TS転生すればおっぱ……おにゃのこと戯れられるのでは?だからチート勇者、テメェはお呼びじゃねえんだよ! (Tena)
しおりを挟む

取扱説明書(まとめ)

副題が長いのばかりなので、見やすいようにした目次ページです。
ちょこちょこ書き足していく予定です。
初めての方は飛ばして、次話より読み進めください。



目次

 

1.各話一覧

2.登場人物紹介

3.挿絵一覧

 

 


 

 

各話一覧

 

各話一覧

 

話数

章題

タイトル

1

-

-

2

1

幼児期編

3

2

4

3

5

4

6

5

7

6

お七夜編

8

7

9

8

10

9

11

10

12

11

13

12

14

13

15

14

16

-

-

17

15

若紫編(上)

18

16

19

17

20

18

21

19

22

20

23

21

24

22

若紫編(下)

25

23

26

24

27

25

28

26

29

27

30

28

日常編

/幕間

31

29

32

30

 

話数

章題

タイトル

33

31

少女期編

34

32

35

33

36

34

37

35

38

36

39

37

40

38

告白編(上)

41

39

42

40

43

41

44

42

45

43

告白編(下)

46

44

47

45

48

46

49

47

50

48

51

-

-

52

49

日常編2

/幕間

(上)

53

50

54

51

55

52

56

53

57

54

日常編2

/幕間

(下)

58

55

59

56

60

57

61

58

62

59

63

60

64

61

 

話数

章題

タイトル

65

62

外界編

 

 


 

 

登場人物紹介

 

・ノアイディ=アンブレラ・ニイロ*1

 本作の主人公。前世では女顔イケメンとして青春を拗らせ、高2のある雨の日に死亡。珍棒が珍宝だったために、女神にメス堕ち候補生として選ばれ、剣と魔法のファンタジー世界にエルフの巫女として生まれる。

 いちいち名前に注釈で「※レインを名乗る」と付けるのが面倒くさい。

 

・ノアイディ=サルビア・テレサ

 本作のヒロインにして主人公の母親エロフ。巫女の役職をアイドルにすり替えた犯人。いつのまにか娘に調教され、快楽に負け、夫を裏切って寝取られた。もう自分でも何書いてるか分からん。誰か日本語に翻訳して。

 本来は勇者に主人公が堕とされるまでの繋ぎだったが、正直、愛が強すぎて手がつけられなくなっている。もう母様でゴールでいいよ。百合しか勝たん。

 

・(ノアイディ=)ツグミ・ディアルマス

 本作の竿役になるはずだった勇者。色々あって、人間だが主人公の弟として育てられることになる。エルフの里入りしたことで魔強化されたが、反面、主人公の太ももによって精通し、のちに射精管理されるようになるという可愛らしい側面も兼ね備えた黒髪剣豪ショタ。何言ってるか分からん。誰か翻訳。

 現在主人公を寝取るために修行中。

 

・ルーナ

 だいたいこいつのせい枠。常軌を逸した能力を持ち、主人公の転生を執り行う。色々あって堕天させられ、主人公の協力を受けながら天界に戻るため四苦八苦……というわけでもなく、日頃グースカ寝ている。なお「天界」とは便宜上の呼び名である。

 メス堕ち目的で転生させたことは主人公に言っていない。

 

 


 

 

挿絵一覧

 

レインデフォルメ表情差分

レイン14歳

 

 

*1
レインを名乗る




TS転生メス堕ちモノは用法・用量を守って正しく使用しましょう。
過度な摂取、濫用は思わぬ副作用を引き起こす場合があります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幼児期編
第二の生を受けました。ホモ親父が浮気三昧みたいなので、代わりに美乳エルフの母様を堕とそうと思います。これ、童貞には無理だにゃ?


己の魂に正直に書きました。
TSメス堕ちモノが増えてきているようで、おじさんは嬉しいよ(詠嘆)


 どこで得た知識だったか、日本では二時間に一人が交通事故で亡くなっているらしい。

 世界では、五秒に一人の子供がその生命を失っているらしい。

 中央アフリカでは、一日に……

 いや、よそう。端的に言ってしまえばいいのだ。

 

 死んだ。

 来世は記憶を持ったままヒト形の生物になれるそうだ。

 や↑ったぜ。

 

 女淵(おなぶち)にいろ、享年17歳。

 

 来世はせめておっぱいを触りたい、思春期真っ盛りの童貞野郎であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 性欲は珍棒に宿る。

 

 大昔の偉い人の言葉にこんなものがある。どうやら、ペットの去勢手術を発祥に信じられるようになったことらしい。

 しかし宦官なんてものを見ればわかるように、人間は珍棒をとった程度では萎えない。萎えるものも無くなるはずなのだが。

 そもそも性欲というものがハッキリと定義できていないのだろう。だが、いまはそんなことどうでもいい。

 

 結局、自分は珍棒を失っても萎えることない、心の珍棒(童貞の精神)を携えていたのである、ニン。

 

 自我が芽生えて以降、授乳の時間は至福のひとときとなった。

 最初は当然恥ずかしかったのである。突如お乳を受け入れなくなった娘に両親は気が気でなかったろう。

 落ち着いてから考えた。そして答え(大義名分)を得た。

 

 母親の乳を吸うのは、稚児の義務だ。

 

 いただきます!!

 役得。二つの意味で美味しいよぉ……。

 

 さて、一度受け入れてしまえばそこからは堕ちるのが早かった。

 

 童貞に自由にして良いおっぱいを与えればどうなるか?

 今生の母親とはいえ、自分の中では前世の母が母であり、この見目麗しい人妻の乳が性欲の対象になるのも無理ないであろう。

 

 しかし、初めはどのように吸おうとも、甘えるふりをして揉みしだいたり先っぽをいじったりしてもニコニコ微笑むだけであった。

 

 悔しい……悔しい……、童貞ゆえの技量の低さが、この人妻を堕とすことを許さぬ……。

 そのように隠れて咽び泣いたことが幾度あったことか。

 泣いているのを見つかれば心配かけてしまう。赤子が泣くのは、緊急事態か食事、排便のときだけで十分なのである。

 だから、両親の寝静まった頃に一人静かにゆりかごを濡らした。

 

 童貞だからよくわからないが、きっと好きな人が触らなければ気持ちよくならないようにおにゃのこの体はできているのだろう。珍棒だって、そういう気分になっているときでもなければパンツとの擦れで快感を生み出すようなことはなかった。

 それでも、前世では文字通り死んでも触ること叶わなかった希望(おっぱい)だ。

 将来他のおにゃのこのおっぱいを触るときに粗相のないよう、学ばせていただくつもりで触りに触った。

 

 さて、ここで少し今生の母親について話すとする。

 彼女はロード・オブ・ザ・リングで言う「エルフ」によく似ている。白い肌に金の髪、耳はほんのりと上部が角ばっており、翡翠の瞳をしたべっぴんだ。

 

 そして、少し残念な気はするが、しかし非常に重要なこととして、おっぱいが控えめである。

 

 まあそれはさておき、この世界に遺伝が存在するなら、自分は勝ち組だと確信してよいだろう。

 また、乳親……間違えた、父親もエルフのオスといった容貌である。猛々しさはなく、黙っていれば鋭利さを、話すときは知的な柔らかさを備えている。

 そりゃ、こんなイケメンで優しい人だったらこの母親も簡単に捕まえられるわな。あれ、でもエルフはみんな見た目がいいんだろうか?

 たまに訪れる来客もエルフ染みた見た目であるし、この世界は人間の代わりにエルフが霊長類代表をつとめているのだろう。

 

 しかしこの父親、妙にきな臭いというか、おかしい一面がある。

 

 夜間、すぐ寝付いてしまうのだ。

 母親の声がちっとも聞こえてこないのだ。

 

 ハッキリ言おう。

 

 両親(こいつら)全然ヤッてないのだ。

 

 はて、こいつ枯れてんのか???

 

 こんなドチャシコな奥さん(おそらく新妻)がいて、子供一人できたら満足???

 別に自分の目の前で羞恥プレイとか、割と親として最低な部類のコトしても自分は気にしないよ?

 というか、ヤれ? な?

 

 あ、ちげえ、わかった。

 

 こいつ、浮気してんだ。

 もしくはホモ。

 

 きっと、お家の事情かなんかで子供は残さなきゃいけなかったんだろう。

 跡取りができれば、あとは巨乳の愛人と仲良くヤッてんだろう、このイケメンは。

 母はトイレだの風呂だのを除けば自分から離れることはない。彼女はシロだ。

 

 そして、もう一つ、童貞でも流石に気付けたことがある。

 子作りのために一回ヤッた程度で、おにゃのこの胸の感度が増しているわけがない。

 親父、あんたは巨乳ギャル、もしくは土方のお兄さんとよろしくやってればいいよ。

 

 

 「母様(かあさま)」には、自分が幸せを教える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めての快感に声が漏れ、色白な顔を赤らめて自身の胸と娘とを何度も見る母様は最高でした、まる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クハハ、やはり転生はTSに限るのう! そうれ祝杯じゃ! ん、なんじゃテルース、酒を飲むときは服を脱げと? ……それもそうじゃな! ガハハ!

 全知全能の神は存在するか?

 

 これほど無意味な問いはないだろう。

 まず、全知とはすべてを知っていることである。ゆえにその後の己の行動すら知覚しており、体感としては時間の概念を超えてしまうことになる。つまり、何もできない状態、あるいは無知と変わりないのだ。選択肢が存在しなければ、「意識」に意味はないのだから。

 ゆえに、全知は無意味である。

 次に、全能とはすべて能うことである。ならば己に持ち上げることのかなわない岩を生み出すことも可能であり、それは己が全能であることに矛盾する。

 ゆえに、全能は無意味である。

 以上から、簡潔に、全知全能の存在を否定することができる。

 

 では、神は存在するか?

 

 これは一転して意味を持つ問いとなる。

 なぜなら、「神」に対する認識は、偶像という言葉がよく表すように、言葉遊びの延長線にあるのだから。

 どこぞの小さな惑星の小さな島国では、八百万の神々が存在すると信じられている。その一柱一柱に役割があるが、その役割外のことであれば、神々は酔っ払って寝落ちるし、怒りに任せて息子だの恩人だのを斬り殺すし、絶対に見るなと言われたものをこっそり見ようとする。

 つまり、どうしようもなく偉大で、否定すべき点の見つからない絶対者である必要はないのだ。

 

 一人称を持つ「誰か」にとって、べらぼうに優れた能力を持つ真似できない存在が、神なのだ。

 

「まあつまり、我のことじゃよな。カカッ」

 

 中に浮かぶ翡翠色の水球のようなものの中で、体を楽にしたままで全裸の女が嗤った。

 いわゆる「神」としての役目をする中で、もっとも優れた家具がこの水球であった。

 若い頃は小部屋ほどのマイルームを作ってだらけたこともあったが、訪れた者に威信を疑われると転生の処理が少し面倒くさくなってしまうので、結果的にすぐ仕舞えるサイズの家具ひとつを置くことにしたのであった。

 某文明のげーみんぐちぇあというモノにも心惹かれたが、座ってばかりいると腰に負担がかかることが分かったのでこちらの水球にした。げーみんぐちぇあを生んだ文明の何倍も先を行く文明産で、その文明が自分の育てたものであったりすると誇らしくなる。

 

「いやしかし、盛りの少年がTSしてメス堕ちする様はいいものじゃな……」

 

 ソレは恍惚な表情を浮かべた。

 娯楽を一人で生み出すのは難しい。しかし、自分ほどの能力があれば他所から娯楽を持ってくればいいのである。

 その中で一つたどり着いたのが、文学、あるいは漫画などの類いであった。

 

「ああ、我もメス堕ちしたい……。しかし、我みたいな美少女がメス堕ちしてもなんの面白みもないんじゃよなぁ……」

 

 割と支離滅裂なことを言う存在であった。

 

「そうじゃ、せめて我好みのオスをTS転生させてやろう」

 

 思い立ったが吉日、行動に移すのは早かった。

 最近活動が活発な邪神のように、狙った人物を、因果を無視して殺すの(とりあえず転生トラック)は良くない。アレは最近節約を求められている「世界」の某エネルギーを大きく損なってしまうし、その程度の格だと他の者たちからレッテルを貼られてしまう。

 

 その存在は近日中に死ぬ若者で、女顔のイケメンを探した。女顔は女体化に対し興味を持つことがままあるからだ(我調べ)。

 もっとも、その存在の感覚で近日中というのは某文明の霊長類でいう数年であり、また「世界」全体を検索範囲にすれば、候補はかなりの数見つかった。

 その中から性への意識をこじらせており、また現時点では(・・・・・)「男と恋愛なんてまっぴらごめんだね!」と思っていそうな人物をピックアップした。

 まだ数人候補が残ってしまっていたので、あとは珍棒の大きさで決めた。

 

 それが、女淵にいろである。

 

 しかしここまで来てもその存在はまだ満足していなかった。

 TS転生において、最低限の素質さえあれば転生元の人格・生い立ちは正直どうでもいい。

 最も重要なのは、転生先の環境、素体、そして運命である。

 

 その中でも大事にしたいと思ったのが運命であった。

 運命と言っても、事細かにすべての物事が決まっているわけではない。世界は揺らぎ続けている。そして、未来のことであればあるほど揺らぎの揺れ幅は大きくなり、時に滅びるはずないと思われていた一つの文明が滅ぶことすらある。

 しかし、生き物一匹の運命など、一定の期待値を示す範囲で見れば大して揺らぐことはない。

 

 その存在は考え抜いた結果、とある文明において「いずれ勇者が訪れる森人の里の、勇者の仲間として里を出るエルフ娘」を転生先に選ぶことに決めた。

 

 自分と同じような存在の中には、妙に勇者だの魔王だのと言った役割を重視する者がいる。そいつには貸しがあったので頼むことは割と容易であった。

 というか、「TS転生エルフのメス堕ち、見たかろう?」と誘いをかければ貸し借りの話が出る前に商談は成立した。

 

「ククク、カカカカッ! 環境、素体、運命ッ! いずれも最高の舞台を整えてしまった……。あー、我もしかして天才か? 天才じゃったのか? クッ、ククククク……」

 

 さて、転生元も転生先も決まれば話は早い。あとは女淵にいろが死ぬのを待って自我をこちらへ誘導し、女神ロールプレイをして終了である。

 まずは水球を一旦消し、舞台のセットを整えればよい。ああ危ない、女神っぽい服も忘れてはいかんな。裸では流石に威信を疑われかねない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

 一人の少年が呟いた。いや、実体としての口はなかったので正確には音を発しただけである。

 視覚も、聴覚も働いている。しかし体の感覚がない。まるで炎のように、自らの身体がゆらゆら揺らめいているのである。

 

「……待っていました、女淵にいろ」

 

 不思議な声であった。右から左から、あるいは後ろから聞こえているようで、その実発生源は正面に座る人物だとハッキリわかる。

 だから、にいろは自然に受け入れることができた。

 

「神……さま。そうか、自分は、死んだのか……」

「その通りです、にいろ。私はあなたを次の世界へ生まれ変わらせる存在。あなた方の思うところでは、神というのが最も適当でしょう」

 

 他に信じようがなかったのだ。だって、この人はあまりにも人間離れした美を誇っている。

 神。現代日本で生きてきたにいろにとっては、それは意外な存在であった。

 

「神なんて、存在しないと思っていました。……生まれ変わりも」

「それは、あなたに前世の記憶が残っていなかったから、でしょうか?」

「……はい」

「それはきっと、あなたの前世が人以外の生き物だったのでしょう。体が受け付けない記憶は、赤子のうちに消えてしまうのです」

 

 その存在は、人間を転生させることにかけては手慣れていた。神を信じるものには「来世も頑張れ〜」と言って送り出せばよいし、神を信じないものに対しては「誰でもそういうもんだよ〜」と一般論を持ち出せばうまくいく。

 大事なのは、「自分は特別だ」と思わせないことである。そうすると、駄々をこね始めたり、来世で傲慢に陥ったりしてしまう。

 

「なるほど? じゃあ今の自分の記憶も、生まれ変わったら消えるんですね」

「いいえ。どうやらあなたの来世はヒト形の生き物のようです。そのため、記憶も損なうことはありません。非常に低い確率ですが、決してありえないことではないのです」

 

 そういえば前世の存在を謳う人とか、同じ人間とは思えないような功績残した人っていたな、とにいろはぼんやり思った。

 その存在にとって、にいろが記憶を持ち越すことは重要であった。そうでなければ、メス堕ちに意味がなくなる。男がメス堕ちするから良いのだ。そのため、本来なら失うべき記憶を持ち越させることにした。

 もちろんメス堕ちしないならそれでいい。にいろの来世は美少女であることは決まっている。絶対にアプローチする男は出てくるのだ。男になびかない美少女と、頑張って気を引こうとするオス共。想像するだけで垂涎モノだ。

 

「にいろ、あなたは来世できっと幸せになれる(メス堕ちできる)でしょう。あなたの幸せ(メス堕ち)は私の幸せ、どうか、良い来世を――」

 

 その声を最後に、にいろの意識はだんだんと薄れていった。

 魂、と呼んでいいのだろう。それがどこかへ引き寄せられていくような気がする。

 

 それにしても、女神様いいおっぱいしてんな。それが彼の最後に思ったことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ククク、カカカカッ! ハイ勝利! ハイ優勝!! おいテルース見ていたか、我の完璧な女神っぷり! 計画も完璧に行ったし、もうメス堕ちで優勝していく未来しか見えにゃいんじゃが! カハハハハハッ」

「お可愛いですわね……」

「じゃろう、じゃろう!? あの顔でTSしないとか無理じゃよ! にいろも我に感謝しておろう! クッハハハハ!」

「ええ、ええ……」

 

 こうして女淵にいろのTSライフは始まったのであった。

 女神たちの祝杯は三日三晩酒に満たされていたという。

 




サブカルクソ女神「ようし、転生したにいろの調子はどうかな。おお、授乳中か可愛いのう」

にいろベビー「ちゅぱちゅぱ」
エロフ母様「んんっ、あっ…………ん……くぅ……」

サブカルクソ女神「は??? メス堕ちに他の女は要らんのじゃが??? なに盛ってんだこの母親、にいろの教育に良くないじゃろ!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

みなさんは何歳の時に自由に揉めるっぱいを手に入れましたか? 自分は生まれて18年経つ頃には揉んでました(笑) 母様かわいいよ母様(母様は小さめのピンク)

 女淵(おなぶち)にいろ。

 

 前世での自分の名だが、実のところあまり好きではない。

 小学四年生の頃にとある男子が「略したらオナニーじゃん」と気付いてから、ことあるごとにそのネタでいじられ、ついぞ中学を卒業するまであだ名は「オナニー」だった。

 挑発には乗りやすいタチであったため、そう言ってきた男たちの金玉は全て蹴り上げたが。

 

 後日母に「喧嘩や人を傷つけることはやめてくれ」と泣きつかれたので、それからは努めて無視するようにした。名付けた親は悪くないのだ。こんなこと、悪意を持ったガキにしか気付けない。

 しかしそれでもちょっかいをかけてくる奴が減らなかった理由には、自分の顔が見るに耐えないモノであったから、というのがあるだろう。

 

 小さな頃は分からなかったが、成長するにつれ周りとの差異が目立った。

 「にーちゃんは女の子みたいだねえ」と可愛がっていてくれた叔父さんも、中学生の自分を見れば気まずそうにし、会話は減った。

 こればっかりはどうしようもない。男なのに女のような見た目をしていれば、まるでオネエを見ている気分になるのだろう。彼女ら(オネエ)の心持ちを否定するわけではないが、ソレは多くの人にとって受け入れづらく、時に不快感を催すモノだ。

 持ち前の単純さのせいで上手く言いくるめられ、高校の文化祭にて女装コンテストに出てしまったのは失敗であった。あれのせいでより一層周囲に馴染めなくなってしまった気がする。そんなんだから彼女とニャンニャンできねえんだよ!

 

 いっそ自分がトランスジェンダーだとか、女装癖があれば楽だったのかもしれない。だが、あいにく自分の理想は阿部寛のような渋いダンディだ。

 成長を重ねるごとに理想からかけ離れていく自身の体と、まっとうな恋愛を経験できずこじらせていく青春。

 しかし幸運にも、自分の生きるこの世界は科学の発展した現代だ。そして、泣き寝入りする自分ではない。

 

「どうか、将来整形手術をすることを許して下さい。費用も手続きも、すべて自分が負担します」

 

 高校2年生に上がった時に、両親に土下座して頼み込んだことだ。

 頑なに頭を上げない息子に、両親はそこまで思いつめていたなら反対しない、費用もできる限り負担する、と言ってくれた。

 母は泣いていた。ちゃんと生んであげられなくてごめんなさいとまで言われ、自責の念で自分まで号泣してしまった。彼女はなにも悪くないのだ。

 いっそ、自分の与えられた体をおよそ17年間かけても受け入れきれなかった、狭量な息子を責めてほしかった。

 

 自分がおっぱいを自由に揉みしだけるのは、少なくともあと3年は後のことなのだろうな、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ…………はっ、ん……」

 

 押し殺したような喘ぎ声が心地よい。

 思っていたよりずっと早く、自由裁量権の与えらたおっぱいが与えられたことは僥倖であった。乳頭(ちちがしら)をいじることに関してはもはや童貞の域を出ていると誇っていいだろう。

 母様は娘に乳を与える時に得られる快感がハッキリ何かは分かっていないらしく、はしたないことだとは本能的に感じているのかもしれないが、誰にも相談せず毎日自分に乳を与える。

 自分が泣いたときはもちろん、そうでない時にも授乳をしてくれる。彼女が自発的に授乳するときは分かりやすい。恥ずかしさをこらえるかのように、その尖った耳の先を桃色に染めながら自分を抱き上げるのだ。

 

 母様かわいいよ母様。

 

 そんなことを毎日繰り返していたのがいけなかったのだろうか。

 ある日、彼女は決意を秘めたような表情をしていた。

 

 何か良くないことが起こる、そう思ったときにはもう遅かった。

 

 なんと! 母様は! ついにほ乳瓶を使いだしてしまったのである!

 

 まだ立つことも叶わぬ体であるが、足元が崩れていくような心地さえした。

 しかし思えば当然のことである。どこかはしたないことに嵌りかけてしまっている己がいたとして、逃れる手段があれば使うのは必至。

 そも、煙草だの麻薬だのに中毒になってしまう者の絶えない前世の世界を考えれば、むしろ快楽という逃れづらいドラッグから自分自身の強い意志の力で脱却せしめた母様は気高く尊い存在だと言える。

 

 自分は、彼女の娘として生まれることができたことに誇りさえ感じた。

 駄々をこねて、ほ乳瓶を嫌がれば、彼女はきっと免罪符ができたことに半ば安堵しながら、再び快楽と授乳に身を委ねることだろう。

 それではいけないのだ。人の尊さとは、甘えに弱く、されど窮まった時に己を律するその意志なのだから。

 

 だから、彼女のおっぱいとはもうお別れだ(卒乳しよう)

 触り方、舐り方、開発する順序、そしてそこに詰まった希望。母様っぱいには沢山のことを学ばせてもらった。これから先おにゃのこと戯れる上では、欠かすことのできない大切な記憶となるのであろう。

 ありがとう、母様。

 

 その夜は、かつての夜のように一人静かに揺りかごを濡らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、起きて腹が減ったと控えめに泣き声を出してやれば、いつものごとくバタバタと母が駆け寄ってきた。

 今日も、ほ乳瓶か。

 いいや、いずれは卒乳をして離乳食に慣れ親しむ日が来るのだろう。

 ままならないな、そう、一人自嘲気味に嗤った。

 といっても赤子のすることだ。母様から見たら泣き止んだようにしか見えないだろう、そう思って彼女の方を見上げた。

 

 

 ほ乳瓶を携えていなかった。

 

 どこか期待したような面持ちで、顔を赤らめていた。

 

 や↑ったぜ(天下無双)

 




よし、母様のスペンス乳腺開発するか。

〜〜TS転生裏話〜〜
サブカルクソ女神『卑しいエロフよ……聞こえますか……今すぐほ乳瓶に切り替えるのです……あなたの行っていることはとても淫らなことです……』
寝起き母様「こ、これは神託!? 神の詔、従おう……そうさ、これはイケナイコト、イケナイコト……」

次の日
エロフ母様「快感には抗えなかったよ……」

サブカルクソ女神「ファッ!?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

触ってないのにPCが壊れましただぁ? 壊れてんのはてめえの大脳皮質だ! いいからフリーズしたPCのキーボード叩くのやめろ! ファッ!? 何もしてないのに視界に変なのが映ったよ!?

 前回までのあらすじ。秩父を攻略し乳腺開発まではやり遂げた自分であったが、秩父の上位的存在、恥部は未だ触れること叶わないのであった……。

 

 いや、何言ってんだこいつと心中でツッコむ。まあ、ナニ言ってるんですけどね(得意気)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 将来勝ち組(美少女)となることが約束されているこの体に生誕して、およそ半年が経っただろうか。

 そこらの人生(エルフ生?)一周目の赤子とはわけが違う。圧倒的身体能力と知性を見せつけて母様(かあさま)を喜ばせて差し上げようと考え、絶賛ハイハイや言語の習得を目指し精進している真っ最中である。

 

 前世では子育てどころかその相方の候補すらいなかったからよく分からないが、半年でハイハイができるようになったというのはかなり早い方じゃないだろうか?

 流石に一ヶ月で立ち上がって剣の修行を始めるようなことはできなかった。とはいえ一般の女児よりは順調に成長できていることだろう。一周目のガキとは年季が違うのだよ。一回死んでから出直してこい(威圧)

 

 他方、言語の習得には中々手こずっている。

 赤ん坊というのは脳みその働きが一番活発な時期で、起きている間は親や周囲の環境から視覚・聴覚に強制的にインプットされる情報をプール(貯蓄)し、眠っている間にその情報群の整理整頓を行う。

 よく、これに伴って頭痛が起きた! 知恵熱だ、うわあ! とか言っている輩を見かけるがデマである。知恵熱についてggrksの一言しか出ない。

 むしろ、情報の整理という意味では事前情報があった方が楽なのではないだろうか? だって自分まだ一回も頭痛とか来てないし。

 

 小難しい話なのでちょっと触れて終いにするが、そもそも生まれたてベビーには三次元の認識ができていない。上で述べたとおり、物心ついたジジババ(4歳〜)では想像もつかないほどの莫大な情報を本来幼児は扱う。

 ディープラーニングをかじったことのある人間なら分かるだろうが、その億でも兆でも表しきれない情報群からなんとか因果関係を導き出し、現実世界というものの枠組みを理解するのが赤ん坊の脳みその行っていることである。

 

 赤ちゃんは尊い? バカ言え。尊いなんて言葉じゃ言い表せないほど凄いことヤッてんのが……間違えた、やってんのが赤ちゃんなんだよ。

 

 結論。赤ちゃん凄い。いえー。

 

 閑話休題(話を戻そう)

 

 つまり、本来赤子がやる作業に対し自分は三次元の認識なんて当たり前のように行えるし、結果的に脳のリソースを別のことに使える、というのが自分の言いたかったことである。

 

 ……勿論、そのリソースを母様開発に回しているわけではない。いや、多少はそっちに使われちゃってんだろうけど。

 その主たる使用先が言語習得である。ぶっちゃけ、最初の頃何言われてるか分からなかった。だから脳はすぐ疲れてしまうし、普通の赤ん坊よろしく寝てばかりだった。

 

 まず気付けたのは自分の名前であった。自分に向かって使う言葉の中で、圧倒的に使用頻度の多い言葉。

 

 マナ。

 

 どうやらそれが、自分の今生における名前らしかった。

 

 次に気付いたのは両親の名である。自分の名前にさえ気付ければ文脈においてどのような場所に名前が使われるかは分かりやすく、「I am」のamだとか「私は」の()のように、この世界では「レア」という言葉の手前にとかく名詞が来るようであった。

 

 そこで母に対しよく使われるのが「テレサ」あるいは「サルビア」、乳……間違えた、父に対し良く使われるのが「マルス」あるいは「キバタン」である。

 大方、新婚夫婦が二人っきりのときは「ママ」だの「パパ」だの「あなた」だの「おまえ」だの呼び合い、人前では名前を呼ぶのと似たようなものだろう。

 

 来客が来ているときはどちらも後者で呼び合っていた。よって、後者が名前で、前者はこの世界の二人称なのだろう。

 まあホモ親父はどうでもいい。

 未だ歯が下の前歯くらいしか生えていないもんだから喋ることは叶わないが、自分の第一声は「サルビア」に決まった。偉大な母様の名前を心の底から愛を込めて囁きたい。

 

 言葉の話はこのくらいにしておこう。大体こんな感じでこの世界の言語を覚えていったのである。文法はおそらくSVOに当てはめられると思うが、ちゃんとした話は母様に教えてもらうまでお預けだ。

 それまでは代わりに、自分が母様に日本流にゃんにゃんの仕方をじっくりねっとり教えていこうと思う。箱入りお嬢様開発楽ぢいィィィ!(発狂)

 

 とは言っても己の成長の遅さがもどかしい。高校生男子というある程度成熟しきった体を元々持っていただけに、例えば手の柔らかさなんかで困ることがある。それに腕もクッソ重くてろくに持ち上がらなかったりする。

 特訓、そう、身体を鍛え上げるためには、今のところは起きている間たくさん体を動かすしかないのだろう。たとえ秩父越えしたとて、恥部を刺激するための手は赤子の手、母様っぱい並みにぷにぷにだ。

 

 ん? 手が使えないなら足…………閃いた。

 まあしかし冗談である。残念か? 流石にそこまでして母様の尊厳を貶めようとは思っていない。もう遅い? まあ堕とそうとはしてるしね、しょうがないね。

 

 時間はあるし、正直その手の知識は試す相手もいなかったので全然足りていない。

 だから今しばらくは、一年間毎日じっくりかけて秩父の開発に務めていこうと思う。結構知ってることやりきっちゃったから出来ることも少ないが、試行錯誤の毎日だ。ワクワクするだろう? 自分はする(素直)

 

 手がぷにぷになのに乳腺開発をどうやったかについては、この世界にもおしゃぶり的なサムシングが存在するとだけ言っておこう。アレで頑張った。あとは勝手に閃け。

 

 さて、自分がこうしてセンシティブな話題ばかりしてくれると期待している諸君には申し訳ないが、したくてしているわけではないのである。

 いやそういう話大好きだけど。童貞拗らせたDKだし。

 だが、ナニも……間違えた、何も自分はそういった事ばかり考えていたり、下半身(故)に従って生きているわけではない。

 

 これは、現実逃避なのだ。

 

 最初の方に述べた、自分は事前情報を有していたために情報の整理にアドバンテージがある、という話。

勘の良い諸君ならお気付きであろう。

 

 仕様を破って不具合が出ないわけがない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 嗚呼、思えば、ラマヌジャンはすぐ死ぬし、天文学者兼数学者兼物理学者兼哲学者やってるような天才(サヴァン)はろくでなしが多いし、前世を謳う輩は頭がイッてるのばかりであった。

 

 自分の場合、おそらく視覚野と感覚野が持ってかれた。

 

 ふえぇ……空中に明らかに普通(ノンケ)じゃない緑のぽわぽわが漂ってるよぉ……。

 触るとジェルみたいな感触するぅ……。




あの、普通って書いて気付いたらノンケってルビを振ってしまってただけなので、別にオカマの生き物とかそういう意味じゃないんです。
こういうのがあるからね、執筆のリハビリって大事だよね!

**連絡欄**
お気に入り100件突破、ありがとう!
コメントも非常にたすかる!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

持久力のないおっさんがどうしてあんなにねちっこい性欲を持つのか、珍棒を失って初めて分かりました。つまりね、おにゃのこはたとえどんな状況であろうと可愛く愛らしいってことなんだよ!!(迫真)

ど う し て こ う な っ た


 母様(かあさま)が乳腺開発中にイッた。

 

 初めてのことである。ゆえに多くのことを語り尽くしたい気持ちもあるが、あのときの感動と、母様が自分だけに、そう、自分だけに見せてくれたあの姿について叙述するのは、自分の卑しい独占欲が許してくれない。

 

 ああ、母様。おいたわしや、母様。

 

 気高く尊い母様のことである。ともすれば淫語の一つも知らないであろう清純で初々しい母様が、決して声を漏らさぬようにと己の下唇を血の滲むほど強く噛み、ただ静寂の満たされた空間の中で一人腹部を痙攣させていた。

 

 ただただ、無音であった。それが一層良さを際立てた。

 

 それは、羞恥であろう。それは、屈辱であろう。それは、恐怖であろう。

 

 そしてそれは、淫靡で蠱惑的な果てのない快楽であっただろう。

 

 嗚呼、嗚呼。母様、その姿の、なんと可愛らしいことか! 愛らしいことか!

 自分の胸のうちに広がった歓喜ともつかぬこの感情。名前をつけることは叶わねど、それは目眩のするほど快楽的な何かであった。

 

 だから続けた(・・・・・・)

 

 だから(・・・)何もわからない稚児の振りをして(・・・・・・・・・・・・・・・)赤子の手をひねるように(・・・・・・・・・・・)もう一度飛ばしてやった(・・・・・・・・・・・)

 

 唇を噛み締めながら、まるで小さな駄々っ子のようにイヤイヤと首を横に振る母様はとても可愛らしかった。

 

 だからこそ、続けたのである。

 

 無知を気取って、その淫乱を嘲笑うかのように、ちょっこっと押したり、別の場所を噛んだりしてやった。母様の大きな瞳孔が、見開いた目の中でこれでもかという程小さくなり震えている様は、それはもう美しいものであった。

 多少なりとも歯が生えているのは素晴らしいことだと、心の底から思った。

 

 これは自分の経験なので母様にも当てはまるのかはわからないが、こと珍棒に関しては我慢した方が得られるものは多い。それこそ、腰が抜けてしまうこともある。

 そして母様は耐えた。本当に、気高いお方だと感動した。そして意識まで絶えた。これにも感動した。

 

 体がせめて生命活動を維持させようと、過呼吸気味になりながら、痙攣しながら、それでも酸素を取り入れようと足掻いている様は、感動以外のどのような言葉で表せただろうか?

 

 最後に、血の流れる唇がとても痛そうだったので、そっと舐め取るようにキスをした。

 

 通算18年、そろそろ19年に入るであろう人生において、初めて己から行ったキスであった。

 初めてのキスはレモンの味? バカ言え。この、天界の酒かと思うほどの甘みと、人を虜にして止まない深みを両立させる、尊き女神、母様の血液の味わいを越すモノなど存在してたまるか。

 自分のはじまりにして、この方こそが終の配偶者なのかもしれないと本気で思った。

 

 生まれ変わる時は、一度でいいからせめて誰かのををうまいを触りたいなあ程度にしか考えていなかった。しかし今は、もはや母様のいない世界など考えることはできない。

 

 母様かわいいよ母様。

 聖母など取るに足らない。女神母様……ああ、甘美な響きだ。

 

 生まれ変わる際に、女神を名乗る者に出会った。

 なるほど、確かに目はくっきりとしていて二重だったし、いわゆる文章表現を越えて絹のように垂れる淡い黄金(こがね)色の髪も、締まるところは締まり出るところは下品でない程度に出ているプロポーションも、愛くるしさを強調する160cm程の背丈やその安らぐ声も、きっとどれをとっても神の名に恥じないものであったのだろう。

 おっぱいの大きさを比べてしまえば、きっと母様が涙目になることだろう。母様かわいいよ母様。

 

 だがしかし、総評して言わせてもらおう。母様のほうが圧倒的に女神を体現している。

 ん? こんな変態な神がいてたまるか? 

 いいじゃないか、変態で。だいたい神……間違えた、いや間違えてないけど……母様は変態なのではない。そういう知識もまったく持っていないのだから。ただ素質があっただけだ(・・・・・・・・・・・)

 素質のある女神、いい響きだろう? いい響きと言え(威圧)

 

 そもそも母様は貧乳ではない。持っている者と比べれば小さく見えるだけで、まさしく美乳である。感度も良好ときた。……え、まって、否定するとこなくない?(困惑)

 極上の果実にしか見えないきめ細やかで白い肌。しかし恥じらうときだけは朱に染まる。

 普段の、美人薄命を絵に体現したかのような淡い表情も最高だ。今にも命を失ってしまいそうな儚い見た目。でもどうか長生きしてほしい。自分と一生を添い遂げてほしい。

 腰まで伸びる細く艶のある髪は、嗅ぐ者の腰を砕けさせる魔性のフェロモンをまとっている。これ、他の誰にも嗅がせちゃダメだな(決意)

 

 ああ、この感情をどう表せば良いのだろう。

 よし、歌うか。作詞自分。作曲自分。女神母様に捧ぐ。

 

優しく抱き寄せ 誓いましょう

海に 大地に 星に

自分(わたし)生命(いのち) 捧げる(ひと)

知らなかった愛を

 

 未だ上手に発音がままならない自分の口は、もちろん歌だって歌うことはできない。だから、母様を抱きしめるようにしながら、そっと口を動かすだけに留めた。

 音楽も(うた)も自分にとっては聞こえていた。ただ物理的に空気が振動していないだけで、たしかに自分はそこで奏でていた。

 

 するとどうしたことだろう。少し前から視界に漂っていた緑色のぽわぽわが、母様と自分の周りをぐるぐると、とぐろを巻くように踊り出した。

 うっぜえな、邪魔だなとは思ったが、その程度でいまの自分の胸中を満たす母様への愛は止まることなく、自分でも気付かぬうちに続きを歌っていた。

 

揺れる心の 波間を知るか

傷を与えたことは

どうか どうか ()の世ばかりは

癒やすことを (ゆる)

 

 自分の中にあったものを出し切ったような心地がした。前世から抱えてきた罪科(ざいか)も、今生で初めて知った温かい気持ちも、すべて。

 緑色の何かは、視界を覆うほどではないが眩く輝き、母様の口元、自分が先ほど口づけをした部分を明るく照らした。

 

 光が収まる頃、母様のむしゃぶりつきたくなるような薄い桃の唇を見てみると、何ということか……その傷が、癒えていた。

 苦しそうにしていた母様の表情も息遣いも、今ではすっかり平常のものとなっていた。

 

 なんだ、つまり、視覚障害かと思ってたこの物体(緑のぽわぽわ)には、母様を癒す力があると? やるやん(上から目線)

 

 そして、前世の記憶を持ち越すという仕様破りをした自分だが、幸運にも不具合は出ていないと?

 それどころか、さてはこの物体が見えるの、この世界の標準性能(仕様)だな?

 

 や↑ったぜ(勝利宣言)

 

 あー、しかし……やっばい、クソ眠い。

 色々試したいんだが……くっそ……母様かわいいなちくしょう……。

 落ち……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マットの上で仲良く眠る母娘(おやこ)を見て、帰ってきたホモ親父はニコニコ微笑んだらしい。

 

 お前は、大人しく、掘られてろ。

 




他エルフ「魔力が見えるわけないだろ! いいかげんにしろ!」

にいろベビー「運動能力以外にこれ(魔法)も鍛えとくか…毎回母様が気絶したら、これ(魔法)で治して差し上げよう!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お七夜編
Hey my little girl, let’s go to get your name! ←!? ちょっと自分英語分っかんねえんで、日本語でオナシャス! え、できない!? なんでさあああああ!!!


 自分は、前世では自身の体も、その名前も嫌っていた。

 

 いつしか、その身勝手のために母親まで泣かせてしまった。

 

 ……とんだ親不孝者である。

 

 成人する前に先に死んだのだから、今やなおさらだ。

 

 今度は、今度こそは自分(マナ)を愛せるだろうか?

 

 この世界に生んでくれたことを、心の底から「ありがとう」、と。

 

 母様(かあさま)に、そう言ってあげられるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思っていた時期が自分にもありました。

 

 いやね、無知って恥ずかしいね。ムチムチは恥じることじゃないんだけどね。

 自分はまだ何も分かっていないのだ、っていう無知の知は大事だね。ムチムチはエチチだね。乳は勿論エチチだね。でも一番エチチなのは母様だと思います。スレンダーエチチ。

 

 何を言っているんだ、自分は。

 

 元から割とこうだった自覚はあるが、最近はマジで思考がヤバい。ものすごいアホなことばっか考えてしまう。

 身体が幼いからそれに精神が引っ張られた?

 ノンノン、それだと自分の精神は女性に近づくことになるが、実際は自分は女性が好きだ。もっと直セックス……間違えた、直接的に言うとメスのエチチな肢体が好きだ。ちょっと具体的に言うなら母様とか大好きだ。母様かわいいよ母様。

 

 あのね、何しても褒められる環境下にちょっと置かれてみ? 

 やばいよ。歩いただけで褒められるし、「あ」って言うだけで褒められる。なんなら「今夜は母様にどんなことしよう」って考え事しながら呼吸してるだけで「マナは可愛いね」って褒められる。可愛いのはお前だよ、母様。マジでおまかわ。ホモ親父? お前に可愛いって言われると尻の穴から不安が駆け上がってくるから黙ってろ。

 まあこんな環境で生活していると、思考回路は堕落していくわけで。

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 母様の「マナは可愛いね」とかもそうだが、とんだ勘違いをしていた。

 『自分(マナ)を愛せるだろうか?』今となっては、馬鹿げたことを思ったものだなと感じる。

 

 いやぁやはり中途半端に働く自分の脳などさっさと捨てて、世界で一番凄い、赤子の脳みそとかいうハイテク機器に全部任せておけばよかった。

 端的に述べよう。

 

 自分≠マナである。

 

 誤解を生んだか?

 自我に関わる妙な葛藤など、別にここで抱えてない。

 

 マナ=子なのである。

 

 つまりどういうことかと言うと、だ。

 

「マナ、行こっか。キミの名前をもらいに」

 

 母様が微笑みかける。

 自分、未だ名前を持っていなかったようでござる、にん。

 

 いやあ、呼びかけが毎回マナだからね、そりゃ自分の名前だと思うよね。思うよね?(威圧)

 

 そういえば地球でも、小さな子の一人称が自分の名前になりやすいのは周囲が自分をそう呼ぶから、自分も自分をそう呼ぶべきだと判断してのことだって話があったな。

 いやーやっぱ子供の脳ってすげえわ。だって「物には固有名詞がある」って事前情報のある自分と、結局まったく同じ結論を出しているわけだろう?

 まったく、ロリ・ショタ(幼児期の脳みそ)は最高だぜ!!

 

 つまるところ、この世界では数え年6歳になってとあるイベントを経験するまで、自分の名は存在しないのだ。二人称は「〇〇の子」や「△△と✕✕の娘」みたいな呼び方になる。自分は母様から「子」と呼ばれ、それを実名と勘違いしていたのだ。

 この考え方、日本語で考えるから納得しづらいが、英訳すれば割とすんなり受け入れられた。

 たとえば先ほどの母様の御言葉。

 

『マナ、行こっか。キミの名前をもらいに』

→Hey my little girl, let’s go to get your name!

 

 こんな感じになる。男の子だったら「my boy(私の息子よ)」って呼びかけるのと同じだ。まあ自分の息子(マグナム)は前世に置き忘れてきちまってるんですけどね! HAHAHA!

 

 あ、マラカス並みにどうでもいいことなんで忘れてた。自分、6歳になりました! どんどんぱふぱふー!

 まあ数え年だから、ちょいと遅生まれの自分は地球で言うとほぼ4歳なんだけどね。

 

 母様? はい、堕としました。過程も重要だと思うんだが、流石にここでつぶさに叙述するのは健全でないし、母様の尊厳を守る意味でも控えたい。

 とりあえず、外面はともかく内情ではドロッドロに依存させ、先日、ホモ親父より自分が好きだという旨の発言を絞り出させたことだけイッて……間違えた、言っておく。あとは勝手に想像しろォ! ああ、母様。おいたわしや、母様。

 

 中々に自分の性癖が捻じ曲がってしまったとは思うが、夜は堕天しちゃう母様が、昼間は何事もないかのように天真爛漫な笑みで自分を呼んでくれるのが非常にゾクゾクする。やっぱ、青春コンプレックスなんてろくなもんじゃないね。

 このように堕とすコツを一つ挙げるとしたら……そうだな、性的な物事を、秘めるべきイケナイコトだと自覚させつつ、決して不浄とは結び付けないことだろう。もちろん好感度は最初からカンストしている必要があるが。

 ……しっかし、実は伝えなくても母様は「イケナイコト」だっていうのを知ってたみたいなんだよなあ。その手の知識はないはずなんだが、誰が入れ知恵したのか。まあ、母様は生来高貴な精神を備えてるから、それが自動的に働いたんだろう! 母様マジ女神。

 

 ああ、実のところその高貴な精神ってのが、結構馬鹿にならない話題であった。

 

 母様はエルフの集落の巫女である。そして、自分はその後継らしい。

 

 結構色んな事情が絡み合っているのだが、事実だけ挙げていく。

 まず、当たり前だがエルフとは呼ばない。だが正式名称が長くて覚えられなかったので、自分は頑なにエルフと呼ぶことにした。

 自分がいる場所は、極めて純粋なエルフの血族のみによって構成された数千人規模の村である。

 世帯数はそれをおよそ4で割った数。殆どの家庭は父母子供2人で構成される。爺婆は基本的に存在しない概念であるのだが、その理由については長いんで勘弁して下さいほんと(懇願)

 エルフは極めて長命であり、その寿命は300年を越すことすらあるそうだ。

 長命の生物の宿命だが、子供は非常にできにくい。ただし平均寿命から計算して、どんな番とでも2度子供を確実に作れる周期が存在する。故に、平均回帰を考えれば種としては存続できる。

 魔力がなくなれば死ぬ。

 魔力ってなんだ。……まあいい。

 基本的にえっちなことに興味がないらしい。だが母様を見れば分かる通り、生粋の不感症種族というわけではないようだ。

 ああ、よって父様も、ホモでもないしピチピチギャルに首ったけというわけでもないらしい。心でホモ親父と呼び、口では「ねえ」とか「ちょっと」と呼んでいたが、これを知って父様と呼ぶように変えてあげた。くっそ喜んでた。キモいけど……顔が良いからなぁ。

 

 とまあ、こんなものだ。

 その中で唯一(かんなぎ)だけは、子供を一度までしか作ってはならないとされる。

 エルフは親子で魔力量和が保存されるらしく、巫女の一族は昔からその総量が多い。

 しかし二子を(もう)けてしまえば子に引き継がれる量は半分ずつとなり、そうなると、絶対量の多い巫女とはいえ、次の代における様々な儀式の取り計らいが上手くいかなくなる。

 だから父様は二度と母様に手を出さず、母様の身体が隅々まで娘の好みに開発されていることを知る由もない。や↑ったぜ(天下無双)

 

 そして今日は、その儀式のうちでもトップクラスに重要な儀式。名前つけよう大会である。

 

 ……まあ、和訳するとだいたいそんな感じなのだ。格好いいのがよければ、日本風にお七夜(おしちや)とでも呼ぼうか? 7日どころか年単位で夜越してるけど。母様と越す夜はどんな日でも最高ですね!

 

 (かんなぎ)の子が数え年6年になる年。このときだけは、例年とは若干違う、より盛大な行事としてお七夜が行われる。

 この時点まで(かんなぎ)の御子は親と産婆以外に見られてはいけない。そして、その年の子供たちの中で一番最初に命名を受けるのである。

 

 誰から?

 

 神から、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しっかし、なあ。

 

 子供をきっかり二人産んで、魔力の続く限り美しく生きる種族、かぁ。

 

 よく、できてるなぁ。

 

 なんだろうなぁ、この感じは。

 

 本当によくできてる(・・・・・・・・・)、うん、そうとしか言えないんだけどさぁ。

 




**連絡欄**
↓かあさま籠絡編カットに関する申し開きを、活動報告に上げました。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=236435&uid=153116


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思春期の自我のあるまま幼少期育ったら、絶対幼馴染とフラグ立てておくよね。それはそうと、正直命名規則とかどうでもいいんで母様とイチャイチャするだけの時間も下さい。

5年の歳月というのは、ほとんどの人にとって長いものだ。とりわけ幼児なんてのは、生まれてから5歳になるまでに驚くほど変わってしまう。

それは見た目だけでなく、社会との関わりや、そうして周囲と共に培った価値観などもだ。

 

ならば、自分がこの年になっても母様(かあさま)に依存してぼっち街道を突っ切り、価値観に至ってはピンク一色に染まっているのはなぜか?

生まれつき。うん、これは否定できない。

しかし言わせてもらおう。自分がこんなんなのは、社会との関わりが閉ざされていたことが少なからず関係している、と。

 

聞くところによれば、他の子供たちは普通に近所同士で遊んでいるらしい。特に幼馴染とか、この環境にいる自分には絶対にできない。自我の成熟しきったこの人生だったら、下心満載で美少女と仲良くしておいたのに! 光源氏計画させろ!

 

だが、駄々をこねて母様を困らせるのは自分の望むところではない。

幸いにも一人の時間が多いことは損失にはならなかった。性技に不可欠であるスタミナや筋力を向上させるのはもちろんのこと、この世界特有のよく分からん物質、すなわち緑のポワポワの扱いを学ぶ必要があったからだ。

 

もっとも、この(よわい)で筋トレなどできるはずがない。体力増強のためにまず始められるのは、起きているあいだ可能な限り歩き回るなどの基本的な運動や、愛しの女神母様とにゃんにゃんするくらいのものであった。はあ……母様かわいいよ母様。

果てた母様を癒やすことで緑のポワポワ……まあ言ってしまえば、魔法的なサムシングの特訓にもなった。問題としては、使ったあとにこちらが疲労するというものがあった。

ふと思い立ち、子供特有の何でも口に入れてしまう精神でポワポワを食べたら疲労が取れたので、どうにか魔法にまつわる問題は解決したのであった。

 

そして、とうとう今日。巫女の娘っ子お披露目会もといお七夜を終えたら、自分も家を自由に出て、村の住民達と関わることが許されるようになるのである。

でも母様と離れたくないなあ。AOKANでもするか? 巫女がそんなことしてるの分かったら殺されかねないから、絶対に他の住民に見られちゃいけないけど。

でも井戸端会議させながら見えない角度で恥部弄ったりとか、林の中で木に両手つかせてお尻突き出させたりとかしたいなあ。うーん、青春コンプ。

 

そういえば、己の名前以外にも名前関連で勘違いがあった。

それはこのお七夜も深く関わっていることである。まずは、この世界(外のことは詳しくないからこの村だけかもしれない)における「名前」というものの一般論についてである。

 

名前の形式は昔の中華によく似ている。名字・名前あるいは家名などという括りはなく、その存在が持つ真名(まな)というものと、人前で名乗るための仮名(かな)の二つだ。

勿論、この真名と自分が名前と勘違いしていたマナは関係ない。こっちの言葉だと真名っていうのがクソ長いから、省略のためにこう呼んだまでである。なんか……でゅお? デュオタヴウォータ……おぶだなま? みたいな感じ。実は、短く言いたいときはナマでも通じる。えっちだねえ(ニチャア)

 

さて。この世界では、地球には存在しなかった不思議パワーが使える。これが結構色んなものごとの制約に顔を出してきていて、万物の真名もこれによって決まっているという。

そのためか、真名を知られてしまう=己を構成する根幹を知られるということで、悪用すれば相手を言いなりにしたりその命を奪ったりすることまで出来るという。

真名を教えていい相手は、己の(つがい)と兄弟姉妹、そして両親だけだ。子供には教えない。これによって浮気からのNTR(私この人の女になります)という流れは(多分)なくなるし、自然と集団の中に年功序列(親は子供の管理者)の仕組みが出来上がるのである。

 

以上から、IQハーバードな人はお気付きかと思うが、自分が過去に知ったサルビアとテレサ、そしてキバタンとマルス。これらは順に仮名・真名である。まだ赤子だからと油断したのだろうが……ふえぇ、子供に真名バレちゃってるよぉ……。

あまり自分が真名を知っているということはバレたくない。だから、初めて両親の前で口にした言葉が「サルビア」であったのは九死に一生を得た、という感じだ。

 

(かんなぎ)の一族の名には、称号としてノアイディがつく。よって、母様と父様の名前はそれぞれ「ノアイディ=サルビア・テレサ」と「ノアイディ=キバタン・マルス」である。特に父様、響きは微妙だが、まあ絶対にこれを人に名乗ることはないのだし、たいして気にしないのだろう。

 

巫女の激かわロリ娘お披露目会は、自分が神から真名を命名されたあとに始まる。

真名を命名されたあと、両親にそれを伝え、両親からは仮名を与えられる。そして村人全員に向かって仮名を発表するのだ。

 

そう、村人全員である。

 

正直に言おう。馬鹿じゃねえの?

村人全員って、この村数千人規模だよね? それらを集めて、何を伝えるって、自分なんかの仮初めの名前?

いや、バッカじゃねえの?

 

これを聞いた当初はそう思ったものである。

だが前世を振り返ってみれば、たかだか4年に一度開催されるスポーツ大会で人は一ヶ月以上騒げるのだ。それが巫女の娘の命名とかなったら、数百年に一度、基本的には一生に一度のイベントなのだ。騒ぐのもしょうがない。

村長と(かんなぎ)は別の立場だが、役職の尊さで言えばこっちが上だ。イギリス王家のニューベイビーが生まれただとか、天皇の御子が生まれただとか、おおよそそれと同じ理解でいいのだろう。

 

まあしかし、緊張するものは緊張するのである。前世では名前と外見でいびられ、今生ではぼっち街道を突っ切ってきた自分が、この一身に数千人の期待を受けているという。重い、重すぎる。重いのは母様と自分の間の愛情だけで十分である。

不安を振り払うように、隣に立つ母様を見上げた。

 

「母様、母様。自分はちゃんと、真名を頂けるでしょうか? 村の人々を落胆させてしまわないでしょうか?」

 

母様はちょっと驚いたかのような表情をしてから、ふわりと微笑んで自分の髪を優しく梳いた。母様の白く細い指が頭皮を時折くすぐり、こそばゆいような気持ちよさと、根拠のいらない安心感が自分の中に沁み渡った。

 

「緊張しているのかい? 私とキバタンの娘なんだから、心配いらないさ。それに、マナはこんなに可愛いんだ。きっと素敵な名前を頂ける」

 

途端にきゅうと胸が苦しくなり、「母様、すき」という感情ばかりがぽこぽこと発生する。

一体どうしてくれるんだろう。お七夜直前にこんな気持ちにさせて、母様は責任を取れるのだろうか?

 

「自分は……自分は、顔も知らない神さまよりも、母様から真名を頂きたいです。……『よりも』、じゃありません。母様がいいんです!」

「おや……そうだね。母様と父様は、キミに素晴らしい仮名を用意してあるんだ。神様の見出す真名よりも気に入るに違いない。それじゃ不満かな?」

 

珍しく駄々をこねる娘に母様は苦笑する。

困らせたいわけではないのだ。それに、母様の下さる仮名が気に入らないわけもない。

それでもどうしようもない程に、ただ、ただただ母様が好きなのだ。

 

「その言い方はずるいです……母様。それに、父様なんてしりません。自分はただ、母様から真名を……」

 

その続きは言葉にならなかった。頭を撫でる母様の手が止まったからだ。

不安になって顔が青くなる。こんなワガママな子は嫌いかもしれない。恐る恐る上を見上げようとすると、母様は「ほんとはね、神様が真名を与えるわけじゃないんだ」と言った。

その言葉の意味がわからない自分に対し、母様は膝を折って耳元に口を寄せた。

 

――神様だけが、真名を聴けるんだ

 

そっと囁かれた言葉に対し脳が働きを止める。

母様が硬直した自分の目を片手で覆う。一瞬、唇に何度も触れた覚えのある柔らかい感触がしたと思えば、目を覆っていた手は取り去られた。

すでに母様は立ち上がっていた。

 

「だから、悲しいけど私にキミの真名はつけてあげられない。見つけてあげられない」

 

なんというか、サプライズも含めて、ほんっとうに、頭が動かなくて、熱くて、反射的にハイと返事できたことは、自分を、褒めてやりたい。

ギギ、と首を動かして母様の表情を伺えば、母様はいたずらっぽい表情を浮かべて、人差し指を口に当てウインクした。

 

「……秘密だよ?」

「かあさま、すき」

「うぇっ!?」

 

いや、うん。もうむり、しんどい。吐きそう。

母様、すき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぽーっとした頭のまま母様に連れられて我が家を歩いていく。

気を鎮めるために、我が家のことを話そう。

 

我が家、バカ広い。そして日本人は馴染みやすい木造建築である。

なお、和風建築ではない。これだけは断言できる。なぜか?

 

この家、木の中に存在しているのである。木造ダネ(白目)

外に出たことがないので外観が分からないが、父様曰く、昔からエルフは伝統技術によってこのような家造りをするそう。

 

その中でも、(かんなぎ)はある特別な大樹に住む。

ここは神のおわす場所にかなり近いのだ。村には社っぽいサムシングが存在し、一般ピーポーはそこ経由で神に会い真名をもらう。

しかし、(かんなぎ)だけはその住居の中を通って会いに行くことが出来る。もちろん普段は使わない通路を使うが。

 

この家の巨大さは自分(巫の子)を隠すのにも丁度いいのだろう。普通の家に住んでいたとしたら、いたずらなわんぱく坊やが一目見ようと忍び込んで、実際に見つけてしまうかもしれない。しかし、なんで自分はお七夜まで見られてはいけないんだろう。

神のいるという場所に向かって、燭台だけが壁にかけられた道を歩んでいく。通路には時折守護番みたいな人が見受けられるが、何も言わず通してくれる。

 

まだまだ通路は長いように思える。しかし壁に妙な装飾が掘られた場所にさしかかると、辺りには自分たち以外の人気がなくなり、母様が繋いでいた手を離した。

 

「ここからは、キミだけで行かないといけない」

 

その言葉に、無言でコクリと頷く。

誰もいない道を一人で歩かねばならないということへの恐怖はある。だがそれ以上に、自分の頭の中は「母様に先ほどの意趣返しをしてやりたい」ということで溢れかえっていた。

 

手を離し、一歩ほど先に進んだところで母様に向かってクルリと振り返った。

まだ小さな自分の手。その人差し指で母様のヘソの下数センチにあたる部分をグッと押してやり、それから薄く微笑んで離れた。

 

「今晩は、期待していてくださいね。かあさま」

 

母様をメスにするには、たったそれだけでいいのだ。

努めて表情には出さないようにしているようだが、つばを飲み込む音と一瞬震えた身体でバレバレである。

そしてなにより、耳の先端が赤い。母様かわいいよ母様。

 

その成果に満足し、誰もいない暗い通路の方へ、自分は気軽に踏み出していくのであった。

 




青春コンプ「解せぬ」
命名神「イチャついてねえではやく来い」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

かあさまってバブみやばいからさ、ときどき子宮の中に還りたいって思っちゃうよね。さてと、今回はどんなセクハラを…って、自分出番ないんですか!?

ど う し て こ う な っ た (2回目)


ノアイディ=サルビア・テレサ

 

今代の奏巫女(かなでみこ)の名である。

あるいは男性であれば奏巫覡(かなでふげき)と呼ぶが、いまそのことを語る必要はないだろう。

 

他の者達からすれば、奏巫女とは純潔そのものであると言える。そんな立場のテレサであったが、いまはどうしようもないほどに狂おしく下腹部が疼いていた。

先ほどまで娘と共に歩いた通路を逆向きに歩いていく。頭を下げる守護番の横を通るたび、足を伝うほどに溢れた透明な液体に気付かれないか、あるいは発情しきって(とろ)けている己の瞳を見られてしまわないかで緊張し、心臓の音が聞こえてくるほどであった。はたまた、服の胸部で突き出ているような出っ張りが目立っていたかもしれない。

歩くときの衣服と肌の擦れだけで、背筋から臀部にかけてゾクゾクとした感覚が走る。

 

この感覚は、ここ数年で初めて知った……教えられたものだ。

原因は一人だ。

また、いま自分がこんな状態になってしまっているのも、同じ原因である。

 

しかし、その原因を頭に浮かべてしまえば状況は悪化する。なにより、今晩への期待で自然と息が荒いものへと変わってしまう。

もう手遅れかもしれない。好き、大好き、という気持ちが源泉の見つからぬほど湧き出し、今夜は彼女の真名を一生分呼んでやりたいという想いで思考もままならない。

 

彼女の真名は自分こそが一番多く呼んでやりたい。将来彼女を娶る者など比べ物にならないくらい。

誰であれ、そうなる者のことを想像した途端狂いそうになった。なぜ自分でないのか、と。

 

テレサは禁忌を犯している。

娘との関係を多少でも持ったことは当然だが、それ以上に、この世界に生きる者として、夫と親兄弟以外に真名を教えることは許されていない。しかしそれでも、テレサは娘に夫以上の愛情を抱いている証左としてそうすることを選んだ。唯一救いがあるとすれば、テレサと彼女が同性で、どう足掻こうと子供を成せないことであろうか。

しかしそれは、浮気が禁忌とされるこの世界で同性愛に踏み切ることなど想定されていないだけなのであるが、巫女として清く育てられたテレサが気付く由もなかった。

 

一般常識であるが、子を成す行為というのは人生における一つの大きな試練とされる。

これは、神が生物に与えた、生命の尊さを忘れさせないための試練である。破瓜を伴う挿入に始まり、体内に異物を流し込まれる不快感、そして何より出産時の想像を絶する痛み。二度と味わいたくないとは思いながらも、そうした過程を経て抱く赤子というのは、天からの恵みとしか思えない尊さを兼ねる。

 

しかしそれでも、一子を生んで数日経ったあと、巫女である己はもう二度と同じ体験をしないで済むと安堵したものである。

 

男性は女性ほどの痛みを伴うことはない。しかし、魔力の保持によって健康を保つエルフにとって射精は拷問である。

体内からかなりの量の精液を排出すれば、その後に待っているのは倦怠感と吐き気、また免疫も低下し、精神も落ち込むことが多い。一般に、魔力は時間経過でしか回復しない。射精後の数日、下手をすれば数週間は地獄を見るのである。

しかも子を成す機会は極稀にしか存在しない。そこで確実に子を成すため、男性は行為前に薬剤を服用し、一度の射精で精巣の中身を出し切れるようにするのである。いまのところ、それでほぼ必ずと言っていいほど子作りは成功している。行為以前の数日分の記憶が飛んでしまうことが問題であるが、背に腹は代えられない。種の存続のためである。

 

しかし、それでも。

テレサは、娘の子を孕みたいと思った。

あるいは、娘に自分の子を孕ませたいと思った。

 

(……歪んでいるとは、思うんだけど。でも、あの子と子供を成せたらどれだけ幸福なことだろう。……キミは、どう思っているんだい?)

 

腹の奥がきゅうきゅうと何かを求めているのが分かる。

娘に与えられるあの不思議な感覚、目の前が真っ白になるアレを、いますぐに与えてほしくなった。そんな感覚になったときは合図代わりに「イク」と言ってほしいとかつて頼まれたが、その言葉を繰り返し叫ぶのも嫌いではない。

娘で満たしてほしいと腹の奥が言っている。娘は女性なのだから、精液を排出できるはずもないが。

 

娘の全身を自分の体で抱きしめるのが好きだ。最近は成長を感じるが、そのうち自分の身体で包みきれないくらいには健康に育ってくれることだろう。

 

そう、彼女は成長しているのだ。真に美しいものは男女問わず魅了すると言うが、その通りであった。成長すればするほど綺麗になり、外の世界より美形が多いとされるこの村でも、信仰すら覚えさせるほどの美女に育つことだろう。このあと彼女を村民全員にお披露目することを思うと、どこか勿体ないような気さえした。

 

長い通路を歩き終わったテレサは、下着の交換も兼ねて浴場で身を清めることにする。

このあとはお(やしろ)の舞台で演劇などを見ながら、真名を与えられた娘が登場するのを待つだけである。

今晩が愉しみなのは先ほども述べた通りであるが、テレサはそれと同じくらい彼女に仮名を与えるのを楽しみにしていた。

 

(キミが生まれる前日、実は私と(マルス)は同時に同じ名を思いついたんだ。本当はすぐにでも伝えてしまいたかったけれど、この日のために取ってある。どんな表情で喜びを示してくれるんだろうな、ドキドキが止まらないや)

 

マルスの血か、色素が人一倍薄い彼女の髪色は白に近く、またその目つきはやや眠そうに見える。テレサ自身とお揃いでないことは悲しいが、しかし陽を透かすと妖精と見紛うようなその細く美しい髪や、己に対し悪戯するときツリ目気味になる彼女の表情がテレサは好きであった。

それに、細いが毛量が多く、真っすぐでまとまりの良い髪質はテレサの遺伝だ。いまは伸ばしているために腰まである娘の髪を、二人っきりで色々な結び方をして遊ぶ。そんなときの娘はとても愛らしく、自分の一部が彼女の中に遺伝として溶け込んでることを嬉しく思う。

 

余談ではあるが、たまたま娘の手が引っかかって毛髪ごと頭を引かれたことがある。娘は生来の優しさのため暴力的なことは好まないが、テレサはそのときの支配されたような感覚が非常に心に残っていた。ともすれば、今晩彼女にお願いしてみるのもいいかもしれない。

テレサがお願いできるほど余裕を作らせてくれるのであれば、だが。行為の前に言っておかねばならないだろうか、と思案すれば、再び腹部が熱を灯し、いけないいけないと頬を両手で軽く叩く。

 

「さあ、あの娘の晴れ舞台を見に行こうか」

 

浴場を上がってから着替たテレサは、リビングで落ち着かなさそうにしているマルスに笑いながら声をかけた。

 

「ふふ、マルス、あなたがそんなに緊張してどうするんだ」

「そう言う君はどうしてそんなに落ち着いているんだい? マナの晴れ舞台だよ!? それに、ボクらは仮名を授ける役目もあるんだ。マナの真名が分かるっていう興奮と、マナにあの仮名を伝える喜びでボクは昨日から眠れやしない!」

「あーあー、それはあなたの目の下を見ればよく分かるよ。昨日から? ふふ、ウソつけ、一昨日からだろう。普段から眠そうな目が、一周回って覚醒しているように見える」

 

まったく、この人(マルス)は娘のことになると子供みたいに喜怒哀楽が激しくなる。それは見ていて面白いのだが、マナには嫌がられていることだろう。もっとも、マナが心移りしないよう今のままでいてほしいのであるが。

私は巫女の役目で緊張に慣れきってしまったのかもしれないな、とテレサは思った。儀式は一年に何種類もあるのだ。いちいち緊張していたら心臓が持たない。

 

「そうだとも。ボクの方は一昨日から準備ができている。さ、君の準備ができたならすぐ行こう、いま行こう! こうしてる間にもマナが命名を終えて舞台上に現れるかもしれない!」

「さっき見送ったばかりだ、そんな早くには終わらないさ。しかし今日はアイサ姉妹の名前が公演スケジュールにあった。急いで舞台へ行こう」

「それはいい! それなら退屈な舞台にこの眠気を連れて行っても、寝過ごさずに済みそうだ」

 

玄関を出れば迎えの者がいる。

送迎を受け、舞台のある神樹と同じくらい巨大な樹木に到着すると、中は人で溢れかえっていた。

朝から外で降り続けている雨のせいで、若干蒸し暑いような気もする。しかしそれは入り口付近までの話で、舞台を見下ろせるとあるVIPルームまで通されれば、魔法を利用した空調によって室温は快適に保たれていた。

 

席に着くと、観客席の民衆の何人かが貴賓席に人が入った事に気付き「巫女さまだ」と注目を集める。

振られた手を振り返してやるが、注目されていない舞台が流石に可哀想なので、「舞台観てあげて」と指でツンツンそこを差した。

 

「君は相変わらずの人気だね」

「ありがたいことさ。でも、マナの方が、きっともっと皆の心を惹きつけるようになる」

「ボクも、そうなると信じているさ」

 

この世界で誰よりも何よりも愛しているのはマナだが、やはりマルスとの会話は心地よいテンポで進めることができた。

罪悪感。それはもはや感じない。そういった分水嶺はとっくに過ぎたのだ。

いまはマナの手によって、それを感じることができないほどに(とろ)かされてしまった。

 

「きっと、一時間もすればあの子の姿を見れるよ。舞台上に立つあの子は、格別に綺麗だろうね」

 

微笑みながらマナを待つ。神のおわす御所は室内でないため、雨に降られて風邪をひいてしまわないだろうかとちょっと心配もする。

マナに触れられた腹部の消えない熱を感じながら、彼女を待つ。その時間はテレサにとって、至福のひとときであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、半日が経った。

 

御子の姿は未だ見えない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まったくもう、衆愚はしゅぐ不安がるんだから〜(笑) いやすいません、思いつきです、ほんとすいませんっ! ぐみんぐみん、許して(笑)……って母様あぁぁぁぁああ!?

空は悲しむのだろうか。

いつまで経とうと、雨は止みそうにない。

 

「離せ! 娘に何かあったらどうするんだ!」

「こらえてくださいキバタン様! 掟を破ってはなりません!」

 

我が子を案じて半狂乱になる父親。護衛の者たちに体を抑えられながら、いまにも神のおわす場所まで駆けていきそうな様相である。

仮に、これを神が見れば嘲笑うのだろうか。

 

――嗚呼、なんと愚かなのだろうか、と。

 

お七夜、命名式は例年必ず一日で終わる行事である。ともすれば数時間で終わることもある。

その年で数え年6歳になった子供が神のおわす場所まで巫女と行き、神から直接名を頂いて帰ってくる。一人あたり30分もかからないのが普通だ。(かんなぎ)の子だけは口祷や挨拶を含め1時間近くかかることもあるが、逆にそれ以上長くかかった例はまたとない。

 

今年は巫女の娘のお七夜だ。民の間ではもはや常軌を逸した興奮が渦巻いており、今年お七夜を迎えた6歳の子供達は、羨望の眼差しを受けながら緊張で呼吸もままならないようである。

噂が噂を呼び、巫女の娘はとんでもなく可憐な天使のようである、ということになっていた。巫女やキバタンも持ち前の親バカを発揮するものであったから、待ったをかける者がおらず噂は助長されるばかりである。もっとも、この二人の娘が可愛くないわけないという民衆の確信もあったのだが。

 

はるか昔から一子のみを掟とされてきた(かんなぎ)は、その妻、あるいは夫に眉目秀麗で魔力豊富な者が選ばれることが多い。ならば恋愛結婚は許されないのかと言えば、実のところそうでもなく、そもそも(かんなぎ)の血がそうした能力に秀でた者を好むのである。

二子を(もう)けるのであれば魔力量も両親の和から二分されるため、そこに変化は起きにくい。しかし(かんなぎ)だけは、世代を追うごとに子の魔力が増していくのであった。

 

そんな、膨大な魔力を持つ今代の巫女はと言うと……。

 

「サルビア、君もなんとか言ったらどうだい!? マナが、夜になっても戻ってこないん……だ、よ?」

「……ウーン……」

「さ、サルビアアアアアアアアアア!?」

「巫女様がお気をやられた!? い、いい、医者、いや乳母様を連れてこい!!」

「巫女様アアアアアアアアア!?」

 

心配のあまり呼吸がままならなくなり、ついにはプッツンと意識を失ってしまったようである。

そんな貴賓室のドタバタを知ってか知らずか、舞台に集まっていた民衆たちにも不安が広がり始めていた。

 

「なあ、御子様の命名式って、こんなに長引くもんなのか?」

「さあ? なにせ、俺が100年以上前に当代様の命名式を見たときはまだガキだったから」

「雨だから露店出せるか心配してたんだが……これじゃあ店出すどころか夜になっちまうな」

「うちの子の命名式、今日中にできるのかしら……」

 

あるいは、舞台上の役者たちにも焦りが生まれていく。

 

「そろそろ稽古済みの演目も尽きそうなんだが……御子様はまだなんだろうか?」

「他に芸をできるやつはいないか?」

「無茶言わないでくれ、こんな大舞台だぞ」

「カワアイサ、ウミアイサ、駄目だろうか?」

「一時間ぐらいなら」「イケるけど」

「もう半日とかは」「ムリ〜」

 

一説によると、感情というものは伝播するだけでなく、同様の感情を持つ者同士が集まることで増していくという。

ときに演説が狂気で支配されるように、ときにライブハウスが日常とは大きく乖離した興奮を巻き起こすように、この場所では誰しもの抱える「不安」が煽られていった。

帰ろうとすることはできない。なぜなら、それは御子がここに現れないことを肯定する行為であり、すなわち御子に何かしら不慮の事故が起きたと示唆するようなものだからだ。

誰も、そうであってくれなど望んでいない。何事もない。問題ない、そう言ってほしい。

 

ならば、なぜ御子は現れないのか?

 

そんな疑問がふと頭をよぎり、ゴクリと喉が鳴る。

弱いのだ。民衆の心というものは、どうしようもなく。

煽られれば煽られるだけ悪感情は増し、誰か希望を見せてくれとは思えど、自分がそうしようとは思えない。本能的に、自分が目立っても状況が好転しないと信じてしまっているのだ。それは、同調能力によって自然淘汰を生き残った生物としての悪癖とも言える。

近くの者と肩がぶつかってイラッとする。不安を感じ取った赤子が泣き出し、誰かがボソリ「うるせえな」と呟く。

 

 

 

 

そんな不安と不満、鬱憤が溜まっていく中、テレサは夢を見ていた。

 

この上なく愛おしい人。彼女がまだ、自分の腹にいた頃の夢だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

え…母様? かあさま、うそだよね? ねえ、その女、だれ? かあさま、かあさま、かあさま…かあさまああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!???(絶叫)

ど う し て こ う な っ た (3回目)


「サルビア! 聞いてくれ、お告げだ!」

 

暖炉の前、戯曲を元にした物語を読みながら寛いでいると、夫のマルスが飛び込んでくる。5年ほど前のあの日が再現されているようであった。

どうしたことかと驚くが、その「お告げ」に関しては心当たりがあった。

 

「なに、君も同じ夢を見たのかい? ならこれは、本当に神の思し召しなのかもしれないな。あの声はボクがお七夜で聞いた命名神の声とは違ったけれど、誰なんだろう」

 

マルスはそう信心深い方ではない。けれど、同日に同じ夢を見たとなれば不思議に思う気持ちも出てくるのだろう。

魔力には未だ底知れぬ力が隠されている。腹の子を介して魔力的な繋がりのあるテレサとマルスならば、同じ夢を見ることがあるのかも知れない。

テレサはお告げの中で伝えられた仮名が妙にしっくり来たので、それを腹の中にいる我が子に付けてはどうかと提案した。

 

「うん、そうだね。幸い男の子でも、女の子でも使えそうだ」

 

仮名は本来お七夜までじっくりと夫婦で考えるものだ。しかし、テレサはどうにもその名前以上に良い言葉が見つからないような気がした。

神様がくださった名前なら、きっと恵まれたものなのだろう。

 

気がつけば、そこにマルスは立っていなかった。

この時はもう少し続けて会話を交わしたはずであるのに、夢の場面は切り替わってゆく。

 

マルスの代わりに立っていたのは(マナ)であった。いや、正確には違うような気もする。目をつぶればそこにマナがいるような気がするのに、実際には黒髪の少女が立っている。

目はぱっちりとしていて、それを強調するように睫毛が長い。黒色の髪というのは見慣れないものであるはずなのに、短めに切りそろえられたそれを美しく感じた。

 

中性美、とでも言うのであろうか。見ようによっては男性にも見える彼女は、そこで泣いていた。

慰めようとしても手が届かない。もどかしさを感じるテレサの前で、少女は誰に向かってか、しきりに謝罪の言葉を口にしている。

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

 

弱々しい、自分の娘は決して見せることのなかったような姿だ。どこか感じる娘と黒髪の少女の共通点に、慰めてやりたい庇護欲に駆られる。

よく見れば、身体には痛々しい傷跡があることが分かる。打撲傷、口元の赤い血、震える身体。それでも、ごめんなさいと唱え続けることだけはやめない。

そんな少女の隣に、いつの間にかマナが立っていた。おおよそ少女と同じくらいの年頃に育った姿だろうか、可憐で、かつそれを穢すことのない強さをその身に兼ね備えているように見える。

 

そして、マナが少女を殴り飛ばした。

 

「うぇっ!?」

 

思わず呆気にとられる。

まるで質量がないかのように軽やかに吹っ飛んでいく少女は、地面に落ちる前に土くれのようになって消えてしまった。

殴り飛ばした張本人である愛娘は、造作も無いとでも言うかのように手首から先をプラプラと揺らし、鼻を鳴らした。その凛々しい姿に見惚れ、下腹がキュンと熱くなったのだが、飛ばされた少女の方も心配でチラリと目線をやった。遠くで、自分の名前が呼ばれているような気がした。

 

「テレサ、こっちを見て」

 

よそ見したのがバレたのか、両頬を左右の人差し指で挟まれ顔を固定された。ぽ、ぽ、ぽ、と触れられた場所から顔が熱くなる。

マナがにへらと(わら)った。

 

「うん、やっぱりテレサはかわいい」

 

今までの生活の中で見たことのない種類の表情であった。なにか悪戯を企むときの表情に似ているが、それよりもずっと純粋さが表れていて、視線だけでなく心も奪われてしまう。

いいや、元から私の心は、私の全ては彼女のものだ。テレサは悟った。

 

この辺りで、テレサは自分が夢を見ていることを理解しつつあった。それで、現実世界のほうが少し大変なことになっているかもしれないということも。

けれど、こうして誰もいない空間で愛する人と触れ合い、会話できることは幸福そのものであったのだ。いまいち理性の働かない状況で、それを捨てることは中々難しかった。

マナに言葉をかける、返ってくる、笑顔が溢れる。そのやりとりの最中は、会話以上に「すき、すき、大好き」という気持ちだけが募ってしまい、内容など覚えていられないほどであった。

 

送り出そうとしてくれているのだろうか。マナは最後に、照れくさそうにしながら言葉を紡いだ。

 

「いっぱい心配かけてるかもしれないけどさ……僕は、テレサと父様のたった一人の子供なんだ。それなりに魔法だって使える。だから、心配しないで。陰気な雨になんか負けないで。安心して……見ていてよ」

 

 

 

 

「僕が、世界を奏でるところを」

 

 

 

 

その言葉だけで、胸が一杯になった。彼女はその言葉の意味を自分で理解できているのだろうか? いや、そもそも夢の中の出来事ではある。しかしその言葉は、あまりにも奏巫女(かなでみこ)の本質に近かった。

そうだ。何を心配することがあるのだろうか、それは彼女の信頼への裏切りではないか。

たかだか半日くらいが何だというのだ。かつては半日以上彼女に飛ばされ続けたこともあった。それと比べれば、途端に自分の心配が馬鹿馬鹿しく感じられてきた。

 

「ありがとう。私はもう行くよ。もう、行ける」

 

そう伝えれば、マナが少し寂しそうに笑う。そんな愛娘に背を向け、ゆっくりと足を動かし始めた。

どこからか聞こえていた声が段々と大きくなる。それは、自分の名を呼ぶ声だ。

 

世界に光が増えていく。

まばゆいほどの希望の光。

 

キミがくれたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(かんなぎ)一族の専属乳母、イドニ=フェリシア・ルイーザは、自身の豊満な胸を組んだ腕に乗せながら呆れていた。

御子の命名式が終わらなくて不安になるのは分かる。現に、民衆の間にはギスギスとした空気が生まれつつある。とても祝い事という雰囲気ではない。

 

しかし、しかしである。巫女の生命の一大事と言われ、背中を突っつかれながら貴賓室へ詰め込まれてみれば、キバタンは暴れまわっているし、巫女(サルビア)は気を失っているし、護衛のものはワタワタ慌てるばかりなのである。

こいつら、ガキか?

 

「う、うううう、うばっ、乳母様! みっ巫女様がああぁぁぁ……」

「フェリシア! サ、サルビアは大丈夫なのか!? それにあの子がまだ……」

 

うーん、頭痛が痛い。それ以外に言葉が出ない。

 

「落ち着きなさいな……。御子の件はアタシにも分からないけど、こいつ(サルビア)がこんなんでくたばるタマじゃないだろう?」

 

そう言って、気絶する巫女のほっぺたを名前を呼びながら人差し指でツンツコ突く。

 

「サルビア―。サールービーアー。気絶してんじゃないよまったく。ほら起きろー」

 

本来ならば巫女にして許される行為ではないのだが、そこが乳母の特権階級たる所以である。仮に止められたとしても、医療行為だと言い張れば許される。先代から教わったのだ、医療行為なら何をしても良い……と。

 

「サルー。ビアー。おら早くしないとアンタの愛娘奪っちまうぞ?」

「ばか言うな」

「うわ起きた!?」

 

巫女の名前を出せば、驚くほどの速度で、突いていた人差し指……ではなく、己の豊満な胸を掴まれた。

 

「なんだこの駄肉は……」

「喧嘩売ってんのか?」

 

パッとすぐさま手を離したサルビアに、まるでお前の胸に価値はないと言われたような気分になる。確かに肩は無駄に凝るし邪魔だが、こいつの娘にはかなり好評なのだ。

気を失っていたにしては晴れやかな表情でサルビアが立ち上がる。その姿からは、もうどこにも不調がないことがハッキリと見て取れた。

そんな巫女に、キバタンが恐る恐る尋ねる。

 

「サルビア……元気になってくれて嬉しいんだけれど、マナが……」

 

そんな彼の背中をバシッと叩いて、奏巫女は微笑った。

 

「ばかもの……私とあなたの娘だよ、心配いらないさ」

 

背中から伝わる痛みと熱、そしてどこか痺れるような感覚に、キバタンはパチクリと瞬きをする。

 

「サルビア……ボクは、もう一度君に惚れてしまったみたいだ」

「私は夢中になっているお姫様がいるんだ。悪いが、あなたは2番目」

「ならボクのほうがマナを愛してるさ」

「さて、どうかな?」

 

うーんこのバカップルにして親バカ……とフェリシアは再び頭を抱えたくなった。というか、この部屋にいる全員が同じことを感じただろう。あー、あの女護衛は違うな。私も結婚したいと思ってる顔だ。お幸せに。

こんな空気の中にいてたまるかと、フェリシアはサルビアに問いかけをした。

 

「さて巫女様、どうするつもりだい?」

「く、ふふふ。決まってるだろう、私は奏巫女だよ?」

 

 

 

 

「歌を歌うのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の演目が途絶えてからすでに30分近く経った。練習が行き届いていなかったのだろう、最初の数公演に比べれば、最後の方はあくびが出るものであった。

観客たちのフラストレーションは溜まりきっている。そして、不安も。

 

しかし、舞台袖に近い席の者たちは、にわかに舞台裏の方の雰囲気が変わっているのを感じていた。

なんというか、先ほどまでと違うのだ。熱気……そう、熱だ、じんわりとした熱を感じる。

 

そして、一人の女性が舞台に立つと、場内の空気は一変した。

 

「あれ……」

「え、巫女様……?」

「髪を、左右二つに結っていらっしゃるぞ」

「あれは祭事の衣装なのでは……?」

 

すぅ、とサルビアは息を吸った。拡声用の魔法具を口元に付ける。

 

「みんなあぁぁぁあああ! 盛り上がってるかぁぁぁい!!」

 

……まさかの事態であった。

 

誰も咄嗟に反応できず、反響する巫女の声以外には静寂しか残らない。

いや、わずかに若い者たちはオーなどと小さく応えられていたが。

しかし、何かとんでもないことが起ころうとしている、ということだけは辛うじて理解できた。

 

「んーー、聞こえないね。もう一回……盛り上がってるかぁぁぁい!!」

「「「お……ウオオオォォォ!!」」」

 

今度は多数の者が叫んだ。訳も分からずに。

 

「私の娘ね! 可愛いんだよ! 婿とりたくないくらい可愛いんだよ! 可愛すぎて、神様も長く喋っていたいみたいだから、私待ってるあいだ、歌うね!!」

「「「オオォォォォォオオオ!!」」」

 

まさかの奏巫女によるゲリラライブである。

誰もが先ほどまでの鬱屈とした感情を忘れていた。いや、覚えていても、何か察したとしても、それ以上に巫女の生の歌声と演奏をこの巨大な会場で聴けることに興奮したのだ。

 

「バックダンサーは私も大好きなアイサ姉妹がしてくれるって! ありがとー!」

「「「ありがとおおおおおおお!!!」」」

「「ヒッ」」

「狂気の民衆(オタク)……」「こ、怖い……」

 

怯えるカワアイサとウミアイサを他所に、笑顔振りまく奏巫女(サルビア)は腕を一振りする。それだけでどこからともなく空気が震え、音楽が鳴り響いた。

 

「私の天使様が出てくるまで何日でも続けるよっ! さあさ疲れた人は警備員へ! かけ声(コール)を忘れてないかな? さるびあー!?」

「「「最高ぉぉぉぉぉおおお!!」」」

 

 




悲劇「…グフッ………なん、だと…?」

奏巫女母様「悪いね、娘のお披露目会なんだ」
民衆「(」’ω’)」オォオォオ!!!ウウゥゥアアォオ!!!!!!」
天使様「かあさま最高ぉぉぉぉぉおおお!!」

**連絡欄**
ツインテ祭事装で奏巫女(アイドル)する118歳かあさま……うわキッッッッ……う、うんうん、それもまたアイカツだね!
10000UAありがとう!
感想もたくさんありがとう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

止まない雨もあるけれど、今はどうだっていい。真名を寄越せ! わはは、真名を手に入れてやっと始まる、異世界センシティブ生活はこちらでしょうか!?

自身のことが嫌いだと嘯く者がいる。

あるいは、ひっそりと心の内でそう思い、自分を好む者を疑い、時には自分を傷付け、その命に何の価値も見いだせないと苦しむ。

それでは、自身の名前を忌み嫌い、その肉体を受け入れることを拒んだ女淵にいろは、彼ら彼女らと同じく自分嫌いと呼んで良いのだろうか?

 

母様としばしのお別れをし、ロウソクの灯りだけを頼りに暗い通路を歩いていると、どうしたというわけでもなく少し黄昏れたくなってしまった。

それはきっと、真名を知るということへの期待から生まれたものでもあったのだ。名を明らかにすることで、自分はようやく前世から卒業できる。女淵にいろから脱却できる。

 

けれど、この感情は自分を嫌っているというのとはまた別だ。

むしろ逆。きっと自分は、自分が好きで好きでしょうがないのだ。

 

嫌うしかなかったのだとしても、自分を嫌える人を見ると羨ましく思える時がある。その人達は、しかと己を受け入れているのだ。

その身体を、その境遇を、その心を、その名前を、その弱さを、自分自身でちゃんと受け止めて、ついには抱えて立ち上がることができなくなり、「自分が嫌いだ」と泣きながら、それでも抱えたものを捨てずに生きていく。それはもう立派な「強さ」ではないだろうか。人間としての尊さを、兼ね備えることができているのではないだろうか。

 

自分は己を受け入れられなかった側の人間だ。

「自分」が大好きで、けれどその外枠に納得がいかずに、こんなのは自分じゃないと、気に入らないなら変えてしまえと逃避した人間の屑だ。

客観視すればこうも卑下できるが、主観、本心ではどう思っていることやら。ともすれば、自分を嫌いな自分(・・・・・・・・)が好きなだけかもしれない。

 

身体はすでに新しいものになり、環境も一新され、お七夜では神から真名を、両親からは仮名をもらう。

まっとうに生まれ変わったのだ。別に、前世からのしがらみをこの世界で抱え続けなければいけない道理もない。今度こそは、自分の全てを受け入れ、ちゃんと愛してやれることだろう。息子は失ったけれど、その代わりに多くのものを得させてもらった。等価交換だ。

 

しかしそういえば……神、か。母様や父様はごく自然に神様って呼んでいたけれど、実際のところどうなのだろう?

 

そもそも、自分にとって神様ってのは母様だ。女神母様、ウンいい響き。

まあ次点で付け加えてやるとしたら、自分をこの世界に転生させたあのドチャシコっぱいエセ女神だろうか。当時は「神……さま。そうか、自分は、死んだのか……」とか言ってしまったが、母様が女神なのだからあのメスはエセ女神に過ぎない。あ゛ー、エセっぱい揉みしだきてえなぁ。乳母様並みにデカかった。

 

さて、それに比べて此度の命名神とやら。なにやら真名を聴くだなんて特殊能力を持っているらしいが、母様とおっぱい女神に比べれば大したことはないように思える。

最近知ったが、世のエルフたちには緑のポワポワ、もとい魔力は見えないらしく、せいぜいがどこらへんにあるか感じられるだけらしい。食べるもんでもないとか。

なら、そんな特殊能力持ってる自分も神名乗れるんじゃね? でも自分は神じゃないんだよなあ……(呆れ)

 

そんなわけで、命名なんたら=サンのことは、神(笑)と呼ぶことにした。

ニュアンスの問題だし、気付かれるまい。モノホンの神ならバカにしてる信者の一人くらい見抜いてみろってんだ。やーいやーい。

 

既に、歩いている場所は通路から洞窟染みた見た目に変わっていた。まあ神(笑)が人工物の中で暮らしてたらそれこそ失笑モンだしな。神(笑)ならしょうがないのかもしれないけれど。

やーいやーい、お前んちおっばけやーしきー。

 

何だかんだ長い距離を歩いたような気もするが、実は自分の部屋も、我が家の玄関から考えれば、ここと同じくらい奥の方に存在している気がする。

まあそれだけ御子の秘匿性を上げたいんだろうが、これもう実質自分も神なのでは?(名推理) 実質ゴッド、実ゴだよ実子(じつご)。にんちしろ―。

 

向こう側に光が見え、段々とそれは大きくなっていく。おお、やっと着いたか。

眩しさに一瞬顔をしかめる。長いトンネルを抜けた先に待っていたのは、当然雪国などではなく、どこか日本の神社然とした場所であった。

別に、鳥居が立ってるとか狛犬がおいてあるとか、社殿建築に従っているというわけではない。石畳だって碌なもんがないし、何より紅白衣装の巫女さんおらんし。

 

空の大きく開けたその空間は、面積で言えば小学校の体育館ぐらいの、円形に近い広場だった。様々な緑の植物が生い茂る中どこからか水の流れるような音が聞こえ、中央には幼児が積み木をしたかのような下手くそな岩の構造物がちまっとある。

通路からその構造物まで、大きさの揃わない平たい石が距離をおいて敷かれていた。

 

「雨……久しぶりに見たな」

 

実に5年ぶりである。

そもそも、外に出ることが滅多に無い自分だ。母様に沢山お願いしてたまに日の当たる場所へ行けることもあったが、それだって天気の良い日に限る。そういえば、時々連れて行ってもらってた場所にここ似てないか……? ま、まあ、まさかね。

 

ふと頭によぎる動揺を振り払うようにして、洞窟から一歩踏み出した。

それ、ずぶ濡れに変えてしまえと、雨が自分に降り注ぐ。

 

嗚呼、思えば5年という月日はあまりに長すぎたのだ。

忘れていた。否、忘れたつもりでいた。もうすべて無かったことにできたつもりでいた。

そんなわけがないのに。

 

細く降りしきる雨の中に、ビニールの傘を、赤色を幻視する。

濡れた薄めの着物が肌に張り付き、否応なく体温を奪っていく。

あのときの痛みが、時間の経過など関係ないかのように思い出される。

体が震え、ごめんなさいと口を動かしかけて、すんでのところで堪えた。

 

「……ッハ……ハ……大丈夫、大丈夫だから……大丈夫」

 

体の芯が冷える感覚と言って分かるだろうか。

本来なら内側ほど温かい人間の体が、中心がどうしても冷えてしまって、震えが止まらない。フラッシュバックする光景に、吐き気すら覚えた。

けれど……大丈夫だ。もう大丈夫なのだ。自分は別の人間だ。この体は、その名前は、かつてとはもはや異なるものだ。

そう言い聞かせれば、次第に震えは収まっていった。

 

「でもこれだけ雨に降られたとなると、明日は風邪ひきそうだな……。なんだってこんな屋外に神域を作るんだ……」

 

まばらに並ぶ石畳の上を歩いていく。

雨で霞んでしまい他の障害物と見分けられなかったが、近づくと石の構造物(祠?)の前に誰かが立っているのが見えた。

大柄な壮年の男性で、顔の見える距離になるとその野趣な表情が伺える。フード付きのポンチョを被っているが、そこから覗く眼光は鋭く、しかし知的な奥深さを秘めていた。

 

「こんにちは、神様(笑)」

 

そんなわけで、ひとまず初手煽りを敢行してみた。

先ほどまでの震えを誤魔化した強がりではあったが、同時に相手を試す意味も込めている。

 

「待っていた。次代の巫女だな」

 

ほう、と少し面食らった。これは、気付いていないとか、あえて無視したとかではないように感じる。意に介していないのだ。大海に向かって石を投じたところで、その小さな漣は何の影響も生まないように。

神、神か。なるほど。納得できなくはない……が、この機械的ともいえる印象からすると、仙人の方が近いのではないだろうか?

 

「ええ、そうです。お七夜のために参りました。それにしても、随分粗末なところに住んでいらっしゃるんですね」

 

存在が特別である、ということが分かるのは、常人には見えないと言われる魔力(緑のやつ)が身体を埋め尽くしていることであった。

普通のエルフは身体を埋め尽くす魔力なんか見えない。体内に保有する魔力というのは、おそらく空気中に漂っているものとは違う状態なのだろう。せいぜいオーラのように纏って見える程度だ。

だがこの男は違う。魔力の塊そのものだ。そして祠が本体なのか、魔力の線が祠と身体を結んでいた。粗末なところに住んでいると言うより、ここでしか生活できないのではないだろうか?

 

「真名が分かればそれは大きな力となる。だが一方で、力は畏れられる。人の世には馴染めない物だ。……ところで少女、その足をどけてもらえるかな。アレシアが泣いている」

「……花?」

「アレシアという名だ」

 

言われた通り片方の足を上げると、どうやら小さな紫の花を踏んでしまっていたようである。どけてやると、アレシアはまるで男に礼を言うかのように、降りしきる雨の中軽くその身を揺らした。

 

「真名が、アレシア」

「その通り」

 

ふと口から飛び出た言葉に男は首肯する。

この花をアレシアと呼ぶことは、その静かに咲く姿を見るともっともなことのように思えた。

自分は気付かぬうちに、この男のことを認めつつあった。

 

「真名とは、いったい何なのですか?」

 

真名の存在を知ってから、さらには母様に「神だけが真名を聴ける」と聞いてからずっと思っていたことだ。何を以て真とするのか?

 

「そのもの本来の名だ」

「本来とはおかしな話でしょう。どんなものだって最小単位によって構成されます。物体の本質なんてあって無いに等しい、みんな同じなんだから」

「お前は、どこでそれを……まあ良い。真名とは言葉で理解できるようなものではない。そうでなければ、誰もが使っている」

 

目の前の小娘には理解させられないと思ったのだろう。神(笑)は説明することをやめ、どこか遠くを見るような目をした。

 

「真名を与えよう。もう少し、こちらへ。そう、そこに立って、ゆっくり息を吸いなさい」

 

そういって神(笑)は祠の方へ更に近づき、振り返っては自分に指示を出した。

真名の下りは正直納得行かないが、早く帰って母様とニャンニャンしたかったので黙って従う。おら、あくしろよ。はよ真名よこせ。んで早く帰らせろ。

心を悟ることなんかはできないのだろう。不躾なことを考える私を他所に、神(笑)は静かに真名を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お前の名は、ニイロ。ニイロだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぇ?」

 

……嗚呼。

嗚呼、嗚呼、嗚呼。

 

何だ、これは?

 

何を言われた?

 

「……む? 聞こえなかったか? お前の真名はニイロだ。これから、一生を通じて共に過ごす名だ、大切にしなさい」

 

どうしてそれ(・・)なのかだなんて男は知らないのだろう。

ただ聴こえた通りの真名を伝えたのだろう。

 

だけど何故? 何故? 何故、何故、何故、何故ッ!?

 

「どうしてッ!?」

「ニイロ、どうした、ニイロ?」

 

どうしてその名が、お前(・・)が出てくる?

自分が一体何をした?

自分は、どうして。

自分が……。

 

 

 

 

……ああ。

 

これ(・・)か。

 

こんなもの(・・・・・)のせいか。

 

単純なことではないか。

 

名前を捨て、身体を捨て、生まれ変わった。

 

けれども結局、いままで捨ててこなかったものがあったのだ。

 

たしかに、こればかりは自身の意志でなければ中々捨てられなかっただろう。

 

――己を指し示す言葉(・・・・・・・・)

 

「ねえ、神様」

「ど、どうした……?」

 

大海だと思えた男は、いまはひどく狼狽してしまっていた。

嘲る言葉も必要ない。それすら勿体ない。

 

「ちがうよ」

 

結局、こいつはなんなんだ?

神ならば自分に新しい身体と人生をもたらした。あるいは愛を教えてくれた。

けれどこの男は違う。ただ、過去を喰らおうとしているようにしか思えなかった。

 

「そんなものは真名じゃない」

 

誰も与えてくれないならば、しょうがないから真名も己で与えるしかないのだろう。

何が良いだろう。もう、どうでもいい。なるべく適当なのがいい。

ふと思いついた言葉は、今日の日に良い言葉であった。

 

 

 

 

僕の真名は(・・・・・)レイン(・・・)。雨の日なんだ、それで十分だろう」

 

 

 

 

男を特別視しなくなった途端気付いたことがある。

なんというか、僕は騙されていたのだ。危うく真名まで騙されるところであった。

 

「……ニイロ! 駄目だ、それだけはいけない!」

「レインだってば」

ニイロ(・・・)、やめなさい!」

 

これが真名の力だろうか。男が力を込めて名を呼ぶと、身体が拘束されるような気分がした。

でも関係ない。それは僕の名とは何も関係ないのだから。

 

「レインと呼べよ、偽物。お人形遊びも終わりにしよう」

「なっ……!」

 

男を構成する魔力に僕自身の魔力を混ぜる。すると、男の体は泥のように溶けてしまった。

祠へ伸びる魔力を辿る。ちょうど僕らの裏側、死角になっていた場所には、涙目で青ざめた少女が座り込んでいた。

 

「巫女から隠れるだなんて酷いじゃないか神様。こんな可愛らしい本体がいるだなんて、僕でもなければ気付けなかったよ」

「……っあ…………は、はは」

 

偽物の神様は口をパクパクさせる。

暗い肌にエルフ染みた耳。可憐な少女だ。ともすれば、中3くらいの見た目だろうか。この世界では初めて見る黒髪をツインテールにしているが、存外似合っていて可愛らしい。民族じみた文様の描かれた肌と、体に対し大きめの衣服の相乗効果か多少扇情的だ。下卑た視線を送ってしまったかもしれない。

 

「…………孕まされりゅぅ……」

 

……だからって、それは酷いんじゃないだろうか。

 




にいろ改めレイン「そんなわけで、レインですよろしく」
エキゾチック神様「ふえぇ…」

**連絡欄**
そんなわけで、ヒロイン追加です。
幼馴染は!? 姫様は!? 短小勇者くんちゃんに巨乳女神は!?
うるせえ! エキゾチックダークエルフの方がシコいだろ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

男もすなるわからせといふものを女もしてみむとするなり。それにしても、神様(笑)はろくでもないやつですね。何度落胆したことか、はあ…(落胆)

「しょうがないだろう!? 儂は見たんだからな! お前と当代が、その、け、けものように、まぐ、まぐわっているところぉ!」

「勝手に覗いてたんですか? 恥を知れ、恥を」

 

偽物の神様、褐色黒髪エルフが顔を真っ赤にしながらイチャモンをつけてきた。なんだ? 千里眼でも使えるのか? 覗きに使うだなんて品性の欠片もない神だな。ぼくにもそのちからください(思考停止)

 

「ち、違わい! お前らがここに来ておっぱじめおったのだろうが! 当代もお前が生まれるまではあんなに清廉であったのに、どうして……」

「……あ、あー。やっぱそうなのか……」

 

勘違いであったら良かったのだが、どうやら、やはりこの場所は母様に外に連れ出してもらえるときに来ていた場所らしい。

正確には母様に連れ出してもらったというより、運動がてら自室の周辺を探索しまくっていたら隠し戸を見つけ、その先に母様引率で訪れていたということなのだが。

いやあ、確かに隠し通路の先にあった空間(この場所)を見て母様も驚いてたしなあ。そりゃそこ(神域)でえっちなイタズラしたら珍しく抵抗したわけだ。二回目からはハマってたけど。母様マジでえっちだな……? 流石スレンダーエチチ。もう一回したくなってきた。

 

「じゃあ母様の裸見たんですね? その両目くり抜いたほうが良いんじゃないですか?」

「恐ろしいことを言うな!?」

 

母様は自分……じゃない、僕のものである。その生まれたままの姿はおろか、僕とにゃんにゃんワンワンわおーんわおーんしているところを見聞きしたというのは重罪ではないだろうか?

 

「……しかしニイロ、分かっているのか?」

「その名で呼ぶな。僕の真名(まな)はレインにすると言ったでしょう」

「する、しないではない。儂とて真名を自在に決めるなどという荒唐無稽なことはできん。真名というのは存在そのものだ。お前を(かたど)る魔力の名を、どうして変えられようか?」

 

母様との行為を覗いたこともそうだが、こういう説教じみたところも癪に障る。

なんだろう。謝らせたくなるタイプ? 顔を見ているだけでなんだかイライラしてきて、無性に泣かせたくなる。これが嗜虐心を煽られるってことなんだろうか。

 

「じゃあ聞きますが、神様はどっから真名を聴いているので? まさか魔力が喋るとでも?」

「それは…………それは、お前には関係のないことだ」

「……そういうとこなんだよなぁ」

 

何かを隠していることは視線を見れば分かる。おそらく、真名は知る方法がある(・・・・・・・・・・)。そう考えると、この神様はやはり偽物なのでは、という思いが増した。

それにしても、お前だの関係ないだの、いちいち偉そうな話し方もなんだか気に食わない。おかしいな。僕はここまで短気ではなかったと思うんだけれど。

 

「いいか、ニイロ。真名を受け入れなければ……んむっ!?」

 

再びその名を呼ばれたことで、溜まりきった鬱憤がプッツンした。

うるさいお口はこう、というやつだ。座り込んでいた神様の顔を両腕を使ってガッチリ掴み、顔をこちらに向けさせた状態でその小さな唇を奪った。まあまだ僕も同じかそれ以上に小さいんだけど。

 

突然のことに驚いている神様の瞳をジッと見つめながら、チロッと相手の唇を舐め、ゆっくり中に侵入していく。防がれると思ったが、意外とガードは緩かった。相手の舌を巻き取り、わざと音の出るように唾液を交換する。

驚いたことに、神様はわずかにそのキスに反応した。絡めたとき、受け入れるようにあちらも絡め返してきたのだ。

 

「……っ! ぶ、無礼者!!」

「いてっ」

 

しかし我に返ったのか、次の瞬間には突き飛ばされる。相手も小柄とは言え、こちらはまだ小学校1年生にも満たない年齢だ。普通に力では負けてしまい、尻餅をつく。

しかし、妙だな。

 

「と、ととっ、突然何をする!?」

「……」

 

正直、もうあの転生おっぱい女神とかとは違って、この少女には絶対的な神の力は無いものだと思っている。神の名を騙る、ちょっと異常な一般人だ。それ全然一般じゃねえな。

この見た目といい、何かしらエルフとは関係があるのだろう。エルフってのは、セックスを神の与えた苦難の試練だと考える種族だ。母様なんかと同じく、性的な知識は全く無いものだと予想していた。

 

だが、この表情と先ほどの反応。

顔を真っ赤にするのはまだ分かる。他人に急にキスされたらビビるし怒る。僕だったら恐怖でチビる。けれど、これは明らかに発情しているだろう。目の潤み具合いとか甚だしい。

そして、反射で舌を絡め返すような奴が性知識に疎いわけがない。

だから、ニッコリと薄く笑ってお見通しだとばかりに問うた。

 

「神様って、昔誰かに(しつけ)されてました?」

「なっ……え、あ……ぅ…………」

 

顔が燃えてんのかってくらい赤くなって、目は四方八方彷徨い、ついには黙って俯いてしまった。

あーっお客様! お客様困ります! 黙秘は肯定と受け取らせていただきますお客様!

 

「ご主人様はどこへ行ってしまったのですか? 捨てられてしまいましたか?」

「…………ぅぅう」

 

予想だが、少なくともこの少女は神を名乗る程度には長くここにいるのだ、相方がいたとして、その人物はもう亡くなってしまっている。

いやぁしかし、年頃(?)の娘が羞恥に染まっている様子は良いものですね。中学高校時代のクラスメイトたちは、青春する中でこうした愛らしい姿を沢山見てきたのでしょうか。なんかそれ考えたらまたムカついてきたな(理不尽)

 

「寂しかったでしょう? でももう大丈夫ですからね」

 

野良猫をあやすかのように、警戒させないように優しい表情でゆっくりと近づいていく。

恐怖と期待の入り混じった表情だ。体を震わせているのは、はてさてどちらが理由なのだろう。

つつ、と首筋に指を這わせながら再び顔をホールドした。ぴくんと少女の体が跳ねるが、逃げる様子はない。

 

先ほどに比べ、もっとずっとゆっくりとキスをしていく。初めは触れるだけにして、何度も何度も。相手から舌を出してくるまで。

柔らかくした舌先で一瞬だけ返事してあげたあと、わざと顔を離した。神様の表情は困惑に彩られ、どうして? と蠱惑的な紫の瞳が尋ねてくる。

 

「どんなことになっても……あんまり、汚い声で鳴かないで下さいね、神様?」

 

くすっと小馬鹿にするように嗤ってやると、神様は切なそうな表情になった。

 

「うぅ…………にぃろぉ……」

 

……そうだよな、お前はそういうやつだったよ(落胆)

どうもこの少女(かみさま)は僕を煽るのが好きらしい。わざとではないんだろうけど、余計タチが悪い。

 

だから、ネコになってもらおうね。

 

煽られたら応えてあげないといけないからね。しょうがないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり声は母様が一番好きだなあ、と思った。いや声以外も母様が一番か。

辺りは様々な液体でまみれており、横では肢体を投げ出した、僕より一回り大きな見た目の少女が気絶している。いや、時々腰ビクってなるし起きてんのか? まあ反射反応みたいなもんだろう。

 

雨に濡れながらは流石に寒そうだなと思っていたのだが、祠の中に意外と空間があったのでそこで致した。声が響くからいいね、ここ。

 

正直、なんで僕に身体を許したのか神様もよく分かっていないのだろう。途中までずっと恥ずかしそうに歯を噛みしめていたし、前の男に義理立てでもしているのだろうか? いじらしい。

 

雨はまだ降っているらしい。祠の中から出ると、すっかり暗くなった外でシトシトと音が鳴っていた。

 

「あ……やべ、母様との約束……」

 

別れる時に、今夜楽しみにしておいてと言ってしまったのだ。

というかお披露目会待ってくれてる民衆の人達にも、結構悪い事しちゃってる?

不安になってそろそろ行かなきゃな、てかどこ行けば良いんだろな、と考えていると、後ろで音がなった。神様がわずかに身を起こしたようだ。支えてる腕ブルブルしてるけど。

 

「あ、起きました?」

「……ああ。行くのか?」

「神様があんまり騒ぐものなんで、夜になってしまったことに気付けなかったんですよ。急いだほうがいいかもしれません」

「だって……! それは、にいろが…………あっ」

 

はあああああああ〜〜〜〜(クソデカ溜息) お前ってやつは、まったく(落胆)

あれだけやってもまだ分からないとは、筋金入りだな。

 

「まって、やだ、やだやだやだっ! もうやだ! ごめんなさいって何度も言ったぁ! 今のもわざとじゃないの!」

「レインって呼ぶまで何時間かかるんですかね……」

「だって、それは! それだけはだめなの! にいろが……あっああああ! まちがっ!」

 

この娘は素がおっさんみたいな喋り方のくせに、焦ったりすると幼児退行するようだ。

二度呼んだことに対し、別に怒っているわけではないんだよとニッコリ微笑む。

 

「ただ、分からせてあげないとなあ……って」

 

祠の中へと引き返し、少女の身体を撫でながら再び組み伏せた。

……母様、待っていてください。できるだけ早く終わらせますから。

 

「……あっ♡」

 

下手すれば、夜を跨ぐハメになるかもしれないなぁ。

まったく、ままならないものだ(落胆)

 




褐色調教済み神様「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!謝ってるのにいいい!」
レイン「何だってこんなことに時間を使わなきゃ…」
神域AOKAN好き母様「私待ってるあいだ、歌うね!!」

地獄かな?

〜〜TS転生裏話〜〜
サブカルクソ女神「どれどれ、にいろの様子は…ファッ!? わ、我もにいろと呼ぶのはやめにしよう…そう、不平等はよくないからな。神らしく、人の子とでも呼ぶのが良かろう」

**連絡欄**
籠絡編と同じく、祠の中の出来事は別枠を立てた時に書きます。
ツインテはわからせがいがある。この娘、一人称儂で母様より歳上なんだぜ。
無知娘を躾けるのも、躾済み娘を楽しむのも両方好きなのは精神が汚染されているからだろうか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【急募】なんか神様が自分の名前言ってきたけどどう解釈すればいい? 別に神様の次のご主人様にはなりたくないんだけれど…というか、こいつ行為の最中ご主人様って呼んできてたな?

汗、涙、涎あるいはそのどれでもない淫靡な液体。

正直もはや区別はつかないが、それでベタついてしまった体を、一日経っても止まない雨を浴びて洗い流していた。神様の匂いをしっかり洗い流しておかないと、なんか母様に会った時に普通にバレる気しかしない。母様も、まさか自分の関わっていた神があんな淫らな存在だったとは知りたくないだろう。

 

「……にい…ヒッ、お、お前さま」

「ん、なに、神様?」

 

何かを言いかけて、神様は怯えたように言い直した。うむうむ。そこまで怯えて欲しくないんだけれど、ちゃんとわかってくれたみたいで何よりだ。わからせは良い文化。残していこう。

しかし結果的にお前さまに落ち着いたのはなんとも……別にお前の伴侶じゃねえんだよなあ……ご主人様よりはマシだけど。とりあえず、仮名さえ分かったらそっちで呼んでもらおう。神様はどうしてもレインって呼びたくないみたいだし。

 

「あ、ああ。なに、このあとのことだ。お前さまのやってきた穴から、祠を挟んでちょうど逆側。大きな木のうろが見えるだろう? あそこを通っていけば(みな)が待っている」

 

指を指した方には、小柄な人なら容易に通れる程度の穴があいた大樹がたしかに存在した。……いや、よく考えたらここはさらに巨大な木の中の一部なのか? 前世の感覚では大樹だと思っていたものが、さらに大きな木のせいでチンケに思える……。

これが巨根に自分の小サイズを思い知らされるという感覚か、なるほど悔しいかもしれない。僕のは大きかったと思いたいが、大人珍坊ってのはもっと大きいのだろうか? いやでも、それ人体に入らなくない? 特に女体に詳しくなった今ならよく分かるんだが、そこんとこどうなんだろう。

 

などとしょうもないことを考えていると(通常運転)、神様がどうももの言いたげな表情をしている。なんだこいつまだ発情してんのかと思ったが、違うらしい。

 

「どうかしたの、神様?」

「……なんだ、その、本当は儂にも真名と仮名がある」

「はあ」

 

そうですか、という感じだ。なんだ? 「神様」って名前だと僕が思っていると思われてる? やっぱこいつ馬鹿にしてるからまだ足りなかったんだな。

 

「へ、ヘリオトロープだ。ヘリオと呼べ!」

「…………呼べ?」

「あっ、う、あうう……呼んで、ください……」

 

全然違った。なに言い出してんだこいつ(落胆)

 

「神様の真名なの?」

「にゃ!? ちっ、違わい! 真名を家族以外に教えるわけないだろう!?」

 

そういうもんか。いやそういうもんだよな。せいぜい一晩イかされ続けた程度の相手には言わないよな。よし、今度言うまでいじめ続けよう(決意)

いや神様……もといヘリオにとって嫌なことはしないよ? ぼかぁ他人のよろこぶことしかしない主義なんです(何食わぬ顔)

 

「……儂の仮名だ。あ、あんな姿まで見られて神様と呼ばれるのは、どうも具合がよくない」

「アンアンな姿?」

「耳が腐っているのか……?」

 

恥ずかしがりながら睨んでくるヘリオはちっとも怖くなかった。なのでニッコリ微笑んでみると、急に弱腰になって許しを請うてきた。この褐色少女わけわからん。

 

「冗談だよ、ヘリオ。じゃあまたね」

「ああ……」

 

特に思い残すこともなかったので、捨てられた子犬のようにこちらを見てくるヘリオに背を向け、木のうろへと歩を進める。祠からそこまでまた平たい石がまばらに敷いてあるので、それを踏みながらだ。

そういえば一応確認をとっておきたいなと思って、少し歩いたところで振り向いて彼女に声をかけた。

 

「ねえ、ヘリオって神様じゃないんだよね?」

 

そう問うと、ヘリオはキョトンとした顔を浮かべ、一瞬考えるようにしたあとはにかんだ。

 

「さあなぁ、秘密だ。だがお前さまたちが(わし)を望む限り、それはきっとそうなんだろうよ」

 

その表情は、昨日から一晩通して見てきた彼女の中で一番綺麗で、どこか見た目からはかけ離れて成熟した部分があるのだと如実に語っていた。不覚にも、見惚れた。一瞬だぞ。

ううん、秘密かぁ。よし、今度言うまでいじめ続けよう(決意) ……冗談である。それはきっと、触れないでおくのが一番それ(・・)を穢さないでいられることなのだろう。

 

そっか、とだけ答え、再びうろへと歩き出す。

 

ヘリオは僕の背中を見ながら、まだ寂しげな表情を浮かべているのだろうか。

でもそれは、僕の背中ではないのだ。僕が振り返って抱きしめなければならない道理はない。

そして僕は、その身を委ねるように再び暗闇の中へと進んでいった。

 

 

 

 

「……っくちゅん! これ、絶対風邪引いてる……」

 

格好良くは締まらなかった。無念。でも鍛えてるし締まりはいいよ。多分。

いやでも雨ってほんとよくないわ。服もピトピトくっつくし、というか透けてない? 大丈夫? 暗くて分からん。

 

つか、今のクッソあざと可愛いくしゃみ僕のかよ……。

もはや、くちゃみ……。




エロフ母様「くちゃみたすかる」
サブカルクソ女神「くちゃみ代【50000】」
濡れ透けレイン「いや、たすからないから!」

**連絡欄**
「アンアンな姿」はクソ変換のせいで生まれてしまったネタです。というか「(下ネタ)……間違えた、(本文)」というネタの殆どはクソ変換かタイプミスから生まれています。もはや誤植で作品を仕上げている。
最近一番ひどかった誤植は「性癖」→「性兵器」。……なんなん?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歌え歌え、今日はめでたい日なんだから! ところで祭りにかこつけて酔わせた女の子パコろうとする女の敵はこちらですか? 僕が丁寧に切って女の子にしてあげます。大丈夫、回復魔法は得意。

ををうまい!


 夢を見ている気がした。

 

 実際にはそんなことないのだが。けれど、その道は真っ暗なのに不思議と怖くなく、むしろ優しく守られているような気分さえした。

 夢を見ているときのふわふわした感覚、まさにそれだと思う。足を動かした覚えはないのに前へと進んでいるのが分かる。

 

 かつて母様から教えてもらったことだが、(やしろ)と神域を繋ぐ道には特別な魔法がかけられているそうだ。それを維持しているのが神様らしいのだが、本当にヘリオ(あの神様)がそんな大それたことをできるのか、僕としては非常に疑問である。

 奏巫女は神域の神様との親交を深め信頼関係を結び、音楽という形に乗せて信仰を捧げるのである。だが魔力の見える子代表として言わせてもらうと、絶対捧げてるのは「信仰(魔力)」だ。わざわざ何だってそんな面倒くさい方式を取るのやら。

 

――♪――〜♫――に――――

 

 心地よい空間にいるせいか、どこからか天使の声が聞こえてきた。ここが天国か? いや違えわこれ母様の声だ。女神の声だったか。

 

「お待ちしておりました」

 

 気がつくと、めちゃくそ高い場所に立っていた。多分、どこかの木の上部だと思うんだが……いや、やっぱこれ木じゃなくて建物だろ(白目)

 そして目の前には跪く女性……いや、彼女は当代乳母の娘、イドニ=アイリス(40)か。顔を下げているから分からなかったが、この鮮やかな金色の髪は彼女だ。

 

「アイリス、顔を上げてください。……ここが社ですか?」

「ええ、御子様にとっては始めての”外”でしょう。長らく御姿を現さなかったので、心配いたしまし……た!?」

 

 アイリスはやめてと言っても様付けで呼ぶし敬語を崩さない、かたっ苦しいやつだ。遺伝でおっぱいがでかっぱい。グラビアに出てそう。

 初めての外……まぁ神域を除けば確かに野外に出るのは初めてか? 雨降ってるけど。

 と、アイリスは何故かわからないが顔を上げた瞬間固まった。あ、また顔下げた。

 

「みっ、御子様! お、お召し物が濡れて、その……お透けに……っ。そのままではお披露目できません……!」

「いえ、別段構わないでしょう。母様はどこですか?」

「巫女様は下の舞台に……って御子様!? お待ちを!」

 

 僕が美少女なのは母様の娘なんだから否定できないが、小学校に入る手前レベルのガキだぞ? 服が濡れて透けてるぐらい、おてんばで許されるやろ。まさか高潔なエルフに日本人みたいなロリコンがいるわけでもあるまいし。

 母様の美しい歌声は確かに下から聞こえてくる。まさかリアルタイムで歌っているのだろうか? 見たい。超見たい。我慢できないので出発します。

 

 アイリスは止めようとしたのだろうが、こちらに目を向けた途端固まり、そのまま鼻のあたりを押さえて蹲ってしまった。視界の端に、雨に紛れて地面を赤く染めるものが見えた

 

「アイリス!? 大丈夫ですか!?」

 

 流血、病か怪我か!? 僕は慌ててアイリスへと駆け寄り、略式の詠唱と共に跪くアイリスの顔を抱擁する。魔法が初めて発現したときの環境のせいか、僕の場合は誰かを癒やしたいと思った時に、抱きしめることで効率よく治療することが出来る。

 特にエルフの体はほぼ魔力で構成されるのでこうした魔法の効きが良い。寿命は伸ばせないが、母様で鍛えたこの魔法ならアイリスを治せるはず……!

 

「きゅう……」

「アイリスゥゥゥゥウウウウウ!?」

 

 しかしアイリスは倒れてしまう。

 魔法は成功した。だがきっと、僕が一日祠にいた間彼女はここで待ち続けていてくれたのだろう。その疲れで眠ってしまったのではないだろうか?

 これは非常に悪い気持ちになってきた。母様もずっと歌い続けていたのだろうか? 早く行かなければまずい!

 

 アイリスを濡れない場所まで頑張って引っ張り、そこに寝かせて階下へと急ぐ。

 木を彫り抜いて作ったのであろう、内周に沿うような螺旋階段が長く続く! 急げ!

 

「っわ! 足がすべっ……このぉ!」

 

 雨のせいで摩擦が失われていたのだろう。体ごと滑りかけるが、根性で風操作の魔法を自分にかけ浮かせる。詠唱破棄によって魔力を失い意識が飛びかけるが、そこら辺の緑のポワポワを食って持ち直す。

 

――心の―――知るか

―――を与え――は

 

 母様の声が大きくなってきた。これは……(かなで)の魔法か。

 

「……ッ! こっちのほうが速い!」

 

 螺旋階段の真下を見れば小さな人影が見えた。

 あれは母様だと確信し、螺旋階段の中央部、吹き抜けに身を投げる。魔力が尽きてしまわないよう、先ほどの風操作を弱めにおこなって、落下速度を軽減する。幸いここは上昇気流が少し生まれているおかげで本当に最低限で済む。

 

 「母様」と大声を出そうと思ったが、ゆっくりと降下していく中で母様がある歌を歌っていることに気付いた。

 それは、僕が初めて魔法を使ったときの癒しの歌だ。疲れ果ててしまった母様を、その唇から流れている血を、どうにか癒そうと歌った愛の歌。

 

 届いていたのだ。

 聴こえていたのだ。

 そしていま、どういう状況かは分からないが母様が歌っている。

 

 そのことがあんまりに嬉しくって、僕も奏巫女の跡取りらしく、歌で母様に語りかけようと思った。

 母様のこと、そして待たせてしまった人達のこと、色んな気持ちを込めて、母様の歌声に合わせるように唇を動かす。

 

どうか どうか ()の世ばかりは

癒やすことを (ゆる)

 

 母様が気付いた。そしてその正面、なんと舞台のようになっている最下部の観客たちが気付く。指を指し、目線を向け、やっと御子が現れたことへの歓声を上げる。

 僕は申し訳無さではにかむが、次の瞬間には少し驚かされた。

 僕の魔力と母様の魔力、そして観客の魔力が踊りだしたのだ。

 これはエルフが魔法を使う時によく起こることだが、こんなにも莫大な規模で魔力が渦巻きだすのは初めて見る。奏巫女二人の魔力が溶け合い、それに更に観客の魔力が上乗せされたのだろうか? わけがわからない。

 

 体から魔力が出ていったかと思ったら、それは観客たちに降り注いだ。

 まるで彗星の雨のように美しく、他のエルフたちが見えないというのが残念すぎるほどである。

 降り注いだ魔力を見たわけではあるまいが、癒しの効果を受けたであろう観客たちは更に白熱し、歓声などでは言い表せない雄叫びをあげた。

 

 嬉しい。楽しい! なんだこの多幸感は!?

 母様を抱いているときとはまた異なる、脳内麻薬の分泌される感覚。

 今度はみんなではなく、母様だけに届けと僕は歌い出した。

 

牡丹の花が 立ち咲くような

久遠に続く 美しさを知った

果ての向こうに 出会えた人がいる

 

 落下するわけにはいかないので、ゆっくりと舞い降りていく。

 しかし、どうして歌なんて面倒くさい形式に、わざわざ神と人々とのやり取りを託したのかと不思議に思っていた。

 歌という媒介を用いて魔力を献上させるくらいなら、巫女がその膨大な魔力を直接神にぶつければ良い感じになるんじゃない? などと思案した。

 

レガリア それだけが繋がりだろうか

隠者になって 残るモノはなにか

出口なんて知らない まだ入っていない

スミレと呼ぶよ だから春を教えて

 

 けれど、違うのだ。

 歌でなければいけないのだ(・・・・・・・・・・・・)

 歌、音楽でなければ、同時にこんな多くの人の心を揺らすことができなかったのだ。

 歌とは祈りであり、あるいは呪いである。だからこそ人の心を惹きつけ、その旗印となって想いを束ねる。想いはそれぞれが持つ魔力を重ね、奏巫女を触媒として神への献上物へと昇華させる。

 

 僕が生まれたのはそんな一族であり、それは母様が今まで務めてきた役目なのだろう。

 

 ゆっくりと地面が近づいてきた。

 母様の隣に降り立とうとする。両手を母様の方へ少し伸ばせば正面から恋人繋ぎのようにその手を重ねてくれたので、それを支えとするようにして、転んでしまわないように恐る恐る魔法を解いていった。

 僕の両手を握り、その歌に応えるように今度は母様が口ずさみだす。

 

聞いてよ ねえ 不思議な話

見つけたはずが 見つかっていたの

晴れたら 明日 空を見に行こう

 

 つま先からふわりと無事着地する。

 母様と繋いだ両の手からお互いの魔力が行き交うのが分かる。母様の今考えていること、何もかも全てが手にとるように知れた。それだけじゃ足りないとばかりに視線も交換しあって、考えていることが同じだと気付いて不意に二人同時に笑った。

 母様の奏でる音が聞く前に伝わってくる。それに合わせるようにコーラスを入れると、母様はとても気持ちよさそうに口角を緩めた。

 

安心して 残るものしかないよ

不器用な私を 信じてほしい

レガリア 無くしたとしたならさ

ラベル無しの 君を見つけに行くよ

 

 そこまで歌ったところで、母様の膝がこちらにガクンと折れた。

 

「わ、わわ! 母様!?」

 

 咄嗟に抱きとめようとするが、流石に体格差があるので勢いを殺すことしかできなかった。

 下敷き……ではないが、こちらも尻餅をつきながら胸で受け止める。

 

「母様、大丈夫ですか?」

「あー、うん。流石に12時間近くぶっ続けで歌うのは無理があったかも? でも、無事で良かった。おかえり私の天使様」

「うぅ……ごめんなさい。ただいま、です」

 

 しょぼんとなり落ち込む僕を、母様は僕の胸の内で横になったまま撫でる。

 母様は他の人には聞こえない大きさの声で僕の名前を呼んでくれた。

 

「謝ることなんてないさ。レイン、良い名前だ」

「アンブレラ。素敵な名前をありがとうございます、母様」

 

 歌には力がある。絶大な、魔法のような力。

 その魔法を通して僕らは真名と仮名を交換しあった。

 

 それはきっと、僕らだけにしか分からないもので。

 

 

 

 

 だからこそ、偽ったことにズキリと胸が傷んだのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、舞台上で倒れた母様を心配する人々のために僕の魔法で母様を癒し、二人でもう一度歌ってお披露目会はおしまいとなった。もちろん「アンブレラ」という僕の仮名は(主に母様によって)大々的に告知され、ノアイディ=アンブレラはエルフたちの知るところとなった。

 

 お七夜自体は御子のお披露目だけで終わるわけではない。命名の済んだ次代の巫女たる僕の引率で、今年お七夜の子供たち一人ずつが神域へ行きヘリオから真名を告げられたり、社の大樹を中心に沢山の屋台が出て日本の縁日のようなことをしたりする。

 よく分からないが歌い終わって外に出たらカラッカラに晴れていた。加護だなんだと褒めそやされたが、正直歌で気候操れるわけ無いやろバカモン(呆れ)と思っている。

 

 ヘリオはどの子にも土人形のオッサンを使ってコミュニケーションを取っており、あの生意気可愛らしい民族風褐色黒髪ツインテールを実際に見たことがあるのは僕だけになりそうだ。

 しかし引率するのはいいんだけれど、緊張のせいか、子供たち顔を真っ赤にして全然僕と喋ってくれない。エルフの子供ってのは皆きれいな見た目で可愛らしいのに、残念である。だから引率の名目で、手繋いだりいっぱい顔覗き込んだりしてやった。さいこうでした(幼児性愛者感)

 

 縁日の方は、一生に一度の御子お披露目回ということで、今年に限って6日間続く。エルフたちは、この間食って飲んで騒ぐらしい。それでヤラないってのはある意味すげえ種族だよ。

 僕は母様との縁日デートをできるとワックワクしていた。しかし世間もとい運命というやつは、とことん僕らの逢瀬を邪魔したいらしい。

 

 それは、母様とさあ縁日楽しむぞ! と一緒に歩き回り始めてすぐのことであった。

 

「……向こうが妙に騒がしいな」

「母様、行くんですか?」

 

 祭りの喧騒とはまた違った、緊張感を伴うザワザワを母様が感じ取った。

 巫女は村の民でありながら、やはりひとつ立場の異なる存在だ。厄介事が起きた時はその仲裁を取り持つことも求められる。

 

 母様とともに件の場所へ行くと、そこには人だかりができていた。しかし、何かから距離を取るかのようにポッカリと中に空間があいている。

 

「すまない、通してもらえるか?」

「え? ……うおッ巫女様にアンブレラ様!? ヤバい可愛い……」

 

 母様の後ろを追うように人混みを抜けていく。めっちゃ見られて少し恥ずかしい……。そもそもこんなに多くの人と関われる状況になって、まだ1日と経ってないんだよな……。

 

 人混みの真ん中に倒れていたのは人であった。かなり怪我をしているようで血が惨たらしい。

 

 いや、ややこしい言い方はよそう。

 

「これは……」

 

 母様が動揺を見せる。

 それもそのはずだ。

 

「……人間?」

 

 耳の丸い(・・・・)人間の女性が、男児を抱いて倒れている。

 これが、僕がこの世界に生まれて、初めて元同族にまみえた瞬間である。

 




ロリ&ショタエルフs「あ〜^ 性癖の捻じ曲げられる音〜^(恍惚)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

取扱説明書(〜お七夜編)

そろそろ思いつきで書くには二人称などの情報が統合できなくなってきたのでメモ。
このポンコツ脳みそめ!
人に読ませる用には書いてないから飛ばして構わない。
備考欄は楽しく読めるように調整したから、そこだけ目を通すと良いかな。


人物紹介

 

【名前】称号=仮名・真名

【年齢】お七夜編終了時点での数え年(エルフの場合地球で言う肉体年齢)

【身長】単位cm 【体重】単位kg

【一人称】

【二人称】

対象:呼び方

【髪】色・長さなど

【目】色・形など

【肌】色

【役職】

【口癖】

【好きなもの】

【嫌いなもの】

【備考】

【ひとこと】

 

 

 

 

【名前】ノアイディ=アンブレラ・ニイロ(レインを名乗る)

【年齢】6(4歳3ヶ月)

【身長】110cm 【体重】16kg

【一人称】自分→僕

【二人称】

一般:あなた、お前

テレサ:母様、テレサ

マルス:ホモ親父→父様

転生女神:エセ女神、おっぱい女神

命名神:神(笑)、神様→ヘリオ

乳母:乳母様

乳母娘:アイリス

【髪】淡い金(かなり白に近い)・腰に届く 

【目】翡翠(実は■■■■■は■■■■■■)・ジト目気味で眠そう(見ようによっては艷やか)

【肌】透き通った乳白色

【役職】次代奏巫女

【口癖】下ネタ、「(下ネタ)……間違えた、(本文)」、「母様かわいいよ母様」「や↑ったぜ」

【好きなもの】母様、おにゃのこ、エッチなこと、おっぱい、歌うこと

【嫌いなもの】前世の容姿、名前、雨、生意気なメスガキ

【備考】

前世では傾国もかくやという美少女じみた顔立ちをしていた。だが男だ。また、かなりの珍宝を携えていたらしい。本人は見た目のせいで周りから疎まれていたと思っているが……? 死因は■■に■■■■■■ての■■。雨を浴びると当時のトラウマが蘇る。

生まれ変わってからは青春コンプを遺憾なく発揮。セクハラの限りを繰り返している。お七夜での子供たちの引率では、濡れ透け知的美少女の姿で意図せず子供たちの性癖を捻じ曲げた。特に女の子に対しては誰彼構わず「可愛いね」と口説いていた。お姉さまと呼ばれる日も近い。

【ひとこと】

僕は悪くないと思う。だって、こんな立場になったら誰だって同じことする。僕だってそうした。

あと最近アイリスの目が怖い。

 

 

 

 

【名前】ノアイディ=サルビア・テレサ

【年齢】118 (22)

【身長】172cm 【体重】48kg

【一人称】私

【二人称】

一般:あなた

レイン:マナ→アンブレラ、レイン、キミ

マルス:キバタン、マルス

命名神:神様

乳母:フェリシア

乳母娘:アイリス

【髪】クリーム色に近い金・腰の手前まで届く

【目】翡翠・パッチリとしていて活発な印象

【肌】白

【役職】当代奏巫女、アイドル

【口癖】「うぇっ!?」

【好きなもの】レイン、娘にされる気持ちいいこと、マルス、歌うこと、アイサ姉妹の演劇

【嫌いなもの】一人で寝ること、ライブを邪魔されること

【備考】

快楽堕ちエロフ一号。実のところ真名を自発的にレインに言うまでかなりかかったが、夫に立てた操も4年に渡る調教・開発には抗えなかった。おいたわしや、母様。耐えた反動の分どっぷりとレインに依存しており、レインも気付かないほどの変態性を成長させている。いまはレインに触れるか声を聞くかすると濡れてしまう。どことは言わないが。

平均寿命300歳のエルフとしては、精神の成熟具合は人間と比較して単純計算だと30手前ほど。巫女として多くの経験を得ているため、実際にはもう少し成熟した精神・哲学を備えている。

レイン曰く、喘ぎ声が滅茶苦茶可愛くてエッチで興奮するとのこと。

【ひとこと】

レインの婿を絶対に取りたくないんだけれど、どうすればいいんだろう?

レインをぐちゃぐちゃになるまで私に依存させて、私の子を孕んでもらう? 女性同士って子供作れるのかな?

いまはまだあの子の体が成熟していないから、もう少し成長したら私がしてもらったことを沢山返してあげたいな。レインの蕩けきった顔、絶対かわいいよね。

 

 

 

 

【名前】ノアイディ=キバタン・マルス

【年齢】182(28)

【身長】178cm 【体重】60kg

【一人称】ボク

【二人称】

一般:君

レイン:マナ→アンブレラ、レイン

テレサ:サルビア、テレサ

命名神:神様

乳母:フェリシアさん

乳母娘:アイリスちゃん

【髪】淡い金(白に近い)・刈り上げっぽいショート

【目】翡翠・タレ目で眠そう

【肌】白

【役職】奏巫女補佐、建築士

【口癖】「うちの娘が可愛い」

【好きなもの】家族、妻と娘が家で歌うのを眺めるor演奏をつけること、設計

【嫌いなもの】理性的でない会話、退屈な観劇

【備考】

レインの被害者一号。エルフにとって肉体的な寝取られはそもそも想定外だが、それでも浮気されている事実は変わらない。愛妻家で子煩悩。何にも気付かなければ幸せに逝ける、どうかそのままでいてくれ(クズ)

元々建築物が大好きで、若い頃から設計ばかりしていた。巫女の大樹の構造が気になって周辺から計測していたらロリ母様に出会う。計測の対価に遊び相手を務めているうちに、気付いたら結婚していた。周りのエルフ的にはどうしてこんなやつが案件。だが見た目も悪くないし、魔力量も平均より多めだったので問題なかった。

結婚してから奏巫女の儀式に関係する書類や周辺業務を捌くようになる。社の大樹の舞台を改築する時はマルスが一枚噛んでいた。設計に関してはわりとHENTAI。

【ひとこと】

いや聞いてくれ、うちの娘可愛いんだよ。この間テレサとレインがリビングで一緒にお歌の時間を過ごしてたんだけど、歌うたびに、奏の魔法か髪がふわふわ舞ってまさしく天使だった。あの子の髪はボクに似て、そう、ボクに似て(・・・・・)ボ ク に 似 て(・ ・ ・ ・ ・)! ……白に近いからね。そうやって光に透けると本当に美しいんだ。それにあの表情! 目をニッコリ閉じて歌うお口はニパーって三日月のようで、テレサもお互いおんなじ表情で向かい合って歌ってるんだよ!!?? いやもう、なんだろう、なんていえば良いのか分からなかったんだ、ボクは。尊いって言葉が頭に浮かんだんだけど、どういう意味なんだろうね? あんまりにも眩しすぎて、泣きそうになるわ吐きそうになるわ大変だったよ。人は本当に美しいものを見ると吐きそうになるんだね、初めて知った。

 

 

 

 

【名前】ヘリオトロープ(仮名)

【年齢】?(16)

【身長】154cm 【体重】35kg

【一人称】儂

【二人称】

一般:お前

レイン:ニイロ、お前さま、ご主人様

テレサ:当代、巫女

【髪】黒・長めのツインテール

【目】黒紫・ややツリ目

【肌】褐色・白線の民族じみた文様が刻まれている

【役職】命名神? レインには神か疑われている

【口癖】「ち、違わい!」、「ごめんなさいっ!」、「にいろ……あっあああああ!」

【好きなもの】ご主人様、(性的に)いじめられること、野菜

【嫌いなもの】真名を偽らせること、巨乳

【備考】

典型的なメスガキ。エキゾチック褐色黒髪ツインテとかいう属性のパフェタワーにクソ雑魚傲岸不遜貧乳調教済みキャラを付加するとこうなる。盛りすぎて吐きそう。はあ、これだから……(落胆)

エルフに似た耳の形をしているが、髪や肌の色、また低身長さから同一種族かは疑わしい他称神。別に進んで自称しているわけではないが、神かと問われれば「そうかもなあ?」と返す。悟っている? いやいや、生意気なのでレインちゃん派遣しておきますね。

かなり長い年月を生きているらしく、先代命名神がいたのかは不明。普段のお七夜では渋いポンチョおじの泥人形を動かして相手と関わる。言葉遣いはそれでおっさんぽくなった。クソ雑魚モードに入ると幼児退行する。過去に調教された過去を持つらしいが……?

【ひとこと】

お前さま……いや、にいろ。やはり真名を偽っては……な、なんだその微笑みは。まっ… 待って、だって、これはにいろのことを思ってぇ……! あ、やだ、やだやだ! これっきりだからっもう言わないからぁっ!! あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!! ………………あぅっ♡

 

 

 

 

以下、その他のキャラクターについて簡単なメモ。

 

 

 

 

・転生女神

私欲に従ってにいろをTS転生させた上位存在。神を名乗ることもあるが、それは他者への説明の面倒くささなどを加味して都合がいいからで、そもそも神を信じていない。だが己の高い能力は自覚しており、様々な世界の開発に関わっている。上位者は他にも存在するらしく、作中ではテルースと呼ばれる存在と酒を飲む姿が確認できる。にいろの転生先はテルースの管轄だとか。飲む度にテルースに脱ぐことを要求されているらしいが……?

スタイルの良い大人びて清楚な茨木童子のイメージ。いや誰だよそれ()

 

 

 

 

・イドニ=フェリシア・ルイーザ

巫一族の専属乳母。おっぱいがでかいので、レインは万乳淫力に従いよく引き寄せられる。そのことでテレサから嫉妬を受けている。

テレサのことは幼少の頃から面倒を見ていて、お互い気兼ねない関係。みんなのオカン。

産婆自体はエルフの村に他にいるが、フェリシアは巫専属。このことから巫の立場の特別さがよく分かる。

イドニは専属乳母一族の称号。

 

 

 

 

・イドニ=アイリス

フェリシアの娘。数え年40なのでかなり若い。真名は未出。やっぱりおっぱいがでかい。

実質レインの面倒を一番見る立場だが、レインが母様にべったりなので公務の時以外はそこまで絡んでもらえない。例に漏れず無知なので、レインには濃密なキスの作法を教え込まれている。濡れ透けレインを見て以降、レインの愛らしい姿に鼻血が出たり動機が激しくなってしまったりすることが多発。重病かもしれないと不安な一方、その感覚を心地よいとも思っている。




TS転生メス堕ちモノは用法・用量を守って正しく使用しましょう。
過度な摂取、濫用は思わぬ副作用を引き起こす場合があります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

若紫編
怒ったてれさ〜許さないてれさ〜ノアイディ=サルビア・てーれさ! やだ母様ったら可愛すぎ! ん? なんか天界が騒がしくなってる気が?(感度の良いメスガキ)


勘のいいガキは嫌いなタッカ―さんも、感度の良いメスガキはお好きでしょう。


「ここは……」

 

か細い女性の声が聞こえた。

母様と軽めのスキンシップを楽しんでいたのだが、お互い同時に気付いて音のした方を見る。

呆然としている人間の女性に、母様が声をかけた。

 

「気付きましたか。我々は先ほど、血を流しながら倒れるあなたと抱かれた男子(おのこ)を保護しました。あなたはどのような理由でここへ?」

 

それを聞いて女性はまず子供の安否を酷く気にしたが、すぐ隣の部屋で乳母様が面倒を見ていることを伝えると落ち着いた。

まあ想像通りだが、母親と男児は親子らしい。男児……面倒くさいから母親の呼んでいる名前を使おう、ツグミを抱えて魔物から逃げていたが、最終的に家宝の道具を使って転移し、この村にやってきたのだとか。

 

彼女たちを受け入れるにあたって、実際はひと悶着あった。

エルフの村は閉じた空間だ。他の者を受け付けず、逆に中から出ていくこともない。変化を恐れ、外部からの侵入を拒むこの共同体は、ゆえに死にそうな他所者に対して困惑と拒絶以外の反応を返すことができなかった。

 

とりあえずあの出血は普通に死ねるレベルだったので、「治しますね」と周りにいたみんなに確認を取って、特に「駄目です(無慈悲)」とか言う輩もいないので癒した。言われたら理解出来なすぎて脱糞していたかもしれない。

おえらいさん共の話し合いが始まったのはその後だ。長老会とか村長とか、基本的に「村の存在を知った他所者は処そう。人間だしね、しょうがないね!」という流れだったが、母様の鶴の一声で殺さないことになった。

その辺の下りをカットしたのは、ひとえに公務をしている母様に見惚れて記憶がほぼ残っていないからである。分かりやすく言うと、昨夜ホテルに行った相手が次の日会社で部下にキビキビ指示出しているのを見る気分。僕は学生だったし、ホテルに行く相手もいなかったけど。

 

これは今回母様に聞いて知ったのだが、広大な森林地帯の中に存在するこの村は、森にかけられた魔法によって物理的な接触ができないらしい。それも神様(ヘリオ)の管轄だとかなんとか。絶対嘘だ(確信)

つまりそんな村に転移できた家宝の道具というのは明らかに尋常じゃないもので、少なくとも魔法の力を使っているのだろう。一回使ったら壊れてしまったらしく見られなかったが、一般女性が持っていていいシロモノじゃない。この人何者だ?

 

だが、どうやら母様には見当がついているらしい。長老会を黙らすだけの理由は何なのだろう。

 

「……(くだん)の魔道具、禁術を使ったでしょう?」

 

ある程度女性の話を聞きとったところで母様が切り出した。魔法使う道具は魔道具でいいのか。しかし、禁術?

はい、と詰まるように女性は認めた。ぶっちゃけなんか話分からなくなってきたし僕がここにいる必要もないのだが、真剣な表情の母様が美しいので、夜の表情(なお夜に限らない模様)を想像して背徳感を感じながら眺めていようと思う。

 

「あなたは、あと10日も経たずに亡くなります」

「……承知の上です」

「子供は母親がいなければ生きられない。それなのに、承知の上(・・・・)?」

「か、母様! 落ち着いてください」

 

おおん母様怖いぬわん……。同じ母親として許せなかったのだろうか、無意識のうちに魔力を纏って母様が凄む。これ魔力見えない人にも威圧感が伝わるんだよなあ……。

怒ってる母様。これはこれで、好きかもしれない。いや好きだ(確信) しかし相手を萎縮させてしまっても仕方ないので、母様の手を僕の小さな手で包んでなだめた。

 

「承知の上と言うより、すべて定めのようなものだったのです。曽祖父様よりも前から一族のみに伝えられてきた伝承。そして緊急時に使うよう受け継がれてきた魔道具。……伝承は本物でした。”生きた歴史”と呼ばれるあなた方なら分かるでしょう? 息子は、本物です。あの子を生かすためなら、この命、定めに従いましょう」

「やはり、そうですか……」

 

女性の決意を秘めた眼差しを見て、母様は嘆息する。

僕にはまるで分からない話であったけれど、ただ一つ、定めのために命を費やすというのはどこかとても悲しいことのように思えた。

 

これは僕の前世が影響しているのだろう。

使命とか天命とか、決められた役割だなんてのは存在しない世界。おそらくどこまでも自由で、それゆえに多くの人が不自由さを感じていた日本という島の中で。

やはり僕も、死ぬのは怖かったのだ。命を失ったからってそれまでの行いは無くならないし、それどころか未来の行いによって過去を洗い流すことすら許されなくなってしまう。絶望ではないが、希望とは似ているようでまるで異なる。

ちっぽけな信念と未来への希望を抱いて、不自由に苦しんでいた。だからといって、それを定めと受け入れるようなことはしたくなかったのだ。

 

母様は怒ったのでなく、女性を試しただけのようであった。

お互い同じものが見えている。そう確認できたのか、女性は全てを伝えることにしたようだ。

 

「……息子、ツグミは勇者となります。来たるべき、災厄のために」

 

へ―勇者。いるんだ勇者。……いや勇者? りありぃ?

ツグミくん、真名はフロドかガンダルフかな??

 




珍坊勇者「呼んだ?」
レイン「ホビット庄にカエレ!」

サブカルクソ女神「キタキタキタァ! おいテルース! これで勝つるぞ! 脱ぐか!」
鼻血テルース「お可愛いこと…」

**連絡欄**
お気に入り500件突破ありがと〜。大好きだぞ兄貴たち、これからもよろしくな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勇者とかもまあ1ピコメートルくらいは気になるけどさ、忘れてない? 僕は母様に「今夜は楽しみにして」って言ったんだよ。一日遅れたが関係ねえ! 祭りじゃあぁぁああああ!!

「今から大体100年前……になるね。世界にはとある災厄が存在したんだ」

 

寝物語のように、母様は語ってくれた。

一糸まとわぬ姿の彼女は、お互い吐息のかかる距離で横になっている。汗をかいてしまってはいるが、相手のぬくもりを離すまいと共にひっつき合う。ふと思い立って軽くキスをすると、母様は意表を突かれたような顔をしてから柔らかく微笑んで口吻を返してくれた。細く、しなやかな指で梳かれる髪が気持ちいい。

 

ツグミの母親アセビは、最初は隠していた自身のことを母様につまびらかに語り、体力を使い切ったのか再び寝てしまっていた。

夕食を食べ終わった僕らは早々に床に入り、宣言通り母様を心ゆくまで貪った。互いに真名を呼び合うことの出来た今夜は、今までとは比べ物にならないほど格別な一夜となった。

この世界では、真名を呼び合う時点で実質セックスなのである。セックスしながらセックスすることは心身をよく満たした。互いの魔力が絡まり合い、より深く繋がれるのだ。

 

外に出れば未だ祭りの騒ぎが続いていることだろう。僕らは巫女として役目を務めたあとだし、さらにはアセビとツグミの面倒もあるから帰宅していても不思議がられないが、大抵の人は寝るまで飲んで、起きてまた飲む。

下品な騒ぎ方でなく、音楽を奏でたり詩を吟じたりしながらの祝宴はどこかエルフらしさを感じる。

 

母様は僕の髪をなでながら語りを続けた。

 

「そもそも、この森の外っていうのは物凄い動乱に満ちている。一体いつからなのか検討もつかないほど昔から、世界には災厄と、そしてそれを倒す勇者が存在していて、いつの時代も争ってきたんだ」

「最後には、勇者が災厄に勝つのですか?」

「ううん。打倒されることが決まっているものは、災厄とは呼べないよね?」

 

僕の思う勇者というのはドラクエだとか、あるいはロード・オブ・ザ・リングだとか、絶対的な悪に立ち向かい、力をつけ、仲間を増やして最後には勝利する存在であった。

だが、この世界の”勇者”が指し示す存在は少し異なるらしい。

 

曰く、魔力はその「量」においても、その「質」においても保存される。そのために、災厄が生まれればその逆の質を持つ存在が生まれ、それこそが勇者であるという。

僕はそれを聞いて自浄作用を思い浮かべた。話を聞く限り、災厄ってのは本当に(ことごと)くを破壊する存在だ。生態系も多様系も知ったこっちゃねえとばかりに壊し尽くす。

それに対応するように勇者が生まれれば、互いが生き残りをかけて潰し合うのだろう。

 

しかし最初から勇者が勝てる道理もない。多くの場合、他者の力を十全に使える勇者が災厄を打倒するが、その限りではなかった。勇者が敗れれば多くの文明や技術が失われ、時代は100年単位で逆行する。

そうした中で細々と生き残った人の中からまた勇者が生まれ、いずれ世界はまた発展する。しかしいつしかまた失われる時が来てしまい、発展と喪失を繰り返しながら世界は回り続けるのだという。

 

僕はそれを聞いてゾッとした。つまり、この森の外の世界は100年前も1000年前も、あるいは1000年後も、始まりも終わりもない文明ゲームをひたすら続けているのだ。

そのシステムじみた世界の仕組みへの違和感にデジャヴを感じながら、ふと思った疑問を投げかけてみた。

 

「勇者と災厄の戦いに対して、エルフはどうしたんでしょう?」

「いい疑問だね。実のところ、私達は中立の立場なんだ」

「中立……?」

 

母様が丁寧に説明をしてくれる。

存在が魔法そのものに近いエルフからしてみれば、勇者と災厄という質の対立する魔法的存在は、どちらが常に悪いなどと考えることが出来ないのだ。

僕にとって勇者はゲームや物語の中の存在で、いつだって人々を救う性技……間違えた、正義そのものであった。この先入観がよくないのだ。

 

光と闇、と言ってしまえば日本の人は光を正義と考えがちだろう。しかし、たとえば火と水で考えればどうだろうか。

火は森を焼き尽くしてしまうことさえあり、常に危険をはらむ。だからといって、闇を照らす火を無くしてしまえと、誰が思うだろうか?

水は命をつなぐ大切なものだ。けれども、世界において水の暴力でその命を失った人は一体どれだけいるだろうか?

 

エルフ達は変化を嫌う。閉じた共同体の中でその命を繋ぎ続け、代わり映えのしない生活をのどかに楽しむ。僕は今だって彼らが性的なことにハマっていない理由が分からないくらいだ。

そうして、外の世界で起きている背反する魔法の諍いを観測し、クラウドさんばりに「興味ないね」という態度で不干渉を貫くのだ。

 

「だけど、100年前は違った。当時の災厄は狡猾で、勇者が生まれたら赤子のうちに魔物をけしかけ殺していたんだ。そうして力を蓄えていたけれど、遂にある赤子の命を奪い損ねて、成長したその勇者に葬られた」

「結局、勇者と災厄の繰り返しは続いたんですね」

「うん。だけど……力をためた災厄に、勇者が簡単に勝てたわけじゃ、ない。私達が、手を貸したんだ。勇者は脅威でない……って考えた災厄が、私達に、目をつけたからっ……ね」

 

なるほど。勇者は赤子のうちに殺せればモーマンタイと気付いた災厄が、そっちを片手間にエルフに侵攻を始めたわけだ。んで片手間にした分勇者暗殺にガバが出て、恨みを買ったエルフにも殴られ死んだ、と。はあ、どうしてガバはなくならないのか……(RTA走者並感)

 

しかしなんか、母様の息が荒立ってきてエロいな。言葉も途切れ途切れだし、目も潤み始めててムラムラしてくる。真面目な話をしているのに申し訳ないけど、エッチなことしか考えられなくなってきた。

 

アセビ(勇者の母親)の……先祖、先代勇者は、赤子を狙う手法の、対抗手段……んん、んっ……として、あの魔道具を作った、んだろう、ね。……その、レイン。こうも触られると……焦らされすぎて、我慢が……」

 

顔を真っ赤にしながら母様が言う。

え、と思って目線を下げると、なんと僕の手が勝手に、母様の慎ましやかだがハリのある美乳を弄くり回していた。なんだこれは! ヌードの母様がエロすぎて、思考を超えて体が先に動いていただと……!?

母様の腰が、おそらく意識とは無関係のところで僕の身体にこすりつけられる。ここに触れてくれと主張するかのように、下腹部を突き出して幼女の脚のあたりにぐりぐりと押し付けてきた。当然母様は下も着ていないのだ。見なくてもそこが今どんな状態かよく分かる。

 

「…………れぃん、お願い」

「テレサ、愛してる……」

 

無意識にしていた焦らすような動きから、母様(テレサ)が待ち望んでいるものへと移る。

体の奥から漏れたかのような濃い溜息を聞いた。

 

祭りの夜は、長く深い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日を追うごとにアセビの容態は悪くなっていった。

魔力を見ていれば分かる。身体から常時魔力が抜けていっているのだ。エルフのような体の構造をしていないとはいえ、こんな風に絞られ続ければ肉体的な影響も出る。医療的な話を持ち出せば、免疫もかなり衰えていることだろう。

 

エルフは中立の立場であるが、母様とアセビの協議の末、16までツグミを巫女の第二子として育てることが決まった。その後は森を出て、人間たちの中で災厄を倒すための準備を自分でしてもらうのである。

今度の災厄も、ツグミがどこに逃げてしまったかは分からないのだろう。転移という手段の末恐ろしさはそこにあると思った。

 

母様に、なぜ中立の立場なりにツグミを見捨ててしまわないのかと問えば、

 

「どんな赤子にも罪はない、自分で考えて行動できるようになるまでは、誰かが面倒を見てやらないといけないんだ。それに……最愛の人の前では、優しいふりをしたくなるものだよ?」

 

と言っていた。すき。かあさまだいすき。すき。結婚ちゅゆ。すきー、えへへ♪

 

 

 

 

ツグミはついこの間離乳食を使うようになったばかりらしい。まあ、母乳が絶対必要な状況じゃなくてよかった。粉ミルクなんてないから、誰かの手を借りる必要が出てくる。

実を言えば毎晩僕(数え年6歳)が飲んでいるから母様もまだ出るのだが、絶対他のやつに飲ませたくなかったので、もしツグミが卒乳できていないなら乳母様に犠牲になって貰う予定だった。

 

まあ幼児ってのは普通に良いものだ。ツグミが容姿に恵まれたほうなのもあるだろうが、何をやっても可愛らしい。全身もちもちぷにぷにだし、あらゆることに新鮮な反応を見せる。

 

母様と一緒にアセビから勇者にまつわる話(将来ツグミに伝える必要がある)を聞いたり、乳母様がツグミの面倒を見ているところに突入していって乳母っぱいを頭に乗せながら一緒にツグミを可愛がったり、あるいは母様や父様と祭りの出店を回っていく。

 

そんな日々が続く中、ついにアセビが危篤を迎えた。

 




放置ヘリオ「にいろ来ないかなぁ…暇だなぁ…」

幼児退行レイン「かあさますき。結婚ちゅゆ。えへへ♪」
発情母様「私もレインの子供孕みたい!」

お祭り父様「いやうちの娘可愛いんだよみんな聞いてくれ3日は語れる!!」
民衆エルフ「「いいぞー! もっとやれー!」」

**連絡欄**
20000UAありがとう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エルフの魔力と出産・寿命の秘密は分かんないことが多いね。でも、そんなん調べる研究者系主人公よりも、僕は寿命いっぱい美少女たちとにゃんにゃんする勝ち組エルフ主人公になりたい。

エルフが魔法に近い存在、というのにはわけがある。

 

魔力とは酸素のようなものだ。皮膚呼吸のように体外から摂取し、そしてまた吐き出す。身体が酸素を無限に貯めることがないように、また、逆に生きている限り枯渇してしまうことのないように、魔力も体内と周囲を循環し続ける。

 

しかし、たとえば肺の大きさのようなものだろうか? 人も蓄えられる酸素の上限量というのは最低限決まっている。その上限値を求める方法があるのかは正直知らないし、普通に生きてきた日本人だったら気にしたこともないだろう。

それと同じく魔力を溜められる総量、すなわち器の大きさも決まっている。ではその器はどこで決まるかと言うと、母親の胎内にいる間である。

 

この世界の医学書などは触れていないのでよく分からないが、エルフの生殖の仕組みは殆ど人間と変わらないと考えていいだろう。そうして作られた受精卵には、エルフ、あるいはこの世界の人間の場合、両親のDNA以外にその魔力も含まれている。

栄養が母体と幼児を循環するように、魔力もお互いを循環する。そうして親の器の情報を元にした器が(かたど)られるのだ。

 

ただしこの理論のみだと、二人以上の子供を生んだ時に魔力量が分配される理由がわからない。何人子供を作っても、毎回含まれる魔力の器の情報は変わらないはずなのに。

その辺まで理解出来ている人はほぼいないらしく、慣習的に一子のほうが魔力量が多いと受け止められている。僕としては真名による魔力的な繋がりを推したいが、はたしてそんなこと研究している人はいるのだろうか? もっとも、僕が調べようとは思わないが。せっかく不老の種族に生まれたんだ、おにゃのことにゃんにゃんしたい。

 

魔力に満たされた母胎で育つからか知らないが、結果的に細胞まで魔力漬けの若作り生命体ができる。

どうもこの魔力が不老に影響するらしい。老化とは身体の酸化だ。それを食い止めているのか、あるいは酸化してしまった細胞を戻しているのか。

なにはともあれ魔力の性質として老化に対処するものがあるらしく、結果的に老化の始まる20~30代で見た目の変化が止まってしまうのである。一番脂の乗った時期ですね、げへへ。脂ってさ、にくづきに旨味って書くんだよ。つまり肉体の旨味……、漢字ってえっちだあ……。

 

生まれ、そして成長する過程の話はこんなところだ。

そして、当然エルフにも死は訪れる。では、そんな不老体の死に方はどんなものだろうか?

 

人間の望ましい死に方としてしばしば挙げられる老衰。まあ実のところ老衰自体ガバガバな概念なのだが、これは身体の老化あってこその概念だ。死んでいった細胞達によって、まるで寂れた商店街のように少しずつ身体機能が失われていく。それを知って本当に望ましいと思うかどうかは人それぞれだが、肉体に依存する分、他者との繋がりに関係なくその生の長さは多様だ。

 

しかしエルフは違う。僕らは、新しい子供が生まれる直前に死ぬ。

 

正確には、自分の子に新しい子供を生ませるために自ら体を魔力に還元するのだ。

だからエルフの死ぬ日は大体決まっている。前にも言った通り、魔力同士の波長から割り出すことのできる人生において数度の機会。そこで必ず子供を作らなければ破滅してしまう僕らの種族は、自分の子供が結婚して相手が決まると同時に、自分の命日も知ることになる。

おそらくは、器に満たせる魔力量の和だとか、血による魔法的な繋がりが関係しているのだろう。

 

でもそんなことはどうでも良かった。

 

どうでもいいくらい、悲しかった。

 

衰弱していくアセビを見て、自分の死というものを初めて気にして、母様になんとなく尋ねた。僕におばあちゃんやおじいちゃんがいないことから分かっていたはずなのに、それでも、そのことを知って涙が出てしまった。

 

だって、僕らは。

僕らの種族は、親に自分の子を絶対に見せてやれないのだ。

 

前世で僕には孫なんていなかったし、そもそもお嫁さんだっていなかったけど。

それでも、僕に会ったときのおじいちゃん達は本当に幸せそうだった。

あれは、好きな人と一緒にいるとか、美味しいものを食べるとか、そういった幸福とはおそらく全くベクトルの異なるものなのだ。

 

 

ただ、繋がった、と。生きている、と。

 

 

ちっぽけな己が広大な世界で必死に生きて、愛する人を見つけて、大切な我が子を生んで、無事に育ってくれて、それでああもう人生の折返しだななんて悲観していたら、子供が更に小さな子どもを連れてきて、孫です、と。

それは、生きてきたことへの報いなのだ。どんなに幸せな人生だって、誰しも辛いことはある。涙だって流す。涙さえ流れない悲劇もあるかもしれない。

 

だけど。それでも、そんな君の人生は大切なものだったんだって。

 

これからも繋がっていく、この灯火は「生きている」んだって。

 

それが、おじいちゃん達が見せてくれたあのほころぶような笑みの理由なのだ。

だから、孫を見せることは親孝行だなんて呼ばれるし、僕だって母様たちにその喜びを味わってほしかった。

 

不老なんて、ちっとも幸せなことじゃないのかもしれない。

変化を免れられない人生という、人間がどうしようもなく避けようのないものの中で見出した幸せは、老いない体だなんてものよりもよっぽど美しいものであるのだ。

そのことが無性に苦しくて、悲しくて、泣いていたら母様が抱きしめてくれた。

 

「でもね、レイン。死は決して、恐れるものじゃないんだ。私達は……私は、大切な我が子を抱く喜びを知っている」

 

「――キミが教えてくれたものだ」

 

「私の父上も、母上も、キミが生まれてくることを祈ってその身を捧げた。きっと……誰だってそうなんだ。我が子が新しい幸せを知ってくれる、そう思えば、ううん、そうやって誰かを幸せにすることは、決して悲しいことじゃないだろう?」

 

それを聞いても、悲しさは収まらなかった。

けれど、そういうものなのだと理解はできた。自分の最期に他者を幸せにすること。それは確かに、悲しむばかりではいけないと思えた。

だから、もう大丈夫だと伝える代わりに、僕も悪戯心で答えたのだ。

 

「でも、母様が僕に教えられた幸せはそれだけじゃありませんよね?」

「うぇ?」

大切な我が子に抱かれる悦び(・・・・・・・・・・・・・)、知りません?」

 

その言葉を聞いて、理解するまでに5秒ほどじっくりとかけながら、母様はゆっくりと顔を赤く染めて、俯いた。

 

「知ってる……ます……」

「よくできました。ご褒美に……教わったこと、復習しましょう♪」

 

このあと滅茶苦茶勉強会した(保健体育)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7日も過ぎた辺りから、アセビはもはやベッドから動くことが出来なかった。

固形物を食べれば吐き出してしまうので、口に含むのは流動食や飲み物ばかりだ。それも、一度に取れる量は限られるのでどんどんやせ細っていく。

彼女が枯れ木のように衰えていくのは無理もなかった。

 

禁忌の魔法とは、転移のことらしかった。これは勇者のみに許された魔法で、その子孫といえど転移の魔道具を用いれば災いが降りかかる。災いが何かといえば、すなわち魔力の吸収を体が行わなくなってしまうのだ。

もし仮に息を吸うことを禁止されたら? ギネス記録がどんなものかは知らないが、1時間持つ人間は存在しないだろう。それが魔力の場合、およそ10日だったというわけだ。

 

そしてその夜一度危篤を迎えた彼女は、勇者の血ゆえの強靭さか、あるいは母親としての意地なのか、なんとか峠を越し、容態は安定していた。

 

しかし本人も死期を悟ったのだろう。ツグミを連れてきて欲しいと言われ、僕が彼を抱きながら、他には乳母様と母様がいる。父様は祭りの後処理で、死にそうになりながら働いているようだ。

 

「夢を、見ているものだと思っていました」

 

もう目が殆ど見えないのだろう。アセビが虚空を眺めながら呟いた。

 

「あたしは勇者の子孫だなんて欲しくもない称号を持っただけの農民で、力もなくて。あのとき魔物に殺されて、こんな綺麗な人ばかりのいる世界の夢を見ているのだと」

 

なるほど、確かにエルフは傾国もかくやとばかりの美男美女揃いだ。死にそうな思いをした後であれば、自分は天国にいるのだと勘違いしてしまうかもしれない。

 

「けれど、違いました。あたしが死ぬのは今日です」

 

悲しいことを淡々と喋るな、と思った。

だけど違うのだ。彼女はもう、表情を柔軟に変える力すら残されていないのだ。

それだというのに、目からは透明の雫が溢れ出していた。

 

「ごめん……ねぇ。ツグミ、ごめんねぇ……」

 

それは悔しさなのだろう。

か細い、ともすれば聞き損なってしまいそうな彼女の声は、けれどどのような聞き手の心をも揺さぶる強い感情を孕んでいた。

 

「まなを、伝えます。フェリシア……さん、外していただけると」

 

切れ切れになった声で、アセビは乳母様の退出を願った。これから勇者を育てるとして、その家族は僕と母様、父様だけなのだ。当然のお願いだろう。

乳母様と母様が目配せをして、静かに乳母様は部屋を出ていった。

 

しばらくして、アセビの乾燥してひび割れた唇が動いた。

 

「……ディアルマス。ツグミ・ディアルマス……その子の名です」

 

でぃあるます、と僕は小さく復唱した。

僕の弟になる男の子の名前だ。ディアルマスだと長いし、アルマなんて呼び名はどうだろう。

 

「……よかった。誰にも真名を知られることなく、ひっそりと赤子のまま死んでしまうだなんて、そんな事にならなくて本当に……よかった」

「まだ、聞いてない名がありますよ」

「……え?」

 

心残りが無くなったとばかりに安堵の声音になるアセビに、母様が待ったをかけた。

 

「まだ、あなたの真名を聞いていない。家族の名も知らぬまま、私達に葬儀をさせるおつもりですか?」

 

母様は勇者の母とも、友人とも言わなかった。

ツグミは僕の弟で、アセビはその母親だ。なるほど、彼女は僕らの家族だ。いやあ母様が二人いるだなんて困ってしまいますね、しょうがないのでテレサを娶って嫁にしよう。

 

アセビは唇をひどく震わせ、堪えることのできないように再び泣き出した。

 

「ああ、ああ……! あたしは、ウクスアッカ。あたしの姉様、あなたの真名は? あたしの娘、アンブレラ、あなたの真名は?」

「私はテレサです、ウクスアッカ」

「僕はレイン。レインです、母さん」

「まーま!」

 

母様と僕が続いて真名を答え、訳も分かっていないだろうアルマが母を呼ぶ。

 

「テレサ、レイン。それにディアルマスも……。どうしてだろう、体はこんなに冷えているのに、心がこうも温かい」

 

それはウクスアッカの素の口調なのだろう。敬体が崩れ、村娘のような野暮ったい喋り方になっていた。

けれどその口調はどこか心地よく、僕のもうひとりの母さんの喜びがよく伝わってきた。

 

「ディアルマスを、最期に、抱かせて欲しいんだ。……頼むよ」

「何言ってるんだウクスアッカ、断るわけがないでしょう」

 

僕だと力が足りないので、母様がアルマを抱き上げてウクスアッカの体の上に寝かせた。

僕はバレないように癒しの魔法をウクスアッカにかけてやり、彼女はどうにか両腕を上げてアルマを抱きしめることができた。

まだものごころも付いていないアルマには今がどういう状況だか分かっていないのだろう。キョトンとしながら、久しぶりの母親の抱擁にキャッキャと喜んでいた。

 

「ねえディアルマス……勇者の使命になんて囚われないで、幸せになって……ね。そして、素敵な人を見つけて、子供を授かって、そして、そしてね……」

 

言葉が溢れ出してくるかのように、ウクスアッカはアルマに語りかけ続ける。最後があったのか定かではないが、最後までたどり着かないうちにウクスアッカは瞼を下ろして静かになってしまった。

 

「母さん!?」

「……大丈夫、レイン。眠っただけだよ」

 

死んでしまったのかと思った僕は焦りで声を荒げ、母様はそれを宥めるように優しく両肩を掴んだ。そしてまだウクスアッカの上で不思議そうに頬を叩いたりしているアルマを抱え上げ、行こう、と言って部屋を出ていった。

 

それは、優しい嘘だった。

 

「……見えて、るんだよ。母様、僕は……僕は……」

 

ウクスアッカの体には、もはや魔力が残っていなかった。

けれど、陽光に照らされ静かに目をつぶる彼女は、本当にまだ寝ているかのようで。

 

前世も含め、ものごころが付いてから。

 

僕が初めて触れる他者の死は、母親であった。

 

 

 

 

葬儀は静かに、けれど丁重に行われた。

エルフはそもそも死体が残らないから、土葬も火葬もない。なので外の世界の方式に従って、埋葬方法は火葬が選ばれた。

ほとんど関わっていない人間にエルフがここまでするのは驚きだが、かつての勇者と交流のあった長老会の一部の者が、「勇者の子孫をぞんざいには扱えない」と言って支援してくれたのだ。やる時はやるやん、長老たち。

まあ最初は「処す? 人間とか、とりま処しとく?」みたいなことを言っていたが、その頃は彼女の身分を知らなかったのだ。しょうがない。

 

「アルマ、母さんの最期だよ。見届けよう」

「……」

 

囲まれた結界の中を、煙が立ち上っていく。

 

「まーま……」

 

アルマは騒がなかった。そもそもよく分かっていないのだろう。

けれど、ただ静かに涙を流すその姿が酷く印象に残った。

 

人が死ぬって、こういうことなんだ。

 

 

「……母さん(・・・)。ごめん、ね」

 

 




死は死でしかなく、美化はその冒涜にしかならない。
あなたはどうやって受け止めるか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

OTOMODACHI作り、いつだってはじめの一歩を失敗してばかりだった。でも、あたい負けない! 親指の踏み込みのトレーニングをして、ステップインの速度と体重移動(シフトウェート)の精度を上げるの!

「……さて、ロリ娘開拓をするか」

 

母さん(ウクスアッカ)が亡くなって一月が経った。

 

別に、彼女は前世でも今生でも血の繋がりがある母親だったわけではない。けれど、真名を伝え合うというのはそれだけで家族の契りとなるのだ。

本来ならば娘など子供には伝えないその名を、僕にも伝えてくれた彼女の思いは汲み取ってやらねばならないだろう。

結果的に、その死は僕の初めて触れる死となり、心に影を落とした。

 

けれども、それを引き摺ってウジウジするのは性に合わないのである。時間というのは誰にも等しく与えられているようで、実のところそうではない。誰が何をしていようと流れていくし、どんなに悲しいことがあろうとも、沈み込んでいる時間が長いほど楽しい時間は減っていくのである。

現に、この数年間僕が過ごした時間と、村の同年代の子供達が過ごした時間はまったく異なるものであっただろう。僕は家から出ることができなかったが、みんなは外で仲良くキャッキャウフフし仲を深めていたに違いない。うーん、青春コンプが加速する……。もっとも、夜に過ごした時間は別の意味でみんなと全く異なるものであっただろうが。

そして僕が得た結論はこうだ。

 

早急に外へ出て、村のロリ娘たちとの交流を深める必要がある。

 

そんなわけで特攻してきたのだ。産休もお七夜の祭り期間も終わって多忙となった母様にひと声かけて、お外にOTOMODACHIを作りに行ってくる、と。

 

さて、ここで誤算が実に三点あった。

 

一つ目。僕の前世を考えてみよう。

見た目のせいか弄りやすい名前のせいか、僕は前世では周囲からかなりハブられていた。

具体例を挙げてみる。小学校低学年の頃は大したことなかったのだ。しかし、とある男子が「オナニー」なるあだ名に気付いて以降、まず男子たちには散々それでからかわれ泣かされた。金的を返してやったのは以前言ったとおりだが、そうして男子に馴染めなかった僕は結果的に女子に仲良くしてもらった。そうすると男子からの嫉妬でさらに嫌がらせを受けるのは自明の理である。そうして僕は男子の輪から完全に外れた。

 

次に辛い思いをしたのは5年生の冬になってからである。女子に仲良くしてもらっていた僕だが、段々と成長するにつれ、「髪ツヤがキモい」だの、「男のくせにキモい顔してる」だのと言われるようになった。これには動揺するほか無かった。それは体質的な問題で、名前と同じく僕自身にはどうすることもできなかったのだ。

男子からの見る目も初めて感じるものが増え、まるで自分が見世物のパンダにされているような印象を受けた。そして、何がトリガーだったのかは分からないが、ある日とある女子のグループに「そんなんだから女と間違えられんだよ」と言われて、肩くらいまであった髪を10センチほどハサミで切られた。

 

まあ、それには感謝しているのだ。

 

数人に押さえつけられて、刃物が顔の近くを通る体験は恐怖そのものであった。だが、髪が長くて女の子らしく見えるというのはひどく真っ当なことに思えたのだ。

男らしく見られたいのであれば髪を切るしかないと観念した僕は、そのまま、耳は出して後ろは襟元くらいまでの、男の子によくある髪型に変えた。

ただ、まあ喧嘩じみたことをして女子とは関わりづらくなった。男子とはもうしばらく関わってなかった。結果、予想通り孤立した。

 

ううん、長いな。中学以降は言わないでも分かるだろう。こんな調子で僕は、青春期間中ずっと孤立していたのである。

まあそんなわけで、前世では友人と呼べるものが存在しなかったのである。

これが一つ目の誤算だ。

 

二つ目と三つ目は繋がりがある。

 

まず挙げたいのは、母様と父様の出会いについてだ。聞くところによると、父様は当時建物という建物すべてが大好きだったらしく、普通は入れない巫女の大樹を目測で構造測定するべく、家の周りをぐるぐる歩いていたらしい。

完全に変質者であるが、村では建築のHENTAIという共通認識があったため「ああ、いつものアレか」とスルーされていたそう。そんなことをしている最中にロリ母様に出会い、遊び相手を務めるうちに気付けば結婚していたそう。

ロリ母様を見れたのは羨ましい……が、いまは置いておこう。ここで気にしたいのは「遊び相手を務めるうちに」という部分である。

 

つまり、だ。

 

なんと、母様は、他に遊び相手がいなかった(・・・・・・・・・・・・)のである!

ああ、母様。おいたわしや、母様……。

父様は生まれながらの奇人変人、母様はどうしようもないボッチ体質。そして僕はその二人の娘だということが、二つ目の誤算であった。

 

そして三つ目は、母様がどうしようもなくボッチになってしまった理由である。

 

ズバリ、赤子でも知っているような有名人が話しかけてきて、素直になんの屈託もなく友だちになれるか? ということだ。

日本人で分かる例えをすれば、某貴人の息子、または娘が、自分が公園で友達と泥遊びをしていたら話しかけてきたときの心地である。

 

まず、綺麗事でよくある「子供は勝手に仲良くなる」理論。これはよそう。普通に、そんなことはない。それは対等な関係、あるいは話しかけられたガキンチョがよっぽど純粋無垢で人間が出来ている時だから成り立つ話だ。

僕だったら、血統レベルで尊さの違う人種、さらには気付かぬうちに拝みたくなるレベルの美しい娘っ子に「一緒に遊びましょ」と言われたら、パニクって訳も分からなくなった挙げ句、作っていた泥団子を相手に食わせて処されるまである。

 

これが三つ目の誤算。奏巫女の身分、だ。

 

それらを頭に置かず、何も考えないで特攻した結果どうなったかと言うと。

 

 

「おもしろそうですね、ご一緒してもいいですか?」

「びゅえええ!? み、みみ、御子様!? あ、あああももも勿論です、ううぇへへ、へへっ」

 

 

「おもしろそうですね、ご一緒してもよろしいですか?」

「あっ、はい。どうぞ、一緒に、……え、俺、いまなにしてました? あっ、知らないですよねそうですよね、えへ、えへへへへ……、あっそろそろお昼なので、あの、ほんとうに、残念なんですが、あっその」

 

 

「……あの、ご一緒しても?」

「え、誰……アンブレラ様!?」

「あの、様付けは……どうぞ、アンブレラ、と」

「ひゅっ、ひょ……ひゃい、あん、あ、あん、あんぶれ…………きゅう……」

「だ、大丈夫ですか!? いま癒しの魔法をぉぉぉぉおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕のロリ美少女達とのハッピーでシュガーなライフ、返して……」

「れー?」

 

負けた。惨敗した。もう無理だ、貝になりたい。

膝を抱えた僕は、部屋でまだ言葉がよく分からないアルマに愚痴っていた。

「れー」とはレインをうまく言えない彼なりの二人称である。たまに「れーん」って呼んでくれる。うれちい(思考停止)

 

「いやさ、分かってたよ。前世でできなかったOTOMODACHIが、生まれ変わったらすぐ出来るだなんてうまい話ないよね。でもさ、人は……人ってやつはァッ……希望を、諦めきれないんだッ……!」

「れーん……」

 

いい話っぽく纏めようとしたが無理だった。あ、でもアルマがれーんって呼んでくれた。ちあわせ(思考停止)

いやもう絶対「れーん……(呆れ)」だよ……。格好良くてばり有能なつよつよお姉ちゃんの姿を見せたいのに、こんなのってあんまりだよォ!(絶叫)

 

はぁぁあああああああ……(クソでか溜息)

 

ふう、落ち着いた。伊達に前世でも整形という手段を目指していない。

僕は、やればできる子、強い子である。自信をもて。

光源氏計画、紫の上の段。これを僕は絶対に成功させてみせる。見ていてくれ、母さん。

 

色んな人に話しかけてみて分かったことがある。

それは、僕の瞳の色が橙と思われていたことだ。

 

どうもお七夜で舞台に降り立ったとき、僕の瞳が赤っぽいオレンジ色に輝いていたらしい。これはおそらく、魔法の行使に伴って変わっている。他の人はそんなこと無いしなんでかは分からないが、この情報は使える……!

 

「アルマ、決めたよ」

「なーに?」

 

思えば数奇な人生である。

男として生まれるが、まるで女のような見た目に育ち、絶望した挙げ句死んでしまう。しかし何の幸運か今度もまた人型の生き物に生まれ変わることができ、性別は変わってしまったものの、今度は性別と見た目が最高レベルで一致している。

 

前世では失敗したOTOMODACHI作り。

今度こそ、光源氏計画紫の上の段のために、完璧に遂行してみせる。

そのためにも……!!

 

「お姉ちゃん、お兄ちゃんになる……!」

 




小学生女児「好きな子がにいろ君ばっか見てるので嫌がらせします。当たり前だよなあ?」
ショタにいろ「髪切れば漢になれる! おっしゃ短髪にしたった!!」ビショウジョ-

レイン「頑張れレイン頑張れ!! 僕は今までよくやってきた!! 僕はできる奴だ!! そして今日も!! これからも!! 折れていても!! 僕が挫けることは絶対に無い!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

失敗は誰にでもあるから気にしないでいこう。大切なのは次に同じ失敗を繰り返さないこと。…ってことは、一度目までならどんな失敗も許されるってことだよね? よっしゃなにしよっかなああああ!

結論から言おう、失敗した。

 

それも、想定を遥かに上回る失敗であった。

前世から何も学んでいない自分の愚かさが悲しくなる。

 

変装に失敗したのではない。むしろそちらは悪くない出来であった。

小学一年生のモデルを眺めていれば分かるが、顔の整った幼児などだいたいみんな同じような見た目をしている。個性を出すところといえば、性格と髪型くらいだろうか。

 

どうも僕の瞳の色は赤橙色だと思われているらしい(普通のエルフは翡翠色である)し、御子は女子だという先入観がある。

エルフの男性は髪を伸ばしているのも珍しくないため、腰まで伸びた髪は粗雑に一つにまとめ、先っちょの方を編み込めば髪の問題はない。あとは適当に男の子っぽい服を着れば、それなりに溶け込めるのである。

 

初めは見ない顔だなと怪しまれたが、今までは親の仕事や家事を手伝っていたのであまり外に出られなかったと言えば、多少の哀れみを受けながらみんなの輪に入れてもらうことが出来た。

360度ロリかショタしかいない上に、見目麗しい子ばかりで溢れている。ここがこの世の天国か? とばかりに調子に乗っていたら、やらかした。

 

正直、男女関係なく友達付き合いというものの距離感が分かっていない。家にいる間一番年の近かった相手は、アルマを除けば乳母様の娘のアイリス(40)だ。対等な立場の付き合い方なんて教われるはずもなく、むしろスキンシップの延長で僕が彼女にキスの仕方を教えてしまったまである。

 

まあ男共との関係はそこまでこじれなかったのである。子供なんてしょっちゅう触れ合うし、肩組むわ抱きついてくすぐるわ何でもござれだ。あかんショタコンになりそう(本音)

しかし女子に同じことをすればどうか? あまつさえ、今生の経験でおにゃのこは可愛いと言われたい生き物と知ったので、機会さえあればすぐに可愛いと褒めそやせばどうなるか? 相手はこちらを男の子だと思っているのだ。

 

無論、惚れる輩が出てくる。

 

いや、そんな上手い話がとか疑う気持ちはわかる。勿論これを成人した男性が同じサークルの女子や職場の同僚にやれば、「うわ下心キメえ」とドン引かれることだろう。

だから僕もまさかな、とそこまで気にしていなかった。結果的にこれが裏目に出た。

 

光源氏計画なんてものをやろうとしてるのだから、おにゃのこを一人調略してしまうのは失敗ではない。だが、僕の計画ではその段階はもう少し後だったのだ!

切実なことを言おう。

 

僕はOTOMODACHIが欲しいッ!

 

それは崇高な概念である。前世ではもはや兵どもが夢の跡となってしまったソレを、僕は今度こそ満喫したかったのだ。さらに言えば、失った青春をここでやんわりと取り戻したかったのだ!

しばらくは子供たちとの野外遊びにふけって、友情というものの概念をここで今一度見つめ直したかった。友情とは何だ? 教えてくれエロい人、友情とは何だ!?

 

そんなことばかりに意識を割いていたからガバが出た。とうとう僕は、ある意味では青春の一つとも言える、「大きくなったら結婚しましょ」を言われてしまったのである。

 

キバナちゃん、6歳。

先日お七夜の際に僕が引率した子の一人でもある。小柄でほんっとうに可憐な、コスモスのように儚い美幼女だ。髪は赤みの強めな金色で、日向ではオレンジにも見える。御子としての僕が話しかける度に恥ずかしそうに俯いて、手を取った時に真っ赤になる小さなお顔には、もう鼻血吹きかけた。

 

僕は己の欲望に対しては割と忠実だ。だから、偽りのない本音を言わせてもらおう。

 

一番狙ってた娘が来た。や↑ったぜ(勝利宣言)

 

しかし同時に、「まだ……早いっ……! どうしてあと一年っ……いや、半年耐えられなかったのかっ……!」という割とクズな己もいる。

まあこんなどうしようもない内面をした人間に友達ができるわけ無いだろうと言われればその通りなのだが、己をクズだと自覚したところでそれが治る見込みがないのである。

すべては心に生えた珍棒が悪い、そういうことに出来ないだろうか。

 

そして大きく結婚発言をされた僕はというと、日和って「お友達からじゃ駄目かな」と逃げた。

それに「私達お友達じゃなかったの?」と返されればもう僕にはできることがないわけで、テンパった挙げ句選択肢を間違え続け、遂にはキバナちゃんが強硬手段、真名宣言に出かけた。

 

やはり追い詰められたときの女の子は何歳だろうと強い。人によっては泣き落としやガチギレを選ぶこともあるだろうが、この娘は既成事実を作るという最強の手段を選んだようだ。……あれ? 僕も女の子なんだけどな? 追い詰められてるんだけどな?

 

焦った僕は彼女の口を手で塞ぎ、怪我させないように気をつけながら馬乗りになる形で押し倒して、キバナちゃんの両手を抑え込んでいるのが現状である。

体を鍛えていたことがこんなとこで上手く転んだとよろこぶべきか、場合によっては事案になりかねない体勢だと絶望するべきか。

二人っきりで話したいから、と人通りのない木陰に連れ込まれていたのがある意味功を奏した。流石に公衆の面前で押し倒すのは出来なかっただろう。

 

「YOUこのままイッちゃいなよ」と囁く心の珍棒と、「土下座して全てを明かし、無かったことにしなさい」と叫ぶ理性が胸の内で渦巻く。

 

わからん。わからんぞお! パオーン!

 

混乱していた。混乱していたのだ。

 

前後不覚になるかと思うほどの思考の波に飲まれ、もはやキバナちゃんのことすら視覚に入れられているか分からないほどのテンパり具合であった。

 

後に思い起こして肝に銘じたこと。

 

……僕は、焦ると弱い。

 

よわよわ男装レインが取った行動は、奇しくも、心の珍棒も理性も納得100点満点のベストアンサーであった。

 

「キバナちゃん、僕はね、二つの秘密を抱えているんだ。それが理由で、君の想いには応えられない」

 

困惑した目でキバナちゃんが「秘密?」と問いかけてきているのが分かる。

 

無垢だ。この少女は、無垢そのものだ。

 

男に抑え込まれたら、おにゃのこってのは全力で抵抗しなければいけない。何されるか分かったもんじゃないのだ。股間を蹴るなり、口を抑えている指を噛みちぎるなり、出来ることは何だってすべきだ。

けれど彼女は、大好きな僕だから、と。信頼してくれているのだ。あまりにもそれは純粋で、穢れというものを知らない少女特有の無垢であった。

 

僕はそっと彼女の口を抑えていた手を離し、その腕で彼女の頭部を抱えるように固定した。

「逃げることを許さない」という意思表示である。

 

そして、かつてないほどに顔を……いや、唇を、寄せた。

 

 

 

 

とても長い時間のように感じた。

 

そっと顔を離すと、互いの口に架かった銀糸がぬらりと伸びるのが分かり、それが今の行為をよく説明していた。

キバナちゃんの表情は完全に崩れていた。目はまだぼんやりとしていて、触れば火傷しそうなくらい熱っぽいのだろう。

 

「……この通り、僕はどうしようもない変態なんだ。好きだって言ってくれる娘を押し倒して、ドロドロになるまでキスしちゃうくらい。こんなやつは、やめといたほうがいい。もっとマトモな男が沢山いる」

 

聞こえて……いる、のだろう。うん。

キバナちゃんの焦点がようやく僕に合った頃を見計らって、それとね、と続けた。

 

「それとね、今のキスは気にしなくて大丈夫だよ」

 

そう言って僕は結んでいた髪を手早く解く。

分かりやすいように適当な魔法を働かせることで目の色を変えながら、上の肌着を脱いで上半身を晒し、キバナちゃんの手を取って僕の胸に触らせた。まあ、膨らんでないんだけど。

 

「……女の子同士なら、ファーストキスにはなりませんから。騙していてごめんなさい、僕の名前はノアイディ=アンブレラ。次代の巫女となる者です」

 

嗚呼。どうしようもない、失敗である。

 

「――お久しぶりですね、キバナちゃん」

 




拗らせレイン「友達は何人かって? え、友達の定義は? どっから入れていいの?」

心の珍棒&理性「「よくやった!!」」

**連絡欄**
もう20話なんですね。兄貴たち、長らくありがとうございます。
女の子同士のキスはノーカンだから何回でもファーストキスが出来る。あ、もちろん男同士もです!
何度も言っていますが、この世界では、異性間で言えば真名を告げるのはヤるのと同じです。
もしくは前々回のアセビのように、非常に親密な仲であることを表現したい時に使います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

──本当は使いたくなかったんだ、こんな力。だって誰も救えない。どうして与えられたのかだって分からない。でも、ここで逃げるのは漢じゃないって、僕の中で叫ぶナニカがいるんだ。……魔力よ、僕を導け!

『うわあ、御子様だったんですね』

『ソーナンデスヨ。だから同性の僕とは結婚できないのです』

『それは仕方ありませんね、諦めます』

 

これが当時の僕の浅はかな考えである。

人間テンパるとどうも短絡的に、あるいは己の都合のいいように物事を考えてしまう節がある。イクナイ。本当にイクナイ。

 

「あ、レン君おはよう!」

「おーっすレン、今日も家事手伝ってきたのか? 偉いなぁ」

「……レンくん、おはよ」

 

「ハハハ……おはよう」

 

あれから数日が経ち、村内のよく子供の集まる広場へ行くと、今日は既に3人の子供がいた。声をかけてきた順に、ルコウちゃん(♀・7歳)、ヒシクイくん(♂・8歳)、そしてキバナちゃんだ。

そして僕。今年6歳になった男の子、レンである。

 

「おいおい。レン最近暗いな、大丈夫か?」

「だいじょーぶ」

「そうは見えないけどなぁ。今日はルリビタキとイチイの息子が看病で来れないらしい。他の奴らはまだ見てないけど、そのうち来るだろ。先になんか始めてるか?」

 

ヒシクイが気安げに僕に肩組みをし、何の遊びをしようかと問いかける。流石長い歴史を持ちながらも森の中で停滞の時を過ごしているエルフだけあって、大人数でヤる……間違えた、やる遊びには、花いちもんめや鬼ごっこに似た遊びが既に存在する。

 

ちなみに、「ルリビタキとイチイの息子」というのはお七夜を経ていない子の二人称だ。本当にこれで呼ぶ。最初はびっくりしたが、次第に慣れていき、巫女の一族でなければ僕もこんな風に呼ばれながらみんなと遊んでいたのだろうかと夢想するようになった。

 

何しようかなあ、ポコペンとかしたいけど人数足りないなあ、と考えていると、僕にかけられているヒシクイの腕をキバナちゃんがグイとどかした。

 

「レンくんにべたべたしちゃ、だめ」

「ああん? 男同士の友情に茶々挟むもんじゃないぞ、キバナ」

「やだ!」

 

そう言って、キバナちゃんは僕の胴を抱きしめてヒシクイから引っ張る。子供らしさの残る駄々であるが、おもちゃの取り合いと同様、子ども自身にとっては死活問題なのだろう。おうルコウお前笑ってんじゃねえぞ、助けろ、いや助けてください(懇願)

 

そのまま、レン取り合い合戦はキバナちゃんが制したようである。

ため息をつくヒシクイ何某と、僕を正面から抱きしめながらフンスと鼻を鳴らすキバナちゃん、そして腹を抱えたルコウ衛生兵による厳正な審議の結果、人が増えるまでしばらくはかくれんぼをすることになった。鬼は僕である。解せぬ。いや解すけど。

 

というのも、僕は隠れる側でのかくれんぼがクソ雑魚ナメクジなのである。

エルフのかくれんぼは物理的な捜索だけによらない。エルフは魔法に対して適正が高いため、個人の纏う魔力や、魔力の残り香などを感じ取ることが出来るのだ。警察犬同士のかくれんぼみたいなもんだな。

これだと探す側が一方的に有利なように思えるが、その限りではない。魔法は残滓が残るのだ。よって、適当に魔法を行使することで、さもその場にいるかのような風にデコイを作ることが出来る。

僕が弱い理由はそこだ。僕の持つ巫女の魔力が多すぎるがために、隠れていても「何となくこっちから気配がする」で見つかってしまうのである。

 

蜘蛛の子を散らすように、衛生兵とガキ大将は隠れていった。

しかしキバナ氏が僕にひっついたままだ。

 

「あ、あのキバナさん? カウント始めちゃうよ?」

「……最初に」

「ん?」

 

彼女は少し小柄だ。僕よりひと回り小さく、抱きつかれるとちょうど鼻のあたりに髪の毛が来る。めっちゃいいにおいする。QunkaQunkaQunka……スーハースーハースー……あっ(絶頂)

 

「最初に見つけられたら、その場でわたしの唇…………好きにしていいよ」

 

そう言って、キバナちゃんは小悪魔な笑顔を魅せてから逃げ去っていった。

突然の宣言、当然僕は、呆然とする。

 

僕の好みは母様のように大人の美しさを持つ女性だ。おにゃのこはあくまで触れ合いの対象で、まさか高校二年生+4年半も生きて、小学生以下の女児に惚れるわけがない(建前)

 

あかん。ロリコンになりそう(本音)

 

ふら、ふらと側の木に向かって顔を隠し、30秒数える。

いーち、にーい、と数えながら、僕はキバナちゃんにキスした次の日のことを思い出していた。

 

広場へ向かう最中は、正直、もう顔面蒼白だったと思う。

家に帰って、自分が何をしでかしたのか気付いたのだ。女同士ならキスはノーカン? ふざけんな、お前は元男子高校生だろこのロリコンのクソッタレが。YESロリータNOタッチの精神はどこへやった? いやそもそもロリコンじゃねえよ馬鹿野郎、などといった罵倒のループで一夜を越し、母様との行為にも集中できていなかった。

 

自分の正体をバラされたら、「次代巫女は男装して民の中から女児を襲う犯罪者」というレッテルが貼られてしまうかもしれない。

そうなったら母様やその先代の巫女達が積み上げてきたものが全て水の泡だ。信頼というのは築き難く壊れやすい。下手をすれば、母様からも見放される。

 

『レイン、キミには失望したよ』

 

そんなことを言われたら僕はどうすればいい? 多分死ぬ。いや、絶対死ぬ。誰にも迷惑のかからないよう、外の世界にでも行って人目のない場所で腹を掻っ捌くだろう。

 

だから、悪魔(キバナちゃん)との取引に応じたのである。

 

『アンブレラさま、昨日のこと、誰にも言っちゃ駄目なの?』

 

『そうなんだ。でもわたし、あれ(・・)好き』

 

『結婚は諦める。昨日のことも言わない。だからもっと、昨日のあれ(・・)……して?』

 

キスという概念を持たない幼女である。

しかし、慕う相手とその行為をするのは気持ちの良いことだと覚えてしまったらしい。

 

30秒を数え終わった。意識は現実へと戻される。

 

『……最初に、見つけられたら』

 

ここで、僕の秘密を一つ明かそう。

僕にはとあるチート能力がある。

 

『その場で、わたしの唇』

 

僕は、かくれんぼで隠れることに関してはクソ雑魚ナメクジである。

だがしかし、かくれんぼの鬼としては──

 

 

『──好きにしていいよ』

 

唯一無二の、「強さ」を誇る。

 

 

バッと後ろを振り返る。残滓を含めた魔力を視認。

やはり、残滓は実際に人が纏う魔力よりもずっと微かなものだ。

それはエルフ特有の感覚では中々感じ分けられないのだろう。しかし、こうして視覚的に情報を得られる立場としてはもはやかくれんぼはクソゲーオブザイヤーである。

 

普段はみんなが楽しめるよう手を抜いている。

しかし、だ。

 

『わたしの唇、好きにしていいよ』

 

手抜き(それ)はあまりに卑怯だろう。スポーツマンシップというものからかけ離れた行為であろう。

本来、人は持ちうる限りの全ての力を行使して、仕事も勉強も、遊びだってやらねばならぬ。

 

僕は、もう逃げたくないのだ。この力に怯える日々はやめだ。

 

『わたしの唇、好きにしていいよ』

 

キバナちゃんの魔力。緑のポワポワの中に、ほんのりオレンジの線も見えるそれ。

そこに向かって僕は一直線に歩いていく。

 

大樹のうろの中か、いい場所だ。僕も隠れる側の時はよく使う。

さあ、見つけたぞとばかりにその中を覗き込む。そこで待っていたのは──

 

「……あぇ」

 

女の子座りをして、こちらに舌を突き出す艶美な表情をしたキバナちゃんであった。

 

別に僕は、幼女の舌をむさぼりたいだとか、ロリ美少女と涎まみれになりながら舐め合いたいといった邪な欲望に囚われているわけではない。

 

だがしかし、ここまでお膳立てをされて、仮にも日本男児であった者がどうして逃げられるだろうか? それはもはや、大和魂……プライドの問題である。断じてロリコンなどではない。

 

うろの中に入った僕は、キバナちゃんの前に両膝を付き、彼女の脚の横に手を置いて自分自身も舌を突き出した。

互いの舌の表面、ざらざらとした敏感な部分をピタリと合わせる。ぬるりという感覚と、舌の柔らかさや熱が伝わり合い、体が熱くなってくる。

この状態ではお互いあふれる唾液を飲み込むことが出来ないから、二人の口周りや膝下は透明の液体で濡れ放題だ。けれどそんなことはお構いなしに、お互いの咥内(なか)咥内(なか)へと熱中し続ける。

 

僕の手は地面についているため動かせないが、比較的楽な姿勢のキバナちゃんはその両手を僕の首に回し、抱きつくように更に体を寄せた。

思わぬ衝撃に僕は体勢を崩してしまい、結局彼女を押し倒すような形になってしまった。

 

しかし、もはや二人にとってそんなことは意識の外である。

 

うろの中は空洞で、よく響く。

二人の少女が唾液を交換し合う下品で卑猥な音と、たまに呼吸のために漏れる淫靡な喘ぎ声がひたすら反響していた。

 

 

 

 

……結局、全員を見つけるのに30分以上かかってしまい、僕はガキ大将ヒシクイに「やっぱレンはかくれんぼ弱いな」と馬鹿にされるのであった。

 




キバナ氏「ゼッタイニガサナイ」
レイン「若紫 #とは」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

母様が燃えるみたいからよくヘリオんちでえっちなことするんだけど、それを覗くのは人としてどうかと思うよ。あ、神か。なら尚更倫理観ってものを持ってほしいね。

「そんなわけで、僕が幼女好きのロリコンにならないにはどうすればいいと思う?」

「儂に聞くな、儂に」

 

亀の甲より年の功、という諺がある。

ヘリオが実際何年生きているのかは知らないが、調教趣味のご主人様に飼われた経験を持つ程度にはハードな経歴を持つロリババアだ。顔どころか下半身にすらシワのない年齢不詳娘だが、その人生経験と深慮はアテにできるのではないかと思って相談してみた。

 

「だいたい、そのキバナとやらはお前さまと同い年なんだろう? それなのにどうしてお前さまばかりそんなに助兵衛なのだ……」

「母様で沢山経験を積んだから。覗いてたんだから、知ってるでしょ?」

「違わぁい!? 勝手に人の聖域に入ってきておっ始めたのは、お前さま達の方だろう!?」

 

たまたま繋がっていたのだからしょうがないと思うのだ。

というか、例えばある狩人が根城にしている森の清流で沐浴をしたとして、それを狩人が見た時、沐浴をした側ではなく覗いた狩人が悪いだろう。女の裸は値がつけられないのである。

ちなみに、ここへはお七夜のときの通路ではなく、過去に僕が見つけた隠し通路を使って訪れている。あっちは遠いし守衛いるからね。しょうがないね。

 

「そういえば一昨日母様とここでシたとき、羨ましそうにこっち覗いてたね。母様は気付いていなかっただろうけど、気をつけたほうがいいんじゃない?」

「なっ…………あっ、く……ぐぅぅ……それは……」

 

驚いたような顔だったり悔しそうな顔だったり、百面相をしながらあーだのうーだの口を動かし、最後にヘリオは恥ずかしそうに顔をそらして文句を言った。

 

「仕方、ないだろう。儂だって、あのようにお前さまから優しく……優しく、犯されたいのだ」

 

非常にそそる誘い文句である。しかし、嘘だろう。

僕とヘリオの関係は愛とか恋とかそういうんじゃない。単に、壊されたい者と壊したい者が出会って、互いの肉欲のためにしているだけだ。

 

前世から引き継いだ僕の男性としての本能。破壊衝動だとか、そういうナニカ。

母様との行為では決して見せることのないそれをどこかで晴らすべく、僕はお七夜以降度々ここへ足を運んでいるのだ。

時に凄惨な事件として悔やまれる女子高校生の強姦事件を引き起こし、時に真面目な教師に生徒を襲うという悪魔の選択肢を差し出すソレは、どうやったって言い繕うことの出来ない人間の本能の一部だ。

 

綺麗なものばかりでできているんじゃない。

きっと、気付かなければ気付かないままで生きていけるそれは、一度意識してしまえばもう成されるがままとなる。

でも母様には見せたくない。そんな僕にとって、ヘリオは非常に都合が良かったのだ。そしてそれは、逆もまた然りなのだろう。だから。

 

ご褒美(お仕置き)なら、仕事をしたらその後でたっぷりあげるよ。神様なんでしょう? 困っている民の相談にも乗ってくださいな」

「神を都合の良い存在扱いするんじゃない。…………まあ、結局のところそれで何も間違っていないのだろうが、な」

「なに悟った顔をしてるんだ。働けニート!」

 

ああ、こういう時に蓬莱ニートと返してくれる人がいないことが、異世界に転生したときの特に辛い点だなあと感じる。あ、でも冷静に考えたら一緒にカラオケ行く相手がいなかったから、前世でも変わんねえわHAHAHA!!

 

日本の文化(旧世代)に思いを馳せていると、ため息を付きながらヘリオが答えてくれた。

 

「結局、お前さまは当代が一番好きなのだろう?」

「ウン。すき。母様すき。結婚すりゅ」

 

だからそこで少し傷付いたような顔をしないでくれって神様。

僕とあなたの関係は、互いに利用し合うだけのもの。そうでしょう?

 

「……そもそも、その時点で無謀ではないか。この村の文化を壊したいとは思っていないのだろう? ならば大人しく異性を愛せ」

「やだよ。OTOMODACHIなら男の子にもいっぱい欲しいけど、僕はおにゃのこを愛したいんだ。あと50年くらいは結婚のことを全く考えなくて良いんだろう? なら、それまでに母様を孕ませる方法を見つける。魔法でどうにかなるさ」

 

孕ませる、という言葉が好きだ。

相手に対し、こちらに縛り付ける鎖を課すような感覚がある。健全な感情ではないのかもしれないが、愛情を越す関係性の強さを感じられる。

 

僕の言葉にヘリオは少し考え込むようにしながら、相談の相手を続けてくれた。

 

「それだけ当代に執心していれば幼女好きになる問題はないと思うが……そうだな、そのキバナとやらに(つがい)でもできれば、お前さまも次第と離れていけるだろう」

「うう……僕のキバナちゃん……でも確かにそんくらいしないと、僕の心が彼女に囚われてしまうかもしれない」

 

番……つまり、彼氏かあ。僕の推しで言うならヒシクイ(ガキ大将くん)とか死ぬまで好きな人を愛してくれそうなんだけど、キバナちゃんとは僕を巡ってよく喧嘩してるからなあ。喧嘩するほど仲が良い、であるならいいのだけれど。

 

ナチュラルに寝取らせを勧めてくるヘリオに、やっぱり碌でもない人生経験ばかり積んでるんだろうなと僕は疑いの目を向ける。

しかしどうやらそれには気付いていないようで、ヘリオは「それにしても」と話題を少し変えてきた。

 

「お前さま。魔法を使う時、瞳の色が変わるというのは本当か?」

「うん。ほら」

 

僕が変装をしたことを話した時に、ヘリオが気にかけていたことだ。

適当に魔法で風を起こす。僕にはわからないが、今の瞳はオレンジっぽくなっていることだろう。

そうして色の変わった瞳を見ると、彼女は顔をしかめた。

 

「やはり、話しておいた方がいいか」

「何を?」

「……真名のことだ」

 

それを聞いて少し機嫌の悪くなった僕にヘリオが肩をビクつかせる。

けれど、どうしても話したいことのようで、慎重に言葉を選びながら語る。

 

「儂が真名を知れるのは、そのものが纏う魔力の『声』を聴いているからだ」

「うん。そんな感じのこと言ってたね」

「そうだ。……つまりは、真名と魔力は切っても切れない関係にある」

 

ヘリオは僕の目を真っ直ぐに見つめて言い切った。

 

 

「だからニイロ。もしも真名を受け入れなければ、それは自身の魔力を受け入れないのと同じだ。そうして最悪の場合……魔力が体から乖離して、死ぬ」

 

 

死ぬ。それはもはや、彼女にとっては確信していることらしい。

 

「そっか」

 

僕はそう短く返した。それしか言えなかった。

 

「今すぐに、というわけではないだろう。だが、少なくとも老化の終わる頃……あと十数年もすれば、その時がかならず来る。だからニイロ、真名を──」

 

そこまで言って、ヘリオは言葉を紡ぐのをやめた。

いや、やめさせた。

 

「2回」

 

ヘリオは何かと口数が多い。ときには小姑のような細かいことまで言ってくるものだから、うまく躾けて、僕が彼女の唇を指で触れてる間は何も話せないようにさせた。

まあ本能的に……生物の「反射」に近いレベルで覚えさせただけなので、もう一度口を開こうとすれば喋れるのだろうが。

 

「2回、その名前で呼んだね?」

 

ぅあっ、と情けない声をヘリオが漏らす。

たとえどんな緊急時でも、かつてその脳に文字通り嫌と言うほど、いや、叫ぶほど刻み込まれた記憶は無くならないのだろう。

 

正直僕には、いまの彼女の表情が恐怖なのか期待なのか判別がつかない。

ヘリオはカラカラになった喉を、なんとか震わせる。

 

「……死ぬ、のだぞ?」

「そうだね」

「なッ……」

 

名を受け入れなければ死ぬ。

しかしその名は、前世の自分自身を色濃く残す、もはや前世そのものと捉えられるモノだ。

それを受け入れれば、今生で獲得した「僕」は死ぬ。

少なくとも一方は確定している「死」を、どうしてわざわざ今受け入れるのか。

 

「人に説教垂れといてさ」

 

ヘリオの服の隙間から中に手を差し込む。

傷付けないようそっと指をそこに添わせると、自然に受け入れるよう飲み込まれた。

 

「ぁ……っ」

「どうしてこんなに濡れてるの?」

 

そう言うと、きゅっと指を押し付ける肉の圧力が増した。

 

かつて忠臣と呼ばれる人に求められた役割は、イエスマンに陥らず必要な諫言を君主に告げることであった。

忠犬は飼い主の帰りを待ち、どんなときでも心配することをやめなかったのだろう。

 

「でも……僕がお前に期待しているのは、雌犬の役割だけなんだ」

 




レイン「そういえばヘリオの肌はどうして黒いの?」
ヘリオ「日焼けだ。ここは屋外だからな」
レイン(絶対嘘だ……)

**連絡欄**
誤字報告感謝です!
誤字報告すら5次報告って最初に変換するGoogle日本語入力くんは何なんですかね。メス堕ちしたいんですかね。

…ペンは剣よりも強しって言葉、知ってるか?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お前らさあ! 子供になんてもん見せてんだよ! …あ、片方子供でした。てか僕も子供でした。…アイリスぅ、ちゃんと監督しろぉ!

「そういえば、アルマって奏巫(そうふ)の子供として育てるんですよね? お七夜まで、僕と同様おうちの中だけで育てるんですか?」

 

日々キバナ嬢とキスだけをし合う関係になってはや半年。光源氏計画をしたいんだか寝取らせをしたいんだか分からなくなってしまった僕は、結局この心地よい関係から抜け出せなくなってしまっている。

 

一方、アルマが家の中を自由に歩き回れるようになっており、この子の場合お披露目はする必要がないだろうから、外に遊びに連れて行ってあげてもいいんじゃないだろうかと考えた。

 

民衆は巫女の家で人間の子供を育てていることを知っている。

というか前回の厄災のトラウマがまだ根強く、勇者の力を秘める赤子を託された、と知ったら諸手を挙げて育てる方針に賛成してくれた。

子供からすれば人間自体見たことがないので、日中広場で遊んでいる最中に「そういえば巫女様の家にいる勇者ってどんな見た目だろうね? 人間って私達に似てるんだよね?」という話題が出たのだ。

 

そんなわけでその日の晩の席、母様と父様はどういう風に育てるつもりなんだろうと思って聞いてみた。

その結果、一応外出が認められた。しかしその立場は勇者だ、何かの間違いで死なれでもしたら物凄く困る。僕と、あとは大人の人が一緒にいる状態で、家の周りを歩いたり簡単な運動をするだけ、という条件付きだ。

 

「良かったね、アルマ。嬉しい?」

「うん。あるま、うれしい、よ!」

 

食後はアルマのお部屋でおしゃべりすることが多く、今日決まったことをゆっくり噛み砕いて彼に教えてあげた。

最近は一語一語ではあるが結構達者に喋れるようになってきた。これで大体生後1年半なのである。……うちの子、もしかして天才じゃないのか?

 

また、僕がアルマ、アルマと呼ぶから、自分の名前をアルマと判断している節がある。家族以外が周囲に居る時はツグミという仮名からツグと呼ぶが、すこぶる反応が悪い。

 

……あん?

 

あれ?

まったく意識してなかったが、なんかおかしくないか?

