ドクターズ・プロファイル (日名内 修)
しおりを挟む

サイレンス -疑心暗鬼-

軽い電子音が、真っ暗闇の部屋に短く響く。

モニターから発するブルーライトを頼りに資料を読み込んでいた部屋主は、眉をひそめて、届いたメールを開いた。

 

---------------------------

 

to Silence.

 

突然のメール失礼する。

きちんとしている君のことだから、別に口頭でもいいと思っていたんだが最近、アーミヤが「エビデンスを残せ」とうるさくてね。

だからこれを送らせてもらった。

君に、今動いている極秘プロジェクトに参画して欲しい。

近々、詳細を伝えにいきたいんだが、都合の良い日程をいくつか上げてくれないか?

 

from Dr.

 

---------------------------

 

Re:Dr.

 

お疲れ様です。

ドクター、あまりにも情報が少なすぎます。

エビデンスが残るのが「都合の悪いプロジェクト」なんでしょうか?

本メールの返信にて、委細をお伝えいただかないことには回答いたしかねます。

 

from Silence.

 

---------------------------

 

 

 パソコンのモニターに「Sent(送信済み)」の文字が表示され、サイレンスは深く息を吐いた。

 深く背もたれに腰掛け、天井を見つめる。

 壁に掛かる電子時計には、午前4時と表示されている。普段ならもう眠っているはずなのだが、今日はまだ目も頭も冴えている。

「また睡眠周期がずれはじめてしまったかな……」

 鉱石病のせいで突発的な眠気が常に襲ってくるものの、最近はようやく付き合い方が分かってきたと思っていたのだが。

 サイレンスは眼鏡を外し、親指と中指でこめかみをぐりぐりと抑える。

 

――付き合い方が分かってきたといえば、ドクターも何を考えているんだ。

 

 サイレンスは、先ほど送られてきたメールを睨む。

 極秘プロジェクト。その文字列にサイレンスの背筋に薄ら寒い悪寒が走る。ライン生命で担ったいくつもの研究。それらは漏れなく「極秘」そのものだった。

 

――その結果、何が生まれただろうか。

 

 『炎魔事件』脳裏に自らの炎に身を焦がし、泣き叫ぶ金髪の少女の姿が映った。

「お願いだから、信頼させて。ドクター」

 サイレンスが小さく呟く。

 その時、軽いチャイムが薄暗い部屋に響く。

 普通の人なら寝静まっている時間の訪問者だ。よっぽどの緊急か、そうでもなければろくでもないやつに違いない。

「……誰ですか?」

「夜遅くにすまない。私だ、やはり起きているようだね。ちょっと開けてくれないか?」

 ドア越しに少しくぐもった男の声が聞こえる。

 どう考えてもドクターで間違いないだろう。

 この船の重鎮の一角であり、サイレンスも関わるオリジニウム研究の第一人者。さらに戦場では直属の上官でもある。

 普通であれば、迎え入れなければならないシチュエーションだ。 眼鏡をかけ直し、サイレンスは顎に手を置き少し、考え、顔を上げた。

「ドクター」

「なんだい?」

「いやです。開けません」

 ドアの向こうから「……えぇ」と脱力した声が短く響いた。

 

サイレンス―疑心暗鬼―

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 戦場の医療支援。医者としてロドスのオペレーターや住人の診療。さらに第一線級のオリジニウムの研究者。サイレンスは様々な顔を持っている。しかも研究、医療チームの主力として部下も持つ立場だ。

 イフリータと一緒にロドスに飛び込んで数年経つが、それなりに重要なポジションを任されていると自負しているし、それに応えなければならないと理解している。

 

――それなのに、なぜあの人のたった一通のメールに動揺しているのだろうか。

 

 研究所(ラボ)の一角で、難しい顔で資料に羅列されたデータと睨めっこしながら、サイレンスは悶々と悩み続けている。

 あの一件以来、ドクターとはまだ顔を合わしていない。

 当然、極秘プロジェクトの情報も完全にシャットアウトしている。

「サイレンス先生」

「……なに?」

 かしこまった様子の研究員が耳打ちしてきて、サイレンスは目線だけ上げる。

「ラボの外にドクターが訪ねてきているんですが・・・・・・」

「はぁ、まったくあの人は……。無視して」

「いや、でも出入り口に陣取られてしまって。ちょっとした騒ぎになってますよ」

 サイレンスは苛々した様子で、またこめかみを抑えた。

 

――そうだった。あの人は有名人だった。

 

 立場上、身近にいることが多かったし、本人が偉ぶらない性格なのですっかり勘違いしていた。

 サイレンスは、ため息を吐くと立ち上がり、防犯カメラのモニターの前に立つ。

 画面を覗くとドクターの黒い制服の周りに、白衣を着た連中が群がっている。

 盛んに握手をしていて、熱心に何かを話しかける人も少なくない。

「なにあれ」

「いやぁ、しょうがないですよ。ドクターに憧れてラボに入った人ばかりですから。あ、僕もちょっと席空けていいですかね?」

「ダメ。報告書の提出は今日まででしょ」

「そうですけど。ちょっとくらいなら・・・・・・」

 なんとか粘ろうとするが黙殺され、研究員はすごすごと立ち去っていく。

 サイレンスは手元にあるマイクのスイッチをオンにする。

「ドクター、何用ですか?」

「ああ、サイレンスか。よかった、ちょっとここを開けてくれないか。このままでは迷惑をかけてしまうから。ほら、例の件で――」

「ラボは警備上の都合で、アポなし訪問は禁止されています。警備部に連絡しますよ」

「サイレンス先生! せっかくの機会ですよ! ぜひドクターに我々の研究成果を直接、報告しましょう!」

「そうですよ! 予算拡充のチャンスです!」

 興奮した周りのスタッフが息をまくが、サイレンスの冷め切った態度は微動だにしない。

「あなたたちも、いい加減にして。あまり熱くなりすぎると、ドクターの“護衛”が出てくるかもしれないわよ」

 研究員たちは驚いたように一歩下がって、周りをキョロキョロと見渡す。カメラ越しには影どころか、気配もまるで感じないが、どうせグラベルやシラユキが天井裏かどこかに潜んでいるのだろう。

「わ、分かった。サイレンス、じゃあここでアポを決めようじゃないか。君にあわせるよ! いつがいい?」

「すいません。今、研究が立て込んでいまして。また後日、私から連絡させてください」

「いやぁ、私には分かるぞ。それは絶対に連絡が来ないやつ――」

 ドクターの言葉尻を聞く前に、サイレンスは映像とマイクを切った。

 

 ◆

 

 ドクターのメールを受信して、一週間が過ぎた。

 サイレンスは医療フロアの最奥にあるケルシーの執務室で、ある患者の手術の日程について打ち合わせをしていた。

「鉱石病の病巣になっている小指の切除、本人の手術の合意がようやく取れました。本人の意思が変わる前に、施術した方が良いでしょう」

「……そうだな。手術は明後日に行おう。医師は私が手配しておく」

「ありがとうございます」

「それにしても、よくあれだけ手術を拒否していた患者を心変わりできたな。前任者がコツを知りたがっていたぞ」

 パラパラと資料をめくりながら、ケルシーはサイレンスを労う。

「ただ、話を聞いただけです。術後の仕事などに不安があったので、私なりにそこを確保することを約束したら満足してくれたようです」

「……なるほど。やはりキミに任せて正解だったようだ。頼りにしている」

 普段はつっけどんな口調のケルシーから、意外なお褒めの言葉をもらい、サイレンスは逆に眉をひそめた。

「はぁ、ありがとうございます」

「そんなに訝しがるな。他意はないから」

 サイレンスのいつにない露骨な態度に、ケルシーは口角を上げる。

「君がここに来てもう随分経つな」

「……そうですね」

 

――あの日のことは、今でも覚えている。

 

 イフリータと一緒にライン生命から逃げ出し、ロドスに転がり込んだ。

 理由は単純だ。問題だらけの自分を技術と経験を対価に迎えてくれ、ある程度ライン生命から距離を置く組織などそう多くはなかった。

 それでもダメもとだったのは間違いない。当時のロドスとサイレンスには、何の関わりもなかったのだから。

 

――どこに行ったって同じだ。

 

 ロドスを目指す道中、イフリータが零した言葉は耳の奥に根を張って、忘れさせることができない。

 ケルシー、アーミヤ、そしてドクター。ロドスの3トップである彼女らは、ライン生命の上層部と比べれば話が分かる人たちである。

 しかし、彼らに疑念を抱き、あるいは畏怖する者がいないわけではない。

 所謂、彼らの“暗部”というやつだ。

 

――これ以上、親しくなってはいけないのだろうか。

 

 いつの間にか、ずいぶんと親好を深めた気でいた。

 たとえ敵であっても感染者のすべてを救おうとするアーミヤ。常人ではない先鋭的なオペレーターを束ね、イフリータまで心を開かせたドクター。患者に関しては驚くほど誠実なケルシーなど、数あるオペレーターのなかでも特に彼らとの距離が深いサイレンスだからこそ、知っている姿もある。

 

――失望などしたくないのだ。

 

 だから、ドクターの提案から背を向け続けている。

 まるで未だにサリアがイフリータに近づくのを拒否しているように。

「そういえば、ドクターから逃げ回っているそうじゃないか」

 時々、ケルシーは心が読めるのではないかと本気で考えることがある。

「……どこでそれを?」

 サイレンスは短く問う。

「本人から聞いた」

 ケルシーがセパレートの向こうをチラリと見る。

「まさか――!」

 サイレンスが顔を上げると同時に、ドクターがひょっこりと姿を現す。

「やぁサイレンス。やっと捕まえた。例のプロジェクトについては話を聞いてくれないか?」

 サイレンスのうなじに汗が流れる。いつもと変わらないドクターの態度が、ひどく恐ろしく感じた。

 

 ◆

 

「ケルシー先生、これは――」

「キミが来る前にやってきてね。同席させてくれと土下座してきたから入れてやった」

「まぁ、私の土下座は安くないことが証明されたね。ところでケルシー、私にコーヒーはないのかい?」

「……消毒液なら好きに飲んで構わないぞ」

 どこからか持ってきたパイプ椅子をひろげて腰掛け、ドクターとケルシーはよく分からないやり取りを始める。

 サイレンスは、後ろをチラリと見る。

 唯一の出入り口には、いつの間にかグラベルが両手を後ろに立っている。わずかに目線が合うと、片目を閉じてウィンクしてきた。

「さっさと説明して彼女を解放してやってくれ。まだあれを説明していないんだろ」

「あぁ、そうだね。サイレンス、済まなかったね。ここ数日、ストーカーみたいにつけ回してしまって。ただ、君にはぜひこのプロジェクトに参画して欲しいんだよ」

 部屋にはロドスのトップ2人。出入り口にはプロの暗殺者。極秘プロジェクト。サイレンスの頭に血が上るのに、時間はそんなにかからなかった。

「……これがドクターのやり方ですか。本当に“あの人たち”と何も変わらない」

「サイレンス?」

「私は、非人道的な研究には関わらない。確かに明確に口にしたことはありませんが・・・・・・けれど、態度では示してきたつもりです」

「サイレンス、君は誤解して――」

「ドクターがイフリータ(あの子)や他の鉱石病に苦しむ人たちに接している姿を見て、私はきっと大丈夫だと、そう思っていました。だから私……」

 声がつまる。これほどの大声を上げたのは、いつ振りだろうか。

 ここがケルシー先生の執務室でよかった。取り乱している姿は、誰にも見られたくない。

「これまで技術も、知識も提供してきました。求められれば戦場にも出ますし、ドローンだってもっと改良します。それでも足りないですか――」

 絞り出した声が震える。

 確かにライン生命が隠し持つ技術や関わった実験の内容などは、未だに公表していない。それはきっと公然の秘密というやつで、ロドスにそのつもりがあり、手段を選ばなければ、容易にサイレンスからそれを引き出すこともできるのだろう。

「……おい。これはどういうことだ」

「あぁ、なんだ。言葉の行き違いってやつ、だな」

 ジロリとケルシーがドクターを睨む。かなり本気で怒っているようだ。ベテランの戦闘オペレーターですら、萎縮するほどの殺意にも似たすごみがドクターに向けられる。

「大して説明せずに巻き込むのが悪い癖だと前から言っていただろう。それでも指揮官か」

「それを言われたの、多分、記憶がなくなってからは初めてだが・・・・・・いや、返す言葉もない」

 なにやら、妙な空気になった二人の顔をサイレンスは頭の「?」マークを浮かべて交互に見る。

「サイレンス、私の言葉不足でいらない心配させてしまって済まなかった」

 そう言ったドクターは、一枚のクリアファイルを手渡した。

 逡巡し、サイレンスは資料の表紙に書かれている表題(タイトル)に目をやる。

 

『ドクターズ・プロファイル・プロジェクト』

 

 真っ白なA4用紙には、ドクターとのものと思われる手書きの文字でそう書かれていた。

 

 ◆

 

 オペレーターには、それぞれ出自や病状などをまとめたプロファイルが存在する。

 ある程度の情報は医療オペレーターなどには共用されているものの、プロファイルには非常にプライベートな個人情報や周知されると個人や組織に多大な影響を与える情報も少なくない。

 そこである程度の閲覧権限を有し、かつ個人との関係性を重視して確認できる情報に制限を設けている。それはドクターであっても例外ではない。

「その制度自体に不満はないんだが、ほら、プロファイルを作成するのは医療オペレーターだろう。彼らの命を預かるのに、人からもらった情報だけではもの足りない。だから私自身でプロファイルを作りたいと思っていてね」

「……はぁ」

「といっても、外部の組織との関係やその人の過去なんてものは私は興味がない。そんなのは政(まつりごと)が好きな連中か、そうでなくてもアーミヤかケルシーに任せてしまえばいい」

 フードのなかでドクターが笑みをつくる。

「だから、今の君たちの姿をおさめようと思ってね」

「おさめるって何に?」

 パチンッとドクターが指を鳴らすと、足下に一台のドローンが現れた。

 四足歩行の地走型。特段珍しいタイプではないが、この姿はひどく既視感がある。

「……ミーボ?」

「その通り! メイヤーに頼んで作ってもらった特注品だ。ステルス機能搭載、おまけに耐熱、衝撃耐性も十分」

 頭部には大きなカメラが乗っていて、レンズは明らかにこちらに向けられていた。

「君たちのプライベートや仕事を少し共にさせてもらいたんだよ。そうすれば、もっと信頼度も高まると思わないかい? ちなみに次回はペンギン組の配達業務の同行が決まっている」

「それで私に協力しろと?」

「ああ、そうだ。サイレンスには、映像の監修をしてもらいたい。残して良いシーンとか悪いものの判断とかをざっくりとね」

 がっくりと力が抜け、サイレンスはうなだれた。

 とんだ勘違いをしていた。いや、確かにこのプロジェクトも下手をしたらオペレータや外部組織の情報漏洩に繋がるリスクをはらんでいるが、少なくともサイレンスが危惧していた陰謀めいた血なまぐさいものではない。

「最初の対象は、サイレンス、君だったんだよ。図らずとも色々な姿を見せてくれたね」

「……さっきのみっともない記録は削除してください」

「それは承諾できないなぁ。まぁ、君が監修を務めてくれたら話は別だろうが」

 わざとらしく言うドクターに、サイレンスはため息を漏らす。

「分かりました。前向きに検討します」

「そうかい。ありがたい。君も参画してくれたら、きっと予算も下りやすくなるだろう。なぁ、ケルシー?」

 付き合ってられない。とケルシーは大げさに頭を振り、立ち上がった。

「サイレンス、ありがとう。この通り、このプロジェクトをこの人一人に任せたら、誤解が誤解を生んで、統率どころの騒ぎではなくなる」

 はい。とサイレンスは頷いた。

「ケルシー先生、ドクター、さっきは取り乱してしまってすいませんでした」

「いや、謝らなくていい」

 ドクターとケルシーの声が被る。両者はお互いを見合うが、心底嫌そうな顔をするケルシーと得意げなドクターの表情の違いがあまりにも極端すぎて、サイレンスは思わず吹き出しそうになる。

「お察しの通り、キミの前職から色々と注文を受けていることは事実だ。それに我々も清廉潔白ではない。程度はあれどグレーなことに手は出している」

 淡々とケルシーは語る。

「だが、アーミヤがいる限りキミの期待は裏切らないだろう。だから、キミがロドスや彼らを信頼できるうちは、力を貸してくれ」

「……はい」

 

――どこに行っても、オレ様を、みんなを弄ぶやつらばっかりだ。

 

 確かに、あの日のイフリータの言葉は芯を食っているのだろう。

 こんな世の中だ。心から信頼できる居場所なんて、どこにも存在しないのかもしれない。

「ロドスはキミに感謝している。私だけじゃない、キミがこれまで救ってきた者すべてがそう思うだろう」

 ケルシーは、そう言って執務室を後にする。

 自室に二人を残したということは、無言で場を提供したと理解して良いのだろう。

 

 ◆

 

「ずいぶん一緒にいた気になっていたが、やはり、それぞれ人には見せない顔はあって当たり前だろう」

「ええ」

「実は、サイレンスは私が初めてプロファイルをすべて読むのを許されたオペレーターなんだよ」

「それは……知らなかった」

「ああ、考えてみれば、私が復帰したときから治療、研究、戦場。色々とすぐ近くで手伝ってくれていたからね」

 確かに。とサイレンスは頷く。

 近くにいても、普段はほとんど“影”として存在を隠し続ける護衛達と比べると、すぐ隣にいてコミュニケーションをとる時間は長かった気がする。

「だから、このプロジェクトはサイレンスにお願いしようと思ったのさ。結果的に“ドクターがサイレンスに猛烈にアタックしている説”が流れてしまったのは申し訳ないが」

「ちょっと待ってください。そんな噂が?」

「ああ、にわかに流れ始めている」

 大真面目に頷くドクターにサイレンスは、少しだけ頬を染めて言い返す。

「すぐに事実無根と証明して。食堂の掲示板でもメーリングリストでも構わないので」

「そうだな。このままだとイフリータとサリアに殺されかねない」

 イフリータはともかく、なんでサリアが出てくるの。と言いかけるが、話がややこしくなりそうな予感がして、サイレンスは口を閉じる。

 ドクターは急に真面目な顔になって、サイレンスに向き直った。そして、無言で右手を差し出す。

「な、なんですか」

 動揺するサイレンスに、ドクターは口を開いた。

「じゃあ、ドクターズ・プロファイルの監修、ぜひよろしく頼むよ」

「は、はい」

 ぎゅっと互いの手を握る。初めて握りしめたドクターの手は、意外とゴツゴツとして男性らしかった。

 その時、ドアが開き真っ赤なフードを被った少女が現れた。

「ドクター」

「あぁ、レッドか」

「イフリータがドクターを探しながら暴れてる」

 そう言いながら、レッドは手を握ったまま硬直しているサイレンスをチラリと見る。

「本当だったの? アレ」

「……さぁ?」

 レッドが二人を指さして脇に控えるグラベルに問いかけるが、いつもの感じで彼女ははぐらかした。

「テキトーな噂。さぁ、ドクター、イフリータを説得しに行って」 

 パッと手を離し、サイレンスはドクターの背中を押した。

「え、私だけかい?」

「二人で行ったら余計ややこしくなるでしょう」

「私だけで行ったら生きて帰ってこれる自信がないんだが」

「大丈夫ですよ、あなたのことは信じていますから」

 軽く笑って、サイレンスはレッドに手を引かれて渋々部屋を去るドクターに向かって手を振った。

 

 ◆

 

 自分以外、誰もいなくなった部屋。残されたサイレンスは、撮影用ミーボを抱き上げる。

 

――あの恥ずかしい動画は削除してしまおう。 

 

 でも、その前に残しておきたいことがあった。

 キョロキョロと周囲を見回し、誰もいないことを確認して、サイレンスはレンズと向き合う。

「あの、ドクター。私もロドスに入って、ドクターに会えて、ケルシー先生と一緒に仕事ができてとても良かったと思ってる。だから、今回みたいに信頼できないから逃げるのではなく、いつかは面と向かって対峙できるように私はなりたい。だから“その時”を恐れないで。私だけじゃなくて、これからこの映像に残るオペレーターたちがいることを忘れないでほしい」

 言い切って、サイレンスはミーボの頭を撫でる。

 少し前までは気分が落ち込んでいたが、今は不思議と気持ちが晴れやかだ。

「お前のおかげかな?」

 掲げたミーボに問いかけてみる。

 未だに「ドクターズ・プロファイル」の全容は見えないし、なんとなくはた迷惑な企画がしない訳ではないが、まぁ付き合ってみるのも悪くはないだろう。

「ドクター、これからもよろしくね」

 滅多に見せない笑顔を向け、サイレンスはケルシーの部屋から出て行く。

 

――これが、後のドクターズ・プロファイルの冒頭の映像になるとは、サイレンスはまだ知る由もなかった。




ドクターズ・プロファイル始動と、最初のオペレーター「サイレンス」の物語でした。
プロファイルを見る限り、多分野で活躍してロドス内でもそれなりのポジションにいる彼女。黒い噂もあるロドスと、真っ黒なライン生命の最前線に立っていたサイレンスは、意外と重要な役回りになるのではないかと考えています。

また色んなキャラクターを絡ませていきたいと思っているので、もしよければ読んでもらえるとうれしいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンジェリーナ -少女存在証明:前編-

書き上げてみれば1万字を超えてしまっていたので、前後編に分割しました。
後編も同時投稿しております。


 夕暮れの教室に、吹奏楽部の練習音が遠く響いていた。

 茜色が差し込む開けっ放しの窓。夏の気配が漂う風が、ふわりとレースのカーテンをたなびかせる。

 整列した勉強机の隅に集まってするのは、女子同士の内緒話だ。誰かが廊下を走る音が聞こえるたびに、トーンを落としてくすくすと笑う。

 ふと見ると、教室のドアの前に“あの人”が立っている。

 思わず、座っていた机から飛び降りてその人の前に駆け寄ろうとする。

 けれど、どれだけ走っても追いつけない。手を伸ばして触れられない。振り向くと懐かしい光景は、はるか彼方に遠ざかり、周囲は真っ暗な闇と化していた。

 

――また、この夢だ。

 

 まどろみのなか、安心院アンジェリーナはあちこち滲んだ夢の欠片を忘れようと軽く頭を振るが、あまり効果はないようだ。

 その瞬間、耳元で目覚まし時計の乱暴な音が鳴り響いた。

 

「ああ、もう!」

 

 なんとも言えない居心地が悪い寝起きに、アンジェリーナは枕に顔を突っ伏して足をバタバタとさせる。そして、ジリリッ!と鳴り止まない目覚まし時計を睨んで「うるさいっ!」と八つ当たりした。

 時計を止める気にもなれず、そのまましばらくうつむいてだれていると頭上から声が降ってきた。

 

「……ちょっと、アンジェリーナさん?」

 

――やばっ!

 

 勢いよく顔を上げると、二段ベッドの上段の所有者であるクリフハートの逆さまになった顔がぶら下がっていた。

 

「お、おはようエンシア。はは、今日もいい天気、だね?」

「目覚まし時計は10コール以内で止める約束だったよねぇ? 今にも心臓が止まりそうなんだけど」

 

 クリフハートの種族「フェリーン」は特別耳が良く、目覚まし時計の音は彼女曰く「土砂崩れと落雷と雪崩がいっぺんに起きた音」に聞こえるらしい。だからルームメイトのアンジェリーナは、クリフハートと同寮になったときに2つのルールを結んだ。

 1つは、“特別な日”以外はなるべく目覚まし時計を使わないこと。そして、目覚まし時計を使う日は必ずクリフハートに事前に連絡して、10コール以内に止めること。

 クリフハートの表情を察するに、後者の約束は倍以上は鳴ってしまっていたらしい。

 

「すいません、エンシア様! あとでへそくりで隠していた高級チョコレートを献上いたしますので!」

「……うむ。いいだろう、教官として大事なのは厳格さと寛容さのバランスだからな」

「なにそれ」

「ドーベルマン教官のまね。この前自分で言っていたよ」

 

 急に声色を変えたクリフハートとアンジェリーナは、小さく笑う。

 

「そんなことより、早く準備しなくていいの? 今日は“特別な日”なんでしょ」

「……ん?」

「ほんとたまにびっくりするほど抜けるよね。ドクターと会うんでしょ」

「そ、そうだった! なんで早く言ってくれないの!」

 

 急にエンジンがかかったアンジェリーナは、飛び起きてバタバタと部屋を駆け回り始めた。メイクにスタイリングにスキンケア。乙女の朝支度は、手間も時間もかかるのだ。

 コスメなどを引っ張りだしながらアンジェリーナはいつもの癖で、この部屋で唯一の窓を開ける。

 まだ色の薄い日差しが部屋に差し込む。

 

――どうか、今日が忘れらない日になりますように。

 

 アンジェリーナは、ほとんど無意識に太陽に向かって祈る。

 

「アンジェー。早くしないとほんとに遅れるよ」

「わかってるって!」

 

 なんだかんだ言って世話焼きな同僚の声に急かされ、アンジェリーナはコスメを引っ張り出し、洗面台に向かってドタバタとあわただしく準備を始める。

 高鳴る鼓動の原因の半分は期待、もう半分は緊張。

 この日の前日譚というには、いささか直前すぎるこの模様と胸の内は、きっとアンジェリーナ本人しか知らないのだろう。

 

 

 

Angelina(アンジェリーナ)―少女存在証明―

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 いつもより15分ほど遅れて飛び込んだのは、ロドス本艦の最東端にあるガラスの温室だった。

 

「おはようございます!」

 

 入った瞬間、挨拶をしてしまうのはシラクーザでバイトをしていたときに身に付いた習慣だ。すでに作業着を着こんでいるアンジェリーナの姿を見れば、『パフューマー』ことラナの温室に来た目的は一目瞭然だろう。

 

「おはよう。アンジェちゃん」

「すいません、ラナさん。ちょっと遅れちゃって」

 

 温室の奥で作業していたラナに頭を下げるが、ラナは「気にしないで。いつも助かっているから」と手を横にひらひらと振った。

 ふいに一匹の子ぎつねが、アンジェリーナに駆け寄ってきてするすると肩に上ってくる。

 

「おはよう。今日も可愛いねー」

 

 子ぎつねの喉元をカリカリと掻きながら、アンジェリーナは笑う。ラナの相棒は気持ちよさそうに小さく鳴いた。すると、突然、温室内の花壇の影から一匹の影が現れ、アンジェはぎょっとして立ち止まった。

 中型犬ほどの四足歩行のドローンだ。さっきの子ぎつねと同じように尻尾をブンブンと振って軽快に駆け寄ってくるが、重厚なフォルムとのミスマッチ感でギャグみたいだ。

 そのドローンの頭が、巨大なカメラになっているのに気づき、アンジェリーナは「あっ!」と声を上げた。

 

「ラナさん! もしかしてこの子って――」

 

 言いかけた途端、今度は大きな影がすぐ目の前に現れた。

 

「やぁ、おはよう。アンジェ」

 

 黒と明るい緑色を基調にしたフードをすっぽりと被った男。紛うことなきドクターである。

 

「えぇ! なんでドクターがもういるの?」

「いや、せっかくだから私も手伝おうと思ってね」

 

 泥が付着した軍手を軽く叩いた後、ドクターは右手だけ外してアンジェリーナに差し出した。

 

「『ドクターズ・プロファイル』の制作協力ありがとう。今日はよろしく頼むよ」

「あ、はい。こちらこそ……」

 

 前髪を触りながら、アンジェリーナは握手する。

 不意打ちに、心臓が爆発しそうだ。

 その様子を面白そうにラナに見られていることに気づき、アンジェリーナは薄っすらと頬を染めた。

 

 

「オフの日は、温室の作業を手伝っているのか。知らなかったな」

「そうよ。本当に助かっているんだから」

「へへっ。午前の休憩までのちょっとだけどね。ラナさんにはいつも香水とか、お茶をごちそうになってるから……それに、花も好きだし」

 

 ラナとドクター、アンジェリーナは横長のプランターに苗を植え付けながら会話する。

 ラナはもちろんだが、アンジェリーナの作業の手際も大したものである。さらに意外だったのは、ドクターのそれも小慣れていることだった。

 

「ドクターも植え替え作業やったことあるの」

「ああ、初めてじゃない。私も温室を手伝うことがあってね」

「本当にたまにだけどね。ドクターくんが来るのはいつも突然だし」

 

 へぇ。と相槌を打って、アンジェリーナはほんの少しだけ、複雑な気分になる。

 その原因がラナとドクターが二人きりで会う時間があるからなのか、それとも、ラナを手伝ってくれる人がほかにもいたからなのかは、その時のアンジェリーナに分からなかった。

 

「それで、今日の二人の予定はどうなっているの? “密着”なんでしょう」

「あ、そうそう。一応、いつもの休みの日のルーティーンを書き出したんだけど。こんな感じ」

 

 アンジェリーナは軍手を外し、明るい赤色の手帳のカレンダーを広げる。

 それをラナとドクター、さらに撮影用ドローン『特製ミーボ』が覗き込む。途端に、それぞれがなんとも言えない表情をした。

 赤や緑のボールペンでぎっしりと予定が詰まっている。

 また、そのどれもが『訓練室で練習』、『ハイビスちゃんの手伝い』、『ペンギン急便のヘルプ』などまるで業務のような内容なのである。

 

「アンジェちゃん。温室(うち)以外も手伝っているとは聞いていたけど――」

「いろんなところに顔出しているんだなぁ」

「予定が空いてると、なんだかそわそわしちゃうんだよねー……変かな?」

「いや、素晴らしいと思う。けれども適度な休憩は必要だろう。そのうち、医療オペレーターの連中に目を付けられるかもしれない。ロープみたいに追いかけまわされたくないだろ?」

「あははっ! それなら平気! あたし、結構丈夫だし。ほら見て、給料日はショッピングも行くんだから」

 

 表情は大きく変わらないがなんとも微妙な空気感の大人の二人に、アンジェリーナは極めて軽い口調で返す。ただ、内心は少しだけ焦っていた。

 

――あれ、おかしいな。こんなつもりじゃなかったんだけど。

 

 アンジェリーナは、ドクターが「頑張ってるね。じゃあ、今日はそれをプロファイルしようか」という感じだと予想していたが、どうやらその通りには進まなさそうだ。

 

「すごいのねぇ……ちなみに、たくさんある予定のアンジェリーナちゃんのなかで、ドクターくんはどんな姿が見てみたいの?」

「……そうだなぁ」

 チラリとラナが目配せし、ドクターはわざとらしく手帳を覗き込む。

 

「やはり気になるのは、アンジェリーナの行きつけの店とファッションセンスだな」

 

 指先で手帳上の「龍門!」とだけ書かれた箇所をトントンと叩き、ドクターは少しだけいたずらっぽく言った。

 

「えぇ、龍門に行っていいの!? でも私、外出許可取ってないんだけど……」

 

 想像していなかった展開にアンジェリーナは少し挙動不審になる。ラナはその姿を見て、クスリと笑った。

 

「それなら大丈夫でしょ。ねえ、ドクターくん?」

「あぁ。自分で言うのもなんだが、ロドス内では多少は顔が効くからね」

 

 ロドスの重鎮が自慢げに胸を張った。

 

 

◆ 

 

 

 あるときはベッドルーム。バーやピザショップ、よくわからない研究室、噂では龍門と協定を結んだ際は、とある上位オペレーターの執務室を完全再現することで、当人たちの度肝を抜いたこともあるらしい。それくらいの恐ろしい早さで、ロドスのオペレーターたちが休憩する“宿舎”は模様替えされる。

 どうやらロドスのお偉方の意向が著しく関係しているようだが、その正体は明らかにされていない。おそらく、模様替えの度に渋い顔をする支援部が、もめごと防止のために情報をシャットダウンしているのだろう。

 そんな宿舎――今回は、ラウンジのようなシックなスタイルの様相だ。その片隅にある「コの字型」のソファの端に座り込み、アンジェリーナはうつむいていた。

 

――あ~、どうしよう! 緊張する!

 

 着替えのために帰った寮で、クリフハートに同行を願い出たが即お断りされた。彼女のお守りである輝石を投げ渡されて「幸運を祈る」とだけ言われただけだ。

 集合時間まではあと10分。

 胸の高鳴りが抑えられそうにない。

 

 

――どこに行こう? 何を話そう? あ、お金とかどうすればいいんだろう?

 

 失望されないようにしないと。

 迷いのなかに生じる弱気に背を向け、アンジェリーナはリップを塗ったばかりの唇を薄くかむ。

 

「あれ~! アンジェやんか。こないなとこで何やってんの」

「クロワッサン!」

 

 オレンジ色と快活な薄い緑色の瞳。全身からパワフルさがにじみ出ているクロワッサンの姿を見て、アンジェリーナは少しだけ顔を輝かせた。

 クロワッサンの奥には、エクシアとテキサスもいる。「チャオ~」と手を振るエクシアに、アンジェリーナも手を振り返す。

 

「えぇ! あの旦那と二人で龍門に!」

「クロワッサン、声が大きいよ」

 

 ドカッとアンジェリーナの隣に腰かけたクロワッサンに、唇の前で人差し指を立てて抗議する。アンジェリーナを取り囲むペンギン急行の面々は、事情を話すとテキサス以外は瞳を輝かせた。そして、あーでもないこーでもないと、龍門のおすすめの飲食店やデートスポットを教えてくる。

 

「……そこは少し高すぎないか」

「なに言ってんの。ドクターが払うからアンジェには関係ないって」

「そうそうない機会なんやから、アンジェはたっぷりと旦那から搾り取ればええの」

「汚いやつらだ」

 

 盛り上がるクロワッサンとエクシアにテキサスが突っ込みをいれる。

 

「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なになに? しおらしいアンジェとか珍しいやん」

「ふ、二人でどんなこと話せばいいと思う? これまでは仕事の話が多かったから、よくわからないの」

 

 服の裾をつかんでもじもじするアンジェをペンギン急便の面々はじっと見つめる。

 

「な、なに?」

「可愛いー! どうしちゃったのよー。いつもは気張ってばっかのくせに~」

 

 エクシアとクロワッサンがアンジェを抱きしめる。

 

「意外と振り回されるのは苦手みたいだな」

 

 テキサスもタバコの煙を後ろに向かって吐き、呟いた。

 

「それはまずいぞ。アンジェリーナ、ドクターはいつも人に振り回されているから、その辺りの配慮は期待できない」

 

 急に割って入ってきた野太い声は、マッターホルンだ。背後にはクーリエとシルバーアッシュもいる。マッターホルンの意見にクーリエも納得したようにうなづいて見せた。

 

「その通り。ドクターに頼れないのであれば、まずは自身の目標から棚卸してやるべきことを設定すべきだ」

 

 なぜか、ドーベルマン教官までもがそこに立っていて堅苦しいアドバイスを述べてくる。どうやら、休憩室に居合わせたオペレーターたちがぞろぞろと集まってきたらしい。

 

「……今日の自主練に来なかったのはこういう理由だったか」

「すいません、ドーベルマン教官」

「いや、お前はどちらかというと休憩が必要だったからな。これでいい。だがどうせ休憩するなら、気兼ねなく羽を伸ばすべきだ」

「あらー。いつもと言ってることが違うじゃない教官さん」

「当たり前だ。指導には厳しさと寛容さのバランスが大切だからな」

 

 エクシアの小言を皮切りに、ガヤガヤと周りがにぎやかになる。

 人混みの隙間からクーリエが手招きしているのを見つけ、アンジェリーナはいそいそと席を離れてクーリエとシルバーアッシュの前に立つ。

 

「シルバーアッシュ様がアンジェに用があるそうですよ」

「……これを」

 

 視線を合わさず、シルバーアッシュはアンジェリーナに青と白の艶やかな紐で結ばれた小さな石を手渡す。

 

「これは?」

「“モリオン”という。心を落ち着かせる効果がある。せっかくの我が盟友の休息の時間だ。楽しませてやってくれ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 アンジェリーナは勢いよく頭を下げる。クリフハートと同室であることから、クーリエやマッターホルンと話すことは多いが、非常に気位も地位も高いシルバーアッシュと話すことはほとんどなかった。

 

「……エンシア様のこと感謝しているんですよ。シルバーアッシュ様」

「いや私全然、なにもしていないです。ただの友達だし」

「エンシア様にとって“ただの友だち”の存在が何よりも大きいです」

 

 そう言ってクーリエは片目を閉じる。

 

「あと、ちなみにドクターはチーズに目がありませんから」

 

――どうしてそんなことを。

 

 と尋ねようとしたとき、ドクターが「賑やかだなぁ」といいながら休憩室に入ってきた。

 それから集まった面々の詰問が始まり、二人が休憩室を後にしたのは小一時間経ったあとだったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

⇒後編に続く



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アンジェリーナ -少女存在証明:後編-

 龍門は巨大で豊かな街だ。

 行き交う人々の表情は活気に溢れていて、そこにいるだけで元気をもらえそうな気がする。

 ドクターと二人きりのデートは、ペンギン急便やドーベルマン教官のアドバイスやイェラグのお守りのおかげが不安以上にスムーズだった。

 テラスに腰かけて、しぼりたての果実がたっぷりと入ったジュースを飲んだ。

 流行りの服をウィンドウショッピング――クロワッサンは「奢ってもらえ!」と言ったが、さすがにそこまでは頼めない。

 たっぷりと充実した時間を過ごす。

 けれど、その片隅にある小さな“しこり”の存在のせいでアンジェリーナは時々、ぼぉっと考えこんでしまうことがある。

 

「あぁ、楽しかった! ……でも、本当にこんなことがプロファイルになるのかな」

「ははっ。アンジェの貴重な休息の記録だ。十分良いデータになるよ」

「ほんとかなぁ」

 

 唇を尖らせたアンジェリーナは、はたと立ち止まる。

 華やかな路地の一角。そこから伸びる路地は薄暗く、地面は舗装もされていない。煤だらけの壁が、あまりにも今立つ整備が行き届いた環境と違い過ぎて、アンジェは思わず目を伏せた。

 

――ダメだっ!

