助が、ジョセフ・ジョースターの孫ではなく……息子だということを、だ』

 

 

 どう説明するか悩んでいる承太郎の横で、ディオが朗らかに笑いながらあっさりばらした。

 

 突如聞かされた事実に固まるジョナサンに、楽しそうに話し続けるディオ。うん、いまのお前はすごく輝いているよ。

 

 

『つまり妻がいるにも関わらず、年下の若い女と浮気をして出来た子供が東方仗助ということだ。一途に過ぎるジョースター一族とは、とても思えんほど破天荒な男だな』

 

 

 そこまでにしてあげてディオ、ジョナサンが固まって再起動していない。承太郎もどう声を掛けたらいいのか考えているのか、深い深いため息をついた。

 

 

「一息ついたら、説教でもしてやってくれ。仗助の前以外でな」

 

『――そうだね、これは……教育が必要かな』

 

 

 静かに微笑を浮かべるジョナサンは、何故かとても怖かった。俺もジョセフに会ったら前回の説教をするつもりだったのだが、どうやら俺の取り分は残ってなさそうだ。

 

 

 そこの面白い方向に誘導できたと満足げな表情をしているディオと、親指を上に立てているピクテル。ジョナサンに見つかる前に早くやめときなさい。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

手札のなかより最善を

 

 

 ジョセフが来る日、俺はホテルにて留守番をしていた。

 

 音石のスタンドが一昨日の夜に仗助くんの家へと現れたようで、万が一にもジョセフについて知られるわけにはいかない。そのため承太郎が出かけるのを見送った後、俺はいつものようにホテルの部屋にて動く練習中だ。

 

 ハイハイの練習とも言う。

 

 

『進まんな』

 

『頑張ってヘーマ』

 

「うー……」

 

 

 何故俺は、二回も追加でハイハイの練習をしなくちゃあいけないのだろうな。なかなか思わしくない習得具合に、俺は焦りと苛立ちによる気苦労からへこたれそうになる。

 

 読書をしながら横目で俺の様子を確認しているディオと、俺の目標物として練習に付き合ってくれているジョナサン。二人の対応が段々優しくなってきたのも、俺の精神的ダメージを増加する理由のひとつなんだけれどな。

 

 ディオが物凄く優しく笑いながら焦るなとか言い出したんだぜ、昨日。しかも本人の悪気が全くなしで、だ。目を疑うよりも先に、手の平で目を覆ったよ……泣きそうで。

 

 

 ピクテルはふわふわと俺の周りを浮いていたが、ふと何か思いついたのか手の平をぽんと叩いた。俺に向かって指で丸を作り、いそいそとした雰囲気をかもし出している。

 

 いったい何をする気だお前、といぶかしんでいると、彼女は真っ白いキャンバスを取り出した。

 

 

『……パワーが足りないのではなかったのか?』

 

 

 驚いた表情のディオが読書の手を止めてピクテルに問いかける。この世界に来てから彼女に聞いた話によると、スケッチブックとキャンバスでは生命力を必要とする段階が違うとのことだった。

 

 スケッチブックはそれ自体を生み出すのに生命力はさほど必要ではないが、描いたものを実体化させることにはそれ相応の生命力がいるらしい。

 

 小さなもの、単純な能力のものであれば負担は少なく、大きなものや特殊な構造、能力をもったものであればあるほど負担は大きくなるそうだ。

 

 

 反対にキャンバスは対象を封印することがメインの能力のため、キャンバス自体を作るときが一番生命力を使うのだと。

 

 その反面、封印されたものの実体化はキャンパス自体に宿った生命力を使うため、本体に負担はないそうだ。

 

 キャンバスの作成に必要な生命力の量は、成人間際の俺でも準備なしに作れば、下手をすると息絶えることもありえると彼女は俺達に伝えていた。

 

 それなのに、なぜキャンバスを出せたのかと聞いてみると、以前に作ったものの残りだとのことだった。以前とはピクテルが最初に仮面を外したときのことらしい。そういえば、彼女の背にいくつかキャンバスが浮いていたなぁ……ジョナサンや爺さんのスタンドにもそれを使ったのだろう。

 

 

 

 納得し頷いていた俺だが、結局それをどうするつもりなんだと聞く前に、彼女は俺に向かってキャンバスを振り下ろしていた。

 

 

 目を見開いた俺は迫り来る白いキャンバスと、焦った表情のディオとジョナサンが俺に向かって駆け寄ろうとしているのを見た。

 

 ぬるりと身体が何かを通る感覚と、何故かとてもあたたかさを覚える暗闇に身を浮かべたと思うと、すぐにそれらから抜け出させるように後ろに引っ張られた。

 

 そして目に入るのはホテルの部屋の天井と、ひらひらと手を振るピクテルの姿。

 

 

「いきなり何を……ッ!?」

 

 

 母音にしか変換されなかった声が、思ったとおりに発声される。

 

 思わず口元を手で覆うと、小さい赤ん坊の手では唇しか隠すこともできなかったというのに、鼻も余裕で覆えてしまっている。

 

 口から手を離してみると、それは最近見慣れてきた小さなもみじの手ではなく、硬く筋張った大人の男の手。

 

 これはつまり、キャンバスに本体を封印して、外に出る姿を実体化させたのだろうか。

 

 

『……とりあえず、服を着てから考えたらどうだ』

 

 

 驚き固まっている俺を見かねたのか、ディオが俺にタオルケットを掛けてきた。そして俺は視線を下に向ける……なんで何も身に着けてないんだピクテルやい。首だけだったディオは服を着ていただろうが。

 

 両手を仮面の前で合わせているピクテルによると、封印してすぐに出したので衣装を設定する暇がなかった、とのこと。

 

 

「つまり、その気になればディオたちを真っ裸で放り出せると」

 

『止めろッ!?』

 

『間違ってもやらないでよッ!?』

 

 

 これは良いことを聞いたと笑みを浮かべる俺を見て、二人は顔を引きつらせる。

 

 

「もちろん冗談だって。そんな酷いことは流石に出来ないって俺も」

 

『お前はやらなくてもピクテルがやるだろうがッ!』

 

『ヘーマは止めてね、やろうとした素振りがあったら止めてねッ!』

 

 

 なんて信用がないんだピクテル。

 

 必死に言う二人の向こうで、己の行動を省みているのかピクテルが落ち込んでいる。仮面姿のためそのように見えるというだけだが、間違ってはいないだろう。

 

 

 少々興奮状態に陥った二人がなんとか沈静化したあと、ピクテルによる俺の現状の補足が入った。

 

 今の俺の身体はピクテルが実体化したものだが、元が赤ん坊の体のため生命力は低く、スケッチブックの能力も省エネモードでしか使用が出来ないようだ。

 

 本来、封印されたものたちはキャンバスからの補正を受けられるそうだが、本体である俺は例外らしい。補正のおかげで幽霊のジョナサンや首だけだったディオにも身体があるのだろう。

 

 生命維持については実体化した身体で飲食をすることで本体にも栄養がいくが、封印されている状態だと成長ができないらしく、赤ん坊並みの生命力が低い状態が続くことになるそうだ。

 

 

 よって封印による実体化は一時的なものとして行い、普段は赤ん坊の姿でゆっくり成長をしたほうが良い――とのことだった。

 

 

「それでも、意思疎通が楽になるのはよかった……うぅッ」

 

『こいつ本気で泣いているな……」

 

『仕方がないさ、僕も泣くよ……ヘーマの立場になったら』

 

 

 承太郎の服を着込みながらぐずる俺を、ピクテルがやさしく頭を撫でる。ありがとう、ピクテル……マジでありがとう、こんな方法思いついてくれて。

 

 俺の言葉に照れている様子のピクテルは、かぽっと仮面を外して微笑むと俺に抱きつき擦り寄ってきた。……ああ、その姿も負担としては問題ないのか。

 久方ぶりに擦り寄る彼女の頭を撫でていると、どこかつまらなさそうなディオの姿に気づく。

 

 

「なんだ、ディオもかまってほしいのか」

 

『惚れた女には手を出せないへたれが、自身のスタンドで擬似恋愛、か……虚しいことだな』

 

「久しぶりの真っ向な毒舌ッ! そしてそんなことしてないから俺ッ!」

 

 

 可哀想なものを見る視線が、意地悪だが柔らかい対応のディオに慣れ始めていた俺の心をえぐる。わかってる、俺が余計なちゃちゃを入れるから、何倍にもなって返ってくることは分かっている。

 

 まあ、反応が面白くてやっちゃう部分もあるからな、止められない。

 

 

「よーし、これでジョセフの説教が俺にも出来るな」

 

『でも、赤ん坊の生命力のままなのだから、無理はだめだよ。大丈夫僕に任せてくれ』

 

 

 任せた方がジョセフの生命が脅かされる気がするのはきっと気のせいではない。やる気満々のジョナサンを頬を引きつらせて見ているしかない俺に、ディオがそっと耳元で話す。

 

 

『馬鹿者、思い出させてどうするんだ。せっかく落ち着いたというのに』

 

「開放感からつい……どうしよう、俺にはジョナサンを止められないし」

 

 

 波紋を使っているところに触れたら、流石に今の生命力では死ぬかもしれない。ディオも俺の擬似スタンド化で太陽の下を歩けるとはいえ、波紋を流されたら封印されている本体にも影響があるだろう。

 

 

『ひとつ俺に案がある』

 

「乗った」

 

 

 自信有り気なディオの表情に、俺は迷わず頷いた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「……何があった」

 

 

 ホテルの部屋に帰ってきた承太郎は、成人姿の俺を見て胡乱な目を向けた。

 

 

「意思疎通の方法を見つけただけだ。完全に成人になったわけじゃあないさ……ジョセフはさっさと入って来い」

 

「う、うむ……久しぶりじゃの、ヘーマよ」

 

 

 少しビクついた様子でジョセフは承太郎の後ろから姿を現した。

 

 それは前回会ったときとは違う老人然とした姿…………ではなく、多少老け込んではいるが、未だその体躯は筋骨隆々としたものだった。

 

 ……あれ、俺の薄っすらとした記憶だと、四部ではすっかり爺さんになっていなかったか?

 

 

「驚くのも無理はねえぜ。到底七十九の身体じゃあねえからな」

 

「何を言うんじゃ。わしの母親やシーザーを見てみんか、あれらに比べたら常識的じゃろ、わしも」

 

「波紋っていうのを使わねえのに、その姿を維持しているじじいが変だと本人達は言っていたが」

 

 

 憤慨しているジョセフを見ていると、どうやら足は義足のようで杖をついているが、それ以外は健康体のようらしい。いったい何が違うのだろうと考えるが、今はそれは問題ではないと思考を後回しにする。

 

 

「ピクテル」

 

「ノォォォォッ!?」

 

「じじいッ! おい、ヘーマッ!?」

 

 

 俺の呼びかけに、ピクテルは再び被っていた仮面を外し、にっこりとジョセフに向かって微笑んだ。ピクテルの姿にジョセフが気をとられているうちにと、こっそり足元に出したキャンバスへジョセフは飲み込まる。

 

 突然消えたジョセフに驚いた承太郎が俺を睨むが、続いてピクテルによってキャンバスから放り出されたジョセフを見て固まった。

 

 

「い、いきなり何するんじゃあッ! わしの心臓を止める気かッ!」

 

「その姿に、じいさん言葉は合わないなぁ」

 

「む?」

 

 

 胸の辺りの服を掴みながら憤慨するジョセフに、鏡を見せる。其処に映るのは老人ではない。ジョナサンに、承太郎によく似た……若き頃のジョセフの姿。

 

 

『これで、心置きなく教育ができるね。ありがとうヘーマ、ディオ』

 

 

 そして、ピクテルによって姿を少年から青年へ変えたジョナサンは、にっこりと笑みを浮かべて拳を鳴らしている。

 

 冷や汗を流しながらジョナサンを見たジョセフが、ギリギリと音が出そうな鈍い動きで俺の方を向き、縋るように見た。俺はそれから目を逸らすしかない。

 

 

『さ、外に行くよジョセフ』

 

「ヘ、ヘルプだヘーマァッ! エリナおばあちゃんが怒っている時と同じヤバさを感じるッ!」

 

「頑張って絞られてこい」

 

 

 襟首を掴まれて部屋から引きづり出されるジョセフを見ていると、頭のなかでドナドナの曲が流れ出した。強く生きろよ、ジョセフ。

 

 そして部屋には、腹を抱えて蹲っているディオと、疲れた表情の承太郎、唖然とした表情で部屋から出て行ったジョナサンとジョセフを見つめる少年達の姿があった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

約束されたもの

 

 

 呆然と廊下を見つめていた少年達だが、我に返ったのかわたわたと慌て始めた。

 

 

「い、いまジョセフじいちゃんが若くなって、ジョセフじいちゃんに似た人に連れて行かれたッ」

 

「ドナテロもそう見えた? よかったぁ、僕の目が悪くなったんだと思った」

 

「ほっとしている場合かよリキエルッ! なんかヤバそうな感じだっただろ!」

 

「落ち着けよドナテロ。まずは部屋に入ろう、仗助兄ちゃん達もさ」

 

「お、おう」

 

 

 総勢六名の少年達がずらずらと部屋に入ってくる。そのうちの三人は仗助くん達だが、残りは十歳前後の少年達だった。

 

 そのうちの一人、一番年上に見える少年がベッドに座っている俺に気づくと、笑みを浮かべて駆け寄り、抱きついてきた。

 

 

「ヘーマパパッ!」

 

 

 その呼び方で俺を呼ぶのは二人しかいない。一人はハルノ、もう一人は――黒髪の、小さな小さな子供。

 

 

「ウンガロ……?」

 

「そうだよヘーマパパ、俺……ウンガロだよ」

 

 

 抱きついてきた少年の頬に手を滑らす。記憶の中でふくふくとしていた丸い頬は、成長のためかすっきりとしていた。背も、もう俺の胸の下くらいになって、伸びる手足はしなやかに健康的だ。

 

 ぽろりと、俺の目から雫がこぼれる。

 

 心から溢れる歓喜と共に、俺はウンガロを抱きしめた。

 

 

「ありがとう、覚えていてくれて……生きていてくれて……ッ」

 

 

 よかった、生きてた。承太郎達はちゃんと約束を守ってくれていた。

 

 泣きながらぎゅうぎゅうと力を込める俺を見上げていたウンガロが、くしゃりと顔をゆがめた。ヘーマパパ、と震える声で呟く彼の頭をそっと撫でる。

 

 

「まだ……まだ、兄ちゃんが見つかってないんだ。レオーネ兄ちゃんも承太郎兄ちゃんも探してるけど、兄ちゃん……見つからないんだッ!」

 

「ウンガロ」

 

「おれ、おれだけッ……おればっかり…………ッ」

 

 

 ウンガロのその後の言葉は、声になることはなかった。泣き声を押し殺していたからだろう、俺の服を握り締めながら、ウンガロはただただ嘆いていた。

 

 とても、優しい子に育ったな。

 

 見つからないハルノがとても心配なのだろう、自分が何かできないことが、自分ばかり恵まれているのが辛いのだろう。

 

 もしかしたら、ずっと溜め込んでいたのかもしれない。ジョセフ達にに心配をかけまいと、まだ幼い心の中に。

 

 俺はウンガロ、と声をかける。口元を噤みながら、ウンガロは視線を俺の顔に向けた。

 

 

「俺も探すよ、ハルノを……ようやく、探せる。……大丈夫、きっと見つかるさ。何しろ俺が探すんだからな」

 

「十年……見つからなかったんだよ?」

 

「まだ十年しか経ってない、そう考えるんだ」

 

 

 ぽんぽんと、ウンガロの背を叩く。

 

 そう、まだ十年。いつもは五十年が過ぎていたのに、今回はまだ五分の一だ。

 

 だからきっと会える。

 

 

「パパに任せろ。ハルノはきっと見つけてみせる」

 

 

 笑顔を向けて、ぐりぐりとウンガロの頭を撫でる。少しだけでも信じてくれたのか、ウンガロは小さく頷いた。

 

 

 

「……なあ、俺達ちょっと外に出ていたほうがいーのかな?」

 

「ドナテロ、しーッ! 静かにしないとッ」

 

「二人とも声がでけーよッ! いまはなぁー、黙って見守るシーンなんだぜ~ッ!」

 

「億泰くんの声のほうが大きいよッ」

 

 

 わざわざソファーの背に隠れながら、こちらをちらちら覗いている少年達。変な気を回していないで其処から出てきなさい。

 

 

「なにやってんだよ、ドナテロとリキエルは」

 

「だって……」

 

 

 呆れた声でウンガロが少年二人を呼ぶと、おずおずと二人は顔を出してこちらに近づいてきた。なんというか、近づき方が体験で猛獣に餌をやるサファリパークの客みたいなのだが。

 

 

「怯えられてるなあ」

 

「ッ! あ、あのッ、怖いとかじゃなくて!」

 

「その、貴方がウンガロが言う『ヘーマパパ』だと分かるんですけど、えっと……」

 

 

 初対面で嫌われたかと内心落ち込んでいると、察したのか慌てて首を横に振る少年達。しばらくもじもじとしている二人を見かねたのか、ウンガロが声をかける。

 

 

「もしかして、なんて呼べばいいのか迷っているとか?」

 

「……うん」

 

 

 まあ、確かに俺は実際の父親ではないし、初対面である二人は俺の名前を知っているかどうかも分からない。

 

 

「俺は中野平馬という。十年前にウンガロとハルノに会ったことがあって、そのときにヘーマパパと呼ばれていた。君達の名前も聞いていいか?」

 

「僕はリキエルです」

 

「ドナテロ、です」

 

「リキエルとドナテロな。俺のことは好きなように呼んでいいよ。呼び捨てでもかまわない」

 

 

 今にもウンガロの後ろに隠れそうな二人に、苦笑を浮かべながらしゃがみこむ。ああ、ちょっとジョセフの気持ちも分かる気がする、実際の父親ではないが、初めて会う息子ってどう対応すればいいのか全く分からない。

 

 フレンドリーに接するのも、真面目に接するのも、嫌われたらどうしようという俺の心ばかり先行して、無難な対応しか取れないものなんだな。

 

 ジョセフも相当な覚悟を決めて、仗助くんに会いに来たのだろう。俺はもう少しジョセフの助力をしようと心に決めた。

 

 

 じっと二人の反応を待っていると、リキエルがじゃあ、と口を開いた。

 

 

「僕も、ヘーマパパって呼んでいいですか」

 

「かまわない」

 

「俺も、いい?」

 

「ああ、よろしくなリキエル、ドナテロ」

 

 

 ほっとした顔をする二人の頭を撫でると、嬉しそうに笑ってくれた。ああ、可愛いなあ、もう。三人まとめて抱きしめると、口々に苦しいと言いながらも笑っていた。

 

 

 ちらりと背後にいるディオの様子を見る。無表情で俺達を見る彼の内心は、ちら見程度では量れない。後で話してみなくては、と吐きそうになるため息をぐっと耐えた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 一通り笑ってからお茶をみんなに用意する。

 

 今回ジョセフが来日した一番の理由、スタンド使いの音石についてだが、どうにか確保ができたようだ。なんでもジョセフが音石を探すことが可能なスタンドということがばれてしまい、それで急遽港と船上で音石と戦うことになったとのこと。

 

 

「ぶっちゃけ、ジョセフに護衛は必要なのか? 義足とはいえ、アイツの戦闘力はその程度じゃ落ちないだろ」

 

「念のためとウンガロ達の安全がメインだな、実際は」

 

 

 あっさり頷く承太郎に、やっぱりかと笑う俺。漫画でどうだったかはもはや覚えていないが、あの筋肉を維持するには毎日のように鍛えないと無理だろう。恐らくシーザーが原因と俺は見る。

 

 

『ただいま』

 

「……おかえり、ジョナサン」

 

 

 俺が成人姿になっている理由などを説明していると、晴れ晴れとした表情のジョナサンが、肩にジョセフを担いで戻ってきた。

 ぐったりしているジョセフだが、息はしているよな?

 

 ベッドに横たえられたジョセフを見て、慌てた様子の仗助くん達が確かめて、胸をなでおろしているので大丈夫のようだ。

 

 

『ふふ、孫と手合わせできるなんて思わなかったから、つい力が入っちゃったよ』

 

「……そうか。ジョセフは強かったか?」

 

『うん、強いというよりも上手いかな。何をしてくるか分からなくて、楽しかった』

 

 

 パワータイプのジョナサンに、テクニックタイプのジョセフ。漫画を思い出すとジョセフの方が、相手が格上ばかりで経験が多そうだが、それに勝るとはジョナサンの素質は本当にとんでもない。

 

 

「そこに曾孫と玄孫もいるけど、手合わせするか?」

 

「えッ」

 

「なッ」

 

『機会があればお願いしたいなあ』

 

 

 ニヤリと笑って仗助くんと承太郎を指差すと、ジョナサンは嬉しそうに頷いた。ふられた二人は何故こっちに振るんだと非難の目を俺に向ける。

 

 

 いやあ、俺ってば思い出しちゃってさぁ。

 仗助くんにはガラガラの礼と、承太郎って確か……結婚して子供がいたけれど、仕事にかまけて蔑ろにしていたよなあ?

 

 

 くいくいと服を引っ張る感触に顔を右下に向けると、ドナテロがしかめっ面で承太郎を指差している。

 

 

「ヘーマパパ、承太郎兄ちゃんのこと叱ってやってよ。仕事ばっかりで徐倫のことほったらかしなんだぜ!」

 

「徐倫、というのは承太郎の子供か、ドナテロ」

 

「娘だよ」

 

「ほう……情報提供感謝だ」

 

 

 ギロリと承太郎を睨みつけると、小さく肩が動くのを見た。ほうほう、自覚は有り、と。

 

 

「ジョナサン」

 

『うん、承太郎にも必要みたいだね。今日はヘーマの負担が大きいから、明日にしようか。仗助はどうする?』

 

「え、俺は」

 

「強制で」

 

「何故にッ!?」

 

 

 にこやかに判決を下すジョナサンに、目元を覆う承太郎と、無理やり入れ込まれて嘆く仗助くんの肩を康一くんが叩いた。

 

 

 いやあ、明日が楽しみだなッ!

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

騒動の影

 

 

 次の日の朝。俺はディオに拉致られていた。

 

 

「自分の絵以外にも入れるんだな……俺だけだろうけど」

 

 

 ちなみに、今居る場所はディオが封じられている絵の中である。起床直後にピクテルが俺をひっつかんで放り込んだ。どうやら俺が起きる前にディオと話をつけていたらしい。

 

 

 そしてその犯人であるディオだが、俺の背中を枕にして寝転がっている。その状態になってから随分と時間がたつが、彼は全く動こうとしなかった。

 

 眠っていないことはわかるのだが、そろそろ俺が辛くなってきた。寝返りをうちたい。

 

 

「随分と」

 

「ん?」

 

「育つ環境で異なるのだな」

 

 

 この俺の血を引いているというのにと、ディオは小さな声で言った。

 

 ウンガロ達のことを言っているのだろう。俺は振り返ろうと身体を起き上がらせたが、ディオによって強引にうつ伏せ状態に戻された。どうやら振り向いて欲しくないらしい。

 

 打ち付けた顎をさすりながら、育ての親である二人を思い浮かべる。

 

 

「明るいジョセフとスージーさんに育てられているからな。環境は確かにいいか」

 

「三人ともどこかお前に似ていた。ジョジョでも、俺でもなく」

 

「そうか?」

 

 

 似ているといっても、自分自身を客観的に見ることが出来ないため、俺には良く分からない。

 

 しばらく沈黙が続く。俺はただじっと、ディオが話し始めるのを辛抱強く待った。

 

 

「……絵は描かないのか」

 

「は?」

 

「この時代に来てしばらく経つが、お前が絵を描いているのを見ていない」

 

「いや、まあ、小さすぎて鉛筆自体持てなかったからな」

 

 

 予想していた方向とは異なる言葉を投げかけられ、思わず気が抜けた回答を返す。絵ね……確かに描いてないな。そう言われると描きたくなってくるじゃあないか。

 

 

「そうだな、明日までに道具を揃えてスケッチにでも行こうかな。弁当を持ってピクニックもいいかもしれないなぁ」

 

「……それでいい。ジョジョと行って来い」

 

 

 後ろからクスクスと笑う声がする。少しだけ気分が上昇したのだろうか。

 ディオは来ないのか、と俺が尋ねると、彼は考えたいことがあるのだと。

 

 

「もう戻れ」

 

「え」

 

 

 背中の重みが無くなったと思えば、襟首をつかまれ引っ張られる。ぬるい感触を通り抜けると、俺は砂浜に座り込んでいた。

 

 

「あッ! おはようございます平馬さん」

 

「康一くん……おはよう」

 

 

 少し前に座っていた康一くんが振り返って挨拶をしてくれた。ふと上を見上げるとふよふよ漂う仮面のピクテルの姿。さっき引っ張ったのは彼女のようだ。

 

 しかし、ディオの様子が変だったというのに聞きそびれてしまった。最後まで彼がどんな顔をしていたのかも、分からないままだ。妙に考え込んで、こじらせていなければいいが。

 

 

「今さっき、始まったばかりなんですよ。ジョナサンさんと承太郎さんの対戦」

 

「始まったばかりってことは、次が仗助くんなのか」

 

「あ、いえ……仗助くんは、その」

 

 

 目の前で繰り広げられる猛スピードの攻防を見ながら、俺は康一くんの隣に座りなおす。なにあれ、目が追いきれないんですけど。スタンドを使っている承太郎はともかく、ジョナサンは本当に何なんだ。

 

 何故か言いよどんでいる康一くんが、ちらちらと隣に視線を送っている。隣に座っているのは仗助くんだが、どんよりと気落ちした様子で体育座りの体勢となっている。

 

 よく見ると制服の所々に砂がついているのに気づき、理由を察してそっとしておくことに決めた。

 

 

「ウンガロたちは?」

 

「ジョースターさんと一緒に散歩に行きましたよ。長引きそうだからって」

 

 

 確かに一進一退の対戦は見ごたえがあるが、流石にこのスピードではウンガロ達も良く分からないだろう。ジョナサンはもとより、承太郎も楽しそうだなぁ……ストレス解消になっているようだった。

 

 

 昨日は勢いで承太郎も有罪としたが……少し早まったかもしれない。

 

 

 小さい頃から父親が多忙で殆ど家にいなかった承太郎は、もしかしたら『父親とは仕事で家にいないもの』だと考えているのではないかと思ったからだ。

 

 幸い、承太郎は母親がホリィのような包容力のあるとても強い女性だったため、不良にはなったものの性根はひねくれずにすんだ。世界的なミュージシャンの父親の分まで、たっぷり愛情を注いだからだろう。

 

 それを承太郎は、伴侶にも求めているのではないだろうか。ただし、何も語らずに。

 

 承太郎が選んだ女性は、きっと優しい女性なのだろう。子供のために離婚を決めるほどには、愛情深い人なのだろう。

 

 それなのにすれ違う原因は、承太郎の認識と言葉の足りなさではないだろうか。

 

 

 外国では愛情を確かめ合う最初のステップは言葉だ。気持ちを表に出そうとしない承太郎では、最初からつまずいているようなものだ。

 

 漫画とは違い典明やレオーネがいるため其処まで多忙になっていないと予想していたが、俺は彼の生真面目な性格をすっかり忘れていたらしい。ワーカーホリックを侮っていた。

 

 対処法を考えなきゃな、と俺は薄っすらと笑いながら悪巧みを計画し始めた。

 

 

 

 ちなみに、承太郎とジョナサンの対決は制限時間オーバーの引き分けだった。いや、もう……凄いとしか言えない。

 

 

 

 *

 

 

 

 昼食の後、俺はスケッチブックと筆記用具を持ってホテルを出た。

 

 思った以上にジョナサンが承太郎との対決で疲れていたため、連れて行くことはせずに一人でぶらぶらと街を歩く。音石の件でホテルに閉じこもったままだったから、観光気分で描きたい景色を探していた。

 

 ああ、しまった。ホテルで景色のいいところ聞いておけばよかったかもしれない。

 

 すでにホテルを出てから数十分経っているため、戻るには少し面倒だ。どこかの店でお勧めの場所でも聞いてみようかと進む方向を変えたとき、丁度店から出てきたサラリーマンと俺はぶつかった。

 

 その人が持っていた大きい封筒が地面に落ち、中に入っていた書類が道に散らばる。

 

 

「すいません、余所見をしていて!」

 

「いや……こちらもよく見ていなくてすまない」

 

 

 慌てて書類を拾い集め、同じく書類を拾っているサラリーマンに差し出す。俺の様子に気づいたサラリーマンは書類を受け取ろうとして、何故か動きが固まった。

 

 なにやら俺の持っている書類を凝視しているようだが、少し皺になっているのが原因だろうか。

 

 

「本当に申し訳ない、皺になってしまって……」

 

「……大丈夫だよ、会社に持ち帰るだけだし、いざとなればコピーをとればすむからね」

 

 

 そう言って笑うサラリーマンに俺は安堵のため息をつく。優しい人でよかったが、これからはちゃんと前を見て歩こうと心に決めた。

 

 

「失礼だが、君は男性でいいのかい?」

 

「……性別を確認されたのは初めてですね」

 

「いやすまない、随分と綺麗な人だと思ってね。思わず確認したくなってしまった」

 

 

 申し訳なさそうなサラリーマンの男性に、俺は引きつった顔を返すしかない。あれぇ、俺ってばディオと顔が似ているはずなのに、どうして性別を疑われているんだろうか。そんなに顔が引き締まってないか。

 

 先に失礼をしたのは俺のほうであるし、とりあえず気にしないようにする。

 

 

「あ、そうだ。どこか景色のいいところを知りませんか?」

 

「景色、かい? それなら海のほうはどうだろう。ホテルの先に岬があるんだが、見晴らしもいいし夕焼けも綺麗だよ」

 

「ホテルの先……」

 

 

 やはり最初にホテルで聞いておいたほうが良かったようだ。いや、ここで聞けたことを幸運と思わなければやってられない。

 

 

「ありがとうございます、行ってみます」

 

「ああ、あまり崖には近づきすぎないほうがいい。毎年、観光客の事故があるんだ」

 

「気をつけます」

 

 

 サラリーマンの男性に一礼して、俺は来た道を戻っていった。

 

 はあ、今日はもうホテルに戻ったほうがいいかもしれない。明日の朝から行くことにしよう。

 

 

 

 

 

 

「あ、いいところに帰ってきた!」

 

 

 ホテルに帰り着いた俺を待っていたのは、ほっとした表情のウンガロ達と俺の知らない少年だった。

 

 

「いったいどうしたんだ? そこの子は友達?」

 

「うん、仲良くなった早人って言うんだ……ってそれじゃあなくて! 俺達とんでもないもの拾ったんだよ!」

 

「とんでもないもの?」

 

 

 ドナテロがリキエルを指差して慌てているのを見て、俺の視線は布に包まれた何かを抱えているリキエルに移動する。

 

 何を抱えているのか覗き込んでみるが、布の塊があるだけで何も見えない。

 

 

 ――ん? 見えない?

 

 

 記憶を掠めるキーワードに首をかしげていると、困った顔をしたリキエルの言葉に俺は目を見開いた。

 

 

「赤ちゃん、拾ったんだ……透明な」

 

 

 

 




平馬くんの手は綺麗です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

忘れてはいけないこと

 

 

 透明な赤ん坊に俺が使用していたベビー服をとりあえず着せ、ベッドに寝かせてからウンガロ達に経緯を尋ねた。

 

 遊びに出かけたウンガロ達だが、ラジコンを持って走っていたドナテロが早人くんを巻き込んで転び、喧嘩になりかけたが和解。その後一緒に遊ぶこととなって広い場所を探して町の中心から離れたところ、赤ん坊の声に気づいたリキエルが裸で座っていた赤ん坊を見つけた。

 

 近くに母親の姿もなく、服も着ていないことから自分のパーカーで赤ん坊をくるみ、大人に相談しようとホテルに戻ってきたとのことだった。

 

 

 俺はそんなくだりを漫画で読んだ気がする。ただし、見つけたのはジョセフ達だったような。

 

 

 仗助くんに貰ったガラガラで赤ん坊をあやしながら、どうしたものかと頭を悩ませる。

 

 

 見つかった赤ん坊がいたところは杜王町の中心部から離れた郊外、高速道路の入り口も近い見渡す限り草原が広がる区域だとのこと。

 

 そんなところに、赤ん坊が一人で――しかも裸でいるなんて、不自然にも程がある。

 

 

 服さえ着ていれば、誰かが見つけたかもしれない。服だけが動いているとしてお化けと勘違いするだろうが、見つかりはするだろう。

 

 

 だが、赤ん坊は一人で服も着せられずにいた。

 

 まるで……見つからないことを望むかのように。

 

 

 ウンガロ達もいるから、言葉に発することはしないが、この赤ん坊はおそらく……捨てられたのだろう。

 

 

 一般人の親にとって、スタンド能力というものは恐ろしいものだから。

 

 

「なに集まっておるんじゃ?」

 

「あ、ジョセフじいちゃん! 俺達、赤ん坊を拾った!」

 

「む?」

 

 

 帰ってきたジョセフと後ろを着いてきている仗助くんに、ドナテロ達が身振り手振りで説明をしている。いま思い出したが、スタンドのことを知らないはずの早人くんの順応速度がすごい。

 

 横にそれがちなドナテロの言葉を、うまい具合に横から補足をして話の流れを戻している。

 

 

 なにこの子、現代版承太郎か? 冷静さが半端ない。

 

 

「なあ、早人くんってスタンド使いじゃあないんだよな?」

 

「あ……そのはずだけど……気にしてないね」

 

「冷静だよねぇ」

 

 

 横にいるウンガロにそっと聞いてみるが、そんなそぶりはないと彼は首を振る。リキエルも俺からガラガラを受け取り鳴らしながら、のんびりとした口調で頷いている。

 

 ジョセフの後ろにピクテルを出してみるが、ドナテロは気づいても早人くんは少しも視線を向けない。うーん、やはり見えてはいないようなのだけれど。

 

 

 世の中にはすごい小学生もいたもんだ、と感心しつつ俺はピクテルを戻した。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ジョセフに買出しを頼み、ウンガロとリキエルと一緒に出て行った後、部屋に残るのは俺とドナテロに赤ん坊、そして仗助くんとなった。

 

 オムツの後始末をしている俺の横で、仗助くんとドナテロが並んで赤ん坊を覗きこんでいる。じーっと覗き込んでいる姿は良く似ていて、そういえば承太郎達もウンガロを覗き込んでいたなと微笑ましい気持ちになった。

 

 

「そういえば、今日はジョセフと出かけたんだろう? どうだった」

 

「……あー……どうだったつー、言われても。俺の母親を一目だけ見にいっただけッスから」

 

 

 顔を曇らせる仗助くんを見て、ジョセフとの会話がうまくいっていないことを悟る。

 

 

「仗助兄ちゃんは、ジョセフじいちゃんのこと嫌い?」

 

「嫌いっつーか、嫌いって程知らねーというか、興味ねーというか……」

 

 

 ドナテロの問いに、ぶっちゃけどう対応すればいいかわかんねーッス、と彼はしかめっ面で言った。

 

 別に会いたくなかったからか、と俺が尋ねると気まずそうな表情で仗助くんは頷いた。

 

 どうしたものか、と悩む俺をよそに、不貞腐れた顔をしていたドナテロが仗助くんの腕を引き、びしりと指を突きつけた。

 

 

「知らないっていうなら、俺が仗助兄ちゃんにジョセフじいちゃんのことを教えてやる!」

 

「は?」

 

「いいから聞く! まずは、ジョセフじいちゃんはコーラが好きだ。いつもこっそり大量に買ってくるから、スージーおばあちゃんに怒られてるんだ」

 

 

 あっけに取られている仗助くんを気にも留めず、ドナテロはジョセフについて知っていることをあれこれ話していく。ときには恥ずかしいものも含まれており、知らずに暴露されているジョセフに憐憫の情を抱いた。

 アイツ、息子の前では格好付けたがっていたのに哀れな。

 

 一生懸命話すドナテロに少し心が絆されたのか、仗助くんも眉間にしわを寄せた顔から一転し、口元を緩めているのを見て、俺は安堵した。

 

 

「あとは、えーとえーと……」

 

 

 他にはないかと記憶を探っているドナテロだったが、その表情が突然陰る。どうしたんだよ、と声をかける仗助くんに、ドナテロは俯いたまま言葉をつむいだ。

 

 

「ジョセフじいちゃんの右足……あれは、俺のせいなんだ」

 

 

 ぽつりぽつりと彼は話し始める。

 

 ドナテロのスタンド能力が、記憶を掘り出すというもののこと。スタンド能力が完全に目覚めておらず、制御ができないこと。

 

 制御を離れたスタンド能力によって、交通事故の記憶を掘り出してしまい、ジョセフが庇うことによって命は無事だったこと。

 

 救急車が到着するまでの間、ジョセフは自分の怪我のほうが重傷であるにも関わらず、ドナテロの治療を優先したこと。

 

 その結果、ドナテロには傷一つない状態となり、ジョセフは右足を失うことになったこと。

 

 

 ジョセフじいちゃんは、いつも自分を最後にしちゃうんだとドナテロは震える声で言う。

 

 

「俺達、ジョセフじいちゃんのおじいちゃんの仇の子供なのに……助けてくれたんだよ」

 

 

 落ち込みながらも話してくれたドナテロの言葉に、俺は目を見開いた。

 

 彼らは知っていたのだ、自分が誰の息子であるかも、ジョースター家とどういう縁があるのかも。

 

 ジョセフ達が話したわけじゃあない。彼らが話しているなら、ドナテロ達が仇の子供なんて認識をしているはずがない。

 父親がディオだとは伝えているだろうが、それに関わる因縁など幼い子供に話すわけがない。

 

 誰から聞いたと尋ねると、SPW財団の人だと彼は答えた。

 

 

 推測になるが、その教えた人物はディオによって何らかの被害を被ったのだろう。恨みを持っていると言ってもいい。

 

 だが……だが!

 何故当時赤ん坊だったこの子達に、それを向けるのか。

 

 

「ジョセフじいちゃんはそんな人なんだ。だから、仗助兄ちゃんとも仲良くなってほしい」

 

「仲良く……」

 

「無関心なのは、寂しいんだよ」

 

 

 そう言って制服を掴むドナテロを、仗助くんはそっと抱きしめた。話してみると呟きながら。

 

 

 

 

 

 その後買い物から帰ってきたジョセフの腕を引き、ウンガロ達に後を任せながら部屋をでて俺達はロビーに出た。

 

 

「どうしたんじゃ、ヘーマ」

 

「ドナテロ達にディオのことについて話した人物……心当たりはあるか」

 

 

 耳元で尋ねた俺の言葉に、ジョセフは目を開いたあと苦みばしった顔をした。

 

 

「ああ……知っておるわ。両親がDIOの信奉者だった男じゃ」

 

「SPW財団の人間だと聞いた。ジョースター家に関わりのある部署にいるのか?」

 

「超常現象を研究する部門じゃからな……父親が肉の芽を植え付けられておる、元に戻す研究をしておったはずじゃ」

 

 

 話を聞いて俺は経緯は理解した。父親を治すためにSPW財団に入ったのか、元々そうだったのかは分からないが、恨みがあるということは間違いないらしい。

 

 ドナテロ達はジョセフの庇護下にいる、そのため直接的には手を出していないようだが、今後もそのままだとは限らないだろう。

 

 

「やはり研究は進めないといけない、か」

 

「少し承太郎から話を聞いておる。DIOの元部下のスタンドと、仗助くんのスタンドがキーだということじゃが」

 

「今のところ、その手段しかない。まだ当のスタンド使いとは連絡がとれていないしな、気長に進めていくつもりだったが……」

 

 

 そうもいかないようだ、と呟いた俺の肩をジョセフが宥めるように手を置く。

 

 

「焦ってはいかん。あの子らがSPW財団と関わるときは、必ずわしか承太郎、それにシーザーとレオーネの誰かが付き添うことになっておる。これ以上は早々手を出せんじゃろう」

 

「わかっている」

 

 

 分かってはいるんだ、と俺は俯く。

 

 幸せであれとどんなに願っても、それは結局俺が考える幸せでしかないのだろうか。

 

 ディオのこともジョナサンのことも、ウンガロ達のことも……立場が違えば、憎悪の対象となるべき存在になるということを、俺は忘れていたのかもしれない。

 

 承太郎やジョセフがあまりにも優しいから、忘れようとしていたのかもしれない。

 

 億泰くんや形兆くんの親父さんのこともあるのに、彼らの優しさに甘えすぎていたのだろう。

 

 

 俺は、吸血鬼であるディオを封じる者。

 命ある限り、吸血鬼となっても永遠に彼を封じ込める存在。

 

 

 それだけは、忘れてはいけないことだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

晴れた気持ちの良い日に

たまには昼間に更新したい。



 

 

 透明になった赤ん坊については、ジョセフが預かることになった。俺は日中は赤ん坊に戻っていないといけないので、世話が出来ないからだ。

 

 むしろ一緒にわしが面倒をみようかと言っていたが、ピクテルのつねり攻撃付きで断った。俺を赤ん坊扱いするな。赤ん坊だけど。

 

 

 数日、本体をキャンバスに入れた状態で検証してみたが、ジョナサン達を出したまま更に俺を出すことは負荷が大きいらしい。

 短時間では問題ないが、長い間その状態が続くと突然意識が落ちた。

 どうやら負荷を緩和する為の肉体の本能によるもののようで、回復するまで数日かかってしまった。

 

 目を覚ました俺に降りかかる説教は、ジョナサンとディオをはじめほぼ全員分。心配してくれるのは嬉しいが、数時間正座はあんまりじゃあないだろうか。

 

 よって、外に絵を描きに行くときは、俺は一人で行動することになった。ピクニック計画は、俺が赤子モードでないと無理のようだ。

 

 先日まではウンガロ達も一緒に出かけていたのだが、学校を休んで杜王町に来ていたため帰国した。ジョセフにお前は帰らないのかと聞いてみたら、承太郎が帰るときに帰ると目を逸らしながら言っていた。

 スージーさんが怖いのは分かるが、あまり後回しにするほうがまずいと思うのだが。

 

 

「一人で絵を描くのはいつものことだけど、寂しくもある」

 

「独り言かい、平馬くん」

 

「あ、こんにちは吉影さん。仕事帰りですか?」

 

「出先からそのまま帰ることになってね」

 

 

 海沿いの道で絵を描いていると、最近良く会う以前ぶつかったサラリーマンの男性──吉影さんに声をかけられる。会う時間帯はいつも朝か夕方なので、通勤経路に俺がいるらしい。

 

 吉影さんがひょいと俺の手元のキャンバスを覗き込む。

 

 

「景色だけではなく、家も描くのだね」

 

「別荘地帯だけあって、個性的な家が多いですからねぇ。面白くって」

 

 

 今描いているのは白を基調としたログハウス風の家だ。その前に描いた灰色のレンガを使った家も描いていて楽しかった。なんて素晴らしいんだ別荘地帯。

 

 

 ウキウキしながら俺が鉛筆を動かしていると、何か考えている様子だった吉影さんがもしよかったらと言葉を続ける。

 

 

「私の家も描いてみるかい? 日本家屋なのだが、この辺りには珍しいと思う」

 

「日本家屋ですか! ぜひお願いします!」

 

 

 吉影さんの言葉にすぐに飛びつく俺。遠慮や自重など絵の題材の前にはいらん。

 

 即答した俺に目を丸くした吉影さんだったが、すぐに苦笑に変わる。付いておいでと手招きする彼の後を、俺は足取りも軽く歩いていった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 たどり着いた吉影さんの家は、想像していたよりも豪邸に分類する家だった。中だけしか見ていないが、承太郎の家もそういえば凄かったことを思い出す。

 

 驚いた顔で見回している俺を見て、吉影さんがクスリと笑った。

 

 やべ、また顔が緩んでいただろうか。

 

 

「描きたくなったかな?」

 

「とても……いいなあ、日本風の家」

 

「ありがとう、両親から継承しただけなんだがね。

 ――ずっと絵を描いていたのだろう? お茶でも飲まないかい」

 

 

 確かに、昼食後に出かけてからずっと描いていたため、喉は渇いている。だが行き成りお邪魔するのも気が引けて一考していると、遠慮しなくともいいと肩を叩かれた。

 

 

「少し疲れた顔をしているよ。一杯だけ、私の我侭に付き合ってもらえないかな」

 

「なら……一杯だけご馳走になります」

 

 

 言葉を選ぶのがうまいなあ、と感心しながら俺は彼に続いて門を通り抜け、玄関をくぐった。

 

 

 家の中もなんとも趣のある和風な造りになっていた。うわぁ、全部描きたいとキョロキョロしながら庭も眺めていると、一つの部屋に案内された。

 どうやら応接間となる部屋らしく、掛け軸やささやかに生けられた花が部屋を通り抜ける風に揺れている。

 

 

「座って待っていてくれ、お茶を用意してくる」

 

「ありがとうございます」

 

 

 部屋を出て行く吉影さんを見送って、俺はいそいそとスケッチブックを取り出す。その場から移動はせずに、見える景色を描いていく。

 

 別荘地帯ということもあり、外からは車の騒音も聞こえてこない。温かさよりも暑さを感じるようになった日差しが、庭にある池に反射して部屋に水の波紋を浮かび上がらせている。

 

 綺麗な家だな、と俺は目を細めて手を動かし続けた。

 

 

「待たせてすまない。どうも茶葉を切らしていたようでね、コーヒーでもかまわないかな」

 

「全然かまいませんよ」

 

 

 お盆にカップを二つ載せて、吉影さんは部屋に戻ってきた。差し出されたカップを受け取り、口をつけようとするとかすかに感じるアルコールの匂いに手が止まる。

 

 

「カフェ・コレットというイタリアで飲まれるコーヒーだよ。ただ、ホイップクリームの代わりにミルクになっているけれどね。飲んだことは?」

 

「ないです。……入っているのはウイスキーですか?」

 

「グラッパというイタリアのウイスキーさ。最近気に入っていてね、平馬くんにも薦めてみたんだ」

 

 

 目線で促されてコーヒーを口に含む。エスプレッソなのか苦味が舌に残るが、香りがとてもよくて俺は気に入っていた。そんな表情が表に出ていたのか、吉影さんが気に入ったようだねと微笑んでいる。

 

 

「よかったよ、全部飲むほど気に入ってくれて。手間がはぶけるからね」

 

「なんのことで……ッ、うぁ……ッ?」

 

 

 ぐらり、と視界がゆがんだ。傾きそうになる身体をテーブルに両手をつくことで支えるが、今にも意識が薄れそうになっている。

 

 いったい何が起きているのかと霞む視界で周りを見渡そうとしたとき、カシャっという音が背後から聞こえた。ゆっくり振り返ると、其処には写真を吐き出している最中のポラロイドカメラ。

 何が写っているのか確認したくとも、意識を保つことが精一杯で身体が動かない。

 

 俺が元凶だと思われる吉影さんを睨みつけるために顔を上げたとき、彼の背後に浮かぶ人影に目を見開いた。

 

 

「スタンド……使い、か」

 

「……おや。平馬くんもスタンドとやらが見えるみたいだね」

 

 

 ならば気をつけないといけないな、と吉影さんが呟くように言った直後、俺は右手を襲った激痛に喉から叫ぶ。

 

 

「ああぁぁあぁあふぐッ! ぅうーッ!」

 

「おっと大きな声は困るな、近所迷惑じゃあないか」

 

 

 刃物で切断されたように切り離された俺の右手首より先が床に転がる。何処からか飛んできた細長い布が、俺の口をふさぐように巻き付いて叫ぶ俺の声をふさいだ。

 

 目の前の吉影さんのスタンドはなにもしていない。それならば、ほかにスタンド使いがいるはずだ。

 

 ジョナサンとディオを呼ぶためにピクテルを出すが、彼女は首を横に振って『左手だけ』を俺に見せるように広げた。

 

 ピクテルの右手がない。俺の右手が切り落とされたからか。

 

 でも何故彼女は首を横に振った? キャンバスから彼らを抜き出すには手があれば――――。

 

 

 いや、できないのかもしれない。

 ピクテルはいつも『右手』でキャンバスの中を探っていた。スケッチブックに絵を描くのも『右手』で、その絵を取り出すのも『右手』だった。

 

 

 ピクテルの能力を使うのに、『右手』は必須だった!

 

 なんてこった、こんなときに俺のスタンドの一番の弱点が分かるなんて!