 

え、気の所為? いや……。

 

なぜ二歳で真名があるんだ(・・・・・・・・・・・・)

 

いや、違うか。この場合おかしいのは────エルフの方だ。

真名は魔力と不可分だ。なら、生まれたときから真名が分からないのは理屈が合わない。

 

人間の世界では、生まれた時点で真名を与える文化があると考えれば良い。

ならば、なぜエルフはお七夜まで真名を明かさないのか。……またヘリオに聞かなきゃいけないことができたなあ。

 

とりあえず、アルマには外で真名を言ってしまわないよう教えてやらないといけない。

彼は勇者になる子だから、強い子になるよう沢山運動させてやりたいし、外の世界に行ったあと対人関係で困らないよう色んな人とお喋りする習慣を付けさせてやりたい。

その時に真名を言ってしまったら大ごとだ。もっとも、今の状態なら「アルマ」だから真名ではないのだけれど。

 

そうして呼び方特訓をすること二週間。アルマの一人称を「ぼく」にさせることに成功し、僕は内心ガッツポーズを取った。

僕とお揃いである。「僕はアルマが大好きだよ」と言うと「ぼくも、ねぇさま、すき」と返してくれる。うちの子可愛すぎか(思考停止)

 

ああそう、僕の真名を呼ばれても困るので、姉様と呼んでもらうようにもした。れーんって呼んでくれるのクソ可愛かったんだけどね……。あとは、お姉ちゃん呼びにしてもらうかどうかでも悩んだ。アルマの舌っ足らずな発音だとおねーたんになる。はーい! おねーたんですよぉ!!(猫なで声)

しかしアルマには紳士な勇者に育って欲しい。血涙を流しながら、姉様呼びにしてもらったのである。

 

さて、アルマが外に出るための準備は整った。しかしここで一つ問題がある。

僕は、村では六歳の男の子レンとしてみんなと関わっている。だがレンが人間の子供、というか巫女の家で育てられているはずの勇者を連れ歩いたらどうなるだろうか。多分、流石にバレる。

 

けれども、先にも述べた通りアルマは勇者として人々と関わりながら生きていくことになるのだから、できるだけ小さい頃から沢山の人と接して欲しい。

だから、ひとまずの相手としてキバナちゃんを選ぶことにした。彼女は僕がノアイディ=アンブレラであることを知っている。

 

これにはもう一つ狙いがある。キバナちゃんに、好きな男の子を作ってもらうのだ。

結局半年経ってもガキ大将くんとの仲が深まることはなく(僕と関わる以前から関わり合っていてアレなのだから言わずもがなではあるが)、人目を忍んでは濃いキスをする関係は変わっていない。

まあアルマは勇者として16で村を出ていってしまうのだが。現地妻ってやつになりかねんな(投げやり)

 

しかし、キバナちゃんがアルマと結婚してくれれば僕とのキス友関係にも言い訳がつくようになるのだ。

アルマは僕の弟である。ならば、彼の妻は僕の妹、家族だ。噂によると欧米では家族同士でキスやハグし合うのは割と一般的らしいので、僕も堂々とキバナちゃんとキスできる。

や↑ったぜ(完全犯罪)

 

そんなわけで、乳母の娘イドニ=アイリスの監督の下、アルマをキバナちゃんと引き合わせてみた。

父様と母様が昔二人でよく一緒に遊んでいたという、我が家の根っこと根っこの間にあるお庭である。

 

「ちっちゃい! かわいい! 髪が黒くて耳が丸い! へえぇぇぇーーー、へぇぇえええええーーー? ほんとにわたし達と似てる見た目してるんだね、人間っておもしろい!」

「なーに?」

 

キバナちゃんは結構人見知りする方だと思う。だが流石に幼児相手には大して発動しないらしく、二人はすぐに打ち解けた。むしろアルマの方が自分に興味津々なキバナちゃんにビビってたくらいだが、それも時間の問題であった。

 

二人が和気藹々としているため手持ち無沙汰になった僕は、アイリス相手に雑談を振った。

 

「そういえば、どうもツグは天才みたいです。もう立派に話せるのですよ? しっかり教えてあげたら、世界最高峰の叡智を持つ勇者になるかもしれません。家庭教師など付けてあげませんか?」

「えぇ……」

 

なんか滅茶苦茶困惑した顔をされる。解せぬ。

なんだてめえ、うちのアルマ(ツグ)に文句あんのか?(威圧)

 

「確かにツグミ様の成長は標準的なものに比べたら著しいと思いますが……御子様は、生後一年で自在に言葉を扱っていらっしゃいましたよね?」

 

いやそれはさあ、お前さあ、あれやん、しょうがないじゃん、前世あったし。

なんかそういうさあ、別に同じ状況なら誰だってできるようなことをさあ、こっちが言い辛いからって勘違いして、勝手に持ち上げるの恥ずかしいからやめてもらえません?

 

「ご謙遜を。魔力を巫女様から、知力を旦那様から受け継いだ御子様は、歴代巫女の中で最高峰間違いなしというのが市井の評価ですよ」

 

んああやめてクレメンス!(汚声)

今はいい。まだ精神年齢を肉体が下回ってる。そりゃ知性だってあるように見えるだろう。僕だって日本で微積分扱える幼稚園児見たらヤベえなって思うもん。

 

顔を真っ赤にして必死に否定するのだが、その姿を見てもアイリスは鼻を押さえるだけで全然分かってくれなかった。あ、また鼻血ですか。はいはい、治します治します。

アイリス曰く、鼻血が出るのは持病らしい。いやお前それやべぇよやべぇよ……。なに? おっぱいが大きいと血の巡りがよくて出やすい? ああ、なるほど。母乳も血液らしいしな、おにゃのこの体はやっぱり神秘に満ちているな(納得)

 

え、おっぱい揉まれると鼻血を防げるのか? そういうもんか。むしろもっと血行良くなりそうだけど、役得なので失礼いたしますわね(お嬢様言葉)

 

「あー! アンブレラさまをゆーわくしちゃダメっ」

「チッ」

 

するとそこでキバナちゃんが割り込んでくる。

アイリスが舌打ちをした気がするが気のせいだろう。おっぱい以外は清楚系の彼女が舌打ちなんてするわけない。

 

「アンブレラさまは、わたしのなの」

「わたしの??」

 

子供特有の独占欲というやつなのだろう。

幼稚園に入る前くらいまでは、自分のおもちゃを人に貸せないことがままある。年齢的にそれがピッタリ当てはまるわけではないだろうけれど、キバナちゃんにとって一番の仲良しの僕を奪われるのは我慢ならないらしい。

「わたしの」という言葉にアイリスが強く反応している。まあ、御子をモノ扱いしたら専属乳母一族的にはムカつくのかね。子供の言うことなんだから許してやれよ。おっぱいばかり大きくて心の器がちっちゃいぞ。

喧嘩はしないでほしいのだが。

 

「……御子様、失礼します」

「え、なに──ンむっ……」

「あっ」

 

片膝を付いたアイリスに顎クイされたかと思ったら、口を塞がれた。口で。

まあ、彼女にキスの仕方を教えたのは僕なんだが。

軽いやつとはいえ、もう少し慎みを持って欲しい。ここ外だぞ。……いつも外で、エッグいキスをキバナちゃんとしてたわ(自戒)

 

「……っぷは。急にキスなんてして、どうしたのですか」

「いえ、特にどうということは……。いつも通り(・・・・・)、大変美味しゅうございました」

「はあ、まあそれなら良かったです?」

「なっ、あっ……えっ……」

 

キバナちゃんは口をパクパクさせて固まっている。僕に対しては結構小悪魔な娘だから、こういう表情が見れるのは嬉しい。アイリスとキバナちゃん、相性良いのかな?

アイリスが「ふふ」とキバナちゃんに優しく微笑みかけると、一転、キバナちゃんの顔は能面のような無表情になった。

 

「アンブレラさま。いつもの、しよ」

「え、ここでって──んっ、……ちゅっ…………ぇあ……んむぅ……」

「な、なななぁ!?」

 

今度は、僕をぐいっと引っ張ったキバナちゃんに激しめのキスをされる。

断れば彼女を傷付けるだろう。それに応えてやれば、満足するまで彼女は僕を貪ったあと、涎まみれになった僕の口周りを舐め取って、アイリスに微笑みを返した。

 

よく分からないが、二人共微笑んでる! 仲良くなったね! ハイ閉廷!!(ヤケクソ)

 

 

 

 

……とはならないらしく、今度はアイリスにキバナちゃんとのキスを上書きされるような厭らしさ満点のものを施され、少し頭がぼーっとしてきた辺りで再びキバナちゃんに唇を吸われる。

 

先ほどまで木を壁代わりに背中を預けて座っていたのだが、いまやキバナちゃんとアイリスに正面を阻まれたまま舌を舐め取られ続けていた。

まあ、気持ちいいしいっか。3人でキスし合うのも中々オツですななどと考えながら二人に応えてあげていると、僕の脚を誰かが触れた。

 

「ねぇさま、ぼくも」

 

アルマだ。三人が唇を触れさせ合っているのを見て、自分も仲間に入れてほしくなったのだろうか。

いや、あかんな。アルマの初外出なのに、教育に悪すぎる。

 

僕は二人を精一杯の力でぐいと押しやって、愛らしい弟の唇に優しく一瞬触れるだけの健全(?)な口付けをしてあげた。

あかん、アルマ可愛すぎか。前世でペットの犬猫とキスしまくってる人見て引いたことがあるけど、この庇護対象の愛らしさは確かにやべえわ。何百回でもできる。

 

「お姉ちゃん達みたいなキスは早いから、こっちにしておこうね」

 

そう言ってアルマを抱きしめてあげる僕を見て、キバナちゃんとアイリスは先ほどまでよりずっと優しく微笑んでいた。まあ、落ち着いたのならそれでいいです。はい。

 

しかし、男の子との初キスは弟か。

味気ない気もするが、将来、男と惹かれ合ってチュッチュしながらラブラブセックスなんてしなさそうだし、これが無難な結果だったのかもしれない。

 

和らいだ空気の中、その日は昼食の時間になるまで子供たちで遊びに暮れた。




作者「なぜ二歳で真名があるんだ…?」
キバナ「人間って…、面白(おもしろ)!!…」
レイン「友達とキスする関係を改善しようとしたら、なぜか弟とキスしていた。どうしてこうなった(4回目) …まあ、アルマ可愛いしいっか」

サブカルクソ女神「メス堕ち…。メス堕ち…?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世の中には色んな愛の形があって、例えばそれは家族愛であるのだろうし、性欲を伴う愛なんてありふれていて、時には傷付け合うことしかできない愛だって存在するんだろうね。

「それじゃあ、おやすみ」

「んー」

 

ある日のお昼過ぎ。午前中はキバナちゃんと遊んで疲れたアルマは、お昼ごはんを食べ終わったらすぐにお昼寝の姿勢に入った。

ぎゅうと抱きしめてあげたあと、ちゅっと頬にキスする。僕の頬を差し出せば、アルマもちゅっとキスを返してくれた。

 

これはお昼寝前と夜の就寝前、毎回僕とアルマがするようになった儀式である。父様とはする気が起きないが、母様とはもっと激しいものをしてから一緒に眠りに落ちるし、家族間の親愛表現と捉えてもらえればいいだろう。

 

流石に異性の弟と毎回唇を合わせるのは節操がないと思えたので、頬に留めてある。それでも僕とキバナちゃんやアイリスがキスしている時に同じものをせびってくることはあるが。

幼児特有の「ぼくも」というやつである。そういう時は特に断る理由もないので、軽く返してあげている。

 

果たして情緒が発達して反抗期にでもなったらやってくれなくなるのだろうかと心配になるが、かと言って反抗期のない成長は健全な精神の発育に支障をきたすというし、悩ましいところである。

ああでもアルマに「お前」とか「邪魔なんだけど」とか言われるようになったら割とキツイ。反抗期、無くてもよくない?(発想の転換)

 

「いや、駄目だろう」

「だめかぁ……」

 

アルマがお昼寝に入ったあとは度々ヘリオのもとを訪れる。夜ならば母様の方へ行くのだが、今はお仕事中だ。

 

僕の午前中は、二日に一回アルマを連れ出して家の周りで遊び、そうでない日は「レン」として村の子達と遊ぶ。

お昼ごはんを食べてアルマが眠ったのを確認したあとは、自己研鑽に努めることが多い。もちろん再び外に遊びに行くこともあるのだが。

 

こうしてヘリオに会いに来ているのもその一環だ。

彼女は頑なに年齢を教えてくれないが、その溜め込まれた知識はかなりのものだ。ここのところはずっと聖域にいたのだろうから外の世界なんかの状況は知らないだろうが、特に魔法に関する知識や技量は人並みから外れた場所に位置するだろう。

 

「ああ、そういえばさ、ヘリオ」

「なんだお前さま」

 

先日思い当たった真名関連の疑問を思い出し、良い機会だからと聞いてみた。

 

「ツグがさ……あ、ヘリオに真名隠してもあんま意味ないか。アルマ……僕の弟がさ、その母親から託された時点で真名を持ってたみたいなんだ。人間の文化にお七夜はないの?」

「はぁ……これだから人間はロクに魔法を使えないのだ……」

「おおう、それは一体どういう溜息だ」

 

やはりヘリオには思い当たることがあるらしい。エルフがお七夜まで真名を隠す秘密があるのか、はたまた人間が赤子にすら真名を教える風習を持つのか。

 

「秘密……秘匿は、力なんだ。お前さま。だからエルフは、物心つかぬ子が誤って真名を口にしてしまわぬよう六歳まで明かさない」

「でも愚かな人間はそれに気付かず、生まれついたときからベラベラ吹聴しちゃうってこと? だけどそれだと、母さん……アルマの母親が僕と母様だけに彼の真名を伝えたのと理屈が合わないよ」

「愚かだから、ではない。むしろ、かつては我々以上に魔法について詳しく研究していた者もいたくらいだ。……今も知識が残っているのかは分からないが」

 

これには驚いた。魔法に近いはずのエルフのほうが人間より魔法について知らないとは。やはり、どこの世界も人間ってのは研究好きが生まれるもんなんだろうか。対照実験? 正規分布? うっ、頭が……。

 

エルフの社会で研究が盛んでないのは、ひとえに「満足しているから」というのが理由なのだろう。人々は平和に暮らし、地球にはなかった魔法というもののおかげで生活も豊かである。現状に満足している者に進化はないのだ。良い意味でも、悪い意味でも。

けれど、満足というのは最も資本主義社会に足りなかったものだろう。より良い社会を求めて、より悪い地獄に自ら飛び込んでいく。そうして得た戦利品が人にとって無駄だったとは思わないが、満足しない者に幸福はない。

 

また、外の世界は発展と喪失を繰り返している。一時期はエルフを越すほどに深くなった魔法への知識も、失伝すればおとぎ話にすらならない。

 

「お前さま。人間はな……、人間は、文字通り、魔力がなくても生きていけるんだ」

「いや、そんなことは分かって…………え、『文字通り』って、つまり、体から魔力を失っても?」

 

エルフは魔力がなければ生きていけない。それは、細胞から細胞膜を取っ払うとかそういうレベルの話だ。

 

「ああ。本来は、の話だがな。人間達は悲しいほどに魔法への適性がない。生まれついた時は持っている魔力も、身体の急成長する生後一年半程度までに乖離してしまう。それを防ごうとはるか昔より行われるのが、赤子のうちの真名付けだ」

 

なるほどなあ。真名の分かるうちに、身体に定着させると。

え、まて、それは今自分の名前をアルマだと思ってるディアルマスくん不味いのでは。

 

「そう、問題はそこだ。人間の中にも魔法への適性の高いものは稀に生まれる……勇者が良い例だな。そもそも勇者など、我々に引けず劣らず魔法に近い存在だ。そういった存在の真名すら慣習的に喧伝するものだから、いつまで経ってもしょぼくれた魔法使いしか生まれないし、勇者は簡単に災厄にしてやられる」

 

ああ、だから最初の「これだから人間は」発言が出てきたのか。単に長生きしすぎて老害ムーヴかましてるものかとばかり。

 

「違わい! ……結果的に、お前さまが勇者に真名を使わせないようにさせたことは正解だったというわけだ。今代の勇者は、ここ数百年の中でも頭抜けた才覚を誇ることになるだろう」

「僕というスーパーお姉ちゃんの英才教育もあるしね!!」

「……まあ、確かにお前さまの魔法を扱う才は歴代の巫女とさえ一線を画すが。というか、6歳なのだよな? 儂は先ほどから成人した者と喋っているつもりになっていたのだが……」

 

まあ、合計23年ほど生きているし、この世界の成人は16歳だから別段間違ってないのだが。

 

「癒しの魔法など、早々気軽に使えるものではあるまいよ。それをあんな……まぐわいで疲れた体を癒やすためだけに使うなど。……助かっては、いるが。次代巫女とはいえ、普通は魔力が枯渇するものだ」

 

まあ、それは空気中に魔力ポーションが浮いてますしおすし。

しかしそのことを知らないヘリオは、別の結論に至ったらしい。

 

「……秘匿は力。つまり、そういうことなのだろうな……」

 

十中八九、真名を騙っていることに対して言っているのだろう。

もはや説得は諦めたようだが、悲痛な、心の痛みがこちらにまで伝わってくるような苦しげな表情をして俯いてしまう。

美少女の儚げな悲しみ顔はヤメロォ! その表情は僕に効く!

 

「ごめんね、ヘリオトロープ」

「……ん」

 

ヘリオは省略しない仮名で呼ばれるのが結構好きみたいだ。

その名で呼び、優しく抱きしめてやると体をこちらに預けてくる。

 

僕の真名のことを考えれば、彼女にとっては辛いことしかないのだろう。

だから、こうして肉体の快楽によって脳内を埋め尽くしてやるしか僕にできることはない。

 

切なげな表情の黒髪褐色少女を見れば、どうしようもなく僕の中の下卑た劣情が反応してしまう。可哀想と思うと同時に、快楽で泣き喚く姿を脳が勝手に描いてしまうのだ。

 

せめて、どうか彼女が少しでも長く救われるように。

あるいは、沢山のことを教えてくれ、僕の踏み込んでほしくない領域に触れないでいてくれたことへのご褒美に。

 

いつか彼女が望んだよう、今日はゆっくりと優しく(むさぼ)ろう。

それが、偽りの優しさだとしても。

 

好きだよ(・・・・)、ヘリオトロープ」

「……儂も。儂も、好きだ。好きなんだ。好きで好きで、胸が苦しいんだ……ご主人様ぁ」

「うん……」

 

秘部は最後になるまで決して触らない。舌も激しく絡めるようなことはしない。

どこまでも優しく包み込むように、甘やかすように、(とろ)けさすように。

 

柔らかくした舌で触れ合って、空いている手で彼女の耳を触ったり、胸のまわりをなぞるようにくすぐったり。

そうそう、時折耳元で心地よい言葉を囁くのも忘れてはいけない。

 

「いいよ。ヘリオトロープ。僕でたくさん、気持ちよくなって。僕を感じて」

「ふ、あぁっ……! それ、背中がぞわぞわってぇ……っ…………あ、ふ、ああ……」

 

騙し、騙され、騙し合って。

慰め、慰められ、慰め合う。

 

後悔と快楽。

罪悪感と多幸感。

()徳的で()反な意識を相手と共に()負うことは、一度味わえばたまらない底なしの沼である。

 

 

 

 

堕ちてゆこうよ、神様。

 

メス(感情の生き物)だからこそ味わえる、理性と情欲の底まで。

 




レイン「ヘリオをメス堕ちさせる」
ヘリオ「既に、している」

サブカルクソ女神「それはなんか違うし、そもそも逆ゥ!! 人の子、お前が堕ちるんじゃよ!!」

**連絡欄**
妖艶な美幼女って想像しづらいよね。
「クリスティーナ・ピメノヴァ」や「劉楚恬(りゅうそてん)」で検索してみると、脳内補正が多少効くようになるのかなと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

みんな、たとえ流行り病で外出してなくても、毎日お風呂に入って、パンツも履き替えなきゃ駄目だからね? え、僕? 母様と風呂ックスしてますがなにか。

五行説で言う火水木金土。

この世界に五行説とぴったり対応する哲学が存在しているわけではないだろうけれど、「操作」という話において、この中で人間が一番身近なものはなんだろうか。

 

それはきっと、「火」だ。

 

人々は火をその場で起こすことができるし、料理なんかでは火加減を調節し、水の力を借りてではあるが消すことも自在だ。

他のものは、特に「自力で生み出す」という点において操作性が劣るだろう。

まあそれがどれほど関係しているのかは定かでないが、エルフたちが用いることのできる魔法の中では火を取り扱うものが最も進んでいる。火遊びは知らないくせにね。

 

魔力が見える身としては、結局のところ魔法とは緑のぽわぽわの塊……魔力塊とでも呼ぼうか、それ同士のコミュニケーションだと思っている。

自然に存在する殆どのものは魔力を纏っている。空気中にだって魔力塊は存在する。

生物、非生物を問わず魔力を持つ存在があって、それを取り扱えるものとして知覚するための手段のひとつが真名なのだ。名前は混沌(カオス)秩序(コスモス)をもたらすものだ。また、より深く相手を理解するほどコミュニケーションはうまく取れるようになる。

だから真名を用いた魔法は絶大な威力を誇る。

 

火の話題に戻る。

ヘリオのように真名が分かる人はいないから、火の魔法を扱うからといってエルフが一つ一つの火の真名を呼ぶわけではない。……ひとつの火って表現自体が実感持ちにくいが、要するに魔力塊ごとという意味だ。

 

さて、火には「ドーラ」という総称が存在するのだ。

それはエルフ……正式名称はハーガなんたらオルモスみたいな長ったるい名前だが、そういったものと同じで、その対象に対し、真名よりは弱いがある程度の拘束性と操作性をもたらす。

そして、エルフの使う言語は多くが魔法的な総称……魔称で構成されている。日本語のゲームは日本人が一番理解できるのと同様、ここにも人間よりエルフが魔法を上手く扱える理由がある。……あれ、そしたらエルフの文化で育ったアルマくんとんでもないことにならない?(震え声)

 

話すのがめんどくさくなってきた。そんなわけで、とにかくエルフは魔法を使うのが上手いし、特に火の扱いには一家言ある。

 

……ああ、もうしゃらくさい。

 

家族みんなで風呂はいるぞぉ!!!(ヤケクソ)

 

 

 

 

風呂回である。というか温泉回である。

日本のアニメなら湯けむりで何も見えないところだが、ここは現実だ。湯けむりで見えないなら見える距離まで近づけばいいし、なんなら触ってしまえばいい。文句言うやつはいねえよなあ?

 

経緯はこうだ。

火の魔法が得意なエルフたちは、数千年の時のあいだに風呂など余裕で発明している。ローマがたどり着いてるからね、当たり前だね。

よって我が家、奏巫の大樹にも大人一人が足を伸ばして浸かれるくらいの風呂はある。シャワー的なサムシングもある。

赤子の頃は両親や乳母様と一緒に入ったし、今でも母様とはよく一緒に入る。もちろんニャンニャンする。風呂場って声響くからイイよね。

 

しかし何故か公衆浴場は存在しない。というか集団で利用できる施設自体この村は少ない。

理由としては、それだけ巨大な樹がそう多くないということが挙げられるのだろう。巫女んちで一本、社で一本、長老会や会議用ので一本と、そこそこ使うのだ。

 

そんな中、ここ数百年かけてじっくりと育てたとある大樹を使った建設プロジェクトが進行していた。

その責任者が父様なのだが、人々に必要な施設が何かいまいち思いつかなかった研究者気質の父様は、気まぐれに僕に「レインは何があったら嬉しい?」と問うたのだ。

 

『みんなで入れるおっきいお風呂?』

『……うちの子は、やはり天才か!? 素晴らしい案だよ、ぜひとも提案してくる!』

『ヤッター、父様大好きです!(棒読み)』

 

そんなわけで大浴場が出来ました。や↑ったぜ。

開館記念として、一般客より先に僕らが使わせてもらえることになった。

 

OTOMODACHIに声をかけて良いとのことなので、当然マイベストフレンドのキバナちゃんを呼んだ。おいそこセフレとか言わないの。キスしかしてないよ阿呆。

どこからか聞きつけたのか、専属乳母一族イドニ家のお二人も来たいと声を上げた。母様と僕はフェリシア(乳母様)に頭が上がらないので当然承諾する。

 

ここで起きた悲劇が、乳母様の旦那さんと父様の仲間はずれ事件である。

父様は乳母様とその娘(アイリス)(40)の裸を見るわけにいかないし、旦那さんは母様の裸を見るわけにいかない。家族だけなら女湯の方で一緒に入っても良かったのだが。

子供枠の僕やキバナちゃん、アルマの裸は特に誰かに見られることに問題はない。

僕や母様と一緒に入れないことに絶望する父様であったが、今度一緒に入ろうと約束すれば意気揚々と旦那さんの肩を組んで男湯へ突っ込んでいた。

 

そんなわけで、男湯に父様と乳母様の旦那さんが。

女湯に僕と母様、アルマ、乳母様とアイリス、そしてキバナちゃんが入ることになった。

 

「ツグミくん、きみ、ハーレムじゃないかね」

「はー、れむ?」

 

僕はアルマの服を脱がせてあげながら、結果的に落ち着いた状況のおかしさについつい笑ってしまった。ハーレムという言葉はこの世界のものではないから、意味は通じないだろう。

こうしておにゃのこに囲まれる機会の多い男は、そういう星の下に生まれたと相場が決まっている。陳腐なファンタジー小説よろしく、この子は将来ハーレムを築きながら勇者をやってそうだな。羨゛ま゛し゛い゛(血涙)

せめて、鈍感系主人公とかいうクソッタレにだけはならないよう女心の分かる紳士に育て上げよう(硬い石)

 

さて、浴槽に浸かる前に体をしっかり洗うことは世界は変われど共通項らしい。というか、そうしないと流石に最低限清浄なお湯の管理で詰む。

折角だからみんなで背中を洗いっこしよう、という話になった。

 

まだまだ小さなアルマは当然端っこ。

アイリスには普段からアルマの風呂のお世話を見てもらっているので、彼の背中を任せた。ええ、なんでアイリス泣いてんの……(困惑)

そんなアイリスを鼻で笑うキバナちゃんがいたので、仲良くしようねという意味を込めてアイリスの背中を流してもらうことにした。あ、泣いた。

申し訳ない気持ちになった僕は、せめてものお詫びに豊満っぱいで彼女を挟んでやるご褒美を思いつき、乳母様にキバナちゃんをお願いしてみた。快諾された。キバナちゃんが「わたしのこと、きらい?」と唐突に尋ねてきたので「大好きだよ?」と返しておいた。OTOMODACHIだからね。あたり前田のクラッカーだね。

母様は特にこだわりがないらしい。ここである計画を思いついた僕は、僕が母様の背中を流すから母様は乳母様の後ろにどうぞ、と勧める。キミの背中はどうするんだと突っ込まれたが、後で母様がゆっくりお願いしますと微笑むと納得してくれた。おっぱいで洗ってくんないかな。みんないるから駄目かな。

 

そんなわけで、湯けむりの中一列になって背中を洗いっこする。喋り声や水の流れる音で、浴場はわりかと騒がしくなっていた。

 

計画通り、である……ッ!

 

端的に僕の現状を述べよう。僕は、浴場で欲情していた(激ウマギャグ)

冗談ではない。視界一面がおっぱい(いっぱいおっぱい)と肌色一色で、誰もが髪が濡れて艶めかしさが増しているのだ。僕の心の珍棒が反応しないわけないだろう。

 

というかアルマ。キミね、将来ハーレムモノの主人公張るならこんな状況になったらその珍坊おっ立てるくらいじゃないと駄目ですよ(無茶振り)

一歳半? 甘えるな、僕はその頃にはとっくに母様をイかせてたぞ。

 

おっぱい……間違えた、やっぱり状況は僕の想定通りになった。

みんな真面目に自分の前の人の背中を洗っている。こうでなきゃ困るのだ。

 

母様は気付きつつあるだろう。最初は真面目に洗っていた僕の手が、次第に性的な手付きになってきていることに。

他の人には聞こえないくらいの小さな声で、母様が抗議を申し立てる。

 

(あ、アンブレラ! そこは、今は……!)

(ほら母様。手を止めちゃ駄目ですよ。乳母様が訝しんで振り返ってしまいます)

(だって、これは……あうぅっ…………我慢、できなくなっちゃうよ)

 

背中を洗う過程で、体の側面、特に胸の付け根あたりを重点的に刺激する。

あー、リンパ張ってますねコレは。いやほんとリンパがね、あれですね(セラピスト並感)

 

(みんなが体を洗ってる後ろで、一人だけ気持ちよくなっちゃうんですか母様?)

(それはぁあっ……キミが…………もぅ、意地悪だよぉ)

(……続きは、浴槽の中でしましょうね)

 

ある程度仕上がったかなというところで背中を洗い流してやる。

体も洗い終わって、さて湯船へというところで、立ち上がろうとした母様のとある部分の状態に気がついた。

 

(母様。糸、引いてますよ)

(……!! ばかっ!)

 

顔を真っ赤にした母様は、台座の触れていた辺りをざっとシャワーで洗い流した。

もうこの時点で僕の心はホクホク、顔はニッコリ美少女スマイルが浮かぶ域に達していた。

 

いやあ公衆浴場って素晴らしいですね!

 

お風呂で身を清めに来ている身分で非常に申し訳ないが、もはや母様の聖水を浴びたほうが心身ともに清まるのではとか考え出している次第である。心の方は清められないレベルで穢れてますね……。

 

さて、公衆浴場に使う予定の湯船だ。父様考案のそれは、管理のことを考えスーパー銭湯のようにはいかないまでも、十分に広く、心沸き立つ意匠の設計がなされていた。

床は滑りやすいから、キバナちゃんやアルマが駆け出さないように気をつける。まあ、この大きさのお風呂に入って泳いでしまうのはこの際許してよいだろう。幸せそうな幼女を見るのが僕の幸せです。

アルマは溺れられたら危ないので、乳母様かアイリスが必ずついている。

 

そんなわけで、僕は母様と二人一緒に湯に浸かる。

乳白色の湯は、肩まで使った僕の身体を隠しきっている。

 

「……ぁんぶれら、その……」

「分かってます、母様。でもここは声が響きますからね……ちょこっとだけ、ですよ?」

「……うん。がんばる。がんばって、声がまんする」

 

いやあ、やっぱ公衆浴場って素晴らしいですね……!

 




サブカルクソ女神「え、メインキャラのくせに全員集合なお風呂回に参加できてない他称神がいるってマ?w」
テルース「お可愛いこと(嘲笑)」

ヘリオ「ううぅ……ぐううううぅ…ふえぇ……えぇぇ…(号泣)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

テルースぅ! 無理だろ、何じゃこのクソゲー! 人の運命で遊ぶもんじゃないわ! 我反省した! 反省したってば! だから、なあ、助けてえええええええええ!!

「あ゛―! 無゛理゛! これ無理! 上手くいかなさすぎなんじゃが!?」

 

全裸の女が発狂していた。

発狂しているから全裸なのかと問われればその限りではないのだが、流動体とでも呼ぶべき水球の中で叫びながらのたうち回っている姿は、まさしく精神異常者のそれであった。

 

「のあああああぁぁ! ぐがががががぁああ! もぉぉおおおう! 我なんか悪いことした!? 乱数仕事しろ!」

 

しかし彼女が乱れるのにも訳があった。

現代日本人が理解しやすいよう端的に述べれば、(主観的には)完璧なチャートを用意して走ったRTAが、地獄のような乱数を引き続けてしまったために敗走しかけている状況なのだ。

 

生まれた先が奏巫女という特殊な役職の一族であったことは別に良い。

なぜなら、清き巫女が肉棒によってメス堕ちしてくれたら美味しい(シコリティ高い)からだ。

 

生後半年で魔法を操り、さらには自我を持ったまま幼児期を過ごした影響で魔力が目視できるようになったことは別に良い。

なぜなら、そうして天才魔法使いになった先でメス堕ちしてくれたら美味しい(シコリティ高い)からだ。

 

科学の発展していない文化圏で前世の知力を十全に生かして、歴代最高の巫女と民衆から讃えられていることは別に良い。

なぜなら、崇め奉じられる存在が裏ではメス堕ちしてくれたら美味しい(シコリティ高い)からだ。

 

転生のために形質を引き継いでしまった魔力のせいで得た真名を、気に入らないからと否定してついには別の名を騙っていることは別に良い。

なぜなら、最終的には真名を竿役に伝えてメス堕ちしてくれたら美味しい(シコリティ高い)からだ。

 

友達を作ろうと頑張った結果、迷走して男装してしまい、更には同年代の女の子を惚れさせてしまったことは別に良い。

なぜなら、男装の麗人が、結局己は女であると自覚させられながらメス堕ちしてくれたら美味しい(シコリティ高い)からだ。

 

 

 

 

だが!!

 

 

 

 

「なぜ……なぜ、その初めての魔法が、絶頂で失神させた己の母親を癒やすためのものなのじゃ!?」

 

清き巫女になるどころか、母親でもある清き当代の巫女をド変態調教済み雌豚にメス堕ちさせるとは、一体何がどう拗れれば陥る結果なのか。

青春コンプか? 青春コンプが原因なのか? リア充限定で転生元を検索しておくべきだったのか?

 

「なぜ……なぜ、自分を崇める乳母一族の娘にこっそり接吻の仕方を教えようという発想が生まれるのじゃ!?」

 

場合によっては育児のために乳を吸わせる可能性もある乳母の一族が、乳ではなく唇を吸わせるとは何事か? むしろ自分から吸いに行くとは何事か?

乳母の娘が美しい幼子を見て欲情し、鼻血をつい流してしまうくらいなら分かる。それはまああり得る悪乱数のひとつだ。だがその女、前世の母親と同年代だぞ? 

 

「なぜ……なぜぇ、真名を授けるはずの存在を調教済みと見抜き、互いにどっぷり依存しておるのじゃあ……」

 

なんなんだ、調教済みの命名神って。テルースの管轄する世界は頭おかしい奴しかいないのか?

しかも属性クソ盛りだ。エキゾチック褐色黒髪ツインテクソ雑魚傲岸不遜調教済みドMド貧乳娘? こんなん誰でも依存したくなるわ阿呆。共依存で精神と肉体が汚染されていく、地獄のような激しいセックス漬けライフ送りたいわ阿呆。

一人称儂じゃぞ? これでのじゃロリだったら、もはや我の神様キャラが泣いていた。

そしてその他称神を堕とした人の子の手腕。恐れを抱いたし、自分もにいろと呼ぶのをやめようと決心したほどである。

 

「助かっ……助かってねえぇぇええええ!! それにじゃ! なぜ……なぜ、告白されたからと言って、男装を解いて、園児にしちゃ駄目なキスぶちかましとんのじゃあぁぁあああああアアアア!!」

 

あれは本当に訳がわからない。転生させる段階で脳に悪影響が出てしまったことを本気で疑っている。

なぜ幼女の可愛らしい結婚宣言を笑って流さず、逆に幼女が笑えない状況になるまで深く長いディープキスをやらかすのか? あんなん好きだった相手にされたらどんな女の子も堕ちるわ阿呆。というか人の子、お主、堕ちるまで逃げることを許さずキスしていたろう!?

女の子宣言した上で上裸になっておっぱいをさわらせる? 自分も未成熟児だからセーフ? いや、アウトどころか、させられた方の性癖拗れるからな?

 

「もうやだぁ……我、メス堕ちは創作物だけで満足するぅ……」

 

ここに至って、この世の真理に辿り着いてしまった。

 

BLだとか百合だとか、はたまたメス堕ちだとか。

それは現実にないからって駄々をこねるものではないし、たとえどれだけ自分が偉かろうと他者に押し付けるものではないのだ。

創作を読み、自分でも創作し、もしも……もしも現実で目にするようなことがあれば、黙って合掌する。あるいは十字架を切って(恩寵よ感謝します)も良い。

 

絶望しているところで、目の前にサッと誰かが現れた。

 

「大丈夫ですルーナ、乱数調整が足りていないだけです。数回しゃがむのを繰り返してみましょう」

「うぅ……てるぅすぅ……」

 

にいろ(人の子)の転生先、勇者や災厄と呼ばれる存在が跋扈する世界の管理者であるテルースだ。

 

乱数調整! それは頭になかったとばかりに、いそいそと水球から這い出て、スクワットのように立ってはしゃがんでを繰り返す。勿論全裸で。いまは転生者もいないのに、服を着る意味がわからない。

 

「お可愛……ん゛ん゛っ」

 

一瞬隠すように鼻のあたりを手で覆ったテルースだが、次の瞬間には何事もなかったかのように微笑んでいた。

 

「それにしても、にいろさんは相変わらずですね」

「お、おまっ! ……そ、その名をあまり呼ばん方がいいと思うぞ? まさか我らがあやつにどうこうされるとは思わんが、あの他称命名神とやらの虐められよう、見たじゃろ?」

「まだトラウマにされているのですか? お可愛いこと。さあ、落ち込んでいらっしゃると思いましたので、今日も般若湯を持ってきましたよ」

「般若湯……、酒か! てるぅぅすぅううう! 大好きじゃあぁあああ!」

 

酒はいいものである。嫌な気分はすぐに飛ぶし、世界が輝いて見えるようになる。

人の子の前世の世界では一般的ではなかったようだが、魔力を操れる者なら二日酔いの心配もない。

……ちなみに、魔法で酔いを覚ますというのはご法度だ。自分ルールだが。

酔いの回った頭を冷やすことほどつまらないことはない。飲む時はとことん飲んで、ほろ酔い状態をほどよく楽しんだら、その日の気分によっては酩酊状態に入るまで酒を浴びるのがよい。

 

テルースに抱きついてよしよしと頭を撫でられながら、持ってきてくれた酒を共に酌み交わす。

泣き喚いたせいか、いつもより酔いが回るのも早く感じる。

 

そうして次第に柔らかい微睡みに誘われ、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が、重い。

 

おそらくどこかに寝転がっている。周りの音はほぼ聞こえず、寝転がっている身体を立たせようと腕を動かせば、肩の先についているものが肉塊でしかないように反応してくれない。

視覚に頼って周辺の情報を集めようとするが、目隠しでもされているのか暗闇のほか何も見えない。あるいは、まぶたも麻痺して下がったままなのかもしれない。

 

記憶を掻き漁り、いまがどのような状況か可能な限りの想定をする。

伊達にほぼほぼの全能性を謳っていたわけではない。どのような病気や呪いであろうと、内側から破壊して現状を脱せられる自信があった。

 

体が動かないのならばとひとまず魔力を行使しようとしてみる。

 

しかし、おかしい。

行使以前に、体に存在するはずの魔力が感知できない。

 

まるで、何もないかのように。

 

(……テルースに裏切られたか。しかし、なぜ?)

 

存外慌てることはなかった。それは、自身の焦りの証明でもあった。

 

人の子がメス堕ちするだとかしないだとか、結局そのことは己にとっては余興なのである。

絶対的な余裕。その中だからこそ、窮地になれば喧しいほどに騒ぎ立てるし、酒を酔いつぶれるまで飲んでみせるし、どんな愚痴だってこぼそう。

だからこそ、余裕を抱えて良いときと悪いときの区別はハッキリと素早く判断できるようにしている。そして今は、端的に言ってヤバい。

 

もしかすると、テルースの裏切りではなく、テルースを利用した裏切りかもしれない。彼女は操られており、そして毒を盛らせた。

何にせよ、この悪意の目的と理由が分からない。恨みを買った覚えは星の数ほどあるが、それらすべてが戦争を仕掛けてきたって捻り潰す自身があった。

 

だからこそ、普段は意識的に捨てている理性を限界まで動員し、この状況を冷静に分析するだけに徹していた。慌てている暇など無いのだ。

 

 

 

 

そしてそれが、勘違いであったと知る。

 

慌てている暇は、あった。あり余っていた(・・・・・・・)

 

 

 

 

何も考えなくなってから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。

 

最初は誰かしらが要求を突きつけに現れるものだとばかり思っていた。

そして気付いた。これは暗闇に放置することで、まず精神的に弱らせようとしているのだ、と。

 

割とありふれた手法である。最終的な目的はわからないが、現段階の相手の狙いとして、己を弱らせようとしていることが判明し思わずほくそ笑んだ。

常人なら半日、精神的に優れた人物であっても、体の感覚がほぼない状況で数日暗闇に囚われれば発狂するだろう。

 

だが、その存在……ルーナには、己の能力に対し自負があった。

暗闇に放置されてどうすればいいか? 簡単だ。何も考えなければいい。

俗に言う、無心になるというやつだ。

 

あえて述べておけば、無心になるとは並大抵のことではない。

「無心になれ」と説く教祖ですら、真に無心になるとはどのようなことか分かっていないだろう。

 

人の子の前世いた国、日本でよく知られる仏陀について述べれば、悟りを開いた時一ヶ月前後の座禅を組んでいたという。まああれは、無心というより正しく「無我」だったので、現状と同じとは言い難いが。

 

そしてルーナは、我ならば数年程度放置されても何ら問題ない、と確信していた。

 

 

 

 

そして、体感にして己の生きてきた年月と同じだけ(・・・・・・・・・・・・・・)の時が経った。

 

全裸の女が発狂していた。

発狂しているから全裸なのかと問われればその限りではないのだが、もはや無心からはかけ離れた状態で、息は荒く、過呼吸に近いとさえ言える姿は、まさしく発狂した者のそれであった。

 

既に自尊心や体裁を取り繕う余裕はない。

ろれつの回らない口でありったけの罵倒を叫び、時には己の存在を滅してしまうのではないかというほどの詫び言を呪詛のように呟き、それでも状況が変わらなければまるで赤子のように泣き出して慈悲を待った。

 

そうして何も変化のないことを知って、ひとときの間口を噤み、やがてまた同じことを繰り返した。

 

全裸の女が、発狂していた。

 

 

 

 

「……や、だよ、ゅるしテ、やだ、やだやだやだやだああぁぁぁ…………ァァア、ぁぁ、ぁぁ、はっ…………ァ、ぁぁぁああ、あ、アアぅ」

「……くっ…………ふ、う、ふ、ふふふ」

 

何度目だろうか。ルーナが泣き喚いていると、押し殺したような笑い声が聞こえてきた。

 

初めはまた幻聴だろうと聞き流していたが、次第にそれが己の耳殻に届いた確かな音であると気付くと、怒りとも喜びとも感謝ともつかぬ感情をその相手にぶつけた。

 

「ああ、ああっ! テルースだなァ! お前が、お前のせいで、お前の、あなたの、あなたのおかげでぇぇ、ああっ、救われたんじゃぁ、は、ははははははは、カハハハッ、ひ、いひっ、な、殺して、食べて、だきしめて、な、一緒にな、これからずっと一緒じゃからな、え、へっへへ、にひ、ひひひ」

「ふ、ふふふふふ、ああ、ルーナ、ああ、くひ、クヒャヒャヒャヒャ! ああ、その姿、ね、お可愛いわ。ね、好きよ、ね、ねね。ねえ、好きよ、クヒヒヒヒッ、ヒッ、ヒャヒャヒャ!」

 

もはやルーナに状況を判断するだけの理性も知性も残されていなかった。

テルースが笑って好きと言ってくれる事実だけ受け止めていて、その事実は、ただそれだけ素直に見れば、好意的なものに感じられた。

 

「ね、なんでって、思わない? 思わなかった?」

「ひ、なんでってェ、なんでって、なんで、ナンデ? なぁんデ?」

「その、そのね、その姿。力を失って、這いつくばって、土を舐めて、怒って笑って泣いて叫んで謝って屈服して服従して獣の排泄した糞尿みたいにしょうもなくて情けない哀れで幼稚な姿に堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて…………そうして、堕在したあなたがぁ、一番、何よりも、もうコレ以上は考えられないほどに、ね、お可愛いの、ね……」

 

唇に何かが触れた感覚がした。テルースの唇に間違いなかった。

それを受けた瞬間、脳内が書き換わるほどに頭が冷え込んでいくのが分かった。

そしてその次の瞬間には、一転して沸騰した。

 

「テェェェェエエエエエエエエェェルゥゥゥゥゥゥウウウウウウウゥゥスゥゥゥゥウウウウウウウウウウウッッ!!」

「……クヒッ」

 

コレは(・・・)、操られているとか、そういう段階ではない。

彼女の、本質だ。

 

「お主ッ、お主ィィ! 許さぬぞ、この借り、何年経とうと、何百年経とうと、何万年経とうとォォッ! 我に成したこと、そのまま返すだけでは生ぬるい! その体を刻み、食らわせェ────」

「──ハイ、お口チャック♡」

「……っ……!?」

 

積もり重なった恨みつらみを叫ぼうとすれば、テルースが一言話すだけで口から音が発されなくなってしまった。

 

「ね、無力なの、悔しい? 苦しいでしょう? ね、ほんとに、お可愛いこと……。わたくしなら害をなすことさえできないだろうって、わざとらしく酩酊していたルーナが、こんな弱い魔法で何も言えなくなってしまうなんて、ね、いまどんなお気持ちなのかしら? 聞かせて。言えないよね。でも、ね、聞かせて? 言えないよねェッ!? ヒッ、クヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

「……!!」

 

怒りで体中の血管が破裂するのではないかと錯覚するほどに激怒していた。

それなのに体は動かず、その事実が一層己を苛立たせた。

 

「ルーナ、あなたから力をすべて奪って、次には何を失ってもらおうかなって考えて、わたくし、思いついたのですよ……。みんなを見下ろすの、好きでしょう? なので、地に堕として差し上げようって!」

 

褒めてとばかりに頬を上気させて報告するテルースは、何度も愛おしさを噛みしめるかのようにルーナの体に口吻を落としていた。

もっとも、体の感覚がほぼなく、視界も閉じた彼女には確認するすべがなかったが。

 

「あなたを降ろしても平気そうな素体も見つけたの。だから、ね、堕ちていく姿、わたくしに見せてくださいまし」

 

怒りなのか、それともテルースの魔法なのかは判別つかない。

プツリと途絶える意識に抗う術は、ルーナにはなかった。

 

「ああ……本当に、お可愛いこと……」

 




テルース「堕ちた姿、お可愛いこと♡」
サブカルクソ女神改めルーナ「\(^o^)/オワタ」
レイン「う、うんうん、それもまたメスオチだね!(違う)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ひっ…に、にい……人の子!? 待て、近づくな、そう、流行り病もあるし、半径2メートルを保つの…うわぇいっ!? 気安く近寄るな、孕まされるじゃろ!?(暴論)

「小鳥さん♪ 小鳥さん♪ 翼のもがれた、小鳥さん♪ どうしてあなたは飛べないの?」

 

翠緑の短く切りそろえられた髪を揺らして女が口ずさむ。

その手には、純白の翼をしたウグイスのような鳥が大事そうに抱えられていた。

大事そうに、大事そうに、これはとても大事なものなのだと言わんばかりの優しい手付きで、一枚一枚羽毛を(むし)っていた。

 

飛べるから鳥(・・・・・・)? 鳥だから飛べる(・・・・・・・)? 飛べない小鳥さん、それでもいいのよ♪ だから、”あなた”を魅せて♪」

 

羽を毟られた鳥類ほど醜いものも少ないだろう。

衣服(鳥羽)をもがれ、アイデンティティを奪われ、”ありのままの姿”とも呼べる醜態を晒しながらも生きながらえている。鳥獣がそれに何か思うのか、はたまた何も思わないのか。

 

「飛べないあなたを愛しましょう♪ 恨んで呪って苦しんで、一番汚いところもわたくしに魅せて♪」

 

誰かを”愛する”ということ。

たとえば、小さな白い鳥。飛べる鳥を愛するというのは、条件付きのものだ。ならば、飛べない鳥(・・・・・)をも愛するのなら、そちらの方がより”愛する”ができている。

たとえば、全能の女神。なんでもできるあなたを愛するよりも、なにもできなくなったあなた(・・・・・・・・・・・・・)をも愛する方が、より”愛する”ができている。

 

だから、奪って、奪って、毟って、もいで、削げ落として、落として、(おと)して、堕として、いちばん条件のなくなった”あなた”が、いちばん”愛らしい”、いちばん”お可愛い”。

 

何かを好きになることに、誰かを愛することに、理由を持ってはいけない。

“だから”好き。ならば、”そうでなければ”好きじゃない?

違うでしょ、違うよね、違わないはずがない。

 

「だから、理由をなくすの♪」

 

いちばん広い愛は。いちばん深い愛は。いちばん清い愛は。

無償の(理由のない)愛、それ以外にありえない。

 

「や、ゴキゲンだね」

「シーリーン……! そうなんです、何もかも上手くいきました。ああ、あなたのおかげ!」

 

男とも女とも見分けのつかない中性的な声に呼ばれ、女は(おもて)を輝かせた。

シーリーンと呼ばれた存在は、照れくさそうに苦笑する。

 

「ルーナのことは、私が一番知っているもの。当然だよ」

「……それは、聞き捨てなりませんが。でも確かに、まだわたくしの知らないあの子のことも多そうです。シーリーン、あなたのことも知ったほうがいいのでしょうか?」

「おいおい、勘弁してくれ。私は君が”嫌い”なんだ」

「そう……”嫌い”なら、仕方ありませんね。”好き”同士でなければ、知る意味がありませんもの」

 

女はぷっくら頬を膨らませて拗ねる。

別に、本当に嫌いなわけではない。だが嫌いと明言しておいたほうが、お互いの幸せにつながることもある。

 

たとえば、頭のおかしい女に執着されかけたとき、とか。

 

その存在は、両目を閉じて、歌うように、あるいは語りかけるように一人呟いた。

 

運命(さだめ)なんて、ないんだ。奇跡はなくて、偶然があるだけ。じゃあ”世界”は、何によって導かれている? 何が”世界”を決める? ……意思。いい線をいっている、でも足りない。足りないよ、ルーナ」

 

「……答えは、”悪意”だ」

 

「君が少年を転生させたのも、君が下界に堕とされたのも、あるいはひとつの世界が同じことを繰り返しているのも。すべて”悪意”によって引き起こされている。運命なんてなくて、”悪意”しかないんだ。”世界”が大きく揺れるとき、そこには必ず”悪意”がある!」

 

「君はちょっと、それを忘れてしまった。……この機会だ、全部(・・)思い出すといいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へーリーオ、くぅーん、あーそーびーまーしょー」

 

自室近くの隠し道を抜けて、ヘリオのおうち、もとい神樹の聖域を訪れる。

毎回呼びかけは変化をつけるようにしているが、こうして呼んでやると、どこか不機嫌そうな顔を作りながら、でも頬と耳の先を赤らめて頭頂部のアホ毛をピコピコ揺らして祠から顔を見せるのだ。

 

そら、そうこう考えているうちに出て……。

 

出て……。

 

出て……?

 

出て、こ……ない!?

 

「うっそだろ……あの神様(笑)、風邪? 寿命とかあるのか……?」

 

というか、エルフは免疫系でやられることが滅多にない。説明が面倒くさいのでざっくり言えば、細胞が魔力で超強化されている。

先天性の病気自体は存在するが、いまのところそれで寿命より遥かに早く亡くなるようなものは見つかっていない。そんな病気が存在していたら、エルフは人口減少に歯止めが効かなくなる。

だがまあ、ヘリオはツルツルの癖にこの村の誰よりも長生きしているような年齢不詳娘だ。年で体がやばいとか言われても全然違和感ない。いや普通に心配だなこれ。

 

「へ、ヘリオ? 大丈夫?」

 

小さな小屋ほどの大きさしかない(むしろ大きな小屋ってなんだ)石の祠の中へと、そうっと入る。

中には明かりを灯す魔道具があるが、点けられていないようであった。

 

「……なんだ、いるじゃないかヘリオ。拗ねてるの? そりゃ土の魔法の練習がてら新しく作った魔道具の実験台にしたことは僕が悪いよ。あんな、人が簡単に壊れちゃうほど気持ちよくなれるモノになるとは僕も思ってなかった。でも、君だってイヤイヤ言いながら悦んでいたじゃないか? それをこんな、呼んでも無視するなんて──」

「気安く寄るな、人の子」

「──え?」

 

初めて会ったときすら生ぬるいと思える態度で、ヘリオは拒絶の一言を述べた。

暗さに目が慣れてくる。あぐらに片膝を立て座り込む褐色の少女が見える。

いつもどこか偉そうで生意気だったその表情はまるで虚ろで、夜の帳のように美しかったその黒髪は真っ白に染まり上がっていた。

 

「……だ、れ……?」

 

掠れた声だったと思う。それでも、よく絞り出せた。

見た目や態度だけの問題ではないのだ。ヘリオは、僕を「人の子」だなんて呼ばない。

 

『なあ、にいろ……あ、ぁぁああああああ!!?? ま、ままま、まちが……ひっ……い、いや、ゃあ……』

 

彼女は、そう。

 

『お前さま、この鳥の真名はツルッパゲだ。はははっ、なんともおかしな名だが、こういうこともある。ほら、呼んでやるといい。寄って来るぞ』

 

こんな、バカなことばっか言っていて、そのくせたまに大人びていて。

 

『もっと……ご主人様ぁ、もっとぉ……。ぅあっ、あぁ……あいして、壊して……』

 

とっても、暖かった。

 

「ク、カカ。分かるものなのか。久しいな、人の子よ。外面(がいめん)を取り繕う余裕もないものでな、許せ」

「へ、りぉ……?」

 

何も分からなかった。

ただ突然過ぎて、昨日と同じ今日が待っていると思っていたのに。

 

「こう言えば分かるか? ……お久しぶりですね、女淵にいろ」

「神……さ、ま」

「その通りだ、人の子よ。我としてもこうして会うことになるのは不本意だったのだが……、まあ、唐突であるのも、神故にといったところか」

 

前世の名を呼ばれ、聞き覚えのある口調を耳にして、転生時に出会ったあの女神なのだと知る。

以前会った時はもっと丁寧な口調だった気もするが、繕う余裕がないと言っていたしこちらが素なのだろうか。

だが、そんなことはどうでもよかった。

 

「……ヘリオは。ヘリオは、どうなっているんですか? 無事なんですか?」

「ヘリオ、この体の持ち主か。さて……」

 

相手が眉を寄せ、口を濁らせた瞬間に勝手に体が動いていた。

両膝を折って地につけ、額も下に擦りつけ、両手をその脇に置いて体を支える。

つまるところ、土下座である。

 

「お願い、します……ッ。何でも、します、だから、ヘリオを、返してください。奪わないで、ください……どうか、お願いします。僕のできることなら、なんだって、受肉の依代が必要だったのなら、この身体を差し上げます。だから、どうか、どうかどうかどうか…………ッ」

 

誰かに頭を下げる癖があったわけではない。自分のことがどうでもいいと思っていたわけでもない。勝手に口をついて出る言葉は、しかし本心から絞り出されたものに相違なかっただろう。

己は彼女のためにこんな言葉を吐けたのだと、言ってから気がついて驚くほどであった。

目が熱い、僕は泣いているのだろうか。確かめるすべもなく、ただ相手に(こいねが)うために頭を低く下げることしか考えられなかった。

 

「ど、どうどう! 落ち着け人の子! まずは頭を上げろ! ん……? いま何でもって──」

「いいえ。返していただけると仰るまで、いつまでも」

「ええい強情め! こちらの手違いだ、返してやりたいのは山々だが、どうするかもどうなるかも分からん!」

「は……?」

 

ただ悪意によってヘリオの身体が女神に奪われたというわけではないらしく、僕はゆっくりと頭を上げる。

ため息を付きながら、ヘリオの見た目をした女神はぼやく。

 

「神の世界にも、いざこざはあるのじゃ。ド阿呆に嵌められ、不本意にも下界に無理やり受肉させられた。力も削がれた。いまは魔力が扱えんから、精神をどうこうということもできん。この者の身体が選ばれたのは適正が高かったからじゃろう。それでも、負荷で髪は真っ白じゃ」

「のじゃロリ、だと……? ヘリオ、お前ってやつは乗っ取られてもキャラを盛っていくのか……」

 

どうやら女神には敵がいたらしい、どこの世界も大変だ。

そして話の通じそうな彼女の態度に、僕も段々と落ち着きを取り戻していった。

 

「構造的に、素体の精神が失われることはなかろうよ。力を取り戻す方法を見つけたら、肉体を返してもよいし、ついでにあの阿呆を殴り飛ばさせてやろう。我の後で、じゃがな」

「ヘリオは、戻ってくるんですね……? 良かった……良かったぁぁ…………」

「うむ。……っ! だ、だが、問題ないと分かったからって我にまで欲情するのではないぞ!? そんなことをすれば……そう、そんなことをすれば、力を取り戻しても宿主をかえしてやらんからな!?」

「は……?」

 

は? なに言ってんだこの女神?

 

「さっき何でもするって言ったの忘れてにゃいからな!? こ、こうでも言わなければ我のことまで犯すのじゃろう! エロ同人みたいに!! エ ロ 同 人 み た い に !!」

「いや、そこまで見境なしじゃないですよ……」

「嘘をつけぇ!」

 

なんだろう。神を名乗る存在はみんな似るのだろうか。こいつもポンコツ臭がするな。

そういえば、神は神でもエセ女神、エセっぱい神であった。

やはり女神は母様しかいないのだろう。女神母様、ううん……良い響きだ(恍惚)

 

「まあ、何といいますか、ご愁傷様です。あなたのことは何とお呼びすれば?」

「……ルーナと呼ばれている。好きに呼んでよい」

「そうですか……ではルーナ、先行きは見えませんが、これからどうぞよろしくお願いします」

 

いましばらくはヘリオに会えなくなってしまうのかもしれない。

そのことにイチモツ……間違えた、一抹の不安を感じながら、僕は握手のための右手を差し出した。

疑いの眼差しを浮かべながら、ルーナはおずおずとそれに返答する。

 

「ああ、よろし…………ひゃぅん!?」

 

……このエセ女神、握手だけでなんて声出してんだ。

 




黒幕?シーリーン「全部思い出せよ!? なに漫才してんだよ!?」
アタオカテルース「シーリーン、何つっこんどるんや。これシリアルやろ、シリアスちゃうやんか」

レイン「エロ同人みたいにって、そんな、まさかそこまで見境なしではないですよ…(困惑)」
母様「いやいや」
アイリス「いやいや」
ヘリオ「いやいや」
キバナ「いやいや」

憑依ルーナ(え…調教済みの体って、こんなにヤバいのか? 我、これから大丈夫か…?)

**連絡欄**
前話と前前話の誤字報告感謝です。
ルーナがたまに日本のネタを言うのはサブカルクソ女神やってた影響です。

ヘリオの属性:
エキゾチック/褐色/黒髪/ツインテ/クソ雑魚/傲岸不遜/調教済み/ドM/ド貧乳/アホ毛/天然無毛/尖り耳/低身長/ツリ目/一人称儂/被憑依/一人称我/のじゃロリ/神/堕天/白髪/ロリババア/ポンコツ/サブカル系/酒カス/万能/無能
…こんなもんか。インスタのタグかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エロスに必要な力は体力だけじゃなかったんだ。力が欲しいかだって? 当たり前さ、だって、すべての力はエロスに通ずるんだから!

「ふむ……これは、もしかすると……」

 

握手ひとつでにゃんにゃんワンワンわおーんわおーんと騒いだルーナは、ひとしきり騒ぎきって落ち着くと、何か感じた違和感を探るかのように右手を握っては開いていた。

 

「ど、どうかしたんですか」

「なぁに、人の子よ、少しその場で止まれ」

「はあ…………って、な、何を!?」

 

言われた通りピタリと静止すれば、服の中に腕を突っ込まれた。

すわ、エロスか!? と驚く僕だが、ルーナに触れられた部分から体が石になったかのように動かず、抵抗することが出来ない。

 

「静かにしとれ……」

「エロ同人みたいにされるのは嫌だけどエロ同人みたいにするのは好きってか、このエセっぱい女神め!? 何でもするとは言ったけど、僕はあなたになんて屈しませんからね! 助けて母さ──ムグっ、ムーー!」

「我をお主と一緒にするでない、そのまま黙っとれ」

 

触れられた腹のあたりから何かが駆け上がってくるような感じがして、気付けば口を勝手に閉じさせられている。なんだこれ、神の力か!? 魔力が使えないってのは嘘だったのか!? 騙されたあぁぁああああああ!!

 

「――っ! 〜〜ムーーッ〜〜〜〜!!」

 

なんだこれ、やばい、くそ気持ち悪い、胃が洗濯機にクラスチェンジしたのかってレベルでごった返しにされてる気分。アアァ脱水は止めてクレメンスゥ!!(汚声) できれば、ソフト、ソフトモードでぇええええええ!!

 

……んっ? 不快感、なくなったな。

 

相変わらずルーナは僕の肚に右の手で触れたままである。

だが、先ほどまでの無理やり体中をひっくり返されているような不快感はなくなり、むしろ風呂上がりの血行が良くなっているときのような気分さえする。

僕自身の体をよく見てみれば、体が普段纏っているはずの魔力が、まるで血流のように体表や体内を巡っていた。

それどころか、空気中の魔力塊が僕の体の周りを取り囲むように踊っている。これではまるで、奏の魔法を使っているかのようだ。

 

というか、普通に心地よい。エステ受けてるときとかこんな感じなのだろうか。

僕が微睡んでいると、僕の魔力を勝手に動かしているルーナはそのまま僕の魔力でそよ風を起こさせた。

 

「ふむ、なるほど、こんなものか。ならば、これならどうだ? ……人の子、脱がすぞ」

 

……ファッ!?

 

体を勝手に操られ、すっぽんぽんにされた。ヘリオ相手なら別に構わないが、中身が別人ということに羞恥を覚えずにはいられない。

それどころかルーナまで脱ぎ、お互いの腹部をピッタリとくっつけて、僕をすべて包み込むように抱きしめたのである。

 

いくらヘリオが小柄とはいえ、僕はそれ以上に小さな幼女だ。ヘリオ(ルーナ)の身体以外見えないほどに密着し、脚も絡め取られてしまっている。

ちょうど彼女の胸の位置に来る頭は、彼女から聞こえるゆったりとした鼓動の音でいっぱいになっていた。それに反比例するように早鐘を打つ自身の心臓に気付いて、より恥ずかしさを煽られた。

僕にこんな恥ずかしい思いをさせたのは、あなたが初めてですよ……!(憤怒)

 

というか、この体勢やばい。

 

余裕満点のヘリオ(の身体を操るルーナ)に全身余すところなく包み込まれて、彼女の身体が発する甘い香りが鼻孔をくすぐり、胸は小さくても均整の取れている非常に魅力的な体型が視界を覆い、時折独り言のように「ふむ」だの「よし」だの囁く蠱惑的な声音が耳元で揺れ、さらには強制的に巡らされる魔力で内側から体が熱くなり、その心地よさは快楽物質すら勝手に分泌させる。

 

当然発情する。だが、だというのに、ルーナの魔法か何かで僕は身じろぎひとつ許されない。

なんだコレ。新手の拷問か? 我に欲情するなとか言っておきながらここまでするとか、真正のサディストか?

 

そうこう考える間も、ルーナは独り言を呟きながらいくつかの魔法を試していく。あれか、神なんてやってると話し相手も全然いなくて独り言が増えるんだろうな、などと普段なら考えているところだが、熱っぽい頭は快楽のこと以外何も許そうとしない。

力が抜けているせいで口元からは勝手に涎とか少し溢れてるんだけど、ルーナは気にしていないんだろうか。

 

「よしよし、なるほどなぁ。悪く思うな、人の子。少し調べていた……って」

「…………にゃぁ……?」

「……悪乱数ばかり引くと思っていたが、存外、素質はあるのかもなぁ。カカ……あとは、勇者次第といったところか」

 

抱擁を解いたルーナは、何事か呟きながら脱力した僕を横に寝かせた。

離れるのが寂しいような、これ以上のことにならなくて安心したような心地で、僕も頭が冷えていくのを待った。

 

しばらく時間が経ち、復帰した僕は脱がされた服をかき寄せて、疲れた表情でルーナに問うた。

 

「あの、なにか、分かったんですか?」

「ん? ……ああ。簡単に言えば、転生を我が取り計らった影響で、お主の魔力に我のものの残滓が含まれている。(はら)や肌に触れたことは許せ。特に肚は、おおよそ魔力の核のようなものじゃからな」

「魔力の核……」

 

精神の核は脳で肉体の核は心臓だとしたら、個人の纏う魔力の核が下腹部にあるということだろうか。

そういえば、中国医学だとか伝統武芸に丹田ってのがあったな。魔力と関係があるのかは知らないけど。

 

「肚もそうだが、体の至るところで外界と魔力のやり取りが行われておる。お主には皮膚呼吸と言えば伝わるか? 本来扱えたものの足元にも及ばないが、お主に直に触れることでその魔力を我も扱える。動かせる魔力さえあれば、周囲の性質の異なる魔力だって我なら意のままじゃ」

「ええと、周囲の性質の異なる魔力というのは、どこからどこまで……?」

「決まっておろう、すべてじゃよ。この素体の秘める膨大な魔力も、この空間に満たされた更に膨大な魔力も、何だってな。伊達に全能を名乗っとらん」

 

つまりは、元々の体だったら、何の条件もなしに僕が見えているような魔力すべて意のままにできるということか?

なんやそれ、チートやん(小並感)

 

「ええと、つまり、ルーナは僕の体に触れている限り好き勝手魔法を打てて、触れていなければただの褐色白髪パイパンのじゃロリ娘?」

「さてはお主、言葉選びのセンスが壊滅的じゃな……? だがまあ(おおよ)そその理解でよい。お主の体を通してでは、出力も入力も以前の足元にも及ばないがな。精進せえ」

 

うるせえ。言葉選びのセンスが無いのは自覚してる。

あったらもっとマシな真名を考えたさ。なんだよ雨降ってるからレインって。いやアメにしなかっただけ褒めて欲しい。でも残念ながら仮名はアンブレラなんだよなぁ……僕はじかれてて草。

 

まあでも、冷たくて物悲しい(レイン)よりかは、それから人を守る(アンブレラ)の方が素敵な名前だと思う。さすが母様。さすかあ。さっすがあ!(激ウマギャグ)

下らないことを考えていると、ルーナがニヤリと笑みを浮かべた。

 

「しかし礼を言おう、人の子よ。足がかりさえ見つかれば、あとはどうとでもなろう。……褒美だ、魔法さえ使えれば、こういう事もできる」

「わっ!?」

 

そう言って、ルーナは再び僕に抱きついてきた。もちろん裸で。

 

「魔法を使いたいなら、手を握るだけでもいいでしょう? どうしてわざわざこんな……」

 

抗議の声を上げるが、その釈明はない。何なのだと思い上を見れば、そこには目を点にしたルーナの顔があった。

 

いや、これは──

 

「……お前、さま?」

「ヘ、リオ……?」

 

……本当に、”何でもできる”ってのはチートではないか。

あるいは、”神”ってやつにはロクなのがいないのだろうか。

 

何でもできて……何でもできるからこそ、断りも入れずに、好き勝手する。

僕は、ルーナが力を取り戻すまで、ヘリオに会えない覚悟さえ決めていたのだ。

 

だと言うのに。

 

ほんと、神ってやつは。

 

「くっそぉ……あほぉ……ばかぁ……」

「なぜ、儂はここまで罵倒されているんだ……?」

 

困惑するヘリオと、それを泣きながら抱きしめる僕。

しかしルーナはどこへ行ったのかと思えば、祠の中に入ってくる影があった。ヘリオが日頃使っているイケオジの泥人形だ。

 

「魔力さえあれば、このように別の体にも移れるというわけじゃな」

「このぉ、チートエセっぱい神めぇ……」

「ええと、お前さま、これは……どういう状況なんだ」

 

なら最初からそれやれよとキレそうになるが、僕の体に一度触れなければいけないわけで。

というか、ヘリオは急に意識が暗転していま復活した感覚なのだろうか?

 

「へりお、どこまで、覚えてる?」

「どこまで……あぁ、つまり、あれは夢ではなかったのか」

 

夢。なんだか、一部始終覚えてそうな言い草だ。

 

「明瞭な意識というより、まさに夢……であった。ぼんやりと、覚えている。その、お前さまが……」

「ク、フハハ、つまりな人の子よ。お主が頭を下げて素体を取り戻したがっていた姿も、しかと見られていたというわけじゃよ」

「……は? えっ、は、え、はあ、あ……!?」

 

もじもじと恥じ入るヘリオの声にかぶせ、ルーナが全部カミングアウトしやがった。

つまり、僕が土下座しているところも、泣きわめくところも、なんとかなると知って腰が抜けるほど安堵した姿も、すべて、見られていた……?

 

え、死にたい(婉曲表現)

 

「……ック、クク……」

 

ルーナがニヤニヤと笑みを浮かべている。

僕は恥ずかしさでヘリオの方を見れたもんじゃないし、ヘリオも耳まで真っ赤にして顔をそらしていることだろう。

 

「……だ、だがっ」

 

消え入るような声で、ヘリオが口を開いた。

 

「その……ぅ、うれしかった……よ……?」

 

語尾もガバガバである。乙女かお前は。いやおにゃのこだから乙女か。

なんなら僕も今は乙女か。いやぁ……死にたい(婉曲表現)

 

「ほれ……たいむあっぷ、じゃ」

「え……?」

 

そして、無情にもルーナが終わりを告げた。ヘリオの声で。

驚いてヘリオの顔を見上げれば、ルーナが憑依しているとき特有の虚ろのような瞳で彼女がニヤッと笑っていた。

泥人形の方を見ると、そこには無残にも崩れてしまった土くれの山があった。

 

「この通り、泥人形とは言え我の素体には5分ともたん。人形を作るための魔力を込めれば込めるほど長くはなるだろうが……まあ、どれだけ長くなってもお主がこの素体とまぐわいきる時間ほどもないだろう」

「なんだ、その、僕とヘリオがえっちばっかしてるみたいな言い草」

「は……? その通りじゃろ……?」

 

あっハイ、その通りでした。

話の腰を折ってすいません。どうぞ続けてください。

 

「……う、うむ。だがひとときとは言え、語らう時間すらないよりかはマシであろう? 我は人格者じゃからな、そうした時間くらいいくらでも与えてやろう。そのためにも人の子、魔法の扱いを極めよ。我のようにとは言わんが、この素体よりは使えるようになれ。そうでもなければ、お主はこの素体の代わりの依代にさえなれんよ」

 

それは、そう、としか言いようがなかった。

この年にしては、魔法が扱える自信はある。魔力が視えるというアドバンテージもある。

だけどそれは、この世界の誰よりも魔法が使えていると言うにはあまりにも足りないのだ。

 

ヘリオが世界で一番だったのかは分からない。

依代に選ばれた理由には何らかの他の要因もあったのかもしれない。だって、彼女は神と呼ばれて、こんな場所で久遠の時を過ごしているぐらいなのだ。

 

紫の上は幼少期に源氏に見初められ、のちに引き取られる。

源氏を愛し源氏に愛されながらも、力を持たない己の境遇に苦しみ病死していった。

 

その弱き生涯の中で、幸せだった幼い頃のひとときを切り取って「若紫」と呼ぶ。

 

ただ、幸せなだけでは駄目なのだ。

幼さも、美しさも、弱さも、何も言い訳になることはないだろう。

 

辛い自分を救えるのは、きっといつだって自分だったのだ。

そんなこと、「あの時」に痛いほど思い知らされたじゃないか。

 

僕に無かったもの。諦めたもの。必要さえ感じなかったもの。

それを持っていなかったことを、こうしてまた(・・)悔やむことになるとは。

 

だから。

 

「教えて下さい、ルーナ。僕に────『強さ(魔法)』を」

「ああ……退屈しのぎには、なるじゃろうよ」

 

そう言って、神様(ルーナ)は再びニヤリと笑みを浮かべるのであった。

 




レイン「そういえばルーナ、いつまで服着ないんですか?」
ルーナ「は? 衣服など邪魔じゃろ(逆ギレ)」
レイン(痴女か…(呆れ))
ルーナ(まったく、人の子は何を言い出すのやら…(呆れ))


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日常編/幕間
秘密ってのは誰しも持ってるもので、それは無闇に探るものじゃないと思うんだ。だからね…秘密を知る時は、一方的なものじゃなくてこちらも何か差し出さなくちゃ! 何が良いかな…ってそれはアカァァン!?


個人的にずっと書きたかった話です。
お七夜編にチラッと出てきた、とある姉妹の秘密。
時系列的にはお風呂回の前くらい。


とある家樹(かじゅ)で産声が上がった。

 

「あぁ……あぁ……こんな、ことって……」

「……」

 

産婆は夫婦に気を使って外へ出ていた。

母親は運命の悪戯に嘆き、父親はあまりのショックにか言葉も出ないようであった。

 

「父さん、母さん、ご先祖様、私は、いったい、どうしたら……」

「アズラー、嘆いてばかりで、どうする。俺たちの子が生まれたんだ、喜ばねば──」

「無理でしょうッ!?」

 

宥めようとする父親に、アズラーと呼ばれた母親は静かに激昂した。

分かっていない。この男は、舞姫達が背負ってきた責任と歴史、そして役割を理解出来ていない。

こうしてアズラーと夫婦(めおと)になって、世の中一般の人々よりかは知っているのだろうが、「知る」と「理解する」はまるで違う。

そして、舞姫でなければ「理解する」ことは到底かなわないだろう。

 

アズラーの胸には清潔な布に包まれた双子が抱えられている。

その二人が、母親の怒りを感じ取って再び泣き出した。

 

「あぁ、ごめんなさい……。あなた達は何も悪くないの……。ごめんなさい、大丈夫よ……大丈夫、だから……」

 

あやす声はまるで自分に言い聞かせているかのようで、思わず父親は顔を背けた。

 

エルフの出産において双子というのはかなり珍しい。一つの世代に一組存在するかどうか、といった具合である。

三つ子に至っては過去に例がない。原理的には有り得るが、有史以来エルフの村で確認されたことがないのだ。

 

そして双子の不幸として挙げられるのが、その魔力量の少なさによる伴侶の見つけにくさである。

 

これは双子が魔力を共有しているために起こる病気のようなものだ。

母親の腹の中で魔力を循環させる際、双子の場合は母親から一人へ、そしてその一人からもう一人へ、そして母親へというように魔力が循環する。

その流れの中で、魔力は二人を「一人」と錯覚してしまう。そのため扱える量も半分になってしまう。

結果的に生まれた子供たちに、お互いの距離的な制約が生まれるといったことはない。これは魔法が物理法則に縛られていないことを示唆するが、その話はまた別の機会に。

 

兎にも角にも、魔力量の少なさは結婚に直接影響する。

しかし双子は社会の問題でもあり、最近では親類を辿って許嫁を決めておくなどといった場合も多い。

 

アズラーもそんなことは大して問題になると考えていなかった。

問題はもっと、舞姫の家として根深いものであった。

 

「ねえ、どうして、こんな…………どうして、私の時に限って……? 私の体が、できそこないだから……?」

 

ついにアズラーは泣き出す。

不幸が起きたとき、自分自身に原因を求めることはとても簡単なことだ。たとえどのようなことであっても、確率的に起こりうることはいつか起こるから仕方がない、そう割り切れるのはごく一部の「強い」ひとだけだろう。

 

だが自虐(それ)を見せられる側としては(たま)ったものではない。

自分の愛する人が、何も悪くないことに自責の念を感じていたら誰だって庇いたくなるものだろう。

だから、アズラーのベッド脇の椅子に腰掛け、父親は静かに語りかけた。

 

「なあ、アズラー。昔の話を一つしようか──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、やはりアイサ姉妹が演じると、どんな退屈な演目も神話のごとく心に沁み入ってくるね」

「キバタン、あなたは彼女らが演じる時以外観劇しないだろう? 舞台改築の話も、条件にアイサ姉妹が出演する際は自分の席を確保する旨を取り入れていたそうじゃないか。そんな条件がなくったって、あれほどの大樹、喉から手が出るほど設計に携わりたかったくせに」

「ボクだって他の人の劇を見たことぐらいあるさ、若い頃にだけれど。でもアレは駄目だね。たとえ作り物だからって、台本に書いてある言葉をなぞるだけでは『演劇』の域を出ないよ。心意気とかの話じゃない。アイサ姉妹の舞台は、観客を『その場』に連れて行くんだ。まさにこう、飲み込まれるってやつさ」

 

他の劇も、普通に眺める分には楽しめると思うんだけどね、と母様がぼやく。

 

今日は母様も父様も休暇が被ったので、家族全員とアイリスで舞台を観に来ていた。

アルマはすやすや寝てしまっていたが、僕としてもかなり引き込まれる良い演劇だったと思う。ありふれた脚本だが、「舞姫」の名を冠するアイサ姉妹が主演だったため客の入りは上々だった。

 

ウミアイサ、カワアイサ。アイサ姉妹と呼ばれる二人は世にも珍しい双子で、舞姫とは、日本で言う歌舞伎役者のようなものである。世襲式の伝統芸能一家が舞姫を名乗るのだ。

と言っても僕は父様のように暑苦しく語るほど彼女らのファンではない。だって母様のほうが素敵だし。

父様としては、自分の設計した舞台の構造を完璧に把握し、それを120%活かしきってくれる二人にべた惚れらしい。建設家冥利に尽きるってか。

あ、やべえションベンしたい(頻尿並感)

 

「母様、少しお手洗いに行ってきてもいいですか?」

「ん、ああ。キミくらいの歳の子には、休憩を挟んでも舞台は長いよね。いいよ、アイリス、着いていってもらえるかい?」

「勿論です。さ、御子様はぐれないよう手を繋いでいきましょう!」

「はい」

 

迷子を心配されるのは子供扱いされているようで癪だが、実際に子供だし、今日は人が多いので迷うのは普通にありうる。

ウッキウキのアイリスと手を繋ぐと、上の方から「おててぇ……」という声が聞こえた気がするが気のせいだろう。おっぱい以外清楚系の彼女がそんなこと言うはずない。

 

今日は奏巫女として来ているわけではないので貴賓室は使っていないが、「キバタンルーム」とかいうふざけた名前の部屋を使わせてもらっている。

これが、社の大樹改築プロジェクトを受ける条件として父様が提示した条件の一つらしい。本物の変人というのはこういうところで判別するんだろうな。アホとしか思えない。そして、そのアホの血が僕にも流れてるんだよなぁ……(絶望) 僕の命名センスがないの絶対この人の遺伝だよ……(言いがかり)

 

さて、当時の若々しいHENTAI父様は、仕事の息抜きにこの部屋を使うことしか考えていなかったらしく、ここは半VIPルームなのにトイレが存在しない。

 

そんなわけでお手洗いは必然一般客も使う場所を使うのだが、距離的に近いからって舞台出入り口近くのトイレを選んだのが悪かった。

 

「アンブレラ様も観ていらっしゃったんですね! やはりアイサ姉妹の演劇は素晴らしいでしょう!」

「あの、わたし直にお会いするの初めてなんです! 握手してください!」

「や、久しぶりです御子様。この間は来店いただきありがとうございました」

 

母様の親しみやすさと人気の影響だろう。僕にまで、なにかと人が群がってくるのだ。

まあファンサみたいなものだと思って、握手も応えるし笑顔だって振りまく。母様が培った評判を無愛想な娘のせいで失わせてたまるか。おい今FANZA(ファンザ)って言ったやつ出てこい、怒らないから。

 

しかし尿意はたまるもので。

 

「あ、あの、すいませんが道を……」

「みなさん、御子様はトイ────」

「アイリス、すとっぷっ!!」

 

穏便に道を開けてもらおうとしたらアイリスがトイレコールしかけた。

この子はアホなのか!? 公衆の面前でんなこと言われたら僕は羞恥で出るもんも出なくなる!!

 

「ですが、御子様」

「は、恥ずかしい、ですから……」

「んフッ……」

 

何やらアイリスは目元の辺りから顔を手で覆った。どうした、立ちくらみか。

 

しかし女児の身体ってのは膀胱が大して強くない。こんな会話をしている間にも限界ラインに尿意が迫ってくる。

致し方ない。アイリスはここに捨て置き、楽屋の方にあるトイレまで風魔法で加速しながら突っ走ろう。あちらは一般客が入れないよう制限されているが、次代奏巫女のピンチともなれば許されるだろう。僕むしろ舞台に立つほうが多い側だろうし。

 

「アイリス、ここは任せました! みなさん、失礼します!!」

「えっ……御子様!? 御子様ァァアアアア!?」

 

魔法というのは魔力塊同士のコミュニケーションのようなものだ。

ヘリオから教えてもらった空気の総称(エイム)を呼んでやり、僕の魔力を差し出しながらお願いすれば空気中の魔力塊が僕を持ち上げ、トイレの方まで皆の頭の上を通って連れて行ってくれる。

 

「……飛んだ」

「お七夜の時もそうだが、次代の巫女は飛べるのか……」

「パパ、ボクもあれやりたい」

「パパもやりたいけど……あんな、無茶だ」

 

飛び去った後で人々が呆然としていたことは僕が知る由もない。

当然、安らかな顔をして微笑むアイリスのことも。

 

「少し……見えました……」

専属乳母(イドニ)家の。鼻血出てるが、大丈夫か?」

「ええ……ええ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間に、合えええぇぇぇぇぇぇええええええ!!」

 

姫を助けるべく駆けつける勇者はこのような心持ちなのだろうか。

あるいは、オリンピックでゴールテープを切らんとする短距離走選手。

 

そのどれにも劣らないほどの緊張感、間に合わなければ(社会的&精神的に)死ぬという闘争の中、僕は勝利を掴んでみせた。

トイレの入口まで到達したのだ。ほとんど誰にも出会わなかった。あとはおしっこで優勝していくだけである。

だが、人というのは早々学べない生き物のようで。

 

油断しきった僕は、トイレRTAの最後にガバをした。

出てくる人影に気付かなかったのだ。

 

「ファッ!?」

「「えっ!?」」

 

風の魔法で加速していた身体は、トイレに到達したため減速していたとはいえ、人にぶつかればそこそこの威力を伴うらしく。

トイレから出てきた二人組……カワアイサと、ウミアイサ、特にカワアイサの方に激突し、上に乗る形になってしまった。

 

「すっすいません……っ悪気はっ」

「……い、いや、大丈夫だよ」「……って、次代巫女?」

「えっあっ、はい、次代巫女です、アンブレラです…………あれ、なんか、足にあたってる?」

 

カワアイサのお腹の上にうつ伏せに倒れていた僕だが、彼女の股のあたりに当たってしまっている足に感じる違和感。

混乱していた僕は、例のごとくとんでもない行動に出た。孫悟空よろしく、カワアイサの股に手をペチッと当てたのだ。

 

「珍……棒……?」

「「あっ」」

 

ぶつかった衝撃か、相手に怪我がないと安堵した拍子か、あるいは久々の珍棒の感触にか。

僕の身体をぶるっと震えが走り、お腹から下の部分がどうにも力が入らなくなった。

……端的に述べよう。

 

レインの防水ダムが、決壊した。

 

「あ、ああぁ」

 

ちょろちょろと言うよりかは、シャアアと言った音で。アズナブルではなく。

我慢した分だけ当然気持ちいいのだが、今回に限っては快感よりも先に理性がフル稼働する。

いや、理性が稼働しようとも、思考は停止してしまっているのだが。

 

というかアイサ姉妹って「姉妹」じゃないのかとか、そういう判断もできず。

二人の青くなった顔にも気付かず。

 

人生初の、公開お漏らし(ぶっかけ)をした。

 

 

 

 

「「「ぁぁぁぁぁぁァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!??」」」

 

 

 

 

いやぁ………死にたい(婉曲表現)

 




父様「アイサ姉妹にぶっかけ? …閃いた!(名案)」
母様「初めてのぶっかけを、私がもらい損ねるだと…!?」
アイリス「私が不甲斐ないばかりに…(建前) 羨゛ま゛し゛い゛い゛い゛!!(本音)」

レイン「ア゛ア゛ア゛ア゛!!(絶叫するビーバー並感)」
カワアイサ「ア゛ア゛ア゛ア゛!!(絶叫するビーバー並感)」
ウミアイサ「ア゛ア゛ア゛ア゛!!(絶叫するビーバー並感)」

**連絡欄**
ウミアイサもカワアイサも男性名なんだけど、そんなことに気付けた兄貴はいねえよな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お漏らしレインを雨漏れって言ったやつぶっころりー。あの、幼女を慰める会だと思ったら天才の狂気に巻き込まれかけてるんですけれど…ヘルプミーエーリン!!!

「はい、で、姉妹ではなくて姉弟だったんですか。それとも兄弟ですか」

「次代巫女……」「よく平然としてられるね……」

 

お漏らし闘争の戦後処理をし、楽屋で僕とカワアイサの着替えになる衣装を借りることで一連の騒動にはケリが付いた。子供用の衣装が少なかったため、今はゴスロリっぽいドレスを貸し出してもらっている。

平然? 冗談ではない、これは諦めの境地だ。恥辱と申し訳のなさは着せ替えられている間に十分に噛み締め、今はこれ以上精神が悪化しないよう感情がストライキを起こしているのである。

 

「いや、よく見ると……」「目に光がない……」

 

ハイライトさんもストライキ中らしい。

まあ、ストライキってのはそういうもんだ。一斉に起こる。

 

というか僕のことはどうでもいいのだ。なぜ姉妹に珍棒がついているのか、その説明をしてくれ。女装趣味ならそれでいいんだ、一言でもなんでも。

顔を見合わせたカワアイサとウミアイサは、視線だけでお互いの言いたいことが分かるらしい。無言の話し合いをした後、ここだと人も来るからと、今度彼女らの家に招待される運びになった。

 

うーん。

 

女装をしていた双子の秘密を狙った美幼女が、その家に一人で来るよう招待される、か。何も起こらないはずねえよなあという心の珍棒の声と、まさかエルフに限って婦女暴行なんて働かないだろうという理性の声が喧しい。

 

とりあえず、ヘリオと一緒に木の枝で風の魔法を用いた棒のちょん切り方は練習しておく。ヘリオが恐ろしいものを見るかのような目で怯えていたが……こちとら無力な幼女やぞ、挿れるもんが無くなれば暴漢も目を覚ますやろと主張をしておいた。

一般的なサイズなんて分からんから、直径5センチほどの木の棒を土に立ててスパスパ斬っていく。楽しい。もしかすると、珍棒は斬られるために存在しているのかもしれない。

横向きに斬るのはもう完璧だな。縦向きに斬る練習もしておこう。それ、それ。HAHAHA。

 

断じてお漏らしを見られた恨みなど感じていない。

むしろこっちはぶっかけて相手の股間まで触ったのだ。謝る意味を込めて菓子折りも用意し、アイサ家訪問の準備は整った。

 

「や、次代巫女」「よく来たね」

「あの、この間はすみませんでした。これつまらないものですが……」

 

杞憂も虚しく、二人に暖かく出迎えられる。家には両親も居るらしい。

……あ、なんか、はい、すいません、心が穢れてて。僕も世の中のエルフたちみたいに綺麗で純粋な心を持てるよう精進します。

これからは全人類を信じて清く正しく生きていこうと己に誓った。

汚れたキャンバスは真っ白には戻らない? うるせえ、貼り替えればいいだろ!

 

「それで」「秘密は守ってくれたかな?」

「はあ、まあ誰にも言ってませんよ。そもそも聞かれませんし」

「そっかそっか」「それはありがとう」

 

リビングに通され、机に向かい合って座りながら茶菓子をいただく。

交互に話すアイサ姉妹(?)はまるで一人のエルフのようで、目を瞑って同じ方向から話しかけられたら、同一人物が喋っているようにしか感じられないだろう。

それでね、次代巫女は聡明だから気がついているんだろうけど、と姉妹(?)が切り出した。

 

「私達は」「二人とも」

 

「「──男の身体に、生まれたんだ」」

 

ご丁寧にハモりながら告白された。

つまりは、アイサ姉妹でなくアイサ兄弟だったというわけだ。

 

……が、そんなことが聞きたいわけではない。

 

「はあ、そうですか」

「「えっ!?」」

 

大げさに驚かれる。

だが僕は二人が女装している理由が分からなくて、その好奇心を満たすために今日訪問したのであって、別に中身が男だとかゲイだとか禁断の兄弟愛だなんて心底どうでもいい。いや、最後のはちょっと気になるな。

こちとら女の子みたいな男の体に生まれて死んで、男の精神のまま美少女の体に転生している。女の子かと思ったら女装男子だった? それが何だというのか。一回死んで出直してこい。

 

そんな風に疑問に思っていたら、ああこの子はよく知らないんだなという顔をされたあと、丁寧に説明してもらえた。

 

曰く、「舞姫」は歴代女性だけという伝統があるらしい。

 

しかし実子が男の子だけになるというのは確率としては1/4、かなり高い部類であり、普通に起こりうる。

なので血の繋がりの濃い親戚筋なんかから女の子を譲り受けることもしばしばあったらしいのだが、今回それを邪魔したのが「双子」の存在であった。

 

舞姫には秘伝の魔法があるらしく、他の役者たちを置き去りにするほど人々を虜にして止まない理由はそこにあるそうだ。

しかし双子が生まれる際、ひとつの魔力が計三名の体内を循環するため、母親と子の魔力的な繋がりが普通以上に強まる。多くの人の体を巡らせると魔法が練られより強くなるというのは、実は奏の魔法の根源的な仕組みだったりする。

 

強まった繋がりというのは、どのような場合も部外者を排除しがちだ。

結果、双子以外への魔法の伝授は難しくなってしまい、「舞姫」の魔法を伝統に従って女性に引き継がせることが、実質不可能になってしまったという。

 

正直な感想を言えば、アホらしいなと思えた。

現代日本で育ったからこその価値観かもしれない。だが、伝統という言葉に縛られて文化を残せないほど馬鹿馬鹿しいことはあるだろうか?

別に、男でもいいじゃん。部外者としての感想はそれに尽きた。

 

まあ、僕も巫女なんて立場だから「伝統」の意識を理解出来なくもない。それに、たとえ枠を破ろうと一人が決意できたところで、それだけでは足りない。

どこの文化にも保守派というものが存在するのだ。だから大相撲は土俵女人禁制をやめられないし、書類決済のハンコ文化は根強く残る。それは宗教観だったり、哲学だったり、あるいは慣れ親しんだものを止められない人間の(さが)に基づいている。

 

「けれど、お二人がいま舞姫として舞台に立っていることが答えでしょう?」

「そうだね」「ママは、舞姫を絶やさないことを選んだみたい」

「でもそう選んだ理由は教えてくれなくて」「どうしてだろうね」

 

アイサ兄弟は、今では父様が大ファンになり母様も好んでいるように、現代の舞台役者のトップを張っている。それは、歴代舞姫達に劣らないどころか、いまも進化し続ける舞台芸術の最先端にいると言っても過言でないだろう。

 

二人が女性として振る舞っていることには母親の妥協が見える。

舞姫として育てることは決意しても、やはり伝統に縛られた周囲の人々を説得できるほどの強さはなかったのだろう。あるいは、自分の息子達が仮面を被るだけで茨の道を進まずに済むように、という母親の情か。

女装生活と非難を受けながらの芸能活動。どちらも精神的な負担があることに変わりはないが、役者という生き物にとっては前者のほうが確かに楽かもしれない。

 

現状を考えれば、男でも問題はなかったのだ。

けれど、きっとこれからも「舞姫は女」という伝統は続いていくのだろう。そのことにモヤッとしたものを感じなくもないが、それは僕が口出ししていい領分ではないはずだ。

ただひとつだけ、聞いてみたいことがあった。

 

「カワアイサ、ウミアイサ……お二人は、これからも女性の仮面を被って生きてゆくのですか? 男性としての生涯に悔いはないのですか」

 

言ってから、しまった、と思った。

それを聞いたところで、晴れるのは僕の疑問だけで、兄弟は何も救われることがない。

ひどく自己満足的な問いかけをしてしまい、それを取り消そうとしたところで二人が同時に口を開いた。

 

「「……私達(わたし)はね、『作る人』なんだ」」

「『作る人』……?」

 

唐突に飛び出てきた言葉はとても簡易な単語の組み合わせで、けれどその意味するところは僕の問いかけの答えにはまるでなっていないようだった。

 

作る人。

工作人……ホモ・ファーベルという言葉がある。かつての西洋の哲学で生まれた認識で、人間は「モノを作る」という点において他の生き物と区別できるという。

結局それは、人間を特別視した古い考え方として捨てられたが、その言葉に通ずる何かを僕は感じ取った。

 

「「『舞姫』はみんなきっとそう。ママだって、あるいは次代巫女の父親もそう。ああ、巫女はちょっと違うかな」」

「ええと、つまり、創作をする人、モノ作りが好きな人、ということですか?」

「「……ちょっと、違う?」」

 

感覚としてはあっても言葉にならないのだろう。兄弟は首を捻った。

 

「「それは、病。それは、呪い。それは、魂の在り様」」

 

「「書かなければ、(えが)かなければ、歌わなければ。それ(・・)が死んでしまう。自分自身の命ではないけれど、自分自身の命に芽吹く新しい命」」

 

「「人の根幹が肉体と精神、魔力の3つなら、『作る人』はそれらにもうひとつ、それ(・・)が加わるの」」

 

それ、と呟くことしか僕には出来なかった。

……なぜなら、理解出来なかったからだ。

意味分かんないと言いたいのではない。いや意味分からないけど。そうじゃなくて、あまりに持っている感覚が違って、それに同意できない自分に哀しさを覚えたのだ。

 

なるほど、なら、僕は「人」だ、と。

 

「「振り返ってから、名を残すためだっただなんて言う人もいる。けれど、そのとき(・・・・)は違ったはず。見えてしまったの、光る糸が。そして、糸を引かずにはいられない衝動を感じて、手を伸ばしてしまった」」

 

「「手を伸ばせた人は『作る人』。届いて引けた人は天才だなんて呼ばれるけれど、大差はないの。手を伸ばさなかった『人』に比べて」」

 

……ならば、この二人は「天才」なのだろう。

だから、伸ばさなかった人、伸ばせなかった人、光に気付きさえしなかった人。そんな人々の気持ちが分からず、こうも残酷な言葉を僕に投げかけている。

 

そう思ったのは、勘違いであった。

 

「「……だけど、私達(わたし)には『人』が必要」」

「「だって、作るだけが幸せじゃない。────手に入れた宝物は、見せびらかすでしょう?」」

「……くっ、ふっ、アハハ!」

 

いたずらっぽく笑みを浮かべる兄弟に釣られ、僕まで笑ってしまう。

ああ、勘違いだ。勘違いだとも。こいつは酷い勘違いをしていた。

 

まったく、天才というやつは。

 

「……こんなに酷い人には、初めて出会いました。あなた達は、傲慢で、勝手で、独善的で…………そして、自由だ」

「「そういうこと」」

 

なんとも滑稽な勘違いをしていた。

彼ら天才は、自分の足元にも及ばない凡人を知っている(・・・・・)

「作る人」が息を吸うようにモノを作り出すのだとしたら、吐くときにはそれを「人」に見せびらかすのだ。あるいはそれは、食事に近いものかもしれない。

 

そう言ってしまえばとても勝手で残酷な行為に思えてくるが、そうではない。

「見せる」というのは承認欲求を満たすが、「魅せる」ことで他者を幸福にすることすら可能なのだ。

何もないところから自己と他者を幸福にしてみせる。それこそが、『作る人』の能力なのだろう。

 

「「だから、男とか女とか、それは私達(わたし)にとって大した問題じゃない。楽な食事のためなら、女性を演じるよ」」

 

騙されるが吉。

双子に熱狂している父様のことを思い出すと、そんな言葉が頭に浮かんでくる始末である。

 

「次代巫女、これからも」「……美味しく、頂かれてね?」

「巫女をおかず扱いですか……。まあ、次回のアイサ姉妹(・・)の公演、楽しみにしてますよ。……チケットくらいは送って下さいね?」

「高い女」「楽屋に花束、持ってきて」

 

……はいはい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なあ、アズラー。昔の話を一つしようか。

 

あるところに、一人の男がいたんだ。そいつはとっても単純で、嘘の一つだって見抜けないようなやつだ。

 

そいつがある日、舞台を見に行った。友だちに誘われたんだったかな。

そして、そこで男は食われちまった(・・・・・・・)んだ。とんでもない女の、魂さえも揺さぶるような演技に。

 

そいつは、それからその女が出るたび毎回劇場へ足を運んだ。

そして見る度に、見る度に自分がありとあらゆる手段で食われているような錯覚を感じた。

それでも、通うのは止めなかったんだ。

 

いつしか、男は観劇後にその女とお茶をするようになっていた。その日の演技がいかに良かったのか、大げさなほどに身振り手振りを使って伝えるんだ。

 

なあ、アズラー。単純だからこそ見えてしまうものって、あるんだよ。

そしてそれは、俺がお前と結婚した理由だ。

 

俺は、お前にもっと食べられたかった……飲み込まれてしまいたかったんだ。

 

 

双子なんだ。この子達には、人一倍「舞姫」の魔力が濃く流れていることだろう。

 

なあ、アズラー。舞姫の伝統は理解出来なくても知っている。けれど、伝統ってなんだ?

 

守ることか? 変えないことか? 縛りつけることか?

違うだろ?

 

伝え統べていくことこそが伝統だろ?

 

変わらない伝統なんてのは伝統じゃねえ。

それは、ただの足枷だ。お前を、この子達を、世界を阻害するだけの足枷に過ぎない。

 

いいか、一度だけしか言いたくないから、ようく注意して聞いてくれ。

 

 

お前は、世界でいちばん自由だ。

 

 

たとえお前が男だったとして、演じる喜びを知ったいま、それを我慢するのか?

自分の子供たちがその喜びを知ることを、どんな理由があれば邪魔しようと思える?

 

大丈夫、俺がいる。絶対に支える。

お前の観客はいなくならない。なぜなら、俺がいるんだ。

 

お前は好きなだけたらふく食えばいい。

そして、お前の子にもたらふく幸せを食わせてやれ。

 

幸せ。それこそが、俺たちがこの子らに伝えるべきものだろ?

 

 

 

 

舞姫舞姫、おどりゃんせ。

此度は世界に演じて魅せろ。

 




アイサ姉妹((お漏らしするくせに、独善的だなんて言葉は知っている。次代巫女……変な子))
レイン(メシのためにメス堕ち…メシ堕ち…?)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

家系でラーメンの食べ方の作法はしっかり学んだから自信を持って二郎に行ったら、注文の時点で根本から全てを否定された男の話…する?

エルフといえば弓、弓といえばエルフ。

 

どこで根付いた考え方なのか分からないが、それは僕らこの世界のエルフには当てはまらない。

 

森の中で巨大な木を住処として暮らす僕らは、魔法を駆使しながら農業を発達させ、現在では安定した穀物の供給が保証されている。

といっても土が勝手に肥えた土壌になるだとか、自動で栽培の管理をしてくれるような文字通りの魔法があるわけではない。土を耕す手間や、水を行き渡らせる配慮、変動する気温なんてものに対して、普通より少し気を抜いて向き合えるようになる程度だ。

ああ、種蒔き前の奏巫女の祈祷では、奏の魔法によって多少土も肥えているのかもしれない。窒素固定菌が応援されて頑張ってくれるイメージ。

 

しかし動物性タンパク質なんかも人体には必要なわけで、森で狩猟をする狩人というのは一定数存在する。

けれど、あくまで「一定数」なのだ。

 

肉を食わなければたちまち死んでしまうわけではない。それどころか、村人全員が狩りに出るようになったら森が死ぬ。

だから、狩猟をするためのライセンスのようなものがある。それを持っている人こそが本物の狩人というわけだ。

 

ではそれ以外はというと、弓はもはやスポーツとして受け入れられている。

移動の足や戦いの手段として用いられた馬がのちに乗馬という文化になったように、食事情の改善された現在、趣味という枠が良い収まりどころだったのだ。

 

元々は森で使うものであったから、和弓のような大きな弓は一般的でない。木を主要な材料とした、モンゴル弓とほぼ同型のものを使う。

また、森の中には鉱物を産出する洞窟があるらしいが、無駄遣いできるほど金属資源が豊富ではない。剣術よりも槍術や棒術の方が発展しているようであるし、弩や金属板を用いた合成弓は量産されていない。

狩猟をする際は、その分魔法によって威力や貫通力を上げるのだ。対象の魔法塊は空気と弓本体、そして自分自身である。

 

と言っても、今回は狩猟だの弓術大会だの血気盛んでむさ苦しい話をするわけではない。

 

たまの家族の日常。

遊戯用の弓を触れるくらいには成長した僕の、初めての弓術教室だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父様、これだと少し弱いかもしれません」

「本当かい? アンブレラは意外と力があるんだね。そうなると、念の為に作っておいたこれが使えるかな」

 

設計・父様の、僕の体に合わせた短弓をいくつか軽く引っ張って試す。

少女だから非力と思われているのだろう。最初に受け取ったものは弓と呼ぶにはあまりに引き心地が軽く、矢を飛ばせるかも怪しいシロモノであった。

 

華奢な見た目をした僕ではあるが、村の男の子たちとレンとして相撲(っぽい力比べ)をとったときにそこそこ勝てる程度には鍛えてある。あと10年もすればすっかり逆転してしまいそうではあるが。

筋肉コンプレックスとか飽くなき強さへの探究心を備えているわけではない。

 

今生、僕がする努力はほとんど母様とのラブラブえっちのためのものなのだ。

この身体はあまりに体力がなさすぎる。だからといって母様を不完全燃焼にしたまま眠ってしまうのは甲斐性に欠ける。だから、体力だってつけるし最低限の筋肉もつけるのだ。

 

しかし父様何本弓作ったんだ……?(困惑) いくら設計のHENTAIとはいえ、建物と弓はまったく違うだろう。こんなぽんぽん弓作ってたら本職の弓師が泣くぞ。

 

「ははは、まさか。矢を前に飛ばすだけのものは成人したエルフなら誰にでも作れる。今度作り方を教えてあげよう。弓師ってのはね、矢のブレ、勢い、見た目の良さ、弦音(つるね)すら考えて弓を作っているんだ。一種の芸術家だよ」

 

へえ。どこの世界にもHENTAIは存在するってことなんだろうなぁ。

さっきもちらっと言ったが、魔法のおかげで農耕関連の話は割と楽できるようになっている。だから文明の発展度の割には農業従事者の人口の割合も低く、芸術家やサービス業者も存在しているのだ。

 

さて、前世トークをひとつしよう。

実のところ、僕は弓道の嗜みがある。親がやっていたので自然と教わる機会があったのだ。

勿論父様と母様はそんなこと知らない。ちなみに今この場には暇を持て余した乳母様(おっぱい)もいるが、彼女も当然知らない。アイリスはアルマの面倒を見ているので仲間はずれだ。

 

まあ、そんなわけで、新たにレインちゃんの天才神話を作っちゃおっかなー、と。

初めて弓に触れて皆中!? それにどれも正鵠を射抜いたって!? やはりうちの子は天才だ! ……そんな声が今から聞こえてくるようだ。

 

さてさて、じゃあ引こうかね。大丈夫、練習なんていらないよ。

あ、流石に日本と同じ的はない? じゃあしょうがないね、正鵠云々は忘れて、矢所を揃えることだけ考えていこうか。

 

え、弓懸(ゆがけ)ないの? 弦引けんやん?

 

人差し指と中指の間に矢を挟めって? 離れられなくない?

 

左手(ゆんで)の矢の位置は弓の左側!? ファッ!?

 

 

 

 

……さて、今日は初めて弓に触れる日だ。

僕はド素人なので何も分からないし、大人しく経験者の教えに従おう。

 

このあと滅茶苦茶エルフ式弓術教わった……あのさあ……。

 

 




レイン「あの、違うんです、引けるんです。懸さえあれば、百発百中なんです。違うんです、ポンコツじゃないです」

乳母フェリシア「しかし、弓は胸当てなしだと身体に引っかかってしょうがないね」
胸当てなし美乳母様「……」スカッスカッ

**連絡欄**
弓道着にパーカーってめちゃくちゃ可愛いんだよ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女期編
祇園精舎の鐘の声より母様の夜の声の方が無常を感じます。別のものを感じてるんじゃないかって? そりゃあ言わない約束さ! さぁさ無常で世知辛い世間、どうも時間ばかりが経ってくぜ!


ksk


「そんなわけで、僕がアルマから嫌われないにはどうすればいいと思う?」

「儂に聞くな、儂に」

 

中間反抗期という言葉がある。

小学校中学年くらいに差し掛かった子供がかかるものだ。まあ中高生にありがちな反抗期の幼児版とでも思ってくれればいい。何かと「死ね」と言いたがる小学生男子に心当たりはあるだろう? 女の子の場合は賢しく反論してくるようになるらしい。

ちなみに僕の場合は甘やかされて育ったので、低学年の内は親に反抗する気は起きなかった。高学年になってからは反抗期どころではなかったので、中間反抗期はほとんど経験しなかったんじゃないだろうか。

 

うすうす覚悟していたことではあるけれど、アルマだっていつまでも純粋無垢でお姉ちゃんっ子な子供ではいられない。自立心と言うのは誰しも抱えるもので、そうしたとき今まで依存してきた対象が途端に煩わしく感じられるものだ。

 

 

 

 

きっかけは彼の将来のために始めさせた戦闘術だった。

 

勝手な先入観で申し訳ないが、将来勇者とやらを務めるのなら戦いは免れられないだろう。一応母様や他のいろんな人、特に先代勇者と繋がりがあったような人に確認をとってみれば、切った張ったの冒険ファンタジー系勇者の認識で問題なさそうであった。長老会の爺様方(見た目は20代)は御子を甘やかすから、話しかけるとお菓子をくれる。

何はともあれ、アルマが死んだら僕は泣く。エルフも目が飛び出すようなチート級の魔法適性があっても、生き物なのだから胴と首が離れれば簡単に死ぬのだ。

 

だから、強く育てよう。

勝手に他人の生き方を決めて良いのかと聞かれればそんな権利僕にはないだろうし、お前のためを思ってとか言って子に厳しく当たる親は自分のことしか思っていないと思う。そもそも、ウクスアッカ(母さん)の遺言は「勇者の使命に囚われず幸せに」であった。

けれど、死んでほしくないのだ。生きていてほしいのだ。

家族だからそう思うのだろうか。わからない。ただ、そう思ったことは本当で、思ってしまった想いはどうしようもない。否定するのも馬鹿馬鹿しい。

 

矯正するわけではない。ただ、手段と行き先のひとつくらいは与えてやれるのだ。

 

しかし、そう決めてから困ったのは指南役である。

人間は戦争によって発展した生き物だ。逆に言えば、発展を捨てた生き物たるエルフは、戦争をする場面と縁がないのである。

戦いのない種族に戦闘技術は必要ない。ましてや魔法という手段があるのだ。近接戦闘術を磨く阿呆がどこにいると言うのか?

 

普通にいた。父様の仕事仲間(建設のほう)の兄であった。

 

なんというか、うん、反応に困った。「そんな阿呆おらんやろ」とか思って尋ねたら一発で飛び出てくるのである。しんどい。エルフって各方面にHENTAIが一人ずついるんじゃなかろうか。つらい。

 

齢300を目前にした長老級の人物である。仮名をシロハラミという。惜しい、あと一文字で塩ハラミだった。

僕らはシロ先生と呼ぶ。

 

なんでもある日突然才能に気付き、ひとり静かに研鑽に努めているという。いまは森の中に一人で暮らしているらしく、危ないので最初は会いに行くべきか困った。

アルマが6歳を迎え、エルフの子なら真名を授かる頃。彼が村を出ていくまで残り10年となり、僕は塩ハラミを尋ねに行く決心を固めたのだった。

 

戦うための魔法をルーナから習った。たくさん運動をして早々尽きない体力も育んだ。

ネギ塩は自分の足でやってこない軟弱者は相手にしないという。だから、僕とアルマだけで向かった。

もちろん滅茶苦茶引き止められたし軟禁すらされかけた。母様に本気で叱られかけたけど寝技に持ち込んでなんとか認めさせた。最後は脱走のような形で村を飛び出した。

道中獣にも襲われ怪我もしたが、癒しの魔法を使いつつどうにか辿り着くことができた。(この時ばかりは自分の無謀さとアルマを危険に晒したことを深く反省した)

 

顔を合わせてみると、意外にも牛タンはゴリラ・ゴリラ・ゴリラ(学名)していなかった。なんでも魔力の巡りを良くして自己強化の魔法も覚えれば筋力は十分足りるらしい。

プルコギは鍛錬馬鹿という事前情報がある。「勇者を鍛えれば強くなった彼を相手に組み手できる」という取っておきの条件を提示した僕だったが、大笑いされた。

 

『勇者は知らん。だがおまんは気に入った、馬鹿じゃからな! 勇者も強くなるなら一石二鳥じゃ、育てたるわい』

 

彼曰く、足手まといを連れながら子供一人でここまで来るのは本物だと。どうやらバルバコアに本物の馬鹿認定をくらったらしい。解せぬ。

独り森の中で筋トレしてる方が馬鹿だと思うんですよ。

 

日本人の平均寿命で見てもその4倍を生きる彼は、戦闘技術に関して言えばやはり常人を遥かに凌駕している。

目を見張るものがあるかと言われれば、僕には弓道の心得と選択授業の剣道の経験しかないので、彼の技術の高さを見て理解することができなかった。

ただまあ、武人ってのは誰しも心技体を極めるもので、その内の「心」の素晴らしさくらいは感じられたんじゃないかな。

 

一言多いけれど、その技への態度は何よりも真摯な馬鹿師匠。それが僕の受けた印象である。

というか、いつの間にか僕も一緒に鍛えられる流れになってんだけど?

逃げたい、逃げよう、逃げられない。

 

『逃げたいンなら逃げろ、おいの目が腐ってただけじゃあ。ばってん、勇者は育てんぞ』

 

逃げられないまま4年が経ち。

ちなみにこの間隔日で彼のもとを訪ねていたが、1年ほど経ったある日「おまんらが来るなら人里も変わらん。もう森を抜けるのも負担にならん。村に帰る」と言い放って村の外れに帰ってきた。

 

アルマ10歳、レインこと僕15歳。

 

シロ先生はあまり物事を教えない。見て覚えろと言う。

その日も先生が一人でよくわからん稽古をしている傍ら、僕らは二人で打ち合っていた。

で、初めて負けた。アルマ自身も驚いていたが、僕はついにこの日が来たかという心地であった。先生は何も言わず稽古を続けていた。

 

これが、きっかけなのだと思う。

 

 

 

 

「だってさ、ヘリオ。アルマが、あのアルマが自分のことを『オレ』だなんて呼び出したんだよ!? それに僕のことも、家の中だと姉様じゃなくってレインって!! うああぁぁぁ世界の終わりだぁぁぁ……」

「お前さまは世界最後の日も能天気に過ごしていそうだな……」

 

僕は本気で嘆いているのに、ヘリオはもう慣れ親しんだ白髪を指でいじって呆れ顔を作った。

アルマから「姉様」認定を外されかけているということは、「こいつは敬称をつける必要のない弱者だ」と思われているということだ。尊敬される「姉様」でありたいというのに、見限られかけている。いつしか、僕のしょうもなさに彼が気付いて唾棄し、嫌われる日もやってくることだろう。

反抗期、やっぱなくてよかった。なくてよかったよヘリオ。嫌われるくらいなら、健全な成長なんて糞食らえだ。

 

「なんだ、人の子がまた馬鹿を言い出したか?」

 

聖域のお庭を散歩していたルーナがひょっこり顔を覗かせた。馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。というか「また」ってなんだ!?

このエセっぱい女神(おっぱいがエセというわけではない)、僕の魔力に余裕ができたからって、最近は泥人形をかつての自分に合わせて作っている。その分の魔力無駄になってんだぞ分かってんのか。というか泥人形なら今そのおっぱい偽物(エセ)じゃん。

 

「おっぱい偽物のくせに馬鹿にしないでください!」

「アァン!? お主最近化けの皮が剥がれてきたな!? 本物の体通りのサイズじゃわ!」

「嘘つけエセっぱい! 先月より若干大きめにしてんの気付いてるんですよ!」

「なっ、なっ、なぁぁああっ! しょうがにゃいじゃろう! や、宿主があんなに貧相では盛りたくもなるわ!」

 

そう言ってルーナはズビシッと聖域の崖を指差した。

流れ弾が当たった宿主様は吐血する。

 

「メディーッッック!!」

「アッ……すまん」

 

癒しの魔法は、精神的な傷に対しあまり効果がないらしい。

 

 

 

 

「まあ、最近は僕の方が大きくなっちゃったしね……」

「お主は母親に毎晩揉まれとるのじゃろう。とは言っても、ゼロと比べるならどんなに小さな値も大なり記号がつくが」

 

慰めどころか追い討ちにしかならない言葉を僕が嘆くように呟くと、ルーナが半目でこちらを見た。彼女はわざわざジト目にしなくても普段から目が死んでいる。

というかあなたまで追い討ちするのはやめてやれ。

 

アルマが6歳になった晩、つまりは僕が11歳になったお七夜の夜。巫女としての役目を終えた僕と母様は一緒に屋台を巡った。

そして祭りの熱にでも浮かされたのだろうか。母様は「もう我慢できないんだ」と言って僕を抱いた。僕が、ではなく僕を、というのは初めてのことである。

今まで僕が母様に教えてきたことをなぞるように、僕の体は隅々まで母様に愛された。すごかった。うん。すごかった。

 

あの日のことを思い返すと、こうして今でも思考停止してしまう始末である。いやしかし。すごかったのだ。おにゃのこの体って、すごい。

 

それからは互いに抱いて抱かれてを繰り返すようになった。僕はエルフにしては鍛えている方なので、やられっぱなしということにはならなかったが。

にゃんこは好きだが、ヘリオを虐める機会がなくなったからか、シロ先生に剣術を教わっているからか(言いがかり)、やはり僕は太刀が性に合うのである。

 

しかし胸の話題もそうだが、この手の僕と母様のにゃんにゃんの話になってもヘリオは落ち込む。

たまの機会に心を痛めてばかりでは良くないので、僕はあからさまに話題を逸らした。

 

「そ、そういえばもう僕15歳だけど、全然魔力が乖離する予兆とかないね。実は真名ごまかしても問題ないんじゃないの?」

 

あかん。この話題もあかん気がする。これだから青春拗らせたコミュ弱は。

ヘリオは悩むように口元に手を当てる。ルーナは気を利かせたのか何なのか知らんが、ニヤッと口角を上げてからまた散歩に戻っていった。

 

「……分からん。だが、真名がそういう(・・・・)ものではないのは確かだ。もしかすると幼少期に魔力を失う人間のように、お前さまも魔力を失うだけで生きていけるのかもしれん。だが、魔力を失ったエルフが肉体を保てるとは到底思えん」

「でも魔法が使えなくなる予兆とかもないんだよね。むしろ、ルーナに鍛えてもらってどんどん扱いが上手くなってるくらいだ」

 

老化の終わる時期はゆっくりと近づいてきている。個人差はあるが、早くてあと3年、遅くても10年経つ頃には訪れるだろう。

かつての僕は魔法でどうとでもなると思っていたが、魔法への理解が深まれば深まるほどそれは絵空事だったのだと理解する。僕の知っている言葉で魔法だなんて勝手に呼んではいるが、魔法は一般的な物理法則とベクトルを異にしただけの何らかの(ことわり)に違いないのだ。

その中で、真名と魔力塊の関係はかなり根源的な部分にあたる。それを書き換えるというのは、会話している最中に話す単語の意味を全く異なるものとして扱いだすようなものだ。自分は良くても、相手には伝わらない。理が崩れる。

 

だからこそ。

だからこそ、いま大丈夫なのだからと楽観しようとする己がいる。いま大丈夫なのだから、明日も大丈夫だ。その考えが正しいものとは言えないことは理解しているが、誘惑を断ち切れるほど人間ができていない。

 

「んあ、終わったか」

 

悩んでいたはずのヘリオから、素っ頓狂でどこか冷めたような響きの声が聞こえてきた。

タイムアップだ。いまのヘリオの体にはルーナが宿っている。

 

「ねえルーナ、あなたは僕が何とかなる方法、知っているんじゃないですか?」

「さあな? 神に手段を問うことこそ悪手じゃろうて。魔法の扱いは教えてやるから、自分で考えるのじゃな」

「……神様って、ろくなやつがいないですよね」

「アァン!? ……あー、まあ、そうじゃな」

 

キレかけるが一瞬で遠い目をしたルーナ。彼女も苦労していそうだ。

大方、自分を下界に堕とした者のことでも考えているのだろう。

 

「悩め悩め、人の子よ。求めたって何も与えられぬし、探せども見つからないものばかりじゃ。あるいは、叩かなくとも開かれる扉もあるじゃろうよ。だが悩め(・・・・)。我は、悩むお主は好きじゃぞ」

「ただの性格悪い邪神じゃないですか……」

 

 アドバイス、とさえ言えない。ろくでもない宣託だった。

 

 果報は寝て待て、この言葉が残ったのには意味がある。

 なぜなら、果報のなかった者は目を覚ますことがないのだから。

 

 幸い僕は目が覚めているし、むしろヘリオが夢を見ている始末である。

 もたらされた果報は邪神の戯言だ。これを信じるか信じないか、問われれば、僕には一つしか選べる選択肢がないことだろう。

 

 さて、どうやったらアルマに嫌われないだろうか?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

流行らせコラ!(空耳) 僕の考えた至言流行らせコラ!(空耳) ついでに可愛い弟可愛がらせろコラ! …ヒロインムーヴ警察!? 離せコラ!(原文)

年の功より亀の甲、もっと良いのは下の口


 素振りというものは果たして何を振っているのだろうか。

 

 鉄芯の通った木剣を振りながらふと考えた。

 素振り。素を振る。ふと味の素をしゃかしゃか振っているCMが思い浮かんだがそれはどうでも良い。

 なんというか、己の人格、すなわち素の自分を振り落とす作業のように感じられたのだ。まあ元々は、素直に棒を振るだとか余計なものを省いて(素)振るという意味なのだろうが。

 

 素振りの最中、己を置いてきぼりにするような感覚がある。

 まるで自分が「斬る」という概念そのものになってしまったかのような、それ以外の全てを排除されてしまったかのような。良いものか悪いものか、その感覚が怖くて、感じるたびにこうしてろくでもないことに頭を働かせるのだ。

 もしかしたら悟りだとか剣士としてはとても良い兆候なのかもしれないけれど、そもそも僕は剣士でないし、そんな色々捨てて修羅ルートに進みそうな人生は御免こうむる。

 

 ふと気配を感じ、その場でいなばうあーする。別に足を180度開いているわけじゃないので正確にはのけぞっただけだが。

 

「──くっ!!」

「ツグ、危ないじゃないか。何をするんだ」

 

 隣で一緒にウォーミングアップをしていたツグミ何某である。僕の可愛い弟。なお最近中間反抗期の模様。

 先日は一度模擬戦で一本取られ、それ以来嫌われはじめたとヘリオやルーナに相談をした。

 なお、なにも回答が得られなかった。ヘリオ(属性インスタ)は時間制限があるからともかく、ルーナ(エセっぱい女神)は何のために長生きしているのだろうか。年の功より亀の甲、もっと良いのは下の口、という言葉を思いついた某日である。亀と聞くとそもそも下ネタしか思い浮かばないし、亀甲は狙ってるだろ? 下の口が一番素直だなァ!

 

 さて、僕なりに考えて出た結論は、「まず嫌われないようにつよつよお姉ちゃんを維持する」ということである。

 5才差あっても、勇者とかいうフィジカルマジカルトロピカルチートくんに可憐なおにゃのこ(なお中身)は追いつかれてしまった。

 だがしかし、それはまだ純粋な体力面の話なのだ。最低限(僕はこれを最低限と認めたくない。最高限だろこれ)トレーニングはしているし、ルーナに教わっている魔法で肉体を補助すればまだ何とかなる範囲なのである。

 

 また、体力面で負けていても察知能力は僕の方が(現時点では)高い。アルマはまだ本能ムキムキ出しなので、今回のように不意打ちをされても反応できるのである。

 読み合いで勝てようが、そもそも体がついてこないために先日はボコされたのだ。

 

 可憐で美少女で儚さカンストのレインちゃんに不意打ちなんて男らしくない? うんうん、わかるよ。母様譲りのこの体、見た目がチートだよね。中身が僕だからあれだけど、見た目は僕も性癖。男に生まれてたら告って振られて投身自殺してた。

 しかし、彼にも彼なりの理由があるのだ。

 

 ボコられた後日、僕は上述の通り魔法でズルすることを決心し、反抗心の芽生えてきたアルマを翻弄した。いやあ、掌の上で弄ぶの最高ですねぇ! ベッドの上で母様弄ぶのも最高ですねぇ! なんか最近は弄ばれること増えてきましたねぇ!?

 そこで僕はアルマに「本気を出すから、勝ちたかったら修練中いつでも殴りかかってきて良いよ(意訳)」といったわけだ。つまり、先ほどの不意打ちは不意打ち(公認)というわけである。

 

 そんなことを思い出している間もアルマの猛攻は続く。

 上段、中段、下段をお前剣道家に謝れというレベルで滑らかに変化させながら、殺る気マシマシ筋肉オオメ合間スコシの注文だ。

 当店では受け付けておりませんとばかりに家系で育てた厳格さを見せ受け流すが、少しでも流し損ねると腕に痺れが残って次の動きがツムツム。

 というかなんで鉄芯入れてんの?(素朴な疑問) 普通に死ねるじゃん? シロ先生は頭がおかしいと思っていたけれど、こういうところで発揮するのはやめてほしい。もっとこう、人命に関わらないところで。裸で大路を駆け回るとかさ。

 

 命というものに対する考え方が独特な人だ。

 多分、稽古中に僕がアルマに殺されても何も思わない。監督者なんていなかったんや……。どうして……(現場猫並感)

 

「ほらほら! 目線がたまに泳ぐよ? そうだね、今日当てられたら何でもひとつ言うことを聞いてあげよう」

「……!?」

 

 毎日同じことの繰り返しでジリジリ差を詰められても辛いだけだから、変化をつけようと思って餌をぶら下げた。

 まあ僕が何でもすると言ったところでどうでもいいのかもしれないけれど。

 「今後一切顔を見せるな」とかだったら死ねる。魔力が乖離とか関係なく死ぬ。精神が肉体から乖離する。

 

 アルマは思いのほか反応を見せる。よかった、流石に無関心とかではないらしい……。

 しかしやる気は入ったように思ったのだが、所々気がそぞろになり始めた……? 集中力が切れたのか?

 

「──そいっ」

「ぐあっ!!」

 

 急にわけわからない速度で後ろに回り込まれるが、そこで一瞬アルマが硬直したので足を払った。

 ここまで隙を晒せば一旦終わりだ。

 剣だろうが槍だろうが珍棒だろうが、鉄芯入りのもので殴られたら普通に痛い。アルマにそんなことはできないので、僕はだいたい体術の何かしらで彼の体勢を崩して終わらせる。

 

「まだまだだね」

「……」

 

 テニプリの言ってみたい言葉ランキング5位をドヤ顔で言ってやった。アルマは悔しそうな顔をする。

 ちなみに、1位は「んん──っ、絶頂(エクスタシー)!」である。行為中にしか使えない気がするが、行為中に使ったら千年の恋も冷めるので結論どこでも使えない。というか絶頂するタイミングでこのセリフ吐ける狂人がいたらその理性に心から尊敬する。

 

「最後のは凄い疾くて良かったと思うんだけどね、集中力が切れちゃった? というかあの移動どうやったの……? あとは、相手から目を逸らしちゃダメだよ」

「しゅ、集中できるわけ……」

「ほら、人が話してる時も目を逸らさない! そんなんじゃきっと勇者として苦労するよ。さあ、僕の目をちゃんと見て」

 

 アルマが目を逸らしながら文句垂れるものだから、これではいかんと両頬に手を添えてこちらを向かせた。

 む、目を合わさない……。合わせろー合わせろー……あ、合った。あ、また逸らした。合わせろー。

 まったく、困った弟だ。

 

「さ、いったん休憩だ。汗を拭こうか。タオルはある? 僕の使う?」

 

 懐に忍ばせてたタオルを差し出したら全力で拒否られた。

 まあそうだよな。姉のタオルとかあの年になったらもう共用したくないよな。少し傷ついたけど、このくらいなら成長を感じられるから受け止めよう。

 

 ふと目をやれば、相変わらずシロ先生は一人でよくわからない稽古をしている。

 親指一本で逆立ちスクワットって何の特訓になるんだ……?(困惑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生……」

「見とった。最後ンはおいも追いきれんかったが、なんばしよっとかない?」

「さあ……。オレ、ねえさ……アンブレラに勝てるんでしょうか?」

 

 壁。はるかに高い壁がある。それも、ごく身近に。

 先生はいいのだ。年齢の差がある。人の寿命を遥かに超えるその時をすべて研鑽に捧げたら、当然その分実力差は生まれる。

 しかし、これは。

 たった5年差、そしてこちらは男で勇者という肉体面でのアドバンテージがある。

 一度越したと思った壁は、壁の接地部にたまった塵の山でしかなかった。

 しかしこちらの絶望をまるで知らんとばかりに、先生はふんと鼻を鳴らした。

 

「実力じゃあ勝てんこともないが……どうやらおまんも、一種の馬鹿じゃけえの」

「……」

 

 沈黙で返すほかないのは、自覚があったからだ。

 血どころか種族さえ繋がりのない義姉。その見た目は種族上の事情を加味してもなお美しく、他者を癒すために魔法を使うことに躊躇しない慈愛の精神を兼ねる。今は亡き実の母親も、彼女の迅速な救護なしにはそもそも口を聞くことなく死んでいたらしい。

 外向けの顔はお淑やかだが、自分や幼なじみに見せる顔には快活な無邪気さが覗いていてその差異を感じる度に心が跳ねた。

 さらにはまるで欠乏している愛情を集めるかのようにスキンシップが多く、聞くところによると自分の初めての口付けは彼女が相手らしい。どのような意味があるのかはわからないが、幼なじみなんかとはしょっちゅう口付けをしている。

 いつ頃か、唇を直接重ねることはなくなった。それでもさっきみたいにすぐ顔を触ったり、抱きしめてきたりする。思い出せば、これまたわけも分からず体の中央が熱くなる。

 

 この「馬鹿」は、一生治らないのだろう。

 

 

 

 

 ──オレがレインを守れるようになる日は、いつだろうか。

 




レイン「亀の甲は下ネタ」
亀の甲「解せぬ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なんか僕の秘密を知ろうとする計画が裏で進行してるってマ? いや清廉潔白なレインちゃんに後ろめたいことなんて無いけれど。真名詐称…? ウッ頭が…

 何も変わらない日々が重なっていた。

 それでも、重なるということは重なっていない状態があったわけで、とどのつまり、変わってしまうものがどこかしら存在するものである。とある星のとある思想家たちはそれを無常などと言ったけれど、呼び方など些細なものだ。

 

 とりわけ子供の成長というのはあっという間だ。幼年期の子供たちの背丈が大人とそう変わらないものになるのは、まるで新芽が気付かぬうちに花開いていることのようである。

 ゆったりとした時の中で過ごすエルフたちにとってもそれは同じことで、ついこの間まで広場を駆け回っていた子たちも今では立派に家の仕事を手伝っている。

 

 そんなある日の夕暮れ。

 手伝いから解放された少年たちというのは約束もなくいつのまにか集まっているもので、やはりいつもの広場には引き寄せられるものの、かつてのように縦横無尽に駆け回るのではなく、むしろ駆け回るひとまわり下の幼子達を眺めながら談笑にふけっていた。

 性欲の弱いエルフが好む話題といえば、世間話か、あるいは昔とまったく変わりのない下らない冗句ばかりである。変わったことと言えばちょっと語彙が豊富になり、賢しらにものを言うようになったことくらいだ。

 

「親父が古文書の解読を試みているんだけどな。ドラゴンカーセックスっていう言葉が現れて、どうにも立ち行かないらしい」

「ドラゴンって、怪物の? カーセックスは種族名かな。ドラゴンって言っても、ひとくちにまとめられないだろう」

「……はあ」

 

 そんな中、たそがれるかのようにキバナは溜息をついた。

 西日で普段よりいっそう赤っぽく輝く髪は目立つけれど、それでも派手さより儚さを魅せるその表情は15歳という年齢を曖昧にする。

 

(アンブレラ、また特訓ばかりしているんじゃないかしら? そんなに勇者に構わなくったっていいのに。アイリスだって油断ならないし、また会いに行かなくちゃ)

 

 といっても、その頭の中は雑念と煩悩にあふれていた。

 いや、むしろ色恋沙汰に疎いエルフの中でその辺りの機微を一人だけ発達させ、しかし見た目は同年代の中でも幼いというチグハグさが、その魅力を生み出しているのかもしれない。

 かつての舌っ足らずな言葉遣いはなくなったが、幼心に生まれた独占欲は収まるどころか強くなっている。いつかの結婚しようという言葉も、今だって躊躇せずに言えるだろう。

 

(……女の子同士だけれど)

 

 それが一番の問題である。

 女の子同士、男の子同士では結婚ができない。なぜか?

 単純だ。子供が産めないから。

 子供が産めないということはそのまま種族の未来に影響を及ぼす。特に奏巫女なんていう影響力の強い立場の彼女がそれを認めてしまえば、この先のエルフがどうなってしまうか分かったものではない。

 

 さて、ため息をつく美少女がいれば、色恋沙汰も関係なく周りは心配するものである。そもそも周りも美形に満たされてはいるが。

 特に強制力がはたらいたわけではないが、こういう時に颯爽と尋ねるのが集団のまとめ役というものだ。幼年期のほとんどをガキ大将として過ごしてきたヒシクイは、遠い目をするキバナに気がついてどうかしたのかと何気なく尋ねた。

 

 大したことじゃないわよ、とキバナは返す。実際想い人のことを考えていただけなので人に話すような悩み事でもなんでもないのだが、心配する人間にその返しは油を注ぐだけである。

 

「やあやあ子猫ちゃん、そんなに鳴いては(泣いては)夜の帳もはやく幕を下ろさねばと急いてしまう。どうか日暮れまでに、この私にわけを教えてはくれないだろうか?」

「下手ね」

「ああん!? ……めっちゃ練習したんだぞ!?」

 

 妙に抑揚をつけてヒシクイが戯曲じみた言葉遣いをする。

 演技っぽさの残るそれに文句を言えば、ヒシクイはいつもの調子に戻って逆上した。

 

(だいたいそれ、先週の公演そのままじゃない。アンブレラだったら、自分の言葉でもっと素敵な口説き文句を選べるわ。……いいえ、違うわね。私がため息をつけなくなるまで口内を貪って……ドロドロにして……何も考えられなくなったときに耳元で「これで幸せになったかな?」って、確信したような声で言って……)

 

 ヒシクイの言葉は、このあいだ話題になった舞台演劇の、見せ場でのワンシーンにおける有名なセリフだ。分かる人が聞けば「ああ観に行ったんだな」と分かるが、正直いま言われても興ざめである。

 アンブレラならどう言うか。それを考えている内に、身体が熱くなるのを感じた。彼女の不器用を通り越して強引な一面は、時に乙女心、あるいは本能的に従いたいと思わせる力を持つ。

 これ以上考えていては友人たちの前で見せてはいけないくらい表情が崩れてしまいそうだと気付き、慌てて思考を切り替えた。

 落ち込むヒシクイに、キバナは慰めの言葉をかける。

 

「そういうのは、一番好きな人がもうどうしようもないくらい落ち込んでるときに言ってあげるからいいんじゃない」

「っぷはは! ヒシクイ、お前年下にたしなめられているじゃないか」

「うるせっ。……だいたい、まだ好き嫌いなんてわかるもんかよ? 結婚なんてずっと先の話だし、何十年もとっておいたらこんなネタ腐っちまうだろ」

 

 エルフの結婚適齢期は50以降。遅い場合は100歳でもあり得る。まだ10代の彼がこのように文句を言うのも、仕方ない話だろう。

 もちろん、自分の親を見て伴侶や結婚という概念に憧れることはある。特に少女なんてのはそれが顕著だ。しかし、10代のうちではまだ現実的な感覚というものがないし、子作りという一つの儀式を結婚前に勝手に行うこともできないから、パートナー選びは非常に慎重におこなわれる。

 

「でも、キバナちゃんくらい器量良しだったら、もう許嫁の話とか出てくるんじゃないの?」

「そういうのはお母さんのところで話が止まるから、あまり分からないのよね。もし来ても、まだ15歳だもの。断るわ」

「そっかー」

 

 15歳だから断るというのは嘘である。アンブレラがいるから、他の人のものになるなど我慢ならないから断るのだ。

 自分は彼女のものでありたいし、彼女は自分のものであってほしい。後者は押し付けるものではないけれど、それならばせめて片方だけでも縋ることは許されないだろうか?

 きっと、アンブレラが結婚するか、自分が適齢期ギリギリの年齢になるか。その時までは夢に縋って、虚構を愉しんで、そしてゆくゆくは「大人になったのだ」と自分に言い聞かせて子供を孕むのだ。それは諦めでもあったし、向こう100年はアンブレラに依存するための言い訳でもあった。

 少女の成熟が早いのは、こういった要因がはたらくからなのだろう。いち早く色恋に興じる(狂じる)からこそ、狂った現実というものにもすぐ気付き、どうにかして受け入れようと藻掻く内に成長する。

 そこまで考えたところで、キバナは「それに」と呟いた。

 

「それに……私が器量良いなんて、嘘よ。アンブレラ様に比べたら──」

 

 アンブレラ様、と。友人たちの前ではなるべく敬称をつけるようにしている。

 ここでもまた、距離を感じる。敬称を抜くということは、対等な関係に置くということだ。彼女と友人として会っているときはそれでいいのかもしれないけれど、もしも普段から呼び捨てにして、それが民衆の間で根付くようなことがあればどうなるかわからない。

 眉目秀麗の次代巫女の名を出せば、友人たちは困ったような顔を浮かべた。

 

「アンブレラ様は、あれよ。神様がきっとさじ加減間違えちゃったのよ。きっと新人で、初めて肉体を作ったのね。失敗するといけないから、すべての制約を上限いっぱいにしたんだわ」

「そんな、お前、新人パン職人みたいな」

「まあ親父とかの話を聞くに、巫女様の娘だから可愛いことは間違いないって、生まれる前から言われてたらしいな」

「巫女様達を見るために儀式に参加する輩もいる始末だからなあ……」

「いや、それアンタでしょ。……でもねキバナ、あなただってちゃんと自分が可愛いことを自覚しなきゃ。卑下は謙遜じゃないのよ?」

「──『無自覚は罪なのだから』っ!!」

 

 友人たちは口々にコメントを残す。最後に再びヒシクイが戯曲のセリフを引用したところで、キバナも流石に顔をほころばせた。

 しかし、アンブレラと日がな顔を突き合わせている立場で自分の見た目に自信を持てと言われても困るものである。

 この話はここで終わりにしよう。そう思って別の話題を探したところで、一人の男子が「あ」と声を上げた。

 

「そういえば、忘れてた。みんなさ、『レン』って覚えてるか?」

 

 キバナの心臓がドクリと跳ねた。アンブレラの話から切り替えようと思ったのに、矛先が彼女を向くことをやめようとしない。

 他の友人たちはしばしキョトンとしたのち、記憶をたどるかのように覚えていることを口にし始めた。別段、アンブレラとの繋がりには気付いていないようである。

 

「あー、力が強かったな」

「かくれんぼはクソ雑魚だった」

「というかちょこちょこポンコツだった」

「でも顔が良かったからなぁ。許せる」

「優しかったけれど、すぐ女の子を口説く悪癖があったよね」

 

 中にはこき下ろすものも紛れているが、おおむね悪い印象は無かったようである。

 ドギマギしながら、キバナは「……それで、急にどうしたの?」と尋ねた。

 

「いやさ、もう数年……下手すると5年とかか? 全然見ないから、久しぶりに会いたいなと思って探したんだよ。俺、けっこうあいつの人柄好きだったし。でもさ、全然見つからないんだ。親の仕事を熱心に手伝う勤勉な男の子はいないかってほうぼう訪ねても、やっと見つけた相手は20歳を越している始末だ。だから、誰か知ってるやついないかな、と思って」

 

 見つかるわけがない。存在しないのだから。

 居るとすれば、それは神樹に住むノアイディ=アンブレラその人だ。親の仕事は確かに一部手伝っているが、性別の時点で間違っている。

 

「流石に、ここ来て遊んでたんだから、村の逆方面に住んでるなんてことはないだろ?」

「キバナちゃんが仲良かったんじゃないかな? あとはヒシクイ」

「俺も分かんないな。キバナ、レンのこと大好きだったろ? 何か知らないか?」

「──だっ、大好きって……!! ……うぅ、知らない、わよ」

 

 顔が熱くなるのを感じながら、正直に話すわけにもいかないので嘘をついた。

 逆に恥ずかしそうにしたことで、嘘に気付かれるようなことはなかったと思う。

 

 しかしそんなこともつゆ知らず。好奇心旺盛な少年少女たちは「レン」とは何者だったのか? という話題で盛り上がり、ついには幽霊だったのではないかだなんて恐ろしい仮説も打ち立てられた。

 そしてそこで、妙に第六感の冴え渡るガキ大将(ヒシクイ)が、幽霊説に対抗するとんでもない説を打ち立てた。

 

「なあ、レンが居なくなったのって、ここ数年のことだろう? 数年だなんて、大して物事が変わる時間でもないはずだ。でも、ひとつだけここ数年で変わったことがあっただろう? ────そう。アンブレラ様の活動が、活発になった」

 

 

 

 

「『レン』って、アンブレラ様のお忍びの姿だったんじゃないか?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お前の罪を数えろ…? ええと、いたいけな幼女にディープキスを常識として教え込んでしまったことと、親友同士は身体で洗いっこするって覚えさせてしまったことと、あとは…あ、既にアウトですかそうですか(納得)

33話の誤字報告にて
「年の功より亀の甲、もっと良いのは下の口」→「亀の甲より年の功〜」
というものが届きましたが、誤字ではありません。
より詳しく説明すると、慣用句としての「亀の甲より年の功」は"こう"という音にかけて「年長者の教えは役に立つものである」(亀は長生きor亀甲占い←だけど実際は役に立たない、から引用されたもの)という意味ですが、
「年の功より亀の甲、もっと良いのは下の口」は同じく"こう"という音にちなんで「役に立たない年長者(この場合はヘリオ、ルーナ)の教えよりも亀甲縛りの方がえっちで優れているし、下の口(秘部)はそれ以上にえっちだから素晴らしいものである」という意味です。
つまり、主人公のエロ至上主義においては日本の慣用句も膝を折るというわけです。




ところで、自分のボケを長々と説明するってこれどんな罰ゲーム(羞恥プレイ)…?
報告した人絶対狙った…いっそ殺せ…。


「アンブレラ! まずいわよ!」

 

 どこからともなく扉が開かれ、ロリと妖艶さを同時に成長させた美少女キバナちゃんが血相を抱えて現れた。

 いや、どこからともなくということはないか。風呂のドアだ。家の。

 どうしてここまで入ってこれたんですかね(白目)

 

 見ようによってはオレンジ色にも思えるその髪は、風呂に突入するためにか後ろで一つに結い上げられており、ラッキースケベ風呂アクシデントではなく計画的犯行であることを暗に示している。

 普段の彼女は長い髪を下ろして自由にさせているが、その時の姿は、かつてSNSで見た不思議の国のアリスのファンアートのようである。……ロリが成長してアリスになるとは、これやいかに。(一般には恋愛対象について12歳までをアリスコンプレックス、15歳までをロリータコンプレックスと呼ぶ)

 

 さて、僕はと言えば、大人気もなく魔法を全力で駆使しながらアルマとの鍛錬を勝利で終え、汗を流そうと風呂に入っていた次第である。

 ちなみに、一緒に入ろうと誘ったが断られた。反抗期辛い。ちょっと前まではお風呂も川の水浴びも一緒だったんだからいいじゃないか、ケチ。僕が前世でこんな綺麗なお姉さんにお風呂誘われたらホイホイついていく自信があるぞ。

 お湯はおおよそ常に張られているので、大人一人が足を伸ばせる程度の大きさでしかないけれど、割と小柄な僕はゆったり湯船に浸かることができる。

 そうやってぼーっとしながらこの後のことについて思いを巡らせていたら、何の躊躇もなくキバナちゃんが突入してきたのである。

 

 巫女の家って、そんな自由に出入りできなかった気がするんだけどな。キバナちゃんレベルになると顔パスなんだなって分からされた。ガバガバ警備は今日も順調ですね(適当)

 そして僕が風呂に居ることを探り当てた手腕も中々である。人に聞いたのかもしれないが、一部屋一部屋探してきたんだったらますます奏巫家のセキュリティが心配になった。まあ悪さをする人間もこの村にはいないんだろうけどさ。ところで最近僕の下着が無くなるのはアルマが性に目覚めたからですかね? 憂さ晴らしにヘリオ(ルーナ)のおぱんつを盗んでやろうと思ったら、どうも持っていないらしかった。ルーナはそもそも服を着ないし、昔からヘリオはノーパンがデフォなのである。先代ご主人様の闇は深い。

 しかし、この焦りようだ。ただ事ではないのかもしれないと思って、僕はキリッとした顔で「どうしたの?」と尋ねた。もちろん湯船の中なので全裸である。

 

「そうね、その前に……」

 

 どうも何より先に言わなければいけないことではないらしく、キバナちゃんは僕の入る浴槽に侵入してきた……ファッ!?

 

「あの、キバナさん、服が」

「──大丈夫。湯浴み着よ」

「あ、さいですか」

 

 なるほど、全然分からん。

 お互い小柄だから、浴槽に二人で入るのは問題ない。実際お泊りのときなんかは一緒に入る。そのときはお互いマッパだが。

 キバナちゃんは浴槽で足を伸ばしていた僕の上にこちらを向きながら乗り、顔を近づけて言った。

 

「まずは、おはようのキスでしょう? んっ──」

「──んむっ!? ……ん、ちゅ……」

 

 お風呂場という音が絶妙に反響する空間に、二人の少女の熱い口吻の音がいやらしく響く。吸われたままというのは主義に反するので、ちゃんとお返しをしてあげる。

 これは決して逆レとかではない。「おはようのキス」という、伝統文化(一世代目)だ。

 出来心だったのだが、幼いキバナちゃんに「一番の友だちはその日会ったときにおはようのキス、さよならのときにお別れのキスをするんだよ」と教えたら、否定する人がいないのでそのまま今日に至ってしまった。

 僕が否定してやれだって? 馬鹿を言わないでほしい。僕はえっちなことに関する自分の意志薄弱さについては重々承知している。こんな美少女に毎回せがまれて断れるわけがないだろう(建前) 親友キス気持ちいいです(本音)

 

「おはよう」

「おはようございます……」

 

 おはようのキスだから、どんなに激しくキスをしたあとでもちゃんと朝の挨拶をしなければいけない。これは文化である。そう、文化だからキスもしょうがない。(ヤケクソ)

 そして、美少女・美女に囲まれてハイになっていたかつての僕が、この程度のやらかしで済むわけがなかった。無垢なエルフたちに教えてしまった罪は数多存在する。

 たとえば。

 

「それで、身体はもう洗ったの?」

「まだだよ。軽く流しただけ」

「そ。じゃあ洗ってあげるから、上がってそこに座って」

 

 そう言ってシャワー的なサムシングの前にある台座を指差す。風呂なんてのは機能第一のものだから、全体的な構造は日本のものと大体同じように考えてもらっていい。こういうのはどこの世界でも収束していくのだ。

 キバナちゃんはテキパキと僕を台座まで連れていき、座らせる。もはや介護される身である。そして水を出して石鹸を泡立て、僕を洗ってくれた。

 

 

 身体で。

 

 

 

 

「……んっ、んぅ……ぁ……」

 

 首元の辺りから聞こえてくる熱い吐息にドキドキしながら、服越しに擦れる彼女の身体の様々な部分を想像する。

 これは体を洗ってもらっているだけである。大事なことだからもう一回言っておくが、体を洗ってもらっているだけなのだ。それ以外の何事でもない、いいね?

 

 そう。かつての僕がやらかしたことの中には、親友同士はお互い自分の体で相手を洗ってあげても何の問題もないという教導がある。

 曰く、『ほら、こうすると気持ちいいよね? お互い綺麗になるし、気持ちいいし、こっちの方がお得だよ』とのことである。もう昔の自分が分からない。お得ってなんだ? 絶対、スーパーのチラシよりもAVのパッケージに書かれる可能性の方が高いモノである。

 

 キバナちゃんの胸は、おおよそ母様と同じサイズである。将来性とか言ってはいけない。母様だって日々進化している。

 まあつまりバランスが良いわけで、背中に当たる柔らかさは天国にいるみたいな心地になれるし、ときおり硬い感触が擦れていくたびに興奮する。あとは風呂って声が20倍くらいエチチに聞こえる。今日は服も着ているので、濡れ透けの分エチチポイントが高い。エチチポイントってなんだ。

 だが、こんなものは序の口なのだ。

 

 よくアニメや漫画で「い、いや前は自分で洗うよ!」というシチュを目にしたものだが、あれがよく分からない。相手は「お背中流します」でなく「体を洗う」と言ったのだ。前側も任せなければ、プロフェッショナル精神に対して失礼千万というものだろう。

 そんなわけで、前側も任せた。そして思った。

 僕が悪かったです、前はえっちすぎます、と。

 

 キバナちゃんが僕の片方の太ももに跨る。

 後ろを洗ってもらうときは後ろから抱きつかれてアレはアレでもうアウトなのだが、前から抱きつかれるのはヤバい。もう、ヤバい。語彙力が飛ぶ。

 僕の上半身をキバナちゃんの上半身が洗い、僕の太ももをキバナちゃんの”脚と脚の間”が洗う。

 

 これなんてえろげですかどこでかえますかここじゃん

 

 「体を洗う」という概念が壊れた瞬間である。

 体を洗う、すなわち体を清める。うん、なんか石鹸のヌメりで、太ももの上を移動する腰の速度が増してるね。石鹸のヌメりだね。滑ったら危ないから抱きしめる力も増してるね。体力使うからか声が荒いね。

 体、どんどん清まってます(確信)

 

 

 

 

「…………っ……! ……!」

 

 キバナちゃんが体を動かすのをやめて、くてっとこちらに体重を預けた。

 労働というのは、実に疲弊するものである。彼女を労るように、二人して風呂場で転んでしまわないように、しっかりと受け止めてあげた。ちなみに、脚を"脚の間"で洗うというのもかつての僕が教えたことだ。曰く、『これなら上半身と脚二箇所を同時に洗えるし、気持ちいい! 一石三鳥だからすごいお得だよ!』とのこと。控えめに言って頭おかしかった。わりと今でもこういうこと言いがちなのは秘密である。

 

 なお、最近は母様と沢山致しているために、僕自身……けっこう、色々と弱い。

 背中なら問題なかったのだが、前同士をこすり合わせると、その、色々と。

 激しく鼓動を鳴らしながら体を流れていく血流を感じて、それが静まっていくのをゆっくりと待った。

 

 しかし、がんばり屋さんのキバナちゃんはプロフェッショナル精神が並の人の比ではなかったらしい。

 ちょっと経ったらすぐに体を起こして、言った。

 

「は……ふぁ……、じゃ、じゃあ、逆の脚、やるわよ」

 

 耳が2度楽しめるよう2つあるように、脚も2度楽しむために左右生えているのでる。

 疲れたキバナちゃんの補助のために僕も少し動きながら、左脚もたくさん清めてもらった。

 

 

 

 

 ところで、最初の「まずいこと」はどこへ行ったんですか……?




キバナ「おじゃまします」
レイン「友達との文化的行為は友情表現なのでR15です。むしろ全年齢まである」

母様「…あの二人、少し距離が近すぎるんじゃないかな?」


**連絡欄**
仕返しに、友人のオヤジギャグに対して理解できないふりをして説明させました。
気持ちよかったです(恍惚)

兄貴たち、お元気でしょうか。
忙しない日々が続きますが、どうか笑顔とエロスを忘れないよう生きてください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

この世界はOTOMODACHI作りイージーモードらしいので、一回ガバった僕にも救済措置があるらしいです! や↑ったぜ(歓喜) というか、日本の中高大における救済措置のNASAよ…

 聞くところによると、かつての友人(?)達であるガキ大将のヒシクイくんや笑顔が素敵なルコウちゃん、その他にも幾人かの子供たちが、少年「レン」を探した果てに「レン=御子のお忍び姿」という推理にたどり着いたらしい。

 天才かよ(驚愕) 天才かよぉ……(震え声)

 

 まあ、あんなガバガバ変装で気付かれていなかったことの方が驚くべきかもしれない。

 メイクなんて高等技術は使えないから、パッと見と先入観頼りのゴリ押しだったもんな。

 それに次代巫女は魔法行使中だけ瞳の色が変わるっていうのも、いまや結構周知されちゃったし。

 

 なお、友人にクエスチョンマークが付くのは僕が未だにOTOMODACHIという概念を捉えきれていないからである。

 クラスメイト=友達は違うと思うし、一緒に遊んだ=友達も違う気がするのだ。

 仲が良かったじゃないかと言われればそうなのだが、じゃあ最後に遊んでから5年近く経って、それっきり会わないような関係は友達なのか? かつての日本で言えば、卒業程度のできごとで連絡すら取らなくなってしまうような相手は本当に「友達」なのか? という話だ。

 

 さらに言えば、僕がこの世界で唯一友達、ひいては親友と認めているキバナちゃんに関しては、先ほど僕の太ももの上で二度イって……いや、あれは純粋な友情だね。ウン。身体洗ってもらっただけだからね。全然性的なアレとかソレじゃないんで問題なくOTOMODACHIです。

 とにもかくにも、OTOMODACHIについては今生でもさほど理解出来なかった。僕には、親友キスが気持ちいいくらいのことしか言えません。

 あ、付き合いの長さで言えばアイサ姉妹とかもOTOMODACHIに入るか? アイリスはどちらかと言うと従者ポジに入りたがるしなぁ。

 

「でもですよ、キバナちゃん。みんなはどうやってその確認を取るの? 僕にレンかどうか直接尋ねても、違うって言われたらそれまででしょ? それか、『レン』の格好でみんなにもう一回会いに行くか……あ、でもいまだと胸が苦しいか」

「それに、今のあなたの顔で男装は相当難しいわよ。……方法としては、『アンブレラ』に『レン』の捜索を手伝ってもらおうとしているみたいね。あなた経由で役所の住民一覧から調べてもらえば、本来ならすぐ見つかるでしょう?」

 

 うわぉ、結構エグい方法を思いつくもんだな。

 ちなみに今の体勢は、僕の部屋で僕がキバナちゃんに膝枕されている。部屋につくなり誘導されたのだ。僕に逃げ場はなく(逃げる意思も蕩かされる)、大人しく髪を梳かれながら横たわっている。

 

 さて、この村では住民管理は長老会直下の組織……と言うとなんか権力とか悪どさを感じがちだが、まあいわゆる役所で行われている。

 放っておいても勝手に増える生態をしていればいいが、子作りの都合上そこの管理だけは結構厳しく行う必要があるのだ。結婚相手はある程度選べるが、適齢期とされる100歳を大きく過ぎても見つかっていなければ勝手に充てがわれることさえある。

 

 また、子作りのタイミングも役所で管理されている。(エルフの子作りについては既に説明したことがあるので割愛する)

 前世の感覚で言えばこんな美男美女相手だったら誰と結婚するってなっても喜ぶが、子作りを管理されてるのだけは家畜っぽくて違和感を覚えるな。

 この村の人々からすれば当然のことなので、本当に前世の価値観を引きずってしまっているだけだが。というかそうしないとマジで種の存続がヤバいのだ。

 

 一方、情報の管理という面においてはかなり緩い。

 それは、情報が漏れても悪用しづらいという一点につきるのだが。誰でもいつでもどこでも触れられるわけではないが、僕ぐらいの立場にあると結構ホイホイ知れる。

 

 そこでレン捜索隊が思いついたのが、ファンサ諸々で村の人の頼みをわりと聞いてくれる御子にその場で調べてもらうということだ。

 いなくなった人の存在を調べるくらいなら大して時間も必要ないので、非常に断りづらい。

 というか過去に人探しを手伝ったことすらある。

 

 僕が観念して自白するもよし、調べる中でいないことが判明するもよし、あるいはレンとアンブレラが同時に存在できない弱点をついて、そうなる状況まで持っていくもよしというわけだ。

 これを突然言われたら、逃がす気がなさすぎて正直パニクる。

 多分役所のデータ改ざんをしようとして捕まって斬首される。いや斬首はないけど。

 

 物理的に同時に存在し得ない二人を並ばせるという、非常にシンプルかつエグい戦法である。

 

「これ、思いついたのルコウちゃん?」

「そうよ? よく分かったわね」

「だよね……」

 

 あのメスガキぃ……いまは僕もメスガキだった……。いやしかし彼女は相変わらずいい性格してんな、頭も回る子だったし、もうおおよそ予想が付いてるんだろう。

 だが残念だったな、ルコウ! 僕の親友がスパイということに気付けなかったのがきさまの敗因だ、勝ったご褒美におっぱい揉ませろ!

 頭脳派キャラがエッチな目に合うシチュエーション結構好きです。

 

「それで、どうするの?」

「どうするって……なんとか誤魔化しますよ? 御子が男装してただなんて知られたら大変だよ」

「そんなこと、みんな気にしないと思うわよ。実際、あなたの立場で最初から近付かれたらマトモに話すこともできなかったでしょうし。私が言いたいのは──」

 

 そこまで言ったところで、キバナちゃんは一瞬口をつぐんだ。

 逡巡するようにしたあと、太ももに頭をあずける僕の目を見て続きを言う。

 

「私が言いたいのは、これを期にみんなに全部言っちゃえばいいじゃないってこと。あなた、昔から友だちが沢山欲しいって言ってたでしょう? お忍びの姿だったのは本当なんだし、素直に打ち明けてその上で友達になってほしいって言ったら、みんな喜んで受け入れてくれると思うわよ」

「打ち、明ける……」

 

 ……その発想はなかった。

 いや、そもそも男装がバレたら奏巫女の信頼や実績が崩れると思って隠していたのだ。

 しかし、みんな気にしない(・・・・・・・・)? そうなのか。

 もしかして、僕が前世における「男装・女装」というものへの先入観を持ち込みすぎていた?

 

 友達。

 

 ずっと、憧れていたものだ。

 気軽に話せて、喋っていると笑顔が絶えなくて、時には悩みも相談しながら、けれど依存はしきらないその関係性。教室とか公園で輪を作るように談笑する彼ら彼女らを、どこか遠い存在のものと思いながら憧れてきた。

 だから、レンとして体験したあの時間はとても大切なものであった。

 それを失ってしまったいまを寂しく思うけれど、もう一度取り戻せるのだろうか?

 

 今度は、僕自身(アンブレラ)として。

 

「……ちょっとだけ、考えてみる」

「ええ」

「みんなは、いつ聞きに来るのかな」

「明後日の夕方かしらね。いつもみたいにあなたが通りでの挨拶回りをしていれば、私達が話しかけると思うわ」

 

 OTOMODACHI……いや、茶化すべきではないか。

 焦がれてきた憧れ。友達というものを、もう一度。

 

 見上げたキバナちゃんの表情は、どこか寂しげであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普段の僕の行動は結構単純で、日中することと言えば、アルマとの鍛錬、あるいは儀式の日は母様とともに巫女として様々な場所へと赴き、そうでないときは聖域でルーナに魔法の扱いを教わるか、警邏(けいら)ともいえない村歩きを地域交流のために色々な人に声をかけながらやるかのどれかである。

 学校のない若者というのは本当に暇なもので、家の手伝いがない青年たちがぶらぶらしたりそこらで演奏したりしているのも納得できる。

 

 そんなわけで今日も色々な店や人に声をかけながら歩く。奏巫女はニートという噂が立たなければ嬉しいのだが。

 こう見えて、結構人の名前とかやってること覚えるの頑張ってんだぞ。

 最初は書いてまとめておかないとすぐ忘れていた。ぼっちは人の名前が覚えられない生き物なのである、ニン。

 

 数千人規模の村ともなればそれなりに広く一日では周りきれないので、結構適当にほっつき歩いている。

 まあ、一日単位で変化する世界でもないし、多少はね?

 さて、ヒシクイくん達はいつ来るかなと思っていると、後ろから声をかけられた。

 

「アンブレラ様っ」

 

 ああ、ようやくか。

 そこには、キバナちゃんとヒシクイくん、あとは男の子の中では僕とかなりウマの合ったコジュケイくんがいた。流石に人数を絞ってきたらしい。

 二人とも、結構顔も変わってきたなぁ。昔は天使みたいに可愛い顔してたけど、今ではすっかり一人前のエルフの男だ。

 僕も、周りから見たら一端のエルフの女なのだろうか?

 もうすぐ前世の年齢に到達してしまうけれど、まるで自分が変わった気がしない。……それは見た目よりも内面か。

 

 そこからは、おおよそキバナちゃんに聞いていた通りの流れであった。

 

 レンという男の子を探しているのだが、一向に見つからない。今日もそうやって探していたらたまたま僕を見つけたので、どうか助けると思って住民票を調べてもらえないだろうか、と。

 

 何も知らずに聞けば、いなくなった友人を心配する直訴みたいなもので、僕も断ることはないだろう。

 カミングアウトするとすれば、ここか、役所で調べてもらったあとのタイミングだ。

 

 ひとまずここは了承して、一緒に役所へと赴く。そして、さも調査結果を伝えるかのように嘯いた。

 

 

 

 

「お探しのレンさん、見つかりましたよ」

 

 




レイン「えっこの状態からでも受けれる救済措置があるんですか!?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

落ち込んでる者を慰めるにはおっぱいを揉ませると良いとな? ほう、どれ一つ試して…って騙されるかぁ! そういうのは巨乳天然娘にでも期待するんじゃな、阿呆(あほう)


ヒシクイ:ガキ大将
コジュケイ:男友達で一番仲が良かった
覚えなくていいです。



「お探しのレンさん、見つかりましたよ」

「──え」

 

 信じられないと言うかのようにヒシクイくんが目を見開く。漏れ出た声は、本当に見つかるとは思っていなかったこそだろう。

 

「あんまり心配でしたら、一緒に訪ねに行ってみますか?」

「あ……、あぁ、はい。お願いします」

 

 コジュケイくんが頭を下げる。彼は僕がレンというのが半信半疑だったのかもしれないな。どこかで生活しているならば、そこに会いに行ければ問題ないのだろう。

 

 ヒシクイくんやコジュケイくんと話しながら案内役を務める。

 まあ御子が案内役なんて、と思う(アイリス)もいるかもしれないが、このくらいまったく問題ありませんね!

 僕、というか「レン」の話を聞かせてもらうのが結構楽しかった。

 度々かくれんぼの弱さでからかわれていたので薄々気付いてはいたが、どこか抜けているやつ扱いをされていたらしい。あとは女好きと言われた。……そんなことないよ? 母様ひとすじです。

 キバナちゃんは話しかければ返してくれたが、積極的には口を開かず、ほぼほぼ静かにしていたのが少し気がかりだった。

 

 

 

 

 僕が選んだ場所は、役所からほど近い商樹の頂上であった。

 もっとも、話しかけられた場所から役所を通ってここまで来るのに半日を要したが。そのため日も結構傾いてきている。

 

 商樹というのは、その名の通り商業用の樹木のことだ。用途により色々な種類があり、一般的な家樹より大きい。ここはその特性のために, 枝分かれする前の部位で切り開かれていて空が見える。

 中央には畑があり、その中には、西日に照らされた一人の男性がいた。耕すのではなく、作物の状態をひとつひとつ確認しているようである。

 

「レ、レン……?」

 

 コジュケイくんが控えめに声をかけた。

 振り返った男性は、え、と名前を呼ばれたことへの反応を示す。

 

「……レン、レンか! かなり見違えたな!!」

「誰…………って、きみ、もしかしてコジュケイくん!? どうしてここに……ってアンブレラ様っ!?」

 

 「レン」はまず旧友に邂逅したことに驚き、続いて、一緒にいるのが僕だということに目を白黒させる…………素振(そぶ)りをする。普通のエルフならば(・・・・・・・・・)、まず僕に反応するだろうから。

 

「……うわ、もしかしてそっちの、ヒシクイくん? 結構分かるものだね……となると、そこのオレンジがかった髪した美少女は、キバナちゃんかな?」

「あ、ああ……レン、か。ほんとに存在したんだな。よく見れば、どことなく昔と似た顔立ちしてるぜ」

「……」

 

 ヒシクイくんはまだ僕と「レン」の関連性に未練があるように視線を行き来させるが、納得することに決めたのか「レン」と語らい始めた。

 ……昔と似た顔立ち、か。当然だろう。そういう風に造った(・・・・・・・・・)のだから。

 

 キバナちゃんも「レン」に答えるように軽く片手を振るが、もう一方の手はキュッと僕の服の裾を掴んだ。

 合わせてくれて助かる。きっと彼女は、おおよその状況を理解しているのだろう。だからこそ、「レン」の薄気味悪さに少しの恐怖を感じずにはいられないのだ。

 

「それにしても、みんなしてアンブレラ様と一緒に、どうしたの?」

「どうしたのじゃねえよ、馬鹿レン。急にいなくなりやがって。心配したじゃねえか……」

「アンブレラ様に頼んで、お前を探すのを手伝ってもらったんだよ」

「うわ、それは申し訳ない……。アンブレラ様、お手数おかけしました」

 

 いいんですよ、と僕は微笑みを返す。僕の瞳に映る「レン」は全身が魔力に満たされていて、そして僕と細い魔力の線で繋がれている。

 正直ちゃんと笑えている自信がなかったが、少年たちは三人で固まって今までのことを勝手に語らい始めた。

 

「僕はさ、もともとあの広場とは真逆の地域に住んでたんだ。ただ修行? というか弟子入り? みたいなことのために、広場近くの叔父さんの家に一時期預けられてて」

「今は?」

「結構色んな所を転々としながら、修行の総仕上げ中ってとこだね。このところはここで生活してたけど、もう少し経ったら別の商樹に移るかな」

「そうか……じゃあ昔みたいに一緒に遊んだりってのは難しそうだな」

「お前、その年から色々してて偉いんだなぁ」

 

 「レン」に、適当にでっちあげた事情をそれっぽく話させる。声は前世の僕を参考にしているので、男性にしてはやや高めのハスキーボイスだ。

 

 しばらく話して満足したのか、はたまた部外者の僕を長く付き合わせていることに罪悪感を感じたのか、ヒシクイくんとコジュケイくんはそう時間をかけず、「レンの無事も確認できたし」ということでお開きになることとなった。

 「レン」と男二人はまたどこかで会おうという約束をした。男だからこそできる下らない話や気安い肉体接触が新鮮で、またどこかで「レン」を頼ることがあってもいいかもしれないと思えた。

 

 

「アンブレラ様、すいませんでした。その……わざわざ、こんなことに一日付き合わせてしまって」

「いいえ、みなさんとお話できてとても楽しかったですよ」

 

 去り際、ヒシクイくんが何やら時間を奪ってしまったと謝ってきたので適当に受け流す。

 というか実質僕がややこしいことをしたせいで生まれた状況である。謝るのはむしろこっちなのだが、そうしたらこれまでのカモフラージュがぱあだ。

 とりあえず手を取って、「またお話しましょう(意訳)」と微笑みかけておく。西日が逆光になっているせいか、ヒシクイくんの顔はよく見えなかった。多分伝わったよな……?

 ムスッとしたキバナちゃんが僕を引き離す。それでまあ、よくあるような別れ際特有のぐだぐだした会話を挟んで、やっと解散となった。

 

 キバナちゃんと僕、そして「レン」はしばらくその場に残って、二人の少年の背中を見送った。

 その姿が見えなくなったところで、僕は「デューカ」と呟いた。それと同時に、「レン」がまるで泥のようにドロリと溶ける。

 

「……そんなことだろうと思ったわ」

「あちゃ、バレてたか」

「私には、どうやっているのか見当もつかないけれど。あなたなら、魔法で人形を作るくらいしそうだって分かるわよ」

 

 幼馴染、もとい親友には敵わないな。キバナちゃんを騙すということになったら一苦労しそうだ。

 

「友達、欲しいって言っていたのに」

 

 キバナちゃんは口を尖らせた。

 確かに、OTOMODACHIを沢山作りたいとは願った。でも、少し考えたら気付けたのだ。

 僕にそんなもの手に入るわけないと。

 

「……良かったの?」

「うん……これで、良いんだ」

 

 きっと、彼らが描いている僕の人物像は、まるで別人だろうから。

 一生懸命で、親孝行で、みんなに優しい少年「レン」なんて幻想だ。

 本物の僕は、どうしようもなく浅ましくて、短絡的で、肉体的な繋がりでも持たなければ誰からも愛してもらえないような、そんな弱い生き物だ。

 まさか友人全員を肉欲で誘惑するわけにもいかない。でも、そうでもしなければ、次第に本質に気付いて離れていってしまうだろう。

 

「……そう。あなたが良いなら、何も言わないわ」

 

 それは、どこかほっとしたかのような声音だった。

 キバナちゃんはどうして僕と一緒に居てくれるんだろうと思うと、それはかつて僕が彼女にかけた呪縛そのものなのだと気が付いた。

 取り返しのつかないことをしてきたのだ。そしてきっとこれからも、彼女に限らず、僕は間違いを繰り返してしまうことだろう。

 そう思えば、今日こうしてかつての遊び仲間達と別れた選択はきっと正しかったのだ。人に近付くほど過ちを重ねるなら、近付かなければいい。実に単純な話だ。

 

「……アンブレラ、あなた、ひどい顔してる」

 

 僕の顔を見上げてから、橙の髪をしたアリスは眉を寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーナは困り果てていた。

 この空間は仕事もしなくていいし、服を着なくても不都合ないしで仮初の住居としては満足していた。イカれテルースの阿呆に力を削がれるということさえなければ、モラトリアムを満喫していたことだろう。

 

 しかし、いまはどうも居心地が悪い。

 その原因は、小川の縁で三角座りして落ち込んでいる存在のせいだろう。

 

「の、のう。人の子よ、大丈夫か……?」

「……」

 

 さきほどからずっとこんな調子なのである。

 ちょうどレインの前世の世界でいうサブカルチャーに「たった一人の女の子さえ助けてやれない、ちっぽけな人間だ」という言葉があるが、そんな気持ちであった。まあルーナは人間ではないが。

 いくら魔法を極めたとしても、落ち込んでいる人を明るくさせるのはまったく違う話だ。

 もちろんレインの身体に触れて魔法を使えば、神経伝達物質あたりに細工して陽気にさせるくらい朝飯前である。しかし、「それは違う」と理解していた。現実は結果が全てだが、人の世界の過半は虚構なのだから。

 このままでは万能の名が泣く。ちと相手してやるか、とルーナはレインの横に座った。

 

「あの……落ち込んでいる人に全裸で近付くのは、どういう意図なんでしょうか」

「意図もくそもあるか。我が服を着た試しがあったか」

 

 ドン引き、もとい困惑するようなレインにルーナは逆ギレする。

 

「初めて会ったときは着ていましたよ」

「あれは擬態じゃ。人の子とて全裸の神に転生させられるのは嫌じゃろう。というか昔欲情して襲いかかろうとしてきた男がおった。ホモしか居ない世界に送ってやったわ」

「それは……幸せになったでしょうね……」

 

 言葉の尻を濁らせながら、レインから苦笑いするような気配がした。

 

(少しは明るくなったじゃろうか。クハハ、やはり我にできぬことなどないわ!)

 

 多少の満足感を覚えたルーナに対し、ですが、とレインが口を開く。

 

「ですが、その、ヘリオの身体……白髪褐色ロリに裸で近付かれると、僕も欲情してしまうので、できれば服を着ていただけると……」

「落ち込んどるんじゃから発情はしないじゃろ」

「別腹ですよ。普通にします。ヘリオとはもうずっとシていないので、今すぐにでも犯したいくらいです」

 

 今度はルーナがドン引きした。

 いまだにレインは三角座りで膝に顔をうずめたままの姿勢なのだ。そんな状態で欲情するとは、脳みそが頭部と子宮に二箇所つまっているのだろうか。

 

「こんな人間(エルフ)だから、きっと彼らと離れて正解だったんです。彼らを落胆させるどころか、傷つけてしまうかもしれない。だったら、奏巫女としての僕だけを見て、勘違いしていてもらったほうがよっぽどいい」

 

 そんなことない、と中身のない否定をすることをルーナは選ばなかった。

 こういう時にどうすればいいか知っているのだ。

 

「……!」

 

 レインは自分を後ろから包む温もりに気が付いた。

 ルーナが、結局裸のままで自分を優しく抱きしめている。

 

「……やっぱり、誘ってるんですか」

阿呆(あほう)

 

 宿主の信じられないほどの敏感さのせいで、触れているところから下腹部にかけて熱が生まれる。だが、慈しむ心がそれらの悦楽すら押し殺した。

 

「犯しますよ」

「好きにせぇ」

「……本気ですか。ブチ犯しますよ」

「犯したいなら、そうすればよい」

 

 犯すだのなんだのと強い言葉を吐くわりに、レインの身体は微動だにせず、代わりにその言葉の端が震えていた。

 それでも、ルーナはまるで本当に誘っているかのように、蠱惑的な声音でレインの耳元に囁く。

 

「……どうした。犯さないのか? 宿主が宿主じゃ。実は先刻から、人の子に触れている場所が熱くてたまらん。それどころかその熱が子宮に伝わるものじゃから、全身が出来上がっておる。……有り体に言って、発情しとる。秘部から(つた)う愛液で膝までドロドロじゃ。思考の過半が人の子の手で絶頂させられることしか考えておらん。かつて宿主にしていたように、我のことを快楽で蹂躙するのも今なら容易じゃろうて。我が人の子に何度許しを請うても、ごめんなさいごめんなさいと侘びても、続けるがよい。丈夫な体じゃ、多少気をやったくらいで手を緩める必要もない。その破壊衝動を我にぶつけて、かつて万能を名乗った神を意のままにしている事実に心を震わせるが良い。この感情を殺したかのような暗い瞳がグチャグチャに蕩けるまで、人の子以外映さなくなるまで嬲ってよいと言っているのじゃぞ。疲れたら、人の子の作った太くてゴツゴツしたディルドなりなんなりを我の股ぐらに挿して固定したまま放置するのが良かろう。我が逃げられないよう身体を完全に拘束するのは必須じゃな。ああ考えたらいっそう興奮してきた。体が震えているのが分かるか? 想像しながら人の子の体に触れているだけで軽くイッてしもうた。いま言った通り、あるいはそれ以上のことをされてしまったら我はもう人の子の言いなりじゃろうな。(いぬ)にもなるし、肉便器や自慰の道具として扱われることにすら快楽物質が分泌されるじゃろう。そうじゃ、実のところ、我は人の子の真名の問題を解決する手立てを何通りも知っておる。堕としたあとで聞けばいくらでも答えるはずじゃ。こうなると犯さない理由がないか? カカ、まさかこんなところで我がメス堕ちすることになるとは思わなんだ……。生涯、なにがあるかわからんものじゃな」

 

 ひとことひとこと、語る光景を想起させるように感情を乗せる。あるいはそれは本心であったかもしれない。

 これだけの誘い文句を紡げば、レインもルーナに手を出す直前であった。

 けれど、その体は必死に抗っているようであった。

 

「犯さぬのか?」

「……っ」

 

 レインの息が荒い。自分を食いたがっているのだと伝わるその様子に、ルーナは興奮した。

 それでも動こうとしないレインに、ルーナは抱擁を解いて息を深く吸った。

 

 

 そして、胸ぐらを掴み上げて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犯せッッッ!! 我を屈服させてみせよ!! 己の発情させたメスくらい、壊れて狂うまで犯せと言うておる!! 我を犯してメス堕ちさせよ!!! セックスなど生ぬるく感じるほど犯せッッッ!!!」

 

 

 

 

 

「……ぃ、いやだ!!!」

 

 

 

 

 

 ルーナの怒号にレインも叫び返す。

 

 互いに睨み合う。怒っているのではなく、双方ともに発情している。

 目は潤み、頬は上気し、ルーナはその素足を、レインは下の召し物を愛液で濡らしている。

 しかし、接吻はおろか、抱き合うことさえしていない。ただ片方が胸ぐらを掴んでいるだけである。

 

「……犯さぬよな、お主は」

「……」

 

 ルーナはゆっくりと手を離して、静かに言った。返事はない。

 

聖域(ここ)で最初に会ったとき、我が『我にまで欲情するのではないぞ』と言ったからじゃろう」

「……」

 

 それは、かつて別空間からこの世界のレインの様子を見ていたルーナが、レインに対し持つトラウマ、もとい苦手意識から紡いだ言葉であった。

 次々に周りの美女・美少女達と爛れた関係をもつレインに、身の危険を感じたのだ。

 

「そのあとに続けて言った、『そんなことをすれば宿主を返さない』ということを気にしてか? ……違うじゃろうな。先程も言ったが、いま人の子にメス堕ちさせられれば、我は人の子の言いなりになるじゃろう」

「……そんな、ことは。僕は、ヘリオのことを心配して──」

 

 咄嗟に紡がれた否定の言葉は、しかし精彩に欠けるもので、続かなかった。

 

「もちろん、まったくの無関係ではあるまい。しかしお主が我を犯さぬのは、我が本心でそれを望んでないから(・・・・・・・・・・・・・・・)ではないか?」

「っ……」

 

 今度はなにも反論がなかった。認めたというよりかは、否定するための言葉が見つからなかったのだろう。

 沈黙するレインに、ルーナは続ける。

 

「いつも自分は人未満だと、どこか自虐していただろう。……いいことを教えてやる」

「なんで、気付いて──」

「分かるわ、阿呆(あほう)

 

 レインは度々自分が可愛いだのなんだのとのたまう。それは、ある種のナルシズムのようでもある。

 だがその実情は、「女神のような母様の娘の僕が可愛くないはずがない」という、度を越した母親への偏愛からのものだ。「僕が可愛い」ではなく、「母様の娘が可愛い」というわけだ。

 むしろ、「自分」というものに対する評価は過剰に低い。彼女が優れているかどうかという話ではない。「自分」そのものに良い評価をつけることがないのだ。

 それは、前世から引き継いだ何らかの体験が関係しているのかもしれない。だが、そんなことは知ったことかとばかりにルーナは口を開いた。

 

「いいか、我は『意思』こそが世で最も尊い概念だと思っておる」

 

 意思。人の持つ意思。あるいは、人でなくてもよい。獣人、魚人、竜人、神種、宇宙人、特に範囲はなく、「自由意志」と十分に呼べるものを兼ね備えた存在達が魅せるその可能性。

 量子的で、完全に観測することが不可能なそれのせいで、万能を謳うルーナにも完全な未来予知は不可能であった。かつて語った「世界のゆらぎ」というものの一端がこれだ。あるいは、「魂」と呼べるのかもしれない。

 どんな存在にも決定できない「未来」を決定しうるものだ。これこそ、ルーナにとってもっとも「好ましい」概念といえる。

 

 だから、意思の介在しない転生トラックなんてもってのほかだし、たとえ大好きなメス堕ちという展開にも、「女淵にいろ」に対し強制ではなく「場」を用意しただけである。

 催眠まがいのことをしてメス堕ちをさせたところで虚しさしか残らない。悲劇も喜劇も、作られたとあっては途端に感動が失せる。

 物語なんて破綻してしまえばいい。いいや、破綻させてしまえ。その上で、己の「意思」で世界を作り上げろ!

 

「そして、じゃ。人の子、よく聞け! 気付いていないやもしれんが────お主はいつだって、人の『意思』を踏み(にじ)ることはなかった」

 

 ルーナが最初に言った言葉を、今もこうして愚直にも守り続けている。それがルーナの「意思」だから、踏み越えてはいけないラインだから、と。

 あるいは、ああして言葉にされなければ他人の「意思」に気付けない愚かさも持ち合わせているのかもしれない。なぜなら、いまのルーナの「意思」は……。

 

 レインは目頭が熱くなるのを感じた。

 先程までのような、発情で顔が熱くなるのとは違う。口を開こうとしても、唇が震えて上手く喋れなかった。

 

 次第に潤んでいくレインの透き通った瞳を見つめながら、ルーナが力強く宣言する。

 

「人未満? 人でなし? 馬鹿を言え。お主はもとより、立派な『人』じゃ!!」

 

 喉の奥のあたりが震えて、視界が滲む。

 ルーナの叫んだ言葉は、レインにとって受け入れがたいものであった。

 

「ぼくは、そんな、立派な人間じゃ……」

 

 必死に堪えて紡ごうとした言葉は、重ねるほどに震えて、ついには形にならなくなってしまう。

 先程までギリギリ目の縁に溜まっていた熱い雫が、言葉が消え入ると同時に(せき)を切ったようにあふれだす。慌てて拭うけれど、拭いたそばからぽろぽろ流れ出すのだ。

 

「自惚れるな。誰も人格が立派などとは言っとらん。そも、世の中に『立派な人』などおらん。じゃがそれでも、人の子」

 

 

「お主は、どうしようもなく、紛うことなく────ひとりの『人』(・・・・・)じゃ」

 

 

「……ぁぁッ……!」

 

 口の端から中に流れ込んだのか、舌がレインにわずかなしょっぱさを訴えている。

 何か言おうとするけれど、その度に目尻から透明の液体が頬を熱く伝ってしまう。

 

「心中で自分を貶めるのは心地よかったか? 図に乗るな。我から見れば、誰とて未完成で未熟な赤子、人の子(・・・)じゃ。その程度で、『人』から逃れようなどおこがましい」

 

 そう言って、ルーナは再びレインを抱きしめた。今度は、正面から。

 片手で背中を撫でながら、もう一方の手で髪を優しく梳かす。

 

「我が『悩むお主は好き』などと日頃言うのは、悩むことこそが『意思』そのものだからじゃ。悩むお主に、『人』の尊さを見出したからじゃ。無自覚ではいけない。お主は『人』であるし、『人』の尊さを兼ね備えておる。それどころか、他人の『意思』を既に知っている」

「がみっ……ざまっ……ぼくはっ……」

 

 レインは涙を拭うことすらも諦め、慟哭する。

 ああ、美少女もこれでは形無しじゃな、などと思いながらルーナは続けた。

 

「人の子。泣けよ、人の子。我は邪神らしいからな、お主がどれだけ『人』から逃れようとしようと、自分を貶めようと、我が逃さない、我が認める。どうせ、自分を好む(・・・・・)か、自分を嫌いな自分を好む(・・・・・・・・・・・)か、どちらかしか選べないのじゃ。どうせなら前者を選んでおけ」

「クッ……、あぁッ……!!」

 

 組成の過半が水であるためだろうか。人という生き物は、なかなかそれを流しきるということがないらしい。

 縋り付くようにルーナに寄りかかりながら、レインは未だ止まらぬ涙と共に思いを吐露した。

 

「本当は、言いたかった……! 僕が、レンなんだって! もう一度、友達になってほしかった……! 気付いてほしかった……! でも、駄目なんだ。駄目なんだよ神様……。怖いんだ、そう、すごく怖い。僕が嫌いな僕に、きっと気付かれてしまう……!」

 

 人は分かり合えない、自分のことは自分が一番良く知っている、と言うのならば、自分の汚いところも自分が一番知ってしまうのだろう。

 レインはなまじ賢い子だ。しかし前世を見れば分かる通り生きるのが下手で、普通の人ならば見て見ぬ振りをするような自身の穢れた部分を直視してしまう。

 はっきりと自覚した上でそれを受け止め生き続けるなど、狂人でなければどこかで壊れてしまう。

 

「失うのはこわいよ。嫌われたくない。だから、離れてしまったほうが楽…………そんなの、嘘だッ……!! 別れた選択はきっと正しかった? 嘘だ、嘘でしかない。僕は、嘘ばっかりだッ……!! 近付きたいに決まってるじゃないかッ!! ひとりが、孤独が、良いわけないだろうッ!?」

 

「だって! だって、僕はッ……!」

 

 

ぼくは、こんなにも、よわい……

 

 

 

 

 抱きしめるほどの距離でなければ、聞き逃してしまいそうなほどに消え入る声。

 それはきっと、偽りのない言葉なのだろう。

 

「ああ……伝えたいなら、近づきたいなら、いつだって遅いということはあるまい。自分を愛してやれたそのときに、やり直せばよい。人というのは、やらなかったことにこそ後悔するものじゃ」

「……愛、せるのかな、僕に」

「知るか。……いつも言っておろう? 『悩め悩め、人の子よ。我は、悩むお主は好きじゃぞ』と。神には、願いも問いかけもするものでない」

 

「やっぱり、邪神じゃないか。…………まあ、でも」

 

 

 

 

 ──たくさん、悩んでみるよ。自分の「意思」と一緒に。

 

 

 

 

 レインはそう言って、泣きつかれたかのようにそのまま瞼を下ろした。

 しばらく、頭と背中を撫で続ける。

 

「……すぅ……すぅ」

「……寝てしまったか。体は大きくなっても、これでは稚児と変わりないな」

 

 くつくつと苦笑するルーナだが、宿主の体が正直なせいか、アホ毛が喜びを示すようにゆらゆら揺れている。

 

()い寝顔じゃ。まるで無垢で、純粋な……」

 

 レインは自分のことを、エルフ文化にエロスを持ち込んだ不純物と評価している。

 もちろんそれは間違っていないし、性欲という煩悩が持ち込まれてこの先のエルフ文化にどのような影響を及ぼすのか、はたまた及ぼさないのかはよく分からない。

 

 しかしその在り様は、他者との関わり合い方が下手な、純粋培養の幼子のようである。(培養液に媚薬かなにか入れられたようであるが。)相手の心をまるで推し量れず、その言葉に判断の殆どを委ねる。

 色々と必要な過程をすっ飛ばして成長したから、こんな歪な育ち方をしたのだろうか。

 

 ずっと寄りかからせていては疲れるので、レインの体を少し動かして膝枕をした。

 手が暇になったので、眠るレインの顔をなぞる。

 沢山泣いたせいか目元が赤く痛々しい。レインに触れている状況なので、彼女の魔力とそれを通して空気中の魔力にアクセスし、簡単に癒してやった。

 

 レインの寝息が安らかなものに変わる。なぞる指は、彼女の淡桃のそこに到達していた。しばらくぷにぷに触ったのち、中の粘膜にまで滑り込ませる。

 あう、という声に起こしてしまったかと心配になるが、問題なさそうだ。

 かき混ぜるように四方ゆっくりと動かしてから指を引き抜けば、透明の粘性が強めな液体が細く出口と指を繋ぐ。

 ルーナは、迷うことなくその指を口に含んだ。

 しばし味わいながら、先ほどの見ようによっては情熱的とも言える自分のアプローチを思い起こす。

 

「……カカ、テルース。見ているか。お主の作った世界で、我はメス堕ちしそこねたぞ。我を堕としたいのではなかったのか? ざまあみろ、というやつじゃ。クハハッ」

 

 結局、レインは出会って以降一度も自分に手を出してはこなかった。

 一番最初に言った「我に欲情するな」という言葉を健気にも守り続けているのだ。

 ……ルーナの人格(神格?)が悪すぎてそもそも欲情しなかったなどとはあまり思いたくない。大丈夫。さっきの様子見る限り、ちゃんと我に欲情してくれている。大丈夫。大丈夫……。

 

 日も落ちてしまったし、レインには起きて自室に帰ってもらわねばなるまい。

 きっと家族が夕飯を用意しているのだろう。帰らなければ心配される。

 その前にひとつ、と考え、ルーナは「さて」と口を開いた。

 

 

 

 

「さて。……では宿主、ここらでひとつ話そうか」

 

 

 





──よわいからこそ、愛してやりたいと思うのじゃ。

カカ、まるで神のようじゃな。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

月下で歌う僕マジ可愛い!! 流石母様の娘!! 可愛いは人類の共通資源だから、こうやって有効活用してかないとね!! かあ〜〜っ、自分に酔うって最高ですわガハハ!!

エセ女神が宿主様とO☆HA☆NA☆SIしたようですが、そんなことは無視して勇者視点です。



「……眠れない」

 

 闇夜にほろりと音が(こぼ)れた。

 音は静かに広がって部屋を満たしたが、次第に壁に溶け込んでゆき、少年は再び静寂の中に取り残された。

 

 

 

 

 アルマ────ツグミ・ディアルマス。

 

 今代の勇者の名である。

 勇者といっても、あくまで人間にとっての分類だが。「災厄」と対をなす魔法的存在で、世界を循環する魔力が収束する一地点という認識が誤解ないだろう。

 

 禁術とも呼ばれる「転移」の魔法。それを自由自在に扱える特別な存在だ。

 また今代の勇者は真名の秘匿性が高く、魔法に精通するエルフの中で育ったということもあり、将来的な実力は歴代最高峰となることが予測されている。

 もっとも、それを知る人物は非常に少なく、人間側からすれば所在すら不明であるので、森の外の世界は阿鼻叫喚に満たされているが。

 

 しかし旅立ちの日に向け研鑽を怠らず続けており、その実力は10歳の到達できるおよそ限界に到達している。

 エルフの村を取り囲む森。大の大人ですら一人で歩くことを躊躇するその場所を、あくびをしながら散歩し得るのだ。

 

 そんな少年が眠れないと嘆く夜。

 ……いや、むしろ健やかに眠れてしまうほうがおかしいのかもしれない。この歳で、既に己の運命と責任をはっきりと理解しているのだ。心の弱いものであれば発狂、あるいは逃避を図るであろうし、そうでなくとも、その人生に不安を抱いてしまうことを誰が責めようか。

 

 ディアルマスはエルフの巫女の家で育てられている。しかしいくら身分の高い家系だとしても、その求められる役割からして、巫女が帝王学を学ぶ、ひいては教えるようなことは決してない。

 ゆえに、彼はその称号が与える重圧を十分に受け止めるための準備、教育が一切なされていないのだ。

 

 

 

 

 まあ、いまは寝る前のハグ(ぎゅー)がなくて眠れないだけだが。

 

 


 

 

 ディアルマスには姉がいる。

 美人で聡明で、時に抜けたところもあるが、家族や村人への尽きることない慈愛を兼ね備えた義姉(あね)だ。

 

 乳児の頃に巫女の家で育てられ始めたディアルマスは、当然のようにその姉になついた。

 姉は人との距離感というものを知らないのか、スキンシップが激しい。特に親しいものについては、すぐに抱きつくし、頭を撫でるし、手を取ったり頬をつまんだりする。お風呂だっていつまでも一緒に入ろうとしていた。

 というか、そんな環境で育ったディアルマスも最初はそれが普通なのだと思っていた。成長して他のエルフと関わるようになった今はなんとなく「いや、これ普通じゃないな?」と察しつつあるが、かなり文化を侵されている。

 

 少なくともディアルマスは、眠る前に兄弟姉妹と抱きしめ合い、「おやすみなさい」の挨拶をするところまでは一般常識だと思っている。

 たとえ喧嘩しようが、それは精神の深いところに根付いた文化であるからしない日はなかった────今日までは。

 

(まあ、疲れていたし寝かせておくべきなんだろう)

 

 夕食のときに見た彼女は随分疲れているようであった。

 それが稽古で自分が彼女を追い詰めた結果ならば嬉しいのだが、今日は稽古をしていないので違うだろう。そもそも、まだたまにしか彼女から一本取ることができていない。

 剣の才能に見捨てられたのかと思ったこともあるが、師匠いわくそんなことはないらしい。反射速度なら既にディアルマスの方が優れており、単に同じくらい姉も才能に愛された肉体を持っているだけだ。

 

 そんな彼女は、今日は村の同世代の子供達と出歩いている姿を目撃されている。

 何があったのかは知らないが、そこで何らかの精神的疲労を負ったか、あるいは悩みごとでも生まれたのだろう。

 

(外の空気でも取り入れたら、少しは眠れるか?)

 

 いつも寝る前にやっていることを、今日は彼女が倒れそうなくらい疲れていたからできなかった。

 

 そうすると、どうしてか分からないが胸にぽっかりと穴が空いてしまった。

 眠るために目を閉じると、頭はその穴を埋めようとするかのように様々なことを考え始める。どうすれば彼女の悩みをなくしてやれるか、どうすれば彼女を守ると謳えるくらい強くなれるか……そんなことが脳内をぐるぐる回って、いつまで経っても目が冴えたままである。

 

 風でも浴びれば、頭も冷えてゆっくり眠れるのではないか。そう考えて窓を開けると、鈴の音のような声が部屋に入ってきた。

 

そういうものだろう

あぁ この言葉もただ 花と麒麟

 

(……話し声、いや、歌声? というより、もしかして──姉様(レイン)?)

 

 気付けば窓から飛び降りていた。

 地面まで大人三人分はゆうにあったが、それはさしたる問題でもない。

 音もほとんど殺して着地し、声の聞こえる方へと足が勝手に動いていた。

 

(この歌声はレインだけど……何語を話しているんだ?)

 

 ハミングをしているにしてはあまりに音に種類がありすぎる。しかしどこの言語かと問われれば、少なくともディアルマスがこの村で覚えたエルフの言葉ではない。

 外の世界の「人間」が使うという言葉か、あるいは聡明な彼女のことだから、古い文献から覚えた「最初の言葉」なのかもしれない。

 

(だけれど、そうする意味がない(・・・・・・・・・)。……いや、奏の魔法についてオレが知らないだけで、「最初の言葉」を用いたほうがより効果が見込めるとか?)

 

 だからといってどうしてこんな夜中に、という疑念は晴れない。

 彼女は疲れているからてっきり昼まで寝ているかもしれないと思っていたのに、まさか朝になる前に目を覚ますとは。

 

 だが実のところ、ディアルマスがこうして歌声の元へ向かっているのはもっと別の理由であった。

 純粋に、好きなのだ。レインが。いや、レインの歌が。

 

 レインや母様(サルビア)は休みの日によく一緒に歌を歌っている。

 まあ奏巫女だし、と言ってしまえばそれまでだが、その自宅で行われる小さなコンサートを父様(キバタン)と楽しむのだ。場合によっては、男二人で演奏を付けたりもする。

 そんなわけで、彼女の歌声を聞こうとするのに理由はいらなかった。……窓辺でなく直接聞きに行こうとするのは、どこか「会いたい」と想う気持ちが表れたのかもしれないが。

 

 辿り着いた場所は、かつてディアルマスが始めて外出したときの場所と聞かされている、家の隣の庭であった。地面からせり上がった樹の根に囲われていて、小さな広場のようになっている。

 そこで歌うレインを目にした瞬間、彼は動けなくなった。

 

きっと ひとりで立てるけど

それでも (みち)()けないのだ

そういうものだろう

あぁ この言葉もただ 花と麒麟

 

 彼女はひとり立ち尽くすように歌っていた。

 

 それは、まるで月の光そのものであるかのようで。

 白に近い、腰ほどもある髪が動くたびに揺れる。

 胸元で握りしめられた右手のせいで、押されて崩れた胸の形が生々しい。

 

 ただ、それに興奮するようなことはなかった。

 心底見惚れてしまっていた。

 

ひろくあいする だから どうか

ひとりで往く私を 許し ……うーん、違うかなぁ

 

 言葉からメロデーが消えて、悩むようにレインは首を捻った。

 そこでようやく動けるようになり、ディアルマスは声をかけた。

 

「レイン」

ファッ!? アル──あ、アルマ。どうしたんだい? もしかして起こしちゃった?」

 

 レインはひどく驚いたかのように振り返る。それから、歌声を聞かれていたことを少し恥ずかしがるかのようにはにかんだ(、、、、、)

 

「いや、眠れなかっただけだ。窓を開けたら声が聴こえてきたから、辿ってきた。それにしても、どこの言葉を喋ってたんだ?」

「うぇっ!? ……ええと、宇宙人の、言葉?」

「レイン、やっぱ疲れてるから寝たほうが……」

「違う! 違います! 今のナシ! あれです、古代の難しい言葉です、うん!」

 

 古代の難しい言葉らしい。

 

「えぇ……どうしてわざわざそんな言葉で歌を? やっぱり、奏の魔法は『最初の言葉』の方が効果が強くなるのか?」

「『最初の言葉』!? ……アー、ウン、そんな感じ、です、ます」

 

 なんか挙動不審になっているが、ディアルマスが最初に予想したとおりだったらしい。

 

「……なんだかね、この言葉の方が歌いやすいんだ。特に、今みたいに作曲してるときとかね」

「まあ、オレは歌のことはあんまり分からんが……」

「そんなこと言って、お姉ちゃんアルマが良い声してるの知ってるんですよ? 歌ったらいいのに。きっと気持ちいいよ〜」

 

 巫女の血がそうさせるのか、彼女はわりと何でもすぐに歌う。そして、楽しいからと他の人にも勧めてくる。ディアルマスがこうして歌に誘われるのはもう幾度目か分からない。

 彼女もそこまで拘ってるわけではないから、あまり真面目に受け止めなくていいことも既に承知していた。

 

「それにしても、新しい歌か。完成したの?」

「ううん。もう少しなんだけどね」

「そっか。邪魔して悪い。戻ったほうがいい?」

「んー、どっちでもいいよ。眠れないなら一緒にいよう。お姉ちゃんが、アルマが眠くなるまで一緒にいてあげる」

 

(……なんだかなぁ)

 

 彼女が、自分を大切にしてくれることは知っている。一切悪意がないことも分かっている。

 けれど、どうしてか、胸に痛みが走った気がした。

 

「……アルマ? どうしたの、どこか痛いの? 待ってね、いま癒しの魔法を……」

「あー、いや、大丈夫。心配ない。大丈夫だよ。……ちなみに、新しい歌ってのはどんな歌なんだ?」

 

 レインは本当に心配そうな表情を浮かべてディアルマスに駆け寄ってくる。

 そのことがまだ自分が守られる側であることを示しているようで、勇者は、表情を取り繕いながら姉を静止させた。

 

「……この歌は、そうだね。きっと、悲しい歌だよ。とっても悲しい歌だ」

 とっても悲しい、僕の歌

 

 そう呟く彼女の顔はいつもでは絶対にさらけ出さないような弱さがにじみ出ていて。

 悲しいはずの表情に愛おしさを見出してしまい、恥じた。

 

「……珍しいな、レインがそんな」

「にゃにぃ? お姉ちゃんだって喜怒哀楽ありますから!」

「それは知ってるけど…………ん? 怒ったことある?」

「え? ……ん……え、いや、ある、はず……あれ……? 僕は感情喪失属性持ちだった……?」

 

 生まれてこの方、ディアルマスはレインの怒った姿を見たことがない気がする。

 家族喧嘩も、基本的に幼い自分が勝手にいじけていた。

 

「きっと、アルマが可愛すぎて、視界にアルマがいる間は怒りという感情が霧散してしまっていたんだね。今もそうさ、キミを見ていると心が軽くなった気がする」

「レイン、ブラコンが過ぎないか……? オレあと6年で村出るけど、大丈夫……?」

「……ダイジョウブ、タブン。カアサマ、イル。オネエチャン、ダイジョウブ」

 

 だいじょばない気しかしない返答であった。

 いや、たしかに母様がいる間は大丈夫かもしれないが、彼女亡きあと、レインの伴侶となる人物次第では──

 

「…………ッ」

「だ、大丈夫!? どこか痛む? お姉ちゃんのおっぱい触る?」

「いや、いい……」

 

 またしても息が苦しくなった。取り繕うのに精一杯で、何かすごく重要なことを聞き逃してしまった気がする。

 

 しばらく沈黙が続いて、作曲に戻ることにしたのかレインは鼻歌でメロディを奏で始めた。

 

「──♪」

 

 彼女が音を奏でると、不思議と自然がそれに応えるように身を揺らす。

 月下のオンステージ。緑がざわめき、光の精に囲まれ巫女が舞う。

 

「──、〜♬」

 

 そこだけ闇夜をくり抜いたかのような、幻想的な空間であった。

 言葉より声が。声より唄が。唄が心を通わせる。

 

 観客に徹しようと思い、ディアルマスは適当な場所にあぐらをかいて座った。

 頬を撫でる風が心地よい。木々や葉の擦れる音が、さも歌姫(レイン)の奏でに伴奏をつけようとしているかのようで微笑ましくなった。

 たった二人の特別な舞台だ。他の観客は、自然と、そして空の星々──

 

(……あ)

 

「──♪ ──♫ …………うぅん、メロディーはいいんだけどなあ。本当に最後、どうしよう」

 

 レインは再び首を傾げる。

 正直なところ、ディアルマスに作詞の感覚はわからない。そもそも、音と言葉という別のものが繋がる原理もよく分からない。歌は好きだが、作る側にはなれなさそうだ。

 悩む彼女の少しでも気晴らしになればと、少年は柔らかく声をかけた。

 

「レイン」

「ん? どうしたの?」

 

 くしゃりと破顔しながら、空を指差してみせた。

 

 

 

 

「見てよ、ほら。月が綺麗だ」

 

 

 

 

 少女が息を呑む音がした。

 その理由はよく分からなくて、ただ、少年は、少女の髪を映したかのように白く、薄めの金を重ねながら輝くそれが、今この世界で一番美しいものだと思った。

 

「オレさ、レインのこと好きだよ。母様も、父様も、あとはついでにキバナ達も、この村の人みんなが好きだ」

「……」

「時々さ、すげぇ怖くなる。勇者ってのに。でもさ、レインが眠る前に抱きしめてくれたり、師匠が稽古後に冷やした果物出してくれたり、あとは買い物したときなんかに屋台のおっちゃんがオマケしてくれたり……そういうのがあるだけで、みんなのこと好きだって思う。『使命』じゃないんだよ。オレがやりたいからやるんだ」

「……うん」

 

 どうして自分がこんなことを語りだしたのか、ディアルマスにはよく分からなかった。

 ただ、月が綺麗で、たったそれだけで、目の前で悩む少女を救えるような気がしたのだ。

 

「オレはみんなのために何かしてあげたくて、幸いにもそのための『力』がある。たったそれだけで」

 

 「使命」なんて言葉を思いついた人は、きっとどこか恵まれていなかったのだろう。

 やらなければいけないからやる、だなんて言葉、聞くだけでやる気が失せる。

 やりたいからやるのだ。やりたくてもやれないから努力するのだ。

 理由は自分の中にある。自分の外に理由を探さなければいけない人は、きっとそんなことしてる場合じゃなくて、休むくらいの恵みは受けた方がいい。

 

「だからさ、レイン。どんなことで悩んでても、オレは聞くよ。『好き』ってのはそういうときのための便利な理由だ。オレだけじゃない、みんな、ちゃんと聞いてくれる。きっと大丈夫、だって、(世界)はこんなに美しいんだ」

 

 それはきっと、歌詞がどうとかそういう悩みについて言った訳じゃなく。

 あるいは、この薄汚れた世界を美しいだなんて言ってしまえる少年に、少女はどうしてか嬉しさがこみ上げてきた。

 

「キミ達はさ、どうしてそう……僕を泣かせたがるのかなぁ」

「ええ!?」

 

 突然涙声になる姉に驚くのを見て、レインはカラカラ笑った。

 

「……死んでもいい。うん、死んでもいいよ。みんなのためになら、死んでもいい」

「ばか、バカレイン、生きろバカ、何言ってんだ」

「そんなに慌てないでよ、比喩だよ比喩」

「死んでいいわけがないだろ、バカ、比喩でも生きろバカ」

 

 なんだよー、と嬉しそうに怒るという芸当を見せたあと、レインはハッと気付いたかのように目を見開いた。無論、この間ディアルマスは表情豊かな少女に見惚れている。

 

「え、待って! いま僕怒ってたんじゃない!? やった、これが『怒る』という感情か……!」

「いや、明らかに喜んでた」

「ぐはっ……! いやだ、属性盛りは僕の役目じゃにゃい……感情喪失属性はいやだ……」

 

 レインは悲しみをこらえるかのように胸を抑える。

 服のしわが胸を強調するかのように形を成すのを見て、ディアルマスは慌てて目をそらした。

 

「……」

「……」

 

 黙りながら互いに顔を見合わす。どちらも、相手の口元がヒクついていて、自分の口角も上がろうとするのを感じながら、しばしの間必死に堪えた。

 なんとなく変顔を浮かべてみせたら、同じことを考えていたのかほぼ同時にレインも変顔をした。それでも美少女なのが凄い。

 

「くっ、くくっ、ぷはっ、ふっ」

「ふ、ふふふ、あはっ」

 

 爆笑ではない。いわゆる「ジワる」という状態で、二人は怪しい笑い声を垂れ流した。

 

「ふ、くふ、う、ぅにゃあ……ゴホン。なんかね、いまなら歌が完成する気がする」

「お、じゃあ聞かせてくれ……く、くくくっ」

「ま、まって……ゎ、笑うと僕まで……く、にゃう、ぅぅう、うし! ヨシ! はい、レイン歌います!」

 

 しまらない形だが、一応歌い始めることになった。

 なお、ディアルマスは未だにツボにハマったままである。声を漏らすとレインがつられるので、必死にこらえている。

 

「じゃあ、3、2、1──」

 

 真夜中の演奏会は、ハミングによる簡単なコーラスから始まった。

 段々と調子づいてきたのか、ある程度リズムが整ったところでレインが息を吸った。

 

 

 

 

きっと ひとりで立てるけど

それでも (みち)()けないのだ

そういうものだろう

あぁ この言葉もただ 花と麒麟

 

灰の空が 続いているこの(みち)

誰にも頼らないから 太陽の光だっていらないから

誰も 私に気付かなかったよ

 

ずっと 心が泣くならば

折れても 足は支えているのだ

そういうものだろう

あぁ この言葉もただ 花と麒麟

 

もっと ひとりで居たのなら

踏まねば進めぬ 道草は あぁ

そういうものだろう

あぁ この言葉もただ 花と麒麟

 

ひろくあいすよ だからどうか

ひとりで往く私を あなたどうか

許してほしい

 

きっと ひとりで立てるけど

それでも (みち)()けないのだ

そういうものだろう

あぁ この言葉もただ 花と麒麟

 

ひろくあいすよ だけどどうか

ひとりで往く私を あなたどうか

いかせないで

 

あぁ この言葉より はやくキスを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 もう眠れそうだ、と言ったディアルマスをハグ(ぎゅー)して、おやすみの挨拶を告げて先に帰らせた。

 空を見上げ、彼が来る前から思い悩んでいたことにもう一度思いを馳せる。

 

 ヘリオの予想が正しければ、早くてあと2〜3年、長くても10年程度で僕は死ぬ。更にはルーナのお墨も付いたから、それはエルフと魔法というものの関係において間違いのない真実なのだろう。

 今の自分を「殺して」(元の真名を受け入れることで)、それでもなお過去の亡霊として生き長らえることに意味があるとすれば、それはこの世界で出会った人々と共に生きていけることだ。

 でも、そこで彼ら彼女らと生きる「僕」とは一体誰なのだろう。

 

 たとえば僕が、もっとマシな前世を送っていたらこんなに悩むことはなかったのだろう。むしろ新しい生命として生きるより、同じ名で前世の延長線として生きるほうがずっと簡単なはずだ。

 たとえば僕が、こうも独善的でなかったら、誰も悲しませないようにと真名を受け入れたのだろう。自分の唾棄する存在を、名前を、生き延びるためには受け入れるしかないのだから。

 

 神様(ヘリオ)は僕の事情は知らないけれど、現実をよく知っている。真名を受け入れろと、いつだって助言してくれた。

 神様(ルーナ)はきっとすべて知っていて、けれど答えを教えてはくれない。神にすがらず己で悩めと言う。

 

 そして。

 真名を受け入れるにせよ、死を選ぶにせよ、あるいは何らかの方法を模索するにせよ。

 

 僕にはきっと、すべてを伝えなければならない人達(・・・・・・・・・・・・・・・・)がいる。

 

「……っ」

 

 真名を受け入れることこそ僕にとっては死に相違ない、その考えはこれからも変わることがないだろう。

 けれど別に、死にたがっているわけではないのだ。

 当たり前だ。死にたいはずがない。死にたかったら今この場で風の魔法なり何なりをつかって首を切り落としている。

 だが、こうして真名のことを考えるたび気付くのだ。僕はまるで魔法に無理解なのだと。学校教育があるわけでもないし、仕方ない一面ではあるのだが。

 

 このままではきっとどこへも進めない。

 僕ひとりの力ではまったく足りていない。

 だから、伝えなければならない。

 

 だというのにこの身体は、そのことを想像するだけで恐怖に震えてしまう。

 なんて弱く醜い生き物なのだろう。

 

「……く、ない。嫌われたく、ないよぉ……」

 

 あの人達は、人格者ではあっても聖人ではない。普通の心を持った普通の人なのだ。

 これまでずっと大事なことを騙されてきたと知って、怒らない人がいるだろうか。

 騙しているくせして、まるで平気な顔で生活する人格破綻者を嫌悪しない人がいるだろうか。

 あまつさえ一方的に真名を知っている者のことを、前世などという得体のしれない知識・経験を有している存在のことを、どうしてこれからも愛してくれるなんて思えるだろうか。

 

 すべてを話せば許してくれると期待するのは、信頼ではなく傲慢という。

 悩んでいれば助けてもらえるという思考は、性善説どころか人を人とも思わぬ奴隷商と変わりない。

 

 話さなければいけない。

 けれど、話すのは怖い。

 

 そんなありふれた不安で、僕は一歩も動けなくなってしまっていた。

 

 

 ──だけど。

 

 

『お主は、どうしようもなく、紛うことなく────ひとりの『人』じゃ』

 

『心中で自分を貶めるのは心地よかったか? 図に乗るな。我から見れば、誰とて未完成で未熟な赤子、人の子じゃ。その程度で、『人』から逃れようなどおこがましい』

 

 

『だからさ、レイン。どんなことで悩んでても、オレは聞くよ。『好き』ってのはそういうときのための便利な理由だ。オレだけじゃない、みんな、ちゃんと聞いてくれる。きっと大丈夫、だって、(世界)はこんなに美しいんだ』

 

『死んでいいわけがないだろ、バカ、比喩でも生きろバカ』

 

 

 

 

 生きた言葉が、なぜだか無性に頼もしく思える。

 往きたかった道を、薄らぼんやりと照らしてくれている。

 

 

「嗚呼、そっか。月が綺麗だから、それだけで……」

 

 

 たったそれだけで、途を往けるのだ。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

告白編
え、おっぱいって凄くない? いやさ、素直に、凄くない? なにこれ? え? 大きくても小さくても、たとえどんなおっぱいだって豊年だああああ!!!


拒絶ルートだとアルマ逆レルートが解放されたんですけれどね。
兄貴達は許容ルートをご所望らしいので、そうさせてもろて…。

とりあえず、おっぱいで1000字書きます。




ど う し て こ う な っ た (5回目)



 天上の果実(かじつ)を食べたことがあるだろうか。

 

 

 

 

 至高の宝物(ほうもつ)に触れたことがあるだろうか。

 

 

 

 

「は……ぁっ、ふぅ、ふぅぅぅ……っ」

 

 喩えるなら、それは初めて処女雪を穢したときの歓喜のようで。

 あるいは。

 豊年と、口から言葉がこぼれ落ちてしまうほどに満ち足りたもので。

 

「ふっ………………っ……ぁ、ぁ、ぁ、あ、あっ」

 

 ともすれば、別の言葉で表すことそのものが冒涜となりかねない────神秘だ。

 

「んっ…………♡♡ んぅぅ……っ♡」

 

 成人にも満たない、齢14ばかりの幼い女。

 少女性が極まりを魅せるその年頃の娘が神秘に触れている様は、さながら一枚の絵画のようであった。

 

 名画。

 宗教画。

 あるいは、春画。

 

 そのどれもが似つかわしくない、ただ前にするだけで涙が自然と流れ落ちるような光景は、しかし一人として観客を持たなかった。

 

 いや、誰に見せることがあるだろうか。

 「これ」は、僕のものだ。僕だけのものだ。

 

 相手を組み敷き、親指からわざとらしく形を強調するように、全体をすくい上げる。

 

「────っっ♡」

 

 指から力が加わる度に跳ね上がろうとする腰は、上から乗ることで動かないように抑えている。

 ()せばいいのに、いじらしく、恥じらうように、声をこらえているようだ。

 

 両手に包まれるマシュマロのようなそれは、決してこぼれ落ちるほど大きくはなく、しかし物足りなさを感じるほど小さくもなく、一途にこの手に吸い付いてくる。

 それを包むためにこの手が存在するのか。

 この手に包まれるためにそれが存在するのか。

 

 包むだけでは物足りぬ、などということはない。

 しかれど、好奇心が殺すのは猫だけではないようで。

 堪え性というものも……いわんや。

 

「──ァ、ぅ、ぁ、……ぁぁあ、ゃ、はぁぁ……ッ♡♡」

 

 開こうとしないその(くれない)を、ただ快楽に依って開かせるのも、また一興。

 

「あ、ふ、ぅぅぅう♡ ゃ、ゃぁああっ♡ れ、ぃ、ん……、い、ぃ?」

 

 側部。付け根。その内奥へと各々の指を自由に動かしてやれば、白桃は沈み込む指先を受け入れるかのように形を変え、時折コリコリとした感触とともに弱点を晒す。

 今でこそ彼我互いにさしたる差の無い大きさのものが付いているが、相手の方はかつてから変わりのない弱点があり、ともすればかつてよりも弱い場所は増えているのかもしれない。

 もはや、全てが。

 

 呼ばれたのは己の名前。

 いい、とは何の許可を求めたものか。

 推し量ることさえ必要のない、その甘く健気なおねだりに答えるべく、耳元に口を寄せる。

 

 そして、囁いた。

 

「────」

 

 そして、今まで触れていなかったその先の方の尖りを、サディズムの癖でもあるのかと勘違いされかねない程に、強く引いた。

 

「■■■■■■■■■■■っっ♡♡ ■■■■〜〜〜っっ♡ ■■っ♡」

 

 耳をすませば、「い」の字と「く」の字くらいは判別できたのであろうか。

 もはや人語から乖離したその絶叫を聞きながら、彼女の意識が戻ってくるまで、己の真っ赤な舌先で、チロチロと引っ張った部位を慈しむようにやさしく(ねぶ)るのであった。

 

「──愛してるよ、テレサ」

 

 多少は客観視ができる身としては。

 さぞかし、愛らしく、可憐で、妖艶で、もっぱら嗜虐的な、魔性とも言える笑みを浮かべているのだろうな、などと、ぼんやり思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやぁ、おっぱいって良いですね……!!