 

 すぐに思い直し、アンジェは前を向く。特製ミーボは光学迷彩でステルス中だが、今もきっと撮影中だ。

 

――“こんな姿”を残されるわけにはいかない。

 

 チラリとドクターを見ると、彼はじっとスラムを見据えている。

 

――やっぱり、あたしにはできないかもしれない。

 

「……雨だ」

 

 ドクターが小さくつぶやく。その声に、胸がドキリとする。これまでの緊張や期待とは違う。悪いことがバレたときのような居心地が悪い心臓の高鳴りだ。

 ポツリと大粒の雨が降ってきた。

 

 

 スラムの入り口のすぐ脇にあるテナントの前で、ドクターとアンジェリーナは並んで立って雨宿りしていた。

 雲の厚さや雨の激しさから察すると、しばらく止む気配はなさそうだ。

 道行く人はあっという間にいなくなり、薄暗い世界にはいるのはドクターとアンジェリーナだけ。

 きっと、もっとドキドキして良いシチュエーションなのだろうが、アンジェリーナの心はなぜかどんよりと曇りはじめていた。

 

――ダメダメ! もっと前向きでないと。

 

 でないと、どうなるのだろう。と自分の心持ちがわずかに揺らぐ。

 その時だった。視界の隅で何かが動いた。

 ドクターとアンジェリーナはほぼ同時に下を向く。

 スラムの路地から歩いて出てきたのは、薄汚れた服をきた幼い少年だった。

 

 少年はドクターとアンジェリーナを見比べ、とことことアンジェリーナに駆け寄ってくるとズボンの裾を引っ張ってくる。

 

――きっと、物乞いだ。

 

 アンジェリーナは少年と目線を合わせるように膝を折って、「ごめんね。あげられるもの何もないの」と言う。しかし少年は首を横に振りながら、服の裾を引っ張り続けた。

 少年の肘からは鉱石が飛び出ていて、首筋にもまるで鱗にような鉱石が張り付いていた。

 

「……ごめんね」

 

 なんとも言えない気持ちになって、アンジェリーナは少年から目を逸らす。

 

「行こう、グラベル」

 

 ふいにドクターが口を開き、アンジェリーナは驚いて顔を上げる。同時にドクターの隣にピンク色の影が差し、彼の懐刀が姿を現す。

 ドクターは、少年に目配せして「連れて行って」と言った。すると少年はアンジェリーナの服の裾から手を放し、勢いよく走りだした。

 

「アンジェリーナ、少し待っていてくれ。あと“反重力”の準備を――多分、怪我人を運ぶことになる。あの少年の肩に血がついていたから」

 

 そう言ってドクターとグラベルは路地を曲がっていく。

 

――追いかける? いや、ダメだ。スラムのなかでは何があるかわからない。なにか別のトラブルに巻き込まれたら、それこそ迷惑をかけてしまう。

 

 一緒に行くなら、ドクターが地面を蹴るそのタイミングしかなかった。

 

――気づけなかった。物乞いだと決めつけた。 

 

 憧れの人の足音が遠ざかる。アンジェリーナは唇を強く噛みしめる。

 どうしようもない無力感が、雨音のなかで増大していく。

 

 

 それから一時間後、ロドスは軽い騒ぎになった。休暇だったはずのドクターとアンジェリーナが全身ずぶ濡れで、しかもドクターとグラベルのそれぞれが血みどろの感染者を背負ってきたのだから、当然といえば当然である。

 ようやく騒動が落ち着いたのは、患者が集中治療室に入ってしばらく経った頃だ。

 

「ここにいたのかい。よかったコーヒーが冷める前に見つけられた」

「……ドクター」

 

 デッキのフェンスに体を預けていたアンジェリーナに、両手に紙製のコーヒー容器を持ったドクターが声をかけた。

 

「あの子の両親は野犬に襲われたようだ。かなりひどい傷だったが、命に別状はなさそうだ」

「そっか……よかった」

「あの少年の勇気のおかげだな。スラムの外に助けを求めるとは」

 

 そう言いながら、アンジェリーナにコーヒーを差し出す。反射的にアンジェリーナも手を伸ばそうとして、すぐにそれを引っ込めた。

 そして、ドクターに頭を下げた。

 

「……ごめんなさい」

「なんで謝るんだい?」

「私、あの子が助けを求めるなんて気づかなくて」

「左肩の後ろに血が付着していた。アンジェの角度からでは見えなかったから、気づかなくて当然だ」

 

 柔らかい声に、アンジェリーナの涙腺が少し緩む。

 

「あたし、この前ドクターに言ったよね。『ドクターが感染者のために頑張り続ける限り側にいるって。みんなのために頑張らなきゃって』。でもダメ、全然役に立ってない」

「だから休日も色々な人を手伝っていたわけか」

「……」

 

 アンジェリーナはうなずく。

 

「でも、ロドスの色々な人に会うたびに分からなくなる。何をすれば、本当にドクターの――みんなの役に立っているのか」

 

 決意を固めた。目指すべき未来だって見えているはずだ。けれど、それに至る道はあまりにも険しく、その度に無力感がひしひしと感じてしまう。

 ドクターはすごい。休憩室ではドクターの話題になるだけで、あんなに人が集まる。ほんの少しの情報ですべてを察し――感染者であろうとスラムの住人であろうと、当たり前な顔をして手を差し伸べる。

 力になりたい、側にいたい。そう思うほど、あまりにも遠い距離に足がすくんでしまう。

 

「ごめんね。こんなはずじゃなかったんだけど」

 

 それが今日のことなのか、以前にドクターに宣言した約束のことなのか。もしくは両方なのか、アンジェリーナにも分からなかった。

 

「どうやらアンジェは、客観的に自分を見る訓練をした方がよさそうだ」

「……え?」

 

 ドクターはアンジェリーナの手を取り、半ば無理やりコーヒーの容器を握らせる。熱いくらいのぬくもりが、アンジェリーナの手のひらを柔らかく包んだ。

 

「あとはもうちょっと弱みを見せるべきだな。君の愚痴なら受け止めてくれる人たちはたくさんいるだろう」

「……でも」

「ここに来るまで、一般オペレーターからクリフハートやクロワッサンみたいな外部の人間からも散々言われたよ。『なにかアンジェにしていないか』とね」

「……別にドクターは何も」

 

 悪くない。と言いかけたアンジェリーナをドクターは手をかざして遮る。

 

「そこは論点じゃない。私が言いたいのはね、君が暗い顔をしているだけで上官に食って掛かる人がたくさんいるということだ。それはとても重要で、誰よりも君が尊ぶべき君の長所」

 

 アンジェリーナは眉をしかめる。「何が言いたいのか分からない」という心の声に気づいたのだろう。ドクターは言葉を続ける。

 

「君が君でいるだけで、救われる人も多いということさ」

「でも、他のオペレーターの人たちはもっとちゃんとしていて、ブレてないっていうか――」

「ははっ、そう見えるだけだろう。ことさらロドス(ここ)のオペレーターたちは、弱い自分を見せるのが苦手な連中が多いから」

 

――それは、ドクターも?

 

 聞きたかったが、やはり尋ねられなかった。

 

「……いつか、私も追いつけるかな。ドクターの側にいられるかな」

「それはアンジェの心持ち次第だろう。君はすでに私にはできないことをやってのけている」

「それって一体?」

「……きっと、もうすぐ分かる」

 

 ドクターはそう言ったきり、口を開くことはなかった。

 アンジェリーナは少し消化不良な気持ちなまま、並んでコーヒーを飲む。けれど、自分でも不思議なほど、暗闇に響く雨音が優しく感じられた。

 

 

 

 それから一カ月が過ぎた。

 アンジェリーナが一人で廊下を歩いていたことである。

 

「アンジェお姉ちゃーん!」

 

 駆け寄ってくるのは、ロドスで鉱石病の治療を受けている子どもたちだ。その後ろにはハイビスカスとガヴィルがいる。

 

「やっほー! 今日も元気だね~」

 

 アンジェリーナはそれぞれの名前を呼びながら抱きしめる。そのなかに、見覚えのある姿を見かけ視点を止めた。

 あの、雨の日の少年が立っていた。

 まだ集団に慣れないのか、少し離れたところでもじもじしている。

 

「お姉ちゃん、花火やって花火!」

 

 子どもたちにせがまれ、アンジェリーナははっとする。

 

「えーどうしようかなぁ。みんながいい子にしていたのなら、やってあげる」

「してたしてた!」

「よーし、じゃあ少し待っていて」

 

 男の子に“おいで”と手を招きながら、アンジェリーナは言う。ハイビスに背中を押され、少年はようやく輪の中に入ってきた。

 その男の子の目の前にオレンジ色の飴玉を取り出し、アンジェリーナは飴玉をポンと宙に投げる。

 その場の重力を少しだけ調整して、飴玉だけがスローモーションのように動き出した。さらに飴玉の内側から外側に向けて、重力のアーツをほんの少しだけ操作する。

 弾けた飴玉はまるで花火のように、ゆっくりと広がった。

 きゃあきゃあと子どもたちがはしゃぐ。大きな口を開けて驚く少年の口に、飴玉の欠片はゆっくりと入っていく。

 その瞬間、男の子はくしゃりと年相応の笑顔を浮かべた。

 

――もうすぐ分かる。

 

 その時、アンジェリーナはドクターの声を思い出し、はっとする。

 なんとなく、本当に合間だが、ドクターが何が言いたかったのが分かった気がする。

 敵の命を奪うだけじゃない。消えそうな命を救うだけじゃない。今を生きる人たちの希望や勇気を、その場だけでもいいから笑顔を与えられるのであれば、それはきっと何よりも未来を向く原動力になるだろう。

 

 廊下の窓から降り注ぐ日陽の筋に、憧れのあの人の背中が確かに見えた気がしてアンジェリーナはゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

「ちゃんと撮れてる?」

「うーん大丈夫だと思う。というか早くして、この犬めちゃくちゃ重いんだから!」

 

 拝借してきた撮影用ミーボを両手で抱え、クリフハートはアンジェリーナに向かって言う。

 

「はいはい。ドクター、見てる? 今日から新しい日課を始めようと思って。せっかくだからこれもプロファイリングして欲しいから、ミーボちゃん借りちゃった」

 

 そう言ってアンジェリーナは、ミーボのレンズにこぎれいな箱に入った2つのお守りをみせる。

 

「実はドクターと一緒に龍門に行く前に、お守りもらっちゃったんだよね。だから私も、お守りを作って返そうと思って」

「ちなみに最初に作ってもらったのはあたしねー」

「ちょっと、エンシア! 横から口出さないで……。あとついでにこれからお世話になった人たちにも、お守り作って渡そうと思って……ちょっと重いかもしれないけど」

 

 アンジェリーナは少しだけカメラから目線を外す。

 

「ドクターにももちろん作るから期待していてね~。あと、お返しも期待しているからよろしく! 全部ここに保管しておくから」

 

 冗談ぽく言った後に、アンジェリーナは手をひらひらと振って映像が切れる。

 これで彼女のドクターズ・プロファイルの記録の初回記録を終わっている。

 

 

 

――ちなみに、この動画の続きは、箱一杯になった“お返し”が映されるシーンから始まるのだが、それは数年後、もしかしたら数十年後の遠い未来の話である。




ドクターラブ勢としてあまりにも有名なアンジェリーナさんのお話でした。

色々とエモい設定多すぎなアンジェですが、所謂「普通の女の子」なのに星6だという点が個人的に非常に刺さります。
他の星6は能力(例:スカジさん)や立場(例:某元王族&某社長など)がぶっ飛んでる人たちが多いので、逆に浮いている感じがしています。
プロファイルもドクターへの憧れや恋心(?)、オペレーターとの重責などを吐露している部分も込めて普通で、ある意味「主人公感」が個人的にビシビシ伝わってきていいですよね。
多分、彼女たちが現ロドス、未来は別の名前になっているかもしれないですが、ドクターやケルシーたちの次世代を担うんじゃないかなぁと勝手に想像しています。

あっでもCEOもまだ14歳なんですよね……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シージ -其の関係を友と云う-

――部下でも、先生でも、敵でもない。心から信頼できる人が欲しい。
雪風に吹かれながらそう願うシージと、ドクターの友情のお話。


 季節外れの寒風が吹きすさぶ、戦場の真ん中である。

 舞う雪の白。あちこちで轟く赤黒い爆炎。灰色の廃墟の影。色彩の乏しい戦場に、金色の髪が激しく乱れ、はためいている。

 血だらけの男の上で、純金よりも鮮やかなシージの黄金の瞳孔が開いた。

 

「……投降しろ。これが最後だ」

 

 血の気が失せた青白い唇から低い声が漏れ、同時に吐いた白い息が突風にまかれて消えていく。シージに組み伏せられている男――レユニオンの兵士は、彼女が与えた最後の情けを嘲笑う。

 

「お断りだ。ロドスのペテン野郎。お前らの捕虜になるなら死んだ方がましだ」

 

 吐き付けられた唾を、シージは少し首を動かしてかわす。「ちっ。惜しかったなぁ」と男は、ひゅうひゅうと掠れた息を漏らした。シージは全く表情を変えず「……そうか」と呟く。

 そしてゆっくりと黒金のハンマーを片手で振り上げた。

 

「日和見主義の裏切り者め! てめぇらも地獄に落ちろ!」

 

 それが、男の最期の言葉だった。振り下ろされたハンマーの一撃で首がぐしゃりと折れ、突き出た骨と皮膚の隙間から鮮血が吹き出る。

 苦しむ間もなく殺してやる。それが、男に対してシージが施せる唯一の優しさだった。モノクロの世界に、新たな血だまりが生まれる。シージはゆっくりと立ち上がり、周りをぐるりと見回した。

 怒号、叫喚、爆音。怨嗟の声で戦場は満ちている。

 

――我々はどこに向かって歩んでいるのでしょうか。

 

 耳の奥で反芻するいつか誰かに言われた言葉から逃れるように、シージはゆっくりと戦闘の渦中に歩み始める。その途中、何気なく北西の空に立ちこめる真っ黒い曇天が視界に入った。

 

――故郷は、あの方角だったろうか。

 

 ロドス、レユニオン、龍門、ウルサス。見渡す限り広がるのは戦場と底知れない暴力、そしてドス黒い陰謀詭計(いんぼうきけい)。血みどろの日常に引きずりこまれたグラスゴーの首魁の瞳に、まだ太陽は映らない。

 

 

Siege(シージ)―其の関係を友と云う―

 

 

※※※※※※※※※※※※

 

 

 フロストノヴァが率いる少数精鋭部隊「スノーデビル」を撃退し、包囲網を突破したロドス一行は南下して市街地を抜けようとしていた。車両も武器も失った。まさに満身創痍の撤退である。

 先の戦闘はロドスにとって地獄であったが、それは敵にとっても同じである。“最強の部隊”の戦闘員たちはロドスのオペレーターたちによって、ある者はズタズタに引き裂かれ、ある者はアーツによって黒焦げになり、そしてある者は肉塊になった。圧倒的有利な状況を覆された衝撃は大きいらしく、追っ手の気配はない。

 

「シージさん。怪我はないでしょうか、体を見せてください」

 

 廃都市に背を向ける一隊のしんがりを走るシージの横に、担当の医療オペレーターであるミルラがやってくる。元々、戦場に出る役目でない華奢な彼女には、この地獄みたいな状況は相当応えているのだろう。髪は乱れて顔は青ざめ、小刻みに震えていた。

 

「私は大丈夫だ。部下を先に診てやってくれ」

「いいえ。優先順位はシージさんが先です。皆さんのリーダーなんですから」

「私は無傷だ。問題ない」

「ずっと前線にいたじゃないですか。いつも言っていますが、シージさんはただでさえ感染リスクがとても高い状態です。それに街の外には本部の救援部隊が到着しました。迅速に次の行動に移すためにも今のうちに確認だけでも――」

「問題ないと言っている!」

 

 無理矢理腕を取ろうとするミルラを払いのけ、シージは「しまった」と思った。ミルラの煤だらけになった眼鏡の奥の瞳が大きく揺れる。

 

「そう、ですか。すいません、私余計なことしちゃいましたね。あとでまた来ます」

 

 震える唇をなんとか動かし、ミルラは前方へと駆け戻っていった。グラスゴーの部下やロドスのオペレーターたちが、無言でシージをチラリと見る。普段は物静かなシージが声を荒げることは滅多にない。こんな状況だから仕方ないとはいえ、癒やしにきた医療オペレーターに怒鳴るなど“らしくない”ことは自分でも分かっていた。

 

――この気持ちをどう整理すればいいんだ。

 

 部下には話せるわけがない。それはインドラのような側近であっても同じだ。自分は彼女たちのリーダーなのだから。ロドスの他のオペレーターになど、もっと口外できるはずがなく、シージはただ無言で砕けたアスファルトを蹴り上げた。

 

――信頼できる人が欲しい。部下でも利害関係者でもない。ただ、この形にできない思いを吐露できるのであれば。

 

 そんな人をなんと呼称すればいいのか、シージには分からない。

 ただ、心からそう願ったときに真っ黒なフードを被ったロドスの司令の背中が視界の端に映ったのは、きっと偶然ではないのだろう。

 

 

 廃都市の郊外には数機の飛行輸送船が待機して、ボロボロになった彼らを出迎えてくれた。周囲には2つの軍幕が張られ、うち1つは司令部、もう1つは重傷者の応急処置の場になっていた。

 司令部の軍幕ではアーミヤとドクター以下、10人程度のオペレーターたちが1つのテーブルを囲っている。招集されたのはいずれも“普通”のオペレーターではない。小隊の隊長やそれと同等以上の実力者たちだ。

 

「皆を労いたいが、まだ戦いは終わっていない。まずは私たちの話を聞いてくれるとありがたい」

 

 ドクターが口を開き、作戦会議(ブリーフィング)が始まる。言葉を続けたのは、ドクターの横に立つアーミヤだった。

 

「龍門がレユニオンの襲撃を受けています。まだ、口火は切られたばかりですが、近衛局の拠点が陥ちるなど戦況は芳しくありません。ロドスは龍門との協定に基づき、早急に支援に向かわなければなりません」

 

 にわかに場が沸き立つ。憤怒を露わにする者はいないが、アーミヤの発言に前向きな反応は明らかに少ない。シージも密かに眉をしかめる。当然といえば当然だ。チェンとかいう龍門近衛局の上役の行動はあまりも不誠実だった。

 

「苦情がある者は――まあ、少なくないだろうから、“私たちの帰還後”に受付窓口を設ける。いくらでも付き合うから、それまでは我慢してくれ」

 

 肩をすくめたドクターに、数人が苦笑する。帯びかけた嫌な熱が幾分か和らいだ。ドクターやアーミヤが先陣を切るのであれば、オペレーターたちも私情を切り離しやすくなるのだろう。

 

「すでにロドスの行動隊が龍門に入って近衛局を支援している。おそらく、敵の幹部と交戦する部隊も現れるはずだ。私たちはそこに直接乗り込んで叩く――とはいっても、不確定要素も多い。万が一のために、強襲部隊はロドス直属のオペレーターで編成する。エンカク、ヴィグナは私たちの護衛を。12Fは輸送機から援護を頼む」

 

 ドクターの指名を受けた術士と槍使いは真面目に返事をして、青髪の剣士は不敵な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「ロドスの兵なら死んでもいいというわけか。なるほど、実力が戻ってきたじゃないか」

「鋭いが少し違うな、エンカク。殺しても死なないような連中を選んだら、たまたまそうなっただけだ」

「なにそれ、すごく失礼なんですけど」

 

 ヴィグナがむくれると少し場違いな笑いが起こり、さざ波のように引いていった。

 

「学生自治団、グラスゴー、イェラグの皆さんは、ドーベルマン教官の指示に従って本船に帰還してください」

「……たった5人で強襲をかけるとは、よほどの自信があるようだな」

 

これまで黙っていたシルバーアッシュが口を開いた。銀色の鋭い瞳はまっすぐアーミヤに向けられている。

 

「……ええ、策も戦力も十分です」

「分かった。ならば私も行こう。ロドスの策と秘密の戦力とやらをこの目で見てみたい――それに、私の知らないところで盟友を危険にさらすわけにもいかないからな」

「指示に従えないと?」

「違うな、これは提案だ。ロドスの勝利をより確実にするためのな」

「アタシも行くぜ、社長さん。レユニオンにぶっ殺されそうになっているやつがいるのに逃げ帰るなんて、死んでもできねぇ」

 

 シルバーアッシュに続いて、ズィマーも手を挙げた。聞き分けのないリーダーたちに向かって、アーミヤが呆れた様子で口を開きかける。その時、軍幕の隙間から青い長髪の女性が顔をのぞかせた。

 

「ドクター、アーミヤ! いつまで待たせるの。退屈で死んじゃいそうだわ」

「シルバーアッシュ、ズィマー。それなら同行を願おうか」

「……ドクター?」

「彼らはとにかく頑固だからね。攻撃の機会を会議でつぶしたくないだろう?」

「……分かりました」

 

 一瞬、ドクターとシージの視線がぶつかる。口を開きかけ、一度閉じる。ほんの一瞬の逡巡だったが、シージには分かっていた。

 

――今の迷いに気づいた人間は、決して少なくはない。

 

「代表の指示に従おう。グラスゴーはロドスに戻ろう」

「……ありがとうございます。それでは詳細は私たち帰還後に」

 

 シージの隣を歩き、強襲メンバーたちがぞろぞろと軍幕から出ていく。

 彼らが姿が現すと現場は一気に動きだした。一機だけ黒塗りで異彩を放つ飛行輸送船の巨大なプロペラが回転し始めた。爆音が轟き、砂塵が巻き上がる。

 オペレーターたちの声に背中を押され、即席の強襲部隊は飛び立つ。その間、シージは薄暗い幕間に一人きり、ただ遠い歓声を聞いていた。

 

 

「聞いたか。ロドスのエリートオペレーターが、ほとんど一人でテロリストどもを圧倒したとか」

「強襲機まで持っているとは。ロドスは一体どこまで戦力を隠しているんだ」

「社外秘とはいえ、いつもは素知らぬ顔して俺たちを使いつぶしているくせに。とんだ“ペテン野郎”だな」

「――本当に危険な組織はもしかすると、レユニオンではなくこのロドスかも」

「ロドスのトップの3人には注意しなければ」

 

 龍門から強襲部隊が帰還した後、喜びの声を上げるロドスのオペレーターたちの影で、声を潜める“ロドスの協力者”も少なくはなかった。

 

――危険を犯してまで龍門を救ったというのに。不憫だな。

 

 先が見えないロドスの本船の廊下を歩きながら、シージは思いにふける。

 

――どの組織の人間かは覚えていないが、やつらの視界には私が入っていたはずだ。それでも会話を止めなかったということは……。

 

 グラスゴーはロドスと一定の距離を置いていると思われているか、それともこちらに不信感を抱かせるために、わざと聞こえるように会話していたかのどちらか。

 

――もしくはその両方か。

 

 現場を共にするオペレーター同士はそのような気苦労はないが、後方支援や事務方の人間たちは、ロドスや他の組織の監視や噂話で忙しいようだ。

 BSW、ペンギン急便、使徒、龍門、イェラグ、ライン生命そしてグラスゴー。数多くの組織と協定を結び、人材を招いているロドスでは、様々な思惑が渦巻いている。それがシージにとって日に日に鬱陶しさを増していた。

 

「龍門の強襲作戦にグラスゴーは参画しなかったらしい」

 

 その事実から派生する“嫌疑”の内容は、あまりにも想像に容易くシージはうつむいてため息を吐いた。他意があるわけではない。だが、素直に協力を申しだせなかったのは間違いないのだから、心中は複雑だ。

 表情を変えないまま、シージは手に握っている一枚の紙をチラリと見る。

 

―――――――――――――

 

「×月×日。ウルサス帝国廃棄都市戦闘における窓口について」

対象:該当戦闘の参加者

場所:ドクター執務室

期間:本日より3日間

受付方法:予約制

 

―――――――――――――

 

 先ほど、インドラに乱暴に手渡された用紙にはそう書かれている。

 どうやらドクターは本気でオペレーターたちの意見を聞く気らしい。普通では考えられない対応に、さすがのシージも最初は目を丸くした。

 とはいえ、いつもであれば「面倒ごと」だと判断して見向きもしなかっただろう。ただ、今回はインドラの無言の圧力に負けて重い腰を上げた。

 長い仲だから分かる。生粋のギャング気質であるインドラにとって、今回の戦闘不参加を不満に感じないわけがない。それでも胸ぐらつかんでこないのは、彼女なりの気遣いなのだろう。だから、こうして紙を投げてよこすだけで我慢している。

 

――自分でケジメをつけろ。

 

 そう言う意味だろう。ようやくドクターの執務室の前に立ち、シージははっと目を見開いた。自動ドアの前には『CLOSE』という札がぶら下がっている。

 ようやくシージは、思い出した。相談窓口は予約制だったことを……。

 

 

「ドクターなら病棟にいるわよ~」

 

 軽く絶望したとき、ふいに背後から声をかけられてシージはゆっくりと振り返った。

 夜間モードで薄暗くなった廊下。蛍光灯と蛍光灯の真ん中の光から一番遠い場所に、ピンク髪の暗殺者に壁に背を預けて立っている。

 シージに話しかけているようだが、興味など皆目なさそうに廊下の窓から覗く月を眺めていた。

 

「病棟? ドクターは怪我をしたのか」

「まさか。私が生きるうちは指一本触れさせないわ」

「なら誰かの見舞いか?」

「残念。あなたみたいにアポなし突撃する人たちが多すぎて逃げ出したのよ」

 

 くすくすと笑った後、グラベルはふいにシージに向かってナイフを投げつける。トンッと軽い音を立ててナイフがシージの頬のかすめて壁に突き刺さった。

 よく見るとナイフの先が吸盤になっていて、そこに一枚のメモ用紙が添えられている。

 

「病棟の警備にそれを見せたら、ドクターのところまで案内してくれるそうよ。会いたいなら、行ってみたらどうかしら」

「……なぜ、ドクターはこんなことを」

 

 メモを手にしてシージは逡巡する。

 

――罠か?

 

 と一瞬考えるが、すぐに思い直す。さすがにそれはあり得ない。あくまでもグラスゴーとロドスは協力関係で味方同士だ。では――とシージは考える。

 

――私とドクターはどのような関係なのだろうか。

 

 作戦上は上官だろうが、常に指揮命令されるわけではない。もちろん部下ではないし、同僚というわけでもない。とはいえ、他人と言い切るのも憚れる。

 

「ほら、早く行ってみたら?」

 

 突然、ぼぅっと突っ立ったシージに、グラベルが話しかける。どうやら、選択肢はないようだ。

 シージは暗闇に向かって歩を進めた。

 

 

 警備オペレーターに連れて来られたのは、医療棟の屋上だった。外に出るための鉄製のドアの前には、護衛のノイルホーンが控えていた。

 

「ドクターなら外にいるぜ」

 

 まるでシージが来ることを知っていたかのように、親指を後ろに向ける。ドアを開けると、初夏の心地良い夜風が吹き込んでシージの髪を揺らした。

 満点の星空の下、ドクターは屋上の真ん中で空を見上げていた。同系色のコートを羽織っているからだろう。まるでそのまま吸い込まれるのではないかと、シージはドクターに近づきながら思った。

 

「苦情を言いに来たんだが。窓口はここで合っているか」

「……いや、今日はもう閉店したんだ。それ以外の用事なら大歓迎だが」

 

 疲れ切った声に苦笑しながら、シージはドクターの横に並ぶ。

 

「休まなくていいのか」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ。ミルラが明日、朝一で乗り込んでくるぞ」

「……あのオペレーターには悪いことをした」

「私じゃなくて本人に言えばいい。彼女もプロだ、状況なら全部飲み込んでいるさ」

 

 肩を並べ、お互いの目を合わせる間もなく会話が始まる。今日一日、胸の奥に詰まっていたものがボロボロと喉からこぼれ落ちはじめた。

 

――結局、私は話を聞いて欲しかったのだろう。誰でもないドクター(このひと)に。

 

 部下や指導者には決して言えないことがドクターには伝えられる。もう随分と前にその事実には気付いている。だからこそ、敵味方なんておおざっぱなくくりではない関係性にこだわっているのかもしれない。

 

「今日、龍門の強襲作戦に――」

「そういえばアーミヤが感謝していたぞ」

「……なぜだ?」

「作戦会議でアーミヤの指示に従ってくれたから。シージまで命令を反故にされたら、さすがに私たちの立つ瀬がないからな。かろうじて面目は保たれた」

「……そうか」

「唯でさえ、ケルシー先生からはダメ出しされているからなぁ。『思いつきで行動しすぎ』やら『お人好しすぎ』とか」

「それは女医が正解だな」

 

 くつくつと笑い、シージはドクターをチラリとみる。深いフードの奥の顔は分からないが、きっと同じように笑みを浮かべているのだろう。

 

――確かに、お人好しすぎるな。

 

 だが、それに救われる人はきっと少なくないのだろう。

 

「なぜ、医療棟にいるんだ」

「眠る前に重傷のオペレーターの様子を確認したくてね。心配していたフロストリーフはなんとかなりそうだ……復帰にはしばらくかかりそうだが」

「そうか」

「まだまだだな、私も。彼女たちには助けられてばかりだ」

 

 軽い口調だが、いつものはぐらかす感じではない。

 確かにあのキツネの少女――フロストリーフの火事場の馬鹿力がなければ、もっと甚大な被害を被っていただろう。だが、ドクターでなければ全滅していた可能性だってある。

 伝えなければ。そう思った。

 

「全部がそうではないだろう。私も一応率いる立場だから分かる」

「……もしかして励ましてくれているのか。珍しい」

「ほぉ、そういう態度なら考えを改める」

「いや、ありがたいよ」

 

 お互い笑いを含みながら話す。ふと会話が途切れる。随分と地面から離れているはずなのに、微かに夏虫の音が聞こえる。その静寂がきっと、きっかけになったのだろう。

 

「昔、訊かれたことがある。『我々はどこに向かっているのか』と。だが、私は答えられなかった」

「……」

「ロドスに来てしばらく立つが、目は曇るばかりだ。ドクターには、私はどのように見えている? 私の歩む先には何があるのだろう」

 

 つっかえていた一番奥のもやもやを吐き出した。

 

「どうだろうな。私にも良くわからない」

「……そうか」

「だがロドスの“重荷”を共に抱えてくれていることには感謝しているよ」

「ロドスの重荷、だと」

「守らなければならないものも、敵も多くて大変だろう? それでも一歩ずつ前に進んでいる。今は未来は見えなくても、進むうちに見えてくる。それはきっと、今、ここにいるすべての人に当てはまるんじゃないだろうか」

 

 シージはふっと息を吐く。期待していた言葉とは違ったが、なんとなく、肩の荷が下りた気がした。

 

「存外、そんなものか。ドクターやほかの指導者たちはもっと未来を見据えているのかと思った」

「なんだ。焦っていたのか、意外だな」

「ここには癖の強いリーダーが多すぎるからな」

「ははっ。それは違いない」

 

 ドクターはそう笑った後に続ける。

 

「だが、せっかく私たちの重荷を担ぐのを手伝ってもらったんだ。いつか、シージの重荷が大きくなったときは私たちが手を貸すよ」

「……こんなところで口約束していいのか」

「問題ない。証拠もあるからね」

 

 ドクターが屋上の端を指さすと、そこには中型犬程度の大きさのドローンが頭のカメラをこちらに向けている。

 

「なんだ。撮られていたのか」

「本当は星を撮りたかったんだが。ほら、聞いているだろう。私のプロファイルを作成中でね」

「……なるほど。お互いのかゆいところをさらけ出したんだ。都合良く編集してくれ」

「理解が早いね。了解だ」

 

 割と危険な橋な気もするが、まぁいいだろう。シージは続ける。

 

「覚悟しておけ。私たちが背負っているものは、多分、私が今思っている以上に重いぞ」

「その時は相談させてくれ」

「もう遅い」

「おいおい、仲間だろう。話せば分かるって」

 

 くつくつとドクターは笑って、初めてシージに初めて向き直った。

 

「いや、ただの仲間じゃないな。お互い守る者がいて、厄介な敵もいる。それに人も率いるなんて面倒な役割も担っている。考えてみれば、私とシージには共通点がたくさんある」

「それはなんていう関係だ?」

「それは――」

 

 ドクターが口を開きかけたそのとき、背後から低い声が降ってきた。

 

「その関係を友という」

 

 驚いて振り向くと、そこにはシルバーアッシュがマントをたなびかせて立っていた。

 

「私とドクターのようにな。グラスゴーの首魁よ。喜べ、私以外にドクターが弱音を吐く相手などなかなかいないぞ」

「シルバーアッシュか。なんでここに?」

「祝杯を挙げようと探していた。ちょうどいい、一緒にやるか」

 

 シルバーアッシュが懐から3本のカクテル瓶を取り出した。ドクターは、「おっ、いいね」と言って瓶を手に取る。シルバーアッシュとは酒を酌み交わすような仲ではないが、まぁ、いいだろう。

 カツンッと音を立てて瓶の口に唇を付けて、中のカクテルを一口飲む。爽やかなグレープルーツの匂いが鼻腔をくすぐる。

 

――友か。

 

 表情は変えないまま、シージは月を見上げる。思いも付かなかったが、確かにすっきりする。共に重荷を背負う仲間であり、友である。だから、きっとドクターには何でも話せるのだろう。

 もやもやが澄み渡った気がする。現状は何も変わらないが、それでも今は良いと思えた。

 

「珍しいな、シージがそんな顔で笑うだなんて」

 

 ドクターに言われて、初めてシージは自分の口角が上がっていることに気付く。久方ぶりの「友」という響きは少しくすぐったかった。

 きっと、シージの内心に気がついたのだろう。ドクターにやりと笑い、再び、シージ向かってカクテル瓶をかざす。

 

「じゃあ、私とシージの友情に乾杯」

「あまりふざけないでくれ」

 

 そう言いつつも、シージは少し顔を伏せたまま、ドクターとカクテル瓶を軽くぶつける。

 軽い音が静かな夜に響く。

 

――その夜の光景を、彼女はきっと重荷を背負い直す度に思い出すのだろう。

 

 交差したロドスとグラスゴー。シージとドクターの物語は、まだ始まったばかり。それでもシージにはなんとなく確信があった。

 くだらない陰謀や噂話なんて関係ない。そんなことで、共に重荷を背負う手を離したりはしない。それはきっとドクターも一緒だ。

 

 

 

――そう信じられる関係が、きっと友と云うのだと。

 

 

 

 




太ももが眩しい先方のエース、シージ姉さんのお話でした。
色々と謎が多い彼女ですが、色濃いロドス常駐のリーダー達の仲では以外と年が若い方な気がしています。
ゲームのプロファイルに記載されている、これからきっと色々経験してどんどんリーダーとして磨かれていくんでしょうね。

取りあえず、ヴィクトリア編が待ち遠しいです!

