仮面ライダーメイジー (shisuko)
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第1章 仮面ライダー
第1話 赤ずきんのライダー


さぁて、ついに投稿してしまいました第1話。
まずは何も言わずに、どうか読み進めて頂きますようお願いいたします。


「ほら九条センパイ好きなんでしょ! せっかく遊び誘われたんだから!」

 

「う、うん……でもキンチョーするなぁ……」

 

 親友が、気になっている異性に誘われ、応じるべきかどうかと尋ねられた。だから、春の兆しが現れた彼女を応援する意味も込めて行くべきだと返した。それでもなお踏ん切りが付かない親友に、なら自分もついて行こうかと提案した。

 たったそれだけ。何の変哲も無い、極々平凡な女子中学生同士の遣り取り。

 ――たったそれだけの筈だった。

 

『ウワアアアァァァァ!!』

 

 日取りも決まり、親友から集合場所が町外れの廃工場だと知らされた、その時点で誘いを断るよう忠告すべきだった。

 しかし、憧れの相手に接近できることを期待する彼女の満面の笑顔を前に、そう切り出すことは出来なかった。

 それが無理でも、目的地の巨大な入り口を目前に控えた時点で肌身に感じた、纏わりつくような言い知れようのない気味悪さを感じた時に引き返すべきだった。

 それも、隣で目を輝かせる親友の恋路をここまで来て邪魔するわけにはいかないと思ったが故に、敢えて飲み込んでしまった。

 そして何より、錆び付いた開き戸の横に小さく備えられた勝手口から中に入り、その先に広がっていた光景を目の当たりにした、その時点で親友の腕を引っ張って一目散に逃げるべきだったのだが、それもやはり敵わなかった。

 

「たっ、助けてくれええぇぇ!!」

 

「ママアアァァ!!」

 

 耳を劈く悲鳴。

 幾重にも重なり埃掛かった工場内を反響して回る絶叫のBGMを掻き鳴らしながら、親友の目当てであった異性を含む、数人の若い男達が廃工場を駆け回っていた。

 破裂音と共に背から血を吹きながら。

 体の端から少しずつ消滅しながら。

 飛来したガラス片や金属片を後頭部や背に突き立てられながら。

 そして、自分達の足下まで必死に這って来たかと思いや、有無を言わさずその身を凍り付かせながら。

 

『困るねぇ、最近のガキは』

 

 そうして、涙と鼻水を恐怖に歪んだ表情の上に散りばめた顔のまま、物言わぬ氷像へと足下の男が完全に成り果てたのと同じくして、止んだ悲鳴に代わり聞こえてくる声と足音。

 

『こういう人気の無いところに来ちゃいけないって、親に教わらなかったのか? おまけに、大の男が雁首並べてこんな寂れた廃工場に年頃の女の子連れ込んで、ナニする気だったんだか。――なぁ、お嬢ちゃん達もそう思わないか?』

 

 そこら中に舞い散って煙幕のように視界を封じていた埃の奥から現れたその姿の詳細は、もはや覚えていない。特徴的なある一点を除けば、それが発していたのはボイスチェンジャーでも介しているかのようにノイズ掛かった声で、その姿が異形と呼ぶべきものであった、というくらいの記憶が精々だ。

 恐ろしすぎて、細かく声の主を観察している余裕など無かった。

 腰が抜け、まともに動くことが出来ないながらもどうにか身を抱き寄せ合った隣の親友諸共、恐怖に見開いた目からは絶え間なく涙が流れ、うまく噛み合わせられない歯がカチカチと鳴る音が口腔内に響き、地震の震源地になってしまったと誤解してしまいそうな程に体が震え上がっていた。

 逃げる事など、もはや不可能だった。

 

『さてさて、お嬢ちゃん達も逃がすわけにはいかないんだよなぁ。コッチとしては恨みとか特に無いんだが、ま、恨むならこんなトコにのこのこ来ちゃった自分達の迂闊さを恨んでくれ、ってなぁ。それじゃあ、チャ……いや、待てよ?』

 

 声の主が何かを言い掛けたその次の瞬間、不意に親友が呻き声を上げ、目を見開いたまま、フラリ、と倒れ込んだ。

 驚き、慌てて彼女の名前を呼ぼうとしたその刹那、微かに聞こえた何かを突き刺すような音と共に脇腹の辺りに悍ましい痛みが走り、親友と同じような呻きが口から洩れた。そして、吸い取られているかのように急激に力が失われ、支える事が出来なくなった体の動きのままに埃と土に塗れたコンクリート床にキスをしていた。

 溜まらず、どうにか残った力を振り絞って顔を横に向け直せば、そこに親友の顔があった。

 

「パパ……ママ……助けて……」

 

 親友が助けをこう微かな呟きが、確かに聞こえた。

 その時見た彼女の顔は、もはや忘れられない。

 

『ああ~、君達運が良かったなぁ。丁度今、お嬢ちゃん達みたいな健康そうな娘探してるトコだったんだ。いやぁ、俺も運が良いぜ。――ああ、なぁに。大した事じゃあない。奥の方で転がってる小僧共にイタズラされるのに比べたら、失うものも無いし、ちっとも怖くなんかないぞぉ。ほぉんの少しばかり――』

 

 異形が、倒れるこちらを見下ろしながら言っていた。

 まるで、鎌首を擡げて瀕死の獲物を見下ろす蛇のようだった。

 ――否、ようだった、のではない。

 数少ない鮮明に残る記憶の一つであるそれは、間違いなく“蛇”であった。

 

「……やよい、ちゃん……」

 

 最後に見た彼女の、自分の名前を呼ぶ親友の、消えゆくように揺れていたその虚ろな瞳は、忘れられない。

 

『――人間を止めてもらうだけだから、さ』

 

 男の声を発する、青緑色の鱗を鮮血に濡らしたコブラのその見下ろすような視線は、決して忘れる事は出来ない。

 そうして、コブラが血に塗れた腕を伸ばし、その影が朧げになっていく視界に覆い被さって――。

 

 

 

――助けてえっ! ここから出してっ!! お願いだから!!――

 

 

――被検体、脈拍正常。身体異常無し――

 

 

――まだ“アレ”どころか、ドライバーを使えるレベルにすら達していない。ガスの注入量を上げていくぞ――

 

 

――イヤァッ! イヤアアアァァァァァァッ!!――

 

 

 

 

――……で、これが“アレ”を使うための苦肉の処置、ってわけか――

 

 

――大正解(イグザクトリー)。“アレ”は男には使えないのもそうだが、他のボトルと組み合わせる事も出来無いからね。ベストマッチ以前の話だ。けど、今僕たちが作りたいのは――

 

 

――あくまで“仮面ライダー”だ。だから、“トランスチーム”に回帰せず、専用のアダプターを使ってでもドライバーでの変身を試みよう、と――

 

 

――『二つの“フルボトル”を組み合わせて多種多様な形態を創造する』――“ビルド”の設計方針を真っ向から否定するようで気にいらないけどね――

 

 

――どうせなら〝スクラッシュ“で試したかったか?――

 

 

――本音を言えば、ね。けど、“アレ”の制御が目的である以上、使えるのは“ビルドドライバー”だけだ。“トランスチーム”は勿論の事、基礎理論がようやく出来上がったばかりとはいえ“スクラッシュ”も“アレ”に対応するようには出来ていない。そこは諦めるしかないのさ――

 

 

 

 

――ここから逃げたいのでしょう? あの狼さん達から逃れたいのでしょう? なら、(わたくし)と契約を致しましょう?――

 

 

 

 

――いたぞ! 逃げ出した被検体だ!――

 

 

――ドライバーと研究中のボトルを持っているぞ! 油断するな!――

 

 

 

 

――さぁ、私の言う通りに……――

 

 

――ああ、そういえばまだ名乗ってませんでしたね。私の名は……――

 

 

 

 

「ッ……!」

 

 はっ、と微睡みの最中に浸っていた彼女は――星観 夜宵(ほしみ やよい)は目を見開いて目覚めるや、サイドの部分を肩甲骨の辺りまで垂らした茶髪と、その中程に着けた水晶の髪留めを揺らしながら、周囲を見回した。

 前方には乗用車やトラックが行き交う車道、右隣には時刻表と路線図が貼られたポールが建っており、上方には雨避けの屋根、下方には自らが座っている、所々に罅割れが入った色褪せた水色のベンチがある。

 そこがバス停である事を確認し、ベンチに腰掛けてバスを待っていたことを彼女は思い出す。どうやらその最中に転寝してしまっていたらしい。屋根の先の方に見える、不気味な赤い光を放つ巨大な壁。更にその上に広がる空の色がオレンジに染まり出しているところを見るに、そこそこ時間も経てしまったようだ。

 

『ようやくお目覚めですか? ぐっすり眠れました?』

 

 ふと、何処からともなく、声が聞こえてきた。

 年若い、しかしどこか皮肉気で陰りのある少女の声だ。

 その声に、形の良い眉を顰め、荒くなっていた息を落ち着かせつつ、自らの隣に置いてある通学用の肩掛け鞄に目を遣りながら夜宵は返答を返す。

 

「何で起こさないのよ。バス、もう行っちゃってるじゃない」

 

『起こせ、と言われませんでしたからね』

 

 肩を竦める様が容易に連想できそうな、飄々とした口調で返す声。それに対して、何かを言い返そうとするも、すぐにそれを取り止めて、溜息を吐きながら、ガクリ、と夜宵は顔を振り下ろす。

 どうせ何を言っても無駄だ。暖簾を腕で押すが如く、飄々と擦り抜けられるだけ擦り抜けられてこっちが疲弊するのがオチだし、帰りのバスにしてもいつか到着する。それよりも――。

 再び溜息を洩らし、まだ少し震える右手で額を押さえて支えにした夜宵は、脂汗が少し残る顔に沈鬱な表情を浮かべた。

 直前まで見ていた夢が――恐らくは“あの時”の記憶の断片であろう、既に朧げなものになってしまった映像がその理由だった。

 

「……沙也加(さやか)……」

 

 親友の名が、悔恨の感情と共に夜宵の口から漏れ出す。

 ()()()()()()から、もう2年になる。

だというのに、あの日、共に攫われた親友の行方は分かっていない。警察が血眼になって捜索した当時も、新たな協力者を得た今も。

 一体今どうしているのか。かつて自分も受けていたような仕打ちも今も受けているだろうか。そして、彼女を一人置いて逃げ出してしまった自分の事を恨んでいるのではないか。

 会いたい。今すぐにでも彼女を取り戻して、あの日の事を、一人逃げ出してしまった事を謝りたい。

 そんな締め付けられるような感情に心が侵食され細められた双眸で、その左手に握っていたホワイトパールカラーのスマホの画面を彼女は見つめていた。

 その液晶に表示されている、“BEST FRIEND”と書き込まれた親友とのツーショット写真を。

 撮影した時は互いに微笑みながら喜びを分かち合っていた思い出のこの写真も、今となっては会う事が出来無い親友の事を忘れず、その思いを抱き、寄せ続けるある種の戒めと化していた。

 幸い、今はかつての様に攫われ、震えていることしか出来ないわけではない。

 今の彼女には“力”がある。

 もう一度同じようなことが起きても自分と親友を守る事ができる力。囚われの彼女を救い出すことが出来る力を。

 しかし、その“力”も振るう機会が無ければ無用の長物だ。

 だからこそ、今は何よりも情報が欲しい。行方不明の親友――須藤 沙也加(すどう さやか)へと辿りつくための、その足掛かりが。

 ふと、手元のスマホから写真が消え、着信を知らせる電子音が鳴り響き出す。

 同時に液晶に着信相手の名前が表示されたが、その名前が目に入った時点で、相手の目的は大体理解できた。

 

「もしもし? 美空(みそら)?」

 

<夜宵ー? 今、“スマッシュ”の反応があったんだけどー>

 

 電話先の相手の眠たげな声に、やっぱりね、と声にせず呟いてから、夜宵はその先を伝えるように促す。

 

「場所は?」

 

<エリアS0>

 

『あら、この辺りですわね』

 

 やはり何処からともなく聞こえる少女の声の言葉通り、指定のあったエリアS0自体が、今彼女がいるバス亭の辺りを含んでいる。

 その上でそれらしいものが見当たらないところを省みるに、恐らく件の反応があった場所は同エリア内の少し離れた場所と推測できる――と、そう思った直後だ。

 ガラスが割れる甲高い音が後方から響き、続け様にコンクリートが砕けたらしい鈍い音や、数人分の悲鳴が聞こえてくる。

 振り向けば、大きなアーチで飾られた商店街の入り口があり、その下で暴れている“ソレ”の姿がもう目に入るところまで来ていた。

 

「今、見つけたよ」

 

<んー。あ、あと今、戦兎(せんと)そっち行けないから>

 

「分かってる。私の方に回してくるって事は、あっちはあっちで別のところに行ってるってことでしょ?」

 

<んー……ま、そゆことでいっか? んじゃ、あと宜しく>

 

 最後に、眠いし、寝るし、という呟きを電話越しに残しつつ、相手が通話を打ち切る。

 

『……気のせいですかね? 今の美空ちゃんの返事、何だか妙に煮え切らなかったんですけど』

 

「……別にいいじゃない。私達が今からやる事は決まってるんだし」

 

 訝しむような少女の声に内心同意しつつもそう返しながら、スマホを紺色のブレザーのポケットにしまった夜宵は、バス停のベンチから持ち上げた肩掛け鞄を左肩に掛け、すぐさま商店街の方へ駆け出して行った。

 

 

 

 商店街の入り口のアーチを通り抜け、“目標”の背後5,6メートルといったところまで辿り着いた夜宵の視界に広がったのは、一面の惨状だった。

 まず商店街の中心を通る大通りはスコップを目茶苦茶に突き立てた地面のようにアスファルトがズタズタにされており、左右に立ち並ぶ店舗の内、特に“目標”に近い数店舗があっただろう場所はまともな建物が先程まで存在していたとは思えないガレキや硝子の山と化している。それ以外にも、幾つか出火している箇所や、破けた水道管から水が噴き出している場所、寒冷地というわけでもないのにそこかしこから生えている氷柱の類も見受けられた。

 しかし幸いというべきか、既にそれだけの被害が発生した商店街に人間はおらず、夜宵と、未だ彼女の存在に気づかず暴れる“目標”以外に動くものは何も存在していない――というわけには、残念ながらいかなかった。

 ふと、炎の燃えるゴウゴウ、という音に紛れて、何かの声が夜宵の耳に伝わって来る。

 それが子供の泣き声であると気づくのと、“目標”に向けていた視線の先で小学生らしき少年と少女がガレキの傍で抱き合って震えている様を捉えたのはほぼ同時だった。

 そして、“標的”が子供達の存在に気づき、そちらへ振り向いて腕を振り上げ、雄叫びを上げたのは、そのすぐ後の事だ。

 そのまま“標的”が子供達に襲い掛かるまで、最早一刻の猶予も無い。

 すぐさま夜宵は肩掛け鞄の中に両手を突っ込み、その中を弄って目的の物を掴み出した。

 一つは左手に握られた掌大の円筒上の物体。

 上下に黒い枠蓋が嵌め込まれており、上側の蓋の天面には赤い回転式のキャップが備えられている。そして枠蓋の境にある半透明の本体部は内部の赤い液体を透かして見ることが出来、更によく目を凝らせば本体部そのものにもある模様が浮かび上がっている事が見て取れる。

 薄らと浮かび上がる、“林檎”の凹凸模様が。

 もう一つは右手に掴まれた、奇妙な形の横長の機械。

 黒を基調とした外装に、左側には内部機器が覗く銀色の円筒部と連なる二つの歯車、円筒部の側面から生える赤い持ち手のハンドル、右側には持ち手として利用出来そうな細い円筒部が備わっている。左右を縦断する数本の銀のケーブルの上には、更に外付けの外部ユニットが接続されており、八の字状に下がった上部や中心の開口部、基調色となっている鮮やかなピンクレッドの組み合わせは、宛ら赤い頭巾を連想させる。

 目的の物を取り出し用済みとなった鞄を地面に落とすや、まず夜宵は右手の機械を自分のへその辺りに軽く押し当てる。

 すると、機械の側面部から黄色のバンドが猛スピードで飛び出し、あっという間に彼女の腰を一周して、逆側の受け部に小気味の良い音と共に先端が納まる。

 そうして自らの腰にその機械――否、ベルトと、そのバックルが装着されたのを確認した夜宵は、続けて左手を自分の顔のすぐ傍まで持ち上げ、未だその手の中に持ったままの円筒状の物体を手首のスナップを効かせて数回振る。

 シャカ、シャカ、という断続的な音を立て、物体の内部に納められた液体が上下に撹拌される。

 その一方で、ベルトの装着を終え手ぶらとなった右手の親指と中指を這わせ、力を込め、2本の指を鳴らし合わせた。

 するとどうだろう。

 夜宵の右手から弾けるような音が響いたその刹那、それが合図だとばかりに彼女の足下に落ちていた小さなコンクリート片が一人でに彼女の顔の横まで音も無く浮かび上がり、まるで発射された弾丸のように一目散に“標的”へとすっ飛んで行った。

 そんな事など知る由も無く、眼前の“標的”は両腕を振り上げ、悲鳴を上げて目を瞑る子供達に今まさに襲い掛からんとしている。

 当然避けられるわけも無く、飛び込んだ破片は見事に“標的”の後頭部を打ち据え、自らが砕け散るのを代償にその意識を背後の夜宵の方へと向けさせてくれた。

 

「ガアアアアアァァァア!!」

 

『まぁ、何て下品な声』

 

 突然の横槍が余程腹に据えたのか、傍から見ても激昂していると分かるけたたましい雄叫びを上げながら、“標的”が夜宵目掛けて駆け込んで来る。

 その様を、どうして狼さんの声ってこんなに耳障りなのかしら、と例の何処からともなく聞こえる少女の声が嘲る一方で、左手の円筒状の物体を振るのを終えた夜宵は、上部に備えられたキャップを指で回転させる。

 それによって、キャップに貼り付けられた、“A”とだけ書かれたラベルが前に現れる。

 

「いくよ、メイジー」

 

『ハイハイ、いつでもどうぞ』

 

 物体の方に形の良い目を遣り、確認するように夜宵は自分以外の誰かの名を呼ぶ。

 それに少女の声が応答したのを確認するや、物体を上下逆に持ち直し、ベルトのバックルに取り付けられた外部ユニット中心の接続部に斜め上からキャップを差し入れ、そのまま開口部の中へとそれを押し込んだ。

 

<Contraction(コントラクション)!>

 

 物体が装填されたことを認識したバックルがそう電子音声を発し、同時に外部ユニットに押し込まれた物体に浮かび上がっていた林檎の模様が、赤色のホログラフィックとしてそこに浮かび上がる。

 続けて、点滅を始めたバックルの銀色部分から伸びるハンドルを夜宵は右手で掴み、それを回転させ始める。

 すると、ハンドルの動作に連動してバックルから待機音が流れ出し、それをBGMにスリットが入った仰々しい形状のレールが左右に現れ、押し込められた円筒状の物体から透明のパイプが伸び始めた。

 夜宵の前方と後方へとパイプは展開していき、次第にプラモデルの外枠を髣髴とさせる枠組みを彼女の前後に形成するに至った。

 続いて、パイプの中に赤い液状の物体が流れ出し、それが作り出された枠組みの中に行き渡るや、今度はその中心内へと流出した液体が凝固し、何かを形成していく。

 黒い布地。その上に作り出される輝くピンクレッド。

 前後に分かれている故パッと見では分かりづらい。が、敢えて言い表すならば、枠組みの中心に最終的に作り上げられたそれは、人型。半分の仮面と胴体、それぞれ片方ずつの手足が前後であべこべになるように、半分ずつの人型一対が、中心に夜宵を挟み込む形で最終的に形成されていた。

 

<Are You Ready(アー ユー レディ)?>

 

 バックルのハンドルを回転させるのを止め、掌大の物――例えば林檎――を掴んでいるかのような半開きの状態の右手を口元に近付ける夜宵。

 それを見計らったかのようにバックルから発せられた電子音声に応答するように、彼女はこう呟いた。

 

「変身」

 

 半開きの右手をグッと握り込むや、掴んでいた物を投げ捨てるかのように夜宵は右腕を振り下ろす。

 次の瞬間、彼女の前後に形成されていた半分ずつの人型が、周囲の外枠諸共左右のレールに沿って、中心の彼女目掛けて猛スピードで動き始めた。

 それに対して、夜宵は避けたりする素振りを見せる事も無く、あっという間に前後の人型に彼女は挟み込まれてしまった。

 同時に、組み合わさった人型の間から白い蒸気が噴き出し、人型の周囲を真っ白に染め上げてしまう。

 そこに狙ったかのように、駆け込んで来た“標的”が勢いのまま振り上げていた拳を夜宵のいた場所へ叩き下ろした。

 しかし――振り下ろされたその拳は、夜宵はおろか、そこにあった筈の人型すら捉えることなく、霧散仕掛けていた蒸気を完全に散らすだけに終わってしまった。

 勢い任せの攻撃が空振り、それによって態勢が崩れ掛ける“標的”。

 その瞬間を逃さんと、ガラ空きの背中にすかさず夜宵は一撃を加える。

 ――そう、“標的”の背後から。

 地面に転がされ、慌ててこちらを振り向いて彼女の姿を捉えた“標的”は、その場で動きを止めた。

 ひょっとしたら、驚いたのかもしれない。

 何せ、今の夜宵は、先程までの彼女とは全く違う姿になっていたのだから。

 

<Contraction Apple Maisie(コントラクション アップル メイジー),Start The First Trial(スタート ザ ファースト トライアル)! Yeah(イッ,イェーイ)!!>

 

 バックルの電子音声が、まるでプロレスの選手入場のアナウンスのように高々とそう宣言する。

 そう、正しく選手入場だ。

 先程までの紺のブレザーと焦げ茶色のフレアースカートを身に着けていた茶髪の少女はそこにはいない。

 今そこにいるのは、一人の戦士。

 左上から右下へ降りる斜め線が幾つも重なった黒い特殊繊維スーツに、その上から胸部、二の腕、太腿、膝から下にピンクレッドの斜め模様の装甲が配された胴体。腰に巻いたベルトのバンド部分の下側から下りた、装甲と同色のスカートが膝裏の辺りまでを覆い、一方でやはり装甲と同色のフードがV時に開いた首下の辺りから伸びるようにして頭部に被さっている。そして、硬質なバイザー状となっているフードの先端の下には、これまたピンクレッドの斜め模様の装甲が組み合わさった仮面が存在し、その上で青緑色の林檎の形をした複眼一対と、その下の口元の一切を覆う白いマスクがその存在を主張していた。

 先のあべこべの一対の人型を組み合わせ、更に追加の要素を加えたような姿をしたその戦士こそが、今の星観 夜宵であった。

 

「仮面ライダー――メイジー」

 

 “標的”に蹴撃を加えるために振り上げていた右足をゆっくりと下しながら、誰にともなく夜宵は静かに告げる。

 

「狼を、倒す」

 

 日が暮れ始め、落ち掛けた夕日が最後の悪あがきとばかりに強い輝きを放つ。

 その照り返しを受け、ピンクレッドの装甲と林檎型の複眼を鮮やかに輝かせながらその場に立っていた夜宵が――“仮面ライダーメイジー”が、立ち上がろうとする“標的”を見据えながらゆっくりと構えた。

 

 

 

「あなた達!」

 

 立ち上がろうとする前方の“標的”――水色の体色に、張り出した肩や頭部からチューブ状の触手を垂らした“スマッシュ”から注意を外すこと無く、ピンクレッドの装甲に覆われた仮面の戦士――仮面ライダーメイジーとなった夜宵は顔を右に向けて声を張り上げる。

 その声に反応し、例のガレキの下で抱き合っていた子供達がビクリ、と体を震わせて一対の青緑色の林檎型の複眼を一様に凝視する。

 

「そんなところで座ってないで、早く逃げなさい。ホラ!」

 

 再び声を張り上げるも、突然の事に対応仕切れないのか、子供達は目を見開いて開口するだけで、まるっきりそこから動く気配が無い。

 もう一度声を上げ、右手で追い払う素振りも加えて再度逃走を子供達に呼び掛けるが、やはり彼らがそこから動こうとはしない。

 そして、そうこうしている内に完全に態勢を立て直したスマッシュが雄叫びを上げ、再び夜宵目掛けて氷のような鋭い刃が並んだ二の腕を振り上げ、突撃を仕掛けて来た。

 

「ちっ……」

 

 振り返る仮面の中で夜宵は舌を打ちつつ、子供達を追い払うために振っていた右手―ピンクレッドの装甲に覆われた“MSEポルターグローブ”を咄嗟に翻し、その指を鳴らした。

 パチン、という甲高い音が周囲に鳴り響いた――その次の瞬間だ。

 子供達が背にしていたガレキが、一人でに彼らの頭上まで浮き上がった。

 

「う、うわぁあ!?」

 

 砕けたアスファルトから引き抜かれる鈍い音に振り返った少年が、突然の事態に驚いて悲鳴を上げ、同様に振り返った少女諸共その場から後ずさる。

 そんな彼らの様子など気に留めないとばかりに、ある程度の高さまで浮き上がったガレキは上昇を止めたかと思いや、弾かれたようにその場から急加速で飛び出した。

 その進行方向の先にいるのは、遂に夜宵のすぐ傍まで到達し、勢いのまま腕を振り下ろそうとしていたスマッシュだ。

 次の瞬間、飛来したガレキが夜宵とスマッシュの間に割って入り――否、割り込ませ、そのままがら空きだったスマッシュの胸部から頭部までを強かに打ち据えた。

 耐え切れず、氷柱のような突起が三本生えた胸部から轟音と火花を出しながら、スマッシュが後方へと大きく吹き飛ばされる。

 そんな一瞥をくれる事も無く、狼狽する子供達の方へ再び向き直った夜宵は、もう一度だけ彼らへ向けて叫んだ。

 

「早くそこから逃げなさい! でないと――」

 

 その途中、再び右手の指を鳴らしながら。

 

「――今度はあんた達を飛ばすよ?」

 

 そう声を低くしつつ夜宵が言い終わると共に、子供達の周囲のガレキが再びフワリとその場から浮き上がる。

 それによってようやくその場から離れる気になったのか、

 

「れっ、蓮司くん! 逃げよっ、早くっ!」

 

「おっ、おお! 行こう、サユリ!」

 

そんな会話をしながら、慌ててその場から子供達が手を繋いで駆け出していく。

 そうして、二人の後ろ姿がまだ被害の無い商店街の奥へと消えていったのを確認した後、

 

「ゲアアアァァァァ!!」

 

聞こえて来た何度目かの雄叫びに振り替える事無く、先程と同じように浮き上がらせたガレキをスマッシュへと撃ち込み、三度その体を砕けたアスファルトの上へと転がした。

 

『ヒーローとやらって、子供を怖がらせるものなんですの?』

 

「うるさい。アイツにやられるよりマシでしょ? どうせ飛ばないし」

 

 再びどこかから聞こえてくる少女の嘲るような声に不愉快さを込めてそう返しつつ、起き上がろうともがくスマッシュの方へ夜宵は一足跳びで飛び込む。

 当然、一気に至近距離に近付いた彼女に、再び立ち上がったスマッシュが迎撃しようと肩と頭部から伸びる触手の先を向けて来る。

 しかし、そうされるよりも前に夜宵は拳を作った右手で殴り付け、スマッシュの動きを強引に止めるや即座に左手を掲げて指を鳴らす。その数舜後に、通算4度目となるガレキの飛弾がまたもや飛び込み、顔面にまともに受けたスマッシュが火花を散らしながらその場に倒れ込んだ。

 もはや語るまでもないだろう。先程からスマッシュを襲うガレキの飛弾が、全て夜宵によって放たれているという事は。

 そう、これこそが仮面ライダーメイジーの――より正確に言うならば、その力の大本である、夜宵のベルトに装填されている円筒形の物体、“フルボトル”に込められた成分によって得られる能力だ。

 念動力。周囲の無生物を指定し、ボトルの成分の一部を纏わせ、それを自在に動かす。俗にいう念動力という奴であり、“一定の大きさ、質量以下の無機物”で、なおかつ“指定した物体を一定の速度で指定の一方向へ移動させる”程度の単純動作しか出来ない。が、指を鳴らす、腕を振るといった単純な指示行動のみで行う事が出来、尚且つ能力の行使に対する体力等の消費も無い。単純な動作しか出来ないという点も弾丸を打つ能力として割り切ってしまえば、今彼女がやっているように、敵に何もさせず制圧するための手段として扱うことも出来る。

 夜宵の持つ“アップルフルボトル”に秘められた能力の一つであり、これを主力に据えて場をコントロールする戦い方が、夜宵の仮面ライダーとして主戦法であった。

 そうして、また一発だけ浮かばせたガレキを撃ち込み、火花と共にスマッシュを転倒させる。

 

「そもそも――」

 

 これで相手の転倒回数は計5回。それは同時に、それだけの攻撃をスマッシュが受け、相応にダメージが蓄積している事を示している。

 現に、その蓄積したダメージの大きさを表すかのように、ボロボロになったスマッシュの体から緑掛かった煙が所々から立ち昇り始めていた。

 ――そろそろ仕上げ時だ。

 

「正義の味方とか、ヒーローとか、一度も名乗った事――」

 

 なおも立ち上がろうとするスマッシュの、その目前まで辿り着いた夜宵はその場に立ち止まる。

 それを好機と取ったか、はたまたそう考える余裕すらなく唯の悪あがきだったのかは定かではないが、すぐさま咆哮と共に彼女へと、極低温の冷気を纏った左拳を放った。

 直撃とまでいかなくともいい。かすりさえすれば、そこから瞬時に凍結が進み、ものの数秒で物言わぬ氷像へと変えてしまう――そういう一撃だった。

 故に、その場で身を屈めつつ回転する事でかすりもせずに完全回避されてしまったその時点で、その拳に纏わりついた冷気は何の意味も成すことなく、ただ伸ばし切った腕の先で小規模のアイスダストを発生させるだけに終わってしまう。

 そして、その刹那。

 

「ギギィっ……!?」

 

 その拳を回避した、その勢いのまま体の回転を殺さず放たれた夜宵の右足の後ろ蹴りが、吸い込まれるようにスマッシュの胴体を捉え、3本ある氷柱の一本を砕き折った。

 苦し気な呻き声を上げるスマッシュ。

 当然だ。これは唯の後ろ蹴りではない。

 ピンクレッドの装甲が膝の中程から下を覆い、ショートブーツのようになった今の夜宵の両足――“アップルピースエッジシューズ”の踵には、ある武器が備わっている。

 林檎の切り身を模した形状の、刃渡り20cm程度の鋭い特殊合金製の刃。

 1兆個の林檎の皮を連続で剥いても切れ味が一切落ちない耐久力と切削力を併せ持つそれが、スマッシュの胸部に深々と突き刺さっているのだ。向こうからすれば堪ったものではない。

 しかしまだ終わらない。

 

「――無いか、らッ!」

 

 続けざまに、体の支えにしていた左足で地面を思いっきり蹴る。

 すると、突き刺さったままの右足の刃を支点に、スマッシュから見て下の位置にあった夜宵の体はグルリと回転し、一瞬の内にその上まで移動していた。

 その勢いに乗せ、右足の刃を強引に引き抜きつつ、スマッシュの後頭部を左足で蹴り飛ばした。

 強力な一撃だ。

 既に大きくダメージの蓄積したスマッシュがそれに耐えられるわけも無く、腰から膝裏までを覆うスカート――敵の攻撃等を受け流し、腰から下を保護する特殊繊維製の増加装甲“MSEディフェンスローブ”を翻し、危なげなくその場に着地した夜宵の前方で、顔面から地面へと突っ込み、そのままガリガリとアスファルトを粉砕しながら吹っ飛んでいく。

 

『お見事。さぁ、夜宵ちゃん。このまま、一気にあの狼さんを仕留めてしまいましょう!』

 

「そんな事あんたに――」

 

 急かす少女の声に返答しつつ、腰のバックル――“ビルドドライバー”の右側から生えたハンドル――“ボルテックレバー”を右手で握り込んだ夜宵は、それをグルグルと回転させる。

 そうすることで、先程変身する際に流れたのと同様の待機音がドライバーから流れ出し、ドライバーに搭載されたエネルギー生成ユニット“ボルテックチャージャー”が稼働。内部発動機“ニトロダイナモ”の高速稼働によって、レバーを回せば回す程にエネルギーが生成・充填されていく。

 そして、必要なエネルギーの充填が完了したのを機にレバーの回転を止めた夜宵はその場で身を屈め、青緑色の林檎の複眼の前で両腕を交差させた態勢を取る。

 これから行う仕上げのために、彼女自身も力を溜め込むために。

 そして、ドライバーの待機音が完全に鳴り止み、数舜の静寂を挟んだ後、その時は遂に訪れた。

 

<Ready Go(レディ ゴー)!>

 

「――言われるまでも無い!」

 

 ビルドドライバーから声高に放たれた開始宣言。

 それと同時に、顔の前に移動していた夜宵の両手に、ボッ、という音と共に火が灯った。

 青白い、揺ら揺らとかとなく不気味さを感じさせる揺らめき方をする炎――鬼火だ。

 その自らの手を包むように出現した鬼火を、すかさず両腕を左右へ勢い良く振り抜く動作によって夜宵は前方へと放つ。

 と同時に、その場から中腰姿勢のまま、鬼火に追従するように全速力で駆け出した。

 その先にいるのは、どうにか立ち上がろうとするも出来ず、片膝立ちで肩を上下させていたスマッシュ。

 そのスマッシュに、まず飛び込んで来た鬼火が当たるかと思われた直前で複数個に分裂。X字状に連なった炎の鎖となって巻き付き、その場にスマッシュを拘束する。

 続けて、突然雁字搦めとなったことでもがくスマッシュとの距離2m程度のところで夜宵は跳躍。高く跳び上がったその頂点で丸まって一回転した彼女の身体は、右足を高く、大きく振り上げた姿勢のまま、落下を開始する。

 高速でスマッシュ目掛けて落下していくその足には、先程彼女の両手に灯ったのと同じ鬼火が、踝から下と踵の刃を覆うように揺らめいていた。

 

<Execute Finish(エグゼキュート フィニッシュ)! Yeah(イッ,イェーイ)!!>

 

 ドライバーの電子音声が告げた処刑宣告。

 それと同時に振り下ろされた夜宵の踵が――鬼火を纏った刃が、回避も防御も出来ないスマッシュの左肩と首の間へと、宛ら首狩りの鎌の如く叩き下ろされる。

 次の瞬間、鬼火の鎖諸共その胴を袈裟懸けに引き裂かれたスマッシュが大きく後方へ弾き飛ばされ、片手を着いて着地した夜宵の前方で緑色の爆炎を上げた。

 そのまま動かなくなり、完全に沈黙したのを遠目から確認した夜宵は立ち上がり、現在ドライバーにセットしているアップルフルボトルとは別のボトルを取り出す。

 上下の黒い枠蓋こそ同じだが、中央の円筒部は完全な透明で凹凸模様が無く、何よりその中には何も入っていない――(エンプティ)ボトルだ。

 その上部の何のラベルも貼られていないキャップの捻り、未だ緑色の炎が燻るスマッシュの方へと夜宵は差し出す。

 すると、スマッシュの体が細かな粒子上の成分に変化し、夜宵の手元のボトルへ吸い込まれていく。

 そうして、分解された成分が全て吸い込まれた時、そこに残っていたのは薄汚れた患者衣を纏った姿で呻き声を漏らして倒れる見知らぬ男性だけであった。

 彼こそが、先程まで夜宵と戦っていたスマッシュの正体。

 人間が何らかの原因で変質し、自我を失い暴れ回るだけとなってしまった謎の存在。それがスマッシュと呼ばれる、ここ一年程前から各所で目撃されるようになった怪物の正体であった。

 最も、男性自身はその時の事も、そもそも自分が怪物と化して暴れ回っていたことも記憶にないであろう。これまで倒してきたスマッシュ――そこから元に戻した人々も、皆一様に忘れていたのだから。

 

「――よし」

 

 翳していた空ボトル内にスマッシュの成分が完全に取り込まれ、膨らんだ円筒部に蜘蛛の巣状のディテールが追加されたのを確認した夜宵は、ボトルのキャップを戻してそれをしまう。

 そして、ビルドドライバーのフルボトル装填部“ツインフルボトルスロット”に増設されている八の字状のカバーを持つ専用アダプター“MSEアブソーバー”からアップルフルボトルを引き抜いた。

 それによって変身が解除され、仮面ライダーメイジーの体が先程のスマッシュの様に成分として分解され、元の紺のブレザーと焦げ茶色のフレアースカートを纏った星観 夜宵の姿へと戻る。

 そうして、踵を返しアスファルトの上に放り捨てた肩掛け鞄を拾うやフルボトルとドライバーをその中に押し込み、代わりにブレザーから取り出したスマホを操作して、ある場所へ電話を掛けた。

 

「すいません。救急車お願いしたいんですけど」

 

 

 

「――というわけで、いつも通り救急車呼んでおいたから、スマッシュにされてた人は今頃病院に運ばれてると思う」

 

 自宅のアパートへと帰る道すがら、スマホを右耳に当てながら電話口の相手に夜宵はそう告げていた。

 先の戦いからかれこれ1時間。いつの間にやらバス亭に到着していた帰りのバスにどうにか駆け込み、そのまま吊り革に体を預けながら目的地側のバス亭に辿り着く頃にはすっかり日は落ちて辺りは暗くなってしまっていた。

 

<んー、分かった。で、そのスマッシュにされてた人、何か覚えてた?>

 

 スマホの通話口から返って来たのは、先程彼女にスマッシュの出現を伝えた美空という少女だ。

 彼女の問いに、ううん、と首を振って夜宵は返答する。

 

「駄目だった。一応確認してみたけど、いつも通り」

 

<覚えてない、か>

 

 嘆息気味に言葉を繋ぐ美空に、少し目元を伏せながら無言で夜宵は頷き返す。

 

<いい加減、一人くらい覚えてる人出てきたりしないかな。今更っていえば今更だけど、これじゃ何も分かんないままだし>

 

「仕方ないよ。()()()なんて、もう一年経つんでしょ? 私なんてライダー始めてまだ三ヵ月だし、簡単に分かるならもう見つけてるよ、()()()さ」

 

 美空を宥めるようにそう返す夜宵であったが、その内心では電話先の彼女同様に深い溜息を吐いていた。

 彼女自身の言葉通り、夜宵が美空達と出会い、本格的に仮面ライダーとしての活動を始めて早三ヵ月が経つ。

 それ以前から活動を始めていた美空達から比べれば長くはないが、されとて比較無しの単純な日数で見れば短いとも言えない時間が既に経過している。

 仮面ライダーの力を有している事と、もう一つのある事実を除けば唯の高校生でしかない自分だけでは行方不明の親友の足取りを追う事は出来ず、それ故にある()()()を持つ彼女達との協力は必要不可欠だ。――そう考えて、美空達と共に度々出没するスマッシュを仮面ライダーとして撃退して来た夜宵としては、未だ情報らしい情報が見つからない現状にはどうしても徒労と焦燥を覚えずにはいられなかった。

 とはいえ、それは美空達も同じこと。

 彼女達も今の夜宵と同じようにある探し物をしている身だが、その手がかりさえ手に入らない状態が彼女よりもずっと長く続いているのだ。当然、そこに感じている不満は夜宵より大きいだろうし、その辺りの事情が分かっているからこそ彼女も協力の意思は見せても、不満をぶつけるような事はして来なかった。

 それでも、再三記述するが夜宵がライダーとなってから既に三ヵ月、沙也加が攫われたあの日からは二年が経っている事実に変わりは無い。

 こうしている今も親友がどんな仕打ちを受けているか知る事すら出来ない現状、いい加減何かしらの手がかりが欲しいというのが夜宵の本音である事も、また曲げようが無い事実であった。

 そして、そういった気持ちが押し止めてしまったのか、それ以上言葉が思い浮かばなくなった夜宵はそのまま押し黙ってしまう。

 その辺りはどうも美空も同じだったらしく、少しだけ互いに何も喋らないまま足下からローファーの音だけが響く沈黙が続いた。

 が、その重さを孕んだ静けさに流石に耐えられなくなってきて、何か別の話題を振ろうかと夜宵が口をまごつかせていた、その時だ。

 

<たっだいまー!>

 

 硬質なゴムが擦れるような、キィッ、という音と、慌ただしく金属製の階段を踏み鳴らす音が連続し、最後に美空のものとは違う別の声がスマホのスピーカーから聞こえて来た。

 それまで夜宵達の間を漂っていた沈鬱な空気を吹き飛ばす、良くも悪くも空気を読まない感激に溢れたその青年の声は、夜宵も良く知る人物の声であった。

 ――であったがために、あー、という気の無い声が彼女の口から漏れていた。

 

<いぃやっほおおおぉい! 問題なーし! さっすが俺ー! 天ぇ才でしょー! 最高でしょーぉ!!>

 

<戦兎ぉ! ちょっと黙っててよ、今電話中!>

 

 テストで100点を取った子供の様にはしゃぐ青年――戦兎の歓呼の声と、それに対する美空の怒声が、共に、キーン、という機械そのものの振動音を伴ってスマホのスピーカーから夜宵の耳に飛び込んで来る。

 溜まらず耳元からスマホを離した夜宵。

 そんな彼女の事など知る由も無く、電話の向こう側から響く大音声が更に重ねられる。

 

<おっ! どこに電話してんだ? もしかして夜宵か?>

 

<そうだけどー! てか、ちょっと声のボリューム下げ――>

 

<よし、丁度良い! 渡したいものあるから、明日学校終わったらすぐにnascita(ナシタ)に来い、って伝えといてくれよ!>

 

<だから、声大きいって! てか、そういうのは自分で――>

 

<んじゃ、俺最終調整あるから。ヨロシク!>

 

 そう戦兎が告げるのを最後に電話先の声の応酬は止み、再び沈黙が訪れる。

 が、今度は嵐が去った後の一時の静けさのようなものだったこともあり、再びスマホを耳元に寄せた夜宵によってそれは呆気なく打ち払われた。

 

「あー、えっと……明日、そっち行けば良いんだよね?」

 

<てことらしいよ>

 

 眉を八の字に下ろしながら尋ねたところに返って来た美空の返事は、先程までよりも声のトーンが一段低くなっていた。

 憮然とした表情で、恐らくはすぐ近くで何かしら作業に取り掛かっている最中であろう戦兎の背中を睨んでいる様が容易に想像出来、思わず夜宵の口から苦笑いが漏れる。

 

「……まぁ、取り合えず、明日学校帰りにそっち行くね。ボトルの方もその時に」

 

 どの道、先のスマッシュとの戦闘で成分を採集したボトルを彼女達に渡すため、そうする予定ではあったのだ。

 ボトルの件を加えてそう伝えると、うん、と美空の頷く声が返って来る。

 

<分かった。じゃ、また明日>

 

 最後にそう締めの言葉を告げられたところで、ピッ、という電子音と共に通話が打ち切られる。

 それを受けて耳元からスマホを離すと共に、ふぅ、と夜宵は溜息を吐く。

 

『何やら呼び出されていたようですわね、桐生 戦兎(きりゅう せんと)に』

 

「何か渡すものあるんだって」

 

 再び何処かから聞こえて来た少女の声にそう返しつつ、夜宵はスマホをブレザーのポケットに戻し、そのまま肩掛け鞄のジッパーを開いて中を弄り出す。

 その最中で、ふん、と少女の声が不愉快気に息を吐いた。

 

『呑気なものですわ。美空ちゃんの気も知らずに、当の本人は発明ですか』

 

「いつもの事でしょ。一々あんたが目くじら立てるようなことじゃないっての」

 

 また始まったか、と心中で呟きつつ、呆れ混じりに少女の声に空返事をする夜宵。

 その態度が気に障ったのか、声色により不快さを滲ませて少女の声が言葉を連ねる。

 

『ええ、いつもの事ですわ。いつも女性の気持ちなど考えず蔑ろにして、貶める生き物ですのよ、(狼さん)というのは。いつも言っているでしょう?』

 

「そーだね、いっつも聞かされてるね」

 

 おかげで、この後どんな言葉が続くのかが容易に想像できる。

 

『なら、男に対してもっと疑いや警戒心を持ったらどうですの? 特に最近の貴女はnascitaの連中に対して態度を緩め過ぎてるきらいがありますわ。さっきの電話もそう。物をダシに(狼さん)が女性を呼び出す理由なんて、大体相場が――』

 

「だったらあの人達と手を切る?」

 

 段々と説教臭くなってくる少女の声に鬱陶しさを覚え、肩掛け鞄から取り出したアップルフルボトルを眼前まで運んでから、その言葉を遮って、そうピシャリ、と夜宵は告げた。

 すると、うっ、という呻きが()()()()()()()()()()()漏れ、痛いところを突かれたと言わんばかりに少女の声がそれ以降言い留まる。

 

「戦兎さんやマスターは疑ったりする必要が無いって知ってるだけ。別に世の中の男全部に心を開いてるわけじゃないから。――というか、あの人達と手を組んでるから、私、ライダーしてられるんだけど?」

 

『そ、それは……』

 

 言い淀む少女の声。

 その声を視線のすぐ先の()()()()()()()聞きながら、トドメの言葉を夜宵は告げた。

 

「手を切ったら、今度こそ戦兎さんに没収されるよ。ドライバーも、()()()も」

 

『う゛う゛っ……!』

 

 一際強い呻き声が、やはり()()()()()()()()()()()放たれた。

 続けて、夜宵も大きな溜息を吐き出す。

 

「切欠見つけたらそうやって語り出すの止めてよね。聞かされるこっちの気分が悪くなるから」

 

 溜息交じりにそう告げる夜宵に、少女の声が、むぅ、という唸り声を返す。

 ()()()()()、もの言いたげに正面を見据える夜宵の視線から逸らされていた。

 

『……別に、私だって(狼さん)の話なんて好き好んでしたりしませんわ。ただ、本当に最近の貴女が緩んで見えたから警告しただけの事です』

 

 拗ねたような声色で、少女の声がそう言った。

 いや、実際に拗ねていた。手に取るように分かった。

 何せ、今まさに声の主のその顔を――というと語弊があるが、ともかく夜宵は真正面に据えて見ている真っ最中なのだから。

 

「あんたが男が憎くて仕方ない事は知ってるわ。だけど、私達だけじゃできる事なんてたかが知れてるでしょ?」

 

『ええ、ええ、分かってますわよ。(狼さん)だろうが何だろうが、協力できる相手は大切にすべきだってことくらい。ええ、私達がまずそういう関係ですものね』

 

 手元を見下ろしながらそう告げた夜宵の視線の先で、そこに収まっている()()()()()()()()()()不本意そうに目元を伏せた。

 そう、彼女の持つフルボトルが。

 

『ええ、だから決して忘れないで下さいよ。nascitaの連中との関係を大切にするのも結構ですが、貴女が仮面ライダーになれるのは、そもそも私の力があってこそだということを、ね』

 

 念を押すように、フルボトルが目を細める。

 表面の林檎の凹凸模様の――その更に表面に、左上がり斜めに走る手術痕と共に浮かび上がる、赤い瞳の不気味な一つ目を。

 そのボトルに封じ込められた、その瞳の持ち主が。

 

「分かってるわよ。このボトルに封印されて、どうにか出来るのが私と話すことぐらいなあんたが、一日も早く解放されたがっている事も含めてね。メイジー」

 

 そう。このフルボトルこそが夜宵に語り掛けていた少女の声の正体。

 童話“赤ずきん”。今や知らぬものなどいない有名な物語の、その主人公の元になったという少女の、その怨霊――メイジー・ブランシェット。

 本人曰く、男という名の狼に欲望のまま嬲り殺され、死後その怨念のままに幾人もの男を処刑して来たという、男殺しの化物。

 それこそが、夜宵が所持し、仮面ライダーメイジーの力の根源となるアップルフルボトルに込められた力――成分の正体なのだ。

 

「ええ、分かってる。私にはまずあんたが必要なの。沙也加を助けるために、仮面ライダーの力が」

 

 何故彼女がフルボトルに封じ込められているのか、当のメイジー自身もどういう訳か覚えてはいないらしい。

 当然、そこから解放されるための具体的な方法も、そもそもそんなものがあるか否かを含めて、不明だ。

 だが、それでも確かな事はいくつかある。

 

『そして、私はこの狭苦しくて、自分だけでは何も出来ないこの不自由なボトルの体から解放されたい。そのためには、私の存在を唯一認知できる夜宵ちゃんが必要不可欠』

 

フルボトルに封じ込められた今のメイジーを認識する事が出来るのは夜宵のみであること。

 夜宵が仮面ライダーに変身するためには、その力の根源であるメイジーの協力姿勢は必要不可欠だということ。

 そして、夜宵は親友を、メイジーは自由を、それぞれ失ったものを取り戻したいという共通点があるということ。

 故に、メイジーはフルボトルの身で与えられる限りの力を夜宵に与え、夜宵は失われた親友の足取りと共にメイジーがフルボトルという檻から解放される方法を探す。

 それが、かつて二人が交わした契約。

 忌まわしい記憶と罪悪感から逃れられず押し潰されかけていた少女と、仮初の体にその魂を封じ込められた少女が手を取り合い、一人の仮面ライダーとして自分達に課せられた運命に立ち向かうための二人三脚の協定。

 だからこそ、彼女達にとってどちらか片方を失うことは決して許されない。

 互いの目的が達成されるその日までは、決して。

 

(だから待っててね、沙也加)

 

 ()()()()()()()()()を鞄に戻し、代わりにブレザーのポケットからスマホを取り出す。

 液晶には、例の夜宵と沙也加が並んでピースサインをしている写真が表示されている。

 

(もう二度と、一人だけ逃げ出したりなんてしない。必ずあなたを、私の手で救い出して見せる)

 

 写真の中の二人の様に、また屈託無く笑い合うことが出来るように。

 そうして、ほんの少しの間スマホの画面を見つめた後、再びそれをポケットにしまい、改めて夜宵は家への帰路を歩み出すのであった。

 




次回、仮面ライダーメイジー!


「もしかして、その仮面ライダーの戦いに巻き込まれたりとか――」

「大丈夫だよ、お母さん。何も危ないことなんて無かったから」


怪人を倒すヒーロー、仮面ライダー!

誰にも知られる事無く繰り返す、進展の無い日常!

そこに現れる、一人の男!


「“元格闘家、刑務所から脱走”?」

『まぁ、殺人だなんて!』


「殺人犯のYouを捕獲しに来たんだよ」

「俺は誰も殺してねェッ!」


彼が持つのは記憶のカケラ?


「テメェも、ガスマスクの連中に何かされたのか?」

「ガスマスク?」


現れるもう一人の仮面ライダー!


「さぁ、実験を始めようか」

<Rabbit! Tank! Best Mach!!>


そして今――


「どうして誰も信じちゃくんねぇんだよォッ!!」

「最っ悪だ」


「何やってんのよあんたああぁぁっ!?」

――運命は動き出す……。


第2話 そしてスタッフは揃い……



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第2話 そしてスタッフは揃い……

勢い余って2話目投稿。
正直前書きはビルドの冒頭でやってたキャラ同士の遣り取りやりたいけど、あんな軽妙な遣り取りはちょっと思いつかないんで今のところはパスという事で(良いの思い付いたら1話目から随時更新してくかも)。


 深夜、とある港沿いの道。

 日中ならば散歩なり通学、通勤なりで人々が往来する様を見られるだろうその道は、今は対岸のビル街からのネオンライトを受けてぬらぬらとした反射光を放つ水面と、天高く聳え立つ巨大な壁の上で波打つ赤い光以外に明かりは無く、動くものは殆ど見られない。

 そんな静寂が支配する暗闇の中に、キィッ、という場違いなブレーキ音が響いた。

 音の出元は、道の中央に停車した一台のオートバイ。

 車体のサイズは普通二輪クラス。銀色の歯車が飛び出した赤いフロントカウルに、リアシートの後部からリアカウルの上部にかけて飛び出した巨大な円筒状の物体が目立つ、奇妙な形状のバイク。

 そのシートの上に跨っていた運転手が、車両後部のスタンドを蹴り下ろし、車体をその場に固定したところで、こう言った。

 

「到着っと」

 

 バイクの運転手――ベージュのトレンチコートにジーパン、右足に青色、左足に赤色のスニーカーを身に着け、スモークグレーのバイザーが付いた白と赤のジェットヘルメットを頭に被った、20代半ばの理知的な顔立ちの青年は、続けてフロントコンソールに備え付けられたタッチパネルに手を伸ばし、その中に配置された幾つかのアイコンから目的のものをタッチした。

 選んだのは通話アプリだ。

 

「う~ん、操作性良好。タッチパネルのレスポンスも良いし、何より車体のデザインが最っ高だね」

 

 さっすが俺の発明品、と押し上げたスモークグレーのバイザーの下で顔をニヤニヤと喜色に歪ませる青年。

 白い歯を剥いてほくそ笑むその表情には、自らの作り出した発明品(が跨るバイク)への自画自賛だけではなく、遠からず起きるであろう未来の出来事に対する期待も含まれている。

 

「これを見たら何て言うかなぁ、あのお子ちゃま? 最近甞められ気味だったけど、俺の天ぇ才っぶりと太っ腹ぶりに尊敬し直しちゃったりするかな~? するよね~」

 

 ふふふ~、という浮かれた笑い声を零しつつも、人差し指の動きを止める事無く青年はタッチパネルの操作を続けていく。

 そうして、最終的に“VOICE ONLY”の文字がタッチパネルに表示されるのを合図に、何度か咳払いをして込み上げて来る笑いを抑え込んでから、フロントコンソールに向けて青年は話し掛けた。

 

「エリアS4に着いたぞ」

 

『スマッシュいるー?』

 

 青年の声に、タッチパネルに備えられたスピーカーを介してそう応答したのは、少女の声であった。

 スピーカー越しの彼女の問い掛けを受け、青年はざっと周囲を見回してみる。

 目的のもの――先程目撃情報が入ったばかりのスマッシュらしき姿は無く、虫一匹の気配すら無さそうな闇ばかりが広がるだけ――いや。

 

「――いたいた」

 

 よく目を凝らせば、奥の闇に薄らと白い何かが動いているのが見える。

 その姿さえ捉えることが出来れば、遠目でもその異形ぶりは手に取るように分かった。

 と同時に、その更に奥の方にもう一つ動く姿があるのを見つけた青年の目が不愉快気に細められる。

 

「最っ悪だ、人がいるよ」

 

『すぐ近く?』

 

「目の前だ。――スマッシュのな」

 

 問い掛ける少女にそうとだけ返答してから、すぐさま青年はコンソールを操作して通話を打ち切り、外したヘルメットをバイクのハンドルに掛けながら、未だ掛かったままのエンジンを停止させる。

 すると、

 

<Build Change(ビルド チェーンジ)!>

 

そんな電子音声を鳴らすと共にバイクが一人でその場から飛び跳ね、あらゆる箇所を飛び出させたり、引き込んだりさせながら、見る見るうちにその車体を変形・小型化させていく。

 そうして一分も立たない内に、元が人が乗れるだけ大きさを持つオートバイだったとは思えない、掌大の何かへと変形を完了させ、自らの元まで一人でに戻って来たそれを受け止めるや懐にしまった青年は、続いてトレンチコートのポケットに両手を突っ込み、それぞれあるものをそこから取り出した。

 右手には黒光りするボディに、赤い持ち手のハンドルが伸びる機械――星観 夜宵(ほしみ やよい)も持ち、彼女が仮面ライダーへと変身するのに使用した“ビルドドライバー”。

 そして、左手には二本のフルボトル。

 ドライバーの方は星観 夜宵が持っていたものと基本的には同じものだ。だが、青年が取り出したそれは彼女の持つ物とは違い、増設アダプター――“MSEアブソーバー”が取り付けられておらず、それによって塞がれていたドライバー本来のフルボトル装填口――“ツインフルボトルスロット”が剥き出しになっている。

 また、左手の二本のフルボトルは周囲の闇によって内部に込められた成分――“トランジェルソリッド”の色や、表面にある筈の凹凸模様が隠れてしまっており、何の成分を納めたボトルであるのかを遠目から判断する事は出来ない。

 それら両手に持ったものの内、右手のドライバーを、以前夜宵もやっていたように慣れた手付きで青年は下腹の辺りに押し当て、自動展開されたバンドを巻き付けて自らに装着する。

 そして、空いた右手に左手の二本のボトルの内の片方を持ち、それぞれを互い違いのタイミングで振り出す。

 そうして十分な撹拌が終わったのを見計らったところで、それぞれのフルボトルの蓋を回転させ、笑みを浮かべて青年はこう言った。

 

「さぁて――実験を始めようか!」

 

 告げるや、両手に持っていたボトルをドライバーに装填する。

 それを受けて鳴り出した電子音声を耳にしながら、今まさに誰かに襲い掛かろうとしているスマッシュが待つ闇の中目掛け、駆け出す兎のような勢いで青年――星観 夜宵の仮面ライダーとしての協力者の一人、桐生 戦兎(きりゅう せんと)は飛び込んで行った。

 

 

 

<それでは、続いて今週の気になる噂コーナーです! 林さんお願いしまーす!>

 

 箸で鮭の切り身を解していた夜宵の左後、郊外のアパートの一室に設けられた星観家の台所の戸棚の上に設置された薄型テレビの画面の中で、先程まで最近の事件を読み上げていたニュースキャスターがそう告げた。

 テレビの右上に表示されている時刻は6時21分。ゆっくり朝食を摂るだけの余裕はまだある時間帯だ。

 

<はーい! 今日もやって参りました! 今週の気になる噂コーナー! 巷のあの子とこの子、はたまたあの人とこの人の間で囁かれている噂を特集するこのコーナー! 今週皆さんの間で最も囁かれていた噂は~ぁ、はいっ!>

 

 じゃじゃじゃじゃん、とシンバルでも叩いているようなよくあるBGMと共に、先程とは別のキャスターが告げていた“最も囁かれていた噂”とやらが画面に映し出される。

 それを肩越しに眺めていた夜宵の口から、無意識の内に溜息が漏れる。

 映し出されたそれが、彼女が想定していたものと全く同じだったからだ。

 

<『またまた現れた!? 謎のヒーロー、仮面ライダー!!』――ハイッ、今週皆さんの間で最も囁かれた噂はこちらになります!>

 

「あら? また仮面ライダー?」

 

 一方で、そんな夜宵とは対象的に、木製の机を挟んだ対面で白飯に箸を差していた女性が、驚き半分関心半分といった具合で首を傾げていた。

 夜宵と同じ色合いの茶髪を長く垂らした彼女の母――星観 夕昏(ほしみ ゆうこ)であった。

 

<今週で連続3週目! いやぁ、熱いですねぇ、仮面ライダー! どこからともなく現れ、暴れる怪人を倒してどこへともなく去っていく孤高のヒーロー! 昨日もS0地区の商店街でまたまた活躍したとのことですよ!>

 

「S0地区の商店街って……確か、夜宵ちゃんの通学路じゃなかったかしら?」

 

 ニュースキャスターの言葉から思い出すようにそう問い掛けてくる夕昏に、摘まんだ鮭の身を口に運びながら夜宵は頷き返す。

 すると、少し身を乗り出し、本来ならば娘の横に並んで姉だと言っても通じてしまいそうな程若々しい顔立ちに不釣り合いな隈の出来た目を、不安げに歪めながら夕昏がこう続けて来た。

 

「昨日ちょっと帰るの遅かったけど、もしかして、その仮面ライダーと会ったりしなかった? 仮面ライダーの戦いに巻き込まれたりとか――」

 

「だから違うって」

 

 心の内の焦燥が次第に口調に現れ出してきた夕昏の言葉を、溜息交じりに苦笑を浮かべて夜宵は否定する。

 

「昨日は本当にバスに乗り遅れただけ。ちょっとバス亭で寝過ごしちゃっただけだから」

 

「そう? でも……」

 

「確かに商店街の辺りが騒がしかった気はするけど、仮面ライダーどころか、怪人が暴れてたなんてちっとも知らなかったよ。――大丈夫だよ、お母さん。何も危ないことなんて無かったから」

 

 そう、昨日は何も無かった。

 自らの言葉通り、バス亭でただ寝過ごしただけだ。

商店街で仮面ライダーとやらが現れて怪人と戦っていたなどということ、知る由も無かった。

 自分は、何も危険な目に遭っていなかった。

 ――それだけだ。

 それでも、まだ夕昏が何か言いたげだったので、会話そのものを打ち切るために夜宵は最後に残っていたわかめと大豆の味噌汁を手に取り、それを一気に飲み干した。

 

「ごちそうさま」

 

 手を合わせてそう告げてから、空になった食器を母の背後の流し台へと夜宵は運ぶ。

 その最中、ふと母の呟く声が聞こえた。

 

「……そうね。うん、そうよね。――ごめんね、変な事訊いちゃって」

 

「いいよ。お母さんが心配してくれてることくらい、分かってるから」

 

 恐らくは椅子に座ったまま、背中越しに振り返ってそう謝ってくれたのだろう夕昏に、夜宵は振り返る事無く首を左右に振る。

 そう、分かっている。

 あの時の一件があったからこそ、あの後の自分の有様を間近で見守っていてくれたからこそ、たった一人の愛娘がもう一度あんな目に遭うことを母は心の底から恐れている。

 分かっている。たった二人だけ、とそう言い切ってしまってもいい親子の間の事なのだから。

 分かっているからこそ、決して自分が仮面ライダーであると知られてはならない。

 仮面ライダーへと変身し、スマッシュと戦っているなどという事実が、働き詰めで碌に寝ていない母にどれ程の不安と負担を与えてしまうかなど、想像もつかない。

 それに、あの頃の、自分と共に泣いてばかりいた母の慟哭の声は、もう聞きたくない。

 だからこそ、最愛の母を夜宵は騙している。

 そしてその後めたさが、次々食器がその中へと沈んでいくシンク内の桶の水に映る彼女の表情を沈鬱なものにしていた。

 

「それにしても、仮面ライダー、か」

 

 食器を桶の中に沈め終えて振り返ったところで、テレビの画面に視線を戻していた夕昏が両手で頬杖を着き、欠伸をする。

 

「この人()が沙也加ちゃん、助けてくれたりしないかなぁ」

 

 何気なくそう言う夕昏につられて夜宵も目も向けると、テレビ画面にはいつの間にやら、例の仮面ライダーの姿が映し出されていた。

 “激写! これが仮面ライダーの姿!?”という画面下側の謳い文句の隣で一般人らしき男性がマイクを向けられている映像が映されているのを見るに、この人物が撮影した写真という事らしい。

 幸い、収めることが出来たのはその写真だけで、それ以外の写真や動画の類は勿論、仮面ライダーの正体について分かるものまでは無いらしい。

 

「うん、そうだね」

 

 一つ頷き、座っていた椅子の傍に置いていた肩掛け鞄の方へと夜宵は歩み寄った。

 そして、持ち上げた鞄の帯を左肩に掛けたところで、もう一度呟く。

 

「――そうだね」

 

 いや、必ず助ける。

 仮面ライダー()が、必ず沙也加を取り戻す。

 それこそが、ライダーとなった理由なのだから。

 もう一度だけテレビの画面を見やってから、部屋の隅に設置されたソファー横の開き戸の取っ手に手を掛ける。

 

「じゃ、そろそろ学校行くね?」

 

 そう告げると同時に、見送るために椅子から立ち上がり追従しようとする夕昏を背に、夜宵は扉を開いて、その奥の玄関へと向かおうとする。

 その途中で、点いたままのテレビから、キャスターのこんな言葉が聞こえてきた。

 

<それにしても驚きですね! 謎のヒーロー仮面ライダーが、まさか()()()いるなんて!>

 

 

 

 時同じくして、某所。

 コンクリートの道路が地表を走り、錆び付いた壁で構成される工場やモルタルの壁に会社名が刻み込まれた看板が埋め込まれた事務所が付近に建ち並ぶ工業地帯の、その地下。

 地上との境界となる溝蓋の格子を潜り抜けて差し込む僅かな光だけが光源となっている、コンクリート壁によって区切られた四角い空間がどこまでも広がる下水道。

 たまに業者の人間が点検に訪れる以外には人が寄り付かないであろう、湿気と悪臭が漂う空間を、しかし足下を満たす汚水を撥ねさせながら駆ける人影が今はそこにあった。

 一人の男だった。

 短い茶髪を頭頂の辺りで三又に編み込んだ、20代始めの青年。本来ならば白一色だったのだろうが、今は汚れて染みだらけになった長ズボン以外は何も身に着けていない。肌が顕わになっている上半身や裾の先から覗く足にはしなやかながらもハッキリとした筋肉の隆起が浮かび上がっており、彼の肉体が人並み以上に鍛えられたものであるという事が見て取れる。

 そんな青年の精悍な顔が、今は汗と汚れに塗れた必死な表情を浮かべていた。

 まるで、何か恐ろしいものに怯え、必死に逃惑っている最中のような。

 否、正にそうだ。

 裸足を足下に溜まる汚水に打ち付ける度に、跳ねた泥や汚れがただでさえ汚れているズボンや体を更に汚すのも構わず全速力で走っているのは、今正に彼が追われているからに他ならない。

 では、彼は何から逃げているのか?

 それは彼自身も分からない。

 警察か、抜け出して来た牢獄の監守か、あるいは彼らの指揮の元に動く自立型機械兵(ガーディアン)の群れか。

 あるいは――。

 

「ハァっ……ハァっ……クッソ……!」

 

 とにもかくにも、彼はひた走る。

 既に息の切れ掛けている体を鞭打って。

 眼前に続く、狭いコンクリート壁と先の見えない闇が続く下水道の奥へ、奥へと。

 自らを追跡する追手から――その脳裏に浮かぶ、不気味な()()()()()()()()から、逃れんがために。

 

 

 

 再び時と場所は移り、午前11時、都市部近郊。

 周辺に住宅が並ぶそこに設立された、私立御伽高等学校。

 丁度三限目の授業が終わり、15分の休み時間に入ったばかりのその学校の、3階建ての校舎の最上階に並ぶ1年生の教室の内の一つ。

 ざっと見て十数名程度の生徒達が男女分かれて、あるいは入り混じって思い思いに談笑しているその中、一人だけ誰と喋るでもなく、窓際の席に座ってスマホを眺めている女生徒がいた。

 夜宵であった。

 

「でさぁ、俺がくりくりって抓んで捻ってやるとさ、これがまた良い声で鳴くんだわ」

 

「マジかよー? いーなー、俺も彼女欲しー」

 

「ねーねー、聞いた? 1組の朝日野、物理の遠野とデキてたんだってー」

 

「マジ!? フジュンイセイコーユーじゃん!」

 

「マジマジ! さっき職員室の前通ったら、教頭と遠野が並んで親に頭下げてるの見えたもん!」

 

 クラスメート達の他愛無い、というには些か猥談染みているというか、モラルに欠けているというか、ともかく、良くも悪くも異性に対しての興味が強まる10代後半の少年少女らしい会話内容が、意識せずとも夜宵の耳に入り込んで来る。

 ただ聞こえて来る分だけで、コレだ。一つ一つの会話に耳を傾け、一つ一つの詳細を知ろうとすれば、更に聞くに堪えないような話を耳に入れる事になるに違いない。

 会話をしている当人達は当人達なりに楽しいだろう。特に、男女変わらず異性への興味と、時として暴走せんばかりに強まる性欲と向き合う時期にある若者達の大半にとっては。

 だが、そうでない者にとって、この手の話題は酷く苦痛を与えるものでもある。

 時折手元のスマホをスワイプする手を止め、無意識に寄せていた眉を揉み解そうと右手を移動させる夜宵もまた、そうでない者の一人であった。

 

『……相も変わらず、不快な事しか口にしない生き物ですわね、(狼さん)は』

 

 そして、ここにはそうでない者がまたもう一人――今は一本というべきかもしれない――いる。

 半開きの状態で机の横のフックから下された夜宵の鞄の中から、教書やノート、筆記用具、黒の鈍い輝きを放つビルドドライバーに混ざって赤い瞳を覗かせるアップルフルボトル――メイジー・ブランシェット。

 ただし、彼女は彼女で夜宵とは少し苦痛の感じどころは違ったが。

 

「今に始まった事じゃないでしょ。放っとけばいいじゃない」

 

 スマホの画面に映し出された新しいページを目で追いつつ、夜宵はメイジーにそう告げる。言ってるの男だけじゃないし、とメイジーに聞かれると面倒な事になりそうな指摘を心の中で付け加えつつ、普段通りの、他者と話す上で適切な声量で。

 本来ならば、今のように周囲に大勢の人間がいる状態で、これだけの大きな声でメイジーと口を交わすことは無い。

フルボトルに封印されている今のメイジーの存在は、あくまで夜宵しか認知することが出来ない。そのため、傍から見れば何もない所に向けて話し掛けているようにしか見えないのだ。当然、そんな姿を目にした周囲の人間は彼女に大なり小なり不審の目を向ける事だろうし、もしそれを目にするのが母であったなら、かつての事件の後遺症かと余計な心配を与える可能性すらある。

 しかし、今この場においては別だ。

 思い思いに集まって、好きなように談話するクラスメート達しかいない休み時間の教室内において、一人で席に座ってスマホを弄っているだけの彼女の方を気に掛ける者はいない。

 必要が無ければ誰とも言葉を交わす事も無く、今のように暇があれば一人でスマホを弄るくらいしかしない。適当なグループの輪に入ろうともせず無口無干渉を貫き、それどころか他者から距離を置こうとするような素振りすら見える。――大なり小なりクラスメート達からそういう印象を抱かれているが故に、クラス内において夜宵が浮いてしまっているためだ。

 加えて、なまじ整っているその容姿は度々男子の目を惹かせると共に猥談のネタにされ、女子に至ってはそういう男子達の反応が反感と嫉妬を呼び、男子達に人気で調子に乗っている、私らの事下に見てる、とありもしない悪評まで飛び交う原因にもなってしまっている。

 そのため、たまにクラス内で彼女の事が話題に上がるとしても――

 

「そういえば聞いた? 昨日、またバケモノが出たんだって」

 

「あー聞いた聞いた! 何か、商店街の方で暴れてたんだろ?」

 

「そーそー! ウチの知り合いのお店もメチャクチャにされちゃったらしくってさ! ヒドくない!?」

 

「ヒッデー! ゴシューショーサマー!」

 

「でっしょー! バケモノもさ、どうせ襲うなら相手選んでくれたってヨクない!? ケガしたって誰も気にしないヤツだっているんだからさ! 星観とか!」

 

「ちょっ、それはそれでお前がヒデーよ!」

 

「そーだよ! もし星観さんが襲われてたら、俺、死に物狂いでバケモノと戦っちゃうよ! 星観さん守っちゃうよ!」

 

「でもって、助けたお礼とか言って適当なホテルとか家に連れ込んでヤッちゃおー、とか思ってんでしょ、どーせ?」

 

「あれ、バレた?」

 

「そりゃバレるって、そんだけ鼻の下伸びてりゃさ!」

 

「ケッ! いーよね、ダンマリ決め込んで放っておいても男子の人気取れる奴はさ!」

 

――精々がこういう程度である。

 モテる男は辛い、などとは言うが、モテる女も辛い、ということらしい。

 とはいえ、これでも一時期よりは大分マシになった方だ。周囲の態度が、ではなく、その対象である夜宵自身が受ける精神的な負荷の度合いが、という意味でだが。

 少し前までは、こういう自分に対する揶揄や批評が聞こえれば、その度に表情を暗くしていたものだ。が、今となっては嘆息の一つでもすれば十分気を取り直すことが出来る。

 かつての誘拐事件で大きく傷付き、その痛みを誰にも理解されない苦しさに苛まれ続けたあの頃から、仮面ライダーの力を得て、同じ痛みを少なからず共有できる協力者を得て心に多少の余裕を持てるようになった今となっては。

 だから、前方の席に集まる男女のグループから聞こえて来たその会話を今回も溜息一つで受け流しつつ、右手の親指で適当にスワイプし続けていたスマホの画面に再び夜宵は視線を向けた。

 と、その目がふと画面に表示されたあるネットニュースを捉えた。

 

「“元格闘家、刑務所から脱走”?」

 

 その見出しを読み上げた理由は特に無い。

 ただ、見つけると共に自然と指がそれをタッチし、同時に口が勝手に動いていた。

 しかし、半ば呟くようだったその彼女の言葉を耳聡く捉える者がいた。

 

『ううん? 刑務所から脱走?』

 

 メイジーであった。

 興味深げに唸りながら、聞き捨てならないフレーズですわね、と鞄から覗く赤い目を細める彼女が、次いで、

 

『夜宵ちゃん、ちょっとその記事読んで頂けませんか?』

 

と朗読を頼んでくる。

 それに対し、

 

「別に良いけど……何でよ?」

 

了承こそするも、不意に食い付いて来たメイジーを訝しさ半分、理由を何となく察しているが故の嘆息半分で細めた目で見返しながら、夜宵は問い返した。

 そこに返って来た返答は――

 

『臭いがするんです。欲望に塗れた(狼さん)の、鼻が曲がるような酷い臭いが』

 

――やはり察しの通りであった。

 ふっ、という苦笑が夜宵の鼻から漏れた。

 

『ああ、もう! 良いじゃありませんの! ホラ、早く読んで下さいな!』

 

「ハイハイ」

 

 彼女のリアクションに居た堪れなくなったのか、少し声を荒げるメイジー。

それに気の無い返答をしながら、スマホの画面に表示させた記事の詳細を夜宵は読み上げていく。

 内容は、要点だけを挙げれば、一年前に殺人事件で有罪判決を受けた元格闘家の青年が、刑務所を脱獄し目下指名手配中ということだった。

 それ以外にも脱獄犯の青年の顔写真や個人情報、一年前に彼が犯したという殺人事件の簡易的な情報が記載されていたが、その辺りの情報は取り敢えず置いておいても問題無いだろう。

 メイジーの憤慨した声が鞄から上がるに当たって、その辺りの情報が特に効果を齎したわけではないのだから。

 

『まぁ、殺人だなんて! 何て許し難い行いなのかしら』

 

「あんたがそれ言うの?」

 

 赤い一つ目をUの字に凹ませて怒るメイジーに、夜宵の口が一人でに突っ込んでいた。

 メイジーと出会ったばかりの頃、当の彼女自身の口から今のフルボトルに封印された状態になるまでに、幾人もの男を処刑してきたと語られた事があったからだ。

 それに対し、心外だというように更に声を荒げて、メイジーが返答する。

 

『私があの世に送っていたのは女性を苦しめる(狼さん)だけですわ。元格闘家だか何だか知りませんが、薄汚い脱獄犯なんかと私を一緒にしないで下さいな!』

 

「ハイハイ」

 

 どっちも変わらないと思うけどね、と心中で付け加えながら、腹立たし気に息を吐くメイジーを後目に、夜宵は頬杖を突いて窓の方を見やった。

 この窓の先、広がる街並みのどこかに脱獄した殺人犯がいたりするのだろうか?

 そんな事をふと思い、すぐにあり得ないとそれを否定する。

 日常というものは早々に変わるものではない。

 例えば、その内容はどうあれ、いつもと変わらず誰と話すでもなくスマホの画面を眺めるだけの夜宵自身もそうだし、変わらず彼女が欲しいだのあの娘ベッドの上で良い反応しそうだのと(シモ)の話に盛り上がる男子生徒も、やれあの店の店員イケメンだの昨日のドラマがどうのと黄色い声を上げる女子生徒もそう。

 あるいは、窓越しに見える、赤い不気味な光を発しながら今も聳え続ける巨大な壁――10年前より現在まで、日本を“東都”“西都”“北都”の三つに分け隔てる“スカイウォール”が、突然ふっとそこから消えてしまう事が無いのもそう。

 あるいは、沙也加の手がかりが未だ見つからないままなのもそう。

 このニュースの脱獄犯にしても、やはりそうだ。

 彼が何かやらかして、それが自分の日常に何か大きな影響を与える可能性も、そもそも自分の前にその姿を現す事も、ほぼ無いに等しいのだから。

 

『というか夜宵ちゃん、殺人犯の脱走とか、自分には何の影響もないとか思ってるでしょ?』

 

「思ってるけど?」

 

『なら忠告しておきましょう、その考えは甘い、と。運命や日常なんてものは、ほんの少しの切欠でいくらでも変わるんです。私にも覚えがありますよ? ()()()()に遭うなんて、あの頃の私にどうして予想出来たでしょうか?』

 

「いつの、どの頃の事言ってるか知らないけど、そんな予想外の出来事なんて何度も――」

 

『あら? ではお友達共々誘拐された時のことは想定済みだったと?』

 

 恐らくはメイジーなりの経験則に基づいているのだろう、妙な説得力のある口ぶりで持ち出されたかつての忌々しい一件に、思わず夜宵は口を噤む。

 確かに、2年前の誘拐事件のような、突然起きて何もかも一変させてしまうような想定外の事態が起きる事も、時には有り得る。

 だが、そういった事態は結局レアケースだ。滅多に起きる事ではない。

――何度も何度も起きては、堪ったものではない。

 

「……起きないわよ。あんな事、何度も」

 

 そう、何とかメイジーに対して夜宵が反論の言葉を返したところで、休憩時間の終了を報せるチャイムが鳴った。

 それを切欠に会話を打ち切り、ネットブラウザを閉じたスマホをブレザーのポケットにしまって、そそくさと夜宵は次の授業の用意を済ませる。

 直前のメイジーの発言を忘れてしまうため、敢えて手を必要以上に急がせたのだが、その意味深な言葉は妙に強く彼女の頭に食いついてしまい、それだけでは忘れられなかった。

 結局、その後の授業でもメイジーの言葉共々件のネットニュースの内容が度々頭の中でチラついてしまい、まるで頭に入って来ない授業内容の代わりに、強く夜宵の頭に刻みこまれてしまう事となった。

 件のニュースに報じられていた元格闘家の脱獄犯の、傷だらけの顔と共に、その名を。

 

万丈 龍我(ばんじょう りゅうが)……か」

 

 

 

 そんな夜宵とメイジーの休み時間の一幕があった、ほぼ同時刻。

 御伽高校からいくらか離れた、比較的自然の多い郊外。その中に存在する工業団地の、とある一角。

 その場所で、二人の男が対峙していた。

 

「誰だテメェ!?」

 

 一人は右足に青色、左足に赤色のスニーカーを履いた、トレンチコートを纏った理知的な面持ちの青年――桐生 戦兎。

 そしてもう一人は、

 

「殺人犯のYouを捕獲しに来たんだよ。――万丈 龍我クン」

 

頭頂の辺りを三又に編み込んだ茶髪、引き締まった精悍な面持ち。身に着けているのは所々が汚れて本来の白色が遠目からだと灰色や水色に見えるようになってしまった、簡素なシャツとズボンのみで、靴すら履いてない裸足でアスファルトの地面に立っている。

 そんなみすぼらしい姿で、左腕を庇うように右腕をそちらへ回して戦兎を睨み付ける青年――脱獄の一報が既に各種メディアで知れ渡った元格闘家、万丈 龍我。

 

「俺は誰も殺してねェッ!」

 

 かっと見開いた目で睨み付けていた万丈が、声を震わせそう叫ぶ。

 が、その言葉をこの場に至るまで乗って来ていた、例のフロントカウルから巨大な歯車が生えたバイクのシートから下りながら、戦兎は一笑に付した。

 

「脱獄するような奴が、何も言っても説得力なんか無ぇっての」

 

「逃げたくて逃げたわけじゃねェッ!」

 

 荒い息混じりの再びの反論に、呆れから肩を竦めつつ、ボソリ、と戦兎は呟く。

 

「コイツがスマッシュの反応のある人間、ねぇ……」

 

 そもそも、何故彼らはこうして対峙する事となっているのか?