 控えめに言って最の高。特に母様のおっぱいは至の高。

 僕が生まれてから15年近く立ってるのに、まだまだハリがあって触り心地もすべすべで形もエチチでほんでそんでエチチでエチチ。嗚呼。

 意訳するとそんな内容のことを、乱れた寝台の上で告白した。

 

「君は、昔からこれが好きだよね……」

 

 呆れられた。

 

「でも、誰のでも良いんだろう?」

「そんなことはありませ──」

乳母(フェリシア)、それに、乳母娘(アイリス)

 

 閉口。ついでに、目をそらす。

 

「むむむ」

ひた()たたた……っ!」

 

 ほっぺを摘まれた。

 実はそこまで痛くないけど、様式美なのでとりあえず痛みを訴える。

 

まにをすひゅんれすか(何をするんですか)

 

 ほっぺをつねるのはやめてくれたけど、今度は餅をこねるみたいにムニムニ遊びだした。

 

「ふふふ、可愛い……。それに、スベスベだね」

うみゃぁ(うみゃぁ)……」

 

 満足そうに笑ってる母様が可愛いので僕も満足です……。

 いや、なんだ、この幸せそうな表情。凄いな。人ってこんな幸せな表情浮かべられるのか?

 

「そんなに幸せそうな顔してさ、まったく──んっ」

「んむっ……ん、ちゅ、ぇあ……んむぅ……」

 

 どうやら僕も相当に幸せそうな表情になっていたらしい。母様を目の前にしているのだから、ある意味自明の理であった。

 まさに目と鼻の先といった距離にあった顔が徐に寄せられて、軽く唇を(ついば)むような柔らかいキスから、段々と舌が絡み合う。

 

「でも、気持ちは分かるよ。私も、君のを触るのは好きだし、それで君が(もだ)えている姿を見るのは可愛らしい……こんな風にね」

「──っ、ちょっ、か、さまぁぁ……、だめ、ですっ……♡」

 

 胸の話の続きらしい。

 何度も達して疲れた体とはいえ、母様に戯れでも触れられると反応してしまう。

 母様はそこでパッと手を離し、安心したような、どこか残念なような気持ちになる。

 でも、代わりにぎゅうぅと強く抱きしめられた。えへへ。

 (ぬく)い人肌と、滑らかな白磁が心地よい。

 

 ただ、その身体は少し震えていたようで。

 

「あの、ね。そのね、もし、……もし、君が大きいほうが良いんだったら、その、ね」

「……?」

「頑張るから、私、ううん、何ができるか分からないけれど、頑張るから……だから」

 

 捨てないで、と。

 何度目かになるその要求は、もはや言葉にされなくても伝わった。

 

 僕、おっぱいに釣られるような人に見えるだろうか、見えるだろうな、などという逡巡はもはや殆どしない。

 ただひたすらに、「捨てる」という表現が嫌だった。

 

「人は、『捨てる』ものじゃありませんよ」

「じゃあっ! ……じゃあ、離れ、ないで……。君が、離れてしまったら、いなくなってしまったら、私は駄目だ。もう、駄目なんだよ。何だってするから、フェリシアも、アイリスも見ないで。私だけを、必要として、ほしい」

 

 震える声で、何を言ってるんだろうか、この人は。

 ──捨てられるとしたら、それは僕だろうに。

 

 選べる立場にいるのは母様だ。

 アイドルみたいなことを奏巫女として素でやっているくせして村の誰からも愛され、父様のような伴侶を難なく捕まえ、フェリシアのような悪友だか親友だか曖昧な関係の相手を持ち、僕の前世にいればみんなの中心人物として活躍していたことだろう。

 反面、嘘に(まみ)れた僕が、人でなしの僕が、どうして捨てられないと思え──

 

 

『──人未満? 人でなし? 馬鹿を言え。お主はもとより、立派な「人」じゃ!!』

 

 

 ……ああ、ルーナ、ごめんなさい。

 そうですね。どんなに矮小でも、僕は「人」から逃れられない(・・・・・・)

 

 存外、他人の言葉も効くものだ。

 瞬間的にではなく、要所要所で、気付かないほどに小さく。

 

 

 ぎゅうと、ちょっと苦しいかなというくらいに母様を抱きしめた。互いの胸が押し付けられて(つぶ)れる。

 成長して一番良かったことは、こうして強く抱きしめてやれることだ。顔を寄せ合い、体を抱きしめ、足を絡められる。

 

「母様、テレサ、大好きです。愛しています」

「そんな、言葉なんて」

 

 アイシテルも、スキも、ただの言葉に成り下がれば無価値なことは重々承知している。

 母様を安心させたいだとか、この震えを止めてやりたいだとか、そんな理由で囁くのではないのだ。

 

 この苛立ちの根源を。

 

 溢れんばかりの愛情を、はち切れんばかりの恋慕を、僕を満たすこの情動を。

 たまたま、表現するのに丁度いい「言葉」があったから並べるのだ。その種類に意味はなく、その並びにさえ意味がない。

 並べていく過程、並べようと想った意思、その心を。

 

「ねえ、テレサ、好きです。大好きです。好きで好きで好きで、ただただ、好きです。ね、聞こえていますか。好きです。好き。好き。好き、好き、好き好き好き。ね、テレサ。好き、テレサ、好きだよ。心から」

「ぁ、か、ふ、ぃゃ、ぁっ、はぁぁ……♡」

 

 特別なことはしてなくて、ひたすら耳元で好きと囁いているだけだ。

 それだけで、母様はまるで感じているかのように体をくねらせ、淫靡な踊りを魅せる。

 密着している僕にはそれが見えない。自分が何を言っているのかもよく分かっていない。分からないことだらけだ。

 

 まあ、世の中分からないことの方が多いもので。

 

「テレサ、好き。てれさ、てーれさ、て、れ、さ。愛してる。ね、てれさ、ふーっ、ふふふ、ビクってしたね、耳気持ちいい? 気持ちいいんだ。あ、逃げちゃ駄目。もっと。もっと言うよ。好き、好き好き好き好き好き好き好き好き好き……今10回くらい言った? でもまだ駄目♡ て、れ、……さっ♡ えへへ、ねえ、名前呼ばれるのと好きって言われるのどっちが好き? ……どっちも駄目? じゃあ、どっちも言う♡ テレサ、好き。テレサ、すーきっ。てれさ? てれさ……。てれさ! えへへ、好き、好き。好きだよ、テレサ。えっちな声でてるね、テレサ。僕に好きって言われるの感じる? いやらしくて、可愛いね。てれさ、可愛い、すき。好きだよ。好き好き好き……」

 

 好きと囁く度に、嬌声が上がって母様が体をよじらせる。

 えへへ、楽しい。愉しい。あとえっちで可愛い。

 

「てれさ♡ てれさ♡ てーれさっ♡ えへへ、楽しいね、気持ちいいね、幸せだね♡ すき、てれさ、すきぃー。ずっとこうしてられるね、好きだよ、テレサ。ね、届いたかな? まだ不安かな。もっと言いたいから、言うね。あむ……ぇお…………ふふふっ、好きって言われると思った? 残念でした、耳舐めでしたぁ♡ 気持ちよかったよね、テレサ、軽くイッてたね。変態。変態、変態、変態♡ へーん、たいっ♡ ……またイッた? そうだよね、耳が濡れて、音が一層いやらしく聴こえるもんね。僕の声で、いやらしく響く僕の声で感じちゃうテレサ、すっっっごぉく、可愛い。湿ったままさっきみたいに囁かれたらもっと気持ちいいね。行くよ、好き、好き好き好き好き好き好き好き好き好き、す、き♡」

「──も、もう、分かったからぁ、ゃめっ!」

「テレサ、好き。テレサ、大好き。テレサ、愛してる♡」

「は、ぁぁん……っ♡」

 

 なんだこれ。楽しいな。

 寿命3回分くらいは継続できるぞ?

 

「て、て、て、てれさっ♡ てれさぁ♡ ふふふっ、えへへへ。テレサ、耳真っ赤。顔も真っ赤。首も真っ赤。肌は真っ白で綺麗♡♡ 全身えっちで、全部可愛い! ね、好きだよ。テレサ好き、大好き。だぁいすき♡ 好き、好き好き好きっ、テレサが好き、テレサじゃないとだめ♡ テレサを愛してるんだ。テレサ。てれさ。てぇれさ。えへ、へへへへ。もう、この、このぉ。ういやつめういやつめっ♡」

「まって、すとっぷ、だめ、もう、だめぇ♡ もたないからっ……♡」

 

 流石にまともに喋れない母様が可愛そうになったのと、喘ぎ声だけじゃなくてちゃんとした声も聞きたいから渋々中断した。

 はぁ、はぁ、と色っぽい呼吸で息を整える母様にムラっと来たけど、我慢我慢。我慢……しなくてよくない?

 

「てれ──」

「すとっぷって! 駄目! だーめっ!」

「ちぇ……」

 

 ちょっとやりすぎたのか、キッという目線で母様が制しながら睨んでくる。

 かっこよくて可愛い。滅茶苦茶にしたい。具体的に言うと、くっころさせたい。

 でも我慢我慢我慢。我慢……しなくて──

 

「よくない!」

「……ハイ」

 

 このやり取りを繰り返して、なんとか落ち着いた。

 ヤバかった。なんかキマってた。おハーブキマってた。

 発情期の猿だってあんなんならんだろう。どうやら、「好き」という言葉は言われた側だけでなく、言った側も発情に(かどわ)かす何かがあるらしい。

 気をつけよう。母様可愛かったからこれからも言うけど。

 

「……その、君は、嗜虐志向があるよね。何度もやめてって言ったのに」

「はい。何度もイッてましたね」

「……」

ひはいれす(痛いです)

 

 様式美。痛くないし、むしろ触れられているところは気持ちいい。

 

「でも、母様も僕をイジメてるときは愉しそうです」

「涙目で顔真っ赤にして悶えるレインが可愛い。可哀想で、可愛そう。可哀想は可愛い」

 

 僕も母様にイジメられるの好きです!

 それにしても、その表現どっかで聞き覚えあるな。

 

「つまり、お互いどんな事をし合っても愛し合える僕たちは相性ひゃくぱーです。無敵です。さいきょーです」

「うん」

「離れませんよ。僕には人を『捨てる』なんてできませんし、母様から離れることもしません」

「……ん、嬉しい」

 

 ふへへ。えへ。へへへ。

 

 ……流石に、そろそろ寝ましょうか。

 学校もない僕は別に朝早く起きなきゃいけない理由もないけれど、KENZENな精神はKENZENな生活に宿る。KENZENってなんだ。

 それに母様は公務がある。巫女は歌って踊ってだけじゃなく、それなりに面倒な書類と向き合う機会も多いのだ。

 

 

「ありがとう。愛してるよ、レイン」

 

 

 母様の腕の中でその言葉を聞く。

 その(ことば)が。

 

 もう、反応することもなくなった心を、ざわりと揺らした。

 

 はじめてその名で呼ばれたときのような罪悪感。

 それはきっと、これ程までに母様の真名(テレサ)を呼んだのが、初めてだったから。

 

 ピクリと動いてしまったかどうか、自分の身体の反応すら分からないまま、僕は微睡んで──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──レイン。

 

 母様の声が聴こえた。

 どこからか。

 

 

 ──レイン。

 

 眠っていませんよ。

 まだ、起きていますよ。

 

 

 ──レイン。私に、隠していることがあるよね。

 

 あります。

 

 

 ──レイン。私に、伝えたいことがあるよね。

 

 はい、あります。

 どうして。

 

 

 ──そりゃあ、ね。

 

 親だから、ですか。

 

 

 ──

 

 愛しているから、ですか。

 

 

 ──

 

 愛している相手が、愛を叫んだ名が、偽物でも言えますか。

 

 

 ──

 

 悩みを打ち明けて、すべて壊しやしませんか。

 

 

 本当に前に進むべきですか。

 

 

 それは、本当に前ですか。

 

 

 前には奈落が広がっていませんか。

 

 

 信頼なんて、曖昧なもの。

 

 

 縋ったって何の意味もない。

 

 

 僕は、僕が大嫌いです。

 

 

 みんな、僕を知らないんです。

 

 

 みんな、奏巫女の娘が好きなんです。

 

 

 僕も、奏巫女の娘が好きなんです。

 

 

 だから、僕は、僕が嫌いで嫌いで大嫌いで。

 

 

 そう思っている自分が、思えている自分が、好きでしょうがない。

 

 

 自分は、自分が大好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──「レイン」……私は、私達は、ちゃんと聞く。聞くよ。このことだけは、絶対だ。

 

 

 ──愛してるから、家族だから、信じてるから。

 

 

 ──馬鹿らしいよね。そんな死んでしまった(ことば)の、どれでもない。

 

 

 ──これは、君に愛される者の責務として(・・・・・・・・・・・・・)。ただ、それだけ。

 

 

 ──だから、待ってるよ。

 

 

 




**連絡欄**
ちょっと生活がbusyなので、セクハラincludingな導入回です(英語の勢いで誤魔化せ!)
金曜更新の方は匿名投稿にしました。誰が書いてるんでしょうねアレ?(知らん顔)
作者の都合でご迷惑おかけしますが、Twitterまで聞きに来てくれた兄貴とかいて嬉しかったです(素直)

都内が少し不穏ですが、今週も元気にいきましょう〜。

ps.朝からなんかこんなんでごめんな(誠心誠意) おっぱいで1000字書くって宣言したけど、囁き耳舐めでも余裕で1000字書いてたわ。へへへ。
最後だけ読めば、シリアス回。エロ:シリアス=8:1とか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最近は色々と立て込んでいたから、たまにはお昼寝でもしてのんびりしませんか? 自然が豊かで風の気持ちいい場所で、ゆっくりtzzZ…

この作品は、インモラルではなくアモラルです。
正常な倫理観を持っているキャラを出さないと一生このままです。

……誰かァ!!(孤立無援)



あ、前話の「豊年だ」ってのは暗夜行路のネタです。
主人公が娼婦の爆乳を揉みながら「豊年だ!豊年だ!」と叫びます。

……志賀直哉ァ!!



 

 

 

 

 

 

 

 

「──ヵは、ァ、……ガ、ぁぁぁあ、あああ、は──ぎァ、ァァ」

 

 

 

 

 血液と共に体中に鉛でも流しているのかと錯覚するような不快感。

 かろうじて己が仰向けで寝ていることを知覚できるが、もはや、触れる地面の感覚も、硬直するかのように張られた身体も分からなくなるほどに思考が定まらなくなっている。

 嘔吐感。喘ぐように、陸に上がった魚のようにパクパクとしか動かせない口、あるいは喉が思うままに動くはずもなく、段々と胸のあたりで増してゆく気持ちの悪い苦しさがいずれ胃液を逆流させることを悟らせる。

 

 

 

 

 ──そして、それら全てが多幸感(しあわせ)で塗りつぶされた。

 

「ふぅっ──、ふぅっ──、は、うぁぁ……」

 

 身体が苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくてたまらないのにのに、汚穢(おわい)のあらゆるを煮詰めたかのような黒く茶色く濁りきった心が、さも己は純白であると言わんばかりに舞い踊る。

 

 つらい辛い、ちがう、これは、幸せしあわせしぁわせ。

 どっちどっちどちどちどち、どちどちどちどっち?

 

 視覚ははたらかない。火花が散るように、チカチカと脳を埋める信号で片っ端から埋められてゆく。

 身体の、きっと(はら)のあたり。何かが触れているような感覚がして、あたたかくて、きっとそれが全ての原因で。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、ハッ、ハッ、ハッ」

「……耐えよ、人の子。もう少し、もう少し……」

 

 だれかのこえがきこえる。

 

 不快感(しあわせ)

 嘔吐感(しあわせ)

 倦怠感(しあわせ)

 圧迫感(しあわせ)

 閉塞感(しあわせ)

 絶望感(しあわせ)

 孤独感(しあわせ)

 孤独感(しあわせ)

 孤独感(しあわせ)

 

 ……

 

「……あと10分」

 

 ガチガチガチと頭の中で響くような雑音。

 なんだこれはと一瞬頭をはたらかせれば、己の歯が勝手に震え動いているのだと気付く。

 そして現状についての情報を処理した脳が即座にアラートを出し、存在すること自体が苦しくなるほどの絶望感(ぜつぼうかん)に襲われる。

 

「はっぁ、ぁ、ぁ、ぁぁあああアア──」

 

 なみだがとまらない。

 楽になるために、すぐにまた意識を手放し、絶望感(しあわせ)に身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んにゃ、ぁれ、終わってましたか」

「半刻ほど前にな。今日も今日とて、ご苦労なことじゃ」

「やっぱそのくらいは意識飛んだままですよね……。ルーナこそ、いつもありがとうございます」

 

 縁側でうたた寝をしていたら夕方になって目が覚めたときのような、心地良くも時間の跳躍に驚く感じ。

 ルーナの腕の中に包まれたまま意識を取り戻した。

 お互い全裸だが、別にそういうアレでなく、肌の密着を増やすためである。ムラムラはする。でも手伝ってもらっている身分で襲うとかできない。

 

 どうして肌を密着させるのかと問えば、ひとえに──魔法のため、だ。

 

 

 

 

 ヘリオがルーナに乗っ取られて7年と少し。

 もはや非憑依時に関わった時間のほうが短く、直接接した時間を考えてもルーナの方が長いだろう。

 ルーナの仮依代を作ってヘリオに表層に出てきてもらえるのは1日1時間くらい。それ以上耐えられる依代を作ることもできるのだが、今度はそれでヘリオとルーナの定着に問題が生じてしまうらしい。

 

 魔法についてルーナに教えを乞うて、常日頃から行うよう指示された「観測」と「分析」。観測は、少なくとも自分の魔力に関して。

 では毎度ここに何をしに来ているのかと言うと、ルーナがいなければできないことをするためだ。

 

 曰く、知識量なんてどうとでもなるから、最後にモノを言うのは保有する魔力量と入出力可能な魔力量だ、と。

 

 しかし、魔力量というのは普通変わらないのではないか。親からの遺伝と理解していたが。

 そう問えば、返ってきたのはその通り、という返答であった。

 

 たとえば身長や体重は遺伝に由来するところが大きい。筋トレだのなんだので変動することはあるが、それで人外の領域に達するか? と問われればそんなことはない。筋トレで象より大きくなった人類はいないだろう。

 魔力もそれと変わらない。魔法を使えば使うほど増すこともあるだろうが、それは微々たるもので、僕がヘリオに追いつくにはまるで意味がないと。

 というか、ヘリオお前人外の魔力量持つのかよ。

 

 それはさておき。

 じゃあ人外になるにはどうすればいいか。扱える魔力量を増やすにはどうすればいいか。

 肉体で言えば、身体の保有する血液量を増すにはどうするか。

 血管、太くすればいいじゃん、と。

 

 いやそうはならんやろ、と唱えた。

 血管太くして、人外の、頭の悪そうなことを言えば1億リットルの血液を保有はできんやろ、と。

 

『それは、肉体の物理的な、場所的な限界があるからじゃ。じゃが、魔力は物質的な限界がない。いくらでも広がるし、いくらでも重なる。まあ原理的にで、実際は広げ過ぎたら切り離されるがな』

 

 そんなわけで。

 魔力にとって血管に当たる部分を太くしましょうということになった。

 

 必要な技術は多岐にわたる。

 自身の魔力を体内で巡らせられること。自分以外、特に空気中の魔力と自身の魔力間の入出力が可能であること。魔力を巡らせる部分(血管にあたるとこ)を微小量拡張できること。その分の負担を癒せるだけの治癒をおこなえること。加えていい変化の限界を見極められること。変化に伴う被験者への精神的な負担を、脳の回路や分泌される物質にアクセスしてなくせること。などなど。

 僕はこの内、一番はじめのしかできない。まぁ、周囲の魔力塊を食べれば魔力の入力はできるんだけど、それはあまりに使い勝手が悪い。

 

 一般的なエルフではひとつもできない(そもそもやらないし、やろうという発想にならない)技術を、ルーナはまるで地面に落書きでもするかのように簡単にやってしまう。

 彼女曰く、高等なことかもしれないが、必要な魔力の量は少ないからヘリオ(この体)でもできる、とのこと。

 僕の体に触れて彼女の魔力の残滓を扱い、それによって周囲の魔力を自身の擬似的な魔力として振る舞わせ、前述した「作業」を行なう。控えめに言って頭おかしい。

 

 ここまでの話がよく分からなかった人のために血液量に例えて今北産業しておくと、

 ・他の生き物の血も流し込んで無理やり血管拡張。

 ・痛みは脳の快楽物質(ドーパミンとか)を操作して全部幸せに変換。

 ・血液タンク人間レインの完成。

 といった具合である。特に二行目頭おかしい。MADを感じる。

 

「それより、いつまでひっついておるんじゃ。動けるようになったなら離れんか」

「えー……」

 

 邪険な扱いをされる。ひどい。

 

 正直、今の記憶としては「作業」中は幸せだったはずなのだが、実際にはルーナも罪悪感を覚えるほどの苦しみ方をしているらしい。まあこの神、結構人道的な方ではあるのだろうが。

 だからなのか、終わってからもしばらく意識が飛んでいるらしく、意識が戻った後もどこか倦怠感を覚える。体力的には癒やしてるのだからありえないとして、おそらく精神的なものだ。

 涙とか鼻水とかよくわからん液体とか、僕が寝てる間にルーナが毎度綺麗にしてくれているらしい。なんだこのエセ女神、アフターケアまでばっちりかよ。

 ちなみに、さっき挙げた必要な技術リスト以外にも、僕が暴れないよう手足を弛緩させる魔法を使っていたりする。これは僕も少しなら真似できる。脳の回路ではなく、筋肉周辺の信号のやり取りをしている部分を妨害する感じだから、真名を知る必要もない。

 

「もうちょっとこのままでも良いですか? これ、あったかいし気持ちいいんですよ」

「まったく……」

 

 互いの肚をピッタリと合わせ、他の部位もなるべく触れ合うように抱きしめられたままの姿勢。

 「作業」後に僕が意識を失ってからこうして暫く経つまで、ルーナはこうして僕の魔力をゆっくりと循環させてくれる。

 傷跡を優しく撫でるようなものだ。僕の何倍も繊細な操作で、わずかに止まっていないと分かる程度の速さで魔力を巡らせる。「作業」と違って無理矢理何かに変化を加えるようなものではないから、身体への負担は生まれない。

 

 というか、最初にこの場所でルーナと出会った時にあったように、魔力を適切な速さで巡らされるというのは、時に性的快感すらもたらす。

 

 珍棒を撫でる速さだと思ってくれればいい。

 触るのがすごい上手な娘に、ほぼほぼ動かさないくらいでも撫でてもらえば気持ち良いだろうし、リズミカルに(こす)られたら腰が砕けるような快感を味わうだろう。そんな経験なかったけど。

 

 まあ、今はゆったり撫でられてるくらいで。

 ルーナは髪を指で梳いたりもしてくれて。

 

 うららかな陽射し、午後のとろけるような優しい空気が、いそいそと上瞼と下瞼のお見合いの準備を始めた。あるいは、テントで野営準備。

 有り体に言えば、眠くなってきたでござる。

 

「るぅ、なあ」

「なんじゃ。眠そうな声をして」

「ねむいんですょ……。このまま、お昼寝していいですかぁ?」

「お主……自分勝手が過ぎんか?」

「いゃならこのままそこらへんに転がしといてください……でも、いっしょにお昼寝、だめですか?」

 

 まどろみながら喋っているので、いつもより多少子供っぽい口調になる。

 ルーナは百面相をしてから、ため息をついた。

 

「嫌でないというのが、情けない」

 

 なんか言った。

 そろそろ瞼のお見合いが始まりそうで、何言われたかよくわからん。

 たぶん、お昼寝、おっけーってことかと。

 

 じゃあ、午睡(シエスタ)させてもろて。

 

「あ、そうだ。転生のこと、はなしても、いいですか」

「は!?」

 

 あぶない。わすれるとこだった。

 きょうはこれ言うもくてきでもあった。

 

「かぁさまと、とぅさまと、あるまに」

「ふむ……」

 

 眠い。寝たい。寝よう。

 

「まあ、それはそれで、メス堕ちが美味しく(シコリティ高く)なるか?」

 

 なんか言っとるきがすはろげんかるこげん。

 わからん。寝よ。ねましょ。おねんね。

 

「ね、るぅな。おきてから、へりおもいっしょに、さんにんでもっかい、おひるねしよぅね」

 

 起きて、泥人形作って、ルーナ憑依させて、3人でもっかいお昼寝。

 お昼寝がしたいきぶんぶんぶんはちがとぶ。

 3度寝まではセーフって、聖書にもかいてあるから。たしか。

 

 もう上瞼さんと下瞼さんのお見合いは終わっていて、熱愛ぶりを発揮している。ぼくとかあさまに負けず劣らず。やるな。

 二人の仲を断つわけにもいかないから、僕は目を閉じたまま口だけにへらと動かして、おやすみ、とルーナに言った。

 

「しかし、勇者に渡すのが惜しくなってきたやもしれん」

 

 

「なあ? 宿主」

『──ああ、本当に』




〜3時間後くらい〜
レイン「zzZ…( ˘ω˘)スヤァ」
ヘリオ「zzZ…( ーωー)スヤァ」
ルーナ「zzZ…( _ω_)スヤァ」

**連絡欄**
ついったにちょっと上げましたが、誰も描かないので支援絵(自給自足)として幼少期レインのデフォルメをざっくり描きました。
レインデフォルメ表情差分(別タブで開かれます)
森人日常編くらいまでの範囲です。イメージと違った場合は各人の今までのイメージのまま読み進めて下さって大丈夫です。
髪色と、目の色がこんな感じっていう。髪の彩度もうちょい低いかも。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三者面談って、やる前は滅茶苦茶緊張するけど実際にその時になったらびっくりするくらいどうでもいい話するよね。僕の初めての高校の面談、先生が「本当に女の子じゃないんですね?」って確認取ってたのが懐かしい。

 

 

 

 

 ──傷付けてしまうことは知っていた。

 

 この世界の人達が何よりも大切に思う、命のようなものだから。

 

 

 

 

 ──何も言い訳にできないと分かっていた。

 

 僕自身が何よりも大切に思う、命のようなものだから。

 

 

 

 

 ──あなた達がどう思うかも理解していた。

 

 ずっと一緒にいたから。家族だから。愛しているから。信じているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──知っていた。

 ──分かっていた。

 ──理解していた。

 

 

 

 

 ──つもりだった(・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめん」

 

 そう言って立ち去ったあなたは、きっと誰よりも傷付けられたはずだ。

 

 

 

 

 すぐに彼女を追いかけた彼は、気付きさえしていない裏切りを受けている。

 

 

 

 

 静かに立ち尽くした君は。

 

 空を見上げ、いつしかいなくなっていた君は。

 

 もう一度、月が綺麗だと、だからすべて上手くいくと、笑ってくれるのだろうか。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「あーやばい、むり、吐きそう。吐いていい?」

「儂に聞くな、儂に。吐くならせめて川にしろ」

「いや家の主以外誰に許可を取れと」

「儂を家主と思うなら、そもそも人の家で吐こうとするな?」

 

 酷いことをおっしゃる。

 

 アルマには何でも相談しろと言われ、母様にはちゃんと聞くからと背中を押してもらい、父様には特に何も言われず。

 転生後の家族である彼らに前世からの云々を伝えることにした僕は、場所として神樹の聖域を選んだ。

 あ、でもこないだリビングで本読んでたら、飲み物を取りに来た父様に「相談したいことがあったらいつでも言ってね」みたいなこと言われたな。本に集中してたから忘れてた。僕ってそんな悩んでるの分かりやすいんだろうか。

 

 ちなみに、聖域を選んだというか、選ばされた。

 こないだここでお昼寝をした日、「家族にぶっちゃけるわ(意訳)」とルーナに伝えたところ、起きてから、ここで伝えるようにと言われた。

 まあ、転生云々の話とか、実際にルーナがいたほうが話しやすいしな。そうなると、なし崩し的にヘリオがおっさんじゃなくてメスガk……おにゃのこであることも伝える必要がある。

 まあ、まとめて伝えてしまいましょうということで。受け取る側が情報量にパンクしてしまわないかだけが心配である。

 

 いや、他にも心配事はある。

 

 受け入れてもらえるかどうか、嫌われてしまわないかどうか。

 人に背中を押してもらったところで、怖いものは怖い。

 一歩目を進む勇気をもらえたというだけで……いや、むしろバンジージャンプを自分のタイミングでなく人に押されて始めると考えるとこっちのほうが怖い。

 バンジージャンプ、パリピの遊びだからやったことはないが、もし押し出すような奴がいたら僕はブチ切れる自信がある。

 

 そんな不安で、胃がシューマッハ。

 爆速で回転する洗濯機のごとく中身がごった返しになっている。うえぇ。

 

「おぅい! 見よ、人の子、宿主! この純白の机! 椅子!」

「「うわ、きも……」」

「アァン!?」

 

 その辺の雑草の上に座って長々と話を聞いてもらうわけにもいかないので、簡易な机と椅子を用意することにした。

 土人形を作る手順の劣化版で適当に土固めればいいかと思っていたのだが、どうもルーナはインテリアに一定の(こだわ)りがあるらしく、作成を彼女に任せることにした。

 曰く、天上にいた頃は自分で色々試作していたとかなんとか。父様と話が合うのかもしれない。

 

 そして出来上がったというブツだが、まあ、さり気なく華やかな意匠を備えつつ、全体的にシンプルなデザインに収まっていて普通に凄いのだが、問題はその色だ。

 

「えぇ……ほぼほぼマジの白じゃないですか……」

「純白なんじゃから、当たり前じゃろう」

「本物の白色なんて現実に存在しないって名言知らないんですか……? あんまり魔力の無駄遣いしないでくださいよ」

 

 土人形を作る場合、おおよその色素は周囲の物から用意する。

 某レン君もそれで見た目をエルフらしく整えていたのだが(なので内蔵などは実装されていなかった)、白に限ってはめったに自然界に存在しない。

 花とかで白色のものもあるが、それは純粋な白ではない。

 

 じゃあどうするかと問われればマリー・アントワネット(なければ作ればいい)論法を導入するのだが、純白に見えるものを一番脳筋的に作るには、対象の表面に圧力をかけて密度を上げ、屈折率マシマシにすることが求められる。

 細かい話は置いといて、この作業が馬鹿みたいに難しい。いや、強い力さえあればどうとでもなるのかもしれないが、密度がバグったそれを素材にしてインテリアを作っているのが頭おかしい。装飾とかやってる余裕ないだろ。

 要するに、ルーナは馬鹿。これだけ理解してくれればいい。

 

 そんでもって、それなりに魔力を使う作業であるはずなので、できればもっと簡単に作ってほしかったのだが。

 

「別に、今はお主の魔力が足らんということもないのだから良かろう?」

「それで駆り出されるのは儂なんだが、それについてはどう思うのですか神よ」

「細かいことを言うでない宿主。そんなんじゃと、想い人に気付いてもらえんぞ?」

「お、想っ……違わい!! 違くないが!!」

 

 半目で睨むヘリオをルーナがからかい、顔を真っ赤にしてヘリオがキレる。

 いやあ、いい痴話喧嘩だ。美少女の戯れは、内側にいるのもいいがこうして外から眺めることにも価値がある。

 あー、赤面してるヘリオ犯したいなぁ。ちっぱい虐めてえなぁ。ケツ穴ほじくりてぇ。

 

「あ、そうだ。ルーナ、流石に服着てくださいよ」

「……それもそうか、久しぶりの擬態じゃなぁ。我、女神ムーブと素、どっちでいけばええかの?」

「知りませんよ……」

 

 っっっぶねええええ……。あまりにもルーナ(土人形)が全裸でいることが当たり前過ぎて、裸のまま六者面談させるところだった。

 

 ルーナは、ヘリオに憑依しているときも、土人形に憑依しているときも服を着ない。

 ヘリオは下着をつけない(持っていない)が、服は普通に着る。……先代ご主人様が着衣セックス趣味だったんだろうなぁ(遠い目)

 そんなわけで、ヘリオの肉体で服を着ていないと違和感を覚えられるのだが、ルーナ(土人形)の肉体が服を着ていないのは脳内で常識になってしまっていた。これが日常が侵食されるって感覚か。やべえな。

 

「服を作るから、魔力をくれ」

「はいはい。ヘリオ、経由お願いできる?」

「……お前さまの頼みなら」

 

 土人形に服を実装するためと、先ほどの家具分の魔力を補給するため、僕の魔力をヘリオを介して土人形(ルーナ)に与える。

 どうして僕が直接渡せないのかとかそういう話は、またいつかさせてもろて。

 

「……んあ、来たみたいじゃな」

 

 そう言って、この中で一番魔力の感知に長けたルーナが隠し道の方に視線をやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええと、アンブレラ、その子達は?」

 

 母様、父様、アルマ。3人の反応はそれぞれ異なった。

 

 まず父様は、奏巫(そうふ)一族ではあっても奏巫ではないから、百年以上の時間を経て久しぶりに訪れた聖域を懐かしみながら感激し、次にルーナの作った家具に気が付いて、ルーナとヘリオのことはそっちのけでそれ(机と椅子)に飛びついた。

 よほどその構造に気を惹かれたらしい。HENTAIだなあ、気持ち悪いなあと思っていると、自分の作ったものを褒められたルーナが気を良くして父様に解説を始めた。最初は仕切りに頷いていた父様だが、その製法の脳筋具合に気付いてから段々と引きつった笑みを浮かべ始めた。

 技術者だもんね。融点の高い物質を融かすために混ぜる物質のことは興味が湧いても、馬鹿みたいな高温を使っただけって言われたら笑っちゃうよね。

 

 次に、アルマは聖域に訪れること自体が初めてだ。物珍しげに周囲を見渡し、知らない人がいることに、どこか緊張したような面持ちでいる。

 

 最後に母様が、一番聖域に訪れる機会が多かったからこそ、見慣れぬ人達の存在に困惑したように僕に問いかけた。誰とも知らぬ人がいるから、仮名を使ってくれている。

 

 母様が聖域を訪れたのは、母様がお七夜を経てから僕がお七夜を経るまでの100数年ほどの期間だ。奏巫の役割として、その年に数え年6歳になる子どもたちをひとりひとり引率する。今は僕がやっている役目である。

 また、いわゆる豊穣の祭りみたいなイベントで、収穫期に収穫物を献上することなどもある。

 しかしそこで母様が交流を持ったのは、あくまであの野趣あふれたおじさんの泥人形である。その正体が褐色貧乳美少女であることは知らないし、ましてや僕の隣に二人の美少女がいる理由は皆目検討もつかないだろう。

 

 さて、彼女らをどう紹介するべきか。

 

「ええと、こちらの黒くてちっちゃいのが神様A、白くて()ってるのが神様Bです」

「「──阿呆(あほう)」」

「あいたっ!?」

 

 二人に同時に頭を叩かれた。痛い。

 アルマ、構えないで。今武器持ってないでしょ。

 

「……失礼。中々信じられないかもしれませんが、こちらの褐色の女性が命名神の本体、もう一人の方が、この世界そのものを管理する神々の一柱です」

 

 まあ、厳密には違うが、最初の紹介としてはこんなものでいいだろう。

 

「失礼って、いや本当に失礼じゃよなこいつ」

「まあ、儂は特に拘らないが」

「嘘つけ。小さいと言われて落ち込んだじゃろう」

「……身長の話だ、身長の! そ、そうだよなお前さま?」

 

 まーたイチャイチャしてら、こいつら。

 痴話喧嘩は他の人がいないところでやってもらえませんかね?

 あと小さいって言ったのは身長の話ですよ。他に何があるっていうんですか。僕が、ヘリオのちっちゃくてむしろ太ってる男の人の方があるんじゃないかってくらい悲しいほど薄っぺらな貧乳を通り越して虚乳の如きナイアガラの滝について揶揄するわけないじゃないですかやーいこのド貧乳。

 

「僕はちっちゃいのも好きですよ」

「身長の話だよなァ!?」

 

 置いていかれたように呆けている母様とアルマ。そして、家具に未練が残るようにチラチラと視線を遣る父様。こら、欠片を採取しようとするのはやめなさい。

 内輪ノリが過ぎた。反省して、サクサク話を進めていかなければ本題にも入れない。

 すると、どうしようか迷うように頬を掻きながら、ヘリオが「人形(デューカ)」、と呟いた。

 聖域の土が形を変え、ヘリオが人と接するとき用のおっさんの土人形が生成される。

 

「こちらの身体なら、キバタン*1もサルビアも見覚えあるだろう。キバタンは流石に忘れているかもしれんがな」

 

 父様が目をパチクリとさせる。

 

「……いえ、覚えております。しかし、どこで仮名を?」

「お前らの娘、次代奏巫女から聞いた。真名で呼んでもよいのだが……一応、息子と娘の前だろうからな。お前らが娘や息子を真名で呼ぶ分には、まあこの神(ルーナ)秘匿が意味を成さない(真名を聴くことができてしまう)から、問題ない」

 

 久しぶりにヘリオが真面目に喋っている姿を見た気がする。珍しい。

 貧乳ネタで弄られたあとで、よくこんな厳格な口調で喋ってられんな。恥ずかしくないんですかね。

 ある程度納得がいったように口元に手を当てた父様は、次にルーナの方を見た。

 

「しかし、この世界そのものを管理する神、というのは」

「まあ信じがたいよなぁ。簡単に言えば、上位者じゃ。神というにはあまりに恣意的で、悪魔と言うにはあまりにお主らに無関心な存在。神という言葉が、一番わかり易いじゃろうて」

「え、そうなんですか?」

「ややこしくなるからお主は静かにしとれ」

 

 怒られた。

 

「その上位者同士のいざこざで、我はそなたらの言う命名神(ヘリオ)の身体に堕とされた。力もおおよそ封じられたし、我が神と呼んで差し支えない存在であると証明するのは難しいな」

 

 力あってこその上位者、ということだろう。

 

「まあ、たとえばこの机と椅子は我が先ほど適当に作った。当代の巫女なら、これが元々あったものではないと分かるじゃろう?そして人の子の父、お主ならこれらが生半可な技術では作れないと分かるじゃろう?」

 

 母様はコクリと頷く。

 段々と、シリアスな空気になってきたようだ。胃がキリキリと痛み始める。

 

「他に……そうじゃな、堕天する前はこの世界をお主らの知覚の外から覗いておったから、お主らの秘密も結構知っておるぞ。あ、勇者。お主は幼児の頃しか知らんから、秘密もクソも見とらん。糞は見たか。お漏らしし過ぎじゃ」

 

 何気に酷い。お漏らしくらい誰だって……誰だって……ぼ、僕は、そんなに、しなかったかな。まさか、お七夜を越えたあとになってまで他人の前でお漏らしする転生者なんておらんやろ。おらんかった。イイネ?

 アルマが「いやっ違っ」とかなんとか言い訳している横で、ルーナは父様に指でこっち来いとジェスチャーする。アルマ、ええんやで。それでええんや。それが、人って生き物なんや。

 

「例えばそうじゃな、人の子の父、こっち来い」

 

 そう言って、ルーナは父様の耳元でボソボソと何事か言った。すげえ悪い顔してる。

 

「あああああああああああぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁああああん!!」

「「「「!?」」」」

 

 父様が、かつてない程に恥ずかしそうに顔を抑え天を仰いだ。

 毎日のように僕の可愛いところを吹聴して歩くとかいう、存在そのものが恥晒しな父様がここまで……?

 一体何を言ったんだと訝しんでいると、今度はルーナは母様を呼び寄せた。父様の時以上に悪い顔してる。

 

「まあ、お主は言うまでもないよな。巫女のくせして、盛り過ぎじゃ」

「!!」

 

 なんだ。何話しているんだ。

 

「いや、娘とセックスするのは構わないんじゃよ? 儂の口出すことじゃないし」

「……はい…………はい」

 

 母様が顔真っ赤にしてプルプル震えだした。可愛いんだが、ルーナのあの指の動き、輪っか作って、人差し指抜き差しするあれって……。

 

「じゃけどさ、普通地鎮祭のあとに、路地裏で娘とする? なんじゃっけ、『ごめん、火照りが……止まらないんだ。レインの指で鎮めて?』じゃっけ? 地鎮祭より先に自分の頭鎮めたほうがいいと思うんじゃが」

「……いや、あの…………はい、本当に、それはもう、仰るとおりで……」

 

 あかん、何言ってるか大体予想がついてしまった。

 下唇を噛み締め、涙目になって恥ずかしそうに震える母様は……って泣いてんじゃん!

 

「いやぁしかし、どの時も羨ましくなるくらい気持ちよさそうに喘いでおったのう。あ、乱暴にシて欲しいなら、言ったほうがいいと思うんじゃが。人の子はそういうところでは辺に優しいからな、あちらからお主を壊s──」

「この馬鹿神(ばかみ)!! なに母様泣かせてるんですか!!」

 

 ルーナを引っ張って叱る。言っていいことと悪いことがわかんないんだろうか、この馬鹿神は。

 他人のセックス事情に口を出すなんて、どんな上位存在にも許されっこない行いではないか。

 

「……いや、我、わりと常識的なことを言っていたと思うんじゃが……。しかしお主は恥じらいとかなさそうじゃな。当代巫女の腹に置いてきたか」

「ありますから!?」

 

 失礼な、と憤慨していると、後ろから肩を掴まれた。

 ……え、母様?

 

「……ぐすっ、……レイン、私はいま世界神の大事な言葉を聞いているところだから、少し待ってね

「うぇっ!?」

 

 ルーナ、キミ、母様に何を言ったんだ……?

 

 母様は涙を拭いながらも、真剣な眼差しでルーナの言葉の続きを聞こうとしている。ルーナが若干引いたかのように、引きつった笑みを浮かべる。

 未だにもんどりをうってビーバーのように絶叫する父様。

 「違うんだ、姉さ……レイン、違うんだ」などと、誰に向かってかもわからない言い訳を重ねるアルマ。

 

 なんだ、この地獄。

 

「……儂、そろそろ残り時間が半刻なんじゃが」

 

 ヘリオが遠い目をしてため息をつく。

 そうだね、話進めないとね……。

 

*1
父様の仮名




ルーナ「支配願望はかなり持っとるんじゃよ。じゃがお主を大事にし過ぎるきらいがあるから、お主の方からお願いするくらいじゃないとしてくれんじゃろう」
母様「なるほど…勉強になります、世界神!」
存在そのものが恥晒し「ア゛ア゛ア゛ア゛!!(絶叫するビーバー並感)」
アルマ「チガウンダオレハオネショナンテ…レイン聞イテクレ…」

レイン「たすけて」
ヘリオ「」

**連絡欄**
今日もシリアルが美味しいですね。自分はフルグラをよく食べます。
誤字報告ありがとうございました。
あと、感想眺め返してはニヤニヤさせてもらってます。
おかげさまでお気に入りが4桁に入りました。
これからも末永くよろしくお願いします(意訳:はやく完結してくれ)

そんなわけで支援絵です。自給自足のできるオタクの鑑。
成長して髪が伸びましたね。
レイン14歳(別タブで開かれます)


最後に。色々とありますしありましたが、今週もどうか、笑顔とエロスを忘れずに。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

…まあ、伝えるということは、そうじゃよな。相手を殴ることであり、逆に殴り返されることでもあろう。どちらに対しても覚悟がないのなら、やめておくのが吉というものじゃ。誰にとっても、な。

「……話すと言っても、何から話したものでしょうね」

 

 席について、順繰りにみんなの顔を見回してから困ったように嘆いた。

 机は当然6人がけで、3対3に分かれるように座っている。僕のいる側は僕が真ん中で左にルーナ、右にヘリオ。向かい側は、ルーナの正面から順に父様、母様、アルマと並んでいる。

 

「母様は今日も綺麗ですね。こうして正面に座っているだけですが、視線も思考も度々奪われてしまいそうです。アルマは今日もかわいいね。君がいるとまるで太陽みたいに心が暖かくなるよ。父様は……あー、えっと、良い帽子ですね。似合ってますよ」

「なんかボクに対してだけ違くないかな?」

「気のせいでしょう。でも、これからお話するので脱ぐのが作法かと」

 

 なんかこう、1、2って褒めると3まで褒めなきゃいけないみたいな風潮よくないと思う。特に褒めるところがなければ2で止めていいじゃないか。

 ああちなみに、視線と思考はOHANASHIのためになんとか保っているが、心は母様に奪われっぱなしである。自明の理だね。

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 何から言うか。というか何を言うか自体そんな細かく決めていなかった。これが場当たりRTA走者というやつである。

 ちなみにヘリオの時間制限があるので、少なくとも彼女が説明に必要な間は実際にTAを強いられている。……あれ、でもヘリオ実質いなくてもなんとかなる……?

 でもまあ長引かせても仕方ないと思ったし、こういうのは変に引っ張るより最初にドカンと言ってしまうのが良いものだ。

 

「僕には、『前世』があります。そうですね……簡単に言えば、一度この体でない誰かとして生きて、死んで、その記憶を失うことなくこの体に生まれました」

「……ふむ」

「一度、死んだ……?」

 

 父様が考え込むかのように顎に手を当て、アルマが何を言っているかさっぱりわからないという様子で疑問符を浮かべた。

 

「人は、死んだら元に戻らないんじゃないのか……? なら、オレの『母さん』もレインみたいにどこかで新しい体を得ているのか? オレは、母さんに会えるのか?」

「……それはきっと、難しいと思う。僕がこうして記憶を失わなかったのは、もの凄く珍しいことに、前世も今も人の体に生まれたからなんだ。そうだよね、ルーナ?」

「ん、……ああ、まあ、そうじゃな」

 

 僕も輪廻転生どうこうにはあまり詳しくないから、僕が生まれ変わるときにルーナに言われたことをそのまま伝える。

 ……ルーナの返答が歯切れ悪いが、よそ見でもしていたのだろうか? このぐうたらな神様は、日を追うごとに自由人へと変化していくから困りものだ。魔法を教わっている手前、僕もあまり強く出れないし。

 

 アルマがまだ納得行ってなさそうなので、追加の説明を加える。

 

「君も知っての通り、人だけでなく、魚にも鳥にも、草木や花、虫、ありとあらゆる『生き物』と呼ばれる存在は命を持っている。そう考えると、人の数より他の生き物の数のほうが多いことは分かるだろう? だから、くじを引くみたいに生まれ変わる先を選ぶとして、それがまた人になることは凄い珍しいんだ」

「……そうか。生まれ変わるからって、命を粗末にしていいわけじゃないし、いなくなった人には、やっぱ会えないか」

 

 アルマは母さん(ウクスアッカ)のことは聞いている。それも、ある程度具体的な人物像が想像できるくらいには、知っている限りのことを語って聞かせた。

 それでも、幼かった彼が触れ合った母親の記憶は、悲しいことにもうほとんど失われているのだ。天涯孤独だなんて思わせないくらい僕らが愛を注いでいるけれど、それでもやはり、会いたいという思いは拭えないのだろう。

 ……僕は、母さん(・・・)父さん(・・・)に会いたいと思わない僕は、薄情なのかもしれない。

 

「……『確率』、だね」

「え」

 

 父様の方から聞こえてきた言葉に目を見開く。

 まさか、そんな概念が存在するとは思わなかった。だからこうも噛み砕いて説明したのに。

 

「『書庫』の一部の文献に載っていることだよ。君はまだ目を通していなかったと思うけれど、よくその思考に辿り着いたね? やっぱり、うちの娘は天才かもしれない……!」

 

 そういって父様は目を輝かせる。

 そっか、外の人間が一度は到達しているのか。父様くらい『書庫』に通じているエルフなら、知識として持っているのかもしれない。普通に、高等な建築技術を使おうとしたら必要な場面もありそうだしな。義務教育がないくせに、エルフはそういうところでHENTAI要素を高めていくからほんま……。

 

 それにしても、アルマが驚いたこと以外、母様も父様もそこまで驚いてないな。特に母様に至っては、ここまでじっと黙ったまま僕を見つめて傾聴している。僕も見つめ返している。目線がこうも重なるとか両想いかな? や↑ったぜ。

 

 ……さて。じゃあ、とりあえず一つ、今まで勘違いで持ち上げられてきたことを、ここで訂正しよう。

 天才御子神話は、今日でおしまいかな。

 

「父様、ごめんなさい。……天才なんかじゃ、ないんですよ」

 

 あー、やばいな。

 やばい。

 何でもないように話すの、だめかも。

 

「ええと、どういうこと?」

 

 多分、僕が泣きそうなことにいち早く気付いて。

 大丈夫だよ、とでも言いたげな優しい声音で、母様が聞き返す。

 

 すぅと深く息を吸う。これで、ひとまず10秒くらいは持つだろう。

 

「すいません、全部、作り物です。ハリボテです。僕の前世、そういう、論理どうこうが、そこそこ、発展した世界です。この世界よりは」

「『この世界』……?」

 

 母様が困惑したような表情になった。

 母様だけではない。アルマも、父様も。

 

 劇場へ足を運べばすぐに分かることだが、この世界は「ファンタジー」という概念があまり発達していない。

 劇中で現実にはないような「魔法」が出てくることはあっても、「別の世界」という概念がまだ生まれていないのだ。それは、発展を選ばなかったエルフだからこそかもしれないが。

 天国や地獄みたいな概念はある。生まれ変わりも多分、まったく想像の範疇から外れていると言うほどではない。

 

 けれど、別の世界。いや、別の「星」という概念がまだ存在しないのだ。

 それはこの世界の測量がさほど進んでいないためなのだろう。「災厄」に阻まれて、それどころではないのだろうから。

 自分を知って初めて他者を知るように、自分の星を知らなければ、「他の星に生き物が住んでいるかもしれない」という発想に届かないのだ。

 

「物語の中、と思ってくれても構いません。僕らが生活するこの世界によく似た、けれどどこか少しずつ異なっている場所。僕は、そこで生きていました」

 

 ひとつひとつ、己の身から何かを削ぎ落としているような心地がした。

 この後に待っているモノに比べればなんてことないが、それでもこの告白は、僕を無性に苦しくさせる。

 

「──名を、『女淵(おなぶち)にいろ』といいます」

「オナブチ、ニイロ……」

 

 各々が、おおよそ似通った反応を見せた。

 僕の言った名を反芻し、どこか慣れない響きに首を傾げる。

 

 ただ、右隣からだけは違った。

 ヒュッと息を止めるような音。

 

 ……そうだよ。お前の知る、その「名」だ。

 

「女淵は苗字と言って、家族で統一して用いる名です。ノアイディ、みたいなものですね。にいろが、名前です。大抵親が決めますから、仮名だと思ってくれていいです。あの世界には、真名がありません…………あぁ、そのせいかもしれません。地球(あそこ)では、魔法が存在しませんでした」

 

 ヘリオがかつて愚痴をこぼしていたことだが、人間は真名の秘匿性を軽んじる。

 一方、真名を自分自身も知らなかったとしても、エルフとは異なり肉体が魔力に依存しない人間は、魔法を失うだけで、生きていくこともできるという。

 

 もしも、誰も真名を聴けなかったら。ヘリオのように、真名を伝えられる者が存在しなかったら。

 

 その世界では、真名は「存在しないもの」として、「魔法のない世界」が実現されるのではないだろうか。地球は、そういう場所だったのかもしれない。

 

「……その世界で、見た目と名前、その両方で僕は虐げられていました」

 

 できるだけ感情を殺して言葉を紡ぐ。

 あまりに惨めなことを言っているものだから、目線は自然と下を向いていた。

 

 情けない。

 ああ、本当に。

 

「だから、嫌いなんです。自分の体と、自分の名前が」

 

 言葉で言って、どれだけこの気持ちが伝わるか分からない。

 でも、どれだけ重ねても、伝わるものは変わらない気がしたから。ただ一言、「嫌い」とまとめた。

 

「そんなだから、生まれ変わって、こんな素晴らしい体をいただいて、新しい名前もいただいて、全部やり直せるって」

 

 それは自由だった。

 

「きっと、嬉しかったんです」

 

 自分が繋がれていた枷を、外された喜びだった。

 

「でも、ダメみたいでした」

 

 だから、向き合わなかった分のツケが来た。

 ズルして、楽して、自由だと馬鹿みたいに踊っていたら、後ろから掴まれて追いつかれた。

 

「ごめんなさい。今日、あなた達を呼んだのは、これを、伝えるためです」

 

 何よりも、あなたに伝えるため。

 

「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

 

 どれだけ言っても、この罪科を洗い流すことはできないのだろう。

 

「レインじゃ、ないんです」

 

 前を向けない。上を見れない。ただただ、恐ろしい。

 

「あなた方を、こんなに長い間、平気な顔で騙し続けてきたヤツがいます……」

 

 声が震える。

 息の吸い方がわからない。

 体は、こんなに重いものだったか。

 

「ソイツは、己の真名を、『レイン』と名乗りました」

 

 机の下で、誰かが僕の右手を包むように握るのが分かった。

 そのおかげで、どうにか最後の一言を絞り出せた。

 

 

 

 

「──(まこと)の名を、『ニイロ』といいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長らく続いた沈黙。

 

 それを破ったのは、僕が大好きな声であった。

 

「……ぅ、そ」

 

 一斉にみんなの視線が集まる。

 呟いたのは、母様であった。

 

「……れ、ぃん。うそ、だよね……?」

 

 だから、僕は嘘をついたことを告白する。

 

「……その名が、嘘です」

 

 あなたが呼んできた、その名が。

 あなたが毎夜喚んだ、その名が。

 

「だって、れいんってよんで、こたえたじゃないか……?」

「……その返事が、嘘です」

 

 いつだって、心にズキリと走る痛みがあった。

 無視しているうちに、それはいなくなった。

 はず、なのに。

 

「じゃあ、だれが……だれが、わたしのなを、よんだの……?」

「──ッ、……その存在そのものが、嘘です」

 

 誰にでも分かるように言ってしまえば。

 お前の縋ってきたソレは、抱きしめてきたソレは、ただの虚無であると。

 そう伝えるに相違ない行いである。

 

 ああ、壊れる。

 目の前で揺れる母様の瞳を見てしまったから、その心が壊れかけているのを知って。

 取り繕うように、誤魔化すように、また聞こえのいい嘘を、この口は勝手に紡ごうとする。

 

「で、でも! 僕の、中には、確かに『レイン』がいて──」

 

 ふらり、と立ち上がる影があった。

 もはや、その耳には何も聞こえていない。

 

「……ごめん」

 

 そう言って、あなたはこの場にいる事自体が耐えられないかのように駆け足で去っていった。

 誰も追わない。僕には追えない。

 

 昨日まで愛を込めて呼んでいた名が、自分と「交わらせる」ために呼んだその名が、実は単なる紛い物であったと知って、吐き気を堪えずにいられるはずがあるまい。

 例えるなら、身を重ね、受け入れていたはずの男根が、実際には誰とも知れぬモノのナニカであったなど。想像だけでも身の毛がよだつことだろう。

 

 つまるところ、ただひたすらに、僕が悪いのだ。

 

「──サルビアッ」

 

 我に返ったかのように、父様が追いかけた。

 その背中も隠し通路に溶けるように消え、やがて見えなくなる。

 

 彼には分からないだろう。なぜ、母様が走り去ったのか。

 だって、彼は「何も知らない」のだから。

 

 愛する妻と、愛する娘。その二人に裏切られていることにも気付かずに、妻の背中を追う。

 なんと滑稽ではないか。

 一体、追いかけて、呼び止めて、肩を掴んで、それで何を言うつもりか? 何が言えるというのか?

 

 つまるところ、ただひたすらに、僕が悪いのだ。

 

「……」

 

 僕の前には、もうアルマしか残っていない。

 彼は何も言わない。当然だろう。まだ10歳、日本で言えば、9歳の少年だ。

 

 僕の招いた事態で、わけも分からずに巻き込まれて、下手をすれば、彼を取り巻く環境すべてが壊れる可能性すらある。

 幼い彼は、そのことにすらまだ気付けないかもしれないけれど。

 

 アルマがおもむろに立ち上がる。

 両親がいなくなってしまったから、彼も自室に戻る、あるいはシロ先生のところへ行って、トレーニングに励むつもりだろう。

 

 慰めの言葉はない。

 

 だって、ただひたすらに、僕が悪いんだから。

 

「………………ってた、よ」

 

 感情がぐちゃぐちゃになっていた。

 

 自分が悪いのは分かっていて、けれど、怒りにも似た何かが目を覚ましていた。

 一度生まれてしまったそれは、心のすべてを燃料とするかのごとく燃え上がって、気づけば口が勝手に動いていた。

 

「……知ってた、けどさ。僕が、悪いことなんて」

 

 アルマがこちらに視線を送る。

 年不相応に大人びたそれは、きっと幼いながらに己を鍛え続ける彼ならではのものだ。

 

「……だけ、どさ、……だけどッ!」

 

 いま、僕はどんな顔をしているんだろう。

 

「きみらが、言ったんじゃないかッ!? 聞くってッ! 聞くから、話せってッ! 話したよ……ッ! 話してるよ!! なら最後まで聞いてよッ!?」

 

 無意識のうちに期待していた。

 ちゃんと聞いてくれるってことは、ちゃんと受け入れてくれることだと。

 僕の話すことすべてを、笑顔で聞き入れて、最後には抱きしめてくれるものだと。

 

 勝手に、期待していたのだ。

 

「きみらが、求めた、ことだろう……!? だから話したのに、それで逃げるのか! そんなの、……そんなの、あんまりじゃないかッ」

 

 返事はなかった。

 あまりに惨めで、顔を上げていることに耐えられない。

 自然と、その視線は、ルーナの作った天然では存在しないような純白の机を見つめることになった。

 

「……」

 

 アルマが物思いに耽るように顔を上空に向ける気配がした。

 昼間の空。そこに、美しく満ちる白月は浮かんでいない。

 

「……レイン。いや、ニイロか? ──明日の夜、『森』で待ってる」

「……ぇ」

 

 一言。たった一言残して、アルマはいなくなった、

 顔を上げたときには、その姿はもうどこにもなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

えぇ…なんか人の子、放心というか死人みたいになったまま息止まっとるんじゃが…。誰か回収に来んのか…って、そもそも出番ないんか!? おのれテールスぅ! なんと酷いことを、許さん!!(理不尽)

 

 

 

『──多分さ、私達、このままいけば(つがい)になるんだろうね』

 

『あぁ……まぁ君、他に相手がいないし』

 

『怒っていい? ……否定できないのが余計腹立つ』

 

『ハハハ、まあ、あの日出会えて……出会え……? 遭遇できて、よかったじゃないか。ボクがいなかったら、長老会に相手を決められるところだったろう』

 

『それ、母上に情けないって嘆かれただろうなぁ』

 

『君と番になりたい人は沢山いるんだろうけど、みんなどこか手が届かない存在のように見てしまっているからね。その点、ボクは今日の延長線を歩くだけだ』

 

『そんなものか』

 

『そんなものさ』

 

『……ええと、じゃあ、もう真名伝えておこうか』

 

『そうだね。そうしておいた方が効率的だ。ボクの名は、マルス。マルスです。君の、名は?』

 

『効率的って、またあなたは訳の分からない言葉を使う。……テレサ。ノアイディ=サルビア・テレサが私の名だよ。これまで通りサービアって呼んでもいいし、まあ楽な方を呼んでくれ』

 

『ではテレサ。効率的って言葉はだね……』

 

『おいおい、説明は求めてないぞ……? もう少し感慨とかをさ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

『ねぇ、かぁさま。……真名、おしえて?』

 

『──っ、────さ、テレっ、サ、です……っ』

 

『はい、よく言えました。えらいえらい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

『──レイン、良い名前だ』

 

『アンブレラ。素敵な名前をありがとうございます、母様』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──(まこと)の名を、『ニイロ』といいます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 テレサの後を追うように隠し通路を駆け下りながら、レインの父親、ノアイディ=キバタン・マルスは考えた。

 

(……何と声をかけるべきだろう)

 

 実のところ、先ほどまでは「聖域」への隠し通路が存在していたことに驚きを隠せなかった。

 

 奏巫女の夫と言っても、その立場は何か名前がつくようなものでもない。「聖域」を訪れたのは自身の命名式のときだけで、それは社の大樹の入り口を介したものであった。「社」と呼ばれる小さな木のうろにかけられた術式に興味は湧くが、下手をしてしまえば種族そのものの未来に差し障りが出る。そんな理由で、幼い頃に一度だけ訪れたあの場所への憧れはあるものの、仕方ないこととして粛々と受け入れていた。

 

 そして、今日。

 「聖域」に再び(まみ)ゆことができたという喜びはあるものの、それ以上に、このような隠し通路があったことに驚きを禁じえない。

 聖域があるとされる「神樹」と奏巫の大樹が一本の通路で繋がっていることは知っていた。巫女はそこを通ることで、社を介さずに直接「神様」に会いに行ける。

 しかし、マルスは巫女本人ではないから、その道を使うことができない。その道がどれくらいの長さなのかはおおよそ予測できていたし、やけに御子の部屋がそちらに近いとは思ったけれど、どれだけ調べてもこんな通路の痕跡はなかった。

 そもそもテレサに出会ったのだって、村中の構造物を調べ尽くし、どうにか奏巫の大樹の構造を知れないかと周辺からぐるぐる計測していた先のことである。そのマルスが調べて何も見つからなかったということは、常人では見つけられない、たとえば巫女の血に反応するような何らかの術式が施されている可能性が高い。

 

(でも、それを調べるより先に……テレサのことだ)

 

 レイン──いや、ニイロと呼ぶべきだろうか──が「前世」というものを持ち、別の人として生きていたというのは、実はさほど驚くことではなかったのだ。

 生まれて一年で自在に言葉を操り、外の人間達が森人ひとりの寿命ほどの時間をかけてようやく辿り着いた発想に、僅か10年と幾ばくで辿り着く。そもそも、命名式以前から成人した人物かと思うほどの巧みな会話をしていた。商人の子でもあるまいに計算能力は卓越しており、明らかに子供の視点を外れた物言いをする。

 いやはやこれが真の天才なのかと驚いていたが、「天才」などという理解を諦めた言葉で片付けてしまうより、「前世」という新しい概念のほうがよほど理に適っている。

 もっとも、それも彼女を転生させたという「神」……上位者とやらが隣りにいたからこそ補強されたものだが。彼女が作ったという机と椅子。たったそれだけで十分理解できてしまうほどに、アレは異常だった。

 だからきっと、テレサもそのこと(最初の告白)にはさほど驚いていなかったのだろう。ディアルマスだけがレインに疑問を投げかけていたことから、それは容易に想像できる。

 真名を偽られていた。ただその一点に於いて、彼女はあれほどの反応を見せたのだ。

 

 ──レインの表情にすら、気付かないほど。

 

 

 

 

 ほどなくして通路を抜け、レインの部屋の近くに出る。

 すると、立ち尽くすようにしている人影があった。

 

「……アイリスちゃん? どうしたんだい、こんなところで」

 

 専属乳母の娘、イドニ=アイリスがそこにいた。

 こちらを振り向いてから、アイリスが不安げな様子で答える。

 

「だ、旦那様! 御子様の寝室に少し……あ、ではなくてですね、たったいま、巫女様が凄い顔をして去っていったのですけれど、どうかなさいましたか?」

「あー……、うん、少しね。ボクが追うから、大丈夫。……そうだ。それと、今晩はレインが部屋から出てこないかもしれないから、夕食を部屋まで持っていってもらえるかな?」

「えっ……!? は、はいっ」

「ごめんね、ありがとう。よろしく頼むよ」

 

 専属乳母、イドニ一族。御子の幼少期は乳母としての役割が求められるが、その後御子が成人するまではほぼ家政婦のように働いてもらっている。成人後は御子の結婚まで良き相談相手としていてもらい、その後は寿命の限り自由な生活が保証されている。

 フェリシアとテレサ、アイリスとレインは仲が良好なので良い友人関係を目指せるかもしれないが、かつて乳母と巫女の仲が険悪だった代では、任期満了後、乳母は自宅で過ごし奏巫の大樹には二度と近寄らなかったという。

 

 それはさておき、言伝をひとつ託してマルスはテレサを追うことにした。

 別れ際、アイリスが不安そうな顔をして問いかける。

 

「……巫女様と、御子様。何かあったのですか……?」

 

 何か。

 まあ、あったのだが、一言で伝えるには言えないことが多すぎるし、それを避けて説明するには時間も余裕も足りない。

 

「昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が、続きますよね……?」

 

 何も答えないことで余計に不安を煽ってしまったのか、アイリスは泣いてしまいそうなくらい顔を強張らせて問うた。

 長身な彼女はいつもは見上げられることが多いだろう。しかし幾らかマルスのほうが身長が高いから、いまはこちらが見上げられているような形だ。

 幼い頃から見てきたから、もう一人の娘みたいな感覚がある。そんな女の子の悲しそうな顔を見て、つい頭を撫でてしまった。

 

「大丈夫。喧嘩みたいなものだから、大丈夫」

 

 それは大丈夫なのですか? とでも問いたげな表情をアイリスが作る。

 大丈夫、と言うしかないだろう。

 

 なぜなら。

 

「──喧嘩したらさ、次は仲直りするしかないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ゛、か゛、れ゛、た゛…………ぁっ!!」

 

 おおよそテレサの行き先は分かっていたから、家中、村中を奔走するようなことはなかったけれど。

 日頃、机に座って図面を書くか、机に座って巫女関連の書類を捌くか、結局体を動かさない生活をしているマルスは、舞台で12時間歌い通すような化け物フィジカルをしているテレサほど体が強くない。

 

 ひいこら言って辿り着いた場所は、改築を自分が手掛けた樹────社の大樹であった。

 

 舞台は使われている最中だったから、関係者用の通路から螺旋階段に出て上っていく。

 樹の頂上。村の隅々までよく見えるその場所は屋根がなく、風がそよいでいる。かなり無理をしたため足がガクガク震えているが、息を整えてから、疲れなどおくびにも出さずに、頂上部の隅にいる人物に声をかけた。

 

「テレサ」

 

 ピクリと肩がはねる。

 まるで小さい子供みたいに膝を抱えて座り込む妻は、出会った頃を思い出させた。

 

「……どうして、分かったの?」

「この村で一人になれそうな場所なんてなかなか無いからね。それに、君は落ち込むと時々ここに来る癖があった。まあ、50年以上前のことだけれど」

「……あなたは、随分私のことを知っているんだね」

 

 それは、称賛というより侮蔑、嫌味に近い響きをはらんでいて。

 当たり前だろう、夫なんだから──その言葉をマルスは飲み込んだ。

 

「……ボクらも少し話そうか。ここは冷えるし、下の部屋で舞台でも見ながら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特に嫌がる素振りも見せず、テレサはマルスに付いていった。

 K(キバタン)ルームとマルスが名付けた部屋。社の大樹改築のプロジェクトリーダーを務める条件として作ったその部屋は、他の誰かが入ってくることもなく、また声が外に漏れることもない。名前だけは他の人につけてもらうべきだったが。

 

 向かい合うように席に着いてから、テレサは問うた。

 

「……それで、何を話したいの?」

 

 温度を感じさせないその言葉は、言外に「話すことなんて何もないでしょう?」と(ほの)めかしていた。

 うんうん唸って、マルスはようやくひとつの言葉を絞り出す。

 

「何から話したい?」

「──っざ……! ……ふ、ざけ、てるの?」

 

 テレサはすっかり激情の波に囚われてしまったかのように言葉を震わせる。

 マルスとしては巫山戯ているつもりも煽っているつもりもなかったのだが、感情に身を任せている人間が自分の言葉でどう感じるかも理解していたから、すまない、と謝って仕切り直した。

 

「まず、聞くべきことが1つある」

「……」

「どうして、あの場を去ったんだい? それも逃げるみたいに」

 

 マルスは視線をずらすことなく、一心にテレサの瞳を見つめる。

 聞かれたくない問いかけだったのだろう。こちらを見返そうとせず下を向いたままの翠緑が、動揺を表すようにビクンと揺れた。

 

「……真名を、偽られていたんだよ? そりゃあ、ショックを、受けるものだろう」

「そうだね」

 

 なるほど、もっともな言い分だ。

 

 古人曰く、人は知らないものを恐れるという。

 世界が生まれたばかりの頃、そこには何もなかった。否。何かあったとしても、それを表現する手段がなかった。

 つまり、「何か」は「何か」でしかなく、あるいは「何か」ですらなく、ただ混沌とでも表現すべき状況だけがあった。

 それを切り分け、土を、空気を、水を、火を、あるいは人を。そうやって「世界」を生み出したのが「最初の言葉」である。

 その(ことわり)はいつしか、「何か」には必ずそれを表す「言葉」があるという考えとして広まっていく。

 

 しかし、不十分なまま知識だけが先行すれば──そこには必ず間違いが生じる。

 「言葉」を勝手に与えてしまったのだ。

 

 人為は偽。たとえどれだけ本質に近かろうと、本物たり得ない。

 なるほど、紛い物の贋作でも世界は回せるのかもしれない。丁度、舞台で神の表現として用いられた機械仕掛けの神のように。

 されど、「最初の言葉」の多くが失われるにつれ、段々と世界はおかしくなっていったという。

 

 そんな中……少しでも「最初の言葉」を残そうとした人々によって、世界は救われる。

 彼らは「本物」を知る(すべ)を知っていた。そうして次第に、人々は「最初の言葉」の存在を思い出し、彼らから「真名」を伝えられ、「自分自身」というかくも不安定なものに(秩序)を取り戻した。

 

 その罪科の名残が、「仮名」。今では知る人も少ないだろうけれど、「書庫」の奥深くにはそれがまだ残っている。

 そして「真名」は、人々の(よすが)となった。

 魂を()する()。あるいは、()に、「世界」に(すが)るためのもの。

 

 自身のそれを知ることは、世界に存在する上で己のルーツを保証することであるから、知れば恐れは減るだろう。

 他者のそれを知ることは、相手の不確かさを払拭することであるから、知れば恐れは減るだろう。

 

 もしそれを偽られていたとすれば、今まで見てきたすべてが「紛い物」と伝えられることであるから、相手のことを何も「知らない」と知ることであるから、それはもう恐れが増すことだろう。

 

「……でも、違うよね」

「なっ────!」

 

 しかし、マルスはその言葉には納得してやれない。

 なぜなら、マルス自身がテレサのように追い詰められていないから。

 たとえテレサの方がマルスよりレインを愛しているのだと言われても、その分反動が大きいのだなどと説明されても、納得してやれない。

 

 静かに否定すると、ここでようやくテレサと視線が重なった。

 

「ボクが知ってる君は、そんなことでは逃げ出さない」

 

 相手のことを「知らない」と知ったなら、「もっと知りたい」と思うのが彼女だ。

 それだけ、「人と向き合う力」を有している。

 

 奏巫女という役職を務めるからには、色々な感情を向けられる。

 彼女を応援する人々、彼女が大好きな人々、彼女を羨む人々、彼女を妬む人々、彼女を嫌う人々。

 そういった全員と向き合い、言葉を交わし、認め合い、その結果としていま、森人の誰からも愛される巫女として自由に歌っている。

 その過程のほとんどを共に過ごしてきたからこそ出た言葉だ。そもそも、そういった類の「強さ」を有した人物でなければ、たとえ付き合いが長くても結婚しようなどとは考えなかった。

 

「──す、ごいね? あなたは、私のこと何でも分かってるんだね」

 

 不快感を滲ませた声でテレサが言った。

 誰だって、「自分の知ってるあなたは」などと言われれば怒りを覚える。

 それは、状況によってはただの理想の押し付けに過ぎないからだ。

 

「何でもなんて知らない。ボクが見てきたものの中でしか話していない。……だけどそれが、君の本質からかけ離れているとは思わない」

 

 なら、「理想」を見てしまっていると理解した上で。

 「理想」と「現実」には違いがあると常に意識しながら、じゃあどれだけ離れてしまっているのかと自問自答しながら、その上で問いかけるしかないのだろう。

 それは、本当に君か、と。

 

 より正確には。

 どんな人も、その人であることに変わりはないのだ。どんなふうに成長しても、どんなふうに堕落しても、「自分」からは逃げられない。

 だから、「本当の君」という表現は正しくない。

 より正確には、「それは、君が望んでいる君の姿か?」と。

 そう、問いかけた。

 

「……なに、もっ」

 

 テレサは視線を左にそらしてしまう。

 まるで何か気まずいことでもあるかのように頑なにマルスの方を見ずに、その透き通った声音を震わせながら反論の言葉を紡いだ。

 

「何も、知らないよ、何も分かってないよ、あなたは……!」

 

 憤怒。怯懦。自嘲。拒絶。

 いくつかの入り混じった感情に彩られた言葉が絞り出された。

 

 テレサの頭の中を、「それは言ってはいけない」という静止を叫ぶ声と、「この無知蒙昧な男にすべて伝えてしまえ」という激情が巡る。

 言うか、言うまいか。何度も開いたり閉じたりするテレサの口元を視界に収めながら、マルスは何も言わずじっと待った。

 

 そうして逡巡を重ねたあと、まるで罪を告白する犯人のように、どこか諦めた眼差しでテレサはマルスを見返した。

 

 

 

 

「──だって、私はレインを世界で一番愛していたんだから。あなたのことよりもずっと」

 

 

「私は、レインに真名を教えたんだ」

 

 

 

 

 その言葉だけで十分であった。

 

 真名を伝える意味合いは二つある。

 一つに、子から親、あるいは兄弟姉妹に伝えること。これは、互いが家族であるということ、また自分の生殺与奪の権を相手に与えることを意味する。一族の誰かが過ちを犯したなら、その権を以て責任を取るのが一族の役目とされる。

 しかし、これに親から子へ伝えるという場合は含まれない。

 

 ならば、もう一つの意味。

 前者の相手に含まれない、親や兄弟以外の者に伝えること。すなわち、互いが番であるということ、己の全てを相手に捧げるということを意味する。

 これは本来一人に対してしかおこなわれない。なぜなら、誰かに捧げているものを別の誰かにも捧げるなど不可能だからだ。

 そんなことができるとすれば────最初から捧げていなかったか、あるいは、捧げることをやめたか。

 

「あなたは、知らないだろうけどね……っ、あの子に真名を呼ばれて、あの子の真名を呼んで……。それって、ものすごく嬉しくて、本当に幸せで、わけが分からなくなるくらい気持ちいいことなんだ……っ!」

 

 吹っ切れたかのようにテレサは言葉を重ねる。

 抑えていた感情が堰を切った。

 

「レインが好きだ! レインを愛している。レインの事以外ろくに見ていない……!! 今の私が持っているのは、もうそれだけ(・・・・)だ……っ。どれだけの愛情を込めて、毎日毎日、毎晩毎晩、『レイン』と呼んできたと思っている!? あの子に呼ばれて、(あふ)れてしまうほどに満たされたこの心はなんだ……ッ!?」

 

 それは、告白を通り越して、もはや自嘲で。

 浮かべた狂気のこもったような笑みは、あまりに不格好であった。

 

「私は、今日まで何を呼んできたの!? この心は何で満たされてきたの!! ……ぜんぶ、ぜんぶ嘘だっていうなら、じゃあなんだッ、私は、虚無に満たされてきたのか……? あなたを欺いて、すべてを捧げるって決めて、その向かった先ががらんどう(・・・・・)だったって言うのなら……っ! …………こんなこと、知りたくなかっただろう? 知っても、何も変わらないだろう? いいや、空っぽな私のほかに、壊れたものが増えるだけだろう? それなのに、なにが本質ッ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知ってたよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────……?」

 

 

 

 

 息が、止まった。

 受け入れるよりも先に、テレサは己の耳を疑った。

 

「……、なん、て」

 

 驚愕。ただその一色に染まった瞳を見つめ返しながら、一音一音はっきりと、聞き逃すことのないようマルスは繰り返した。

 

 

「だから、知っていたよ(・・・・・・)。君がレインに真名を捧げたことも、君たちが生殖行為に準ずる行いをしているのも。端的に言って、君等が禁忌を犯していることを────ボクは、知ってたよ」

 

 

 先程まで様々な感情でグチャグチャになっていた心が、今度は埒外の動揺で揺さぶられ、もはやテレサにまともな思考をする力は残されていなかった。

 何より、そのことを、よりにもよって目の前の人物が淡々と口にしていることが理解不能であった。

 

「ぃつ、から……」

「いつだろう。命名式の後あたりかな。君たちの距離感が前以上に縮まったのもそうだけれど、そもそも君たちあまり隠していなかったし」

 

 もし多少なりとも隠そうと思っていたのなら、隠していないというより、「隠せていない」の方が正確かもしれない。

 

 

「あのさ、その上で聞いているんだよ。……どうしてレインから逃げたんだい?」

 

 

 あまりにやんわりとした物言いで、テレサは問わずにはいられなかった。

 

「……なん、で、なにも、言わないの」

 

 怒り。

 軽蔑。

 嫌悪感。

 不快感。

 

 騙されていたと知って、返すべき反応は無数にある。

 それこそ、先ほどテレサがレインにそうしたように、信じたくない現実から目を背けて、逃避してしまってもいい。

 裏切られた仕返しをしたければ、長老会に裁かせることもできる。

 

 少なくとも、テレサは自分が愛されていたという自覚はあった。

 それを裏切ることを理解してなお、裁かれるならばそれすら受け入れるという覚悟でレインを選んだ。

 だからこそ(・・・・・)、「レイン」が本当の真名でないと知って、その覚悟の無意味さを知って絶望した。

 

 どうして、この人はこんなに平然としていられる。

 知っていたというなら、どうしてそんな素振りも見せずに今日まで過ごしていられる。

 一体何を思って、テレサや娘に、笑顔で「可愛いね」だなんて笑っていられる。

 

 なんだ。

 この人、なんなんだ。

 

 違う。

 レインも、マルスも。もしかしたら、他の人も。

 人ってなんなんだ。

 

 ……ああそうか、テレサ自身も。

 

 嘘を振りまいて、見られぬように他人を傷付けて、表では笑って過ごしていられる。

 棘を吐き出したその口で、誰かに「愛している」だなんて言ってしまえる。

 

 なんだ、この生き物。

 

 そう思った途端、ブルリと寒気がした。

 あまりにおぞましい存在が、自分たちなのかもしれないと気付いたからだろうか。

 

 あるいは、マルスの纏う空気が少し変わったからかもしれない。

 

 

「……ねぇ、それは、裁かれたくて言っているのかい?」

 

 

 なにか言ってほしいということは。

 責められたいということは。

 それは、無意識であろうと裁きを求める行為であり、救いを求めることにほかならない。

 

 マルスは己の内で揺れる炎に気付いた。

 これが、怒りというものだろうか。物心ついてから縁のなかったその感情を、はじめて認識した。

 

「ボクは、君たちの中にまだ、真実の愛というやつを信じているんだよ……?」

「…………どういう、こと……?」

 

 テレサにはマルスの言葉が理解できなかった。

 まだやり直そうと思うだけのまごころ(・・・・)を信じているということだろうか。

 

「君がレインに真名を伝えたという事に気付いて、絶望したし裏切られた気分になった。そりゃあ、ボクだって人の子だ。気付いた日は、ロクに物を口にすることもできなかったよ」

 

 その日は確か、体調が悪いと言って食事を摂らなかった。

 

 素晴らしいところをたくさん知っていたから。尊敬できるところをたくさん知っていたから。その笑顔と下らない冗句に何度も救われてきたから。

 人並みに、まっとうに、テレサのことを愛していたのだ。

 同じくらい、愛されていると思っていた。いや、自惚れではないだろう。ただそれを塗りつぶすかの如く、レインへの愛情がテレサの中で上回ったのだ。

 

 ほとんどのことを理性的にこなしてきたからこそ、理性的でない初めてのその感情(・・・・)にただただ苦しんだ。

 息ができなくなる、ということを初めて知った。己の中でテレサの存在がそれほど大きくなっていたことを初めて知った。

 その相手がレインだということに、自分が愛してやまない愛娘だということに、もうどうしたらいいか分からなくなった。

 

 

 

 

──ならさ、何も分からないならさ、もう、考えて生きていくことをやめたらいいんじゃないか?

 

 

 

 

 そんな声が、頭を過ぎった。

 

『ふざけるな』

 

 そのおかげで(・・・・・・)、「感情」に囚われた理性を取り戻した。

 

『ふざけるな。──今日まで、何に縋って生きてきたと思っている』

 

 思考停止を勧めたその声が自分の一部だと言うなら、恥もいいところだ。

 

「でもさ、ボクには、考えることしかできなかった(・・・・・・・・・・・・・)から、感情(そんなもの)に囚われてやるわけにはいかなかったから、その日の晩、ひとりで考えたんだ」

 

 物心がついてから、実に150年以上。外の世界の人の寿命で言えば3人が入れ替わりに生まれ死んでいく時間に近いほど。

 ずっと「考えること」で生きてきた。

 

 なぜ絶望したか(・・・・・・・)

 

 その答えは単純であった。

 己の愛を否定されたと感じたからだ。

 

 愛。

 テレサと真名を交換してから、これもまた100年以上。頻繁に考えるようになって、「書庫」にも答えを求めて、それでも分からずに自分の頭の中で考え続けてきたことだ。

 その過程で、外の世界における「愛」というものへの理解も深まった。森人にとって試練となる生殖行為も、外の世界の人間にとっては娯楽、快楽を得られるものの一つしてみなされているらしい。

 家族愛。友愛。性愛。慈愛。博愛。自己愛。そして、(まこと)の愛。

 自分が思い悩むのと同様、過去において数多の人が考え、仮初の答えを与え、それを基に新たな仮初の答えを誰かが与え……そうした行いが、終わりなく繰り返されていた。

 

 共通していたのは、誰もが「真実の愛」というものを仮定していたこと。

 その有り様はそれぞれ異なっていたが、必ずどこかで出くわした。

 

 考え始めてから最初の数十年は、そういった知識を集積することに奔走した。

 知らないと考えられない(・・・・・・・・・・・)。それが、一つの信念であった。

 人間であれば、この集積で生涯を終えてしまうことだろう。時間があるというのはなるほど良いものだと感じた。

 

 そして、一つの言葉に出会う。

 

『真実の愛を知ることは、愛の(まこと)の名を知ること、である……?』

 

 愛の真名。

 概念の真名などという突飛な話ではあったが、妙にその言葉に力を感じた。

 

 しかしそれでも答えが出なかったから。

 とにかく、真名というものを知ろうと、すなわち「この世界の根源」を求めるために、時間の限り「書庫」の奥へと向かった。

 

 テレサが禁忌を犯していると知ったのは、それからしばらく経ってのことだった。

 

「でもさ、君がレインを愛したからって、ボクの愛が否定された(・・・・・・・・・・)というのは、よく考えればおかしなことなんだ」

 

 愛には主体と客体がある。そう仮定した上で、その感情の矢印が相互に向かい合っていなければいけないというのは不自然だ。

 ならば、過去の人物を愛した場合は、遠い噂で聞いた人を愛してしまった場合は、すなわち、俗に言う片想いというやつは「真の愛」足り得ない?

 

 そんな不平等は、明らかにおかしい。

 なら、感情を持たないモノへの愛は愛じゃないのか?

 

 人は、雲を、花を、世界を、愛せないのか?

 感情を持つ生物しか、「真の愛」を有さないのか?

 

 それは、あまりに恣意的だ。

 人にとって都合の良い定義に陥っている。

 そんなことで、世界の根源たる真名に届くわけがない。

 

「気付いたんだ。ボクは何に縛られているか? 考えているつもりで、実はまったく狭い世界に囚われていた。……少なくとも、『倫理観』というやつを持ち込んでしまっては、ボクらにとって都合の良い世界しか見えなくなる」

「りん、りかん……?」

「倫理観って言葉はだね、つまり、ボクらの『生活』が上手く回るために決まってると便利な、暗黙の了解だよ。盗んではいけない。殺してはいけない。……禁忌を犯してはいけない。そういったものだ」

 

 一度、それを取っ払ってみた。倫理観から外れた行いに準ずるという訳ではなく、思考を巡らせる上で。

 実際に倫理観を捨てて道を全裸で走れば、普通に怒られるし罰される。罰されている時間が実に不毛であったから、それは控えておいた。

 

 そうしたら少し見えてくるものがあった。

 少なくとも、「マルスの愛」は否定されていない。テレサへ向ける愛情も、レインへ向ける愛情も、微塵も否定されていない。誰もそれを奪っていない。

 

 ──奪おうとした奴がいるとしたら、それはマルス自身だ。

 

「一種、感動した。君たちは、ボクよりずっと先にそれを捨てていた。嫌味じゃないよ? そうやって君たちが愛し合っているということを、たとえ誰が否定しても、村中が受け入れなくても、ボクは受け入れる」

「……あなた、ちょっとおかしいよ」

「今更さ。村中からHENTAI扱いされてる。さっきだって、この貧弱な体でここまでフラフラになりながら走っていたら、『またキバタンが発狂している』って目線向けられたからね」

 

 マルス自身の中にはまだ「真実の愛」が存在しているかもしれない。

 あるいは、マルスがこよなく愛する二人の間にこそ「真実の愛」が存在するのかもしれない。

 

「魅せてほしい。君たちが間違えたときは、ボクが責任をとる。禁忌を破った罰として、ボクが手を下すことも覚悟の上……そう思っていた」

 

 そうやって歩んできて、テレサがレインから逃げたから。

 ──今こうして、腸が煮えくり返っている。

 

「なぜ、逃げた。君たちの愛とやらはどこへいった」

 

 自然と言葉に力がこもる。

 先ほどふざけるなとテレサが言ったが、マルスこそ「ふざけるな」と叫びたい。

 

「真実の愛をそこに求めたボクは、どうすればいい……ッ!? ふざけるな、なぜ逃げたッ!!」

 

 かつて見たことがないほどの夫の形相に、テレサは息をすることすら忘れた。

 それは、テレサの求めた「裁き」とはまるで異なっていた。

 

「向き合え!! 立ち向かえ!! 君は、虚無に愛を注いできたと言ったな? 虚無で満たされたと言ったな? それこそがあの子の本質だろう(・・・・・・・・・・・・・・)!! 『レイン』でも、『ニイロ』でもなく、あの子の本質に向けて愛を捧げられていたんだろうッ!?」

 

 本人がこれで怒っているつもりだというのならとんだ茶番である。

 その言葉は、立ち止まったテレサの背中を押すことにほかならない。

 

「真名を偽ったがなんだ! そんな倫理観に囚われるな! ボクへ愛を捧げることを止めたときから、君はとうに倫理観を投げうっているだろう!! だから(・・・)、君たちに期待していたんだ!! あの子が自分で決めた名と、あの子じゃない『何か』が決めた名、両方を知れたことに喜びを表現しろ!!」

 

 それでも憤怒に染まったマルスの眼差しを直視して。

 ああ、本気なんだな、とテレサは理解した。

 

「……昔からだけど、あなたって本当に無茶苦茶だ」

「それ、褒め言葉だよ。平凡、普通って言われるのが一番傷付く。……普通じゃあ何にも届かない。森人の大半は『普通』の人なんだ。ボクひとりくらい壊れていても良いだろう」

「……かなわないなぁ」

 

 ずるずる、とテレサはだらしなく背もたれに体重をかけた。

 立ち上がったマルスが、手を差し出す。

 

「おいで。隣で一緒に、観劇しよう。今日の演目はまあ……あんまりだけれど、頭を冷やしながら眺めるには丁度いいだろう。お互いね」

「はは……、私はもう十分冷えたよ。あなたは顔まで真っ赤だね。冷たいものでも飲むといい」

「いやはや恥ずかしい……」

 

 恥ずかしくて顔が赤いのか、興奮冷めやらず血が上ったままなのかいまいち判別がつかない。

 マルスの手を取って、舞台が一番良く見える席につく。

 

「……レインと、もう一回話したい」

「どうかな。君、逃げたわけだし」

「五月蝿いな……誰だって逃げたくなるだろう」

「責めてるわけじゃないさ。いやぁ、あの逃避ダッシュは実に見事だった。奏巫女の身体能力の高さが表れていたね」

「ほ、ほんとうに恥ずかしいからやめてくれ……」

 

 横長のソファに腰掛けて、キャストが新人ばかりで構成されているという劇の一幕を眺める。丁度場面の切換らしい。幕が一度落とされ、その奥ではきっと役者や色々な人が駆け回っていることだろう。

 隣には、遠すぎず、しかし寄り添うわけでもない距離でマルスが寛いでいる。

 

「あぁでも、マルス。あなたが怒っている姿を初めて見たかもしれない。顔を赤くする姿は宴会の席で何度も見てきたけれどね」

「ん゛ん゛っ……、……分かった、君の走って逃げた話はもうしないから、それを蒸し返すのもやめてくれ。散々理性がどうのと言っておきながら、結局怒っているっていうのがもう……」

「恥ずかしい系の話題は、別に、お互い他にも事欠かないけれどね……」

 

 出会ってから100年以上。

 変わりのない日々の中とは言っても、その時間の分だけ、恥ずかしいエピソードは挙げればキリがない。

 

「……とんでもないことに気が付いてしまったよ、テレサ」

「なんだい?」

「つまり、レインは幼少期から自我が芽生えていたんだろう? なら、ボクの真名も知られているんじゃ……?」

「あっ…………」

 

 レインが小さい頃は、まだ呼び方にあまり気を遣っていなかったから。

 レインの目の前で真名を呼び合うことは度々あった。

 というか、ならテレサの名も知られていたわけで、それを明かさずにテレサの口から言わせたということは……。

 

(キミは、本当にもう……!)

 

 知らずのうちに赤面するテレサであった。

 よし、新人の初々しい演劇を見て頭を冷やそう。そうしよう。きっとこんな大舞台で緊張しているだろうから、大ポカをやらかすかもしれない。

 

「ま、まああの子なら悪用しないと、思う、よ?」

「もうちょっと断言してあげなよ……。ん? ボクもレインも互いの真名を知っているってことは、実質ボクとレインは番?」

「は?」

「ヒッ…………は、始まりそうだね、劇」

 

 テレサの冷ややかな目線。

 テレサもマルスも、体温が上がったり下がったりと忙しない。

 話を逸らすように舞台の方を指差したが、実際に照明が再点灯されている。

 テレサもソファに身を預けて、ゆっくりと眺めることにした。

 

 

 ──さあ、幕が上がる。

 

 

 




**連絡欄**
いっぱい読んでもらえてうれしいです、いつもありがとうございます。たくさん書きたい。
告白編、父様の掘り下げが二番目くらいの目的だったり。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いやもう真夜中に人気のない場所に呼び出されたら告白だよね? なんて答えよう。君のことは弟としか見られない? 母様が可愛すぎて今は他の人のことを考えられない? シュミレーション完璧、準備ヨシ!

アンケート遵守です。


 死体があった。

 

 死体は濡れていた。

 

 みゃお、みゃおと、なき声が聞こえた。

 あるいは、それは勘違いであったのかもしれない。

 

 もう、なけないのだから。

 

 

 

 

 その死体は────僕だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を開けた。

 薄く、薄く。死体と見紛うほどに、薄く。

 

 映された景色は暗闇で、自室で眠っていたのだと気が付く。

 

 外も暗い。

 日が沈んで、昇って、また沈んだ。

 

『……レイン。いや、ニイロか? ──明日の夜、「森」で待ってる』

 

 今日が、「明日の夜」だ。

 

「……いこう

 

 大丈夫。次はちゃんとできる(・・・・・・・・・)

 ちゃんとやるから。……ちゃんと、演るから。

 

 ちゃんと、愛されられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「森」とは、村を囲う周辺の森のうち、特に以前シロ先生が住んでいた辺りの場所のことを言う。まぁあれだ、小学生が「公園行こうぜ!」って言ったらおおよそどこの公園か決まってるような、そういうアレ。

 なぜそこに呼び出されたかは分からないが、確かに「森」ならば誰も来ないし(来れない)、話をするには丁度いい場所である。

 先のことについて何か責められるのかもしれないが、ここは甘んじてすべて聞き入れて、格好良いお姉ちゃん像を挽回しよう。既に手遅れかもしれないが、幼いアルマならコロッと行ってくれるんじゃなかろうか。

 

 村は特に柵に囲われているとかそういうことはない。

 柵とか外堀って外敵がいるから必要なわけで、エルフには関係ないし。森には獣も沢山いるけれど、村に侵入して害をなしたって話を聞いたことがない。多分、なんか仕掛けられているんだろう。

 

 もちろん能動的に村に来てエルフに害をなそうとする獣がいなくたって、自分の縄張りが侵されれば彼らは防衛しようとする。だから、身を守れないエルフは森に入っていこうとしないし、以前言った通り、僕がシロ先生を初めて尋ねたときは怪我して、なんなら死にかけた。

 

 今更、森を歩いて襲われるということもないが。

 アルマとの鍛錬のみだが5年間剣を持ってきたわけだし、あとはほぼ同じくらいの時間、ルーナに手伝ってもらって魔力量の拡張をしている。

 前者は、殺気だの強者の気配だの少年漫画とは縁のない僕からするとよく分からないが、後者で増した分の魔力ってのが、威嚇するのに結構効いていると思う。

 以前母様が母さん(ウクスアッカ)と話したときなんかにあったが、人の纏う魔力ってのはその人の威圧感や存在感に影響する。正確には、魔力を認識する体の機関が反応しているのだと思う。だから、魔力どうこうを感じられない地球のぴっぴ達は分からないと思う。

 動物は、というかあまり複雑な思考をしない生き物、あるいは存在全般は、自分の真名というものを知れるらしい。結果、魔力が体から乖離することなく成長し、魔力を認識する機関もちゃんと育つのだとか。これはヘリオに聞いた。

 ほんで……説明がめんどくなってきたので一言でまとめれば、そこそこ肥大化した僕の魔力を感じて、獣もわざわざ襲いには来ないというわけだ。

 

 美少女が獣達に襲われる展開は、他のおにゃのこにやってもろて……ヘリオとか。

 ……なんか既にやってそうで怖いです(感想)

 先代ご主人さまの闇は、多分もっと深い。僕の直感がそう言っている。あれ、でもヘリオって僕より魔力量多いのか?

 

 

 

 

 そんなこんな、夜の森、足元もおぼつかないような暗い道をぼーっと考え歩くうちに小屋が見えてきた。シロ先生の昔の仮住まいだ。(夜目がある程度効くのもあるが、この辺は歩き慣れているので視界が悪くても問題ない)

 裏には、森の中でそこだけ禿げたかのように木の生えない場所がある。昔、先生が修行がてら開墾したらしい。

 その真ん中で、アルマが座禅を組んでいた。

 

「アルマ、来たよ」

「……ああ。そこ、立て掛けてあるやつ。取ってもらっていいか?」

 

 気配をずっと捉えていたとばかりに、こちらを向かぬまま一切驚く様子も見せずにアルマが答えた。

 立て掛けてあるやつ……ああ、小屋の横の木剣か。いつも稽古で使ってる、鉄芯入りの。

 全然関係ないけど、なんで世界が変わっても座禅は存在するんだろう。座禅というか、結跏趺坐(両足組むやつ)。人体にとってなんか益ある姿勢なんだろうか。

 この肉体は柔らかいからできなくもないけど、僕は足がしびれるので嫌いです。弥勒菩薩だって半跏(片足)でやってるじゃんか。

 

 立て掛けてあった木剣を手に取り、ズッシリとした重みを感じながらふたたびアルマの方を見る。

 あれ、取ってほしいのかと思ったけど、アルマの足元に既に一本木剣があるぞい?

 

 僕を殴り飛ばしたいって言うなら、わざわざこちらに剣を持たせなくても、大人しくなぶり殺しにされたって構わないのだが……。

 

「……え、ええと、アルマ? お話をしたかったんじゃないの?」

「……? 違うが?」

 

 びっくりするくらいキョトンとされた……。

 

「言ったって、分かんないだろ?」

 

 え、お姉ちゃん頭の弱い子扱いされてます?

 

「これでも、アルマよりは年上なんだから。そりゃ僕にだって分からないことはあるかもしれないけれど、アルマの話すことだったら、お姉ちゃん何回だってちゃんと聞くよ? 分かるまで、何回も聞く!」

「……そういう、ところだよ。……まあ、そもそもオレが上手く言える気がしない」

 

 そういうところ……?

 なにか、失敗しただろうか。いま。

 

 そんなことはない。ちゃんと君のお姉ちゃんをできている。ちゃんと君を愛せている。

 

「きっと、これでなら伝わるからさ」

 

 これ、と言ってアルマは足元の木剣を手に取り、ゆらりと立ち上がった。

 

「だから、最後のお願いだ。全力で相手してほしい」

「……ごめん、うん、君の言ったとおりだ。全然分からない。だから、さ。一旦剣を下ろして、話そ?」

 

 アルマがどんどん集中力を高めていくのが手にとるように分かる。

 空気が、作り変えられていく。あたりを囲う木々さえも、その息を潜めるように動きを止めていく。

 ざわざわと、体中の毛が逆立っていくような感覚さえした。

 

 アルマが。

 僕がここに来たときからずっと背を向けていたアルマが、振り返った。

 その目は、すべてが包帯で覆われていた。

 

「────参る」

「ちょ、待っ──ッ!!」

 

 トッ、トッ、と。

 目視できた限りで2歩分の足運び。優に10メートルはあった距離を、それだけで詰められた。

 

「──っ」

 

 距離があったから避けられた。

 あとは、きっとアルマがまだ試運転のつもりで動いていたから。

 

 アルマの木剣の軌道が通り得ない場所に体を滑り込ませるように跳躍し、そのまま彼が反転して武器を振っても届かない位置まで地面を蹴り飛ばすように下がる。

 いつもなら受け流す攻撃も、強化のかかっていない今の体では流すことすら痺れが残る、最悪武器ごとふっとばされる。ひとまず選べる行動は、回避一択である。

 

(……なんだっ、全力でって、稽古するみたいに相手すれば良いのかっ!?)

 

 下がった分だけアルマも距離を詰めてくるから、なんで目隠ししてるのとか、思考もままならない。

 幸い僕は勘がいい(・・・・)。らしい。先生曰く。マトモにやり合おうとすれば体がついていかなくて詰むけれど、回避に専念するだけなら、多分なんとかなる。

 

「────フッ!」

「──いや、無理無理無理無理むりぃッ!!??」

 

 あかん。無理。死ぬ。なんも考えられん。

 とにかく、体が動きたがる方に勝手に動いてもろて、バフかけさせて。

 

「──身体強化壱(バルグ)ッ」

 

 脳内での体の動きと、実際の動きのラグが減る。先程まで肌を掠っていた攻撃も空振るようになる。

 

「──身体強化弐(バルグ・ゴート)ッ!」

 

 普段ならできないような体運びが可能になる。

 ダンスを舞うように横に回りながら回避した先、読まれて刺突の置かれたその場所を通ることなく、空すらホールであるとばかりに空中に弧を描いた。

 ……まあ、あんまりピョンピョン飛び跳ねると逃げ場が読まれやすいので良くないのだが。

 

「──ッチ!」

「──身体強化参(バルグ・オルマ)ッ!!」

 

 変化をつけた回避でアルマの体が流れた隙に、三段階目。これで、いつも通り。

 と言っても、ここまで避けられたのは、「避けさせてもらえた」という意味合いが強いのだろう。最初から全力でやられれば普通に死ねるので、こちらが暖まるのを待った形か。

 とりあえずこれで、彼の猛攻を受け流すことが可能になった。……打ち合うのは多分無理。

 

 かつて身体強化をしていなかった頃は負けてしまい姉の沽券を失いかけたが、読み合いでは負けていないから、この状態では未だ無敗である。

 有り体に言って、余裕が出てきた。

 

 左から地面と平行に薙ぎ払われた一閃を、木剣で浮かすように逃しつつ上半身をしならせて回避する。持ち手を握り返して振り下ろされたら普通に脳天カチ割られるので、刀身の上を滑りきらせずに、手首を返してアルマの木剣を抑え込む。

 そのまま彼の背後にターンして回り込むが、アルマもおいそれと背中を晒すようなことはなく、飛び退かれ逃げられてしまう。……ああもう髪が重い!!

 

「……アルマ、その包帯どうしたのさ。かっこいいね」

「レイン相手なら、見えない方が動ける」

 

 何だその舐めプ!?

 

 が、どうやらハッタリとかハットリ半蔵とかではないらしく、見えていないにも関わらず先程からいつもと同等の動きをできている。

 

(……むしろ、いつもより動き良いんだよなぁ)

 

 目隠し稽古なんて滅多にしないから、僕が引きこもっていた間の一日半、たったそれだけでここまで動けるように仕上げてきたのだろう。きっと、シロ先生に見てもらったりして。

 まったくこれだから天才は……。

 

「この、フィジカルおばけ!!」

「自己紹介ありがとうッ────」

 

 今度は僕から飛び込んでいく。

 正直どうして夜中に戦わされているのか分からないが、アルマが満足するまで付き合うのもお姉ちゃんとしての役目だろう。

 

 現実というのは複雑で、少年漫画のように「殴り合う(理解り合う)」というふうになるのは中々どうして難しい。

 こうして戦っていても、彼が何を伝えたいのかなんててんで(・・・)分からない。

 「俺達は剣でしか分かり合えないだろう(ニヤッ)」みたいなアレも、僕は門外漢である。

 

 だから、まあ、これは家族としての務めだ。

 あるいは、お姉ちゃんとしての威厳を見せつけよう。

 

「……レイン」

「?」

 

 アルマが胴を狙って振るう切っ先を、体を僅かにずらして避ける。

 加速していくアルマの隙が中々見つからないから、反撃もできずにただただ避けるだけである。

 

「それで、全力か?」

 

 豪と音を立て、耳の横を疾風(はやて)が通り過ぎた。

 ……今の、外された(・・・・)

 

 サアッと引いていくように余裕が消え、背筋にぞわりと鳥肌が立つ。

 

「……身体強化肆(バルグ・ネァレ)

 

 四段階目。世界が、止まる。

 木々のざわめきが、夜啼鳥のささめきが、アルマの呼吸が。すべて、聞こえなくなる。

 

 実際にはそんことはない。が、世界の位相に対する認識が少し「ズレる」。

 

 ……そんな超感覚の中でも、ひとたび動き出せばまるでスローモーションには見えない速さの「勇者」ってなんなんだろうか。これで10歳? チートだチート。チート勇者め。

 

「オレも、本気で行くから」

 

 そう言って、アルマは木剣を振り払う。

 しかし、スローモーションとは呼べなくても、その動きは普段鍛錬で斬り結んでいるときより余程ゆったりとしたものに見える。回避は容易であった。

 

「それで、本気かい?」

 

 煽るように薄く微笑んで躱す。と言っても包帯で見えてないんだろうけど。

 

 疾い。確かに疾いのだ。先程までの状態だったら、どの攻撃も躱し切ることはできなかっただろう。

 一発掠れば、それが次の動作の遅れに繋がる。二撃目で致命傷だ。

 ……あくまで、先程までの状態だったら、の話である。

 

 アルマはどんどん加速していく。第三者が見れば、一体どんな光景に見えることだろう。

 ああ、羨ましい。勇者だからなのか、「人間」だからなのか知らないけれど、それだけの身体能力に恵まれることができて、彼こそ「特別」と呼ぶに相応しいだろう。

 彼の前を歩くのはとても苦労する。どれだけ逃げても、気付けばその切っ先が首元に当たりそうになる。

 きっといつか、こんな身体強化(誤魔化し)では追いつかれてしまう日が来るのだろう。

 

 でもさ、多分。

 もう、僕だめだからさ。

 そのうちいなくなるから。

 

「──あとちょっとだったね」

 

 それまでの間だけ、前を歩かせてくれないだろうか。

 

「……あぁ」

 

 アルマが嘆くように呟く。

 

 薄く、薄く。死人のように、空気に溶け込んでしまうくらい、薄く。

 

 空振った彼の背後から、優しく剣の柄を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────思っていたよりずっと、前にいたんだな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声は、確かに()から聴こえた。

 

 けれど、振り下ろした先には誰もいなかった(・・・・・・・)

 

「──な、────ッ!」

 

 驚愕に彩られている暇などない。

 

 背後、あるいは頭上。

 確かめる時間すら惜しかったから、木剣を背中側に回しつつ前方にステップする。

 

 ガッと木剣が鈍い音を立て、何らかの形で防御に成功したことを知る。

 

 しかし、受けてしまった(・・・・・・・)

 ビリビリと震える腕はしばらく使い物にならない。コンマ数瞬の遅れはもはや意味を成さないのだから。

 

「────ック」

 

 とにかく後ろに回られていたことは確かだ。

 一旦前方に転がって飛び退いて、距離を取っ─────

 

「────よう」

 

 誰もいないはずの場所に。

 逃げた先に、アルマが片手を上げて待っていた。

 

「な、にが──ッ!!」

 

 何が何だか分からない。

 振り下ろした先には誰もいない。

 防いだ先には攻撃があったのに、その攻撃の主は逃げた先にいる。

 

 苦し紛れに、正面のアルマに袈裟斬りのように剣を振るう。

 苦し紛れと言っても、身体強化肆(バルグ・ネァレ)をかけた状態で、最善と思われる道筋に軌道を重ねた。並の人間では避けられない一撃だ。

 

「あ…………」

 

 それも(・・・)空振る(・・・)

 

 誰もいないのだ。位相のずれた世界で、アルマだけが世界に溶けてしまうかのように突然消える。

 

 なんだ、これ。

 

「ぁ……、あ、ぁぁ……」

 

 一切、アルマに触れられるビジョンが見えない。

 なんだ、この、突然消える……消える?

 そうか、

 

「『転移』────ッ!!」

 

 転移。勇者だけに許されるという禁忌の魔法。

 

 ギリッと奥歯を噛みしめる。

 

 なんだそれ。ずるいよ。

 天才的な運動神経も、化け物みたいな戦闘センスも、神様の贈り物みたいな恵まれた肉体も、全部持ってるじゃないか。

 それなのに、そんな。

 

 斬っても斬っても、すべて空を切る。当たる寸前にアルマが消える。

 

 苦し紛れの防御は何とか持っている。けれど、もう木剣を握っている手の感覚がない。次は躱す以外に逃げる手段がない。

 

(……音だ。アルマが出現することで、音が急に遮られる。気配よりよっぽど早い)

 

 そう予測し、ヒュという風が切れる瞬間を探す。

 

(こ、こ……ッ!!)

 

 振り向きざまにそのまま木剣を薙ぎ払う。

 アルマが視覚で認識するよりも速く、先に一発。

 

 視界の端には、彼の木剣を捉えている。

 

(当た………………………………ぁ、ぁ)

 

 ────木剣だけが、そこにあった。

 

「──ッグ、ァ…………っ!」

 

 仰向けに倒され、上から物凄い力で地面に抑え込まれる。

 握っていたはずの木剣は、払い取られてしまった。

 

「……く、ぅ、………ふっ……く……」

 

 マウントポジションを取られ、両手首を掴まれ組み敷かれている。

 

「……ぁあっ、……ん、く……ッ!!」

 

 身体強化をした状態で全力で逃げ出そうとしているのに、押さえ込まれている部分がピクリとも動かない。

 

「……な、レイン」

「く、そぉ……っ、は、ぁぁ……っ、ぅ、くぅぁ……!!」

 

 どうにか押さえ込みを解けないかと暴れるのだが、アルマの抑える力は、この小さな体のどこにと問いたくなるくらい底知れない強さがある。

 そりゃあ、こんな力で剣を振るわれたら受けられないわけだ。

 

「レイン、もう、オレの方が強いよ」

「は、…ぁ、あ…………んぁぁ……っ。……ふーっ、ふーっ、ふーっ」

 

 アルマはもう勝ちだと思っているようで、どこか諭すような声音で語っている。

 体の下で抜け出そうと藻掻く僕のことなど、まるで意に介していない。

 手首を浮かそうとする。けれど、まるで縫い付けられたみたいに地面から離れそうにない。

 

「ほんとは、『オレもこれだけ強くなったから、ちゃんと見てほしい』って言うつもりだったんだ」

「んっ……、く……、んん、ぅ……! ぁあ……っ、ん、はっ、は、ぁぁ……」

 

 その包帯の下がどんな目つきなのか、想像したくない。

 弱いって、気付かれたくない。嫌われたくない。冷めた目つきで見られる日が怖い。

 

 まだ負けてないって言うつもりなのに、組み敷かれた下からはまるで抜け出せそうにない。

 彼が、勇者だから? 人間だから? 男だから?

 身長はまだ僕のほうが高かったはずなのに、両腕を押さえつけるアルマの手首は筋肉質で、僕よりずっと太い。

 

「けどさ……なあ。ひとりで、何をそんなに戦っている?」

「っは、はぁっ……、ひとり……?」

 

 ひとりで戦うって、なんだ、それ。

 ちゃんと、助けを求めようと声を上げたじゃないか。

 

「はっ、ぁ、……拒絶、したのは、君達だろ……?」

 

 別に、責める気はないのだ。

 悪いのは僕だ。だから救われなかった。納得している。

 

 それをわざわざ「どうしてひとりで」って(あげつら)って、それは、君達が言うことじゃないだろう……?

 

「……あぁ、ええと、ごめん。やっぱオレ、自分のこと以外は上手く言葉にまとめらんないや。……ただ、一つ勘違いしてるよレイン。誰も拒絶していない。母様は、受け止める時間が必要なだけだ。父様がきっとうまく宥めてくれているだろうし、オレが今夜呼び出したのだって、オレがもう、レインに寄りかかってもらえるだけ強くなったって伝えたかったんだ」

 

 それは、母様が言った「ごめん」の一言に込められただけの意味を、君達が知り得ないからだろう。

 

「……いや、さ。レイン、どっかで拒絶されることを信じていた(・・・・・・・・・・・・・)んじゃないか?」

「────」

「違っていたら悪い。ただ、だから、そうまでしてひとりでいるのが分からないって思ったんだ」

 

 …………それが。

 

「……ん、く、ぅ、はぁ、ぁ……っ」

「──!? なんでまだ──ッ」

 

 抜け出そうと腕に力を込める。

 油断していたのか一瞬浮くが、すぐにまた押さえつけられた。

 

「ゃ、は、ぁぁ……っ、は、ぁ、はぁ……んんぅ……っ」

 

 びくともしない。

 どうして、こうも弱い。

 

「な、ぁ……ッ! どうすればレインがひとりじゃなく生きられるのか分かんねえけど……っ。こう、してッ。レインが全力で向かってきても、へっちゃらなくらいオレ強くなったから、もう、無理しないで、いいよ……ッ?」

 

 ひとりで戦っているって。

 それが、正しいとして。

 

 それ以外、誰も教えてくれなかったでしょう。

 

「……君に寄りかかるって、じゃあ、君に愛されるために、振る舞いましょうか?」

 

 分かんないよ。分かんないよ、なにも。

 みんなの、誰かの庇護下にあれば、分かんなくたって生きていられるんだろうけど。

 

「たとえばさ、さっきからずっとお腹にあたってるこの熱いの、気持ち良くしてあげよっか?」

 

 なんでか知らないけれど、多分、この肉体が魅力的だから。

 

 弟に欲情されるって変な気分だ。

 でも、僕は「それ」の扱いをよく知っているし、この身体は使い勝手が良い。

 布越しに伝わる熱でも、それがよく充血していることが分かる。

 

 誰かと生きるってことが自分の持っているものを差し出せることなら、僕の持ってるものをぜんぶ差し出せば良いんだろう?

 

「ほら、こうして」

「ま……ッ、レイン……ッ!」

 

 手首を押さえつけられたままだから、僅かに動く両脚の太ももで、布の上から挟むように。

 子供らしい小振りな珍坊の感触に、クスリと笑みがこぼれた。

 

「可愛い。アルマは、えっちなこと全然知らなさそうだね」

「や、め…………」

 

 静止するような言葉のわりに、逃げ出そうとも離そうともしない。

 ほら、これで正解でしょう?

 (こんなもの)で良いのなら、いくらでも差し出しましょう。

 

 スリスリ、シュッシュという衣擦れの音。

 段々と、手首を握っていたアルマの力が抜けていくのが分かる。今なら、振り払えるかもしれない。

 

 さして、特別な刺激を与えたわけではなかったけれど。

 

 ドクンドクンと、脈打つように脚の間で震える感覚に、不快感というよりかはずっと、あぁこんな感じだっけ、という懐かしさを感じた。

 彼のズボンの中は汚れてしまったことだろう。洗ってあげるべきかもしれないが、それより先に、この「続き」をすることになる。

 お互い、きっとグチャグチャになるから、ズボンなんて、今さら。

 

「……っ、はっ」

 

 苦しそうに、アルマが息を吐き出した。

 

 そして、続けて言った。

 

 

 

 

「これはっ、『寄りかかる』ことじゃ……ないだろ……ッ!!」

 

 

 

 

 ガツンと。

 今日、初めて殴られたような心地がした。

 

 その言葉ではない。

 滲むように濡れた、目元の包帯に。

 

「────ぁ」

 

 霧を晴らすように、渦巻いていた思考がハッキリとした。

 いま、何をしようとしたか理解した。

 

 凍っているのではないかと思うほど、脳内、あるいは体中が冷え切った。

 

「──ご、め……こんな、つもりは────っ」

 

 ほとんど力のこもっていない拘束から抜け出して、腰の抜けたまま数歩分後ずさる。

 

 ヨタヨタと、逃げるように距離を取る。

 

 その場にいることが、罪をいっそう強く感じさせた。

 

 だから、走った。元来た方へ。元来た方へ。

 つまり、恥も外聞もなく、逃げ出した。

 

 何をしようとした。

 愛すべき家族に、何をしでかした。

 愛されようと、何を差し出そうとした。

 

 ……ダメだ。

 

 人といちゃ、ダメだ。

 

 誰かに近付けば、絶対に傷付ける。

 

 絶対に、いつか間違える。間違えて、傷付ける。

 あるいは「間違い」ではなくて、僕の本質がそれを「正しい」と認識してしまっている。つまり、手遅れだ。

 

 こんな生き物が、「人」の隣にいてはダメだ。

 

 ひとりを。

 ひとりに。

 ひとりで。

 

 ひとりぼっちで、しあわせを見つけるべきであった。

 

 今までと、同じように──

 

「────ぁ、──れ」

 

 木々の間を駆け抜けているつもりが、途端に足がから回った。

 

 地面は続いている。踏み損ねたんじゃない。膝から先の感覚がなくなった。

 

「……カハッ」

 

 土が目の前にあった。というか、倒れていた。

 咳き込むように口から何か出たが、血かもしれない。

 

 ……身体強化肆(バルグ・ネァレ)の後遺症だろうか。先程のように長時間使ったことがなかったから、身体にどんな影響が出るか分かっていない。

 あるいは、身体の魔力が尽きたか。体内を巡る魔力を追ってみれば、生体機能に必須な分くらいしか残っていない。

 

「ガ、ぁ、ァァア……ッ!!」

 

 それは痛みというより、全身を焼かれるような熱さであった。

 生皮を剥がれ、塩を塗り込まれ、一瞬で焦げ付いてしまわないよう丁寧に炙られたらこんな感じだろうか。

 

 同時に、魔力が枯渇寸前になっていることで、嘔吐感に似た気持ち悪さを脳が訴える。

 痛みの中脳だけ別で振り回されているかのような、前後不覚にもなる不快感。

 

(癒しの………………いや……もう、いっか)

 

 癒しの魔法を使って身体機能を取り戻し、空気中の魔力塊を食べることで魔力回復につとめようかと思ったが、どうでもよくなった。

 

 だって、このまま死ぬのなら、それまでだったということではないだろうか?

 人でなしにお似合いの最期ではないだろうか?

 

 森の中で死ねば、そのうち何かしらの動物に食べられて跡形もなく消えられることだろう。

 どこからともなく現れた転生者が、好き勝手傷付けて、最期は苦しんで、どこへとも知られず消えていく。

 綺麗な起承転結ではないか。

 

 

 ──ガサリと。

 

 

 すぐ側の茂みが、小さく揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 遠ざかっていくレインの背中を見つめながら、ディアルマスは思考が薄れていくのを感じた。

 彼の知らぬことではあるが、精には多量の魔力が含まれる。初めてそれらを外に出したことで、ディアルマスの体内からかなりの魔力が失われた。

 

 エルフにも共通したことだが、勇者のような魔法的存在は身体機能の大半を魔力で補助している。それを失えば、体に突然疲労が表れるし、意識は途絶える。

 ディアルマスが未だ気絶していないのは、彼の精神が鍛えられているからこそであった。

 

(……情けねぇ)

 

 何も伝えられなかった。

 何も救えなかった。

 

 視界さえ隠せば、十全に力を発揮できて、彼女より多少なりとも前に行けたと示せるのではないかと考えて。

 もう、守られる存在ではないのだと伝えられるのではないかと考えて。

 

 初めてこの場所……「森」に来たとき、レインに助けられた。

 

 巨大な猪に襲われて、ディアルマスを庇いながら、レインがひとりで戦った。

 一度、突進をもろに受けたレインは鞠玉のようにぽんと吹き飛んで、血だらけになって、今思い返せば、きっと骨も沢山折れて。

 それでも、勇者は、涙を流して腰を抜かすことしかできなかった。あまつさえ、漏らしていたと思う。

 

 そこから立ち上がったレインに助けられた。彼女は猪に傷を与えて追っ払って、何度も何度もディアルマスに泣きついて謝った。

 村に帰ってからも、すべてにおいてレインが怒られていたから、きっと常識を考えればレインが悪かったのだと思う。

 けれど、ディアルマスは自分が何もできなかったことが、ただただ情けなかった。

 だから鍛えた。強さを追い求めた。

 

 結果として、思っていたよりずっと、既に彼女より前にいたことを知った。

 やっと守る側になれた。

 

 全部救える。救ってやる。そんな傲慢がいけなかったのだろう。

 

 男女の性別を見比べるための器官のひとつ。子供を作るための部分。

 恥ずかしながら、そこをレインに触られて、脚とはいえ、腰が抜けるくらい気持ちよかった。いや多分、「レインに触られている」という事実が大きく影響していたのだろう。

 だから、あそこで振り払うことができなかった。

 これは違う。直感がそう叫んでいたのに、言えたのは、すべてが終わったあとだった。

 

(情け、ねぇ……ッ!!)

 

 戦いが強くなっても、てんでダメだ。

 何も変えられなかった。

 何も救えなかった。

 

 なら、どうするべきだったか。

 これからどうするべきか。

 

 ディアルマスは、未だ何一つとしてその答えを知らない。

 

「本、当に……ッ、情けねぇ……!!」

 

 その言葉を最後に、勇者の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 茂みの奥から現れたのは、3匹の小さなウリ坊であった。

 

(……夜中に、ウリ坊?)

 

 スンスンと鼻先を動かしながら、僕の方に寄ってくる。

 

「─ッ、ぁ、ァ……!」

 

 ウリ坊の鼻先が少し頬に触れるだけで、視界が白くなるほどの激しい痛みに襲われる。

 悪気はないんだろうけれど、痛いから近付かないでほしい。

 

(子供がいるってことは──)

 

 ガサリと、茂みから先程よりずっと大きな音が鳴る。

 首は動かないし、視線は地面にしか向いていない。

 しかし、その音と、周囲が暗くなったことから、巨大な母親猪が現れたことを知る。

 

(……死んだかな)

 

 縄張りに入り込んだ部外者だ。その立派な牙で貫くのか、はたまたこの世界の猪は人肉を好むのか分からないが、まぁ無難に殺されるだろう。

 

 死ぬのが怖いというより、魔法の反動で死ぬかと思っていたから、野生動物に殺されて死ぬのが意外だという感じ。

 まあ、その方がなんか食物連鎖っぽくていいんじゃないですかね。知らんけど。

 

「──イ゛ッ……、が、ぁ……ッ」

 

 背中に激痛が走る。……食われたか?

 

 しかし、どうも母猪の顔が僕のすぐ側にある。

 というかこいつ、ここで寝始めた。背中の痛みは、若干僕に体重を預けたからか?

 

 ウリ坊達もウリ坊達で、首元だの鼻のすぐ近くだの、好き勝手に場所を選んで寝始める。

 なんだ、こいつら。人を湯たんぽ代わりか? それとも非常食をマーキングしているのか?

 

「……くさいし、いたい。はな、れて、ください……」

 

 伝わるとは思わないけれど、お願いした。

 今度は、ズシンと地面が揺れた。

 

 ……嘘だろ。

 

 視界に映る脚。

 一本だけで、僕の胴は優に踏み潰せる大きさのものがあった。

 傷だらけで、歴戦の猛者であることがよく分かる。

 

 こいつが食うのか、こいつもここで寝るのか。

 寝るにせよ、この巨体で寄りかかられたら普通に死ねるぞ……? 圧死はなんかこう、流石に、なんかやだ。

 

 僅かに触れるくらいの位置。そこに、巨大猪は体を下ろした。

 ……ほぼほぼ全方位を猪に囲まれてしまった。

 

 臭い。痛い。あと、ちょっと暖かい。

 

「なんなん、ですか……。たべないなら、あっち、いってくださいよ……」

 

 痛いんだよ。

 ほんとに。

 

 こっち、来んな。

 触れんな。

 何がしたいか、分かりゃしない。

 

 獣にまで同情されるっていうなら、僕は獣以下か?

 いや、獣以下なんだろうけどさ。

 

 痛いよ。

 痛い。

 

 

 

 

 ──その暖かさが、何よりも痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば、温もりに眠ってしまっていて。

 

 朝日の中に、猪臭い僕だけが残されていた。

 

 

 




アルマ「チラチラ見える服の隙間やうなじが気になるなら、視界を隠せばいいじゃない」

〜〜戦闘終了後〜〜

アルマ「えっちすぎる喘ぎ声(健全)には勝てなかったよ……」


**連絡欄**
すいません。趣味全開で書きました。目隠しショタ剣豪いいですわゾ。
これならギリ逆レに入らないよね?アンケート遵守だよね?
誤字報告感謝です。フレンチキスって唇重ねるだけのやつじゃないんじゃな…また一つ賢くなってしまった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あんたら、きもちわるいんだよ。ふれんなよ。みてんじゃねぇよ。かんべんしてくれよ。ちかよんな。■のために死ねないくせに、きれいなとこばっかみてるくせに。ふざけんな。くだらないんだよ、あんたら、みんな。


生きかたを、おしえてください



 深夜、村のそこかしこを幽鬼のように歩いていた。

 夜になると眠れなくなるのだ。日中は部屋に閉じこもり、誰にも会わず、可能な限り小さく身体を折って震える身を抱えている。

 食事は摂っているということにしている。一度アイリスが扉の前まで呼びに来たが、ひとりで適当に食べているから放っておいてほしいと伝えた。以降、誰も来なかった。誰にも求められていないのだと理解した。いや、アルマなら、体を好きにしていいと言えば釣れるだろうか。……浅はかな思考に、一層苦しさが増した。

 

 正直、限界であった。

 なぜ生きているのかと言えば、まだ僅かに残った期待なのだと思う。誰に向けたともしれぬ期待。

 

 人に会うのが怖い。だから昼間は閉じこもる。

 人に見つけてほしい。だから夜になって彷徨い歩く。

 

 こうした己の身勝手さであの人達を傷付けたというのに、何も学んでいない。

 

「…………?」

 

 誰かの声が聴こえた気がした。

 こっちだろうか。

 

「……(やしろ)の、舞台」

 

 音を辿るように足を動かし、気付けば目の前には、エルフたちに神樹と呼ばれる一つの巨大な樹木が立っていた。

 樹木というより、もはや巨大なビルだ。どんな斧でだって切り倒せる気がしない。

 

 お社の大樹。中には、くり抜くようにして作られた大きな舞台が存在し、その頂上には聖域へと続く入口がある。聖域のある我が家と距離があるから、転移に近い魔法が施されているのであろう。

 お七夜や、いくつかの儀式では奏巫女が舞台に立つこともある。音楽を奏でて、人々の心をまとめ上げて、魔力を重ね合わせ、頂上の入り口を通してヘリオに届ける。ヘリオはそれを用いて村を守る。そういうことになっている。

 

「あい、てる……?」

 

 大して期待もせず扉に触れると、施錠された様子もなしにおもむろに動く。

 実に不用心であるが、それで何か悪さをするエルフがいるわけでもないので、些細な問題か。

 

「……いや、ここに一人いるか」

 

 極悪人が。

 だから何というわけでもないけれど。

 

 ずりずりと足を引きずり、劇場の中を歩き回る。

 気付けば、慣れ親しんだ舞台、その中央に立っていた。

 

 それは、やはり誰かに見つけてほしい心の表れだったのかもしれない。

 ここに立てば、みんなが僕を見たから。求めたから。

 

さみしいよ……」

 

 そう呟いても、無人の劇場は静寂を返すのみであった。

 

 暗闇が、静寂が、傷を抉るように過去を想起させる。

 あたたかな過去。優しい過去。

 

 初めてのときは、母様と二人だった。頂上と舞台を繋ぐ螺旋階段を近道するように飛び降りて、空を飛ぶみたいにゆっくり降りながら母様と音を重ね合わせた。

 客席、舞台裏、僕ら。みんなの魔力が一つに混ざり合って、前世では見たことなかったけれど、鮮やかなオーロラみたいで、とても綺麗だった。

 

 次のときは、確かオペラのワンシーンに出てほしいという話だった。僕が役者なんて無理ですと伝えたら、演じる必要はないから、歌を歌ってほしいだけと言われて。

 凄い緊張して、でも母様と父様がアルマを連れてくるっていうから、かっこいいお姉ちゃんを見せてあげようと張り切った。失敗はしなかったと思うけれど、多少緊張が伝わってしまったかもしれない。

 

 何回かそうした経験をしたり、母様と儀式を執り行ったり、あるいは観客として観るだけだったり。僕の歌を歌いたいと思って、色んな人と話して、一人の脚本家さんと、二人で新しい演目を作った。

 二人だけで作るわけにもいかないから、沢山の人に助けてもらって、役者さんとかとも交流を持って、沢山相談して、まるで学園祭みたいだなって思った。学園祭にはあまり良い思い出がなかったけど。

 

 どこぞの珍棒の生えた姉妹に巻き込まれたこともあった。某キバタンルームじゃなくて、キバナちゃんと一緒に前の方の席で眺めていたら無理矢理舞台に引っ張り上げられた。

 そりゃ慌てたけれど、脚本を壊すわけにもいかないから、僕の知っている限りでその演目に合わせて。あとで二人のアイサ達に文句を言ったのに、「楽しかったでしょ?」と言われて何も言えなくなった。

 

「……たのしかった

 

 たのしかった。

 

「たのしかったよ」

 

 本当に、たのしかったんだ。

 

「ぼく、たのしかった、よ……」

 

 ただただ、それだけだ。

 

「もう、やだよぅ……」

 

 壊したのは自分自身だろう。

 そんなことは、重々承知で。

 

 歩いていれば、どこかへ辿り着けるものだと思っていた。

 どこかって、それはきっと、「ここ」じゃないどこかへ。

 

 だから、足を進めた。階段を登って、高い方へと向かった。

 あるいは、その声に導かれていたのかもしれない。

 

 聞こえていた。気付いていた。

 でもどこか夢うつつで。

 なぜここにいるのかなんて、少しも分からなかった、

 

 きっと全部悪い夢で、あなたに会えば、顔を見れば、口付けをすれば、愛撫をして、愛を注いで、互いに果てるまで抱き合って。

 つまり、いつも通りのことをしていれば、いつも通りの「明日」が迎えられるような気がしていた。

 

 

 

 

らら、るらら

 

 

 

 

 綺麗な声だった。

 その声に恋しているのだと思った。

 社と呼ばれる、聖域へ続く小さな木のうろの前で。

 月も出ていない闇夜に溶け込んで、あなたは歌っていた。

 

「……誰?」

 

 こちらの気配には気が付いたが、姿がよく見えないのだろう。

 か細い、不安そうな声で母様が尋ねる。

 

「ああ、でもこの感じは……レイン、キミか」

 

 いともたやすく見破られてしまった。魔力を感知されたのか。

 

「はい。レインです。こんばんは、母様。どうして、こんなところに?」

 

 酷い声だった。

 しばらく人と話してないからだとか、泣きすぎただとか、きっとそういうことではなくて。

 

「ええと、癖、でさ。ひとりだった頃の。……ねえ、泣いてるの?」

「まさか。泣いてなんていやしませんよ。暗くてよく見えないんですね。ほら、こんなに笑っている」

 

 魔力をはたらかせて、傍にあった灯籠に明かりを灯す。

 ほんのりと、暖色系の光が灯った。

 

 さあ、笑えよ。

 レイン、笑え。

 散々やってきたことだろう。求めてきたことだろう。好きなことだろう。

 ほら、笑え。

 

「ふふっ、はは、えへへ、本当に、いい夜ですね。なんだか無性に嬉しくなってきてしまいます。母様に会えたから、きっといま世界で一番しあわせですね、くひ」

「……誰?」

 

 また問い直された。

 寝ぼけているんだろうか。夜だから、しょうがないね。

 

「いや、だから、レインですよ」

 

 だって僕がそう名付けたんだから。

 

「……ねえ、お願いだから、そんな顔で笑わないで。そんな風に話さないで。それじゃあ……キミが、私が、かなしいよ」

「かなしいわけ、ないですよ。だって、……あなたに……会えたんだから」

 

 笑え。

 声の震えなんて気のせいだから。

 笑顔でいれば幸せになれるんだよ。

 だから。ずっと泣いている。

 

「ごめん、私が悪かったんだ。ちゃんと聞こうって決めていたのに、途中で逃げてしまって。傷付けたと思う。言いたいことも沢山あると思う。だから、もう一度、聞かせてもらえないかな……?」

 

 それは、確かに僕が思ったことだ。

 

「……傷、付きました。裏切られた気分になりました。でも、逆なんです。先に傷付けたのも、先に裏切ったのも、全部僕です」

 

 最初からあなた達の大切なものを踏みにじってしまっていたのだと思う。

 多分、どこかで気付いていた。本当にこのままレインと名乗り続けていいのか疑問が生じたこともある。でも、嫌だから、「なんとなく」嫌だったから、そのことをなあなあにしてきた。

 それでも、進みたかったから、前を向きたかったから、あなたを傷付けるだろうと分かった上で伝えた。

 「前を向く」だなんていう聞こえのいい言葉を盾にして、あなた達を殴りつけた。全部分かった上で犠牲にしようとした。殴った拳が傷付いて、そのことを「傷付けられた、裏切られた」だなんて泣き喚いた。

 

「だから、全部僕が悪いんですよ」

「そんなこと……っ! 逃げた、私を、責めてよ……?」

 

 全部僕が悪い。

 そう思った方が楽なだけだ。

 最初から、いなけりゃよかった。

 

「僕の言葉なんて、もう聞かないでください。それは詐欺師の言葉です。極悪人の建前です。悪魔の囁きです。あなた達にとって心地よく、その実僕のことしか考えていない身勝手な虚構です。できれば、この言葉すら聞かないでほしいくらいなんです」

 

 それを聞いて、母様はひどく悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔になった。

 何かを伝えようとするかのように音を発さず口を動かし、やがて何も届かないと理解したのか口を閉じる。

 下を向いて、悔しさの滲んだ声音で、なんとか一つの言葉が絞り出された。

 

「……キミは、どれだけ自分が愛されているか理解したほうがいい」

 

 どれだけ自分が愛されているか(・・・・・・・・・・・・・・)

 ドレダケジブンガアイサレテイルカ?

 そんな、もの。

 そんなものが。

 

「理解、……できるわけ、ないじゃないですかっ!」

 

 どこから生まれたのかもわからないくらい唐突に、怒りに近い感情が湧き立った。

 もう「笑う」ことなど、取り繕うことなどできなかった。

 

 自分が愛されていると思える人は(さいわ)いである。

 どこかで、自分という存在への確信がある。自分を受け入れ、認めることができている。

 

『──人未満? 人でなし? 馬鹿を言え。お主はもとより、立派な「人」じゃ!!』

 

 違うんだよ、ルーナ。

 

 どれだけ神様(あなた)が認めてくれても、■が、僕を「人」と認めないんだ。認めてくれないんだ。

 

「どうして、こんな、薄っぺらな存在を愛してくれる人がいるだなんて、そんな、笑えてしまうほどの恥ずかしい勘違いができると思うんですかっ!? 僕が、僕みたいなっ、空っぽで、嘘つきで、どうしようもないクズを、誰が……!」

 

 嘘つきだから、この言葉だって嘘まみれだ。

 本当に自分をクズと思っていたら、わざわざ自分のことをクズだなんて呼ばない。

 空っぽの人間は、自分が空っぽということにさえ気付かない。

 だから、この逃げ口上は、「自分、汚いところ自覚できてますよ」アピールで、率直に言って、悲劇のヒロイン気取りでしかなくて、この心の言葉すら、自分を美化するためのものでしかなくて。

 

 ああ、最悪だ。

 言葉を紡ぐほどその端が揺れて、視界も揺れて。

 滲んだ世界は、惨めな僕のことだけを教える。

 

 嗚咽混じりに吐き出される汚い言葉が僕の本性だ。

 これも嘘だ。

 最近泣いてばかりだからか、涙腺もこれでもかというほど緩い。

 溢れる涙で彩られた表情は、きっと醜悪極まりなく、さぞ不細工なことだろう。

 

 こんな顔、こんな姿、母様にだけは見られたくなかった。見せたくなかった。

 本当に、最悪だ。

 

「人の、気持ちなんてっ、あなたの気持ち(・・・・・・・)なんてっ、そんな、不確かなもので……自己肯定できるほど、僕は、愚かではいられないんです」

 

 友達、親友、恋人、伴侶、家族、親、子供。

 すべて、自分以外の人、他の人、他人だ。

 

 他人の考えていることを理解できるか?

 他人の感じていることを理解できるか?

 他人の愛情を理解できるか?

 他人を理解できるか?

 

 否、否、否。否である。

 

 人は理論ではない。

 人は感情でもない。

 物理法則のように、化学的性質のように、純粋数学のように。

 そんなふうにひとつひとつ理論を積み上げ、論()()し、誰かを理解することができればどれだけ楽だろうか。

 他人にどう振る舞えばどう反応するのか、その全てを理解していれば、友達も恋人もよりどりみどりであっただろう。

 あるいは、ルーナならば脳の電気的な回路をすべて把握でもして、一つの人格を「理解」できるのかもしれない。しかしその彼女すら、「意思」の存在を肯定している。

 

 ああ、そうだ。意思。こんなもののせいで。

 

 人にとって最も尊いものが「意思」であるとして、しかし同時に、世界をこれほどまでに複雑にし、人の心に苦悩を生み、死というものを恐れさせ、人に狂気をもたらしたものも「意思」である。

 

 意思が個性を生み、同時に差異を生む。

 

 それは目線の違いであり、人という生き物が物理的に重複できない以上、何をどう足掻いても与えられる。

 向かい合っても、隣に立っても、共に歩んでも、「同じ景色」は絶対に見ることがない。

 

 なればこそ、人は違うものを経験する。

 経験が言葉を作り、言葉が思考を作る。

 

 ゆえに、他者の思考を理解するなどということは、その成り立ちからして不可能である。

 

 人は理解し合えるだなんて唱える者がいたとして、それは盛大な勘違いだ。

 ……だからといって、相手を否定する必要はないのだ。天動説を信じる人々にそうするように、相手がそれを信じている限り幸せなら、そのまま放置しておけばよい。

 誰もがそれを信じたから、ひとりになった。

 人は理解し合えない。阿吽の呼吸のような関係が成り立ったとして、あくまで精度良く思考が一致しただけで、それは理解の近似値だ。

 しかし、ただ一人、自分を理解できる存在がいる。

 

 自分と「同じ」ものを見て、自分と「同じ」経験を積んで、自分と「同じ」言葉を持って、自分と「同じ」思考で動く存在。

 つまり、自分自身だ。

 だから、■を理解できるのは、■を誰よりも愛せるのは、■自身に他ならない。

 

 それなのに、「他人の想いを理解しろ」とは、ひどく愚かな言葉である。

 ああ、泥のような、汚い感情が、どんどん増してゆく。

 

 あなたが僕を、…………待て、止まれ。

 駄目だろ、そっちは、行っちゃ駄目だろ。

 でもさ、本当のことだ。

 出すな。良いんだ。心の中で言うだけなら、何言ったって良い。だから、口に出すな。

 言わないと伝わらないんだろ?

 やめて。伝えなくていいから。やめて。

 

「……あなたの」

 

 やめて。やめてよ、待って。

 

「あなたの愛の、何を根拠にしろと」

 

 ──やめろ。

 

「一体どうやって、舌先三寸で語られる愛を信じろと」

 

 ──それだけは、言ってはいけない。

 

 

 

 

 

「──父様への愛を、塗り替えた癖に」

 

 

 

 

 

 ──もう、やめてくれ。

 

 それは、お前がさせたことだろう。

 それは、お前が望んだことだろう。

 それは、お前を愛するためにしたんだろう。

 

 何の意味もない言葉。

 ただただ傷付けるためだけに騙られた言葉。

 隠してきた腹の底から、あるいはもっと奥から。見るに堪えない怪物が這い出るように漏れてしまった言葉。漏らした言葉。

 

 けれど、サルビア・テレサはまるで動揺しなかった。

 

「うん。だからいま、キミを愛している」

 

 心底吐き気がした。

 気持ち悪さすら覚えた。

 愛の上塗りを肯定したことへの忌避感ではなく、これだけ汚してなお、幸せそうに「愛している」などとのたまったことへの恐怖。

 ■を愛しているというその気狂いじみた発言が、一体どのような根拠の上に成り立っているのか皆目検討もつかなかったから。

 

「そう……でしょうね。愛しているんでしょう。僕を、御子の娘を、アンブレラ・レインを」

 

 何らかの理由を見つけなければ、そのような思考が存在していることに耐えられなかった。

 だから、歪んだ笑みを浮かべ、涙の乾いた跡がひりつくのも忘れて、嘔吐するように怨嗟を撒き散らした。

 

「可愛い、いえ、美しいですものね、この体は。魔力も豊富で、性感も優れて、あなたのことを惜しみなく愛してくれる。僕も、愛玩具としてはこれ以上ないと思います。ああ、鳴き声も可愛らしい」

 

 ……最低だ。

 

「それとも、幼児性愛の癖でもお持ちでしたか? 赤子にいいようにイかされるわ、10にも満たない子供を陵辱するわ、思い当たる節は沢山ありますよね。すぐ側に、僕みたいな従順なロリがいてさぞ嬉しかったでしょう」

 

 ……最低だ。

 

「次代巫女としても、評判は優れていますからね。僕みたいな紛い物に騙された民衆がやんやと騒いで、生みの親であるあなたを称賛して。母親としての自尊心を満たすのに、僕以上に最適な子供はいないかもしれません。少なくとも、望まれぬ子供を生んで出来損ないなどと揶揄される母親よりは、よっぽど平穏な日々でしたよね」

 

 ……最低、もう、無理だ。

 

 死のう。

 ここで全部さらけ出して、見放されて、エルフにとってもどうでもいい存在になってから、死んで、魔力を還元して、次代巫女は新しく一人もうけてもらおう。

 

 死んで償うどうこうじゃなくて、単純に、生きていることに耐えられない。

 死ぬために死ぬ。死にたいから死ぬ。死が救い。そういうやつ。

 

 最後まで自分勝手が過ぎるとは思うが、徹頭徹尾迷惑な存在だったということで納得してもろて。

 どうせあと数年で死ぬんだから、エルフたちの感覚からすれば、今死んでも何年後かに死んでも大差ないだろう。

 

 こんな思いをするなら、転生なんてしたくなかった。

 あの時、あのまま、雨に濡れて、血を流して、勝手に野垂れ死んで、そのまま意識ごと消滅してしまえばよかった。

 ねえ、叔父さん。

 

 もういいよ。

 これで終わりでいいよ。

 もう十分楽しかったし、満足したよ。

 

 だと、言うのに。

 

「そうだね。私はキミの肉体が好きだ」

「……は?」

 

 皮肉だけを込めて吐いた呪詛を、サルビア・テレサは、愛ゆえに恥ずかしがる乙女のように頬をほんのりと赤く染め、肯定した。

 その、新緑のように瑞々しく、少年のように熱く煌めく翡翠の瞳には、理解不能とばかりに怯えた表情を浮かべる、可憐で、いまにも崩れてしまいそうな程に弱々しい少女が映されていた。

 

「マルス似の、百合のような白髪が好き。触り心地、撫で心地もいいし、私が長いのが好きって言ってからは、散髪のときに梳くだけにしたことが愛おしい。新品の真っ白なシーツの上に溶け込むように広がったその髪と、目を潤ませて顔を真っ赤にしたキミを見比べるのがもうたまらないくらい癖になってる」

 

 サルビア・テレサは、斯様に謳い上げた。

 髪を伸ばしたのは、その通り、あなたに言われたからだ。

 あなたの庇護を受けるため、あなたの気に入るように、自分を(かたど)った。

 髪の長さなんて、心底どうでもよかった。実際、前世で小学生の女児達に無理矢理散髪させられたときも、何の感慨も抱かなかった。目の前を鉄の刃が通り過ぎていくという恐怖は感じても、己の身体を削り取られるということへの恐怖は何一つ存在しなかった。

 それだけ、どうだっていいのだ。肉体など、■に比べれば。

 

「それと、その眠そうな目つきも好き。眠そうというより、もはや常に流し目みたいな感じだよね。キミはボーッとあたりを眺めてるつもりでも、周りからしたら、色気を振りまかれているようで大変だと思う。言いたくなかったから秘密にしてたけれど、2日に一人くらいは『御子様は俺に気があるんじゃないか』とか言って結婚を申し込みに来てるからね? 全員丁重に送り返してるけど」

 

 サルビア・テレサは、斯様に謳い上げた。

 目つき。流し目。勘違いも甚だしい。

 薄っすらと視線を流すように周りを見るのは、直視するのが恐ろしいからだ。正面から、相手と向き合うことが恐ろしいからだ。

 見てられない。眩しいあなた達を。今も昔も、憧れた人間関係が■から遠かったのではない。■が自ら遠ざかっていたのだ。

 見せられない。まっとうなあなた達には。いつ裏切るともしれない、担保のないあなた達に、この汚いものを見られるわけにはいかない。

 

「魔力が豊富って言っていたけれど、ちょっと違うよ。沢山あるのも大事だけれど、キミの魔力は質……というか、味が素晴らしいんだ。奏巫女としての役割の中で不特定多数の人の魔力に触れてきたけれど、正直、比べ物にならない。前は意識していなかったんだけどさ、キミの魔力を知ってから他の人の魔力に触れることがちょっと大変になった」

 

 サルビア・テレサは、斯様に謳い上げた。

 

「感度が良いのは最高だよね。キミってば私のことばかりエッチだ何だ言ってきたけれど、キミのほうがエッチだよ。感じやすいって意味で。……そういえば、キバナくんと言い、神様二人……二柱?といい、可愛い女の子がキミとの距離感異常に近いの、気のせい? 私専用のその体、誰かに触らせたりしてないよね? キミのそのエッチな体質がバレちゃったら、もうキミ絶対負けるよ?」

 

 サルビア・テレサは、斯様に謳い上げた。

 

「あ、鳴き声がどうこう言ってたけど、そんなのは当たり前で、そもそもキミの声が妖精みたいに透き通っていて凄く聴き心地いいんだよ。まあ、これは奏巫女の血かな? 歌うための声質も遺伝していくみたいだしね。歌声と喘ぎ声、両方知ってるのは私だけにしてね?」

 

 サルビア・テレサは、斯様に謳い上げた……。

 

「幼児性愛どうこうは、そもそもキミが全部悪いよ。キミみたいな幼くて可愛い子が近くにいて嬉しいとかじゃなくて、キミっていう幼くて可愛い子に躾けられちゃったんだから。つまりはそうだね、幼児性愛であったことは認めるけれど、それはキミ限定だ。分かってる? キミが調教した女性(わたし)は、キミしか受け付けなくなっちゃってるんだよ。責任、取ってもらうから」

 

 サルビア・テレサは、斯様に……。

 

「それとね、自慢じゃないけど私は世間知らずだから、民衆からの評判とかよく知らないんだ。私の母親としての評価も興味ない。正直言って、キミ以外何も興味ない。……酷い依存だよね。奏巫女の役目を今果たしているのだって、義務感とか使命感なんてほぼ残っていなくて、将来のキミがやりやすいように、ってだけだもの。まあ、フェリシアが時々評判については教えてくれるんだけどね」

 

 サルビア・テレサは……。

 

「うん、だからさ。キミの言う通り、私はキミを、アンブレラ・レインを、その肉体を、この世界で培ってきたもの全てを、永遠の愛を誓ってもなお足りないほどに、愛しているんだ」

 

 ……サルビア・テレサは、斯様に謳い上げて、「僕」のすべてを永遠に愛していると(うそぶ)いた。

 平時では口説き文句とも、あるいは夜伽への誘い文句とも取れるその言葉に、■はただ一言、感想を漏らす。

 

 

 

 

「──気持ち悪い」

 

 

 

 

 それだけしか感情を抱かない。

 あるいはそれは感情ですらない。

 彼女はかくも謳い上げて、何を愛すると言ったんだろうか。

 その程度で、僕のことを、■を愛しているとでも表現したつもりなのだろうか。

 

「永遠の愛なんて存在しませんよ」

 

 直接的な拒絶の後には、直接的な否定を置くべきだ。

 そうすることで、己の意思を明確に伝え、次いでその根拠を簡潔に述べられる。

 

「人は変わる生き物で、変わることができる生き物で、変わってしまう生き物なんだから」

 

 誰かが言った。人は変われると。

 人の可変性という絶対的な性質。拡張すれば、無常ということ。

 そんなものが横行するこの世界で、永遠の愛?

 

「誰かにとっての永遠は、誰かの意識が続く限りの時間のことです。生きている、その間だけのことです」

 

 だから、心中なんてものが存在する。

 愛しているから、愛している内に、冷めてしまわない内に。

 

「ねえ、サルビア・テレサ。僕のために、死ねますか? 僕と一緒に、このまま死んでくれますか?」

 

 永遠なんてものを無邪気に信じているのなら、虫酸が走る。

 怒りか、悔しさか、どれともつかない感情の昂りか、目頭の辺りが煮え湯でも流し込まれたかのような熱さを訴える。

 

 永遠に、殉じられるというのなら。

 なら、あなたの永遠(その時間)を、寄越せ。

 

「──死ねよ」
 ──Mine.
       

 

 切実に。

 どうか、こんな僕のために、無駄に、無為に、無意味に、死んでくれと。

 懇願するように涙をあふれさせて吐き捨てた。

 

「死んで、一緒に、死のうよ」

 

 これは、自棄とは違う。

 

 気持ち悪いくらいに、人でなしのように、機械仕掛けの化け物のように、どこか遠くから僕を俯瞰し続けた、■の本音だ。

 あくまで、どこまでも理性的に、共に死ぬことを求める。

 

 永遠に愛される保証のないこの世界で永遠に愛されたいのなら、愛されているうちに永遠に囚われてしまえばいい。

 蘇生の効かない、逃げられないからこその死というものに。

 

 どこか、確信があった。

 母様は、ノアイディ=サルビア・テレサは、僕が求めれば死ぬことも厭わない。

 ……確信、というか。

 

 そういう風に仕込んだ(・・・・・・・・・・)

 

 だから、一緒に死んでくれと。

 愛しているというのなら、それが真実であるうちに、一緒に死んでしまおうよと。

 返答は、分かりきっていた。

 これが他者を理解するっていうことなら、なんてくだらない。単に、自分の理解できる範疇に貶めているだけではないか。

 

 くだらない。

 つまらない。

 どうでもいい、こんな、世界。

 

 だから、逡巡もなく開かれるサルビア・テレサの口元を、冷めた視線で追いかけて──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿か、キミは。お断りだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──は」

 

 裏切るような言葉に、思考が停止した。

 

 

 

 

 




泣いている。

ずっと泣いている。

ごめんなさい、ごめんなさいと。

ぜんぶ■が悪いんです。

生まれてしまってごめんなさい。

生んでしまってごめんなさい。

涙も流れないのに、泣いている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

どうやったら、息ができるようになりますか。どうやったら、心臓がうごかせますか。どうやったら、歩けますか。どうやったら、前に進めますか。…どうして、みんな知ってるんですか。

その勘違いに、ただただ笑ってしまいました。




 死ぬのが怖かったのか?

 巫女としての責任感からか?

 それとも、実はさほど依存させられていなかった?

 

 分からない。

 

 一つ理解できるのは、■にとって最後の救済は、失敗に終わったということだ。

 失敗というか、最初から成立していなかったというか、存在しなかったというか。

 

 虚しく独り死んでいくことが決定した瞬間とも言う。

 虚しく独り死んでいけと宣告された瞬間か。

 

 まあ、どっちでもいいや。

 

「……っは、はは、そう、ですよね」

 

 なんか、悔しいな。

 

 前のときはひとりぼっちだった。

 

 ひとりぼっちは、さみしいから。

 誰かを愛して、誰かに愛されて、そうすることができるのが人だから。

 ■も、人でありたかったから。

 

 この世界では、誰かを愛した。

 きっと、誰かに愛された。

 そのつもりだった。

 

「……届くと、思ってたんだけどなぁ

 

 なんだ、■は。

 馬鹿だ。そうだ。その通りだ。何も間違っていない。流石は母様、この世界で自身を除いた一番の理解者。

 

もぅ、さぁ

 

 悔しい。悔しくてたまらない。

 

……できたと、思っていました

 

 愛されることが。

 否定しながら、拒絶しながら、それでも心のどこかで。

 

 これでいいんだろ、と。

 これが、あんたらの言う愛ってやつだろ、と。

 ■だって、届くんだよって。

 ほら、どうだ。■にも、できるんだよって。

 

思っていたんです……

 

 つまりは、まだ僕に期待していたのでしょう。

 何が足りなかったのでしょうか?

 次はどうしよう。何を足そう。

 きっと僕なら、愛させることができると思っていました。

 あなたに愛してもらえると思っていました。

 これも嘘だ。

 そのための準備をしっかりとして、待っていたのです。

 これも嘘だ。

 

 

 

 ──結局、僕が積み上げてきたのはすべて嘘だったのです。

 それは、嘘だったのだろうか。

 ■が言うのだから、そうなのだろう。

 

 


 

 

 

 

 脈絡のない独白を紡ぎ終え、きっと、訳も分からないであろう母様の顔を見上げた。

 予想を裏切って、その表情は、困惑したものでも軽蔑したような冷たいものでもなく、どこか呆れたようであった。

 

「まったくね。その言葉は、キミが一番言うべきでないよ。だってキミ、転生したんだろう?」

 

 予想外の言葉に、はたと思考が止まる。

 そのセリフはきっと、先ほどの情死への誘いに対してだろう。

 

「そんなもの想像もしなかったけれど、私達が今ここで死んで生まれ変わることがあるっていうなら、生まれ変わった先で、私はキミを探すよ」

 

 そう言って、こちらへ歩み寄り始めた。

 

「世界の裏側にいても、別の生き物になってしまっていても、もう一度、私のお腹の中で眠っているようなことがあっても」

 

 当然、■は逃げた。

 後ずさるように一歩、二歩と下がって、床に伸びる樹の根に足が引っかかって転んだ。

 

「キミを見つけ出す。世界神の胸ぐらを掴んででも、キミを探すのをやめない」

 

 己の無様な姿に、一層惨めな気分になった。

 母様の方を見やれば、止まることなく、一心にこちらへ近づいてくる。

 

「……来ないで、ください」

「一度生まれ変わっても探すのが間に合わないなら、もう一度。それでも足りないなら、何度でも」

 

 目の前まで来て、母様は立ち止まる。

 

「やめて、来ないで」

「逃さない。キミへの愛情を途絶えさせない」

 

 肩から押し倒されて、馬乗りになるように腰の上に乗られる。

 

「やめ、て……」

「愛されるのが怖いんでしょう? 失うのが怖いんでしょう? 命を終わらせることで、それを考えなくて済むようにしたかったんでしょう?」

 

 逃げれないことがひどくおそろしくて。

 母様一人くらい押し飛ばせるだけの力をつけたはずなのに、まるで体に力が入らなかった。

 

「やめて……」

 

 そうだ。

 その通りだ。

 ■が一番怖いのは、それだ。

 

「駄目だよ。終わらない。終わらせない。魂が巡る限り、つまり、永遠に、私に愛されることを怖れなさい」

 

 もはや、懇願する他なかった。

 

「やめて……、ください」

 

 誰だって怖いものじゃないのか。

 どうして平気で愛されてやれるんだ。

 そんなもので暖められて、灯油を失ったストーブみたいに、一番に冷たくなるのだってそれだというのに。

 どうしてそんなものにしがみつけるというのだ。

 

「キミが一番怖れてやまぬことを私がやる。だって、私がキミの一番なんだから」

 

「やめ、てよ……」

 

 逃がしてよ。

 逃げさせてよ。

 そんなもの■に与えないでよ。

 そんなものいらないよ。

 迷惑なんだよ、本当に。

 気持ち悪い。なんだって君達人間は、そうやって。

 勝手に押し付けないでよ。

 いらないんだよ。

 誰も求めていやしない。

 

「いいね、その泣き顔。興奮する。いつもみたいに強くて自信たっぷりなキミも、いまみたいに弱くて惨めでしょうもなくてぐちゃぐちゃなキミも、全て愛おしい」

 

 ■に、そんなもの。

 ■に、■の心に、

 

「さわらないで……」

 

 いつかは失われるじゃないか。

 失われるものなんて欲しくないよ。

 永遠の保証だって、担保もないし。

 

「あたたかいんだよ……。やさしいんだよ……っ。やわらかくて、どうしようもなく、いとおしい……!! あんたら、人ってみんな、きもちわるいよ……!!」

 

 他人の温もりを知るだとか。

 本当の愛を知るだとか。

 傷を舐め合って生きていこうだとか。

 

 どうせ、そういう三文芝居に結論を持っていくだけだろう?

 そんなものに、■を巻き込まないでほしい。

 答えを出せないあなた達が、ひとりで満足している■を苦しめる。

 ひとりで良いんだよ。ひとりが良いんだよ。

 そんなわけないだろう。

 だって、ひとりで立てるんだから。

 けれど歩けずに立ち尽くしている。

 ひとりで何だって考えられる。ひとりで何だって決められる。ひとりで生きている。

 だから死んだように冷めた■がいる。

 幸せを求めて彷徨う、人って名前の生き物は最悪だ。

 歩けない■は彷徨うこともできない。

 それを求めている時点で、一番の不幸を手にしてしまっていることに気付かない。

 だから、人でなしの■が大好きなのだ。

 蹲って地面に「しあわせ」と書いた。

 しあわせって、ここにあるじゃないか。

 何をそんな、新しく求めて、馬鹿馬鹿しい。

 あなた達の足跡で掻き消されてしまう。

 ■に比べれば、僕も、自分も、あなたも、あなたたちも。

 すべて、陳腐で、しょうもなくて、汚くて、不味くて、臭くて、痛々しくて、病気みたいで、吐き気をもよおすほどの邪悪を兼ね備えた、冒涜的という表現すら勿体ないほどの。

 ほんとにさ、あんたら、きもちわるいんだよ。

 きもちわるいぐらい綺麗だよ。

「なんで、そんな……なんだよ……ッ!」

 

 泣きじゃくって、見ないでと言わんばかりに両腕で顔を必死に隠す。

 でも、母様に無理矢理あらわにされた。

 腕を掴まれて、顔の横にどけられた。

 流れる涙を拭うこともできなくて、無様な醜態の限りを晒すことが恥ずかしくてたまらなくて、こんな汚らしいものが存在していることが、嫌になる。

 

「どうして、顔を隠すのさ。私にもっと、キミを見せてよ」

「ゃめ……っ、見な、いで……」

「見るよ。見つけるよ。キミから、目を離さない。離せない」

「こんなっ、汚いの、■じゃない……! ■はもっと綺麗でっ、素敵で、良いもので……っ、もっと、もっと…………もっと

 

 もっと、なんなんだろう。

 どんな見た目なら、どんな名前なら、どんな言葉なら、■は受け入れる?

 どうやったら、■は、あなたたちと同じになれる?

 

「──ねえ、ニイロ」

 

 ■に微塵も逃げる隙を与えようとせず、表情を晒させ、それを正面からじっと見つめて、あなたは問うた。

 

「泣いているのは、キミかい?」

 

 ……違います。

 

「じゃあ、レイン。キミが泣いているの?」

 

 ……それも、違います。

 

「そっか」

 

 納得したように、母様は言う。

 

 (レイン)自分(ニイロ)も、きっと泣いてはいる。

 ずっと、泣いている。

 でもきっと、いま誰よりも泣いているのは。

 

「見つけた」

 

 ──見つかった。

 

「キミか」

 

 見つかってしまった。

 なんだ、これ。

 なにやってんだ、ほんとうに。

 

「喋れる?」

 

 無理だよ。

 話すことなんてないよ。

 話す口もないよ。

 触れるんじゃねえよ。

 

「無理だよね。だって、いま気付いた(・・・・・・)くらいだものね」

 

 見てんじゃねえよ。

 なんにも見えないだろ。

 見るための目なんて、あんたについてねえだろ。

 

「難しいね。こんなことになるとは思っていなかったから。どうすればいいか困ってるんだろうね」

 

 何を知ってるってんだよ。

 文字通り、なんも知らねえだろ。

 目がないんだから、なんも見えねえだろ。

 耳がないんだから、なんも聞こえねえだろ。

 口がないんだから、なんも言えねえだろ。

 

「辛いね。悲しいね。苦しいね。届かなかったね。見苦しいね。残酷だね。仕方ないね」

 

 なんなんだよ。何言ってるかわかりゃしねえよ。

 

「レインも、ニイロも、キミなんだよね」

 

 そうだよ。当たり前だろ。

 弱くて、ちっぽけで、浅ましくて、しょうもなくて、みっともない。

 だから、違ぇよ。あんな奴ら、■じゃねえよ。

 

「キミを愛するにはさ、きっと、私は、まずレインとニイロを愛さなくちゃ」

 

 勝手に愛してんじゃねえよ。

 ■を愛するのは■だけで足りてんだよ。

 踏みにじんな、馬鹿にすんな、この「しあわせ」で十分だ。

 

「私はキミ達を愛してやれる。もしかしたら、傲慢だけれど、私しか愛してやれないかもしれない。それ以上に、私が愛してやりたい。……違うな、結果論だよ。私は、もう愛してしまっている。だから、このまま愛し続けたい」

 

 きもちわるい。

 きもちわるい。

 心の底から、ありったけの感情を込めて、赤子にも伝わるように分かりやすく言ってやる。

 

 ──きもちわるい。

 

「逃げるな」

 

 きもちわるい。

 

「勝手に逃げるな。見つけたんだろう。知ってしまったんだろう。まだ泣いているんだろう」

 

 きもち、わるい。

 

「キミが言った言葉だろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私に愛される者としての責務を全うしろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛されたいなら、愛してくれるモノから逃げるな」

 

 それは紛うことなく、■の言葉だ。

 逃げられなかった。

 逃げるところすら見られていた。

 

「私の愛情も、私の憎悪も、私のすべてをキミに捧ぐよ」

 

 逃げ出したら、宣言通り追いかけられた。

 後ろ首から掴まれて、髪の毛を根本から引っ張られて、逃げ出したままの姿勢で地べたに転がされた。

 残ったのは、■自身が「しあわせ」を踏んづけた跡と、その醜態だ。

 

 その怯えて揺れる瞳を真正面から深く深く覗き込んで、刻みつけるように、いや、瞳の奥に刻まれている言葉を読み上げるかのように、あなたは宣言する。

 

「だって、私はキミのものなんだから」

 

 みじめだった。

 

「……ごめん、なさい」

 

 わけも分からず謝った。

 

「ごめんなさい、本当に、申し訳、ありませんでした。……関わってしまって、沢山傷付けてしまって、乱暴に壊していくばかりで、あなた達に、本当に、もう、迷惑ばかりかけて。全部、こちらが悪かったんです。何だって謝りますから、一生頭を下げても構いませんから、だから、だから……もう…………もう、許してください。こちらも関わらないから、あなた達も関わらないでください。近寄らないでください。見ないでください。触れないでください。ほんとに、勘弁してください。これ以上みじめにさせないでください」

 

 何を言っているか分からなくて、きっと整合性も取れていなくて、ひどく身勝手なことばかり述べていて。

 これが、■が知られたくなかった、一番の汚くて弱い部分だろうか。

 なけなしのプライドをすべて投げ売って、ただひたすらに相手の慈悲を乞うて、赦されるその時まで(こうべ)を垂れる。

 

 けれど、サルビア・テレサは、そんな言葉で、赦しはしなかった。

 馬乗りになって首を押さえつけ、ぎりぎりと激しく締め付け、手の先から感じる命の脈動に恍惚とするように顔を蕩けさせて、性交渉をおこなっていると錯覚してしまうほどの淫靡な声音で、鋭く問いかける。

 

「それ、キミの言葉?」

「……か、さま、ぁ」

 

 掠れるように漏れ出た声に、サルビア・テレサは手の力を緩めた。

 かひゅっ、かひゅっと途切れ途切れに息を継ぐレインに、どこか拗ねたような表情で独りごちる。

 

「しょうがないよね。キミ、喋り方を知らないんだから」

 

 だからこそ、逃げ惑っているのだろうけど、と。テレサは溜息をこぼした。

 

 一方、首に手をかけたその姿が誰かと重なって、レインは息の吸い方を忘れてしまう。

 

「はっ、はっ、ぁ、ごめっ、なさ……っ、ごめっ……さっ……ぁっ」

 

 雨の日の記憶。

 転がった傘。

 もう鳴かない子猫。

 赤。

 ざあざあざあ。

 

 ぶちん。

 

 ざあざあざあ。

 

「……は、ぁ、はぁ、ぁぁ、あぁ……」

「レイ、ン……?」

 

 気付けば、緩められていたはずのテレサの指先を自分で手にとって、もう一度、今度は自分から、力を加えさせていた。

 苦しい。もちろん、平時よりはずっと苦しい。けれど、不思議と呼吸は落ち着いたものへと戻りつつある。

 

「レイン、キミは……」

 

 自分から首を絞めさせる。ハッキリ言って、異常な行為である。

 しかし今はこれが一番レインに取って良いことだと分かったから、テレサは、悼ましげな表情を浮かべながら、ほんのりと、気道を塞いでしまわない程度に力を込めた。

 

「ごめっ、なさい……っ、こんな、みっともなくて」

 

 恥ずかしくて涙が止まらない。

 あなたには、弱さを見せることなく全部うまくやれると思っていた。そのつもりだった。

 

「これが、僕です。にいろをころした、僕です。にいろは僕がころしました。そんなわるいやつなんです。あなたに浴びせた汚い言葉も、あなたを壊したすべての行為も、ぜんぶ、僕のなんです。僕が、やりました。ね、弱いでしょう、卑怯でしょう。見た目を変えても、名前を変えても、だめなんです。そのうえ、また、死のうとしました。まだどうにかなると思ってんです」

 

 こんなんで、あなたと幸せになろうとしました。

 

 それは、あらゆる角度から観察した上で、「告白」とでも呼ぶべき行為であった。

 本物の白色なんて現実に存在しない。

 だから、告げたのは限りなく白色に近い何かだ。喩えるなら、16進数のカラーコードで一桁だけ小さく記述するようなものだ。それは決して白色などではなく、故に決して真実足り得ない。

 徹頭徹尾嘘に塗れた、限りなく真実に近い告白。

 

 母様の右手を、僕の左手が抑えている。首を絞めさせている。

 空いている僕の右手を、今度は母様の左手が取った。そしてぐっと持ち上げ、僕の右手で母様の首を絞めさせた。

 

「かぁ、さま……?」

 

 その肌は、あたたかかった。

 すべすべとしていて、やさしかった。

 ずっと触っていたいぐらい、やわらかかった。

 周期を伴って震える動脈が、どうしようもなく、いとおしかった。

 僕の目の前で息をする、一人の確固たる人だった。

 

「ねえ、レイン。一緒に死のうって言ってもらえてね、凄い嬉しかった」

 

 とく、とく、とくと。

 変わりのない拍を打つ温かな血潮は、その言葉が真実であると語っていた。

 ひまわり畑の真ん中で(わら)う少女、そんな風に形容できる微笑みを浮かべながら。

 

「でも、さっき言った通り、死んだら生まれ変わってしまうみたいだし、それならまだこの世界でやってないこともあるから、そのあとでも遅くないんじゃないかな?」

 

 無邪気に夏休みの予定を並べていくみたいに、それはもう楽しげに、首を絞め、首を絞められながら、母様はひとつひとつ述べていく。

 

「まずはさ、ほら、このところ一緒に作っていた歌、あれ完成させようよ。絶対良いものができるのに、途中でほっぽって死んでたら勿体なくないかな? 完成したら、一緒に歌うんだ。そうだね、みんなの前でお披露目したいし、コンサートの計画を立てなければいけないかもしれない。そうしたら半年は大忙しだ」

 

 歌を完成させると言っても、この間の月夜の演奏会みたいに一瞬で完成するなんてことは中々ない。

 一言一言、一音一音、大事に選んで、一番格好良くて、一番やさしいものを見つけ出してやらないといけない。

 だから、完成させるためだけであと一月はかかるだろう。よしんば出来上がったところで、コンサートってのは開きたいと思った次の日に開けるものでもない。

 関係各所に連絡を通して、巫女が中心となるんだったらそれはもう村の一大イベントだから色んな人が引っ張り出されて、大騒ぎになる。ついでに父様がまた雑務が増えたと言って死ぬ。喜んで死にに行きそうだけど。

 半年なんて希望的観測が過ぎる。どうやったって、一年はかかる。

 

「あ、そうだ! コンサートで思い出した! キミ、アイサ姉妹からチケットもらってたじゃないか! 来月の特別公演の!! ずるい、私も行く! というか、話には聞いてたけどそんなに優遇されることある? 私だってアイサ姉妹とは話したことも一緒にステージに立ったこともあるのに……キミ、彼女たちから狙われていやしないよね?」

 

 そう言えば、「おっきい花束持ってきて」というメッセージカードと共に舞台の招待券が送られてきていた。50人弱しか観れないとかなんとかで、巷では競争率がとんでもないことになっているらしい。

 彼女ら……というより、彼らから狙われてないかという問いには、なんとも答えづらい。性的対象とされていることは……多分ないと思う。しかし、「作る人」とかいうわけの分からない生き物のことだから、そういう意味での捕食対象としてはなぜかロックオンされている気がする。おしっこぶっかけた恨みだろうか。ごめんなさい。

 

「銭湯にももう一度くらいは行きたいね。なんなら、これは明日とかでも良いんだけどさ。……キミと行くとすぐ流れでえっちなことしちゃうけど、次は絶対そういうのしないで、お風呂にゆっくり浸かるんだから。キバタンのお仕事の仲間で、あそこの改装プロジェクトに携わってる人がいるんだけどね? なんか凄いらしいよ、泡の出るお風呂だとか、弱い電気の流れるお風呂だとか、遂には大きな流れるお風呂まで作ったらしい。だめだ、話してるうちに行きたくなってきた! これはもう、明日行こうか!」

 

 ユネツサンかな? HENTAIばかりなエルフの技術者達のことだから、ワイン風呂も、ドクターフィッシュも、果てはスライダーまで実装しても別に驚かない。それどころか、日本になかったような頭のおかしいMADなお風呂が生み出されるかもしれない。

 僕、お風呂は普通にゆっくり浸かるやつだけでも良いと思うんだけど。前世では公衆浴場というものの使用許可が中々下りなかったし。

 

 ああ、でも、ただひたすらに。

 満面の笑みで「明日」を語るあなたが、とても綺麗で。

 

「あと、この間世界神からアドバイスを頂いたんだけれど、そのね、キミには言わなきゃやってくれないみたいだから。……その、ちょっとね、乱暴なえっちとかもされてみたくて、髪を引っ張られたり、無理矢理イかされたり、あとは、首を軽く絞めたり。時々縛ってもらうことがあるけれど、その、今までのぐらいだと少し優しすぎるかな。もっと、最初から最後まで、怖いくらいの態度で私を支配してみてほしい」

 

 母様に何吹き込んでんだあの馬鹿神……。

 しかし、まあ。母様に乱暴をして嫌われてしまうのが怖い気持ちがあって抑制していたけれど。

 言うならばそれは、かつてルーナが憑依していなかった頃のヘリオに、僕がいつもしていたようなえっちのことで。御存知の通り、僕の中には破壊衝動を備えた汚い部分が潜んでいるし、その捌け口として、お互いの性質を利用し合って共依存していた僕とヘリオの関係が、僕と母様の関係の一部にも適用されるだけのことだ。

 つまり、求められるというのならやぶさかでない。今更その程度の汚いところ見せても、何が変わるわけでもあるまいし。

 

「他にもね、キミと色んなレシピに挑戦してみたいかな。外の世界の昔のレシピが『書庫』に記録されてるだろうし、それにキミって別の世界に生きていたんでしょう? その世界の美味しいものとか、ニイロが好きだったものとか、色々試してみようよ。そうだ、そうだよ。とても大事なことがあるじゃないか。ニイロ、キミのことをもっとたくさん教えてよ! 何が好きで、何が嫌いだったのか。何が得意で何が不得意だったのか。どんなところへ行って、どんなものを見たのか。家族のこととか、友達のこととか、…………恋人の、こととか。キミの中にレインもニイロもいるって言うのなら、キミを愛するために、私はニイロのことも愛したいんだ」

 

 前世のこと、日本のこと、「自分」のこと。

 未だ、「自分」を愛してやれない僕は、上手く語ることができないかもしれない。それでもいい、それでも構わない、とでも言うかのように、母様は優しい眼差しを浮かべる。

 ただ、「恋人」と言うところで少し淋しげに、気まずそうにするのはやめてほしい。……だっていなかったし! 文句あるか! 前世でおっぱい触れてたらこんな拗らせてないから!

 

 そこまで言って、母様は一度口を閉じた。どうやら、やりたいことリストは一旦切り上げらしい。でも、1時間放っておいたら2個ずつくらい追加してきそうだ。

 代わりに、振り返るように1度目を瞑ったあと、僕の叫んだ言葉を拾うかのように、切ない微笑みを浮かべた。

 

「……ああ、良いこと思いついた。私達の幸せが最高潮に達したときに、一緒に死のう? そうしたら私も満足だから、生まれ変わってもキミを探さないであげる。私は私の生を、キミはキミの生を、そうやってようやく生きていけるようになるんだ」

 

 僕らの幸せが最高潮に達したときに一緒に死ぬ。

 一番幸せなときに一緒に死ぬ。

 

 そんなこと、

 

「ばかじゃ、ないですか……」

 

 一番幸せなときに死ぬとしたら、それは今じゃ駄目だ。

 今日より明日。

 明日より明後日。

 明後日より来週。

 来週より来年。

 来年よりも再来年の方がきっと幸せに違いなくて。

 

「ばか、ばか、……ばかあさまっ」

 

 何にも分かってないんじゃないだろうか、この人は。

 もし分かって言っているのなら、史上最低最悪の詐欺師になれる才能がある。

 

「あなたと生きる明日が、今日より幸せにならないわけないじゃないですか……!」

 

 帰納的な永遠の証明。

 勝手に死んだら追いかけてくるという脅し付き。

 

「ありゃ、そうしたら、なかなか一緒に死ねなさそうだね」

 

 そう言って、あなたはあどけなく咲ってみせる。

 

「あなたがいるってだけで、僕は、うれしいのに。あなたと同じ世界で息をしている時間が、ただ1秒でも増えることが、僕はうれしいのに……。あなたと離れたって、あなたの存在を想っていられればっ、それだけで、僕は、うれしいのに……! あなたが生きていることが、こんなにも……!!」

 

 ただ、それだけだ。

 愛さなくていい。

 想わなくていい。

 考えなくていい。

 見つめなくていい。

 触れなくていい。

 何も捧げなくていい。

 だって、

 

「しあわせなんだ、満足してるんだ、お腹いっぱいなんだ! もう何もいらない! 僕に、何も与えなくていい! そのまま一緒に死んでしまえばいい! やめてよ、やだよ、なんも欲しくないよッ!」

 

 もらったら、なくしちゃうじゃないか。

 ものがあるから、消費なんてことをしてしまうんだ。

 失うのはつらいだろ、こわいだろ、かなしいだろ、さみしいだろ、あたりまえだろ。

 その「しあわせ」で満足しておけよ。

 

「だからさ、それがキミの愛される者としての責務なんだよ」

 

 つまりは。

 サルビア・テレサが提示したものは。

 

 無条件で愛されるという条件(・・・・・・・・・・・・・)

 

 何をどう足掻いても、愛される。

 暴力的に、愛される。

 

 愛されないことを許さない。

 定義外の逃避を許さない。

 

 つまるところ、これが、■の求めていたものというわけだ。

 それを受け入れることが、■の責任。責務。

 僕のことも、自分のことも愛せない■が、他人から愛されることを受け入れなければならない。

 

「……ちゃんと、キミの責務を、果たせそうかい?」

 

 道理を覚えない我が子をあやすように──実際そのとおりなのだが──母様は泣きじゃくる僕を抱きしめて、柔らかく髪を撫でた。

 

「……、むりっ、ですよ……! 僕がっ、こんな弱い僕が、僕じゃっ、できるわけ、……ない

 

 どうして、わざわざそんな残酷なことを聞くんだ。

 いま、見ただろう。知っただろう。理解しただろう。

 こんなに弱いんだ。

 

「私とでも?」

 

 拗ねたような子供っぽい表情で、テレサは問いかけた。

 

「これもキミの言った言葉だよ。私達は、無敵でさいきょーなんだろう?」

 

 言った。でも、

 

「それ、嘘ですよ」

 これも嘘だ。

 僕の言葉なんて全部が欺瞞だ。

 何にも意味がない。

 空虚で、装飾だけやけに豪勢で。

 だというのに。

 

「──それが嘘だよね?」

 

 テレサの言葉は、確信に彩られていた。

 

「レイン、キミが答えて」

 

 

 ──問い。

 

 

「──私達は、二人が一緒なら何だってできる。そうでしょう?」

 

 

 ──静寂。

 

 

 ──静寂。

 

 

 ──沈黙。

 

 

 ──沈黙。

 

 

 ──沈黙。

 

 

 ──沈黙。

 

 

 ──沈黙。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポツリと。

 

 晴天の下、どこからともなく、ひとしずく落ちた雨粒のように。

 

 一瞬で乾いて消えてしまうような、その淡い感情。

 

 それを、テレサはそぅっと、己に染み込ませた。

 

「……」

「……」

 

 音が、樹壁に、床に、染み込んでは消えてゆき……もう一度、静寂が訪れる。

 静かな空間。

 

 静寂は、無音ではなく。

 静寂は、言葉を知らず。

 

 

 とく、とく、とくと。

 

 時を刻むような音。

 

 

 すぅ、ふ、すぅ、ふと。

 

 風の擦れるような音。

 

 

 それが、ふたりぶん。

 あるいは、まるでひとりのように。

 

 静かに。

 閑かに。

 

 静寂は、命を奏でていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「あの」」

 

 言葉を発したのは同時であった。

 お互い少し驚くかのように見つめ合い、そうして、顔を見合わせて笑った。

 

 どちらが先に言うか推し量るような沈黙が一瞬生まれ、少し申し訳無さげに、こちらから口を開く。

 

「……僕、歩き方を知らないんです」

 

 人は、他人とひとつのものにはなれないから。

 重なった言葉も、どちらかが先に話さなければいけない。

 他人を理解できないことの証明なんて、このひとことで足りてしまう。

 

「同じだよ」

 

 人は、どこまでいってもひとりだ。

 ひとりぶんの陽だまりには、ふたりが入ることはできない。

 違う場所に立つしかない。

 

「レイン、同じだよ。キミが歩けないって言うなら、私もできないことばっかりなんだ。恥ずかしいね」

 

 そんなことはない、という嘘は吐けなかった。

 母様の良いところは無数に知っているが、悪いところだっていくつも知っている。

 

 というか、一般に悪いとされること、であって。

 そのすべてが愛おしく感じるけれど

 

「キミが歩けないなら、私が支えてあげるし背負ってあげる。どこへだって連れて行ってあげる。だから、私ができないことをキミに助けてほしいんだ」

 

 人は他人とひとつのものにはなれないから。

 隣の陽だまりから、誰かが手を引いてやれるのだろう。

 

「つまり、私にはキミの愛が必要なんだ」

 

 何もできないわけじゃない。

 あなたのためにできることは、きっと沢山ある。

 

「ねえ、キミの中で私を愛してくれているのは、レイン? それともニイロ?」

「それは……きっと、二人とも」

 

 あなたを愛するということにおいては、レインも、ニイロも、大差なく。

 ただその一点に於いて、僕は(ニイロ)を認めてやれた。

 

「そう。じゃあやっぱり、私も二人を愛さないとね」

「……やめといた方が、いいですよ。後悔します」

 

 愛して、知って、失望して、離れてしまうなら、別に。

 

「嘘ばっかり」

「……」

 

 そう言われてそっと目を逸らそうとしたら、次の瞬間、唇に何かが触れた。

 もう何度も触れてきた、柔らかな感触。

 

「嬉しいくせに」

「……っ」

 

 こうも。

 こうも、分かりやすく羞恥を覚えることはあるだろうか。

 あなたの悪戯っぽい笑みを見た瞬間、昇るように胸のあたりからカッとした熱がこみ上げてきて、脳が沸騰するように、顔が赤く染め上げられたのを感じた。

 

 そうだ。

 

 拒絶じゃない。嘘でも誤魔化しでもない。

 今言わなければいけないことは、きっと違う。

 

 これもきっと、人として当たり前のことで。

 けれど、しばしば伝えるのが恥ずかしくなってしまうような、単純な言葉。

 こらえろ。

 もう、十分恥を晒しただろう。今更何を。

 

「テレサ」

「うん?」

 

 別に、常日頃言う必要はない。

 けれど、今一瞬くらいは伝えるべきだ。

 

 

「ありがとう、だいすきです」
「ありがとう、だいすきです」
               

 

 

 心からの、告白を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういえば、あの人には全部バレてたよ」

「父様、ですか……?」

「そう。ほんとにもう、敵わない」

 

 そう言って誰かの顔を思い浮かべるかのように苦笑する母様に、少し心がざわつく。

 

「……僕を、愛してくれるんじゃ、ないんですか?」

 

 母様はキョトンとした顔になる。

 

「もしかして、嫉妬してる?」

「そんな……! こと、ない…………ことも、ない、ですけど」

「ぷ、ふふっ、く、ふふふっ、えへへ」

 

 めちゃめちゃ楽しそうに笑われる。

 何がそんなにおかしいんでしょうか。

 

「そうだよ、私は、君だけを愛する。あの人への気持ちは憧れみたいなものだよ」

「……」

 

 自分の子供っぽさが恥ずかしくて、僕は押し黙った。

 母様は自分の言葉から天啓を得たかのように、そうか、と続ける。

 

「……私、あの人に憧れていたんだ。ずっと。出会ったときから何でも知っていて、いつももの凄い色々な事を考えていて、それなのに優しい、心情豊かな人で。本当に、心の底から、憧れていた」

 

 母様が誰からも愛されるアイドルなら、父様は誰もが集まってくる泉のような人かもしれない。

 あの人の周りには人が集まる。それで仕事が降りかかりすぎて忙しくなってしまうこともあるけれど、同じくらい色んな人に頼ることができる。色んな人に声をかけ、繋がりの輪をどこまででも広められる。

 それは僕には無いものだ。いっそ、憧れてきたものと言ってもいい。

 

 また、心のどこかに寂しさが住み着いた。

 自分の足りないものを知るたびに、自分が取るに足らない者だと理解する。

 こんな僕では、いつか──

 

「──だからね(・・・・)

「むぐっ」

 

 思考を遮るように頬をつままれた。

 慈しむように微笑んで、母様は言う。

 

「だから。私は、キミと生きていくよ」

「…………なに、言ってるんですか?」

「もう決めたことなんだ。決めたのは、ずっとずっと前だけど。決めていたことを、今再確認した」

 

 ……?

 真面目に文脈が分からなくなってきた。

 母様は僕に伝えるというより、自分自身に宣言しているようであった。

 

「ちゃんと、私がこれを選んだよ」

 

 頭を撫でられる。

 髪を梳いていく指先がくすぐったくて、体をよじらせた。

 

「ね、私の名は、テレサ。テレサです。キミの、名前は?」

「……っ、僕……は」

 

 唐突なその問いに。

 何と、答えるべきなのだろう。

 

「僕、は」

 

 僕は、一体誰なのだろう。

 ■は誰なのだろう。

 母様が僕の上からどく。

 肩から抱き上げるように、体を起こされた。

 

「どっちでもいいよ。これは、キミが選ぶことだ」

 

 その言葉は、優しいようでどこまでも厳しい。

 今まで逃げてきたこと。今も逃げていること。もう一度、選び、託せという。

 

「歩け、レイン。進め、ニイロ。キミが選びなさい」

 

 私が支えるから、と聴こえた

 空耳だったのかもしれない。

 

 体が震える。

 

 それは、暗闇であった。

 一歩進むことすら躊躇してしまうほどの、深い闇。

 ひとたび直視してしまえば、息もできなくなり、全身が恐怖を叫びだす。

 

 片足だけ踏み込ませることなんてできなかった。

 

 

 

 

 一部なんて、そんな器用なことはできないから。

 暗闇にまるごと、身を投げだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──どっちも、です。ぜんぶあげます。レインもニイロも、すべて、あなたに捧げます」

 

「ん。ぜんぶもらった」

 

 

 

 

 

 ──この物語をあなたに捧ぐ、と。

 

 

 

 




ありがとうございました。
だいすきです。
            

小説は虚構であるから、ゆえに現実とは異なり、純白が存在し得る。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

どんな反応を見せても押し倒されるしか分岐ルートがない転生娘はもうどうしたらいいですか。そのまま押し倒されろと?たしかにそれもいいかもしれない天才か!!

kskのため、短編集っぽい回です。


くちぐせ

 

 

 母様の口癖が増えた。

 

 驚いたときはよく「うぇっ!?」と独特な反応を見せてとても可愛らしいのだが(若干僕も影響を受けてしまっている気がする)、最近は、僕が何か言うたびに、あることを尋ねてくる。

 

それは(・・・)レインの言葉(・・・・・・)? それともニイロ(・・・・・・・)?」

 

 これだ。

 正直、常日頃「僕」と「自分」の意識を分けているわけではない。

 「僕」なら普通こう言う、「自分」なら普通こう言う。そんな風に雑に分類しているだけで、一人称を意図的に「僕」とする以外は、実際はごちゃまぜだ。

 なので、問われても結構困ってしまうのだが。

 

「……両方、じゃないでしょうか」

「へぇ〜〜、ふふっ。へえぇ〜〜?? ふふふ、えへへへ」

 

 こうやって答えると、凄い嬉しそうにニヤニヤする。

 何が嬉しいのかなんとなく分かってしまうのが悔しいけれど、ニヤけ顔の母様がとても愛らしいので複雑な心境。

 眉を八の字にしてジト目で睨むくらいしかできないのだが、この表情をすると母様が「押し倒していい?」と聞いてくるのでもうどうすればいいですか(唐突な質問)

 

 ちなみに、「両方」でなくどちらか片方を挙げると不満そうな表情になる。

 例えば「レインです」と答えると、頬をぷっくり膨らませて、

 

「じゃあ、ニイロはどう思ってるのかなぁー?」

 

 と、僕のほっぺをむにむに変形させだす。にゃめろォ(やめろォ)

 

 反抗のつもりで無言を貫こうとすると、段々と触る箇所を変えてくる。耳のとんがりに、鎖骨の付け根、首の横筋などと、僕の弱いところを弄ぶようにスリスリ。

 

「んんっ、ふぁ、にゃぅぅ、ゃぁめっ、てぇっ……♡ だぁめ!」

「ここかなぁ? ここも好きだよね、ほら、ほらほら」

 

 大抵負ける。おかしい、僕が母様を調教したはずなのに。

 

 ……いや、ちゃんと振り返ってみてみれば、負けてないが?

 負けたことないわ、うん。負けな──

 

「ぁぁぁぁぁあああっ♡ いうっ♡ いうっ♡ いいますっ♡♡ だからぁ、やめてぇ♡」

「やめちゃっていいの?」

「だぁめ♡ ゃだやだっ、やめないでっ♡」

「そっかそっかぁぁあ〜、へえぇ〜〜?? ふふふ、えへへへ♪」

 

 ……と、気持ち良い上に母様の愛らしいニヤケ顔を見れているので、実質僕の勝利である。

 どう答えても必ず勝利ルートに繋がっている。常勝無敗の王道を突き進む。

 かぁ〜〜っ、敗北を知りたい♡♡

 

「じゃあレイン、ベッド行こうね」

「うんっ♡♡」

 

 目を覚ますと、腰と足がガクガクになっていた。

 

 

 

 


 

わたしの

 

 

「レイン、それにしてもどうしたの、ハイネックなんて着て。暑くないのかい?」

「……」

 

 あの日、すべてを母様に捧げると誓ってから2、3日が経ち。

 僕の服装を見た母様があまりに酷いことを言うものだから、ジトッと睨みつける。

 何も答えず半目で見上げる僕を眺めて、少し考えるようにしてから母様は言った。

 

「……ねえ、押し倒していい?」

「ば……っ! 何言っているんですか! だいたい、誰のせいで首を隠してると思ってるんですか!?」

 

 そう言って、首元をぐいと引っ張って、隠していた部分を見せた。

 そこにはきっと、色白さ故によく目立つ、手形の内出血の跡が付いていることだろう。先日、母様に首を絞められた際のものがまだ残ってしまっているのだ。

 

 母様は一瞬驚くかのように僕の首元に視線が縫い付けられるが、一拍置いて、あぁと納得したような顔をした。

 

「ご、ごめん……。結構くっきり残っちゃってるね……その、痛んだり、する……?」

「いえ、さほど……」

 

 そう言って、(見えないが)襟をさらに引っ張って、僕も自分の体に視線を向ける。

 朝も鏡で確認したが、見た目ほど痛みはないのだ。実際もう治りかけなのだろうし、本当に、体質的に跡が残りやすく分かりやすいだけだろう。

 あとは、この間の身体強化肆の反動で激痛を味わったが、それでなんかこう、精神的に痛みへの耐性がついた。鈍くなったとも言うかもしれない。

 痛みに鈍くなると言うと何やら物騒だが、普通に前世でもあった。ちょっとした怪我で入院した際、点滴? だかなんだか知らないが、血管にぶっとい注射針を刺す必要があったのに、担当看護師が5回外した。その後ベテランの人が呼び出されて一発で成功させた。ブチ切れるかと思った。その後、インフル予防接種なんかの細い注射に、まったく恐怖を抱かなくなったのだ。

 

 などなど、服をめくったまま遠い昔の思い出を懐かしんでいると、母様が少し顔を逸らしながらゴホンと咳き込んだ。

 

「……レイン。あのね。よっぽど上から覗かなければ見えないとはいえ、そうやって胸元とかへの警戒心が薄いのは、少し危ないよ」

「……? そこまで誰も気にしないと思いますが……。まあ、見られるくらい、構いやしませんよ。減るもんでもありませんし、資源は有効活用するものです」

 

 美少女の肌は適度に晒していくのが社会、ひいては世界人類のためだと思う。脚とか。肩とか。鎖骨とか。

 前世から掲げるこの持論を、僕が実行しないでどうする。あ、でも母様の肌は僕のものなので駄目です。

 

「……ふぅん」

「え……ちょ、わっ、何を!」

 

 急にお姫様抱っこのように抱き上げられて、体勢の崩れた僕は慌てる。いや抱っこは嬉しいけど。

 

「きゅ、急に、どうしたんですか。危ないじゃないですか」

「いや……、どう危ないか、教えないとなぁって」

 

 実にニッコリした笑顔で母様が微笑んだ。

 僕もヘラっとした愛想笑いを返す。あかん。圧に負けそう。

 

 ふらつく様子もなく僕を持ち上げながら、母様はどこかへとずんずん歩いていく。

 

「……あの、こっちって」

「寝室だね」

「まだ真昼ですが!?」

「休日だから問題ないよ。昔に戻ったみたいだね♪」

 

 仕事を終わらせた母様に死角はなかった。っょぃ。かぁさまっょぃ。

 

「──ひゃっ!?」

 

 突然、母様が僕の首元に顔を寄せる。

 なにせ、顔が良い。いくら見ても見飽きることのないそれが、至近距離に突然近づいてくるというのは何度味わっても慣れないものだ。

 

 スンスンと鼻を鳴らしてから、頬をこすりつけるように母様が顔をグリグリしてきた。あぁ^〜理性が溶かされる音ぉ^〜。

 

「くす、ぐったいですよぉ……」

「……ふふ、ごめんね。その、あんまり良いことじゃないかもしれないけどさ、さっき首の跡を見せてもらってさ……」

「……? それで、なんですか?」

 

 母様は言い淀むように、途中で言葉を切った。

 気になって続きを尋ねると、柔らかくふわりと(わら)って答える。

 

 

「……わたしの(・・・・)って感じがして、ちょっと嬉しくなっちゃった」

 

 

 ……その微笑みは、少しずるくないだろうか。

 

 僕にできたのは、熱くなっていく顔を感じながら、俯いて目を逸らすことだけだった。

 

 

 

 


 

あなたの

 

 

 前回までのあらすじ。

 首の痣を見て発情した母様にベッドの上にぽいと投げ出され、間食として優雅にいただきますされる5秒前。

 

 母様の圧にビクビクしていた僕であるが、冷静に考えてみるとどうだろう。

 攻め気な母様に、美味しく頂かれる。うん、悪くない。むしろいただかれるのもやぶさかでないぞ。

 

 さあどうぞ! 極上の、あなたのためだけの食材がこちらにご用意してあります!

 そんな風に胸を張る三ツ星シェフの如く、僕もフンスと気合を入れて食材になりきった。

 

 母様がベットに体重をかけて、ギシリと小さく軋む音が聞こえる。

 顔の横に腕を置くようにしながら、髪がサラリと撫でられた。

 

「……っ」

 

 髪が梳かれて、指が僅かに頭皮に触れて。その優しい手付きだけで、ドキドキしてしょうがない。

 

 ……さ、さあさ! 食材の状態はますます良くなっていますよ! 今が食べごろ、旬の旬! とろける美少女の体を、いざ召し上がれ!

 

 ゆっくり母様の顔が近づいてくる。

 

 抱きしめ返すような腕の形を作って、目を瞑り、その幸福の瞬間を静かに待つ。

 

 さあ、唇が、重なり合わさって……。

 

 唇が……。

 

 重なり……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……あの?

 

 まだですかいなと目を開けば、そういえばとでも言いたげな、何事か思いついた顔で母様が口を開いた。

 

「……あれ、でもレイン、キミ、内出血なら癒しの魔法で治せるんじゃない?」

「……!」

 

 首元の、青アザの話の続きらしい。

 

 でもその言葉は無視して、おねだりするように、目に涙を浮かべて声を震わせた。

 

「たべて、くれないんですか……?」

 

 そう言って、ぇあ、と舌を差し出すように口の外に伸ばす。

 母様の理性を飛ばすには、それで十分だったらしい。

 

「──ん、ちゅ、……ぷは、んむ……んぁ……」

「んん……っ、ゃ、急に、はげしッ──んむ……っ!? んぅ、ぁ、ちゅ……」

 

 おねだりは、半分本音、半分照れ隠し。

 だって、言えないだろう。

 

 

 あなたの(・・・・)って感じがして、嬉しくなっただなんて。

 

 

 朝、鏡を見て、痣に気が付いて、無意識に優しい手付きでそこを撫でてしまっていた。

 愛おしむように。あなたに付けられた(しるし)を感じられるように。

 

 時間が経てば、いつか消えてしまうのかもしれないけれど。

 それでも、今すぐに治してしまおうだなんて、そんな勿体ない(・・・・)ことができるはずもなかった。

 

 全てを捧げるなんて、そんなことを心の底から思えたとして、それでもやっぱり形のないものは不確かで、不安になってしょうがないから。

 ならば、いっそ、首輪でも付けてくれれば。

 

(……なんて、ね)

 

 激しい接吻の交わりに、段々と思考も蕩かされていく。

 

「……か、さま」

 

 照れ隠しも、何もかも、忘れ去って。

 荒れる息の隙間、吐息混じりに語りかけた。

 

「首以外の……見えないところなら、しるし、たくさん付けてください……っ♡」

「──!!」

 

 お腹とか、内腿とか。

 あなたのものだという印を、体中に。

 

 

 

 

 目を覚ますと、腰と足がガクガクになっていた。

 あと、体中にマーキングされてた。

 

 

 

 


 

よんでみてよ

 

 

 母様的には特に何のしがらみも感じてないらしいけれど、僕としては少し気まずさを感じる父様。

 僕が母様と真名を交換したこと、ひいてはえっちなことをしているのも気付いているらしい。果たしてエルフがどれほど「セックス」という概念を子作り以外の意味で理解しているのかは分からないけれど、それでもまぁ、普通は嫌悪感を示されても仕方がない。

 そもそも、最初は父様が母様に手を出さないから浮気しているものかと思ってたんだよな……。浮気どころか、快楽のためのセックスという概念自体エルフは持ち合わせておりませんでした。嘘やんお前。

 

 そんな父様は今、僕と母様が一節ずつ交互に歌う、しりとりみたいな遊戯をしている傍らで、のんびりと何かを書きつけている。

 

「……父様、何を書いていらっしゃるんですか?」

「ん? これ? ……まあ、僕も舞台が好きなだけあって戯曲を書いてみたいと思うことがあるんだけどさ。この間レインが言ってた、『別の世界』っていう概念を取り入れたものを、少しね」

「ほぇぇ」

「しかしまぁ、物を書くってのはなかなかどうして難しいね。でもやってみると、不思議と図面を引くのと似通ったところがあるものだ。結構、楽しいかもしれない」

 

 僕が頭の悪そうな相槌を打つと、父様はよく分からないことを言う。建物の設計と物語の設計、どこに共通点を見出したんだかサッパリだ。

 しかしまあ、作家を兼業するのはやめてくださいね。ただでさえ忙しいんだから、仕事自分から増やしたら死にますよ。あれでもエルフで過労死って聞いたことがない……みんな基本のんびりしているからか。

 

「そういえば、レインは僕の真名も知っているんだよね?」

「うぇっ!!?」

 

 突然グングニルを投げつけられた気分。

 ……いや、小さい頃に呼ばれてるの聞いたから知ってるけど、どこでバレた?

 あぁ、転生したって言ったから小さい頃から自我があったことに気付いたのか……?

 

「……知って、ます。ごめんなさい。聞いてしまいました」

「いやいや、別に責めているわけじゃないよ」

 

 いや普通に村の禁忌なんだが……?

 まあなんか、多分、この人は色々と規格外なんだろう。HENTAIだし。

 常識が通じると思ってはいけない。というか、常識を分かった上で飛び越えてくるタイプ。一番厄介。

 でもエルフは結構な割合でHENTAIが存在するから、その数だけこういう人が存在しているのかもしれない。つらい。種族ボイコットしたい。

 

「一回さ、ボクの真名を呼んでみてくれないかな」

「えぇ……?」

「一回でいいんだ。呼んでみてよ」

 

 目を輝かせてわけの分からないことを言い出した。なぜ率先してルールを破りに行く? 頭おかしいのか。

 母様の方から「はい?」という険のある声が聞こえてきた気がするが、母様がそんな怖い声を出すわけがないので気のせいだろう。

 

 父様はワクワクとした顔で待っている。

 なんだこれめんどくさい……まあ、迷惑かけているわけだし、一回くらいお願いを聞いてやるべきかもしれない。

 

 分かりましたよ、というふうに少しため息をついて、父様の方に向き直った。

 

「…………うぅ」

 

 なんか、改めて呼ぶってなると結構恥ずかしい。

 まず自分の親で想像してみてほしいが、自分の親を下の名前で呼ぶとなったら、かなり気まずいと思う。あとはクラスメイトの女子とか。普段は名字で呼んでいるその子を改まって名前で呼ぶとかなったら、もはや先に切腹したい。

 

 でもきっと言わないとこの状況は終わらないので、観念して父様を見上げながら口を開いた。

 

「…………マルス……さん

 

 さん付けになったのはご愛嬌である。呼び捨てよりは、心理的な負担が少ない。

 

 うぅ……、恥ずかしい。あんまり反応とかも見たくないし、なんなら部屋の毛布の中に潜り込んで頭抱えたいくらいなんだが……。

 チラリと父様を見ると、片手で顔を抑えて、天井を仰いでいた。

 

「マルス」

 

 と、母様がひどく無機質な声で父様を呼ぶ。

 何気に、赤子の頃を除いて、僕の前で父様の真名を呼ぶのは初めてかもしれない。

 

「……はい」

「だめだよ?」

「はい……」

 

 百年以上連れ添った夫婦は、これほど言葉少なでも伝わるものがあるらしい。

 羨ましいな、父様。僕もはやく母様とそういう意思疎通できるようになりたいな。

 

「レイン」

「は、はい!」

 

 今度は僕が呼ばれる。

 

「お部屋に行こっか」

「…………はい♡」

 

 しばらくは代わりに肉体言語で意思疎通していこうと思う。

 

 目を覚ますと、腰と足がガクガクになっていた。

 

 

 

 


 

すこしでいいもの

 

 

「……なにか変わった?」

「ん?」

 

 久しぶり、というわけでもないのだが、今日はキバナちゃんのおうちにお邪魔して、泊まらせてもらっている。

 夕食を食べ終えて風呂が沸くのを待ちながら談笑していると、キバナちゃんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。

 

 ちなみに、必然的に母様と一緒に寝ることができなくなるのだが、24時間以上触れ合う時間がないとお互い心身ともに甚大な影響が現れるので、お泊りの直前と直後は沢山えっちしている。

 

「洗髪剤とか香水……じゃないわよね。そもそもあなた、香水使わないし」

 

 そう言って後ろから抱きしめるように僕の首元に顔を近付け、スンスンと鼻を鳴らす。

 

「あの……あんまり嗅がれると、くすぐったいし変な匂いしないか心配になるんだけど……」

「いつも通り、いい匂いがするわ」

「……じゃあ僕もキバナちゃんの匂い嗅ぐ」

 

 今度はこっちのターン! とばかりに、キバナちゃんの後ろに回ってクンカクンカした。

 あ^〜少女の体臭は人類の化石燃料じゃあ……。

 

「……た、確かに、一方的に嗅がれるのは恥ずかしいわね」

 

 そう言って赤面するキバナちゃんは愛らしい。

 でも、と呟きながら、オレンジ色のアリスはこちらを振り向いて僕の髪に触れた。

 

「髪を切ったわけでもないものね……あら?」

 

 僕の長くて重ったらしい髪の毛をかき分けるように弄ると、何かに気付いたかのようにキバナちゃんが声を上げた。

 

「どうしたの?」

「……何でもないわ。お風呂が温まったみたい。入りましょ」

 

 どうしたんだろう。首の痣は、もうほとんど見ても分からないくらいまで消えたと思うんだけれど……。

 ひとまず、一緒にお風呂に入ることにした。体が温まれば心も温まるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 全然温まりませんでした。はい。

 

 いや、風呂は気持ちよかった。サッパリしたし、やはり世界の三大発明に取り上げられてもおかしくないとさえ思う。

 今日はわりと健全な方法で互いに洗いっこしたが、それでも肌を触れられるくすぐったさで声が漏れてしまったのはご愛嬌である。

 

 が、どうしてか。風呂を上がる頃には、すっかりキバナちゃんが不機嫌になってしまっているのである。解せぬ。

 せっかくの楽しいお泊り会も、これでは心と空気が冷え切ったまま終わってしまう。わざわざお揃いのパジャマを用意してパジャマパーティーする準備も整えたというのに、どうしよう。

 

「き、キバナさん……どうしてそんなに怒っていらっしゃるんですか……?」

「怒ってないわよ」

「うゃぅ……」

 

 八方塞がりである。

 女の子って、難しい。

 

「そうね……ごめんなさい。本当に、あなたは悪くないのよ」

「本当に?」

「本当に。……じゃあ、これだけ許してくれるかしら」

「いてて」

 

 そう言って二の腕をつねられた。結構強めに。わけわからんめう。

 しかし本当にそれを区切りに不機嫌なのをやめたらしく、こちらに寄ってきてクタッと体を預けてきた。猫か。

 

「うわ結構赤くなってる」

「全力でやったもの」

「……まぁ、こんなんで元気になるなら構わないけどさ」

 

 猫の毛並みを撫でるつもりでサラサラとした髪に触れる。

 しばらくそうしていると、撫でていない方の手を奪うように握られた。

 

「全力って言っても、私、力無いのよね」

 

 キバナちゃんは、戦闘狂のやる握手みたいにぎゅーっと強く握る。

 ……確かに全力でこれはかなりよわよわだ。これ握力20もないよな。中学生女子ってどのくらいが普通なんだろう。

 

「僕も全力で握り返していい?」

「やめなさい。死ぬわよ、私が」

「そんな人を握力オバケみたいに」

「どんな瓶の蓋も開けられていいじゃない」

 

 納得いかない扱いである。

 キバナちゃんは僕とアルマが鍛錬しているところを見たことがあるからそう言うのかもしれないが、身体強化をかけていない状態だったら、僕だってわりと常識的な握力だと思う。40とか。いや生前男なのにもっと非力だったな……?

 そもそもアルマがおかしいのだ。鍛えれば鍛えた分だけ、極限値というものが存在しないかのようにグングン成長していく。多分、もうリンゴくらいなら片手でグシャリできるのではないだろうか。それでいて一切強化系の魔法を施していないのだから、勇者という生き物のチート具合が分かる。

 

「……そう言えば、ツグに負けちゃった」

「あら、今までほぼ負け無しだったのよね? そのわりに、あまり落ち込んでいないように見えるのだけれど」

「落ち込んでるけどさぁ……なんか、思ってたよりずっと先を行かれてたみたいで」

 

 悔しさを感じる前に、手の届かないところに行かれてしまったような、喪失感に近いものを感じている。

 結局どうして目隠ししていたのかは教えてもらえていないけれど、転移、あれをあそこまで自在に使われたらもう勝てる気がしない。もっと成長するんだろうし、これ将来相手しなきゃいけない災厄さん涙目じゃないか?

 ルーラみたいに飛ぶ場所が決まっていたり、使うのに何かしら時間がかかるならまだ分かるのだが、多分存在そのものが転移の擬人化みたいな感じなんだろう。ノータイムで背中取られたら、勝てるわけがないんだよなぁ……。チート勇者やめてくれぇ……。

 

「それじゃあ、もうこれからは鍛えるのをやめるのかしら」

「僕? そうだなぁ。先生がアルマの相手をしてくれるなら、僕、いらない子だよね」

「これから、一緒にいる時間が少し増えそうね」

 

 と、嬉しそうにキバナちゃんが微笑む。

 まあ確かに、午前中はアルマと汗を流して、午後はルーナのところで魔力量拡張に努めてたからなぁ。唯一の同年代の友達なのに、このところはあんまり一緒に遊んだりしていなかったかもしれない。

 

 体を鍛えようとした発端は、母様とのえっちでバテることがないようにと思ってのことだ。最近は、極まると体力関係なく脳がショートすることを知ったので、もうあまり体を鍛える意味がない。むしろ、すればするほど感度が増して達しやすくなってしまう。

 

 ……けれど、実のところ、いま鍛えているのは違う理由なのだ。

 

「僕さ。できないこと、足りないものばかりだから、少しでもできることを増やしておきたいんだよね」

 

 思い出すのは、ヘリオがいなくなった、というよりルーナが憑依してしまった、あの日。

 心の準備も何もなしに、突然降り掛かってきた。何もできなかった。ルーナに頭を下げることしかできなかった。

 武力があればどうにかなるとは思っていない。魔力があればどうにかなるとも思っていない。けれど、何かができる「期待値」を上げることはできる。

 まあ多分、誰もがそんなことは承知で、だからこそ地球ではお金、権力、地位だのを高めようとみんなあくせく働いていたのだろうけれど。

 

「…………ばか」

「いてててて」

 

 全く同じところをつねられた。あんまり力はこもっていなかったけれど、様式美として痛みを訴えておく。

 しかし赤み引かないな。体質というか、表皮が薄いのかな。

 せっかく首元の痣が取れてきたのに、今度はしばらく二の腕を隠さないといけないかもしれない。ノースリーブのほうが動きやすいから好きなんだけどなぁ……。

 

「……ほんの少しでいいもの

 

 スス、と赤くなった部分を撫でるようにしながら、いじけるような小さな声が聞こえた。

 その言葉の示唆するところはいまいち掴めなかったけれど、もう少し、この可憐な友人と一緒にいる時間を増やそうと思った。

 

 

 

 


 

ひとりでできるかな

 

 

 父様との関係もそうだが、アルマとの関係も非常に拗れてしまった。

 

 一応気を遣ってはいるのだが、風呂上がりなんかに気が抜けてるとつい薄着で歩き回ってしまう。流石に下着ではないが、母様のいうところの「警戒心が薄い」というやつだろう。

 そんな格好で、アルマを見かけて声をかけたりしてしまうと、困ったことになる。

 

「……レイン、……その」

「えぇ……また……?」

 

 目を逸らすようにしながら、羞恥心と申し訳無さを混ぜ合わせたような声色でアルマが言葉を詰まらせた。

 視線を少し下にずらせば、腰のあたりのズボンがテントを設営している。

 

 うぅ、と思いながら、一度ため息を付き、人の小なさそうな場所までアルマの手を引く。

 まあ、あれだ。察してほしい。

 アルマの珍坊くんがコンニチハと挨拶する傍ら、本当にこれで良かったのだろうかと思案した。

 

 

 

 

 先日、「森」で僕がアルマにやらかした。

 個人的には、あそこで止まれたことに少しホッとしている。あれ以上進んだら、本当に取り返しのつかないことになっていただろうし、なにより母様に申し訳ない。

 しかし、まあ、なんというか。

 エルフたちの生活を見れば分かることなのだが、「性的な快楽」という概念が、この共同体には欠落してしまっているのだ。

 当然、誰も「人間」であるアルマにそれを教えることがない。「勇者」という意味ではエルフにかなり近い存在なのかもしれないが、僕の脚なんかであれだけ出していたわけだし、きっと人間のオスとしての性感はかなりあるのだろう。エルフのオスも、僕が母様にしたみたいにじっくり開発すれば性感が芽生えるのかもしれないが、あいにくそんなことをする奴がいない。僕も別にやりたくない。

 

(いまも、これだけ気持ちよさそうだし……)

 

 涎を追加しながら、片手に収まるそれをチュコチュコ刺激する。アルマは女の子みたいな情けない声を出している。ショタコンのつもりはないが、なるほどと言いたくなる情景だ。

 

 さて、話を戻す。

 誰も彼に性教育をしない。「オス」という生き物の性質を教えない。しかしアルマは、性的快楽を覚えてしまった。

 結果、時折何らかの要因で興奮すると、珍坊が元気になるようになってしまった。

 いや、結果というか、生理現象であるからいずれは経験する仕方がないことであったのかもしれない。

 そもそも、冷静に前世のことを振り返れば、仮にこの体のようなお姉さんがベタベタ構ってきたら僕だって欲情する自信がある。風呂上がりに薄着で周りをウロウロしたり抱きつかれたりしたら、そりゃあ元気になる。かと言ってハグを絶対禁止なんてことにしたら滅茶苦茶寂しい。気付いたときは控えるようにしているけれど、無意識に、甘えさせたり甘えたりしたくなる。

 

 でもまあ、分かる人は分かると思うが、大きくなったままの状態でほっとくというのはかなり苦しいのだ。時には痛みすら伴うだろう。身体の一部が、充血して膨張しているわけなのだから。

 ともなれば、前世で男としての経験がある僕が、彼に正しい性教育をしてあげなければなるまい。いやでもこちとら童貞だぞ、そんな葛藤がなかったと言えば嘘になる。しかし、童貞にだって少年に性教育をしてやる権利はあるはずだ。

 

 とりあえず、シコり方を教えることにした。

 

 勃たない方法? 無理だろ。それこそ斬り落とさないと。

 そも、失ったところで、僕のように心の珍棒は残り続けるのだ。転生者が言うんだから間違いない。

 そんなわけで、教えたのは対処の仕方だ。対症療法って言うんだっけ?