ここまで読んでいただいてありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エクシア -ブルースカイ・ハイウェイ-

ロドスは辛気臭いし、あまり好きじゃなかった。けれど、そこで生きる人たちのことを知ってしまった。だからあるを約束したエクシアとドクターのお話。


 全体に色彩が乏しくて地味。娯楽が少なくて退屈。冗談が通じない人間が多い。など、製薬会社ということを差し引いても散々な評価が飛び交うロドスだが、それでも初夏となると世相ないつもより浮足立つ。

 商業エリアの飲食店は、大樽を路面に出してテラス席を設け、あちこちからロックやジャズが音楽と陽気な大人たちの笑い声が飛び交っていた。薄暮の時間はとっくに過ぎて、龍門の路地裏のように小さな店がひしめきあったその光景のなかをエクシアは上機嫌で歩いていた。

 週末の仕事終わり。龍門のお気に入りのホール・クラブでパブロックを堪能し、ロドスで飲みなおす。エクシアの最近の楽しみだった。

 

「おう、エクシア! 今日は何杯飲んでいるんだ!」

「わっかんない! でもキミの三倍くらいは飲んでるよ~」

「バカ言え、俺の三倍も飲んだら泡吹いてひっくり返ってるはずだぜ」

「そんなこと言って、この前ダブルスコアで負けてたじゃねえか」

 

 エクシアが路地を歩くだけで、あちこちから声をかけられ乾杯に誘われる。そのなかにはオペレーター以外にも、ロドスの居住者も少なくはない。

 酔っぱらっていること隠そうともしないくせに、しっかりとした足取りで声をかけられるたびにハイタッチを繰り返すエクシアをテキサスやクロワッサンは半ば呆れて眺めていた。

 

「ほんまにあの子はお酒強いなぁ。さっきの店であんなに騒いでたのに」

「……そう言うクロワッサンもたいがいだけど。ジョッキ何杯飲んだの」

「あんたもね、テキサス。グラスが3秒で空になったのうちは忘れてへんよ。ていうか、今日は二回も配達中に戦闘したってのに、エクシアはなんであんなに体力あるん?」

 

 周囲は相当にぎわっていて、喧騒にも近いのだがエクシアは二人の会話をしっかりと聞いていたらしい。くるりと振り返ると、アルコールのせいで少し桜色になった頬をにっと持ち上げて笑う。

 

「それは、今日を生き抜いた立派なあたしにご褒美あげなきゃいけないからでしょ~。さぁさぁ、次は何を飲むよ」

 

 クロワッサンとテキサスの真ん中に飛び込むと、両手を広げて肩を組んだエクシアを二人は慣れた感じであしらう。とはいっても、夜のロドスに別に付き合うのはやぶさかでないらしく「いつものとこに行こうか」とアイコンタクトする。

 そのときだった。耳元でエクシアが「あっ、リーダー!」と叫んだ。テキサスが「やかましい」と苦言を呈するが、エクシアはまったく気にしていない。

 三人の数歩先には、ジャズが流れる薄暗いパブがあり、店内に半分入りかけているドクターがいた。その後ろにはドーベルマン教官をはじめ、ロドスの制服を着た数人が連なっている。恐らくそれなりのお偉いさんたちだろう。

 

「ペンギン急便か。お前たちの噂は聞いているぞ。随分、気前と飲みっぷりが良いみたいだな。浮かれるのはいいが、度が過ぎると痛い目に――」

「リーダー、偶然じゃん! 珍しいー、こんなとこでなにやってんの?」

「おい、エクシア。私の言うことを――」

「あたしたちもこれから飲み直すんだけど、一緒に楽しもうよ~」

 

 ドーベルマンの面倒な小言をするりと躱すと、エクシアは今度はドクターの肩を叩く。ナチュラルな態度ではあるものの、エクシアの視線は明らかに「これは面白い夜になりそうだ」と輝いている。ドクターもそれを感じ取ったのだろう。言葉に苦笑を滲ませている。

 

「ぜひ、お手合わせ願いたいが、明日の予定は大丈夫かい?」

「……ん、明日? 明日は休暇だけど」

 

 ドクターを見上げ、エクシアは小さく首をかしげる。そして数秒、集団の間に沈黙が流れた。エクシアが「……やっば」とつぶやくのに、そんなに時間はかからなかった。

 

「明日のプロファイル制作。忘れていたな、エクシア」

「……」

「エクシアさん?」

「……さ、さすが“ドクター”酔っぱらっていても頭脳は明晰だね」

「いや、これから一軒目でまだ素面なんだが」

 

 エクシアは思わず頭を掻いた。ドクターはともかく、周囲の視線が痛い。特にテキサスとドーベルマン教官は、何か人ではないモノを見るような視線を容赦なく投げかけてくる。

 プロファイルの制作のために「休日を貸してくれ」と頼まれたのは数日前のこと。それに二つ返事で「サプライズだから予定は秘密だからね!」と返したのは、確かにエクシア本人である。

 

「ふっ、甘いねリーダー。あたしは忘れてなかった。それどころか、こうしてここで出会ったのもすべて計画通りだったのさ」

「いや、さっき“偶然~”って言って――」

「候補は二か所あるから、リーダーに選んでもうおうと思って!」

 

 ドクターのツッコミを遮り、エクシアはポケットから1つの銃弾を取り出した。そしてピンッと親指で宙にはじく。テキサスやクロワッサン、ドーベルマンなどそこに居合わせた人の視線が、銀色に光る銃弾を追いかけて空を見上げた。

 エクシアはそれを両手で胸元でキャッチした後、拳を作ってドクターの前に突き出した。

 

「さぁ、どっちにあたしの“幸運の銃弾”があると思う? 当たったら龍門で一日デート。外れたら荒野をドライブだ!」

「……いいだろう。本気で当てに行くぞ!」

 

 店前で騒いでいたからだろう。道行く人たちが足を止めて、右だの左だの勝手に意見しはじめる。そんな空気に影響されたのだろう。意外にもノリノリになったドクターが、勢い良くエクシアの右手を指さした。ロドスとペンギン急便の面々が、そろってエクシアの右手を覗き込む。ほんの少しだけ焦らした後、エクシアは右手をゆっくりと開いた。

 その結果に、飲み屋街の小さな人だかりはどよめく。エクシアはドクターの手を取って笑った。

 

「大外れ! 最高の旅にしてあるから、覚悟しておきなよー、リーダー!」

 

 

Exia(エクシア)-ブルースカイ・ハイウェイ-

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

――なぁんて、見栄を切ったのは悪かったのかね。

 

 憎々しいほどの雲一つない青空を見上げ、エクシアは両手を後ろに付いて座り込んだ。

 見渡す限りの赤茶色の荒野。そこにまっすぐに伸びる四車線の道路。東の地平線には、遠く霞んだロドスの巨影が見える。頂点に上った太陽が容赦なく、エクシアを照り付けていた。

 道路の脇に停車した見慣れたペンギン急便のワゴン車は、ボンネットから白い煙を噴き出してピクリともしない。

 

――あれはダメだな。

 

 少し離れた場所で、エクシアはチラリと車の様子をうかがう。ロドスを出立して約2時間後、ロックンロールが鳴り響く陽気なワゴン車が突然ぶっ壊れたのである。

 

――さて、どうしたものですかな。 

 

 よそ見をしているエクシアの頭に、突然、生ぬるい水が浴びせられて「うひゃあ!」と、肩をすくめた。見上げるといつの間にか背後にテキサスとドクターが立っていて、こちらを見下ろしている。

 

「……最高の旅か。確かに忘れらない旅になったよ。なぁ、テキサス」

「そうだな。記憶の限り、帰還後は報告書に書き綴っておこう」

「いや、さすがにこの状況は私のせいじゃないでしょ」

「どこかの天使が二日酔いで運転できないっていうから、私はここにいるんだが?」

「ははっ。まぁ、それは置いておいて……修理はどうなったの?」

「諦めた」

 

 ひらひらと手を振るエクシアに、テキサスは短く返して右横に腰かける。そしてポケットから煙草を取り出し、一服しはじめた。

 ドクターもそれに倣ってエクシアの左側にどっかりと座り込む。その拍子に何か硬いもの同士がぶつかる音がして、エクシアはドクターのポケットに視線を移した。

 

「中継基地まで、あとどれくらいなんだ?」

「車で1時間。徒歩だと3時間かな」

「それは遠いなぁ」

 

 そう。エクシアの『ドクターズ・プロファイル』は、ロドスの現在地から最寄りのペンギン急便の中継基地までのドライブだったのだ。本来は関係者以外立ち入り禁止の超貴重映像を提供するはずだったのに、気が付いたらこの有様だ。

 

「まぁ、また機会はあるだろう」

 

 ドクターは悠長な感想を言うと、その場に仰向けで横になった。アスファルトほどではないが、茶褐色の地面もそこそこ直射日光を吸収して熱いはずだ。それでもドクターは、特に気にする様子もなく「いやぁ、熱いなぁ」とのんびりと言う。

 エクシアもテキサスも人のことを言えた義理はないのだが、一見、緊急事態のはずなのに全員がまるで、はじめからこうなることを知っていたかのように落ち着きを払っていた。

 そんな状況が少しおかしくて、エクシアは首にかけていたスポーツタオルをドクターのフードの中に、パサリと落として笑う。

 

「だったらその暑苦しい恰好を止めたら、リーダー?」

「日光は苦手なんだよ」

「へー、初耳! 今大丈夫なの」

「ああ、なんとかね」

「……ふぅん」

 

 ひどく自然体なドクターの横で、エクシアもゴロンと横になる。瞳が痛くなるほどの濃い青空だ。緩やかな西風が吹き、テキサスが加えるタバコの紫煙が音もなく視界にフェードインして小さく揺れた。エクシアはゴロンと体をドクターに向けると「ねぇ、リーダー」と口を開く。

 

「何か良いアイデアあるんでしょ。教えてよ」

「テキサス。こんなときはプロのトランスポーターはどうするんだい?」

「……エクシアに任せる」

 

 流れるような責任転嫁にエクシアは思わず吹き出した。ドクターも短いけれども、声を出して笑いテキサスもタバコをくわえる口角が少しだけ上がる。

 ひとしきり笑うと、ドクターが腰を起こす。そして周囲をぐるりと見渡した。

 

「夏の始まりの青空、どこまでも続く大地、一本伸びる道路……そして、故障した車。いいね、まるでロードムービーみたいだ。感謝しているよ、エクシア、テキサス」

 

 振り回されているはずなのに、ドクターはひどく穏やかな声だ。

 

――ドクターとエクシアは、少しだけ似ているな。

 

 つい最近、ハンドルを握るテキサスに言われたことがある。

 

――どんな状況も楽しもうとするクセがある。良い意味でも、悪い意味でも。

 

 確かに、予期しないこの状況をエクシアも楽しんでいた。そして、ドクターにも楽しんでもらえるのならそれもまたうれしい。

 だが、エクシアは知っている。

 

――ドクターの今日の目的は、それだけではないことを。

 

 車の中で何度か、彼のポケットから金属音が聞こえることをエクシアは聞き逃してはいなかった。

 

「――定時の連絡を入れていないから、あと1時間程度でロドスから救援が来るだろう。それまでの時間、少しだけ付き合ってくれないか。エクシア」

 

 ゆっくりとドクターが立ち上がり、エクシアに手を伸ばす。

 

「仕方ないなぁ。あたしの時間は高いからね」

 

 エクシアはドクターの白い手を取り、立ち上がる。そして二人は、三本目のタバコに火をつけたテキサスに留守を任せて道路から離れた。

 前を歩くドクターの背の向こうには、荒れ果てた大地がどこまでも続いている。目的も分からず歩き続ける彼の姿は、エクシアは彼の立場を示しているようだと、なんとなく思った。

 

 

「ここにしよう」

 

 ドクターが立ち止まったのは、なんの目印もない大地の真ん中だった。ドクターはしゃがみこむと、手のひらで乾いた土を掻きはじめた。

 その異様な光景をエクシアはただ黙って見つめている。いつもなら軽口の一つでも言うのだろうが、“そういうことではない”ということをエクシアはずいぶん前から気付いていたのだ。

 

――チャリン。

 

 ある程度、穴が深くなるとドクターはポケットからあの音の正体――銀色の鍵束を取り出した。

 

「リーダー、それは?」

「私室の棚の奥にあったんだ。ところが鍵穴が一つも見つからない。このままでは気味が悪いし、とはいえ本当に重要な鍵なら放置しておくわけにもいかない。だから、ここに保管しておこうと思ってね」

「“保管”? こんな目印も何もない場所に?」

「あぁ、だからほら、記録に取っている。あと、出来ればエクシアも覚えてくれているとありがたい」

「……ふぅん、プロファイルとか言っちゃって、打算的にあたしを巻き込んだわけだ」

 

 後ろに控える撮影用ミーボをチラリと見て、エクシアは笑う。一見、いつもの様子と変わらないが瞳は笑っていない。とはいえ、怒っているわけでもない。

 

「そうだな。本当は中継基地の近くに埋めたかったんだが……」

「確かに、そっちの方が見つけやすそう」

 

 今度は本当に笑い、エクシアは中腰でドクターの横に並ぶ。

 

「でもさぁ、私が覚えていたとして、本当にその鍵が必要になったときにはもう味方じゃないかもしれないよ」

 

 ペンギン急便とロドスはあくまでビジネス上の関係だ。ロドスの駐在員だって、ロドスの輸送物資がなくなれば早急に身を引くことになるだろう。それに今のロドスの敵は、レユニオンというテロ集団だ。けれどもしそれがペンギン急便の大口取引先である移動都市や国になったら、今の関係はあっという間に解消。最悪、エクシアの銃口は彼らに向けられるかもしれない。

 

「なぁんてね! 冗談、冗談! そんな悪いこと起きるわけないでしょ」

 

 エクシアが笑ってドクターの背中をドンッと叩いた。だが、ドクターは無言のまま小さく首を傾げた。エクシアはあきらめたようにふっと口元を緩める。

 

――ああ、やっぱりこの人にはかなわないな。

 

 最初は、ロドスのことはほとんど印象に残っていなかった。駐在してからもしばらくは辛気臭い場所だと思っていた。だが、人を殺す武器と人を救う医薬品のどちらも運び続け、それを手に取る人たちを見て、一緒に飯を食べて、酒も飲む。そんな人たちも、次の日には戦場や病床で死んでいく。そんな光景を目の当たりにして、ビジネスパートナー以上の感情を抱いてしまわないわけはないのだ。

 悪い言い方だが、きっとドクターはそれに気づいて“秘密の共有”を持ち掛けてきたのだろう。

 それがエクシアを少しでもロドスに繋ぎ止めようとしているのか、それとも何か別の目的があるのかは分からない。

 

――ふふっ、いいじゃん。乗ってあげる。でもねぇ、リーダー。あたしをただのオペレーターと一緒にしないでよ。

 

「……ねぇ、リーダー」

 

 そう言って、エクシアはポケットから銀色の銃弾を取り出した。そして親指で天に向かってはじく。青色の空に幸せをもたらす銃弾が一瞬だけ、宙を舞う。両手で包んだ銃弾を滑らせるように手に握り、両腕をドクターに向かって突き出した。

 

「……どっち? 当てたら覚えておいてあげるよ」

「……」

 

 ドクターが指さした左を開く。そこには銃弾はなかった。

 

「はずれ、下手くそ~」

「動体視力が衰えてるのかなぁ」

「そんなの関係ないでしょ~」

 

 エクシアは笑って言って、鍵束を掘り返すとドクターに向かって投げつけた。一度、手離した鍵束をドクターは両手でしっかりと握る。

 

「大切なものは、手の届くとこに置いておくのが基本だぜ、リーダー」

「……あぁ、そうかもな」

「けど、このままフッちゃったらリーダーがかわいそうだからさ」

 

 エクシアはドクターに駆け寄ると、そっとその両手に触れて鍵束から一本だけ鍵を取り外した。そして返す手で先ほど右手に握っていた銃弾をドクターの手に少しだけ無理やり握らせる。そしてその上から自分の両手を優しく被せ、目を閉じる。

 

「――主よ、願わくば常しえに良き荷を運び続けられますように」

「……エクシア」

「鍵は1本だけ預かってあげる。必要になったら、それと交換するから無くさないで持っててちょ」

「……まったく、君にはかなわないな」

 

 ドクターはフードの上から頭を掻く。エクシアは、にっと笑い手のひらを突き出す。ドクターも手を挙げた。青空を背景に大小の手のひらが叩き、清々しい音を立てる。

 その時、遠くからエンジン音と騒がしい声が近づいてきた。ドクターを呼ぶ声がいくつも聞こえる。それに応えるように歩き出したドクターの背中を追い抜いて、エクシアはくるりと振り向いて笑う。

 

 

 

「リーダー。任せといてよ、あたしがこれからも希望をたくさん届けてあげるから!」

 

 

 




狙撃の王様エクシアさんのお話。エクシアだけでなく、ペンギン急便の人たちはそこにいるだけで喧しくて、明るくて良い人たちですよね。
外部のオペレーターではあるものの、ロドスが征く苦難の道にできるなら付き合ってあげてほしいものです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヤトウ -花をたむける-

「おぅ、新人。もう遺書は書いたか?」

 

 昼下がりの食堂で、サングラスをかけた強面の男が山盛りのナポリタンをかっ食らっている。その対面に座るのは、まだ若き日のヤトウだった。

 

「遺書、ですか? なんでまたそんなものを。」

「おいおい、新人研修で習わなかったのか。ロドスのオペレーターの古き“悪習”だぞ。必修科目だろう。」

「はぁ。」

 

 本来ならば、食事を共にできるような人物ではないことは百も承知であるのだが、男のフランクな態度に流されて、ヤトウは少し不躾な態度で相づちを打つ。300人も収容できる食堂の一角。喧噪にも似た活気溢れる光景はセピア色に薄れているが、そのやりとりだけは忘れることはなかった。

 

「事故、戦闘、鉱石病……。ロドスの行動隊員は10年も続けられたら大ベテランで、いつ死ぬか分からない。僻地で死んだらタグも回収される可能性もない。だから、ほとんどのオペレーターは初任務の拝命と同時に遺書を残す。」

「……そうなんですか。」

「そうだ。だが、今まで遺言を考えていないとは、見込みがある新人だな。」

 

 男はサングラスの奥の目尻を下げて笑い、まだロドスのオペレーターの制服が馴染みきっていないヤトウに向かって言う。ヤトウは対応に困って、眉に少しだけシワを寄せた。この男とはたまたま相席になっただけで、特段、親睦が深いわけではない。それに、ヤトウは自分が愛想の良いタイプではないことを自覚していた。

 

「……遺言を残すべきなのか、残さない方がいいのか、どっちなんですか。」

「何も残せなかったら、最初からここにいなかったも同然。そんなのはあまりも虚しいって考えなら、いますぐ遺書を書いとくべきだろうな。」

「忠告ありがとうございます。私はただでさえ、存在感がないでしょうし。」

「お前なぁ、そういうところだぞ。新人のなかで若干浮いているのは……だが、そうだな。見込みはありそうだ。」

 

 あっという間にナポリタンを食べきった男は、グラスに入った水を喉を鳴らして飲み干し、ヤトウを真っ直ぐ見た。

 そのあとに、二言、三言何かを言うのだが、ヤトウにはそれが聞き取れず思い出せない。そうこうしているうちに男の姿が霞み始めた。

 

――Aceさん!

 

 ヤトウは叫ぶが、それでもは何かをしゃべり続ける男の姿は霧散していく。

 その姿が消えたと同時に、視界が真っ赤に染まる。こだまする悲鳴と雄叫び、頭が痛くなるほどの耳鳴りのなかでヤトウはあの日の言葉を必死に思いだそうとしていた。

 

 

Yatou(ヤトウ)―花をたむける―

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 腹部の鈍い痛みで目を覚ました。

 真っ白な病室の真ん中。ベッドの四方を囲んだ分厚いビニールカーテンの向こうには、何台もの医療機器がずらりと並んでいて、ヤトウの体中から伸びた管が繋がっていた。

 

――天国では、なさそうだな。

 

 薄い青色の患者衣の裾を少しめくると、余すことなく巻かれた包帯が目に入る。所々、血が滲んでいる。

 

「……おはよう。よく眠れたか、オペレーター・ヤトウ。」

 

 枕元にあるスピーカーから緊張感のない声が響いた。ロドスの医療分野を支える柱の一人、ワルファリンだ。

 数年ぶりに聞いた懐かしい声に、オペレーターは小さく頷いて返した。

 

「妾の患者になるのは、3年と145日ぶりだな。鎖骨の半分まで刃が食い込んでいたが、あのときよりはマシな怪我だ」

「……私は、なぜここにいるんだ」

「覚えてないのか。輸送作戦中に賊の奇襲にあったのだ。幸い死人は出なかったが、物資はごっそり盗られたようだな。担当の指揮官が新人だったのが裏目に出たな。」

「チームのみんなは――」

「皆、軽症だ。心配するな。」

 

 ヤトウは、ほっと胸をなで下ろす。そんな彼女の様子を知ってか知らずか、ワルファリンは興奮気味に高笑いし始めた。

 

「それにしても、久しぶりの大手術で高ぶったぞ! 最近はドクターの性格(ひと)が変わったせいで、重傷者が減っていたからな。」

 

 ワルファリンは変人ではあるものの、ロドスでトップクラスの腕を持つ医者である。骨折程度の重症度では、彼女がアテンドされることはない。

 飄々としたワルファリンの態度からほとんど読み取れないが、恐らく自分は生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだろう。

 ヤトウは包帯やギプスでガチガチに固められた右肩をチラリと見る。

 

「私はいつ現場に復帰できる?」

「そう急くな。最近は働き詰めだったのだろう、良い機会だからゆっくり休め」

「分かった。けれど、速やかに現場に復帰するための準備も必要なので。目処を教えてくれ。」

「……頑固者め。一体、誰に似たんだか。」

 

 ワルファリンはぼそり愚痴をこぼした後に短く「最低3カ月」と答えた。

 想像よりもずっと短い。さすがロドスの医療技術といったところだろうが、それでもヤトウの胸の奥には少しだけ影が差す。

 

「先生、もう少し早く治らないかな。」

「莫迦を言うな。あと、治療中は勝手な真似はするなよ。その部屋は24時間監視しているからな。妾の患者には誰にも手出しさせん。」

 

 そう言って、ワルファリンは一方的に通話を切った。

 しんと静まり返った病室で、ヤトウは一人きりになる。すぐに意識が遠のき始め、ヤトウはゆっくり目をつむる。すると体力はほとんど残っていないのだろうし、薬の影響もあるのかもしれない。

 

――何も残せなかったら、最初からいなかったのも同然。

 

 ふいに、また、あの日の走馬灯がよみがえる。ヤトウは、ぼんやりと真っ白な天井に左手を伸ばした。

 

――私は、その「何か」を残せるのだろうか。

 

 ◆

 

 それから1カ月近く、「絶対安静」を命じられたヤトウはひたすらベッドの上で過ごしていた。ワルファリンが見舞い客の訪問も許さなかったため、暇つぶしの相手すらいない。

 なまっていく体に気ばかりが焦るが、麻酔が切れたらすぐに疼く右肩の鈍い痛みに堪え続けることしか、ヤトウにできることはなかった。

 

「担当の医療オペレーターが心配しているぞ。」

 

 ベッドの横に置いたパイプ椅子に足を組んで座り、カルテにガリガリと鉛筆で何かを書きながらワルファリンが口を開く。

 

「……なぜ?」

「一日中真っ暗な部屋で、微動だにしない患者がいれば誰だって心配するだろう。本くらい読んだらどうだ。」

「暗いと文字が読めない。私は、日光が苦手だから。」

「知っている。その特性は妾も同じだ。だがなぁ、医者の立場から言わせてもらうが、短時間でも窓を開けていた方が、傷の治りも早まるぞ。」

 

 病室に唯一ある窓をペンの先で指して、ワルファリンは言う。

 

「人は暗がりの中に居続けるとやがて腐る。体ではなく、精神がな。」

「……わかった。」

 

 気にしないふりをしても、なぜかワルファリンの言葉は胸の奥に残っていた。きっとそのせいなのだろう。ヤトウはその夜、悪夢を見た。

 

 ◆

 

 パラパラと窓を打つ雨音が聞こえる。日中は耳障りな医療機器の電子音は止まり、辺りは静まり返っていた。

 ベッドに背を預け、ヤトウは室内より幾分か明るい暗闇が映える窓の外をぼんやりと眺めていた。

 その時だった。

 背後から悪寒をともなう視線を感じ、ヤトウは素早く振り返たのだ。

 

――なにか、いる。

 

 部屋の四隅の一番奥。病室の中で最も闇が色濃いその場所に、誰かが立っていた。無意識のうちにヤトウは腰に手をやるが、当然、愛刀はそこにはない。ロドスの艦内は基本的に武器携帯は禁止だ。

 固まったまま、ヤトウは暗闇を睨みつけた。

 

――誰だ。

 

 レユニオンの刺客ではないだろう。ドクターやエリートオペレーターはまだしも、下っ端のヤトウを狙う意味はない。そもそも、長引く闘争のなかでもレユニオンの暗殺者がロドス内に潜んでいた事例はない。

 では、一体何者だ? 幾重にもセキュリティが敷かれた医療棟に侵入し、傷心している怪我人の寝顔を眺め続ける悪趣味な奴は。

 夜目に慣れたヤトウはその人物の輪郭を捉え、はっと息を飲んだ。

 

「Aceさん……?」

 

 ひげ面も無骨な肢体も見えるわけではない。ただ、なんとなくそう思った。

 

「遺書は、書いたか?」

 

 ヤトウの背筋に悪寒が走る。何十人の声が重なったような、不鮮明で不気味な声。だが、その台詞かつてAceが問いかけたそれである。

 人影からいくつもの手が伸び、固まるヤトウに迫る。そのすべてにぐしゃぐしゃの紙が握られていた。

 

「俺たちの遺書を、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書、遺書」

「……やめてくれ!」

 

 伸びる影に見知った顔があることに気付き、ヤトウは頭を抱えて叫んだ。鉱石病や事故、そしてチェルノボーグでのドクター奪還作戦。原因は様々だが、彼らはみんな死んでいる。先に逝ってしまった仲間ばかりだ。

 これは悪い夢。弱った心が見せるまやかしだ。理解しているつもりでも、その恐怖にヤトウはただ身を屈めることしかできなかった。

 目を閉じ続けて、どのくらい経ったのだろう。幻聴が消えて、ヤトウが目を開けると、窓の外にはもう朝がやってきていた。

 それからの行動はすべて衝動だった。ヤトウは点滴の針を乱暴に引き抜き、ふらつきながらドアを縋るように開く。そしてそのまま、走り出した。きっと今ごろ、ワルファリンの執務室では警報が鳴り響いているのだろう。捕まる前にたどり着かなくてはならない。目的地は一つ――ロドスの“墓所”である。

 

 ◆

 

 ロドスの墓は、船底にある。重苦しい鉄製のドアを開き、ヤトウは中に転がり込む。だだっ広いが窓はほとんどなく、薄暗い空間に幾筋の光の柱が差し込んでいる程度だ。

 その最奥にある奇妙な墓標が、ヤトウがどうしても見たかったものだった。ヴィクトリア式の十字架や、極東式の仏壇、炎国式の甲羅のような形の墓石などが乱雑に並べてある。人種の坩堝(るつぼ)らしいロドスの墓の前には、各国の供物が供えられていた。

 急に動かしてしまったからだろう。ズキズキと痛み始めた右肩を庇いながら、ヤトウは墓の前に立ちうなだれる。

 

――私は、忘れていたんだ。

 

 切磋琢磨した同僚や指導してもらった先輩、教育係として面倒を見た後輩のことも。死んでしまったから、忘れてしまっていた。

 今は、自分が死にかけたから思い出しただけ。

 

――最初からいなかったのも同然だ。

 

 初めて、あの時Aceが言った言葉を理解できた気がした。自分は『何か』を持てない人間だ。いずれ風化してこの世から消え去る人間なのだ。

 

「私がもっと強ければ、こんなにも怯えなくてよかったんだろうか。」

 

 例えば、Aceや最近、話題沸騰中のブレイズのようなエリートオペレーターであれば、きっと誰かが語り継いでくれるだろう。何度もロドスの危機を救えば、きっと「何か」が残るはず。忘れられる可能性はほとんどないはずだ。

 

「私はきっと、遺書を書かないとダメなんだろうな……。」

 

 ヤトウは震える左手を眺め、自嘲するように笑った。きっとあの幻覚は、グズグズしている自分への警告だったのだろう。ただの一般オペレーターなんて、誰も覚えてくれなどしない。

 

「物騒な独り言だな、ヤトウ。」

 

 ふいにひどく冷静な男の声が聞こえ、ヤトウは驚いてその方向を向いた。墓所の薄闇よりも暗いフードを被った男が木製のベンチに腰掛けている。

 

「……ドクター?」

 

 ヤトウの問いかけに、ドクターは小さく手を挙げて返事をした。

 

 ◆

 

 ドクターに促されるまま、ヤトウは彼の隣に腰掛けてしばらく黙って前方の暗闇を眺めていた。

 

「ドクターはいつからここに?」

「ヤトウが飛び込んでくる少し前かな。」

「……すぐに声をかけてくれたらよかったのに。」

「すまないね。驚いていたから、タイミングを失ってしまって。」

 

 ドクターの笑い声が、がらんとした墓所に響く。いつもは感情の抑揚がないヤトウにしては、不満げな声が面白かったのだろう。

 

「治療の経過は順調かい?」

「……えぇ。」

「それにしては顔色が悪いし、縁起でもないことを口走っていたようだが。」

 

 恐らく、ドクターはヤトウが病室を抜け出したことを知らないのだろう。独り言を聞かれた今の状況のなかで、それが唯一の救いだった。

 

「いえ、大丈夫です。それよりも、どうしてドクターはここに?」

「イグゼキュターが仕掛けた地雷をミーボが踏み抜いてしまってね。書類の山が吹き飛んだから、こうして現実逃避していたところだ。」

 

 ドクターの執務室がロドスでトップクラスの危険地帯だというのは、どうやら本当らしい。

 

「この時間帯の、この場所なら誰にも邪魔せず逃げ込めると思ったんだよ。だが、墓所を借りるのに手ぶらではあまりも不謹慎だろう?」

 

 そう言って、ドクターはどこからともなく二輪の花をヤトウに差し出した。ヤトウは少し迷い、そのうちの1つを手に取る。

 色の薄い青色の花だった。

 ドクターは立ち上がり、残った一輪を静かにたむけた。ヤトウもそれに倣って、ドクターの横に立つ。

 

「本当は花束が良いんだろうけどなぁ。」

「ドクターは、誰に花をたむけたんですか?」

 

 頭を掻くドクターに、ヤトウは問いかける。

 ヤトウが知る限り、ドクターがロドスに復帰してから作戦で死者は出ていない。記憶が一切戻ってないことを考えると、ドクターが想う誰かがいるのか気になったのだ。

 

「特に考えてなかったな。ヤトウは、その花を誰にたむけるんだい?」

「それは――」

 

 言いかけて、口を閉じる。一瞬、先に逝った仲間の顔が脳裏をよぎる。

 

「――分からない。たむけないといけない人が多すぎる。」

「……そうか。それは、幸せだな。」

 

 ドクターは前に向き直って言った。

 

「幸せ?」

「ああ、優劣付けがたいほど、たくさんの人との記憶があるんだろう」

「でも、私は普段は全然、その人たちのことを覚えてはいない。だから――」

「私たちは今を生きているから、常に死者との記憶を抱え続けることは不可能だろう。どんな偉業を為した英雄でも、それは一緒じゃないかな。」

 

 けどね、ヤトウ。とドクターは、真っ直ぐに墓を見つめながら言う。

 

「溢れる供物を見れば分かるだろう。君が彼らを忘れている間も、誰かがこうして同じように思いを馳せている。その繰り返しで、彼らは誰かの記憶に生き続けている……私は、そう思いたいんだ。」

「けれど、私のためにここに来る人は、ほとんどいないと思う。だから、記憶じゃなくてモノを残した方が良いんじゃないか。」

「ははっ。それはないだろう。」

 

 しんみりといったヤトウに対し、ドクターは予想外に笑ってみせた。

 

「私が言うのもなんだが、生きていれば誰かが思い出してくれるものだろう。ヤトウ、君のような人は特にね。」

 

 ヤトウが難しい顔をするとドクターは面白そうにもう一度笑って、怪我をしていない方の肩を叩く。

 

「あと3分後にもそう思っているのであれば、ぜひ遺書を私に預けてくれ。大切に保管しておくから。」

 

 そう言ってドクターは一度、ぐっと背を伸ばして踵をかえし、「しっかり休んでくれ」とひらひらと手を振りながら墓所から出て行った。

 

 ◆

 

 一人残されたヤトウは、戸惑ったように一輪の花を見つめる。

 そして、ドクターがたむけた花の横にそっと置く。極東式の参り方で、両手を合わせる。意識するわけでもなく、自然と亡くなった人たちの在りし日の姿が脳裏をよぎっていく。

 

 その時だった。

 

「本当にいたー! ヤトウ!」

 

 早朝に少々大きすぎる声が、ガンガンと墓所にこだました。振り返ると同時に腰当たりにドスンと金髪の頭がぶつかってきた。

 

「なにしてんのー、こんなところで! 心配したんだからー。」

「ドゥリン、レンジャー……ノイルホーンも。」

「一体、どうしたの?」

「どうしたのじゃねーだろ。飛び出したって聞いて探し回っていたんだぞ。ドクターからヤトウが墓所にいるってメールが来たから、急いできたんだよ。」

「……そう。」

「『……そう』じゃなーい! どれだけ心配したと思ってるの。」

 

 珍しく取り乱し気味で、ぎゅっと腰に抱きつくドゥリンを見てヤトウは「ごめん」と小さく謝った。大げさにため息をはくノイルホーンと、なぜか少し微笑むレンジャーの様子に、胸が少しだけ苦しくなる。

 

――あぁ、そうか。そういうことか。

 

 自分を無価値だと卑下するのは簡単だ。けれど、こうして自分を心配して、寝間着のまま走り回ってくれた人がいる。残さなければならない『何か』は、実績だとか、知名度ではない。きっと、ロドスの人たちと歩んだ日々そのものだ。意識しなくても誰かのなかに、轍(わだち)は残る。けれど、そんな人たちの思いに気付かずに逝くのが、本当に恐ろしいことなのかもしれない。

 

「ごめん、みんな……ありがとう。」

 

 そう言って、ドゥリンをぎゅっと抱きしめたとき、さらに賑やかな声が墓所の入り口から響いた。

 

「ヤトウ! ようやく見つけたぞ! よくも妾の病室から抜け出してくれたな!」

「ちょっとワルファリン先生、落ち着いて! 墓所で大声はまずいですよ!」

「くれぐれもアーツをぶっ飛ばさないでくださいよ、ヤトウさんはけが人なんですから!」

 

 肩をいからせてドスドスと歩いてくるのはワルファリンだ。それをなだめるように、医療オペレーター数人もやってくる。それだけでは不十分だと判断されたのだろう。フェンやオーキッドもがっちりと脇を固めて、ヤトウに「なんとか穏便に」とアイコンタクトを送ってくる。

 

――多分、ドクターは知っていたんだろう。

 

 今度、お礼を言わなければならない。けれどその前に、この事態の収拾が急務だ。自分が蒔いたトラブルなのだから、自分でけじめをつけなければならない。

 ドゥリンから手を離し、近づいてくる喧噪に向き直る。

 

 

 

 その瞬間、思い出した。

 あの日、Aceは笑ってヤトウの肩を叩き、力強く笑ってこう言ったのだ。

 

――共に良い人生を送ろうじゃないか。オペレーター・ヤトウ。

 

 

 