 そうなった発端は、就職し立ての職場のテレビを眺めていた戦兎が受け取った一通の電子メールだった。

 

『脱獄のニュース見たか?』

 

 休憩室のテレビである速報を見ていたところに入って来たそのメールを読むや、すぐさま職場を抜け出した戦兎は、コンソールに表示されるGPSの反応を頼りにバイクを走らせた。

 そして、比較的自然の多い郊外の、その中に存在する工業団地の一角である現在地で、GPSの発信源である強奪したバイクに乗って逃走中だった眼前の脱獄犯を発見し、その行く手を少々荒っぽい方法で遮って現在に至っている。

 そうなった発端となった、身元引受人から送られてきた件のメールに、同時に記載してあったのが、今しがた彼が呟いた内容通りの事。

 つまり、万丈 龍我にスマッシュの反応があった、ということだ。

 その話が本当であるならば、考えられる可能性が二つある。

 一つは、メール上でも言及があったように、彼がスマッシュになり掛けているという可能性。

 そしてもう一つは、かつての夜宵の様に――。

 と、そこまで展開していた思考を、戦兎は、無いな、と苦笑交じりに切り捨てる。

 あんな事が二度も起こるとは思えない。

 ましてや、目の前の男は身に着けているものすらそこら辺のゴミ箱から漁ってきたかのような有様だ。それ以外に何かを持っているような様子さえ見られない。

 仮面ライダーに変身するためのドライバーやフルボトルなど、持っていよう筈が無い。

 となれば一つ目の可能性――目の前の男はスマッシュになり掛けている、が正解という事だ。

 だとすれば、今すぐにでも万丈が完全にスマッシュへと変化し、襲い掛かって来る可能性は十分にある。

 

「だったらさっさと刑務所に戻ればいいだろ?」

 

 呆れを隠さない口調で戦兎はそう返す。

 いつでも必要なものを取り出せるよう、トレンチコートのポケットの中に意識を向けながら。

 しかし、肩で息をしていた万丈が次に口にした言葉に、彼はその意識を逸らされることとなる。

 

「駄目だ! 戻ったら、また奴らに捕まる……」

 

()()?」

 

 何故かは分からない。

どうしてかは分からないが、その言葉が、戦兎の琴線に触れたのだ。

 後にして思えば、この時点で既に予感めいた何かを感じていたのかも知れない。――この男は、自分にとって重大な“何か”を握っている、と。

 兎にも角にも、それを確かめるために、無意識に戦兎は聞き返していたのだが、

 

「……どうせ、言っても信じねぇだろォ!!」

 

返って来たのは、そう叫ぶや急接近と共に放たれた万丈の拳であった。

 

「うわっ!?」

 

 咄嗟に背を逸らし、その一撃を回避した戦兎は、すかさず握り込んだ右の拳を繰り出して反撃を試みる。

 が、まるで押し退けられる水のように半身を逸らした万丈の動きによって戦兎の拳は何も捉える事無く、空しく風を切る。

 更にそのまま伸ばし切った腕を掴まれ、流れるように背後に回っていた万丈によって、体に掛かっていた勢いを利用されるままに先程まで彼がいた辺りに押し退けられた。

 一瞬、態勢を崩し掛ける戦兎。

 だが、すぐに振り返ると共に腰を屈めて安定を取り戻し、右、左と2連続でフックを繰り出す。

 が、それすらも右、左と二の腕を当てて拳の軌道を逸らした万丈の回避行動によって悉く退けられる。極めつけに2撃目は再びその勢いを利用される形となり、また背後へと回った万丈から、がら空きになっていた背中に重い一撃が加えられた。

 溜まらず、呻き声を漏らした戦兎は動きを一瞬止めてしまう。

 その隙を逃すことなく、彼の体を両手で押し退けて万丈が距離を稼いでくる。

 それでもめげる事無く、駆け込んで距離を詰めると共に戦兎は蹴りを放つが、見計らったかのように向こうも繰り出した右足によって叩き落とされ、更に懐へ飛び込んだ万丈の突進が炸裂したことによって、後退させられた彼の体がくの字に折れる。

 そこへ逃さず放たれた、渾身の右ストレート。

 起こそうとしていた上半身を的確に捉えたその一撃に、更に後退を余儀なくされた戦兎は驚きに見開いた目で、右腕を突き出したままの万丈を見据えた。

 

「――やるじゃねぇか。流石、元格闘家」

 

 確か、事前に聞いていた情報では、八百長試合に加担して格闘技界から追放された、という話だった。その後、なんの理由があってかは知らないが殺人事件を起こし、懲役の10年の有罪判決を受けて、ざっと1年は碌なトレーニングの出来ない刑務所で服役していた筈。

 だが、その1年以上のブランクなどまるで無いかのように、この自分を相手にここまで優勢に立ち回れるとは。

 驚くべき格闘センスだ、と言わざるを得なかった。

 

「けぇど――」

 

 だが、それでも戦兎は万丈の捕縛を諦める気は無い。

 初めて出会った時の夜宵に比べれば、どうという事は無い。

――ただセンスがあるだけの元格闘家など、恐れる必要は全く無いからだ。

 

「ここから先の俺はちょっと違う」

 

 口端を持ち上げた、自信に溢れた笑みを浮かべ、トレンチコートのポケットから戦兎はあるものを取り出した。

 一本のフルボトルであった。

 鮮やかな赤のトランジェルソリッドが内部で揺蕩う容器の表面に、正面から見た兎の顔が凹凸模様として浮き上がっているそれを、研究者がこれから使う実験材料として紹介するように、対面の万丈に良く見えるように持ち上げて見せる。

 

「? 何だ?」

 

 突然取り出されたそれに、訳が分からない、というように万丈が眉根を寄せる。

 その反応で、改めて可能性の一つが無い事を確認した戦兎は、そのままボトルを注目する彼の前で、徐にそのボトル軽く何度か振って見せる。

 そして、次の瞬間。

 

「っ!?」

 

 恐らく、今万丈は突然の事に驚愕している事だろう。

 その表情を目にする事は今、戦兎には出来ない。

 何故ならば、今の彼は一瞬の内に万丈の背後に回り込んだ、その直後であったからだ。

 一瞬遅れ、背後の気配に気づいた万丈が振り返ったが、もう遅い。

 驚きに目を見開いた彼の顔が向き切るその前に、戦兎はその場で身を捻じり、万丈の横っ面に回転蹴りを見舞った。

 耐え切れずその場に手を着く万丈。

 そんな彼を見下ろし、勝ち誇った笑みを浮かべて戦兎は頷く。

 

「うん、お子ちゃまの時よりはまだ楽だったな」

 

 お子ちゃま――夜宵の時は本当に酷かった。

 何せ、いきなり変身して襲い掛かって来たのだから。

そんなかつての彼女の時に比べれば、こうしてただ刺激を加えただけのボトルの力で難なく対処できたのだから、今の脱獄犯の相手は遥かに楽だった。

 だから、そのまま痛みに眉間を寄せる万丈を今度こそ捕縛しようと、戦兎は彼に一歩歩み寄る。

 その時だった。

 

「……その強さ……テメェも、ガスマスクの連中に何かされたのか? それとも、奴らのグルなのか?」

 

「ガスマスク?」

 

 蹲ったままの万丈の口から、再び気になる言葉が出て来た。

 ガスマスクの連中――そのキーワードが、戦兎の頭に、記憶の一部を呼び起こしていく。

 失われて久しい彼の20数年近くの記憶の、僅かに残されたその一部を。

 

「とぼけんじゃねェ!」

 

 立ち上がるや、万丈が戦兎のトレンチコートの襟元を掴んで問い詰めて来る。

 

「俺を人体実験のモルモットにしただろうがァッ!!」

 

「人体実験……? どういう事だ?」

 

「どうもこうも無ぇよッ!」

 

 力任せに突き飛ばされる戦兎。

 困惑に揺れるその目の先で、高ぶる感情を落ち着かせるように肩の上下運動を少しずつ抑えた万丈が、ポツリポツリと語り出す。

 彼が脱獄するに至った()()を。

 戦兎が直観した通りの、失われた彼の20数年の内の。

 あるいは、夜宵の封印された一ヵ月の。

 二人に共通して残された、“ガスマスクの男達”と“人体実験”の、その数少ない記憶に直結する話を。

 

 

 

――刑務所(ムショ)でスキンヘッドの看守が後ろから近づいて来て、薬打ち込みやがった。気が付いた時には、妙な水槽に入れられて、ガスマスクの奴らが上から覗き込んでいて……。どうにか、実験やってる間に水槽抜け出して、逃げて来たんだ――

 

 それが、現時点で万丈から聞き出す事が出来た全てであった。

 それだけ聞ければ、確証を得る分には取り合えず十分だった。

 ――やはり、彼は自分達が受けたのと同じ人体実験を受けていたという、その確証を得る分には。

 だが、それが彼の知っている事の全てだとは、誰も言っていない。

 ――あの男は、まだ何かを握っている。

 自分の記憶に関する何かを。

 夜宵が探す、彼女の親友の行方の関する何かを。

 残された自分達の僅かな記憶と合致(ベストマッチ)する、確かな何かを。

 もはや、直感などではない。確信がそこにある。

 故に、戦兎は愛車を最高速で走らせる。

 突如現れて万丈を攫ったスマッシュを追うため、舗装の行き渡っていない道路を。

 10年前に起きたとされる“スカイウォールの惨劇”によって発生した“スカイウォール”。

 その禍々しい意匠が彫り込まれた巨大な壁の、その裾を。

 そうして、早5分。

スモークグレーのバイザー越しの視界が、先の工業地帯から消えた二つの姿を遂に捉えた。

 

「アイツ……!?」

 

 驚きの声を戦兎は零した。

 視界の奥で、生身のままの万丈がスマッシュに殴りかかっている姿を見たからだ。

 無茶という他無い。

 如何に優れた格闘家といえど、生身の人間の拳がダメージを与えられるほど、スマッシュは軟には出来ていない。だからこそ、仮面ライダーが必要になるのだ。

 故に、今万丈が取るべき正しい選択は逃走であった。

 であるのに、構わず万丈はスマッシュを殴り続けている。

 格闘家であった以上、戦いについて全く素人という事は無い筈だ。一度殴ってみれば、効果がない事くらいすぐ分かるだろうに。

 なおも逃げ出さず、只管に拳を打ち続けるその姿は、愚かと言わざるを得なかった。

 だが――そんな彼の姿が、言う程悪いものだと戦兎は思わなかった。

 むしろ、好ましくさえ思えた。

 だから、今まさに青と黄色の装甲に固められた右腕を彼に叩き付けようとしていたスマッシュへ、速度を緩めないままの愛車で遠慮無く突っ込んだ。

 

「グガァッ!?」

 

 ウィリーさせ、叩き込んだフロントタイヤから伝わる衝撃と轟音。

 微かな声を上げ吹き飛ぶスマッシュの青と黄色の体躯を確認しつつ、その反力で逆方向に吹き飛ばされないようにコントロールした愛車の前輪を着地させる。

 そしてその場に停車させたところで、再び現れた戦兎に気づいた万丈が叫んだ。

 

「ッ! テメェ、さっきの!?」

 

「馬鹿だねぇ、生身でスマッシュに立ち向かうだなんて。けど――」

 

 悠々と頭からヘルメットを取りつつシートから降りるや、その場で掌サイズの何かへと変形した愛車を受け止めながら、横目に戦兎は万丈を見遣った。

 元々小汚い見た目だった彼の姿は、スマッシュとの戦闘でそうなったのか更に泥汚れや破れた箇所が増えている。また、肩で息をしている彼自身にも、幾つか傷や殴打痕が出来ていた。

 その上で、その表情や双眸にはこれといった蔭りは見受けられない。

 

「――お前みたいに根性ある奴は嫌いじゃねぇ」

 

 そんな彼に、フッ、と笑い掛けながら、改めて起き上がろうとしているスマッシュの方へ戦兎は向き直る。

 全身を覆う青と黄色の頑強そうな装甲が曲面を描く、上半身と腕の先が肥大化した姿形。その上部には頭部らしき出っ張りが、三つの穴が∴となるように、その左右の二つの穴が縦に配された出っ張りに挟まれるように飛び出ている。見るからに腕力重視(STRONG)型のそのスマッシュ――かれこれ一年は戦ってきた彼としてはもう何度か目にしたタイプのその“ストロングスマッシュ”の姿から大凡の行動パターンを戦兎は思い出しつつ、右腕をトレンチコートのポケットに突っ込む。

 取り出したのは、黒いボディを艶めかせるビルドドライバー。

 

「後は任せろ」

 

 言いつつ、ドライバーを自らに当て装着した戦兎は、今度は両腕をコートにポケットに差し込み、その中を弄る。

 何を取り出すかは、否、何が彼の頭の中で作り上げられた方程式の答えとなるかは、既に決まっていた。

 ポケットから出した両手に掴んでいた、鮮やかな赤と青のトランジェルソリッドがそれぞれ収められた二本のフルボトル。

 左に持つ、先程万丈に見せたのと同じ赤い方の容器部には抽象化した兎の顔が、右手に持つ、まだ彼には見せていなかった青い方には正面から見た戦車が、それぞれ凹凸模様として浮き上がっているそれらが、その答えであった。

 

「さぁ、実験を始めようか」

 

 そう宣言するや、それらのボトルを顔の横まで持ち上げ、昨晩やっていたのと同じようにシャカシャカと互い違いに、リズミカルに振り出す戦兎。

 すると、その動きに合わせるように彼の背後から白い線で形作られた多種多様な数の群れが現れ、流れるように前方、ストロングスマッシュの方へ流れていく。

 突然起きた奇怪な現象に、傍の万丈が目を剥き、ストロングスマッシュが忙しなく左右を向いて動揺する。

 そんな彼らを後目に、両手のボトルの撹拌を終えた戦兎は、上部のキャップを回転させてそれぞれのラベル面――共に“R/T”という文字列が書き込まれている――を前方に移動させ、順にそれらをドライバーのツインフルボトルスロットへと装填していく。

 

<Rabbit(ラビット)! Tank(タンク)! Best Mach(ベストマッチ)!!>

 

 装填したフルボトルそれぞれの成分と、その組み合わせが最適な組み合わせであることを示す電子音声を鳴らすドライバー。

 続けてドライバー側面のボルテックレバーの赤い持ち手を握った戦兎は、すかさずそれをグルグルと回転させていく。

 それによって、レバーの回転がドライバー内部のニトロダイナモを稼働させ、エネルギーを生成すると共に、装填された“ラビットフルボトル”と“タンクフルボトル”から透明なチューブ状の高速生成ファクトリー、スナップライドビルダーを伸ばし、戦兎の前後にプラモデルの外枠のような形を形成していく。

 あっという間に展開していくそれらに、万丈が驚きの声を洩らしながら後ずさる。

 そんな彼の事など知らないとばかりに、何事も無く形成された外枠の中央に作り出される、2種の人型。

 戦兎から見て、前方には黒い特殊繊維製スーツとメタリックレッドの装甲、後方に同じ色のスーツとメタリックブルーの装甲。

 それらが完全に形成されると共にレバーを回す手を戦兎は止め、ドライバーが新たな電子音声を発した。

 

<Are You Ready?>

 

「変身!」

 

 腰を落とし、両手を前に構えたファイティングポーズを取り、電子音声の問い掛けに返答するように戦兎は力強く宣言する。

 それを合図に、彼の前後に展開していたスナップライドビルダーが猛スピードで接近。あっという間に戦兎を挟みこむと共に、勢いよく噴き出した蒸気が辺りを白く埋め尽くす。

 そうして蒸気とスナップライドビルダーがその場から消え去ると共に、先程まで戦兎が立っていた場所に新たな存在が現れた。

 

<Hagane()-no()-Moon Salt(ムーン サルト)! Rabbit(ラビット)-Tank(タンク)! Yeah(イェーイ)!!>

 

 腰に身に着けたドライバーが、プロレスの選手入場の謳い文句さながらの電子音声を放つその中で、何かを受け止めるような仁王立ちの姿勢だったそれが姿勢を変える。

 黒い特殊繊維スーツの上に配された赤と青の、まるで二色の薬品を混ぜ合わせている最中のように斜めに組み合わさった装甲を纏った体を半回転させ、青い装甲に覆われた左手を腰のベルトに掛け、赤い装甲に覆われた右手でフレミング右手の法則に則ったハンドサインを作って、それを体の右側に突き出したポーズをとる。

 そして、体と同様に赤と青の装甲が斜め方向に絡み合ったような形状をした頭部をストロングスマッシュの方へ向け、その上に貼り付いた一対二色の複眼を顕わにする。

 左目は兎の横顔を模した赤い複眼、右目は戦車の側面を模した青い複眼。

 ドライバーに装填した二種のフルボトルそのままの組み合わせのその複眼が、ギラリと一際強く輝き、その存在を強く主張する。

 

「……何だよ、それ?」

 

 訳が分からないとばかりに、目を向き唖然とする万丈。

 その彼の前で、ハンドサインを解いた右手を、右側の青い戦車の複眼のすぐ傍まで移動させる。

 

「勝利の法則は――決まった!」

 

 赤と青の二色の鎧を纏う、兎と戦車の複眼を持つ姿――“ラビットタンクフォーム”。

 自らが変身できる姿の一つへとその身を変えた戦兎が――もう一人の仮面ライダー、“ビルド”が、半開きだった右手を勢いよく開きながら、そう宣言した。

 

 

 

 何が何だか、さっぱり分からない。

 それが、自分を追ってきたトレンチコートの青年が、突如自分と、自分を襲ってきたスマッシュとかいう怪物の前で、赤と青が混ざり合ったような奇妙な姿になったのを目撃した万丈 龍我の、正直な感想であった。

 そして、そんな彼の目の前で、姿を変えた青年が赤くなり、白いバネのようなものが巻き付いた左足を前に出し、力を溜め込むように身を屈める。

 それにより、彼の左足のバネがググッと縮んだかと思った、その次の瞬間。

 青年の姿が、ふっと万丈の眼前から消えた。

 ギョッ、として僅かに後ずさる万丈。

 同時に、その耳が、硬質な物同士がぶつかり合うような甲高い音を捉える。

 それに反応するまま首を右に向ければ、そこに青年がいた。

 万丈から見てざっと6m程。それなりに距離が離れたそこで、スマッシュを殴りつけていたのだ。

 

「速ェ……!?」

 

 驚愕が万丈の口から洩れる。

 先程、青年と戦っていた時も、今と同じように一瞬で彼が移動した時があった。だが、自分の背後に回っただけのあの時と違う。

 あの時に比べ、明らかに移動した距離も、速さも上がっている。

 驚異という他無いその速度に、唯でさえ見開いていた目を万丈は更にこじ開けざるを得なかった。

 そしてそんな彼の事など気に留める事も無く、スマッシュの青と黄色に体に、青年が連続で赤と青の拳を叩き込んでいく。

 それに耐え切れず後方へ押し退けられたスマッシュが、反撃とばかりに雄叫びを上げ、肥大化した右手を振り被って、青年の方へ駆け込んでいく。

 そうして、加速を付けたスマッシュの拳がまっすぐ青年の胸元目掛けて飛び込んで行く。

 が、それよりも一足早く、その場で青年が跳躍。飛び込んで来たスマッシュの拳を逆に踏み付け、兎の肉球のような足跡をそこに残しつつ、更に高く跳び上がってその後方へと着地する。

 そして同時に、今の姿になる前の青年が出現させていた透明なパイプのようなものが一瞬彼の傍に現れたかと思いや、寄り集まったそれがあっという間に別の何かへと姿を変える。

 黒い持ち手に、銀色の円錐形をベースに黄色のパーツが各所に配された、ドリルであった。

 それを手に取るや、背後から接近していたスマッシュの方へ向き直る動きに合わせ、宛ら剣のように青年がそれを振るった。

 横一線。

 振り切られたドリルの先端を追うように小さな火花が連続し、スマッシュがその動きを止める。

 すかさず、逆袈裟切り、縦一線と連続して青年がドリルを振るい、仕上げにその先端を突き込んだ事で、火花を上げながら吹き飛ばされたスマッシュが、その身から白煙を燻らせながら芝生の上へと転がされた。

 それによってスマッシュとの距離が離れたのを見計らったように、手にしていたドリルを地面に落とした青年が、続けて何かを取り出す。

 遠目からだったため、その詳細まで分からなかった。

 だが、どうやらそれが、先程から青年が何度も取り出して見せていた、掌サイズの小さな容器らしいということはすぐに分かった。

 何故なら、それを出して何度か上下に振ったかと思いや、すぐに彼が腰元のベルトに既に差していた二本の内の一本と交換して見せたからだ。

 

<Hari-nezumi(ハリネズミ)!>

 

 青年の腰の、やたらメカメカしいベルトがそんな電子音声を発する。

 と共に、ベルトの右側から生えているハンドルを、先程彼が今の赤と青の姿になる時にやったのと同じように、再び青年がグルグルと回し始めた。

 それに合わせ、今度は青年の前方側にのみ先程と同じパイプが伸び、再び外枠を形成すると共に、その中央に半身だけの人型を作り出していく。

 

 (今度は一体何する気だよ……?)

 

 困惑と不安の入り混じった目でその様子を見つめる万丈。

 その視線の先で、今の姿と同じ黒に、今度は白い装甲が銅と頭、右腕と左足に配されたその半身だけの人型が完全に出来上がり、同時に青年のハンドルを回す手が止まった。

 

<Are You Ready?>

 

「ビルドアップ!」

 

 問い掛けるようなベルトからの電子音声に応答するように、青年が掛け声を上げた。

 すると、先程と同じように作り上げられた半身が青年の方へ外枠ごと動き出し、青年の体の赤い部分に重なり合うように高速接近する。

 そうして、青年に衝突するかと思われた次の瞬間、金属がぶつかり合うような甲高い音と共に、彼を覆うように白煙が吹き上がり、辺りに立ち込めた。

 そして、その白煙が晴れると共に、再び現れた青年の体にある変化が起こっていた。

 

「! アイツ、色がっ!?」

 

 先程まで、青年の体は赤と青と2色だった。

 それがどうしたことだろう。

 白煙の中から現れた彼の体は、いつの間にやら赤かった部分が、全て白くなり、その形状を変化させていた。

 まるで、先程作り出した白い半身が、そのまま青年の体に貼り付いて、赤かった部分を覆い尽くしてしまったかのように。

 再びの唐突な変化。

 それによる、もう何度目になるか分からない驚愕に、万丈は目を瞬かせる。

 

「グアアァァッ!!」

 

 そして、そんな彼の事など置いてけぼりにせんとばかりに、雄叫びを上げたスマッシュが再び両腕を振り上げて青年の方へと飛び込んで行き、

 

「おっと」

 

当の青年自身がそれに対応するように、いつの間にやら右手を覆うように付けていた白いグローブを持ち上げるのであった。

 

 

 

 獣のような咆哮を上げ、再び迫り来るストロングスマッシュ。

 振り抜かれたその拳が、猛スピードで迫って来る。

 そして、そのまま打ち付けられたそれが彼を横っ面から弾き飛ばす――ということには、残念ながらならない。

 

「ほいっ」

 

 放たれる軽い掛け声。

 それと共に右手――白く分厚い“BLDスパイングローブ”によって覆われたそこから伸びた数本の鋭い針が、飛び込んで来たストロングスマッシュの拳を阻んだからだ。

 同時に、伸びた針の更に数本がスマッシュ自身の胴を捉え、怯ませる。

 その瞬間を、左側が白いハリネズミの横顔を模したものに変わった戦兎の一対の複眼が見逃すことは無い。

 

「ほらっ、ほらっ! ――そらっ!」

 

 態勢を整える間も無く繰り出された蹴りを、先程と同じように右手の針によっていなしながら、同時に別方向に伸びた針によってダメージを与える。

 更に、再度怯んだストロングスマッシュの背後へ回り込み、一撃、二撃と針を伸ばしたままのBLDスパイングローブで無造作に殴りつけてやった。

 溜まらずストロングスマッシュが飛び退いて距離を取るが、それでも懲りないのか、再び急接近して腕を突き出してくる。

 再び、右手から伸ばした針でそれを防御。

 と同時に、針でその拳を絡め取り、固定してしまう。

 それによって、抜こうとしても抜けなくなってしまった己の拳に、動揺したように呻き出すスマッシュを、逆に力任せに引き寄せ、自らの後方、芝生を抜けた先にあるアスファルトの道路の方へと戦兎は放り投げた。

 彼に加えられた動きのまま、無防備に晒されてしまったスマッシュの背を、悠々と歩み寄ると共に更に殴りつける戦兎。

 その一撃によって、火花を散らしながらその身を反転させたスマッシュのがら空きになった胴に、渾身の力を込めた一撃を、BLDスパイングローブの無数の針の一斉伸長と共に戦兎は叩き込んだ。

 一際盛大に火花を弾けさせ、轟音と共に吹き飛ぶストロングスマッシュ。

 戦兎から2m程離れた道路の上に倒れ込んだその体には、今しがたの一撃の際に針の何本かによって穿たれた黒い穴が開き、そこから白煙が揺ら揺らと立ち昇っていた。

 ――そろそろ限界が近い証拠だ。

 

「これでフィニッシュだ」

 

 ベルトの左側に備えられたボトルホルダーからラビットフルボトルを引き抜いた戦兎は、軽く振って撹拌を終え、再びキャップのラベル面を前に向けたそれを、合わせて引き抜いたハリネズミフルボトルと交換する形でフルボトルスロットへと装填し、ボルテックレバーを回転させていく。

 

<Rabbit! Tank! Best Mach!! Hagane-no-Moon Salt! Rabbit-Tank! Yeah!!>

 

 再度ドライバーから放たれる電子音声。

 合わせ、それまでハリネズミフルボトルの成分によって形成された棘だらけの白色のアーマーの半身――“ハリネズミハーフボディ”が、再び展開したスナップライドビルダー内に形成された、左足にバネ機構を持つ赤色のアーマーの半身――“ラビットハーフボディ”へと塗り替えられる。

 そこから、一旦止めていたボルテックレバーの回転を、赤い装甲に改めて覆われた戦兎の右手が再び開始。

 これにより、ドライバー内部の発動機――ニトロダイナモが更なるエネルギーを生成すると共に、装填された赤と青のフルボトルを追加撹拌。内部成分を更に活性化させ、より大きな力を発生、貯蓄していく。

 そうして、十分なエネルギーとボトル成分の活性度を確保し、自らの頭脳の内で組み上げた方程式の最終段階への準備が整ったところで、それを告げる電子音声がボルテックレバー横の円形部――ボルテックチャージャーを一際強く点滅させるドライバーから響いた。

 

<Ready Go!!>

 

 遂に始まる、勝利の法則の最終解答。

 ドライバーの宣言と共にボルテックレバーの回転を止めた戦兎は、すかさず右足を持ち上げ、力を込めて足元のアスファルトへと踏み下ろした。

 すると、それを合図とするように鈍い金属音を上げてアスファルトに罅を入れた彼の右足――青い装甲に覆われた半身“タンクハーフボディ”の最大の特徴ともいうべき“タンクローラーシューズ”。その足首の前側から足裏の土踏まずまでを覆うように備えられた履帯が、本物の戦車のそれのように高速で駆動し始めた。

 その右足の無限軌道の動きによって、まるでローラースケートで滑るような片足立ちの姿勢になった戦兎は、ギャリギャリという駆動音を上げ、立ち上がろうともがくストロングスマッシュからほんの数秒の内に大きく距離を開けていく。

 そうして、法則の証明に必要な充分な間隔を確保した彼は、続けて右足の履帯の駆動を止めないまま、踵を地に着けて移動のみを止めると共に、左足――特に、膝から下――に力を込めるよう意識を向けながら、腰をグッと屈める。

 これによって、彼の左足――“クイックラッシュレッグ”の赤い装甲内に組み込まれた白い跳躍強化バネ――“ホップスプリンガー”が一気に圧縮。それによって赤みを帯びる程に力を溜め込んだそれを、戦兎自身の上方へ跳び上がるために背筋から足先までを伸ばした、跳躍の動作と共に解放。

 次の瞬間、赤と青の装甲に覆われた体が、地上20mは優に越しているであろう高空まで高々と飛翔していた。

 そして、その彼の動作を合図に、方程式の解答は次の段階へと移行する。

 

「ぐ、がっ!?」

 

 漸く、ノロノロと立ち上がったスマッシュを、しかしそれと同時に左右からガッチリと拘束するものが現れた。

 基準となる(X)軸と(Y)軸。その囲いの中で描かれる緩やかな山と谷――曲線のグラフ。

 ビルドのボディを形作ったのと同じ、スナップライドビルダーによって形成された半透明のそれの、横軸とその上を通る曲線の一部によって、身動きを封じられたストロングスマッシュが逃れようともがくが、もはやその足掻きは意味を為さない。

 曲線の頂点から、まるで滑り台のレーンを滑り降りるように半透明の線に沿って急降下する戦兎の突き出した右足が。

 最後の一撃を繰り(解答を導き)出すため、微かな火花を散らし出す程に回転速度を高めたブルーメッキの履帯が。

 もうスマッシュの三つ穴の頭部の、その眼前まで迫っていたからだ。

 

<Vortex Finish(ボルテック フィニッシュ)! Yeah(イエーイ)!!>

 

 激突。

 適切な加速と突入角から加えられた戦兎の蹴りが、防御も回避も出来ないストロングスマッシュに突き刺さり、高速回転する爪先が青と黄色の装甲をガリガリと削り飛ばしていく。

 そして次の瞬間、蹴りが直接与える運動エネルギーによるダメージと、履帯の切削によるダメージに遂に耐え切れなくなったスマッシュの体が爆散。自らの体とその周囲に緑色の爆炎をばら撒きながらアスファルトの上に仰向けに吹き飛び、そのまま大の字になって沈黙する。

 それを確認した戦兎は、何の成分も入っていない(エンプティ)ボトルを何処からともなく取り出し、昨日夜宵がやったのと同様にその蓋を回して、動かなくなったスマッシュの方へと差し出す。

 それによって、スマッシュの体を構成していた成分が粒子状に分解され、戦兎の手元のボトルへと見る見る内に吸収されていく。

 そうして成分を完全に吸収し、中央部が蜘蛛の巣状の凹凸模様が浮かぶと共にパンパンに膨らんだ事を確認した戦兎は、

 

「――よしっ、と」

 

ボトルの蓋を再び回転させて封をすると共に、遂今しがたまでスマッシュが倒れていた方へと再び向き直った。

 そこで仰向けになって呻き声を上げている、さっきまでそのスマッシュだった男を介抱するために。

 しかし、歩み寄ろうとしたその足を程無くして彼は止める事となる。

 

「アンタ……ガスマスクの奴らのところにいたよな?」

 戦兎が動くよりも前に、慌てたようにその男の元へ駆け寄る万丈の、その言葉を耳にしたことで。

 

 

 

 間違い無かった。

 あの水槽の中に押し込められ、四方から噴き出すガスが齎す苦痛から逃れようともがいていたその最中で、確かに目にしていた。

 先程まで怪物と化して襲い掛かっていたその男が、質素な寝台の上に拘束されていたのを。

 男の左耳に着いている特徴的な、一度見たらそう簡単には忘れられないようなハデなデザインのピアスを。

 だからこそ、怪訝そうに顔を歪めた男から返って来た返答は、万丈にとっては到底受け入れられるものでは無かった。

 

「……何の話だ? それにここ、何処なんだよ……?」

 

「惚けんじゃねェッ!!」

 

 さも訳が分からないとばかりに周囲を見渡す男の胸倉を掴み上げ、怒鳴りつける。

 そんな筈はない。

 確かに、いたのだ。

 あの人体実験の場に。

 幾人ものガスマスクの男達と、同じようにベットの上に拘束されて寝かされていた人々の、その中に。

 確かに、この男はいたのだ。

 だというのに、彼はまるで知らないという素振りばかりを見せる。

 本当に何も知らない、お前の言ってることがまるで分からないと。

傍から見ても嘘を吐いてるようには思えない、怯えた表情で目を震わせて。

 まるで、問い詰めているこちらの方がありもしない出任せを言い連ねているかのように……。

 そこで、ハッ、と我に返った万丈はすぐさま後方へ振り返った。

 そこに立っている、今は青と赤の装甲を纏った姿の、あのトレンチコートの男の方へ。

 

「……本当なんだ……」

 

 その場から立ち上がり、何かを考えているかのように仮面を被った頭を俯かせている男の方へと、覚束ない足取りで歩み寄っていく。

 

「俺も、コイツも、体に何かされたんだ……」

 

 震える口から紡いだ言葉が、真実のみを述べている筈だというのに、まるで苦し紛れの言い訳をしていると錯覚をしてしまいそうな弱弱しい声で放たれてしまう。

 その自らの声によって、より一層不安を煽られた万丈の足の動きが、更に忙しなく、覚束ないものになっていく。

 そうして遂には足が縺れ、躓いた勢いのまま、未だ俯いていた男の方へ万丈は飛び込んでいた。

 

「……信じてくれッ!!」

 

 倒れそうになった体を支えるために掴んだ男の両肩の装甲を力任せに揺すりながら、万丈は叫んだ。

 あの事件が起き、殺人犯として捕まった時から何度も口にし、しかし一度も聞き入れられることの無かった言葉を。

 それでも、発せざるを得ない、誰かきっと信じてくれると願って訴えざるを得ない、心からの叫びを。

 それに対し、青年は、

 

「お前の話が本当なら……アレは……あの実験は……」

 

ただそれだけを呟いた。

 それがどういう意味なのか、結局彼は自分の言葉を信じてくれるのか?

 込み上げる不安のまま、更に万丈が身を乗り出そうとした、その時だった。

 何処からともなく、サイレンの音が鳴り響いて来た。

 反応して振り返って見れば、道の奥からルーフ上部に赤色警光灯を取り付けた黒塗りのバンと、それを囲むように並んだ数台のバイクが走って来ていた。

 程無くして、彼らから数メートル程先の所で停車したその一団が何者であるのかは、考えるまでも無かった。

 数体の自立型機械兵(ガーディアン)に、ほぼ同等の装備に身を包んだ数名の人間の兵士。

 そして、彼らの跨るバイクや、中央のバンにプリントされた、東都のマーク。

 先の下水道から抜け出した後に現れたのと同じ、追手。

 それも警察や刑務所の看守どころではない。

 東都政府お抱えの特殊部隊の一団だ。

 

「君が仮面ライダーか」

 

 そんな声が聞こえた共に、バンのドアが付近に立っていた兵士の手で開けられ、そこから一人の男が降車した。

 口元に黒い艶のある髭を蓄えた、30代半ば程の男だ。灰色を基調に緑のラインが施された詰襟の制服を身に着けているところを見るに、どうやら東都政府に属する人物らしい。

 その男が、腕を組み、顎鬚を弄りながら、万丈と青年へどこか見下すような視線を向けて来る。

 

「噂は聞いているよ。殺人犯の万丈 龍我をこちらに引き渡してもらおうか?」

 

「俺は殺しなんかやってねェ!!」

 

 咄嗟に男達の方へ近づき、自らの無実を訴える万丈。

 しかし、そんな事は聞いてないとばかりに、髭の男が無造作に右手を挙げる動作と共に、彼の周囲の兵士やガーディアン達が手にしていた小銃を万丈へと向け、ザッザッ、という足音を立てて彼の方へと歩み寄って来た。

 万丈を、捕縛するために。

 

「……俺はどうしようもねぇバカでクズだけど、そんな事は絶対にしねぇ」

 

 お仕舞だ、と思った。

 逃走の最中、何体かのガーディアンを破壊したりもしたが、流石にこれだけの数を捌き切る事は出来ない。

 何より、もうそうするだけの気概が彼の心には残っていなかった。

 自分が何度無実を訴えても、どれだけやっていないと叫んでも。

 警察も、裁判官も、刑務所の看守も、それ以外の人間も、誰も信じてくれない。お前が殺ったんだ、お前は殺人犯なんだと決め付けて、誰もまともに話を聞いてくれない。

 あの事件が起きてから一年間ずっとそんなことばかりで、仕舞いには今のこの有様だ。

 いい加減、万丈は疲れて来ていた。

 誰も信じてくれない無実を訴える事に、当ても無く逃げ続ける事に。

 もう心が折れる寸前だった。

 絶望という名の闇に全てが飲み込まれてしまう寸前だった。

 

「どうして……どうして誰も信じちゃくんねぇんだよォッ!!」

 

 だからこそ、その場にしゃがみ込み、震える声で叫んだその絶叫は、正に鎮火する直前の蝋燭の火そのものと言えた。

 ――だからこそ、絶体絶命の状況の中で響いたその最後の叫びは届いたのだ。

 

「……ああ……最っ悪だ」

 

 消える直前の蝋燭の火が最後に大きく燃え上がって闇を祓うように。

 

()()()()()()()()()()()今日という日()、俺はきっと後悔することになる……」

 

 彼のすぐ隣にしゃがみ込んで、片手で頭を抱えながらそうワザとらしくぼやく青年へと。

 

 

 

 その連絡が夜宵のスマホに入ったのは、既に放課後を迎えた学校を離れ、バス亭で帰りのバスを待ちつつスマホを弄っている最中の事だった。

 

<戦兎がとんでもない事してくれた! お願いすぐ来て!!>

 

 何やら尋常でない様子でそれだけ電話越しに絶叫されたために一時は困惑するしかなかった夜宵だったが、しかしその詳細を聞かされた事で事態を把握すると共に、彼女もまた驚愕の叫びを上げる。

 そして、数分と待たず到着したバスに駆け込み、自宅付近のバス亭よりも前のバス亭で下車するや、そのまま全速力で目的地――元々帰宅前に立ち寄る予定ではあった、ライダーの協力者達の待つ喫茶店“nascita(ナシタ)”へと駆け込んでいく。

 そうして、息を切らしてそこへ辿り着いた彼女を待っていたのは――。

 

「夜宵ー! 待ってたよー!!」

 

 今にも泣き出しそうな程にクシャクシャになっていた顔を、彼女の姿を目にするや輝かせて駆け寄る先の電話の相手――nascitaの店主(マスター)石動 惣一(いするぎ そういち)

 

「おー、夜宵じゃん! どうしたの、そんなに慌てて?」

 

 そんな石動の隣に立ち、彼とは対照的に肩で息をしている夜宵に、確かに呼んでたけど、と首を傾げる“やらかした男”、桐生 戦兎。

 そして――。

 

「ア゛? 何だァ? 誰だよ今度は?」

 

 奥の方で、そこにあるもの物珍し気に物色していたのも束の間、夜宵の存在に気づくや不審げに眉根を寄せた顔を向ける青年。

 昼休みにネットニュースで見た、編み込んだ茶髪が特徴的な男。

――殺人犯、万丈 龍我。

 その顔を目にした次の瞬間、吐き掛けていた息すら巻き込みながら深く息を吸い込み、それを盛大な怒声と共に夜宵は吐き出した。

 

「何やってんのよあんたはああぁぁっ!?」

 




次回、仮面ライダーメイジー!


「何で殺人犯連れ込んでのっ!? 指名手配されてんのよ!?」

「いやだって、あのまま放っておいたら捕まえられちまうし」


『同じ仮面ライダーというだけで私達までこれからはお尋ね者だなんて』

突如現れた殺人犯(劇薬)、万丈 龍我!


「お前ら何モンなんだよ?」

「東都の町を守る、正義のヒーロー」


彼が齎すのは進展か!? それとも危機か!?


「“奴”の作り上げた“仮面ライダー”。どれだけ使いこなせているか、俺が見極めてやろう」

「さぁ……戦争の始まりだ……!」

遂に姿を現す蝙蝠男!


「好き勝手……言いやがってッ!!」

「今までやってきた事! 全部償わせてやる!!」


迎え撃つ仮面ライダー達!

友の行方と記憶の在り処、そして無実の証明を――


「一緒に証明しましょう。貴方が本当は無実なんだって」

「そういう事だ」


「……お前ら……」


――その手で掴みとれるのか!?


第3話 ベストマッチな奴ら



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第3話 ベストマッチな奴ら

そして大盤振る舞いの3話目。仕方ないね、ここまで出しとかないと区切り悪いし。話の流れ的に。
次の更新は多分大分先になるので、どうか気長にお待ち頂きますよう、今の内にお願いいたします。
5/21 誤字脱字を修正


「宜しかったんですか?」

 

 隣に立っていた内海 成明(うつみ なりあき)がそう問い掛けてきたのは、先程彼らの眼前から突然の逃走を図った仮面ライダーと万丈 龍我と、彼らの追跡に向かわせた自律機械兵(ガーディアン)達の姿がもう微かな点にしか見えない程の遠方まで移動した頃の事だった。

 彼と同じ灰色に緑のラインの入った詰襟制服を纏ったこの秘書は、普段は何を考えているのか今一掴み取れない仏頂面ばかりをその顔に浮かべている。が、この時ばかりはそうもいかなかったらしく、眼鏡のレンズ越しに見える双眸には隠し切れない焦りと戸惑いの色が見えた。

 彼もまた“計画”に携わる一人だ。いくら万丈の捕獲のためとはいえ、重火器で武装したガーディアン達に、“計画”の()ともいうべき仮面ライダーを追跡させる指示を下した事について、万が一の事があったらどうするのだ、と懸念しているのだろう。

 だから彼は――東都首相補佐官 氷室 幻徳(ひむろ げんとく)はそんな秘書を鼻で笑い飛ばしながら、こう返した。

 

「構わないさ。これで壊れてしまうような玩具なら、そもそも最初から使い物になどならない」

 

 彼らの“計画”は極めて壮大で、過酷ものだ。それ故、これまで数えるのも億劫になる程の下準備を重ねてきた。

 それ程の用意を重ねて来た“計画”の要が、高々数体のガーディアン如きを振り払えないようでは、そもそも“計画”を根本から見直さねばならない。

 そして、そんな必要は全く無い。

 仮面ライダー(アレ)は“計画”の要であると同時に、()()()()()だ。

 今はもうこの世を去ってしまった、あの()()が遺した――。

 故に、内海が危惧するような万が一など有り得ない。

 決して。

 ――そういう絶対の確信が、幻徳の中にあった。

 だからこそ、つい先程自ら指示したばかりの追跡命令についても、結果は既に分かっていた。

 故に、押し黙った内海に、続いてこう指示を出す。

 

「官邸に戻るぞ。帰って記者会見の準備だ」

 

「記者会見? あの、マスコミに何の報告を?」

 

「決まってる。――万丈 龍我の逃亡と潜伏、及び仮面ライダーの指名手配について、だ」

 

 仮面ライダーと万丈が逃げ切ることを前提としたその内容は、やはりというか、寝耳に水だったようだ。

 少しばかり狼狽えたような声を洩らしこそしたが、すぐに、分かりました、とだけ返答し、スマホを取り出して関係者各位への連絡を始める内海を後目に、踵を返した幻徳は後方でドアを開けたままのバンへと乗り込む。

 途中、髭を蓄えた口の端を吊り上げ、こう呟きながら。

 

「さぁ……戦争の始まりだ……!」

 

 

 

 時は過ぎて、cafe“nascita(ナシタ)”。

 大通りを少し進んだ先の横道に入ってすぐのところにある、水色の空に浮かぶ太陽の絵をバックにした看板と、洒落たデザインの椅子4脚と机2脚が赤銅色の壁の前に設置された喫茶店だ。

 店の中央、上部に壁と同色の雨避けが備えられた出入り口を潜ったところでまず目に入るのは、表の看板と同様の太陽をバックにした店名が白で書き込まれた奥のメインカウンターだ。

 その左右に立つ若葉色の地色に赤と白の縞模様が入った角柱に更にその左手には茶、赤、緑と色の違う角材を組み合わせて作られたサブカウンター、右手には同様の体裁で作られた台の上にオススメメニューが書き込まれた黒板が載せられている。更にその隣には、裏口と挟まれるようにニスの艶が煌めくチェロが立て掛けられている。

 そしてサブカウンターの前の2脚の机と、そこに2脚ずつとメインカウンター前に置かれた5脚の、計9脚の椅子が整然と並べられている。

 そんな洒落た雰囲気が広がっている店内は、現在、客はおろか従業員すらいない。完全な無人の状態であり、当然人の声どころか、物音一つ立たない無音状態でもあった。

 ところが、不意にその静寂は引き裂かれる事となる。

 木の板が蝶番で据え付けられただけの簡易の扉が区切る、サブカウンターの左端の関係者専用の出入り口。

 そこから移動して逆端、メインカウンター奥の壁に埋め込まれた冷蔵庫の下段側、全体の3/2を占める冷蔵室の扉の、その中から轟いた、けたたましい怒声によって。

 その怒声の出元は、身を屈めれば大の男でも問題無く納まりそうな大きさのその扉の、更に奥。

 通常の冷蔵庫ならば各種食材が並べられた空間が広がるだけであろうそこに存在しているのは、広大な地下室。

 そして、その地下室と冷蔵庫の扉を繋ぐ階段を降りてすぐの、ざっと3m四方程の黄土色の煉瓦の壁に囲まれた部屋と、その先に続く空間を隔てる壁枠の手前に、先の怒声の音源はいた。

 荒い息を吐き出し、中腰の姿勢で肩を上下させながら階下を凝視している、星観 夜宵であった。

 

『~~っ!?』

 

 そしてその血走った視線の先、壁枠の向こうに広がる5m四方程の薄緑色の縦スリットが入った壁に囲まれた部屋。床に中央に描かれた□模様と、それを囲むように建てられた、細い部材が組み合わされた銀のトラス構造の柱が目に付く部屋の中で、いずれも両手の人差し指を耳の穴に突っ込んで顔を顰めている3人の男達が、夜宵の怒声の原因であった。

 

「うひ~、耳がキ~ンってする~……」

 

 一人はこの場へ彼女を呼び出した張本人、石動 惣一(いするぎ そういち)

 黒いシャツの上から緑色のシンプルなエプロンを身に着けた、nascitaの店長。若い頃はさぞモテたであろう甘い顔立ちの上に丸眼鏡を掛け、白の中折れ帽を被った洒落た雰囲気の中年男性だ。

 

「……っんだよテメェ!? イキナリ叫んでんじゃねぇ!!」

 

 一人はそもそもの問題の元凶ともいうべき張本人、万丈 龍我(ばんじょう りゅうが)

 一年前に殺人事件を起こし、その罪で服役中だったところを脱走した指名手配犯。

 身に着けている赤いチェック柄の上着と黒のアンダーシャツ、ジーパンは逃走中の犯罪者のものとしては妙に小奇麗な為、恐らくはこの場に辿り着いてから用意された物だろう。

 そんな恰好に、ネットニュースで顔写真と全く同じ後頭部で編み込まれた茶髪と整ってはいるが今一知性が感じられない、どこか猿を連想させる顔をしているその青年が、今は夜宵の方を睨み、怒鳴り返していた。

 

「~んも~、何なんだよ藪から棒に~!」

 

 そして最後の一人。

 外出時は大体身に着けているため半ばトレードマークと化しているベージュのトレンチコートを今は脱ぎ、代わりに灰色のパーカーを着て、七三分けの黒髪をガシガシと掻いている青年。

 先の夜宵の怒声の最大の原因にして、今彼女の目の前で起こっている問題を引き起こした最大の張本人、桐生 戦兎。

 指名手配犯である万丈を、あろうことか彼を追って来た東都政府直属の特殊部隊から逃がしたばかりか、そのままこのnascitaまで連れ込んだという、とんでもない事を仕出かしてくれたこの男は、そんな自身の行為によって引き起こされている現状の事など知らんとばかりに、そうぼやきながら批難がましい視線を返して来る。

 そんな彼の態度が、唯でさえ突然の事態に頭が沸騰し掛けている夜宵の怒りに、油となって降り注ぐ。

 次の瞬間、怒りの火が爆発へと変わる、ブチン、という音が自らの頭の中から聞こえた夜宵は、ダン、ダン、と叩きつけるようにローファーで床を踏み鳴らしながら戦兎の傍へ歩み寄り、怪訝そうに眉を潜める彼の右の耳朶目掛け、再び溜め込んでいた息を盛大に吐き出した。

 

「バカなんじゃないのあんたはアアアァァッ!!」

 

「~~っ!?」

 

 徐に自らの方へ寄って来た夜宵に首を傾げていたのも束の間、続け様の耳元からの大音声に、溜まらず仰け反った戦兎が目を食いしばり、両手を当てて耳を塞ぐ。

 そのまま、体も離れようとする彼を逃すまいと、更に夜宵は叫び続ける。

 

「何で殺人犯連れ込んでのっ!? 指名手配されてんのよ!? 警察どころか政府の特殊部隊(何か良く分かんないけどスゴい人達)まで出て来たんでしょ!? ここまで追って来たらどうすんのよ!?」

 

 nascitaは、戦兎の居候先であり、母には仮面ライダーの事を話せず、学校に居場所があるとは言い難い今の夜宵にとっては秘密を共用する協力者達と気兼ねなく話せる居場所であり、そして二人の活動には欠かせないある設備がこの地下室に備えられた仮面ライダーの重要拠点でもあるのだ。

 そこに警察はおろか政府が立ち入ろうものなら――それも、指名手配犯の逃走を幇助した仮面ライダーまでも追跡の対象と化しているとすれば――もはやライダーとして活動する事など不可能だ。

 それはマズい。

 そんな事になれば、もう沙也加を取り戻すことは出来ない。フルボトルの封印を解くというメイジーとの契約も果たせなくなる。

 そして同時に、当の戦兎の方も失われた20年余りの記憶を探る術を失うという事も意味している。

 そんな事は、彼とて言わずとも分かっている……筈なのだが……。

 

「だ~か~ら~、耳元で騒ぐんじゃないって! それに、俺バカじゃねぇし! 天ぇ才だし!」

 

「どうでもいいからそんな事!」

 

「良くねーし! お前みたいな平ぇ凡JKと一緒にすんじゃないの! ホラ、バカはア ッ チ!」

 

 心の底から心外だ、とばかりに顔を歪める戦兎が、そう声を張り上げながら自身の斜め後ろを指差す。

 荒い息を立てながらその指の指し示す方向を追った夜宵の視界に入り込んだのは――急に注目が集まった事に虚を突かれ、目を見開いて自分を指差す万丈のマヌケヅラ。

 

「……俺?」

 

「お前以外いないでしょーが、このバーカ」

 

「ア゛ア゛ッ!? 誰がバカだテメェッ!!」

 

「だからお前だっつってんでしょ、バーカ!」

 

「だからバカバカ言ってんじゃねぇ! せめて頭に“筋肉”つけろこの野郎!!」

 

「何だよその妙な拘りは!? 意味分かんない事言ってんじゃないよ筋肉バーカ!」

 

「ちゃんと言えんじゃねぇかッ!!」

 

 間の抜けた声で問い返す万丈に、戦兎が容赦なく突込み、罵倒する。

 すると、それに反応した万丈が叫び返しつつ戦兎の方へ歩み寄り、その言葉に対して更なるツッコミと罵倒を浴びせながら戦兎もまた近付く万丈の方へ早歩きで向かっていく。

 そうして互いの鼻先30cm程で立ち止まった二人の間で始まったのは猛烈な、しかし内容は小学生の喧嘩も良いところな、何とも陳腐な罵詈雑言が飛び交い合うしょうも無い言い争いであった。

 そうして、いつの間にやら蚊帳の外となり、眼前で展開する大の男二人のバカらしい騒ぎ合いを見ている内に段々と怒りが冷め、代わりに言いようのない疲れがどっと押し寄せて来て、夜宵は肩を落として嘆息した。

 

『ねぇ? 私がいつも言っている通りでしょう? (狼さん)というのはどうしようもない生き物だって』

 

「ハイハイ、そうだね……」

 

 すかさす右肩に掛けていた通学鞄の中から聞こえて来るメイジーの勝ち誇ったような言葉に気の無い返事を返した夜宵は、気を取り直すためにもう一度溜息を吐いてから、未だ万丈と下らない言い争いを続ける戦兎に問い掛ける。

 

「ていうか、ホントに何でその人連れて来たんですか?」

 

「だから俺は天ぇ才だって――ん~? あー、コイツ? いやだって、あのまま放っておいたら捕まえられちまうし」

 

 口喧嘩の最中だったのも束の間、何事も無かったかのように振り返った戦兎がそう返すが、その意味が分からず、は、と夜宵は眉根を寄せ、こう告げた。

 

「いや、捕まえさせればいいじゃないですか」

 

 当然の言葉である。

 相手は逃亡中の殺人犯なのだ。大人しく引き渡せばいい。それが善良な市民の義務というものだ。

 だのに、何故それを妨害するような真似をしたのか?

 しかし、その問い掛けに戦兎は首と、顔の前に出した右手を振って、そうじゃない、と否定の意思を見せて来る。

 

「いや、コイツ誰も殺してないみたいだからさ」

 

「は?」

 

 思わず、間の抜けた声が一人でに夜宵の口から飛び出る。

 現在指名手配中の殺人犯が、誰も殺していない、とはどういうことか。

 突然の言葉に夜宵は目を瞬かせるが、続けて戦兎が放った言葉に、彼女の疑問は更に深まる事になる。

 

「それに、捕まるってのは、警察とかにじゃねぇよ」

 

「? あの、どういうこと? 戦兎さん、さっきから何言ってるんですか?」

 

 殺してない云々は取り合えず置いておくとして――万丈は犯罪者だ。それを捕まえるとなれば警察や、実際に出動してきたという政府の特殊部隊くらいしかいないだろう。

 少なくとも夜宵はそう思ったため、戦兎が言った事の意味が分からず首を傾げる。

 それに対し、戦兎はいつの間にやら壁の影に移動して様子を窺っていた石動を手招きで傍まで呼び寄せ、続けて真剣な面持ちになった顔を夜宵と石動の方に寄せ、こう告げた。

 

「――ガスマスクの連中に、だよ」

 

「っ!?」

 

 先程までよりも幾分か重々しい口調になった彼のその言葉を耳に入れた瞬間、急激に肌が粟立つ感覚と共に、無意識に夜宵は飛び上がっていた。

 

「ガスマスク、って――!」

 

「お前らに人体実験したっていう、例のガスマスクの連中の事?」

 

 石動が身を乗り出し、普段よりも真剣みを帯びた声でそう尋ねる。

 それに対し、戦兎は頷き返し、二人への説明を始めた。

 石動からのメールを受けて万丈を追った先で起こった事。

 その際に万丈から聞いた、彼が逃亡する直前に起こった出来事。

 そして、突如出現したスマッシュに変異していた男と万丈の関係、そこから導き出されたあの人体実験の正体について。

 そして、その説明を一通り聞いた後、

 

「……スマッシュを、作り出すための実験?」

 

 どうにか夜宵が口から吐き出すことが出来たのは、漏れ出るようなか細い声でのその問い返しであった。

 その問いに、ああ、と戦兎が頷くが――。

 

「ちょっと待って。だったら、何であの人スマッシュになってないんですか?」

 

「そーだよ。それに、アイツ、お前と違って記憶喪失にもなってないぞ?」

 

 すかさず突っ込んだ夜宵と石動の疑問の言葉が、彼のその肯定に待ったを掛ける。

 二人の言う通りだ。

 何故、他の人間がスマッシュになってしまうのに、万丈は怪物と化していないのか?

 何故、万丈は戦兎のように記憶を失う事無く、維持したままなのか?

 あのガスマスクの男達に施された実験が人間をスマッシュに変えるものであるとした時、この2点がその説を否定する壁となるのだ。

 これに対し、

 

「スマッシュになっていないのは俺も夜宵も同じだ。それに、俺はともかく、記憶についてはお前も失っていない」

 

 と戦兎の回答が告げられる。

 確かに、万丈が受けた実験や、それを行ったというガスマスクの男達は戦兎だけでなく、夜宵の記憶にも合致するものではある。それに、戦兎の記憶は彼が石動に拾われたという一年前より以前の記憶の殆どを喪失している状態だが、夜宵の場合は二年前の誘拐事件で過ごした約一ヵ月の記憶を忘れているのではなく、記憶の奥底に()()しているだけだ。厳密にいえば、忘れているわけではない。

 詰まる話、先の2点は確かに壁となるが、ハッキリと否定しきれる程高い壁ではないということだ。

 加えて――。

 

「それに……マスターがアイツ見つけたのって、スマッシュの反応があったからだろ? それも同じだ」

 

 夜宵が戦兎達と出会い、仮面ライダーとしての活動を始めた三ヵ月前。

 彼女達が出会った切欠の一つが、今の万丈と同じく、石動が発見したスマッシュの反応だった。

 そして以上三点より、万丈が受けたと語る実験と、夜宵や戦兎が施された実験は同一であり、スマッシュの生成実験であった可能性が高い、という仮定が成り立つのだ。

 

「そんな――」

 

 思わず口に手を当て、夜宵は絶句する。

戦兎の話が本当であれば、もしかしたら自分もスマッシュになっていたのかもしれない。とんでもない話だ。

いやそれどころか、もしかしたら――。

 

(もしかして……沙也加も……?)

 

 記憶を封印しているためか、共にあの廃工場から連れ出された筈の沙也加がその後どうなったのか、夜宵が引き出すことのできる記憶には無い。

 だが、同じように誘拐されたのだから、同じようにあのガスマスクの連中に実験された――否、今もされている可能性は高い。

 だとすれば、彼女もひょっとすると今頃、スマッシュにされているのでは?

 

「……まぁ、こう言ってはみたけど、結局はアイツの話と俺の記憶が合致(ベストマッチ)したって以上の根拠は無いからなぁ。それに調べるためにも、まずは――」

 

 一旦言葉を区切り、奥の方を見やるように顔を上げる戦兎。

 それにつられ、彼の目線の先へと石動と共に振り返る夜宵。

 その視界に入って来たのは――

 

「ん?」

 

――戦兎のものであろうルーペを頭に掛けた姿で、夜宵がnascitaに到着したばかりの頃と同様に、物珍しそうに周囲を見ている万丈の呑気な姿。

 先程もそうだったが、とても指名手配中の男の挙動とは思えない。

 そのあまりにあまりな有様に眉根を顰める夜宵の横を通り過ぎ、万丈の傍まで近づくや彼の頭からルーペを取り去った戦兎が、呆れたような面持ちで一言。

 

「取り合えず、お前の話を聞かせてくれ」

 

 

 

「仕事をくれるっていう科学者の男を紹介されたんだよ。で、そいつの住んでるっていうマンションの部屋尋ねたらそいつが死んでて、そこに警察が現れたんだよ」

 

 それが、万丈の口から語られた真相だった。

 その話が聞き出せるまでに少々おかしな方向に話が逸れる珍事――横浜の産婦人科で生まれた元気な赤ん坊がどうのと、何故か自分の出生から語り始めた――がありはしたものの、ともかくそれが犯人とされた男自らが語る、彼が犯したとされる事件の“全て”であった。

 すかさずそれに石動からのツッコミが加えられるのだが、奇しくもそれは夜宵がその証言に対して抱いた感想を完全に代弁するものだった。

 

「ちょっと出来すぎだろー、殺しの現場にー、そんなタイミング良く警察がやって来るなんてー」

 

 ねぇ、と同意を求めてくる石動に、夜宵も目を細めながら頷き返す。

 偶々仕事を紹介され、その相手の元を訪れたら既に相手が死んでいて、更に間髪入れず警察がやって来て速やかに拘束された――事態がトントン拍子に進み過ぎている。まるで、最初からそういう流れになるように、あらゆる事象が何者かによって仕込まれていたかのように。これでは、夜宵や石動でなくとも出来すぎていると感じざるを得ないだろうし、もし警察からの取調でも同じ証言していたならば、間違いなく相手にされなかっただろう事は想像に容易い。

 

「……まさか、さっきの「殺してない」って、コレ信じたんですか?」

 

「いや、違うけど、さぁ……」

 

 先程の発言について、訝しみの視線を投げ掛けながら問い質そうとする夜宵に対し、戦兎が返答に困ったように、そっぽを向きつつ、えーと、と頭を掻きながらぼやく。

 少なくとも、この場でちゃんとした言葉で出せる程の根拠は無さそうだった。

 

『よくもまぁ、こんな分かり切った嘘を声高に吐けるものですわ』

 

 こんなのじゃ森の動物さん達だって騙せなくてよ、人殺しの狼さん、と嘲笑混じりのメイジーの声が鞄かから聞こえたが、流石に今回ばかりは夜宵もその言葉を否定する気にはなれなかった。

 そして、間違いなくその声は夜宵にしか聞こえなかったのだから、恐らく石動に対してだったのだろうが、結果的にメイジーの侮蔑に連なる形で万丈が更に叫び返す。

 

「本当に来たんだよォッ! 俺が嘘言ってるように――」

 

 しかし、取り敢えず近くに立っていた戦兎に詰め寄りながら紡がれていたその叫びを、彼は全て言い切る事が出来なかった。

 万丈の背後――高さ3m程、幅と奥行き2m強という巨体をそこに鎮座させている白い外装と3段の小さな昇降ステップが取り付けられた機械。対面から見たその右側に取り付けられた小さな扉が、突然のブザーと爆発音、そして噴き出す白煙を伴って勢い良く開かれた。そしてその音によって、ノオウッ、という情けない悲鳴を上げて万丈が飛び上がったことで、彼の弁明が強制的に切り上げられてしまったからだ。

 そして、そんな彼とは対照的に、それまで神妙な面持ちだった戦兎が不意に――いつものように――破顔し、子供がはしゃぐような声を上げながら、足早に万丈の背後の機械の開け放たれた右側の扉を覗き込み、何かを取り出した。

 それが何であるのか、夜宵は知っていた。知っていたから、あ、と()()()を思い出し、()()()を取り出そうと自分の肩掛け鞄に手を突っ込んで弄り始める。

 その最中にも、手に取ったもの喜色満面の顔で見下ろしながら、最っ高だー、と心底から感激したような弾んだ声色で戦兎が言った。

 

「よっしゃー! 当ったりー!! そうかぁ、今回はゴリラか! あ~、でかしたぞぉ~」

 

 彼が手にしているのは、フルボトルだった。

 何の成分が収まっているのかは流石に夜宵の距離からでは窺う事が出来ないが、戦兎の言葉から察するに、どうやら“ゴリラ”らしい。

 その“ゴリラフルボトル”を右手に、まるで溺愛する我が子を褒める親の様に――実際それを作ったという彼からすれば正しく()()()なのだが――、機械――“フルボトル浄化装置”のゴツゴツとした左側を、空いている左手で戦兎が優しく撫で回していた。

 そこへ、彼が撫でていた浄化装置の左側――スライド式のドア部が開くと共に、その手を、パチン、という小さな音と共に跳ね上げる者が現れる。

 

「ていうか、あたしのお蔭だし」

 

 各種精密機器やコード類がそこかしこに点在する浄化装置の内部から出て来るや、自らを指差してそう告げたのは、一人の少女。

 黒のボブカットの一部をシュシュで頭頂から持ち上げた髪に、水色と白色の横縞模様の寝間着姿で、その左手首には特徴的な黄金色のバングルを身に着けている。

気だるげというよりは、むしろ眠たげに据わった目で戦兎を睨む彼女は、石動 惣一の一人娘――石動 美空だ。

 

「どいて」

 

 そう言うが早いが否か、戦兎を横に押し退け、まるで寝起きの様にふらふらとした足取りで浄化装置から下りる美空。

 俯き加減で歩く彼女はちゃんと前を見ているのか傍から見ても分からず、

 

「ぉお、お前誰だよォッ!?」

 

振り返って絶叫する万丈の存在など知らないかのように、蛇行しつつ彼のいる方へと向かっていく。

 そのままぶつかってしまうのではないか、と思われた次の瞬間、

 

「こっちの台詞だし」

 

バッ、と鋭い衣擦れの音を上げてその両腕が勢い良く跳ね上がった。

 再び吃驚の声を上げて後退る万丈の前で、更に腕を引き戻して両手が眼前に来るように折り曲げた、所謂ファイティングポーズを取った美空が、更に俯けていた顔を持ち上げて射抜くような視線を彼に向ける。

 応戦しようとしたのか、続け様に万丈もファイティングポーズを取るが、悲しいかな、その腰は戦う前から引けている。

 そして、互いにファイティングポーズを取り続け、視線を交わし合いながらの硬直状態に陥ろうとしていた。

 そんなに美空に、何やってんだか、と苦笑しつつ夜宵が声を掛けたのはその時だった。

 

「美空ー?」

 

「ん゛ー?」

 

「昨日のボトル持って来たんだけどー?」

 

「また今度ー」

 

 肩掛け鞄の中から取り出した、昨日のスマッシュから採取した成分の詰まったボトルを見せつつ夜宵は問い掛けるも、再び俯いた美空にそれを押し退けられてしまう。

そのまま、眠いし、寝るし、と呟きながら夜宵の横を通り抜けた美空は、そのまま部屋の奥のベッドの上に倒れ込み、ものの数秒の内に微かな寝息を立てて寝入ってしまう。

 そんな彼女のマイペースないつもの姿に、ハハハ、と苦笑しながら行き場を失ったボトルを夜宵はからからと手元で小さく振るしかなかった。

 

「ともかく、だ」

 

 ふー、と息を吐く音と共に、パンパン、と戦兎が手を叩く音が聞こえ、そちらの方へと夜宵は振り返る。

 

「殺しも脱走もハメられたって言うんなら、二つの事件には何らかの接点がある筈だ。コイツの無実を証明するにも、コイツや俺達に実験をしたガスマスクの連中に近付くにも、そこから洗っていくしかない」

 

 万丈の話に従うのであれば、そう戦兎が纏めたように、彼が関わった一年前の殺人事件と、昨日の脱走との接点を重点的に洗い出していくのが、確かに今取れる最善の選択だろう。――あくまで、彼の話を信じるのであれば、だが。

 戦兎の傍で話が分かったような、分かっていないような微妙な表情を浮かべる万丈に対し、夜宵は疑惑の念を拭い切れない。出会ったばかりの指名手配犯が相手なのだから当然といえば当然だし、彼女のすぐ傍から疑惑の視線を送り続けている男性不信の権化のような化物(メイジー)もいるし、彼女の場合はそれ以外にも()()()()()()()()もあるのだが、それらを差し引いてもその証言はやはり出来すぎている。彼女や戦兎達が三ヵ月や一年という長い期間を費やしても尻尾一つ掴めなかったガスマスクの連中に関わった、という辺りが特にだ。

 とはいえ、その辺りを一々追及してもそれはそれで詮無い事だろう。

 なら、この際その辺りには目を瞑って、大人しく彼の話に従っておく方向で行動するのが、やはり最善ということになるのか。

……なるのだろうか?

 

「……まぁ、分かりましたけど。それで、どこから調べるんですか?」

 

「それな。さぁて、どこからどう調べたら良いもんか……」

 

 腕を組んで、う~ん、と唸りながら思考し出す戦兎を眺めつつ、夜宵もまた今後の展望について思考を巡らせようする。

その一方で、自分と同じように彼をぼんやりとした目で見ている万丈へ、拭い切れない疑念の視線を向け続けながら。

 と、その時だった。

 店と地下を繋ぐ螺旋階段から、何者かが降りて来る音が聞こえて来ると共に、

 

「だったら私も協力してあげる」

 

そんな言葉が彼女達に投げ掛けられたのは。

 

 

 

 そんなnascitaでの万丈 龍我を巡る一悶着が、その後に判明したとあるアクシデントによって更に一波乱起きるも、どうにか一旦の終局を迎え、その場の一同が解散する事となった、その夜。某所。

 

『――ああ、こっちは済んだ。全て、お前の指示通りにしてある』

 

 ()が、いた。

 細かな穴が無数に空いたパンチング板の床を、カツン、カツン、と無造作に踏み鳴らしながら、耳元に当てたスマホからの声に、その男が応答していた。

 

『そっちはどうなんだ? 予定通り、“奴”は逃げ込んだのか? ――ならいい』

 

 会話を続けながら、それまで何気なく動かしていた足を止め、すぐ傍にあった己の胸の下くらいまで高さのあるそれに男は手を掛けた。

 椅子だ。

 細かな彫刻が施された本体に、ふっくらと膨らんで座り心地の良さそうな赤い革の座面が押し込まれた、見るからに高級そうな安楽椅子。その背もたれに掛けた手に力を加え、椅子の背面からその前へ移動した男は、ドカリ、と勢いを付けて座り、足を組んで、脱力した体を背もたれに預ける。

 

『それで? 連れて来た“女”はどうする? こいつを使って“奴”をおびき出すんだろう? ――いいのか? あまり体が良いようには見えないが……。――ああ、“女”のスマホも持ってきている。だが、このスマホに“奴”からの電話が本当に掛かって来るのか?』

 

 “奴”――男と、電話先の相手が話題にしているその人物は、今は追われている身だ。その“奴”が“女”に連絡を取ろうとする可能性は高いだろうが、同時に親しい間柄にある“女”の元で自分を追う者達が待ち伏せている事を懸念して、逆に連絡を控える可能性も無視できないのではないか?

 そんな男の疑問を見透かしていたかのように、電話先の相手がいつもどおりの軽い口調で返答してくる。

 

『そんなこまかい事を考える頭は〝奴“には無い? ……まぁ、いいだろう。ともかく、電話が掛かるのを見計らって、〝奴”をおびき出せば良いんだな? ――ああ、その後は“奴”を追って来た連中の相手を適当にしてやるとしよう。俺も、そろそろ試したいと思っていたところだ』

 

 むしろ、男としてそちらの方が本命と言っていい。

 “計画”の要を――あの“天才”が作り上げた傑作品の出来栄えを、漸く己の目で確認する事が出来るのだから。

 明日になればすぐにでも訪れるだろうその機会が、男にはとってはとても待ち遠しい。それこそ、明日の朝になれば仕掛けた靴下の中に収まっているであろうプレゼントが待ち切れず、興奮のあまり寝付くことが出来ないクリスマスイブの夜の子供の様に。

 

『――何? 奴らも俺に会えるのを楽しみにしている? それは一体どういう――まぁいい。ところで、名前を確認しておきたいんだが? ――分かった。ああ、明日は任せてもらおう』

 

 男のその言葉と、それに連なって電話先の相手が告げた別れの言葉を最後に、そこで通話が打ち切られる。

 用の済んだスマホを仕舞い、それを持っていた左手を肘掛に寝かせ、入れ替えるように手ぶらだった右腕を曲げて、男は頬杖を突く。

 何気なく見渡したその視界の先で蠢く者達を眺める彼のその口が、ボイスチェンジャーによって本来のものから大きく変えられているその声が、ふと呟く。

 

『さて、お手並み拝見だ。“奴”の作り上げた“仮面ライダー”。どれだけ使いこなせているか、俺が見極めてやろう。精々、期待外れでは無い事を祈っているぞ?』

 

 男の()が怪しく輝く。

 

『――桐生 戦兎、星観 夜宵』

 

被験者を押し込めるための巨大な水槽を始めとした各種実験用設備の準備を進めている、何人ものガスマスクを着けた男達を眺めている、羽を広げた蝙蝠を象ったスモークイエローのバイザーが。

 

 

 

 再び時と場所は変わり、万丈を巡るnascitaでの騒動が起きた、その翌日の正午。私立御伽高校、1年B組の教室。

 午前の授業の終了と昼休みの突入を告げるチャイムが鳴り、クラスメート達が財布を片手に購買へ向かったり、弁当を片手に各々個々に机を寄せ合って談話と食事と始めたりしている中、夜宵一人だけは、ハ~、と溜めに溜め込んでいた息を吐き出して机に突っ伏していた。

 

「も~ぉ、本当に嫌になって来る……」

 

 鞄に入っている弁当を取り出すことも忘れ、心底うんざりしながらそう吐いた理由は、夜宵自身の右手に握られた彼女のスマホにあった。

 その画面に表示されているネットニュース――万丈の逃亡と、それを幇助したとされる仮面ライダーの指名手配の情報が、その理由だ。

 この記事を彼女が開いたのは、今日二度目だ。でもなければ、この程度のリアクションで済んではいない。それこそ、最初にこの記事を目にした2限目の授業後の休み時間の時のように、周囲の奇異の視線が一斉に向けられる事など意に介す余裕も無く驚愕の叫びを上げ、適当にトイレにでも駆け込んでnascitaの面々に連絡を取ろうとしていた事だろう。

 

「何が「ええー、マジかよ」、よ……当たり前でしょ、指名手配犯連れて帰ったんだから……」

 

 nascitaに連絡が繋がった際、偶々仮面ライダー捕縛のために政府が流した偽のスマッシュの目撃情報に引っ掛かったらしい戦兎からの事後報告に別の電話でも応答していたらしい。それで、焦りと怒りのままにそちらにも追及の矛先を向けた際に、最っ悪だ、といういつもの口癖と共に返って来たのが、上記の台詞であった。

 

『全く、最悪なのはこっちですわ。あの万丈とかいう(狼さん)を連れて来たのは桐生 戦兎なのに、同じ仮面ライダーというだけで私達までこれからはお尋ね者だなんて』

 

 鞄の中から、心底不快気にメイジーが告げて来る。

 万丈を連れて来たのは戦兎だ。だから、指名手配の対象になっているのがビルド()だけであれば彼女達もここまで荒れてはいないだろう。当然の帰結なのだから、夜宵は呆れの溜息を吐き、メイジーはいつものように嘲笑を浮かべるか、そもそも意に介さないか、という程度で済ましている事だろう。

 しかし、政府はご丁寧に万丈を連れ去った赤と青の仮面ライダー(ビルド)だけでなく、その件に直接関与していたわけではないピンクレッドにフードの仮面ライダー(ライダーメイジー)――つまり夜宵までも指名手配の対象にしてしまっていたのだ。

 唯でさえ、親や学校に秘密で仮面ライダーをやっている身。ここに加え、今後は犯罪者として政府に追われる身ともなったワケである。全く身に覚えの無い理由で、完全にとばっちりで。

 その理不尽を招き入れた戦兎に対する今の夜宵とメイジーの怒りと恨みの程は、推して知るべし。

 

「何か、新しい人も増えちゃったし……」

 

 再び深い溜息を吐いた夜宵の脳裏に新たに呼び起こされるのは、昨日の騒動の際に判明したもう一つのアクシデント――その当事者としてnascitaの地下に現れた、一人の女性。

 

滝川 紗羽(たきがわ さわ)さん、でしたわよね? 確か、()()()()()()()()()()()、とか』

 

 あまり聞き慣れない単語であるためか、一部たどたどしい口調でメイジーが確認してくる。

 彼女の言葉の通り、自らをフリーのジャーナリストであると名乗ったその女性は、どうも一昨日の夜に戦兎が倒したスマッシュに襲われていたらしく、その戦闘の後に偶々戦兎が落としたnascitaのマッチを拾い、それを頼りに尋ねて来たらしい。

 その経緯が語られるや、マッチを落とすミスをやらかしてしまった戦兎に、石動と共に夜宵は批難を浴びせようとしたが、しかしそうはいかなかった。

 何故ならば、当時彼女達がいた地下室への入り口は冷蔵庫の扉であり、その扉を地下室への入り口として使うにはそのための手順が必要となる。その手順を踏まずに開けても、各種食材の詰まった冷蔵庫の中身しか出て来ない仕組みになっているのだ。

 当然、マッチに記載された住所を頼りに初めてnascitaに訪れた滝川がその手順を知る筈が無い。誰かが必要な手順を踏まえて扉を開け、更に閉じる事を忘れて開きっ放しにでもしておかなければ、地下室に彼女が現れる筈が無いのだ。

 そして、最後に地下室への扉を開けたのは――当の夜宵自身であった。

 そういえば、と石動から受けた連絡のまま、慌ててnascitaの地下室に入ったはいいが、その後扉を閉めた記憶が無い事を何となく思い出した頃には、既に攻守は一転。

 石動と戦兎から、おいぃっ、と批難の視線を向けられ、更に鞄の中からは呆れたようなメイジーの溜息が聞こえ、耐え切れなくなった夜宵は止むを得ず、

 

――ご、ごめんなさい……――

 

と一歩後退った後に頭を下げるハメになった。――それで済めば良かったのだが、そうもいかなかった。

 

――まぁ~、仮面ライダーの取材させてくれたら最っ高だけど――

 

 などと言われては。

 再三記載するが、夜宵は周囲に秘密で仮面ライダーをしている。というか、周囲に知られる事無く仮面ライダー、あるいはその協力者をしているのは戦兎や石動も同じだ。

 当然、滝川の願いを拒否しようとする二人に便乗する形で、夜宵も止めさせようとした。

 しかし、これまたそうもいかない。

 

――密着取材させてくれなきゃ――バラすよ?――

 

 特ダネが無いと今月が危ない、と同情心を誘おうとしていたのが一転、突然ドスの効いた声で脅してきたのである。

 こう出て来られてしまってはもうどうしようもない。

 止むを得ず、あくまで自分達の正体が分からないようにする、という条件の下、滝川の取材を許可する、という形で昨晩はどうにか落ち着く事となったワケである。

 

「取材なんて……ウィンウィンの関係とか調子良く言ってたけど、正直信用できないんだよね、あの人……」

 

 左右に流した柔らかな茶髪に、整った顔に常に微笑みを浮かべた美人ではあったが、調子良かったり分かりやすく下手に出たりするような言動を取っているかと思えば、こちらの隙を見て要求を遠慮無く繰り出したり、必要とあらば脅迫紛いの事までして来る。言動の緩急の付け方の巧さといい、素人目に見てもこういった交渉事に慣れているのが見て取れたし、そういった点が気づかない内に思わぬ事を喋らされそうで危険に思えた。

 万丈とは別の意味で信用ならない――それが現状の滝川 紗羽に対する率直な夜宵の評価だ。

 

『私も彼女の事は正直そう思いますわ。……女性な分、(狼さん)なんかよりはずっと信用できるとは思いますけど』

 

 自分の言葉に同意しつつも、そう男への不信感を言葉にするメイジーの事を、こっちも平常運転だなぁ、と呆れながら、彼女が中に収まっている鞄の中へと夜宵は気だるげに手を伸ばした。

 漸く昼食を摂る気になった――ワケではない。

 こうして彼女をさせているもう一つの原因が、そこにあるからだ。

 

「後は……これかなぁ」

 

 そうぼやきつつ、鞄の中から取り出した()()を眼前に持ってくる。

 掌大の黒色の板状のボディに、何やら車輪や歯車やら、フルボトル装填用のスロットやらがそこかしこから生えている。何とも奇天烈で形容し難い物体だった。

 しかし、よく見てみればその板状のボディには分け目が中央に入っており、逆側に設けられているヒンジを中心に、その分け目から展開する事が出来る構造になっている。

 そして、その構造に随って展開してみれば、()()が何であるのかは自ずと判明する。

 二つ折りのタッチスクリーンに、表示される各種アプリのアイコン――先程()()を取り出す際に右手から左手に持ち替えたのと同じ、スマートフォンであった。

 

「渡したいものって何かと思ったら……」

 

 昨日の帰り際、美空に渡し損ねたスマッシュの成分の入ったボトルを代わりに石動に渡してnascitaを後にしようとしたところで、あ、と思い出したように戦兎から渡されたのが、この奇怪な造形のスマートフォン――“ビルドフォン”であった。

 半ば押し付けられるよう受け取らされた後、この瞬間を待っていたとばかりに張り切り出した戦兎による、そのビルドフォンの饒舌な仕様説明が始まったりもしたが、その内容を夜宵は殆ど覚えていない。立て続けに起きた万丈や滝川に纏わる騒動ですっかり疲れ切っていて、早く帰って寝てしまいたいと思っていた彼女は、その一心のままハイハイ、と気の無い相槌を返してその場を受け流していたためだ。

 それでも、所々で耳に入って来た戦兎の説明の一部は頭に残ってもいるのだが――。

 

「結局、唯のスマホじゃない」

 

 スマホなら、既に左手に握られている自前のものがある。沙也加がいない今、その電話に掛けてくるのも母かnascitaの面々だけなのだから、営業マンの様にプライベート用と仕事用に、という風に使い分ける必要性も感じられない。

 

――この天ぇ才物理学者 桐生 戦兎の傑作だ! そんじょそこらで売ってるようなモンじゃねぇんだから、大切にしなさいよぉ~!――

 

 そんな事をドヤ顔で、偉そうに鼻を鳴らしながらあの自称天才は宣っていたが――そりゃ、売ってないでしょうよ、とその頓珍漢なビルドフォンのデザインに意識を向けながら、夜宵は心中で嘆息する。

 

「……ま、いっか」

 

 とはいえ、ビルドフォンについてはあくまで貰っただけで、それで何か実害を被ったワケもない。精々、出て来るタイミングが悪すぎて、当時の夜宵の精神的疲れが加速したくらいなものだ。目に見えて危うい万丈や滝川、先の指名手配の凶報に比べればどうという事はない。

 今後は使うか否かは分からないが――取り合えず、この珍妙な見た目が少しはマシになりそうな可愛いストラップとか探そうかな、などと考えながら、閉じ直したビルドフォンを再び気だるげな動作で鞄の中に戻そうとする。

 と、その時であった。

 聞き慣れない着信音と共に、ビルドフォンからバイブレーションが発生したのは。

 不意の事に、夜宵は思わず、うわっ、と声を上げて、机に預けていた上半身を勢い良く跳ね上げさせた。

 同時に、彼女のその動作でビルドフォンが鞄から高々と跳ね上げられる事となり、放物線を描いて落ちて来たそれを慌てて夜宵は受け止めようとする。

 どうにかそれでビルドフォンはキャッチする事が出来たが、それに安堵したのも束の間、周囲のクラスメートを視線が一斉に自分の方を向いている事に夜宵は気づいた。

 受け止める際の一連の行動が流石に大袈裟過ぎたのか、周囲から向けられる奇異の視線に程無く耐え難い羞恥感を覚えた夜宵は、すぐさま鞄を取り、自分の席から右奥にある教室の出入り口の方へと足早に向かった。

 

「……何、今の?」

 

「何かの芸?」

 

「星観さんってそーゆー事する子だったっけ?」

 

「つか何、さっきチラっと聞こえたダサいの?」

 

「もしかしてスマホの音? 星観の? ――ぷっ」

 

 教室の出入り口を出たところで、そんなクラスメート達の苦笑や嘲笑混じりの会話が少し聞こえた。それによって更に悪化した羞恥に耐え切れなくなり、逃げるように夜宵は教室を後にする。

 そして、一年生の教室が並ぶ廊下に設置された二つの階段の内、彼女の教室から見て遠い方の階段へと移動した夜宵は、階段の手すりに背を寄せ、再び開いたビルドフォンのタッチスクリーンを確認した。

 表示されているのは、電話番号のみだった。相手の名前等の表示は無い。

 だが、その番号には見覚えがあった。――nascitaの電話番号だ。

 それを確認し、併せてタッチスクリーンに表示されている通話アイコンをタッチして、デコボコしたビルドフォンのボディに持ち難さを覚えつつ、夜宵は応答する。

 

「もしもし?」

 

<よ~ぉ、俺々、俺だよ!>

 

「……マスター?」

 

 電話越しに聞こえて来たその陽気な声に、眉根を寄せて夜宵は問い返す。

その声の主は、確かにnascitaの店主(マスター)、石動 惣一であった。

 

<今出てるの、昨日戦兎が渡したビルドフォン(ヤツ)だよな? いやぁ良かった~、ちゃんと番号合ってるか、不安だったモンでさぁ~。ああ、nascita(ウチ)の番号登録しといてね。まだ何も入ってないでしょ、お前のビルドフォ――>

 

「あのマスター。……今、学校なんですけど?」

 

 自身が現役の高校生であり、この時間帯は就業中である事。そして、就業時間中は殆ど仮面ライダーとして活動出来ないので、極力連絡しないで欲しいという事。――それは、仮面ライダーを始めるに当たって、夜宵が念を押してnascitaの面々に告げていた事だ。

 当然、その事は石動も良く分かっている筈なのだが……。

 

<いや、分かってるよぉ。お前が今学校だって。うぅん、俺も果たして連絡して良いものか悩んだんだけどさぁ~>

 

「だったら連絡しないで下さいよ! さっきなんか驚ろかされたし、恥掻いちゃったし」

 

 先程着信が入った際の一幕を思い出しながら文句を言う夜宵。

 それに対して石動から返って来たのは、

 

<あ~、そうだったのぉ? ゴメェ~ン! ホントゴメ~ン!>

 

いつも飄々とした笑顔をそのままに言っているであろうことが容易に想像が付く、あまり誠意の感じられない謝罪であった。

 それに細めていた目を更に細くし、更にもう一言二言小言を言ってやろうと夜宵は息を吸う。

 が、それよりも早く入って来た石動の言葉が、彼女のその行動を中断させる。

 

<いや、でもさぁ、今回はちょっと本気でマズい事になっちゃってるからさ。流石にこればっかりはお前にも出てもらわないとマズいんだよ、いやホント。なんせ、()()()()()()()()からさぁ>

 

「は?」

 

 ()()()()()()()()――その言葉に、反応せざるを得なかったからだ。

 その理由はたった一つ。

 逃げられる、などいう言葉が出て来る状況にある人物は、今、夜宵と石動に共通して、たった一人しかいない。

 そして、その人物に()()()()()()()()という事は、確かに就業時間の事など無視してでも連絡しなければならない()()()()と言えた。

 

<いやさぁ、ねぇ。うん。――()()()()()()()()()()()()>

 

「――はぁああああぁぁ!?」

 

 すなわち、指名手配中の万丈 龍我がnascitaから逃亡したという、その事態は。

 

 

 

 時は少しばかり遡り、11時少し前。

 仮面ライダー指名手配のニュースと、それに纏わる一悶着が収まってから十数分程度経過したnascitaの、その地下室。

 先の騒動で引き起こされた慌しさや騒々しさが鳴りを潜め、静けさが戻ってくるには程よい時間を経たその室内で、しかしなおもけたたましい音を上げ続ける存在がそこにいた。

 

「おいッ! 何だよこの鎖! 外せよ、おいッ!!」

 

 万丈 龍我であった。

 地下室の空間を支える四本のトラス構造の柱の、その一本に彼は拘束されていた。

 何故今彼がこのような事態に陥っているかといえば、

 

「無理だし。アンタまだ容疑者(グレー)だし、襲われたくないし」

 

フルボトル浄化装置の昇降台から、その横に設置されている黒板の傍の椅子へと移動する、フリル付のピンクのシャツに、それよりやや濃いピンク色のオーバーオール姿の少女――石動 美空の、スマホを弄りながらのその言葉の通り、信用されていないからであった。

 誰が襲うか、と反論しつつもなお拘束を解こうと万丈は足掻くが、背後の柱の隙間に後手に通された彼の両腕に巻きついたその鎖は、素手でガーディアンを破壊できるそのバカ力を持ってしても軋み一つ上げない程に頑丈で、解ける気配が全く無い。

 止むを得ず、一旦張りつめっ放しだった腕の力を抜いて休憩する事にした万丈は、この機にずっと抱いていた疑問について問い質してみる事にした。

 

「ていうか、お前ら何モンなんだよ?」

 

 目の前のアンニュイな少女と、その父親だという飄々とした中年男――石動 惣一に、後からやってきたブレザー姿の茶髪の少女――星観 夜宵。そして何より――昨日彼をこの喫茶店に連れ込んだ、あのトレンチコートの青年――桐生 戦兎。

 逃走の最中だった万丈を捕まえると告げたかと思えば、彼に襲ってきたあの奇怪な化け物に、それを倒した、あの時の彼のあの赤と青の姿。

 ブレザーの少女の後に現れたジャーナリストを名乗る女性――滝川 紗羽が何度か“仮面ライダー”という言葉を口にしていたが、それが関係するのか?