 

 

「それが君のスタンドかね? どうやら攻撃してこないようだが……もしかして、右手がないからできないのかな?」

 

 

 穏やかな容貌に愉悦をにじませて、吉影さんは笑う。彼が無造作に俺に近づき、転がっていた右手を拾う。指の平で撫ぜ、その後に頬ずりする様子を見て、右手が切り離されているというのに背筋に悪寒が走った。

 

 やばい、この人変態だ……手フェチを嫌な方向にこじらせた感じの。

 

 ずりずりと後ろに下がって俺は廊下に出ようと身体に力をこめる。痛みのおかげで少しだけ制御が利くようになった。

 

 後一歩で廊下に出る距離になったとき、俺の身体は逆方向――室内へと跳ね返された。

 

 障子も何もない場所を通ろうとしたはずだった。だが、何か見えない壁がそこにあるように通り抜けることができない。

 

 閉じ込められた、と俺の頭が理解したそのとき、ぐらりと再び視界がゆがんだ。

 

 

 もう……意識を保てない。

 

 

「昼間は失敗したが、今回は丁重に聞き出さないといけないな。スタンドも無力化でき、美しい手も手に入れた。……やはり私はついている」

 

 

 薄れる意識のなか、ディオとジョナサンの怒る声が聞こえた気がした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

現状と記憶と

 

 

 暗い部屋に、扉の隙間からささやかに光が差し込む。

 

 朝日ではなく、痛みによって目を覚ました俺は、薄めで部屋の中を確認した。どうやら吉影さんはいないらしい。

 

 

 俺が監禁されてすでに数日が経っている。

 尋問という名の拷問もどきは何度も受けているが、吉影さんがこの部屋を訪れるのは朝と夜の二回だけで、それが俺が日付を数えられる唯一のものだった。

 

 日に日に残虐になっていく尋問に口を閉ざし続けた俺は、そろそろ忍耐が限度を超えそうな吉影さんの様子から、この部屋からの脱出を試みることを決めた。

 

 

 情報を得る為とはいえ少し耐えすぎたかも、という後悔はある。

 

 昨日の夜で、左足を爆破されて逃げにくくなってしまった。

 

 

 痛みは当然、全身満遍なく感じている。殴られ刺され切り刻まれ、仕舞いには爆破され……よく生きているなと俺自身でさえ不思議である。

 キャンバスに本体を入れている影響だろうか、血はあまり出ていない。赤ん坊姿であればそもそもこんな目にはあっていないのだろうけれど、キャンバスの中の身体がとても不安である。

 

 妙に冷静さを保つ思考能力は、痛みへの逃避だろうか。少々精神が危うくなり始めているのかもしれない。

 

 ふよふよと俺の右上にピクテルが浮いている。

 

 彼女の仮面もひび割れて酷い状態だ。それなのにけして外そうとしないのは、彼女自身も傷ついているからだろう。俺が顔を殴られて腫れているので、もしかしたら彼女もその状態なのかもしれないな。我がスタンドながら、身だしなみにも気を使う乙女である。

 

 

 痛みを訴える身体のサインを努めて無視をしつつ、壁を使ってどうにか片足で立ち上がる。

 

 部屋にあるものを一通り見回して、俺はポラロイドカメラが置いてある棚にケンケンで近づいた。……意外と動けるものだな。

 

 

 ポラロイドカメラを左手で持ち、棚に寄りかかって思案する。

 

 吉影さんのスタンドを見るまで全く気づいていなかったが、たしかあの人は漫画の四部のボスキャラだった気がする。俺の記憶とは姿形が違うのだが、スタンドの姿は記憶と整合していたので、きっと覚え間違いだろう。

 

 能力はたしか爆弾……実際に俺の身体が爆破されているので、外れてはないはずだ。

 

 

 早いとこ抜け出して情報を伝えなきゃあな、と先ほどからこそこそと動いている写真をピクテルが左手で掴んだ。

 

 

「よう、爺さん。さっさと部屋から出してくれない?」

 

『誰が出すかッ! 死に掛けだというのにしぶとい奴め!』

 

 

 昼間に目が覚めるといつもいる幽霊の爺さんが、写真の中からつばを飛ばす勢いで怒鳴っている。写真には俺も写っていて、たしかこれが爺さんのスタンド能力だったような覚えがある。

 

 対処法はなんだったけなー……とりあえず破けばいいか?

 

 

『何をするッ!』

 

「破けばいけるかなって。こういうもんって大抵悪いところだけ取ればどうにかなるだろ?」

 

『おおざっぱに破くんじゃないわッ! く、これならどうじゃ、貴様の手も裂けるぞ!」

 

 

 写真の中で爺さんは手首のない俺の右手を掴む。爺さんのところだけ破りぬくつもりだったため、確かにこれでは俺の手も影響を受けるだろう。爺さんの言うとおり裂けるのかもしれない。

 

 だが。

 

 

「あいにく、痛みにはここ数日でなれちゃってねぇ。いまさら傷が一つ増えようがたいした違いはない、よッ」

 

『あっ!』

 

 

 びり、と写真が破ける。

 

 切り取った爺さんの写真を折りたたみ、映っている面が見えないようにして摘む。目的のものを目線で探していると、引きちぎられるような激痛と共にゴトリと肘から先の右腕が床に落ちた。

 

 くっそ……覚悟済みであるからって痛いのは変わんねぇんだよ。顔をしかめつつピクテルが手招きしている場所までケンケンで移動する。床に置かれた高級菓子の紙箱に爺さんの写真を入れて蓋を閉める。その上から部屋にあったハードカバーの蔵書を十冊くらい置いてみた。

 

 

 なにやら爺さんが叫んでいるようだが、耳から流して部屋の入り口へとケンケンで近づいた。ここ数日、俺が開けることが出来なかった扉は、すんなりと開いた。どうやら成功したらしい。

 

 

 ホテルに帰る前に家の中を物色する。あの写真の爺さんにも見覚えがあって、たしかスタンド使いを増やしていたような記憶がある。

 ということは弓と矢を所持しているのではないかと。

 

 だが、流石に体力が限界で早々に切り上げた。爺さんの封印を厳重にしてから承太郎達に探してもらおうと監禁されていた部屋に戻ると、積み重ねられた分厚い本の塔が崩れており、箱の蓋が開いていた。

 

 チッ、崩れにくいように箱の回りにも本を積み上げるべきだったか。

 

 廊下に出ると弓と矢を写真から伸ばした手で持つ、爺さんと遭遇した。その顔は非常に焦っており、俺に気づくと一目散に外へと逃げ出していった。片足しかない俺は追いかけることも出来ず、遠くなるその陰を見送るしかない。

 

 深い息をはいたあと、承太郎に迎えに来てもらおうとこの家の電話の受話器をとるが、何も音がしない。ふと見ると、電話線が刃物で切断されているのに気づいた。あんのクソジジイ……。

 

 

 どうやら自力で戻るしかないらしい。途方もない道のりを思って、俺は深々とため息をついた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「やっぱ無理じゃねぇの、自力で帰るのって」

 

 

 どうにか吉良邸の門をくぐり、ホテルへの帰路を片足で進んでいた俺だが、数分進んだところで力尽き街路樹に寄りかかっていた。

 

 

 いっそ人が通ってくれて、救急車でも呼んでくれればいいのに。なぜ人っ子一人通らない。

 

 

 今頃は写真の爺さんが吉影さん――もう敬称いらないや、吉影に俺が逃げたことが報告されているだろう。もしかしたら、逃げるスピードが遅いことを見越して俺の息の根を止めに戻ってくるかもしれない。

 

 きついが、死ぬわけにもいかない。もう少し気合を入れるかと地面を触る左手に力を入れようとしたとき、声をかけられた。

 

 

「平馬さんッ!」

 

「……あ?」

 

 

 少し離れたところに俺に向かって走ってくる少年が一人。焦った表情で駆けてくるその少年は、ウンガロ達とよく遊んでいた――。

 

 

「早人くん」

 

「酷い怪我……誘拐犯にやられたんですね」

 

 

 俺の前でしゃがみ込む早人くんは、顔をしかめながらも冷静に俺の怪我の様子を判断している。本当この子は冷静だな。

 

 早人くんは俺が行方不明になっていることをジョセフから聞いたらしい。それでウンガロ達が言っていた俺がよく絵を描きに行っている海岸沿いの道を、もしかしたらと探してみてくれたようだ。本当にありがたいことだった。

 

 

 俺は早人くんにホテルの電話番号を告げ、ジョセフと連絡を取ってもらうことようにお願いした。電話は近所の家で借りるようである。

 

 どろりと腹の奥底に溜まる黒いものを押しとどめ、早く迎えが来ないかなと俺は目を瞑った。

 

 

 

 *

 

 

 

 

 その後、早人くんとその場で待っていると車に乗って承太郎が駆けつけてきた。

 俺の無残な様子を見て眉をひそめ、後部座席のドアを開けてから俺の身体を毛布で包むと抱えて乗せた。ドアをしめた後、助手席に早人くんが乗り込むのを待って車は動き出した。

 

 説明しようと口を開く度、承太郎に制止され車に揺られること数分後、ホテルではなくジョナサン達が手合わせをした砂浜に着いた俺を待っていたのは、俺の姿を見て安堵した康一くんと億泰くん、同じく安堵した表情をするもすぐに険しい顔に変わった親子の姿。

 

 

「おお、そっくりだ」

 

「そんなことを言っておる場合かッ! そんな、ボロボロになりおってッ」

 

 

 承太郎に毛布ごと抱えられている俺の顔に、ジョセフの大きい手のひらがぎりぎり触れない距離で添えられる。いや、確かに顔の傷もすごいことになっているけどさ、毛布の中見られたらどうなるんだろう。

 

 反応が怖くなった俺はこのまま仗助くんに治してもらおうとするが、承太郎が砂浜に俺を降ろしてさっさと毛布をめくってしまう。制止する暇もない。

 

 

 案の定、右腕と左足が欠損している身体を見て、四人は息を飲んだ。

 

 

「なんて……ひどいッ」

 

「平馬さんにはよー、あの二人がついているんじゃねーのかよ……それでも、勝てねーってことか~ッ?」

 

「ああ、違う。俺は二人を出すこともできなかったんだよ」

 

 

 俺は肘までの長さになった右腕を上げる。

 

 この事件で気づけた俺の最大の弱点『右手を失うこと』。この弱点に気づかなかったせいで痛めつけられる羽目にはなったが、幸いなことに俺は生き延びることができた。

 まだ大丈夫、対策を打てる。

 

 

 俺の説明をじっと聞いていた仗助くんが、俺の身体にスタンドで触れる。たちまち治り復元されていく身体に、彼の能力の凄さを思い知る。

 

 完全に欠損した俺の手足も復元されているのは、あくまでこの身体は俺のスタンド能力で出したもので、本体自体のパーツは揃っているからだろう。

 それでも痛みも後遺症もなく、完全に治癒されている身体を確認して俺はその場に立ち上がった。

 

 俺の横に浮かぶのはピクテル。

 仮面は修復され、右手も今度は現れている。かぽっと仮面を外した彼女は自身の身体を両手でぺたぺたと確認した後、満面の笑みを浮かべて仗助くんの頭を抱きしめた。

 

 どうやら相当嬉しいらしい。ぎゅうぎゅうと抱きついているピクテルの胸に顔を埋めた状態の仗助くんから、グレートだぜ、と小さく呟きが聞こえたのだが。堪能するがいいよ青少年。

 

 

「……で? あの二人は出さねえのか」

 

「うッ」

 

 

 生温い目で仗助くんを見ていた俺を、承太郎の冷静な声が現実に引き戻す。いや、まあ、出さないといけないけれどな。ほら、二人にも報告しないといけないし。

 

 

「ただ、そう……まずは敵の対策をする必要があると思うのだよッ」

 

「さっさと出せ」

 

「はーい」

 

 

 分かった出すから、出すからその握った拳を戻して欲しい。ピクテルに合図をすると彼女は仗助くんに抱きついたまま、二人のキャンバスを取り出して手を差し入れては引っ張り出す。

 

 そして出てきた二人はというと。

 

 

「……」

 

「……」

 

「平馬、敵のスタンド使いについて報告を頼む」

 

「……へい」

 

 

 ひたすら無言で俺を睨みつけている。正直、怒鳴られるより相当怖い。

 

 どうやら先に報告をすべきだと黙っているようだが、終わった後俺はどうなってしまうのだろうか。戦々恐々としながら、承太郎に促されて吉影について分かったことを話していった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

導火線に火をつけた

 

 

 俺の「吉良吉影」に関する見解と能力の推定について皆に話し、かの家に弓と矢があったことを伝え終わった後。

 

 仁王立ちするジョナサンとディオの前で俺は正座をしていた。地面が砂で大変助かります。

 

 

『あの世界でのお前のストーカーといい、今回の件といい……平馬、お前自身も危機察知能力に欠けていることは実感しただろう』

 

「え、そんなに無くは」

 

『……どうやら、全く、実感していないようだね』

 

『やれやれ、頭が痛いことだ……これではあの娘もさぞ苦労しただろうな』

 

 

 おや、選択肢を間違えたらしい。二人から感じる威圧感がさらに重くなった。

 

 だが、いまこのやり取りを続ける時間的余裕はない。俺が立ち上がって砂を払うと、まだ終わっていないとディオが苛立たしげに俺の腕を掴む。

 

 

「後にしろ」

 

『ッ! ……ヘーマ』

 

 

 掴まれた手を振り払った俺に、ディオは目を見開き、ジョナサンは息を呑む。

 

 

 ああ……驚かせたか。悪いな、今は二人とも邪魔をしないでほしい。

 今は時間が惜しいんだ。

 

 

 こちらの雰囲気がおかしいことに気づいたのか、少し離れた場所で話し合いをしていたジョセフ達が弾かれるように振り向いた。

 

 そして同じように息を呑む。

 

 

「あの雰囲気は……キレそうになっている平馬だな」

 

「承太郎も見たことがあるのかッ、わし、十年前あれで怒鳴られてマジで怖かったんじゃが」

 

「俺は向こうにいたときだ。確か、ストーカー……いや、祖父の絵に関することだったか?」

 

 

 承太郎とジョセフの会話を聞いたジョナサンが、何かに気づいたようにはっとした表情を浮かべた。そしておずおずと俺に問いかける。

 

 

『もしかして、吉良にスケッチブックと画材道具、証拠を消すために処分されたこと、怒っていたり』

 

「するに決まってんだろうがッ!」

 

 

 突然声を荒げた俺は拳を握り締めて近くにある岩を殴りつけた。

 

 

「手ぇ切られたことも拷問されたことも、気にしちゃいねぇんだよッ! どうでもいいッ! だがあの野郎……俺が折角書き溜めたスケッチとウンガロ達に贈られた画材一式、俺の目の前で爆破しやがったッ!

 ここまで丁寧に喧嘩売られて、頭にこねぇわけねえだろうッ!」

 

 

「……素手で殴って岩割れたぞ」

 

「も、もしかして平馬さんって、単独でも強い人なんじゃ」

 

「……あの人、赤ん坊になって弱ってるんじゃあねーのかよ……」

 

 

 二十年生きた世界でも、俺の絵を隠したりわざと破いたりする奴はいた。ただし俺が気づく前に美喜ちゃんが鉄槌を相手に下していたため、直接相手をすることは無かった。

 

 

 今は美喜ちゃんはいない。つまり、俺が直接買ってよい喧嘩というわけだ。

 

 承太郎の横を通りながら、俺は苛立たしげに舌打ちをする。

 

 

「逃がしはしねぇぞ、あの変態が……ッ!

 承太郎、杜王町にいるスタンド使いを把握しろ、あちらの味方につかれると面倒だ。 ジョセフは公的機関に手を回せ、しょっ引くだけの材料はあんだろ。怪我は完治してっから拉致監禁のみになるが、生きた被害者がいるからよ」

 

「わかったが……何処に行くつもりだ平馬」

 

「あ? クソ野郎の家だ。隠しているもんがまだあるかもしれねぇ……うっかり会えたらお礼参りもできるってもんだろ」

 

「なるほど、全く冷静じゃねえな」

 

 

 歩き出した俺の背に承太郎が声をかけるが、振り返ることなく進む俺の腕を左右から掴まれた。犯人はディオとジョナサンである。

 

 

「離せ、よぉぉぉお!?」

 

『よくやったピクテル』

 

『まったく……大人しいくせに直情的なんだから』

 

 

 二人に掴まれその場に固定された俺は、足元に出現したキャンバスにあっけなく飲まれる。温い暗闇に浸かった後に引っ張り出された俺は、赤ん坊の姿に戻されていた。

 

 なんで邪魔するんだと俺を抱えるディオを叩くが、赤ん坊の力では叩くというより押しているだけという情けなさ。憤る俺をディオが鼻で笑う。

 

 

『ヘーマはこの通り抑えておく。貴様らは先ほどコイツが言ったことを済ませて来い』

 

「頼む」

 

「しかし、ぽやーっとしておっても戦闘力はあるのじゃなあ。これ、壊れんよ普通」

 

『暴走しているからだろうがな。十三歳の時とはいえ、あっさり私とジョジョ二人を無力化する程度には荒事になれているぞ』

 

『だからと言って一人で行かせないけれどね。ちゃんと行動の軽率さも嗜めておくから任せてくれ』

 

 

 ぐぐぐ、ピクテルまで俺を止めるなんて。お前は絵と画材道具を壊されて怒ってないのか。お前の絵に対する情熱はその程度か!

 

 恨めしそうに俺がピクテルを見ていると、彼女はくるりとミニスケッチブックを俺に向けた。

 

 

 それには『あの猫っぽいスタンドが欲しい』と書かれている。

 

 

 ……ピクテル、お前、あれも欲しいのか。そのために俺を止めたのか。散々痛めつけられたスタンドだというのに。

 

 次のページに『多少の傷より欲しい絵が大事! それ以外は些細なこと』と真剣な顔で書いたピクテルに、俺の怒りはしゅるしゅると萎んでいった。

 

 

 うん、お前はほんとーに俺のスタンドだよ、ピクテル。

 

 

 ちなみに吉良本体は……いらない? 女性に対する態度がなってない? お前の仮面姿じゃあ、あまり性別は分からないと思うぞ。

 ただそこはきっちり根に持っているんだな。

 

 

 

 すっかり毒気の抜けた俺はペシペシとディオの胸元を叩く。眉をひそめたディオだが、俺の表情が落ち着いていることに気づいたのか、ジョナサンを呼んでその場に座り込む。

 

 

『なんだ、すっかり落ち着いてるじゃあないか。先ほどまでの人を殺しそうな目はどうした?』

 

『ディオは言い過ぎだけれど、物凄く物騒な目じゃあなくなったね』

 

 

 俺の顔を覗き込む二人は口々に人を犯罪者のように言う。そんな顔をしていたのか俺は。

 

 しかし、俺が絵のことになると周りが見えなくなるのはいつものことだったが、毎回美喜ちゃんがストッパー役をやっていたのだな、と過去を振り返って納得する。

 

 

 大抵俺が暴走する前に、鉄拳制裁が常だったが。そのせいで美喜ちゃんには逆らえなくなったのだけれど。

 

 

 俺は彼らにピクテルが吉良のスタンドを欲しがっていることを伝える。反応は呆れと苦笑いだったが、お前達らしいと言われた。

 

 

『まあ、それはそうとまずは説教だ。落ち着いたなら丁度いい……ピクテル、ヘーマを正座が出来る程度の年齢で出せ』

 

『その後はピクテルも一緒に正座しようね』

 

 

 瞬く間に成人の姿に戻される俺。俺よりも二人の指示に従うのは、保身かねピクテルや。

 立ち尽くす俺の横に、ピクテルがおどおどした様子で浮かんでいる。ねえ、俺このまま逃げちゃだめかな。だめ?

 

 

『どうやらヘーマ……君には小さい子供に教えるように言わなくてはいけないみたいだね。気づかないで悪かったよ』

 

『安心しろ。俺とジョジョがお前の危険察知能力の足りなさを懇切丁寧に教えてやろう。小学生でも分かるようにな』

 

 

 わぁい、二人とも目が笑ってない。背中に冷や汗を感じながら、俺はディオが口を開く動きを何故かスローに感じていた。

 

 

 数時間後、ディオとジョナサンに伏して謝罪する俺とピクテルの姿が砂浜にあったという。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 次の日の夕方、ホテルの部屋に承太郎が戻ってきた。

 

 

「仗助や康一くんに知っているスタンド使いや、不可思議な現象について聞いて回ってもらったんだが……一人、行方が分からなくなっているスタンド使いと疑わしい人物がいる」

 

 

 戻るなり報告を始める承太郎は、メモを捲りながら鉄塔に住んでいた奴なんだが、と難しそうな顔で言う。鉄塔って、住むことが出来るほどのスペースはあっただろうか。これも漫画に出てきていたかと俺は頭を悩ませる。

 

 住居となっていた鉄塔に、今朝から姿が見えないとその人物を知っていた小学生が言っていたとのこと。

 

 

「好奇心旺盛な子供で、そいつにいろいろ話を聞いていたようだ。

 俺が気になった点だが……どうやら住みだす前は映画などで使う特殊メイクを学んでいたようでな、そいつ自身も常に人間そっくりのマスクを被っていたらしい」

 

「なんだその変質者候補」

 

「同感だがそこじゃあない。特殊メイクの技能を持った人物が、行方不明になっている。妙にきな臭くないか」

 

 

 容姿から住居まですべて正体が判明した吉良は、未だに所在がつかめていない。これをまだ一日ととるかもう一日たったと考えるかはともかく、見つからないということは恐らく変装をしているのだろう。

 

 

「吉良の家に行ったが……部屋にあった賞状などを見る限り、非常に器用で広い範囲で才能を持つ人物だ。特殊メイクなどの技術も、すぐに習得してしまうかもしれん」

 

「その、いなくなった鉄塔の住人のスタンドは?」

 

「鉄塔そのものだ。誰か一人を栄養に生きているようでな、中に入れば出られなくなるようだ。子供に先に聞いておいてよかったぜ」

 

 

 自立型、と言えばいいのだろうか。スタンドが存在することが、本体が生存していることを証明するとは限らない。俺の爺さんの例もある……スタンドは時折、存在する為に本体を必要としない。

 

 

「闇雲に探し回っても見つからないだろう、奴は顔を変えられると考えたほうがいい」

 

「ふふ……探す方法を準備しないといけないな」

 

 

 そういって俺は笑う。突然笑った俺に怪訝な顔をした承太郎だが、続けた俺の言葉に頷いた。

 

 

 さてと、揃うまで俺は絵でも描いていよう。ピクテルが微笑む横で、口元だけを吊り上げて笑った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

数日のできごと

 

 

 吉良が行方を晦ませてから数日が経過した。その期間の全てをホテルで絵を描いて過ごした俺とは違い、仗助くんたちはなかなかに忙しい毎日だったようだ。

 

 

 写真の爺さん――吉良の父親だと判明した――が、弓と矢で素質を目覚めさせたスタンド使いを味方につけて、仗助くん達を襲撃していたのだ。

 

 

 なぜ彼らは仗助くんを襲うのか。

 

 恐らく、彼が瀕死状態からも回復可能なスタンド能力を持つことを知ったのだろう。手足が欠損したはずの俺が五体満足な姿を、写真の爺さんが見たのかもしれない。生命線である彼を先に潰そうとしたのか。

 

 ただ、彼は容易く潰されるような青年ではない。きっちり返り討ちにしていたと、昨日ホテルに来た康一くんが教えてくれた。

 

 

 そしてスタンド使いの襲撃が仗助くん達に向かったからといって、俺に何もなかったというわけではない。

 

 

 端的にいうと、部屋に爆弾を送りつけられた。

 

 

 ある日承太郎宛の名義で、部屋に荷物が届いた。

 

 差出人はSPW財団となっており、クール便で届いたため冷蔵庫に入れようと開けたのがいけなかった。箱の中には敷き詰められた保冷財と、キャタピラの付いた小さい戦車のラジコンのようなものが入っていた。

 

 なんだこれと疑問に思ったとき、ミニ戦車が突然箱から飛び出してきた。俺は咄嗟に左手でそれを掴み、しばらく持ったままでいたらそれがいきなり爆発する。

 

 左腕が吹き飛んでようやく吉良のスタンドかもしれないと察したが、爆発してもなおミニ戦車のスタンドは健在であった。

 

 素早いスピードで的確に俺を狙ってくるスタンドに、ピクテルがディオとジョナサンを出すが、何故かスタンドは遠くにいる俺しか狙わず、二人には見向きもしない。

 

 ピクテルのキャンバスを使おうにも、本体がピクテルに好意を持っていないと閉じ込めることができない。ディオとジョナサンがスタンドを殴っても、ひび一つ入らないそれに俺が焦り始めた時。

 

 

 ホテルのドアを開けて億泰くんと形兆くんが入ってきた。

 

 

 きょとんとした表情の彼を見て、思い出したのはそのスタンド能力。右手で掴んだものを削り取る、触れられれば逃れられないその力。

 

 

 咄嗟に俺は億泰くんに向かって、その戦車を右手で消してくれと大声をだせば、億泰くんは反射的に自身のスタンド、ザ・ハンドを出現させて右手でその戦車に触れる。

 

 ガオンという音と共にスタンドの姿が消えたことを確認してから、俺はその場に座り込んだのだった。

 

 

 まさかスタンドを郵送してくるとはまったく考えておらず、盛大に肝を冷やすことになった。

 

 

 届いた荷物は昼間の時間を指定されていて、承太郎が調査のために不在で、ジョセフが散歩で街に出ており、俺が部屋にいるだろう時間帯を知られていた。

 

 もしかしたら、俺がディオを封印していることも知っているのかもしれない。

 

 俺が死んで封印が解けた場合、カーテンを閉めていない日当たりの良い部屋は、吸血鬼のディオにとって非常に動きにくい。

 

 あの追尾するスタンドが俺が死んだ後どう動くかはわからないが、もしかしたらディオを狙うように動いたかもしれない。

 

 

 本当に、億泰くんが来てくれてよかった。

 

 

 その後、億泰くんのスタンドにディオが興味を持ったり、近づこうとするディオを形兆くんが牽制したりとひと悶着あったが、ピクテルが強制的にディオを絵に放り込んだため鎮火した。

 

 

 スタンドとしての力関係は、やはりキャンバスに封印されたディオ達よりもピクテルのほうが上らしい。もしかして俺が二人に叱られているとき、ピクテルも負けているのは俺の精神状態のせいか?

 

 なにかと精神力が重要な要素のスタンド能力であるから、あながち間違いではないと俺は思う。対策無いけれど。

 

 

 そんなこんなで爆弾テロは億泰くんの活躍にて無事に終了した。左手だって仗助くんに治して貰った、ジョセフにこれ以上怪我するならシーザーに言いつけるからなと断言されたが。

 

 やめてくれ、そんなことされたらシーザーの過保護がぶりかえして、無意識の女性扱いされてしまうだろうが。抗議する俺にジョセフは、なに、怪我をしないよう気をつければ良いことじゃとニヤニヤ笑っていた。この野郎。

 

 

 

 数日前のことを思い出してため息をつく俺を、辛気臭いとディオが一喝する。

 

 悪い、と謝罪する俺にディオは紅茶のカップを差し出した。香りを吸い込み、どうにか心を落ち着かせようと努める。

 

 

「なかなか連絡が来ないから、ちょっと苛立っているのかもしれない」

 

『待つのは苦手だったか?』

 

 

 お前にしては珍しい、とカップに口をつけるディオの横で、ジョナサンも落ち着きがないね、と頷いている。

 待つことは苦手じゃない。だが、今回ばかりは気がはやってしまう。

 

 

 今日、アレッシーという年齢を退行させるスタンド能力者が、杜王町に着いた。そしてそのまま虹村家に向かい、以前話に上った検証を行うことになっていた。

 

 俺達はその場に同席はしない。十年前ディオ側についていた残党が、彼を通じて俺に気づくのを防ぐためだった。彼らの主が俺のスタンドに封印されており、俺を殺せばディオは復活する。

 

 知れば彼らは俺を狙い始めるだろう。

 

 それを危惧した、承太郎の采配だった。

 

 

 分かっているんだけどな、とぼやく俺を、ジョナサンが微笑んで大丈夫さ、と言った。

 

 

『事前の検証ではうまくいったんだろう? もう少し信じてもいいと思うよ』

 

「信じる……仮定が正しいことをか?」

 

『彼らがやり遂げることをだよ』

 

 

 ジョナサンの言葉に、俺は言葉を返すことができなかった。

 

 指摘されるとおり、俺は自分の中で思考を繰り返すばかりで、ジョセフ達がそれをやり遂げることを信じていなかったのかもしれない。

 

 きっと無理だろうと、どこかで諦めていたのだろうか。

 

 可笑しいことだ、自分の能力が必要な場面であれば、いくらでも賭けることができるというのに。とれる方法に手を貸せるものが自分になければ、不安で仕方がないとは。

 

 これは、ジョセフ達に知られたら相当怒られるな。

 

 

「ありがとう、ジョナサン。少し正気になった」

 

『どういたしまして』

 

 

 にっこりと笑うジョナサンに、俺も笑い返した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 承太郎達からの連絡を待っている間に、早人くんが俺を訪ねてきた。

 

 なんでも、以前ウンガロ達と作ったマフィンが母親に好評だったので、また作ってあげたいとのことだ。

 

 彼と話をする端々に、家族同士がうまくいっていないことが察することが出来ていた。母親に疎まれているかもしれない、ともウンガロ達に相談していたとも聞いている。

 

 それでも彼は、ママが笑って食べてくれたんだと、嬉しそうに話した。

 

 

「『アンタ、明るくなったわね』って、ママに言われたよ」

 

 

 ウンガロ達に引きずられたみたいだ、と照れた様子で話す早人くんに、彼が話した以前は内気で暗い性格だったとは到底思えない。

 

 少しずつ、少しずつ早人くんから歩み寄った結果、母親が彼を気にかける素振りを見せたからかもしれない。

 

 マフィンを作りながら、今度ママと庭に植える花を見に行くんだと語る彼は、幸せそうに見えた。

 

 

 

 お礼を言って帰っていく早人くんを見送って、俺はベッドに転がる。土足を嫌ったのか、ピクテルが俺の姿を赤ん坊に戻した。別に、いいけどさ。

 

 

『うまくいくといいね』

 

『あの子供も、お人好しな部類だ。それなりの結果に落ち着くだろう』

 

 

 どこか眩しそうに思い出すように話す二人。

 

 ジョナサンは赤ん坊のときに母親を亡くしている。ディオは幼いころ、やはり母親を亡くしている。

 彼らは、母親が健在な早人くんのことを羨ましく思っているのだろうか。

 

 

 俺も両親は不明だが、偲江さん達という存在がいる。前世の両親の記憶もある。だからこそ、今の二人の気持ちを完全に察することはできない。

 

 

 それでも、ただ寄り添うことはできる。

 彼らは俺のスタンドであり、傍に立っているのだから。

 

 

 向かって伸ばした俺の両手は、すぐに気づいた二人に握られた。

 

 

 どうした、とディオが聞く。何か欲しいのかい、とジョナサンも聞く。

 

 

 反応を返してくれる二人に妙に嬉しくなって、俺はにっこりと笑顔を贈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方、承太郎から連絡があった。

 

 肉の芽の除去の成功と、明日……彼らがホテルに来るということだった。

 

 

「あと少しだなあ、ピクテル」

 

 

 後ろから腕を回して抱きつく彼女は、明日を思ってとても上機嫌だ。

 

 ちゃあんとお返しはしないとな、と呟く俺の横で、ピクテルはクスクスと笑った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初手

 

 

 虹村の親父さんの肉の芽の除去に成功した翌日の夕方。虹村家の三人がホテルの部屋を訪ねてきた。

 

 

 勿論彼らを呼んだのは俺であり、虹村の親父さんの力を借りるためだ。彼のスタンド『ワンモアタイム』の透視能力を。

 

 

 怯える親父さんをこれ以上怖がらせないために、ディオとジョナサンは絵の中に戻ってもらう。それでも俺を見て顔を引きつらせているため、俺自身も赤ん坊に戻った。

 

 どうにか落ち着いた親父さんに向かって、承太郎が口を開く。

 

 

「昨日伝えたが、この町に潜伏しているスタンド使いを探して欲しい。データが必要だと聞いているが、実際に何がいる?」

 

「データの数が少ない方が良いのなら、名前と何か身体の一部でもあれば出来る。DIO様の場合は、当初は身体に流れるジョースター一族の血を利用なさっていた」

 

 

 親父さんが語るには、本名でも偽名でも、その名前で誰かが対象となる人物を認識していれば良いらしい。精度としては、生まれ持った名前が一番強く、やはり一時的な偽名になると見ることが出来る映像が劣化するようだ。

 

 今回は吉良本人の毛髪を、自宅からSPW財団の調査員によって採取していたようで、身体の一部は問題なく用意できたとのこと。

 

 

 承太郎が小さなビニール袋に入った吉良の毛髪を、親父さんに手渡す。

 彼は何もないところから直径九十センチはある丸い大皿を取り出した。おそらく、これが親父さんのスタンドなのだろう。

 

 これからどうなるのかと見ていれば、親父さんはテーブルに置いた大皿の底に人差し指で触れた。見る見るうちに水が大皿を満たし、水を湛えたその中に吉良の毛髪と名前を書いた紙を沈めた。

 

 

 ゆらりと水に波紋が浮かぶ。大きく、小さく、不規則なテンポで浮かび続ける波紋は、かすかな水音の後に消え去り、一つの映像を浮かび上がらせた。

 

 

 其処に浮かぶのは、メガネを掛けた黒髪の男。少し上からカメラを向けたような角度で映るその男は、小さく笑みを浮かべ誰かと話しているようだ。

 

 凄いな、と俺は感嘆する。本人の毛髪に本名とはいえ、水鏡に映る像はガラス越しに見るよりもはっきりとしており、ノイズなども全くない。

 

 

「こいつが“吉良吉影”! 後ろにアスファルトが見えるということは、今いる場所は外のようだな。もう少し視点を遠くにすることはできるか?」

 

「ああ」

 

 

 親父さんは大皿のふちに手を当て、少しだけ時計回りに動かす。まるでカメラを引いたように、吉良の姿が少し小さくなり、対面している人物が映し出された。

 

 

 だが、映った人物は。

 

 昨日会ったばかりの、早人くんの小柄な姿。

 

 

「待て平馬ッ!」

 

 

 俺の意を汲んだピクテルがディオとジョナサンの二人を成人姿で出現させる。ディオは仕方ない、という顔で俺を抱え、ジョナサンは真剣な顔で頷きその肩にピクテルがつかまる。

 蹴り開ける勢いで部屋のドアから飛び出した俺達は、非常階段を落下していると言える速さで駆け下りホテルを出た。

 

 

『飛び出したのはいいが、場所は分かっているのか』

 

 

 ディオの言葉に俺は頷く。先ほど映った像には、商店街から少し外れた靴屋の看板があった。早人くんの家はそこからあまり離れていないはず、つまり近所で吉良と会ったのだろう。

 

 

 それは彼が俺達と繋がりがあることが吉良にバレていて、かつそれを利用しようと早人くんに近づいた可能性が高くなるということだ。

 

 

 内心で舌打ちをしたい気分だった。吉良に早人くんが目を付けられたのは、ホテルの部屋を訪れる彼の姿を見られていたからだろう。

 吉良をぶっ飛ばすことばかり考えていた俺は、早人くんが狙われる可能性を完全に頭から排除していた。

 

 

 なんという失態。

 

 

『もうすぐ着くぞ。ジョジョ、お前は向こうの道から行って背後を取れ』

 

『わかった、気をつけて』

 

 

 屋根の上を走りながら、二人は互いに自らの役割を分ける。俺はジョナサンの姿が離れて小さくなっていくのを見ていたが、身体を揺すられて見上げる。

 

 ディオはこちらを見ずに、真っ直ぐ前を見ながら口を開いた。

 

 

『奴のスタンドを防ぐ方法の見当は付いているのだろうな』

 

 

 視線を泳がす俺に気づいているのか、ディオに頬をつままれる。ちょっと力入りすぎてませんか。

 

 冗談です、とピクテルに代筆を頼み、どうにか頬から手を離してもらう。痛む頬を触りながら、俺は自分の推測をピクテルを通じて説明する。

 

 

 吉良のスタンドは、手で触れることによって爆弾となるのではないか。俺が尋問を受けたときも、吹き飛ばす前は必ずその部分を触られていた。

 

 接近戦ではなく、距離をとって攻撃をすればどうにか押さえ込めるのではないかと、俺は考えていた。

 

 

 しかし、俺の考えを伝えるとディオは残念なものを見る目で俺を見た。何がいけなかった。

 

 

『それで、遠距離攻撃の手段は?』

 

 

 目線を逸らす俺の頬をつねりながら、どれだけ頭に血が上っていたのだお前は、とディオが言う。

 

 ああ、俺も今、ようやく落ち着けた気がするよ。だからどうかつねるのをやめてもらえないか。

 

 手を離したディオは、俺のスタンドがあれば即始末できるのだがな、とニヤリと笑う。お前のスタンドならばそうだろうよ。

 

 

『まあ、使えんものをどうこう言っても仕方がない。ここはセオリー通り先手必勝といこうか』

 

 

 軽い口調でつぶやいたディオは、どことなく楽しそうに見えた。

 

 まて、お前もしかして。

 

 

 俺が制止しようと彼の服を引っ張る前に、ディオが屋根の上から飛び降りる。いつの間にか目標地点にたどり着いていたらしく、驚いた顔でこちらを見る早人くんと黒髪で眼鏡をかけた男。

 

 ディオは走っていた勢いを全く殺すことなく、眼鏡の男に向かって右の拳を振り切った。

 

 

 当然のごとく背後に吹き飛ばされる眼鏡の男。

 

 おい、万が一人違いだったらどうするつもりなんだ。下手をすれば死ぬぞ、と顔を青ざめさせた俺に大丈夫その時は被害者が一人増えるだけだとディオは落ち着いて言った。

 

 まったく大丈夫じゃない、と憤りを込めてぺしぺしとディオの胸元を叩くと、心配しなくてもいいと彼は笑う。

 

 

『妙な感触を感じた。ぶよぶよした風船を殴りつけたような、手ごたえのない感触をな』

 

 

 彼の言葉に殴り飛ばされた眼鏡の男を見る。少し離れた場所でゆっくりと起き上がっているその男は、服についた土を払って立ち上がった。

 

 

「まさか、いきなり殴りつけられるとは思わなかった」

 

 

 眼鏡をとって胸ポケットに入れると、男は俺を見て笑顔を浮かべた。

 

 

「久しぶりだね、平馬くん。本当にその姿が君の真実の姿だとは、聞いたときは驚いたよ」

 

 

 男の横に佇むヴィジョンは、吉良のスタンドそのもの。やはり、この男が吉良吉影で正しいようだ。

 

 吉良は笑みを浮かべたまま、視線を俺からディオへと移す。

 

 

「姿が似ていると聞いていたが、違うな。平馬くんの手と違ってごつすぎる」

 

『ひょろいヘーマと比べられてもな』

 

 

 残念そうな吉良の視線を、嫌そうな顔を隠しもせずに受け止めるディオ。嫌なのはどちらにかかるんだ、視線か俺程度との比較か。

 

 

「平馬さん……もしかして、こいつが」

 

 

 ディオの隣に移動してきた早人くんが、吉良を一度睨んでから俺に視線を移す。俺が頷きを返すと彼は離れておきますと言ってその場から立ち去ろうとする。

 

 本当にしっかりと状況が読める子だなあ、と感心している俺だったが、離れようとする背中に声がかけられた。

 

 

「そちらは商店街だろう。やめておいたほうがいい、もし『誰かに触られてしまったら』大変だからね」

 

 

 足を止める早人くん。ゆっくりと振り返る姿を、穏やかな表情で見つめ続ける吉良は、優しささえ感じとれる口調だった。

 

 

 触れられたら大変、ということは接触によって起爆するということだろうか。

 俺とディオがここに来る前に、吉良が早人くんに触れていたとしたら……爆弾を仕掛けられていても、おかしくはない。

 

 人質を取ったつもりなのか、余裕を崩さない吉良。

 

 

 どうすればいいと焦る俺をよそに、ディオが一歩前に足を進めた。そのまま歩き続けるディオの服を俺は掴むが、彼は進むことをやめなかった。

 

 

『私の見解としては、コイツが爆弾を設置できるのは一度に一つだけだ。尋問の際、何かを爆発させる度にヘーマに触れていたぞ? つまり、そこの子供に爆弾を仕掛けていたとしたら――いまは絶好の機会とというわけだ』

 

 

 爆弾にできるのは一度に一つだけ。その言葉を聞いた吉良は、少しだけ眉を動かした。この仮定が正しいのだろうか、それ以上表情が変わらないため正誤がわからない。

 

 

『さて、どうなるか』

 

 

 まるで実験をしているかのように、ディオは吉良に向かって拳を振るう。その様子を目で追っていた吉良だが……不意に口元に笑みを浮かべた。

 

 

 そして低く響く破裂音と、背後から来た衝撃に俺は前方に吹き飛ばされる。宙に浮いた俺が見たのは、どうにか体勢を整えてはいるが、左腕が肩の下から無くなっているディオの姿。

 

 

 投げ出された俺の身体を捕まえたのは、ディオでもジョナサンでもなく……スーツを纏った腕。

 

 

「後方に注意を向けるべきだったね。例え注意していても見えなかっただろうけれど」

 

 

 見上げれば眼鏡をかけた男の顔が見える。その顔に浮かべられた笑みは、あの捕えられた日々に見たものだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

援軍

 

 

 晴れていた空はいつの間にか、大半を灰色の雲に覆われていた。光が翳った空間で、吉良だけが楽しそうに笑みを浮かべている。

 

 左手で俺を抱えた吉良は無表情のディオに見せ付けるように、おもむろに右の手のひらを俺の頭に添える。

 

 

「ほら、頭を吹き飛ばされたくなければ、そいつを絵に戻してもらおう」

 

 

 自身が有利だと確信した、落ち着いた声音で吉良は命令する。

 

 彼らを戻してもこのままでも、結果は変わらないだろう。どちらにせよ、このままでは俺は爆死が決定しているようなものだ。

 

 先に飛び出してしまったが、承太郎達もここへ向かっているはず。どうにか時間を稼がないといけなかった。

 

 

「……もしかして、仗助達が駆けつけるのを待っているのかな? フフ、残念だが彼らは来ないよ」

 

 

 なかなか行動しない俺の頭を撫でながら、スタンド使いの襲撃を受けているからね、と吉良はくすくすと笑う。

 

 

「直接の攻撃力は低いが、パターンにはめれば逃げることは不可能な能力を持っている。ここに来るどころか、全員始末されているかもしれないな。

 一番厄介な透視能力の持ち主、そいつは確実に仕留めるように言い聞かせてある……」

 

 

 やられた、と俺は表情をゆがめた。

 

 吉良は俺達の性質をよく調べているようだ。恐らく写真の爺さんからの情報だろう、あのジジイを放置せずにさっさと捕まえられれば良かったのだが。

 

 あの場にいない仗助くんのことを言ったのは、どうにかして呼び出されたか、それとも個別で彼を狙ったか……少なくともこちらへの援軍は望めないのだろう。

 

 なるべく情報を与えないように、それぞれの能力については最低限の会話に留めていたが……それでも言葉の端々から連想されたのだろうか。

 

 まるで、俺だけがここに来ることを予想されていたようだった。

 

 

「もうひとりもどこかに潜んでいるだろう? ほら、早く出てこないと爆発するよ」

 

 

 やはりジョナサンの存在も把握されているらしい。もしかして上空に写真の爺さんがいるのだろうか、いや、こっちではなく承太郎達の所か。万が一の連絡係として。

 

 威嚇のためか、周りの地面が爆発していく。どう見ても直接触っていない、能力が成長したのかと思考をめぐらせている俺の耳に、うにゃんという鳴き声が聞こえた。

 

 いまのは、猫?

 聞こえてきた方向に視線を向けると、其処にいるのは吉良のスタンドのみ。

 

 いや、腹の部分が開いていてそこに何かの影が見える。以前に吉良のスタンドを見たときには、ふさがっていたその部分。もしかして、ソイツがなにか影響を及ぼしているのだろうか?

 

 犬のスタンド使いがいるのだから、猫のスタンド使いがいてもおかしいことはない。先日承太郎が言っていたが、ネズミのスタンド使いもいたとのこと。

 

 スタンド使いが共闘しているのなら、吉良の能力が成長したのではない。離れたところでも爆発するのなら、その場所まで爆弾が移動していると考えるべきか。

 

 爆弾が見えないということは、何かとても小さいもの……例えば虫を猫が操作できるのならば、その大きさによっては見えない上に、遠くまで飛ばすことも可能ではないか?

 

 

 

 俺が思考を続けている間にも、状況は変わる。周囲の家の壁の影からジョナサンが姿を現し、ゆっくりとディオの横に移動した。

 

 怒りを湛えた目で睨みつけている彼に、よく吉良は耐えられるものだ。それほど自身の有利を疑っていないのか、はたまたただ胆力が物凄いのか。

 

 どちらにせよ、俺一人での脱出が難しく、援軍を望めない今。吉良の言葉を呑むしかない。

 

 

 ディオの横に佇んでいたピクテルが二人の絵を取り出す。吉良を睨みながら二人は絵の中に戻っていった。

 

 完全に二人が絵の中に入り、ピクテルが絵をしまいこんだ直後、俺の右手は爆発した。

 予想していたとはいえ、痛ぇなこの野郎が……ッ!