久しぶりに投降させていただきました。
ヤトウさんは推しオペレータートップ3に入るくらい、大好きなオペレーターです。
人間味がなさそうでたっぷりなボイスが最高です。
6章になるとさすがに出番は減ってきてますが、基地でフル稼働で頑張ってくれるのでやっぱり大好きです。

またのんびりと投稿できたらと思うので、よければお付き合いくださいませ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グラベル -瓦礫と宣誓-

 彼女の主は、英雄ではない。

 尊き血を継ぐ貴族でも、民衆に道を示す誇り高き指導者でもない。

 当然、一国の王でも反乱軍のリーダーでも組織の首魁でもなく、有象無象がひしめく、箱船の歯車の一つに過ぎないのだ。

 それも、自身の記憶さえない、ひどく曖昧で危うい立場である。だからこそ、賢しい野次馬達は彼女の選択に首を傾げて噂する。

 

「あいつは何を企んでいるんだ?」

 

 そんな世迷い言を知ってか知らずか、彼女はたまに主の側に現れるとき、周囲のオペレーターにだけ分かるようにいたずらっぽく微笑んでみせる。

 

――グラベル。カジミエーシュの騎士が忠義を誓ったその理由は、彼女の主ですら知らない。

 

 

『Gravel(グラベル)―瓦礫と宣誓―』

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 出会って数秒でけたたましい言葉の応酬になる龍門の警察高官に、故郷さながらの寒風が吹きすさぶような冷戦状態になるイェラグの兄妹。即殴り合いに発展するループス族の二人など、ロドスの平穏を保つために引き合わせてはならない組み合わせはいくつも存在する。

 そのなかでも最も面倒で、誰も仲介できない二人が医療棟とデッキの境でにらみ合っていた。 

 

「やぁ、ケルシー。シエスタのお土産を買ってきたんだ。受け取ってくれるかな?」

「いらん。それよりも、数人のオペレーターが少々トラブルを起こしたようだが……。お前は何か報告を受けているのか?」

「ん? 会場で大暴れしたペンギン急便の連中のことかい?」

「違う。ロドス直属のオペレーター達のことだ」

「あぁ、そっちのことか。いつもの小競り合いだろう。血気盛んな連中だから、ある程度は大目に見てやらないと」

「……小競り合いか。なぜかその後にシエスタのご令嬢と護衛がロドスを訪問してきて、あまつさえ入社したいと申し出てきたんだが。これは『小競り合い』に関係ないのか?」

 

 侮蔑するような目線を向けるケルシーに、ドクターは「まいったなぁ」と頭を掻く。端から聞くと、ただの冷え切った夫婦のような会話だが、紛う事なき、ロドスの首脳たちの口論である。生半可な地位の人物では、言葉を遮ることもできないだろう。

 そうは言ってもドクターもケルシーも最低限の分別は理解しているのか、人がいない時刻と場所を選んでいる。向き合った二人の背後には、がらんとした通路がどこまでも続いていて、人の気配はどこにもなかった。

 ただ、彼らの近衛達を除いて。

 

「……ドクターの旗色が悪い。今日も、ドクターの負け。だから、レッドの勝ち」

「あらあら、赤ずきんちゃん。それは暴論じゃないかしら」

 

 少し離れた場所で両者の懐刀が、壁に背中を預けて様子をうかがっている。レッドはむっとした顔で、中腰になっているグラベルを見下ろした。

 

「ピンクのご主人は、ドクター。レッドは、ケルシー。ならケルシーの勝ちは、レッドの勝ち」

「あたしたちが争ったってしょうがないでしょー」

 

 ロドスの上位オペレーターですら震え上がる『赤い死神』に、グラベルはのんびりとした口調でツッコミを入れた。これでも当初は、とんでもない警戒心を向けられていたのだが、ドクターがケルシーに絡む度に顔を合わせるため、いつの間にか近衛同士もなぁなぁな付き合いになってしまっていた。

 

「なんで、ドクターはケルシーにすぐに話しかける? いつも、負けるのに」

「さぁ~。なんででしょうね? もしかしたら、勝ち負けが目的じゃないのかもしれないわよ?」

 

 質問に質問で返され、レッドが首を傾げる。ちょうどそのタイミングで、ドクターが振り返り、グラベルの名を呼んだ。

 

「グラベル! 私たちはシエスタで何をしていたっけ?」

 

 グラベルはふっと口元に笑みを浮かべ、座っていた場所から溶けるようにいなくなる。その一瞬後、真っ黒いドクターの背後からするりと薄紅色の影を現した。

 

「えぇっとー、ドクターがグラスゴーの黄色いクマちゃんにフラれた後は、私とバーで飲んでたわねー。すごく良い雰囲気だったから、気付いたらもう随分時間が経っちゃってたの。でもね、そのあとドクターってば、浜辺で社長さんとイチャイチャしてたのよー。ちょっと前までは、あんなに私に釘付けだったのに。ひどいと思わない? ケルシーセンセー」

「……いや、そこまで具体的に説明しなくていいから。あと誇張表現がひどいぞ」

 

 自分の背中から、顔を半分だけだしてクスクスと笑うグラベルにドクターは少し慌てたように訂正する。そんな二人の様子に、ケルシーは呆れたよう額に手を当て小さく頭を横に振る。

 

「たとえ本当であっても、お前の息のかかったオペレーターの言葉を信用できるわけないだろう」

「おいおい、信用してくれよ。私の一存で近衛を選べるわけではないんだからさ」

 

 ドクターが気付いてるのかは定かではないが、グラベルには分かっていた。この場で未だにひっそりと息を潜めているのは、全部で3人。ケルシーの背後に赤い影、遙か先の廊下の突き当たりに長い銀髪がこちらの様子をうかがっている。対して、グラベルの後ろには恐ろしい「亡霊」が控えている。

 その誰もに敵意はないものの、暗殺者特有の触れると血が噴き出すピアノ線のような、ピンと張り詰めた空気が漂っていた。

 自然とピリついた空気に嫌気がさしたのだろう。ケルシーとドクターが同時にため息を吐く。ドクターはへらっと笑って、ケルシーは再び睨み付けた。

 

「別に掘り下げて問題にする気はない。詳細はアーミヤから報告を受けているしな。ただ、確認したかっただけだ」

「そうかい! じゃあ、これで一件落着。一杯どうだい?」

「私は忙しいから、後ろの騎士様と飲んでこい」

 

 そう言って踵を返す。その刹那、鋭い緑色の瞳とグラベルの視線が交わった。

 

――私は、決してお前たちを信じない。

 

 宙ぶらりんになった手土産を虚しく差し出し続けるドクターの後ろで、グラベルは主と似たヘラリとした笑顔をケルシーに向ける。

 コツコツと音を立てて遠ざかるケルシーの背中を見送るドクターの若干、肩が落ちた後ろ姿を支えるように、けれども決して触れないようにグラベルは立つ。

 

――威厳があるわけでも、スマートなわけでもない。貧乏くじばかりで報われることも少ない。

 

 そんな主の背中を、グラベルは少しだけ眉を下げなら微笑んで見つめていた。

 

 ◆

 

 グラベルの主は、高潔な人間ではない。どちらかといえば、俗っぽくて貧乏くじを引きがちな人種だ。たとえば、毎日山のように送られてくる報告書に目を通して徹夜することは当たり前。その後、行動作戦がなくても会議や視察、さらには年少オペレーターたちの先生役と予定に振り回されている。たまに、それらの負担が重なると悲惨なことになる。

 

「ドクター、おはよう~。寝るときはちゃんとベッドで寝た方が、疲れが取れると思うわよ」

「あぁ、そうだね……。ところで、この惨状はなんだい?」

 

 突然、気絶したように動かなくなったドクターがタオルケットを肩にかけたまま、のっそりと起き上がる。そして、それを当然のように間近で出迎えたグラベルに問いかけた。

 当然の質問だ。ドクターの執務室の半分が黒焦げのうえ、ドクターの真後ろには半べそをかいたイフリータがペタンと床に座り込んでいた。隣には困った表情を浮かべているフロストリーフもいる。

 

「……随分と派手なドッキリだな」

「ごめん、ドクター。授業の時間になっても来なかったから、入らせてもらったんだけど――」

「それから先はイフリータから聞こうか」

「いや、だってドクターが悪いだろ! オレサマたちとの約束に忘れて寝ちまってたんだから! だからちょっとイタズラしてやろうと思って――」

「ドクターは毎日忙しいんだから。しょうがないだろう」

「――そうか、もうこんな時間だったか。悪かったね、フロストリーフ、イフリータも」

 

 ドクターは二人に向かって頭を下げた。フロストリーフは「ドクター」と諫なめるような声を上げ、イフリータはなぜかバツの悪そうな顔をした。

 

「もしよければこれから授業を始めようか。時間は大丈夫か?」

「……怒らないのかよ」

「ああ、きっかけは私だからな」

 

 イフリータが“イタズラ”の火力を間違った結果、執務室の半分を炎上させたのをグラベルは一部始終見ていたし、ドクターもとっくに気付いているのだろう。唇を噛んで見上げるイフリータの肩を軽く叩き、ドクターは部屋を出ようとする。

 

「わ、悪かったよ! もうかなり力の制御ができるようになったと思ったし! 」

 

 慌てた口調でドクターの白衣の裾を掴み、イフリータは言う。

 

――きっと、自慢したかったんだろうなぁ。

 

 グラベルはその様子を眺め、ぼんやりと考える。イフリータは以前も執務室を燃やして、それ以降は訪問することはなかった。

 

「もっと制御できるまで、来ないから」

 

――来たかったんだろうなぁ。

 

 顔を伏せるイフリータに、グラベルは思う。ドクターは、くるりと振り返るとポンッと頭に手を乗せる。

 

「今度、私が寝ていたら、こうして起こしてくれ」

 

 一瞬、その言葉の意味が分からなかったのだろう。イフリータが上目遣いでドクターに向ける瞳は、困惑したように白黒した。だが、すぐに気付いたイフリータの瞳はパッと輝いて「しょーがねーな!」と笑う。

 そしてドクターの背中を追い越して走り出す。

 

「あ、でも今日のことはサイレンスに報告するから」

「えー! ちょっと待ってくれ!」

 

 ドアが閉まる寸前に聞こえた二人のやりとりに、グラベルはくすりと笑い、デスクの上に目をやる。そこにはタオルケットが雑に畳まれていて、その上に「サンキュー」と書かれたメモ紙が置かれている。

 それを拾い上げたグラベルは、少し口元を持ち上げて音もなく姿を消した。

 

 ◆

 

 主が曇天の空を見つめていた。

 周囲には敵の死体が転がり、傷だらけのロドスの隊員達が走り回っている。ドクターやアーミヤは、激闘を繰り広げた白うさぎの遺体を囲んでいた。

 凍傷や裂傷でボロボロになったグラベルは、上層部のやりとりが聞こえないところで自分で応急措置をしている。

 

「グラベルさん、大丈夫ですか!? 医療班の増員が到着しました! こちらで治療を受けてください!」

「ありがと~。でも平気だから、気にしないで」

「安心してください! 重傷者はガヴィルさん以外のオペレーターが担当するので!」

 

 笑顔で言うハイビスカスの背後で、「おい、ハイビス! それはどういう意味だ!」とガヴィルの声が響き、さざ波のような笑いが周囲から湧き起こる。

 

「まだ、私には仕事が残っているから。戻れないわ」

「そうですか! じゃあ、私がここで応急措置をしますね!」

 

 チラリとドクターの横顔を伺うグラベルの横で、ハイビスカスが座り込んで、半ば無理矢理、腕に消毒液ぶっかけて包帯を巻き始める。

 ズキズキと痛む手足が、なぜかむずかゆい。理由は分かっていた。それは、後悔だ。

 

――守れなかった。

 

 いくら戦闘中で意識が散漫になっていたとはいえ、足元が崩れ、敵の首魁とともに主を閉じ込めてしまうなど近衛失格だ。

 そして、帰還した際のドクターが白うさぎ――フロストノヴァを抱きかかえていた時の目の色は、今まで見たこともないような、悲哀とゾッとするような覚悟が滲んでいた。

 どんなやり取りをしたのだろう。何を託されたのだろう。グラベルは自分には分かりようもないし、恐らく今は分からなくても良いことだと理解はしている。

 だが、一つだけはっきりと言えることがある。

 

――主もまた、守れなかった。救えなかったのだ。

 

 ドクターは絶対的な存在ではない。誰かの支えにはなれても、すべてを救える力はない。それを痛感したのは、きっと今、フロストノヴァを囲む面々と彼らの距離がオペレーター。そしてもちろん、彼ら自身なのだろう。

 グラベルの薄い紅色の瞳に映る主の姿は、いつになくぐらついて見えた。

 

 ◆

 

 シエスタから離れた後も、怒濤の日々が過ぎた。ウルサス、龍門、サルカズ、数々の陰謀詭計に協定破棄や戦闘、戦争。渦中のロドスはなんとか平常を保ってはいる。フロストノヴァの件で、大きくぐらついたように見えたグラベルの主も、特にいつもと変わらず過ごしているようだ。

 そんなある日の昼下がりのことだった。

 久々の澄み渡るような青空。待ってましたと言わんばかりにデッキいっぱいに干された真っ白なシーツが、パタパタと風に揺られてはためいている。その先端に立ち、ドクターはぼんやりと空を眺めている。グラベルは、シーツの影に隠れ、じっとその姿を見守っていた。

 ドクターは時々、こうして喧噪から離れて空を見上げる。それはたまに星空だったりするが、一体、何を考えているかはグラベルにも分からなかった。

 それだけではない。グラベルにとって、ドクターは謎だらけである。出自、経歴、思想の全てが闇の中だ。

 

――それでも、誓った。

 

 カジミエーシュで仕えた貴族や家族たちとの任務とは違う。自身の言葉で、心からの誓いを立てた。騎士としての立場も半ば捨て、ドクターに身を捧げた。

 その理由は――。

 

 きっと少し、のんびりとすぎた空気にやられていたのだろう。一瞬、風が強く吹き、シーツがバタバタと音を立ててはためいた。視界が一瞬、真っ白に染まる。

 

「ドクター!」

 

 コンマ1秒にも足らない、ほんのわずかな時間。それでもグラベルが焦るには十分すぎるほどの時間だった。

 慌ててシーツをどけて声を上げたグラベルに、ドクターはゆっくりと振り返る。

 真っ青な空を背景に、黒い姿が吸い込まれてしまいそうな気がして、グラベル思わずドクターの服の裾を掴む。

 

「どうしたんだい。らしくないな、髪が乱れているよ」

「……いーえ、なんにも」

 

 いつものように飄々とした様子のドクターに、グラベルはぱっと手を離して目線を外した。まずい、顔が赤くなっているのがバレてしまう。

 

「……そうか」

 

 そんな心情を知ってか知らずか、主はくるりと踵を返す。

 耳をかすめる風音。パタパタとはためく、シーツの音。久方の穏やかな時間。少し、間を置いてドクターが「そういえば」と会話を切り出した。

 

「グラベルもそろそろ、新しいプロファイルをつくってみないか?」

 

 ドクターの足元から、ひょっこりと頭をビデオカメラに改造されたミーボが姿を現す。

 

「う~ん。ドクターとデートできるなら大歓迎なのだけれど。暗殺者が映像に残るのはまずくないかしら」

「それはやりようだろう」

 

 ずっと側にいるから分かる。アーミヤやケルシーほど極端ではないが、ドクターも相当な頑固者だ。多分、簡単には諦めてくれないだろう。

 少し、グラベルは顎に指を置いて考え、ふいに人差し指を一本立てた。

 

「あっ、そうだ。ドクター、それじゃあ、5分だけあたしの騎士ごっこに付き合ってくれるかしら。それを撮ってちょうだい」

「5分? いったい何を――」

「いいから、ほらこっち向いて」

 

 グラベルはドクターを半ば無理矢理、くるりと自分と向かい合わせる。そして、片膝をついて二本の愛刀をデッキに静かに置き、少しだけうつむいて、目を閉じた。

 

 

「我がカジミエーシュ騎士の名と、真名であるセノミーは主の命に背かず、いかなるときもお仕えし、忠誠を誓うと誓約申し上げますわ」

「――グラベル」

「どうか、許すとおっしゃってください」

 

 いつもの口調とまるで違う厳粛な雰囲気に、ドクターが少し思考を巡らせたのを察した。

 期待と、ほんの少しの不安が入り交じる。

 誘拐され、普通ではなくなった日。傲慢な権力者、矜持の朽ちた騎士団、泥水をすするような日々と真っ赤に染まった両手。まっとうな騎士ではない。それでも、この人のためにこれまでがあったのだと、そう思えた。

 一瞬の静寂。その後、片膝に置いた手のひらをそっと握られる。思わず目を明けると、中腰になってこちらを覗き込むドクターの顔が間近に見えた。

 

「ああ、よろしく頼むよ。セノミー」

「――はい」

 

 短い返事は、爽風に吹かれどこまでも続く青空へと運ばれていく。けれど、それでも主の言葉はずっと耳の奥で響いていた。

 

 ◆

 

 彼女の主は、英雄ではない。

 尊き血を継ぐ貴族でも、民衆に道を示す誇り高き指導者でもない。

 当然、一国の王でも反乱軍のリーダーでも組織の首魁でもなく、有象無象がひしめく、箱船の歯車の一つに過ぎない。

 情けない姿をさらすこともあるし、貧乏くじを引くことも多い。救えずに散らした命も少なからずある。おとぎ話や伝説の主君とはまるで違う。

 でも、そのようなことは騎士には関係なかった。騎士の誓いを宣誓した理由はあるけれど、まだ、秘密。でも、それはさして重要ではないのだ。

 

 いつも苦悩し、運命に振り回され、それでも前を向いて闇の中に光を見いだそうと足掻く主を守る。それだけで、あの日、夢に見た騎士よりも尊いことだと思えたから。

 

 




最初にプレイしたときから、ずっとお世話になり続けているグラベルさんのお話でした。
最初はヤベーやつかと思っていたら、まさかの…。という展開で、衝撃を受けた覚えがあります。縛られたり、爆弾ぶち込まれたり過酷な労働環境にも関わらず、いつも飄々としている彼女に感服しております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

へラグ -彼らの夏の終わり-

ヘラグおじさまのお話。あれだけメチャクチャに強い人なら、きっと弟子志願者も多いだろうし、多かったのだろうなと思ったのがきっかけです。


 目眩がするような硫黄の悪臭が嗅覚を麻痺させる。灼熱なんて生ぬるいほどの猛火に加え、異様な振動が断続的に続いていた。

 戦場と化した巨大な火山の横穴には、おびただしい数のオリジムシや薬莢が転がっている。

 術が爆裂する音。絶え間なく続く銃声、獣の断末魔の引き裂いて、甲高い軍笛(ぐんてき)の音が響いた。

 

――戦況が迎えた新たな段階(フェーズ)を知らせる音である。

 

 常人であれば、あっという間に気が狂いそうな状況のなか、まるで祈るように目を瞑って直立していた“将軍”は目を開く。

 小高い岩の上に陣取り、真っ赤な世界に相対する見慣れた真っ黒なフードを被った姿がそこにはあった。

 

「いいぞ、“アイツ”が動き出したぞ。先鋒(ヴァンガード)と前衛(ガード)は撤収! 前線を下げて所定のポイントにおびき出してくれ! 狙撃班は配置に付くんだ! 彼らを援護しろ!」

 

 指揮官が電話一本で呼び出せた寄せ集めの部隊。咽喉マイクもなく、指揮を伝えるのは軍笛と市販の拡声器のみ。相手が人でないとはいえ、化け物に相対するにはあまりにも頼りない装備だ。だが、それでも戦況は徐々にこちらに傾きつつある。

 将軍――へラグはゆっくりと歩み、指揮官の横に立つ。

 

「弾幕薄いって! なんか僕らが狙われているんだけど!」

「あんたの最後の一発が余計だったのよ、しっぽ! 射程が短小なのだから、もっと自覚しなさい!」

「……その言い方は止めて。なんかヤダ」

「こんな状況で漫才はいいから、足を止めてくれるなよ。お嬢様たち!」

 

 地面を蹴って撤収してくるのは、メランサ、ヴィグナ、クーリエの3人。高台を伝って戻るのは、“アイツ”には効果が薄い術士のスカイフレアと火山弾の範囲から攻撃できないプロヴァンスの2人だ。数少ない拡声器は彼ら2班に提供されている。

 この作戦の肝は、あの化け物を指定の位置――広場への誘導だ。そこで一斉射撃を仕留める。だが、そのためには“アイツ”と対峙する者が必要だ。

 

「――まずいな」

「そのようだ」

 

 ドクターが拡声器を降ろし、小さく呟き、へラグも頷く。

 高台組みではない。ぎゃあぎゃあと文句を言えるだけ、まだ余裕がある証拠だ。問題は地上で誘導を担う3人の進行が遅れていることだ。だが、それも当然だろう。ダンプほどの大きさがある巨大オリジムシとその取り巻きまで相手にしているのだから。

 

――実力は申し分ないが、まだ若すぎるな。

 

 ドクターがポンッとへラグの肩を叩く。

 

「将軍、少し早いが出張ってもらっていいかな。多分、そろそろ誰かが“転ける”頃合いだ。広場には誘導できたが、全員の射線には入らない。集中射撃にはもう少し時間がかかる」

「目測は?」

「……3分後」

「十分だ」

 

 よしっ! とドクターはへラグの上で拳を作り、拡声器を掲げる。

 

「みんな気合いを入れろぉ! 将軍の出陣だ!」

 

 ◆

 

 油断していた。いや、自覚が足りなかった。命からがら、という表現がピッタリな状況に背を向けてヴィグナは口元に垂れた汗をごしごしと拭き取る。

 

――力配分に気をつけろ。

 

 オリジムシの大群に突っ込む前に、ドクターに言われた忠告は今でも覚えている。なにしろ、立っているだけで全身の水分が蒸発するような高温である。体力の消耗が激しいのは百も承知だ。

 だが、ここまでキツいとは想定外だった。

 それは前方を走るメランサとクーリエも同じようだ。メランサの顔色は気の毒なほど疲労の色が濃く、クーリエは飄々としているものの、瞳には焦燥感を隠せないでいる。

 

「みんな気合いを入れろぉ! 将軍の出陣だ!」

 

 遙か頭上から、ドクターの声が響いた。「よしっ!」とクーリエがガッツポーズする。彼だけではない。狙撃手たちからも、うおぉぉ!という雄叫びがこだました。

 マグマとは違う熱気が、戦場に渦巻く。戦場に参ずるだけで、ここまで士気が高揚する人物をヴィグナはたった一人しか知らない。

 

――私たちの、勝ちだ。

 

 ヴィグナがそう確信した瞬間、前を走っているメランサの背中が一瞬、ぐらりと揺らいだ。浮き石を踏んでしまったのだ。ヴィグナが手を伸ばすより先に、クーリエが白い彼女の腕を掴む。

 

「大丈夫ですか!?」

「……ありがとうございます。足をひねってしまったみたい」

 

 素早く彼女の腕を肩に回して支えたクーリエが、メランサに問いかける。律儀にお礼を言うメランサだったが、その端正な顔は苦痛に歪んでいる。

 

――走るのは無理。逃げ切るのも、多分。

 

 迷いはなかった。ヴィグナはくるりと二人に背を向け、少し後ろに迫る化け物に相対した。

 

「私が時間を稼ぐから早く行ってください」

「……でも」

「いいから! すぐにドクターから指示があるって!」

 

――もうドクターはこの事態を把握しているはず。でも、囮(デコイ)は間に合う? 将軍は走ってきてどのくらいで到着するのだろう。

 

 槍を持つ手が震える。

 

――1秒でも時間を稼ぐ。

 

 メランサが倒れかけ、ヴィグナが覚悟を決めるまでほんの数秒。結果から言うと彼女が稼ぐべき時間は、それだけで十分だった。

 突如、化け物とヴィグナの間に黒い影が降ってきたのだ。

 

「良いサルカズの戦士だ」

 

 ゆっくりと愛刀“降斬”を抜刀しながら、へラグは言う。緊迫した場面には少々似つかわしくない、どこか柔らかい声だった。

 

「ここは私に任せて、君も戻りしなさい。仲間が待っている」

 

 ヴィグナが振り返ると、メランサがピンク髪の騎士に肩を支えられて撤退を再開している。すっかり落ち着きが戻ったクーリエが、こちらに向かって手を招いていた。

 

――ここからは、将軍の戦場だ。

 

 ヴィグナは汗と埃でドロドロになった頬をパンッと叩き、へラグに「よろしくお願いします!」と頭を下げ、踵を返して走り去る。

 残されたへラグは、自身の数倍はあろうかという巨体に向かって降斬の切っ先を向ける。その一瞬、あんなに鳴り響いていた銃声の波が途切れた。

 

「貴様に恨みはない。が、不幸の元凶をそのままにはできん」

 

 漆黒の巨大な得物の切っ先が、僅かに銀色に輝く。ヘラグの瞳が切っ先のように細くなり、獲物を見据える。

 

「弦月の一太刀で送ってやろう」

 

 ◆

 

 満月を照らす湖面は美しいが、どこか底知れぬ恐ろしさがある。浜辺に立つヘラグは、遠く聞こえる祭りの喧噪を聞きながらそう思った。

 ネオンの極彩色に染まった街から外れた浜辺には、ポツリと街灯がある以外、施設らしきものはない。浜辺にいるのは、ヘラグ以外にはよろめきながらやってきた男ただ一人である。

 

「やぁ、将軍。楽しんでいるかい?」

 

 浮かれた声でやってきたのは、つい数時間前まで陣頭指揮を取っていたドクターである。いつものようにフードを深く被っているので、表情は読めないが、呂律と足取りが正常ではない。

 突然、数十万人の命を掛ける事態になっても動揺せず、少数で危機を救った男と同じとは思えない。よっぽど酔っ払っているのだろう。

 

「気を抜きたい気持ちが分かるが、指揮官がその体たらくでどうする」

「だぁいじょうぶ。ヘラグの前だけだから、ほら乾杯しよう」

 

 差し出されたビール瓶を無言で断り、ヘラグは再び、湖面に向き直った。

 

「いやぁ、しかしラッキーだったなぁ。まさか市長のプライベートビーチを貸し出してもらうなんて」

 

 そう。ここは市長の個人的な所有物だ。人知れず街を救った英雄達へのささやかなプレゼントなのだが、当人たちはロドスでメディカルチェックを受けるためほとんど姿がない。ヘラグも早々にチェックを受けたが、相当に医療オペレーターから相当の小言を言われた。鉱石病の元凶ともいえる場所に乗り込んだのだから、彼らが不満を露わにするのも当然だろう。

 

「心配しなくて大丈夫だ、将軍。作戦に参加した連中はみんな異常なしだってさっき連絡があったから」

「……それで一人で祝杯を挙げたのか」

「そういうこと。ちょっと心配なオペレーターもいたからね」

 

 ヘラヘラと笑うドクターに、ヘラグは小さくため息を吐いた。そして再び差し出されたビール瓶を今度は手に取る。

 

「今回の主役に乾杯!」

 

 キンッと涼しげな音が響く。冷えた瓶から、最高の喉ごしの液体が胃袋に入っていった。

 

――おっ!今日は将軍が酒を飲む日だぞ! 全員、覚悟して臨めよぉ!

 

 ふいに背後から、懐かしい喧噪が聞こえた気がしてヘラグは後ろ振り返る。だが、そこにはただ月光に照らされた闇が広がっているだけだった。

 

「どうかしたのかい?」

「……いや」

 

 怪訝そうなドクターに、へラグは短く返す。

 

「今日集まったオペレーターは、ずいぶんと若者が多かったな」

「まぁ、そうだな。エリートオペレーターを動かしたら、ケルシーやアーミヤにバレるからね。個人的に連絡先を知っている連中を呼んだらこうなった」

「そうか」

「何か、思うところがあるのかい?」

「いや、若者に囲まれて戦闘など久しくなかったからな、少し懐かしかった」

 

 きっと、幻聴を聞いたのもそのせいだろう。まだウルサスにいた頃の懐かしい思い出だ。あの頃も、作戦が終わる度に一緒に酒を飲み交わしたものだ。

 

「……その時の彼らはもう、この世にはいないか」

 

 ポツリとドクターがこぼし、ヘラグは黙って彼を見下ろす。酔っ払っていても恐ろしいほどの洞察力。これが修羅の道を征くロドスの指導者たる所以だろう。

 

「あぁ。もしかしたら、何人かは生きているかもしれないが会うことはないだろう」

「……」

 

 ドクターは返事をせず、たださざ波の音が聞こえるだけだ。

 

「かつての私の仲間は生きる場所を求めて戦い、組織と仲間を守って死んでいった……それはきっと、ウルサスでなくても同じだ。ドクターもそういう人間を知っているだろう」

 

――フロストノヴァ。

 

 パトリオットの娘の遺骸を彼が抱えて帰還したという噂はロドスをすぐに駆け巡った。その後、間もなくウルサスと龍門の騒乱に飛び込んだからうやむやになったが、本来ならもっと取り立たさせるはずだった行為だ。ロドスとの関係上、ヘラグは口を閉じているがその実、興味を抱かないワケがない。

 

――彼女を見て、何を思った? 今日のオペレーターたちと何を重ねた?

 

 言葉にして訊くのは、あまりにも無粋な疑問である。だが、ドクターが無言の内から察せない男でないことも知っていた。じっと見下ろすヘラグに、ドクターは小さく「うーん」と唸った後、ゆっくりと口を開く。

 

「この景色を見せてあげたかったなぁ」

「……」

「ほら、彼女は冷たい人だったから」

 

 ヘラリと笑うドクターから目線を外し、ヘラグは前を向いた。ウルサスの白と灰色の光景とはあまりにも違う、色とりどりで温かい光景がそこには広がっている。冷ややかな月影すら、ウルサスよりも温かみのある白色をしていた。

 

――ほら、将軍! 水がこんなにいっぱい!

 

 かつての仲間たちが横を通り過ぎて、湖に入っていく。そして、こちらを振り返って手を振った。記憶が薄れ、ぼんやりとした顔にはきっと笑みが浮かんでいるのだろう。

 

「あぁ、確かに見せたかったな」

 

 ヘラグはポツリと呟く。ドクターにも見えているだろうか、死者の幻影が。過去に囚われているわけではない。経験から学ぶうえで、彼らの死は直視しなければならないのだ。

 その先にあるはずの未来をたぐり寄せるために。

 

「だが、その先にあるのも闘争だ。そこではまた、誰かが死ぬ」

 

 半ば独り言のようにヘラグは呟き、月明かりに照らされる幻影を見る。ドクターの視線がわずかに鋭くなる。そう感じたときだった。

 後ろから静寂をぶち壊す大声が聞こえた。

 

 ◆

 

「スゲー! こんなところ使い放題なのかよ!」

「イフリータ! はしゃいでないで、荷下ろし手伝いなさい」

 

 振り返ると、ガヤガヤと十数人のオペレーターたちが好き好きに感想を言いながらビーチに入ってくる。人だけではない。小型モーターやコンロ、照明などが持ち運ばれ、エンジン音が轟くと眩しいほどの赤色の明かりが灯った。

 手をかざして、ヘラグは彼らを見る。

 水着姿の少女たち。荷物を手際よく運ぶ男性陣の多くは、今日、ともに火山に乗り込んだオペレーターたちだ。それに加えて昼間会場にいたオペレーターたちもいる。

 姿格好からしか判別は付かないが、感染者も非感染者も混ざっているようだ。

 

「あぁ、そういえばアーミヤがロドスからの直行便を出すって言っていたな。当日の休暇申請も受け付けるって」

 

 笑いを含みながらドクターが言うと、団体の最後尾にアーミヤが現れた。ドクターを見つけると笑顔を浮かべて手を振る。ドクターもそれに返す。

 

「ドクター!」

 

 それで気付いたのだろう。イフリータが声を上げ、浜辺を挟んで向こう側にいるオペレーターたちが一斉にこちらを向いた。きっと今日の“秘め事”を全員が共有しているのだろう。

 公然の秘密の作戦の共犯者たちは作戦終了後に初めて会う指令官に向かって得意げに拳を掲げ、それを知るオペレーターたちはニヤリと笑っていた。

 

「なぁなぁ、ドクター。今日のオレサマはどうだった? イカしたサポートだったろ!」

「当然。イフがいなかったら、私はあそこでぶっ飛ばされていたからな」

 

 駆け寄ってきたイフリータに、ドクターは笑みを浮かべて返す。イフリータは得意げに胸を張る。そしてそのまま、「スゲー! 誰もいない海だぜー!」と興奮した様子で湖面に飛び込んだ。

 

「イフリータ! 夜の海は危ないから入っちゃダメ!」

 

 慌てた様子で現れたサイレンスは、ドクターをジトッと睨め付けると「ドクター、あとで話したいことが色々あるから」と一言。ドクターは気まずそうな様子でポリポリと頬をかく。

 

 その様子をじっとヘラグは眺めていた。

 

「せっかくの雰囲気が台無しかな?」

「……いや、むしろこの方がいいだろう」

 

 水着姿の少女たちが横を駆け抜け、ばしゃばしゃと水を掛け合ってはしゃぐ姿を眩しそうに見てヘラグは小さく笑う。彼岸の向こうの幻影はもう見えない。

 感染者への偏見も、死への恐怖もない。そこにあるのは、今ある幸せの光景だけだ。

 

「ここに“彼女”がいれば、どれだけ良かったかと思う」

 

 その様子を眺めていたドクターがポツリとこぼす。もしかしたら、ドクターの瞳にもさっきまで彼岸が見えていたのかもしれない。なんとなく、ヘラグはそう思った。

 

「けれど、私には過去は変えられない。ただ学んで次に生かすだけだ」

「そうか。貴殿もそう思うか」

「ああ、彼らの未来を変えるために。次の機会をより良く結果にするために」

「……未来を変えるか」

「ははっ、大げさだな。なんだか自分で言っていて恥ずかしくなってきた。酔っ払いの妄言ってことにしといてくれ」

 

 急におどけ、ドクターは笑う。そしてゆっくりと踵を返した。

 

「昇進記録を見たよ。私たちはまた貴方の全てを奪った。けれど、私はそれ以上のモノを得て欲しいと思っているよ。その機会は多分……ヘラグ、貴方の想像よりも多いはずだ」

 

 ◆

 

 ドクターの声に促されるように振り返ると、ヘラグの後ろに3つの影があった。今日の作戦に参加していた先鋒と前衛の3人組だ。

 

「し、将軍! 今日はありがとうございました!」

 

 緊張した声で勢いよく頭を下げたのヴィグナだ。それに倣って、メランサとクーリエも頭を下げる。

 

「礼を言われる筋合いはない。私は指揮官の指示に従っただけだ。それに君たちは良くやった」

「で、でも私まだ未熟で、将軍がいなければどうなっていたことか――」

「その年齢で持ち得ている戦闘技術は大したものだ。足りなかったのは、少しの経験だろう」

 

 ヘラグがかけた言葉に嘘はない。だからこそ、礼は本当に不要だと感じていた。

 

「あの、その件で将軍にお願いがありまして――」

「私に?」

「はい。僕たちに剣術を指南してもらえないでしょうか。お願いします」

 

 柄になく緊張しているヴィグナを見かねてクーリエが言葉をつなぎ、もう一度頭を下げた。メランサもそれに倣った後、口を開く。

 

「お願いします。私は足手まといじゃなくて、この剣でもっとチームのみんなを守る力が欲しいんです!」

 

 ヘラグは少し考える。だが、彼らの視線の先になぜか得意げな様子で手を振って去って行くドクターを見据え、小さく笑った。

 

「わかった。けれど、私の訓練は厳しいぞ。ウルサス流しか知らないからな……それから、戦場では自分の力だけに頼らないことをまず肝に命じてもらう」

 

 パッと顔輝かせた3人は「はいっ!」と言う。その顔にかつての仲間が被る。こうして指南してきた若者は、これまでたくさんいた。彼らももう、この世にはいない。けれどそれも自身の学びの一つだ。

 

――若者たちに教えなければならないことは、きっとたくさんあるのだろう。

 

 ヘラグにとって“死ねない理由”は、たった一つしかない。そのために生きてきたが、“生きる理由”はもしかしたら存外、たくさんあるのかもしれない。

 

「それでは、さっそく最初の指導を行う」

 

 そう思ったヘラグは柄にもなく、少しおどけた口調で言った。

 