 

 最初のときはやり方を伝えなければいけないから、代わりに僕がシてあげた。

 擦りながら、珍棒がどういう器官なのか、精子がどういう役割を持つのか教えたが、ちゃんと聞いていたかは怪しい。……かといって、シラフで説明するのはこちらも恥ずかしかったのだ。

 

 元男として、他人の珍棒に触れるのが不快でなかったと言えば嘘になる。

 友人とAV鑑賞しながら並んで抜くみたいな話を聞いたことがあるが、控えめに言って理解できない。隣のやつの白濁液が自分にかかったら絶対死にたくなると思う。

 

 だが、まあ、可愛い弟だ。これが父様だとか、他の男とかだったら迷わず「斬り落とせばいいのでは?」と言っていただろうが、アルマのはまだまだ小振りな珍坊だし、赤子の頃オシメの世話をしたことを思い出せば、まぁ耐えられるのである。

 あとは、この間負けたことで芽生えた悔しさや喪失感。それらが、僕の手なんかで女の子みたいに喘いで、情けない姿になっているアルマを見ると多少薄まる。まあつまり、実力では勝てないから精神的にマウントを取って自己肯定をするクズだ。この本質の汚さは中々治りそうにない。というか、本質って治るもんでもないか。

 

 閑話休題。

 最初に僕が教えてあげるところまでは滞りなくいったと思うのだが、「これからはひとりでできるかな?」と任せてみて、次の日に「自分の手じゃ全然収まらなかった」と恥ずかしそうに相談されたのだ。

 お前昨日あんだけ出したやろという言葉は飲み込み、もうにっちもさっちもいかなくなったので、こうして今日も僕の手で処理している始末である。

 本当にどうすればよかったんですかね。教えて下さいえろい人。

 

(……そろそろかな)

 

 根本が膨らんできた。あと、最近気付いたが、出そうになるときって玉が上がるらしい。

 

 他人の珍棒を握っているという嫌悪感と、マウントを取っている自分への嫌悪感。

 それらで少し顔を(しか)めてしまっていると思うが、多分アルマはこっちの表情を見る余裕がないと思うので許してほしい。

 

 握る手とは別に、先の部分を包むようにもう片方の手を被せる。撒き散らすわけにはいけないから、こうして受け止めるのだ。

 顔で受け止める? メリットがないやろ。口で受け止めろってのも、人様のうんこを食えるようになってから言ってほしい。母様の排泄物なら僕は平気な気もするが。

 一旦止まったあとも、出し切らせるために握った手を動かすのはやめない。全部出させた方が次の時までの間が長くなるのだ。

 

「……ん。全部出せたね。偉い偉い」

 

 出し終わったあと、アルマはグッタリとする。

 ここが、勇者とエルフの共通点だ。精子は、遺伝情報として魔力の形質を伝えるために体から一定量の魔力を奪う。無意識の内に生体機能を体内の魔力で整えている魔法的存在は、射精によってかなりの活力を失ってしまうのだ。

 勇者の性質がいやらしい(意地が悪いの意味)のは、エルフとは違って珍棒の性感が普通であることだろう。人並みに気持ちよくなれてしまうから、本能は射精を求める。一方射精すれば待っているのは倦怠感であるから、イマイチ前向きにはなれない。

 アルマが自分の手では十分な快感を得られなかったのはこのせいだと思う。ある程度性的興奮を覚えながらやらなければ、脳が射精後の不快感を嫌がって十分に気持ちよくさせてくれないんだ。

 

 まあ、だから、アルマからすれば、出さなければ困るけれど、出したら出したで辛いのである。

 頭のひとつでも撫でてやりたい気分だが、あいにく両手がベタベタだ。

 

 射精までの時間を早めるのと、少しでも終わったあとの倦怠感を減らすため、一連の行為は僕がアルマを後ろから抱きかかえながらシている。

 どこかで言ったが、抱きしめているときの方が癒しの魔法が使いやすいのだ。魔法で維持していた体調が魔力を失うことで悪くなってしまうのなら、僕が魔法で体調を整えてあげればいいという寸法である。

 

「なにはともあれ、アルマも魔力量を拡張しないとね」

「……ぁあ」

 

 恥ずかしさを堪えるように、コクリとアルマが頷いた。

 

 射精で一定量の魔力が失われるなら、それで体調を崩さないくらい元の魔力量を拡張すればいいのだ。

 魔力量が拡張されれば、射精による不快感がなくなる。不快感がなくなれば、一人で自家発電するのもきっと上手くいくようになる。そうなれば、こうして僕がシているあまり健全でない現状も改善されることだろう。

 災厄を倒すべき勇者がいつまでもおにゃのこに射精管理されているようじゃ、救われる世界も救われないだろう。

 

 とにかく、これが僕なりの性教育というわけだ。

 ……というか他に何も思いつきませんでした。マジで誰か助けてください。

 

「……それじゃあ、僕、手洗ってくるね」

 

 ある程度アルマの体調が良くなったのを見て抱擁を解く。

 これもいつものことだが、彼は既に、安心したように寝入ってしまっていた。その表情は、10歳の子供らしい無垢なものである。

 

 拗れた関係ばっか作ってしまう転生娘はもうどうすればいいですか……。

 




**連絡欄**
前話では沢山の感想ありがとうございました。本当にいつも、元気を頂いてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

可愛い子には旅をさせよって言うけれど、美しい子はむしろ旅の途中で強姦されかねないから深窓の令嬢やらせるべきかと。何が言いたいかっていうとつまり、ニート辞めたくない!!

「……えぇと、じゃあ、第二回ノアイディ家家族会議〜〜」

 

 死んだ目で僕がそう宣言した。

 パチパチと父様が小さく手を叩き、どこから取り出したのか、はたまた作り出したのか、金髪巨乳の土人形を動かすルーナが小太鼓をドコドコ打ち付ける。

 白髪貧乳のヘリオは「儂と神、家族ではないのだが」と頬杖を付きながら呟き、アルマが「オレも血は繋がっていませんよ。一緒に住んでるようなものですし、いいんじゃないですか」と答えた。

 母様は椅子に縛り付けられている。若干胸が縄で強調されていてエチチ。ついでに僕も椅子に縛り付けられている。

 

「はい。じゃあ、レギュレーションは母様の逃避禁止というわけで。……あの僕縛られる必要ありました?」

「私も、縛られなくても逃げやしないんだけど……」

「巫女は、我が用意した円卓から逃げた前科があるからギルティじゃ。人の子は、まあ、その次に逃げ出しそうじゃからな。灰色は黒じゃ」

 

 ルーナの要請により、第二回家族会議が実施された。飽き性のエセ女神としては前回中途半端な状態で終わってしまったことが不満らしく、話し合いは一発で終わらせろとのこと。話し合いって繰り返して行われるものだと思うんですが。

 家族会議というか、ルーナやヘリオがいることも考えると有識者会議みたいなものかもしれない。「レイン」の今後に関する。

 

「では、実況(司会)はわたくしレインがお送りします……。解説は命名神のヘリオさんと世界神のルーナさんです。よろしくお願いします……」

 

 やはり拘束が解かれることはないらしく、死んだ目になりながら続けて言った。なお席順は以前と同じである。

 デフォルトが死んだ目なルーナがウムと答え、ヘリオは可哀想なものを見る目で僕に横目で視線を送っている。やめろそんな目で見るな!

 しかし、なんでこのエセ女神ずっと死んだ目なんやろなぁ、転生するときは普通だったと思うんだけど。堕天させられたことまだ怒ってるんだろうなぁ……。怖いので、話題に出したことはない。

 

「前は……、僕の本来の真名がニイロであるとお伝えしました。レインと偽ったことに関してですが、『ニイロ』という名が本当に無理なんです。自分がそう(・・)であると認めることが、吐き気を覚えるくらい無理です。こればかりは上手く伝えられる気がしません。……あとは、言い訳のようになりますが、当時は真名がどれほど大切なものか分かっていませんでした。気付いた後も、ずるずる言えないままでした。ごめんなさい」

 

 上半身が椅子に縛り付けられたままだから、首だけ精一杯下げて謝る。謝って許されるんだろうか、これは。でも、謝る以外の選択肢を僕は知らない。

 多分、みんな優しいから。彼らは許してしまうのだ。じっと僕を見つめる三対の瞳は、責めるものでなく、続きを促すものである。

 

「ちなみに、人の子よ。お主も知らんじゃろうが、ひとつ解説をしてやろう」

 

 虚乳(原料が泥という意味で)が腕を組みながら声を上げた。

 なんですかいな、と横に目線を送る。なお、ルーナが腕を組んで胸が強調された瞬間母様が視線を真下に向けたのには気付いている。大丈夫ですよ。ロープで強調されるだけの大きさは母様もあります。その絶妙なサイズ感が僕は一番エチチだと思います。

 そういう思いを込めて、自由に動かせる足で母様のふくらはぎをスリスリ撫でる。顔を真っ赤にして恨みのこもったような視線を送られた。解せぬ。あと、僕の足の動きに気づいた右横の正真正銘のド貧乳から右手の甲を(つね)られた。解せぬ。

 

 それはさておき、ルーナの語りである。

 

「前世から転生の過程、そしてこの世界に生まれるまで。お主の意識は連続的なものであったじゃろう? その過程で、魂の本質が変化すると思うか?」

 

 多少の暗転はあったが、確かにずっと己というものへの認識、過去の延長線にいるという意識は無くなることがなかった。それを根拠にしていいのかは分からないが、「魂の本質」とやらは変わっていないだろう。

 だが、それがどうしたと言うのだろう?

 

「魂の本質……それが変わらんということはな、真名も変わらんのじゃよ」

 

 ルーナを見ていると、背後でピクリと動く気配がした。僅かに視線を送れば、ヘリオが口元に手を当てて考え込んでいる。

 

「……お主らが知り得ぬこととして、我が言えるのはここまでじゃな。あとは宿主、お主が話してやれ」

「ヘリオ?」

 

 基本的に、ルーナは「何でもできる」あるいは「何でも知っている」からといって、それを行わないし話さない。極力「世界」に自分の干渉の跡を残したくないらしい。僕の魔力拡張どうこうに関しては、それをしないと彼女が元いた場所に帰れないから一切自重していないらしいが。ポリシーはあるが、実利主義ゆえに捨てることもあるというわけだ。

 ここで切り上げたということは、この先は彼女無しで話を進められると判断したのだ。話題を振られたヘリオの名を僕が呼ぶ。ああ、と低い声で答えて、少し考え込むようにしてから小柄な少女が口を開いた。

 

「……お前さまの前にいた世界には、真名も魔法も存在しなかった。それは確かか?」

「うん。多分。と言っても、僕十数年しかあそこにいなかったけどね」

 

 エルフ社会に馴染みつつある今の感覚としては、十年で一体何が分かるのかという思考が生まれている。まあ、物事の流れ・変遷する速さがこことは段違いだったんだろうけど。

 だって大半のエルフの若者を見てみようよ。大体昼寝してるよ。いや大人も昼寝してるな。午睡(シエスタ)は日本にも導入するべきだった。

 

「これは、予想でしかないと先に言っておく。……真名、魔法というものがどんな世界にも存在するとして、お前さまのいた世界では真名を知る手段が存在しないが故に魔法が『存在しない』ものと思われているのだろう」

 

 うん。それは、もしかしたらなって僕も思った。

 ルーナ、いわゆる上位存在さえ使っているのだから、魔法がこの星特有の何らかの物理現象というわけではあるまい。むしろ、こちらが「標準」だ。分かりやすく言えば、地球において魔法は失伝している。

 最初に真名を教えてくれる人がいなければ、誰も真名を知ることがない。そうすれば誰も魔法を覚えない。知らないことは存在しないのと同義だ。

 

「生まれたとき、誰もが魔力を持っている。その魔力は真名と結び付けられたものだ。お前さまのいた世界では、苗字と名前というものを使っていたそうだな? ならば、真名との結びつきが失われた魔力はじきに肉体から乖離する」

 

 そろそろ話が難しくなってきた。頭痛い。

 まあ今言ったことは、僕が現在死にそうになってる原因の部分だからまだ理解できた。アルマとか付いてこれてるんだろうか……あっ、虚空を眺めてますね、これはダメそう(こなみ) お姉ちゃんと一緒に脳筋タイプとして生きていこうね。

 

「……ええと、その話とルーナの言っていたことに、どんな関係が?」

「まあそう急くな……。魔法が乖離した体は、その時一番結びつきの近い名前が真名であるように振る舞いだす。お前さまの場合、それが『ニイロ』という言葉だったわけだ。ここで先ほど神が言ったように、『転生しても魂の本質が変わらない』のならば……」

「それが、僕の真名が『ニイロ』だった理由(わけ)ですか」

 

 その名は、偶然僕が、隕石に当たってしまうように引き当ててしまったわけではないということだ。たまたま三文字の文字の並びが一致したのではない。言うなれば、そもそも僕を狙って隕石を投げつけていたのである。

 

 というか、僕は前世で得た思考回路があるからともかく、この褐色白髪ロリどうやっていまの間にそこまで考え至ったんだ……? え、もしかしてヘリオ、キミ頭つよつよ系のロリ……?

 僕の思う思考の柔軟さランキングでは、ルーナが枠外で父様が次点、母様が続いて、アルマとヘリオでタイくらいかと思ってたんだけど……。え、なに、脳筋って僕とアルマと母様だけ? マ?(絶望)

 

 ヘリオがIQハーバードだった、という事実に絶句している僕を見て何を勘違いしたのか、彼女は椅子の横に縛り付けられた僕の右手をそっと握り、目を伏せて「すまん……」と呟いた。

 正直何を謝っているのか分からない。彼女はずっと僕に「真名を使え」と(さと)してきたわけだし、あの時彼女が僕に言おうが言うまいが僕の真名は「ニイロ」だったのだ。

 

 手のひらをキュッと握り返し、僕は本題を切り出すことにした。

 

「と、まあ、いまの『僕の真名』はニイロです。……でも、『僕』はレインです。レインでありたい(・・・・)と、そう思っています」

 

 ともすれば、真名をこのまま偽り続けてニイロとしての魔力が乖離したとき。命を失う代償に、次こそ「レイン」を真名として生きていけるのかもしれない。

 でも、それじゃあダメだ。

 

「僕は、レインとしてあなた達と、これからも生きていきたいです」

 

 これがわがままでしかないことは分かっている。

 全部自分の思う通りにいかないと癇癪を起こす、子供みたいな言い分だ。

 でも僕、まだ「大人」ってやつを経験してないんだぜ?

 

 それに何より、「子供っぽいワガママを言うこと」と「大人っぽく言葉を飲み込むこと」、本当に大切な人達にどちらを選ぶべきかって話だ。

 

「知恵を貸してください。権力を貸してください。立場を貸してください。時間を貸してください」

 

 動かせるだけ、頭を最大限まで下げる。

 泣き虫な僕だけど、どちらかと言えば決意に近い気持ちであったから零れるものは何もなかった。

 

「断っても当然です。本当に、ただわがままを言っているだけなんです。差し出せるものもありません。ただ……お願い、します」

 

 なにか差し出せと言われて、肉体ぐらいしか思いつかないほど僕には何もない。商談だったら門前払いもいいところ。でも、そもそも頼むことすら知らなかった頃に比べれば、少しは。

 アルマの「なぁ」という声を聞いて、顔を上げた。

 

「ええと、オレ、何をすればいいか分からないんだけど……」

「あぁ、ごめん……言葉が足りなかった。つまり、このまま『レイン』を名乗れば、近い内に魔力が乖離して僕は死んでしまう。それでも、そうならずに『レイン』として生きていける方法を一緒に探してほしい、です」

「死んで!? ……いやでも、手伝うのは構わないけどさ、オレ、何の力もないぞ?」

 

 ……はい? 何の力もない?

 

「いやキミ、勇者でしょう……? いずれ外の世界でいちばん有名な人間になっちゃうんだよ……? 人脈だって、失われた技術だって、何でも欲するがままになるかもしれない」

 

 むしろ一番頼りにしているまであるんだけど……。なんかこう、オーパーツか何か転がってるかもしれないし……。

 そもそも、そうだ。彼は「転移」という、本来ならば肉体の魔力に関わる回路を壊しかねない魔法を自在に使える「例外」だ。つまり、何らかの条件が揃えば、この世界では「例外」も存在し得る。ならば、真名を偽るという「例外」だってあり得る。

 僕のわがままの、一番の希望が彼なのかもしれない。まあ、勇者として活動する前に僕が死んでるかもだけど。

 

「…………外の世界に行くの、楽しみになってきたかもしれない」

 

 目をパチクリとさせてから、アルマが呟いた。

 つまりは、何も迷うことなく、彼は僕のわがままに付き合うと宣言した。

 

 そのことに感謝しつつ、今度は父様を見る。彼は微笑んで僕を見つめていた。……おいおい、縛られた美少女見つめて微笑むとか変態か? HENTAIでしたね。何でもないです。

 

「レイン、君はさ。本当に手のかからない、いい子だったと思う」

 

 今となっては転生したからだということを理解しているのだろうけれど、母様と一緒になって裏切ったということさえ気付いているのだろうけれど、それでも父様は柔らかく笑って言った。

 

「ディアルマスのことも君が率先して面倒を見てくれたから、とても助かった」

 

 本当に、この人のことは分からない。

 どんな気持ちでそう語っているんだ。なんだってそんな、結婚式の親のスピーチみたいなこと言って。もっと怒ってほしいし、呆れてほしいし、あるいはいつもみたいに馬鹿げたことを言ってほしい。

 

「──だからさ、初めてわがままを言ってくれて、凄い嬉しいんだ」

 

 やめてくれ。あんまり優しくしないでくれ。また泣いてしまうだろ。

 

「君の父親になれてよかった。これで、堂々と君を助けてあげられる。……僕らの子供に生まれ変わってくれて、本当にありがとう」

 

 それはきっと、勘違いなのだと思う。

 この世界に生まれてしまったことを後悔ばかりしている僕が、一瞬でもそのことを、嬉しく思ってしまった。そう思う権利すら疑わしいと言うのに。

 

「……あなたの、子供でよかった

 

 震えたような声を漏らしたのは、きっと僕じゃない。風か、そうでなければ、空耳だ。

 だって、僕が言ってしまうには、あまりに罪深すぎる。

 

「困ったな……」

 

 今度は母様が口を開いた。

 

「……知恵も、権力も、何もかも。貸すどころかキミに全部あげちゃっていいんだけどさ。ディアルマスが勇者として外を訪ねて、キバタンが森人の知識を探るとして、私なんにもできないんだ」

「そんな、こと──」

「あるよ。私にできるのは……あとは歌うくらい? 歌って解決できることなら、レインがもう解決してるでしょ? だから、私は何もできない」

 

 何でもするのにね、と母様は寂しそうに笑った。それこそ命さえ差し出すのも厭わなさそうに。

 必死に否定の言葉を考えた。けれど、何も出てこなかった。

 

 

 

 

「いや、当代。お前でなければできないことが沢山ある」

 

 

 

 

 ──僕より先に、ヘリオが否定したから。

 

 うぇっ!? と母様が可愛らしくキョドっている中、僕もその「沢山」の内容がまるで分からないから、疑うような目でヘリオを見つめた。

 数秒。何かの決意をするかのようにヘリオが瞑目し、深く息を吐いたのち静かに言い放った。

 

「……まずは、そうだな。長老会に、御子が『外の世界』に旅立つための許可を取り付けよ」

 

 ……え、旅? 嫌なんだが。

 




レイン「24時間以上母様から離れると死ぬので」

**連絡欄**
来週終わらせて、そこから9月頭の2週間ほど連日投稿とさせてもらいます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出会いはご縁、別れはぴえん。ましてやぱおん、感じるはご恩。ひとまずごろん、母様とぼかん。ちなみに母姦、いやそれはアカン!!

簡単のために1年は365日、1日は24時間とする。
(物理理論の導入とかでよくあるやつ)


「発狂したい……」

 

 そこそこ爽やかな風の吹くそこそこ良い天気の下で、現実の非情さのあまり、そのような言葉が漏れた。

 社の大樹の頂上。ひとりで黄昏れたいときはよくここを訪れたという母様を真似て、僕もひとりで村を眺めていた。社を抜ければ聖域に繋がっているから、結果、僕の自室にもかなり近いということであり、行き来が楽で良い。

 

 村と呼ぶにはかなり広く、この高さからでも一望するとまではいかないエルフの里。そもそも、他の大樹が邪魔で人々の生活の様子は全然見えない。まあその分、下からこっちも見えないということなので、一人になりたい時には持ってこいなのだが。

 

 結論から言おう。

 「レイン」として生きていくべく、この美男美女(エルフ)の里をしばらく離れなければいけないらしい。

 つらい。ぴえん。ぴえん超えてぱおん。

 

 

 

 


 

 

 

 

 僕とルーナの間には、一つの共通認識があった。

 それは……いつ訪れるとも知れぬ、この体の使用期限。つまり、真名を偽ることで、肉体から「ニイロ」の魔力が乖離するのはいつか、ということ。

 

 「ニイロ」の名は前世で与えられたものだ。生涯を終えるまでの17年半ほど付き合ってきた。

 真名が乖離するのは、転生後の精神として過ごす期間がこの時間を越えた時、あるいは、やや曖昧だが「経験」が前世の分を越えた時だろう、というのが僕らの想定だ。

 日本における生活は頭おかしいんじゃないかってくらい濃密なものだったから、実際の使用期限は18年以上あるかもしれない。そもそも午睡(シエスタ)を導入している時点でエルフの生活様式はまったりしたものですね。経済はほとんど停滞しているだろうし、そのくせ何百年と生きるんだから、僕くらいのんびりした人じゃないとここに転生しても飽きてしまう気がする。いやでも可愛いおにゃのことイチャついてたら100年とか一瞬じゃない? エルフに毒されてきてますかね……?

 

 閑話休題(話を戻そう)

 

 現在14歳。数え年での話だから、生きてきた時間で考えれば13年ほど。そうなると、使用期限は残り5年程度というわけだ。

 期限になった瞬間体から全魔力が抜けていくというわけではなく、母さん(ウクスアッカ)の最期の様子のように、体から段々と魔力が抜けていくのだろう。だから、プツリと意識が途絶えるわけではないだろうが、一度魔力の乖離が始まれば、そこからはロクに活動もままならないまま下り坂を進むことになるだろう。

 ……真名の乖離が始まった後に「ニイロ」を名乗ったら止まったりするんだろうか? そんな都合よくないか。名乗るというより、自分をそうである(・・・・・)と認識することが大事なのだろうし。もし「レイン」を諦めるのなら、そのときは早めに決断しなければいけない。

 

 この14年間、ひとりで真名の問題に向き合う方法を考えてきた。ルーナが来てからは魔法の扱いを彼女から学び、前世では未知だったものへの理解を深めたし、文字を覚えて以来ずっと「書庫」などの文献を漁っている。もっとも、そうした資料は驚くほど、あるいは意図的に消されたかのように少なかったのだが。

 前世では友達が少なかったから、読書や勉強といったものはよく馴染んだものであった。その点の苦労は少なく、むしろ学ぶ喜びというものを知っている分意欲的に取り組んだのだが……結果は芳しくなかった。

 

 実際、大学に進学して研究生活でもしたらこんなんだったのかな、と想像するくらいには時間を費やしたと思う。アルマとの戦闘術の力量差も、才能もあるだろうがきっと使えた時間が関係している。

 えっちして、鍛錬して、魔力拡張して、巫女の仕事して、えっちして、資料調査して、えっちして、夕食食べて、資料調査して、えっちして、ってくらい時間使ったもんなぁ。ルーナが来た6歳の頃から今までマジでこんな感じの生活をずっとしてた気がする。そりゃこの世界に飽きる暇もありませんわ。

 

 それだけ資料を漁ってもダメだったのだ。何も分からなかった。ってか魔法って何? なんも分からん。ぱおん。そんな感じ。

 

 だから、どうにか周りの力を借りようとジタバタした結果が今だ。他人頼みなんて恐ろしいこと前世ではロクにやってこなかったし、その方法もてんで分からなかったから随分と遠回りしたようであるけれど。

 なんとか、家族みんな、そして神様二人に頼ることができた。ルーナは越えられないラインを定めているみたいだから頼りすぎることはできないけれど、他の4人はきっと可能な限りのことをしてくれる。ありがとうございます。

 

 僕としては、父様が一番何か言いそうだと思っていた。一番「書庫」の文献を読んでいるだろうから。

 一方、ヘリオから案が出されるとは思っていなかった。だって、彼女は今までずっと僕が真名を偽ったことを知っていて、その上で「ニイロ」を使うように、としか言ってこなかったから。

 どうしてこのタイミングで言い出したのかは定かでない。基本聖域に引きこもってるから、何か新しいことを見聞きするわけでもなさそうだし。

 

 

 

 

 オクタ・デュオタヴウォーサ・オヴダナマ。

 直訳、というかそれっぽい日本語訳、「ひとつの真名」。とある研究機関(?)の名である。

 

 研究機関というか、魔法学校というか、学園都市というか。ヘリオが提示したのは、この世界で唯一魔力を研究している場所へ行くことだった。父様もその名は知っているらしく、曰くある程度外の世界のことを知っている人なら知っているとのこと。母様は知らなかった。箱入り世間知らずお嬢様可愛い。好き。心のぱおんがそそり立つ。

 魔法学校と言えば音割れの人、学園都市と言えばそげぶの人。彼らを中心に陰謀渦巻く場所なイメージしかないし、そうでなくとも森の外へ出たら何年も母様に会えなくなる。僕が旅立ちを嫌がったのは実に論理的な理由だと思う。

 

 きっとエルフの里の中で僕の問題は解決できる…………という、その幻想をぶち殺された。

 少なくとも、(ルーナを除いて)その場に僕の相談の直接的な解決策を知っている人はいなかった。足の生えたウィキペディアである父様もどうすればいいかは分からないと答え、その上で、ヘリオの案に乗って魔法学校を頼った方がいいと言われた。

 

 というのもその魔法学校は、災厄によって文明が栄え滅びシヴィライゼーションしている中、その地理的な特性から災厄が初めて生まれたときくらい昔から存在し続けているらしいのだ。

 エルフがいるように他種族も多くいるが、基本的にこの世界の地図は、人間側と災厄側に分けることができる。それらの境になるところは冒険ファンタジーみたいな環境をしているのだろうし、なんなら今は勇者がいないから、人間側の前線はかなり後退させられているだろう。

 しかし、いくらファンタジーと言っても、天動説よろしくお盆みたいな世界地図をしているわけではない。つまり、人間側と災厄側の境界線は左右で2本描くことができる。

 

 この一方の境界線に存在しているのが────エルフの森なのだ。

 

 マジか。中立とは聞いたけど物理的にも間に立っているのか。そんな気分である。

 そして魔法学校は、人間側の領土のうち、かなり森に近いところに位置している。つまり、災厄側からは一番攻められにくい場所だ。また同時に、エルフの住む森から割と行きやすいということでもある。や↑ったぜ(勝利宣言) ……いや、母様と離れなきゃいけないんだったらむしろ敗北では?

 

 前回エルフの森に手を出したという災厄は、この芋ってる集団含め、裏取りによって人間を破壊し尽くしたかったのだろう。そしてブチ切れて人間と結託したエルフに負けた。雑魚、ざぁこ。ざぁーこ。……あい調子乗りましたすいません。

 その反省を踏まえてなのかは知らないが、(人間から見て)勇者もいないというのに、今回はエルフの里が狙われてはいない。むしろ勇者本人がいるから狙ったほうが正解なんですけどね。行き先がわからないって意味でも「転移」はチートである。

 

 

 

 

 さて。結局、魔法学校とやらに知恵を借りに行かねば、どうにもこうにもいかないということだけが判明した。誰も意地悪で言っているわけではないだろうから、数年とはいえ母様と離れなければいけない事実に絶望の表情を浮かべつつ、僕も受諾したのである。

 

 次に問題になったのが、僕の立場だ。

 次代巫女。外に出た拍子にぽっくり逝ったら、かなり沢山の人が困る。そうでなくても、森から外へ出るのは何があるか分からないから、変化を嫌うこの里では渋られる。

 

 そもそも真名を偽っているということ自体バレたら問題だから、魔法学校に行く理由作りにも一苦労である。

 が、そこはお仕事モードの母様が流石だった。一悶着あったが、母様のキリッとした表情以外大して面白みのない話だったので割愛する。というかそれ以外見てなかった。まあどうにか長老会を説得し、承認させたのである。

 条件は、従者……もとい護衛、あるいは世話係か? それを二人付けること。まぁこれは納得だ。流石に御子一人で冒険というわけにはいかなかった。僕は対人能力が高い方でないと自覚しているから、助けてくれる人がいるのはありがたい。

 ちなみに、護衛という目的だと、エルフの里にいる人で僕より強いのは先生かアルマぐらいだろうから、むしろ世話係という方向で人選をお願いしたい。

 

 4年。

 これが、ヘリオ達との間で取り決めたひとつめの期限である。

 

 ひとつめというのは、真名の問題に対する策は、なにも完全解決する一手だけではないからだ。

 たとえば、延命。

 エルフの本来の強みはその長寿にある。父様が150年以上知識を蓄え続けているように、長期間真名について魔法学校で調べる、あるいは研究することができれば、何か見つかる期待値も高くなる。

 僕は今回これを封じられている。エルフにとっての5年なんてのは、人間からすれば1年、あるいはそれよりも短い。だから、この期間ですべてを解決するというより、まず何か手がかりを見つける。そのための期限が、4年。

 

 そこまで経ったら、一旦ここに帰ってくる。

 何も見つかっていなかったら、もう腹を括る。「ニイロ」として生きていくことを選ぶか、「レイン」として死ぬことを選ぶか。その判断は、将来の自分に委ねよう。

 もしも解決していたらそのまま元通りの生活をすればいいし、延命の手段が見つかっていたら、その延びた期間によってはもう一回魔法学校に戻ればいい。

 

 ……僕、この戦いが終わったら母様を孕ませるんだ。

 あ、魔法学校でついでに、おにゃのこ同士で子供作る方法調べてこよっと。

 




**連絡欄**
これにて告白編は終了です。
全然書き溜め溜まってませんが明日からしばらく連日更新します。
期限は作者の両手が燃え尽きたときです。ぴえん。
説明が足りないところを補いながら日常編としてしばらくやらせてもろて。

あと、魔力に関して設定のどうしようもないガバを発見してしまったかもしれません。ほんとにガバだったら上手いこと修正しておきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

取扱説明書(〜告白編)

諸事情によりスマホ版には対応しきれていないので、ブラウザの設定などから「PC版サイト」の状態で閲覧してください。(スマホ版でも見れますが、かなり見にくいです)
表のそれぞれの枠の中はスクロールできるようになってます。

表作んのめちゃ疲れたんよ…


目次(青字クリックでジャンプ)

 

【名前】

主要人物

その他の人物

【呼び名】

主要人物同士の呼び名

【基本データ】

名前/実年齢/肉体年齢/身長/体重/体型

名前/髪/目/肌/顔/手足/指

好き嫌い

口癖

【募集項目】

性癖/感度/経験回数

 

 

 

 


名前

 

 

主要人物

称号
仮名
真名
役職

ノアイディ
アンブレラ
ニイロ*1
次代奏巫女

ノアイディ
サルビア
テレサ
奏巫女

ノアイディ
キバタン
マルス
奏巫女補佐/建築士

ノアイディ
ツグミ
ディアルマス
勇者

-
ヘリオトロープ
命名神

-
*2
上位者

-
キバナ
村人

イドニ
アイリス
次代乳母

 

 

その他の人物

呼称
役職

イドニ=フェリシア・ルイーザ
当代乳母

デインセト=カワアイサ
当代舞姫(双子妹♂)

デインセト=ウミアイサ
当代舞姫(双子姉♂)

アセビ・ウクスアッカ
ディアルマスの生みの親

長老会のじじばば
長老

ヒシクイ
村人

ルコウ
村人

コジュケイ
村人

デインセト=アズラー
先代舞姫

シロハラミ
村人/戦闘術の先生

先代ご主人さま
ヘリオの元ご主人さま

災厄
災厄

テルース
上位者

シーリーン
上位者

 

 

 

 


呼び名

 

 

呼び名

主体\客体
レイン
テレサ
マルス
アルマ
ヘリオ
ルーナ
キバナ
アイリス
一般

レイン

自分

母様

テレサ

父様
ツグ

アルマ

ヘリオ
ルーナ

神様

キバナちゃん
アイリス
あなた

お前

テレサ
アンブレラ

レイン

キミ

キバタン

マルス

ツグミ

ディアルマス

神様
世界神
キバナくん
アイリス
あなた

マルス
アンブレラ

レイン

サルビア

テレサ

ボク
ツグミ

ディアルマス

神様
世界神
キバナちゃん
アイリスちゃん

アルマ
姉様

アンブレラ

レイン

母様
父様
オレ
神様
ルーナ
キバナ
変態
あなた

お前

ヘリオ
お前さま

ご主人さま

ニイロ

当代

サルビア

テレサ

キバタン

マルス

当代勇者
-
-
お前

ルーナ
人の子
巫女
人の子の父
勇者
宿主
-
-
お主

キバナ
アンブレラ
巫女様
おじ様
ツグミ
-
-
アイリス
あなた

アイリス
御子様
巫女様
旦那様
勇者様
-
-
キバナ様
(わたくし)
〇〇様

 

 

 

 


基本データ

 

 

体型の特徴

名前
実年齢*3
肉体年齢
身長[cm]
体重[kg]
体型
品評

レイン
14
14
155
42
痩せ身

胸そこそこ

足長め

神が配分をミスった

テレサ
126
22
172
49
痩せ身

スレンダー

足長め

線の細い人妻=エチチ

マルス
190
28
180
62
痩せ身

見た目は普通

あくまでエルフとして普通であって…

アルマ
10
10
142
39
年の割に筋肉質

全体的には普通の体型

ショタだけど脱ぐと割と筋肉あるなってなる

ヘリオ
*4
16
154
37
痩せ身

スレンダー

虚乳

華奢

BMI16切ってんぞ。肉と米を食べよう

ルーナ(元)
*5
25
167
49
胸大きめ

くびれ

良い尻をしている

オタクの理想体型

キバナ
14
14
148
37
痩せ身

胸まあまあ

華奢

小柄

ヘリオお前に求めてたのこれだよ

アイリス
48
20
176
53
普通

デカメロン

ボッカチオ

高身長

おっぱいのついたイケメンっぽい変態

 

・メモ

胸の大きさ:アイリス>>ルーナ(元)>テレサ>キバナ>レイン>>ヘリオ

 

 

見た目の特徴*6

名前
手足

 
長さ
髪型
大小
印象
大小
長さ

レイン
白に近い金
膝裏
基本ロング

テレサが色々弄る

翡翠

(魔法使用時は橙)

眠たげ
妖精

テレサ
薄めの金
腰手前
アップが多め
翡翠
パッチリ活発
アイドル

マルス
白に近い金
ショート
刈り上げ
翡翠
タレ目

眠そう

理知的

アルマ
ミディアム
ナチュラル
焦げ茶
黄みの肌色
武士の子

ヘリオ
黒→白
腰の手前
ツインテール
黒紫
ややツリ目
褐色

白い文様

メスガキ

ルーナ(元)
淡い金
絹のように垂れていたとか何とか
女神ぃ

キバナ
赤みの金
背中
ロング

先の方は若干ウェーブ

緑みの青
パッチリ活発
儚い

アイリス
強めの金
首上
ショートボブ
淡緑
やや鋭め
イケメェン
やや大きい

 

 

好き嫌い

名前
好きなもの
嫌いなもの

レイン
母様

えっちなこと

おにゃのこ

前世の容姿・名前

消費されるもの

テレサ
レイン

レインとのえっちなこと

観劇

一人で眠ること

歌を横から邪魔されること

マルス
妻と娘が歌っているのを眺める・演奏を付けること

設計

理性的でない会話

退屈な劇

アルマ
姉様

寝る前のハグ

歌を聞くこと

静かに眠っている人

ヘリオ
ご主人さま

(性的に)いじめられること

野菜

真名の詐称

巨乳

ルーナ(元)
メス堕ち

家具作り

服を着ること

阿呆テルース

キバナ
頭の弱い幼馴染

おはようのキス

お風呂

小説を書くこと

時間が経つこと

幼馴染を奪われること

アイリス
無防備な御子

日記をつけること

裁縫

癒しの魔法

母の小言

 

 

口癖

名前
口癖

レイン
下ネタ

ファッ!?

うぇっ!?

や↑ったぜ

テレサ
うぇっ!?

マルス
うちの娘が可愛い

うちの子はやはり天才か!?

アルマ
名前を呼ぼうとして「姉様」と言い間違える

ヘリオ
ち、違わい!

ごめんなさいっ

儂に聞くな、儂に

ルーナ(元)
んあ

見よ!(ドヤ顔)

阿呆(あほう)

アァン!?

キバナ
大丈夫よ

アイリス
ん゛っっ(鼻血or吐血)

 

 

 

 


募集項目

どうしてエロネタしか出なかったんだろうか…?

 

募集項目

名前
性癖*7
感度*8
経験回数*9

レイン
母様

おっぱい

弱気な姿

陵辱(攻め)

82
2700±50

テレサ
レイン

言葉責め(受け)

耳元で囁かれること

余裕そうな表情を崩すこと

80
4000±50

マルス
寝取られ
55
1

アルマ
手淫

耳元で囁かれること

ボクっ娘

70
8

ヘリオ
陵辱(受け)

お尻

負けること

分からされること

94
9999+

ルーナ(元)
メス堕ち

67
?

キバナ
洗いっこ

匂い

70
50±20

アイリス
濡れ透け

小さい女の子

58
0

 

 

 

 

*1
レインを名乗る

*2
ルーナを名乗る

*3
数え年なので、日本人的には表記-1歳と考えたほうがよい

*4
マルスのお七夜では既に聖域にいたらしい

*5
「数年程度」無心になるのは容易だと言っている

*6
無記入の場合は、未設定または普通

*7
無自覚のものを含む

*8
0~100で表し、50を標準とする。現状でなく、最終的に到達可能な値

*9
性的な意味を含んで、他者が秘部に触れたことのある日数とする。そのため、キバナとレインのお風呂なども含むものとする




TS転生メス堕ちモノは用法・用量を守って正しく使用しましょう。
過度な摂取、濫用は思わぬ副作用を引き起こす場合があります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日常編2/幕間
天才にぼこぼこにされたあと、その天才がぼこぼこにされている姿を見るとなんだかなぁってなるよね。まあそれでも積んで行くしかないし、コツコツ行きましょうか


 強さとはなにか。

 人は何のために己を鍛えるのか。

 

 その答えは知らないけれど、前世でもそれなりに弓の道を修めていたので、武道というか、ただ己を磨くなどという曖昧な理由でも鍛錬を続けることはできた。

 建前は、僕が逃げ出せば先生がアルマを見てくれないという脅しにあった。しかし実際のところは、ゆっくりと、淡々と、ひとつの物事に打ち込んで成長していくという過程が好きだったのだと思う。

 身体強化のおかげなのか体の素のスペックが高いのかは知らないが、体運びや動体視力、戦闘の勘、どれも面白いくらいに吸収し成長することができた。そんな調子で5年近く達人の側で練習してきたわけだから、今なら日本の高校剣道くらいならイイ線まで行けると思う。身体強化を使えば人外の領域に踏み込めるから、対人間なら中々負けることもないだろう。

 

 5年は短い時間ではないが、決して長い時間でもないと思う。ただ魔法が使えるか否かというだけで、24時間365日頑張ってきた人達をひょいひょい越えれてしまうというのは、その努力と時間を嘲笑っているようでやや心苦しさも感じる。

 が、同じくらい僕も、積み上げてきたものを簡単に追い越されているのだ。

 

 ──転移。

 

 あれはアカン。みんな大好き「縮地」なんて歩法のように、かねてより戦闘において移動は再重要案件とされてきた。(ちなみにみんなが縮地縮地呼んでいる歩法は実は違う技だったりする。名前は忘れた)

 刹那のやり取りで結果が決まる世界で、いついかなるときも背中を取られかねないというのはもはや無理ゲーである。攻めにも使えるし、逃げにも使える。攻略するとしたら、アルマが「転移をしよう」と思考するより先に倒さなきゃいけない。つまり、不意打ちくらいしか選択肢がない。

 

「……そのはずなんだけどなぁ」

 

 チート勇者の理不尽さに現実逃避しているつもりだったが、目の前で行われていた模擬戦の結果は、彼が転がされている風景であった。

 アルマの相手は、最近ちょくちょく稽古に関わってくるようになったシロ先生である。

 

「……もう一回ッ!!」

「応。頭を使わんか頭ァ」

 

 横から眺めているとよく分かるが、転移の魔法は本当にパッと消えて同時にパッと現れる。時間差は作れないらしい。まあ、消えてる間どこにいるんだって話だしね。

 が、先生が「もっと頭を使え」と言うように、馬鹿なんじゃないかってくらいアルマの転移先は位置が悪い。

 ……いや、彼が悪いというより、先生がおかしいのだろう。なぜアルマの転移先が事前に分かるのか。背後に飛んだり、後ろと見せかけて超低姿勢で下段から打ち込んだりしても、転移した次の瞬間にはアルマの顔の前に棒切れが置かれている。

 

 言ってしまえば、完全に戦局をコントロールされているのだろう。先生は今まで一人で鍛錬していたのだろうし、アルマだってそんな読みが悪いわけじゃないというのに、どうしてここまで翻弄できるのか。

 一度聞いてみたが、完全に感覚型の天才の説明だった。うん。先生に関しては、教授してもらうというより、見て盗んで学ぶ方が良いのだろう。

 

 ……あ、またアルマが転がされた。

 

 後頭部から行ったから痛そうだが、癒しの魔法を勝手に使うと怒られるので何もしない。曰く、「痛い方が覚える」。真理である。なので、僕自身も鍛錬中に怪我を治すことはしない。

 

 先生の試合運びを眺めて分析しながら、転移の魔法がどういう風に魔力をはたらかせているかも気になるから、アルマの周りと彼自身の魔力を「視る」。

 空気中の魔力塊とかはわざと視ないようにしない限りはずっと視えているのだが、生き物固有の魔力塊は逆に視ようとしなければ視えない。

 

 蟲師だったかな。瞼の裏の瞼を閉じると視えないものが見えるようになるって話があったけれど、それに似ている。瞼ではなく、瞳の裏の瞳って感覚だけど。焦点を顔の近くに置くと、周りの景色がぼやけて見える。ガラスか何か、層を挟んで見ているように。

 それに似た感覚で、瞳の裏の瞳の焦点をずらす。すると、人体に重なっているはずの魔力塊も視える。あとは慣れれば、どんなふうに流れているのかだなんてのが分かるようになる。

 

(……連続的じゃないんだよなぁ)

 

 「転移」を真似できる気がしないのはそこだ。

 連続的。何やら難しい言葉のような気がするが、言い換えてしまえば、現実的でないのだ。

 

 魔法が物理法則を守らないのは今更だが、それでも何らかのルールには従っているように思う。空を飛ぶことだって、結果だけが付いてきているわけではない。空気中の魔力塊が僕の体に直接はたらきかけた結果だ。

 しかし、転移は違う。結果だけが突然現れる。魔力だけが行き先に移動するとかそういうことでなく、アルマが転移する直前、そこにあった彼の魔力がその場に溶けるように消え、行き先に現れる。まるで空間をそのまま交換したかのように。

 過程がないのだ。不連続、肝心の「はたらき」の部分が一切分からない。あるいは、僕の「視える」魔力にも限りがあって、彼は視えない部分で何かをしているのかもしれないけれど。……そうだったらどうしようもないので、転移の魔法も解析できることを祈るばかりである。魔法学校とやらに過去の勇者の話とか残されていないだろうか。

 

 なお、ルーナに女神やってた頃は転移できたんですか、と聞いたところ、できていたらしい。勇者だけの特権でないことは分かった。勇者か神様だけの特権なのだ。

 僕もルーラしてぇなぁ……。そしたら旅に出ても毎日母様に会えるんだけどなぁ……。

 

 あ、またアルマが転がされた。力尽きたのか今度はもう起き上がる様子がない。

 

「おまんはほんに馬鹿というか、分かりやすいのう……」

 

 先生がアルマを見下ろしながらため息をついた。

 アルマの動きが分かりやすいなら、それすら読み切れず負けた僕はもっと馬鹿なんでしょうか?

 

「読みや勘は、おまんの方が優れちょる。そうなぁ、おまんは目で追いきれんくらい疾い相手とやったことがないじゃろ」

 

 そういった人物と何度もやれば、今のアルマくらいの練度で転移をされても同じようなものとして戦えるらしい。

 逆に言えば、アルマが更に成長して転移の使い方がうまくなった時は、先生でも彼を捉えきれなくなるのかもしれない。

 

「……って、シロ先生が追いきれないくらい疾い人が森人(エルフ)にいたんですか?」

「いんや……、獣人じゃ。以前の勇者の、仲間のなァ」

 

 先代勇者の仲間……。そうか、仮にも長老級の年齢だもんな、この人。なんなら前の前の勇者とかも知ってるのかもしれない。

 前の勇者と言えば、エルフと結託して災厄を打ち払った人物だ。詳しくは知らないが、エルフ全体からの好感度も高めだしさぞ立派な人物だったのだろう。

 

 獣人か……。

 ケモ耳、実在するんだろうなぁ。モフモフした尻尾も。

 ケモ度がどれくらい高いか知らないけれど、モフりてぇなぁ……。

 

「先生はそれくらい疾く動けますか?」

 

 なんなら、その速さで相手してほしい。

 そうすれば、アルマにまだ追い抜かれずにいられるだろうから。

 

「膝が痛ぇ」

「あっハイ」

 

 体に負担かかるからね。しょうがないね。

 膝の痛みは軟骨のすり減りだったりして、癒しの魔法でどうこうとかじゃなかったりする。痛みは多少消せるかもしれないけど、多分真面目に治そうとしたら医学を学ばなきゃいけないだろう。

 

 まあ、何はともあれ。

 

「とりあえず、一本よろしくお願いします」

「応」

 

 気絶したままのアルマを日陰に運んで、使い古した木剣を取る。

 対する先生は、拾った適当な棒を握っている。多分拾ってなければ素手で相手される。

 

 まだ先があるというのなら、学べることは学ばせてもらおう。

 しばらくここを離れるのだから、今のうちに学べるだけ。

 

 まあ、旅の途中の護身術くらいには使えるんじゃないですかね。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

洋服は前から、和服は後ろから脱がせやすい構造になっているらしい。つまり、正面から抱くか、後ろから襲うか。こういう日本人の変態性は今後も無くさないでいてほしい。

昔の掲示板SSなんかでよくあった、博士キャラの「完成したぞ!」による導入


「つ、遂に完成してしまった……」

 

 声が震える。

 目の前には、ほうとため息を付いてしまうくらい立派に反り返る長物。

 思わず頬擦りしたくなってしまうが、それをぐっと堪え、隣に並んで置かれたものを見る。

 

 (ゆがけ)

 和弓を引くための道具。簡単に言えば、弓を引く人が勝手(右手)に付けている茶色い手袋だ。親指の内側に引っ掛けるところがあって、それで弦を引くのである。

 

 つまるところ、和弓と弽の再現ができたのだ……!

 どうもエルフたちの弓には慣れなかったため、弓は弓師に、弽は革細工師に話を聞いてもらい、どうにこうにか試行錯誤の末に辿り着いた。弓は構造を伝えてあとは先方に任せていたが、弽のほうは誰も知らないので、幾度もの失敗を乗り越えてここに到達したのだ。

 弓は木製の焦げ茶色。強さは26キロくらい。

 弽は素材の都合で黒色だ。当然日本とは生態系が違うので、子鹿なんて用意できなかった。鹿に似た動物の皮だが、鹿とは違い一本角が生えていた。

 

 矢はほとんどどこでも変わらないので、エルフの間でも一般的なものをそのまま使える。長さだけ、僕の引き尺(腕の長さ)に合わせたものを用意してもらった。

 

 とりあえず一、二(たち)分、家の隣の庭で引いてみる。

 

「〜〜っ!!」

 

 こ、これだよこれ……!

 離すんじゃなく、「離れ」る感覚。こればっかりは、(かけ)がないと再現できない。

 

 息を丹田(へその下)に下ろしていき、体から余計な力みを無くし、ゆっくりと「会」に入っていく。

 頭の中から、あらゆる思考が立ち消えていく。その代わりに、自分が世界に溶け込んだかのような、どこか別の場所から自分を眺めているような感覚になる。

 

 ……ああ、そういえば素振りをしている時もこんな感じに──

 

「…………あっ」

 

 いかんいかん。余計なことを考えたせいで離れが雑になってしまった。矢所、矢の飛んでいった場所が狙いからずれてしまう。

 今更的を外すようなことはないが、継矢、つまり既に刺さっている矢に当たってしまうと、矢が壊れる。あまり良いことではない。矢、勿体ないし。

 まあこの辺の感覚というか、集中力は、引いていれば追々取り戻せるだろう。この世界での生活は鍛錬の時間を除いて随分のんびりしているものだから、僕の方まで段々とのんびりした思考回路に変わってきている。……元からか?

 

「おお、凄いねアンブレラ。全部真ん中じゃないか!」

「……見事なものだね」

 

 反省していると、いつから見ていたのか父様と母様が横から声をかけてきた。野外で真名を呼ぶのは不用心なので、母様には仮名で呼ばれている。

 

「その弓と手の装具は、前世の世界のものかな?」

「はい、そうですね。まぁ、威力は特別強いわけでもないので芸術的な側面が大きいかもしれません」

 

 多分、木弓で40キロとかの弓を作るのはなかなか難しいと思う。ボウガンの方がよっぽど使い回しやすいし、鉄製の弓なんかがあれば、いくら大きな和弓を用意しても絶対に威力で負けることだろう。

 特に、森の中でこんな長いものを振り回せるはずもない。

 ただ「当てる」、「殺す」という目的のためならば、わざわざこんな道具を持ち出す必要はないのだ。

 

 それでも、和弓は美しい。人体を完璧に使い切れば、時に鉄板だって貫く。

 モンゴル弓や洋弓(アーチェリー)よりも、人体を「使う」ということを学べる道具であると思う。それは目的一致性のない非効率な選択であるかもしれないけれど、弓のことを一切知らない人が見ても「美しい」と零してしまうような極限に近づける。

 

 ……というか、効率重視があんまり好きじゃないのもあると思うけど。

 

「あぁ、ただ服装がちょっと違うので、そこの違和感はありますね。弓を引くときはそれ用の服があるんですよ」

「どんな服なの?」

「袴と道着なんですけれど……この世界(こちら)だと近いものはありますが、同じものは多分ないですね……」

 

 そういや袴ってなんであんな折り目多いんだろ。構造はほぼ同じくせに、ついぞスカートはジャパニーズカルチャーに実装されなかったし。

 歌舞伎とか、奇をてらった文化の人達なら「折り目のない袴!」みたいなお巫山戯くらいしそうなものだけど。それとも僕が知らないだけで、普通にあったのかな?

 

「じゃあ、作ってもらおうか」

「まじですか」

 

 mjd?

 サラッと父様が放った言葉に硬直し、ついでに言葉遣いが崩れた。

 

「まじですよ。……丁度暇そうにしてる友人が居たから、新しい発想の服飾デザインを伝えたら喜ぶと思ってね」

 

 父様はいつも忙しそうにしているのに、どうして他のエルフ達は暇人が多いんだろう。

 ……あ、父様が首を突っ込むタイプの人だからですね。

 

 

 

 


 

 

 

 

「ほんとに作るとは……」

「私の分も頼んだんだってね。楽しみだなあ」

 

 奏巫女としてちょっとした仕事を終えてきた母様と一緒に出来上がったものを受け取りに行き、お弟子さんだという若めの男の人から完成品を受け取った。

 買い物をしながら帰り道を一緒に歩く。デートみたいで楽しいなふへへ……。 

 

 それにしても、母様はやっぱり人気者だ。買い物ついでに店主と歓談し、気付けばオマケをもらっている。

 権力者に媚びへつらおうってわけじゃあないんだろう。そもそも、巫女って権力者って呼んでいいか微妙な位置だし。特別な立場ではあるし発言権もあるのだろうけれど。

 

「私だけじゃないと思うよ?」

「僕は好かれる要因ないじゃないですか」

「こんなに可愛いんだから、それだけで愛されるさ。……それにキミ、ちゃんとみんなの名前覚えてるんだね」

 

 ああ、まあ、見た目はまあ、分かる。母様の娘ですし。母様の娘ですし!!

 信じられるか? この体、母様(女神)の血が半分流れてるんだぜ? え、やばいな。それだけで無条件で自分のこと愛せるような気さえしてきた。

 

 名前を覚えるのは結構頑張った。いや、ほんとに頑張った。

 前世でのコミュ弱ってのは、何も会話下手ってだけで陥っていたわけではない。そもそも人の名前が覚えられないのだ。それだけで話しかけるという行為の面倒くささが一段回上がるし、会話を継続するということも難しくなる。結果、あまり話しかけないし、話しかけられても素っ気ない人間が出来上がる。

 全国のコミュ強たち、そのことを理解した上で、コミュ弱にたくさん話しかけてやってくれ……! 友達がいなくていいと思っているわけじゃないんだ。ただ、経験値と能力が圧倒的に足りていないんだ……!

 

「私がキミくらいの頃は、人の名前どころか、関わることも少なかったさ。……だから、そういうところ(・・・・・・・)、皆ちゃんと見てくれているんだと思うよ」

「……そういうものでしょうか?」

「うん。きっと、キミが思っているよりね、キミは沢山の人から見守られているよ」

 

 ……いかんな。

 独りよがりな思考に陥りがちだから、こうやって色んな人に気にかけてもらえていることを誰かに教えられると、つい涙腺が緩んでしまう。

 前世ではあまり涙を流す機会もなかった気がするけれど、転生してからはもう何度も泣いてしまっている。泣き虫になってしまったと反省するべきか、情緒豊かな生活ができていることを喜ぶべきか。

 でも、恥ずかしいけれどあまり悪い気はしないから、きっと喜んでいいことなんだろう。こんな泣いてばかりでいつか枯渇しないかな。下手したらあと数年の命だし、出せるだけ出しとこうか。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……どう、ですか?」

「「「……」」」

 

 家に帰り、ちゃちゃっと着付けをした。どんな風なのか見せるために、まずは僕だけ。

 父様母様、アルマ。見慣れぬ衣装に戸惑うように三人とも無言で見つめてくるから、若干の気まずさがある。

 

「な、何か言ってくださいよ」

 

 弓道着は男女で腰板があったりなかったり、前紐を結ぶ位置が違ったりなどと差異があったはずなのだが、正直おにゃのこの着るもののことなど知らない。

 袴の位置が女性は高くなることは分かっていたので、そこで邪魔になる腰板だけは取っ払ってもらって、あとは僕が使っていたものと同様にした。

 後ろ髪は縛らずに流していると払ってしまう可能性があったので、耳を出して後ろにまとめて縛っている。一本に結ぶと長さの分揺れて姿勢が崩れるので、頭の後ろに輪っかを作るような感じ。

 

 鏡を見てみれば、まあ可愛らしいのだが、ジャパニーズカルチャーに憧れてコスプレした外国人にしか見えない。しかも耳がちょっと尖っている。コスプレ感しゅごい。

 

「これは……いいものだね」

 

 父様が真面目くさった顔でそう呟いた。……まあ、動きやすいですよ。

 和服は行事用に着ると堅苦しいが、運動用だとか、普段遣い用として着る分にはかなりルーズで、楽なのが良い。甚平とかエルフ文化に導入したいが……おにゃのこの体では、あまり着るのに向かないかもしれない。

 

「好きだ……」

「ファッ!?」

 

 母様は唐突に告白してきた。みんなの前なんですが!?

 ま、まあ状況的に、馬子にも衣装みたいな感じで可愛いね好きだよ、みたいなノリで言ったんだろう。弓道着可愛いよね。分かる。僕も弓道女子大好きです。だから弓道部のおにゃのこと付き合ってる男共は許さない。もげればいいのに。

 赤面しつつ、アルマにも感想を伺ってみる。

 

「……き、綺麗、なんじゃないでしょうか?」

 

 若干キレ気味に言ってきた。

 落ち着け。どうした敬語になって。落ち着け。

 僕も母様の唐突な告白でテンパってるけど。

 

 その後、皆の分も一緒に作ってもらったので着方を教えてあげる。

 父様は僕と同じでコスプレ外国人感が強く、逆にアルマは黒髪なのでよく似合っている。うん。黒い袴に白い道着、そんで髪は黒っていうこの色彩の感じも、弓道着の良さのひとつだよね。

 

 そして母様だが、あかん。

 

 自分が着ているときは一切気にしていなかったが、道着の男女差で脇が開いているかどうかという違いがあることを忘れていた。

 そりゃあ、JKが腋晒して弓引いてたら変態が集まっちゃうから、女物は脇閉じたもの用意しますわ……。

 

 つまるところ、いま母様は脇の開いた男性用のものを着ている。

 袴・母様というだけでただでさえエチチなのに、これで脇が見えてしまうとなればエチチポイントのハットトリックですよ……。何言ってるか分かんねえ……。

 

 とりあえず、母様の脇をガン見しながら袴で和弓を引いてみたりした。

 やっぱりこっちの方が気分が乗る。気持ちよく引けたと思う。

 

 もちろん、その日の晩は弓道着を着せたままコスプレえっちをした。

 やっぱりこっちの方が気分が乗る。気持ちよくイってたと思う。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お、お前ら! 身長で人を馬鹿にしたらアレだぞ! 身長が低くて何が悪い。ほんとそういうとこ、アレだぞ。…ええと、うん、と、とにかく…アレだからな!!

「ああ、そういえばこの間はありがとうね」

「?」

 

 肉屋さんで買い物をしていると、会計をしてくれたお姉さんから急にお礼を言われた。

 お姉さんと言っても見た目の話で、実際は200歳手前だが。

 

「うちの子の怪我、治してくれたんでしょう?」

「あぁ、たまたま通りがかったものでしたから。その後はどうですか?」

「お陰様で今日も元気に遊びに行ってるよ。でも、怪我をして帰ってくることは減ったみたいだから懲りてるんだろうね」

「それは良かったです」

 

 先日、街歩き中に足を怪我した子を見かけたから、ぺぺっと癒しの魔法で治したのだ。

 愛すべきショタがはにかんでお礼を言う姿は素晴らしい。断じてショタコンではないが、思わず僕もニッコリした。

 確か3年前にお七夜を迎えた子だ。毎年聖域までの引率は僕がしているから、子どもたちの顔と名前はよく覚えている。その時よりも成長した姿を見ると、長寿の種族とはいえ、子供の成長はやはりあっという間だなぁという感想が出てくる。

 

 細胞から魔力で補強されているエルフ、あるいは魔法的存在と呼べる生き物たちは、免疫が衰えることがない。風邪や細菌由来の病気、また脳梗塞などには強いが、一方擦り傷や捻挫といった外傷は普通にする。

 お医者さんの仕事を奪うつもりもないので、怪我をした人物をわざわざ探すことはない。しかし折角魔力が余っていて癒しの魔法というものが使えるのだし、目の前で怪我をしている人がいれば普通に治す。

 まあ、溺れた人がいたら心臓マッサージなり人工呼吸なりするでしょう。それと同じだ。できることをするだけ。あと合法的にショタやロリに話しかけることができる。幼い命は尊いものです……。

 

 その後、二、三言交わし、ペコリとお辞儀をして店を出た。

 品物を確認すると若干量が多い。よく見れば、包みが一つ増えていた。……鶏肉の揚げ物をオマケしてくれたらしい。アルマは今日も先生の家に行っているんだろうし、差し入れしてくるかぁ……。

 

 

 

 


 

 

 

 

 先生の家で30分ほどゆっくりさせてもらってから、奥さんに土産を持たされて帰宅した。おかしいな……差し入れするはずが、来たときより荷物が増えている……。

 ちなみに、生肉を買っていたのであまり外をほっつくわけにもいかないのだが、今日に限り、この肉はこれからすぐ使うので問題ない。一応、肉の入った袋の中で風を起こして熱がこもらないようにはした。こういう結構細かい魔法ができるようになったのは、ひとえにルーナとヘリオの指導のおかげだろう。

 

「よし、じゃあ作ってみようか、料理長」

「はい。まずは生地からですね」

「御子様、踏み台は大丈夫ですか?」

「い、要りませんが!?」

 

 母様、アイリスと並んでキッチンに立つ。

 僕が成人するまで、アイリスは専属乳母という名のハウスキーパー的な役割を担っている。そのため食事も彼女に作ってもらうことが多いが、今日は3人で共同作業だ。

 

 身長が足りているか心配されたが、もう僕だって一応150センチはあるのだ。そりゃ昔は何をするにも背伸びしている姿を見て笑われたが、ここまでくればもう敵はいない。……エルフの平均身長が高いから、まだやや不便だけど。

 というか、身長の伸びに陰が見え始めた。成長期なのに母様とえっちばっかして、寝る時間が遅かったのがいけなかったのだろう。160センチは行くと思うが……そこからが怪しい。チビ仲間のキバナちゃんは流石親友と言いたくなるが、彼女はむしろ、これから成長期を迎えようとしているらしく……。

 

 い、嫌だ。前世でも170センチに届かなくて、その点でも男らしさが足りずにモテなかったんだ。むしろ身長があれば石油王並みにモテてたはず。この孔明の目に狂いはない。

 ネットか何かで、170センチない奴はそもそも男として見れないという意見を目にしたときは膝から崩れ落ちた。男子の平均身長171センチとかだからな!? 喧嘩売ってんのか!!

 

「アイリス。手を出してもらえますか?」

「手、ですか?」

 

 アイリスは大きい。胸だけの話じゃない。いや胸もデカイけど。なんだそのデカメロンは、ボッカチオするぞってくらいデカイけど。

 顔も女子校で貴公子やってそうなタイプだし、専属乳母として引きこもってなかったら女の子たちから人気が出そうだ。そのくせ実は病弱というのも、ギャップ萌えがあって良いと思います。

 

「……ん゛っっ」

「嘘だ……」

 

 身長が大きい人は、大概手足も大きい。差し出してもらった右手に鏡合わせにするように僕の左手を重ねると、アイリスの指の第二関節を少し越すかというところまでしか届かなかった。

 何やらわたわた慌てるアイリスの傍ら、僕は膝から崩れ落ちる。

 

「料理をしましょう……」

 

 辛いことからは目を背けよう。

 人生、長いのだ。辛いことは忘れよう。身長なんて無かった。宇宙を前にすればたかだか数十センチの違い何になるんだ。身長が大きければ偉いのか。ふざけるな。身長が大きくったって……あれだ、あれだぞ、……とにかく、アレだから。

 低身長は希少価値。ロリコンもそう言ってる。嫌な付加価値だな。

 

 さて、前置きが長くなったが、今回3人で料理をしているのにはわけがある。

 というのも、今日作るのは僕の前世での知識に基づいた料理なのだ。前世のことを知らないアイリスには、「書庫」から見つかったレシピということで通している。

 それじゃあ、始めさせてもろて。

 

「まずは薄力粉と強力粉、塩ですね」

「はーい」

「入れました」

 

 書き起こしたレシピを見ながら僕が指示を出し、それぞれボウルに突っ込んでいく。

 次は温めておいた熱湯を少し注ぎ、やけどしないように道具を使って混ぜ、ある程度混ざったら手でこねくり回す。

 ……母様の胸触ってるときみたいな気分だな。それより少し力がいるけど。

 

 チラリと母様を見ると、バッチリ目が合った。

 ……自分の胸を触られているときのことを思ったのか、僕の胸を触っているときのことを思ったのか、母様のみが知る。身長は小さいままだけれど、胸は母様のせい(おかげ?)で同年代の子よりは大きく育っています。でもキバナちゃんの方が僕より若干大きいんだよね。エルフって身長とおっぱいが逆比例するんですかね……?

 アイリスや乳母様(フェリシアさん)のことを考えれば、そうではないと分かるけど。

 

 さて、弾力が強くなってきたところで、一旦寝かせ、そのあとに小さく分けてからそれぞれ薄く伸ばす。

 待っている間はもう一つの作業を進めます。

 

 買ってきたひき肉。あとはキャベツ、ニラ、ネギ。どれも地球で言うそれらに似てる野菜ってだけだが、まあ実質同じやろ。四捨五入すれば一緒。でもキャベツとレタスと白菜は四捨五入したら全部同じ扱いになると思う。初めて料理した頃は、あいつらの違いが本当に分からなかった。

 ここまで材料を明かせば、何を作っているか分かるだろう。餃子、ちゃおずぅである。さよなら天さんのちゃおずぅである。ちゃおずぅ……。どうして死んじゃったんだよ……。

 

 正直、やる作業はめちゃくちゃ単純だ。

 それぞれ野菜をみじん切りにし、調味料と上手いこと混ぜつつ肉も野菜も一緒にする。あとは用意した皮で包んで形をそれっぽくすれば、ちゃおずぅの人体錬成が完了する。

 ……意外と餃子の形作るの難しいな。完成形を僕しか知らないから、僕が手本を作らないといけないんだけど。

 

「アイリス、お上手ですね」

「いつも料理しているから、でしょうか? やはり慣れと手際は関係しますよ」

 

 アイリスが美しい餃子を量産していく……。

 母様と僕は四苦八苦しながらなんとかそれらしきものを作り上げた。

 

 あとは焼いて、完成。はい美味そう。焼色もこんがりいい感じ。もう見てるだけで美味い。肉汁が視覚に溢れてくる。なんなら魔力纏ってるまである。

 今日は焼き餃子で優勝していくわよ……。

 

 にんにくを効かせすぎたのか、その晩母様とキスをした時に餃子の味がして、お互いに笑ってしまった。

 でも、にんにくの入ってない餃子は論外だと思います。

 




レインはアイリスが吐血したり鼻血を出したりしている場面を多く見ているので病弱だと思っていますが、別にそんなことないです、むしろ血が余ってるくらいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

…なんか、見られとる気がするのじゃが。もしや阿呆テルースが覗いておるのか? おい、見てるなら言っとくが、絶対お主ぶん殴るからな。その上で我にしたこと全てやり返してやるわい

シーリーン:黒幕っぽいの
テルース:クレイジーサイコレズ


   TS
_検索

 

 

 

 

 

 Now Loading... 

 

 

■■■■■■■■■■

 

   ▶❘  ライブ

らいおんさん:わこつ

さかなさん:リアタイ初だわ

へびさん:待ってた

からすさん:わこつー

いぬさん:初回みました!!めっちゃ面白かった

ねずみさん:外道による外道鑑賞動画

いぬさん:です

くわがたさん:待機

さるさん:今日も地獄を期待

うさぎさん:初見です

とらさん:一体何が始まるんですか

うしさん:センシティブなシーンはちゃんと映さないのえらい。でもえろい方が好き

みみずさん:わこつ

みじんこさん:掲示板の方も合わせて見ると面白いゾ

うまさん:初回から見てるけどマジで頭オカシイ

チャットを非表示

#同時視聴 #創魔 #生TS #37話

【同時視聴】『創魔』のルーナ堕天させたった Part 3【テルース/シーリーン】

5109柱が視聴中・2分前にライブ配信開始

 

 どことも知れぬ、この世界のどこか。絢爛な装飾とまでは言えないまでも、荘厳さと華やかさを備えた建造物の一室に、その存在はいた。

 それ(・・)が、コメント欄を流れていく文字を見てニヤッと口角を上げる。

 

hai,kamikami~……a.gengomachigaeta……えっと、これでいいか」

 

 最初に発した音とは似ても似つかない発音に切り替えてから、にこやかに自己紹介をした。

 

「……はーい、カミカミ〜。上位者ども元気にしてた? シーリーンでーす。まだ3回目なんだけど、既に5000柱集まってる辺りルーナの好かれ具合が伺えるね」

「ごきげんよう、テルースです。皆様は今日もお可愛いですわね」

 

 上位チャット▼

しゃけさん:カミカミ〜

ふくろうさん:かみかみぃ

ねこさん:嫌われ具合の間違いでは???

ぶたさん:かみかみ〜。頭の悪そうな挨拶すこすこの酢昆布

さるさん:テルースの方が可愛いんだよなぁ…

ぞうさん:結局シーリーンは「付いて」るのか?気になって夜しか眠れません

ねずみさん:おいバカ、ねこさん地雷踏んだぞ

 

 

「ルーナが嫌われているわけがないでしょう?」

 

 瞬間、通信越しでも感じるような寒気が全員を襲う。当然、隣りにいたシーリーンは冷や汗を流している。

 

「ま、まあまあ。それじゃあね、今日も堕天させたルーナの生活をみんなで覗いていこう。概要欄の方にも書いてあるけど、もしルーナの方にリア凸しに行くような輩がいたら……シバくからね」

「ルーナに与えた以上の恐怖と痛み……地獄を見せて差し上げますわ」

 

 上位チャット▼

  ご †2,160 

  み †216 

  ぴ †216 

さるさん:ヒエッ

たこさん:前回、数人コメント欄で反応しなくなったからな……

とどさん:凸ナンテスルワケナイジャナイ

ひつじさん:その代わりレインたそいっぱい映してください

きつねさん:正直未だにあの創魔を堕天させた方法が分からん

みじんこさん:↑ロリコンが出たぞ!

のみさん:前世含んでもたった20数歳の赤子に欲情とかサイテー(建前)わしもみたいです(本音)

 

 流れていくコメントを見て、シーリーンは再び口角を上げてニヤニヤとする。

 「創魔」……あのルーナが、そんな大業な二つ名を付けて呼ばれている。そりゃあそれだけ強かったのは間違いないが、彼女の原点を思えば腹が捩れるかと思うくらい面白い。

 ちなみに、シーリーンやテルース自体にルーナほどの力はない。だから、多方面に好き勝手しているルーナの敵が一斉に今の堕天した彼女を狙えば、それを止める手立てはない。

 だから、前回対策した。少なくとも自分たちには「あの創魔を堕天させた」という実績があるから、今までルーナに敵わなかった有象無象たちはシーリーンやテルースを敵に回そうとはしない。それでもちょっかいを出そうとする一部の上位者だけどうにか殺し、恐怖による圧政を敷いたのである。

 

 まあ、ルーナを恨んでいる者からすれば、直接傷つけられないのは悔しいけれど、それでも堕天させられて不自由な生活を強いられている彼女を見ることでスカッとするらしい。上位者とはいえ、聖人とは似ても似つかぬ心の有り様である。

 

「まあ、ルーナは寝てばっかりだし、面白いこと探すならあの子だよね。いいよ、あの子を中心に追っていこう」

 

 とにもかくにも、撮れ高さえ得られれば何でもいいのだが。

 そちらの方が面白いし。

 

 

 

 


 

 

 

 

『犯せッッッ!! 我を屈服させてみせよ!! 己の発情させたメスくらい、壊れて狂うまで犯せと言うておる!! 我を犯してメス堕ちさせよ!!! セックスなど生ぬるく感じるほど犯せッッッ!!!』

 

 それは、いつぞやのルーナの叫び。

 たった1度だけ、彼女が外界に対し引いていたラインを取り去った瞬間。

 

 有り体に言って、シーリーンはドン引きしていた。

 

「うわぁ……な、などと申していますが、解説のテルースさん的には最愛の人物の犯せコールについてどう思うんですか?」

「どう思う……? どんなあの子も、わたくしは愛せますわ。たかだか30にも満たない赤ん坊に心まで堕とさされてしまったなんて、そんな風に堕ちたルーナだってわたくしは愛せますわよ?」

「あぁ……こっちも頭がおかしかった……」

 

 上位チャット▼

  す †216 

  ご †2,160 

  み †216 

  ぴ †216 

こあらさん:やべえよやべえよ…

うみうしさん:愛とは(哲学)

きつつきさん:寝取られしか勝たん。赤子に寝取られるとかレインたそのパパ上かよ

さばさん:お、レインたそ断った!

こうもりさん:やりますねぇ!ざまあみろ創魔!

 

 

『ひとりが、孤独が、良いわけないだろうッ!? ……だって! だって、僕はッ……! ぼくは、こんなにも、よわい……』

 

 ルーナに抱きしめられしがみついたまま、消え入るような声でレインが嗚咽を漏らす。

 すっかり感情移入してしまったようにハラハラした表情で見守るテルースを白けた目で見ながら、シーリーンも続きを眺める。

 

「『やらなかったことにこそ後悔する』……ねぇ」

「何か言いましたか?」

「ううん。何も。あ、レインが寝ちゃった」

 

 じゃあ、やったことには何一つ後悔がないのか──その言葉を飲み込んだ。

 レインは、ルーナによく似ている。このままルーナの側で生きていくというのなら、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。

 「その時」が来たら、レインの選択次第によっては……。まあ、万に一つといったところだが。

 

『さて。……では宿主、ここらでひとつ話そうか』

 

 上位チャット▼

  く †21,600 

  り †4,000 

  ふ †216 

  こ †216 

  た †2,160 

  の †2,160 

  す †216 

  ご †2,160 

  み †216 

  ぴ †216 

 くろねこさん

 †21,600

 なかないで

たかさん:あれ?創魔、なんかひとりごと言ってる?

かんがるぅさん:というかコイツいまレインちゃんの口に指突っ込んで、それ舐めたぞ

たこさん:創魔被害者の会とTS幼女見守り隊の合併が決定した瞬間である

ごりらさん:宿主ってヘリオだっけ?

うまさん:ヘリオノワールだかヘリオトロープだかそんな感じの

きりんさん:「違わい!」の人ですわね!

 

 

「……あー、これ、会話内容拾えるかな。ちょっと待ってね」

「わたくしの得意分野なのでやっておきます」

「お、流石テルース有能。あれだね、何度も『精神』を人形に移してたからだと思うんだけど、『精神』の分断がハッキリされて、脳内でルーナとヘリオトロープが会話できるようになってるね」

 

 元々は中身の上塗りに近い状態だったから、ルーナがあの概念体の体を動かしている間、中身の精神はほぼ眠っているような感じになっていた。

 統合でなく分断という方向に変化したから、どうやらルーナが体を動かしているときでもテレパシーのように脳内会話ができるようになっている。

 中々気付きづらいことだとは思うが、堕天しても思考の精度は落ちてないということだろう。その辺りは流石である。普段の言動がバカっぽいけれど。

 

『…………じゃろう? 我から話せば過干渉になるじゃろうから話すつもりはないが、なぜお主は人の子にそれを伝えん』

『そ、れは……』

『己の過去を知られるのが怖いか』

『──ッ! 知って、いるのですか……?』

『神じゃからな。まあ我としてはどちらでも良いが、人の子の命とお主のプライド、天秤にかけてみるのじゃな』

『……』

 

 上位チャット▼

  ら †216 

  ぶ †216 

  す †216 

  き †2,160 

  つ †2,160 

  く †21,600 

  り †4,000 

  ふ †216 

  こ †216 

  た †2,160 

  の †2,160 

  す †216 

  ご †2,160 

  み †216 

  ぴ †216 

くわがたさん:何の話してるんだ?

うさぎさん:ヘリオトロープの過去編?

おおかみさん:よく分からんがアホ面で寝てるレインちゃん可愛い。頭の上で今大事そうな話してんぞ!!

いのししさん:ヘリオちゃんもレインちゃんのこと好き好き侍だからなぁ。それでも言えないような事情があるんやろうか

とらさん:しかし堕天先の人物の過去なんてよく知ってんな創魔は。やっぱ基本スペックがバケモンなのか

 

 

「ああ、ニイロさんをこの世界に転生させたのはルーナですからね。転生先の大まかな人物の経歴は調べていたようです」

「……」

 

 『己の過去を知られるのが怖い』。自身も昔のことなんてロクに覚えていないくせして、よく言えたものだ。

 知らずしらずの内に唇を噛み締めてしまっていたことに気付いて、テルースに悟られる前に魔法で元通りに治した。

 

 ルーナとヘリオの語らいも気付けば終わっており、カラッとした声音を出して頭を切り替えた。

 

「はいっ! じゃあ、しばらく話も動かなそうだし今回はここまでで!」

「ニイロさん……ぐすっ……。弱々しいのに足掻いてしまう性分がお可愛くて、好きになってしまいそうです」

「はいはい。君がそれ言うと洒落にならないからやめてあげようね。レインは普通の人だからね。あんまりちょっかい出すとすぐ死んじゃうからね」

「大丈夫です、殺してしまわないように援助の魔法を十分にかけて、その上で沢山愛してあげるだけですもの」

「うわぁ……まあ、レインも君のことを好きだったらね。両想いじゃないのにそういうことしちゃダメでしょ?」

「……はい。残念ですわね」

 

 上位チャット▼

  ゆ †2,160 

  と †500 

  ら †216 

  ぶ †216 

  す †216 

  き †2,160 

  つ †2,160 

  く †21,600 

  り †4,000 

  ふ †216 

  こ †216 

  た †2,160 

  の †2,160 

  す †216 

  ご †2,160 

  み †216 

  ぴ †216 

らいおんさん:レインたそ逃げて!!超逃げて!!

さるさん:ヒエッ

りすさん:この人頭おかしいよ…

いもむしさん:でも恐怖と絶望で曇りきったレインたそ見てみたい気持ちはある。不幸な子って良いよね……良くない?

ねずみさん:駄目だコメント欄まで汚染されてやがる

 

 なんとかギリギリ止められたことに安堵して、シーリーンはほっと胸を撫で下ろす。

 ヤバい奴はどこまで行ってもヤバい。別に女淵にいろ、あるいはアンブレラ・レインがどうなろうと知ったことではないが、今の面白い状況にテルースが首を突っ込めば全て台無しになる。

 そもそも、レインが今生活する世界自体がテルースが管理者にあたる世界なのだ。その彼女がなにかしたいと思ったのなら、それは確実に実行されてしまうだろう。

 

 しかし、言動を見るにルーナが過去を振り返ることは中々無さそうだ。

 そう、いつだって未来しか見ていない。どうすれば確実にテルースを殴り飛ばせるか、そのためだけに進もうとしている。

 堕天させればあるいは、と思っていたが、これはいつか会いにいかなければいけないかもしれない。そうしなければ、結局何も変わらないだろう。まあ、嫌がらせくらいにはなっているだろうからいい気味だが。

 

「それじゃあ上位者ども、おつかみ。ばいばーい」

「おつかみです。今日もありがとうございました。わたくしは最後まで観てくださる皆さんのことも、お可愛いと思っていますよ」

「おうお前らはやく逃げろ!!」

 

 いつ会いに行くべきか。

 テルースに愛されそうになって危険な視聴者たちに向けて避難勧告をしながら、シーリーンはそのことに思いを巡らせた。

 

   TS
_検索

 

 

 

 

 

 この放送は終了しました 

 

 

 

 

   ▶❘  7:19:45:14 / 7:19:45:14

みじんこさん:今回も切り抜きがはかどった。それではサラバ!

うまさん:ごめんなさい愛されるのは無理です嫌いです

ぶたさん:ごめんなさい無理です!

たかさん:嫌いです()

ふくろうさん:おつかみぃ

とどさん:蜘蛛の子を散らすように同接数減るの草

うしさん:レインたその泣き顔正直興奮した

さかなさん:今回もよかったです

ねこさん:次回も期待〜。あ、ワイも無理です嫌いです。

うさぎさん:初見で性癖壊された…

くじらさん:おつかみ〜

くまさん:おつかみじゃぞ

たぬきさん:おつかみかみ。なんか今回は創魔がイイコト言うのかと思ったらやっぱアカンこと言ってた

なめくじさん:おつー

チャットを非表示

#同時視聴 #創魔 #生TS #37話

【同時視聴】『創魔』のルーナ堕天させたった Part 3【テルース/シーリーン】

30890回視聴・8日前にライブ配信

 

 

通知    


通知はありません

 検索 

TS

 Tellus and Selene Ch. 

設定

ミニプレーヤー (i)

シアターモード (t)

全画面 (f)

 上位チャット

 一部のメッセージ(不適切な可能性があるものなど)を非表示にします 


 チャット

 すべてのメッセージが表示されます 

あ↹A 翻訳を追加

通知    


通知はありません

 検索 

TS

 Tellus and Selene Ch. 

設定

ミニプレーヤー (i)

シアターモード (t)

全画面 (f)

 上位チャット

 一部のメッセージ(不適切な可能性があるものなど)を非表示にします 


 チャット

 すべてのメッセージが表示されます 

あ↹A 翻訳を追加



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【UTuber】テルースとシーリーン Part3【TSチャンネル】

簡単のために通信プロトコルはHTTPで表記する。
(物理理論の導入によくあるやつ)


1 名前:名無しの上位者さん

謎のUTuberテルースとシーリーンのスレです

 

前スレ

【朗報】創魔が堕天させられたらしい Part2【ざまあ】

https://chot.onaka.hetta/thread/xxx…

 

2 名前:名無しの上位者さん

スレ立て初なんだがこれで出来てる?

 

3 名前:名無しの上位者さん

おつ

 

4 名前:名無しの上位者さん

できてるよ

おつー

 

5 名前:名無しの上位者さん

もうPart3か。スレ消費激しくない?

 

6 名前:名無しの上位者さん

スレ立て乙

 

7 名前:名無しの上位者さん

>>5

1スレ目は初配信で創魔が堕天させられたってニュースを聞いて嬉しい悲鳴が上がって

2スレ目はどっかから聞きつけた創魔アンチたちが荒らしまくって一瞬で溶けた

 

8 名前:名無しの上位者さん

創魔は好き勝手してるから、人によって好き嫌い分かれるんだよな

何度か喋ったけど、人当たりはいい

ただまあよくやらかすからなぁ

 

9 名前:名無しの上位者さん

酒渡しとけばおk

 

 

 

 

 

 

 

 

 

120 名前:名無しの上位者さん

知り合いに勧められて知ったんだけど、テルースとシーリーンって何者?

創魔が堕天させられたってマジ?

 

121 名前:名無しの上位者さん

>>120 前スレをどうぞ

 

122 名前:名無しの上位者さん

>>120

マジ

方法は分からんが、力を削いでテルースの方が管理してる世界に堕としたらしい

 

123 名前:名無しの上位者さん

レインちゃん(;´Д`)ハァハァ

 

124 名前:名無しの上位者さん

>>122

創魔被害者の会が総出でカチコミに行ってもハナクソほじりながら撃退したルーナ神を

一体どうやって堕としたのか興味ありますねぇ!

 

125 名前:名無しの上位者さん

>>123

タイーホしたぞ!/

 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ 

  ∧_∧    ∧_∧

 ( ´∀`)   (・∀・;)

 (つ ☆ つ---⊂-⊂_)

 l 警察 l   l l l

 (__)_)   (_(_)

 

126 名前:名無しの上位者さん

またペドが湧いてる…

 

127 名前:名無しの上位者さん

次の配信いつやろなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

189 名前:名無しの上位者さん

Part3はじまるぞはじまるぞ

 

190 名前:名無しの上位者さん

やっぱ下位者の時間間隔に合わせると頻度高くなるな

 

191 名前:名無しの上位者さん

>>190 これだから下界同時視聴モノはやめられない

 

192 名前:名無しの上位者さん

かみかみー

 

193 名前:名無しの上位者さん

俺には分かる、シーリーンのこの「かみかみ」の言い方絶対に女

 

 

自分で言ってみたらクソキモかったから

 

194 名前:名無しの上位者さん

かみかみぃ

 

195 名前:名無しの上位者さん

最近の配信主の中でもこの二人の声は圧倒的に癒やされるし落ち着く

やってることドクズだし片方サイコパスだけど…

 

196 名前:名無しの上位者さん

>>193

つハンカチ

涙拭けよ・・・

 

197 名前:名無しの上位者さん

ガチ恋が流行る昨今の配信業界で、唯一ガチ恋してしまうとアカンことになるから誰もガチ恋できない配信者テルース

 

198 名前:名無しの上位者さん

>>195

????「わたくしの声が好きということは、わたくしを好きということですね?」

 

199 名前:名無しの上位者さん

大地のテルースの方は知ってるけど、シーリーンって何者?

 

200 名前:名無しの上位者さん

テルース降臨してて草

 

201 名前:名無しの上位者さん

>>198

ひぇっ…

ゴメンナサイ無理です嫌いです

 

202 名前:名無しの上位者さん

テルース妖怪説

・人の思考回路が通用しない

・気配がヌルヌルしてる

・創魔すら敵わない

・呪文「嫌いです」を唱えると退散する

 

203 名前:名無しの上位者さん

シーリーンが何者かは本当に誰も分かっていないっぽい

手当り次第尋ねてみたけど、誰も知らなかった

 

204 名前:名無しの上位者さん

>>203

でも存在するってことは子作りできるんだろ?

おいちゃんと物陰行こうや おいちゃん両性だから

 

205 名前:名無しの上位者さん

>>204 素直に気持ち悪い

 

206 名前:名無しの上位者さん

>>204

良性?絶対悪性だろ

 

207 名前:名無しの上位者さん

キモい。二度とレスすんな

 

208 名前:名無しの上位者さん

フルボッコで草

 

209 名前:名無しの上位者さん

性別不詳だと、普通のガチ恋が湧かない代わりに変なのが湧くなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

405 名前:名無しの上位者さん

お、赤スパ

 

406 名前:名無しの上位者さん

TSチャンネルだと初出かな?

 

407 名前:名無しの上位者さん

やっぱちっちゃい子が泣いてるの見るとこう・・・なんかクるものがある

 

408 名前:名無しの上位者さん

前世の記憶持たされたって言ってもガキの頃2回経験してるだけだろ?

そりゃ分かんないことだらけですわ

 

409 名前:名無しの上位者さん

おいテルースなんか涙目になってんぞ

やめろよ?レインたんには干渉するなよ?

 

……ほんとにやめたげてね?

 

410 名前:名無しの上位者さん

 

411 名前:名無しの上位者さん

へえ、創魔なら体ごと奪いそうだけど

そんなにレインのこと気に入ってんのか

 

412 名前:名無しの上位者さん

どうして今の一瞬で脳内状態が分かるんですかねぇ…

 

413 名前:名無しの上位者さん

視聴はともかく、登場人物の念話内容までサラッと拾えんのも地味にヤバいぞ

 

414 名前:名無しの上位者さん

>>413

地味にってか、天庁レベルだよね?

あそこは試験内容の一つにそれがあったはず

 

415 名前:名無しの上位者さん

ただのサイコパスお姉さんじゃなかったんだなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

579 名前:名無しの上位者さん

最後「嫌いです」で埋まるの草

 

580 名前:名無しの上位者さん

テルースはちゃんと嫌いって伝えれば引いてくれる聡明な女性(調教済み)

 

581 名前:名無しの上位者さん

おつかみー

 

582 名前:名無しの上位者さん

Partいくつまで続くのかわからないけど、このままだと振られた回数No.1のUTuberとかいう不名誉な称号与えられそう

 

583 名前:名無しの上位者さん

おつかみかみ!今回も中々楽しめたわ

 

584 名前:名無しの上位者さん

>>582

まだ天秤おばさんがいるから…

 

585 名前:名無しの上位者さん

エアストレイラのこと天秤おばさんって呼ぶのやめーや

 

586 名前:名無しの上位者さん

シーリーンのドン引き声切り抜き

https://www.utube.com/watch?v=xxx…

 

587 名前:名無しの上位者さん

仕事が早すぎる

お前ほんまに上位者か?

 

588 名前:名無しの上位者さん

>>586 おぅ…なんかこれ…いいな…癖になる…

 

589 名前:名無しの上位者さん

はいこれであなたもTS沼の住民だね!

 

590 名前:名無しの上位者さん

エルフの里行きてぇなぁ…みんな可愛いなぁ…

 

591 名前:名無しの上位者さん

>>590

無ければ作ればいいじゃない

 

592 名前:名無しの上位者さん

レイン人質にしてルーナぶっ殺せねぇかな…

 

593 名前:名無しの上位者さん

>>591

それこそ創魔レベルの行為を気軽に要求しないでくださいしんでしまいます

 

594 名前:名無しの上位者さん

次回更新いつだろ

 

595 名前:名無しの上位者さん

シーテルもテルシーもなんか語呂悪いんだけどいいカップリング名ないかな

 

596 名前:名無しの上位者さん

>>592

いまはシーリーンだけじゃなくてTS幼女見守り隊にもシバかれるから発言には気をつけておけ…

 

名前:名無しの上位者さん

スレッド落ち着いてきたな

 

598 名前:名無しの上位者さん

保守

 

599 名前:名無しの上位者さん

アーカイブ見返してこよ

 

600 名前:名無しの上位者さん

>>586

ふぅ…ありがとうございます

 

601 名前:名無しの上位者さん

>>600 うわぁ…

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おにゃのこが履くぱんつってなんて呼べばいいんですかね。パンティーは何か変態感あるし、おぱんつとかぱんつは呼ぶと笑われるんですよね。そもそも、おにゃのこにパンツの話題振っちゃだめか…

「……で、どうすればいいですかね?」

「儂に聞くな、儂に」

「お主も苦労しておるのう……」

 

 真剣な表情で相談する僕に、ヘリオが呆れた顔で答え、ルーナは半分も聞いて無さそうな様子で適当な相槌を打つ。

 割とかなり問題な話だと思うんだけど、貧乳ロリババアと虚乳エセ女神からすれば他人事らしい。

 この人達に聞いたのが失敗だっただろうか。

 

 ……いや、しかし。今回ばかりはこの二人しか頼れない。

 第三回家族会議なんかを開くわけにはいかない。なぜなら、結果によっては今度こそ家族がバラバラになってしまうかもしれないからだ。

 

「どうしてこんなことに……」

「こやつ、やはり阿呆(あほう)じゃな」

 

 ままならない世の中である。

 おら! 世の中、お前がママになるんだよ!

 

 

 

 


 

 

 

 

 ぱんつが減った。

 

 もう一度言おう。ぱんつの総数が減った。

 ……いや、前々からおかしいなとは思っていたのだ。母様から時々おぱんつ様を拝借しているというのに、棚のぱんつの枚数が変わらないもんだから。

 増えることこそあれど、さほど使い古したものもないのに減るとはおかしな話である。

 

「ふむ……」

 

 さて、果たしてこれをどう考えるべきか。

 その1、誰かがこっそり盗んだ。しかし、むやみやたらと他人を疑うのは良くない。アイサ姉妹♂の自宅を初めて訪問した時も、散々レイプされるレイプされると怯えていたが、実際は普通に暖かく迎えられた。「人らしく」生きる上で、他人を信じることの大切さは母様からも学んだ。ならば、誰も僕のぱんつを盗んでいないと仮定した上で考えていくべきだ。

 その2、なんか魔法がむにゃむにゃして消えた。訳分からんな。やっぱ誰か盗んだでしょこれ。

 

「よし、絶対犯人じゃない人に相談しよう」

 

 まさか性欲の欠片もないエルフから性犯罪者が生まれるとは思えないが、変態さんな母様、精通したアルマ、なぜかそこそこ感度が良く自由自在に我が家に忍び込めるキバナちゃんと、容疑者は意外といる。

 母様の場合は別に言ってくれればいくらでもあげるんですけどね。てか別の人もどうしてもっていうならあげるんですけどね。突き詰めればただの布だし。

 

 ……さて。では、誰ならば絶対に犯人じゃないと言えるか?

 

 絶対に一箇所を動かず、僕の部屋に訪れることが叶わない。また、そもそも下着というものに頓着しない人物──つまり、ヘリオとルーナである。

 そうして、場面は冒頭に戻る。

 

「そもそも、何の目的で盗んだかが分からないんですよね」

「そりゃあアレじゃろ、使うんじゃろ」

「……何に?」

「ナニに」

 

 まじか。やめてほしい。流石にそれは他人を疑い過ぎではないだろうか。

 いや、まあ、性欲ってしょうがないものだし仮にそうしてても別にいいんだけど。

 ただ自分をネタにされるのってなんとなく忌避感ある。

 

「心当たりもあるじゃろ?」

「……」

 

 無言で目を逸らす。

 あの、ほら、でもアルマはまだ僕の手でしかイけないみたいだし、いやそれもどうかと思うけど、母様だって自慰するくらいなら僕とするだろうし、キバナちゃんはそもそもお風呂で体を一緒にこすると気持ちいいってことしか知らないし、……ね?

 誰も、疑わしくないよ?(遠い目)

 

「宿主は、人の子の下着を貰えるとしたら貰うか?」

「……は? ま、まあ、貰えるなら貰うが……あっ、違!」

 

 ルーナがヘリオに唐突に話を振る。

 ヘリオは脊髄反射のようにほとんど何も考えた様子無く受け答えた。

 お前マジかよ(ドン引き)

 

「……あの、ヘリオ、何に使うの?」

「いや、ほら、何かと無いよりは有ったほうが良いものだろう? 貰えるものは貰う主義というわけで、別にやましい気持ちは」

「えぇ……。じゃ、じゃあ、いる?」

 

 なんかよく分からんがヘリオもテンパってるし僕もテンパってる。

 ルーナが堪えるようにクフフッと笑うかたわら、百面相をした後に、ヘリオは「貰おう」と尊大に頷いた。「(パンツを)貰おう」でよくそんな尊大さ出せるな逆にすげえよ。

 

「はい」

 

 ワンピースだったので、しゅるしゅるっと今履いているものを脱いで、そのまま手渡す。

 ヘリオは困っている。僕も困っている。ルーナはとうとう爆笑している。多分一番悪いのはコイツ。

 

「どうすれば……?」

 

 知らんがな(本音)

 履くか、食べるか、脇に置いておくかじゃないですかね。いやもうこっちも混乱してますね。人の脱いだパンツを貰った時の扱い方とかどんなマナー講座でも教えてくれねえよ。摘むように持つのは失礼にあたるので、両手で掬うように受け取りましょうってか。やかましいわ。

 

 ヘリオは一度祠に戻って、パンツを持たずに帰ってきた。置いてきたのだろう。

 その何とも言えない神妙な表情に、ルーナは遂に笑いすぎて腹を攣ってしまったようである。泥人形のくせに。もはや笑い声を出せていない。

 

「……ええと、話を戻そうか」

「……ああ」

 

 脱いだパンツを貰う。たったそれだけの行為で、かくも混沌とした状況を生み出した。やっぱヘリオすげえよ。普通こんなんできねえよ。最近君の評価が爆上がりだわ。

 

「流石に、直接『僕のパンツ盗みました?』って聞いてハイって答える人はいないと思うんだよ。だから、他に盗人を見つける方法があるといいんだけど」

「古典的な手法なら、やはり餌を撒くことではないか?」

「餌って……僕のパンツ?」

 

 というかどれが誰のパンツかって分からんやろ。

 

「……もしかすると、犯人は無差別にパンツを盗んでいるのかもしれない」

「それは普通に危険人物だな」

 

 僕一人の問題かと思っていたけれど、案外、里に紛れ込んだ危険人物に繋がる大事件なのかもしれない。

 そこで、ルーナが名案を思いついたとばかりに声を上げた。

 

「人の子よ、お主の下着が減ったとき、それは洋服棚から抜き取られたものじゃったか?」

「……いえ、違いますね。棚の並びは変わってないと思います」

「なるほど。ならば話は早い、しばらくお主が下着を付けなければよい。そうすれば、仮にお主一人を狙って下着を盗むものがいるのなら、じきにボロを出すじゃろう」

 

 そう、なのか?

 いやでも、確かに……?

 

「……分かりました、やってみます。ついでに、ヘリオの餌の案もやってみる」

 

 故郷に心配事を残したままでは、ロクに旅にも出れやしない。

 ここはひとつ、名探偵レインをやらせてもらおうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

犯人が分かりました、やつは絶対クロですって言うとなぜか違うやつが犯人になるフラグが立つ。まあ、そんなガバガバな調査をする僕ではないので、僕の推理に一切の隙はありませんが(慢心)

 ノーパン生活を始めてから、二週間程が経過した。

 

 正直、生活する上でパンツの有無って、慣れれば特段違和感がない。

 強いて挙げるなら、このスタイルの良いところは母様の欲情スイッチが入りやすくなることだ。隣で日常生活を送っている人がノーパンというのは、ノーパン側以上に相手に効果があるらしい。

 鍛錬や部屋着など、結構短パンを好んで履くのだが、腹の方から手を差し込めば直に(さわ)れるというのが良いらしい。人影が少ないとすぐ物陰に連れ込まれるようになった。母様、(童貞)より性欲強くないですかね?

 が、まあそんなことをわざわざ報告しても、ヘリオがしょんぼりしてルーナは呆れる画が想像できたのでやめておく。

 

「じゃあ、とりあえず二週間経過して、周囲に起きた変化を挙げていきます」

 

 正直、ノーパンになったことで誰かがクロと判明するような情報はないのだが、脳筋代表として、拾った情報を頭脳派に全部投げておこう。

 

「村的に結構大きな変化としてあったのは、嗜好品の売れ行きが良くなってるらしいです。砂糖菓子の店員さんが嬉しそうに話していました」

「ふむ」

 

 この話題については楽しむことに決めたらしいルーナが相槌を打つ。先ほど魔力拡張の術式を施してもらい、気絶からおはようしたところである。気絶している時間は10分程度まで減ったし、実感はないが負担に慣れてきているのかもしれない。

 ヘリオはこの話題にはさほど興味が無さそうだが、実は彼女の力を結構当てにしている。先日頭の回転の速さが判明したことだし、なにより下着泥棒なんていう変態的な話題は、謎の被調教歴を持つ彼女こそ向いているだろう。

 

 まあでも、嗜好品の売れ行きとパンツは関係ないだろう。むしろあったら怖い。僕のパンツの有無で活性化される経済とかやめてほしい。

 

「身の回りの人物についてですが、母様がちょっと性欲ビーストになって、父様は相変わらず死にそうになりながら働いていますね。最近はアイサ姉妹の公演が少ないだとか、設計がうまくいかないとかでより死にそうらしいです」

「当代……」

 

 父様は流石に不憫だったので飲み物を持っていってやったりと労っておいた。まあ自分から仕事増やすような人だし、結構自業自得なんだけど。それでも頑張ってることには変わりないからね。

 

「巫女ってなんじゃろうな。神職の一種かと思っとったんじゃがな。崇めてる神が変態じゃからしょうがないのか?」

「神よ、開戦の合図と受け取ってよろしいか?」

「ちょ、ばっ、待っ! ……土人形を壊したところで、お主の体の主導権が我に移るだけじゃからな!?」

「はいはい。イチャつかないでください」

 

 あとはまぁアルマが何か悩み事がありそうなのだが、彼については後ほど別口で語るべきだろう。

 

「あ、他にはアイリスがなんか最近ゲッソリしてますね」

「いや犯人ソイツじゃろ」

「いやぁ、まさか」

 

 あのアイリスだぞ? 品行方正、虚弱体質、僕の三歩後ろを歩くような大和撫子が下着を盗むわけ無いだろう。

 

「ルーナは人柄をあんまり知らないでしょうから、仕方がないかもしれませんけどね」

 

 たとえば、アルマは絶対にその力を弱い者いじめに使うようなことはしないだろうし、父様は建造物を何よりも大事に扱うだろう。そういう、人柄から推察できることは馬鹿にならない。

 逆に言えば、そういったことが起きたのなら、相手に何かやむにやまれぬ事情があったのだと推察することすらできるだろう。

 

「……で、アルマが多分クロです」

「そうきたか」

「逆にそういうのもありじゃなぁ」

 

 僕としてはカミングアウトをしたつもりであったが、どこか投げやりな様子で神様二柱が返事した。

 聞いて聞いてという顔をしていたら、しばらくしてルーナがめんどくさそうな顔をしながら問いかけてくれた。

 

「……して、その心は?」

 

 ありがとうございます。

 僕は自信たっぷりに答える。

 

「餌を撒いたら綺麗に釣られてくれました。現行犯です」

 

 ヘリオの案に従って、パンツを餌として釣りをしたのだ。

 具体的に言うと、魔力の線で薄く薄くゼロワン並みに薄くパンツと僕を繋ぎ、廊下に落としてそれぞれの人物の反応を見たのだ。

 アイリスを始めとして、うちに来ることのある人物はみんな僕に落ちていたよと届けてくれた。父様や母様もだ。

 が、アルマだけ部屋に持ち帰った。もうこれは完全にクロだろう。それから一週間は経っているが、渡しに来る気配もないし。

 

「ううむ……まぁ、なるほど。確かに勇者かもしれんな」

「年頃の男子(おのこ)だろう? 義理の姉とはいえ、どんな顔で下着を渡しに行けばいいのか分からないだけかもしれないぞ?」

「でも、持ち去ったのは確かですから」

 

 というかぶっちゃけ彼であってほしい。

 一番怖いのが、僕にも誰にも気付かれず、第三者の手によってこっそり穿き終えたパンツを盗まれているということ。身内とか思春期とかそういう理由なら全然構わない。でも、どこの誰とも知らない輩に下着を狙われていて、一切気付けていないというのは流石に寒気がする。

 

「もう、いくらでも持っていって構わないんで直接言ってほしいですね……」

「追い詰められているのだな……」

「じゃから、衣服など一切纏わぬのがFAじゃよ」

「えふえー?」

 

 そう言うルーナは今日もマッパである。なんかもうこうも堂々と裸でいられると、欲情もちょっとしかしない。やはり母様のような恥じらいが大切である。

 FA、ファイナルアンサーという言葉を聞き慣れぬヘリオは首を傾げている。ルーナは地球の文化とかどんくらい知ってるんだろう。

 

「そういえば、この間あげた僕のぱんつってどうしました? 捨てたなら捨てたでいいんですけど」

「被りながら寝ておるぞ。良いアイマスクじゃ」

「何やってんですかマジで返してください」

「嫌じゃ! 一度貰ったのじゃから我のものじゃ!」

「ヘリオにあげたんですけどね!?」

 

 地球の文化以前に、一体どこで常識という最も大切な文化を忘れてしまったのだろう、この馬鹿神(ばかみ)は。

 某熱帯雨林とかで「常識」が格安セールされてたりしないかな。ギフトとして届けてやりたい人が大勢いる。果たして自分が常識を備えているかどうかはムフフな秘密である。多分備えてない。

 

「いいか、人の子。常識などというのはだな、『人』らしく生きる上では大して役に立たないものじゃ。そりゃあ一度は知るのもよかろう。枠を知らなければ、枠を破ることは叶わないのじゃからな。論理だって同じじゃ。いくらでも自己矛盾を抱えてしまえ。その意志に従えてさえいれば、一番大事なものを見失うことはなかろうよ」

「その結果、全裸で生活して他人のパンツをアイマスクにする人になんてなりたくないですよッ」

 

 なんかいい感じにまとめようとする癖はもう知っている。

 というか、半分本気で、半分茶化すつもりで言っているというのがこの馬鹿神の厄介なところだ。彼女がこれまでの間に考えたことを言っているのだから、それなりの含蓄があるに違いないのだが、その目的が相手をからかうことなのである。

 これ、信じたらやべぇ道に進まされるやつだよな。やっぱ邪神じゃねぇか。

 

「……はぁ、とりあえず、アルマが容疑者って方向でいいですか?」

「それも少し疑わしいがな」

「我はお主の意思を尊重するぞぉ」

 

 クカカ、とルーナは愉しむような笑みを浮かべている。この邪神、お巫山戯モード入るとマジで適当になるな。とりあえず面白いことになると良いって顔だ。

 

「じゃあ、もう直接聞いてみます。しらばっくれるようであれば、ぱんつの場所は分かってますし、それを暴いて問い詰めましょう」

 

 もう早く解決してくれ。

 素直に自白してくれたら、それだけ僕のぱんつに価値を見出してくれてるというわけだし、ご褒美に3枚くらい追加であげるから。何に使うのかほんとに分かんないけど。

 あれか、巫女のぱんつを7枚集めたらドラゴンを召喚できる的な伝承でもあるんか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

TS転生すればおっぱ……どころかおにゃのこと大人の戯れもできます!なのでみんなどんどんTS転生していきましょう!ただし、チート勇者にぱんつを盗まれて夜のオトモにされる危険性があります!!

いやぁ愉悦愉悦……ファッ!?


 コンコン、とノックの音が鳴る。鳴らしたのは僕だが。

 

「アルマー、いる?」

 

 ちなみに、ノックの回数は2回がトイレだの4回が初めて訪れる場だのと細かいルールが決まっているそうだが、ぶっちゃけそれを日常生活で気にするのはアホらしいだろう。いちいち部屋の扉4回も叩かれたら、むしろ「うるせえよマナーがなってねえな!」とブチ切れ案件である。

 んー、と間の伸びた声がし、木製の開き戸が内側に開かれる。目線より少し低い位置に黒髪。愛する弟、ツグミ・ディアルマスである。なお現在下着泥棒の疑いがかかっている模様。

 

 まだ少年らしさの抜けない風貌であるが、鍛えているからか何か別の要因か、同年代の子達よりやや垢抜けた印象である。洗練されていると言うべきか。まあ、勇者の使命を意識しながら生活してたら自然とこうなっちゃうのかな。もっと可愛がってやらんと。

 逆にこの年頃のエルフ達と言えば、男女問わず大体が脳内お花畑である。15歳前後でおにゃのこ達は少し恋愛に興味を持ち始めるが、男の子は20になっても外遊びが大好きだ。金髪翠眼のイケメンたちが楽しげに虫取りをしている光景を見られるのはエルフの里だけだろう。僕も混ざろうとしたらアイリスに必死に引き止められた。つらい。

 

 全然関係ないけど、アルマって黒か銀縁のメガネ似合いそうだな。残念ながら水晶体周りの細胞(チン小帯というらしい、完全に下ネタですね)も中々劣化しないので、エルフの里にメガネ文化は根付いていない。つまり、メガネ萌えがここに転生したら死ぬ。メガネ萌えじゃなくてよかった……。

 でも母様がメガネかけてたら、可愛い上にエチチポイントも高そうだな。まあこれは僕がメガネ萌えってより母様萌えだからってだけだろうけど。マザコンでなく、正確に言えばテレサ萌えである。

 

 それはさておき、聴取といこうじゃないか。名探偵ってかデカだなこれ。

 

「さて、大事な話があるんだ」

「あー……、じゃあ、オレも言いたいことがある」

 

 部屋に通され、机に向かい合って座る。アルマは寝る以外ではあんまり部屋を使わないらしく、ワードローブと小棚、そしていまお互いが席に着いている小さな机くらいしかない。

 棚には僕が一昨年誕生日にあげた自作のぬいぐるみと、小さな木片が置かれている。あれ確か、先代の鍛錬用木剣だな。使いすぎて折れたやつだ。

 

 しかし、どうもアルマからも話があるらしい。

 これもしかして、マジでヘリオが言ったみたいに、拾ったけど言い出せなかったパターンか? ちなみに、ぱんつソナーの反応はしっかりワードローブの方から来ている。

 

「えっと、じゃあアルマの話の方から聞こうかな」

 

 ポジティブに考えるんだ。逆に、このタイミングでぱんつを拾ったことを告白しないのなら完全にクロである。さあ、何の話をしてくれるのかな!! 猥談でもしますか!!

 

 ああ、と返事をして、アルマが席を立つ。

 そしてワードローブの方へ歩いていき……やめて……ここで解決させて……やめてぇ……。

 

「その、これなんだけど」

「ぁぁぁぁああアアア!!」

「!?」

 

 アルマが取り出したのはハンドタオルだった。

 しかし何かを包んでいたようで、それを開いたところにあったのは水色の布、肌触りの良さそうな、片手で掴めてしまうような小さな下着……つまり、ぱんつであった。僕の。

 

 もうオラこんな世界嫌だ……。

 

 アルマがここで明かしたということは、彼が盗んでいた可能性が極端に減ったわけだ。となると、それでも誰かが盗んでいた場合、僕は一切気付くこと叶わずに、何者かにぱんつを奪われているということになる。普通に怖い。

 もうあれかな……ぱんつに全部地雷になるような術式施そうかな……。そんな魔法無いか……。まあ、空気が膨張して破裂する術式くらいならいけるかな……。

 

「レ、レイン……? ごめん、気持ち悪いよな、でも盗んだとかじゃなくて──」

「──いや、君は間違ってないんだ。全然気持ち悪いとかない。もうそれでいいんだ。君は本当に何も間違っていないから……」

 

 でも、本音を言うと盗んでいてほしかったです。

 ここで「しょうがないな〜アルマはお姉ちゃんっ子なんだから〜」とゴールできるのが一番良かった。こうなってしまったら、どこかに潜む盗人と全力でやり合わなければいけない。けれど近ごろのノーパン週間のせいで、犯人も何かしら僕が気付いていると警戒したことだろう。

 

「いや、……これだけじゃないんだ」

 

 僕が世界に絶望して机に突っ伏そうとしたところで、アルマが予想外の言葉を紡いだ。

 ……これだけじゃ、ない?

 

「もうひとつ」

 

 そう言って、アルマがさらにタオルの包みを取り出す。

 今度は、白を基調とした少しレースのあしらわれたぱんつが出てきた。僕のだ。

 

「あと、これも」

 

 唖然として何も言えない僕をよそに、アルマは3つめの包みも取り出す。

 僕のぱんつだ。僕の。ぱんつ。まいぱんつ。ぱんつ。

 

「え、……え? ……えぇ?」

 

 僕が彼に対し餌として撒いたのは、最初の水色の一枚だけだったはずだ。

 ……まさか、勝ったのか?

 

 その期待は、即座に切り捨てられた。

 

「やっぱ、全部レインのか。いやどうにもタイミングが掴めなくて言いにくくてな……。風呂場近くとか、廊下に落ちてたのを拾ったんだけど。んじゃ返すよ、はい」

「…………ぁぃ」

 

 全部、落ちていただと……?

 風呂場近くに罠を設置した覚えはない。結構みんな使うから、誰かを狙うのに適さないからだ。

 

 ええと、つまり。

 僕が不注意で、家中にぱんつバラ撒いてたんですかね?

 

 風呂上がりとか、着替えて脱いだ服を洗濯物を置いておく場所まで持っていって、いつも「そぉれ(上機嫌)」って投げ込んでいる。

 その持っていく途中で、ぱんつだけポロポロ落としていたと?

 ぱんつだけ落とす呪いか? なにそれどんなデバフ?

 

「……拾ってくれて、ありがとぅ……」

「お、おう。大丈夫か……?」

 

 なんとか感謝の言葉だけ絞り出して、羞恥で赤くなった顔を覆う。

 もうやだ。れいんこどもだもん。じゅうよんちゃいだもん。ぱんつおとすことだってあゆもん。むしろすすんでおとすもん。

 

 はい! 閉廷!! ぱんつ問題終わり!

 

「それで、レインの話ってのは?」

「もう解決しましたぁ……」

 

 終わりだから! もうほじくらないで! 他人を疑った僕が一番悪かったです!!

 人を疑う前に自分を疑うべきでした! 恥ずかしいからもう全部忘れましょう!!

 

 ……なんか悔しいから、というか恥ずかしさを紛らわすために、アルマを少しからかってやろう。

 

「でも、ぱんつくらい普通にいつでも手渡ししてくれればいいのに。僕がアルマのぱんつ拾ったってそうするよ? そんな恥ずかしがって、好きな女の子の前じゃないんだから」

 

 席に着こうとしたアルマが、中途半端な姿勢でピタリと動きを止めた。

 ……お? 恋バナ苦手純情ボーイか?(愉悦)

 

「そういえば、アルマ好きな子いないの? キバナちゃんとかうち来た時そこそこ喋ってるよね? キバナちゃん凄い可愛いし僕の推しなんだけどどう思う?」

「……うるせぇ」

 

 おう照れてる照れてる(愉悦)

 やべえ、母親ってのは子供の恋愛ごとに首を突っ込む生き物と聞いてたけど、その気持がわかるかもしんない。たしかにこれは楽しい。いや、愉しい。

 キバナちゃんは僕の推しだが、アルマなら譲れる。というかむしろ、キバナちゃんとアルマ付き合わねえかなと思って幼少期の頃から顔を合わせさせたわけだし。キバナちゃんの姉になりたい。弟夫婦を弄りたい。

 

「ああ、これ僕の前世ネタなんだけどね、この間アルマの言ってた『月が綺麗ですね』って、前世の世界だと『私はあなたを愛しています』の意訳のひとつなんだよね」

「……は? ……マジで?」

「マジマジ。まぁ別にその訳が本質じゃないんだろうけどね。でもロマンチックなセリフだし、好きな子口説く時に使ったらどうかなっ?」

 

 別に、「月が綺麗ですね」を好きな相手だけに言わなければいけないわけではないと思うけれど。だからその返しとして「死んでもいいわ」を選んだ僕は正直センスがない。まぁ、センスあったらレインなんて名前選ばないよね。

 そうだな、言ってしまえば、「火垂るを見にゆきましょう」みたいな言葉でも良いのだ。漱石が言いたかったのは、日本語という素晴らしい言語の枠組みの中で、わざわざ「私はあなたを愛しています」だなんていう野暮ったく無粋な言葉を選ぶなら、翻訳家など言葉に関わる仕事はやめてしまえ、ということだ。

 

「…………たが?」

「ん?」

 

 アルマが顔を俯かせながら、羞恥にプルプル震えて何か言葉を零した。

 よく聞こえなかったので、聞き返す。

 

「好きな奴に、使ったが?」

 

 ……?

 この子、もう誰か口説いたんか? そんなチャラ男に育てた覚えはないんだが。

 

「ええと、そう言う意味だって知ってたの?」

「いや、いま知った」

 

 ……??

 

「あの時以外で、誰かに言ったのかな?」

「言ってねぇよ。レインにしか、言ってない」

 

 ……???

 あ、そうか。

 

「いや、好きな子ってそういう意味じゃなくて、……なんて言えば良いんだろうな。僕も愛とかは言葉にできるほど分かってないけど、家族とか友達とかのそれじゃなくって、結婚して、一緒に子供を育てて、キスとか他の色んな事とかもその人としたいなって思えるような、そういう相手のことなんだよ」

「──だからッ!」

 

 アルマは、家族愛と好きな子への愛の違いが分かっていないのだと思った。

 というか、実際のところ友愛とその愛にどれだけの違いがあるかなんて僕にはわからないけれど、一般的に「好きな人」と呼ばれるものへの感情を整理できていないのだと思った。

 それならと説明をした僕に、アルマが声を荒げた。

 

「だから、レインが、ニイロが好きって言ってるんだよ!」

 

 …………?

 ………………うぇっ!?

 

「馬鹿にすんな。オレだって、戯曲の一つや二つ読むし、舞台だって観に行くこともある。恋愛と家族愛の違いぐらい、知ってる。その上で、お前が好きだって言ってる!」

「……ぇ、ちょっ、まって……」

 

 なんだ、これ。

 え、告白? これ告白? 人生初の告白?

 まって、なんか、え、まって、顔が急に熱くなってきた、タンマ。

 

「ぃや、……あの、ね? うぇ……、えぇ……? あぅぅ……」

 

 やばいやばいやばいやばい。

 心臓めっちゃうるさい。

 母様に好きって言われるのとはまた違う、なんか、なんだこれ。やばい。

 全然、準備も何もできてなかったから、頭と体がすごいチグハグな動きしてるし、変な汗出るし、とにかく何も分からない。やばいとしか言葉が出てこにゃい。

 

「……っクソ、こんなタイミングで言うつもり無かったんだが」

「にゃぅ、あの……、うゃぁ……」

 

 え、え、何すればいい? 何言えばいい? わふう?

 おちつけ、ほら素数を数えて1、1、2、3、5、8、13、21……フィボナッチ数列だこれ!

 もちつこう、ほらペッタンペッタン……餅ついてどうすんだぁ!!

 

 ……よし、多分少し落ち着いた。

 ええと、告られた。弟に? うにゅ? あばばばば!!

 

 はゃぁ……うひぁぁ……告白される側ってこんな大変なもんなのかぁ。

 ええと、うん、断るよ。うん。母様いるって? それは流石にアルマの精神形成に影響与えかねないな……。なんて言えば……。

 

「あ、あのあの、あのね、えっとね」

「落ち着け。オレもパニクってるけど、レインはとにかく落ち着け」

 

 パニクってるって嘘だぞこいつ!!

 こんな無表情で!! ばか!!

 

「あのね、この間言ってなかったけど、僕の前世、男の子だったからね? 男の子と恋愛するのはアルマあんまり好きじゃにゃいでしょ?」

「……? いまレインは女性だろ?」

 

 つよいよぉ……。

 チート勇者つよいよぉ……。チート関係ねぇ……。

 へぇぁぁ……(脱力)

 

「いや、あぅ、でも、……ごめん。僕、好きな人がいるんだ」

「知ってる」

「…………へ?」

 

 もう訳分かんないので幼児退行しまぁす。

 ばぶぅ。だぁー。ぶあー。ばぶばぶ。ぶゃぁー。

 

「別に、いま好きってこと言ってどうにかなれるとは思ってねぇよ」

 

 うゃ?

 

「でも、絶対に惚れさせてみせるから。もっと大きくなって、強くなって、格好良くなって、レインに男として意識させるから。……俺のことを一番、好きって思わせてみせる」

 

 何だコイツ、乙女ゲーの攻略対象か?

 キリッとした顔で言うんじゃねえ、あやうく男にときめきかけただろ。というか、男として意識させるのは、僕の中身が男だからむしろ悪手では……?

 まあでも、一番好きって思わせる、それは……。

 

「……無理だと思うよ?」

 

 僕の価値基準の一番に据えられているのが母様だから。

 それはもはやすべての物事に対する物差しとなっていて、越せるかどうかの問題じゃなくなっている。

 

「無理に挑戦するから、勇者って呼ばれたらしいぜ?」

 

 あああ! もう格好良いなぁ主人公かテメェは!! 勇者だから主人公ですね!!

 ばぶぅ!

 

「と、とにかく! 恋愛感情持ってるならもうおなにーの手伝いはしないから! 一緒のお風呂も禁止!」

「風呂はレインから突っ込んできてたよな……?」

 

 性の乱れはよろしくない。家族間ならともかく、そこに恋愛感情が挟まってくるのなら別問題である。

 

「ぱんつ、それ3枚ともあげます! だから、今度からはそれ使って一人でしなさい!」

「えぇ……」

 

 好きな子のぱんつなら、オカズとしてこの上ないだろう。

 顔が火照るのを感じながら、逃げるようにアルマの部屋を飛び出た。

 心臓、うるさい。ばか。もっと大人しくしろ。電気ショックで無理矢理止めてやろうか。

 頭、おちつけ、あほ。もっと冷静になれ。温度いじって無理矢理凍結させてやろうか。

 

 なんだ、男同士で、しかも姉と弟だぞ? そんなんで恋愛感情芽生えるとは思わないだろ、ばかばか、ばーか!

 ……いや、女同士で、母娘で近親相姦してたわ。ドロッドロの恋愛感情芽生えてたわ。もはや恋愛感情って呼んで良いのか分からんけど。

 

 何が「無理に挑戦するから、勇者って呼ばれたらしいぜ?」だ! 僕には母様がいますから!

 ……だからチート勇者、テメェはお呼びじゃねえんだよ!

 




**連絡欄**
無事、勇者が姉のパンツを嗅ぐことで一人で自家発電できるようになりました。
もうお姉ちゃんの白くしなやかな指にお世話になることもありませんね!
性教育は大性交…間違えた、大成功!!

ど う し て こ う な っ た(6回目)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

パンツはパンツでも食べられないパンツってなーんだ。正解は母様以外の人のパンt…は、は……くちゅんっ!……ありゃ、どこかで噂されたかな?

ぱんつ編の後日談


「こんにちは、おじ様いるかしら?」

「父様? たしか舞姫達が来てて、応接室でその相手をしてたと思うが」

「ああ、分かったわ」

 

 奏巫女の家樹を、御子と特に仲の良い友人であるキバナが訪ねた。

 バッタリ出くわした勇者、ツグミ・ディアルマスが答える。

 

「父様に何か用か?」

「ちょっとね。大したことじゃないわよ」

 

 キバナ自体は家名も持たず、特に何か森人の有力者の娘というわけではない。強いて言うならば、森人の中でも特に優れた容姿を持つ夫婦の間に生まれ、御子であるアンブレラ・レインと同年代ということか。

 そんなキバナであるが、こうして巫女の家をふらふら歩いていても誰も何も疑問に思わない。御子と彼女の仲が良すぎるのだ。頻繁に互いの家に泊まるし、たびたび風呂も一緒に入っている。

 もはや巫女(ノアイディ)家とその警護の面々からすれば、家の中を歩いていても「ああ、今日は来てるのか」である。

 

 と、そこでディアルマスの鍛え上げられた察知能力が人ひとりの気配を捉えた。魔力の気配が並大抵でない大きさである。こんな馬鹿みたいに魔力を振りまいているのは一人しかいない、ディアルマスの義姉、レインだ。

 こちらに近付いてきている。この通路を歩いてきているということは……確実に風呂上がりである。

 

「あら、鼻歌……アンブレラじゃない」

「あれ? キバナちゃん? どうしたの、昼間か……ら……」

 

 そこまで言い切ったところで、レインの視線がディアルマスに向く。

 まったく、稽古の最中は未来予測かというくらい敏感にこちらの気配を捉えてくるくせに、オンオフの差が激しすぎる。

 

「つ、ツグ……ッ!」

 

 レインは風呂上がりである。ショートパンツとシャツ一枚という気の抜けた格好で、ゆるい胸元に覗く陰やスラリと伸びた白い生足など、健全な人間の男子としては目に毒な光景だ。

 彼女も、先日以降そうした物事にある程度気を配るようになったのだろう。顔を赤く染め、身を守るかのように腕で体を隠した。

 

 食事の時なんかもそうだが、結構レインと気まずい感じの関係になっている。

 気まずいというか……打ち解ける機会がないのだ。

 

「うぅ……」

 

 ジトッとレインがディアルマスを睨んで、ジリジリと後退していく。そしてバッと振り向いて逃走した。

 

「はぁ……」

 

 これである。レインがすぐ逃げてしまうから、何か小話でもして打ち解けるための機会が中々作れない。

 あんなに弟大好きな感じだったレインが逃げ出した。その光景を不思議に思って、キバナが問いかける。

 

「ツグミ、何かあったの?」

「……なんもねえよ」

「あぁ……そう。告白したのね」

「……は!? えっ!? えっ!?」

 

 誤魔化そうとしたのを瞬時に見破られ、少年らしさの垣間見える表情でアルマは驚いた。

 否定はしない。嘘は苦手なのだ。それは美徳でもあると理解していたが、しかしこういった時はどうにも困ってしまう。

 何か言ってやろうと口を開いたり閉じたりさせ、諦めたように溜息をひとつついた。

 

「その勘の良さを姉さ……アンブレラにも分けてやってほしいよ」

「無理よ。あの子の視線を追えば、他のものが何一つ見えてないって分かるでしょう?」

「そりゃあ、まぁ。……キバナは随分と割り切ってるんだな」

「あなたはともかく、女の私じゃあ先がないもの」

 

 ほんとに、アンブレラがレンなら良かった。そう思う気持ちは今もまだ残っているけれど、でもいいのだ。

 今のままでも……友達のままでも、他の友人とはしないくらい沢山触れ合える。唇を重ねる、それだけで十分幸せを感じられる。時折無性に苦しくなることがあるけれど、そうした時の対処法も覚えた。

 

 女性同士での恋愛。森人の里におけるその行為の意味をどれだけアンブレラが理解しているかは定かではない。

 最終的にどこぞののんきな森人の男にかっさらわれるくらいなら、ツグミと一緒になってくれた方がいいかもしれない。

 

「……無謀だけど、応援してるわよ」

「おう。オレは、勇者だからな」

「私よりチビだけどね」

「来年には抜かすが!?」

 

 基本的に表情の変化が少ないこの少年も、身長の煽りには良い反応を見せる。

 そういえばアンブレラも身長を気にしていたし、そう言うところは血が繋がっていなくても姉弟なのかもしれない。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ディアルマスと別れたキバナは、応接間の扉の前まで来ていた。

 ノックをして、返事がないことを確認してからそっと扉を開ける。

 ツグミは舞姫達(舞姫は本来一人だが、当代は双子の姉妹である)が来ていると言っていたのに、そこには舞姫の姿はおろか、レインの父キバタンの姿さえない。

 

(……『アンコール』、『ブレイバのいない夜』、……最後に、『螺旋構造手引』)

 

 応接間の片隅、インテリアのように置かれている本棚のいくつかの書物を順に引き出す。すると、すぐ側の床にくぼみが現れ、指をかけて持ち上げると隠し階段が現れた。

 入り口に置いてあるランプを手に取り、魔力を流し込んで明かりを灯す。よくある魔道具のひとつである。

 足元に気をつけ階段をゆっくり降りていくと、しばらくして小部屋に辿り着いた。

 入る前にランプの明かりを消す。一種のマナーというか、ルールだ。真っ暗でよく見えないが、そう複雑な構造をしている部屋でもない。

 

「……遅かったね」

「ツグミと少し話していました」

 

 闇の中から男性の声がし、それに何でもないかのようにキバナが答える。

 暗闇に身を溶かしている人物はキバナを含めて5人。そこまで広い部屋でもないため、少し息苦しさを感じた。

 

「それじゃあ始めようか。久しぶりだから、ボクらの目的を再確認するところから始めよう」

 

 男の言葉に、視界は封じられているものの全員が同様に頷いた。

 

「この会は、ボクらが平穏無事で刺激的な、充分に満たされた生活を送るのを相互扶助するためのもの……つまり互助会だね。『資源』は有限で、かつ希少だ。誰か一人が独占しようとしてできるものでないし、無ければ困ることが沢山生まれる」

 

 この中の誰もが必要性を理解している。しかし、自分ひとりで恒常的に十分な量を集めるのは無理がある。ならば、助け合いの輪を作ろうというものだ。

 

「みんな、このところ辛かったと思う。ボクらの失敗は、バレないと油断して集めすぎたことだ」

「「勇者が人柱になってくれたおかげで、どうにか乗り切れた」」

「そうだね、名無しの双子の言う通りだ。そこで、名無しの乳母から提案があるんだ。聞いてほしい」

 

 同一人物が同時に喋ったかのような、重なった不思議な声音。その発生源の位置が異なっていなければ、きっと一人と錯覚したことだろう。

 そして、男の声に促され、ここまで黙っていた最後の一人が口を開いた。

 

「……分かったのは、『源泉』様は『資源』を見た目でなく数でしか把握していない、ということです。ですが、見覚えのないものが増えれば気付くこともあるでしょう。ですので、『資源』を回収する際は、同一の見た目のものを用意して、交換することで『回収』を図ることを提案します」

 

 流石、一番古くから『資源』の存在に気付いていただけはある、と誰もが感嘆のため息を漏らした。

 

「でも、同一の見た目のものと言っても、『源泉』の持つ『資源』の種類を全部は知らないわよ?」

 

 キバナ……名無しの親友が疑問を呈した。

 すかさず名無しの乳母からフォローが入る。

 

「問題ありません。こちらですべて記録し、換えを皆様の分注文いたしました」

 

 おぉ……と再び声が漏れる。尊敬、あるいは畏怖かもしれない。どこまで用意周到だというのか、この名無しの乳母は。

 

「『共有』の時間は……今回はみんな持っていないだろうし、必要ないだろうね。一週間後にまた、今度は舞台の大樹にて互助会を開催するよ」

「「了解」」

「わかりました」

 

 双子と親友が首肯する。

 乳母が黙っているのは、その手引き自体彼女が進めるからだろう。

 

 ある者は、『源泉』の幼い頃からその内に秘め続けた情熱のために。

 ある者達は、『源泉』の聖水を浴びたとき閃いた天啓を、再び得るために。

 ある者は、同じ「作る人」にそそのかされ、同様に智慧を欲して。

 ある者は、時折感じるどうしようもない苦しさを乗り切るための手段として。

 

 互助会は今日もどこかで開かれている。

 誰も傷つかない明日のために。

 




Q.あなたにとって御子のぱんつとは?

A.
キバタン&舞姫s「福音」
アイリス&キバナ「精神安定剤」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ドラゲナイ♪ニガサナイ♪ユルサナイ♪……あのこれって、ジャスのラックさんの利権に関わりますかね?オリジナルの呪文詠唱ってことで許してください何でもしますから(何でもとはイッテナイ♪)

感想で前話のレインが猫っぽいと言われ納得
今話で弓道用語がいくつか出てきますが、調べるのが面倒なら雰囲気で読んでくれていいです


 真っ白な空間。

 あるいは、真っ黒な空間。

 実際はそのどちらでもないのだろう。強いて言うならば、ルーナに初めて会ったときの、転生する最中のあの空間によく似ている。

 

 その空間を認識して、僕が「僕」であると気が付いたとき、たちまちその空間──世界の景色が変化していった。

 チグハグな世界だった。小さな細長い弓道場があり、それは、前世の頃僕がほとんどの時間を費やした場所であった。しかし、的の置かれた(あずち)の反対側、射場の裏手には、舞台の大樹が繋がるようにそびえているのである。

 僕は観客席の奥に立ち尽くしていて、傘を持っていた。

 

 傘。

 そうだ、雨が降っている。ちゃんと差していないと、濡れて風邪を引いてしまう。

 ここは屋内だけれど、雨が降っているのだから何らおかしなことはない。

 

 なんとなく、舞台に向かって歩き出した。距離はあるし壁だって挟んでいるのに、その奥の射場も見えている。

 観客席横の通路を進んでいると、ふとルーナがすぐそばの席に座っているような気がして振り向いた。もちろん誰もいない。人のいない観客席というのは少し不気味な気もする。

 

 舞台に登って観客席を振り返ればいつもの景色だ。テンションが上っているときだったら、いまここで歌のひとつでも無人の観客席に向かって披露しても良いんだけれど、どうにも眠いしだるいしやる気が出なかったのでやめた。

 舞台と射場の繋がっている部分には、大樹の根が包むかのように作られた小さなドーム状のものがある。何となくそこには近付きたくなかったから、少し距離を取りながら射場の方に足を踏み入れた。

 

 そういえば、さっきここで弓を射ったのだった。矢取りに行かなければいけない。

 矢道には雪駄が一人分置いてある。「■■■い■」と名前が書いてあるのだけれど、どうにも上手く読めなかった。なんか眠いし、頭働いてないから文字も読みにくいんだろうな。

 矢道の芝の上を歩くとサクサクと音がなる。雪を踏み分けているかのようだ。違うか、いま雪の上を歩いているんだった。白銀の道には、僕の足跡だけが残る。

 にゃーんにゃーんと鳴き声が何度か聞こえたので、にゃーんと鳴き返す。ありゃ、泣き声が止んでしまった。再び、サクサクという音だけが響く。

 

 的の中央には、矢が二本。正鵠を射るというやつだ。見慣れたものだし別に驚かないけど。

 弓道の矢の抜き方はちょっとした作法がある。守んなくても別にどうということはないけれど、射場の神棚にお尻を向けないように体の位置に気をつけつつ、腰を下ろし、そっと右手で引き抜く。

 

「──ぁ」

 

 二本目を引き抜いた瞬間、やってしまったと気が付いた。

 ここで、矢を抜いてはいけなかった。

 違う。

 そもそも、射場に入るべきでなかった。

 

(でも、土を拭き取らないと)

 

 抜き取った矢の矢じりには当然土がついている。(あずち)横の看的所でそれを布切れで拭き取る必要がある。

 それは、決まり事だから。

 そっと布を手に取り、矢の先端をギュッと拭った。

 

(……後ろに誰かいる)

 

 看的所はそんな広い空間でもないのに、すぐ後ろに誰かが立っていることが何となく分かった。それは気配だとか魔力を察知したとかそういうことではなく、揺るがない結果として「誰かがいる」ということを理解したのであった。

 

 恐ろしくて、振り向くことなんて絶対にできない。

 矢の先端を包むように持ち、もう片方の手も添え、俯くようにしながら早歩きで矢道を帰る。

 はやく、舞台に戻りたい。ここにいてはいけない。

 はたして矢道はこんなに長かったか?

 

(怖い……怖い……。はやく。嫌だ。はやく。……母様。父様、アルマ。ヘリオ、ルーナ、キバナちゃん、アイリス……。誰か、どうして、誰も)

 

 息が詰まるような恐怖。果てしなく長い矢道と、重く鉛のように動かない足。

 突然、それらから解放された。足は思うように動くし、おかげですぐに射場に着いた。

 あと少し。あと少しで、帰れる。

 

「……っあ」

 

 思わず声が漏れた。もうあと一歩というところで、冷たい手が僕の左手を掴んだのだ。少しぬめるような感じがしたことから、その手が濡れていることが分かる。

 

「ゃ……」

 

 冷たい手の主が僕に体を近付け、何事か囁こうとするのが分かる。

 

 逃げられない。

 

 ──そう絶望した瞬間、舞台の向こうから右手ごと誰かに引っ張り上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──レイン! レイン!? 大丈夫!?」

「っは、……は、っ、ぁ、あぁ……うぁ……」

 

 冷や汗をかいたまま目を見開いた。

 誰かが抱きしめてくれている。……ここは、ベッドだから、そうか、母様か。

 

 深夜だ。悪い夢でも見たのだろう。思考はそれだけ落ち着いていたけれど、いまの一瞬で刻まれた恐怖はかつてのトラウマを思い出させるには充分だったようで、体がガクガクと震え、息も過呼吸のように絶え絶えだ。

 右手を握ってくれている母様の手を、そっと僕の首に誘導する。

 それだけで伝わったのだろう。とても悲しそうな表情を浮かべながらも、母様は首を握る力をそっと強めてくれた。

 

「──は、ぁっ。はぁ。……か、さま。ありがと、ございます」

「お礼なんて……」

 

 母様なら絶対に絞殺なんてしないという信頼がある。

 それ以上に、母様にならこのまま殺されたって構わない。

 だから、母様に命を握られているこの瞬間が、世界で一番安心できる。

 

 でも、あなたは悲しそうな顔をするから。

 できれば過去のしがらみも全部、乗り越えられればいいなと思う。

 

 ……しばらくは難しそうだけど。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……それで、後ろにいたその何者かは、最後になんと言ったのじゃ?」

 

 あのあとは何事もなく眠りにつき、日が明けてから昼食後にルーナの元を訪れた。

 不思議な夢を見たという話をすると、ルーナは興味深そうに尋ねてきた。

 

「『ない』……ナントカナイだと思うんですけど、よく聞き取れなかったですね……。そもそも聞きたくなかったので。ホラーの定番だと、ニガサナイとかユルサナイがありそうです」

 

 大穴でドラゲナイとか。

 

「しかし、お主も小心者じゃのう。頭だけでなく心まで鶏になったか? 夢に出てくる不埒者など、殴り飛ばしてしまえばよかろう」

「誰が鳥頭でチキンハートですか……いや、思い当たるところありますね」

「お主の場合は、チキンハートはチキンハートでも毛が生えていそうじゃがな」

 

 なんかめっちゃディスってくるんですけどこのエセ女神。

 図太くねえよ。めちゃめちゃ繊細だよ。いまもめっちゃ傷付いてるからもっと僕に優しくしようよ。

 

 こうじゃ、こう、などと言いながら、ルーナは腰を入れて殴るジェスチャーを見せてくる。地味に堂に入っているのが何とも言えないが、ヘリオの小柄な体でそれを見せられると、なんか空手道場の子供みたいに見えてくる。微笑ましい。

 

「はいはい、まあ次は殴れるよう頑張りますよ」

 

 アルマとの稽古は日によっては道具無しでやることもあるから、格闘も、喧嘩慣れしている不良よりはできる。

 この間告白されて以降少し気まずかったけれど、ご飯食べて寝て何度か戦う内に気まずさを忘れてしまった。こういうところが図太いって言われるのかもしれない。もっと繊細で可憐な美少女ムーヴしないと……。

 

「さて。それはともかく、今日からは少し発展したことを覚えてもらおう。発展というか、お主が旅に出てここを離れる上で必要になることじゃな」

 

 雑談も終わって魔力拡張をお願いしようとしたらそんなことを言われた。

 

 球体の体積を考えれば分かるが、半径を少しずつ増やしていった場合、10から11になるのと100から101になるのでは体積の増加量がまるで違う。

 魔力にも似たことが言え、しかし同じ1の拡張ならば、増加元、つまり僕自身への負担は変わらないらしい。

 

 旅に出るからと魔力拡張を中断すれば、その期間の分だけ損になる。

 どうやら発展した内容として覚えてほしいのは、今までルーナに任せきりにしていた魔力拡張そのものらしい。

 

 不快感の幸福感への変換などといった魔法は教えてくれないらしい。一歩間違えれば自分の脳を壊しかねないのと、そもそも旅までに僕がそんなに何個も覚えられないだろうとのこと。やりたければ将来自分で編み出せと言われた。

 ルーナがそういった技術を用いて魔力拡張を進めていたのは、そうでもしなければ1000年単位で時間が必要になるからとのこと。僕が死ぬ。

 今までは拡張作業中に毎秒1000ずつ拡張されていたものを、旅の間は毎秒1ずつ、しかし一日中ずっとやれ、みたいなことを言われた。それなら痛みとか不快感といったものはそこまで感じないから、幸福感への変換が必要ないらしい。

 

 ちなみに、こうして毎日細々とやってきた魔力拡張は、ルーナのためでもあり、僕のためでもある。

 

 ルーナが扱える魔力は、ルーナ自身のものだけだけだ。しかし、そのほとんどは堕天させられた時に奪われるか封じられるかしてしまい、彼女ひとりでは魔法の一切を行使できない。

 だが、彼女が魔法を使って僕を転生させたことで(世の中の転生というものは魔法によって為されるらしい)、僕の体に彼女の魔力の残滓が残っているとのこと。そのため彼女は、僕の体に触れている間なら僕の魔力を自分のもののように扱える。

 僕の魔力量を増やすことで、彼女もできることが増えるのだ。そうして最後に彼女を堕天させた上位者を殴り飛ばすのが目標らしい。

 

 対して僕の場合は、真名の問題がある。ルーナはその解決法を知っているらしいが、信条的なもののためにそれを直接教えてくれることはない。

 それでも、彼女も言っている通り、使える魔力の量さえ多ければあとはどうとでもなるのだと思う。全能とも言える彼女がそう言うのだから、そこは信じていいだろう。

 少なくとも、魔法学校で助かる方法を見つけて、でも自分の魔力が足りませんでした(笑)は洒落にならない。(拡張する時の不快感を抜けば)魔力を増やして損はないのだろうし、ひとまずやっとけという感じである。

 

 とりあえず、拡張の程度を間違えて何度も激痛に悶え苦しんだことだけ言っておく。

 微調整難しすぎるんですがこれは……?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あん? 御子様可愛い? 当たり前だろ、母様の血が流れてるんだぞ? いいから。僕褒めてる時間があったら、母様のいる方角に向かって三跪九叩頭の礼をしなさい!!

名無しの森人の話


 

 

 

 

 その光景を前にしてなお、この世のものとは思えなかった。

 

 きっとそれは幻想で、でもどうしようもなく現実で。

 

 ──現想とでも呼ぶのが、一番しっくり来た。

 

 

 

 


 

 

 

 

 巫女様の(ちぎり)の予定日は、俺がちょうど30を迎える年の、第3四半期の頃であった。

 それから一年が経ち、次の命名式で巫女様が儀式を取り計らったことから出産は無事に済んだことを知る。

 しかし、誰もが粛々と、その事実に触れることなく今までの生活を続けた。

 御子様は命名式を迎えるまでその姿を一般に晒すことがなく、どこか現実感がなかったからだ。

 

 御子様の命名式があった。

 なるほど巫女様の(かたち)をよく受け継いで、元気そうな、美しい少女であった。

 その夜から一週間は祝宴が開かれ、成人を過ぎた俺達は、酒を飲み歌を歌い、楽器を奏で、新たな巫女の誕生に喜びを分かち合った。

 

 それから20年は、御子様の相手は誰になるだろうという話題で持ちきりであった。

 引っ込み思案なのか、御子様は中々村の者と交流を持たない。奏巫の大樹の根が囲う庭で時間を潰していることは皆知っていたが、その容姿の端麗さからか、あるいは奏巫女の秘める膨大な魔力による威圧感からか、誰もが話しかけるのをためらってしまっていた。

 俺は30ほどしか年が離れていないわけだから、もしかすればあの美しい御子様の番になることがあるかもしれない。そんな夢を見ながらも、遠巻きに見る日々が続いた。

 

 

 

 

 最悪のニュースがあった。

 御子様が番を決めてしまったのだ。あれほど若い年で、既に真名の交換も済ませたという。つまり、もう手の伸ばしようがない。

 ……いや、ただ番が決まったのならしょうがない。その相手が、あの『変人』のキバタンだというのが気に食わない。

 あんな、ヘンテコな奴を番に選ぶくらいなら、俺の方が。そう思っても、今まで何もしてこなかったのは俺自身だった。

 

 若さゆえの傲慢というやつだと思う。

 結局、勝手に夢見て、勝手に裏切られた気分になって、勝手に落ち込んだのだ。

 まあ、俺の同世代にはそういう奴が結構いたみたいだけれど。

 

 キバタンと結ばれて、御子様は変わった。良い方にだ。

 村の者と交流を持つようになった。一度話してみれば分かるが、とてもハツラツとして明快な話し方をする人で、俺より年下なのによっぽどちゃんとした考え方をする人だった。

 巫女としての立場が彼女の人間性を磨いたのかもしれないけれど、その時、御子様に対して「引っ込み思案で可憐な幼い子供」という印象を抱き続けていた自分に気がついた。

 

 御子様は、次代奏巫女として、奏の魔法を使って他にできることがないか考えているようであった。

 そして、「アイドル」という立場を確立した。

 今まで、長い詠唱のように、静かに厳かに執り行われていた奏でを、村人を繋げるための、生きる希望とでも呼ぶべきものへと昇華させた。

 

 聞くところによると、奏の魔法とは、人間以外の生き物、さらには無生物を含め、それらと奏巫女が繋がり、祈りを捧げて助けてもらうためのものらしい。

 御子様は、それならば人だって繋がれるはずだと考えたのだろう。彼女が舞台に立って歌い音を奏でる「ライブ」は、良い音楽を聞くだけではない、それ以上の沸き立つ興奮をもたらした。

 

 

 

 

 良いニュースがあった! 巫女様の(ちぎり)の予定日が決まったのだ!

 既に巫女の役目を引き継ぎ、御子から巫女へと呼ばれ方の変わった巫女様がライブの後に打ち明けたのだ。

 みんな、嬉しく思っていた。もちろんそれは先代様の命日でもあるから交流の深かった者は惜しんだけれど、命日が決まるのは森人としての定めだ。悲しみではなく、今までご苦労さまでしたと感謝を捧げる気持ちのほうが強い。

 

 この頃になると、俺も身を固めて落ち着いてきていたし、キバタンへの嫉妬もすっかり無くなっていた。

 いや、嫉妬することすらおこがましかっただろう。きっと俺では、巫女様をあんな風に導けなかった。今の彼女がいるのは、キバタンが隣りにいたからだ。それに、あいつは変人だけど性根は良いやつだし。

 

 そして、巫女様の時と同様に俺たちはいつもの日常を過ごし(ライブがしばらく無くなるという絶望があり、皆やや暗かったかもしれない)、ついに御子様の命名式の日となった。

 キバタンもあれで見た目は良いし、巫女様は言わずもがなだ。御子様(女の子らしい)が美しい見た目であろうということは既に皆の中で確信されていたが、やはり実際に見るまではソワソワと気持ちが落ち着かなかった。

 

 そして、問題が起きた。

 いつまで経っても御子様が現れないのだ。

 聖域は特殊な場所だ。また移動にも魔法が使われているし、ともすれば何かあったのかもしれないと、言葉には出さずとも不安が広がっていった。

 

 が、それはただちに打ち消された。

 巫女様がゲリラライブを開催し、誰しもが興奮で不安を忘れてしまったのだ。

 御子様が可愛すぎて、神様が中々離そうとしない。なるほど、巫女様の娘ならあり得る。不思議な説得力があった。

 

 しかしそれでも、夜を跨ぎ、段々と人々の体力も尽きてきた頃。

 それは起きた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 休憩のためだろうか、バックダンサーをしていたアイサ姉妹を下がらせ、巫女様が弾き語りのように静かに音を奏でた。

 どこか優しい、暖かい歌。

 疲れからか眠気に襲われてしまうくらい、ゆったりとしていて、愛を感じさせ、けれど力強い祈りの込められた歌であった。

 ライブをしていなかった間に考えたのか、初めて聞くその曲は、しかし懐かしさも感じられた。

 

 ──そこに、ひとつの色が加わった。

 

 巫女様のものではない、鈴の音のように透き通った、厚みを感じるのに同時に儚さも感じさせる、不思議な歌声。

 誰かが上を指差し──天使を見た。

 

 その光景を前にしてなお、この世のものとは思えなかった。

 

 落ちるのではなく、ゆっくりと舞台に舞い降りるかのように天使は翔ぶ。

 その奏では、耳ではなく、心に響いた。

 天使が喜んでいるのが分かる。天使だけではない。俺も、俺の隣りにいるやつも、誰もが。表情を見るとか、声音がどうとかそういうことではなく、確かに皆が繋がっていた。

 

 外の雨に濡れたのか、濡れた召し物を身体に張り付かせながら、水を滴らせて笑顔を浮かべる天使は、その幼い容姿を忘れさせるほどに妖艶で、魅力的だった。

 こんな幻惑的な生き物が俺と同じ種族だとは思えなくて、やはり天使が舞い降りたのだという思考が先行する。「外の世界」の人間に比べると自分たちは美しい見た目をしているらしいが、彼女を前にすれば、それは些細な問題に思えた。

 

 一目惚れ。その言葉以外に現状を表すものが思いつかなかったが、それは恋ではなく、ただひたすらに目を奪われたという意味で言うことができた。

 好きとか、付き合うとか、番とか。そんなことは思いつかない。多分、感謝という言葉が一番近い。気付けば涙が頬を伝っていた。

 

 不思議と、疲弊していたはずの身体には活力が戻っていた。

 その後、巫女様と御子様が言葉を交わすかのように互いに向かって歌い上げ、そこでも涙が流れて顔面がグチャグチャになった。

 巫女様によって御子様の仮名──アンブレラが告知され、次代巫女、ノアイディ=アンブレラは村の者の知るところとなるのであった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 御子様は不思議な子であった。

 巫女様の子供の頃と違い、たびたび村を散歩しているのでその人柄はよく聞こえてくる。

 

 幼さを忘れさせてしまうくらいの洗練された立ち振る舞い。頭の回転も速く、大人顔負けの言葉遣い。

 あの年で、奏の魔法のみならずいくつかの魔法を使えてしまうらしい。代表的なのが癒しの魔法で、既に幾人かの村人が助けられている。そのことから分かる通り魔法への適性が森人の中でもかなり優れているらしく、噂では、命名式の日に御子様が歌ったことで、あれだけ長く降り続いていた雨が止んだとさえ言われている。

 しかし、そういった優れた側面と同時に子供らしい純粋さも持ち合わせ、そのアンバランスさのせいかどこか壊れてしまいそうな脆さが見え隠れしている。

 驚くほどによく出来た子供だという評価の裏には、その年でどうしてそこまで「ひとり」でやっていこうとするのかという心配がある。

 

 丁度自分の娘が御子様と同い年であったから、気にかけてやってほしいと伝えた。

 有力者の娘とお近づきになりたいなどというよりかは、誰かがそばにいないといつか居なくなってしまう、そんな不安を感じたのだ。

 守ってやりたい。そう思わせる子であるが、俺では直接助けるようなことはできないだろう。せいぜいが、大人として成長を見守っていくくらいだ。

 

 娘は俺の頼みに不思議そうな顔をさせてから、よく分かっていなさそうに頷いた。

 まあ、今すぐに理解はできなくてもいいさ。側にいるだけで、助けになることだってあるだろうから。

 可愛い愛娘の頭、赤みのやや強い金糸をガシガシと撫で、子供たちの将来の安寧を祈った。

 

 

 

 

 そして、数年が経ち。

 

「パパ、明日アンブレラ泊まりに来るから」

「…………あ、あぁ」

 

 どうしてこうなった???

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

…なんか、また見られとる気がするのう。結果的に素体の裸体が安売りされておって哀れじゃが、ここで服を着ると負けた気がするから、当然我はこのまま裸でいくのじゃ

   TS
_検索

 

 

 

 

 

 Now Loading... 

 

 

■■■■■■■■■■

 

   ▶❘  ライブ

かえるさん:待機中……

ねずみさん:たいき

にわとりさん:10億光年待った

しらすさん:わこつ

するめさん:↑光年は距離定期

さめさん:果たして創魔は大人しくしているのだろうか

たかさん:良質な百合が収穫できると聞いて

とびうおさん:待機

えりんぎさん:創魔被害者の会会員のえりんぎです

やぎさん:前回までのあらすじ:レイン転生諸々打ち明け→色々拗れて鬱展開に

すずめさん:待機…

とかげさん:あらすじまとめ助かる。なんだかんだ、下界もどこも他人同士が関わり合うと結局めんどくさいもんだよなぁ

だにさん:美少女の血を吸いたい

ちんぱんじぃさん:舞ってる

らくださん:創魔このまま野垂れ死んでくれんかなぁ…あんま放っとくと帰ってきそう

せみさん:そろそろかな?

チャットを非表示

#同時視聴 #創魔 #生TS #45話

【同時視聴】『創魔』のルーナ堕天させたった Part 5【テルース/シーリーン】

9220柱が視聴中・4分前にライブ配信開始

 

 

「ぁぃ、上位者どもカミカミ〜。元気にしてた? 私はねー、さっきまで寝てて、今も眠いー」

「皆様、ごきげんよう。……ところで、その挨拶は何を噛んでいらっしゃるんですか?」

「なんだろー……。あ、コメント欄にするめさんいるじゃん。するめ食べたい」

 

 上位チャット▼

しまうまさん:自由すぎる

かめさん:かみかみぃ

するめさん:いやん♡

はとさん:きもい

ぶたさん:きもい

うなぎさん:草

ばったさん:カミカミ〜

おうむさん:ごきげんよう!

 

 噛みしめるものと言えば、スルメか悔しさである。どちらかと言えばスルメを噛んでいたい。

 何分言い方は悪いが無職なもので、配信以外では、シーリーンは惰眠を貪っていることが多かった。眠い時はとりあえず沢山寝て、寝るのに飽きたら配信する。

 テルースのように管理している世界を持っているわけでもないから、本物の暇人である。いやはや、寿命というものからやや外れた存在になって一番必要なのが娯楽とは、単純でいて馬鹿らしい現実である。

 

「前回は結構重い展開になってそのまま終わっちゃったからねー。レインと勇者がガチンコ勝負もしてたんだけど、それはメン限で公開するね。今回は、レインと巫女が何やら話してるみたいだから、そこから見ていこう」

 

 

 

 


 

 

 

 

『一体どうやって、舌先三寸で語られる愛を信じろと。──父様への愛を、塗り替えた癖に』

『うん。だからいま、キミを愛している』

 

「いやぁ……下界の生き物は無茶苦茶だね」

「そうでしょうか?」

「下界に限った話じゃなかった……」

「はい??」

 

 上位チャット▼

こあらさん:母親メンタル強いなぁ…こんな恐ろしい返し思いつかへんよ普通

ぞうさん:シーリーンが煽りカスになってて草

あめぇばさん:無性生殖派としては恋愛はよう分からんなぁ

きりんさん:愛の保証が欲しいなら、さっさと統合しちゃえばいいのに

くわがたさん:寝取ったのお前やないかーい

くじらさん:愛情の捻くれ具合はテルースも酷いからなぁ…

うしさん:はい?(威圧)が普通に怖い

わにさん:いやしかし重苦しい雰囲気が続くな…つらい…

 

 はたしてレインと巫女の応酬が和解で収まるのか分からず、むしろ擦り切れきったレインの言葉からは、あらゆるものを拒絶するような意思を感じる。

 あんまり辛い回ばかりだと撮れ高がなぁ……と配信主らしいことを考えるシーリーンだったが、観察している内にあることに気付いた。

 

「……あ、この二人が話してる場所、ルーナが寝泊まりしてる場所に繋がってるんだね。この樹の社が入り口か……これ、下界の生き物が作ったんだったら凄いね。テルース、君の世界、あやうく新しい上位者生み出しかけてるよ」

「勇者と魔王。単純なこの図式が、一握りの怪物を生み出しているのです」

 

 上位者と下位者の違いは様々だが、ひとつにまとめて言ってしまえば、魔法というものへの造詣の深さで分けられる。そもそも魔法に対する認識が違っており、それは単なる知識の差というわけでもない。

 その上で、レイン達が「聖域」と呼ぶ場所とそこへ繋がる経路は、下位者の中でも並大抵の者では作ることがかなわないような魔法が施されている。

 ルーナを堕天させるための器たりうる存在としてヘリオトロープがいたように、テルースの言う通り、圧倒的な個が争い合う環境を用意することで、そこから上位者にすら手の届きうる存在が生み出されるのかもしれない。

 

「怪物と言えば、レインと勇者、あの子達も化けそうだよね」

 

 上位チャット▼

うさぎさん:まぁレインたそはほぼ創魔の弟子みたいなもんだしな…創魔がもう一匹増える…?(白目)

かえるさん:勇者はそこまでじゃない?そりゃ真名の秘匿性も十分だからあの世界の中だけなら無双できるかもしれないけど、転移だってほぼ本能みたいなもんでやってるっぽいし、操魔技術はからっきしでしょ

ぺんぎんさん:どうする?あんまり力つけられて困るなら処しとく?

みみずくさん:※リア凸は禁止です

 

「んー、まあ、ルーナがもう一人ってなるくらいなら、その前に私が何とかしておくよ」

「ルーナとニイロさんは全然違いますわよ?」

「そうなの? ルーナスキーのテルースに言われると信じるべきな気がしてきた……」

「ルーナはよほど腹黒ですもの。それでいてお馬鹿なのがお可愛いのですけれど、ニイロさんは根本からお馬鹿さんです」

「腹黒が言うと説得力ある」

「はい??」

 

 腹黒と言うか、サイコパスか。

 腹黒が自分のことをろくでなしと自覚しながら常識人を演じるとしたら、サイコパスはその自覚がない。

 

「あ、それでね、どうもこのお社がある樹の範囲はルーナ側からも知覚出来てるっぽいんだよね。レインと巫女の会話が終わったら、二人の会話を盗み聞きしてるルーナの様子も見に行ってみよう」

 

 盗み聞きをしている人を盗み見る。なんともおかしな状況である。

 シーリーンからすれば、「上位者」というものへの理解は十分であったので、ともすれば、盗み聞きの盗み見を盗み読みしている存在だっているのかもしれないと考えた。もっとも、やはりそれは知覚の外であるので、考えたってしょうがないのだが。

 

 

 

 


 

 

 

 

 上位チャット▼

とらさん:なんか泣けてきた

もぐらさん:寿命持ちはこういう人間関係の重みが軽いから羨ましい

つばめさん:なんで生きてるんだろうって鬱になった

きつねさん:俺だってなぁ……

きつつきさん:この子はちゃんと幸せになれるよ

たこさん:儂もTS転生してくるわ

ねこさん:仲直りしてくれてよかった

みじんこさん:;;

 

 レインと巫女の会話が終わり、コメント欄含め、少ししんみりした空気に満たされていた。まあでも、視聴回としては見ごたえのある良いものになったかもしれない。喧嘩別れのようにならなくてよかった。

 

 テルースは「ニ゛イ゛ロ゛さ゛ん゛良゛か゛っ゛た゛ね゛ぇ゛……」と涙を拭いている。毎回思うが、このクレイジーサイコレズは他人に感情移入し過ぎである。

 なお、「絶対に逃さない」発言を含む、今回における数々の発言から、巫女には「テルース2号」というあだ名が付いた。あるいは「2号」。まぁつまり、愛情のやべぇ奴という意味である。シーリーンとしては、巫女の愛情はレインにしか向いていないからまだマシだと思う。思いたい。このサイコが増殖するのは嫌だ……。

 

「それじゃあ、あとは若いお二人に任せて、私達はルーナの方を観に行こうか。今回も、ヘリオトロープと脳内で会話してるみたいだよ」

 

 そう言って、社とは位相のズレた場所、レインらが聖域と呼ぶ場所へ視点を移動させた。

 石の祠の上にルーナは腰掛け、夜空を見上げながら独り言のように語っている。

 

『……カカ、人の子と巫女の絆は深まったというわけじゃな』

『……』

『宿主。お主は置いていかれたままで良いのか? 隠し事をし、人の子の未来も塞ぎ、それがお主のやりたいことじゃったのか?』

『儂は、……別に』

『つまらんのう……。つまらんつまらん。お主がこの世界でどれだけ生きて、どれだけ見聞を深め、どれだけ背負ってきたのかなど、我からすればほんの僅かなものじゃ。その程度で自分を縛るなど、お主のような被虐嗜好でもなければせんじゃろうな』

 

 どうやら先輩風を吹かしているようである。

 ヘリオトロープは、森人達に神様と崇められ、重責を背負い、己を律して生きてきたのだろう。シーリーンはその姿に見覚えがあった。崇められるものは皆、ああして自分を縛り付けるのだ。

 

『伝えたい気持ちと伝えたくない気持ち。繋がりたい気持ちとそれを恐れる気持ち。その優柔不断さを、矛盾を持っていることを責めているのではない。それは決して悪いものではない。じゃが、選べ。人の子が選んだようにな。選ぶべき時というのがある。今がそれじゃ』

 

 誰よりも自分で全てを選んできたルーナだからこそ言える言葉なのだろう。

 もっとも、自分の意志を貫き通してきたからこそ、多くのものに恨まれ、嫌われてきたのだが。それでも意思を信じる彼女の姿は、いくらかの上位者からは嫌悪を通り越して畏怖、あるいは尊敬すら集めている。

 

『……人は、弱いからな。身体を、心を預けてしまうようにできておる。もっとも、だからこそ愛してやりたいと思えるのじゃが』

 

 濁りきった瞳で、小柄な少女に憑依したルーナは遠くを眺める。

 その心の機微に少し触れた気がして、気付けばヘリオは問いかけていた。

 

『神は、あなたは……いつから、神なのですか?』

『お主と一緒じゃよ。気付いたら、というやつじゃ。誰も彼も、勝手じゃよなぁ……我が言えた義理ではないが。じゃがまぁ、子らへの愛情は自然と芽生えるものじゃ』

『儂は……ちゃんと、みなの「神様」でいられているでしょうか?』

『まぁ、できとるんじゃないか。知らんが。ほれ、人の子がいつも最初に悩み事を尋ねに来るのだって、お主じゃろう?』

 

 その相談の内容はどれも碌でもないものばかりで、片手間にしか相手しないときもあるけれど。

 それでも、頼りにされているというのは確かであった。

 

 上位チャット▼

らっこさん:なんかこう…背中がデカく見えてきた。おかしいな創魔なのに…

おおかみさん:神というか、上位者

らいおんさん:普段無茶苦茶やってるくせに妙なカリスマ性があるのタチ悪い…

とんぼさん:レインちゃん的にはお母さんよりヘリオちゃんの方が頼りやすかったのかぁ

へびさん:シーリーンとかもだけど、そういえば創魔も突然力持って現れたよな。過去が意外と知られてない

 

「……はい、じゃあ短いけど今日はここまで。おつかみ〜」

「あら?」

 

 まるで本物の神のようにヘリオトロープを諭すルーナを見ていられず、やや強引にシーリーンが配信を終わらせた。

 なんだか、彼女を追っていることが馬鹿らしく感じられて。その嫌な気持ちを忘れようと、再び不貞寝に戻るのであった。

 

通知    


通知はありません

 検索 

TS

 Tellus and Selene Ch. 

設定

ミニプレーヤー (i)

シアターモード (t)

全画面 (f)

 上位チャット

 一部のメッセージ(不適切な可能性があるものなど)を非表示にします 


 チャット

 すべてのメッセージが表示されます 

あ↹A 翻訳を追加



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アイドルは偶像って意味らしいんだけど偶像ってなんですかね。いや、像は分かるんですけど偶ってなんですかね。偶はたまたまって意味があるから、タマタマの像ってことですか?なんて卑猥な…

「ねぇ、母様」

 

 うん? と、荒い息を整えながら母様が返事をする。暗がりの中、乱れたベッドの上。

 熱っぽい母様の瞳は蕩けていて、瞼も半分ほどまで下りた状態で、視線だけが僕を捉えた。

 

「ありがとうございました、色々と」

「そんな、最後みたいなこと言わないでよ。ほんのちょっとだけ離れ離れになるだけなんだから」

「そうですね。そのつもりです」

 

 お別れの言葉とかそんなつもりじゃなくて、単にふと思ったから口に出しただけだったのだけれど。母様には、どこか寂しげに聞こえてしまったらしい。いやまぁ寂しいけどね? 寂しくて死にそうだけどね?

 母様が挙げたやりたいことはあらかたやってきた。前世の料理も作ったし、新装された銭湯にもまた皆で行った。アイサ姉妹の特別公演も観に行ったし、母様をたっぷり虐め抜くえっちもした。

 あとは、多分今まで以上に母様に甘えた。精神的に寄りかかりすぎていないかなというくらい甘えた。甘え溜めである。なお、寝溜めと同じでほとんど意味のない行為だと思う。冬眠のできない人類は劣等種族だよぅ……。

 心の中でスラム生まれのDさんが「俺は人間をやめるぞ!」と叫んでいる。はたして吸血鬼は冬眠するのだろうか。棺桶の中で寝てばっかいるイメージだし、できるんだろうな。冬眠できないなら吸血鬼も劣等種族である。差別はこうして生まれる。

 

 旅立ちまで残り一週間となった。

 二人の従者には、アイリスともう一人男の人が選ばれた。アイリスは僕の身の回りの世話を任せるためで、男の人の方は時々エルフの森から外界の様子を探りに行く調査チームの一人らしい。密偵……は違うか。とにかく今までほとんど関わったことのなかった人だが、僕の憧れる男性像である渋いオッサンだったので感動した。

 いや、エルフは本当に男女共に綺麗系が多くて、肉体年齢だって高くても20後半ばっかだから、渋い男が少ない……というかいないのだ。髭も生えない人がほとんどだ。目には優しいのだが、見慣れてくるとイケオジが恋しくなる。なんかこう……あの安心感と言うか、分かるでしょ? いや、分かれ(暴論)

 この美少女ぼでぃも良いのだが……やっぱ渋いオッサンになりてぇなぁ。

 

 男性の名はクロミノ。家名はない。クロコさんと呼ぶ人もいるらしいが、僕はクロさんと呼ばせてもらっている。シロ先生となんかこう良い感じに対になってるな。全然節点のない二人だけど。

 年はもう200を越しており、結構苦労しているらしく、めんどくさいことからは「おじさんもう年なんだけど……」と言って逃げる。面倒くさいことを嫌う精神、嫌いじゃない。僕も結構雑な人間なので、アイリスの苦労が増しそうである。

 

 ゆったりとした眠気を感じて、母様を抱きしめながら囁いた。

 

「明日は、楽しみましょうね」

「うん。私達のためにも、みんなのためにもね」

 

 やり残したことはひとつ。

 二人で完成させた歌を、みんなにも聞いてもらおう。

 明日は、当代巫女と次代巫女によるライブである。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「……あの、今回も、僕もそれ(・・)にしないとダメですか?」

「うん。私が100年近くかけて辿り着いた境地だから」

 

 ジリジリと母様がにじり寄る。その髪はふたつにまとめられていて……俗に言う、ツインテールである。

 僕も、ツインテールにするのは初めてではない。でも年齢で言えばそろそろ高校生なので、キッッッッとなる。ポニテじゃダメ? あ、ダメ……。はい……。

 揺れるものというのはやはり人の目を惹きつけるようで、ツインテールはそういう意味で強いらしい。本能だからね、しょうがないね。おっぱい見ちゃうのも揺れてるからしょうがないね。揺れるほどないって人は……まあ、つよく生きようね。

 

 エルフは上品なので、アイドルだからって日本のソシャゲみたいに露出の多い衣装は着ない。肌が出てりゃ良いってもんじゃねえんだ。その点、アークナイツはちゃんと服を着せてるから、見せないエロスというものをよく理解している。えらい。えろい。

 しかしこの祭事装、露出は少ないはずなのだが、腋とか背中とかが結構開いていて……いやエルフは上品だからまさかそんな邪な考えで考案されたとは思えないが、一度制作者を呼び出したい。もちろん、良くやったと握手するためだ。母様が着てるとエチチで、正直今夜が待ち遠しいです。コスプレックスはアイドルの嗜みです。そんなアイドル嫌だな。

 

 時間が来て、母様と二人舞台へ進む。前世の自分に、来世ではアイドルしてるよと言ったらショック死したことだろう。陰キャが人目に晒されるなんて耐えられない、と。

 でも、歌は好いものだ。難しいことは分からないが、そう言える。人なんていう信頼の置けない生き物に対して、一緒に音を奏でているときだけは繋がっている感覚がある。一緒に音を奏でるというのは、もちろん「聴いてもらう」ということも含んでいる。音を出すだけが奏でではない。

 

 最初は何も喋らずに歌い出す。みんなをこの場所(非日常)に惹き込む導入。

 できれば、聞きやすく乗りやすいもの。間奏のあいだにみんなに声をかけて叫ばせる。全部、出していこう。僕も、あなた達も。

 

 終曲。挨拶。そして二曲目。

 そうやって母様と顔を合わせたりしながら歌っていって、目を細めながらみんなに笑顔を向ける。

 やっぱり、この瞬間の、この光景はとても綺麗だ。みんなの気持ちが重なって、魔力が渦を巻き、オーロラのように揺れる輝き。

 

「──次は、二人で作った歌、『春宿り』。聴いてください」

 

 母様と二人でゆっくり作っていた歌。あの日母様と話して、少しだけ内容に変化が生まれたけれど。

 あんまり深いことは考えていなくて。ただ、この世界に生まれることができて良かったなぁって、僕にとってはそれだけの歌だ。だけど、その幸福感が、何よりもありがたかった。

 ただ「生きていること」を嬉しく思えるというのは、人によってはとても難しいことだろうから。

 

いつからだろう? 息をはじめたのは

誰のためだろう? 歌をうたうのは

尋ねようとして 口を開いて やっぱりやめよう

まるで気にしていないんだもん ずるいね君は

 

おいで ここは雨が降らないから

ふたり 肩が触れ合う

 

 一度、母様にどのようにして奏の魔法が生まれたと思うか聞いてみたことがある。

 たとえば、僕ならば、音が一番原始的なものだからと言うのが思いつく。五感のうち、触覚、聴覚は力学、視覚は光学、味覚と嗅覚は化学と、構造や仕組みの単純さには差がある。複雑になればなるほど、進化の過程において後半に生まれた器官と言うことができる。

 だから、力学……音波というものを利用した「歌」は、人の心を動かすのに一番いいんじゃないか、だなんて。

 でも、母様は笑って別のことを言った。

 

『私は、難しいことは分からないけれど。一番遠くまで届くからじゃないかな?』

 

 そもそも楽しいから歌ってるってだけでいいんだけどね、と補足しながら母様は続けた。

 

『近くにいる人は、いいんだ。手を伸ばして助けてあげられる。繋がれる。でも、遠くにいる人、遠くに行ってしまう人こそ、私達は繋がりを保とうと努力しなきゃいけない』

 

 助けが必要な時に、音はきっとそばにいてくれるから、と。

 それを感じるには僕はあまりに繋がりを持ってきた経験が足りていなくて、少し困ってしまったが。

 

ゆらりゆらゆら 花咲う

ひゅるりひゅるひゅる 風が舞う

ここにいるから ずっといるから

 

 これから僕は遠くに行かなければいけない。

 そうして初めて、母様の言葉の意味を知るのかもしれない。

 

春風吹いた それはまるで恋だ

柔らかく包んで 気付けば去った

世界が花に恋したみたいだ

 

おいで ここは雨が降らないから

ひとりならば歌おう

 

くらりくらくら から回る

ほろりほろほろ 嬉し泣き

ここにいるから きっといるから

 

 心の奥底で求めていた景色があった。

 それは、憧憬とか、あるいは原風景といったものなのかもしれない。暖かくて、青草が風にのって香る、ただ落ち着くような場所。

 思い浮かべていた景色はまるで的外れだった。母様の隣が「そこ」だった。

 お金持ちになるとか、何か欲しい物を手に入れるとか、そういった出来事ではなく。幸せとは、その状態のことを指しているのだと思う。

 

いいから歌おう 息の続く限り

音のためだけに口ずさむから

抱えようとして口を噤んでばっかり やめよう?

ここにひとりしかいないんだもの 弱いね僕らは

 

 弱くてずるくてちっぽけな僕は、僕らは、これからどこへ行くのだろう。

 あなたとずっと一緒にいたい。そう思います。

 

さらりさらさら 雲揺蕩う

くるりくるくる 君が舞う

ここにいるのは ほっとするのは

 

待って そこは雨が降るから

ふらり 影見失う

 

 雨は、濡れてしまうから、冷えてしまうから、嫌なことを思い出すから、嫌いだ。

 嫌いだった。

 でも「僕」が生まれたのは、あの雨の日だ。

 

ふたりふらふら ただ咲う

ぽつりぽつぽつ 空が泣く

ここにいるから ずっといるから

 

おいで どこで雨が降ろうとも

ふたり 手を繋ぎ合う

 

 まあ、もしかすれば、空だって嬉し泣きをしているのかもしれないし。

 そも、濡れ透けの母様はきっとエチチだろうし。

 

 ──雨も、嫌ってばかりのものじゃないのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外界編
やべえ!外の世界結構楽しい!うわ変な動物がいる!うひょお〜…ところで、森出たときから付いてきてるあの人達は暇なのかな?普通に話しかけてくれないかな?きっとコミュ障に違いねえ!(仲間意識)


「……出てきました。やっぱり、周期通りっスね」

 

 若い男が望遠鏡のような筒を覗きながら呟き、その声に反応した数人の男達がおもむろに若い男と同じ方向を観察する。

 

「今回は3番からか。おぅい、他のとこのやつらに伝えてやれ。あとは、一番の急ぎで中央へ使いを出せ」

「自分でやれよぉ」

「部下を顎で使う悪い上司っス」

「うるせぇ、たまの権力乱用くらい許せ」

 

 いくらかの不満の声を、無精髭を生やした男は却下した。

 普段、中間管理職なんていう馬鹿みたいにめんどくさい仕事をやっているのだから、こういう時くらい自分は動かずにいたいのだ。

 渋々と動き出す部下に睨みを効かせてから、「今回は少し奇妙だな」と彼方に視線を遣るのであった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 リッカ・ソートエヴィアーカ。

 災厄を原因とする化け物たちと生き残りをかけて争う人類、その中でも強大な三大勢力と呼ばれるもののひとつ、鉄と血に塗れた軍事国家である。

 その前身はかつて失われた機械文明であり、現代では修復不能なオーパーツを用いて災厄との戦いを生き延び、また同時に周辺国家にも幅を利かせている。

 

 前線側にも多くの土地を持つが、その中央は人類の生存圏の中でも特に安全な場所、「(かす)かの森」に近い場所に位置する。というか、「幽かの森」に隣接した土地を確保しているからこその三大勢力なのだが。

 しかし、この巨大な軍事国家にはかねてより抱えてきた問題点があるのだが……今は置いておこう。

 

 三大勢力を始めとして、現在人類がもっとも注目しているのが「幽かなる精霊」──つまり、森人達の動向である。

 正直なところ、化け物たちとの戦いは敗北の見えた末期戦だ。人類種に死が訪れるその日を数十年先送りにしているだけである。しかし、そこに希望がないわけではない。

 なぜなら、伝承レベルで残されたかつての記録曰く、前回の災厄との戦いもこのような地獄の中にあったというのだから。

 つまるところ、人類の歴史というのは、一世紀以上に渡る災厄との争いに終始する年月と、また同じくらいの時間、国力を蓄え、周辺国と諍い、次の災厄に備える期間の連続なのだ。運が良ければ、備えの期間が数百年間与えられる。かつての機械文明はそうして作られたらしい。逆に運が悪ければ、災厄に一方的に蹂躙される期間が数百年続くことになる。機械文明の遺産のほとんどはその間に失われた。

 

 現在こうも追い込まれているのは、災厄が狡猾であり、人類の唯一の希望とも言える「勇者」を幼少の内にすべて葬り去ってきたからである。そして遂に、今やどこにも勇者が観測されることはなくなった。学園都市の研究者や魔法使い共が必死に観測を試みているが、ある時を境にぱったりと勇者はいなくなってしまった。

 この事実は知らない者も多いが、国の上層部にいるような者たちはみな知っている。絶望、悲哀、恐怖、その感情は計り知れない。それでも抗い続けているのは、かつてのように森人の介入があるかもしれないからだ。

 

 前回の災厄も、今回と同じく幼少の勇者を狙っていた。前回と今回で同じ戦略を取ってきているのは、もしかすれば災厄側にも知識の集積という行為が可能だからかもしれないが、今となっては後の祭りである。

 そんな中、前回は災厄が「幽かの森」に手を出し、森人達からの猛反撃を受けたために最終的に人類側は勝利することができた。勇者を何とか保護し、森人の力を借りながら災厄を下したのである。

 

 だから、今回もきっと森人が……。そんな願いを持って、なんとか耐え忍んでいる。

 

「……下らねぇなァ」

 

 そんな他力本願の敗北主義者的発想が、軍事国家当主の娘コルキスには気に入らなかった、

 いつか森人が? 災厄は今度こそ森人に手を出していないし、そもそも前回災厄に止めを刺した勇者は、今回見つかってすらいない。いない者を信じて、動かないものをアテにして、それで国が救えるだろうか?

 

 否。今必要なものは、そんな不確かなものではない。奪えるところから奪い、学べるところから学び、騙せるところを騙す。そんな狡猾さである。

 そんな折、「幽かの森」から定期的に現れる森人の動向を見張らせていた部隊から、普段とは少し違った森人の集団が現れたと報告が入った。

 

 森人は「幽かの森」に住む不思議な種族だ。「生きた歴史」や「幽かなる精霊」とも呼ばれ、人間の何倍もの時間を生きると言われている。

 またその見た目もおしなべて麗しく、かつての勇者の仲間たち曰く、「彼らの暮らす里は極楽そのものであった」と。

 しかし、森自体に何らかの術式が施されているらしく、その広大な土地のどこから入り込もうとも奥には辿り着けない。森を切り開こうとすれば獣が出るし、大抵ろくな事にはならない。

 結果的に、「幽かの森」は不可侵領域(アンタッチャブル)となった。幸いその現象は化け物たちにも適応されるらしく、人類は「幽かの森」に背中を預けて災厄と戦うこととなった。

 森人を怒らせれば、森に近い人類の中枢部は滅びるかもしれない。だからこその不可侵。できることなど何もないのだから、現状を信じて、もう後ろは気にしないことにすると決めたのだ。

 と、言うより。後ろを気にしていれば、あっという間に化け物たちに領土を侵されてしまうからなのだが。

 

 しかし、森の中から外界の様子を知ることができないためか、森人は数年、長ければ数十年に一度、森から人里に使節を送る。

 送ると言っても国主の元に来るわけではないのだが、その美しい容姿はたとえ隠そうとも気付かれてしまうもので、気付いた者達は怒らせないよう丁寧に対応しながら、他の人間と同じように接するのである。人によっては「精霊の泊まった宿」を名乗るようになるなど、中々に強かな商売をしている。

 森人が現れる時は、年はまちまちだが、その日付と位置はおおよそ安定している。力を持った存在の動向を把握していたいのが権力者というもので、この軍事国家では森との境界付近に監視用の施設を設置し、観測された際は報告させ、その後の動向も密かに追わせるようにしている。

 

「コルキス様。陛下がお呼びです」

「あァ──いや、どっちだ?」

 

 用がなければ呼ばない。そんなことはあの人と関わる上では当然のことで、いま疑問に思ったのは、件の森人のことか、災厄との戦争のことか、そのどちらか判別しかねたからだ。

 

「まァ、両方か」

 

 一度にまとめてしまった方が効率的だから。……そう唱える姿が容易に想像できて、無性にイライラした。

 これではいけない。私怨を持ち出せば、思考は鈍くなるし勘もはたらかなくなる。そんな感情は必要ないのだ。

 

「──私の最良の日々は過ぎ去ったのだから(Because my best days are past)

 

 己に言い聞かせるように一つの(ことば)を呟いた。

 懐古は生の対義語だ。振り返って感傷に浸る暇があるのならば、人は前を向いて進まなければならない。なにより、譲れぬ目的があればこそ。

 

 椅子に投げかけられていたコートを踊らせるように羽織り、準備は良いから案内をしろと従者に視線で命令する。

 自室はまだよいが、この建物内は全体的に寒すぎるのだ。寒冷地に所在しているというわけではなく、暑がりな筋肉質の職員達のために、空冷が常におこなわれている。その技術すら、根幹を過去の遺産頼りにしているという事実には嗤ってしまうが。

 汗の価値を知らぬ愚か者では、この先の戦いを乗り切ることもできないだろうに。

 

 

 

 


 

 

 

 

 座り慣れた円卓の一席をコルキスが埋めれば、全員が揃ったと進行役が謳い、会議が始まった。円卓についている重鎮のうち、王を強く支持する者からは非難するような視線を送られた。

 あいにくコルキスは呼ばれてから大して寄り道もせず来たのだから、悪いのは遅くに連絡を寄越した陛下(タヌキジジイ)だろと心中で舌を出す。どうせ、わざとだ。

 

 予想通り、議題は森人と戦争のふたつを中心としたものであった。他にも雑多な話題があったのだが、四捨五入すれば無いようなものだ。

 

「──そのため、今後も三大勢力での連携が重要となりましょう。姫殿下には、ぜひとも親善大使としての留学をご検討いただきたい」

「……あァ、学者連中にとっても、私らの手綱を握れているって実感は必要だろうさ」

「姉上、そのような言い方は「テメェは黙ってろ」──ッ!!」

 

 勢力関係というのは重要だ。巨視的にも、微視的にも。

 国同士の関係を考えるのならば、ソートエヴィアーカは強すぎる(・・・・)。その力は過去の栄華に縋ったものだが、強さは強さだ。

 災厄なんていう馬鹿みたいな脅威と戦っている最中でも、ヒトという生き物は内輪揉めをやめられない。表立って争うようなことは滅多にしないが、いつだって「その後」を見据えた輩が存在し、他国に力をつけさせ過ぎまいと腐心している。

 

 あまりにこの国が力を付けすぎれば、血迷った奴らが火種を持ち込んでくるかもしれない。

 「オレらは大丈夫」、その実感を与えてやるためには、時には人質だろうがなんだろうが使うべきであろう。

 

 下らない。言ってしまえば、本当に下らない。しょうもない生き物で、種の生存競争という目的からすれば非効率的ともとれる行いをヒトはする。

 馬鹿らしいし、心底軽蔑するし、嫌悪感を隠してやる気持ちにもならない。

 

 ──けれど、一番唾棄すべきはその厭世だ。

 

 厭世とはつまり、実情の見えていない理想主義者による、エゴに凝り固まった敗北主義的ともいえる思考だ。

 否定はできる。誰にだってできる。けれどそれだけをすることに大して意味はない。

 厭世には、その先がないのだ。

 

 重要なのは、ヒトの命である。

 それは、簡単には増やせないくせに簡単に失われるもので、しかしその喪失には大いなる悲しみと士気の低下を伴い、またそれを守り繋ぐことは種の生存に直結する。

 愚かで汚らしく軽蔑すべき生き物? だからなんだ。それを知った上で、ならばそれらをどうやって生かすか、そのことに考えが至らないのであれば、それこそ闘争の邪魔だからどこかでひっそり死んでほしい。切に願う。

 

 だから、たとえ裏にどのような謀略が潜んでいようと、留学そのものに不満はない。

 この身ひとつで保たれる均衡があるのなら喜んで捧げるし、何なら留学先で多くのことを学び、これから先のソートエヴィアーカに必要な知識だって持ち帰ってきてみせる。

 とりあえず、内部による留学中の暗殺は本当に無駄だからやめてくれ、そのくらいしか願いはなかったりする。いやマジで暗殺は時間と資源と人材の無駄だから。やめて。切に願う。

 ……が、こうした弱気な願いを見せたら逆に寝首をかかれることすらあり、時折無性にこの立場が煩わしくなることもある。世知辛い世の中である。

 

 自分に話が振られたら適当に受け流すのを繰り返す内に会議は進み(大して具体的な内容は固まっていないが)、もう一つの議題、新たな森人達についての話に移っていた。

 

「──ひとりは、100年前から観測されている識別名『オルモス』だと思われます。しかし、残りの2名が不明です。どちらも女性と見られ、片方が特に丁重に扱われていることから、森人の中でも地位の高いものと考えられており、識別名『女王(ドローネット)』が与えられました。もうひとりの女森人には識別名『ニース』が与えられています。このタイミングでなぜドローネットのような人物が姿を現したのかは判明しておりません」

 

(へェ……)

 

 調査部隊の方はよく観察しているらしい。高位の森人、か。

 にわかに円卓がざわめき立つ。それは、期待の表れだ。もしや我々を助けるために森人が立ち上がったのでは、と。

 

 しかし、それは的外れな期待であろう。最初に観測されてから一週間が経っているのだ。本当に助けようと思っているのならば、既に接触が得られているはずだ。

 実際には、森人達は森との境界近くの辺境をゆっくりとしたペースで移動している。

 

「ドローネットとニースについては、初めて出現した森人ということで写真機(スピージャル)の使用許可を申請し、受理後撮影をおこないました。お手元の資料に、その複製が配布されています」

 

 どうせ美人なのだろう、そんな分かりきったことを考えながら、資料をめくる。

 一枚目……女性にしてはかなり高身長だな。森人の特徴ではあるが。フードの付いたポンチョのようなものを着ているために、顔の上部は隠れ、口元の周辺しか確認できない。しかしまあ、それだけで美形と理解できるのも流石は森人といったところか。

 あとは、胸の山が信じられないくらい主張が強い。陰影からある程度の大きさは推察できるのだが……この資料を見たオッサン共の咳払いが妙に増えたのを白い目で眺めた。

 変態オヤジ共に聞こえるように舌打ちをひとつ飛ばしてから、もう一枚の写真を見るべく資料をめくった。

 

 

 ──そして、稲妻が瞳に流れ込み、背中を駆け抜けていった。

 

 

 その写真は、よく見れば奇妙な点があった。けれど、そんなことに気付けないくらい衝撃的で、己の生まれた意味を考えてしまうほどに魅了され、よもや何らかの呪いではと疑う程度に完成された造形美であった。

 森人の写真は、先のもののように口元だけが確認できる不明瞭なもののことが多い。それは、彼らがその目立つ容姿を隠すべくフードや仮面、被り物を身に着けているためだ。

 しかし、その写真は……その少女は、偶然か必然か、無警戒なのか意図的にか、風でフードがふわりと浮き上がった瞬間、こちらを向いて(・・・・・・・)、微笑んでいた。

 南方の碧緑の海を切り取ったかのように深く、しかし美しく煌めく、新種の宝石のような瞳。童女のように無垢な笑顔を作る口元はまるで「穢れ」というものを知らないかのように屈託がなく、おそらくは薄い黄金の色なのだろうが、陽光に透けて白銀に輝く毛髪は、写真ということを忘れて触れてみたくなるほどに柔らかそうである。

 風で舞い上がった草花は、まるで己の意思で1枚の写真を完成させようとしているかのように少女を彩り、その調和は女性美を求める画家たちに到達点を示しているようであった。

 決して、先ほどの女性のように肉欲的な体型をしているわけではない。身長もおそらく平均より低いくらいだろう。だというのにその無垢な表情は妖艶さを兼ね備えており、幼くか細い体躯は同性と言えども劣情を煽り、どこまでも歪で、再現のできない完成された美がそこにあった。

 

「────欲しいなァ」

 

 そのときコルキスの表情を見たものがいれば、恐怖に慄き、あまつさえ失禁したことだろう。猛禽類のようなギラギラとした目、牙を剥いて笑みを浮かべる口、何より、獲物を前にした竜の如き威圧感。

 ──幸いにも、他の誰もがその写真に意識を奪われ、気付くことはなかったが。

 

 人類の存続のためなら滅私奉公も厭わないコルキスとて、美しいものへの理解も、欲求も有している。

 世界にひとつだけという美しい宝石も、1000年に一人と言われる画家の絵画も、何なら天上の一品と呼ばれる極上の料理を口にするなど、その「格」に見合ったものに多く触れてきた。

 だからこそ、これ以上の「美」には今後一生巡り会えないということを理解した。それは同時に、「これは自分のものであるべき」という思考に繋がる。このような傲慢さは彼女がひそかに父親から引き継いだ性質なのだが、彼女は気付けていない。

 

 何の補足がなくとも分かる。

 これが「女王(ドローネット)」だ。

 

 これは、もらおう。

 

 己の身柄も、時間も、知恵も、何だって国と人類に捧げよう。

 だから、だけど、これだけはもらおう。

 

 合理性よりも直感に近い判断。けれど、間違ってはいないだろう。

 どうやろう? その後の会議の内容も、仲の悪い重鎮の嫌味も頭には残されておらず、コルキスの思考は、如何にしてドローネットを自分のものとするかということだけに割かれていた。

 




**連絡欄**
コルキスの言語については英語を喋っているわけではありません。
単に作者の趣味です。邪気眼です。
古代文明とスチームパンクな軍事国家も趣味です。邪王真眼です。
よく理解してない政略も趣味です。右腕と左腕と右脚と左脚が疼きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外の世界にも結構慣れてきた気がする。交渉も何もかも、やり取りはアイリスかクロさんがやっちゃうから暇なだけだけど。ところで学園都市ってどこですか?

「交代の時間だ、ご苦労さま。追跡は問題ないか?」

「えぇ……まあ」

 

 壮年の男に声をかけられ、2年目の新米導師クラムヴィーネは苦笑いとともに曖昧な返事を返した。それを見咎めることなく、男はクラムヴィーネの肩をポンポンと軽く叩き、場所を代わる。

 クラムヴィーネ、彼女がこんな返答をしてしまうのもしょうがないのだ。

 

「……相変わらず、とんでもない量の魔力を垂れ流してやがる。ありゃバケモンだな。『(かす)かの森』の中は、あんなんがいっぱい歩いてんのかね」

「一応、アレ──女王(ドローネット)は特別な個体らしいですけれどね。ほら、他の二名はまだ常識的な放出量でしょう」

「おい待て、ドローネットってなんだ」

「は……聞いてなかったんですか? 朝礼会議で、ソートエヴィアーカから入手した情報ってことで言われましたよ?」

「あー、はて。……寝てたなガハハ!」

 

 導師の男というのは、どうしてこうも人格破綻者に溢れているのだろうと目眩を覚え、思わずクラムヴィーネは溜息をついた。ついでに、ずれ落ちた眼鏡の位置を直す。

 自分が憧れた導師というのはもっと賢く、凛々しさを兼ね備えた誇り高く力強い職業だったはずなのだが、必死に努力して導師となったのちに目の当たりにしたのがこの男である。

 まったく、才能というものは理不尽に違いない。以前からヒシヒシと感じていたことだが、化物(ドローネット)を見て更にその思いは強まった。

 

 とかく、凡人には生きにくい世である。

 

 

 

 


 

 

 

 

 魔導学園都市オクタ・デュオタヴウォーサ・オヴダナマにとって青天の霹靂であったのは、学園の存在意義について根底から覆されかねないほどの莫大な魔力を有した存在が、突如として幽かの森より出現したことである。

 

 幽かなる精霊という魔法的存在が多量の魔力を保有していることは既知である。定期的に現れる彼らを遠くから観察し、時に無知を装って接近することでその保有量は測られてきた。

 その量は導師の中でも経験を積んだものと同等程度で、人物によらずおおよそ一定であり、幽かの森に住む森人はすべてこの量であると思われていた。

 これまでは(・・・・・)

 

 素で上位の導師並というのは驚異的だが、言ってしまえば上位の導師並でしかない(・・・・・・・・・・・)のだ。特別な生き物だとしても、埒外の存在ではない。理解ができるなら、追いつけるし追い越せる。なぜなら、学園のトップは埒外の存在(・・・・・)なのだから。

 そう思ってきた。これまでは(・・・・・)

 

 先に述べたとおり、これまでは最終的に接近することでコッソリとその魔力量を計測していたのだ。マッチの火なのか、ランプの火なのか、焚き火のものなのか。ある程度そばまで近寄らなければ知り得ないように。

 

 しかし、晴れた昼間に「太陽はどこか?」と問う者はいないだろう。

 つまりはそういうことである。

 

 探すまでもなく(・・・・・・・)測るまでもなく(・・・・・・・)、ドローネットはただそこにいた(・・・・・・・)

 

 クラムヴィーネが苦笑いしたのもそういうわけだ。

 追跡は問題ないか? 問題ないに決まっているだろう。いや、むしろ問題しかないのかもしれない。それは、追跡というにはあまりに稚拙なもので、むしろ居場所に気付かないほうが難しいと言っても良い。

 計器に己の魔力を通せば、否が応でもそれに気付いてしまうのだから。

 

 

 

 

 魔力量計測に使われる計器は、生き物が自然におこなっている「魔力の呼吸」とでも呼ぶべきはたらきを利用している。

 

 生き物は周囲、特に地上の生き物は空気中の魔力と、自身の保有する魔力を常に交換し続けている。魔力は貯めるものではなく、流れ続けるものだ。自身の最大保有量とでも呼ぶべき量に達している場合、空気中から身体に流れ込む魔力と同じ分だけ、身体から空気中に魔力が流れ出す。

 このとき、生き物の体内を通った魔力はその真名の影響を受け、空気中に元々存在していたものとは状態が若干変化する。空気中に分散していくにつれ差異は薄められていくのだが、この「生き物の周囲にあり空気中の魔力とは状態が違う魔力」の量を計測することで、その生き物の持つ魔力量を概算することができるのだ。

 そのため、遠方からや人混みの中だとこの計器は使えない。……はずなのだが、ドローネットに関しては違ったらしい。それどころか、至近距離で計測しようとすれば計器が故障することだろう。

 

 軍事国家のリッカ・ソートエヴィアーカからもたらされた情報は、出現した森人のうち一人が要人であるというものであった。また個体名も統一しておこうということになり、ソートエヴィアーカ側での呼び方をそのまま流用した。

 一応は人類の三大勢力のうちの二国だ。表面上は仲良くしているし、情報や物資のやり取りはもちろん、人的資源のやりとりもある。学園都市を国と呼ぶかは悩ましいところだが。

 

 しかし、三大勢力のうち真ん中に挟まれるようにして存在する学園都市としては、不安の種には事欠かないのだ。

 前に災厄、左右に強大な他国。精神的な負担はさることながら、防衛を考えなければいけない国境線が広すぎる。もはや後方で沈黙を保つ幽かの森だけが心の癒やしであったのに、突然バケモノ(ドローネット)が飛び出てきてもう涙目である。

 しかも森人の一行はゆっくりと、しかし確実に、学園都市に向かって移動しているのだ。これ以上厄介ごとを持ち込まないでくれ。いつものように、人類の暮らしの調査をして、そのまま森へ大人しく帰って欲しい。

 

 ……ここまでが、学園都市に住む、哀れにも常識を持ち合わせ、政というものを人並みに理解できてしまった人間の思考である。

 

 学園都市は湧いていた。

 それはもう、湧いていた。

 ついでに、頭の中身も湧いていた。

 

 莫大な魔力を有した森人(研究対象)が。

 ドローネットが、自らの意思で(鴨がネギと出汁入りの鍋を背負って)学園都市へ向かってきているのだ。

 

 森人と敵対すれば、災厄と合わせ、前後を敵に挟まれることになり、それは即ち人類の終焉を意味する。森人がどれだけ戦争に対応できるのかは分からないが、既に限界に近い戦線にこれ以上負担はかけられない。

 そのため、三大勢力の間で幽かの森は不可侵領域であった。奴隷商にも、森人を扱った場合は相応の罰(・・・・)を与えると通達が行き届いており、国営の奴隷商だけでなく、個人勢にもその周知は徹底している。

 だから、人攫いも売れない森人に手を出すことは滅多に無い。最悪なのは、災厄との戦争というものを理解せず、今日明日の我が身の幸せのために、見目麗しい彼ら森人に手を出す賊くらいか。それらも極力抑え込んでいるので、森人から人類への心象はまだそう悪くないはずだ。

 

 さて、話を戻そう。

 手出しの許されない森人だが、彼ら自身の意思で接触を図ってくるのならば、それはもう、敵対しない限りどんな風に利用しようが問題ないのだ。

 彼らは、謀略や調略には明るくない。閉鎖的で穏やかな暮らしが思考を鈍らせたのだろう。

 ならば、バレないように、あるいはバレても問題のない程度に、彼らの力の一端を我が物とすることは容易である。

 

 たとえば、ドローネットに「お願い」して、その膨大な魔力の一部を借りる(・・・)というだけでも、その効果は大きいだろう。

 あるいは調略によって人類側に引き込み、森人全体の支援を受けられるようになったら素晴らしい。

 何よりも狙いたいのは、「人類側」ではなく「学園都市側」についてもらうことだが、欲張りすぎれば失敗に繋がるから注意しなければならない。

 というか、どうやったらあんな量の魔力を保有できるのか、ぜひとも調査させていただきたい。大丈夫、身体検査するだけだから。健康診断みたいなものだから。天井の染みを数えている内に終わらせるから。先っちょだけだから、ね?」

 

「……先生。漏れてますよ、思考」

 

 追跡の当番を終え研究室でひと息つこうとしたクラムヴィーネだが、そこにも碌でもないやつが待ち構えていた。なんだ魔導師って。ろくでなししかいないのか。

 

「こら、今はキミも先生だろう? それともなんだ、キミはまだ学生気分だっていうのかい。それはいけない。キミだって能力ある導師の一人として選ばれたのだから、それに相応しい振る舞いを心がけなさい、ね?」

「……はい、すいませんハマシギ導師。注意します」

 

 美少女の写真を眺めながら電極片手に「先っちょだけ」と呟くのが「相応しい振る舞い」なのかクラムヴィーネには判断しかねたが、ここで反論すれば1に100のマシンガントークとして返ってくるだけであり、なにより恩義のある先生だったので大人しく従った。

 そもそも、たしかにいつまで経っても先生先生呼ぶのはよくないのだ。気を付けるようにはしているはずなのだが、やはり長年呼んできた呼び方はそう簡単には変わらない。

 

 しかし、かなり執着心の強い人だから、目を付けられたドローネットさんは少し可哀想かもしれない。

 先生……いや、ハマシギの眺める写真をクラムヴィーネも横目で盗み見る。やましいことがあるわけではないが、ハマシギの見ているものを横から奪えばマシンガンのいい的だろう。

 ソートエヴィアーカの写真機(スピージャル)で撮ったものだろう。いまだ魔法で再現することのかなわない「機械」のひとつだが、逆に複製技術はこちらの方が優れている。大方、写真を共有してもらう代わりに複製を学園でおこなったのだろう。

 

 ひと目見て、その写真の少女に目が釘付けになった。魅了されたと言い換えても良いが、その次の瞬間ににじみ出たのは、恋慕や渇欲などではなく恐怖だった。

 ……いや、恐怖という言葉が正しいのかも判別つかない。ただひたすらに、理解が出来なかったのだ。

 

 なぜこのような美しい生き物が存在するのか?

 初めはただその一心であった。次第に、このような美しさを兼ね備えながら膨大な魔力をも秘めていることへの嫉妬や、その嫉妬すらおこがましく感じてしまい、憎みきることの出来ない混乱などで心と頭がかき乱された。

 

 先生に目を付けられたから可哀想? なんたる傲慢か。

 クラムヴィーネの心配などが届く場所にドローネット(この美しい生き物)はいないのだ。ただひたすらに高みに存在し、まるで空から一粒落ちる雨粒のように、気まぐれに私達に干渉する。

 同情など、する余地もない。否定的なニュアンスでなく、余地を持つことなど許されないという意味で。

 

 最後にクラムヴィーネを襲ったのは無力感であった。

 

 どうして。

 どうして、神は私達を創りたもうたのか。

 

 人類も、災厄も、必要ないではないか。

 こんなに美しくて、魔導の極みに立てる存在がいるのならば、他のものはすべて余計ではないだろうか。

 

 どうして私は生きるんだろう?

 私の生きる数十年など、かの存在の数秒にも満たない価値しかあるまいに。

 

「──愚か(folly)愚か(folly)愚か(folly)! 愚かだよキミは!」

「せん、せい……?」

 

 蒼白としていた顔に気付いたハマシギが、クラムヴィーネに向かって暴言とも取れる言葉を放った。

 

「すぐにそうやって悪い方へと考える! いつも心配して震えている! 何も見ないうちから、絶望してしまうのは良くない。これから最高に楽しいことが待っているんだから、ね?」

「……最高に、たのしいこと」

 

 最高に楽しいことが待っている、とハマシギは断言し、その言葉にクラムヴィーネの顔が上がる。

 

 ふと、クラムヴィーネは心が温まるのを感じた。

 いつだってそうだ。この人の言葉が、後ろ向きなクラムヴィーネに前を向かせる。あるいは、後ろを向いたまま歩く方法を教えてくれる。

 だからこそ、いつまで経っても先生と仰ぐことをやめられない。

 

「……はい。私、見てみたいです。会ってみたいです。ドローネット、さんに」

 

 頭の中だけで考えるのは一旦やめよう。

 どうせ、悪い方にしか考えられない。

 

 なら、一回会ってみて。喋ってみて。それからもう一度考えよう。

 そもそも、ドローネットさんみたいな重要人物と話す機会があるか分からないけれど。

 




ソートエヴィアーカ→ソトエビアカ→ソトエビ赤
おや…?(狙ってないです。作中の言語で軍隊みたいな意味の単語です)
でもソートエヴィアーカでの仲間内の呼び方は「同志」にしようと思います。
深い意味はありません。学園都市が「導師」だから対応させただけです。
ほんとです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人間、精神的に追い詰められたら最後はやっぱりおっぱいに落ち着くんやなって。僕エルフだけど。……あの、アイリス?鼻押さえてるけど大丈夫?また鼻血かな?

「御子様、被り物が窮屈ではありませんか? 大丈夫ですか?」

「僕、フードは好きですから。平気ですよ」

 

 アイリスに気遣うような声をかけられ、明るい声で問題ないと主張した。

 

 様々な都合から、エルフということはなるべく隠したほうが良いらしく、僕はフード付きのマント、アイリスとクロさんの二人も顔を隠すような格好をしている。

 人によっては、視界が狭まったり密閉感が強かったりという理由でフードを嫌うかもしれないが、前世でぼっち街道を進んでいた陰キャの身としては、その外界から守られている感じが結構安心感が合って好きだったりする。陰キャはフード好き説を唱えたい。

 あとはマフラーとかも結構好きだ。これは、陰キャだったからなのか自分の顔が嫌いだったからなのか、理由は不明瞭だが。前世の頃は、とにかく顔を晒すことが怖かった。傘とかも視線を切れるから好き。

 

「この間みたいに強風で脱げかけるかもしれないんだから、ちゃんと深く被っておくんだぞ」

「はい」

 

 過保護のあまり僕の快適さを優先するアイリスとは違って、クロさんはとにかく問題の起こらないよう意識しているようだ。

 アイリスは「クロミノ様、御子様にそのような物言い……」と不平をこぼしているが、おじさんのクロさんはどこ吹く風といった様子である。僕は別に身分が高いわけではないし、彼と上下関係もないのだから敬われる理由もない。

 

 クロミノ、あるいはクロコ。通称クロさん。

 元々、定期的に人類や災厄の偵察をする役目として派遣される使節の一人であり、現在の派遣員の中では最古参らしい。長ければ数年に渡って外の世界を旅して、資料や情報を記録して持ち帰る。エルフが『生きた歴史』と呼ばれることがあるのは、長生きするからというだけでなく、こうして世界全体の歴史を保管し続けているからである。

 エルフの森で生活する期間は外界にいる時間よりも短いらしく、エルフの文化と同じくらい人間の文化に精通しているそうだ。そのためか、どこかエルフっぽくない、言い換えれば”人間っぽい”言動を見せることがある。(つまりは、脳内お花畑度が低いということだ)

 

 彼と接してみて初めて気付いたのだが、この美少女ボディと共に生活するうちに、自覚できないくらい、僕は注目されることに慣れてしまっていたらしい。気付けたというのも、彼と一緒に行動していて視線を感じることが少ないのだ。

 いや普通は他人をそんなジロジロ見ないだろと思うかもしれないが、今まではジロジロ見られていたのだ。多分。ジロジロって言い方が悪いな。とにかくこうして振り返ってみると、エルフの森で生活していて、特に男性からの視線は多かったのだと思う。

 クロさんは、僕に無関心なのか、あるいは他人を「見る」という行為の危険性をよく理解しているのか、そう頻繁に僕に視線を送ることがない。これが想像以上に心地よかった。

 

 視線といえば、先程クロさんの言った「この間」はビックリした。

 森を出て数日歩いたあたりで、風の強い草原があったのだ。フードはめくれるわ髪は乱れるわ散々だった。もはや一周回って楽しかったまである。アレ、雨の降ってない台風の日みたいな。

 風の流れに乗れば多分空を飛べた。アイリスに必死で引き止められて、クロさんに窘められたから我慢したけど。

 森の中はあそこまで強い風にさらされることがないから、少々興奮してしまったのだ。人生二週目なのに恥ずかしや。考えてみると、もはや前世の経験を活かせた覚えがない。情事(シモ)の事情くらいか。母様開発には役立ちました。

 

 それと、よく分からないけど写真をパシャパシャ撮ってる人がいた。あの草原は中々に雄大な景色だったから、写真愛好家の中では名スポットなのかもしれない。

 前世ではカメラ趣味を持つことがなかったから構造なんかは分からないが、この世界のカメラは魔法を利用しているらしい。魔力が見えるからこそ分かったことだが、カメラから被写体に向けて魔力のビームを放出する感じだ。

 当たって怪我をすることはないと思う。しなかったし。まぁつまり、地球のカメラが光学を利用しているとしたら、この世界のカメラは光子の代わりに魔力を利用しているのだ。

 

 ただ、どう見ても魔力の燃費が悪い。あれだけ長距離から一定時間魔力を放出し続けないといけないとなると、普通の人は一枚撮るだけで魔力が枯渇してぶっ倒れると思う。人間の体は構成要素を魔力に頼ってないから枯渇しても平気なのかな?