 

 

 睨み付ける俺を鼻で笑う吉良。この、同じ鼻で笑われるのもディオとコイツじゃあ全然ムカつき具合が違う。殴りたい、余裕の顔をぶん殴りたい。

 

 

 吉良は次にピクテルの仮面がない姿を見せろと言ってきた。

 

 ……やはりそれが目的で俺を殺さなかったんだなこの変態は。ピクテルが仮面を外した姿を見て目を輝かせている吉良を、俺はげんなりと見る。

 

 

「平馬くんも素晴らしいが、この、彼女の手はなんて美しい。キラークイーンでしか触れないのが実に残念、ッな!?」

 

 

 ピクテルに気を取られている吉良に向かって、忍び寄っていた早人くんが体当たりをする。気を抜いていた吉良は転び、俺を抱えていた腕が緩む。

 

 その隙を突くように早人くんは俺を吉良から奪い取り、商店街の方向へ全速力で走り出した。

 

 

 俺を連れて逃げるつもりなのか。吉良が完全にピクテルに気を取られていたから、早人くん一人でも逃げられただろうに。

 承太郎の元に逃げ込めば、吉良も容易に手を出せない。そうして逃げればよかったのだ。

 

 

 必死に走る早人くんの小さな身体が、衝撃で宙を舞う。

 

 

 ぽつぽつと、雨が降り始めた。

 

 

 俺は地面に投げ出されて痛む身体のまま、早人くんの姿を探して辺りを見回した。

 

 

 徐々に雨脚は強くなっていく。

 

 

 そうして、見つけたものは。

 

 

 血溜りに伏せる、少年の――。

 

 

「全く、最近の子供は油断ならないな。手癖も悪い、どういう躾をしているのか」

 

 

 嘆かわしいな、と呟く吉良の声が遠くで聞こえる。

 

 俺はどうにか身体をずりながら、早人くんの所に移動をした。おそるおそる首元に手を当てると、弱弱しいが鼓動が感じ取れる。

 

 

 まだ生きている。だが――時間がない。

 傷口からの出血も酷い、仗助くんがこれないのなら早く病院につ入れていかなければならない。

 

 

 そのために必要なものは、すでに揃っている。この場を抜け出す最後の手段を、躊躇する余裕はなく……拒否するつもりもない。

 

 

 俺は彼の血を手で拭い、血に濡れた指を口に――。

 

 

「さっきから花火で遊んでんのはおめえかぁ~!? ボンボンうるせェし、近所迷惑だろォがよお~ッ!」

 

 

 ――入れる直前、聞こえてきた声に顔をそちらへと向けた。

 

 見れば柄の悪そうな男が吉良に向かって苛立たしげに近づいていた。せっかくの息抜きがと文句を言い続けている男は、近所の住人なのだろうか。

 何はともあれ、非常にまずい。このままではこの男まで吉良に攻撃されてしまう。

 

 焦る俺が血を口に入れようとした時、大きな手のひらが俺の左手を止めた。

 

 

「あまり近づかないほうがいい、アレッシー……どうやら承太郎が言っていたスタンド使いのようだ」

 

 

 大きな手の持ち主は、柄の悪い男に声をかけながら俺の身体を抱えあげる。落ち着いた声に上を向くと、視界に映ったのは赤みの強い髪の毛。

 

 穏やかな表情で俺を見る、年を重ねた――典明の姿。

 

 

「久しぶりですね、平馬さん」

 

 

 典明は俺ににこりと微笑んでから、早人くんを見て険しい表情を浮かべ、憤りが見て取れる強い目で吉良を睨みつけた。

 

 

「子供まで巻き込むとは……聞きしに勝る外道のようだな」

 

「……スタンド使い、か」

 

 

 典明の刺さるような視線を受けて、吉良の表情が変わる。典明の背後に浮かぶハイエロファントグリーンは、戦闘も得意なスタンドだ。

 この街のスタンド使いは若く、命を賭した戦闘の経験は少ない。承太郎とも戦っていない吉良にとって、初めて出会う経験豊富なスタンド使い。

 

 俺の封印によって身体能力とスタンドを封じられ、さらには赤ん坊の俺を片手で抱えたまま接近戦をするしかなかったディオとは、選べる手数も豊富だ。

 

 ……改めて考えると、俺は足手まといの度合いが酷すぎる。爆弾郵送の際に二人の邪魔になっていたため、二人の戦闘能力上昇と移動速度も考えて赤ん坊姿を選んだが、これならいっそ自分で逃げられる青年姿のほうがまだよかったくらいだ。

 

 

「へーま、って……も、もしかしてこのガ、い、いえ……この坊ちゃんがDIO様の仰っていた、ヘーマ……様~ッ!? ど、どォ~してこんなところにィッ!?」

 

「いろいろ事情があってね。本来なら隠すべきなのだろうが……今は非常事態、殺人鬼を拘束することの方が優先だよ」

 

 

 典明は落ち込んだ俺の右腕を掴み、アレッシーに見せるように少し上に向ける。見ないようにしていた無残な傷口が俺の視界に映る。う、直接見ると視覚のショックで痛みが増したような気がする。

 

 アレッシーは俺の傷口を見た後、なにやらぶつぶつと呟いている。

 

 それよりも早く吉良から離れたほうがいいのではないだろうか。

 

 

「何を言っているのか聞き取れないが……どうやらスタンド使いで間違いがないようだ。なら、始末しないといけないな」

 

「もう少し上乗せを……ん?」

 

「アレッシー!」

 

 

 吉良のスタンドがアレッシーに手を伸ばす前に、緑色の帯が彼の身体を中に浮かせる。だがハイエロファントグリーンがアレッシーを引き寄せる前に、彼を捕まえた帯が途中で爆発し、千切れた。頭の上からかすかに呻く声がする。

 ヒィィィィ、と情けない声と表情で後ずさって離れようとするアレッシーの姿を、吉良が興味のなさそうな顔で見ている。

 

 直接戦闘の力のないスタンドと考えたのか、吉良が典明に目線を移した瞬間、アレッシーの影が動いた。

 

 すぐに気づき、慌てて離れる吉良をじっと見ていたアレッシーが、にまにまと笑いながら立ち上がった。

 

 

「おたく、いくつぐらいかなァ~? 見たところ三十歳は過ぎているかな、ヒヒヒヒ。セト神の影と交わった時間によると、大体十歳前後まで戻るだろうぜェ……」

 

「なッ!?」

 

 

 少しずつ、吉良の背丈が縮んでいく。能力を止めようとスタンドを動かす彼に向かって、典明のエメラルドスプラッシュが襲う。

 やむなく迎撃する吉良のスタンドであったが、吉良が十代半ばの外見になると同時に、スタンドのヴィジョンが消えた。驚愕の表情を浮かべながら、エメラルドスプラッシュによって吹き飛ばされる吉良。

 

 

「な、なぜ私の……僕のキラークイーンが、消えて」

 

「どうやら、キミは生まれつきのスタンド使いじゃあなかったようだねェ~。ウヒヒヒヒヒ、スタンドを覚えた年齢よりも子供に戻ればァ、当然使えなくなるのだよ」

 

「ぐ……僕のスタンドが」

 

「理解できたようだね……えらいねぇ~」

 

 

 起き上がろうとする吉良の身体を、ハイエロファントグリーンの緑の帯が縛り上げる。そうして殺人鬼の吉良の拘束が、完了していた。

 

 

 なにこれ、アレッシーのセト神超凄い。典明のハイエロファントグリーンも凄い。

 

 ぽかんとした反応しか返せない俺。いや、だって、その、戦闘経験の差もあるだろうが……俺、あまりにも情けなくないか。

 

 早人くんの手当てをした後、承太郎に連絡をしている典明の横で、俺はピクテルに抱えられながら落ち込んだ。俺、もっと強くならなきゃあな……。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

次の道のために

 

 

 ピクテルに抱きかかえられたまま、典明とチラチラと視線を向けてくるアレッシーの二人と一緒にその場で待っていると、承太郎達が現場に到着した。どうやらスタンド使いの襲撃は無事に収まったようだ。

 

 真っ先に早人くんの怪我を仗助くんに治してもらい、その後に俺の右手を治療して貰った。

 

 

「シーザーに報告決定じゃな」

 

 

 俺の額にデコピンをして、ジョセフはため息をついた。

 弁解の余地が無い俺は、しょんぼりと俯くしかない。先々に起こる説教を思うと気が重い。

 

 少年となった吉良の横で承太郎と典明が話し合っている。そこから少し離れた場所ではジョセフと仗助くん達が目を覚ました早人くんとなにやら盛り上がっていた。

 

 

 残るのは俺とピクテル、そして俺を気にするアレッシーのみ。

 

 

 右手も治ったというのに、ピクテルが俺を成人姿に変えようとしないため、言葉を話せない俺とアレッシーの間に会話の花が咲くことは無い。

 

 気まずさに視線を泳がせていると、ピクテルが俺を抱えたまま、アレッシーに手招きをしてどこかへ移動しようとしていた。

 

 

 ぎょっとしたアレッシーが俺とピクテルを交互に見ると、何かに納得した表情で誘導に従っていく。もしかして、うまく動けない自分の代わりにピクテルを操作していると思われたとか?

 

 

 違う、違うぞ。俺の意志じゃない。ピクテル、お前いったい何をするつもりなんだ。

 

 

 道に設置されている現場近くのベンチの前でピクテルは止まる。そしてアレッシーに向けて俺を差し出した。……最近、自分が渡される度に物になったような気分になる。

 

 

「へ……お、俺に抱っこしろってことですかねぇ」

 

 

 こくこくと頷くピクテルに、怪訝な表情で俺を受け取るアレッシー。ピクテルはベンチに座れと指示をして彼が座ったのを確認すると、ふよふよとどこかへ移動していった。

 

 

 ……ちょっとピクテルーッ!? 放置は酷くないか!

 

 

 アレッシーは緊張した顔で俺を見ているし、俺は何をどうすればいいのか混乱しているしで痛いほど沈黙が漂っている。なにこれ、新手の罰ゲームなのか。

 

 意思疎通の身振り手振りも難しい今、どうやって沈黙を打破するか頭を悩ませていると、ゴッという鈍い音の後にアレッシーの身体が横に傾き始め、やがてベンチに倒れた。

 

 

 今何が起きた。

 

 

 驚いて顔を後ろに向けると其処には長めの棒を手に持ち、まさに今振り下ろしましたと言わんばかりのピクテルの姿。

 

 言葉を失っている俺にパチリとウインクをすると、彼女は来た方向へと急いで戻っていった。耳を澄ませば、どうやら向こうが騒がしい。アレッシーが気絶したため、吉良の姿が元に戻ったのだろう。

 

 自らのスタンドがしでかしたことに顔を青ざめさせていると、今度はバンッという音が聞こえ……その後、ざわめきの声も聞こえなくなった。

 

 

 ……まさか、まさかだよな? まさかその為に人を昏倒させるとかないよな?

 

 

 嫌な予感が俺の胸いっぱいに広がり、つい息を潜めて待機する。ピクテルが再び姿を現したとき、彼女は手に額縁つきのキャンバスを持っていた。

 

 

 その絵は――どう見ても吉良のスタンド。

 

 

 いい仕事をした、と非常に満足そうな笑顔のピクテルは、俺に絵を見せながらウキウキと機嫌良くそれを眺めている。

 

 ……もしかして、俺のスタンドは今でも暴走したままなのではないだろうか。ピクテルの暴挙を目の当たりにして、ストレスで痛む頭に手を当てる。俺を抱えたままの一番の被害者の彼だが、謝ったら許してくれるだろうか……。

 

 ピクテルを追いかけて来た承太郎が、この場にいるそれぞれの三人を見つけて一瞬口を引き結び、深々と息を吐いていた。

 

 

 なんだかもう……すいません。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 ピクテルに気絶された二人の内、吉良はSPW財団を通じて警察へと引き渡され、アレッシーは絵から出て来たジョナサンが担いでホテルへと戻って来た。

 

 吉良との一連の経緯に対して遣る瀬無い気持ちでいっぱいの俺は、ディオに抱えられながら鬱々としていた。絵から出てくるなり怒鳴ろうとしていた二人でさえ声をかけることを躊躇しているほど、俺の纏う雰囲気は重苦しいだろう。

 

 

 よし、やっぱり引きこもろう。

 

 これ以上室内の空気を悪くすることに気が咎め、かといって明るく振舞うのも難しいと判断した俺は、ピクテルに絵の中に入れてもらうように頼む。

 了承したピクテルが俺に伸ばした手を、横からディオが掴んだ。

 

 

『承太郎、私達は席を外す。何か聞きたいのなら後にしろ』

 

「ああ」

 

『ジョジョ、君も来い』

 

『うん』

 

 

 ディオに抱えられたまま、彼の絵の中に入る。ジョナサンもその後に続いた。その場にピクテルだけが残ることになるが、彼女は外の話を聞いておいてくれるだろうか。ずっと絵を描いていそうな気がするが。

 

 

 絵の中に入ったことで、俺の姿は成人のものへと変わる。以前入ったときとは違い、絵の中はまるで普通の部屋のようだった。ソファーもベッドも机もあり、ディオの部屋だからなのか壁一面に本棚が備え付けられているが、中身はガラガラだ。

 

 何冊か紐で綴じた本があるが、これはどうやって手に入れたのだろうか。ディオに聞いてみると、承太郎の資料を借りて、ピクテルが用意した紙に手書きで写したそうだ。

 

 随分と暇だったんだな……今度本屋に連れて行こう。

 

 

 さて、と紅茶を準備し終えたディオが仕切りなおしをする。

 

 

『この世界に来てより、ヘーマらしくもない落ち着きの無さは自覚しているな。あの世界にいた時のお前ならば、策もなく動くなどありえん』

 

「そんなことないぞ」

 

『いや、ディオに僕も同意するよ。君は確証も無く動いたりはしない、必ず道筋を想定してから行動している。でも最近は、衝動のままに動いているね』

 

 

 動いていないと、息が出来ないみたいだ。

 

 

 静かなジョナサンの言葉に、俺はそっと目を閉じる。

 

 

 ――本当にヘタレなんだから――

 

 すぐに再生できる彼女の声。幼い頃からずっといた、離れるなんて考えてもいなかった大切な人。美喜ちゃんがいない世界は、少し息苦しい。

 

 

 黙ったままの俺に、ディオは小さく息を吐いた。

 

 

『それほど必要とするなら、何故連れてこなかった』

 

「……一人娘なのにできるわけないだろ」

 

『俺は別に、美喜とは言っていないが?』

 

 

 お前の中で該当するのは一人だけのようだが、とニヤニヤ笑っているディオ。ジョナサンも困ったように笑っているのを見て、俺はずりずりとソファーに寝転んだ。

 

 

「俺ができるわけないって、気づいているくせに」

 

『もちろんだ。惚れた女にキスさえできんヘタレには無理だ』

 

「毎回えぐってくるのやめてくれない」

 

『だが、やれないのとやらないのでは大いに異なる。お前はやらないと決めたのだろう』

 

『それなら、踏ん張るしかないね』

 

 

 彼女に弟って認識されちゃうよ、と意地悪気に言うジョナサンに、俺は思わず笑った。

 

 そういや、俺は弟分だと断言されていたな。美喜ちゃんが俺をどう思っているかなどそれ以来聞いていないが、このままでは弟分扱いからは抜け出せないだろう。

 

 それはやはり面白くない。

 

 俺とて今の性自認は男、対象外扱いされるのは心外だ。

 

 勢い良く両手で自らの頬を張る。ビリビリと痺れる感触が、尻込みしていた俺の思考を刺激していく。

 

 

「いっちょ、真面目に鍛えてみるか。美喜ちゃんに勝てるくらい」

 

『……随分遠い目標だな。何十年鍛えるつもりだ?』

 

『もっと身近な人物にしたほうがいいと思うな』

 

 

 心機一転で景気良く定めた目標は、二人から即却下された。俺にとっては美喜ちゃんもお前らも同じ位遠い目標なんだけどな……。

 

 

 

 

 

 

 ついでに俺から提案がある、と立ち直った俺が二杯目の紅茶を飲み干した後、ディオが話し出した。

 

 

『俺達は今ジョースター家とSPW財団におんぶに抱っこされている状態だが、早々に自立する必要がある』

 

「う、まあ心苦しいのはとてもあるが、そう簡単に自立すると言っても俺、赤ん坊だしなぁ」

 

 

 就業年齢に達していないのはピクテルの能力で誤魔化せるが、戸籍がないと何も出来ない。下手をすれば不法入国として公的機関に目を付けられるのは面倒だ。

 

 

『そこで、だ。ジョジョは恐らく難色を示すだろうが、とりあえず俺の考えを聞けよ』

 

『不安だけど……まずは聞こう』

 

 

 ジョナサンが頷いたのを見て、ディオは口を開いた。

 

 

『アレッシーにヘーマの存在が把握されたことで、いずれ俺がピクテルに封印されていることも表ざたになる。長く見積もっても数年、秘密にできる期間はその程度だろう。

 ヘーマの身体の年齢が十歳未満では、満足にスタンド能力も扱いきれん』

 

 

 俺自身を守るためのスタンド能力だが、元々ピクテルに殴り合いは出来ない――アレッシーは昏倒させていたが、あれは不意打ちだから除外する――ので、本体である俺の戦力こそが重要になる。

 

 二人の才能を十全に生かすためには、俺が自身を守ることが出来なくてはならない。

 

 

『ジョースター一族の奴らはお人好しばかりで問題は無いが、SPW財団は下手をすれば敵に回る可能性もある。危険視するあまり、ヘーマを監禁しろと言い出す輩もいるはずだからな』

 

 

 確かにその可能性は高い。子供であるウンガロ達にさえ、悪意をぶつけるようなDIOに恨みを持つ人物は、SPW財団だからこそ他にも存在するだろう。

 

 SPW財団はジョースター家の援助こそ行っているが、創始者であるスピードワゴン氏の遺志だからこそ続いている面もあるだろう。それ以上に、ジョセフ達もSPW財団の仕事を手伝っているだろうけれど。

 

 解体されていない爆弾を管理したい気持ちもわかるが、俺としては実に遠慮したい未来だ。自由に絵を描きに出かけられないなど、一週間で脱走する自信がある。

 

 

『自立して金も稼げる、周囲を守る戦力も手に入れられる。そんな仕事に興味は無いか?』

 

「すげぇ胡散臭い」

 

『何をするつもりだい』

 

 

 胡散臭いものを見る俺とジョナサンの視線に、ディオはクツクツと喉で笑った。

 

 

『ギャングになればいい』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日本・イタリア・アメリカ

 

 

 

 ディオとジョナサンが平馬を連れて絵の中に入ってゆくのを見送った後、承太郎は虹村父に向き直った。

 

 

「吉良の父親についての調査を頼みたい。できそうか」

 

「やってみよう」

 

 

 依頼内容は未だ行方を晦ませている、吉良の父親の幽霊について。弓と矢の回収が完了していない以上、これからもこの町にスタンド使いが増えてしまう可能性がある。吉良の父親は、息子である吉良吉影の脱獄を諦めることは無いだろうと承太郎たちは考えていた。

 

 頷いた虹村父がテーブルに向かう姿を花京院はじっと見つめていたが、おずおずと口を開いた。

 

 

「その後に、もう一人……いや、二人ほど探して欲しい人物がいる。スタンド能力の連続使用が難しいのなら後日でもかまわない」

 

「なら後日でかまわないか? 今回のターゲットは逃げ足が速そうだ、捕えるまで映し出し続けなければならないだろう」

 

「受けてくれるならそれでいいさ」

 

 

 了承を貰えた花京院は安堵した表情を浮かべる。

 

 彼が探しているのは八年前から連絡が取れなくなっている、戦友のポルナレフとDIOの息子であるハルノの行方だった。ハルノはある程度の調査結果により生存していることは確認できているが、ポルナレフは一切連絡がとれず音信不通となっていた。

 

 いままでも調査の際に連絡が途絶えることはあったが、長くても二三ヶ月程度の期間が空けばポルナレフからSPW財団やジョースター家に連絡があった。しかし、数年たっても彼からの連絡はおろか、その所在さえ――生死の状態もつかめない。

 

 スタンド使いとして長いキャリアがあるポルナレフが、易々と倒れる姿は想像できない。きっと彼は生きている――それがあの旅の仲間に共通するポルナレフに対する信頼だった。連絡が取れない状況に陥っていると花京院達は推測していたが、今までは打つ手段がなかった。

 

 仲間を探す手段が見つかるかもしれない……花京院はいてもたってもいられず、アレッシーに同行したのだった。

 

 

 水鏡を覗き込む仗助達は、映った映像を見て何やら張り切っている。その近くで同じように覗き込みながら、何やらスケッチブックに描いている平馬のスタンド、ピクテル・ピナコテカ。

 

 平馬さんは大丈夫だろうかと呟いた花京院に、あの二人がどうにかするだろうと承太郎がそっけなく返した。DIOと死闘を繰り広げた承太郎が彼に一定の信頼を置いているのを感じて、花京院は思わず苦笑してしまう。

 

 

「十年前の印象と違うからね。平馬さんも……DIOも。あれは独占欲なのかな、随分と大事に彼を抱えていたけれど」

 

「ああ……ここにいる間中、ずっと平馬を傍から離そうとしねえ。爺さんがいれば別だったが、吉良に誘拐されてから酷くなりやがった」

 

「爺さん、ってもしかしてジョナサンさんのことかい」

 

「他にどう呼べと。じじいだと被るだろう」

 

 

 何か問題でもあるのか、と目で尋ねる承太郎に花京院は首を横に振る。ジョセフ――彼は隣室で赤ん坊の面倒を見ている――が聞いたら、扱いの差に盛大に嘆きそうだなとも思ったが、その場面を想像すると楽しそうなので彼は黙っておくことにした。

 

 吉良の父親の場所へと向かうために意気込みながら仗助達は扉を出ていく。それに続こうとした承太郎に、花京院は声をかける。

 

 

「そうだ、承太郎。君の娘の、徐倫のことだが」

 

「――なにかあったか」

 

「ああ、スタンドに目覚めたそうだ」

 

 

 足を止め、花京院の傍に早足で戻ってきた承太郎に、内心の笑いを表に出さずに花京院は続ける。倒れたのか、と普段の仏頂面はどこにいったのか、不安そうな目をする彼に花京院は首を横に振った。

 

 

「いいや、元気に能力を試しているようだよ。ウンガロ達も巻き込んで、なかなか帰ってこない君を殴ることを目標にしているってさ」

 

「……」

 

「殴られてやるかい?」

 

「徐倫だけならそれでもいいが、ウンガロ達もいるなら話は別だな。全力で避ける」

 

「ふふふ、僕も一緒に君の家に行こうかな。面白そうだ」

 

 

 娘の無事を確認した承太郎は、仗助達に追いつくために早足で部屋を出ていった。花京院はくすくすと笑いながら、祖父によく似て娘馬鹿の友人の後ろ姿を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、父さん出かけるの?」

 

「ああ。JOJOのところにな」

 

 

 職場であるSPW財団関連の病院から帰宅したレオーネは、父親のシーザーと玄関で鉢合わせした。見ればシーザーの足元には、少し大きめのスーツケースが置いてある。

 

 

「ジョセフさんは日本にいるんじゃあ?」

 

「もう帰ってきているそうだ。平馬を連れてな」

 

 

 息子会いたさに仕事をでっち上げてまで、ジョセフが日本へ渡ったのは数か月前のことだった。あの時はジョセフの行動を怪しむスージーQを、どうにかシーザーが電話で宥めている姿をレオーネは目撃していた。

 時折ジョセフは単独で仕事に出かけてしまう。それが浮気のきっかけとなったと予想できる今は、スージーQが疑心暗鬼になるのは当然であった。事実、それが正しいのであれば尚更である。

 

 途中で平馬の情報が入ったため、再会を期待したスージーQは上機嫌となり、シーザーの宥める日々は終わりを告げたが……恐らくジョセフに会った途端、飛び膝蹴りでも食らわせそうな威圧感が、シーザーから感じ取れる。

 何故か予想より怒りが増していることに気づき、思わずレオーネは一歩後ろに下がる。何かまたあったのかと記憶を探って、該当する項目を思いついた。

 

 

「平馬さん大怪我したんだっけ、何回も」

 

「JOJOの息子の仗助が治療できるスタンドだからよかったが、本来なら波紋の治療もできないというのに。相も変わらず自分のことを気にかけん奴だ」

 

 

 承太郎の報告で平馬が誘拐されて、右腕と左足の欠損と拷問を受けたことを知った時は、日本に行こうとするシーザーをレオーネは母と共に止めた。シーザーにはスタンドを見ることさえできないため、尚更何もできない自分がもどかしく感じていた。

 心配のあまり家の中をうろつく父親を見ていられず、父が母と慕うリサリサに叱咤を頼んだ息子であった。

 

 

「帰るときに連れて来ればどう? 俺も会いたいし、イタリアの観光地巡りを提案したら即了承しそうだけど」

 

「それもいいな」

 

 

 先ほどまでの不機嫌そうな表情はどこに行ったのか、ウキウキと楽しげな父親の後姿を苦笑いで見送る息子はゴキリと首を鳴らす。今日も疲れたなあ、とバスルームに向かう姿には哀愁が漂っていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 アメリカにあるとある町の教会。窓からの光が差し込む部屋の一室で、一人の男が開いていた日記を手で閉じた。

 

 

「もう、十年か」

 

 

 男の名前は、エンリコ・プッチ。男が崇愛する親友である、DIOが殺されてから十年の年月が過ぎ去り、当時神学校の学生だったプッチも、神父としての務めを日々行っていた。

 

 プッチにとってDIOは親友であると同時に、神と同列にするほど心を傾ける相手であった。若さゆえの正義感と性急さ、そして考えの甘さによって生き別れた双子の弟を瀕死にまで傷つけ、妹の命を失わせてしまった――苦いという言葉では軽すぎる過去。そんな苦しみに呻くプッチを、救ってくれたのがDIOだった。

 

 彼との交流は、プッチにとっては何よりの楽しみとなった。初めて出会ったとき、そのあまりの美しさに見惚れたDIOという男は、誰よりも自信に満ちて多くの人間の尊敬と畏怖を集める人物だったが、ふと見せる年齢にそぐわない幼さに、なによりもプッチは惹きつけられた。

 

 彼の部下にはけして見せない姿、それを自分にさらしていることに優越感を抱いたこともあった。しかしDIOとの話を交わすにつれ、そのような感情はすっかり消え失せることとなった。

 

 

 DIOの話には、よく『ジョジョ』と『ヘーマ』という人物が出てきていた。

 

 

 前者についてはDIOの身体となっている人物ということを聞いていたため、プッチはDIOに尊敬される『ジョジョ』という男を想像して楽しむこともあった。

 

 だが、『ヘーマ』という人物については、DIOの反応はプッチが見たことがないほど穏やかで、幼げで、とてもとても楽しそうであった。

 

 当然、プッチは『ヘーマ』に嫉妬する。

 

 彼によく似た容貌で、彼が心から称賛する程の絵の技巧を持って、彼の心の中で誰よりも比重が重い『ヘーマ』という人物。また会いたいものだと彼が言うたびに、プッチは湧き上がる嫉妬を抑えながら、『ヘーマ』はなぜ彼の傍にいないのかと何度も憤った。

 

 

 ――『天国』なら、彼に会えるかもしれない。

 

 

 プッチはDIOが呟いた言葉を覚えていた。彼が残した言葉と彼の骨は、書き付けたメモと共に厳重にしまってある。

 

 妹の死と共に誓った決意によって、DIOを殺害した者への復讐と、彼の残した『天国』への道をプッチは歩む。もう、それしかプッチにはやりたいことが残されていなかった。

 

 

 こんこん、と扉を叩く音に日記を引き出しにしまいこむ。どうぞ、とプッチが声をかけるとそっとシスターが扉を開いて顔をのぞかせた。

 

 

「神父様、お手紙です」

 

「ああ、ありがとうシスター」

 

 

 手紙を受取ろうと手を差し出すプッチに、シスターは何故か手紙を渡さなかった。どうしたのかと尋ねると、差出人の名前がない為渡していいものか悩んだとのことだった。

 

 構わないとプッチが言うと、シスターはなおも悩む様子を見せたが、そっと手紙を差し出した。

 

 

 シスターが去った部屋の中で、プッチは一人手紙の封を開く。中に便箋以外のものが入っていないことを確認しながら、ゆっくりとそれを開いた彼は、一行目を読んだ時点で目を見開いた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小話三つ

 

 

 船と列車、そして車の旅を終えて平馬達がジョセフの家に着いた途端、輝く笑顔のホリィとスージーQが玄関の扉から飛び出し平馬に勢い良く抱きついた。

 たたらを踏むもどうにか倒れることを防いだ平馬は、二人と気づくと嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 

 

「きゃ~ッ! 本当に平馬さんだわッ!」

 

「久しぶりね! 元気だった?」

 

「なんとかね。二人とも元気そうで良かった」

 

 

 夫と息子をそっちのけできゃいきゃいとはしゃぐ彼女達の姿に、平馬と交流する姿を初めて見る彼らは一同呆気に取られた顔をさらしている。

 女性二人に手を引かれた平馬の後ろを、固まっている彼らを見てニヤニヤと笑うDIOと苦笑を浮かべるジョナサンが続いた。

 

 

「見て! 約束のケーキとクッキー、平馬さんが来るから準備していたの~! 時間もいいし、このままお茶にしましょう」

 

「ほらほら座ってちょうだい! 今日のケーキはチーズケーキなのよ。味はどうかしら?」

 

「……あ、美味しい」

 

「まあ、本当? 良かったわ~ッ!」

 

「な、後で作り方教えてくれないかな? また食べたいし、俺も二人に食べさせたいな」

 

「じゃあ明日は一緒にクッキングねッ! ふふッ、楽しみ」

 

 

 お菓子をほめられて嬉しいのか、年齢を感じさせない可愛らしい笑顔を浮かべるホリィとスージーQ。その正面で平馬もニコニコと笑っているが、その場に馴染んだ姿を見て花京院がごしごしと目を擦っている。

 

 微妙な表情を浮かべる男性陣に気づいているのかいないのか、三人の会話は盛り上がって次第に話題は別のものへと変わりつつあった。

 

 

「この色とかどう? スージーに合いそう、あーこれも良くない?」

 

「ママにはこっちも良いと思うわ」

 

「そうかしら……ヘーマの方が似合わない?」

 

「はは、俺は口紅しないよ~。あ、ホリィにこの髪飾り似合いそうだ」

 

「ん~、全部上げるより少し下ろした方が良いわねぇ」

 

「そうだな、ハーフアップで編み込みとかいいかも。触ってもいい?」

 

「OK!」

 

 

 

 

「……アイツ、何で違和感なく混じってんの?」

 

 

 リビングのソファーに腰掛けながら、なんともいえない表情で平馬を見つめるジョセフの呟きに、聞こえていた男性一同は深々とため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 平馬がジョセフの家に居候し始めた数日後のこと。

 

 

「げッ」

 

「うわッ」

 

「ほぉー……随分と、快適そうじゃあないか、二人とも」

 

 

 庭でまったり話していた平馬とジョセフは、シーザーの姿を見つけてそれぞれ呻いた。その声を聞きつけたのか、シーザーの目がつり上がるのを見て二人は上ずった声で話しかける。

 

 

「お、お久しぶりシーザー」

 

「ああ、『今は』元気そうで何よりだなヘーマ」

 

「……わ、わしが留守の間スージーが世話になったなぁ」

 

「そりゃあもう、『毎日』電話で宥めたからな」

 

 

 一歩一歩、彼が近づく度にぞわぞわと本能が危険を叫んでいる……そう感じ取った平馬とジョセフは互いの視線を交差させる。

 そして一斉に後ろへ猛ダッシュを実行し、シーザーから距離を取った。

 

 

 ――しかし、早々それを許すシーザーではない。

 

 

「どこに行くつもりだ二人ともッ! シャボンランチャーッ!」

 

「んノォ~ッ!?」

 

「のわァ~ッ!? ジョ、ジョセフバリアー!」

 

「だァッ!? お、お前何すんのよッ!?」

 

「俺は波紋に弱いんだッ! ちょ、誰かシーザーを止めろ~ッ!」

 

「逃がさんッ!」

 

 

 波紋入りのシャボン玉を飛ばし始めたシーザーに、目を剥いて驚くジョセフと平馬。とくに吸血鬼の素養がある平馬にとって、波紋の力は非常に危険なもの。迷い無くジョセフを盾に回避すると、不意の衝撃に襲われたジョセフが非難の声を上げた。

 

 怒りのシーザーに追い掛け回される二人を、紅茶を飲みながら眺めていたジョナサンがふふ、と笑う。

 

 

『少しは良いお灸になりそうだね』

 

『……前々から思っていたが、ジョジョ……君、いい性格になってきていないか』

 

『そうかい?』

 

 

 そんなつもりはないけど、と首を捻る義兄弟の姿を、呆れた顔でDIOが見ていた。双方全力の追いかけっこは、騒ぎに気づいたスージーQが庭をのぞくまで続くのだった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 広い庭の真ん中で、仁王立ちをしている少女が一人。彼女は空条徐倫。承太郎の一人娘であり、最近スタンドに目覚め、その力を持ってなかなか家に帰ってこない父親を殴ろうと志す少女である。

 

 兄貴分たちの協力を経て、この場に臨んだ彼女は緊張のあまり幼い表情が強張っている。しばらく時間が過ぎ去ったあと、庭に一人の男が姿を現した。

 

 二メートル近い身長にしっかりと筋肉が付いている巨躯、端整な容貌だというのに感情を浮かばせない顔は、子供には少々厳しい威圧感をかもし出していた。

 

 怜悧な緑の眼が徐倫を貫く。怖気づきながらも、負けてたまるかと自身を奮い起こして、徐倫は近づいてくる父親をじっと見ていた。

 

 

 徐倫と承太郎の距離は残り四メートルほど。

 

 

「アンダー・ワールドッ!」

 

 

 承太郎がさらに一歩踏みしめようとしたそのとき、ドナテロのスタンド能力が発動した。声に気をとられた承太郎は、視線を一瞬ドナテロへと向けてしまう。

 

 注意がそれた瞬間承太郎の足元が崩れ、現れた大穴に彼は足をとられた。

 

 

「スカイ・ハイ」

 

 

 穴から脱出しようとした承太郎の身体が硬直する。強張って動かない足に手で触れると、異様なほど冷たくなっていることに承太郎は気づいた。

 そして彼のスタンド、スタープラチナは周囲を凄まじいスピードで飛び回る、妙な生物を視線で捉える。しかし真っ先にこの場からの脱出を選んだ承太郎は、スタープラチナに自身を抱えさせ、動く左手で地面を殴ろうと――。

 

 

「ウラァァッ!」

 

 

 振り下ろす直前にいつの間にか背後に回った徐倫に気づいた承太郎は、反射的に時を止めた。

 

 全てが静止した中、穴から抜け出した承太郎はスタンド能力なのか、糸状にほどけている身体の娘を見る。

 

 再び時が動き出した世界で、徐倫たちは承太郎の姿が無くなっていることに驚き、やり取りを観戦していたDIOはくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

 

『子供相手に時を止めるとは、大人気ないのか子供達の才能が素晴らしいのか……』

 

「両方だな」

 

 

 勝負あり、と策が敗れてがっくりと肩を落としている徐倫達を見て、平馬は終了の合図を告げた。

 

 

 承太郎に一発入れられれば徐倫達の勝ち。逃げ切れれば承太郎の勝ち。一番可能性が高かったのだろう、第一回目の挑戦が失敗に終わり悔しいのか、徐倫は不参加だったウンガロにしがみ付いてぐずっていた。

 

 

「じゃあ、明日は俺も参加するけどいいよね?」

 

「ああ」

 

 

 あっさり了承した承太郎に、ウンガロはニヤリとした笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

 次の日。庭に集められたのは承太郎だけでなく、平馬やDIOとジョナサン、ジョセフに花京院という大人数だった。

 いぶかしんでいる全員の前で、ウンガロが笑顔で手に持っていた本を開いて承太郎達に見せる。

 

 本のページを目視した直後、足元に方陣が浮かび上がり鍋の底が抜けたように全員飲み込まれた。

 

 

 その先に広がるのは、蔦の生い茂った古いレンガが積み上げられた、いかにも古代の遺跡といえる巨大な人口建築物。呆気に取られる一同に、どこからかウンガロの声が響いてきた。

 

 

『早人と遊んでいるときにさ、面白い日本の番組があったんだよ。インディージョーンズみたいなの。それを俺なりにアレンジして、雰囲気もそれっぽくしてみた。どう?』

 

「どうって……これウンガロのスタンド能力だよな?」

 

『そうだよ。本の中の空間を描くことで自由に設定できるのと、対象を本の中に引き込むのが俺の能力。作ってみたのはいいんだけど、どうも一人じゃあ攻略難しそうだったから人数多くしてみた』

 

「まず難易度の設定を変えろよ」

 

『命に危険はないようにしているから大丈夫だって』

 

 

 けらけら笑うウンガロの声が空間に響く。ウンガロがスタンドを解除するつもりが全く無い以上、引き込まれた者達はゲームのようなダンジョンを攻略するしかなかった。

 

 

 数時間後、どうにか全て攻略できスタンドの空間から脱出した全員に、拳骨を貰ったウンガロ達であった。

 

 

「あれのどこが危険がないというんじゃ! 行き止まりで大岩が転がってきたり、底の見えない落とし穴のどこが!」

 

「こぶできた……ぶつかったり落ちたあとにリタイア部屋に転送されるんだよ……罰ゲームを受けて貰うけど」

 

「俺達頑張って罰ゲーム考えたのになぁ。じいちゃんの場合はDパパをくすぐって笑わせるとか、ヘーマパパは女装してナンパしてくるとか」

 

「な、なんて恐ろしいことを考えるんじゃ……!」

 

「ちなみに、承太郎の場合はどうなったのかな?」

 

「マイケルの歌を熱唱」

 

 

 見たかったのに、と残念そうなウンガロ達を見て、大人達は顔をひきつらせる。

 

 

『……ほら見ろ、ヘーマそっくりだろう』

 

「同意するぜ」

 

「えっ、濡れ衣……!」

 

 

 DIOと承太郎の会話を聞いて、むしろ原因はジョセフじゃあないかと主張する平馬の抗議は認められなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 過去に残されたもの
エジプトにて


 

 

 

 ――暑い。火の近くで炙られるような不快な感覚に、俺は薄っすらと瞼を持ち上げた。見れば、昨日の夜には閉めたはずのカーテンが開いており、強い日差しが俺の眠るベッドに降り注いでいる。

 太陽によって茹った手足を動かして、カーテンを閉めて光を遮った。

 

 

『寝直そうとするな』

 

 

 日差しという刺激を排除して再びベッドに横たわる俺の頭を、ディオが軽くはたいた。ディオは太陽光厳禁だったときは割と自堕落に生活していたというのに、日差しを浴びれるようになった途端、昔の生活リズムに戻ったらしい。

 規則正しく起きるディオとジョナサンが、俺を起こすのが今の日常となっていた。

 

 

 俺の眠いという訴えを、遅くまで起きているほうが悪いと一刀両断するディオ。……この湧き上がるもやもやした気持ちはなんだろうか。微妙な気分になっている俺の横で、君に言われてもねとジョナサンが苦笑いする。そう、それだ。

 

 

『ヘーマも、夜更かしするほど根を詰めないほうがいいのだからね?』

 

「はいはい、気を付けますよ」

 

『あまり目に余るようであれば、画材一式取り上げてジョースター家に送り付けようか』

 

「以後気を付けます!」

 

 

 若干、本気の目をしていたディオの言葉に、俺は佇まいを直して敬礼する。画材を取り上げられるのは非常に困る、というよりも収入源が無くなってしまうではないか。

 

 

 今から三か月ほど前のことだ。ジョセフの家に居候し始めて二か月が過ぎたころから、俺はどうやって収入を得ようかと悩んでいた。ディオのギャングになれという発言は、多数決にて却下された。半分冗談だったようで、すんなりと彼は引き下がっていたが。

 

 俺の身体が成長するまでウチに居ればいいとジョセフは申し出てくれたのだが、二十年近くも世話になる訳にはいかない。いっそジョセフに仕事を斡旋して貰おうかと悩んでいたところ、軽い調子でジョセフはこう言った。

 

 

『ヘーマの絵を売ればいい』と。

 

 

 俺程度の絵が売れるわけ無いと提案を却下したが、ディオとジョナサンが乗り気になり、俺を置いてジョセフに話の続きを促していた。

 

 この世界では百年以上前、俺が土産にとジョナサンとディオに渡した絵は現在ジョセフの家に飾られているのだが、商談で家に人が訪れるときに何度か譲って欲しいという声があったらしい。

 大事なものなので譲るわけにはいかない、とジョセフは断っていたそうだ。ただ、何名かしつこく食い下がって来た人もいたようで、それなら売れるのではないのかと考えたようだ。

 

 まずは売れるかどうか確かめてみろ、と俺は画材一式を渡された。丁度スケッチばかり溜まっていたので、まずは杜王町の絵を十点ほど描いた。他にはジョセフの家周辺の街並みや、船で移動している間の海と空の絵を数点。一日中描き続けようとする俺をジョナサン達が強制的に休憩をいれさせながら、どうにか数を準備できた。

 

 あとの準備はジョセフが全てやってくれた。貸し画廊や案内状の手配から、額縁の準備に展示期間中のスタッフの募集まで、あっという間に整っていた。その見事な手際に、ジョナサンが嬉しそうな笑みを浮かべていたのが印象的だ。本当に仕事が出来る一族だな、ジョースター家。

 

 本来、俺のような無名が個展を開く際は、ホストとして接客するのが当然なのだが、俺の顔が売れるとまずいということで、俺の個展なのに出ることができなかった。

 絵を描いただけでその後の作業を一切していないため、本当に個展が開かれているのか実感が無いまま、予定していた開催期間は無事終了した。

 

 その結果、絵が全て売れるという驚愕の事実を告げられる。

 

 

 マジか、嘘だろと慌てる俺とは対照的に、ジョナサンとディオは当然だろうと欠片も驚いていなかった。次の個展は何時だと問い合わせまであったと聞いて、固まる俺にジョセフは大丈夫だったじゃろ、とウインクを贈ってきた。

 

 

 その後、俺の画家としての知名度は上がり、作品もそれなりの値段になるようになっていった。ある程度の資金が溜まった頃、ジョセフが俺に一つの鍵を渡してくる。

 

 

 それは、エジプトでディオが所有していた家の鍵。

 

 これに驚いたのはディオだった。すでに処分され人の手に渡っているものと思っていたようで、何故残したのかとまじまじと貰った鍵を見ていた。

 

 大きな屋敷については戦闘による破壊のあとも酷く、崩壊の危険性も高かったため解体されているが、その後に見つかったこの鍵の家については、そのまま残っているとのこと。俺がいずれ戻ってくると考えていたジョセフ達は、ディオのプライベート色が濃いその家を残しておいたそうだ。

 

 ついでに俺の戸籍も作っていたようで、当時からプラス十年たっているため、今の俺は世間的には二十九歳らしい。もう、俺の年齢について分からなくなってくる。

 

 

 鍵を貰ったからには住もうと三人で話し合い決定し、エジプトへ引越しの準備をしているとウンガロ達が盛大に引き止めて来た。ほぼ泣き落としに近かったが、学校が長期休みのときに遊びに来ればいいと伝えたら落ち着いた。エジプト旅行の計画を徐倫はともかく、ジョセフまで一緒に考えていた。お前も来るんかい。

 

 

 引越しが終了したのが2000年の1月、それから時間は流れて今は4月だった。

 

 

 俺は絵を描く日と描かない日を決め、描く日は一日中アトリエに篭っているが、描かない日は元の幼児の姿で過ごしていた。基本的に寝るときは幼児の姿だが、絵を描いた後にそのまま眠ってしまうことも多く、そのことでジョナサンからたまに説教を食らう。

 画家としての人生も、ディオやジョナサンとの共同生活も、順風満帆といって良い。

 

 

 恵まれているなぁ、としみじみと考えていると部屋の扉を叩く音が響いた。

 

 

「失礼いたします。お食事の準備が整いました」

 

「ああ、ありがとうテレンス」

 

 

 エジプトの家を訪れた俺たちを迎えたのは、ディオの屋敷で働いていたテレンスだった。どうやら、ディオの別邸の管理を任されていたらしい。後に彼もスタンド使いだと聞いて、俺は大いに驚いた。何故気づかなかったのか……こんな特徴的な人なのに。

 

 いや、特徴的な恰好だからといって、スタンド使いとは限らないはず。ああ、きっと恰好だけおかしい人もいるはずだ。今のところ、キャラが立っているのは全員スタンド使いだけれど。

 

 

 

 

『ヘーマは今日は絵を描くのかい』

 

「もう少しでできるからなあ、やってしまいたい」

 

 

 朝食のオムレツを口に放り込みながら、俺はジョナサンに答えた。もうすぐ完成が近い絵があるため、早く仕上げてしまいたいのだ。

 

 今作成しているのは、カイロにあるスーク・イル・アタバの風景。市場の活気が描きたくなって、しばらく通い詰めている。おいしいものを見つけることもできるし、実に楽しい。

 

 食べる速度を上げた俺を見て、ジョナサンが困ったように笑う。

 

 

『君のもう少しは丸一日の可能性もあるからね。お昼になったら呼びに行くよ』

 

「信用が無い……!」

 

 

 ディオが、何をいまさら、と呆れた声を出す。絵に関しては技量以外は信頼できないかな、とジョナサンの止めに俺は食事の手を止めて顔を両手で覆う。何故だ、どこで俺の信用が暴落した?