「全員、ビール瓶を一本ずつ持ってきなさい。今日の祝杯を挙げよう。あと、可能であればドクターもここに引っ張ってくるように」

 

 




完全に蛇足なのですが、いつもは月パスだけの微課金派の自分です。ただ、へラグおじさまは最推しキャラで絶対に欲しいと一目見たときから思っておりました。そのため、各キャラで唯一追いかけて回しており、リアル2万龍門ペイを貢いでおります。

その結果ですが、もちろん、まだ弊ロドスには姿形が見えません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

イーサン -カラフル-

イーサンが夜のロドスを歩くお話。少し暗いの閲覧注意です。


 赤は血飛沫。灰色は瓦礫。白は炸裂弾の閃光。茶色は錆びた刃。緑は歯が折れるほど固まったパンに付着しているカビの色。

 擬態に欠かせない色彩は、イーサンにとっては凄惨なイメージでしかなかった。

 だが、それも少し前までの話だ。

 奇跡的にロドスに紛れ込んでからは、赤といえば鮮やかなトマトの色で、白色は風に吹かれてはためくシーツの色だと知った。

 レユニオンには見ることができなかった平和で穏やかな色。ただ、同時に否が応でも気付かされたことがある。

 

――どんなに鮮やかな色彩でも、光に照らさなければ黒く、淀んでしまうのだと。

 

 

Ethan(イーサン)-カラフル-

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

――夜が来る。

 

 ロドス艦内が夜間照明に切り替わると、イーサンの時間がやってくる。昼間でさえ、代名詞の擬態を生かせばほぼ自由に行動できるのだから、薄闇に包まれればイーサンに気付ける者はいくら尋常でない者が揃うロドスといえでもそうは多くない。

 レッドやファントム、グラベル、シラユキなどの暗殺者連中には警戒が必要だが、幸いなことに彼らは主の側を離れないから、そこまで脅威ではないのだ。

 

――さて、今日はどこに行こうか。

 

 食堂に入り込み、朝食用のパンを一つ囓りながら、イーサンは廊下をぼんやりと歩いていた。

 ロドスの中心に近いこの場所は、昼間であればファイルやパソコンを抱えた人々が慌ただしく往来している。だが、今は声が反響しそうなくらいガランとしているうえに真っ直ぐ伸びる廊下の奥は薄闇に侵食されて見通せない。

 実のところ、イーサンは夜があまり好きではなかった。いや、夜自体は好きなのだが、この場所(ロドス)の暗闇は安寧とほど遠いことに知ったのだ。

 

「おぇ、ゲホッ、ゲホッ」

 

 例えば、洗面所が聞こえる誰かの嘔吐音。その正体をイーサンは知っている。昼間はいつも笑顔を絶やさず、他人に尽くす少女だ。

 

「グム、大丈夫?」

「全然平気。でも、何だろう、今日はちょっと変だね」

「……落ち着いたら、当直医に見てもらいましょう」

「ううん。グムはいいよ、平気だよ。うぉえ……」

 

 弱々しい強がりの後に、反吐が洗面器のシンクを叩く音が聞こえた。

 

――なぁ、どうすればいいんだろうなぁ。

 

 パンを囓るのを止め、イーサンはゆっくりと洗面所の前を通り過ぎる。黄色い髪の少女も、背中をゆっくりとさすっているメガネを掛けた少女もその答えは分からないのだろう。

 ただ、こうして薄闇に紛れて吐き出すだけ。自分の無力さを感じてただ寄り添うだけ。きっと、この永遠とも思える時間に身を委ねるしか手段はない。

 

「……ごめんね」

 

 そう言った少女の言葉は果たしてどちらの声だったのか。イーサンは敢えて考えないようにした。

 

 ◆

 

 イーサンは医療棟の屋上から眺める空が好きだった。だが、その道中は平坦ではない。まずは医療棟の各所にあるセキュリティを突破しなくてはならない。どんなに姿を隠しても、生体センサーやサーモグラフィー型の監視カメラの目はごまかせないのだ。

 ただ、そんなものはまだ序の口。最も危険なのは、この医療棟のボスであるケルシーだ。イーサンは一度しか目にしたことがないが、あの女はぶっちぎりで“ヤバい”。濃い緑色のゴム製の床を細心の注意で渡り、階段にたどり着くと銀色の手すりに足をかけ、ひょいひょいと最短ルートで上っていく。

 5階くらいまで上っただろうか。ふいに慌ただしい音が聞こえ、イーサンはそっと息を潜めた。

 

「サイレンスさん! イフさんの容態が――」

「慌てないで、ススーロ。いつもの発作だから。治療室に早く搬入して」

 

 数人の白衣を着たオペレーターたちに囲まれ、担架がイーサンの目の前を通り過ぎる。その瞬間だった。

 

「うわぁあああ! 痛ぇ、何するんだよ、オレサマをどうするつもりなんだ!」

 

 少女の叫び声とともに担架から火柱が上る。

 

「大丈夫、イフリータ。落ち着いて! 私よ」

 

 白衣を焦がしながら、サイレンスがイフリータの手をギュッと握った。それでもイフリータは、うわごとを叫びながら暴れ回る。恐らく担架に拘束されているのだろう。

 

「サイレンス先生! B棟の患者の容態が急変しました!」

 

 慌ただしく階段を降りてきたのは医療オペレーターに、サイレンスは眉一つ動かさずに続きを促す。

 

「ススーロ、すぐに向かってあげて。必要ならハイビスカスを叩き起こして構わないから」

「え、でもこの子は――」

「私が補助するので問題ありません」

 

 機械的な声が、今度はイーサンの下の階から聞こえた。闇に染まった鈍色の髪の女性は、確かフィリオプシスといっただろうか。

 こんな緊急事態を何度も目にすると、「夜に死者が多くなる」という迷信もあながち間違いではないのではないかと思えた。

 イーサンはそっとその場を離れ、上階へと移動する。慌ただしい音は徐々に遠くなるが、ミミズクたちの夜はまだ始まったばかりなのだろう。

 

 ◆

 

 ようやくたどり着いた屋上を一目見た途端、イーサンは「来なきゃよかった」と後悔した。屋上には先客がいたのだ。しかも運が悪いことに、そいつはイーサンの気配に“気付ける”少数派の人間だった。

 

「はっ、愚鈍共のお仲間がコソコソと何をしているんだ」

 

 さらに少数派の中でも特にタチが悪い人物である。早々にこちらを関知して、喧々とした言葉をぶつけてきた青髪の男に、イーサンは半ば諦めたように擬態を解いた。

 

「コソコソとしているのは認めるけどよぉ。俺はもうレユニオンじゃねぇよ」

「相変わらず骨がない奴だな。アイツの首を取ってくれれば良いモノを」

「俺一人じゃあ、ドクターをやっつけるなんて夢のまた夢だろうよ」

 

 イーサンは顎ヒゲを撫でながら笑う。青髪の男――エンカクは「ふんっ」と小さく鼻息を吐くと、屋上のヘリに移動し始める。

 その手のひらにしわしわに枯れた花の束が握られるのを見て、イーサンはニヤリと笑った。

 

「なんだ、可愛いモンもってるじゃねぇか。誰かにプレゼントすんのかよ。もしかして、ドクターか?」

「バカ言っていると叩き切るぞ」

 

 そう言ったエンカクは、ヘリに着くと花をくしゃくしゃにまとめて外に投げ捨てた。弱々しい外灯に照らされ、色とりどりの花束が濃い闇に飲まれて消えていく。

 なんとなく、イーサンはその行く先をじっと眺める。

 

「なんで捨てたんだ?」

「枯れて死んだからだ。それ以外に理由なんてないだろう」

「……なるほど」

「どうした。自分の行く末と重ねたか」

 

 腰丈くらいのフェンスに腰掛け、エンカクが問う。イーサンは自嘲気味に肩を上げて「かもな」と呟く。するとエンカクは、珍しく口角を上げた。

 

「夜行(ナイトウォーク)が趣味のお前だ。もう、気付いているんだろう? ロドス(ここ)の平穏はただの幻想だ。昼間にどれだけハリボテの安寧を築いたって、半日後にはボロボロに朽ちて“本質”が剥き出しになる」

「……えらく饒舌じゃねぇか。俺をドクターと勘違いしていないか?」

「あぁそうだな。弱い奴を見ると、腹が立つんだよ」

「弱い、俺が?」

「違うのか? 暗闇が怖いから、生きてる人間が見たいからそうして夜な夜なうろついているんだろ」

 

――だから、こいつは苦手なんだ。

 

 戦闘狂のくせに、やけに達観していてこちらを見下ろしてくる。別に、イーサンはエンカクの言葉が図星なわけではないものの、すぐに反論が飛び出なかった理由にも気付いていた。

 

「いずれ滅びる。俺も、お前も、ロドスも、アイツも。それなら徘徊して夜中の安寧の地を探すより、さっさと寝て朝を待つ方が合理的だろう」

 

――そう。結局、俺も変わらないんだ。

 

 夜が来る度にトラウマに押しつぶされたり、鉱石病に蝕まれる少女と変わらない。夜になるとこれまでの日々がよみがえる。「誰にも気付かれずに死んでいく」と考えてしまう。自覚はないがそれがきっと、怖いだけなのだ。だから、こうして“つまみ食い”などを理由に夜な夜な歩き回っている。

 

「――それが嫌なら、他のヤツらみたいに彼処に行けばいいだろう」

 

 そう言ったエンカクが指さしたのは、ロドスの中枢のど真ん中にある煌々と光が漏れる一室だった。その部屋が誰のものか、イーサンは知っている。ロドスにはいくつかある“眠らない部屋”の一つ――ドクターの執務室だ。固まったイーサンの真横をエンカクは何も言わずに通り過ぎて行く。

 そしてそのまま、屋上にはイーサンが一人が残された。星一つない空を見上げ、イーサンはため息を吐きながらガシガシと頭を掻いた。

 

「そこまで言われたら行くしかねぇよなぁ」

 

 ◆

 

「なんだこりゃあ」

 

 暗闇にポッカリと浮かぶドアを開いた瞬間、イーサンは思わず声を漏らした。ドクターの広々とした執務室のなかには既に先客がいたのだ。それも一人や二人ではない。

 ソファを陣取って互いに頭を預けてぐっすり眠っているのは、ヴァーミルとクオーラだ。さらに部屋の奥では、薄い毛布を被って顔隠しているロープがいる。さらにドクターのデスクの横には、随分前に出会ったイースチナが分厚い本を黙読している。

 

「イーサンか、どうかしたのかい?」

 

 光になれない目に手をかざし、突如現れた色とりどりにイーサンは呆気に取られ、すぐには返事できなかった。

 

「……えらく人が多いんだな」

「ああ、今日の夜は特に暗いからなぁ」

 

 突然の訪問者にも動揺することなく、ドクターはぼんやりと窓の外に目をやる。いつの間にか、パラパラと窓を打つ雨音が聞こえていた。

 

「イースチナは眠くないのかい?」

「……いえ」

「そうか」

 

 隠れて目をゴシゴシと擦るイースチナに、ドクターは短く返す。その言葉が例えようもなく暖かく感じたのは、きっとイーサンが先ほどの彼女の姿を見ていたからだろう。

 

――まるで、夜にぽっかりと浮かぶ灯台のようだ。

 

 イーサンは小さく口元に笑みを浮かべ思った。暗闇を照らすにあまりにもか弱いが、それでも決して絶えることがない光。だから、暗闇を恐れる人間はここに惹かれる。すがってしまうのだろう。

 

「ほら、差し入れを持ってきたぜ。ドクター」

 

 イーサンは、少しくすねてきた菓子の小袋をドクターに渡す。ドクターはニヤリと笑い「サンキュー」と答える。そして大きく背伸びして、くるりとイスを回してイーサンの方を向いた。

 

「ちょうど眠気覚ましの会話の相手が欲しかったんだ。もしよければ、ちょっとお茶にしないか」

 

 イーサンも笑い「もちろん」と返す。一歩前に進んだタイミングで閉まる自動ドアの向こうの暗闇を一瞬見つめ、イーサンは部屋の奥へと入っていく。

 どんな色でも暗闇の中では淀む。けれど、僅かな光に照らされたらきっとそれらは色彩を取り戻せる。だから、ドクターならきっとどこかで朽ちた自分も見つけてくれるんじゃないだろうか。

 

――柄にもなく、そう思った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フロストリーフ -ロドスの大人たち-

フロストリーフが大人になろうとするお話。


「完治おめでとう。これに懲りて、二度と無茶な真似はしないように」

 昼下がりの診療室。小指に巻かれていた最後の包帯を解きながら、サイレンスはいつも通り表情が乏しい患者にチクリと苦言を呈した。

「……世話になった」

「本当ね。かすり傷程度なら良いけど、もう集中治療室のお世話にはならないで」

 丸いイスに腰変えたフロストリーフは、拳を握って「あぁ」と低い声で返した。

 廃都市でレユニオンと激突した際、極限までアーツを使ってあの白い悪魔と対峙した。その影響でしばらく体が動かせなくなっていたのだ。

 それからロドスやレユニオンがどうなったのかは、まだよく分からない。それでも隔離された病室にも、龍門での死闘やロドスの首脳たちがエリートオペレーターたちを引き連れてチェルノボーグに乗り込んだ噂は届いていた。

 また、ドクターがあの白うさぎの遺体を抱えて一時帰還したことも。

「もっと強くならないと」

「……そういう意味で言ったんじゃないわ」

 思わずこぼれたフロストリーフの本音をサイレンスは静かな声で否定する。顔を上げ、フロストリーフは正面に座る彼女を見た。

 

――あぁ、またこの顔だ。

 

 眉を下げたほんの少し、悲しそうな表情。入院中に見舞いに来たオペレーターたちや上官、担当の医療オペレーターもみんなこの顔で見つめてくる。

 何か間違っているのなら言えばいい。そう問いただしても、明確な回答が返ってくることはなかった。

 ただ、サイレンスはこれまでの人たちとは少し違った。

 先ほどフロストリーフの小指から解いた真っ白な包帯をそっとフロストリーフにの片手に握らせる。そして両手でそれを包み、ゆっくりと口を開いた。

 

「貴女は十分強い。だから、もう少しだけ大人になって」

 

 面食らったフロストリーフの赤い瞳が大きく開く。

 開けっぱなしの診療室の窓から、柔らかい日差しと少しだけ冷えた晩秋の風が吹き込むある晴れた日のことだった。

 

Frost leaf(フロストリーフ)-ロドスの大人たち-

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

――蝶々結びくらい、簡単な答えなら良いのに。

 

 完治してから数日間、フロストリーフの脳内はサイレンスの一言が常に反芻していた。ポケットから丁寧に折られた包帯を取り出し、両手を斜め45度に突き出して結んでみる。ものの数秒で羽を広げた結び目の後ろには、透き通るような青空が広がっていた。

 誰も居ない、広々としたデッキの端。入り口から死角になったその場所が、フロストリーフのお気に入りだった。

 自分が大人なつもりはなかった。かといって、子どもでもないと思う。子どもに戻れないのであれば確かにサイレンスが言うとおり、早く大人にならないといけないのだろう。

 だが、何をやれば大人になるのか全くもって分からないのだ。

 

――分からないのであれば、聞けば良いだけか。

 

 フロストリーフはゆっくりと腰を上げる。行き先は決まっていた。いつだって答えを教えてくれる人が、ここにはいるのだから。

 

 ◆

 

「すまないが、その質問には答えられないな」

「……なぜ?」

 予想外の言葉にフロストリーフは首をかしげた。書類に目を通しながら、ドクターはフロストリーフの質問に対して、あっさりと回答を拒否した。

「私が教えられることではないんだよ。数字とか、知識とはちょっと質が違う」

「……自分で考えろということか」

「そういうこと」

 珍しくふて腐れたように言ったフロストリーフに、ドクターは少しだけ笑みを浮かべる。

「少しくらい、ヒントをくれてもいいじゃないか」

「そうだなぁ。じゃあ、先輩たちと比べてみると色々見えてくるかもしれないぞ。ほら、ヘラグ将軍とか」

 フロストリーフの白髪の紳士のすらっとした出で立ちがよぎる。

「確かに大人かもしれないが……。少し、成長しすぎじゃないか?」

「ははっ! 確かに。それじゃあレンジャーもダメだな」

「サリアやシルバーアッシュはどうだい? あとドーベルマンも。ミッドナイトだって立派な大人だ」

「……まるで統一感ないじゃないか」

 次々と年上たちのコードネームを挙げるドクターを、フロストリーフは恨めしそうに睨み付ける。

「そんなものってことじゃないか」

 どこか達観した口調のドクターが、今回ばかりは少々腹立たしい。そんなフロストリーフの心情に気付いたのだろう。ドクターは書類をめくる手をゆっくりと止めた。

「そんなに真剣なら、一度来てみるかい?」

「……どこに?」

「大人の集まりってやつにだよ」

 後々になって考えると、とんでもなく怪しい誘い文句だが、そのときのフロストリーフには断る理由は何一つなかった。

 

 ◆

 

「ここは――」

 その日の夜。ドクターに連れてこられた建物の前に立ち、フロストリーフは瞳を二、三度瞬かせた。二人がいるのはロドスで最も大きな商業区画。そのなかの最奥にある通路は、いわゆるナイトスポットがひしめきあった歓楽街だ。

 タバコの煙が充満するパブ、夜が明けるまで人が絶えないスナックやクラブ、カウンターしかないこじんまりとしたバーなどが所狭しとひしめきあっている。製薬会社の本拠地なので危ないモノが提供される店舗はないものの、少々の無礼講は大目に見てもらえるこの一角は、ロドスの本艦のなかでも異彩を放っている。

 そんな歓楽街のなかでも特に奥まった場所にそのバーはあった。重厚な木製の扉のすぐ横にはステンドグラスがはめ込まれていて、その奥からは艶っぽいサックスの音が聞こえてくる。

「どうした。ちょっと怖くなかったかい?」

「――私を試しているのか」

「そういうわけじゃないさ。ほら、こういう場所は無理やりきても面白くないだろうから」

 フロストリーフはこれまで歓楽街を何度も訪れてはいる。バーカウンターでお酒を嗜んだことだって、一度や二度ではない。ただ、ここまで高級感がある店舗ではなかった。正直言って少し緊張はする。だが、ここで引き返すわけにはいかない。

「全然平気だ」

「さすがフロストリーフだな。じゃあ着いておいで」

 ドクターはゆっくりとドアを押す。カランと銅のドアベルが鳴り、フロストリーフはドアを開けたままのドクターに促されて薄闇の中にゆっくりと入っていった。

 

 店内は意外と広く、入ってすぐにテーブルが三つ設けてあり、その奥に一段上がってカウンター席が並んでいた。どうやらその先にもテーブル席があるようだ。微かだが人の話し声が聞こえてくる。

「いらっしゃい、ドクター」

「マスター、久しぶりだね。元気そうでなにより」

「それはこっちの台詞だよ。しばらく顔を見ないから、ついに過労で倒れたかと思った」

 勘弁してくれよ。と笑いながら、ドクターは木製の床の上を歩きカウンターに近づいていく。フロストリーフもその背中を無言で追いかけた。

「みんなは?」

「ついさっき来ましたよ」

 そこまで言って、初老のマスターはフロストリーフを見つけて「おや?」と声を上げた。

「今日はまた可愛いお嬢さんとご一緒で」

「ああ、期待の若手だ。名前を――」

 ドクターが振り向いたと同時に、静かな店内に場違いな素っ頓狂な声が響いた。

「フロストリーフ!? なんでこんなところに、ちょっとドクターどういつもりなの!?」

 いままで見たこともないような唖然とした表情のメテオリーテが、カウンターの奥からこちらを見つめていた。

 

 ◆

 

「ほんっとうに信じられない!」

「まぁまぁ、そんなに怒らないでくださいよ」

「そうそう。私は一緒に飲める人が増えるなら大歓迎よ」

 乾杯した直後に、ドンッとグラスをテーブルに勢いよく置いたメテオリーテの両脇に座るマッターホルンとブレイズがなだめる。ブレイズの左端に座っているシュバルツはただ黙ってグラスを傾けていた。

 シュバルツとドクターの間に座っているフロストリーフは、少しだけ気まずそうに頬を掻いた。メテオリーテはともかく、エリートオペレーターのブレイズと部外者のマッターホルン、さらにドクターを護衛している姿しか見たことがないシュバルツとはほぼ初対面だ。

 彼女たちの年齢は定かではないが、フロストリーフが接している人と比べるとずいぶんと“大人”だ。

 だからドクターがここに連れてきたことは理解したが、何を学べばいいのかはまだ分からなかった。

「みんなは何軒目なんだ?」

「私は三軒目ぇ~」

 あっという間にからになったジョッキを掲げ、ブレイズは「マスター、おかわりぃ」と言った。

「ヴァルポちゃん、前に会ったことあるわよね。ほら、あの白うさぎとやり合ったときの」

「フロストリーフ」

「ん~、良いコードネームね!」

 無愛想な返事をまるで気にしない様子で、ブレイズはフロストリーフに向かって親指を立てる。

「……ドクターはよくここで飲んでいるのか?」

「ん? あぁ、そうだね。店はその時々で違うけど」

「ドクターが来ると強制的に貸し切りになっちゃうから、店としてはいい迷惑かも」

「いえいえ、それは違いますよ。ドクターが連れてくる人はだいたいが大酒飲みなんで、逆に儲けがでますから」

 テーブルに肘をついてニヤニヤと笑うブレイズに、代わりの酒を持ってきたマスターがにっこりと笑って返す。周囲に穏やかな笑いの花が咲くが、メテオリーテが相変わらずしかめっ面なのがフロストリーフは気がかりだった。

「……それでいい加減、教えてくれないかしら。なんでフロストリーフを今日、ここに連れてきたの?」

「ああ、それはフロストリーフが“大人”のみんなに聞きたいことがあるみたいでね」

「ええー! なにそれ、すっごく面白いじゃない! なになに、お姉さんがまるっと解決してあげる」

「俺も伊達にエン――じゃない。クリフハート様とプラマニクス様のお付きをやってないですから。力になりますよ」

 その場の視線がフロストリーフに集まる。これまでにないシチュエーションに、若干戸惑いながらもフロストリーフはゆっくりと口を開いた。

「お、大人ってどうやってなるものなんだろうか――?」

 居合わせた大人たちの表情が固まるのと、ほぼ同時に冷や汗が首筋に流れるのをフロストリーフは見逃さなかった。

 

 ◆

 

 その場に居合わせた人たちが凍り付くのを見て、フロストリーフはこの問いがかなりの難題だということに初めて気付いた。

 あんなに賑やかだったバーは静まりかえり、ジャズの音色だけが響いている。

「大人になる方法? それってあれかな。ちょっとエッチな感じの――」

「ちょっとブレイズ!」

「ウソウソ、冗談だってば」

 ドンッとテーブルを両手で叩くメテオリーテに、ブレイズはヘラヘラと笑って返す。ふぅっとため息を吐き、メテオリーテはフロストリーフをそのまま真っ直ぐ見つめた。

「前も言ったかもしれないけど、アーミヤも貴女もどうしてそんなに生き急ぐの」

「サイレンスに言われたんだってさ」

「あの人らしくない。無責任な発言だわ」

「メテオリーテ姉さんは過保護すぎ」

「いや、そんなものだろう。俺だってクリフハート様に相談されたら同じように返すかも」

 腕組みをしてマッターホルンは天井を見上げる。何を考えているのか分からないが、ほんの少し眉間にしわが寄ったのがフロストリーフは気になった。

「ほら、答えてあげなよ。一部のオペレーターからマッターホルンおじさんって呼ばれているんでしょ。立派な大人なんだから」

「何かひっかかる言い方だな……だが、考えたこともなかった」

 如何にも“大人”な雰囲気のバーで何杯も酒を囲みながら頭を悩ませている光景があまりにも意外で、フロストリーフの好奇心をくすぐった。しばらくの沈黙の後、口を開いたのはマッターホルンだった。

「真面目な話をすると、イェラグの戦士は年齢に関係なく出撃した時点で自分を死んだものとみなします。そういう意味では子どもも大人も変わらないんですよ」

「同感! 結局、ロドスでも大人も子どもそれぞれの役割があるわけでしょ。それをこなしてる時点で区別する必要ないでしょ」

 酔いが回ったのだろうか。ほんのりと頬を赤く染めたブレイズは、いつになく優しい視線をフロストリーフに向けた。

「なんか思い出すなぁ。まだロドスに入ったばかりで、先輩オペレーターに追いつけ追い越せで頑張ってた頃のこと」

「……結局、追い越せたのかい?」

「どうかなぁ。今になっては試しようもないけど。最初はでっかく見えたけど、もしかしたらそんなことなかったのかもね」

 ドクターの問いにブレイズは目を細めて返す。彼女が誰の背中を思い浮かべているのか、きっと全員気付いていたのだろうがその名を口にする者はいなかった。

 ブレイズに続いたのは、意外にもメテオリーテだった。少し照れているのだろうか。ぐっとグラスに残っている酒を飲み干すと彼女は再びフロストリーフを見つめた。

「せっかくドクターもいるから言わせてもらうけど、ロドスの若い子はみんな自分の身を軽く考えすぎなの。もっと自分を大切にしないとダメだわ」

「……なるほど」

「私だって感染者だから焦燥感は理解できる。でもね、だからといって簡単に命を掛けてはダメ。フロストリーフ、あなたがいなくなると悲しむ人はたくさんいるんだから」

 自身の経験と重ねていたのかもしれない。フロストリーフの瞳も言葉を紡いでいる途中のマッターホルンやブレイズと同じ色をしていた。

「守りたいモノがあるなら、それと同じくらい自分を大切にして。それがきっと大人になる最初の一歩だと思うの」

 そう言った彼女の顔は、サイレンスのあの日の表情とよく似ていた。

 

――あぁ、そうか。だから、みんなあんな顔をしていたのか。

 

 フロストリーフはチラリとドクターを見上げる。フェイスガードを外したドクターの横顔は、薄暗い店内では良く見えない。それでもこちらを向いて「フロストリーフ?」と問いかける声は穏やかだった。

 

 ◆

 

 歓楽街を抜け、シャッターがほとんどの店舗にシャッターが降りている商業区画を二人で歩く。夜になって少々肌寒い空気が火照った体に心地良い。

「どうだった? ロドスの大人は頼りがいがあるだろう?」

「……あぁ、そうだな」

 ドクターと並んで歩きながら、フロストリーフは口元に薄らと笑みを浮かべて空を仰ぐ。空気が薄いせいだろうか。背の高い建物の間にある等級の明るい星々がやけに近く見えた。

 3人の大人に背中を押してもらったのだ。こんな日くらい、お酒の勢いに任せてわがまま言うのも許されるだろう。

「なんでドクターがご機嫌なんだ」

「うーん。そうだなぁ」

 ドクターは立ち止まり、さっきのフロストリーフと同じように空を見上げる。ドクターの少し先で立ち止まり、フロストリーフはじっとその姿を見つめてた。

「私はね、今日、君が悩んでいる姿を見て少し嬉しかったんだ」

「嬉しかった? なんで?」

「君が自分について真剣に考えていたからさ」

「……」

「メテオリーテが言っていただろう? アーツを使って身を削ることだけが人の役に立つわけではない。尤も、それも大切ではあるけれど」

 そう言ってドクターは少し身を屈め、フロストリーフの肩をポンと叩く。

「いつか、ロドスの子どもたち全員に言ってあげたいことがある。それを初めてフロストリーフに言おう」

 いつものドクターとは違う、ひどく柔らかい声だった。

「たくさん悩んで、色々試して、もがいて、失敗しても良い。幸いなことにロドスはそれがいくらでも許される場所だから」

「……ドクター」

「そのために私たちがいるんだ」

 肩に置かれた手のひらをフロストリーフは思わずぎゅっと握る。いつか、暗くて冷たい部屋でケルシーにかけられた言葉だった。言った人は違うけども、あのときとは違いひどく胸が締め付けられた。

 それでも、この言葉だけは告げないといけない。くるりと背を向け、フロストリーフは震える唇をゆっくりと動かした。

「……あ、ありがとう。ドクター」

「礼には及ばないさ」

 そう言ったドクターは、ゆっくりとフロストリーフを追い越して「泣いているのかい?」と声を掛ける。フロストリーフは少しムッとした表情を浮かべ、乱暴に服の裾で両目擦るとドクターの横に並んで歩き出す。

「別に泣いていない」

「なるほど、そういうことにしておこう」

 くつくつと笑うドクターを恨めしそうに見上げ、フロストリーフはポケットから蝶々結びしたままの包帯を取り出して強く握った。

 

 ◆

 

「ドクター、入っていいか」

「ああ、待っていたよ。どうぞ」

 ビデオに映し出されたのはドクターの執務室だ。自動ドアが開き、廊下からフロストリーフが入ってくる。その後ろには顔を真っ赤にして俯いているヴァーミルがいる。

「なぁ、なんでドクターに見せなきゃいけねぇんだよ」

「似合ってるから。ほら、手を広げて」

 促されるとヴァーミルは渋々といった様子でドクターに右手の甲を広げて見せる。その指先には青色のマニキュアが塗ってあった。

「ほら、せっかくだから撮ってあげて」

 フロストリーフの声に反応し、ビデオがズームになる。フロストリーフもそっとヴァーミルの手のひらの横に自分の赤く塗った指を見せた。

「撮る必要はないだろぉ! こんなの何になるんだよ」

「別に。でも、いつか思い出になるかもしれないだろ」

「んなモン、オレには必要ねー!」

「今の君にはな。けれど、この先は分からないだろう」

 羞恥心の境地を超えたのだろう。ヴァーミルは「そんなこと知るか!」と言い残すと、目にもとまらぬ早さで執務室から飛び出ていった。

 その姿を苦笑いで見送るドクターに、フロストリーフはイタズラっぽく笑いながら「余計なことだと思う?」と聞く。

 ドクターは「彼女にとってはそうだろうね」と笑って返す。フロストリーフも「そうだな」と言い、言葉を続けた。

 

「ヴァーミルには悪いけど、もう少し余計なお世話を焼かせてもらう。“ロドスの大人たち”にされたみたいにね」

 

 戦乱の合間のひととき。映像に映るフロストリーフの横顔は、どこか大人びて見えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プラチナ -アイとかコイとか-

乙女と使命の狭間に立つプラチナさんのお話


 ボロボロに朽ちた、だだっ広い廃墟の真ん中。錆びた鉄骨に背中を預けて両足を投げ出し、一人の男がうずくまっている。

 フード付きの分厚いコートの裾から伸びるビニル管には、音もなく落ちる点滴が流れているのだろう。

――まるで、死んでいるようだ。

 ゆっくりと男に近づきながら、プラチナは目の前にある異様な光景を見る。

 足下に散らばった地図。左右にはいくつもの無線機がそびえ立ち、幾本ものコードが低くうなり続けている電源装置につながっていた。埃や錆に塗れた周りの景色のなかで、その男だけが浮いている。

 無線機から流れる砂嵐と、タイルの屋根を叩きつける雨音が混ざる。プラチナは僅かな高揚感を胸に覚えながら、ゆっくりと矢筒から矢を一本取り出した。

 いつもは鬱陶しいくらい、男に付き従っている護衛や近衛たちも今はいない。

――邪魔者は誰もいない。

 正真正銘、アイツと自分の2人だけだ。

「さぁ、どうやって楽しもうかな」

 普段は表情に乏しい顔を少しだけ歪ませて笑う。そして、ポケットに1度だけ手を突っ込む。

「――ドクター! 応答して!」

 突如、無線機の1つから少女の声が響いた。確か、プロヴァンスというトランスポーターだ。モノクロの背景とは正反対の活気がスピーカーから溢れる。

 うなだれていた男がゆっくりと顔を上げる。

――余計なことを。

 プラチナは素早く弓に矢をつがえる。その矢じりは男――ドクターを捉えていた。それに気づいたドクターは間もなく「プラチナ?」と名前を呼んだ。

 きっと、プラチナの瞳が「暗殺者」になっていることに気づいたのだろう。その声は緊張感が孕んでいた。

「楽に死にたいなら、動かない方が賢明だよ」

 短く告げてプラチナは矢を放つ。

 一瞬の風切音。その後、ぐしゃりと矢じりが肉にめり込む音が雨音の幕間に響いた。

 

アイとかコイとか

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 いつからだろう、ロクに顔も見たこともない男に惹かれ始めたのは。一つ屋根の下の共同生活とはいえ、直接会話する機会なんてほとんどない。

 彼の噂はロドスに来る前から知っていたし、正直、興味はあった。

 だが、たまたま食堂で顔を合わせただけで僅かながらでも心が動いたり、廊下ですれ違う瞬間に視線で追いかけてしまうなんて、予想もしていないかった。

 それだけではない。今、こうしてロドス中枢に伸びるT字路の突き当りの壁に背中を預けている自分の視線の先に、数人の上官たちと立ち話しているドクターの姿があることも、なんとなくしっくりこない。

「らしくないって、アンタも思わない?」

 プラチナは誰ともなしに呟く。すると、窓から差し込む昼下がりの日差しの届かない廊下の奥から、微かにクスクスと笑い声が漏れた。

 普通の人では気づけないくらい、小さなトーンである。

「なに笑っているんだよ。言いたいことあるなら言いなよ」

「『あなたらしい』が分かるほど、あなたのことを知らない私に聞いてもしょうがないでしょ」

「……確かに」

 この声の主との会話は、妙にやりづらい。それは彼女の出自がプラチナと似通っていることもあるだろうし、ある意味ドクターとの関係を『先』に行っている存在だからなのかもしれない。

 考えれば、彼女とこうやって話していることもかつてのプラチナにとってはイレギュラーだ。

「アンタはどうしてドクターに忠義を立てたの?」

「……野暮なことを訊くのね。無冑盟のプラチナランクさん」

「……そう言われると思った。まぁ、取り消すよ」

 あっさりと手のひらを返したプラチナに、また声の主はクスクスと笑った。馬鹿にされているわけでないのだろう。彼女の笑い声は不思議と心地いい。

「自分でも不思議。それに、アンタに愚痴をこぼすくらいには深刻な状況なんだよね、私とドクターの関係」

「そうなの? あなたとドクターの関係ってこうやって遠くから眺めているだけかと思っていたわ」

「こわ~い護衛がいるからね。迂闊には近づけないよ……特にグラベルっていう女は要注意だって」

 冗談にほんの少しの皮肉を込めたつもりだったが、口に出すとその割合は逆転していた。それでも女はこれまでと同じように笑うだけだった。

「私たちは、自分の感情に答えを見つけなくちゃならない。そうだろう?」

「……」

「アンタはその答えを出して、ドクターはそれに応えた」

「……」

「私の答え次第では、いずれドクターやロドスが傷つく可能性だってあると思わない? いや、別に慢心しているわけじゃないけどさ。絆はすぐに綻ぶモノなんだから」

 返答はない。ドクターが執務室に入った瞬間、彼女の気配も消えたのだ。

「ツレないヤツ」

 ボソッと言って、プラチナもようやく壁から背中をはがして影に消えていく。

――本当に面倒な感情だなぁ。

 いつもの気まぐれで軽い雰囲気をまとわせながらも、プラチナは小さくため息を吐く。この感情の名前はまだ知らない――けれど、多分、向き合ったら逃れられない。そんな気がしていた。

 

 ◆

 

 初めてドクターの護衛に抜擢されたのは、その作戦の特殊性ゆえだった。危機契約――極度の高濃度オリジニウムに汚染されたオリジムシおよび野生動物の駆除。近接オペレーターの感染を防ぐため、遠距離オペレーターのみで実行する異例の任務だった。

 それは当然、ドクターの身辺警護も同様でグラベルやファントムなどの近衛たちも除外された。その代わりとして白羽の矢が立ったのが、遠距離で暗殺者のプラチナだったのだ。

 プラチナにとっては、別段、いつもと変わらない仕事。それよりも、本当の意味でドクターと1対1になれる。その事実に胸がざわついた。

「――ちょっと、聞いているの?」

「ん? ああ、もちろん」

 食堂の長テーブルに片肘を付いて、ぼぉっとしていたプラチナの顔を覗き込み、グレースロートは険しい表情を浮かべる。

「……絶対に聞いていない」

「復習なんてもうたくさんだよ。大丈夫、問題ないって」

 ひらひらと手を払いながら、プラチナは面倒臭そうに言う。例の作戦のおさらいとやらで、グレースロートにつかまったのは30分前のこと。どうやら、作戦会議(ブリーフィング)中のプラチナの態度が気に障った――というか、心配になったらしい。

「毎度毎度、真面目なことだねぇ」

「私はあんたと違って弱いから、しっかりと『予習』しておかないとダメなのよ。あんたも今回は初めての護衛任務なんでしょ」

「大丈夫だよ、失敗したことなんてないから」

「あんたはそうだとしても、周りはそうじゃないわ。任務に臨む姿勢を見せておかないと、『ドクターになにかあったらどう責任をとるんだ!』て思う人もいるだろうから」

「……なるほど」

 さすが生粋のロドスっ子である。微妙なバランスで成り立っているロドスの世情をよく理解している。

――パフォーマンスも重要だなぁ。

 目の前に並べられている資料をプラチナがパラパラとめくったその時だった。聞きなれた声が微かに耳に届き、プラチナは振り返る。

「ドクターだ」

 プラチナの心情を読んだかのように、グレースロートがぽつりと言った。

 

 夕方の食堂には人は少なめで、300人は収容できる一室にはちらほらと人影があるだけだ。ドクターは点滴を打ちながら、のそのそと食堂に入ってくると遅めの昼食、もしくは早めの晩飯を取り始める。

 作戦が始める前から、すでにボロボロな二人が眺めていると、ドクターの側に若い娘が寄ってきた。確か、アンジェリーナとかいっただろうか。ロドスの秘蔵っ子の1人である。

 顔を真っ赤にして何かを話し、ドクターにラッピングしたものを手渡している。食堂の入り口には数人のオペレーターが隠れてその様子をうかがっているようだ。あの娘がドクターに好意を持っているのは、ロドスの公然の秘密のようなもので、知らないのは恐らく当人たちだけだろう。

 二、三言話すとアンジェリーナは点滴に触れ、心配そうにドクターに問いかける。ドクターはそれに笑顔で答え、贈り物を受け取った。

 そして、アンジェリーナは小さく頭を下げるとそのまま食堂を出ていく。出入口で待ち構えていたオペレーターたちとハイタッチする姿がわずかに見えた。

――あの娘は知らないのだろう。

 絆を結ぶリスクと、それがほころんだときの恐怖を。それでも少し、彼女がうらやましいと思うのも事実だった。

――いつから、こんなにビビっちゃうようになったんだろうなぁ。

 ずっと一人だったし、かつての同志たちが汚れて行く様を見ても大して感情は動かなかったのだけれど。

「……はい、これ」

 思いふけっていると、ふいに目の前に紙コップに入ったコーヒーが現れてプラチナは少し驚く。見上げると、コーヒーをこちらに突き出している相変わらずクソ真面目な表情のグレースロートがいた。

「え、なに?」

「珍しく難しい顔していたから」

 まさか、こんな若造に表情を読まれるとは――。とプラチナは、ますます自分の状態が『良くない』と察する。

「あぁ、ありがとう」

「――あんたは、ドクターのことどう思っているの?」

「……ぶっ!」

 まさかの問いに、危うくコーヒーを噴き出しそうになる。

「な、なにを言っているのかな?」

「もしあんたがドクターの嫌いとか、どうでも良いとか思っていても良い。でも、どうか次の作戦だけは守ってあげてほしい」

「私のこと、信用してないわけ?」

「そうじゃない。けれど、直接言っておきたいと思っただけ。あの人は私にとっても大切……今の好きなロドスに変えてくれたきっかけはあの人だから」

 どんなに経験豊富な討論者であってもひるんでしまうほどのプラチナの冷めた声にも、グレースロートはまっすぐに返す。

「……なるほど」

 相変わらず声は冷めていたが、プラチナの胸の奥はほんの少し揺らいだ。

――あぁ、そうか。この場所(ロドス)が良くないのだ。

 不器用だったとしても、想いの色は違っても、色々な絆がそこら中に貼り巡っている。特にドクターから伸びる『絆』はあまりにも多すぎて、それが壊れる恐怖を他人事ながら感じてしまった。だから、こんなに憶病になってしまったのだ。

「任せてくれて大丈夫。私にとっても、ドクターは大切だから」

 感情に飲まれたまま、呟いたプラチナは今さらながら自分の胸に問いかける。

――私がドクターを思う『大切』ってどんな感情なのだろう。

 

 ◆

 

「……ちょっとドクター! ドクター、大丈夫!?」

 焦燥感に塗れた声が廃墟をこだまする。少しの静寂のあと、ドクターが返事した。

「あぁ、大丈夫だ。野犬に数頭侵入されたんだが……。プラチナがすべて排除してくれた」

「もう! 心配させないでよぉ。僕、てっきりドクターがやられたのかと思った」

「悪い悪い。それで要件はなんだい?」

 ドクターの背後数メートルで折り重なっている鉱石が突き出た野犬を一瞥し、プラチナは一人で陣頭指揮をこなすドクターの背中を見つめていた。

 少し丸まった、小さな背中。触れると折れそうなくらい貧弱なはずなのに、なぜか頼もしい。そのギャップに惹かれたのだろうか。

 もしくはあまりの弱々しさに感じる庇護欲?それともその肩に乗っている重責を哀れに思ったから?