 何もかも分からない。あまり良くないと自覚する自身の頭でいくら思考しても答えなど出ない事が分かり切っている万丈としては、“?”しか浮かばないこの疑問にいい加減ケリを付けたかった。

 そして、そんな彼の方を見る事無く、変わらずスマホを弄っている美空から返ってきた答えはこうであった。

 

「東都の町を守る、正義のヒーロー」

 

「――は?」

 

 返答の意味が分からず、思わず間の抜けた声を出す万丈。

 そのまま、お前何言ってんだ、と流れのままに口を動かそうとした彼に、その前まで歩み寄った美空が、変わらずスマホを見ながら、どこからか持ってきたブラックボードを突き付けてくる。

 

「詳しくはこれ読んで」

 

 そうとだけ告げたA3大のそのブラックボードには、様々な色のマジックで何かの絵や文字が書かれている。

 それを詳しく見るため、万丈は両腕と違い自由なままである裸足の足でブラックボードの額縁を掴み、半ば奪い取るようにして、それを自分の眼前まで近付けた。

 

「えーっと……スマッシュを人間に戻すには、倒してその成分を抜き取る?」

 

 ブラックボードの一番上に書かれていた表題は“怪人ボトルとは”。そして自ら読み上げたその内容は、昨日の怪人――スマッシュと、それを人間に戻す方法。その過程で抜き取ったスマッシュの成分がフルボトル浄化装置によって、仮面ライダーが使う事が出来るフルボトルへと変換される事を、極々大雑把に説明するものであった。

 

「……あー、うん、ナルホド?」

 

 ブラックボードに書かれている事について、何となく分かったような気がした万丈は、取り敢えず頷いてみせる。

 正直ブラックボートの説明だけのみだったら何も分からなかっただろう。実際に昨日スマッシュを目にし、それが倒され、その成分を抜かれて人間に戻される様を目にした後だからこそ、この大雑把な図解と言わんとする事が、一応は理解できたのだ。

 それに、昨日の戦兎のあの赤と青の姿こそがやはり仮面ライダーという奴――更にはビルドという名前でもあるらしい――であることも、ブラックボードの解説の中に、ピンクレッドに黄緑色の目の似たような顔と並ぶように描かれていたお陰で分かった。

 

「浄化できるのはあたしだけ」

 

 そのままブラックボードを眺め続けていたところで、ふと美空のそんな言葉が聞こえてきた。

 それに反応して視線を上げてみれば、いつの間にやら彼女はその場で立ち上がっていた。

 

「――あたしには、()()()()()があるの」

 

 自らの左腕に巻かれた黄金に輝く腕輪(バングル)を物憂げな眼で見下ろす美空。

 そんな彼女を何となく見上げる万丈であったが、そこでふと気づく。

 今、美空は腕輪を右手で掴んでいる。何も持っていない、先程まで持っていた筈のスマホが無い右手で。

 ではそのスマホがどこにいったのかと視線を下げてみれば――あった。

 美空の傍に。腕輪に意識が行っていて、その存在を忘れ去ってしまっている持ち主の、その足元に。

 そして、万丈はふと思いつく。――これはチャンスだ、と。

 

「へ~ぇ、ホントかねぇ~?」

 

 出来る限りの厭味ったらしい笑みを浮かべ、これでもかと胡散臭げな声で万丈はそう言って見せる。

 それに反応した美空から、はぁ、と不快気な声が上がる。

 ――まんまと食いついてくれた。

 

「お前みたいなガキに、そんなことできるワケねぇだろ? 違うってんなら、今すぐその浄化ってのやってみろよ。それとも、やっぱり嘘か?」

 

 更に言葉を重ね、足の裏すら突き出して挑発していく万丈。

 それが見事に功を為し、

 

「嘘じゃないし! やってやるし」

 

上手い具合にその気になった美空が腕を組んでそう宣言する。

 そして、丁度夜宵が持ってきたボトルもあるし、と乱暴な足取りで歩み寄ったフルボトル浄化装置の右上の小窓のようなボトル設置部にオーバーオールのポケットから取り出した浄化前のボトルを入れ、

 

「出来たら、アンタからバイト代貰うし」

 

覚悟しろ、とばかりに拳を突き出す美空。

 その姿が閉められる浄化装置の扉の奥へ消えてから少しだけ間を置いた後、それまで浮かべていたほくそ笑みを消して真剣な表情へと切り替えた万丈は、結局最後まで気づかれる事無くその場に放置された美空のスマホを足で引き摺り寄せ、驚くべき器用さで足の指を操ってある電話番号をそれに入力した。

 彼にとって特別な存在。

 今の彼の言葉を手放しに信じてくれるかもしれない、いや信じてくれるであろう唯一の存在の、その番号を。

 そして入力を終え、連絡先に繋がるまでのコール音をもどかしく感じつつ、体を強引に傾けて地べたに置かれたスマホへ耳を当てて万丈は待ち――応答を知らせる、プツッ、という電子音が聞こえると共に、叫んでいた。

 

「――香澄(かすみ)ッ! 俺だ、龍我だッ!!」

 

 スマホのスピーカーから聞こえてくるだろう、その声に。

 逮捕されて一年近く聞く事が出来なかった、聞きたくて堪らなかったその声の相手に。

 そして、万丈が待ち望んで止まなかったその声が、すぐに彼の耳へと入ってくる。

 

<龍我!? 龍我なのっ!? 助けてぇ!!>

 

 ――彼が思っていたものと幾分か違う、恐怖に染まった鬼気迫る声色で。

 

 

 

<――と、いう訳で。浄化終わらせてみれば残っていたのは千切れた鎖だけで、丁度美空のスマホ持って出て行ったみたいだから、それのGPS頼りに追うように戦兎に連絡を入れたってところまで聞き出したところで美空も(力尽き)ちゃって。で、その戦兎とも何か連絡付かなくてこりゃマズいな、ってところでお前に連絡入れた、ってワケよ>

 

 nascitaの地下に拘束中だった万丈に逃げられるまでの経緯についての、石動からのその説明が終わった時、眩暈を覚えた夜宵は思わずその場でたたらを踏んだ。

 

「……何やってんですか、ホントに……」

 

<いや~、ガーディアン素手で壊せる奴だからとびっきり頑丈な(ヤツ)持ってきたつもりだったんだが、それでも駄目とか、トンでもない腕力してんなぁアイツ>

 

 そんな他人事のように呑気な石動の言葉が続けて電話口から響いてくるが、今の夜宵の耳にその言葉は聞こえない。

 万丈に逃げられた、となれば続いて連想されるのは当然彼の捕縛だ。指名手配中の彼を捜索中の警察や政府の特殊部隊と鉢合わせられでもしたら目も当てられない。そうなった果てに、仮面ライダーやnascitaの事を彼が喋りでもしようものなら――。

 

『何てことですの……あの狼め……! 夜宵ちゃん、考えている暇などありませんわ! 急いで万丈 龍我を連れ戻さないと!!』

 

 鞄の中からメイジーが焦りと怒りの混ざった声を上げる。

 彼女の言う通りだ。一刻も早く万丈を連れ戻さなければならない。――言われるまでも無く、その事は夜宵も理解している。

 だからこそ既に駆け下り出していたのだが、その一方で、万丈を追跡するに当たってある問題がある事にも思い至っていた。

 

「分かってるわよ、そんな事! でも、()()()()()!?」

 

『どうやって、って……ともかく追い掛けるに決まって――』

 

「走って追えって言うの!? ここからどれだけ離れてるかも分からない相手を!」

 

『あっ』

 

 そう、追跡するための手段()だ。

 万丈の現在地そのものは、彼が持って行った美空のスマホのGPSを追えば知る事は可能だ。が、判明したその位置が夜宵の現在地である御伽高校から遠く離れていたら? そこから、更に離れるように移動されたら?

 勿論、いよいよとなれば走ってでも万丈を追うつもりではある。仮面ライダーに変身すれば、人間離れした速力を一時的に身に着けられる。

 しかし、現在は刻一刻を争う状況だ。仮面ライダーの身体強化とて限度がある以上、変身しても追い掛けても相応に時間が掛かる可能性はある。

 というか、その仮面ライダーでさえ今は万丈共々指名手配中なのだ。変身して往来を駆け抜けるような真似でもしようものなら、当の夜宵自身が目立ち、追手を引き寄せかねない。

 つまり、変身した時以上の速度を得られ、尚且つ今のブレザー姿のままで万丈を追跡出来るような手段()が早急に必要ということだ。

 が、無い物ねだりしたところで、そんなものがポンと出て来るワケでもない。

 ――()()()()()()()のであれば、尚更。

 

<オイオイ、何言ってんだよぉ? 走って追うって、そんな事する必要無いだろぉ?>

 

 耳に当てたままだったビルドフォンから、不意に石動がそう告げて来た。

 階段を駆け下りる足を止めないまま、それに対し、はぁ、と夜宵は言葉を返す。

 

「マスターこそ何言ってんの!? 他に何か方法でもあるっての!?」

 

<あるでしょ? ホラ、今お前が使ってる()()()()()()とか>

 

「は?」

 

 既に階段を抜け、そのすぐ前の正面玄関に足を踏み入れ、後は上履きと下駄箱の中のローファーを履き替えるだけというところで、一旦足を止めた夜宵は耳に当てていたビルドフォンを眼前に移動させた。

 

「これ……? この、変な形のスマホが?」

 

 首を傾げつつ、見下ろすビルドフォンを傾けたりしてみる。

 玄関口から差し込んで来た光で黒光りするそれは、変わらず奇妙な形状のスマホという感想しか浮かばない。

 すると、その妙な形状のスマホから、は~、という石動の嘆息が聞こえて来る。

 

<横で見てて怪しいなとは思ってたが、やぁっぱり戦兎の説明聞いてなかったなぁ? まぁいい。そいつの使い方説明してやるから、まずは外に出てくれ。人目に付かないトコにな>

 

 そうして、なお困惑しつつも石動の言葉のままに夜宵は玄関を出て、校庭に出ている生徒達を極力避けるように人気の無い校舎裏まで移動し、彼から受けた説明のままにビルドフォンを操作した。

 その結果現れた、その“足”を目にした時に、彼女が最初に口にしたのは、

 

「……ああ~……」

 

驚きと呆れと、そして納得の感情が綯い交ぜになった声であった。

 

 

 

 一方――。

 都市部から離れた郊外、山林部に建てられたとある病院。人里から離れた、豊かな自然に囲まれたその白い外観のすぐ傍で、キィッ、という短いブレーキ音を立てて一台のバイクが停車した。

 被っていたヘルメットを乱暴に脱ぎつつ、慌ただしくバイクから降りたのは、編み込んだ茶髪の青年――万丈 龍我。

 

「香澄……!」

 

 前方に聳え立つ病院を見て彼は口にする。――この世で最も大切な存在の名を。

 nascitaで電話越しに彼女の助けを呼ぶ声を聞いたあの後、火事場のバカ力とばかりにありったけの力を使って鎖を引き千切った万丈は、その勢いのままnascitaを出るや、すぐ傍に停車していた――使ってくれと言わんばかりにキーが刺さったままだった――バイクを発見し、すかさずそれに飛び乗った。そして記憶を頼りに、病弱だった彼女が入院していたその病院を目指し、途中幾つかの思わぬ障害に見舞われたものの、どうにかそこへ今辿り着いたところだった。

 そんな彼の今の心境は、冷静などとは程遠い。

 今はともかく、一歩でも先へ進みたい。

 急いで彼女の下に辿り着きたい。助けねばならない! ――そんな焦りの感情が、今も万丈の体をグイグイと引っ張り続けている状態なのだ。

 だから、そこへ向けて駆け出そうと、万丈は一歩踏み出した。

 ――それと同時だった。

 病院が――彼が向かうはずだった、その病室がある辺りが――、突如爆発したのは。

 

「うおぉぅ!?」

 

 吹き上がる猛烈な爆風、次いで降り注ぐ大小様々な瓦礫に、溜まらずその場で立ち止まり、掲げた腕で身を庇おうとする万丈。

 幸いにも、彼目掛けて飛んで来たのは比較的な小さな破片や更に細かな煤だけだったため、特に怪我を負う事無く、それらで衣服が少し汚れるだけで被害は済んだ。

 そして、どうにか爆風や飛沫を凌ぎ切って庇っていた頭を上げた万丈は、その視界に先程まで存在しなかった()()()()を捉えた。

 そこら一帯に転がる瓦礫や燃え上がる炎の中から、ゆっくりと彼の方へ歩いて来る、その怪人の姿を。

 

「……アイツ、昨日のと同じ奴か……?」

 

 突如現れた怪人の姿に、昨日自分に襲い掛かったあの青と黄色の怪人を思い出し、万丈は身構えた。

 結論から言えば、正解であった。

 巨大な球形の頭と両肩に、中央の円筒状の放射部とそれを左右から挟む小さな穴が並んだ銀のカバーで構成された火炎放射器となっている右腕が特徴的な、オレンジ色を基調としたその怪人の名は“バーンスマッシュ”。

 昨日逃走中であった万丈に突如襲い掛かったストロングスマッシュと同じ――人体実験によって人が変貌した存在――スマッシュである。

 つまり、

 

(ってことは、アイツも中身は人間ってことか?)

 

ということだ。

 では――今万丈へと迫っているバーンスマッシュは、()()()()()()()()()

 その答えを、程無くして万丈は知る。

 

『遅かったな、万丈 龍我』

 

 何処からともなく聞こえて来た、そんな声によって。

 

「テメェはッ……!」

 

 すぐさま、万丈は頭を振り、声の主の居場所を探ろうとする。

 ボイスチェンジャーでも通しているのか、妙に濁音が強いその声を彼は知っていた。

 当然だ。

 その声の主こそ、彼女の助けを聞いたあの電話を通して、万丈にこの場に来るように指示した存在だったのだ。

 攫われた彼女に会わせてやると、そう告げて。

 ――だからこそ、

 

『約束は果たしたぞ。……お前の女は今、()()()()()()

 

「っ!?」

 

続いて声が告げたその言葉に、万丈は愕然とせざるを得なかった。

 

「……コイツが……?」

 

 呟く万丈の声は震えていた。

声が告げた事を信じるならば、つまりはそういう事だ。

 目の前に立つスマッシュの正体は、万丈 龍我がこの世で最も大切に想う存在。

 

「……コイツが……香澄?」

 

 最愛の恋人――小倉 香澄(おぐら かすみ)であるという事だ。

 

「本当に……お前なのか?」

 

 はいそうですか、と受け入れるには、あまりにも衝撃的な話だった。

 だから、自分でも気づかない内に、万丈は構えを解いていた。無防備になっていた。

 その隙だらけの状態の彼に、急接近して来たバーンスマッシュの左の拳が容赦無く襲い掛かって来た。

 対応する間も無く、腹に受けた強い衝撃に水掫を打った万丈は、間髪入れず繰り出された当身によって吹き飛ばされ、背後の地面へと転がされる。

 

「……本当に……香澄、なのか?」

 

 受け身も取れず、無造作に背を打ちつけられた衝撃に咳込みつつも、なおも信じられない思いのまま、視線を向けて万丈はか細い声で問うた。

 その問いへの応答も無く、彼の視線の先でバーンスマッシュが火炎放射器の右腕を――左手で握りながら――高く掲げ、その先端から噴き出したオレンジ色の炎で何かを形作っていく。

 火球だ。

 見る見る内に大きくなっていくその火球が、バーンスマッシュの球形の頭より一回り大きい程度の直径になったところで――僅かに震えながら――その右腕と共に万丈の方へと向けられる。

 そして、時折炎を噴き出すその火球が程無くして、その体を焼き尽くさんと万丈の方へ発射され――ようとした、その時であった。

 無防備になっていたバーンスマッシュの横っ面目掛け、けたたましい駆動音を上げて何かが突っ込んで来た。

 その勢いに耐え切れず、発射寸前だった火球を明後日の方向へ飛ばしながら、バーンスマッシュが万丈の視界の左端へ吹っ飛んでいく。

 そして、先程までバーンスマッシュが立っていたそこに、新たに現れたその何か―― 一台のバイクが、キッ、というブレーキ音を立てて止まる。

 そして、そのバイクに跨っていた運転手が被っていたヘルメットを取って、突然の事態に呆気に取られていた彼の方へと振り向いた。

 その顔を目にして、あ、と万丈は声を上げた。

 

「お前っ、昨日のッ!」

 

「本っ当にもぉ~……何してくれてんのあんた……」

 

 バイクの運転手が――昨日、彼と戦兎の後に喫茶店の地下室にやって来た、あのブレザー姿の少女――星観 夜宵が、昨日の恰好そのままの姿で、心底呆れ返っていると言わんばかりにしかめっ面を浮かべて溜息を吐いていた。

 

 

 

 ()()を見た時、夜宵は仮面ライダーとしての活動を始めて一ヵ月程経った頃の、ある出来事を思い出していた。

 

――お前、ちょっとバイクの免許取ってこい。受験料は出してやるから――

 

 切欠は、そんな戦兎の突然の一言だった。

 あまりに唐突で、突飛な指示だった。

当然の如く、はぁ、と声を上げて、何故そんな事を言い出したのかと夜宵は問い質したのだが、それに対する戦兎の答えは次の通りだった。

 

――仮面()()()()っつうからには、バイクくらい乗れないとダメでしょ? 後、お前平日は基本学校だろ? 欲しいでしょ? ちょろっと学校抜け出して、ぱぱっと現場に向かって、ささっと終わらせて何事も無かったかのように戻れるような、そんな便利な足がさぁ――

 

 この答えを聞かされた時、果たして何を何処から突っ込めばいいのかと夜宵は本気で悩んだ。

 まず、彼女としては学校のある間はよっぽどの事が無い限り仮面ライダーとして活動する気は無い。それに、足として使うからには常に傍にバイクが無いといけないワケだが、バイクの停車など御伽高校では――というか大半の高校では、基本的に認められる行為ではない。

 というか、免許習得のための費用は出すと言っているので別としても、裕福とはおよそ言い難い星観家の財政事情的に、バイクそのものの費用を捻出する余裕など存在しない。仮にあったとしても、いきなりバイクがどうのなどと言い出せば、母に余計な心配を抱かせることは想像に容易い。

 というワケで、その辺りの事を理由にして反論してみたところ、続いて戦兎がこう返してきた。

 

――ああ、バイクの方は考えとく。俺も必要だったし。で、免許の方な。大丈夫大丈夫。世の中には一発試験ってものがあるからよ――

 

 運転免許を取得する際、大抵の人間は教習所で必要な講習を受けた上で取得試験を受けるであろう。が、実はこの取得試験自体はこの講習を受けずとも挑む事が可能なのだ。この講習をすっ飛ばして直接挑む試験が、所謂一発試験である。

 一発試験の場合、本来教習所で講習を受ける事で発生する費用や経過する時間が無くなる為、通常より費用と時間の消費を抑える事が出来るというメリットがある。このメリットが、捻出できる費用に限りがある夜宵の懐事情や、掛かる期間が少ない分母に秘密で免許を取得しやすいという点で上手く合致するのだ。

 ただし、本来なら受けておくべき講習や、教習所側で行ってくれる手続きの一切を無視しての試験になる以上、その難易度は当然通常の試験よりも高いものになる。それで失敗と再受験を繰り返し、結果通常の試験以上の費用と時間を消費して前述のメリットを潰してしまう事例もザラだ。

 詰まる所、その難易度の高い一発試験を、それこそ一発で合格してこい、と戦兎は言っていたワケだ。

 当然、出来るワケが無い、と夜宵は反論したのだが、その彼女の反応を最初から分かっていたかのように、そこでこの俺特製の対策ビデオだ、と彼からDVDを一枚渡された。

 そして、結局その流れのまま、渋々渡されたDVDを一週間程見続けて対策する事となった夜宵は、それによって驚くほど簡単に一発試験を終え、無事普通二輪免許を取得する事となった。

 ……代償に、一発試験の翌日に控えていた英語の小テストがまともに勉強できず、見事な赤点で終わったが。

 ともかく、そんな経緯を経て手にした普通二輪の免許が意味を為す事が無いまま二ヵ月程が過ぎ、そして現在に至ったワケだが……。

 

(今になって役に立つなんて……しかも……)

 

 ()()――御伽高校から、奪われた美空のスマホのGPSを頼りに、万丈を追ってこの郊外の病院のすぐ傍まで乗ってきた、そのバイク。

 銀色の歯車が飛び出たようなフロントカウル。燃料タンクに当たる部分に白線で刻まれた、斜め分けの歯車のようなビルドの紋章(ライダーズクレスト)に、まるで巨大なフルボトルがそこに収まっているのかのような形状のリアシート。それ以外にも独特の要素が詰め込まれた普通二輪サイズのそれは、結論から言えば戦兎からそうと知らずに手渡されたものだ。

 そう、()()()()()のだ。そのままでは引き摺って動かすのも中々苦労させられそうな、その大きな車体を。全くそうと気づく事無く。

 その絡繰りの正体は、夜宵がその車体から降りるや、

 

<Build Change(ビルド チェーンジ)!>

 

そんな電子音を上げてからいくつもの機械音を立ててその形を変形・縮小し、それが終わるや一人でに彼女の掌の中へと飛び込んで来た後の、先程までバイクだった筈のそれ――ビルドフォンが物語っていた。

 “マシンビルダー”――それが、この一見して珍妙な形のスマホにしか見えなかったビルドフォンの真の姿。

 バイクの高い走破性と移動能力に、スマホの携帯性と電話機能を始めとした各種モバイル機能を付与した事で、大きな車体の駐車スペースを不要とし、尚且つ時や場所を選ぶこと無く目的地への急行を可能とした、唯一無二のハイパービークルだ。

 それにしても……まさか、駐車スペースの問題をこんな方法で解決してくるとは……。

 

(天才とバカは紙一重なんて言うけど、アレって本当なんだなぁ……)

 

 右手の中に納まったビルドフォンを、関心と呆れが混ざった目で夜宵は見下ろす。

 縮小するのはまだ良い。実際に使ってみた感想として、携帯出来るバイクというのは確かに便利だ。平日は基本学校である学生の身としては、瞬時に出し入れできる足があるのは間違いなく有り難い事ではある。

 しかし、何故よりによってスマホへの変形機構まで付けたのか?

 別にあって困るとまでは言わないが、ともかくスマホ時の見た目や使い勝手は相当に難がある。特に、そこかしこから飛び出るバイク時の車輪等の部品が。

 あのナルシストの事だ。その事を問い詰めれば、きっとこう返すだろう。

 

――何言ってんだよ! これが良いんじゃないの! この飛び出た車輪が! この突き出したフルボトルスロットが! この天っ才的なデザインが分かんないとか、本当に凡人だな! このお子ちゃまめ!――

 

 ふぅ、と諦めの溜息を一つ吐き、ビルドフォンと、ビルドフォン背部のフルボトルスロットから引き抜いた一本のフルボトル――明るい金色のトランジェルソリッドに、口を開けて吠えるライオンの顔の凹凸模様が刻まれたライオンフルボトルを共にブレザーのポケットにしまってから、彼女から見て左側に居る万丈の方へ、夜宵は半身を翻した。

 

「お前、昨日のガキじゃねぇか! 何でお前までここに来てんだよッ!?」

 

 その場で仰向けに倒れ込んだ姿勢だった万丈は、夜宵が振り返ってすぐの時点では呆気にとられたように開口していたが、少し間を置いて気を取り直すや、動揺混じりにそう怒鳴りつけて来る。

 そんな彼に、夜宵はガクリと肩を落として、溜息を吐き出していた。

 

「どこかの誰かさんが逃げ出したせいでしょ。お陰で学校抜け出して来ちゃったし、ホントいい迷惑なんだけど……」

 

 この場に来るまでに可能な限りマシンビルダーのスピードは出してきたつもりだが、それでももう午後の授業が始まってしまっている頃だろう。

 本当にいい迷惑だ。一体、何のつもりでこんな事仕出かして――。

 

『そんなの考えるまでも無いでしょう? 逃げ出す理由などたった一つですわ。昨日の話はただの出任せ。やはりこの男は、人殺しの狼さんですわ!』

 

 肩に掛けた鞄の中から、夜宵の思考を読んだかのようにメイジーがそう言ってくる。

 アップルフルボトル(そのメイジー)を鞄から取り出して向かい合うが、今回ばかりは彼女の言葉に反論する気は起きなかった。

 

「やっぱりそう思う?」

 

『それ以外に逃げ出す理由が何かありますか?』

 

「……無いね」

 

「? お前、どこ見てんだ?」

 

 万丈からすれば、突然夜宵がそっぽを向いて、誰もいない明後日の方向に話し掛けているようにしか見えなかっただろう。若干困惑気に問い掛けてくる彼の方へ、手元のメイジーから外した視線を再び夜宵は向けようとする。

 が、すぐにそれを中断し、バッと勢い良く彼女は背後の方へ振り返った。

 それとほぼ同時に、何かが勢い良く夜宵目掛けて飛んで来た。

 先程撥ね飛ばしたバーンスマッシュの、左拳だった。

 マシンビルダーの突進による衝撃から復帰して立ち上がった、その際の音と気配を感じとっていた夜宵は、自らの顔面目掛けて迫るそれを、両手で受け流しつつ、更にその場から飛び退く事で距離を取って回避する。

 それを逃すまいと、今度は火炎放射器の右手を振り被ってバーンスマッシュが距離を詰めようとするが―― 一歩遅い。

 先の左拳の回避と共に、左手に持っていたアップルフルボトル(メイジー)を攪拌していた夜宵は、それを終えると共に空いている右手の指を摺合せ、パチン、と鳴らす。

 これによって、周囲に転がる瓦礫の内、夜宵の近辺にあった比較的小さめの瓦礫がアップルフルボトル(メイジー)の成分の制御下に置かれ、夜宵の意志のままに浮遊し、一斉にバーンスマッシュへと飛び込んで行った。

 殺到する瓦礫の飛礫は、バーンスマッシュに傷を負わせるには到底威力は足りない。が、その足を止め、時間を稼ぐ役目は充分に果たせる。

 その稼いだ時間の間に――夜宵は右手で肩掛け鞄を弄り、その中に納まっていたMSEアブソーバー付のビルドドライバーを取り出すと共に、用済みとなった肩掛け鞄を、

 

「これ持ってて!」

 

適当に万丈の方へ放り投げる。

 そして、万丈の驚いたような声や文句を背に受けつつ、取り出したドライバーを自らの腰に装着し、既に攪拌を終えているアップルフルボトル(メイジー)を、上部のキャップだけ回転させてから、装填した。

 

<Contraction!>

 

 電子ガイダンスが放たれるや否や、夜宵はドライバー右側のボルテックレバーを握り、回転させる。

 それによって、ドライバーから伸びた透明の管が伸び、枝分かれしたり寄り集まったりしたそれらが見る見るうちにプラモデルの外枠(ランナー)を髣髴とさせる高速成型ファクトリー、スナップライドビルダーを彼女の前後に作り上げていく。

 その間に、足止めの瓦礫が収まったバーンスマッシュが再び夜宵に接近し、掲げた右腕を今度こそ叩き付けようと振り下ろしたが――即座にその右腕は見えない何かに弾かれ、バーンスマッシュそのものを仰向けに地面へと倒れさせた。

 電磁バリアだ。

 フルボトルスロットへのフルボトルの装填に連動して、目に見えない電磁バリアを展開。それによって、変身が完了するまであらゆる危険から使用者を保護する機能がビルドドライバーには備わっている。

 その電磁バリアが、バーンスマッシュの攻撃を逆に跳ね返したのだ。

 そうして、そうこうしている内に展開し終えた――大本の枠から、更に垂直に枠が飛び出て、前後共にF字状になった――スナップライドビルダーの内部をピンクレッドのトランジェルソリッドが行き渡り、前後であべこべになるように、その中心に同色の装甲と黒の布地の、人型の半身が作り出される。

 

<Are You Ready?>

 

「いくよ、メイジー」

 

『ハイハイ』

 

 変身の準備が完了したことを知らせるビルドドライバーの電子ガイダンスを受け、掌大の物を持っているかのような半握りの右手を口元まで移動させるいつもの変身ポーズ(仕草)を取った夜宵は、いつも通りメイジーに声を掛ける。

 そして、いつも通りの気の無い返事が彼女から返って来るのを待ってから、いつも通り待機状態に入っているビルドドライバーを最終シークエンスへ移行させるための音声コード(宣言)を声高に放った。

 

「変身!」

 

 口元に移動させていた右手を、グッ、と握って振り下ろす動作と共に放たれた夜宵の宣言。

 それをビルドドライバーが認識した事により、彼女の前後に展開していたスナップライドビルダーが急接近。それによって、展開していたあべこべの半身同士が、スナップライドビルダー同士がぶつかり合う高い接触音と共に夜宵を挟み込み、組み合わさる事でブレザー姿だった彼女の身体を覆い尽くす。

 ビルドドライバー単体――つまり仮面ライダービルドであれば、この時点で変身は完了だ。

 なので、この時点での彼女は、らせん状のディティールが入ったピンクレッドの装甲と黒い特殊繊維製のスーツに覆われ、黄緑色の一対の林檎の複眼が付いた仮面を被った、ビルドと同等の姿になっている。その姿に敢えて名を付けるとすれば、仮面ライダービルド アップルアップルフォームという事になるだろうか。

 だが、それはあくまでビルドでは、の話だ。

 その状態から、大枠が組み合わさった事で、横から見て大体“干”の形となったスナップライドビルダーの、前後から水平に伸びている小枠部分が倒れ込み、そこにそれぞれ生成されていたフード部とスカート部が更に組み合わされる。

 そうして、今度こそ整形行程を全て終えたスナップライドビルダーが足下に展開していたレールへ、そしてビルドドライバー内へと収納された事で、

 

<Contraction Apple Maisie,Start The First Trial! Yeah!!>

 

仮面ライダーメイジーの全ての変身シークエンスが、今、完了した。

 

 

 

「お前、その姿っ!?」

 

 急に放り投げられた鞄に文句を言っていたのも束の間、見覚えのある黒い機械とボトルを取り出した夜宵の、やはり見覚えのあるプラモデルの外枠のようなものに挟まれる事で変わったその姿に万丈は驚愕の声を上げる。

 ピンクレッドの装甲に黄緑色の一対の林檎の複眼。それに頭部を覆うフードに、腰から膝裏までを覆うスカートと、幾つか違う箇所はある。

 が、少女のブレザー姿から転じたその姿は、昨日戦兎がトレンチコート姿から変わって見せた、あの赤と青の姿――仮面ライダービルドに良く似ていた。

 

「お前もアイツと――あの戦兎とかって奴と同じ、ビルドって奴なのかッ!?」

 

「違う」

 

 叫んだ万丈の言葉は、しかし背を向けたまま、首だけを向けた夜宵に即座に否定される。

 その間に、態勢を立て直したバーンスマッシュが再び左腕を振り上げていた。

 その姿をピンクレッドの背中越しに見た万丈は、慌てて指を差しながらそれを夜宵に知らせようとする。

 が、それよりも先に夜宵の左腕が襲い掛かって来るバーンスマッシュの方へ向けられ、擦り合わされたその指が、パチン、と音を立てると共に、何処からともなく飛来したコンクリート片がバーンスマッシュを横っ面が勢い良く弾き飛ばした。

 

「おぉっ!?」

 

 突然現れたコンクリート片と、それによって横へ転がされたバーンスマッシュに目を見開き、驚きの声を漏らす万丈。

 そんな彼の方に向けていた顔を正面に戻し、態勢を直そうともがくバーンスマッシュの方へ歩み寄っていく夜宵の言葉が続く。

 

「ビルドは戦兎さん。私は――っと」

 

 程無く倒れるバーンスマッシュの傍まで夜宵が近づいたその時、すかさず向けられたバーンスマッシュの右腕から火球が放たれた。

 急いで生成したのだろう、先程万丈に放たれそうになっていたものに比べ二回りは小さいそれを僅かに後退して夜宵が回避すると共に、グルリ、と彼女から離れる方へ身を捻ってバーンスマッシュが立ち上がる。

 そして再び右腕を振り被って夜宵に殴り掛かろうとするが――敢無くその一撃は彼女が身を捻りながらもう一歩後退した事で避けられる。

更にその勢いから出来た隙を突かれ、後退と共に高く掲げられた夜宵の右踵が――そこから生えた林檎の切り身のような形の刃が、がら空きのバーンスマッシュの後頭部へと振り下ろされる。

 一瞬の、青白いどろりとした火。響く轟音。

 思わず、一瞬目を閉じる万丈。

 それによって彼の視界が無くなったその僅かな間に、バーンスマッシュが砂利だらけの地面に顔面を埋めて倒れ、その後頭部を踏み付けながら万丈の方に再び顔を向ける夜宵という光景が出来上がっていた。

 

「メイジー。――仮面ライダーメイジー」

 

「仮面、ライダー……メイ、ジー……」

 

 呆然としつつも、おお、と頷きながら、夜宵から告げられたその名前を復唱する。

 そして、顔を正面に戻した夜宵に釣られるようにその視線を彼女の足下へと何となく移動させた万丈は、踏み付ける彼女の足から逃れようと身動ぎするバーンスマッシュを見て、ハッとした。

 

「香澄……ッ!」

 

 見れば、夜宵がバーンスマッシュの後頭部を踏み台に跳んで後退すると共に、今の万丈の位置からでは死角になるためハッキリと視認できたワケではないが、その右手をあの妙な形のベルトの、右側に備え付けられたレバーに掛けていた。

 丁度、昨日ビルドへと変身した戦兎が、あの青と黄のスマッシュにトドメを刺した時の様に。

 

「止めろォッ!」

 

 思考するよりも前に、体が動いていた。

 すぐさまその場から立ち上がった万丈は、一目散に駆け出して、その勢いのまま腕を広げて夜宵の前に飛び込んだ。

 

「アイツを傷つけるなアァッ!!」

 

「ちょ、ちょっと!? 何なのいきなり!」

 

 当然、目の現れた彼に夜宵が困惑の声を上げるが、構わず万丈は訴え続ける。

 

「アイツは香澄なんだ! 俺の()()()なんだッ!!」

 

「えっ……?」

 

 その言葉は流石に予想外だったのか、仮面の中から驚きの声が漏らした夜宵の右手が、少しだけベルトのレバーから浮き上がった。

 それに少しだけ安堵した万丈だったが、それも束の間、何かに気づいたように顔を上げた夜宵に右腕を掴まれ、力任せに引っ張り寄せられた。

 突然のその行為と、自分より年下の少女のそれとは思えない強い力に為す術無く、すぐ傍の地面に尻餅をつかされた万丈は痛みに声を上げる。そして、それとほぼ同時に硬質な物がぶつかり合う音がすぐ真上で上がり、反射的に彼はそちらの方を見上げた。

 そこにあったのは、火炎放射器の右腕を振り下ろしたバーンスマッシュと、ピンクレッドのアーマーに覆われた両腕を×の字に交差させてそれを受け止める夜宵の姿だった。

 バーンスマッシュの腕力が意外と高いのか、両腕を使っている筈の夜宵が攻撃を押し返す素振りは無く、むしろバーンスマッシュの右腕の方がじりじりと、火花を散らせながらピンクレッドの両腕を押し込んでいる。

 格闘家だった頃の経験が、その様子を見ていた万丈にこう判断させていた。――マズイ、このままじゃすぐ押し切られる、と。

 何とかして切り返さなければならない、と彼がそう思った、その時だった。

 

「ぐぅ……“メイジーシザース”!」

 

 呻き声を滲ませていた夜宵が不意にそう叫び、それと同時に彼女のベルトからあのプラモデルの外枠のようなもの形成していた透明のパイプのようなものが何本か伸び、絡み合って何かへと姿を変える。

 そして、それが何であるかを確認する前に出来上がった()()は跳躍するバッタの様に飛び上がり、その進行方向にあったバーンスマッシュの右腕を甲高い音を立てて弾き上げた。

 溜まらず後退するバーンスマッシュと、交差させていた両腕を下ろしつつ同じように後退する夜宵の間へ、空高く跳び上がった()()が回転しながらゆっくりと落ちて来る。

 そこでようやく何であるか判明した()()を見上げ、首を傾げて万丈は呟いた。

 

「……ハサミ?」

 

 開いてX字の形になっている()()は、片側の端に二つの握りを持ち、もう片側に半分に分かれた林檎の形をした刃を備えていた。

 確かにそれは、鋏であった。

 

 

 

 自身の呼び出しによってビルドドライバーから生成された“それ”――バーンスマッシュの腕を弾き上げた後、X字に開いた状態で回転しながら落ちて来たその()を、慣れた手付きで持ち手の片方から夜宵はキャッチする。

 左右対称になった黄緑色のグリップ状の持ち手に、貫通式のフルボトルスロットの軸部を中心に各グリップの逆側に伸びる、半分に分かれた林檎の形をした、左右非対称のピンクレッドの刃が付いたその鋏の名は、“メイジーシザース”。夜宵が仮面ライダーの活動を始めてすぐの頃に戦兎が作り上げた、仮面ライダーメイジー専用の武器だ。

 

「ガアアァッ!!」

 

 メイジーシザースを呼び出すと共に後退させたバーンスマッシュが、雄叫びと共に火炎放射器の右腕を向け、先端に火球を作り上げる。

 その動作を目にした夜宵は、メイジーシザースの開いている方の持ち手にも手を掛け、二つの持ち手を左右に引っ張る。

 すると、彼女の腕の動作に追従するように、メイジーシザースの持ち手と刃が軸部のフルボトルスロットからスライドして、二つに分かれた。

 そして分かれた持ち手と刃の内の、左手に持った方――持ち手の根本付近にトリガーが、刃の上部に円筒形のバレルが設けられた、“ナイフ&ピストルモード”のピストル側――を前方へと向けた夜宵はトリガーを連打し、その発射口から数発光弾を撃ち込むことで、間髪待たず放たれた三発の火球を全て消滅させた。

 更に、火球を放った直後で隙だらけになっているバーンスマッシュへ、右手に持つ、特に何も設けられていない持ち手と薄く鋭利な刃が備えられたメイジーシザースのナイフ側を投げ付ける。

 放たれた刃が高速で回転しながらバーンスマッシュへと飛び込み、その体を切り付けつつ上方へ弾け飛んだところで――それを確認した夜宵の、空になった右手を下へ振り下ろす動きに合わせるように――、進行方向を全く逆の下方へと変え、再びバーンスマッシュを襲いつつ、そのままブーメランのように夜宵の方へ戻って来る。

 

「香澄ッ!!」

 

 戻って来たナイフ側を夜宵が右手で受け止めるのと同じくして、呻き声を上げて怯んだバーンスマッシュ向けて、それまで座り込んでいた万丈が立ち上がり、悲痛気な叫びを上げる。

 そうだ、と夜宵は彼の方を向く。

 さっき、彼が口にしていた気になる言葉。その言葉の意味を確かめるためだったが、夜宵がそれを問い質すよりも先に、万丈の方が彼女に掴み掛って来た。

 

「止めろッつってんだろォッ! アイツは、香澄は俺のオンナ――」

 

「どういう事なの!?」

 

「アァッ!?」

 

「その“俺のオンナ”って!?」

 

 怒鳴りつけて来る万丈に、逆に叫び返す夜宵。

 その勢いのまま、更に彼を問い質していく。

 

「さっきからあのスマッシュの事誰かの名前で呼んでるけど……まさか、あのスマッシュってあんたの――」

 

「だから、そう言ってんだろがッ! アイツは香澄なんだ! 捕まえられてあんなバケモンにされちまってるけど、アイツは俺の彼女(オンナ)なんだ!!」

 

「待って! それじゃあ、nascitaから逃げ出したのって?」

 

「香澄を捕まえた奴らがここに来いって言いやがったんだ! 多分、あのガスマスクの奴らが!!」

 

「……嘘でしょ……?」

 

 必死の形相で叫び返す万丈に、夜宵は絶句する。

 つまり、万丈の恋人があのガスマスクの連中に捕まり、それを知らされた万丈が誘き出される形でnascitaを抜け出した。そして今、スマッシュへと変えられた恋人を嗾けられているというのが、ここまでの顛末という事だ。

 万丈に恋人がいたというのは、それはそれで驚きだが、まさか、その特別な存在を餌にした挙句、怪物にして襲わせようとは――。

 

『卑劣な……! 恋人というだけで、女性を利用し、道具にするなんて!』

 

 欲深い狼さんの所業ですわ、と怒りと侮蔑の滲んだ声を上げるメイジーに、夜宵は内心で頷く。

 恋人という深い仲にあっただけで利用されるなど、あまり理不尽な仕打ちだ。

 ましてや、たったそれだけの理由でスマッシュにされるなど――かつての自分と同じように、人体実験のモルモットにされるなど――!

 抑えきれない怒りが――湧き出す義憤が、無意識にメイジーシザースを握る夜宵の手に力を込めさせ、ギリリ、という摩擦音を上げさせる。

 林檎型の複眼が、未だ態勢を立て直していないバーンスマッシュの方へ意図せず向けられる。

 

「! おい、止めろって!!」

 

 その夜宵の動作に不安を覚えたのか、彼女の肩に掛けたままの手を引き寄せるようにして、再び万丈が夜宵の前に立ちはだかった。

 

「アイツは香澄なんだ! これ以上、アイツを傷つけるんじゃねぇッ!!」

 

 事情が分かった今、彼がこういう行動に出ても仕方が無いと思えた。

 大切な存在が攫われたとなれば、自分の現状など省みず、我武者羅に飛び出しても仕方が無い。

 例えそれが怪物から戻す唯一の方法だったとしても、目の前で大切な存在が傷付いていく様など黙って見ていられる筈など無い。

 そういう万丈の心情が、今となってはよく理解出来た。

 理解出来たが、だからといって彼の言葉通り止まる訳にはいかない。

 だから、

 

「オイッ! 聞いてんのかテっ!? メ? ……ぇ……?」

 

万丈には少し眠ってもらう事にした。

 仮面ライダーメイジーが持つ能力の一つ――黄緑色の林檎型の複眼“ツインアイグリーンアップル”に備えられた催眠術の機能によって。

 ライダーメイジーの能力の根源たるアップルフルボトルの成分が封印されているメイジー自身である事から、元は男殺しの怨霊として彼女が持っていた能力の一つだったのだろう。複眼を通して見つめた相手に暗示を掛けるこの能力はスマッシュや仮面ライダー相手には殆ど効果を発揮しないが、唯の人間である万丈ならば小一時間は十分に眠らせられる筈だ。

 だからこそ、程無くしてその場で俯せに倒れた万丈を避け、速やかにバーンスマッシュを彼の恋人に戻すために夜宵は前を進もうとした。

 駆け出そうとしたその足が、

 

「……や、止めろ……」

 

「っ!?」

 

既に深い眠りに着いている筈の万丈に、即座に掴まれるなどは夢にも思わなかったから。

 

「な、何で……!?」

 

「あ、アイツを……香澄、を……傷つけ……」

 

 咄嗟に、万丈の手を振り解こうと夜宵は足を振った。

しかし彼の手はピンクレッドの装甲越しからでも分かる程にガッシリと夜宵の足を掴んでおり、離れる気配がまるでない。

 こんな事は初めてだった。

 見上げる顔に浮かべた脂汗や消え入りそうな声から、催眠自体は確かに効いている。なのに、意識を、力を保ち続けている。

 これまでも何度か近くにいた人間に、止むを得ず催眠を掛けた事はあったが、いずれも一瞬の内に意識を失って、それっきり適当な時間まで寝入っていた筈なのに。

 

『何なんですのこの男!? こらっ、放しなさい! 夜宵ちゃんから離れなさい!』

 

 恐らくは彼女にとっても初めての事態だったのだろう、メイジーがあからさまに狼狽えた声を上げている。

 そしてまた、夜宵もこの事態に大きく動揺していた。

 それこそ、既に態勢を立て直したバーンスマッシュが右腕を掲げ、先程万丈に放とうとしたものよりも大きな火球を作り上げていた事に、それを撃ち込もうと右腕を下したその直後になって、二人揃って漸く気付いたほどに。

 

「しまっ――!」

 

 口を突いて出て来た、しまった、という言葉すら言い終わる間も無く、火球が放たれる。

 回避はもう出来ない。

 変身している夜宵だけならまだしも、生身の万丈がこれを受ける事は出来ない。

 どうにかしなければ、と心が焦るが、それと反比例するように頭と体が動こうとしない。

 その結果、夜宵は万丈を庇うどころか自分の身を守る行動すら出来ず、棒立ちの無防備な姿を晒してしまう。

 そして、そんな彼女達の事情など考慮するわけも無く、火球は猛然と飛び、接触と共に弾けた爆炎によって夜宵と万丈を飲み込む――かと思われた、その時。

 

<Vortex Break(ボルテック ブレイク)Year(イエーイ)!!>

 

 そんな電子ガイダンスと共に、夜宵達の背後から飛来してきた何か――半透明の、茶色い巨大な拳のようなものが、目前まで迫っていた火球を、真正面から貫いた。

 響く轟音。続く炸裂音と、遅れて聞こえて来た微かな衝突音。盛大に吹き掛かって来る爆風。

 思わず顔の横に手を翳して熱波を防ごうとする夜宵。

 その耳が、すぐ近くで砂利の擦れる音と、響くブレーキ音を捉えた。

 

「――ったく、余計な手間掛けさせやがって」

 

 振り向いた視線の先に、斜め分けの歯車の紋章が描かれたマシンビルダーに跨った()が現れる。

 兎の赤と戦車の青、二色が撹拌された薬品の様に斜めに混ざり合う装甲を纏い、鈍い銀色に輝くドリルが持ち手に刺さったような銃を右手に掲げた、もう一人の仮面ライダー。

 

「本っ当に、最っ悪だ」

 

「戦兎さん!?」

 

「んん? 夜宵? 何で? 学校は?」

 

 仮面ライダービルド(桐生 戦兎)が。

 

「何で、はこっちの台詞よ! あんた、今までドコで何やってたの!?」

 

「あー……気絶させられてた。お前の足下の、ソイツに」

 

「ハァッ!? 何でそんな事になってんのよ!?」

 

「いやー、ちょっと事情聞いてたら隙突かれて……ていうか、俺ばっか攻めんじゃないよ! 文句はソイツに言いなさいよ! そこで寝てる筋肉バカに!!」

 

「だ、誰がバカ、だ、テメェ……!」

 

「お前以外いるかバーカ!!」

 

『……また喧嘩始めましたわよ、この狼さん達……』

 

「ああ~……も~……」

 

――そしてもう一人。

 

『ようやく揃ったか……』

 

 何処からともなく立ち込めた灰色の煙の中から、浮かび上がるように()()()が現れる。

 

「っ!?」

 

「お前は、まさか……!?」

 

 小倉 香澄を攫い、彼女を餌に万丈を呼び寄せ、そしてこの状況を作り上げた黒幕。

 黒を基調に、部分的に銀色があしらわれたアーマー。

 胸元から肩にかけて伸びる、或いは頭頂から高々とそそり立つ排気パイプ。

 そして、その胸元と顔を覆い尽くす、妖しい金の輝きを放つ、羽を広げた蝙蝠。

 

『さて、試させてもらおうか。()が遺した傑作』

 

 下ろしていたその腕に、再び何処からともなく噴き出た白煙が纏わりつく。

 その煙が何処へともなく霧散した時に、その手には先程までなかった筈の、長い何かが握られていた。

 

『お前達、仮面ライダーの力を』

 

 その何か――黒の円筒に、側面に赤いバルブが、下側に金色の刃が付いた剣の切っ先を突き付け、くぐもった声で()()()がそう宣言した。

 

 

 

 その姿を目にした瞬間、戦兎の中で僅かに残る記憶がフラッシュバックを起こした。

 大勢のガスマスクの男に水槽に押し込められ、人体実験をされる自分。

 そして、豪奢な椅子の上で足を組んで藻掻く彼を見下ろす、羽の広げた蝙蝠。

 ――目の前の怪人のそれと寸分も違わない、スモークイエローのバイザー。

 間違いない、と悟った。

 目の前のその怪人こそが、かつて自分に人体実験を行い、記憶を失わせた存在だと。

 そして次の瞬間には、右足――クイックラッシュレッグの跳躍力に任せた一足跳びで刹那の間に距離を詰め、その間にドリルモードへと組み替えていたドリルクラッシャーを振り下ろしていた。

 文字通り目に留まらぬ速さを持って、蝙蝠のバイザーへと鈍い銀の刀身を飛び込ませようとしたその一撃だったが、しかし危なげなくその軌道上に、蝙蝠男の剣の金色の刀身が差し込まれる。

 甲高い衝突音が、火花を伴って響き渡る。

 それに怯まず、なおも力任せにドリルクラッシャーを押し込んで、鍔迫り合いの状態になりながら、戦兎は叫んだ。

 

「蝙蝠男!」

 

『“ナイトローグ”だ』

 

「そんな事どうでもいい! お前、俺の体に何をした!?」

 

『何の事だ?』

 

「人体実験をした筈だ! 俺の頭にはっきり残っているんだ、お前の事が!!」

 

 言っている意味が分からないとばかりに首を傾げる蝙蝠男――“ナイトローグ”に、更に戦兎は捲し立てる。

 が、それに対して、フン、と一笑する声が蝙蝠のバイザーの奥から聞こえたかと思ったその次の瞬間、ギチギチと音を立てていたドリルクラッシャーが、呆気ない程に容易くローグの剣に跳ね除けられた。

 それによって数歩後退させられた戦兎の眼前で、悠然とした佇まいでローグが告げる。

 

実験動物(モルモット)の顔など、一々覚えていない』

 

「お前……ッ!」

 

 心の底から人間を使い捨ての実験動物としか見ていない、あまりにも悪辣な言葉だった。

 その言葉が、正義のヒーローとして、その実験動物(被害者)の一人として、戦兎の内の怒りを逆なで、仮面の中で歯軋りをさせる。

 その怒りに任せ、もう一度ドリルクラッシャーを振り被ろうとした、その刹那。

 

「だったら仲間の顔は!?」

 

 そう叫び、彼とは別の場所からローグへと襲い掛かる影が見えた。

 ピンクレッドのアーマーに、特徴的なフードとスカート。黄緑色の林檎型の複眼。

ナイフ&ピストルモードのメイジーシザースの、ナイフ側を右手に、ピストル側を左手に握った、仮面ライダーメイジー――夜宵だ。

 先程戦兎がやったのと同様に、夜宵がナイフ側をローグ目掛け振り下ろす。

 

『仲間?』

 

 その一撃を逆手に持ち直したバルブ付きの剣で受け止めたローグが、今度は鍔迫り合いに持ち込む事無く、その勢いのままナイフ側を弾き上げた。

 これにより自らの右手から離れ、回転しながら宙へ舞い上がったナイフ側の方を一瞬だけ夜宵が見上げたが、すかさず顔を正面に戻し、左手を突き出してピストル側の銃口をローグのバイザーへと突き付けた。

 

「あんたなら知ってるでしょ!? 2年前に私と私の親友を攫った、あの血まみれのコブラの事を!!」

 

『コブラだと?』

 

 そのままピストル側のトリガーが引かれるかと思われたその一瞬前に、持ち上げていた剣をローグが引き戻し、その背をピストル側の銃身に叩き付けた。

 すかさずトリガーを引かれたピストル側が光弾を数発放つが、剣で叩かれた事で射線がずれてしまったそれはローグに当たることは無く、その後の砂利を跳ね上げるだけに終わる。

 それでもどうにか当てようと夜宵がピストル側の射線を戻そうとするも、間髪入れずローグが剣で薙ぎ払って来る。

 その一撃を胸元の辺りに受け、アーマーから火花を散らした夜宵が呻き声を上げて後退させられる。

 

『まさか、スタークの事か?』

 

「やっぱり!」

 

 叫ぶや、空手になっている右手を夜宵が力強く振った。

 すると、未だ宙でクルクルと舞っていたメイジーシザースのナイフ側が不意に回転を加速させ、彼女の腕の動きに追従するように、猛スピードでローグの方へ向かっていく。

 夜宵の持つアップルフルボトルの念動の能力。それに加え、ボトルの成分により強く反応するよう設定して戦兎が作り上げたメイジーシザースだからこその、そこら辺の物体を操る場合とは比較にならない自由で複雑な動きだ。

 流石にその攻撃は予測外だったのか、短剣の刀身を飛来するナイフ側の軌道上に掲げる事で攻撃そのものは防ぐものの、くっ、という呻き声を確かに漏らしたローグの態勢には、明らかな隙が生じていた。

 それを見逃す戦兎ではない。

 

<Hari-nezumi!>

 

 すかさず取り出したハリネズミフルボトルを撹拌、ドライバーへと装填してラビット側の赤い装甲をハリネズミの白い装甲へと塗り替えた戦兎は、右手のBLDスパイングローブから数本の針を伸ばし、ローグへと躍り掛かった。

 が――。

 

『フン』

 

Elechtric steam(エレキ スチーム)!>

 

 一瞬だけ短剣のバルブを回すような動作を見せたローグが、そのまま上体を下方へ下げる事で戦兎の棘だらけの拳を回避。

 更に、攻撃を避けられた事でがら空きになった脇腹へ、先程までと違い、バチバチ、と刀身から紫電を奔らせる短剣を滑り込ませてきた。

 そして、それが戦兎の胴の装甲と接触した瞬間、凄まじい火花と閃光が彼とローグとの間に弾け飛んだ。

 

「ぐああああぁあぁぁっ!」

 

 同時に走る、突き抜けるような鋭い痛み。

 溜まらず飛び退いてみれば、鋭い痛みこそ収まるが、代わりに痺れを伴う鈍痛が脇腹の辺りに滲む感覚があった。

 高圧電流だ、と荒い息を吐きながら戦兎は悟った。

 

『適当に選んだボトルでは、俺は倒せない。そして――』

 

<Ice steam(アイス スチーム)!>

 

 再びバルブを回す動作を一瞬だけ見せたと共に、逆手に短剣を持ち直したローグが蝙蝠のバイザーを向ける事無く背後へ向けて一閃する。

 ――すぐ間近まで再接近していたメイジーシザースのナイフ側へと。

 すると、冬場で吐いた息のような白い、もやっとした扇を描いた短剣の軌跡に触れたナイフ側が、パキン、という音を立てて急に動きを止め、その場に、ボトリ、と落ちた。

 突然のその事態に最も驚いたのは、ローグから少し離れた位置でナイフ側を念動で操作していた夜宵だ。仮面越しに口元へ手を近づけようとするその様は、遠目にも狼狽えていると分かる。

 

『こんな小細工を弄したくらいでも、だ』

 

 そして、そんな決定的な隙を見せる彼女へ向き直るや、ローグが短剣を足下の地面へと突き立てた。

 次の瞬間、砂利の中に埋まった短剣の先端を始点に幾つもの鋭利な氷柱が迫り出し、あっという間に夜宵の方へと突き進んだその氷柱の群れが彼女の足下を覆い尽くした。

 それで戦兎は理解した。――今度は冷気だ。極低温の冷気を発生させて、メイジーシザースを凍らせて止めたんだ、と。

 しかし、それに彼が気づいたところで、もう遅い。

 氷で地面に足を貼り付けられ、すぐに動けなくなった夜宵へ、すかさずローグが距離を詰め、再び順手へと持ち直した短剣で斬り付けた。

 その一撃によって足を縫い留めていた氷が砕け散り、同時にその斬撃をまともに受けた夜宵が為す術無く装甲から火花を散らして後方へ弾き飛ばされた。

 

「ぐぅ、うぅっ……!」

 

『どうした? こんなものか? お前達の、仮面ライダーの力はこの程度なのか?』

 

 砂利の上に腰を落として呻く夜宵へ、次いで片膝を着いていた戦兎へと蝙蝠のバイザーを傾け、両腕を大きく広げてローグが挑発する。

 

「好き勝手……言いやがってッ!!」

 

 まだ少し痺れの残る体を強引に立たせ、ガンモードへと組み替えたドリルクラッシャーを握った左手を振って戦兎は怒鳴り返した。

 ローグの、失われた記憶に関わる存在からのその嘲るような言葉は、怒りを奮い立たせるには十分だった。

 

「まだ、終わってない。まだ、アイツの事を聞いてないッ!」

 

 次いで、夜宵も両膝に手を当てつつ立ち上がり、ローグへと林檎の複眼を向ける。

 そんな彼らに、蝙蝠のバイザーの奥でローグがほくそ笑み、

 

『そうだ。仮面ライダーは()の最高傑作なんだ。そうこなくては、な』

 

バルブの短剣を左手に、空になった右手に何処からともなく寄り集まった煙を纏わり付かせる。

 その煙が消えた時、ローグの右手には一丁の、前方下側にスライド式のフルボトルスロットが設けられた黒い小型拳銃が握られていた。

 そして、ローグが右手の銃を戦兎に、左手の短剣の切っ先を夜宵に突き付け、それに呼応する形で夜宵がメイジーシザースのピストル側を、戦兎がドリルクラッシャーの銃口を突き付け返す。

 そうして、程無くして再び三者が各々の得物を交じ合わせるかと思われた、その時。

 

「もう止めてくれッ、香澄ィッ!!」

 

 悲痛な叫びが、戦兎の耳朶を打った。

 

 

 

 突如現れたローグと、戦兎と夜宵が交戦し始めたその最中、万丈は俯せの状態から上半身だけを持ち上げ、肩で息をしていた。

 どういう訳か、体が異常に重い。

 先程、夜宵と目を向け合った時から、何故だか異様な倦怠感と眠気が急激に襲って来た。それで実際に寝入ってしまう事こそ無かったが、耐え難いその感覚が彼の体の動きを著しく阻害していた。

 そのため、上手く立ち上がることも出来ず、どうにか上体だけを起こして眼前で繰り広げられる戦いを見るのが精一杯という状態であったのだ。

 だが、いつまでも呑気にそうしてもいられなかった。

 体の異常が多少マシになってきて、踏ん張れば立ち上がれるかもしれないと思えたその時、万丈は自分に近付くその気配を感じ取った。

 

「香澄……!」

 

 バーンスマッシュ――小倉 香澄の気配を。

 先程、放った火球を戦兎によって迎撃された際、その勢いのまま彼が放ったゴリラフルボトルの成分を圧縮したエネルギーの拳(ボルテックブレイク)によって、その奥に控えてバーンスマッシュも吹き飛ばされ、つい先程まで砂利の上に倒れていた。

 そのバーンスマッシュが、再び態勢を立て直し、別の敵との戦闘で邪魔が入らないこの状況の中を、微かな呻き声を漏らしながら歩み寄って来たのだ。

 

「なぁ、香澄? 俺の事、分かるか?」

 

 声を震わせ、万丈は問い掛ける。

 バーンスマッシュは答えず、ただ歩を進める。

 

「俺だよ、龍我だよ。お前の男の」

 

 無意識に震える万丈の声に、やはりバーンスマッシュは反応を示さない。

 

「なぁ、頼むよ香澄。怪物にされて、お前もワケ分かんなくなっちまってるのは分かってるんだ。けどよぉ!」

 

 変わらず反応を返さず、ただ、万丈からおよそ7,8メートル程まで近づいたところで、バーンスマッシュが歩みを止めた。

 

「お前が大人しくしてくれなきゃ、きっとアイツら、お前を止めようと攻撃してくる。お前が傷つけられちまう。そんなの、俺は見たくねぇんだ。だから、だからよぉっ!」

 

 歩みを止めたバーンスマッシュの火炎放射器の右腕が――心なしか、先程までより遅く思える動作で――持ち上がり、――よく見れば、微かに震えている――その先端で炎を寄り集めていく。

 もう何度も目にしている、火球の生成・発射シークエンスだ。

 見る見る内に大きく膨らんでいく火球に対し、万丈は対抗する術を持たない。

 体が思うように動かない現状では、避ける術すら持たない。

 今の彼に出来る事は、

 

「もう止めてくれッ、香澄ィッ!!」

 

愛する恋人へ、必死に叫び掛け続けることだけだった。

 しかし、空しいかな。

 万丈の訴えは聞き入れられることなく、掲げられていたバーンスマッシュの右腕が向けられ、その先から火球が放たれた。

 ――その直後、万丈と迫る火球の間に何かが割って入った。

戦兎と、夜宵だった。

 青と白のビルドの姿の戦兎が、右腕の白いグローブから針を伸ばし、それを振って火球を弾く。

 それに怯まず、続けて放たれる小さな火球の連射に対し、戦兎の隣に並ぶ夜宵が手にする銃から光弾を連射し、万丈と二人に当たる射線を取っていたものを全て相殺して見せた。

 再び自身の眼前に現れた二人に驚く万丈。

 しかし、バーンスマッシュの攻撃を防ぎ切った二人が攻勢に転じようと一歩踏み出したのを目にするや、

 

「止めろォッ!!」

 

慌てて二人の肩を掴み、呼び止める。

 

「アイツは香澄なんだ! アイツを傷つけるなァッ!!」

 

「分かってる。――例の彼女なんだろ、あのスマッシュ。コイツから聞いた」

 

 振り返った戦兎が、同じように万丈の方に顔を向けていた夜宵と顔を見合わせ、そう言った。

 

「だったら――」

 

「だからまず、スマッシュの成分を抜き取るんだ」

 

 食い下がろうとする万丈を切り捨てるように、戦兎が声を張り上げる。

 

「そうすりゃ、お前の彼女は元に戻る」

 

「だけど、そのためには一回戦闘不能にしないといけない。悪いけど、あの人を攻撃しないってワケにいかないの」

 

 その戦兎と夜宵の説明は、昨日のストロングスマッシュと戦兎との戦闘の顛末や、nascitaで見せられたあのブラックボードの内容から、薄々そうせざるを得ないのではないかと万丈自身も思っていた事だ。こうしてはっきり説明された以上、それは事実として受け入れざるを得ない。

 だから、心が納得できず、けどよぉ、と何かを言おうとするも、それ以上の言葉を万丈は紡ぐことが出来ない。

 そして、気づけば戦兎と夜宵の肩から手を離していたがために、改めて二人はバーンスマッシュへと向かおうと動き出した。

 ――が。

 

『そんな事をすれば、その女は消えて無くなるぞ?』

 

 足元へと放たれる2発の光弾。

 そして、光弾の軌跡を追った先で黒い拳銃を構えているローグが放ったその言葉が、進もうとしていた戦兎と夜宵の足を止め、そして万丈の声を震わせた。

 

「どういう事だよ……?」

 

『“ハザードレベル”――1。体の弱い人間ならば、ガスを注入した時点で死に至る。スマッシュの成分を抜き取れば、魂と共に肉体も消滅する。助かる道は――無い』

 

「……何だよ……それ……」

 

 今のローグの言葉が正しいとすれば、つまり香澄は、既に死んでいる。

 何をどうやっても、もう助けられない。――そういう事だ。

 

『何を考えて態々お前の女を攫わせたのかと気にはなっていたが……ふっ、こういう事か。 俺達から()を奪ったお前に味わわせるには、丁度良い罰だったな。万丈 龍我』

 

「俺への、罰……?」

 

 クツクツ、と得心がいったようにほくそ笑みながらのそのローグの言葉に、万丈は目を剥く。

 自分への罰。

 そのために、それだけの理由で香澄が巻き込まれ、こうして怪物へと変えられ、死の運命を決定付けられてしまったと、ローグはそう言った。

 なら、そもそもこの事態を呼び起こした原因は――。

 

「何が罰よ! 恋人ってだけで、関係の無い人を巻き込んで! その上、人体実験まで……ッ!!」

 

万丈の眼前で、腕を振って夜宵が怒声を放つ。

心なしか、彼女の体が少し震えているように見える。

 

『何とでも言え。お前達がその女を救えない事実は、変わりなどしない』

 

 フン、とローグが一笑にふすや、彼の持つ拳銃が再び火を噴く。

 それによって飛んで来た4発の光弾を、戦兎と夜宵が共に腕を前に出して防いだ。

 それによって光弾のダメージを凌いだ二人の肩越しに、左腕を振り上げ、猛然と駆け込んでくるバーンスマッシュの姿を捉えた万丈は、再三の叫びを張り上げる。

 

「止めろォ! もう、止めてくれェッ!! 香澄イィッ!!」

 

 事実上の恋人の死を告げられ、それでもその事実を認められず、されとて何か妙案が思い付く事も無い八方塞の今の彼にとって、その訴えこそが唯一取れる行動であった。

 

 

 

 再三の万丈の叫びは、彼らに向けられたものでは無かったが、しかし向かってくるバーンスマッシュを前に戦兎と夜宵は踏み出そうとした足を止めざるを得なかった。

 倒せば、万丈の恋人は死ぬ。

 ローグが告げたその事実を前にした今、ヘタにバーンスマッシュに攻撃を加えるわけにはいかない。

 直前に万丈に言い聞かせていたように、気軽に戦闘不能に追い込んで成分を回収するというわけにもいかない。

 これまで、他のスマッシュに当り前のようにやってきた事が許されないという事実が、大きな脅威として二人に躊躇の感情を抱かせていた。

 だが、今現在も人としての理性を失い暴走し続ける目の前のスマッシュを放っておくわけにもいかない。

 バーンスマッシュを倒しつつ、万丈の恋人を無事生存させる事が最良の回答なのだが、

 

(何か、何か無いか!? 成分回収時に起きる反応は? 今あるボトルで、有効な効果を発揮できるものは!? ……クソッ!)

 

そこに至るまでの方程式が、天才的な頭脳を持つ戦兎を持ってしても立ち上げる事が出来ない。

 これまでの戦闘経験や手持ちのフルボトルが持つ成分の特色、果てはスマッシュ関係とは一見無関係な既存の物理法則まで頭の中に呼び起こしていくが、それでも状況を好転させるような手段は思い付かない。

 そもそも、今直面している身体の弱い人間がスマッシュ化すると死亡するという現象自体が初めての事態なのだ。如何な知識や知恵を持っていたとしても、一朝一夜で解法を立ち上げられるワケがない。

 そして、万丈の恋人の生死の件を差し引いても、今の状況に余裕は無い。

 

「ガアアアァァッ!!」

 

 万丈の声に動きを止めた戦兎と夜宵を、既に二人の眼前まで迫っていたバーンスマッシュが左右に突き飛ばす。

 それによって、倒れこそしなかったまでも夜宵共々大きく横へ押し退けられた戦兎は即座に自分達のミスを悟り、大急ぎで後方へ振り返って叫んだ。

 

「万丈! 逃げろッ!!」

 

 戦兎と夜宵を通り過ぎた今、バーンスマッシュが向かう先に居るのは彼らの背後に立つ万丈だ。

 そして戦兎が叫んだその時点で、既にバーンスマッシュが万丈の目前に到達していた。

 更に悪い事に、戦兎は知らない事だが、万丈は夜宵の催眠を受けている。

 大分抜けて来たとはいえ、未だ残っているその効果のせいで上手く身体を動かせない今の万丈に、咄嗟の回避を行う余裕は無い。

 つまり、今の万丈がバーンスマッシュの攻撃から逃れる術は無い。

 そして、今まさに、高く掲げられていたバーンスマッシュの左拳が、目を見開く万丈の脳天を叩き割らんと、振り下ろされる。

 

「万丈おおおおぉぉぉ!!」

 

 戦兎は、無意識に絶叫を上げていた。

 数瞬後に訪れる、万丈の無残な死に様が頭に浮かび、それでも追い縋るように右手を伸ばして。

 しかし――実際にその光景を彼は目にしなかった。

 何故なら、

 

「ウ、ゥ、ウガっ、ア……!」

 

後十数cmというところで、何故かバーンスマッシュの拳が止っていたからだ。

 

「……香澄?」

 

 ワケが分からない、とばかりに万丈が目を瞬かせる。

 その光景を見る戦兎も、恐らくは夜宵も、同じ反応をしていた。

 そして、そんな彼らの困惑の視線の中、震える拳を呻きながら下したバーンスマッシュが数歩後退したかと思いや、今度は嫌に鈍い動作で右手を挙げ、先端に火球を作り上げていく。

 それを目にした戦兎は、今度こそマズい、と察し、後退によって距離が近づいたバーンスマッシュを妨害するために飛び掛かろうとしたが――それすらも必要が無かった。

 戦兎が動くよりも前に、確かに万丈へと向けていた筈の火球を、何故か発射する直前になってバーンスマッシュが自身へと向け直したからだ。

 瞬間、爆炎が上がり、その力によって戦兎と夜宵の背後から再び前方まで吹き飛んだバーンスマッシュが地面に倒れ、自らの攻撃の痛みに悶える。

 その姿に更に困惑を強める戦兎達の前で、再び右腕の先に作り出した火球を、また一度は万丈に向けるも、すぐにそれを自分に向けて発射し、また自らの爆炎に炙られてバーンスマッシュが苦しみの声を上げた。

 そして、またその手に火球を作り上げるや、それをまた一度万丈へと向けようとして、再び自らへと撃ち込んで……。

 その、あまりに奇怪な行動を前に、戦兎も、夜宵も、万丈も、皆、思考を停止させ困惑するしかなかった。

 だが、こうも同じ行動が続けば――それを思いついた自分自身も信じられなかったが――その行動の理由を推測する事は不可能では無かった。

 

「まさか……傷つけまいとしているのか?」

 

 そう呟きながら、戦兎は視線をある一点に向けた。

 その視線の先で、えっ、と振り向いた万丈の目が戦兎を見つめ返していた。

 

 

 

「どういう事だ?」

 

 聞こえてきた呟きに振り返った万丈は、すぐさまその意味を戦兎に問い質した。

 それに対し、少し俯いて一拍を置いてから、戦兎がその問いに答える。

 

「スマッシュにされたら、自我が無くなる。我を忘れて、目につくもの全てを攻撃するしかなくなる筈だ。――なのに、あのスマッシュ(お前の恋人)はさっきから自分を傷つけてばかりいる。お前を攻撃しようとする、その度に」

 

 信じ難いけど、と言葉を一度区切り、息を吐いてから戦兎が更に言葉を連ねる。

 

「きっと今、お前の恋人は抗っているんだ。スマッシュにされて自我が無くなって、それでもお前だけは傷つけまいと、彼女も今、必死に戦っているんだ。――そうとしか、考えられない」

 

 そう語る戦兎の言葉は、その節々からは彼自身が前置きした通り、信じられない、という感情が感じられた。

 そして、それを聞かされた万丈もまた同じ感情を抱いていた。

 スマッシュの存在の昨日知ったばかりの彼からしてみれば、自我が無くなる、と言われれば、そういうモノなのだとしか判断出来ない。

 だから、その自我が無くなっている筈の香澄が今戦っていると言われても、ピンとこない。

 己の身を傷つけてまで、何故彼女が自分を傷つけまいと抗っているのか、分からない。

 だから、万丈は呆然と呟いていた。

 

「……何で……?」

 

 誰に問うたわけでも無い、ただ疑問だけが無意識に口を吐いて出ただけだった。何か返答が返って来るとは思ってなかった。

 現に、戦兎は返す言葉が見つからなかったのか、俯くだけで押し黙ってしまっていた。

 だがその呟きに、彼とは別の返す声があった。

 

「愛しているから」

 

 声に引かれるまま振り向いた先にいたのは、夜宵だった。

 

「貴方が大切な人だから、貴方の事を愛しているから、そんな貴方の事を傷つけたく無くて、傷付く姿が見たく無くて、それであの人は、今、必死に抗ってるんだよ」

 

 夜宵が万丈の方に向き直り、更に言葉を連ねる。

 

「貴方だってそうでしょ? 散々止めろって叫んで、私や戦兎さんを止めようとしたのは、あの人の事を愛しているから。大切に思っているからでしょ? ――同じなのよ、あの人だって。貴方があの人の事を想っているように、あの人も貴方の事を想っている。だから、きっと、あの人も今、必死に戦っているんだよ」

 

「……香澄が、俺の事を……」

 

 愛し合っていると言われて、それを否定する気はない。

 確かに、万丈は香澄の事を愛しているし、香澄も自分の事を同じように想ってくれていると、信じてもいる。絶対の確信を持っている。

 だから、彼女の為なら何だって出来る。

 自らの格闘家生命を棒に振っての八百長だろうと、怪しげな薬品の治験だろうと、それこそ自分よりも遥かに強い力も持つ仮面ライダー達の前に立ちはだかることだろうと。

 香澄の為ならば――いつだってこんな自分を信じてくれている最愛の女のためならば、何が来ようと、負ける気がしないから。

 ――そんな自分と同じ想いが、香澄の内にもあった。

 彼のために。

 他の誰でもない、たった一人の愛する男――万丈 龍我のために。

 理性の無い中で、自分が傷つく事さえも厭わずに、必死に抗い、戦い続けている。

 

「……なぁ?」

 

 万丈の脳裏に、かつての思い出が蘇る。

 満開の桜が散る中出掛けた二人きりの散歩。

 香澄の病気がちな身体を思えば次の機会はいつになるか分からなかったが、それでも、また一緒に見に来よう、と交わしたあの日の約束。

 桜の美しささえ霞む、宝石のような微笑み。

 

「本当に、助からねぇのか?」

 

 もう、あの微笑みを見る事は出来ないのか?

 あの日のように、一緒に桜を見に行くことは出来ないのか?

 ――もう、二度と会えないのか?