 僕のことも撮ってくれるらしかったので、母様とのアイドル生活で鍛えたファンサ力を発揮してみせた。笑顔とポージングはアイドルの基本です。自分(ニイロ)が死にたいと嘆いている。分かりみが深い。どうしてこうなった。

 撮影される瞬間ちょうど風が吹いてフードがめくれたのも、アイドル力、もといエンターテイメント力高いと思う。配信者でもやろうかな。世界が撮れ高のために僕を優遇してくれている気がする。

 

 しかし、あんまりフードをピラピラしていたらクロさんに叱られた。

 曰く、人間達がエルフに手を出してくることは滅多にないけれど、分別のない輩に狙われかねないとか。あとは、いたずらに人間達を驚かせたり変な影響を与えたりするのもよくないと。

 強い口調で、人間とのあいだにはラインを引いておかなければいけないと言われた。

 

 そりゃ、普段彼らは僕達と関わらずに生きているのだから、余計な影響を与えるのが良くないってのは分かるけど。

 それでも、一切関わるべきではないというのは少し寂しい気がする。

 

 

 

 


 

 

 

 

「それじゃあ、5日分」

「は、はい。……丁度いただきます」

 

 クロさんが宿屋の受付にお金を渡し、それに若干詰まりながら受付の女の子が応対した。

 声は渋く、ダウナーな雰囲気やフードの下から覗く表情、またその高身長。それらだけで、クロさんが魅力的な男性であると気付いてしまったのだろう。ワンチャンとか狙っていなくても、イケメンや美女と喋る時に緊張してしまうのはよく分かる。

 というか、こんな皆して顔隠してたら普通にエルフって気付かれるんじゃないだろうか。気付かれていないつもりなんだろうか。意外とクロさんも抜けているところがあるのかもしれない。おじさんだからね。しょうがないね。

 

 宿は石造りのオーソドックスな感じだ。

 受付があって、団らんスペースのような広間があって、中くらいの広さの部屋がいくつかある。日本のアパホテルとまではいかないけれど、現在の人間の文明的にはかなり綺麗だと思う。トイレが水洗だし。つまりは、しっかりと下水が整備されているのだ。家樹でもないのにようやるわ。

 

「こちらになります」

「……ありがとう、ございます」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 僕らを部屋まで案内した女の子が下がろうとしたので、そっと礼を伝える。

 そんなにビビらなくてもいいのだが、あれだろう、僕の言葉遣いのせいだろう。

 

 森の中と外では言語に乖離がある。

 一応、どちらも真名、もとい「最初の言葉」を軸とした言語であるから大元は一緒なのだが。特に人類は発展したり滅んだりと忙しかったため、その時の王様や覇権を握った国などによって少しずつ変化していく。

 それでも「ありがとう」みたいな単純な言葉は通じるはずなのだが、伝わるのはニュアンスだけで、向こうとしては「感謝いたします」だったり、「御礼申し上げます」だったりと、古めかしく、あるいは重々しい言葉遣いとして聞こえてしまうらしい。

 

 噛んだのが恥ずかしかったのか、緊張からか、顔を真っ赤にしながらペコペコと頭を下げて女の子は下がっていく。可愛い。うん。可愛い。

 外の世界に出て気付いたのだが、おにゃのこの可愛さってのは顔だけではないのだ。もちろんエルフの少女たちは見ているだけで癒やされる可愛さだが、だからといって外の世界に来ておにゃのこにガッカリするようなことはなかった。なんならお婆ちゃんにすら可愛さを感じるまである。特にさっきみたいな若いおにゃのこを見ると、真っ白なキャンバスを前にしたときのような高揚を感じる。

 

「……やっぱり、人間の言葉を覚えたいですね」

「焦らなくても、交渉は私達がやるけどね。むしろ御子は矢面に立つべきでないのだから、今のままでちょうどいいんじゃないか?」

「でも、ODO(学園都市)に行っても言葉が使えなければ、学べることは減ります」

「……それは確かにそうだな」

 

 まあ、学園都市でどうこうってのは建前だが。

 もっと人間のおにゃのこたちと楽しくおしゃべりしたいです。

 

 クロさんは外界を長く旅しているのだから、当然人間の言葉を話せる。一部の特殊な言語を使う部族の言葉すら使えるらしい。マルチリンガルすごい。かっこいい。僕もこういうおじさんになりたい。性別が違うから無理ですね……。

 アイリスも僕の側付きとして旅についていくことが決まって勉強したらしく、買い物や人々の会話を捉えることくらいならできるらしい。

 クロさんは結構せわしなく動き回っているから、暇な時間、アイリスに宿で教えてもらうのがいいのかもしれない。

 

 分かっていたことだから僕も森で勉強しておけばよかったのだが、正直その時間がなかった。元々、エルフにしては異常なくらい一日を予定で埋めていたのだ。父様の遺伝かもしれない。

 おはようせっくすして朝食を食べた後はアルマと稽古。昼食後はルーナに魔力拡張してもらい、数分気絶して起きてから自力での魔力拡張の技術を教わる。時間が余れば他の魔法を教わることもあるし、奏巫女としてのお役目があるときもある。村を回ってみんなに声掛けをするのもやめるわけにはいかないし、夕食後はお風呂とおやすみせっくすで時間が溶ける。

 時間を作れるか作れないかで言えば作れたのかもしれないが、正直あれ以上何かを詰め込んでも僕はパンクしていた自信がある。脳味噌クソザコナメクジなので。

 

「それじゃあ、おじさんは少し出かけてきます。御子は極力部屋を出ないで、絶対にアイリスちゃんと一緒にいるように」

「了解です。クロさん、いってらっしゃいです」

「……うん」

 

 言いつけをするなり、足音もなくクロさんが消えた。人の意識の切れ目を見つけるのが上手い彼は俊敏性も高く、本当に消えてしまったかのように動くことができる。魔力の痕跡はないから、純粋な身体能力だ。

 

 さて、こうして学園都市に直行もせずに何をしているのかというと、クロさんを筆頭に現在の外の世界の情報収集をしている。ついでに、僕とアイリスは人間の文化に馴染めるよう努めている。

 最後にクロさんが外界にいたのは10年前だ。アルマが来て少しくらいの時期に帰ってきたらしい。エルフにとっては一瞬でも、10年あれば人間の社会は大きく変動する。戦時中であれば一つの国が滅びかねないし、王様の代替わりだってあるだろう。

 だから、たとえば10年前はエルフもどんな種族も安心して滞在できた国が、現在差別の激しい人間至上主義の国になっているかもしれない。学園都市が、災厄の手によって半壊させられているかもしれない。(学園都市が半壊するほど攻め込まれているのなら人類はもう滅ぶだろうが)

 

 今いるところは、学園都市とソートエヴィアーカという軍事国家、その両方に行ける距離感の小さな旅人たちの街だ。エルフの森にも近いわけだし外壁などはないが、軍隊が駐在することもあるらしく宿が多い。

 ふと部屋の窓から外を見渡した。「猫」がいた。

 

「……!?」

 

 えっ……、えぇ……。

 なにあれ。

 

「あ、アイリスぅ……」

「どうされましたか、御子様?」

「あ、あれ……」

「どれでしょうか?」

 

 困惑したように窓の外を指差す僕に、アイリスも窓の外に視線を向けた。

 しかし、そこにはもう何もいない。

 

「何も見えませんが……」

「ねこが、いたんです」

 

 震える声を上げる。それ以外に伝えようがなかった。

 いや、だって。

 

 二足歩行のデカい黒猫が、スーツを着こなして歩いていたのだ。

 

 あの光景を、どう言語化して伝えろというのか。

 

 とりあえず、しどろもどろとなんとか説明する。

 

人猫(ひとねこ)、かもしれませんね」

「人猫?」

 

 クエスチョンマーク。知らない言葉だが、人間と猫の中間という意味だろうか?

 

「御子様がお生まれになる前、30年ほど昔までですかね。先代の勇者、森人と友好関係にあった彼の仲間の一人が猫人(ねこひと)だったため、一時期獣人が戯曲の登場人物として一人はいたんですよ。最近は流行りが移り変わってしまったので、御子様は存じ上げないかもしれませんね」

 

 ええと、つまり。……ケモナー大勝利ということでよろしいか?

 

 説明を聞くに、獣人も魚人もこの世界にはいるらしく、特に代表的な猫型や犬型の獣人は特別な呼び方があるらしい。

 要約すれば、ケモ度が高い場合は「人猫」のように「人」を先に言い、ケモ度が低い場合は「猫人」のように「人」を後ろに付けるらしい。僕の見た黒猫は、二足歩行であること以外は完全に猫だったので「人猫」というわけだ。

 人語を介し、現代では人類側の勢力としてカウントされ、協力して災厄と戦っているらしい。素の身体能力が高いとか何とか。

 

 学園都市を挟んで軍事国家の反対側、三大勢力のひとつとしてケモミミ王国が存在するらしい。あにまるぱーく。や↑ったぜ。

 ODO(学園都市)とソートエヴィアーカの間にあるこの街で出会えるのは珍しいらしいが、結局他の人間と変わりないらしく、見るのはいいけど積極的に関わりに行くのはやめるよう釘を刺された。

 HAHAHA、僕が他人に関わりに行くわけないじゃないですか。んな対人能力高かったらエルフの森でもっと楽に友達作れてるよ。でもモフりたい気持ちはある。

 

 まあ、初対面の人に「モフらせて」って言ったら捕まるよなぁ……。

 

「学園都市に行けば、このあたりよりもっと獣人の方がいらっしゃるでしょうから。そこでならきっと、仲の良い獣人の方ができますよ」

「うぅ……それを待つことにします」

 

 悲しみ。ぴえん。

 モフり欲を紛らわすべくアイリスに抱きついた。

 

「御子様……っ!?」

 

 おっぱいがふっくらもふっと僕を包む。

 何カップあったらこんなクッションみたいな胸部装甲になるんですか……。

 

「……ちょっと、寂しくなってきたのかもしれません」

 

 母様やみんなと別れて一週間。

 こうも誰かの温もりを求めてしまうのは、モフりとか関係なく、ただ寂しいのかもしれない。こんなんで、真名の問題を解決するまで心が持つのだろうか。

 不安に思っていると、アイリスがギュッと抱きしめてくれた。先程まで以上におっぱいに包まれる。

 

「甘えて、頼ってください。そのために、(わたくし)はここにいますから」

「……ん」

 

 彼女も、正しく乳母であるらしく。

 ふと覚えた寂しさも、気付けばどこかへ立ち去ったのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とりあえず今回一番驚いたのは、猫の顔した人が普通の言葉を発音できていたことです。ニャゴニャゴナーゴって喋ってくれたらそれはそれで癒やされたんだけどなあ!なあ!

すいません、夜通し別の文章書いていたら短くなってしまいました。


「失敬、少々お尋ねしたいことがあるのですが」

「うぇ?」

 

 あんまり宿から出ないほうが良いとのことなので、団らんスペースの広間で道行く人を眺めながら人間の言葉の勉強をしていると声をかけられた。

 声の聞こえる位置が高い。かなり高身長の人だなと思って、フードの下から目を覗かせた。

 

「ひ、人猫さん!?」

「む?」

 

 そこにいたのは、先ほど僕が見かけたであろうケモ度の高い獣人、人猫(ひとねこ)であった。

 いや、人猫だからって「人猫さん」呼びはよくないかな? 僕が話しかけた相手に「エルフ!?」って言われたとして……あれ、そこまで嫌じゃない。

 

「なるほど、たしかに吾輩は人猫です。キセノ、と呼ばれております。以後お見知りおきを」

 

 そう言って、キセノさんは腕を胸に当てながら丁寧なお辞儀をする。

 額のあたりに白い毛が少し生えた黒猫さん。身長は2メートルはあるだろうか。ガタイがよく、これまた黒いスーツをピッチリと着こなしていて、おとぎ話だったら執事でもやっていそうだ。ちょっと意外なのは、指が長くて肉球がない。そこは猫らしくないのか。毛は生えているけど。

 

「ご、ごめんなさい。僕は、ええと、アンブレラっていいます。尋ねたいことというのはなんでしょう?」

「これは、アンブレラ様、丁寧にありがとうございます。人を探しているのですが、金髪碧眼の少女を見かけませんでしたか?」

「金髪碧眼? 人猫でなく、人間の少女ですか?」

 

 エルフは翠眼だが、金髪の少女って意味では親近感が湧くなぁ。

 しかし、この言い方からして人猫ではないんだろうけど、猫人か人間だろうか? 猫耳金髪碧眼の少女だったら会ってみたい。絶対可愛い。

 

 が、キセノさんが頷いたことから、猫人ではなく人間の少女らしい。

 

「見たような気もしますが……少しアバウトなので、もう少し他に特徴はありませんか?」

「特徴……青色の大きな帽子を被っていて、背はアンブレラ様より少し低いくらいです。あとは……、騒がしいですね」

「さ、騒がしい?」

 

 というか、大丈夫だろうか。

 人当たりがいいから信用しかけてたけど、奴隷の少女を追う商人とかって関係性じゃないよな……?

 

「あの、失礼ですが、ご関係は?」

「仕事仲間です。こちらを……。吾輩達はいわゆるなんでも屋を営んでおりまして、全国を歩きながら様々な依頼を受けております」

 

 そう言って、キセノさんは名刺らしきものを差し出してきた。

 異世界にもあるんだな名刺文化……。まあ、小さい自己紹介カードを持ってりゃ何でも名刺か。

 

 しかし、ほえー、なんでも屋。

 災厄で大変だろうに、人類も面白いことやってるもんだな。……むしろ、大変な時期だからこそ、固定された職業がやりづらいんだろうか?

 

 人間の少女と人猫がチームでなんでも屋をやるようになった経緯も気になるけれど、そこまでは流石に初対面で踏み込んでいい話じゃないだろう。

 

「なるほど。ですが、ごめんなさい。僕よりちっちゃくて青色の帽子を被った少女は見てないと思います」

「そうですか……。申し訳ありません、お時間取らせました」

 

 見るからにガッカリとして、キセノさんはもう一度お辞儀をした。

 先程までは胸を張っていたのが、少し猫背になっている。面白い。

 

「もしかして、キセノさんもこの宿に泊まっているんですか?」

「そうですが、より正確には、今日からこちらに泊まろうとしていたところ、連れが行方不明になって困り果てているのです」

「行方不明……心配ですね」

「……いえ、勝手にいなくなるのはいつものことなのでさほど心配しておりません。ただ、宿の場所を伝えないといつまで経っても帰ってこないでしょうから」

 

 何だその少女たくましいなおい。

 それで僕よりもちっちゃいんだよね? やっぱ僕も外歩き回って良くない? クロさんちょっと過保護すぎるんじゃない?

 

 内心、いま外で情報収集しているであろうクロさんのことを責めながら、僕はひとつ提案をした。

 

「部屋番号を教えてもらえますか? 見かけたり、僕の連れから話を聞いたりしたら、キセノさんにお伝えしますよ」

「おお! かたじけない!」

 

 宿の部屋番を伝えた後、キセノさんは少女を探しにか外へ出ていった。

 なんでも屋かぁ。いいなあ。前世だったら「ん? 今なんでもって」って反応を受けそうだけど。どの範囲までやってるんだろう。僕の脳内のなんでも屋は万事屋銀ちゃんで止まっているので、エイリアンを討伐しているイメージである。まあでも、この星は宇宙人と交流とかしてなさそうか。

 

「……あれ? いま普通に会話できてたな?」

 

 ……あまりに自然すぎて気付かなかった。今の人、キセノさん、ナチュラルにエルフの言葉喋っていなかったか?

 ど、どこでバレた!? フードちゃんと被ってるよね!?

 

 ……なんでも屋だから、エルフも見慣れてるってことにしておこう。

 なんかこう、多分、魔力量とかで気付いたんだよ多分。多分。

 

 とりあえず、クロさんに隠蔽の方法をもっと変えたほうがいいと伝えておこうと思った。

 




**連絡欄**
書いていた別の文章に関する申し開きです。申し開きってか宣伝です。
ちなみに書いていたのは2話です。書き終わってないけど。

活動報告:短編「流石にもう死に戻りたくない」を投稿しました
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=248021&uid=153116


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

母様、寝取られてないよね…? 変な男とか、ともすればおにゃのこに奪われてないよね? で、でも母様あれだけの性欲をどうやって我慢するんだろう? う、ううぅ、心配になってきた…

 キセノさんを見送った僕は、しかし宿を出てはいけないとくればやはり暇なことに変わりなく、勉強にも疲れたので、部屋でとある紙切れを眺めながらぼーっとしていた。

 まあ勉強って言っても、文字覚えて単語覚えてっていう凄い単純なやつだけどね。こっちの言葉が派生元だから、文法自体は大して変わらないのだ。そもそも前世では友達いないせいで勉強が友達だったし、紙に言葉をカリカリ書くのは楽しい。

 

 しかし、眺めている紙切れとは別に書き取りノートとかではない。断じて自分の字に見惚れていたわけではない。

 紹介状、というやつである。

 

 オクタ・デュオタブオーサ・オブダナマ。長ったるくてめんどいから、以下学園都市。

 なんかポワッとした感じでここに行くだの何だの言っていたが、人類の重要な施設らしいし、そもそも学校というのだから「入らせろ!」で入れるわけではない。ヘリオが提案したのだって、それ込みで僕が学園に入学できると思ったからだ。

 

「御子様、何をしていらっしゃるんですか?」

「中が見えないかな、と思いまして……」

 

 窓から差し込む日にかざしたりして頑張ってみても、物理的にも魔法的にも封のされた手紙は中身を確認することができない。

 紹介状を託すということは、ヘリオは学園都市側に対して何かしらのアドバンテージを持っているということになる。しかし、エルフの森の聖域に引きこもってる神様が、学園都市と関係を持つ? おかしな話だ。

 

 少なくとも確かなのは、ヘリオは元々森の外にいた可能性が高いということだ。それも、一般人でなく、なにか特別な地位の人物として。

 それがどうして流れ流れてエルフの神様になっているのか。そもそも、エルフの森に来る以前だったら何百年も前の話だろう。それだけ昔の人物の紹介状って、人間はどう思うんだ?

 

 

 

 

 旅立つに際して、紹介状だけでなく、いろいろなものをみんなから渡された。

 

 父様からは折りたたみ式の弓を。素手でも精度を上げられるよう目下練習中だが、飛んでいる鳥にようやく当たると言った具合である。自動照準の魔法とか存在しねえかな……。

 鳥というのは身体のどこかしかに矢が刺されば勝手に落ちてくるものだが、やはり頭や目を射抜くくらいのことができないと実用性に乏しい。それに、たまに人より大きいサイズの鳥も飛んでいるし。あれは流石にただ射っても落ちてこないと思う。

 

 アルマは短刀をくれた。シロ先生と一緒に森の奥まで入って、強力な野生動物の牙を素材にしているらしい。力自慢は分かったから、個人的には、あまりそうやって危ないことをしないでほしいものである。ありがたくもらったけれど。

 短刀……それともナイフ? ダガー? 細かい分類は僕は詳しくないけれど、普通金属で作られるものかと思っていた。しかし牙を素材としているのにこれは本当によく切れる。間違えて自分の指をポロッと落としそうで怖い。多分くっつけられるけど。

 使えば当然切れ味が落ちるから、時たま鍛冶屋なりで研ぎに出したほうが良いとは先生の言である。一応砥石も渡されたけれど、素人は下手なことをしないほうが良いとも言われた。そう言われると自分でやりたくなるのが江戸っ子の常である。馬鹿にしやがって、てやんでぇ!

 

 キバナちゃんは、何か渡したいけれど用意できるものもないと落ち込んでいたので、その気持ちだけで十分嬉しいよと伝えた。パンツくださいって言わなかった僕を褒めて欲しい。美少女のパンツはそれだけで宝物だが、流石に理性が仕事した。むしろこの発想が出る時点で仕事していないかもしれない。

 結局、初日にお手製の弁当と、ミサンガ状のお守りをくれた。

 

『私は、あなたが無事に帰ってくるように、って』

 

 お揃いのミサンガを手首につけて、キバナちゃんはそう微笑んだ。

 僕が外の世界に行く本当の目的を彼女は知らない。村のほとんどの人の認識は、魔法関連の病(呪いというのだろうか)を治すために行くのだと思われている。まあ、嘘ではないんだけど。

 

 そして、母様からは……

 

 ……

 

 や、やめよう。母様のこと思い出すと欲求不満がぶり返してきて頭がおかしくなる。

 もう、母様ってワードだけで下腹部が熱くなる。そりゃ毎日シていたのだから、こうも禁欲的な生活が続けば頭がおかしくなるというものだ。

 そりゃ、物理的に距離をとって、新鮮なものにも囲まれて、多少は気も紛れているし、毎日悶々としているわけではない。それでも、少しキッカケを与えられるだけで途端に切なくなる。ヤバい時は頭の9割が「母様とえっちしたい」で満たされる。発狂モノである。

 せめて、母様も同じことを思っているのかもしれないと考えることでなんとか精神を繋いでいる。……お、思ってるよね? 父様に寝取られ返されてないよね……? あう、あうあう、や、やだ。心配になってきた……。

 

 父様じゃなくても、母様ってあんな可愛いしえっちだし感じやすいんだ。もし、他のエルフに襲われでもしたらひとたまりもないだろう。

 そりゃ、信じていないのかと言われれば信じている。いや、信じられているのかな? こうも不安になってしまう僕は、やっぱり他人を信じるという点でどこか「人」として欠落しているところがあるんじゃないか? 馬鹿正直に、母様ならって一切心配しないのが正しいんじゃないか?

 

「……あい、りすぅ」

「は、はい! ……大丈夫ですよ、(わたくし)はここに」

 

 ……やめよう。分かっている。単に、僕自身の弱さ故に無性に不安に駆られているだけだ。

 母様のことを想えば、欲求不満は増すばかりだし、同時に不安感も強くなる。心の中の大切な場所に置いて、そっとしておくのが精神衛生上一番正しい。

 

 アイリスにぎゅうと抱きつけば、最初は驚かれるものの、僕の体の震えに気付いて彼女は優しい声を出す。

 それでも、どうしてそうなのかは分からないが、アイリスはまるでガラス細工に触れるかのように僕を抱きしめ返す。僕は彼女に主従関係なんて押し付けるつもりないのに、髪を撫でることすら躊躇するように、おずおずと手を触れさせるだけだ。

 ……まあ、僕もこうして自分の都合に彼女を巻き込んでいるわけだし、アイリスがそう望むなら応えていこうと思う。

 

 それにしても、おっきいおっぱいは本当に人の心を落ち着けるな、などと。

 性懲りもせずに、僕はアイリスっぱいに思いを馳せるのであった。

 

 将来は僕もぼいんぼいんになって、母様をこうやって癒やしてあげられるといいな。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人嫌いって中高生になると自称する人が急増するけど、結局単なるコミュ弱っていうオチが殆どなんだよね…。でも人間が好きって言うとそれはそれでなんか黒歴史になりそうで、もうどうすればいいですか…?

 とかく、人は忙しない生き物である。

 

 大路を往く人をしばらく眺めた感想がこれだ。誰も彼もとまではいかないが、どこかへ急ぐかのように駆ける男性や、途切れることのない往来を観察しているとそう思わずにはいられない。

 これがエルフだったら、なんなら大路の隅にハンモックを吊って誰か寝ているまである。僕ももはやそちらに染まりきったもので、こうしてずっとぼんやり眺めていられるのも種族的な特色だろう。

 

 しかし、同じエルフでもクロさんはどうも人間臭い。流石は人生の殆どを外界で過ごしているだけある。

 朝に宿を出ていく時「夕方には帰る」と言っていたから、プラマイ6時間くらいで見積もっていたのだが、きっちり五時の夕暮れ時に帰ってきた。時間間隔ガバガバな自分が恥ずかしくなってきた。

 

「市井の噂、実際にあった事件。信用度はマチマチだが、とりあえず全員に共有しておきたいことを話そう」

 

 そう言って、クロさんは今日まで町で集めた情報の中から、僕達にも知っていてほしいものを選んで語った。

 

 まずひとつ。治安については、悪化の一途を辿るというほどではないが、それでもやはり以前クロさんが外界にいた頃よりは悪化しているらしい。

 根本的な原因は災厄による被害なのだろうが、故郷を失って行き場のない人達や、火事場泥棒、戦争孤児など、犯罪に手を染めるようになる人の種類は様々である。

 このあたりでも、街を離れれば盗賊や山賊なんかが現れることもあるらしく、見境なく己の欲望に忠実に動く集団らしいからエルフの僕達も注意しましょうとのこと。言葉は濁していたが、まあ、男は殺し、金品は奪い、女は犯すということだろう。以前練習した珍棒を斬り落とす風の魔法がようやく日の目を浴びるかもしれない。

 

「本来、このあたりの国はエルフに手を出さないよう勧告を出しているらしいんだが。……堕ちきった奴らにとっては、国も災厄も関係ないのだろう」

 

 まさしく、今日明日の自分の快楽のために生きているのだろう。長期的な損得勘定ではなく、その場限りの判断で動く輩はどうにも手に負えない。

 

 また、別の情報として、三大勢力の相互関係も未だ崩れていないそうだ。まあそりゃそうだよな。三大勢力でバチバチに喧嘩してるような環境下だったら、キセノさんがあそこまで自由に国境を越えてないだろうし。

 あとは、紹介状を携えて学園都市を訪れれば問題なく受け入れてもらえそうだ。何事も問題なくて何よりです。まあ、紹介状が効力ゼロだったらもう笑うしかないんだけど。そうなったら森帰って久しぶりにヘリオ泣かせたるわ。褐色白髪調教済みのメスガキにかける慈悲はない。

 

 ……そういえば、キセノさんと言えば。

 

「クロさん。人探しをしている方がいたのですが、金髪碧眼の、人間の女の子を見ませんでしたか? 特徴は……ええと、騒がしいそうです」

「……見た」

 

 もの凄い苦々しい顔をしてクロさんが首肯する。

 

「だがその前に、御子、お前はもっと警戒心を持て。なぜお前を選んで話しかけてきた? 相手の素性はどれだけ分かっている? それは本当に探しているのか?」

「で、でも、本当に困っていそうでしたし……」

「いいかお姫様。お前が今まで接してきた人とは比べ物にならないほど、外界の奴ってのは碌でもないやつが多い。笑顔で人を殺せるし、息をするように嘘を吐く輩がごまんといる」

「僕、お姫様じゃないですよ」

「うるさい。お前がどう思うにしろ、周りからすればそういう認識をしている」

 

 い、いや、もうちょっと他人を信じてあげてもいいんじゃない……? 僕が言えたことじゃないけど、それでも他人を信じることの大切はよく分かってるつもりだよ?

 お姫様呼びに不平をこぼせば、一刀両断された。そんな、守られる側ではないはずだ。力だってあるし、何なら先程注意された盗賊なんかも、仮に襲われたとてひとりで切り抜けられる自信がある。もちろん、前世合わせてもこの中で一番若いガキなんだけど。

 口をとがらせながら、この人ですよう、と貰った名刺を取り出した。

 

「これは……また、嫌な奴を引き当てたな。『なんでも屋』か。ってことはやっぱ、あのガキも近寄らなくて正解だったか……」

「有名な人達なんですか?」

 

 な、なんなら悪い人だったりする?

 

「良い悪いじゃなく、本当に『何でも』やるやつらだ。タイミング的に、俺らに探りを入れることが目的の可能性もある。あまり関わるな」

「お、同じ宿らしいのですが……」

 

 そう言うと、クロさんは頭痛を覚えたように天上を仰いで、最後に深く溜息をついた。

 

「……おじさん、疲れた。寝る」

「えっ!?」

 

 えぇ……。

 瞬く間に自分の部屋へと消えていくクロさんをポカンと見送りながら、少し思うところがあって、アイリスに一つ尋ねた。

 

「……クロさんは、昔から()()なんですか?」

「……いえ、(わたくし)の幼い頃はもう少し人との関わりを好む方だったと思います。いつからか、あのような人嫌いになっていました」

 

 そっか。そっかそっか。

 クロさんも人嫌いなのか。彼は、僕を嫌ってくれるのか。

 

「……御子、様? どうかなさいましたか……?」

「あっ、いや、ううん。なんにもない、です、ます」

 

 アイリスに呼ばれて慌てて口元を引き結ぶ。危なかった。

 流石のアイリスと言えど、こんなことで笑っているのを見られたら変態扱いされる。

 

 もはや、懐かしさすら覚える、嫌われているという状態。

 この身体に生まれてからというもの、本当に誰も彼も無条件に好意を向けてくるものだから、自分の常識を疑いかけてすらいた。

 

 この世界には、ちゃんと、僕を嫌ってくれる人がいる。

 そのことでどうしてか、無性に嬉しくなった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜逃げすれば猫……ヤバそうな奴から逃げられるのでは?だから世紀末のモヒカン、君たちはお呼びじゃねえんだよ!

 夢を見た。以前と同じ、恐ろしい夢。

 

 誰もいない舞台を観客席からゆっくりと歩いていき、境にある根のドームを避けるように進めば弓道場に辿り着く。

 そこで僕はいつものように的に刺さった矢を抜きに行き、帰ろうとしたところで何者かの気配を感じる。

 

 しかし今回で言えば、夢の終わりはあっけなかった。後ろにいる誰かが近寄るよりもずっと先に、現実で揺り起こされたのだ。

 

「──様、御子様」

「……ぅゃ?」

 

 重たいまぶたを上げればアイリスの顔。寝坊でもしたのかと思ったが、外は暗く明らかに夜中であった。

 

「……ん、……ぅあ、えっと、どうかしましたか?」

「暗い内に、街を出るそうです。詳しくはクロミノ様から。まずは、出立の支度をしましょう」

 

 ほう。なんだ。早漏か? 急いで出る分には構わないけれど。

 眠気を訴える頭をグラグラ振り回し、アイリスの世話を受けながら着替えて荷物をまとめた。まあ大して量もないんだけど。

 

「奴らの目的がなんであれ、『なんでも屋』に絡まれる前にここを離れて、お前を学園都市まで連れて行く」

「ほぇ」

 

 ということらしい。キセノさん達、『なんでも屋』さんがエルフを狙っているのか、はたまた全く別の仕事でここに訪れているのかは分からないが、クロさん的には彼らに一切関わらず距離をとってしまいたいとのこと。

 そんなに悪い人……悪い猫には見えなかったんだけどなあ。ともすれば、仲良くなってモフらせてもらうことだって可能かもしれない。ケモミミをモフることは人類の至高命題なのである。

 

 それにしても、僕の支度が済むまで部屋に入らず待っていたクロさんは紳士的だなぁと思案する。人嫌いのくせに人に配慮してしまうのは、きっと彼の本質が優しい人なのだろう。

 そりゃあ女性の寝室へ男が入るのは問題とされる場合も多いだろうけれど、急ぎの話があるならそんなこと気にする必要はないのだ。

 

「……紳士的と言うか、常識だぞ」

 

 白い目で見られた。解せぬ。だがアイリスもコクコク頷いているので、反省すべきは僕なのかもしれない。

 だとすれば、アルマへの教育を少し間違えたな。主人公ポジの勇者様だから、ラッキースケベを引き寄せられるよう「男女差別はいけないから、用がある時はノックだけして部屋に入ってしまおう」と教えてしまった。僕という実験台でラッキースケベの素振りも十分出来ているし、きっとハーレム王になるだろう。

 というかそれ差別じゃなくて区別だな、多分。差別と区別、実に難しい話である。……はい、そうです。眠いのでかなり適当なことしか考えていません。

 

 まあじゃあ、眠気覚ましにボチボチ出発しましょうかぁ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ガタリガタリと揺れる荷車に眠気を誘われながら街道を征く。

 前線から遠く離れたこの地では、物流もまだまだ盛んで、早朝の薄暗い頃から行商人が街の間で荷物を運んでいる。先程までいた街を出発しようとしていた一つの商隊に声をかけ、荷車の後ろに三人乗せてもらっている。

 旅人が隊商に助けてもらうのはよくあることらしい。その代わり商品を買うこともあるそうだが、そもそも昔から残る風習なので、運んでやることに対して手間と思わない人が多いのだとか。ちなみに盗みをはたらけば袋叩きにされるとのこと。人間怖い。いや当たり前か。

 

「特に、この頃は賊が多いですからねぇ。固まって動かないと、たちまちカモにされちまいます。荷車なんかの装飾も、舐められない程度にはしっかりと、けれど旨味を感じさせない程度には(やつ)したものにするんです」

「なるほど」

 

 若い行商人見習いとアイリスが会話する。知識自慢はいいのだが、先程から視線がチラチラとアイリスの胸に吸い寄せられているのがバレバレである。まあ、アイリス本人は気付いていないのかもしれないけれど。

 童貞かな。童貞だろうな。童貞じゃなくてもあれは見ちゃうか。なんかもう興奮とかする前に神々しいもんな。万乳引力は今日も健在である。ばれないようにクスクスと笑ったが、見習いくんが顔を赤くしたから気付かれてしまったかもしれない。申し訳ないことをした。

 

「──っと、貴族様の馬車ですね。道を譲ります。おうい、全員端に寄れぇ」

 

 商隊というのは基本的に速度を出せない。もちろんダラダラ運んでいれば食料なんかが腐ってしまうが、それでも重い荷物を運んでいれば移動速度には限界がある。

 偉い人とかに限らず、移動だけを目的とした集団がいれば道を譲るとのこと。一応今回は、昨今の治安の悪さを配慮して同行しないか声をかけることにしたらしい。

 

「この先、特に危ない道もあります。そこまでは同行なされた方が良いと思いますが」

「──お申し出感謝いたします。ですが、急ぎますゆえ」

 

 凛とした女性の声が聞こえた。民衆に丁寧な言葉を使うお貴族様というのは、果たしてこの世界では一般的なのだろうか。

 だがまあ、話す機会があるわけでもなく、朝霧の中にその馬車は消えていった。

 

「あれ、ソートエヴィアーカの姫様じゃないか?」

「マジか。俺はもっと厳つい人物って聞いてたけど。あそこまで柔らかい口調で話す人だったっけか」

「いいや、俺には分かるね。あの声はコルキス様だ」

 

 路肩で停車する傍ら、暇なので商人たちの雑談を盗み聞きする。

 ソートエヴィアーカ……人類の三大勢力のうち、軍事国家と呼ばれるところか。国境付近だろうに、よくこんなところまで出張ってくるな。フットワークが軽いのか。

 ついでに休憩を取ることになったらしく、本格的に暇になってしまった僕は歌でも口ずさみながら暇を潰した。

 

「────♪ ──♪」

 

 歌声を聞きつけた野鳥なんかが寄ってくる。荷車を引いていた牛とサイの仲間みたいな動物も興味津々にこちらを見る。

 こころなしか辺りの木々も僕に合わせてざわめいてくれているようで、言葉を交わすよりもよほど、音楽というのは心を繋ぐものだなあと実感した。

 

「素晴らしい歌声だな。旅人って言ってたが、吟遊詩人か? この歌は知ってるかい?」

「いえ、この辺りの歌は知らないものが多いですね。もしよろしければ、教えていただいても?」

「……お、おう。じゃあ、オレの故郷の歌なんだが──」

 

 鳥獣が誘われれば、当然人間だって誘われる。そこにはきっと、大した差はない。

 顔を赤くしてキョドる隊商の男性から、いくつかの歌を教えてもらい、それを練習しているうちに出発となった。

 

 ──そして、僕は彼女に邂逅する。

 

「……おいアレ、さっきの姫様のとこ、襲われてねえか!?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

吉幾三のことを何故かわからないけれど政治家だと思ってた。多分吉田茂あたりと混ざっていたんだと思うごめんなさい…。

 レディーファーストという言葉がある。

 別に中世の文化に興味があったわけではないが、日本で生きていれば一度くらいは耳にするだろう。聞くところによると、女性優遇というよりはむしろ、女性を盾として使うための文化らしい。

 

 車道側を男性が歩くのは、女性を窓から捨てられる糞尿への盾にするため。

 部屋へ先に入室させるのは、女性を室内からの奇襲への盾にするため。

 まあ結局の所、今日(こんにち)どのように解釈されるかが重要なのだろうが。

 

 賊の出没するという山道で商隊の一歩先を進んでいた貴族様たちは、さながらその盾役として機能してしまったようで、山肌に沿った少々足場の悪い道の向こう、目の良い人でようやく確認できるかといった距離のところに、立ち往生している馬車とそれを囲うように走る騎馬の群れが見える。馬? 多分馬。6割くらいは馬。

 まあ馬車の装飾が見るからに華やかだったしなぁ……。飾る側も立場があるのだろうが、山賊からすれば良い収入源だ。乗っている人も少なそうだったし、襲撃もお手頃にできる。

 

「助けるんですか?」

 

 停車して慌て惑う商人たちの一人に尋ねる。

 中世ヨーロッパの紳士諸君は、先に入室させた女性が刺されたらどうしたのだろう。心血を注いで助けたのか、自分だけでも助かるべく尻尾を巻いて逃げ出したのか。

 

「馬鹿言っちゃいけない! この荷物は俺達の命以上に大切なんだ。幸い、向こうとまだ距離があるし、引き返して別の道を行くさ」

 

 そう言って馬車の向きを反転させていく。

 平和村、もといエルフの集落出身としては冷たくも思えるが、ごくごく妥当な選択である。

 商隊というだけあって護衛も装備もあるらしいが、ぱっと見て護衛くんたちが特別腕が立つようには思えないし、危険に立ち向かうと言うよりかは危険を避ける方が無難な選択である。遠目で見て、賊は20人はいる。せっかく餌に群がってくれているというのに、そこに突っ込んでいくのは馬鹿のすることなのだろう。

 

 が。

 

「あの馬車、お姫様が乗ってるんですよね? 見殺しにして問題とかは起きないのでしょうか」

「ああ、そりゃ軍事国家(ソートエヴィアーカ)は困るかもしれねえな。弟様がいるとはいえ、第一王女だ。……だが、俺達は国に縛られないからこその商人だ。出来もしないことをするほど義はないさ。そもそも、同行を断ったのは向こうさんだしな。あんたらも首を突っ込むのはやめておけ」

「……そういうもの、なんですね」

 

 世知辛ぇ。世知辛ぇよ外の世界……と思ったが、冷静に考えればエルフの村だって紛れ込んだ人間(ウクスアッカとアルマ)を殺そうとしていた。

 身内はともかく、それ以外を守る義理はない。そういった思考のほうが、下手な博愛精神よりかは普通なのだ。

 

 アイリスやクロさんも淡々としている。であれば、動揺してしまっている僕が常識知らずなのだろう。

 乗せてもらっている手前、商隊の人達に逆らうつもりはない。ただちょっと、もやつくだけで。

 

 沈み込んで荷台の片隅に縮こまる僕を、一つの影が覆った。

 (おっぱい)で分かる。アイリスだ。

 

「……御子様のなさりたいようにされるのがよろしいかと」

「……」

 

 どこまでも甘やかしてくる乳母である。

 オマケに長い付き合いのせいで僕の顔色を読むのが上手く、すぐこうやって背中を突っつく。

 

 チラッ、チラッとフードの隙間からアイリスの表情を伺い、「いいの? やっちゃっていいの?」と期待を込めた眼差しを送る。

 イケメンとも言える乳母の端正な顔は、雄弁に語っていた。

 

──どうぞ、望みとあらば、やっちゃってください。

 

 よしいくぞう。

 

「馬鹿。大人しくしていろ!」

「うにゃっ」

 

 クロさんに怒られた。解せぬ。

 

「何をしようとしているかは分かるが、魔法を使って目立てば顔を隠している意味が無くなる」

「そもそもこんなんで隠せてるわけないじゃないですか! 今更ですよ!」

「いいんだよ、それで。こっちが隠していれば、人間はわざわざ探ってこない。分かっていても、だ。──暗黙の了解というやつだよ。逆に、こっちが隠さないのであれば、人間だって俺達にそれなりの扱いをしないといけなくなる」

「…………へぁ?」

 

 間抜けな声を漏らしながらクロさんの言葉を咀嚼する。

 つまりは、ポーズが大事なのだと。

 ついこの間キセノさんに絡まれるまで、フードで隠せているものかと思ってただなんて言えない。

 クロさんの言う「それなりの扱い」というのがどのようなものかは分からないが、察するに国賓として見られるようになるのだと思う。少なくとも、扱いが下がるか上がるかで言えば上がる。人間はエルフと争っている暇などないのだから(仲間内で賊なんてものが生まれてしまってはいるが)。

 

「──でも、あそこで襲われているのは軍事国家のお姫様らしいですよ。下手をして、死んでしまえば国が荒れます。それはクロさんだって本意ではないでしょう?」

 

 国が荒れて、治安が悪化すれば僕達の行動にだって差し障る。

 この間まで街に滞在していたのだって、その安全性を確かめるためなのだから。

 

「……やるなら、一番地味にやってくれ」

 

 諦めたようにGoサインが出された。おーけーおーけー、地味ね。クラスの隅っこで地味に過ごすのは得意だったから余裕ですわ(お嬢様口調)

 要するに、魔法を使ったと周りに伝わらなければ良いのだ。

 かっこつけて手元から火球をばーん! とかやんなければ問題ないだろう。そもそも、魔法と言っても何もないとこからそんなもん放てないのだが。

 

「どうぞ」

「ありがとう」

 

 アイリスが荷物から取り出した折り畳み式の弓を受け取る。

 90メートルくらいだから、ちょっと遠めの遠的か。

 

空よ(エイム)

 

 一本の矢を放ち、そっと空気の総称を呼ぶ。

 矢が大地を砕くようになるなんてことはない。()()()()()()()()()()()()()()。空気が道を譲ってくれるから。

 賊のまとめ役か交渉役だろうか。堂々とした振る舞いの悪人面が貴族様の馬車へ近付いたとき、ちょうど彼の騎乗する馬の尻に矢が刺さった。ヒヒンと一鳴き。ごめんよ馬さん。

 

大地よ(エナン)

 

 次に呼んだのは大地の総称。少し距離があるので心配だったが、僕の「声」は無事届いたらしい。

 交渉役が突然馬から振り落とされ、驚きに固まった山賊達の足場()()が崩れた。

 

 馬車だけが残された断崖に満足しながら、僕は商人たちに声をかける。

 

「おや、運悪く……というより運良く、賊の足場が崩落してしまったようですね。今なら貴族様を助けられそうですよ」

 

 地味かつ平和的解決である。

 

 

 

 


 

 

 

 

「まさか、森人の方々に助けられるとは。感謝してもしきれません」

「は、はは……」

 

 馬車から姿を現した綺麗な女性から謝辞を述べられ、僕は引きつった笑みを浮かべる。

 

 馬鹿だった。

 どうしようもない馬鹿であった。

 

 断崖絶壁に取り残された馬車を救出するには、もう一度足場を元に戻す必要があった。

 その上、不自然な崩落の仕方をしているものだから、誰がやったの?(先生怒らないから出てきなさい)となる。

 まあでも、そのおかげで美女の命を一つ救ったと思えば……。

 

「ソートエヴィアーカの君主ムリウミスが娘、コルキスと申します。以後お見知りおきを」

「当代奏巫女ノアイディ=サルビアの一人娘、ノアイディ=アンブレラです。王女様にお怪我がなかったこと、何よりに思います」

 

 朗らかな笑顔で自己紹介をされれば受け答えるほかなかった。おにゃのこの笑顔は社会の財産。ごちそうさまです。

 などと精神的な補給をしてホクホク顔でいたら、クロさんからジト目で睨まれた。いやほんとごめん。クロさんの胃を殺したいわけではないんだ。

 一方、コルキスさん(お姫様だからコルキス様と呼ぶべきだろうか)は不思議そうな目で僕をじっと見つめていた。なお、流石に王族相手にフードを被りっぱは失礼すぎると思ったので、クロさんの胃を殴る行為とは理解しているものの顔を曝け出している。周囲からの視線が痛い。クロさんからの視線が一番痛い。ほんとごめん。

 

「随分と、我々の言葉が堪能なのですね……」

「いえ、恥ずかしながら学んでいる最中でして……ところどころ、古めかしい言い方になってしまっているでしょう?」

 

 現代日本に、ほんの少しだけ現代語を知った平安人がいるみたいな感じだと思う。「マジマンジ」じゃなくて「げにまんじ」みたいな。違うか。違うな。

 

「賊の恐ろしさは身にしみて理解いたしました。商隊長と話して、我々もしばらくの間ご同行させていただこうと思います。……よろしければ、こちらの馬車にてもてなさせていただきたいのですが」

「……」

「アンブレラ様?」

「……っ、あ、えぇっと、連れの者がおりますので……」

 

 チラリと横目で見れば、アイリスは瞑目して澄ましているものの(おそらく半分寝てる)、クロさんは険しい顔で何度も首を横に振っていた。

 言いたいことは分かる。とにかく、人に関わるな、と。

 そろそろ彼の胃が本格的に心配になってきていたので、ここは大人しく従いたいのだが……。

 

「駄目、でしょうか……?」

 

 ンンッ……、タスケテ母様!!

 不味い。おにゃのこに目を潤ませて頼み込まれると、非常に弱い。

 

 チラリともう一度横目でクロさんを……うわぁ、あんなニッコリ笑顔浮かべるクロさん初めて見る……。断らなかったらどうなるか分かってるだろうな?という気持ちがよく伝わってくる。どうなるんだろう。正直分からんな。

 が、断ったら断ったで、それはエルフが人間と仲良くしたくないアピールみたいなふうに受け取られてしまうんじゃないだろうか。有り体に言って、外交問題的な。外交してないけど。

 

「……連れの二人も同席してよろしいのであれば、是非」

「勿論、そのつもりでしたとも!」

 

 無邪気に喜ぶ姫様。クロさんは仕方ないと言う表情を浮かべている。及第点はいただけたらしい。

 とりあえずこれで、クロさんに上手いこと会話を捌いてもらって、あんまり深入りすぎないところでお別れできれば……。

 

 馬車の中に通されてみれば、いつか漫画で見たリムジンのような内装でだだっ広い。ほぇーと思いながら勧められた席に座ると、真横に姫様が付いた。近くない?

 ニコニコと笑顔を浮かべた美女がすぐ側で歓談してくれる。キャバクラかな? 行ったことないけど。

 飲み物は何が良いかなどと会話を交わしてから、ふとひとつ思い出した。

 

「ああ、一つ尋ねてもいいでしょうか?」

「ええ。一つと言わず、何でも聞いてください♪」

 

 お姫様なのに「〇〇ですわ〜!」とか言わない辺りは軍事国家の娘だからだろうか。所作の一つ一つは洗練されているものの、あくまで高潔さに留まり、決して高飛車や高慢さは感じさせない。

 だからだろうか。先ほど感じたちょっとした疑問も気軽に投げかけようと思えた。本当に大したことない、些細な疑問である。

 

「コルキス様はそこらの山賊などより()()()()()()()でしょうに、どうして先程『賊の恐ろしさ』だなんて仰ったんですか?」

 

 ただちょっと、変な嘘をつくものだなぁと。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おっぱいレベルというのがありまして、いえ、サイズとかの話ではなく、どれだけ対象のおっぱいとの距離感があるかという指標です。身近なおっぱいは安心を、新鮮なおっぱいは興奮をもたらします。

下ネタ書かせて…書かせてよぉ…下ネタ書きたいよぉ…
にいろ君の珍棒の大きさ決めてた頃に戻りたい


「あァ、世話になったな。死んじゃいないとは思うが、うちの奴らの回収も任せていいか? いや、うん、勿論報酬は別で払う」

 

 右手に握った立方体状の魔道具に向かって語りかける。

 学園都市の学者連中が生み出した、世紀の大発明とも評価されている通信用の魔道具。オーパーツに並ぶ能力を秘めたそれは、しかし市場価値の維持のためか技術の隠匿のためかほとんど世に出回らず、各国でもそれなりの地位にある人物か、表裏両方の世界で名を知られるような大物でもなければ触れることさえかなわない。

 もちろん、かつて滅んだ文明にだってこのくらいの技術はあったのかもしれない。しかし一度は忘れられた技術を、全く別の角度から別の人物が発明したというのならば、それは人類が今日も進歩を続けていることを保証してくれる。

 いつかは、古代文明の技術だってすべて追い越せるのかもしれない──災厄との生存競争に、負けてしまうことがなければ。

 

「いや、間違ってないさ。回収だよ回収。……あの姫サマ、崖ごと全部崩しちゃってね。笑えるだろう? その後も、崖を元通り戻した上でケロッとした顔で平気そうに振る舞うんだ。いやはや、羨ましいね」

 

 森人とは皆が皆あんなふうにできるものなのだろうか。

 勿論、ドローネット──いや、アンブレラが学園都市の連中が腰を抜かすような飛び抜けた量の魔力を保有しているというのは噂に聞いていたが、崩れた崖を直す様子を、仲間二人も大して驚きもせず眺めていたのだ。

 誰でも、とは言わないが、あれぐらいならほとんどの森人には特別な魔法ではないのかもしれない。更に言えば、アンブレラはやろうと想えば山一つ崩壊せしめるかもしれない。

 かつての人々が「森人とは争わない」というスタンスを選んだのは、このようなところに理由があるのだろう。

 

「──だがまァ、『政治』は知らないと見た」

 

 力がある。美貌もある。決して愚かではないのだろうし、状況に対する冷静な分析もできるくらいには賢い。

 だが、「こちら」のやり口に馴染みがない。それこそ、「女王(ドローネット)」などより「お姫様」と呼んだほうがしっくり来るぐらいに。

 

「アンタの言う通り、あの姫サマはお人好しだな」

 

 ドローネット(アンブレラ)ニース(アイリス)はまるで下町の少年少女のように純粋だ。オルモス(クロミノ)は100年以上人類の社会に馴染みがあるというだけあって疑り深い印象を受けたが、人間社会の「結果」は知っていても、やり方……「過程」には疎いのだろう。むしろ、ああいう手合の方が動かしやすい。

 全員が()()()()()()。魑魅魍魎の巣窟で普段を過ごす身からすれば、一番扱いやすい相手だ。なにせ、話を「聞く」のだから!

 

「なに、悪いことはしないって。アンタのとこのお嬢様がいつもやってることと同じさ。なァ?」

 

 アンブレラと同じ金髪でも、あのメスガキは煮ても焼いても食えない。だが、そのやり口は非常に学ぶべきものがある。

 

「あァ、なんでも屋。私は全身全霊、たっぷりの愛情と友情、ちょっぴりの私情を混ぜ合わせて、神の導きのままにドローネットと()()()()()になるよ! やっぱり、世界はラブアンドピースじゃないとなァ!」

 

 通話相手の引き気味の返答をカラカラと笑って受け流して、通信を切った。

 このセリフを心の底から信じ切って言い放てるあのメスガキは、やはり生来の気狂いなのだろうななどと思いながら。

 

 

 

 


 

 

 

 

 軍事国家のお姫様(くっ殺してそう)に何の気なしに問いかけたところ、視界の端でクロさんがピクリと反応するのが見えた。何か気になることでもあったのだろうか。言葉遣いだろうか。勘弁してくれ。これでも結構勉強したんだ。流石に敬語は怪しいけど。

 が、クロさんが何か言うより先に、くっ殺してそうなお姫様、もといコルキス様が、条件反射とでも言えるくらいサラリと、特に考える様子無く返答した。

 

「まあ! アンブレラ様が仰るほどのものではありませんが、お国柄、私達も戦いの作法は学んでいます。それを見抜けるなど、アンブレラ様はご慧眼ですね」

「身近に強い人がいたので、近くで見ればなんとなく分かるのです」

 

 体幹とか、歩き方とか、パッと見での体つきとか。

 なお、身体強化をしていない僕のフィジカルはクソ雑魚ナメクジである。……いや、訂正しよう。多分それなりに鍛えられているとは思うのだが、アルマやシロ先生といった頭のおかしい脳筋達が近くにいたせいで、基準が壊れてしまっている。

 アルマが転移の魔法を使わないのであれば、このお姫様や護衛の騎士の人といい勝負になるだろう。見た目や雰囲気でわかる強さなので言い切れはしないが。

 

「では、率直に聞きます。アンブレラ様から見て、私の強さはどれほどのものでしょうか」

「えぇ……、訓練されていないゴロツキ相手なら、そちらの騎士の方と背中を合わせて戦えば、10や20なら簡単に切り抜けられそうですね」

「そう、ですか。……実は、私は賊と正面で切り結ぶような経験が、今まで一度もなかったのです」

 

 そう言って、コルキス様は自らの汚点を語るかのように物憂げに視線を落とした。

 誰にでも踏み込んでほしくない領域はある。彼女の背景は知らないが、僕は自分がそこに踏み込んでしまったかのような感覚を得た。

 

「恥ずかしいことに、私が戦闘技術を学んだのは同志達からばかりで、実際に相手を前にして身がすくむような心地がしました。戦うための準備というものができていなかったのです」

 

 勇ましげであった柳眉は垂れ、恐怖を思い出しているのか、カタカタと震える手は僕の手を取って胸元でギュッと握られる。あの、おねえさま、おっぱいがおっぱいでおっぱいされていましてよ(錯乱)

 

「御者は戦いを知りません。それを庇いながらあの大勢の男達と向かい合うなど……! 情けなくも、少しでも大勢の中にいたいと人は思ってしまうのです……」

 

 唇を噛み締め眼尻に涙を浮かべる姿は軍事国家の王女様とはとても思えない姿で、けれどだからこそ、僕達が彼女の守るべき「人類」という対象でないからこそ、ついぞ漏れてしまった本音のように思えた。

 僕達と彼女の間に信頼関係があるから見せてくれたわけでは決してない。だからこそこれ以上この話題を掘り下げるのは憚られるわけで、しかし口下手コミュ力クソ雑魚ナメクジの僕に打開策があるわけもなく、窮して黙るほか選択肢はなかった。

 そんな僕を見て話題を変えようと思ったのか、ところで、とコルキス様がニコリと笑いながら口を開いた。ちなみに、僕の手は彼女の胸に触れたままである。王女っぱいの背徳感で脳が痺れている。

 

「ところで、わざわざコルキス『様』などと呼ぶ必要はないのですよ? むしろ、我々が森人の方々に敬意を表するべきなのです。どうか、コルキス、と」

「い、いえ、流石にお姫様を呼び捨てするわけにはいきませんよ。むしろ、僕の方こそ王族の方から様付けで呼ばれては困ってしまいます」

 

 勘弁してくれ。さっきから、やたらと香る良い香水の匂いや、気品溢れる所作を見せられて恐縮しているのだ。呼び捨てはメンタルが持たん持たん。

 

「アンブレラ様。コルキスと呼ぶのは……お嫌ですか?」

「……ひあぁ

 

 コルキス様が顔を寄せて囁く。ガチ恋距離である。

 それに合わせて僕の手はさらに王女っぱいの中に沈む。ふわふわや。あれ、コイツ僕に気があるんじゃね? とあわや童貞ムーブまでしかけている。いや、気があるわ(確信) 待て落ち着け理性を取り戻セックス。

 

「……失礼、少々距離が近いかと」

「あら、ごめんなさい」

 

 横で座ったまま寝てるのかと思っていたアイリスがスッと僕を引き寄せた。

 馴染みある柔らかさが背中から伝わってきて安心する。知っているおっぱいと知らないおっぱいというのは実に性質が異なるようである。

 

「も、申し訳ありませんコルキス様。少し酔ってしまったようなので、隅で休ませていただきます」

 

 ホテル……間違えた、火照る顔と混乱した頭を落ち着かせながら、フラフラっと隅の席に行く。うあぁ、隅っこ落ち着く……。

 クロさんに目線で「後は任せたクロえもん!」と伝え、当初の予定通り、姫様との会話はもう全部クロさんに任せることにする。

 

「……美味しそう

 

 唇についた飲み物でも舐め取ったのか、チラリと覗いたお姫様の舌が舌舐めずりをしているように見えて、ちょっとエッチだなどとドキドキした。

 多分、僕は一生キャバクラに行ってはいけないタイプの人種なのだと思う。

 




「……実は、私は賊と(賊以外は知らんなぁ)正面で(後方からの指示役?知らんなぁ)切り結ぶような経験が、今まで一度もなかったのです」
「恥ずかしいことに、私が戦闘技術を学んだのは同志達からばかり(※どこでどのようにかは言っていない)で、実際に(山肌を片手間で崩壊させるような森人の)相手を前にして身がすくむような心地がしました。(そもそも戦う必要がなかったので)戦うための準備というものができていなかったのです」
「御者は戦いを知りません。それを庇いながらあの大勢の男達と向かい合うなど……!(黙ったもん勝ち) 情けなくも、少しでも大勢の中にいたいと(弱い)人は思ってしまうのです……(まあ、私はそう思いませんけど)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おはようございます。得意な変化球はブーメラン、奏巫女のアンブレラ・レインです。対戦よろしくお願いします。ところでキャッチボールって一人でやる遊びですよね?

「へぇ、学園都市への交換留学生。王族も大変ですね」

「分かりますかクロミノ様。そのような場合ではないのですが、信頼を保つというのも難しいものです」

 

 人嫌いのクロさんがどのように会話を捌くのか。

 そこそこ興味あったんだけど、蓋を開けてみればめちゃめちゃ猫をかぶっている。このオッサン。

 なんかもっと、「はあ」「そうですか」「それで?」みたいな、ダウナー系覚えたての高校生みたいな会話をすると思ってたんだけど、接待に慣れたサラリーマン並に適応している。大人だぁ……。

 真の人嫌いは嫌いな素振りを見せないということだろう。覚えたか中高生。間違っても「俺って人間嫌いだから〜」とか言っちゃダメだぞ。

 

 そんな感じで会話に花が咲く中、僕も少し疑問に思っていたのだけれど、どうして一国のお姫様が護衛一人でこんな場所にいるのかとクロさんが尋ねた結果が冒頭である。

 実際に山賊に襲われてグヘヘの寸前だったわけだし、危機管理ガバガバだな送り出した国は何考えてるんだ(ブーメラン)とか考えていたのだが、その理由は留学という名目らしい。

 テンポ良く交わされる二人の会話を聞いていると、どうやら国同士のパワーバランスを保つために必要な「政治」の話らしい。前線は災厄でてんてこ舞いだが、まだ安全な後方では災厄打倒後の世界を見据えたやり取りがなされてるのだとか。

 

「人間って、愚かなのでしょうかね」

 

 アイリスがコソコソっと耳打ちしてくる。こしょばい。

 まったくもってその通りなのだが、前世の世界でも戦争の傍ら味方同士で腹の探り合いをしていたそうであるし、むしろ下手に賢いせいでそうなってしまうのだろう。

 本当に愚かだったら、未来のことなんて考えられないだろうし。

 戦いとともに築いてきた歴史があって、だからこそ戦いが終わった後の世界を知っていて、備えてしまうのだろう。

 

 しかし、留学か。それでももう少し人を付けてあげるべきなんじゃないだろうか。

 そう考えていると、僕の思案気な表情に気が付いたのか、コルキス様は恥ずかしそうに説明を付け加えた。

 

「森人の方々に話すようなことではありませんが……、現在のソートエヴィアーカは世継ぎを巡って少し乱れているのです。長女の私が、留学の過程でいなくなれば……という思惑もあるのでしょう」

 

 他国とだけじゃなくて、一つの国の中でも争ってるのか……。人間めんどくせぇ……。

 むしろ、エルフはどうしてあんな寝惚けた生活習慣なんだろう。エルフだからか。もうそれでいいや。

 将来この人間達の先陣を切っていかなければならないのがアルマだと思うと、強く生きての一言に収束させたくなる。

 

「それで、提案があるのですが……」

 

 両手を合わせてコルキス様が伺うように言う。

 その内容は、食費や宿泊費は賄うし、謝礼も払うので学園都市までの道中護衛をしてもらえないだろうか、ということであった。向こうに辿り着くまでが一番危険らしい。

 

 僕らの目的地も学園都市である。そこまで馬車に同乗させてもらえるというのはかなり助かるし、身の回りのことまでお金を出してもらえるというのも実に太っ腹である。

 が、クロさんは即答することは渋った。

 

「……その返答は、後日とさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論。急なお話ですもの。もうじき今日の宿泊地の街に到着するそうですし、宿を取って、明日また出発する頃にでも教えていただければ」

 

 ふふ、と微笑むコルキス様は、とても国内の後継者争いに苦労している人物のようには見えない。平気そうな顔だが、これで僕達が断るようなことがあったら、この人は学園都市までまた護衛一人と御者だけで行くつもりなのだろうか。

 

 というか、彼女が留学生として行くということは、僕もきっと学園都市の学生として入学させてもらうことになるのだろうし(ヘリオから預かった手紙の効力があれば。なかったらどうしよう)、この提案もとい依頼を断ると、後々面倒があるのではないだろうか。

 え、お前私の提案断ったのにおるやん。私のこと嫌いなん? 敵なん? みたいな。

 一度学生生活を経験している身としては、クラス内で敵は少ないほうが良い。できれば誰からも無関心でいてもらえるのが一番だが、それが無理なら、せめて敵対はしないようにするべきである。

 でないと、文化祭で口車に乗せられ女装させられるような、一生モノの辱めを受けることになる。あれ以降男子の中で僕に告白してみるというネタが流行ったらしく、非常に困った。

 

 だがまあ、あまりに条件が良すぎるし、クロさんが即答しなかった気持ちもわかるのだ。

 とりあえずは、今夜の宿でお互いの考えを交換して、その上で決めよう。

 できれば受ける方向で。僕の明るい学園生活のためにも……!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そもそも炭酸苦手だし、エナジードリンクって飲みにくい印象あったんだけど、ピンク色の怪物のやつは飲みやすかった気がする。そんなんだから脳内ピンクに育ってしまったのかな。

「疲れた……」

「お疲れさまです」

 

 溜息をつくクロさんに労いの言葉をかける。

 穏やかな会話であったと思うのだが、心配性なクロさんは気を遣うことが多かったのだろうか。200年以上そんな気遣いをして生きて、よくここまで禿げなかったものである。

 

「半分はお前だよ」

「またまた、ご冗談を」

「分かっていて言っているよな。まったく、おじさんもう年なんだけど……」

 

 くたびれたオッサンの姿というのは、たとえイケメンであっても残念な、……いや、普通に哀愁漂う渋いオジサマに見えるぞ? おにゃのこ3人くらいは引っ掛けてそうなオジサマに見えるぞ? やっぱりイケメンしか勝たないのか? キレそう。

 

「僕にもそのイケメン成分を分けてほしいです」

「御子は……色々な意味で、無理だと思うよ」

「そうですよ。御子様は現時点で最高の状態なのですから、クロミノ様のようになっては世界の損失です」

「悪口が聞こえた気もするんだけど……まあ、そういうことだ。というか、今以上に何を望むんだ」

 

 いややっぱり男の子なんでカッコイイものが好きなんですよ。

 まあ正規の手順で女性の体に生まれ変わった以上、ある程度の割り切りはできているけれど。例えて言うなら、一部の男性が女体化に憧れる感情に似たものなのかもしれない。

 格好良ければ万事上手く行くような気がしてしまっているのだ。

 ……母様が愛したのはこの姿の僕なわけで、今更何を望むでもないんだけど。

 

 などと二人に言えるはずもなく、宿も確保した僕達は、今晩の食事処について考えることになった。

 今まで泊まっていたところは宿と食事処が一緒になっているものばかりであったのだが、この宿はどうやら酒場くらいしかないらしく、それも騒がしめの酒場ということで、余計な騒ぎに関わらないよう別の場所を選ぶ必要があったのだ。

 

「確かこの辺りはグッサが名産だから、それなりの店に入れば何か美味い肉料理があるだろう」

 

 グッサとは牛のような肉の王様ポジの動物である。

 エルフって普通にお肉食べるんだよな。というか森でも大樹を使って畜産してたし。木の実中心の食生活でなかったのは日本人的に非常に助かった。

 

 そうこうして選んだ店は、前世で言うファミレスのようなボックス席が特徴的な、小洒落た肉専門の料理店であった。ともすればいきなりステーキを出してきかねない。

 通された席まで辿り着いたところでクロさんが突然立ち止まるものだから、わぷ、と僕は彼の背にぶつかった。

 

「もう、なんですか。……って、キセノさん!」

 

 クロさんの背中越しに向こうを覗けば、そこには見覚えのある人型の黒猫さんと、はじめて見る金髪碧眼の少女がメニューを眺めていた。

 黒毛の執事のような人猫、なんでも屋のキセノさんである。

 

 店を変えないか。クロさんがそう口を開くよりも先に、キセノさんが金色の猫目をパチクリと僕に向けた。

 

「おや、これはアンブレラ様ではないですか! まさか、このような場所で再会するとは!」

「そうですね。狙ってこの店を選んだわけでもないんでしょう?」

「勿論、今日この場所で巡り会ったのは偶然そのものですとも。……アンブレラ様は、『持っている』方ですね」

 

 フリーズしているクロさんはともかく、この店をあとから選んだのは僕達だし、席を案内したのは店員さんだし、キセノさんが僕らを付け狙ってということではないのだろう。

 

「『持っている』?」

「ええ。稀にいらっしゃるのですよ。人、運、物。出会いすら手繰り寄せる、特別な人というのが」

「ええと……それはなんか賭け事とか強そうですね」

「それは少し違いますが……しかしギャンブルにおいても、極端に強いか弱いかのどちらかでしょう。一度経験なさって、勝てるようであればその道に進むことも良いかもしれませんな」

 

 なるほど。僕はカイジだったのか。

 エルフたちはあまり賭けをしないから分からなかったが、今度機会があれば試してみよう。まあ、母様に出会えた時点で僕が運を引き寄せているのは確実である。

 

「でも、キセノさん昨日の今日でよくこの街まで来ましたね」

「キセノはね、足が速いんだよ!」

 

 僕達は、途中でアクシデントがあったとはいえ、朝から夕方まで移動してようやく辿り着いたのだ。キセノさんまでもがこの街に訪れているのは、クロさんが警戒した通り、少し怪しさを感じる。

 そう思って口にした言葉に、巨大なグッサ肉を頬張っていた少女が答えた。口元には肉汁と食べカスが付いたままである。

 

「……え、ええと、そうなんだ。凄いね。もしかしてキミは、キセノさんが探していた子かな?」

「ああ、そうです。その件はありがとうございました」

「違うよ、キセノが迷ってて私が探してたんだよ」

 

 足が速いで納得できるわけもないのだが、子供特有の強引さに戸惑ってしまう。

 なにはともあれ、キセノさんの迷子探しは無事に終わっていたらしい。

 質問を改め、僕は金髪の少女の名前を聞くことにした。

 

「ところで、キミのことはなんて呼べばいいかな?」

「なんでもいいよ。金髪でもリリィでもなんでも!」

「……そっか、リリィちゃんっていうんだね。僕はアンブレラ、よろしくね」

「うん、よろしく。おねーさん、私と同じくらいなのにおっぱいおっきいね!」

 

 んっ?

 

 うん?

 

 おっぱい揉まれたな。

 

 うん、リリィちゃんにおっぱい揉まれた。わしっといかれた。

 すげえや。流石に思考が追いつかなくてフリーズするわ。てか場の空気も凍ってるわ。

 だが、僕だって伊達に人生2周目を走っていない。こんなんでペースを乱そうというのなら見通しが甘いのである。

 

「ね、リリィちゃんは何歳なの?」

「多分……12くらい?」

「うん。僕達ぐらいの年頃は、1、2歳の差が大きいからね。キミも、きっとすぐに大きくなるよ。それにアイリスを見てごらん。上には上がいるんだ。大きさなんて、気にすることないさ」

「わ、ほんとだ……」

 

 性の個人差について講釈を垂れる。流石僕。完璧だ。

 アルマの性教育も多分上手くやったし、僕は案外保健体育の先生とか向いていたのかもしれない。

 

 そうやって二人でアイリスのデカメロンを視姦(ボッカチオ)した途端、二人の頭上に拳骨が振り下ろされた。

 

「場所を考えような、場所を」

「初対面の人に何をしているんだ……」

「「いったぁ……!!」」

 

 クロさんとキセノさんである。

 アイリスは少し恥ずかしそうに、胸を腕で覆って顔を赤らめている。しかしおっぱいを隠せていない。

 周りの客も顔を赤らめている。しかしおっぱいへの視線を隠せていない。特に男。あ、あそこのカップルの男が殴られた。

 

「もう、早く注文しましょう……?」

 

 アイリスが絞り出した声は切実そのもので、クロさんもやれやれと撤退を諦め、結局その店で食事をすることとなるのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

でもなんだかんだ言って焼き肉でも満足してしまうので、究極、肉が食えればその形態は何でも良いんだろうなって。あとはそれが他人の金であればなおヨシ!

「え、待って下さい……、これ、肉寿司(アジ・リッサ)とやらがあるらしいのですが……!」

 

 席についた僕は、メニューの端に書かれた特別メニューに目を輝かせた。

 見た目が完全に肉寿司。前世で食べたことがないのでよくわからないが、とにかくブルジョアそうな見た目の食べ物である。これを食べたら大人になれるような気がしている。こういう発言が一番子供っぽいのだと思う。

 この世界の場合は寿司と肉寿司どちらが先なんだろうか。わりとどちらもご飯に合うし、一握り分のお米に切って乗せて食べようという発想はすぐ出そうだ。なお、今のところ寿司には遭遇していない。

 

「じゃあ御子はその盛り合わせで。おじさんは何を選ぼうかな……」

 

 どちらかといえば、メニューにはステーキなんかの方が多い。あとはハンバーグらしきものもある。

 僕はというと、自動販売機に見たことのない飲み物が売っていればそれを選ぶ性質(タチ)だったので、期間限定や特別メニューという言葉に弱いのである。大抵後悔する。飲むさつまいもだの飲むシュークリームだの、日本人はロクでもないものばかりを開発するから。

 こんにゃく芋を食べようとした精神は現代になっても健在であった。民族性ェ……。

 

 注文して暫く待つと肉寿司が運ばれてくる。全然関係ないが、この料理が運ばれてくるまでの時間をどう過ごすかで性格が分かると思う。相手と会話したり、即座にスマホを取り出したり。僕は一緒に食事に行く友達がいなかった。

 生肉が乗っているがそのまま食べても平気なのだろうか、などと考えていると店員さんがバーナーらしきものを取り出す。

 

「うわぁ……!」

 

 炙られた肉から滲んだ脂が照明を反射して、波のように七色の輝きを生む。

 火を通せば当然、香ばしい肉の食欲をそそる匂いが立ち昇る。もうこの時点で僕の胃は米と肉以外受け付けなくなっている。人類は肉寿司だけ食べて生きていけば良いんじゃないかな……?

 

「……とても美味しそうですね。ところで、この道具は魔道具ですか?」

 

 ……が、食欲に負けてがっつくような真似をすると肉寿司の品位まで下がるような気がして、僕は余裕ぶって店員さんにバーナーについて尋ねた。隣に座るアイリスが、そっと僕の口端の涎を拭う。ありがとう。

 

 フード集団だからか、緊張した面持ちで肉を炙っていた店員のお姉さんは、フードの下から聞こえてきた少女の声に不意を突かれたようである。

 僕がバーナーを指差していることに気がつくと、やや上ずった声の早口で答えた。

 

「は、はい。……魔導都市から仕入れた魔道具ですね。どういう風に火が出るのか私は知らないんですけれど……。昔は肉を炙るのは職人技とされていたんですが、今ではこの通り、私みたいなのでも簡単にできるんです。魔導都市様様ですね」

「へぇ、職人技だった時代は、職人が自分の魔法で火を起こしていたんですかね」

「まさか! そんなことに魔法を使うなんて、とんでもないです。そもそもこんな街では、魔法でまともに火を起こせる人の方が珍しいくらいです!」

 

 その言葉に、僕とアイリスはコテンと揃って首を傾げた。

 そりゃ焦がさないように火加減を調節するのは難しいだろうけれど(と言っても多分大抵の大人のエルフはできる)、そもそも火を起こせないというのはどういうことだろうか。

 火なんて、その総称を知っていれば子供でも扱える。人間だって魔法を扱えると聞いているから、適正の問題か?

 その疑問には、クロさんがボソッと答えた。

 

「学園都市の人間でもないと、魔力の感知すらままならないからね」

 

 にゃんと。

 あぁ、でもいつか、ヘリオが人間の真名の扱いの雑さとその技量の無さを嘆いてたっけな。

 ……なんか急に学園都市行く意味が分からなくなってきたな。気持ち的には病気にかかったから東京の大きい病院に行くくらいの感じだったんだけど、途端に村の長生きおばあちゃんに会いに行く気分になった。

 でも、行けって言ったのもヘリオだからな。なんかあるんだろうけど。てか、ヘリオは聖域ニートのくせにどうして色々知っていたんだろう。

 

 まあ、難しいことは後で考えるとして、今は肉である。肉。

 手掴みで食べるのが肉寿司の作法らしい。むんずと掴んで、舌の上を這わせるように一気に口に含んだ。

 味よりも先に香りが口の中に広がる。ゆっくりと旨味を全て舌に染み込ませるよう、飲み込んでしまわないように注意して噛み締めた。

 

「は、あぁぁぅ……っ」

 

 なんだこれ。

 

 なんだこれ。

 

 なんか、泣けてきた。

 

「えっちだ……」

 

 初めて食べる肉寿司の味わいに恍惚とする僕を見て、リリィちゃんがおぉっと感心する。

 うん。分かる。自分でも今ちょっと喘ぎ声っぽい溜息漏れたなと思った。でもんなこと関係ねえんだわ。喘いでも許されるくらいには美味いんすわ。全人類食べて欲しいし、なんなら肉寿司さえあれば災厄と人類は手を取り合えると思う。

 側に立っていた店員さんもやや顔を赤らめて微笑んでいるが、関係ねぇ。二個目を手に取る。

 

「はっ……んっ、んぅ……くぅ……!」

 

 蕩けるんよ……。

 噛みしめるつもりだったけど、噛む前にお肉がとろりと蕩けるんよ……!

 思えば、高い肉を食べるのも初めてかもしれない。言わば、生娘が初めてで最高の快楽を知ってしまったのである。

 これは……男女問わず、メス堕ち……間違えた、メシ堕ちするわ。

 

「キセノ! 私もあれ食べたい!」

「お前はもう食べたであろう。今追加で頼めば、きっと残してしまう」

「だってあのおねーさん泣いてるよ!? 美食は人の心を動かすし、その事実の前には胃袋なんて些末な問題だよ!」

「何を言っているか分からないが、駄目なものは駄目だ」

「上に乗ってるのが魚だったら自分も頼んでるくせに!」

 

 リリィちゃんが子供らしく駄々をこねて、キセノさんが頑なに許そうとしない。

 やめて……! 肉のために争わないで……!

 この肉は、争いを生むためのものじゃなくて、争いを無くすためのものだから……!

 

 だから、僕の肉を……、僕の肉を……っ、僕の肉は……分け、分け……、分けたくないよぉ……。

 無理だよ、一つだって誰かにあげられないよ……。

 

 涎を垂らしたリリィちゃんが、僕の口に運ばれる肉寿司とキセノさんの顔を何度も見比べる。

 僕だって誰かを救ってみたかったけれど、自分勝手な僕では駄目なんだ……!

 肉美味ぇ……!

 

 震える手で最後のひとつをそっと持ち上げる。

 絶望した表情のリリィちゃんがいたたまれなくて、僕はおいでとチョイチョイ指を動かす。

 そして、目を輝かせて僕の隣まで来たリリィちゃんの前で、肉寿司を口に含んだ。

 

「…………ぁ、うぁ……」

 

 すっと光を失って見開かれるリリィちゃんの瞳は、この世のあらゆる負の感情を煮詰めたかのような闇であった。

 でも僕は、キミのそんな顔が見たかったんじゃないんだ。

 

 あげることはできなくても、きっと人は、分け合うことならできるから。

 

 小さなリリィちゃんの体を持ち上げて、そっと口移しをした。

 驚き、恍惚、感動。目まぐるしく表情を変えた幼女は、次第に夢中になって僕の口の中に残った旨味を味わった。

 口内を蹂躙される僕は、しかし不快に感じることはなく、むしろ誰かとこの感動を分かち合えたことに喜びを覚えていた。

 

 肉、美味ぇ……!!

 

「……あの、お客様、店内でそのようなことは……」

 

 気まずそうな店員さんに怒られた。

 後悔も反省もしている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

寒くてベッドから出られない朝は、人肌で温まりながらえっちなことをして体温を高めるといいよ。なお結局ベッドからは出られない模様。そもそも相手がいない人は…ペットを飼おう!

 久しぶりにおにゃのことディープなキスしたなぁ……。

 まあ、女性同士でのキスはコミニュケーションのひとつって保健の教科書にも書いてあったような気がするし、何より気持ちいいし、少しムラムラしてしまうことを除けば問題ない。多分。

 

 そそくさと会計を終えた僕らは、現在宿で作戦会議中である。

 別れ際、キセノさんとクロさんがお互い分かりあったような顔をしていたので、やはり肉の力は偉大である。あるいは、キセノさんは存外猫派なのかもしれない。

 

 目下の議題はコルキス様についていくかどうかだ。

 僕としては、今後のことも考えた上で付いていったほうが助かることが多いと思う。学園都市で虐められたら敵わん。ほら、外国人の転校生って大抵、人気者になるかめっちゃ避けられるかの両極端じゃん。

 そのことを伝えた上で、クロさんは未だどうすうるべきか悩んでいるようである。悩んでいるということは、僕の意見もあながち間違いでないと考えているわけで。

 

「逆に、コルキス様と一緒に行動するデメリットってありますか?」

「色々あるが、一番分かりやすく面倒なのは政戦の道具にされることかな」

「あぁ……それは確かに……」

 

 でも、だったらわざわざ後継者争いで揉めてることとか僕らに話すのかな。

 困ってることを先に話して、話に巻き込みやすくするってのはあり得るかもだけど。

 

「ううん、でも、利用したいなら勝手に利用させちゃっても良い気もしますけどね。僕らが直接関わるようなことさえ避けられれば」

「その選択を強いられる時は、大抵承諾しか許されない状況になっているだろう。その上で、お前上手く立ち回れるか?」

 

 うん無理ですね!

 駄目だこりゃ。

 

 そうなんだよなぁ。いま明確に悪意が見えなかったとしても、見えるときなんてもう後戻りがきかなくなっているタイミングだし、むしろ後戻りできるとしたら今なんだよなぁ。

 やっぱり僕に頭脳労働は無理なようです。最終決定権はクロさんに委ねます。

 

「……よし。ならついていくことにしよう。その代わり、御子はアイリスちゃんから常に離れないようにすること。今までもそうだったとは思うけれど、今度は片時も。アイリスちゃんを人質に取られるのが一番不味いだろう」

 

 それなら全然OKだ。アイリスを従者と言い張れば、いつも一緒に居てもおかしくないだろうし。

 確かに、僕一人だったらどうとでも逃げられる気がするけれど、アイリスを押さえられると動けなくなる。ヤバいときはアイリスごと風の魔法で逃げられる、そんな状態を維持するのだ。

 

「それじゃあ、明日も早いし解散。おじさんは隣の部屋で寝てるから」

「はーい」

 

 クロさんが立ち去ったあと、それじゃあ僕らも寝ようかとアイリスの方を見ると、何やら神妙な顔をしている。

 

「アイリス、どうかしましたか?」

「……いえ、お二人の話を聞いていて、(わたくし)が足手まといになっている、と思ったのです」

 

 それは、武力的な能力の違いのことを指しているのだろうか。

 だとしても、彼女によって僕が精神的に支えられている部分は大きい。

 そんなことない、と言おうとした僕を遮って、アイリスは懇願した。

 

「もし……もし、私のせいで御子様が不利益を被るようなときがあれば、どうぞ迷わず見捨てて下さい」

 

 絶句。そのあまりにも寂しい言葉に、とっさに出る言葉がなかった。

 何を言ってるんだこのグラマラス美女は。そんなこと言うならむしろ絶対見捨てないんだが。

 

「……どうして、アイリスはそこまで僕に尽くそうとするんですか。キミは、ひとりの人で、意思があって、自由なのに、どうして」

 

 ずっと前から不思議に思っていることだ。

 僕のどこに、これだけ自分を捧げようと思える要素があるというのか。

 仮にこの恵まれた容姿に惹かれてというのだったら、それはきっと僕のことを見誤ってしまっているから、もっと自分のために生きてほしい。

 ただ、その問いかけには、こともなげに、最初から答えが決まっているかのようにアイリスは答えた。

 

「決まっているじゃないですか。私が、御子様の乳母だからですよ」

 

 それは、理由じゃなくて与えられた役割ではないか。

 そう問いかけるにはあまりに確信に彩られた声音で、僕は何も言えなくなってしまう。

 

「ですが……もしも私の意思を認めてくださるのでしたら、ひとつだけ」

 

 そう言って、高身長の彼女は僕の顎を持ち上げて、唇を重ねた。

 慣れているはずだけれど、どこか久しぶりなその行為。

 自然に口内に侵入してくる柔らかな弾力は、リリィちゃんの肉を味わうためのそれとは異なって、淫らに絡み合い、口を犯すために動き回る。

 随分僕の口の中を熟知しているようで、敏感な場所を順になぞる。その度にぞわぞわ震える頭は、酸欠も相まって次第にチカチカと何も考えられなくなっていった。

 目を細めて身を任せていた僕から顔を離して、アイリスが耳元で囁いた。

 

「たまには相手をしてくれないと、嫉妬してしまいますよ」

「……ふぁい」

 

 あれ……? 乳母ってこういうのだっけ……?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

僕いいこと思いついたんだけど、母様の涎って凄い美味しいし、「この人が作りました」って写真付きのPOP貼ったらかなり売れそうだよね。まあ僕が独占するんだけど。

 ゆっくりと街を遠ざかるソートエヴィアーカ王家の馬車を窓の外に見ながら、黒猫が気分悪そうに呻いた。

 

「流石に、朝から肉は……」

「何言ってるの。美味しいものはいつ食べても美味しいんだよ? 昨日おねーさんが食べてたやつ、今日は私が全部食べるんだから!」

 

 フンスと鼻を鳴らすのは金髪碧眼の少女。ともすれば誘拐事件かと疑われかねない組み合わせであるが、少女の発言力の方が強いことは一目瞭然である。あるいは、黒猫の保護者としての矜持かもしれない。

 昨晩目の前で濃厚なキスを見せつけられた女店員は、遠目で昨日の少女だと気付くと、ホールを別の店員に任せ自身はキッチンに立て籠もった。見事な保身である。心なしか顔が赤くちょうど今喉をゴクリと鳴らしたが、保身は保身である。社会的制裁からの保身の可能性は十分にある。

 

「さて。依頼も終わったし、次はどうしたい?」

「うーん。面白い方がいいよねー」

 

 で、あれば。エルフの姫を追うのが現状一番面白い方向に転がりそうだが、とキセノが考えたところで、その思考を読み取ったかのように少女が口を開いた。

 

「おねーさんにはどうせまたそのうち会えるからさ、そんなに考えなくていいと思うよ」

「キミがそう言うのならそうなのであろうな。そうすると……おお、かたじけない」

 

 そこまで話して、料理が運ばれてきた。マダム達に人気のありそうな爽やかなウェイターがニコリと微笑んで皿を並べ、フォークとナイフを握った少女が目を輝かせる。

 

「手掴みだろう」

「あっ!!」

 

 どうやって食べるのだろう、と首を傾げた少女に黒猫が助言した。肉寿司にフォークとナイフは不要である。

 二、三個ぽぽいと口に放り込んで咀嚼。喉を鳴らして水を流し込んだ少女は、もう一度首を傾げた。

 

「昨日ほど美味しくなーい……」

「朝に肉なんて食べるから」

「そーゆー問題じゃないと思うんだけどなー……」

 

 不味くはない。不味くはないのだが、昨日口移しで味わった肉はこの何倍も美味しかったように思えるし、その差は食べた時間などではないように思える。

 残った肉寿司をもしゃもしゃと消費していきながら考え込んでいると、黒猫がなにか思いついたようだ。

 

「我輩、エルフは全身が魔力で満たされていると聞いたことがあるな。グッサの肉に含まれる魔力と何かしら反応を起こしたのかもしれないし、あるいは、そもそも彼女の唾液自体に良質な魔力が含まれているのかもしれない。何せ、あの学園都市が血眼になって追跡し続けるほどである」

「早口で何言ってるか分かんないけど……それだ!!」

「……」

 

 黒猫ご自慢の知識を披露したというのに、返ってきたのは口を噤みたくなる反応である。早口じゃないが。ちょっと情報量が増えただけだが。必要な予備知識を付け加えて話しただけだが。

 

「うーん、じゃあおねーさんがいないともうグッサのお肉食べる気にならないなー」

「それは良かった。吾輩は、このまま毎日毎食グッサを食べることになるのかと怯えていたのだ」

「うん。じゃあ次は魚かな。魚の美味しいところに行こう!」

 

 人猫の好みが猫に近いかどうかについては世の研究の及んでいない領域である。しかし、その尻尾はピンと立っていた。

 

「キセノキセノ! 私凄い商売思いついた!!」

「……予想できるが、言ってみなさい」

「おねーさんの涎集めて、『万能調味料』って名付けて売ったらバカ儲けだよ! なんなら『この人が作りました』って顔写真貼ってもバカ儲けだよ!」

「やめなさい」

 

 なんでも屋の飽くなき探求は続く……。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……んぅっ」

「御子様?」

「どうかなさいましたか、アンブレラ様?」

「いや、なんか寒気が……」

 

 コルキス様の依頼を受諾し、簡単な依頼書で契約を結んでから再度馬車の旅に出発してからしばらく。突然寒気がしたけれど、風邪とかではないよね。エルフは免疫つよつよ民族のはずだし。

 

「冷えたのでしょうか? もう少し近付きましょうか」

「ん!? ち、近くないです、か……?」

「そうでしょうか。我が国の冬は厳しいので、寒いときには姉弟でこうして暖を取ったものです」

 

 タスケテ!!

 え、距離感近くない? 人間ってみんなこんな感じなの? ……でも、よく考えたら、僕の今生の目標っておにゃのこと戯れることだよな。別にいいのか。

 

「……アンブレラ様は、肌もとても綺麗ですよね。森人の方はみなこのようなのでしょうか」

「ひぁぅ……た、たぶん……」

 

 いや駄目だわ。この人の太ももの撫で方、戯れ越してもうえっちなんだわ。太ももって普通に性感帯だから、ぞわぞわ感じるんだわ。なんなら手足も性感帯だし、お腹も背中も首も性感帯だし、おにゃのこの体って全身性感帯なんだわ。そりゃ触ったら痴漢で捕まるよ。

 

「ゃだ……こるきす、様、そのさわり方は、ぁ、ぅ……」

 

 やば……。

 

 クラっと来たところで、アイリスが僕の体をガッシリ確保した。

 

(わたくし)、体温が高い方ですから」

「ぁぃ、りすぅ……」

「……ん゛っっ」

 

 本当にアイリスの体がポカポカ暖かくなってきた。

 いや、普通に暖かいなこれ……体脂肪の問題か? おっぱいがでかいからか? 湯たんぽじゃん。寝れるわ。

 なんならアイリス暑そうなくらいだし、顔も少し赤い。てか鼻血出てない? ちょちょいっと治した。助けてくれたのはありがたいが、体調管理が甘い乳母である。

 

 とりあえず出した結論。この姫様、魔性の女かもしれない。

 当然、お姫様なわけだし、えっちなことの経験は僕の方が勝っているはずだ。母様との日々が僕を支えている。しかし、世の中には(母様のように)えっちなことの素質が神がかっている人もいる。

 コルキス様の場合は、きっと天性のマッサージ師なのだ。リンパが張っているのだ。全部流さなければいけないのだ。

 ナニはともあれ、彼女に体を自由にさせるとマッサージモノのワンシーンになりかねない。注意しよう。

 

 ふう。

 落ち着いたので、なんだか微妙な空気を一掃すべく話題を変えようと思う。

 昨日の肉の話でもするか。

 

「そういえば、昨日は夕餉に肉寿司を食べたんですけれど」

「ええ。もしかすると、坂の上の? あそこは全国的に有名なお店なんですよ」

「ああ、そうなんですか。──ところで、コルキス様はなんでも屋をご存知ですか?」

 

 なるほどなぁ。だからキセノさん達も来てたのかもしれない。美味しかったもんなぁ。

 クロさんも知ってるくらいだし、コルキス様もやっぱりキセノさん達のことは知ってるんだろうか。キセノさん達というか、正確には猫人について知りたい。モフりたい。お姫様なら顔馴染みのモフり店くらいありそうだ。

 

 返答が遅いので下から伺うようにコルキス様を見上げると、笑顔のまま彼女は頷いた。

 

「……ええ。彼らは、様々な場所で名を馳せていますから。悪いことをする時もあれば、街一つを救ったこともあるそうですよ」

「へえ! 凄いなぁキセノさん……。僕、キセノさんみたいな猫人の方に思い切り抱きついてみたいんですよね」

「彼らも人ですから、それは難しいかもしれませんね……」

 

 あ、そうか。

 体に触らせることでお金取ったりするのって、もはや水商売とかと同じなのか。

 それよりは健全な気もするけれど、それでも触らせる側からしたら不特定多数から触られるのなんて地獄だもんな。

 お姫様が知ってるようなお店にはないか。しょうがない。獣人の友達を頑張って作って、モフらせてもらおう。その代わり僕は何を差し出そう。おっぱいかな。おっぱいだな。おにゃのこの友情はおっぱいで守れるって聞いたことがある。

 

 学園都市、獣人のおにゃのこがいるといいなぁ……。

 狐耳とかだったら最高だよなぁ……!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

この世界に来て一番の不満はおしるこが食べられないことです。新年は毎日お汁粉食べないと生きてるって感じがしない。んあ、あけましておめでとうございます。お年玉ください(直球)

 多分、自分の中にある人格に整理がついていないんだろうな、とぼんやり思った。

 山賊に襲われることもなく、姫様に襲われることもなく、馬車にゆっくりと揺られる山道の途中である。コルキス様は何度か僕にちょっかいを出そうとしてきたけれど、今はアイリスと話している。エルフの文化に興味があるらしい。

 

 女淵にいろ。その人格は、僕自身の中では一度死んだものとして扱われている。

 だからこそ、今生は前世の延長としてではなく、まっとうに新しいものとして生きてきた。それでも記憶は引き継がれているから、時々入り乱れたように中身が混ざることもある。

 しかし、母様と向き合い、踏み込まれ、暴かれ、ほとんど殺していたはずの人格に形が与えられた。名前が与えられ、レインでなく、ニイロとしての自分がいることを認めさせられた。

 二重人格というのとは少し違う気がする。よくある強キャラみたいに、凶暴/穏和みたいに性格が切り替わるわけではない。思考と視点が常に2つあるのだ。

 

 レインは、エルフ達の中で愛され、敬われて育ってきた。穏やかで、のんびりしていて、女好きで、所々抜けている。母様のことが大好きで、テレサがいるとむしろ他のことが何も見えなくなる。

 一方、ニイロはその逆だ。疎まれ、物珍しそうな視線を向けられて生きてきた。臆病で、人が嫌いで、疑り深い。自分が一番大事で、他人に踏み込むことは決してなかった。

 

 こうやって自己分析に時間を費やすのもニイロの癖だろう。レインはもっと、直感的な思考回路で生きている。好きなものにはフラフラついていくし、多分簡単に騙される。コルキス様のことだって信じようとしている。

 それに対して所々精子を……間違えた、静止をかけているのがニイロだ。下ネタに走るのは両方。お前らほんと考察中にそういうネタ走るのふざけんな。もうどうしようもねえ。

 ……さて、ともかく、ニイロは人間の「汚さ」というものを信じている節がある。人間と言うか、人全般。エルフにだってそういう汚さはあるだろう。そんなもんだから、本当の意味で心を開くなんてことも早々ないし、大抵の他人と美味い話は疑う。

 

 そんなわけで、姫様達が何かしら企んでいるかもしれないと予想する一方で、レインは「まぁしばらく信じてもいいんじゃない?」と述べるのである。

 そのせいで時々矛盾じみた行動も取ってしまう。もう少し整理しないと、そのうち何かやらかしそうだ。既にやらかしている可能性は十二分にある。

 

 この先も様々な人に出会うことだろう。その人を信じるか信じないか、ハッキリと判断できるだけの自我が欲しい。サンタさんください。

 まあ、しばらくはクロさんに任せるか。

 

「ああ、ここからはオクタ・デュオタブオーサ・オブダナマの管理地区ですね」

 

 ある看板を越えたあたりで、コルキス様が外を見ながら口を開いた。

 関門のようなものがないのに驚いたが、何か魔力の膜のようなものを越えたし、バリアでも張ってあるのかもしれない。多分他の人には視えていない。

 管理地区、という呼び方が少し違和感ある。学園都市は国ではないのか、と聞いてみると、説明に困ったように苦笑しながら答えてくれた。

 

「国と呼ぶには、統治機構が明確でないのです。三大国家でなく三大勢力と呼ぶのもそのためですね。ひとつひとつの研究機関が小さな国のように支配力を持っていて、それらの連合によって巨大な都市のようなものが形成されています」

 

 ほぇ。ヨーロッパのEUみたいなもんか。あっちほど規模はでかくないのかもしれないけど。一応集団の中で上下関係はあるんだろうし、その中で一番偉い人が統治者みたいなもんかな。

 

 続いていくつか話を伺うに、学生や研究者の移動がかなり容易らしい。この間まである研究所にいた人が、次の週には離れた場所の研究所に勤めたり、かと思えば全く別の学校で教鞭を執ったり。

 それは確かに、学園都市って呼びたくなる感じだ。でも食糧事情とかその他諸々大丈夫なんだろうか。社会インフラとか。そこらへんの話は僕が分からないから何も言えないけど。

 

「アンブレラ様は森人の村でそういったことの管理もなさっていたのですか?」

「まさか。確かに特殊な立場でしたが、僕は森人の中で偉かったりするわけではないですよ」

「そうなのですか?」

 

 驚かれる。いや、アレよ? 奏巫女とか本当に歌って踊ってにゃんにゃんしてるだけだよ?

 さて。いくつかの農業施設などは、管理地区の境界付近に存在しているらしい。それが現在向かっているはずの場所だ。

 そんな話をしていれば、丁度見えてきた。が、どうも様子がおかしい。

 

「人が、いない……?」

 

 完全な工業化・機械化が済まされているとか、そういった話ではなく。 

 まるで昨日まで存在していた人々が全員石にされてしまったかのように、農村に人の気配がなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やべー、やべーよ! 人間やべーよ! 何がやべーって、うん、いやもうほんとやべーんだわ! ちょっとえっちなお姫様とか全然フツーだわ! むしろ全人類ちょっとえっちなお姫様になってほしいわ! っべー!

 以前どこかで話した気もするが、水や空気といった大抵の自然界の物質と同じく、魔力というものも世界を循環している。この星においてなのか、この大陸においてなのか、はたまた宇宙を含めてなのか、……つまり魔力の系については不明瞭だけれど。

 またもうひとつ、魔力が目視できる身として分かっていることは、循環するものとは言えど、魔力は物質……というより固体に溜まりやすい。更にそれが生物であればほとんど必ずと言っていいくらい魔力を帯びていて、誰々の魔力、何々の魔力と呼ばれるものはそれを指すのだろう。どうして生体に溜まりやすいのかは知らない。

 もちろん空気や水、火などの固体でないものも魔力を帯びないわけではない。その濃度が薄いというだけだ。分子運動が活発なほど魔力が離れやすいとかだろうか? てか火って気体……? ガスが燃焼してるわけだから、概念か。火の魔力と思われているものは、燃焼しているガスの魔力だったり空気の魔力だったりするのかもしれない。

 

 精霊みたいなものを見たわけではないけれど、魔力はまるで意思があるかのように振る舞うことがある。まあ、雪の結晶だったりウミガメの涙だったり、人が勝手に神秘を見出しているものと同じ話だとは思うんだけど。

 たとえばこの間崖を崩したときも、難解な制御とか一切考えないで適当にやっていた。「なんか、良い感じに崩してください。オナシャス」みたいな。指示が雑なのに理想的な結果が返ってくるのは、魔力がこちらの意図に沿おうとしてくれているように思えるのだ。

 魔力に親和性の高い種族であるエルフは、魔力に好かれるとでも言うべきか、魔力が()()()()()()()のだろう。結局魔法というものは、自分と対象の魔力を介したコミュニケーションである。前世からずっとコミュ弱な僕だが、魔力とは上手くやっていけそうだ。というか動物とかとも割とすぐ仲良くなれるタイプだったのだ。人間が複雑すぎる。複雑だからと壁を作った僕にも責任はあるだろうけれど、小中学校で人間関係がすっかり億劫になった。

 

 

 

 

 さて。ここまでつらつらと魔法に関する考察っぽい何かをしてきたわけだが、例の如く現実逃避である。

 

 自分、なんか護送されてます……。

 

 

 

 


 

 

 

 

 人の消えた農村というのはどこか作り物じみているもので、現実的でない景色に当惑した姫様と僕らの一行は、馬車を停め、落ち着いて辺りを散策しようとした。

 そこに現れたのが、天使みたいな翼を生やした人間……人間?……と、頭にドリルを生やした人間……人間?……である。人間ってなんだっけ……。

 

 威圧的というわけではないけれど、こちらまで緊張して警戒してしまうような妙な態度で彼らは立ち塞がり、入国の意図を尋ねてきた。

 

『この辺りは、立ち入りに関する制限はなかったはずですが?』

 

 不満げにコルキス様が述べると、重要人物の来訪にはそれ相応の対応が必要になってくると天使さんが答え、彼女も納得とまではいかないが理解したという風に頷いた。

 続けて天使さんがコルキス様の耳元で何事かを囁くと、彼女はこちらをチラリと見て、残念そうにため息をつきながら引き下がった。

 まあ、一国の第一王女である。いくら国でないとはいえ、一つの大きな連合としては彼女を放っておくわけにはいかないのだろう。それなら納得してほしいものだ。

 というか、留学してくる王女様に対して迎えの一人や二人くらい寄越すに決まってるか……。

 

 そうして護衛依頼は何事もなく終了し、手形らしきものを渡されてお別れした。何か困ったことがあればご相談くださいと言われたけれど、ほとんどこちらが世話されていただけの護衛だったので反応に困る。

 コルキス様が天使さんと去っていった後、ドリルさんに僕らの目的、学園都市を訪れるつもりなのかどうかを尋ねられて、言い淀んだものの頷くほかなかった。

 

「それは……ちと困ったな!!」

 

 頭を……ドリルを掻きながらドリルさんは唸った。

 

「ドローネットのアンタがな! ウン、こっち来ちまうと、ちと困るんだわ!」

「……えぇっと、何が困るのでしょうか?」

「いやそれがな、なんつーか、やべーのよ! やべー!」

 

 やべー、何言ってるか全く分かんない。

 ドローネットとは人間の言葉での森人の別称か何かだろうか? しかしアイリスやクロさんを含んでいる様子はないらしく、「アンタら」でなく「アンタ」であることからも、僕個人になにか問題がありそうに思える。

 

「……何がヤベーなのでしょうか?」

「いやな、色々とな、やべーわ! うん、やべーわ!」

 

 ……うーん、情報量/Zero!

 たすけてかぁさま(涙目)

 

「……ぐすっ、いろいろ、とは?」

「えっとな、アンタが来ると、困るんだわ!」

 

 もうやだぁ……にんげんやだぁ……きらい……。

 れいんおうちかえる……。

 

 振り出しに戻ったことに絶望してアイリスに引っ付いて慰められていると、遠くから蹄の音が聞こえてきた。

 新たな人間の参戦である。

 

「す、すいませんウチのドリルが!」

 

 ドリルさんは身内からもドリルと呼ばれているらしい。あるいは仮名か。真名だったら笑うわ。

 頭を下げたのは人間の女性だ。黒髪にメガネという学級委員長テンプレのようなステータスを保持し、頭を下げ慣れているところを見るにしっかりとツッコミ役もやっていそう。偏見が過ぎる。

 

「いや誰がドリルだっつーの!」

 

 ドリルさんがツッコミかよぉ……(困惑)

 もうほんとに帰りたい……。

 

「ごめんなさい。この人、事故のせいで会話に少し障害があるんです。一番案内役に向いてないのに、あの羽馬鹿は何考えてるのかしら……!」

「にんげんが、しゃべってる……」

「いや話せますよ!? この人が特殊なんです! 私が標準です!!」

 

 うーん……、メガネさん、ツッコミも担当できるらしい。セーフ。帰らない。

 でも自分が標準とか言っちゃう辺り、やっぱりボケ担当の波動も感じる。ツッコミ担当というのは主観的ではいけないのだ。

 

 事故というのが気になったので続けて聞いてみると、当然ながらあのドリルは先天性のものではなく、とある魔法の実験中の事故で刺さるだか生えるだかしてしまったらしい。学園都市こわい。帰りたい。

 事故の以前は寡黙で真面目な人だったのだとか。それが事故の後は、180度とまではいかないが120度ほど性格が変わってしまったらしく、また脳の言語野も少し損傷してしまい、会話において適切な言葉が出せないそうだ。話し方はこんな感じでも、賢さは変わっておらず、現在も活発に研究をしているらしい。懲りろ。ドリル2本目生えるぞ。

 ……まあ、鉄骨が頭に刺さって性格が変わった人だとか、頭蓋に弾丸がハマったけど問題なく生活を続けた人だとか、地球にも似たような話はあるし納得しよう。したくない。

 

「……ということは、あの羽の生えた方も実験中の事故で?」

「あれはファッションじゃないでしょうか。動かしているのを一度も見たことがないわ」

 

 うーんこの……。何かよく分からないけど、凄く辛くなってきた。

 クロさんは遠い目をしているし、アイリスは一切理解できてなさそうな表情だ。というか僕も聞き間違いを疑いたい。

 

 とりあえず、このまま混乱していては立ち往生でどうにもいかなくなる。

 メガネさんの話を聞いてから、どうして学園都市に入れてもらえないのか、加えて農村に人がいない理由、これらを教えてもらうことにした。

 

「……ええと、森人さん、貴女がこのまま都市部へいらっしゃると、少し困ってしまうのです」

 

 お 前 も か (白目)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何でも沢山ありゃ良いってもんじゃないんだよ。むしろ沢山あったら困ることのほうが多い。でも友達は基本的に多いほうが良いんだよなぁ……(絶望)

特に大学生は友達が多い人が強いです。
中高生の皆さんはよく覚えておきましょう。


「わざわざ導師を3人も寄越すなんて、学園都市は随分と出迎えに熱を入れていらっしゃるのですね」

「それは、はぁ、勿論、ふぅ、ドローネット様と、殿下が、はぁ、お越しとなれば……」

 

 息も絶え絶えになりながら話す男を薄く見つめながら、私のことはついでだろうが、とコルキスは心の中で毒づいた。

 偽物か本物か定かでないが白い翼を生やしたこの男は、しかし天使とは程遠いような痩せ細った身で(研究のし過ぎなのだろう)、軽く道を歩いただけで体力の限界を迎えているようであった。

 お国柄、ソートエヴィアーカの民は屈強なものが多く、こうした学園都市の研究者・魔導士にありがちな虚弱体質は蔑視の対象とすらなりうる。流石に、ほとんど大使のようなものとして留学してきた身であからさまに馬鹿にするわけにはいかないが、どうしても好意的に見ることはできそうにない。

 

(見た目より年もいってンだろうしなァ……、仕方ないとは分かるが、こりゃまァ……)

 

 何なら、ドローネット──アンブレラの方が、よほど鍛えられた肉体を備えていた。

 従者の女森人(ニース)はそうでもなかったが、男森人(オルモス)──クロミノと言ったか──もマントの下には筋肉質とは言わずとも旅人特有の良質な体躯が隠されている。

 アンブレラの体に触れた感じでは、森人はなかなか筋肉の付きにくそうな体質をしているように思われる。というより、筋肉を肥大化させるのが難しい体質、か。

 ちなみに、あそこまで艶めかしい声を出されるとは思っていなかったので、躊躇してしまい隅々まで調べることが叶わなかった。

 

「しかし、ふぅ、まさか、殿下とご一緒だとは、はぁ、考えて、いませんでした。どのような、ふぅ、いきさつで?」

「運命の巡り合わせというものでしょう。偶然、アンブレラ様一行に救われたのです」

「ほぅ、それにしても、随分と仲がよろしかったようですね」

「ええ、素敵な御仁でした」

 

 とは言え、実際のところ人間的な魅力で言えば、「普通」というのがコルキスの見解である。

 生きた宝石とでも呼びたくなるようなその美しさに泥が付くわけではないが、アンブレラや他の森人達が、他者を骨抜きにしてしまうような深い人間性を備えているわけではないというのもまた事実だ。

 純粋に、ただただその容姿で人を惑わし、時に畏敬の念すら抱かせる。気を抜けば見入ってしまいそうになる引力があるものの、例えば手紙の上なんかにおいては、冷静さを失わずに相手を観察することができるだろう。

 旗頭として神輿に担がれることはあっても、万人を扇動して革命を起こすようなカリスマ性は感じられない。幾度かこちらを探るような様子もあったが、城内で繰り広げられる政戦と比べれば幼さすら感じられる。

 

 そう、幼さ。長期間、人間の領土で観測されている男森人(オルモス)はともかく、アンブレラやアイリス(ニース)は驚くほどに精神が純粋で、無垢な幼さを備えていた。

 森人というのは誰もがあのような精神性をしているのだろうか。だとすれば、下手に人間と関われば利用し尽くされるであろうし、逆に利用されたことに気付いた時には、癇癪を起こした子供のように猛烈な反発を見せることだろう。

 色々な意味で、やはり人間と森人は今のような不干渉の関係が良いように思える。

 

 それをこの男(学者ども)は理解しているのだろうか。

 学園都市の学者というのも、ある意味で純粋な者が多い。しかしそれは幼さとはかけ離れていて(あるいはこれこそが幼さという見方もできるのかもしれないが)、悪意も善意も関係ない方向に突き抜けた行動に走るのが彼らだ。

 恐らく、私が一計を案じて森人に近づいたことには気付いているだろうが、アッサリ手放したことについては理解できないと混乱していることだろう。

 

「折角、はぁ、打ち解けたようでしたのに、あまり、ふぅ、別れも惜しまぬ、はぁ、ようでしたが……?」

 

 ほら。

 

 つまるところ、研究者というのは()()()()()()()()()()()

 為政者との違いはそこだ。

 

「獣の耳というのは、人間よりもずっと遠くの音まで聞き取れるんですよ」

「……? えぇと、ふぅ、どういうことで?」

「人は情報を求める時に一番情報を漏らす、ということです」

「はぁ……?」

 

 ニッコリと微笑んだ。

 

 『あなたが魔法を操る時、魔法もまたあなたを操る』という古い(ことば)のように、物事には両方向の矢印が存在する。

 それを十分に理解できていないのは、クロミノ(オルモス)もまた森人らしく根が純粋であるということなのだろう。

 

 それにしても、ここで別れることになるとは思わなかったが。

 

「もう一度会う機会があれば良いのですけれどね」

「それは……、はぁ、ドローネット様が、【圧縮】を覚え次第、ふぅ、でしょうな」

 

 多いとは聞いていたが、まさか魔力の放出が災害扱いされるとは。

 政治どうこう以前に、アンブレラを学園都市に連れ込むにはそれを解決してもらわなければ。

 

 

 

 


 

 

 

 

 レインです。

 

 小学生の頃、友達料金を払いかけたことがあります。

 

 

 レインです。

 

 野良猫を鳴き真似しながらひとりで追いかけていたら同級生のカップルに目撃されました。

 

 

 レインです。

 

 中学に入って、すぐ告白されました。……男子校でした。

 

 

 レインです。

 

 馬鹿神に魔力を増やせば何でもできると聞いたので増やしていたら、増やしすぎて入国制限を受けました。

 放射性廃棄物扱いです。

 

 

 レインです。

 

 

 レインです……。

 

 

 レインです…………。

 

 

 

 


 

 

 

 

 たとえば、ICカードに磁石を近付けるとカードが故障してしまうらしい。

 それです。

 

 たとえば、生体に放射性廃棄物を近付けると体組織が故障してしまうらしい。

 それです。

 

 なんか、魔道具にレインを近付けると魔道具が故障してしまうらしい。

 辛いです。

 

 どっかのさ、馬鹿神がさ、言ってたんだよ。

 大抵のことは、魔力さえあれば解決できるって。

 だからお前はとにかく回路を拡張して魔力量を増やせって。

 

 増やしたよ。

 その結果がこれだよ!

 学園都市入れねえよ!

 

 はい。そんなわけで、護送(され)中のノアイディ=アンブレラ・レインです。

 ドリルさんといい眼鏡さんといい変な人に絡まれましたが、最終的にどこぞの施設に送られることになりました。

 体から漏れ出る?魔力が多いせいで、このまま学園都市に入るとヤバいらしい。

 なんなら学園都市周辺の人々は魔道具に頼り切って生活してるから、さっきまでの農村も、奥まで入ると特に精密機器が死ぬらしい。あそこで生活している人達は魔道具を抱えて一時避難中だとか。完全に歩く放射性廃棄物扱い。辛い。

 

 これから魔力の無作為な放出を解決するための施設に連れて行ってくれるらしいし、別に学園都市の人達も悪意があってやってるわけではないんだろう。

 それでも、これから始まるであろう学園都市生活に不安を抱かずにはいられなかった。

 




特に書く予定ない設定ですが、エルフの村と人間社会では魔道具の作りが若干違います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

子供が集められてる施設って大抵の物語でろくなことしてないよね。黎明なあの人とか孤児院のママとかetc…なあ、ニーナとアレキサンダー、どこに行った?

「魔力の過干渉において、生命維持に必須な医療器具への影響が一番の懸念ですね。次点で水道設備の制御装置の一部、その他の道具も、部分的に魔道具的な機構が存在しますのでやはり影響があると思われます」

 

 眼鏡のズレをスチャリと片手で直しながら、眼鏡さんもといクラムヴィーネさんが語った。ちょっと難しい単語が幾つか出てきたせいで分からない部分もあるが、とにかく僕がこの地域の生活圏に踏み込みすぎない方がいいという話だ。多分。

 

 また、彼女らの扱う魔法のひとつに索敵用の魔力検知をする術が存在するらしく、僕が学園都市方面へ向かっていることに気付いて大慌てだったそうだ。ドリルさんが派遣される辺り信憑性があるかもしれない。

 術というのは、エルフ達が自然におこなっている魔力の検知と同様のものだ。要するに、学園都市の人達はスカウターが使えて、エルフは気から戦闘力を察知できる、みたいな。DBでは最終的になんかみんな気を察知できるようになっていたけど、魔力に関しては魔法への適正的な話がある。

 

 では魔力が見えるはずの僕はなぜ魔力垂れ流し状態だったことに気付かなかったか、という話だが、多分あれだと思う、水中にいてどこまでが水のある範囲かわからないよね、みたいな。多分。めいびー。

 思えば、莫大な魔力を有しているというヘリオもその魔力は体に収まっていた。それでもルーナがその方法を教えなかった理由は分かる。あの短期間では習得しきれないのが目に見えていたのだ。

 体を流れる魔力を意識して動かす。その際、周囲からほんの少しだけ魔力を分けてもらってかさ増しする。そういった一連の技術を覚えるだけで精一杯であった。

 

「勿論、ドロー……いえ、アンブレラ様だけでなく、アイリス様も魔力を放出しない(すべ)を学んで頂く必要があります」

「……クロさんは?」

「もう何年人の世を渡ってきたと思っているんだ。……そんな顔するな、教えなかったんじゃなくて、おじさんにはちょっと荷が重くて教えられなかったんだよ」

 

 つまりあれか、「魔力垂れ流してるなー。位置丸わかりだなー」って思われながらずっと旅してきたのか。

 

「そんなわけで、ここから先は別行動。御子とアイリスちゃんはお勉強で、おじさんは悠々と旅行してくるよ。勉強が一度落ち着いた辺りでもう一度だけ顔を出すかな」

 

 連絡手段もないのにどうやってタイミングを図るのかと尋ねたら、僕が魔力を放出しなくなれば普通に分かるとのこと。……あっ、はい。

 

「それじゃあ、クラムヴィーネちゃん。……任せたよ」

「……はい。任されました」

 

 何やら神妙な顔で見つめ合うクロさんとクラムヴィーネさん。目と目が合った瞬間に気付いてしまったのだろうか。言葉以上の何かを交わしたように見える。

 

 てか、僕のこともちゃん付けで呼んでいいんですよ?

 御子て。いや眼鏡さんのことは名前呼びなのに僕だけ御子て。寂しいよそれは。寂しくない?

 学生時代を思い返せば、名前呼びされないの割と慣れてたわ……。

 

 流石に14年近く経つからか、そろそろ元クラスメイト達の名前も思い出せなくなってきている。

 冷静に考えたら元々覚えていなかったかもしれない(遠い目)

 

 

 

 


 

 

 

 

 ドリルさんが鼻歌交じりに人力車を引きクラムヴィーネさんに案内された場所は、辺りを林に囲まれた森の洋館とでも呼ぶべき白い館であった。

 本来ならば魔力で駆動する乗り物(なお遅い)があるらしいのだが、これも壊しかねないので使えず。馬数頭分の力はあるんじゃないかという軽快さでドリルが征く。魔法だろうか。身体強化の類なんだろうけど、僕が同じ事やったら効果が切れたあと死ぬぞ? 頭からドリル生えてると丈夫になるんだろうか。

 

「お二人には、これからしばらくこの場所で魔法について学んでいただきます。森人の方であればむしろ私達が学ぶことのほうが多いとは思いますが……人間が生み出した技術を習得していただくならば、人間の体系に準じるのがもっとも近道と思われるためです。どうかお気を悪くなさらずに」

 

 あ!? 人間がエルフに魔法指導!? 舐めとんのか! ……とか言うエルフがいたら、よほどの老害だから住処の家樹ごと燃やしてしまえばいいと思う。

 普通のエルフなら、「おもしろいことしてるなぁ」と思って、それで終わり。それを学ぶかどうかは人それぞれだが、魔法はプライドではなく、在り方なのだ。

 

 むしろ、対価もなくこんな学ばせてもらっていいんだろうか。

 何も言ってこないが、これ流れ的に衣食住も保証されてるくさいぞ。あの姫様もそうだが、至れり尽くせりな感じが怖い。まああれは依頼だったけど。

 

「えぇと、こちらの施設──『白妙の止り木』と呼ばれますが──は補助金で運営されているため確かに無償ですが、学園都市(O.D.O.)に入るのであればいずれかの研究室に所属することが求められます。また所属の条件として、多くの場合何かしらの成果を上げることが求められるので、対価はそちらでいただくことになりますね」

「成果」

「はい。ですが実際のところ、アンブレラ様のような潤沢で良質な魔力をお持ちの方の場合、たとえば魔力を研究に提供するとおっしゃれば成果に関係なく所属できると思いますよ」

 

 血液無尽蔵のドナーかな?

 一瞬、血液袋としてチューブに繋がれながら拘束される自分の姿が頭を過ぎった。いかんいかん。マッドレインになってしまう。クラスメイトのことよりあの映画の方が記憶に残ってるの凄いな。

 アイリスに「提供なんてしませんよね?」と目配せされる。シナイヨ。レイン嘘ツカナイ。多少ヒモっぽくて良いなとか思ったけど。思ったけど!!

 

 はー、ヒモになりてぇ。

 あるいは母様養うためなら働ける。

 中高生にありがちなヒモになりてぇ欲求は、養ってあげたい相手がいないからこその感情だと思う。

 あー。

 

 母様……。

 

 あぁ……。

 

 会いたいな。

 帰らないと。

 生きないと。

 

 よし、頑張ろう。

 

「それでは、アンブレラ様、アイリス様。白妙の止り木へようこそ。お二人に近い境遇でここで生活している他の子供達と、皆さんの監督者兼教師の者を紹介させていただきます」

 

 魔道具の類を置いていないからか、どこか古めかしい作りの白い館。

 開かれた扉の中へ、ゆっくりと入っていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なんか僕もかっこいいとこ見せたい!! かっこよく交渉とかしてみたいし、勉強関連は眼鏡クイってしながら知識無双したい!! させろ!! うにゃあ!!

 女性の武とは如何なるものか。

 

 そもそもの性質としてスタート地点から男女で異なる。真実か疑わしいが、筋肉量が増加するポテンシャルにも差があるとさえ言われている。

 その結果、(やわら)──しなやかさというものを生かした戦術が選ばれたり、そもそも女は戦場に立たず家を守るべきという見方が存在したりする。

 

 ならば、私は女であることをやめよう。

 

「ハッ」

「……っ!!」

 

 一息に肺の中身を吐き、訓練用の棍を槍のように突き出す。

 初め武器の柄で受けようとした相手は、しかし受けきれぬと遅れて判断したのか、顔を歪ませながら無理矢理体を捻った。棍は背後の壁に衝突し、決して小さくないヒビが広がる。

 姿勢を崩した相手に、油断は許さないとばかりにそのまま連続して棍を振るう。一度の判断のミスが生まれれば、そこから一気に叩き潰すのが正しい。

 

「……参りました」

「っふう、このくらいにしておくか」

 

 そう言って、コルキスは冷や汗を流す側付きの騎士──ヴィオラに笑いかけた。

 決して実力差が離れているというわけではない。今回に関して言えばヴィオラが判断を間違えたことが味方しただけで、場合によってはコルキスが負けることもある。

 

 そもそも、そのくらいの実力がなければ連れてこない。

 アンブレラに語った、政争の影響で連れてこられる従者が限られたという話。嘘ではない。嘘ではないのだが、実際のところはコルキス自ら連れてくるものを選別した。自分より弱いような護衛をぞろぞろ引き連れるのが邪魔くさかったのだ。

 もっとも、もしもコルキスがたった一人の跡取りであればこのような軽挙は許されなかったであろう。そういう意味では、政争の影響というのも真実だ。

 

「しかし、いけねえなァ。こんな場所(O.D.O.)にいたら、そのうち体がなまっちまう。誰も彼も収穫期を見誤った根菜のように貧相な体だし、そのくせ変なパーツばかり生やしてやがる」

 

 ドリルとか、使えない羽とか、眼鏡とか。

 と言っても、魔法で戦えるこの時代。あるいは、銃火器すら用いられるこの時代に、純粋な体術による戦闘能力がどこまで意味あるのか疑問視する者もいるのだろうが。

 

 いつまで経っても現れない勇者に対し、人々が絶望していない理由もそこにある。

 もしかしたら、森人が救ってくれるのではないか?

 もしかしたら、魔法や銃器があれば勇者は必要ないのではないか?

 むしろ剣を振るうだけの勇者など何になるというのか? まさか伝承のように()()()()()()()()()()()ことなどあるまい。ならば……。

 

「実際、私も魔法の可能性に関しては分かんねぇことばかりだしなァ。少しは得られるモンがあればいいんだが……」

 

 今まであれば、魔法など唱えられる前に術者を殺してしまえばよいと考えていた。

 しかしアンブレラ(ドローネット)の魔法を見て認識が変わった。もしも、誰もが一言で山を崩落せしめることができるならば?

 闘技場に立って一対一で戦うのであれば、せいぜい戦術レベルの話であれば、コルキスはどのような魔法使いにも負けないと思っている。

 しかし、国と国、あるいは人類と災厄という規模の話になると、あのレベルの魔法は驚異なんてものじゃない。何もできずに完封される恐れすら、否定できない。

 

 今頃、あの美しさと愛らしさを兼ね備えた少女は、見つめていればそれこそ気が狂ってしまいそうなくらい妖しげな彼女は、学園都市(ここ)に来るための訓練を受けているところだろうか。

 

 簡単に汗を流し、ヴィオラの用意した服を纏って研究所の一覧が記された書類に目を下ろす。一口紅茶を含んだところで、来客の報が上がった。

 コルキスが入室を許可して、ヴィオラが扉を開く。

 

「クロコ様ではありませんか。どうなされたのですか?」

 

 想定外とまではいかないが、意外な人物の登場にコルキスが内心驚く。

 席を勧め、正面に着いた。

 

 伝承によれば、森人は男女問わず線の細い、儚げな雰囲気の者ばかりというが、この男に関しては整った顔立ちではあるものの野趣あふれる容姿をしていた。はるか昔から人間側の領域に姿を現していることが確認されていたから、その影響だろうか。

 

「いえ、しばらくこちらを離れますので、ここまでの道程世話になった御礼をと」

「そんな! 言ってくださればこちらからお伺いしますのに」

「はは、御礼する側が呼び出すわけにもいかないでしょう」

 

 口に出す言葉が心と連動しているようなアンブレラとの会話と違い、どこか社交辞令じみたやり取り。慣れのためか、こちらの方が気楽にこなせるというのも皮肉な話である。

 

「コルキス様、ありがとうございました。護衛と言っても名ばかり、ほとんどそちらの厄介になっただけでしょう」

「厄介などと思うことがあるでしょうか。そもそも一度賊から救われた身、王家の血を継ぐ者として、多少なりとも恩を返せたのであれば何よりに思います」

 

 さて、本題はなんだろうかとコルキスは思いを巡らせた。

 まさか本気でお礼を言いに来ただけなんてことはあるまい。十中八九、アンブレラのことについて釘を刺しに来たのだろうが。

 

「王家……」

「ええ。300年を超える歴史に、泥を塗る訳にもいきません」

 

 その言葉にクロコが微笑んだ。

 長命の種族故の嘲りの可能性を一瞬疑うが、それにしては表情が柔らかい。

 

「俺は……失礼。私は、少々人付き合いというものが苦手なのですが」

「そうなのですか? 仰るほどには見えませんが……」

「下手というより、苦手なんですよ。特に、裏表が気味悪いような相手と付き合っていくのが」

「それは──」

 

 暗に、猫を被っていることに気付いているぞというメッセージか。

 

「私も、同意いたします。……ですが、立場あってこその私。腹を割る、本音で語る、信頼云々。聞こえは良くとも、実情には即していないでしょう」

「その通りですね。だから、人付き合いというものが苦手なのです」

 

 そう言って、クロコは含みのあるような溜息をついた。

 やはり、一番「人間らしい」森人だ。会話の意図するところを中々明らかにせず、しかし時折こちらが顔を顰めたくなるようなことを零す。

 

(まァ、常に笑顔で爆弾みたいな話題持ち出すよりかはマシだが……)

 

 名誉のために、誰のことかまで想像するのは控えた。

 

「……そんな私でも、種族への愛着、帰属意識、いわゆる誇りというのは持ち合わせておりまして。──あんまりうちの姫様で遊ばれると、それがね、腐るんですよ」

 

 予想できていた話題でも、ぞわりと鳥肌が立ち、危うく殺気が漏れかけた。

 強い魔力を有する存在はその存在感も増すと言うが、なるほど、量が多くともただ撒き散らすだけのアンブレラやアイリスと異なり、指向性を持たせるだけでここまで……。

 

「……当然のことでしょう。我々、ソートエヴィアーカも、誇りこそ一番に優先いたします」

「そうですか。それは、とても良いことだ」

 

 クロコがフッと笑えば、妙な圧迫感が霧散する。

 あまり時間もないので挨拶はこの辺りで、と立ち上がったあと、去り際に思い出したかのように付け加えた。

 

「詳細は私も聞いていませんが、あの子は学園都市で何かしら目的があるみたいですよ。コルキス様さえよろしければ力になっていただけると幸いです。ご存知の通り、一人では少し抜けたところがありますから」

「……ええ、喜んで」

 

 ヴィオラが見送ったあと、コルキスはずるずると椅子の上で姿勢を崩す。

 

「……ァ〜〜、一応、お墨付きは頂けたってとこかァ……?」

「コルキス様、行儀が悪いですよ」

「今更だろンなもん」

 

 人間社会のゴタゴタに巻き込むなという警告をされた一方で、関わること自体は認めるようである。これで、アンブレラに関わる間は他の二勢力とのバランスを考えるだけで良くなった。

 

 更に言えば、魔力を威圧感とリンクさせることについても興味が出てきた。

 存在感が増すということは、そのまま本人のカリスマ性に繋がる。何かしら収穫があればと思って学園都市に来たが、しばらくはそのことを調べても良いかもしれない。

 あわよくば、政争を終結させられるような功績を得たいものである。

 

 

 

 

「つかれた……おじさんつかれたわ……。しばらく本気で寝溜めしたいなぁ……」

 

 

 

 


 

 

 

 

「な、なんかできそうな気がします! 御子様! できそうな気がしてきましたよ!」

「えっ、嘘でしょう!? 僕、まださっぱり分からないのですが……」

 

 そのおっぱいより少し小さいくらい、つまりマスクメロンくらいの大きさの岩石を持ったアイリスが喜色満面に叫んだ。

 今やっているのは、魔力の無作為な放出を抑えるための練習のひとつ。ヤァヒガルと呼ばれる石に対し、魔力を()()()()ようにするのが目標である。

 

 ヤァヒガル、分かりやすく言えば魔結晶とか魔法石とかそこら辺の概念。魔法石はガチャ回すやつか。

 以前話した通り、魔力というのは()()()()()()()()()。生体はその度合が強く、逆に液体や気体は魔力を貯めにくい。しかし、非生物であるにも関わらず、ヤァヒガルだけは適正のある人間並みに魔力を貯めやすい。(一部ではエルフのうんこ説もあるらしいが、それは僕がこれから鋭意否定していこうと思う)

 また、液体にしてもさほど魔力の貯めやすさが変わらないことから、ポーション的な概念にも繋がってくるらしい。あんまり詳しい話はまだ聞いてないけど。

 

 さて。このヤァヒガル、普通の人ならいざ知らず、僕らのように魔力ダダ漏れの人であれば触るだけで魔力が染み込んでいく。魔力における浸透圧的な話であると思うけど、これも詳しいことは聞いてない。

 魔力が染み込んだヤァヒガルは色が変わる。であるからして、もしも僕らが魔力の放出を抑えることができれば、ヤァヒガルに触れても色が変わらなくなるというわけだ。これ自体は魔力の放出を抑える手段にはなりえないけれど、出ているかどうかを調べることはできる。

 ここ、白妙の止り木では、勉強の時間に放出を抑える理論を教えつつ、自由時間なんかはヤァヒガルを使って自主的に練習をさせるようになっている。割と感覚的なところもあるらしく、自分で勝手にやり方を覚えて「卒業」していく子も多いとのことだ。

 

「アイリスさんは凄いんだねぇ。あーちゃん、ウチらもがんばろー!」

「おー! ……と言っても、全然できる気がしませんよぅ」

 

 こちらの能天気そうな少女はイフェイオン。白妙の止り木にいる、僕達以外の二人の生徒のうちの一人だ。

 色素の薄い、藍を帯びた髪色をしている。こんなアニメみたいな髪色存在するのかと驚いて聞いてみたところ、やはり珍しいらしい。

 

 もう一人の生徒は黒髪の男の子で、シュービルという名前。かなり内気で、まだあまり仲良くなっていないからどんな子かはほとんど知らない。

 イフェイオン……いーちゃん曰く、不器用な男の子らしい。かわいい。ショタコンに目覚める。いや、エルフの森で育てば誰でもショタコンになる。天使しかおらんもん、あそこ。

 

 さて、アイリスは何かできそうな気がしてきたなどと叫んでいるが、僕の方の進捗はどうか。

 進捗ねぇ……。

 進捗、ダメそうです……。

 

 そもそも、「進捗」という言葉が係り結びの法則のごとく「ダメです」に繋がってる。「進捗いい感じです!」って話聞いたこと無いもんなぁ。なんかどの分野でも、進捗に言及してる人はみんな詰んでる気がする。

 つまり進捗について考えた時点でダメなのは決まっているわけで、決して何も進めていない僕自身が悪いわけではない。はい証明終了。何言ってるか分かんねえ。

 

「あーちゃんは可愛いんだねぇ」

 

 益体もないことを考えながらヤァヒガル片手に涙目になっていると、いーちゃんが微笑みながら僕の頭を撫でた。

 この少女、昔から動物に好かれる体質らしく、数多のもふもふを撫でてきた経歴を持つ。そのせいか撫でスキルが尋常でなく、大して年の変わらない少女に頭を撫でられるという屈辱でも無意識に受け入れてしまう。

 猫だったら喉が鳴ってた。エルフで良かった。そんな風に油断していたら、今度は顎の下の辺りをスリスリ撫でられる。完全に動物扱いだが、ほわほわした気持ちよさに抗えない。

 

「ふふ、耳がピコピコしてる」

「……ッスゥーー」

 

 いーちゃんがぽわぽわ笑い、コルキス様のときは率先して静止をかけてくれていたはずのアイリスは鼻を押さえながら震えている。

 ……あれ、知らぬ間にいーちゃんのお膝の上に寝っ転がってるぞ? なんでだ? ……あー、そこ、鎖骨の付け根あたりくすぐったいけど気持ち良い……。すごい。気持ちいのに全然えっちくない。これがモフり力カンスト勢か、ふぁ、ねむ……。

 

 うな。ふんす。うみゃ。あったけ……。

 寝ます……(確信)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混乱は時にすべてにおいて言い訳たりうるって孫子が言ってたし聖書にも書いてあるしなんなら仏教の教えにもあるかもしれない。多分。うろ覚えだけどそんな感じ。

 イフェイオン。白と藍を混ぜたような髪色の、大人しくて華奢な少女。貧乳。最重要情報だ。

 僕の金髪も父様に似てかなり色素が薄いので、白妙の止り木の職員さんからは白髪の姉妹のようだとからかわれる。あと、なぜかいーちゃんと一緒にいると、いつもピッタリくっついてきてたアイリスが一歩距離を取ってこちらを微笑ましげに眺めるようになる。後方腕組み親父面やめろ。

 

 まあ、得てして少女同士の絡み合いというのは傍から眺めていて心安らぐものであるし、アイリスの気持ちも分からなくもない。

 可愛いVtuberが二人画面に並んでいたらそれはもうてぇてぇだし、きらら系が一定の需要を維持しているのはそういう要因がある。

 惜しむらくは僕が眺める側でなく眺められる側であることだが、まぁ可愛いおにゃのこと弄れ……間違えた、戯れられるのだ。甘んじて受け入れよう。

 

 お前はおっぱい至上主義じゃなかったのかと問われそうだが、母様やアイリス、キバナちゃん、そしてヘリオ達と、数多のおっぱいに触れてきて悟った。

 

 僕、スレンダーなのが一番好きだわ。

 

 いやいや、勿論大きなおっぱいは大きいほどよい。安心感といい、包まれた時の宇宙の真理を覗くような心地といい、アイリスのでかいおっぱいは凄い。

 すごいんだ。

 

 だが、なんというか、おそらく母様によって性癖が塗り固められた。

 スレンダー最高。貧乳? 私は一向に構わん。

 ムチムチが好きな人の存在も十分理解するが、共感はしてやれない。

 

 さて。そんな少女だが、白妙の止り木(こんな場所)にいるくらいだから、僕らと同様やはり学園都市で生活するには問題となる障害を抱えている。

 彼女の場合、含有できる魔力の量が外部の環境に非常に左右されやすい。分かりやすく言えば変温動物の魔力版だ。

 

 これの何が問題かと言うと、魔力の薄い場所に身を置くとすぐ死ぬ。

 母さん(ウクスアッカ)が亡くなった時に身体から一切の魔力が失われていたように、この世界で人体が生命活動をおこなうためには最低限の魔力が必要なのだ。

 エルフは更に性質が違って、細胞そのものが魔力に補強されているから、魔力を失ったら体ごと消える。

 

 では、魔力の薄い場所とは?

 まず、エルフの森が魔力の濃い場所であったように、地域ごとに空気中に含まれる魔力の濃度の差がある。生体が少ない場所ほど魔力を蓄える物体が少ないわけだから、砂漠とかはかなり薄いんじゃないかな。

 他にも、除菌室のように「意図的に魔力を排除した空間」というのが学園都市にはそこそこ存在するらしい。実験室だったり、魔道具を作るための場所だったり、内容は様々だけど。

 

 そして、日常的に一番注意しなければいけないのが水である。

 即ち、風呂。あるいは水浴び。

 

 ファンタジー系のゲームよろしく、ただの水に魔力を混ぜてポーション、なんてことはできやしない。この間話した通り、液体でもまともに魔力を含めるようなものは融かしたヤァヒガルくらいなのだ。

 すると、いーちゃんにとっては液体に浸かるという行為がそのまま死に繋がりかねなくなる。

 まったく生活ができなくなるわけではないが、意図せぬことで命を失いかねない病だ。

 

「んー、気持ちいー」

 

 そんな身体であることも意に介さず、いーちゃんが伸びをした。

 お風呂に入れない彼女は、現在、濡らしたタオルで体を拭くことで代用しているのだ。

 ……なお、何故か僕が拭いている。

 

「僕らが来る前は自分でやっていたんですか?」

「うん。でも、背中とかちゃんと拭けてなかっただろーなぁ」

「生まれてこの方、拭くだけでこれだけ肌が綺麗なままってのも凄い気がします……」

「ひひ、ありがと。あ、前もお願―い」

「え──」

 

 いいんですか?

 いや間違えた。何言ってんだこの子。落ち着け。惑わされるな。それはちょっとえっちじゃん。心の珍棒がムクムク。間違えた。落ち着け。

 

「小さい頃はお母さんにやってもらってたなぁ。ん? 顔赤いけどどうしたの?」

「いや、イけます。ヤります。よゆーです」

 

 分からん。何が正しいか分からん。いやしかし少女が郷愁に耽っているのだそれに答えずして何が大和魂か。

 不思議そうに小首を傾げている少女を傍ら覚悟を決める。だいぶ混乱しているかもしれない。でもイける。僕ならヤれる。いやまて僕は混乱しているときはろくでもないことばかりしてこなかったか。ううん、でも今はよく姦、考えれば落ち着いているかもしれない。混乱していない。ちょっと心の珍棒が元気になっているだけだ。

 大丈夫。幸いいーちゃんのお胸は慎ましやかであるし、女児の世話をしていると思えばロリコンでない僕はいけるはず。

 

「……んっ、……脇、くすぐったいね」

 

 横腹を拭いたところで色っぽい吐息が鼓膜を揺らした。はにかむ少女。

 大丈夫。ちょっと長期間えっちなことしてなくて性欲マンハッタンだけど全然興奮してない。大丈夫。あ、やべ鼻血出そう。問題ないね。

 

「……え、あの、あーちゃん、そこはちょっと……恥ずかしいかも」

「大丈夫、イけます、ヤります、よゆーです」

「あ、あーちゃん?」

 

 体を綺麗にする。

 責任を持って綺麗にする。

 隅々まで。

 雑念にはとらわれない。

 

 ……これがゾーンか。

 

 母様と積み重ねた経験か。

 あるいは天性の才能か。

 どこを拭けばいいか、手に取るように分かる。

 分かる、分かるぞ……!

 

「……やっ、そこは……ぁっ、あーちゃ、ん、ダメだっ……ッ、ん、くぅ……んんっ」

 

 光る線を辿るように体を動かせば、自然と最適解に手が届く。

 音。光。あらゆる外因から解き放たれた僕だけの領域(ゾーン)……!

 

「はぁ……、ぁあっ……!」

 

 最後に、タオルをもう一度桶に漬け、ギュッと絞って脱水。

 三つ折りにし、お湯の湛えられた桶の縁にかける。

 

「……ふぅ」

 

 ミッション・コンプリート。

 得も言われぬ達成感に身を震わせながら、僕と同様感動しているのか、体を小刻みに震わせながらこちらに寄りかかるいーちゃんに視線を移した。

 ……いつ寄りかかられたんだっけ? 集中しすぎてて気付かなかった。

 

「ええと、いーちゃん、どうでしたか」

 

 状況がよく分からない。なんなら拭いている間の記憶がない。

 そんな長時間やっていたつもりはなかったんだけれど、疲れさせてしまっただろうか。

 

 妙な集中が切れて動揺する僕に疲れた体を預けながら、いーちゃんはムスッと僕を睨んだ。

 

「……ばかっ」

「えぇ……」

 

 解せぬ。

 それから、怒りに赤く染まった顔をうつむかせて、付け足すようにボソッと言った。

 

「…………よかった、よ」

 

 そうですか。それはよかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

えっちエルフ代表として人間の男の子とも仲良くなろうと思います!! この代表権はすぐにでも誰かに譲渡してぇな!

 シュービル。黒髪だが、日本人顔と言うよりはギリシャとかの方に多そうな顔立ちの、少年特有の細身男子。なんだっけ、ラテン系?

 村では天使のようなショタエルフ達とショタアルマに囲まれてきたので、彼のような普通の男の子は新鮮に映る。黒髪という点ではアルマと同じだが、あの子は東洋系だ。東洋もラテンもない世界ではあるけれど。

 ところで、あの可愛らしい脳筋の弟は今頃どうしているだろうか。ひと月も離れれば、エルフの女の子たちは美少女ばかりだし目移りしてくれていそうだ。将来勇者ハーレムを作る下準備でもしているのかな。

 

 本日はこのシュービル君と仲良しこよしになりたいと思う。野郎相手ににゃんにゃんする趣味はないから()()()までだ。

 学び舎でアイリスの他に二人しかいない同輩だ。せっかく出会えたのだし、しばらく一緒にいるわけだし、是非とも良い関係を築きたい。

 

 ……この辺は、かつて別の学び舎(日本の高校)にいた頃を思えば随分と変わったものだなと感じる。

 レインとして──奏巫女の娘として生きていく上で、人と関わることは不可欠であったし、名前を覚え、交流を深めることは半ば義務であった。母様に言えばそんなことはないとやんわり否定されるかもしれないが、母様やその先代が積み上げてきた信頼を裏切れるほどの身勝手さも、「自分」も持ち合わせていない。

 

 にいろなら何と言うだろうか。

 薄っぺらな人間関係を量産するくらいであれば、成すべきことを成せ?

 最後には嫌われるのだから、一緒にいない方がいい?

 

 なら、にいろには何か成すべきことがあったのだろうか。

 生きる目的、否、死ねるだけの理由──それも違うか、ただ、きっと、君が死んだ時に思ったことが、蓋し答えであったのかもしれない。

 それなら、僕が生きる理由だって。いま死んでしまったって、別に問題……あるか。死んじゃあダメだ。母様と一秒でも長く一緒にいるために。生きる目的はないけれど、死ねない理由がある。今は、これでいいじゃないか。

 なら、母様だって、いつか死んで……。嫌だ。やだ。やだ。考えたくない。ずっと一緒にいるんだ。ずっと。いつまで。頭が痛い。右胸が痛い。考えるな。

 

 閑話休題(考えるのをやめよう)

 

「……シュービル君と、仲良くなりたいと思います!」

「いーんじゃない?」

「……まだ、御子様にそのような関係は早いのではないでしょうか」

 

 女性用の寮室。ベッドの上。いーちゃんが能天気に賛同し、アイリスが顔を顰めながら奇妙なことをのたまう。

 白妙の止り木では、きちんと男子生徒と女子生徒の寝床が分けられている。あとは教師用の部屋が個人個人与えられていて、他にも部屋が何種類か。

 

「そのような関係って、どんな関係ですか」

「ええとですね、御子様、植物にはめしべとおしべというものが──」

「そのくらい知っていますが!?」

「ええっ、ど、どこで!?」

 

 マジ? なんか乳母に生殖器も知らない純情ガール扱いされてんだけど。いやマジ?

 本気で動揺しているアイリスを半目で睨み、不満の意を示すために頬を膨らます。いーちゃんに宥めるように撫でられる。え? 宥めてない? じゃあなんで撫でたのいま? 気持ちいいからいいけど。

 

 前世の記憶抜きにしたって、舞台演劇で恋愛はあるあるネタだし、おませな少女たちというのは恋バナにだって花を咲かせるのだ。

 その上、僕は恋愛の先に気持ちいいことがあるのも知っている(!) 性行為を繁殖のための儀式もとい試練と思っているエルフ達よりよほど耳年増なのだ。経験もあるから、耳年増以上だ。僕がエルフで一番えっちだ!! 変態キングだ!! ハハッ。やだなそれ。

 

「わたしも、カノジョになりたいって話かと思った」

 

 この学び舎、恋愛脳しかおらん!!

 え、それともなに、おにゃのこってこれがデフォなの? ちょっと男の子の話題出したらすぐ恋愛に直結させるの?

 純粋無垢な天然モノだと思っていたいーちゃんが思いの外年頃の女の子しているのは少しショックだったが、あまり無垢に拘っていては業界からやれ処女厨だのやれユニコーンだの叱られる。理解を示し、真摯に向き合っていこう。

 

「いーちゃんは子供の作り方を知っていますか」

 

 ……はい。これはガバ。

 

「ひひ、知ってるよ。パパとママがお願いするとできるんだよ」

「そうですその通りです間違いありません」

 

 勝った!! 勝った!! 今夜はドン勝だ!!!

 ユニコーンと呼ばれてもいい! いーちゃんは純粋培養の無知無知っ子だ! や↑ったぜ(完全勝利)

 

 感極まって、ハグしながら頭をナデナデする。不思議そうにするいーちゃんだが、抱きしめたことには嬉しそうに抱き返してくれた。女の子は気軽にこういうスキンシップができるから素晴らしい。おいそこのアイリス、後方腕組み親父面するな。

 あまりの愛らしさに「僕達の子供もお願いしてみませんか」と言いかけるが流石にこらえた。いーちゃんは友達、いーちゃんは友達、いーちゃんは友達……いーちゃんと一緒に母様孕ませれば解決するのでは?(混乱)

 

 ……さて、気を取り直して、シュービル某と仲良くなる方法について考えよう。

 大人しめの子だし、印象としてはゲームとか好きそう(陰キャ)だから、にいろ的には気が合いそうなんだけど。

 

「実は(わたくし)、旦那様より御子様が異性の方と友好を育むのを止めるよう申し付けられておりまして……」

「嘘でしたら今夜からいーちゃんと寝ることにします」

「すいません嘘です誠に申し訳ありません」

「あーちゃん、アイリスさんと一緒に寝てるの?」

「そうですよ」

「いいなぁ。わたしも、ダメ?」

 

 小首を傾げた少女の問いかけを断れる童貞って存在するのか?

 しかし話が進まん。アイリスが乗り気でないようだし、いーちゃんはひとつの話題に対する集中力がかなり低い。

 でも僕一人でなにか実行すればガバることは目に見えているし、シュービル君のような内向的な子には第一印象が肝心だ。できるだけ同類と思ってもらった上で、何かしら良い印象を抱いてもらう必要がある。経験者は語る。

 

「シュービル君ってどんな方なんですか?」

「うーん、わたしの嫌いなもの食べてくれるね。好きなものは半分くれたり。いーちゃんたちが来る前の、わたしたち二人だけだった頃の話だけど」

「すごい良い子そう……」

 

 そうなのだ。陰キャ(先ほどから決めつけてばかりいて非常に申し訳ないが)というのは、ごく少数のコミュニティにおいては実はそれなりに振る舞えるものだ。

 だがそれが人数が増え、ヒエラルキーなり、そうでなくとも友人の優先順位が生まれてしまうような状況だと、自分がその下にいるように思って孤独感に苛まれ、時に不器用な失敗をし、最終的に独りを選ぶ。凄いよく分かる。

 

 特に、現状は彼以外がみな女の子というのが問題だろう。40を超えているアイリスを人間の彼の体感として「女の子」と呼ぶかはともかく、性別という強力な要素において少数派となってしまっているのは非常に心苦しいだろう。

 ここはひとつ、僕が男性側として彼とチームを組むべきではないだろうか。

 

「あーちゃん、なに言ってるの?」

「……御子様、その、失礼ですが、ほぼ確実に失敗……シュービル様を勘違いさせてしまうかと……」

 

 どうして(震え声)

 いつもそうだ。僕の思いつく案に碌なものがない。それが分かっているから周りの人を頼っているというのに、そちらもよく分からない方向に行く。解せぬ。

 

「……ところで、あーちゃん課題はできたの?」

「ま、まだです。今日中には、きっと……」

 

 白妙の止り木で学んでいる、魔力の放出を抑える方法。

 ちっとも進展がない僕は、実際に放出を抑えることはまだできなくていいから、何かそれをおこなうときの方向性を見つけるよう課題を出されている。

 具体的なイメージを、自分なりに何かしら考えてみなさいというのだ。

 

「なら、それを話しかけるキッカケにしたらどーかな!」

 

 ペカーと頭の上に豆電球を輝かせながら発案する少女に、僕とアイリスは揃って首を傾げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

かっこつけるときはかっこ悪い状態じゃないといけないっておじいちゃんが言ってた。……おばあちゃんだっけな。おじさんだったかもしれない……。

「御子様、大丈夫です。いけますよ!」

「あーちゃんふぁいと〜」

 

 後ろから投げかけられるのはありきたりなエール。まるで告白に緊張する少女を応援する友人達のようだ。

 シュービル少年と仲良くなるためには、まずは良いファーストコンタクトを取ることが必要だ。そのためにいーちゃんが提案したのは、僕の「課題」の解決方法について相談してみるというものだった。

 

 しかしこのエール、僕は分かってるからいいものの、シュービル君からすれば本当に告白の応援をしているようにしか見えないんじゃないだろうか。その証拠にほら、いま目の前で青い顔してガクガク震えている。

 告白の時に取り巻きを連れる文化は本当にやめたほうがいいと思う。世の中にはそれだけ緊張に弱い人間がいるというのは分かるけど、告白という一対一のやり取りが、途端に多対一の脅迫に変わってしまう。まともな告白されたことないからよく分かんないけど。

 

「えっと……シュービル君、いま、大丈夫?」

「……ひゃ? あ、はっ、ひ、はい、あっ……えっと、はい」

 

 だ、大丈夫じゃなさそう……。

 

「あ、あのね? 友達になりにきただけで、他の意図は……」

「はぅあっ、あっ、あの、ええ、はい……っ、す、すいませんっ、ちょ、ちょっと……うっぷ、ゥエ」

 

 震える彼は、口を開こうとして唐突に顔をそらし、胃から出そうになるものを抑えるかのように口を覆った。

 ……が、間に合わなかったらしい。喉か胃か、数度人体からは中々出ないような音を鳴らしつつ涙目で嘔吐をこらえ、しかし耐えきれなかったのだろう、最後にはビチャビチャという誰にとっても不快なその音を立てながらモザイク必須なソレをぶち撒けた。

 その時の場の冷え込みようと言ったら、想像するのも恐ろしいほどのものであった。吐き出してしまったシュービル君は勿論、気楽なノリでいたいーちゃんは混乱のあまり泣き出しそうだし、アイリスは最年長なこともあって取り乱してはいなかったけど、彼にどう接するべきか分からず気まずそうな様相である。

 

「……シュービル」

「ふっ、はっ、アぁ、ごめっ、ごめんなさ……こん、ヒッ、こんな、つもりじゃ」

「シュービル」

 

 混乱とか、羞恥心とか、劣等感とか。

 あるいは、ままならない現実のこととか、小さな失敗がまるで自分の人生すべてであるような心地とか。

 

 それは、よく知っているものであったから。

 にいろがよく恐れたもので、よく馴染みのあるものであったから。

 今となっては些細なことも、この瞬間の彼にとっては世界で何よりも大切なものであると知っていたから。

 

 友達になりたかったこととか、課題のアドバイスを欲しかったこととか、全部忘れて、そっと近付いて、柔らかく抱擁した。

 

「シュービル。息を吸って。ゆっくり、僕が背中を叩くリズムに合わせて、吸って……吐いて……、そう、上手だ」

 

 こっそり癒やしの魔法も使いながら、トン、トンとゆっくり背中をさする。

 勝手に抱きしめたけれども、流石に突き飛ばされるようなことはなかった。

 彼の顔色は青色を通り越してもはや真っ白だ。話しかけられて、上手く受け答えできなくて、しまいには目の前で嘔吐だなんて、カッコつかないよな。僕が男の子で、女の子の前でそんなことしちゃったら本気で死にたくなる。

 だから、僕は何も見てないよ。目を瞑って、薄く微笑みながらただ背中をさすっているだけ。なんにも見ていやしないから。

 

 

 

 

「ボクは、気が弱いんですって。姉によく言われました」

「お姉さんがいるんですね」

 

 落ち着いたシュービルと僕達は、場所を変えることにした。僕らが食堂と呼ぶ、白妙の止り木におけるラウンジのような場所だ。

 大抵の椅子や机は白い。こだわりすぎだろって思うほどに白い家具が多い。あとは食堂では飲み物などが無料で供給される。どこからお金が出てるんだろう。助かるけど。

 ちなみに、一対多だと緊張するだろうとのことで、アイリスといーちゃんには少し席を離してもらっている。アイリスが固辞して立ち続けようとするのを、いーちゃんが必死に座らせようとしている。

 

「もう何年も会っていませんけどね。イフェイオンもボクも、ずっとここにいます。彼女は家族に愛されているから時折面会があるみたいだけど、ボクはこんなだから、しばらく家族には会っていません」

「シュービル君も、いーちゃんみたいに体質が?」

「い、いーちゃん? ……ああ。そうですね。あまり口に出すことでもないので、人にはあまり言っていませんけど」

「ここにはその治療のために?」

「……はい。でも、一生ここでもいいと思ってます。そっちの方が、気楽だ」

 

 それは……一体どんな心境なんだろう。彼の体質が関係しているのか、はたまた先ほど言っていた通り家族仲が良くないことが原因か。

 シュービルの顔を見つめながら会話する僕と対称的に、彼は顔を背け……というより、やや俯きながら言葉を発する。視線は全然合わないし、コミュニケーションが苦手だということを全身から発していた。まあ、目合わせて会話とか慣れないとできないよね。たまに目力すごく強い人いるし。

 

「貴女は、どうしてわざわざボクに話しかけたんですか」

「どうして? うーん……、仲良くなりたいから? でしょうか」

 

 首を捻って受け答える。

 正直、どうしてかを分かりやすく答えるのは難しい。昔の僕なら否定したことだろうし、今だって、明確な理由はなくて、なんとなく勿体ない気がしただけだ。まるで陽キャのような感性になっている。

 シュービルも、僕の言葉に目を細め、胡散臭そうにこちらを眺めてから再び視線を外した。

 

「多分、ボクと仲良くなってもいいことないと思いますよ。どうせすぐ卒業するんでしょう?」

「そんなことはありませんよ。キミは素敵な人で、だから僕はキミに興味があります」

 

 なんかGoogle翻訳みたいな言い方になったな……。

 けれど、いーちゃんから話を聞く限り、彼が素敵な心を持った人だというのは分かる。

 

「どうせ誰にでも仲良くしたいって言ってるんだ。博愛主義なんて糞食らえじゃないですか」

「……そんな、こと」

 

 誰とでも仲良くしたいだなんて思っていない。キミと友達になりたいのに、当のシュービルは丸っきり信じていないようであった。

 けれども、彼の言葉にはよく共感できる部分もあって、どこか似ているような気さえした。

 

「……勿論、まだ、ほんの少しの会話しかしていません。これだけで仲良くなっただとか、人の好悪を決められると思うほど僕も思い込みやすいわけではないです。それでもきっと、僕はキミのことを気に入ると思っています。……そうですね、仲良くなる第一歩として、君付けをやめましょうか」

 

 そう言って、ぐいと顔を近づける。

 僕とキミは似ている。なら、それだけで僕はキミの味方になりたいと思える。

 

「シュービル。僕は、ちゃんとキミのことが好きになると思います」

 

 下から覗き込むようにして彼の顔を見つめると、ようやく視線がぶつかった。

 シュービルは唾を飲み込み、それからようやく目が合っていることに気付いたかのように赤くなった顔を逸らす。

 

「……もう我慢なりません!」

 

 突如、アイリスが叫びながら立ち上がった。

 その燃える眼差しは僕を捉えている。

 

「御子様。お風呂に行きましょう」

 

 その意味を察するのにいくばくか。視線を下ろして、先ほど服についたシュービルのゲロを嗅いだ。

 

「……僕、臭いですか」

「……はい。申し訳ありません」

「ごめん……」

「臭いんですね……」

 

 アイリスとシュービルが異なる理由で同時に謝る。

 僕、ゲロ臭い服で決め台詞吐いてたのか……。

 羞恥で赤く染まりそうになる顔を必死でポーカーフェイスに保ちながら、そっと席を立った。

 

 




「御子様」
「なんでしょう」
「あれでは確実に勘違いさせてしまいます」
「でも、あれくらい言わないと伝わらないでしょう!」
「……今回は意図的なのですね。それでも、勘違いさせてしまったら一体どうするのですか」
「いやぁまあ大丈夫でしょう。……大丈夫ですよね?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

違うんです!虐めてたとかわざと泣かせたとかそういうんじゃないんです!なぁリストカットってどういうことだってばよ!!

「……あの、もういいんじゃないでしょうか?」

 

 しっかりと体の水分を拭き取り、髪も風を操って乾かした後とはいえ、ジッとしていることに我慢できなくなって伺うような言葉が漏れた。

 風呂上がり、シュービルの吐瀉物を一身に受けた僕は、匂いが取れているかの確認をアイリスに取られていた。別に土砂降りの雨のように頭から浴びたわけではないのだからそんなこびりつくわけないのだが、乳母としては御子が品を削いでしまわないよう念入りにチェックしたいらしい。

 

 そも、先ほどからスンスンと鼻を鳴らして僕のうなじのあたりをチェックしているようだが、僕がゲロ……失礼、吐瀉物を浴びたのはお腹より下である。匂いが移ることは否定しないが、もう5分くらいは後頭部に顔を埋めていないか?

 背中に触れる柔らかな感触に、次第に立ったままウトウトし始める。……そういえば、吐瀉物の呼び方でゲロ派とゲボ派あるよね。なんなんだろう。擬音で言ったらオェとかウゥォエとかの方がいいと思うんだけど。

 ちなみに、髪など濡れたものを魔法で乾かすのは人間には一般的でないらしい。旅の道中でしていたらコルキス様にすごい微妙そうな顔をされました。魔力の無駄じゃない無駄遣いはエルフの嗜みです。

 

「もう少し……もう少し……」

 

 うわ言のように繰り返すアイリスに嘆息し、諦めて後ろの彼女に体重をかけるように脱力しながら満足するまで待つことにした。

 すると、ちょうどそこで脱衣所の戸を叩く音が聞こえる。

 

「森人さん……アンブレラさん、上がりましたか?」

「あぁ、先生」

 

 声からしてメガネさんだ。あの、ドリルさんと一緒に僕達をここまで引率した人もといクラムヴィーネ。ドリルさんは研究があるからと帰っていったけれど(あの人のネジの吹っ飛び具合で正しく帰途につけたかは分からん)、メガネさんはそのまま白妙の止り木で教師として僕らの面倒を見てくれている。

 おもむろに開かれた扉から、僕と僕の匂いを嗅いでいるアイリスを見たメガネさんは当然のように一瞬固まる。はたから見れば謎の状況だしね。何なら気を遣って扉を閉じるまである。

 やがてメガネさんに気が付いたアイリスは、停止している彼女にキョトンとしながら浅くお辞儀をして一歩下がる。メガネさんも慌てて(あるいは困惑して)お辞儀を返した。僕だったら混乱のあまり何かやらかすだろうから、アイリスのその図太さを見習いたい。

 

「えぇと、アンブレラさん。先生ではなくて、導師ですってば」

「うぁ、そうでした……『同志』でしたね。すいません、聞き慣れない言葉だとつい忘れてしまって」

 

 何もツッコまないんかいとは言わない。言えない。そっちの方が僕もありがたい。

 

 どのような文化の変遷かは計り知れないが、学園都市の辺りでは指導者のことを「同志」と呼ぶらしい。同志メガネである。ついシベリアに送られてしまいそうだ。この世界にシベリアがなくてよかったなメガネ!

 

「その、少々聞きたいことがあるんですが……」

 

 うぇっ、叱られるやつじゃん!? シュービル泣かせたのがバレた!?

 

 

 

 

 部屋を移動し、先生……同志クラムヴィーネの個室。

 生徒、子供たちは男女で分けられた大部屋だが、教師達はそれぞれ専用の部屋が存在する。

 僕達を座らせて向かいの席についたメガネさんは、ひどく慎重に、青酸ペロをカリッしたコナン君のごとく神妙な顔で口を開いた。

 

「さきほど、シュービル君と一緒にいたところを見たのですが」

「す、すいません! あれは虐めてたとかじゃなくて──」

「──いえ、事の経緯は伺っています。彼は人見知りですから。そうではなく、彼を落ち着かせていた時に使用していた術、あれは一体……」

 

 お、怒られないのか? 術っていうのは、癒やしの魔法のことだろうか?

 それを説明したら、クラムヴィーネはさらに困惑した顔をした。

 

「癒やし? 肉体機能の回復ということでしょうか? かなり簡易な手順で行われているようでしたが効果はどの程度まで? ……いえシュービル君からはさきほどの効果の程度は伺ったのですが、そうではなく別の種類の外傷などにはどのような効果があるのでしょうか。()階方陣級の魔法をあのようにできるのならば──いえ勿論森人の方々であるからこそ可能なものなのかもしれませんが、それでも可能であると判明すること自体かなり大きな発見となるでしょう。その術式が判明すればそれこそ使用者を問わず──」

「すとっぷ! 待って! 同志クラムヴィーネ、落ち着いて!」

「……失礼しました。申し訳ありません、私、一度頭が囚われてしまうと本当に戻ってこれなくて、いけないとは分かっているのですが……、あぁ、こうすればすぐ確認できましたね」

 

 興奮したように言葉をまくしたてるクラムヴィーネを止めると、今度はひどく落ち込んだように目を伏せて──そして、突如思いついたとばかりに、流しにあった果物ナイフを手首に添えてスライドさせた。

 

「は」

 

 僕だけでなく、普段はすまし顔でいるアイリスも、突然の自傷に目を見開いた。

 

「──な、に、やってるんですか」

 

 ほぼ反射であった。

 

 イメージするような血が吹き出すものとは違ったが、パックリと裂けた肌から鮮血が溢れ出す。

 その一滴が床に垂れるよりも前に、ナイフを弾き、クラムヴィーネの手を取って癒やしの魔法をかけていた。

 

「えぇ!? これほど、一瞬で!? 術の展開も見えませんでしたし、破壊と再構築による一般的な回復魔法とも異なりますね……これは一体? いえ、新しい術であることは予想できていましたし──」

「……ばかじゃないですか?」

 

 声が震えた。おそらく怒りではなかった。

 当の本人は喜色満面だというのに、僕は泣き出しそうなくらいの悲しみに囚われていた。いや、実際泣いていた。

 

「ばかじゃ、ないですか? なにかんがえてるんですか?」

「……え、えぇと? なにとは……?」

「は……?」

 

 駄目だった。突然のことで、頭が動かなくなっていることがよく分かった。

 何言ってるんだろうこの人と僕を見つめる彼女を、僕も、何言ってるんだろうと本気で見つめた。

 

「あ、アンブレラさん……? どうして、泣いて……?」

 

 どうして、笑ってるんですかと。

 本気で疑問に思ったとき、人は口に出して問うことすら叶わないのだと、このとき初めて知った。

 

 この世界に生まれてはじめて、許容できない文化の差異というものに直面した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

意識が飛ぶのって結構慣れるもので、何回かトんだ経験があると「あ、これ落ちるわ」って分かるものです。母様が(実技で)教えてくれました。僕が最初に教えたことだけど。

「僕が、間違っているんでしょうか」

 

 クラムヴィーネの部屋を後にして、女子の大部屋にて呟いた。隣にはアイリスがいたけれど、特段答えを求めていたわけではなくほとんど独り言である。

 イフェイオンはシュービルに用があると言っていたので、アイリスと二人きりだ。

 

『やだなぁ、アンブレラさん。手首を切ったくらいじゃ人は死にませんよ。この部屋には治療用具もありますし、手首なら指を傷付けるよりずっと日常生活への支障も少なくて済みます』

 

 困惑した僕がようやく涙を止めた後。

 あっけらかんとした様子で自らの合理性を説いたクラムヴィーネは、床に落ちたナイフを拾って流しに戻してから、僕が咄嗟に治癒した手首を物珍しそうに眺めた。

 

 リストカットは、というか、自傷行為は、僕、あるいはにいろの中でひとつのタブーであった。

 自分がやったことがあるとか、友達が依存してしまっていたという訳ではない。そもそも前世の僕に友達はいない。そうではなく、おそらく現代日本の中で育まれた価値観だ。

 もちろん日本で自傷行為が存在しないわけではないけれど、僕の中ではそれは不健全なことであった。

 

 現代日本でリストカットをする人といえば、その行為に安心感を覚えるというのが理由の一つにあるらしい。けれど、クラムヴィーネが手首をかき切ったのはそういった理由ではなく、純粋に僕の癒しの魔法の効果を調べたかったからだ。

 おかしいだろう、そんな、やりようなんていくらでもあるだろうに。

 

『──? ごめんなさい、どうしてそんなに困惑されているのか分かりませんが、きっと私が悪いんですよね。すいません。いつもそうなんです、私ほんとにダメダメで……』

 

 違う。自己否定してほしいわけじゃなかった。

 しばらく考えて、ようやく思い至った。そもそも思考の基盤が違うのだ。身体、健康の価値が僕が思うよりずっと低い。クラムヴィーネがなのか、この時代の人間たち全員がそうなのかはまだ分からないけれど。

 

 価値基準が違う相手に、どうすればそのおかしさを伝えられるか分からなかった。

 結局僕の持っていた価値観は現代日本人の共通意識に過ぎず、「じゃあその間違ってることはどうして間違ってるの?」という問いに答えられない程度には自分なりの理由を用意できていなかったのだ。浅はかとでも言うべきか。

 

 手首を切って何が悪いのか?

 血が出る? 実際はたいして生死にも関わらない。

 傷が残る? 体の美しさに拘らないなら関係ない。

 

 みんなが言っていたからというのは思考停止だ。

 じゃあ、その間違いを指摘できないのならば、そもそも僕が間違っていたのかもしれない。

 

 そう呟いた僕を、アイリスは静かに見つめていた。

 

「間違っていませんよ。御子様は何も間違えていません」

 

 いつでも僕を肯定する彼女の言葉が、今は苦しい。

 

「突然手首を切り出すことが正しいのであれば、いまごろ往来は血塗れの人で溢れているでしょう」

 

 ……そりゃそうだ。

 ちょっとした極論ではあるが、妙に説得力があってクスリと笑ってしまった。

 

「……ありがとうございます、アイリス。少し気が楽になりました」

「んん゛っっ……。そ、それと、クロミノ様から頂いた手帳によると三大勢力の方々はそれぞれ独特な価値観をお持ちなようですから。特に学園都市(ODO)の研究者というのは、魔法のことになると暴走しがちな傾向にあるようです」

「待って下さい、なんですかその手帳。面白そうです。僕も読みたいです!」

「え、えぇっと……」

 

 おや。

 クロさんがアイリスに何か渡していたというのも初耳だが、この世界の人々に関する情報が記されているというのであれば俄然興味が湧く。私、気になります!

 目を輝かせてアイリスに迫る僕だが、珍しく言い淀まれる。いつもなら快諾してくれるのに。

 

「アイリス、僕気になります。見たいです。すごく見たいです!」

「う、うぅ……そのぅ……」

「アイリス……?」

 

 下から不安げに見上げる僕に、アイリスが意を決したように叫ぶ。

 

「……いいですか、御子様。それ以上近付いたら、私は絶対に落ちます! 絶対です! もう産毛が触れた瞬間に手帳を渡す自信があります!! ……ですがッッ、ですが、クロミノ様に、言われているのです! 御子様にだけは読ませないようにと……ッ!」

「えぇ……」

 

 えぇ……(困惑)

 クロさんの言いつけも謎だけど、それ以上に、その脅迫に見せかけたただの敗北宣言に戸惑う。凄い自信だな。折れちゃ駄目な方に折れてるけど。

 

「──あ、駄目でした。いま御子様が動いたことで漂ってきた空気の香りに屈しました。もはや手帳を渡すことはやぶさかでありませんが、どうなさいますか」

「……いや、流石にそこまで言い含められているなら諦めます。でも、どうして僕は読んではいけないのでしょう?」

「そうですね。クロミノ様は一言おっしゃいました。曰く、御子様には自分自身で世界を経験してほしい(御子に余計な知識を与えるといつか暴発する)、と」

「……そうですね! 確かに、先入観無しでいるほうが僕の好みです」

 

 なるほどなぁ。クロさんなりに僕のことを想ってくれていたらしい。

 個人的に、ネタバレとかは唾棄するほどではないけれど避けたい派だ。一応はエルフも存在するファンタジーのような世界なわけだし、獣人然り、これからもこの世界で面白いことが待ち受けているかもしれない。危険なことは流石に教えてくれるだろうし、ならば楽しみに待っている方が性に合っている。

 

 やれ「年寄りを労れ」だの、やれ「疲れた、寝る」だのとダウナー系おじさんムーブをかますくせに(それが渋い顔に合っていて少し憧れる)、心の底では僕のことを案じているとは、今度はツンデレアピールだろうか。ヘリオでもあるまいに、属性を盛ることを意識し過ぎである。

 

「そういえば、シュービル様と話すことで何か解決案は見つかりましたか?」

「課題ですか。吐かれたことに驚いて、聞くのを忘れてしまいました……」

 

 さっさと学園都市に入って真名について知りに行きたいのに、そもそも入ることでこんな苦労してしまっていてよいのだろうか。

 まぁ、なるようにしかならない。多分なんとかなる。無理なことだったら馬鹿神(ルーナ)に止められているはずで、逆に言えば僕は神様の担保を得てこの場にいるのだ。あの神は、享楽主義のくせしてそういった計算はしている。

 

「アイリスは、もう?」

「はい。まだ意識する必要がありますが、ヤァヒガルに触れても色が変わらなくなりました」

 

 ヤァヒガル。魔力を溜める性質を持つ珍しい石で、これに触れても色を変えない、つまり魔力を放出してしまうことがなくなるのが「卒業」の第一条件である。

 それができるようにならなければ、魔道具の多い町中で無差別テロを起こしてしまいかねない。今のところ僕は核廃棄物と同レベルの厄介者である。

 

 アイリスはできたのか……。僕は抑えられる予兆もないから、先生から「とりあえずイメージを固めましょう」と言われている。諦められていやしないだろうか。

 一体どんな意識をすればいいのだろうか。個人的に、汗腺を自力で閉めろと言われているのと同じ気分である。

 

「私の場合は、先生の仰った『魔力が溢れてしまっている』という表現に注目して、溢れたものを自分の中にもう一度注ぐような意識をしています」

「溢れたものを注ぐ……」

 

 下ネタだろうか。違うか。違うな。思考回路が小学生並みですまん。中学生くらいか。

 

「一度、やってみます」

「御子様ならきっとすぐできますよ」

 

 期待が重い……。あれじゃん、できなかったときに凄いつらい気の遣われ方するやつじゃん。

 

 実のところ、魔力が溢れている感覚というのは分かる。伊達にルーナに魔力の流れを追うことを教わってないからね。

 魔力を感じる技術と、魔力量を増やす技術。ルーナが限られた時間で僕に与えた知識はこれらだけだが、逆に言えばこれらが基礎となって様々なことができるようになるはずだ。

 

 けれども、魔力の放出を抑えるという技術。これはかなり不自然なものだ。文字通りの意味で。

 自然な現象で言えば、魔力が溢れるというのは問題ないことであるはずなのだ。なにも、風船から空気が抜けるように一方的に失われていくわけではない。体に必要な分を取り置いて余りを外側とシームレスに交換しているのであり、それの一切を止めて自分で掌握するというのは、どこか乱暴な気さえしてくる。

 やらないといけないわけだからやるけど。

 

 自分の体を巡る魔力の流れはいつも通り感じられる。

 一つのことに集中するため、ほとんど無意識でやっていた魔力量拡張の作業も一旦やめた。筋肉痛のときのような気だるさを感じる一方、どこか負担が取り払われたような気分になる。

 僕の魔力が溢れているのは確かだ。どこまで広がっているのかは分からないけれど、羊水のように僕を包んでくれている。仮にこれをすべて抑え込んだら、自分を守るものがなくなってしまうような不安感さえ感じられることだろう。

 

 これを自分の中に注ぐ……?

 

 水溶液のようなものだと思おう。僕の中に、魔力を溶かす。

 濃度の薄いところ。何も入っていないところ。

 

 探して、探して、探して……。

 

 多少、「注ぐ」ことができているんじゃないだろうか。

 慣れないことをしているからか息苦しい気さえする。

 

「……は、ぅ、……ぁっ」

「──御子様、大丈夫ですか……?」

 

 遠くからアイリスの声が聞こえる。

 動いていないはずだけど。

 

 大丈夫、アイリスがこれでできたと言うのだ。

 きっとできるさ。

 

 注ぐ。

 

 海底に沈んでいくような苦しさ。

 

 水中で我慢比べをしているみたいだ。

 

「……あい、りす」

 

 霞む視界。平衡感覚もままならないまま、囁くように問いかける。

 

「これは、いつ、まで……?」

「──いつとは……」

 

 返答をすべて耳に捕らえる前に、視界がぐるんと回るのを感じた。

 

 飽和した水溶液に、一体どうやって塩を溶かすというのだろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

徹夜明けで寝落ちたとき、目が覚めた後の時間感覚の狂い具合は異常。だいたい朝のつもりで起きて、実は夕飯時なことを知ったりして震える。

 注いだ。注いだ。

 注いで注いで、溶かして溶かして、この小さな身体に余す処なくそれを注いで、満ちた、と理解したときに感じたのは、気の充満する全能感や途方もない力を抱えたときの抑え難さなどではなく、ひとつの疑問であった。

 

 ──なぜ、この身一つに封じきれるなどと思ったのか。

 

 奏巫女として血と魔力の厳選が行われ、加えて、世界の理から外れた存在に師事し続けてきた魔力量の拡張。

 なるほど、よほど無理のある使い方をしなければ枯渇することもなくなった。かつては一度癒せば抗いようのない睡魔に襲われていたことを思えば、この世界の人々と比べてほとんど底無しとも言える量であろう。

 

 それ故に、人並みから外れた。

 誰もができることができなくなった。

 

 遠のく意識は、或いは限界を超えて壊れそうになった身体(容れ物)を守ろうとしたものだったのかもしれない。

 

 

 

 


 

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 このところ何度か見ていた恐ろしいものでなく、自分の体の感覚が曖昧で、場面の転換も脈絡がない、まさに夢らしい夢。

 

 あるときは獣として林を駆け抜け、一度瞬きをすれば翼を生やして大空を舞っていた。

 風切り音は激しさを増したかと思えば水流の割れる音となり、尾ビレを動かし流されまいと上流を目指す。

 

 獲物を狙う狩人でありながら、同時に狩人に狙われる獲物でもあった。

 僕は僕を見つめ、僕は僕から逃げて僕を追った。

 大地を蹴り飛ばした足は少年の白くスラリとしたそれに変わり、僕は小遣いを握って広場の屋台を目指した。

 

 知らない街であった。

 知らない人間の顔が凝視できるほど事細かに見分けられた。

 夢だというのに、そこは思い出のどこにも存在せず、出会う人々は見知らぬ人しかいなかった。それ故、夢にしては夢らしくない。

 薄まりつつある前世の記憶を疑っても、それにしては建造物が現代的ではなかった。

 

 熱心に何事かを語らう者達を見た。

 手元の羊皮紙のようなものには何やら難解そうな文字列が記されている。

 僕は必死になってそれを説明する。怒りに心を震わす。理解されない。鼻で笑われた。笑ったのも僕だ。

 

 暗い道を進んだ。その幅の割に何も置かれていない冷たい通路であった。

 目の前には扉があった。見上げるほどに大きいようで、愛玩動物の出入りする小さな戸口のようにも見えた。

 その部屋の主は、暗闇の中輝く瞳で僕を見つめていた。

 紛うことなく、僕を。

 

「──お主、夢を見ているな」

 

 夢を見ていた。

 まさに夢らしい夢であった。

 初めて聞く声に、どこか懐かしさを覚えてしまう。

 そんな、記憶と願望と幻想の紡ぐ夢。

 

「斯様な場所まで迷い込んでしまったのだろう。己を失っていやしないか。早く帰ったほうがよい」

 

 帰る。どこに。

 失った己とは。僕は。

 僕は、誰だったか。

 

「あの子に案内をさせよう。なに、次会うときに返してもらうから、気にすることはない」

 

 みゃおぅと隣で鳴き声。

 夢が終わるのだと気が付いた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 瞬き。もう一度、瞬き。もひとつオマケに、瞬き。

 どうやら寝かされているらしく、体全体が凝っているような気分だったのでその場で小さく体を伸ばす。

 眠気は、ない。そう。気絶していた。多分、魔力を溜めすぎたかなんかで、バグった。

 痛みもない。状況もだいたい把握できてきた。ここはあれだ、白妙の止り木の医務室。

 よし、頭も動く。問題なさそうだ。

 

 ──みゃおぅ。隣で鳴き声。

 

 虚を衝かれて弾けるように視線を向けると、雪のように真っ白な猫がいた。

 初めて見る子だ。けれどその毛並みは、白妙という言葉がよく似合う。

 

「……あれ。でもキミ、黒色じゃなかった?」

「みゃぅ」

「……僕、何言ってるんだろうね。キミとは初対面じゃないか。でも、本当に綺麗な白色だ」

 

 手を伸ばして頭を撫でようとして、やめた。

 人に慣れていそうだし平気だったかもしれないけれど、一応は初対面なのだ。

 手のひらを上にして、白猫の前にそっと差し出した。

 フンス、フンスと確かめるように匂いを嗅ぎ、やがて満足したのか顔を手の上に載せた。こうなれば互いの自己紹介は終わり、戯れの時間である。

 

「みゃぁご」

「うなぁ」

「フンス」

「にゃーん」

 

 なるほどね。増税で魚の徴収が大変と。まぁ、御上ってのは僕らの都合なんて考えてくれないものさ。

 僕の胸のあたりを白猫がてしてしと肉球で叩き、お腹の上を歩き回る。少しくすぐったい。

 

「キミは、どこの子なんだい?」

「みゃお」

 

 当然、エルフだろうが奏巫女だろうが猫の言葉は分からない。

 問いかけに猫は淡白に答え、僕の首元に顔をグリグリと擦り付けてから唇をペロリと舐めた。

 

「おお……。ふふ、これでも僕だって美少女ぼでぃなんだよ? こんなに易易と唇を奪われるとは、痛い目に遭わせないと分からないのかな」

「うみゃ…うみゃぁ!」

「ふふ、ほりゃ。どうだ、もう一回!」

 

 プレイボーイ(ガールかも)をしっかり抱きしめて、二度三度と口付けした。これで僕のほうが唇を奪った回数が多い。僕の勝ちである。

 喧嘩を売る相手を間違えたね。僕がこの世界に来てから何人のおにゃのこの唇を奪ったと思っているのか。

 負け惜しみか、白猫は不満げに僕の鼻のあたりを何度もてしてし叩く。肉球で鼻叩かれるとかもはやご褒美なんだよなぁ。

 

「……さて、なにはともあれ先生かアイリスにでも無事を伝えないと」

 

 今はたまたま誰もいなかったが、ほとんど倒れるように気絶したはずだ。特にアイリスには心配をかけただろうし、時計を見る限り2時間ほどしか経っていないけれど報告はしたほうがいい。

 と、視線を上げると、医務室の扉からおっぱいが覗いていた。間違えた。アイリスが覗いていた。でも同じくらいおっぱいも飛び出ている。

 

 ……ふぅ。

 

「……あの、アイリス」

「あ、お気になさらず。どうぞ続けて下さい」

「いや、あの…………いつから? ……あと鼻血出てますよ。治すのでこちらに来てください」

 

 ……スゥーー。

 

 平静を保っている。いや、保っているつもりだ。

 でもきっと、アイリスから見た僕は耳まで真っ赤なことだろう。

 恥ずか死ぬ。誰か。ヘルプミ。

 

 なぜ、かつて同級生のカップルに猫と話してるとこを見られた、男一人でにゃんにゃん言ってるとこを見られたあの経験を活かせなかったのだろう。

 

 いや、まぁ、アイリスに対してはいまさら威厳もクソもないかもしれないけれど。

 それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

 慣れた手付きで鼻を拭ったアイリスは、僕の方へ歩み寄り、そして突如ぎゅうと抱きしめた。

 

「御子様、気を失われてからどれほど眠っていらっしゃったか、ご存知ですか」

「え、えぇと、2時間ほどですよね?」

「……丸2日です。ご無事で、本当に良かった……」

「へ……?」

 

 まる、ふつか?

 呆けたような僕の声と腹の虫が鳴るのは同時であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なんで夢の中って本番えっちできないの?…童貞だから?なんでそんな残酷なこと言うの!童貞には夢さえ許されないってか!……待てよ、つまり夢の中で本番までいけたら童貞じゃないってことに…?よぉし、頑張るぞ!

「夢を見ていました」

「……いつもの、悪夢でしょうか?」

「いえ、もっと雑然とした……あれ、どんな夢だったかな」

 

 猫やおにゃのことの接吻を経て、目は冴えたものの、未だ思考はぼんやりとしているようだ。

 夢も夢、まさに夢らしく、思い出そうとしても中々内容が出てこない。むしろ思い出そうとすればするほど忘れていくもので、誰かの声を聞いたような気もするけれど単語一つすら淡く彼方に溶けてしまった。

 

「空を飛びましたね。確か。翼で風を切る感覚は、何となく良いものだったと覚えています」

「えぇと……、御子様、たしか飛べましたよね?」

「あれは空気に運んでもらってるだけですよ。水に流される感覚に近いです。翼で飛ぶのは、もっと……」

 

 ──あれ。

 

 どうして僕は翼の感覚を知っているのだろう。想像ではなく、確かな実感として。

 僕の想像力が飛び抜けているなんてことはないはずだ。それだったら、かつておっぱいに触れたことすらなかった頃に見たえっちな夢で、ちゃんと本番まで行ってたと思う。いやあれは夢がおかしいのか。夢の中でくらい童貞に夢を見せろ。えっちさせろ。

 

 胡蝶之夢、という言葉が頭をよぎる。

 まさに僕は、夢の中で翼を抱えて生きていた。

 それこそ、今や薄れつつある前世の記憶のように。

 

 両親の声はどのようなものだったか。

 あるいは。

 あるいは、前世という記憶こそ胡蝶之夢であるのでは──

 

「みゃおぅ」

「ひぅっ……!?」

 

 ザラリとした舌が耳元をなぞった。

 腰まで電流のような刺激が駆け抜ける。

 

 耳は……、耳はあかんのや。弱いんよ。あかんて。

 ジロリと睨んでも、もちろん白猫は意に介さない。僕何かやっちゃいましたかという顔でこちらを眺めては毛繕いをする。

 

 まあ、そうですよね。

 前世が夢だったなら、赤子の僕が自我を持つことなんてなかった。そうして大切な人に出会って、愛されることの恐ろしさと幸せを教えられた。

 前世の自分(ニイロ)がいて、今の(レイン)に繋がっている。

 夢じゃなくて現実で、故に世知辛いことばかりだ。

 

「……ふふ」

「どうかなさいましたか?」

「いえ、特には。……世の中は面倒で、やらなければいけないことばかりで、残された時間も少ないというのに楽しみなことが多すぎる、と」

 

 ちっとも笑えないのだが、辛さを受け入れている自分が可笑しくて顔を綻ばせた。

 体にかけられていた毛布をめくり、アイリスを誘う。

 

「大変な世の中です。なら、折角の機会ですし、今だけはもう少し休みませんか」

「二日も気絶していたんですよ? 教師の方に診てもらわなければ」

「そんなこと言う割には、もうベッドに潜り込んでいるではないですか」

「主の命令には逆らえないものです」

「僕、別に主じゃないですってば」

 

 クスクスと笑いながら二人で寝転がる。猫も寝転がる。にゃーん。

 元々僕の体温で毛布は温まってる上に、一人と一匹の体温でさらに暖かい。

 豊満な胸に顔を埋めれば、再び意識が蕩けるのに時間はかからなかった。

 

「…………残された、時間?」

 

 だから、はたと気付いたかのように溢れたその言葉が僕の耳に届くことはなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「で、二人で夜まで寝てたんだ? ふーん?」

 

 気絶しておいてダラダラ寝ていた僕に一番怒ったのが、いーちゃんことイフェイオンである。

 クラムヴィーネ始め、教師陣の大人達は割と優しかった。体に異常がないかだけ確認を取られて、あとはまた明日以降話そうとのこと。

 シュービルとはまだ仲良くなれていないから、ちらりと一度顔を見たきりどこかに行ってしまった。けれど医務室のベッドに飾られていた花瓶は彼が置いていったものらしい。優しい子である。

 

 アイリスに助けを求めるように視線を向けると、眉を八の字にして断るかのように首を横に振られた。

 

「イフェイオン様は、御子様が倒れられたと聞いて大変心配なさっていましたから……」

「そう、なんですか? その、ありがとうございます。それとごめんなさい」

「別に……」

 

 拗ねたようにそっぽを向きながら、いーちゃんは口をまごつかせた。

 しばらく黙ったのち、こちらをチラリと見て、もう一度目を逸らして、俯き加減に僕の服の裾を掴んだ。

 

「……もう、平気なの?」

「まあ、はい。体に悪いところはありませんし、元気ですよ」

「まあってなに」

「あ、うぅ、えっと、気絶した原因が『課題』をどうにかしようとしたことで、結局解決しなかったなぁと」

 

 裾を掴んでいた手が、今度は首の横に添えられた。脈を、命を確かめるかのように。

 けれど、そんなことをしても何も確かめられなかっただろう──彼女の手は、鼓動なんかよりもずっと強く、小刻みに震えていた。

 

「本当に、元気なの?」

「えぇ、元気です! 何なら宙返りでもしてみせましょうか? むしろいーちゃんの方が元気なくて、つられて落ち込んでしまいそうです」

「元気ならいいんだけど……」

 

 一日中走り回っているような活発な子ではないけれど、天真爛漫という言葉が似合うほどに無邪気な彼女がこうも落ち込んでいると結構堪える。

 普段は見せないしおらしい表情にドキリとしながらも、申し訳無さで胸が一杯になった。

 

「その……、どうしたら許してくれますか?」

「え? うーん、……ひひ、じゃあ今日一緒に寝てくれたら許してあげる」

「それは、もちろん」

 

 コクリと頷くと、ようやく笑顔を見せたいーちゃんは「約束だよ!」と言ってどこかへ走り去っていった。シュービルのところだろうか。

 アイリスを見上げると、よかったですねとでも言いたげに微笑んでおり、お互い顔を見合わせて苦笑した。

 何にせよ、少女には無邪気な笑顔が似合うものだ。

 

「少し、よろしいかな」

 

 いーちゃんがいなくなって少々。入れ替わるようにして現れたのは、白妙の止り木の院長であった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 院長は穏やかな人である。白髪の混じったちょび髭が、どこか優雅さを演出する。

名をプローセスといい、教師というよりかは白妙の止り木のまとめ役を担っている。

 要するに監督役であり、教師と呼ぶのは憚られるから院長と呼ぶ。一応教師役として立つこともあるけれど、主な授業はクラムヴィーネともう一人の合わせて二人が担う。

 

「あの子は、あの年にしてはあまりに別れを経験しすぎていてね」

 

 当然ここで働く期間も一番長いわけで、プローセスさんはいーちゃんをよく知っているそうだ。

 

 いーちゃんもシュービルも、白妙の止り木にいる子供達は何かしらの病を抱えている。

 僕達のような特殊な例でない限り、それは一朝一夕で治るようなものではない。

 

 そして、少し考えてみれば分かることだった。

 

 彼らはずっと二人でここにいるのか。

 そんなわけがなかった。彼らだけが、今も()()()いるのだ。

 

「生きている人よりも、そうでない人の方が、そうでなくなる人の方がずっと身近……それがここの子供達さ。私達に根本的な治療はできない──できるなら、ここではなく研究所にいるだろうからね。私にできることは、本当に少ないものだ」

 

 半ば懺悔のようにプローセスさんが語る。

 

「イフェイオンは良い子でしょう」

「そう、ですね。けれど、同志プローセス、貴方が仰ったような環境なら、どうして」

「それが彼女の強さなのだよ」

 

 強さ。人としての強さ。僕が持たないもの。

 でも、すんなりと理解できた。彼女は強い「人」だ。

 

「けれどそれでも、取り戻せない別れというものには人一倍敏感で、何よりも恐れる。……アンブレラ君、どうか、絶えない繋がりというものを彼女に教えてやってください。あの子の美しさは、今のままでは脆すぎる」

 

 強い意志の籠もった瞳だ。

 言われるまでもないと、僕は頷きの強さで返した。

 

「……ところで、実は『導師』を後ろに付け、プローセス導師と呼ぶのが表現として正しいのですが、ご存知だったかな」

 

 え、そうなのか。

 同志を後ろに付けるのってなんか不自然じゃない? スターリン同志とか呼びたく……うぅん、まあ、慣れれば別にいいのか? そんな気にならないかも。

 

「はっはっはっ。いえ、まず森人の方がこれほど我々の言葉遣いに馴染まれているのが驚きなのですがな。意味は通じるだろうから気にするほどのことでもない。人によってはソートエヴィアーカのようだと怒ることもあるかもしれないが、まあほとんどの人は気にするまい」

「いえ、勉強になります。同志プロ……ではなく、プローセス同志」

「いやいや。……アンブレラ君、イフェイオンをお願いします」

 

 それから軽く、僕が取り組んでいる課題の話なんかをしてお開きとなった。

 

 その夜アイリスといーちゃんに挟まれながら寝た僕は、強くて美しいけれど同じくらい儚い少女を前に、親愛の情から来る口吻の欲求を必死に堪えながら眠った。

 いーちゃんは僕の胸に強く顔を埋めた。まるで、心臓の拍動を確かめるかの如く。

 胸が押しつぶされて変形する感覚は少し苦しかったけれど、嫌とは思わなかった。心臓が2つあれば、片方を彼女にあげたのにとさえ思った。

 

 白猫が僅かな首の隙間を埋めるように潜り込み、身じろぎ一つできない状態となった。

 なぜだか、猪に囲まれて眠ったあの日を思い出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

手慰みに射精……?お前は何を言っているんだ、とジョニーは思った。あんまりに真顔なものだから写生大会の写生だと気が付いた。いや誰だよジョニー。

学術的な話については現代準拠で考えないようにしてください。
用語の定義が若干作品独自のものにすげ替えられてます。


「……このように、はじめ人類が認識していた生物の分類は『動く』か『動かない』か、つまり動物と植物でした。これを二界説と呼びます。

 技術の発展により、肉眼では捉えられなかった生物の存在が認められるようになり、その構造や生態の違いから『微生物』として認識されるようになりました。三界説の成立です。

 ですが、三界説以前から叫ばれていたこととして、魔力による分類がありました。魔力を保持する能力ではなく、肉体の構成が魔力に依存している生物のことです。動物と植物の分類を細胞の構造などから考えようとすると、避けることができなかったのです。

 そのような生物を『魔霊(まりょう)』と呼称し、現代一般的な四界説が生まれました。魔霊はいわゆる精霊で、森人が有名ですね」

 

 そこまで一息で言い切って、人の良さそうな白髪の導師は水を口に含んだ。

 

 「生物文化論」と題された講義の二度目の授業。初回はガイダンスと講師の自分語りでほとんどの時間が潰れたので不満しかもたらさなかったが、どうやら今回からは真面目に講義をするつもりらしく、コルキスは胸を撫で下ろす。

 学術的な用語であるからか初めて耳にする「魔霊」という言葉を手元の紙に書きつける。他に一切の説明は加えない。関係性や概念はその場で覚えるから、慣れない単語だけを記すようにしていた。

 

「さて、専門的な話は置いておき、ここでこれらの名称を考えると少し面白いことに気付けます。魔霊だけ、『物』が付かないのです。それでは……そこのあなた、どうしてだと思いますか?」

「はい。『肉体』が本体ではないから、でしょうか」

「素晴らしい! その通り、我々と違って魔霊と呼ばれる生物は肉体、精神、魂のうち精神が個人の本質であると考えられています。生物を専門的に学ぶ学生が知ることなのですが、よく分かりましたね。もっとも具体的なことについては魔霊の調査が足りていないので断言できませんが……」

 

 唐突に指をさされたので一瞬考えて答えれば、導師の男は興奮したように語り始めた。「はい」の一瞬であるので傍目からは即答したように見えたかもしれないが。

 同じ部屋で講義を受けている生徒のうち、コルキスの立場を知っている幾人かは流石だと溜め息をついた。一応は国を代表しての留学生である。優秀だと思われる分にはありがたい。

 

クロコ(あいつ)が野心に気付いてる癖してお姫様をこっちに預けたのも頷けンなァ)

 

 授業の範囲を越えて魔霊について語る教授は目がイッている。

 魔霊については資料や研究が少ないのだろう。だからこそ妄想とも呼べる予想が無数に打ち立てられ、有り得そうなものからロマンに走りきったようなものまで色々存在する。ほら、魔霊の研究は不老不死の第一歩とかなんとか言い出した。

 

 学園都市の研究者がこんな人間ばかりだというのなら、アンブレラはコルキスの庇護下に置いたほうがよほど安全だろう。

 アンブレラの体が欲しいという目的は学者もコルキスも同じだが、学者共は絶対に解体(バラ)す。よくてホルマリン漬けである。いや、流石に外交問題だと理解するだろうか。目の前の教授を眺めている限りそうは思えないのだが。研究者に人間性を求めてはいけない。

 

 

 

 

「まったくあの男、指差したのがどなたか分かっているのでしょうか。無礼な!」

「気にすることではありませんよ。落ち着きなさい」

 

 授業後、教室を出てしばらく歩いていると側付きの騎士ヴィオラが眦を決した。教授がコルキスを指差したことが許せないらしい。

 しかし、こちらは生徒、あちらは教師だ。人を指差すこと自体は行儀が悪いが、もしも一般人が王女を指差したことについて怒っているのであれば、学びの場に身分を持ち込むものではないという結論になる。

 むしろ、生徒も含め多くの人が自分を敬わない環境というのは新鮮で楽しかった。いくつかの問題を除けば、こちらでの生活のほうが気楽で性に合っているかもしれない。それでも叩き込まれた所作などは出てしまうため、気品の高い人物と思われているようだが。

 

 まあ、ヴィオラはこれでいいのだろう。コルキスに心酔しているからこそ、そのことになると視野が狭くなり感情的にもなる。

 今の表情こそ険しいが、夜の顔を思い出せば可愛らしいものである。

 

「さて、次の講義は『魔力回路入門』ですね。今年は魔力源が豊富にあるから実技が多くできると導師の方は喜んでいましたが……一体どこから産出されているのでしょうか?」

 

 

 

 


 

 

 

 

 やぁみんな! 僕はジョニー! 嘘だよ、ほんとはアンブレラ・レインさ!

 

 ……はい。おはようございます。みんなのノアイディ=アンブレラ・レインです。

 なんかまた監禁されて暇なので、テンションを上げるくらいしかやることがありません。

 監禁というか、軟禁? 危ないことはないです。ただ、閉じ込められてるので監禁みたいなもんです。手錠とかはないです。

 

 というのも、白妙の止り木にある魔法石、もといヤァヒガルが尽きたらしい。全部魔力を吸収させてしまった。

 ほっとくと僕はまた大量の魔力を垂れ流し始めてしまうが、いーちゃんとかに影響があるかもしれないから、魔力版断熱室みたいなとこに入っててくれと。神妙な顔してお願いしに来た院長は面白かった。

 

 魔力が完全に枯渇することで生命に危険が出るのは分かるが、多い分には構わないんじゃないかって気もするし、いくらいーちゃんが周囲の環境の影響を受けやすいからって隔離は寂しい。

 だがまぁ、酸素だって確か濃度が高すぎるとヤバいと言うから、渋々従うことにした。

 天然状態のヤァヒガルが届くまでって話だったし、そろそろ出れるだろう。

 

 魔力は光とかより磁力に近くて、普通の壁では防ぐことができない。物質的な障壁はほとんど意味をなさないのだ。

 そのため、特別な製法による遮断壁を用いた部屋でなければ監禁も意味がない。白妙の止り木にそういう部屋があったのは……まぁ、金あるんだろうなあって感想に尽きる。よく整備された水回りとか、無駄に凝った装飾とか、ここの運営は安泰なんだろうなぁ。どっからお金出てるんだろ……。

 ほとんど密室なこの部屋、用途もよく分からない。金持ちの道楽か。

 

 ……ほとんど密室なんよな。

 

「助けてーー!!!」

 

 叫ぶ。

 

 誰も見に来ないし、反応はない。

 つまり、監視とかもない。

 

 久しぶりの、完全に一人な時間である。

 

「い、一回だけ……」

 

 

 

 


 

 

 

 

「アンブレラさん、お待たせしました〜」

「ひゃっ……、は、はい」

「ごめんなさい、暑かったですか? とりあえず、こちらをどうぞ……って、あれ」

 

 紙袋を抱えた眼鏡さん……クラムヴィーネが現れ、その袋から鉱石のような物を取り出した。

 ヤァヒガルのはずだが、その色は既に変わっていた。

 

「……すごい、ですね。空気はかなり伝搬率が悪いはずなのですが、それが関係ないほどこの部屋にアンブレラさんの魔力が充満していたのでしょうか。……しかし、閉鎖系の空間でこれほどの量の魔力が空気中に満たされるわけもありませんし、外から? ほとんど遮断しているはずですが……その平衡を崩すくらい誘引性が……?」

「あ、あの? クラムヴィーネ導師……? まぁいっか、ありがとうございました……」

 

 クラムヴィーネがまたブツブツ呟いて自分の世界に入ってしまったので、また自傷しはじめても敵わないしヤァヒガルの礼だけ言ってスタコラサッサと逃げ出した。

 この間の一件以来、彼女と二人きりになるのは怖いし、少し気まずい。

 

 院長に声をかけて、入荷されたヤァヒガルのところに連れて行ってもらう。触った状態で色の変化する速度がいつもと同じくらいになるまでひたすら魔力を含ませて、ようやく自由の身となった。出所である。

 

「あーちゃん!!」

「いーちゃん!」

 

 ガシッと抱擁し合う。

 一心同体、ユアマイフレンズ。毎日一緒にいると、一日離れるだけでかなり久しぶりに顔を合わせるような気になる。

 寂しくなかったかと聞くと、シュービルが話し相手になってくれたから寂しくなかったとのこと。泣いた。シュービル貴様紳士同盟を裏切るのか。そんな同盟無いけど。

 

 キッと彼を睨むとヒッという情けない声が聞こえてきた。やりすぎたかなと思って今度は優しく微笑みかけると、余計に顔を青くして逃げ去ってしまった。解せぬ。泣いた。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、イフェイオンは肩にもたれかかるようにして優しく囁いた。

 

「嘘だよ、寂しかった」

 

 ……いーちゃん!!

 

 策士である。少女というものは多かれ少なかれ策士である。だがそれに騙されるのが甲斐性ではないだろうか。

 シュービルにはあとで謝りに行かないとなぁなどと考えながらいーちゃんの髪を梳いていると、アイリスがなにやら油筆を動かしているのが目についた。

 

「アイリス、それは?」

「手慰みに写生でも覚えようかと考えまして」

「……」

 

 確かに、アイリスは課題も終えて僕待ちの暇な状態ではある。

 一体その筆はどこから手に入れたのだろうとか疑問は尽きないけれど、絵を描くのは楽しそうだからまあいっか。ちなみに僕の画才はちょっとアレである。

 

「御子様の美しさの一部でも残し、あわよくば人間に布教したいと思います」

 

 ……頑張ってください。

 

 とはいえ、ここ最近の出来事や監禁されていた時間を通じて、僕も課題に対して少しアイデアが生まれた。

 案外、卒業と別れの時は近いのかもしれない。

 




密室、欲求不満の自己開発済み娘、何も起こらないはずがなく…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人に聞くとすぐにググれって返す人がいるけれど、やっぱり専門家が近くにいるのならその人に聞くのがいいと思う。特に、wikipediaとかには載ってなさそうな内容は。

 学園都市において、すべての学生は導師と呼ばれる教授に師事する。

 大抵の場合は生徒の希望に照らし合わせて配属されるが、時には教授から呼ばれたり、特別な事情から首脳陣によって決定されたりもする。

 コルキスの場合は最後の例であった。大っぴらにしていないとは言え実質ソートエヴィアーカから訪れた親善大使のようなものであり、下手な導師のもとに付けるわけにもいかない。しかし学園都市のシステム上誰にも師事しないということは考えられず、適当な導師を選出する必要があった。

 そうして選ばれたのが首脳陣の一人に数えられるタゲリ導師であった。学園都市の研究者にしては穏やかな気質で、人望も厚く、権力の獲得に腐心する一部の導師達にとっては目の上のたんこぶのような存在だ。薄暗いことなど腹に一物抱える導師にとって国賓を迎えることは避けたく、押し付けあった結果でもあり、またタゲリが失態を晒して失脚すればいいという考えもあった。

 

 まるで子供のように短絡的で想像しやすい首脳陣間でのやり取りはコルキスにも想像付いていたが、理知的で親しみやすいタゲリのもとに配属されたのはどちらかといえば喜ばしいことであった。

 もちろん軟弱で貧相なその肉体は好みからは外れていたが、元より学園都市の人間にフィジカルは期待していないし、知識さえ得られれば問題ないのである。

 

 最近出会った肉体を思えば、やはりアンブレラが真っ先に浮かんだ。顔の造形の話でなく、鍛えられた筋肉により程よく引き締まった体躯には数多の戦場を越えてきた馬体に見られるような芸術性があった。女性特有の体の丸みを残しながら、しかし触診してみれば分かる極上の肉質である。

 深窓の令嬢のようにか細く弱々しい体よりも、少し力強さを残している方がよい。そちらの方が、組み伏せたときの愉悦も指先一つで(なぶ)ったときの快楽も増す。特に、しなやかな筋肉をまとった女性の海老のように背を反らせる姿は筆舌に尽くしがたいものがある。

 

 まあ、今は彼女のことは置いておこう。考えなければならないことも、知りたいことも多々ある。

 

「コルキス嬢、悩み事かね」

「ええ……。本日ありました講義のことで、少し」

「ほお、貴女のような才媛がこの時期の授業でですか」

「買い被りですよ。……魔霊種のことについて少々伺っても?」

「ははあ。さては授業の範囲を逸脱した内容ですな。良いでしょう、発見というのは興味こそがもたらすものです」

 

 打てば響くとはこのことだろうか。自分にとって無害な人間でこうも頭の回転が速い人物というのは中々出会うこともなかったので、タゲリとの会話は楽しめる。

 まあ質問と言ってもかなりどうしようもない内容である。もしかすれば知っているかもしれないが、昔からの共通理解だと言われれば返しようがない。

 

 魔霊種──特に森人の身体構造を、なぜ学園都市の人間が知っているのか。

 

 講義内で魔霊について熱く語った白髪の導師は、彼らの肉体の構成について語り興味深いと言った。

 しかしこれはおかしな話である。魔霊の代表格とも言える森人、彼らに関わることすら軽率にすべきでないと言われる世の中で、果たして少しでもその肉体について知見を得るような機会は存在するものだろうか。一人でもモルモットの如く扱えば、種族総出で人類を滅ぼそうとしそうな森人である。

 そもそも幽かの森に引き篭もっている彼らのことを、どうやって知るというのか。あるいは、それ以前からの知識なのか。

 

 当てもなく資料を探し求めるのは憚られたので、しばらくは保留にしておこうかと思った疑問だ。

 この際だからと聞いてみたが、あまり答えにも期待していない。

 

 コルキスの問いかけをじっくりと聞いたタゲリは、手を組んで瞑想するように目を閉じてから、しばらくして目と口をおもむろに開いた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「なんか時々歩いてるのか飛んでるのか泳いでるのか分からなくなるなぁ」

 

 なんかこの間ぶっ倒れてからたまにフワフワした感覚になる。

 元々頭フワってんだろと言われれば悔しいが流石にもう否定しきれない今日この頃、お酒を飲めばこんな感じなんだろうかと夢想しつつ、健康への影響として報告すべきか悩む。

 一応、そうやって感覚が狂うことも時間が経つごとに減ってきてはいるけれど

 

 結局どうして気絶してしまったのかは定かでない。幼い頃は魔力が枯渇して、抗いようのない眠気に襲われたことは何回もあったけれど、今回はそれとは違った。眠気というより、溺れるような苦しさがあった。

 

「まぁ、無理は良くないってことでしょうかね」

 

 腕の中の、雪のような毛並みの猫に語りかける。

 みゃおとおざなりな返事をされる。この子もどこから来たのやら。

 生き物の温かさというものは一度得てしまうと捨てがたい。銀毛に顔を埋めて猫を吸うと、懐かしい匂いがした。

 

「……あぁ、ヘリオに似てるんだ」

 

 彼女の猫っぽい雰囲気と相まって、白猫はどこかヘリオに似ているように思えた。

 ふてぶてしい感じはクソ雑魚系ロリババアのヘリオとは違うけれど、そもそも人と猫である。まさか聖域に根を張った彼女が化けて出たわけでもあるまい。

 

「キミはあんな変態さんじゃないですものね」

「なおぅ」

 

 ド変態でそのくせ妙に臆病で、なのに変な責任感の強さを備えた少女なんてそうそういない。いわんや猫をや。

 

 さて、今日はいーちゃんが家族と面会している。入院患者みたいなものなのでそういうこともあるのだろう。彼女がいないと少し静かで寂しいけれど。

 

「シュービルのご家族がいらっしゃることはあるんですか?」

「ひっ、……いや、多分、ない、です」

 

 食堂にいたシュービルに話しかけたらめっちゃビビられた。

 僕に限った話じゃないから彼の性格だとは分かるんだけど、ちょっと傷付く。

 

 たまに。ごくたまーーにだけど彼から声をかけてくれることもあるし、嫌われてはいないと思う。ゲロを浴びせ浴びさせられの仲だ。今更気を遣うこともあるまい。

 今日はシュービルも元気な日のようで、珍しくも言葉を付け加えんとばかりに口を開いた。

 

「ボクは、あの人達にとっていないものなんです。このままここで息絶えれば、きっと安心したって言われる」

 

 あの人達、というのは家族のことだろうか。

 淀んだ目つきで吐き捨てるように語ったシュービルにこれ以上話を掘り下げる気も湧かなかった。

 もし彼の言う通り歪んだ家族関係があるのだとしたら、彼の極端に内気な性格の原因も、きっと。

 

「でも、願われたって死んでやるもんか。絶対、生き残ってやる……!」

「……! シュービル、キミ、案外格好いいところもあるんですね! その意気ですよ!」

「あ、や、今のは……、そうかな、へ、へへ」

 

 シュービルがどんな病を抱えているのか僕は知らない。彼から話そうとするまでは聞くべきではないと思って。

 けれど、いーちゃんもシュービルも、そうやって自分の抱える病と長年向き合ってきたからこそ、人一倍人間らしい「強さ」を持っているらしい。

 

 決して「自分」を見つめようとしない僕とは、大違いである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いや寝落ちたんじゃなくてあまりにも温度と毛布の質感が素晴らしかっただけでうん普段の半分しかしか書けてないのは素直に申し訳ないと思う。おはよう。

 練習用にと渡されていた鉱石を一つ、袋から取り出した。

 

 片手に握って、静かに見下ろす。

 

 何も聞こえなかった。

 

 木々の囁きも、月光の唄も、夜風の息遣いも。

 

 意識が遠のくようなことはない。

 溺れるような深さも、自我の交錯さえも。

 

 何も聞こえないのだ。

 誰も聞いていなかったのだ。

 

 彼ら彼女らにとって、この世界はこんなにも閑寂なものなのだ。

 

 いくつかの想いに、頬を伝うものがあった。

 

 拭う手。握られた石は、もはや色を変えることもなく収まっていた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「古い建物?」

「ええ。この辺りにありますか?」

 

 いーちゃんが家族と面会をした翌日、僕は彼女に問いかけた。

 久しぶりに家族にあったからか、普段の二倍くらいニコニコしている姿を見る。羨ましさも感じるが、僕のことまで話したらしく「今度はあーちゃんも紹介できたらいいな〜」と言われては曖昧に笑って返すほかなかった。まあ、可憐な少女の笑顔は微笑ましいものだ。

 

「うーん、ここからあんまり出ないから分かんない……」

 

 首を傾げられる。可愛い(脳死)

 とりあえず頭を撫でておいた。撫で返してきた。可愛い(脳死)

 

 探しているというほどでもないが、いーちゃんに尋ねたのは白妙の止り木周辺の建物のことだ。

 この間気絶して数日寝込んでる間、まるで胡蝶之夢のように現実感を伴って眺めた風景は、少なくともここ近辺のもののようであった。所詮は夢だからどこまでが想像の産物かわからないが、夢の途中で白妙の止り木らしき白い施設も見えた。

 そしてその中で見たものの一つに、僕の記憶にはない、そこそこ大きな古びた木造建築物があった。街なんかも見た気がするが、そことは離れた、どちらかと言えば白妙の止り木のような山奥の環境だ。

 

 これでも森に住む一族である。日本で生きていた頃は分からなかったであろう木々や自然の見分けも付くし、その上であのオンボロ建造物はここ周辺にあるような気がする。

 何度も言うが、夢の話だ。本当にあるかどうかは分からない。むしろ無い可能性のほうが高い。だがしかし、僕はここへ来てからというもの他の建物は見ていないのだ。それなのにわざわざ夢に出てくるだろうか? だとしたら、実はどこかでチラッと見ていて深層心理に景色が残ってたという可能性もある。

 

 まぁ、本当にあったら面白いな程度の考えだ。白妙の止り木という安全と平和の保たれた場所で勉強したり談笑したりするのもいいが、近くに探検スポットがあるのなら怖いもの見たさで訪れてみたかったりラジバンダリ。

 残念ながらいーちゃんに心当たりはないらしいがしょうがない。体質上お出かけもしにくいだろうし、そもそも存在するかわからないものだ。

 

「そもそも、勝手に敷地から出たら怒られるよ?」

「うぇっ、そうなんですか……!?」

「昔かくれんぼした時に、凄い怒られたよ。外は危ないから出てはいけません!……って」

 

 にゃーん……。探検とか勝手にしたら怒られるのか……。いやそりゃそうだよなぁ……。

 

「でも、ほんとにその建物があるなら面白いね! 誰か住んでるのかな? ここにいると、他の人に全然会わないから気になるなぁ」

 

 確かに、森に隠れ住む魔女とかがいたら面白い。なんかこう、学園都市から追い出されたマッドサイエンティストみたいな。

 ……いや冷静に考えたらそれメガネ(クラムヴィーネ)の強化版か。絶対会いたくないな。クラムヴィーネは自分のこと新米導師って言ってたし、ヤバさが極まった人間の一人や二人はいそうだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アイエエエ!? チャンジャ!? チャンジャナンデ!? チャンジャってなんだよ。タラの内臓の韓国風塩辛だよ。僕は辛いの苦手だからあんまり食べたことないけれど。

最近は忍殺語の勉強をしています。語学は面白いですね。


「本当に行くの……?」

「あんまり乗り気じゃありませんか?」

「そりゃそうだよ。怒られたくないもん……うわっ、そんなあからさまに落ち込まないで!?」

 

 後日。(くだん)の森の洋館(仮称。そもそも夢で見た感じは洋館などという雰囲気ではなかった。羊羹食べたい。)を探しに散策に行かないかと誘ったところ、ものの見事に振られる、もとい嫌がられた。

 いやまぁ、存在も曖昧なものを探しにわざわざ決まり事を破る(脱走する)のは馬鹿らしいし、少なくとも積極的にやることではないのだろう。

 

 それでも提案したのは、何か特別なことをしたいと思ったからだ。

 

「実を言えば、近いうちに僕は『卒業』して、学園都市の方に行くことになります」

「えっ、課題が終わったの? すごい!」

「いや……はい。まぁ、……そんないいことでもなかったかもしれません」

 

 はしゃぐいーちゃんに歯切れの悪い返事を返す。

 確かに、「課題」については解決した。その結果として得られたものについて少し思うところがあるが、それはともかく、先生方に伝わればここを卒業することになるのだろう。

 課題の達成についてまだ伝えていないのは、このままサラリといーちゃんとお別れするのが踏ん切りつかないと言うか、有り体に言って寂しさのためだった。それでも導師の先生方は魔法の研究を生業としているわけだし、そのうち気付かれるだろう。

 

 何か特別な楽しいことをすれば気持ちも切り替わるかと思ったが、如何せん白妙の止り木は娯楽が少なく、そういう意味では退屈な場所であった。

 お昼寝。お喋り。少しの勉強。ささやかな日常を謳歌する程度の刺激はあっても、それ以上のものは存在しないのだ。そういう環境は少し、いーちゃん達の境遇も相まってホスピスのような雰囲気にも繋がっている。

 

「そういうことなら……」

 

 やった、と抱きつく僕に、いーちゃんは少し照れたようにはにかんだ。

 

 

 

 

 どんな場所なのか、あるいはどんな人がいるのかすら分かっていないのに探索をしようと思ったのは、ひとつに自分の能力に最低限の自信は持っていたからだ。

 アルマと一緒に訓練をしたおかげで基礎的な身体能力は高い。また魔法についても心得ており、身体強化をかければそこらの人間相手なら劣らないと思う。だから多少の危険があってもいーちゃんを連れて止り木(ここ)まで逃げることはできるだろうし、流石に帰ってこれなさそうな場所まで探索に行くつもりはない。

 

 そんなわけで、アリバイ作りのために意気揚々とアイリスに協力をお願いしたところ、難色を示された。

 

「イフェイオン様と二人だけでは、少し心配があります。私もご同行いたしましょうか?」

「そうなると……留守はシュービルに任せますか」

「ひぇ、えっ、ど、ボク……?」

 

 少し離れた場所で我関せずといった風に読書していたシュービルに矛先が向くと、豆鉄砲を食った鳩のように挙動不審に驚かれた。ちなみに僕は現代っ子なので豆鉄砲がどんなものか知らない。

 

「ま、巻き込まれたくないんですけど……」

「お願いします!! 綺麗な貝殻拾ってきますから!」

「この辺りに貝なんていないし……そもそも、ボク貝殻で釣れるって、思われてる……?」

「あ、敬語が外れましたね」

「……っ」

 

 貝殻はともかく、シュービルがタメ口を使ってくれたことを喜んで微笑むと、指摘されたのが恥ずかしかったのか顔を赤くして逃げ出してしまった。

 うん、いける。彼は押しに弱いタイプだ。もう一回頼み込めば頷いてくれそう(確信)

 お土産は綺麗な石ころでいいだろう。男の子だから。男の子は石が好き。

 

 いやしかし、一度敬語を外してくれたからといってすぐに反応してしまったのは失敗かもしれない。こういうのって気付いたらタメ口の回数が増えているのが自然な流れで、途中で指摘してしまうと却って意固地に敬語を使うようになってしまいがちだ。

 ……あとからこうやって反省することはできるんだけど、前世から受け継いだクソ雑魚ナメクジコミュ力のせいで実際に会話してるときに気付けない。コミュ障とぼっちは人との会話の後に一人反省会を開きがち。学習してもろて。

 

 

 

 

 時はキンクリ。……慣用句か枕草子にありそう。

 それはともかく、明くる日、計画を実行に移すことにした。ちなみに計画性は皆無。大切なのは信じることって少年漫画の主人公たちが立証してきたわけだし、特に理由もなく自分を信じていきたい所存。人事を尽くして天命を待つ? 知らんなそんな言葉。

 

人形(デューカ)

 

 土から生成した人形が三体。僕とアイリス、そしていーちゃんの身代わり人形である。

 神様じゃないので流石に自我を持たせることはできない。人形が見える位置なら、一、二体くらいなら人っぽく振る舞わせられるけれど。

 白妙の止り木の子供達の管理はかなりガバガバだ。というのも、みんなが過ごすことのできる場所、というのが一番の目的だからだろう。学び舎としての意味合いは薄く、期日までのノルマなんて概念はほとんど存在しない。

 そういうわけで、一日くらいなら「寝てる」でゴリ押せるのでは? レインは訝しんだ。

 

「うわぁ……ほんとにそっくりだぁ」

「僕が最初に魔法を教わった人が得意だったんですよね」

 

 髪の一本まで拘って作った人形をいーちゃんがしげしげと眺める。

 適当な人形(ひとがた)ならともかく、実際の人物に似せるとなるとその人の身体を隅々まで知っていなければいけない。そのために、アイリスはともかくとして、いーちゃんの身体をよく調べさせてもらった。

 

「えぇ、こんなところまで……? うわ、……うわ、あぅ。……うわぁ」

 

 ペタペタと触りながら、いーちゃんが人形を確認する。

 次第に顔が赤らんでいき、終いには両手で顔を覆いながら覗くようにしてフリーズした。

 

「あ、シュービル。留守は任せますが、この通り土人形は精巧にできていますので、あまり触れたり不埒なことはしてはいけませんよ。キミの善意に任せる形になりますが……まぁ、どうしても我慢できなくなったら僕の人形なら許します」

「はい?」

 

 いーちゃんの人形に触れでもしたらもう許さん。何なら見るのも許せん。シュービルの性格的にまさかそんなことはしないとは思うけれど、彼がムッツリスケベな可能性だって否定しきれないのだ。もし悪戯したら一生ムッツリーニって呼んでやる。

 困惑するシュービルを傍らに、アイリスがあっと小さく声を漏らすのを聞いた。どうしたのかと問うが、何でもないと返される。

 

「なんといいますか、留守番でもよかったかもしれません」

「はあ。まぁ、折角人形作ったわけですし、一緒に行きましょう」

 

 と、次はいーちゃんがうわぁっと叫んだ。なんじゃなんじゃ。チャンジャ。

 

「あ、あーちゃんごめん」

「へ?」

「なんもしてないんだけど、人形が壊れちゃった……」

 

 見ると、いーちゃんが触っていた人形が崩れて土塊に戻っていた。アイエエエ!? チャンジャ!? チャンジャナンデ!? チャンジャってなんだよ。タラの内臓の韓国風塩辛だよ。

 

 が、少し真面目に観察すると分かった。土塊を人形として維持するために与えた魔力が、いーちゃんにすべて吸収されてしまったのだ。

 いーちゃんは持病として魔力に対する親和性が高い。周囲の魔力量と体内の魔力量の相関が強いのだ。そのため、魔力によって構成された人形にずっと触れていると土塊の魔力がいーちゃん側に流れ込むのだろう。

 そもそもとして無機物より生体の方が魔力を含みやすい。それに彼女の体質が合わさって、人形が崩壊するまでに至った。

 

「うぅ……、ごめん、ね?」

「ふふっ、構いませんよ。作り直しましょう」

 

 とりあえず、いーちゃんにはあまり土人形に触れないよう伝えておいて、新たに人形を作った。

 さて、出発しようか。

 




レイン「コミュ力クソ雑魚ナメクジ」
にいろ「キレそう」

にいろ「負けが似合うクソ雑魚ポンコツメスガキ」
レイン「キレそう」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あるぅひ、もりのなっかー、くまさん…って思ったけど、もしかして歌詞書くと色々危ない?楽曲コード入れるのめんどくさいからここでやめておこ……(手記はここで途絶えている)

「猫はどこへ行ったんでしょう?」

「そういえば、今日は見てないね」

 

 猫とは自由気ままな生き物である。

 気分屋で感情的で、そのくせその愛らしさ故に大抵のことは何をしても許されてしまう愛玩動物。この頃は朝起きるたびに僕の腹の上に寝ていることがしばしばあったが、あまり怒る気にもなれない。

 そんな、いつの間にか白妙の止り木に住み着いた白猫であったが、今日のところは尻尾の先も見えやしない。まぁ述べたとおり気ままな生き物なので、どこを散歩していてもおかしくはないけれど。

 ちなみに、名前が分からないから白猫とそのまま呼んでいる。ないのでなく、分からない。説明しがたい感覚だが、名前は持っている、そんな気がする。

 

 まあ猫の話はさておき。

 白妙の止り木を囲うようにそびえる塀を木を伝って乗り越え、敷地の外に飛び降りた。害獣除け目的の塀だろうから、50メートルの高さがあるとか鉄線が張り巡らされてるとかそんなこともなく。

 いーちゃんは運動が特別得意というわけでもないので、アイリスが抱えて運んだ。小柄な少女とはいえ、人ひとり抱えたまま安定感を崩さず塀を越えたのは違和感さえ覚える。どうやったのか問うと「乳母ですから」とすっとぼけた顔をしていた。よくわかんないけど納得しよう。

 

「あんな高いところもぽんぽんって飛び越えちゃって、あーちゃんってほんとに猫さんみたいだよね!」

「いいえ、タチもいけますよ」

「ん?」

「……お気になさらず」

 

 あっぶね。口が滑った。凄い優しい微笑み顔でとんでもないこと口走りかけた。

 でも、純粋無垢な子の前でアウトなワード言うのゾクゾクする。言葉の意味がわからなくて疑問符浮かべてる顔可愛い。いかん、これ以上変な扉を開かないようにしないと。

 

 アイリスの腕から降りたいーちゃんは、普段出ることのない塀の外という環境だからか、目を輝かせて辺りを見回した。森の中だから景色なんて木々しかないけれど、長年白妙の止り木で暮らす彼女は施設内の景色を家の間取りのように覚えてしまっていて、それと異なるものというだけで十分物珍しいらしい。早急に病気が治ってほしい。僕の癒やしの魔法では体質的な問題は治すことができないし。

 放っておくと森の奥へひとり突き進んでしまいそうないーちゃんと、迷子になってしまわないよう結局手を繋いで歩くこととなり、ひとり寂しそうなアイリスの表情に、紆余曲折を経てアイリスを挟むように三人で手を繋いで歩き出した。

 両手に美少女。中央が成人男性だったら通報モノだが、アイリスとて顔面偏差値が突き抜けた美女であるため、若奥さんと娘、あるいは姉妹のように見えることだろう。

 口数が少なく心情を図りづらいアイリスだが、その表情にはよく表れる。僕らの手を引きながらも上がる口角を隠しきれていない彼女の姿。アイリスはひょっとしてロリコンの素養があるのではないだろうか。レインは訝しんだ。

 

「あーちゃんあーちゃん! きのこ! きのこがいっぱい!!」

「危ないから食べちゃダメですよ」

「食べないよ!? あれ、すごい子供扱いされてる!?」

 

 キノコの群生地。赤や黄、紫など色とりどりの花畑。珍しい模様の野鳥。

 これだけ豊かな自然の中だけあって、少し歩くだけでも飽きずに楽しませてくれる。惜しむらくは、今の僕に、その()が聞こえないこと。

 それはもう、きっと、外の世界にいる限り仕方ないと割り切らなければいけないこと。

 

 ……あれ、あのキノコ、媚薬の材料になるやつじゃん。

 

「あーちゃんー? 食べないんじゃなかったのぉ?」

「い、いえ。これは、えっと、その、上手く使えば薬になるのです。採取だけしておこうかと……」

「ほえー」

「そうなのですか?」

 

 いーちゃんにからかうような声音で話しかけられ、しどろもどろと説明をする。嘘はついてない。嘘は(目逸らし)

 アイリスが知らないのも無理ないだろう。『書庫』の、それも結構ニッチな知識だ。母様と楽しく蜜月を過ごすことばかり考えていたから、それ関連の書籍にそれなりに目を通したのだ。

 

「ひゃんっ!?」

 

 いそいそとキノコの採集に性を……間違えた、精を出していると、思い切りお尻を小突かれておにゃのこみたいな声が出た。

 すわ野生の痴漢(生息地:森)かと身構え振り向けば、黒い塊……子熊である。

 

 なんだ熊か……。

 

「クマー!?」

 

 地雷である。親熊が出てきて殺されるやつである。

 慌てて辺りを見渡し、いーちゃんとアイリスの安全を確認して、もう一度子熊の方を見れば、その後ろに黒い巨体が立っていた。

 

 わぁ、お母さんだぁ(ヤケクソ)

 

「……」

「……あ、あーちゃん」

 

 誰もが動きを止める。急に動き出すよりかは相手を刺激しないからマシだろう。

 いーちゃんが僕の名を呼ぶけれど、母熊から目を離せないから反応してやれない。

 

 ぺこり。

 母熊がお辞儀(?)した。ドーモ、アンブレラ=サンとばかりに。

 反応せざるを得なかった。日本人の本能が、お辞儀にはお辞儀で返してしまった。

 

 殺気もなく、母熊はおもむろにこちらへ近づき、子熊の首根っこを咥えて引き返していった。

 

「……ゆ、許された?」

 

 力が抜けて、その場にへたり込む。

 勝てる負ける云々の話ではなく。

 いーちゃんやアイリスという守らなければいけない人がいる状況で、あの巨体を前にするという状況そのものが恐怖体験であった。

 

 いや、身体強化を少しかければ、他の魔法すら必要とせず勝てたのかもしれない。

 少なくとも、あの場を切り抜けるだけの力はあった。でも。

 でも……、やっぱ、野生怖ぇ……。ナマの熊怖ぇ……。

 

「──あ」

 

 マザーカムバックなーう(投げやり)

 

 先程子供を咥えて引き返していった母熊は、子熊を茂みの方へ放り投げ、子熊はボールのようにコロコロと転がり、母熊だけこちらに戻ってきた。

 転がってる子熊可愛い(思考停止)

 

 相変わらず殺気も敵意もなくこちらに近づいてくる母熊に、まさかこちらから何か仕掛けるわけにもいかず、呆けて眺めていることしかできなかった。

 今度は、母熊は、僕の首根っこ(襟)を咥えた。

 

「はぇ」

 

 はぇ?