――どれも安っぽいな。

「……プラチナ、ありがとう。助かったよ」

「当たり前だろう? 大切なクライアント様だからね」

「ははっ、確かにそうか」

 軽口を叩きあいながら座り込んだドクターと背中合わせに立ち、プラチナはじっと天井を見上げる。どうやら雨はもうすぐ止みそうだ。雲の切れ間から漏れた日光が、朽ちて落ちた屋根の合間から差し込んで光の筋をつくっている。

「あっ」

「ん? どうかした?」

「思い出した」

――アンタに惹かれたきっかけ。あと、この胸の想いも。

 あまりにも単純でアサシンらしくないし、戦場には似つかわしくない。けれど、気付いてしまった。かなり厄介で絆が緩むと厄介な『大切』な感情の正体に。そして、『向き合いたい』と思ってしまった。

 プラチナはポケットに手を突っ込み、きれいに折りたたんだ1枚の紙を取り出す。

「ねぇ、ドクター」

「ん?」

 振り返ったドクターにプラチナはその紙を差し出して、ほんの少し、頬を赤らめて言った。

「今度さ、もしよかったら遊園地に行かない?」

 

――この厄介な想いの名前は、コイとかアイとか、もしくは恋慕というやつらしい。

 

 ◆

 

 その瞬間は、まだプラチナがロドスに着任して間もない、朝の気配がまだ薄いドクターの執務室で起こった。

 ソファには一人では夜を明かせない少女が眠っていて、ドクターはデスクの床に突っ伏して気絶するように寝ていた。

 ドクターの秘書に指名されたプラチナは、その権限を存分に発揮して普段は滅多に見られないドクターの横顔を眺めていた。

 ただの興味本位。でもそれがいけなかった。

 突然、ドクターが目を覚まして寝ぼけ眼のままプラチナの横髪にそっと触れたのだ。

「うひゃあ!」

「……ん? あぁ、すまない。プラチナだったか」

 思わず声を上げたプラチナに対して、ドクターは声を落として謝った。どうやら寝ている少女に配慮しているらしい。

「勝手に髪に触るなんてサイテーだね」

「悪かったって。でも、勘違いしちゃったな」

「……勘違い?」

 怪訝そうな表情を浮かべるプラチナにドクターは薄っすらと笑って窓を指さす。そこには地平線上に昇り始めた太陽の光が差し込んでいる。

「朝陽に触れたかと思った。綺麗だよ」

 

――多分、自分は思ったよりもチョロい女なのかもしれない。

 

 こんな一言で、彼のことを愛おしいと感じてしまったのだから。

 

 

 




久々の投稿は超絶美少女のプラチナさんでした。
乙女な彼女も最高ですね!
男の子だったら絶対にラノベのヤレヤレ系主人公張れる性格&実力&設定だと思います。
オペレーターが全員主役張れるくらいキャラ濃いのが、アークナイツの魅力ではないでしょうか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グラニ -美しい日々-

――あの人に、とても似ていたから。
グラニがある人にプレゼントを渡す話。


 任務が終わり、帰路に就く。この瞬間が楽しくて、堪えようもなく浮足立ってしまうのはきっと、万国共通ではないだろうか。

 そんなことを考えながら、グラニは警護車両の助手席の窓を全開にした。真冬の冷え切った空気が高揚感を何とか抑えてくれる気がした。

「寒っ! おいグラニ、何やってんだ早く閉めろ。風邪引いちまうよ」

 運転手のノイルホーンが大げさに体を震わせる。グラニは笑いながら「ごめんごめん」と謝った。

「お前、もう仕事が終わった気でいるだろ」

「まさか! 帰還するまでが任務でしょ。基本だよ、基本」

「ほー。さっきまでノリノリで鼻歌歌っていたくせによく言うぜ」

「あれ? ノイルホーンも一緒に歌っていた気がしたんだけど、あたしの気のせいだっけ」

「……」

 二人のやりとりに、後部座席から和やかな笑い声が漏れる。グラニがルームミラーをチラリと見ると、複数の3、4人のオペレーターたちが笑みを浮かべていた。

 1週間も続いたとある都市での要人警護任務が完了したのは、つい数時間前のこと。途切れることがなかった緊張感から開放され、誰もが肩の荷が下りた表情をしている。

――それに、このまま行けば十分、『今日』に間に合いそうだ。

 グラニはポケットのなかにある小さな紙袋に触りながら、嬉しそうにほほ笑む。

「そういえば、さっきグラニが雑貨屋に入っているのを見たぞ。誰のプレゼントを買ったんだ」

 グラニの心情を知ってか知らずか、ノイルホーンがにやにやと笑いながら言った。後部座席の連中も「マジかよ!?」とどよめいて、身を乗り出した。

「まさか彼氏か?」

「抜け駆けするなよ! 帰ったらロンリーな俺たちと祝杯上げるんじゃないのかよ」

「彼氏じゃないよ……それに、そんな約束した覚えはないんだけど」

 動揺する男たちを苦笑した後、グラニは改めてニッと笑っていたずらっぽい視線を運転手に向ける。

「それに、ノイルホーンもコソコソとアクセサリーショップに入っていたよねー。まさか、自分用じゃないよね。誰に買ったんだろう」

 後方の男たちがまたざわめく。

「おい、ノイルホーン! お前まさかついにヤトウに――」

 誰かが発した声に動揺したのか、ノイルホーンは大きくハンドルを切った。車両はセンターラインをはみ出して蛇行し、車内が大きく揺れる。

 いくら荒野の真ん中を伸びる一本道とはいえ、対向車があれば事故っていたに違いない。それでも、車内は一瞬の沈黙の後、全員の笑い声が溢れた。上官たちに見られていたらきっと大目玉を食らうだろうが、今日だけは少しだけ気の緩みを許してほしい。

 グラニはヘッドライトに照らされて舞う粉雪を見てそう思う。

 地平線に浮かぶ、巨大な家(ロドス)の灯が随分近くなっていた。

 

 美しい日々

 

※※※※※※※※※※※※※※※

 

「先方からすでに連絡は受けている。『経過も結果も兼ねがね良好で文句なし』とのことだ。叱り飛ばす事項もないから、詳細は報告書で十分だろう」

 ロドスの中枢。作戦の隊長を担ったノイルホーンと支援者であるグラニから報告を受けたドーベルマン教官は、いつものように淡々と告げた。狭い一室には、二アールをはじめ数人の上官がいるが、その誰もが「よくやった」と二人をねぎらった。

 同僚たちと過ごした車内とは、打って変わってオカタイ雰囲気。だが、一人だけ浮いている人間がいる。グラニは絶対にその人と視線を合わせないことだけに集中していた。

「……私からは以上。ドクターは何かあるか?」

「あぁ、そうだな。二人ともメリークリスマス」

 たっぷりと髭をたくわえた真っ赤な全身サンタクロースの格好に加え、なぜか頭にはトナカイの角まで生やしたドクターが、真面目な声色で短く告げる。

 不覚にもグラニはバッチリと目が合ってしまい、思わず吹き出す。隣のノイルホーンもつられて笑いだしてしまった。

 さきほどまでの雰囲気をぶち壊して笑うグラニとノイルホーンに、満足そうなドクターをゴミを見るような目で一瞥するとドーベルマンは口を開く。

「メディカルチェックを受けた後はしばらく休憩してくれ。いくら今日が特別な日だからといって、ハメを外し過ぎるなよ……どこかの誰かのようにな」

「それって私のことかい?」

「ああそうだ。自覚がある分、タチが悪い」

 上官たちの不毛なやりとりを聞きながら、グラニとノイルホーンは短く敬礼して退室する。ドアが閉まると、二人はチラリと顔を見合わせてもうひと笑いした。

 

 ◆

 

「いつもの通り、健康優良児です!」

 満面の笑みのハイビスカスに簡易的なメディカルチェックの報告を受けて、グラニは医療棟を後にした。宿舎や食堂などが連なるフロアの様子はいつもと様変わりして、色とりどりの装飾に彩られている。

 雪のスプレーが吹き付けられた観葉植物。長い廊下の両壁には、断続的に点灯するライトが光っている。行き交う人たちも、普段よりもおしゃれな姿をしていた。ロドスと契約して短くない時が過ぎたが、初めて見る鮮やかな光景だ。

――なんだか、幸せだなぁ。

 クスリと笑って、グラニは廊下を歩く。ドレスを着たオペレーターのなかには、肩や足から鉱石がむき出しになっている者も少なくない。ただ、そんな人たちが笑いあう姿が、グラニにはとても微笑ましく映るのだ。

「ねぇ、キミもそう思わないかい?」

 グラニは足下でブンブンと尻尾を振っている犬型ドローンに声をかける。頭が巨大なカメラになっているコイツは、ドクターが個人的に作っているプロファイルの撮影担当だ。今晩のグラニのパトロールを記録するらしいのだが、肝心の飼い主の姿が見当たらない。

「またどこかで油売っているのかなぁ」

 いくら悪目立ちする格好だからといって、今日のような騒がしい様相の基地内で見つけるのは一筋縄ではいかないだろう。

 そのとき、背後からポンッと肩を叩かれてグラニは振り返る。そこにはドクターが立っていた。

「やぁ、グラニ。お疲れ様」

「ドクター! どこに行っていたの……って、なにそれ」

 なぜか体中に金色の星型のブローチが付けられていて、姿形の珍妙さが増している。

「あぁ、イフリータからもらったんだ。作りすぎたみたいで、もったいないから全部付けた」

「そ、そうなんだ。似合っているよ」

「だろう?」

 くつくつと笑いながら、ドクターは両手に持っていた紙コップを手渡してきた。きっと、シャンメリーだろう。薄緑色の液体が小さく泡立っている。

「ありがとう……でもいいのかな、一応、パトロール中だし」

「『自主パトロール』だろう。ドーベルマンも休めって言っていたし、問題ない」

 そう言って、ドクターは紙コップを掲げる。グラニも「りょーかい」と言って笑い、コップを軽くぶつけた。いつもより特別な日のルーティンが始まった。

 

 ◆

 

 幾層にもなるロドスの各階をゆっくりと回る。普段であれば、夜間照明に切り替わる時刻になっても今日はどの階もにぎやかだ。特に食堂には簡易的なステージまで作られて、非番のオペレーターたちが大勢集まっている。

 グラニがひょっこりと廊下から顔を覗かせた時は、ヘソ出しサンタクロースの衣装に身を包んだヴィグナがギターをかき鳴らしながら「メリークリスマス!」と叫んでいた。

 普段であれば食堂を一周して警邏するのだが、今日は避けた方が良さそうだ。

「ドクター、次に行こう――」

「あっ、グラニ!」

 後ろに控えるドクターを促そうとそのとき、群衆の中から誰かの声が聞こえた。見ると、周囲よりも少し高いところに浮いているアンジェリーナが手を振っている。

「もう着いていたんだ! お帰り!」

 グラニも笑顔で手を振り返す。するとアンジェリーナの周囲からひょっこりと幾本かの手が生えて、こっちにおいでと手招きした。

 きっと、顔なじみのオペレーターたちだろう。

――どうしよう。

 パトロール(ドクター)と彼女たちを天秤にかけ、グラニが逡巡するとそっと後ろから背中を押された。

「行っておいで。せっかくなんだから」

 グラニは「ありがとう、ドクター。ちょっと待っていてね!」と返して、群衆のなかに飛び込む。

「お、グラニだ。相変わらずちっちゃいなぁ」

「間に合ったんだな! えらいえらい」

「ちっちゃいって言うなぁ、こら! 頭を撫でないで! 子ども扱いも禁止ね!」

「拗ねないでよー。相変わらずぷにぷにねー」

「顔つねったら怒るからね!」

 人混みのあちこちから老若男女問わず絡まれてグラニはむくれながら、アンジェリーナたちがいたであろう場所を目指した。

――まったく、みんなあたしのこと舐めちゃってくれて……。

 少しふてくせながらも、降り注ぐ「お帰り」に少しだけ胸が熱くなる。人混みが一瞬拓け、アンジェリーナの笑顔が出迎えてくれた。こちらに手を振る周囲のオペレーターたちに向かって、グラニはにっと笑い大きく声を張る。

「ただいま、みんな!」

 

 ◆

 

 グラニが再び、食堂から抜け出したときは半刻ほど経ったときだった。アンジェリーナをはじめ、色々な人にもらったクリスマスプレゼントを抱えて、グラニは廊下に身を乗り出す。

「ごめん! ドクター、待ったせちゃったよね!」

 しかし廊下にはドクターの姿はない。首を左右に振るが、どちらにもあの珍妙な格好をした人物はいなかった。

――誰かに引っ張られて行っちゃたのかな。

「小さき者よ」

 頭上から男の声が降ってくる。微かな声だが、不思議と雑踏にかき消されることがない美しい声色だった。

「ドクターからの伝言だ『キミの求める人は今、雪空を眺めている』と」

「え?」

「確かに伝えた」

 視界の端で影が動いた気がした。

――会いたい人。

 膝の上に器用にプレゼントを乗せて、ごそごそとポケットをまさぐる。微かな包装紙とリボンの感触に、少しだけ胸が高鳴る。

――あの人は、受け取ってくれるだろうか。

 グラニは廊下の窓の外に視線を滑らせる。相変わらず、粉雪が舞っているようだ。

 

 ◆

 

 デッキの最後部。寒さに身を震わせながらホワイトクリスマスを堪能する人たちも立ち入らない、僅かな外灯に照らされた寂れた空間に彼らはいた。

 ほんのりと周囲を白く染め上げた中に立つその姿は、さっきまでの賑やかな空間とはやけに異質だ。

「ひどいよドクター。何も言わずにいなくなるなんて」

「警邏のプロならすぐに見つけてくれるって信じていたからね」

 軽口をたたき合いながら、グラニはドクターの後ろに立った。そして、その横に立つ人物を見上げる。いつもの戦闘着に身を包んだスカジが、二人の会話を意に介さずに雪空を見上げている。

「すごい荷物だなぁ」

「はは、ありがたいことにプレゼントたくさんもらっちゃって……」

「さすがグラニは愛されているな」

 ポリポリと頬を掻きながら言ったグラニは、ドクターの反応に少しだけ申し訳なくなる。本艦内は武器携帯が許可されていないため、愛刀が没収されているスカジの両手は手持ち無沙汰で空っぽだった。

 別に、プレゼントの多さで人の価値が決まる訳ではない。ただ、今の状況に何も感じないほどグラニは無神経な人間ではなかった。

「久しぶりだね、スカジ! その格好、寒くない? カイロあるから使ってよ」

 ゴソゴソとポケットから使用中のカイロを取り出し、スカジに差し出す。目線だけチラリと向けて、スカジは僅かに口を開いた。

「いらないわ。寒さには慣れているから」

 いつも通りの淡泊な反応。予想通り過ぎて逆に笑いそうになる。実際、ドクターは軽く吹き出していた。スカジは少し意外そうにドクターを見ていた。

「二人で何をしていたの? もしかしてデート?」

「私はただここで雪を見ていただけ。そうしたら変わり者の二人に絡まれたのよ」

「……だってさ、グラニ。じゃあここには変わり者が三人いるわけだ」

 軽口で返すドクターに対してスカジはさらに意外そうな表情を浮かべるので、今度はグラニが笑った。無愛想を通り越して鉄仮面のスカジが、当社比でありながらもここまでコロコロと感情を表に出すのは貴重だ。

「どうしてドクターはスカジがここにいるって分かったの?」

「ん? あぁ、たまに二人でここに来ているんだよ」

「へぇ~。アヤシイな」

「グラニこそ、誰かにプレゼント買ったって艦内は持ちきりだったぞ」

「……え、そうなの?」

 一瞬で駆け巡る噂に戦慄しつつ、ドクターのアシストにグラニは感謝する。グラニはポケットから赤色の包装紙に包まれ、グリーンの紐で結ばれたプレゼントを出す。

 そして、それを再びスカジに差し出した。

「メリークリスマス、スカジ!」

 差し出されたプレゼントをスカジは一瞥する。一瞬の静寂。そしてスカジはゆっくりと口を開いた。

「……なんで?」

 なんとなく分かっていた反応だが、今度はグラニが思わず頭を抱えたくなった。

 

 ◆

 

「いやいや、そこは『ありがとう』でしょ!」

 思わず食ってかかったグラニに、スカジは僅かに首を傾げる。

「もう! 社交辞令ってモノをもう少し身に付けてよ……ドクターも笑わないで!」

 腹を抱え、声を押し殺して笑っているドクターを睨み付けたグラニは「ちょっと待ってて!」と言うと、もらったプレゼントを屋根の下に置いて、大股で二人の元に戻った。

 そして、無理矢理掴んだスカジの手のひらにプレゼントを握らせようとするが、彼女の手はびくともしない。

「力が強いよ!」

 よく考えれば、山を吹き飛ばすほどの力の持ち主である。どれだけグラニが力を込めても動じないのは当たり前だ。

 グラニは、初めてスカジと対面した日を思い出す。

 圧倒的な行き違い。言葉足らずで理解しがたい行動。敵も味方も彼女に振り回された。けれど、結果的にはハッピーエンドを迎えられた。その後、同じ場所(ロドス)にいてもほとんど一緒になることはないけれど――。

――だからこそ、仲良くなりたいって思っているのに!

 肝心な言葉が出てこず、グラニは冷え切ったスカジの手のひらを両手で思い切り握りしめた。「伝われ」と念じたがスカジは何も言わない。

 ゆっくりと顔上げると、スカジはじっとこちらを見下ろしている。いつも通りの無表情だが、微かに瞳が戸惑ったように揺れている。

 

――同情とか、施しなんかじゃない。

 ただ、ロドスのクリスマスの光景を思い浮かべたとき、一人ぼっちの彼女の姿が映っただけ。「ただいま」も「おかえり」もなく、ただ窓の外を見ているスカジが脳裏によぎっただけだ。

 きっと彼女にとっては迷惑だろうし、多分、この時を一人で過ごしているオペレーターは他にもいるだろう。いや、今日だけじゃない。誰にも気付かれず、ひっそりといなくなる人だっている。

――それって寂しいじゃないか。

 ただ、そう思っただけだった。でも、それをニブチンのスカジに伝える言葉をグラニは持ち合わせていないのだ。

 グラニが少し血色が悪くなった唇を噛んだその時だった。

 

「中身を開けてみせたらどうだい?」

 ドクターが隣から声をかける。グラニは袋を開け、中から小さなキーホルダーを取り出した。

 飛沫を上げて跳ねる一匹の青い魚。多分、そこまで熟練していない職人が作ったのだろう。絶妙な無愛想さが誰かさんにそっくりだ。

 それをずいっと少し乱暴にスカジの目の前に運ぶ。

「メリークリスマス!」

 今度はそれをスカジは静かに受け取った。

「……でも、なんで私に?」

「だから、なんでもないって。あげたいからあげるの。そういうものなの」

 特に何かに気付いたわけでもなさそうだ。でも、本当は深い理由なんてないのかもしれない。少しだけ、苦笑いを浮かべるグラニの頭上に影が差す。見上げると、ドクターが大きなこうもり傘の羽を広げていた。

「雪が強くなってきた。そろそろ中に入ろうか」

 ピクリとも動かないのを分かっていて、グラニはスカジの腕を引っ張って傘の下に招き入れようとする。すると意外なことにスカジはそれに素直に従った。

 

 ◆

 

「ダメよ、ドクター。2メートル以内に近づかないって約束でしょ」

「……今さら遅いと思うよ。グラ二も入ってるし」

「まったく、あなたたちは災厄に巻き込まれても知らないわよ。守れる自信ないんだから」

 白い息を吐き出しながらポツリポツリと会話を交わす。少し滑稽な光景かもしれないが、グラニにとっては今日で一番温かな瞬間だった。

「大丈夫、あたしとドクターとスカジなら災厄もちょいちょいってやっつけられるって!」

 三人がギュウギュウに肩を寄せ合って歩く。その途中、スカジがふと足を止めてグラニを見つめた。

「……なに?」

「これのお礼を言ってなかったわ。ありがとう」

 キーホルダーを掲げ、スカジは言う。唐突な彼女に今度はグラニが少し面食らった。

「ど、どうしたの? 突然」

「そういうものなのでしょう?」

 グラニは無言で頷く。そして、自然とドクターとグータッチした。

 それを不思議そうに見るスカジに、グラニは今日、何十回目からの言葉を紡ぐ。

「メリークリスマス! 良い夜にしようよ、スカジ」

 

――大・中・小の足跡だけが誰もいない甲板に残されていた。

 

 




少し早いクリスマスのお話でした!
コミュ力が段違いのグラニとスカジが親睦を深めると弊ドクターは幸せになります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ケルシー -その日がくるまで-

今も昔も同じ主の元で肩を並べて戦ったけれど、戦友ではない。
実力は認めているけれど、信頼はしていない。
悪縁という名がピッタリのケルシー先生とドクターの関係性が大好きです。


 薄らと残る茜色が、どことなくもの悲しさを感じさせる。

 床に仰向けに倒れたケルシーは、自分に覆い被さっているドクターの微かな温もりを感じつつ、無表情で暮れゆく空を見つめていた。

 視線を下に向け、自分の胸元に頭を突っ込んだままブルブルと震えているドクターを一瞥する。

 多分、時間にしては数秒程度。けれど、その瞬間はやけに長く感じた。

「ケルシー先生?」

「……なんだ」

「今から私は立ち上がる。その時の君の行動を教えてくれないだろうか。どうにも予想できなくてね」

 沈黙の後、ケルシーは口を開いた。

「取りあえず、君の背中を蹴り飛ばそうかと思う。思い切りな」

 

Kal'tsit(ケルシー)―その日がくるまで―

 

※※※※※※※※※※※※※※※

 

――ああ、なんて心地良い響きなのだろう。

 怨嗟など生ぬるい、もっと苛烈で毒々しい断末魔が何度も耳の奥でこだまする。周囲は真っ暗で何も見えないが、腕や足に“彼ら”の爪が食い込む生々しい感触が、まるで優しく撫でられるように温かかった。

 目を閉じれば広がる暗闇と、四方八方で反響する絶叫に最初は驚きはしたものの、慣れてしまえば子守歌となんら変わりはない。

 夢の中でゆっくりとフードとバイザーを脱ぎ捨て、その場に腰を落とす。

 うずくまって意識を手放すその瞬間、懐かしい声に呼ばれた気がした。

「……ドクター?」

 ゆっくりと顔上げる。遙か前方には、針の先ほどしかない弱々しいけれど確かな明かりが灯っていた。

 

 ◆

 

「……クター、ドクター」

 優しく肩を叩かれながら耳元で囁かれ、男はゆっくりと顔を上げた。

 どうやらデスクに座ったまま居眠りしていたらしい。秘書のロサがこちらを覗き込んで、真っ白な肌の浮かぶ薄紅の口元に笑みを作っている。

「ドクター。ベッドで寝たらどうかしら。きっとそっちの方が疲れも取れるわ」

 促すロサの背後では、イフリータがなぜか爆笑している。どうやら、かなり激しく船を漕いでしまっていたらしい。ドクターは苦笑して、ぐるりと執務室を見回す。

 そろそろ夕刻を迎える頃合いだが、視界に捉えられるだけで5人以上のオペレーターたちがたむろしている。イフリータ以外、騒いでいるわけではないが、我ながらよくこの環境で作業と居眠りができたものである。

「いや、今日中に片付けないといけない書類があるんだ。雑務だけど期限が間近でね」

「あら、それならもう終わっているわ」

 さらりと言うロサの視線の先には、綺麗にファイリングされた書類がある。ドクターは無言でそれに手を伸ばし、パラパラとめくる。一瞬の沈黙、そして「完璧だ」と呟いた。

「ありがとう、ロサ。支援部が手放したがらないはずだよ」

「ふふっ、どういたしまして。ドクターの力になれて嬉しいわ。でも、私だけじゃなくてここにいる皆が手伝ってくれたのよ」

 ドクターが振り返ると、全員がわざとらしく咳をした。イフリータは自信満々で胸を張っている。

「みんなありがとう。助かったよ、これで次の仕事に取りかかれ――」

 言いかけて、ドクターは口を閉じる。和やかな空気が一変し、殺気にも近い気配が部屋に充満したのに気付いたのだ。

「……ドクター、仕事しちゃダメよ? 何のために私たちが手伝ったか、分かるでしょう?」

 いつもの丁寧な口調は変わらず、それでも有無を言わせない雰囲気でロサはずいっと顔を寄せてくる。

「あ、あぁ、そうだな。もちろんだ」

 170㎝を超える恵まれた体格のロサは、柔和な笑みを浮かべているが威圧感がハンパではない。たじろぎながら、ドクターは相づちを打つ。

 そしてパソコンの電源を落として立ち上がる。まだ懐疑的な全員分の視線を交わすように、わざとらしく伸びをしてロサに言った。

「眠る前に、少し散歩してくるよ」

 行ってらっしゃい。という声に見送られ、ドクターは廊下へ出て行った。

 

 ◆

 

――光の中にいる。

 前を歩くのはもちろんあの人で、すぐ横にはいつもの黒づくめの男が控えている。3人だけではない。周りには各々の得物を掲げ、勇ましく歩き続けるかつての仲間たちがいた。

 だが、歩く度に周囲の人影は消滅し、差す光は弱くなり、歩幅は小さくなる。

 いつもの夢だ。目を覚まそうと気を張るが、それが何の意味を持たないこともとっくに理解している。誰もかもが消え去り、闇に呑まれ、あの人が鮮血をまき散らしながら倒れる。そのシーンまで、この舞台に終幕は訪れない。

 何百回、何千回と繰り返されるただの答え合わせ。

――ああ、それでもどうして期待してしまうのだろう。

 倒れ伏しても、前へ進もうともがく主を見下ろして唇を噛む。

「……テレジア」

 思わず呟いたケルシーの声は、暗闇のなかで霧散して消えていった。

 

 ◆

 

「……ケルシー先生。大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ない」

「問題ないわけないですよ。何時間ぶっ続けてオペしているんですか! いい加減休んでください!」

 手術着のまま、次の患者のカルテを眺めるケルシーに弟子のフォリニックが噛みつく。その横では執刀医もこなすサイレンスが心配そうに見つめている。普段、彼女らに隠れて行っている手術に比べると緩いスケジュールではあるものの、疲労感があるのは確かだった。

 先ほどの手術に携わった看護師や医療オペレーターたちも、口々に心配の声を上げた。

「顔色も悪いですし、一度、私に診断させてください。健康管理は私の役割ですから」

「私の健康は私が一番分かっている」

「ダメですよ、ケルシー先生、ドクターみたいなことを言っちゃ」

 鼻息荒くフォリニックが師匠に返す。空気が一瞬、凍り付いた。ケルシーとドクターの折り合いが悪いのは、ある程度ロドスにいるオペレーターであれば誰でも知っている基礎知識だ。

 だが、幸か不幸か感情が高ぶっているフォリニックは気付かない。それに追い打ちをかける声も重なった。

「その通り! 医者の不養生など古くさい言葉を体現するなど、らしくないな、ケルシー!」

 ケルシーが口を開きかけたその時、勢いよく開いたドアから手術用の手袋をはめながら、ワルファリンが現れた。もちろん、その表情は得意げな笑みが浮かべられている。

「ここは妾が代ろうじゃないか。顔でも洗って出直してこい」

「……どういう風の吹き回しだ?」

「言うまでもなく、善意に決まっているだろう……まぁ、後は患者が血がたっぷり出る外傷者ということくらいだ」

 舌なめずりするワルファリンに、ケルシーはため息を吐いて「分かった」と短く言って立ち上がる。一挙手一投足を見つめる周囲の医療オペレーターたちに短く「ありがとう」と言う。そして、ワルファリンの横を通り過ぎながらカルテが挟まったバインダーを手渡し、ドアの取っ手に手をかける。

「後で健康診断しますから! 自室に戻るんですか?」

 お節介を貫き通すフォリニックに、ケルシーは思わず苦笑して「風に当たってくる」と言うと、白衣を翻して立ち去った。

 

 ◆

 

 ロドス本艦で一番高い展望台に、実は外通路があることは意外と知られていない。通路は展望台の屋根に続いていて、そこにはぐるりとフェンスに囲まれた秘密のスポットがある。

 今にも沈みそうな夕日に背を向けていた先客と目が合い、ケルシーは思わず眉をしかめた。

「そんな嬉しそうな顔をしないでくれよ」

「……こんなところで何をしている」

「その言葉、そっくり君に返すよ」

 ヘラヘラと笑うドクターを見て、ケルシーは本気で引き返そうとする。

「まぁ、なんとなく今日はケルシーに会える気がしていたんだ」

 ケルシーの動きがピタリと止まる。その言葉の節々に、他意を感じたのだ。

――ドクターの経過観察と“変化”への対応はロドスにおける最重要事項の1つである。

「……なんて、冗談さ。本当に偶々だよ」

 両手を天に向けておどけるドクターに向かって、ケルシーは歩き出す。そして正面に立つと腕を組んで、フードの奥にあるであろう彼の瞳を凝視する。

「様子がおかしいな」

「……そうかい?」

「あぁ」

「ケルシーも少し、いつもと違うな」

 ピンと張った空気のなかに、もしも第三者がいたのなら、きっと気まずさに絶えきれずに逃げ出してしまっただろう。

「また、そうやってはぐらかすのか」

 詰め寄るケルシーにドクターは苦笑する。

「その『また』は、私は知らない。ケルシーしか知らない『私』だ」

 降参ポーズのまま、ドクターは続ける。その答えに、ケルシーも少しだけ目を伏せた。

「ロドスの辺境でばったり会えたんだ。せっかくだから、喧嘩じゃなくて少しだけ話さないか」

 ドクターは踵を返してフェンスの向こうの荒野に目を向ける。

 ケルシーも少し迷った後、その横に並んだ。

 

 ◆

 

「どうしてここに来たんだい?」

「好きで来た訳じゃない。手術室から追い出されたんだ」

「分かった。フォリニックにやられたんだろう」

「……」

「図星か。師匠にも容赦ないな……でも、彼女らしい行動だ」

 普段、しこたま小言を言われている健康管理の担当者の顔を思い出して笑うドクターを憎々し気に一瞥し、ケルシーも言葉を返す。

「お前もどうせ、執務室から追放されたんだろう」

「あぁ、仕事を全部、ロサたちに取られてしまった。お互い、デキる部下を持つと居場所がなくなるなぁ」

 ドクターの笑い声が耳の中でやけに反響する。現在(イマ)のドクターだけではない。あの日の、かつての彼の声もこだましている。そんな気がして、ケルシーはこめかみを押さえた。

 横から聞こえてくるのは、オペレーターたちが成長したり、活躍する話。だが、反対の耳にはかつて彼が“駒”として使い捨てた者たちの悲鳴が響く。

――大した拷問じゃないか。

 思わず、自分自身を嘲笑するケルシーの胸中を察したのかドクターは口を閉じた。

「信頼関係を築けているようで何よりだ。アーミヤも安心するだろう」

「そうかい。それで?」

「……それでとは何だ?」

「キミはどうなんだい」

「前にも言っただろう。オペレーターたちと交流を深めることに異論はない」

「そうじゃなくて、キミ自身はオペレーターたちとどんな関係値なんだい?」

 意外な質問にケルシーは、眉にシワを寄せる。そして、医療オペレーターやS.W.E.E.Pの面々を思い出す。彼らに普段、どんな顔をして接しているだろうか。

「……悪くはないだろう」

「そうかい。それは良かった」

 絆など、いずれ崩れてなくなる。強く結べば結ぶほど瓦解したときの傷は深くなり、致命傷に至る。身をもって経験したその答えに嘘偽りはないはずだ。

 それでも事を為すためには、人とつながらなければならない。

――たとえ、どのような結末を迎えるとしても。

 黙ったケルシーをよそにドクターはあっけらかんと笑う。

「なにか新鮮だなぁ。ケルシーとこうして部下や“仕事”の与太話をするなんて」

「そうか? 昔にも結構――」

 言いかけて口を閉じる。

 ロドス・アイランドを発掘する前後や修理途中、もっと以前にも組織や身内の話をしたことがあった。だが、それは今のドクターが知る由もない。それにさっきよりも、もっと血生臭い会話だった。

 耳鳴りが強くなる。思わず左耳を抑えたケルシーを見て、ドクターは首を傾げる。

「大丈夫かい」

「君に心配されるほど、落ちぶれてはいないさ」

 悪態を吐いたケルシーはそのまま立ち去ろうとするが、疲労感も相まってぐらりと体勢が傾いた。「危ない!」とっさにドクターが腕を掴むが、ひょろひょろな腕では華奢なケルシーも支えきれずそのまま冷たい床に二人して倒れてしまった。

 言わずもがな、この一瞬後が冒頭の場面である。

 

 ◆

 

 数歩先で警戒心を剥き出しにしているドクターを歯牙にもかけない様子で、ケルシーは立ち上がる。

「少しは鍛えたらどうだ」

「そうだな。華奢な私は、君に蹴り飛ばされたら多分、集中治療室に直行だな」

「……冗談だ。本気にしないでくれ。それから助けようとしてくれたことには礼を言う」

「いや、こちらこそ。不快な気持ちにしてしまったらすまない」

 距離を取ったまま、二人はポツリポツリと言う。その途中でクスリと笑ったドクターをケルシーは眉にしかめて睨んだ。

「何が面白い」

「いや、意外にもお互い素直だったから……すべて、こんな風に解決すれば良いんだが」

――それはムリだろう。

 記憶を無くしてから、平和ボケ著しいドクターにケルシーは内心で悪態を吐く。

「君が負っている業はこんなものではないだろう」

「私にはその業の正体すら分からない……まぁ、最近はなんとなく姿形が見えてきたけども」

 ボヤくドクターの声と重なるように、また耳鳴りがひどくなった。

――君にはまだ聞こえないのだろう。この断末魔や悲鳴が。いや、それとも鳥のさえずりと同じ程度としか感じないだけか?