 ちゃんと夜は眠っているというのに、どこが拙いのだろうか。

 

 むすりとした表情のままベーコンを口に入れてフォークをくわえたままの俺に、ディオが行儀が悪いと小言を言った。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 最後の一筆の後、俺はだらりと腕を下ろした。しばらくじっと出来上がった絵を眺めた後、深く息を吸い……吐く。道具を片付け始めた俺は、アトリエの入り口近くに人がいることに気付いた。

 

 そこにはディオとジョナサン、そしてもう一人十字のデザインが特徴的な服を纏った、銀髪の男性が椅子に座ってこちらを見ていた。どうして漂う沈黙の中で見られているのだろう、俺は。

 

 

「……いつからいた?」

 

『一時間ばかり前からだな』

 

『お昼前に終わってよかった』

 

 

 一時間も俺が作業する姿を見ていたらしい。お客さんもいるというのに、他にすることはなかったのだろうか。布の切れ端で筆に残った絵の具を拭い取りながら、物言いたげな視線を二人に向ける。

 彼らは俺の片づけを止めるつもりはないようで、椅子に座ったまま様子を見ていた。どうやら終わるのを待っているらしいが、しばらくかかるがいいのだろうか。

 

 なるべく気にしないようにしつつ、筆洗油で筆を揺らしながら洗う。その後、石鹸で筆の先を揉み洗いし、水で石鹸を洗い流して筆は終了。油壺のオイルも捨てて口金をふき、ペーパーパレットを破いて捨てて絵の具の口がしっかりしまっているのを確認する。

 石鹸で自分の手も洗って、汚れないようにつけているエプロンと絵の具まみれのシャツを脱いだ。

 

 

「よし、片付け終了。お客さんを紹介してもらってもいいか?」

 

『ああ……彼は俺の友人のエンリコ・プッチだ。俺が彼方此方巡っている最中に出会ってな、この家にも来たことがあるんだ』

 

「はじめまして、ヘーマさん。貴方のことはDIOからよく聞いていました」

 

 

 和やかな表情で友人を紹介するディオの隣で、穏やかに微笑むプッチ……神父。俺は目を見開き、目の前の人物を凝視することとなった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

訪れた客人

 

 

 

『……おい、いつまで呆けた顔をしているつもりだ』

 

 

 固まったままの俺を見かねたディオが、俺の頭を小突く。衝撃で停止したままの俺の思考が動き始めるが、衝動の赴くままにジョナサンに詰め寄り、その肩を掴んだ。

 

 

「ジョナサン……俺、夢を見てるのか? ディオが友人を連れてきたなんて、ここは現実なのか?」

 

『大丈夫、君は起きているよヘーマ。信じられないだろうが、これは現実だよ』

 

『絞められたいのか二人とも』

 

 

 口元をひくつかせるディオ。そろそろからかうのを止めないと、後が大変なのでここで終了とする。しかし、ジョナサンがノってくるとは思わなかった……冗談、だよな。本気で思っているとかないよな。

 俺は思考を振り切ってプッチさんに笑みを向けた。

 

 

「平馬です。よく来たプッチさん、ゆっくりしていってくれ。それで今日の宿は決まっているのか?」

 

「呼び捨てでかまいませんよ。DIOが泊まっていくようにと言われまして」

 

「よしわかった。何か受け付けない食べ物はあるかな?」

 

「貝類にアレルギーがありますが……」

 

 

 やはり弟分――年齢はすでにディオのほうが上ではあるが――が友人を連れてきたなら、張り切って歓迎をするべきである。いつも台所を譲ってくれないテレンスも、今回ばかりは許してくれるだろう。

 

 

「ふむふむ、了解。夕飯は俺が作ろう、二人とも何かリクエストはある?」

 

『麻婆豆腐だな』

 

『味噌汁が飲みたい』

 

「……どうして食材が手に入らない、無理なものをわざわざ言うんだ」

 

 

 メニューの方向性を決めるためにリクエストを聞いたが、まったく役に立たなかった。なに、俺に作るなって言いたいのか、お呼びじゃあないってか。ディオならともかくジョナサンまで、泣くぞ俺。

 

 二人はすぐに冗談だと笑ったが、じっとりとした視線を向ける俺をなだめる彼らの様子を、プッチは目を白黒としていた。なにか驚かせてしまっただろうか。

 

 じっと見つめる俺に気づいた彼はすぐに微笑を浮かべたため、何かをたずねることも無く、俺達は昼食のためにアトリエを後にした。

 

 

 

 

 

 

 俺の丹精こめて作った夕食も終わり、それぞれ寛ぐ時間となった夜。俺は一人アトリエでキャンバスの準備をしていた。来客であるプッチさんの絵を描かせてもらおうと、明日になればお願いをするつもりだ。断られたとしても、次の絵を描くための準備になる為、俺は全く損をしない。

 

 鼻歌を歌いながら下塗りをしていると、金属の擦れる高い音が聞こえた。俺が後ろを振り向くと、扉のノブに手をかけたプッチが佇んでいた。

 

 

「邪魔をしてしまったでしょうか」

 

「いいや、下塗りをしているだけだから」

 

 

 そうですか、と口にした後は黙り込むプッチ。彼の視線が俺に向けられているのを感じて、何か用かなと尋ねた。

 

 

「少し話せますか」

 

「いいよ、もう終わるから……バルコニーにでも行くか?」

 

 

 基本的に、この家に俺の部屋というものは無い。ベッドがある部屋は存在するが、主に使うのが俺というだけであって、俺だけの部屋は存在しなかった。ディオとジョナサンは絵の中の私室で眠るため、部屋が必要ないと思っていたが……来客があることを考えると、個人部屋をそれぞれ用意する必要があるかもしれない。

 

 こんな夜にプッチだけでアトリエに来たということは、ディオたちの前では聞きづらいことだろうか。

 

 先導する俺の後ろについてくるプッチの足跡を耳にしながら、バルコニーへの階段を上っていった。

 

 

 

 

 バルコニーに置いてある椅子に腰掛けると、プッチももう一脚の椅子に座る。星空を見上げている俺を見据えていたプッチだったが、しばらくの後に口を開いた。

 

 

「貴方は、何故いまもDIOを閉じ込めたままでいるのです」

 

 

 落ち着いた声音でプッチは尋ねてきた。そう見えるか、と彼の方向を見ずに答える俺に、はい、と頷きが返ってくる。

 

 

「まあ、俺の意志が反映しやすい状況であることは認めるよ。ただ、ディオはそれが嫌なら嫌だというぞ」

 

「……彼から、天国のことは?」

 

「そういえば屋敷に居るときに聞いたな、運命から自由になりたいと解釈したが」

 

「ならば何故、彼を封印したままに」

 

 

 言い募るプッチに、俺は苦笑を浮かべる。確かに、ジョースター家との争いが休止している今、ディオの封印を解いても彼の命がすぐにどうこうなるということは無い。

 

 

「俺がそれを望んでいないからだ」

 

 

 封印を解かない理由はあの日の承太郎の前での誓いと、俺の我侭ゆえに。

 

 ざわりと空気が震える。プッチから敵意と言ってもいい、黒い視線が俺に突き刺さり、真剣な顔をした彼を俺は目を細めて見る。

 

 

「彼の道を阻むつもりですか」

 

「そのつもりは無いよ。ただ、まあ……今のところそうなっているだけだ。俺はディオから一言も『手伝ってくれ』だなんて言われていないしな」

 

 

 絵の中に封印して以来、ディオが天国について話題にしたことはない。諦めてしまったのか、今は目指すつもりが無いのか……彼が語らない以上、俺にはわからなかった。

 

 まず内容を吟味しないとわからないため、声をかけられたら真面目に検討するつもりではある。

 

 そう伝えれば、プッチは困惑した表情を浮かべる。

 

 

「……貴方は、何をしたいのだ。

 闇の帝王とも呼ばれたDIOもジョナサン・ジョースターも手元に置き、ジョースターの一族とも剣ではなく握手を交わす。天国への道を手伝うこともなく、邪魔をするつもりもないなど……」

 

 

 改めて他人から見た俺を告げられると、実にどっちつかずな対応をしているなと自身でも思う。だが、それを辞めるつもりは毛頭ない。

 ピクテルが俺の隣に現れ、一つの絵を取り出す。それはディオの首を封印した絵であり、それを見てプッチは息を呑んだ。

 

 

「俺はただ、好きな人たちが争う姿を見たくなかったんだ」

 

 

 俺の能力のキャンバスは、実はとても頑丈だ。

 一度空のキャンバスに額縁を止めたものを、承太郎にスタープラチナでラッシュしてくれるように頼んだが、破壊できないどころか皹すら入らなかった。

 

 キャンバスごと破壊できないなら、ディオを殺すには封印を解かなくてはいけない。だが、俺が生きている限り、ディオの封印が解けることはない。

 

 ジョースター家の皆は、何かのために自分を犠牲にすることはあっても、他人を犠牲にすることは出来ない奴らだ。封印を解くために、俺を殺すなんて考えもしない。

 

 

 ディオが俺の能力に封印されている限り、ジョースター家の彼らは手を出せない。

 

 彼らが手を出さないのなら、SPW財団も独断で俺に手を出すことはない。

 

 

 いざという時に頼れるスタンド使いとして、ジョースター家は優秀な戦力だ。彼らの反感を煽るようなことは避けるだろう。

 

 

 貴方の寿命が尽きたときはどうする、という言葉に、太陽の光を浴びない限りは尽きないさ、と俺は笑った。俺が吸血鬼の素質を持っていることを知って、プッチは目を丸くしていた。

 俺はくすくすと彼を見て笑う。

 

 

「プッチ、君と話すディオは随分と気が抜けていた」

 

「それは、貴方とジョナサンの方が」

 

「俺達は家族。だが、君は友人だ。俺は本当に嬉しかったんだ、ディオに気を許せる友人が出来たことが」

 

 

 ディオにとって、友情とは利用するものだった。ディオの友人は全て彼の手足でもあった。そんな彼が、義兄弟であるジョナサン以外に、素の表情を晒していた。

 『漫画』で知っていた事実……それが、直接目にするとこうも嬉しいという感情が溢れるとは。

 

 

「ディオが羨ましいくらいさ、親友と呼べる存在は、向こうの世界には居なかったからね」

 

 

 俺の前世の性別が異なっていたからか、美喜ちゃんと一緒に居たからか……俺にはあまり同世代の男の友人がいなかった。かなり年上なら少なくないのだが、良くて弟、下手すれば孫扱いだ。

 

 

「ジョースターの彼らは、違うのかい」

 

「もちろん友人だ。だが、どちらかというと親戚という感覚が強くてなあ。ウンガロ達もな、兄弟が多いのも少し羨ましい。俺は義姉はいたけどね」

 

 

 恐らく、ジョナサンの子孫という情報が、ジョセフや承太郎達を親戚と認識しているのだろう。弟分の家族なら俺の家族、いつの間にか大所帯になったなぁ、と思わず浮かれる。

 

 そんな俺を黙って見ていたプッチは、ごくごく小さな声で呟いた。

 

 

「……私には、妹が居た」

 

「妹さんか。プッチの妹なら美人なんじゃないか?」

 

「ああ、とても気立ての良い、身内びいきを抜かしても自慢の妹だったよ」

 

 

 懐かしそうに空を見上げるプッチだったが、次の瞬間、その表情が凍りつく。まるで、感情を無理やり抑えるかのように。

 

 

「……そして、弟もいたのだ。生き別れの、双子の弟が……。

 二人とも……私のせいで、人生を破滅に追い込んでしまった」

 

 

 ひやりとした風が、俺とプッチの間を吹きぬけていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決意を揺らがせろ

 

 

 

 プッチは、静かに自らの兄弟について話した。

 

 生まれた病院で死亡した赤ん坊とすり替えられ、生き別れになった弟のこと。神学校の生徒であったときに知ってしまった弟が生きているという事実。調べていくにつれ、妹と双子の弟が付き合っていることを知ったこと。二人を別れさせようとするあまり、短絡的な考えなしの行動が弟を瀕死に陥らせ、結果妹が湖に身を投げたこと。

 

 目的を達成するためには、何を犠牲にしても……たとえ血を分けた双子の弟だとしても、始末をする決意を抱き……彼の記憶をスタンドで抜き取ったこと。

 

 

 昔、出会ったときにディオに貰った矢、そして数年の付き合いの後に渡された彼の骨のことを。

 

 

 淡々と話すプッチの表情は、疲れを滲ませながらも心を据えた頑なさが見えた。『決めてしまった』者特有の、鋭い光が目に宿っている。

 

 聖職につきながらも、罪に濡れることを選んだのは、過ちを酷く後悔しているからだろうか。

 

 簡略であろうとも、俺が話を聞いた限りはすべてプッチに責任があるとは思わなかった。言い方は悪いが、不幸な出来事というような……運が悪かったとしか言えない偶然が積み重なっているように思える。

 

 『運命』というものについて考えていたという彼の話に、俺も同感を覚える部分は多々ある。

 

 俺は『通るはずだった』道を無理やり蹴飛ばして、進む道をずらしてきた。その行動の根源は、後悔が元となっている。『何もしなかった』ために、『漫画』と同じ道を進んだディオとジョナサン。

 

 弟分を助けたくて、俺はあらゆる手段を択ばないことを決めた……プッチと同じように。

 

 彼と俺は、似ているのかもしれない。

 

 

 プッチは話し終ると、黙ったまま星空を見上げていた。いや、見てはいない。彼の瞼は閉じられたままだった。

 

 

「どうして、俺に話したんだ」

 

「懺悔をしたくなったのかもしれない。君の……DIOとも異なる中性的な雰囲気が、教会を思い出させる」

 

 

 そういう所はDIOに良く似ているよと、プッチは目を伏せたまま言った。

 

 

「DIOからの手紙を読むまでは、後悔など一切していなかった。ただその『時』が来るまで、いくらでも待つつもりだった。

 ――だがどうしてかな。今の私は、何をすればいいのかわからなくなっている」

 

「……死んだはずの親友から、十年後に実は生きてますなんて手紙貰えば、そりゃあ衝撃でいろいろ吹っ飛ぶだろう」

 

「はは、確かにそうだな。彼は人を驚かせるのが好きで困る。出会った時も、わざわざ私の後ろに回り込んでいた」

 

 

 人をからかう――というよりもおちょくるのが好きなディオは、しっかりプッチにも仕掛けていたらしい。演技過剰な部分があるよな、と呟いた俺にプッチは柔らかく口元を緩ませた。

 

 

 プッチは、まだ笑える。壊れたような笑みではなく、楽しいと思って笑うことができる。

 彼が後悔を覚えているのなら、まだ全てに諦めていないのなら……心が動くことができるのならば、まだできることがある。

 

 プッチ、と呼ぶ俺の声に、彼は俺を正面から見た。

 

 

「じゃあ、俺から提案だ。弟さん、まだ生きているんだろう」

 

「そうだが……それが?」

 

「今はどこにいるんだ?」

 

 

 俺の問いかけにきょとんとした表情を浮かべたプッチは、州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所だが、と答えた。

 

 刑務所、そうか服役しているのか。

 

 プッチによると本来彼の刑期は六年だが、刑務所の看守等の記憶を操作して刑期を一度キャンセルしたらしい。そんなこともできるのか、いや……記憶の操作すら躊躇しないほど、彼は覚悟を決めてしまっていたのか。赤の他人とはいえ彼は神父、自分の中でどう折り合いをつけていたのかわからないが、あまり良い傾向ではない。

 

 服役したのが1988年の8月で累計12年の刑期……つまり今年の8月には終了することとなる。

 

 実に丁度良い時期ということだな、今は。

 

 

「なら刑期が終了したときに、会いに行こうか」

 

 

 提案は、沈黙で受け止められた。そんなに突飛なことを言ったつもりはないのだが、プッチは目を見開いて俺を凝視している。

 

 

「……会って、どうする?」

 

「そりゃあ、話し合うんだよ。何事も第一段階は会話だぞ」

 

「いや、だが……彼は私のスタンドで記憶を失っている、会話はできるだろうが私のことも覚えていない」

 

「ああ、それはもちろん戻すよ」

 

「戻したらまずいんだ! 彼には、凶悪なスタンド能力がある! それが記憶を奪った理由でもあるんだ」

 

「じゃあ、記憶を戻す前にスタンドを預かればいい」

 

「生来のスタンドを抜き取れば、二つのDISCを抜き取ることになり、生命活動が止まってしまう」

 

「俺の能力で預かればいいだろう? その日までアメリカ観光をするのもいいな、ジョセフ泊めてくれるかなぁ。明日出発……は、手続きとか無理か。明後日出発だな」

 

 

 ああ言えばこう言う俺の言葉に、焦りと困惑を混ぜた表情をプッチは浮かべた。大丈夫大丈夫、何とかなる。笑いながら屋敷の中に入った俺と入れ違いで、ディオとジョナサンがバルコニーに出て行った。

 

 

『諦めろプッチ』

 

「DIO……しかし!」

 

『ヘーマが乗り気だ。あれはもう止められん』

 

『素直で穏やかな性格に大分誤魔化されているけれど、ヘーマは結構我侭なんだ。スタンドのピクテルを見ていれば、すぐにわかるよ』

 

『普段の性格は義姉による徹底的な調教……もとい躾の成果だな。最近はハメを外しているようだが……そろそろ再教育が必要か』

 

 

 ……なんか、恐ろしい言葉を聞いた気がするが、努めて気にしないようにして俺は部屋に戻っていった。

 

 

 次の日、旅行の準備がテレンスによって完了していることを俺は起きて知る。……テレンスも聞いていたのか。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ヘーマパパーッ!」

 

 

 アメリカのジョセフの屋敷について早々、徐倫が俺に飛びついてきた。おお、少し大きくなったか。徐倫も今年で八歳、これからも成長が楽しみだ。

 

 ちなみに、ウンガロ達の影響か徐倫は俺を『ヘーマパパ』と呼ぶ。彼女がそう呼ぶ度に承太郎の鋭い視線が俺を貫くのだが、訂正しようとすると徐倫が泣きそうになるため諦めた。

 

 

「あれ、徐倫だけ? ジョセフやスージーさんは?」

 

「ジョセフおじいちゃんはお仕事だって。スージーおばあちゃんはホリィおばあちゃんと買い物にいったわ。ウンガロ達は学校のクラブに行ってるから、私とベビーシッターのリーラさんだけよ」

 

「なら徐倫はお留守番か。お迎えありがとうな」

 

「えへへ」

 

 

 左腕に座らせた徐倫の頭を撫でると、彼女ははにかんで笑った。かわええ。

 

 

「あれぇ、お客様?」

 

「……プッチ、放置して悪い」

 

「気にしないでいい」

 

 

 俺の後方を見ながら首を傾げた徐倫に促されて振り向くと、少し所在なさげに佇むプッチがいた。本当にごめんなさい、つい徐倫の可愛らしさに我を忘れてしまった。抱っこしていた小さな体を地面に下ろす。

 

 じぃっとプッチを見つめる徐倫に、にこりと微笑むプッチ。

 

 ……今気づいたんだが、徐倫って『漫画』でプッチと戦っていたよな。あれ、これって俺やっちゃった……?

 

 

「初めまして、空条徐倫です」

 

「……私はエンリコ・プッチというんだ。初めまして、徐倫」

 

 

 徐倫の姓を聞いて一瞬間が空いたプッチだが、にこやかに自己紹介を返した。その一瞬の間がとても怖いが、とりあえず承太郎には彼を合わせないほうがよさそうだ。

 

 

「ね、徐倫。承太郎は?」

 

「半年以上留守にするって言ったまま帰ってこないわッ! とっくに半年は過ぎてるっての!」

 

 

 あー……あのバカたれ、連絡さえ入れてないなこりゃあ。

 

 相当お怒りの様子の徐倫に、仕事馬鹿の友人の顔を思い浮かべる。電話の一つでも入れていれば、徐倫もここまで怒ることはないだろうに。

 承太郎から徐倫へ火の粉が移ることを懸念しているのだろうが、徐倫自身もスタンド使い……何もなくともスタンド使いと引かれあってしまう。

 

 

 今もまた、俺を通じて彼女はプッチと出会った。

 

 これからもずっと、それは続いていく。彼女の安全を守りたいのなら、隔離するのではなく共に戦う力を身に着けさせるべきだ。承太郎もそれは理解しているはずなのだが、どうも彼は奥さんや娘に関すると判断が鈍る傾向にある。

 

 それだけ今が幸せだということなんだろうと、怒る徐倫を宥めながら俺はプッチを屋敷の中に誘導した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

戻った記憶と憎悪

 

 

 プッチをジョセフに引き合わせたのは、プッチの人となりを見極めてもらうと同時に、弟さんの保護についての相談をするためだった。

 

 DISCとなった彼の記憶を戻した後にプッチが弟さんを引き取ることは可能だが、二人の関係性を考慮すると互いに心が落ち着かず、弟さんはいつまでたってもスタンドを制御できないだろう。

 そこで、彼の身柄をジョセフに預かってもらえないかとお願いにきたのだ。

 

 

 するとジョセフは二つ返事で了承したため、俺とプッチは唖然とした表情を彼に晒すことになった。

 

 

 なんでもSPW財団では能力を制御できないスタンド使いを対象に、心身のケアを行っているとか。ジョセフも何度か手伝ったことがあるらしい。

 

 ただ、どうしても制御できない者はいるようで、本人が希望するなら俺にスタンドを預かってもらえないかと言われた。

 俺が肯く前にピクテルが即了承していたけどな。気持ちは分かるがもう少し自重しような。

 

 

 弟さんを迎えにいく日を話し合いの日と決め、プッチは自らの教会へと帰っていった。

 

 当日は定職についていない俺より社会的信用があるプッチが、弟さん――ウェス・ブルーマリンという名前らしい――を引き取り、その後俺たちと合流することと決めた。あまり知らない人間が多いのも問題だということで、ディオとジョナサンはキャンバスの中にいてもらい、いざというときは出てきてもらうことになった。

 

 

 あと四ヶ月ばかり先になるが、その間彼は意図的に停止させていた思考を全力で動かすことになるだろう。当日までストレスで胃でもやられないかが少し心配である。

 

 

 話し合いの日までの間、俺は運転免許証を取得したり、ウンガロたちの勉強をみたり、元の姿で静――透明になるスタンド能力の赤ん坊だ――と遊んだり、徐倫に承太郎のいい所と扱い方法を吹き込んでみたり、ディオとジョナサンに礼儀作法を怖い笑顔で教えられたりと実に充実した時間を過ごしていた。

 

 なに、俺何かしたかと泣きべそをかく俺に向かって、何かしないために躾けているのだと真顔で返された。最近、二人が教育に熱心な親御さんに見えるのだが、俺の気のせいにしておいたほうがいいのだろうか。精神の安静のために。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 そんなこんなで時は流れ、話し合いの日当日となった。

 

 

 画材屋に寄り道をしたせいで少し遅れ気味となり、道路を日本では白バイに捕まるようなスピードで車を走らせていると、待ち合わせとしたガソリンスタンドが見えてきた。

 

 荒野にぽつんと存在するその場所は、燃料の補給と食料の調達に寄ったドライバー達しか来ない。街中よりは人目につかない場所ということで、待ち合わせ場所と決定した。

 

 敷地内に進入すると、建物の中から私服姿のプッチが姿を見せた。

 

 

「すまない、遅れた」

 

「いや、そこまで待っていないさ」

 

 

 プッチは俺に笑みを見せると、店の方向に顔を向ける。俺もつられて視線を移動させると、店の入り口から男が一人出てきた。

 

 白い毛皮の帽子を被った、プッチと同じ銀髪の……白い肌の男。薄い青の目がプッチから俺に移り、ぼんやりとした視線が向けられた。

 

 彼が、ウェス。プッチの生き別れの弟。

 

 

「まずは移動する。車に乗りなさい」

 

「――ああ」

 

 

 ウェスが車に近づいてくるのを待って、プッチは車のドアを開けて促した。大人しく従う彼に、俺は小さい子供の姿を重ねる。

 

 プッチが彼の記憶をどこまで奪ったのかはわからない。恐らくは思い出などのエピソード記憶のみで、言語に関する記憶は残していたのだろう。だから会話ができる。

 

 二人が乗り込んだことを確認してから、俺は車を動かした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 次に車を止めたのは、水の音が響く滝の側だった。ジョセフに人目につかない場所を聞いたら、ここを紹介された。なんでもシーザーとの修行で使用するらしいが……どんな修行内容かは、その時のジョセフの顔色が悪かった為聞けなかった。あいつ等……滝登りでもしているのだろうか?

 

 まあ、背景はどうあれ。滝の側というのは夏の日差しが和らいでとても気持ちがよい。

 

 

 滝壺を背にして岩に腰掛け、俺はウェスを呼んだ。

 

 ぼんやりとした視線が俺を捉える。

 

 

「今から、君の記憶を戻す」

 

 

 ウェスは沈黙したまま、じっと俺を見る。

 

 

「これはかなり確率が高い予想だけど、失った記憶を手にしたとき、君の感情は憎しみに染まるだろう。それだけの記憶があると聞いている。

 ただ、君のスタンドは感情によって能力を暴走させるそうだ。だから俺に、スタンドを預からせてもらえないか」

 

「わかった」

 

 

 あっさりとウェスは了承し、スタンドのヴィジョンを俺に見せた。まるで警戒しない彼に俺は驚く。彼はそこまで記憶を欲していたのだろうか。

 

 いいや、欲しているのが当然だ。自分が何者かもわからず、12年生きてきた彼にとっては最大のチャンスに思えただろう。

 

 俺はピクテルを出し、彼女に視線を向ける。いつものように微笑んだ彼女は、キャンバスを一つ取り出すとウェスのスタンドに近づけた。ゆっくりとスタンドが飲み込まれていく。

 

 額縁まで止め終え、封印が完了したことを確認したプッチは、懐から出したDISCをウェスに近づけ、差し込んだ。

 

 CDドライブに飲み込まれるように、DISCがウェスの身体に埋め込まれた。DISCの縁が完全に見えなくなったとき、ウェスの身体がびくりと痙攣した。

 

 

 膝をつき、頭を抱え、苦しげに口から呻く声が漏れている。

 

 

 ウェスのスタンドは無差別に効果を及ぼすものだとプッチに聞いた。すべてを巻き込み、死に至らせる能力だと――詳細は教えてもらえなかったが。

 

 それほどまでの能力を手にするということは、本体の人格に致命的な歪さが存在するか……もしくは絶望に心が疲弊しているということだ。

 そうでなければ広範囲で致死性の高い能力は発現しないだろう。

 

 顔を覆うウェスの手の隙間から、彼の目が見える。苦しげに地面を見つめていたその目が暗い色を宿し、ぎらりとプッチを睨み付けた。

 

 

 次の瞬間、ウェスの身体が地を蹴り……プッチを殴り飛ばしていた。

 

 不意を突かれたのか、プッチの身体が後ろに吹き飛ぶ。追撃を加えようとするウェスの肩をつかんで引き止め、俺は彼を羽交い絞めにして拘束した。

 

 

「離せ」

 

「まずは落ち着いてくれ! 話を――――ガッ!?」

 

 

 俺は暴れるウェスをどうにか押しとどめていたが、顔面に彼の後頭部での頭突きを受け拘束が緩んだ。その隙にウェスはこぶしを握り締め、再びプッチに向かって駆け出していく。向こうでプッチが構えるのを視界に捉えながら、俺は血が止めどなく流れる鼻を押さえていた。

 

 

 痛ぁ……こりゃ鼻折れたな。思いっきりヘッドバットしてくれちゃってまあ。

 

 

 手に感じる鼻の形が変わっていることに、笑いすら出てくる。これは確実に病院にいかなきゃあな、と攻防をし合っている兄弟を眺めながらどうやって止めようかと、俺は頭を悩ませる。

 

 

 いっそこのまま放置したほうがいいのだろうか、と少々投げやりな視線を向けていると仮面姿のピクテルが頻りに地面を指さしていた。そうか、俺の鼻がこうなっているのだから、ピクテルもそうなるよなあ。

 

 かわいそうなことをしたと申し訳なく思いながらピクテルが指す先に視線を移す。

 

 

 そこには、小さな紙袋から飛び出した、セルリアンブルーの油絵具。踏まれでもしたのか、中身が飛び出し地面に青い色を飛び散らせている。

 

 視線を上げれば争う二人の姿。その足元は、何故か青い色が斑に広がっていた。

 

 俺は無言で今朝買ったばかりの絵の具を入れていた上着のポケットを探る。しかしポケットにはチューブの形の感触はない。

 

 

 なるほど、俺が落としたのか。そうかそうか、そうでもないと油絵具がこんな滝の側に落ちているわけはないからな。うん、俺が迂闊にも鞄にしまわずに上着のポケットに入れていたせいだな、落としたのは。ウェスに記憶を戻すということは、高確率で荒事になるってことだからな。ああ、それはわかっていた。ただちょっと想像より第一撃が早かったというか、それまでの彼の様子に騙されたというか。あっさりヘッドバット喰らったのも油断のせいでもあるだろうな。そう、俺の油断のせいで買ったばかりの絵の具を台無しにしたということだな。これで原因がわかって解決ということか。

 

 

 よし、まだ落ち着いているぞ俺。

 

 肺一杯空気を入れるため、深呼吸をする。まずは二人を止めないといけないだろう。争う二人に俺は駆け足で近づく。

 

 そうだ、止めるために――

 

 

「話を…………聞けと言ってんだろうがッ!」

 

 

 ――あいつを殴ろう。

 

 

 走る勢いのまま、俺は飛び蹴りを仕掛けた。不意打ちとなったウェスはプッチを巻き込んでごろごろと地面を転がっていく。

 

 起き上がったウェスは、ギロリと俺を睨み付けた。

 

 

「……さっきからあんた、やけに邪魔をしてくれているが、その鼻だけじゃあ足りねえのか」

 

「一発入っただけで随分と強気だなあ? 元気有り余ってるようだし、ちょっと消費させてやるよ」

 

「俺には用はねえよ」

 

「ほう、ならペルラの記憶のDISCはいらないのか」

 

 

 興味なくプッチの方向に向き直ったウェスだが、俺の声に反応して勢いよく振り返った。

 

 

「てめえ……」

 

「そうだな、俺に勝てたら考えてやってもいいぜ?」

 

「ヘーマ、それは」

 

「寄こせッ!」

 

「おおっと、手が早いな。それにお前のじゃあないだろ?」

 

 

 殴りかかってきたウェスの腕をいなしながら、俺はピクテルへジョナサンに驚いてこっちを見ているプッチの治療を頼むように伝える。頷いた彼女がキャンバスを取り出すのを確認してから、俺は唇を舌で舐めた。

 さあて、と。ちょっと遊びますかね。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 数十分後、片膝をついて荒い呼吸をする血塗れのウェスと、立ってはいるものの同じく血塗れの俺の姿があった。

 いやいや、スタンドがないのによく粘る。格闘だけで随分と攻撃を喰らってしまった、後でディオ達にふがいないと怒られるかもしれない。

 

 

「まあ、とりあえず俺の勝ちだな」

 

「まだだ……ッ!」

 

「ロクに動けないだろうがアホタレ」

 

 

 しゃがみ込んでウェスの額を小突いただけで、後ろに倒れる彼の身体。悔しそうな表情を浮かべてはいるものの、その目からは最初のような憎悪はかなり薄れている。

 

 ま、かなりの方向転換になったが……落ち着いたならそれでいいか。俺は後で叱られるだろうが。

 

 

「適度に血が出て血の気も引いただろ」

 

 

 プッチに視線を移すと、すでに治療が完了したのかこちらに歩いてきていた。懐から一枚のCDケースを取り出した彼に、俺につられて視線を移動させたウェスが驚いた表情を浮かべていた。

 

 

「実は俺、DISC持ってないのです。ずっとプッチが持っていました」

 

「……あんたなあ」

 

「いやー、あっさり引っかかるとは。DISCが壊れるよりはいいと思ってくれ」

 

 

 笑って誤魔化す俺を、ウェスが疲れたような、力のない笑みを浮かべて見上げている。

 

 やがてウェスの前に立ったプッチは、しゃがみ込んでCDケースを差し出した。

 

 

「私が初めてスタンド能力に目覚めたのが、ペルラの亡骸をこの腕に抱きしめた時だった。これには妹のお前への気持ちも残っている」

 

「……ペルラ」

 

「私はもう十分に見た。どうか受けとってくれ」

 

 

 ゆっくりとした動きで、ウェスがCDケースを受け取る。その手が震えているのを、俺の無駄に良い視力が捉えた。受け取ったCDケースを抱きしめ、目元を手で覆った彼の声を、聞いたのはプッチだけだろう。

 

 プッチの顔は、とても寂しそうなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

『ところでヘーマ、プッチのスタンドのDISCは物理的には破壊できんぞ』

 

「……そうなの?」

 

 

 しんみりした空気を察したのか、ディオは俺にそっと耳打ちしてきた。……これはウェスには黙っておこう。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

兄弟のお手本

 

 

 

「あいた、ちょ、それ痛いやめて痛い」

 

『砂が傷に入っているからそれくらい我慢しろ』

 

 

 プッチとウェスの二人を残し、少し離れた場所で俺はディオに傷を洗われていた。腕や足なら自分で手当てが可能だが、流石に顔は無理だ。鼻折れて目の横切れて青あざ満載な俺の顔を見て、ディオの機嫌は明らかに悪くなった。聞けば自分の顔がやられたようでイラつくらしい。

 

 

「ディオが手当てがうまいのって意外だ」

 

『馬鹿者、俺とて元々人間だ。応急処置程度なら心得ている』

 

『僕たちはラグビーとボクシングもしていたからね、自分である程度対処できるよ』

 

「ほー」

 

 

 ある程度消毒やガーゼで傷を覆う。鼻については病院に行って処置してもらわないといけないな。掛かる治療費を計算していると、ピクテルが指で丸を作って見せた。……今度は何があるんだ。

 

 そして彼女が取り出すのはキャンバス、但し表を俺に見せようとしない。最近慣れてきた嫌な予感に顔を引き攣らせていると、ピクテルはキャンバスに右手を突っ込んだ。

 

 

「あ、ようやく外に出れた……ってヘーマパパの顔がーッ!?」

 

「どうしたリキエ……のわーッ!?」

 

 

 ピクテルに襟首を掴まれて顔を出したリキエルが、俺の顔を見るなり叫ぶ。続いて出てきたウンガロも同じように叫んでいた。はは……なんでそこに入っているのかな君たち。

 

 

「ヘーマパパの男として自慢できる数少ない取り柄が! こんな無残な……ッ!」

 

「ああ、あとはほぼお母さん的な取り柄だしな」

 

「お前たち俺をそんな風に思っていたのか……」

 

「仕方ないよね、ヘーマさんだしさ」

 

「レオーネ、後で梅干しの刑な」

 

「なんで俺だけ!?」

 

 

 息子同然の子供たちの痛烈な言葉に、俺は心で涙を流す。ドナテロと徐倫の後に姿を見せたレオーネが項垂れる俺を見て笑っていたので、後で八つ当たりをすることに決めた。

 しかし、なぜ彼らはピクテルのキャンバスの中にいたのだろう。

 

 

「ヘーマパパがどこかに行くみたいだから、ピクテルに頼んで連れてきてもらった」

 

「報酬は絵のモデルだって言ったらすぐOKだった」

 

 

 ピクテル、お前ってやつは。

 

 

『ほらみろ、本体がスタンドに影響を及ぼす分かりやすい例だろう。本体の心身が緩めばそれはスタンドにも影響を及ぼすのだ』

 

『ヘーマ。ここで一度、きちんと締めないと後々大変になると思うよ』

 

「う……ピクテル、お前一週間スケッチ禁止とおやつ抜き」

 

 

 ピクテルが酷くショックを受けた様子で、それだけは止めてと首を横に振っているのか、仮面が左右に勢いよく動いている。

 気持ちはわかるが、これ以上彼女にフリーダムになられると拙い。俺も一緒に禁止するから頑張って耐えような。俺が撤回するつもりがないことを悟ったのか、ピクテルはしょんぼりと仮面を俯かせた。

 

 ああ……絵を描くことが一週間禁止か。何かすることを決めておかないと、ジョナサンたちに授業を入れられてしまう。折角だから元の身体のサイズで読書でもしておこうと決めた。

 

 がくりと肩を落とす俺の側に、レオーネが笑いながら腰を下ろす。暫くゆっくりしておけばいいよと肩を叩く彼に、俺は深々と息を吐いた。

 

 

「それじゃあヘーマさん、鼻の処置をするからこのガーゼとるよ」

 

「そういえばレオーネって医者だったか。貼ったばかりなんだけど……まあ、真っ赤」

 

 

 剥がしたガーゼは俺の血を吸ってすでに赤く染まっていた。まだ血が止まっていないらしい。患部の鼻を見て、結構ずれてるねぇとレオーネはそっと俺の鼻に触れる。

 

 

「ね、ここ痛い?」

 

「んん、少しだけ」

 

「なら奥の骨は大丈夫そうだね。麻酔してちゃっちゃと治しちゃおうなー」

 

 

 ここでやるのか、と俺が戦慄と共に疑問を浮かべていると、レオーネの横にハチが一匹いることに気が付いた。ただし、ハチといえどもそれは妙にメカニックで、大きさも拳二個ほどもあるのだが。

 もしかして、これはレオーネのスタンドなのか。

 

 ちょっとチクッとするけど我慢してね、とレオーネが彼の鞄の中を探りながら言うと、物凄い勢いでハチが俺の顔面に向かって飛んできた。目を剥いた俺は咄嗟にハチを避け、ハチは俺の顔があったところを通り過ぎて行った。

 

 

「もー、ヘーマさん避けないでよ」

 

「まて。これどう見てもチクッじゃあないだろ、ブスッといくだろ」

 

「針は大きいけどそんな痛くないよ。すぐに麻酔が効くから」

 

 

 それは最初は痛いってことではないのか。疑いの視線を笑うレオーネに向けていると、両腕にいきなり重みを感じた。

 見れば、右腕に徐倫とリキエル。左腕にドナテロとウンガロ。それぞれががっしりと俺の腕を抱きかかえるようにつかまっていた。

 

 

「よーし、そのまま押さえておけよ」

 

「な」

 

「ヘーマパパ、ちゃんと治療しないとだめよ」

 

 

 徐倫の上目遣いに萌えたとき、俺の顔面に鋭いものが突き刺さった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫かい、酷くぐったりしているけれど」

 

「ちょっと視覚的なショックが……」

 

 

 青ざめた顔で岩に座る俺に、プッチが声をかけてきた。大丈夫……ちょっと鼻の骨折の治療方法が、目を閉じておけばよかったと後悔しただけで。

 固定された鼻にそっと触れる。……もしまた鼻を骨折するようなことがあれば、仗助くんに治してもらおう。

 

 

 空を見上げると、日はすでにかなり高くなっている。もう正午になるかならないかの時間だろう。そろそろ空腹も感じてきた腹部に手を当てて、俺はピクテルに荷物を出してくれるように頼んだ。

 

 

「それは?」

 

「昼飯の材料。折角川の側にいるんだ、アウトドアでも楽しもうと思って」

 

 

 ピクテルがスケッチブックから次々と食材と調理道具を出していくのを見て、プッチは目を丸くし、こちらの様子に気づいたウンガロが近づいてきた。

 

 

「お、バーベキューでもするの?」

 

「残念、今回はカレーです。ウンガロ、カレー鍋用のかまどとライス炊く用のかまどを石で作っといてくれないか」

 

「OK、ちょっと鍋借りてくよ。リック兄ちゃんも手伝ってよ」

 

「……私のことかい?」

 

 

 ウンガロは鍋を片手に抱えると、プッチの腕を掴んで歩いていった。……なるほど、エンリコの愛称でリックか。戸惑った様子のプッチの向こうでは、同じようにレオーネとリキエルに捕まったウェスの姿が見える。いい感じに思考が止められてる二人の様子に俺は口元を緩ませた。

 

 

『これを狙っていたのか?』

 

「ジョセフの家でだけどな。少しでも兄弟の見本になればと思ってさ」

 

 

 俺の横に立ったディオに、準備を手伝えと包丁とジャガイモの入った袋を渡す。ディオは黙ったままそれらを受け取り、器用にジャガイモの皮を剥いていった。上手いな、おい。

 

 

『僕は何か手伝えることはあるかい?』

 

「ない」

 

『……』

 

 

 わくわくした表情で尋ねてきたジョナサンだが、家事能力がそこまで高くない彼に手伝えることはない。落ち込んだジョナサンに、ディオが水を汲んで来いとポリタンクを指して言った。

 暗くなった表情を明るくしたジョナサンは、ポリタンクを抱えて川へ向かっていく。

 

 

『ジョジョにも最低限の調理道具を使えるようにした方がいいな』

 

「まあ、そっちの方が助かるなぁ。流石に育ちざかりも含めた十人分の食事の準備はな……カレーにしておいてよかった」

 

 

 皮を剥いた玉ねぎをきざみながら、妙に騒がしくなったかまど班に視線を向ける。……一部の作業員が水鉄砲持っているように見えるのは、気のせいだろうか。

 かまどができないといつまで経っても食えないぞーと、きざみ終った玉ねぎをボールに移してニンジンを手に取った。

 

 

「俺は姉はいても兄弟はいないからさ、どういう風に付き合えばいいなんて全く分からない。でもウンガロ達なら、十年以上兄弟をしているから……いい手本になる上に、あいつら人見知りしないからな」

 

 

 小さい時からジョセフとスージーに育てられた彼らは、二人の天真爛漫さを見事に受け継いでいる。いたずら好きなのが少々困った点だが、誰でもすぐに仲良くできるという人懐っこさがある。

 

 プッチもウェスも、穏やかな性質で周りに人が集まりやすい。だが、誰しも惹きつけるほどの明るさは持っていない。

 

 

「巻き込まれて、一緒に何かやるだけで……救われることもあるからな」

 

『……ヘーマ、避けたほうがいいぞ』

 

「え?」

 

 

 作業をする手元に目線を移した俺に、上を向いていたディオが声をかける。俺が顔を上げたとき、何か柔らかいものが頭上にぶつかり……あふれ出た水がバシャリと俺を盛大に濡らした。

 ……一体、何が。

 

 頭に引っかかっているペラペラした物を掴むと、それは破れてはいるが袋状のゴム袋で口元が結ばれているもの。これは、風船だろうか。水が入っていたのなら水風船か。

 

 

「ヘーマパパーッ、こっちに……げッ」

 

 

 水鉄砲を片手に持ったまま、駆け寄ってきたドナテロがびしょ濡れの俺を見て顔を引き攣らせる。ほうほう、やはりお前たちが犯人だな?

 

 

 俺はピクテルに視線を送る。仮面を外して鼻から口元にかけてマスクをつけている彼女は、目を細めてスケッチブックに手を差し込んだ。そして引き出されるのは、バズーカと見間違いそうなほど大きく貯水量の多そうな……水鉄砲。

 

 

「ピクテル、水鉄砲だ」

 

「それちが……うぶッ!」

 

「なにそのゴツイ水鉄砲!?」

 

 

 ピクテルの抱える水鉄砲を見て逃げ出すドナテロを、嬉々として追いかけるピクテル。逃げる先にいるリキエル達も気づいたのか、大慌てで蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 

 

 頑張って全員仕留めてくれ、と大変楽しそうなピクテルにエールを送りつつ、笑いを耐えているディオの横で俺はニンジンの皮を剥き始めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

次なる目的

 

 

 ウェスがジョセフの家に居候を始めてから数か月たった11月の秋、俺はレオーネに呼び出されて再びアメリカの地を踏んでいた。

 

 自宅の固定電話にかけてきた彼は、世間話をしながら遊びにおいでとだけ俺に伝え、それ以上何も言おうとしなかった。

 

 ジョセフの家を訪ねるとそこには俺を呼んだレオーネだけでなく、承太郎と車椅子に乗った右目に眼帯をした銀髪の男がリビングで待っていた。

 

 

「久しぶりだねヘーマさん」

 

「元気そうでなにより。……ウェスの様子はどうだ?」

 

「随分安定しているよ。勉強も楽しいみたいだしね」

 

 

 ウェスの居候当初に聞いた事だが、レオーネはSPW財団に関係するスタンド使い達の主治医のような位置にいるようだ。ウェスについても月に二回ほど、勤務地であるイタリアから飛んできては往診している。

 彼も大概、ワーカーホリックと言っていい。

 

 

「お前に彼女ができないのは、忙しすぎるせいか」

 

「話題の転換がいきなりすぎだろ!? ほっといてよ!」

 

「あの承太郎でさえ結婚しているのに。レオーネは見目も性格もいいのに何故だろうな」

 

「俺が知りたいよ……」

 

 

 哀しげに顔を覆っていたレオーネだが、しばらくすると顔を上げる。ヘーマさんとだと話がずれると、困ったように笑っていた。すまんな、反応が良くてつい。

 

 紹介するよとレオーネは車椅子の男に視線を向ける。楽しそうにこちらの様子を見ていた男は、車椅子の車輪を操作して前に移動した。

 

 

「はじめまして。私はジャン=ピエール・ポルナレフ。レオーネ達の友人だ。君のことはいろいろ話に聞いているよ」

 

「はじめまして、中野平馬です。何を聞いたかとても気になるので、後でこっそり教えてくれるとうれしい。かわりに情報元の笑い話を提供しよう」

 

「それは楽しみだ」

 

 

 にこやかに握手を交わす俺達を、承太郎とレオーネが嫌そうな顔で見ている。ほう、すでに妙なことを吹き込んでいる犯人が見つかったな。話をしたほぼ全員が該当するとは確信しているけれど。

 

 ごほん、とレオーネが誤魔化すように咳をして、承太郎を見る。軽く頷いた彼は俺に向かってとりあえず座れと言ってソファーを指さした。

 

 

「今回、平馬を呼んだ理由は、ハルノについてだ」

 

 

 思わず腰を浮かせた俺を承太郎が手で制する。まずは聞けということらしい。

 

 

 ハルノの居所は、一年前に虹村の親父さんによって判明していた。健康的な顔色で学校の授業を受けている姿が映り、俺は安堵で胸を撫で下ろしたものだ。

 

 ただ、どういうことか現地のギャングがハルノの周囲を保護しており、SPW財団の調査員が近づけず、レオーネも何かと牽制をされているとのことだった。

 そこでレオーネは、財団とは関係の薄い俺に、ハルノに会いに行って貰おうと考えた。

 

 だが、ポルナレフが見つかり事情を聞いたことでその計画を止めたそうだ。

 

 

 ディオとの戦いの後、弓と矢の存在を知ったポルナレフは承太郎と共に矢の行方を追っていた。その最中に故郷であるヨーロッパで少年少女による麻薬の被害が急増していることを彼は知り、独断で調査に向かったそうだ。

 

 そして麻薬を広めている組織――イタリアのギャングであるパッショーネだと特定した。

 

 しかしパッショーネはその組織力でポルナレフとSPW財団との連絡方法を絶ち、彼を完全に孤立させる。そして一人の男によってポルナレフは両脚と右目を失う重傷を負うことになった。

 

 男はパッショーネのボス、ディアボロ。赤い髪の当時二十代前半程の男だった。そして戦闘に長けるスピード自慢のスタンド『シルバー・チャリオッツ』でもはねのける、強力なスタンドを持っていた。

 

 

「奴との戦いでその能力を私は確信した。ディアボロは『時を飛ばす事』ができる」

 

『――ほう』

 

 

 ポルナレフの静かな声が部屋に響いた直後、耳に届いた面白がるような聞きなれた声に、ポルナレフが身構えるのを俺は見た。声の方向を見上げてみると、大人の姿のディオが不敵な笑みを浮かべている。

 

 

「DIO……!」

 

『久しいな、ポルナレフ。お前ほどスタンドの操作に長けた男を、そこまで追い詰めるスタンド――非常に興味深い』

 

「……褒め言葉として受け取っておこう」

 

『なに、実際に褒めているのだぞ? 時を飛ばす、か……なんとも不可思議な言葉だな。これは推測だが、飛ばされてしまった時を私たちは気づけず、本体だけが自由に行動できる……このあたりの能力ではないか?』

 

「――その通りだ。奴のスタンドで飛ばされた時間も、私たちはそれぞれの行動を取っている。ただ、その間を知覚できず――奴にかすり傷ひとつ負わせられない」

 

 

 ポルナレフの言葉にくつくつと笑うディオ。どうやら研究心が疼いて仕方がないようだ。機嫌の良い彼はちらりと俺を見るとニヤリと笑い、キャンバスの中に戻っていった。

 

 

 うわ、なにか企んでいるぞあいつ。

 

 

 自分と同じ、時に関するスタンドに興味を持つことは理解できるが、相手はギャングのボス……研究させて欲しいと願っても絶対に首を縦には振らないだろう。

 

 俺のピクテルで奪ってもスタンドは使えないからな、と考えたところでプッチの顔が浮かんだ。

 

 

「平馬、顔色が悪いがどうした」

 

「おれ…………がんばる」

 

「ちょっと目が虚ろで怖いよヘーマさん」

 

 

 声を掛けてくる承太郎やレオーネはプッチの能力を知らない。知っているのは俺達三人とウェス、そしてジョセフだけだ。他人のスタンドを取り出し、別の者をスタンド使いにできるという能力は、知れば誰もがプッチを狙うだろう。

 

 今は悪用しないと宣言しているプッチだが、誰かにそれを強要されることは考えられる。

 

 故に知る人間が少ないことに越したことはなく……ディオの企みを察しても俺は言葉を飲み込むしかないのである。

 

 ……後でジョナサンに相談しよう。

 

 

「続き、話してもいいかい?」

 

「うちのディオが遮ってすいません。さ、どうぞ」

 

 

 ポルナレフの声に俺は我に返り、自分の両頬を叩く。それを目を細めてみていたポルナレフは何かを言いかけて口を閉じ、ふっと笑った。

 

 しかし彼が口を開こうとしたとき、玄関の方向からにぎやかな子供の声が響いてきた。

 

 

「今はここまで、だな。夕食の後にでも続きを話そう」

 

 

 ポルナレフの提案に一同は頷き、お茶でも淹れようかとレオーネがキッチンへと歩いていった。

 俺もピクテルのスケッチブックからお土産の菓子折りを取り出し、勝手知ったる他人の家、キッチンから深めの大きい皿を借りてクッキーをその中に入れた。

 

 レオーネの淹れた紅茶を飲みながら、なかなか子供たちがこちらに来ないなと疑問に思って様子を見にいこうと俺は腰を上げる。

 リビングのドアまであと四歩のところで、勢い良くドアが開いた。うっわ、危ない。

 

 

「あ、ヘーマパパ」

 

「やあ、徐倫。お邪魔しているよ。さっきからどうしたの、妙に騒がしいけれど」

 

「えーと……ウンガロに彼女ができたの」

 

「ほほう」

 

 

 それはそれは。面白いことを聞いた。

 

 視界の端で、レオーネが愕然とした表情を晒しているのが見える。後で飲みにでも誘おうかと考えている俺の前で、徐倫がもじもじと手を遊ばせていることに気が付いた。

 

 

「あ、あのね。私、も……ボーイフレンドができる、かも」

 

 

 ガシャン、と何か割れるような音が耳に届いたその時、俺の意を受けてピクテルが成人バージョンでジョナサンとディオを出した。

 

 

「任せた」

 

『仕方がないなあ』

 

『愉快だから構わん』

 

 

 俺は徐倫を抱えると、リビングのドアを開けて廊下へと出る。ドアを閉める瞬間に振り返ったとき、幽鬼のようなオーラを纏う承太郎と、実に楽しそうなディオが対峙している姿がチラッと見えた。

 

 よーし、足止め頼んだぞ二人とも。

 

 

「ヘーマパパ?」

 

「ちょっと外で続きを聞かせてくれるかな。お庭でいいから」

 

「……? うん」

 

 

 リビングの中から聞こえてくる音を、徐倫の耳を手で塞いで遮り、きょとんとした顔の彼女を玄関へと誘導した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 夕食の後に俺がポルナレフらに言われたのは、けしてギャングに関わるなということだった。

 

 此方とて関わるつもりはない。無事にハルノに会えたのなら、お世話になっているギャングの人たちには挨拶をしようとは考えていたが。

 

 思考が読まれたのか、三人から疑いの視線を貰う俺……勘が鋭いな。

 

 

「大丈夫だ、なんとかする」

 

「それ、関わることが前提だよな」

 

「積極的にはいくつもりはないぞ……ただ、俺はスタンド使いだからな」

 

「だから、気をつけろと言っているんじゃあねえか」

 

 

 承太郎が唸るような声音で言う。真っ直ぐな緑の目は、ディオを封じたときと何も変わっていない。

 心配してくれるのは分かるが、何しろ今回はディオが研究用スタンド欲しさに件のボスを浚いかねない。ピクテルも喜んで協力するだろうから、ジョナサンと俺でどうにか止めないと……。

 

 

「関わった時のことを考えていたほうが、二の舞は防げるだろう」

 

 

 じっと見返す承太郎の目から視線を逸らさすに俺は断言する。しばらく時間が過ぎたのち、承太郎はため息をついた。俺はそれを了承と受け取り、にっこりと笑う。

 

 

「確実に連絡が取れる手段……心当たりはあるか?」

 

「ああ……この子を使う」

 

 

 ピクテルがスケッチブックから取り出した『この子』を、俺は腕に止まらせる。

 

 まるまるとした目が、キョロリとその場にいる全員に注がれる。

 

 

「ヘーマさん」

 

「ん?」

 

「本気?」

 

「勿論だ。ロマン溢れる通信手段だろう。ハトも良いけれどやっぱりフクロウが」

 

「うん、ヘーマさんがそれでいいならいいや」

 

 

 フクロウゴーレムの羽根を撫でながら熱が入ってきた俺の声を、レオーネが投げ遣りに遮った。

 良い手段だと思うけどなあ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暗雲と打ち抜かれたターゲット

 

 

 アメリカからエジプトの家に帰宅した俺は、イタリアへ向かう準備を急いだ。2001年の春頃に個展を予定しているため、あらかじめ作品を準備する為にしばらくの間、描くことに没頭しなくてはいけなかった。

 

 ギャングのボスのスタンドを狙うディオも気にはなるが、イタリアへ着いた後の方が目を光らせる必要がある。今はジョナサンにさり気なくディオの側にいるように頼んでおき、なるべく気にしないことにした。

 

 イタリアの滞在日数を切り詰め、さっと行ってさっと帰ることが理想ではあるが……現地の事情が分からないが故にどう転ぶかが不明だった。

 

 

 そんなこんなで個展用の絵も準備が完了し、一月の半ばにイタリアに入国した俺達だったが、いきなり足止めを受けることになる。

 

 

「まさか、SPW財団から妨害されるとはなぁ……」

 

 

 目的ではないカラブリアの街のベンチで、俺は肩を落としていた。隣に座るのは苦笑いしている少年姿のジョナサン。ディオは彼と交互に外に出るように決めたようで、今日は絵の中に戻っている。

 

 自家用飛行機の行先からホテルの手配、ハルノを見守るギャングへの情報の漏洩などなど――一切隠すこともなく、堂々と彼らは今回の作戦を妨害してきた。そのお蔭で地元のギャングの警戒が厳しくなったハルノの住む町には近づけなくなり、入国初日から予定が頓挫するという事態に陥っている。

 

 