 

「あーちゃぁああん!?」

「御子様ァァアアアアア!?」

 

 まさか熊に拉致られるとは思わないじゃん?

 

 

 

 

 子熊がトコトコと歩く横を母熊に運搬されること半刻ほど。

 必死に追いすがりながら熊相手に人質交渉をするいーちゃんとアイリスを傍目に、開いた口も塞がらぬまま、僕はどこへ連れてかれているのだろうと思案していた。

 

「熊さん熊さん、あーちゃんじゃなくて私にしておこう? 私のほうがあーちゃんより美味し……くは、ない……かも。おっぱいちっちゃいし……可愛くないし……。……あれ、あーちゃんの方が美味しい……? 美味しくないかもだけど、私なら……でも、熊さんも美味しくないのは食べたくないよね……。駄目だぁ。あーちゃん、ごめん……」

「いやそこは粘るところじゃありませんか?」

 

 諦めるの早すぎて草。僕は餌一号の才能があるらしいです。

 でもいーちゃん、それは違うよ。おにゃのこの美味しさっておっぱいの大きさだけじゃないよ。確かに母様の遺伝子を受け継いでる僕は世界で母様の次に可愛いかもしれないけれど、僕はいーちゃんの薄っすらとした躯体にこそ趣があると思うし何なら今夜食べたいよ。

 

「熊様熊様。(わたくし)のほうが御子様より肉付きは良いので、先に私から頂かれるのがよろしいかと。……あぁ、ですが、御子様の体の柔らかさ、しなやかさを思えば、このようにただ無駄に成長した脂肪がついているだけのヒトなど前菜にもならないかもしれません。でしたら、どうか、私もろとも一口でペロリと」

「いや怖いですよ。というか二人とも僕が食べられること諦めないでくださいよ」

 

 アイリスは最終的に心中を願い出す。誰も僕を救う気がない。食べられるのは既定路線らしいです。

 ……というか、母熊の雰囲気からしてマルカジリされることはないと思うんだけど、なんでこの二人こんなに僕のこと食べさせようとしてるの? もしかして嫌われてる? おにゃのこが食べられてる姿に興奮する性癖? ヤベー奴しかおらん。

 

「にゃっぷ」

 

 二人の説得が通じたのか、はたまた運ぶことに疲れたのか、ついに母熊は僕を地面へと下ろした。

 

「えぇと……食べないの?」

「えぇ、食べなさそうですね。……というかなんで少し残念そうなんですか?」

「そ、そんなことないよ!?」

 

 殺意が強すぎる。

 熊のことに思い当たる節があった僕は、再度鼻をぶつけてじゃれついてくる子熊を撫でながら、一度溜息をついてから説明した。

 

「昔から……ですが、僕はどうも森の生き物に好かれやすい体質のようです。襲われたことがないわけではありませんが、基本的に皆さん友好的に近づいてきてくれます」

 

 歌を歌えば小鳥が集まってくる(を通り越して群がってくる)し、いつぞやの夜は猪に囲まれて一夜を過ごした。

 おそらくは発している魔力が良質だからとかそんな理由なんだろうけれど、まあ、嫌われる体質よりはマシな話だ。

 

 子熊を撫でて戯れていると、私も撫でてとばかりに母熊が寄ってくる。

 撫でるけど、待って、あんま寄られると、この体格差は……潰れるから! ぐえ。

 

「あぁでも、道が少し分からなくなってしまいましたね……」

 

 母熊に運ばれた分、元がどこから来たのかが怪しくなってきた。

 最悪は飛べばいいけど、……ん。うん? なんだ? なんか……。

 

 この場所、知ってる。

 

「……あの、すいません、こっち、行ってみましょう」

「うん? いいよー」

「それでははぐれないよう手を繋ぎましょう」

 

 熊たちとお別れをして歩き出す。

 知っているはずがないのに、知っている。

 夢の中で見た光景だ。

 

 もう少し視点が低かったから、身を屈めて。

 ……うん、知っている。

 

「……こっち」

「あーちゃん……?」

 

 この木を曲がると、うん、橋のようにアーチ状にかかった倒木があって、大きく垂れた蔓があって……。

 湧き水。赤と白のキノコ。人の顔みたいな木のうろ。

 そんなにまだ近くはないけれど、多分、この方角に──

 

「──あーちゃん、待って!」

 

 夢見心地で勝手に進んでいた足が止まった。

 意識がクリアになる。同時に、先程まで脳裏にあった記憶のような情景は遠くへいってしまう。

 いーちゃんは僕を呼び止め、ある茂みの奥に目線を向けていた。

 

「子供?」

 

 まず、肌色が目について、人だと理解した。

 いくつかの傷と共に、気絶したように倒れる男の子がそこにいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

96話

「コルキス嬢。『いにしえのまほうつかい』のおとぎ話は知っているかな」

「現代の魔法の始まりに関する伝承ですね。幼い頃に何度か聞かされましたが、それが何か?」

 

 タゲリ──コルキスの配属された研究室の教授は、週に一度研究室のメンバーを集めてホームパーティーのようなものを催す。上司に招かれて断るということは難しく、またさほどタゲリを疎んでいるわけでもないので今のところ毎週参加している。

 宴もたけなわとなった頃、酔いのためか頬を赤らめたタゲリがコルキスに問いかけた。まるで酔った様子のない彼女は、先程まで延々とコルキスの杯に酒を注いでいた輩(今は酔いつぶれて眠っている)から意識を切り、タゲリに向かって首を傾げた。

 

「いやね、我々学園都市(オブダナマ)の研究者こそ尊ぶものの、よその国の方々からはあの話がどう思われているのかと思いまして」

「失伝しかけた魔法を、現代に遺した人々の話でしょう。今の私達の生活に魔法は不可欠です。武勇伝でこそありませんが、とても大切な伝承だと思っていますよ」

「それは……嬉しいものですなぁ」

「嬉しい?」

「ええ……。我々が命を天秤にかけてでも研究に没頭する理由でもありますが、この国家とすら呼べる巨大な都市自体、彼ら古の魔法使いが遺したものなのです。だからこそ、我々は彼らを尊びますし、その物語も同じように扱います」

 

 やや眠たそうな眼をしたタゲリは、懐古するように虚空を眺めながら微笑みを浮かべた。ソートエヴィアーカの祖霊信仰にも通ずるものを感じ、コルキスの中での学園都市への親しみも自然と増す。

 

「祖霊とは少し違うかもしれないね。なにせ、古の魔法使いはまだご存命ですから」

 

 コルキスは「は?」と言いそうになる衝動を必死に堪えた。かすかに感じていた酔いも覚めるほどであった。

 しかし、それだけタゲリの言葉には困惑した。なぜなら、学園都市の歴史は数百年以上前から存在しているのだから。

 

「それは……ご存命とは、一体どのような意味なのですか?」

「どのようなも何も、今も生きているということです。──学園長。彼女は、この都市が始まったときから生きる、古の魔法使いの一人なのですよ」

「なんと──」

 

 それは、初耳だ。

 いくら酒が入っているとはいえ、タゲリは言って良いことと悪い事の分別くらいつくだろう。であるならば、学園都市の最重要機密ではない。しかしコルキスが知らないのであれば、一般常識でもないだろう。国家の上層部が知る知識……つまり、国が意図的にコルキスに伝えなかった知識か。

 内心苦虫を噛み潰したような顔になっているコルキスをよそに、タゲリは上機嫌に続ける。

 

「我々は、魔法を使う者のことを魔法使いとはほとんど呼びません。それは彼女たちを示す特別な呼称だからです。導師などと名乗るのも、実はそのためなのですよ」

「……敬意を込めて、という意味でしょうか?」

「それも。それだけでなく、彼女らにとって魔法とは──」

 

 

 

 


 

 

 

 

 どうも。職業辻ヒール民、副業に次代奏巫女を務めますアンブレラ・レインです。

 ゲームによっては辻ヒールのせいで敵のヘイトを奪ってしまうなんていう悲劇もあるらしいですが、現実世界においては何も問題ないですね! どんどん負傷者は治していきましょう! 敵味方なんて知らん知らん!

 

 ……普段はそんなことを考えている僕だが、正直なところ、現状困り果てていた。

 

「あーちゃん! 大変、この子、酷い怪我してる……!」

「そう、ですね……。どうしてこんな場所に」

 

 実際のところ、いーちゃんが言うほど少年の怪我は酷くない。

 いや、青痣や浅い裂傷はあるのだ。だから当然処置は必要なのだが、気絶している原因も栄養不足からくるものだろうし、放っておけばすぐに死んでしまうような緊急性はない。

 

 以前までなら反射というか無意識レベルで治し叩き起こす場面だ。それを理解しているアイリスは、意外に思っている心情を表すかのようにチラリと一瞬視線を寄越した。

 

「……僕が背負います。安全に寝かせられる場所を探すか、なければ白妙の止り木へ連れていきましょう」

「流石に重いんじゃ……」

「まあ、力持ちになる魔法があるんですよ」

 

 そんなことを言いながら、僕より少し大きいくらいの背丈の少年をひょいと担いだ。

 実際身体強化(力持ちになる魔法)は存在するが、この子ぐらいであれば通常の状態でも運べるのだ。筋トレ(力持ちになる魔法)というわけである。

 

 さて。僕が彼の怪我を治さない、もとい治せないのは、ぶっちゃけると今魔法が使えないからだ。

 正確には、自己以外にはたらきかけるような魔法が使えない。空も飛べないし、崖崩れも起こせない。先日体得した、魔力の放出を止める技術の影響だ。まあその話は、またどこかの機会で。

 

 本来であれば白妙の止り木へ戻るのが正しいのだろうが、この少年がここで倒れていたということは近くに何らかの居住地がある可能性が高い。まさかアルマの時みたく転移の魔道具を使ったわけじゃないだろうし。

 であるならば、それが僕の探している森の洋館(仮称)である可能性も高いわけだ。なんなら、この辺りは夢での見覚えがあるわけだし。

 

 

 

 

 ……が、背負って少し。揺れで目が覚めたのか、意識を取り戻した少年が起きるなり僕の背中で暴れた。

 流石に担いでいられなくて落としてしまう。身体が自由になって少しだけ落ち着いたのか、周囲を見渡し、僕らの存在を視認した。

 まず一番近くにいた僕を見てしばらく固まり、次にアイリスの胸を向いて固まり、最後にいーちゃんを見てホッとしたように息を吐いてから僕たちを睨んだ。

 

「……アンタら、誰だッ」

 

 語勢は強いが、気絶するほど消耗しているためか声が掠れてしまっており怖さは感じられない。

 自分を見てホッとしたような反応をされたことに苛つきを覚えたのか、いーちゃんが不満気に返答をする。

 

「キミを介抱してたのに、そうやって睨むのよくないよ」

「……ッ、余計なこと、すんな」

「余計なことって……、あの、さぁ! キミそんなにフラフラじゃん。私たちは当たり前のことしただけだし!」

「そういうの、ウゼェんだよ。くっそ、訓練、戻んねえと」

 

 にべもない反応。いーちゃんも流石にここまで言われて怒ったのか、何こいつ! みたいな視線で睨んでいる。彼女がここまで怒るのは初めて見る。

 ……にしても、「訓練」。あの怪我は訓練によるものだろうか? 森で倒れていたのも、サバイバル訓練でもしていたのだろうか。……僕らとほとんど変わらないであろう年で?

 

 などと僕が困惑していると、結局ほとんど僕の方に視線を送らなかった少年は、僕らが進んでいた方向へ茂みをかき分けながら消えていってしまった。

 傷を気にも止めない彼が気掛かりで、反射的に後を追い始める。

 

「あーちゃん、あんな子ほっとこうよ」

「え、でも……」

「だって、どうせまた余計なことすんなーって言われるよ。アイリスさんの胸見て顔赤くなってたし、変態だよ!」

「そうなのですか……?」

 

 僕にはあの少年の気持ちがよく分かる(男は万乳引力に抗えない)から何とも言えない。アイリスは慣れのためかそういった視線に鈍感らしく、いーちゃんが口に出したことで初めて自覚したかのように顔を赤く染めて片腕で胸を覆った。強調されて余計エロいだけである。南無。心の珍棒がおっきした。

 

「……やはり、あの怪我でこの森を一人行かせるのは危険です。彼が目的地に着くまで、後ろから着いていきましょう」

 

 僕らは襲われなかったとはいえ、巨大な熊さえ出没する森だ。あれほど衰弱した少年を一人放置するのはいたたまれない。

 なにより、その童貞メンタルが気に入った。彼の行き先が某森の洋館であるなら目的も達成できるわけだし、少し追ってみよう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一緒に旅行をするなら、〇〇行きたい!みたいな感じでタイトスケジュール作る人より、ゆるゆる一緒に歩こか〜って人のほうがいい。つまり、旅行そのものじゃなくて一緒にいることを目的にできる相手。

「見失ってしまったでしょうか」

「ひあぁ……久しぶりにこんな歩いたぁ……」

 

 なんだかんだフィジカルの強い僕やアイリスと違い、いーちゃんはほとんどの時間を白妙の止り木で静かに過ごしてきたわけだから、森の中を歩くにもかなりの体力を消耗する。

 帰りもあるし、あまり疲れてしまってはよくないから無理のないペースで追っていたが、この辺りの土地に慣れているのであろうあの少年からは引き離されてしまった。途中までは音や足跡を辿ったけれど、熟練の狩人でもあるまいし限界があった。

 

 とは言ってもあまり焦ってはいない。彼を追って歩くうちに、獣道らしきものに合流したからだ。おそらくはこの辺りに人が生活しているのだろう。

 

「本当に人がいそうなふいんきになってきたね。あーちゃんは正夢を見る才能があるってことだ!」

「いやぁなんというか……無駄足にならなそうで良かったです」

「もし何もなかったとしても、私は楽しかったよー」

 

 どこか絶対の自信があったあの夢だが、客観的に考えればただの妄想でしかなく、「まさか本当にあるとは」という言葉ばかり出てくる。

 道中の新鮮な景色にいーちゃんは楽しそうにしていたけれど、アイリスも含め、僕の思いつきでこんな場所まで連れてきて何もなかったら申し訳がない。

 

 獣道を進むうちに木々の隙間からのぞいたのは、やはり記憶通り、木造の大きな建築物だった。

 たとえるなら田舎にある木造の小学校だろうか。ひぐらしのなく頃にとかに出てくるような。横に広いのがひと目で分かって、しかし所々古さが目立ってきている。夜に訪れたら肝試しができてしまいそうだ。

 

 遠くの方で人の声がして、建物のどこかに誰かしらがいることが分かる。

 

「……どうされますか?」

 

 アイリスがそっと声をかけてきた。

 どうするか、つまり、行くか帰るか。

 

 元々、廃墟が存在するのであれば探検でもして、ほどほどの時間に帰るつもりであった。

 予想外なのは明らかに複数の人が建物内にいることであった。居住しているのか、何かの施設でこの時間だけ利用しているのかはわからない。

 見つかるのはあまりよろしくないだろう。僕らは白妙の止り木の制服、というか生活着として用意されている真っ白な服をまとっていて、アイリスなんかは該当を羽織っているけれど、少なくとも森歩き用の服装ではない。そんな集団を見れば、下手したら警戒を買うし、相手が温厚な人物であっても「どこから来たの」という話になる。

 白妙の止り木をこっそり抜け出している手前、それは避けたい。そもそも他者が利用している施設に、公共施設でもあるまいに侵入するのは無謀だ。思い出づくりに犯罪を犯す馬鹿があるか。

 

「……残念ですが、帰りましょう」

「かしこまりました」

「帰るの? まあ、叱られたくないもんね」

「ええ。ごめんなさい、結局、ただ建物を見るだけになってしまいました」

「ううん。こういうの、観光っていうんでしょ! 私、はじめてなんだー」

 

 無邪気で寛容な返事をくれるいーちゃんに苦笑で答える。

 観光。観光か。知らない人ばかりの場所が嫌で僕も前世ではほとんどしなかったけれど、今生では森を出たあとしばらく、クロさんの情報収集のために色々な場所に行った。

 

 一度はお別れになるけれど、いーちゃんの病気が治ったらそういった場所を訪ねて回りましょう。そう口に出しかけて、いーちゃんの笑顔を見て、つい言葉を飲み込んでしまった。

 いや、伝えればいーちゃんはきっと花開くような笑顔でそうだねと返してくれると思う。けれど、それを何も考えずに伝えてしまうのは、いささか無神経な気がした。

 

「……いー、ちゃん」

「ん?」

「また……、また会いに来ますから、そのときは、もっと楽しいこともしましょうね」

「ひひ、もっと楽しいことって何さぁー」

 

 言葉に詰まる。

 言っておいてなんだが、えっちなことばかり思いついてしまう自分を内心戒める。

 僕が黙っているといーちゃんはクスクス笑い出したので、口をとがらせてなんですかと問うた。

 

「だって、ふふ、あーちゃん、ママと同じこと言ってるんだもん」

 

 ──嗚呼。

 彼女の家族は……。彼女の家族も、そうとしか言ってやれないのだ。

 僕には、顔を伏せて「なんですかそれ」と笑ってみせることしかできなかった。

 

 

 

 

 そんじゃまあ帰りますかと体を来た方へ反転させたとき、頃合いを測っていたかのように音が耳に飛び込んだ。

 肌をはたいたような乾いた音と、少し間をおいて呻くような声。

 距離もあっただろうからそれほど大きな音ではなかったけれど、僕らは顔を見合わせた。

 呻き声に聞き覚えがあるような気がしたのだ。

 

 頷き合い、木々の周りの茂みに隠れながら音に気をつけてゆっくりと音の出元の方角に寄る。

 どうやらこの施設の出入り口のようだ。門のようになっている場所の前に二人の人がいる。

 

「……ひどい」

 

 いーちゃんがボソリとこぼす。

 二人のうち片方は先程の少年で、頬を腫らしながら腹を抑えて横に倒れるように蹲っていた。もう一人はガタイの良い大人の男の人で、少年の前に立っている。少年が男性から何らかの暴力を受けたのは状況からして確かであった。

 

 けれど、いーちゃんも僕も飛び出して身を挺すようなことはできなかった。否、するべきかどうかで迷ってしまったのだ。

 勿論、コルキス様が賊に襲われていたときのように、明らかな緊急事態の時は相手を助けるべく動き出せるのだ。いーちゃんならば、たとえ助けるための能力がなかったとしても睨みつけるだけのためでも飛び出すだろう。

 

 それでも僕らが動けなかったのは、男の人の服装が、僕たちの先生──白妙の止り木の大人達とよく似ていたから。

 色と細かな装飾は異なる。けれど、男性を明確な「敵」として捉えるには、動揺のほうが大きかったのだ。

 

「ほら、ハシギ、早く立て。班に戻って、罰則全員でしてこい」

 

 男性に声をかけられると、少年は咳き込みながら傷だらけの体をヨロヨロと起こし、殴られたことに反抗する様子もなく男性の横を通って門の中へ入っていった。

 

 班。罰則。そしておそらく、ハシギという名前。

 これらを口にしたのだから、やはり男性は少年を襲った野盗などではない。普通に考えると、男性はこの施設の職員で、少年はその管理下の集団に属す一人といったところか。……あそこまで少年が怪我を負っていることに関しては理解したくないけど。

 

 気分の悪いものを見てしまった。

 何にせよ、いーちゃん達もいることだし、この場はもう帰ってしまうのがいいだろう。音がした時点で回れ右して帰ってれば、こんな嫌な気分にもなっていなかったのかもしれない。でもまあ、いーちゃんなら絶対音のところ向かったか。

 

「……あの子、私達と同い年くらいなのに、ひどいよ」

「決して認めてはいけないことです。……ですが、今の僕たちにはどうしようもないでしょう。ここは一度帰って……」

 

 必要なら、脱走していたことをバラしてでも白妙の止り木の大人達に伝えなければなるまい。眼鏡(クラムヴィーネ)なんかは頼りにならない気もするけれど、院長(プローセス)とかに報告すれば、あるいは。

 

「どこから帰るんだ?」

「ええ、それは勿論来た道を辿……って……、ぇ」

「白樺の子かな? 抜け出してきたのかい、悪い子だね」

 

 気付かぬうちに先程の男性が僕らの背後に立っていた。

 肩に手が置かれている。成人男性特有の大きな掌が堪らなく恐ろしかった。

 最悪だ。見つかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

確実に怒られる場面で思ってたより怒られないと「あれ…?」ってなりつつ数日後には忘れるけど実は怒られてたほうがマシだった説を提唱したい委員会

「こんな粗末な茶しか出せないが許してくれよ、なにせ大所帯でカネがない。……なんだ、そんなに固くならないでくれよ。別に怒っているわけじゃないさ」

 

 男はギンザンマシコと名乗った(長いのでギンと呼ばれることが多いそうだ)。曰く、学園都市における兵役の教官らしい。

 僕らの存在に気付いた彼は、怒ることもなく僕らを敷地内へ招いた。断るという選択肢は少しばかり憚られ、その後案内された部屋で茶菓子を出される。この古びた施設の一室にしては調度品が多く、勧められたソファは柔らかい。おそらくは応接間なのだろう。

 

「ひとまず君らには白樺……今は白妙の止り木だっけ、の人間を呼んであるから、それが迎えに来るまでここで待ってもらおうかな。いやなに、来れたんだから帰れるって理屈は分かるんだが、何かあったら俺まで咎められる」

 

 見つかった時点で怒られるのは既定路線である。不幸中の幸いは、彼が賊ではなく正規の組織に属する人間であったことだろうか。争いごとになる気配はない。

 とは言え少年に、ハシギに暴力を振るっていたことは明らかだ。教官という役職がここではどのようなものかまだ知らないが、信頼できる相手ではない。

 

 だが、そんな細事は何であれ、ギンの風体がまるで硬派なヤクザの頭領のようであることも関係なく、ただただその図体が、筋骨逞しい大柄なそれが、あの人を思い出させるようで、僕は彼を直視することができなかった。

 同じくらい大柄なキセノさんには何も感じなかったから、見た目だけでなく雰囲気も関係あるのだろう。そもそもキセノさんは半分猫である。

 ギンを前にしていると息が上手く吸えなくなった。変な汗が出た。出会い頭、肩に触れられた時は立っているのもやっとだった。母様にすべてを暴かれたとき以来の、かつてのトラウマが蘇るのを感じた。

 

「あー……しかし、イフェイオンサマも別嬪だけれど、幽かなる精霊の方々ってのはホントに人類とは一線を画す造形してるものだね。気を抜けば目が釘付けになってしまいそうだ。……だから、そんな顔してると勿体ない気もするんだが」

 

 演じたような口調であった。言葉とは裏腹に視線は僕らを事細かに観察しているようで、そこに視線を向けられたのかアイリスが恥じらうように片腕で胸を隠した。ちなみにその動作は童貞的にはかなりエチチだと思います。胸大きくなると隠しても隠さなくてもエチチになるの(本人的には)デメリットだな。僕は今くらいでいいや。

 

「あの……どうして、様って付けるの?」

「あ? いや……そら、いい年した、国から仕事もらってる大人なんだ。礼節くらい弁えてるさ。ん? 国? ……まあ国みたいなもんか」

「別に、いらないよ」

「そうも行かないのが大人の世界、ってね。それで、その、アンブレラサマはどうしてそんな震えてんだ。俺は何もしてないと思ってるんだけど」

 

 おずおずと問いかけるいーちゃんに飄々と返答し、そして再び僕に向けて語りかける。

 別にギンが特別悪事を働いたわけではなく、たまたま彼のような大柄で筋肉質な男性が苦手なだけだから、その点についてはあまり気に病まないでほしい。それにしても教官である彼が僕らに対して弁える礼節とはなんだろう。

 

「なるほどねぇ。まあ、大人の男が怖いってのはよく聞く話だし、似たようなものかな」

「……ごめんなさい」

「謝ることではないだろう。けれど、それなら軍事国家(ソートエヴィアーカ)には行かないほうがいい。あそこは俺みたいなガタイの男ばかりだからね」

 

 なるほど。ソートエヴィアーカはゴリラが多いと。こんな体質じゃなくても行きたくないなそれ。どうしてそんな国からコルキス様みたいなお淑やかでナチュラル妖艶なお姫様が産出されるんだろう。ああでもコルキス様も筋肉の質は良いというか、フィジカル面つよつよだったな。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 結局、院長(プローセス)眼鏡(クラムヴィーネ)が迎えに来るまでその部屋を出ることはなく、ギン以外の施設に関連する人物に会うことはなかった。ハシギ少年も含めて。

 それでも、応接間に案内されるまでに歩いた通路の窓から見えた景色の中に、ハシギと同年代くらいの子供達の姿があった。ギンが兵役の教官だというのならば、兵役にあるのは彼らなのだろうか。

 

 院長は大して怒りもせず、ギンに「やぁすみませんね」とだけ言って僕らを引き取っていった。普段温厚な人が怒ると怖いとか言うから特大の雷を落とされるかと身構えていたが、正直「あれ……?」と困惑している。

 最後にひとつだけ確認しておきたくて、施設を去る前に一度引き返した。

 

「まさか君から声をかけてくるとは。なにか話でも?」

「……ここに来れたのは、ハシギ君を追ってきたからです。この施設にいるのは皆──」

「あぁ、みんなあいつくらいの子供だよ。大人を訓練したってしょうがないだろう。……なんだ、同世代の子供が苦労しているのが可哀想でしたかな?」

「別に、そういうわけでは……」

 

 からかうように口調を変えて、ギンは笑みを浮かべた。

 

 訓練だから。躾だから。だから大人が子供を傷付けることが平然となされていいのか。

 僕の哲学や日本人としての倫理観からすれば、そういう疑問は生まれるだろう。けれどそれをこの場で振りかざすほど価値観の相違に慣れていないわけではない。あの森に生まれてからしばらくは日本人とエルフの意識の違いに翻弄されたし、森を出てからはエルフと外界での物事の捉え方に差があることを何度も感じた。なにせ、魔法というものに対する考え方すら違うのだから。

 

 けれど、ハシギの怪我は、緊急性こそないものの癒えることなく積み重ねられてきたものであった。怪我をした時に、ほんの少しでいいから応急処置をしておけばよいのだ。それだけであとは自然治癒に頼れるはずなのに、いつまでも放っておくから長引き重なる。

 雑菌などによっては深刻な怪我に繋がりかねないし、免疫が下がれば関係ない疾病に罹る可能性が急増する。その結果は命にだって関わってくるのだ。

 そんなほんの少しの処置さえ、なぜ。

 

 そう問うと、彼はハンと鼻を鳴らした。根強い恐怖心で彼の表情こそ窺い知れなかったが、おそらくは無知を嘲ったのだろう。

 

「アイツらに使ってられるカネがないから。以上」

「金って、そんな……」

「……ねえ。俺は偉い立場じゃないから言っちゃうケド、そういう事言うなら相手の目くらい見て話すもんだぜ?」

 

 金、と端的に言い切られ、反射的に言葉が出た。

 子供を諭すように語るギンに、僕は下唇を噛むほかない。

 

「君が気持ちの問題で俺を怖がっちゃうなら、俺は『気持ちって、そんな……』って言おうか? 違うだろう。世の中には問題がたくさんあって、それを生み出してしまう現実がそれぞれあって、その現実は中々どうして否定できるものじゃない。結局『今は仕方ない』って問題を受け入れてしまうことばかりだ」

 

「否定するなら、問題を解決できるだけの現実を示さないと。……さあ、君らの院長がこっちを見てまだかと待っているぞ。急ぎたまえ」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 世の中に問題なんて溢れている。

 そんな事は分かっている。

 

 僕だってたくさん抱えている。

 何よりも優先しなければいけないのは、レインとしてこの世界で生きていく方法。母様と生きていく方法。

 それを解決するために、解決できるだけの現実を見つけるためにここまで来たのだ。

 

 けれども、それを探しに歩き回れば新しい問題にぶつかる。

 それらを全て解決できれば、なんて格好いいだろう。ああ、まるで主人公のようだ。

 でも違うから。そんなに格好よくないから。弱いから。

 どれかを選ぶ。他を見捨てる。下手すればすべて取りこぼす。

 

 ルーナなら、それこそが人の「意思」だと言って尊ぶだろう。

 

 けれど、駄目だ。見捨てたものが増えるほどに負け犬に思えてしまう。

 だからあのとき「もう何もいらない」と言ったのだ。「何も与えなくていい」と言ったのだ。与えられては、捨てるものも増えてしまうだろうから。

 負け犬にアンコールを与えては惨めになる。

 

 主人公ならば、いーちゃんに「また会いに来ますからそのときは」なんて言わずに、「俺が君の病気を治すよ」と伝えるのだろう。

 でも、それどころじゃないから。()()()()()より優先しなければいけないことがあるから。

 

 僕は見捨てるのだろう。

 

 

 

 

「敷地の境界を魔力が通過すれば感知できるはずだったのですが……つまりは、【圧縮】を覚えたのだね」

「【圧縮】?」

「君達に課題として課していたものの名前だよ。導師になる条件の一つでもある。これができているのであれば直に卒業も認められるでしょう。学園都市にはいつ入りたいかな」

「……できるだけ早く、ですかね」

「では次の週に入る頃かな。残りの時間は一般的な教養について教えるから、あとはイフェイオンやシュービルと仲良くしてやってほしい」

 

 はい、と。

 返事をしたつもりだったが、舌がどうにも重かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

好きと思ったことは何でも好きって言って、楽しいと思ったことは何でも楽しいって言うべきだよね!ポジティブな人になろう!勘違い?知らん知らん!!勘違いされないギリギリを攻めるんだ!!

やらかしてたので前話最後の院長のセリフを若干修正しました。

現在のエルフ観察状況は
軍事国家:
カメラと斥候班で観察→クロさんを追跡
学園都市:
魔力の測定器で観測…のはずが無くても察知できるレベルのヤベェのが来た→眼鏡を派遣
主人公:
この間いーちゃんの胸を少し触らせてもらいました→観察?まあなんかよく見られてますけど、まさか賢い人間さんたちがそんな無意味なことするはずないですよ。
です。

そのため脱走の検知に関しては、「レインの魔力を追う」ではなく「敷地の領域を閾値以上の魔力が通過すること」に変更しました。施設防衛にも役立つからね(こじつけ)
折角なので追加で説明してしまうと、レインが【圧縮】を覚えたことは既にバレていました。どうして知らないふりをしてくれていたんでしょうね?


「ギン」

「あぁ?」

 

 呼びかける声に、面倒臭そうな素振りを隠さないまま男が返事をした。

 子供(ガキ)達のことはよく知っていたから、顔を見ずとも誰だか分かる。ハシギだ。

 

「教官って呼べ。いつも言ってんだろクソガキ」

「アンタが俺らに指図できんのは訓練の間だけだろ。なんて呼ぼうが俺の自由だ」

 

 荒々しい口調で叱りつけるも、目の前のクソガキが態度を改める様子はなかった。

 実際のところは、彼らが生活するこの施設にいる時間全てが訓練の一環である。しかし面倒くさがりなギンには、物覚えの悪い子供にそれを丁寧に教える気力もなく、また「教育」することすら億劫であった。少年と同じく、ギンも明確な訓練の時間でなければ職務に勤しむつもりはなかった。

 それに、かつてはどんな時でも教官と呼ぼうとしなかったことを思えば成長はしている。その時は仕事として「教育」しハシギも懲りたようだが、一方でギンのこうした性格も知られてしまったようだ。

 

「昼間のあいつら、誰な──」

 

 「教育」した。

 大人と子供の質量差がある。普通に殴れば、普通に吹き飛ぶ。

 

「『あいつら』じゃない。『あの方々』、もしくは『御一同』だ。いいか? 義務じゃない、命令だ。ルールだ。守るのが常識で、背くなら殺す。俺が殺さなくても他のやつが殺す。分かったか? 分かったら返事しろ」

「……つ、ぅ」

 

 「教育」した。返事が遅いから、もう一度。

 仕事と認識しているからこそ、「面倒臭い」でサボってはいけないラインをよく理解していた。

 

「分かったか?」

「……は、い」

「……よし。いいか、一度言ったことがあると思うが、お前がバカなのは知っているからもう一度だけ説明してやる。服を見ろ。髪を見ろ。肌を見ろ。どれだけ学がなくても、それで身分の違いが分かる。お前が知っている中にあんな上等で純白の服を着た人間がいたか? あれほど美しい存在がいたか? それだけ分かっていれば、少なくとも戦いの外で死ぬことは減る。次は説明しないからな」

 

 ニコリと微笑みかけると、ハシギは俯いた。教えるという点においては、剣幕は濫用しすぎてしまう。笑顔のほうがよほど使い勝手が良く、相手も忘れにくい。

 

「それで、……あの方々は、誰、だったんですか」

「分かりやすく言うと、他所のお姫様とこの国の貴族サマの娘……かね。お前らはああいった人の肉壁になるんだ」

 

 厳密には違うが、伝わるように言えばこんなところだろう、とギンは心の中で付け足した。

 幽かの森についてはよく分かっていないことばかりであるし、そもそもこの学園都市は国ではなく連合のようなものだ。が、それを説明して伝わるとは思えないし、なにより面倒だ。

 ハシギを見ると顔を青くしていた。訝しんで、低い声で問いかける。

 

「……何もしていないだろうな?」

「……睨んで、ウザいって言った。……知らなかったんだ! 訓練に戻らないとって……だから、俺……」

「あぁ……、まあ、運が良かったな。白樺……あの白い服を着た方々は、純粋培養で権力のケの字も知らないような人間ばかりだ。他の相手ならお前その時に死んでるだろうし、生きてるならこれから先気を付ければいい」

 

 だからこそ、こんなところまで出張ってきたことにはギンも驚いている。

 訓練所を設置する場所についてもっと口を挟んでおけばよかったかもしれないが、それでも白樺からここまで来るには、道を知っていなければ1日じゃ済まない。言ってしまえばあそこは良い子ちゃんばかりが生活している場所なので、こんなところまで冒険してくるだなんて想像できなかった。

 

「お姫様……」

 

 ハシギが小さく零したのをギンは聞き逃さなかった。

 恋でもしてしまったのだろうか。

 

 だが、咎める気はなかった。ハシギとて釣り合う相手でないことは理解しているだろうし、それ以上に、あの暴力的なまでの蠱惑に抗えないことを責める気にはなれなかった。

 忘れろ、諦めろと言った言葉一つ、あるいは暴力とてその気持ちを曲げられないだろう。

 軽く言葉を交わした結論として、中身はきっと普通の人間に似通ったものがあるのだろうと思った。けれどもその美しさに関しては、あらゆる価値観を捻じ伏せる力があった。

 

 その美しさに反し中身が馴染みやすいからこそ一層誘惑されるのかもしれない。面倒臭さ故に深く考察する気はなかったが、それでも一つ、彼女を前にした人間は魅了か警戒どちらかを選ばされるのだろう、ということは分かった。

 ギンは警戒を選んだ。それは生来他人を信じない性格だったからこそだ。それでも面と向かって話していれば気を許してしまいそうな、あるいは襲いかかりたくなってしまうような誘惑に駆られた。であれば、目の前の少年が彼女に恋したとてそれは不可抗力だろう。

 

 だがまあ、可哀想に。

 一度魅了されてしまえば、しばらくはどんな女性も霞んでしまうことだろう。

 

 幽かの精霊。恐ろしい種族である。

 

 

 

 


 

 

 

 

「シュービル」

「……な、なに」

 

 食堂でシュービル少年の向かいに腰掛け名前を呼ぶ。

 返事を受けてからしばらく考え込み、これみよがしに溜息をつくとまさしく「えぇ……(困惑)」という表情をされる。スマン。

 

「僕、キミと仲良くなるって言っていたじゃないですか」

「う、うん」

「ですが近い内にここを去らなければいけなくて、それまでに仲良くというのは少し難しそうかな、と……。しょぼんです、はぁ……」

 

 優先順位。

 後悔しないように生きるためには、それが一番大事だと思っている。

 

 だから、いーちゃんの病気のことも、シュービルと仲良くなることも、のうのうと生活を送っている横で過酷な訓練を強いられている子供たちのことも、全部後回しにして僕は僕のために、ないしは母様のために有限の時間を使う。

 「準備ができたら話しかけてくれ」なんて言うNPCは現実に存在しない。ピンチに合わせて「秘密兵器が完成したぞ!」と駆けつけてくれる博士なんて幻想だ。

 

「人と仲良くなるのって、難しいものですねぇ……」

「……あ、あのさ。仲が良いって、どうなったら言えるの、かな?」

 

 仲が良い、友達の定義か……。それ前世で一生分かんなかったんだよなぁ。教えてエロい人。

 なに? エッチなことすれば仲良くなる? うるせえ! 僕はおにゃのことにゃんにゃんする以外でこの体は差し出さないぞ! 男なんて全員もげてしまえ!

 

 まあでも、友達の定義ならともかく、仲が良いか悪いかってのは案外単純か。

 

「やっぱり、お互いのことを好きかどうかじゃないでしょうか。シュービルは僕のこと好きですか?」

「えっ……、いや……」

 

 あっ辛いんだぁ……(涙目)

 なぜ自分から地雷を踏みに行ってしまったのか。言い淀まれたときのこの空気の重さやばい。

 

「……ぼ、僕は、シュービルのこと、好きです、よ?」

 

 大怪我を負ったメンタルを庇うように震え声で虚勢を張ると、シュービルは一瞬動揺してから小さく「いや、どうせ……」と口を開いた。

 

「いえ、嘘や世辞ではありません」

 

 彼は自分が他人に好かれるはずがないと思っている節がある。それは、にいろが同じだったからよく分かる。

 そういった根本の考え方が似ているところがあるから、彼のことを好ましく思うのだ。

 

「たとえばその、他人を簡単に信じないところ……好きですよ。人間すべてを疑っているわけじゃないんです。キミは、ちゃんと人を観察する。よく見ている。根気が必要です。信じられるまで疑うのなら、それだけ体力も気力も使う。……そこまでして自分に向き合ってくれる人がいるなんて、最高じゃないですか。素晴らしいことですよ。だから僕は、キミが好きです」

 

 シュービルが顔を赤らめた。元が色白だから、血色が良くなるとわかりやすい。

 

 もしも……もしもだ。

 もしもかつてのにいろにそう言ってくれる人がいたなら、何か変わっていただろうか。

 あるいは、実際にいたのかもしれない。ただにいろが気付かなかっただけかもしれない。

 

「あとは、キミの実は負けん気が強いところも好きです。気が弱そうに見えて、譲らないと決めたものがありますよね。まだそれが何かは分かりませんが……、自分の中に一つ自分で決めた芯がある。とても素敵だと思います」

 

 微笑みかけた。

 きっと、表層的なものが多くてわかりにくいけれど、シュービルは「強い人」なのだ。

 誰かに向き合う強さを。自分の信念を曲げない強さを。ひけらかさずに、けれど大切に抱いている。

 

 あまり褒められすぎると恥ずかしさのゲージが限界を迎えるらしく、シュービルはますます顔を赤くして、散らかった頭を整えるかのようにその黒髪をワシャワシャとかき混ぜた。

 

「……君は、ずるいよ。卑怯だ」

「え、ええと……?」

 

 いじけたように口を尖らせるシュービルに、僕は呆気にとられた。

 

「毎日、会う度に笑顔を振りまいて、声をかけてきて。自分の気持ちに素直で、すぐに好きとか言っちゃう。……そんなの、嫌うほうが難しいじゃないか」

「はぇ……?」

 

 つまり? 褒められてる? でも文句も言われてる??

 素直って言っても、普通に裏表はあるんだけどね。ああでも、いつからだろう。嬉しいこと、楽しいことをできるだけ伝えるようにしようと思えたのは。少なくとも、前世ではない。

 頭の上に疑問符を浮かべて目をしばたたかせている僕に、シュービルは溜息をつく。

 

「そういう、大事なところで少し馬鹿になるのもずるい。つまりさ……、まあ、なんというか、僕も君のことが……いや、まあその、変な意味でなく、……その、好き、に、分類できる……、そういうそれだよって、ことさ。……アン、ブレラ」

「!!」

 

 ヤッターー!

 名前で呼ばれた!!

 あと好きって聞こえた!! 定義的には仲良し達成!!

 

 上手く言葉が出てこなかったが、目の輝きで喜びが伝わったのだろう。

 フイと顔ごと逸らしたシュービルは、手元にあったコップを掴んで口まで運び、中身が無いことに気付くと恥ずかしげに水を注ぎに行った。

 

 戻ってきたシュービルに、満面の笑みで問いかける。

 

「あの、ここを出ていった後も定期的に顔を見せに来ようと思っているんです! 面会があるじゃないですか、なのでいーちゃんにも。その時、シュービルのことも呼んでもいいですか?」

「……まあ。ボク、誰かと面会したことないからあまりよく知らないよ」

「やったぁ♪」

「ねえ聞いてる?」

 

 その後、なれないことをしたシュービルがキャパオーバーして吐きかけるなどドタバタしながら、僕はまた彼らに会いに来ることを約束した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

時間がないとき題名はどうするかって?そりゃ決まってる!時間がありませんでしたすいませんって謝るんだよ!!!(AM8:00^^)

おや、イフェイオンの湿度が……?


 寝相には性格が出ると言う。

 まっすぐ手足を伸ばして気をつけの姿勢のように眠る人はリーダータイプ。うつ伏せで枕を抱え込むのは自由人、胎児のポーズなら内向的など、まあ納得できる部分もあるし血液型占いよりはアテにしてよいだろう。

 

 僕はと言えば、大抵誰かと一緒の床について抱き枕にされるパターンが多いため気をつけのような姿勢になりがちだが、絶対にリーダーには向いていないと思う。いやでも奏巫女は皆を束ねる役職だし実質リーダー……?

 すべて投げ出して一人引きこもった時は膝を抱えるように丸まっていたし、内向的な可能性もある。まあ、こういうのってうつ伏せみたいな一部の特殊な例以外ありがちな性格に判定されるものか。誰だって内向的な部分は多少あるだろうし、生きていたらやりたくなくてもリーダー役を振られることだってあるだろう。

 

 夜分に、アイリスに後ろから抱きかかえられた状態で目を覚まし、そんなことを思った。背中に当たるこの巨大なナニカの感触に、最近はもはや愉悦ではなく肩が凝るのではないかという心配の気持ちの方が強くなってきているのは成長だろうか。でも初見のおにゃのこ相手にはまだ童貞くさい反応になってしまいがち。やはり男の子相手の方が距離を詰めやすい。

 正面にはいーちゃんの愛らしい寝顔が据えられている。小さな寝息も可愛らしいが、なにより寝るときは抱きつこうとするのに結局胎児のポーズに落ち着いてしまうことが庇護欲をそそる。

 女子用の大部屋にはたくさんのベッドがあるというのに、結局一番大きなベッドで三人一緒に眠っている状況になんだかなぁと苦笑した。まあ、僕としては役得ですが……。全然関係ないけど、「まあ」と話し出す人は他人を見下しがちらしい。絶対そういう分析している人間のほうが他人を見下している。

 

 体力は多いほうだから、こうして夜中に目が覚めてしまうと寝直すのに苦労する。結局は身体が「もう休まんでええで」と言っているわけだから。

 とは言えアイリスの抱擁は中々に力強いものであるし、抜け出せないとなれば目の前で赤子のように眠る美少女を鑑賞、もとい愛でるくらいしかできることもなくなってくる。

 そっと髪を撫でると、石鹸の香りと女の子の匂いが混じって甘く漂う。女の子の髪触るのってなんかドキドキするよね。

 

あさぁ……?」

「……あ、起こしてしまいましたか。まだ夜ですよ。どうぞ、ゆっくり眠りましょう?」

 

 何度かゆっくり頭を撫でていると起こしてしまったようで、薄目を開きながら寝ぼけた口調でいーちゃんが問うた。

 ひそめた声をかけながらもう一度生え際から髪を梳くと、目を細めて鳴き声のような相槌が打たれた。このフとンとムの間みたいな音なんて表現すればいいんだろうね。可愛い。

 

「もうちょっと……こっち……来てー……」

「えぇと、いま動けなくて……」

「んうぅ……」

 

 アイリスに拘束されてるんですぅと伝えたいものの、ほとんど目を瞑っているいーちゃんには伝わらなかったのだろう。不機嫌そうに鼻息を鳴らしてズリズリと這いずり寄ってきた。

 僕の首元に顔をうずめたいーちゃんはそのまま眠るのか沈黙してしまうが、こちらとしては心臓に悪い状況だ。

 もちろんこのくらいの距離感は初めてじゃない。が、それでもこちらはシラフなのだ。心の珍棒が起き上がってきてしまうのだ。可憐な少女が脚を絡ませて正面から抱きついてきたら勝手に高鳴りだすクソ雑魚心臓持ちなのだ。

 ま、まぁね? 慣れたものだし? このくらいなんとも──

 

「とおざけてる?」

 

 ──おや。

 

 眠るのかと思われたいーちゃんだが、寝言とは思えない感情の乗った言葉を漏らした。

 遠ざけている? 今は本当にたまたま動けないだけでして……。

 

「今じゃなくて、最近ずっと……。ちょっと、よそよそしいよ。……卒業しちゃうから? もう会わないから、忘れちゃうの?」

「そんなことありませんよ。ほら、卒業したあとも定期的に会いに来ると話したじゃないですか」

「会いたいから? ……それとも、ギム?」

 

 ギム? ぎむ、……義務?

 当たり前だろうと頷くはずが、唐突に飛び出してきた言葉に思考が止まり否応なく黙ってしまった。

 

 恐らくは、黙るべきでなかった。

 けれど分からなくなってしまったのだ。物事に優先順位を付けて、次善策を与えて。それは、ただ純粋に会いたいという感情による結論だろうか。哀れみや、情を含んではいないか。院長に仲良くしてやってほしいと言われて使命を帯びていやしないか。

 だって、最優先じゃないのだ。後回しにした。それって、やりたいことじゃなくてやらなくちゃいけないことになってないか?

 いや、世の中きっとそんなことばかりだろうけど。だけど彼女との関係にそんな欺瞞──

 

 鼻をすする音を聞いた。

 

 ──っ、あ。

 

 泣かせたら、それはもう、駄目だろ。

 虚飾を持ち込むのが間違っていることくらい分かる。

 だけど、他に何か。何も。

 

 ……ただ、思考より先に彼女を抱きしめたこの身体は確かだ。

 キミが大切であることは嘘ではないのだ。

 

 イフェイオンは泣かない子だ。

 喜怒哀楽が薄いわけではない。よく笑うし、怒るときは怒る。どちらかと言えば穏やかで、朗らかな女の子だ。

 その境遇を感じさせないほどに悲しむ姿を見せることがないのは、それだけ家族からの愛情を注がれているからだと思っていた。けれど、それは違うのだ。

 

 意識が半覚醒状態で、感情が露わになりやすい状態だったからだろうか。黙っていたのは僕の言葉を待っていたのでなく、そうしなければ溢れてしまうものがあるからだ。

 少し痛いくらいに僕の方へ抱き寄せると、首元に顔をうずめるイフェイオンは二度三度身を震わせ、零し、拾おうとして、よりいっそう零してしまう、そんな不慣れな泣き方をした。

 

「……やだっ、よ。こわいよ。……さみしい、よ。きらっ、わ、ないで。忘れ、ないで……。うっとうしがらないで……」

 

 泣き方を知らないかのように、しゃっくり混じりの浅い呼吸、とぎれとぎれに零していく。

 

「負担にっ……、なる、の、いやなの。なのに、だめっ、だから……。おか、さんに……きらわれ、たくっ……、あーちゃんに、……きらわれたく、なく、て……」

 

 でもきっと僕のほうが泣いていた。

 いーちゃんの声が滲むたびにいっそう強く抱きしめて、共感なのか何なのかさっぱり検討もつかない涙を溢れさせた。

 

 慰めの言葉は出ない。

 でも、こうして泣いていることも、抱きしめていることも、本当だ。

 

 他には、他にも、本当があるだろうか。

 

「…………帰る故郷(クニ)は、どこかにあるかい。忘れた言葉を思い出せるかい」

 

 一節、子守唄のように低い声で唄った。

 拍子に合わせて背中をさすれば、いーちゃんの震えが少し弱まった気がする。

 

暖炉の裏の秘密の手紙

何度も聞いたよ暮れ六つ汽笛

巡る季節と踊ろうか 小川を越えたあの丘で さあ

 

帰る故郷はどこかにあるかい

忘れた言葉を思い出せるかい

 

帰る故郷がどこにもないなら

此処が明日のおまえの故郷だろう

 

「……知ってる、歌、だ」

「えぇ。旅の途中で、このあたりで愛される歌だと教えてもらいました。優しくて、よい歌ですよね」

 

 いーちゃんの呼吸が落ち着いてきたのが分かった。

 僕はもう一つだけ、本当があったことを思い出した。

 

「……歌を、歌うのが好きです。僕は歌が好きです。ですが、一人で歌っているだけでは物足りないでしょう。歌は誰かと一緒でなくては」

「……うん」

「約束しましょう。一緒に歌うために、僕はいーちゃんを何度も尋ねに来ます。他に一緒に歌う相手はいませんし、増えそうにもありません」

 

 気持ちと義理が混じったとき、人は約束を結ぶ。

 約束を結んだ理由が義理であったとしても、約束を守ろうと思うのはその人自身の気持だから。

 

 何よりも心を大切にする。

 だからこそ、約束というものがあるのだろう。

 

「……破ったら?」

「決まっていますよ。針千本を飲むんです」

「……ひひ、なにそれっ」

 

 泣いて消費した体力の分か、抱き合っていることの温もりか、ゆっくりと微睡みが近付いてくるのを感じる。

 

「……ねえ、あーちゃん。大好きだよ

 

 はい、僕もですよと答えられたか、それともその言葉自体が夢だったか。

 目が覚める頃には、すっかり分からなくなってしまっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

SAN値とか諸々、ある程度定まった値を示す人間てのは結局常識の範疇で、一番怖いのは最小値と最大値を反復横とびするみたく性格が切り替わるやつ。

 魔法学。

 

 端的な科目名だが、その言葉から内容を推察するにはあまりに抽象的なその講義。

 内容はずばり「魔法とはなんぞや」、ただそれだけだ。担当する導師によって内容が千変万化するとも言われ、しかしここ数年はその担当導師の人気の高さから受講を希望する学生が後を絶たない。

 そのため「基礎魔法学A」と「基礎魔法学B」を一定以上の成績で修めた学生だけが履修を許可され、よほどの天才か、ひたむきな情熱を持った生徒ばかりが教室に集まった。

 そんな中、編入生という特殊な立ち位置のコルキスだが、学園長のはからいで審査を受けその結果受講が許可されていた。国家間の忖度が存在しなかったと言えば嘘になるだろうが、能力主義のきらいがある学園都市内で無能に温情をかけるはずもなく、コルキスが己の手で勝ち取った結果であろう。

 

 人の好き嫌いがわりとハッキリしているコルキスであるが、この講義の導師の実力についてはよく認め、人間性はともかくその幅広く奥底深い知識には十分に期待していた。

 何度目かの講義となるその日、付き人のヴィオラを後ろに教室へ踏み込めば、件の教授は教壇の中央の席に深く腰掛け、死んだかのように静かに瞼を下ろしていた。

 その後ろの巨大な石版には、ほどよい大きさの字で一言だけ記されていた。

 

 

 禁術について

 

 

 たったの六字。ただそれだけの言葉に、コルキスは鳥肌が立つのを感じ、後ろからは生唾を飲む音が聞こえた。あるいは、ただならぬ教室の雰囲気があったからこそかもしれない。

 席に着く。しばらくして最後の一人と思われる生徒が入室して、教室内の人数も見えていまいに教授が口を開いた。

 

「キミ、鍵はかけたかね」

「は」

「鍵だよ。扉を閉め、鍵をかけなさい……ホラ早く!」

「は、はい!」

 

 突然声を荒げた教授に最後に入室した男性の生徒は飛び上がり、わけも分からずといった様子で扉の鍵を締めた。

 可哀想に、汗をかきながら着席した男に教授は追撃を仕掛ける。

 

「キミは、禁術について何か知っているかね」

「えっ、あっ……」

「何か知っているかね」

「…………」

 

 しかし、今度は学生は何も答えず、困ったような顔で俯いてしまう。

 それを見て教授はニッコリと微笑んだ。

 

「上出来だよ。ああそうだとも。それが正解だ」

 

 学生はオロオロと視線を彷徨わせ、教授の様子をじっと伺う。

 教授は微笑みを浮かべたままジャケットの内ポケットに手を差し入れる。そうして現れたハンドアクスを、──防犯用の記録水晶めがけて勢いよく投擲した。

 

「こんなもの!!」

 

 見事命中し、学園の設備であろう水晶は無残にも砕け散る。

 ハンドアクス自体に生徒たちは怯むことはなかった。なぜなら、初回の授業で「ボクの授業は中途半端に知るのが一番危ないから、寝ている子はこれで頭をかち割るね」と宣言し、たびたび振り回すからだ。

 

「さあさこれでこの部屋は秘密の部屋となった! 今日のトピックは禁術だ。さてまずひとつ、禁術について尋ねられたら何と答えるか? 正解は何も知らないと答えるか黙ることだ! 禁術なんてものの存在は子供だって知っているかもしれない。けれどもその知識をひけらかせば投獄さえありうる。公然の秘密、それこそが禁術、禁忌の魔法だ!」

 

 教授は狂ったように頭を振り回しながら叫ぶ。

 いやまあ、狂っていると評価しても相違ないだろうが、とコルキスは内心毒づいた。

 

「キミ達は禁術についてよく知っている。ボクは禁術についてよく知っている。あああっ、言ってしまったっ。ああっ、でも何も問題ないじゃないか。だってここは秘密の部屋! アヒ、ヒヒヒヒ、ヒャヒャ。キミ達もボクもこの部屋を出れば何もかも忘れてしまうんだ! さあ今日は(おおやけ)なんて忘れて禁術について語り合おうではないか!」

 

 学生の反応は二分される。

 教授につられて狂気的な笑みを浮かべるHENTAIか、理性の欠片もない様相に眉を顰めて引きながらも隠しきれぬ好奇心で口角だけは吊り上がってしまうか。コルキスは後者で、ヴィオラは例外とばかりにうへぇというドン引きした表情を……いや、よく見れば口の端が上に行こうとピクピク震えている。

 

「いいかい? いいかい? まずまずね、キミ達くらい、つまりはこの教室にいられるくらい優秀な学生達は研究の道に進めば将来必ず禁忌の魔法に遭遇する。そのときに何も知らない暗愚なキミ達のママァでは最悪死に至る。死んでしまうんだ! じゃあどうして全ての学生に向けてこの話をしないかって? だってだってこの教室にさえいられない人間が禁忌に触れられるわけがないだろう!? それでも中途半端になにか教えてしまえば、死よりももっと恐ろしいことが起こる可能性だってある。ママァーー! ァアッハッハッハッハハハヒャヒャ!」

 

 どうしてこんな人の授業が人気あるのだろう、とコルキスは心の底から思った。

 だが同時に、納得もした。おそらく誰もが、「人としては関わりたくないが知識人としては世界屈指だ」と結論づけたのだ。

 そんな失礼な思考を知ってか知らずか、悪魔のような高笑いをやめた教授はスンと真顔に戻って講義を続ける。

 

「はい。それでだね。今日話す内容は禁忌の魔法とはどのようなものかと、なぜ公然の秘密とされるか、そしてどのような場面で現れ、どう扱うべきかだ。この流れを念頭に置いて話を聞くように」

 

 テンションの激しい高低差で最前列に座っていた学生は風邪を引いてしまった。だが幸い風邪に気付かぬ類の馬鹿のようで、目を輝かせて教授の話の続きを待った。

 コルキスは頭痛を覚えた。風邪ではなく、驚異とさえ捉えていた隣国の内情が()()()()ばかりだからだ。タゲリ導師が恋しくなったが、彼にさえこのような狂気的な一面がありそうで怖くなり、思考を放棄することにした。

 

「まず、禁術とはなんぞや。簡単だね。我らが『勇者』の扱う、転移の魔法だ。そもそもが人並み外れた能力を持つ勇者は、それを使って仲間と共に『災厄』を討ち倒してきた。遊撃部隊にとって本来難点となる補給行為を、転移は解決してみせたわけだ。……まあ現在は勇者がどこにも観測されていないわけだが、どこぞの研究者の被検体にでもされているのだろう。ああ妬ましい」

 

 実際そのようなことがあれば学園都市は他の三大勢力含めあらゆる勢力から目の敵にされる、あるいは戦争さえ申し込まれるだろうが、心から羨ましがる声を出す教授にコルキスは憤りを通り越して呆れを覚えた。

 本気で、研究のためならあらゆる倫理に背けると信じているのだ。一般的とまではいかないのだろうが、このような思考回路の人間が多くいると思えばやはり学園都市を敵に回すことは避けたいものである。厄介という言葉では収まらないことになるだろうから。

 

「ともかく、この場にいる学生であれば理解できるだろうが、転移という能力が存在する以上、それを模倣ないしは解析できると考えるのが学者の常というものだ。……けれどそこで困ったのが、勇者は転移に魔法陣を使わないこと。魔法陣──ここで説明するまでもないが、『魔法使い』が世界から授かった『最初の言葉』を表現するための記号の中に、転移を表現できるものが存在しないことだ」

 

 少なくとも、現代に残るものの中には、と付け足される。

 基本的に、人類にとって魔法は「手に負えないもの」だ。それを支配するための手段が魔法陣。

 魔法すら支配できる手段を持つという思考はそのまま現代の人類のイデオロギーに深く関わってくるのだが、転移というものの存在に対峙したときそれが揺るがされかねず、それは禁忌などと謳われる理由のひとつにも関わってくる。

 

「取るべきアプローチは二種類。魔法陣に頼らない魔法の実用方法を編みだすか、時折生じる事故から転移がどのように記述できるかを探るか。後者の場合は結果的に数多の犠牲を前提としているのだが……」

 

 概要に関しては、時折脱線しそうな気配を醸しながらもゆっくりと話が進んでいった。

 

 そんな話に耳を傾けながら、コルキスは一人の少女に懸想した。

 魔法陣という手段に囚われない彼女らの種族の場合は。……あの幼くも美しい、危うさそのもののような少女であったら、転移という魔法を一体どのようなものとして見ているのだろうか。

 

 

 

 

「……さて、時間か。終わりにしよう。……ああそう言えば、他の講義で既に聞いているかもしれないが、来週からやんごとなき身分の方が学園に加わる。学園都市全体の指針としては『普通に扱う』そうだから、キミ達も最低限失礼のないようにしたまえよ。学園都市としては、学問に手がつかなくなる者が多発する可能性を危惧しているのだがね」

 

 講義の終了間際、教授は神妙な顔をして告知した。

 ある意味爆弾のような発言だが、耳が早い者であれば既に知っている話だろう。

 

 アンブレラが来る。

 禁術について耳を傾けていたときの学生達以上に、猛々しい光をコルキスは目に浮かべた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……んっ、ぅう」

 

 視界の外が明るくなっていることに気付いて、ゆっくりと瞼を上げた。

 体に触れる感覚から、アイリスはもう起床していることが分かる。また、珍しく朝になってもいーちゃんが抱きついたままで、目を開けて一番に飛び込んでくるのが可憐な少女のあどけない寝顔という事実に緊張とも幸福とも知れぬ感情を得る。

 ようやく寝ぼけた頭が働き出したので状況を振り返れば、そういえば昨日の夜はいーちゃんと約束を交わしたのだと思いだして、少しの気恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じた。

 

 いつまでもいーちゃんの顔を眺めていては熱も冷めやらない。首を動かして辺りを見渡すと、ベッドのすぐ横でアイリスが座ってこちらを眺めていた。隣にはキャンバスがイーゼル(仮称)に立てかけられている。

 ……ど、どうしよう。何をしているんですかって聞いても絵を描いていますって返されるのは目に見えている。そういうことを聞きたいわけじゃないのに!

 

「あの……」

「あぁ、巫女様。お目覚めになられましたか、おはようございます」

「……はい、おはようございます。あの、その……、た、楽しいですか?」

「ええ。至福のひとときでございました」

「そうですか……。なら、よかったです……」

 

 もうね、他に何も言えんよ。

 まあ、幸せならそれが一番だからね。他人に迷惑をかけていないなら、自分が一番幸せなことをするのがいい。いや、うん。うん……。

 好きこそものの上手なれというか何というか、上達速度も凄くて普通にその道の人かと思う出来だし。モチーフに僕以外を選ばないのが残念なほどだ。

 

「ん……、あーちゃん、おぁよ……」

 

 もぞりと何か動いたかと思えば、ほとんど目を閉じたままいーちゃんが起きた。

 まだ眠いのか頭をフラフラさせながら体を起こし、ようやく僕も抱擁から解放されたので身を起こした。するといーちゃんは支えを探すように僕の方に顎を乗せる。寝起きに弱いおにゃのこは可愛い。

 

「んー……」

 

 ゆっくりと起動していくいーちゃんは、段々と思考の整理が済んだのだろう。途中まで僕に顔をこすりつけていたのを停止して、次にゆっくりと身を離し、顔を真っ赤にして俯いた。昨晩のことを思い出したのだろう。

 

「オ、オハヨウゴザイマス……」

「うん。おはよう、いーちゃん」

「う〜〜……、ううぅ〜〜」

 

 僕は先程寝起きに恥ずかしがるのは済んだため、平気な顔で返事をする。

 それが不満なのか、しかし顔を見るのは恥ずかしそうにして、俯き加減で唸りながらいーちゃんはベッドをペシペシ叩く。まるで不満気な猫のようだ。

 

「ん゛っっ……」

 

 アイリスが呻く。見ると、またしても突如鼻血が出てしまったようである。

 こんなにも病弱なのに外の世界まで連れてきてしまったことには罪悪感を覚える。そのうち吐血でもされたら僕は正気でいられる自信がない。

 

 治そうとアイリスの方に身体を向けるが、治療を拒否するかのように手で精子……間違えた、静止をかけられた。その眼差しは雄弁で、「こちらで治しますので、今はイフェイオン様を見ていてください」と語っている。遂に辻ヒールを拒否されてしまった。

 癖で治そうとしてしまったが、そもそも諸事情により現在癒やしの魔法は使いづらい状況にあった。それを踏まえれば納得はするのだが、手慣れたように鼻の下に布を当て付け根を押さえて下を向くアイリスに、何かしてやりたいという思いは自然と芽生えるものである。

 

「あれっ!? あ、アイリスさん大丈夫!?」

 

 そうして彼女の鼻血に気付いたいーちゃんが慌てふためき、ドタバタと朝の支度に取り掛かるのであった。

 

 食堂へ行き朝食を摂っていると、眼鏡(クラムヴィーネ)が忙しなく様々なものを運んで駆け回る姿が目に入った。

 僕の卒業に際して、何か準備が必要なのかもしれない。何か手伝えることはないかと思い声をかけると、目をグルグルと回しながらクラムヴィーネが答えた。

 

「ど、どうしてかよく分からないのですが、私のお師様……先生にあたる方が、本日いらっしゃるらしく! アンブレラ様もお話をする機会があるかもしれませんが、ひとまず私は部屋を片付けなければ先生に酷くどやされてしまうのです!」

 

 眼鏡お前、そんな生真面目委員長みたいな面しといて部屋汚いのかよ……。

 以前彼女の個室に招かれた時はそこまで汚くなかったように思ったのだが、あのときも全力で片付けていたのか、あるいは白妙の止り木に来たばかりでまだ汚れる前だったのか。

 

「汚しているつもりはないのですけれどね……?」

 

 心底不思議そうに、クラムヴィーネは首を傾げた。

 僕は心のなかで、彼女をそっと汚部屋リストに加えた、

 




魔法陣って表意文字として扱われがちですが、法則の羅列なんだから要するにプログラミング言語なんですよね。
意味単体というより、意味の集合なんですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

病院で診察を受けてるとき、お医者さんとこっちで見えてるものが違いすぎて正直どの症状を言えばいいか分からにゃい。でもたまに本気で何も考えてなさそうなお医者さんもいて…もう何も分からにゃい…;;

 今にもはちきれそうな棚の戸からギシギシと軋む音が聞こえた。

 男がそちらへチラリと視線を遣るが、おおかた想像はついているのかさほど気にもせず、眼鏡を掛けた女の方へと向き直る。

 女──クラムヴィーネは気まずそうに顔を逸らし、目の前に座る先生(ハマシギ)が口を開くのを待った。クラムヴィーネにとって片付けとは空間を確保することであり、たとえどれだけ棚の中がとっ散らかっていようと、たとえ再びその戸を開くときには雪崩が起こることが確定していようと、見た目上何も問題がなければそれは「整理されている」と言えるのだ。むしろ気まずさを覚えている分、他の導士に比べて「常識」というものへの理解があるとすら言える。

 

「……まぁ、いまさらキミの整頓能力について言うことはないんだがね?」

「はい……」

 

 クラムヴィーネの指導を長年行ってきたからこそ、(ハマシギ)は向き不向きは人それぞれだということを理解していた。

 汚くしようとしているわけではないのだ。むしろ、努めて整理整頓しようとしている。それなのに何も意識していない人よりも部屋が汚くなる。もはや才能である。

 

「それで、実際に会ってみてドローネットはどうだったかね」

「……」

 

 クラムヴィーネは考え込んだ。

 

 今こうしてアンブレラに関われる立場にあるのは、ひとつには学園から与えられた監視という役目と、同時に自分よりもずっと優れた存在に関わることで何か自分を変えられるのではないかという個人的な思惑が重なったからこそである。

 しかし、実際に会ってみれば、実のところよくわからなくなってしまった。

 

「……天才の類では、あるのだと思います」

「そうだね。いつの間にやら【圧縮】も覚えているようだものね?」

 

 おそらくは、人間が苦労して理論を組み立て、陣を描き、修業を重ねてようやく成功させる技術を、人間とはまったく違う視点で感覚的に実行してしまえる。

 だから天才と呼ぶ分には間違いではないのだ。しかし、ただそう言葉にすることには違和感があった。

 

「ですが、彼女は生きていました。それも、とても純粋に」

 

 クラムヴィーネが自傷しただけで泣き出してしまった。

 同い年の少女と語るとき花開くように笑う。

 

 天才で、化け物だが、違う生き物ではなかった。

 

「そうかね。まあ、私も実際に話を聞いてみるとするかな。診察と言って、ドローネットを呼んできてもらえるかね?」

「……手を出してはだめですよ?」

「キミは私のことを何だと思っているんだね!?」

 

 一応、相手は自分の先生なわけで。

 マッドサイエンティスト、という言葉は流石に飲み込んだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小学校は足が速い男子がモテて、中学校はノリのいい奴がモテるんだっけ。僕中学の頃よく告白されたよ…男子校だけどな!(ブチギレ) 男相手に「君を守りたい」とか言ってきたからなあいつら。

 嫉妬……ではないのだろうとクラムヴィーネは考えた。

 恩師であるハマシギ導師の要求を受け、アンブレラを呼ぶべく一歩目を踏み出した直後の思考である。

 

 魔法使いが作ったこの国(学園都市)では、その魔法使いたちに対する敬神的とすら呼べるまでの感情が存在し、故に魔法の能力に個人の価値の大部分が決定される。

 もちろん一つのファクターだけでは定まらないのが人間関係というものであり、社会的には一族の地位や立場、人柄なども判断材料となる。

 しかし例えば子供たちの社会のように、とても狭く、経験も乏しく、単純な価値観に縛られがちな世界では、ほとんど魔法の能力だけで人気者やいじめられっ子が決まった。あるいは、スクロール(使い捨ての魔法陣)をばらまくことで友達を増やした親のすねかじりもいたかもしれない。

 

 そういう意味で言えば、クラムヴィーネは昔から地位の高いほうの立場であった。

 純粋に脳の処理能力が高かったのだろう。魔法に限らず、多くの事柄において優秀と評される結果を出すことができた。

 驕り高ぶらず、むしろクソ真面目な性格に育ったのは偶然だろう。処理能力の高さからまとめ役を任されることが多かった彼女は、目的合理性に基づき、任されたからにはとその役目を全うした。それが、たまたま「ウザいやつ」として認識された。

 

 凄いのは分かるけどなんかウザいから、煽てるのでなく関わらないようにする。それが彼女の周囲で起きた結果で、有り体に言ってクラムヴィーネは避けられるようになった。

 なった、というより、クラムヴィーネからすればそれが普通だった。世の中はそういうもので、騒がしくなくていいし、無視されているわけでもなく、困ることがなかった。

 だから、世間一般から見て自分に足りないものに気付くことなく成長した。

 

 困るようになったのは、スクールの卒業近くになった頃と、研究室に入る段階になってからだ。

 彼女の世界はあまりに自己完結しすぎてしまっていた。他者と最低限しか関わらないがゆえに、その才覚は独創的な内の世界を拡張することに用いられ、優れた哲学や知識を持ち合わせていても、そもそもの物事の認識する様式が一般的なものとズレてしまった。

 

 スクールでそのズレが露見しなかったのは、スクールで扱うレベルの課題はせいぜいが数式や術式をこねくり回せば解決できてしまうものであったからだ。

 しかしスクールで一般的に行われる卒業制作。その発表の場において、クラムヴィーネは酷評を浴びた。

 

『何を伝えたいのかわからない』

『論理の飛躍がないか?』

『術式の解釈が自己流すぎる』

 

 クラムヴィーネも困惑した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 クラムヴィーネの術式の扱い方は、導出される陣記述は、必要十分条件は、すべて彼女の脳内では自明なことであった。説明のための補助式を用いる以前に、彼女にはそれが「正しい」と分かってしまっていた。

 しかし残念なことに、ほとんどの人間にとってそれは理解できない出力だったのである。魔法学というものがまだまだ手探りで、厳密性に欠く分野であったことも影響しているかもしれない。

 

 卒業してその後研究室に無事入ることができたのは恩師のおかげである。

 彼はクラムヴィーネの特異性を見抜き、他の研究室に取られてしまわぬうちにと囲い込んだ。

 そうしてラボに参加したクラムヴィーネに「キミは世の中とモノの認識の仕方が違うから、まずは人との話し方から学ぼうね」と伝え、クラムヴィーネがいくらか自己肯定感を失ったものの、今では導師の号を得るまでに至った。

 

 そんな恩師が、ぽっと出の女に強い関心を抱いている。

 その状況に対し「嫉妬ではない」と言えたのは、相手が相手だったからだ。

 

 もはや「女」などと呼んでしまうことこそ畏れ多い。

 悠久と共にある魔霊種。幽かなる精霊。その王族の娘と推測されている少女。

 その保有する魔力はこれまで記録されてきた森人のそれを大きく上回り、当然人類に属する導師では比較対象にすらならない。存在そのものが都市機能のキャパオーバーを引き起こしかねないが、絶好の研究対象である彼女を追い払えるわけもなく、一度白樺の止り木にて【圧縮】の習得を求める運びとなった。

 

 加えてその容貌。これに関しては、表現ができなかった。

 美しいということ。愛らしいということ。蠱惑的であるということ。無垢のようであること。こうした言葉で表現したつもりにはなれても、本当の意味で正しく形容できる言葉をクラムヴィーネは知らなかった。

 彼女に対して抱ける感情は、きっと愛情か恐怖だけだ。

 いま現在クラムヴィーネが性犯罪、加えて国家反逆罪に手を染めていないのは、まだ恐怖の感情が愛情を上回っているからだ。理外のものに対する恐怖。それが、未だ理性を支えている。

 そしてそれすらも脆い堤防にしかなり得ない。

 

「アンブレラさん、少しお時間よろしいですか」

「うぇっ……!? は、はい……どうされましたか?」

 

 先ほど見かけたからまだいるだろうかと思い、食堂に入って名前を呼ぶと慌てたような反応が返ってきた。

 こちらに尋ね返す際の笑顔には屈託がなく、それだけで少しずつ恐怖の情が奪われていくのを感じる。どう足掻いても、愛情を、情欲を煽るように生物として設計されているようである。

 

 先日気絶した後の体調などについて先生(ハマシギ)が診てくれるらしい、などと説明すれば、アンブレラはやや申し訳なさげにしながら立ち上がってこちらへと近寄ってくる。警戒心の欠片もなく。

 加えて、離れていく彼女に少し寂しそうな表情をしたイフェイオンの姿で、なぜだか優越感を得ていたことにクラムヴィーネは気が付いた。つまりは独占欲に近い感情が生まれたのだ。

 

(恐怖と愛情の天秤が後者の側に傾いてしまったら、私はどうなるのでしょうか……)

 

 これは元々期待していたアンブレラと関わることでの変化とは違う。クラムヴィーネの中に残っている恐怖は、もはやそれくらいのものだけかもしれなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お医者さんごっこって良いですよね。前世ではついぞしませんでしたが、母様とは沢山シました。「症状」を自分の口で言わせるのとかゾクゾクする…いやこれごっこじゃなくてプレイか?

確かエルフは魔力で細胞がコーティングされてるから疾病に強いみたいな設定がありましたが、それはそれとしてお医者様プレイはしています。


 白妙の止り木には食堂がある。

 一体どのような流通システムが形成されているのかは知らないが、まるで小学校の給食のように、どこかで作られた料理が運ばれてきて、それを配膳したら残りはまたどこかへ運ばれていく。

 とはいえその形態上、運ばれてくる料理はそこまで手の混んだものというわけではなく、シチューやパンのような簡単なものであることが多い。味は普通だけれど、僕はわりと舌がバカなので何でも美味しく食べられる。舌の感覚自体は鋭いほうだと思うのだが、味の違いに回す頭がないのである。バカなのは舌でなく頭だったかもしれない。

 

 食べる量は胸の大きさに比例して……ということもなく、僕もいーちゃんもアイリスも全員同じくらいの量を食べる。いーちゃんは気持ち少なめかもしれない。一体アイリスの胸はどこから養分を蓄えているのだろうか。

 

 また、水についても水道が引いてあるわけではなく運搬されてくる。聞けば都市部は水道(に近いシステム)が整っているらしいから、ここが世間から隔離されているのだ。

 貯蔵して足りない分を補充するようになってるそうで、今のところ水が足りなくなったという話は聞かない。お湯は使えないが水浴びだってできるのだ。やっぱ三大国家とか呼ばれるくらいには先進国なんだろうなぁ。

 

 しかし学園都市における水道設備は制御に魔法が関わるらしく、そういった要素を省くために作られた白妙の止り木という施設ではもう少し原始的に水を扱う。つまりは小さなタンクを持ち運び、都度入れ替えて設置するのだ。

 だから食堂にあるウォーターサーバーのようなものは一時的に水が出なくなることはあって、定期的に職員の人が入れ替えるからほぼ気にはならないけれど、当然タイミングが悪ければ必要なタイミングで足りなくなりもする。

 

 そのタイミングが偶然いま訪れた。

 

 最後に水を注いだいーちゃんが「あれ、お水なくなったかも?」と呟いたのを耳にしてからしばらく。飲み込んだパンが少し大きかったらしく、水で流そうとコップを手に取ってそれが空であることに気付いた僕は、二人のどちらかの水をもらおうと視線を彷徨わせた。

 アイリスはすぐさま僕の意図に気付いたようだが、残念ながらそのコップには中身がなかった。ならばと視線をずらせば、丁度いーちゃんが最後の一杯を飲み切るべく喉を鳴らそうとするところである。

 

 幸か不幸か、その表情を見るに、いーちゃんは僕が飲み水を探していることに気付いたらしかった。

 しかし悲しいかな。コップからは既に口が離れてしまっていた。つまりは、その残る中身ももはやいーちゃんの小さな口の中である。

 

 ただ、なんというか、普通ならそれで「ハイ残念、飲み込んであとで新しい水を取ってきてもらおうね」となるのだろうが、昨夜から続く妙な距離感のせいか、目線を絡ませた僕らの頭の中にはひとつしか発想が生まれてこなかった。

 いーちゃんも水を飲み込むことはしなかった。だから、お互い同じことを考えていたはずなのだ。

 

 つまりは、口移しである。

 

 他人がそれをしていれば思うところはある。しかし、僕自身の中でおにゃのこ同士が唇を重ねるという行為へのハードルが低かったこと、またいーちゃんの場合はきっと世俗への知識の薄さ、そういった要因が思考を制限していた。

 僕は水が欲しくて、いーちゃんは口の中にまだ含んでいる。ならそれを貰うべきじゃない? と。実に論理的である。

 

 目をパチクリとさせたいーちゃんは、瞼を下ろし、口元をこちらへ向けるように顎を軽く上げた。つ、つまりはこっちから来てほしいと?

 

 逡巡していると段々といーちゃんの頬は赤みを増していった。

 乙女が瞳を閉じて待っているのである。日本男児として何を躊躇うことがあるだろうか。

 そう自分を奮い立たせ、ゴクリと生唾を飲み込んで──

 

「──アンブレラさん、少しお時間よろしいですか」

「うぇっ!?」

 

 眼鏡(クラムヴィーネ)が後ろから声をかけた。

 幸い、飲み込んだ生唾で食道の詰まりは嚥下されており、返事につまることはなかった。

 

「は、はい……どうされましたか?」

 

 脳の血管がはち切れてしまうのではないかというくらい心臓が激しく血液を送り出している。

 そんな動揺は伝えまいとなるべく自然な笑顔で振り向いたが、言葉は隠しきれない程度に震えてしまっているように思えた。

 

 タイミングが良いのか悪いのか。

 なんでも、来訪していた彼女のお師匠さまが、僕が気絶してからの体調とかについて診てくれるらしい。随分ありがたい話である。保険証も診察券も持ってないけどええのん? と思いはするが、まあ良いから言ってきたのだろう。

 

 クラムヴィーネの部屋まで来てほしいとのことで少しトラウマが蘇るが、流石に自分の師匠の前ではもう少し大人しくしてくれると信じたい。……信じていいよね? ……いや、師匠がもっとヤバくてクラムヴィーネがその性質を引き継いだ可能性も微レ存? まさかね(震え声)

 

 エルフの森で人をむやみに疑ってはいけないと学んだ僕である。

 とりあえず、今回だけは信じてやろう。今回裏切られたらコイツはもう信じない。そう思い、部屋へは一人で行くことにした。

 

 食堂の去り際、いーちゃんをチラリと見ると片方の頬を膨らませてそっぽを向いていた。可愛い(脳死)

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「はーい、それじゃあ次。……ここも痛くないんだね?」

「ええ、なんともないです」

 

 左手首の裏。内向きに腕時計を付ける人とかだと丁度文字盤が来る辺りを丸石みたいな形の道具で軽く圧迫されるが、特に押されること以上の痛みを感じることもないので平気だと返事をした。

 クラムヴィーネの師匠による診察である。語尾が「ンねっ」みたいに独特に跳ねるのが気になる。別にカエル顔とかではない。

 

 昔、弓道で手首を痛めた頃に整体の先生にこんな感じのことされたっけ。

 先程からこの人が押すところを視てみると、どうやら体を流れる魔力について、滞留しやすい部分を押しているっぽいんだよな。ツボみたいなものなんだろうか。彼には魔力が視えていないのだろうから、純粋にこの世界の医学として知られる部位を調べているのだろう。

 ある種メタのような視点で見てみると、こうした人類の知識の集積というのは中々の感動モノである。ちゃんと実際の状況に添えているのだから。

 

「フム。あまり女性の体に触れるのはよくないだろうからね。ここまでにしておこう」

「先生……良識があったんですね……!」

「馬鹿にしているね?」

 

 クラムヴィーネが目を輝かせて何事か言うが、一番良識がないのはお前だぞという気持ちに駆られる。

 チラリと視線をずらすが、クラムヴィーネの手首には何の跡も残っていなかった。当たり前といえば当たり前だが、ちゃんと癒せていたことに安堵する。

 

「そもそもヒトと魔霊種に同じ医学を当てはめていいのかは分からないがね。……ああ、診察にも関わることだから、2つほど聞いてもいいかい?」

「ええ。構いませんよ」

 

 マリョウシュ、というのは人類種に対する森人の分類だろうか。まあなんとなく内容は分かるので、そこについてはツッコまない。

 触診は終わりらしく、2つほど問診したいとのことなので頷いた。段取りがきちんとしているが、この人は結構ちゃんとした魔法関連のお医者様なんだろうか? クラムヴィーネはお師様だの先生だの呼んでいたが、医者の弟子が軽率に手首を切るとは思いたくない。

 そんなことを考えていると、クラムヴィーネの師匠は何かを測ろうとするかのように問うた。

 

「答えづらければぼかしてくれて構わないんだが……、まず、キミはどういった風に【圧縮】を習得したのかね?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

校長先生、知識マウントを取るために朝礼で毎回名言引用して語り出すのはやめて!! みんな貴方自身の言葉を聞きたいんだよ!(建前) んな得意げな顔してる暇あるなら早く朝礼終わらせろ(本音)

 人にはヒトの乳酸菌、という言葉がある。

 

 結局生き物にとっての最適な状態とは自然のままに従うことであり、つまりはママに従うことが幸せで、やっぱり母様が大正義ということ……だ? なんか結論がバグったな。

 やり直そう。

 

 みんなちがって、みんないい、という言葉がある。

 

 人それぞれ違いというものは必ず生ずる。それは生物としての種の違いや個体差もそうであるし、たとえ肉体の特徴が完全一致したとて、まったく同じ景色をまったく同じ座標から眺めることはないのだから、経験という形で差異は生まれる。

 だからこそ、自然に起こりうることであるからこそ、そこで優劣を付けるというのは公平性に欠く。一見劣っているようなことだからといって別の場面では長所となりうるかもしれないし、大切なのはまず第一に相手を尊重しようとする姿勢なわけだ。

 とは言えあらゆる点で蔑まれた人間に「みんな違ってみんな良いんだよ」と言っても響くわけがなく、さも寛容で優しく温かみのある言葉に見せかけて、その実やっていることは思考の放棄である。現実にはどうしようもなく「わるい」ひとだって存在するわけで、彼に必要なのは思考停止した全肯定でなく現実味のある働きかけで……ある?

 いや引用文否定してどうすんだ。

 

 ……なんかそれっぽい有名な言葉引用したらそれっぽい語りができるかと思ったけれど、そもそも結論を決めず話し始める僕に適切な言葉が選べるわけがなかった。

 はい止め! なんかそれっぽい語りすんのおしまい! できません!

 

 仕切り直し!!

 

 

 

 


 

 

 

 

 どうやって【圧縮】を覚えたか。

 

 クラムヴィーネの先生とやらに問いかけられ、まず僕が考えたのは「圧縮ってなに??」ということであった。

 全体的にスペックの良いこの体、しかし中身が僕なので、優秀な記憶容量も中身を引き出すのが下手すぎて意味をなしていなかった。少し考えて、そういえば脱走したあとに院長先生が何か言っていたなと思い出した。

 

 あれだよね。この、魔力を漏らさないようにする方法の呼び方。

 エルフたちの名前をすべて覚えるためにかなり努力したように、昔から単語を覚えるのが苦手である。一応、その努力の甲斐あって人の名前についてはかなり覚えられるようになった。

 

 しかしこの【圧縮】とやら、実のところエルフとはとことん相性が悪い。

 エルフとはってか、魔法そのものに対して相性が悪い。やってみて初めて実感したが、アイリス曰く溢れたものを注ぐという行為、これがとにかく気持ち悪い。マスク買い占めを自分がやらされるみたいな気持ち悪さ。例えが下手すぎる。

 

 そんなわけで、「どうやったの?」と聞かれて「いやそもそもなんでこんな気持ち悪いことするんですか?」と言いそうになってしまったが、僕とて良識のあるエルフ。

 いきなり目の前で手首切る眼鏡だったり、人目も気にせず全裸で生活したがる馬鹿神だったり、ああいった駄目な大人とは違って常識を備えている。これまでの経験から考えれば、人間が利便性のために結果的に変な魔法の使い方をしてしまうことだって想像できた。

 想像ができれば、不満だってぐっと堪えられる。僕は公共の福祉を重んじるタイプなのだ。

 

 ここまでで考えたのが、冒頭で失敗した語りだ。

 なんだろ、言いたいことをまとめれば、人間には人間のやり方があるよねってことだろうか。ちょっと違うかもだけど、だいたいこんな感じ。

 

 さて、いくら優秀な身体に生まれたからと言って、これだけ考えていて実はコンマ2秒でした! とかのバトル漫画みたいなことはない。問いかけられて黙ってしまった僕に、クラムヴィーネの先生(ハマシギ同志と言うらしい)が不安げな顔で伺った。

 

「……秘匿したとて責められないことだけれどね。知識欲がないと言えば嘘になるけれども、キミが意識を失った理由、これを考えるためには必ず要することになるだろうから、話してもらえないかね?」

「……っあ、いえ、どう話したものかと考えてしまったのです。隠すつもりはありませんよ」

「そうかね。いやなに確かに、感覚的なことで説明が難しいかもしれない」

 

 なんだろ。隠す人もいるんかな。

 まあ魔法に特許とかないだろうし、これも一つの技術だって言うならありえるのかな。

 

「参考までに、他の方は普通どのように覚えるのでしょうか?」

「普通……普通かね。普通の人はそもそも覚えることがないんだよ」

「はぇ?」

 

 ハマグ……ハマシギ先生は慣れた口調で話し始めた。

 曰く、そもそも【圧縮】は学園都市でも一部の人間しか必要ないような特殊な技術であるという。

 

 学園都市の人間は、その国(とあえて呼ぶ)の方針からしてほとんどの人が子供のうちに魔法の扱いを学ぶそうだ。

 魔力を認識することができれば、何らかの形で魔法の研究に携わることができる。さらにはその内から体質(ほとんど血筋らしいが)や訓練によって保有する魔力量を大きく増した者が現れ、上位の研究者として研究室を任されたり教授となったりする。

 

 実力主義社会つら…と思いながら聞いていると、そうした上位の研究者について「同志」と呼んでいるらしい。実力がなければ同志認定すらされないのである。カワイソス。

 ということは、院長はともかく、クラムヴィーネなんかも上位の研究者というわけだ。マジで? この国滅びない? という言葉はぐっと飲み込んだ。

 

 驚いたのが、「訓練によって保有する魔力量を増す」と言ったが、馬鹿神(ルーナ)から教わった話に近いことを人間が実践していたことだ。

 地球の人類からしてそうだけれど、人はその脆弱さを桁外れの試行錯誤によって補っていくらしい。遥か昔にとある科学者が発見した「人の魔力量は増やせる」という研究結果に基づいて、荒削りではあるが()()()()()()ことで魔力量を増やしていくというのだ。

 

「まあ、彼のような天才はそうそう現れないのだがね。その時代に発表された論文の至るところに共同研究者として名前が載っているそうだ」

 

 アインシュタインとかニュートンみたいな人がこの世界にもいたわけだ。

 エルフは長命だから研究者に向いてそうに思えるけれど、知識欲とかほとんどない(父様を除く)から人間みたいな発見は中々しないだろうな。だからクロさんとかが外の世界の調査をしているのかもしれないけど。

 

 なにはともあれ、人間の間では魔力量を拡張する手法が確立されている。

 勿論それは効率の良いものとは言い難い。となればその増え方には個人差が大きく表れ、才能の世界にはなるが、100人に1人いるかどうかといった具合に特別優れた者が出てくるという。

 そうした場合、何もしていなければ身体から魔力が漏れ始める。体の保有可能量を越すのだ。エルフの場合で言えば、それが標準である。

 

 僕が白妙の止り木に来た理由と同じく、魔力が漏れてはインフラ諸々で困ったことになる。

 だから彼らは修行して【圧縮】などを覚え、晴れて上位の研究者として尊敬の念を向けられながら研究に勤しむようになるのだ。すごい。えらい。

 

「つまりはだね、導師になった人間は誰しも【圧縮】が必要なかった時代があるのだよ。だからこそ、【圧縮】に関しては魔力が増えたあとに覚えた『漏れ出る感覚』を防ごうとすれば比較的楽に習得できるわけだ」

「僕らの場合はその感覚がないから、習得が困難になるというわけですね?」

「……いいや、魔霊種の【圧縮】に関してはある程度資料がある。ただ、キミくらいの魔力量になると果たして『漏れ出る』のを防ぐことで【圧縮】ができるのか検討つかないのだよ」

 

 ああ、まあ、実際アイリスに言われたようにやったら駄目だったしね。

 そうして手法を変えた。だからこそ、僕は彼らの言う【圧縮】に対して気持ち悪さを感じるようになったのかもしれない。

 

「バケツがあって、辺りに水が溢れていればバケツから漏れ出たのだと分かる。ね? けれども、バケツの辺りにあるのが湖だったらどうだい? それはバケツから漏れ出たのかね、そもそも、バケツに入れ直せるのかね」

 

 なんと説明するのが良いのだろう。

 相手は前世で言う科学者だ。魔法の理論屋である。そんな人に対して、感覚的な理解のうちからそれっぽいことを伝えたとして、誤解を与えないとは思えない。

 

 だから、ひとまず違うと分かっていることについてだけ述べることにした。

 

「……ええとですね、ハマシギ同志」

「う、うむ」

「貴方が分かりやすい喩えとして用いただけというのは理解していますが、──そもそも、人はバケツではなく、魔力も水ではないのですよ」

 

 馬鹿にしているのではないと伝えるために柔らかく微笑みながら言葉を紡ぐと、彼は神妙な顔をして頷いた。まあ多分、伝わった。

 

 僕の前世から持つ知識と、この世界の人の持つ知識。

 森人としての認識と、学園都市の人間の認識。

 そういった違いを考えると、僕のやり方についてちゃんと理解してもらえるよう説明できる気がしない。口下手で失敗するのは流石にもう懲りてきた。

 

 ただ、人は容れ物ではなく、魔力は()()ではない。

 そこの認識がもしも間違っているのなら、僕がどう説明してもうまくいかないだろう。だから、今はそれだけを伝えることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界は魔力で満たされている。エルフは存在そのものがほぼ魔力みたいなところがある。⇒そうか、僕が世界だったのか…(脳死ポンコツエルフ)

 脳死エルフ、あるいはポンコツエルフという電波を受信した。

 

 まあ、低めに見積もっても僕のことではないだろうからまったくキレたりとかそういうのはないのだが、可哀想な呼び方をされているエルフがいたものである。

 お花があれば「お花だ〜」となるし、ちょうちょが飛んでいれば「ちょうちょだ〜」となる僕だが、ちゃんと頭を使ったことも考えている。

 

 たとえば、自分が一体()なのか、とか。

 

 自我というよりは自己に関する話だ。哲学の話題としては古今東西どころか山手線ゲームにだって出てきてもおかしくない普遍的な内容だろう。いや何言ってんだ僕は。

 しかし、肉体と精神のことさえ考えていればよかった地球に比べて、この世界では魔力とかいう訳分からない要素も自己に関わってくる。

 一番単純な理解は、水みたいなものだ。体内を巡る水は自分の一部かもしれないが、汗や排泄を通して外部に出るし、飲み食いすれば自分の一部に戻る。他にも、酸素とか、もろもろの栄養素とか。

 でも、常日頃言っている通り、()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、僕は魔法に対し「使う」という意識はあまり持たない。お願い、あるいは対話のようなものとして捉えている。これは他のエルフも似たような感覚だろう。

 これがそれこそ精霊のような形の分かりやすいものだったら完全に他者として捉えられるのだろうが、……残念ながらこの目に映るのはぽわぽわした塊である。森を出て分かったが、緑色じゃないものも沢山ある。

 

 だから、日本人としての常識で語ると、意志の介在する不定形の物体を体内で増やしたり減らしたりする訳の分からない話になり混乱する。

 血液が全部赤色のスライムだったらと考えてみてほしい。普通に怖いだろう。そして、それを自己として認めるなら、地球の哲学以上に「自己ってなんなの??」という疑問が生まれてしまうだろう。

 

 それに加えて、転生だの、偽られた真名だの、僕の周りには自己を問い直したくなるような要素ばかりなのだ。

 揺れて揺れて、蕩けて、水にでも浸されればそのまま溶けてしまいそうだ。

 

 ただ、ひとつ。レインも、にいろも、この体の産毛一本から、芯の魔力まで。

 すべてを捧げて、すべてが愛する人がいるから、自分が何かわからなくなっても自己を見失うことはないのだろう。

 

 

 

 


 

 

 

 

「自我が混濁したのかもしれないですね」

 

 クラムヴィーネが「先生」と慕う人物、ハマシギはきっぱりとした口調で言った。

 なぜだか、先程【圧縮】について言葉を交えてからというもの口調が丁寧になっている。もともと荒かったわけでもないのだが。

 

 【圧縮】に関する話は途中で終わり、次にハマシギ先生から問われたのは脱走についてだった。院長からかクラムヴィーネからかは知らないが、白妙の止り木における僕の生活についてはおおよそ聞き及んでいるらしい。

 責めるつもりは一切なく、純粋な疑問であると前置きをした上で「なぜあの施設に向かったのか」と問われた。適当に歩いていて着いてしまうような距離ではなく、僕が知らないはずの場所を目指した理由が分からなかったのだ。

 

 これまでの会話からある程度は彼を信頼できると思った僕は、正直に「意識を失っている間に夢で見ました」みたいなことを言った。それを受けてハマシギ先生が出した結論が、自我の混濁、というものだった。意識の混濁ではない。

 

「我々は、魔霊種の中でも特に森人のことを幽かなる精霊と呼ぶのですがね。ヒトに近い見た目でも、ヒトとはまったく構造の違う存在と捉えているのです」

「……あ、あの、楽な話し方で構いませんよ?」

「そうかね? であれば普段どおり学生への講義のように語らせてもらおう」

 

 なんだか窮屈そうだったから敬語じゃなくてもいいよと言ったら、堂に入った話し方で流暢に語りだした。というか学生って、そうかこの人ほんとに先生なのか。

 人間からすると、森人自体が精霊らしい。そっか魔力が精霊じゃなければそりゃ僕らが精霊扱いされるよな……。本体が肉体か魔力か怪しいもんな。

 

「動物の本体はここ、脳だ。腕が取れても脚が取れても生きていけるのだけれど、脳が少しでもやられてしまえば簡単に壊れてしまう。キミ達がどれだけ動物に馴染みがあるかわからないが、それはいいかね?」

 

 一応はエルフと人間の常識の違いを考えながら話してくれているらしい。人間にとっての常識を、ゆっくりと確認を取りながら話してくれる。

 

「だがね、今となっては調べようがないのだけれど、かつての人類が森人から教わった記録として、キミ達は脳、あるいはいくつかの体の器官が壊れることは、自我の存亡に対し致命的なものとならないらしい」

「それは……確かに、僕らでも普通に過ごしていては知りようがないことですね。ああでも、年を取っても痴呆が生じないのは関係あるかもしれません」

「本当かね!? ……いや失礼、我々はキミ達に関する知識が不足していてね、そういった些細な情報でもとても興味深いのだよ」

 

 武術を教えてくれたシロ先生とか300歳近いはずだけど普通だもんなぁと思い出しながら話すと、興奮したハマシギ先生が身を乗り出してくる。こういう知識に貪欲な学者の感じが父様に似ていて、なんだか無性に懐かしくなった。

 

 細胞が魔力に保護されているから、とひとくくりに考えてしまっていたことだが、長命(というかほぼ不老)のエルフが認知症だとかに悩まず過ごしていられるのは別の理由があるのかもしれない。

 

「話を戻すと、キミ達森人は肉体よりも魂……失礼、魔力の方に依存しているという説がある。そうなるとだね、普通は【圧縮】を必要としないことを考えれば、その魔力は世界に偏在している……つまり、キミ達は生き物であり、世界そのものでもある、そういう話が生まれてくる。ね?」

 

 そうか、僕が世界だったのか……(思考停止)

 

 唐突な話の流れに「ね? じゃねえよクソジジイ」とにいろが悪態をつくが、レインちゃんは母様の血を引いたスーパー清楚美少女だからそんな事言わない。駄目だ自分で言っててスーパー(店舗)にしか思えない辺り結構困惑してる。

 何言ってんだろこのオッサン……。

 

 とは言え、夢でのあの自分じゃない何かになっている感覚といい、笑い飛ばすことも中々できない。

 やめろよ……。人が自己とか真名とかそれでも変わらず愛する人とか思い悩んでるところに「いや君は世界なんだよ」とかいうトンデモ理論ぶつけて、しかもワンチャン納得しそうにさせるのやめろよ……。

 こちとら脳死ポンコツエルフなんだから手加減して(懇願)

 

「その状況で自我があるということ、それがキミ達が精霊と呼ばれる所以で、魂に関する理解を深める一助にもなるだろうね。またキミが気絶してしまったのも、【圧縮】によって生物としての在り方に影響が出たことが考えられる」

 

 影響が出るって想像つくなら、んな危ないことやらせるなよぅ……。

 

「キミがこれから学園都市でどんなことを学ぼうとするのかは分からないがね、今話したようなキミ達の体の構造や魂について調べたいのであれば、私の研究室に来るといい」

 

 そう言って、ハマシギ先生による診察は終わった。

 あの……マジで結論「君は世界なんだよ」で終わりなんですか……?(震え声)

 




話の進行のためにカットしていますが、
「自我の存亡に対し……」
「ジガのソンボウとはどういう意味でしょうか?」
「ああ、ジガは〇〇という意味で……」
みたいな会話が挟まっています。日常会話なら問題なくなってきましたが、語彙力は日本語に置き換えると多めに見積もっても中1くらいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正直顔隠すだけならフードでいい気もするんですけれどね。でもやっぱり仮面とかって浪漫だから、一度くらい付けてみたい気持ちは若者なら誰でも持ってる。え、夜のマスクってなんですか?

 ヤブ医者から世界認定を受けて数日。

 修学旅行前なんかにありがちな現地でのルールを眼鏡から教わるなどして過ごしていると、出荷の日は目前となった。おそらくはまた馬車もどきでドナドナされるのだ。

 

 眼鏡……クラムヴィーネは、あの医者なのか教授なのか師匠なのかよく分からないおじいさんからいくつか確認すべき内容を言いつけられたらしく、それについても1つずつ確認をした。

 たとえば、【圧縮】を維持したまま魔法を使えるかどうか。これを最初に尋ねられたとき、思わず苦い顔をしてしまった。クラムヴィーネが先生と仰ぐだけあって、エルフや魔法の仕組みに理解があるらしい。

 

 結論から言えば、僕はそれができない。

 【圧縮】が気持ち悪くて嫌いだと言う理由の大部分に関わってくる話だ。僕にとって魔法は世界と関わることで、【圧縮】は部屋に引き篭もって布団をかぶることなのだ。

 

 もし魔法を使ったらどうなるのかについても確認された。

 分かりやすく言えば、自転車のチューブから空気が吹き出すように魔力が溢れる。文字通り圧縮されているわけではないのだが、少しでも世界と関わる窓口を用意してしまえば、そこからの出力はうまく調整してやることができない。

 

 それらの話を踏まえ、近づいてはいけない場所を教わった。

 代表的なのは、病院。たとえ一瞬でも緩んで魔力が漏れてしまえば、大きな事故を起こしかねないとのこと。優先席付近では携帯をマナーモードにする。ペースメーカーとスマホみたいな話だ。

 

「身を守るためや、緊急事態が起きたときに魔法を使ってはいけないと強いることはできません。インフラだってその一瞬ですべて駄目になるようなことはありません。ですが、医療関係はやっぱり細かいものが多いですから」

「分かりました。お互いのためにも、気を付けるようにします」

 

 珍しくまともなこと言ってる……と思いながら首肯した。

 いや、よく考えれば彼女は基本的にはまともなのだ。第一印象だってなんか苦労してそうだなぁって感じだった。

 ためしに命と魔法の研究どっちが大事か聞いたら悩まれてしまったが。

 曰く、「結果次第では研究ですが、基本的に結果って最後まで分かりませんし、続けるには命が必要ですから」とのこと。命を捧げたら8割方うまくいくような研究があるのなら捧げてしまいそう。

 

「私ごときの命で永遠に残る智慧が得られるなら素晴らしいことじゃないですか。だって、大した存在でもなく、あと50年もあれば死ぬんですよ?」

「それでも、悲しむ人がいますよ」

「え? どうしてですか?」

 

 純粋な目で見つめ返されてしまった。言葉に詰まる。

 この国の人達と上手くやっていきたいなら、この辺の話題は掘り下げるべきじゃないんだろうなぁ。クラムヴィーネに限った話かもしれないけれど。

 

 それなりに一般的な価値観を持っていそうなシュービルに尋ねてみる。

 

「……導師になるのって、そういうことなんだと思う。でも、クラムヴィーネ先生は思いやりがあるし、いい人、だよ」

 

 思いやり……。否定できないけど、肯定もできないんだよなぁ……。

 まあ、いや、うん、四捨五入したらある……ホンマか?

 

「それよりも……、その、近くない?」

「あっ本当ですか? ごめんなさい、離れます」

「あ、いや……、うん」

 

 シュービルに言われてお互いの距離を測ったが、普通に隣に座るつもりがほとんど顔の並ぶ位置に身体があった。

 やばい。最近いーちゃんとばかり接していて他人との距離感がバグってきている。人の価値観を考える前に、自分のことを見直さなければいけないかもしれない。

 

 学園都市へ入学して、「あの転校生なんか馴れ馴れしくない?」とか噂が立ったら僕は心が折れる自信がある。学校という概念自体ほとんど孤独のトラウマそのものなのだ。

 

「……大丈夫、だよ。君は上手くやれるさ」

「そうでしょうか。……失敗してばかりですよ、昔から」

「嘘だ。君を嫌うのって、凄い難しいよ?」

 

 まあ確かに、アンブレラを嫌うのは難しそうだ。

 そんな事を考えながら、少しずつ旅支度は整えられていった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「覆面を決めましょう!」

 

 大量の箱を床に置いてクラムヴィーネが声を張り上げた。

 どうやら、僕らエルフが学園都市で生活するにあたって、素顔を晒すことはなるべく控えてほしいらしい。

 

「建前としましては、注目を集めてしまい精神的な負担が増えることのないようにするため、とのことです」

「建前?」

「失礼、本音の言い間違いです」

 

 クラムヴィーネの発案ではなく、学園都市の責任者側からの提案とのこと。建前なのか本音なのか(建前ならさらにその本音が)気になるけれど、とにもかくにも配慮してもらえるのはありがたいことだ。

 僕は賢いので、このまま学園都市に行けばどうなるのか客観的に判断することができる。というか、母様に置き換えれば考えるまでもないのだ。

 

 たとえば僕のいた高校に、母様が転校してくるとなったらどうだろうか。

 まず、僕は愛おしさで心臓が止まるか破裂するかして死ぬ。この時点で死者1名。

 次に、性欲に飢えた男どもが連日のように長蛇の列をなして母様に告白する。母様は疲れてしまうし、振られた男子生徒はショックで死ぬ。

 もちろんその列に女子生徒が加わることもありうるだろう。さらには、振られた男子生徒が好きだったという女子生徒だっているだろう。その子は嫉妬する。性格にも依るが、嫉妬の矛先が母様に向いたとき、何かしら危害を加える可能性だってある。

 そうしたらもう戦争だ。死人がたくさん出る。つまり、母様はダンボールを被るか何かして登校しないと悲劇を引き起こしかねないのだ。

 

 だから、建前は僕の精神的な負担をなくすため、本音は死者が出ないようにするため、学園都市は僕に顔出しNGを宣告したのだ。

 面倒臭さは感じるが、その配慮には感動しかない。一緒に母様を守ろうな。

 

「納得いただけたようで幸いです。そこで、いくつか使えそうなものを用意しましたので、アンブレラさんには気に入ったものをいくつか選んでいただき、客観的に見て使えそうかを私達が審査します」

「あの、それはいいんですけれど、審査するのって……」

 

 打合せでもしていたのか、並べられた審査員席にはクラムヴィーネ、シュービル、いーちゃん、アイリスが座っている。

 まあ、百歩譲ってシュービルといーちゃんは分かるのだ。

 

「何か問題でもありましたか?」

「いえ、アイリスは身につける側の立場ですよね……?」

「公平な審査に努めます」

 

 僕が疑問を口にするとクラムヴィーネは目を逸らし、代わりにアイリスが胸を張って高らかに宣言した。

 シュービルは肩身狭そうにし、いーちゃんは気合を入れるように体の前で握りこぶしを作っている。かわいい。

 釈然としないものを感じながら、箱の中身を漁ることにした。

 

 覆面とは言うものの、つまりは顔を隠せる何らかのアイテムを揃えたらしい。

 一番上にあった片手サイズの小さな箱をなんだろうと思って手に取ると、中身は眼鏡であった。クラムヴィーネがつけているものと同じデザインに見える。

 

「では、まずは眼鏡ですが……どうでしょう?」

 

 漫画に出てくる牛乳瓶の蓋みたいな眼鏡ならワンチャンあるんだろうけど、正直これだと顔隠せてないよね。かなり強めの度が入っていて、クラリとするのをなんとかこらえた。

 

「かわいい! 4点!」

「眼鏡の需要が高まるのは嬉しいのですが、顔を隠す目的には沿いませんね。2点です」

「それはボクもそう思います。2点で」

 

 ひとりあたり5点満点らしい。なんの茶番か、しっかり得点の札まで用意されている。

 無言のアイリスの方を見れば、目を閉じたまましたり顔で5の札を掲げていた。

 

「……ふぅ」

 

 いやなんか吐息をついた。ソムリエの風格を感じる。ソムリエが何なのかよく知らないけど。

 

「ええと、では次はこれを……」

 

 正直なところ眼鏡は度が強くて使いたくなかったから、高評価を受けても困る。

 顔をもっと隠すべきという意見はもっともであるので、お面のようなものを手に取った。日本の狐面に似ているが、模している動物はこの世界の別の生き物だろう。

 

「これはかなり露出を減らせますね。4点です」

「ミステリアスだけど……凄い似合ってるわけでもないから3点?」

「……普通に目立ちますよこれ。これも2点で」

「想像力が掻き立てられますね」

 

 そもそもとしてアイリスは5の札を掲げる右手を一瞬たりとも下げようとしない。

 親ばかっぽさを感じてこちらが恥ずかしくなってくる。誤魔化すように箱を漁り始めると、宴会芸で使いそうな馬マスクとかが目についた。

 流石にそれを身に着けて平常心で暮らせるようなメンタルは持ち合わせていないので見なかったことにして、その下にあるハチマキのようなものを取り出した。

 

「これは……?」

「一部の実験で使うことのあるアイマスクの一種ですね。生地が薄いためある程度は透けて見えますが、生活しづらいと思うので流石にそれは……」

「アイマスクですか」

 

 特に使うつもりはないけれど、箱の中身ということでひとまず身に着ける。

 黒い布は鼻の上から額全体までを覆う。なんかあれだな、カカシ先生……いや2Bとか?

 しかし、……おお。

 

「これ何か魔法が組み込まれていますか?」

「え? は、はい、よく分かりますね。ただ上手くいかなかったようで効果のほどは分かっていないのですが……何か分かりますか?」

「あ、いえ、そういうわけでは……」

 

 普段は魔力を見るとき視界を「ズラす」ような意識をしているのだが、これを付けている時はその意識が必要なくなる。その目的だけについて言えば楽にしてくれる良いアイテムだ。

 とはいえ面倒が無くなるというだけで、むしろ通常の視界はかなり遮られてしまうことを思えば残念な発明品なのだが、魔力が見えない状態でこんなものを発明したというのは驚きだ。

 じゃけん使えそうにないから外しましょうね。

 

 黒布のアイマスクを外すと、一応は採点をしていたのか各々が得点の札を掲げていた。

 

「教育に良くないので2点でしょうか」

「ボクも同感です」

「使いづらそうだから……3点〜」

 

 個人的には嫌いでないし、そこまで目立つわけでもないと思ったが低評価らしい。

 アイリスはどうせ5点なのだろうと思って見やると、5点の札を中途半端に掲げた状態でオロオロしていた。

 

「6点……6点の札はないのでしょうか……?」

 

 ないよ。

 多分、人間からは低評価で、エルフ的にはそこそこ良い評価をしたくなるものなのだろう。種族間の価値観の差異というものだろうか。

 

 気を取り直して箱の中身に視線を移すと、突如僕の心はあるものに囚われた。

 

 あれである。

 あかん、名前が分からん。

 占い師とかがよく付けていそうな、半透明の布のマスク。名前が分からんけれど、僕はこれが一瞬で気に入ってしまった。

 

 だってよく考えてみてほしい。

 遠目ならほとんど透けていることは意識されないし、鼻と口を大きく覆う形だけれど薄いから息に詰まることもない。なんかミステリアスな感じがしてオシャレだし、奇抜なデザインではないから人の目もあまり引かない。

 これでは? 占い師マスク(仮称)しか勝たん。これは高得点だろうと、装着して審査員達に流し目を送るとたちまち結果が返ってきた。

 

「教育に悪いので0点です」

「君は学生達をどうしたいの? 0点だよ」

「あーちゃん、他の人の前でそういう格好しちゃダメだよ?」

「7点の札はどこですか……?」

 

 なんでや占い師マスク格好いいやろ!!

 

 箱の中身が尽きるまで、審査会は続けられた。

 




学園都市
建前「(こっちの)精神的負担が増えないようにするため」
本音「研究に打ち込めるよう学生の性癖を守るんだ…」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世の中ヒマヒマ言ってる人が沢山いるけれど、そういう人と寿命削るくらい忙しくしてる人って実際どっちが幸せなんだろう?ヒマは心が死んでく感じあるし、多忙は身体が死んでく感じある。

 ──あァ、朝か。

 

 体表の神経が反応したのに合わせて瞼を持ち上げると、ドレープカーテンの隙間から差し込む光がおおまかな時刻を教える。

 眠っていた、と表現していいかは微妙なところだが、床についてから十分な時間休むことのできた脳と目は不自由なく動く。

 

 学園都市でコルキスに与えられた住居は、大商人が御用達にするような大きな宿の一画であった。二階建ての宿は一階に2つ、二階に4つの区画が存在し、部屋というよりかは平屋建ての家を並べたような構造をしている。

 とはいえ実家(王宮)に比べれば小さく質素なものであったが、野営すら慣れたものであるコルキスにとって居心地の悪さはまるでなかった。ここで生活を始めてふた月といったところで、こうも一つの場所で落ち着いて生活をするのはもしかしたら幼少期以来かもしれない。

 

 すぅすぅという寝息が聞こえて視線を下ろせば、隣には側付きの騎士であるヴィオラが年相応の少女らしさを残した可愛らしい表情で眠っていた。

 ヴィオラよりひと回り年下のはずのコルキスは、研ぎ澄まされた薄い切先のような、儚さと美しさ、そして残酷さを合わせた面立ちを、ほんの少しだけ変化させて隣の少女を眺めた。どうも寝起きは、表情筋が固まってしまいがちであった。

 

 コルキスとヴィオラの主従関係は必ずしも城主とメイドのような取り決めのあるものではなく、戦場で隣に立つこともあったため仲間のような意識が強い。

 そのため自分が先に目覚めたことについては特に思うところもないのだが、果たしてヴィオラを起こすために声を張り上げるのは主として如何なものか、そんな疑問は尽きない。

 

 毛布の下に覗く生肌を目にして、コルキスの灰色の脳細胞は答えを出した。

 

「……ん、……んむぅ!?」

 

 後頭部に軽く手を添えて、バードキスで何度か合図を与えてから貪るように舌を絡める。口の中に異物が侵入してきたことへの反射か、すぐに意識を浮上させたヴィオラは驚いたような呻き声を漏らした。

 ここでやめても目的は達成できているのだが、何事にも「やるなら徹底的に」という方策を取ってきたコルキスはわざと退かずに成り行きを楽しむ悪癖があった。

 

 激しさを抑え柔らかくした舌先で相手の舌を包んでやると、意識の覚醒しきっていないヴィオラは簡単に蕩ける。息は荒くなり、驚きで硬直していた手足はゆっくりと弛緩していく。

 だがそこでほんの一握り残っていた理性があったのか、突如目を見開いたヴィオラは、コルキスの胸元を両手で押し返して顔を背けた。

 

「ごっ、ご容赦をコルキス様……! 先程から幾度となく果てておりますゆえ……」

「ん、そうだな。朝だ、起きろォ」

「ふあ……?」

 

 とりあえずは起こせたと判断したコルキスは、口元の涎を指で拭ってから立ち上がってカーテンを開いた。布ひとつ纏わぬ裸体を、朝日が照らす。

 どうやらヴィオラはまだ昨夜の途中で気絶していたと思っていたらしく、身を起こして、窓の外の光を見て、ようやく合点がいったとばかりに、顔を赤く染めながら毛布を首元まで持ち上げた。

 

「……コルキス様。せめて、窓辺に立つときはお召し物を」

「外からは見えねェよ。それに、見られて恥ずかしいモンもねェしな」

 

 そう答えながら、差し出されたガウンを渋々と羽織る。

 心情として裸を晒すことに対する抵抗はほとんどないが、お淑やかな留学生のお姫様という外面を壊す可能性があることは重々承知していた。

 

「……いい天気だなァ」

「ええ。左様ですね」

「あァ……」

 

 雲ひとつない、という表現は嘘になる。

 けれども、程よく日差しを遮る白雲と、その隙間から覗く少年の瞳のように青く澄んだ空を以てして、良い天気という言葉しか感想は許されないようであった。

 

「んで、休日ってどうすンだ」

「さあ……?」

 

 だが残念ながら、その天気の活かし方をコルキスは知らなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 事の発端は、コルキスの生活習慣が彼女の研究室の教授、タゲリ導師にバレてしまったことにある。そもそもとして彼女自身がその生活習慣をそこまで異常なものでないと認識してしまっていたこともあるが。

 

 平日は早朝からヴィオラと訓練に勤しみ、日中は講義や研究、帰宅後は夕食を食べてすぐ床に就いてしまう。

 学園都市で休日とされる講義のない日には、一週間で学んだ内容を報告書としてまとめることなどに時間を費やし、ソートエヴィアーカに持ち帰るための資料を編纂する。講義内容に限らず追加で資料を調査することもあるし、もはや研究と呼べる行為だ。

 当然訓練は欠かさず、むしろ講義のない分平日よりも多くの時間を費やす。また留学しているからといって本国の情勢を忘れて良いわけもなく、独自のルートから得た情報を頭に入れる時間も必要になる。そうする内に休日が終わり、また平日に戻る。

 

 わざわざ全てを語ったわけではないが、ある程度生活習慣の検討をつけられてしまった結果、二週に一度は身体と頭を休める日を設けることを矯正されるようになってしまった。

 

 今日はそうして設定した休日の二度目になる。一度目の休日は休み方を知らないがためにあまりにも残念なもの(タゲリ評)になってしまい、二度目の休日はもう少しマシなものにしようといくつか調査はおこなった。

 

「……買い物なァ。一日使う買い物を毎週するってのが分かんねェ」

「市井の情報を追跡調査する、ということが一般的な目的のようですよ」

 

 誰もそんな事は言っていないのだが、ヴィオラが研究室などで聞き取りをおこなった結果の結論がそれであった。

 

 友達とお茶をするのが楽しい。

 流行りの服を眺める。

 街を散策していると気分が晴れる。

 美味しいグルメとの出会いを求めて。

 

 娯楽とは関わってこなかったコルキス達では、それらの中心がトレンド調査以上に個人の興味の追求にあることに気付けなかった。

 とはいえ、興味もまずは発掘から見つかるものだ。分からないから真似してやってみるというのは、本来であれば何ら間違った結論ではない。

 

 本来であれば。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……付けられていますね」

 

 朝食を適当なカフェテリアで摂ったあと、まずは服屋にでも行きましょうと歩き始めてからしばらくしてヴィオラが呟いた。

 

 おおかた自分のことを疎んでいる貴族の手の者だろう、とコルキスは検討をつける。貴族本人はソートエヴィアーカにいるのだろうから、早馬の行き交う距離でもあるまいし、ある程度計画された尾行だ。

 流石にこのタイミングで殺そうとするのはないと思いたいが、獣がどんな損得勘定をしているのか人に予想のつくものではない。ヴィオラが武装していないからといって好機だと思っているのかもしれないし、貴族関係なくただのテロリストの可能性もある。

 

 めんどくせぇなァ……。思わずそんな感情が顔に出てしまいそうになるが、なんとか外面を取り繕って、溜息だけついた。

 

「ヴィオラ、任せます」

「はい。では、先に店で試着などを楽しまれていて下さい」

 

 店に入り、自分に合う服はないだろうかと店員に声をかけてから、ヴィオラだけ店の外へ出ていった。

 大きな店ともなればコルキスの顔を知っているらしく、手を揉みながらいくつか試供品を持ってくる。

 

 側付き以外に着せ替えられることを好まないコルキスは、自分の手で着替えるからと言って試着室でいくつか試していく。

 店員のセンスも悪くはないのだろう。コルキスの外面のイメージに合った、ロングスカートの清楚な印象のものが多い。

 

 正直なところ楽しめている気はしなかった。そも、大抵の服は着れば似合ってしまうわけで、見慣れた美しい自分(利用価値の高い女体)を姿見の中に見つけても気分が高揚するはずがないのだ。

 だが、2着3着と試す内に、ひとつの楽しみ方をコルキスは見つけた。

 

 アンブレラに似合う服を探すのだ。

 

 きっと、一番美しいのは一糸まとわぬ姿である。

 それでも、極上のワインを知ってなお地方のワイン造りを支援した先々代の王のように、極上とは別ベクトルの味わいが存在する。

 

 どんな色合いがいいだろうか。どんなシルエットなら映えるだろうか。

 若干コルキスには合わない、しかし確かな方向性を持った注文をつけてくる彼女に店員は首をひねりながら商品を運んだ。

 

 しばらく色々と試していると、試着室の仕切りの向こうから、ようやく店員以外の声がかけられた。

 

「コルキス様、ただいま戻りました」

「……お疲れさまです。黙らせたのですか?」

「いえ、お話をして、お帰りいただけました」

 

 まあ、いっか。どうでも。

 ヴィオラを見る限り多少は荒事になったのかもしれないが、彼女自身は怪我をしていないようであるし、尾行していた者達がどうなろうが知ったことではなかった。

 

「ヴィオラ、私、服屋での買い物の楽しみ方を見つけました」

「本当ですか? お聞かせ願えますか」

「ええ、まずはですね……」

 

 世の中、どうでもいいことや下らないことが多すぎる。

 けれども本当に腹が立つとしたら、そんなことが存在する事実よりも、それに思考を割いて、時間を割いて、心を割いて、割いた分がすべて無為に奪われることだ。

 

 ならばと、コルキスは一人の少女のことを語った。

 珍しく笑顔を見せる主に、ヴィオラはこれが休日かと納得し、微笑んだ。

 

 




時間がなくて眠いからボツにしたネタ

騎士「粗茶です」
姫「ありが……ウ゛ッ(吐血)」
騎士「ニヤリ」
姫「……寝返りか。さっきの尾行に何か吹き込まれたか?まあ、そっちのが賢いかもなァ」
騎士「……今までお世話になりました」
姫「私を裏切ンなら最後まで……グフッ」チーン

姫「……な〜んてね!」
騎士「イッツソヴィアカジョーク!」
姫・騎士「「HAHAHA!!」」

姫「……いやァ、暇だな」トオイメ
騎士「……ええ、左様ですね」トオイメ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

久しぶりじゃな、我じゃよ! 我なんじゃけど…いや…えぇ…あやつら頭おかしいよ絶対…(困惑)

 誰もいない部屋で起きた。

 

 きちんと眠ることができるようになったのは、いつからだっただろうか。

 残り香を探るように毛布に顔を押し付けることをやめたのは、いつのことだっただろう。

 慣れたと言い聞かせ、いや慣れることなどないのだと気が付いたのはつい最近のことだ。

 

 ノアイディ=サルビア・テレサには娘がいる。

 気が狂うかと思うほどの痛みの末にその腹から生んだ愛娘であり、また同時に、お互いのすべてを預け、すべてを預かった(つがい)でもある。

 幾度となく身を重ね、本来知るはずのなかった快楽という概念を教え込まれた。その事実を夫に知られたとき、罪の意識はあったが悪とは認識していなかった。罰を受け入れる準備はあったが、後悔の予定はなかったのだ。

 奇妙な話であるが、結果的に許された。村の掟、あるいは森人の倫理観の埒外の禁忌であったから、という理由もあったかもしれないが、それ以上に彼女の夫が変わり者だった。

 

 その代わり、テレサは娘の本質に向き合うこととなった。

 今でもどれだけ理解できているか分からないが、娘は全く別の村で、全く別の生き物のひとりの少年として生きた記憶があったそうだ。

 幼いながらの聡明さ、知るはずのない快楽という概念をテレサに与えたこと。そういったものの辻褄が合って、同時に、それまでそんなことすら知らずに娘に己を委ねてきたことに絶望した。

 

 それからひと悶着あって、変わり者の夫に背中を押され、今まで何も見てこなかったテレサは、今まで何も見せてこなかったレインの全てを見た。

 そこには、可哀想なほどに何もない──少なくともレインはそう思っているようであった。

 

 それでもテレサは、レインの思う()()()()()()さえ自分は愛おしいのだと気が付いた。何かあるのかもしれない。何もないのかもしれない。でもどちらでもいい、だってもう()()が愛おしい。

 

 強いて言えば、結果論だ。

 既に愛しているから、これからも愛する。さほど論理的な考え方をしないテレサにとって、過程よりも結果、いま後悔しないという事実こそが重要だった。

 

 それからのレインとの関係は完全に共依存であったが、時折寝不足になることを除いて特に問題はないようであったし、テレサは良しとした。

 綺麗な関係だとか、綺麗な感情だとか、綺麗な中身というものには拘りがないのだ。

 残念ながら、レインが「レインとして生きるため」という目的で旅立ってしまったために共依存の代償を支払う羽目となったのだが、それでも今の結果自体に後悔はない。

 まあ寂しいものは寂しいし、辛いものは辛いのだが。

 

 蒲団に残ったレインの匂いも、月が満ち欠けて、再び満ちる頃にはすっかり薄れてしまい、テレサはレインを感じられるものを探すようになった。無意識の内にレインと色の同じ(マルス)の髪を抜いたとき、このままでは流石にまずいと自覚したのだ。

 そうして、景色を辿り、芳香を辿り、いつしか流れ着いたのが聖域であった。

 

 森人たちが神聖な空間として仰ぐ場所。

 神様と呼ばれる人物──老夫かと思っていたが、本体は少女であった──が悠く昔から過ごし、今はそれだけでなく世界神(ルーナ)も過ごす、本来なら巫女か命名前の森人だけが入れる神域。

 

 何故かそこに、レインのパンツがあった。

 

「なんで??」

 

 敬語も忘れて、テレサはルーナに詰め寄った。

 馬鹿神(ルーナ)は腹を抱えながら土人形を作り自分をそれに憑依させると、「バトンタッチじゃあ」と叫びながら脱兎のごとく逃げていった。聖域は広大と言えるほど広くはないが、植物も生い茂り、たちまち姿が見えなくなる。

 

 何やら事情があるらしいのだが、神様の体には基本的に世界神が憑依しており、神様本人が動く時は一時的に泥人形の方に憑依する。

 そんなわけで、世界神の逃げ出した今、テレサの目の前には気まずそうに視線を彷徨わせる神様だけが座していた。

 

 神様というのは、森人たちにとってまさしく信仰の対象だ。真名を授け、また常に聖域におわすことで村の空間を守護している。

 自分が生まれる前からずっと変わらぬ姿で村を守り続けていると言うだけで尊敬するに足るし、神秘性も十分感じられる。

 だからこそ、テレサも目の前で冷や汗をダラダラと流す白髪褐色ロリをなるべく疑いたくなかった。一呼吸挟むことで少しだけ落ち着き、敬意を滲ませた声で再度問うた。

 

「神様。どうしてここに、あの子の下着があるのでしょうか?」

「……」

 

 神様は何も言わなかった。嘘がつけないらしかった。

 その代わり、そっと胡座の姿勢を止め、膝を付き、額が地面に触れるまで腰を折った。日本人が見れば感嘆の息すら零れるような、美しいDOGEZAであった。

 

 威厳はなかった。テレサはすべてを察して空を仰いだ。

 母親として。番として。気は進まないが、信仰の対象に事情聴取をしなければいけないらしい。

 

「何回使いましたか?」

「……」

 

 何に、とは言わなかった。

 黙ったままの神様は、黙秘と言うより、数えあぐねているようであった。

 

「一回? 二回? ……十回? まだとなると……毎日?」

「……うむ」

 

 頷いた神様は、冷めたテレサの視線に気付いて再び額を地面に付けた。

 なんだか踏みつけてやったほうが相手のためなんじゃないだろうか、そんなことすら思った。

 

「いい匂いでしたか?」

「うむ」

「美味しかったですか?」

「うむ」

「えぇ……」

 

 神様というのは嘘がつけないらしい。

 無茶苦茶な質問をして頷かれて、流石のテレサも怒りより困惑が先に出た。

 

「まあ気持ちは分かりますが……」

 

 隠れて様子を窺っていた馬鹿神が「は?」と漏らす中、どうやら下着以外についても聞かなければいけないことがありそうだ、とテレサは考えた。

 

「神様。下着だけではないんですね?」

「……! え、あ、う……」

 

 直接的に問えば、もはや口調からも威厳を失って神様は汗を飛ばした。

 失意と、嫉妬と、怒りと、嗜虐心。そういったものが混ざった結果、激情ではなく薄い微笑みだけが表に出るのだとテレサは知った。

 

「最近は退屈するくらい時間が余っているんです。なので、ゆっくりお話しましょう、神様?」

「ひゃい……」

 

 恐怖にプルプルと身を震わすドマゾメスガキ神は、しかし何故だか、蔑むテレサの視線に頬を紅潮させた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

学園都市編
設定厨を拗らせると、軽率に魔法を採用するたびに魔法を使った軽犯罪への対処がどうなっているかとか考え出して大抵めんどくさい話になる。


 

 

 

 学園都市は研究都市だ。

 

 《古の魔法使い》が自らに付き従う人々のために与えた楽園。国の定義には当てはまらないが、その経済規模、また外交能力などから人類の三大勢力に数えられ、細かい話を気にしないような者であれば「あの国は〜」だなんて呼んでしまうこともある。

 

 あまり知られていないことだが、第一の目的は研究でなく「人類に魔法を残すこと」そのものにある。次点に魔法の発展を目指した研究、人類の生活水準の向上などが続く。

 とはいえその目的の中核はすべて魔法に繋がる。国際化に伴い、人権や倫理に反するような研究はかなり忌避されるようにはなってきたが、国民(都市市民)の生活を守ることは学園都市オクタ・デュオタブオーサ・オブダナマの命題には上がらないのだ。

 

 であればこそ、学園都市で生まれた者の中には、本来であれば多大な評価を受けたであろう人物が、その才覚の方向性のために燻っていることがよくある話だった。

 

 カンナ・アルタイズもそんな不遇を受ける一人であった。

 人並み外れた空間認識能力を持つ彼女は、時代や場所が違えば美術界に遠近法を持ち込んだ最初の人物となっていただろう。色覚も鋭く、立体的で深みのある絵画を生み出せることから、少女の頃までは近所どころか街で噂されるようなお絵かき少女だった。

 しかし、成人してからも好き勝手に絵を描いて生きていけるような環境は学園都市にはない。外国であればパトロンがついてもおかしくなかったが、学園都市の人々の常識では「それで、その絵がどう魔法に役に立つの?」という話になるのがせいぜいであった。

 当然、学園都市で育った彼女もそれと同様の哲学を持っていた。もちろん美術への愛情は溢れんばかりであったが、10を越えたあたりから「さて、絵とは別にどうお金を稼ごう?」と考えるようになっていった。

 

 大好きな絵を描き続けるだけでは生きていけない。そう悟りながらも、彼女は自分が比較的幸運であることを知っていた。

 人並み程度には、魔法の才能があったのだ。

 

 まず大前提として、魔法は戦闘に用いることはできない。どこぞのポンコツのように、オナシャースと唱えたら山が崩れる、気合を入れたらスタントマンもビックリの身体能力が発揮される、……それらは文字通り、人類の理外にある「魔法」なのだ。

 しかし研究するだけの価値がある。風呂に水道、豊かな農作物。これらは魔法の研究あってこそ(もたら)されるものだ。

 

 こうした魔法陣を起動させられるだけの魔力を持ち、また入出力と操作が可能である──これが俗に言う「魔法の才能」である。

 魔法の才能さえあれば、学園都市では将来に困らない。才能を磨けば導師にだってなれるかもしれないし、研究職や設備の管理者など引く手あまただ。

 

 ()()()()()()()というものについてもカンナは理解していた。だからこそ、魔法の才能がある自分は恵まれているのだと自覚し、それを役立てた将来を思い描くようになったのだ。

 

 そうして、周りの他の子達と同じように、あまり深く考えることもなく学区のスクールに入学し、そのままスクールから自動的に上がっていける研究室へと配属された。薄々と自分には導師を目指せるほどの才能がないと気付き、学位だけ取ったら就職しようと考えるようになった。

 仕事は生活のためと割り切っていたからこそ、研究に情熱的になるわけでもなく、空き時間にはとにかく絵を描いた。故に友人は少なかったが、意にも介さず昼休憩の合間には静かに絵を描ける場所を探して放浪した。

 

(植物……なんでもいいから木を描きたいな。この辺で良い場所あったかな、B棟側の広場がいい感じに生い茂ってて人通りも少なかったっけ)

 

 そんな事を考えていると、廊下だと言うのに中々前が見えなくなる。人影が目の前まで近付いて初めて気が付いたカンナは、「あ、ごめんなさい…」と口を開いて慌てて道を譲った。

 

(……って、うわ、でかいなこの人。180ある? ……ン? んんっ!? は、え、でか。え、OPPAIでかくない!? んぇ? 論理的に無理なOPPAIしてなかったいま?)

 

 本来なら、他人に意識を割くことなど滅多にしないカンナである。

 しかし、普段中々見ないような高身長であったことに目を引かれ、続いて一瞬横切った時に視界に映ったありえない胸部の質量に二度見を余儀なくされた。

 女として負けたとか、興奮だとか、そういう次元からは全く別のNANIKAがあった。

 

(え……だって、あんな幅あったら、こう手を添えて……あっ)

 

 一瞬で脳裏に刻まれた質量を幻視し、自分の胴の前に手を上げてスカッと空振ったことでようやくカンナは現実に戻ることができた。

 あれは果たして現実だったのか? 一瞬しか見なかったから、その大きさを見誤ったのではないか? そう思い振り返って先程の人物が歩いていった方を見やるが、早足だったこともあり、既に姿は見えなくなってしまった。

 

「あれ、何か落ちてる」

 

 その代わり、一枚の紙が床に取り残されてしまっていることに気が付いた。

 先程の女性は急いでいたようだし、落としたことに気付いていないのかもしれない。次会った時に話しかけ(胸を確認し)やすくなるだろうから、そっと取り残された紙を摘み上げた。

 

 ──そして、衝撃を受けた。

 そこには、概念としての「妖精」がいた。

 

「なにこれ……」

 

 技術的な観点で言えば、パース、線の粗さ、まだまだ改善の余地はある。それにしても学園都市の人ではそう多くないであろう領域に達していたが、問題はそこではなかった。

 

 問題は、これを創造せしめたところにある。

 

 つまり、発想力が怪物染みていた。この絵に描かれた「妖精」は実在しない。少なくとも、人類に観測できる存在ではないだろう。

 それを絵に起こすということは、これを描いた人物は、人類の最高峰、あるいはその領域すら越したレベルで美というものを認識できている。

 

 空間認識や色彩感覚が多少優れている自分ごときでは及ばない。

 たった一枚で、絵描きとしての才覚の違いを突き付けられた。

 

 追いかけようとしたが、やはりとっくのとうに姿は消えていて、カンナは立ち尽くすことしかできなかった。

 しばらくして思考を再開して、しょうがないから、当初の目的通り絵を描ける場所を目指すことにした。

 

 

 

 

 そしてカンナは、妖精の実在を観測することになる。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

突き詰めてしまうと、魔法も科学と変わらなくなる。というよりは、魔法が科学の対象になる、かな。でもそれだとつまらないよね。じゃあ魔法ってなんだと思う?

(絵の才能もない。魔法の才能もない。多少人より優れていても、中途半端なのが一番しょうもなく思えてくるよ)

 

 多少の驕りがあった。幼い頃からもてはやされ、自分の才能にあぐらをかいていた。

 努力がなかったとは言わない。葉脈の流れ方や革と綿布の質感の違い、観察を重ねて表現できるようになったものは多い。けれど、たかが()()()()()()()()()()()()ことがなんだというのか。

 芸術の至高を目指すのなら、表現力だけでなく、感性も求められる。前者は後天的にも身に付くが、後者はほとんど先天性のものだ。そしてカンナには、感性が足りていなかった。

 

 陽に透かすようにして、妖精の描かれた帆布(はんぷ)*1を持ち上げかざした。羨望と憧憬に目を細め、そして落ち込んだように俯く。人通りが少ないとは言え、明らかに気落ちした様子のカンナに声をかける者は現れなかった。

 

(あとは愛嬌も、ない)

 

 別に、誰からも愛されたいとは思わなかった。人と関わりすぎても煩わしいし、家族が十分愛情を満たしてくれる。そして自分には、家族と絵、愛を捧げられるものが十二分にある。

 たとえ独りでも、絵を描いていられれば幸せなのだ。ひとりで歩んでいける。魔法も多少使えるから、きっとお金にも困らない。ああなんて私は幸せものなんだ! ……そう結論を出して安定しきったところで、絵に、芸術の神様に愛されていないという事実を突きつけられた。

 

 ただ、侘しい。

 

(何もなくなっちゃったなあ)

 

 だからといって絵をやめるわけでもないし、研究室を中退しようとも思わない。惰性で生き長らえていくのだ。しょうもない。

 この妖精を描いた誰かは、何を思って描いたのだろう。これだけ恵まれた才能があれば、こんな悩みに煩わされることもなさそうだ。

 

(でも……なんでウチの制服?)

 

 そこだけはよく分からなかったが……フェチズムの問題だろうか?

 普通、天使や妖精など、空想上の存在を描く場合は縫い目のない白い衣服を纏わせることが多い。純白は純潔と無垢を表し、無縫は現世との隔絶を表す。まあ、普通とか言っているから芸術の神様に愛されないんだろうけれど。

 

 そんな事を考えながら、目指していた場所へ到着した。

 元は広めの温室だったという広場。過去にやらかした研究者がいたらしく、謎の急成長を遂げた植物たちは温室を突き破って領土を広げ、小さな森に近いものが生まれてしまった。温室は森の入口となり、ガラスは風化で失われ、鉄柵だけが形を残している。

 研究者は「み、緑は多いほうがいいから……(震え声)」と言い残したという。頭のてっぺんからは双葉が生えていたそうだ。導師となるような研究者は、何故か体から異物を生やしていることが多い。

 

 気味が悪いからと誰も近付かないが、かつての温室の名残でベンチがあったりして、カンナは1人でゆっくりできる場所として気に入っていた。

 

 そんな場所に、誰か他の人がいる。

 

 いつも通り足を踏み入れようとしたカンナは奥から聞こえてくる物音に気付き、息を止めるほど驚きながら、咄嗟に体を木の裏に隠した。

 

「……はいにゃ、はいにゃ、……残念こっちニャ!」

 

 甘やかな少女の声がして、ひとまず息を撫で下ろす。少なくとも、頭に双葉を生やした研究者の亡霊ではなさそうだ。

 そうっと顔を覗かせる。まず視界に入ってきたのは飛び跳ねている白猫で、空を飛んでいる何かを掴もうと躍起になっているようであった。微笑ましい光景だが、よく見ると尻尾が分かれている。

 ね、猫又……? と困惑しながら、もう少しだけ顔を出す。好奇心と恐怖心が入り混じるが、それでも、このいつまでも聞いていたくなるような涼しげで柔らかい声の主が気になった。

 

 

 そして、今度は本当に息が止まった。

 そこには本物の妖精がいた。

 

 

 絵画は嘘だった。

 帆布の似姿は、()()を表現できていなかった。

 

 あまりに細いためか、陽光に透かした髪はもはや白髪と呼べるものだ。

 風に揺れても絡まることなく、時折動きが止まるとようやくそれが金糸であることに気がつく。遠目でも、その柔らかさがよく分かった。

 

 優しく薄められた瞼、その隙間から輝く瞳は妖しく朱に輝いている。

 (あか)というより、(あか)か。無数に存在する色彩からひとつ選ぶとすれば、最古の赤──丹色(にいろ)がふさわしいだろう。

 

 そんな双眸が、チラリとこっちを向いた。

 バッチリ、しっかり、完璧に。互いの瞳は、交差し、互いを映す。

 

「……うぇっ!?」

 

 妖精は、硬直し、紅潮し、凝望に面隠した。

 有り体に言って、恥じらうように顔を両手で覆った。

 

「えぇ……」

 

 絵描きは困惑した。

 

*1
塗料を使う絵画の下地。厳密には紙と呼んではいけない気がしてきた




学区の規模はあんまり考えてないです。州くらいにすると都合が良い気もしますが、場合によっては県くらいかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

コミュ障が喋る前にアッを言うのはなんかこう、相手の話聞いてるよっていうアピールをするために相槌としてワンテンポ置きたいから。

 想像するのも難くないことだけれど、自分を偽るという行為は個人にとってかなりの負担となる。直接の負担に限らず、素の表情でリラックスできる時間が削られるという意味合いも含めて。

 

 結局、学園都市で生活するにあたって顔の露出を減らすべく装備することになったのは、祭事用のヴェールのような被り物だった。

 シスターの頭巾(ウィンなんたらみたいな名前のやつ)や黒衣(くろご)の被り物が似ているだろうか。学園都市の創始者達の役で舞を踊る人が使うらしく、そのために顔が隠れる仕様になっている。面白いのが、ヴェールの織り方が特殊らしく、外側からだけ光が通りやすくなっている。つまり被るタイプのマジックミラー号ですね。卑猥じゃん。

 

 が、この世界の人々がマジックミラー号を知る由もないので、クラムヴィーネ達からは概ね高得点をいただき選ばれることとなった。よく分からない被り物を散々試着していた僕は、とりあえず最低限常識的なものなら何でもいいやと首肯した。

 実際に人前で付ける時になってみると「こんなん被ってんの逆に目立たない……?」と冷静になったのだが、どうやら学園都市には1割ほど謎のパーツが生えているタイプの学生がいるらしく、ただ顔を隠しているだけの僕はそこまで注目されることもなかった。1割側に分類されてしまっているだろうことは抗議したいが。

 向けられる目線の数は、これまでに比べたらかなり減ったと言ってよいだろう。むしろヤバいのがアイリス。同じようにヴェールで顔を隠してるんだけど、そのせいで余計あの胸が目立って、僕からでもみんなの視線が分かる。自分に向けられる視線には鈍感なアイリスも、流石に恥ずかしそうに身を縮こまらせている。許せねぇなぁ人類?

 

 まあそんな日々はさておき、言いたいこととしては、僕らは結構神経質になって顔を隠しているというわけだ。エルフさん、素顔だけは晒さんといてくださいよ、と。

 

 しかしそれでは段々と窮屈になってくる。それこそ、自室に着いていの一番に被り物を脱ぐくらいには。

 だから、学園都市で生活するようになって最初に探したのが人の来ない場所だ。気を抜いてもいい場所。新鮮な空気を吸える場所。散歩も兼ねて探索し、いくつか良い場所を見つけた。あれおかしいな、コミュ力マシになったはずなのに高校の頃とやってることが変わってない……?

 

 今日も今日とて、そうして見つけていた緑の豊かな空間で、何故かどこにでも現れる白猫を相手に戯れていただけなのに。

 

「うぇっ!?」

「えぇ……」

 

 どうして……(現場猫)

 

 木陰からこちらを伺っている少女は、狼狽するように眉を寄せて声を漏らした。

 

 とりあえず、困ったことは3つある。

 ひとつは、素顔を見られたこと。ここまでつらつらと述べたとおり、これまでの頑張りは身バレしないこと、そのためにあった。

 みなまで理解したとは思わないが、どうやらエルフというのは世間と隔絶した存在として扱われているらしく、一晩限りの宿泊客ならともかく、隣人として共に過ごすには世間の常識が間に合わないようだ。僕からすれば人類って耳丸くて魔法下手だよねくらいの感覚だが、逆はそうでもないらしい。

 そんなわけで、現在頑張って両手で顔隠しています。バレた後じゃ意味ない? 諦めたらそこで試合終了だろうが!!

 

 さてもうひとつ。……これはもうどうしようもなく僕が悪いと言うかただのガバなんだけど、おそらくだが、魔法を使っているところを見られた。

 いや……あの、その、顔隠すのと違って、魔法に関しては「事故ったらまずいから基本使わないでね」って言われてるんだよね。なので今彼女が見たことを言いつけられたら多分めっちゃ怒られます。はい。ごめんなさい。すぐ謝れて偉い。

 でも、僕も僕とて魔法が全く使えない状況って凄い不安なんだよな……。緊急時はオッケーもらえてるけど、それでも。

 なので、【圧縮】をしたまま少しでいいから魔法使えないかな、と練習をしていたのが今……。どうにかこうにか数日かけて弱い風なら起こせるようになったからそれで猫と戯れてたら、バッチリ見られた。録画されてたらエロ漫画みたいなことになるやつ。

 

 そんで3つ目。猫と喋ってるとこ見られた。

 以上。死ぬ。

 なぜ僕は学ばないのか。中学の頃に一回やらかしているというのに。「残念こっちニャ」って馬鹿か雀カスしか言わんよ。でも猫と喋ってると語尾がニャになるのは普通だと思います。普通だよね? よし普通。

 

「あっ、あのっ、妖精様は……、猫の言葉がお分かりになるのですか?」

 

 …………スーーッ(深呼吸)

 

 いや、分かるわけないじゃん。全部ニュアンスだよ。

 が、これはチャンスだ。時代は勘違い系主人公なのだから。

 

「わかるます」

「……、え、えぇっ」

 

 …………スーーッ(深呼吸)

 

 ほら、困ってんじゃん。なんかキメるっぽいシーンで噛んだから女の子も困ってんじゃん。なんなら察して驚いた振りしてくれちゃってんじゃん。

 

 ここまで来て、もはや誤魔化しは諦めることにした。

 両手を下ろして、困ったように微笑みかける。

 

「……その、僕はアンブレラと言います。貴女は?」

「あっ、カンナ、カンナ・アルタイズです」

「カンナさんですね。こちらへ座りませんか? 折角ですし、少しお話でも」

「えっ、あっ、はい!」

 

 元気な返事だったので少し苦笑するが、その割にカンナはおずおずと辺りの様子を窺いながら慎重にこちらに近付いてきた。

 そろそろ僕は珍獣扱いされていることを認めるべきなのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聞くところによると、今どきの中学生って付き合って一日とか、最短だと一時間で別れるらしいですね…。これがジェネレーションギャップ…?

「そちらの尾が二又に分かれた白猫は、貴女の使い魔ですか?」

「え、普通は分かれていないんですか?」

 

 こちらの事情をかいつまんで説明し、妖精だなんだという誤解も解いてしばらくしたところで、カンナが驚愕の事実を明らかにした。地球ではないのだから尻尾の本数くらい違うだろうとさして気にも留めていなかったのだが、どうやらこの猫は異常らしい。

 キミ、何者? などと問いかけるが言葉が通じるはずもなく、白猫はコテンと首を傾げてから愛くるしい鳴き声を上げた。謎は深まるばかりだが可愛いからヨシ!

 

 ……さて、どうしたものだろうか。

 禁止されているのに魔法を使ったこととかは話していないし、被り物を外しているところを見られたと言っても、文学少女然としたこの少女がことさらに騒ぎ立てるようにも思えない。いやほら、小中学校くらいだと脱げコールのひとつやふたつありそうじゃん。学生とかいう生き物に対するイメージが最悪かもしれない。

 とにもかくにも、中々人と交流できていない現状、こういった偶然は大事にしていきたいものである。

 

 しかしこの少女、眼圧と言うか、めちゃめちゃこっちを見つめてくるので若干気まずい。

 試しに目を合わせようとするとすぐ逸らすし、ベンチも隣りに座ってるはずなんだけど微妙に距離あけられてて心がつらい。いやまあカンナに限らず、学園都市に来る前から人間さんたちの僕らに対する態度こんなんだけど。一対一だと違和感が増すのだ。

 

 試しに少し体を寄せてみると、同じ分だけ距離を取られる。カンナはもはやお尻半分しかベンチに乗っていない。

 不満である。別に肩の触れ合う距離に来いというわけではないのだ。

 

「目を合わせてくれないと膝の上に乗りますよ?」

「ふぇい!? い、いやその……はい……」

 

 頬を膨らませて不満をあらわにすると、ようやく諦めたのかおずおずと顔をこちらへ向けた。

 ニッコリと笑みを浮かべ、座る位置を元に戻す。それに合わせ、カンナもやっと普通の距離に腰を据えた。

 

「……導師の方々はやはり賢明です。貴女がここの学生と普通に関わっていたら、今頃周囲の学区も巻き込んで何かしら騒動が起きていたと思いますから」

「騒動? 皆さん研究ばかりしていると聞いていたのですが……」

「そんな真面目な人ばかりではないですよ、私も含めて。この間だって、隣国の王女様が留学してきたからって隣の学区まで見物しに行ってるんですから」

 

 あれ、そうなのか。研究キチの巣窟かと思っていたけれど、私立文系みたいな感じもあるのかな。

 隣国の王女というのはコルキス様のことだろう。華やかなお姫様なのにどうにも雰囲気がえっちなあの人が留学、もとい転校してきたともなれば、男の子たちのテンションが上がる気持ちも分からなくもない。一体どれだけの風紀を無自覚に乱したことやら(呆れ)

 

 学園都市に来ればすぐにコルキス様と再会するものかと思っていたがそうでもないらしく、今のところ会話は疎か姿を見ることすらない。

 まあそこそこ学区の数も多いから、配属先が違うのも頷ける。一応学区を跨いで講義を受けることもあるらしいから、そのときが次の機会だろうか。

 伝統的な日本人的思考回路からして、長いものに巻かれることは多くの場合役に立つのだと理解している。普通に素敵な人だし、何やら本国の方は権力争いが大変らしいが、仲良くして悪いことはあるまい。

 エルフは外の世界に太い繋がりや財源を持たないので、小さな友人関係でも将来良いことがあるかもしれない。アルマ(未来の勇者)をすぐに紹介できたりしそうだしね。

 

「アンブレラ。貴女の顔って、ずっと見つめていられるくらい魅力的なんです。話すときの小さな表情の変化さえ愛おしく感じてしまう」

「……ありがとうございます。父様と母様に感謝ですね」

「だからこそ、素顔を晒して生活すればきっと毎日嫌になるくらい人が群がってきたでしょう。もしくは、遠巻きに。あの王女様も連日の恋文や告白に辟易していたそうですし、貴女の場合は最低限周りを防いでくれる側仕えもいないのでしょう?」

 

 側仕え。コルキス様で言うところの、あの女騎士の人みたいな存在だろうか。

 カンナの指摘にコクリと頷いた。アイリスが身の回りのことを助けてはくれるが、むしろアイリスだって異性から注目される存在なのだ。あのおっぱいに反応しない男はいない。何ならおにゃのこだって驚いて反応してしまうまである。

 

 個人的には告白というものはお互い関わって中身を知ってからするものだというイメージなのだが、かつて噂に聞いたところに拠れば、中高生くらいだととりあえず第一印象にすべて頼って告白、そのまま付き合って一週間で別れる、なんてのもある話らしい。

 童貞ピュアチェリーと笑うなら笑ってほしい。いやだって意味わからんよ。一週間って、逆に別れる判断材料すら揃わなくない?

 童貞だからピュアでロマンチストなのだし、ピュアでロマンチストだからいつまで経っても童貞だったのだ。いまや、そこらの男よりおにゃのこの体に詳しくなったけど。

 

 なにはともあれ、これからも顔を隠してひっそりと生活していくのがよかろう。交流以上に、探求という目的のためにあの森を出たのだから。

 

「それじゃあカンナさん。僕のことは……秘密ですよ?」

 

 人差し指を立てて唇に当て、小首をかしげてからかうように囁く。

 今度はカンナがコクコクと首を縦に振った。

 

 しばらく食い入るように僕を見つめたカンナは、唾を飲み込み、胸に手を当てて言葉を発した。

 

「あっ、あの、その代わり、ひとつお願いをしてもいいですか?」

「お願いですか? 僕にできることであれば……」

「絵を。貴女の絵を、描かせて、いえ、描きたいの」

 

 意外なお願いに一瞬固まる。

 絵。アイリスがやっているように、ということだろうか。

 

「貴女を──アンブレラという概念を表現できれば、きっと私は進めると思うんです。だから……」

「ええ、構いませんよ」

「ほんとっ?」

 

 結局のところ僕は「作る人」とやらではないから分からないが、さほど難しい頼みでもなかったのですぐに頷いた。

 いい機会だろうから、カンナが絵に長けているのならアイリスに少しアドバイスや技術を教えてやってほしい、と今度はこちらからお願いすると、カンナはもちろんと首肯した。

 

 かくして、将来幾度も頭を抱える原因となる小さな絵描きとの出会いは、これまた小さなベンチの上で始まったのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

眠いときって思考の大半が「眠い」に染まるから、油断するとSNSの自己紹介欄とかすぐに「眠い」の言葉に染まってしまう症候群に罹りました。中学生の頃から何も成長していない…

 夢を見た。

 久しぶりに、穏やかな夢であった。

 

 場所はこの世界ではなく、僕にとっての原風景とでも言うのだろうか。かつて日本で生きていた頃訪れた、大会の会場ともなるような大きな弓道場の側にある庭園。

 野原の上で、母様に膝枕をされている。夢の中だというのになお微睡みを感じてしまうほどに穏やかな景色に包まれて、母様の口ずさむわらべ唄に浸る。

 

「母様」

「うん?」

「……テレサ」

「ふふ、どうしたんだい急に」

「なんでもないですよ……えへへ」

 

 名前を呼ぶと返事がくるというのは、なんて幸せなことだろうか。

 もうずっと当たり前のことだったはずなのに。離れ離れになるというのは、それが当たり前でなくなることだ。

 

「外の世界には、色々な人がいましたよ」

「そうなのかい?」

「ええ。猫みたいな人やお姫様。体から色々生えてる人達。病気を抱えている子。最近は、絵描きに会いました。アイリスも絵を描くことに没頭しているんですよ」

「あ、あれ……? 私の知ってる人間は耳の形が違うってことだけだったはずなんだけどな……」

 

 学園都市はまあ、例外なのかもしれませんね。

 道中で他の街に寄っていなければ、僕もこの世界の人間は体から何かしら生えているのがデフォだと勘違いしていたかもしれない。それくらい学園都市には(見た目が)ヤベェ奴が闊歩している。

 

 困惑する母様も愛おしい。

 温度がある、表情が変化する。ただそれだけで、胸が苦しくなるほどに感情が溢れ出る。

 

「人間の、僕らとは違う視点で魔法を捉えている中身を知るのも面白いです」

「そうなんだね」

 

 人間の、だなんて一丁前に別種族っぽいことを言ってしまえるくらいには、彼らとの差異を自覚し始めている。

 生き急いででも一瞬のきらめきを追い求めるような彼ら人間の精神性は、きっとエルフには真似ができない。

 

 圧縮も含め、人間たちの定義する「魔法」というもの(正しいとは言ってない)を知ることで、抽象的なレベルでだが魔法や真名の本質が見えてきたように思う。

 だからこそ、真名を捨てるということの危うさや非合理性が察せられてくる。

 自分が目指していることが果たして正しいのか。知れば知るほど無計画であることが分かる。けれども、根っこの部分から間違っているとは思いたくない。

 

「なんかもう、疲れちゃいました。いつまでもこうして、ゆっくりできればそれだけで良かったのに……」

「うん。お疲れ様、レイン」

 

 髪を梳くのを止めて、今度は優しく撫でられる。

 夢だからこそ、母様が僕にそれ以上の何かを、道標を与えることはなかった。

 当たり前だ。結局は、僕の心が描き出した幻なのだから。

 

「……それでもキミは、進める子だ」

 

 

 

 


 

 

 

 

 うたた寝から目を覚ますと、腕の中には白猫がいた。妙な暖かさはこの子がいたからか。

 そして、アイリスとカンナがこちらを向いて熱心にスケッチをしている。そうだ。ひとまず一緒に絵を描いてみて、お互いの描いた絵を講評しながらカンナからアイリスに絵を教えてもらおうという話だった。

 楽にしていていいと言うから背もたれに体を預けていたら白猫が膝の上に登ってきて、暖かさに段々と意識を持っていかれてしまったのだ。

 

「……ええと、もう動いても大丈夫なんでしょうか?」

「あ、いいですよー。いい時間なので、ここまでにしましょう」

 

 満足にこなせたかどうかはともかく、ようやく被写体から解放されることができた。ん、と両手を上に挙げて背中を伸ばし、眠気と体の凝りを取り払った。

 

 ひとまずアイリスの描いたものを覗き込んでみると、絵を描き始めて一ヶ月とは思えないほどに整った、それでいて書き込みの配分も取れているものが一枚。

 寝顔の僕は、まあうん、どこに出しても恥ずかしくない美少女である。流石僕。自分の顔だからか、なんか間抜けな寝顔にも見えるけど。それでも、母様の血がすべてを正当化してくれる。や↑ったぜ。

 

 これからカンナがこの絵を講評して、アイリスに改善点などを伝えるのだろう。そちら方面の話は僕にはさっぱりなのでさておき、今度はカンナの描いたものに視線を移した。

 うん。なんかやっぱり、どこがとかはよく分からないけど、めちゃくちゃ上手い。なんだろう。アイリスのは「形が取れてる」って感じなんだけど、カンナの絵はもうなんか空間を落とし込んでるように見える。影の濃淡とか、形の精度の問題なのかな?

 

「……あれ? 僕、泣いてましたか?」

「え?」

 

 ほとんど同じ角度から描かれた二枚は、技術的な面はともかく、構図は同じものだった。だというのに、カンナの絵の中で、眠る僕の片方の眼尻からは、頬を伝う一筋の線があった。

 

「……あれ、おかしいですね。私、なんで涙なんて描いたんでしょう……」

 

 カンナも首をひねる。

 やはりアイリスの描いたものが正確らしく、僕も特に泣いてはいなかったはずなのだ。そもそも、怖い夢でもあるまいし泣くような理由ないし。

 

 そっと片手で目元を拭ってみる。

 やはり、水滴はおろか、湿った手触りさえも感じられることはなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小さい頃の自分の声って普通に忘れるよね。たまにはメモリアルムービーでも撮って、定期的に見返したほうが良いのかもしれない。うーん見返してみると凄い頭悪そうだな小さい頃の僕!

 学校とは学びの場所である。

 

 小賢しいボッチ(高校時代の僕)なんかは「だから学業に専念してさえいれば友達がいなくても悪くない」と続けるのだが……悲しいかな、科目だけでなく、社会性というものもまた学びの対象であるらしい。

 また学びという免罪符があれば何をしても許されるわけでもなく、「悪いことをしたら怒られる」ということを学ぶ場でもある。

 そう考えると、何を課されようが学びの対象たりうる気がしてきて、結局は教える側の裁量に依存した収容所のようなものなのかもしれない。悪く言えば。

 

 人生と言うは学ぶことと見つけたり、レイン。などとまた碌でもないことに思いを馳せているのは、カンナとアイリスが二人で話し込んでしまって暇だからだ。

 ルーナに言えば「学ぶことは本質でなく、何故学ぶか、その選択こそ人生じゃろう」などと返ってきそうだ。いやまあ、分かった気になっているだけで、神様の胸のうちなんて僕にはトレースできないものかもしれないけど。

 

 ……神様。あれ? 神様だよね一応? なんか碌でもないことばっか言って、碌でもないことばっかしてる気がするけど。

 流石に、それなりに濃い目の生活を14年ほども続けていれば昔の記憶が薄れてくる。なんか生まれ変わりどうこうの会話をした記憶はあるんだけど、そのときに感じた神々しさみたいなものがもう思い出せない……。最初はなぁ……、「うわすごい神様だ!」みたいな感じだった気がするんだけどなぁ……。今じゃただの裸族だもんなぁ……。

 

 だというのに未だに大柄の男性にビクついたり、雨の日が嫌いだったりと、前世から受け継いだまま消えない記憶もあるのだが。

 家族や、いくつかの人の名前はまだ思い出せる。好きだった芸人さんのコンビ名とかも。自分が稽古していた弓道場の流派の名前や、あとは都道府県。

 

 人が最初に忘れる記憶は声だという。あとは、死ぬ時にいちばん最後まで残る感覚は聴覚だとか。どっちもどこで聞いた話か覚えてないし、だから何というわけでもないけど、まあなんかアレだ、エモいね(適当)

 母の声はまだ覚えている。忘れてしまいたいような泣き声を、だからこそまだ忘れていない。

 あれ、でもあいつの……自分(にいろ)の声ってどんなんだったかな。結局ろくに声変わりもしていなかった気がするから、テノールボイスだったんだろうか。

 

「〜♪」

 

 軽くハミングしてみたけれど、当然聞こえてくるのはレインの声だった。

 違う、こんなではなかったと思う。彼の声はもう少し低めで、薄っぺらで、なにかに怯えるように震えていた。

 

 レインの声は美しい。

 厚みがあって、それなのに透き通っていて、底まで見えそうだと覗き込んでみればどこまでも深く、しかしそれに気付かせることなく人を誘い込む。

 自画自賛というよりは、再確認みたいなものだった。歌うために血を練らせた一族の末裔なのだから、そこを否定しても仕方ない。

 

 ふと、隣の話し声が止まった気がして顔を向けると、こちらを見つめるカンナとアイリスがいた。絵の講評についてはもう終わったのだろうか。

 

「……。……あ! ど、どうぞ続けて続けて」

「いえ、続けてと言われましても……」

 

 お構いなくみたいなジェスチャーをされるが、別に何かを歌っていたわけでもなく、むしろこちらが暇つぶしをしていた立場なので困ってしまう。

 とはいえ、この空気で歌うのを止めたら気まずい空間になることをコミュ力つよつよになった僕は予想できていたので、言われるまま適当に続きを口ずさんだ。

 

 血が。本能が、美しい音の並びというものを教えてくれる。

 そのままフレーズを付けてやれば、きっと即興で一つの曲となることだろう。

 もっとも、美しい音イコール正解の音ではないのが面白いところだけれど。本当に良い曲を作ろうとすれば、そのための作業はどこまでも地道で泥臭いものになる。

 母様はきっとそういうことも好きだった。僕は、そうして母様と一緒にいるのが好きだった。

 

「貴女達って、目立たないために顔を隠しているんだったかしら?」

 

 歌い終わり、呆けて母様に想いを馳せているとカンナが問うた。

 僕もアイリスも、目立って喜ぶタイプでもなければ、落ち着いた雰囲気を好む。それとは別に学園都市から言いつけられていることでもあるのだけれど、概ね合っていると首肯した。

 

「だったらアンブレラ。貴女は顔を隠すだけじゃなくて、人前で歌わないようにすることも必要だと思います」

 

 苦笑する。

 時折、息をするように気分に任せて歌うことがあるから、僕を黙らせるにはそれこそ猿轡が必要かもしれない。

 

「でも、アイリスやカンナのように素晴らしい絵を描いていてもさほど目立たないのであれば、歌も似たようなものではないでしょうか?」

 

 そう首を傾げた僕に、カンナは悔しいですけど、と答えた。

 

「音って、特別なんです。ずるいんです。音楽も絵画も脚本も、芸術に貴賤はないと思いますが、音だけは本能に近い場所にあるんです」

「本能に近い場所?」

「人でなくても歌うことがあるでしょう? それくらい、歌は原始的で普遍的で、誰かの心に簡單に触れてしまえるんです」

「……ああ、なるほど」

 

 それは、奏巫女が奏巫女たる所以(ゆえん)だ。

 お七夜の時に僕が見出した、奏巫女の存在意義に近い部分のことだと分かった。

 

「そう、ですね。人前ではなるべく気を付けたほうが良さそうに思います」

 

 それでも、歌いたいときは勝手に歌うのだろうけれど。

 僕の返事に、カンナは苦笑いした。きっと彼女も分かっているのだ。

 

 絶対に絵を描かない。自分だったらそんな約束はできないだろう、と。

 




触覚:物理(力学)
聴覚:物理(波)
視覚:物理(光学)
味覚:化学反応
嗅覚:化学反応

進化の歴史に合わせて上から下に(段々複雑な方に)能力を獲得したみたいな話が好きです。
本当に美しい音楽って誰が聞いても美しいって分かるんですが、絵や文章ってその限りじゃなくて教養が必要だったりするんですよね。
だからこそ、誰が見ても読んでも美しいと思う絵や小説を求めている気もします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ナナ、ニジュチ、サジュゴ……? こ、こいつ、まさか7の段を詠唱破棄しているのかっ……!? そんな俺TUEEEEができる、そう思っていた時代が僕にもあったんでしょうか。

 ファンタジーの世界に微積分はない。

 

 より正確には、微積分の授業というものが。

 四則演算というとても直感的な演算は、買い物なんかをしていれば自然と人々が使うようになる。だからこそ、算数を超えて数学の話を始めたときに代表的なものとして微分積分を挙げる人も多かろう。

 そして、ファンタジーに学校の話を持ち込んだときにふと考え込む。

 

 異世界の住民って微積できんの?

 

 実に嫌な話である。まあそもそも、僕も高2までの知識しかないからたいしたことは知らないんだけど。

 しかし仮に知っていたとしても、微積分をできるから知識無双、内政チート……なんてありえない話だろう。

 

 xの2乗を微分すると2xになるんです!

 ☓ ウワー、レインちゃん賢い素敵抱いて!

 ◎ ……で?

 

 そも、高校生なんかでは微分の何が凄いかなんてまるで分かりやしないのだ。

 とりあえず授業で習うから知る。なんかよく聞く名前だしできたら凄いんだろう。そんな感じ。

 

 じゃあなぜ学ぶのか。大半の人が何に使うかも分からないのに、わざわざ長い時間かけて学ぶのはどうしてか。

 結論を言える立場でもないが、きっとそれは、ある種の「言語」の授業なのだと思う。国語や英語と何ら違いはないのだ。

 大人の人で、実際に毎日微積分を使って計算していますなんて人はごく少数だと思う。けれども、「ここには微分がこう使われているんですよ」と言われて、「り、りろんはしってる」と返せることが重要なのだ。人間は、納得を重んじるからこそ。

 

 しかし、納得が関係なくなる場面もある。

 納得以上に優先されるもの──命が揺らぐ瞬間だ。納得は全てに優先するの民はともかく。

 

 日本人がファンタジーと聞いて思い浮かべるのは、指輪物語が切り拓いたような荒野の世界、脅威となる外敵がいて、感覚でしか説明できないような魔法があって、街ですらも安全が保証されないようなものだろう。

 そこで微積分が使えて何になるだろうか。齧った程度の化学反応式を知っていて生命の危機を脱せられるか? そんなわけがない。大半の人は、ストーンワールドでライオンに食われて死ぬ。

 納得に満ちた既知の社会以前に、ファンタジーには安全な社会が保証されていない。

 

 そんなわけで、友達もいなかったから稽古か勉強ばかりしていた僕の前世の知識は、この魔法王国では大して日の目を見ることもなかったのである。

 

(うーん、これもはや英単語帳では)

 

 魔法の歴史に関する講義を聴きながら、別の講義で紹介された魔方陣に関する図録の頁をめくる。人間から見た魔法については認識の違いが多分にあるので歴史の話とはいえそこそこ面白いのだが、先生がすぐ人物のエピソードなど脇道にそれるので、講義の進行がまあ遅い。

 そんなわけで内職代わりに本を読んでいるのだが、火の模様を描けば火の魔法が使えるなどというわけもなく、難解地図記号集とでも名付けたくなるような内容にため息をついた。

 

「……と、実のところ、真名や仮名はいつの時代も使われていたわけじゃないんだよね。覚え方としては、災厄があまり関係ない、人類が安定している時代は大体仮名がよく使われているんだ。現代は真名もよく使われるから、少し不安定な時代と言えるかな」

 

 珍しく真名の話が飛び出したものだから、ヴェールの下でピクピクと耳が反応した。

 

 真名はその人の存在そのものだから、家族以外に教えてはいけないとエルフは学ぶ。

 一方人間は、真名が周知されていないと魔法が使えなくなってしまうからと真名を広める。らしい。広めても真名を悪用できるほど魔法を扱える者がいないから、というのは少し皮肉な話でもあるが。

 

「ちなみに、古い文献にはラヴガン学派というのがいてね、一口に言えば真名を捨てて生きましょうと主張する団体なんだけど、まあこの国なら当然追放されるよね。特に昔は今以上に《古の魔法使い》への信仰が強くて……」

 

 また話が余談に向かっていった。視線を落として、魔法陣の暗記の作業に戻る。

 筆者も魔法陣が難解で覚えにくいということは分かるらしく、覚えやすくなる捉え方なんかも紹介している。十字に並ぶ星を見てはくちょう座と呼ぶ程度には「いやそうはならんやろ」というものばかりだけれど。

 

 だだっ広い講義室の中。似たような輩ごとに着席位置が固まるのはよくあることだと思うが、普通の生徒たちでなく、体から何か生えているようなやべー奴ら寄りの位置に落ち着いてしまった事実にため息を付きつつ、ついぞ知り得なかったキャンパスライフとやらはどんなものだったのだろうかと思いを馳せた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

パリピがカラオケに行きたがる理由がさっぱり分からなかったけど、今なら分かる。思い切り歌うのって脳汁ドバドバ出る合法ドラッグなんだ!え、パリピはカラオケでそこまで沢山歌わないの?

「ウタガウタイタイデスゥ」

 

 潰れたミッキーマウスみたいな声が喉の奥から絞り出された。

 あまり大きな権力を潰れたとか形容するとそれが遺言になりかねない。小さく「てれさ」と呟き、最期の一言を望ましいものに変更した。これでいつ消されても心残りがない。

 

 はてさてしかし、先日カンナから指摘を受け、アイリスとも「どう思いますか?」と相談し、そもそも公共の場であるということを加味して人前でむやみに歌い出すものではないという結論を出したは良いものの、そもそも僕はヤニカスにとってのニコチンが如く歌うという行為が好きらしかった。それはそうとニコチンは下ネタ。

 前世はそんなことなかったのでどういうことかと訝しむが、(実家)にいた頃は母様と毎日歌っていたし、旅に出てからも歩き・馬車関係なく口遊(くちずさ)んでいた。時にはチップをいただくことさえあった。

 感情に乏しい方だとは思わないが、感情表現自体は控えめな性分なので大笑いすることもギャン泣きすることもない。そうなると抑圧されてしまう部分が出てしまうようで、今までは歌うことによって発散されていたそれが、堪えきれない欲求として僕を蝕んだ。

 

 一応、以前に人目を気遣って誰も来ない場所をいくつかリストアップしたのだが、カンナの例があるために、どんなに人通りのない場所でも誰かしらに見つけられてしまう可能性が頭を(よぎ)るようになった。

 心配事があっては気持ちよくなれないのが人の(さが)である。歌を歌う時はね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ……。

 

「はい、じゃあ今日紹介するのは、反響や防音の目的でよく使われるジェターナ法という種類の魔法陣です」

 

 パン(それだ)と手を叩き教卓に輝く目を向けた。

 教室内の視線が一斉に音の発生源へと向けられる。みんなの顔が向く方に合わせて、僕も左に首をひねった。窓の外ではちょうど業者さんが高枝鋏で植木を手入れしている。

 なんだ、庭師か。誰かがそう呟くと、みんなはまた教卓へと顔を戻した。そんなわけないだろ。

 

「……ええと、気を取り直して。どうしてわざわざ防音なんていう地味な内容を扱うかというと、これを構成する魔法陣が実に基礎的なものであるわりに防音自体は汎用性が高く、魔法陣の応用という現代の魔法学における基本的な考え方を……」

 

 僕は人間というものが分からなくなった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 銃に取り付けるサイレンサー然り、音を消すということはその言葉の印象以上に人の危機察知能力というものを弱まらせる。嫌な話をすれば、誰かに襲われたときにもしも助けを呼ぶ声を防がれれば、被害から免れることはほとんど不可能になるだろう。

 まあ一般に使われる防音技術自体は完全に無音化できるようなものではないらしいが、鼓膜を破るほどの爆発音がボールを蹴る音くらいまで小さくなるのであれば効果十分だろう。

 そんなわけで、先程の授業では防音化されたときの対処法などについても教わった。というか、魔法陣の授業では魔法の使い方より防ぎ方を多く教わる。魔法でバトルだなんてファンタジーはないようだけれど(目逸らし)、魔法で犯罪は昔からある程度起こるそうだ。

 

「それでここに魔法陣を描こうって?」

「ええ。ここは故郷にも似ていて一番安らげますし……。だ、駄目でしょうか?」

「う……、し、心臓に悪いからそんな顔で迫らないで頂戴。まあ貴女にはいつもモデルになってもらっているし、全然手伝うけれど」

「手伝ってくれるんですか!?」

「多分、描くことに関しては私のほうが上手いし。ああでも、研究区以外で勝手に陣を設置しても良かったかしら……。あまり規則は覚えていないのよね」

 

 緑の生い茂りすぎている庭園(密林)は、カンナと顔を合わせるときのいつもの場所のようになっていた。ぎこちないですます調はやはり不慣れらしく、今はタメ口で話すようになっている。僕は……あれなんだよな、前世からだけど、年下の子に対してしか敬語外せない癖がついちゃってる。

 

 規則かぁ、とままならない部分について思いを馳せる。日本の中学高校みたいに校則の書かれた生徒手帳などというものは存在しないが、なんか規律一覧みたいなのが載った冊子はあったと思う。覚えてないし持ち歩いていないけど。

 一応、白妙の止り木で最低限の一般常識については教わっている。曰く道端などの公共の場で魔法を使うのはマナー違反とのことだけれど、それは道路でサッカーしちゃ駄目だよ的なあれで、つまりは使って良い場所と使っちゃ駄目な場所を考えましょうねということだ。

 

 土地区画で言えばここは学域と呼ばれる範囲内で、研究所や学習施設が集合している地域の一部である。カンナの言う研究区とは研究所内の更に一部の地域で、そこはかなり魔法関連の規則が緩い(その分厳しいらしい)。

 学域は基本的に学ぶための場所である。公共の場であって公共の場でないと言っても過言でない。であれば、いたいけな1人の学生が学び(カラオケ)のために初歩的な魔法陣をひとつ描くことに何の罪があるだろうか。うん。いける。

 

 と、そこでアイリスが重々しく口を開いた。

 

「……怒られたら」

「うん」

「あやまりましょう」

「……違いないですね!」

 

 はー、ウチの乳母は天才か? 世の中の胸にしか栄養が行っていないタイプの巨乳キャラとは一線を画すようだ。

 頭がいい。背も高い。胸も大きく顔もいい。最近は絵も描けるようになった。ちょっとそのうち何か無理言って限界を見つけないと、僕のほうが劣等感で死ぬまである。母様の血が流れてるってアドバンテージがなかったら死んでた。危ない。

 

 エルフの森では、悪いことをしたらちゃんとあやまろうという文化がある。最初の頃は、それで何でもかんでも許す癖に人間については見即斬なの身内にダダ甘では? などと訝しんでいたが、段々と「いや、ちゃんとあやまれるのえらい!」と理解できるよう(あたまゆるゆる)になった。

 思い返してみれば、日本にはあやまれない大人が沢山いたものである。いい年してごめんなさいが言えない人間というものは実に多いのだ。

 そう考えると、あやまるのは簡単なことのようで難しいのだと分かる。ちゃんとそれができたら許してあげるのが社会の義務ではないだろうか。

 

 最近はこんなエルフのノリにも慣れてきたのか、カンナは教科書を眺めて「はー、懐かしいわね」などと昔を振り返るようにしながら、魔法使いの杖のようにも見える白い棒でガリガリと地面を削り始めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皆さんは何か叫べとなったらどうしますか?やっぱり男の子なら珍棒と叫ぶべきだとは思うんですが、流石にこの体でそういう事言うのは母様の前だけですね

いつも誤字報告ありがとうございます。
基本的に冷静な頭で過去の文章を見直すのはダメージを食らうので、「ハッハッハッ(過呼吸)」「ウッ(心臓発作)」となりながら確認だけさせていただき、適用するかは心がつよいときに判断することにしています。


 穴を掘ればそれを頼りに水が流れるように、自然法則に従うことでこの世界すらも狙ったように操ることができる。人が他の動物よりも繁栄したのは、その法則の理解・継承という点において優れていたからだろう。もちろん操れる範囲に限度はあるけど。

 

 エルフの「魔法は雰囲気ゲー」理論と違い、人間にとっての魔法はそのような法則のひとつであった。全然「魔」法じゃないな。广+マでマ法って書くタイプの何か。

 つまりは地球で言う科学の範疇にマ法が入っていた。確かに魔法陣使うと出力安定するし、法則を破ってる感じがない。でもそれは魔法陣がおかしいと思うんです。

 

 というか、人間の魔法の使い方全般が気に入らない。【圧縮】とやらも、魔法陣も。前世で言う地下資源の過剰消費に近い危うさを本能的に感じてムカムカする。これについてはアイリスも困り眉を作って同意してくれたから、見当違いではないと思いたい。

 けど郷に入っては郷に従うタイプの日本人だからね……。「人間風情が」みたいな強気な態度とかプライドも備えてないです……。なんかその、良くないと思うんですよ(小声)が限界。我ながら雑魚すぎる。

 

 閑話休題(なにはともあれ)

 

 教科書の最初にも書いてあることだが、魔法陣というものは魔力の濃度差を利用している。生体は魔力を溜めやすく、液体はほとんど含まないみたいな。

 だから、鉛筆で紙に魔法陣を書いただけでファイアーボール召喚!みたいなアレはない。そもそもファイアーボールなんて魔法もないが。

 まあそんなんで発動してたら魔法陣の教科書とか書いてらんないよね。

 

 かと言って、白妙の止り木でバカみたいに量産していた魔力を貯める鉱石、ヤァヒガルみたいなものはあまり無駄遣いすることができず、防音(カラオケ)のために使いますなんてことはならない。

 血とか体液とかは一応生体のくくりなのか魔法陣に使えるらしいけどね。ほとんど水だろと思うんだけど、化学物質以外の何か違いがあるのかもしれない。でも歌うためだけに血を使うのは流石に引きます。

 そんなシャイな学生たちに人気なのが、いまカンナがやっているような、くり抜くように魔法陣を地面に描く手法だ。

 

「よーし、描けたわよ! 我ながら美しすぎる曲線ね……」

「本当に全然歪みがありませんね。弘法は筆を選ばずに近いものでしょうか……」

「KOBO? ま、水流しましょ。ここで一気に流すのが大事なんだからね」

 

 水路で魔法陣を描くのではなく、堀によって切り立った土堤で魔法陣を描く。

 ここで堀に水を流し込むことで、水が溜まった部分と土が出ている部分で僅かだが魔力の密度に差が生まれ、人間が「魔法陣」と呼ぶ魔力の流れが生み出される。僕の場合は魔力を視れば一発だ。不均一だが特に法則性もなく漂っていた魔力、辺りの草木に含まれていた魔力が、魔法陣の部分だけその形に沿って光るようになる。

 

 しかし、土なのだから水を流せば当然染み込む。染み込むよりも早く堀を水で満たすことが大事なのだ。

 せーの、と掛け声をして僕とアイリス、カンナの三人が一斉に水を注ぎ込んだ。流れ始めは少しずつ土に染みていく水が、掘られた穴全体に行き渡って少し経った辺りで水位を下げることなく張られた状態になった。

 ふっ、と風の音、木の葉のざわめき、鳥の声が遠くなる。

 

「うん、成功!」

 

 カンナが腕を組んで大きく頷いた。

 視界をずらして魔力を視ると、水の張っているところは暗く、それに囲まれた部分は記号を描きながら輝いている。魔力というものは安定した状態になったらそれを保とうとするらしく、魔力が周囲より多く宿っている魔法陣の部分が水を弾いているのだ。水と油みたいな感じなのかは知らないけど。

 そんなわけで、水が染み込むより先に堀を満たしてしまえば魔法陣が長時間発動するのであった。多分水の蒸発とかは防がれてないだろうからそのうち切れそうだけど。でも、どことなく不思議な、前世では目にすることのない光景である。

 

「これ、どのくらいまでの音が聞こえるんでしょうか……?」

「ふっふっふ、先輩に頼りなさい。魔力の濃度差と魔法陣の精度が分かれば、その効果範囲も大体が計算できるのよ」

 

 おお、なんか分かんないけどカッコつけてる。すごい。えらい。

 

「すごいです、えらいです!」

「カンナ様、流石です」

「うぐっ……、う、うん。……アンブレラ、教科書の最後の付録に濃度に関する定数があるでしょう? それ読み上げて頂戴」

 

 とりあえずエルフたちは脳死で褒めた。一周回って馬鹿にしてる感すらあるけれど、心の底から称えていることを信じてほしい。

 褒められてなぜだかしおらしくなったカンナは、流石に細かな数値までは覚えていないのか必要な定数を調べるよう僕に指示した。草が生えている土と、水の場合について読み上げる。

 

「精度に関しては大体描く人ごとに一定なのよね」

「そうなんですか。カンナはいくつくらいなんですか?」

「大体85%くらい? どれだけ綺麗に好条件で書いても、90%は越せないそうよ」

「……あの、ちなみに付録には一般的に精度は40~60%とあるんですが?」

「絵描きならこのくらい当たり前よ」

 

 なんか多分EKAKIとか別の種族なんじゃないですかね。バケモンが軽率に当たり前って言葉使わないでもらっていいですか?(震え声)

 定期的にカンナから絵を教わっているアイリスは、やはり絵を描くことは素晴らしいのですねと羨望の眼差しでカンナを見つめる。やばい、尊敬度で抜かされる。見限られる。最近特になんか褒められるようなことしてないから忠誠心のチの字も怪しい。チュウで朝起こされることはあるから怪しいのはセの字あたりかもしれん。

 

「ま、まあ…………、ぼ、僕は可愛いですけどね!?」

「えっ……? あっ、そ、そうね。……ど、どうしたの急に? まあ、貴女ほど綺麗な人はいないでしょうから、口さえ開かなければ…………いえ、もしかしたらこの言動だからこそ一層可愛い……?」

 

 なんか誇れることはと探し、ドヤ顔でやらかした。

 

 言ってから「うん? 頭ネジタリナーイ?」って自分でもなった。カンナは何やらぶつくさと思考の海に潜ってしまったが、それでもとんでもなく気を使われたということだけは分かる。困惑しながら肯定されるのが一番キツい。

 

 しばらくはドヤ顔のまま助け舟を待ったが、沈黙に耐えきれず、赤くなった頬と耳を隠すようにアイリスの胸に泣きついた。頭ナデナデされて背中トントンされた。ばぶぅ……。

 

「う〜ん、まあこんなものかしらね」

 

 しばらく幼児退行しながら、地面でガリガリ計算するカンナを眺めていた。

 計算が終わったらしく、大体効果範囲は魔法陣の端から3メートルずつくらいとのこと。

 魔法陣にも範囲を指定する部分があるらしく、そこはヤァヒガルであれば軽く30メートルは越す範囲になる値に設定したそうだが、土と水ではその1/10も効果が出ないということだ。まあ、踊るには狭いけど口ずさむ程度なら十分だろう。

 ああ、てかよく視ればこれか。おおよそ境界かなという辺りの魔力が、すごく薄くだが膜、あるいは線を形成している。

 

「アンブレラ、外に出て何か言ってみて」

 

 効果自体は環境音が減ったことで感じるが、人の声についても念の為ということだろう。

 頷き、魔力の線が示す効果範囲から外に出る。カンナは試しにと口を大きく開いて手を降っているが何も聞こえない。いや、よく耳を澄まして、目の前の人から声が発されていると意識すれば何となく聞こえそうな、小さな虫の羽音程度の声が聞こえる。

 

 さて、こちらからは何を言おうかと考える。

 折角なら普段は言えないようなことを言うべきである。変に取り繕っているというわけでもないけど、幼女時代にやらかしすぎたと気付いてからはある程度言動や振る舞いに気を使うようになったのだ。気を使えてるよね……?

 魔法陣の範囲内ではカンナが何か叫んでは笑っている。あまり大声ではないのだろうけど、カンナに乗せられてアイリスまで口に手を添えて何か言っているようだ。無垢な笑顔を見ていると、不思議と心の中でムクムクと立ち上がるものがあった。欲望のままに。

 

「おにゃのこと戯れたいです!!」

 

 ふぁぁ……!

 

 なんかこう、背徳感やばい。

 魔法陣切れてたらとか、実は二人が読唇術使えたらとか、スリルと自然の中の開放感で背中のあたりがめっちゃゾクゾクした……。

 やめよう、そのうち露出狂とかになりかねない……。

 

 ベンチに戻って、二人が特に何か気にするような素振りを見せないことに安堵しながら、元々の目的であった歌を何か歌おうと頭の中でいくつかの曲を思い浮かべた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

どうも、拗ねるとめんどくさいエルフ代表のアンブレラ・レインです。本当の真名のほう?知るかばーかばーか。あーほ。あっ、ちょ、アイリスそんな抱きしめてナデナデされたら…何でも許しちゃうじゃん…

「すごい笑っていましたけれど、何を叫んだんですか?」

 

 定位置となったベンチの中央にちょこんと腰掛け、右手側に座るカンナの表情を伺う。

 カンナが以前から使っていたからか苔生すようなことはないけれど、異常に育った植物の蔓が背もたれにまで絡まっている。旅先では何かと潔癖症みたいな扱いを受けることが多かったように思うが、実際のところエルフは森で育っただけあって虫など自然への耐性は強い。世の中には公園のベンチ座れないくらい綺麗好きな人とかいるからね。

 

 なお、ベンチにおける位置関係は試行錯誤の結果である。アイリスが中央だと、割とマジで左右の端から逆側に座る人の顔が見えない。この事実に気付いたときカンナは思考が停止していた。胸囲格差とかじゃなくて、単純にアッ……ソッカァ……となる。

 とはいえカンナが中央の場合、彼女自身が落ち着かないと言って嫌がった。曰く、視線の落ち着く場所がなくなるのと、イケないお店に居る気分になるのだという。慣れでは? 慣れる前に心臓が逝くと……そうですか。

 

 まあともかく、決してみんなの人気者だとかそう言う理由で真ん中にいるわけではない。かつてを思えば、輪の中央にいるということに違和感さえ覚える。まあ昔は輪の一部どころか外だったわけだけど。

 それにしてもなぜ中高生は横一列に並んで歩くのだろうか。自分だけ前や後ろを歩くことが怖いんだろうか。うーん水面下の友情とカースト争いを感じる……。

 

「何って……言えないことよ。折角なんだから」

「えぇ、気になります……。ねぇアイリス、カンナはなんて?」

「あっ、卑怯よ!?」

 

 純粋培養の美少女とはいないもので、そも幼い頃から自我を確立していた僕ともなれば、自分の見た目を使う、つまりはあざとい振る舞いというものをよく覚える。

 普段は素っ気ないネコチャンが突然甘えた声を出せばいくらでもご飯をあげてしまうのが人情というものだろう。

 服に少し体重をかけるように引っ張って、上目遣い(アイリス相手の場合は身長差的にデフォだが)で問いかければ情報の秘匿などできようものか。ふはは、アイリスの前で僕に隠し事ができると思うなよ。

 

「い、いえ……(わたくし)の口からはとても……」

「ほんとに何を言ったんですかっ!?」

「HAHAHA! 残念だったわね」

 

 あぅあぅと口を動かしたアイリスは、途中まで頑張って言おうとしたものの遂には顔を赤らめて諦めてしまった。

 えっちなことか? えっちなことを叫んで爆笑してたのか……? この人間情緒ヤバすぎるだろ……。

 

「もう知りませんよ。変態アーティストなんていつか捕まればいいんです」

「あら、アーティストに変態は褒め言葉よ?」

「そういう意味じゃありません!」

 

 作る人(アーティスト)とはまともに話ができないことがあるのをよく知っていたので、もう掘り下げるのはやめておくことにした。

 ふん、と拗ねてアイリスの方に寄りかかると、スタンバってましたとばかりにアイリスの両手が優しく僕の頭をふとももまで誘導する。嗚呼全自動えちち膝枕……。

 

「これだけで一枚の宗教画なのよねぇ」

 

 カンナはそう小さく零し、どこからかスケッチブックと木炭を取り出して手を動かし始めた。ほら、人が拗ねてるときですら絵を描き始めるんだから。変態め。

 もっと謝って撫でて褒めて持ち上げて宥めすかさないと機嫌直さないぞ。こうなった僕は頑固なんだからな。

 

「……」

 

 魔法陣の影響か知らないが、風はまるで吹かず、明るいのに夜の森のように静かで違和感がざわざわと胸を鳴らす。

 ただカンナが絵を描く音だけが、シャッシャッと規則正しく、ゆったりとしたテンポで刻まれている。きっと、彼女の手元では大小濃淡様々な線がワルツを踊っているのだろう。

 

「……」

 

 ……ハッ! なんか落ち着いた雰囲気に流されかけた。

 僕は拗ねているんだ。拗ねてるんだぞー。

 

 ……だぞー。

 

 シャッ(タン)シャッ(タン)シャッ(タン)シャッ(タタン)

 

「……♪」

 

 とても自然に。それこそ息を吐くようにハミングをしていた。

 まあ、うん。拗ねてるんだけど。

 

 ……でも、まあ、いっか。どうでも。歌えるんだし。

 拗ねてようが拗ねてまいが、歌ったほうが気持ちいいだろう。

 

 筆先の揺らす空気を、静かに吸った。

 

 

 

 

ただひとり 迷い込む旅の中で

心だけ彷徨って立ち尽くした

でも今は 遠くまで 歩き出せる

そう君とこの道で 出会ってから

 

旅人たちが歌う 見知らぬ歌も

懐かしく聴こえてくるよ

ただ君といると

 

夢見た世界が どこかにあるなら

探しに行こうか 風のむこうへ

凍てつく夜明けの 渇いた真昼の

ふるえる闇夜の 果てを見に行こう

 

 

 

 

 防音は反響の用途でも用いられると先生が話していた通り、懐かしいメロディーが野外とは思えない不思議な響き方をして耳に返ってくる。

 そういえば、人の名前は忘れるくせに歌詞は覚えているものなんだなぁ。特段音楽系の才能に恵まれた前世ではなかったのだけれど。……単に、転生してから無意識のうちに忘れていいものと忘れたくないものを選んだのかな。

 選んだのは、レインだろうか。にいろだろうか。

 

 

寂しさを知っている 君の瞳

まばたいて その色を映すから

 

 

 続きを歌いながら、ゆっくり身を起こした。カンナが絵を描いてる? 知らん知らん。まず肖像権がですね……そういえば描いてもいいって約束だったな。

 

 なにはともあれ、そっとベンチから降りてカンナの描いた魔法陣の傍らにしゃがむ。

 他の人からはただの模様を描いた水路に違いないが、魔力を視てやれば、今も忙しなく魔力が巡っていることが分かる。

 水描(すいびょう)式の簡単なものだし、場所も場所だけに魔力の量は大して多くないけれど。僅かな光を灯してふにゃふにゃと、しかし必死に忠実に、指示(魔法陣)の通りに魔法を生み出している。

 

 

差し出すその手を つないでいいなら

どこまで行こうか 君と二人で

 

 

 必死だとか忠実だとか、もしかしたらそれは流れ星に意味を見出すような、気圧と水蒸気のもたらす降雨を龍神と敬うような、そんな勝手な思い込みかもしれない。

 魔法が法の一部だと言うのなら、利用こそが賢い人間の正しい在り方かもしれない。

 

 でも僕は知っている。

 ありがとうと伝えると、それは明日もっと丁寧に流れようとする。

 よろしくお願いしますと願えば、それは昨日よりも強く輝こうとする。

 それはいつだって、どこだって、何のためでも、ただ美しく光を灯している。

 

 意思疎通なんてできた試しがない。話しかけたら光が踊って応える? まさか。ぽわぽわふわふわ、その辺を漂っているだけだ。

 何も、丁重にもてなせというわけじゃない。奉って毎回頭を下げることなんて僕もしたことがない。

 

 けどさ、飯食う時にいただきますって言うでしょう。

 ただそれだけだ。

 

 ただそれだけをしないから、僕は人間の魔法が嫌いだ。

 

 

どこへも行けるよ まだ見ぬ世界の

ざわめき 香りを 抱きしめに行こう

 

 

 気持ちよく歌えました。うん。

 木の葉のざわめきや、爽やかに頬をすり抜ける風。

 まるであの森で歌っているかのようだった。

 

 地面にそっと指先を当てて、ほとんど聞こえないくらい小さな声量でありがとう、と呟いた。

 

 ……ん、風?

 

「……ありぇ?」

 

 魔法陣は……輝いている。つまり、防音の魔法の効果自体ははたらいている。

 ……が、先程まで数メートル先にうっすら見えていた境界がどこにも見えない。

 

 あの?

 

「カンナ、大変です」

「ん?」

「魔法陣の効果の範囲が、多分ちょっとよく分からないくらい広がっちゃってます……」

「ちゃんと大変じゃないの!?」

 

 とりあえずカンナの指示に従って慌てて魔法陣を塗りつぶした。

 感謝とか微塵もなかった。なんならむしろバカ!ぼけなす!って念じていた。

 モウオワリー? と散っていく魔力に恨みがましい視線を送る。

 

「学域内ですから小規模なら見ないふりをしますが、基本的には事務局に申請して、定められた通りの使い方をするようにしてください……」

 

 建物がある範囲まで広がってたらしく、発生源に駆けつけてきた先生にめちゃくちゃ叱られた。サーセン、でも僕らじゃなくて魔力が……。

 

 今度からは罵倒を念じながら歌うようにしようと思った。

 感謝とか駄目だ。あいつら限度知らないんだから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

敵キャラって結局倒されるために生み出されるから非現実的だよね。実際のところは明確な敵のほうが珍しくて、精々たけのこ派の畜生共くらいかなぁ?(きゃるんっ☆)

(※主人公個人の感想であり、作者及び作品に関連する他の人物・団体とは無関係です)


「やあ」

「ヤ、こんにちハ」

 

 朗らかな挨拶が交わされた。

 雀も跳ねて遊びたくなるような気持ちの良い天気の下、青々と茂る芝の公園で二人の人物が向かい合っていた。しかしそんな陽気にも関わらず、他の人間の姿は影ひとつ見えない。

 

 特徴的な刺繍の入ったポンチョのような羽織物から、二人が導師であることは遠目からでも分かっただろう。

 一人は優しげな笑みを浮かべた男で、もう一方はそもそも顔というものがなかった。マネキンのようなのっぺらぼうにサングラスを着け、声の代わりとなる音声は喉元の機械らしきものから発されている。

 不思議な、もはや不気味な組み合わせの二人だが、他の人間が見れば「まあ導師様だから」と言って納得してしまうだろう。学園都市の人間は、見た目に関しては割と寛容であった。

 

「立ち話も何だから、あちらの木陰にでも」

「オヤ、これはありがたイ」

 

 木陰の、虫の一匹もついていない綺麗なベンチに一定の間隔をもって腰掛け、向かう方角に聳え立って見える大樹を眺めながら二人は交互に口を開いた。

 

「……11区ニ、いらっしゃるようですネ」

「ええ。お会いできるのが待ち遠しいです」

「本当ニ。お上もよく隠したものダ」

「隠していたわけではないでしょう。ご挨拶するための経路をすべてなくしてしまっただけで」

「魔導の頂たる者ガ、まったク嘆かわしいことばかりなさる……」

 

 どうやら二人は尋ね人を見つけたらしく、あふれる悦びを上手く隠しきれない様子で上機嫌に話している。

 

「アカのオヒメサマは、確か9区でしたカ。接触しまスかね」

「するでしょう。それどころか、既に一度接触しているはずです」

「けれど留学の予定ハ、ドローネットが──失礼、ドローネット様がお見えになる前からでしたよネ? あの国の人間ハ、中々どうして手が早イ」

 

 相手の雰囲気の変化を感じ、のっぺらぼうは慌てて「様」を付け直した。

 優男はコホンと咳払いを挟み、またいつもの調子で笑みを張り付ける。

 

「敵地でしょうに……まあ、舐められているのでしょう。実際あの国の中央は魑魅魍魎が跋扈していますからねぇ」

「舐められているだなんて、いけませンよ。人類の同胞ではないですカ。仲良くシましょう! キズナ、大事ですよ」

「あなたがそれを言うと……」

 

 ははは、とお互い作ったような笑い声を上げた。調和を掲げた、楽しげで素晴らしい会談である。

 優男が大樹に向かって祈るような姿勢を取ると、のっぺらぼうも合わせて同じように腕を掲げた。

 

「まずは良いお導きを祈りましょう。どうか、レークシア様の加護があらんことを」

「エエ。レークシア様の、加護があらんコトを……」

 

 

 

 


 

 

 

 

 しとしとと雨が降っている。

 実のところ、雨の音は好きだった。家の中で屋根を叩く雨音を聴くと心が安らいだ。

 

 休みの日に、外から遊ぶ子供の声が聞こえてくると寂しくなるから。

 今日もみんなは公園で遊んでいるのだと思うと、苦しくなるから。

 

 だけど、雨の日だけは家にいても許されるような気がして……好きだった。

 でも濡れるのは嫌なのだ。寒いから。寒いのは嫌いだから。

 

 だから、傘を差している。

 客席の合間に立ち尽くして、肩を支えに差している。

 

「いかないと」

 

 舞台へ向かった。

 客席には誰もいなかった。

 

 舞台の奥には大樹の根が張っていて、なんだか近寄りがたいそれを避けるように進むと、懐かしい射場があった。

 当然更に先には(あずち)があって、中央に掛けられた的の中心には矢が二本。見慣れた光景であって、これから矢取りに行かなければいけないことは分かった。

 矢道にはどうぞ使ってくださいとばかりに雪駄が一足。記名された名はもはや掠れてしまっているようだ。

 

 けれど僕は動かなかった。

 ただじっと、的を見つめていた。

 

 この傘は、雨の降る矢道を歩いていくために持っているはずだった。

 けれど僕は動かなかった。

 ただじっと、的を見つめていた。

 

 しばらくして、垜横の看的所に何かがいることに気がつく。

 暗くて狭いその空間は、ここからでは中までよく見えない。

 

 どうして出てこないのだろう、と思った。

 それから、どうして待っているのだろう、と思った。

 誰を待っているのだろう、と思って、僕を待っているのだと理解した。

 

「でも、思うんです。その甲矢(はや)も乙矢も、お前が射ったものでしょう? どうして僕が取って、拭いて、世話してやらないといけないんですか」

 

 声を張り上げたから、きっと聞こえたはずだ。

 当たり前のことだ。僕は雑用係ではないし、どうしてあんな奴のために行かなければならないのだろう。

 

 僕はレインだ。

 神事のために弓を引くことはもはや必要ない。

 レインは、歌うのだ。ちっぽけでしょうもない神様のために。

 

「そうだ。どうして僕は傘なんて差しているんだろう?」

 

 レインはエルフだ。

 エルフは誰ひとりとして傘なんて使わない。

 そもそもとして、こんなビニール傘。僕の世界にはありやしない。

 

「そっか。これも、お前のものなんだ」

 

 傘を畳んだ。そして、返すように雪駄の隣に立て掛けた。

 

 立て掛けて、手から離す瞬間。

 離しちゃいけないものを離してしまった気がして、反射的に手を握った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 暗闇の中、目をゆっくりと開いた。

 見たこともない天井が広がっていた。

 

 体は動くようだったから身を起こすと、隣で金髪のとても整った顔立ちの女性が静かに寝息を立てている。耳は尖っていて、中性的な顔立ちの割に女性だと即座に分かったのは、その如何とも形容し難い大きな胸の膨らみのためであった。

 

「……えっと、どなた、でしょう……?」

 

 動物的な本能か、あるいは理解の外にある物体への好奇心か。

 おそらく性欲などとは違った部分で、気が付いたら手が相手のお胸へ伸びていた。

 

「ま、まあ同性ですし……うわぁ、ふかふか……」

 

 誰に向けてでもなく言い訳をする。

 すると、寝相なのだろうか。腰のあたりをガシりと掴まれ、わわわと言っているうちに抱き枕にされてしまう。丁度顔の位置に大きな大きなそれが当たって、温かいような、気が動転するような、様々な感情が入り混じって乱れた。

 

「こ、これは……良いのでしょうか……?」

 

 知らない女性の胸に顔をうずめているわけで、本来は色々と確認しなければいけないのだろうけれど、抵抗するすべがない。

 などと呟いている間にも温もりに意識が薄れていって、ほとんど強制的に眠りの中に落とされてしまった。

 

 すやぁ……。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……御子様、御子様。朝ですよ」

「んみゃ……」

「ほら、ばんざいしてください」

「んー……」

 

 朝。なんだかいつもの悪い夢を見ていたような気もするが、特にうなされて起きた覚えもないし、目覚めもそこまで悪くない(パッチリ目が冴えているとは言っていない)し、いつもどおりアイリスに促されるまま朝の支度をする。

 ばんざいして、ひとまず上は一糸まとわぬ姿に。

 

「はい、髪を梳かしますから、じっとしていてください」

「んー……、ありがとぉ、ござぁまふ、アイリス……」

 

 支度といいつつ、かなりの部分を任せきりである。

 アイリスは見た感じもういつでもどこでもなんでもできますって感じなんだけど、一体どんな生活リズムでいつ起きたらここまで朝からキビキビ動けるのだろう。

 僕はと言えば、ちょうどこのあたりで頭が覚醒してくるのに。

 

「では服を着ましょう」

「はい…………ん? 最初に脱いだ必要ありましたか?」

「?」

 

 アイリスが不思議そうな顔をしている。あれ、なんか変なこと口走ったかな……。

 やっぱり、頭が働くようになるにはもう少し時間が必要なのかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人と話すときは目を合わせることがマナーです。そのため、相手の話している内容を聞くというのは目を合わせることを疎かにしていると取られて大変失礼な行為となります。注意しましょう。

 人生において、反省文というものを書いたことがある人は如何ほどいるのだろう。

 漫画なんかではよく反省文何枚〜といった表現を見かけるが、生まれてこの方反省文というものを読んだことなく、そのテンプレートすら知らない。

 悪いことをしたらごめんなさいをするのは当たり前だ。しかしA4(B5でもいいけど)用紙何枚分もごめんなさいと書くのはいささか猟奇的が過ぎるのではないだろうか? 心をえぐる系のアニメで、取り返しのつかない失敗をした主人公が心を壊すシーンと大差ない。見たらヒエッってなるやつ。

 ところで、本当に心が壊れたときは、脱力感にペンを持つことすらままならないんじゃないだろうか。完全に絶望したら、言うことも書くことも、あらゆる行為ができなくなりそうなものだ。

 

 閑話休題(まあなんであれ)

 

 暴走(?)した魔法陣クンについてお叱りを受けた僕らは、反省文ではないが、ある程度の規模の魔法を使いたいときに出す提出用紙の書き方についてレクチャーを受けるべく、後日呼び出されるなどしていた。

 

「……暴走ではなく【共鳴】と呼ばれる現象なのですが、専門とする学生でなければ学びませんからね。歌いたかっただけとのことですが、自作の魔法陣より貸し出されている防音室などのほうが……」

 

 などなど。

 ためになることも、お小言も、色々と頂いた。

 

「……うーん、分かったわ」

 

 ようやく解放されたところで、目を鋭く尖らせたカンナが僕に向かってビシリと指を差す。人を指差してはいけませんよ。エルフだけど。

 

「格好つけるときは良いのよ。それより……アンブレラ。今から貴女には、叱られてもらいます」

「えっいま叱られたばかりですが……」

「……」

 

 分かってねぇなとでも言いたげに、大げさに肩をすくめられる。

 都合のいい小部屋に連れ込まれ、正座した僕に仁王立ちのカンナが向かい合った。アイリスは僕を庇ってしまうからと部屋の外で待たされている。

 被り物を外して横に寝かせると、少し厳しめの口調でカンナは話し始めた。

 

「アンブレラ。貴女、ちゃんと叱られたことないでしょう」

「……あり、ますよ? 凄く昔かもしれませんが……」

「それ本当? まあ、叱られたことが有るか無いかは抜きにしても、まずは自分がどう見られているかを考えてみたほうがいいわよ」

「どうって……」

 

 最後に叱られたのはいつだったろうか。注意されることはあっても、明確に叱られたと言えるようなことがあったのは、この体に生まれる前かもしれない。その頃の記憶も、もはや曖昧になりつつあるけれど。

 

「考えてもみなさい。私達の不注意で、魔法は建物ひとつを飲み込みかねないほど広い範囲にまで及んだのよ? もしもあの庭園が病院の隣にあれば、それこそ医療用魔道具が故障して亡くなった人だっていたかもしれない」

「それは……本当に、僕が迂闊だったと思います……」

「いいえ。そのことを責めるつもりはないし、むしろ私だって叱られる側よ。考えてほしいのは、あのね、どうしてそれだけ危ないことをしたのに、私達は少ししか注意されなかったと思う? 申請書類なんてバカバカしいじゃない。どうして私達は今後の魔法陣の使用を禁止されなかったの? どうして事務局の人は困ったような顔をして説明するだけだったの?」

「へう……。ひと、人間のみなさんは、優しい人ばかりだから……?」

 

 物凄い剣幕で、しかし淡々とした口調で紡がれる言葉に上手い返答が出てこなくなる。

 顔を俯かせて目線だけでカンナを捉えると、ウッとたじろいでから、頭を左右に振って彼女は息をついた。

 

「そんな素直な生き物じゃないわよ。もっと、卑怯で、打算的で、独善的で、弱々しい存在だと思いなさい。そんな人間が、貴女にとって優しく映るのは何故? 貴女は誰? 人間はどうして貴女を責めない?」

 

 そんなことは知っているよ。僕だって人間(そう)なんだから。

 だけどそれでも優しさだって兼ね備えているだろう。美しさだってあるだろう。人間とかエルフとかじゃなくて、それが人だろう。

 僕は──

 

「──それと」

「わぷ」

 

 唐突に、外していた被り物を顔に押し付けられた。

 思考が中断される。なんだ一体。

 

「貴女、叱られてる間これ付けてなさい」

「え、でも、こういうときに顔を隠すのはマナー違反って聞いたことが」

「そんな綺麗な顔で! 目を潤ませて! 上目遣いで! 怯えて悲しそうな顔しながら話聞く方がマナー違反よ!!」

「ごめんなさい……」

「しょんぼりして涙声出さないの! 甘やかしたくなるでしょ!」

 

 割とちゃんと理不尽だ……。

 渋々被り物を付け直し、再度居住まいを正した。

 




学園都市には都合のいい小部屋が沢山あります。
ただし1/3の確率で初等魔法陣が、1/2048の確率で肉体的に影響を及ぼす可能性のある魔法陣が設置されているので、入室の際は必ずノックをしましょう。
今までに致死性の小部屋は2つ見つかっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リフレッシュレート240Hzに慣れてから60Hzに戻るとすごい酷く感じる。何が言いたいかというと、恵まれた環境はそこにいる間には中々気付けない!