 胸の中のドロドロが激しく波打ち、ケルシーの感情が珍しく左右にぶれる。

「ケルシー、君に聞きたいことがある」

「……なんだ」

「私と君が負う業は同じだろうか」

「……」

 ドクターの質問と同時に耳鳴りが消える。そしてなぜか、視界の端であの人の薄紅色の髪の毛が揺れた気がした。

「私と君は違う。過去に犯した罪も、担う業も、腹の奥底に孕んでいる狂気もな……だが、そうだな。一部は同じものがあるかもしれない」

――仮にも、あの人の元で一緒に肩を並べたのだから。

「そうか! それは朗報だ」

「朗報?」

 訝し気なケルシーにずいっと顔を寄せ、ドクターはほんの少し浮ついた声で言う。

「ケルシーと私は、共犯関係ということだろう。それなら、多少なりとも業を共に支えられるというわけだ」

「……何を言っている」

「こんな私でも、君を支えられる可能性があるという意味だよ」

 フェイスガードの下で、ニヤリと笑ったのだろう。いつからこんな人たらしになってしまったのだろうか。かつての仲間――あの夢で倒れていった人たちも、これでは浮かばれないのではないだろうか。

 ドクターはフェンスに全身を委ねて寄りかかり、ケルシーを真っ直ぐに見る。

「ケルシー、最近気付いたのだが、私はどうやらかなり強欲な性格だったらしい」

「……」

「どれだけ自分が無力だと痛感しても、罪を糾弾されても、多くを失っても諦めきれないんだよ。オペレーターの幸せも、アーミヤが描く理想も、君が負っている業とやらも、すべて良い結果で解決してみせたい」

――たとえ、どんな手段を使ったとしても。

 そこに確かな危うさを感じながらも、ドクターの独白を止めることはできなかった。残照がドクターの輪郭をなぞり、ある種の不気味さと神々しさを演出している。

「……好きにすれば良い。君は君の、私は自らのやるべきことをやるだけだ。だが、いつか君が私たちに仇なす存在になったときは、きっと容赦はしないだろう」

「ケルシー先生が始末をつけてくれるなら安心だ。じゃあついでに、この子たちの処理もお願いできるかな?」

 そう言って、ドクターはニヤリと笑って歩き出してケルシーを追い越す。そして、黙ってドアの近くまで歩き、ドアノブを回して一気に引く。

 その瞬間、体勢を崩したオペレーターたちがドサドサと部屋のなかに雪崩こんできた。

 

 ◆

 

「……君たちは何をしているんだ」

 呆れた様子で、ケルシーは床に突っ伏している10人近いオペレーターを眺める。

「ち、違うんです! 誤解です!」

「なんの誤解だ」

 いの一番で声を上げたのはヴィグナだ。額には大粒の汗を浮かべている。

「わ、私たちはドクターの帰りが遅いからちょっと探していただけです!」

 頷いたのは、ケオベやイフリータ、アズリウスといった執務室に居座っていた連中だ。彼女らが『ドクター一派』だとしたら、もう半分のスズランやミルラなどの医療組がケルシーの担当だろう。

「盗み聞きなんてしてないから、減俸処分は許して!」

「はいはい。分かった分かった」

 すがりつく彼女たちとともにドクターは、悠々と出て行く。その瞬間、ふと立ち止まってケルシーの方を振り返った。

「ケルシー。君は多分、自分が思っているよりも優しいから『その日』が来たときに、その肩を支えてくれる人は少なくないのかもしれないよ」

 そう言い残すと、ひらりと手を振ってドクターは賑やかな喧噪と共に姿を消した。

「……ケルシー先生?」

 柄にもなく、ぼんやりと日が落ちた暗闇を見つめていると、スズランが服の裾をギュッと掴んだ。そしてか細い声で、遠慮気味に言葉を紡ぐ。

「私、知ってます。いえ、私だけじゃなくて医療に携わる人たち全員、ケルシー先生が身を削って患者さんに向き合っていること。だから、ムリしないでください」

「あぁ、ありがとう」

――前途ある君たちに託すことはしない。けれど少なからず『業』に巻き込んでしまうだろう。

 ケルシーはゆっくとドアを開き、医療組を従えて外に出る。耳鳴りは遠く聞こえるが、それでも少しはマシになったようだ。

――ケルシーは、全てが終わったら一番にやりたいことってある?

 懐かしい、あの人の残響が鼓膜のもっと奥で響く。

 

 その日が来て無事にいられるわけがないけれど、ケルシーは冷えた夜の空気を吸い込み、その答えを静かに思った。

 

――とりあえず、ドクターの背中を思い切り蹴ってやろう。

 

 




読んでいただきありがとうございました!
本稿にて「どうしても書きたい!」と思っていたキャラクターたちの物語を書ききったので、今後はリクエストなどがあればそちらを参考にのんびり創作できたらと思います。
ツールはなんでも構いませんので、オススメのキャラクターなどいましたらぜひ教えてください!

飽きっぽい私が一区切りできるまで書き切れたのは、みなさんのおかげです。これからものんびりとお付き合いくださいませ~!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ズィマー -赤、青、黄。春の色-


――オマエはオマエの居場所を守りたいだけだろう?



――冬と春の境界線ってどこにあるか、あなたは知っているかしら?

 

 そう尋ねてきたのは、どこの誰だっただろうか。

 教師、親、それとも同級生だったのかもしれない。ただ一つ確信があるのは、その声の主はもうこの世にはいないということだけだ。

 ズィマーはベンチの背もたれの上に腰を預け、寒々しい曇天を睨みつけた。

 とある小規模の移動都市のゲート付近にある公園は、よそ者に威厳を見せつけるためか不相応なほど立派な造りをしていた。

 中心にある立派な噴水。広い歩道はレンガが敷き詰められ、脇には綺麗に整えられたポプラの木々が整然と並んでいる。

 公園の出入り口では催し物が行われていて、出店はもちろん、あちこちでピエロが色とりどりの風船を配っている。

 それを手にするのは、親子だったり、恋人だったり。そんなありふれた幸せな光景に背を向け、ズィマーは分厚いコートに手を突っ込んで小さく舌打ちする。

 

――くだらねぇこと思い出したのも、コイツのせいだ。

 

 貴重な休日のズィマーをここに呼び出した張本人は、彼女と背を向けるようにベンチに腰かけている。

 呑気にコーヒーをすすっている、フードを被った黒ずくめの不審者を背中越しに一瞥する。

 コイツの「お願い」なら無視してやっても良かったのだが、上官命令を下されるとズィマーに拒否権はない。

「久しぶりじゃないか。こんなゆったりと時間を過ごせるなんて」

「……アタシは暇じゃねぇんだ。さっさと用件を教えろ」

「なんだ、ツレないな。二人きりで話すのなんて、久しぶりだろう」

 いつもの飄々とした様子のドクターにズィマーは少しだけ苛立つ。安穏とした空気は嫌いではないが、手持ち無沙汰な時間に意味を見出すほど高尚な性格はしていない。

 その時だった。

「きゃあ!」

 賑やかな声をつんざく悲鳴が響いた。ズィマーはすぐに身を翻して、その方向を向く。その表情には殺意にも似た警戒の色が宿っている。

 悲鳴の理由は襲撃とは無縁だった。通路の反対側を歩いていた幼い少女が、ふいにバランスを崩し前のめりに転げたのだ。

 その拍子に風船の紐が少女の小さな手を離れ、音もなく空に舞い上がった。

 

――赤、青、黄色。

 

 まるで誰かさんたちの髪色の風船にズィマーは思わず手を伸ばすが、届くはずもない。

 その時、わずかに宿った胸の奥に募る焦燥感の名前をズィマーはまだ知らなかった。

 

 

Zimmer(ズィマー)ー赤、青、黄。春の色ー

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※

 

「やっちゃったな、ズィマー」

「ふざけんな、アタシのせいじゃねぇ」

 一部始終を見ていたであろうドクターの軽口に、ズィマーは短くツッコむ。

 少女が転げた瞬間、ドクターは僅かに腰を浮かせたがすぐに母親が駆け付けたのを確認すると、腰を落としていた。

「……あたしの風船!」

 怪我はないようだが、それよりも少女にとっては風船がなくなってしまったことが一大事らしい。周囲に丸聞こえなほど大声で、鼻水と涙を出して盛大に泣きじゃくっている。

「ほら、泣かないの! また新しいの買ってあげるから」

「嫌だ、あれがいい!」

 膝を折って言い聞かせる母親だが、少女は首を縦に振らない。少女が指差した先には街路樹の中ほどの枝に引っかかった3色の風船があった。

 幸か不幸か、風船は空の彼方へ消えたのではなく目の見える位置に留まっている。だからこそ、きっと少女は諦めきれないのだろう。

 ほんの少しでも、強い風が吹いてしまえばすぐに飛んでいきそうだ。きっと、諦めた方が合理的に違いない。

 そんなことをぼんやりと考えていたズィマーだったが、ドクターに肩を叩かれて我に返った。

「ズィマー、ここは私たちの出番じゃないか」

「はぁ?」

 妙に意気揚々としているドクターに、ズィマーは呆れたように返事する。

「まさかオマエ、首を突っ込むつもりかよ」

「そのまさかだ。私とズィマーなら不可能なミッションじゃない」

「いや、アタシは協力するとは一言も――」

 文句を言い返そうとしたズィマーの言葉に背を向け、ドクターは母子の前に立つと風船を指差して二言三言、会話する。

 母親は最初は戸惑っていたようだが、すぐに頭を下げた。

 どうやらミッションは始まってしまったらしい。ズィマーは軽く額を抱えた。

「ズィマー!」

 そして間もなく呼ばれた自分の名に彼女は何度目かの舌打ちする。

「これは貸しだからな!」

 しっかりと宣言した後、ズィマーは腕をぶんぶんと回しながら立ち上がった。

 

 ◆

 

「あんなに自信満々だったクセにこのザマかよ!」

 数分後、ズィマーは顔を赤らめながら吠えていた。

 二人は肩車して、風船が引っかかっている街路樹に登れる枝を探していたのだ。ちなみにズィマーが上でドクターが下である。

 母子は数歩下がったところで様子を見守っている。きっと行き交う人々は、この珍妙な光景を見ながら去っていくのだろう。

「は、早くしてくれ……。もう限界だ」

 ドクターは早くもふらふらと踏ん張りがきかなくなっている。

「ったく! ちょっと揺れるから気を付けろよ」

 そう言った瞬間、ズィマーは太ももに力を入れて腕を伸ばし、太い木の枝を掴む。そしてそのまま、腕力だけで上体を持ち上げ、あっという間に枝にまたがった。

 洗練された動きに周囲から「おぉ……」というどよめきと、まばらな拍手が響いた。ドクターはそのまま倒れ、仰向けのままズィマーに黙って親指を突き上げる。

「いいぞぉ! 風船の場所はこっちで指示するから、登り始めてくれ!」

 一瞥して返事し、ズィマーは葉の枯れ落ちつつも、まるでカーテンのように視界を遮る枝の中に入っていた。

 

 ◆

 

 樹木の中は思った以上に動きにくく、また外の様子も分からなかった。

 それでも外から聞こえるドクターの声による誘導のおかげだろう。茶色の枝の隙間には、あの風船がわずかにだが常に視界に捉えられている。

 

――赤、青、黄色。

 

 そういえば、学生自治体のなかではそれぞれを色で示すことが多くなった気がする。例えば、青はイースチナ、黄色はグム、赤は――。

 あの風船は、まるで自分たちのようだ。

 ふわふわと目的もなく漂い、灰色の世界と比べるとまるでちっぽけな存在。細い糸でつながっていたとしても、傍からみるとあまりにも弱々しい絆。

「……ふざけんじゃねぇ」

 力任せに枝を掴み、体を引っ張り上げる。

 あの地獄を切り抜けた。それぞれが犯した罪も、負った傷も知っている。あんな頼りない風船に学生自治体と重ね合わせるなんて、リーダー失格だ。

 

――本当にそう思うのか?

 

 耳元でそう問いかけたのは、まぎれもない自分の声だった。

 

――このままの関係がずっと続くとでも? 続いた方が全員幸せだと誰が決めた?

 

 最悪のタイミングでの発作だった。耳の奥に響く無数の断末魔は大きくなり、枝の隙間からは脳裏に焼き付いた光景がちらついている。

「くそっ、ふざけるな」

 小さく悪態を吐き、ズィマーはがむしゃらに枝を払いのけて登り続ける。ドクターの指示など、もはや聞こえていなかった。

 

――本当は分かっているんだろう。みんなの傷を癒すのは「ロドス」だ。オマエじゃない。

 

 癒せるものか。薬剤師も、学者も、医者も、あの地獄は知らないのだ。体験したヤツでなければ理解なんてできやしない。

 精一杯の反論は、誰かに鼻で笑われた気がした。

 

――結局、オマエはグムもイースチナも治って欲しくないんだろう。みんな、自分たちでロドスの居場所をつくっている。オマエは、オマエの居場所が欲しいだけなんだよ。

 

 次第に腕に力が入らなくなり、動きが鈍くなる。それでもいつの間にか、風船が引っかかっている枝のすぐそばまでやってこれていたようだ。

 歯を食いしばって手を伸ばす。

 あと少し、もうちょっと、ほんの指の先……。

 そのとき、ふいに寒風が吹きつけた。絡まっていた糸が解け、青と黄色の風船がバラバラに灰色の空に飲まれていく。たった1つ赤の風船だけが飛び立てずに残ったままだ。

 

――そのときは、意外に近いんじゃないのか?

 

 耳元でささやかれたその時、全身の力が抜け態勢が大きく崩れる。その瞬間、目の奥に暗闇が現れた。

 あの悪夢とは違う、ただ胸が痛い光景が広がった。

 

 ◆

 

 真っ暗な廊下。そのなかに1つだけ、ドアの隙間から光が漏れている部屋がある。

 孤独を一人だけで抱えきれなくなったとき、そのほんの一瞬を過ごすために司令官が半ば勝手に開放している執務室だ。

 

――堪えられなくなったら来るといい。

 

 ズィマーがそう言われたのは、多分、オペレーターとして登用されてすぐの頃だった。すぐに「誰が行くかよ」と返したのを覚えている。当時は本気だった。自分だけじゃない、グムやイースチナだってぽっと出の大人にすがりつく訳がないと思っていた。

 しかし、そうではなかった。

 イースチナは「書籍目当て」という名目で度々、ドクターの部屋を訪れていたし、グムも料理やお菓子を手土産に訪問することが増え、少しずつ距離が縮まっていった。

 学生自治体が、決して疎遠になったわけではない。むしろつながりは強くなっている。

 けれどそれは地獄を共有した仲だからであって、グムやイースチナがロドスで繋いだ縁よりも血生臭くて、お互いの皮膚に食い込むほど強烈なものなのではないだろうか。

 

――そんなものは絆ではない。呪いである。

 

 気づいてしまったのは、ほんの少し前のことだった。

 眠れない夜中にこっそりと部屋を抜け出し、共有のトイレでえずいた後、あの光のもとを訪れたのだ。

 指先がちぎれるほど冷たい夜。壁に腕を伸ばして体を支え、その部屋に近づく。だが、あと少しのところで足を止めた。

 先客がいたのだ。

 真っ白な肌と赤い瞳。バッサリと切り落とした髪の毛にズィマーは見覚えがあった。

 

――アブサントじゃないか。眠れないのかい?

 

 冬の張りつめた空気のせいで、いつもと変わらない声色の小さな声も届いてしまう。

 ほんの少し会話して、少女は光のなかに消えていく。ドアが閉まり、その光の大部分が遮断されると辺りは真っ暗に戻った。

 ズィマーは歯を駆使張り、ゆっくりと踵を返す。

 

――会うのが怖かった。あの地獄を知る自分たち以外の誰かに。

 

 前を向け、戦え、退くな。

 いつも吠えるのは、そうしなければ居場所をつくれないからかもしれない。

 間違っているつもりはない。けれど、それを確かめる術は知らない。

 だからいつも、どうにもならない感情に苛まれたときに後悔するのだ。

 

――あの光に、誰かの優しさに触れてみればよかったと。

 

 ◆

 

「ズィマー!」

 意識が再び芽生えたのは、体が半分落ちかけながらもギリギリのところで支えてくれていたドクターの声だった。

 半ば反射的に枝の上で身を起こし、ついでにバランスを崩しかけていたドクターも支える。

「なにやってんだ、オマエ」

「それはこっちの台詞だ。途中で暴走するし、その後は急に元気なくして落ちかけるし、心配したぞ」

 肩で大きく息をしているドクターをしげしげと眺め、ズィマーはようやく状況を飲み込んだ。

「悪かったな、助かった」

「まぁ、これで貸し借りなしってことで」

 少しバツが悪そうに謝るズィマーにドクターは、手のひらをひらつかせながら答えた。

「それに風船も取れなかった。あるのは一つだけだ」

 ズィマーはつぶやく。まだ十分目視できるものの、黄色と青色の風船はゆっくりと姿が小さくなっていた。

 

――もう手遅れだ。

 

 どうやっても手に入らない。でも、それは彼女たちは幸せなのかもしれない。

 神妙な面持ちのズィマーを横目で見た後、ドクターは小さく笑う。それに気が付いたズィマーは怪訝そうな顔つきでドクターを見た。

「諦めが早いじゃないか。ズィマーらしくない」

「あ? なんだそれ」

「慢性的な運動不足の私が、どうやってこんな高いところまで登ってこれたと思う?」

 そう言うとドクターは口元に笑みを作った。

 

――秘杖、反重力。

 

 影が差し、曇天に赤と白のローブが翻る。地上からは「おぉ!」という歓声に似たどよめきが起こった。

 その少女をズィマーは良く知っている。何度も作戦行動を共にしているし、グムやイースチナ、ロサとも仲の良い同じ年頃のオペレーターだ。

 杖にまたがった彼女は、ものの見事に2つの風船を捕まえるとまるで宙を泳ぐように移動し、ズィマーとドクターの目の前で停止した。

 そして、一度は離れた2つの風船を呆然としているズィマーの前に差し出した。

「安心院アンジェリーナだったよな、どうしてここに」

「まだ秘密。それよりもほら、返してあげようよ。手を掴んで」

 差し出された手のひらを握ると、アンジェリーナはドクターとともにゆっくりと地面に降りた。いつの間にか周囲には人だかりができており、若干、居心地が悪そうなズィマーが一部始終を見守っていた母子に風船を返すと拍手が巻き起こった。

 その人だかりをかき分けてやってきて、有無を言わさずズィマーに抱き着いたグムとイースチナに、ズィマーは今日一番のポカンとした顔を浮かべた。

 

 ◆

 

「サプライズだった!?」

 それから少し経ち、噴水の前でズィマーは思わず声を上げた。

「そう、風船の件以外はね」

 苦笑しながらドクターは肩を竦めた。

「でもなんとか間に合ってよかった。あそこから落ちていたらさすがに怪我しちゃっていたよ」

 まだ不安そうな表情を浮かべているのはグム。その横ではイースチナが静かに頷いていた。

「私の目測が甘かったみたいだ。もう平気かい?」

「……あぁ」

 心配されるのは少しくすぐったく、ズィマーは明後日の方向を向きながら頬を掻いた。詳しいことを聞いてこないのはきっと、優しさなのだろう。

「それで、なんのサプライズなんだよ。誕生日は今日じゃねぇぞ」

 半ば無理やり、話題を変えたズィマーにドクターはまたニヤリと口元に笑みを浮かべた。

「ズィマー、君が最も苦手な環境を作ってあげてようと思ってね」

 ドクターは一歩前に進み、胸ポケットからゆっくりと銀色のバッヂを取り出す。そしてズィマーの左胸に付けた。

「これは――」

「昇進おめでとう。ズィマー」

「あ、あぁ。当然だろ……これがサプライズ?」

「いや、本当はオペレーターの前で授与したかったんだけど、それは君は嫌がるだろ。だからもっと盛大にして上げようと思ってね」

 ニヤリと笑い、ドクターはパンッと手を叩く。

 すると噴水の周りにいた人たちが、おもむろにクラッカーを取り出してズィマーに向けて紐を引いた。大きな破裂音が何度も響き、やがてそれは大きな拍手と「おめでとう」の声に変わっていく。

 呆然とするズィマーはしばらく経ってようやく、自分を取り囲む人々のなかに見知った者が混ざっていることに気が付く。

「今日非番のロドスの職員とオペレーターからのプレゼントだよ、ズィマーには効くだろう」

「いや――」

 周囲を見ると、ピエロの恰好をした男がたくさんの風船を持ってやってきたのだ。

 周りの人だかりは自然に道を作り、ピエロはゆっくりとズィマーの前にやってくる。そして色とりどりの風船につながっている束をズィマーに差し出した。

 

 赤、青、黄色。緑、白、桃色、紫……。ぶっきらぼうなズィマーには似つかわしい派手な格好。顔から火が吹き出るほど恥ずかしい。

 だがそれ以上に口を開くと、何かが漏れてしまいそうでズィマーは思わず俯いた。

「キミの頑張りは誰もが知っている。ありがとう、ズィマー」

 耳元でささやいたドクターにズィマーは一瞬、破顔しそうになる。それでもなんとか堪えて、全力でぶっきらぼうな表情をつくる。

 

――覚えてろよ。そのうち、その席ぶんどってやるからな。いい気になっているのも今のうちだぞ。

 

 そう言ってやった。

 




仕事に忙殺されておりました。。
なんとかアークナイツもログイン勢から復帰できそうなので、投稿も再開します!
数か月書いていないと勘がなかなか戻らず。。やはり少しずつでも継続するべきですね。

リクエストありがとうございました!
引き続きよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ロープ -帰郷-

少しだけ未来のロープと龍門のお話。


 ほとんど誰も知らない、ロドスのどこかにある秘密の場所。

 その実、ただの忘れ去られた倉庫の一角なのだが、埃っぽい空気と静寂がロープは好きだった。

 罹患者の無茶を咎める医療オペレーター。訓練室から漏れ聞こえる鬼教官の怒声と、訓練生たちの悲鳴にも似た掛け声。たまにドクターの部屋から聞こえる爆発音。

 自室にいても同居人の少女に絡まれるから、意外と孤独を楽しめる場所がロドスには乏しいのだ。

 だから、この薄暗くてかび臭い聖域を発見したときは嬉しかったのだが――。

 

「何しに来たの?」

 ロープは肺に入れずに吐き出したタバコの煙が霧散していく様を見つめ、足元で壁に背中を預けてうずくまっているドクターを見下ろした。

 そう、今日は先着がいたのだ。

 ドクターは、バイザーの中の顔に意地悪な笑顔を浮かべたのだろう。

 いつもより少し浮ついた声でこう言った。

 

「それはもちろん、デートの誘いさ」

 

Rope(ロープ)-帰郷-

 

※※※※※※※※※※※※

 

「もう一人いるなんて聞いてなかったんだけど」

「お邪魔してすいません。ただ、患者の監視も私たち医療オペレーターの業務の一つですから」

「相変わらず、お堅いなぁ。今日はオフみたいなものだし、楽しくやろうよ」

「それはできません。二アールさんとドーベルマン教官からは、ドクターの監視も言いつけられているので」

「……それは忙しいだろうな」

 

 龍門の大通りをドクター、ロープ、アンセルの3人は並んで歩きながら、静かにそれぞれの主張をぶつけ合っていた。

 いつもと変わらない不審者感まる出しのドクターと、白衣こそ着ていないものの私服と呼ぶには堅苦しい服装の二人は、人でごった返す周囲からは浮いている。

 ドクターからデートという名のプロファイルづくりの提案を受けたのは2週間ほど前。こっそり抜け出して、たまたまロドスの航路付近にあった龍門に繰り出すつもりだったのに、どうやら医療チームに漏れ伝わってしまったらしい。

 外出条件に医療オペレーターの同伴を突き付けられてしまったというわけだ。

 

「本当はロープさんの診療も行っているサイレンス先生の予定だったんですが、別の患者の容体が急変してしまって――」

「もう、いつまで仕事の話してしているのさ。ほらほら、私にいっぱいおごってよ~。とりあえず、喉が渇いたなぁ、男子諸君」

「財布はドクター持ちです」

「……まぁ、予想の範囲内だよ」

 ロープが指差した色とりどりのフルーツが飾られているフレッシュジュース専門店に、心なしか肩を落として向かうドクター。いつもの自信満々の様子との落差に、ロープは思わず吹き出す。

 ただ、その様子をアンセルに見られていることに気づき、慌てて空咳した。

 

 ◆

 

 プラスチックに入った鮮やかなオレンジ色のジュースをストローで吸い上げる。

 胸やけがするほど、甘ったるい味。昔の自分なら、むせて吐き出してしまっていたかもしれない。

「美味しいかい?」

「まぁまぁだね~。シエスタと比べるとフレッシュさが足りないけど」

「あそこは直産地だからなぁ。比較するのが酷だろう」

 歩道と車道の間に整然と並ぶ街路樹。その前にある腰の高さくらいのフェンスに並んで座り、3人は揃ってジュースを飲んでいた。

「ロープは里帰りするのは初めてかい?」

「初めてだけど、龍門はお里って感じはしないなぁ」

「ロープさんの出身は、私と同じレム・ビリトンですもんね」

「……まぁ、そっちも住んでた記憶はほんとんどないけど」

 頬をポリポリと掻きながら、ロープは返す。

「よく分からないんだけど、故郷ってさ、懐かしんだり、帰りたいとか感じるのが普通なんでしょ。私は別にそんなの思わないし」

 久しぶりの龍門の空気と雑踏のせいだろう。思わず零した本音に、ドクターとアンセルが顔を見合わせるのを見て、ロープはしまったという表情を浮かべた。

「ほ、ほら。ぼくって強いし、家なんかいらないっていうか。放浪人ってのもカッコいいでしょ」

 慌てて取り繕うロープにアンセルは少し眉をしかめたが、ドクターは「そうだな」と頷いてみせた。

「それじゃあ、龍門をリクエストした理由はなんだい? てっきり、帰省なのかと思っていたけど」

「ふっふっふ、さすがドクター。よく訊いてくれたね」

 いつもより少しだけ明るく言い、ロープは立ち上がると同時に踵を返して、いつものようにへらっと笑う。

「昔よりもずっと健康になった私を見せつけてやろうかと思ってるんだ」

「見せつけるって誰に?」

 アンセルに短く問われ、ロープはなぜか胸を張る。

「私の記憶の中の私だよ」

 唐突な、ロープらしくない哲学的な回答に、医者見習いとロドスの頭脳は思わず唸った。

 

 ◆

 

 龍門を最後に訪れたのはドクターが率いる選抜部隊として、レユニオンの襲撃を受ける街に乗り込んだとき。きっとあの時は、自分の命もかかっていたからだろう。スラムも、迫害してきた奴らが住む場所も等しく崩壊している光景を垣間見たはずなのだが、心はそれほど揺れなかった。

 あれからしばらく経ち、スラムもかなり「キレイ」になったことを噂で聞いた時も、特に感情は動かなかった。

 それでもロープの心のどこかには、毎日、生きるのが精いっぱいだったあの頃の記憶が残っていて、快適な夜を妨げることがある。

 だから、今日はその清算をしに来たというわけだ。

 だが、そこまでの理由はアンセルはもちろん、ドクターにも言っていない。眠れない日があると言って医療スタッフの監視がますます厳しくなるなんて御免だし、そもそも上手く説明できる自信がなかったのだ。

 

「……ここが元スラム?」

 大通りから外れた路地を歩き、いくつかの架橋を渡った先にあるアーケードの前に立ち、ロープは思わずつぶやいた。

「そのようですね。道もお店も新しいですし」

「へぇ、随分と変わったんだね」

「……ロープ?」

 短く返事したロープの声色を察したのだろう。ドクターがコードネームを呼ぶが、その声はなぜかひどく遠く聞こえた。

 ここは境界線。昔であれば表の住人は絶対に踏み入れてはいけないし、逆にスラムの居住者は外に出てはいけなかった。

 それが今では、ラフな格好をした様々な人が悠々と出入りしているではないか。ロープもゆっくりと足を踏み入れるが、当然、何が起こるでもわけでもない。

 ゆっくりと歩き出しながら、せわしなく視線を動かし辺りを探る。

 物乞いの子どもや力尽きた浮浪者たちは路地から消え失せ、その代わりに辺りは希望に満ちた表情のカップルや親子連れで溢れている。

 路地裏にたむろしている鉱石病の罹病は影も形もない。きっと歩いている人のほとんどが非感染者なのだろう。

 知らず知らずのうちに足取りが早くなっていることに、ロープは気づけなかった。

「ロープさん!」

 後ろからアンセルが大声で呼んだときには、ロープはもう走り出していた。

 

 ◆

 

――どうしてだろう?

 

 ビルの隙間のあちこちを覗き込んで煤に塗れた壁を探し、盛んに鼻孔を膨らませてあの汗と血が乾いたすえた臭いを見つけようとしながら、ロープは心のなかで首をかしげる。

 なぜ、こんなにも慌てているのだろうか。

 

――ぼくも、街も、世界もキレイになることは良いはずだ。

 

 ここには家族も恋人も友人もいなかった。あるのは飢えと苦痛、それから暗い未来。そんなものは、今、ここにはない。

 自分も街もきちんと「捨てられた」はずなのに。

 人波をかき分けるロープの息は次第に荒くなる。別に疲れたわけじゃない。それでもなぜか、ひどく胸が苦しいのだ。

 立ち止まろうか、と思ったそのときロープの視界の隅にグレーの防塵用の布に囲われた一棟のビルが映った。

 

 ◆

 

「ドクター。こっちよ~」

 散々走り回った挙句、なんとか工事中のビルの中に不法侵入したドクターとアンセルが、先行していたグラベルが指差した吹き抜けらしき場所に足を踏み入れた。

 遥か上から落下して砕け散った天井の破片が辺りには散乱していて、薄暗い屋内には日光の筋が一本だけ差し込んでいる。

 ロープはその真ん中に立ち、黙って二人に背中を見つめていた。

「いきなりどうしたんですか――」

 問いただしながら駆け寄ろうとしたアンセルだが、ドクターはその肩を掴んで止める。そして、フェイスガードの口元にゆっくりと人差し指を一本立てた後、やけに小さく見えるロープの背中に近づいていく。

「……今の君を見せつけられたかい?」

「全然。見せつけたかったモノはもうないみたい。こんなキレイな場所には、今のぼくも似合わないね」

 苦笑しているのだろう。少しだけ自虐を含む、いつものロープの口調だった。

「この場所は?」

「……ぼくが最後に捕まったところだよ。あの青髪の警官だけは最後まで撒けなかったなぁ。こんな恥ずかしい場所しか残っていないなんて、本当にツイてない」

 チェンのことを思い出しているのだろう。本当に冴えない口調のロープに、ドクターは小さく笑いながら肩を並べた。

 しばらくの沈黙。その間にアンセルもドクターの横に立つ。

「もう行きたい場所はないのかい?」

「うん。なんか、肩透かしだった」

「せっかく来たんだ。まだ付き合うよ」

「……どこに行こうっての。別に待っている人も場所もないんだから」

 なにをいじけているんだ。とロープは我ながら思うが、口火を切った愚痴は気づいていても簡単に止められるものじゃない。

「ぼくってさ、随分と健康的になったでしょ。一日三食食べてるし」

「そうだね」

「スタイルも結構良くなったって言われる」

「確かに」

「服だって色々貰ったし、おしゃれを教えてもらった」

「……あぁ」

「ガリガリで顔が土気色だったぼくはもういない。だから、もういらないものは記憶から全部捨てて、忘れようと思った」

「……」

「でもなんでだろう。なんで、寂しいって感じるんだろうね」

 ポツリとつぶやいたロープの問いに回答はない。その代わり、優しく肩を叩かれる。その方向を向くとドクターがゆっくりと言った。

「もう少し、探索してみないか。諦めるにはまだ早い。ロープが探しているものがどこかにあるかもしれない」

 その声にアンセルも短くうなずいてみせる。

 ロープは思わず苦笑する。

 

――忘れていた。この人たちは、こういう人だ。

 

 何もかも諦めることで、辛い今も暗い未来も受け入れてきた。だが、そんな妥協を簡単には許してくれない人たちに今、ロープは囲まれているのだ。

 

 ◆

 

 結局、その後も龍門の旧スラム街をくまなく探索したが少なくともロープが知るスラムはどこにも存在していなかった。

 鼠王が庇護していたスラムが本当になくなったのかは、甚だ疑問ではあるものの、別の場所に移ったか、それとも形を変えて存在しているのか。ロープには分からなったし、もう理解する必要はあまりないと思った。

「二人とも助かったよ。成果はゼロだけど」

 すっかりと日が落ちてしばらく経った時間帯に、肩を並べた三人はロドス艦内に続く通路を歩いていた。

「力になれなくてすまなかったね」

「いや、いいよ。すっきりしたから」

 その言葉に嘘偽りはない。諦めとは違う何かを得られた気がしていた。

「……ドクター。それよりも、私たちは覚悟しないといけないことがあると思います」

「……言わないでくれ。気付いているから」

 腕時計をチラチラと確認する二人に、ロープが首を傾げたそのときだった。

 ICカードでロドスの“正面玄関”を開けた瞬間、「帰ってきた!」という声が耳に飛び込んできた。

 慌てて振り返ると、そこにはサイレンスをはじめとした医療オペレーターと、ドーベルマン教官のほか、数人の顔見知りのオペレーターたちが勢ぞろいした。

「え、なにこれ」

「アンセル、門限はとっくに過ぎていると思うんだけど」

「ドクター。定例会議に間に合わないどころか、欠席報告もないとは何事だ?」

「ロープっち~。龍門のお土産買ってきてくれた?」 

 サイレンス、ドーベルマンと何故かウタゲが三人にずいっと近づいてきてそれぞれがそれぞれの事情と文句を突き付けてきた。

 平伏する二人が門限を超えてまで付き合ってくれていたことをロープは初めて知る。理由を説明しようと、ロープは口を開く。

「いや、二人は――」

「面目ない! ちょっとハメを外しすぎてしまったようだ……なぁ、アンセル?」

「……そうですね。きれいな女性もたくさんいましたし」

 驚くロープに二人は小さくウインクする。医療スタッフとドーベルマン以外は二人の回答に思わず笑ってしまい、ほんの少しだけ空気が和やかになる。

「どうやら男二人は、合わせて説教する必要があるみたいね」

「そうだな。尋問室を抑えておこう」

 サイレンスとドーベルマンのやりとりに、ドクターが思わず「うげぇ」と言い、さらに周囲に笑いが巻き起こった。

 

 そんな明るい雰囲気にどこか入りにくそうなロープの腕を取り、サイレンスはじっと灰色の瞳を覗き込んだ。

「長く外に出ていたけど体の調子はどう? 今日は少しだけ寒かったし」

「大丈夫。それよりも、ここで待っていたの?」

「そうよ、心配だったから」

「……そっか」

 軽口でも叩こうかと思ったが、なんとも言えない感情で胸がつかえてしまい、息を吐き出すだけで精一杯だった。

 賑やかなで明るい光景。昼間の龍門と同じ感じだけれど、不思議と疎外感は幾分と和らいだ気がする。

 醜い自分も、辛い思い出も未だに背負っている。今日の目的は何一つ達成できなかった。それでも、もっと大切な何かを今、自分は間近に感じているのだと思えた。

 

「おかえりなさい、ロープ」

 

 当たり前のようにサイレンスが言うと、周囲から「おかえり」という声が口々に響いた。

 ロドスに入ってから何回だって聞いた言葉。けれど、それを聞いた瞬間、胸が痛くなりロープは俯く。

「大丈夫? どこか悪いの?」

 すかさず問いかけるサイレンスにロープはただ、首を横に振ることしかできなかった。喋ったら涙がこぼれてしまいそうだったから。

 それでも言いたい言葉が一つだけある。やっと気づけた。だから返さないといけない。分かっているけれど唇が震えて、上手く言葉を紡げない。

 そのときだった。

 ふいドクターの声が聞こえた。

「ただいま!」

 場違いな回答に「ドクターに言ってない!」と総ツッコミされるが、ロープはふっと笑う。

 

――なんだ、結局ドクターには全部バレていたんじゃないか。

 

 それなら、多分、何も恐れる必要なんてないだろう。

 ロープは思い切って顔を上げ、震える声で“らしくない”言葉を想像していた声量の一割ほどの大きさで伝える。

 

「ただいま、みんな」

 

 帰りたい場所を、ようやく見つけた。

 




ロープのプロファイルはアークナイツにハマるきっかけの1つです。
過去も現在も、多分、これからの未来もツラいことが多いであろう彼女が満足いく人生を歩めるよう願わずにはいられません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

パフューマー -てのひらと指先-

頑張り屋なパフューマーこと、ラナさんの手のひらと昔の「彼」のお話。


「すまないな。こんなところしか用意できなくて」

 ケルシーの謝罪など後にも先にも、ラナはその瞬間しか聞いた覚えはない。

 医療棟の一角。数年ぶりの来客を出迎えた倉庫のような施設の床には、分厚い埃が層を作っていた。それなりの広さはあるが、日当たりはあまり良くない。水場も遠く、水道が引けるまでは水やりだけでも一苦労だろう。

 それでもラナの心は、陰鬱なこの場に似つかわしくないほど晴れやかだった。

「いいえ、ありがとうございます。無理なお願いを聞いていただいて。ケルシー先生、私、頑張りますから」

 軽やかな返事には嫌味や皮肉の気配は全く感じられない。

 それどころか、ラナの瞳の奥にはすでに理想の温室となった部屋が彩られていた。

 色とりどりの花束。その隙間を縫うように走る細い水路。天井からは明るい陽の光が注ぎ込み、鼻孔を様々な香りがくすぐる。

 思い描いていたのは誰から見ても幸せな光景だった。

 

――あれから、どれだけの月日が経っただろう。

 

 自分の手で少しずつ形作ってきた温室をぐるりと見渡した。降り注ぐ暖かい日差しの下では、ラナよりも幼い少女たちが花を慈しみながら世話をしている。濃い花の匂いと、この世のすべての色を集めたかのような花弁が咲き乱れる。

 あの時、想像した以上の幸福な光景がここにはある。

 

――前に進んでいる。そうでしょう?