 イタリアに着いたらすぐに連絡をしろとシーザーから口酸っぱく言われていたため、違う街に辿りついて落ち込んだ気分のままツェペリ邸に電話をすれば、聞いた事がないほど感情の込められていない声でレオーネが現状を教えてくれた。どこの馬鹿だ、温厚なレオーネをあれほど怒らせたのは。

 

 

『今回はディオに対する反発――ではなくて、レオーネや承太郎に対する反応だろうね』

 

「そうか……? SPW財団にとってあの二人は非常に協力的なスタンド使いだろう。関係を崩すようなマネはしないと思うけれど」

 

 

 俺の否定する言葉に、ジョナサンは首を横に振る。

 

 

『確かに彼らは協力をしているよ。だけど同時に「僕達の存在」を肯定してもいる』

 

「そう、か……俺達が原因か」

 

 

 今回の件で、レオーネ達はSPW財団に不信感を持ってしまっただろうか。創設者の願いと反するだろう現在の状況は、一部の財団の者と俺達が作り出したものだ。

 

 俺はどこかで、ディオの影響力を軽視していたのかもしれない。たった三年で命すら捧げる程の忠誠を抱かせるそのカリスマ。俺たちの前では気を緩ませているディオのもう一つの顔……けして抑えこめることはできないその性。

 

 ともに在ると決意したあの時から、俺はちゃんとディオを見ることができているだろうか。

 

 

「なあ、ジョナサン。このまま安穏と暮らすことは、正解だと思うか」

 

『どうしたんだい、いきなり』

 

「棲み分けが必要なんじゃあないか。ジョセフ達が明るいところにいるのなら、光があたらないところで俺は――」

 

『ヘーマ、それは違う』

 

 

 次第に顔を俯かせた俺の肩を、ジョナサンが叩く。綺麗な緑の目と視線がぶつかった。

 

 

『君がいるべきところは、今のままで良いんだよ。光も、暗闇も――両方に手を伸ばせる、今のヘーマのままで良いんだ』

 

 

 ジョナサンは真剣な顔で俺を見つめていたが、それにね、と彼はにっこり笑った。

 

 

『両方を、どちらも選ぶのはヘーマの得意なことだろう? SPW財団もジョセフ達も、ディオも……良いところだけとって振り回して、いつものように笑ってしまえばいいさ』

 

 

 そのために頑張るほうが、ヘーマには似合っているよ。

 

 

「――両方か。確かに俺はそっちが好きだな」

 

 

 自分でも似合わない考えになっていたな、と笑えてくる。俺はベンチから立ち上がり、ひとつ伸びをした。どうせ予定が空いた身だ、ぐちぐちと考えるよりもこの素晴らしい景色をスケッチしたほうがずっと良い。

 

 鼻で歌いながら鞄からスケッチブックを取り出し、すらすらと絵を描き始めた俺を、ジョナサンが微笑んで見つめていた。

 

 

 

 

 

 転々と場所を変えながら、俺はスケッチブックを絵で埋めていく。時間がかかるからジョナサンに絵に戻っていたらどうかと提案してみたが、即却下された。一人でスケッチをしていて監禁されたことを出されては、反論もできない。しかもここは異国のイタリア、おとなしく忠告を受け入れた方が良い。

 

 

「いっそモデルになってくれ。ほら、そこの石積みの壁のところで」

 

『別に良いけれど……先に休憩しようね』

 

 

 ジョナサンは俺の手からスケッチブックとペンを奪い取ると、さっさと鞄の中にしまい込んでいた。俺は名残惜しげに鞄を見ていたが、しばらくたって彼が譲らないと理解するとようやくあきらめた。

 

 リュックから未開封のペットボトルの水を取り出し、キャップを開けて口をつけようとしたとき、後ろから勢いよく押された。思わずつんのめった俺だが、リュックを引く力に気づき右手で思いっきりそれを引っ張った。

 

 どたっという倒れる音と呻く声に振り返れば、一人の男が俺の側で転がっていた。状況から考えると、どうやらひったくりらしい。

 

 呻いていた男は起き上がると、俺と目が合うなり顔を引き攣らせて逃げ出していく。……目が合っただけで逃げられたのは初めてだ。

 

 

「……ジョナサン、俺の顔って怖いかな」

 

『それよりも彼女に謝罪する方が先だ』

 

「え?」

 

 

 ひったくり未遂犯の男が逃げていく姿をショックを受けつつ見送っていると、ジョナサンの低い声に怒りを感じとって俺は慌てて振り返る。

 

 

 まず目に入ったのは鮮やかな赤い髪。青色の大きな瞳。きょとんとした表情は幼く、だが女性らしい丸みをおびた身体つき。

 

 そして全体的に水に濡れた彼女と、その足元に転がる空のペットボトル。

 

 最後に――ペットボトルを持っていたはずの、俺の自由な右手。

 

 

「――――すいませんでしたッ!」

 

 

 俺は勢いよく頭を下げた。

 

 鞄から大きめのタオルを取り出し、被害を受けた彼女に差し出す。俺の頭を下げる勢いに驚いていた彼女だったが、タオルを受け取り髪や服に着いた水分をぬぐい始めた。

 

 こんな冬の時期に女性に水をひっかけるとは。いや、夏だから良いということはないが、風邪をひく可能性は低くなるだろう。

 

 項垂れて沙汰を待つ俺を、彼女は身体をタオルで拭きながら見ていたが、やがて口を開いた。

 

 

「別に、わざとじゃないってわかっているし……怒っていないわよ」

 

 

 彼女の声に、俺は顔を上げた。

 

 

「あたしも、丁度頭を冷やしたいって思ってて……まさか水が降ってくるとは思わなかったけど」

 

 

 思わず笑ってしまったのだろう、口元を緩めた彼女を、俺はただただ凝視していた。

 

 声が聞こえる。ひどく懐かしくて、大切な人の声が。

 

 見た目は全く似ていない、赤い髪の彼女から――美喜ちゃんの声が聞こえる。

 

 

「だからそんなに謝らなくても…………な、なに泣いてるのよ!?」

 

「――え?」

 

 

 驚く彼女の様子で、俺は自分が涙を流していることを知った。

 

 この涙は、俺の後悔なのか。大切な人を手放した、手放したくなかった俺の恋心なのか。なんとも女々しく、未練がましいなと自分に呆れる。

 

 心を鎮めようと息を吸ったとき、俺の目元に柔らかい布があてられた。

 

 

「いきなり泣くなんて、見た目は彫像みたいなのに随分子供っぽいのね」

 

 

 赤い髪の彼女は、俺の目元をハンカチで拭っていく。息をつめた俺を気にも留めず、少し微笑みながら。

 

 

「あなた、旅行者? 仕事は休み? それともまだ学生なのかしら」

 

「い、や……仕事は画家だから、その休みというかこれも仕事というか……」

 

「ふうん、画家なの。モデルの方が納得するのに」

 

 

 しどろもどろに答える俺を、彼女は小さな子供を見ているような、とても優しい顔で笑っている。俺より年下であろう彼女に、そんな目で見られていることがとても恥ずかしい。

 それでも奥からあふれる、この喜びは――――。

 

 

「お、お詫びになるかわからないけれど……君の、絵を描いて贈らせてもらえないだろうか」

 

「あたしを、モデルに?」

 

 

 離れていく彼女の手を掴んで、俺は引き止めるために言い募る。行き成り手を掴まれて警戒した表情で俺を見る彼女に、再び涙が出そうになるが耐える。

 

 

「……とりあえず、手を放してくれないかしら」

 

「あ、はい」

 

 

 あっさりと解放された手に目を丸くする彼女だが、驚いているのは俺も同じである。声が似ているとはいえ命令形の口調に反応するなんて、俺はどれだけ美喜ちゃんに躾けられているのだろうか……

 

 

「今日は予定があるから無理よ」

 

「明日以降でもいいから! 俺、丁度友人からの連絡待ちで、数日……いや下手すれば数週間ヒマだから」

 

「だからあたしをナンパしているの?」

 

「なっ…………そっ…………ッ!」

 

「――――あなた、よく今まで無事だったわね」

 

『彼の幼馴染が鉄壁で守っていたみたいだよ』

 

 

 顔に熱が集まり、言葉が紡げない俺を、彼女とジョナサンが温かい目で見ている。いっそ顔を覆ってしゃがみ込んでしまいたい。

 

 羞恥に震える俺を横目に、彼女は腕時計を見て時間を確認している。

 

 

「今は午後の二時……明日この時間でいいかしら」

 

「あ、ああ! もちろん」

 

「じゃあまた明日ね」

 

「ま、まって! ……俺はヘーマ、君のことはなんて呼べばいいッ!」

 

 

 去っていく彼女の後姿に向かって声を張る。振り返った彼女は、小さく笑った。

 

 

「トリッシュよ。またね、泣き虫でシャイなお兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

『――お前は、本当にわかりやすい男だな』

 

『今回はヘーマも頑張ったね。ちゃんと約束を取り付けられたじゃあないか』

 

 

 彼女――トリッシュの笑顔に見惚れていた俺は、ディオが絵から出てきていたことも、ニヤニヤ笑いながらジョナサンと話していたことも気が付いていなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彼女との誓い

 

 

 泊まっているホテルの鏡の前で、服について悩んでいる俺を、ディオが選んできた服に着替えさせ外に放り出した。

 

 

「待ち合わせは昼だろう、出るのが早すぎないかまだ朝だぞ」

 

『鏡の前でウダウダ悩み続けるよりは、外に出て少しは落ち着け』

 

 

 うっとおしい、と不機嫌そうに少年サイズのディオは吐き捨てた。そんな彼から俺はそっと視線を逸らす。一時間以上居座った自覚があるため何も言えない。

 

 直感で入った店でサンドイッチとコーヒーを購入し、適当なベンチに腰掛ける。いざ齧り付こうというそのとき、視線を感じて俺は周囲を目で探った。

 

 そして通路の先にいる、こちらを見たまま立ち止まっているトリッシュの姿。

 

 

「――ッと、あっぶねー……」

 

 

 驚きのあまり手を放してしまったサンドイッチを、どうにか空中で再び掴むことに成功する。ただし、ソースで手が汚れてしまったが。

 

 崩れかかったサンドイッチを包装紙に戻し、タオルで手を拭っているとクスクスと笑い声が聞こえた。見上げれば楽しそうなトリッシュが、いつの間にか俺の近くに立っていた。

 

 

「Buon giorno(おはよう)、泣き虫でシャイなお兄さん。ドジも追加した方がいいかしら?」

 

「――やめてくれると嬉しいなぁ」

 

『事実だろうに』

 

 

 ディオの茶々に俺は顔を引き攣らせた。やかましいわ。

 

 

「そっちは……弟? 昨日の彼はいないのね」

 

「ああ、今日は部屋にいるらしい」

 

 

 トリッシュの視線を無視してベンチに座ったまま本を読んでいるディオ。いつも通りではあるが、今日は妙にハラハラと俺は落ち着かなかった。

 幸いトリッシュはディオの態度を気にしていないようで、俺に視線を戻した。

 

 

「昨日のモデルのことだけど、今からでも平気かしら。丁度会ったことだし、連れて行きたいの」

 

「いいよ……連れて?」

 

「すぐそこよ」

 

 

 彼女が指さしたのは、病院だった。

 

 

 

 *

 

 

 

 トリッシュを船頭に病院の通路を俺たちは進んでいく。ディオは本を読みながら器用についてくるのだが、一体何の本を読んでいるのだろうか。

 

 

「ここよ」

 

 

 扉を開けて病室に入っていく彼女に、俺は恐る恐る続いた。部屋の主はベッドに横たわっていたが、俺達に気づくと身体を起こした。トリッシュが起き上がるのを手伝い、その女性はにっこりと俺に笑顔を向けた。

 

 

「貴方がトリッシュの言っていた画家の子ね。随分と綺麗な子捕まえたじゃない」

 

「何言っているのよママ……」

 

 

 病室の主――トリッシュの母親である彼女はドナテラと名乗った。母と言っても年齢は、戸籍上の俺のものとほとんど変わらないように見える。

 

 ――あれ、トリッシュっていくつなんだろうか。

 

 

「不躾な質問ですが……おいくつで?」

 

「ふふふ、別にいいわよ。私は三十三歳で、トリッシュは今年で十五ね」

 

「そういえば、ヘーマさんの年は?」

 

 

 トリッシュが俺の名前を呼んでくれた。湧き上がる喜びが胸から溢れると同時に、聞こえた衝撃の事実に俺はよろめいた。

 

 

「ドナテラさん……俺の一つ上……?」

 

「えっ」

 

「えっ」

 

 

 そしてトリッシュは俺の半分の年齢……後ろでディオが小さい声でロリコン、と呟いた言葉が突き刺さる。声だけでわかるぞ、お前ニヤニヤ笑っているだろう。

 

 気がそれていた俺の顔を、トリッシュが両手で掴んで強引に引き寄せてきた。

 

 

「ちょ」

 

「うそ、この顔にこの肌で三十二歳ってなんなのよ。絶対何かケアしているでしょう」

 

「ち、近……別になにも、うッ!?」

 

「してるでしょうッ!」

 

 

 引き寄せられ、より近くなった顔の距離に、恐らく彼女の香りであろう良い匂いに頭がくらくらする。頑張って耐えろ俺。

 

 

「ラブシーンはもう少し日が落ちてからの方が、ママ、いいと思うわトリッシュ」

 

 

 ドナテラさんのからかうような声に、トリッシュはぱっと俺の顔を放した。

 

 

「ちょっと、ママ……違うからね」

 

「年は離れているけれど、ママは応援するわ」

 

「だから違うって言っているでしょ」

 

 

 娘の慌てる姿が楽しいのか、ドナテラさんは笑顔でトリッシュを宥めている。しかしその顔色は青白く、目の下には影が見えている。手足も方も細い彼女は、何らかの病魔に侵されているのだろう。それも、末期の。

 

 

「ヘーマさん」

 

「む?」

 

「モデルのことだけど、あたしとママを描いてほしいの」

 

 

 気が逸れていた俺に、トリッシュがいいかしら、と俺を見上げて言う。その可愛らしさに俺はこくこくと首を上下に振った。……ディオ、お前またロリコンって言っただろう。

 

 

 

 それから会話を交えながら、二人の姿をスケッチブックに描きこんでいった。時折ディオにも話が飛んだが、当たり障りなく返していた。

 

 スケッチが終わった後は、一週間後にまた来ると伝えて俺はドナテラさんの病室を後にした。

 

 

 一週間、俺は寝食以外をキャンバス内に作ったアトリエで絵を描いていた。ちなみにキャンバスはジョセフ仕置き用のものを組み直したものだ。ジョセフ用のままにすると、ピクテルが彼を中に入れようとする為、この機に用途を変更させてもらった。

 

 絵が乾ききってから額縁を購入し、はめ込んで布にくるむ。脇に抱えて俺は意気揚々と外に出た。

 

 途中、ジョナサン達を出していないことに気づいたが、足取りの軽い俺は部屋に戻ることをせずにさっさとドナテラさんの病室へと向かった。

 

 

 

「あら、ヘーマ君。いらっしゃい」

 

 

 ドナテラさんが微笑んで俺を迎えてくれた。まだトリッシュは来ていないようで、絵を置いて彼女が起き上がるのを手伝う。少しの動作でも疲れるのか、息を吐いたドナテラさんの背にクッションを入れて寄りかかれるようにした。俺は椅子に座り、顔色の悪い彼女に笑いかける。

 

 

「少し、早く来すぎてしまいましたか」

 

「私は話し相手ができて嬉しいけれど……ヘーマ君はトリッシュがいなくて残念ね」

 

「あ、いや、そういうわけでは」

 

 

 からかいの言葉をかけてくるドナテラさんに、俺は情けなく眉を下げた。同じ年代――と言っていいのか少々悩むが――というのにこの余裕の差、母親で子供を育て上げた経験……というよりは、単に俺がドナテラさんのような人に弱いだけのような気がする。

 

 

「ヘーマさんは旅行でイタリアに来たのよね?」

 

「ええ、知人にも会いにですが。――それが?」

 

「いつまでいられるの?」

 

「四月の半ば頃までは一応」

 

 

 ビザを取っていないため、イタリアに滞在できる日数は九十日までだ。そこまで伸びるほどSPW財団から妨害が続くとは思いたくないが、最悪……今回はハルノに会えないことも覚悟している。

 無理に動いて、ハルノの周囲を騒がせることであの子を危険にさらすのは本意ではない。

 

 

「そう……ねえ、ヘーマ君。トリッシュのことお願いね」

 

 

 ドナテラさんは俺の手を握ると、穏やかな表情を浮かべた。

 

 

「お願い、とは」

 

「不躾なお願いよ。

 あの子には私以外の親族がいないの。私が死んだらあの子は一人になるわ。命が長くないと知ってソリッド――トリッシュの父親を探したけれど……見つからなかった」

 

 

 彼女はシングルマザーで、主な親族は全て亡くなっていると。

 

 頼る人がいない、それは理解した。だが何故俺に頼むのか。トリッシュと出会ってから一週間しか経っていない、ドナテラさんとも二回しか会っていない俺に。

 

 それを訪ねると彼女は含むような視線を俺に向けた。

 

 

「だってヘーマ君、トリッシュのこと好きでしょう」

 

「……いや、あの」

 

「正確には、好きな人にトリッシュが似ているのかしら」

 

 

 唖然とする俺に、ドナテラさんは女をなめちゃだめよ、とウインクをする。

 

 

「トリッシュはそこまでは気づいていないわ。でも満更ではなさそう、というのが母親の見解。ヘーマ君も三か月もホテル暮らしできる程度には、余裕があるみたいだし」

 

 

 きっちり経済力の予想を立てて娘を任せることを決めたらしい。恐るべし死期を悟った母親の観察力。それほど娘を大切に想っているということなのだろう。

 

 

 だが――頷くことはできない。

 

 これからもスタンド使いと関わるだろう俺では、荒事に巻き込まれざるを得ない俺では、トリッシュの安全を確保することは難しい。

 

 

「俺の側にいる方が危険なんです」

 

「マフィアが仕切る南イタリアで、身寄りのない若い娘よりも? ――ヘーマ君は日本人だったわね。日本ではどうか知らないけれど、この国では今のあの子が置かれた状況より危険なことはないわ」

 

 

 真剣な目で俺を見据えるドナテラさんに、気圧された俺は黙り込んだ。

 

 トリッシュを案じる心と、彼女を傍に置けるという暗い喜び。甘い毒に心の天秤が傾くのを止めたのは、頭を撫でる感触だった。

 

 

「どうしても無理なら断ってくれてもいいのよ? これでもいくつか対応策は考えているもの」

 

 

 丁寧に髪を梳く手は、骨が浮き出る程に細い。頼りないその手の持ち主を見上げると、少し眉をひそめていた。

 

 

「トリッシュは強い子よ。ヘーマ君が思っているよりずっと」

 

「――俺は、惚れた相手と彼女を重ねるような女々しい男ですよ」

 

「ふふ、本当に重ねていることが全てかしら」

 

 

 くすくすと笑うドナテラさんから視線を逸らす。

 

 

 言われずとも、自覚はあった。

 

 

 

 

 

 ドナテラさんの話は、トリッシュが病室に来たことで中断した。先ほどまでの会話の余韻を微塵も残さず、彼女は娘に微笑んでいる。

 俺が持ってきた絵については、とても好評だった。すごいすごいと二人して目を輝かせて連呼するため、照れた俺は目を泳がせることしかできずに、面白がった二人にからかわれる羽目になった。

 

 

「四月までで良ければ、承ります」

 

 病室を出るときに、俺は振り返ってドナテラさんに言う。目を丸くした彼女はふわりと顔を緩めて、ありがとうと小さく口にした。

 

 

 

 そして――――ドナテラさんは五日後に息を引き取った。

 

 

 

 

 葬式もすべて終わった雨の日の墓地。泥が黒いズボンの裾を汚していくことを気にせず、俺は歩いていた。そして、傘も差さずに真新しい墓石の前に座り込むトリッシュを見つける。

 

 

「風邪をひいちゃうよ、トリッシュ」

 

 

 俺の声にも、彼女は振り返らない。すぐ側まで近づき、傘の中に彼女を入れたことでようやくトリッシュは俺を見上げた。

 

 その顔には、雨ではない液体がつたっている。

 

 

「一か月が限度だろうって、言われていたの。ヘーマさんと会ったあの日に」

 

 

 ぼんやりと俺に焦点を当てたまま、トリッシュは力なく口を動かす。

 

 

「一か月もある、だからそれまで笑顔でいようって、ママとたくさん話をしようって……そう思っていたのに」

 

 

 くしゃり、と彼女の顔がゆがんだ。

 

 

「まだ、半月も経っていないじゃない……ッ、なんでよ……どうしてよッ!」

 

 

 叫ぶように泣く彼女を、俺は腕の中に閉じ込めた。トリッシュの細い手が、俺のシャツを握り締めるのを見て、ドナテラさんに告げた決意を思い浮かべる。

 

 

 四月まで、彼女といよう。

 それまでに彼女の生活環境を整えて、彼女一人で生きていけることを確認してから、離れよう。

 

 

 ずっと側にいることはできないから。

 だけど、傷ついて泣く彼女を一人にはできないから。

 

 

 保護者としてでも彼女の側にいられるのなら――この押しつぶすような胸の苦しさにも耐えられる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

舞台の幕は上がる

 

 

 まだ色が黄色い朝の光の中、食材が入った紙袋を抱えて俺は道を進む。

 

 とあるアパートのドアの前で立ち止まってベルを押せば、しばらくした後にドアが開き、ひょっこりと家主が顔を出した。

 

 

「Buon giorno. ヘーマさん」

 

「やあ、トリッシュ」

 

 

 柔らかい笑みを浮かべる彼女に、俺の頬は緩まる。

 

 

 季節はもう冬の寒さも薄れてきた春となり、俺はドナテラさんが入院していた病院のあるカラブリアからイスキアへと場所を移っていた。

 

 

 ドナテラさんが亡くなってから、もう二ヶ月が経とうしている。その間、俺はシーザーに電話で相談しながら、トリッシュに関わる手続きを彼女に代わって行っていた。血の繋がりのない俺が代行できるのも、ドナテラさんが遺言でトリッシュの後見人に俺を指名していたためだ。

 

 SPW財団内部での混乱のため、多忙なレオーネの代わりにシーザーが嬉々として手を貸してくれている。主に書類関係については非常に助かっている……書き方とか。

 

 俺の傍には法律に詳しいディオもいるのだが、主にイギリス・エジプトの法律がメインのため、イタリアは其処まで勉強をしているわけではないそうだ。ただ興味はあるのか法律関連の本を読んでいるようだが、今回には間に合わないようだった。

 

 

 それ以外に俺が何をしていたかといえば、トリッシュに食事をさせることがメインだ。亡くなった直後はあまり食事を取ろうとしなかったため、見かねて食材を買ってきて彼女のアパートで料理を振舞えば、どうにか食べてくれるようになった。

 

 いまではトリッシュ自身で作ったものを食べているが、三日に一度の頻度で俺は料理を作りに彼女のアパートに通っている。

 

 通い妻みたいだね、とジョナサンに言われた。おま、何時の間にそういう言葉を学んできたんだ。

 

 

「朝食を作っておくから、早く準備を進めておいで」

 

「はぁい。でももう自分で作れるわよ」

 

「髪、後ろ寝癖がついているぞ」

 

 

 慌ててバスルームに駆け込むトリッシュの姿を笑いながら、俺はキッチンに食材を置きにいった。

 

 

 

 トリッシュは今年の六月から高校に進学する。彼女は金銭的な心配をして進学するつもりはなかったようだが、ドナテラさんが準備した教育資金用の口座が見つかり、俺の勧めもあわせて進学を決めたようだ。

 

 高校は寮生活になるため、その間のアパートの部屋の管理を大家に頼むことにした。トリッシュが赤ん坊のころから世話になっているという大家の女性は、快く引き受けてくれた。

 

 

 四月になったら俺はトリッシュの元を離れる。ハルノのこともあるうえに、滞在日数が四月半ばまでという制限もある。

 

 

 それ以上に、俺が辛いのだ。

 簡単に言えば……俺の理性がいつまで持つのかがわからない。

 

 トリッシュが俺に保護者として信頼を向けてくれるのはいいのだが、彼女は時に非常に無防備な姿を俺に見せる。元々、あまり服を着込むのが好きではないようで、薄着で――水着にしか見えない――平然と俺の前を通ったりする。風邪をひくと理由付けて服を着せるのだが、これから温かくなってくると理由としては不自然だ。

 

 ホテル暮らしだとお金がかかるからと、トリッシュのアパートに住むことを提案されたときは、そんなに俺は対象外かと落胆したものだが、これでいいんだと自身に言い聞かせている。

 

 最近、俺を見る目が温いものになってきたディオから、「そういう」店に行くことを勧められたが……余計タガが外れそうで行くに行けない。

 

 卵を片手で割ってフライパンに落としつつ、俺はため息をついた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

『頑張るなあ……』

 

「しみじみ言うな、泣きたくなるだろう」

 

 

 通話先のレオーネが哀憫を込めた声で労り、俺は目頭を押さえる。正直、よく理性がもっていると自分でも思う。前世の性別が抑止力に大いに貢献してくれている御蔭だろう。

 

 

「俺のことはおいといて。そっちはどういう状態だ?」

 

『とりあえず、財団内で煽っていた奴らの一部は拘束したよ。知らずに協力していた者たちは、テレンスに真偽を確かめてもらって、順次処罰を決めていく予定』

 

「テレンスは嘘発見器か」

 

『彼から協力を申し出てくれたからね。御蔭で物凄く助かっているよ』

 

 

 ともかく人数が多くてさ、と疲れたような声を出すレオーネに思わず口元が引き攣る。そんなに協力者が多いのか。

 

 

『全員拘束できなかったのが痛いね。まーだ何か企んでいるってことだからさ……ヘーマさん十分に気を付けてよ?』

 

「了解。四月までは大人しくしているよ」

 

 

 公衆電話の受話器を置いて通話を切る。出していた余った小銭をポケットにしまっていると、パラパラと雨が降り始めた。

 

 そういえば、春先に康一くんがイタリアに旅行に来るのだったか。商店街のくじ引きでイタリア旅行が当たるとは、随分と店側も奮発したものだ。

 どこの町を巡る予定かくらい聞いておけばよかったかと考えながら、雨脚の強くなってきた道をホテルへと急いだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 三日後、慣れた足取りでトリッシュのアパートに向かっていると、アパートの入り口から人影が出てくるのが見えた。体格の良いスーツの男が三人と、小柄で三人に守られるような位置にいる老人。

 

 

 そして、遠くからでも解る。あの鮮やかな赤い髪の持ち主は――。

 

 

「――トリッシュ?」

 

 

 まだ人もいない朝の町に、俺の声はよく響いた。

 

 呼ばれたことに気づいたトリッシュは俺の姿に気づくと一瞬安堵の表情を浮かべ、すぐに顔を強張らせた。その様子に只ならぬ事態を察した俺は、足早に彼らに近づこうとする。

 

 

「――ッ!」

 

 

 不意に響いた破裂音に、咄嗟に俺は右へと跳ぶ。左肩に熱さと痛みを感じ、避けきれなかったことと明らかに胸の真ん中を狙われていたことに眉を顰めた。

 

 

「行き成り心臓狙いの発砲――――ね。随分と失礼な奴だな」

 

「今の音は……君、大丈夫かね」

 

「やめてくれよ下手な芝居は…………後見人の俺に黙って、彼女を何処に連れて行くつもりだ」

 

 

 銃声は後ろから聞こえてきた。目の前の四人以外にも隠れて窺う者たちがいるのだろう。躊躇なく致命傷を与える部位を狙う辺り、どう考えても堅気ではない。

 

 小柄な老人はうろたえることもなく、小さく息を吐いた。

 

 

「……まさか避けられるとは思わんかったよ。素直に当たっていれば苦しむこともなかっただろうに」

 

「生憎だが素直になる相手は決めているんでね」

 

 

 予想通り元々俺を生かしておくつもりはなかったようだ。口封じにしては方法が荒く、恐らくトリッシュに対する脅しも兼ねているのだろう。白い顔色で不安を隠せない彼女を見る限り、間違ってはいない。

 

 

「で? 理由は教えてもらえないのかい。何が理由でもお引き取り願うつもりだが」

 

「一人で勝てると思っているのかね」

 

「どうして俺の味方がいないと思えるんだ?」

 

 

 俺は意識して余裕のある笑みを作る。護衛の男達がじり、と前に出るのを見つめながら。

 

 ふわり、とピクテルが俺の横に現れた。遠くからこちらを狙っていた者たちの排除が済んだようだ。ディオ達が気絶させたのか、え……違う?

 

 ……伏せた体勢で横になっていたから股間を蹴り上げた、だと。悶えている間にライフルなどの銃火器や通信機は回収してきたって……ピクテルや、その攻撃方法は味方には絶対にやらないようにな?

 

 動揺を押さえ込みながら男達の様子を観察する。突然現れたピクテルの姿に、何も反応していない。スタンド使いはいないようだと少し安堵したとき、トリッシュが目を丸くしていることに気がついた。

 

 

 ――まさか、見えているのか。

 

 

「キャアッ!? なにす……ッ!」

 

「先に連れて行け」

 

「おいおい、まだ話は終わってないぞ……行かせるかよ」

 

 

 スーツの男の一人がトリッシュを抱え上げ、口を塞いで後方へと移動を始めた。男の前に回りこんだピクテルが、ジョナサンのキャンバスを取り出す。

 

 

「なッ!?」

 

『……ふう、間に合ってよかった。怪我はないかい?』

 

「え、ええ……」

 

 

 キャンバスから出たジョナサンの手刀によって、トリッシュを抱えていた男の意識が沈む。体勢を崩した彼女をジョナサンが支え、微笑む彼にトリッシュは戸惑った目を向けた。

 

 まあ、今のジョナサンは成人姿。少年姿しか知らない彼女にとっては困惑するしかないだろうけれど。

 

 

「これは……まさかスタンド使いッ!」

 

 

 倒れた男とジョナサンを見た小柄な老人が、信じられないという表情で俺を見ている。

 

 

『スタンドについて知っている、か』

 

 

 ジョナサンの横にピクテルがディオを出し、出てきた彼は楽しそうに老人を見た後、俺を流し見た。

 

 

『ヘーマ、どうやら当たりを引いたようではないか』

 

「そーですねー。……まさか本当に引き当てるたぁ、思わなかったよ」

 

 

 俺の周りにはスタンド使いの知り合いが多いためつい忘れがちではあるが――本来、スタンド能力を持つ人間は非常に少ない。

 現在は『弓と矢』という人為的にスタンド使いを生み出す方法こそあるが、十数年前まではその能力を持つのは生来の人間のみだった。

 

 マイノリティ(社会的少数者)であるスタンド使い。その常人には認識できない力故に、迫害される可能性を持つ者達。自分の命を守るため、彼らはけして自らの能力を他人に教えることはしない。

 

 だからこそ、スタンド使いは非スタンド使いが多数を占める集団に属することはない。

 

 もし、非スタンド使いの集団の一員が、スタンド使いの存在を知っているとすれば、それはその集団に多数のスタンド使いがいるということだ。

 

 だがスタンド使いがお互いに引き合いやすいとはいえ、人数を集めることは難しいというレベルではない。

 

 ただし。

 

 

「弓と矢を使って――人為的にスタンド使いを生み出したのならば話は別だ。おい爺さん……アンタの所属しているのはパッショーネっていうギャングだな?」

 

 

 小柄な老人はただ俺を見返すだけだった。だが、護衛の二人までは動揺を隠せなかったらしい。分かりやすく息を飲む二人をちらりと見て、老人は鼻を鳴らした。

 

 

「それで、私達がそのギャングであればどうするというのかね」

 

「どうもしないさ、俺はな」

 

 

 怪訝な顔を老人が浮かべるよりも前に、ディオが三人の意識を刈り取った。どさりと倒れこむ様子に、一抹の不安が俺の頭を過ぎる。……生きているよな?

 

 

『案ずるな、手加減くらいは俺もできる』

 

「いやまあ……それはそうだけどさ」

 

 

 意識のない四人をアパートの敷地内に移動させる。それぞれ手足を縛った後に、立ちすくんでいたトリッシュを呼んだ。

 

 

「トリッシュ。まずは荷造りをしておいで」

 

「ヘーマさん、あたし……これからどうなるの」

 

 

 気丈な彼女が不安そうな表情を隠しもしない。日常が突然崩れて非日常が顔を出したのだ、トリッシュが弱気になるのも当然だ。

 彼女を慰めたい――だが、今は時間がない。

 

 

「トリッシュ、今は俺の言うことを聞いてくれ。恐らくこの家には君を探しに誰かがやってくる。だから今は移動しなくてはいけない……わかるね?」

 

 

 彼女は無言で頷く。

 

 

「探しにきた誰かは部屋の物を荒らすだろう。だから、持っていく衣服と大切なもの――写真でもいい、選んでピクテルに渡してくれ」

 

「ピクテル?」

 

「この子のことだ」

 

 

 現れたピクテルがトリッシュの肩を抱く。驚いた彼女に向かって、ピクテルはくすくすと笑っている。あまり、からかうんじゃないぞ。

 

 

 ピクテルに促されてアパートに戻ったトリッシュの姿が見えなくなったことを確認して、俺は深々とため息をついた。

 

 

『あの娘は、パッショーネの重要人物に縁があるようだな』

 

「わかってるよ。多分ボスだろ……爺さんも殺されてもかまわないっていう感じだったし」

 

 

 スタンド使いに驚いた以外、終始落ち着いていた小柄な老人。彼がギャングの幹部クラスとすれば、その度胸にも納得ができる。

 

 その彼が自ら動いたトリッシュの拉致という行動。

 

 幹部を動かせるのは、その上の人物だけだろう。

 

 

『結局、ディオの望むような方向になってしまったね』

 

『ふふん、実に楽しいではないか』

 

「俺はどうしてこう、厄介そうなスタンド使いに関わるんだろうか」

 

『何を言っている。厄介じゃあないスタンド使いなどいるものか』

 

 

 ディオの言葉にうなだれた俺の肩を、ジョナサンが慰めるように手を置く。いやまあ、ちょっとした愚痴だから本気ではないのだが。

 

 厄介ごとに関わったからこそ、トリッシュを守ることができる。そう考えて俺は気合を入れるために自分の頬を叩いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フクロウ便・反逆者・指令

 

 

 

「それで、結局その子を追い返したんだ?」

 

『そう。ウンガロとドナテロがね、もう面白いほど真顔で』

 

 

 電話の先で笑いを耐えているリキエルに、レオーネは忙しさに疲弊した精神が癒されるような気がしていた。十年以上見守ってきた弟分との会話は、彼にとって何よりのストレス解消となる。

 

 最近は特にドロドロの大人によるえげつなさだけは申し分のないものばかり触れていたため、リキエルの穏やかさが非常に眩しい。

 

 話のタネは徐倫が告白された事件について。初めて告白されたことに舞い上がっていた徐倫だが、その後冷静にお付き合いを断ったそうだ。

 振られた少年はまったく諦めておらず、それから何度も告白しようとしては、ウンガロとドナテロに追い返されているようだ。

 

 

「ドナテロはともかく、ウンガロが其処まで反発するとはねぇ」

 

『ウンガロは僕達の中で一番常識人だから。初対面で十四歳が八歳の女の子に結婚前提の告白をしたら、そりゃあ不安になるよ』

 

「……結構年が違うね。いや、その年で結婚前提って」

 

『重いでしょう?』

 

「重いなぁ」

 

 

 人当たりの良いウンガロが頑なに件の少年を追い返す理由にレオーネは納得する。まだ幼い徐倫から引き離そうとするのも無理はない。

 

 

「初恋もまだの女の子にはきつい相手だよな」

 

『あれ、レオーネ兄ちゃん知らなかったっけ。徐倫の初恋相手、ウェス兄だよ』

 

「ウェスは無事かッ!?」

 

『無事だよ。やっぱりウェス兄大人だからさ、対応が違うもん。たまに承太郎兄ちゃんが落ち込んでいるけど、結果的に最愛の奥さんと上手くいっているみたいだし』

 

 

 徐倫はすぐにお姉ちゃんになるかもね、と笑うリキエル。

 

 レオーネが詳しく聞こうとしたそのとき、窓の外からバサバサと鳥が羽ばたくような音を聞いた。窓に目を向ければ、近くの木の枝に止まっている一羽のフクロウ。その足が掴む白い封筒にレオーネは目を細めた。

 

 

「ゴメン、リキエル。人が来たみたいだ」

 

『分かった。また面白エピソードを報告するね』

 

 

 受話器を置き、レオーネが窓を開くとフクロウは部屋の中に入ってきた。ひらりとレオーネの前に封筒を落とすと、椅子の背もたれにフクロウは止まった。

 

 レオーネはしゃがんでそれを拾い、おもむろに封を切る。中に入った便箋は、平馬の文字で綴られていた。

 

 

“親愛なる友人へ

 

 この手段を使う日が来ないように願っていたが、現実とはなかなか厳しいものだと実感した。

 

 結論から言うと、君が察している通り関わることになった。

 いや、初日に彼女と出会ったのだから、必然だったのかもしれない。

 

 彼女が奴らに拐われそうになり、俺達は移動することに決めた。君の実家にとりあえず向かっているが、恐らく妨害が入るだろう。ただでやられるつもりはないが。

 

 君に頼みたいことがある。彼女のパスポートを準備してほしい、どうやら持っていないようなんだ。

 俺は四月の半ばにはイタリアを出なくてはいけないので、なるべく早く頼みたい。

 

 忙しいのに悪いな。ハルノのことを頼む。”

 

 

 レオーネは読み終わった手紙に火をつけた。灰皿の上で燃える手紙が完全に灰となったことを確認し、彼は再び受話器を手にとった。

 

 

「――承太郎? お前がジョセフさん家の電話に出るなんてどういう風の吹き回し……って、まてまて切らないで! ……はあ、ポルナレフはいる? あの人から連絡が来たんだよ」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 とある町の一角、治安の悪さのために住人が少ない地域。其処にある建物の中で、数人の男が思い思いに過ごしていた。雑誌を読む者、食事をしている者、TVゲームをする者、ソファーに座って瞼を閉じている者、ノートパソコンを触っている者。

 

 彼らはただ仲間の帰還を待っていた。

 

 

 TVゲームの音楽が流れるだけの部屋に、金属の擦れ軋む音が紛れ込む。

 

 

「――どうだ」

 

「すでに娘の姿はなかった。アパートの中も随分と整理されていたぜ」

 

「そうか」

 

 

 部屋に入ってきた二人の男に、ソファーに腰掛けていた男が結果を尋ねる。二人以外に人影が見えなかったことから報告内容に気づいていた男はただ頷いた。

 

 

「ただよぉ、リーダー。向こうが娘を確保しているわけじゃあねーみたいなんだわ」

 

「俺達がアパートについた時、幹部のペリーコロが娘のアパート前にいたが、娘の姿は傍になかった。行方の捜索を指示していることも聞いた。

 それと娘の後見人が、同じ時間帯に泊まっていたホテルを引き上げている」

 

 

 調査資料を捲っていた男が、四枚の写真をリーダーと呼ばれた男に渡した。

 

 

「後見人の名前はヘーマ・ナカノ。ジャポネーゼの男だ。一月の半ばからイタリアに入国している。目的は旅行と知人に合う為、一緒にいた二人のガキについては情報がないな」

 

「情報がねえ?」

 

「後見人の男は一人で入国し、一人でホテルに泊まっていた。ガキ共の部屋はとってねぇ」

 

「――スタンド使いの可能性が高いな」

 

「人間を輸送できるスタンド……そんなところか。娘を連れて行くには最適だ」

 

「どうする、リーダー」

 

 

 雑誌を読んでいた男がページを閉じてリーダーと呼ばれる男に問う。

 

 

「後見人の男を追う。せっかくの手がかりを逃すことはない」

 

「そうこねーとなぁ。おい、メローネ」

 

 

 パソコンをしていた男は、投げられた小瓶を受け取る。小瓶の中身は透明な液体と、赤い物が浮遊している。

 

 

「後見人の男は一発撃たれていたみたいでな。ペリーコロ達はまともな怪我もない、本人のもんで間違いはないはずだ」

 

「Grazie(ありがとう)……リーダー、方向としては居場所の特定と娘の確保、後見人の拘束でいいかい?」

 

「優先するのは居場所の特定だ」

 

「なら其処まで相性が悪くなくてもいいか。すぐ戻ってくるよ」

 

 

 メローネと呼ばれた男は、先ほどまで操作していたパソコンを片手に、立ち上がった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 パッショーネの一員であるブチャラティは、上司であるポルポの遺産を組織に献上することにより、幹部への昇進を認められた。

 喜びに沸き立つ彼らであったが、金を受け取ったペリーコロはブチャラティに任務を言い渡した。

 

『ボスの娘の奪還・護衛』という任務を。

 

 

「本来であれば、この場にトリッシュ――ボスの娘を連れて君に直接渡す予定だった。だが、わしが彼女を連れ出す任務に失敗してしまったのじゃ。連れ出すときに後見人に見つかり、彼に気絶させられてな」

 

「後見人とは」

 

「ドナテラが遺言で定めておった旅行者じゃよ。何故その男に任せたのはわからん、もしかしたら恋人であったのかもしれん。

 ――それだけであれば問題はない、法律などどうにでもなる。一番の問題は、その男がスタンド使いということじゃ」

 

「スタンド使い!」

 

 

 通常のギャングを相手にするのとスタンド使いを相手にするのでは、難易度が相当上がる。スタンド使いが一人いるだけで、戦略の幅が広がるからだ。

 

 

「後見人の男には少なくとも二人の仲間がいる。全員がスタンド使いと考えていいじゃろうな……その内の一人は姿を隠すような能力を持っている」

 

 

 ペリーコロは自身が会った男の写真を取り出した。美しい男だった。遠距離……しかも背後からの心臓狙いの狙撃を、左腕を負傷したとはいえ男は避けた。

 そして良く似た容姿の金髪の男と、同じくらいの体格の黒髪の男。町で得られた二人の情報が少年の姿と考えれば、スタンドの能力と考えるのが当然だった。

 

 

「さらに、組織の裏切り者がトリッシュを狙っていることもわかっている。ブチャラティ、君への任務は娘の奪還、そして裏切り者からの護衛じゃ」

 

「わかりました……後見人のデータを」

 

「うむ。名前はヘーマ・ナカノ、ジャポネーゼの旅行者じゃ、詳細は資料を確認してくれ」

 

「彼についてはどのような?」

 

「可能であれば拘束、無理ならば殺せ。スタンド使いでないわしが、スタンドを知っている……それだけでわしらがパッショーネだと断言した。何かしらの組織と繋がっている可能性が高い」

 

 

 

 ペリーコロが渡した写真を覗き込んで、見つけやすい顔だこれで三十代か嘘だろマジかと騒ぐメンバー達。

 

 ただひとり、金髪の少年だけが硬く拳を握り、動揺を押さえ込んでいた。

 

 

「ジョルノ」

 

「――なんですか、ブチャラティ」

 

「いや……後で聞こう」

 

 

 声をかけられ、ジョルノは感情を完全に制御した。揺らぎなど見えないその姿にブチャラティは眉を動かしたが、今は問い詰めないことにした。

 

 

 

「――どうして、貴方が」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 絡まる運命
邂逅する先触れ


 

 

 ナポリの港についたあと店で食料品を数日分購入し、俺が運転するレンタカーで異国の道路を走る。正式に借りることによって足がつきやすくなるが、背に腹は代えられない。行き先が固定された電車や飛行機内の狭い場所で、追手と対峙するよりはマシである。

 

 俺はバックミラー越しに後部座席に座るトリッシュを盗み見る。気晴らしの為にか車外の移り変わる景色を眺めている彼女は、わずかに潜めた眉から内心の不安がうかがえる。

 

 

『ヘーマ、これからどうするつもりなんだい?』

 

「最終的には、海外へ一時的に脱出かな。俺の滞在可能日数、後半月だし」

 

「国から出るの? あたし、パスポートを持ってないわ」

 

「作ってもらっているよ。急ぎでと伝えているが、それでも時間はかかると思う」

 

『つまり、それまでは逃げ回ると』

 

「そういうこと」

 

 

 イタリアは他組織もあるとはいえ、パッショーネの根城だ。トリッシュの身柄を求める者がいる限り、イタリア国内に彼女の安息の地はない。

 

 かと言って、トリッシュも慣れない海外生活などしたくはないだろう。

 

 本来ならばボスと対面で話ができればよかった。血の繋がった父親といえども、認知もしてないうえにトリッシュの後見人は俺だ。こっそり連れ出そうとせずに正当な対応をしていれば、話が決裂することもなかったかもしれない。後見人を殺していこうとしたあたり、可能性はとても低いけれども。

 

 

『ヘーマ、うしろから妙なのが来ている』

 

「妙?」

 

 

 ディオの声にバックミラーを見上げると、そこには一台のバイクが映っていた。ただし、運転している者の影はやけに小さく、顔も人の素顔とは言い難い。まるでお面をかぶったようだと、俺は顔をしかめた。

 

 

「スタンドかな」

 

『間違っていないだろうが、近づいてこんな』

 

『本体らしい姿もないし、偵察なんじゃあないのかい?』

 

 

 遠隔操作型なら可笑しくはないが、堂々とスタンドが姿を現していることが腑に落ちない。遠隔操作型は本体から離れて動かせる代わりに、パワーと耐久力がない。スタンドが姿を現すときは、大抵止めのときになるのだが……本当に近づいてこないなぁ。

 

 

『あれを偵察と仮定して、遠隔操作型はありえんな。本体との距離が離れすぎている……考えられるのは遠隔自動操縦型か。追跡だけなのか戦闘も可能なのかはわからんが』

 

「ずっと付きまとわれるのは面倒だな」

 

 

 どこで襲い掛かられるかもわからない状態は好ましくない。シートベルトを外し、ハンドルを助手席に座るディオに任せて運転席から後ろの座席に移動する。ディオが運転席に座ったことを確認してから、天板の窓を開いた。

 

 

「……なにをするの?」

 

「足止めかな」

 

 

 トリッシュに笑いかけてから、窓から顔を覗かせて追いかけてくるスタンドを目視で確認する。俺の姿に気が付いたのか、一定だった距離が徐々に短くなっていった。

 この光景って、一般の人にはどんなふうに見えているのだろう。恐らくひとりでに走るバイクとかで、ホラースポットにならないと良いがこの道路。

 

 俺はピクテルから受け取ったものを、追手のスタンドへと広がるように投げつける。スタンドは驚いた顔でそれに絡まり、バイクは転倒して盛大にスピンをしていった。

 

 追手と俺たちの距離がみるみるうちに開いていく。

 

 

『――何をした』

 

「投網。想像以上に効果があって俺もびっくり」

 

 

 投げつけたのは、ロープが素材の網だった。網を投げたのは初めてだが、うまい具合に絡まって何よりだ。俺は漁師も向いているかもしれん。

 

 スタンドとバイクの姿が遠くになってから、窓から出していた頭を引っ込める。

 

 

「これで少し時間稼ぎが」

 

 

 助手席に座りシートベルトを着けようとしたとき、突然車体が後方に傾いて金属――恐らくフレームがアスファルトとこすれる不快な音が響きだした。

 

 

『後ろのタイヤがやられたな』

 

 

 車を止め、警戒を表すことなく堂々とドアを開けて降りるディオにつづいて、俺も車から降りて後ろに周る。車から距離を取りつつ確認すれば、後輪が二つともパンクして潰れていた。

 あたりを見回すが先ほどのスタンドの姿は見えない。しかし、パンクしたタイヤに四角い穴が開いているのを見れば、スタンドの仕業で間違いない。

 

 近くにいるのは間違いなく、その姿は見えない。どこかに隠れているのか、こちらを攻撃するつもりがないのかと首を傾げる。

 

 車が走行不能になり、ここに足止め、もしくは移動速度を低下させるのが目的か。

 

 ジョナサンと、彼に促されてトリッシュも車外に出てきた。ジョナサンは車から離れているようにと俺達に告げると、バックドアに手で触れる。

 

 

『ギャッ!?』

 

『ああ、やっぱりいた』

 

 

 車の車体からキューブ状にバラバラになりながらスタンドが出てきた。驚く俺の目の前で次第に一塊となったスタンドは、痙攣を起こしており動こうとしない。

 

 

『ジョジョ……波紋を車に流したのか』

 

『気配を感じてね。スタンドにも効果があるみたいだ……しばらくは痺れたままだと思うけど、近づかない方がいいよ』

 

 

 それ以前に俺とディオはスタンドに近づけない。痺れているということは波紋エネルギーがスタンド一杯に詰まっているということだからな。ひょいとつまみ上げるジョナサンから少しだけ後ずさった。