 

「「……」」

 

 戦兎も、夜宵も、今度は共に押し黙るだけだった。

 二人の沈黙が、何よりも雄弁な答えだった。

 決して認めたく無い、受け入れがたい、しかしどうしようもない残酷な事実だけが、ただ万丈に突き付けられていた。

 

「……だったらッ!」

 

 香澄の、愛する女の死は、もう受け入れざるを得ない。

 しかし、それならば――。

 

「せめて元の姿に戻してやってくれッ! これ以上、アイツが、自分を傷つけなくていいようにッ!」

 

 あんな化け物の姿をさせたまま、彼女を死なせたくはない。

 せめて、人間として。

 自分が心から愛した、この世にたった一人の愛しい女の、あるべき姿で。

 

「……頼むッ……!!」

 

 ――逝かせてやりたい。

 

 

 

 自分達の前に立ち、声を震わせて頭を下げた万丈に、どうすればいいか分からずただ彼の方へ下していた視線を上げるしかなかった夜宵が、彼の背に拳銃を向けていたローグの姿を捉える事が出来たのは、偶然だった。

 

「危ないッ!」

 

 咄嗟に万丈の後ろ襟を掴んで引き寄せ、同時に身を乗り出しつつメイジーシザースのピストル側を構え、ローグが撃つより一瞬遅れて、3発撃ち込んだ。

 互いに放った光弾が、夜宵とローグの装甲にそれぞれ着弾し、弾け飛ぶ火花と衝撃を齎した。

 それに耐え、すかさず複眼越しに睨み付けた夜宵の前で、着弾によって生じた煙を振り払いながらローグが舌を打つ。

 

『もうあのスマッシュ(貴様の女)は役に立たないか。だが、いい。どの道、お前の女は消える。人の姿すら取り戻せず、醜いスマッシュの姿のままで。――()を奪ったお前の思い通りにはさせんぞ、万丈 龍我』

 

 蝙蝠のバイザーの奥からせせら笑いながら、ローグが拳銃の向きを調整する。

 それに対し、自身もメイジーシザースのピストル側を構え直しながらも、仮面の中で夜宵は歯噛みする。

 

「あんた……! どこまで……!!」

 

『言った筈だぞ? “何とでも言え”、と』

 

「このっ――」

 

 フン、と鼻を鳴らすローグ。

 その悪びれもしない姿に、心中に籠っていた義憤が爆発するの感じた夜宵は、怒りに任せローグ向けて駆け出そうとする。

 が、その時――。

 

「夜宵!」

 

 不意に、戦兎が声を張り上げた。

 その声に待ったを掛けられる形となった夜宵は、すぐさま彼の方を見る。

 

「……今から、コイツの恋人を元に戻す」

 

 いつの間にやら、左手にブルーグリーンのフルボトルを持っていた戦兎が、ゆっくりとした、重々しい声でそう告げる。

 それが何を意味するのかは、考えるまでも無い。

 だからこそ、彼のその宣言を耳にした夜宵は、今しがたまでのローグへの義憤すら忘れ、息を呑まざるを得なかった。

 

「……戦兎さん……?」

 

 小倉 香澄をスマッシュの姿から解放すればどうなってしまうかは、既に何度も語られている事だ。

 それを分かって、なお彼は香澄を元の姿に戻すと言っている。

 ――万丈の恋人を、その手に掛けると言っている。

 

「終わるまで邪魔されるワケにはいかない。蝙蝠男(ローグ)は任せた。時間を稼いでくれ」

 

 淡々と、感情を感じさせないというよりは、無理矢理押し込めているような声色で、戦兎が言葉を続ける。

 小倉 香澄の死は、彼女がスマッシュにされたその時点で既に決定付いたものだ。

 それでもなお死に切れず、スマッシュとして暴れ回るしかないのだから、つまりこれからやることはそんな彼女への介錯であり、解放であり――結局のところ人の命を奪う行為だ。

 その行為の重さは、夜宵は勿論、戦兎だって分からないわけでないだろう。

 だから、彼女はこう言おうと思った。

 ――本当に、それしかないんですか? あの人を、助けることは出来ないんですか? と。

 しかし、その言葉が彼女の口から出る事は無かった。

 

「……頼む……」

 

 分かっているからだ。

 こうする以外に何か方法があるなら、真っ先にその方法を戦兎が提示しているだろう、と。

 こうする以外の方法が思いつかない事を、彼自身が誰よりも苦々しく思っているだろう事も。

 そして、自分よりも知識も経験も豊富な戦兎ですらこの選択をせざるを得ない以上、夜宵ももう彼の言葉に従う他無い事も。

 だから、俯いたビルドの仮面の中から消え入りそうな声でそう告げる彼に、出掛かっていた言葉を飲み込んで、震え出す唇から意を決して、彼女は返答した。

 

「……はいッ……!」

 

 

 

 メイジーシザースのピストル側の銃床で殴り掛かりつつ、自分達から離れようと夜宵がローグを押し込んでいく。

 見る見る内に小さくなっていく彼女の背から視線を離した戦兎は、今もなお自分自身を傷め付けるバーンスマッシュの方へ向き直る。

 

「……最っ悪だ……」

 

 彼自身にしか聞こえない微かな呟きが、戦兎の口から漏れ出る。

これから、自分は人を殺す。

 そうするしか手が無いから。

 そうしなければ、目の前の女性は解放できないから。

 そうする事を、隣に立つ女性の恋人からも願われたから。

 そして、仮面ライダー(正義のヒーロー)としてまた暴れ出すかもしれないスマッシュ(怪物)を放っておくわけにはいかないから。

 ――例えその行為が、仮にもヒーローを名乗る者として、愛と平和(ラブ&ピース)を自らの正義と信念と掲げる者として、許されざるものであったとしても。

 

<So-ziki(掃除機)!>

 

 新たにセットしたボトルに反応したビルドドライバーの電子ガイダンスを受け、戦兎はボルテックレバーに手を掛ける。

 いつもならばこの後、ビルドアップ、の掛け声を上げてフォームチェンジを行うところだが、今回ばかりはそういう気分にはなれない。

 代わりに――万丈では無く彼が動こうとしている事が分かったからか、自らを傷づけるのを止めて立ち上がるバーンスマッシュを見ながら――、沈鬱な気持ちのままに戦兎は思った。

 

<Are You Ready?>

 

 ――今回の事は、きっと忘れられなくなるだろう、と。

 

 

 

「ヤアアアァァッ!!」

 

 一方、行動を始めた戦兎と、それを見守る万丈から少し離れた、病院駐車場付近の砂利道。

 最初にバーンスマッシュと交戦していた辺りへと戻る形となったそこで、メイジーシザースのピストル側を乱射しつつ、咆哮を上げて夜宵は駆け込む。

 その先に立つローグ目掛け、一直線に。

 それに対し、フン、と余裕気に鼻を鳴らすローグが、右手の拳銃の射撃と左手のバルブ付きの剣の刀身で彼女の放った光弾を巧みに弾き落としていく。

 それでもなお、至近距離まで近づいた夜宵はピストル側を振り上げ、その銃床をローグの頭部へ力任せに叩き付けようとするが、それさえもその軌道上に拳銃の銃身を差し込まれる事で防がれるに終わり、次の瞬間には腹部から蹴り飛ばされ、強引に距離を離されていた。

 

「あぐっ……!」

 

『夜宵ちゃん!』

 

 蹴りの勢いによって砂利の上に横から転がされた夜宵は衝撃に呻きを上げ、同時にメイジーも彼女を案じる声を上げるが、すぐに立ち上がってピストル側を構えつつ、ローグを再び睨み付ける。

 その林檎の複眼越しの鋭い視線を向ける先で、ふむ、と訝し気にローグが首を傾げた。

 

『二人纏めて相手した時もそうだったが……こんなものか、お前達の力は?』

 

「何を……!」

 

()が作り上げた仮面ライダーが、この程度の性能だとは思えない。ビルドは勿論、()()()()()()()()()()()()()()()、お前のそのメイジーとやらもだ。なのに、この程度の力しか発揮できないとは……失望するほかないな。お前達にも、()()()()()()

 

「っ!」

 

 蝙蝠のバイザーの上に右手を翳して徐に落胆したような素振りを取りつつ、ローグが口にした侮蔑の言葉に――その一部に――反応した夜宵はハッと頭を上げる。

 

「また、出て来た。スターク……血まみれのコブラ……!」

 

『……さっきもスタークの名前に反応していたな。フッ、どうした? そんなに奴の事が気になるか?』

 

「アイツはッ!」

 

 叫んだ刹那、夜宵は右手に握っていたメイジーシザースのピストル側を中空へ放り投げ、再び嘲笑するローグ目掛け脱兎の勢いで飛び込む。

 そして、再び至近距離まで接近するや、体を反転させ、その勢いを乗せた後回し蹴りを――左踵の刃を叩き付けようとした。

 が、再びローグがその軌道上に剣の刀身を差し込んだことで、その蹴撃はローグまで届くことなく、甲高い音と火花を上げて押し止められてしまう。

 ――それで良かった。

 

「何処にいるの、アイツは! そのスタークは!!」

 

 ローグの剣を押し込もうと掲げた左足に体重を掛けつつ、夜宵は叫び、問い質す。

 それに対し、苦し気な様子一つ見せる事無く剣を片手で支えたままローグがこう返す。

 

『それを知っていたとして、お前に教えると思うか?』

 

 そう告げられるや、夜宵の足と拮抗状態にあった筈のローグの剣が、少しずつだが彼女の足を押し返し出す。

 このままでは、遠からず足から力任せに押し退けられる。――その様が連想出来た夜宵は、

 

「だったらいい!」

 

そうなる前に地面に着けていたもう片足を振り上げ、ローグの胸を蹴りつける事で自ら後方へ飛び退く。

 弾かれる方向も、行動後の態勢も視野に無い咄嗟の判断だった。

 そのまま、背を地面に打ち付けた夜宵はその痛みに呻く間もなく、体に掛かったままの勢いに任せて横向きに転がる事で、その場で片膝を立てて起き上がる。

 

「無理やりでも言わせてやる! アイツの事! 沙也加の居場所を! そして!」

 

 と共に、右手を仮面の前に掲げ、擦り合わせておいた指を鳴らし、未だ彼女の真上を回転しながら滞空していたメイジーシザースのピストル側へと指示を送った。

 すると、その指示を受けたピストル側が不意に回転を止め、その発射口をローグの方へ向けるや、一人でに光弾を乱射し始めた。

 

『ッ……!』

 

 放たれた無数の光弾に対し、ローグもまた自身の拳銃を向けて応戦を開始する。

 が、完全に相殺させることが出来ないらしく、何発かの撃ち漏らした光弾がローグの装甲を掠める。

 そうなって当然だ。

 支えも無く、大体の方向へ向かせただけのピストル側を、撃つ度に発生する反動で射線がブレる事など御構い無しに、目茶苦茶に撃ちまくらせているだけなのだ。撃ち落とされる光弾や当たったり掠めたりする光弾よりも、明後日の方向へ逸れていく光弾の方がずっと多い、牽制目的の射撃なのだから。

 そして、牽制用の攻撃はまだこれだけでは終わらない。

 夜宵が今戦っている場所は、先程ローグが現れた際に戦兎と共に交戦した辺りのすぐ近くだ。

 詰まり、この付近には先程落された()()が――。

 

「――あった!」

 

 砂利の上に転がる()()を見つけた夜宵はすぐさまそちらの方へ飛び込み、手に取った()()を未だピストル側の乱射の応戦に追われているローグへと力一杯に投げ込む。

 ――先の戦闘の際に凍らされ、無理やりコントロールを断ち切られたまま放置していた、メイジーシザースのナイフ側を。

 

『ッ! 何……?』

 

 既に凍結は解除されており、アップルフルボトルの成分(メイジーの力)による念動制御は再び可能となっている。

 ブーメランのように回転しながら飛んで行ったナイフ側が無防備だったローグの背を切り付け、火花を弾けさせた事を確認した夜宵は、その場に立ち上がるや右手を掲げ、手首を大きく回す。

 その指示を受けたナイフ側が、夜宵の右手首の動きに合わせて大きく弧を描きながら、再びローグへと襲い掛かった。

 

『何度も言わせるな。俺にこんな小細工は通じない……!』

 

 苛立たし気に告げられたその言葉通り、二撃目は身体を反転させたローグが剣を振るって弾く事で防がれてしまう。

 それでもなお、与えられている指示のままにナイフ側が反転して追い縋るが、やはり三撃目もローグの剣によって防がれてしまう。

 が、それで構わない。

 

『ええ、知ってましてよ。貴方なんかに言われずとも分かってますわ、蝙蝠男さん』

 

 含み笑いを混じらせたメイジーのその言葉通りだ。

 メイジーシザースによる攻撃は、両方ともローグをその場に縫い留めるための牽制に過ぎない。

 本命は――。

 その場で立ち上がった夜宵は、メイジーシザースの自動攻撃への対応に追われるローグを後目に、ビルドドライバー右側のボルテックレバーを掴み、急いで回していく。

 

<Ready Go!>

 

 レバーの回転によるエネルギーチャージを終わらせた夜宵のビルドドライバーが高らかに電子ガイダンスを上げ、更にチャージしたエネルギーの一部が青白い鬼火となって、彼女の両手と両踵の刃にユラリ、と灯る。

 そして、それを確認した夜宵は姿勢を落としつつ両腕を仮面の前で×の字に重ね、それを左右に勢いよく振り抜く。

 その動作によって、自らの両手に灯っていた鬼火が×の字を描く鎖へと変化しつつローグ目掛け飛んで行くのを確認する間も無く、続けて彼女自身も鬼火を追うように疾走。十分な加速が付くと共に、跳躍。

 中空で丸めた身体を一回転すると共に、得た加速と遠心力、重力の補助を鬼火が灯るその右踵に乗せ、

 

「あんた達が私達にした事! 今までやってきた事! 全部償わせてやる!!」

 

<Execute Finish! Year!!>

 

先に放った鬼火の鎖に拘束されて身動きの取れないローグの蝙蝠のバイザーへと、全力で叩き落とした。

 ――筈だった。

 

『残念だが、その要求には応じられない。……この程度の力ではな』

 

 夜宵の渾身の一撃(エグゼキュートフィニッシュ)は、受け止められた。

 既に巻きついている筈の鬼火の鎖を一欠けらも身に纏っていないローグが、頭上で拳銃の上に重ねたバルブ付の剣の刀身によって、いとも容易く。

 

「なっ!?」

 

 驚愕の声を洩らす夜宵。

 仮面の中で目を見開く彼女を、鬼火と火花を散らす自らの足と剣越しに見える蝙蝠のバイザーが、フン、と嘲る。

 

『何度も言わせるな、と言ったばかりだぞ? ……俺に、小細工は通じない』

 

 そう言うや、ローグが剣を振り抜き、必殺の一撃を放っている最中である筈の夜宵をアッサリと弾き飛ばした。

 

「あぅ!?」

 

 中空へ投げ出され、先程立っていた位置より更に奥の砂利の上に投げ出されて呻き声を上げた夜宵の眼前に、警告を告げるホログラフィーが表示される。

 変身者が一定以上のダメージを負うなど緊急事態になった際、変身者の保護のために強制的に変身を解除する安全装置(セーフティ)がビルドドライバーには備わっている。これ以上攻撃を受ければその安全装置が作動するという、ドライバーからの緊急報告(エマージェンシーアナウンス)だった。

 

(マズい。このままじゃ……)

 

 これ以上戦闘を長引かせるワケにはいかない。

 纏う装甲のそこかしこから白煙が上がり出している体を慌てて起こして中腰の態勢になった夜宵は、急いでローグの方へ視線を向ける。

 そして気づいた。何故、ローグが自らの放った鬼火の鎖で拘束されていなかったかを。

 視線の先で、両手の剣と銃を下した余裕の佇まいを見せるローグの、その両隣りの地面で白煙が上がっていた。

 白煙の出元は――必殺技を放つ直前に放っていたメイジーシザースのピストル側とナイフ側。

 それを目にして察したのだ。――ローグがメイジーシザースを打ち落とし、牽制を止めさせるや飛来した鬼火の鎖を――恐らくは左手の剣で断ち切って――無力化したのだ、と。

 

『まさか、あんな僅かな間で……?』

 

 どうやらメイジーのその事に気づいたらしく、呆然とした口調でそう呟く声が聞こえた。

 彼女の言う通りだった。

 夜宵が必殺技を叩き込むために駆け出した時点では、まだメイジーシザースは自動攻撃を続けていた筈。そこから彼女が実際に踵を落とそうとするまでに掛かった時間など、精々が数秒程度だ。

 そんな僅かな時間の間に、これだけの対応をローグが行ったのだと、残された状況証拠がそう語っている。

 信じ難い話だった。

 最初に戦兎と共に向かっていった時点で力に差がある事は感じられたが、その差がこれほどまでに広いとまでは夜宵は思ってはいなかった。

 目の前の蝙蝠男が今まで戦ってきたスマッシュよりも強い相手とは思っても、()()()()と思わされる程の相手とは思ってもみなかった。

 

「……はーっ……はーっ……」

 

 いつの間にか、自身の息が荒くなっている事にふと夜宵は気付く。

 不可思議に思い、何故、と自問すれば、その答えはすぐに頭の中に現れた。

 ――このままでは、負ける。

 もし、この場で負け、ライダーメイジーの変身が解除されてしまえば、どうなるか?

 

『やはり力不足だな。これでは、まだまだ使い物にはならない』

 

 そう呟き、悠然と歩いてくる蝙蝠男は、かつて自分と沙也加を攫い、監禁し、人体実験を施した血まみれのコブラ(スターク)やガスマスクの連中の仲間だ。

 ソイツの目の前で、変身が解け、抗う力を無くしてしまったならば、一体どうなってしまうのか?

 ――また攫われ、また実験動物(モルモット)にされるのではないか?

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 いや、それどころの話ではないかもしれない。

 今度こそスマッシュにされるかもしれない。

 今度は――万丈の恋人のように、死を突き付けられるかもしれない。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ」

 

 記憶が飛び交う。

 2年前の記憶。封印から漏れ出した、幾つかの記憶。おぼろげな血まみれのコブラ(スターク)の姿、いくつものガスマスク、いくつもの悲鳴、白一色の殺風景な部屋。

 先程の記憶。万丈の恋人が転じたバーンスマッシュ、突き付けられるローグの言葉、死。

 錯綜するいくつもの記憶が飛び交い、それが不安を呼び、それがある感情を夜宵の内に呼び起こしていく。

 仮面ライダーになってからずっと忘れられていた、2年前の事件の、あの恐怖心を。

 

『夜宵ちゃん! ちょっと、夜宵ちゃん! どうしましたの! アイツが近づいて来ていますわ、しっかりして!!』

 

 慌てた様子で呼び掛けるメイジーの声が聞こえる。

 が、錯綜する記憶と感情が邪魔をし、彼女の言葉を思考に結び付けることが出来ない。

 そして、そうこうしている内に――歩み寄って来ていたローグが、遂に夜宵のすぐ前に辿り着いた。

 

「はっはっはっはっはっ」

 

 距離、約1m。

 ほんの僅かな距離しかないそこに立った相手の顔を、更に息を荒くしながら、夜宵は見上げる。

 僅かに向きを下方へ下げて、こちらを見下ろすスモークイエローのバイザーと目が合った。

 身体中の毛が逆立つような感覚が走った。

 逃げなければ、と思った。

 しかし、そう考えた彼女の思考はすぐに掻き消されてしまう。今の彼女の内を行き交う恐怖心によって。

 もはや、蛇に睨まれた蛙も同然の有様だった。

 そして、まともに身構える事すら出来ない彼女を前に、ローグが拳銃を持つ右手を上げ――。

 

『……ここまでか』

 

 不意に夜宵から視線を外して後方を見やり、そう言った。

 その動きに引き摺られるように夜宵も視線を奥の方へ向けてみれば、視界の奥の方の空に、キラキラ、と煌めく渦のようなものが見えた。

 そして、はっと気づく。

 あの渦のようなものが発生しているのは、戦兎と万丈がいる辺りだと。

 つまり、アレを発生させているのは――。

 

『まぁ、いいだろう。一応、目的は果たした』

 

 鼻を鳴らして夜宵の方に向き直ったローグが、右手の拳銃を頭上に掲げ、その引き金を引いた。

 すると、拳銃の銃口から白煙が湧き出し、見る見る内に白煙がローグの身体を覆っていく。

 丁度、最初にローグが何処からともなく立ち込めた白煙の中から現れたのと真逆になるように。

 

『力不足は否めないが、最後の攻撃だけは悪く無かった。精々、今後に期待するとしよう。お前達が、()の仮面ライダーの真価を引き出せる事を』

 

「待っ――」

 

『さらばだ』

 

 咄嗟に夜宵は立ち上がり、飛び掛かる。

 が、一歩遅く、彼女の身体は立ち込める白煙を素通りするだけに終わり、それによって散った白煙諸共、ローグは跡形もそこから消え去っていた。最初から、そこに何もいなかったかのように。

 何度か周囲を見渡して、ローグの姿を探してみる。

 そして、それが無駄だと分かった夜宵は、無意識に脱力して座り込み、肩を落として溜息を吐いた。

 憎い敵を逃した事に対する落胆と、まるで適わなかった事への悔しさと、そして、

 

「……はぁー……」

 

もう一度攫われるような事無く終わった事に対する、安堵の籠った溜息を。

 

 

 

 それから間を置かず、すぐに夜宵は例の煌めく渦が発生している辺り――戦兎と万丈と別れた場所へと向かった。

 あの渦が如何なる過程で発生しているのかは不明だが、アレを起こしているのが戦兎である事は考えるまでもなかった。つまり、万丈の恋人に関して、何らかのアクションを彼が起こしているということだ。

 ならば、戦兎と違って、万丈と、彼の恋人に対して自分は何もすることが出来ないのだから、せめて見届けなくては。

 そんな思いを抱きながら夜宵は砂利道を駆け抜け、そして、その場へと辿り着いた。

 ゴリラの複眼の左目に巨大な右腕、煌めくダイヤモンドの複眼の左目に美しく輝くクリスタルカットのアーマーを持つゴリラモンドフォーム(初めて見る姿のビルド)へと変身している戦兎と、彼がその右腕によって支えている、無数のダイヤモンドが飛び交う巨大な渦。その渦に絡めとられ回転しているバーンスマッシュ。

 そして、戦兎の傍でしゃがみ、誰かを抱き抱えている万丈と、彼に抱えられている――輪郭から淡い光を放ち、時折その姿が透ける――見知らぬ女性。

 そこまでを目にして、一拍置いて夜宵は悟った。

 万丈が支えている女性が何者であるのかを。

 そして、今まさに自分は、()()()()()に直面しているのだ、と。

 

 

 

「香澄っ! 香澄ッ!!」

 

 抱き抱えた小倉 香澄へ、万丈は必至の思いでその名前を叫ぶ。

 苦し気に目を閉じた恋人の体はぼんやりと光り、時折透けてはその向こう側が覗ける。そして、抱き抱える腕から伝わる感触や体温すら、何も無いかのように消えてはまた現れるのを繰り返している。

 まるで、今にも掻き消えてしまいそうな程に不安定に揺らめく香澄の命の灯が、そのままそこに彼女の姿形を取って現れているかのように。

 そんな今にも消えさってしまいそうな有様であったが、それでも万丈の声はどうにか届いたのか、

 

「……龍、我……?」

 

閉じていた目を開き、消え入りそうな微かな声でこそあったが、香澄もまた万丈の名を呼んだ。

 

「香澄ッ……!」

 

 僅かに目を見開いた万丈は、やっと反応を返した恋人を逃すまいと、すぐさま自らの顔を彼女の顔へと寄せる。

 それと同じくして、ぽつりぽつり、と香澄が言葉を紡ぎ出していく。

 

「龍我……私、貴方を騙した……」

 

「いいから! もう、喋るな……」

 

「鍋島って男に頼まれて……科学者の男の部屋に向かわせるように……貴方を、格闘家に復帰させてくれるっていうから……」

 

 ふと、香澄の体が透ける間隔が先程よりも短くなってきている事に万丈は気づく。

 もう、あまり時間が無い。もう間もなく、嫌でも最愛の恋人と別れざるを得なくなる。――その事を、否応なく悟らせられる。

 

「私と出会わなければ……もっと、幸せな人生があった、筈なのに……ごめんね……」

 

「――っ! フザけんなッ!」

 

 それに、残された時間が少ないのは彼女だけではない。

 万丈と香澄のすぐ傍で、自らが作り上げたダイヤモンドの渦と、その渦の中に封じ込められたバーンスマッシュを今も戦兎が支えてくれているが、その彼も仮面の中から時折苦し気な呻き声を漏らしている。

 

「ぐ……ぬ……うぅううぅ、マズ、イ……!」

 

 いや、彼の方はもう殆ど時間が無い。

 渦を支えている、ゴリラのような巨大な右腕が、少しずつ垂れ下がって来ているのだ。

 このままでは、万丈は香澄との最後の会話を中断せざるを得ない。

 それどころか、渦によって切り離されているバーンスマッシュと香澄が再び一体になる、最悪の事態すら起こりかねない。

 何とかその事態を防ごうと、唸り声を強くして戦兎が持ち直そうとしてくれてはいるが――駄目だ。

 彼の右腕が、ガクリ、と一際大きく下がる。

 そして、ダイヤモンドの渦ごとバーンスマッシュが万丈と香澄の方へと降り注ぐ――とはならなかった。

 

「……う、ぐぅ、ううぅ……!」

 

 完全に戦兎の右腕が垂れ下がろうとしたその直前に、横から割り込み、下から彼の腕を支える者がいた。

 夜宵だった。

 

「お前っ――」

 

 彼女の姿に気づいた万丈が反射的に声を掛けようとしたが、それよりも前に彼女が見つめ返してきた。

 

――構わないで。貴方はその人と話を――

 

 向けられた黄緑色の林檎の複眼が、そう訴えているように見えた。

 だから、一つ頷いてから、再び万丈は香澄の方へ顔を向けて、思いの丈を告げた。

 己の偽らざる気持ちを、心からの真摯な思いを、口から紡ぎ出すその一字一句に込めて。

 

「これ以上の人生が、あってたまるかよッ! 俺は、お前に会えて……幸せだった。本当に……最っ高に幸せだったんだ……!」

 

 それ以上の言葉は見つからなかった。

 込み上げて来た嗚咽や、いつの間にやら熱くなった目頭から溢れ出す涙が、もうそれ以上の言葉を彼に思いつかせなかった。

 そして、それは今の万丈と同じように泣き、微かに震える香澄もきっと、同じだった。

 

「……ありがとう……本当に……騙して、ごめんね……」

 

 それが、小倉 香澄が最後に遺した言葉だった。

 その言葉を告げた次の瞬間、輪郭から灯る光が一際強く光ると共に彼女の体は音も無く粒子状に散り、宙へ浮き上がって、そして――。

 

「……なんだよ……また、一緒に桜を見に行くんじゃなかったのかよ……?」

 

 涙が流れ落ちる双眸で見上げた万丈の視界の先で、何処へともなく消えていった。

 つい先程まで最愛の恋人を抱きとめていた筈の腕からも、彼女がそこにいた証明である柔らかな感触も、温かな熱も全て消え失せていた。

 残ったのは――ぽっかりと空いた穴のような、空しさだけだった。

 

 

 

 万丈の恋人が、細かな光の粒子となって、今、消えた。

 儚く、そして人間の死に方とは思えない死に様だった。

 そんな死に様を万丈の恋人に与えたのは、あのローグと、例のガスマスクの連中であり、その事を思い直した夜宵の内で沸々と怒りが沸く。

 そして同時に、

 

「――痛っ」

 

一瞬何かの記憶が流れると共に、彼女の頭に鋭い痛みが走った。

 幸い痛みは一瞬だけで、記憶に至ってはそれよりも更に僅かな間だけ頭の中に流れただけで、どんな記憶だったのかはまるで分からなかった。

 一体、今のは何だったのか?

 疑問を覚える夜宵であったが、それについて思考はしなかった。

 そうするよりも前に、気を取られることが起きたからだ。

 

「ぬ、う……おりゃあっ!!」

 

 それまで夜宵の力も借りて、巨大な右腕でダイヤモンドの渦を支えていた戦兎が、頃合とばかり声を上げ、渦と、その中のバーンスマッシュを何もない場所へ放り投げたのだ。

 それによって、散らばってはすぐに霧散していく大小のダイヤモンドと共に地面へ転がされたバーンスマッシュは、万丈の恋人と既に分離させられているせいか、ピクリ、とも動かない。

もはや、スマッシュの成分が辛うじてその形を保っているだけの抜け殻だ。成分の採取も容易く行えるだろう。

 丁度今、ドライバーからボトルを引き抜いてビルドの変身を解除した戦兎が、代わりにトレンチコートのポケットから取り出した(エンプティ)ボトルを使って、やってみせるように。

 ここまでくれば、もう仮面ライダーの姿でいる必要は無い。

 戦兎に続いて、ドライバーからアップルフルボトル(メイジー)を取り除いて自らも変身を解除した夜宵は、視線を戦兎から万丈の方へと移す。

 万丈は、その場で組んだ腕の中に顔を埋めて、座り込んでいた。

恋人が完全に消え去ってから、ずっとその態勢のままだった。

 そのため、今の彼の表情を窺うことは出来ないが――恋人が、最愛の相手が、目の前で亡くなったのだ。その彼が今、どんな顔をしているかなど、考えるまでも無く察せられる。

 そんな万丈の痛々しい様子に、夜宵は胸を絞め付けられるような気分を抱かずにはいられなかった。何か言葉を掛けて慰めるべきだとも思ったが、彼が遭った事態が事態なため、何と声を掛ければいいのかも分からず、ただフレアスカートの端を握り締めるほか無かった。

 ――その一方で、

 

『フン……白々しい……』

 

心底詰まらない茶番劇を見ているかのように赤い一つ目を半目にして、冷めきった声でメイジーが万丈へ向けて唾棄していた。

 その微かな声が耳まで届かず、その場で立ち竦んだまま見守るしかない夜宵の視界の端で、スマッシュの成分の回収を終えた戦兎が踵を返し、彼女の方へ向かってくる。

 彼もまた顔を俯けており、その表情は読み取れない。だが、いつもよりも大きく、速い歩調で歩く戦兎の様子は、明らかにいつもとは違う。

 そんな彼に僅かばかり動揺を覚えて思わず目を泳がせた夜宵のすぐ前まで来たところで、足を止めないまま彼女と、そして万丈の方にも目を遣りながら戦兎が一言だけ告げた。

 

「行くぞ」

 

 それだけだ。

 それだけ告げ、そのまま戦兎は夜宵の横を抜け、大きく速い足取りを崩さないままどこかへ行こうとする。

 夜宵はおろか、蹲ったままの万丈すら目に入らないかのように。

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 咄嗟に夜宵は振り返り、戦兎の背中を呼び止める。

 戦兎は、立ち止まりこそすれど振り返らない。

 

「戦兎さん待って! まだ、あの人動けるような状態じゃない!」

 

「病院のすぐ近くでこれだけ騒ぎを起こしたんだ。間違いなく誰かが通報している。いつまでもここにはいられない」

 

 夜宵の訴えに、振り返らないまま戦兎が返す。

 正論だった。

 人が大勢いるだろう病院の、すぐ傍で指名手配中の仮面ライダーがあれだけ派手に暴れていたのだ。そう遠からず、ここに政府の特殊部隊が集合する事になるだろう。

 それを考えれば、確かにすぐにでもここから立ち去るべきだろうが……。

 一度、夜宵は後方を見やり、未だ腕の中に顔を埋める万丈を見て歯噛みしてから、もう一度戦兎に訴えかける。

 

「恋人が亡くなったばかりなのよ!? もう少しだけ待ってあげても――」

 

「そんな時間無いって言ってるんだ!!」

 

 不意に戦兎が振り返り、叫んだ。

 同時に、顕わになった彼の顔に、夜宵は思わず肩を跳ねさせた。

 

「分かってるだろ! このままここにいたって捕まるだけだって! そうなっちまうワケにはいかねぇんだ! 俺も、お前も! アイツも!!」

 

 怒鳴り付ける戦兎の、眉間にこれでもかと皺を寄せた、怒りと、苦渋に歪んだその顔は、彼と関係を持ち始めたこの3ヵ月で初めて見る顔だった。

 その、普段のマイペースで自意識過剰な彼からは想像も出来ない表情に、夜宵は完全に気圧されてしまった。

 そうして黙らざるを得なくなった彼女の様子を見て、ふぅ、と一つ溜息を吐いて落ち着いてから、戦兎がゆっくりと言葉を続ける。

 

「……分かったら、お前らも早く来い。とっととここから立ち去――」

 

 しかし、

 

「もういい」

 

夜宵とは別の声が、彼の言葉を再び中断する。

 声に引かれ、振り返った夜宵が見たのは――未だ腕の中に顔を埋め座ったままの、万丈。

 未だに顔を窺うことが出来無い姿勢のまま、震える万丈の声が再び聞こえてくる。

 

「もう、いいんだ」

 

「……何が、だよ?」

 

 顔を上げないまま、もう一度同じ言葉を重ねる万丈へ問い掛けながら、先程よりも更に速く、強い足取りで戦兎が夜宵の横を抜け、彼へと向かっていく。

 

「……もう……いいんだ……」

 

 万丈から紡がれる、再三の同じ台詞。

 それが放たれた時には、もう戦兎が彼のすぐ前に立っていた。

 そして、

 

「何がいいんだよ!!」

 

両腕を彼の方へ伸ばすやその胸倉を掴み、万丈を強引に立たせてその顔に怒鳴りつけていた。

 思わず、夜宵は彼らの方へ駆け寄りながら戦兎を呼び止めようとしたが、彼女の声に反応を返すことなく戦兎が更に怒鳴り続ける。

 

「いいわけねぇだろ! 今捕まったら、お前は殺人犯のままだ! それでいいのか!?」

 

「良くねぇよッ!!」

 

 夜宵が戦兎のすぐ斜め後ろまで辿り着くとほぼ同時のタイミングで、それまで俯けていた顔を上げて万丈が叫び返す。

 

「……けど、けど香澄は、もういねぇんだ。もう消えちまったんだ……」

 

 震える声でそう返す万丈の顔は、クシャクシャに歪んでいた。

 涙に濡れそぼった目で戦兎を見返し、逆に彼の襟を掴み返しながら、悲しみの感情が滲む声で万丈が訴える。

 

「アイツがいねぇのに、戻ってくるわけでもねぇのに、無実なんか証明して、一体、何になるってんだッ!? 今更んな事したって、もう意味なんか無ェじゃねぇかッ!!」

 

 そう叫び終わると共に、胸倉を掴んでいた戦兎の手を振り解いた万丈は、再びその場に座り込んで、

 

「……だから……もう、いいんだ……」

 

と呟いて、顔を俯かせる。

――それが、多分気に入らなかった。だから、言うべき事がやっと頭に浮かんだ。

 今の万丈がそう言い、そんな態度を取ったとしてもしょうがないと、頭では分かるのだが、心の方がそれを良しと出来なかったのだ。

 万丈の恋人の最後の言葉を思えば、こそ。

 だから、

 

「お前ッ……! それで彼女が喜ぶと――」

 

「意味ならあるよ」

 

 そんな彼にまだ何か言おうとしていた戦兎の横を抜け、万丈の前に移動するや彼を見下ろして、夜宵は告げた。

 

『ちょ、ちょっと夜宵ちゃん? 何やってますの? こんな(狼さん)なんかと話す事なんて――』

 

「あの人、最後にもう一度言ってたよね? 騙してごめんね、って」

 

 突然の彼女の行動と、男に近付くという行為への嫌悪感から咎めるメイジーの声を無視して、変わらず顔を俯けたままの万丈に、更に夜宵は語り掛けていく。

 

「きっとあの人、自分のせいで貴方が無実の罪を被る事になったんだって、最後の最後まで思ってたんだと思う。その事で、貴方に取返しの付かない事をしたって思ってたから、それで、最後にもう一度そう言ったんだと思うの」

 

 実際の所、万丈の恋人が今際の際に何を考えていたのかは正確には分からない。だから、結局のところこれは思い込みに過ぎないのかもしれない。

 ただ、最後に万丈に2度目の謝罪の言葉を述べていた彼女の姿が、とても他人事には思えなかった。

 2年前に沙也加を置き去りにして逃げた事に対する罪悪感を今でも心の内に抱えている身である、夜宵には。

 それに、男への恨みからこの世に留まり続けるどころか、フルボトルに封印されてしまっている赤ずきんの怨霊なんてものがすぐ傍にいるのだ。

 万丈の恋人にしても、何の未練も無くもう天国へ、というわけにもいかないだろう。

 

「もし貴方がまた捕まったら、きっとあの人はこれからも自分の事を責め続ける。だから――」

 

 それに、今となっては彼女自身も、万丈の事を疑う気持ちは殆ど無い。

 万丈の恋人が、最後に万丈に語った言葉もあっての事ではあるが、それとは別に、万丈自身がどういう人間かを、夜宵はその目で見たのだ。

 彼は、何度も夜宵と戦兎を止めようとした。

 生身のまま、自分よりもずっと強い力を持つ仮面ライダー達を。

 理性を無い怪物と化し、自分に襲い掛かろうとしていた恋人を守るために、必死に、体を張って、だ。

 そんな事が出来る人間が、人殺しだとは、夜宵には思えなかった。

 何の根拠も無い感情論と言ってしまえば勿論その程度のものではあったが、万丈と、彼を無実だと言った戦兎の判断を、取り合えず信じてみようとは思えた。

 

「一緒に証明しましょう。貴方が本当は無実なんだって、何もやってないんだって。せめて、あの人が安心して眠れるように」

 

 ――泣き腫らした顔で見上げた万丈に、右手を差し伸べようという気になったのだ。

 

「――そういう事だ」

 

 夜宵に続き、はぁ、と溜息を吐いてから一歩踏み出して彼女の隣に並び立った戦兎が、同じように自らの左手を万丈へと差し出す。

 その際、彼の方に目を遣った夜宵と目が合うや、お子ちゃまがいいトコ取りやがって、と聞こえるか聞こえないかの微妙な声量で文句を言いつつ。

 それに対して、肩を竦めて悪戯気な笑みを浮かべた夜宵に、ふっ、と笑い返してから、万丈の方に視線を戻して、戦兎が言葉を続ける。

 

「こんなトコで腐ってたって、彼女は喜びなんかしない。分かったら、いつまでもめそめそ泣いてんじゃないよ。ホラ、行くぞ。万丈」

 

「行きましょう。――万丈さん」

 

「……お前ら……」

 

 そうして眼前に並べられた二人の手と顔を、驚いたように丸くなった目で交互に見やった後、再び万丈が顔を下に向ける。

 そのまま、暫く黙りこくっていたかと思いや――僅かに見えていた彼の口元が食いしばるように寄ったのが見えた直後から――ブルブル、と体を震わせ出した万丈の両手が、やや乱暴に夜宵と戦兎の手を掴み取った。

 そして、それを目にするや夜宵は戦兎と顔を向け合い、どちらからともなく、もう一度笑みを浮かべ合ってから、共に万丈を引っ張り立たせたのであった。

 

 

 

 それから時は経ち、午後9時。星観家。

 既に食事と入浴を終え、パジャマに着替えた夜宵は右手のシャープペンを武器に、勉強机の上で開かれている教科書とノートを相手に勉強中なのだが、あまり状況は芳しくない。

 ここ数分程シャープペンがノートに何かを書き込む事は無く、彼女の手の中でクルクル、と回され弄ばれているだけで、当の夜宵自身も空いている左手で頬杖をつきながら、教科書やノートとは別の方向ばかりに目を遣っていた。

 教科書に書かれている内容が難解だから、というのが理由では無いと言い切ってしまえば嘘になってしまうが、それとは別に勉強に身が入らない理由があった。

 今日あった事――特に、万丈の恋人、小倉 香澄について、どうしても考えてしまう事があった。

 あの一件の後、nascitaへ戻る戦兎と万丈と別れ、夜宵は学校へと戻った。

結局、学校に辿り着いたのはその日の最後の授業である七時間目の開始を告げるチャイムが鳴ったのと同時だった。扉を開くや注がれる教師とクラスメートの奇異と叱責の視線の中を、背を丸めて羞恥に耐えつつも教室に戻り授業を受けた夜宵は、先の戦闘の疲労もあったので、そのままnascitaに寄らずに帰宅したのだった。

 そして今に至るのだが――ある程度時間を置いた今だからこそ、どうしても思ってしまうのだ。

 

『本当に、ああするしか小倉 香澄さんを助けられなかったのか? ――ですか?』

 

「……人の心読まないでくれる?」

 

『あら失礼。貴女があまりにも考え込んでいるものでしたから、言って上げたら少しは気が晴れるかと思って』

 

 机の隅に置いていたアップルフルボトル(メイジー)を、夜宵は睨み付ける。

 彼女から向けられた鋭い視線などどこ吹く風とばかりに、特に悪びれる様子も無くメイジーの一つ目がそっぽへ向けられる。

 面白くなかった。

 メイジーの態度が気に入らないのもそうだが、何より彼女の言葉は図星だった。

 

「……思ってるよ。もっと出来る事があったんじゃないか、って」

 

 それが、夜宵の正直な気持ちだった。

 もっと良い手はあったんじゃないか? 倒してしまう以外の手段はあったんじゃないか? ――既に過ぎ去ってしまった一件だからこそ、どうしてもそんな風に疑問や後悔が浮かんでしまう。

 実際に手を下した戦兎や、苦渋の思いで選択をした万丈の前ではとても言えた事ではない。彼らにその場を任せ、引き換えに任せられたとはいえ、ローグの足止めしか出来なかった自分にそんな事を言う資格が無いのは重々理解している。

 だが、それでもたらればの話をつい、考えてしまうのだ。

 ――いや、本質はそこじゃない。

 香澄の事そのものは、――そう言ってしまうことは彼女を侮辱しているようで悪く感じてしまうが――切欠でしかない。

 夜宵にとっての本題――考えてしまう“可能性”。

 

『小倉 香澄さんの事は私も思うところがありますわ。――でも、貴女が考えているのは彼女の事ばかりではありませんわね?』

 

「……」

 

『当てて差し上げましょう。貴女が考えているのは――沙也加ちゃんの事ですね?』

 

 メイジーの問い掛けに、今度は夜宵が目を伏せ、逸らす。

 これもまた、図星だった。

 夜宵と共に攫われた沙也加は、今、一体どうしているのか?

 夜宵が人体実験の被験者にされていたからには、彼女もまた同じ実験を受けていた可能性は高い。そこまでは、今までも何度か考えた事のある範疇だ。だからこそ、早く彼女を救い出したいと夜宵は願ってきた。仮面ライダーであれば、いつか彼女を必ず救い出せると考えていたのだ。

 だが、今回の香澄の一件で新たに判明した事実が、彼女のその思いの中に不安を生み出したのだ。

 

――体の弱い人間ならば、ガスを注入した時点で死に至る。スマッシュの成分を抜き取れば、魂と共に肉体も消滅する――

 

「聞いてみないとハッキリしないけど、多分、香澄さんって元々体が弱かったんだと思う。沙也加は違う。風邪も滅多に引かない、いつも元気な娘だった、けど……」

 

 夜宵が知る、特別病弱という事は無い健康体だった須藤 沙也加の姿は、あくまで2年前までの姿だ。

 今の、いや、あの誘拐事件が起きた日からの彼女が、体の状態を維持出来ていたかを夜宵が知る術は無い。

 もしも、どこかで沙也加が体を病み、その上で人体実験を受けさせられ、スマッシュへと変貌させられるような事態が起きていたとしたら……。

 

「……沙也加が香澄さんみたい事になってるなんて、考えたくも無い」

 

 沙也加の存在、彼女を自らの手で救い出す事が、夜宵が仮面ライダーでいる理由だ。

 その親友が、香澄のように、もはや救う事が叶わない状態に陥っているなど、その可能性を考えるだけで体が小刻みに震えてくる。

 しかし、今日の一件のその可能性があり得る事は既に証明されている。

 

「だけど、もしそんな事になってたら……」

 

 その事態に直面した時、果たして自分はどうなってしまうだろうか?

 万丈のように、せめて楽にしてやる決断が出来るか?

 戦兎のように、自らの手で親友を介作出来るか?

 それとも、今回の件のように直接手を下せず、誰かにそれをやらせるだけで終わるのか?

それとも……。

 次々に沸いて来る嫌な想像。それにズルズル、と引き込まれ、自分でも気づかない内に思考の坩堝に夜宵は囚われていく。

 

『――本当に、香澄さんは死ぬ必要があったんでしょうかね?』

 

 そこに告げられたメイジーのその言葉は、正に不意打ちだった。

 ハッ、と顔を上げた夜宵の双眸が、赤い一つ目と視線を交わし合う。

 メイジーの目は、何故か疑わし気に顰められていた。

 それで何となく気づいた。

 

「……何が言いたいの?」

 

 出だしの言葉こそ先程の夜宵と同じだが、その意味合いは幾分か違う。

 ――夜宵が思っていた事とは、矛先が違う、と。

 

『香澄さんが死ぬしかないと、そう言ったのはあのナイトローグとかいう蝙蝠男ですわ。その時点で、あの(狼さん)の言葉の信憑性を疑うべきだったかもしれない。それで結局奴の言葉が正しいとして――果たして、桐生 戦兎は本気でああするしかないと思ってたんでしょうかね?』

 

 やっぱり、だ。

 メイジーの言葉の矛先は、全ての元凶であるローグと――戦兎と万丈に向いている。

 

「そうに決まってるでしょ。もっと良い方法が、香澄さんを助けられる方法があったなら、戦兎さんは絶対そっちを取ってる」

 

『どうでしょうねぇ。万丈 龍我にはともかく、桐生 戦兎にとって香澄さんは今日会ったばかりの見ず知らずの女性ですわ。そんな相手を助ける方法を、果たして(狼さん)が必死に考えたりするでしょうか?』

 

 詰まる所、いつもの男嫌い(病気)だ。

 普段なら、溜息の一つでも吐きながら、呆れつつ流してやっているところだ。

 が、今回はそういかない。

 

「……戦兎さんが楽な方を取ったって、そう言いたいの?」

 

『ええ。少なくとも、私はそう思っていますわ。もっと言えば、万丈 龍我の方も』

 

 それを口に出すには、今は状況が悪すぎる。

 

『あんなに邪魔したくせに、いざ香澄さんが助からないと分かった途端、随分と簡単に諦めたものですわ。所詮、恋人と言っても、あの(狼さん)にとって香澄さんはその程度の価値しか無かった、ということでしょうね』

 

「本気で、そう思ってるの?」

 

『思ってます。夢のためと称して、語り合った愛を踏み躙って女性を地獄に突き落とす狼さんもいれば、女というだけで見下し、暴力を振るって思い通りにしようとする狼さんだっていますもの。――そういう狼さんは、()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 今は、香澄の一件があってすぐなのだ。

 ――苦渋に歪んだ戦兎の顔を目にし、恋人を喪った悲しみに濡れた万丈の顔を見たばかりなのだ。

 

「……ねぇ、そろそろ黙ってくれない? 今、そういうの聞きたい気分じゃないの」

 

『「私と出会わなければ、もっと幸せな人生があった筈なのに」――ですか。香澄さんが哀れでなりません。叶うなら、彼女に伝えて差し上げたいですわ。「それは貴女の方だ」――と』

 

「ねぇ。もう、いい加減にして」

 

 メイジーだって、二人のその姿を見ている筈なのだ。

なのに――。

 

『「貴女の命を実験動物(モルモットさん)程度にしか扱わなかった男と、真面目に命を救おうとしなかった男と、何より、恋人を名乗っている癖に、平気で見捨てられる程度にしか貴女の事を想っていなかった男と。そんなどうしようもない(狼さん)達に関わってしまった貴女こそ、もっと幸せな人生があった筈なのに」――って』

 

 ――何故、こんな事が言えるのか?

 

「いい加減にしてって言ってるでしょ!」

 

 募ったイラつきのままに、夜宵は立ち上がり、机に両手を叩き付けて怒鳴った。

 その際の衝撃でノートと教科書、傍に置いていた筆箱、そしてアップルフルボトル(メイジー)が夜宵の目線の辺りまで跳ね上がり、アップルフルボトル(メイジー)以外が全て床に落ちてしまったが、そんな事はどうでも良かった。

 悲鳴を上げて、横倒しで机に着地したアップルフルボトル(メイジー)をひん掴むや、眼前まで移動させ、更に怒鳴り付けようとして、

 

「夜宵ちゃん!? 夜宵ちゃんどうしたの!?」

 

しかし、直後に勢い良く開かれた出入り口から現れた夕昏へ驚きから、吐き出そうとしていた言葉を即座に飲み込まざるを得なかった。

 アップルフルボトル(メイジー)持った右手を背に回して見えないようにしつつ、慌てて夜宵の背後の母の方へと振り返る。

 

「お、お母さん? どうしたの突然?」

 

「夜宵ちゃんこそどうしたの、急に叫んだりして? お母さん、ビックリしちゃったわ」

 

「ああ、ゴメン。ちょっと勉強が進まなくて、イライラしちゃって……」

 

「そうなの? だったら、いいんだけど……」

 

 さもバツが悪そうに頭を掻いて苦笑を浮かべながら誤魔化す夜宵に、疑うような素振りこそないが、夕昏が不安げに眉を顰める。

 それでも納得はしてくれたらしく、

 

「お勉強が大変なのは分かるけど、お隣さんの迷惑になっちゃうから、あんまり騒いじゃ駄目よ」

 

「うん、分かってる。ごめんなさい」

 

「お勉強まだ続けるの? 長くなるんなら、お夜食作るけど」

 

「ううん、大丈夫。もう少しで終わらせようと思ってたから」

 

「そう? お勉強は大切だけど、あまり無理しちゃ駄目だからね」

 

最期にそれだけ会話を交わしてから、夕昏が部屋を出る。

 そして、閉じられた扉越しに彼女の足音が遠ざかったのを確認してから、ふぅ、と夜宵は溜息を吐き、背に隠していたアップルフルボトル(メイジー)を再び眼前へと移動させた。

 見れば、メイジーの一つ目も安堵したように細められている。

 

『危ない所でしたわ』

 

「ホントにね……」

 

 もう一度溜息を、ガクリ、肩を落として夜宵は脱力した。

 が、すぐに調子を整え、毅然とした目でメイジーを見つめ直す。

 

「あんただって見ていたでしょ? 全部終わって、戦兎さんや万丈さんがどんな顔してたか。それでも、あんたはさっき言った言葉を押し通すの?」

 

『男など、皆、己の薄汚い欲望を満たす事しか頭に無い獣に過ぎない。ちょっと葛藤したような顔をしたり、さも恋人が亡くなって慟哭を上げているような素振りを見せた程度で、私は騙されなどしませんわ。その程度で容易く騙されてしまっている貴女と違って、ね』

 

 それが純然たる事実である、とばかりにハッキリとそう言い切るメイジー。

 その赤い目から目を逸らし、再び夜宵は溜息を吐く。

 先程までのテンションのままならムキになって食い掛っていただろうが、直前の母の思わぬ乱入でいくらか頭が冷えているお蔭で、今はそれだけで済ませられた。

 だが、それでもこれだけは心中で呟かざるを得ない。

 

(やっぱり、契約が終わるまでの付き合いだわ)

 

 実のところ、今回のような意見の衝突は今に始まったところではない。

 そもそもが、男性に対して苦手意識こそあれど男嫌いという程でも無く、それどころか戦兎や石動、万丈のような一部の男に対しては心を開いている夜宵と、死んでなお怨霊としてこの世に留まり続ける程に男への強い憎しみを抱き続けているメイジーの組み合わせなのだ。三ヵ月というそれなりに長い期間を共に過ごすだけの繋がりを辛うじて維持していられるのも、仮面ライダーの存在と、二人の間で結ばれた“契約”があるからこそと言っていい。

 故に、夜宵が沙也加を救い出し、メイジーが自らの封印を解除するその時こそが、二人の縁の切れ目となる。――少なくとも、夜宵はそう思っている。

 

『まぁ、でも……そうですわね。先程の言葉は、流石に言い方に問題がありましたわね。謝りますわ』

 

 そう言って、すいませんでした、と目を伏せたメイジーが謝罪の言葉を述べるが、あくまで内容について訂正する気は無いらしい。

 そんな彼女をまともに相手する気が起きず、もういいわ、と適当な返事を返してからアップルフルボトル(メイジー)を机の上に置き、散らばった勉強用具を片付けるために夜宵はその場にしゃがみ込んだ。

 

『あと、これだけは言わせて下さい』

 

「今度は何?」

 

 何やら付け足そうとするメイジーの方を向かずに、散らばった筆箱の中身を拾い集めながら夜宵は問い返す。

 むしろこっちが本題だったんですが、と前置きをメイジーが述べる間も、彼女の手は休む事無く転がったペンや消しゴムを拾っていく。

 

『もしも、沙也加ちゃんが香澄さんのような事になってしまってたら――』

 

 言い出したメイジーの言葉が耳に入るや、定規を筆箱に押し込んでいた手が、ピクリ、と震えた。

 

『貴女、どうしますの?』

 

「……どう、って?」

 

『今回の香澄さんの件で万丈 龍我がやったように、桐生 戦兎辺りに全て任せますの?――(狼さん)達に言われるがまま、仮面ライダーになってまで探し続けたお友達の事を、諦めてしまいますの?』

 

「それは――」

 

 メイジーの方に振り返って夜宵は返答しようとしたが、しかし、言葉が出て来ない。

 彼女の問い掛けは、先程夜宵がしていた自問そのものであり、そしてその答えはまだ出せていない。

 香澄のように、もう死ぬしかないような状態で沙也加と再会した時、果たして自分はどうしているのか?

 泣く泣く万丈が決断したように、戦兎に彼女の介錯を頼むのか?

 あるいは、せめて親友として、この手で彼女を楽にするのか?

 それとも――。

 

「……」

 

 投げ掛けられた質問に答えが返せないまま、散らばった勉強用具を集める手も止めてしまった今、音を鳴らすものは部屋には存在しない。

 そうして、そのまま暫し、沈黙が部屋の中に立ち込める。

 ――机の横に掛けた鞄の中から突如鳴り出したビルドフォンの着信音によって、その沈黙が破られるまで。

 

『「っ!?」』

 

 突然の音に、心臓が飛び出してしまうかと思う程に驚いた夜宵は、慌てて鞄の中を弄り、ビルドフォンを取り出して画面を確認する。

 画面には、これまた見覚えのある電話番号が映っていた。

 確か、この番号は――。

 

「もしもし? 戦兎さん?」

 

<おう、俺だ。天ぇ才物理学者の桐生 戦兎だ>

 

 記憶を頼りにその名前を呼んでみれば、やはりというか、電話口から戦兎の声が返って来た。

 

<何だよ。まだ番号登録してないかもってマスターが言ってたから身構えてたのに、ちゃんと登録してんじゃねぇか>

 

「あー、えっと、まぁ……」

 

 本当はまだ番号の登録は済ませていないが、それを言うと面倒くさい事になりそうだと思った夜宵は適当に返事を返しておく。

 その横で、

 

『誰かと思えば……こんな遅くに何なんですの、あの(狼さん)。寿命が縮むかと思いましたわ!』

 

当に死んでいる身の怨霊がそんな風に文句を言っていた。

 

<まぁ、いいや。それはそれとして――。とんでもねぇ事が分かった>

 

 不意に、戦兎の口調が真剣なものに変わる。

 

「どうしたんですか?」

 

 彼につられ、少し緊張で口が強張るのを感じながら、夜宵は問い返す。

 

<昨日、万丈から聞いたろ? アイツがガスマスクの連中に人体実験をされる前に、アイツに薬を打ち込んで気を失わせた刑務官がいたって>

 

「ええ」

 

 確かに、昨日の夜事態の過程を確認する際に、万丈がそんな事を話していた。

 

<その刑務官が誰かを、紗羽さんが突き止めた>

 

「えっ、本当ですか!?」

 

 戦兎から伝えられた情報に、夜宵は思わず声を張り上げ、身を乗り出した。

 万丈の話を省みるなら、その刑務官は例のガスマスクの男達と繋がっている可能性が高い。その刑務官の情報が得られたという事は、つまり連中を追うための足掛かりを一つ得たという事だ。これを朗報と言わずして、何というのか。

 それにしても、と夜宵は思う。まさか、今一信用ならないと断じていた滝川が、関わって早々にこんな素晴らしい報せを持ってくるとは……!

 

<ああ。だけど、それだけじゃねぇんだ。――その刑務官の名前、鍋島 正弘(なべしま まさひろ)っていうらしい>

 

「ナベシマ? あれ? その名前――」

 

 口元に手を当て、夜宵は首を捻る。

 ごく最近、その名前を何処かで聞いた覚えがある。果たして、何処で――?

 

<覚えてるか? 香澄さんが最後に言っていた事。彼女を唆して、万丈を殺人現場へ誘導した奴がいる。ソイツの名前が――>

 

「――ナベシマ!」

 

 そうだ。

 戦兎の言う通り、確かにその名前は、香澄が今際の際に万丈に話したのと同じ名前だ。

 

「って事は、万丈さんが嵌められた事件と、万丈さんの脱獄って――」

 

 鍋島、という苗字はあまり多い苗字ではない。

 加えて、万丈と香澄の両方に、その名前を持つ男が深く関わっている。

 ここまで揃ったなら、偶然とは考えづらい。それぞれの件に関わった“鍋島”が別人という可能性もほぼ無いだろう。

 つまりは――。

 

<繋がっているって事だ>

 

 一年前に万丈が巻き込まれた殺人事件。

 そして、その後に起きた彼の拉致と人体実験、脱獄。

 この2件は繋がっている、一人の男をその接点として。

 鍵となるその男の名は――鍋島 正弘。

 




次回、仮面ライダーメイジー!


「鍋島! コイツが鍵を握っている事は、間違いない!」

「それが分かんねぇッつってんだよ!」


「それは、それって言うか……」

遂に見つけた鍵を握る男(キーマン)、鍋島!

その行方を知るのは――


「みーたんだよー!」


「マジかよ」

「……美空」


――まさかの美空!?


<ファウスト?>

「お前が言った、ガスマスクの連中だ」


暗躍する謎の組織――ファウスト!


「悪ィかよ、自分のためでよ?」

「悪いとは言わない。けど、そこが一番不安なんだ」


それは自分のためなのか?


「見返りを期待したら、それはもう正義とは言わねぇ」

『いいえ、違うわ。貴方達が正義を語る事それ自体が間違いだわ』


それとも正義のためなのか?

……そして、遂に……



「俺達、嵌められたかもしれねぇ」

『フフフフ……』


「……血まみれの……コブラ……」

……()が、現れる……。


第4話 正義のボーダーライン



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第4話A 正義のボーダーライン(前編)

多分、今回の話から以降は前・後編に分けての投稿になると思います。
なんせ、第4話だけでも気づけばwordで75ページとかいうトンデモな量になってしまってますので。

何はともあれ、本作を読んで頂いている方々には感謝と、長くお待たせ致しました事へのお詫びを。
後編も近日中には投稿出来ると思いますので、そちらもどうか今しばらくお待ちをお願い致します。


 学校を抜け出し、逃げ出した万丈を追った先で遭遇する事となった、彼とその恋人――小倉 香澄との別離。

 その最中で香澄の口から語られた、万丈を殺人現場へと誘導するように指示したという男――鍋島。

 その男がどうやら、万丈をガスマスクの男達が待つ人体実験の実験場へと攫った刑務官と同一人物らしい、という情報が戦兎から齎された時、すぐにでも家を飛び出したい衝動に夜宵は駆られた。やっと見えて来たガスマスクの連中の手がかり――漸く見つけた沙也加への足掛かりを前に、居ても立っても居られなかったのだ。

 とはいえ、連絡があった時点で既に時刻は9時。明日も学校はあるし、そうでなくとも何か行動を起こすには既に遅い時間だ。

 仕方なく、詳しい話は明日、と戦兎に窘められつつ電話を切られた後、逸る気持ちを抱えながらも夜宵は床に就き、その日を終えた。

 そして翌日、午後4時半。

 気持ちのせいで普段以上に苦痛に思えて仕方が無かった学校を終えるや、すぐに向かったnascitaの地下室にて、夜宵は思わぬ場面に立ち会っていた。

 

「いいか? よく聞けよ? もう一回言うからな?」

 

 地下室の中央に設置されたクリアーボードを指差し、うんざりしたような口調で念を押す戦兎。

 それに、ああ、と万丈が頷き返すのを確認して深い息を吐いてから、再びクリアーボードの一部を指差しながら戦兎が説明を始める。

 

「お前の、恋人使って、科学者の葛城 巧(かつらぎ たくみ)の、殺害現場へ行かせたのが、鍋島!」

 

 戦兎が指し示している箇所に描かれているのは、絵と文章――万丈と香澄、そしてどうやら鍋島らしい、禿げ上がった頭の男の簡易的な絵と、彼らの関係を矢印と共に箇条書きした相関図だ。

 語気を強めながら、順を追ってその内容を説明したところで、うんうん、と万丈が何度か相槌を打つのを確認してから、でもって、とクリアーボードの別の箇所へと戦兎が指を移動させる。

 彼の指が次に移動したのは、万丈と鍋島を直接繋ぐ矢印と、そこに添えられた“連れ去った”という文面だ。

 

「スマッシュの人体実験場に、連れて行くために、刑務所でお前を眠らせたのも、鍋島! コイツが鍵を握っている事は、間違いない!」

 

 最後にクリアーボードを平手で叩き、そう叫んで締め括った戦兎に、合点がいったように手を打ち合わせて万丈が叫び返す。

 

「ダメだ分かんねェ!」

 

「何でだよォッ!? もっとマジメに聞きなさいよこの筋肉バカァ!!」

 

 特に悪びれる様子の無いごく自然体での万丈の返答に、バシバシ、とクリアーボードを叩いて戦兎が絶叫する。

 そんな二人の遣り取りを、彼らの後方で適当な椅子に座りながら眺めていた夜宵は、欠伸を掻いていた。

 夜宵がnascitaに到着してから、もうそろそろ2時間が経つ。彼女が到着した時点で既に始まっていた、この戦兎による万丈への現状説明は、つい30分ほど前からあんなクリアーボードや相関図まで持ち出して来たワケだが、それでも終わる気配は一向に見えない。

 

『……いつまで続きますのコレ?』

 

「ふわ、ぁ……万丈さんが分かるまで、でしょ?」

 

『それは一体いつなんですの?』

 

 頭の中に大鋸屑(おがくず)でも詰めてるんでしょうか、あの(狼さん)、と毒づくメイジーを余所に、夜宵はもう一度大きな欠伸をしてから、暇つぶしのために取り出していたスマホをブレザーのポケットに戻す。

 流石に眠気が回り出してきた。首を支えている事すら辛い。

 

『――ああ、もう! こんなの時間の無駄ですわ! 夜宵ちゃん、今日はもう帰りましょう!』

 

「何言ってんの。まだ鍋島の事何も聞いてないじゃない」

 

 遂に痺れを切らして叫び出すメイジーに、目に滲んだ涙を指で拭いながら夜宵は返す。

 鍋島が果たして万丈の脱獄やガスマスクの連中にどう関わっているのかは、既に昨日の電話や、今度こそ最後だぞ、と念を押してからまた始められる戦兎の説明で粗方理解している。

 ここでいう鍋島の事とは、鍋島個人の情報――特に現在の所在や、連絡先だ。いくら鍋島が情報を握っていると分かっていても、何かしらの形で接触出来なければ、こちらがそれを得る事は出来ない。

 そして、今はまだ、夜宵のみがその情報を得ていない。

 

『そんなの後から電話ででも訊けば宜しいでしょう!』

 

「それは、まぁ、そうだけど……」

 

『なら良いでしょう! もう帰りましょうよ!』

 

「でも――」

 

「誰と話してるの?」

 

 うつらうつらとしながらメイジーと話している最中、突然、彼女とは別の誰かの声が聞こえた。

 反射的に肩を跳ねさせた夜宵は、すぐさま声のした方を振り向く。

 そこにあったのは、左右に流した柔らかな茶髪と、適度な化粧を施した利発そうな女性――滝川 紗羽の顔だった。

 

「あ……」

 

「ごめん、驚かせちゃった? 独り言凄かったから、つい気になっちゃって」

 

 手を合わせ、ウィンクをしながら謝る滝川。

 その顔に浮かべられた穏やかな微笑みは、向けられた人間の心を落ち着かせ、心を開かせる力を持っていた。記者としての技術の一端なのかは分からないが、この笑顔を目にした者は、滝川にその意思があれば、そうと気づく事無く彼女の促すままに情報を語り出す程に、彼女を受け入れてしまうかもしれない。

 実際、夜宵もそうしていたかもしれない。

 そこら辺の街路時で、不意にマイク片手に取材を求められたりしたとか、であれば。

 

「……別に」

 

 そう一言だけ、囁くような小さな声で素っ気無く返して、夜宵は滝川から視線を逸らした。

 傍から見れば突き放しているような素振りであり、横目に見える滝川の顔も少し困惑したような表情を浮べていた。

 そんな彼女の反応に対し、特に、悪い事をした、とは夜宵は思わない。

 元より、()()()()()()()での対応だったのだから。

 

「えーっと、あの……夜宵ちゃん?」

 

 滝川の事を夜宵は信用していない。

 出会ってほんの数日しか経っていないから、ではない。日数については万丈も同じ条件下にあるが、それでも――あくまで滝川よりは、という程度だが――彼の方が信用出来るし、開けた対応が出来る。

 ()()()()()()()のだ。

 戦兎も、美空も、石動も、万丈も、メイジーでさえも、ある点において皆、夜宵との()()()を持っている。

 滝川だけが、その()()()を持っていない。

 だから、夜宵は滝川の事を信用出来ないし、心を開こうとも思わない。

 それ故、気を取り直し、声を掛け直して来る彼女に対し、応答するかどうか少しだけ夜宵が迷った。

 その間に、新たな声が二人の間に割り込んでくるまで。

 

「あんまししつこくしない方がいーよ? 人見知りする方だし」

 

 そう言った後、ねー夜宵、と夜宵にも話し掛けて来たのは、いつものアンニュイな寝間着姿の美空だった。

 

「違うよ。してないし、人見知りなんて」

 

「良く言うし。あたし達と会ったばっかの頃と(おんな)じ態度しておいて」

 

「それは、それって言うか……」

 

 むっ、となってすぐさま反論しようとする夜宵であったが、しかし言葉が出て来ず口を詰まらせてしまう。

 確かに、会ったばかりの彼女達に対しては今の滝川に取ったような対応をしていた。当時は()()()の事など知らず、また()()()()()だったための事だが、図星である事に変わりは無い。

 その痛いところを突かれて唸るしかない夜宵に、あと、と美空が話題を切り替える。

 

「一昨日夜宵が持って来たボトルだけど、アレ、()()()だったから」

 

「えっ、駄目だったの?」

 

「え? 何? ボトルがハズレって何? どういう事?」

 

 告げられた美空の言葉に、少しばかりだが落胆を覚え、夜宵は肩を落とす。

その傍らで、話の内容が分からなかったらしい滝川が二人の顔を交互に見やり、首を傾げていた。

 

「それとー、紗羽さんが持ってきた鍋島の経歴書なんだけどさー」

 

「あ、見てくれたんだ! アレ調べるの、結構苦労したんだよねぇ」

 

 情報を集めていた当時を懐かしむかのように、明後日の方を向いた滝川の顔が微笑を浮かべる。

 しかし、

 

「アレ、全部デタラメ」

 

「その甲斐あって、良い感じに情報集まったなーって――ええーっ!?」

 

呆れ気味に美空がそう告げるや、すぐさま驚愕に絶叫する彼女の顔が夜宵と美空の方に向け直される。

 それを気にする事なく、夜宵は美空に問い返す。

 

「デタラメ?」

 

「ん。書かれてた住所とか電話番号とか確認したけど、別の人のだったし」

 

「うっそ~!」

 

 苦労して手に入れたのに~、と両頬に手を当てて絶叫する滝川。

 そのまま、ショックのあまりかよろよろ、とふらつきながら離れ、床に座り込む彼女を大袈裟に思いつつ横目に見送りながらも、肩を落として夜宵は落胆する。

 

『あらら、どうやらガセを掴まされたようですね。だったら、今度こそここにいる意味はもうありませんわ』

 

「……そうだね」

 

 呆れた口調のメイジーに溜息交じりに同意し、そのままコントのような遣り取りを続けている戦兎と万丈、よよよ、と床で打ちひしがれている滝川を後目に、nascitaを出ようと夜宵は椅子から腰を上げる。

 と、その時。

 

「ムーンコーヒーの新作ドーナッツ」

 

 不意に、美空がそう声を掛けて来た。

 反応して振り返って見れば、視界にニヤニヤ、とした笑みを浮かべる彼女の顔が入って来る。

 まるで、何かを期待する子供のような顔が。

 

「明日から発売するんだって。それ、2個」

 

 ムーンコーヒーというと、スカイウォールの惨劇が起きる以前は全国規模でチェーン店が展開していたという大手コーヒーチェーン店の、あのムーンコーヒーだろう。

 スカイウォールで日本が分断されてしまった今となっては、本社が存在する東都内のみに展開規模を縮小せざるを得なかったらしいが、それでも――夜宵や美空を含む――ファンからの根強い人気によって経営は安定している。常に閑古鳥が鳴いているような有様のnascitaとは比べるのも烏滸がましい人気店なのだが、そこの新作ドーナッツの発売が迫っているというのは夜宵も初耳だった。

 いや、それはこの際いい。

 問題は、このタイミングで美空がその話を振って来た、その理由だ。

 

「……美空」

 

『これは……また()()をやる気ですね……』

 

 美空が言わんとしている事、そしてやろうとしている事はすぐに察せられた。

 だから、彼女の名前を呼び返した時、夜宵は渋面を浮かべ、メイジーもうんざりしたような声を漏らした。

 

「情報、集めて上げる。だからバイト代って事で、頂ー戴?」

 

 確かに()()ならば、ひょっとしたら人一人くらいの行方や個人情報なら容易く得られるかもしれない。何せ、東都どころか、北都や西都の不特定多数の人間から情報を募るのだから。

 だからこそ、出来る限り()()()は取らせたくない。

 どこで、何が原因で嗅ぎ着かれるか分かったものじゃないし、()()()()()()()()()()

 

「また()()()()する気? 前も言ったよね? ()()()()してたら、()()危ない目に遭うかも知れないから止めようって」

 

「大丈夫だし。今まで何度も顔出したけど、ガスマスクの奴らどころか()()()にだって見つかった事ないし」

 

「今までは、でしょ? これから先は分からないじゃない。そのファンの人達にしたって、皆が皆良い人ってワケじゃないんだよ? もし禄でもない奴に見つかりでもしたら――」

 

「あー、もう! 夜宵、心配し過ぎ! 大丈夫って言ったら大丈夫だし! 戦兎もお父さんもいるし! 変な奴来たって、ボッコボコに出来るし!」

 

 止めさせるために夜宵は説得を試みるが、しかしいつものアンニュイな表情を変えないまま手を仰ぐ美空には、その言葉は暖簾を腕で押すが如く効き目が無い。

 それでも諦めず、だけど、と夜宵は言葉を連ねようとしたが、

 

「今ならお前に万丈もいるしねー!」

 

突然美空の側に加わった思わぬ加勢と、ついでに自分の名が呼ばれた事に、あん、と反応して振り返った万丈と、彼に引かれて視線を向ける戦兎と滝川に気圧され、結局そこで引かざるを得なかったのであった。

 

 

 

 いまいち飲み込めない鍋島周りの説明を受けている最中で、不意に名を呼ばれて振り返

ったところで夜宵と美空、それにいつの間にやら帰宅していた石動の姿を認めたのも、つい先程の話。

 それからまだ十分と経過していない現在、

 

「……何だこりゃ?」

 

目の前に展開する訳の分からない光景を前に、万丈は首を傾げていた。

 自らと、何てことない日常の光景を見ているかのように平常を崩さない戦兎と、異様にノリノリな石動と、何、何々、何が起こるの、と期待に目を輝かせてはしゃぐ紗羽の視線が一様に見守る先にいる、()()のその変貌ぶりに。

 

「ハーイ! 皆のアイドルー、みーたんだよー!」

 

 カメラのレンズを前に人懐っこい笑みを浮かべ、元気良く右手を振りながら、愛嬌たっぷりの声で美空がそう叫んでいた。

 そう、美空が、だ。

 ついさっきまでは、いつも通りのダボついた寝巻姿で、眠たげに目を細めたアンニュイな姿でスマホを弄りながら何やら夜宵と話し込んでいた筈の、あの引き籠りの少女が、だ。

 それが石動の登場と共に一転、ものの数秒で着替えと資機材の設置が終了すると共に、青いオーバーオールと帽子にイヤホンマイク姿の、異様に明るくハキハキとした今の美空が目の前に現れたのだ。

 この突然の変貌に万丈は困惑せざるを得なかったのだが、そこへ声量を抑え気味で加えられた石動の説明が、彼を更に驚かせる。

 

「美空はなぁ、大人気のネットアイドルなんだよ」

 

「ネットアイドルゥ?」

 

 胡散臭さから声を上げ、美空の方へ駆け寄ろうとする万丈だったが、すぐさま彼の肩を掴んだ石動と戦兎の手でその場に押し止められる。

 その行為に不満を覚え後へ振り返ろうとした彼の視界を、ふと誰かが横切った。

 紗羽だった。

 

「“みーたん”!? 絶対会えないネットアイドルのー!?」

 

 いつの間にか取り出したカメラを手に、万丈より少し前に乗り出した紗羽が、美空の邪魔にならないよう適度に声量を絞りつつもミーハーな声を上げてシャッターを切る。

 有名人を前に、我先にとばかりに食らいつかんとするマスコミそのままの彼女の様を見せられては、流石に彼も納得せざるを得ない。

 

「愛する我が娘を舐めたらアカンぜぇ? なんてったって、これから全国何十万人というファンが、美空のために情報を集めてくれるんだからよぉ」

 

「へー、マジかよ。スゲーじゃん」

 

 補足とばかりに説明を付け加える石動に、万丈は素直に感嘆の声を上げる。

 全国という事は、東都のみならず、北都や西都に住む人間も、ということだろうか? 唯の引き籠りにしか見えなかった少女がそんな大勢の人間を魅了しているというのだから、人は見かけによらないとはよく言ったものだ。

 そうして、今日のお願い、発表するよー、と満面の笑顔を浮かべながら対面のカメラへと大仰に手を振る美空と、出番とばかりにそのカメラの裏側に設置されたパソコンへと静かに向かう石動と戦兎の背を眺めていた万丈であったが、ふと彼は視線を左へ向け、で、と問い掛ける。

 

「いつまでブー垂れてんだお前?」

 

 呆れながらそう尋ねた彼の視線の先にいたのは――逆向きに座った椅子の背凭れに両肘を置き、重ねた手の甲の上に不満げに歪めた顔を置いている夜宵だ。

 ずっと気になっていたのだ。先程――美空が石動の用意した移動式カーテンの中で早着替えした辺りから、他の面子と対照的に、見るからに面白く無さそうにしている彼女の姿が。

 様子を見る限り、自分と違って美空がネットアイドルだという事を知らなかったワケでも無ければ、今繰り広げられているような中継の舞台裏を目にするのも初めてというワケでも無さそうだが、一体何が不満なのだろうか? ――そう思って、先程一度だけ夜宵にその態度の理由を訊いてはみたが、語られた彼女の言い分は万丈からすればいまいちピンとこないものだった。

 

「アレ見てる奴らの中にガスマスクの連中や政府の奴がいるかも、だ? 見てるワケねェだろ、あんなモン」

 

 美空のファン――正確には、ネットアイドル“みーたん”のネット配信を閲覧している人間が、全国何十万人に及ぶというのは、先程石動からも語られた通り。その見知らぬ大勢の人間の中に例のガスマスクの連中や、政府の人間やその関係者がいないという保証は無いのだから、ヘタをすればnascitaの場所がバレるかもしれない。――というのが彼女の言い分だが、そもそも――。

 

「つーか、見られて何が悪ィんだよ? 出てんのアイツだけじゃねェか」

 

 もしもこの中継で出たらマズいもの――例えば、絶賛指名手配中の万丈自身や、やはり指名手配中のビルドやメイジー(仮面ライダー)が映っているのであれば、確かにそれは問題だろう。

 しかし、実際にカメラの前に出ているのは普段引き籠ってばかりでまともに外に出ない――と、少なくとも万丈はそう思っている――美空だけで、当の彼や夜宵、戦兎は中継の邪魔になるからと後方で見学中だ。いくら見られようが問題など無い。

 加えて、手慣れた様子の――丁度今、一瞬の早業で目薬を差して目を潤ませ、そのままカメラ越しに、お願い、と首を傾げて見せた――美空を見るに、こういう中継はもう何度もやっているのだろう。

 この上で、一体何の心配事があるというのか?

 眉根を寄せて首を捻る万丈。そこへ、彼へ向けていた視線を正面へと戻した夜宵が、ポツリ、と呟くように言う。

 

「……でも、ガスマスクの奴らとか以外にも()()()が見てるかもしれないし」

 

「変な奴ゥ?」

 

「変質者っていうか……たまに聞くじゃないですか? 好きなアイドルに両想いだとか思い込んで付き纏ったりとか、良く分からない理屈で裏切ったって包丁片手に襲ってくるような、そういう人達。それに……」

 

「それに?」

 

「……好きじゃないんです、こういうの。媚び、っていうか、()を売っているっていうか、そんな感じがして」

 

「……何言ってんだお前?」

 

 大きく、ほぼ水平になる程に万丈は首を傾げた。

 媚び、は確かに売っているだろう。カメラに向けて、キスでもするように唇を突き出している今の美空の姿など、これまで見て来た彼女ならまず見せないというか、やろうとすらしない姿だ。その辺りはまだ分かる。

 が、女を売っている、とはどういう事か? 別に露出の多い恰好でいるわけでも、()の方面を匂わせるような発言をしているワケでも無いのに。

 ネットアイドル活動そのものを指しての発言だろうか? だとしたら、随分と大袈裟だ。

 やはり良く分からない夜宵の言い分に眉根の皺を深くする万丈だったが、それっきり夜宵からの言葉が無くなった事を境に、傾けていた首を戻して息を吐く。

 美空のネットアイドル活動の是非だとか、それに対する夜宵の見解だとか、彼女以外の考えだとか、そんな事はこの際どうでもいい。そんな事よりも――。

 

(今は鍋島の野郎だな)

 

 結局詳しい相関は理解できていないが、ともかく自分の冤罪に深く関わるというあの禿げ頭の刑務官。

 奴をとっ捕まえて、事件の事を話させる。そして、自身の無実を晴らす。

 そのためにも、まず必要なのは鍋島自身の情報だ。

 それさえ手に入れば、そのための手段がネットアイドルだろうが、やっている美空の身が危険に晒さらされる可能性があろうが、この際どうだっていい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――そういう思いを抱きながら、改めて万丈も正面へと向き直る。

 彼と、美空との間に設置されていたパソコンのディスプレイに、中継の閲覧者からの投稿コメントが凄まじい勢いで表示され始めたのも、丁度その時だった。

 

 

 

「お、来た来た!」

 

 美空の――否、大人気ネットアイドル“みーたん”の生中継を受けて矢継ぎ早に投稿され始めた反響コメントに、パソコンのすぐ傍で作業していた石動が声量を抑えながら振り返る。

 手で仰ぎ寄せる彼に従うまま傍に集まった戦兎達は、一様にディスプレイに映るコメント群へと目を向ける。

 

HN:燃え上がれ俺の心火 さん

コメント:心火を燃やしてみーたんLOVE!! 全力で探すぞゴラァ!!

 

HN:腐死偽の国のアリス さん

コメント:今からシロと一緒に探しに行きます! シロも「絶対僕達が見つけてみーたんと握手するんだ!」って張り切ってるから、すぐ見つけるね。待っててみーたん!!

 

HN:春売るアイ さん

コメント:私も人を探しています。誠というんですが、みーたんは知りませんか?

 

HN:ギャレン・ゾディアーツ さん

コメント:リジチョー! オンドゥルルラギッタンディスカー! (0M0)

 

HN:衛星Ark さん

コメント:みーたん ハ 最高 デス。人類 ノ 悪意? 何 ソレ? みーたん ヲ 生ミ出シタ 人類 ハ 滅亡 シテハ イケマセン。( ゚∀゚)彡゜みーたん! みーたん!

 

HN:衛星There さん

コメント:ウチ ノ イズ モ 負ケテマセン。( ゚∀゚)彡゜イーズ! イーズ!

 

HN:てつをRX さん

コメント:おのれ衛星There さん! この場でみーたん以外の女の名を出すとは、貴様ゴルゴムだな! ゆ゛る゛さ゛ん!!

 

 ――という感じで、大半は“みーたん”の中継への感想や“みーたん”その人への応援のメッセージ、一部()()()染みた意味の分からないコメントという感じで、その後も石動の操作に従って他のコメントも順に表示されていく。

 今のところ肝心の鍋島に関する情報は見当たらないが、問題は無い。勢いを衰えさせる事無く今もコメントは凄まじい速度で増え続けているため、これならばその内当たりの情報も見つかるだろう。

 それはそれとして――その一方で、流れていくコメント欄の一部に()()()()を認めた戦兎は、お、と目を見開いた。

 そして間を置かず、万丈を挟んだ向かい側で同じように画面を見ていた夜宵もまた、げ、と潰れた蛙のような呻き声を上げる。

 彼と彼女の、否、万丈と紗羽以外の全ての者の目に留まったコメントは、次の二件だった。

 

HN:みーたんラブ さん

コメント:大変だよみーたん! エリアC9の方に怪物が出たって! みーたんの探してる奴じゃないけど、怪物の事もみーたんに話せば良かったよね!?

 

HN:腐死偽の国のアリス さん

コメント:ddど、どうしよみーたん! みーたんの探してる人エリアO1で探してたら怪物が出ちゃったよ! ともかくみーたんに教えろ! 話はそれからだ! ってシロも言ってるから急いで投稿しちゃったけど……うわーん! 助けてみーたん!!