 

 わざわざ自分に言い聞かせるのは焦っているから。でも、その理由は分からない。

 ラナはゆっくりと自分の手のひらを眺める。

 冬の作業を乗り越えたばかりの指先の幾本は縦割れし、手のひらはボロボロ。たっぷりとクリームを塗っていたにも関わらず、悲惨そのものだった。

「すいません、ラナさん! ちょっと聞きたいことがあるんですけど!」

 可愛いお手伝いさんの声にラナははっとして顔を上げる。手のひらをぎゅっと握り「すぐ行くわ」と返事した。

 踵を返したそのとき、懐かしい声が耳の奥で響いた。

 

――パフューマーさん、一輪だけ花を譲ってもらえないでしょうか。

 

 慌ててもう一度振り返る。ほんの一瞬だけ、まだ煤だらけだった頃の温室の出入口とその前に立つ、一人のオペレーターの姿が見えた気がした。

 

Perfumer(パフューマー)ーてのひらと指先ー

 

※※※※※※※※※※※※※※※※

 

「忙しいところ、お邪魔して悪いね」

「本当にそう思っているのかしら」

「それはもちろん、心からお邪魔してるって感じてるさ。なぁ、カシャ」

「そうそう! 機材はパパッと回収するから、あたしに任せてよ」

 いつもは安穏とした空気が流れている温室だが、大小二つの来訪者のおかげで良い意味で騒々しい。カシャとドクターがやってきた理由は、工房の端の花棚に設置されたメカカワウソ――もとい、定点観測用の高性能ビデオカメラだ。

「素材はいっぱい撮れてるからね! 編集したらすっごくエモい作品になると思うよ」

「……エモいってどういう意味かしら」

「あれ、知らないのかい? エモーショナルの略語だよ。最近の若い子たちの流行語さ」

「詳しいのね、ドクター」

「もちろん、指揮官たるもの若者文化にも精通していないと」

「よく言うよ。ついさっき、あたしに教わったばかりのくせに」

「……少しくらい格好つけさせてくれよ」

 偉そうに胸を張るドクターに、呆れた様子でカシャがツッコむ。見栄が即バレたドクターは小さく愚痴って肩を落とした。

 そんな二人のやりとりにくすくすとラナは笑う。周囲で作業している数人のスタッフからも、和やかな笑みが零れる。

「じゃあ、さっそく作業をよろしくね。ラベンダーティーを用意して待ってるから」

「やったー! よし、すぐに終わらせようよ、ドクター!」

 ナチュラルな雰囲気で上官に指示するカシャとそれに素直に従うドクターの後ろ姿を、ラナは口元に笑みを浮かべて見送った。

 

 ◆

 

 ドクターズ・プロファイルの一環で、温室の植物の育苗から開花、収穫までを記録したいとドクターから提案されたのは四半期ほど前のこと。温室の管理人であるラナが異議を唱えなかったので即設置されたのだが、華やかな花棚の合間に設置されたメカカワウソは、主に景観的な意味で最初は作業を手伝ってくれているオペレーターやスタッフからはすこぶる評判が悪かった。

 カシャのおかげで作業自体に影響はないものの、「盗撮だと思われたくない」という彼女のプロ意識からメカカワウソの頭に「撮影中!!」と掲げられた大きなフリップが悪目立ちしすぎたのだ。

 もっとも、ひと月もすれば無骨な姿とはかけ離れた愛嬌たっぷりのメカカワウソの仕草のおかげで、批判もほとんどなくなったのだが。

 

――そもそも、どうしてドクターは温室の記録なんて撮ったのだろう。

 

 温室の片隅にある丸テーブルに、温室にいる全員分のマグカップを並べながらラナは考える。最近、話題のドクターズ・プロファイルは基本的にオペレーターとドクターの二人で撮ることが普通らしい。

 アンジェリーナのプロファイル作成に協力したこともあり、ラナは他のオペレーターよりもその辺りの事情は詳しい。アンジェリーナはプロファイル作成はひと騒動あったらしいが、それでも事後報告にきた彼女は笑顔だった。

 

――これで私のプロファイルはお終いなのかしら。

 

 自分の出番を待ちわびていたわけではないが、なんとなくもったいない気がしないでもない。

「パフューマーさんは忙しいから、か」

 最近、同期や年下のオペレーターから良く言われる言葉である。

 気が利かないようで、恐ろしいくらい人を見ているドクターのことだ。もしかしたらドクターも忙しい自分に配慮してくれたのかもしれない。

 それはそれで嬉しいのだが、胸の奥のモヤモヤは晴れない。無意識のうちに、ラナはまたてのひらと指先を見つめていた。

 

 ◆

 

 カシャの機材回収はほんの十分程度で終わり、瞬く間に来客の二人はラナが準備したラベンダーティーを舌で転がし、蕩けた表情を浮かべていた。

 他のスタッフも花壇に腰かけて休憩中でまったりとした時間が温室内に流れていた。

「本当に見違えるようだよ」

 ほんの少しだけ三人の間に鎮座した沈黙を破り、ドクターが温室をぐるりと見渡した。

 階段状に組まれた花棚と、その合間を縫うように流れる水。収穫済みの植物、精油するための大きな蒸留機。今は花はなくとも、ロドスの艦内とは思えないほど美しい光景である。

「君の努力の賜物なんだろうな」

「……私だけじゃないわ。ケルシー先生も、手伝ってくれるみんなのおかげ。もちろん、色々と手配してくれたドクターもね」

 なんとなく、プロファイルのまとめにかかっているような気がして、ラナにしては珍しく声色が若干曇った。同時にそんな自分に「しまった」と思い、慌てて視線を落とす。カシャはまるで気づいてないようだが、ドクターがカチャッとマグカップを置く音が聞こえた。

「……最近は忙しいのかい?」

「そ、そんなことはないの。最初の頃は私一人だったけど、最近はみんな手伝ってくれるから。あと、クロージャさんが精油も仕入れてくれるようになったから――」

「色々と考えられる時間も増えた?」

 ドクターの問いかけにラナは素直にうなずく。すると、ドクターとカシャは意味あり気に互いに目配せた。そしてビデオプレイヤーをテーブルに出すと、さきほどとは打って変わった真剣な顔でラナを見る。

「実はこれまで撮影した映像に気になるモノが映っていてね。君の仕事の邪魔になるなら、見せないようにしようとしていたんだけど……どうする?」

 ラナは首を傾げるが、二人が冗談を言ってるわけでないとはすぐに察した。だからこそ、すぐに首を縦に振る。

 これがラナのドクターズ・プロファイルの最重要事項だったのだ。

 

 ◆

 

 ビデオプレイヤーに映されたのは、温室の出入口とそこに佇む男だった。

 右上に撮影日時が表示されておりカシャが早送りすると、男は間もなく消え、また現れる。いつも決まった時間ではないが、大体三日に一度、それも数分間も微動だにせず温室の奥を見つめて立っていた。

 表情はうかがえないが、ロドスのオペレーターの制服を着ている。

「これは……」

 さすがのラナも言葉が出てこない。

「先週くらいかな、カシャがこれまで撮った映像を見返していて“彼”に気が付いたんだ。なかには夜間の温室にも出現している。彼はこの温室の鍵は持っていないだろう」

「えぇ」

「さらに警報も作動していない。実は君に内緒でアブサントとグラニに温室付近を巡回してもらっていたんだけどね。彼女たちが問題ないと報告した時間帯にも“彼”は現れている。ちょっとおかしなことだらけなんだよ」

「誰かのいたずらってわけでもなさそうだしね」 

 顎を指でなぞりながらドクターは腕組みし、カシャも言葉を続けた。

「……知ってる」

「え?」

「私、この人知ってるわ」

「ほんとうに? この人は今どこにいるんだい?」 

 珍しく声色に感情が乗るドクターを見据え、ラナはゆっくりと首を横に振った。

「もう、ずいぶん前に亡くなってる。そうね、多分、ドクターがロドスに復帰する少し前のことだったと思う」

 固まった二人から花壇の奥にある、不自然に刈り取られていない一輪の白い花を見てラナは目を閉じる。

 

――パフューマーさん、一輪だけ花を譲ってもらえないでしょうか。

 

 苦労した思い出もずいぶんと色あせたが、その声だけはいまだに忘れることができないのだ。

 

 ◆

 

 彼がやってきたのは、温室を預かって間もない頃。まだ花棚の骨組みなんとか作り上げたばかりの時期だったと思う。

 夜通し作業していたラナを突然、訪れたのだ。

「昼間も作業していたのに、大丈夫ですか?」

「心配してくれてありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

「見かけによらず強いですよね、パフューマーさんは。本当にうらやましい」

 彼は新米の前衛オペレーターでどうやらロドスの支援部に彼女がいるとのこと。その彼女に送るための花を求めて、ラナのもとにやってきたのだ。

 だが、ご希望の花はまだ植えられる状況でない。さらに罹病者のための温室という特性上、今栽培できている僅かな植物も譲れないことを告げた。

 彼もそれをすぐに了承し「だったら早く余裕ができるように手伝う」と言い出したのだ。

「ありがたいのだけれど、本業に支障が出るようならダメよ。無理しないで」

「大丈夫ですよ! 体力だけは自身あるんです。ドーベルマン教官にバレるまでお手伝いさせてください」

 そう言った彼は笑っていた。

 一カ月以上、彼は毎日やってきた。孤独な夜の作業はほんの少しだけ華やいで、ずいぶんと助けられた。けれど、終わりは始まりと同じく突然やってきたのだ。

 派遣先の移動都市で突如勃発した抗争に巻き込まれ、彼は死んだのだ。非感染者だった彼の遺体は、ロドスに戻ることなく故郷に葬られたらしい。

 その数カ月後、彼が彼女に送るはずだった白い花が咲いた。

 

「それ以来、時期なると種を巻いて花はずっと残してあるのだけれど、どうすれば良いのか分からなくて」

「……なるほど。そんな事情があったのか」

「でもそれと映像に関係があるのかしら」

「残留思念にアーツが絡んで具現化した……なんて事象は聞いたことがないが、このままにしておくわけにはいかないだろうなぁ」

「そうよね……。私も最近、ふとしたときに彼の幻のようなものを見ることがあるの」

「それを聞いたら尚更放っておけないな」

 ドクターは「よしっ!」と端を切ると、テーブルに乗り出してラナにずいっと寄った。

「ここは私に任せてくれないか。何とかしてみせよう」

「え、えぇ。ドクターが言うなら――」

 戸惑いながらも相槌を打つラナに、ドクターは力強くうなずく。そして一言、ラナに注文をつける。

「直近で休みが取れるように、休暇申請と外出申請の準備をしていくれ」

 

 ◆

 

 それから一週間後、ドクターとラナはとある移動都市の共同墓地の前に立っていた。二人だけではない。後ろにはロドスの制服を着た女性がいる。

 ラナは胸に白い花束を抱き、女性に先導されて緑の芝の上を歩く。だだっ広い墓地には等間隔で平板状の墓石が並んでいる。そのちょうど真ん中あたりに彼の墓があった。

 ラナと女性は膝を付き、花をたむける。ドクターはその後ろでわずかに頭を垂れた。

「パフューマーさん、ありがとうございます。きっと、彼も喜んでいると思います」

 帰り道、女性はそう言ってラナに頭を下げた。

「いえ。私こそ、もっと早めにこうすれば良かったのに――」

 後悔の念を口にするラナだったが、その言葉は女性に遮られた。

「パフューマーさんは気にしないでください。あの人が巻き込んだことなんですから。ほんと、いつも勝手に行動しちゃってばかりで――もうっ」

 少し憤る女性に、ラナは少しだけ目を丸くする。さらにドクターもくすりと笑ったのでそちらに怪訝な顔を向けた。

「ずいぶんと面白いオペレーターだったんだね。ぜひ作戦を共にしたかったなぁ」

「ダメですよ、きっとヘマしてドクターにご迷惑をかけていたと思います」

「……ずいぶんとあっけらかんとしているんですね」

 彼女の態度にラナは、らしくない率直な言葉を口にしてしまう。彼女は「喪に服す期間は過ぎましたから」とほんの少しだけ寂しそうに笑って前を向く。

「あとは、気が向いたときにだけに思い出してやることにします」

 

――案外、そんなものなのかもしれない。

 

 温室の花を譲るのは、大抵、誰かが亡くなったときだ。オペレーターはまだしも、鉱石病の罹病者が死者は少なくないうえに、花と死体を一緒に“処理”するのは好ましくない。

 だから、まとめて献花用の花束を提供することがある。その時の表情は、やはりみんな明るくはない。だから、ずっとその表情のままだと心のどこかで決めつけてしまっていた。本当に囚われていたのは、自分自身だったのだ。

 

――残された者は、それでもやがて立ち上がる。

 

 それがきっと、生きている人のために、命を諦めない人たちのために花を育てる意味になるのだろう。

 一陣の強い風が共同墓地から出ようとしていた三人の背中を吹き抜ける。

 白い花弁が風に乗って天高く舞い上がった。

 

 ◆

 

――これは、後日に温室で撮影された記録映像である。

 

 温室の真ん中で正座したドクターとラナの姿が映し出されている。

「……ドクター。この前の件だけど、真相が明らかになったわ」

「そ、そうか! 幽霊じゃなかったってことなのかい?」

「もうとぼけなくてもいいのよ?」

「なんのことだろうか」

 ラナは膝を折ってドクターと目線を合わせるとにっこりと笑う。

「当時からなんとなーく分かっていたけど、彼女さんに教えてもらったの」

「二人は仲良くなったんだね。よかったよかった」

「話を折らないで」

「はい」

 即答するドクターに、撮影者は画面外で思わず噴き出した。

「彼の映像、彼女さんにもらった映像を利用して合成したんですってね。私と彼の事情も全部、彼女から聞いていたとか」

「ひ、人聞きが悪いな。映像をチェックしていたら、ラナがなんだか元気なかったからその理由を探っていたら彼女にたどり着いただけだ」

「だからって遠回りしすぎじゃないかしら。ドクターに質問されたら、私なんでも答えるのだけれど」

 腕を腰にあててラナはドクターを見下ろす。

 とはいえ、本気で怒っているわけではないし、むしろ感謝していることはきっとドクターも気づいてくれているだろう。

 だが、せっかく機会だ。もう少しだけわがままを言っても許されるだろう。

「今度、埋め合わせをお願いしても良いかしら。半日だけでもすごくうれしいわ」

「……最優先に善処するよ」

「やった! カシャちゃんも一緒に行きましょう」

「もちろん、いっぱいおごってよねー。ドクター!」

「いやいや、カシャはこっち側だろう!」

 抗議するドクターにふっと微笑み、ラナはゆっくりと手を差し出した。

 

 清楚で可憐なラナとはかけ離れた荒れた指先とてのひら。少し前までは、なぜか人に見られるのを避けがちだった。

 ドクターはなんの迷いもなくその手を握り、立ち上がる。

 その温もりはどんな陽だまりよりも心地よい。

 

「ドクター」

「なんだい?」

「……ありがとう」

 

 立ち上がったドクターの手をてのひらで包み、ラナはそっと口にした。

 




スタート時から一年経っても現役で頑張ってもらっているパフューマーさんのお話でした。
公式が色々と素晴らしいシナリオを量産されているので、なんとなく満足しちゃいがちな昨今ですね。。。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マドロック -泥中にも花は咲く-

久しぶりの更新です!
超絶不定期ですが、これからも投稿できればと思います!
今回は初めてレベルMax&全スキル上限まで上げたマドロックさんです。


かち割れ、砕け、磨り潰せ。

斯様に巨大な岩石だろうと、剛健な金剛石だろうと粉微塵にして地に戻せ。

乾いた地面に這ってでも生き続けろ。

そうすればきっといつか雨が降り、泥濘になり、花が咲くだろう。

 

――たとえ、そこが万人を毒す悪土だったとしても。

 

マドロック ー泥中にも花は咲くー

 

 雪解けが近くなると、泥の季節がやってくる。長い冬を耐え忍ぶ北方の民にとっては待ちわびた時期かもしれないが、多くの人にとってはただの悪路以外に他ならない。

 

――特に、私たちのようなよそ者にとってはな。

 

 マドロックはくるぶしまで沈む地面をチラリと見る。

 水分をしっかりと含んだ重い液状の土塊(つちくれ)は、たとえ軍用車両をもってしても厄介な敵には変わりない。

 先ほどから背中を車両に預けて、両足を踏ん張って動かしているものの、その速度は子どもが歩くよりも遅かった。

 

「だぁー! ちくしょう! こんなことになるなら、マスクなんて置いておけばよかった。息苦しくて邪魔でしかねー!」

「文句言わないでちゃんと働いてください。あなたの今回の担当業務には『車両の牽引』もちゃんと含まれいるんだから」

「分かってるから、こうやっているんだろ! ほら、嬢ちゃんもいっせのーでいくぞ!」

 

 前方の車両からは小一時間ほど、ノイルホーンとフォリニックの賑やかな会話が聞こえている。

 せいぜい足首ほどしかない草原が周囲一帯に広がっていた。雲一つない青空の下、置き去りにされている二台の車には、アンテナがいくつも取り付けられている。ロドスのトランスポート用の特殊車両だ。

 

ーー簡単な任務のはずだった。

 

 フル装備のアーマーの下でじんわりと滲む汗の感覚を感じながら、マドロックは両足に力を入れる。悪路走破性の高いカスタマイズが施された車両、観測地点はロドスの母艦から数キロ程度、敵対勢力どころか人の気配すらない草原。そして……。

 

――ドクターもいる。

 

 マドロックの隣には、彼女と同じような体勢で同じようなフルマスクを着ている優男がいる。違うのはまだ余裕な表情のマドロックとは正反対で「ひぃひぃ」と喘いでいることくらいだ。

 

「ドクター。無理しなくてもいい。私に任せてくれ」

「そうしたいのは山々なんだけどね……。指揮官として現場の『トラブル』に対応している姿勢を見せないと、示しがつかないんだよ」

 

 ヘラヘラと笑いながらドクターは息を切らしながら答える。2台の車両に乗り込んでいた人員は、トランスポーターとドクターを除くと計4人。そのうち、体力仕事が本領域なのはノイルホーンとマドロックだけだった。

 

「……トラブル、か」

 

 ボソッとつぶやき、マドロックはドクターを一瞥する。相変わらず全身で苦悶を描いているものの、肝心の表情はよく分からない。

 マドロックは他人にそこまで興味を持ったことはないし、何を考えているのか知りたいと思ったこともなかった。元々、無頓着な性格もあったが、それよりもこの世界で虐げられてきた経験が大きかった。

 ヒトの思考を知ったところで、どうせ碌なことを考えてないだろうし、碌なことにならないのである。

 だが、ロドスに居ついてしばらく経ってしまったからだろうか。つい、マドロックは脳裏を過った疑問を口にしてしまったのだ。

 

「本当に、トラブルなのか? わざとじゃなくて?」

 

 空が青かったから。空気が澄んでいたから。色々な理由はあるだろうが、その一言で萎縮したドクターの背筋の気配はあまりにも分かりやすく、百戦錬磨のオペレーターたちが見逃すはずもなかった。

 

 ◆

 

「……それじゃあ、俺たちはドクターの『さぼり』に巻き込まれたわけだ」

「とばっちりもいいところですね、ドクター」

 

 一生懸命に車を押していたその数分後。泥だらけのズボンを車の天井に並べ干し、一行はボンネットの上に腰かけていた。

 ノイルホーンとフォリニックの言葉には皮肉がたっぷりと込められているものの、焦燥感は消え失せ、安穏とした空気が流れている。

 

「計画的な休養だよ」

 

 書類が山積みのデスク。鳴り止まない電話。ケルシーの無言の圧力。ドクター曰く「急に何もないところに行きたくなった」らしい。そしておあつらえ向きに、何もない場所を艦が通過することを知り、「諸事情で帰還が遅れるかもしれない仕事」を作った。

 そしてそこに巻き込まれたのが、今、ここにいるメンバーというわけだ。

 

「いやいや、少しは私にも感謝して欲しいんだが。業務中に休めるなんて、君たちにとってもなかなか機会だろう? 最近の勤務状況をチェックして、忙しそうな連中を人選したんだから」

 ネタバラシをした後、ドクターは半ば開き直った姿勢を見せていた。お堅いのか、軟派なのか、何を考えているのかよく分からない人である。

 

「後付け感がハンパないな」

「言い訳にもなってません! 帰ったらケルシー先生に報告します」

「そんなこと言わないでくれよ……そういえば、キンキンに冷えた炭酸飲料もあるんだけど、いる? もちろん、私のおごりだよ!」

「いるいるいる! おいらは一番あま~いのがいい!」

 

 どこからともなく現れた最後の『護衛』であるケオベがどこからともなく現れ、クーラーボックスを掲げていたドクターに抱きついた。

 ノイルホーンも「マジ!? やっぱドクターは最高だぜ!」と高速で手のひらを返す。好天の下で、喉を刺激するのは最高だろう。フォリニックは腕を組んだままだが、ゴクリと唾を飲むのをマドロックは見逃さなかった。

 

「ケルシーとアーミヤには秘密。それだけ守ればOKだ」

 

 ニヤリとした笑みを声に含めたドクターに、フォリニックは一瞬だけ両目を閉じた後、片手を突き出した。マドロックはその一連のやりとりを車列の一番前で眺めていた。その視線に気付いたのだろう。ドクターがマドロックの名を呼んだ。

 

「マドロック!」

 

 視線を向けると同時に、日差しを受けて瞬くビンが宙を舞った。マドロックはそれをなんとか掴む。ゆっくりとドクターに視線を向ける。彼は親指を天に向かって立てる。

 

「乾杯!」

 

 キンッという、爽やかな音が青空に一度だけ響いた。

 その一瞬後、喉を鳴らして煌めく薄茶色の液体を飲む面々をマドロックは黙って見つめていた。口々に「生き返る!」と笑顔を浮かべている。 

 ガヤガヤとにわかに盛り上がり始める周囲にふいと背を向け、マドロックは草原に伸びる泥濘の道を見つめる。

 

――なぜだろう。胸がざわつく。

 

 平和な風景。何段階も軽くなった任務。なのに、どうにも落ち着かない。

 歴戦の勘とか、巫力の端くれの力のような縁起の悪い感触ならまだ分かりやすいのだが、そうでもない。

 くるりと振り向き、マドロックはロドスの「仲間たち」を再度見る。武器(えもの)を傍らに、肩を寄せ、笑顔を向けあう彼らの背後にある西の空にどす黒い雨雲が近づいていた。

 

 ◆

 

 乱暴に屋根や窓を叩く雨のおかげで冷静になったフォリニックは、数刻前にはしゃいでいた自分を少し恥じていた。

 大人と観測装置で埋め尽くされた車内はとても窮屈。充満する湿気も不快だ。それはきっとドクターの甘言に誘惑されてしまった神様からの罰なんだと、少しだけ思う。

 

「……だったら、あの子を巻き込む必要はないと思うけど」

 

 土砂降りのなか、車の外に一人だけ立っているマドロックをチラリと見てフォリニックはつぶやいた。マドロックが輪に入らず、ドクターから貰った「賄賂」の蓋を開けていなかったのをフォリニックはしっかりと見ていた。

 ただ一緒にいただけで、彼女まで罰に巻き込んでしまったのであれば、神様はきっと極度の大雑把か、性格が悪いに違いない。

 

「何で車の中に入らないんだろうな、彼女」

「……さぁ。アーマーを脱ぎたくないんじゃないでしょうか。あのままじゃ車に入らないだろうし」

「でもなぁ、さすがに見てられないだろ」

「なか、びしょびしょにならないのかなぁ~」

 

 フォリニックの視線に気付いたノイルホーンが口を開き、ケオベも巻き込んだ会話がポツリポツリと始まる。

 

「やっぱ、まだ距離があんのかね。ロドス(おれたち)と」

「彼女の境遇を考えれば、当たり前でしょうね」

「でも、あのお姉ちゃんはとっても優しいよ! 土のお人形くれたし!」

「そうですね。彼女はいつもとても冷静だし、温かい人ですよ」

 

 にっこりと笑うケオベにフォリニックも頷く。

 そう、彼女はいつも変わらない。今日も、あの悪夢の夜も。

 そんなフォリニックを目の端に捉えながら、後頭部で腕を組み、ノイルホーンは小さく伸びをした。

 

「……ふ~ん。じゃあ、今日の主役はもしかしたら『あの子』なのかもな」

「どういうこと?」

 

 ノイルホーンの意外な言葉に、フォリニックとケオベは同時に目を丸くする。ノイルホーンは黙って二人の後ろを指さす。

 後方の車両からちょうど、ドクターが出てくるところだった。そしてその脇には、ロドス内ではそこそこ有名になりつつある、カメラ頭のドローンが控えていた。

 

 ◆

 

 寸分先も見えない暗闇。あっという間にぐしゃぐしゃになった足元。降り注ぐ雨音は、直接触れなくとも体温が奪われる気がした。

 数刻前とは打って変わって酷い状況だ。

 だが、マドロックの心中は今日では最も穏やかだった。

 

「やぁ、マドロック」

 

――なんとなく、来る気がしていた。

 

 分厚い雨のカーテンを開くように、灰色と同化するようなフードとローブをまとったドクターが現れる。

 周囲の状況もあってか、見知った人であっても警戒感を抱いてしまうほどの不審者っぷりである。そしてその隣にいるヘンテコなドローンのことは、マドロックは見て見ぬふりをした。

 

「ドクターは中に入っておくべきだ。体調を崩したら洒落にならない」

「心配はいらないよ。こう見えても、心身の負荷には慣れているから」

 

 どこか遠い目をするドクターにマドロックは小さく「そうか」と返す。その後の言葉は見つからない。正直、彼にはあまり近づいて欲しくはなかった。

 

「マドロックは、気持ちは落ち着いたかい?」

「……え?」

「さっきまで少しソワソワしていただろう」

 

 てっきり車の中に引きずり込まれると思っていたのだが、ドクターの意外な問いかけに思わず声が上ずった。

 

「バレていたのか」

「君は意外と分かりやすいからな」

 

 くつくつと笑いながらドクターは返す。また意外な意見にマドロックは再び「そうか」とつぶやく。「表情が変わらない」とか「何を考えているか分からない」と告げられることがほとんどだったので、何とも言えない気持ちになった。

 そしてまた胸がざわつき始めるのに気付いた。

 

「私は、迷惑をかけてしまっているだろうか」

「いつ?」

「今」

「ははっ、それは考えすぎだ。ここにいる人全員に一番迷惑をかけているのはこの私だよ」

 

 軽く笑い飛ばすドクターのフェイスカバーの奥をじっと見つめる。ドクターは嘘は吐かない。だが時々、「気付いてない振り」をすることにマドロックは何となく気付いていた。そんな彼女の様子を察したのだろう。ドクターは軽く肩を竦めた。

 

「……たまに目がくらみそうになる」

 

 胸に生じたヘドロを吐き出すように、マドロックは自嘲気味に少し笑った。

 

「真っ直ぐに伸びる道も、遮るものがない空や大地も……明日がやってくる期待も今まであまり知らなかったから」

 

 レユニオンという「拠り所」を自ら離れ、訪れる街々を追われ続け、大陸を彷徨い、仲間を失った。それでも前に進み続けた。障壁を壊し、その跡には血みどろの泥だけが残った。そして今、ロドスという安寧を得た。

 他の者からするとそれは頼りない箱舟かもしれないが、マドロックと小隊の生き残りにとってはそこは安息の地といっても大げさではない。

 

――だからこそ、恐ろしい。

 

 ロドスに身を寄せてから、そんなに長い時間は経っていない。だが、それでも身を削る以外で仲間を守る方法を知り、傷だらけの自分たちに差し伸べられる手の温かさを感じ、穏やかに笑う小隊の仲間たちの表情を見た。

 

――そして、初めて「友」を得た。

 

 ドクターと出会い、いたずらに矢面に立ち、壁になる機会は少なくなった。前衛なのは当たり前だが、暴力や理不尽を磨り潰すようなマドロックの戦い方は劇的に変わった。

 ドクターに視線を向け、マドロックは想う。

 狭くて暗くて冷たい。そんな道ばかり歩いてきた自分にとって、ロドスもドクターも明るすぎる。だからこそ、たまに眩暈がするのだ。

 そして少しだけ嫉妬する。きっと、彼が私だったらきっともっと上手に立ち回れていたに違いない。犠牲も少なく、多くの人に希望を与えられたのだろう。

 

――どうしたって私にはそれができなかった。瓦礫を残すことしかできなかったのだ。

 

「……よかった」

「よかった?」

 

 予想外の言葉が聞こえ、マドロックは顔を上げた。

 

「マドロックには、私たちが明るく見えているのだろう? きっと人が違えば、そうは見えないだろうから」

 

 ドクターは軽く笑う。

 一瞬、マドロックは目を見開く。ドクターの背後におびただしい血に塗れた崩壊した足元が映った気がしたのだ。

 

「君にとってそう見えているだけで。君がそう想ってくれるだけで、私たちはまだ前に進められる」

「……ドクター」

「誰かにとっての光であれば、きっと、私たちが進んだ道にも芽は芽吹くはずだろう」

「泥濘であってもか」

「むしろ、そっちの方が好条件な植物もあるかも。ほら蓮の華とか咲きそうじゃない?」

 

 ドクターの軽口にマドロックは思わず小さく噴き出した。

 

「やるべきことなんて、気付いたら見つかっているさ。ロドスと君が交わした契約は知っているが、私たちにとって、君が前にいるか、後ろにいるかは関係ない。『そこにいるだけ』で十分だ」

「……あぁ、ありがとう」

 

 マドロックはどこか照れくさそうに礼を告げる。そしてなんとなく、ドクターが今日、お忍びした理由に気付いた。

 

「ほんっとドクターってカッコつけたがりますよね」

「同感」

 

 いつの間にか隣にやってきていたフォリニックとノイルホーンがチクチクと嫌味を言う。ただ、彼らの傘の半分はドクターとマドロックに影を差していた。

 

「お、気が利くね。ありがとう」

「フルフェイスマスクの二人が外で見つめ合っていたら、そりゃ気になるだろう」

「……傘は大丈夫だ、あなたたちが濡れてしまう」

「今更、ちょっと濡れたくらい関係ないですよ。ほら、もっと中に入って」

 

 鼻息荒く言うフォリニックに、マドロックは少しだけ目を丸くする。彼女とは浅からぬ縁がある。だからこそ、こうして同じ傘に入る機会があるなど想像もしなかった。

 

――そこにいてくれるだけでいい。

 

 きっと、それだけで変わるものがあるのだろう。ドクターにかけられた言葉を頭の中で反芻し、マドロックはほんの少しだけ笑った。そしてせっかくの機会なのだから、最後に少しだけ我儘をさせてもらうことにした。

 全身を集中し、巫力を高める。そして思い切り、地に向かいそれを放った。

 

 ◆

 

 地面が一瞬隆起し、泥の巨人たちが無数に這い出てきたのだ。

 

「……マドロック!?」

 

 さすがのドクターも想定外だったのだろう。

 驚く彼らを他所にマドロックは、フォリニックとノイルホーンを車に押し戻す。そして巨人たちに命じ、後部の車も一緒に持ち上げたのだ。

 

「これで進めるだろう。ほら、ドクターはこっちへ」

 

 自らも巨人の肩に乗り、ドクターに向かって手を伸ばす。

 ドクターも状況を理解したのだろう。にっと笑った様子を見せると、その手をしっかりと握った。

 

「随分と急くじゃないか。もっと落ち着く環境にいてもいいんだよ」

「……帰りたくなったんだ。あの場所に」

 

 巨人の手のひらに並んで乗った二人は、短く言葉を交わす。

 

「そうか。じゃあ、帰ろうか」

 

 雨音とアーマー越しに聞こえたその言葉が何よりも温かく感じた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。