 

 

 捕まえたスタンドの大きさは、精々十歳位の大きさだった。子供の手足の長さでよくバイクを運転できたものだ。いや、この場合はバイクを運転できるほどの知能と自我があることに注目すべきだろう。

 

 自動操縦型にしては、非常に柔軟性が高い。追跡の続行が難しくなればすぐに次の方法を考え、足止めに移行するなんて、完全に個人として成立している。

 

 俺の『ピクテル・ピナコテカ』は如何に自我が発達していようとも、遠隔操作型だ。本体と感覚は同期している上に、スタンド自体の物理的な力は低い。

 

 本体に全く影響のない自動操縦型で、ここまでの思考の自由を得られる理由は一体何なのだろう。

 

 

 俺はスタンドをつまむジョナサンの足元に視線を下げた。

 

 

「……影があるな」

 

 

 ピクテルによって実体化しているジョナサンはともかく、追跡してきたスタンドも地面に影を浮かび上がらせていた。つまり、このスタンドは一般人にも見えるということだろう。実体があるからこそ車のバックドアに同化できたのか……詳しくはまだわからないが。

 

 

「ジョナサン、そいつは通信機を隠し持っていそうか?」

 

『いや、なさそうだ』

 

『ほう…直接本体と意思疎通ができるということか』

 

「少なくとも現在位置の把握と簡単な連絡はできるだろうな。そうじゃあないと、現在どの作戦が実行されているかが分からない」

 

 

 スタンドが通信機を持っていれば、本体との連絡する能力は無いといえる。持っていないからこそ、スタンドは黙ったままこちらを見ているのだろう。

 

 

「なあ、お前は話せるか?」

 

『……なんだ』

 

「よかった。聞きたいことがある……本体はパッショーネのボスの味方かどうか、だ」

 

 

 スタンドは俺の問いに黙り込んだ。本体が回答を拒否しているのだろうな。まあ、別に答えてくれなくても問題ない質問ではあるが。

 

 

「じゃあ次の質問だ――ボスの能力に興味はあるか」

 

『――本体からの質問だ、お前は知っているのかと』

 

「知らなかったら興味はあるかなんて聞かないさ。どうやら反骨心は十分にあるみたいだな」

 

 

 ボスの能力に興味を持つ……つまり、ボスの正体を知りたいと考えていることに他ならない。パッショーネは正体を隠す方針のギャングだ。活動を秘匿し、社会を裏から操ることを前提としている。

 

 予想ではあるが、ボスの正体についても同様なのではないだろうか。組織の名前を前面に売らない以上、ボスの正体が判明していることに利点は無い。むしろトップシークレットとして探ることすら禁止されている可能性がある。

 

 そうであれば、何よりも重要なボスの能力という秘密に興味を持つということは、ボスを害する意思があるということ。

 

 つまりこのスタンドの本体は、組織に対する裏切り者だ。

 

 なら俺が彼らが欲しい情報を与えることができれば、一時的に手を組むことすら可能だろう。

 

 

「交渉をしよう。後を付回されるのは苦手なんだ」

 

『――内容は』

 

「こちらの要求はトリッシュや俺たちを襲わないこと、提示するのはボスの名前及び年齢や背格好……そしてその能力だ」

 

『――何故お前はそれを知っている』

 

「知人がボスに襲われてね、奇跡的に生き延びたその人物から聞いたんだ」

 

 

 ポルナレフが生き延びなければ、知る機会は無かっただろう。スタンドに向けて苦笑いを浮かべる俺をじっと見ながら、スタンドは時間をくれと本体の言葉を伝えた。

 

 

「かまわないが、生憎ボス側からも追いかけられているからな、それほど待てないぞ」

 

『――二十分だけだ。そのスタンドを通して連絡する……以上だそうだ』

 

「二十分か……まあ、見晴らしもいいし何とかなるかな」

 

 

 本体の伝言を伝えきったのか、黙ってしまった追跡してきたスタンドを、ジョナサンに降ろすように言う。地面に座り込んだスタンドは、まだ少し身体が痺れているようだ。

 

 

「食べ物は食べられるか?」

 

『……可能だが、それがどうした』

 

 

 俺の問いに訝しげな顔をするスタンド。そうか、飲食可能か。それなら丁度いい。

 

 

「今から昼ごはんだ、お前も食え」

 

 

 ピクテルが取り出したサンドイッチを差し出すと、スタンドは呆気に取られた顔でそれを受け取った。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐喝

 

 昼飯も済んだ二十分後、再びスタンドを通して本体の人物から連絡があった。スタンドに車を修理させるから、近くの町の、最初の駐車場まで移動してくれとのことだった。

 

 対面で真偽を確認しようとしているのだろうが、非常に罠っぽい。胡散臭い。偵察と対象の現在地を固定することに止まった小柄なスタンドとは違い、次は戦闘を覚悟しなくてはならないだろう。

 

 しかし、このままここに留まることも、別の追っ手に追いつかれるだけだ。

 

 

「スタンドによる戦闘慣れの差かな、後手後手だ」

 

 

 愚痴る俺にジョナサンが苦笑する。

 

 

『僕達も単純な格闘戦では、早々劣るつもりはないけれど、スタンドはその能力で状況をひっくり返すことができるからね』

 

『相手が自らの領域に引き篭もるというのならば、引き摺り出せばよかろう』

 

 

 力尽くでな、と口を吊り上げるディオは非常に頼もしかった。よっ、頼りにしてるぞ悪のカリスマ。

 

 ディオの大きな手が、俺の顔を覆うように掴む。

 

 

「おい、何を……いだだだだッ!」

 

『何故か非常にイラついた。そら、だんだん力を込めてやろう、どの位耐えられるか実験も兼ねてなッ!』

 

 

 俺の内心の揶揄を察知したディオのアイアンクローは、ジョナサンが止めるまで続いた。

 

 何やってんだこいつ等、という小柄なスタンドの目が俺の心に突き刺さる。ヤバい、アホな状態が向こうにも筒抜けだ、と気づいた俺は落ち込んだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 日も傾き、夕焼けの眩しさにも目が慣れてきた頃、ようやく指定された町の駐車場へとたどり着いた。車を止めて、全員で外に出る。

 

 駐車場には俺達以外にも車が止めてあったが、近くの建物――おそらく休憩所だろう――で休んでいるのか人影はなかった。

 

 

「見えない、けどいるよな」

 

『こちらを窺っている奴らは三人か』

 

「――前から思っていたけれど、どうやってわかるんだ」

 

『視線と気配だが? 早くヘーマもできるようになれよ』

 

『興味があるみたいだから、訓練内容を練っておくよ。頑張ろうね』

 

「あれぇ、藪蛇だった……!」

 

 

 さらりと修行内容が追加されることが決定し、俺は戦慄する。

 

 車の陰から広いスペースに出ようと進み始めたとき、車のミラーに人影が映っていることに気づいた。振り返った俺が見たものは、怪訝な表情から驚愕に変わった三人の顔。

 

 それの理由に思い当たる前に、トリッシュ達の姿は消え、日の暮れた駐車場に、俺は一人で立っていた。

 

 

 いや、正しくは一人ではない。

 

 

「おまえがヘーマ・ナカノで間違いないな」

 

 

 俺の前方に、黒髪を左右で分けて結んだ、細身の青年がバインダー片手に佇んでいた。

 

 

「おまえだけをこの空間に隔離した。俺の許可がなければ入ることも出ることも不可能だ」

 

 

 淡々と話す青年の顔には、まんまと捕まった俺を侮るような色はなく、ただ状況を伝えるだけにとどまっていた。

 

 そしてようやく俺は交渉に出遅れたことを悟る。

 後手に回っていることは理解していたが、こうもあっさりディオ達と引き離されるとは考えていなかった。

 

 さらに先ほどディオが言った「此方を窺っている三人」に目の前の青年が含まれていないとすれば。ディオ達は三人のスタンド使いに襲われうるということだ。

 

 

 つまり俺にとってディオ達は人質であり、ディオ達にとっても姿の消えた俺は人質となる。

 

 

 ――こういう勝負の場を経験したことはない。駆け引き自体を面倒くさいと考えていた俺が、初めて行ったのがディオの助命だ。

 あれは相手が承太郎だから成功しただけで、本来なら失敗していたはずだ。

 

 それに対して相手はギャング、こういう場はお手の物だろう。

 

 だが、間抜けな俺はともかく――“あの”ディオが俺に忠告の一つもせず、暢気に状況に流されるわけがない。

 

 

「不可能じゃあない」

 

「……なに?」

 

「許可を貰うまでもない、お前を倒せばここから出られるんだろう」

 

 

 彼等は俺の人質にはなり得ない。俺より遥かに強い二人が、人質になるはずがない。力尽くの交渉を先方が望むのならば、誘いに乗ってやろうじゃあないか。

 

 

「気がついていないようだから忠告してやる。この世界に入ることを許可されたのはおまえのみ、スタンドは外にいるぞ?」

 

 

 ああ、道理でピクテルが出てこないと思った。

 

 

「それに、向こうは動いたみたいだぞ」

 

 

 青年が指差す方向に視線を向けると、不自然な位置に鏡が立てかけてあった。其処に映っているものは外の世界。

 

 血肉に濡れた手をはらっているディオと、険しい顔で喉を押さえているジョナサンの姿――喉を見れば、まるで粘土をくりぬいたように四角い穴が空いていた。

 そして彼の手にはキューブ状の肉の塊……あのスタンドに抉り取られたのだろうか。

 

 あれでは息が出来ない、ピクテルにジョナサンの身体をしまうように伝えようとすれば、彼女は手早く彼をしまい込んだ。流石、仕事が速いぞピクテル。

 

 

「一人減ったか……どれだけもつか見物だなぁ?」

 

「ああ、減らされる前に俺もさっさと出ないとな」

 

 

 そうディオが、外の彼らの息の根を止める前に。

 

 ストッパーのジョナサンが脱落した今、あそこには我が道を行くディオとピクテルしかいない。俺の制止もないならば、ピクテルが自重するはずがない。

 

 襲ってきた彼らだけコレクションするならばまだいい、下手するとトリッシュまでドサクサに紛れて入れかねん。

 

 

 あー、でもそのほうが安全……いやいや、監禁はいかんよ監禁は。女の子相手に。

 

 

 足元に転がっている石を、青年に投げつけると同時に走り出す。青年の前に人型のスタンドが現れて手で石をはじくのを確認しつつ、拳を振りかぶった。

 

 

「スタンドに対して生身で何を……ッ!?」

 

 

 青年は迎撃しようとしたスタンドの拳を、手で受け止めた俺に目を剥いた。意識が逸れた隙にスタンドの顎目掛けて拳を振りぬいたが、防御されてしまった。惜しかった。

 

 

「何故本体がスタンドに触れられる……!?」

 

「スタンドが接近戦に慣れていないなら、工夫が必要だろう?」

 

 

 ひらひらとピクテル製のグローブを、見せ付けるように手を振る。俺の手を見て青年はスタンド能力か、と顔をしかめた。あの小柄なスタンドを通じて伝わっているようでなにより。

 

 

「ならば攻撃できないようにするのみ! 胸から上のみ許可するッ!」

 

「げッ」

 

 

 青年は懐から取り出した鏡を、俺に向かって投げた。慌てて避けようとしたが、掃除機に吸い込まれる埃のように、俺の身体が鏡にのみこまれていった。

 

 

 あ、あらー。見事に拘束されちゃった。

 

 

 鏡の落下に伴い、地面に打ちつけた肩が痛い。先日貫通した左肩じゃあなくてよかったけれど、動けない状態なのは変わりない。

 

 

 しかし、小さい鏡だというのによく俺の身体は通っているものだ。マジマジと胸の辺りを見ていると、ざりっと地面を踏みしめる音が近くから聞こえた。見上げれば手に布を持ち、何かの薬品を滲みこませている青年の姿。

 

 なにそれ、と小さく呟いた声を拾ったのか、青年は小さく笑って何だと思うと返してきた。

 

 

 意識を失うような薬品を、俺に使おうとしているように見えます。え、なに俺浚われるのか?

 

 

「拉致る為にも意識があると面倒だからな」

 

「そういうのはご遠慮いたします」

 

「……遠慮するな、薬品代はそれほどかからない」

 

 

 値段の心配はしてねえよ。

 

 

 必死で身体や顔を逸らせて抵抗するも、後頭部を掴まれ呆気なく口元を布で覆われてしまった。霞み行く意識をどうにか留めるために口の中を噛もうとしたが、顎をつかまれて防がれる。

 その際に口から息を吸ってしまい、急激に薄れる意識で俺が見たものは、驚いた顔の青年とぬるま湯のような暗闇、そして俺を覗き込むピクテルの姿だった。

 

 

 

 

 

 

『ヘーマは?』

 

 

 ディオは平馬を抱えたピクテルに視線を移した。だいじょうぶ、と口を動かした彼女に小さく笑みを浮かべる。足元に転がった三人の男を気にも留めず、ピクテルの傍へ一歩踏み出した。

 

 次の瞬間、破裂音とともにディオの頭に小さな穴が空く。延髄から額にかけて貫通した穴から、一筋の血が流れ出た。口の傍を通ったそれを舌で舐め取り、後ろを振り返ってディオは笑みを浮かべた。

 

 

 見るものを凍りつかせ、心を奪うような蠱惑的で壮絶な笑みを。

 

 

『予想より頑丈じゃあないか。成る程スタンド能力のみに頼っているわけではない、か……確かに君たちは実力があるようだ。私としたことがうっかり過小評価をしてしまったな』

 

 

 彼が振り返った先には立ち上がることはできずとも、ナイフや銃を構える三人の男達。其のうちの一人、スーツを身に纏った金髪の男が、銃を片手に苦々しく顔を歪めた。

 

 

「Mostro(化け物)が……ッ!」

 

「あー、頭を貫通してるってのによぉー……はは、マジモンじゃねーか」

 

 

 赤毛を刈り上げた男が引きつった顔で笑う。もう一人の頭頂部以外を剃った特徴的な髪型の男は、目を見張ったままそれ以上反応をしていない。

 

 ディオは一歩ずつ踏みしめるように男達に近づく。その姿を睨みつけながら、それでも三人の男達は逃げようとしない。

 ナイフを構え銃を構え、己がスタンドを構え……いつでも迎撃できるようにと痛んだ身体を動かした。

 

 彼らの様子を見て、ディオは興味深げに目を細める。

 

 

『……ふむ、このディオの力を存分に体感したというのに、逆らう気力があるか。このまま殺すのは簡単だが、惜しい人材だな。

 人殺しはヘーマも嫌がることだし……君達にはチャンスをやろう』

 

 

 

 私に服従して本懐を遂げるか、無残な意味のない死か――好きな選択肢を選ぶがいい。

 

 

 

 にたりと、闇が笑った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

覚悟の表れ

 

 

 

「あら、ヘーマさん起きたの」

 

 

 目を覚ました俺の視界いっぱいに、微笑む美少女が映りこんでいる。

 

 一体何事かと数秒思考が停止したが、よく見れば黒髪ロングのカツラを被ったトリッシュだった。そして何故か彼女に抱えられている俺……側頭部にあたる柔らかさから全力で意識を逸らしつつ、無言で自身の手を見れば無情にも見覚えのある小ささ……なして俺は元の大きさに戻っているのか。

 

 トリッシュは俺を抱きかかえ、一人きりで歩いているみたいだ。ディオ達は、襲撃してきた彼等はいったいどうしたのだろう。

 

 

「目が覚めたならよ~、ちっと現状を伝えたいんだが、いいか?」

 

 

 近くで聞こえた男の声に目線を動かすと、手乗りサイズの成人男性を見つけた。

 目を凝らしたり擦ったりしても、その姿は消えることはない。なるほど、幻覚ではないようだ。

 

 

「妖精……いたんだなぁ」

 

「……。思ったよりファンタジーアな思考してんな、アンタ」

 

 

 憐憫をたっぷり含んだ視線に、ほっとけと口を引き結ぶ。吸血鬼が存在するのだから妖精がいたって良いだろうに。むしろスタンド使いこそがファンタジーアだ。

 

 むくれる俺に苦笑して、小さな男はホルマジオと名乗った。スタンド能力は見たとおり小さくする事らしい。相手を無力化するという点は、アレッシー同様の能力だ。

 そんなホルマジオと俺とトリッシュの三人で行動している理由は、目立たないためとのこと。

 

 

「いやいや、待て。なんでホルマジオが一緒に行動しているんだよ、襲ってきた側だろ」

 

「あー、最優先事項の摺り合わせの結果だ。まずはボスを倒してからだな」

 

「ボスを倒したら何が起こるんだ……」

 

 

 曖昧に笑う彼を見ていると、どうしてだろう……悪戯好きなウチの子達が浮かび上がるんだ。

 俺の意識がない間に、何かしらの取引があったのだろう。今の所敵ではないのならば、とりあえず気にしないでおく。問題の先送りだが。

 

 

 姿が見えない残りの三人は、彼等のリーダーと連絡をとり、合流場所の手配を行っているらしい。ゾロゾロと野郎がついている女は目立つだろ、と笑うホルマジオに俺は重々しく頷いた。好意的に見ても訳ありの集団です。

 

 最後に俺が元の姿になっている理由だが――。

 

 

「どう考えても目立つだろ、アンタの容姿」

 

「否定したくてもできない……ッ!」

 

 

 トラブルを呼びやすい、ディオに似た俺の容姿。実害は二回だが、潜在的なものは数知れず。パッショーネ側にも顔が割れているとなると、変装するしかない。

 

 

「その姿と女装の二択だったけどよー、余計な虫が寄ってくるだろうから、ガキの姿を推しといたぜ?」

 

「ほんっとーにありがとうッ!」

 

 

 おそらく女装を推しただろう、家の子達には後でじっくり話を聞くとして、止めてくれたホルマジオに感謝の念を贈る。

 

 まあ、本体の姿に戻ることは、俺にとって都合が良い。連日成人姿になっていた為、疲労が蓄積されている。ディオはともかく、ジョナサンの身体が負傷していることもあり、できるだけ体力は残しておきたい。

 

 

「トリッシュ、重くないか」

 

「二歳の子供の重さくらい平気よ」

 

「それでも結構な重さはあるだろう。自分で歩くから下ろしてくれ」

 

 彼女はしぶしぶ俺を下ろす。地面に足を着けた俺は、一歩前に踏み出した。

 

 

 ピコ、と音が耳に届く。

 

 驚きのあまり、そのままの体勢で固まると、それ以上謎の音は聞こえてこない。俺はじっと自身の小さな足を見下ろす。

 

 

 一歩、足を踏み出す。ぴこ、と音が鳴った。

 

 

 しばらく足を動かさないでいると、音もまた聞こえてこなかった。

 

 

 今度は三歩進んでみれば、ぴこぴこぴこと、連続される気が抜ける音。

 

 

 最後に、走り出した俺の足音とユニゾンして鳴り響く涙を堪えられない事実に、俺は膝から崩れ落ちて両手を地面についた。

 

 

「……あのよ~、歩幅も小せぇし、やたら音も鳴るからよ――諦めたほうがいいんじゃあねーか」

 

 

 俺の肩にしがみついていたホルマジオに、涙目で頷いた。

 

 ピクテル、後で覚えておけ。

 

 

 

 

 表通りから一本隣の道を、楽しそうなトリッシュと、落ち込む俺と呆れるホルマジオが進む。歩いているのトリッシュだけだがな!

 

 

「もう、ヘーマさん……落ち込んだ小さい子って目立つわよ」

 

「嬢ちゃんよ~、トドメ刺すのはそれくらいにしといてくれや。――来たようだぜ」

 

 

 少し堅い声を出したホルマジオに、俺はさり気なく視線を周りに巡らす。しかし、誰かの姿は見えない。気づかれるからキョロキョロするなとたしなめられた。

 まさか彼も気配を感じ取れるビックリ人間かと尋ねれば、見られてるってわかるだけだと返された。それでもすごいと思うけれど。

 

 共に行動するにあたって、ホルマジオは組織が追っ手として選びそうな人物達を教えてくれた。スタンド使いを増やすことが可能な「矢」を所持しているパッショーネといえど、戦いに向いた能力ばかりではない。本人の素質によっては戦闘も可能となっている者もいるが、それでは本職には負けてしまう。

 

 

 そんな数少ないスタンド使いを一手に率いているのが「ポルポ」という幹部であり、先日自殺した男だという。

 

 自殺の理由こそ不明だが、幹部である彼の葬式に姿を現さないチームがひとつあった。それは「ブチャラティ」という青年が率いるチームだった。

 ポルポの直属の部下である彼らが、葬式に出てこないということは本来ではありえない。構成メンバーは五人、そして全員がスタンド使いだろうとホルマジオは言っていた。

 

 成人姿になろうか、と俺が呟けばホルマジオは首を横に振る。まだ確定されたというわけじゃあねーしな、と彼は笑う。

 

 

「ブチャラティは縄張り内の評判が滅茶苦茶良い。とくに女子供に対してはな。チームのメンバーもそれに影響されている奴らばかり。今の姿の方が油断も誘えるってもんだ」

 

 

 それで様子をうかがっているのか、となかなか襲ってこないことに納得する。成人姿ならとっくに攻撃を受けているのだろう。流石イタリアーノ……俺が知っているイタリア人、シーザーとレオーネだけだから、印象が偏っている気もする。

 

 

「――走れッ!」

 

 

 友人を思い浮かべていた緩んだ思考に、鋭い声が渇を入れる。そんな俺とは違い、弾かれるように駆け出したトリッシュ。彼女の肩越しに先ほどまでいた場所を見れば、地面にジッパーで囲まれるように穴が空き、そこから黒髪の男がこちらを見たまま這い出ていた。

 

 男と目が合う。失敗による焦りや動揺が一切現れていないその目に、まだ彼らのターンが終了していないことを悟った。

 

 

「ピクテル、俺を戻せ!」

 

 

 男の足に少女であるトリッシュが、まして俺を抱えたままの彼女が勝てるわけがない。ピクテルは頷き、俺の襟を掴んでキャンバスへと放り込んだ。即座に外に出され、トリッシュの横を走り出した俺は、自身の違和感に気づく。

 

 ――いつもより視線が低い。

 

 トリッシュと変わらない身長に、デニムの七分丈のパンツにカーキ色のミリタリーシャツ……但し、デザインは細身のもの。最後にちらちらと視界に入る、明らかに元より長い黒髪。

 

 ……おい、なんで俺女装させられてんだ。

 

 どういうつもりかと足を動かしたまま実行犯を睨むと、女子供には優しいみたいだから、と返答された。彼女なりに心配した結果らしい。

 

 

「似合っているわよ?」

 

「やめてくれ」

 

 

 怒るに怒れず、深く息を吐く俺に、トリッシュが笑う。情けない顔で笑うしかない俺は、息が上がってきた彼女の手を引いて走る速度を上げた。

 

 

「おい、ヘーマ。後ろの奴をどうにかしねーと、いたちごっこだぞ」

 

 

 後方を見上げると、ラジコンサイズの青いプロペラ機が一定速度でついてきている。遠隔操作型だろう、これは面倒なことになった。

 

 撒き方を思案している俺の腕を、トリッシュが強く引いた。たたらを踏んだ俺の前を、三発の銃弾が通り過ぎ、建物の壁と地面に穴を穿った。うわ、あぶな。

 

 足を止め、壁に埋まった弾痕の角度から発砲元を辿ると、どうやっても壁にあたる。

 

 これも能力か、と苦い顔をする俺の後ろで、興味を引かれたのかトリッシュが地面に減り込んだ弾丸を見下ろしている。

 

 あまり近づかないようにと彼女に告げて壁から離れたとき、かすかなひび割れる音を壁と地面から聴いた。

 

 

 咄嗟に、右手を突き出す。

 

 

 俺の手は、先にいたトリッシュを突き飛ばした後、地面から伸びた何本もの蔓に何重にも巻きつかれ、拘束された。腕だけではない、首も、胴体も足も、蔓を外そうとした左腕も、時間が経過するにつれ俺の身体は蔓に覆われていない場所の方が少なくなっていく。

 

 

「ヘーマさんッ!」

 

「くるんじゃあないッ!」

 

 

 俺を助けようとしたトリッシュを制する。動きを止めた彼女に、安堵の息を吐く。この蔓が追っ手のスタンド能力であることは疑いようもないが、いまだ巻きついてくるところを考えれば、近づけばトリッシュも捕まるだろう。

 

 

「逃げろ、トリッシュ」

 

 

 俺は何とかなるから大丈夫だと笑みを見せれば、トリッシュは信じられないことを聞いたとばかりに目を見張った。

 

 

「ホルマジオ、トリッシュを頼んだ」

 

「いいのかよ、俺らに預けてよ」

 

「すぐに迎えにいくからな。今は置いていけ」

 

 

 俺の身体を拘束しているのは、硬いと云えどただの植物だ。力任せに引っ張れば、抜け出せないこともない。ただ、それによって建物の壁に致命的なダメージを与えることになれば、この場に俺以外の人間がいることは危険だ。

 

 巻きついてくる蔦の動きがゆっくりしたものとなる。もう少し待てばいいかと、蔦の様子を窺っていれば、俺の前方に立ちすくんでいるトリッシュが、何か呟いたのを聞いた。

 

 

「――トリッシュ?」

 

「……置いてくなんて、出来るわけないでしょうこの馬鹿ッ!」

 

 

 叫びながら、俺の身体に巻きついた蔦に掴みかかり、引きちぎろうとする彼女。その瞳は憤怒で爛々と輝いていて、俺は思わず息を飲んだ。

 

 

「お前の力じゃあ無理だ」

 

「うるさいッ! ヘーマさんはあたしと一緒に逃げるのよ、ただでさえうっかり者のオッチョコチョイなあなたが逃げ切れると思っているのッ!?」

 

「え……そんなに俺信用無いのッ!?」

 

 

 蔦は生長は終了したのか、トリッシュに巻きつくことこそしないが、俺をがっちりと拘束して離さない。蔦を掴んでいるトリッシュの指から、血が流れていることに気づいて、俺はやめさせようと口を開いた。

 

 

 だが。

 

 

「嫌なのよ、もう失うのは……家族が居なくなるのは嫌ッ! 絶対に、一緒に連れて行くわよッ!」

 

 

 浮かんだ涙に、俺の喉は言葉を発することを忘れてしまった。

 

 

「この……ッ、少しは柔らかくなりなさいよ!」

 

「いや無茶な……あ?」

 

「え?」

 

 

 植物独特の頑丈さに苛立ったトリッシュが悪態をついたあと、今までビクともしなかった蔦がぐんにゃりと呆気なく緩んだ。

 

 いや、正確に言えば伸びた。引き伸ばされた蔦は、先ほどとは違いあっさりと俺の腕から外れた。

 

 ふと、目を丸くしているトリッシュの背に、俺は人影が佇んでいることに気がついた。

 

 背後に気づいたトリッシュと、なにやら言葉を交わしている人影を表すとすれば、女性だろう。人間とはいえない、だが四肢を持ち目と口が確認できる人影は、女性に近いシルエットをしていた。

 

 

 まさか。いまここで、彼女がスタンドに目覚めるなんてことが。

 

 

「――そう、つまり……殴ればいいのねッ」

 

『ソウデスッ!』

 

 

 スタンドは俺に――正確には巻きついた蔓に向かって拳をふるう。全体的に柔らかくなった蔓は、まるですり抜けるように俺の身体を地面に落とした。

 

 目を丸くしてしゃがみこんだ俺の前に立ち、トリッシュは手を差し伸べる。

 

 

「次……置いていけなんて言ったら、ブッ飛ばすわよ」

 

「はは……了解」

 

 

 逞しいことだ、と気の抜けた笑みを浮かべながら、俺はトリッシュの手をとった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

追いかけてきたもの

 

 

 トリッシュに手を引かれながら通路をひた走る。スタンドが目覚めたことで気合でも入ったのか、先ほどまでの疲れた様子を見せず、彼女は真っ直ぐ前を見て走っていた。

 

 そんな眩しい後姿を見ていたが、俺は少しだけ、視線を逸らす。

 

 

『嫌なのよ、もう失うのは……家族が居なくなるのは嫌ッ!』

 

 

 先ほど、トリッシュが叫んだ言葉は、嬉しかった。

 

 二月ほどしか付き合いのない俺を、身内として見てくれた。失いたくないと思ってくれたことは、俺の胸を温かくした。

 

 

 けれど、どうやら俺は……フラれてしまったらしい。

 

 

 保護者のように振る舞ったのがいけなかったのか、そもそも告白していないこと自体が拙いのか。

 あの雨の日に傷ついた彼女を見て、口説くことができなかった――――傷心につけこむことができなかった、俺の良心を罵ればいいのか。

 

 家族と言われて、もう失いたくないと泣かれて。

 

 ここからでも手を出すことができるような、俺がそんな性格だったらよかったのに。

 

 

 わずかに顔を俯かせた俺を、トリッシュが呼ぶ。

 

 

「どうした?」

 

「ひとつ、あのラジコンを撒く為にやってみたいことがあるの……いい?」

 

 

 何故かおずおずとした様子を見せるトリッシュに、俺は首を傾げる。何を戸惑っているのかわからないが、やってみるといいと告げれば彼女は頷いた。

 

 そして、おもむろに民家のドアノブを握り締める。

 

 

「――って、マジか!」

 

「邪魔するわよ」

 

 

 幸運にも施錠されていなかったドアをくぐり玄関を抜け、お食事中のダイニングを通り過ぎて、その先の階段を最上階まで駆け上がる。ある部屋に押し入ったところで、ホルマジオがトリッシュの肩から飛び降りていた。

 

 どうやらここで一旦別れるつもりらしい。素早く身を隠した彼に気づくのは難しいだろう。

 

 トリッシュはといえば、ベッドの上で呆気にとられている二人の住人を無視したまま、ガタガタと窓を開けている。

 

 

「あの、もしかしてトリッシュさん?」

 

「飛ぶわ」

 

 

 腰が引けている俺を抱き寄せ、彼女は躊躇なく窓枠を蹴って飛び出した。ちなみに、ここは四階である。

 

 慌てる俺をしり目に、トリッシュは冷静にスタンドで地面を殴りつけ……柔らかいクッションとなったそれに俺達は着地した。なるほど、飛び出したのはこれがあったからか。いやいや、スタンド能力を目覚めたばかりで使いこなせていることが驚きだ。

 寝込んだ俺とは大違いである……物凄くパワー型のスタンドのようだし。

 

 

 建物を使えば追っ手を撒けるのでは、という期待は、残念ながら外れてしまったらしい。

 

 

 少し先に、青いラジコンが浮いている。もしかして、身体のどこかに発信機とかつけられていないよな? 遠隔操作型と言えど、本体と感覚が繋がっているはずだから、何らかの方法で俺達を認識しているはずなのだが……建物の中に入ってもダメか。

 

 俺はトリッシュの手を取って走り出す。これは早々に町を出たほうがよさそうだ、スタンドは本体から離れられる限度はある。こちらの逃げる速度が上がれば、撒くことも可能だろう。

 

 

 次第に建物の高さが低くなり、家と家の間が広くなっていく。ホルマジオの話だと、この先に指定のナンバーの車が止めてあるとのことだ。

 

 そこまで走り切ってしまおうと速度を速めたとき、前方に人影が見えた。

 

 

 待ち伏せか、と人影を睨み付け――――俺は、既視感を覚えた。

 

 

 

 目の前に立つのは、金髪碧眼の青年。

 

 静かに佇み、こちらを見つめる彼は動こうとせず、スタンドの姿も見せない。

 

 

 ただその顔立ちが、その目が、その色が……俺の記憶にひっかき傷を作っていく。

 

 

 いつの間にか、俺は立ち止まっていた。

 逃げなければいけない。トリッシュを連れて、この町を出て、ホルマジオ達と合流しなければいけない。

 

 目の前の青年を、振り切ってしまえばいい。

 

 

 なのに、俺の脚は動かない。

 

 

「ヘーマパパ」

 

 

 俺を呼ぶ声は、記憶にあるものより低い。それでも、気づくのには十分だった。

 

 

「――ハルノ?」

 

 

 間違っているのか、正しいのか。俺が完全に理解する前に、前後左右を植物の檻が地面から伸びて俺達を拘束した。ああ――この子は俺の足止めの為に、姿を現したのか。

 

 どこかぼんやりとした思考で、姿を現す追手の男たちを見つめる。

 

 どうして、ハルノがトリッシュの追手になっているのだろう。思考が空回りしていることを自覚するが、それを止めることが俺には出来なかった。

 

 

「ヘーマ・ナカノとトリッシュ・ウナで間違いないな?」

 

 

 背後から、落ち着いた声音で問いかけられる。だが俺は彼を振り向かず、ただただハルノを見つめるだけ。

 

 

「ジョルノ」

 

「ええ、彼は間違いありません」

 

 

 背後の男は、ハルノのことを『ジョルノ』と呼んだ。

 

 ジョルノ。

 

 ジョルノ・ジョバーナ……あの漫画の、主人公の一人の名前だ。

 

 

 久しぶりに――酷く久しぶりに思い出した。あの漫画でジョルノが主人公の舞台は、たしかイタリア。どうして思いつかなかったのだろう、ジョースターの血を引く彼が、巻き込まれないはずがなかったというのに。

 

 見る限り、ハルノはパッショーネに所属している。そうでなければ、俺達を追ってくるはずがない。どうしてギャングに入ろうとしたか、今までの彼を知らない俺はわからない。

 

 

 頭が働かない。こんなサプライズは本当に勘弁してもらいたい。

 

 それでも、俺は――――。

 

 

 ドン、と背中を突き飛ばされるような感覚が最初だった。

 

 

 次に胸を貫くような痛みと、口の中にこみ上げる生温い液体。

 

 目を見開き青ざめるトリッシュと――――そっくりな表情のハルノの顔。

 

 

 力が抜け崩れる身体を、後ろから伸びてきた腕が支え、俺は地面に倒れることを免れる。白いスーツを辿れば、後方を睨みつけている青年の顔。襲撃の最初に目が合った青年だった。

 

 

「ナランチャ」

 

「おうッ! ……くそ、呼吸の反応が多いッ」

 

「狙撃手が複数いるはず。ミスタ、わかるか」

 

「あの丸い窓の屋上だな」

 

 

 撃たれたのだと、胸元から溢れる赤い血でようやく気付いた。

 

 見回す為に顔をあげると、引き攣った顔のトリッシュが目に入る。ああ、また泣きそうになって。視界の端で、周りの植物の檻が枯れていくのが見えた。

 

 

 彼らが周囲の確認をしているということは、俺を撃った犯人は追手の彼らとは別口らしい。ホルマジオ達以外にも、追手がいたのだろうか。

 

 それならば、俺達が捕まる前の逃げている最中の方が、より捕まえやすかったはず。いいや、トリッシュが目的なら、拘束された俺をわざわざ撃つ必要があるのだろうか。

 

 

 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。

 

 狙撃者の狙いが、元々俺だとしたら。

 

 

 俺を狙うような犯人に、心当たりはなかったか?

 

 

 歯を食いしばって手足に力を入れる。胸から血が噴き出す事など、今は意識の外に置いておけ。起き上がった俺を押しとどめようと、細い腕が触れた感触を振り払い、前へと足を踏み出す。

 

 

 標的が俺なら。次に狙われるのは――――。

 

 目を丸くする息子に笑みを向け、まだ細身のその身体を覆うように抱きしめた。

 

 

 

 二つ、響く銃声の音。

 

 

 

「……ヘーマ、パパ?」

 

 

 呆けた様子で呟くハルノの声に、俺は腕の力を少し緩めた。

 

 怪我はないか、と尋ねると、ありませんと返ってくることに安堵する。背中の熱さなど吹っ飛びそうなほど、ハルノに何もなかった事に深く息を吐いた。

 

 

「元気そうで、安心した」

 

「――ッ」

 

「見つけるのが遅くて、ごめん……な……」

 

 

 襲ってきた眠気に目を閉じ始めた俺に、叫ぶような声がかけられるのを遠くで聞く。

 

 悪い、大丈夫だと伝えたいが眠すぎる。後で説明するからと内心で詫びながら、俺の意識は深く沈んでいった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「やだ、起きて! 目を覚ましてよヘーマさんッ!」

 

「揺するんじゃあない! 手当てをしなければ彼は本当に死ぬぞ!」

 

 

 動揺してヘーマの身体を揺するトリッシュを、黒髪の青年――ブチャラティが制止する。三発の銃弾が撃ち込まれたにしては、出血の量が少ないことに彼は気づいていたが、余計な負担は減らした方が良い。

 

 

「僕がみます」

 

 

 ゴールド・エクスペリエンスを出現させたジョルノに任せ、ブチャラティはトリッシュの手を取って近くのブロックに座らせた。

 

 今回の任務を受けた後、移動中の休憩時間にジョルノは追う対象が自分の父親同然の相手だとメンバーに話した。勿論ジョルノが組織と敵対している者と通じているのではないか、そう疑心を大半のメンバーが持つのは当然だった。

 

 しかし、それでもブチャラティはジョルノを信じた。

 

 それは他より彼の覚悟を知っていたためでもあるが、それよりも『ボスの秘密』を知っているかもしれないヘーマから、何か情報が得られないかと考えたためでもあった。

 

 ヘーマとボスの娘であるトリッシュを追って分かったことは、彼が外見年齢を変えられるということと、何者かに狙われているということ。

 

 狙われる対象には、ジョルノも含まれているということだった。

 

 

「これからどうするんだ、ブチャラティ」

 

 

 集まってきたメンバーの一人、アバッキオがしゃがみ込んでいるジョルノを一瞥する。まずはボスの娘の奪還を優先していたため、その後どうすればいいかの指示はなかった。

 数日後にはボスからの指令が届くだろうが、それまでは姿を隠さなくてはいけない。

 

 

「まずはこの町を離れる。彼の治療が完了次第、出るぞ」

 

 

 意識のない彼が何を知っているのか、それを聞きださなければならない。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

掌からこぼれる

 

 

 顔を擦られる湿った感触に目を開ければ、くりくりとしたつぶらな目が視界に映る。俺が起きたことに気づいたのか、それは少し後ろに離れ、もふもふの薄茶の毛並みと三角の耳が確認できた……どうやら子猫に舐められていたらしい。

 

 みぃ、と鳴く子猫達はサリサリと俺の頬や鼻を舐めたり、小さなあんよで俺の頬をつついたり、スリスリと首にすり寄ったり……なんだ、ここは楽園か?

 

 顔の前で人差し指を円を描くように動かしてみれば、はっしと華奢な前足で掴まってくる。俺がにゃーと鳴き真似をすると、子猫達は返事をするかのようにみゃあと鳴いた。

 

 

 ああ、可愛い。

 

 

 しばらく子猫達と戯れていると、寝ぼけてぼんやりとした頭がようやく動きはじめる。……はて、なにやら眠る前になにか重要なことがあったような。

 子猫を抱えたままゴロリと寝返りをうてば、こちらをじっと見つめる黒髪の青年と目が合った。

 

 

 ビシリと固まる俺。

 

 

 よく見れば青年の他に、知らない顔ぶれが四人、ハルノとトリッシュ、そして少年サイズのジョナサンとディオ。その場にいる全員が俺に視線を向けていた。

 

 一気に、眠る前の記憶が戻る。そうだよ、俺撃たれて気絶したんだよ。痛みがないってことは治療してくれたのか、マジ有り難いけども、意識がなければ当然連れて行かれますよね、ヤバい此処どこだ。そしてこの子猫達はどこから……ああ、ピクテルが出したのか。

 

 

 まて、それより、もしかしなくとも、今の一連の俺の様子を。

 

 

「…………、……、…………み、てた?」

 

「……猫好きなんだな」

 

 

 言葉がなかなか出てこなかった俺を哀れんだのか、少し躊躇しつつ湾曲的に青年は返答した。

 

 手のひらで顔を覆う。見られてた、子猫にメロっているところを初対面の人に見られてた。うう、あながあったらはいりたい。

 

 

「ピクテル俺を絵に戻して」

 

『させるか馬鹿者』

 

 

 いたたまれなくて逃避を選択した俺の肩は、ディオの声が耳に届くと同時にガッシリと掴まれた。

 

 無駄に行動が素早いな、と投げやりに感心していると、対面のソファーに腰掛ける彼等が、驚愕に彩られていることに気がついた。

 

 何を驚いているのかと振り返れば、俺を見つめるディオと――その後ろに佇む黄金色。

 

 その二つの目が、俺を捉えていた。

 

 

 それは、久しく見なかった姿。数多のスタンドのなかで、おおよそ太刀打ちできないその反則的な能力。

 『時を止める』スタンド、ザ・ワールドが其処にいた。

 

 何故、と動いた口を読み取ったのか、ディオは口角を吊り上げた。

 

 

『お前が死にかけているからだ』

 

 

 告げるディオの目が笑っておらず、怒りを湛えているのが見える。

 

 

『ヘーマの生命力が弱り、封印が外れかけているんだ。だからディオはスタンドを使えるようになったし、僕は世界に干渉出来なくなった』

 

 

 声の方向に視線を寄越せば、ジョナサンの身体が透けて、背後の景色がうっすらと見えている。まるで、ディオの屋敷で再会したときの彼のように。

 

 

「どうして……俺は、怪我も治って」

 

『治ってなどいない。表面を塞いだたけだ。スタンドをいくら治療しても、ヘーマの本体には意味がない』

 

 

 あくまでもお前の身体は、三発の銃弾に耐えられない――二歳児のものだ。

 

 

 彼の声を耳で聞きながら、俺は胸に手を置いた。眠る前にあった傷はなく、痛みも残っていない。だが、キャンバスの中の身体は、傷ついたままだという。

 

 

 以前、吉良に与えられた傷は今よりももっと重傷だった。いや、今回は心臓を撃ち抜かれているため、そう変わらないかもしれないが。

 

 ただ、あの時は右手を奪われ能力が使えず、ピクテルも仮面の姿しか見せていなかった。怒りに支配されていた感情は、スタンドの身体の良いエネルギーになっていたのか……思えば俺は異様に元気であった。

 

 

 仗助くんに治されると、パーツさえ揃っていれば完治する。その恩恵に頼りすぎた俺は、自身の限界も見誤っていたのか。

 

 

『仗助の能力は精神力や体力すらも元に戻す。あの優れた能力のお蔭で、ヘーマはあの時助かった』

 

 

 道理で、倒れたのに省エネの本体の姿へと戻されていないはずだ。

 

 今戻せば、助からないと二人は判断したのだろう。

 

 

「どれくらい保つ」

 

『せいぜい四日だろう』

 

「なんだ、わりと保つな」

 

 

 もう少し短いかと思った、と俺が笑えば、額に衝撃を受けた。デコピンの犯人は、いつの間にか側へ寄ってきていたトリッシュだ。勿論……お怒りである。

 

 ゴゴゴゴ……と、効果音がバックに見えるのは俺の目の錯覚だろうか。いや、パワーはすでにトリッシュの方が上だから、直接対峙すると俺の方が弱……いやいやいや、まだ諦めるな。経験の差はたぶん影響するはず、逃げに徹すればきっと……!

 

 

「ヘーマさん」

 

「はいッ!」

 

 

 寝ていたソファーの上で正座し、背筋を伸ばした俺を、青年達がギョッとした目で見ている。流してくれるとありがたい。

 

 しかし、トリッシュは怒ると益々声が美喜ちゃんにそっくりだ。思わず反射的に正座するくらい。

 

 

「簡単に現状を伝えるわ」

 

「は」

 

 

 口から漏れた音に彼女がじろりと睨む。はい、黙ってます。

 

 

「襲撃してきた犯人には逃げられたの。……ヘーマさん達とそこのジョルノの関係は聞いたわ。驚いたけれど、今は重要じゃあないから横におくわよ」

 

「うん」

 

「ブチャラティ達が私達を追うのは、彼等のボスである私の父親の指示だそうよ。彼等としては、ボスに私を受け渡したいようなのだけれど」

 

「却下。ギャングに娘を利用されないために、ドナテラさんから後見人を頼まれたんだぞ」

 

「……ママったら。私も生まれる前から音信不通の父親の元なんか御免よ」

 

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らすトリッシュに、仗助くんが重なった。うわ、ジョセフは本当によく和解してもらえたな。同性が異性かの違いはあるだろうが、仗助くんの優しさにもっと感謝してもいいと思う。

 

 ふと、音信不通の父親は俺達にも当てはまるのではないか、と思考が行きつく。

 

 

「……ハルノも、音信不通の父親の元は嫌か」

 

「なに泣きそうになっているんですか。嫌ではありませんよ……ただ、僕には夢があるので」

 

 

 貴方と共には行けません。

 

 

 真っ直ぐに躊躇いなく言ったハルノは、ディオにもジョナサンにも似ていて、俺は十三歳の彼等を思い出した。

 

 目の前で、少年から男に変わったあの時を。

 

 

「もう、大人になっちゃったんだなぁ」

 

 

 ハルノはもう子供ではない。ウンガロ達とは違い、既に自分の意思で道を選べるようになった。

 

 十二年も離れていればそういうことも有り得ると、俺は心のどこかで気づいていた。なりふり構わずハルノを迎えに来ていても、彼は俺の申し出を断っただろう。

 

 自らの道を違えない、二人の父親を見ているようだった。

 

 

「なら、ここからはお前を一人の大人として扱おう」

 

 

 ハルノに向けていた微笑みを消し、ブチャラティと呼ばれた青年に向き直る。

 ホルマジオの情報ではブチャラティのチームは彼を入れて五人だが、この場には六人もいる。明らかに新しい追加メンバーはハルノ、ならば新米の彼に交渉権はほぼない。つまり、相手にする必要がない。

 

 

「こちらが出す選択肢は二つ。このまま俺達を見逃すか、ボスを裏切るかだ」

 

「おい、テメェ自分の立場わかってんのか? 選択肢を出すのはこっち――」

 

「わざわざ俺を治療してまで生かしたんだ、多少は頭をよぎっただろう? ……俺が、何を知っているか」

 

 

 口を挟んだ長髪の青年に反応を返さず、ただブチャラティを観察する。動揺は見えない。無表情で、俺を見返すのみだった。

 

 

「知ろうとすれば殺されるらしいな。興味はないか? まあ、選べる時間はあまりない事だけ伝えておく」

 

 

 俺の肩をつつくピクテルが差し出すものを受け取る。なんだこれ、櫛と鏡とヘアゴム? 何するつもり……俺の髪を結いたいってか。いいけども。

 

 手鏡の持ち手を掴んで支えていると、ジョナサンをしまったピクテルは、嬉々として俺の髪をいじり始めた。……あの、あまり髪飾りを出すと俺が生命力不足で本当に死ぬからね? 自重してくれよ?