 

 以上、二つのコメントに共通して出て来た、“怪物”というワード。

 これこそが戦兎達の目に留まった()()()()。これが意味するのは――。

 

「ああ! エリアC9とO1にスマッシュ(怪物)が現れた!? 情報くれたみーたんラブさんと腐死偽の国のアリスさん、ありがとキュン! あと、腐死偽の国のアリスさんはともかく頑張って! 今すっごく強い正義のヒーローにお願いしたから! すぐに腐死偽の国のアリスさんを助けにカッ飛んでくれるから! がん~ばっ、て? キュンキュン」

 

 大袈裟に首を傾げたり高く声を上げたりしながら“みーたん”として情報提供者に礼と指示を伝える美空と他の者達を後目に、一足先にその場から動き出した戦兎は、すぐ傍の椅子の背凭れに掛けていたトレンチコートを手に取りつつ、意気揚々と声を上げた。

 

「よし! 仮面ライダー(ビルドとメイジー)の出番だ!」

 

 

 

「あー、もう! 何で今出て来んのよぉ!」

 

 今何時だと思ってんのよ、と叫び散らかす夜宵。周囲を省みないその大声量が、彼女自身が運転しているマシンビルダーのけたたましい駆動音と風切り音に混ざって、振り返る通行人や周囲の景色と共に後方へと流れていく。

 

『確か、出て来る時に見たnascitaの時計は5時半でしたから……終わって帰る頃には6時過ぎてますわね。お母様にも後で連絡を入れておかないと。……だから帰りましょうって言ったのに』

 

「分かってるわよ! 一々言わなくていいから!!」

 

 差し掛かったカーブを、速度を落とさずドリフト気味に曲がりながら、肩に掛けた鞄の中から溜息交じりにぼやくメイジーを怒鳴り付ける。

 大きく倒れ込んだ車体に、そのままスリップしてしまうのでないかという不安が一瞬過った。が、どうにかカーブを抜けると共に立て直せた態勢に、ホッ、と安堵しつつ夜宵は更に速度を上げる。

 目的地――スマッシュが出現したというエリアO1までは、ここまで飛ばしてきた甲斐もあって、もう距離は殆ど無い。

 それでもなおスピードを緩める訳にはいかない。

 何せ、今回の発見情報の提供者が、今まさにスマッシュに襲われている。彼女――“みーたん”の配信へのコメントを見るに、恐らく女性だと思われる――の安否を思えば、一秒でも早く現場へ辿り着かなければならない。

 

『人が襲われていると分かっている以上、見過ごすワケにはいきませんものね。だというのに……覚えてます? さっきの万丈 龍我の発言』

 

 苦々し気にメイジーが尋ねて来る。

 彼女が口にしているのは、スマッシュ発見の報を受けてnascitaを出る直前の遣り取りの事だろう。

 あの時、出番だとばかりに張り切った様子で一早く地上への階段を上がっていく戦兎と、遅い時間になって出て来たスマッシュへの文句を垂れつつも、行かないワケにもいかないので渋々彼の後に続いていた夜宵を万丈が呼び止め、こう言ったのだ。

 

――鍋島探すんじゃねぇのかよ!? アンタだって、何で記憶失ったのか知りてェだろ?――

 

『人の身に危険が差し迫っているというに、それを無視して自分の事を優先させる発言。やっぱり、(狼さん)というのは欲深い生き物ですわね』

 

 分かり切っている事ですけど、と吐き捨てるメイジー。

 それに敢えて夜宵は返答しない。コンソールに表示されている地図の確認のために正面に向けていた視線を一瞬だけ下へ落とすのみだった。

 普段ならいつものメイジーの病気に苦言を呈すところではあったが、今はそんな時間も惜しい状況だし、あの時の万丈の言葉には夜宵自身思うところが無いわけでは無い。

 それに――それ以上に、その後の戦兎の発言の方が彼女にとって大きな印象があった。

 

――人助けの仮面ライダーと、自分(テメェ)の事と、どっちが大切なんだよッ!?――

 

 それとこれとは別だ、と先の言葉に対して返した戦兎に、続けて万丈がこう問い質した。

 これに対して夜宵もまた言葉を返そうとしたが、それよりも一瞬早く、それが当たり前だと言わんばかりに自信に満ちた笑顔を浮かべ、ハッキリとした口調で、戦兎がこう答えたのだ。

 

――()()()()()()()()()()()()()()()――

 

「……本当、よく言えるよね。……あんな事……」

 

 ボソリ、と夜宵は呟く。

 流れる風に容易く掻き消されてしまう程に微かなその声に、確かな()()の感情が滲ませて。

 実際、羨ましい。

 あの台詞は戦兎だからこそ言える言葉だ。彼女ではどう足掻いても口には出来ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、夜宵では。

 

「! いた!」

 

 そうこうしている内に目的地であったエリアO1――その一角の、100m程先を横切る踏切が目に入った時、その更に奥の路地に面した公園の中に、夜宵はその姿を認めた。

 何か白い物を腕の中に抱え、金のツインテールを揺らして逃惑う少女の姿と、それを追う異形――スマッシュの姿を。

 

『この音は……夜宵ちゃん、急いだ方が宜しいんじゃなくて!?』

 

 何かを察したようにメイジーがそう呼び掛けて来る、その理由は既に夜宵も耳にしていた。

 彼女達とスマッシュとの間にある踏切が、カンカン、という警告音を上げて遮断機を下ろし始めたのだ。

 もう間もなく目の前を電車が横切る。

 それが通り過ぎるのを待っていては、手遅れになりかねない。

 

「分かってる!!」

 

 一言だけ返し、夜宵はアクセルを限界まで押し込む。

 マシンビルダーが今まで以上の爆音を上げ、2/3まで遮断機が下りた踏切へと飛び込んで行った。

 

 

 

「うわーん! どうしよシロー! どうしよぉ!?」

 

 メソメソ、とベソを掻きながら、追ってくる怪物から腐死偽の国のアリス――国義 亜里子(くによし アリス)は必死に逃げ回っていた。

 人気ネットアイドル“みーたん”のネット中継をスマホで見ていると、何やら“みーたん”が人を探しているという。これは彼女のファンとして見過ごせないと近くの公園を探し回っていたところ、何故か目当ての人物ではなく、最近出没すると噂の怪物と遭遇。

 そこで、怪物を見つけた際にも知らせて欲しい、と日頃の中継で“みーたん”が言っていた事を思い出した彼女の“家族”に言われるがままコメントを入れた亜里子は、そのまま襲い掛かって来た怪物が必死に逃れようとして、現在に至っていた。

 

『ともかく逃げろ! “みーたん”もそうしろって言ってたろ! ホラ! 頑張れ亜里子!』

 

「そんな事言ったってぇ~!!」

 

 彼女の“家族”――その腕の中に抱く白い兎の縫いぐるみ――のシロが、泣き言を叫ぶ亜里子を励ますように言う。

 しかし、件の怪物に追われる状況になってもう小一時間は経っている。

 悲鳴を上げつつも、シロに言われるがまま亜里子は足を動かし続けるが――もう限界だった。

 

「あっ……!?」

 

 遂に足が縺れた。

 思わず声を漏らした時にはもう時遅く、亜里子は地面の上に俯せに倒れ込んでいた。

 

「痛ったぁ~……」

 

 呻きながら体を起こした亜里子は、すぐにある事に気づく。

 シロが、いない。

 腕の中に抱いていた筈の“家族”が、どこかに行ってしまっていた。

 

「シロ!?」

 

『亜里子!』

 

 慌てて呼び掛けたところ、すぐに声が返って来た。

 声のした方へ急いで振り向けば、少し離れた地面の上に横たわっているシロの姿があった。

 大丈夫だ。白い体が少し土で汚れてしまっていたが、大きなほつれや破れ(ケガ)は無さそうだ。

 家族の無事を確かめて亜里子は安堵の息を吐くが、対照的にシロが慌てた声で叫んで来る。

 

『早く逃げろ! アイツが、怪物が飛んで来てる!!』

 

「え――?」

 

 言われるまま後方へ振り返る亜里子。

 その視界が、あっという間に影に覆われる。

 先程まで鳥の翼の様に幅広の腕を広げて空を飛んでいた筈だったのに、いつの間にやら急接近したがために大きく見えるようになっていた怪物の、ステルス爆撃機のように横に広がった矢じり型の頭を突き出すようにした、赤く歪なその影に。

 シロがなおも、逃げろ、と叫んでいたが――駄目だ。もう逃げられない。

 亜里子が恐怖を感じる間すらなく、鈍い銀色に光る怪物の翼が、あっという間に彼女の細い首目掛けて飛び込んできて――。

 その時だった。

 凄まじい爆音を上げて、()()が迫る怪物を亜里子の視界から押し飛ばしたのは。

 

「――えぇっ!?」

 

 一瞬、呆けたが故の間の後、驚きの声を上げて亜里子は周囲を見渡した。

 まず見つけたのは、先程まで眼前に迫っていた筈の怪物だ。その怪物が、いつの間にか亜里子やシロから大きく離れた地面の上に、引き摺ったような跡を地面に付けて転がっていた。

 そして次に見つけたのは――亜里子のすぐ傍で停車している、一台のオートバイ。

 巨大な歯車が迫り出したフロントカウルに、迫り出した金色の円筒の上に出来たリアシートという、バイクなど縁が無い亜里子でもそうと思える程に変わった形状をしたそのバイクが、怪物と入れ替わる形で彼女の前にあった。

 そのバイクに跨っていた人物が、脱いだヘルメットをハンドルに引っ掛けつつバイクから降りて、地面に倒れ込んだままの亜里子の前にしゃがんだ。

 

「大丈夫?」

 

 そう問い掛けて来たのは、自分と同じくらいの年恰好の少女だった。

 紺色のブレザー姿に、後側を短くした茶髪に水晶の髪留めを着けたその少女に、何が何だか分からず多少呆けたまま、亜里子は頷き返した。

 それに安心したように微笑んだ後、立ち上がるやすぐに起き上がろうと藻掻いている怪物の方に向き直った少女から、こう告げられた。

 

「早く逃げて」

 

「え?」

 

「アイツは私が何とかする。貴女は危ないから、早くここから逃げて」

 

「あ、え、えっと、え~と、あの――」

 

「早く!」

 

 ワケが分からず、亜里子は困惑する。

 そのせいで要領を得ない声しか出て来ない彼女に痺れを切らしたのか、少女が一際強い声を上げた。

 その声に、ビクリ、と肩を跳ねさせるまま、慌てて亜里子は起き上がり、シロを拾い上げつつその場から駆け出した。

 そうしてそのまま、特に意図無く公園の入り口に経つ2本の大理石の角柱の、その片方の裏に飛び込んだ亜里子は、角柱の影越しに、シロと共に少女の方を覗き込んだ。

 少女は、立ち上がろうとしている怪物の方を向いたまま、手にしていた肩掛け鞄から何かを取り出しているところだった。

 

「どうしよシロ~? 逃げろって言われたから逃げてきちゃったけど、あの女の子置いてきちゃったよぉ」

 

『逃げろって向こうが言ったんだから、亜里子が気にする事ないよ。けどあの娘、どうする気なんだ?』

 

「大変だよぉ。このままじゃあの娘、怪物に酷い目に――」

 

「大丈夫」

 

 腕の中のシロと話し込んでいたところに、不意に聞き覚えの無い誰かの声が割り込んで来た。

 ビクッ、と肩を跳ねさせて振り返れば、今度は見知らぬスーツ姿の女性が亜里子のすぐ後で人好きな笑顔を浮かべていた。

 

「だっ、だだっ、だ――」

 

 誰、と突然現れた新たな人物に亜里子は問い質そうとしたが、シロ共々驚きのあまり、出て来る声が言葉を為さない。

 そんな彼女達を後目に、何故かカメラ――本格的な、高そうな感じの――を三脚で設置しながら少女の方を指差して、女性がこう言う。

 

「だってあの娘は――」

 

<Contraction!>

 

 指し示されるまま、亜里子はシロと共に少女の方へともう一度向き直る。

 そして、見た。

 いつの間にやら腰元に何かを巻いた少女の、その前後に見る見る内に形成されていくプラモデルの外枠(ランナー)のような管の集まり。その内に生成されていく半身ずつの人形。

 

<Are You Ready?>

 

「変身!」

 

 その人形に挟まれた少女が、噴き出す蒸気と共にその姿を変える様を。

 そうして現れた()()姿()に、亜里子とシロは今日一番の驚愕の叫びを上げる。

 何故なら、そこに現れたのは――。

 

<Contraction Apple Maisie,Start The First Trial! Yeah!!>

 

「噂のヒーロー――仮面ライダーだから」

 

 

 

 怪物(スマッシュ)発見の報を聞いた時、待ちに待った仮面ライダーの独占取材のチャンスだ、と紗羽は大いに喜び、そして大いに――迷った。

 スマッシュは2体で、それぞれ別の地域に現れた。そして仮面ライダーも二人だけなのだから、当然各々分かれて対処する事になる。そして、一人しかいない紗羽は当然どちらか片方にしかついていけない。

 さて、果たしてどちらについて行くべきか? ――少し思考した後、今回紗羽がついて行く事に決めたのは夜宵の方だった。より長く活動していたおかげでメディアへの露出も多く、自称天才物理科学者とどうも胡散臭さの拭えない戦兎よりも、まだまだメディアへの露出が少なく、更には現役女子高生と実にキャッチーさ溢れるパーソナリティを持っている夜宵の方が、より大きな話題性があると判断したためだ。

 そうして、nascitaを出て早々にマシンビルダーをかっ飛ばしていく夜宵をどうにか追跡した末、今まさに待ち望んだ仮面ライダーメイジーとスマッシュとの戦闘(スクープ)の場に、紗羽は立っていた。

 

「始まりました、仮面ライダーメイジーVSスマッシュ! さぁ、メイジーは見事スマッシュを打ち倒せるのか!?」

 

 設置した愛用のカメラを向けつつ、左手に持ったマイクへと実況を叫ぶ紗羽。

 公園の入りの口に建つ大理石の角柱の影から、居合わせた金髪のツインテールに白い兎の縫いぐるみを抱いた少女と共に彼女が見守るその先で――倒れていたスマッシュが立ち上がり、ピンクレッドのスカートとフードの仮面ライダーへと変身した夜宵が、駆け出した。

 

「メイジー仕掛けたァーッ!! 最初の一撃で決めるかーッ!!」

 

 そのままスマッシュまでほんの2,3メートルというところまで距離を詰めた夜宵が飛び上がり、宙で一回転すると共に右の踵を高く持ち上げた。

 そうして、降下の勢いを乗せた踵落としを叩き込むと、そう思った紗羽はシャッターを切りつつ、マイクに向けてあらん限りの声を上げる。

 しかし、その一撃は決まらない。

 夜宵の踵がその脳天に叩き込まれるかと思われたその刹那、不意に両腕を広げたスマッシュがその場から消え失せてしまったがために。

 

「っ!」

 

 標的を失い、なおも止まる事の無かった夜宵の踵の刃が地面を穿ち、猛烈な土埃をその場に巻き起こす。

 その土埃の中で、見失った標的を探すように頭を左右に振る夜宵の姿を朧げなシルエットとして見ることが出来たが――遠目からその様子を見ていた紗羽達は知っている、探すべきはその方向では無いと。

 だから、その情報を夜宵に伝える事も含め、紗羽はマイク目掛け叫んだ。

 

「あーっと惜しい! 敵のスマッシュ、()()()()()()メイジーの攻撃をかわしたァーッ!!」

 

 紗羽の実況に、一瞬遅れて、ハッ、とするように土埃の中の影が頭を上げる。

 それとほぼ同時に――紗羽の言葉通り、土埃の範囲外の上空へと逃れていたスマッシュ――ステルス爆撃機を模したような横に広がった頭部、今も飛行のために広げている翼の両腕と、飛ぶ事(Flying)に特化したような赤い装甲を纏った、飛行型の(フライング)スマッシュ――が、翼を大きく、力強く羽ばたかせた。

 フライングスマッシュの翼の先端から突き出た何枚もの鋭利な羽が、発生した防風と共に一斉に夜宵の方へと放たれたのは、その次の瞬間の事だった。

 土埃の中の夜宵の影が姿勢を低くするのが一瞬見え、間を置かず降り注いだ羽の雨が土埃の投影幕を跡形も無く引き裂き、消し去る。

 間一髪、紗羽の方へ転がった事で夜宵が羽の雨に打たれる事は無かったようだが、彼女越しに見えた地面には、無数の羽が地面に突き立ち、剣山の様に鋭い先端をギラつかせていた。

 まともに受けていたならば、果たしてどうなっていた事か?

 観戦している身ながら、ブルリ、と紗羽は身を震わす。傍にいるツインテールの少女も同じように恐ろしさを覚えたようだが、何故かその感想を腕の中の縫いぐるみに伝えている。

 その様子を奇妙に思う間も無く、視界の端に捉えた次なる展開に頭を振り上げた紗羽は再び叫ぶ。

 

「あーッ!! 立ち上がったメイジーにスマッシュ急降下! 突撃してくるーゥ!!」

 

 紗羽が捉えたのは、翼を畳んだフライングスマッシュが頭部を突き出し、夜宵目掛け突進を仕掛ける場面だった。

 今度は彼女も確認済みだったのか、夜宵が落ち着いた様子でベルトから現れた大きな鋏(メイジーシザース)を二つに分離させ、向かってきたフライングスマッシュを半身を逸らして回避する。そして、そのままUの字の軌道を描いて上空へと戻ったスマッシュが向きを彼女の方へ戻すよりも前に、右手に持ったナイフを投げ付け、左手に握ったピストルを構えた。

 すぐさま、紗羽はカメラの向きを夜宵からスマッシュへ修正し、シャッターを切る。

 向け直されたレンズの先で、放たれたナイフがブーメランのように回転しながら一人でに飛び回り、向き直ったフライングスマッシュを2度斬り付ける。

それによって態勢が崩れたスマッシュの胴に、続け様に夜宵の放った光弾が2発突き刺さり、火花と白煙を上げて大きく怯ませた。

 滞空したままながら、大きく後退し、右の翼で胴を庇う素振りを見せるフライングスマッシュ。

 大きな隙だ。大技を決めるには、十分な程に。

 だからこそ、ここが決め時だ、と確信した紗羽は、もう一度カメラを夜宵の方に向け直して、一気に吠える。

 

「キタキターッ! 絶好の機会キタァーッ!! これは来るか!? 必殺技来るかァ!? 例の台詞もくるかアァーッ!?」

 

 今日一番のヒートアップを迎える紗羽は、己の叫びがままにシャッターを連打し、次に言うべき言葉を脳裏に手繰り寄せる。

 そして今、中空でフラつくフライングスマッシュを見上げたまま腰を落とした夜宵が、その機会を齎した。

 

「狼を――」

 

「狼を倒すウゥーッ!!」

 

 絶叫が轟く。

 それはもう、生ライブの最後の演奏の終了が間近に迫ったロッカーが、己の全身全霊をその一声に詰め込むだけ詰め込んだのと同等の、渾身のシャウトが。

 それこそ、全てを出し終えたロッカーの如く上体を逸らし、天を仰いで、表情が示すままやり遂げた感傷に浸っていた紗羽の大口から。

 そして、最後の瞬間も逃すまいと目を開けた紗羽の視界に入って来たのは――。

 

「……え?」

 

――左肩に掛けていた筈の、マイクを繋いでいた録音機が頭上で、フワフワ、と浮遊している様だった。

 ワケが分からず、間の抜けた声を漏らすしかない紗羽。

 そんな彼女を知らんとばかりに、今度は地面に設置していた筈のカメラと三脚と、左手に握っていたマイクが、続けて録音機の傍まで浮かび上がった。

 

「え? え?」

 

 再び、紗羽の口から呆けた声が洩れる。

 そしてそんな彼女を置いてきぼりにするように、浮遊する録音機とマイク、カメラと三脚が――不意に紗羽の視界の外へと消えた。

 やはりワケが分からず、暫し呆ける紗羽。

 しかし、数秒経って、先のマイクやカメラの動きが何を意味するのかを察した時、彼女は目を見開いてその場から駆け出していた。

 

「ア゛ーッ! 私のマイクとカメラアァーッ!!」

 

 

 

「全く……うるさいったらない」

 

 マイクと録音機、カメラと三脚を()()()()()()()繁みの方へ、それまで隠れていた角柱の影から絶叫を上げて飛び出す滝川を肩越しに見ながら、溜息交じりに夜宵はごちた。

 そのまま、慌てて繁みの中を弄る滝川と、自分の腕の中の縫いぐるみを交互に見やっているツインテールの少女の方に向けていた右腕を下ろす彼女に、眉を顰めたメイジーが苦言を言ってくる。

 

『だからといってアレは酷くないですか? 先程だって、スマッシュがお空にいるって態々教えて下さったのに』

 

「偶々タイミングが重なっただけよ。あの人が言わなかったとしても、あんたが気づいてたんだからどうとでもなったし」

 

 先程、踵落としがフライングスマッシュに避けられた際、確かに夜宵はスマッシュを見失っていた。故に、傍から見れば、上空にフライングスマッシュが逃れている事を知ったのは滝川の指示を交えた実況あっての事だ、としか思えないだろう。

 しかし、実際はフライングスマッシュの動きをメイジーが見ており、滝川ではなく彼女の指示によって夜宵はスマッシュの位置を知っていた。よって、滝川が何も言わずとも、その後の羽の雨の回避は問題無く行えていたのだ。

 それでも、と夜宵の事を気遣ってくれた滝川の気持ちをもう少し汲むべきだとメイジーが訴えかけて来るが――。

 

「逆に訊くけど、あんた、あの人が男でも同じ事言ってるの?」

 

『何言っていますの? (狼さん)の醜い欲望しかない気持ちなんて考える価値など塵ほどもありませんわ。私は、()()()()()()()()()紗羽さんのお心遣いを考えるべきだと――』

 

 はぁ、と長々語るメイジーの言葉の後半を聞き流しながら、夜宵は溜息を吐き――降り注いで来た羽の雨をバックステップで避けた。

 なぁ、と虚を突かれて声を上げるメイジーを後目に、地面に突き立つ羽が飛んで来た方――上空を夜宵は見上げる。

 既に態勢を立て直したフライングスマッシュが、こちらに向けていた翼を大きく広げ直す様が、そこにあった。

 そして、スマッシュがその両翼を力強く仰ぎ――再び無数の羽が夜宵目掛けて放たれた。

 

『この狼め! 私が話している途中だというのに!』

 

 不満を顕わにして怒鳴るメイジーを気にせず、すぐさま踵を返した夜宵は駆け出しつつ、腕を振ってスマッシュの付近に滞空させていたメイジーシザースのナイフ側をスマッシュへと嗾ける。

 そのまま、追い掛けて来る羽の雨から逃れつつ、肩越しにナイフ側がもう一度隙を作る様を窺っていたが――ナイフ側が当たる直前、一度羽を打ち出すのを止めたスマッシュが翼を一扇ぎし、その場で急上昇して回避したのだ

 これを見た夜宵は、マズいな、と思った。

 ライダーメイジーの能力――MSEポルターグローブによる念動は、コントロールする対象との距離が離れる程、ボトルの成分の支配下に置き辛くなってしまう。この特性は専用の調整が為されたメイジーシザースでも同じで、上昇によって高度を、距離を稼がれた今のフライングスマッシュをナイフ側に攻撃させるのは、不可能では無いがコントロールの精度が大きく落ちてしまう。やってもまず当たらないだろう。

 ならば、と左手のピストル側を向けて発射する。

 が、こちらも距離を稼がれて余裕が出来たせいか、放たれた光弾は半身を逸らしたフライングスマッシュを捉えられず、虚空の彼方へ消えてしまう。

 そして追い縋る間も無く、再度放たれる羽の雨を前に、再び夜宵は駆け出す事を余儀なくされる。

 

『このままじゃこっちの攻撃を当てられませんわね? 一応聞きますけど、何か手はあって?』

 

「分かってるんでしょ、一々聞かないで! 手は――」

 

 ――あるから。

 そう返答し切るよりも前に、羽の回避も兼ねて夜宵は一足跳びで()()に飛び乗った。

 ここ――エリアO1の公園に至るまでに乗り回し、その後はビルドフォンに戻す事無くそこに停車したままにしていたマシンビルダーに。

 すぐさまサイドスタンドを蹴り上げ、ピストル側を放り捨てて空になった手でハンドルを握ってマシンビルダーを発進させる。

 尚も追い縋る羽の雨。それを、円を描くようにマシンビルダーを走らせ回避する夜宵が目指すのは、今の彼女から見て左奥――滑り台。

 何の変哲も無い、唯レーンの向きが上手い具合にフライングスマッシュの方を向いているそれを目指しつつ、同時にスマッシュが今の位置から動かないように注意しながら、夜宵はマシンビルダーを走らせていく。

 そうしてレーンの下端まで辿り着いた彼女は、右手をハンドルからドライバー横のボルテックレバーまで移動させ、更にアクセルを一気に入れる。

 夜宵のハンドル捌きのまま、猛スピードでレーンを駆け上がるマシンビルダー。

 勢いの付き、更にレーンの傾きのままに上向いたその車体が、今、高々と飛んだ。

 同時に、レーンの登り始めから回していたボルテックレバーのチャージも、今、完了した。

 

<Ready Go!>

 

 ドライバーの電子ガイダンスを待たず、両足のマシンビルダーのシートの上で揃えた夜宵は、そのままシートを足場に更に跳躍。

 一瞬遅れ、翼を仰いで放って来たフライングスマッシュの羽を避けると共に、両手に灯っていた鬼火を攻撃の真っ只中で回避運動の取れないスマッシュへと放った。

 目論見通り、展開した鬼火の鎖に絡め取られたフライングスマッシュが滞空出来なくなり、落下を始める。

 鬼火の灯る踵の刃を振り上げた姿勢の夜宵の体が描く放物線と、丁度交錯するように。

 

「狼を――」

 

<Execute Finish! Yeah!!>

 

「――倒す!」

 

 交わる二つの影。

 回避も防御も出来ないフライングスマッシュの胴へ振り下ろされる刃。

 そうして、青白く揺らめく炎を上げながら影は落ちていき、地に堕ち、緑の爆炎が吹き上がった。

 

 

 

「――と、まぁ。そんな感じで気づいたら全部終わっちゃってたの」

 

 時と場所は代わり、nascitaの地下室。

 既に時刻は7時を過ぎたその場で、残念そうに紗羽が語るスマッシュ出現からの現在までの経緯を、うんうん、と頷きながら戦兎は隣に立つ万丈、石動と共に聞いていた。

 ちなみに、美空もその場にこそいるが、既に階段側に設置されているベッドの上で――年末年始にやっている、芸能人に格を付ける番組なんかでよく見られるようなフザけたデザインの――アイマスクを着けて就寝中のため、会話には参加していない。

 そして夜宵はというと――。

 

「急に飛んでったマイクとカメラは壊れちゃうし、取材データもお蔭で中途半端だし、一緒にいた女の子の友達が後から来たんだけど、指名手配犯呼ばわりされて通報されそうになるし、夜宵ちゃんはどこかに電話したと思ったら私にボトル渡してさっさと帰るし。もー、疲れだけが溜まって最悪っていうか」

 

 ――という具合で、倒したスマッシュから採取した怪人ボトルを紗羽に預け、スマッシュにされていた人間のために救急車を呼んだり、自宅に連絡を入れたりした後、早々に帰宅したため、既にこの場にいないのであった。

 

「そりゃあ災難だったねぇ」

 

 同情するように返す石動に、でしょー、と絡む紗羽が手元の缶飲料を口元に運ぶ。缶を見るにそこら辺の自販機で買えるような炭酸飲料で、酒の類では無い筈なのだが、半ばヤケになりながらグビグビ、と喉を鳴らして飲んでいるその様はヤケ酒を煽っているようにしか見えない。

 そんな紗羽を後目に、はぁ、と手に持った一本のフルボトルを電灯の光に翳しながら戦兎は溜息を吐く。

 

「で、アイツが採取したこのボトルがアタリで、俺が持って帰って来たのはハズレ、と」

 

 最っ悪だ、と愚痴る彼が手に持っているフルボトルが、中に込められたオレンジ色の成分をキラリ、と光らせる。

 キャップに書かれた文字はH/G、そして容器側面の凹凸模様は翼を広げた鳥――鷹を正面から見た意匠。

 そんな特徴を持った、鷹の成分が詰まったその“タカフルボトル”は、戦兎の言葉通り元は夜宵が紗羽に持ってこさせた怪人ボトルが変化したもので、それを表すように夜宵の名前が書かれた付箋がまだ上蓋に貼り付けられている。つまり、こちらは()()()だった。

 一方で、同じように戦兎が採取してきた方の怪人ボトルだが、こちらは()()()――美空の()で浄化した際、フルボトルに変化する事無く消滅してしまう、文字通りハズレの成分が詰まったボトルだった。

 何故、浄化の際にそのような現象が起きるのか? 何故、スマッシュの成分に当たり外れが存在するのか? それを区別する要素は何なのか? ――現状何も分からず仕舞いだが、ともかくスマッシュの成分にはフルボトルに変化するものと、そうでないものが存在する。

 その内の、フルボトルに変化するものを今回引き当てたのが夜宵で、そうでないものを引き当てたのが自分であったがために、若干ながら戦兎は不満を感じていた。

 

「で、戦兎君の方はー?」

 

「ん?」

 

 ぷはっ、と斜め上に傾けて中身を煽っていた缶を叩き付けるように机に置いた紗羽が、据わった目で戦兎をジロリ、と見て来る。

 それに、何が、と視線をタカフルボトルから離す事無く問い返した戦兎に、紗羽が身を乗り出し、本当に酔っ払っているかのように間延びした口調で言葉を続ける。

 

「戦兎君も戦ってたんでしょー、スマッシュとー? 何かあったー? 珍しい事とかー、こっちみたいなトラブルとかー?」

 

「別に無いよ? 普通にスマッシュ倒して成分回収して、後はそのまま真っ直ぐ帰って来ただけ。――あ、でも」

 

「ん? 何々? 何かあった? 珍しい事あった?」

 

 ふと当時の事を思い出した戦兎に反応した紗羽が、すかさず、教えて教えて、と傍らに控えていた鞄からボールペンとメモを取り出す。

 そんな彼女の方に顔を傾けながら、戦兎は続きを話した。

 

「そのスマッシュさ、子供を襲ってたんだよ。小学校上がったくらいの男の子を」

 

「へー、それでそれで?」

 

「で、その子を守りながらスマッシュを倒したんだけど、そのスマッシュの正体が驚きでさ。誰だったと思う?」

 

「誰だったの?」

 

「母親だったんだよ、その子の」

 

「えー!? それ大変じゃない? どうなったのそれで?」

 

「スマッシュにされてたせいで結構消耗してたみたいだけど、母親は無事。そのまま、抱き合ってお互いの無事を喜び合う親子がさ、スゲェ微笑ましかったんだよね」

 

「へー、そうだったんだぁ。いいなぁ、私もそっち行けば良かったかなぁ? ……で、それだけ?」

 

「それだけ」

 

 最後にそう締め括って頷き返した戦兎に、そっかぁ、と気の無い返事を返した紗羽が、一拍間を置いた後、再び缶飲料を大仰に煽り出した。

 そうして、また酔っ払いのように石動に絡みながら愚痴り出す彼女から視線をタカフルボトルの方へ戻した戦兎は、また今日スマッシュと戦った当時の事を――特に、先程紗羽に話した親子の事を思い出す。

 期待していたような情報を得られなかった彼女からすれば肩透かしだったろうが、戦兎からすれば今の話はとても重要な事だった。

 だって、そうだろう。

 もし彼があの場に駆け付けなかったら、スマッシュと化していた母親は愛する息子をその手に掛けていたかもしれない。怪物と化した最愛の母親に、訳も分からぬままあの男の子は殺されていたのかもしれないのだ。

 その悲劇を未然に防げたのだ。

 あの男の子に、理性を失った怪物ではない、本来の心優しい母を取り戻してやれたのだ。

 あの母親に、愛する我が子をもう一度その手で抱かせてやれたのだ。

 自分は――仮面ライダーは、あの見知らぬ親子の役に立てたのだ。

 それだけで十分であり、だからこそ、その事が何よりも重要だった。

 だからこそ――去り際に見えた、あの親子が互いを抱き合い、互いの無事を喜び合っていたあの姿を思い浮かべた戦兎の顔は、クシャ、とした笑顔を浮かべていた。

 しかし、それとはまた別のある事を思い出したがために、浮かべていた笑顔を戦兎は些か険しいものへと変える。

 

「しっかし、何やってんだよアイツは」

 

 頭を掻き毟りながらそうぼやいたのは、先の紗羽の話の中に聞き逃せない報告があったためだ。

 

――急に飛んでったマイクとカメラは壊れちゃうし――

 

 間違い無い。やったのは、夜宵だ。

 突然マイクやカメラが飛ぶなどという現象を引き起こせるのは、彼女のアップルフルボトル、引いてはライダーメイジーだけだ。

 さて、そんな事を仕出かした理由だが――どうせ、大したことでは無いだろうが、何故()()()()()に出たのかを追究しておかないわけにもいかないだろう。

 

(……明日にでも一言言っておかねぇと……)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「つーかよォ」

 

 と、それまで沈黙を貫いていた万丈が、不意にそう切り出してきた。

 これでもかとばかりに眉根を寄せた、不満をありありと表した表情で。

 

「何か、当たり前みてェ人助けして来たみてェだけどよォ、俺ら、()()()だよな?」

 

「そうだな。それが?」

 

 小首を傾げ、さも言いたいことが分からないという風に答えてみせる戦兎であったが、実際のところは万丈が何を言わんとしているのかは予想が付いていた。

 予想が付いていたので、見る見る内に表情を険しくしていく彼の顔が鼻先三寸まで近づけられる事にも、特に動揺は無かった。

 

「なら、何で態々人助けとかしてんだよッ!? やっと鍋島って証人が見つかったっつゥのに!」

 

「その答えもう言ったぞ? “大切なのは人助けの仮面ライダーだ”って。もう忘れちまったかよバカだなぁ」

 

「それが分かんねぇッつってんだよ! 自分(テメェ)の事ほっぽって他人のためだとか、意味分かんねェんだよ! 後、誰がバカだ! せめて筋肉つけろッ!!」

 

「だから、筋肉頭に付けたって変わんねぇって。一体何の拘りなんだよ筋肉バカ」

 

「ちゃんと言えんじゃねェか!」

 

 そこまで一通り言い合って、何だか空しくなってしまった戦兎は、ハァ、と溜息を吐いて、椅子から腰を上げる。

 その行動が突然に思えたのか、おい、と呼び止めようとする万丈を気にせず、タカフルボトルから剥がした付箋をゴミ箱に捨てて、戦兎は足を進める。

 彼が向かうのは地下室内の一角。部屋奥に鎮座するフルボトル浄化装置の左側の部屋隅の壁。

 そこに埋め込まれている、縦に5本分、横に2本分、計10本分並んだフルボトルスロットの群れが戦兎の目当てだ。

 ビルドドライバーのツインフルボトルスロットとは些か意匠が違うそのスロット群の前に立った戦兎は、その内の一番上の列の左側に、手に持っていたタカフルボトルをセットする。

 これで()()は準備出来た。

 後は――。

 

「こっちは何が良いかな?」

 

 タカフルボトルをセットしたスロットの対面側、最上段の右側のスロットに目を遣り、口元に手を当てて戦兎は思考しようとする。

 が、その直前に、おいッ、と一際大きな声と共に無理矢理振り向かせた万丈によって、彼は止むを得ず思考を中断せざるを得なかった。

 

「……何だよ?」

 

「何だよ、じゃねェ! 呼んでんだから、無視してんじゃねェよ!!」

 

「俺は今忙しいの。ほれ、バナナやっから、向こう行ってなさい」

 

「やったぜウッキー、じゃねェよ! 誤魔化してんじゃねェ!!」

 

 怒鳴り付ける万丈を鬱陶しく感じた戦兎は、丁度手近な所にあったバナナを一房千切って彼の気を引こうと試みた。

 一度はそれで上手くいき掛けるも、猿のような喜色ばんだ声を上げたかと思った万丈がすぐにノリツッコミのように怒鳴り直してくる。

 そんな彼にまた溜息を吐く戦兎に構わず、更に万丈が言葉を連ねて来る。

 

「つぅか何が忙しいんだよテメェ! 変なのにボトル差してるだけじゃねェか!」

 

「十分忙しいっての! これから今日手に入ったボトルの“ベストマッチ”探すんだからよ」

 

「ア゛ァ゛!? ベストマッチ!?」

 

「おう! ベストマッチ!」

 

「……ベストマッチ?」

 

「ああ、ベストマッチ」

 

「……何だそりゃ?」

 

 聞き慣れない単語が出て来て困惑したのか、騒がしく叫んでいたのが嘘のように、大きく首を傾げる万丈の声は静かだった。

 彼の疑問に、フフン、と得意げに鼻を鳴らしてから、戦兎は説明する。

 

「ボトルには相性があるんだ。例えば――ラビットと、タンク。この二本みたいに、相性の良い組み合わせをこうやって差すと――」

 

 言いつつ、先程セットしたタカフルボトルを抜き取り、代わりに取り出したラビットフルボトルをスロット群の最上段の左側、タンクフルボトルを右側にセットして見せる。

 すると、ラビットフルボトルをセットした左側のスロットから赤い光が、タンクフルボトルをセットした右側のスロットから青い光が発生する。それぞれのスロットの端から伸びた2色の光はスロット群の中央の四角い窪みまで走り、そこで混ざり合うや、R/Bという光の文字を浮かび上がらせた。

 

「――こんなふうに光る。で、全部のボトルをベストマッチさせると、とんでも無い事が起こるらしいけど、これがなかなか揃わない。そ・こ・で――」

 

 一旦言葉を区切り、スロット群からボトルを取り除いた戦兎は、続いてフルボトル浄化装置を挟んだ向かい側、壁に埋め込まれた黒板の、その手前に設置された机まで移動する。

 そして、その上に置いていた()()を取り上げ、指差しながら説明を続けた。

 

「このビルドドライバーの出番、ってワケだ。これは元々ビルドの変身機能しかなかったんだけど、俺がベストマッチを探せる検索機にもなるよう、改良したんだ。更に()()()のボトルでもちゃんと変身できるようにもしてあるんだが、それはともかく――」

 

 言いつつ、先程遣ったのと同様にラビットフルボトルとタンクフルボトルをビルドドライバーのツインフルボトルスロットに装填していく。

 

<Rabbit! Tank! Best Mach!!>

 

 ボトルの装填に反応したドライバーの電子ガイダンスが、ボトルの名前を順に読み上げ、その相性がベストマッチである事を告げる。

 そうなるように機能を追加した戦兎の想定そのままに。

 

「こんな具合にな。どうよ? 俺の、発・明・品」

 

「へ、へぇー……」

 

 教えた事を一切違える事なく実演して見せた我が子に喜ぶ親のような気持ちになった戦兎は、その気持ちを満遍なく表現したドヤ顔を浮かべて見せる。

 それに対して、万丈が感嘆とも動揺ともつかない――あるいは、大袈裟なまでに勝ち誇った笑みを浮かべる戦兎に引いているように見えなくもない――息を吐く。

 そんな彼のリアクションを受けた戦兎は腰に手を当て、更に笑みを強くする。

 が、そこに飛び込んで来た万丈の次なる発言に、彼は冷や水を浴びせられる事になる。

 

「ま、まあ、俺なら一発で探せるけどな」

 

「――あん?」

 

 この発言は聞き捨てならない。

 ベストマッチはなかなか見つからない、と前置きして、更にそれを補助するために戦兎が手ずから追加したビルドドライバーの機能すらも見せてやった。

 逆に言えば、天才的頭脳を持つ戦兎を始めとしたnascitaの面々がそんな補助を駆使してもなお、ベストマッチの発見は難解なものだと、今説明してやったところなのだ。

 その上でのこの発言は、果たして万丈自身はそんな意図があったのかどうかは別として、挑発以外の何物でもない。

 そうなれば――即座に振り返った戦兎が放つのは、売り言葉に対する買い言葉以外の何でもない。

 

「言ってくれるじゃねぇか、筋肉バカが」

 

「あ゛あ゛?」

 

「だったら、探してもらおう」

 

 露骨に苛突き出す万丈の横を通り抜け、その先の部屋隅にある作業机の上に置かれていた物を戦兎は取り上げて見せる。

 彼が手にしたそれは、既に所持しているフルボトルの一つ、“ガトリングフルボトル”の成分をベースにした、現在製作中の新たな武器である。

 

「何とかガトリンガー、ってとこまで名前は決まっているが、肝心のガトリングフルボトルとベストマッチするボトルがまだ見つかってなくってな」

 

 何とかガトリンガー、とそう仮に名付けているそれを一言で表すならば、“大型拳銃程度のサイズに縮小されたガトリング砲”といったところか。

 ガトリング砲のそれをそのまま縮小したような、短く細い発射口が六本並んだ円筒形のバレル。そのバレルと、ピストルタイプのグリップを跨ぐ銃身からは、無数の弾丸を繋げたベルトリンクを丸めた様を意識した円形のマガジンが迫り出している。

 現在の色はガンメタル一色。ガトリングフルボトルの成分のみが反映されているがための色合いであり、ベストマッチが判明し次第組込む相方のボトルの成分が加われば、自然とそちら側を反映した色も加わる予定である。

 

「ガトリングフルボトルとベストマッチする、引いては何とかガトリンガーの“何とか”に入れるに相応しい名前を持つフルボトル。是非とも見つけてもらおうか?」

 

 ――出来るもんならな。

 そう心中で呟きながら、何とかガトリンガーの傍に置いてあったガトリングフルボトルと、手近にあったフルボトルの何本かを戦兎は万丈に手渡す。

 天ぇ才の俺が頭捻っても見つけられない組み合わせを、この筋肉バカが見つけられる可能性なんて万に一つも無い、と高をくくりながら。

 

 

 

「――で、そのベストマッチはあっさり見つかった、と」

 

「らしーよ、詳しく知らないけど。あたし途中からしか見てないし」

 

 翌日、午後4時。

 その日の授業を終え、いつものようにnascitaへと向かった夜宵は、地下室で美空から自分が帰った後にnascitaで起こった騒動の事を聞いていた。

 最も、その騒動のせいで、ボトル浄化後の安眠を妨害された美空の愚痴を聞かされる方がメインの内容になってしまっていたが。

 

「ていうか、アイツらホントうるさいし! 起こしたら刻む、ってちゃんとあたし言ったんだよ? なのに戦兎はガキみたいな発想だの量子力学だのグダグダうるさいし、紗羽さんは飲んでるの唯のジュースなのに酔っ払いみたいになっててウダウダうるさいし、お父さんはお父さんで酔っ払いの相手してるバーテンのマスターみたいになっててウンウンうるさいし。極み付けに万丈は――」

 

「オイッ! これ外せッ! 何でまた縛りやがんだッ! とっとと鎖外せよオイッ!!」

 

「――現在進行形でうるさいし」

 

 彼女達がいるのは地下室の中央。二人共店の中から引き込んだ椅子の上に座り、同じように引き込んだテーブルを囲んでいる。

 そして万丈はといえば、何故か一昨日と同じように4本あるトラス柱の一本に鎖で縛り付けられていた。

 

「……何であの人また縛られてんの?」

 

「だってー、あたし的にはまだまだ容疑者(グレー)だしー、じゃなくても戦兎もお父さんも今いないしー。襲われるかもだしー」

 

『成程、賢明な判断ですね。ちゃんと警戒できる美空ちゃんは偉い子ですわ、どこかの誰かさんと違って』

 

 さも当たり前だと言わんばかりの美空の声が聞こえたのか、椅子に立て掛けるように床に置いていた肩掛け鞄の中からメイジーの同意の言葉が聞こえて来る。

 込められた()()()()への嫌味ごとその言葉に対して文句を返したい衝動に夜宵は駆られたが、今は美空の目がすぐ前にあったため、その衝動を抑えて苦笑するに止めた。

 そんな夜宵の内心など知る由も無い美空が、うーん、と感嘆の声を上げる。

 そして同時に、そこはかとなく物欲しげな目をしながら万丈が吠える。

 

「つぅか、お前らさっきから何喰ってんだよ!?」

 

「これー? パールシュガードーナッツだけど? ムーンコーヒーの新作の。――うーん、美味しー!」

 

 そう万丈に答えつつ、また一齧りした美空に感嘆の声を上げさせたのは、昨日“みーたん”のネット中継をやるに当たって彼女が要求していたバイト代。

 夜宵がnascitaに来る前にムーンコーヒーに立ち寄って購入しておいた、今日発売の新作ドーナッツとブレンドコーヒーだ。

 

「“みーたん”はあんまり好きじゃないけど、それはともかく約束だったしね」

 

 言いながら、夜宵も自分用に買った分のドーナッツを一齧りし、咀嚼した後でコーヒーも一口含む。

 美味い。

 普段アンニュイな美空がこうまでに喜びを表に出すのも分かる。目玉のドーナッツは勿論、添え物に近い扱いのコーヒーさえも、石動には悪いが、nascitaのコーヒーとは比べるのも烏滸がましいレベルの味だ。

 

『あーあ、羨ましいですわぁ。私もこんなボトルに封印されてなかったら、いくらでも食べる方法がありますのに』

 

 そんな風に嘆くメイジーの声が肩掛け鞄から聞こえたが、そもそも封印が解けようが肉体の無い彼女が一体どうやって飲食するというのか?

 単なる戯言だと、先程同様無視する。

 

「さっすが夜宵! 戦兎やお父さんと違ってちゃんとバイト代くれるし! やっぱ持つべきものは友達だよね!」

 

「ふふっ、どういたしまして」

 

 露骨なまでに喜びの声を上げる美空に、気づけば夜宵もまた微笑みを浮かべ、笑い声を零していた。

 そして、

 

「お、おいッ、俺にもくれよ! お前らだけ食いやがって! ズリィぞ!」

 

ドーナッツを求め訴える万丈の声が、否応無しに彼女達の耳に響いていた。

 

「……あーもう、うっさいなぁ! 分かったし! 今持ってくし!」

 

 そう苛立ちを顕わにして叫び返した後の美空の、次いで、持ってって良いよね、という確認の言葉に夜宵は頷き返す。

 元々、ドーナッツは美空のバイト代分の2個と彼女自身の分1個に加え、戦兎と石動と万丈、おまけで滝川の分も1個ずつ買っておいてある。コーヒーも一人1杯分用意してあったため、予定していた通りに数が減るだけなので問題は無い。

 そういうワケで、彼女の許可を得て机の上からドーナッツとコーヒーを一つずつ取り上げた美空が、鎖に巻き込まれて動かせない腕の代わりに、自由な足の裏をパンパン、と叩き合せて催促する万丈の方へ、文句を呟きながら運んで行く。

 その様子を眺めていた夜宵は、そういえば、とドーナッツを咥えたまま席を立つ。

 そのまま彼女が向かったのは、地下室の入り口から見た右手前にある机の、その上に置かれた黒いデスクトップタイプのパソコンだ。

 昨日の“みーたん”のネット配信の際にも使われたそれの画面には、現在もリアルタイムで美空のファン達からコメントが寄せられ続けている。

 鍋島の件が伝えられたばかりの昨日に比べ幾分か衰えてしまっているが、その勢いはまだまだ凄まじい。

 例えば、今しがた投稿されたコメントにはこんなものがあった。

 

HN:燃え上がれ俺の心火 さん

コメント:探索! 捜索! 探求! 畜生ッ! 心火燃やして探してっけど全然見つからねぇ! どこいんだ鍋島ァ! みーたんが探してんだからとっとと出て来いやァ! ゴラァッ!!

 

HN:腐死偽の国のアリス さん

コメント:みーたんゴメーン! 全然鍋島って人見つからないよぉ! でも絶対探すから! シロも「草の根分けてでも探し出すぞ!」ってすっごく張り切ってるから! だから待っててね、みーたん! PS.仮面ライダーさんへ、昨日は助けてくれてありがとう! みーたんにもよろしくね!

 

HN:93913 さん

コメント:俺のみーたんを好きにならない奴は邪魔なんだよ……!

 

HN:“滅”亡迅雷.com さん

コメント:みーたんの探し人を全力を以て探す……これが、Arkの意思か……。

 

HN:315な753 さん

コメント:鍋島。その命、みーたんに返しなさい!!

 

 これらのコメントの内、夜宵が目を引かれるものがあったのは2番目のコメントだ。

 内容を読むに、この書き込みを入れたのは昨日のツインテールに兎の縫いぐるみの少女だろう。ご丁寧に、助けた仮面ライダー――つまりは夜宵への礼のメッセージまで書き込まれている。

 これには夜宵も驚く。

彼女としては、偶々スマッシュ発見の報があって、それで戦った際に偶々居合わせたくらいの認識でしかなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、この一件そのものには何も求めていなかったのだから。

 

(別にお礼なんて良いのに)

 

 そんな風に心中で呟きつつ、しかし無視できない“嬉しい”という感情が内に灯るのを、確かに夜宵は感じていた。

 その嬉しさの余韻に浸りながら、夜宵はマウスホイールを動かしたり、ブラウザに更新を掛けたりしながら、他のコメントもチェックしていく。

 そうしている内にあるコメントが画面に出て来た時、細めていた目を見開いて彼女は叫んでいた。

 

「美空、ちょっと来て!」

 

「ん? 何ー?」

 

 そう気だるげな声を返した美空が、速足で夜宵の隣に入り込んで来る。

 そして、同じくそのコメントを目にした時、あ、と声を上げた美空が両手を上げて飛び上がる。

それにすかさず反応した万丈もまた、両足を器用に使ってドーナッツを齧っていた事も忘れて盛大に叫んだ。

 そして夜宵もまた、画面を覗き込んだまま、よし、と頷いてブレザーのポケットからスマホを取り出していた。

 当然の事だ。

 何せ、

 

HN:ブラッディデスアダー さん

コメント:鍋島の情報が欲しいそうだなぁ? 奴は一年前まで“難波重工”で働いてたそうだ。ホラ、奴の携帯番号も教えてやるよ。〇〇〇-△△△-□□□□、特別サービスだぜ? それじゃあ、後は頑張ってくれよぉ? チャオ。

 

「鍋島の情報キター!!」

 

「美味ェ美味ェ、美味いなこれ――ってマジかァッ!?」

 

待ち望んでいた鍋島の情報が、ようやっと手に入ったのだから。

 

 

 

 懐に入れていたスマホが、着信音を鳴らした。

 ()()()()()()取り出して画面を見てみれば、見覚えの無い番号がそこに表示されている。

 禿げ上がった強面を横に向け、少しの間を置いてから、彼は画面上のアイコンをスワイプして電話に応答した。

 

<鍋島 正弘さん、ですよね?>

 

 電話口から聞こえて来たのは、やはり聞き覚えの無い、若い女の声だった。

 だが、その女が何者で、その要件が何であるかを彼――鍋島 正弘は、大凡だが既に知っている。

 ――()()()()()()()

 

「……誰だ?」

 

<万丈 龍我さんは知ってますよね? 貴方に嵌められて、殺人犯って事にされてる。その万丈さんの知り合いです。貴方にお願いしたい事があって連絡しました>

 

「何だ?」

 

<万丈さんの無実を証言してあげて下さい。それから、彼を連れて行ったガスマスクの連中も。アイツらの事も教えて下さい>

 

 やはり、だ。

 女は万丈 龍我の関係者で、奴が自分に無実の罪を着せられた事を知っている。

 そして、自分が彼を引き渡した、()()()()の事をある程度は知っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、残念ながら女の望みを聞いてやる事は出来ない。

 それは、今の鍋島に許される事ではない。

 

「それは出来ない」

 

<出来ない? 何で?>

 

「妻と娘に危害が及ぶからだ」

 

 もしも今迂闊な事を言えば、心より愛する家族を鍋島は永遠に失う事になりかねない。

 妻子は、そうとは知らぬまま()()の手に堕ちている。

 彼女達を守るためにも、慎重に、()()()()()()()()()、鍋島は言葉を紡いだ。

 ()()の名を。

 

「――“ファウスト”に殺される」

 

<ファウスト?>

 

「奴に――万丈 龍我に人体実験をした組織。お前が言った、ガスマスクの連中だ」

 

<っ!>

 

 女が息を呑む声が、電話先から聞こえた。

 薄々そんな気はしていたが、どうやら万丈 龍我だけでなくこの女も奴ら――ファウストと因縁があるらしい。

 現に、続けて女が呟いたファウストの名の復唱は、どこか思い詰めたような声色をしていた。

 

<……それがアイツらの……私と沙也加を攫った奴らの……>

 

「……」

 

 ブツブツ、と何かを考えこんでいるように女が呟く声のみが微かに聞こえる。

 まだ鍋島には伝えるべき事があったのだが、恐らく今の女に何かを話し掛けても伝わりはしないだろう。

 止むを得ず、女の調子が戻るのを鍋島は黙して待つ事にした。

 と、その時。

 

<ッダラァッ!!>

 

 獣染みた吠え声と、太い鎖が引き千切れるような凄まじい金属音が同時にスマホから鳴り響いた。そのあまりの大音量に、一瞬鍋島はスマホを耳元から離した。

 それでもなお、うるさく感じる程の大声量がスマホから響き渡って来る。

 

<いつまでぶつくさってんだ! 代われッ!!>

 

<あっ! ちょっと!?>

 

 聞こえて来たのは、先程までの女の驚いたような声と、それに加えて若い男の怒声染みた声だ。

 その男の声を、鍋島はどこかで聞いた覚えがあった。

 この声は確か――。

 

<鍋島だなッ! 俺が誰か分かるかッ!?>

 

「――万丈 龍我、か?」

 

 尋ね返して見れば、そうだ、と電話先から叫び声が返って来る。

 

<このガキと話してんの聞いてたぞ、証言出来ねェってどういう事だァ!?>

 

「そのガキとやらにも言ったが、家族が人質に取られている。お前達の望み通りには出来ない」

 

<じゃあテメェの家族救えば良いんだな! そうすりゃ証言するんだな!? 言えッ! テメェの家族は何処だ!?>

 

 そう叫ぶ万丈に、漸くか、と鍋島は内心で溜息を吐く。

 漸く、伝えるべき事を全て伝える事が出来る。

 

「西都、第六地区」

 

 最後に伝えるべき事――家族の居場所を手短に告げて、鍋島は通話を切る。

 これで良い。これで十分だ。

 これで、やるべき事は――()()()()()()()()は全てやった。

 

「これで良いだろ?」

 

 横を向き、鍋島は訴える。

 そこに立つ監視者に。

 

「これで、アンタ達の要求は全て片付けた筈だ。さぁ、俺と、家族を解放してくれ!」

 

 懇願する鍋島。

 その言葉が果たして聞き入れられたのか。それとも、彼が考え付かないような恐ろしい思惑が渦巻いているのか。

 まるで判断しようがない監視者の、

 

『ふっふっふっふ』

 

スモークイエローの蝙蝠のバイザーを、ただ鍋島は睨み付けるほか無かった。

 



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第4話B 正義のボーダーライン(後編)

今更ながら一言。
後書きはビルド本編の予告イメージなので、Be the one流しながら読んでもらうとそれっぽくなるかも。


 時と場所は移り、午後8時、東都 エリアP9。東都港 凪津埠頭の第四堤防 船着場。

 かつては海外からの輸入品を運んだり、逆に国内からの輸出品を数多く積んだりした貨物船が何隻も出入りして賑わっていたのも遠い過去。

 船や航空機に大きく影響を与えるスカイウォールの発生によって海外との交易に大きく制限が出来てしまった現在では、東都政府の認可を受けた一部の船が近海へ漁のためにか、あるいは北都や西都、極稀に海外との交易のために出航するに留まってしまった。

 その港の一角に、彼らはいた。

 

「――って感じで、鍋島の家族を助けるために西都に行こうって話になったんです。そこまでは良かったんだけど――」

 

「どうやって西都に行くかって話になった。西都や北都への移動は政府の許可が必要になるからな。けど、取り締まりが厳しくなってきている今、政府はまず許可しない」

 

「そう。だから、政府の許可が無くても西都に行く方法が必要だったんです。そこで――」

 

「ひょっこり現れた紗羽さんが西都行きの密航船の宛てがあると分かって、ここに集合って事になった、と」

 

 歩きながらここまでの事態の推移を確認し合っているのは、戦兎と夜宵だ。

 戦兎はいつものベージュのトレンチコートに、ビルドのラビットタンクフォームを連想させる青と赤のスニーカー姿で、今回は夜風への対策に水色のマフラーを巻いて来ている。

 片や夜宵の方は、話が決まった時点で一度帰宅しており、よく目にするブレザーとフレアスカートから、メイジーの装甲を連想させるピンクレッドのパーカーと太腿の半ばまでの丈の水色のショートパンツ。それに黒のニーソックスという姿に着替えて来ている。

 そして、横に並びながら話し合う彼らから一歩引いた位置に、付いて来る影が一つ。

 

「――で、何でお前まで来てんだよ?」

 

 一度足を止めた戦兎は、影の方へ振り替える。

 パーマが掛かった白髪の(カツラ)に、さも曲がった腰を支えるためと言わんばかりの杖と、巾着袋を手にした老人――の変装をした万丈の方へ。

 尋ねられた万丈が、あん、と伏せていた顔を上げて説明する。

 

「決まってんだろ。西都行って、鍋島の家族助けるためだ」

 

「態々そんなお婆ちゃんの変装してまでか?」

 

「お爺ちゃんだよ!」

 

「下手過ぎて分かんねぇし、どっちでもいいっつの」

 

 はぁ、とどうでも良い事を怒鳴る万丈に呆れた戦兎は、もう一度夜宵の方に目を遣る。

 見れば、彼女も呆れたように顰めた目を万丈に向けている。

 

「大変だったんですよ? 指名手配されてる事も忘れて一人で出て行こうとするし、私や美空を邪魔者扱いして鎖で縛ろうとするし。追加のドーナッツやバナナ見せても食い付かないし」

 

 鍋島との連絡のすぐ後にあったらしい一悶着について語る夜宵の口調は、酷く疲れていた。

 当時仕事でnascitaを離れていた戦兎はその現場に立ち会わなかったが、そんな彼女の様子を見るに、紗羽が現れるタイミングが少しでも遅れていたら相当危険な事態になっていた事は想像に難くない。

 

「良い時に来てくれたんだなぁ、紗羽さん。――にしても、どういう風の吹き回しだ? 仮面ライダー(俺達)の人助けに文句言ってた指名手配犯が、随分殊勝じゃないの」

 

 再び万丈の方を振り向いた戦兎は、そこはかとなく皮肉を交えながら首を傾げて見せる。

 果たしてそれが伝わったのかどうかは定かではないが、ともかく万丈が目を鋭くして答える。

 

「鍋島の家族助けりゃ、野郎は俺の無実を証明出来るようになんだ。追われてっからって、店ん中で大人しくなんてしてらんねェ!」

 

 そこで一旦言葉を区切った万丈が、腰に回していた左手で懐を弄って何かを取り出した。

 万丈が左手の中に握り込んだ()()を見た夜宵が、あ、と声を漏らす。

 そんな事気にも留めないように、当の彼は真剣な眼差しで見つめ下ろしながら、意気込むように言葉の続きを絞り出す。

 

「絶対ェ俺が助け出して、証言させてやんだッ……!」

 

 力むあまりか、万丈の左手が小刻みに震え、手の中の()()もまたカタカタ、と音を鳴らしていた。

 ネイビーブルーのトランジェルソリッドが覗く容器部の表面に正面から見た龍の顔の凹凸模様があしらわれた、“ドラゴンフルボトル”が。

 そのボトルを目にした戦兎もまた、一昨日の事を思い起して目を細めていた。

 

「……戦兎さん、あのボトルって……?」

 

「ああ。――香澄さんから抽出した成分から出来たボトルだ」

 

 真剣な面持ちで押し黙った万丈を気遣ってか、そっと傍に寄って来た夜宵が声を押し殺して尋ねて来る。

 それに、同じように声を落として頷き返しながら、そういえば、とドラゴンフルボトルの生成の場に夜宵が居なかった事を戦兎は思い出す。

 

「香澄さんの形見みたいなもんだからな。コイツに持たせとくのが良いと思ってな」

 

「そうだったんだ……」

 

 そう返す夜宵の声は、消え入りそうな程に微かだった。

 ドラゴンフルボトルを、それを持つ万丈の姿を見つめる物憂げな目が、香澄の一件について彼女もまた思うところがある事を語っていた。

 そうして、誰も動かず喋らず、暫し重たい沈黙が一同の間に流れる。

 そこから最初に抜け出したのは、それはそうと、と再び歩き出しながら切り出した戦兎であった。

 

「お前、明日と明後日、学校休みだよな? お前も一緒に西都に――」

 

「無理です」

 

 明日から丁度土日だ。なら、夜宵の高校も休みである可能性が高い。

 そう踏みながら、一歩遅れて歩き直した夜宵に確認しようとしたところ、バッサリ、とした否定の言葉が即座に返って来た。

 えー、何でー、と不満げに唸って見せれば、ジト目を向ける彼女からこう返ってきた。

 

「そりゃ休みだけど、鍋島の家族を助けるまで帰れないんでしょ? 明日明後日で済むか分からないじゃないですか? それに――」

 

「それにー?」

 

「……あんまり長い間居なくなると、お母さんが心配するし」

 

 顔を俯け、トーンを落とした声でそう締め括る夜宵の言葉に気づかされ、あー、と声を上げて戦兎は天を仰いだ。

 

「あのお袋さんかー……」

 

 忘れていた、夜宵の母親の事を。

 彼女の母親――星観 夕昏とは一度だけ、ほんの僅かな間だけだったが、過去のとある一件から戦兎も面識がある。

 穏やかで若々しい美人だが、どこか不安定さを感じる女性、というのがその時の戦兎の印象だ。

 当時、とある理由から夜宵との連絡が付かなくなっていたため、それ故の心配もあってかとも思っていたのだが、後から夜宵から聞いた話では、元々彼女の母親はそういう面があったらしい。更には加えれば、二年前の事件からは長い間娘と離れ離れになった影響からか、彼女のそういう面は以前にも増して強くなっているとも。

 そんな夜宵の母親の事を考えれば、確かに夜宵を西都に行かせるのは難しいか。

 

「ていうか、そういう戦兎さんはどうなんですか? 学校も仕事も無いでしょ、私と違って」

 

「いやいや、俺も無理だし。ビルド()が居なくなったら誰が東都を守るんだよ」

 

「いや、ビルドは居なくてメイジー()が――」

 

「それに、学校は無いけど、仕事はあるし」

 

「はい?」

 

 イヤイヤ、と顔の前に上げた手を左右に振って言うや、夜宵が胡乱気な目を向けて来る。

 

「仕事はある、って今言いました?」

 

「言ったけど?」

 

「働いてんの!?」

 

 ギョッ、と目を見開いて立ち止まった夜宵が叫ぶ。

 どうやら、今の今まで戦兎が職に就いた事を知らなかったらしい。

が、それはそれとして、まるでこの世の終わりでも目撃したかのようなその大仰なリアクションは何なのか。

 逆に驚かされつつも問い質した戦兎に対し、彼女がこう答える。

 

「だって! アンタ、一日中変な物作ってるか、偶にビルドやるかのどっちかじゃない! いい歳こいたオジサンの癖に自称天才だし!」

 

「おまっ、人の発明を捕まえて変な物って何だよ! まるでニートみたいに言いやがって! てか、いい歳こいたオジサンって何よ!? お前と10くらいしか違わねぇよ、()()()()って呼びなさいよそこは!」

 

「お兄さんって……10も違ったらもうオジサンじゃない」

 

「言いやがったな、このお子ちゃま……!」

 

 流石に夜宵の言い分が気に入らず、戦兎も一度立ち止まり、ややヒートアップしながら反論する。

 そして、すかさず返って来る冷めた指摘。

 それを売り言葉に、ムッ、と来た戦兎は更に買い言葉を連ねようとしたが、

 

「お前ら、下んねェ事で止まってんじゃねェよ!」

 

そんな二人の間に割り込んで来た万丈からの思わぬ叱責が飛んで来た。

 止むを得ず、吐き出そうとしていた言葉を渋々押し止める戦兎と夜宵。

 その間を、オラ行くぞ、と杖を突いた老人スタイルのまま、早歩きで万丈が抜けていく。

 その後ろ姿を面白く無く思い、口を尖らせて戦兎は呟く。

 

「最っ悪だ、筋肉バカに正論言われるとか。お前のせいだぞ、お子ちゃま」

 

「そっちもでしょうが、オジサン」

 

 横目に睨みつつ夜宵が返す。

 そうして、並んで歩く二人の間で睨み合いが始まり出す。

 そのまま進めば、程無くして再びの言い争いに発展するところであったが、つーかよォ、と不意に万丈が戦兎と夜宵の方に振り返った事で、その事態は未然に防がれる。

 そんな二人の間の出来事など知る由も無い万丈が、構わず疑問を戦兎と夜宵にぶつけて来る。

 

「何でお前らまで行くだの行かねェだのの話になってんだ? 要らねェよ、俺だけで十分だ」

 

「だって不安なんだもん。お前、バカだし」

 

「んだとコラァッ!?」

 

 問われて早々に返した答えに、憤慨した万丈が足を止めて詰め寄ってくるが――仕方ない。実際に戦兎としては不安なのだから。

 万丈の知能レベルの話はこの際置いておくとしても、そもそも鍋島の家族はファウストに囚われているという話だ。鍋島から齎されたその情報にせよ、これから西都へと向かう事にせよ、いずれもこちらから鍋島へと掛けた電話が発端なのだから、ファウストの側としては知る由も無い事の筈だが、だからといってあちらが見張りの類を置いていないとは限らない。

 流石にスマッシュが出て来るような事は無いだろうが、例え万丈一人でも対応できるガーディアンでも集団で来られればどうしようも無くなってしまう。だから戦兎か夜宵が同行できれば良かったのだが、結果は既に知っての通り。

 そして、それとは別に不安を抱く理由がもう一点。

 

「それに、だ。お前、()()()()()()鍋島の家族を助けようとしてるだろ?」

 

「それが何だよ? 悪ィかよ、自分のためでよ?」

 

「悪いとは言わない。けど、そこが一番不安なんだ」

 

 そう、この点だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()鍋島の家族を救出しに行こうという、その動機こそが、戦兎からすれば最も不安を覚える理由だ。

 言い換えれば、万丈のその理由は、

 

「今のお前は、()()()()()()()()ワケじゃない」

 

見返りが無ければ、あるいは得られないと分かれば、鍋島の家族を救いになど行かない、と言っているようなものだったから。

 

「……何だそりゃ?」

 

 戦兎の言葉が上手く噛み砕けなかったのか、一拍間を置いてから万丈が問い返してくる。

 それに応答しようと戦兎は口を開き掛けるが、丁度その時だった。

 

「戦兎くーん! 万丈ー! 夜宵ちゃーん!」

 

 彼ら三人の会話と、海が微かに波打つ音しか聞こえない静かな港の中で、その声は良く響いた。

 三人同時に声のした方を振り返ってみれば、彼らの進行方向から手を振りながら現れた影が一つ。

 紗羽だった。

 

「もー、皆遅いよー! 時間になっても全然姿見せないんだから!」

 

 三人の傍まで駆け寄るや、開口一番に文句を言う紗羽。

 今回の密航について、ツテがある紗羽は先に港に向かっており、後から来る戦兎達が密航船と話を付け終った彼女とその場で合流出来るよう、大体の時間を指定して集合する手筈になっていた。

 が、言われて取り出したビルドフォンの液晶を見てみれば、表示されている時刻は予定の時間をもう30分も過ぎていた。

 先程までの問答で時間を潰し過ぎたのか。ともかく、これでは紗羽もご立腹で当然だった。

 

「あー、ゴメンゴメン。ちょっと色々あって」

 

 半目で睨んでくる紗羽に両の掌を向けて平謝りした戦兎は、次いで振り返って万丈と夜宵にも彼女に謝るように促す。

 それに対し、万丈の方はすぐ戦兎と同じような平謝りをして見せたが、夜宵の方は苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべ、一拍間を置いてから、ごめんなさい、と聞こえるか聞こえないか微妙な声量で呟くだけだった。

 そんな彼女の態度に引っ掛かりを覚えた戦兎は眉根を寄せ、やり直すように要求しようか逡巡したが、その前に、ともかく、と紗羽の仕切り直そうとする声にその思考は遮られる。

 

「もう話は付けてあるから。船頭さんも待たせてるし、早く行こう」

 

 そう言いつつ踵を返した紗羽が速足で先へ行こうとするので、慌てて戦兎達もその後を追おうとする。

 が、それは適わなかった。

 何故なら、まるで彼らが合流するタイミングを見計らっていたかのように、現れたからだ。

 

「キャアッ!」

 

 先頭を進んでいた紗羽のすぐ目の前の地面で弾ける火花と白煙。

 それを皮切りに、闇に覆われた横道や積み重なったコンテナの影、その他あらゆる場所からぞろぞろと現れては戦兎達に向かってくる幾つかの影が。

 小銃を携えて向かってくるガーディアンの群れが。

 

 

 

『何事ですの!?』

 

「敵! いっぱい出てきた!」

 

 騒然とし出した周囲の状況を察知したのか、メイジーの慌てたような叫びが聞こえる。

パーカーのポケットに入っているために周囲の状況までは分からない彼女に簡潔に返しつつ、すぐさまメイジーシザースを取り出しナイフ&ピストルモードに分離した夜宵は、ガチャガチャ、と金属音の混じった足音を立てて向かって来るガーディアン達へと構えようとする。

 が、その段になって、ふと彼女は迷う。

 

『どうしましたの夜宵ちゃん? 敵ならこちらも攻撃しないと』

 

「いやアレ……」

 

『うん?』

 

「撃っていいの?」

 

 夜宵がガーディアンを目にするのは今回が初めてだ。当然、戦闘も今回が初めてで、故にこう考えてしまうのだ。――東都政府お抱えの特殊部隊で運用されている、れっきとした政府の所有物であるあれを、果たして破壊して良いのか?

 あのガーディアン達が現れた理由が何であるかを考えた時、真っ先に思いつくのは万丈の捕縛だ。そして、今は変身していないためこちらへのマークは薄いだろうが、彼女や戦兎も仮面ライダーとして指名手配されてはいる。応戦しない訳にも勿論いかないが、それはそれとして別に政府と敵対している訳では無い。遠慮なく破壊してしまうのは色々とマズくはないか?

 そんな思考が過ったがために手を止めてしまった、その僅かな間の内に距離を詰めたガーディアンの一体が備えられた銃剣で切り掛かろうと小銃を振り被っていた。

 その事に一拍遅れて気づいた夜宵は、それを防ぐために右手のナイフ側を頭上に翳して銃剣の一撃を防ごうとする。

 が、ナイフ側と銃剣の刃が接触するかと思われたその時、不意に飛び込んで来た幾つかの光弾によって小銃を振り上げていたガーディアンが撃ち抜かれ、後方へと吹き飛んだ。

 咄嗟に、光弾が飛んで来た背後――そこにいる筈の戦兎の方へと夜宵は振り返る。

 見れば、彼は右手に()()を握り、それを構えていた。

 細い銃口が並んで円環を作る黒鉄色の銃身に、リンクベルトが丸まったような()()()()()のマガジンを持つ、その何かは――。

 

「何とかガトリンガー!」

 

「“ホークガトリンガー”だ!」

 

 美空から聞いた話を思い出して夜宵が口にした名前を、声を張り上げて戦兎が訂正する。

 

「見ろよこのボディ! ガトリングの無骨さと鷹の優雅さが合わさったこのベストマッチな色合い! そしてぇ――」

 

 昂る声で“ホークガトリンガー”の銃身を撫でて自賛していた戦兎が、不意にそれを持った右手を左肩の上に勢い良く持っていく。

 振り被るようなその動作に嫌な予感を感じた夜宵は、咄嗟に頭を押さえてその場でしゃがんだ。

 すかさず頭上で弾ける激しい銃火。連続で鳴り響く爆音と、スパーク染みた光の瞬き。

 程無くして、数体のガーディアンが火花を噴きながら倒れる音が聞こえて、夜宵は背後を見やった。

 

「この威力!」

 

「ちょっと!」

 

 銃口から僅かに白煙を燻らせるホークガトリンガーに、兎の耳の様に髪を一束撥ね上げさせた彼特有の喜び表現を見せ付けながら自賛の続きを叫ぶ戦兎に、危ないじゃない、とすぐさま立ち上がった夜宵は文句を言おうとする。

 が、その途中で視界の端に、

 

「きゃああ!」

 

持っていた鞄を掲げて、小銃を振り被るガーディアンから身を守ろうとしている滝川の姿を捉えた彼女は、反射的にピストル側を構え、引き金を引いた。

 瞬時に銃口を飛び出た光弾が、過たずガーディアンの側頭部を撃ち抜き、速やかにその機能を停止させる。

 その様を目にしてから一拍置いて、あ、と夜宵は間の抜けた声を洩らす。

 

「……やっちゃった……」

 

 ありがとー、と慌てて駆け寄って来る滝川など目に入れる余裕も無く、壊しちゃった、と夜宵は呆然とし掛けるが、間髪入れず傍で響き渡る連発音に、ハッ、と引かれるままに振り返る。

 見れば、戦兎が先程のようにホークガトリンガーを連射し、夜宵達から少し離れたところで白髪のカツラがいつの間にか消えた万丈が――気のせいか、打ち付ける度に蒼い火の粉が散っているように見える――拳一つで応戦していた数体のガーディアンを撃退していた。

 あっという間に機能を停止させるガーディアン達に驚きつつもこちらに振り向く万丈と、そして夜宵の方を交互に見やってから、跳ね上がった髪をそのままに戦兎が勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「どうよ! スゴいでしょ! 最っ高で――」

 

「何すんだテメェ!?」

 

 再び自賛を始め出す戦兎へ、すかさず怒りに顔を歪めた万丈が足を踏み鳴らして駆け寄ってくる。

 同時に、水を差されたように眉を顰める戦兎の跳ね上がっていた髪が萎えたように垂れ下がる。

 

「イキナリ撃ってんじゃねェよ! 危ねェだろが!!」

 

「別にいいだろ、当ててないし。つーか、撃つ前に、伏せろ、って言ったぞ俺?」

 

「聞こえなかったぞッ!」

 

「じゃあ俺じゃなくてお前の耳が悪いんだろ、人のせいにすんじゃないよバーカ」

 

「ア゛ア゛ッ!?」

 

「二人共! 今は喧嘩してる場合じゃ――」

 

 小馬鹿にしたような溜息を吐く戦兎に、それを受けて眉間の皺を更に深くする万丈。

 そのまま、放って置けば喧嘩を始めかねない有様と化していく男二人を慌てて夜宵は宥めようとするが、そのために彼らへ向けた視界が奥から駆け込んで来る増援のガーディアン3体を捉える。

 次の瞬間、夜宵は、

 

(何か、バカみたいだったなぁ……)

 

咄嗟の行動とはいえ先程ガーディアンをその手で破壊した事や、自分と違って何の躊躇も無くホークガトリンガーを振り回して撃破していた戦兎の姿を思い出して馬鹿らしくなってしまいながら――躊躇無くメイジーシザースのナイフ側を投げ、ピストル側を構えて引き金を引いた。

 程無くして、回転しながら呆れた顔をしていた戦兎の鼻先を掠めたナイフ側が増援の先頭に立つガーディアンの首を撥ね、怒りに目を見開いていた万丈の眼前を通り過ぎたピストル側の光弾2発が吸い込まれるように後続2体の胸部と脳天に風穴を開けた。

 そのまま、一時的にパーカーから取り出して撹拌したアップルフルボトル(メイジー)の力でブーメランのように回転しながら戻って来たナイフ側を右手で掴み止めた夜宵へ、すかさず、オオゥ、と情けない悲鳴を上げて仰け反っていた戦兎と万丈がグルリ、と同時に首を向けて来る。

 

「「何すんだよ(しやがんだ)!? ()っぶねェなオイッ!!」」

 

「言ってる場合じゃないでしょ! ああ、ホラ! まだ来る!!」

 

 さっきまで口論し合っていたのが一転、同時に叱責を飛ばして来る同調ぶりを見せる二人の向こう側から、更に数体のガーディアンが駆けて来るのが見えた夜宵は、怒鳴り返しつつアップルフルボトル(メイジー)をポケットに戻し、ピストル側を連射する。

 放たれた光弾が迫って来る機械人形達を射抜いた端から停止させていく。

 更に、彼女に遅れて戦兎もホークガトリンガーを構え乱射するが、今度の一団は先程よりも数が多いらしく、二人分の弾幕を持ってしても後続が途切れる気配は無い。

 更に悪い事に、視界の左側からも別のガーディアンの群れが突撃しているのを夜宵は見つけてしまう。

 正面の一団すら先頭を二人掛かりでその場に押し留めるので精一杯の状況だ。対処し切れない。

 

(だからって……!)

 

 されとて、そちらを無視する訳にもいかない。

 正面の一団を見据えつつ、夜宵は逡巡する。

 そして、ここはホークガトリンガーの性能に期待するしかない、と正面を戦兎に任せ、自身は左側を対処する事を決心した彼女は、ナイフ側を再び投擲するために掲げつつ、戦兎にその事を告げようとした。

 

「戦兎さん、そっちお願――」

 

「万丈!!」

 

 が、その矢先に不意に戦兎が振り返り、叫びつつ懐から取り出した何かを万丈に投げ渡した。

 慌てて受け止めた万丈の手元に危なげなく収まったそれを、視線を引き寄せられるまま目にして、夜宵はハッ、とした。

 そこにあったのが、ガンモードに組み替えられたドリルクラッシャーだったからで、鈍い銀色のドリルが突き刺さったようなその銃で、万丈にも援護させるつもりだと思ったからだ。

 実際、万丈当人もそう思ったのだろう。自分が受け取ったものが何であるか認識した彼は、すぐさまそれを構えようとする。

 しかし、続けて告げられた戦兎の言葉が、それが間違いであると二人に告げる。

 

「それ持ってけ!」

 

「何?」

 

「とっとと行けって言ってんだよ!」

 

 

 

「「ハァッ!?」」

 

 口を突いて出た万丈の驚愕の声が、ほぼ同じタイミングで放たれた夜宵の声と重なって響く。

 武器を投げ渡されたものだから、てっきり、お前も攻撃に参加しろ、という事かと思った。その矢先に告げられたのは、まさかの逃走の指示である。驚くな、というのが無理な話だった。

 

「お前っ、何言ってんだ!?」

 

 当然ながら、すぐさま万丈は戦兎に噛み付いたし、夜宵もガーディアンへの応戦を続けつつも、困惑の目を彼へと向けている。

 それに対し、やはりガーディアンの一団へとホークガトリンガーの瞬くような火箭を放ち続けながら、戦兎がこう返してくる。

 

「西都行く気あんだろ? お前だけに任せんの本っ当に不安でしょうがないけど、仕方ねぇ。俺とお子ちゃまでここ押えといてやるから、お前は紗羽さんと一緒に先に行け!」

 

「待てよ! お前らはどうすんだよッ!?」

 

「適当なトコで切り上げるよ! どうせコイツらの狙いはお前だ! お前がいなくなれば、その内コイツらも居なくなる!」

 

 言われて、漸く万丈は気付く。

 何故このガーディアン達が湧いて出て来たか気にも留めなかったが、確かに指名手配されている自分が目的と考えた方がすんなり来る。なら、その自分が消えれば戦兎の言う通り、ガーディアン達の勢いも途切れるかもしれない。

 であれば、すぐにでもこの場を離れて西都行きの船へ向かうべきだ。

 

「――分かった!」

 

 それでも少しだけ戦兎と夜宵をこの場に置いていく事を戸惑った万丈であったが、すぐにそれだけ返事を返して、後ろに控えていた紗羽の方へと振り返る。

 が、そうした途端に、ちょっと待て、と戦兎が呼び止めて来る。

 

「アン!? んだよ!?」

 

 行く決心をした傍からの呼び止めに若干苛立ちを感じつつも、万丈はもう一度戦兎の方を振り返って――自分を見つめ返す彼の双眸に体を硬直させた。

 

「お前に言っておく事がある」

 

 そう告げる戦兎の眼差しは、異様なまでに真剣で、射抜くような鋭さがあった。

 その視線に思わずたじろぐ万丈へ、彼の口が続きを紡ぐ。

 

「クシャっとなるんだよ、俺の顔」

 

「――は?」

 

「誰かの力になれたら、心の底から嬉しくなってな。マスクの下で見えねぇけど」

 

 ――急に何言ってんだコイツ?

 唐突な戦兎の言葉に、万丈は困惑する。その困惑のまま、何も返せないでいる彼の内心を知ってか知らないでか、ともかく戦兎が真剣な面持ちを崩さぬまま、こう締め括った。

 

「見返りを期待したら、それはもう正義とは言わねぇ」

 

 そうして、そんだけだ、と最後に付け加えて微笑みを浮かべたかと思えば、すぐさまガーディアンの一団へと向きを戻して、何事も無かったかのように戦兎は応戦を再開する。

 そんな彼に、更に万丈は困惑を強めて立ち尽くしていたが、

 

「ホラ、ボサッとすんな! さっさと行きなさいよバカ!」

 

「……! 誰がバカだッ!」

 

空いている手を振って追い払おうとする戦兎に我に返り、呼び掛けていた紗羽に引っ張られるままに、右手でグリップを握っていたドリルクラッシャーを仕舞いつつ、すぐさまその場から駆け出した。

 

「土壇場でワケ分かんねェ事言いやがって……!」

 

 そう毒づきつつも、戦兎の言葉に言い知れようの無い引っ掛かりを覚えながら。

 

 

 

『見返りを期待したら、正義では無い……?』

 

 夜宵のパーカーのポケットに収まったままだったメイジーは、外から聞こえてきたその言葉を、不快さを滲ませて反復する。

 普段なら()の言葉など極力聞き流すようにしている。()の声など耳に入れるのも汚らわしいからで、それでも時折反応して話題を振るのは、如何に()という生き物が欲深く、浅ましい存在であるかと訴えるのに都合が良い時だけだ。

 が、今回は少し違う。

 ()という存在を侮蔑するには特別都合が良いわけでも無く、されとて聞き流す事も出来ない。

 無視出来なかった。

 

『いいえ、違うわ』

 

 見返りの有無なんかが正義を決めるんじゃない。

 ()()()()()の事で正義は否定されない。――()()()()()()()()()()()()

 そんなものは思い上がりだ。傲慢で、卑劣で、残酷で、身勝手で、己の欲のために平気で人を踏み躙り、奪い、裏切れる()達の。

 例外なんて無い。()だってそうだったんだから。

 

『貴方達が正義を語る事それ自体が間違いだわ。だって、()の存在そのものが間違い』

 

 憎々しさを込めて、絞り出すようにメイジーは呟く。

 まともな肉体が彼女に残っていたならば、きっと彼女は歯ぎしりをしていただろう。

 見返りを求めたら正義ではない、とハッキリ言ってのけた桐生 戦兎への――いや、()という存在そのものへの。

 否定と、憎しみと、恨みと、憎悪と、殺意と、そして――。

 

『この世に男という生き物が存在する事が、既に間違っているのだから……!』

 

――妬みを込めて。

 

 

 

(見返りを求めたら正義じゃない――か)

 

 左側から迫るガーディアンの群れへメイジーシザースのピストル側を撃ちつつも、見る見る内に小さくなって奥の闇の中へ消えていく万丈と滝川の後ろ姿を見送った夜宵は、ふぅ、と溜息を吐く。

 先の戦兎の言葉を否定する気は無い。むしろ、彼の考える正義の在り方については、どちらかといえば同意だ。

 だからこそ、自分が仮面ライダーとして戦う理由は正義とは言えない。

 nascitaの面々との協力関係も、そうする事で仮面ライダーを続けられるという見返りが存在するからという面もあるし、沙也加を助けるためという自身が戦う理由も、詰まり()()()にある()()()を見据えているからこそ。

 だからこそ、自分の戦う理由に正義は無い。

 時折戦兎が堂々と胸を張って宣言するように、自らを正義のヒーローと称する資格は無いし、そうするつもりも無い。――そう、夜宵自身は思っている。

 そんな事を思い直している内に少しばかり気分が沈んで来たので、気を取り直すために夜宵は敢えて大仰に声を張り上げ、戦兎に叫び掛けた。

 

「アイツらの狙い、万丈さんなんですよね!?」

 

「多分な!」

 

「じゃあ、私達がこうしてるのもあと少しって事ですよね!?」

 

「それも多分――」

 

 そう返す途中で、不意に何かに気付いたように戦兎が目を見開き、連射を止めたホークガトリンガーの銃身を眼前で立てた。

 何処からともなく異形が現れたのは、その刹那の事だった。

 

「戦兎さん!」

 

 咄嗟に振り返る夜宵の目の先で、紫色の残像を尾に引いて戦兎の眼前へと急接近した異形が、両腕に握った両刃剣を彼目掛け振り下ろす。

 その一撃を戦兎はホークガトリンガーの銃身で受け止めたが、その勢いまでは殺し切れず、後方へ吹き飛ばされてしまう。

 どうにか倒れ込む事までは防いで態勢を立て直そうとする戦兎を横目に見つつ、すぐさま夜宵は異形へとピストル側の銃口を向ける。

 が、そのまま引き金を引こうとしたところ、不意に嫌な予感が電流の様に体に走るのを夜宵は感じ、ピストル側共々異形へと向けていた視線を反射的に正面へと引き戻した。

 つい先程までは無かった筈の黄色い正方形の枠組みのようなものがすぐ間近に現れ、その中から別の異形が飛び出して来たのは、その直後の事だった。

 先程戦兎の側に現れた方の異形とは違う、残像一つ捉えられなかった完全な不意打ち。振り上げられた剣状の右腕を前に、考える間も無く、夜宵はナイフ側を頭上に掲げる。

 果たして、無意識下で行った彼女のその防御行為は功を為し、振り下ろされた刃に無惨に引き裂かれる事自体は避けられた。

 が、その勢いまでは殺し切れず弾き飛ばされ、すぐ後方の地面へと夜宵は転がされてしまう。

 

「くっ!」

 

 すぐさま夜宵はその場で片膝立の態勢になり、自らに襲い掛かって来た異形へとピストル側を向け直そうとする。

 が、同時に聞こえてきた金属音の連鎖にハッ、とし、異形の左側へと夜宵は視界を巡らせる。

 音の正体は、先程まで応戦していたガーディアンの一団だった。

 突然の2体の異形の襲撃で対応が疎かになっていたその一団が、異形を避けられる位置へ移動し、各々が手にしていた小銃の銃口が一斉に夜宵へと向ける音だったのだ。

 

(マズい!)