 叱られた経験、というものを思い出してみる。

 

 カンナに言った通り、なにもこれまでの時間全てで叱られたことがまったくないということはない。

 前世では何かと無防備だの注意散漫だの、両親親族教師警察etcにガミガミ叱られて「チッ、ハイハイ分かりましたようっせーな(反抗期)」と思うこと幾星霜であった。なお怖くて口には出していない。

 そもそも未だに納得行っていないようなことばかりだ。僕は人と話すのに夢中になるようなこともない(話す相手がいない)から道を歩くときだって交通安全には気を使っていたし、ぼっち特有の対人センサーは常にビンビンだった。車の急接近を許したのなんてハイエースされかけたときくらいなもので、その他恐怖を感じた体験なんて大型犬に吠えられるかカラスに虐められたときだけだ。

 

 しかしまあ、現世に生まれてからというもの、前世からのアドバンテージとして物心や倫理観(貞操観念☓)は既に備わっており手のかからない子供扱いだったし、見た目や立場も相まって叱られることはまるでなくなってしまったように思う。

 ヘリオが例外かもしれないけれど、あのドM淫乱ロリとは付き合い方が付き合い方だったし……。

 それでもこの間まではクロさんがいたから、お花畑な脳みそも鳴りを潜めて気を引き締められていた。機会が減るからこそ、叱ってくれる人というもののありがたみが増すものである。

 

 さて。

 

 まあ、うん。認めよう。

 灰となった僕のもうひとりの母さんのことを思い浮かべて。

 薄氷のような脆い笑顔を振りまく、可憐な病児は今も生きているから。

 

 この世界は、僕に甘い。

 この世界は、たまたま、選ばれたわけでもなく、であれば時に毒となりうるほど、僕だけに生温い。

 もちろん他にも似たような境遇の人はいるかもしれないけれど。

 

 そのことに対し無自覚でいるのは必ずしも悪いことではない。と思う。

 でもカンナは、そうは思っていないのだ。ノブレス・オブリージュに近い思想なのか、彼女独特の哲学があるのかは知らないけど。

 そして僕も、直接そこまで言われて、それでもなお無自覚に益を享受できるほど面の皮は厚くない。

 

「それは、僕だからですか? それともエルフ(僕ら)だからでしょうか?」

 

 覆面越しにカンナの目を真っ直ぐ見上げる。

 こちらの表情は見えていないだろうけれど、僕の返答をじっと待っていたカンナは一瞬目を瞑った。

 

「……与えられた正解は、きっとまた間違えるわ。正解が明日には嘘になることもあるでしょう。だから、まず自分の中でひとつ答えが出るまで考えなさい。大事なのはどうしてそれが答えなのか、だから」

「へぅ……」

「情けない声出さないの。叱るってことは、貴女が答えを見つけられるって信じてるってことなんだから」

 

 助けを求めて後ろをチラリと向く。

 しかしそこには誰もいない。そうだった。アイリスは扉の外側なのだ。いつも静かに佇んで、なんだかんだと僕を甘やかす乳母は今はいないのである。

 

 カンナは再び黙ってじっと待っている。信じていると言われて少し動揺したが、それでもただただ困ってしまう。

 

 だって、そもそもどうして人間がエルフにこんな丁寧に接して、時にビクビクしながら、多くない富を無条件に差し出すのかまるで分からないんだもの。

 大昔に人を救ったことがあるって言っても百年とかそれくらい前の話だろうし、人間の中では御伽噺程度になっていてもおかしくない。そうしたら、エルフなんてただ見た目が人に似ていて美形の、森に住んでいる生物の一種でしかない。

 

 ……と、いうか。

 

「……人間のみなさんは、僕らにあまり強気に出れない、あるいは出たくない。これは合ってますよね?」

「そうね。大体がそんな感じよ」

「えっと、じゃあカンナの言う『僕を叱る』のって、あまり歓迎されないというか、タブー寄りなのでしょうか……」

「そうね。一部の大人なら、頭を抱えてそのまま倒れるかもしれないわ」

 

 えぇ……(困惑)

 その「一部の大人」とやらの反応も気になるけれど、彼女も彼女でタブーをさらりと犯しているのか……。

 

「だって、最悪人間がどうなろうと知ったこっちゃないもの」

「えぇ……」

 

 遂に困惑しすぎて声に出た。

 悪びれもしないカンナは、フンと鼻息を荒げる。

 

「この世で一番大事なことなんて、たったひとつよ。──絵を描くこと。何よりも美しい、この世界と同じ価値を持つ絵を描くこと。ただ、それだけ。逆に、どうして人間(みんな)のために生きる必要があるの?」

「いやでもほら、皆さんが培ってきた文明があってこそ自由に絵が描けるわけですし……」

「それは、そう」

「えぇ……」

 

 思いきり「作る人」寄りの人種なことは分かってたけど、下手したらアイサ姉妹より極端なタイプかもしれないこの人。

 頼れるお姉さん気質だなと思っていたのだが、まだこんな深淵が……。

 

「とにかく、私は美しいものが描きたいだけなの。それなのに、美しさの指標である貴女がしょうもない人だったら困るじゃない」

「理想を他人に押し付けるタイプだぁ……」

「失礼ね」

 

 唯我独尊なところを見せつけたカンナは、少し恥ずかしげに口元を手で隠しながら、それにと小さく続けた。

 

「それに……その、と、友達、なんだから、悪いところは一緒に直せたらな……って」

「もしかして友達すごい少ないですか……?」

「失礼ね!?」

 

 すいません冗談です、とからかうように笑う。

 僕も僕とて友達はそう多くないし。

 

 だから。数少ない友達が真剣に向き合ってくれているのだから。

 僕の中での答えというものがひとつ見つかるまで、少し真剣に見つめ直してみることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そうか、つまりはタダより高いものはないってことか! 人間こえー! あやうく、ドキドキ学園都市生活〜(内臓)ポロリもあるよ♡〜なR18(G)展開になるところだった…

 カンナは怒っている。

 ときどき勝手に脱線してさらには逆ギレまでしてくるが、それはそれとして、僕が自らの置かれた環境に対し無自覚でいることを問題視している。叱り方に躊躇がないというか、どこか手慣れているのは弟や妹でもいるのかもしれない。僕も弟いるんだけどな……。

 僕に誰かを叱った経験がないのは、人としてそもそも成熟できていないか、あるいは他者に対する認識の仕方がズレているからだろう。

 

 ……これもだ。きっと僕は、自己分析や内省という点においては平均よりは高い能力を有している。けれども、どのように認識がズレているのか、なぜ(レイン)あるいは僕ら(エルフ)は人間から優遇されるのかが分からない。だってそれは、他者の思考を知って初めて答えが出せることだから。

 だから聞いたのに、カンナは「まず自分で考えろ」と言う。自分で考えることに意味があるのだという。そんなの運ゲーで、おおかた間違った答えしか出せないだろうに。

 

 けれども。自分の中で意味が見出せなくても。

 少なくとも、「友達がそれを望んでいる」という意味は与えられている。だから考えるのだ。意味というのは、自分だけでなく他者によっても与えられることのあるものだから。

 

 人間は僕、あるいは僕らに下手(したて)に出て、学習の機会を与えることはおろか生活の場所さえ提供する。いくら学園都市の人間が研究キチばかりとはいえ、学びたい者誰でもウェルカム! みたいな社会制度はしていないだろう。少なくとも、白妙の止り木から脱走した時に見た少年のような存在があることだし。なんだっけ……ハマダみたいな名前のツンケンした子。

 

 であれば、この優遇には下心があると考えるのが普通だ。うん、どう考えても「人間のみなさんは、優しい人ばかりだから」なんて結論は出ませんね。僕が日頃いかに脳死で生きているかが判明した。いや僕というかエルフの習性が悪いのであって、前世の僕はもっとちゃんとしてた……はず(疑心暗鬼)

 さて、下心と一口に言っても種類がある。何らかの理由で恐れているから取り入ろうといったものから、物的な対価を期待するものなど。あとは知識とかも対価たりうるか。

 

 もう嫌になるほど思い知ったことだが、人間とエルフでは魔法に対する理解の仕方も違うし、行使の手段も違う。人間は物凄い縛りプレイをすることでその微小な魔力量で魔法陣をやりくりしている。魔法陣というパッケージ化された形でしか魔法を知らないから、その理解も浅い。と思う。まあエルフはエルフで魔力量でゴリ押ししているところあるけど。

 ああ、となれば魔力量も対価としてあり得るか。たとえばヤァヒガルに魔力込める作業しまくったけど、あの石に自然に魔力が貯まるのを待つのではエネルギー資源としてそれなりに貴重なものとなる。……なんだ、なら白妙の止り木にいた時点で対価支払ってたのでは? まあ、魔力の扱いの良い勉強になったから異存ないけど。

 一番怖い発想としては、実験動物として使われる未来である。流石に今まで関わってきた人間の性格からしてそんな倫理観……してない……してないよね?(不安) いや、うん、してないと思いたい願いたいできればそうであってほしいと希望する次第でありますけれどもですけれども、エルフは全然人間と交流ないみたいだし、不思議生物として研究意欲をそそっていてもおかしくない。……森に帰っていいですか?(震え声)

 

「あの……カンナ、ぼ、僕の内臓とか脳みそ見たいですか……?」

「えぇ……しばらく考え込んだと思ったらこの子は……いったいどんな脳みそしてんのよ……」

「うぇっ……!? や、やっぱり解剖(バラ)したいんだァ!?」

「ものの例えよアホの子め!」

 

 いいだろう。受けて立つ。

 このまま逃げても魔力が体から乖離して死。あまり長くとどまれば「ヒャッハァ、もう我慢できねぇ!」状態の研究者たちに母様にも見られたことのない場所を見られて死。

 まあ、後者みたいなことになる場合はメガンテで最後っ屁をかましてやる。練習しておかねば……。いや、僕の場合はマダンテのほうが威力高そう? メガンテって練習=死だし、マダンテの練習するか……。あ、勝手に魔力爆発させたらまた事務員さんに怒られる。

 

 ああ、そうか。

 カンナの言いたいことが分かった。カンナは友達として、こうして「アンタこのままじゃホルマリン漬け一直線よ」と遠回しに警告してくれた。それを自覚しろということは、つまり、学園都市に居たいなら僕を解剖する以上のメリットを提供し続けろということだ。

 

 そして学園都市自体も、今は僕に生かしておくメリットがあるかどうか見定めている。だからこそ魔法を勝手に使っても緩くしか怒られなかった。彼らは、僕が勝手に何かしらの成果をもたらす可能性があると踏んでわざと野放しにしているのだ。

 ただし気を付けなければいけないことは、害獣として認識されないようにすること。今までも散々警告されてきたが、言い方が柔らかいために気が付けなかった。たとえ利をもたらす可能性があっても、それ以上に害をもたらす存在であれば人間は躊躇なく排除するだろう。だから、僕は絶対に人に害を与えてはいけない。殺さないのは当然で、微塵たりとも脅威を感じさせてはいけないのだ。

 多少なりとも人々の生活を脅かせば、そのときはバラリ……。

 

「カンナ、分かりました。僕はまるで自分の立場というものを理解していませんでした」

「……! ほんと? アンブレラ、本当に分かったのね?」

「ええ。とりあえずは、僕にできることを探そうと思います。今は許されている状況ですが、それに甘んじているわけにもいかないでしょうから」

「──そうっ。そうよ、やっぱり貴女って賢い子ね!」

「いえ、カンナが諭してくれなければ気付ませんでしたよ」

 

 ゆっくり学んでいれば真名と魔力についてそれなりに知識も深まるだろうと思っていたが、現状の人間たちを見る限りそこまで深い知識が一般的に共有されているとは思えない。しかし、ヘリオがこの場所を勧めたからには、何かしら答えが見つかる場所として一番可能性が高いのだろう。

 ならば、学園都市の人の繋がりについて知るべきだ。特に、研究室。どこが何を専門としているかを調査すると同時に、僕が何かしらの利益を提供できる場所の検討もつける。

 それはそれとして、学園都市の人間怖いから、今度コルキス様に会いに行ってやばいとき助けてもらえるよう交流深めておこう。ちょっと距離感近いけど、だからこそ人情味溢れる人だと思うのだ。

 




コルキス「おっ、釣れた」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あのですね、長文タイトルの何が悪いって時間無い時にタイトル考えてらんないんですよ。残り1分とかで話にあった100字の文章書き出せるわけないじゃないですか!

 11区で大規模な魔法陣が発動された。

 正しくは、魔法陣が大規模というよりその発動範囲の規模が、だろうが。

 

 魔法自体は実に一般的なものであり、発動したのが学域内ということもあり大きな影響はなかったが、学生が練習で行使するにはあまりに規模が大きすぎた。

 ほとんどの学生の間では都市伝説として噂されるに留まるわけであるが、一部の人間、つまり学園都市への森人の来訪を知る者たちからすれば、その都市伝説の真相は容易く想像できた。

 

 ──()()1()1()()()()()()()、と。

 

「しかし、学園都市(この国)の人間は堪え性がないな」

「オブダナマには情熱的な者が集まる、と言われるほどですから」

「ハッ、ならアカの国には陰湿な者が、だなんて言われてそうだ」

 

 母国を蔑むように鼻を鳴らす主に、ヴィオラは苦笑いを浮かべた。こんなことを言っておきながらなんだかんだ祖国を愛しているのだから、ソートエヴィアーカにはやはりどこか捻くれ者が多いのかもしれない。

 伏魔殿で育ったコルキスは、しかし周りに味方が少なかった。幸いにも他の後継者候補が表立って命を狙おうとしてくるような環境ではなかったが、対人関係において優位に立つには一にも二にも情報である。味方が少なければ情報網を広げるのも一苦労で、いつしかコルキスは僅かな情報から正確な状況を予測することができるようになった。

 学園都市の人間は、どうにもやり方が拙い。おそらく本人たちは各々の目的のために真面目に情報戦を繰り広げているつもりなのだろうが、コルキスが困惑を超えて自らの予測を疑うほどには明け透けに生きていた。

 

「いると分かった途端すぐにも人を送るもんだから、恋愛事も尻を追っかけるばかりなんだろうなァ。まァ隠されていたようだし、気持ちは分からなくもないんだが……」

 

 学園都市によるアンブレラの守り方はどうにも非合理というか、中途半端であった。

 おそらくは様々な目的が混ざってしまった結果だと分かるが、存在をまるきり隠して問題が起きても嫌だから来訪だけ通達して、しかし鼻息を荒くした導師達が突撃するのも困るからどの学区にいるかは伏せる。

 とはいえ学区ごとの特性を考えればおおよその候補は割り出せるし、コルキスのいる9区には行かせたくないだろうから更に絞れる。だからあの少女を求めるならそのいくつかの学区にあらかじめ人を配置しておくべきなのだが……。

 

「ここのトップは化け物って聞いてたんだが、頭は弱そうだ」

 

 もしくは、実質的な権力を握れていないか。

 学園都市のほとんどの人間は情熱的(分かりやすい)だが、そうでない者も必ずいる。いや、いるのか甚だ疑問だが。まあ、多分、いる。そういう者に限って見えないものだ。だからこそ、コルキスはほとんど動かず、勤勉な留学生として生活していた。

 

 目的とは追うものではない。向こうから勝手にやってくるものだ。

 必要なことは、それが自然となるべく準備をすることだけ。運の要素も強かったが最初に接触することに成功し、学園都市の雰囲気も直に知ったことで、コルキスはおおよその環境は既に整っていると考えていた。

 

「アンブレラ様、お待ちしていますね」

 

 外向けの微笑みを柔らかく浮かべ、コルキスが呟いた。

 9区の学生が見れば「あぁ今日もお姫様は美しい」と感嘆し、ソートエヴィアーカの城に仕える者が見れば背筋を凍らせるような、そんな笑みであった。

 ただ、唯一その場にいたヴィオラだけは、その微笑みが普段のそれとはどこか異なることを感じ、知らない表情をする主に息を呑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フ。ロフェッショナル仕事の流儀、公認非自認留学生の朝は早い……けど正直眠いのであと十分だけ眠ってもいいですか?

 朝起きる。

 木製の台の上に簡易的なマットレスを敷いたベッドは前世から馴染み深い構造をしていて、場所が違えど原始的な道具はどこでも同様に発明されるということを実感する。ベッドは実家の森にもあったが、生活に無頓着なエルフ達でも寝具は必要としたのだろうか。あるいは、クロさんのように外界の調査をしていたエルフが過去に持ち帰った文化かもしれない。

 にゃんにゃんする相手がいるわけでもなく、シーツの乱れはほとんどない。その上に寝ぼけ眼でちょこんと座り、アイリスに流されるまま髪を梳かして制服に着替える。骨格が変われば楽な姿勢というものも変わるらしく、前世では股関節か膝あたりが悲鳴を上げていたであろう女の子座りを自然にしている自分にふと気付いた。……いや、このくらいなら前世でもできたか? 正座とか座禅とかやってたもんな。

 女の子座りのできる男はケツ掘られてもそこまで辛くないらしいので、性の多様性に貢献しているということで胸を張ろう。僕は掘られるなんてまっぴらごめんだったけど。

 

 このベッドが多分、数万くらい。

 

 しばらくすると宿のお姉さんが朝食を持ってきてくれる。

 朝は足元もおぼつかないレベルで脳死ポンコツの僕を慮りサービスしてくれているのだが、なぜかお姉さんも含めて3人で朝食を食べている。まあ食後に食器を片付けるためなのだろうけど。

 5%の確率で「うみゃ」か「ふぁい」と発語するだけのbotと化した僕をひとしきり眺めてから、さあ今日も頑張るぞーと仕事を再開するエネルギッシュな方である。エネルギッシュはドイツ語。

 客からのレスポンスが欲しいタイプの人なのかな、ということでしっかり毎朝ごちそうさまとありがとうございます(なお呂律)を伝えるが、実質毎日欠かさず拝んでいるわけなので、そろそろ信仰対象として数え方が一人から一柱に変わるかもしれない。

 

 今日の朝食は、スープとそれに漬けるパンのようなもの、サラダ。

 お姉さんのデリバリーサービスと合わせて、一日500円くらい。

 

 明瞭になってきた視界で部屋を見渡す。

 たいして物があるわけでもないが、それなりに広いと思う。何畳とか何ヘクタールとかよくわかんないけど。畳30から40枚くらいかな。柔道ができそう。

 実家が実家でおそらくはそれなりに部屋が広かったので感覚が狂い始めているが、二人部屋だとしてもこの部屋はそれなりに広いのだと思う。天井もそこそこ高いし。この世界クソでかい人結構いるしね。

 流石に前世のホテルのようにアメニティとか冷蔵庫とか置いてはいない。水差しとかランプくらい。あ、でもトイレがある。水洗の。水洗の。クロさんと一緒だった時に泊まったとこにもあったけど、ここは部屋に備え付けである。

 

 そんなわけで、そこそこいい部屋だと思うのだ。

 安いビジネスホテルの素泊まりで5千円前後と聞くから、ここはきっと室料で1万くらい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

みなさんは子供ですか? 大人ですか? もしかしてこどおじですか? 大人ってなんだろうと思いましたが、大人になったことのない僕には分かりませんでした。

 現代日本に生きていれば、嫌でもお金というものを認識する。

 子供が駄菓子屋でお菓子を買うことすら、予算内でのやりくりというものを学ぶ。小学校の算数では噴水の周りを走る兄弟や時計と同じくらいお金の増減を計算するし、社会で生活するためにはあらゆることに対し金銭の交換をおこなう。

 けれども、逆に言えば僕の中でのお金に対する理解はそこまでが限界だった。高校生。アルバイトもしていなかった。浪費癖があるわけでもないから、本当に駄菓子屋とか本屋止まり。

 

 つまり、生きていくためにお金を払う、ということについて考えた(ためし)がなかったのだ。

 

 物々交換のその先。市場経済の基盤を成し、信用を具現化した道具。

 頭では分かっている。本には嫌というほど書いてあって、生きていれば想像もできる。

 けれども、経験による裏打ちのない知識とは仮初に過ぎないものだ。

 

 小学生は年度初めに配られる教科書がどれだけの価値を持つか考えないだろう。

 配られたから、持っている。授業で使うから、捨てないでいる。

 

 結局、合計して30年近く生きているはずでも、そのすべてが「子供」としてでしかない僕は、やはり子供から脱することができないらしい。

 

 講義室の席に座って、先生が来るのを待つ。

 肌触りの良い制服は、旅のために服など荷物を減らしていた僕らにとってはありがたく、カンナ曰く可愛らしい見た目が他の学区の生徒からも人気らしい。制服は学区ごとにあったりなかったり様々らしいが、教授や研究内容を一切考えずに制服のためだけに配属先を希望する生徒が例年あとを絶たないとか。そういう人は結構な確率で落とされるらしいけど。

 

 日本と違って四季のような寒暖差の少ないこの地域は、人によっては通年でこの制服を着ていられるそうだ。寒さの厳しい時期は更に羽織ることのできる上着もある。

 聞けば、やや厚手の布の一部には魔法を使った繊維が織り込まれているとのこと。普通に汚している人を見たことがあるのでファンタジックな自動洗浄機能なんかではないと思うが、まあ撥水加工とか防腐加工みたいなものだろう。

 

 少なくとも、安物ではないことが分かる。

 ちゃんとしたコートよりも少し高いと見積もれば、2万円は越えそうだ。

 

 手持ち無沙汰に教本の頁をめくった。

 泊まっている宿も、取っている講義も、その教科書も。どれも、クラムヴィーネからの提案を受けてあれよあれよという間に決まっていた。最低限これらの授業を取っておいたほうが現代の魔導技術を理解しやすいですよだとか、安全の関係上ここかあそこのホテルで生活してくださいだとか。

 

 まさか彼女が費用を支払っているわけではないだろう。彼女の所属する研究室か、あるいはこの学区のお偉いさんか。……流石に、この国ってことはないよね?

 魔法のために発展の仕方が前世の世界とは違うから活版印刷があるのか分からないが、必要最低限の図表が印字されているあたり教本も安いものではないはずだ。ノートというものはなくて代わりに適当な紙束を紐でまとめて使っているが、筆記用具はインク式のものが支給されている。

 

 教科書が6冊ほど。合わせれば万は行くだろう。

 筆記用具は消耗品だし書籍に比べれば値段は張らないだろうが、月千円くらい?

 

 などなど考えているうちに講義が始まった。

 学費こそまったく意識したことのないものだからどれだけのお金がかかるか見当を付けにくいが、アルバイトじゃあるまいし時給数千円はあるのだろう。あ、でも先生が一人で生徒が複数だから先生のお給料からは考えづらいなぁ……。

 大学……大学の学費ってひと月どれくらいなんだろう……。数万円だとは思うんだけど、大学行ったことないから分かんない……。

 

 まあ、全体的にガバガバな計算してるからそこは誤魔化すとして。

 

 あとは、お昼ごはんと夜ご飯。

 

 僕だけに限らず学園都市の学生については、お昼は食堂で定食を無料で注文できる。というかまあ、学費に含まれているのだろう。

 人のいないところで伸び伸びとこれを食べるわけだが、大体五百円前後だろうか。

 

 夜は大体朝と同じ。

 昼もそうだが、不特定多数の前で顔を晒すことがないようにするため、お店で食べるようなことはまったくない。まあ外食する人生は生きてこなかったから、不自由がすごい負担〜、みたいなことにはならない。どこぞで食べた肉寿司はすごい美味しかったけど……。

 

 そんな感じで。

 目に付くものを、とにかくどれも日本だったらどれくらいかかるか考えれば、少なくとも寝床だけで月30万近くて、全部合わせれば40万円を越しそうだ。

 

 それを、学園都市というひとつの大きな共同体が、僕やアイリスという個人に対して無償で提供するという。

 

 日本は確かアルバイトの時給が千円前後だったはずだ。だから、一日中バイトしたって賄いきれない。

 一体僕らに何を期待されていると言うのだろうか。

 

 投資とは、利益が見込まれるからこそ現実に与えられるものなはずだ。

 けれども、学園都市が僕に求める価値、それをどうすれば提供できるのかまるで分からなくなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

日本でも、改名するのってそれなりに手続きが必要なわけだけど。ここらへんの話こそ、自分は自分の認知だけに依らないって言われてるみたいでモヤッとするなぁ。

月イチくらいで休みをいただきつつ2年近く書いているわけですが、どの話も当時見た作品、考えていたこと、経験したことにかなり影響受けています。
具体的には忍殺語ハマってた時期とかですね。もはや物語形式の個人日記です。


 相談できる人がいない。

 

「う〜、にゃ〜う〜……」

「どうかなさいましたか?」

「うう……、なんでも、ないです……」

 

 悩ましげなうめき声を上げた僕をアイリスがキョトンと見つめた。

 悩ましげ=官能的と訳す辞書も多いが、今回は文字通り悩んでいる。

 

 なんかもう、何が問題かすら分からなくなってきたので一旦まとめてみよう。

 取り急ぎ解決に向けて動かなければいけない問題は2つ。僕の真名のこと、そして学園都市に存在価値を示すこと。

 

 真名のこと。一番わかりやすく言ってしまえば、ただ名前を改名したい。それだけだ。

 でもどうやら、エルフという生き物の構造上改名は難しく、そもそも世の中で真名を変えたという話がない。

 ヘリオ風に言えば、真名を偽ってはいけないのだ。

 僕のことなのに、僕が決めることができない。そんなのおかしいよって言ったところで、この世界で理解を得るのは難しいだろう。よしんば理解を得られたところで、「どうして変えたいの?」と聞かれれば言葉に詰まる。

 

 初めて真名を告げられたときの、怒りや失望にも似た激情が今もそのまま残っているわけではない。でも、ニイロは死んだじゃないか。ニイロは……もういいよ。

 あんな、疎まれて、避けられて、迷惑ばかりかけて誰のことも幸せにできない、そんな子供はもう死んだろ。

 

 たまたま。

 たまたま、発音記号が似通っただけ。女淵にいろではなく、二とイとロが並んだだけの別物。

 そう割り切ってしまうには、レインとして生きすぎた。母様に()()()()()()

 祝福と呪いは紙一重と言うが、まさにその状態なのだろう。

 母様に愛されることがなければ、今の僕(レイン)に、何もかもを誰かに委ねてしまえるような人になれやしなかった。きっとニイロと同じく、独りで、自分を守ることだけを考えて生きた。

 しかし母様に愛されたからこそ、今更引き返すことができなくなった。でも、後悔はない。もしもやり直せたとしても、同じ行動を取る。

 

 だって、僕はレインだ。

 僕が決めた。僕が選んだ。世界がそれは違うよって拒んだところでなんのその。

 

 僕が僕をレインだと断言できる──いや、定義できる理由は、母様だ。

 だから、果たして本当に僕が決めたことなのかとか、僕の意思なのかとかは間違っているのかもしれない。それはもはや個人の定義に関する哲学で、その命題にすんなり答えを出せるほど頭が良くもない。

 でも、僕はレインだ。母様にそう()()()()()から。これまでも、これからも。

 

「なんてこと人に言えるわけない……」

 

 前世がどうとか実の母といっぱいえっちしてますとかなぁ……。

 もう少し頭がおかしければワンチャンだが、最近はちゃんと色んな人と交流して、常識というものを身に着けつつあった。

 

 そしてもう一つの取り組むべき問題。学園都市に僕の価値を示すこと。

 提供されている衣食住が、実はただ実験動物への餌なのかもしれない。最悪の想定はそれだが、そうでなくとも、タダ飯食らいとして過ごしてある日突然「もう面倒見きれません」とあらゆる支援を切られたら、外国で孤立した僕らは路頭に迷う。

 

 まあ、生きていくだけならどうとでもなる。今は折り畳んで仕舞ってある弓を使えば鳥の数匹落とせるし、火や水も魔法がある。

 でも、研究区に入れなくなれば学園都市に来た意味がなくなる。つまりは1つ目の問題を解決するために、2つ目の問題にも向き合う必要があるのだ。

 ……あとはまあ、無償の提供って普通にやだし。タダほど高いものはないみたいな怖さと、責任感的な倫理の問題で。誰もが享受してるものならともかく、やや特権的に与えられているというのが心理的に負担である。

 

「ああでも、アルバイトでもしてお金を貯める手もある……?」

 

 世の中の学生的には、むしろそちらのほうが普通だ。宿を変えれば支払えないほどではなくなるかもしれない。

 絶対に時間が無くなる気はするけど。最終手段として、覚えてはおこう。

 

 なんであれ。

 

 結論としては、自分なりの貢献方法を見つけなければいけない。

 しかし、僕には学園都市が僕に求めていることも分からなければ、そのヒントをくれるような知り合いもいない。カンナは一介の学生であるし、偉い人と繋がりのありそうなメガネ(クラムヴィーネ)はちょっと怖い。

 カンナの友達から何か辿れないかと探ったが、

 

「芸術家はね──孤独なの」

 

 との返答しか頂けなかった。あまりに残酷で、僕はただ彼女の頭を抱きしめることしかできなかった。というかお前研究者だろとは言えなかった。

 

 とにかく、真名の研究に関することや、学園都市が必要とするなにかしらのもの。それらに関する知識もなく、相談する相手もおらず、かと言ってあまり信用もできないような相手に相談するのは足踏みしてしまう。

 ならばと考え、気付いた。

 

 頼りになって、ある程度信じられる。人との繋がりも多そうだけれど、あまり学園都市の内部に関わりすぎていないであろう人物。

 旅の道中では何かと親身になってくれた。聞くところによれば、留学して以来目覚ましい活躍をしている人気者とのこと。

 

「──そうだ、コルキス様に会いに行こう」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

精神を一切やらずに引きこもりニート生活ができる人間は、もはや一種の超人というか逆に最初から頭おかしいタイプの人だと思う。とかなんとか言ってもニートは所詮ニート。

 時に、エルフとはニートの才能に恵まれた生き物である。

 

 不勉強、不労働、無訓練(Not in Education, Employment, or Training)

 そう考えるとガンジーの亜種みたいで少し格式が高く思えてくる。いや低いか。でも暴力も仕事も大半の人にとって嫌なものだから、それをやらないという点で共通している。仕事しなければ飯もなくなるし、自動的にハンガーストライキもできるよやったねニート!

 

 閑話休題(ごめんなさい)

 

 とはいえ、実のところ仕事というのは飯の種以外の意味でも人間にとって必要だったりする。

 承認欲求とかに近しいものがある。あるいは存在意義。存外、まともな精神でニート生活をできる人というのは稀有なもので、特に人との交流もなくニートをできる者は世の中で一握りだ。というか一握りじゃなかったら、人類という種は自然淘汰で消えているだろうけど。

 

 これはきっと、人が賢いからこそ生まれてしまったものだ。

 つまり、考えてしまうのだ。「今死ぬのと将来死ぬの、何が違うのか?」と。

 その今から将来までの間に何かを変えなければ、なにかしら苦しい瞬間に、自分から死ぬという発想が鎌首をもたげる。

 愚かであればあるほどその思想から解き放たれる。だからまあ、わざと愚かに生きたがる人というのも一定数いる。そういう愚かさを嫌う人もかなりの数いる。

 愚かであるか、考え続けるか。大きく分ければ、人の生き方はこの2つな気がする。

 

 しかし、ニートの才能は答えるのだ。「今死ぬのも将来死ぬのも、同じじゃない?」と。

 だから才能というより実は環境なのかもしれない。何も違わないと自分の中で答えを出してなお生き長らえるのは、わざわざ死を選ぶほど困窮しないからだ。

 

 外界から隔絶した森の中。体質上、病も流行らない。

 最強のニート培養環境の完成である。

 

 あるいはただ愚かなのかもしれない。思い当たる節は……(目逸らし)

 しかしきっと、問われれば理解した上で返すだろう。「私は今の生活を気に入っていますよ」と。

 

 もちろん、常々言っていることだけどデメリットもある。

 外界からの干渉に弱いのもそうだし、発展がないということもある。必要は発明の母だからだ。

 ゲームとかだと初期ステータスは良いけどあとから技とか覚えれない系の種族。玄人には嫌われる。

 

 とまあ、前置きが長くなったけれど、とにかく言いたかったのはエルフニート適性高すぎ問題のことだ。

 具体的に直面している問題に言い換えると、僕もアイリスも自分の生活圏外のことについて何も知らなかった。僕らはクラムヴィーネに案内された宿で寝泊まりして、人通りの少ない緑道をしばらく歩けばそのまま学域に入っている。あとは講義のある教室を回るだけだ。

 いわば、幼稚園と自宅を行き来するだけの幼稚園生状態。近所の商店街行ったらそれだけで迷子になったと勘違いする。というか多分迷子になる。頭の中に地域の地図がないと、たとえ近場でもとんでもない秘境に紛れ込んだ気分になるんだよなぁ。特に電車とか使ったことなければ距離に対する感覚ないし。

 

「学区を案内!? えっ、えへっ、もちろ……あ、でも日中は仕事がぁ……」

 

 こういうときの常套手段といえば宿の人に頼むことらしい。アイリスがクロさんから預かった手帳に書いてあったらしく実践してみるも、宿のお姉さんには断られてしまった。人徳ぅ……ですかねぇ……。

 実際、ここの宿は規模の割に働いている人が少ないように思う。役割ごとにどれだけ人が割かれているのか知らないが、店番だけでなく掃除や買い出しもお姉さんがやっているなら時間はなさそうだ。ですよね、大丈夫ですよと微笑みながら目を伏せると、お姉さんは意を決したように拳を握った。

 

「……ちょっと待っていてくださいね」

「え、は、はい」

 

 食べ終わった朝食の皿を下げていくお姉さんを見送ってしばらくすると、トットットと勢いの良い足音が聞こえ、片手を胸の前で握ってガッツポーズをしながらお姉さんは戻ってきた。

 

「──勝ちました!」

 

 やり遂げた表情に、「何に?」とは聞き返せなかった。

 なにはともあれ、まずはこの学区の案内と、他の学区への行き方を付き添って教えてもらえるらしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

RPGとかで道を塞ぐタイプの植物オブジェクトあるけど、モンスター殺せる刃物持ってるなら流石に植物くらい突破できるのでは?ボブは訝しんだ。

 アニメやゲームには街案内をしてくれるキャラクターというものがいる。特に、アニメのようなキャラが好きに動いている世界では、たいてい誰に頼もうが快諾してつつがなく街を紹介してくれるものだ。

 まあ、街案内を頼まれて返事が分かりませんだと話が進まないからという事情もあるのだろうが、実際普通に生活していた人が急に案内なんて頼まれたら戸惑うだけな気がする。僕が森の案内を頼まれたらどうするだろう。劇場と広場と……あとは自宅くらいしか連れていけないかな。

 灯台下暗しなんて言葉もある通り、観光業者でもなければそうそう上手に案内なんてできないものだ。言い方を変えると、あくまで「その人自身にとっての街」を見せることなのだ。……ああ、今更だけど、もう地元を案内するって考えたときにあの森が思い浮かぶようになっているのか。

 

「思っていたよりも皆様好意的でしたが、それほどこちらに注目もしていませんでしたね」

 

 学域内では学生(オトコノコ)たちからチラチラと視線を向けられることに辟易してきたアイリスが不思議そうに呟く。男の子というか、なんなら女の人も大体最初はギョッとした顔で反応するものなぁ。恐らくは外套を羽織ってきたのが良かったのだろう。体全体のシルエットから凹凸が減るから、人の視線を集めにくくなる。

 

「あはは……ここらの人はみんな、学生に対して凄く親身なんです。憧れや尊敬もあるかもしれませんね、未来の導師様候補なわけですから」

 

 お姉さんの案内は随分わかりやすいものだった。というのも、まず連れて行ってくれたのが街の案内板のある場所、そこでこれから歩く大まかなルートと目的地を説明してから案内してくれたので、僕らの頭の中にぼんやりと地図がある状態で歩くことができたのだ。宿屋の従業員として、これまでも観光ガイドのようなことをした経験があるんだろうか。

 しかし、なるほど。街の人からの反応が好意的なわりに今まで宿などで受けたようなのと違うなと思ったけれど、エルフだからという理由でなく、学園都市の学生だから優しかったのか。だから変に注目もされないと。……僕とアイリスは催事用の被り物をしているわけで、奇妙な集団として視線を集めそうなものだけど。

 

「みんな、慣れたものですよ。学生や導師様の格好をしてさえいれば、動物だろうと鉄塊だろうとさほど気に留めません。催事装くらい、てやんでぇですね」

 

 まあお二人は雰囲気が独特ですから、その分で振り返ってしまう人はいるかも知れませんけど、と小声で付け足した。

 動物というのは獣人という意味だろうか。なんだか、ここ最近の生活を鑑みるに、本当に普通の動物が紛れ込んでいても不思議じゃない気がしてきた。僕でコレなのだから、学園都市でずっと生活している人はもう何があっても驚かなくなってそうだ。

 

「学園都市の方々は懐が広いんですね」

「そうですね。そこは胸を張れるところです。……もっとも、歴代の勇者様のおかげでもあるんですけどね」

「勇者のおかげ?」

「ええ。異種族との仲が悪い時代も多々あったそうですが、勇者様が架け橋となって……あ、見えましたよ! 本日の最終目的地、ヴァイツァーサ転送門です!」

 

 お姉さんが指をさす。遠目でも分かる、横に広い施設がある。人の多さといい石造りの雰囲気といい、門とは言うが日本の東京駅のようだ。

 

「凄い、学園都市に来て見た中で一番立派な建物です……」

「一番多くの人が使いますからね、何度も改築しているので、見た目や構造も常に最先端です!」

「転送門ということは、ここから他の学区へ?」

「ええ。どの学区にもあって、こういった中央の転送門は学区の顔としての役割もあるんですよ」

 

 高層ビルみたいなものかな。前世だと、発展国ほど高さや見た目の立派さを誇る建物を有していた。目に見えてわかる、国力の強さみたいなものだったと思う。あとは都道府県ごとのなんちゃらタワーとかね。

 ゆっくり近づこうとすると、正面からニャアという鳴き声が聞こえた。

 

「……猫?」

 

 視線を少し下げると、白猫がいた。いつもどこかから現れ、どこかに消えていく彼。あるいは彼女。

 駅(転送門)から出てくる人の数は多いと言うのに、猫の周りは不自然に人が通らない。

 

 まあ、とりあえず危ないし連れて行くかと思って抱えようとすると、肉球でテシっと手を払われた。えぇ……(困惑)

 それじゃあと横を通り抜けようとすると、進行方向に立ちふさがってぐるぐる回りながら道を塞いでくる。

 

「あ、あの……通してくれませんか?」

「ニャー」

 

 考えうる限りで一番ゆるい形で道を遮る障害物は、何かを訴えかけるように一声鳴いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

体臭ってフェロモンとかの相性で感じ方が大きく変わるらしいし、ワキガでどれだけ臭くても、きっとその匂いを愛してくれる人が世界のどこかにはいるんじゃないかな

 学園都市は、おおよそ連邦と呼んで差し支えない国家群である。

 三大国家の中でもその領土は一番広く、州にあたるひとつひとつの「学区」の面積は小国に引けを取らない。

 この規模について一言で説明しようとすれば歴史的経緯といった言葉くらいしか出てこなくなるのだが、そもそも現存する人類の源流がここにあると言えば何かしら想像の余地が生まれるだろうか。

 

 古の魔法使いたちは、それぞれがひとりひとつの区画を管理した。しかし、互いの居所へ行き来するのに馬車でさえ数日かかるというのは悩ましい。端の区画から端の区画へ行こうなど、考えることさえ億劫だ。

 そうして作られたのが、現在各学区の中心にある転送門だという。転送門を介して学区を行き来する物や人の数は目も回るほどで、一部の学生は講義のために一日で複数の学区を渡り歩いてすらいるという。

 

 しかし、おかしな話もあるものだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 学生でさえ一部の優秀な者なら知っているような話だが、あまりにも幼い頃から慣れ親しんでいるためか、ほとんどの人間はこの学園都市の根幹とも言える技術について疑問に思うことすらない。

 

「とはいえ、普通は禁術が何かすら知らない、ですカネ」

 

 転移と転送を同列に語ることもまた誤りである。

 真実は意外とつまらない。それでも、どこぞの軍事国家なんかがコソコソと探りを入れてくるものだから、神秘的なものとしてぼかしておいたほうが今のところ都合がよかったりする。

 

 そんな、巨大な構造物を前に、のっぺらぼうはどこからかふぅと一息ついた。

 少しでも心を落ち着けるための寸法であったが、それでもイライラが収まるところを知らないのは、目の前で這うように大地に顔を近づけて息を荒げる(変態)のせいであった。

 

「あぁ、香ります……香ります……。濃厚で芳香で、上質で甘美な、女王(ドローネット)様の残り香……あっあっ」

 

 普段は、まともな男のはずであった。むしろ自分のほうが変わり者扱いされることが多かった。

 それはまあ見た目の上で仕方ない。この優男は想い人のこととなれば狂人の片鱗を覗かせることもあったから、今の姿に度肝を抜かれるというほどのこともない。

 ただまあ、のっぺらぼうは端的にドン引いていた。

 

「彼女は学域でしょう。アナタが嗅いでいるのハ、大いなる大地と他人の靴の裏の匂いですヨ。それがドローネット……様の、香りですカ?」

「──いいえ、いいえ! 違いますとも。私が感じているのは、先日の共鳴した魔力の拡散した一部……きっとここまで広がったのでしょう。──いや、それだけでは……これは? まさか! ドローネット様、お近くに!?」

「鼻を鳴らすのは構いませんカラ、もう少しお静か二……」

 

 鼻をピクピク動かしたかと思ったら、今度はあたりを見渡して駆け出そうとする始末。

 一応は建前を用意してここまで来ただけに、不用心な相方に目立たれるわけにもいかない。首根っこを掴んで、仲間との合流地点まで連行するのであった。

 

「ドローネット様! ドローネット様ァァアアア!!」

 

 

 

 


 

 

 

 

「……ああいった方は、よくいらっしゃるんですか?」

「ま、まさか。……週に一人くらいですよきっと

 

 こ、怖かった……。

 何事かを叫んで暴れる男の人がいた。できれば一生関わり合いになりたくないものである。

 

 道を塞いでいた白猫又であったが、少しして後ろを振り向いたかと思うと、鼻先で僕をグイグイ押し始めて路地裏まで誘導してくれた。

 そのすぐ後に、転送門とやらから出てきた人々の内の男性が荒ぶりだしたのである。周りの人は距離をとっているものの警備が来る様子もなく、ともすれば学園都市の日常的な光景のひとつなのかもしれない。嫌すぎる。

 

 まあ、転送門を前世で言う都心の駅だと思えば、酔っぱらいの一人や二人いるものなのだろう。とするとナンパとかしてる人もいそう。駅前って治安悪いとこ多いよね。ここには用がない限り近づかないほうが良さそうだ。

 

「あの人から守ってくれたんですか?」

「みゃ?」

 

 猫に問いかけるも、ハッキリした返事はなかった。

 しかしもう道を遮ろうとする様子はない。駅前の人混みに放置するわけにもいかないので、今度こそ猫を抱き上げた。よかった、肉球ビンタはされなさそうだ。

 

「御子様、猫様をお預かりしましょうか?」

「えっと……大丈夫ですよ。これくらい、軽いものです」

 

 アイリスが代わりに抱えてくれようとするが、僕だってアルマと鍛えていたのだ。身体強化なしでも素の体力はそこそこあるし、猫一匹なら腕が疲れるほどでもない。

 ……が、どうやら我らが猫様は胸の大きいほうが好みらしい。少し暴れたかと思ったら、僕の胸を踏み台にアイリスのビッグマウンテンまで跳躍した。登頂を果たした猫は、フミフミとその感触を踏んで確かめている。

 凄いな。猫のバランス感覚もそうだが、タピオカどころか動物一匹が乗れるおっぱいて。動物相手なら恥ずかしくないらしく、アイリスは顔を赤くすることもなく猫の体をそっと腕で支えた。

 

 そんな様子を横目で見ながら、先程の酔っぱらいさんのことに再度思考を移す。

 確か、ドローネットと叫んでいた。どこかで聞いたことがあるような言葉だが、最近聞いたというわけでもない。学園都市に来てからだと思うんだけどなぁ……。

 

「ドローネット? いえ、あまり聞かない言葉ね」

 

 お姉さんに聞いてみても首をかしげるばかり。学園都市だからこそ一般的な言葉、というわけではなさそうだ。

 覚えている限り、学園都市に来てからのことを思い返してみた。白妙の止り木じゃないし……ああ、その前にドリルさんに会ったときか。

 

『ドローネットのアンタがな! うん、こっち来ちまうと、ちと困るんだわ!』

 

 こんな感じで、内容がちっとも頭に入らず、頭の中が疑問符に満たされたのだった。

 ……じゃあ、ドローネットって僕のことを指してるのか? あの男の人めっちゃ叫んでたけど、あれ、なに、僕のこと叫んでたの……? こわ……。

 それに匂いがどうこう言ってたけど、あの距離でここにいる僕の匂いを感じたってこと? そもなんで僕の匂い知ってるのとか怖さに限りはないんだけど、それ以上に……僕ってそんな臭うの?

 

 袖や横髪を鼻に近づけて嗅いでみるが、やはりどうにも自分の体臭というのは感じにくいものである。

 うーん、無臭……な気がするけど、あれだよね、自分の家の匂いは分からない的なやつだよね。

 

「お姉さん、少しこちらに顔を近づけていただいてもよろしいですか?」

「……へ?」

「すいません、少し屈んでいただけると……」

 

 他の人の意見を伺うべく、お姉さんの方に背伸びする。

 アイリスほどではないが背の高い彼女では、顔を近づけてもらおうにもそこそこの高さの違いがあるのだ。

 

 両手で彼女の頬を挟んで引き寄せる。

 鼻先が触れ合うくらいの距離になったところで、囁くようにお願いした。

 

「僕、匂うでしょうか?」

「ふぇっ!? ひぇ、あっ、ハイ、ウン……とても……スメルです」

「えぇっ……そ、その、髪とか、首元とか、変な匂い……でしょうか?」

「変……? いえ、甘い──スゥッ……いえそうですね、もう少しちゃんと嗅がないと分からないかもです」

 

 結構ショックな事を言われる。少なくとも、僕が自分で確認した通りの無臭ではなさそうだ。

 

「ちゃんと……?」

「ええ、ちゃんとですよ。そうですね、それほど心配でしたら、腋が一番確実です。足の指先に次いで、腋は匂いやすいといいますからね」

「わ、腋ですか……うぅ……」

「さあ」

 

 腋。言わんとすることは分かる。ワキガとか言うし、臭い人だったらそこで一発だろう。

 それが怖いというのもあるけれど、それ以上にそもそも腋に顔を近づけられるのって生理的に恥ずかしいと思う。

 

 普通の服を着ていれば、脱ぐわけにもいかないだろうからどうにか断れたかもしれない。

 しかし悲しいかな、現在着ている学園都市の制服は肩周りがスリットになっていて、腕を上げるだけで晒せてしまうのだ。

 

 ずっと背伸びをしているのも疲れる。何よりお姉さんがジリジリと近寄ってくるから、踵を地面に下ろし少し後退した。

 自分のことながら、羞恥で耳まで赤くなっているのが分かってしまう。別に、臭いからって悪し様に言ってくるような人ではないというのも分かっている。目を瞑って覚悟を決め、震える腕を控えめに上げた。

 

 恥ずかしい時間や怖い時間というのは長く感じる。目を閉じているから尚のこといっそうだ。

 この焦燥のせいで余計に汗をかいてしまっていやしないだろうかと不安になる。しかし、いつまで経ってもお姉さんからは声がかからない。

 

「おねぇ……さん?」

 

 おずおずと薄目を開けて確認する。

 猫に連れられた路地裏で、ほとんど僕がお姉さんに壁ドンされているような姿勢だ。

 僕が腕を掲げ、腋に顔を近づけようとしていたお姉さんだが、高速で瞬きをしながら横を見て静止している。

 視線の先には──、ただ微笑んでいるアイリス。と猫。

 

「……すいません、どうかしていました。頭を冷やします」

「お姉さん!?」

 

 唐突に謝り壁に頭を打ち付けだすお姉さんを、どうにかこうにか必死に止めるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

131話

 気が付いたときには、ページを引き裂いていた。

 このところ衝動的な行動を取ってしまうことが多い。未だ震える手と握りしめられた紙片を睨みながら、コルキスは胸元からメモ用紙とペンを取り出した。

 

 修繕と呼ばれる魔法。物体に宿る魔力というものは、たとえ本のように魔力含有量の少ないものでも時間的な情報、記憶のようなものを持つ。それを利用して破壊されたものを直す、らしい。

 効果が有効な期間も短く、直し方も微細な部分を見れば荒っぽいらしく生体には向かないが、破れた本のページをそれっぽく直しておくのには役立つ。どうせ確認するものもいまい。

 

「何やってんだ、アンタら……」

 

 (タゲリ)に問い詰めたい感情が芽生えるが、あの好々爺は()()()()では笑って流そうとするような気がした。

 まだ足りていないのだ。そも、来訪して間もない小娘が知れるような、あるいは知るべきでもないような秘密に誘導したのはタゲリだ。彼がコルキスに何を求めているのかも曖昧だが、こんなすぐに見つかる答えを用意するようには思えない。

 

『我々が森人について知っていることは、すべて一人の少女が教えてくださったことなのです』

 

 人間と関わらず、幽かの森からも滅多に姿を現さない彼らの体のことを、なぜ学園都市が知っているのか。

 それに答えたときのタゲリの表情はどこか遠くを見つめているようであった。昔を懐かしんでいるのかとも思ったが、そう尋ねるとタゲリは首を横に振った。

 

『もう100年以上前のことさ。……レークシアという名前について調べてみなさい。どれだけ文献が残っているかは分からないが、きっと貴女の疑問を紐解くきっかけになる』

 

 そう。「紐解くきっかけ」と言ったのだ。答えではない。

 そしてまた、答えは事実が雁字搦めになって容易に触れられなくなってしまっている。

 

 レークシア。あるいはレクシア。150年ほど昔に彼女はいた。

 文献はさほど多くなく、名前が記されているものとなればいまのところ2つしか見つかっていない。しかし居なかった者とするにはあまりに当時の彼女の存在が大きすぎたのだろう。

 時代と環境を照らし合わせれば、呼び方は異なれどレークシアであろう人物が浮かんでくる。

 

 少女。貴人。あの人。森の方。女神。……そして、女王(ドローネット)

 

 それからいくつかの文献に目を通し、当時の技術や情勢を鑑みて、コルキスはひとつの結論に至った。

 少女が教えてくれた。授けてくれた。共に真理を究明した。表現の仕方は様々だ。

 それでもコルキスは確信していた。

 

 学園都市は、レークシアを解剖した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

っくちゅん! なんだかクシャミが止まりませんが、色んな所で噂されてる…? いやいやまさか、これだけ隠密行動してきたんだから花粉か何かですよね発情した杉の木風情がゆるさんぞ

 閲覧した書物は、史籍の類と魔霊種に関連する研究成果、そして当時の小説である。

 

 史籍は過去の様子を知るのにはまるで役に立たないが、主要な人物を探すにはもってこいである。文中においては幽かなる精霊の方々が在留したということが簡潔に述べられているだけだが、添えられた色のない写真には脚注として確かに「レークシア様」と書かれている。

 どれだけの書籍を隠滅したのかは分からないが、史書だけは性質上誤魔化しのきかないものだ。ただ事実だけを並べなければならないために、社会への影響の大きな人物を消すことができない。極悪人であれ、救世主であれ、いたものは「いた」と書かなければならない。そこから解釈に依って自国の歴史の正当性を示すのが為政者の役割というわけだ。

 

 写真の少女は美しかった。アンブレラと同種であることがハッキリと分かる容姿で、また彼女に似て無垢で純粋な眼差しをしていた。あとはアンブレラより賢そう。

 しかし、かつてのときのような雷に打たれた感覚はない。あくまでこれまで培ってきた理性(価値観)が美しいと判断したもので、本能が美しいと叫ぶものではなかった。単なる好みの問題なのか、アンブレラの特殊性なのかは分からない。

 

 さて、明確な時期が分かると論文を漁ることが容易になる。たとえ題名だけで判別するにしても、分野すら無制限に百年分以上を確認しようとすれば気が狂う。

 面白いことに、レークシアは多くの研究に手を貸していたようだ。著者欄*1を見れば、ある論文にはそのまま名前が書いてあり、また他のいくつかのものでは「あの人(She)」と書かれている。もちろん、普通はフルネームが記される。というかそうでなければ却下される。「あの人」という表記が許され、また通じるほどに特異な存在だったわけだ。

 

「道理で堪え性もなくなるわけだなァ。学園都市にとってアンブレラは、それこそ魔法みてェに魔導技術を発展させうる存在だ」

 

 しかし、ここでレークシアらしき者を著者に含む論文が一時期を境にパタリとなくなっていることが目に付く。

 

 もしかすると、学園都市を出ていったのかもしれない。彼女には幽かの森という故郷があるのだから。

 ただひとつ気になるのが、魔霊種に関する研究分野の変遷だ。レークシアがいた頃の研究は、幽かなる精霊たちの文化や魔法に関連したもの。そして、いなくなった後になるほど「魔霊種という生物の構造」に関するものが増えている。

 前者は本人の口から聞けたかもしれない。議論を交わし、答えを出せたかもしれない。じゃあ、後者は? 議論をすれば、内臓の構造が分かるのか?

 

 極めつけが、当時の小説だ。

 もちろん、誰も怖くて直接的にレークシアを登場させることはできなかっただろう。それでも、小説というものにはその時代ごとの価値観や願望が正直に表れる。

 その中で流行っているらしかったのが、美しく偉大な存在、例えば女神なんかが顕現して、主人公や人々に力を与えるという物語のパターンだ。もちろん、武力に限らず。

 病が流行って、正直者の主人公が女神から薬を授かり解決する。古典的と言えば古典的だが、女神の記述が普通の昔話なんかより多く、主人公とともに生活するあたりが特徴的だ。女神だけでなく、美しく若い指導者なんかのパターンもある。

 

 しかし、彼女たちは決まって早死する。

 

 著者たちの脳髄に刻まれているのだ。無意識が文化となって、少女たち(レークシア)は死ぬものとして表現される。赤子は乳を飲む。大人は働く。悪いことをしたら捕まる。正直者は報われる。王は強くて賢い。そして、少女(レークシア)は老衰できない。

 

 たまたま死んだのか、殺したのかは分からない。

 けれどその死骸は汚された。バラされて、隈なく調べられたのだろう。

 

「ホントに、何してんだアンタら……」

 

 災厄に脅かされながら生きる人類にとって、ひとつの大きなタブー。幽かなる精霊に敵対すること。

 助けが借りられないだけならまだマシだ。自分たちだけで戦う方法を探りに、コルキスは学園都市へ来た。しかし言葉一つで山を崩すような相手を敵に、それも背後に抱えるようなことになれば、人類は簡単に滅ぶ。

 

 何より、アンブレラに手を出しかねない。

 ここしばらく観察を続けて、学園都市の人間は阿呆だがただのバカではなく、また行動力は並外れていると分かっている。

 少数での動きを強いられているコルキスにとって、綿密な計画を読むことは可能だが、衝動的な行動まで防ぐことは難しい。現在進行系で学園都市内部の駒を増やしてはいるものの限度がある。

 

「それとなく伝えて注意させる……いや、焦ンな。まだ動くタイミングじゃねぇんだ。微笑んで待ってるだけの時間の筈なンだが……バカのせいで、守れる気がしねェ」

 

 コルキスの天性の感覚が、堕とすためには我慢する時期だと囁いていた。

 しかしそれは、気分屋の犯罪者(少女の体に興味深々の変態)たちが衝動的に突撃しないという前提の話である。

 

 一瞬、諦めるという言葉が脳裏をよぎった。

 コルキスは為政者だ。あらゆる選択肢について、必ず一度検討する癖がある。

 ──私の最良の日々は過ぎ去ったのだから。望んだものすべてが得られるほど、世界はコルキスに優しくない。

 

「……アンブレラ様。悪いようにはしません、どうか早く……」

 

 その顔は、珍しく苦渋に歪んでいた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「ヤダヤダヤダァー! ドローネット様探すのォーー!」

「アノ、本当にお静か二……」

 

 人形やぬいぐるみを扱う店のちょうど前で、大の大人が地面に転がって駄々をこねていた。

 装束からして導師であると学園都市の住民たちは気付くが、誰しもが袖を通してみたいと夢を抱くその服は今や土に汚れていた。丁寧にセットされたであろう頭髪も乱れ、優男の面影はどこにもない。おもちゃをねだる子供の姿がそこにはあった。

 駄々っ子を宥めるもうひとりの導師は顔を隠しておりその声はまるで人のものではなかったが、状況からしてマトモな性格をした苦労人なんだろうな、と通行人からは思われている。

 

「あのぅ、導師様方……。店の前ですんで、もう少し……」

「アァ、スイマセン、この子が言うことを聞かないものデシて……いや本当に申し訳ナイ」

「はぁ……」

 

 店から出てきた店主は、強面だがへりくだった態度であった。たとえどれだけ情けなくても、導師というのは敬われる対象であった。

 あまり目立つこともできないのにと内心汗をかきつつ、パパ役の導師は店主が持っていた張り紙に気が付いた。それには、「精霊様のお墨付き!」と書かれていた。

 

「……それハ?」

「ああ、これですか? いまちょうど貼りに来たんですけどね、先程いらっしゃったお客さんが、そりゃもう浮世離れした空気を纏った方々で、こりゃ幽かなる精霊に違いねぇと──」

「──お聞かせ願えますか?」

 

 (みっともなさに)若干目を逸らしていたものの、瞬きひとつする間に立ち上がり美しい所作で胸に手を当て微笑む優男(駄々っ子)に、店主は呻き声のような返事でしか反応できなかった。

 微笑みは胡散臭い。しかし、この人に協力すべきだと思わせるような圧力があった。

 

「さ、さっきと言ってもだいぶ前ですがね。案内人を連れた二人の方が……。体つきは芸術品みてぇに美しくて、顔は隠してたんですが揺れる金の髪が明らかに天女のそれでさあ」

「……! スン、スンスン! 確かに香ります、これが、天の……アァ」

「ひぃ……」

「なぜ黙るんですか。話し続けなさい」

「へ、へぇ! 一人は、オレくらいの背丈で、ず、ずっと黙ってました。もうひとりの方が、小柄で、聞いてると脳がクラクラしてくるような甘い声で、元気よくいろんなぬいぐるみを確認してやした」

 

 やべぇやつだ。そう確信しながらも、店主は生き抜くために舌を動かし続けた。

 こうして思い出してはみるものの、いまひとつどんな声をしていたか表現できない。聞き取りづらい声ではなかった。少女が喋る言葉は文字として脳内に再現され、しばらく反芻するほどであった。しかし、音がうまく再現できない。ただただ聞くと多幸感に満たされる、それが甘いものを食べているときに似ていたから甘いと表現したが、よく考えると一般的な「甘い声」とも違う気がする。

 甘いが、透明感があって、優しくて、蠱惑的で、幼気で、どんな表現も内包するが、どんな表現でも表しきれない。きっと、耳元で囁かれたが最後、麻薬のようにずっと聞いていたくなることだろう。

 

「あそこの魚類のぬいぐるみなんかは、感触とサイズが気に入ったらしく、抱きしめたり顔をうずめたりしてやしたね」

「買います」

「まいどありィ!!」

 

 半ばやけくそに叫んだ。同じ見た目をしたいくつかのぬいぐるみが並んでいたが、男は的確にさきほどの少女が抱きしめていたものを選び取った。店主は一刻も早く営業終了の看板を下ろしたかった。

 パパ役のほうが支払うのかと思ったが、どうやらこの導師にも支払い能力はあるらしい。職業を考えれば当たり前だが。

 

 ようやく出ていく。出入り口を抜ける姿に店主がそう安心したところで、男は足を止め、首だけで振り返った。

 

「……ま、まだ何か?」

「他にもドローネット様が触れた商品があるんですよね?」

「まいどありィ!!!」

 

 いつもよりずっと早く閉めたにも関わらず、その日の売上は上々であった。

 店主は三日間店を閉めた。

*1
研究に携わった人たちの名前が並ぶ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

時価という概念と少し頭の回る人間がいたらその瞬間に株とか為替の概念が生まれるんだろうなぁ。はぁヤダヤダ、どうぶつの森でもやって癒やされようっと。

「……お社に似てる」

 

 ヴァイツァーサ転送門と呼ぶからには、凱旋門のような巨大な門が存在するものとばかり思っていた。

 横長の建築物(とはいえ高さもかなりのものがある)は実際のところ円形をしているらしく、転送門本体はその中央にあった。

 

 門ではない。まあ、両脇の柱と冠木さえあれば門と認めるのであればこれも門なのだろうが。

 ゆうに5メートルはある柱が円を成すように等間隔に並び、それら全体に乗るように天板がある。柱は数えてないのでわからないが、10か12くらいか。

 お社と聖域を繋いでいたのは木のうろの先に広がる真っ暗な道であったが、それによく似た闇が柱の向こうに広がっていた。

 普通の柱であれば、その間に見えるのはここ(駅構内)の向こう側でしかないはずだ。柱全体が成す建造物、まあ……転送門は、全体として逆側が見えないほど巨大なわけでもない。

 つまり、あの暗闇はただ暗いとか影になっているわけではない。お社と同じで、特殊な魔法が施されているのだ。

 

 ついぞ、実家のあの道についてどんな魔法なのか知ることはなかった。管理者はヘリオらしいが、聞けばなにか返ってきたのだろうか。

 視界のピントを少し()()()。うーん、駄目か。膨大な魔力が渦巻いてるのは分かるけど、それ以上の情報は得られそうにない。

 

 しかしまあ、これだけの魔法ともなればたまたま同じというわけではなさそうだ。

 エルフの森から輸入された技術か、はたまたエルフ達が人を真似たか。エルフと人間、どっちの歴史のほうが古いんだったかな。

 まあでもエルフが新技術を発明なんてそうそうしないだろうし、人間が先か。

 

「お姉さん、転送門はここだけなんですか?」

「そうですね。柱に挟まれた『道』ごとに他の学区の転送門へ繋がっているので、転送門そのものはここ一箇所だけで成立しています」

「増やしたりはしないんでしょうか……」

「私も詳しくないのでアレですが、技術的に難しいそうです。かつて『魔法使い』の方々が協力して作ったとか。だからこそ転送門そのものの改修が難しいので、こうして外側の建物が豪華になったんです」

 

 ほえーとアホ面で見上げる。叡智の結晶どころか、半オーパーツ化してんのか。壊れたら社会制度も一緒に壊れそう。

 

 その他、転送門に関わる決まりや仕組みをいくつか教えてもらう。

 混雑や転送門への負荷を考え、一度に使われる通路は向かい合った2つだけなことだとか。

 朝の時間などは物資の搬入搬出に使われるので、あまり一般の人の移動には使えないことだとか。

 切符的なものの存在。また、困ったときは制服を着た職員さんに尋ねるといいだとか。

 

「切符……幾らくらい支払うんでしょうか?」

「時期によって変わりますね……、最近はなぜだかずっと安価だったのですが、段々また値上がりしてきて……」

「……ええと、これだけあれば足りるでしょうか」

「……!?」

 

 日本の電車とは違って時価らしい。なんだろ、人員とか物資的な事情なのかな。

 アイリスが伺うようにクロさんから預かった革袋を見せたところ、お姉さんは目を見開いてから突然挙動不審にあたりを見回しだした。

 

「毎日すべての学区を周遊しても余るくらいにはあります。……本日の最終目的地と言いましたが、追加です。このあとはすぐに、銀行へ行きましょう」

 

 いくら持ち歩いてたんだアイリス……。しかしまあ、転送門使うお金稼ぐためにアルバイト編突入とかなくてよかった。僕は歌って踊る以外の仕事を知らないので。

 この世界にも銀行的なサムシングがあるらしい。お姉さんに案内してもらい、この世で初めてのエルフの口座が設立された。

 

 なお、僕は未だに人間の通貨の単位や相場を覚えていない。

 アイリスがいなかったら僕は多分野垂れ死ぬと思う。えへん(ドヤ顔)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

オレ……感情がないからサ。中学の頃、やたらと僕の前でそんなことを悩ましげに語る男の子がいました。大変だねと言ったらあぁ辛いよと返されましたが、それってあなたの感情ですよね?

 街案内を終え、忘れていた買い物をこなすために青々とした新鮮な野菜を手に取って、宿屋の娘は考えた。

 無関心に人と関わる自分に心は無いのだろうか、と。

 

 彼女の家は代々続く宿屋である。

 その格式というのがまた難解で、貴族が泊まるほど高くなければ、旅人が休むほど安くもない。しかしなぜだか彼女の住む11区において、学区から特別な認定を与えられた3つの宿屋の内のひとつに入っている。しかもこの認定、継続の場合は学区の判断だが新規の場合は学園都市そのものから判を押される。つまりは学園都市という国家から認められているのである。ちなみに他の2つの宿屋は豪華絢爛な王侯貴族御用達のホテルだ。

 子供の頃は無邪気に信じて喜び、思春期の頃には親の嘘ではないかと訝しみ、大人になって様々な経緯を知って納得した。

 

 彼女の宿屋には客室が2つしか存在しない。そこに泊まるのは、一流だがワケアリの者たちだ。

 本当の意味でお忍びらしき貴人や、明らかにカタギでない血の香る浪人。なんでも屋の二人組も頻繁に利用するし、かつては勇者もいた。

 その源流は、幽かなる精霊達の憩いの場だ。

 数百年前。下手をすれば千年以上前から使われる宿屋。もちろん他の学区にもそういった目的の宿屋がいくつかあり、どの宿屋も一部屋は必ず開けておかなければいけない。学園からの要請があったとき、精霊が泊まることとなるからだ。そのため、彼女の宿屋は実質一部屋しかないようなもので、一年以上前から予約を入れるのが通例であった。

 

 そんな宿で働いていると自然と度胸がつく。

 また同時に、自分など一瞬で殺せるような者たちや、知れば身を滅ぼすような秘密が存在することを知った。

 そうしていつしか、父親が幼少の彼女に言い聞かせた言葉の意味を理解するようになったのである。

 すなわち、「奉仕(サービス)であれ」と。

 

 彼女は即時的な行動をのみこなすようになった。

 相手がこれから何をしようが、これまでに何をしてきていようが、どんな思想を抱いていようが関係ない。

 その時求められたものを与える。宿屋にそれ以上の能力はいらなかった。

 

 それはきっと、職務としては正しいが人としては何か欠けている。

 「詮索をする以前に、まず興味を抱かないところが好ましい」と客に言われたことがある。

 だがそれは、興味を抱かないのでなく、興味を()()()()のではないだろうかと思うようになった。

 

 感情は豊かな方なのだ。嬉しければ笑うし、悔しければ泣く。

 しかし、思いやるということがわからない。求められたもの以上には気付きもしない。

 今だってそうだ。拠り所を求められたから居場所を与えているだけ。

 

 まるで自分が、人でなく、社会の「機能」でしかないみたいだ。

 

「でも、さっき初めて我を失ったんですよねぇ」

 

 割と自分の理性には自虐的なまでの自信があったから驚いた。「彼女」の声を間近で囁かれて、匂いに包まれて、いつの間にか「自分から求めて」いたのである。

 果たしてそれは、自分の中の本能が発露したのか、あるいは「彼女」が狂わせることを望んだからただその結果を与えただけなのか。

 

「貴女、香りますね?」

「ひっ!? ……ど、導師様ですか。なんでしょう?」

 

 背後から唐突に囁かれ、殴る勢いで振り返ると大量のぬいぐるみを抱えた爽やかな風貌の導師がいた。

 宿で見てきた一部の人間と同じ、あまり良くない気配がする。慎重に言葉を選んだ。

 

「ドローネット」

「どろ……?」

「……知りませんか。ですが、匂いはする。貴女は──」

「──なにを関係ない方にまで絡んでいるんですカ。時間もナイですし、行きますヨ」

「あっ、ちょ、離せぇ! ヤダーー!!」

「……」

 

 さらに現れたマネキンのような姿の導師が、最初の男を引きずっていった。

 浅くなった呼吸と暴れまわる鼓動を落ち着けながら、呆然とそれを眺めた。

 

 導師が二人して行動していて、誰かを探している。

 ──そして、あの男が持っていたぬいぐるみはすべて、「彼女」が見ていたものだ。

 

 碌でもないことの予感がする。

 所詮は客の一人でしかない。なのに守らなくてはと思ったのは、未だに「彼女」に狂わされたままだからなのだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あれ、母様にセーラー服着てもらったらすごくえっちなんじゃないか?って思い立って以来、それ以外考えられない脳味噌になりました。

 学生というものは、ある種の特権階級みたいなところがある。

 

 前世で言えば、まず学生イコール子供だ。子供と聞くと制限されることばかりな気もするが、少年法しかり、無条件で守られ許され慈しまれた。野暮なことを言えば、人類の生物的な生存戦略に過ぎないのかもしれない。若い個体は保護したほうが種としての寿命が長くなる。それでもその倫理は美しく、また繋いでいくべきものに思える。

 子供であることに付随するが、人生のモラトリアムというのも学生ならではの権益だろう。モラトリアム、つまり猶予期間。世の中でやりたいことだけをやって生きていける人は少ない。社会人になることで自分が縛られてしまったように感じるのだ。まあ、学生からしたら「別に勉強やりたくないが??」という人もいるだろうけどね。それでも学生のうちは失敗の許される挑戦ができる。

 

 そうした特権の象徴が制服というものだろう。代表的な特権という意味でなくて、特権を有する身分証明という意味で。

 制服を着た少年が昼間からぶらついていれば補導されるが、また同時に、制服を着た子供たちが道で幅をとって歩いていてもなんだか許してしまう。邪魔だしやめたほうがいいけど。でも、大の大人が同じことをしたら非難轟々だ。制服を着てたら、まあ自分もあんな頃があったしなと許される。

 学生の制服はもはや免許証だ。

 

 そんな暗黙の了解は学園都市(この世界)にもあるようで。

 

「転送門? 研究室入ったら、申請あれば自由に(経費で)使えたはずよ?」

 

 珍しく筆を握っていないカンナがこちらを見ずに言った。

 どうやら成果報告に追われているらしい。普段は歩くモラトリアムみたいな生活をしている彼女も、たまには現実と向き合う日があるのだ。……とか思ってたら訝しむ目で見られた。ナンデモナイデスヨ。

 

 宿屋のお姉さんに転送門の場所や利用方法を教わり、あとはコルキス様のいる9区に行くだけだ。そんなわけで、今度転送門を使うんですけどなどと雑談をしていると思いもよらぬ反応が返ってきた。

 とはいえ転送門使うために研究室に入るのはよろしくない気がする。一応、眼鏡(クラムヴィーネ)のお師匠さんのところしかり、いくつかの研究室からいつでも歓迎するという話をされることはある。社交辞令というか、リップサービスみたいなものだろうけど。

 いくつかの授業を取る中で人間の魔法に対する取り組み方は理解できてきたけれど、まだ研究室を選べるほどの判断材料が足りていない。そもそも研究室がどれだけあるのか知らないし。

 

「そう頻繁に使う予定もありませんし、最初はちゃんとお金を払おうと思います」

「そ。……ああ、ならここの学生ってだけで安くなるから、使うときは学生服で行きなさい」

「制服ですか? それだけで伝わるんですね」

「結構フクザツな作りしてるらしいわよ。まず複製はないからって、細かいチェックもなしだとか」

 

 まあそもそも制服以外あまり持ってないんですけど、とは言わず。

 まさしく制服で身分証明ができてしまうらしい。アイリスなんかはちょっとあのアレがアレでコスプレと間違えられてもおかしくないが、きっとなんとかなるのだろう。でもなんかこう、未だに他の学生と比べると、若い頃の制服着た二児の母みたいな雰囲気が感じられてしまう。丁度いい体型とは難しいものだ。

 

「でも貴女、9区のお姫様に会いに行くって正気?」

「と、友達ですから多分きっと大丈夫です会えます」

「胡散臭いわね……いえ、悪し様に言うのもよくないんでしょうけど。それ以前に、9区のどこに行けば会えるか分かってるの?」

「……みゃ?」

 

 変な声が出た。どこって、そりゃ有名人なんだから、コルキス様に会いたいですって言えばいいのでは?

 目をパチクリとさせて戸惑っていると、カンナは自分の眉間を抑えた。

 

「貴女が9区の転送門の敷地内から出れずに11区(ここ)に戻ってくる未来が見えたわ……」

「失礼ですね、僕は方向音痴ではありませんよ。……正しい方向を知らないだけで」

「世間も知らないでしょう」

 

 そんなことはない(断言) ないよね?(確認) うん、ない(確信) ……ないよね?(疑念) ない?(不安)

 ……留学生が留学先の文化(世間)を知らないなんて当たり前じゃんか!!(開き直り)

 

 そんな僕の七変化する表情からすべてを悟ったらしい。

 カンナは苦笑しながら溜息を付き、僕の頭をポンポンと撫でた。

 

「報告会が終わるまで行くのは待ちなさい。私も付いていくから」

「カンナはコルキス様に会う方法が分かるんですか?」

「知らないわよ、興味もなかったし。でもま、誰にどう聞けばいいかとか、貴女よりは分かるでしょう」

「むぐ……」

 

 それはそう。何も言い返せない僕は、しかし最近なんだか子供扱いされているような気がして口をへの字に曲げた。最初の頃は「精霊様〜〜!」とか言ってたのに。

 

 最近は誰かに頼ってばかりだ。ヘリオのことがあって、自分で解決できるようになりたいから力も付けたのに。いつまで経っても成長してない。

 それではお願いしてもいいでしょうか、と頭を下げながら、心の中では進歩のない自分に対する苛立ちのようなものが生じていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界史の授業だったかどこか別のとこで聞いたか忘れたけど、歴史上の人物には人が上に乗りすぎて圧死した方がいるらしい。あとは憤死とかも謎だけど、おっぱいで窒息死みたいな死因も探せば見つかるかもしれない。

 目を覚ますと、言いようのない不快感が腹を押しつぶした。

 苦しさ。無性に上がっている体温。混乱する頭を回転させて絞り出した答えは、とにかく酸素が足りていないということ。

 それでも息を吸うことを上手にできない。まるでそこに空気がないかのように。浅い呼吸は熱い吐息となって繰り返される。

 

 息が吸えなくなる瞬間。それを僕は知っていた。前世を含めて、何度か経験したことがあるから。

 物理的な要因だけに依らず、人は心の機微で生きるための機能を失うことがある。

 

 でもこれは、今回ばかりは、あまりに急すぎて何のためにいま呼吸を止めてしまっているのかということが分からなかった。心は健康だったはずだ。薄々とそうではない部分もあることを感じてはいたが、それでもいま急に、こんな風になるほどでは。

 体もうまく動かなかった。必死で頭を動かすと何かに包み込まれていることを理解し、その中で少し固い何かに当たった瞬間、頭の上の方から艶めかしい声が聞こえた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……どうかされたんですか?」

 

 朝食を運んできてくれた宿のお姉さんが、僕とアイリスの顔を見比べながら恐る恐る尋ねた。

 いつもは微笑みを(たた)えているかすまし顔のアイリスが、分かりやすく落ち込んでいるのだ。眦は下がり、眉もハの字になっている。

 

 こればっかりは僕もあははと笑って誤魔化すしかなかった。語るにはしょうもなさすぎるし、当の本人がここまで気に病んでいることを蒸し返すのも悪かろう。

 気まずい朝食を終え、いつもの通りお姉さんに御礼を言ってお姉さんからも御礼を返されるという謎儀式を執り行った。いや、「ご馳走様でした(意訳)」「ありがとうございました」みたいなやり取りなら客と店員のよくあるものだけど、「ご馳走様でした(意訳)」に「ご馳走様でした(意訳)」って返ってくるんよ。人間の文化難しいね。

 

 お姉さんが食器を下げていったあともアイリスはシュンとしたままである。うーん、ご飯食べたら元気になるかなと思ったけどそうもいかないか。僕は割と食事睡眠挟むとテンション直るタイプなのだが。おい今単細胞って言ったやつ表出ろ。ちなみにえっちでもテンション直る。三大欲求に忠実だね! おい今原始人って言ったやつ表出ろ。

 

「アイリス、そこに座ってください」

 

 声をかけると肩をビクつかせて反応する。できるだけ優しい声で言ったつもりなんだけどな。

 指したのは、食事に使ったテーブル席でなくベッドの端だ。そちらのほうが高さが低く、立ったときの僕とアイリスの頭の位置が丁度良くなる。

 

「元気、出してください。気にすることありませんよ」

「……ですが、こんなことで御子様の身を危険にさらしてしまうなんて、……もしものことがあったら、巫女様に顔向けどころか、二度と森へ帰れなくなってしまいます」

 

 ……いや、まあ、マジでそうなんだけど。

 おっぱいで(連れ)を窒息死させたとか、もし本当に起きたら誰にも言えんし、僕も言わんでほしい。

 

 改めてアイリスの方を見る。

 母様の娘とはいえ(意味深)、母様に育てられた(意味深)僕はそこそこ発育が良い。この世界の平均は知らないが、平均以上ではあるだろうし、服を着ればそれなりの凹凸が曲線美を生む。

 しかしアイリスと比べられれば、もはや格が違うとしか言えない。だって、僕の頭と同じサイズあるのだ。何がとは言わんが。僕の頭が2つあるのだ。なんでこれで下品にならないんだろう。

 

 これに埋もれて死ぬというのは、案外世の中の男の多くは望むのかもしれない。

 乳に包まれて窒息死。孫に囲まれて安楽死と同じくらい、幸せな死に方ランキングで上位に入りそうだ。

 

 ──前世の死に方も、一応は窒息死に入るのかな。多分。

 それなら、同じ窒息死なら僕だって乳の方を望む。

 

「……もう」

 

 ベッドの端に腰掛けたアイリスを、僕は立ったまま抱きしめた。

 頭の位置が、丁度僕の胸の高さにある。僕のじゃ顔全部を包み込めるほど大きくはないけど。

 

 固まってなされるがままのアイリスに語りかける。

 

「ただ、これだけのことじゃないですか。抱きしめたことを反省なんてしなくていいんです。誰かを抱きしめることは、きっと、人と人が生きていくために大切なことですから」

 

 僕はそれに何度も救われたから。

 もちろん、それで死ぬのは洒落にならないんだけど。

 でも、間違っても「二度と誰かを抱きしめることのないように」なんていう結論は出さないでほしい。

 

 いま考えるべきことがあるとしたら、今後寝るときにどう気をつけるかみたいなところだけで──

 

「……ありがとう、ございます。御子様。それで、その……」

「ふふ、いつもとは役が逆ですね。どうされましたか?」

「血が……」

 

 ファッ!? このタイミングでいつもの鼻血が出てきてるんですが!?

 

「ど、どうしよう」

「離れるとシーツにまで……」

「オネエサーンッ!!」

 

 身動き取れなくなったので、胸元で広がっていく赤色を見ながら宿屋のお姉さんコール。

 とりあえず拭くものと替えの服を持ってきてもらって、アイリスと一緒に滅茶苦茶ごめんなさいした。布についた血というのは結構落ちにくいのだ。

 

 まあ慣れてますので、と言って僕の赤く染まった寝間着は回収された。洗濯するんだろうか。というか流血に慣れている宿屋ってなんだ。

 

 一段落してから、そういえばとアイリスに話を振った。

 僕はこれでもそこそこ肉体的に鍛えている身なのだが、一体どうしてアイリスに抱きしめられて身動き一つ取れなかったのだろう。普通に考えて、よほどの力で抱きしめられていなければ振りほどけたはずなのだが。

 

「……? 乳母、ですから……」

 

 そんなこと聞かれても困るみたいな顔された。

 そんな顔されても困るんだよなぁ……。

 

 そもそも振りほどければ問題にすらならなかったのだ。

 僕は結構、魔法も含めて自分の能力に信頼を置いている。勇者(アルマ)くらいの化け物が出てこなければなんとかなると思っているのだ。だからこそ危機意識とか低めでも生きていけているのだが、もしかしてもう少し警戒して生活したほうがいい……?

 

「あの、僕ってもしかして、虚弱ですか?」

「いえ……訓練されていた頃から拝見しておりますが、一般的な男性より屈強かと……」

 

 一般的な男性より屈強でも勝てない乳母is何? メルゴーの乳母?

 いや、もしかしたら僕の体が本能的におっぱいから離れまいと力を制限していただけかもしれない。正直自分を省みると、アイリスが怪力ゴリラという説よりよほどありえる気がする。

 

「あ、そういえば」

「どうかなさいましたか?」

「あー、……えっと」

 

 ふと気になったことがあり聞こうとするが、よくよく考えると恥ずかしいことだった。

 口に出すか迷う。ここまで言った上で「なんでもない」は話がめんどくさいやつみたいで嫌なので言うべきなのだろうが、いざ言葉にしようとすると恥ずかしさが何倍にも増えてきた。

 

 というのも、僕の方からアイリスを抱きしめるということはしばらくしていなくて、僕がアイリスに抱きしめられたときのような安心感はあっただろうか、と気になったのだ。

 アイリスのフカフカの体に包まれると本当に安心する。それはきっと、幼い頃の経験とかも含めて。

 

 でも僕はアイリスほどの包容力はないし、さっき頭を抱きかかえたのだって、もしかしたら洗濯板に頭ぶつけたくらいの感情しか生まれなかったかもしれないのだ。

 

「……その、や、柔らかかったですか」

 

 一文字ごとに脳内が羞恥心で染まっていき、最終的に胸を腕で隠すような体勢になった。

 

 ボッという音が鳴る。顔が赤く染まるとか、そういう擬音表現ではなく。

 いや、赤くは染まったのだ。鮮血だった。アイリスの鼻から致死量かと思う勢いで飛び出した。

 アイリスは真顔だったが、ひとたび鼻血を破裂させてからそのままクラリと倒れた。

 

「オネエサーーンッッ!!!」

 

 このあとさっきのが比にならないレベルで頭を下げた。

 たくさんお掃除した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お祭りの屋台とかだと普通に家でも食べれるものはなんだか勿体なくて買わないことが多いけど、実際買ってみると家で食べるのとはまた違った趣があって案外ハマったりする。

 アイリスが貧血でダウンした。

 本来であれば今日はちょっとした用事があったのだが、この分ではアイリス抜きで済ませることになりそうだ。

 

 人としての義務(研究)を思い出し、お絵かきロボットから研究者にジョブチェンジしたカンナが報告会を終えるまでの少しの期間。率直に言って────暇である。

 脳内会議では「何しとんねん早く森に帰れや」だの「もっと色々勉強したほうがいいんじゃないの?」だの、百家争鳴、ちびレイン達がぎゃあぎゃあと喚いているのだが、道標もない現状ではあまりジタバタしてもしょうがない。ときおり小さなにいろがおどおど何か言おうとするが袋叩きにされている。お前は早く成仏しろ。

 もう少し焦ったほうがいいような気もするが……危機感とかいう概念、どこかで落としたっぽいんだよなぁ。100%、実家の森である。あそこ時間に対する感覚をすべて奪ってくる。

 

 しかし、このところ人を頼るということを覚えたものの、逆に人に頼りすぎていやしないだろうか。

 生活周りはアイリスに任せっぱなしだし、悩みを解決してくれる先生を探して頼るためにコルキス様を頼ろうとしている。そんでコルキス様に会うためにカンナを頼って……いや本当に人任せにし過ぎだな?

 や、やばくない? もうちょっと自分でできること……僕にできること……

 

 ……よ、夜伽。

 

 はい。

 自分のいいところ、顔と夜伽スキル以外ないかもです。

 

 えっちな漫画の登場人物としては上出来かもですが、あいにくこれ(僕の人生)全年齢対象作品なんです。……いや、R15くらい、かも?(色々思い出している顔)

 危なかった。これで母様に愛されてなかったら絶望して死んでた。定期的に来るな、この手の自分に対する絶望。

 

 まあ母様に愛されているのですべて解決する問題である。考えてもしょうがない。はいやめやめ。

 本題。最初に言った「ちょっとした用事」のほうに取り掛かろう。

 

 学校の宿題……ではない。課題に関しては、慣れもあってか最近はその日の夜のうちに終わっている。嗜好品の少ない(当社比)この世界では、夜はわりと持て余す時間なのだ。

 いーちゃんに会いに行くのもまた別だ。というかそれは「ちょっとした」に収まらないし。いまのところ、コルキス様に会って、外を出歩くのに慣れてから次の週あたりで行くつもりだ。

 

 よって、今日は猫を追います。

 ……はい。猫です。猫を追います。よろしくお願いします。

 

 説明は置いといて。

 さあ、ちょうど窓の隙間から抜け出していくとこが見えた。イクゾー!

 

 

 

 


 

 

 

 

 一人で宿を出ようとする僕に宿のお姉さんが心配する声をかけたが、少し散歩するだけですと言って飛び出した。もちろん被り物で顔を隠して。

 世の中的には休日に分類される今日は、普段より人通りが多くなっている。まあこの宿のあたりは普段人がいなさ過ぎるくらいだけど。大きな通りなら出店もたくさん出ていることだろう。

 

 猫。尾が二股の、真っ白な謎の存在。

 毛並みとかから考えても飼い猫だろうし、名前はつけていない。僕やアイリスの間では、猫とかあの子とか適当に呼んでいる。

 

 いつの間にか……たしか僕が白妙の止り木で気絶したあたりから現れて、ここまでなぜかついてきている。宿のお姉さんは僕らの飼い猫だと思っているらしいが、餌をやっているわけでもない。

 気付いたら隣で寝ているし、逆にそこら辺にいるものかと思ったらどこにも姿が見えないときもある。そういうときは外を散歩しているっぽいのだが、どこに行っているのかも定かでない。

 

 そんなへんてこなペットがウロチョロしていれば、流石のエルフでも疑問というか、不安を抱く。

 せめて普段何をしているのか知りたい。どこでご飯を食べているのか、散歩は実は本当の飼い主の家に戻っているんじゃないか。

 そんなわけで、本来であれば今日はアイリスと一緒に猫の追跡をするはずだったのだ。

 

「ヘイ、オマツリガール!」

「!?」

 

 道路の真ん中をスルスル駆けていく猫を追っていると、いつの間にか大通りまで出ていた。

 横の方から明らかに僕に向けられた声がして、変な悲鳴が出そうになるのを堪えて見れば屋台の店主が手を降っていた。

 

 アイリスと何度か立ち寄ったことのある屋台だ。無視するのも忍びないし、猫の行く方を視界の端に捉えながら、ドキドキする胸を抑えて近寄る。

 

「ゲンキソウネ! 今日ハオマツリマッマト一緒ジャナイノ?」

「??」

 

 あかん、この人方言なのかイントネーションとかキツすぎて何言ってるか分からん。ちょくちょくスラング挟んでそうだし。

 学域内だとみんな丁寧な言葉を使っているからついていけているが、カジュアルに崩された会話をされると途端に頭が真っ白になって認識できなくなる。

 今日、ママ、一緒は聞き取れた。ママ? アイリスのことかな?

 

「……あ、あぅ……、うぅ、……うん」

 

 アカン。

 リスニングのテストは分かるけど、いざ話しかけられたらイエースイエースしか返せない高校生みたいになってる。

 違うんだ。人間の言葉とか全然余裕なんだけど、この大阪弁(推定)になんて返せばいいか分かんないだけで。いやもはや津軽弁だろこれ。

 

「オーゥ……、ハイ、コレ食ベテ元気ナロウ」

 

 そう言って店主はじゃがバターらしきものを差し出した。お金持ってないけどもらっていいのかななどと悩んでいると、無理やり持たされる。

 

「……あ、ありがとうございます?」

「マッマ見ツカルトイイネ〜」

「??」

 

 あっ、これ迷子かなんかと間違えられてる?

 ……まあ、いいか。とりあえずなんか解放されたっぽいし。芋を入手したということで。

 

 小さく店主に手を降って、猫の行った方へ小走りに進む。

 多分まっすぐ行ったと思うんだけど……あ、一瞬なんか見えた。

 

 細い路地裏に入っていったらしい。まあ猫だしな。人混みに突っ込まれるよりはよほどマシだ。

 芋はまだ熱いので紙に包まれたままの状態で手に持っている。人類はもっと猫舌に配慮すべき。

 

「行き止まり……」

 

 確実に猫はこっちへ進んだと思うのだが、路地の先は僕の背丈ほどの塀がそびえ立っていた。

 下に抜け道があるのかなとあたりを見渡すがその様子もない。

 

「身体強化なしだとどうかな〜、……あ、いけた」

 

 恐らくは越えていったのだろう。猫ってジャンプ力あるって言うし。

 周りは住居だろうから壁を蹴るわけにもいかず、魔法も極力使いたくないため、力んでじゃがバターを潰さないよう気をつけながらその場で跳躍して塀の上に乗った。こういうとき、学園都市の制服はどこかに引っ掛けそうな怖さがある。体操着とかないんだろうか。

 

 塀の上に立ったところで、どこかから猫の鳴き声が聞こえた気がした。

 ……おそらく塀を伝っていった先だ。なんだかアスレチックで遊んでるみたいだなと思いながら、音の聞こえる方へ足を動かす。

 

 

 

 


 

 

 

 

 路地裏の長い煉瓦塀を伝うと猫の国であった。石の床が毛皮になった。木漏れ日に野良が丸まった。

 

「わ……、何匹いるんだこれ……」

 

 自然と声を抑えてしまう。薄暗い路地裏から歩いてきたはずが、いつの間にか日差しの潤沢な猫の集会場にたどり着いたらしい。

 一番日差しの暖かそうなところには二股の白猫もいた。なんだあの子、ここの王様なんだろうか。

 

 こうもたくさんにゃんこがいると、モフリストとしての血が騒ぎだす。伊達に前世で猫を追っかけていない。

 まず、初手で大きな声を出さなかったのはグッドだ。さらに、幸いここの子たちは人の姿を見てすぐ逃げ出すほど警戒心が強くないらしい。これは簡単な勝負となりそうだ。

 塀から降りて、そのまま猫たちに近すぎない位置で座る。自然と女の子座りが出るのはもうしょうがない。とりあえず、少しでも猫と視点の高さを揃えるのが大事だ。

 あとはしばらくじっとしているのがいい。丁度じゃがバターが冷めてきたことだし、これを食べてぼーっとしてよう。

 

「……流石に早くない?」

 

 芋に一口かぶりつくが早いか、一番近くにいた猫がすり寄ってきて僕のお腹のあたりを嗅ぎ始めた。それを皮切りに、他の猫たちまで近寄ってくる。芋に来るならまだ分かるが、明らかに僕に興味を示している。

 四方八方を幸せな温もりとやわらかさに包まれる。何だ、ここが天国か。

 

「にゃあ」

 

 白猫が鳴いた。途端に、僕を圧死させようとしているのではと思うほど引っ付いてきていた猫たちが僕から渋々距離を取り、空いた膝の上に彼(彼女?)が乗った。ああ……温もりが離れていく……。

 この白猫、一声で他の猫達を動かせるあたりガチの王様とかボスかもしれん。しかし、なんだ。僕の膝の上を一人だけ陣取って、ここは俺の居場所だとでも言うつもりなのだろうか。

 

「あのですね、白猫さん。いいですか? まずですね、僕は母様のものなんですよ。分かりますか? なので、あなたが何を言い張ろうと、僕の膝の上も全部母様のもので、あなたのものじゃないんです。だからあなたが他の子達から僕の膝……というかふとももですが、そこを奪う権利もないんです」

「みゃあぅ……」

「みゃあぅじゃありませんにゃ。母様が優しいからって、貸し出されてるものを独占するのはいけにゃいんですよ」

 

 白猫の背中を撫でながらしかし口調は厳しく叱ると、最終的に小さくニャと鳴き、それを聞いた他の猫達はまたこちらへと擦り寄ってきた。攻略完了である。

 はい、なんで負けたか次までに考えてきてください。……なんで勝てたんだ今……?




レ「僕は母様のものなんですよ」
母様「私はレインのものだよ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

研究って言うと「新しいものの発見!」みたいなイメージがあるけど、実際は9割の先行研究と1割の発展とすら呼べない付け足しだったりする。

「それじゃあ、行ってきますね」

「はい……」

 

 猫を抱えながら、宿のロビーでお姉さんに出立の挨拶をする。アイリスが軽く会釈しカンナは入り口のあたりで手持ち無沙汰に立っている。そんな僕らに、お姉さんは少し心配そうな表情をしていた。

 

「どうかしましたか?」

「いえ……。でも、お気を付けて。あまり寄り道はせず、なるべく早いうちに帰ってきてくださいね」

 

 子供を心配する親みたいなことを言っている。なんかあったんだろうか?

 アイリスにも前回一人で猫を追跡したことで心配をかけてしまったようだが、そんなに危なっかしく見えるのだろうか。僕は。

 もうそれなりの年齢であるし……いや、よく考えたら、周りから見たらまだ中学生くらいだ。まだまだ心配される年頃。とはいえそこらの悪漢にどうこうされるほど弱くないので、主観的には危機感が持ちづらい。カンナに叱られて振る舞いには気をつけるようになったが、それはエルフとしてのTPO意識でしか無い。

 

 宿を出る。抱えた猫は液体みたいにびろーんと下半身が垂れ下がっているが、その姿勢苦しくないんだろうか。

 

「アンブレラ、その子抱えてて重くない?」

「平気です。こう見えても意外と力あるんですよ!」

「そう……重力を感じる光景よね」

 

 カンナも半分呆れながらコメントした。重さ自体は、せいぜい数キロといったところだから素の状態でも負担でない。

 これほっといたらそのうち地面に足つくんじゃないかというくらい伸びている。やはり猫は液体。イグノーベル賞獲ってるだけある。

 

「そういえば、発表会……でしたっけ、お疲れ様でした」

「報告会ね。ありがと。たいした内容でもないし、研究はまだまだ続くんだけれどね……」

「どんなことを研究しているんですか?」

 

 カンナを労うと、遠い目をして諦めたような声が返ってきた。研究といえば奇人ほど面白い成果を出すようなイメージがあるけれど、彼女みたいな天才型でも苦労をするんだなぁ。

 研究内容を問うと、うぅん、あーと歯切れの悪い返答。

 

「同じ分野の研究者以外に説明するのって難しいのよね……。そもそも、そんな面白い内容じゃないわよ。先生に勧められたテーマやってるだけだし」

「勧められたテーマ?」

「そ。絵を描く以外に興味も持てなかったから、研究に関してはゆるっと惰性ね」

 

 カンナは歯切れの悪い言い方をした。

 擦れたように考えながらも、情熱的でなく研究者という立場にいることに罪悪感を抱いているのだろう。あまり掘り下げても空気が悪くなりそうだからここらで止めておこう。

 

「あぁ……絵だけ描いて生きていけたら……」

「カンナなら絵描きとしてやっていけますよ」

「……? 絵描きは趣味でしょう?」

 

 あまり深く考えずに言った言葉だが、彼女には心底不思議そうな顔をされた。職業絵描きって存在しないのか。江戸時代とか中世に存在するからこの世界もそんな感じかと思ってた。

 

「ああ、貴女は精霊だものね。この国では、仕事イコール魔法に関わることか────戦地に行くことよ」

 

 戦地。

 

 油断していたところに飛び出してきた言葉で、心臓が跳ねた。

 それだけ学園都市の中は平和だったから。

 

 知らなければいけないことだと思った。

 それはきっと、大人に殴り飛ばされていた、あの少年のことだろうから。

 アフリカで干涸びた誰かや、中東で銃を振るう子供とは違った。距離を言い訳に見ない振りをするには近すぎた。

 

「──そう、なんですね」

 

 それでも、いつか知るからと。いま踏み込まなくても、きっと触れる時がすぐ来るからと。

 この時僕は、相槌を打ってそのまま黙りこくることしかできなかった。

 

 カンナはたいして気にした様子もなく歩いていた。

 アイリスは周囲を警戒して、その話題には興味もなさそうだった。

 

 ヴァイツァーサ転送門に着く頃には、胸のつかえも薄れていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

139話

 転送門は相変わらず人で賑わっている。

 自動車とかは見た感じなさそうだし、主流な移動手段があの馬のような動物だとすれば、転送門はさぞかし便利な交通・輸送機関であるのだろう。故障したらどうするんだろうとか動力はなんだろうとか思うところはあるけれど、正直どうでもいいから教わってもすぐ忘れそうだ。

 

 人混みを前にすると飲まれてしまわないか心配になるが、心なしか皆さん僕らとは距離を取っていらっしゃる。怪しい被り物した二人がいるもんね。仮に何もなくても近付きたくないよね。

 複雑な心境だけど、そう悪いことばかりでもないので気にしないことにする。

 

「それじゃ、利用券取ってくるから」

「切符ですか? どうやって買うか見たいので僕も行きます」

「まあいいけど……、研究室の名前借りることにしたから普通の買い方としてはあんまり参考にならないわよ」

 

 はて、とアイリスと共に首を傾げてカンナを追うと、人々が並んでいる窓口とは別の場所で、書類と身分証を出して職員さんから切符を受け取っていた。僕らの分も。ヒエと少し肝が冷える。

 

「あの、僕らカンナの研究室とは関係が……」

「カンナ様、お支払いの方は……」

「えっ、いや、いいって! むしろお金もらう方が捕まるわよ!?」

 

 アイリスがお金を払おうとするとカンナは慌てて手を振る。

 まあ、それはそう。悪質な転売みたいなものになるし。

 

 各ゲートの上には水晶のようなものがはめ込まれていて、おそらくは繋がっている先の学区の番号と対応している。僕らは9区に繋がっているゲートの前で、ベンチに座って自分たちの番を待った。

 角度的に、隣の門くらいならどうなっているか見える。8区行きのゲートが起動しているのを()()みると、暴力的なまでに多量の魔力が複雑に絡み合って蠢いている様子が分かった。

 

 まさに魔法という感じがする。

 普段僕が扱ってる魔法、あるいは学園都市が活用している魔道具の類なんて、魔力を見てしまえばそう複雑な働きはしていないものだ。ひとりでに物が動くのは側から見れば不思議かもしれないが、魔力が見えていればなんのことはない。水の流れで回る水車みたいなものだ。

 しかし転送門に関しては、視たところで何が起きているのかまるで分からない。巨大な力。理解できない力。まさに魔法だ。

 

「魔力に敏感な道具もあると聞きましたが、それって転送門(ここ)を通せるんですか?」

「あー……、私もあまり知らないけど、多分一部の魔道具とか、体質に問題がある人は無理ね」

 

 だそうだ。まあ、僕が魔法を禁止されるくらいだから、そりゃそうだろう。

 輸送が馬車とかになるんだろうなぁ。魔道具とかならそれだけで値段が爆増しそう。学区間の距離とか知らないけど。

 

 8区と繋がっていたゲートからぞろぞろと人が出てくる。さあ、僕らの番だ。

 

「転送門の中に入ったら、周りが見えなくなるかもしれないけどそのまま真っ直ぐ歩いてね。そうしたら着くようにできているから」

「大丈夫ですよ、多分似たものを知っていますから」

 

 カンナが僕らを心配するように言った。それに微笑んで答えるが、まあ顔は見えちゃいないだろう。

 

 転送門の中は外から見ても暗い。暗いというか、()()()()()があるかのように、奥も床も、何も見えない。

 これ子供とか絶対泣くでしょ。僕が子供だったら泣く。なんなら怖くて入れない。トラウマ負いそうだもん。

 

 闇の中に足を踏み入れる。大丈夫、平気だ。

 僕はもっと怖くて何も見えない闇を知っている。そしてそこに、この身を委ねたのだから。

 

 アイリスも、カンナも、他の利用客も。誰も見えない。

 知っている感覚であった。やはり、森のお社とヘリオのいる聖域とを結ぶ道と同じものなのだ。

 

 夢の中にいるかのようにふわふわとする。重力がなくなってしまったかのようだ。

 

 暖かく誰かに守られているかのような安心感がある。

 これなら小さな子でも安心して使えるかもしれない。

 

 カンナは真っ直ぐ歩いてと言ったが、正直「歩く」という感覚がない。

 でも、前に進んでいるのはなんとなくわかる。

 

 9区に着いたら、少しだけ観光しよう。

 それで、コルキス様に会って、良さげな研究室でも教えてもらおう。

 あとは、11区に帰ったら、次の週くらいにはいーちゃんに会いに行って。

 

 微睡みに包まれながら、これからのことを思った。

 

 

 ──ところで。

 

 いったい、いつまで歩けばいいのだろうか。

 

 

 

 


 

 

 

 

 アンブレラが出てこない。

 そのことに気付いてすぐ、私は近くにいた職員の人を呼び止めた。

 

「友達が出てこないんです! 転送門を、止めて、そのっ調べたりとか……」

「出てこないってそんなまさか……。先にどこか行ってしまったとかではありませんか? お客様も複数いらっしゃいますし、止めてしまうと全土の転送門にまで支障が……」

 

 職員さんは少し嫌そうに、困った顔をして答えた。

 言っていることは分かる。色んな人が使っているからこそ、使えなくなった時の影響は計り知れない。

 そもそも転送門から人が出てこないなんて話聞いたことがないから、普段停止させるなんてこともしていないだろう。

 だけど、私が一番最初に入って、最後にアイリスさんが入ったのだ。アンブレラがひとりだけどこかに行ってしまうはずがない。

 

「人の命がかかってるかもしれないんですよ!?」

 

 命、と言った瞬間。

 

 暴風が吹いた。

 

 いや、実際には何も起きていなかった。しかし、自分の死を直感してしまうほどの威圧感と共に、横で爆発が起きたような気がした。叫んだ私までビクリと体を震わせた。

 先ほどまで、状況を飲み込めず、心配そうに立ち尽くしていたアイリスさんだった。

 

「うっ、上の者を呼んできます!」

 

 職員さんも同じものを感じたらしい。

 自分では対処しきれないと感じたのか、逃げるように駆けていった。そしてすぐに上司らしき男性を連れてくる。

 

「どうされましたか?」

「友達が、11区で一緒に入ったきり出てこなくてっ」

 

 男性は途端に疑わしげな表情になった。

 

「出てこないなんて、これまでなかったんですがねぇ……」

「でも、本当なんです。止めたりとかって……」

「まあ、夜間の点検の際に一応確認してもらうくらいならできますが、一旦11区に戻って探してみては?」

「それで何かあったらどうするんですか!」

「あのですね、お嬢さん。転送門を停止させてまた起動するのにどれだけ時間がかかるかご存知ですか? 一日に、この日中の時間に、どれだけ多くの人が利用しているかご存知ですか。その中には、医者や、危篤の家族のもとへ急ぐ人、そんな命に関わる人だっているんですよ」

 

 分かっている。ありえないことなのだ。彼からはクレーマーのように見えていることだろう。

 言葉を重ねて説明され、ちょっと止めて中を覗くなんて話じゃいかないことも理解する。そもそも、転送門を使っている最中に消えた人が中に残っているかも分からない。

 それでも、アンブレラなのだ。アンブレラなのだ。それしか言葉が出てこない。焦りのあまり何を言えば良いのかも分からなくなる。でも、分かるのは、このままじゃダメだ。

 

「……っ、けどっ」

 

 言葉が、おぼつかない。アンブレラなのだとしか言えない。

 政治的に、学術的に、芸術的に、道徳的に、友人として。アンブレラを失ってはいけない。

 いけないのに、それを一言で表せやしない。

 

「──カンナ様、ありがとうございます」

 

 涼やかな、凛とした声がした。

 

 一歩後ろに立っていたアイリスさんが、隣に進み出る。

 見惚れてしまうような所作で、被り物を脱いだ。

 

 あらわれた表情は、私が恐れていたような鬼のようなものではなく、すましたものだった。

 すました顔のまま、涙だけがはらはらと頬を伝い続けていた。長い睫毛に拾われた水滴が反射して光っている。場違いにも、美しいと思った。

 上司の男性もそうらしく、女性的な美しさに見惚れ、また同時に純粋な美しさに心奪われたように放心していた。口を開くが、掠れた音だけが漏れる。

 

「…………精霊、さま

「御子様のため、お願いいたします。(わたくし)でよろしければ、如何様な対価でもお支払いいたします」

 

 そう言って直角に腰を曲げ、頭を下げた。

 そのまま返答があるまで上げる気はないとばかりに静止する。

 

 上司の男も、職員の人も言葉に詰まっていた。

 断るという選択肢はどこにもないように思えた。

 

「……おい、何をやっている」

「はっ、はい!」

「はやく、全転送門に連絡しろ。停止命令だ。総点検をするぞっ」

 

 上司の男の号令と共に、慌ただしく周りが動き出す。

 

「お嬢さん、お友達というのは幽かなる精霊の方ですか?」

「は、はい」

 

 男性も苦虫を噛み潰したような顔になる。事故があった時の未来を想像し始めたのだろう。

 

 しばらくして、アナウンスが入り、転送門の周囲から利用客がいなくなった。

 起動していない転送門を見ること自体、普通の人にとっては初めてのことだ。普段は暗く闇が広がっているそこは、どうやら本当に何もないらしく、ただ整列する支柱と石造りの床だけが広がっている。

 

「転送門内に立ち尽くしていた人物がいたようです!」

 

 途端にホッとした。同じく安心したのかへたり込みそうになったアイリスさんを支えてやる。

 あの儚い少女は、ともすれば闇に溶けて消えてしまうんじゃないかと思わせるところがあった。見つかった、ただそれだけのことが何よりも嬉しい。

 

 職員の女性に支えられるようにしてアンブレラが姿を現す。被り物は脱げているらしかった。

 外傷もなさそうだが、眠っていたのか表情がぼんやりとしている。

 

「御子様……っ!」

 

 アイリスさんが駆け寄る。

 アンブレラがその顔を見上げた。

 

 そして、戸惑ったように一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、どなた、でしょうか」

 

 その目は(丹色)に染まっていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喪失編
あの子は何も覚えてないしアイリスさんは多分何も考えられなくなってるしで私が冷静じゃないといけないんだけど、そろそろ脳のキャパを超える現実に逃げたくなってきたかもしれない。


「記憶障害です。おそらく、『構造性』の」

 

 縄でぐるぐる巻きに拘束された医者の男に腰掛けながら、看護職の女性が説明した。そのお尻の下の人はどうして口にテープを貼られているんですかと気になるが、あまりにも女性が自然な態度であるばかりに、気にしてはいけないものなのだと思い込むことにした。カンナのような学園都市で育った人間にとって、不可解をそのまま受け入れることは慣れたものであった。

 コウゾウセイ? と聞き慣れない言葉に首を傾げるカンナに、女性は「三つ」と指を折りながら説明を続ける。

 

「記憶障害、一般に記憶喪失などと呼ばれるこの症状は、心因性、器質性、そして構造性の3つがあります。厳密ではありませんが、精神・肉体・魔力がそれぞれ関係していると思ってください」

 

 心因性。これは一番多いパターンで、精神的な要因によって記憶能力の一部が失われるものだ。物凄く怖い体験をしてその時の記憶が飛んでしまうだとか、もはや病院にかかる必要すらないものもある。

 きちんとケアをすれば、元通りに戻れる可能性が高い。

 

 器質性とは、言ってしまえば脳の物理的な要因による症状だ。脳の一部が傷付けば、そこの維持していた機能も損なわれる。多くの場合失った部分のバックアップなんてものは存在しないから、これを治すというのは大変だ。

 しかしそもそも、脳が損傷した時点で生命維持に支障をきたす場合が多く、記憶障害以前に生きるか死ぬかの問題になるものだ。

 

 素人向けに噛み砕いてはいるだろうが、それでも長々とした説明に椅子役の男が心配になりちらりと視線を向ける。体を支える腕は震えていて、脂汗みたいなのも滲み出している。うわ目が合った。

 スッと目を逸らした。許してください、私にこの状況は荷が重いです。

 

「最後に構造性ですが、これは人の『記憶』というものが生み出されるプロセスの障害……だそうです。記憶は脳とそれに宿る魔力の相互的な補完によって生み出される……と言われていますが、そのどちらかが不具合を起こすと、特定の記憶が生み出されなくなります」

「えっと……、ま、まあ、その、アンブレラは構造性の記憶喪失だと仰っていましたが、治るんでしょうか……?」

 

 記憶が生み出されるだとか、ソウゴ的な補完だとか、正直難しくてよく分からなかった。

 女性の伝聞調の説明への違和感も感じながら、一番重要なこと、記憶喪失が解決するかどうかを尋ねる。

 

「……申し訳ありませんが、構造性記憶障害は()()()()ではまだ分からないことが多いんです」

「え、でも原因はその脳と魔力の補完が……って感じで分かってるんですよね?」

「そもそも症例が少ない……いえ、ほとんど存在しないため、専門的な知識を持つ医師がいません。また先程申し上げた説明ですが、あれらはすべて古代の文献に遺されていたもので……」

 

 ああ、古代の遺産(ジェラ・アンティーカ)かと納得した。

 《古の魔法使い》が生きていた、あるいはそれよりもっと前の時代には、現代よりもずっと優れた知識があったらしく、学園都市の生活の様々な部分がそういった現代では証明できない知識に支えられていたりする。

 盲目的に信じるとまではいかないが、実際にそれで上手くいったことの方が多く、99%は正しい知識として扱われている。

 

 つまるところ、向こうの言い分は「治るかは分からないし、治し方も分かんないし、なんで発生したかも分かんない。でも原理は分かる」ということだ。

 アイリスさんがここにいなくてよかった、と思った。アンブレラに目の前で「どなたでしょうか?」と言われた彼女は、そのままショックで気を失って倒れた。今はアンブレラに近い部屋で寝かされているはずだ。

 

 アンブレラの命が危ないかもしれないと知った瞬間の彼女は、有り体に言って危険だった。

 おそらくは【圧縮】が解けたのだろう。目視できたものではないが、あの威圧感は怒りどうこうではなく膨大な魔力の放つものだ。

 アンブレラがこのままかもしれないと知ったら同じことになりかねない。病院の中心部であれだけ魔力が溢れたら何かしら被害は免れないだろう。……というか、最近意識しなくなってたけど、本当に彼女らは幽かなる精霊なのだなと実感した。

 

「……あれ、でも分類ができたってことは、構造性か心因性かの見分け方みたいなのは分かってるってことですか?」

「はい。虹彩色、目の色です。幸いにも院内に生物系の知識に精通した者がいたのですが、精霊の目の色が緑系統でないのはおかしい、と」

「あ、魔色の話ですね。なんとなくなら分かります」

「……医療系の方ですか?」

「いえ、趣味で絵の勉強をしていたので……」

「ああなるほど」

 

 物体そのものの色、いわゆる固有色というやつは含まれる色素の量で決まる。

 そこに反射光とか他の物体との対比とか、自分の頭の勘違いだとか、いろいろと足されて実際に見ている色、自然色になるのだ。

 魔色はどちらかというと固有色側の話になるのだが、まあ簡単に言えば、魔力を豊富に含む物は色素だけでなくその魔力の性質によっても色が変わる。生物であれば、目(虹彩)や体毛などだ。

 また魔力の性質というのは遺伝するから、精霊の目は緑などと、種族ごとに発現しやすい色が決まるのだ。

 

「……そういえば、関係あるかは分かりませんが、あの子は魔力を使うときだけ目が赤くなってました。今みたいに。アイリスさんはそんなことないので、アンブレラだけのことなんだと思います」

「なるほど。今後治療方法を模索する上で、参考にさせていただきます。他に普段のアンブレラ様のことでなにかございますか?」

「特には……。あ、幽かなる精霊ということで保有魔力が多いのはご存知だと思いますが、あの子はそれ以上に保有量が多いらしいので、転送門が耐えれなかったり……? ──いや、というか、いまあの子の魔力って溢れちゃったりしてませんか!?」

「……っ、すぐに部屋を移動させるよう手配します。我々も突然のことで迂闊な部分が多かったようですが……しかし、溢れるのでしたら保護した時点で気付けたでしょうから、おそらくは【圧縮】を維持されているのでしょう」

 

 記憶を無くして、【圧縮】の方法だけ覚えているなんてことあるんだろうか。

 しかしアイリスさんでさえああだったのだから、アンブレラが【圧縮】をやめたら確かに気付けるだろう。

 

 そこまで考えたところで、女性が「ところで、申し訳ないのですが……」と切り出した。

 

「アンブレラ様にはしばらく安静にしていただきたいのですが、院外に移動していただくことは可能でしょうか?」

「……。それって、いつ魔力が爆発するか分からないから病院には置いておけないってことですか?」

「まさか!」

 

 とんでもない、という風に女性は首を振った。

 それから悩むようにしばらく黙り込み、縄で拘束されたまま椅子となっていた男を蔑むように見ながら口を開く。

 

「──その、変態が多いんです」

「はい?」

「変態が、多いんです」

「いや聞こえてますよ違いますよ。なんですか変態って病院ですよね、()()医師ですよね? 患者にセクハラするんですか最悪ですね」

 

 理解したくない言葉に思わず思考停止し、次いで堰を切ったように罵倒が飛び出した。

 病院で医者が患者に欲情するとか一番最悪な概念ではないか。

 

「ご、誤解です! そういう意味ではなく、むしろ、患者様に対しては全力で治療しようとする真摯な者ばかりなんです。()()も、先程まではアンブレラ様の検査を執り行い、あらゆる症状について検討しました」

 

 これ、と言いながら、女性は這いつくばる男(やはり医者らしい)の手を踏んだ。ヒールだ。

 普通に痛そうだし、患者の関係者の前でそういうのはどうなんだろうと思って男を再度見ると、汗は増えていたが、恐らく別の意味で顔が赤らんでいた。患者の関係者の前でそういうのはどうなんだろう。プライベートの場でやってくれ。

 

「……ですが、その、幽かなる精霊の、構造性記憶障害というレアケースの掛け算に、研究者としての(さが)が抑えられなくなったらしく、こうして拘束していないと何をするか分かったものじゃないんです」

「は、はぁ」

「この者だけでなく、他の医師も検査的な意味での夜這いを仕掛けないか断言できず、できれば病院でない場所で休まれた方がよろしいかと……」

「あの、公共機関としてその公私混同どうなんです?」

「優秀な者たちばかりなんです……優秀であるばかりに、この1000年に一度あるかわからない機会をと考えてしまうらしく」

 

 科学者としてはともかく社会人としては劣悪もいいところではないだろうか。カンナは訝しんだ。

 まあ、言い分は理解できた。むしろ教えてもらえて助かった。たしかにこんなところにアンブレラを置いてはおけない。……というか、もしかして今日は帰れないんだろうか。

 

「分かりました、どこか探そうと思います。……貴女は、アンブレラを検査したいとは思わなかったんですか?」

「私は医者ではなく看護師ですから。……それに、一目見て思ったんです。守りたいって」

 

 ……。

 

「惚れました?」

「んなっ!? い、いえ、患者様ですから……。それに、女同士じゃないですか……」

「あーあ……」

 

 これが顔面偏差値の暴力か、と思う。あとはこの人は気が強そうだし、いまの記憶を失って不安定なアンブレラに庇護欲をそそられたか。

 まあでも、彼女は運が良かったと言うべきだろう。もし記憶を失ってなかったら、あの子のことだから天然でやらかして彼女の性癖を更にねじ曲げていただろうから。

 

「失礼します! た、大変です!」

 

 しょうもないことを考えていると、若手の助手らしき男が診察室に飛び込んできた。

 一瞬医師の男に目を向けるが、すぐに視線を切ってこちらに向かって叫んだ。きっと日常風景なのだろう。

 

「ソートエヴィアーカの、第一王女様がいらっしゃって……」

 

 ……。

 

 いま、一番大変なのはアンブレラだろう。

 いま、一番辛いのはアイリスさんだろう。

 

 それでも、いま一番苦労しているのは自分ではないかと。カンナは涙した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

普段人と関わらない隠キャは心を閉ざしがちで余計に孤立するけど、みんなの中心みたいなキラキラした人に急に親しく接されると一瞬で攻略されるクソ雑魚な一面も持ちがち

 正直なところを言えば、もう逃げ出したい気分だった。

 

 ソートエヴィアーカの王女、留学生として学園都市を訪れている彼女の人柄の良さは知っている。

 彼女が留学して間もない頃、カンナの住む11区の学生達も興味本位で彼女を尋ね、たちまち絆されたという話を何度も聞いたからだ。もちろん、友達はいないので盗み聞きである。

 しかし、そんな地位も容姿も性格も100点満点みたいなキラキラ輝いた人物だからこそカンナは関わりたくなかった。影の世界の住人は光に弱いのだ。

 

 まず第一に、劣等感を刺激される。

 それに、カンナは性格のいい人間というものをあまり信じていなかった。世渡り上手がただ性格がいいだけで務まるわけないからだ。

 あとは、身分が違うというのも普通にやりづらい。もちろん学生という立場では平等なはずだが、他国の親善大使に近い彼女に対して言動の一つでも間違えたくはない。

 ……それを言えばアンブレラも身分が高いはずだが、彼女に対し「高貴」という言葉を思い浮かべれば、首を捻る結果となった。まあ、黙っていれば高貴だ。それも髪の一本すら触れられないと思うほどの。

 

「みゃおん」

「あら、あなたも来てくれるの?」

 

 どこからか二尾の白猫が現れ、気付けば隣を歩いていた。

 一応病院内なのだが、どこから入ったのだろうか。そもそも、転送門に入るあたりから姿を見ていなかったような気もするが……。

 カンナを帯同していた病院の職員は一瞬「ね、猫!? どこから!?」と追い払おうとするが、カンナが申し訳なさそうにアンブレラの使い魔(違うが、説明が面倒だった)であることを告げると、諦めたように溜息をついて歩き始めた。それだけ、他国の姫の来訪は優先順位が高いらしい。

 

 せめて自分で抱えておこうかと手を伸ばすが、白猫はスルリと躱す。

 アンブレラやアイリスさんでないと嫌らしい。……そんなに美人の大きなお胸が好きですか、そうですか。下衆がよ。

 心の支えになると一瞬でも考えそうになった自分が馬鹿だった。

 

 ともあれ、そもそも9区を訪れた理由が(くだん)のお姫様に会うことだ。

 彼女とアンブレラが具体的にどのような関係かは定かでないが、いま彼女が来訪したのもアンブレラに関係するのだろう。だとすれば、(情報収集の速さが恐ろしいが)アンブレラの記憶喪失という事態に対し心強い味方となってくれそうだ。

 滅多なことを言われない限り、彼女に対しては「はい」で受け答えしようと決めた。自分一人で解決しようとするには、あまりに状況が悪い。最低限お姫様の人柄を見極めて──

 

「……! 初めまして、貴女がアンブレラ様のお連れ様でしょうか!?」

「ふぇっ!? ひゃ、はい!」

「ああっ! よかった、貴女がいてくださらなかったら彼女の命すら危ぶまれるところでした……!」

 

 抱きしめられた。一瞬だった。脳味噌は混乱と共に蕩けてしまった。

 

 温かい肌の温度が直に伝わる。体は硬直するが、心は融解するようだった。

 遠目にしか見たことがないが、直感で分かった。コルキス殿下だ。

 

 柔らかいながらも信じてみたくなるような芯の通った声。

 聖母のような微笑みを(たた)えた美しい相貌。

 長い睫毛には、よほど心配だったのか水滴がついて光を反射している。

 ほどよく肉の付いたその体は、今も小刻みに震えていた。

 

「……っ、も、申し訳ありません。私としたことが……。ソートエヴィアーカの君主ムリウミスが娘、コルキスと申します。アンブレラ様の一大事と聞き、居ても立ってもいられず……」

「ふぁい、……あ、アンブレラの友人の、カンナ・アルタイズでしゅ、です」

「ああ……カンナさん、本当にありがとうございます。アンブレラ様は私を訪ねていらっしゃったのですよね? こんなことになってしまうのなら、私の方からお伺いするべきでした」

 

 申し訳なさそうに解かれる抱擁にすら名残惜しさを感じてしまう。

 先ほども言ったが、そもそもの身分が違う。一生のうちで手を握る機会すらあるかどうかという相手だ。そんな相手に抱きしめられたという事実は、カンナの自尊心をひどく満たした。

 

 少し前の意気込みすら忘れ、もはや空返事を返すだけでいっぱいいっぱいだ。

 名乗ると、今度は手を両手で包まれ名前を呼ばれる。一般人のカンナにはあまりにも攻撃力が高かった。

 

 そもそもとして、純粋に顔が良い。瞳はずっとカンナを見つめている。アンブレラやアイリスさんという至高に触れていなければ、同性であることに関係なくガチ恋していただろう。あるいはあまりの多幸感に気を失っていたかもしれない。

 とはいえ、アンブレラとは別種の攻撃力がある。アンブレラがただそこに存在する絶対的な「美」だとして、コルキス殿下はこちらの全てを委ねたくなるような魔性があった。カンナの理性はほとんど保たれていない。

 

 事前に連絡でもしてあったのか、コルキス殿下はアンブレラを待っていたようだ。

 カンナはだったら私が同行した必要はあったのかと思いつつ、残った理性でコクコクと頷く。殿下はチラリと後ろの職員に目配せして、すぐにカンナに向けてニコリと微笑んだ。かわいい。顔が強い。

 

「確認が取れましたね。アンブレラ様の安全は、ソートエヴィアーカの名にかけて我々が確保いたします。どうぞ、お任せください」

 

 その場は、完全に一人の少女に支配されていた。

 彼女の言葉が道理であり、真理だった。カンナもなにひとつ反感を生じることなく、コルキス殿下の助力が得られるなら安心だと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 くりん、と鈴の音が響く。

 

 小さな小さな、しかし頭に残る音。

 あるいは、猫の鳴き声のようでもあった。

 

 

 

 

「──いやに乱暴ではないか。はて、それがお主らのやり方かの?」

 

 

 

 

 いつの間にか、隣、白猫のいた場所に小さな童女がいた。

 入れ替わるように、白猫は消えている。

 

 お嬢ちゃん迷子かな、などと揶揄うような者はこの場にはいない。

 あるとしたらコルキス殿下だろうか。しかし彼女もまた、微笑みは崩さないまま、少し驚いたように黙って少女を見つめている。

 

 知らないはずがない。

 しかし、脳は現実を上手く認識しない。

 だから言うべき言葉が紡がれない。

 

 何度も見た顔を、初めて見つめる。

 子供の頃から知っている。知らないはずがない。学園都市の人間なら。

 

「……レントリリー、さま」

 

 学園都市を作り、今もその長として統べ続ける伝説。

 

 古の魔法使いのひとりが、そこにいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本音と建前がたくさん隠れている会話(喧嘩)って、本音が見えない人からしたらどんなふうに見えるのか、本音が見える側としては分からないのでゲシュタルト崩壊

 生物的な格というものは、美醜にも影響するのだろうか。

 目の前でおこなわれるカリスマのバーゲンセールから目を背けて、カンナ・アルタイズは遠くこの世の理について思いを馳せた。防衛本能だけは一人前であった。

 

 アルガス=レントリリー。

 真名は公開するのが常とされている学園都市だが、古の魔法使いたちの真名は誰も知らない。これはスクールで最初の頃に学ぶことで、簡単に言えば、真名は秘匿するほど力を増すが、認知されるほど定着するのだ。だから、強大な魔法の力を持つ者たちは真名を秘匿するが、凡人は少しでも魔の力にあやかろうと公開する。

 アルガスは古の魔法使いを指す通名だ。学園都市の人々がそう呼ぶから今でこそ名の一部となったが、実際のところ本人たちはあまり使わない。ただのレントリリーと、そう名乗る。

 

 その見た目は────幽かなる精霊の、少女のようだ。

 

 ふたつに結ばれた金の御髪は流水のようにまっすぐ垂れている。何より関連性を匂わせるのがその尖った耳だが、本人は自分が森人であることを否定している。しかし、ここしばらく二人の森人と関わっていたカンナは、どう見ても同じ種族としか思えなかった。

 唯一の違いは瞳の色らしいが、今も含めて、公の場に現れるときレントリリーは必ず目を閉じている。加えてアンブレラの瞳だって朱く染まることがあった。学園長を疑うわけではないが、彼女らが別種族だということをイマイチ納得できない。

 

 ……まあ、胸はアンブレラやアイリスさんと別種族かもしれない。

 声にすれば殺されかねないその思考を、カンナは慌てて振り払った。

 いや、あの二人がたまたま大きいだけかもしれないし。特に種族の特徴とかで習わなかったし。……でも授業で「種族として胸が大きい」なんて言えないか。

 ま、まあ、学園長小柄だし。……でもよく考えたら、アンブレラより少し小柄なだけか。

 

 ……。

 

 やめよう。カンナと同じナカマではないか。ナカーマナカーマ。

 よく考えたら顔面偏差値で裏切られていた。もうやだ帰りたいおうちに帰して。

 

「それでその、私達のやり方……でしたでしょうか? 学園都市(オブダナマ)の作法から外れていたようであれば申し訳ありません。ですが……ですがっ、私はただ、大切な友人のことを想っているだけです!」

 

 ハッと気付けば、コルキスがレントリリーに向かって訴えかけていた。その表情、声音すべてが「アンブレラを助けたい」と語っていて、思わずカンナの胸までジンと熱くなる。

 

「……これだから、主らが嫌いだ

 

 レントリリーが小さくこぼしたその声は、隣にいたカンナくらいしか拾えなかっただろう。

 

「ソートエヴィアーカの。私は()()()()()()。だから()しなさい」

「……でしたら、私がアンブレラ様を大切に思っていることお分かりでしょう」

「さて……だから、分からない。何を望む?」

「アンブレラ様を安全な場所にお連れして、ご養生いただきます」

 

 カンナには何が「見えている」のか分からなかったが、一瞬沈黙を作ったコルキスは、すぐに元の調子で力強く言葉を放つ。二人の間では何かしらのコミュニケーションが成立しているらしかった。なんで私まだいるんだろう。帰っていい?

 

「なぜそう手前(てまえ)で進めようとする。この国の医療を頼る選択肢とてあろう」

「勿論、私も滞在している以上最大限頼らせていただきます。ですが、私以上にアンブレラ様を案じる気持ちを公共の機関が持てるでしょうか。他の患者様のこともあるでしょう。私なら全ての力をアンブレラ様に注げます」

「この国の民であれば、あの子の価値を理解し想う気持ちは本物だ」

 

「──その結果がこの体たらくでしょう?」

 

 大声を出したわけではなかった。殺気が込められていたわけでもなかった。

 だがそのコルキスの言葉に、カンナは身を震わせた。本物の覇気というものを感じた。

 

「……失礼しました。けれども、お言葉ですが、学園都市にアンブレラ様を任せてはおけません。女王(ドローネット)の記憶喪失……最悪の事態もあり得ました。人類の一人として、身の震える想いです」

 

 カンナに向けられた言葉ではないが、今日いちばんに胸に痛みが走ったように感じた。

 人類は、災厄との生存競争において、森人がいるからという無意識の安心感を抱いている。なんだかんだで、本当に人類が危機に陥ったら助けてくれるのではと。もしも見放されるようなことがあれば、その心理的影響は計り知れないだろう。

 

 そして、今日誰よりもアンブレラの近くにいたのはカンナなのだ。

 アンブレラに自覚がどうのと説教しておきながら、自分の方がアンブレラという存在への認識が甘くなっていた。もちろん、学園都市自体が国の方針としてそうであることを望んでいたのだが。

 良き隣人でなければいけない。しかし同時に、VIPであることを忘れてはならない。カンナに望まれるには、あまりに重い役割だった。

 

「まったく、その通りだ。この国は、信じられんか」

「……今回の件に関しては、そうですね」

「私の落ち度だ。民のことは信じてほしい……それでも、お主が預かるのが良いと思うか」

「こちらの病院は使わないという話でしたので、私の住居を使うのが一番良いでしょう」

 

 実際のところ、それは一番適切な選択肢だった。

 場所を変えるとなれば、大きな病院のある学区がいいのかもしれない。しかし、転送門で問題が起きた直後に、原因も判明していないのにまたアンブレラに転送門を使わせるのは愚か以外の何でもない。とは言え馬車で移動するには学区間は距離がありすぎる。最悪、野営だって必要になる。

 だがこの9区内で場所を探すとなれば、まず警備の手配から始めなければならず、そうそう上手くいくとは思えない。唯一、ソートエヴィアーカの第一王女の居住地域だけは現時点で万全の警備体制が敷かれていることだろう*1

 

 だから、コルキスの言葉は間違っていなかった。むしろカンナは、なぜ学園長が難色を示し続けているのか首を捻った。

 唯一コルキスが間違えたのは、相手を責める勢いを適度に抑えきれなかったことだ。それは、コルキス自身が把握しきれていなかった自身の感情のため他ならない。

 

「そうも反感を示すのは────また、利用し尽くすつもりですか。レークシアのように」

 

「軽々しくあの子を語るんじゃない、小娘」

 

 重かった。

 何が、かは分からない。空気か、言葉か、はたまた自分の体か。

 

 レントリリーは目を瞑ったままだったが、まるで睨みつけられたかのような圧力を感じた。

 しかもそれは、コルキスに向けられたものなのだ。カンナが感じたのはただその余波であった。

 

 一貫して態度を崩さなかったコルキスが、瞬間体を震わせる。

 レークシア、という(おそらく)名前は分からないが、コルキスが失言をしたことは確からしかった。

 

「……申し訳ありません。無知のはたらいた無礼です。ご容赦を」

「……」

 

 レントリリーが何を考えていたのか。というか、この会話の半分ほどはカンナには理解できなかった。

 少なくとも分かるのは、謎のアンブレラ争奪戦はコルキス殿下が制したらしい、ということだけだ。

 

 空気が悪い。

 自分の国の長が舌戦で負けるの目の当たりにして胸が痛い。

 

 体調も悪くなってきたんで帰っていいですか? あっ、ダメ? そう……。

*1
なお、実際は側付き一人とコルキスを狙う刺客の群れがいるのみ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

締切ギリギリに仕上げるたびに次回は早めに手を付けようって思うけれど、結局物作りやってるような頭のおかしい人間にそんな「普通」が維持できる訳なくて今日も帰りたいと泣き叫ぶ午前5時

「ひとまず屋敷に戻り、準備が済み次第こちらへ戻ります」

 

 そう言ってコルキス殿下はとんぼ返りするように去っていった。

 本当に、アンブレラのことを耳に入れるなり飛び出すようにして来てくれたのだろう。

 

 去り際に目が合うと微笑みながら手を振られ、同性であるというのにドキリとした。

 コミュ障に手を振り返せるわけもなく、反射的に頭を下げることしかできなかったが。ああいう、会ったときや別れるときのひと仕草が友達を作る秘訣なんだろうなぁ……(実践する気はない顔)

 

 しかし、一人大物が去ったとは言え、この場にはまだレントリリー様がおわすのである。

 病院の職員の人も、どうするか困って様子を伺っている。

 

「……情けないところを見せてしまったな。さて、お主らは為すべきことも多かろう。斯様な老いぼれの、それも仮初の躰など相手にする暇もあるまい。病に苦しむ子らの元へ行ってやりなさい」

「は、はい!」

 

 有無を言わせぬ力強い言葉に、病院の職員たちは一斉に返事した。

 そのまま動き出そうとする背中に、ああそうだと鈴の音が呼び止める。

 

「お主らのおかげで、日々たくさんの者が救われている。ありがとう──愛しているよ、我が子たち。さ、お行き」

 

 目立った返答はなかった。振り向く者もいなかった。声がそう望んでいたから。

 代わりに、歩き出す職員たちの一歩はずっと力強くなっていた。

 

 一人取り残された私は、当然レントリリー様から見つめられる。

 目を逸らすのも失礼な話だが、子供の頃からの憧れとか色々な感情が混ざってつい目を合わせられなくなってしまう。

 

「……さ、あの子の元へ行こう」

 

 私が誰かとか、そんなことは尋ねてこなかった。

 白猫を通じて見ていたのか、はたまた白猫がレントリリー様なのかは知らないが、きっと大抵のことは分かっているのだろう。

 小さな背中を追いかけて、アンブレラの病室へ向かう。

 

 小さい背中。

 小柄なアンブレラよりも更に小さくて、今にも折れてしまいそうなほどに薄い。

 この背中に学園都市という巨大な国家群が支えられているのか。

 

 それはあまりにチグハグで、こちらが泣き出してしまいたくなるくらい苦しく思えた。

 

「──全部私の責任だ」

 

 呟くようにレントリリー様が言った。

 あまりに唐突で、前方から聞こえたことに気付かず自分の心の声かと思った。

 

「全部、私の責任だ」

 

 もう一度、今度は一文字ずつハッキリと聞こえるように言う。

 自分に言い聞かせているようにも聞こえるかもしれない。

 でも私には、私に一文字ずつ染み込むように言っているようにしか思えなかった。

 

 気付けば私は泣いていた。

 レントリリー様は私の頭を引き寄せて、抱き締めた。

 

 何もできなかったことは分かる。

 多分、私のせいじゃなかったのも。

 

「お主がいてくれて良かった」

 

 駅員を急かしたのも。

 今日の案内を買って出たのも。

 

 何も、悪いことなんてない。

 

「ありがとう」

 

 ──でも、友達を救えなかったら、それだけで悪たりうる。

 

 悪いことは何もしなかった。

 なら、何もしなかったことが悪い。

 

「友を救おうとした。泣くな、誇れ」

「は、い゛……」

 

 訳も分からず溢れ続ける涙は、どうやら偉大なる魔法使いが「魔法」をかけたらしかった。

 

 

 

 

「泣き止んだか」

「…………はい」

 

 背中を撫でられ続け、耳元で許しの言葉を吐かれ続け、10分ほどで落ち着いた私はようやく学園都市最高権力者のハグから解放された。

 今になってだいぶ冷や汗が出てきている。ファンクラブとかあったら刺されかねないぞこれ……。なんなら一族郎党刺されかねない……。

 

 そんな私をよそに、レントリリー様は頼みがあると言った。

 私はなかなかにチョロいので、ここまで施されてしまっては断るという選択肢が浮かばなくなっている。

 

「ソートエヴィアーカの姫があの子を手元に置きたがるのは、国としての意図がある可能性が高い」

「え、ええと、国家レベルの陰謀を阻止とか、無理ですよ……?」

「無論、そんなことは頼まん。ただあの子が傷付かないか……どうにも、ソートエヴィアーカの狙いが読めん」

 

 先程の会話の中で、レントリリー様は色々と探っていたらしい。

 相手との会話において、その本心が分かるとかなんとか。

 

「アレは、本気であの子を『大切に』思っている。ただ、その『大切』の意図までは分からない」

「コルキス様がアンブレラを利用したり危ない目に遭わせますかね……?」

 

 あのスーパーハイパー淑女コルキス殿下の何を疑っているのだろう、と問いかけるが、沈黙で返された。

 ハイ。存じております。私がチョロいだけですね。

 でもあそこまで優しくされたら信じたくなっちゃうじゃん……。

 

「私もアレも、疑いなさい。そして、友だけを信じなさい。その上で、アレがあの子をどうしたいか、傍で見極めてほしい」

「まあ安全な範囲であれば、……ん? ……アレっ? あの、それって、もしかして私もアイリスさんたちと一緒にコルキス様に厄介になれと?」

「なに、少なくとも数日であれば断りはすまい」

「あ、ありゅぇ……??」

 

 あのぅ……、そ、そろそろ、帰して……?

 だ、だめ? そっかぁ……。

 

 

 

 


 

 

 

 

「あァ〜〜、クッソ、久しぶりにミスったァ……」

 

 自分にしては珍しく、覇気のない声を漏らしてため息をつく。

 

 アンブレラが自分を訪ねてくるというところまでは想定通りであった。このタイミングか、あるいはもう一つくらい仕掛けて彼女を手に入れる下準備を終えられたはずだったのだ。

 しかし、記憶喪失というのは流石に予定にない。情報が届いた瞬間、これは間違えられない場面だとほぼ反射で動き出し、病院までの道中でプランを組み立て直した。

 

 実際に先ほどのやり取りでも言ったが、アンブレラ、ひいては森人の記憶喪失なんて、人類みんなが顔を真っ青にするような状況だ。

 彼女が自ら転送門を使ったとか、未だかつて例がないとか、そんなのはどうでもいい。

 結果だ。結果が全てだ。森人がお優しくて過程も鑑みてくれるような種族なら良いが、もしもそうでなかったとき──人類に対し敵対でもされたとき、その言い訳がいったい何を救うだろう。

 コルキス個人の目的とか、ソートエヴィアーカとしての目的とか、そういった話度外視で、一人類として学園都市に責を問いたくなる。

 記憶喪失という結果で首の皮一枚が繋がっている。まだ挽回できる。胃のあたりがずしりと重いが、一番の最悪ではない。

 

 わざとではないかとも疑ったが、流石に事故なのだろう。

 学園長レントリリー。今回彼女が出てくる必要はなかったはずだが、焦りで我を失ったらしい。

 

「しかしまァ、噂通りのバケモンではあった。なのにあんなにカワイイ面してるもんだから、その顔歪ませようとつい口が滑ったかね」

「……魔力の量に関しては、アンブレラ様以上だったでしょうか?」

「いやァ、そうとも限らん」

 

 側付きの騎士、ヴィオラの問いかけに首を振る。

 コルキスとヴィオラは【圧縮】とやらを覚える前のアンブレラ達に会っている。魔力の扱いを一般的な人間よりは理解しているからこそ、平常時のアンブレラから発される魔力の圧を敏感に感じることができた。学園都市で「導師」と呼ばれる者たちならその異常性をさらに理解できたのだろう。

 だからこその、その圧と、先ほど自分に向けられたレントリリーの圧を比べたヴィオラの発言だ。

 しかし考えるべくは、レントリリーは指向性を持たせて、かつ意図的にぶつけてきたということ。アンブレラは全方位に、しかも無意識に魔力を垂れ流していただけなのだ。それなのに()()()()()というのが、アンブレラの異常性を物語る。

 

「……いや、あっちはあっちで、本体じゃねェか」

 

 ボソリと呟く。

 レントリリーはたしかにあの場に立っていたが、あれが本体とは限らないだろう。

 魔法で分身ができるのかとかそういう詳しい話は分からないが、普通は上位存在があんな場にひとりで出向くことはない。……学園都市の人間とかいうフィルターのせいで、()()()と断定しきれなくなってしまうが。

 

 ──まァ、どっちも魔法に関してはバケモンってことだ。

 同時に、どっちも魔法以外については()()()()ところがあるが。

 

学園長(アレ)、思考が読めるとまではいかなくとも、言葉の真偽くらいは視えてんだろ」

 

 あんなのがウチの伏魔殿にいなくてよかった。ハッキリ言ってズルそのものだが、それに頼ってきたためか所々ツメが甘い。

 あれなら言葉遊びでどうとでも転がせるだろう。というか先程がそんな感じだった。(つたな)いなりに、よく分かってもいないこちらの狙いを止めようと奮闘するのが微笑ましくて、その見た目も相まってつい虐めすぎてしまった。

 その結果、虎の尾を踏んだのだ。

 

 「レークシア」に関しては、自分の理解がまだ足りていなかった。

 学園都市の罪は確定している。しかしそれは一側面であって、全てではない。だから(タゲリ)は自分に明かしたのだ。

 未熟な知識を迂闊にも振りかざし、自分の無知を知る。まるで子供のやることだ。今後十年は恥ずかしい記憶として引きずることだろう。

 

 どうして口を滑らせたのだろう。

 それを今一度省みて、はたと気付いた。

 

「……あァ、怒ってたのかもな」

「怒っていた……学園都市の迂闊さを、でしょうか?」

「それもあるが、……いや、恥ずかしいから言わん」

 

 アンブレラはコルキスのものである。

 

 一目見て、何を思うでもなく理解したことだ。

 恋とか愛とか、所有欲やら独占欲。それらに近いけれども、そのどれもがしっくりとこない。

 

 ともあれ、結論として()()()()()()だと思った。

 そして、そうしてしまえるだけの能力を自分は持っていた。だからこうして動いている。

 

 それを傷付けられた。

 そして怒った。それだけだ。

 

 理性が働かなかったことを不思議に思っていたが、単純な話だ。

 理性よりも先のものがあったのだ。

 

「……ふふ、分かってしまったかもしれません」

「なんだよ。オイ、なにニヤけてんだ気持ち悪い」

「滅相もございません、……ふっ、ふ」

「……そうかそうか。可哀想になぁ」

「……え、ええと?」

 

 急に微笑ましいものを見つけたかのような表情を浮かべるヴィオラにイラッとする。

 が、ここで怒りを露わにするというのはあまりにも芸がない。かぶりを振って憐れんだ声を出すと、女騎士は動揺して疑問符を浮かべた。

 

「明日は使い物にならねェだろうからさ、今のうちに労っとけよその喉」

「の、ど……あっ、えっ!?」

 

 こちらの意図に気付いたヴィオラは顔を赤く染める。

 

「お、お許しをっ……!」

「大声出すなって。今からその調子じゃ夜はどうなるんだ」

「ほ、本日からアンブレラ様方をご案内するのですよね……?」

「そうだな。部屋は離しておかないとなァ」

「……ッ」

 

 ニヤけ顔から一転、絶望した表情を浮かべる様子に満足し、アンブレラらを招く準備をすべく屋敷の人員を招集した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ほれ、お主らが憑依は素体が可哀想だのと宣うからこんなことに。はてしかし、同情されるその主体とやらは一体いつ決まるのじゃろうなぁ。そのくらいは答えられるじゃろ?

今回は実家(森)サイド
久々なので人物紹介

ルーナ:サブカルクソ女神
ヘリオ:褐色白髪(元黒髪)調教済みメスガキ神
現在は地上堕ちしたルーナがヘリオの身体を間借り中。


「……ふむ」

『どうかなさったか、神よ』

「いやなに。どうも、人の子の魔力が流れを止めたらしい」

 

 人の子。転生前の名を女淵にいろ。今はレインだったろうか。

 あの子の体には一部ルーナの魔力が流れている。転生時の処理の名残りだ。それに印をつけるようにしてレインの動きを追っていたルーナは、しばらく向こうの状況が分からなくなるなと頭を掻いた。

 

 ルーナが現在動かしている体は彼女自身のものではない。上位存在である彼女は地上における実体がなく、彼女を愛するあまり地上堕ちさせた*1上位存在(テルース)が器として選んだ、ヘリオトロープという少女の身だ。

 中途半端な優しさなのかなんなのか*2、ヘリオトロープ自身の精神もこの体には残ってしまっている。統合されているわけではないからその思考は分からないが、最近では心の声として会話できるし、また一部の原始的な感情については感知することができた。

 だから、尋ねておいて急に黙りこくった彼女が、心配と焦燥を隠すべくその行動を選んだことは容易に想像できた。

 

「相変わらず可愛らしいの。心配せんでも、死んではおらんじゃろうし、真名との繋がりも途絶えとらんじゃろ」

『……なんでも知っているのですね』

「なんでも知っていたらつまらんじゃろ。現に、止まった理由はよく分からん。おそらく意図してではないと思うがの」

 

 レインの前では百面相をするヘリオトロープだが、ルーナに対しては恭しく接するあまり口数が少ない。とはいえ、それなりの期間()()同体で生活していればお互いの考えも読めるようにはなった(とルーナは思っている)。

 

 ヘリオトロープからは、レインが何をするべきか本当は知っているのではないかと何度か問われている。結論としては「当たり前じゃろ、べろべろべー」なのだが、その上でそれを伝えなかった理由についても話し、今ではそれについてヘリオトロープから何か言われることは無くなった。

 結局、ルーナは「人」が好きで、答えを教えるのはそれと真逆の行為ということだった。あとは、ルーナは都合のいい時だけ頼ってくる輩が嫌いだった。

 

『ですが、魔力が失われたら死ぬのではないですか』

「『流れを止めた』と言ったじゃろう。だがまあ……身体と(魔力)の繋がりは薄れつつある。記憶のひとつくらい失われとるやもしれんな」

『記憶……?』

 

 ゾワゾワと胸の内が騒ぐのをルーナは感じた。ヘリオトロープの感情だ。

 恐怖という原始的な感情に以前の嫌な記憶を思い出し、少し顔を顰めながらも最低限の知識だけ語ってやる。

 

「もとより記憶は定まったものではない。人の持つ様々な要素が影響しあって生み出される、『齟齬のなさそうな情報』じゃ。その要素の大部分である魔力が変化すれば、生まれるものも変わるじゃろ」

『……それは、どのくらい?』

「魔力が止まるんじゃから、魂のない、肉体だけの『アンブレラ』になるんじゃないか? 知らんが」

 

 つまりは、ルーナが何もしなかった世界での彼女になる。

 アンブレラという名前すら付かない、キバタンとサルビアの娘マナ。ある側面から見れば、彼女の本質とすら言えるだろう。レインが壊したもの・作ったもの、それらが露わになるかもしれない。

 

 と、そこでルーナは胸中のざわめきが凪いできたことに気付いた。

 やはりこの少女、長生きしているだけあるらしい。人にしてはと注釈が付くが。

 

『……分かってきました。あなたが余裕を見せるからには、何か根拠か保険があるのでしょう』

「カカ、まあの。あの子の自我の強さは本物じゃ。()()()()()まで、記憶や手足のひとつくらいは解決するじゃろ。自力か他力かは知らんが」

 

 ()()()()()()()()()──心の中でそう付け加える。

 時代が時代なら、いや、たとえ彼が生きていたあの時代だとしても、必要とあれば腹を捌くことすら厭うまい。だからこその()()()()()だ。

 めんどくさいほどに強靭な自我。それが全てなのだ。

 それ(自我)故にあの子は今を苦しみ、それ(自我)こそに生きる道を見出す。

 

 しんみりと、その在り方に同情と期待を寄せる。

 宿主も黙り込み、その場を静寂が支配した。

 

「ここまでのお話、もう少し詳しく伺えますか?」

『ピィッ!?』

 

 いつの間にか、巫女(人の子の母)が側に立っていた。……は、話すのに夢中になりすぎたかな?

 

 下腹部がキュウキュウと反応する。このドスケベアホ宿主が。

 その原始的な感情は、ルーナが逃げ出したくなるような巫女の微笑みに対して反応しているらしかった。

 

 身体を宿主に押し付け、ルーナは土人形で逃げ出した。

 

*1
理解できない

*2
理解したくない



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わりと第三者なのに重要な場面に連れ出されると、特に深く思い悩めるようなこともないから唐突な沈黙とかに対して(た、助けてェ〜〜!!)って心の中でめちゃめちゃ叫ぶしかなくなる

 病室に入ると、眠るアンブレラの隣にその手を祈るように握ってアイリスさんが座っていた。

 記憶喪失とはいえ意識不明とかではなかったはずなので、少し動揺する。

 

「な、何かあったんですか? アンブレラは大丈夫でしょうか、……それに、アイリスさんも」

「あっ、カンナ様……。(わたくし)は、だい、じょうぶです。ご心配をおかけしました。……御子様は、酷く、疲れやすくなっていらっしゃるらしく、検査の疲れのためか、私が目を覚ました頃には眠ってしまわれていました」

 

 普段は寡黙であり、口を開けば淡々と内容を紡ぐアイリスさんが、今はどうにもおぼつかない様子で一言ずつ確認するかのように話す。明らかにまだ大丈夫なようには見えないが、一応は安定しているのだからそっとしておくことにする。

 

「それで、そちらの方は……」

 

 アイリスさんがレントリリー様を見つめる。そうだ、アイリスさんはさっきまで居なかったし、学園都市のこともそこまで詳しくはないから見覚えがないだろう。

 オブダナマの学園長ですと言おうとして、その本人にそっと手で制された。

 

「紹介には及ばない……。レントリリー、学園都市と呼ばれるこの地で長を務めている」

「学園長様、ですね。私はイドニ家(乳母一族)のアイリスと申します」

「知っているよ。そして、様もいらぬ。斯様な事態を招いたのはすべて私の迂闊さ故だからね」

「……」

 

 カンナが少し意外に思ったのは、アイリスさんがすんなりと「学園長様」と呼んだことだった。

 レントリリー様はアンブレラよりも幼く見える。そんな空気ではないとはいえ、幼子が「学園長です」なんて言ったらまず疑いそうなものだ。

 

 誰に対しても(へりくだ)るアイリスさんゆえなのか、長命種、あるいは膨大な魔力を持つ種族だからこそレントリリー様に感じるものがあったのか。

 ともすれば、そんな反応すらできないほど精神が参ってしまっているのかもしれない。

 

 自分を責めさせるかのような誘導をレントリリー様がしているけれども、アイリスさんがそこに反応することはなかった。……いや、怒ったりなじったりしないだけで、ただただ目を伏せてアンブレラを見つめるというのも立派な反応か。

 口にせずとも伝わってくる。責任とか罰とかはどうでもいいのだ。ただ、アンブレラの無事、回復をのみ祈る。

 

 

 

 

「……学園長様、と伺い思い出しました。御子様から、『紹介状』を預かったことがあります」

「ふむ、紹介状?」

「学園都市では迎え入れていただけたので、使うことはありませんでしたが……ここでお渡しするのがよいでしょう」

 

 しばらく(か、帰りて〜〜〜〜!!!)と思うような沈黙が続いた後、はたと顔を上げたアイリスさんが手紙のようなものを取り出した。

 あまりにも唐突だったので口を開いた瞬間ビクッとしてしまったが、アイリスさんも多少は思考力が戻ってきたのだろう。……いやでも、この人の場合はひたすらアンブレラのことを想ってたら過去の会話を思い出した説の方が有力だな。

 

「……ふ」

 

 アイリスさんから手紙を渡されたとき、ほんの一瞬だけ、レントリリー様が珍しい表情を浮かべた。

 身にまとう慈愛も、カリスマも関係ない、悪友と軽口を叩き合う時のようなそんな表情。

 

 封を開けて取り出した紙には何も書かれていない。

 レントリリー様がそれに指を添えて何かなぞるように動かすと、手紙が黄金の炎によって端から燃え始めた!

 

「もっ、燃え!?」

「案ずるな。こういうものだ」

 

 見えているのかいないのか。あるいは私には見えないものが見えているのか。

 相変わらず目を閉じたまま、レントリリー様は燃えてゆく手紙を前にじっと待ち続けた。

 

 灰すら残さず、熱も発さず、文字なき手紙は燃えてゆく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

しばらく人と話していないと、自分の頭の中だけで物事を考え進めちゃう癖がついて人と会話するのがめちゃくちゃ下手になる。

「さて」

 

 手紙がすべて燃え尽きてからしばらく。黙っていたレントリリー様の急な声に、私は再びビクリと肩を震わせた。……レントリリー様、ちょこちょこ溜めが長いと思います。

 

「改めて、歓迎しよう。オクタ・デュオタブオーサ・オブダナマへようこそ。そして、このような事態を招いてしまい本当に申し訳なかった」

「……私が、先に門へと入ればよかったのです」

「お主なら記憶を失っても問題ないと?」

「乳母、ですから」

「……まあ、お主らの関係に私が言うべきこともない、か」

 

 乳母……乳母ってなんだろうとカンナは考える。

 どちらかと言えば、アイリスさんの振る舞いはお貴族様の従者のそれだ。もちろん人間と同じ文化ではないだろうから、こちらの言語を使ってくれてはいても、端々の言葉のニュアンスくらい違うか。

 でも、従者にしては一方通行なのよね。アンブレラがアイリスさんを召使いとして扱ったところを見たことがない。避難先みたいにアイリスさんに頼るところがあるし、それこそ私の思う「乳母」に対する態度のように見える。だとしたら、アイリスさんの態度が特殊なのだろう。

 

「どちらにせよ、結果が変わることはあるまいよ。これはあの子のもんだ──んぐ」

「──原因が、お分かりなのですか?」

「前が見えん。……まあ今は元々見えていないけれども」

 

 アイリスさんが詰め寄って、レントリリー様の眼前いっぱいに胸が広がる。胸が広がるってなんだ。胸がいっぱい(物理)ってか。

 縋るように駆け寄ったアイリスさんだったが、冷静な反応を受けて胸を両腕で押さえながら恥ずかしそうに下がった。なんだその最強の仕草。持たざる者を馬鹿にしてるの……?(憤怒)

 

「そろそろ時間だ……。手紙にあった、あの子の状態。転送門の仕組み。丁寧に説明するには数分ではまるで足りないだろうよ。書くものはあるか? 頼るべきところと、必要なことを(しる)そう」

「あ、私、持ってます。……というかレントリリー様、あれ燃えてましたけど読めたんですか……?」

「ふふ、まあ暗号のようなものだ。炎の一揺(いちよう)に真名を聴く……ほんの子供の戯れも、今の世では秘密になるものか」

「は、はあ……?」

 

 マナって、真名? 火の? まるでなんのことか分からないけれど、やはり私達の学園長は凄い人なんだなぁという漠然とした感想だけは出た。

 

 何はともあれ、レントリリー様には時間がないらしい。まあ忙しい人というのは分かっているけれど、それだけの意味じゃないだろう。

 いつも持ち歩いている手帳とペンを差し出すと、レントリリー様は受け取ってふむと鼻を鳴らした。この人、実は鼻の穴あたりに目がついてるんじゃないだろうか……? 糸目とかじゃなくて、完全に目は閉じられているはずなのだけれども。

 

「これは?」

「えっと……、私のクロッキー帳です。その、ラフな絵とかを描く」

「ほう、絵描きなのか。見てもよいか?」

 

 おずおずと頷く。

 自分の顔が見られる場所で自分の作品を見られるのは恥ずかしい。だが、描いた絵そのもの自体は隠すものでも恥じるものでもないと知っていたから、見たいと望む者を断ることができなかった。

 

 アンブレラ。植物。アンブレラ。小鳥。アンブレラ。アンブレラ。毛布にくるまる猫。折り畳まれた弓(たしかアンブレラの)。後ろ姿のアンブレラ。手。階段。鳥の巣。アンブレラ。

 今更ながらに、半分近くが同じ少女を描いたものであることに気が付いて顔が赤くなる。

 

「……好きなのだな」

「ふぇっ!?」

「絵を描くことが」

 

 ああ、ハイ。スキデス。

 

 茶化すような風ではない。というより、ずっとこうだ。

 レントリリー様は、何かを懐かしむかのように、何かを悔いるかのように、何かを慈しむかのように、泣き出してしまいそうな微笑みを常に浮かべたまま、すべてを淡々と語る。

 ああでも、先程の暗号どうこうの話をするときだけはもう少し軽い雰囲気だったかもしれない。もっとちゃんと見ておけばよかった。やっぱ偉い人相手だと気後れして顔逸らしがちなのよね……。

 

 パラパラとページをめくったのち、白紙のページにサラサラと文字を書いてクロッキー帳は閉じられた。

 こちらへ返されるままにそれを受け取り、確認しようとしてから、レントリリー様が歩き出したので中身の確認は後でいいかと仕舞った。

 レントリリー様が眠るアンブレラの隣に立つ。頭を撫でようとしたのかそっと手を伸ばすが、ハッと何かに気付いたかのように動きを止め、ぎこちなくその手は下げられた。

 

 再び沈黙が続いてから、レントリリー様がポツリと呟く。

 

「この子は、迷子になってしまっている。だが見つけるのもこの子だ。お主らはただ案内してやりなさい」

「……」

 

 分かんないっス。分かんないっス学園長……。

 でも分かった。多分このお方、普段人と話さなさすぎて説明が下手になってる……。

 

 「時間」とやらが近付いているらしい。気付けば、レントリリー様の体がうっすらと透け始めていた。

 

「次こそ、この子を返してもらえるとよいな。会えるのを楽しみにしている──()()()

 

 最後の言葉が聞こえるよりも先に、レントリリー様の姿はかき消えてしまった。

 その代わり、そこにはスヤスヤと丸くなって眠る白猫の姿があった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ひじょーにせいじてきではいれべるな交渉を任せられたので夜逃げする準備を始めたけれど、どうやら「ガチレズからは逃げられない……!!!」らしい。ううん、決めつけは良くないわよね!逃げよう!

 今のアンブレラに判断能力はない。レントリリー様は気が進まないようだったが、コルキス様がアンブレラを預かると言えば、それはアンブレラの意思と関係なくほぼ決定事項となった。

 判断能力どころか、言葉もおぼつかないから会話すらままならないのだ。レントリリー様が去ってしばらくして目を覚ました彼女だが、どこかぼうっとしているというか、夢を見ているような雰囲気で、「はい」「いいえ」「ありがとう」のような単純な会話ならともかく、具体的な単語が出てこない。

 

 自分を指す言葉すら最初は思いつかないらしかったのだ。

 何か言おうとしたようだが、単語が出ないらしく口をあうあうと動かして、ほとほと困り果ててしまったのか涙目に困り眉を作って自分を指でさす。

 元の人懐っこさが失われた分、拝みたくなってしまうほどの美しさはさらに威を増していて、あらゆる動作が身震いしたくなるほどの艶に彩られている。その上でそんな弱々しい表情を浮かべられてしまうと、心臓が「俺、もうダメかもしんねぇ……」と満足そうに遺言を残す始末。

 

「自分のこと? 『わたし』って言うの。まあ人によるけれど……」

「わたし……。そう、でした。わたしは……、えっと、誰ですか?」

「名前は聞かされてると思うけど、アンブレラって言って……、立場とか含めて具体的になんて説明したらいいのか分からないわね。まあ、私の友達? あ、『友達』って言葉分かる? というか他の言葉もかしら」

「分かりますっ……。聞くと、『思い出した』って、なります」

 

 ふむ。これは一体どういうことだろう、と考える。

 記憶を作る部分が故障してるらしいけど、思い出すってことは、これまでに作った記憶(というか言葉?)は残っていて、それに辿り着けない感じかしら。だからレントリリー様もさっき「迷子」って言葉を使った……いや、あの人の言葉に関してはよく分からないわね。

 言葉を思い出してもらうにはその言葉を伝えればいいけれど、人格を思い出してもらうにはどうすればいいの……?

 素人が考えてもしょうがないんでしょうけど。ひとまず、レントリリー様の書き置きを頼ってから色々考えよう。

 

 それにしても、先程の表情でアイリスさんはノックダウンされてやいないだろうか、病室を鼻血で汚すわけにはいかないけれど、と思ってチラリと隣の様子を伺う。

 後悔した。

 泣き出しそうな顔をしていた。どんなアンブレラのことも可愛い美しいって称えていた彼女がだ。

 その変化した雰囲気か、表情か、あるいは自分を「わたし」と呼んだことか、判別はつかないけれど。アイリスさんの中のアンブレラの姿との差異に、痛ましさに、胸を抉られているのだ。

 

 こんなとき、私は私が嫌になる。

 自分以外どうでもいいんだ。本当に誰かを想える人なら、アイリスさんみたいに、友達が傷付けば自分も傷付く。

 こんな分析。

 

 本当に救えないのは、「描きたい」と思ったことだ。

 

 


 

 

 

 

「アンブレラ様、お休みになりますか?」

「いえ、まだ大丈夫……です……」

「ご無理なさらず、私の膝枕でよければお貸ししますよ」

「そんな、悪いです」

 

 た、助けてェ……(懇願)

 

 四人がけの客車は、それ自体高級なものであることはさておき、王族が使うものとしてはやや狭いような印象を受けた。とは言え、学園都市で使えるサイズかつ揺れとかを無くす機構を積んだらこうなるのかしら。

 2人がけの座席が向き合うように並んだ内装。私とアイリスさんの「畏れ多い」と言う理由で、コルキス様の隣にアンブレラが座っている。アイリスさんは別に気にしなくて良いと思うんだけどね。少なくとも私に王女様の隣は無理です。

 でも、アイリスさんがアンブレラの正面に座った都合上、私の目の前にはコルキス様がいる。助けてェ……(懇願)

 

 聞いてはいたことだがアンブレラはかなり疲れやすくなっているらしく、馬車が動き出してから少しして、既にうつらうつらとしている。

 そんなアンブレラを気にかけて声を掛けるコルキス様だけれど、迷惑はかけられないからと頑張って意識を保とうとしているようだ。

 

 時間が経つにつれて、アンブレラは迷惑や体裁といった社会的な態度も思い出しつつあるらしい。世の中の仕組みを「思い出した」と言うべきか。

 まるで、いつかどこかで観た、人形が人の心を獲得していく演劇のようだった。人形は「一般的な」人としての振る舞いを覚えていく。

 

 アンブレラが一般的な振る舞いをするのだ。笑ってしまうだろう。

 

 ──笑えない。

 あの、どこか抜けていて、頭の中を覗いてみたくような突飛な思考回路をしていた少女が、「普通」に染まっていく。

 結果的に「普通」の人になるのかは分からない。それでも、少なくとも以前とはどこか異なる人格が形成されているような感覚があった。

 

 コルキス様は一体どんなふうに思っているんだろう。

 そう思って前を見る。ちょうどアンブレラが睡魔に負けて窓に体をもたれかけようとしたところで、気が付いたら、コルキス様の手がアンブレラの頭と窓の間に差し込まれていた。……あの、腕動かすところが見えなかったんですが(震え声)

 

 それから、体重をかけるならこちらへどうぞとでも言うかのように、コルキス様はアンブレラの体を逆側、つまりコルキス様自身のほうへ倒させた。

 小柄なアンブレラでは頭がコルキス様の肩の上に乗らないらしく、腕の付け根あたりへ、胸を支えにするように身を預けている。

 絵になる。絵にはなるのだが、なるのだが、あの、ちょっと……。

 

 コルキス様が私の視線に気付く。どんな反応を見せるのかと思えば──ただ、フッと優しく微笑まれた。

 う゛っ……。心臓、お前……止まるのか?

 

 いや、というか、その、やっぱ……。

 あの、もう流石に言葉濁さないけど、というか濁せないけど。

 

 殿下はガチレズであらせられますね?

 

「……っ」

 

 アイリスさんが何か物言いたげに身を起こすが、アンブレラが記憶を失った顛末を思い出してか、すぐにシュンと落ち込んで動きを止めてしまった。

 

 いやっ!!! 乳母……!! 働け……っ!!!

 

 今回貴女なにも悪いことしてないでしょう。というか私が悪いまであるんだから。なんで勝手に力不足で落ち込んだみたいになってるんですか……。

 目の前でお子さんの危険が危なくなってますよ。私は私で頭痛が痛い。

 

 レントリリー様、「アレがあの子をどうしたいか、傍で見極めてほしい」ってそういう意味ですか?

 こういうの見極め方分からないんだけど。これはセーフ? 事に及んでないからセーフ?

 

 非常に性事的……いえ、政治的でハイレベルな交渉を求められることになりそうね。

 その、一介の学生にできる事じゃないので逃げていいですか……?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

この世には2種類の人間がいるわ。他人を巻き込む人間と、他人に巻き込まれる人間。最近を振り返るに明らかに私は後者だけど、身の回りに同類があまりに少なすぎる気が……おや、あの男の人の雰囲気は?

 差し出された手を握った。

 数刻前まで、暗殺対象であった女の手だ。

 

「ふふ、なんだか不思議な気分ですね」

 

 人当たりの良い微笑みには無言で返す。

 不思議な気分? 嘘つけ、そりゃこっちの台詞のはずだ。

 コルキス王女(この女)のやり口は理解していた。

 

 分からないのは、この状況だけだ。

 

 

 

 

 時代や場所を選ばず、権力争いというものは醜くも常に行われるらしい。

 俺はそこでいう道具の一つだった。食事に盛られる毒と変わらない。ただ、たまたま長く生きた。それだけで立場が上がる程度には、「道具」は損耗と入れ替わりが激しかった。

 正直、自分が可哀想なのかどうかはまるで分からない。こうでもならなければ死んでいたしな。生きる理由なんていうのは教養と暇のある奴だけが考えることで、俺にはそのどちらも得る機会がなかった。だからこそ悩みが少ないのは、個人的にはいいことだと思っている。

 

 そんなわけで、俺には判断基準というものが無い。

 コルキス王女が好きとか嫌いとか、誰が権力を得た方がいいとか、考える必要もないと思っている。考えられるようになって生まれるのは悩みだ。崇高な目的を掲げる奴、生きる理由を探す奴、どいつもこいつも悩んでばかりで、どうにか悩みを無くそうと知識と力を得てまた悩む。

 あいつらは「悩みたくない」と嘯いて悩むのが好きなのだ。自覚がなくとも。

 馬鹿馬鹿しいとは思わない。馬鹿とそうじゃないやつの違いを考えたこともないから。ただ、「認識」があるだけだ。

 

 その認識において、コルキス王女は俺の中で「敵が多い人」というものだった。

 まあ次の王権を争っているのだから当然と言えば当然か。彼女を傀儡化したい人間、第一王子を王にしたい人間、第一王子を傀儡化したい人間。あとは王権そのものの力を削ぎたい人間。彼女がこのまま王になれば完璧に役目を全うするであろうことが想像できるからこそ、彼女の敵は彼女が一瞬でも王になってはいけないと奮起している。

 一度成ってしまえば覆せない。そう思わせるだけの能力が、コルキス王女にはある。

 

 当然と言った通り、王位を争えば敵は多く湧き出るものである。しかしコルキス王女が特別不利なのは、そもそもの純粋な味方が少ないからだろう。言い換えると、彼女には後ろ盾と呼べるまでのものが無かった。

 俺は詳しくないが、そんな状況から始まって現在このままいけば次期王位確実と見られているのは異常らしい。本来は、「王位は後ろ盾で決まる」とすら言われるものだそうだ。

 

 彼女は人を惹き込むのが上手い。

 それでも未だに陣営が小さく見えるのは(留学に一人しか従者を連れていない)、彼女が基本的に他人を信用していないからだ。そしてそれは間違っていない。コルキス王女の手腕を見て、他の陣営からは何人もスパイもどきが送り出されている。あるいは、その人自身は彼女に惚れ込んでいても、その妻子が。

 そういった繋がり全て含めて掌握しきれている者だけが、真にコルキス王女から信用される。

 

 もちろん他の実務、武芸の能力も高い。

 おそらく、手段を選ばなければ、あるいは目的がもっと下衆なものであれば、彼女は今ほど苦労せずに既にそれを成し遂げていておかしくない。そうでないのは、彼女に何やら信念があるかららしかった。

 俺にはないもの──とは言うが、特に憧れもない。俺は道具として仕事をするだけだから。思想も、信念もいらない。

 

『暗殺し、死体は事故で偽装しなさい。ただし……』

 

 今回俺に課された仕事は、分かりやすくも「留学中のコルキス王女を暗殺すること」だった。

 それなりに防衛能力の高い城内よりは、側仕え一人しかいないこのタイミングの方がチャンスなのは分かる。城にいた頃も暗殺任務あったけどな。あれは無理だし準備も時間かかるし自分ではやりたくない。

 

 しかしまあ、こういう仕事をしている人間にとっては既に周知の事実だが、コルキス王女とその信を置かれている数人の従者たちは戦闘能力が異常に高い。

 何回かやり合ったが、「???」と頭の中が疑問符に満ちてキレそうになる程度には強い。

 

 百歩譲って騎士団の上位層がそういう実力を有しているとかなら分かるのだが、あの女の本業は政務だ。

 というか単純に強くて美人で実務能力高いのが納得いかん。何度「コイツ王で良くね?」と思ったことか。

 

『ただし、王女が幽かなる精霊を確保した場合はその補助を優先すること』

 

 今回の依頼には但し書きがあった。

 少し前に「幽かの森」から出現した森人、その権益を得ることを最優先にしろというものだ。

 どうやら、王女は帰ってきてからでも殺せるが、森人との繋がりは今しか作れないと考えているらしい。ふざけんな今でさえ殺せないんだぞ。

 

 まあ、コルキス王女に対する見積もりの甘さはあるとして、森人を優先するというのは納得できた。

 そもそも森人に関しては「万が一」みたいなノリだ。「コルキス懐柔得意だし、もしワンチャン遭遇してたらよろしくー」みたいな。

 

 森人なんて、そもそも遠目から見かけることすらないだろう。

 そう思っていた。どうやら俺も、コルキス王女に対してまだ見積もりが甘かったらしい。

 

『コルキス殿下から連絡です。ドローネットおよびニースを引き込めそうなので、護衛任務等の協力を要請すると』

『……は?』

 

 王女が学園都市内部で作った味方らしき伝令から、唐突に俺らに対して接触があった。

 

 まずお前誰? なんでここ知ってんの?

 という疑問は飲み込んだ。泳がされている可能性は想定していたから。

 

 次に、いつ知り合ったの? という疑問も頑張って飲み込んだ。

 必ずしも四六時中監視できていたわけではない。学園都市に入る前など、仕事が始まる前に何か接触していたのかも……かも……いやでも君たち真っ直ぐ学園都市向かってたよね? どこかにしばらく滞在したとかそういう情報は入っていない。

 

 しかし一向に理解できないのは、なぜか既に拠点に連れ込み滞在(囲い込み)決定(成功)していることと、俺らが手伝う前提でいる(依頼内容が把握されている)ことである。

 まさか誰かが口を滑らせたわけではないだろう。自分の暗殺を狙う輩の、裏の任務までを想定していたのだ。でなければ、あんな護衛一人の拠点に来賓(弱点)を2つも背負い込まない。

 

 というかマジでなんでそんな……幽かなる精霊の御二方もそんなホイホイ連れ込まれるなよ……。なに、いや、え?(困惑) 顔見知り程度ならまだギリ許容できるけど……。

 幽かなる精霊達が11区にいたのは分かってる。それがいつの間にか王女のいる9区にまで来て、これから同居し始めると?

 

 とりあえず、理解を諦めた。嘘ではあるまい。

 部下に裏を取らせつつ、コルキス王女の元へ返事をするべく向かう。

 

「よろしくお願いいたします」

「……こちらこそ」

 

 握手。顔は隠したままでいいとまで告げられた。

 信用する気はないが、どうせ今は殺せないでしょう? と嘲笑っているのだ。

 ありがたく仮面を被らせていただく。いつか殺してやるという視線だけ見せて。

 

 はい。拠点周辺の警備ね、了解了解。

 精霊の警護とかは──はい? 記憶喪失? そうはならんくない?

 

 あれ、なんか普通の学生っぽい女の子いるけど。

 ドローネットの友達? はあ、なんでいんの?

 ああ……でもなんか、妙な親近感を覚える。

 

 そうだ、あの顔は、巻き込まれ体質の苦労性の顔だ……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そもそも貞操とか純情とかは自分自身で守るものであって他人がどうこう手出し口出しするのは違うと思うけれどもそれはそれとして肉食獣の前に兎を放り出したらどうなるか分かるから檻ぐらい用意するべきだと思うの

 こんな状況だからと何故か私までコルキス様の拠点への滞在が許された。

 とはいえ人を住まわすというのはコストもかかるし気分も良くない。たとえ親友だとしても、自分の家に長々と居座られれば一人で落ち着ける時間というものがなくなってしまうから。ほぼ赤の他人である私なら尚更だ。

 申し訳なさそうに私に関しては10日程度が限度だと伝えられれば、むしろそんなに長期間居ていいのかと困惑した。なんでも費用自体は学園都市側が賄ってくれるとのこと。プチ留学気分である。

 

 拠点といっても流石に街の区画をひとつ全部みたいなスケールではない。まあソートエヴィアーカともなればそのくらい許されていても驚きはしないが、実際は大きな商店の建物一つくらいの感じだ。

 ただし塀があって、その周りには道路がある。つまり隣接している家屋がなく、セキュリティやプライバシー的な部分でも安心度が違う。

 

「とはいえ、カンナさんは研究室に入られていましたね。学業など差し障りありませんか? もし必要であれば、馬車も出しますが……」

「あ、はい、一応この間おっきい発表したのでしばらくは休みみたいな感じです」

「そうでしたか。ちなみに、どのようなご研究を?」

「えっと……」

 

 なんというかこの人、本当に人が良い。話の広げ方や切り方が上手いから自然と緊張もほぐれるし、聞き役だけじゃなくてこっちが興味ありそうなことを話したりもしてくれるから会話に疲れない。

 そのうえ顔も良い。返答のたびに恋人にでも向けるような柔らかい表情で微笑んでくるから、私のこと好きなんじゃないのって勘違いしてしまう。アンブレラの美しさは全方位に垂れ流されているけれど、コルキス様はピンポイントにこちらに向けてくる。つまり心臓が死ぬ。

 

 レントリリー様はこんな良い人を疑って監視しろという。それも私みたいな一介の学生にだ。

 あの方が私欲に駆られたことを言うとは思えないけれど、このまま長く関わっていれば疑う気持ちも限界が来る。あ、でもアンブレラの貞操が危なそうな気配はあったからそこは注意ね……。

 記憶喪失の女の子を取って食いやしないでしょうけど……。

 

「カンナさんが帰還されるまでに治療の方針だけでも分かれば良いのですが……。医者もいない、原因もわからない、記録もない。ないものばかり考えてしまうような状況です」

 

 物憂げな表情は演技には見えない。自分に人を見る目があるとは思わないけれど、少なくとも恋愛とかの個人的な感情抜きにコルキス様が何かを企んでいることはないんじゃないかしら。

 

 まったく手がかりがないと言われて思い出したのが、レントリリー様が最後に残していったメモだった。

 クロッキー帳を取り出し、パラパラとページをめくって目当てのものを見つける。

 

 アプトナディティス

 オブダナマ プラネヘタ レイフィ グァラト

 

 1行目、人物の名前らしきものには見覚えがあった。12区の学区長だか副学区長だかをやっている、そこそこ偉い導師の方だったと思う。とはいえ他所の学区の導師についてなんてほとんど知らないようなものだけど。

 2行目は分からない……。でも、オブダナマは学園都市の名前にある通りで、たしか「最初の言葉」で「真名」を意味する。そのままの意味なのかは分かんないけど……。

 

 コルキス様にメモを見せる。私よりももっと詳しく知ってた。どうやら、魔法の詠唱と魔法陣の陣形法則あたりに関連して研究をしている導師様らしい。本当に学園都市に来て数ヶ月ですか……? 他の学区の導師様についても全員知ってそうな怖さがある。そう聞くと流石にないと謙遜されたけれど。

 

 詠唱と陣形というのはつまり、「魔法陣を文字として読めるんじゃない?」ということだ。実際にいくつかの単純な魔法陣については関連性があったらしく、魔法陣だけが知られている魔法からその詠唱や効果を知るだとか、あるいはその逆、みたいな風に利用が見込まれてるだとか。

 もっと専門的なことになると流石に知らないけど、私も魔法陣についてはそこそこ積極的に講義を受けていたので知っている。魔法陣をぐるぐる描くの楽しいからね……。

 

 手がかりが得られて嬉しそうにしていたコルキス様だけれど、私がしみじみと昔取っていた授業を思い出している間やけに静かだった。不思議に思いそちらを見ると、どうやら考え事をしているらしい。

 私の視線に気付くとすぐにまたこちらへと意識を戻した。周辺視野があまりに広い。

 

「コルキス様、何か?」

「アプトナディティス……12区長様は、学区から出ることがないそうです。学区長が集められるときも副長を代理としただとか……」

「ああ……」

 

 礼儀的な話をすれば、そも力を借りたいなら足を運ぶくらいのことはするべきだ。

 そんなのは百も承知で、しかし今回それが問題になるのは、12区までアンブレラを連れて行くわけにはいかないからだ。転送門を使うべきでないのはもちろん、陸路で行くにしたって病人を連れ出すわけには行かないし、よしんばそれを敢行したとして、12区で安全な拠点が用意できていない。

 すでに一つ取り返しのつかないような問題が起きているのに、学びもせずゆるゆる意識で行動するのはちょっと……。

 

 ならアンブレラを連れて行くのは一旦やめにして、誰かを連絡役として、レントリリー様の言葉とアンブレラの状態を伝えに行かせる。何か助言を得る、あるいは実際に連れてきて欲しいということになるだろう。

 

 一番手っ取り早いのはコルキス様が直に足を運ぶことだ。相手も真面目に取り合ってくれるだろうし、今の状況がよく分かっていて、かつ現地でも12区の学区長様と協力して良い解決策を思いつけるかもしれない。

 しかしどうやら、いまこの拠点で警備などをしている人のほとんどは「手伝って」くれているだけらしく、コルキス様自身が全幅の信頼をおけているわけではない。つまり、コルキス様はここにアンブレラを置いたまま離れたくないのだ。側付きのヴィオラさんだけ残るのも無理だ。コルキス様自身、身辺警護が必要な人だから。

 

 私か、アイリスさん。

 今自由に動けて、かつ状況をある程度分かっているのは私たちだけらしい。

 

 今のアイリスさんはあんまり冷静じゃない。レントリリー様も気にしてたけど。

 だからまあ、私が行くべきなんでしょう。

 

 コルキス様に「貴女がアンブレラを襲わないか心配だから離れたくないです」とは言えんしさあ……!

 

「ありがとうございます……。一筆したためておきますので、何か面倒ごとや話が進まないような時はそちらをお使いください」

 

 まあ、どちらにせよタダ飯食らいでいるのは気まずかったし、サクッと行ってサクッと帰って来ればコルキス様もそんな手が早くはないでしょう。アイリスさんもいてくれるだろうし。

 9区を訪ねる前もこんなこと思ってた気がするけどヘーキヘーキ。さあ学区往復タイムアタックはーじまーるよー(ヤケ)

 

 

 

 

 そう思って翌日出発しようとしたら、アイリスさんも着いて行くといって聞かなかった。

 アンブレラの貞操の方が危ない。そう思って(口には出さず)断固拒否したけれど、あんな麗人に「何かをしていないと不安と後悔で胸が痛むんです」って涙目で縋られたら無理だよ誰でも。

 

 アンブレラにとりあえず「貞操を守りなさい」と言い残す。キョトンとしていた可愛い。

 じゃないわよそこの記憶は戻ってくれないの……!?




殿下「誰がアイリスさんに12区のこと教えたんでしょう(すっとぼけ)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クレイジーサイコレズ殿下様、私はしばらく別の学区に行ってきますけど、絶対に抱かないでくださいね!? 絶対ですからね!?

私生活がだいぶ忙しくて短めです。
今年中は忙しそうで白目剥いてますが更新です(白目)

・前回のあらすじ
殿下「誰か出張してくれないかな〜」チラッチラッ
カンナ「(流石にまだ手出さんやろうし)行きます……」
アイリス「私も行きます」
カンナ「なんで???」


「ご機嫌ですね、コルキス様」

「あァ、分かるか?」

 

 夜。ヴィオラに髪を乾かさせていると、こちらの僅かな振る舞い、あるいは表情の変化に気付いたのか、少し揶揄うような調子で聞かれた。

 機嫌も良くなるというものだ。ある程度長期的な計画を準備していたもの(ドローネット=アンブレラの獲得)が、イレギュラーに依ってとはいえかなり進行したのだから。その上、何やらこちらを警戒しているらしき学園都市(レントリリー)が、意図せずして手助けまでしてくれている。

 

 もちろん、それとは別に学園都市への怒りもある。あまりにも杜撰なのだ。(くだん)の事故とてそも仕組みを理解している者の少ない技術を使うなという話であるし*1、事故の発生から対応までが遅すぎる。常時行動を把握しているべきですらあるのに。

 特別扱いしない。過干渉しない代わりに、守ることもしない。それを学園都市の人間に徹底させている。思うに、これがレントリリーなりの「守り方」なのだろう。一部の人間は無視して接触を図っているとの報もあるが。

 

「しかし、利用するでなく守るってのがなァ」

「?」

 

 ヴィオラが不思議そうに首を傾げるのが気配で分かった。

 特段返答を求めた言葉ではなかったので、説明してやることもない。

 

 幽かなる精霊を、なにかご利益に(あずか)るでもなく、守ろうとする。

 対価を求めている様子がない。これは奇妙だ。

 長寿で見た目も似ているとくれば、レントリリーと精霊の間に何かしらの関係があるのは誰でも分かる。それ関連か、あるいは前の森人(レークシア)と約束でもしたか。

 

 なんであれ、結局守れていないのでは無意味だ。

 その優しさ、言葉を変えれば、甘さのせいで、下手すればアンブレラという宝が失われかけた。

 

「宝……、そう、宝か。なァヴィオラ、やはり血は争えねェらしい」

「竜の血、でしょうか」

 

 言葉を出さずに頷く。

 竜の血。大したモンじゃない。国の人間が勝手にそう呼んでいるだけで、当代が竜と交わったことのあるわけでもなければ、コルキスは馬鹿らしいと思っている。

 

 竜は巣に秘宝を隠す。

 宝を奪うために竜は強くなり、宝を守るからこそ竜は強いままである。

 

 噂ではソートエヴィアーカの王家には竜の血が流れているらしい。

 だからか、歴代の王達は必ず宝を持っていた。子供には「民こそが国の宝である」と口伝するが、その実、各々が侵されることのないナニカを抱え、守り、愛でてきたという。

 

「とっくに殺したはずの本能が囁きやがる。あれがオマエの『宝』、だとさ」

「美しいから、でしょうか?」

「初めて見たのは写真だからそうだと思ってたんだがなァ──今回の騒動を経るに、どうやら違うらしい」

「記憶を失われたアンブレラ様では秘宝足り得ない、と」

「全部だよ、ゼンブ。何か一つでも私の宝を隠されちまうと……」

 

 最後まで口にすることはなかった。

 どこからともなく、怒りが湧いてくるのであった。ここまで感情が動くのは初めてのことで、あながち竜がなんとやらの噂も本当なのかもしれねェなと鼻を鳴らした。

 

 自分の表情がひどく獰猛なものに変化してしまっていることには気付いていた。 

 特に取り繕うようなことはしない。ヴィオラに対して猫を被る必要はなく、──その上、この従者はこうした表情に「(たかぶ)る」らしかったから。

 

「そんな物欲しげな顔されてもな。被捕食癖でもツいたか」

「だとしたら貴女様の所為です……」

「ハハ、快楽って面白ェよな。どんな体の信号よりも、五感よりも優先されンだ」

 

 ため息をつくかのように愚痴る従者に笑いかける。

 いつもならこのまま夜を愉しむところだったが、一応伝えておくべきことがまだあったので少し焦らすように話を伸ばした。

 

「学園長サマがありがたい置き土産を残していってくれた。あァ、皮肉じゃなく言葉通りのな。しばらくあの子は一人になる。こんな不安定な状況で動きたくなかったが、今が機だ」

「記憶が戻った時のために行動しすぎないと仰っていませんでしたか?」

「時間がある。中途半端になるなら動かない方がマシだったが、調べ教えるだけの時間があンなら話は別だ」

 

 人は快楽を与えるものを嫌いであり続けることはできない。

 というより、好き嫌いとはほぼ与えられる快楽の時間平均だ。あるいは総量で測る考え方もあるかもしれない。

 とはいえ性的な快楽は必ずしもその時間平均が高いとは限らない。これまでの反応からしてアンブレラ自身は敏感なようだが、それでも他のあらゆる快楽を上回り、不信や疑心を打ち消すには、彼女の体のことを彼女以上に知らなければいけない。

 

「色々と書類の処理が必要だからなァ、二日後くらいからになるかね。あァ! 頑張らないとなァ!」

 

 客観視に自信がある私をして、かなり爽やかに笑ってみせたと思った。

 だがそれでも、この淫乱従者はなにやら昂ったらしかった。

*1
古代のオーパーツを使っているソートエヴィアーカがあまり言えたことではないので、これについては責めてはいない



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

151話

「一体、どうすれば……」

 

 巫女が頭を抱えている。ルーナはそれを、過保護なことだと思いながら眺めていた。

 

 宿主(ヘリオトロープ)が白状したのだ。巫女はいま、(人の子)が何やら危険な状況にあるということを知っている。

 それを聞くが早いか巫女は森を出て人の子に会いに行こうとしたらしいのだが、流石に長老会のじじばばらが止めた。人の子がいない今、奏巫女の血を持つ者は巫女だけである。奏巫女とやらを絶やすわけにはいかないのだろう。まあ、一人出掛けて危険な目に遭ったのに残りの一人も送り出すのは馬鹿じゃよな。

 しかし人の子もそこそこじじばばに愛されていたようで、本当に危険な状態なのか、誰を救助に行かせるか、村の偉い人らはてんやわんやらしい。

 

 巫女としては直接自分が行かないと気が済まないのだろう。

 危ないどうこうを伝えず、娘に会いたくなったから出掛けますと言えばまだ可能性はあったように思うが、騙るという発想がなさそうだ。まあ、それは(ここ)の子らの美点でもある。

 

「のう、宿主。そうは言うがお主程度に魔力があれば巫女の代わりは務まるのではあるまいか?」

「いえそんなことは……、ああ、あなたがそう仰るのなら奏巫女の能力自体は再現できるかもしれませんが、儂はここから動くことができませんから。能力としては代わりになれても役割を代われはしないでしょう」

「ほぉん。まあローカルな話は知らんからの。しかし実質()()()()神のようなものなのに、不便じゃのう」

 

 ルーナは仮にも時空とはひとつ次元の異なる位相で神と呼べる立場にいた。

 それだけにこの世界で扱われている魔法程度なら大抵知っているのだが、流石にローカルルールのような独自の魔法までは把握していない。なぜなら、教会に住むウィレームおじさんの抜け毛の量を増やすといったしょうもない魔法まで知る意味はどこにもないからだ。

 もちろん言われれば仕組みを理解できる。奏巫女はおおよそ付与魔法の類だと思ったのだが、宿主はそこまで知っているわけではなさそうだ。

 

「のう、巫女。今回はそう悪いことにはなるまいよ。そも、本当に危険じゃったらこの瞬間にお主が森を飛び出て駆けつけたところで間に合うまいし、それよりも人の子のタイムリミットである4年半後に備えた方がいいじゃろう。だから、あまり老人たちをいじめてやるな」

 

 若い者の衝動に振り回される年長者の苦しみというものをルーナは理解していた(他の神からしたら「お前は振り回す側だったろ」と言いたいところだが)。

 長老会のじじばばを気遣った発言であったが、こういった戒めはたいてい逆効果だったりするのだ。

 

「ええ世界神、もちろん私もそれは理解しています。私には奏巫女として以外の経験がありませんから、いざ駆けつけたとしてできることもそう多くないでしょう。そもそも私のできることはアイリスができるでしょうから、彼女を信じて任せれば良いのです。今回は緊急性が低いというのも本当なのでしょう。しかし! それにはどれだけの確証がありますか? 万が一があるというのなら、私が行かない理由はありません。手遅れだというのなら、遺体を確保し、蘇生の可能性に賭けましょう。あの子について私が諦めるわけにはいきませんから」

 

 これだから愛情は面倒なんじゃ……と心の中でため息をつく。

 

「分かった。では宣言しよう。()()()()()()。仮にあったとしたら、我の存在を賭けてこの世界に干渉し捻じ曲げる」

 

 テルース(クソバカ神)を殴る算段はある。力を取り戻せば干渉も不可能ではあるまい、代償は大きいだろうが。

 そこまで言うと、巫女は面食らったように黙り込み、無意識のうちに放出していた大量の魔力を収めた。

 

「あの子の状況を、どの程度ご存知なのですか。それだけ仰る根拠は」

「お主が人の子を愛する気持ちと同じくらい、我は我を信じておる。この世の理に通じているのも大きいじゃろうがな。お主らほど事態を重く見とらんから、人の子が自力で解決しようと分かるわけじゃ」

 

 己を担保に出したつもりなどさらさらない。

 自分が選んだ存在。ただそれだけの事実が、「たかだか魔力の()()、あるいは()()で自我を失うはずがない」という確信を生み出していた。

 

「知識があればあるほど、確実なリスクヘッジが取れるんじゃよ」

「……でも地上に堕とされるのは分からなかったのですね」

「ほう」

 

 ボソリとヘリオトロープが呟いた言葉に青筋を立てる。土人形に血管は実装されていないが。

 このメスガキはいつも余計なことを言う悪癖がある。あるいは、折檻を期待して発言しているのだろうか。

 

「そういえば、人の子の真名を呼びながら最初にまぐわったのって宿主なんじゃよな。いつじゃったからほら、お主らがお七夜と呼ぶ日に、目を合わせるなり発情して、終わりそうになるたびに何度も誘惑して……」

「ひっ、それは脚色が──!」

「……へぇ、私達が心配してる間にそんなことが」

 

 折檻は面倒なので、巫女の嫉妬を煽り代行させることにする。

 嫉妬……? まあ、嫉妬だろう。巫女がどういう感情になったかは分からないが、この子も大概なのでうまいこと宿主を躾けてくれるはずだ。

 

「神様、まずは何て言って、どういうことをしたのか、させたのか、余すところなく説明してもらえるかな?」

「ヒッ……」




7話くらい前でルーナが「止まった理由はよく分からん」と言っていますが、理由の予想自体は何通りかできています。できていることにします。
一通りに絞れていない「分からん」です。彼女が原理の予想できない現象はこの世界にはありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

152話

「本質は何か、という話がある」

 

 ある一方向から必死に目を逸らしつつ、ルーナはポツリとこぼした。

 

「突然、どうされましたか?」

 

 伺うように巫女が反応した。顕現したり物理的な距離が縮まったりすると人は神を畏れなくなってしまいがちだが、民族性もあってか巫女は恭しい態度を崩さない。なかなか好感が持てるではないか。

 もちろん、彼女が敬う範囲にも限度はあるようだが。ある一方向(ヘリオトロープ)、お前のことじゃぞ。

 

 とはいえ巫女も巫女である。まさか宿主に行為の内容をすべて(一人で)実演させるとは思わなんだ。いやこの場合はすべての行為を忘れていなかった宿主がおかしいと言うべきなのか。おそらくどっちもおかしいのだろう。

 お七夜の夜にあったことを一通り再現した宿主は、今や完全に出来上がった表情と体で物欲しそうにしている。……いかんいかん、アレは目に毒だからあまり視線を向けるのは良くない。こちらに矛先が向いても面倒だ。

 

「な、なあ、当代。疼きが止まらないのだ、どうか──」

「──? 神様には、あの子との贅沢な思い出があるよね。それを思い出して、その辺で慰めていればいいじゃないか。自分で」

「うぐぅ……、う……うぅぅぅぅっ! ……うぅっ、ふぐっ、うっ、うっ」

 

 あまりにも切なそうな声を漏らす宿主だが、巫女は誘いに乗ることもなく微笑んで返答した。その微笑みの感情が歓喜の類じゃないことはルーナにも分かる。

 人の子であれば「心の珍棒がイライラしたから」などと言って手を出すのだろうが……巫女と人の子の違いじゃな。

 

 内股を擦り合わせていた宿主は、遂に我慢できなくなったのかその場に蹲って下腹部に手を伸ばした。

 オイオイオイオイ嘘じゃろマジで「その辺で慰める」のか、せめて祠の中行くとかあるじゃろなんか……。

 

 こんな神にはなりたくないな、とルーナは率直に思う。

 

「それで、本質とは?」

「……まあそうじゃな。そちらの話をしようかの」

 

 ある一方向から必死に目を逸らしつつ、ルーナは気を取り直した。

 この森に生きるものは大概イカれているが、人はイカれているぐらいが好感が持てる。

 

「お主らが『世界神』などと呼ぶように、我はお主らを、なんだまあ『外側』から眺めていたわけじゃが」

「はい」

「……あーその、なんじゃ、全部、な」

「……? ……うぇっ、ぜ、全部……です、か?」

 

 無言で頷く。巫女は顔を赤く染めてブツブツ呟き始めた。

 なんなら神託まがいのことをして純粋なTS娘メス堕ちルートを敷こうともしたのだが、なぜいまここまで拗れてしまったのか。

 今回話すことは、ある意味その疑問の答えにもなるだろう。

 

 ちなみに、「全部」とはいえルーナが具体的に認知しているのはアンブレラ・レインの身の回りのことと、この世界のいくつかの代表的な事象くらいだ。

 いくつか理由があるが、もっとも理解しやすいのは、真に「全部」知るのはつまらない、ということだろうか。舞台演劇を見に来て、わざわざ脚本を探し回ろうとはしないのと同じだ。

 

「人の子は──女淵にいろは、拗らせていたとはいえ、少なくとも『日本』という世界では普通に、ごくごく普通に育てられた少年であったよ。それがどうして、記憶を持って赤子になったとはいえ、実の母親を愛撫しようと思うんじゃろうな」

「わ、私が何か……」

「うむ、……いや、まあ、色々あるが乳飲み児の時点で()()じゃったなら育て方の問題ではあるまいよ」

 

 私が何かしてしまったのでしょうか、と言おうとしたのだろうが、羞恥心のためか途中までしか言葉にならなかったそれを汲み取ってルーナは答えた。

 正直なところを言うと巫女のそういう方面の適正が高かったことも相乗効果としてはたらいていそうだが、主題とズレてしまうし、これ以上巫女の羞恥心を煽ってしまうと茹で上がって会話もできなくなりそうなので言葉を濁す。

 あれだけ哺乳瓶使えって言った(神託した)のに快楽に流されていたからなぁ。

 ……肉体的な遺伝のことを考えると、ある意味これも本題に繋がるのかもしれん。

 

「巫女。お主は淫乱じゃ。変態じゃ。助兵衛な女じゃ」

「うぇっ!? あ、あの子も『母様が悪いんですよ』って言ってたし、やっぱり私が……」

「いや、それはまったく関係ないと思うが」

 

 人が話を切り出そうとしているのに、急にプレイの内容を公開しないでほしい。普通に困る。

 

()()()()()()、肉体の性質は少なからず引き継がれる。どんな育ち方をするか。どんな経験をするか。それらに関わらず、生まれながらにして人の子は『性質』を持つわけじゃ」

「……あ」

「どうした?」

「い、いえなんでも──「構わん。話せ」──いえ、その、たしかにレインはえっちだなぁと」

阿呆(あほう)

 

 文化的な背景からして理解が難しいであろうことを説明していたから、疑問があるなら解消しておこうとしてすぐ後悔した。

 うんうん、えっちだよね人の子。分かるよ。でもそれ今必要なことじゃった?

 

「話を戻すが……、体の性質は、もはや疑うことも否定することも叶わぬ、人の子の性質じゃ。ならば、それこそ本質と呼ぶに相応しいよなぁ」

「それは……」

「不満か?」

「間違っては、いないようにも、思うのです。……ですが、そんなこと起こらないと重々承知ですが、あの子とまったく同じ体を持つ子がいても、あの子と本質が同じだなんて──、レインには生きてきた時間が、心があって、きっとそれは二つと同じものにはならない」

「そーじゃな」

「うぇっ!?」

 

 軽く肯定すると、手のひらを返す速さに巫女は驚いた声をあげた。

 良い反応をする、と少し微笑む。

 

 残酷な話をすれば、心が「在る」のならその複製を作ること自体は不可能ではない。それはそれでまた「心とは何か」という話になるし、巫女に語ったところで話がややこしくなるだけなので口にはしないが。

 できれば、心はひとつであってほしい。そう思っていた頃を少しだけ思い出し、頭を振って忘れ去った。

 この世はしょうもないよと、この世を信じている者に伝えるのが一番しょうもない。

 

「肉体の性質が人格に影響を及ぼすことは疑いようがあるまい。しかしそれ以外の要素だっていくつも思いつく。人の子であれば、前世の記憶を持っていることもじゃな」

 

 しかしここで、ひとつ気になる問いが生まれる。

 女淵にいろとアンブレラ・レインの「本質」はどれだけ一致するのか。

 

 肉体が本質に対し影響力を持つのなら、性別も体格も体質もまったく異なる、それこそ大脳皮質のシワの数から異なるアンブレラ・レインは、女淵にいろとしての本質をどれだけ引き継げているのか。

 それはもはや、人が生きて経験を積んでいく中で起こる「本質」の変化よりもずっと激しい、転生という現象の落とし穴だ。

 

「アンブレラ・レインとして生まれてから積む『経験』での変化は、きっと前世の頃と変わり方の面では大差ないじゃろうな。女淵にいろとしてこの世界で生活しても、同様の変化があったじゃろう」

 

 肉体だけではない。森人(エルフ)であるからには、生まれた時からその体にこの世界の生き物としては膨大な量の魔力を秘めることになる。

 魔力を認知すらできなかった前世のヒトの体とはわけが違うだろう。

 

 肉体と同じくらい、魔力は人格に影響を及ぼす。

 

「真名と魔力の関係は知っておるじゃろう。それこそ人の子がいま直面している問題じゃが、生まれつきの真名(ニイロ)を拒むから、魔力が肉体から乖離しようとしておる」

 

「しかしそれは、魔力の「本質」への影響をも減らすから、人の子が真名を拒んで以降、あの子の本質は少し前世の頃に近くなったじゃろうな」

 

「──では、真名を拒む前(お七夜以前)はどれだけ影響を……お主譲りの肉体と、それに宿る魔力の影響を受けておったのじゃろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──なあ巫女。どうして普通に育てられた少年が、生まれ変わったからといって実の母親を愛撫しようと思うんじゃろうな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──つまり、素体の本質が色魔なんじゃよな」

 

 

 

 




難しい話してごめんな
最近レのやらかしが少ないのと初期のやらかしの帳尻合わせようとしたら、こんな結論に


メタ的な解説
前提:魔力は体に宿るので、体の適正と一致。普通の人は特に困らないというかむしろ自分の体に合った魔法が使いやすいし、精神が魔力や肉体の影響を受けつつ育つので自分の魔力・肉体向きの人になる。
お七夜前:精神が魔力の影響をモロに受けやらかし沢山
お七夜後:真名(≒魔力)を拒絶、段々精神への影響が弱まりやらかし減る(減ったか…?)

現在:真 名 の 拒 絶 が 一 時 停 止 中
むしろ精神が0スタートな分以前よりも影響が…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

153話

 アプトナディティス──12区の学区長への訪問を任せたカンナとアイリスが早々に帰ってくることもなく、二人がコルキスの別邸を発ってから三日が過ぎた。

 今のところ連絡はなく、ともすれば未だ面会が叶っていないのかもしれない。追い返される心配はしていないが、あの「今すぐ家に帰ってゆっくり寝たいです」という顔をした少女(カンナ)は死んだ魚のような目で後悔していることだろう。こんなに時間がかかるとは思わなかった、と。

 

 時間がかかりすぎてしまえばアンブレラの症状という意味で好ましくないが、ある程度ここから遠ざかっていてもらわねば困るのもまた事実だった。学園長(レントリリー)が何か吹き込んだのか、どうにもカンナからは警戒されているように感じる(その上でなお、チョロいとも思う)。

 ()()()()()()時は、誰にも邪魔されてはいけないのだ。

 

 ……本来の予定で言えば、かなり早まった形になる。

 記憶喪失というイレギュラーや、囲い込みが容易にできたというチャンスで変更は致し方ないのだが、それにしたってこのタイミングで手を出すのは想定外だ。もはや賭けに近い側面もある。

 焦っているのだろうか……そう考え直してみるものの、三日間アンブレラのことを考えながら執務に徹した体は、既に野生的な本能の抑えが効かなくなっていた。

 

「……ハハッ」

 

 堕とすなら徹底的にやらなければいけない。5:5の賭けなんていうのは馬鹿のやることだ。

 生まれたての赤子のような状態の少女に、価値観が染まるほどの快楽を与える。

 記憶が戻ったとしても求めてしまうほどに、体に条件付けで覚えさせる。

 

「オイ、ヴィオラ、入浴するけど準備は──、あァ? 居ねェのか?」

 

 立ち上がり、唯一の信頼できる従者に向けて声を張り上げるが珍しく反応がない。

 普段なら同じ部屋か少なくとも隣接した部屋にいる場合がほとんどだが、はてどうしたことか時間のかかる仕事を与えていただろうかと首を捻るけれども、とんと浮かばない。

 

 生命の危機は感じていなかった。

 ソートエヴィアーカからの刺客を一時的に味方として取り込んだ今、コルキスはここしばらくの中でもっとも安全な状況にあると考えており、実際そうであった。

 学園都市の者についても、この数ヶ月で張り巡らせた情報網が機能して誰かどうしているか、何を計画しているかをつぶさに把握できている。

 おまけに、もしもヴィオラが死に瀕すればコルキスには伝わるようになっている。その反応だってないのだから、少なくとも危機ではない。

 ヴィオラがコルキスの側を離れることは滅多にないが、逆に言えばものすごく時々、コルキスが振った仕事を忘れていた場合も含め、全くないというわけでもなかったのだ。

 

 舌打ちを挟み、今度は誰でもいいからと適当に呼びかけた。

 しかし反応がない。

 

「……あァ?」

 

 この館において、現在の護衛対象は二人。

 コルキスとアンブレラである。

 

 その対象の近くに、ただの一人も護衛可能なものが居ないというのは異常な事態であった。

 コルキスがそう命じたわけではない。しかしそれとは関係なく、従者としての教育を受けた者たちであれば指揮系統が勝手に護衛を配備する。本業が刺客であっても、普段は従者として振る舞うのだからその教育はなされているはずだ。

 流石に何か起こっているかと思い、警戒を露わに動き始めたところでバタバタと慌てたような足音がした。

 

「申し訳ありませんっ、コルキス様。湯浴みの支度は、済んでおります」

「……遅かったな、ヴィオラ。何があった?」

「何も──ヒッ、い、いえその、私の想定ミスです。アンブレラ様の容体を確認するのに時間がかかり、ローテーションにズレが生じました。いかなる処分も──」

「──ふぅン。まあ、処分とかいいってそういうのは。お前にそういうのを課すとしたら夜で、今日からしばらくはお預けだ。そうだな、まァそれが罰になるか。罰だから、いいか、自分で慰めることもするなよ」

 

 コルキスの中には、ヴィオラのあらゆる優先順位において自分が一番上に来るという常識に近い感覚がある。

 ローテーションがどうだとか言い訳には興味がなく、少しでも自分に対する優先順位を疎かにしたという事実にのみ苛立ちが募った。

 

「寛大な処置に感謝いたします……。ところで、ということは今晩からしばらくアンブレラ様のお部屋には護衛を近付けない方がよろしいでしょうか?」

「あァ。一人は必要だが……そうだ、これこそ罰だなァ。ヴィオラ、お前にその間の護衛と従事を任せる。扉の前で見張り、誰も近付けさせるな。んで、半日経ったらシーツや調度品を交換しに来い。その後はお前は室内で見張りをするんだ。これは罰だからな、お前はただ、部屋の内側で、扉の前に立って、私が(なぶ)ってあの子がよがる様を見ていろ。目は逸らすなよ、当然自慰もダメだ。ただただ見張って、あとは半日経つごとに調度品を交換するだけだ。いいな?」

「……っ、は、い」

 

 ヴィオラが声を震わせながら返事する。

 これから自分が耐えなければいけない地獄を想像したのだろう。これまで寸止めは何度も経験してきたであろうが、自慰すらも禁止された生殺しは初めてだ。

 我ながらいい罰が思い付いたものだなぁと少し上機嫌になったところで、恐れるようにヴィオラが口を開いた。

 

「こ、コルキス様。その、本当に、今晩からなされるのですか?」

「なんだヴィオラ、これだけでは不満か。しかし困ったな、これ以上にお前を苦しませる罰となると、今の私にはなかなか思い浮かばないのだ」

「い、いえ、その……」

「安心しろ。私の方からお前に触れてやることも()()()ないから」

 

 ひどく意地の悪いその笑みは、普段の淑女然としたコルキスしか知らない学園都市の学生たちが見れば卒倒するか、あるいは新たな性癖を開拓することとなったであろう。

 僅かに残っていた苛立ちも、アンブレラのことを想えばたちまちに消え去った。

 堕ちるのは結果だ。コルキスはただ、ただただ、彼女を愛することだけを目的にしてやればいいのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

バトル漫画におけるバトルシーン、恋愛映画における告白シーン、推理小説における推理シーン……やはり一番盛り上がるシーンはそのジャンル名にも関わってくるものじゃが、日常系なら何シーンじゃろな?