 

 青年達の反応は様々だ。俺を睨みつける者、ちらちらとブチャラティの反応を伺う者、さり気なく銃を手に取った者、周囲を警戒する者……随分とリーダーを信頼しているようだ。

 

 俺の髪型が高めのポニーテールとなったとき、時間だ、と口にした。

 

 

「よく話し合って選ぶといい。ボスの名前、ボスの能力……知りたかったら聞きにこい」

 

 

 意地悪げに笑い、バチンとウインクする。腰を上げる青年達を尻目に、俺とディオにトリッシュは鏡に飲み込まれた。

 

 

 反転した室内に俺達以外の人影がある。左右に髪を分けて結んだ、先日会ったばかりのスタンド使い。

 ピクテルが差し出した鏡は、用途は元々脱出の為のものだ。鏡だけだせば警戒されるが、複数まとめて出してしまえば使用方法を誤解させられる。

 

 ……いつもこれだけ真面目に動いてくれればいいのに。

 

 

「青年がお迎えか」

 

「ああ、リーダーの元へ案内する」

 

 

 部屋の一角がキューブ状に崩壊していく。どうやら最初の実体化しているスタンドが、ブチャラティチームを襲っているようだ。

 

 穴から外に脱出した俺達は、町の外にむかって走り出す。ディオに担がれている俺は、騒音が絶えない民家を距離が遠くなるまで見つめ続けた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不意打ち

 

 鏡の世界を作り出すスタンドの青年こと、イルーゾォに連れられて、俺達は小さめの民家の前にいた。彼の鏡の世界にいるため、後をつけられる可能性はとても低いだろう。

 

 イルーゾォが玄関の前に立つと内側から扉が開いた。鏡の世界にいるため俺達には見えないが、家の中にいた者が開けたのだろう。扉をくぐり、玄関の壁に飾ってある姿見から、現実世界へと戻った。

 

 玄関ホールを抜けてリビングへと進めば、其処には六人の男がソファーや机に腰掛けていた。知った顔はホルマジオだけだが、前回の襲撃した残りの二人もいるのだろう。軽く手を上げるホルマジオに、ひらひらと手を振って返した。

 

 そんな俺達に舌打ちして、馴れ合ってんじゃあねえよと悪態をつくメガネをかけた青年。わぁ、見事なツンツンしている青年だ。まじまじと見つめていれば、ギロリとガンを飛ばされた。警戒心の強い猫みたいだな。

 

 物騒な雰囲気の男達の中でも、ソファーに座っているフードを被った人物は、異様だった。

 

 俺でも分かるくらい、存在感がない。警戒していなければ、隣に座られても気付かないかもしれない。

 

 スタンドの能力だけに頼った暗殺者とは格が違う……男の正面にディオは腰を下ろすと俺をその隣に座らせた。足を組む彼は少年の姿だというのに、凄まじい威圧感を放っている。身構えた彼等を見てニヤリと笑ったあたり、この状況を楽しんでいるようだ。非常に頼もしい。

 

 

『自己紹介は必要か?』

 

「不要だ」

 

 

 いやいや、俺はそっちの紹介は欲しいぞ。知っているのはイルーゾォとホルマジオだけだというのに。

 

 

「俺はし」

 

『後にしろ。さて、保留にしておいた返事を貰おうか』

 

 

 そっけなくあっさりと却下された。ディオの横顔を睨みつけるが、こちらを見もしない。この野郎。

 いったい何の返事なのか。いつの間にか彼らと取引をしていた様子のディオから、視線をホルマジオに移す。あの時含みをこめた言葉を告げていた彼は、苦笑いをしていた。……ディオは何を言ったのか。

 

 

「返答の前に聞きたい。お前たちは何故ボスの情報を利用する」

 

『生け捕るためだ』

 

「それはお前だけの目標だろうが」

 

 

 もはやボスを生け捕ることを隠すこともディオは止めたらしい。そんなにスタンドの研究がしたいのか、真面目というのか執念深いというのか。ツッコミすら流され反応してもらえないと不貞腐れる俺の前に、スケッチブックが差し出された。犯人はもちろんピクテル――今は仮面の姿の彼女である。

 

 これを見ろということか。コクコクと頷いている彼女の勧めに従い、俺は表紙を開き――――

 

 

「ブハッ」

 

 

 ウエディングドレス姿のブチャラティが目に入り、堪らず噴出した。周囲から刺すような視線が向けられるが、口元を押さえて笑い声が出ないように耐えている俺には気にする余裕がない。

 

 片手が塞がった俺の変わりに、ピクテルが親切にもページをめくっていく。長いフランスパン並みの銀髪のリーゼントで長ラン姿の青年や、ダボダボセーターに膝上プリーツスカートの黒髪の少年。ビニル製の安っぽいタイトなミニスカの警察っぽい――だめだ……顔が良い分、気味の悪さより滑稽さが際立つ。

 

 いつのまにか覗き込んでいたのか、トリッシュが顔を伏せて肩を震わせている。

 

 

「――なんつーもんを描いてんだよ、オイ」

 

 

 それはそれは低い声で、嫌そうな顔で覗き込んだスケッチブックを指差すホルマジオ。そこにはフリルとリボンを贅沢に使用された、ピンクが主体のひらひらとした服を着た彼がいた。タイトルをつけるのなら、魔法少女(笑)ホルマジオ……これはひどい。

 

 他にはあるかとピクテルに尋ねれば、仮面を横に振る。どうやら描けているのはここまでらしい。リクエストを求められ、訝しげな顔をする面々を一通り見て……よしと頷いた。

 

 

「イルーゾォでバニーで」

 

「おー、いけいけ」

 

「一体何のことだ、まて、説明しろッ!」

 

 

 巻き添えが増えることを喜ぶホルマジオと、自身の名前が出て不安を煽られたのか、近づいてくるイルーゾォ。けらけらと笑いながらまっさらなページを開こうと、スケッチブックをめくった先には、すでに絵が描いてあった。

 

 それは、割烹着姿の――。

 

 

 手元にあったスケッチブックが消え、視界が傾き壁と天井の境が良く見える。頭の左を通るしなやかな腕から伸びる白い手が、力強く俺の顎を掴んでいる。

 

 

『――私が、気を利かせて交渉している横で、随分と楽しそうでなによりだ』

 

「そ、そうかな」

 

 

 耳元で、勤めて冷静に出された声に、俺はびくりと身体を震わせる。

 

 

『しかし、おかしいな。以前捨てろと言ったこの絵が、何故ここに存在するのか……勿論、この私に教えてくれるのだろう、ヘーマァ?』

 

 

 ディオの手でめらめらと燃える紙に描かれているのは、以前ディオの館で俺がノリで描いた割烹着で掃除しているディオの絵。見つかったその日に処分されたはずのものだ。

 

 そう、ピクテルのバックアップ以外は。

 

 

 ピ、ピクテルさんや。このスケッチブック、もしかしてバックアップ用のあのときのもの、使っちゃったとかなのかい……?

 

 おろおろと慌てている様子のピクテルは俺の呼びかけにビクリと仮面を揺らすと、握った右手を仮面の額部分にこつんと当てた。

 

 やっちゃった、じゃあないから。それで済むような事態じゃあないから。

 

 

『そうか、そんなに私に血を捧げたいのならば遠まわしにせず早く言えばいいものを』

 

「まーったぁッ! そんなことはないからな! 今度こそ処分するから!」

 

『他のバックアップもだ』

 

「アイ・サー!」

 

 

 ちょっとピクテルー、在庫一掃で出しちゃってくれ。全部? そう、全部!

 

 落ち込んだ様子で、複数のスケッチブックからページを切り離すピクテル。そんなにあったのかと彼女の用意周到さに呆れるしかない。

 灰になっていく紙を見つめて、しょんぼりとうな垂れるピクテルに、俺は後で絵を描いてあげようと決めた。ふむ、次は何にしようか、割烹着がだめならエプロンでも。

 

 

『次はない』

 

「よーし、ジョセフでいってみようかなッ!」

 

 

 隣から流れてくる冷たい圧力に負けて、早々に白旗を振ることになった。

 

 

「リーダー、客だ」

 

 

 ずっとノートパソコンに向かって何か作業をしていた男が、手を止めて口を開いた。

 

「ブチャラティ達だ。堂々と家に向かっているようだな」

 

 

 眉をひそめるフードの男。俺達が出入りした姿を見られた可能性はほぼゼロだが、何かしらの能力で探索したのだろう。

 

 どうする、とフードの男がこちらを向いて言った。俺はそれに違和感を覚えたが、何か特定する前にディオが中に入れてやれと告げた。

 フードの男の視線を受けた、パソコンの前にいるマスクの男が、画面に向かって案内しろと言う。もしかしたら、彼が遠隔自動操縦型スタンドの本体なのかもしれない。

 

 

 しばらくそのままで待てば、リビングのドアがきしむ音をたてて開いた。

 

 

 入ってきたのは数名の男達、数時間前に別れたばかりの、ハルノ達だった。互いに警戒をしあう沈黙が、リビングの広い空間を満たす。誰も口を開こうとしないことに首を傾げ、俺はソファーの背もたれに腕と顎を乗せ、寄りかかった。ギシリと埋め込まれた骨組みが軋む音がする。

 

 

「どうして、俺達の場所が分かったんだ?」

 

 

 疑問を素直に口にすれば、ハルノの腕の中からぴょんと小さいものが飛び降りた。それは黒い子猫で、俺に歩み寄るとすり、と頭をこすり付けてきた。猫、いやこれは……俺のスタンド?

 

 

「残っていた手鏡ですよ。あなたがスタンドで出したものです」

 

「ああ、そうか……なるほど、しまったな。これじゃあ俺の元に戻ってきてしまうか」

 

 

 俺の生命力を使って生み出されたもの。もしそれに意思と動ける手足があれば、俺の場所は容易く分かってしまうだろう。現に俺のスケッチブックから生み出すゴーレムは、それを利用しているのだ。

 

 子猫をあやしながら、ちらりとディオに視線を向ける。ディオは面倒だといわんばかりの顔をしたが、小さく息を吐いた。

 

 次の瞬間には、ディオがいた場所にブチャラティが座らされていた。ディオは隣の独りがけのソファーに、腕を組みながら腰を下ろしている。驚愕と困惑と警戒が俺達に向けられるが、俺は気にせず目を見開いているブチャラティの手を取った。

 

 

「答えを、聞かせてもらえるか」

 

 

 見上げた彼の目は、困惑から瞬時に真摯なものへと切り替わる。ボスを追う理由を聞きたいと、ブチャラティは言う。なんだ、みんな聞きたいことばかりだなと俺は苦笑いした。そういえばフードの男の質問に俺は答えていなかった。

 

 

「そうだな、とりあえず……保護しないとなぁ」

 

「は?」

 

「ああ、うちのディオから。珍しい能力だからって研究したがっていてな。俺が見ていないと何をするかわからないから、真っ先に捕獲しないと」

 

 

 下手をするとプッチにDISCを抜き取られてバッドエンド一直線だ。それはあんまりにも可愛そうだ。

 

 

「保護……」

 

「ボスを……?」

 

『チッ、邪魔をするつもりかヘーマ』

 

「あのなぁ、人道的に不味いことしないって誓えるか?」

 

『……』

 

「黙るなよ……何するつもりなんだよ」

 

 

 ぽっかりと口をあけたままのブチャラティチームの面々に、唖然とした表情の反逆者チームの面々。もしかして、俺がボスの命を狙っているとでも思っていたのだろうか。失礼な。

 

 なんというか、考える方向がやっぱり物騒なんだな、と思う。ギャングという男達はみんなこんな思考なのだろうか。

 

 

 考え込み始めたそのとき、窓ガラスを割って何かが部屋の中に侵入してきた。全員の警戒レベルが引きあがり、侵入してきたものを見れば、それはバサリと羽を広げてシャンデリアの上に止まった。

 

 ホーホー、と鳴く、やけに見覚えのあるフクロウ。

 

 足に持っていたと思われる薄い本が、テーブルの上に落下してパラリとページが開いた。

 

 

 途端、全員の足元に広がる、図形の重なった魔方陣。

 

 

 目を見開いたまま、俺達は全員それに飲み込まれることになった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 誰もいなくなったリビングで、フクロウがテーブルの上の本を掴む。羽を広げて割れた窓から外に出たフクロウは、その民家から離れた場所で佇んでいる少年の下へ本を落とした。

 

 

「お疲れ様」

 

 

 少年の腕に止まったフクロウは、ねぎらいに撫でられると気持ちよさそうに目を閉じた。口元を緩めた少年は、本とフクロウを抱えて駐車場へと走った。

 

 

「レオーネ兄ちゃん、終わったよ」

 

「おー、お疲れさん。じゃあ、出発するからシートベルトをよろしく」

 

「りょうかーい」

 

 

 後部座席にある大きめのケージにフクロウをいれ、助手席に座った少年――ウンガロは楽しげに抱えていた本のページを開いた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

埋められる堀

ウンガロのスタンド名が原作とは異なっております。ご了承ください。



 

 

「ここが、ウンガロのスタンド能力の世界、ですか」

 

「ああ……」

 

「なんというか……長閑ですね」

 

 

 見渡す限り、色とりどりの花が咲いた花畑が広がる鮮やかな世界……周りを眺めるハルノの隣で、俺はこめかみをもみほぐしていた。

 

 此処に来る直前に見えた、あの魔法陣に覚え間違いがないのならば……あれはウンガロの『ネバーエンディング・ストーリー』のもの。あらかじめ描き上げた絵本の中に、見た者を飲み込む能力だ。

 

 そして絵本のストーリーをラストまで演じなくては、ウンガロが解除しない限りこの世界から出られない。前準備こそ必要だが、飲み込まれた相手の知らないストーリーであれば、脱出は不可能という凶悪な面も持つスタンドだ。

 

 

『お疲れ様、ヘーマパパ。迎えにきたよ』

 

 

 空からウンガロの楽しそうな声が響く。視線が周囲から集まって、熱いと錯覚してしまいそうだ。そしてイタリア語を話せたんだな。

 

 

「ああ、ウンガロ……もう少し穏便な方法はなかったのか?」

 

『だって大所帯になってたからさ。窓ガラスは後で弁償するよ、レオーネ兄ちゃんが』

 

「OK出したのはあの馬鹿か……まったく」

 

『いやあ、サプライズって楽しいよなッ!』

 

 

 見事ないたずらっ子に育ったウンガロに、目元を手のひらで覆う。なるほど、ウンガロ単独だと兄としてのストッパーが効かないのか。

 普段はドナテロ達のフォローに回っているから、お父さん全く気付かなかったよ。

 

 

 ウンガロ曰わく、纏めて移動させるためらしい。例え敵対していても、ウンガロのスタンド能力に捕らわれていれば、拘束も容易いからだと。

 

 

 効果は分かるが、心臓に悪いので出来れば控えてもらいたいです。

 

 

 説明しろと視線で訴えてくる彼等に、敵襲ではないことと、移動中であることを伝える。それまで各自寛ぐようにと言えば、若い面々から暇だと訴えられた。

 

 うむ、俺の体調が万全であれば、カードゲームやスポーツなどの遊具を提供するのだが。

 

 

 悩んでいると、ウンガロが新作のアトラクションで遊ばないか、と提案してきた。

 

 折角なので、強引に若い組を送り出すことにしよう。

 

 

『そうだ、賞品はヘーマパパの描いた原画にするよ』

 

「絵? おいおい、そういうお行儀よさそうなもんじゃあなくてさ、もっと……」

 

『最低価格五万ドル、リラだと八億以上はするかな』

 

「おい、やろうぜ、なッ! フーゴもいくぞッ」

 

「引っ張らないで下さい、ミスタ」

 

 

 効果は抜群だ。

 

 

 いやいや、それよりもだ。俺の絵、そんな高値で売買されてんのか。五万ドル……約五百万円か。イタリア・リラは安いから金額がとんでもなく思えるな。八億って。

 

 

『ヘーマパパの絵はアメリカの富裕層に大人気だから、もっと上がるよ絶対。さっきの値段はあくまで一番最初の価格だから』

 

『ふむ、購買層をジョセフの繋がりで広げた甲斐があったようだな』

 

『応接室の壁に絵を飾ったりね。仕事させて貰えないからって、完全にマネジメントへ熱中してるもんな』

 

 

 老後の楽しみでマネジメントされているのか俺は。

 

 

 賞品に釣られた年下組を抑える成人組も何名か参加し、出てきた扉をくぐっていくのを見送れば、草原には俺とディオとトリッシュ、ブチャラティとハルノ、フードの男ことリゾットと金髪でスーツの男ことプロシュートが残っていた。

 

 よし、いい感じにメンバーを絞れたぞ。流石に人数多すぎて、話し合いには向かなかったからな。

 

 

 しかし、賑やかし要員が不在の現状、ものすごく空気が重い。しまった。これはさっさと話し終えたほうがよさそうだ、主に俺の胃の健康のために。

 

 

「それじゃあ、これからのことについて話し合おう……って言いたいが、君らはボス、ひいてはパッショーネという組織自体をどうしたい」

 

 

 視線が集まったことを確認して、俺は自分が考えている内容を口にする。

 

 俺たち、元はといえばポルナレフだが、元々彼がパッショーネに敵対する原因となったものは、麻薬が故郷に蔓延していたからだ。

 それさえなければ、イタリアの秩序の一角となる、パッショーネにそれほど敵意を持っているわけではない。その国によって特色は異なるものであるし、あえて乗り込んでいく理由もない。

 

 ただ、ボスに関してはトリッシュが関わるため、どうにか話し合いの場を作らねばならないだろう。

 

 

 リゾット達の目的はボスの抹殺と組織の乗っ取りだ。元はといえば碌な報酬を渡さなかったボスへの不満があり、チームのメンバーを惨殺されたこともあって、ボスに対する負の感情はとても強い。

 組織自体は特に不満はないようで、麻薬に対しても特に変えようとする意識は低いようだ。

 

 

 ブチャラティ達は子供にも麻薬が広まっている現実に心を痛めており、ハルノのチーム加入をきっかけに組織での地位の上昇を目指したらしい。ボスについては思うところもあるものの、必ず殺すというほどではなく、いつか街に広まる麻薬を撲滅するのが目的のようだ。

 

 

 

 こうやってそれぞれの目的を並べてみると、噛み合っているような違うような。どうやって目的をすり合わせようかと思案していると、リゾットが口を開いた。

 

 

「俺達暗殺チームは、ヘーマ・ナカノの下につく」

 

 

 ぽかんと口を開けた俺を一瞥して、リゾットはブチャラティに顔を向けた。

 

 

「一戦して、おおよその戦力は把握している。仕留められないことはないが、仕留めた先を想像すればヘーマ・ナカノの下についたほうがいい。チーム全員、納得している」

 

『ほう……私に下るのではなくヘーマを選んだか。鼻が利くな』

 

「いや待とう。俺の下につくってなんだそれは。いったいどういう話し合いの元、そんなことになっているんだ」

 

『戦いの末私が勝ち、死か服従かを選ばせただけだが?』

 

 

 いつの時代だ。

 

 

 まてよ、暗殺を担っていたチームメンバーが俺の下に……つまり部下になるということは、いつのまにか、俺はギャングの一員に数えられてはいないか。唯の画家だというのに。

 彼らがディオの部下になるのなら、この問題は発生していない――そのことに気づきディオの顔を見たとき、にやりと笑う彼の笑顔に、顔が引きつる。

 

 

 こいつ、狙ってやりやがったな。

 

 

 思えば、以前もディオは俺にギャングになれと提案したときがあった。今は戸籍と外見年齢がさほど乖離はしていないが、いずれ完全に人間の域を超える。俺と世界をつなぐ存在は、身内以外はSPW財団のみ。

 今回そのSPW財団が一部とはいえ敵対している現状、乗っ取れそうな組織が目の前にあれば、目敏いディオは逃さないだろう。

 

 

 異議あり、と訴えたい。

 勝手にギャングにしようとするなとディオの頬をつねりたい。ストッパーたるジョナサンを出す余裕もないほど、力のない我が身が恨めしい。

 ちくしょう、今度からは余裕を持って行動してやる、今に見ていろディオめ。

 

 そう考えて、俺は全てを棚上げした。ああ、そうだ後にしよう。

 

 

 遠くを見ていた目をブチャラティに移動する。目を伏せ、思案をしている彼の肩を、ハルノのまだ細い手が添えられた。じっと見つめるハルノにブチャラティは頷き、少し後ろに下がった。

 

 一歩前に出たハルノに、従うような位置に。

 

 まるで主役が交代したような光景に、ディオが喉で笑う音が聞こえる。ハルノは組織に入ってまだ数日もたっていない、それなのにブチャラティはまるでハルノをたてるようにそっと後ろに佇んでいる。

 

 人たらしの才能は、ディオ譲りかジョナサン譲りか……どちらにしろ、ハルノがハイブリッドなのは間違いないだろう。唯でさえジョースターの一族は優秀なのに、ディオ要素まで入るとなると、末恐ろしい。

 

 ウンガロ達も多数を率いることはできなくはないが、どちらかというと個人の興味がある方向に突っ走る傾向があるので、リーダーはやりたがらない。現場向きともいえる。

 

 

 それに対し、ハルノはどうなのか。

 

 

「僕の夢は、ギャングスターになることです」

 

 

 まっすぐ俺の目を見つめる。

 

 

「汚職が蔓延るこの国じゃあ、正攻法では何もできない。裏を取り仕切るギャングになってのし上らなければ、子供に麻薬を売るような組織を、潰すこともできない」

 

 

 爛々と、その目に野心の炎を灯して。

 

 

「僕は、ボスを引き摺り下ろし、組織を乗っ取り……あの街を奪います」

 

 

 ク、と喉から音が漏れた。ククク、とディオも口をゆがませていた。先に笑い出したのはどちらだっただろうか、広い青空の下に俺とディオの笑い声が響いていた。

 

 

「似すぎ、似すぎだろう、コレ! どういうことだ、身体はジョナサンだったのに!」

 

『のし上がることが目的だと? フフ、お前は本当にジョースターの血を引いているのか、疑いたくなるほどだ!』

 

 

 笑った。そして納得した。ハルノは兄弟のなかで一番ディオに似ている。彼の素質を存分に受け継いでいる。広い視野で物事を捉えることができる、組織の上に立てる人材だ。

 元々ディオにもその素質はある。ただし、ジョナサンに対するコンプレックスと対抗心で、目先の物事しか見ないようになっていたが。

 

 

「そうか、夢か――それもいい」

 

 

 危険きわまりないことだが、止めることはしない。

 

 しかし……もう一人聞くべき相手がいる。

 

 

「トリッシュ、君はどうしたい」

 

 

 俺の問いに、彼女は目を瞬かせた。

 

 

「君が望めばボスにもなれるぞ」

 

「冗談……じゃあないのね?」

 

 

 もちろん本気だとも。俺はトリッシュに向かって笑みを向ける。彼女は困惑と呆れが混ざった表情を浮かべている。

 

 

「向いているとは思えないわ。あたしはただの女の子よ?」

 

「あんなパワー型のスタンドでただの女の子とは言えな……くはないな、うん」

 

 

 背筋が冷える微笑みから逃げるように目線をずらす。ほ、ほら微笑みひとつで相手を威圧できるなんて、ものすごく向いていると言えないだろうか。

 

 目を合わせようとしない俺に延々と視線を向けていたトリッシュは、何かを思いついたようにニンマリと笑う。

 

 

「ヘーマさんはあたしの後見人、つまり保護者よね」

 

「あ、ああ、そうだが」

 

「未成年のあたしにとって、義理の父親とも言えるわよね。

 なら、ボスがヘーマさんなら……娘のあたしは後継者にはなるわね、パパ?」

 

 

 はい?

 

 

「ああ、それだと僕も候補になりますね、ヘーマパパ」

 

 

 なんですと?

 

 

 ニヤニヤ笑う娘の言葉に怯んでいれば、援護射撃とばかりに息子の言葉。なぜそうなる。

 リゾットが少し口の端を吊り上げ、頷いた。

 

 

「成る程、秘密主義故にボスの素顔を知る者はほぼ存在しない。成りすますことは可能ではある」

 

「俺の顔を幹部の爺さんが知っているが」

 

「それは問題ない。正体を隠すためだったとすればいい。ペリーコロを生かした理由を、部下を反乱で失わないためと言えば……参謀の独断だったと」

 

 

 正体を隠し、参謀を通じてパッショーネをまとめていたボスだが、ある日自分が命じた内容とは異なる指令が、部下達に与えられていることに気付いた。

 組織の利益になるからこそ黙認していたボスだったが、組織の中で娘の存在が露わになってから、覚えのない指令が降りた。

 娘の護衛だ。

 すでに娘と暮らしているボスがそんな命令を下す筈が無く、すぐに参謀の裏切りに気づいたボスは、娘を守るため追っ手に自らの正体を明かし、参謀を捕らえるべく動きだした。

 

 

「シナリオとしてはこんな感じかしら」

 

「なんだか凄いプロローグに……」

 

 

 映画の予告のような内容に引きつる俺。地味に俺が後見人になれた理由が補完されていて、真実味が増しているのが憎らしい。

 

「これでバックストーリーも完成しましたね」

 

「楽しそうだなぁ、ハルノ……」

 

「そりゃもちろん。折角、妹ができたんですから、可愛いお願いくらい叶えてあげないと」

 

「キャーッ、兄さんステキ!」

 

 

 俺をボスにさせることを可愛いお願いとは断じて認めん。仲良くなってくれるのは喜ばしいのだが、どうしてこう、俺の外堀を埋めてこようとするのか。

 

 良い顔のディオがとどめとばかりに肩を叩き、俺はうなだれて了承するほかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭りは終わった

 

 

 広い応接間のソファーの上に、死屍累々の男達が転がっていた。

 

 シーザーの家……規模は屋敷に着いた俺達だったが、ウンガロのドキドキアドベンチャーに参加した面々が精神的な疲労を訴え、呻き声を上げている。

 勿論、原因はウンガロの設定した内容である。

 

 普通のアドベンチャーものにしておけばよいものを、彼はよりにもよってジャパニーズホラーのテイストを盛り込んだ。迫るクイズのリミットと薄笑いする亡者達。屈強な精神を持ちながら、じっとりした粘度のあるホラーに耐性のないイタリアーノ達は、揃いも揃って疲労困憊だった。

 

 

「目が、目が俺を見て……ッ!」

 

「落ち着けペッシィ……ッ! いつまでビビってんだ」

 

「足寄越せって追いかけてくんだよッ、なんでジョルノ来なかったんだよお前ッ!」

 

「ナランチャ、それはきっと、足をあげても命を寄越せって言われるパターンですよ」

 

 

 どうやら一部の少年達が、しっかりトラウマを植え付けられたらしい。

 やり過ぎちゃった、と頬を掻くウンガロの頭上に、シーザーが無言で拳を落とした。参加しないで本当に良かった……。

 

 

 

 

 *

 

 

 

「さてヘーマ。何度、怪我をするなと言い含めれば良いのか検討もつかないが……説教は後に回すとして、今の怪我についてどうにかしよう」

 

 

 優雅に紅茶を飲むシーザーから迸る怒りのオーラに目を泳がせ、俺はピクテルを盾(人身御供)にする事を決めた。彼女を全面に出せばきっと逃げられるはず。首を振らないでピクテル、後生だから。

 

 

「あの子を呼ぶには色々と説明が面倒だ、代わりに治療もできる者を呼んでおいたぞ」

 

 

 ドアノブが回り、開いた扉から入室してきたのは、褐色の肌の少年だった。身形は良い。きちんとアイロンを掛けられたシャツとスラックス、その上にベストを着ている。

 丁寧に撫でつけられた髪なども含め、一言でまとめるなら少年執事だろうか。

 

 

「お久しぶりでございます、DIO様。他の皆様はお初にお目にかかります。私、この屋敷にて執事見習いをしております、マニッシュ・B・ダービーと申します」

 

 

 少年執事こと、マニッシュ君は丁寧に一礼をする。見たところ、ウンガロ達と同じくらいの年齢だろうか。

 いやまて、ツッコミ所はそこじゃあない。ダービー、だって?

 

 

「もしかして、テレンスの」

 

「そのとおりでございます。テレンスは私の養父、DIO様方がエジプトの屋敷にお戻りになる前まで、私は養父に師事を受けておりました」

 

 

 俺達と入れ替わりで奉公先をツェペリ邸に変更したらしい。テレンスも水臭いな、息子がいるなら紹介してくれればいいのに。

 

 

「マニッシュは優秀な執事見習いだけど、スタンド能力も優秀なんだ。彼の能力でヘーマさんの治療をするよ」

 

 

 何故かにこやかな顔のレオーネの隣を見れば、いつぞやのメカニックなデカい蜂。

 咄嗟に身体を伏せた俺の予想通り、先程まで頭があった場所を蜂が通り過ぎた。

 

 

「あ、こら。なんで避けるかなぁ」

 

「どうして毎度顔面を狙ってくるッ!」

 

 

 狙うポイントが急所すぎて、つい避けてしまうだろうが。

 

 袖を捲って腕を出せば、レオーネはしぶしぶ蜂の針を俺の腕に刺した。

 

 途端に霞み出す意識。朦朧とした状態で、ディオの腕が俺の背中を支えるのを感じた。

 

 

『夢こそマニッシュの領域だ。安心してそのまま眠れ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつけば、目の前にジェットコースターやメリーゴーランドが建ち並んでいた。俺はそれをぼんやりと見上げ、正面に立つ人影から視線を故意に反らしていた。

 

 

『ラリホ~ッ! ようこそヘーマ様、夢の世界へ。風船あげましょ~か?』

 

「いりません」

 

 

 ピエロのような浮いているソイツから、一歩後ろに下がる。だって鎌持ってるし、同じ仮面でもピクテルより禍々しいし……あまり夜には会いたくない容貌だ。

 マニッシュ君のスタンドだろう、妙に軽い口調の死神は笑顔の仮面のせいか不気味だ。

 

 

『あらま残念。それでは早速、この瓶の中身をぜ~んぶ飲み干しちゃってちょ~だい』

 

「……この、緑色の液体は」

 

『ゲームでいうところの傷薬だよ~ん。ほらほら、ググッといってみよ~。ヘーマ様のカッコいいとこ見てみたい~』

 

「どこで覚えたそんな一気コール」

 

 

 渡された瓶を半目で見る俺に、ヘラヘラと笑う死神のようなスタンド。本当に傷薬なのか、どう見ても毒ですが。

 

 イッキ、イッキと煽る死神の声に背を押されて、怪しげな液体を飲み干した。これは……不味い、というか苦い。そして青臭いエグミが味覚と嗅覚を刺激して泣きたい。後味が悪いにもほどがあるだろう。

 

 

『これで傷もバ~ッチリ治ってますヨ~! 別に飲まなくても治せますけどネ』

 

「おい」

 

 

 様式美ってヤツだよん、と笑う死神に空の瓶を投げつけた。くそ、避けられた……ッ!

 

 

『おお、コワイコワイ。身の危険を感じちゃう! 治療も終わったことだし、本体に起こしてもらってね~』

 

「待て、一発殴らせ……」

 

 

 ひらひら手を振る死神に拳を握り締めたが、振るう前に意識が一瞬暗転し、回復した視界では天井を見上げていた。

 

 ……なんか、妙にムカつく夢を見た気がする。

 

 残った不快感に眉をひそめていると、ひょっこりと素顔のピクテルが俺の顔を覗き込み、ペタペタと触って何やら確認した後、キャンバスの中に俺を放り込んだ。

 小さい姿に戻された俺の身体はディオに抱えられ、服をめくられて胸の傷を確認される。次は背中とひっくり返され、体温の低い掌が肌を粟立たせた。つめてえ。

 

 

『傷ひとつないな。よくやったマニッシュ』

 

「光栄です」

 

 

 ピクテルが出したジョナサンに俺を渡し、ディオは笑みを浮かべてマニッシュ君を労う。

 綺麗に一礼する少年の横で、俺はシーザーによる念入りなチェックを受けている。もういいだろ、と拒否をすれば、彼はまだだと首を横に振る。

 ぽんぽんと背中をリズミカルに叩くんじゃあない、眠くなる……中身は成人した男だぞ。泣くぞ。

 

 シーザーにあやされる俺を何ともいえない表情で見ている、パッショーネの面々。さあ、俺をボスにする案を撤回するのは今だぞ。

 

 

「よし、しっかり治っているな。では、次に移ろう……ボスについてだ」

 

 

 計画変更の期待を込めた視線を贈る前に、シーザーが話を先に進めてしまった。ちょっとだけ待ってほしかった……。諦めてピクテルに大きい姿に変えてもらう。

 引き締まる室内の空気に彼は頷き、ウンガロに視線を移して呼んできてくれと頼んだ。了承したウンガロが部屋を出て行くと、シーザーは俺を呼ぶ。

 

 

「ウンガロがイタリアにいることが不思議だっただろう?」

 

「まあ、話を聞かれたんだろうとは思ったけど」

 

「その通り。盗聴されたんだよ……絶対に防げない方法で」

 

 

 困り顔で笑うレオーネの様子に、俺は犯人を悟った。ドナテロのアンダー・ワールドだな、盗聴方法は。会話の記憶を掘り出したか。

 となると、ドナテロとリキエルもここに来ているな。ウンガロが呼びに行ったのは二人のことか。話し合いから外しても、どの道聞かれて勝手に動かれるよりは、巻き込んでしまって目の届く所に居させた方が良い。

 ハルノが狙われたという前例もある、シーザー達の判断に、異論はない。

 

 パタパタとスリッパで走る音が部屋の外から聞こえてくる。ドナテロを制止するウンガロの声と、リキエルの笑い声。ついでに響いた鈍い音と、ドナテロの悲鳴……あの子達は何をしているのだろう。

 

 

『転んだね』

 

『スリッパで走るからだ。曲がりきれずに転がって壁にでもぶつかったのだろうさ』

 

 

 苦笑するジョナサンと、呆れ顔のディオ。俺もそう思います。

 

 

「いたた……」

 

「大丈夫、ドナテロ?」

 

 

 少しヨロヨロしたドナテロを、ウンガロが肩を支えながら扉をくぐる。微笑みを浮かべているリキエルと、オロオロした様子の赤い髪の少年も後に続いた。

 

 

「お待たせしました、リキエルです」

 

「ドナテロ、です……」

 

「ド、ドッピオです」

 

「改めて、ウンガロです。この馬鹿と黒髪は弟なんだ」

 

 

 にこやかに挨拶する彼等に、ああ、とかよろしく、とか返すギャング達。ブチャラティ達はともかく、リゾット達は意外にも、子どもは大丈夫だったりするのだろうか。プロシュートとホルマジオはわかりやすく面倒見が良いけれど。

 

 和やかにウンガロ達と話すハルノを微笑ましく見ていると、そっとレオーネが俺の側に近づいてきた。

 なにかと首を傾げていると、神妙な顔で彼はプラスチックのケースを差し出した。

 

 

 長い赤い髪の男の姿が透かして見える、DISCを。

 

 

「どういうことだ」

 

「あ……これマズ」

 

「何故これを持ってんだ? あ?」

 

 

 

 引きつった顔のレオーネの胸倉を掴む。少し締まっているのか、苦しそうな彼に向かってガンを飛ばしていると、制止に入ったジョナサンとシーザーに引き離された。そしてピクテルによって幼児の姿に戻される。

 

 

『抑えろ、ヘーマ。それともその顔を子ども等に見られたいか』

 

 

 大きい姿になったディオが、俺の目元を手で覆う。暗闇しかない視界で、ぐちゃぐちゃになった思考を一時的に放棄する。何に反応したのかわからない、暴力的な心を宥めるために。

 

 先ほどいた少年……ドッピオといったか、彼がディアボロなのだろうか。記憶を抜かれているのなら、此方に対して敵意を見せない理由にはなるが、どうもしっくりこない。

 ドッピオはどう見てもハルノと変わらない年齢だ、トリッシュの父親であるなら三十歳はいっているはず。あまりにも、若すぎる。

 

 

「ごめん、レオーネ。動揺した」

 

「いーよ、先に説明しなかった俺も悪いしね」

 

 

 視界を塞がれたまま謝れば、気にしてないと笑うレオーネの声。反射で波紋の攻撃をしてもおかしくないというのに、我慢してくれたのだろう。申し訳なくて優しさが痛い。

 

 今回の件にプッチが巻き込まれていることは明白だ。ボスの記憶を奪うことになった経緯も含め、しっかり聞かなくてはならない。

 

 

「だから全部吐け」

 

『ディオ、もう少しそのままでお願いするよ。まだ落ち着いてないみたいだから』

 

『わかっているさジョジョ。そらヘーマ、いつまで耐えられるかなァ?』

 

 

 ちょ、ちょっとまてディオ。脇腹は止めて、落ち着くから、故意にシリアス壊そうとするのは止めてッ!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なんとも不運な奴

 

 

 それは平馬がレオーネ宛にフクロウゴーレムで手紙を送った日のことだった。

 

 自室のある二階からウンガロが階段を降りていると、承太郎とポルナレフの声が聞こえてきた。こっそりと彼が階下を伺ってみると、二人はどうやら電話をしながら話をしていたようだ。

 電話自体はすぐ受話器を置いてしまい、二人はなにやらジョセフの自室の方へと、廊下を歩いていった。

 

 その後ろ姿を見送ったあと、首を傾げつつウンガロがリビングに入ると、其処ではリキエルとドナテロ、弟達がテレビゲームで遊んでいる。

 

 

「なあ、承太郎兄ちゃんが誰と電話していたのか知ってるか?」

 

「えー? 俺知らないよ」

 

「リキエルは?」

 

「んーん、知らない」

 

 

 コントローラーを操作している二人の視線は、テレビの画面に注がれたままだ。ウンガロはリキエルの隣に腰を下ろし、テーブルの上のスナックをつまんだ。

 

 

「何か気になるの?」

 

「気になるな。承太郎兄ちゃんだけならまだしも、ポルナレフさんも一緒に話してた」

 

「ふうん……確かに、気になるね」

 

 

 必殺技を繰り出し勝ち星を得たリキエルが、コントローラーをテーブルに置く。もう一回と再戦をねだるドナテロを笑って流し、グラスのコーラを一口飲んだ。

 

 拗ねるドナテロをウンガロが宥めていると、そういえば、とリキエルがつぶやいた。

 

 

「承太郎兄ちゃんがいつから電話しているかわからないけど……僕、その前にレオーネ兄ちゃんと話していたよ」

 

「レオーネ兄ちゃんかぁ……」

 

「電話は来客があったから終わったけど、もしかしたら」

 

 

 レオーネに来た来客が、承太郎とポルナレフに何かを伝える必要があったのではないか。そう仮定した二人は、拗ねるドナテロの両脇を抱え外の庭へと出ていった。

 

 

 

 庭の土にドナテロが掘り出した記憶では、レオーネが承太郎に電話している場面を見つけることはできた。だが、通常の盗聴を警戒してなのか、言葉を伏せて話しており大まかな事態は把握出来ても、予備知識が無い故に彼等には詳細がわからなかった。

 

 

「話している内容って、多分ヘーマパパのことだよね?」

 

「ヘーマパパって、イタリアのシーザーさんの所にいるんじゃあなかったの? なんか、物騒な感じだ……」

 

 

 真剣な表情の承太郎達の記憶を見下ろし、顔を曇らせるリキエルとドナテロの隣で、ウンガロは静かに会話の再現を見つめていた。

 

 

「ドナテロ、前にヘーマパパが家に来たときの記憶を掘れるか」

 

「前……承太郎兄ちゃん乱心事件の時の?」

 

「そうだ。あの時は、今回関わっていそうな人物が全員揃ってる。聞き耳を立てそうな俺達も出かけていたし、きっとそのときに詳細を話し合ったんだと思う」

 

 

 そして、ウンガロの予想は的を射ていた。少年達は兄であるハルノの所在と、パッショーネというギャング、そしてディアボロの存在を知ることになる。

 

 

 慕う平馬達に危険が迫っている。だが、スタンド使いとしてまだまだ未熟な自分たちでは、彼らの側に駆けつけても助けになるどころか足手まといになりかねない。

 

 悩みに悩んだ少年達は、兄貴分の一人であるウェスに相談した。育ての親であるジョセフに相談をしなかったのは、きっと気にするなと言ってその後の行動を止められると考えたからだった。

 ウェスはウンガロ達の話を聞くと、スタンドに疎い自分だけでは力になれないと判断し、すぐに兄のプッチに連絡をとってくれた。

 

 弟から連絡を受けて急いでやってきたプッチは、平馬達の身が危険と知るやいなや、快くスタンドでの協力を了承した。記憶を抜き取る能力については、ウンガロ達も知っていたからである。

 

 

「しかし、私はイタリアの土地勘がない。現地に行ったとしても、そのディアボロの居場所は見つけることはできないだろう」

 

「んー、それなんだけど、ちょっとやってみたいことがあって」

 

 

 ウンガロはドナテロにディアボロの姿を掘ってみるように頼む。彼は頷き、アンダー・ワールドの腕が地面を抉ると、赤い髪を長く伸ばした男の姿が現れた。

 

 

「リック兄ちゃんに試して貰いたいのは、この過去の姿から記憶を抜き取れないかと思ってさ」

 

「……なるほど」

 

 

 それは確かめたことはなかったな、とプッチは感心した。そして彼は赤い髪の男に向かって手を伸ばし――――

 

 

「――――それで、やってみたら出来たと」

 

「らしいよ。あの子等から連絡を受けたとき、俺がどれほど愕然としたことか。

 あの親父さんに頼んで居場所を探し出して、記憶……というか、主人格をなくして途方にくれているドッピオを見つけたんだよ」

 

 

 ひどく疲れた顔のレオーネ……どうやらウンガロ達は随分と彼の仕事を増やしたようだ。ドンマイ。

 

 しかし、主人格ねぇ……俺はチラリとドッピオに視線を向ける。顔は整っているのが大半とは言え、十人以上の男達から良く言って好意的でない……正確に言うなら殺意を込めた視線で刺され、彼は額に汗を滲ませている。そりゃあ恐ろしい思いをしているのだろう、気持ちはわかるが頑張れよ。

 

 少し臆病そうな少年の姿は、演技によるものとは感じられない。それにウェスの例もある、どこまで抜き取られたかはわからないが、もしかしたらこれが本来のディアボロの性格なのかもしれない。

 

 おそらくは、ドナテラさんと出会った頃の、彼女が好きになった優しい青年。

 

 

 それが……引きこもり体質の、自分以外は絶対に信用しないような、後ろ向きまっしぐらな性格になるなんて。なんということでしょう。

 

 

「苦労したんだなぁ……」

 

「え、あの?」

 

 

 しみじみとした思いのまま、ドッピオの頭を撫でる。俺の行動に困惑するドッピオと、何故か俺を見る目が遠いギャング達はとりあえず置いておいて、と。

 まずは今の内に、厄介なボスのスタンドを封じておかないといけない。いつまでも彼の記憶を抜いておくわけにはいかないし、何が切っ掛けで……プッチ以外の手で記憶が戻されるかもわからない。

 何が出来るか全く予想がつかないのがスタンド使い、能力の類似はないとは言い切れないため用心するにこしたことはない……隙を見てディオがドッピオからDISCを取り出さないためにもッ!

 

 

 それからドッピオをなだめすかして誘導して、どうにかスタンドを封印することに同意してもらう。

 

 この詐欺に最も助力をしてくれたのは、ピクテルの微笑みながらの色仕掛けだろう……おま、いつそんな色香の出し方覚えた、誰から教わったんだ……犯人ディオしか浮かばねえな。

 

 睨みつけると、彼は口元を吊り上げるように笑った。クッソ、ジョナサンに怒られてしまえ。

 

 

 面倒なので別室に移動せずに、この場で作業をしよう。あと、皆へと俺の能力について簡単に説明しとこうか。

 

 

「じゃあ、実演。まずまっさらなキャンバスをとりだします。次にドッピオにスタンドを出してもらいます。ピクテルがスタンドを掴んだらキャンバスに放り込んで……額縁を付けて完了」

 

「……」

 

「これでドッピオはスタンド能力を使えなく……待った、待て待てドッピオを攻撃しようとしない! 全員しまえ、スタンドッ!」

 

 

 俺の作業は黙って見ていたというのに、モノは試しとばかりにスタンドを構えた面々から、俺は慌ててドッピオを背中に隠す。それを見て舌打ちをするプロシュートとギアッチョ……おまえ達、隙あらば仕留めるつもりか。何この人達、めっちゃ物騒。

 

 

「まったく…………おい、イルーゾォは鏡から出て来い」

 

 

 ドッピオに先を促そうと俺が振り向けば、彼の後ろにある戸棚の、小さな鏡の中で見つかったイルーゾォが不満そうにため息をついていた。

 

 油断も隙もねえ……他に奇襲が可能そうな二人に視線を向ければ、無表情とニヤニヤとした笑みを返される。リゾットはともかくメローネ、お前はスタンドをどこかに忍ばせているんだろうなぁ、パソコン手元にあるし。

 

 これは早々に話を進めた方がいいな、そう思った俺がレオーネに視線を向けると、先ほどまで立っていた場所に彼はいなかった。

 

 さてどこにいるかといるかというと。

 

 

「兄ちゃんだぁ……」

「ハルノだぁ……」

「し、しま……」

「ちょ、ちょっとレオーネ兄ちゃん力緩めて! ハルノ兄ちゃん苦しそうだよッ!」

 

 

 二人ともハルノに抱きついていた。随分探していたから嬉しいのは同感であるが、締まっているぞレオーネ。

 ドナテロとリキエルに救助され、噎せているハルノに慌てて謝る二人。ブチャラティチームの面々が面白そうに見つめるのもよくわかる。いいなあ、あっち明るくて。

 

 

 シーザーからDISCを受け取り、さくっとドッピオに差す。

 スタンドが隔離された状態で、記憶のDISCを戻す。これはウェスも経験しておりその時は問題は発生しなかったが、今回は人格が分離している状態……どういう結果になるのかは不明だ。

 突然記憶が追加された衝撃にか、うずくまってしまった彼を見下ろしつつ、俺はチラリと隣を見る。

 

 まあ、様子を見ている暇はないのだけれど。

 

 

「さあて、しつけは頼むぞディオ」

 

『ふふん、任せておけ』

 

「…………はッ! おい待て私を離せッ!?」

 

 

 ディオは軽々とドッピオを小脇に抱え、スタスタと部屋の出口へと歩き出した。

 記憶の統合が完了したのか、暴れるドッピオを気にもとめず、愉しげに笑いながらディオは扉をくぐっていった。

 

 彼はこれからディオの教育を受けることになる……ストッパーのジョナサンもついているが、厳しい調きょ……教育となるだろう、強く生きろよ。

 そっと目の端を拭うと、ホルマジオがボスをどうするつもりなんだと聞いてきた。

 

 

「ンー? おいおい、間違えてほしくないな。アイツはボスじゃあなくて参謀だろう」

 

 

 ボスは『昔から』俺なのだから。

 そういう風に皆言っていただろう? そう返す俺に苦い顔をする主に暗殺チームの面々だった。

 

 

「つまり、『参謀』を始末するつもりはねぇ、と」

 

「俺がボスであることを証明するにあたって、組織の全容を把握している『参謀』の協力は不可欠だ。それとも、お前達は『参謀』の代わりが務まると断言できるか」

 

「……チッ」

 

 

 構成員の誰にも姿を晒さず、パッショーネ程の組織を作り上げる。それは難易度が高いってものじゃあない、常人には到底不可能だ。

 それをやってのけたドッピオの能力は非凡で、得難いものだ。それに気付いているからこそ、ディオは彼を生かすことに了承した。

 

 ……了承、したよな……? スタンドはすでに封印しているから、流石に諦めたよな?

 いや、その分の八つ当たりがドッピオに降りかからない……そんなことはありえないな。すまん、ドッピオ。考えが甘かった俺を許してくれ。

 

 

「ドッピオに幸あれ……」

 

「ボス……」

 

 

 顔色を変えた俺に何かを察したのか、ブチャラティが沈痛な表情を浮かべる。まだボスであったディアボロへの敬意は残っているらしい。そりゃあ反乱を起こしたリゾット達と比べるのも問題か。

 

 

「そういや、承太郎達は? 来ていないのか?」

 

「ああ、戦闘中のようだ」

 

 

 ソファーに足を組んで腰を下ろしているシーザーに尋ねれば、そう返答された。

 

 …………誰と?

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その後のこと

 

 

 ディオがドッピオを強制的に連れていき、しばらく時間が経過した後承太郎が扉を開けて入ってきた。何故か、腕に美女を絡み付かせた状態ではあったが。

 

 

「……承太郎、お前……浮気し」

 

「スタ――」

 

「なんでもありません冗談です」

 

 

 浮気か、と軽い気持ちで騒ぎ立てようとすれば、鋭い眼光に無表情でスタンドを構えられたため、素早く両手を上げる。ええ、決して徐倫に密告とかいたしませんので、どうかその拳を下ろしてください。

 

 承太郎の腕にしどけなく細い腕をからめている女性は、そんな俺達の様子に艶やかに笑い、腕を解いて俺の目の前まで歩いてくると身を屈めて膝をついた。……魅惑の谷間が視界にッ!