 

 慌てて夜宵は立ち上がり、その場から飛び退く。

 間髪入れず、先程まで彼女がいた地面の上で無数の銃弾と、それに砕かれて打ち上げられたコンクリートの欠片が跳ね上がる。その様を見て、一歩遅れていれば自分がどうなっていたかを嫌でも察する事となった夜宵はぞっとした。

 そして、まだ安堵する時では無い。

 豪雨のような射撃が一旦終わったかと思えば、すぐにその照準が今の自分の位置へと修正されるのを目にした夜宵は、急いでピストル側をガーディアン達へ乱射しつつ、その場から駆け出す。

 

「夜宵、こっちだ!」

 

 ホークガトリンガーによる牽制で彼女のサポートをしてくれている戦兎の方目掛けて。

 程無くして、彼の左隣に夜宵は辿り着く。

 それを待っていたかのように、戦兎がガーディアン達と異形達の方へと向けていたホークガトリンガーの銃身を、斜め下へと傾けるのが見えた。

 次の瞬間、敵からその足元へと進行先が移動したオレンジの光弾の群れがコンクリートの地面を盛大に砕き、舞い上がった破片や砂埃が即席の煙幕となった。

 それによって夜宵と戦兎の姿が遮られたためか、ガーディアン達が銃撃を行う気配が無くなり、彼らを探しているかのように首を振り回す二体の異形の影が砂埃越しに投影される。

 これで、多少だが時間を稼げる。

 ふぅ、と胸を撫で下ろす夜宵。その横で、

 

「こうなっちまったら仕方ねぇ」

 

戦兎が空いていた左手でビルドドライバーを取り出し、自らの腰元に装着した。

 

「ガーディアンだけならまだしも、スマッシュまで出て来ちまったんなら――」

 

「――放っとく訳にはいかない、っていうんでしょ?」

 

 ホークガトリンガーを一旦しまいつつそういう戦兎に、自らもメイジーシザースを仕舞いつつ夜宵は深い溜息を吐く。

 ガーディアンだけならば頃合いを見て離脱する事も可能だったが、あの異形達――スマッシュまで出て来てしまった以上はそういう訳にもいかない。

 現れた以上は、仮面ライダーとして対処しなければならない。

 

「そういう事だ」

 

 トレンチコートのポケットから二本のボトル――右手にオレンジ色のタカフルボトル、左手に黒鉄色のガトリングフルボトルを取り出して上下に振り始める戦兎に息を吐きつつ、夜宵もまたパーカーのポケットからビルドドライバーとアップルフルボトル(メイジー)を取り出す。

 

「いくよ、メイジー」

 

『……ん? ああ、変身しますの?』

 

 ドライバーを身に着けつつ声を掛けたメイジーが、何か考え事でもしていたかのように覚束ない返事を返してくる。

 そんな彼女に一抹の不安を覚えつつもそれを無視し、左手に持ったアップルフルボトル(メイジー)を顔の右側に掲げた夜宵は手早く攪拌を済ませ、MSEアブソーバーへと装填する。

 

<Contraction!>

 

<TAKA(タカ)! GATLING(ガトリング)! BEST MACH!!>

 

 同じくタイミングでボトルのセットを終えたのか、夜宵と戦兎のドライバーが同時に電子ガイダンスを上げる。

 そのまま、流れるようにボルテックレバーを回転させ始めた夜宵は、視界の先に展開していた砂埃の煙幕が大分薄まって来ている事にふと気づく。

 それによって、周囲に展開していたガーディアン達や先程のスマッシュ達――細長く上に伸びた頭部と両肩に、両手に持つ直剣が特徴的な紫色のスマッシュと、巨大な立方体状の頭部と、剣状に変化した右腕を併せ持つ黄色いスマッシュ――が見失っていた夜宵と戦兎を発見したような素振りを見せる。

 すぐさまガーディアン達の銃口を一斉にこちらに向き、紫色のスマッシュが先程同様に自身の体色と同色の残像を伴って戦兎の方へ向かい、黄色のスマッシュが何も無い空間を右腕で斬り付けるや、何処からともなくその頭より一回り小さい立方体が出現する。

 しかし、今度はこちらの方が早い。

 

<<Are you Ready?>>

 

 隙間なく並べられた小銃が一斉に火を噴き、躍り掛かった紫色のスマッシュが腰溜めに構えていた両手の剣で戦兎を✕の字に切り裂こうとする。更に黄色のスマッシュが夜宵目掛けて傍らに現れた立方体を剣の右腕の一薙ぎを持って猛スピードで飛ばして来る。

 しかし、既に二人の周囲にはプラモデルの外枠(ランナー)のような高速成型ファクトリー(スナップライドビルダー)だけでなく、目に見えない電磁バリアの展開も完了している。

 飛来した弾丸と立方体は彼女達を蜂の巣にする事無く火花を上げて消失し、戦兎に迫っていた二振りの刃は、その持ち主ごと甲高いスパーク音を立てて弾き飛ばされる結果に終わる。

 そして、その様子を形成されたピンクレッドのハーフボディ越しに落ち着いて眺めていた夜宵は半開きにした右手を口元へ運び、右隣りでオレンジ色と黒鉄色のハーフボディの間で腰を屈めたファイティングポーズを取る戦兎と共に、高らかに宣言した。

 

「「変身!」」

 

 右腕を勢い良く振り下ろすと共に、高速で前後から迫るスナップライドビルダー。

 その中央に形成されたピンクレッドのハーフボディに挟み込まれた事で一瞬闇に染まった視界が、ハーフボディが組み合わさるけたたましい音と蒸気が吹き上がる音の後、すぐに先程までよりも鮮明な像を結ぶ。

 

<Contraction Apple Maisie,Start The First Trial!>

 

<Tenku(天空)-No()-Abarenbo(暴れん坊)! Hawk(ホーク)-Gatling(ガトリング)!>

 

<<Year!!>>

 

 プロレスの選手入場染みた2台のビルドドライバーの電子ガイダンスに告げられるまま、仮面ライダーメイジーへと変身した夜宵と、初めて見るメタリックオレンジと黒鉄色のビルドへと変身した戦兎がその場に並び立った。

 

 

 

「――成程。ホークガトリング、ね」

 

 翼を広げ大空を舞う鷲を模したオレンジメッキの複眼を仮面の左に、発射口が三角形に三つ並んだ銃身を正面に向ける黒鉄色のガトリング銃の複眼を右に備えた新たなベストマッチ――仮面ライダービルド ホークガトリングフォームへと変身を完了した戦兎は、手首を回したり、掲げた己の腕や背の翼を興味深げに眺めたりしながら、初めて変身した新しいベストマッチフォームの感触や能力を確かめる。

 そうして一通り確認を終えた彼は、続いて鷲が両翼を大きく広げる様をイメージしつつ、背に力を込める。

 そのイメージのままに、彼の背のオレンジメッキの翼が大きく広がった。

 “ソレスタルウィング”。

 タカフルボトルの成分から作り上げられ仮面の右側、右腕、左足を覆うタカハーフボディの一部であるその一対の翼が、本物の鷲のそれの如き柔軟さを以て、バサリ、と羽ばたく。

 それによって、あっという間に地上4m程の高さまで浮き上がった自らの体に襲い掛かって来た地に足が着かない故の違和感に、おっとと、と僅かに声を漏らしつつ、戦兎は地上を見下ろした。

 

「飛んだ!?」

 

 下で、夜宵がこちらを見上げ、驚きの声を上げている。

 そのせいで隙を見せてしまっている彼女へ、ガーディアン達が照準を合わせ直しているのが見えた戦兎は、

 

「余所見してんじゃないよ!」

 

すぐさまホークガトリンガーをガーディアン達へと向け――途中、胸部アーマーの一部に備えられたベルトリンクが貼り付いたような部分に開いている左手で触れてから――引き金を引いた。

 銃身が猛回転を始め、銃火が絶え間無く弾け飛ぶ。

 放たれた無数の――タカフルボトルの成分によって一発一発が鷹の形へと変化し、簡易的ながら標的への追跡能力を得た――実態のある弾丸が、銃身のブレによって生じた誤差を自動修正しつつ、戦兎の狙い通りガーディアン達目掛け飛び去って行く。そして、その一発一発が着弾すると共に――爆発が起こった。

 “アームドチェストアーマー”。

 ガトリングフルボトルの成分によって胸部に生成された、ベルトリンクが表面に張り付いたような黒鉄色のアーマーは特殊弾丸の生成能力を備えている。これを利用し、通常よりもやや威力が下がる代わりに起爆能力を備え、より広範囲に被害を発生させる事が出来る対ガーディアン用特殊弾丸を生成、装填してから攻撃を行ったために起こった現象だ。

 それを使った結果はほぼ想定通り。ホークガトリンガーの連射は2秒にも満たない短時間だったが、その間に撃ち込んだ特殊弾丸が次々と爆発を連鎖させ、通常の光弾ではそれなり時間が必要だっただろう程に数が増えていたガーディアン達をあっという間にその場から消し去ってしまっていた。

 その結果を見下ろし、ふぅ、と戦兎は一息吐くが、

 

「おっと」

 

すぐソレスタルウィングを一扇ぎし、自らの体を上昇させる。

 その直後、直前まで戦兎が居た場所まで瞬間移動して来た黄色のスマッシュが、彼の方目掛け右腕で斬り付けて来た。

 幸い、高度を稼いでいたためにその一撃は彼にかすりもしなかったが、戦兎がその事に安堵する間は無い。

 上昇の最中に目にした。もう片方――紫色のスマッシュがその姿を――宛ら、砂漠に揺らめく蜃気楼(Mirage)のように――ブレさせたかと思いや、全く同じ姿の分身を横並びに何人も生成していく様を。

 もう一度眼下に目を遣れば、丁度紫色の――幻惑特化型の(ミラージュ)スマッシュが生成した分身達と紫の残像を引き連れて夜宵へと向かっているのが見えた。

 それに対し、夜宵が右手に持ったメイジーシザースのピストル側を乱射してミラージュスマッシュをけん制し、更にその弾幕を抜けて来た本体と分身――既にどれがどれか見分けがつかなくなっているが――に、左手に握ったナイフ側を振って迎え撃とうとした。

 しかし、ミラージュスマッシュのその速度と数の前に彼女の対応は上手くいかない。最初に飛び込んで来た一体の剣戟はどうにか弾くも態勢を戻せず、そのまま流れるように続く後続の連撃をもろに浴びる事となってしまった夜宵は、為す術無く装甲から火花を上げて吹き飛ばされてしまう。

 そうして仰向けに倒れ込んでしまい、隙だらけになってしまった彼女を見す見す逃す敵はいない。

 案の定、円形に彼女を囲んだミラージュスマッシュ達が更に分身を増やし、いずれも両手の剣を振り上げて一斉に飛び掛かろうと身構える。

 

「させるかっての!」

 

 すぐさま、戦兎は一際大きく広げたソレスタルウィングを羽ばたかせる。

 羽に内蔵されたエアブースターの全開加速によって数秒と掛からずミラージュスマッシュ達と夜宵の上空3m程の辺り飛び込んだ彼は、先程やったように左手をアームドチェストアーマーのベルトリンク部に触れさせつつ、身を捻って回転しながらホークガトリンガーの引き金を引いた。

 

 

 

『夜宵ちゃん、急いで! 囲まれてしまいますわ!』

 

 ミラージュスマッシュとその分身達からの連撃に耐え切れず仰向けに地面に転がされた夜宵は、慌てたメイジーの警告に急かされるまま、未だ衝撃に痺れる体を鞭打って起き上がろうとする。

 しかし間に合わず、どうにか片足立ちになったその時点で、既に周囲は紫の残像を引くスマッシュ達に覆われてしまっていた。

 そのまま、彼女を覆い潰さんと両手の剣を振り上げて飛び掛かって来るスマッシュ達。先程と同じく襲い来る数とスピードの暴力に夜宵は有効打を持たないが、それでもただでやられる気など無い彼女はすぐにナイフ側とピストル側を構え、応戦の準備を整える。

 そうして数秒後にはぶつかり合う事になる筈だった夜宵とミラージュスマッシュ達であったが――突如破裂音の連鎖と共にスマッシュ達が胴から火花を噴き、全て後方へと大きく弾け飛んだ。

 

「あれ? あっ、戦兎さん!」

 

 万事休すと身構えていたところで起きた突然の事態に呆気に取られ、同時に破裂音が聞こえて来た上空を見上げた夜宵は、いつの間にやらその場に浮いていた戦兎の姿を認めて叫んだ。

 それに対して戦兎がその場から降りる事無く、黒鉄色のガトリング砲とオレンジ色の鷹の複眼が備えられた仮面を右に傾げてこう告げた。

 

「こっちは俺が相手した方が良さそうだ。あっちはお前に任せるぞ!」

 

「あっち? あっちって何!?」

 

()()()()()だよ。ホラ来るぞ、ボサっとしてんじゃないよ!」

 

 問い返す夜宵に仮面を右側に傾けた戦兎がそう言うのが早いか否か、夜宵のすぐ右の空間に黄色い正方形の枠組みが現れる。一辺が2m以上あるそれを視界の端に捉えた彼女は、考える間も無くナイフ側を振り上げた。

 枠の中から飛び出て来た黄色のスマッシュの右腕と夜宵の刃がかち合い、火花を散らしたのはその次の瞬間の事だった。

 

「ちょっと! 誘き寄せるんだったらもっと早くそう――」

 

『もういませんわよ』

 

 もう一度上空を見上げて文句を言おうとした夜宵であったが、すかさず放たれたメイジーが呆れ声の通り、既にそこには戦兎はいない。どこへ行ったのかと辺りを見回せば、左奥の方で背の機械的な翼をはためかせながらホークガトリンガーの連射でミラージュスマッシュ達を追い立てる彼の後姿が目に入る。

 いつの間に、と仮面の中で夜宵は目を丸くする。そして、鍔競り合っていたスマッシュにその隙を突かれ、胸元から蹴り飛ばされてしまう。

 完全な不意打ちに為す術無く、水掫を打って後方へ押し込められる夜宵。

 そこへすかさず黄色のスマッシュが右腕を振り上げて攻め込もうとするが、その様が視界の端に見えた彼女は咄嗟にピストル側を向け、引き金を数度引いた。

 放たれた火箭が、炸裂音を上げ駆け寄って来ていたスマッシュの足を止める。

 夜宵は態勢を立て直しつつ、続けて引き金を連打する。

 しかし、着弾する直前に黄色のスマッシュが例の正方形(Sqare)の枠を背後に作り出し、その中へと飛び退いて姿を消してしまったために、放った光弾が全て当たる事無く闇の中へと消えていく。

 その後、一瞬だけ奥の空間に現れた黄色の――空間歪曲型の(スクエア)スマッシュが再び剣状の右腕で何も無い空間を切ったかと思いや、今度は頭上に現れた正方形の枠から落下して来る。

 

『上から来ますわ!』

 

「分かってる!」

 

 右腕に全体重を乗せた兜割を左に転がる事で回避した夜宵は、その一撃がコンクリートの地面を叩き割る音を聞きつつ立ち上がり、ナイフ側を投げ付ける。

 高速回転する刃の一撃目は見事右肩に直撃して白煙を上げさせる。続けて、右腕を振り払う動作を以て与えた夜宵の指示のまま、ブーメランのように進行方向を折り返したナイフ側が怯むスクエアスマッシュへ向かっていく。

 が、その二撃目は逆袈裟に振り上げられた右腕で宙を切るや生み出された枠の中へとナイフ側が飛び込んでしまった事でスマッシュに当たらない。

 それどころか、同じタイミングで夜宵の眼前に別の枠が作り出されるや、その中からナイフ側が飛び出し、あろうことか己の主である彼女をその刃で斬り付けた。

 

「ぐっ……!」

 

 白煙と火花が散った左肩と首の間に夜宵は右手を当てる。

 咄嗟に体を逸らしたお蔭で顔面へと真っ直ぐ突っ込んで来たナイフ側をピンクレッドの装甲に覆われているそこで受ける事が出来たため、受けた衝撃は左程でもない。

 しかし、()()()()()も出来るとまでは思って無かった彼女にとって、それが想定外の一撃であった事には変わらない。

 そこに生じた隙を突かんとばかりに、スクエアスマッシュが右腕の剣を振る。すぐ傍の何もない空間に、()を三つ描くように。

 すると、剣が通った軌跡が光の線となって浮き上がり、それに囲まれた空間がくり抜かれたように角柱となって飛び出す。

 そして計三つ出現したその角柱が、右腕の剣先を指し示すように夜宵へとスマッシュが向けるや、弾かれたように彼女目掛けて飛来して来る。

 先程、変身の直前にも見せた攻撃だ。

 高速成型ファクトリー越しに見た際はライダーメイジーの念動による物体操作と何処か似た攻撃だと思うと同時に、飛ばして来た立方体はどこから出したのかと疑問には感じていたが、まさか、自前で飛ばす物を用意出来るとは……!

 基本的にそこにあるものしか動かせない自分との差に不公平さを覚える夜宵であったが、それに文句を言っている暇は無い。

 すぐに夜宵はピストル側を構え、迫る角柱へと迎撃を行う。

 それぞれに一発ずつ放った光弾は角柱とぶつかり合い、火花を伴ってそれらを夜宵へと辿り着かせる事無く叩き落としていく。―― 彼女から見て最も奥に並んでいた物を狙った、一発を除いて。

 その一発は、狙った角柱に当たりこそしたものの、当たり方が宜しく無かったのか角柱を止めるまでには至らず、その進行方向を少し逸らすだけに終わってしまう。

 幸い、その方向を変えられた角柱自体は命中せずに済んだが、左の複眼のすぐ横を通り過ぎて行ったために、夜宵は反射的に身を強張らせ、目を閉じ掛けてしまう。

 それを狙っていたとばかりに、獣の雄叫びを上げてスクエアスマッシュが猛然と飛び込んで来るのが見えたのは、その次の瞬間だった。

 

「ああ、もう!」

 

 袈裟懸けに振り下ろされる右腕の白刃を左手のピストル側の銃身で受け止めた夜宵は、苛立ちの声を上げる。

 先程の空間を切り取って撃ち出す攻撃で、敵の能力のタネは今度こそ全て割れた筈。

後はタイミングを狙うだけ、というところで受けた思わぬ一撃が思いの外腹に据えかねた。

 なので、先程の意趣返しも含めて、ギリギリ、と力任せに押し込んで来る刃に対して夜宵は垂直に差し出していたピストル側を銃口側が下向くように斜めに傾けつつ、左側へ一歩、その身を移動させた。

 するとどうなるか?

 真正面から受け止めていた筈の刃はピストル側の銃身を滑って()()()()()、誰もいない明後日の方へと振り下ろされる。

 更に、押し切ろうと刃の右腕に力を込めていたスクエアスマッシュ自身があらぬ方向へと向かう自らの右腕に逆に引っ張られ、横に逸れていた夜宵の右隣りを抜けてつんのめる事となる。

 その隙に叩き込む一撃は既に()()()()()()

 先程夜宵自身が受ける事となってしまい、その後彼女の後方の闇へと消えていったメイジーシザースのナイフ側が。

 高速回転を維持したまま、前のめりになって彼女の腰より少し上程度の位置まで下されているスクエアスマッシュの立方体の頭部よりも、更に下の地面スレスレの低空から。

 そして次の瞬間、スクエアスマッシュのすぐ傍まで接近したナイフ側が大きく上方へ角度を修正、急上昇しつつその頭部を掬い上げた。

 

「ガアアアアァッ!!」

 

 盛大な火花と絶叫を上げ、跳ね上げられた立方体の頭部で弧を描きながら奥へ吹き飛んでいくスマッシュを、上昇し切った後に戻って来たナイフ側を右手と受け止めてから夜宵は見遣る。

 ナイフ側の不意打ちが余程効いたのか、それとも慌てて立ち上がろうとしているのかは判別出来なかったが、ともかくコンクリートの地面の上で藻掻くスクエアスマッシュの体の各所からは白煙が立ち上がっており、限界が近いのが窺えた。

 じゃあトドメ、と夜宵はナイフ側を握ったままの右手をビルドドライバーのボルテックレバーに掛けようとした。

 その時だった。

 右奥に並び立つ幾つかの大きな倉庫の、その一つの屋根が突然の爆音と破砕音を上げて吹き飛ぶ様が視界の端に入ったのだ。

 何事かとそちらに思わず振り返れば、屋根に開いた大穴の中から何かが飛び出すのが見えた。

 大きな翼を扇状に広げたオレンジメッキと黒鉄色の影――闇夜の中かつ遠目で小さくなっていて分かりづらかったが、間違いなくそれは戦兎だった。

 その姿を見て、大穴の開いた倉庫が戦兎とミラージュスマッシュ達が消えていった方向にある事を丁度思い出した夜宵の目が、更に彼に続いて大穴から幾つかの影が飛び出すのを捉える。

 どうやら、ミラージュスマッシュとその分身達らしい。先程よりも数が増えたらしいそれらの影が戦兎共々上昇しつつも、身動きが取れない空中で藻掻く様が複眼越しに辛うじて見えた。

 一体何が起きているのか、と呆気に取られ掛ける夜宵であったが、

 

『夜宵ちゃん! スマッシュが!』

 

呼び掛けるメイジーの声が聞こえて、はっ、と我に返る。

 すぐさま振り返って見れば、既にその場に立ち上がっていたスクエアスマッシュが白煙の燻る体を揺らしていた。

 見るからに満身創痍という具合ではあったがまだ闘争心は失われていないらしく、剣状の右腕をゆっくりとだが腰溜めに構えていく。

 その様を見た夜宵は、もう一度だけ戦兎達のいる倉庫上空に目を遣り、そして――仮面の中で笑みを浮かべながら、頷いた。

 

「よーし……」

 

 今、狙っていたタイミングが偶然にも訪れている。

 更には、お誂え向きとばかりに戦兎が仕上げに掛かっている。

 ならせっかくだ、この状況を有効活用させてもらおう。――そう決断した夜宵は、両手に握ったピストル側とナイフ側を重ね合わせ、それぞれくの字のシルエットを描くナイフ側の刃と柄の間、ピストル側の銃身とグリップの間の背側にある、横に二分割された貫通式のフルボトルスロットを連結させた。

 これにより、分割状態(ナイフ&ピストルモード)にあったメイジーシザースを本来の姿である鋏の形態(シザースモード)へと変えた夜宵は、既に彼女と自らの正面に作り上げた正方形の枠の中へ飛び込んでいたスクエアスマッシュの方へと向ける。

 チャンスは一瞬。

 そう言えば難易度は高いように思えるかもしれないが、これまでの攻防で既に敵は限界寸前まで疲弊している。

 故に、枠を潜り抜けて瞬間移動して来るや振り下ろされたその斬撃は、あまりに遅かった。

 そう――両手に握ったグリップを閉じる事で開いたメイジーシザースの鋏刃で、容易に白刃を取れる程に。

 

「ギッ……!?」

 

 驚愕の呻きを上げたスマッシュが右腕を引き戻そうするが、ガッチリ、と白刃の腹に食い込ませたメイジーシザースの鋏刃は弱ったその力ではもはや緩ませる事すら出来ない。

 そのまま夜宵は身を捩り、鋏刃を緩めぬようにスクエアスマッシュを引き寄せ――彼女自身を中心に、鋏刃の拘束から逃れらずされるがままのスマッシュを外円に、砲丸投げの要領で振り回し始めた。

 一周、二周、三周――周回を重ねるままに夜宵は振り回す速度を上げ、同時にスクエアスマッシュに掛かる遠心力を上げていく。そして、地面から離れたスマッシュの足が、その頭部と同じ高さまで持ち上がったところで――

 

「でぇりゃああぁぁ!!」

 

――夜宵はメイジーシザースの鋏刃を開いた。

 瞬間、十分な遠心力が付いていたスクエアスマッシュの体が、打ち上げたミラージュスマッシュ達を囲うように上空に展開していた巨大な球状のグラフ目掛けてすっ飛んでいく。

 そして、その黄色い立方体の頭部があっという間に小さくなり、更にグラフの中を縦横無尽に飛び回りホークガトリンガーを連射する戦兎の姿が僅かに見えたかと思った、次の瞬間。

 小規模の連鎖、そして程無くして――グラフを覆い尽くす大規模の爆炎が、林檎の複眼が見渡す先の夜闇を明るく照らし上げた。

 

 

 

 その後、爆炎が止んだ夜空から例の大穴の開いた倉庫の中へ降りて行く戦兎の姿を捉えた夜宵は、辺りに敵影が無い事を確認してから自身もその倉庫へと赴いていた。

 辿り着いた倉庫は屋根のみならず、別の倉庫に隣接する壁にまで大穴が開いていた。

 考える間でも無く戦兎とミラージュスマッシュ達との戦闘の余波で開いたのだろうその穴を潜り抜けた夜宵は、そのまま辺りを見渡す。

 天井に開いた大穴から月の光が差し込んでいる倉庫内は、それでもなお暗く、更には元々そこに仕舞われていた資材やその残骸が辺りに散乱していたため、隅から隅までの状況を視覚だけで判断する事は出来なかったが、問題は無かった。

 目的の人物達はすぐに見つかった。

 

「戦兎さん!」

 

 倉庫の中央から左寄り、天井の大穴から降り注ぐ月明かりが作った円の中に、戦兎がいた。

 既にビルドへの変身を解いている彼の姿から、周囲に敵はいないと判断した夜宵はドライバーからアップルフルボトル(メイジー)を抜いて変身を解除し、呼び掛けつつ彼の方へ駆け寄る。

 しかし――そうして、彼との距離が縮まっていく内にふと気づく。

 彼の足下に横たわる二人の何者かと、どこか深刻気な彼の戦兎の表情に。

 横たわる何者か達は、恐らく先の2体のスマッシュにされていた者達だろう。それは問題無い。寧ろ、先程まで戦っていた彼らが既に人間に戻っているという事実は、既に変身を解いている戦兎自身と併せて、この場に敵はもういないという証明になる。

 ならば、彼のその表情の意味は何なのか?

 判断が出来ず、月明りの円の手前で夜宵が足を止めていると、ふと戦兎が彼女の方に顔を向けて重々しく呟いた。

 

「……マズいかもな」

 

「え?」

 

「俺達、嵌められたかもしれねぇ」

 

 見ろ、と足下に横たわるスマッシュだった者達の方へ戦兎が向き直る。

 言われるまま、恐る恐る夜宵は彼らの傍へ歩み寄り、その顔を覗き込み――思わず息を呑んだ。

 

「鍋島っ……!?」

 

 横たわる二人の内、片方は見知らぬ男だった。そちらは問題ではない。

 問題はもう片方――鍋島 正弘、その人の方だった。

 

「何でここに!?」

 

 間違い無い。目の前の男の顔は、写真で見た強面そのままだ。

 だが、そんな事は有り得ない。

 ここに倒れているのは先程までスマッシュだった者達――つまり、ファウストの手に堕ちていた、ファウストの監視下にあった人間達だ。そんな人間が、ああも簡単に自らを捕らえている組織や、同じように捕らえられている人間の情報を第三者に流せるワケが無い。もしそれが許されていたとしたら、そもそもこれは――。

 

『どうやら、今回の件は罠だったようですね』

 

「罠!?」

 

「ああ」

 

 手に持っていたメイジーの苦々し気な声に反応した夜宵の言葉に、戦兎が頷き返す。

 

「家族が西都にいるっていう鍋島の情報で俺達は西都に行くって話になったが、その鍋島がこうしてスマッシュにされてたんだ。なら、最初から俺達を西都に行かせるのが――」

 

「ファウストの狙い?」

 

「――多分な」

 

 向き直って肯定する戦兎に、夜宵は返す言葉が思い付かなかった。

 鍋島の家族が西都で囚われている情報は、ファウストが知らないところで自分達に渡ったものだと思っていた。当然、その後の西都へ行く計画も。

 しかし、全ては敵の罠だったのだ。その事実に彼女が受けた衝撃は、相応に大きかった。

 そして、一拍置いて気づく。

 

「――! 待って、だとしたら万丈さん達は?」

 

『まぁ、待ち伏せされているでしょね』

 

 ふと浮かんだ疑問に戦兎が頷き、メイジーが言葉でその答えを告げる。

 結果的に、西都へ向かったのは万丈と滝川だけだ。

 当初通り、今回の密航がファウストの知らない話であったならばまだ大丈夫だったが、実際は罠であったと判明した今や、話は大きく変わって来る。

 二人は、夜宵や戦兎のように仮面ライダーに変身できない。

 相手が数体程度のガーディアンであれば万丈のバカ力で何とかなるかもしれないが、待ち伏せているとなればファウスト側も相応の用意をしているだろう。最悪、彼では対処できないスマッシュが用意されている可能性も――。

 

『私としては万丈 龍我はどうなろうと知った事ではないというか、むしろこの世から(狼さん)が減るのは喜ばしい事なんですが、紗羽さんや鍋島のご家族にまで危害が及ぶのは流石に宜しくありませんね』

 

 そんな事をメイジーが語っていたが、その声に耳を傾ける余裕は夜宵には無い。

 元より危険が無い訳では無かったが、罠と分かった今、今回の計画の危険性は当初の比では無くなってしまった。自然、万丈と滝川の身を案じる気持ちで胸が重苦しくなる。

 

「今からじゃ呼び戻せないし、鍋島の家族を放っておくわけにいかねぇ。こうなったら、二人が鍋島の家族を無事に連れて帰るのを信じるしかないな」

 

 そう言って溜息を吐いた後、警告くらいは出来るか、と戦兎がトレンチコートのポケットからビルドフォンを取り出し、右手の人差し指を画面へと近づけていく。

 その人差し指の先がビルドフォンのボディの陰に隠れるかと思ったその時、それは起こった。

 

「――う゛っ!?」

 

 不意に、戦兎が目を剥き、ビクリ、と体を震わせた。

 突然の彼の奇妙な素振りに夜宵は最初訝しむだけだったが、続いて膝から頽れ、その場に倒れ込んだ戦兎の変調を目にした時、その訝しみは瞬時に驚愕へと変わった。

 

「戦兎さん!?」

 

 慌てて夜宵は戦兎の傍まで駆け寄り、その肩を揺すった。

しかし、顔を横向けた戦兎は目を開かず、何の反応も返って来ない。完全に気を失っている。

 それでもなお、夜宵は彼の体を揺らし、呼び掛け続ける。

 戦兎の安否を案じるがため――だけでなく、湧き上がる嫌な予感と記憶がために。

 そう――()()()と、同じだ。

 今の状況は、2年前の、あの廃工場の中で起こった事と同じだ。

 自分のすぐ目の前で倒れた今の戦兎は、あの時すぐ隣で倒れた沙也加と、同じだ。

 ならば、この後に起こる事は――。

 

「ぅあっ……!?」

 

 脇腹の辺りに、痛みが走った。

 微かに、しかし()()()も確かに耳にした、自分自身しか耳に出来ない程に小さな、何かに刺される音と共に。

 続けて襲って来る、ジクジク、と侵食するような悍ましい痛み。

その痛みに吸い取られているかのように、見る見るうちに失せていく体中の力。――ああ、同じだ。あの時味わった、あの感覚だ。

 

『夜宵ちゃん!? どうしましたの夜宵ちゃん!?』

 

 耐え切れず、戦兎の体の上に✕の字に倒れ込んでしまった夜宵の耳に、何処からかメイジーの声が聞こえる。

 残された微かな力で声のする方に首を回せば、顔から少し離れたところで横倒しになっている彼女の赤い一つ目が目に入る。

 何のことは無い。元々右手に持っていたが、倒れる際に力の失せた手から離れ、そのまま今の位置まで転がっていったのだろう。

 

「……メ、イ……」

 

 今も範囲を広げる痛みとは逆に、どんどん瞼共々重くなっていく唇をどうにか動かしてメイジーの名を呼び返そうとする夜宵。

 しかし、それは叶わない。

 完全に力が失せたからではない。メイジーの、その更に奥の空間に見つけたその姿に、朧げになり掛けた視線を彼女は集中せざるを得なかったためだ。

 

『フフフフ……』

 

 倉庫の横に開いた方の大穴から入り込む、天井からの月光よりも更に淡い光の中に、()はいた。

 忍び笑いを漏らしながら、ゆっくりと近付いて来ていた。

 カツン、カツン、と硬質な足音を、一定のリズムで鳴らしながら。

 

『な、何ですの貴方は!?』

 

 背後から迫り来るその影に気づいたメイジーが叫ぶが、もう遅い。

 自らの影の中にメイジーを捕らえた()が屈み、怪しげな銀の輝きを放つ毒牙を彼女へと伸ばす。

 迫る毒牙を前に、ひっ、という引き攣った声を上げ、赤い一つ目が飛び出んばかりに開かれる。

 

『い、イヤっ、来るなっ! 来ないで!  やっ、夜宵ちゃん! 助けてっ、夜宵ちゃんっ!!』

 

 メイジーの助けを求める声が、いやに遠く聞こえる。間近に迫る毒牙に怯えている筈の一つ目が、酷くぼんやりと見える。

 もうじき、自分も意識を失う。

 それでも、と夜宵は手を動かそうとするが、もはや込められる力の無い腕はビクともせず、変わらず彼女の顔の傍でコンクリートの地面の上にへばりついたままだった。

 もう、()の毒牙とメイジーとの距離は拳一つ分ほどしかない。

 もう、どうしようもない。

 だからせめてと、更に重くなった瞼と口を動かして、夜宵は必死に睨み付けた。

 

「……血まみれの……コブラ……」

 

 傍らに従える、頭部から横に広がったフード部分の根本までが成人男性の身長近くある、巨大な青緑色のコブラを。

 拒絶の叫びも空しく、転がっていたアップルフルボトル(メイジー)を拾い上げた、その毒牙の生えた手を。

 倒れているが故に最も間近に見えるその足を。

 そして、あの日見たそのままの、真っ赤な血の中で鎌首を擡げる青緑色のコブラが貼り付いた、その胴と頭を。

 

『イヤアアアアアァァァァッ!!』

 

 絹を裂くような絶叫が、酷く遠く聞こえた。

 その声すらあっという間に聞こえなくなった時、遂に夜宵はその意識を失った。

 しゃがんだまま彼女を見下ろし、嗤う血まみれのコブラの憎い姿を、砂嵐の飛び交うブラウン管テレビのように粗くなってしまった視界に、焼き付けながら。

 




次回、仮面ライダーメイジー!


<鍋島がスマッシュにされてた?>

「アイツが、いたんです。あの、血まみれのコブラが」


「そうだよ。もう鍋島はいなかった」

消えた鍋島!

攫ったのは血まみれのコブラ!?


「“パンドラボックス”」

『遥かお空の彼方の力ですか』


「これ……見た事ある気がする」

全ての鍵を握るは遠き火星の遺物!


『何事ですの!? 一体何ですのこの音は!?』

「知らないわよ、そんな事っ!」


それが語る秘密とは!?


「答えてくれ、マスター。いや――」

「――石動 惣一」


第5話 ボックスが語る秘密



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第5話A ボックスが語る秘密(前編)

現在ちょっぴりスランプ中。
どうにか今回の話が投稿出来る程度までは進められたんですが、次話はもう暫く時間が掛かるかも。
どうか気長にお付き合いを。


――イヤアァッ! イヤアアアァァァッ!!

 

 誰かの悲鳴が聞こえた。

 

――出して! ここから出して!

 

 硬質な何かを叩く音と共に、悲痛な訴えが何処かから聞こえた。

 

――アアアアァァァ! ギャアアアアァッ!

 

 また別の何処かから、獣染みた絶叫が響き渡った。

 

――ひっ! ひぃっ!

 

 そう遠くない何処かから、怯えたような引き攣った声が、鎖が擦れるような金属音に混ざって聞こえる。

 

――うふふ……はは……あははは……

 

 また別のすぐ傍から、誰かの気に触れたような乾いた笑い声が耳に入って来る。

 そして、

 

「離して! 離してぇ!!」

 

水晶の髪留めを振り回して泣き叫ぶ己の絶叫を、汚れた患者衣姿の夜宵は耳にしていた。

 

「もう嫌! ()()は嫌なの!」

 

 必死に身を捩って、自らの両隣を歩くガスマスクの男達へと夜宵は訴える。

 しかし、その声が聞こえていないのかのようにブカブカの白い防護服を纏った男達は何の反応も返さず、黒い硬質ゴム製のバンドで手首から拘束された夜宵の両腕から手を離す事も、また力任せに彼女を引き摺る事も止めない。

 

「離して! もう家に帰して! 本当に嫌なの!!」

 

 それでも、なおも諦めず夜宵は頭を振り回して拒絶の意を示す。

 耐薬ビニル製の貼り付くような床に踵を力一杯押し付けて強引に止めようとするも、それでもガスマスクの男達の歩みの勢いは落ちる事無く、むしろ二の腕を引っ張られる力が悪戯に強くなってより痛い思いをするだけだった。

 それでも良かった。こんな程度の痛みは全然マシだった。

 ()()が齎す苦痛に比べれば。

 しかし、悲しいかな。彼女の悪足掻きは何の意味も為さない。

 

「……っ!」

 

 程無くして両隣のガスマスクの男達が足を止めた時、それは夜宵の目の前に現れた。

 左右の二人と同じ防護服とガスマスクを身に着けた数名の男達。

 そして、ズラリ、と並ぶ彼らの中心に横たわる強化アクリル製の箱と、幾本かのケーブルで繋がった機材。

 もう準備の仕上がっている()()を前に、夜宵の全身は、否応なく震え上がる。

 

「ひっ……!」

 

 それでもなお逃れんがために夜宵は後退しようとしたが、両隣のガスマスクの男達がそれを許さないとばかりに彼女の両の足首を掴み上げ、その体を完全に持ち上げてしまう。

 

「いっ、嫌! 嫌っ、嫌ぁ! 止めてぇ!!」

 

 宙へ浮き上がってしまった体をバタつかせてなおも逃れようとする夜宵であったが、もはやその行為には何の意味も無い。

 釣り上げられてしまった魚よりも無力な有様を晒された彼女は、既に蓋を取り除かれていた強化アクリルの箱の中へ、それこそ魚がクーラーボックスの中へ放り込まれるように、無造作かつ乱暴に落とし入れられた。

 バシャ、と中に満たされていた透明の液体が盛大に跳ね、既に染みだらけになっていた彼女の患者衣を濡らす。冷たく染み渡るその感触が不快で、それ以上に()()が秒読みの段階である事を痛烈に報せて来る。

 ――また、あの苦痛が訪れる。

 込み上げる恐怖に突き動かされるまま、もう一度足掻こうとする夜宵へと、周囲のアクリル壁を乗り越えてガスマスクの男達の手が殺到する。バシャバシャ、と液体の飛沫が跳ね飛ぶ中、夜宵を抑え付けた男達が、アクリル箱の内部に備えられた拘束具や、外部から伸ばした呼吸器を次々に彼女の体へと付けていく。

 そうして、()()の準備を完全に終えた男達が、身動きが完全に取れなくなってもなお藻掻こうとする夜宵に構わず、蓋を箱の上に覆い被せていく。

 

「止めてっ! 止めてぇ!!」

 

 蓋が完全に閉じられた時、()()は始まる。

 もう一刻の猶予も無い夜宵は、湧き水の様に涙が湧き出る目を見開いて、必死に懇願する。むちゃくちゃに頭を振り回し、視界に映るものを次々と入れ替えながら。

 眼前に並ぶ幾つものガスマスクから、男達が並ぶ隙間から覗ける見知らぬ女達へ。自分と同じような患者衣の上から鎖で雁字搦めにされて寝かされている彼女達から、黒い正方形の板へ。

 そして、奇妙な文様が複雑に彫り込まれているその板から――。

 

『フフフフ……』

 

――隣に立つ防護服姿の何者かと何かを語らいながら彼女を眺めている、()()()()()()()()へ。

 次の瞬間、彼女を入れたアクリル箱の蓋が完全に閉じられ、

 

「イヤアアアアアァァァァッ!!」

 

辺り一面から噴き出した緑掛かったガスが、夜宵の視界一面を覆い隠した。

 

 

 

『……い…ゃん……やよ……ちゃ……夜宵ちゃん!!』

 

 ハッ、と誰かが自分の名前を叫ぶ声が聞こえて、夜宵は意識を取り戻した。

 胸を激しく上下させて荒い息を吐いた彼女は、カッ、と開いたままの目をゆっくりと声がした方へと動かした。

 

「……メイ、ジー……?」

 

『ああ、良かった。やっと起きましたのね』

 

 アップルフルボトル(メイジー)だった。

 自分の頭のすぐ横で立っていた彼女を認めた夜宵は、彼女の名を呼ぶ。

 目覚めたて故か、忙しない呼気混じりの擦れた声が唇から出ると、切迫したように見開かれていた彼女の一つ目が、安堵したような声と共に細められる。

 

『心配しましたわ。()()()()()からずっと目が覚めないと思ってたら、急に酷く魘され出すんですもの』

 

 溜息交じりにそう言うメイジーを余所に、夜宵は右手を目元に当てた。

 視界を覆い隠した掌が、水気を覚える。それが顔から噴き出た脂汗や、目尻に残っていた涙の残照だと察した彼女は、はー、と深い息を吐き出した。

 

「夢……見てたの」

 

『ん?』

 

「多分、二年前の……実験、されてた時の……ファウスト、に」

 

 多分、間違いない。

 アレは二年前の、ファウストに囚われていた一ヵ月の間に受けた仕打ちの、その一部。

 彼女の記憶の奥底に刻まれて忘れられず、されとて常に記憶の片隅に置いておくには刺激が強すぎる経験の、その一部だろう。

 それを、メイジーに起こされるまで悪夢として追体験していたのだ。

 ……ああ、思い出せる。

 直前にメイジーの声で覚醒出来たお蔭でどうにか逃れられたが、あのまま夢を見続けていた場合に自らを襲っていたであろうものを思い、震え出す自らの体を夜宵は左腕で抱き締める。

 あの緑掛かったガスが齎したであろう苦しみを。

 体中の至る場所からガスが全身の細胞の一つ一つを侵し、強制的に作り替えていくようなあの悍ましい激痛を。

 その痛みに悶え苦しむ自分をガスマスクの奴らが底が見えない真っ黒なレンズで無機質に見下ろす、あの恐ろしさを――。

 

「っ……」

 

『それは……さぞや辛かったでしょうね』

 

 震える息を吐く夜宵を労わるように、メイジーも息を吐く。

 彼女も、かつてはファウストに囚われていた身だ。

 果たしてどういう経緯でそうなったかも、囚われていた間どのような目に遭っていたかも何故か曖昧だが、一様に自らを研究対象として見るガスマスクの男達の不気味な視線は嫌という程覚えている、と以前彼女は語っていた。同じくファウストの被害者である彼女だからこそ、その同情の言葉に嘘は無い。

 そしてその言葉に小さく頷き返してから一拍置いて、ふと、夜宵は気づいた。

 今、自分が胸の上の辺りまで布団を被っている事に。

 

「ねぇ? そういえば、ここドコ?」

 

 メイジーに尋ねつつ、右手を布団の上に下ろした夜宵は再び開けた視界で辺りを見回す。

 大体6畳程の大きさの、白い壁紙が四方を覆う部屋の、大きな窓が設置された壁沿いのベッドの上に夜宵は寝かされているのだが、その部屋の内装はどうも見覚えがある。

 自分が今寝かされているこのベッドも、頭上に設置されているこの棚も、すぐ右隣りから日光が差し込むこの窓も、ベッドから見て右下斜めの部屋の隅に設置された勉強机も、その背後に位置する出入口の扉も、それこそ、有り過ぎる程に。

 この部屋、ひょっとして――。

 

『ここですか? 貴女のお部屋ですわ』

 

「やっぱり」

 

 どうも既視感が有り過ぎると思ったら、やはりというか何というか、この部屋は夜宵の自室だったようだ。

 つまり、昨日の夜の()()の後に帰宅した事になるのだが――。

 

「ちょっと待って。何で、私家にいるの? 確か、昨日の夜は――」

 

 昨日の夜の事を、額に手を当てて夜宵は思い返す。

 まず、滝川が手配した西都行きの密航船へ向かうため、戦兎と万丈と共にエリアP9の港へ向かった筈だ。

 そこで滝川と落ち合ったかと思いや、何処からともなくガーディアンやスマッシュが現れたので、彼女と万丈を先に向かわせてから戦兎と共にそいつらと戦った。その後、倒したスマッシュの片方が鍋島で、西都へ鍋島の家族を助けに行く事自体がファウストの罠であると気づいて、そして――。

 ハッ、と重大な事を思い出した夜宵は布団を跳ね除けて上半身を起こすや、引っ掴んだアップルフルボトル(メイジー)を眼前まで持ち上げ、問い質した。

 

()()()はドコ!?」

 

『あ、アイツ?』

 

「血まみれのコブラよ! いたでしょ!?」

 

 そうだ。いた筈だ。

 鍋島の家族の件が罠であると分かって、その事を万丈達に伝えようとした戦兎が急に倒れ、更に二年前にも感じた痛みの後同じように倒れてしまった夜宵とメイジーの前に、確かに現れた筈だ。

 蝙蝠男――ナイトローグがスタークと呼んでいた、あの血まみれのコブラが。

 

『ああ! あの大きなコブラさんを従えた、真っ赤な(狼さん)ですね』

 

 漸く思い出したらしいメイジーに、そう、ソイツ、と夜宵は大きく頷き返す。

 

「多分、アイツに何かされたの。それで私と戦兎さんは気を失って――」

 

 しかし、卒倒した戦兎と違い、倒れてから完全に気を失うまで夜宵は朧気だったが意識があった。

 その最中で見たのだ。

 自分の手から転がり落ちたアップルフルボトル(メイジー)を拾い上げる奴の姿を。

 だからこそ、メイジーは知っている筈だ。

 あの後、気絶して完全に無防備になっていた夜宵が、どういう経緯で自室で寝かされていたのかを。

 同じように気を失っていた戦兎はどうなってしまったのかを。

 同じ場にいた鍋島と、もう一人のスマッシュにされていた男の安否を。

 そして何より―― 一度は奴の手中に落ちて悲鳴を上げていた筈のメイジーが、どうして何事も無かったかのように自分の傍にいるのかを。

 それを知るため、眼前のメイジーを更に、鼻先が触れるか触れないというところまで近づけて夜宵は問い質そうとする。

 

「あの後、何があったの? 何で私ここにいるの! 戦兎さん達はどうしたの!?」

 

『ちょ、ちょっと落ち着いて下さい!?』

 

 「アイツはっ――あのコブラはどこへ――」

 

と、その時だ。

 不意に聞こえて来たドタドタ、と慌ただしい足音の後に出入り口の扉が開いたかと思いや、

 

「お母さん!」

 

「夜宵ちゃんっ……!」

 

そこに現れた夕昏が口元を両手で抑え、感激と安堵が籠った声を漏らす。

 突然現れるや、見る見る内に自分と同じ青み掛かった両目を潤ませる母にメイジーへの追及を止めざるを得なかった夜宵であったが、続いて襲って来た更なる驚愕に彼女は眼玉が飛び出そうになるほど目を剥かざるを得なかった。

 

「おー、元気そうじゃねぇの。その分ならもう大丈夫だな、良かった良かったぁ」

 

 体を震わせる夕昏の、その背後からひょっこり顔を覗かせて来た、(ここ)にいる筈の無いもう一人――。

 

「まっ、マスター!?」

 

「よっ」

 

 ――思わず指を差す夜宵に、いつもの陽気な態度を崩さず人懐っこい笑顔で手を振って来る、石動の姿を目にしては。

 

 

 

「いやぁ、すいませーん! 朝飯まで御馳走になっちゃってぇ」

 

 場所は移り変わり、星観家 台所。

 普段ならば自分と母以外に座る人間の居ない木製の食卓の一角、夜宵の斜め左上の席に座る薄いピンク色のYシャツに白いスラックス姿の石動が、今は食卓の上に置いている白の中折れ帽を乗せていた頭を押さえて申し訳なさそうにしている。

 そんな石動に、今の夜宵から見て正面の位置にあるシンクで使い終わった食器を洗っていたエプロン姿の夕昏が、いいえ、と肩越しに石動の方を向き、首を左右に揺らす。

 

「こちらこそ、娘がお世話になったんですもの。これぐらいさせて頂かないと」

 

「とぉんでもない! 夜宵ちゃんにはウチの店贔屓にしてもらってるし、娘や居候とも仲良くしてもらってるんです。こんなの、世話した内に入りませんよぉ!」

 

 アハハハハ、と陽気に笑いながら返す石動に、ふふ、と水気を拭き取っている最中の皿を持ったままの手を口元に寄せて夕昏も微笑み返す。

 そんな二人の姿を昨日からのパーカーにショートパンツ姿のまま、何とも言えない気分で細めた目で眺めていた夜宵だったが、再び夕昏が皿洗いに戻ったのを見計らって、石動の方をジロリ、と見遣った。

 

「で、何でマスターが(うち)にいるんですか?」

 

 そう問い掛けるや、何故か心外そうに、え゛ー、と石動が眉根を寄せた顔を向けて来る。

 

「ダメぇ? 俺がいちゃダメなのぉ? お袋さんの手料理食べちゃダメなのー?」

 

「いや、駄目じゃないけど」

 

 そうじゃなくて、と早々に崩された調子を仕切り直そうと試みる夜宵であったが、そうするよりも前に石動の方が、冗談だよ、と返してきた。

 

「昨日の夜、エリアP9の倉庫の中で倒れてたお前と戦兎を見つけて、お前の方はお袋さんに連絡して部屋まで運ばせてもらったの。で、ちゃあんとお前が復帰できてるかどうか、今朝確かめに来てたんだよ」

 

 ついでに朝飯貰えたのはラッキーだったけどねー、とほくそ笑んでそう説明する石動に、すぐさま夜宵は待ったを掛ける。

 

「見つけたって事は、マスター、あそこにいたの?」

 

「おお、いたよ。あの辺散歩してたんだよ、偶っ々なぁ。ビックリしたぜぇ、スマッシュと戦ってたんだろ? 俺が見つけた時にはそれらしい奴が()()()()お前らの傍で倒れてて、他にはスマッシュどころか人っ子一人いな――」

 

「ちょっと待って」

 

 突然語る口を遮った夜宵に、ん、と石動が首を傾げる。

 

「今、()()()()私と戦兎さんの傍にいた、って言いました?」

 

「そうだよ。お前と、戦兎と、後は()()()()()()()()()()倒れてるのを、俺は見つけたんだ。だから――俺がお前達を見つけた時、()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 石動からの思わぬ話に、夜宵は目を剥く。

 そんな筈はない。確かに、あの時鍋島は自分と戦兎の足下で気を失っていた筈だ、と。

 

「戦兎も同じ事言ってたよ。お前らが戦った()()()スマッシュの、その片方があの鍋島だったって。アイツから聞いた時は何かの見間違いだと思ってたんだが、お前までそう言い出すんなら、奴は確かにあそこにいたんだろうなぁ」

 

 言って、ふぅむ、と息を吐きながら椅子の背凭れに圧し掛かった石動が、手元の水が注がれたコップを一扇りする。

 

「だが、俺が来た時には確かに奴は居なかった。まるで、()()()()()()()()()()みたいにな」

 

「誰かに……運ばれた?」

 

 一体全体どういう事だぁ、と腕を組み、首を傾げる石動の言葉を聞いて、ふと夜宵はある可能性に気づく。

 まさか――。

 

「アイツが、鍋島を連れ去った?」

 

 ポツリ、と呟いた夜宵の言葉に、何だって、と反応した石動がすかさず顔を近づける。

 

「何だ? 心当りでもあんの?」

 

「アイツが、いたんです。あの、血まみれのコブラが」

 

「血まみれのコブラ? 二年前にお前と、お前の友達攫ったって、例の?」

 

「はい」

 

 石動に頷き返しつつ、だからか、と疑問が氷解するのを夜宵は感じていた。

 昨日の夜、自分と戦兎を気絶させたのが奴だったなら、何故無力化した自分達に手を出そうとしなかったのか不思議だった。最初から、鍋島一人の回収が目的で、だから邪魔な自分達の目を塞ぐために気絶させたのだ。

 ――いや、それならばそれで何故気絶させるに留めたのか? 一時的に気を失わせるくらいなら、結局その場で消してしまう事も出来た筈だろうに?

 新たに沸き上がった疑問に、口元に手を寄せて夜宵は首を傾げるが、その答えはすぐに判明した。

 

「そうか。ソイツの仕業だったんだなぁ、お前らに撃ち込まれてた()は」

 

「えっ、毒?」

 

 納得したように手を打ち合わせる石動の口から、何やら不穏な単語が出て来る。

 

「毒が撃ち込まれてたんだよ、お前ら。危なかったんだぜ? 俺が見つけんのがもう少し遅れてたら、二人揃って今頃あの世だ」

 

 知らぬ間に身に起きていた身の危険を知らされ、夜宵はぞっする。

 血まみれのコブラが敢えてトドメを刺していかなかった理由は判明したが、まさかそんな事態に陥っていたとは……。

 

「こうして態々確認しに来たのも、その毒の事があったからさ。万が一解毒し切れてなかったらエラい事になるからな」

 

「そうだったんですか……」

 

 どうやら、思わぬところで石動に命を助けられてしまったらしい。

 その事について礼を言えば、良いって事よ、と石動からカラカラ、と陽気な笑い声が返って来る。

 と、そこでもう一つ尋ねなければいけない事があるのを夜宵は思い出し、パーカーのポケットから取り出したアップルフルボトル(メイジー)を石動に見せた。

 

「あと、このボトルなんですけど」

 

「ああ、枕元に置いておいた奴かぁ? それがどうした?」

 

「私と戦兎さんを見つけた時、これ、どこにありました?」

 

「どこって……普通にお前らの傍に転がってたよぉ?」

 

 それを拾っただけだけど、と当たり前のように石動がそう答えるが、しかしその解答は夜宵を納得させる事無く、むしろその胸中の疑問を強くするものだった。

 意識を失う間際、血まみれのコブラがアップルフルボトル(メイジー)を手に取るのを確かに目にした。あの時、彼女が発していた絹を裂くような悲鳴とて、思い出そうと思えばすぐに思い出せる。

 しかし、この石動の返答を鵜呑みにするなら、奴はアップルフルボトル(メイジー)を回収するようなことも無く、そのままあの場に戻して、鍋島だけを回収していった事になる。これだけでも十分に奇妙な話だ。

 だが、実際の状況はそれ以上に奇妙な状態に陥っている。

 何故ならば――。

 

『ねぇ、だから言っているでしょう? 例のコブラ男は貴女と桐生 戦兎の気を失わせた後、()()()()()()()()()()()()()()()鍋島を連れ去って行ったって』

 

 ――当のメイジー自身がその場で放置されていたと語っているからだ。

 自室から食卓までの移動の間際に、当時の事を改めて問い詰めた時もそうだった。

 血まみれのコブラに触れられた事も、必死に夜宵に助けを求めていた事も、そんな事は全く無かった、とその時から彼女は言い続けている。まるで、昨晩の事を綺麗さっぱり忘れてしまったかのように。

 しかし、そんな事は有り得ない。男に触れられたという屈辱を、心から男を憎み侮蔑するメイジーが忘れる筈は無い。

 現に、夜宵と戦兎が発見した際にメイジーを回収したという石動の先程の説明については、当時の耐え難い不快感と屈辱を多分に滲ませた口調で彼女も肯定していたのだ。怨敵たるファウストの一員にされた行為など、もはや語るまでも無い。

 だのに、実際はこれだ。その上、石動が語った発見時の経緯も、結果的にメイジーの説明を肯定するものになっている。

 一体、何がどうなっているのか?

 食い違う記憶と二人の説明に、首を傾げる夜宵。

 と、その時。

 ふと、自分と石動の手元へと空のティーカップとソーサーが差し込まれるのが目に入った夜宵は、慌ててメイジーをポケットへ引っ込めつつ、それらを持つ手を追って奥の方へと視線を滑らせた。

 見れば、いつの間にか食器洗いを終えた夕昏が、ティーポットと、もう一組のティーカップとソーサーを乗せた円形のお盆を左手に彼女の席の傍に立っていた。

 夜宵に視線に気づいた夕昏が、ティーカップとソーサーを配り終えた右手を、あら、と口元に当てる。

 

「気づかれちゃったかしら?」

 

 お話の邪魔しちゃ悪いと思って、と二人に声を掛けなかった事を謝る夕昏。

 見られてはマズいと、咄嗟に彼女の目からアップルフルボトル(メイジー)を隠したが、温厚な姿勢を崩していない彼女の様子にどうやら気づかれていない――もしくは、目に入りはしたが特に気に留めていない――事を察し、ほっ、と夜宵は安堵の息を吐く。

 その傍ら、大丈夫大丈夫、と石動が笑顔を返していた。

 

「昨日の事で謝られたんで、気にすんなって言ってたトコですよぉ」

 

「ああ、昨日の」

 

 納得したように頷き返す夕昏。

 その様子を横から見ていた夜宵は、ふと気になった。――昨日の一件の事を、石動は母に何と伝えているのか?

 まさか、仮面ライダーとしてスマッシュと戦い終わった後、何者かから毒を盛られて命の危機に瀕していた、などと正直に伝えてはいないだろう。そんな事が伝わっていれば、母がこんな風に平常を保っていられる筈が無い。

 では、どんな作り話が母には伝わっているのか?

 そこはかとなく不安を覚える夜宵であったが、その答えはどこか困ったような顔で彼女の方を振り返った夕昏がすぐに教えてくれた。

 

「石動さんはこう言ってくれてるけど、もう()()()()しちゃダメからね?」

 

「えっ、私?」

 

「石動さんが連絡くれた時、恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだったんだから。“コーヒーの飲み過ぎでカフェイン中毒になって、危うく死に掛けた”なんて」

 

「……はい?」

 

「お店の迷惑にもなるんだから、もう絶対こんな事しちゃ駄目だからね?」

 

 まるでやんちゃ盛りの子供にやるように、めっ、とそう注意した後、当時の事を思い出してか、もー、と若干顔を赤らめながら夕昏が溜息を吐くが―― 一体、どこからつっこめばいいのだろう?

 “危うく死に掛けた”以外は何一つ合っていない昨日の出来事に夜宵が目を瞬かせていると、ふと、こちらを向いた石動がパクパク、と嫌に忙しなく口を動かしているのが目に留まる。

 それが、母に悟られないように口パクで何かを伝えようとしているのだと察した夜宵は、彼が言わんとしている事をその口の動きから読み取ろうと試みた。

 

(しょうがねぇだろぉ? ホントの事言うワケにいかねぇんだからー!)

 

 どうやら、これが母を誤魔化すために石動が伝えた作り話という事らしい。

 それを悟った夜宵は、成程、と納得する――事は出来なかった。

 

(だからって……いくら何でもコレは無いでしょ……)

 

 カフェインの摂り過ぎで死に掛けた、なんて代替の理由としてあまりにも馬鹿げ過ぎている。そんな事で人が死んだなど、聞いた事が無い。百歩譲ってそれがあり得るとして、そもそも飲み過ぎた事にされてるのは石動のコーヒーだ。彼には悪いが、アレは量よりもまず味で死ねる。その()()()で。

 

『お母様が人の良い方で助かりましたわね……』

 

 全く持ってメイジーの言う通りだった。

 夕昏が人一倍人を信じやすい性格だったからどうにか通っただけの、統合性もへったくれも無い作り話に、心底呆れざるを得なかった夜宵はジト目で石動を睨み付ける他無かった。

 

「それにしても、死にそうになるほど飲むなんて……。よっぽど美味しいのね、石動さんのコーヒーって」

 

「……そういう訳じゃないんだけど……」

 

 一方、石動のあんまりな作り話を信じ込んでしまっているらしい夕昏が、夜宵と石動に差し出した分と、自分の席に置いた分のティーカップに紅茶を注ぎ終えて席に着くや、そんな事を言い出す。

 見るからに興味津々とばかりに青み掛かった瞳を輝かせる母の様子に、飲んでみたいと思っているのだろう事を早々に察知した夜宵は、あんなモノを母に飲ませるワケにいかない、とどうにかそれとなく諦めさせる方法は無いか考えながら、ティーカップを口へと運ぶ。

 ――そんな調子のまま石動の方へ向き直った母が、次に放った言葉を耳にするまでは。

 

「今度お店に行っても良いですか? ()()と一緒に」

 

 無邪気に石動にそう尋ねる夕昏の声に、ピクリ、とティーカップを傾けていた手を夜宵は止めた。

 

「ご主人とですかぁ? どうぞどうぞぉ、ウチの店いっつもスカスカだからいつでも大歓迎――」

 

「止めといた方が良いよ」

 

 変わらず朗らかな笑顔で夕昏の提案に了承の意を示そうとする石動の言葉を、ソーサーの上にティーカップをやや乱暴に置きながら夜宵は遮った。

 その際、ティーカップの中にまだまだ残っていた紅茶が跳ねてテーブルを濡らしたが、敢えてそれを無視して、彼女は続けた。

 

「nascitaみたいなお店、好きじゃないと思うから。……お父さん」

 

 夕昏と石動の丸くなった目が見返して来る中そう告げた夜宵の声は、二人がそんな反応を返しても仕方ないと彼女自身が思ってしまう程に、冷たく淡白なものになっていた。

 仕方が無かった。

 父親(アイツ)の事なんて、口に出したくも無いというのが夜宵の本音なのだから。

 だから、固まってしまった空気を仕切り直すために、次の言葉を敢えてオーバーな程に明るい口調で夜宵は告げた。

 

「ねぇお母さん? 何か、お菓子とか無い?」

 

「え?」

 

「ホラ! お茶だけじゃ何か寂しいし! マスターもそう思いますよね?」

 

「んん? いや、別に俺は紅茶だけでも――」

 

「いりますよね?」

 

 遠慮しようとする石動を、微笑を浮かべつつも視線で威圧する。

 それにやや困惑しつつも、じゃー、せっかくだし、と彼が意見を変えるのに合わせ、マスターもこう言ってるし、と戸惑う夕昏の背を夜宵は後押しする。

 そうして、言われるがまま席を立った夕昏が背を向けて奥の棚の中を漁り出すのを確認した夜宵は、周りに聞かれないように小さな息を吐いて肩を落とした。

 そこへ、口を尖らせた石動が小声で問い質してくる。

 

「おいおい、どうしたんだよ夜宵? 別に良いぞぉ、俺は。お袋さんが親父さんと一緒に店に来るくら――」

 

「そんな呼び方しないで良いです」

 

 先程と同じ冷たい口調でそう言うや、ん、と疑問の声を漏らす石動から視線を外した夜宵は後方へと振り返る。

 台所と隣接するリビングの、その間の辺りにある木製の四段棚の、その上に飾られた写真立てを見遣りながら、夜宵は言葉の続きを告げる

 

()()()()なんて畏まった呼び方、しなくて良いです。あんな――」

 

 写真立てに収まっているのは何年か前に家族()()で撮った写真で、()()同じものが彼女の部屋にも飾ってある。

 ―― 一か所だけ、その写真とは違う写真が。

 その、自分の部屋にある写真と違う箇所を、軽蔑の籠った目で夜宵は睨み付けていた。

 

「――()()()()()の事なんて」

 

 今より少し若い母と、幼き日の自分と共に並んで立つ短い茶髪の男。

 彼女の部屋にある写真では黒のマジックで完全に塗り潰されている、父親の姿を。

 

 

 

<鍋島がスマッシュにされてた?>

 

「ああ」

 

 耳元に当てたビルドフォンから、万丈の驚いたような声が返って来る。

 その声に、チラリ、と背凭れにしている角柱の向こうを覗き込みながら、戦兎は頷き返す。

 

<どういう事だ? 何であの野郎が?>

 

 問い返す万丈に、昨夜の出来事を順を追って戦兎は説明する。

 万丈と紗羽を先に行かせた後に現れた2体のスマッシュの事。夜宵と共に倒したそのスマッシュ達の片方の正体が件の鍋島だった事。その後、何者かによって夜宵共々毒を盛られて気絶させられ、更には鍋島までいなくなってしまっていた事を。

 

「気を失った後の事は何も分からねぇが、多分、鍋島はファウストに回収されたんだろう。何でそんな事したかまでは分からないが――」

 

 一旦言葉を区切り、もう一度戦兎は角柱の向こうを窺う。

 角柱の向こうでは、変わらず薄緑色の作業着を上に着た男達が行き交っている。――()()()()は、まだいない。

 

「――ともかく、今回の件はファウストの罠だ。向こうもお前と紗羽さんが西都に行った事を知ってる筈だから、用心しろよ?」

 

<――分かった>

 

 緊張で強張った万丈の声が、電話口から返って来る。

 その声を合図に、彼への警告を終えた戦兎は通話を終えるため、耳元から離したビルドフォンの画面へ右手の人差し指を沿わせようとするが、

 

<おい待て!>

 

不意に万丈が張り上げた声が、その指に待ったを掛ける。

 

「何だ?」

 

 突然の彼の行動への訝しさに眉を寄せながらも、戦兎はビルドフォンを左耳へ戻す。

 

<お前、知ってたろ?>

 

「? 何を?」

 

<昨日の密航船の持ち主が、一昨日お前が助けた親子だって>

 

「――えっ?」

 

 戦兎の口から、無意識に素っ頓狂な声が漏れ出る。

 一昨日助けた親子、と言われて今の彼が思い付くのは、たった一組――スマッシュにされていた母親と、その幼い息子だが……。

 

<密航船の船頭がよ、俺達を乗せられねェとか抜かしやがったんだ。他の客の迷惑になるってよ。けど、乗せてやれって横から口出して来たんだ、その親子が。仮面ライダー(お前)に助けられたから、その恩返し代わりにってよォ>

 

「マジかぁ~……」

 

 ガーディアンの群れから逃がした後に起きていた思わぬ顛末に、戦兎は驚愕せざるを得なかった。

まさか、偶然助けた親子が巡り回って自分達の助けになろうとは……。

 全く予想だにしていなかった展開に、世間って狭いなぁ、と驚きと感心が混ざった声で戦兎は呟いた。

 すると、惚けんじゃねェ、と何故か苛ついたような声で万丈が叫び返して来る。

 

<知ってたんだろ!? あの親子の事!>

 

「はぁ?」

 

<だから一昨日も態々助けに行ったんだろ? 助けときゃ、西都行く時に役に立つからッ!>

 

 思わず上げた戦兎の間の抜けた声にも構わず、捲し立てる万丈。

 どうも誤解しているらしい彼を、落ち着きなさいよ、と電話越しに宥めてから、戦兎はその誤解の訂正を試みた。

 

「知ってるワケ無いでしょ。あの親子が、()()()()()()()()()()()()()密航船の持ち主だなんて」

 

<そんなワケ無ェ! 俺が知らねェ所で何か知る方法が――>

 

「そもそも、お前らが鍋島に連絡取って、西都へ鍋島の家族を助けに行くなんて話になってたのだって、昨日の夜まで俺は知らなかったんだぞ? 使()()()()()()()()()密航船の役に立つかどうかなんて、分かるワケ無ぇだろ」

 

 そうして、紗羽さんだってあの親子の事何も言ってなかったろ、と最後にダメ押しの一言を加えれば、もう万丈からはもう何も返って来なかった。

 それで彼が観念したと判断した戦兎は、今度こそ通話を打ち切ろうと左耳からビルドフォンを離そうとする。

 が、まだそれは叶わない。もう少しだけ。

 

<……じゃあ、何であの親子助けたんだよ?>

 

 面白く無さそうに、納得がいかないとでも言いたげに、万丈が呟く声が聞こえる。

 物事が想定通りにいかず拗ねた子供のようなその声に、ふぅ、と息を吐き、しょうがねぇなぁ、と心中で呟きながら戦兎は答えを返した。

 

「昨日の夜も言った筈だぞ? “見返りも求めたら、それはもう正義とは言わねぇ”ってよ」

 

 とその時、角柱の向こうから聞き覚えのある声が耳に入った気がした戦兎は、三度そちらを覗き込んだ。

 ――いた。

 変わらず往来する作業着姿の男達に混じり、同じ服装に眼鏡を掛けた秘書を従えて歩いて来る、灰色地に緑色の刺繍が入った詰襟制服を纏った()()()()が。

 

「漸くお出ましか」

 

<あん?>

 

「こっちの話だ、気にすんな。それより切るぞ?」

 

<おい待てェ! 話はまだ――>

 

 そう追い縋る万丈の声を無視し、画面をスワイプして通話を打ち切ったビルドフォンをトレンチコートのポケットに仕舞った戦兎は、続けて懐から白のタブレッド端末を取り出す。

 その画面に目的のデータが表示されている事を改めて確認し、角柱の――()()のメインホールに建つ柱の一本の陰から抜け出た戦兎は、前方を歩く詰襟制服の口髭を蓄えた男――東都首相補佐官にして、この“東都先端物質学研究所”の所長でもある氷室 幻徳の方へ、真っ直ぐに向かっていった。

 

 

 

「おいっ、オイッ! ――だあァッ、くっそォ! あんの野郎ォ!」

 

 場所は変わり、西都 第六地区。

 鍋島から示されたその一帯の中にある住宅街のその一角、白い煉瓦壁に左右を囲まれた路地に隠れるように停車されている白いバンの中で、一方的に通話を切られて、つーつー、というビジートーンしか鳴らなくなった白いスマホを握った万丈は怒りに吠えていた。

 着替え用に持参していた青地の背中に金の龍が刺繍されたスカジャンを纏っている彼の手が、ブルブル、と力むあまり震え、更にその中でスマホがミシミシ、と嫌な音を立てる。

 そんな彼を、ストップ、ストップ、と慌てて宥めようとする声が横から上がる。

 

「止めて止めて、落ち着いて! 私のスマホ壊れちゃう!」

 

 紗羽であった。

 昨晩から変わらない白いレディーススーツ姿の彼女が、今にも泣き出しそうに歪めた顔で、あまりの握力に悲鳴を上げている()()()スマホを握り締めている万丈の手首を両手で掴んで、必死に落ち着かせようとする。

 死刑執行を目前にして命だけはと訴える罪人のように見えなくもない有様の彼女の声に、どうにか万丈は怒りを治め、悪ィ、と借りていたスマホを差し出した。

 すかさず、万丈の掌の上からスマホを奪い取った紗羽が、お~よしよし、痛かったねぇ~、と彼に背を向けながら、シンプルなストラップが一個だけ付けられた白いボディを撫でる。

 そんな紗羽の背中を少しだけ眺めた後、もう一度、クソッ、と吐き出してから、自らが座る助手席の背凭れに万丈は乱暴に背を叩き付けた。

 

「ねぇ、言った通りだったでしょ? 戦兎君、全然知らなかったでしょ?」

 

「――ああ」

 

 まだスマホを撫で続けている紗羽に、溜息混じりの憮然とした口調で万丈は頷くが、すぐに、けどよぉ、と彼は言葉を続ける。

 

「ワケ分かんねェんだよ。マジで何も無しに人助けしただけ、なんてよォ」

 

「そんなに納得いかない? 見返り無しの正義って? 仮面ライダー(正義のヒーロー)に相応しい理由だと思うけど」

 

「そこが分からねェつってんだよ!」

 

 首を傾げて不思議そうに言う紗羽に、弾かれたように万丈は振り向く。

 

「んだよ、正義のヒーローって! 大の男がガキみてェな事言いやがって!」

 

 苛立ちが湧き出すまま、早口で万丈は捲し立てる。

 胸の内に燻る、その苛立ちの正体が何なのか分からないままに。

 ただ確かなのは。

 言葉を重ねれば重ねる程に、あの顔が浮かんで来るという事だ。

 

――クシャっとなるんだよ、俺の顔――

 

 昨日の去り際に見せられた、あの自分の正義への自信に満ちた戦兎の顔が。

 

「何が、クシャ、だッ! 自分(テメェ)の事ほっぽって他人の事優先してよォ! そんなに大事か、()()がよォ!」

 

 そこまで一通り叫んだ後、ハァハァ、と荒い息を吐く万丈。

 そんな彼に紗羽が目を点にしていたが、半開きになっていた口元が動いたかと思いや、彼女は突然笑い出した。

 

「おっ、おい何だよ? イキナリ笑ってんじゃねェ!」

 

 別段笑うところの無い大真面目な話をしていたつもりだった万丈は、当然ながら肩を震わせて心底可笑しそうに紗羽が笑う理由が全く分からない。

 訳が分からず彼が困惑していると、ごめんごめん、とまだ肩を震わせつつも紗羽が弁明してくる。

 

「別にバカにしてなんて無いよ。ただ、万丈がそんなに戦兎君の事()()してるんだなぁって思ったら、つい可笑しくなっちゃって」

 

「――は?」

 

 返って来た答えに、今度は万丈が目を点にする。

 ――嫉妬? 俺が? アイツに?