 扉の前に立ったヴィオラは少し様子がおかしいように見えた。

 何かに迷っているような……しかし、往年の連れ合いである。お互いの価値観などについてはとうに既に知り尽くしていて、伝えなければならないことはどんな些事でも必ず伝える。逆に言えば、伝えなくていいと判断したことは実際に伝える必要のないことであり、無理に聞き出すこともない。

 

 やがて意を決したように表情を引き締め、ヴィオラが両開きのドアを案内人のように押し開いた。

 コルキスも続いて部屋に踏み込む。香も花もないはずだが、うっすらと甘い香りがしたような気がした。

 

 中は広い。広いが、簡素な部屋であった。

 扉に近いところにはローテーブルを挟んで向かい合ったソファ、部屋の奥には、壁際の中央に天蓋付きの大きなベッドだけが置かれている。その他は、照明と最低限の調度品だけ。

 ベッドには深窓の令嬢のように身を横たえて窓を眺める淡金(アイボリー)の少女がいる。天蓋は開かれていて、その奥で()()()がゆっくりと動いた。

 

(……あァ、生まれながらに女王(ドローネット)なんだな、この子も)

 

 赤色の視線がこちらに向けられた瞬間、全身に鳥肌が立ち、膝を屈し(こうべ)を垂れたくなるような衝動に襲われる。

 もちろんそんなことはしない。おくびにも出さない。コルキスも「頭を下げさせる側の人間」だからだ。

 

 生まれながらに王なのだ。コルキスも、アンブレラも。

 

 記憶を失う前は、人懐っこい人格が包み隠していた。きっと家族から愛され祝福され育ったのだろう。

 記憶を無くしてからは、ほとんど自我というものがない人形であった。無機物にカリスマは宿らない。

 それがいまこうして、無意識のままに、コルキスが気圧されるほどの「空気」を身に纏っている。無垢な自我だからこそ、内面の本質ともいうべき部分が顕著に外に向けて現れているのだろう、とコルキスは考えた。

 

「……! コルキス様っ」

 

 こちらに気付いたアンブレラは、コルキスの感じたカリスマなどはどこ吹く風で、花開くような無垢な笑顔────ではなく、どこか艶美な微笑みを浮かべた。

 

(……ッ!?)

 

 情欲をそそるその表情に背骨の下あたりで何かがゾクゾクと震える。

 何かに「染まる」にはまだ早い。それなのに「ただの無垢」で収まっていないというのは、一体どういうことか。

 

 チラリとヴィオラの方に目を向ける。

 視線に気付いて顔を上げたヴィオラは、しかし見当違いなまでに真面目腐った表情でコルキスに向けて頷き、「信じています」とかなんとか呟いて部屋を出て行った。

 違う、そうじゃない。何を信じた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 赤子のように頻繁に眠ることを繰り返すアンブレラは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。

 それは必ずしも体力が消耗してしまうというわけではなく、彼女の脳がその日の経験をまとめるなど仕事するのに必要なのだ。コルキスとてかじった程度の知識であるため曖昧だが、脳は経験したことから必要な部分だけを取り出すのに睡眠を必要とするらしい。

 そのためアンブレラの過眠症とも呼べる症状はそのうち落ち着くと予想されているが、逆に言えばその頃にはアンブレラの頭の構造はほとんど固定されてしまい、記憶を取り戻す上でそれが障害となりかねない。

 

 しかしなんであれ、ベッドの上で過ごすばかりで退屈してやいないだろうか。

 そんな心配をしつつ、コルキスはベッドに腰掛けてアンブレラに身を寄せた。肩が触れ合うほどの距離である。

 

「コルキス様、今日はどうされたんですか? 珍しいですね」

「……理由がなければ会いに来てはいけませんか? ふふ、冗談ですよ。アンブレラ様に会いたかったからです」

「わたしもコルキス様にお会いしたかったです。──お世話になってばかりで、何のお礼もできてませんから……」

 

 ああまったく、本当に、人を誘うのが上手い。そう思った。

 ()()()()()()はまだ育ってないだろうから、上目遣いで言葉を紡いだコルキスに対し少しもドキリとした様子がないのはまあ分かる。こんなのはほとんど癖になっているもので、特に男性相手に非常に有効であるから無意識にやっているだけだ。

 しかし、「会いたかった」と言えば「わたしも」と返し期待をさせて、期待が吊り上がったところで「お礼がしたかったから」と義理的な側面を強調する。天性の、人の心を掻き乱し惹きつける才能があるのだろう。

 

 恋人もかくやという距離で会話をしても気にした様子がないのは、心を開かれているというより、あらゆるものに対し無警戒であるからと考えるべきだ。

 記憶を失う前から無警戒な側面はあったが、それでもあの頃は身体的な接触に恥じらいがあった。ある程度は性的な事柄について知識があったのだろう。それが今は、吐息がかかるほど近付いても甘えるような瞳(おそらくはこれが自然体なのだ)でこちらを見つめるばかりだ。

 

 無性に甘い香りがして、頭がクラクラとしてくる。

 香は焚いていない。怪しい薬もキメていない。いわゆるフェロモンというやつだろう。気を抜けば今にも押し倒して乱暴したくなる。

 

 しかしそれではいけない。

 自分の衝動に突き動かされるだけではただの自己満足で終わる。蕩かして依存させるなど夢のまた夢だ。

 

 丁寧に丁寧に。

 

 「抱かされる」のでなく、「抱く」のだ。

 求めると与えると言い換えれば分かりやすいだろう。実のところ、全く逆の行動である。

 

「んっ、……?」

 

 片手で髪を撫でつけてやると、まなじりを緩めながら「どうしたの?」と言わんばかりに小首をかしげる。

 後頭部の形をなぞるように撫で続けると、手の平から伝わる頭皮の熱と、コルキスの手でも十分収まってしまうほどに小さな頭に、つい引き寄せて口付けしてしまいたくなる。

 キスしたいキスしたいと壊れたように繰り返す本能をなんとか理性で黙らせた。しかしその理性も、かなり限界が近いのは確かである。

 

「アンブレラ様の御髪は、綺麗で、柔らかく、不思議な良い香りがしますね」

「そう、なんですか? わたしはあまり分からないです……でも、コルキス様の香りも、安心しますね」

「自分の匂いというのは気付きにくいものですから。ふふ、アンブレラ様が安らいでくださるのなら嬉しいです」

 

 良い匂いがすると褒めると、アンブレラはコルキスの首元の髪を掬って顔を近付ける。

 唇と唇の距離はもはやほとんどない。キス以外の単語が思い浮かばなくなったコルキスは、一度脳を切り離し、ほとんど口の勝手に動くがままに言葉を発した。何とか会話が成立したのは、ひとえにこれまで口先という武器で戦ってきた経験ゆえであった。

 

 微笑むコルキスに、しかしアンブレラは悩みを告白するように口を開いた。

 

「……その、ここまでよくしていただいているので、わたし、恩返しをしたいんです」

 

 コルキスの視点から言えば、そもそも現状で利益が得られていた。アンブレラの生活費のほとんどは学園都市に補償させているし、その上でアンブレラの身柄を押さえているということそのものが価値である。

 しかしまあ、アンブレラからすれば、下手すると補償のことすら知らないのだろう。となればよほど無責任でない限り日々罪悪感が生まれ続ける。

 

「これから沢山いただきますから、気にしないでいいんですよ」

「えっ……と?」

 

 疑問符を浮かべているアンブレラに、コルキスは少し余裕を取り戻して微笑んだ。

 

「ひゃっ」

 

 腰と頭に手を添えて、少し下側、ベットの中央にアンブレラの体を動かした。

 

 ふわりと降ろしてやると、仰向けになったアンブレラは「びっくりした」と言いながらキョトンとした表情でコルキスを見上げる。

 真っ白なシーツに、照明を反射して同じく真っ白な髪が広がった。肌の色も白くて、ただ瞳だけが赤く妖しく爛々と輝いてコルキスを見つめている。

 魔法を使っているときだけ赤くなるというその瞳には、一体何が映っているのだろう。

 

「アンブレラ様、手を繋ぎましょう」

 

 そう言って、両手を指を絡ませるように向かい合わせで繋いだ。

 そのままバンザイの体勢を取らせ、太腿の上に跨がる。俗に言うマウントポジションである。

 

 それでもなお、アンブレラは恐れる様子も、恥じらう様子もない。

 何も知らないのだ。何も分からないから、「コルキス様どうしたんだろう」なんて言いたげに、少し困ったような笑顔でこちらの発言を待っている。

 

「いただきますね」

 

 そうアンブレラに微笑みかけると、今度こそ、屈託のない、花開くような無垢な笑顔が返ってきた。

 コルキスはそれが愛おしくて愛おしくて、思わず涙と喘ぎに歪んだ後の姿を幻視した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

155話

 持ち込んでいた砂時計を逆さに返した。

 ヴィオラには半日経ったら来るように言いつけてある。およそこの時計の砂が落ちきる頃だ。

 

「これは……?」

 

 見慣れぬものが気になるのだろう。自分の頭と同じくらいの大きさの砂時計に、押し倒された体勢のままアンブレラが視線を向けた。

 この部屋に時間を知るための家具はない。下手をすればアンブレラは時計の概念すら忘れたままかもしれない。

 中庭に向けて設置された大きな窓。そこから見える空の明るさでしか時間を知ることができないが、いわば療養中の立場であるアンブレラにはさほど問題なかった。

 

「砂時計と言います。この砂がすべて落ちる頃に朝が来て、そこで再び逆さにすると夜が来る頃が分かります」

「えっと、便利ですね? ……外の明るさではいけないのでしょうか」

「たとえば、ほら、こうして光を遮ってしまえば分からないでしょう?」

 

 繋いでいた手を離して、窓をドレープカーテンで覆ってしまえば部屋は外から完全に閉ざされた空間となった。

 アンブレラは未だ分かったような分からないような曖昧な表情をしている。まあ実際のところ、時計の価値というのは「どんな条件でも定刻を共有できること」であるから、時間に束縛されない人間には飯時の指針にしかなるまい。

 

 好奇心のためか砂時計に触れたそうに身を起こしたアンブレラの、白く手折れそうな指をもう一度握った。今度は押し倒すのでなく、ただ、目の前に腰を下ろすように。

 窓際からベッドまでたちまちに移動したコルキスであったが、そこに慌ただしさや拙速が見られないのは流石の洗練された所作といったところか。

 

「駄目。アンブレラ様、私だけを見てください」

「わ、わかりました。……ふふ、コルキス様は手を繋ぐのがお好きなんですね、ん」

 

 なんとはなしに絡めた指を這わせて(こす)ると、不意にアンブレラから甘い吐息が漏れる。

 その声に、コルキスは全身の毛が逆立つような錯覚を覚えた。

 

(敏感な体質だとは思っていたが、あまりに()()()()()? 精霊のお姫サマに手ェ出した奴が……いるとは考えづらいし、記憶に関連してそっち方面のストッパーまで緩んだって考えるべきか……)

 

 とにかく情欲を煽る少女である。声音はなべて甘くいやらしく、そんな声が己から出ていることを恥じらうばかりか「それ、なんだか気持ちいいです」と自己申告する始末。

 ()()()()()とは、一体どういう意味か果たして理解しているのだろうか。

 

 時間はどうにか捻出したのだ。十分余裕はあるはずだし、あまり急いてはいけない。

 部屋の空気とアンブレラ本人にあてられて失われる瀬戸際にあった理性が、ゆっくりと丁寧にしろと忠告する。

 日常会話はこの程度でよいだろうが、まだ体の奥深くを触れ合うには早い。そのうなじに、乳房に、むしゃぶりつきたくなるような(はや)る気持ちをこらえた。

 

 アンブレラ自身の準備が足りていないのだ。体は、もしかしたら、彼女の生来の体質だけで行為中の常人と同じような反応を示すかもしれない。

 しかし心がきっとまだ追いついていない。何も知らない少女では混乱するばかりだ。羞恥心を与え、価値観を芽生えさせ、自尊心を煽って自ら快楽の沼でもがくよう手助けしなければならない。

 

 そう囁く理性が本当に普段の自分通りであったかどうかは、もはやこの時のコルキスには判別できなかったけれども。

 その証拠に──あるいは正しく理性を従えた上で、コルキスはおもむろに羽織っていた衣類を脱いだ。それはほとんどバスローブのようなものだったので、脱いだというよりも体からずり落ちたと表現する方が正しかったかもしれない。

 

 下着は一切着けていない。つまり、生まれたままの姿を晒してアンブレラと向き合っていた。

 

 いくつかの理由から、コルキスはその状況に恥じらうことをしなかった。

 ひとつが自信。そもそもとして、王を継ぐべく磨き上げた己の体で後ろめたいものなど何もない。アンブレラを前にしては少し思うところもあるが、プロポーション、肌や産毛の手入れ、肉の付け方、芸術作品として描きたがる画家が現れる程度には洗練されている。

 またこの後に及んで羞恥心を持つこともない。()()は大抵の場合相手の興奮を誘うのに役立つから必要であればその演技をしただろうが、ことアンブレラに関しては、煽るべき情欲がそも理解できていなかった。

 

 だから、裸の己を前に、ただキョトンとしているだけのアンブレラの反応にも驚きはしなかった。

 

「コルキス様、体が冷えてしまいますよ」

 

 ただ、一応は確認の意図も込めての行動である。

 ここでもしもアンブレラが恥じらう、大きく動揺するなどの反応を見せた場合、それはアンブレラが性的な羞恥心を既に獲得しているということだから、この後の流れで言葉を捻る必要があった。

 

 しかし、その心配もなくなった。

 

「アンブレラ様。……こうして手を握るように、直に触れ合うと心が温まって、体も温まり、仲も親密なものになると言います」

「……あっ、それ、分かります。いまこうして手を握ってもらって、コルキスさんが優しい人だって分かりましたし、わたしもっと好きになりました」

「ええ、そうですよね。私もアンブレラ様と仲良くなりたいと思って、頑張って時間を作ってきました。あの砂時計をあと5回返して、砂がすべて落ちるまで。……沢山触れ合いましょう?」

「はいっ、ありがとうございます、……すごく嬉しいです」

 

 朗らかな笑みを浮かべるアンブレラを見て、コルキスはぼんやりと愛を感じた。

 好きという言葉で表現してしまうには少し語弊がある。恋人に向けるもののようで、我が子に向けるもののようで、国民に向けるもののようでもあった。そしてまた、一部の者からは愛を疑問視されかねないような所有欲に近い感情でもある。

 

「ですから、どうか私のことを知っていただくためにも、沢山触れてみてほしいのです」

 

「私のどこでも、見て、触れて、感じたことを教えてください」

 

 無垢な少女を肉欲の沼に堕とす第一手。

 

 コルキスは己の体をすべてアンブレラに委ねた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

156話

先週の活動報告で連絡しましたが、人生で数回あるかどうかの忙しさに見舞われてるので、来週から一ヶ月ほどお休みをいただきます



 熱い吐息が漏れた。

 

 それでも浮かべたままの微笑を崩さないのは、びくりと肩を振るわせたこの目の前の少女の不安を煽ってしまわないようにするためであった。

 少女は気遣うような目でこちらを伺っている。続けて、と囁くと頷いて再び指を肌に這わせた。

 

 はじめ、少女──アンブレラの触れ方はひどくおっかなびっくりしたものであった。

 それこそ目の見えない人間が物の形を確かめるように、ペタペタと、そのくせ触れる場所には躊躇がない(胸も腰回りも、他の部位と分け隔てなく触れてくる)のがおかしくて軽く笑ってしまったくらいだ。

 

「ふふ、ごめんなさい、『触れて』だけでは分かりにくかったですよね。押したり、擦ったり、揉みほぐしたり……、どういう風に触れるとどう反応するのか確かめてみてください」

「これで本当に仲良くなれるんでしょうか……?」

「ええ、アンブレラ様が私のことを少しでも知りたいと思っているのでしたら、必ず」

 

 アンブレラがどこでも触れやすいように、いまやコルキスは割座のまま後ろに手をついて全身を曝け出していた。纏う服もなく非常に扇情的な光景であるはずが、コルキスの美貌に余裕が相まって、何らかの芸術作品のようにも見えた。

 ほとんどの人間にとって大金を積んでも触れること叶わないその芸術作品を、アンブレラはゆっくりと、言われた通り色々な触り方で確かめ始めた。(女王(ドローネット)に全身を触れてもらうという行為もまた、大金を積めど叶わない事柄のひとつであるが)

 

 驚くべきは、少女の学習速度である。

 「どう反応するのか確かめて」と言ったせいだろうか。反応のない触り方、部位を繰り返すことなく、着実にコルキスの体が()()()()反応するように変化してきている。

 それは必ずしも性的な意味に限らなかったが、毛布を被っていないにも関わらず体温は高く上昇し、じっとりと滲み出した汗はコルキスの色香を強めていた。

 

 が、同時に。自分の体に触れるアンブレラの手のひらもまた、段々と体温が上がってきているということにコルキスは気付いていた。

 生物の体とは、極論を言えば「生殖を行うための物体」である。文化的なコンテキスト、つまりは「記憶」と「知識」がなくとも、本能的に引き起こされる興奮状態というものが存在する。

 そしてその興奮状態を、直接的な部位に触れずとも確かめる方法がある。──心因性発熱、体温の上昇だ。

 アンブレラは既に、無意識下で興奮していた。

 

 それをコルキスが指摘することはない。しかし、コルキスを真似するようにアンブレラが自ら服を脱いだとき、コルキスは心の中で笑みを深くした。

 

「わたしのことも、知っていただけますか」

「よろしいのでしょうか?」

「……えっと? これは、仲良くなるための方法なんですよね?」

「……ええ勿論」

 

 上質で、蠱惑的で、芸術的で、人の本能を狂わせる、そんな身体であった。

 触れるのを躊躇させる妖しさがあった。賢く理性的な人間であるからこそ気付き、溺れることに恐怖してしまうような、そんな魔性の魅力である。

 

「コルキス様に触れてみて、たしかにもっと色んな表情を見たいなって思うようになりました。でもこれだと、一方的ですよね。お互いに同じようにしないと、『仲良く』はなれませんよね」

「そんな風に思わずとも、アンブレラ様に触れていただけるだけで私は嬉しくなりますよ」

「それなら、わたしも同じように感じてみたいです! コルキス様に触れられて嬉しくなるなら……同じ気持ちを共有できるなら、それが『仲良くする』ということですよね」

 

 しかし困ったことに、直接触れようとすれば体に目が釘付けになってしまう。

 惜しげもなく晒されている乳房は対価もなく見つめてよいのか分からなくなってしまい、スラリと伸びた脚はそれだけでもはや劣情の対象たり得た。

 どこか楽しげなそのあどけない表情は肉欲的すぎる肢体とミスマッチしていて、えも言われぬ背徳感を生み出していた。

 

 それならばいっそとコルキスはアンブレラを抱き寄せ、そのまま二人倒れ込むようにしてベッドに倒れ込んだ。アンブレラは無邪気に「きゃー」とはしゃいでいる。

 胸と胸が互いに形を崩して押し合う。毛布を手繰り寄せて二人に被せたのは、汗で体が冷えてしまわないようにというよりは不必要にアンブレラの体を見つめてしまわないようにするためであった。

 

 アンブレラの首元に顔を埋める。真似するようにして、アンブレラもコルキスの首元に顔を埋めた。

 柔らかく艶のある髪が鼻を覆う。スンスンと鼻を鳴らすと、アンブレラも真似するようにコルキスの髪の匂いを確かめた。

 

 甘い香り──正直なところこの部屋を訪れてから甘い香りばかり感じて嗅覚も狂ってしまっている気がするが、脳を直接揺さぶられるような、そのままずっと嗅いでいたくなるような麻薬にも似た中毒性のある香りに満たされた。

 

「手で触るだけが触れ合うことではないんですよ」

 

 匂いに触れ、味に触れ、体全体で相手の形を確かめる。

 潰れた胸から伝わる鼓動がもはや自分のものか相手のものか分からないくらい密着する。

 指を絡ませ、あるいは髪に手櫛を入れる。足を絡ませあえば何かがぬるりと滑ったような気がしたが、コルキスはひとまず汗だと思うことにした。どうせアンブレラも同じようなものを感じているのだ。

 

 なんかもう、このまま本能に任せて快楽を貪ってしまいたいな。

 そんな迷いを振り払うかのように、コルキスはがぶりとアンブレラの首元に甘噛みした。

 少女は嬌声とも取れる呻きを漏らした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ツッコミとボケとかトラブルメーカーと苦労性とかこの世はよくバランスとりたがるけど、ならもっと中庸を増やして中央値で戦いなさいよ!(残業中)

あけましておめでとうございます。
まだ正気を失えていないのでサイドストーリーから再開。


 泣き腫らしたであろう赤い目尻とそれに似合うよう鋭く細められた目つきは、普段の淑女然とした相貌からはかけ離れて、アイリスに美男子じみた雰囲気を纏わせていた。

 その女性として過剰なほどに魅力的な体躯のために間違っても男であるなどとは錯覚できないが、そこらの恋に恋するような少女たちであれば性別も忘れて虜になるだろう。美人というものは男も女もなんだか近しい見た目になるものだ。

 

 そんな、もはや目に毒ですらある光景を前に「複雑だけど眼福……」くらいの感想しか出てこなくなっているあたり、自分はもう毒されきった後なのだろうとカンナは溜息をついた。少なくとも将来結婚相手を顔で選ぶことはないだろう。

 そんなカンナの手は自然とスケッチに勤しんでいた。美しいものはいくつ描いても良い。馬車の中でさえなければもっと繊細なタッチができるだろうに。

 

「アイリスさんは、あの子の面倒を任されているんですよね? 側にいなくて良かったんですか」

 

 そう問うと、アイリスは中空に目をさまよわせてから、わからないんですと力なく答えた。

 御子様を守れなかったから。何にでも縋りたいから。そんな言葉が続くのをしばらくは待っていたが、沈黙だけが続き、更に続いてはらはらと涙を流し始めた。

 声を上げるでもなく、下手をすればまだ自分の涙に気付いていないのかもしれない。カンナのスケッチする手は勢いを増した。気付いて慌てて手を止める。

 

 アイリスの頬をハンカチで拭いながら考える。

 

(案外アンブレラの側に居ない方が正解かもしれないけれど……こっち(介護)側だったアイリスさんまであっち(要介護対象)側になるの?)

 

 世界は均衡を維持するように回っているのかもしれない。滅びてしまえ。

 

 しかし、転送門の事故などという前代未聞の出来事で、しかも記憶が……医者が何と言っていたかは3割くらい忘れたが、記憶が特殊な形で失われたという状況である。

 理解できないと言うほど情を知らないわけでもないが、それにしたってアイリスは気に病みすぎているようにも思えた。

 

 思い切って聞いてみる。

 

「アイリスさんがあの子に尽くすのって、何か理由があるんですか? たとえば助けてもらったとか」

「理由、ですか。……私がそのために生まれ、育てられたから、でしょうか」

 

 だいぶ重かった。いいや聞きようによっては闇が深くも感じられるが、これまでのアンブレラとアイリスの関わりを鑑みて、さてはこの人も言葉足らず族だなと掘り下げてみることにする。

 

「子供の頃からそう言い聞かされてきたんですか」

「はい……代々、奏巫女の乳母を務めてきたと聞いています」

「あっ、代々とかそういう……。ちなみに、やりたくないって言ったら辞めれるんですか?」

「……? どうでしょう、考えたことがありませんでした」

 

 カナデミコや乳母といったいまいちピンとこないフレーズも出てきたが、文化的な違いで対応する言葉が見つからなかったのだろう。乳母というか、四捨五入したらほぼ使用人みたいなことしてるし……。

 まあ、アンブレラはアンブレラで、あの歳になっても哺乳瓶を咥えていそうなアホっぽさがあるけれども。乳母が側に控えていてもおかしくないのかもしれない。

 

 家業だから。なんとも普遍的な理由だ。農家や職人、ありふれた例である。

 それにしたって命さえ賭けてしまいそうな忠誠に近い感情は程度が過ぎるけれど、程度の問題であって、性質の問題ではない。私だって、やりたいこと()で生きていくわけではないのだから。

 運命や役割に縛られる(さま)に、少しだけ親近感を覚えた。

 

「──もし、生まれも違って、好きなことができるなら……何をしてました?」

 

 そう問うと、アイリスは途端に時が止まったかのように固まり、何やら頭の中で思考が二転三転したのか、再び涙を溢れさせた。

 カンナは慌ててハンカチを取り出した。

 

 

 

 


 

 

 

 

 転送門を使わなかったために、12区に到着するまでに3日を要した*1。9区の上品な雰囲気や11区の繁華な街並みとは異なり、12区はよく言えば牧歌的、悪く言えば田舎臭さの漂う地域であった。中央のあたりは建物も多く賑わっていたが、少し目線を上に向ければ山脈が連なっている。

 流石にこれだけの期間移動だけをしていると疲労も溜まるだろう。閉鎖空間でしばらく一緒に過ごしていたためか少し砕けた口調で、カンナは休憩を提案した。

 

「12区のアプトナディティス学区長はほとんど外に出てこないらしいわね。すぐ会えると良いけれど……。ひとまず今日のところは、宿で休みましょう」

「……いえ、少しでも早く、お会いしたいです」

 

 体と心の両面で一番心配なアイリスが一番意気込んでいた。

 まあそれもそうかと納得し体を動かす。実のところ、絵を描く都合上長時間体を動かさないでいることは慣れていて、揺れに対する酔いにも強い方なのでカンナは普通よりは消耗していなかった。

 

 学区長というか、学園の導師を探すときはとりあえず学区に行き、窓口っぽいところに声をかければ良い。間違っていても、正しい窓口までの案内図くらいは見せてもらえるからだ。

 9区の住民に比べて見慣れていないせいか、横を通り過ぎるたびギョッとした顔でアイリスさんを二度見三度見する人々(男女両方である)に少しうんざりしつつ、学区長との面会を取り付けるための窓口まで辿り着いた。

 

 アイリスさんの存在含め少々説明に窮する場面はあったものの、コルキス様から渡されていた書状を出したら割とサクサクと話は進んだ。

 あまりにやることがなさすぎて、買い物のお使いをしている気分になる。マァね。こちとら一般の人なのでね。なんか格好良い感じの交渉術とか期待されても陰キャ晒すだけなんだけど。

 

「会うだけでしたら、学生なら手続きなくても良いんですけどね〜」

「えっ、なかなか学区から出てこないからお会いできないと聞いていたんですが……」

 

 職員さんの発言にギョッと目を剥く。

 

「先生は生徒さんからの質問なんかも受け付けていらっしゃいますよ。ただ、『塔』から出たがらないので、会合なんかには姿を見せないそうです」

「『塔』?」

「学区の中にありますから、道中見えなかったかもしれませんね」

 

 そう言って見せてもらった学区全体の地図はベーグル状になっていて、中央に大きな穴*2が空いている。

 「塔」とやらはその中央にあるらしい。

 

「……な、なんでこんな?」

「さぁ……研究施設として利用されている学生さんもいるようですし、魔導的に利用されているんではないでしょうか?」

「……アイリスさん、行けます?」

「はい、行けます」

「はい……行くますぅ……」

 

 あまりにめんどくさい。

 ここから更に長距離歩かなければいけないこともだが、そもそもこんな変な場所の塔に住んでいる導師サマと話さなければいけないことが何よりも。

 

 

 

 


 

 

 

 

 一応言っておくが、引きこもり陰キャの類である。

 馬車に三日間。これは別にいい。馬車で夜を明かすわけでないし、ずっと座ってられるし、絵を描ける。

 が、引きこもりは足腰が弱い。特に膝が弱い。学区まで歩き、学区の窓口を探し歩いた。ガクガクである。膝。死。

 

「……アィ、っス、さ……、元気、ね」

「そ、そこまで長距離歩いてはいないと思うのですが……」

 

 忘れてた。この人森の民だ。私より重いモンぶら下げてるくせしてまったく堪えた様子がない。

 

 前方に塔があることは分かっていたが、その様子を事細かに観察する余裕はなかった。

 ただまあ、塔と呼ばれるだけあって観察するまでもなく高さは圧巻のもので、空まで続いているのではと思うほどだ。おそらくは石造りだけど、別に煉瓦だろうが草で編んであろうがなんでもいい。疲れた。あ、ひんやりしてて気持ちいい。

 

「カヒュッ……カヒュ……、うぇ、げほっげほっ……!! ふぅ……」

 

 流石にこのレベルで死にかけている人間を急かすほどアイリスさんも鬼ではないらしく。

 灯りの見える場所まで壁伝いに歩いていくと、必死に訴えかけるような声が聞こえてきた。ちなみに学区の建物全体はそこまで高くないため、昼間の今は塔も陽光に照らされている。

 

「…んせい! 次の会議こそ出席してください! 私だって忙しいんすよ!」

「……ふぉふぉ。いいかねミヤコ君、人生と世の中には、自然と生まれる意味がある。与えられるものもあるがね、今はいいじゃろう。さて、聞くところによると何やら転送門で事故が起きたらしいのう。珍しいことじゃ。それ自体とても珍しいことじゃが、珍しいから恐れるというものでもない。しかし儂もこうして先人たちと同様に老いさびて体も動かなくなり、些細なことでさえ朝日を覚えられるか不安になってしまう。そこに今君がいるということ、それこそに意味があるのじゃよ。度重なり非常に心苦しいことではあるがのう、たとえ代理という形であっても君が選ばれたこと、そこに意味を見出すことはできんかのう?」

「あっ、あっ、あっ…………はい」

「……ふぉっふぉっ。ではここまでにしようかの。子供と……珍客が訪ねてきたようじゃからのう」

「あっ、はい。……あれ?」

 

 首を捻りながら部屋を出て、カンナたちの横をメガネをかけた神経質そうな男が通り過ぎていった。

 カンナにはなんとなく理解できた。彼も苦労性だ……。

 

「……ふぉふぉ。入りなさい。ふむ、学園の服を着ているということは二人とも生徒じゃったか。ああ、構わず座りなさい、儂も礼儀の諸作法は知らんからの。君は森の子じゃな。雰囲気がようく似とるのう」

 

 部屋の主は長い髭を蓄えたやや身長の低い老夫であった。銀髪と白髪の混じった髪髭と、室内でも被ったままの黒いアトリエ帽以外は、導師のローブを纏った普通の人物である。やや口数が多いだろうか。

 

「あの、御子様を助けて頂きたく──」

「あっ、えっと、学園長様から書簡……? を預かっていて!!」

「……ふぉふぉ、まあ落ち着きなさい」

 

 説明もなく慌て気味に口を開いたアイリスにつられてカンナまでドタバタとレントリリーの走り書きを取り出そうとすると、アプトナディティスがゆったりとそれを宥めた。

 そもそも、互いの素性すら明らかでない状況である。不思議とカンナには彼が12区の学区長だという確信があったが、我に返るとアイリスと顔を赤らめながら自己紹介した。

*1
およそ東京〜静岡の移動

*2
半径3~4km




ただいま


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

158話

色々考えましたが、作中の時間表現は年月日時分秒を使用します。
実際には別の単位*1で、365日7日24時間でもありません。
が、伏線にもなるまいし自己満足にしかならないため省略。


*1
年=ジャッキ、時=ディムなど

 裸体の少女二人が絡み合っている。

 ()()()()()()()わけではない。ただ文字通り体を重ね、互いに触れあっている。粘膜やいわゆる先端でなく、肌や髪に触れる程度のふるまいだ。

 とはいえその光景は絵画的美を塗りつぶすほどに淫靡(いんび)で、ふしだらな行為でないなどとはとても言えそうになかった。

 

 かたや相手をコントロールするべく、どこか冷静な己を据えて行為に及ぶ者。

 かたや「仲良くなれると嬉しい」という一心で無垢に言いつけに従う者。

 

 そんな始まりであったはずが、いまや二人のどこにも理性や無垢などといった言葉は無いように見えた。

 肋骨をなぞるように脇腹に指が()えば「あっ、は……ぁ❤︎」と誘うような声を漏らして腹をビクリと震わせ、辺りを覆うような白金の長髪を根本から掻き分けられた少女は、顔を肩に預けたまま「はーっ、はーっ❤︎」と正気を失った虚ろな目で発情した獣のような呼吸を(あえ)ぐことしかできない。

 

 時間を意識することも叶わないらしい。

 もはや存在を忘れられているのにも関わらず健気に砂を積もらせる時計は、3分の1ほど降り積もり、コルキスがこの客室を訪れてから4時間が経過していることを示していた。

 

 上に乗っているのはアンブレラだが、それはむしろ組み敷かれること以上に体の支配権を相手に奪われているようであった。体はほとんど脱力しきっていて、体格の割には豊満な胸がコルキスの体との間で押しつぶされている。

 きっと無意識に。腰をコルキスに擦り付けようと藻掻く少女はもはや男を誘う花売りのようで、それでいてコルキスが淫売と冷めてしまわないのは、堕ちた天使の如き容貌と歌姫の如き肉声が気品を支えているからだろう。

 だからこそ、その顔をもっとだらしなく(とろ)けさせて、泣き喘ぎで喉を枯らせ、涙と涎と愛液でどろどろに彩りたいという欲が煽られた。それは当初避けるべきと判断していたが、五感から得る情報全てがコルキスの理性をふやかし、指は行き先に柔肌よりももっと敏感な場所を探し始めた。

 

 いま秘部に触れてしまえば、少女を極上の快楽へと誘い、喘がせ、踊らせ、意識果てるまで弄ぶことは十分可能である。

 しかしそれは衝動的な行為の域を出ず、価値観を一変させるような、快楽という名の鎖で人を己に括り付けるための手段としては粗雑もいいところであった。

 だからコルキスに僅かに残った理性がはたらいた。それはもはや自身の長期的な支配は不可能であると判断し、体の一部位だけを瞬間的に奪い取った。

 

 つまり、指がアンブレラの下腹部を伝っていき最下部まで辿り着く寸前、少女に絶頂を与える寸前で、コルキスは己の舌を強く噛んだ。

 

 じわりと血の味が口内に広がる。

 噛み切ったわけではない。流石にそんな事態になればアンブレラも正気を取り戻すであろうし、犬歯が肉に食い込むのを許す程度だ。

 それでも常人であれば呻き声を漏らす痛み(そもそも常人は防衛規制でそこまで力を込められないが)であるが、コルキスの目は痛みを契機にたちまちに理性を取り戻し、聖域を犯す直前の指をピタリと止めた。アンブレラが体を悶えさせて触れそうになったので、ヒョイと指を反らして躱わす。耳元で切なそうな鳴き声がした。

 

(……おそらく、このまま続けてもまたすぐに理性を奪われるだろうなァ。正直いまの声でクラリと来たほどだ。一度気絶させて……いや、まだ、それはまだ取っておきたい。どうだろう、眠っている間に仕込んでみンのは)

 

 コルキスがこれだけ焦らしているのには理由があった。

 祖国に伝わる、古式ゆかしい「交わり」の作法。不妊治療などでもかつて王族が使用したとされ、簡単に言ってしまえば超スローペースで行為をおこなうことだ。毎日少しずつ段階を深め五日程度かけることで互いの心身を同調させるものだが、やり方によっては短縮もできる。

 

 コルキスが確保した時間は三日間だ。しかし、後ろの二日間はいわば熟成期間で、最初の一日で目的を達成するつもりである。

 だからこそヴィオラには半日経った頃に来るよう言いつけてある。ヴィオラが来る前に、コルキスひとりでアンブレラの乱れた姿を(たの)しんで、ヴィオラが来てからの半日で浅いところも深いところも教えてやる。

 残った時間はアンブレラの体にコルキスと()()()()()快楽を覚えさせる作業だ。そうしてようやくアンブレラがコルキスのモノ(秘宝)になる。作業自体は慣れたものだが、尊厳すら危ういほどに乱れるアンブレラの姿はきっと、何よりも醜く美しいのだろう。

 

 しかし、睡眠を誘発する薬の瓶をそっと手にしてから思い直す。

 眠らせるのは悪くはない。一旦、脳を切り替えさせるはたらきもある。常に行為に耽るというのは、脳が快楽だけを求めるようになってしまう可能性があり、この作法においてはあまりよくない。

 

(なんだが、何かが足りてねェ気がする……)

 

 ようやく息が最低限まで落ち着いたらしきアンブレラがゆっくりと体を起こす。

 惜しげもなく晒された乳房と騎乗位を見上げるような光景に、突如としてコルキスはあることに思い至った。

 

「なんだか……不思議な感覚です」

「……あァ」

 

(足りないのは、体温だ)

 

 熱に浮かされたかのようにぼうっとコルキスを見つめるアンブレラ。

 興奮している。発情している。だがそれに己で応える術を知らない。

 

(与えた快楽がその量のまま返ってきてンだ。もっと想像させないと、一番深いところまでは……)

 

 これだけ感度の良い体でも、まだ心が未熟だ。

 これから自分がどうなってしまうかまるで分かっていない。違和感は温度だった。コルキスが触れて熱いと感じるほど、アンブレラが自ら快楽と興奮を煽らなければいけない。

 

 わたしはこれからエッチなことをするんだ。気持ちいいいことをするんだ。恥ずかしいところを弄ばれて、ぐちゃぐちゃに壊されちゃうんだ。

 ──そしてそれは、何よりの幸福なんだ。

 

 そんな知識と思想を与えなければ、空っぽ(記憶喪失)の彼女は与えられたものを()()()()()()()()()()()()()ができない。逆に言えば、思想は今から如何様にも染まりうる。

 アンブレラは未だ、素質と可能性を有り余らせた空っぽの赤ん坊なのだ。

 

 ともすれば倫理的に後ろめたさの残る行為に向き合って、どこからか無性に湧き上がる母性のような愛情を堪えきれず、コルキスは身を起こしアンブレラの後頭部を支え口付けをした。

 少女二人においては初めてのキスである。舌を入れることもなく、長い時間重ね合わせたままじっとして、コルキスは後頭部のあたりに火花が散るのを感じた。背徳の味がした。戸惑いながらも、コルキスを真似てアンブレラも目を閉じた。

 

「これは、キスと言います」

「きす? ……あ、知っている、気がします」

「えぇ。アンブレラ様、休憩がてら少しお勉強をしましょう」

 

 そう言って、コルキスはアンブレラの手を取った。

 

 

 

 


 

 

 

 

「ふぉふぉ、まぁおそらくは治せる問題じゃろうな」

「本当ですか!?」

「ふぉ、近いわい。まあ落ち着きなさい、最近は女子(おなご)の髪一本触れて捕まる例もあるからの」

 

 12区の学区長、アプトナディティスはあっけらかんと言い放った。

 問題とはつまり、アンブレラの記憶のことだ。

 

 アプトナディティス

 オブダナマ プラネヘタ レイフィ グァラト

 

「ほれ、これ。『最初の言葉』で書かれてはおるがの、お主らの愛する者は、消えたわけではなく迷子になっているのじゃろう。しからば、迷子を見つけてやれば良いだけの話じゃないかのう、ふぉっふぉっ」

「あ、愛する……」

 

 レントリリーの走り書きを、筆跡を確認した上でおおまかに解説する。

 愛する者という大袈裟な表現にカンナは少し顔を赤らめるが、それはそれとして、アプトナディティスの翻訳とレントリリーの言い残した言葉がほとんど同じであることに気がついた。

 

『この子は、迷子になってしまっている。だが見つけるのもこの子だ。お主らはただ案内してやりなさい』

 

 しかし迷子だの案内だの言われてもまるで訳が分からない。

 

「あの、もっと分かりやすく──」

「──ふむ。しかしのう、お主らは特効薬を求めて訪ねてきたのじゃろうが、儂が渡せるのは製法だけじゃ。ああもちろん比喩じゃよ。つまりの、アイリス君。いま迷子を見つけられるのは、君だけじゃろうな」

 

 名前を呼ばれて、アイリスは一度瞬きをした。再度目が開かれる時、その目には光が宿っていた。

 なぜ君だけかといった話はおいおいするとして、と続けたアプトナディティスにアイリスが食い気味に返事する。

 

「私にできることなら、()()()()します。ですので、どうか……」

 

 「なんでも」という言葉の質量がまるで普通じゃなかった。心の底から「己の命も尊厳もどうでもいい」と思っていなければ出せない重さに、カンナは内心ギョッとする。

 そんなカンナの内心はつゆ知らず、アプトナディティスは柔和に微笑んだ。

 

「ふぉふぉ、学びの対価はいつか誰かに教えることじゃよ。アイリス君、君は100年後200年後も生きておるじゃろう? しからば、その頃にもし儂ら人間が何か忘れておれば、それを教えてあげなさい。そして君は、そんな簡単に命を投げ出さず、なるべく先の未来まで知識を残す努力をしなさい」

 

 まあ、そもそも教師と学生じゃからの。そう付け足す老夫にこの人付け足し多いなと思いながらも、カンナは最近会った中で一番まともな人間だと認識を改めた。

 ここに来るまでの認識は引きこもり老人である。あと部下に仕事押し付ける。

 

「それで、何を学べば……」

「ふぉっふぉ。薬を受け取るのは一瞬じゃが、製法を学ぶのはそうもいかん。まずは勉強、何はともあれ勉強じゃよ。それも、一番退屈な類のやつじゃ」

 

 長丁場になりそうな気配に、自分だけでも一度アンブレラの様子を見に帰ろうとカンナは決意した。




R17.9シーンがその日の筆のノリ次第なので、早く書けたら月曜より先に更新するかもしれません。
月曜は少なくとも何かしら更新します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

159話

旅先でスマホから書いてるため文体が違います。


「自分の研究もあるし、ずっとは一緒に居られないわよね…」

 

朝食を作りながら考えた。元は道に迷うであろうアンブレラの案内人として来たつもりが、学園長に捕まり、某国の殿下に捕まり、今では変な塔で生活している。

数日なら良かったのだが、この分ではアンブレラの無事を確認するまで最低でもひと月はかかるだろう。となれば、いくら休養期間とはいえ、カンナも研究室に戻らねばなるまい。

 

『ふぉふぉ、常人ではまず不可能、導師なら30年、才能があれば3年と言ったところじゃがな、森人であれば上手くやるやもしれん』

 

12区の学区長であり、この塔に引きこもっている老獪はカンナとアイリスにそう話した。カンナにとっては、つまり、戦力外通告であった。

 

今のアンブレラのために必要なのは、真名を「聴ける」ようになることだという。それは、カンナが知る限りで言えば、学園長(レントリリー)と学園のいくらかの導師のみが可能とする業である。

逆に言えば、アンブレラが倒れた時にレントリリー様がいたにも関わらず何もしなかったのは不可解だが、他に何かが必要なのだろうか。

 

真名を聴くだけでは足りない。

しかしアプトナディティスはその法しか授けない。(しかと言うには大それたものだが)

どちらにせよカンナにできることはない。

 

ならまあ、研究もあるし、帰った方がいいよなぁとなるのは自明である。

一応。一応は、アンブレラという友人のためにという思いもあって、アプトナディティスの言う「勉強」に取り組んではみた。

 

これは、彼の言うとおり、本当の本当につまらない類の勉強であった。

つまりは暗記である。

 

とにかく、火の真名はなんだ、水の真名はなんだ、草木の真名は…という作業を繰り返すのである。

100程度の真名を覚えたあたりで頭から煙が出はじめ、200の真名を聞いたところで力尽きた。

いや、それで全てならもう少し頑張れる。何がカンナの心を折ったかと言うと、同じ量の新しい真名がほぼ毎日出てくるのだ。

 

友人を「たかが他人」と見捨てるだけの非情さは持っていなかったが、単純に「この量の暗記は自分の能力を超えるな」という確信があった。

カンナの暗記能力は人並み以下であった。

まず、100の単語の羅列と向き合って、自分が記憶しきるまで眠らないというのが無理な話だ。絵を描かせろ、絵を。

試みに真名の音の響きに合わせて絵を描いてみる。なんだか意外と覚えられそうだぞ?1日200個のペースはとても無理だが…。

 

「アイリスさんはどうしてそんなに覚えられるの?」

「…? まあ、乳母ですから」

「ああ…そう…」

 

もう少しじっくり話を聞いてみると、森人の頃から馴染みのある真名がそこそこあるらしい。

互いの真名は秘匿するのに、物の真名は普段から使うのか。私達と逆なのね。

 

塔の下のほうの階には人が住むための部屋がいくつもあり、カンナたち以外にもここで学ぶ者たちが住まう。

12区自体が真名を対象とする研究を盛んに行っているが、この塔で生活する人々は特に真名を「聴く」ことを目的としているらしかった。

ひとつ屋根の下にアイリスのような魅力的な女性が住むのは危ないのではとも思ったが、住まう者はみな内向的なのか悟りを開いているのか、どこかぼんやりとしていて街中の飢えた若者のようなギラギラとした視線は無かった。

 

「学区長様もですけど、どこか仙人じみた人ばかりですよね。凄いわ」

「ふぉふぉ、さてどうじゃろうなあ。正気で狂気の沙汰ができるほど心が強くなかっただけやもしれんし、真名を聴こうとするあまり己の声が聴こえなくなる者も多いからの」

「狂気? 狂っているようには見えませんが…」

「ふぉっふぉっ! 狂った振る舞いをしても願いは叶わないからの!」

 

それはそうだ。気狂いとて体力は尽きるし、最近の気狂いは静かに狂うのがトレンドなのだろう。

それじゃあアイリスさんもそのうち狂うのだろうかと考えたが。

 

「いえ、もしかしてもう遅いのかしら…」

「…? どうかされましたか?」

「私と同じ時間で寝てると思うのだけど、隈が酷くないかしら?」

「あぁこれは…ときおり、夜中に目を覚ましてしまうので…」

 

悪夢にでもうなされているのだろうか。

同じ部屋で寝ていて気付かない私も私か…。

 

実際のところ、一日で何百もの真名を覚えるのは普通じゃないらしい。

普通は、何年も何十年も学ぶつもりでゆっくりと繰り返し体に染み込ませる。

 

そうやって()()()()真名を文字として学んだら、塔を(のぼ)る。アプトナディティスに教えを乞い、実際のモノとその真名を学ぶ。その全てを覚えたら、そこに住まい、毎日全てに真名で呼びかけてやる。

そうして()()()、「ああなるほど、だからこれの名は何某か」と真名が聴こえるようになるらしい。

 

アプトナディティスの本当の仕事は、真名やその聴き方を教えることではなく、その者が生きている間に「いつか」を迎えられる程度の才能を持つか見極めることにあった。

だから、彼はカンナにこう告げた。

 

「ふぉふぉ。君は、どちらかといえば才能があると思うんじゃがの」

「ありませんよ…昔から暗記は苦手なんです」

 

ひとまず、一度アンブレラの様子を見るためにもコルキスの邸宅に戻る準備をすることにした。




明日明後日も雨の鹿児島で続き書く予定…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

❤︎を使った表現はR15かという議論を脳内でおこなったが、まあうんそもそもそういうところ以前の問題だよなと考え直したので特に修正は入れない。いや■で黒線でも入れる?いやいやそっちのほうがえっちでは??

執筆カロリー高


 「休憩」と言った。

 言ったが、この本質は「拘束」だ。

 

 罪人が罰を与えられる前のように、順序立てられた動作には凪いだ時間が必ず生まれる。

 どれだけ罰が苦しくても逃げられないよう、何も与えられなくとも想像力で感情が掻き立てられるよう、知識という鎖で拘束する。

 

「は……っ、は、ぁ……っ❤︎」

「首がお好きですか? 耳を擦られるのも、口の中を指で無理矢理掻き回されるのもお好きですよね。その感覚が『気持ちいい』ということです。復唱してみましょうか」

「ひもひ……ぃ……?」

「咥えたままだと喋りづらかったですね。もう一度……内腿はどうですか?」

「きも……ちっ、……いい、です」

 

 背中を枕に預けて身を起こし、伸ばした脚の間に抱え込むようにアンブレラを捕まえている。

 逃げる意思もないが、たとえ試みても、魔法(身体強化)の使えない今のアンブレラではコルキスから逃げ出すことは叶わないだろう。そのくせ何故か朱色に輝く瞳は、全身の感覚に身を委ねているためか半分も開かれていない。

 

 とはいえコルキスも既に幾度となく正気を奪われかけており、己の非情な部分を前面に出し「今は女を一人弄んでいるだけだ」と言い聞かせることでなんとか保っていた。

 そのため性的興奮とは別の意味でも息が荒れ始め、目つきはアンブレラや(おおやけ)に向けるときよりもやや鋭くなってしまっている。

 

 声音の調整のためか表情は柔らかく、興奮のために頬も上気し、しかし目だけは恐ろしげという、これまで誰にも見せたことのない表情を浮かべ、コルキスは指を絡めてアンブレラの手を握った。

 

「指や、手のひらでも気持ちよくなれるんですよ。神経さえ通っていれば、感じられます」

 

 ね、と同意を促すと、アンブレラは口を開く体力もないのかコクリと頷いた。

 不満を表すように少しだけ力を込めて顎を上に向けさせ、咥内を舌で蹂躙する。しばらく経ってから口を離すと、アンブレラは半開きの口のまま目を蕩けさせていた。

 もう少しとねだるようにそこから赤く小さな舌が突き出て来るが、コルキスはそれを指でつまむだけに留めた。

 

 子供に買い物の決まりを教えるかのように、優しく、断定的な口調で告げる。

 

「気持ちがいいときは、気持ちいいと声に出してください。それが礼儀ですし……私も嬉しくなりますから」

「……きもち、いいです……っ」

「よくできましたね」

 

 ご褒美に頭を撫でてやり、体勢的に少し触れづらかったが、先ほど反応の良かった背中を爪を立てるように強めにカリカリと刺激した。

 

「■■ぁ……っ❤︎」

 

 文字にならないような嬌声を上げながらアンブレラが体を震わせる。

 軽く達したらしい。既に何度か目にした光景だ。

 本来は達することすら本番まで引き延ばすつもりだったのだが、あまりに素質があるらしく、既にそこは諦めた。まあ今のアンブレラの状態を見ればさもありなんという具合だが、感度が良すぎるのも考えものだなとコルキスは苦笑した。

 

「実際には、体のほとんどの場所に神経は通っています。つまり、アンブレラ様の体は気持ちよくなるためにあるんです」

「……ふぇ……?」

「アンブレラ様の体は、気持ちよくなるためだけにある、えっちな体なんですよ」

「わたしのからだは……気持ちよくなるために、ある?」

「はい。……気持ちよくなるのは、お嫌いですか?」

 

 そう尋ねるが早いか、片方の耳を指で擦りながら、もう一方を水音を立てながら舌で掻き混ぜた。

 獣の鳴き声のような喘ぎ声が部屋に響く。腰をうねらせながら、言いつけを守るためか健気にも、「きもちいいです」と数回こと切れそうな声でアンブレラは答えた。

 

「■■……っう❤︎ ■ぁっ……❤︎ す、き……っ❤︎ きもちっ、……いのっ、すき……ですっ❤︎❤︎」

「よく言えました」

 

 ほとんど意識の残っていないであろう状態で、思想と快楽を染み込ませる。

 アンブレラの内腿は、もうほとんど撫でることができないほどに粘性の透明な液体で覆われている。

 

「『気持ちいい』はお勉強できましたね。では、次はその違いを考えてみましょう。……いまこうしてぐちゅぐちゅベロで掻き回されているお耳と、折れそうなくらい反ったまま指で弱いところグリグリすりすり押されてる背中、どっちの方が気持ちいいですか?」

 

 この囁きも、濡れた耳元では「気持ちいい」の一助となっていることだろう。

 気持ちよさから遠ざかろうとするアンブレラの体を押さえつけて耳と背中の感覚の違いを問うと、逃げ場を失った少女はいやいやと首を横に振って駄々をこねた。

 

「どっちもっ、どっちもきもちいい……❤︎ いじわるっ、しないで……❤︎」

「駄目です。どちらか答えてください」

「わかっ……、ん、ないっ……❤︎ お耳は、こえっ、でちゃうし、背中、やぁっ❤︎ からだ、動いちゃうっ……❤︎ ■■っ……❤︎」

「……背中でも声出ましたね❤︎」

「いじわる……っ」

 

 勝手に溢れる涙とやや幼児退行した口調は、しかし不思議なことに幼さとは真逆の妖艶という方向へはたらいている。

 そこでコルキスは背中を弄るのをやめ、本能に従って、あえてここまで触れていなかった、しかしこの空間の中でもとりわけ目立つ大きな白桃の実を鷲掴みにした。

 意外にもと言うべきか、アンブレラは声を漏らすことなく、ビクリと一度大きく体を震わせるだけであった。

 

「……こる、きす、さま」

 

 ほとんど身じろぎせず、絞り出すかのように震えた声でコルキスの名を呼ぶ。

 コルキスは表情を浮かべないまま、手の力を少し抜き、両手でその(やわ)い質量をほぐすように揉みしだきながら、指先だけゆっくりと先端へ近付けていった。

 じわりじわりと時間をかけて近づいていく指先の動きは、傍目から見るとほとんど動いていないようにも感じられ、しかし当のアンブレラからすれば、永久とも思える甘い快感と、その先の未来の足音を聴くような心地である。

 

「……だめ、です、よ?」

 

 先程とは違い、アンブレラの首の振り方はふるふるとした弱いものだった。

 しかしそれは拒絶の度合いの低さではなく、少女の本能そのものが次の衝撃に備えるがためであった。

 

 ここで久しぶりに舌先を耳から離し、湿った耳腔に囁き声で尋ねる。

 

「……どうして、駄目なんですか?」

「こ、われ、ちゃうんです、わたし」

「私も限界ですので……一旦、壊れちゃいましょう❤︎」

「や、やだ、やだやだ。気持ちいいです、気持ちいいからっ、十分、今のままでいいですっ」

 

 じゃあ、戻れなくなっちゃいますね、なんて。

 そんな問答ももはやする余裕がなく、たった一言だけ、耳元で囁いた。

 

「……じゃあ、お耳とお胸、どっちの方が気持ちいいですか?」

「おむっ────」

 

 返答は求めていないらしく。

 

 

 

 

 

「──ぁ❤︎」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

R15とR18の垣根は何かというと具体的な名称・行為を描写するかどうかであると思うからあえてそこはカットして想像力を煽る形で表現することで各自のすけべ度に応じてR15〜R17.9の間を取れるって寸法

吐息、漏れた声など、ゆっくり想像力で補いながら読んでください。


「そろそろ意識がお戻りになりましたか? 脱水しないようお水を……ああ、まだ難しいですよね」

 

 少女の頬を撫でながら、息の変化に気付いてコルキスは声をかけた。

 

 一旦いけるところまでいってみようと胸だけを(なぶ)ったところ、予想を遥かに上回る乱れ様を見せ数分気をやってしまっていたのだ。

 というより、()()()()()()()()()のだが。

 

「こんな()()()身体をしていて、よく従者ひとりだけで旅が許されましたね……」

 

 コルキスの技術もあるだろうが、それだけでは説明がつかない。

 まさか故郷でエルフたちの慰み者になっていたなんてことはないだろう。よほど「一人遊び」が好きだったか、天性のものか、あるいは両方か。

 一歩間違えれば、こんな風に容易く手籠めにされてしまうというのに。

 

 まだうまく体を動かせないアンブレラのために、コルキスは水を口に含んだ。

 火照った体に冷たい水が気持ちいい。口の中で生ぬるくなっていくのを感じながら、コルキスはアンブレラに口付けをした。

 

「ん……、く……」

 

 むせてしまわないよう、一雫ずつ流し込んでいく。

 ひどく水分を求めているのか懸命に喉を動かす少女に、どこか母性に類似した感情が湧き立った。

 

 だが少なくとも母性そのものではないだろう。母性は、唾液や血液に飽き足らず、己の肉体をすべて食わせてやりたいなんて思わないだろうから。

 同時に、アンブレラの唾液やら愛液やら、果ては血肉に至るまで文字通り食べてしまいたいとも思う。己に食人(カニバリズム)の気があるとは思わなかった。

 

 数度口移しを繰り返したところでアンブレラも体に力が戻ってきたらしく、弱々しく腕を動かして、顔を背けながら目を手で覆った。

 どうやら泣いているらしい。おやと思い声をかけようとすると、アンブレラから先に口を開いた。

 

「見な、いで、ください……っ」

「見ない、ですか? 私はアンブレラ様の様々なお姿を知りたいと思うのですが……」

「粗相を、しまっ、した。はしたない……っ、ぅぅ」

 

 そそう、……粗相? 粗相!?

 ……ああ、シーツをこれ以上ないほどに水浸しにして、コルキスの体にも沢山かけたあれのことを言っているのか。そりゃあ逃げられないよう抱きしめながら嬲ったのだからかかるだろう。

 

 というか、はしたないとも言ったか? はしたない? 今更??

 あんな獣のように喘ぎ狂って、今もいやらしいくらい魅力的な体を隠すことなく見せびらかしながら、「粗相をしたから恥ずかしい」と?

 なるほど、虫食いだらけの倫理観をしている。もっと恥ずかしいことをさせて、その上で無垢な笑顔を浮かべていただこう。

 

「これは尿とは異なりますよ。暑くなると出る汗のようなもので、気持ち良くなると出てしまうんです。粗相でもなく、恥ずかしがる必要なんてありません」

「そう……なんですか?」

「ええ。ですので、そう泣かないでください。私はアンブレラ様が笑顔だと嬉しくなりますから」

 

 そう囁いて髪を撫でると、アンブレラはゆっくりと体を起こして、コルキスの胸に顔を埋めるように身を預けてきた。

 少し驚いて、どうしたのかとコルキスは尋ねる。コルキスの胸元で目線だけ合わせながら、アンブレラは微笑んだ。

 

「えへへ……、わたしに『気持ちいい』を教えてくださって、ありがとうございます」

「……」

 

 ガツンと後頭部を殴られるような衝撃に眩暈を覚え、表情を作る余裕もなしに「ドウイタシマシテ」とだけ返す。

 未だにコルキスの瞼の裏には、先ほどまでの泣き喚きながら乱れるアンブレラの姿、表情が焼きついているのだ。壊されているのがアンブレラの倫理観なのか己の脳みそ(性癖)なのか混乱するほどに、ただの笑顔が劣情を煽る。

 

「……アンブレラ様、舌を伸ばしてもらえますか?」

「舌? ……ほうへふは(こうですか)?」

 

 混乱のあまり、余計なことを口走ってしまったかなと後悔する。

 しかしまあ、そう時間を取ることでもないから続けてしまうのがいいだろう。

 

「もっと伸ばせますか」

「はぃ」

 

 べーと赤い舌が覗く。小さな口なのに、舌は肉厚で見ただけで柔らかいのがわかる。

 

「もっと、下でなく前に」

 

 アンブレラは素直にできる限り出そうとしてみせる。

 これは「はしたない」には属さないらしい。はしたなくて、愛おしい。

 

「もっと」

 

 頑張っているが、そろそろ限界らしい。

 困り眉を作って、力の入った舌先が固くなる。普通の人間よりも幾分か長いように見える。

 

「もっと」

「……ほふふひへふほぉ(もうむりですよぉ)

 

 そうは言うものの、素直に従う姿はいじらしい。

 ぷるぷると震える舌は、先ほどから少しだけ前に出ているような気もする。

 最後のつもりで、ひとこと。

 

「もっと、出して……んむ」

 

 突き出た舌を吸い取りながらキスをした。

 困り眉を作っていた少女の顔が、目を細めてたちまち蕩けていく。

 

 こちらに預ける体重が段々増していくのを感じながら、アンブレラの体が火照ってくるまで口を離さない。

 決して敏感なところには触らない。せいぜいが首筋や胸の下側を撫でて期待させるに留めた。

 

「ん……、ね? 舌を出すと口付けはもっと気持ちいいでしょう」

「は、ぃ……」

「気持ちがいいと頭がぼうっとすると思いますが、そんな時でも私が言ったら、舌、伸ばしてくださいね」

 

 完全に力が抜けてしまっているらしく、アンブレラはコクリと小さく頷いた。

 

 試しに舌を出すよう言い付けてみると、こんな状態でも精一杯舌を伸ばす。

 それが愛おしくて同じように長くキスをして、今度は先ほどよりもさらに際どい場所を引っ掻くように触れてやると、終わる頃には、触れたら火傷するんじゃないかというくらいアンブレラの体は熱を発していた。

 

「アンブレラ様、もうひとつだけお勉強があるのですが、大丈夫でしょうか」

「なん……れす、か?」

「アンブレラ様はもう体験されていることです」

 

 舌が回っていないことに少し微笑みながらも、脱線した分次は気をつけようと話を続ける。

 

「さきほど胸に触れられたとき、どのような感覚でしたか?」

「え、う、うぅ……な、なにか変な、少しこわくて、その」

「はい」

「怖くて、変な風になっちゃうって思って、怖くて、でも、言うより先に変になってしまって……」

「はい……大丈夫ですよ、続けてください」

「分かんないんです、そこから。ふわふわして、息が苦しいのに、しあわせで、……わたし、体のどこかおかしいですか……? ──あのときを思い出すと、ドキドキしてしまいます」

 

 話しているうちに不安になってきたのか少し涙を浮かべて、アンブレラはコルキスに縋った。

 しかし同時に、先ほどの感覚を思い出して体が疼き始めたのか、腰を小さくよじっている。

 

「おかしくないです、普通……いえ、とても良いことですよ。その変になることを、『■ク』と言います」

「いく……?」

「ええ。気持ちいいときと同様、これからは■クときも私に教えてください。すごく気持ちよかった証拠なので、教えていただけるととても嬉しいです」

「……はい。頑張ります」

 

 実際、意識も飛びそうな時に定型句を言うというのは難しい話なのだが、ならば無意識にでも口から出てくるくらい仕込めばよいのである。

 ほうれんそう、特に報告は大事だからね。幸い時間はまだ二日半以上ある。

 

「……では、練習しましょうか❤︎」

「……ぇ?」

 

 触ってほしそうに淫らに震えている腰部には無視をして、もう一度後ろから抱きしめ胸に手を添えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

162話

「聞きたい、聞こえるはずだと思い込むあまり、勝手に名付けて呼んでしまう過ちがある」

「はあ」

 

 カンナは気のない返事をした。

 浮浪者のようにぼうぼうと髭を伸ばしっぱなしにした男は、それを気にする様子なく「ウム」と続けた。

 

「真名をある程度学んだところで誰もが一度陥るのだ。一度呼んでしまうと、本当にそうだったような気になってくる。これを自覚せずに突き進んでしまうと大変まずい、知覚が世界の全てになってしまうからな」

「知覚が全てじゃいけないのかしら? (かす)かの森で木が倒れたとして、誰もその音は聞き得ないでしょう」

「言葉足らずだった、正しくは『知覚したと思ったもの』だ。人は、己が何を知覚したかすら知る術を持たない」

「頭こんがらがってきた」

 

 この塔に住まう人々はみな穏やかだ。

 11区で過ごしていた頃やコルキス様に会うため9区に来た当初を思い返すと、もちろん犯罪や争いが横行していたわけではないが、何かとアイリスさんやアンブレラに情欲の視線を向ける者が多かった。

 まあ女の自分でさえ理解できてしまうというか、致し方なしな部分も大いにあるが、それはそれとしてアイリスさんは精神的にストレスが多かっただろう。アンブレラは人目に慣れているのか気にした様子なかったけれど。

 

 安全そう、というのは非常に大切なことである。

 なにせカンナはもうじきこの塔を離れる次第だ。しかし今の視野狭窄になったアイリスでは、悪意のある者が少し言葉を弄しただけで流されてしまいかねない。

 

──お姉さん、浮かない顔をしているね。話でも聞こうか?

──いえ、少しでも早く真名を聴けるようにならなければいけませんので……

──そうだ、リンパを流すとスッキリして色々と捗るよ。俺、得意なんだ任せてよ

──そうなのですか? ……ああっ、リンパが! リンパが!

 

 いけないいけない。アンブレラもアイリスさんも大変なんだから……。

 しかしまあ、こうなってしまわないとは断言できない危うさが今のアイリスさんにはある。アンブレラもそうだ。まさか一週と少し離れただけで何かされるとは思わないが、なるべく早く様子を見に行かないと。

 

 アイリスから離れても大丈夫か見極めるため、同時に暇を持て余していたこともあって、カンナはアプトナディティスに「塔の住人と交流しつつ手伝えるような仕事はないか」と尋ねた。

 その結果、今こうして散策の補助をおこなっている。

 

 散策はこの塔においては少し変わった意味を持つ。

 塔での学び方はシンプルで、まず座学で学べる限りの大雑把な真名を()()()覚え、次に塔を上りながら各階に生きるすべての名を覚え、呼び歩く。

 この二段階目の工程が「散策」だ。

 

 もちろんこの髭ダルマは塔に在る全ての存在の真名を覚えたわけではなく、今いる階の、8割ほどの真名を覚えたに過ぎない。(それでもカンナは異常だと思うが)

 この階は岩が多く荒野然としていて、植物がちらほらと生えている程度である。全体としては広いため歩き回っていると時間がかかるが、上の階に行くほど植物や生物が増え難易度が跳ね上がる。

 塔の住人も未熟な者ばかりだ。だから、呼んでいる名前が間違っていないか、どうしても思い出せないアレの真名は何か、答えの記された手元の書物と照らし合わせて教えてやるのが「散策の補助」という仕事である。

 

「待て、ええと、この岩は、セレクタリアスでなくて、レベルスでもなくて、ええと、ええと……」

「ギブアップですか?」

「いや待て。ここまで出かかってるんだ、もう少しで……アニバ、いや、ナリバルタス……?」

 

 こんな感じで、側から見ると少し面白い。自分は本を眺めていればいいのだから楽な仕事である。

 カンナが呆れたようにため息をついて言葉を発そうとした瞬間、吹き抜ける風のように涼やかな声が頭上からかけられた。

 

「ラマリアス──ですね。……あら、裏にいるのはユルスルとハイィルでしょうか。涼んでいるところを驚かすのも申し訳ありませんね」

「……アイリスさん!」

 

 以前よりかは元気そうな、しかしまだ薄い隈を残したアイリスであった。

 荒涼とした背景でも様になる立ち姿。塔では共通して用いられているはずのローブは、その抜群のスタイルのためか、カンナが着ているそれとはまるで別物のようだ。

 

 二言三言交わして去っていくアイリスを眺めていると、隣の髭ダルマが呟いた。

 

「……ここに来てもうじき2週間だったか。敵わねぇなあ」

「ええと、ラルビオラさんはどれくらい……」

「4年目だな」

「あっ、す、すみません」

「いいよ。人と森人って、きっとそういうもんなんだろうさ」

 

 常人ではまず不可能、導師なら30年、才能があれば3年。

 アプトナディティスの言葉を噛み締めながら、カンナはふと気になって目の前にあった岩を少しだけ持ち起こした。

 二匹の小さな虫が、急に明るくなった世界に驚いたかのように駆け回っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

163話

具体的な描写を避けるため、途中から(音)声のみのダイジェストになっています。
想像力を働かせてください。


「……き……ました」

「よくできましたね❤︎ ……このくらいにしましょうか」

「ぅ……?」

 

 ほとんど意識がないのか、かけられた言葉の意味を理解しないまま少女は鈍い反応だけを見せる。

 放熱のためか小さな赤い舌をだらりと出したままにしている。涎も出ているのだろうが、潤滑液(ローション)や汗、様々な液体で濡れているためほとんど区別はつかない。

 

 コルキスが褒めながら髪を撫でてやると、少女は無意識でも甘えるように頭をもたれかけてくる。

 その愛おしさにタガが外れて愛撫を延長する次第は既に三度繰り返してしまっている。その度に気を失う少女の体は、もはや意識があろうとなかろうと快楽を享受するほかない。

 

「こる、きす、さまぁ……っ❤︎ お股、ムズムズして、おかし、い……っの❤︎」

「もう少しだけ辛抱してくださいね。ほら、触ってはいけません」

「からだ、かってに……っ、動いちゃぁ……❤︎ おかしいっ❤︎ おかしくな、るっ❤︎」

 

 放っておくと自分で弄り始めかねないため、両手首はまとめて掴んで背中側に回させた。

 それでも堪え切れないのか腕を支えに浮かせた腰は、反射反応ゆえの不自然さでカクカクと小刻みに震えている。

 

 まあ、それもそのはずだろう。

 少女の体は何が一番気持ちいいのかを()()()()()()()

 

 簡単な話だ。

 意識を失っている間に、情けも容赦もなく秘部を蹂躙した。

 一般的な性感帯も、この少女特有の弱い場所もおおよそ把握している。

 

「そうなんです。お胸が一番気持ちよかったかと思いますが、もっともっとずうっと、その何倍も気持ちよくなれるところがあるんですよ」

 

 左手は少女の両腕を繋ぎ止めるために使っているので、自由な右手だけをゆっくりと下腹部へ這わせていく。

 期待するように、腰は痙攣をやめて軽く反ったまま静止した。

 

「ハッ、ハッ、ハッ❤︎」

 

 少女の荒い息遣いだけが、待てをされた犬のように反復している。

 

 しかしせっかくだから、もう少し眺めの良い状態で少女が壊れるさまを見たいものだとコルキスは考えた。

 後ろから抱えたままでは十分に表情を見ることができない。試しにそのままそっと仰向けに倒してみると、もはやコルキスにそこを触れられることしか頭にないのか、抵抗どころか反応もなくなすがままであった。

 

 頭の上あたりで再度手首を掴んでおかねばならないかと思っていたが、その必要もないらしい。

 視線はコルキスの右手指のみに注がれている。その手でグッと腹を抑えながら、隣で横になってではと語りかけた。

 

「神経が集まっているのは、入り口と内側のあたりです。既にお疲れかとは思いますが、■クときは言いましょうね」

「こるきすさまあっ❤︎ はやくっ❤︎」

「いけませんよ。触れてもらうのだから、催促でなくお願いでしょう?」

「うぁぅ、あうっ、きもちいーの、おねがいします❤︎」

 

 午睡に揺れるカーテン。あるいは、星の破片(かけ)から百年越しに生える白花のような、透き通って瑞々しい音。

 そんなアンブレラの声は、情欲に媚びるときどんな声音になるのだろうと考えていた。

 一皮剥けば。けものの姿であれば、一山いくらの情婦とさして変わらないのだろうかと。

 

「快楽のあまり、壊れてしまうかもしれませんよ」

「だいじょぶ……じゃなくてっ……こわして、ください❤︎」

 

 抱いているのか抱かされているのかわからなくなる。

 価値観を植え付けているはずが、植え付けられているような気分になる。

 民あっての王だ。その価値観には、常に民が先行しなければいけない。

 たとえ己の「宝」だとしても、誰か一人を何よりも優先するなど──。

 

「こるきす、さまぁ。()()が、切ないの……」

 

 腹を押す右手に力が入る。

 左手をアンブレラの頬に添え、これまでの人生で出した中で一番甘ったるい声で囁いた。

 

「ね、手ではなく私の目を見てください。──では、壊れてみましょうか❤︎」

「……ぇ、…………ぁ゛ぇ?❤︎」

 

 言われるがままに目線を交えた朱色は、コルキスの指が3回ほど円の形をなぞる間にぐりんと上に上がって白目を剥いた。

 足首から爪先は()るのではないかというほどに張り詰め、腰は否応なく高く跳ねた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「■キっましっぁ、■キます、■ク、■ク、っ……あぁぁ❤︎ き、ましったっ❤︎ ま、た……っ❤︎」

「外側でたくさん■けましたね。次は中も一緒に刺激します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、喘ぎ声も可愛いですが、■ッたなら言わないと」

「ごめっ、なさ……っ❤︎ ■キ、ましっ、……もう、ずっと❤︎ ■ッてるからっ❤︎ 言えな……っ❤︎ ごめんなさい、また……ッ❤︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お゛っ……おぉ゛……っ、ぁ、?❤︎ …………お゛ぅ゛っ?❤︎ ……ぉ゛❤︎❤︎」

「また意識を失ったのですか? ……マジでクソ雑魚な身体だなァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ぁ、…………っ❤︎」

「意識のないうちに一番奥で■ク練習をたくさんしておきましょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぁれ、わたし、なにし──」

「──おはようございます。■け」

「……っ!?❤︎❤︎ ……っキま、した……ぁ❤︎ ……なんでっ❤︎ なんでっ❤︎ おきたばかりなのにっ❤︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうっ、やだっ❤︎ ■クのやだぁっ❤︎」

「あーあ、泣いちゃったァ。──はい、■け」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ❤︎❤︎ ……■キます、ごめんなさいっ❤︎ ■ク、■ク、■クっ……ぁぁあ❤︎」

「舌出せますか──そう、いい子だ」

「っ❤︎❤︎ んむ……っ❤︎ ……ぃひ、まひた❤︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お゛っ……❤︎ …………っ?❤︎❤︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もっと……❤︎ こるきすさま、もっ……ぃ❤︎ ……き、ましたぁ……っ❤︎ ……ぁ、ぇ?❤︎❤︎」

「……おぉおぉ、止まらなくなってらァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 コルキスがヴィオラを呼びつけた時刻まで残り半刻ほど。

 枕元には、小さな寝息とその主を撫でるコルキスの姿があった。

 

 シーツは乾いている場所を見つける方が難しいほどに液体に浸り、その部屋は言い訳のしようがないまでに淫靡で退廃的な匂いに満ちていた。

 




セーフ(アウト)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

164話

 こんな夢を見た。

 

 妖精のようにふわふわと光る(かたまり)が、大きな石の塊に語りかけては火花を散らしている。

 ときおり光の塊が上のほうに花火を咲かすことがあり、それがとても綺麗だったから、石はそれをもっと見たいと願うようになった。

 とは言え何を願おうとも石は石である。動けないからこその石である。綺麗だなぁと思いながらも、いつまでもじっと光を眺めていた。

 

 一際(ひときわ)大きな光があった。石はそれが花火を咲かせたらさぞかし立派で美しい花なのだろうと夢想したが、具合が悪いのかどうにも火花すら散っていなかった。

 花火を咲かすことのない光というのは石にとって不都合があったが、大きな光は語りかけてくるでもないのに石の(そば)にいた。他の光は、ふわふわとしているからか、すぐあちこちへと漂っていってしまう。

 しばらくして気が付いたが、光というのは輝くだけでなく熱も発しているらしい。石の傍で石のようにじっとしている大きな光が、ほんのりとした温かさを石に与えている。

 

 だが気が付いた頃には手遅れというものは世の常で、石がそれに気付けたのは、光がいなくなってからのことであった。

 小さな光たちは相変わらず気まぐれに石を訪れて、語り、美しい花火を咲かす。それだけではどうにも身が冷えてしまって、寒いのは嫌だと思うようになった。

 

 嬉しいことと嫌なことがあるのだと分かると、途端に嬉しいことが失われるのが怖くなった。

 あの美しい火花すら見られなくなってしまえば、石には寒さしか残らないのだろう。

 

 綺麗だと思うだけでは足りないのだと、「綺麗だ」と声に出してみようとした。

 当然音になることはない。

 

 石が己だと気が付くと同時に、目を覚ました。

 

 

 

 


 

 

 

 

 少女に快楽(しあわせ)を教えた女は、気持ちいいところ、絶頂したこと、それらを都度教えてほしいと少女に命令(お願い)した。

 

『私も嬉しくなりますから』

 

 幸せは嬉しいことだ。少女に幸せを与えてくれる女が望むことに、叶う限り応えたいと思うことはごく自然なことだ。

 嬉しくなるのならそれが幸せだ。女に幸せを与えたいと思った。幸せの渡し方を知らないでいたら、女はきちんと教えてくれた。

 

 きっと正しいことを教えてくれたのだろう。

 他と比べようのない快楽(しあわせ)に眩暈を覚えるほど溺れる中で、息も絶え絶えに達したことを伝えれば、褒める女の「光」は火花を散らした。綺麗だ。

 

 あぁそうかとようやく得心がいく。

 少女が綺麗だと感動しているとき、光も──相手もきっと、幸せを感じているのだ。

 あの輝きはたぶん幸せの表出で、泣きながら喘いでいる少女も、相手から見れば美しく花火を咲かせているのだろう。

 

 少女の発するほとんどの言葉(あるいは鳴き声)に対し、女は火花を散らす。

 自身の声そのものにすら幸せを感じてくれているのだと分かり嬉しくなる。

 

『こるきす、さまぁ。()()が、切ないの……』

 

 しかし、ときおり、少女が何の気なしに発した言葉に対し、一際美しい花火を咲かすことがある。

 そうしたとき女は、少女が痙攣による体の疲労と多幸感で意識をなくすまで、ご褒美のように延々と快楽を与えてくれる。

 どんな言葉が女にそこまでの幸せを感じさせるのかは分からなかったが、少女が女に幸せを与えたいと思うのと同様、女も少女に幸せを与えたいと思ってくれているのかもしれない。

 

(……でも、いまはわたしが貰ってばかりです)

 

 本当なら、女の花火を誘発する言葉を自分で選んで言える方がいい。

 けれどもそれはまるで分からない。ただ思ったことをそのまま言うことしかできない少女には、どうして女が急に幸せを感じるか分からない。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……こるきす、さま」

「ふふ、お気付きになられたんですね。半刻ほど寝顔を堪能させていただきました」

「あっ、ご、ごめんなさ──」

 

 ■け、と。謝ろうとしたところに、そう命令される。

 ただ腹の上から指で軽く押されただけでも、その言葉を聞くと自分のお腹の中の部分がきゅうぅと収縮し、甘声を吐きながら深く達した。

 

「……えへ、へ、ちゃんと、■キましたぁ❤︎ 気持ちぃ、です❤︎」

「……っ」

「こるきすさま、ぎゅってしてください」

 

 またしても女の琴線に触れることが起きたらしいが、それが今の自分の表情なのか、言葉なのか、少女にはまるで分からなかった。

 そのまま蹂躙されてしまう前に、ハグを要求して待ったをかける。一応は要求なのだが、こんなのでも女は幸せを感じているらしく、少女は内心で益々混乱した。

 

「わたし、コルキス様にも、幸せをあげたくて」

 

 でも、どんな言葉を渡せばいいのか分からないから。

 

「こうやって返すことしか、分からないのです」

 

 そう言って、アンブレラはコルキスの横顔、頬の辺りを撫でるようにそっと触れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

165話

ヴィオラ(殿下の側付き)さんの回想


『服を脱げ』

 

 ご母堂様が逝去なさった日、その夜にコルキス様は我々侍女に無感情に言いつけました。

 

 狂ってしまったのだと思いました。

 齢十にも満たぬ少女が、陰惨な謀略で母を失ったのです。ついこの間まで自信と希望に溢れていた瞳は暗く鋭く変貌し、淑女たらんと磨き上げられた所作と言葉遣いは軍人のように冷たく無駄のないそれに吸収されました。

 しかしその狂気は自暴自棄などではなく、極めて理性的な色を残していたのです。

 

『私の価値は何だ? ……私には才がある。強く、賢く、美しい。だが、女であるからにはそれも正当に評価はされないだろう。しかし変革はいま目指すべきことでもない』

 

 王族としての教育を受け、そこらの大人よりよほど知性豊かな方ではありました。

 しかしそれでも、母親の死の直後に幼い子が放つにはいささか不気味な言葉です。

 

『そも、女であることそのものが価値だ。美しく若い女。その価値をすべて活かすには、今の私はまず情と欲を学ばなければいけない。まだ早いと諌める母上も居ないことだし、お前らの体を使って教えろ』

 

 場合によっては、あるいは聞く者によっては羞恥や侮辱の類だったでしょう。

 しかし、私にはコルキス様の怒りが痛いほど理解できてしまいました。もとより命を捧げた身であるのに、どうして性の尊厳に縋りましょう。

 

『恥ずかしいだろう。悔しいだろう。……許せ。()()()()のと()()()()のではまるで違う。私はあらゆるに備えるため、あらゆるを学ばなければならない』

 

 当時コルキス様が信を置いていた侍女は私を含めて8名。

 各々が肌と秘部を晒し、愛撫の方法と性感帯を申し伝えたのです。

 

 実際、どれだけ割り切ったつもりでも恥ずかしさは拭えませんでした。

 ましてやコルキス様は年下の少女なわけで、その知性ゆえに着々と上達していく中、自らのあられもない姿、声を晒すのには抵抗があります。

 しかし私の場合、屈辱といった感情はありませんでした。

 

『恥ずかしさはありますが……、悔しさは、その、嫌ではないので……』

『なんだ、そういう趣味か?』

『……』

『おい顔を赤くして黙るな。……くくっ、お前面白いな。しばらく側仕えとしてやってみるか』

 

 城内では基本的に二人ほどの侍女が側に控えます。

 それは順番があったりするのですが、私は常にコルキス様の側に仕えるようになりました。

 

 ……また、数名恥ずかしいからと拒んだ者もいました。極めて常識的な反応です。

 それに対する罰はありませんでした。しかし数日経ってコルキス様が夜伽に練達なさった頃、それらの侍女が熱っぽい目でコルキス様を見つめるようになったのに気付き、籠絡なさったのだと察しました。

 

 誰かが最初に教えたのか、帝王学や心理学を応用したのか、慣れてきた頃からコルキス様は愛撫と共に耳元で「愛している」といった歯の浮くような言葉を囁くようになりました。

 情欲に体の反応だけでなく心も関わっているのは確かで、快楽を与える目的だけであってもその囁きは実に効果的だったでしょう。

 

 たとえ本心でないと理解していても人の心は錯覚しやすいもので、思想すら変容させてしまうほどに快楽と甘言には力がありました。

 そしてそれに気付かぬコルキス様でもなく。

 

『史書を紐解いても、他者を支配する方法は恐怖か快楽がほとんどだ。共通の敵を作れない場合は特に。だが前者は後ろ盾あってこそ成り立つから、今の私では失敗するだろう。ならば快楽で支配……ハハッ、一国の王女が情婦の真似事とは!』

 

 ご母堂様の死因は毒でした。それも、コルキス様を狙ったものを庇う形で。

 実績やその求心力(カリスマ)、コルキス様を支持する者は多数存在しますが、中央(城内)においてそれだけで集まった人を信じることはできなかったのでしょう。

 コルキス様は快楽という手段を支柱に、間者の炙り出し、逆に切り込みなどといった工作をはじめ、伏魔殿における身の守り方を手にしました。




半分くらい(原作)クシャナ殿下のつもりで書いてます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

166話

引き続きヴィオラ視点


『貞操は外交の道具だ。無駄遣いはできんが、……しかし男を知らないというのも勝手が悪い』

 

 次にコルキス様が求めたのは、男体でした。

 側から見れば異常で、痛々しさすら感じさせる言葉です。侍女の中には止める者もいました。

 

 その者らにとっては都合の悪いことに、それを調達するのはそう難しいことではありません。

 奴隷や罪人を使うという選択肢もあります。しかしこの時、コルキス様の元には年に数度間者が差し向けられていました。

 子供相手、また暗殺目的であるためか本格的な襲撃はありませんでしたが、毒、荒くれ者による誘拐未遂、過失に見せかけた事故……枚挙に(いとま)がありません。

 

『半分は父上だろうさ。試練を与えたつもりなんだ』

 

 ソートエヴィアーカ王のご意志も私には理解できません。

 かのお方は継承権に対して中立的な態度を示しています。能力の高さや第一子であることを理由にコルキス様を贔屓するわけでなく、第一王子であるからと弟様を贔屓するわけでもありません。

 

 捕らえた間者を前に、私はコルキス様に上申しました。

 

『ここまで……御身を穢すようなことまで、する必要がありますか』

『ふむ、穢す。穢すか』

 

 それに対しコルキス様は、激昂するでもまごつくでもなく、あらかじめ用意してあったかのように理路整然と述べました。

 

『私も世間は理解している。なるほど俗物の陰茎に触れる王女がどこにいるだろう。……人は、綺麗なままでありたいと願い、自身の最良を目指して努力するよなあ。──だが、母上が去ったいま、私の最良の日々は過ぎたんだよ』

 

 言葉は平静です。

 しかし感情が昂るのか、ご母堂が亡くなって以来初めてコルキス様が声を震わせていることに気がつきました。

 

『ですがそれが今のご自身を蔑ろにして良い理由には──』

『──少女としての最良は失った。だから、次代の王として最良を。武芸の鍛錬も、学の探究も、耐毒の獲得も、性技となんら貴賤ない。言ってしまえば、すべて等しくくだらないし必要だろう』

「そんな……」

 

 捕らえた間者は、3日ののちに処理されました。

 そこから数日、コルキス様は夜を一人で過ごされています。

 

 

 

 


 

 

 

 それからも幾人か、男を捕らえるたびに同様のことがありました。

 それは性行為などよりはむしろ、研究者が生き物の解剖をするような、そんな観察に近い行為だったと思います。

 

『口淫? していない。技巧を磨くというよりは男体の構造を知る目的だからな』

 

 その言葉に少し安堵したのを憶えています。

 

『分かってきたが、快楽に関しては男も女もそう変わらないなァ。便利で強力だが、万能じゃあない。裏切らねぇ奴は限界まで口を割らないし、限界を迎えりゃ言葉も覚束なくなる』

 

 限界のない人間はいない、という結論にも至ったようです。

 私も試された経験があるだけに分かりますが、限界を迎えた以降というのは、その、とにかく辛いです。辛い、という表現が適切か分かりませんが、何よりも体力と呼吸が奪われるのが辛いです。

 ただ辛いだけではなく、確かに快楽の中にはいます。理性を手放し快楽に身を委ねればただ幸せを享受できるという感覚もあります。

 しかし理性を手放すというのは非常に恐ろしいものです。自己同一性、というものが保証されない未来へ躊躇せず進めるでしょうか。

 

 一度そうして理性を手放すと、それ以降どうにも本能的に相手に逆らうことを避けるようになります。

 理性で逆らうことは可能かもしれません。しかし、体が触れるとどうにも服従したいような心地になるのです。……私だけではなく、一般的だと思います。

 

 仮に。

 私は教養程度の学しかなく、ほとんどコルキス様の仰っていたことではありますが。

 仮に人の価値観というものが「気持ちよさ」を基準に決まるのなら。

 更新しながらも、「気持ちよさ」の経験を元に組み立てられているのなら。

 

 度を越した快楽は、その人の元の価値観のすべてに優先するように人を変えてしまうのではないでしょうか。

 いえ、麻薬などのことを思えば推測というよりは、自然の原則なのでしょう。

 

 薬物。飲酒。芸術。権力。そして快楽。

 私たちは様々な手段で「気持ちよさ」を得ることができます。

 

 それは、それぞれにデメリットがあって、人それぞれで、並列には語れなさそうな機微の違いがあります。

 でもきっと、「気持ちよさ」で語れるのなら比べる方法、指標があるはずで。

 

 一番「気持ちよさ」を与えられるのは……いえそれ以上に、その指標でいちばん大きな値があるのなら、それはどれだけ「気持ちいい」のでしょうか。

 それはどれだけ人を変えてしまうのでしょうか。

 

 

 

 


 

 

 

 

 言われた通り、主人が部屋に入ってから半日の経つ頃に寝具等の替えをワゴンに載せてきた。

 

 重い防音の扉を開ける。

 むせかえるほどの甘酸っぱい匂いがする。たしか催淫性の香を炊いていたはずだが、それとは関係なく部屋に満ちた香りに、ズシリと下腹部の重みを感じ、内腿を水滴が伝った。

 

 部屋は存外静かであった。

 それでも「ぁ」と小さく甘い喘ぎ声が天蓋の内から聞こえてくる。

 ほとんど意識のない者が反射的に喘ぐ時のうめきだ。

 

 嫌な予感がした。

 それでも命令は絶対遵守であるから、そっと天蓋のついたベッドに近づいた。

 

 

 

 

 横たわった少女が仰向けで膝枕をされている。

 瞼と腹部に手を添えられて、愛撫をされているわけでもないのに絶頂が収まらないのか、海老反りのまま痙攣して時折潮を吹く。無様で滑稽にすら映る。

 だらしなく半開きになった口からは涎が溢れ、先ほどから聞こえていたか細い喘ぎ声はそこから漏れているようだった。

 手で覆われて見えないが、その瞳は焦点も合わずあらぬ方向を向いているのだろう。

 

 その肢体は、よく見慣れたもので。

 

「……ヴィオラさん? どうかされましたか?」

 

 膝枕をしている者の体躯は、思わず顔を背けてしまうほどに淫猥な、未熟さと妖艶を絶妙な塩梅で共存させるそれだった。

 見ているだけでこちらが罪悪感を感じるような、そんな蠱惑的な光景だ。

 

 それが、恥じらう様子もなく慈愛を浮かべた表情で、こちらに微笑んでいる。

 天使と淫魔、どちらと言われてもまるで違和感がない。

 

「こる、きす、さま」

 

 ヴィオラは、天使の膝の上で痙攣する主人を呼ぶことしかできなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

167話

半日ほど前の話


 給湯室から騒ぎ声が聞こえた。

 何かと思い覗いてみると、どうやら侍女たちが仕事を巡って言い争っているらしい。

 私こそが精霊様のお世話をしにいくのだ、と。

 

 見目麗しい少女の世話を率先する気持ちは理解できなくはない。可愛いもの、美しいものは女の心の拠り所の一つだ。

 しかし、それだけにしては諍いがやや剣呑な雰囲気で、ヴィオラは仲裁に入った。

 仕事に私情を持ち込んではいけない。

 

 侍女たちは渋々と別の仕事に移り、アンブレラの元へはヴィオラが赴くこととなった。

 なんとなく、コルキスが幼い頃から付き従う彼女たちが、ああも役目を争うというのは少し不思議な気もする。少し問うてもみたが、気まずそうに目を逸らすだけであった。

 

『失礼します』

『あっ、ヴィオラさん……こんにちは』

 

 遠慮がちに微笑む少女は跪きたくなるほどに美しい。

 この笑顔も、部屋を訪れる者すべてに分け隔てなく与えられるのだろう。しかし争っていたのはそのためだろうか?

 

『あの、少し近くに寄ってもらってもいいですか?』

『……? はい、いかがなさいましたか』

 

 内緒話をする子供のように口元を寄せて、少女は囁いた。

 

『いつも、ありがとうございます』

『……っ!?』

 

 少女のしたことといえば、ただ気恥ずかしげに日々の感謝を伝えただけである。

 いつまでも聴いていたくなるような甘い声だとか、そういう定性こそあれど、特別なことをしたわけではない。

 

 だというのに、ヴィオラは奇妙な形で絶頂した。

 どこが気持ちいいだとかの原因や過程がなく、ただ結果だけ与えられたような。唐突に脳が真っ白になって、反射で下腹部が痙攣した。

 声を上げなかったのはコルキスの側付きとしての意地である。

 

『アンブレラ、様、いま、なにか……?』

『?』

 

 してやったりという表情でもない。

 分からない。分からないけれど、この人は確かに()()とは違う生き物で、その能力もまだ計り知れないということだけ分かった。

 

『えへへ、その、わたしなりに感謝を伝えられたらなと思って、……ご、ご迷惑でしたか?』

『……いえ、嬉しく存じます』

『よかった、です。みなさんそう仰ってくれて──』

 

 先程の言い争っていた者たちが頭に浮かんだ。

 彼女たちは、既に何度かアンブレラのお世話をしたことのある者らであった。

 

(もう少しここで問い詰めるべきか、コルキス様に相談するか──)

 

 その場でアンブレラからうまく聞き出すことは叶わなかった。

 どうやって「いま私イったんですけれど何かしました?」と聞けというのだろう。

 

 あまりコルキスから離れるわけにもいかないと戻ろうとして、抜けたままの腰が粗相をしてアンブレラ側に倒れ込む。

 

『もっ、申し訳っ……!』

『大丈夫、ですか?』

『……っ、ぁぁ❤︎』

 

 抱き止めたアンブレラが囁く。

 なぜか反応してしまう体に、顔から火が出るほど熱くなった。

 

 結局平静を取り戻してコルキスの元へ戻るのに時間がかかり過ぎてしまい、しばしの怒りを買うこととなった。

 

 

 

 


 

 

 

 

『お前は室内で見張りをするんだ。これは罰だからな、お前はただ、部屋の内側で、扉の前に立って、私が(なぶ)ってあの子がよがる様を見ていろ』

 

(ああ、そうだ、私は寝具の交換を、し、に……)

 

 ついぞ、コルキスにアンブレラのことを報告することはできなかった。

 羞恥と、情報が不確定なことと、アンブレラに明らかに悪意が見られないこと。

 そしてコルキスへの無意識の信頼。

 

 快楽すら手段と割り切り、武芸のようにそつなく修めた(あるじ)が「嫐る」と宣言しているのだ。

 何を疑うことがあるだろうか。

 

 だから、「信じています」とだけ告げて、それで。

 

「……ぁ?❤︎ ……ぁ、っ……❤︎❤︎ ……? ぁ❤︎ ぉ❤︎ ……ぉぉ、っ❤︎」

 

 勢いよく飛び散った潮の一部が顔にかかる。が、瞬きひとつできない。

 信じていたから。コルキス様がアンブレラ様を嫐って、アンブレラさまは、■クこともしらない、めちゃくちゃにされて。もてあそばれて。じゃあ、わたしはいま、なにをみせられているんだろう?

 

「あん、ぶれら、さま。……なにを、されているの、で、しょうか」

「……? ええと、コルキス様が教えてくださったのですが、これは──幸せです!」

「しあ、わせ」

 

 満面の笑みが、こんな状況ですら美しいと思ってしまう心が、醜くて、泣きながら笑いそうになってしまう。

 価値観を植え付けたのは我々だ。これはきっと、御母堂が逝去なさって以来、初めてコルキス様が失敗をしたのだ。

 

「ほら、幸せを感じると()()が輝くでしょう? だから、光を大きくしてあげたら──きらきら、綺麗」

 

 コルキスの目を覆う、右手のほうを見つめて柔らかく微笑んでいる。

 ヴィオラには何が光っているのかまるで見当もつかない。

 

「コルキス様、本当ですね。──あなたが気持ちいいと、綺麗で、わたしも嬉しくなります」

 

 赤い瞳は薄く細められて、そこにはない「光」を確かに映していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

168話

・記憶喪失前のチート
転生での記憶持ち越し→シナプス刈り込みのバグ→魔力の視認能力獲得
視認能力により、森人として一般的な魔力の操作能力にもバフ

また転生と関係なく先天的な淫乱、血統的な魔力多量

ルーナに語らせるつもりだったけれど捩じ込めなさそうなので前書きにて(敗北宣言)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たとえば、()()を刺激します」

 

 クチュ、というよりはもはやグチュリとした音がする。そこから溢れる蜜の多さのためだ。「オ゛❤︎」という音が続き、その身体は持ち主の意思とは関係なく腰を跳ね上げる。

 

「すると、いろいろな変化はありますが、特に頭のあたりできらきら光って……ね? 綺麗」

 

 天使のような少女は、その形容に似つかわしい慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、あるいはお気に入りのおもちゃを眺める幼児のように嬉しそうに、膝下を見つめる。

 ヴィオラに見えるのは、半開きの口で、与えられる快楽をままに受け取る女の顔半分だけで、「光」とやらはとんと見えそうにない。

 

「もっとゆっくり確かめたいなら、ここを、ほら、かりかりと……」

 

 そう言って天使は女の乳房の先端を爪の先で弄ぶように刺激した。

 先ほどまでの異様とすら言える快楽の与えられ方に比べれば、いくらか受容に耐えうる刺激だったのだろう。鳴き声というよりも、甘い、少女らしい声で女が喘ぐ。

 

「かりかり、かりかり……❤︎」

「……ぁ❤︎ ……っ、ぁ❤︎」

 

 喘ぎの合間に、荒々しく息を吸う様子が見てとれた。

 先ほどまでは本当に最低限の呼吸しかできていなかったのだ。喘ぎと体の痙攣が阻害したのだろう。

 これで多少理性を取り戻していただけるかもしれない。そんなヴィオラの淡い期待をよそに、天使は恍惚と語りを続ける。

 

「小さなきらきらがここで生まれて、広がっていって……かり、かり、かり……ほら、毎回同じように綺麗……あはっ❤︎」

 

 変わらず視線は嬌声を上げる女の顔……というよりも少し上、額のあたりに向けられている。

 「何か」が視えているのだと思った。獣が夜目を利かすように、「人間」とは異なった眼で何かを視ている。

 人は常に考える生き物だ。ならば、「気持ちいい」と考えたその思考を目に見える形で確認できるのなら、この天使の視ているものはきっとそれなのだろう。

 

「コルキス様が、わたしの体でたくさん、たくさん、たくさん❤︎、光の出るときを教えてくれましたっ❤︎ わたし頑張って覚えました。だからほら、もう、かりかり❤︎ってしなくても……」

 

 そう言って、先端から指を離す。蕾は切なそうに固く尖っているが、不思議なことに、目を覆う手以外触れられていないのに、横になった女はなお甘い声で喘ぎ続けていた。まるで視えない手で愛撫されているようである。

 

「わたしが光を作ってあげるんです。そうすると、コルキス様も好きなだけ『気持ちいい』になれて、好きなだけ『しあわせ』になれます!」

「あ゛、ぉ……っ!?❤︎❤︎❤︎」

 

 これも魔法なのだろうか。

 何も理解できなくても、『愛撫』を強くしたのだろうということだけは分かった。

 乳頭を刺激するものから、秘部を刺激したときと同程度にまで……。

 

 触られていないのに秘部を攻められるような快感を味わってしまえば、それも、途切れも痛みもなく与えられるというのなら、それはきっと抗いようのない快楽で。

 人であればたちどころに腰が砕け、思考も覚束なくなることだろう。

 

「ぁ……❤︎ や、もっ、……ぁ❤︎ やだっ……っ❤︎」

「わかります。わたしも、気持ちいいの怖くて、イヤイヤって首を振って、それでもいっぱい■かされて……、逃げようとしても■かされて……❤︎ すごい幸せでした❤︎ 嫌がるときはもっとしあわせにしてあげればいいんですよね?」

「ゃ゛❤︎❤︎ ぅ……っ❤︎❤︎❤︎ おぉ゛……っ❤︎❤︎❤︎ ぁ、……っく❤︎ ぉ❤︎❤︎ ぅうう゛❤︎❤︎❤︎」

 

 はたと気がつく。 

 ……秘部への刺激と同程度?

 

 それは、それが、最大限の快楽なのだろうか。

 もちろん、交合はその手順によって何倍にも快楽と幸福感を増すことはできる。

 

 それはそれとして、そも、この天使が、ヴィオラの(あるじ)が王女に何らかの魔法で自由に快楽を与えられるというのなら、そこに上限というのは。

 そもそもが予想だにしていなかった魔法で、少なくともいまこの天使が魔力を消耗しきったようには見えない。

 

 

 

 

 ──壊れる。

 

 何度も、死んでしまうのではないかというくらい主人から夜伽で弄ばれたヴィオラだからこそ分かる。

 常軌を逸した快楽を、手心や限度という言葉を知らないこの天使が与え続けてしまえば、主人、……いや人間であればみな、たちまちに壊れてしまう。

 なぜなら、きっとこの子は、相手が気をやったからとか、そういう基準で手を止めることを知らない。

 

「ほんとに綺麗……。コルキス様、わたししあわせを渡せてますか?」

「ふ、ぅぅ゛❤︎❤︎❤︎ うぅ❤︎❤︎ ……ぁ……ぁ❤︎❤︎」

「よかった、気持ちよさそう……❤︎ わたしも、コルキス様がしあわせで、きらきら綺麗で、すごい嬉しいです!」

 

 止めなければ。守らなければ。

 止め、なければ。

 

『──これは罰だからな、お前はただ、部屋の内側で、扉の前に立って、私が嫐ってあの子がよがる様を見ていろ。目は逸らすなよ、当然自慰もダメだ。ただただ見張って、あとは半日経つごとに調度品を交換するだけだ。いいな?』

 

 これは、貴女様の予定していた通りですか。

 私にただ、見つめ続けるだけという罰を与えた貴女様の指示に、背くことを望まれますか。

 

「ずっとこうしていたいですが、そうもいきませんよね……。先ほど三日だけ時間を確保してくださったと言っていましたし」

「ぉ゛……❤︎ ぉ゛……っ❤︎ ぉお゛……っ❤︎❤︎❤︎」

 

 コルキス様が間違えたことなど、一度もないのだ。

 私の主が間違えるわけなどなくて、でも今は指示にない状況のようで、こんなこと今までありえなかったから。

 

 ……本当にこれは予定になかったのだろうか。

 コルキス様が「何もするな」と仰ったのはこの状況でも動じるなという──

 

「そうですね、あと二日だけこのまま、しあわせを満喫しましょう❤︎」

「……ぁ、ぅ?❤︎ ゃだ……っ❤︎❤︎」

「あ、すみません、弱まってたかもしれません! もっと、もぉっと気持ちいい方がしあわせですよね❤︎」

「ぃ゛❤︎❤︎❤︎ ……って……❤︎❤︎❤︎ ゃ……ぁ、ぁああああっ❤︎❤︎❤︎」

 

 だって、貴女はいつも正しいから──

 私は、私が、助けは、命令は

 

「──見て、ヴィオラさん。コルキス様、綺麗。……あ、ヴィオラさんのしあわせもだいじ、ですね!」




実は現場判断に弱い系従者。


・記憶喪失後のチート(喪失前も持ち越し)
記憶喪失→脳内報酬系の再設定(性的快楽)→快楽物質(ドーパミン)の魔法的な視認能力獲得
魔力操作による擬似的な快楽物質の操作能力獲得
(快楽物質が見えるというより、快楽物質が分泌されるときに体内ではたらく魔力の流れが見える)

傘「しあわせなときアレがいっぱい出てる……そうだ、アレが出てるなら幸せなんだ!みんなを手伝ってあげよう!」(善意)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

169話

 カンナが3週間ぶりにコルキスの邸宅に戻ってきて感じたのは、どこか空気の弛緩した雰囲気というか、以前までの張り詰めた空気が無くなって(うわ)ついているような、そんな気配だった。

 たとえば差し向けられていた刺客とコルキスの関係がうやむやになっただとか、何かしら心当たりになりそうな話もカンナには縁がない。

 そのため、以前までがたまたま忙しい時期だったか、あるいはアンブレラの記憶が快方に向かっているのだろうかなどと確信のない想像をした。

 

「あぁ、カンナ様。おかえりなさいませ」

「あ、はい。ヴィオラさん、お久しぶりです……あの、ただの学生に様付けはちょっと恥ずかしくなってくるかなーとか……」

「コルキス様やアンブレラ様、アイリス様のご友人ともなれば、滅相もございません」

 

 部屋に戻る途中バッタリとヴィオラに出くわす。

 人から様付けで呼ばれるのは中々慣れないものだが、アイリスやヴィオラは譲ってくれないので、こちらが慣れていくしかないのだろう。

 

(アンブレラはともかく、私ってコルキス様やアイリスさんと友人関係なのかしら……?)

 

 強いていうなら客人なのだろうが、結構「何でお前ここにいんの?」と聞かれたら困る立場である。

 

「アイリス様のほうは、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?」

「あー、私が発つときは、体調を崩すようなことはなく生活していましたよ。ただ、健康な生活というには少し詰め込みすぎというか、張り詰めすぎてる気もしますけど……」

 

 12区でアプトナディティスと話したことについては、既に伝令とやらによって伝わっているはずだ。

 断言ではないが、彼が「治せる問題」と言ったこと。そしてそれが、森人であるアイリスに掛かっているということ。アイリスが真名を「聴く」べく12区の塔で学んでいること。

 

「頭を埋め尽くせるくらいやるべきことがあるほうが、今のアイリス様にとっては丁度いいのかもしれませんね」

「……まあ、はい」

 

 ヴィオラの言いたいことは分かる。……と、言うか、ヴィオラだからこそより一層分かることなのだろう。

 彼女もコルキスの側仕えという意味ではアイリスと似た立場で、主人が傷付けば責任を感じる。

 カンナは悲壮極まるアイリスを間近で見たから状態を何となく理解できているが、ヴィオラは見なくとも想像だけで理解できるに違いない。

 

 そうこう話していると、侍女の一人が廊下を急ぎ足でやってきた。

 己が半ばニートのような立場のため忘れていたが、冷静に考えればヴィオラは職務中のはずである。

 

「お話中失礼いたします……ヴィオラ様、こちらのご確認をお願いします」

「……あぁ、頼んでいた件の。…………良いご返事がいただけたようですね。お疲れ様でした」

 

 こういう、明らかに仕事の話っぽいことを目の前で話されると、どこまで聞いていいのか分からなくてムズムズしてくるものである。

 流石に部外者に聞かれて困る話は場所を変えてやるだろうが……。コミュニケーション弱者なせいか、こんなときどう振る舞えばいいのか分からなくなってしまう。立ち去るにも声をかけなければいけないし……。

 

「そうですね、とても頑張ったようですし……えらいポイント3つくらいでしょうかね」

「──え、3!? やったあ! ……あ、えっと、では失礼します」

 

 ……えらいポイント?

 

「すみません、カンナ様。お話の途中でしたよね」

「あ……はい」

 

 なるべく聞き耳を立てないようにしていたのだが、プロフェッショナルな雰囲気のやり取りの中に唐突におままごとワードが生えてきて反応してしまった。

 ……聞いていいんだろうか。すごい気になる。

 勤労意欲ゼロの人生だったけれど、えらいポイントなんていう概念が蔓延っているなら、勤労も悪くないかもしれない。

 

「……あの、聞いていいのか分からないんですが、えらいポイントってなんですか?」

「……。そう、ですね。えらいポイントは、貯めると褒めていただけます」

「ほ、褒め……? コルキス様から、でしょうか」

「いえ、アンブレラ様に」

「アンブレラァ!?」

 

 3週間で何が起きたのか。

 あの、えらいポイントってほんとになに??

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

170話

「で、えらいポイントってなに?」

 

 久しぶりに会って第一声がこうなったことは誰にも責められないだろう。

 とはいえ、冷静に考えればアンブレラは記憶を失っている身だ。共に過ごした日数であれば、体感的には既にコルキス邸の人々のほうが長い。

 声をかける距離感を間違えただろうか、とカンナは少し不安になった。

 

 相も変わらずアンブレラは美しい。

 病床からほとんど抜け出さないためか、シンプルなネグリジェ以外何も纏っていない。しかし過度な装飾が野暮であるように、アクセサリーの類がなくても、身一つで完成された美しさを表現していて、ネグリジェの薄い生地は裸以上に艶かしさを演出していた。

 美しさというものは凶暴性にも似ていて、本来であればカンナのような小心者は萎縮してしまう。アンブレラが末恐ろしいのは、その美に棘がなく、警戒心がなく、簡単に触れてしまえそうに思えるところだ。

 

 瞳が朱、より具体的には丹色であることには未だに違和感を覚える。

 しばらくカンナがアイリスと共に生活していたことも関係しているだろう。御伽噺の頃から幽かなる精霊たちの瞳といえば緑色で、アンブレラのその赤い瞳は、今も彼女が魔法を行使し続けている証左らしい。何の魔法かは彼女ですら知らないようだが。

 

「わたしも詳しくは分からないのですが、貯めた方を褒めてあげるようにと頼まれました」

「貴女、福利厚生に組み込まれてない……? 私たち居候の身で強くは言えない気もするけれど、嫌なら断ってもいいのよ」

「みなさんよく()()()()()くださいますし、沢山しあわせになっていただければわたしも嬉しいので、嫌じゃないです!」

 

 こんなに利他精神のある子だっただろうかと疑問に思う。

 もちろん、記憶喪失の影響はある。以前はもう少し身勝手だった。記憶を失った直後は精巧な人形のようで、何かが欠落している印象を受けた。今は、まるで別人のように感じる。警戒心のなさだけは相変わらずだろうか。

 

 自分が何の感傷に浸っているのかも分からない。

 寝台脇の椅子に腰掛けて、カンナはそっとアンブレラの頭を撫でた。少女は一瞬キョトンとしてからへにゃりと笑う。触れた髪があまりに滑らかで、どちらが撫でられているのか忘れるくらい、指先に伝わる感触が気持ちよかった。

 

 おもむろに口を開いて、真っ直ぐにこちらを見つめて、アンブレラが問うた。

 

 

「──カンナさんも、お疲れですよね。沢山褒めるべきだと思ったのですが、どうでしょうか?」

 

 

 そっとこちらの頬に向けて手を伸ばす姿は、庇護者のような慈愛を感じさせると同時に、どこか捕食者を幻視させるようにも思えた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「別に、いらない」

 

 すんなりと出てきた言葉に、アンブレラは少し目を丸くしていた。

 触れられる直前。彼女の手の平は、カンナの頬の産毛に触れるかどうかという位置でピタリと止まっている。

 

 危機察知だとか、なにか算段があったわけではない。

 嫌な予感なんてものを信じたことはないし、この時そんなものは感じなかった。

 

 実際、カンナは頑張った。頑張っている。一学生が負うべきでない重荷を背負って、自宅から遠く離れた場所で何日も何週間も友人のために奔走している。

 なので褒められて然るべきだし、讃えられて然るべきだし、何なら別に頑張ってなくても生きてるだけで偉いねって褒められたい。

 

 ただまあ、思うのだ。いや、だからこそ思うのだ。

 こんなに頑張ってるのに、頭撫でられて「偉いね」って褒められてもなぁ……、と。

 

「褒めなくて良いから、絵を描かせてよ。そこでしばらくじっとしていて頂戴」

「えっと、は、はい……」

 

 絵のモデルというのは、仕事になりうるくらい面倒な役だったりする。

 なにせ、動いちゃいけない、汗をかいちゃいけない、一定の姿勢を保たなければいけない。

 普段軽くラフを書くぐらいならそんなものまで要求しないが、ディティールを観察して本当に描きたいものを描こうとすれば、それは必要になる。

 

 頑張りのご褒美に褒めるというなら、そんなのいいからモデルになってほしい。

 欲を言えばヌードデッサンを頼みたいが、先ほど扉の隙間から某白猫がするりと入ってきてこちらを見ている。はいあの、殿下が変なことしないようちゃんと見張ってます。仕事してます……。

 

 

 

 


 

 

 

 

 そんなこんなで、絵を描いている。

 塔でもそこら中にあるもの軒並みスケッチしてはいたが。あそこはちゃんと買い揃えようとするとお金のかかる紙が自由に使えたから、時間が余っていたのも相まって狂ったように描いていた。

 

 あとは状況が状況だけに、精神が磨耗しているのも関係あるだろう。

 辛い時ほど筆のノリはよくなる。苦しんでいるときほど良いものができたりする。大人になるにつれて本当に逃すとやばい締め切りが増えてしまったけれど、それでも締め切り直前は描いてばかりだ。

 

「記憶、戻せる可能性が高いそうよ」

「……」

「まぁあまり期待させるようなことを言うのも酷だけれど。……アイリスさんが頑張ってくれてる。きっと、大丈夫よ」

「……」

「あ、喋るくらいなら、気にしないから」

 

 アンブレラはホッとしたような声で「そうなんですね」と相槌を打った。

 しまった。モデルとして動くなと伝えれば喋るのも躊躇するか。

 

 ひとつ、疑問に思っていることがあった。

 楽観的な前提になってしまうが、仮にアンブレラの記憶が戻るとした上での話だ。

 

「記憶が戻ったとして、()()はどうなるのかしら」

 

 記憶喪失直後の頃は考えなかったことだ。

 数日が経って、今のアンブレラにも自我のようなものを感じるようになった。

 それは先ほど感じた利他精神にも通じることで、以前までのアンブレラと今のアンブレラは明確に違う部分がある。

 

 一般的な記憶喪失というものは、日数が経てば経つほど回復の見込みが低くなるという。

 それはきっと、新しい精神が優先されてしまうのだ。一人分の陽だまりには、一人しか立てないだろうから。

 構造性記憶障害などという特殊なケースだからカンナの想像とは全く違った治り方をするのかもしれないが、最悪、今までか今、どちらかのアンブレラの精神が消えてしまうのでないか。

 

「『わたし』がいなくなってしまうかもしれない、ということですよね。……わたしは、記憶を戻したいです。きっと家族がいるはずですし、アイリスさんが苦しむ姿も、見るのは辛いです」

「まあ、そうよね」

「……でもうまく想像できないですね。そのときが来るまでは、きっと」

 

 死ぬ間際にどう思うかなんてカンナでも分からない。仮に答えを出した気になっている者がいるとしたら、本当に死に瀕した時同じ答えを持ったままか問うてみたいものだ。

 自我を持って一ヶ月足らずでそこまで気付くあたり、頭の出来が違うのだろう。

 

 カンナ個人としては、以前のままのアンブレラに戻ってほしいという気持ちが大きかった。

 それは過ごした時間というよりは、ほとんど絵のためだったが。

 美・危うさ・幼さ。すべてが調和していたのはやはり以前の彼女の方だったが、流石にそれを口に出さないだけの倫理観は備えていた。

 

 それに、こうも思うのだ。

 そもそも、人は変わりゆくもので。

 時が経てば、姿は変わる。姿が変わるほどの間でなくとも、心は変わる。

 

 昨日までの少女が明日も同じであるとは限らない。

 変わらず美しくはあっても、変化した美を感じることがある。

 

 だから本当は、記憶とか、連続性とか、同一性とか、そんなのはどうでもよくて。

 ただカンナが美しさを感じた事実だけがそこにあって。

 

 カンナは観測者だから、観測者にしかなれなかったから、せめてその事実を嘘にしてしまわぬように、感じたままに手元に描き残すほかなかった。

 今のアンブレラを美しいと思った心を、描き残すほかなかった。

 

 今までのアンブレラも、今のアンブレラも、美しいと思ったから残すのだ。

 それらはきっと、すべてカンナの目指す美しさにたどり着くために必要なものだから。

 

 だから、実のところ、貴女が悩んでること、周りが悩んでることなんてどうでも良くて、貴女を描くことだけができればそれで良くて。

 本当に今の貴女を描くことができているか、自分の表現力に不足がないかだけ怯えながら、必死に、苦しみの中で絵を描いている。

 

 

 

 

 気付かぬうちに大粒の涙を流しながら、カンナは黙々と腕を動かし続けた。

 アンブレラが声をかけても、反応することなく腕を動かし続けた。一切の音を聞いていないようだった。

 

 聞こえないのが分かっていながら、アンブレラはポツリと一言こぼした。

 

「きれい……」

 

 アンブレラの瞳には、今まで見てきた中で一番大きいのではないかというくらいの光が、きらきらと輝いて映っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

171話

本章の総括(前編)


「ユルスル、ハイィル」

 

 音が溶ける。溶けて染み込む。虫が鳴く。

 

「リータリータ、ハバリア、タァハ」

 

 女が音を口にするたび、花が揺れた。

 

「あら……、タナクナアハス、どちらに? ……ああ、そこにいらっしゃったのですね」

 

 名を呼び、あたりを見渡せば、極彩色の大きな蝶が途端に姿を現した。

 見つけて微笑む女の姿はどこか浮世離れしている。

 纏う衣は、「塔」で女性が使う装飾のその字も無いような質素なものだが、それ故に素材(着る者)の良さが強調され、妖精と見紛ってしまいそうになる。(そも女の種族は精霊と称されることもあるが)

 

 そのまましばらく名を呼びながら辺りを歩き、錆びた鉄の扉にたどり着いた。

 後ろを振り向いた女は、深く一礼をし、軋む扉を開けて出ていった。

 見守るように止まっていた草花と虫たちは、やがてまた各々の営みに戻ろうと、思い思いに動き始めた。

 

 扉を出た女は、外で続いている階段を登り始める。

 

 屋外に面しているわけではない。

 巨大な円筒のような形をした「塔」は居住区を除いて二重構造になっていて、外から調べると、壁、螺旋階段、壁、中央の巨大な空間、となっている。

 階段を登っていると一番外側の壁にときおり小窓のような穴が空いていることがあるが、たいていの場合霧が濃く、また塔の周辺一帯は苔しか生えないような土地であるから、窓の外を見ても特段気晴らしになることはなかった。

 

 次の扉の前に着いた女は、そのまま中へと入っていく。

 入った途端、複数の観察するような視線を感じる。人ではない。獣だ。

 

「……キッチェ。お出迎え感謝いたします」

 

 一匹の子リスが女の足元から肩まで一気に駆け上がった。

 女に懐いているようにも見える。腹部の袋のような器官から何かを取り出す。固い木の実と虫の死骸だ。

 

「届けてくださったんですね」

 

 子リスは答えるようにスンと鳴いた。

 潰してしまわない程度に全身を両手で揉みしだくと、満足したのか帰っていく。乱暴だがこれが一番好きらしいのである。

 

 それからまた視線を上げた。

 下の階と違って、この階にはそれなりの大きさの獣が多くいる。草木の量で言えば下の階の方が多いが、大きな水場があり、豊かな生態系がある。

 

 少し歩いて、目当ての相手を見つけた。

 ズルドと呼ばれる犬型の獣だ。小規模だが群れを持ち、今も近くに仲間がいるのだろう。

 

 そも凶暴性の高い獣は「塔」にはいないが、ズルドは雑食であり、時に先ほどの子リスのような小動物を狩ることもある。

 警戒心や縄張り意識が強く、今も女に向けて唸っている。

 

 今度は名前を呼ぶことはない。

 女は獣の前にそっと膝立ちをして、両腕を開いた。

 

 しばらくじっとしていると、獣は鼻を鳴らしながら近づき、女の手、首元、身体中の匂いを確かめ、やがて女の肩の上に頭を置いた。

 触れてもいいか確かめるように、開いていた腕を少しずつ閉じて、獣に触れ、抱きしめた。

 抱きしめた途端、獣が身を強張らせる。そのまま抱きしめ続ける。だんだんと獣の体から力が抜け、女に身を預けたとき、獣と相対してから初めて女は口を開いた。

 

「あぁ、マドゥラ……」

 

 今度は唸り声でなく、クンと返事のような声で鳴いた。

 

 抱擁を解き、携えていた紙切れに名と特徴を記す。

 塔の名簿に真名がなかったのだ。新しく生まれた命で、誰からも見つけられていなかったのだろう。

 ペンを走らせる女に近づく影があった。

 

「よう、精が出るなぁ、アイリスさん」

「……あぁ、ずんぐらむっく様、こんにちは」

 

 ずんぐらむっくと呼ばれる、人間の男である。

 ずんぐらむっくとは真名ではない。男が自身の真名を()()()()()()()のだ。

 図体はでかいが、不摂生で、しかし浮浪者というよりは仙人のような容貌であった。

 

 真名を学ぶ中で、己の真名を失ってしまう者はたまにいる。

 この時代の人類の文化としては、魔力の定着を目的に、真名は身の回りの多くの人間が知っている。流石に本人のいないところで勝手に真名を伝えるのはタブーだが。

 

 ではなぜ失ってしまったのか。

 

 「忘れる」でなく「失う」と表現するところに鍵がある。

 簡単に言えば、真名について学ぶ中で頭がおかしくなってしまったのだ。

 塔にいる者でも、何人かはずんぐらむっくの真名を知っている。しかしそれを伝えても、彼はどうにもそれを自分の真名として認識できない。

 これが真名を失うことである。

 

「俺は、もうすぐここを出ていくことになったよ。故郷へ帰るんだ」

 

 ずんぐらむっくがぼんやりとした目で呟いた。

 

 真名を失った者の治し方は単純である。

 生まれた土地に帰ること。彼と心の近しい者らが、何度も名を呼んでやること。

 しかし大抵の場合、そうした者が「塔」に帰ってくることはない。

 もう一度失うのが怖くなってしまうから。自分の研究者としての才に見切りをつけたから。後遺症で魔力量が減ったから。理由は様々だ。

 

「最近は、自分が何してた人間かも分かんなくなる時があって、果てはドアの開け方なんかまで忘れちまうんだ。先生も、自力で治すのを待ってたみたいだけど、もう帰りなさいって……」

 

 塔で研究する者には誰しも起こりうることだ。

 ずんぐらむっくの目は昏い。だが同じくらい、他の者たちの目も昏いのだ。もちろん、女──アイリスも。

 彼女の場合、真名の研究だけが精神状態の悪さの原因ではないのだが、それでも密閉空間(こんな場所)真名とかいう哲学(こんなこと)に取り組んでいれば回復するものも回復しない。

 

「なんで生きてんだろうってすげぇ思うんだ」

 

 男はアイリスに縋り付いて懇願した。

 

「なあ、あんたなら分かるだろう? 俺はいったい誰なんだ」

 

 知人では、同じ研究者仲間からでは、真名を呼ばれても信じられない。

 だってそれは、彼らが聴いたわけではないから。昔の自分が勝手に言っただけだから。それは本質ではなく、模倣のさらに模倣で、鏡像ですらない。

 昔の俺が言った真名が本物かなんて分からない。俺は真名を理解していない。理解した気になっていただけだ。偽物を得意げに見せびらかして、本質をまるで分かっちゃいなかった。

 実物も聴いちゃいないのに、「これが真名です」なんて、なんて恥知らず。

 

 でも、あんたなら。

 誰よりもはやく真名を覚えて、草花たちの真名を聴けるようになった、あんたなら。

 

「……私は、ヒトの真名を聴けたことはありません」

「それでも、あんたなら、あんたが聴いてくれたなら、俺は…………取り戻せたら、まだここに居られるかもしれないんだぁ」

 

 男のいたたまれない姿を、ぼんやりとした眼差しでアイリスは眺める。

 振り払うことなんてできやしない。深い同情ばかりを感じてしまう。

 無理だと分かっていて、縋り付く男を、(マドゥラ)にしたようにそっと抱きしめた。

 

 ……聴こえない。

 

 視界は邪魔だと、瞼を下す。

 己の内に溶け込んでしまえと、さらに強く抱きしめる。

 ぴくりと身じろぎしたずんぐらむっくの体から、ゆっくりと力が抜けていく。

 

 ……聴こえない。

 

 ずんぐらむっくがいる。

 幼いずんぐらむっくが、瞼の裏でぼうっと佇んでいる。

 母親に手を引かれたずんぐらむっくは、おもむろにこちらに視線を寄越して、すぐにフイと顔を逸らしてしまった。

 

「……申し訳ありません。なにも、聴こえません」

「ワッ……、ワアァァ……ッ……」

 

 嘘でないことを悟ったのだろう。

 胸に顔を埋めたまま、ワンワンと泣き出してしまった。

 

 すっかり力の抜けてしまったずんぐらむっくをその場に座らせる。

 酷であるが、一礼して、アイリスは再び歩き始めた。

 まだやらねばいけないことが沢山ある。

 

「早く、帰らないと……」

 

 草木の名が聴こえてくる。

 小動物の名も分かるようになった。

 大きな動物は、警戒心を解けば聴ける場合がある。

 無生物の名は大抵の場合共通していて、固有の名が無い場合もあるようだ。

 それでも、人の真名を聴くには、心というものが深く、遠すぎる。

 

 先ほどの男を思い出しながら、はたと気付く。

 男は真名を忘れ、次第に現実世界の何もかもが分からなくなっていっていると話した。

 己のことも、言葉の意味すらも、失っていく。

 

「真名を失うと、忘れてしまう」

 

 ああ、と氷解した。

 

 だから、案内。

 だから、迷子。

 辿り着くための手伝いしかできないのだ。

 

「アンブレラ様」

 

 ではレントリリーでは駄目な理由は。

 アプトナディティスではダメな理由は。

 

 ──瞼の裏で視たばかりだ。

 

「聴かせて、本当の名を」

 

 

 

 


 

 

 

 

「──ドローネット様が、重篤な病であらせられると?」

「いつからかは分かりませんがネ。その上、アカのオヒメサマと接触して以来、音沙汰がありませン」

 

 のっぺらぼうが合成音声で話す。

 今日はサングラスをかけておらず、そのマネキンのような顔にはへのへのもへじが描かれていた。

 

 ドローネットに関する目撃証言は3つ。

 

 ひとつが、11区での目撃。これに関してはひとつというよりかなりの数だが、まとめてひとつとしていいだろう。

 11区にいた頃はひとりの学生として一般的な生活をしていたようだ。

 もちろん人物が人物だけに一般的なことをして結果が一般的になるとは限らないが、祭事用のベールを纏って顔を隠し、あまり人と関わらずにニース(もう一人の森人)と共に行動していた。

 学園長の手が入っているだろうから彼女の泊まっていた宿にはコンタクトを取っていないが、そこに頻繁に出入りしていた「カンナ」という名の女学生の存在も確認している。

 彼女は現在、「共同研究の準備」という名目で9区での在留資格を得ている。名目はブラフと考えるのが妥当だろう。

 

 もうひとつは、転送門の事故後の9区での目撃。

 9区で駅員に詰め寄るニース(特徴が一致)を見たという話と、その後病院でドローネット本人と思わしき人物を見たという話がある。

 後者は緘口令が敷かれているのに間違いはないのだが、人の口に戸は立てられぬというか、やはり関わった病院関係者の人数が多ければ多いほど噂は広まるものだ。

 

 ちなみにこの事故自体は「転送門の動作不良」などというカモフラージュになっていない前代未聞のカモフラージュでカモフラージュされたが、点検という名目で数日に渡り学園都市全域の転送門が使用できなくなり阿鼻叫喚が生まれた。

 転送門ありきの物流システムが構築されていただけに、経済的な損失は過去最高値だっただろう。情報の伝達も遅れ、何が起きているかを把握するのにかなりの時間を要したものだ。

 しかしその後、主に物流において11区から9区へ行く転送門以外全てが解禁されたことを鑑みれば、何が起きたかくらい馬鹿でも分かる。

 

「しかシ、9区へ行った理由と事故の内容ハいくら考えても確定できませんネ」

「理由……あの女狐が招待した、あるいは脅しつけたあたりでしょうか」

「郵便物でのやり取りはありませんガ、以前一度接触していますからネ。そこでやり取りをしていたら分かりませン」

「カンナという女学生が連絡役だった可能性は?」

「経歴は調査済みですガ……アカとの関わりという点でもう一度調べ直させますカ。ハズレだとは思いますがネ」

 

 最近はドローネットの残滓に触れる機会が無かったからか、会話相手の方も落ち着いて考察を手伝ってくれている。

 一見すると優男のように見えるが、ドローネットが関わるとおかしくなるのだこの男は。

 11区に着いた時も転送門付近で香りがするだのなんだの荒ぶっていたが──後のことを思えば、案外当たっていたのだろうか? 馬鹿にできないかもしれない。

 

 さて、2つめの証言を踏まえて、既に二人は9区へと移動を済ませている。

 先に述べた通り11区から9区へ行く転送門だけはなかなか解禁されなかったため、ドローネットの目撃に関する情報を得てから、さらに馬車での移動を介して来ている。かなり遅れてしまった形だ。

 正直、もう数日早く11区に着いていれば見つけられていて、こんな事故だのなんだの苦労せずに済んだと思う。彼女が9区へ行くタイミングがなんともこちらにとって都合が悪すぎた。

 

「私はこんなにも純粋な気持ちでお目にかかりたいと思っているだけだというのに、運命はなんと悪戯なのだろうか!」

「レークシア様に祈りましょウ……」

 

 純粋……、純粋……? のっぺらぼうは心の中で首を傾げつつ、否定しても面倒なので適当に合わせておいた。

 

「幾度となくその影を追えど、この手にあるのはあなた様の御髪一本のみ! ああ、お会いしとうございます……」

「御髪? なんト、ドローネット様のですカ!? よろしければ、相棒としてワタシにも半分いただけませんカ」

 

 初耳の情報が入った。はよ言えカスと思いつつ、のっぺらぼうはサンプルを渡すようお願いしてみた。

 ちなみに、買い占めたぬいぐるみに付いていたらしい。怖。

 

「半分? 馬鹿言わないでください、切断してということですか!? あなたね、それは素晴らしいからと言って、名画を破って半分寄越せというようなものですよ!! 芸術品はひとつの完成されたものであるから素晴らしいのであって、破損してしまえばその価値は大きく損なわれるんです!!」

「そもそも抜け毛の時点で破損してますよネ」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

「壊れちゃっタ」

 

 芸術品に例えるのなら本体はドローネット本人であって、抜け毛は破れた名画の切れ端だろう。

 そう指摘すると、既に価値が損なわれていることを認めつつも「でも未だに高い価値があるんです」みたいなことを言いたそうな顔をしながら優男が壊れてしまった。

 

それでも素晴らしいんだぁ……」

「泣かないでくださいヨ……」

 

 さて、最後の目撃について話そう。

 最後、そして一番最新のもの。

 

 二人が9区についてから地道に探してみたものの、ドローネットの残り香すら見つかることはなかった。(文字通り。この優男(変態)が見つからないというなら無いのだ)

 だがまあ理由は予想できている。これは2つめの証言にも関連するが、ドローネットの病院での目撃に際して、コルキス第一王女が同じ病院を訪れていることも分かっている。

 現在病院にいないのであれば、十中八九、王女の手の内だろう。

 

 元々9区で諜報活動をしていた人員の記録を合わせれば、実に一ヶ月近くもドローネットを見失っている。

 

「これほど長く補足できなかったのハ、()()()()()に居た時以来ですネ」

「……ああ、あそこですか。あれは流石に予想外でしたね。学園長め」

「十二名家御用達ですからネ。リスクが大きいからあり得ないと思っていましたガ」

「いえ、というより学園都市の恥と引き合わせるとは思わないでしょう」

「……いらぬ反感を買いますヨ」

「本当のことです」

 

 ……最後の目撃は、某カンナが12区から9区へ移動していた、というものである。

 より正確には、アプトナディティス学区長の本拠地である「塔」を出て、9区にあるソートエヴィアーカの敷地へ入っていった。

 

 ここから考察できることは複数ある。

 そも、カンナがいつの間にか12区へ移動していたということ。わざわざ12区へ行った理由。また可能性は低いが、カンナ同様、ドローネットも気付かぬうちに12区へ移動している可能性。

 

「ドローネット様が12区にいるかもしれないのですか!?」

「イエ、アカのオヒメサマが9区を離れていませんカラ、ドローネット様も9区にいる可能性が高いでショウ。あの国の王女ガ、手に入れたものを傍に置いておかないわけがなイ」

「手に入れ、傍ということは独り占……じゃなくて、軟禁ですか! 許せませんね! うらやま……じゃなくて、けしからん!」

 

 病院からたちまちドローネットはコルキス邸へと移されている。

 事故は大したものじゃなくて怪我か病もすぐ治った? まさか、そんなわけがない。それなら転送門の停止がここまで長引いた説明にならない。

 致命的な、それこそ二度と起こしたく無いような何かが起きた。しかし、何故かドローネットは病院からコルキス邸へ移動した。移動はその日のうちであるから、コルキスが事故を仕組んだ可能性すらある。リスクヘッジが取れていないから可能性は低いが。

 

 では、その病体のドローネットに対しコルキスはどう動くか。

 それこそがカンナの動向ではないだろうか。

 

「むむむ、では、最悪の場合を考えると、あの女狐はマッチポンプでドローネット様を自宅に連れ込み、そのまま日の目も見せず管理しようとしていると?」

「まあ、最悪の場合はそうですネ。あとはお国へ連れ帰って、実験なりなんなりト」

「ゆ る せ ん ! !」

 

 最悪の場合はという話であるのだが、相方はどうも過剰に盛り上がっているようである。

 とはいえ、どれだけ奮起しても無謀な突撃をするタイプではなく、その狂気の裏には計算と打算が控えていることは知っているので、そんなに心配していなかったりする。

 やる気が高ければ高いほどパフォーマンスが上がるタイプだ。放っておけばいいし、空回りしてもコルキスを殺害する程度のミスだろう。そうなったらコイツの首を向こうに送るだけだ。向こうは内紛が酷いから、政局が変化するだけで学園都市はさほど恨みを買わない。

 

「ドローネット様待っていてください!! 病からも女狐からも私がお救いいたします!!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

172話

本章の総括(中編)


 

 世間を騒がせた転送門の停止事故も、ひと月も経つころには話題に上がらなくなる。

 

 全学区における数日間の使用停止は少なくない混乱をもたらし非難轟々であったが、一度使えるようになってしまえば、転送門の安全性について尚考えようとする人は稀有なものだ。その裏で、未だに記憶を失ったままの少女がいたとしても。

 今でも、9区と11区の間だけは人の行き来ができない。しかしその程度となると瑣末な問題で、6区と7区の姉妹学区のように連携を取っているわけでもないから、周囲を見てみればほとんどの人間は元の生活を取り戻していた。

 

 あの人の友人、カンナから話を聞いてみても、自分の研究があるからそろそろ11区に戻ろうと思っているそうだ。学園長レントリリーに課された役目も、そろそろお役御免なのだろう。

 日常が帰ってきたのだ。

 それはコルキスもまた、同様に。

 

「恋人でもできたのかね」

「恋人、ですか……? いえ、特には……」

「うわぁー、タゲリせんせーそれセクハラですよ。……でも私も似たようなこと思ってたんですが、違うんですね。最近のコルキスさん、以前にもまして綺麗になってたから」

「本当ですか? 身嗜みなどはこれまで通りなのですが、そう言っていただけると嬉しいです」

 

 淑女としての仮面を貼り付け柔らかく微笑むと、研究室内の知人である少女はウッと胸を押さえながら「見た目っていうかふいんきが?」と述べた。

 

 変わったかどうかで言えば変わったのだろう。いや、変えられてしまった。

 あってはならないことであった。王を志す己が、「自分の意思」の介在しようのない次元で他人に在り方を決められてしまう。

 

「ふむ、まあなんであれ、以前より成果が減ってるわけでもあるまいし、いいのですがね。以前より鋭さは無くなったものの、焦りからも解放されたようだ」

 

 タゲリの言葉にコルキスは動揺した。妙に納得がいってしまっただけに、いっそう。

 落ち着いた、大人びたと捉えれば褒められたように思えるかもしれない。

 しかし、野心が無くなったと解釈すれば────心の中で歯噛みをする己がいた。

 

 学域を後にする。

 館に戻る。

 

 あの日。快楽に溺れて、深く沈んで、息継ぎも許されない底に繋がれたコルキスは、しかし不思議と、その後行為ばかりに耽るようには()()()()()()

 諌められたのだ。やらなければいけない仕事に研究があるのなら、その時間を削ることは良くないだろうと。

 誰にって、それはもう。

 

「──コルキス様、おかえりになったんですね。本日はいかがでしたか?」

 

 執務室に入れば、少女がいる。

 見る者全てに美という概念の更新を強制するような容貌。

 声音は柔らかく、一度聞けば心を揺さぶられ、二度目からは揺り籠のような安心を覚える。

 幽かの森に棲むと言われる精霊のひとり。観測隊の与えた称号は女王(ドローネット)。名はアンブレラ。

 

「アンブレラ様、ずっとこちらで待っていらしたのですか? お身体の方は……」

「いえ、帰ってくる時間をヴィオラさんから伺っていたので、お出迎えの準備をしていました」

 

 そうして新妻……間違えた、少女は、お茶と菓子をせっせと持ってくる。

 陶器から液体が注がれるとほんのり湯気が上がる。もしかしたらと思い自分で入れたのか問うたらそうだと答えた。

 そういった雑用(こと)は侍女がするべきなのだが……、それはそれとして、少女が己のためにタイミングを見計らって準備してくれていたという事実に胸が暖かくなる。

 感謝を伝えて頭を撫でると無垢な笑顔が返ってくる。女性の中では体格の良いコルキスからすると、小柄なアンブレラの頭は非常に撫でやすい位置にある。

 

 そのままの笑顔で、アンブレラはではと問い直した。

 

「今日は、どのようなことをされたのですか?」

 

 ごく普通の問いかけであるにも関わらず、コルキスはびくりと体を震わせて、しばらく黙ってから、ゆっくりと選ぶように口を開いた。先んじて漏れる吐息は熱い。一瞬だけ内腿を擦り合わせた。

 

「……午前中はまず、共同研究の相手会社と報告を兼ねた打ち合わせを……」

 

 立場と能力ゆえに、日々の業務は数も種類も多い。

 当然留学生として単位取得のために授業に出席するし、既に研究室に配属された身なので研究も行う。それとは別にタゲリから示唆された学園都市のこと(レークシアについて)を調査し、横の繋がりのために茶会に呼ばれもする。祖国へ提出するレポートを書いて、逆に祖国から届く自陣の声に指示を出し、あとはこの館の(あるじ)として承認すべき書類等々を確認。

 

 うんうんと横で相槌を打つアンブレラは、ひとつ言うたび「すごいですね」「えらいですね」「頑張っていますね」などとこちらの欲しい言葉を耳元で囁く。

 ちなみに、話をするためにお互いソファに着いたが、向かいにも席があるとか関係なくアンブレラは隣にいる。元はコルキスの勧めたことだったが。

 

 既に近い距離をさらに詰めて、甘い声は誘惑を歌う。

 

「大変なこと、嫌なこと、王女様として皆様のために頑張っているのは素晴らしいことだと思います。少しの間だけ『しあわせ』を……わたしからのご褒美です」

 

 知っていた。期待していた。もう何度も与えられたご褒美だから。そういう約束で、()()()()()()()()()()、頑張っていたのだから。

 話しているうちから期待で体の内側が疼いていた。何度も自分が他者の分析で用いた「できあがっている」状態に、己がなっていることを自覚していた。

 

 そういう全部を。

 己の浅ましさを含めて全てを理解できるだけの賢さがあったから、コルキスの側頭部に触れようとしたアンブレラの手を、震えながら、何度も躊躇いながら……そっと握って、止めた。

 あるいは、恩師であるタゲリの言葉が呪いのように耳にへばりついていたのかもしれない。

 

「……コルキス様?」

 

 当のアンブレラはというと、なぜ止められたのかが全く理解できないという表情で、きょとんとコルキスを見上げていた。

 それはそうだろう。アンブレラにとって快楽とはしあわせで、人は幸せのために生きていて、それを与えることに何の問題も存在しないのだから。

 他ならぬコルキス自身がそう教えたのだから。

 

「もう、やめます、こういうの」

 

 身体はどうしようもなく快楽を求めているのが分かる。

 本能に、口先と腕一本だけが抗っている。そのせいか、あまり多くを言おうと口をひらけば涙が溢れてしまいそうで、ゆっくりと片言で話す他なかった。

 

「わた、私は、王、だから。快楽じゃない、民の、ために、やらないと」

 

 タゲリが言ったように、コルキスは今も全ての面において結果を出し続けている。

 あるいは「ご褒美」を目前に吊り下げられたことで、これまで以上に成果を出すようになったかもしれない。いっぱい頑張ればいっぱい褒めてもらえるから。

 

 だが、「快楽のために努力をして、結果として民が救われる」のと、「民のために努力をして、結果(ご褒美)として快楽が与えられる」のではまるで違う。

 具体的には、快楽と民を天秤に吊るされるようなことになった時に、民を選べなければいけないのだ。

 

 コルキスには己の弱さを見つめるだけの強さがあった。

 だからこそ、今の「快楽はご褒美」という詭弁を自覚し、もはや己が快楽を得るためだけに日々の雑務をこなしていることに向き合った。

 

 それに対し、少女は。

 

「えっと、全部は分かりませんでしたが、素晴らしいと思います。コルキス様は変わろうとしているんですね」

 

 あっさりとそれを認めた。

 これには拍子抜けである。

 

「いいの、ですか」

 

 また己の弱いところに気付く。

 もしかすると、断られて、そのまま快楽に流されることを心のどこかで望んでいたのかもしれない。

 アンブレラに少し反論をされれば、きっとコルキスは諦めていた。反論の仕方は無数にある、これまでのコルキスの発言との矛盾を挙げば簡単だ。

 

「カンナさんを見ていて気付きました。人はきっと、その人が望むことをするべきです」

 

 コルキスが脱力すると、アンブレラは自由になった腕で横からコルキスを抱きしめた。

 顔の目の前に黄金(こがね)の髪が広がる。甘い匂いにくらくらするが──それだけだ。この続きは、ない。

 

 再び胸が暖かくなる。

 ハグというものはストレスを減らすらしい。

 そうだ、こういうのでよかった。アンブレラにはただ、側にいて、心を支えて欲しかった。だって、貴女が居るだけで幸せを感じる。

 

 どうにも下腹部は疼く。■きたがっている。

 それを堪えて、執務用のデスクに席を移す。アンブレラは微笑んだままソファで茶を楽しんでいた。

 

 今日は書かなければいけないものも少ない方だが、それでも毎日数件は有力な貴族などから招待が届く。国同士軽くいがみ合っているとはいえ、ソートエヴィアーカと繋がりを持っておきたいと考える者は多い。■きたいと主張する秘部を無視する。

 9区にあってよほど大事な相手でなければ基本は行かないことにしている。■きたいが、我慢。

 とはいえ理由を適当に書くのが面倒で、離れた学区ならそれを理由にしても良いが、あまりあからさまに断るよりは■きたいけれど■けない■きたい。■きたい。

 

「……っ」

 

 既に自覚はある。頭を使うことをやめて、なるべくテンプレート文をなぞるように手紙を書いた。

 今日は4枚だけでいい。書いて、書いて……1枚……2枚……。

 

 よし次は──■きたい。違う、時候の愛撫は、■かせて。違う。

 

 まともに文を書くことはほぼ不可能になっていた。

 耐えるように、顔を伏せて、ペンを握りしめて、少しでも疼きを落ち着かせようと深呼吸を繰り返すが、椅子に触れている部分からの振動だけで■きかける。

 この姿勢がいけないと勢いよく立ち上がる。椅子が大きな音を立てて後ろに倒れるが、どうでもいいと思えるくらい体の状況はギリギリだった。あの人が心配そうに何か声をかけてくれているのは分かる。でも、答える余裕がない。■きたい。

 

 ■きたい。■きたい。■きたい。■きたい。

 頭が狂いそうになる。狂っている。■っていいなら、狂ってもいい気がした。

 

 立ったまま机にしがみついて、浅い息を続ける。

 呼吸をやめたらおそらく終わる。一回そうなれば収まりが効かないのは予想できる。でもそれで■ったほうが気持ち良くなれるんじゃない? うるさい殺すぞ。■かせろ殺すぞ。

 

 ■くデメリットは? 一旦落ち着けるし良いんじゃないか? お前王だろ。快楽より絶頂を優先しろ、違う、民だ。■きたい。ああ、■きたい。

 私は王だから、(みんな)のために、なァ。

 

「がっ、ぐ、うぅぅ……っ、うぅっ、うぅぅう……っ」

 

 すぐ側にあの人がいることも忘れてしがみついた机に涙を溢れさせる。

 先ほど書いた手紙もダメになっているかもしれないけれどそれすら気にならない。

 

 悔しくて悔しくて、情けなくて、■きたい気持ちで狂いそうで、理由は一つに絞れないけれど、とにかく涙が止まらなかった。

 性感帯がどうとかそんなことを無視した、人間が受領できる最大の快楽を流し込まれるあの感覚を、どうか。

 

 あ

 

「コルキス様……大丈夫ですか?」

 

 終わった。

 

 よほど私が倒れそうだったのだろう。

 肩を貸すように懐に入って支えるアンブレラ。

 胸が体に押し当てられ、右手は脇腹を掴み、声は鼓膜を揺らす。

 

 触れられた瞬間に絶頂を迎えなかったのは、諦めたからだ。

 天秤の傾きが決まってしまった。

 

 上体を起こして、体を支えてくれている少女を壁際に押し付ける。

 右手を取って秘部に触れさせ、左手を取って側頭部に触れさせる。

 何かを察したのか、少女は少し悩んでからそのまま右手指をぬるりと滑り込ませ、私のナカで一番弱い場所を抉るくらい強く押し込んだ。

 

「……ぉ゛っ❤︎❤︎❤︎」

 

 すっかり耐性の無くなってしまったこの身体は、準備ができていたこともあいまり、なすすべもなく■かされた。唸り声のような嬌声が漏れる。

 相手の耳元で、泣きながら絞り出すような声で懇願した。

 

「……■かせて、ください

 

 えっと、でも、と先ほどの私の発言を慮るような迷い方。

 それでも「こちらが望むなら」と、ほとんど間を置かず決めたらしい。

 

「はい!」

 

 表情は見えなかったが、満面の笑みで、いつもの無垢な微笑みを浮かべて返事したのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

173話

総括(後編)です。短いのでほんとは前話に捻じ込みたかった(睡魔に敗北)


 

 子供の成長は早いものである。

 

「約束したの」

 

 一年も会わなければ、姿や顔立ちはまるで別のものになる。

 ましてや心などというものは、数日目を離した隙に変わってしまう。

 

 それが分かっているから、なるべく一緒にいようと心掛けてきた。

 時間に縛られる身ではあるが、愛しい我が子のためなら、可哀想な我が子のためなら、何を難しく思うことがあるだろうか。

 

 しかしこの地なら、ゆっくりとした時間が流れているからこそ、急に変わってしまうことはあるまいと油断していた。

 この子の心はいつまでも幼く、清く、無垢なままであると、そんな幻想を抱いていた。

 

「約束したの、また会いに来るって」

「イフィ……」

 

 それはきっと間違いで。

 久しぶりに見る愛娘の表情は、ほんのひと月前に面会した時からは考えられないほどに濁っていた。

 

 

 

 

 二ヶ月前まで、ここにはかの精霊たちが訪れていた。

 

 名目は、【圧縮】を覚えていただくため。

 嘘ではないだろうが、それ以外の準備を含め時間が必要だったのだろう。

 

 名家の人間なら誰でも彼女らの滞在を知っていたわけではない。私は娘との関係上、たまたまだ。

 イフェイオン。可哀想な私の娘。

 

 期間中、一度はイフィと面会をした。

 自分の立場だけに、精霊達の所在を知っているというアドバンテージを完全に無視することはできなかった。(そもそもほぼ毎月会いに来ているわけだが)

 イフィが彼女らと友好的な関係を築けているのは、学園都市の貴族としても、あるいは一人の子供の親としても嬉しいことだった。もともと無邪気な子だったが、同年代の友人ができて笑顔が増えた。

 

 彼女らが止まり木を飛び立ってからも、再度イフィに面会した。

 流石に少し寂しそうにしていたかもしれない。無意識なのか、「あーちゃん」の話題を出すこともしなかった。

 その時は、彼女なりに惜別を消化している最中なのだと思っていた。

 ……いや、いまも最中なのだろう。しかしその結果が、いわゆる()()とは違ったのだ。

 

「お友達も忙しいのかもしれないよ。なにせここは学園都市だ。学べること、やれることは無数にある」

「あーちゃんもそう言ってたね。最初のひと月は生活が落ち着かないだろうから、って。……でももうふた月過ぎたよ?」

「ふた月くらいなら──」

「ううん、会いに来るもん。あーちゃんだから」

 

 子供の駄々と耳を貸さないのは簡単だ。特に、私は親バカに部類するだろうから何でも受け入れてしまわないように自制する必要がある。

 しかし、イフィの発言には妙な確信があった。寂しさを喚くとは違う、信頼に近い感情があった。

 「あーちゃん」とイフィの当人同士の関係までは掴めていない。初めて見せる娘の大人びた表情に、いつになく私は動揺していた。

 

「……どうしてほしいんだい?」

「あーちゃんを助けてあげてほしいの」

「助ける?」

「うん。会いに来れないくらい何かに困ってるんだと思う。怪我をしたのかもしれない。悪い人に捕まっちゃったのかもしれない。それならパパ、あーちゃんを助けて」

 

 これはまた突飛な話になったかもしれない。

 まず学園都市内で森人を危険に晒すこと自体あってはならないことだ。もしそんなことになった場合、責任者の首は簡単に飛ぶ。

 だからイフィの心配は杞憂なのだが、それを笑い飛ばしてやるほど私は彼女らの動向を追えているわけではない。

 

 彼女が11区にいたことは、11区に住む人か、あるいは森人の動向に気を配っている者ならば誰でも知っているだろう。

 しかしそれ以上の細かいことを知るには、学園長の統制に背いてグレーな行為に手を染め続けなければいけない。派閥としては学園長に従順な立場である私にとって、あまり実行したくないことであった。

 

 そして、以前の転送門事故。

 あれは酷い出来事だった。しかしその記憶が鮮明に残っているからこそ、私はイフィの憂慮を否定できなかった。

 

 なぜなら、私の知る限り、転送門があのような事故で止まったことはないのだ。

 数百年単位の話である。ならば、「今しか起きえないこと」が起きてもおかしくない。

 そして今の学園都市でいちばんの特異点として存在するのは────森人だ。

 

「分かった、任せてイフィ。まずは様子を見てくるよ」

「……いいの?」

「うん。十二名家筆頭として、イフィのお友達を全力で助けるね」

「ひひ、ありがとうパパ、だいすき!」

 

 今日初めて見る娘の年相応な笑顔につられて微笑んだ。

 この子以上に可愛い生き物って存在するんだろうか。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ここは白妙の止まり木。

 学園都市を作った魔法使いたちの血を継ぐ十二の名家、あるいは後から加えられたいくつかの家。これら有数の貴族にのみ立ち入りを許された揺り籠。

 

 名家の人間は、その血筋ゆえに類稀なる魔法の力を持って生まれることがある。

 しかし、だからこそ反作用のように生存能力に重大な欠陥を抱えてしまうこともままある。

 そのうち一部は成長に伴い普通の生活もできるようになるが、多くはそこまで体が保たず死んでしまう。

 

 彼らが少しでも長く生きられるようにと、危険を排除し、社会から隔離し、莫大な資金を以て運営されるのがこの止まり木であった。

 

 その性質ゆえに、一部の者たちからは「墓場」と蔑まれている。

 

 

 

 




よく分からない争奪戦が始まります。

殿下陣営「宝は既に我らの手に!」(内部侵食)
ストーカー「女王様お救いいたします!」(勘違い)
パパ「娘の友達なら助けてあげるね!」(勘違い)

争奪戦……?
とりあえずはこのメンツで争っていただきます。
がんばれ〜


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

争奪編
174話


いつも言っている通りプロットがありません。
対戦お願いします。(たすけて)

そんなわけで新章です。


 気だるさと安心感を共に抱いて目を覚ます。

 身の望むままにもう一度眠りたくなるような感覚を覚えるが、カーテンの隙間から差し込む朝日に気を取り直しなんとか体を起こした。

 

 安心感の正体は、天使のような寝顔の少女。抱きしめたまま眠っていたらしい。

 気だるさの原因もまた、同じ少女。昨夜も悪魔のように淫らにコルキスを嬲った。

 

 その時のことを思い出して反射的に身震いする。それと同時に、下腹部がどうしようもなく疼いた。

 なまじ精神力が強いだけに、完全に気をやる直前までのことをコルキスは覚えてしまう。

 夢心地で乱れることができたらどれだけ楽だろうか。抗い、葛藤し、屈辱と背徳に脳裏を埋め尽くされながら、心は歓喜で満たされてしまう。その全てを知覚し、記憶してしまうのは、逃れようがなかった。

 

 決して望んで抱かれているわけではない。

 今日こそは抱くのだと。少女の心を屈服させるのだと意気込み、寝室で雰囲気を楽しみながら会話していると、いつの間にか気持ち良くしてほしいだなんて気分になっているのだ。

 少女の話術が巧みとまでは思ったことはない。祖国の伏魔殿には、もっとタチの悪い誘導を気づかせず狙ってくる貴族もたくさんいる。

 

 ふと、今ならば好き勝手できるのではないだろうかと考えた。

 少女はまだ眠っている。寝込みを襲うのは卑怯に違いないが、このままでは自分が自分でなくなってしまうと言う焦燥感の方が優先された。

 少女が自分の宝であることは間違いない。しかし、宝とは所有物だ。コルキスはいま、己が少女を支配(所有)しているのか、少女が己を支配しているのか曖昧になっていると感じていた。

 

 少女に頭部を触れられると抗いようなく屈してしまう。

 ならばと少女の両腕をまとめ、左手でその手首を頭の上側に押さえた。右手と口で優しく愛撫をすると、眠り姫は眠ったままたちまちに蜜を溢れさせる。

 

「……っ❤︎❤︎ は、…………っ❤︎」

「なァ、こんなクソ雑魚■■■じゃねえか……なのにさァ」

 

 弱い部分ももう過分なほどに知っている。いや、知らなくたってこの少女を達させることくらいなら誰でもできるのではないかと思うほどに感度が高い。

 声が漏れ始めたあたりで右手でねちっこく掻き乱すと、腰を上げてつま先まで足を伸ばしながら少女は痙攣した。指を包む肉が意思を持っているかのように不規則に収縮する。

 

「……??❤︎ ……ぉ、……ぅ?❤︎」

 

 寝ぼけ眼でありながら、少女は意識を滲ませた声を漏らした。

 状況が理解できていないのだろう。疑問符を浮かべながらの喘ぎであった。

 

「おはようございます、アンブレラ様」

 

 コルキスはその場に似つかわしくない上品な微笑みを浮かべる。

 女の身の回りの人々、特にファンを名乗っているような一部の層であれば卒倒してしまうような、そんな蠱惑的な笑みであった。

 

 その笑みを向けられた少女もまた。

 視界に映るのがコルキスであると理解するやいなや、表情をゆるりとほころばせ、子供が親に向けるような無垢な笑みを浮かべた。

 

「おはよう、ございます……❤︎ えへ、■っちゃいましたぁ」

 

 ──その瞬間。

 

(嗚呼)

 

 胸中に去来するのは、際限なく溢れる愛情であった。

 

 乱暴に犯されたのだから、怒ればいい。驚けばいい。悲しんで、コルキスのことを嫌ってしまえばいい。

 そのほうが支配のしがいがある。

 

 それなのに、コルキスを視界に収めたことを喜ぶかのように笑顔を浮かべ、健気にも言いつけを守って絶頂を報告して。

 気味が悪い。何もかも委ねたくなるほどに。自分の全てを曝け出したくなるほどに。

 君が悪い。壊されてしまった。愛さずにはいられない。

 

 手首を縫い止めていた左手を外して、アンブレラの首元に顔を埋めながら抱きしめた。

 柔らかく心の安らぐ香りに包まれながら、涙をぽろぽろと染み込ませる。

 

「好き。好きです。大好きです、アンブレラ様……。言葉では、伝わらない。抱きしめても足りない。逢瀬も、愛撫も、口付けも、きっと子供を孕むことすらも、足りません。ひとつになれたら、このまま溶け込んでしまえたら、どれだけ嬉しいか」

「怖い夢でも見ましたか? ふふ、最近は少し泣き虫なのですね」

「あなたが悪い」

「……そ、そうなのですか? 申し訳ありません……」

「……好き」

 

 食べてしまいたい。あるいは、食べられてしまいたい。文字通り。

 アンブレラを抱きしめるたびに何度も思ってしまう。でもきっと食人(それ)も本質とはまた違う。限りなく近いけれど、愛の近似止まりだ。

 

「好きです。アンブレラ様。大好き。好き」

「……ふぁ……っ❤︎ ……んっ❤︎」

 

 耳元で、今まで出したことないくらい甘い声で何度も何度も囁いてみる。

 アンブレラはくすぐったそうに喘いでいる。これだけで感じるらしい。

 

 ふと、アンブレラが流し目のように横目でこちらを伺っていることに気がついた。

 なんだろうと思うが、アンブレラが頬を上気させて少し嬉しそうにしていることしかわからない。

 

「……きれい、です。こういうしあわせもあるのですね」

 

 嗚呼、なるほど。

 快楽を「視れる」少女には、今のコルキスの快楽も視えているらしい。

 

「ええ。幸せで、とても気持ちいいです。それこそ、絶頂以上に」

 

 人体が生体反応から生み出す快楽と、心が生み出す快楽。

 そのどちらもが同じ体で起こることならば、あるいは本質からして同じであれば、どちらの快楽がより優れているというものでもないのかもしれない。

 

 もうこの少女を手放せない。離れられない。

 最良の日々は過ぎ去ったとばかり思っていた。事実、母上が殺された時失ったものだ。

 

「アンブレラ様。私から、離れないで。ずっと側にいてくださいね」

 

 誰にも奪わせない。

 祖国にも、学園都市にも。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

175話

 

「コルキス様。記憶、戻りました」

 

 コルキスが帰宅するなり、執務室で待ち構えていたアンブレラは警戒心をあらわに宣言した。

 おや、と少しの動揺。想定の内ではあるが唐突な展開に、初動を間違わないべくすばやく相手の様子を観察する。

 ネグリジェやゆったりとした部屋着とは違い、11区の制服を着込んでいる。肌面積の少なさは防衛策として間違ってはいないのだが、袴の上に乗るように強調された胸で台無しだ。

 記憶は統合される形で残ったのだろう。やんわりとした拒絶は、逃げ方も分からないから交渉でどうにかしようという魂胆だろうか。この少女に交渉ができるかはともかく。

 

「まあ! それは良かったです、12区にいるアイリスさんにもお伝えしないと」

「……ち、近付かないでください!」

 

 手を合わせてニッコリと微笑みながらアンブレラに寄ると、気弱にこちらを睨みながら少女は後ずさる。

 騙された、と感じているのだろう。しかし残念ながらこの部屋の出入り口はひとつなわけで、後ろに下がるほど追い詰められるというものである。

 

「どうして、あんなこと」

「あんなこと?」

「その、えっちな、こと……」

「そんな、私はただアンブレラ様と仲を深めたかっただけです……」

「え、そ、そうなんですか……?」

 

 恥ずかしそうに自らのされたことを思い出すアンブレラに真剣な表情で返事すると、疑念の目は維持しながらも少し動揺したようだった。この森人チョロすぎる。流石にもう少し疑え。

 「いやまさかそんなわけ……でも人間って……」などとブツブツ呟き始めた少女に一抹の不安を抱きつつ、よそ見はいけませんよと距離を詰めた。

 

 いつの間にか壁際まで追い詰めていたらしい。

 ハッと気付いて顔を上げたアンブレラは、壁とコルキスに挟まれて逃げ場を失った事実に表情を固くする。

 

「それで、アンブレラ様はどうされるつもりだったのですか?」

「か、帰ります! 11区に!」

「へェ」

 

 圧迫感のある笑みを作りながら問いかけると、少女は震える声で叫んだ。

 向こう見ずさ。負けん気の強さ。意志は強いが、考えなしで、交渉ごとに向かない性質。そんなところも愛おしくてただ相槌だけを打つと、アンブレラはびくりと怯えるように体を震わせた。

 

 少女の脚の間、袴を壁に押し付けるように膝を差し込み、右手を壁に付くと、顔と顔の距離はほとんどなくなった。

 森人の特徴的な長く尖った耳に口を寄せ、敏感なそこに囁きながら膝をぐりぐりと動かした。

 

「いいんですか、帰ってしまって? 気持ちいいこと(仲良し)できなくなってしまいますが、耐えられますか? ……もうこんなに、疼いてしまっているのに」

「耳、やぁ……っ❤︎❤︎ か、えりま……っ❤︎ んっ、ぁぁ……っ❤︎❤︎ かえ……っ、ゃだあ❤︎」

 

 布越しに、膝の辺りが熱く湿ってきているのを感じる。

 あんまりに弱すぎて心配になる。こうなるよう反射付けさせたところはあるけれど。

 

「囁かれるだけで、感じてしまうんですものね。えっちなこと、大好きですものね」

「ふぁっ、…………んっ…………んんっ❤︎❤︎」

「お膝でお股ぐりぐり、ぐりぐり、ぐりぐり……。ねぇ、ビクビクしましたね。そういう時はなんて言うんでしたか?」

「……っ、は、……ぁっ❤︎ …………、まし、た……っ❤︎❤︎」

 

 ほとんど頭が働いていないだろうに、躾けた報告だけはしっかりと返ってくる。

 その事実に薄く微笑んで、とろんとした目の少女と唇を重ねる。抵抗らしい抵抗はなく、舌を中に入れて(ねぶ)ると返事をするように舌を絡め返してくる。これもほとんど反射だろう。

 あっという間に陥落した意志の薄弱さに苦笑しつつ、口を離して「帰りたいですか?」と問い直した。互いの唇の間にかかる銀の糸のような橋がきらりと光を反射する。

 

 返事はない。

 しかし、代わりとでも言うように、小さな赤い舌が精一杯前に突き出された。

 

 嗚呼、都合がいいなァ。

 都合がいい。

 

 だからきっと、これは夢だ。

 

 

 

 


 

 

 

 

「……なんつぅ夢見てんだ」

 

 最悪の寝覚めだ。

 こうなったら楽でいいな、という自分の願望が多大に含まれている夢。可能性としてあり得なくもないが、最悪の場合は帰ってきたら館が吹き飛んでいることだってあり得るのだ。希望的観測といえよう。

 

 しばしの自己嫌悪。そして本来ならどう対応すべきだったかという分析がはじまり、次第に胸の奥の方から喪失を恐れる不安感が増してくる。

 不安。ただただ、今の状況から変わってしまうことが恐ろしい。

 現状維持が唾棄すべきものであることは分かっている。11区、特にアンブレラが生活していた環境の周りにシンパを配置するなど、外堀を埋める作業も片手間に進めている。

 

 前例のない記憶の失い方をしたということは、治り方だった前例をアテにできない。

 夢に見たような、唐突に治ってしまうことだってあり得る。

 その治り方も、記憶が統合されるのか、何かが失われるのか、まるで分からない。だから全てに備えておく必要はあるが、その分だけ心労と対策は苦しいものになる。

 

 このまま記憶が戻らずぬるま湯のような日々が続くのが一番楽だ。

 けれども、それではコルキスが本当に欲しいと思っているものは手に入らなくなる。

 あの写真を初めて見たときの、雷に打たれたような感情を忘れられない。

 

「……アンブレラ様?」

 

 側にアンブレラがいなかった。

 まるで目覚めて母親のいないことに惑う赤子のようだが、同じ床に就いたはずの少女を見失ったことに気が付いて、何かに駆られるように探し始める。

 

 どこだ。どこだ。どこだ。

 この不安感は夢のせいだ。分かっている。

 けれども、もしも記憶が戻って、捕まらないように魔法を使って逃げ出したのなら。

 

 どこだ。

 

「わ……っ。こ、コルキス様?」

 

 ほとんど服も纏わず、ローブだけ羽織って扉を開けた途端、ちょうど扉の取っ手を掴もうとしていたアンブレラと鉢合わせた。頬が上気していて、髪が少し湿っているように見える。

 

「アンブレラ様、どちらに?」

「ええっと……、その、昨晩はたくさんそ、粗相をしてしまったので、身を清めてきました。……その、間違っていたら申し訳ありませんが、部屋の外に出る時は服を纏ったほうが良いと聞きました……」

「あ、ああ、はい。すみません、寝ぼけてしまっていたようです……」

 

 絶賛記憶と常識が抜け落ちている少女に常識を教えられてしまった。

 コルキスのいる部屋の周辺は側近の侍女ら以外はやってこないので多少扇情的な格好だろうが支障はないのだが、服を着ろと言うのは至極まっとうなご意見である。

 

 ぼうっと立ち尽くしてアンブレラを見つめていると、少女は不思議そうに首を傾げた。

 その姿に、ほぼ無意識に抱きしめていた。それまでの不安感が少し薄れ、心が満たされていく感覚を覚える。

 

「コルキス様?」

 

 それでもまだ少し不安が消えない。

 小柄なアンブレラに対し覆い被さるように抱きしめている状況だったが、鼻先を首筋に沿わせ、首の横のあたりを強めに吸った。

 ん、と艶やかな反応が返ってくるが、基本的には為されるがままの少女。その首元から顔を離すと、白くきめ細やかな肌には、内出血で赤黒い跡がクッキリと付いていた。

 

「……ごめんなさい、ようやく少し落ち着きました。よくない、夢を見て」

 

 抱きしめた状態から手放すのも惜しいような気がしたので、くるりと回すように持ち上げていわゆるお姫様抱っこの状態にする。あわわと驚く少女だが、既に何度かやったことのある体勢なだけにすぐに腕の中に収まった。

 部屋に戻ると、そっとソファに腰掛けさせてやる。

 

 気持ちとしてはアンブレラは身を清める必要などないと思うのだが、少女自身が清潔さを好むのであれば口を出すべきところでもなく、その代わりのお願い事をコルキスは口にした。

 

「本当は、ひと時も離れたくありません。どこかに行くのなら、一緒に行きたいです。……ご迷惑ですか?」

 

 いいえと少女が答えるのは分かっていた。卑怯というか、しょうもない問いをするものだとも自分を恥じた。

 それでも生まれた願いに抗うことは困難だった。

 

 記憶を取り戻してしまうのなら、そのときは隣にいてほしい。

 嫌われる時も、拒絶される時も、あなたの心が動くとき、隣でその機微を感じていたい。

 

 これはきっと、恋なのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

176話

「あー、私の所属する研究室から手紙が届きまして」

 

 相談がある、と言って休日の午後に執務室を訪れたカンナはそう切り出した。

 

 コルキスにとって休日とは学外の執務をおこなう時間である。お国から指示された通りに学園都市の調査内容をまとめるなど、ソートエヴィアーカ王(クソジジイ)は体力面でコルキスのことを殺すつもりのようだ。

 その上文字通り命を狙いにくる弟陣営の間者も居たものだからやってらんねェと言いたいが、なんだかんだ仕事も刺客も処理できてしまっていた。腹立たしいのは、ソートエヴィアーカ王が捌けるギリギリを見極めて仕事を振っていそうなところである。試練を与える神気取りなのだ。あのクソは。

 そんな間者どもも丸め込んである程度落ち着いた環境を構築できた今だが、こういう隙に足場を固めなければならず、国の仕事も相まって休みの日は今日も返上していた。

 

 アンブレラのために捻出した三日という時間は実のところ非常に貴重なもので、だからこそ後ろの二日間弄ばれ続けたのは、時間の損失という意味でもアンブレラの籠絡という意味でも失敗だった。

 思い返すだけで腹が疼き顔が緩みそうになる。気取られぬよう、しっかりと表情を取り繕って向かいに座るカンナを見つめた。すっかりと作り変えられた脳の報酬系は既に反応を終えていたが、気の狂いそうなほど疼くそこは、応対が終わったらすぐにでもあの人に慰めてもらおうと堪えることができた。

 

「昨日届いていたものですね。相談しにいらっしゃったということは、そこに何か重大なことでも?」

「えっと、はい。まあその、私にとって重大なだけでコルキス様はどうでもいいと思われるかもしれませんが、その、簡単に言うと、帰ってくるなと」

「帰ってくるな……? たしかに11区への転送門は使えませんが、移動自体は馬車で数日あれば可能です。何かあちらの研究室で問題でも起きたのでしょうか」

「あ、いえ、すいません言い方が悪かったです。事故とかあるいは嫌がらせとかじゃなくて、どうもこっちのタゲリ教授のところと共同研究をするみたいで、丁度良いからそれやっといて、と」

 

 タゲリはコルキスの所属する研究室の教授である。

 変わり者の多い導師の中では珍しく穏やかで理性的な性格の好々爺で、王女であるコルキスが配属されるだけあって学園都市内での地位も高い。しかしレークシアという学園都市の黒歴史を紐解くようコルキスに仄めかすなど、いまいちその内面を掴み取ることはできていなかった。

 

 研究室内の繋がりは緩いものであり、職務のように何から何まで報連相が徹底されているものではない。

 そのせいか共同研究やよその学生が入ってくるという話はされた覚えがなく、コルキスは続きを促すように相槌を打った。研究とはある程度計画的に行われるものなのだが、「丁度良いからやっといて」は信頼されすぎというか、少し都合良く扱われすぎていないかとカンナが心配になる。

 

「胸張って言うことじゃないんですけれど、私はあまり研究のモチベーションが高くないので先生に勧められたテーマをそのままやることが多いんです。それで前までの内容は一段落ついてるから、次の内容どうしようかなって思ってたんですけど」

 

 カンナは学生としてはあまり褒められた部類ではない考え方をしているらしい。

 が、実際のところ学生の半分はこんなものである。さらに、学園都市の気風か3割ほどは意欲的であるものの、残りの2割に至っては研究はほとんどせず遊んでいることもある。

 

「……正直なところ、タゲリ導師は基本的には優しいのですが、研究に関しては結果を求める厳しい方でもあります。意欲的でないとなると、少し辛い思いをするかもしれません」

「あー、ですよね……。というかうちの先生が緩すぎると思うんですけど、なんでタゲリ導師と研究する話になったんだろう」

 

 己の思惑も混ぜつつ、しかしほとんどは本気で心配するつもりでカンナにアドバイスをした。

 アンブレラの依存先を自身に限定させたいコルキスとしてはカンナに帰ってもらうのが望ましいが、それを差し置いてもノリでどうにかなるほどタゲリは優しくない気がする。

 カンナの能力がどれだけ高いのかは分からないが、本当に優れた研究者というのは学生であっても名前が轟くものだ。カンナについてそういった噂は聞いたことがない。

 共同研究の足掛かり(成果よりもノウハウの蓄積が求められる役)とはいえ、やめといたほうがいいんじゃないかというのがコルキスの素直な感想であった。

 

「詳しいことはタゲリ先生に聞けって書かれてたのでそれも踏まえて考えるつもりではあるんですけれど、うちの先生にはかなりお世話になってるので断りづらかったりもするんですよね……世知辛い……」

 

 カンナが彼女自身の教授に頭が上がらないなどの事情もあるらしい。

 ほとんど受け入れるつもりなのだろう彼女は。

 

 そうなると、口には出されていないが、彼女が本当に相談したいことは別にある。

 つまり、住まいの話だ。

 

 元々は10日程度の予定だったのが、12区(アプトナディティス)への訪問などで日数がなあなあになり、結局一ヶ月以上が経過している。

 ほとんどは向こうにいたわけだからそれについて文句はない。むしろ、一介の学生であるのに奔走してくれたことには感謝すべきですらある。学園都市(レントリリー)がどう考えてるのは知らないが。

 もうそろそろ帰りますという話もしていたし、円満に送り出せる雰囲気が整いつつあっただけに、9区への滞在期間延長というのは苦い顔をしたくなる。

 カンナは適当に経費で宿代を賄うつもりかもしれない。が、コルキスが快く滞在期間の延長を申し出てくれるのを期待する気持ちもあるのだろう。

 

 研究室の話など他愛ない会話で間を繋げつつ考える。

 先も述べた通り、基本的にこの少女は邪魔だ。倫理的にも、流石にこれ以上は面倒見きれないよと叩き出しても問題ない。

 しかし躊躇してしまう理由の一つに、コルキスの外面があった。

 これが一般家庭で面倒を見ているならともかく、コルキスは王女で、この館はソートエヴィアーカの資産だ。直近まで住まわせていて、今後も同じ研究室の一員となるかもしれないというのに「もう面倒見れません!」と言ったとなると、「ソートエヴィアーカ結構カツカツなのかな?」と学園都市の肥えた豚たちが首を傾げる。

 また、コルキス自身が「慈愛に満ちて懐の広い王女」という宗教でも開けそうなイメージ戦略で日々を演じているだけに、そこに邪推の余地を生ませたくない。

 

「ところで、その」

 

 突然、話をぶつ切りにしてカンナが口を開いた。

 一旦思考を止めて、切り替わる話題の方に注意を向ける。

 

「その、あー……、なんというか、そこのアンブレラ、重くないですか? 大丈夫ですか?」

 

 カンナはコルキスの太ももに視線を向けた。

 三人は余裕を持って座れそうなソファがローテーブルを挟んで向かい合い、コルキスとカンナもまた向かい合って座っている。

 しかし、コルキスの上には最初から──カンナが執務室に入室した時点からずっと、一人の少女が太ももを枕にすうすうと死んだように眠っていた。

 あぁ、ツッコミ入れるんだなァとコルキスは意外に思う。なにせ、これまですべてスルーされていたわけだから。

 

「カンナさんがいらっしゃる少し前までは起きていらっしゃったのですが、やはり未だに唐突な入眠をしてしまうようです。申し訳ありません、人の応対をする態度ではありませんよね……」

「いえ、事情は想像つきましたし、礼儀で言えば私なんて敬語がボロボロなので気にしないでほしいんですが……ただそろそろ数十分話しているので、足が痺れてしまうのではと心配になっただけです」

「ご心配ありがとうございます。相変わらずお優しいのですね」

 

 謝罪と御礼、真っ直ぐに微笑みかけると、光に当てられたカンナは顔を赤くして「へっ、へへっ」と笑いのような何かをこぼした。淑女らしからぬ笑いだが不快感はなかった。

 実のところ膝枕をしている説明には一切なっていないのだが、誤魔化せたようである。チョロい。

 

 触れている部分から魔力が染み込んでいるのか、コルキスの下半身には常に微弱な快楽が走っている。

 それでも眠る少女に枕してやりたい感情のほうが優先された。常に内壁をゆっくり撫でられているような快感に悶えながらも、おくびにも出さずにカンナとの会話を続けているのである。

 

 膝の上で眠るこの少女がいなければ、まともに生活もできないくらい体と脳を壊されてしまった。

 それでも愛おしい。それだからこそ愛おしいのかもしれない。体に必要な栄養素を求めるように、根幹的な部分まで少女に依存してしまったのかもしれない。

 良いことだとは思わない。それでもこれが秘宝を手にした代償なら、すべて抱えて生きていく。

 

 すっかり気持ちが昂ってしまって、カンナがいなければこのまま眠るアンブレラの耳元で愛を囁き始めたいくらいに胸の奥から愛情が溢れてくる。

 辛い。苦しい。この衝動に抗うことはまさに不幸だった。

 好きですと一言、届かない耳元に囁ければいいのに。……きっと一言では止まらないけれども。

 やっとの思いで、そっと右手で頭を撫でた。そこまでに控えた。こんなことですら誰かと会話している時にするものではないが、カンナはそのことについて何も言わなかった。

 

 カンナは邪魔だ。

 けれど、嫌いなわけではない。

 むしろ好ましい。

 

 愚かでなく、しかし口うるさく干渉してくるわけでもない。

 世話焼きな性格だが、自分の代わりに誰かが世話役をやるなら一人で過ごすことを選ぶ孤独体質。

 何より、正直だ。嘘をつけないと言ってもいい。

 それは彼女の芸術家気質な内面に由来するのだろう。

 

 嘘吐きに囲まれて生きてきたコルキスにとって、信用とは文字通り腹の中まで自分で確かめた侍女たちだけに向けるものだ。

 しかしこの少女は、悲しいほどに嘘がつけない。信用とまではいかないが、扱いやすく、また裏切る時も明確に判別しやすい良さがある。

 だから、カンナ・アルタイズは、非常に好ましい邪魔者だ。

 

 まァ、いいかと思いかけたタイミングで、夢を見ているかのように焦点の合わない目をこちらに向けてカンナが口を開いた。

 

「あの、足がしばらく平気なら、描かせてもらってもいいですか」

 

 そう言って懐からスケッチ用の筆記具を取り出す。

 あまりの唐突さに、コルキスは思わず目を丸くして固まってしまった。

 

「……ふふふっ。ねぇ、カンナさん」

「あっ、す、すみません! いいわけないですよね! あーあー、この口と体が勝手に!」

「ふふ、いえ、構いませんよ。9区にいる間、どうぞこれからも我が家で過ごしていってください」

「あ、良いんですか? じゃあ遠慮なく……」

 

 おそらくは、絵を描くことの許可しか聞こえていなかった。

 許可が出るなり()()()と集中してペンを動かし始めた少女は、数回ストロークを描いて、ゆっくりと動きを止めた。

 

「わぇぅ!? 良いんですかァ!!?」

 

 素直で、嘘がつけない。

 こういった手合いは心酔させれば非常に使いやすい駒になる。

 

 そんな名分を己に言い聞かせるように唱えて、コルキスは微笑みを返した。




白猫が傘の腹の上に寝に来て殿下と睨み合う展開もありましたが、よく考えたら乗った瞬間に絶頂する猫が生まれてしまうのでカット。
でも多分既に傘の自室に忍び込んで絶頂した猫はいるんだと思う。猫と人の快楽の仕組みが同じかは知らないけど……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

177話

10月やや忙しいのと、流石に多少真面目にプロット考えてる最中なのが相まって、更新遅めになっております。


 学区を越えた研究というものは基本的に行われない。

 移動の問題もあるが、それ以上にそもそも学区が近しい研究領域ごとに分かれているからだ。

 

 カンナやレインが暮らしていた11区は、大きな分類で言えば工学系の分野を専門としている。初代の11区学区長、つまり古の魔法使いの一人のうち、最も魔道具の発明に長けていた者が切り開いた分野だ。

 現学区長は馬鹿みたいな魔力の溢れ方をした森人がやってきたと聞いて恐れ慄いた。が、その時に「【圧縮】でも覚えない限り絶対うちの学区に入れない!!」といった宣言をしたのが逆に言質となり、気付いたら受け入れ先筆頭になってしまっていた。

 

 コルキスの館のある9区は社会科学全般を扱っている。いわゆる経済や法律だ。

 しかしこの学区の一番の目的は貴族間の交流にあり、社会科学でさらに理論的な内容に踏み込みたい場合は他の学区へ行くだろう。

 そんな事情もあって口さがない者はサロン区だのお茶飲み学科だの悪態をつくのだが、不思議なことにそういった者らはいつの間にか学校を中退して前線での戦闘参加を希望しているそうだ。やはり、社交などという偽りに怒りを覚え、本当に困っている戦禍の中心へ飛び込みたくなるのだろう。なんと立派な志か。

 

(さて……、それだけに11区と9区で協力し合えるような旨みも本来は無いのだがね)

 

 コルキスの所属する研究室、その室長であるタゲリ導師は先日届いた手紙の内容について思いを馳せていた。

 

 協力した研究体制の誘い。

 もちろん、学園都市は魔法の研究に情熱を燃やす人間の集まりであるから、必要であれば強力はやぶさかでなかった。

 ただまあ流石になんだもかんでも頷くものではないし、多少の損得、あるいは面白みのある研究かくらいは見定めたいものである。学園都市内の派閥闘争にでも巻き込まれたらたまったもんじゃない。

 そして、その手紙の中身は、実際にタゲリを唸らせるだけの熱量を持っていた。

 

『ドローネットの協力を得て、そちらで実りのある研究をしてみないか?』

 

 要するにこれだけのことを言っていた。

 うちの学生が彼女と仲良いから、しばらくそっち滞在するついでに何かやってみたらどう? というだけの単純なメッセージ。なんなら、大事なのは森人の存在であって、お互い相手が何の研究をしているのかどうでもいいのだ。

 

 この淡白な提案だけを綴ると、相手もこちらもさぞ悪いことを企んでるように感じられるかもしれない。

 しかし、タゲリは納得できてしまうのだ。別に、利用するとか人脈作りとかとは違う次元で、()()()()()()()()。聞いてみたいことがたくさんある。

 父親の部屋で見つけた官能書のような。いや、なんかもう、手の届く距離にあるとなると急に気になり出すアレなのだ。

 

 しかし、流石にもう年が年である。

 教え子たちの前でワクワクしてみせるのは恥ずかしいし、できれば無表情を取り繕って学生たちに良い感じに仕上げてほしい。

 

 相手の研究室から研究内容の要望はない。

 研究室の学生一人に伝えてあるから、受けるにしろ断るにしろその子と話して、とのこと。(流石に文面上ではもう少し取り繕った書き方がしてあるが大意はこうである)

 

 カンナという学生とドローネットは共にコルキス嬢の元で厄介になっているらしい。

 どんな繋がりだろうか、と考えるが流石にひとつに絞り込むまでには至らない。しかしまあ、近頃コルキス嬢の雰囲気が変わった原因ではあるのだろう。

 

 

 

 

 休み明け、カンナを連れて研究室にやってきたコルキスにやんわりと話を通してみる。

 

 森人の名前を出した瞬間放たれた殺気に、おじいちゃんの膀胱はほんの少しだけ耐えられなかったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

178話

生きてます。進む方向は決めました。
争奪戦の実質的な第一話。

・前回までのあらすじ
殿下と傘がイチャイチャしてた


 ソファに座った少女が空を見上げている。

 

 窓の向こうは海よりも深い青で澄んだ空が広がっている。

 

 手を伸ばすでもなくただ見つめる姿からは心情を量ることができない。

 深窓の令嬢が瞳に映す空に、羨望以外のどんな意味があるだろうか。

 

 浮世離れした容貌は空間を芸術品に仕立て上げていた。

 つまり、人でなかった。現実に存在する生き物でなく、偶像としてのなにかが息づいていた。

 どこかに行ってしまいそうだ。羽を生やして、空へ溶け込んで。

 

 いいや、どこかに行ってしまうのだろう。

 それが明日なのか私が死んだ後なのか、決まっていなくとも。

 

 しがみついて、縋りついて、なるべく長く側に置こうと閉じ込めるのは、浅ましくはないだろうか。

 これを愛ゆえの臆病などと胸張れるだろうか。

 

 空なんて見ないでほしい。

 私だけを見ていてほしい。

 

 そんな思いで横から抱き着くと、少女はくすぐったそうに色気のある声を漏らして、こちらに気が付いた。

 首元に顔をうずめると、思考が蕩けてしまうような甘い蠱惑的な香りに包まれる。そこで深呼吸をすると脳が妙な多幸感で満たされた。

 

「……んっ。コルキス様、お疲れのようですね?」

「あァ──いえ、はい。タゲリ導師と少し口論になってしまいました」

 

 触れている部分がじんわりと熱を孕む。

 どこまでが自分の純粋な感情で、どこからが少女の力に引き起こされた幸せなのか判別が付かなくなるのは少し受け入れ難い部分がある。

 こういったある種哲学的な問題からは目を逸らしたかった。それを考えるのは嫌いじゃないが、政治と哲学は少し相性が悪い。本質を重視するあまり、目の前の民の苦しみを理解できなくなってはいけない。

 

「タゲリ導師……コルキス様の先生ですね。とても尊敬できる方だと聞いていますが」

「そうですね。ただ、あの方も学園都市の導師であったからこそ、私とは考えが合わない部分もあるようです」

 

 アンブレラを巻き込んだ研究をする。

 これに忌避感を覚えるのは、アンブレラのみの安全のためなのか、自分の欲望のためなのか、ソートエヴィアーカの代理人としてなのか、判別が付かない。

 

 もちろんすべての理由が当てはまる。しかし、その中での比重に個人的なものが含まれていないとはとても言えない。

 

 まず、学園都市は既に一度失敗した身である。

 その上学園都市の研究はいささか過剰なものも多く、成否や安全性には不安がある。

 そんなところの研究に関わらせるくらいなら、まず記憶を取り戻して、その上でゆっくり静かに生活させるべきだろう。

 そう。そもそも今は失敗を引きずっている最中なのだから、最低でもアンブレラの状態を事故の前まで回復させてから話をするべきなのだ。

 

 とまあ大義名分はそんなところで、学園都市である程度の立場を持つ人間ならこれには閉口するしかないだろう。

 自分のところの失敗を根拠に出されて無視できるほど面の皮の厚い人間は、この国にはきっといない。

 

「……魔法の練習をしていました」

 

 机に開かれた書籍の方向にぼんやり顔を向けていると、視線を察してかアンブレラが口を開いた。

 彼女が興味を持ったようだから学ぶ手段を用意したが、ヒトに向けて書かれた魔導の指南書を読んでもどうにも身に付かなそうだ。

 

 学園都市に来る前の道中で魔法を扱っているのは目にしたが、まさしく摩訶不思議な法理の技であった。それを私が説明しようとすれば困難を極めるだろう。

 学園長(レントリリー)ならばあるいは、という予感がよぎったが気付かないふりをした。

 

 今のアンブレラに扱える魔法はおそらくひとつである。

 人に「幸せ」を与えること。

 魔法と呼んでいいのかも分からない。けれど、それを教えたのはきっと私自身だ。

 

 親が子供に言うようなそんな比喩表現としてではなく、もっと物理的な、もっと強制的なものとしての「幸せ」を与えることができる。

 「幸せ」とは、結果から言えば性的快楽のようなものなのかもしれない。

 けれども、それよりも穏やかな「幸せ」も、あるいはそれを大きく超過して人の心を壊してしまえるような「幸せ」も、彼女の魔法は与えられる。

 

 触れる、という条件さえ満たしていれば。

 

 もしこの条件がなければ、範囲にもよるが、一つの学区くらいは簡単に制圧できてしまうかもしれない。

 快楽と依存性の強さはほとんど等価の関係にある。彼女が出力を上げてすべての人々の脳を焼き切ってしまえば。

 

 少なくとも、アンブレラの世話をさせた侍女たちはみな心のどこかを奪われてしまった。

 それを厭わない私自身もまた、酷い依存症だ。

 私とヴィオラは、あの三日間で念入りに脳を焼かれてしまった。

 

『まあ少なくとも、ハニートラップや男娼に(まつりごと)を狂わされることは今後無くなったでしょうから、免疫がついたと前向きに捉えることもできますね』

 

 とは側付き(ヴィオラ)の言である。

 それは狂わなくなったのではなく既に狂った後なのでは?と思ったが、悪意ある者に誑かされるよりはたしかにマシなのだろうか。

 アンブレラは悪意がないからこそタチが悪く、また一番理想的なのは誰にも誑かされないことだったのだが。

 

 狂わされたことを自覚してなお「正気」でいられたのは、かつて自らに据えた、さらに根底にある指針のためであった。

 つまりは、「為政者でいられなくなれば、死ね」と。

 

 

 

 


 

 

 

 

 母上を殺した者たちを捕らえたとき、私は自ら尋問を行った。

 

 いくら帝王学を受けるとはいえ、尋問の方法までは修めない。

 書庫から引っ張り出した内容の怪しい参考書を片手に、幾人かは練習台にするつもりで臨んだ。

 

 知恵の回る子供だった。

 だから、自分の追い詰められた立場は理解できていて、母上が殺された時に心はすっかりと冷え込んでしまった。

 今ほど鍛えていなかったから力こそ足りていなかったが、躊躇のない分、刃は肉に深く沈み込んだ。

 

『おはようございます。泣き声くらいは聞こえていたかもしれませんが、今日から貴方の番です』

『あ? ガキじゃねえか……って、オヒメサマご本人か。ははっ、ウケる』

 

 私自身は、己が決定的に変わったのは母上の死を契機としたものだと思っている。

 

 けれども本当は、このときの尋問こそ本当の契機だったのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

179話

『もう勉強飽きたぁー』

 

 幼い頃の私は、市井の子らと変わらず生意気で甘ったれた姿を身内に晒していた。

 

 要領は良かったから内と外での態度は使い分けていた。

 特に、当時は私一人しか跡取りとして表に立てる人間がいなかった(弟は幼児であった)ため、普通よりも社交の場に立つことが多かったように思う。

 

 それだけに、後宮での姿を知らない者からは最高傑作という評価すら受けたことがある。

 才気に溢れ、私自身それを自覚していたから表情にも自信が滲み出ていたことだろう。

 一部の保守的な立場からは男児であればという声もあった。歴史上女性の王はそう多くない。酷い失敗をしたというわけではないが、国が栄えた時代の王は、時代柄か強い男が多かった。

 

 ただ、実のところ、子供がそうやって「子供らしい」姿を晒すのは、子供が子供で在るからということ以上に、周りが子供に「子供であること」を求めるからという要因の方が強い。

 だってそうだろう、子供らしくなければ気味悪がられるのだから。

 大人が社交界で気障ったらしく振る舞うように。老人がいつの間にか一人称を変えるように。

 「個人」というものの大部分は、己が決めたことよりも環境で決まったことの方が多い。

 

 だから、母上を喪った私は、その環境の変化に合わせて在り方もガラリと変わった。

 誰も私に子供であることを求めていなかった。

 それを察知できてしまうだけの勘の良さが備わっていた。

 

『俺ぁ話すのは好きだぜ。なにせ普段は一人仕事ばかりだからな』

『そうですか? こちらの手を煩わせないのであれば助かります。ではまず、普段の仕事について教えてください』

『いいぜ。でも俺が話したらアンタのことも教えてくれよ。オヒメサマってのは普段何をしてんだ?』

 

 その男はほとんど裸同然で拘束もされていたというのに、実に自然体で過ごしていた。

 目隠しをされた上で声だけで私を判別できていたあたり、やはり諜報の類の人間なのだろう。

 

 本によると、尋問官の選びうる択は「質問をする」か「苦痛を与える」の2つのみであった。

 どの本も基本的に尋問中の会話は最小限に留めるようにとあった。おおよそ情を生まないためだろう。

 その上で、この男が今提示したような「会話と引き換えに情報を提供する」という条件にどう反応すれば良いかまだ未熟な私には判断できなかった。

 

 よく分からないので、爪を一枚剥がした。

 振り返ってみれば、私怨混じりの尋問だったのだ。拷問と呼んで差し支えない。

 結果的な対応としては正しいのだが、結果までの経緯は望ましくないものだったろう。

 

『……っ、てぇ……。へへ、爪の手入れが得意ですってか? そういえば貴婦人の方々って爪が綺麗だよなぁ。目隠しを解いて見せてやくれないか?』

『……普段の仕事について教えてください』

『構やしないって。だから目隠し解いてくれよ。綺麗な御尊顔を拝みてぇんだ』

 

 なぜこうも学ばないのだろうかと不思議に思った。

 こちらの問いに素早く答えなければ痛みが増えるだけなのに、なぜと。

 

 だから、もう一枚爪を剥いでから、一拍置いて目隠しを解いた。

 この男からは交渉しながらの方が情報を引き出せるかもしれない。

 

 眩しさを堪えるように薄く目を開いた男は、一目こちらを見て口を開く。

 

『嗚呼。やっぱり綺麗だ』

 

 男は比較的整った顔立ちをしていた。目つきは少し悪いが、浮かべた笑みはサマになっている。

 とはいえ、こちらは肉親を殺された直後で、悲哀と殺意、あるいは決意をドロドロと濁らせ、それを他者に気取られぬよう何重にも仕舞い込んだ状態である。

 出会い方によっては友人にでもなれたのかもしれないが、いま生娘のように顔を赤らめるというのは演技でもできなかった。

 

『んじゃあ、約束通り話そう。そうだな、俺ぁ普段──』

 

 少し意外だったのは、男が宣言通り情報提供しはじめたことであった。

 また軽口を叩いて、のらりくらりと尋問を躱していくかもしれないと想像していたのだ。

 

 そう重要な情報をもたらすわけではなかったが、こちらの知らないことも出てくる。

 連続する尋問に心が疲弊していた。楽に情報を得られるならそれに越したことはない。

 

『なぁ、なんでオヒメサマご本人がこんなことしてんだ?』

『それは……知る必要のないことです』

『いいじゃんか。もう分かったろう? 俺ぁ普通になんでも話すよ。どうせこの後死ぬんなら、可愛いお嬢さんとの雑談くらい許してくれよ』

 

 間者としてはどうなんだと思う発言もあったが、こちらの立場からはメリットしかない。

 少し気の抜けた私は、男が無駄口を叩くことを多少許していた。

 

『母上……自分の母親が殺されたのだから、自分の手で解決しようとするのは変なことでしょうか』

『なるほど、ね』

 

 このとき男は感慨深そうに頷いたが、浮かべていた笑みの理由は知る由もなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

180話

・前回までのあらすじ
ロリ殿下☆ごーもんちゅう!


 父上が言った。

 

『王を目指せ』

 

 母上が言った。

 

『王になりなさい』

 

 だから目指した。

 目指す意義も理由もなかった。

 

 それを蒙昧に目指す日々は、きっと最良だった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 男の身辺についてあらかた暴き終わった頃、雑談と化した尋問はある問いで一変した。

 既にここまで話したのだからと、私は半ば信頼すらして男に尋ねた。

 

『では、実行役は誰だったのでしょうか』

『……ック』

『……? どうしましたか。久しぶりな気もしますが、一枚いただきますね』

 

 間髪入れず爪を剥いだ。

 身悶えする男だが、口角は上がったままであった。

 

『……ク、ク。どう話すかなと思ってたけど、あァ、まあもういいか』

『質問には簡潔に答えてください』

『アハ、だからさ、俺だよ。俺が殺したんだ』

 

 なんでもないことのように薄笑いを浮かべて答える姿に、最初は脳が理解を拒んで停止した。

 数瞬経って理解したとき、頭の血管が切れて死んでしまうのではないかと錯覚するほどの眩暈がした。

 

『クヒャ、ヒヒッ、嗚呼その顔が見たかった。いやまぁご存じの通り死因は服毒だけどさ、渡したのは俺だよ。避妊薬ってな』

『避妊? 母上は──いや、母上が不貞などするわけ』

『してたけどな。まあ俺ァツラは悪くないし、話が上手くて床も上手いから』

『貴方が……っ』

 

 感情の濁流は止まるところを知らず、怒りと動揺から言葉は続かなかった。

 反射的に男の首を絞めていた手は、折る寸前まで力んでいた。

 一瞬我に返り手の力を緩めると、男は咳き込みながらも愉悦に顔を歪めて言った。

 

『そうさ! その顔だ。最高傑作サマのしょうもない姿が見たかったんだ俺ァ!』

 

 尋問を始めてから一番の笑顔で、しかし一番醜悪な笑顔を浮かべて、男は喜んだ。

 想像するまでもなく、男は性格が最悪なようだった。

 美しいものを歪めることに幸せを感じる性質を持っていて、捕まった時点でその目的はどれだけ私の心を壊せるかということにシフトしていたようだ。

 

『出会い方が違ったら、なんて少しでも思ってくれたかなァ! 信頼でもしたか? 何度か甘い言葉も吐いたけど、少しでも好意を抱いてくれたなら最高だね。嗚呼、母親もそうだった。10回も通い詰めたら簡単に抱けたよ。王族■■■チョロいなぁ!』

 

 男は続けてどれだけ母上の体が良かったかをしみじみと語ったが、知識はあっても年齢の追いつかない私にはほとんど理解ができなかった。いや、脳が理解を拒んだ。

 腰が抜けて、冷たい石の床にへたり込んだ。実のところ若い男と関わったことなんてなかったから、男の言った通り淡い感情くらいは生まれていたのかもしれない。

 それが、ドロドロとした何かに踏み躙られ、幼い身に受けるには余りある傷を刻まれた。

 

 ところが、怒りと恐怖で震えていた体が、ある一線を越した途端ピタリと震えるのをやめた。

 体は冷めていき、涙は跡だけ残して引いていった。

 

 防衛機制のように、体が心を守ろうとしたのかもしれない。

 そしてその体に備わっていた脳は、ソートエヴィアーカの史上最も優れていた。

 

『貴方に──いや、アンタに誑かされた母様は、結局人間だったんだな』

 

 ぽつりと呟くように言った。

 けれども男の耳には届いていただろう。

 私の言葉を、反応を、一字一句残さず楽しみにしていたはずだから。

 

『なァ、なんで私が最高傑作だのなんだの呼ばれるか想像できるか?』

 

『簡単さ、全部分かっちゃうんだよ』

 

 顔はほとんど伏せたままで喋っていたが、肌に伝わる空気の震えから、男が表情を変えたことを私に教えてくれた。

 期待していたものと様子が違うからと、怪訝な表情でも浮かべていたのだろう。

 

『アンタが今一番嬉しいのはさ、私がここで壊れることだよな。ショックを受けて、取り乱して……』

 

『分かるよ。うん。だから、それはしない。あァ、口調? これは単に……ヒトじゃないものに敬語使っても仕方ねェだろ?』

 

 男は苦々しい表情ながらも笑みは浮かべたままでいる。

 この感情も、分かる。

 男は気付いているのだ。どう言い繕おうとも、私のどこかは今この男に壊されてしまったということを。

 けれども望んだ方向に壊れてくれなかった。どうにも不満の残る方向に進もうとしている。

 

 嫌だよなぁ。今までは全部上手くいってたもんなぁ。

 嘲笑って人生終えれたら最高だったろうになァ。

 

 アンタの本性はわかったよ。

 人心掌握がお上手ですね。自分より能力が高い人間に()()のは初めてか?

 

『まあでもさ、やっぱ感情はあるから、誰も見てないこの場で発散するな? これは東の国でよくある手術らしいんだが、王の側近は発情期をなくすために去勢手術を施されていたそうだ』

 

 

 

 


 

 

 

 

 その後の尋問で男はめっきり口を開かなくなってしまった。

 せめてもの抵抗なのだろうか。それも分かってしまうけれども。

 

『で、指示したの誰? いやうん、聞いてみただけ。ハゲのリパーリアだよな』

 

 最初のうちは反応を見せなかったが、答え合わせをするかのように次々と秘密を言い当てていくと、だんだんと信じられないものを見るような目でこちらを見始めた。

 男自身からは核心的な情報は引き出せていなかった。それでも、男の出した情報と、それ以外の捕らえた者から得た情報で答えは得られた。

 

『本当はさ、尋問なんてわりとどうでもよかったんだ。ただまァ、やって良かったよ。進むべき道が決まった』

 

 汚い人間が沢山いることに気付いていた。

 浅ましく悍ましい精神の持ち主が蔓延っていることを分かっていた。

 

 それでも、優しく美しい世界で生きていた私は人を信じていたかった。

 それは最良の日々だ。何も知らずにいること。無垢なままでいること。綺麗なものだけが目に映る世界で死ぬまで生きること。

 

 母上が亡くなったいま、私の最良の日々は過ぎ去った。

 私はこれから、汚いものを直視して生きていかなければいけない。

 しょうもない生き物がいることを理解して生きねばならない。

 

『王になるための準備を手伝ってくれて助かったよ。()()()()()()()()()。これで人のために生きれる』

 

『大っ嫌いな人間(アンタら)が目一杯苦しむように、渋面を浮かべ続けていられるように、頑張ってこの国を幸せにするよ』

 

 

 

 


 

 

 

 

 執務をする手を止めて、机の引き出しから小刀を出す。

 刀身を剥き出しにして首に添える。手の震えはない。いつでも引くことができる。

 ただ、頭にはずっとあの人の姿と声が巡っている。

 

「ヴィオラ、私は甘くなったか?」

 

 少し緊張した面持ちでこちらを見つめていたヴィオラに、何気ない口調で問いかけた。

 ヴィオラは表情を殺した顔で、静かに尋ね返す。

 

「あの人と民、どちらかを失うとしたらどちらを選びますか?」

「……」

「即答できないのなら、変わってしまったのでしょう」

 

 反論の余地はなかった。

 なにせ、十分すぎるほどに自覚症状があるのだから。

 

「変わってしまったのなら、そのときに首を掻き切るつもりだったんだがなァ」

 

 変わること。それ自体は悪ではない。

 悪いのは、昨日の自分との約束を守れなくなることだ。

 

 生まれて、自我が芽生えた時から連綿と続いてきた「昨日の自分との約束」を破ること。

 明日(未来)の自分に託す希望と意思が蔑ろにされるのなら、今日の自分は安心して眠れないだろう。

 昨日(過去)を否定してしまうのなら、その人となりは薄くなり、何事も成せない弱さを得るだろう。

 

 まだ死ねる。

 まだ約束は果たせる。

 どちらを優先することもない。貪欲に、両者を己のものにすることを選べる。

 

 それでも、明日の自分があの人だけを選んでしまわないと信じることは、もうできなかった。

 

「これ、渡すよ。知ってるだろうが、少しでも擦れば私を殺せる」

 

 護身用と銘打っていたその小刀をヴィオラに投げ渡す。

 まあ実際護身に使えなくもないのだが、本当の用途は自害のためのものであった。

 竜の血を引く私だからこそ致死に至る、ある種の「毒」を練り込んだ刃。

 

「私がさっきの問いにアンブレラと答えるようになったら、殺してくれ」

「承りました」

 

 恭しく頭を下げる。

 こうして誰かを頼るようになったことも、きっと変化だ。

 

「お前が居てくれて良かったよ」

 

 いつでも私を殺せる、私の大切な従者。

 




(これな、本来2話前からひと繋ぎ1話で投稿する予定の内容だったんじゃ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

181話

アンブレラを表に出すべきだと思いますか?


 

 

 

 

「私個人としても、学園都市の一導師としても、森人の協力は喉から手が出るほど求めていますよ」

 

 タゲリは蓄えた髭を撫でながらそうぼやいた。

 

 女王(ドローネット)に言及したとき、あれほどまでにソートエヴィアーカの王女が激しい反応を見せるとは思っていなかった。

 仮に政治的な理由だけでドローネットを軟禁しているのなら、もっと温度のない、事務的な受け答えをするはずだ。自分の孫ほどの年齢の少女だが、コルキスが一端の為政者であるということは理解していた。

 であるなら、彼女がドローネットを抱える理由はもっと寵愛に近いものなのかもしれない。

 

「しかしまあ、コルキス嬢が保護することになった経緯を出されると耳が痛い」

 

 学園都市のインフラで事故が起きれば、それは学園都市の責任だろう。

 予測できるかどうかとか、そんな言い訳を全て抜きにして。

 政治というのは、そうした不可抗力の失態を押し付けあうことであるから。

 

古の森人(レークシア様)の時代に作られた転送門です。その技術を理解しているのはその時代の人間に限られ、今では学園長(レントリリー)様くらいのものでしょう」

 

 「誰も理解していない、よく分からないものを使うな」という話であれば、それは学園都市の特性上難しいものだ。

 魔導の研究とは、まさに「よく分からないもの」の連続であるからに。この国の住人は、よく分からないものに慣れ親しみすぎている。

 理論を重視する機械文明のソートエヴィアーカからは全く理解できないだろう。

 

 しかし、よく分からないままで良いと思っているわけでもない。

 よく分からないから知りたいのだ。

 

「だから、余計にドローネット殿を欲するのです。我々が事故と本当に向き合うには、彼女の存在が不可欠ですから」

 

 

 

 


 

 

 

 

「コルキス様の望むままになさるのがよろしいかと」

 

 修練場代わりの中庭で、木造りの剣を振りながら女従者は答えた。

 コルキスと手合わせする時はいつもこの場所だ。コルキスがどの程度戦えるかという情報は色々な意味でひけらかさないほうがいい。

 逆に、従者たちの訓練する場所はもう少し外から見える場所に配置されていたりする。威武を示す文化がソートエヴィアーカ式だ。

 

 イエスマンは求めてねェよという無言の圧力と共に打ち込まれると、丁寧に受けながらヴィオラは考える素振りを見せた。

 主人から預けられた小刀の、その意味を。

 

 コルキスの才覚は疑うまでもない。

 覇者となるべくして生を受けた少女は、成人前に諸侯とやり合えるほどに政に通じ、護衛が足手纏いとなるほどに武を修めている。

 仮にヴィオラが本気で殺意をぶつけたとしても、凌ぎかねない力を有しているのだ。

 

 だから必殺の小刀を渡された。切り裂けなくとも、掠らせるくらいならできるだろう、と。

 これは信頼であると同時に、不信をも意味した。

 己の力不足が生み出したこの不信が、ヴィオラはなにより悔しく、恥ずかしかった。

 

「ソートエヴィアーカ王女の側付き筆頭として申し上げるならば──」

 

 急に威圧を露わにした従者に、主人は目を見開いた。

 これまで感じたことないほどの気迫である。語りながらの稽古の最中であっただけに、迎撃するための体勢を整えるには心が間に合わないと感じた。

 ほんの一瞬でも時間があればいいのだ。それだけで心の準備は済むのに、それすら許さない疾さで連撃が打ち込まれ、重心がずれてゆく。

 

「アンブレラ様には目隠しを施し、鎖で寝台に張り付け、毎日情愛を注いでやるのがよろしいでしょう」

 

 足が僅かに浮き、首に剣を添えられたままコルキスは組み伏せられた。

 甲冑を着込んだ状態では、寝転がされた時点でほとんど負けが決まる。

 

「ハハ……打ち負ける日が来るとは、私は弱くなったか?」

 

 先日と似たような問いかけをする。

 そのときは、ヴィオラは変わってしまったのでしょうと答えた。

 

 握った剣を、ヴィオラの脇、手首、剣と縫うように通す。

 そのまま胴を蹴り飛ばしつつ全身で大地を押し返すと、コルキスの剣で腕を固定されたヴィオラは、反撃虚しく身動き取れないまま逆に組み敷かれた。

 

「いけねぇなァ、寝技ばかり強くなっちまったかもしれねェ」

「は、甲冑組手(Harnischfechten)……」

 

 変わることと弱くなることは同義でないとでも言いたげに、兜を脱いだ主人は得意げな顔で従者の兜も奪って口付けを落とした。

 悔しさで固く引き結ばれた唇だったが、二度目の口付けで舌を捩じ込まれ、涎で溺れかけた。

 

「嫌がらせですか」

「いいや、労いだよ」

 

 くそう、好き。

 ヴィオラの情緒はここ最近壊れかけていた。

 

 意趣返しにと、口を尖らせてボソリと呟く。

 

「……けれども、コルキス様は寝技で負かされてる側では?」

「おァ? 今から寝室行くか??」

 

 全く予想通りの返答に、思わず従者は吹き出した。

 

 

 

 




書ききれなかったのでその2に続きます。
来週からは普通に更新されるはず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。