 

 

「お目にかかるのは、初めてですわね。私はミドラー、DIO様の部下でございます。噂の君にお会いできて光栄ですわ」

 

「……その噂はなに? 発信源は誰だ」

 

「私はアレッシーから。聞いていた通り、可愛らしい御方」

 

 

 アレッシー、そう、彼か。

 やり返したいがピクテルが先に彼に暴挙を行っているため、どうも責めづらい。だが、次は覚えていろよ。誰が可愛らしいか、三十路の男に向かってなんたる暴言だ。

 

 

 褐色の肌に薄手の布を纏ったミドラーは、その衣装の露出度もあってメリハリのあるスタイルが目の毒だ。ついつい胸に向かう目線を慌てて逸らした先に、美女の登場に目の色が変わっているイタリア男共を見つける……おい、おまえ達気付け、トリッシュの冷えた視線に。え、俺も該当ですか、すいません。

 

 

「ふふ、本当にDIO様に似ていらっしゃるのね。平馬様……今宵、閨で私の舞などいかが?」

 

「ハハ……ええと……み、ミドラーはどうして承太郎と一緒に?」

 

 

 囁くように色気たっぷりに言われ、娘の刺すような視線も感じて俺は慌てて話をそらす。おいおい断るのかよ勿体ねえ、変わりに俺とかどう、とか横でうるさいぞ野郎共。娘の前でそんなこと言えるか馬鹿野郎。

 

 

「ウブな方……少しお掃除をして参りましたの。酷いカビがしつこくて」

 

 

 野郎共に流し目を送り、悩ましげに息を吐くミドラー。彼女が言う『掃除』がどうしても物騒な言葉に聞こえるのだが、承太郎と一緒にいたとなると、物騒な方で確定だろう。ふむ、怖いのであえて触れるまい。

 

 しかし、承太郎が女性に腕を捕られてそのままにするとは、彼女はディオの部下だそうだが……以前から仲が良かったのだろうか。

 そこを指摘すると、承太郎は眉間の皺が深くなり、ミドラーは笑みを深めた。

 

 

「傷物にされた責任をとって貰っていますの」

 

「誤解を招く言い方をするな」

 

 

 耳に届いた聞き捨てならない言葉に、目をむいた俺の反応を見て吐き捨てるように彼は言う。苦笑いをしているシーザーのフォローによると、十二年前の戦いで承太郎達への刺客として現れたミドラーに、重傷を負わせたということだった。

 

 

「女性の歯を全部折る、という重傷ではあるが」

 

「スタンドのフィードバック、というものですわ。直接手をあげられたということではないのだけれど、ツェペリ様が治療してくださらなければ、私、思いあまって命を絶っていたかも――」

 

「承太郎……」

 

 

 敵とは言え女性相手に容赦ないな。手加減する余裕がないほど、ミドラーがスタンド使いとして優秀なのだろうが……承太郎を見れば、流石に気まずいのか顔を背けている。彼女が受けただろう衝撃を想像してしまい、震えがはしった腕をさすった。

 まじまじとミドラーの顔を眺めるが、透けた布で口元を覆っているとはいえ、傷一つ見当たらない。流石だ波紋、便利だな波紋。俺は恩恵に預かることは出来ないが。

 

 ニッコリと微笑んだミドラーにへらりと笑い返していると、なにやらドナテロが駆け寄ってきた。

 

 

「ヘーマパパッ! レオーネ兄ちゃんが二人になった!」

 

「うん? とうとう分裂出来るようになったのか?」

 

「ねえ、マジでヘーマさんの中だと、俺はどういう存在になってるのよ?」

 

 

 飛びついてきたドナテロを支えながら軽く返すと、レオーネが肩を落とした。冗談に決まっているだろう。

 

 いつまでも素直な反応を返す彼……俺は頬を緩めて目を細めた。

 

 

「お前が生まれたことを喜んだのは、シーザー……両親の次に俺だろうさ」

 

「は?」

 

 

 聞き取れなかったのか、目を丸くしているレオーネを見て俺は喉を鳴らす。彼の存在に俺が救われていることなど、考えもしないだろう。

 変えることができた喜びを、俺が誰かに告げない限り。それは今を生きる彼らには不要なものだ。

 

 

「んで、レオーネが二人とはどういうことだ?」

 

「アバッキオも名前がレオーネなんですよ」

 

「どう呼べばいいかなあ?」

 

「簡単だろ。レオーネ1号と2号、はい決定」

 

「異議ありッ! 流石にそれは嫌だ!」

 

 

 その内三人目も出てくるかもしれないだろう。金と銀ときて次は何色だろうか、赤っぽい髪色が来るとよし。想像して半笑いをしている俺を、じっとりした目で見つめる者が一人。

 

 

「どうした1号」

 

「定着させるつもりなのか……? ちょっとそこのアバッキオ君、ちゃんと拒否しないと其の儘で通るぞ? ヘーマさんは本気でそれをやる人だ」

 

「な」

 

「2号の髪って長いよなー、ちょっと編み込みしてもいいか?」

 

「ほらァ……」

 

「お、オレもその呼び方は嫌ですボス!」

 

 

 アバッキオへのレオーネの脅しに悪乗りしたら、焦りの表情と声で彼は拒否してきた。冗談だって。

 

 

「いいじゃんか、似合ってるぜ2号」

 

「ボスがせっかくつけてくれたあだ名ですよ、光栄に思ったらどうですか2号」

 

「テメェラ……ッ!」

 

「まったく、あまり2号をからかうな」

 

「ブチャラティ、アンタまで……ッ!」

 

「冗談だ」

 

 

 それなりに人の悪い同チームの面々が、嬉々としてアバッキオ君をからかう。流石の連携に彼の顳顬がすごいことになっているが、付き合いの深い仲であれば大丈夫なのだろう。

 ジョセフ達が言うには、俺もディオに対する態度というか応答は冷や汗ものとのことである。構えなければなんて事はないと思うのだが。

 

 

 ぐったりしたドッピオを抱えて戻ってきたディオと、それに駆け寄るウンガロ達。寄るべきかどうか迷っているブチャラティ達とじっと観察しているリゾット達。

 

 出会いが違えば、殺し合っていただろう面々。完全に和解とはいかないが、争う構図は崩すことができた。組織の方向性で考えが対立することがあっても、意見が伝わるとなれば力尽くで行動を起こそうとはしないだろう。

 

 俺がボスに就かされる、という想定外はあったものの、これでもうパッショーネからトリッシュが狙われることはなくなった。むしろパッショーネから護衛を出せるくらいだ。ドッピオとの関係には頭を悩ませるが、本人達の気持ちを無視して仲良くしろとは言えないしな。

 

 

 外で遊ぶことに決定したのか、ボールを抱えた子供達と引っ張られるドッピオとナランチャの姿に、どうか穏やかに暮らせるように心から祈る。……きっとまた何か騒動が起きそうな気もするが。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 天気のよい暖かな日差しが窓から射し、柔らかく部屋を照らす。心地よい温もりに誘われて、俺はがらりと窓を開けてその縁に足をかけた。

 

 

「――どこに行くつもりですか、ボス?」

 

 

 背後からかけられた冷ややかな声に俺は肩を揺らす。おそるおそる振り向けば、両手に書類を抱えた赤い髪の男こと、ドッピオがいつの間にやら立っていた。おいおい、本当にスタンド使えないんだよな?

 彼はスタンドを封じたことで人格の統合が起きたらしく、精神年齢的には二十代前半で人格としてはどことなくディアボロよりもドッピオに傾いているようないないような。ぶっちゃけるとディアボロとしての彼と話したことがないので、俺には判断がつかないのだ。

 

 

「い、いやあ。天気がいいからちょっと散歩に」

 

「まだ午前中の仕事が終わっていないのにか」

 

 

 ちらりとドッピオが机の上の書類を見る。それはまだセンチ単位で測れるほどには厚さが残っており、ボスである俺の承認が必要なものばかりだった。俺はそれから目を逸らしつつ、そしてドッピオの目も見ないように顔をそむけた。

 折角今日はディオもジョナサンもそれぞれの仕事で別室へと離れているというのに……もう少し早く脱出を決断すべきだったようだ。

 

 

「緊急なものは終わってるし」

 

「重要なものは残っているだろう。早急に終わらせないから緊急なものになると何度言ったら理解できるんだ?」

 

 

 追加の書類を机に置かれ、厚みを増したそれを俺は情けない表情で見ていたのだろう、ドッピオは深いため息をついた。

 

 

「『ディアボロ』に比べれば数分の一だ、ボスにはきっちりやりきってもらう」

 

「ちくしょう、有能さを舐めてたッ!」

 

 

 パッショーネのボスに据えられてから一月、重々理解させられたのはドッピオの優秀さだった。まったく仕事が速いこと速いこと。

 考えてみれば、今まで彼は正体を隠しながら仕事をしていたのだ。拠点も転々としていたであろうし、使える時間は少なかったはず。その状態で万全にボスを務めていたという……縛りプレイにも程がある。

 

 

「表の福祉関係はジョナサンが、裏関連はディオが。組織の再構築はボスが担当すると当座は決まっただろう。あまり長引けばリゾット達が反乱を起こすかもしれないが」

 

「うぐ、絵を描きたいのにな……」

 

「休暇は一週間前に申請が必要だ」

 

「俺も!?」

 

 

 誰に申請すればいいのかと思案して、目の前の男だと気づく。おいおい、却下されそうなんだけど。

 もしかしたらすごいブラックな労働環境に就職してしまったのではないかと頭をよぎり、ギャングに何を求めているのかと乾いた笑いが出てきた。ふふ、ハルノや……お父さんすでにお前にボスを譲りたくなっているよ。

 

 てきぱきと書類を配置するドッピオの手招きに、のろのろと俺は椅子へと歩いた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

全ては巡る

 

 

 ――俺がパッショーネのボスに就任してから、もう十以上の年月が経過した。

 

 ディオやジョナサンはもちろん、パッショーネの構成員以外にシーザー達の手を借りて組織の再構成を無事に終え……その組織もハルノにボスの座を譲渡した後は元のエジプトに戻り、絵を描く生活を続けていた。

 

 横たえた身を起こせば、ぎしりとベッドのスプリングが擦れた音を立てる。動いた俺に気づいたジョナサンが読んでいた本を置いて立ち上がり、俺の背を支えてクッションを後ろに詰めてくれた。

 

 

『起きて大丈夫なのかい』

 

「ああ、少し動きたい気分なんだ」

 

 

 貧血で眩む視界に少年姿のジョナサンの微笑みが映り、俺も口元をゆるりと釣り上げた。

 

 

 一年ほど前、俺は突然倒れた。

 

 予兆など一切無く、いつも通りスケッチブックを手に出かけようとしたとき、全身から力が抜けた。崩れ落ちる身体をジョナサンが支えてくれたおかげで、床に打ちつけられることはなかったが、四肢が動かしにくいことに気がついた。

 

 それは次第に悪化してゆき、今では補助がなくては立つことも儘ならぬほど。歩くことは、非常に難しい。生命力を温存する為にジョナサンとディオは一日交替でしか外に出すこともできず、俺も肉体の年齢――いまは十四歳ほど――で日々過ごしている。

 

 

『何か口に入れられそうかな』

 

「少し欲しい、な」

 

『わかった、ちょっと待っててくれ』

 

 

 ジョナサンが隣の部屋に行く姿を目で見送り、俺は小さく息を吐いた。この部屋はとても広いが実は病院の一室で、パッショーネが経営に携わっていることもあって一年以上俺が占拠している。

 俺としてはもっと小さい部屋でいいのだが、見舞客が多いこととその大半が堅気ではないということもあり、かえって病院に迷惑になると理解してから何も言わないようにした。

 

 カーテンの閉められた窓に顔を向ける。倒れて以来俺の身体は光に弱くなったようで、直接浴びれば肌が赤く爛れてしまう。そのため昼間でも窓は閉められたままで、部屋の中は薄暗い状態だ。

 そんな窓辺に飾ってある写真立てには、以前ジョースター一家で見舞いに来た時に撮ったものが飾られてある。すっかり大人になった子供たちは、それぞれの道を選択し歩み始めている。

 

 ハルノはボスの貫録が付き、度々護衛を撒いて俺の見舞いに来ている。最近はハルノが見当たらないと、ブチャラティからこちらに来ていないか確認の連絡が来るようになった。大抵当たっている。

 

 ウンガロは美大を卒業した後、絵本の挿絵の仕事を始めた。二年前になんと結婚し、今では一児の父だ。相手はジュニアスクール時代から付き合っている女性で、生まれた子はなんとディオに似ている。お前の遺伝子は強いなと俺が呟いたら、その場にいたジョセフも承太郎も強く頷いていたのが印象深い。ジョナサンは苦笑いしていたが。

 

 リキエルは生物学者を目指して大学院で勉強しており、最近彼女ができたらしいとドナテロがこの前病室に来て愚痴っていた。おっとり系の彼女は料理上手らしく、お菓子好きなリキエルの胃袋をがっちりつかんでいるらしい。

 

 ドナテロは食いしん坊だった影響か料理人を目指して日々修行に励んでいる。徐倫の友達と付き合っていて、彼女の実家が飲食店を経営しているとのことで、そこで働かせてもらっているようだ。彼女とは喧嘩しては仲直りすることを繰り返していて、よく頬に手形がついている――ただし、拳の形の――とリキエルが報告してきた。

 

 トリッシュは予想もしていなかった……歌手になった。家事をしながらよく歌っていたが、まさか本職になるとは思っていなかった。そんな彼女はブチャラティが好きらしく、ハルノ達に協力してもらい休みを被せてデートに連れ出しているようだ。親代わりとしては複雑な心境である。

 

 徐倫は以前からアプローチしてきていた少年と十年かけて交際に至った。懐いていたウェスと徐倫の友人の姉が結婚してからしばらく落ち込んでいたが、彼氏となった少年は一生懸命彼女を慰めたらしい。ぎりぎり合格だとウンガロが悔しそうに話していたが、まだ承太郎には内緒にしている。付き合っている事だけは早めに伝えていた方がいいと俺は思うぞ。

 

 

 ジョセフもシーザーも、承太郎も典明も元気だ。レオーネも結婚して子供も二人生まれている。

 

 

 写真をもっとよく見ようと枕元に置きっぱなしにしていたメガネをかける。最近は視力も落ちてきて、老眼かと言ってきたウンガロに拳骨を落としたばかりだ。

 

 ――このまま症状が進めばどうなるのかと頭によぎることはある。俺が完全に動けなくなったその時、ピクテルの封印は解けないままなのか、それとも外れてしまうのか。外れてしまったら、彼らはどうするのか――その時が訪れる前に俺は彼らの処分を決断しなければならない。

 

 それが、承太郎との約束であるから。

 

 

 隣の部屋に行ったジョナサンはまだ戻ってこない。もしかしたら丁度お湯がなかったのかもしれないな、と俺は身体をずってベッドの縁まで動いた。足をおろし、スリッパをひっかけて窓辺の写真立てまで手を伸ばす……が、届かない。ち、もうちょっと窓よりにしてもらえばよかったか、ベッドの位置。

 

 もうちょっと、もうちょっとと伸ばす指先に写真立てがかすめる。もう少しだと意気込んだのがいけなかったのか、写真立てはぐらついて窓辺から倒れ落ちるのを俺は目を丸くして見た。

 

 陶器製の写真立て、トリッシュがプレゼントしてくれた写真立てが!

 

 身体を前方に倒す。腰掛けたままでは間に合わない、ここは全身で飛びつくのみ――ッ!

 

 

 ゴツ、という音が部屋に響いた。

 

 

『どうしたんだいヘーマ、一体何の音……何をしていたんだい?』

 

「し、死守したぜ……」

 

 

 慌てて戻ってきたジョナサンが、胸に写真立てを抱きつつ後頭部を片手で抑えた床に転がる俺を見下ろした。良かった写真立てが無事で。

 

 

『無理して動こうとするからだよ、僕を呼べばいいのに』

 

「いや、呼ぶほどのことでなかったからつい」

 

 

 倒れた俺に向かって手を差し伸べた呆れ顔のジョナサンに、俺は眉尻を下げつつ起き上がろうとして。

 

 何の抵抗もなく、自力で、その場に立ち上がることができたことに驚愕することとなった。

 

 

「――は?」

 

『へ、ヘーマ……?』

 

 

 常にだるかった力の抜けた身体も、薄暗い靄がかかったような視界も、途切れ霞みがちだった意識も。どんな医者の診察を受けても回復の兆しさえもなかったそれらは、まるで夢か何かだったかのようにどこにも残っていなかった。

 

 拳を握ったり開いたりして感触を確かめる。握力がちゃんと戻っていることを確認していたら、横から衝撃がぶつかってきた。

 

 

『よかった……元気になったんだねヘーマッ!』

 

 

 俺に抱き着きながら、目に涙を浮かべるジョナサン。先ほどまでの俺であれば、その衝撃に耐えられず気を失っていただろう。安心した表情の彼の背中を叩いて宥め、俺は久しぶりに自分から出てきたピクテルが絵を取り出す姿を見る。

 

 

『――何がきっかけだ?』

 

「わからん。あえて挙げるなら頭をぶつけたくらいか」

 

『なんだ、さっさと殴っておけばよかったな』

 

「お前に殴られたら俺死ぬからな?」

 

 

 ジョナサンに抱き着かれている俺を見て少し表情を緩めたディオだったが、すぐに皮肉げな表情で拳を握りしめた。いや、今さら殴っても変わらないと思うぞ。

 

 

『ヘーマ、本当にどうもないのかい?』

 

「まったくなにもなくて元気です。いや、いきなりぱっと体調が良くなったから、それが違和感があると言えるが」

 

 

 首を傾げている俺とジョナサンに、なにやら考え込んでいたディオがまるでスタンドの暴走のようだなと呟いた。

 

 

『俺がスタンドに目覚めたことをきっかけにしたホリィのスタンドの暴走……あれもあの娘のスタンドを封印した途端に体調が劇的に回復したのだろう』

 

「確かに……まるで原因を取り除いたような」

 

 

 だが俺には原因に全く心当たりがないのだが。もしかしたら自覚がないだけで不調な部分が残っているかもしれないと、俺はナースコールを押した。

 

 

 看護師が慌てて医師と共に病室に駆け込んできた後。あれよあれよと精密検査巡りを行い、その結果どこにも異常がないことがわかった。原因も解決策もわからないまま迷宮入り、のようだ。

 

 検査に疲れた俺を労うディオから見舞いで貰ったリンゴを受け取り、しゃくりと音を立ててかじる。うん、普通に食べられる。体調の悪い時はあまり味がしなかったリンゴをしゃくしゃくと堪能していると、ジョナサンがジョセフ達にも連絡した方がいいのでないか、と提案してきた。

 それもそうだと一番連絡が取りやすい承太郎にかけることにし、携帯を手に取った。

 

 

『――もしもし』

 

「やあ、久しぶり承太郎」

 

『平馬か、体調は大丈夫なのか?』

 

「それがさ、どうも――」

 

『ヘーマパパぁぁッ!』

 

 

 承太郎の渋い声に現状を伝えようとしたところ、途中で割り込んできた声に思わず形態を耳から離した。ひ、響く……この声はウンガロか。どうやら承太郎の携帯を奪ったようだ。

 

 

『どうしようヘーマパパッ、ユーインが、ユーインがッ!』

 

「どうしたウンガロ。落ち着いて、ユーインがどうした」

 

 

 聞こえてくる焦燥した声をなだめ、ユーイン――ウンガロの息子の名前だ――に何があったのかと聞き出そうとする。しかし、電話はすぐに持ち主の手に渡ったらしい。

 

 

『聞こえるか平馬。ウンガロが興奮しているから手短に話すぞ』

 

「承太郎、ユーインに何かあったのか」

 

『ああ……いなくなった』

 

「いなくなったぁッ!?」

 

 

 驚きのあまり叫ぶ俺の声に、お茶の準備を進めていたディオとジョナサンが振り返る。俺は携帯をハンズフリーに変更すると机の上に置いた。

 

 

『目を離したのは数分も経っていない、だが家の中から忽然と姿が消えている。部屋は二階でドアや窓からの侵入の痕跡はない』

 

「家はウンガロの?」

 

『いや、虹村家だ。丁度子供の顔合わせで来ていたんだが……形兆の娘は無事だ』

 

 

 ああ、そういえば形兆君の子供も先日生まれたところだったと頭の隅で納得していた。

 

 

「――なあ、承太郎。ユーインがいなくなったのは何時ごろだ?」

 

『夕方の六時頃、五時間前だ』

 

 

 壁にかかった時計を見る。現在、針は夕方の四時を指している。日本とイタリアの時差は七時間、そして今から五時間前は朝の十一時。

 それは精密検査巡りを始めた時間帯で、俺の体調が回復したのもそのくらい。

 

 

 そうか、そういうことか。

 

 

「承太郎、ウンガロにユーインは心配いらないと伝えてくれ」

 

『……なにか心当たりが?』

 

「ああ……なにしろ俺だからな、いなくなったのは」

 

 

 じゃあそういうことだから、と承太郎の返答を待たずに通話を切る。向こうはきっと混乱しているだろうが、しばらく放置しておけば落ち着くだろう。電源まで切った携帯を手に持ってくるりと振り返れば、それぞれ笑った二人の姿があった。

 

 

「どうやら、俺は孫らしい」

 

『だからディオにそっくりだったんだね、まったく……あまり承太郎をからかってはいけないよ』

 

『ジョセフとは従弟か……また奴が叫ぶだろうな』

 

 

 マジか、と叫ぶジョセフの姿が容易く想像できた。アイツも年だから驚き過ぎて心臓が止ま……らないな。そんな柔な心臓の持ち主じゃあなかったな。

 

 長年の疑問が解消されてスッキリしたところで、しばらくご無沙汰だった日光浴にでも出かけるとしよう。数十分もすれば日も暮れてしまう、できるなら今日のうちに光に当たりたい。

 

 さらさらと卓上メモに散歩へ繰り出す旨を綴り、部屋着から外出できる格好へ着替える。

 承太郎からハルノに連絡が行く前に、知らせを受けた彼がこの病室にたどり着く前に。

 

 

「さあて、逃げるぞッ!」

 

『ひどいなぁ』

 

『なに、止めないのならば同罪さ』

 

 

 俺達三人は顔を見合わせて笑い、見回りの看護士が近くにいないことを確認して病室から出た。

 上手いこと抜け出し外の公園を伸びをしつつ歩む。

 

 

「んーッ! この開放感、人間やっぱり日光にあたらないとダメだよなー、健康のためにも」

 

『ハァ……おっさんくさくなったな、ヘーマも』

 

「ジジイには言われたくねぇ」

 

『誰かジジイだと?』

 

「ぐああああッ! あ、足浮いてる……ッ」

 

 

 無表情でアイアンクローをかけられ、宙吊りにされる俺……しまった、少年サイズだから足が届かなくて逃げられん!

 

 

『ディオ、ヘーマが元気になって嬉しいのはわかるけれど……それくらいにしておかないと、いくらヘーマでもまた寝込んでしまうよ』

 

『それはつまらんな』

 

「オーケー、二人とも俺の扱いについて後で深く話し合おうか」

 

 

 止めているのか俺を貶しているのか、判断に難がある言葉に昔日の純粋だった彼の変革に涙が出そう。性格が悪くなっているとかではないんだ……そう、人が悪くなっているだけで。

 

 じと目で見れば、爽やかに笑って流される。これが成長というものか……。

 

 嘆きのあまり天を仰いでいる横で、ディオは何故かある方向を見つめていた。

 そしてふと口の端を吊り上げて、俺と視線を合わせれば、先程向いていた方を腕を組んだまま指差した。

 先を辿れば、示された方向に立っているのは二十代の若い日系の女性。かなり美人だ。見舞い客なのか花束を抱えたその人は、長い髪を風に揺らして俺達を静かな目で見つめていた。

 

 ……あの、なんか、俺凝視されてないか。

 

 美人にガン見されて居心地が悪くなってきた俺は、目線を横へと泳がす。そんな俺をジョナサンが困った顔で鈍感だね、とため息をついた。

 

 なんなんだ、と俺が困惑したとき。

 

 

「思ったより元気そうね。……少しは気付きなさいよ、このヘタレ男」

 

 

 そんな、鈴の鳴るような声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 -完-




ようやく完結へとこぎつけました。途中かなりのスピードダウンしましたが。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

追記
そういやわからないよな、と。

彼女の能力は時間の巻き戻しです。
効果範囲は自身か自分を除いた周りのどちらか。
今までは無意識下で自分に使用していましたが、制御できるようになりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編
後日談 ウンガロの心境


おまたせしました。


後日談 ウンガロの心境

 

 

「承太郎兄ちゃん、ヘーマパパは?」

 

 携帯の画面をじっと見つめたままの兄貴分を見て、リキエルが俺の口を塞ぎながら問いかけた。くそ、ドナテロに羽交い締めにされているから、身動きどころか目しか動かせないんだが!

 

「ハイハイ、ウンガロ兄ちゃんどうどう」

「むぐー!」

「ドナテロ、そのままお願いするよ。で、承太郎兄ちゃん?」

「ああ……あの馬鹿、問題発言だけ残して切りやがった」

 

 眉間に皺を寄せているのはデフォルトだとしても、ひどく頭が痛そうな兄貴分は非常にレアだ。ヘーマパパ関連だと出てきやすい……ああ、いや、思考がズレている。俺の可愛いユーインについてヘーマパパは何か言っていたのか?!

 

「問題発言って?」

「……いなくなったのは自分だから問題ないと」

「え?」

 

 え?

 

 言葉の意味がわからず、疑問を浮かべる俺たちに向かって、承太郎兄ちゃんは深々と息を吐いた。これは俺たちの理解力へのため息ではなく、ヘーマパパへのものだろう、うん。

 

「平馬が元々この世界の住人で、赤ん坊の頃にあの世界に行っていたことは知っているな」

「ああ、前に聞いたな」

「……あー、なるほど。それで」

 

 素直に頷くドナテロと、何か感づいたらしいリキエル。ちょっと兄ちゃんにも詳しく教えて欲しいんだが!

 

「気づかないのかい、ウンガロ。……ユーインってさ、生まれたときDパパに似てるって皆大笑いしてただろう?」

 

 リキエルの振りに首を縦に動かす。保育器に寝ているユーインに皆が会いに来たとき、ジョセフじいちゃんとレオーネ兄ちゃんが盛大に吹き出し、即座に写真を共有され、体調が悪くてアメリカに来られなかったヘーマパパ達からも、文章からにじみでる笑い混じりの返信が届いた。

 ディオの遺伝子強いなー、なんて、見舞いに行ってからも言われたものだ。

 

「Dパパに似てるってことはさ、ヘーマパパにも似てるってことだろう」

 

 リキエルはジャケットの内ポケットから手帳を取り出し、一枚の写真を引き抜いた。ぴらりと裏返されたそれは、十数年前の杜王町で撮影したもの。学校が始まるため一足先に帰る俺達と丈助兄ちゃん達、そしてヘーマパパ達が一緒の写真。嫌がるヘーマパパをなだめて、本来の赤ん坊の姿で撮影していた。

 

 見ればわかる。

 ヘーマパパとユーインはそっくりだった。写真が古くなければ、同一人物だと疑いもしないほどに。

 

「ヘーマパパは、ユーインなのか」

 

 写真を凝視しているドナテロが手を離したから、俺の声がやけに鮮明に響いた。

 

「……ウンガロ」

「つまり俺がイタリアで一緒に住んでも問題ないってことか」

「待って、予想と反応が違う」

 

 うきうきと目を輝かせた俺に、もうちょっと葛藤とかで呆然としてると思ったぞ?!と、ドナテロが肩を掴んできた。確かに驚いたし葛藤がないとは言わないが、それよりも。

 

「大好きなヘーマパパと大好きなユーインが同一人物で何か問題でもあるか?」

「いや、父親と息子が同一人物なんてケース、普通の家庭はないから」

「ユーインはまだ小さいから、親子で暮らすのが当然だし、よーし早速移住の準備しなくちゃな」

「うわぁ、ヘーマパパとウンガロの血のつながりをスゴく実感したよ僕」

「こっちの言葉聞いてねえしな」

 

 ヒソヒソと話し合う弟達の横で、いそいそと奥さんに連絡しようと携帯をポケットから取り出した俺に、承太郎兄ちゃんの拳骨が落ちた。

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 

「やってきましたイタリア!」

「落ち着け」

「いたい!」

「うわぁ……」

 

 空港の外に出て早々、湧き上がる高揚感の赴くまま、浮かれまくった俺を承太郎兄ちゃんが鉄拳で沈めた。うぐ、頭と弟たちの冷めた目が少し心に痛い。

 

「ウンガロ、よぉーく思い出して。もっと君はしっかり者だったはずだよ」

「わ、わるい。どうも心が落ち着かなくて」

「気持ちはわからないでもないけどさぁ」

「こうしている間にも何処かに逃亡してないかと思うと……まさかまた誘拐されてたり……今度こそ出さないようにしたほうが」

「承太郎兄ちゃん、もう一発お願い」

「へぐぅッ!?」

 

 避ける間もなく承太郎兄ちゃんはスタープラチナの拳を振り下ろしていた。まって、これ、端から見たら俺だけ不審な行動しているやつだろ。承太郎兄ちゃんの俺たちへの対応が、年々手荒くなっているのは気のせいではないらしい。今回でフォローすら無くなったようだ。

 

「あー……そうか、ヘーマパパは息子だけど、Dパパも父親なんだよなぁ」

「超絶マイペースとヤンデレは合わせちゃいけないと思う」

「ヒドイミックスを見た」

 

 弟達は携帯端末を操作しながら、頭頂部を押さえる俺を遠い目で見ている。あれ、何だろうこのデジャビュ。早急に兄としての尊厳を取り戻さないと非常にまずい気がする。深く息を吐き、ゆっくりと吸う。これはあれだ、ヘーマパパが言っていた変なテンションってやつだ。

 

「で、いつまで空港にいるつもりだ? 本当に平馬が逃げて会えないかもしれんぞ」

「ヘイ、タクシー!」

「ウンガロ、そっちはぼったくりの可能性が高いから戻ってきなよー」

 

 

 

 * * *

 

 

 結局、タクシーは使わずにハルノ兄ちゃんからの迎えに乗車して、私用で使っているという家に着いた。使用人がゆっくり開けたドアの先にあるホールには、長椅子に腰掛けるDパパとJパパがいた。

 

「いらっしゃい、皆。よく来てくれたね」

「悪いが、これ以降は侵入禁止だ」

 

 ちょっとそこに座りなさい、と手のひらで示した向かいの長椅子に座ると、出てきたコーヒーに口をつける。いい豆使ってるなあ。なお、ハルノ兄ちゃんはブチャラティさんが連れ帰ったらしい。また抜け出し見舞いをしていたな。

 

「今、ヘーマに来客が来ていてね。無理に乗り込んで盛大に沈められる前に、現状を説明しておこうと思ったんだ」

 

 Jパパは、俺たちがコーヒーに添えられた菓子まで食べたことを確認して、困ったような顔でそう言った。沈められるとは何だ。どこにだ。

 

「ヘーマの素性は理解しているな? ……よし、では詳細は省くことにする。……いいから聞け、来客についてだ」

 

 物言いたげな俺たちを制して、Dパパは話を進める。もの凄く嫌そうな顔だ。基本、ヘーマパパがトラブルに巻き込まれることを大歓迎するDパパなのに、一体何事が起きているのだろうか。

 

「来客はヘーマの義姉だ。承太郎とウンガロは見たことがあるのだろう?」

「……あるけど、その人未来の人じゃあ」

「スタンド使いでな」

「把握」

 

 スタンド使いなら仕方ない。あり得ない現象の大半が説明できる。だからこそ、スタンドを知らない人には何も話すことができないのだが。

 俺の奥さんへの説明もそりゃあ最初は難しかった。人型のヴィジョンを持つスタンドなら、マグカップを持たせてサイコキネシスと説明がしやすいが、俺のスタンドにはヴィジョンがない。親密度が低いときに能力を説明すると、脱出不可能な異空間への拉致監禁と疑われる可能性がある……つらい。

 

「次に説明するのは関係性。ヘーマの初恋相手、両想い、時空を越えた別れ、再会。あとは察しろ」

「省略しすぎじゃない!?」

「よくよく考えずとも、何故私たちがあの馬鹿の恋愛事情を説明せねばならんのだ」

 

 面倒くさいという気持ちが勝ったのか、疲れたようにDパパがカップを持ったまま背もたれに身を預ける。いやまあ、父親の恋愛事情とか普通は聞きたくないだろうけど、あのヘーマパパだぞ? この十数年女の影がまったく無かったヘーマパパだぞ? もしかしたら同性が、と実際に聞いてみたら、微妙な表情をしていたヘーマパパだぞ?

 めっちゃ聞きたいんだけど?

 

「沈められるって、ヘーマパパが口説いてる最中だから、邪魔すると怒るってこと?」

「違う」

「相手の女性、ミキは恥ずかしがり屋なんだ」

「ああ、彼女に配慮してってこと?」

「違う」

 

 否定される回答を受け、なぜ俺たちは沈められるんだ、と顔が正直な俺たちへ、Jパパはそれはね、と微笑んだ。

 

「ミキが恥ずかしさのあまり手がでるだろうね、いやクッションかな」

「わからんぞ、手頃な質量のあるヘーマかもしれん」

「ないとは、言い切れないなぁ」

「え、ヘーマパパどうなるの」

「投げられる」

 

 どういうことだ。恥ずかしさのあまり成人男性を投げる女性……いやどういうことだ。

 

「ああ、スタンドを使ってか」

「素手だな」

 

 Dパパの声に沈黙する一同。重量挙げの選手か何かなのか?

 

「ちなみに、僕とミキが戦って、確実に勝てる自信はないよ」

「は?」

「一体どんなゴリラなんだよ」

「華奢で小柄な美人だよ」

「嘘だぁ」

 

 微笑むJパパも口の端を吊り上げるDパパも、目線をそっと逸らした承太郎兄ちゃんも、それ以上は語るつもりがないようだ。俺たちは顔を見合わせて、とりあえずヘーマパパが部屋から出てくるのを待つことにした。

 

 

 * * *

 

 

 ひさしぶり、とやたら妖しい雰囲気を纏うヘーマパパも気になるが、その横で顔を赤くして、ヘーマパパを睨んでいる女性を、俺は凝視する。

 Jパパの言うとおり、華奢で小柄な美人だ。顔立ちは日本人だろうか、民族的な体格の細さが、Dパパ達の話の信憑性を一層損ねている。え、この人が素の腕力でヘーマパパ投げられるの?

 ヘーマパパの彼女ってことは、ユーインの彼女ってことで、ん? もしかしてこの女性は俺の娘になるのか? 可愛らしい人だから、奥さんも喜びそうだ。なにせ、ヘーマパパがユーインだと伝えて、将来有望だと確信していたのは間違いなかったわ、と微笑んだからな。流石俺の世界一の奥さんだ。

 

 そんな風に俺がぼんやりしている間に、互いの自己紹介が済んでいたようだ。ヘーマパパが俺をジッと見つめている。

 表情は、固い。

 

 ――ヘーマパパ自身が、本当はどう接すればいいのか、わからないのかもしれない。俺は、ヘーマパパもユーインも知っている。父親と息子、それぞれの関係性を認識している。

 でもヘーマパパは、息子(ウンガロ)は知っていても、父親(俺)は知らない。赤ん坊の頃に離れてしまったから、あまりにも幼かったから、父親(俺)を覚えていない。

 

 俺と奥さんは、息子の成長を傍で見守ることは出来なかった。ユーインも、両親の顔を、笑って、叱られて、泣いて、甘えて、抱きしめられることが出来なかった。

 なら、最初にすることは決まっている。でもその前に――。

 

「ヘーマパパ、ユーイン。俺はどちらで呼べばいい?」

「……俺に聞いちゃうんだ」

「だってさ、両方大切ってことは変わらないからな。ヘーマパパは大好きな父親で、ユーインは愛する息子で。無事であれば、それでいいんだ」

 

 笑う俺を、ヘーマパパは困惑した目で、頼りなさげに見る。戸惑っているなあ、なんて、穏やかな気持ちのままで、俺はそれを見返す。

 

「じゃあ、そうだな。ヘーマパパ、ちょっとデフォルトの年齢サイズになって」

 

 ちょいちょい、と手で招く俺に、ヘーマパパはおどおどと近づき、俺の傍に来たとき、ピクテルがキャンバスへとヘーマパパを仕舞った。

 そしてキャンバスから出てきたのは、十二、三歳ほどの少年。大きくなったなあ、と両脇に手を差し込み、抱き上げ、まだ俺に比べて小さな身体を膝の上に乗せた。

 

「な」

「よし、デフォルトのときはユーインな。大きくなってたらヘーマパパにしよう」

「ちょ、デフォルトでも12歳ほどなんだけ、ど……」

 

 抱きしめたユーインの頭を撫でる。少し髪の癖が強くなったなあ、あんなに細い髪の毛だったのに、しっかり生えてるや。身体も大きくなったなあ、小さくて、ふよふよで、首がなかなか座らなくて、すぐ飲んだミルクを吐いちゃうから、どうなるかと思ってたんだ。

 

「――よかった、本当によかった」

 

 俺の息子は、ちゃんと生きてた。随分数奇な人生を送っているみたいだけど、元気で、健康で、好きなことがあって、好きな女の子もいて、色んな人達に好かれるような、そんな自慢の息子になっていた。

 

 ぼたぼたとあふれる涙は、ユーインの細い肩を濡らしていく。抱きしめられるがままの彼は、そおっと、俺の背中に腕を回した。

 

「――ありがとう、お父さん」

 

 耳元で聞こえる、震えた声に、俺はくしゃりと笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編 もし一部の世界に行っていたら

ひっそり


 

 

 眩く輝く品の良いシャンデリア、細かく繊細な模様が織られたカーペット、艶やかに磨かれた木彫の手すりが階段を飾り、壁に掛けられた絵画や調度品の数々がとても華やかである。

 そんな一般庶民な日本人がいるはずもない空間の中で、俺は腕を組んで冷ややかな目で見下ろしていた。

 

 ──何をか? もちろん、カーペットの上に強制的に正座をさせた馬鹿共もとい、ジョナサンとディオをだ。

 

「俺、言ったよな? お前達に一緒に行かないって言ったよなぁ? ちゃあんと賭けにも勝ったよなぁー?」

「ハイ」

「そうだよな、俺にも日常があるし、生活基盤はあの時代なんだから、百年前のましてや外国の生活習慣なんて一切知らないし、戸籍も無ければ仕事も無い。不法滞在で公的機関にしょっ引かれても、何も文句を言えない状態になるよなぁ」

「ハイ」

「な・の・にッ! 何してくれちゃってんだこのがきんちょ共ーッ!?」

「イタタタタッ!?」

 

 二人の頬を思いっきり抓れば、神妙な顔とふて腐れた顔が涙目に早変わりした。はん、ざまぁ。

 

 よりにもよって、百年前の産業革命後のイギリスにタイムトリップたぁ、ほんと何してくれちゃってんの。ふははは、どこまで伸びるかなぁ?

 

「さあて、言い訳あるかなぁー? 」

「だって、もっとヘーマと話していたかったんだッ!」

 

 くしゃりとした泣きそうな顔を見せたジョナサンに、俺の指の力がやや緩む。ほーう、続けて。

 

「ひどいことをした、とは思ってる。わかっているよ。でも、でもッ! 僕は、貴方と会えなくなるのが嫌なんだ」

 

 涙目で、必死な顔で、縋るように俺のズボンをつかむジョナサン。叫ぶようなストレートな言葉に、被害者のはずの俺が罪悪感を覚えるという。……ねぇ、これずるくない。

 これは無理、これは怒れない。そうかー、お兄ちゃんと離れたくなかったかぁー、まったくもー。

 ほっこりとした気持ちでジョナサンを見てると、頑なにこちらを見なかったディオが、ポツリとつぶやいた。

 

「……ヘーマがいれば、俺は……」

 

 かすれるような声に、俺は息を飲んだ。ディオは、それはもう非常にプライドが高い。原作であるマンガでもそうであるし、数日間共に過ごして感じた。自分の弱さなど、他人の前で、しかもジョナサンの前で、見せるなんて耐えられるはずがない。

 なのに、聞こえた言葉は、この俺より小さい少年からのSOSのような気がして。

 深々と息を吐けば、ピクリと動く金色の頭。

 

「色々、常識とかマナーとか。教えてくれるか?」

 

 和解の言葉を口にすれば、任せてくれと嬉しそうな声。仕方がないなー、と苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

「どうすっかなー……」

 

 与えられた一室の豪華なソファーに座り、でろりと身体の力を抜いて、深々とため息をつく。

 この時代にやってきた直後、帰宅したジョナサン達の父親こと、ジョージ・ジョースター卿に正直に現状を話した結果、即座にジョナサンとディオが殴り飛ばされた横で、真摯に頭を下げられて謝罪された。あんまりにも見事に吹っ飛んだ二人に数秒間呆けた後、慌てて介抱しようと駆け寄ろうにも、目の前で深々と頭を下げ続けるジョースター卿をそのままにも出来ず。あのときの俺は、紳士の怒りを鎮めようと、必死に二人の弁護をするしかなかった。

 

 どうにか宥めてジョースター卿が落ち着いた後に、やっと気絶していた二人の手当に取りかかれた。ううん、流石ジョナサンの父上だ。身体能力がべらぼうに高い上に、それはそれは頑固者だった。そして、ジョースター卿の善意で館に居候をしている俺。既にあれから一月の期間が経過している。そろそろ仕事と物件探しをしなくてはなるまい。

 

 現在、どういうツテを使ったのか、ジョースター卿の多大なる好意の采配により、俺は市民権を手に入れており、堂々と働くことは可能だ。しかも、なんとディオの兄として登録されているので、ジョースター家の養子となっている。嘘だろ今だに信じられない。せめてこれくらいはさせてほしいって、最低限度のボーダー高すぎませんかジョースター卿。いや、確かに見た目はそっくりだけどいいんですかジョースター卿。一緒に話を聞いたディオがドヤ顔で、何故かジョナサンが羨ましそうだったけど。あのディオが実弟……アカン、なんか少し胃が痛くなってきた。

 

 問題児との今後を思い、思わずため息が漏れる。衣食住が足り、元の時代へ戻ることも諦めた俺の悩みは、二人の少年の未来だった。

 吸血鬼を巡る長い物語の始まりの二人。この世界としては古い過去から続く生存競争の一つで、後の英雄を生む因縁。ジョナサンとディオの確執があったからこそ、いくつもの出会いがあり、別れがあり、ジョセフ・ジョースターが生まれる切っ掛けとなった。

 

 ジョセフの母、リサリサは新婚旅行中のジョナサンとエリナを襲撃したディオによって、両親を殺され、夫を失ったエリナに助けられたあと、妊娠中の彼女に代わって波紋戦士であるストレイツォに引き取られている。そして波紋を学び、ジョナサンの子、ジョージ2世と結ばれた結果が、【天才】ジョセフ・ジョースターに繋がる。

 そのジョセフによって、世界が、人類が守られるのが、原作の二部だ。

 つまり、あの水難事故がなくてはリサリサとジョージ二世の接点がなく、ジョセフが生まれず、柱の男たちを止める波紋戦士が減る、ということだ。

 

 しかも、主力のリサリサとジョセフを。ついでにリサリサの弟子のシーザーも影響があるだろう。

 

「なにこのムリゲー。バグの改善を求めるぞコラ」

 

 最終決戦メンバー全員離脱って、出版会社におびただしい量のクレーム確実だ。あれだろ、マンガのアニメが映画化して、IFの世界が出てくる感じだろ。大抵ヒャッハー世界になってるヤツだろ。んん、ある意味需要があるのか……?

 

 血迷いかけた俺の思考は、さらに加速していく。

 

 そもそも、俺の存在こそおかしい。何でこんなにディオに似ているのだろうか。2Pカラー並みにそっくりだぞ、ディオが成長したらわからんけども。

 仮に俺が存在している時点で、この世界に乖離が始まっているのならば、たとえ原作の通りに進めようとしても、イレギュラーは出てくるだろう。その結果、ジョセフが生まれなかったとしたら。俺は、無駄に二人を見捨てたことに、なる。

 

──あの二人が、無駄死に?

 

『ねえ、ヘーマ。これ読めるかい?』

『一体何の本……まて、これ白文だろ。俺の国の近くではあるけど』

『ふん、やっぱり無駄だったろう』

『辛辣ぅ! なんで聞いたんだよ!? 読めますぅー! ちゃんと習ってますぅー!』

『やかましい』

 

──俺が、へたれていたせいで?

 

『さ、ジョナサン……食え』

『うー……』

『観念して口を開ける。ほんの一口だぞ? そこまで嫌がらなくても』

『ジョジョはお子ちゃまだから仕方ない』

『お子ちゃまじゃあなッ……ムグ!?』

『よーし、ナイスアシストだディオ』

 

──弟達が、死ぬ?

 

 

「ほぉう……?」

 

 みしり、と軋むような音がする。

 

「──ああ、馬鹿な考えだった。無駄な思考だった。原作通りだと? 平和ボケというのはこういうことか、随分と呑気な頭になっていた」

 

 ク、と自分に対する嘲りで喉が鳴る。そうだとも、俺は知っていたはずだ。子どもの頃、俺を虐めた同級生が、その日に描いた絵を──大切な人をモデルにした絵を破ったときに。無抵抗でいれば、か弱い羊だとなめられていれば、大事なものは簡単に壊されるということを。

 

 今度の相手は同じ小学生じゃあない。少し威圧したくらいで、手を出せば危ないと思い知らせられる程度の相手ではない。

 こちらの死力を尽くして、ようやく勝ち目がぼんやり見えるかどうかすら危うい程の、圧倒的格上の種族。

 

 ──だが、今は動けないただの石像だ。

 

 腹筋に力を込めて起き上がる。立ち上がる際に、手を置いた肘掛けが何やら波打つように凹んでいた。あれ、こんなデザインだったろうか? 首を傾げながらドアまで進み、ドアノブをゆっくり握りしめた。

 

 ドアの隣、壁掛けの『絵』に視線を向ける。つり上げられた口角、嬉々として細められた目元。其処に映った男は、万人が見ても心底嬉しそうだと表現するだろう。

 ただし、背後に浮かぶ仮面と無数の額縁が、男に異様な印象を加える。

 

 そう、きっとこう思うはずだ──なんて禍々しい笑みだ、と。

 

 

 

* * *

 

 

 

「あれ、ヘーマ。出かけるのかい?」

「ジョナサンか、おかえり。ちょっとな」

「ただいま。珍しいね、ずっと引きこもっていたのに」

「誰が引きこもりだコラ」

 

 屋敷の玄関までの道のりをジョナサンが歩いていると、向かい側から平馬がゆったりと近づいてくる姿が見えて、少年は小走りで駆け寄った。久しぶりに太陽の下で見る兄貴分は、少しやせたように思える。大雑把に見えて以外と気を遣う彼は、あまり屋敷から出てこようとしなかったが、ようやく外に出る気になったのかとジョナサンは嬉しく思った。

 それと同時に、屋敷に閉じこもっていた彼が一人で外に出て、無事に戻ってこれるのか心配になった。このロンドンという街は発展しているものの、非常に治安が悪い地域がある。いくらヘーマがある程度の護身ができるとはいえ、多勢に無勢となれば危うい。

 

「大丈夫? 僕が案内しようか?」

「へーきへーき」

「でも、危ない場所もあるんだよ」

 

 危ない場所ねぇ、と兄貴分は目を細める。その目を見て、ジョナサンの心臓がはねた。──いま、一瞬ヘーマの目が赤い色に見えたような。

 

「それは怖いな、どの辺にあるんだ?」

 

 パチパチと瞬きをして再び彼の目を見れば、キョトンとこちらを見つめる黒い目と視線がぶつかった。うん、やっぱり黒い目だ。さっきのは光の加減でそう見えたのだろう、と納得した。ジョナサンはヘーマに近づいてはいけない方向を指さしながら、どんな場所なのか身振り手振りで説明する。

 

「へえ、そんなところに。わかった、気をつけるよ」

「絶対近づいちゃダメだよ! ヘーマなんかすぐに誘拐されるからね? お菓子をくれるからって信用したらいけないよ!」

「子供か!? 俺ジョナサンより年上なんだけど!?」

 

 苦笑いをしながら、ジョナサンの頭にチョップを入れたヘーマは、ひらひらと手を振ってジョナサンが歩いてきた方向に進んでいった。

 

「夕飯までには帰ってくるから」

 

 

 * * *

 

 

 ジョナサンが自室で本を読んでいると、扉をノックする音の後、ディオが姿を見せた。何か探しているのか、ジョナサンの部屋を一瞥している。

 

「ヘーマは?」

「さっき出かけたよ、すれ違わなかったのかい?」

「いや、俺は見てないな。何処に行ったんだ?」

「あ、聞きそびれちゃったよ」

 

 あまりにも気軽に出ていくものだから、ジョナサンは行き先を尋ねるのをすっかり忘れていた。

 

「大方、絵の題材探しだろう。スケッチブックは持っていたか?」

「手ぶらだった」

「なら、すぐに帰ってくるさ」

 

 腹でも減らせばな、と言い切りながらソファーに座るディオに、ジョナサンは笑い声で同意する。確かに、未来の食事に慣れたヘーマに、このロンドンの食事はさぞ口に合わないことだろう。ジョースター家においてはヘーマの指導により、コックの味付けの腕が向上しているため、問題なく美味しい食事がとれるのだが。

 

 一通り静かに二人で読書をする時間が流れ、ふとジョナサンは先ほど浮かんだ疑問を口にした。

 

「そういえばディオ」

「なんだ?」

「ヘーマって──八重歯だったかな?」

 

 

 * * *

 

 

「やあ、貴方がワンチェン氏だね」

 

 

 ロンドン内の闇黒街『食屍鬼街』にある店で、平馬は店主に笑いかけた。

 

 

「そんなに警戒しないでほしい。今日はただ、貴方にお願いがあって訪ねたんだ」

 

 

 警戒する──いいや、怯える店主の男に向けて、ゆったりとした口調で、心を絡めとられるような声音で謳うように言葉を綴る。

 

 

「なぁに簡単なことだよ──俺、いいや私と」

 

 

 暗い昏い店の中、楽し気に嗤うその表情は。

 

 

「友人になってくれないかな」

 

 

 “未来の弟分”に、とてもよく似ていた。

 

 




Q.もし一部の世界に行っていたらどうなった
A.闇落ちする


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。