 

「何でそうなんだ!?」

 

「だって、万丈さっきから戦兎君への文句しか言ってないじゃない? ホントは羨ましいんでしょ、戦兎君の事? 認めちゃいなよ~」

 

「俺は――!」

 

 ニヤニヤ、と笑いを浮かべて両手の人差し指を、ツンツン、と突き出すジェスチャーをする紗羽に万丈は反論しようとするが、しかし返すべき言葉が全く思い付かない。

 そのまま言い淀んでいる内に二進も三進もいかない気分になって来た万丈は、クソッ、と頭を掻き毟ってそれを誤魔化そうとする。

 そんな彼の様子をまた可笑しそうに笑った後、さぁて、と運転席のドアを開いた紗羽がバンの外へと出た。

 

「そろそろ行こう。まずは鍋島の家族を助けないと」

 

「~~ッ! 分かってるよォ!」

 

 促されるまま、髪を掻き毟るのを止めた万丈も助手席を降りてバンの後部へと周り、後部扉を持ち上げた。

 運転席と助手席と、その後に一列だけ設置された席の後に広がる荷台には、今回の潜入に際してバンそのものと共に用意されていた道具が幾つか収まっている。その道具群を開け放たれた後部口から見下ろした万丈は、改めて決意する。

 

(()()が何だってんだ。最初(ハナ)っからそんなモンのために西都くんだりまで来てんじゃねェ! 俺がここにいんのは――)

 

「――俺の無実を証明するためだ……!」

 

 

 

 目的である鍋島の家族の居場所は、現在バンを停車している横道から目と鼻の先程にしか距離に建つマンションだった。

 正確には、鍋島から齎された情報を基に場所を絞ってくれた紗羽の尽力によってそこが目的地だと判明したため、付近までバンを走らせて現在に至っているのだが、ともかく、問題なのはバンから鍋島の家族までの移動手段であった。

 というのも、この第六地区だけに限らず、西都市内はその至る所に監視カメラが設置されているからだ。

 スカイウォールによって分断される前のかつての日本の政策を基に平和主義を掲げている東都に比べ、西都では若者の育成と海外との貿易に重点を置いた政策を掲げている。加えて、他国の技術や兵器を取り入れた軍備拡張も行っているという黒い噂が実しやかに囁かれているのだが、ともかくそんな外向き姿勢の影響か、西都内部の実態は東都に比べて平和的とは言い難いようだった。

 実際、ここに至るまでの道中で人を見かける事は殆ど無く、代わりに犯罪防止を呼び掛けるポスターや、長く放置されて穴が開いてしまったゴミ袋の山といった、どうも不穏な臭いを覚えるものばかりが散見された。その不穏さを抑制するため――最も、傍目にはその助長にしかなっていないが――の監視カメラなのだろうが、ともかく辺り一面に設置されているこれをどうにかしなければならない。

 そして、もう一つ問題は存在する。

 マンションの周囲を巡回するガーディアン達だ。

 こちらの動きを察知しているというファウストの差し金か、はたまた監視カメラと同様の目的で西都政府が配置した個体なのかまでは分からない。幸いにも武装は特に身に着けていないようだが、それでもこちらも無視することは出来ないだろう。

 よって、この二方向からの監視の目を、行きだけでなく、軟禁場所から連れ出した鍋島の家族を含めた帰りも含めて誤魔化す方法が必要だった。

 その内の()()の方を突破した万丈と紗羽は、目的のマンションのエレベーター内で手を打ち合わせているところだった。

 

「第一関門クリア~! あ~、ヒヤヒヤした~」

 

 両手を膝に当てて安堵の息を吐く紗羽の姿は、先程まで白いレディーススーツ姿では無く青緑色の作業着に“ベアー急便”というロゴが正面に貼り付けられた青色の作業帽を後頭部で結わえた髪の上に乗せた、配達員のものになっている。

 否、紗羽だけではない。

 人の一人二人は難なく入れられそうな大きさの、同じ社名ロゴが入った段ボール箱とそれを置く台車を挟んで紗羽の横に立つ万丈もまた、彼女と同じ配達員の姿に扮していた。

 そう、これが監視の目を潜るための方法だ。

 出入りしても怪しまれない宅急便の配達員に変装する。そして、堂々と監視カメラやガーディアン達の前に姿を晒しながら、鍋島の家族の下を目指す。

 後は鍋島の家族に、さも何か巨大で重そうな荷物が入っていそうで、実は何も入っていない段ボール箱の中に入ってもらうだけ。そして、さも荷物を返品されて泣く泣く戻るしかない配達員を装いつつ、帰りも堂々と姿を晒しながらバンへ帰還。現在も港で停泊中の密航船に鍋島の家族共々乗船し、東都へ戻る。――というのが今回の作戦の大筋である。

 

「しっかし、スゲェなァ」

 

 右手で作業帽の鍔を摘まみ上げ、万丈は感嘆の言葉を口にする。

 紗羽が用意してくれた、その変装用の装備を見上げながら。

 

「ん~? 何が~?」

 

「この服とか箱とか、あと車とかよォ。全部紗羽さんが用意したんだろ? どんだけ……あー、えっと……イネ、じゃなくて……コメ、でもなくて……えー、イユ……じゃねェよな……」

 

 西都へ行くために乗船した密航船が元々は紗羽のツテであった事、そして鍋島の家族の軟禁場所の詳細を突き止めたのもまた紗羽であった事は既出であるが、実は今回の救出作戦が決まるに当たって彼女が手配したのはそれだけでは無い。

 今二人が身に着けている配達員の服装もそうであるし、ここまでの移動に使ったバンもまたそう。即ち、ここに至るまでに必要となった道具や情報は、全てが紗羽の手引きによって集められたものであったのだ。

 その量も勿論の事だが、鍋島から情報を聞き出した昨日の夕方からまだ正午前の現在までの短時間の間に、東都から遠く離れた西都内にこれだけのものを用意したという事実もまた凄まじいという他無い。

 そんな驚くべき紗羽の手腕に称賛を送ろうとした万丈であったが、しかし、使いたい言葉が頭から出て来ない。

 仕方なく、それっぽい発音の言葉をいくつか出しては、違う、と首を振って別の言葉を探す事を繰り返していると、その様子を見かねたのか、逆に紗羽の方から助け船が出て来た。

 

「……ひょっとして、()()?」

 

「あっ、それだそれ! コネだよ、コネ! こんだけ色々集められるとか、どんだけスゲェコネ持ってんだよ!?」

 

 掌に拳を当てて大きく頷き返した万丈は、改めて今回の作戦において重大な役割を果たした紗羽の、その強力なコネクションへの称賛を口にした。

 それに対して紗羽が、ふっふっふ~、と得意げな笑みを浮かべる。

 

「私、ジャーナリストだもの。ジャーナリストにとって情報は命。色~んな情報が手に入るように、色~んな所にコネ作っておくのは基本中の基本なんだよ」

 

「へー、マジかよ」

 

「だから万丈も知りたい事があったら、遠慮無く私に相談すればいいからね」

 

 いっくらでも調べて上げるから、と胸を張る紗羽。

 そんな彼女に万丈が関心の相槌を打っていると、上昇していたエレベーターが、チン、という音を立てて動きを止めた。

 どうやら、鍋島の家族がいる階に着いたらしい。

 程無くして開くかご戸を前に、おっしゃ、と気合を入れ直した万丈は、我先にと傍らのダンボール箱と共にとエレベーターの中から出ようとする。

 その時、あっ、と紗羽が声を上げた。

 

「言い忘れてたんだけど、私達が助けに行くって事、鍋島の家族にはもう伝えてあるから」

 

「マジか? 本当にスゲェなアンタ!」

 

「訪問前にアポ取っておくのもジャーナリスト、っていうか社会人の基本だもの。それに、何の連絡も無しに、東都から遥々助けに来ました、なんて言ったって絶対誤解されるじゃない」

 

 唯でさえ指名手配犯連れてるんだし、と万丈を見ながら言った紗羽が、というわけで、と彼の方へ踏み込みながら念押しするように続ける。

 

「一応鍋島の家族には万丈が冤罪だって事も伝えてあるけど、すんなり信じてくれたかどうかは別なんだから、誤解や警戒されたりするような態度は控えてね。いい?」

 

「――んまぁ、分かったよ」

 

 紗羽の言葉に引っ掛かりを覚えるも、それを無理矢理飲み下して万丈は頷き返す。

 手配中の殺人犯という世間での扱われ方を前提にした彼女の言い分は正直面白く無かったが、これから救おうという人々に悪印象を与えるのは宜しくない、というのは分からなくも無かった。それに、今回の作戦を成功させて自分は無実だと世間に知ら占める事が出来れば、このムカツキともおさらばだ。

 ――そう、まずは鍋島の家族の救い出すのみだ。それが最優先だ。他の事は後で考えれば良い。

 だから、一度は止めた足をもう一度エレベーターの戸口の外へと突き出した万丈は、それ以降、止まることなく鍋島の家族がいる部屋まで足を進める。

 ――東都にいながら、スカイウォールで切り離された西都内にたった半日程度でバンや変装道具を用意し、更には紛いなりにもファウストの監視下にある鍋島の家族と連絡を取る。

 そんな離れ業をやり遂げてしまった紗羽のコネが、果たして、スゲェ、の一言で片づけて良いものだったのか、などいう疑問は、そんな彼の頭には一片たりとも無かった。

 

 

 

 昨日の夕方頃にその連絡を受けた時、鍋島 友恵(なべしま ともえ)は訳が分からず、困惑するしかなかった。

 何せ、連絡を寄越して来たのは全く聞き覚えの無い声の若い女で、その女が伝えて来た要件が荒唐無稽にも程があったからだ。

 誰がすんなり受け入れられるだろう、受話器を取って早々にこんな事を言われて。

 

――鍋島 正弘さんの奥さんですよね? 明日か明後日、ご家族を保護しに行きます――

 

 本来ならば、こんな電話は早々に悪戯と判断して受話器を置いていてもおかしくなかった。

 一年と少し前、突然娘を連れて西都を行くように言った後、それっきり姿を見せていない夫の名がそこに出て来なかったならば。

 時折連絡こそ入るものの、何故こんな物騒な場所に自分達だけを送り込んだのか、と問うても、俺が家族を守る、の一点張りでその真意を一切話さない。明らかに様子のおかしい最近の夫に不信感を募らせていたところで、更に夫の事を知る何者かからの電話だ。これだけの条件が揃った以上、友恵の心中が言い知れぬ不安で満たされるのは当然の事だった。

 だから、その不安の正体を確かめるためにも、通話を切るという選択を彼女は排除する他無かった。

 そして、それは正解だった。

 

「ご主人は、ファウストについて何か?」

 

「主人は、仕事の事は殆ど話さなくて……」

 

 時は移り、現在。壁に掛けた黒い丸時計が正午になった事を報せるベルを鳴らしてから、早30分。

 台所のテーブルの上に自分と娘の着替えや洗面用具、その他必要になりそうな物を並べて荷造りをしている友恵は、対面の席に座る昨日の電話の女――滝川 紗羽の質問に手を休めずに答えた。

 

「まさか、私と娘をそんな奴らの人質にされて脅迫されていたなんて夢にも思わなくって……だから、昨日の滝川さんからのお電話も、こうして貴方達が現れるまでは半信半疑だったんです」

 

 大方の状況は昨日の連絡で滝川から聞かされていた。

 夫がファウストと名乗る組織と関わりがある事。自分と娘の命をネタに脅されている事。そして――。

 

「本当、なんですよね? 夫がその、あちらの、万丈さんの()()に関わっているって」

 

――ちらり、と開かれた襖の向こうの茶の間で胡坐を掻いて、あやとりに勤しむ幼い娘――遥を眺めている青年。東都で逃亡中の殺人犯、万丈 龍我が本当は無実で、更には彼の濡れ衣について夫が関与しているという事を。

 

「万丈の恋人が言ってたそうです。――()()()()()()直前に。八百長で格闘家を止めさせられた彼のために、ご主人から仕事の紹介を受けたって。けど、その仕事で向かった先で雇ってくれる筈だった科学者が亡くなっていて、すぐに警察も踏み込んで来てそのまま――」

 

「何てこと……」

 

 だとすれば、夫は一人の無辜の人間の人生を目茶苦茶にする手伝いをさせられた事になる。例え家族を守るためだったであったとしても許されない、重い罪を犯していた事に。

 荷造りの手も思わず止めて絶句する友恵に、両手を突き出して落ち着くように滝川が宥めて来る。

 

「ご主人だって、こんな事はしたく無かった筈です。そして、ご主人も今は捕まっています。悪いのは、全部ファウストなんです。だから、奥さんが責任を感じる必要なんてありません」

 

「けれど……」

 

「それに、ご主人とは約束しているんです。奥さん達を西都から連れ出す代わりに、万丈の無実を証言する、って」

 

「え?」

 

 それは昨日の連絡では聞いていない話だった。

 反射的に顔を上げた友恵に、滝川が苦笑を浮かべる。

 

「実は、どちらかというとそっちが目的でして。えーっと、奥さんと娘さんの事はその、ついで、というか……」

 

 言い辛そうにする滝川。

 恐らく、あくまで自分達の目的こそが最優先である、という事に申し訳なさを感じているのだろう。その交換条件が無ければ、西都くんだりまで態々助けになど来ていない、と言っているようなものだから。故に、昨日の連絡でも夫との取引の事は敢えて伏せていたのだろう。

 友恵としては、別にそんな事はどうでも良かった。

 

「……大丈夫です。そんな事気にしませんから」

 

「え、でも……」

 

「結局、夫のせいで万丈さんが酷い目に遭った事は変わりません。なら、責任を取るのは当然の事です。――私達が滝川さん達に付いて行けば、夫は自由になるんですよね?」

 

「ええ。今は私達の仲間が探しているところですけど、奥さん達の無事が保証されれば、ご主人がファウストに従う理由も無くなりますから」

 

「それじゃあ――改めて、宜しくお願いします」

 

 一度言葉を切った友恵は、じっと滝川の目を見つめて、深々と頭を下げた。

 

「夫が万丈さんの無実を証言して、責任を取るために。そして、私と、娘の――遥のために」

 

 頭を下げたまま、茶の間の方に友恵は顔を向ける。

 

「てっとう、かめ、ごむ……へりこぷたー! すごい?」

 

 見れば、娘があやとりの技を無邪気に万丈に披露していた。

 机に頬杖を突いていた彼は、やった事ねェから分かんねェよ、と困ったような顔をしていたが、そんな彼に構わず娘は他の技を披露し続けている。

 そのあやとりの技が、娘が夫に見せるためにずっと練習し続けて来たものである事を友恵は知っている。度々見せてくれる技を笑顔で褒めると、無邪気に、ぱぱに、はるかちゃんえらいね、って、いっぱいいっぱい、ほめてもらうんだ、とたどたどしい口調で言う彼女の姿を、何度も見て来た。

 娘は夫に会いたがっている。それこそ、自分が彼を想う以上に、ずっと強く。

 時折寂しげな姿を見せる娘のためにも、夫に会いたい。そのためにも、

 

「私達を連れて行って下さい。東都へ――夫のところまで」

 

西都(ここ)から抜け出さなければ。

 

 

 

「でさー、今朝なんかボトルの浄化したばっかで眠いっていうのに、戦兎と一緒んなって”みーたん”無理矢理やらせるしー」

 

 所変わってnascita。

 普段から客など滅多に寄り付かず閑古鳥が鳴いてばかりの店内は今日も相変わらずの有様で、それを幸いとばかりにメインカウンター前のテーブル席で美空は対面の席の夜宵と共にショートケーキとコーヒーのティータイムを楽しんでいる最中であった。

 元々は昨日で一件から問題無く復帰した姿を見せるための顔出しと、同じ目にあった戦兎の様子見が夜宵の目的だったようだが、丁度nascitaには美空しかいなかったためそのまま二人だけの談笑が始まり、それも気づけば美空の不満披露会と化していた。

 

「眠いの我慢して一通り情報集めてやったら、今度はアイツらバイト代どころかお礼の一つも無しにさっととどっか行くし!」

 

「ハハ、大変だったね……あ、マスターは家に来てたよ?」

 

「知ってるし! 朝ごはん貰って来たんでしょ、夜宵のお母さんの、手作りの! あたしが適当に冷蔵庫漁って適当なもの食べてる間に!」

 

 言ってたし、本人が、ヘラヘラ笑いながら、と一通り愚痴を吐き出したいつもの寝間着姿の美空は、乾いた喉を潤すために手元のコーヒー ――近場の自販機で夜宵が買ってきた缶コーヒーを口に流し込む。

 口の中に広がるやたら甘味とえぐ味の自己主張が激しい味は手放しに美味いとは言い難いが、それでも随分とマシだ。

 どこかの誰かの淹れたコーヒーに比べれば。

 

「帰って来たらで帰って来たで今度は、「俺、バイト行って来るからー」! 意味分かんないし、喫茶店の店主(オーナー)がバイトって! そんな事してる暇あったらコーヒー淹れる練習しろっての!」

 

 そんなだからお店にお客さん来ないんだし、と盛大な溜息を吐き出した美空は、今度は皿の上のショートケーキの端にフォークを差し込む。

 これまた夜宵が近くのコンビニで買って来た1パック二切れ入りの安物のケーキはフォークの先を沈ませる度に乾いたスポンジの欠片が、ポロポロ、と崩れたが、そんな些細な事は気に留める事も無く、切り取った欠片を美空は口の中へ放り込んだ。

 舌の上に乗ったケーキはやはりスポンジがパサついていて食感もザラついていたが、以外にも滑らかで丁度良い甘味のクリームがそれを帳消しにする。

 存外甞めたものでは無かったコンビニのケーキに少しだけ機嫌が直った美空に、はは、と夜宵が苦笑する。

 

「美空も大変だね。いつもの事だけど」

 

「ホントだし。嫌んなるし」

 

 そう返しつつ、再びケーキの端に美空はフォークを入れる。

 そのまま新しい欠片を切り取ろうしていた彼女だったが、しかしその手を一旦止めざるを得なかった。

 ふぅ、と息を吐いた夜宵が、

 

「……でも、ちょっと羨ましいなぁ」

 

不意にそんな事を呟くのが聞こえたため、え゛え゛、と反射的に振り向かざるを得なかったために。

 

「あたしの話聞いてた? 朝っぱらから戦兎とお父さんに振り回されたって話してたよね? 特にお父さんに」

 

 それが羨ましいとは、一体どういう事か?

 困惑のあまり目を瞬かせる美空に、勿論、と夜宵が頷く。

 

「別に、振り回されるのが羨ましい訳じゃないよ。そこじゃなくて――」

 

 そこで一旦言葉を区切った夜宵が、喉を潤すためか缶コーヒーを一口呷る。

 そんな彼女の様子を眺めていた美空は、じゃあ何が羨ましいのか、と上半身を迫り出して夜宵の次の言葉を待った。

 そして続けられた夜宵の言葉に、

 

「――マスターみたいな人がお父さんで、羨ましいなぁって」

 

「は?」

 

思わず美空は間の抜けた声を上げ、目を点にした。

 散々父に振り回された事を愚痴っていたのに、更には直前に振り回されるのは自分も御免だと言っていたのに、何故ここで父の事が出て来るのか?

 大きく首を傾げる彼女に、苦笑を浮かべながら夜宵が説明する。

 

「美空は普段から一緒だから逆に分からないかもしれないけど、かなり良い人だよマスター? 誰相手でも陽気で人当たりも良いし、たった一人でこんなオシャレな喫茶店(お店)構えて、美空や戦兎さんに、今は万丈さんもだけど、皆の面倒も見てさ」

 

「そのお店は全っ然お客さん来ないし、コーヒーは不味いし、今は良く分かんないバイト行ってるけどね」

 

「あのコーヒーの味は私もちょっと致命的過ぎると思うけど……でも、そのバイトにしてもさ、結局男手一人で皆を養うためにやってる事でしょ? うちもお母さんが色んな仕事掛け持ちしてるから分かるけど、ホント大変だよ? 一人で幾つも仕事やるのって」

 

「そうなの?」

 

 胡乱気な目をしたまま美空が尋ねると、そうだよ、と夜宵が大きく頷き返す。

 

「それに、美空だってマスターの事、ちゃんと()()()()って呼んでるじゃない?」

 

「あたし?」

 

 不意に自分に話題の矛先を振られ、思わず美空は自分を指差す。

 

「え? 普通でしょ、これくらい。親子なんだし」

 

「うん、普通だよ。でもそれってつまり、美空が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って事でしょ?」

 

「ん゛ん゛?」

 

 夜宵の言わんとしている事が分からず、美空は大きく首を傾げて唸る。

 それに対し、また缶コーヒーを一呷りした後、少し俯きながら――どこか遠くを見るような眼をしながら、夜宵が言う。

 

「……親子だからって、皆が皆仲良くできる訳じゃないの。美空にはピンと来ないかもしれないけど、家族なんてそっちのけで、仕事もせずに遊び惚けてるような父親だって世の中にいるんだよ。――」

 

「?」

 

 少し暗い口調でそう語った夜宵の口が、最後に何かを付け加えるように小さく動いたのを、ふと美空の目が捉える。

 声こそ聞こえなかったが、彼女の口がこう呟いているように美空には見えた。

 ―― ……()()()みたいに……。

 “アイツ”、とは一体誰の事だろうか?

 疑問に思った美空はすぐに尋ねようとしたが、そうするよりも顔を上げた夜宵の明るい声が口からか出掛かっていた言葉を遮った。

 

「そう思ったら、普通にお父さんって呼べるマスターってやっぱり立派な人だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう思わない、美空も?」

 

 ね、と同意を求めて来る夜宵に、しかし美空は今一納得がいかず、うーん、と唸る。

 

「でもさー、結局お父さんが調子良過ぎなのは変わんないしー。あと、パスタとタコ駄目だしー。トイレのウォッシュレットも未だに怖がってるしー」

 

「いや、それくらいは許してあげようよ。誰だって苦手な物や怖い物くらいあるって」

 

「けどー……」

 

 と何かを返そうとして、しかし何も返す言葉が思い浮かばず言い淀んだ美空は、仕方なくケーキの方へとフォークを伸ばす。

 しかし、ふとそこで先程尋ねられなかった疑問があった事を思い出した美空は、ここでそれをぶつけてみる事にした。

 

「そういえばさー、さっきのって何ー?」

 

「? さっきの?」

 

「ほら、さっきのー、親と子だからって仲良く出来る訳じゃないとか何とかって時のー ――」

 

 一旦口を止め、切り取ったケーキの欠片のそこに放り込む。

 一通り咀嚼して甘さを味わってから口の中の物を嚥下した後、改めて美空は疑問を口にした。

 

「―― “アイツみたいに”って?」

 

 するとどうだろう。

 突然夜宵が大きく目を見開き、天敵の攻撃を前にした蛙のように大きく肩を跳ね上げたではないか。

 どうやら、呟きが聞かれたなどとは露ほど思っていなかったらしい。

 実際にその通り彼女の呟きそのものは聞こえておらず、偶々そんな風に見えただけの直感も同然だったのだが、この反応を見るに間違ってはいなかったようだ。

 

「な、何の事? 聞き間違いじゃない?」

 

「そんな物凄い勢いで目泳がせて言ったって説得力無いし」

 

 目だけじゃない。口の端は引き攣り、額には冷や汗が染み出している。

 いっそあからさま過ぎる程に動揺を顕わにする夜宵を、フォークを手にしたままの手で頬杖を突いて美空は疑念を込めた目で睨め付ける。

 

「何かおかしいと思ってたんだよねー、やたらお父さんの事褒めちぎるし。ねー、誰ー? アイツって?」

 

「さ、さぁ? 何の事だかさっぱり……」

 

 それでもなお、こちらが向ける視線から逃れようと目を逸らしながら惚ける夜宵であったが、しかし何となくだが“アイツ”が何者であるのか、美空は検討が付いて来た。

 ここまで夜宵は()()()()()()()()()石動を褒めて来た。そして、そんな石動と対照の存在がいる事を語っていたところで“アイツ”が出て来た。

 つまり、“アイツ”とは――。

 

「ひょっとして、アイツって夜宵のお父――」

 

「そ、そういえばさ!!」

 

 急に、夜宵が大声を上げて美空の方へ身を乗り出した。

 彼女の口から出掛かっていた答えを強引に遮るための行為だった事は明らかだったが、しかしその不意打ちをモロに食らってしまった美空は、思わず面食らって口を噤んでしまう。

 そこへすかさず、早口気味に夜宵が捲し立てて来た。

 

「今朝、”みーたん”させられたって言ってたじゃない? てことは、何か調べてたんでしょ?」

 

「ん、んまぁそうだけど――」

 

「何調べてたの? 私、凄く気になる! ねぇ、教えて? 教えて美空? ねぇ!」

 

 いつもはあまり良い顔をしない”みーたん”の話題まで引っ張り出して来るとは……。

 余程、こちらの意識を“アイツ”から逸らしたいのか。気づけば、荒くなった息が肌に触れる程に夜宵の顔面が近づいて来ていた。

 堪り兼ねた美空は、分かった、分かったし、と彼女の両肩に手を当てて押し返す。

 そうして乗り上げていた上半身をどうにか押し戻した辺りで、わーい、とワザとらしい喜びの声を上げる夜宵に、酷い疲れと呆れが込み上げるのを感じて美空は溜息を吐いた。

 

(そんなに言いたくないのかな、お父さんの事?)

 

 怒ったり、焦ったりしていて感情が昂っている時以外は大人しめな友達の意外な一面を目にして、内心美空は不思議に思っていた。

 ()()()()()()()()()()()()()父の事を、話題すらまともに上がった事も無い彼女の父と比べられて羨ましがられても、まるでピンと来ない。いや、それどころかむしろ――。

 

(あたしからしたら、夜宵の方が羨ましいんだけどなぁ)

 

 ――それこそ、()()()()で。

 

 

 

(危なかったぁ……)

 

 結局溜息を一つ吐いて、その後追究する素振りも無さそうな美空の様子に、ほっ、と夜宵は胸を撫で下ろす。

 父親(アイツ)の事なんて口に出したくも無い。

 あんな()()()()()の存在なんて周囲に知られていいものじゃない。特に、今の夜宵にとって協力者であり居場所でもある、nascitaの面々には。

 

『石動 惣一には既に知られてしまっているかもしれませんけどね』

 

 椅子の足に立て掛けていた私用の鞄の中から思考を読んだようなメイジーの声が聞こえたが、美空の手前なのでその声を敢えて無視する。

 確かに今朝のアクシデントのせいで石動に父親の事を少し知られてしまったかもしれないが――大丈夫、早々に切り上げた話題の中に出て来たのは最低限の情報だけだ。不穏な印象を抱かれてしまっているかもしれないが、もうそれは止むを得ない。何もかも知られてしまうよりはずっとマシだ。

 ふぅ、と息を吐く夜宵。

 そこへ、で、と缶コーヒーを一口飲んだ美空が不意に言った。

 

「あたしが調べてた事だよね?」

 

「――え?」

 

「ちょっと」

 

 思わず間の抜けた声が口を突いて出た夜宵に、すかさず美空が、聞きたいって言ったのそっちじゃん、と口を尖らせる。

 それで、父親(アイツ)の事への追及を躱すために自分が言った事を思い出した夜宵は、ああ、とジト目を向ける美空から視線を逸らしながら頷く。

 咄嗟に閃いた事を口走っただけだったため、正直なところ彼女が”みーたん”で集めたという情報そのものへの意識は薄かったのだ。

 すぐさま両手を合わせて、ご、ごめん、と謝る夜宵。

 それで、ったく、と鼻を鳴らすもどうにか機嫌を直してくれたのか、もう一度缶コーヒーを呷った美空が、改まったように言った。

 

「“パンドラボックス”」

 

「パンドラボックス? って、確か――スカイウォールが出来た原因の?」

 

 美空の口から出た言葉をオウム返しした夜宵は、その言葉に聞き覚えが感じて尋ね返した。

 日本を三つに分け隔てる巨大な壁、スカイウォール。そのスカイウォールが発生した、10年前のスカイウォールの惨劇の原因となったとされる物体の名前が“パンドラボックス”だった筈だ。

 確か、火星への有人探査船が持ち帰った遺物で、凄まじいエネルギーを秘めている、とかという話だったろうか? 中学生の頃だったか、それとも小学生の頃だったかは忘れたが、過去に受けた社会科の授業でそんな話があったような気がする。――程度の記憶しか夜宵の頭の中に残っていない。そのパンドラボックスがどんな見た目をしていたかに至っては、さっぱり覚えていない。

 当然、そんな物を調べさせられていたと言われても、何故、としか言いようが無いため、夜宵は肩眉を上げてみせるしかない。

 そして、その辺りは当の彼女も同じなのか、美空も目を細め、う゛ーん、と唸った。

 

「浄化で終わらせてすぐだったからあたしも良く分かんないんだけどさ、戦兎が言うには、人がスマッシュになるのは、そのパンドラボックスが関わっているからじゃないか、って」

 

「スマッシュに?」

 

「人を怪物に変えるなんて現代の科学じゃ出来ないから、なーんて言ってたけど」

 

「そうなの?」

 

「いや、あたしが知る訳無いし」

 

 眉を顰める美空に、それもそっか、と返した夜宵は、切り取ったショートケーキを口に放り込み、それを咀嚼する傍らで思案する。

 これまで仮面ライダーとして幾度となく戦ってきたため当たり前のように存在を受け入れてしまっていたが、確かに、スマッシュとは一体何なのだろう?

 人体実験をされるとスマッシュになるのは数日前に発覚した事だが、そもそも人間を変える人体実験とは何なのだろう? 一体、何が目的でそんな事をするのだろう?

 そして、そのスマッシュから取り出した成分で作り出せるフルボトルとは、一体何なのだろう?

 言われて初めて、これまで極々自然に存在を受け入れて来たそれらについて自分が何も知らない事に、夜宵は気づかされる。同時に、確かにこんな奇怪な存在を現実に成り立たせるには、パンドラボックスのような地球外の物体が必要かもしれないとも思い始める。

……あまり理数系は得意ではなく、更には、

 

()()()()()()()()……遥かお空の彼方の力ですか。うーん……一昔前まで太陽さんやお月さまの方が回っているの(天動説)がの常識だった私には何が何やら』

 

パンドラボックスどころか火星云々も関係無く、男への憎しみだけで存在し続けている非科学的な化物が身近にいるため、“言われてみればそうかもしれない”程度の意識だったが。

 

「――で、これが今朝の”みーたん”の反響」

 

 美空がタブレット端末を取り出し、少し操作した後にそれを夜宵にも見えるように机の中央に置く。

 すかさず覗き込んだ端末の液晶には、いつもの”みーたん”のネット中継のサイトと、今朝行われたという中継に対するファンからのコメントの数々が映っていた。

 

HN:燃え上がれ俺の心火 さん

コメント:今日も愛しのみーたんに捧げるぜ、俺の心火! 今度はパンドラボックスだな! よっしゃあ! 調査! 探索! 検索! ……よぅし、東都先端物質科学研究所だなぁ。行くぜお前らァ! 早速パンドラボックス調べに行くぞゴラァ!!

 

HN:黄色いフクロウ さん

コメント:カシラ、落ち着いて!

 

HN:赤いお城 さん

コメント:おいおい、どこ行く気だよカシラ!?

 

HN:青いクワガタ さん

コメント:東都に行くぅ!? 今から!? 何言ってんだよ! 許可下りるワケ無ぇだろ! あっ! おい、カシラーっ!?

 

HN:黄色いフクロウ さん

コメント:アーッ! カシラが行っちゃったーっ! 誰かー! カシラ止めてー! このままじゃカシラがまた森の中で迷子にーっ!!

 

HN:滅亡“迅”雷.com さん

コメント:アハハー、何か楽しそー! ねー、僕も混ぜてよー! ねーねー!

 

HN:誇り高き孤高のゴリラ さん

コメント:みーたんがどうなんて関係ない……! 俺はパンドラボックスの情報を探す! 俺の、ルールでええぇぇぇ!!

 

HN:警視庁秘密警察室長 アポロイタミン さん

コメント:↑7~3コメの連中は我々みーたんファンにとってとても迷惑な存在なのだ!

 

「……うわぁ……」

 

 今は投稿が止まっているコメントの、その一部から既に放たれている暑苦しさというか濃ゆさというか、ともかくあまりにもな熱気に当てられ、思わず夜宵は呻いてしまう。

 一方、特に気にした風も無い美空が端末の液晶に指を走らせ、で、とそこに別のデータを映す。

 画面より一回り小さい長方形のブラウザの中に黒丸と白い三角が組み合わさった再生マークが表示されているのを見るに、どうやら動画らしいが……。

 

「これが見つかったデータ。――スカイウォールの惨劇が起こった、その瞬間を撮った映像だって」

 

「それって、かなり凄いデータじゃないの?」

 

 スカイウォールの惨劇、及びその原因となったパンドラボックスや、パンドラボックスを持ち帰るに至ったそもそもの発端であった火星への有人探査船調査計画の詳細などの資料は、いずれも東都、北都、西都各政府の厳重な管理課に置かれており、一般向けの――それこそ教科書に乗せられる程度の上辺の――情報を除いて、閲覧は基本的に不可能となっている。

 そこに来て当時の、それも発生時の映像データだ。まごう事無き一般の閲覧が禁じられている類の重要資料であり、無許可保持が判明しようものなら最悪罪に問われかねない。そんな危険な代物を容易く放流させてしまう”みーたん”――美空の力は、果たして称賛すべきなのか、それとも恐れるべきなのか?

 ただし、ここまでの話は夜宵の知るところではない。

 スカイウォールやパンドラボックスについて調べるような気も機会も無く、故に情報規制の件など知る由も無い彼女は、ただ単に“美空達がパンドラボックスについて調べていて、何やら核心に近い情報を得たらしい”くらいにしか思っていない。

 それはさておき、続けて再生マークを美空がタッチした事で、問題の映像の再生が始まった。

 黒一色だったブラウザの中に最初に現れたのは、薄く白い雲が僅かに流れる青空と鮮やかな緑色の芝生、木々とその奥に建ち並ぶ巨大なパラボラアンテナ数台をバックに立つ、黒髪を撫で付けた壮年の男性だった。

 

<宇宙に眠る謎。人類が長年追い続けて夢見て来た、その答えに至る可能性が――>

 

 “ 火星探査機 帰還”と書かれた式典看板の下で、並べられたパイプ椅子に座る観客やカメラを向けるマスコミ達の視線を一身に受けるその男性が、どうやら当時の火星探査プロジェクトの責任者らしい。ワイシャツとネクタイの上から纏う水色と薄緑色の作業着にはネームプレートらしきものが付けられていたが、そこに書かれているであろう名前は動画の解像度の関係で読み取れない。

 

<我々“極プロジェクト”は、本日大きな成果をご報告致します>

 

 そう言った男性が左側に視線を向けるや、それを追うように映像の焦点も右側へ移動する。

 それによってブラウザのほぼ中心に現れたのは、左右に立つ警備員と周囲を覆うガラスケースによって厳重に守られた、黒色の立方体だ。

 大きさは大体30cm3程度だろうか。角が落ちて八角形になっている各面には、何やら奇妙で複雑な模様が刻み込まれている。

 ――もしかして。

 

「これが、パンドラボックス?」

 

「らしーよ」

 

 映像の中のパンドラボックスから目を離さずに尋ねたところにすぐ返って来た美空の肯定に、へー、と夜宵は頷き返す。

 しかし、そのパンドラボックスを見ている内に、ふと彼女は、あれ、と違和感を覚える。

 

「どうしたの?」

 

「これ……見た事ある気がする」

 

 こちらの様子に気づいた美空にそう返す最中にも湧き上がって来る謎の既視感に、一体どこで、と夜宵は自問する。

 

「学校の授業とかじゃないの? じゃなきゃ、10年前のニュースか何かとか」

 

「違う……と思う」

 

 そんなとうに片隅へ追いやられたような遠い記憶じゃない。

 もっと、ごく最近に。それもパンドラボックスそのものではなく、これに()()()()()を見たような気がする。

 しかし、そんな近場で見た物なら、もっと記憶がハッキリしていても良い気がするが……?

 

『今朝見た夢、じゃありませんか?』

 

 ポツリ、と足下の鞄からメイジーの声が聞こえて来る。

 そちらに夜宵が振り返ると、と自信無さげな彼女の言葉が続く。

 

『いや、当てずっぽうですよ? 貴女が夢の中で何を見たかも、今何を見てらっしゃるのかも分かりませんし。ただ、最近見たと言うんであれば、その辺りが怪しいんじゃないかと思って』

 

 そう言われてみると、確かにそんな気がして来た。

 今朝の夢――ファウストに囚われている時の記憶の中だとすれば、確かに()()()()に見た。

 加えて、今まさに人体実験に掛けられるという状況だったため、そこから逃れるために足掻いている際に偶々その()()()()()()()()()()()()を目にしたとすれば、()()()()()()()程度に記憶が曖昧なのも頷ける。

 しかし、やはりまだ確証が無い。

 せめて、実物をもう一度目にする事が出来れば、記憶も鮮明になるかもしれないのだが……。

 

<止まって下さい!>

 

 不意にタブレット端末から聞こえてきた叫び声に、我に返った夜宵はそちらへと視線を戻す。

 いつの間にやら、液晶に映る映像の中の展開は一変していた。

 突然色めき出したように席から立ち上がったり、騒ぎ始めたりしている観客達の向こうで、先程まで危なげ無く演説していた筈の責任者の男性が、演説台の陰から困惑したような顔を覗かせている。

 問題は男性の視線の先だ。

 未だ映像の中心に据えられているパンドラボックス。その両隣に先程まで不動の姿勢で立っていた筈の警備員に組み付かれるのも物ともせず、そこへ近づこうとする何者かの姿があったのだ。

 その何者かが、二人の屈強そうな警備員達を逆に押し返し、彼らが叫ぶ静止の声すら聞こえていないかのように、パンドラボックス目掛けて突き進んでいく。

 そして遂にパンドラボックスの傍まで辿り着いた何者かが、覆っていたガラスケースを取り除き、外界に晒されたボックスの天面へとその手を叩き付けた、その時だ。

 パンドラボックスが、光を放った。

 画面越しでも眩しさを感じる程に凄まじい白光に覆われた映像の中で、人々が悲鳴を上げ、逃惑う声や音が聞こえる。

 更にそれだけで終わらず、白光の中に不気味な赤い光が見えたと思った次の瞬間、ゴゴゴ、という地響きが鳴り出し、それと共に激しく揺れているかのように映像がブレ出す。

 そして――元々は三脚か何かで固定されていたビデオカメラのものだったのだろうか――倒れ込んだように焦点が急激に上へと移動したところで、動画は終了した。

 最後に、訳も分からず浮き上がった中空でジタバタ、と足掻いている人々を伴って、曇り始めた空目掛けて猛スピードで伸びていくスカイウォールを映して。

 

(これが……スカイウォールの惨劇……)

 

 最後まで動画を見切った後、夜宵は口に手を当てて絶句していた。

 10年前といえば、小学校に上がったかどうかといった頃だ。あの頃の自分はテレビといったらアニメや教育番組ばかりでニュースなんて見なかったし、今になって偶に目を通すようになった新聞も当時はテレビ欄くらいしか見なかった。そんな世間の情勢に疎かった幼い自分にとって、スカイウォールの惨劇など母が深刻な表情をしていて、釣られて訳も分からず自分も不安を覚える程度の存在でしかなかった。あの当時、まさかこんな恐ろしい出来事が起こっていたとは……。

 夢に思わなかった事態に暫し呆然としていた夜宵であったが、そこに、ふと思い出したように美空が言った。

 

「――そういえばさ、あたしも何か見覚えあるんだよね」

 

「見覚え? パンドラボックスに?」

 

「じゃなくて」

 

 もう一度、美空の人差し指がタブレット端末の画面に触れ、動画のシークバーをスライドさせる。

 そうしてブラウザ内に現れた場面の、その一部を彼女の指が指し示した。

 

「この人」

 

 そう言って美空が指し示したのは、パンドラボックスに触れ、スカイウォール発生の原因を作ったと思われる例の何者かであった。

 

「え? この人が?」

 

 聞き間違いか、と夜宵は自分の耳を疑ったが、頷き返す美空を見て間違いが無いと知り、困惑する。

 こんな一大事を引き起こした誰かと、友人にどこかで接点があったとはとても思えなかった。

 

「気のせいじゃない? 顔だって見えないし」

 

「そうなんだけど……何て言うの? 背格好? 雰囲気? ――う~ん、ハッキリ言えないけど、何か似てる気すんの。誰に似てんのかも分かんないけど」

 

 唸ったり、首を傾げたりしながら思い出そうとする美空から、もう一度タブレット端末の画像へと夜宵は視線を移動させる。

 青色の作業着姿の何者かは右側面しか見ることが出来ず、顔も深く被られた作業帽が邪魔で窺う事が出来ない。それこそ、遠目からの背格好や動画では伝わりにくい雰囲気といった曖昧な判断材料しか無く、本人が目の前にでも現れでもしない限りは見た事があるかどうかすら判別出来そうになかった。

 ふぅん、と鼻を鳴らす夜宵に、それから、と端末の画面上に人差し指を滑らせながら美空が付け加える。

 

「もう一つ気になる事あるんだよね。この動画くれた人なんだけど――ほら」

 

 美空の操作によって、画面に再び”みーたん”のサイトが表示される。

 そのコメント欄を遡り、その内一つのコメントを美空が指差す。

 

HN:ブラッディ・デスアダー さん

コメント:成程、今度はパンドラボックスかぁ。丁度良い、今面白い動画を持っててなぁ。せっかくだからコイツをくれてやるよぉ。ひょっとしたら、案外身近なところで面白いものが見つかったりしてなぁ? ハハハハ! 健闘を祈るぜ? チャオ!

 

「あれ、この人って」

 

「鍋島の連絡先教えてくれた人」

 

 頷く美空に、へー、と夜宵は感嘆する。

 

「凄い人だね。鍋島の連絡先だけじゃなくて、こんな貴重そうなデータも持ってるなんて」

 

「そうだね。おまけに、あたし達が欲しい時に気前良くくれる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何気なく言ったところに返って来た美空の言葉に、ん、と夜宵は何か引っ掛かるものを感じた。

 ――最初から用意していた?

 

「――何か、おかしくない? あたし達が知りたい情報、同じ人が2回もくれるって」

 

 どうやら、同じ引っ掛かりが美空の中にもあったらしい。

 真剣みを帯びた声色で尋ねて来る彼女に、少し思案してから夜宵は返した。

 

「偶々、って事は無い? 同じ人から情報を貰うのだって、別に初めてじゃないでしょ?」

 

「情報だけなら、ね。けど、()()()()()()()()()()ってのは初めてだし」

 

 そう言われて、夜宵は言葉に詰まる。

 昨晩の鍋島を使った罠の発端は、”みーたん”で齎された電話番号を頼りに鍋島に連絡を入れた事だった。言い換えれば、こちらが鍋島の電話番号を知り、連絡を取れたからこそ昨日の罠は成り立ったのだ。

 ならば、伝えられた電話番号そのものが罠だったという可能性は十分にある。――その点に彼女も気づいたからこそ、押し黙るしかない。

 

「――ま、本当におかしい気がするだけなんだけどね」

 

 ふ~、と美空が深い息を吐く。

 目視で分かる程にハッキリと肩の力を抜いた彼女からは先程の真剣さは既に消え、いつものアンニュイな空気が戻って来ていた。

 

「もしかしたら本当に偶然そうなったかもしんないし。助かってるのも事実だし、ファンの人疑うのもどうかと思うし」

 

 ていうか、喉乾いたし、と缶コーヒーを手に取った美空が、そのまま中に残っているコーヒーをゴクゴク、と喉を鳴らしてあっという間に飲み干してしまう。

 叩き付けられるように机に置かれた空き缶が、カン、と小気味良い音を立てた。

 

「ホラ、ケーキ食べようよ。夜宵の、全然減って無いし」

 

 続けてフォークを取り、すっかり小さくなってしまったショートケーキに突き立てた美空からそう促され、うん、と夜宵も手元のフォークを掴んでケーキへと近づける。

 タブレット端末に表示されたままだった”みーたん”のサイトに新しいコメントの通知が表示されたのは、その最中だった。

 ん、とそれに気づいた美空が口の中で咀嚼していたケーキを飲み込みながら、タブレット端末を取り上げて操作する。

 瞬間、彼女の眉が顰められた。

 

「スマッシュ現れたって」

 

 その一言に、口の傍までケーキの欠片を運んでいた腕を止め、え゛え゛、と夜宵は呻く。

 現在戦兎は外出中。そのため、この流れで行くのは必然的に彼女である。

 気は全く進まないが、止むを得ない。

 取り敢えず何処に現れたか訊こうとするが、そうするよりも前に美空がタブレット端末を突き出し、画面を見せて来る。

 そこに表示されているのは、今しがた入った新着のコメントであった。

 

HN:ブラッディ・デスアダー

コメント:エリアC4に怪物が出たってよぉ! しかも、コイツは何やら様子が変だぜ? 早く何とかしないととんでもねぇ事になっちまうかもなぁ! そうら、善は急げだ! 早いトコ行ってやれ、ヒーローさんよぉ! チャオ!

 

「例の、ブラッディ・デスアダーさんから」

 




後編へ続く


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第5話B ボックスが語る秘密(後編)

前回から随分と時間が掛かってしまいました。長らくお待たせ致しましてすいません!

次もいつ投稿出来るか分からなくて申し訳無いんですが、どうか気長にお付き合い頂けますよう、お願い致します。


 一方、西都 第六地区。

 鍋島の家族が軟禁されていたマンションのその前で今、万丈達は窮地(きゅうち)に陥っていた。

 

「早く逃げろォッ!」

 

 すぐ傍にいる、横倒しになった段ボール箱の中から這い出ようとしている鍋島親子と、しゃがんでその手助けをしている紗羽へ叫びつつ、万丈は握った拳を構える。

 前方に展開する数体のガーディアン達の、その一体が、すかさず右腕を振り上げて急接近して来る。

 それに対し、焦る事無く万丈は体に覚えさせた呼吸を行いつつ、右手の中に握り込んだ()()を振った。

 恋人――小倉 香澄の遺品とも言うべき、ドラゴンフルボトルを。

 手の動きに合わせ、中に収まったネイビーブルーのトランジェルソリッドが撹拌される。

 それによって活性化したボトルの成分が己の中に燃え上がる炎のような力を与えていくのを確かに感じた万丈は、既に目前へと迫ったガーディアンの、がら空きになっている腹部目掛けて拳を打ち込んだ。

 

「オルァアッ!」

 

 突き出した拳が、纏う制服に隠された装甲を凹ませる。

 その感触を感じた次の瞬間、拳とガーディアンの間から蒼い炎が吹き上がり、くの字に体を曲げたガーディアンを大きく吹き飛ばした。

 そのままアスファルトの地面の上に転がるガーディアンがバチバチ、とスパークを迸らせて沈黙するのを確認する間も無く、鼻で息を吸いながら万丈は右へ振り向く。

 程無くして、そちらの方から別のガーディアンが二体突進して来る。

 その内の、先行している一体が駆け込んで来た勢いを乗せて繰り出して来た拳を右の二の腕で掬い上げるように下から受け流した万丈は、すぼめた口から呼気を吐き出しつつ、そのガーディアンの顔面に左の拳を叩き込む。

 深々とガーディアンの顔面を陥没させた拳が、再び蒼い炎――ドラゴンフルボトルの成分が生み出した蒼炎を吹き上がらせた。

 それを目にして、うっしゃ、と万丈は呟く。

 昨晩の港でのガーディアンに襲われた時、偶々初めて会った時の戦兎がやっていた事を思い出して見様見真似でボトルを振って見たのが気づく切欠だったが、ドラゴンフルボトルの成分による格闘能力の強化と蒼炎の発生現象は極めて彼と相性が良い。

 ガーディアンくらいなら何も無い完全な素手でも破壊出来なくは無いが、フルボトルの力を借りての戦いはそれとは効率が段違いだ。

 

(やっぱコイツは良い! これならガーディアンなんかどんだけ来たって負けやしねェ!)

 

 続けて向かって来た後続のガーディアンが蹴りを繰り出して来たが、その一撃を敢えて万丈は腰で受ける。

 強固かつ重量のある装甲に覆われたその蹴りは、十分な力と遠心力の下に繰り出された鈍器に等しい威力がある。それをまともに食らったならば、あまりの痛みにその場で悶え出したとしてもおかしくない。()()()()()

 しかし、万丈は別だ。

 鼻で吸い、すぼめた口で吐き出すその呼吸のリズムを少し早めるだけで、既に訪れている筈の激痛を彼は一切意識する事無く、逆に腰に密着したままのその足を左手で掴んで、ガーディアンの動きを封じてしまう。

 体に覚え込ませたその呼吸――かつて格闘家を目指すに当たって習得したシステマの呼吸法(システマ・ブリージング)が、それを可能としていた。

 ロシアの軍隊格闘術が発祥であるシステマにおける()とも言えるこの呼吸は、常に自身を()()に置く事に重点が置かれている。これにより激痛という()()()()として受け入れる事で、何事も無かったかのように振舞えているのだ。

 ――最も、当の万丈自身はそんな細かいメカニズムは理解しておらず、“やってりゃ痛くねェ気がする息の仕方”程度の認識でしかないのだが。

 

「ウラァッ!」

 

 そして何事も無く、腰を捻って無理矢理地面へと引き摺り倒したガーディアンの側頭部へと右拳を振り下ろして機能を停止させるに至った万丈は、次なる相手への応戦のためにもう一度周囲を見渡そうとする。

 が、そこで思わぬ物が目に入った彼は、やべっ、と大慌てで後方へと駆け出した。

 次の瞬間、つい先程まで万丈が立っていたアスファルトの地面がポップコーンの様に弾け散った。

 数体のガーディアンが何処からともなく持ち出して来た小銃の連射による破壊だ。

 その無数の銃弾の殺到が、振り向く事無く走る万丈に、逃げる獲物向けて蛇行する蛇そのままの軌跡を描きながら追い縋る。

 そのまま、もう少しで追い付かれるというところまでガーディアン達の銃撃が迫っていた万丈であったが、どうにかアパートの入り口の左右に建つ太い角柱の片側の陰へと飛び込み、銃撃を防ぐ事に成功する。

 柱を背に荒くなっていた息を整えた万丈は、一旦そこで銃撃が止む時を窺う事にした。

 しかし、次の行動を判断するまでに時間が掛かっているのか、はたまたそうする事で彼をそこに縫い留めるのが狙いなのかは不明だったが、柱という遮蔽物によって防がれる状態になってもなお、ガーディアン達は銃撃を止めない。銃声と石が砕けるような破砕音が連鎖する度に、抉られたモルタルの欠片が霰か何かのように万丈の足下に降り注いで跳ねるのを繰り返すばかりだった。

 

「クソッ……!」

 

 このままでは、殴り合うどころか角柱の陰から出る事すら出来ない。

 埒が開かない状況に吐き捨てる万丈。

 しかし、何気なく手をやった懐にふとゴツゴツ、とした感触を感じた時、システマ・ブリージングでも抑えきれない焦りの中にあった彼の心境は一変する。

 

「――そうだ!」

 

 ハッ、とある事を思い出した万丈は、すぐさま懐を弄って取り出した()()を柱の陰からガーディアン達へ向けて突き出した。

 ――昨晩、別れ際に戦兎から渡されたドリルクラッシャーを。

 

「オラァ!」

 

 気合と共に、力む手で引き金を一引き。

 瞬時にグリップに突き刺さるようなドリルの銃身が火を噴き、一発放たれた光弾が目にも止まらない速度で、最も近い位置から小銃を撃つガーディアン――の足下を穿った。

 狙いが外れた事に小さく目を見開くも、気を取り直してもう一度万丈は引き金を引く。

 再び放たれた光弾は、狙い通りに先程と同じガーディアンの額に当たる部分に風穴を開ける――事無く、その傍を通り過ぎて何処かへ消えてしまう。

 再び外れた狙いに、舌を打ちつつも諦めず三度引き金を引く万丈。

 今度は当てやすいように同じガーディアンの胴を狙った弾丸は、三度目の正直とばかりに今度は当たった。――狙ったガーディアンではなく、その右後ろに立っていた別の個体の左肩に。

 

「んだよコレェ! 何で当たんねェんだよォ!?」

 

 怒声を発しつつ、応戦するためにドリルクラッシャーを撃ち続ける万丈。

 しかし、連射された光弾はいずれも思う通りに飛ばず、狙った個体の手前や後のアスファルトに穴を開けるか、明後日の方向へ飛んで行くか、或いは別の個体へと向かっていくかのどれかの結果に終わる。

 同じ、或いは似たような武器を使っていた戦兎や夜宵はあれだけ的確に命中させられていたのに、何故自分だけ?

 明らかにおかしい挙動を見せるドリルクラッシャーへの苛立ちから歯軋りする万丈は、無意識にグリップを握る力を強めていく。ブルブル、と小刻みに震える程に。

 実はこうして無駄に力んでしまっている事が狙いが定まらない原因なのだが、なまじ無自覚にやってしまっているために、その事に彼は全く気付かない。

 それでもシステマ・ブリージングを維持出来ていればもう少し平常を保ってもいられたのだろうが、こちらも頭では無く体で覚えてしまっている事が災いして、拳を構えて敵と相対しているワケでも無い現状ではすっかり途切れてしまっている。

 

「畜生ッ! 不良品じゃねェのかコレッ!!」

 

 遂にはドリルクラッシャーそのものを罵り出す万丈であったが、そうこうしている内に撃った光弾の半分以上が当たらない応戦はあまり意味を為せず、小銃の連射を続けるガーディアン達がジリジリ、と距離を詰めて来ている。

 盾にしている柱もネズミに齧られたチーズのように円形の欠けがそこかしこに出来上がっており、もう長くはもちそうに無い。

 このままでは――。

 

「――ああッ、クッソォ!」

 

 八方塞がりの現状に、万丈は苛立ちと焦燥の混ざった声を上げる。

 思い切ってガーディアン達の中に飛び込んで大立ち回りしたい衝動に駆られたが、そうするにも連中の銃撃がどうしても邪魔になる。

 

(ちょっとでもアイツらが撃つの止めりゃ、いくらでも突っ込んでけるのによォッ!)

 

 相も変わらずまともに当たらないドリルクラッシャー越しにガーディアン達を睨み付けつつ、起きないと分かりつつも縋るようにそんな事を考える万丈。

 その予想に反し、彼のその願いはすぐに叶えられる事となった。

 展開するガーディアン達の右奥に建ち並ぶコンクリート壁を破壊し、その勢いを衰えさせぬまま数体が反応したガーディアン達を滑り込ませたその車体で薙ぎ払った、白いバンによって。

 突然の事態に、おおっ、と驚く万丈に、すかさず開けられていたバンの助手席の窓から声が掛けられる。

 

「乗って!!」

 

 そう叫んだのは、バンの運転席に座る紗羽だった。

 良く見れば、バンの窓越しに彼女の後の席に座る鍋島親子の姿も伺える。

 そして周囲を見渡せば、バンの追突をモロに食らったガーディアン達はいずれも機能を停止しているか、大きな損傷によって立ち上がれず蠢いているかのどちらかの状態に陥っており、一体も襲って来る気配は無い。

 チャンスだ、と察した万丈は、すぐに紗羽の指示に従い、バンの助手席目掛けてボロボロの角柱の陰から飛び出した。

 

 

 

 万丈が隣に乗り込むのを確認するや、すぐに紗羽はアクセルを踏み込んだ。

 タイヤとアスファルトがこすれ合う甲高い音を立てて急発進したバンにアパートの入り口を潜らせた彼女は、そのままスピードを緩める事無く住宅街の入り組んだ細道を――時折避け切れなかった壁を砕いたり、ガードレールを大きく凹ませたりしながらも――走らせていく。

 敵があれだけとは限らない。まだ、追手が来る可能性は十分にある。

 そして、紗羽のその予感は的中する。

 住宅街を抜け、先程までよりも広さに余裕のある二車線道路へと入り込んでから暫く走ったところで、道の左側から現れてこちらを追跡する二つの影を彼女はバックミラー越しに捉えた。

 同型の黒いオートバイに跨る2体のガーディアンの姿を。

 そして、そのガーディアン達が同時に右手をハンドルから離して後腰へ回す動作を目にした紗羽は、急いで背後へ振り向き、叫んだ。

 

「伏せて!」

 

 刹那、何か小さくも固い物が叩き付けられるようなビシッ、という音と共に、バンの後部ガラスに蜘蛛の巣状の罅が入った。

 悲鳴を上げ、娘を抱き寄せて自分諸共身を屈めて中間席の陰に隠れる鍋島 友恵を、次いで罅のせいで右半分しか見えなくなってしまった後部ガラスの向こうのガーディアン達を見遣ってから、すぐに紗羽は正面へと視線を戻した。

 二体同時に引き抜き、共に右手だけで構えていた追手達の拳銃が再び放たれた事より、もう一つ蜘蛛の巣状の罅が入ったバンの後部ガラスが完全に使い物にならなくなったのは、その次の瞬間の事だった。

 再び、友恵の悲鳴が車内に響く。

 

「んの野郎ッ!」

 

 怒声を上げた万丈がドリルクラッシャー(東都を離れる間際に戦兎が持たせた武器)を取り出し、開いていた助手席の窓が身を乗り出すやそれを後方へと突き出す。

 過たずドリルクラッシャーから数発の光弾が発射されたが、しかしバンのサイドミラーに映るガーディアン達にそれらは一発も当たらず、全て通り過ぎるか道路の一部を弾き上げるだけに終わってしまう。

 

「クッソォ! やっぱ当たんねェッ!!」

 

 そう怒鳴りつつ、なおも万丈はドリルクラッシャーを撃ち続けるが、結局結果は変わらず、彼の銃撃は掠りすらしない。

 苛立ちのあまりか、遂にはドリルクラッシャーを持った右手を助手席のドアに叩き付けようとする彼の後ろ姿を横目に見ていた紗羽であったが、その最中でサイドミラー越しのガーディアン達がオートマチック拳銃を構え直すような動作を見つけた。

 その動作にヒヤリ、と悪寒が走った彼女は、慌ててハンドルを左へと切る。

 それによって押し込まれ、うおお、と驚きの声を上げる万丈を巻き込んで左へとバンが寄った次の瞬間、直前まで後輪があった辺りが飛来した銃弾に穿たれ、アスファルトの欠片を飛び散らせた。

 間一髪だ。

 ハンドルを切るのが少しでも遅れていたら、後輪が撃たれてパンクしていた。そうなっていたならもうバンを走らせることは出来ない。

 しかし、まだ安堵する事は許されない。

 もう一度、今度は右へとハンドルを切る紗羽。

 のわあああっ、と車体に引っ張られて悲鳴を上げる万丈に一拍遅れ、今度は左側の後輪を狙っていたであろう射撃が後輪のすぐ傍で弾ける。

 

「おいッ、揺らすな! これじゃ狙え――」

 

「喋んないで! 舌噛む!」

 

「うおぉおぉおぉっ!?」

 

 助手席の窓から身を引っ込めるや怒鳴る万丈に向く事無く、代わりにサイドミラーに映るガーディアン達の銃が新たな火箭を噴き出す様を見ながら叫んだ紗羽は、再びハンドルを左へと切る。

 しかし今度は間に合わず、再び車内に弾丸の命中音が響くやバンの後部ガラスが完全に砕け、尾を引くように車体から脱落した粉々の破片が通り過ぎた道路の上にばら撒かれる。

 

「ひぃっ……!」

 

「すごいすごーい!」

 

 後部ガラスが脱落する際の甲高い音に蹲ったまま身を震わせる母と、その腕の中で状況が分かっていないために場違いな声を上げて喜ぶ娘という対称な有様の鍋島親子をバックミラー越しに見ながら、弱ったなぁ、と紗羽は唇を噛む。

 罅割れによって視界を遮っていた後部ガラスが消え去り、再びバックミラー越しに後を窺う事が出来るようになった事自体は良い。だがそれは、障壁としての役目も果たしていたガラスが消えた事により、車内と追手達との間に文字通り穴が開いた事を意味している。この穴を通って銃弾が侵入しようものなら、その銃弾が車内を跳ねて飛び回って甚大な被害を齎すだろう事は想像に難くない。

 そして、それを確実に狙おうとばかりにガーディアン達が拳銃の銃口を左右に揺らし、確実な狙いをつけようとしている。

 何とかしなければ、とハンドルを左右に動かしてバンにジグザグ走行をさせる紗羽。

 だが、なまじ後部ガラスがあったスペースは相応に広いため、これでいつまで車内への侵入を防げるかは分からないし、そもそも別の致命的な場所――タイヤは勿論、燃料タンクなども――に当てられる可能性だって無い訳じゃない。

 これでは完全にジリ貧――。

 

「――万丈?」

 

 ふと、横目に見えたおかしな動作から紗羽は万丈に声を掛ける。

 その声に、左手にドリルクラッシャーのグリップを持ち替え、空いた右手で()()()()()()()()()()()()()()()万丈が、あん、と振り返る。

 

「何やってんの?」

 

 フルボトルを振れば彼の肉体が強化されるらしい事は本人から聞かされていたが、それは格闘に限った話だった筈。

 殴り合うどころか近付く事すら出来ない現状で振っても、意味なんて無い筈だが……。

 

「普通に撃ったって当たんねェんだ! だったらよォ――」

 

 十分な撹拌を終えたのか、振るのを止めたドラゴンフルボトルのキャップを回した万丈は、それをドリルクラッシャーのグリップ後部に開いたフルボトルスロットへと押し込んだ。

 

<Ready Go!>

 

「――当たるようにしてやりゃ良いじゃねェかァッ!!」

 

 ボトルの挿入に反応して電子ガイダンスを上げたドリルクラッシャーの根本のメーターが大きく振れ、その銃口の先に揺らめく蒼炎が灯る。

 すかさず、ドリルクラッシャーのグリップを両手で握り込んだ万丈がもう一度助手席の窓から身を乗り出す。それを目にした紗羽は驚きつつも彼の狙いを察し、それをサポートするために一時的にハンドルの位置を戻し、バンの向きを正面へと戻した。

 その次の瞬間、

 

<Vortex Break! Year!!>

 

「うおらああぁぁッ!!」

 

咆哮が車内に響き渡った。

 

 

 

 一方、東都。エリアC4。

 雑木林が林立する中に幾つかの遊具が設置されたこの自然公園内においても、現在戦闘が発生していた。

 建ち並ぶ遊具の輪の中で向かい合うは二つの影。

 

「ハァッ!」

 

 一つは仮面ライダーメイジー ――星観 夜宵。

 右手にメイジーシザースのナイフ側を、左手にピストル側を握った彼女は、腰から脹脛の上までを覆うスカート状の特殊繊維装甲(MSEディフェンスローブ)を翻して躍り掛かる。

 すかさず振り翳したナイフ側。

 その一撃を、針の様に鋭い両手の人差し指の爪を伸ばし、✕の字に重ねて受け止めたもう一つの影――スマッシュ。

 黒い下半身に、各部に纏った白く鋭利な形状の装甲。後頭部からは一部の先端が青みを帯びている針が幾本も伸びており、さながらハリネズミやヤマアラシの背を連想させる。更に、恐らくそこに視界が存在するのだろうスモークグレーの窓のような模様が配された顔の下、口から顎の辺りに掛けて鋭利な嘴らしき器官が垂れ下がっている。

 その嘴を、ギチギチ、と夜宵が押し込もうとするナイフ側の刃と自らの爪を競り合わせていたスマッシュが、不意に彼女の方へと向けた。

 

『夜宵ちゃん!』

 

 咄嗟のメイジーの呼び掛けに反応し、ナイフ側を持つ右手を押し込んで夜宵は身を捩る。

 刹那、スマッシュの嘴が風を切る音を伴う程の速度で伸びた。

 

「っ!」

 

 直前まで自分がいた空間を貫いた、まるで(Needle)を発射するような一撃に息を呑むも、すぐさまスマッシュの白い装甲に覆われた胴を蹴り、夜宵はその場から伸び退く。

 すかさず、ナイフ側が消えた事で自由になった両手の爪を向け、先程の嘴の様に伸ばして追い打ちを仕掛けるスマッシュ。

 猛然と迫る針のように鋭利な2本の爪を、すぐさま横に転がって回避した夜宵は、ナイフ側を握ったままの右手を地面に当てた中腰の姿勢でピストル側をスマッシュへと向け、引き金を3度引いた。

 放たれた三つの弾丸が瞬時にスマッシュの左胸、頭部、右肩に着弾し、火花を弾けさせる。

 それに怯み、爪を元の長さに縮めつつ後退するスマッシュに、その場に立ち上がった夜宵は追い打ちを掛けようと、ピストル側をもう2発撃つ。

 しかしそう上手くはいかず、ブルブル、と大きく頭を振って態勢を瞬時に立て直したスマッシュが人差し指の爪を瞬時に伸ばし、✕の字を描くように目前まで迫っていた光弾を切り払ってしまう。

 更に、続け様に先程も見せられた嘴を伸ばす攻撃が猛スピードで迫って来たが、今度は夜宵の方が逆に重ねたナイフ側の刃とピストル側の銃身でそれを受け流して防いで見せた。

 そうして、狙いの外れた嘴を元通りに縮めてから肩を怒らせ唸るスマッシュへと林檎の複眼を向け、夜宵は睨み合う。

 

『ふぅむ。初めて見るスマッシュですけど、どうやら、ああやって爪や嘴を伸ばして突き刺す攻撃がお得意なようですね』

 

 赤い一つ目を細めて分析するメイジーの言うように、夜宵にとって初めて相手するタイプのあのスマッシュは、どうやら刺突攻撃特化型の(ニードル)スマッシュらしい。

 となれば、今回の相手に対して浮かぶ疑問点がまず一つ。

 果たして、あの爪や嘴は刺突専用の武器なのか? それとも――。

 

「ガアァッ!」

 

 睨み付ける夜宵の視線の先で、ニードルスマッシュが動きを見せる。

 咆哮を上げて左右に広げた両腕――両の人差し指をこちらへと突き出すその動作が完了する前に、右斜め後方へと飛び退く。

 一拍遅れてすぐ左まで伸びて来た二本の爪を横目に見やった夜宵は、ほんの少しだけその爪を横目に観察し、そして次に取るべき行動を判断するや、ぐっ、と足に力を込める。

 それによってもう一度右斜め後方へと跳んだ彼女の眼前を、白い円弧が猛スピードで走る。

 ニードルスマッシュの爪の先端が描いた軌跡だ。

 今の一撃で判明した。この爪、そして恐らくは嘴も、刺突だけでなく斬撃もある程度行える。

 

「ガグアアアアァァァッ!!」

 

 伸びていた爪が引っ込んだと思いや、それでもなお本来よりも長い状態を維持した爪を腕ごと左右に開きながら、猛然とスマッシュが突進してくる。

 すかさずピストル側を向けて牽制の射撃を放つも、それをものともせず夜宵との距離を詰めたスマッシュが、左右からの斜め切り上げを見舞って来る。

 上半身を後に逸らしてそれを躱す夜宵であったが、続けて✕の字に重なった両腕から順に繰り出される右、左の切り下ろし。

 その一発目を身を捩ってもう一度躱し、二発目は進行方向に差し込んだナイフ側の刃で受け止めて防いだ夜宵は、この至近距離(クロスレンジ)を活かすためにピストル側の銃口をスマッシュの胴へ押し当てようとする。

 しかし、それよりも一歩早くスマッシュが顎を逸らし、嘴をこちらに向ける。

 回避すべきだと頭に過ったが、しかしもう間に合わない。

 ならば、と当初通り夜宵はピストル側を撃ち込む。

 白い装甲とピンクレッドの銃口の間で弾ける閃光。そして、間髪入れず走る衝撃と共にピンクレッドの装甲から散る火花。

 

「ぐぅ!」

 

 互いに与え合った攻撃でニードルスマッシュから離れるように吹き飛んだ夜宵は、地面を一回転して膝立ちになってから、鈍い痛みを訴える左肩の付け根の辺りを押える。

 しかし、まだだ。立ち止まっている暇は無い。

 急いで蛙のようにその場から跳んだ夜宵のいた地面を、再び伸びて来た嘴が突き穿つ。

 抉り、撥ね上げられる土の塊を視界の端に捉えつつ駆け出した夜宵を、更に2本の爪の追撃が追い掛けて来る。

 逃げる夜宵の背に迫る鋭利な二筋の白線は、彼女との間に立ち塞がる遊具やベンチ、木々を現れた片端から、まるで豆腐を包丁で切るかのように容易く切り裂いていく。

 そのあまりの切れ味に、当たり所が悪ければ自身も只では済まない事を嫌でも思い知らされた夜宵は、そうなってしまう可能性を頭から押しやりながら、爪の根本の方へと複眼を走らせた。

 その先で伸ばした両腕をこちら目掛けて振り回すニードルスマッシュの姿を捉えた夜宵は、すかさずそこへナイフ側を投擲。回転する刃がスマッシュの頭部を斬り付け、背後の爪の動きを大きくブレさせるのを確認するや、ピストル側を乱射しながら猛接近。

 良く狙いを付けていないため当たったり外れたりする光弾と、敵と定めた相手に群がる烏のように周囲を旋回しては体を斬り付けて来るナイフ側に翻弄されて、ニードルスマッシュはその場に縫い留められている。

 その目と鼻の先まで接近した夜宵は横へ突き出した右手で引き戻したナイフ側を掴み取るや、

 

「ハアァッ!」

 

力任せにニードルスマッシュを横薙ぎに一閃。盛大な火花と共に、その胸板に横一文字の深い溝を刻み込んだ。

 更に、すぐさま分離状態のメイジーシザースを放り捨てた彼女は、溜まらず後退しようとするスマッシュの両肩を掴んでその動きを止める共に、その場で跳躍。地に着けていた足の裏をスマッシュの腹の前へと移動させるや思いっきり蹴り付け、吹き飛ばしつつ自らも後へと飛び上がった。

 ともすれば、それは自殺行為とも言えた。

 何故なら、完全な空中で移動する術を夜宵は持たない。その後の軌跡はもう一度地に足を着けるまでは直前までの慣性任せだ。攻撃が来ても、大きな回避運動は取れない。

 つまりはニードルスマッシュからすれば今の彼女は大きな隙を晒しているも同然であり、同時に直前の連撃で大きく怯んではいるものの、そのチャンスを見逃すほどに態勢は崩れていない。

 すぐさま、ニードルスマッシュが反撃の一撃を突き込もうと、嘴を向けて来るが――。

 

『もう遅くってよ!』

 

 そうする頃には、空中の夜宵は既に左右に伸ばした腕の先で、擦り合わせた指先を鳴らし終えた後だった。

 つまりは――ここに至るまでにニードルスマッシュの攻撃で破壊された遊具やベンチの残骸、根から切り離されて()()()()()()()()()木々がアップルフルボトルの成分(メイジーの力)の一部を纏い、夜宵の操作によって既にニードルスマッシュ向けて動き出した後だった、という事だ。

 次の瞬間、吹き上がる猛烈な土埃が夜宵の視界を埋め尽くした。

 飛弾と化した残骸や断ち切られた木々が飛び込む轟音が幾つも重なり、絶え間なく打たれた地面が振動する。

 それが漸く途切れた数秒後、まだ振動する地面の上に危なげなく着地した夜宵は濛々と眼前を覆い尽くす土煙を見据える。

 更に十数秒の後、漸く晴れてきた土煙と地面に突き立つ残骸や枝葉が付いたままの木々の影の中で、その影はフラつきながらもまだそこに立っていた。

 煙越しの黒い像でも後頭部で逆立つ針山がハッキリと認識できる、ニードルスマッシュの影が。

 

「あんなに飛ばしたのに、まだ立ってられるなんて……」

 

『まぁ~、随分と頑丈な狼さんですこと』

 

 ありったけの飛弾を撃ち込んでやった筈なのになお立っているニードルスマッシュの予想外のタフネスにメイジー共々夜宵は嘆息するが、しかしやる事は変わらない。

 ここまで与えた傷は決して無視できるものでは無い筈だ。なら、次の一撃で今度こそ仕留める。

 その一撃の用意のために、夜宵はドライバー横のボルテックレバーへと右手を掛けようとする。

 その時だった。

 どこからともなく()()が飛来して来たのは。

 蛇が蛇行するかのようにジグザグの軌道で飛んで来たその―― 一瞬だけ、赤みを帯びた煙の塊のように見えた――()()は土煙の中に飛び込み、煙越しに見える黒い影と化す。

 そうして、動こうと藻掻いているスマッシュの黒い影と交わったかと思った次の瞬間、状況が一変した。

 未だ辺りで滞留し続けていた土煙があっという間に、逃げるように急激に掻き消されていく。

 その事に驚き頭を振っていた夜宵は不意に周囲が暗くなっている事に気づき、続けてそれが自分が巨大な影の中に入り込んでいるがためである事に気づいて、正面へと林檎の複眼を向ける。

 そして――絶句した。

 

『な、何ですの()()は……?』

 

 メイジーもまた、驚愕に一つ目を見開いている。

 当然だろう。

 彼女達の前に立つ()()は、先程までのフラ付いていた()()とはまるで違う存在へと化していたのだから。

 一体、先程までのほんの僅かな間に一体何が起こったのか?

 その疑問に対する答えはどこからも無く、ただ、()()が上げる獣のような咆哮が辺りに響き渡る。

 

「グアアアアァァァァッ!!」

 

 かつての4倍は優に超える巨体を仰け反らせて空を仰ぐ、()()()()()()()()()()咆哮が。

 

 

 

 龍が飛ぶ。

 鼻の下から後方へ流れる一対の髭を波打たせて、大きく開いた顎から蒼炎の火の粉を散らす蒼い龍が。

 そして猛然と、体をくねらせて自ら進行方向を修正した龍が林立する牙をその胴に突き立てると共に。

 迫っていたガーディアンの一体が、騎乗するバイクごと蒼炎と破片を辺りにまき散らして爆散した。

 バンの窓から身を乗り出した姿でその一部始終を見ていた万丈は、すかさず構えていたドリルクラッシャーから離した右手で拳を作って、歓喜を叫んだ。

 

「ぅおっしゃああぁぁッ! 見たかァッ! 俺の第・六・感ッ!!」

 

 戦兎から託され、間近でドリルクラッシャーを見る事が出来るようになってから、薄々思っていたのだ。グリップの後側に開け放たれたこのフルボトルスロット()にボトルを差し込めそうだ、と。

 そして、この土壇場で半ば賭けるつもりで自らのドラゴンフルボトルを差し込んでみたのだが――結果は見ての通り。通常の光弾よりも遥かに大きさも威力も強大な蒼炎の龍を撃ち出せただけに終わらず、それまで通り明後日の方向を向いていた筈のその龍は自らの判断で進路を正して見せたのだ。

 これならイケる、と右手をドリルクラッシャーのグリップへと戻した万丈は、残っているもう一体のガーディアンへとその銃口を向ける。

 が、そのまま彼が引き金を引こうとするよりも前にガーディアンが放った拳銃弾が助手席の窓枠の上側で弾け、思わず、うおっ、と万丈は怯む。

 その際に大きく射角を撥ね上げてしまった状態でドリルクラッシャーから飛び出た蒼炎の龍は先程同様に自ら体を曲げて進行方向を修正するも、修正角度が大き過ぎたせいか既にガーディアンが通り過ぎた道路の上に食らい付いてアスファルトの欠片と火の粉を散らすだけに終わってしまう。

 くそっ、と吐きつつ、もう一度狙いを定めようとする万丈。

 しかし、今度は大きく揺れたバンの車体が発射そのものを邪魔する。

 

「オイッ! 揺らすなッつったろッ!」

 

 すぐさま体を車内に引っ込め、運転席の紗羽へと万丈は怒鳴った。

 それに対し、そんな事言ったって~っ、少し泣きそうな声で返しつつも、紗羽が大きくハンドルを切る。

 それによって、進行方向に対し垂直に近い角度に大きく車体を傾けたバンの助手席側、中間席の窓に、ビシッ、という音と共に蜘蛛の巣状の罅が入る。

 先程後部ガラスに発生したのと同じ罅に、それがガーディアンの拳銃によるものだと万丈が察する間も無く、更に紗羽が叫ぶ。

 

「避けなかったら、こっちが撃たれちゃうもの!」

 

「だから俺が撃ち返してんじゃねェか! もうちょっと待ってろォッ!!」

 

「待てないから~っ!!」

 

 そんな遣り取りを互いに叫びあっている間にも、更に数発の弾丸がビシッ、ビシッ、と車体のボディ部分を叩く金属音が車内に響く。

 唯でさえ後部ガラスのあった場所は既に何も無くなっているのだ。何もしなければ、車内に入り込んだ弾丸にむざむざ撃たれるのみである。

 万丈もその事が全く分からないワケでも無かったため、紗羽の訴えに言い淀んでギリギリ、と歯軋りするしかない。

 

「~~! 次で終わらせる! もう一回だけ動くなッ!!」

 

「もう一回だけね!? 出来そうなタイミングになったら言うから、すぐ準備して!」

 

 半ば妥協する気分でそう紗羽と打ち合わせた万丈は、すぐに助手席の窓から身を乗り出し、ドリルクラッシャーを構えて準備を整える。

 後は、紗羽の合図を待つのみ。

 ジグザグに大きく揺れる車体の陰に隠れたり現れたりするガーディアンの姿を逃すまいと、度々傍を通り過ぎ去ったり車体の傍を跳ねたりする拳銃弾に肝を冷やしつつも、追える範囲で銃口を左右に揺らして逃さないようにする万丈。

 そして――その時は来た。

 

「万丈! 今ッ!」

 

 その紗羽の叫びが聞こえるのが早いか否かのタイミングで、車体の揺れが納まる。同時に、ドリルクラッシャーの照準もピタリ、とガーディアンの姿を真正面に捉えた。

 今がその時と、引き金に掛けた指に万丈は力を込めた。

 

「いっけええぇぇェッ!!」

 

 彼の叫びのまま、再び銃口から蒼炎を纏って飛び出す巨龍。

 巨大な顎を裂けんばかりに開いた龍は、進路の修正の必要も無く真っ直ぐにガーディアンへと飛び込んでいき――今、食らい付いた。

 弾ける蒼炎。吹き上がる爆炎。四散する破片。

 そして――こちらへと飛んで来るガーディアン!

 

「あ゛あ゛っ!?」

 

 その姿を捉えてギョッ、と目を剥いた時にはもう遅い。

 高く宙へ跳び上がったガーディアンは放物線を描き、見開いた目でその姿を追い掛ける万丈の頭上――バンの天井へと、盛大な音を立てて着地した。

 

「きゃああああ!?」

 

 車内から紗羽の悲鳴が聞こえる中、大慌てで万丈はドリルクラッシャーを左手に、顔と右腕を天井へと乗り上げさせる。

 視界に現れたガーディアンは、少なくとも無傷では無い。左腕は千切れて肩口から内部機構が露出しているし、それ以外にも身に纏った戦闘服は大なり小なり裂けや焦げが見られる上に、所々からスパークや白煙が上がっている。むしろ、損傷自体はかなり大きそうだった。

 しかし、手足を伸ばして天井にへばりつくその力はかなり強く、力が込められる態勢で無いとはいえ、万丈が右手を伸ばして掴み寄せようとしたり、殴り付けたりしてもガーディアンが天井から剥がれる気配は見られない。

 そんなガーディアンから万丈は何か嫌な予感が沸々と沸いて来るの感じていたが、それが間違いではないと彼は程無くして知る事になる。

 

「ね、ねぇ! ちょっと来て!」

 

「あん!?」

 

 不意に掛かって来た紗羽の呼び掛けに体を車内へ引っ込めた万丈は何事かと問い質そうとするが、それに言葉で返さず前方を指差す彼女の人差し指に、引っ張られるままに自らも顔をそちらへ向ける。

 そして、訳が分からず肩眉を上げた。

 

「んだこりゃ?」

 

 見れば、フロントガラスの上の方からはみ出ているガーディアンの、所々が凹んだり内側のケーブル等が飛び出たりしている顔面の中心に、何やらホログラフィで数字が表示されていた。

 最大四桁分表示が可能らしい横並びのその数字は、少しずつその値を変化させている。

 パッと見は何かのタイマーに見えるが、一体何の?

 

「このタイマー、残り時間がちょっとずつ減ってるみたい。ねぇ、これってひょっとして――」

 

「……おい待てよ、まさか――」

 

 深刻気に曇らせた顔を向ける紗羽に、彼女の思考が伝染したかのように最悪の考えが万丈の頭に浮かぶ。

 逃走者を追う追撃者。それが機能停止寸前まで損傷し、なお逃走を阻むために行う可能性が高い行動として思い付くのは――。

 

「「爆弾っ!?」」

 

 ――自爆。

 

「ヤベェじゃねェか! どうすんだオイっ!?」

 

「……何とか、振り解いてみる!」

 

 ガーディアンの顔面に映るホログラフィに表示されている残り時間は、もう50秒も無い。

 このままではそう間を置かず自爆に巻き込まれるかもしれないという事実に絶叫する万丈にそう返すや、すぐに紗羽がハンドルを左右に素早く振る。

 それに合わせてバンが激しく揺れるが、しかしガーディアンが天井から離れる気配は無い。

 それでも諦めずにハンドルを動かす手を紗羽は止めないが、額に汗を浮かべる彼女の表情はおよそ芳しいものとは言い難い。

 万丈もまた、助手席の窓を経由してもう一度天井へと伸ばした右腕でガーディアンを殴りつけるが、やはり力を込め辛い状況も相まってガーディアンはビクともしない。

 ならば、と左手に握ったままのドリルクラッシャーを見るが、しかしこの分では通常の光弾程度ではやはりどうしようもなく、ドラゴンフルボトルの力を乗せた蒼炎の龍(ボルテックブレイク)では逆に威力や範囲が広すぎてバンも巻き込んでしまう。

 そうこうしている内に、表示されている残り時間も30秒に達してしまう。

 もうあまり残されていない時間に焦りを感じる万丈であったが、そこでもう一度ドリルクラッシャーを目にして、ふと思い出す。

 

(そういやこれ、確か……)

 

 すぐさま車内へと引っ込んだ万丈は、最初に戦兎と出会った時の記憶を思い起こす。

 初めて見たビルドの戦闘。その最中で、ドリルクラッシャーが()()()()()使()()()()()()()を。

 

(あん時アイツ、これを剣みたいに振ってやがった。って事は……)

 

 記憶のまま、グリップに突き刺さるドリル状の銃身を掴んだ万丈は、それを思いっきり引っ張る。

 それによってすんなりとグリップから抜けたドリル部分を、続けて銃口を下にして、グリップの天面にある円筒型のジョイント部へと万丈は差し込んだ。

 そうして出来上がった、記憶に残る形状そのままのドリルの剣――ブレードモードとなったドリルクラッシャーから引き抜いたドラゴンフルボトルをもう一度右手で撹拌した万丈は、再びそれをフルボトルスロットへと差し込んだ。

 

<Ready Go!>

 

 電子ガイダンスが上がると共に、ドリルクラッシャーのドリル部分が何処からともなく沸き上がった蒼炎を纏って回転し出す。

 それを確認した万丈は、ドリルクラッシャーのグリップを両手でしっかりと握り込み、ドリル部分の先端を真っ直ぐにバンの天井へと向ける。

 狙いは、天井を挟んだ向こうに存在するガーディアンの胴。

 

「ちょ、ちょっと万丈? 何する気?」

 

 車内での一連の行動に不安を覚えたらしい紗羽が怯えたように尋ねて来るが、それを無視して万丈は深呼吸する。

 そしてしっかり狙いを定め、

 

「おらあああああぁぁぁッ!!」

 

気合の一斉と共にドリルクラッシャーを上へと突き上げ、天井を貫いた。

 そして、ドリルクラッシャーを通じて、バンの天井を形作る薄い鉄板とは別の、同等以上の硬さを持つ厚い何かを貫く手応えを確かに感じ、更に突然大きく揺れたガーディアンの頭部を目にした万丈は、続けて助手席のドアに両足で蹴り込み、一撃の下にそれを車体から脱落させる。

 傍から見れば奇行と思われても仕方ないその突然の行動に、アーッ、と悲鳴を上げる紗羽を後目に、

 

「う、お、おおおぉぉぉ……!」

 

力任せにドリルクラッシャーを引っ張り寄せ、ガリガリ、と回転する刃でバンの天井を引き裂いて行く。

 蒼炎の熱によって赤熱化した切断面を広げながら彼が向かうのは、ドアが無くなって開け放たれた助手席の入り口。

 それに追従して、フロントガラスの中央からやや助手席寄りの位置から飛び出していたガーディアンの頭部も、見る見る内に助手席の方へと移動していき、遂に――入り口の上辺をドリルクラッシャーの刃が断ち切った。

 それを目にして一旦ドリルクラッシャーを振り下ろした万丈は、同時に助手席の枠の向こうへと現れるスクラップ寸前のガーディアンに一瞥をくれる間も無く、

 

「おりゃあああああぁぁぁぁッ!!」

 

力の限りを腕に込めてドリルクラッシャーを上へと振り上げた。

 間髪入れず感じる、確かな手応え。

 引き戻した()()()()()()()()()ドリルの刃が目に入った数舜の後、助手席側のサイドミラーに映るガーディアン。

 その壊れ掛けの体が2度、3度とボールの様に跳ねながら小さくなっていったと思った次の瞬間。

 後方で巨大な爆炎が上がった。

 吹き掛かる猛烈な爆風、爆音、道路を伝って来る振動がバンへと襲い掛かり、その車体を、中の万丈達を大きく揺らす。

 そのせいで制御し切れなくなったためか、紗羽がブレーキを踏み込む。

 斜め横に傾き、タイヤがアスファルトに削られる甲高い音を立てながら激しく揺れるバンの中で、誰のものともなく悲鳴や苦悶の声が響き渡る。

 それが漸く終わった後、強く閉じていた目を開けた万丈は助手席の枠を潜り抜けてバンの外へと出た。

 そこに飛び込んで来たのは、バンの後方に広がる破壊の跡だった。

 2車線道路を丸々覆い尽くして燃える巨大な炎に、その下に散乱して炙られているアスファルトやガーディアンだったものの破片。そして、道路横に並ぶ施設の、割れた窓や拉げた壁などの間接被害。

 もし、ガーディアンの爆発に巻き込まれていたならば、きっと自分達もあの破壊に飲み込まれて粉々に四散していただろう。――そんな想像を抱かせるには十分にそれは恐ろしい光景で、だからこそ、

 

「――助かったアァ!!」

 

その破壊から逃れられた事に、万丈は心からの安堵の叫びを上げていた。

 

 

 

「くっ……!」

 

 爪が迫る。

 先程までよりも遥かに大きく、長く伸びるようになった二爪が。

 咄嗟に横へ飛び跳ねた夜宵であったが、しかし完全には避け切れず、スカート(MSEディフェンスローブ)越しにだが左の太腿の中程に爪が少し掠る。

 それによって目に見える損傷こそ発生しなかったが、しかし無視できないその鋭い痛みが証明している。その威力も、先程までよりも確実に上がっている、と。

 

『一体何が起きましたの? 何であのスマッシュさんは唐突に大きくなりましたの!?』

 

「知らないわよ、そんな事っ!」

 

 半ば狼狽えるメイジーに怒鳴りつつも、更に伸びて来る嘴を複眼の端に捉えた夜宵は、急いで取り出したビルドフォンに手早く撹拌を済ませたライオンフルボトルを差し、マシンビルダーへと変形させる。

 変形が完了するや跳び乗って急発進させたマシンビルダーの後ろで、貫かれて幹の半ばで真っ二つになった大木が、宙で一回転した後に轟音と大量の土を上げて落ちるが、それに気を取られている間は無い。

 再び襲い来る爪の刺突を背に、押し込んだアクセルを緩める事無く夜宵は左腕を突き出し、ピストル側の引き金を引く。

 銃口から飛び出た三発の光弾が速やかに宙空を突き進み、狙い通りに命中するも、しかし、着弾の証明たる火花は、今となってはあまりにも小さい。

 

「ガアアアアァァァァッ!!」

 

 かつての4倍以上と化したニードルスマッシュの、その巨体に与えられたであろう痛痒の僅かさと比例するように。

 今の夜宵の手にメイジーシザースのナイフ側は無い。既に投擲したそれはニードルスマッシュの頭部周辺をブーメランのように回転しながら飛び、斬り付けているのだが、巨大化した白い装甲にその刃が傷を刻む事は無く、弾かれ続ける一方だ。

 併せて、夜宵自身もスマッシュが移動や攻撃を繰り返す度に出来上がる遊具の残骸や断ち切られた木の幹などを飛弾として撃ち込み続けているのだが、メイジーシザースに比べて質量も大きく、時たま怯むことがあるとはいえ、こちらもダメージになっているかは微妙なところだ。

 そして、こうしている間もスマッシュの攻撃が途切れる気配は無い。むしろ、巨大化の影響で範囲や攻撃力が増した攻撃の数々は、それを捌き続ける難易度も比例して上がっている。

 認めざるを得ない。――これ以上は一人では無理だ、と。

 そう意識した夜宵の次の行動は早い。

 ピストル側を握ったままの左手をマシンビルダーのコンソールへと伸ばした彼女は、トリガーから離した人差し指で中央の液晶を器用にスワイプし、目的の画面を素早く手繰り寄せる。

 表示させたのは、戦兎の電話番号。

 すぐにそれをタッチしコールを掛ける夜宵であったが、

 

「……繋がらない……!」

 

コンソールからはプルルル、という呼び出し音が鳴るのみで、一向に戦兎に繋がる気配は無い。

 あるいはもう少し待てば繋がったかもしれないが、背後でスマッシュの爪が木々を切り倒す轟音が急き立てられている現状ではそうしていられる余裕は無い。

 止むを得ず戦兎へのコールを打ち切った夜宵は、もう一度液晶をスワイプして別の番号を表示させる。

 今度は、

 

「もしもし! 美空!」

 

美空だ。

 先程と違い、コールして早々に通話が繋がったのを確認するや、急いで夜宵はコンソール越しに美空へと叫び掛ける。

 

<んー? 夜宵ー? どーしたの慌てて? もうスマッシュ倒したー?>

 

「そのスマッシュでマズい事になってるの! お願い! すぐ戦兎さんに連絡して!」

 

<戦兎にー?>

 

「こっちから掛けてみたけど繋がらないの! 私だけじゃこのスマッシュは――」

 

『夜宵ちゃん! 前っ!』

 

 不意に、そう叫んだメイジーに引き寄せられるままに、美空との会話を中断して夜宵は正面へと振り返った。

 そして、仮面の中で目を剥いた。

 いつの間にやら、マシンビルダーの進行先の地面へと伸びていたニードルスマッシュの爪を目にした、驚愕によって。

 

「っ!?」

 

 咄嗟にブレーキを掛け、更に車体を力一杯横に傾けて止めようとしたが、もう遅い。

 ここまでの攻撃から逃れるためにアクセルを限界まで捻っていたマシンビルダーはそこまでやってもなお止まることなく、気づけば夜宵は、進行方向を塞ぐ障壁としていた爪の上に乗り上げ、それをジャンプ台にして、宙を舞っていた。

 

「――あぐっ!」

 

 ほんの少しの滞空の後、背から地面へと墜落した夜宵は体を突き抜けた衝撃に溜まらず呻き声を上げる。

 それに一歩遅れ、共に宙へ投げ出されていたマシンビルダーが墜落する凄まじい音が、彼女の視界の外の何処かから聞こえて来た。

 

『夜宵ちゃん!? 大丈夫ですの、夜宵ちゃん!?』

 

「痛っ……」

 

 まだ戦闘中だ。

 慌てて呼び掛けて来るメイジーの声に何とか返答しつつ、痛む体に鞭打って夜宵はすぐに立ち上がろうとする。

 しかし、彼女がそうするよりも先に、その視界一面を楕円に近い形をした黒い何かが覆る。

 それが何であるか、すぐに夜宵は悟った。――スマッシュの足だ。

 急いで横へと転がる夜宵。

 その数秒後、彼女がいた場所へとスマッシュの巨大な足が踏み下ろされた。

 発生した局所的な地響きに体を揺らされ、足と地面の間から噴き出た土埃をもろに浴びながらも何とか夜宵はその場に立ち上がるが、しかし再び頭上に覆い被さった影が彼女に安堵する間を与えない。

 夜宵の前後に突き立つ、ニードルスマッシュの爪。

 彼女の左右から、纏わり付くように伸ばされたそれらに身動きを封じられた夜宵は咄嗟に上を見上げ、そして気づく。

 この爪は攻撃のために伸ばされたのではない。こちらの動きを押さえ、本命――頭を上げて振り被っている、嘴の一撃を与えるための布石だ、と。

 

(ダメ……! 避けられない……!)

 

 既に敵は攻撃態勢に入っている。爪の妨害もあって、回避する時間は無い。

 されとて、点の攻撃である刺突は防御するのも難しいし、そもそも、今のニードルスマッシュ相手にそんなものは意味を為さない。

 ――万事休す。

 最早打つ手が思い浮かばず、それでも無防備に攻撃を受ける事だけは避けなければと身構える夜宵。

 その視線の先で、頭を振り被っていたニードルスマッシュが、遂に最後の一撃を加えんとその嘴を――。

 

「ギっ……!?」

 

 ――振り下ろすかと思われたその直前で、ビクリ、と固まった。

 同時に、夜宵は仮面の中で目を大きく見開いていた。

 突然のニードルスマッシュの硬直に驚いたため――だけではない。

 おそらくはその硬直の原因となった物がその場に割り込む様を、目にしたがために。

 

「あれは――」

 

 ニードルスマッシュの首の付け根の辺り。

 胴の白い装甲が覆う範囲から僅かに離れたそこに、()()があった。

 円錐形の刀身が鈍い照り返しを放つ()()は――。

 

「ドリルクラッシャー……!」

 

 ビルドの基本装備の一つ。各種フルボトルの組み合わせでその姿と力を変えるビルドにおいて、唯一どのフォームでもコンスタントに力を発揮することが出来る武器であり、同時にこの場にいない戦兎が最も扱い慣れている武器。

 そしてその武器は今、西都へと渡っている万丈の手に在る筈だ。

 それがこの場にあるという事は、つまり――。

 

「おっしゃあああぁぁッ!!」

 

 すかさず聞こえて来る、勝ち誇ったような声。

 その声に反応するままに振り返って見れば、やはりというか、そこには()がいた。

 

「万丈さん!?」

 

「どうよ! 俺の大・胸・筋ッ!!」

 

 呼び返す夜宵に見せつけるように、握った拳を掲げた左腕の力瘤の辺りを右手で押える万丈が。

 一瞬、その体から蒼い火の粉が散ったように見えた彼が良い笑顔を浮かべながら駆け寄って来るのを前に、伸びたままのニードルスマッシュの爪から離れつつ夜宵は思っていた一言を呟き返す。

 

「いや、そこ絶対違う……」

 

『上腕二頭筋ですわ』

 

「細けェ事ァ良いんだよ! んな事より、とっとと倒せ! あのデケェの!!」

 

 メイジーと共に間違いを指摘するや怒鳴ってニードルスマッシュの方を指差す万丈に、気楽に言って、と巨大化したスマッシュの厄介さを知らない彼への文句を呟きつつも夜宵もそちらの方を見遣る。

 そして、気づいた。

 何やらニードルスマッシュの様子がおかしい事に。

 

「ギッ……ギギ……」

 

 上体を仰け反らせたスマッシュは、その首を筆頭に、ガクガク、と体を揺らし、元の長さよりもまだ少し長い程度にまで爪を縮めた両手をぎこちなく動かして首の辺りを掻き毟っている。加えて、その首の周囲では何やら緑掛かった煙が立ち込めて輪を作り上げている。

 一体何が起こっているのかと凝らした夜宵の目は、スマッシュの首周りの煙の発生源が何であるかを捉えた。

 ――ドリルクラッシャーだ。

 銀色のドリルの刀身と、それが根本近くまで突き刺さっている傷口の間から、緑掛かった煙が勢い良く噴き出している。まるで、すぐには破裂しない程度に丈夫な生地で出来た風船に鋭利な針が刺さった際に、その隙間から空気が漏れ出るように。

 まさか、と夜宵はメイジーシザースのピストル側をドリルクラッシャー目掛けて撃ち込む。

 放たれた光弾が瞬時にドリルクラッシャーの柄尻に当たるが、余程深く刺さっているのかドリルクラッシャーそのものは抜けるどころか動いた様子すらない。

 しかし、手応えはあった。

 光弾が当たった直後、ドリルの刀身とスマッシュの傷口から噴き出る煙の勢いが、ほんの僅かな間だったが確かに強まった事。

 そして、その際にニードルスマッシュの動きがそうと分かる程明確に固まった事。

 この二つの事象が、ハッキリとその事実を示していた。

 ――ドリルクラッシャーが刺さっているあの傷は、巨大化して以降有効打を与える事が出来なかったニードルスマッシュに出来た()()であると。

 

「そうと分かったら――」

 

『行動あるのみ、ですわ!』

 

 すぐに夜宵は周囲を見渡し、左側の少し離れた位置に横たわっていた()()を見つけるや、すぐそちらへと駆け出す。

 突然の行動に、おいっ、と困惑したように呼び掛ける万丈の声を背に受けつつ、傍へとたどり着いた夜宵はそれ――マシンビルダーを起き上がらせるや、コンソールのタッチパネルを操作し、現在の車体のコンディションを表示させる。

 ――大丈夫だ。

 先のスマッシュの攻撃で自分共々宙を舞う事になったマシンビルダーに何かしら大きな損傷が発生していないか不安だったが、コンソールに表示されているマシンビルダーの状態は特に問題無し(オールグリーン)、走らせる上で不都合の無い状態だった。

 その事に少しだけ安堵の息を吐いた後、すぐに夜宵はマシンビルダーに跨り、エンジンを掛け直す。

 再び鈍い音と振動を上げて動き出すマシンビルダー。

 その先頭を、漸く上体の位置を戻し始めていたニードルスマッシュへと向けた夜宵はメイジーシザースのピストル側を一旦仕舞って空になった左手でハンドルを握り、一方でハンドルを握っていた右手をドライバー横のボルテックレバーに沿える。

 これで準備は整った。後は――。

 

「ギガ、ァァアアァァ!」

 

 マシンビルダーのエンジン音に反応したのか、仰け反った姿勢から態勢を戻したニードルスマッシュが右手の人差し指を突き出し、爪を伸ばす。

 しかし、万丈から受けた傷が響いているのか、その伸縮スピードは明らかに先程までよりも遅い。

 そう、攻撃が出るのを見てからでも容易く避けられるほどに。

 アクセルを捻る夜宵。

 それによって、回り出した車輪で土を蹴り上げて急発進するマシンビルダーが、夜宵に触れる直前まで伸びていた爪を難なく潜り抜ける。

 続けて伸ばされる左手の爪。

 しかし、やはり先程よりも精彩を欠いた伸び方をするそれは遅く、今度は避ける意識すらせずただ走っているだけのマシンビルダーの後方に突き刺さるだけに終わる。

 そのまま夜宵がニードルスマッシュの足下を素通りしたところで、ならば、とばかりに爪を戻したニードルスマッシュが振り返って両手の人差し指を向けつつ、更に頭を仰け反らせて嘴での攻撃態勢も取る。

 二爪と嘴による三点同時攻撃。爪が夜宵の進行方向の先を狙い、動きを止めたところで本命の嘴を確実に当てるその攻撃が、背後から急激な勢いを持って迫って来る。

 その様を肩越しに見て、夜宵は思った。

 

(ここだ!)

 

 すぐさまアクセルを緩めつつ、地面へと伸ばした片足を軸にマシンビルダーを180度ターンさせた夜宵は、すぐ背後に爪が突き立つ音を聞きながらもペダルを足場にリアシートから腰を上げ(スタンディングポジションになり)、更にハンドルからフロントフォークを、全体重を掛けて押し込んだ。

 一旦沈み込んだフロントフォークが、内部のシリンダーによって跳ね上がる。その際の反力を利用して、夜宵はハンドルを思いっきり持ち上げた。

 それによってウィリーの態勢となったマシンビルダーの、その前輪があった位置にすかさずスマッシュの嘴が突き立つのを見計らった夜宵は、その上に前輪を下ろすと共に、一気にアクセルを捻った。

 それによって、再び土を蹴り上げて走り出したマシンビルダーがスマッシュの嘴を上り坂として、猛然と駆け上がり出す。

 こちらが自分の一部を足掛けに接近して来た事に驚いたのか、嘴を戻すことも忘れて狼狽えたような素振りを見せるニードルスマッシュを後目に、夜宵はハンドルから離した右手でビルドドライバー横のボルテックレバーを握り、回した。

 

<Ready Go!>

 

 エネルギーチャージの完了を報せるドライバーの電子ガイダンスを受けた夜宵は、青白い鬼火を纏った両足をペダルからシートの上に移動させ、そのまま跳躍。中空で一回転した後、乗り手の制御から離れてなおスマッシュへと突っ込んでいくマシンビルダーを見送りながら、その進行方向から斜め右へと逸れて降下していく。

 ――ニードルスマッシュの首に突き立ったままの、ドリルクラッシャー目掛けて。

 

<Execute Finish! Yeah!!>

 

 掲げた右足が届く範囲にドリルクラッシャーの柄尻が現れ、夜宵が足を振り下ろすタイミングを見計らったかのように、ビルドドライバーの電子ガイダンスが鳴り響く。

 そして次の瞬間、鬼火を纏った踵の刃(アップルピースエッジシューズ)が轟音と青白い火の粉を上げて、柄の半ばに突き立った。

 そのまま、暫くは踵の刃との接触点から火花を散らすのみで動く気配の無かったドリルクラッシャーであったが、次第にその柄尻が下がり出し始める。

 そしてほぼ45度程度にまで柄尻が下がった次の瞬間、スマッシュの体に埋まっていたドリルの刀身がその体表を引き裂いて現れ、夜宵の足に押し下げられるままに回転しながら、スマッシュから離れる方へと飛んで行った。

 同時に、進行を阻害するものが無くなった夜宵の体も、そのまま重力と、自らの攻撃による慣性に随って地表へと降下していく。

 

「ギエエエェェェェ!!」

 

 危な気なく着地し、上方を見上げた夜宵の視界の先で、首下を押さえてニードルスマッシュが悶絶する。

 見れば、先程の一撃で広がった傷口を押さえている両手の隙間から、先程も目にした緑掛かった煙が前にも増して猛烈な勢いで漏れ出ている。

 その様が物語っていた。

 先の一撃は、これまで与えた中で最も決定的なダメージをニードルスマッシュに与えたのだ、と。

 

「ぅおっしゃあああ! 決まったァッ!!」

 

 そして同じ事を思ったからこそ、離れた場所から戦いを見ていた万丈も拳を作った腕を上げてそう吠えたのだろう。

 だが、まだ終わってはいない。

 痙攣するスマッシュの片足が、不意に持ち上げられる。

 特に焦る事無く、その場から飛び退く夜宵。それに遅れ、酷くゆっくりとした速度で踏み下ろされた足が地面を踏み鳴らす

 

『まだやる気のようですわね。しぶとい狼さんですわ』

 

「そんな気はしてたけどね!」

 

 紛いなりにも、巨大化によって通常の攻撃ではダメージが入らない程に身体能力が上がっているのだ。

 万丈とドリルクラッシャーによって漸く出来た弱点に渾身の一撃を叩き込みこそしたが、それだけではまだ終わらない可能性は十分にあった。

 ならばどうするか?

 決まっている。

 一撃で足りないのであれば――。

 

「だから、()()で終わらせる!」

 

 ――もう一撃だ。

 仕舞っていたメイジーシザースのピストル側を左手に握った夜宵は、続けて空手になっている右手で指を鳴らす。

 すかさず、回転しながら夜宵の下へと飛来してくるナイフ側。

 先程の転倒の際に念動が途切れてスマッシュの足下に落ちていたそれを、再び制御下に置いて呼び寄せた夜宵は右手で受け止め、ナイフ側とピストル側のそれぞれ半分だけのフルボトルスロットを組み合わせて、シザースモードへと合体させる。

 そして、一度MSEアブソーバーから引き抜いたアップルフルボトル(メイジー)を撹拌し直し、メイジーシザースの稼働軸部に空いたフルボトルスロットへと差し込んだ。

 それに反応したメイジーシザースが電子ガイダンスを鳴らす。

 

<Ready Go!>

 

 途端、メイジーシザースの刃から噴き出る青白い鬼火。

 どろり、としたおどろおどろしい炎は刃に纏わり付き、その延長戦へと見る見る内に揺らめく範囲を広げると共に、形を変えていく。

 そうして形成されたのは、刃渡り3m近くある巨大な鬼火の鋏刃。

 時折火の粉を散らしたり透けたりする青白いエネルギーの刃が本来の刃を覆うように伸びたメイジーシザースを、閉じた状態のまま夜宵は振り被り、跳躍。

 その首下に覆い被さるニードルスマッシュの指の隙間から覗く傷目掛け、前へと押し出した鋏刃の先端を突き込んだ。

 

「ガガ、ギイィッ!?」

 

 狙い通りに指の隙間を縫って切っ先が突き立つや、大きく仰け反るニードルスマッシュを後目に、夜宵は両手に握ったメイジーシザースの枝分かれしたグリップに力を込め、内側へと閉じていく。

 それに合わせ、開く方向に力が掛かった鋏刃がその先端でスマッシュの傷口を少しずつ押し広げていく。

 溜まらず、首下を押さえていたニードルスマッシュの両手がそれ以上開くのを防ぐために左右から鬼火の鋏刃を押さえ込もうとするが、しかし傷口から噴き出す量を増す緑掛かった煙に反比例するように、その力はどんどん弱くなっていく。

 

「狼を――」

 

 そうして、半分ほどまでグリップを閉じた夜宵は、もうニードルスマッシュがまともな抵抗が出来ない程に弱っている事を悟り、一気に残りの分を開き切る。

 

「――倒す!」

 

<Execute(エクスキュート) Break(ブレイク)! Yeah(イッ、イェーイ)!!>

 

 鬼火の鋏刃が、限界まで開く。

 それによって、突き込む前の3倍以上に押し広げられた首下の傷から、まるで断ち切られた頸動脈から溢れ出る鮮血の様に、緑掛かった煙が猛烈な勢いで噴き出す。

 それこそ、割り広げられた傷を起点に、見る見る内に全身へと罅が入っていく程の勢いで。

 そうして、その罅がニードルスマッシュの全身を、白い装甲も黒い箇所も無差別にほぼ全てを覆い尽くした時。

 罅から湧き出た緑色の爆炎が、轟音を上げてスマッシュの巨体を飲み込んだ。

 

 

 

 時と時間は移り、午後4時。nascita、地下室。

 店の冷蔵庫と地下室の繋ぐ階段を抜けてすぐの煉瓦の壁の部屋の、フルボトル浄化装置が設置されている部屋とを隔てる壁の隅で、夜宵はそこに設置された椅子の上で体育座りしている美空の話に耳を傾けているところだった。

 

「――ってワケで、結局は戦兎とは連絡付かず仕舞いだったから、しょうがないから万丈に行くように言ったワケ。もー、ホント心配したんだから。いっきなり電話かかって来たと思ったら、いっきなり事故ったみたいなでっかい音鳴って通話切れるし」

 

 美空の説明を要約すると、先のニードルスマッシュとの戦闘で連絡を取った際、夜宵からの通話が途中で切れた事に驚いた彼女は、慌てて指示した通りに戦兎へと連絡。しかし、夜宵が掛けた時同様、彼は電話に応答しなかった。

 そういうワケでどうしたものかと右往左往していたところに、偶々東都へと帰還した万丈からの連絡が入ったため、これ幸いとばかりにエリアC4の戦場へと向かわせた、というのが、あの場に万丈が現れるまでの顛末だという事だった。

 その説明を聞いて、そうだったんだ、と夜宵が相槌を返していたところ、彼女の後方、向かい側の壁に背を預けて床に座っていた万丈が、美空を睨みつけて文句を言った。

 

「だからって俺に振るんじゃねェよ! こちとら、西都で一仕事終えてクタクタだっつゥの!」

 

「仕方ないじゃん! 戦兎どころか、お父さんもバイトで電話出ないし。あたしじゃスマッシュと戦うとかムリだし」

 

 文句はアイツらに言ってよ、と唇を尖らせて、美空も万丈を睨み返す。

 そんな二人を、まぁまぁ、と宥めながら夜宵は交互に見やった。

 

「美空のお蔭で万丈さんは来てくれたし、万丈さんのお蔭でスマッシュも倒せたワケだし、今回は二人がいてくれたから何とかなったよ。二人とも、本当にありがとう」

 

「別にそんな畏まんなくたっていいし」

 

 友達助けるなんて当たり前じゃん、と夜宵の感謝の言葉に笑顔を返す美空。

 万丈もまた、ま、良いけどよ、と美空程あからさまではないが毒気を抜かれたような笑いを返し、次いで左側へと顔を向けて、こう言った

 

「これで、人殺し呼ばわりも終わりだしなァ」

 

 歯を剥いたより強い笑いを顔に浮かべる彼の視線の先にあるのは、今の夜宵と美空がいる位置から対角の場所に設置されたベッドだ。

 部屋隅に置かれた机に並んで設置されているそれの上で、今、ある人物が寝かされていた。

 禿げ上がった頭が特徴的な強面のその男は――鍋島だ。

 

「まさか、あのデケェスマッシュの正体がコイツだったなんてな」

 

 万丈の言う通り、先の戦闘で夜宵が戦ったあのニードルスマッシュに変えられていたのは、鍋島だった。

 昨晩スマッシュとして差し向けられた男が、また別のスマッシュとして自分達の前に現れたという事実だけでも驚くべきものだったが、ともかく相手が相手だったため、いつものように救急車を呼ばず、nascitaへと運び込んだのだ。

 そのまま、意識を失っていた事もあって今はベッドに寝かせているのだが、何はともあれ、自身の無実を証言出来る唯一の人間を確保出来た事もあって、万丈は喜々とした表情を浮かべ、分かりやすい程に鍋島が目覚めるのを待ち遠しそうにしていた。

 その一方で、そんな万丈と目を閉じたままの鍋島を見る夜宵の内には引っ掛かるものがあった。

 

(何で、また鍋島をスマッシュにしたんだろう?)

 

 昨晩、鍋島を連れ去ったのが何のためだったのかを考えた時、真っ先に思いつくのは万丈の無実を証言させないためだ。そうする事に何のメリットがあるのかはファウストのみぞ知る事だが、もう一人のスマッシュだった人物が手付かずだったのもそう考えれば納得がいく。一人だけ置いて行く理由も必要性も無いのだから。

 だからこそ、態々こちらの隙を突いてまで回収した鍋島を、倒されれば今度こそ確保される危険のあるスマッシュへともう一度変えてぶつけた、その理由が分からない。

 こちらを倒せる算段が十分にあったのだろうか?

 確かに、あの謎の巨大化現象には面食らったし、万丈があの場に辿り着かなければ――もっと言えば、ボトルを撹拌しただけで巨大化したスマッシュに弱点を作り出す程の馬鹿力を彼が発揮出来ていなければ、恐らく夜宵は負けていた。特に後半の馬鹿力の下りは、彼女や戦兎が同じ事をしたところで同じ結果はまず見込めないため、ファウストの側にしても全く予想外だった可能性も無くはないかもしれない。

 しかし、こうして戦い終えた後だからこそ、夜宵はこうも思う。――巨大化した後のスマッシュは、自分一人だったからああも苦戦した、と。

 あの場に現れたのが、当初呼ぼうとした戦兎だったとしても、形勢は逆転出来ていた。というか、恐らく彼が協力してくれた方があの場は劇的に変わっていたようにも思う。一番仮面ライダーとして経験が豊富な戦兎と、ボトルの交換で常に最善の能力を得られるビルドの組み合わせは、ライダーですらない万丈の馬鹿力(一芸)とはあらゆる面で比較にならない。

 そして、そちらの可能性については流石にファウストも想定外という事はないだろう。

 だのに、実際に当てて来たのは二人掛かりなら何とでも出来た程度の巨大化スマッシュのみ。

 それが不可思議で、その不可思議さが言い知れぬ不安を夜宵の内に抱かせていた。

 万丈が期待の籠った目で、まだかまだか、と鍋島に目を遣る様を見せられる度に強くなる不安を。

 

「……んん……」

 

 ふと、呻くような声が聞こえた。

 それに反応した夜宵は、美空と万丈と共に視線をベッドへと向けた。

 その視線が、被っていた白い布団を押し退けて上半身を起こした鍋島の姿を捉え、そして心なしか、左右に泳ぐその瞳に夜宵は違和感を覚える。

 突然現れた自分達に警戒を抱いているのかと一瞬思ったが、それとはまた違うような、困惑の色を浮かべたその瞳に。

 

「やっと目ェ覚めたかァ」

 

 一方、夜宵のような引っ掛かりなど特に感じていない様子の万丈がユラリ、と立ち上がり、ベッドから降りようとする鍋島へと詰め寄る。

 

「こっちはテメェの家族助けてやったぞ。今度はテメェの番だ。約束通り、俺の無実を証言しやがれッ、鍋島ァ!!」

 

 鍋島の服の肩口を掴み、鼻先が触れるか触れないかという程に距離を詰めて叫ぶ万丈。

 彼からすれば、この時のために西都くんだりまで行って、自分を嵌めた挙句恋人が死ぬ遠因を作った男の家族を助けて来たのだ。必死にならない理由が無い。

 だからこそ、

 

「……()()?」

 

服から彼の手を叩き落としつつ返って来たその言葉に、夜宵は耳を疑い、そして万丈の目が飛び出んばかりに剥かれた。

 

「……んだそりゃ? ギャグのつもりか? 笑えねェぞ」

 

 返す万丈の声が震えている。

 

「……万丈 龍我だ。昨日、電話で話しただろ?」

 

「……知らない」

 

「そんな筈無い!」

 

 絞り出したような鍋島の回答に、咄嗟に夜宵も詰め寄る。

 昨日の鍋島との電話は、そもそも最初に掛けたのは夜宵だ。

 だからこそ覚えている。万丈の事が分かるか確認した時、鍋島はそれを否定しなかった。――知っている筈だ、万丈の事を。

 更にはあの時、彼女自身も電話越しに鍋島と言葉を交わしている。姿に見覚えが無くとも、この声には聞き覚えがある筈だ。

 しかし、夜宵の方に振り向いた鍋島の目は激しく泳いでおり、万丈と同様に彼女の事も知らないと訴えている。

 酷く困惑したようなその様子も、凡そ演技や嘘とは思えない。

 一体、何が起こっているのか?

 

『ちょっとよろしくて?』

 

 ふと、パーカーのポケットの中に入れていたメイジーが話し掛けて来る。

 

「……何?」

 

 こんな時に何だ、と煩わしく思いつつも、美空と万丈の手前のために小声で返す夜宵に、メイジーが続きを話す。

 

『さっきから聞いていて思ったんですけど、ひょっとして、ファウストが鍋島を二度もスマッシュにした理由って()()だったんじゃないですか?』

 

「これ?」

 

()()()()() ()()()()()()()()()()()()()、この状況の事ですわ』

 

 そう言われて、ハッ、と夜宵は気づく。

 

「まさか――」

 

 そうだ。

 人をスマッシュに変える人体実験には副作用がある。

 ここまで重篤な症状は、少なくとも夜宵が見て来た中では今まで無かった。彼女自身や万丈がその副作用の影響を殆ど受けていなかった事もあり、すぐにはその可能性に行き着かなかった。

 だが、そうであると気づけば話は早い。

 たった一人、極々身近に、今この場に居ない人間の中に似た状況に陥って久しい()()がいる。

 ましてや、鍋島は人体実験を二度も受けているうえ、二回目に至っては謎の巨大化現象すら起こしていた。

 ()のような状況に陥っている可能性は十分に有り得たのだ。

 そして、それこそが二度も鍋島をスマッシュへと変えたファウストの真の狙いだったのだと、今、夜宵は確信した。

 そう。今の鍋島は――。

 

「俺は……誰なんだ?」

 

 ――記憶を失っている。

 

 

 

 鍋島の記憶が失っていると悟った時、膨らんでいた期待と達成感が、鋭い針に突かれた風船のように弾け散る衝撃を万丈は感じた。

 それに耐えて何とか気を取り直した後、続いて込み上げて来る感情のままに彼は後へ振り返り、ベッドを力任せに蹴り付けていた。

 

「フザけるなァッ!!」

 

 もう一度鍋島の方へ振り返るや、その両肩を掴んだ万丈は彼が困惑を深めるのも構わず問い詰める。

 

「テメェが証言出来なきゃ、誰が俺の無実を証明出来んだよォ!?」

 

 受け入れられるワケが無い。

 やっと掴んだ手掛かりだった。

 見知らぬ人々を助けるために遠き西都まで足を運び、時に命すら危険に晒したのも、全てはこの時のためだった。

 冤罪の証明まで後一歩だった。――その筈だったのに!

 冗談ならあまりにも笑えない。悪い夢なら、今すぐ覚めてくれ。

 そう願わずにはいられない万丈であったが、クシャクシャに歪んだ視界に浮かぶ鍋島はうんともすんとも言わず、ただただ己の状況に、そして恐らく意味が分かっていないだろう彼の懇願染みた叫びに困惑し、今にも泣き出しそうな程に歪んだ顔を俯かせるのみ。

 紛れもない現実しか、そこには無かった。

 何をどうしようと覆る事の無い喪失以外、そこには何も無かったのだ。

 ふと、慌ただしい足音が後ろから聞こえて来る。

 肩越しに振り向いてみれば、紗羽と鍋島親子が、いつの間にかすぐ傍に来ていた夜宵と、椅子から立ち上がった美空の間に立っていた。

 

「どうしたの!?」

 

 声を上げる紗羽の顔が、彼女の混乱を表すように引き攣っている。

 その隣で遥を抱き抱えている友恵もまた、夫に手を上げているようにしか見えない万丈を不安げに見ている。

 そんな彼女達の視線を受けている内に興奮が冷め、逆に自分が責め立てられているような気分になった万丈は、止むを得ず鍋島の肩から両手を離して解放する。

 その場にゆっくりと座り込む鍋島の横を酔っているワケでも無いのに酷くフラつく足取りで通り過ぎた後、その先のトラス柱に重ね合わせた両手を置き、更に深い息を吐き出しながら額をその上に重ねて、項垂れた。

 どうしようもなく、遣る瀬無い気分だった。

 そこに柱が無かったなら、きっと鍋島のようにその場に座り込んで、ガックリ、と肩を落としていたに違いない。

 後ろの方で、鍋島が記憶を失ってしまっている事を説明する夜宵の深刻気な声が聞こえた気がしたが、ここに至るまでの全てが徒労へと変わってしまった今の万丈には、そんな事を気に留める余裕さえ無い。

 もう一度、深い溜息を吐く万丈。

 その耳に、また別の声が入って来る。

 彼も含め、誰もが事態を重く受け止めているが故に重い空気が漂っているその場にはあまりにも不釣り合いな、喜色に富んだ明るい声が。

 

「ぱぱー!」

 

 声の主は、鍋島の娘――遥だった。

 トテトテ、と軽く忙しない足音が鍋島の方へ近づくのが聞こえた後、何かを服から取り出しているような微かな衣擦れの音を立ててから、改めて彼女の言葉が背中越しに聞こえて来る。

 

「みてぱぱー」

 

 その言葉を聞いて、彼女が何をしようとしているか、ぼんやりと万丈は思い付く。――あやとりだ。

 

「てっきょー、かーめー、どーむー……へりこぷたー!」

 

 舌足らずの口取りが、順に技名を紡いでいく。

 西都のマンションで、万丈に披露して見せたのと同じ技を、同じ順取りで。

 

「すごい?」

 

 そして、最後にしたのと同じ問い掛けを。

 あの時、やった事が無いから分からない、と返した万丈にも気を損ねる事無く、ぱぱにみせて、いっぱいいっぱいほめてもらう、と無邪気に笑いながら遥は答えていた。

 本来ならば、その願いはきっと叶えられていただろう。

 しかし、現実はどうだろうか?

 今の、自らが何者であるのかさえ忘却してしまった鍋島は、果たして彼女の願いを叶えられるのか?

 

「……」

 

 答えは、否。

 今の彼にとって、目の前の少女は愛しい我が子では無く、突然あやとりを始めた見知らぬ子どもでしかない。

 心に余裕などある筈も無い今の鍋島に彼女を褒める事など出来る筈も無く、いつの間にやら引かれるように肩越しにその様子を見ていた万丈は、彼が顔を俯けて視線を逸らすのを目にする。

 思っていたのとは違う反応を見せる父親に、不思議そうに首を傾げる遥の後姿を、目にする。

 当然の帰結と言ってしまえばそれまでかもしれない。

 だがそれでも、そんな二人の様が万丈には納得いかなかった。

 そしてそう思った途端、急に自らの内に何かが込み上げて来るのを感じ、居ても立ってもいられなくなった万丈は、こう言った。

 

「見てやれよ」

 

 まだ、鍋島は顔を俯けたままだった。

 構わず、トラス柱から手を離した万丈は鍋島の傍へ回り込み、言葉を続ける。

 

「テメェに見て貰いたくて練習してたんだよ。テメェの事が大好きで、褒めてもらいたくて」

 

 なおも、鍋島は視線を上げない。

 鼻を啜り、なおも万丈は続ける。

 

「……俺の事は……もう、どうでもいい」

 

 そう言ってしまうのは、正直言って身が裂かれるような気分だった。

 ここまでやってきた事、鍋島に無実を証言させるという目的を、全て諦めてしまうようで。

 だが、こうなってしまった以上は認めるしかない。諦めるしかない。

 だからこそ、せめて――。

 

「せめて、この子の事くらい――家族の事ぐらい、思い出してやれよッ!」

 

 でなければ、あれほどまでに父親に会いたがり、あやとりを練習し続けて来た遥が、あまりにも報われない。

 

「……頼むから……思い出してやれよ……!」

 

 その場にしゃがみ込み、祈るように万丈は鍋島へと訴え掛ける。

 鍋島は、変わらず険しくした顔を俯かせるのみだった。

 万丈の訴えに加え、わたしのこと、わからないの、という遥の不安げな問い掛けを受けても、なお状況は変わらない。

 ――消えた記憶は、容易く戻ったりなどしない。

 

「……チッ、クショゥ……」

 

 無力さが込み上げて来る。

 自分なんかじゃ何も変えられない事への耐え難い悔しさが、周りに聞こえたかどうか分からない程に微かな――負け犬の遠吠え染みた声となって、噛み締めた歯の隙間が空しく漏れる。

 もう自分なんかに出来る事は何も無い。

 この場を離れようと、鉛のように重く感じる体に鞭打って万丈は立ち上がり、背を向ける。

 その時だった。

 

「遥ちゃん」

 

 声が聞こえた。

 鍋島と遥を境に置いた、向かい側から。

 明かりの灯る豆電球が繋がった単三電池入りの電池ボックスと、金属片とピンセットが入ったプラスティックケースを手に遥の傍にしゃがみ込む、夜宵の声が。

 

 

 

 見ていられなかった。

 目の前の幼女が我が子である事を忘れ、歪んだ表情で下を向くしかない鍋島も。

 大好きな父親が自分の事を忘れてしまった事を理解できず、彼に見せるために練習して来たというあやとりを見せたのに褒めてくれない事を不思議にしか思えず、段々と不安げな表情を浮かべていく鍋島の娘も。

 そして、

 

「せめて、この子の事くらい――家族の事ぐらい、思い出してやれよッ!」

 

己の無実を証明するための足取りが途絶えてしまって無念の真っ只中にあるだろうに、それを置いて、幼女のために思い出すように訴える万丈の背中も。

 見ているだけでなど、いられなかった。

 だから、自分にも何かできることは無いか、と夜宵は部屋を見回していた。

 そして、その最中で見つけた。

 地下室の右奥、フルボトル浄化装置の隣に設置されている作業机の上に置かれているそれら――赤と黒のクリップ付きのコードで豆電球が繋がった電池ボックスと、傍に転がる二本の単三電池。そして、1㎠程の大きさに切り取られた銀色と銅色の二種類の金属の試験片とピンセットが入ったプラスティックケースを。

 それに目にして、以前受けた化学の授業で()()()()()が話題に出ていた事を思い出した夜宵は、連鎖的にその実験を利用したメッセージを思いつく。

 はっきり言えば、そのメッセージを伝えたところで何かが変わる訳ではない。鍋島の記憶が戻る事など、結局あり得ない。

 ただ、このまま何もせず見ているだけなどという事だけは、絶対にあってはならない。

 そう思った次の瞬間には、

 

「教えて」

 

「え?」

 

「あの娘の名前」

 

『? 夜宵ちゃん、何を?』

 

ややぶっきらぼうに滝川から鍋島の娘の名前を聞き出した夜宵は彼女――遥の背後をそっと通り抜けて作業机から必要な物を回収し、続いて覚束ない動作で立ち上がった万丈の逆側から彼女の傍にしゃがんで、

 

「遥ちゃん」

 

声を掛けた。

 その声に反応して遥が自分の方へ振り向くのを待って、豆電球が光る電池ボックスを夜宵は彼女に見せた。

 

「遥ちゃんのお父さんね、いっぱい詰まっていた遥ちゃんとの大切な思い出を取られちゃったの」

 

 こんな風に、と遥の不思議そうな視線が向けられる電池ボックスから、夜宵は電池を一本抜き取る。

 それによって、電力の供給が途切れた豆電球が、それまで煌々と輝いていたのが嘘のように光を失う。

 丁度、遥を褒めてくれる大好きな父親だった筈の鍋島が、記憶を奪われた結果そうじゃなくなってしまったように。

 

「……そーなの?」

 

 悲し気に眉を下ろす遥に、うん、と夜宵はゆっくり頷き返す。

 

「……酷いよね。遥ちゃんは、ただお父さんに会いたかっただけなのに」

 

『……全くですわ』

 

 本当に、酷い話だ。

 自分達の目的のために、平気で誰かから大切なものを奪っていく。

 記憶も、恋人も、親友も。そして、こんな幼い子供から親さえも。

 そんなファウストという欲深い狼に対して怒りが込み上げてきそうになるが、今はそれを抑え、でもね、と今度は試験片の入ったプラスティックケースを夜宵は掲げて見せる。

 ここからが肝心だ。

 

「思い出はまた作っていける」

 

 電池ボックスから移動した遥の視線を誘導出来るように、ゆっくりとプラスティックケースを床に置き、ピンセットを使ってその中の試験片を数枚取り出す。

 

「遥ちゃんがお母さんと一緒に、お父さんに新しい思い出を作ってあげる事は出来るの」

 

 その試験片を、銀色の物と銅色の色を交互に重ね合わせ、それとは別に電池ボックスの+、-極からそれぞれ外したコードのクリップに折り畳んだアルミ箔を噛ませておく。

 これで準備は整った。

 後は――。

 

「こんなふうに」

 

 言いつつ、重ねた試験片の束を、コードに噛ませたアルミ箔で上下から押さえ込む。

 これで良い。これで、化学の授業で出て来た“ボルタの電堆”は成り立つ筈。

 こうすれば、重ね合わせた試験片から電気が発生して、コードの先に繋いだままの豆電球が――。

 

「――あれ?」

 

 ――光らない。

 夜宵の想定に反し、豆電球は光を失ったままだ。

 

「あ、ゴメン。お姉ちゃん間違えちゃったみたい。ちょっと待ってて」

 

 試験片が足りなかったのだろうか?

 じっと豆電球を見つめる遥を誤魔化した夜宵は、プラスティックケースから追加の試験片を取り出し、更に重ねてからもう一度試す。

 豆電球は、光らない。

 諦めず、ならば量が多すぎるのかと、試験片の量を最初よりも少なくしてから、更に挑む。

 豆電球は、変わらず光らない。

 

(何で光らないの!?)

 

 まるで光る気配も無く、ただただ中のフィラメントが覗くばかりの豆電球を前に、夜宵は当惑する。

 これで良い筈だ。

 異なる二種の金属を接触させれば、それぞれが異符号の電気を帯びる。これを利用したのがボルタの電堆だ。これで成り立っている筈だ。

 だのに、何故上手くいかない?

 接触が悪いのかと、試験片を積み直してから改めて試みるも、それが当然とばかりに豆電球は相変わらず光らない。

 何か見落としがあったか、と当時の授業を思い起こしてみるも、そういったものは特に見当たらない。

 それでも何か打つ手は無いかと試行錯誤している内に、ふと夜宵は、遥に不思議そうとも、不安げともとれるような眼で見つめられている事に気づく。

 ――ダメだ。

 沈むしかないこの状況を少しでも変えたくて、態々出て来たのだ。結局出来ませんでした、などというのは絶対にダメだ。

 しかし、もう打つ手は無い。八方塞がり。

 一体、何が原因で豆電球は光らないのか? 一体、何が駄目なのか?

 一体、何が足りないのか――。

 

「ああ、これじゃ駄目だ」

 

 不意に、すぐ傍から声が聞こえた。

 つい先程までこの場に無かった筈のその声に、反射的に夜宵は振り向く。

 そこにいたのは――。

 

「試験片重ねてるだけじゃねぇか。そりゃ光らないに決まってるでしょ」

 

「――戦兎さん!」

 

 ――果たして、桐生 戦兎その人であった。

 先程までこの場に居なかった筈の彼が夜宵の隣にしゃがみ込み、ピンセットで試験片を掴む彼女の手元を指差してそう指摘していた。

 かと思えば、ちょっと待ってろ、と立ち上がって作業机の方へ向かい、その上で何か作業をした後、再び夜宵の傍にしゃがんで、足下に何かを置いた。

 平たい円形のガラス容器(シャーレ)だった。

 見れば、シャーレの中には半分ほどまで透明な液体が満たされ、更に細かく千切られた紙――厚めのろ紙が何枚か、その中に浸されている。

 そのろ紙を数枚、あっという間も無く夜宵の手から奪い取ったピンセットを使って、戦兎の手が試験片の束へと慣れた手付きで差し込んでいく。

 

「試験片だけじゃ豆電球を光らせるだけの起電力は発生しないんだよ。だから、こうやって伝導性の液体――今回は取り合えず食塩水だ――を間に挟んでやるんだ。そうすれば――」

 

 そうして、最後にクリップにアルミ箔を挟んだままのコードを、先程から夜宵がやっていたのと同じように、試験片とろ紙の束の前後から押し当てる。

 すると、先程までうんとすんとも言わなかったのが嘘のように、豆電球が煌々と光り出した。

 

「――こんな具合にな」

 

 ふふん、としたり顔で鼻を鳴らす戦兎。

 それに、今回ばかりは反論の余地も無く感嘆する他無い夜宵であったが、そこへ、それはそうと、と表情を真顔に戻した戦兎からの指摘が入る。

 

「その子に何か言おうとしてたんじゃねぇの?」

 

 言われ、はっとした夜宵は遥の方へと向き直る。

 見れば、彼女の目が引き寄せられるように、明るく点灯し出した豆電球を興味津々と見つめていた。

 察した。今なら伝えられる、と。

 

「――こんなふうに、またお父さんに、遥ちゃんが大好きだったお父さんになってもらう事は出来ると思うの」

 

 元通りになるかもしれない、とは例え幼子相手でも気楽には言えない。

 いつか自分が沙也加を取り戻した時、彼女と完全に元通りの関係に戻れるかどうか、分からないように。

 それでも、かつてに近いところまで関係を修復する事は出来るかもしれない。かつてよりも深い関係を作り直すことは出来るかもしれない。

 だから――。

 

「だから、お願い。お母さんと一緒に、お父さんに楽しい思い出をいっぱい作ってあげて」

 

 ――せめて、その事を伝えておきたかった。

 果たして、そんな夜宵の想いまでもが伝わったかどうかまでは分からなかったが、

 

「うん、わかった!」

 

少なくとも、そう頷き返してくれた遥の顔は、満面の笑顔を浮かべていた。

 

 

 

「で、今の今まで何してたんですか?」

 

 その後、どうにか鍋島が落ち着きだしたところで彼と彼の家族、及び彼らを安全な場所へ連れて行くと進言した滝川が退出したnascitaの地下室にて、夜宵は美空と共に戦兎を詰問していた。

 

「パンドラボックスの事調べてたんだよ。聞いてないのかよ美空から?」

 

「聞いてるけど、だからってこんな時間まで掛かる普通?」

 

 現在、午後5時過ぎ。

 ”みーたん”からスカイウォールの惨劇当時の動画を入手した彼が調査のためにnascitaを出た午前10時頃から、既に7時間近くが経過している。

 

「そーだよ、あたし達の連絡に一っつも返事返さないし」

 

「本当だよ! それで、帰って来たらお前らと紗羽さんと鍋島と、あと鍋島の家族がいて、しかも何か重い空気漂ってて、気楽に口出せる状況じゃなかったから取り合えず様子見てた。そしたら、何か夜宵が鍋島の娘相手に実験始め出したけど、思いっきりやり方間違えてる。で、これは天っ才物理学者の出番だな、と思って出て来た。それだけだ」

 

 先程顔を見せた時までの経緯をそう面倒臭そうに説明する戦兎であったが、美空と共に夜宵が据わった目で睨み付ければ、露骨にその視線から目を逸らそうとする。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 恐らく、戦兎は何かを隠そうとしている。およそ7時間という長い時間の間、顔を見せず連絡すら返さなかった本当の理由も、きっとそれだ。

 一体、彼は何を隠しているのか?

 

(狼さん)のする隠し事なんて相場が決まってます。きっと何か、良からぬ事を企んでいるんですわ!』

 

 ――パーカーのポケットの中からそんな風に警戒を呼び掛けて来るメイジーの意見は流石に違うだろうが。

 ともかく、自分と美空だけの追求では戦兎が口を割るにはまだ足らないと感じた夜宵は振り返り、

 

「万丈さん!」

 

そこに立つ万丈に増援を呼び掛ける事にした。

 

「……ん?」

 

 夜宵が声を掛けて数秒後、黙って俯いていた万丈がそこで漸く気付いたように顔を上げる。

 まるで何か考え事をしている最中だったような彼の鈍い反応に引っ掛かりを感じた夜宵であったが、それを無視して万丈からも戦兎に何か言うように要請する。

 すると、もう一度俯いて考える素振りを少し見せた後、戦兎の方をまっすぐ見て万丈がこう言った。

 

「――お前、笑ってたよな?」

 

「はい?」

 

 彼の突然湧いて出たような発言の意味が分からず、夜宵は目を丸くする。

 それが目に入らないかのように、万丈が言葉を続ける。

 

「コイツの実験手伝って、鍋島の(ガキ)が笑った時に、お前も笑ってたよな? ……()()()()()

 

 次いで、万丈の双眸が夜宵の方へと向けられる。

 

「お前もそうだ」

 

「え?」

 

「さっき会ったばっかで、碌に知ってるワケでも無ェ奴らのために、失敗するかもしれねェ実験まで持ち出して口出して、それが上手くいったら、やっぱり笑ってた。……あんな事したって、得なんて何も無ェのに」

 

 そして最後に、なぁ、と二人を交互に見遣って、

 

「お前らは、何で……」

 

そこまで言い掛けたところで俯いて、押し黙った。

 

「……えっと」

 

 何と反応を返せばいいのか分からなかった夜宵は、同じような状態の美空と顔を向け合わせる。

 戦兎の隠し事への追及の助勢を頼んだつもりだったのに、全く別の事柄について話し出した上に一方的に打ち切った万丈に、彼女は訳が分からず困惑するしかない。

 その一方で、戦兎は彼の言わんとしている事が何となく分かったのか、小さく溜息を吐いて、こう返す。

 

「これで言うのは()()()だな。それでも聞くか? 俺は別に構わないけど?」

 

「……」

 

 まっすぐ彼を見る戦兎の視線から逃れるように、万丈が首を左に逸らす。

 言葉こそ無かったが、それが戦兎の問いに対する否定の意思である事を、何となくだが夜宵は読み取れた。

 戦兎にもそれは通じたようで、しょうがない奴だ、とでも言いたげな苦笑が彼の顔に浮かぶ。

 そして、

 

「――分かったよ、白状する」

 

突然観念したように、そう告げた。

 それに驚き、美空と共に振り返った夜宵に、

 

「言っとくけど、嘘は吐いてねぇぞ? パンドラボックスの調査をしてたっていう事()()は本当だ」

 

戦兎が説明を続けながら、背を向ける。

 

「正確には――」

 

 そのまま彼が歩き出し、右奥の作業机を経由して地下室の左隅へと辿り着いたところで()()を指し示した。

 

「――()()()の事を調べてたんだ」

 

 そこの白い壁に埋め込まれている、黒いフルボトルスロット群を。

 

「どういう事?」

 

 戦兎の意図が分からず問い掛けた夜宵は、同時に彼の右手にも疑問の視線を向けていた。

 正確には、その手に握られている金属ハンマーに。

 先程作業机に寄った際に彼が回収しているのは見えたが、そもそも、何故あんなものを今手に取ったのか?

 そちらについても意図が分からず、ただ言い知れない不穏さを漂わせるハンマーに微かな不安を感じている夜宵と、そして美空と万丈の視線が集中する中で、

 

「こういう事だ!」

 

スロット群が埋まる壁へ、戦兎がハンマーを打ち付けた。

 

「なっ……!?」

 

 突然の彼の行動と、地下室中に響き渡るけたたましい音に、思わず、ギョッ、と目を見開く夜宵と美空、万丈。

 

『何事ですの!? 一体何ですのこの音は!?』

 

 パーカーのポケットに入ったままのため音以外の周囲の状況が分からず、困惑の叫びを上げるメイジー。

 そしてそれに構わず、あるいは聞こえずに、更にハンマーを打ち付ける戦兎によって、壁に亀裂が幾重にも走り、脱落したセメント片が四方八方へと散っては床に転がっていく。

 その光景を前に、夜宵と万丈は訳が分からず呆然と眺める他無かったが、そんな彼らを置いてハンマーを振るう戦兎へと駆け寄る影が一つ。

 

「止めてぇ!!」

 

 美空だった。

 いつものアンニュイな姿とも、また“みーたん”の時のわざとらしい明るさやあざとさとも一致しない、明らかに異常と分かる程の必死さで彼女が叫び、戦兎を止めようと後から抱き着く。

 

「戦兎止めてぇ! 止めてったらぁ!!」

 

 しかしそれでも戦兎は止まらず、それどころか、仮面ライダーとして一般人よりも強い彼の力に振り回され、遂には耐え切れなくなった美空が振り解かれて、床へと投げ出されてしまう。

 

「美空!」

 

 咄嗟に夜宵は飛び出し、床に横たわった美空の下へと駆け付ける。

 すぐさましゃがみ、大丈夫、と安否を確認しようとするが、しかし夜宵の問い掛けに美空は応じる様子を見せず、なおも追い縋るように戦兎の背へと憔悴した視線を送っている。

 その一方で、そんなつもりがあったかどうかはともかく乱暴を働く事になってしまった美空に意識の一片も向ける素振りを見せず、変わらず戦兎が壁を砕き続けている。

 そんな彼に怒りを覚え、

 

「ちょっと何すんのよ! いい加減に――」

 

いい加減にして、と怒鳴り付けようとしたその時、一際大きな破砕音が鳴り響いた。

 思わず驚いて出そうとしていた言葉を飲み込んでしまった程に激しいその音を最後に、そこでハンマーを振るのを止めた戦兎が振り返る。

 先程までは持っていなかった()()を、突き出したその左手に持って。

 それを目に入れた時、

 

「っ!?」

 

頭の中を電流が駆け抜けるような衝撃に夜宵は肩を跳ねさせた。

 

「……それ……は……?」

 

「パンドラボックスのパネルだ」

 

 引き攣って上手く動かない口からどうにか滲み出た声に、重苦しい面持ちで戦兎がそう返す。

 

「元々、パンドラボックスは二重構造だった。各面に対応するパネルが貼り付いていたんだが、スカイウォールの惨劇が起こった時に、そのパネルが2枚剥がれたんだ。その1枚が、これだ」

 

 戦兎がそう説明するそれは、30cm四方程度の板だった。

 角が斜めに落とされた正方形の中に複雑な幾何学模様が刻み込まれており、その模様は心なしかスカイウォールの表面に刻み込まれているものに似ている。

 ――否、それ以上に酷似している。

 昼頃に美空と共に見た、あのスカイウォールの惨劇当時の映像の中に映っていた、パンドラボックスに。

 そして何より――。

 

『パンドラボックスの()()()? どうなっていますの夜宵ちゃん? 桐生 戦兎は何を――』

 

「出て来たの」

 

『え?』

 

「出て来たの。……夢の中で見たのと、そっくりなのが」

 

『何ですって!?』

 

 こうして()()を目にしたからこそ、気づいた。

 あの映像の中のパンドラボックスに強い既視感を抱いた、その理由――今朝の悪夢の中で目にしたあの奇妙な板に、そのパネルが瓜二つであるという事実に。

 

「パンドラボックスの事を調べている内にコイツの存在に行き着いて、それで気づいたんだ。こいつを何処か、身近で見た覚えがあるって。――それで、この壁のスロットの事を思い出した」

 

 戦兎が視線を向けた先で、つい先程までは10本分のフルボトルスロット群が覗き出ている以外は傷一つ無かった壁が、今は深い罅と鋭利な断面が幾重にも晒された無惨な様相を晒している。

 が、破片が脱落した壁の向こうはよく見れば空洞になっており、それ程大きくない物を隠して置けるスペースが広がっている。

 戦兎の言葉を聞くに、そのスペースにパンドラボックスのパネル――パンドラパネルが、フルボトルスロット群のみ壁から出す形で収められていた、という事らしい。

 だが、そうだとすれば疑問が生まれる。

 

「何で……そんなものが……ここに?」

 

 何故、ここにある?

 何故、夢の中で見たのと同じ物が、ここにある?

 何故、

 

『ちょっと待って下さいな! 夜宵ちゃんの夢に出て来たというであれば、つまりそのパネルは!?』

 

ファウストの研究施設にあったものと同じパネルが、nascita(ここ)にある?

 

「そこまでは俺も分からない」

 

 戦兎が首を左右に振って、顔の傍に掲げたパンドラパネルに目を向ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、まではな」

 

「奪われた……?」

 

「ファウストだとォ!?」

 

 戦兎が告げた衝撃の事実に、夜宵と、話について行けず蚊帳の外になり掛けていた万丈の驚愕の叫びが連続する。

 間髪入れず、はっと夜宵は美空の方を見る。

 未だ床に横たわったままの美空と一瞬だけ目が合ったが、しかし、どこか気まずそうな、あるいは怯えたような表情へと変わった彼女は、逃げるように夜宵の視線から顔を背ける。

 その反応が、あるいは戦兎が壁を砕き始めた時のあの切羽詰まったような行動が、雄弁に語っていた。

 ――パンドラパネルの事を、美空は知っていた。彼女にとって、パンドラパネルの事を自分達に知られるのは都合が悪い事だった、と。

 

「……美空?」

 

 友人の思わぬ隠し事に、押さえ切れない動揺が声に混じるのを感じながらも夜宵は美空に呼び掛ける。

 美空は、顔を彼女の方に向ける事も無く黙って、震えている。

 そんな彼女を、もっと強く問い詰めるべきかと逡巡していると、再び戦兎の声が聞こえて来た。

 

「だから、どういう事なのか教えてくれよ?」

 

 そう聞いた時、彼も美空を問い詰めようとしているのかと思った。

 だが、どうやらそうではないらしかった。

 

「ファウストに奪われた筈のこのパネルがここにあった理由、()()()なら知っている筈だ」

 

 戦兎は、美空を“アンタ”などとは呼ばない。

 彼が“アンタ”という二人称を使う人間は限られてくる。

 それこそ、夜宵が知る限りでは()()()()()()()になる程に。

 

「パンドラボックス共々政府の厳重な警戒下にあったこのパネルを、奴らが奪う手引きをした()()()だった、アンタなら」

 

 何より、夜宵が戻した視線の先で語る彼の目は、明らかに美空とは別の方向を向いている。――明らかに、彼女とは別の誰かに語り掛けている。

 では、それは一体誰なのか?

 その答えも、戦兎の視線を辿っていく過程で振り返った、その先ですぐに判明した。

 その人物とは――。

 

「マスター……!」

 

 ――nascitaの店主(マスター) 石動 惣一。

 いつの間にそこにいたのか、外出していた筈の彼が、気づけば夜宵達の後方、地下室の入り口付近に立っていた。

 普段なら陽気な声で、たっだいまー、の一言でも告げているところだろう彼は、しかし今は白い中折れ帽の下の顔を強張らせ、じっと戦兎を、そして彼の手にあるパンドラパネルを見つめている。

 

「答えてくれ、マスター。いや――」

 

 そんな、明らかに普段とは違う様子を見せる石動に、戦兎もまた真っ直ぐに鋭い目を向けている。

 一切視線を逸らす事無く、パンドラパネルを突き出して、告げる。

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――石動 惣一」

 




次回、仮面ライダーメイジー!




「このパンドラパネルは、3年前にファウストに奪われた」


「私も見たんです、そのパネル。今朝の夢の中――人体実験されてた時に!」


失われた筈のパンドラパネル!

それが示すのは――。


「俺は、ファウストの、メンバー……!」

「マスター……!?」


――石動の裏切り!?


「まさか、昔の戦兎さんがバンドやってたなんて」

「違うって、絶対違う。良く似た別人だよ!」


「ま、アニキの記憶が戻れば全部解決っすけどね!」

明らかになる戦兎の過去!?


「何か無ェか考えろよ! 俺の冤罪証明する手掛かりとかよォ!」

『本当に騒々しくて迷惑な(狼さん)ですわ』


荒ぶる万丈!?

そして……。


「……やっと見つけた」


『久しぶりだなぁ、お嬢ちゃん』


血まみれのコブラ、今再び……!




第6話 因縁のリミート



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第6話A 因縁のリミート(前編)

長らくお待たせいたしました、今回より第6話スタートです。

ビルド本編でも大活躍した裏の主役、“血まみれのコブラ”がいよいよ本格参戦。夜宵と深い因縁で結ばれたコイツとの再会は、果たしてどのような展開を齎すのか?
いざ、本編へ。


 「――そうか」

 

 東都先端物質科学研究所 所長室。

 自らに所長の肩書と共に与えられた部屋の中央、膝下までの高さのマホガニー製の応接机を中心に、向かい合うように配置された2台の来客用ソファーの片方に腰を沈ませた氷室 幻徳は、右耳に当てたスマホからの報告に頷く。

 

「つまり、滞りなく口は封じられた、と思っていいんだな?」

 

<ああ、そうとも。今頃奴らは、せっかく苦労して確保した証人が役に立たないと知って嘆いているか、まだそうとも知らずに目覚めるのを待ってる最中だろうさ。ハハ、可愛そうになぁ>

 

「思っても無い事を」

 

<いやいや、これでもそれなりに心傷めてるんだぜぇ? 奴らがどれだけ必死なのか、誰よりも知ってるからねぇ、俺は>

 

 そう通話相手は宣うが、その言葉の端々に混ざる乾いた忍び笑いはまるで誤魔化せていない。

 あるいは嘲っているつもりさえ無いのかも知れないが、いずれにせよ心にも無い事を平然と口にする通話相手に、ふっ、と幻徳は鼻で笑う。

 

「まぁ良い。あんな男一人捕まえて何をさせようとしてたのかは知らんが、奴の思惑を潰せたのは何よりだ」

 

<俺達から“奴”を奪った()()の思惑を――ってか?>

 

「ああ」

 

 そうだ。

 絶対にあの男の好きにさせてはならない。

 “奴”を自分達から奪った万丈 龍我は、必ず潰す。

 自分達の“計画”にこれからも必要だった“奴”を奪うという事は、つまりは“計画”を妨げようとしたも同然なのだから。

 ――そう思考して口元の髭を一撫でした幻徳は、続いて、それで、と話題を変える。

 

「――次はどうする? また適当なスマッシュをぶつけるのか?」

 

<それも良いがぁ……そうだな、そろそろ俺()も顔を出すとしようか>

 

 電話口から返って来たその解答に、ほぉ、と幻徳は感嘆の声を上げる。

 

「漸く本格始動か。――いや待て。今、俺()と言ったか?」

 

 一拍遅れ、通話相手の返答に違和感を覚えた幻徳は、それを聞き間違いだ、と心中で否定しながら再度尋ねる。

 だが、間を置かず返って来たのは、ああ、という肯定だった。

 

<本当の事を言やぁ、もう少し静観してたいところだ。だが、()()()がもう我慢出来ないとワガママ言うもんでねぇ>

 

「……やはり“アイツ”か」

 

 復唱と共に脳裏に連想した“アイツ”の顔に、幻徳は顔を顰める。

 

「本気か? 使い物になるんだろうな?」

 

 疑念を隠す事無く問うた幻徳に、特に言葉を濁すような様子も無く通話相手が返答する。

 

<実力の方は大丈夫さ。後はまぁ、ちゃんとお口のチャックを閉めてられるかどうかってトコだな。やーれやれ、カワイ子ちゃんが相手じゃあ、ゲームメイカーたるこの俺も形無しだぜ。ハッハッハッハ>

 

「……」

 

 高らかな笑い声を電話越しに聞かせる通話相手に反し、幻徳の顔は更に陰りを強める。

 “アイツ”が彼の前に現れたのは、かれこれ1年程前。

 居なくなった“奴”と入れ替わるように通話相手が何処からともなく連れて来た“アイツ”の事を、未だに幻徳は信用していない。

 その容姿や年齢、自分達の“計画”に途中参加した新参者であるという事もそうだが、何よりもあの目が受け入れられない。

 喜んでいる時も、頬を膨らませて不満げにしている時も変わらない、あの虚ろな瞳が、通話相手以上に何を考えているのか分からない不気味さを抱かせる。その不気味さが、1年というそれなりの期間を過ぎてなお“計画”の一端の任せる事を彼に躊躇させるのだ。

 

「……まぁ、良いだろう。“アイツ”の事は全てお前に任せている。好きにすればいい、次の奴らへの対応も含めて」

 

<そう言って貰えて助かるぜぇ。それじゃあ、早速準備に取り掛かるとしますか。またなぁ幻徳、チャオ>

 

 その台詞を最後に、通話が打ち切られたスマホを待機画面に戻してから東都政府職員の詰襟制服のポケットに仕舞った幻徳は、ソファーに座ったまま前方の柱に掛かっている時計を見上げた。

 黒い円形の文字盤の上を一定速度で回るクロームシルバーの長針と短針が3時まで後僅かという時間を示しているアンティークの時計を眺めながら、それにしても、と幻徳は口髭を撫でた。

 気に掛かる事があった。

 

「何故、奴らは――万丈 龍我は鍋島の行方を追っていたんだ?」

 

 鍋島 正弘という男が存在するという事を幻徳が知ったのも極々最近の事で、少なくとも、彼が知る限りではその男は難波重工の元職員であるという程度の存在でしかない。

 そんな男が、一体あの殺人犯にとって、如何な価値があったというのか?

 証人、と先の通話相手は言っていたが――何のだ? まさか、あの男が無実という事も無いだろうに?

 ……それとも、まさか……。

 

「何か知っていたとでもいうのか? “奴”の――()()の死に関する、何かを……?」

 

 ポツリ、と思考が幻徳の口から零れる。

 その疑問に答える者は、彼一人しかいないこの部屋には居ない。

 代わりに居たのは、首を傾げる彼の視線の先で、遂に3時を示した時計の上側にある扉から飛び出して、ぱっぽー、と間の抜けた鳴き声を上げる鳩の模型だけだった。

 

 

 

 その場にいた誰もが、彼へと目を向けていた。

 誰もが、驚愕に見開き、強張った視線を集中させていた。

 その場にしゃがんだまま、背後へ首のみを向ける夜宵も。

 彼女の傍に倒れ込んだまま、同じように首だけを向ける美空も。

 彼女達の後方に立つ万丈も。

 例外は二人。

 手に持つ幾何学模様の彫り込まれた黒い板――パンドラパネルによってこの状況を生み出した張本人である、戦兎。

 そして、彼が明かした幾つかの事実によって、彼以外の者達の視線を一身に受ける事となった渦中の男――石動 惣一。

 一斉に向けられる疑惑と不安の中、丸眼鏡の奥の瞳を細めた彼は俯いたまま沈黙していたが、暫くそれが続いたところで、ふっ、と面を上げた。

 口端を持ち上げた、観念したような笑みがその顔に浮かんでいた。

 

「――どうやら、話す時が来たみたいだなぁ」

 

「……何?」

 

 ポツリ、と石動が呟いた言葉に、戦兎は眉間を寄せる。

 ――今、話す時が来た、と言ったか?

 もう一度その呟きを確認しようと戦兎は口を開き掛けたが、それを待つ事無く石動が踵を返し、こう言った。

 

「ここで立ち話ってのも何だし、取り合えず皆上に上がってくれ」

 

「おい、まだ話は――」

 

 咄嗟に呼び止めようとする戦兎。

 しかし、彼の声も聞こえないかのように石動はさっさと階段を上がり、地下室と店と繋ぐ扉を潜って行ってしまう。

 そんな彼に暫しの間困惑した後、止むを得ず戦兎達も去っていた彼を追ってnascitaの店内へと上がったのが、かれこれ10分程前。

 そして更にそこから10分が過ぎ去った現在、午後6時5分。

 店内中央のテーブル席に戦兎、メインカウンター席に美空、カウンターから最も離れた壁際の椅子に万丈、そしてサブカウンターと万丈の間のテーブル席に夜宵。

 皆思い思いの席で腰を下ろし時を待つ中、先程と同じくその視線を一身に集めている石動は、

 

「はい出来た、っと」

 

突き刺さる幾つもの視線が存在しないかのようにサブカウンターで用意していたドリップコーヒーを注いだカップを、極々自然体のまま全員に配っていた。

 

「よーし、バイト先のコーヒー参考に改良したニューブレンド、“nascita di nani sita(で ナニシタ)改”は行き渡ったなぁ? じゃ、カンパーイ――」

 

「――じゃねーだろ!」

 

 カウンターの向こうに戻るや自分のカップを掲げ、当然のように乾杯の音頭を取ろうとする石動に、すかさず戦兎はツッコむ。

 

「何でアンタのコーヒーの試飲会始まってんだ、違うでしょうが!」

 

「え゛ー? じゃあ何ー?」

 

「コレだよ、コレ!」

 

 大袈裟に首を傾げて見せる石動。

 その様に、まだ惚ける気かよ、と深い溜息を吐きつつも立ち上がった戦兎は彼の傍へと移動し、未だ右手に持ったままのパンドラパネルをその鼻先へと突き付ける。

 

「このパンドラパネルは、3年前にファウストに奪われた。それ以来行方知れずだったこのパネルが、何でnascita(ここ)にあった? 何で、アンタの手の中にあったんだ?」

 

「いや、何でって言われてもなぁ?」

 

「政府の厳戒態勢下にあったこのパネルを奴らが盗む手引きをしたのも、アンタだったそうじゃないか?」

 

「えー、ホントー? 人違いじゃ――」

 

「ハッキリ言うぞマスター」

 

 なおもはぐらかそうとする石動を逃すまいと、じっとその目を見つめたまま戦兎は鼻先が触れ合う寸前まで顔を近づけ――ほんの僅かに逡巡してから――告げた。

 

「俺は、このパネルを見た事がある。このパネルの存在を知った時よりも前に、今朝見た夢の中で」

 

 そう。昨晩気を失ってから、今朝石動に起こされるまでの間に見た夢――かつてファウストから受けた人体実験の記憶の、その一場面の中で。

 だからこそ、パンドラボックスを調べようと思ったのだ。

 夢の中に出て来た、パンドラボックスと酷似した模様が彫り込まれたパネルが、火星という未知の領域から持ち込まれたボックスと、現代科学では到底あり得ない人間が変異した怪物(スマッシュ)という存在を結び付ける鍵になると直感したために。

 勿論、その時点では夢という形で見た朧げな記憶の中の存在でしかなかったパンドラパネルについて、それが実際に存在するかどうかからして確証があったワケでは無かった。何かの見間違いでしかなかったのではないかという疑いも当然あった。

 故に、えっ、と驚いたような声を漏らした夜宵の口から出て来た発言に、戦兎もまた驚かされる事となる。

 

「戦兎さんも見たの?」

 

「何?」

 

「私も見たんです、そのパネル。今朝の夢の中――人体実験されてた時に!」

 

「お前も、コレを見ただと……!?」

 

 まさか、夜宵まで同じ物を、それも同じ夢という媒体で目にしていたなどとは、露程にも思っていなかった。

 あまりの事に戦兎は目を剥かざるを得なかったが、しかし、同時に確証は得られた。

 

「……夜宵までコイツを見ていたのは意外だったが、お蔭でハッキリした。やっぱり、このパネルはファウストに奪われたのと同じ物だ」

 

 パンドラパネルの存在は元々一部の人間が知るのみだったうえ、かつてファウストに奪われたという醜聞も合わさって、一般には全く知らされていない。

 そんな代物を、かつて同じ実験を受けた者同士が、全く同じ組織に実験を受けていた時に目にしている。

 ならば、その事実が導き出す結論は――。

 

「――マスター。アンタ、ファウストのメンバーなのか?」

 

「俺が……ファウスト?」

 

 ボソリ、と戦兎の言葉を石動が反復する。

 そして暫しの沈黙の後、不意に俯いた彼の口から、くっくっく、という忍び笑いが漏れ出て来る。

 

「そうか、そうかそうか……()()()()()()ならしょうがないなぁ……」

 

「マスター……!?」

 

「マジかアンタッ!?」

 

 妖しく、含むような口調で石動がそう告げるや、夜宵が慌ただしくテーブル席から腰を上げ、椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がった万丈が拳を構える。

 そんな彼らと、固唾を呑んで目を鋭くする戦兎を、石動が口端を持ち上げた不敵な笑みを浮かべた顔で見渡し、更に告げる。

 

「そうさぁ……戦兎が言った通りだぁ。俺は、ファウストの、メンバー……!」

 

 見る見るうちに目を、口を剥き、その顔に浮かべた笑みを狂気に満ちたものへの変えていく石動。

 憎き組織の一員たるに相応しい、その醜悪な本性が徐々に明かされていくような彼の表情の変化に、夜宵の、万丈の、そして戦兎の表情もまた、ジリジリ、と高まる緊張に張り詰めたものへと変わっていく。

 そして、三人の誰がと言わず、その緊張がピークに達するかと思われた、その時――。

 

「……じゃないよ~ん!!」

 

 ――突然石動が肩を竦め、テヘッ、というウィンクと共に舌を出した、先程までの重苦しさを全て消し飛ばすかのような軽快な声でそう言った。

 その場でのジャンプも絡めた、茶目っ気たっぷりのアクション。

 それによって、直前までの緊迫した面持ちを暫くは維持していた戦兎と、夜宵と、万丈は、潮が引くかのような勢いで毒気を抜かれたショックで、同時にガクリ、と膝を折った。

 

「おいおい、どうしたどうした? 揃いも揃って、身構えて損した、って顔してよぉ? 何? そんなに上手かった? 俺の演技?」

 

「マスター……」

 

「こんな時にフザケてんじゃねェ!!」

 

 アハハハ、といつものように陽気に笑う石動を、夜宵がジト目で睨み付け、万丈が吹き飛ばした椅子を元の位置に戻しつつ怒鳴り付けた。

 戦兎もまた、頭痛を覚えた額に左手を当てながら、深い息を吐き出す。

 

「……つまり、アンタはファウストじゃない、って事か?」

 

「当ったり前だぁ! いるかよ、こんなイケてる悪党がよぉ?」

 

 立てた右手の人差し指で頭に被った中折れ帽の鍔を弾きながらキメ顔を作って見せる石動であったが、しかしまだその疑いが晴れたワケでは無い。

 

「なら、このパネルの事は? アンタがファウストの手助けをした事も、どう説明するんだ?」

 

 ファウストに奪われた筈のパンドラパネルがこの場にある矛盾。

 そして、パンドラパネルをファウストが奪う手引きを他ならぬ石動が行ったという、()()()()()()()()()()事実。

 そもそもの疑いの発端であるこの二点について、まだ何も示されていない。せめてこの問題に対する答えが明示されない限り、石動への疑いは晴れない。

 その答えを、カウンター席に立てたパンドラパネルを人差し指でつつきながら促す戦兎。

 それに対し、ああ、それな、といつもの軽い調子で頷きながら石動が説明を始める。

 

「まずはそのパネルだな。そのパネルは――」

 

 ――かと思われた次の瞬間、

 

「取り返したんだよ。お父さんが」

 

別の方向から差し込まれた声が、石動の言葉を遮って戦兎の問いへの答えを返した。

 その声の主は、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

 

美空だった。

 

「ちょっ、俺が言おうとしてたのにぃ~!」

 

「だってー、お父さんに任せてたらちっとも話進まないしー」

 

 発言を先取りされた事に額に皺を寄せて文句を言う石動に、振り返る事無く皿に盛られたフライドポテトを抓みながら美空が返す。普段と変わらない、気だるげな口調で。

 だが、いつも通りの口調から告げられたその言葉は、決して耳を素通りする事を許せるようなものではない。

 

「「ファウストから助けたっ!?」」

 

 目を剥いた戦兎と、同じくして再び席から立ち上がった夜宵との、重なった二人の驚愕の声に、そ、と美空が頷く。

 

「あたし、スマッシュの成分浄化する力があるでしょ? その力がファウストに狙われて、捕まっちゃって」

 

「ちょっと待って! それじゃあ、()()()()()()()()って、ファウストだったって事!?」

 

「そゆ事」

 

 慌ただしく席を立つや早足で歩み寄った夜宵に肯定の言葉を返した美空が、黄金色の腕輪(バングル)を巻いた左手で持ち上げたコップのストローを咥える。

 そのまま、氷と共に中に注がれたオレンジジュースを吸い上げようとする彼女に、割り込もうとする者が現れる。

 万丈だった。

 何かに合点がいったように手を打ち合わせた彼が立ち上がり、美空を指差す。

 

「もしかして、お前が引き籠ってんのって――」

 

「狙われてるからだ。美空を攫った奴らに」

 

 万丈の問いに美空に代わり、彼の方に腕を組んで振り向いた戦兎が答える。

 

「って、お前ら知ってたのかよッ!?」

 

「前に知る機会があってな」

 

 その機会があったのはかれこれ2ヵ月程前、当時から“みーたん”に良い印象の無かった夜宵が、何故あんな事をさせるのかと戦兎と石動を問い詰めた事だった。

 その話が進む内に、美空が過去に誘拐された事、石動が彼女を救出した事、更には今もなお当時の誘拐犯に狙われている事が、観念した石動の口から語られたのだ。

 ただ、どうやらあの時の説明は、

 

「でも、美空を攫ったのがファウストだったなんて、そんな事はあの時一言も……」

 

極めて重要な事が語られていなかったようだが。

 ジロリ、と戦兎は尖らせた視線を以て石動を問い詰める。

 それに対し石動が、そんな怖い顔すんなよ、と困ったような苦笑を浮かべて肩を竦めて見せた。

 

「大体は前にお前らに話した通りだよ。ただ、今美空が言ったように攫ったのはファウストで、この娘を救い出すついでに奴らのアジトから奪っておいたオマケが付いたってだけだ」

 

「なら、何でその事を黙ってた?」

 

「それなぁ……やっぱそこに来るよなぁ……」

 

 そう呟くや、頭に被せた中折れ帽に手をやって何かを考えるような素振りを見せていた石動が、不意に顔に浮かべた笑みを強め、移動を始めた。

 

「順を追って話そうか」

 

そう言いながら、サブカウンターの左端――関係者用の簡易扉を潜り抜け、最初に戦兎が座っていたテーブル席から引っ張り出した椅子に腰を下ろした石動が、その場にいる全員を見渡し、そして戦兎と目を見合わせてから、まず、と右手の人差し指を立てた。

 

「ファウストがパンドラパネルを奪う手引きをした件だが、それはズバリ、美空を助けるためだ。そうでもして俺が仲間だと信じ込ませなきゃ、美空が囚われていた奴らのアジトには辿り着けなかった。――で、俺が手引きしたと分かってるんなら、ひょっとして昔の俺が何をやっていたかも知ってたりする?」

 

「知っている。というか、店に上がる前に言った筈だ。 ――宇宙飛行士だったんだろ、アンタ?」

 

正解(ビンゴ)

 

 自らのビルドフォンを――その液晶に映った、宇宙飛行士時代の石動の写真を見せながらの戦兎の確認の言葉に、石動が白い歯を見せて笑いながら、両手の人差し指を突き出す。

 すると、じゃあ、と夜宵がどこか不安げな顔で石動に尋ね掛けた。

 

「さっき戦兎さんが言ってた通りって事ですか? その……パンドラボックスを地球に持ち帰って、スカイウォールの惨劇を起こしたのも、マスターだったっていうの」

 

「それ、あたしも気になってた」

 

 夜宵の問い掛けに同調の声を上げた美空が、メインカウンターから石動の眼前まで歩み寄るや、手に持っていたタブレット端末の画面を彼に見せた。

 そこに映っている、今朝の“みーたん”の配信の後に手に入れた、例のスカイウォール発生当時の映像の一場面――保護ケースに収まったパンドラボックスへと迫る、青色の作業着の何者かの姿を。

 見れば、それを突き出す美空の顔が不安げな表情を浮かべている。

 

「お父さんが宇宙飛行士やってた事は知ってたけど、スカイウォールの惨劇起こしたなんて、あたし、初めて聞いた。……ねぇ、そしたらこの人ってもしかして?」

 

「そう。――俺だよ」

 

 一拍置いて、重々しく頷く石動。

 その反応に、夜宵と美空が互いの顔を見合わせ、二人揃って信じ難い事実を耳にしたように絶句する。

 そんな二人から目を背けるようにそっぽを向いた石動が椅子から立ち上がり、どこか遠いところを見るような眼をしながら、説明を続ける。

 

「あの時は、どうも火星の影響でおかしくなってたみたいでなぁ……何であんな事仕出かしちまったのか、自分でも未だに良く分からねぇんだ」

 

「何で……あたしにまで黙ってたの?」

 

「……言えるワケ無いだろ? 実の親父が、スカイウォールのせいで目茶苦茶になった今の日本を作り上げた元凶だ、なんてよぉ」

 

 石動が、美空の方へと振り向く。

 眉間に皺が寄った哀愁の漂う笑みが、顕わになったその顔に浮かんでいた。

 

「そんな事知った愛しい一人娘がどんな風に感じるか想像出来ないほど、俺は鈍感じゃあないよ」

 

「……お父さん……」

 

 知るべきではない事実を知った悲しみか、それとも、自分のために敢えて事実を伝えず黙っていた父への感動か、あるいは両方か。

 ともかく、泣きそうな表情に変わったかと思いや、それを見せまいというように後ろへ振り返った美空を庇うように、夜宵が彼女と背と肩にそっと手を当てていた。

 その様子を暫く眺めた後、石動の視線が再び戦兎へと合わせられる。

 

「というワケで、パンドラパネルがここにある理由と、ファウストがパネルを奪う手引きをした理由は説明したが、他に聞く事は?」

 

「まだあるに決まってんだろ」

 

「――だよなぁ」

 

 そう来ると分かっていた、とでも言いたげに、ふっ、と石動が小さく鼻を鳴らす。

 

「何でパンドラパネルを政府に返さなかったか? それに、どうしてパネルや、ファウストが美空を誘拐した事を黙っていたのか? ――それと()()()()、ってところか?」

 

「ああ」

 

「パンドラパネルを返さなかったのは、美空と同じくファウストが今も狙ってるからだ。奴らが本気になったら、政府の()()()警戒なんて何の意味も無い。いたずらに犠牲が増えるだけだ。実際、俺が奴らを手引きしたのは美空の事以外にも、余計な犠牲を出さないためでもあった。そして、今までお前らに黙っていたのは――」

 

 そこで一度言葉を区切った石動が戦兎の横を抜け、彼の背後に立つや振り返ってその鼻先を指差しながら、告げた。

 

「――お前に仮面ライダー(ビルド)をやってもらうためだ」

 

「俺に?」

 

 片眉を上げて聞き返す戦兎に、ああ、と石動が頷く。

 笑みが消えた、真剣な光を宿した双眸で見つめ返しながら。

 そして、戦兎へと向けられていたその視線が、ゆっくりと別の場所へ向けられる。

 

「だからこそ、お前には心底驚かされたんだよ――夜宵」

 

「私?」

 

 目を丸くし、自らを指差す夜宵の方へ。

 

 

 

 思わぬ流れで出て来た自分への突然の名指しに困惑する夜宵。

 そんな彼女を後目に、視線をその隣で俯いている美空の方にも配りながら、石動が再び語り始める。

 

「俺は虫けらのように人を殺すファウストが許せない。だが、俺や美空じゃどうする事も出来ない。――そんな時だったんだよなぁ。戦兎、お前に出会ったのは」

 

 もう一度、石動の目が戦兎の方を向く。

 

「一目で直感した。――この男なら、ファウストを倒してくれるかも知れない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を正しい事に使って」

 

「え?」

 

 その石動の言葉を予感していたように、やっぱりか、と納得したように戦兎が呟く。――が、その二人の遣り取りを夜宵は受け入れる事が出来ない。

 何故なら、それは彼女の知る事実と矛盾しているからだ。

 

「ちょっと待って!」

 

 咄嗟に声を張り上げて待ったを掛けた夜宵に、すかさず反応した戦兎と石動の怪訝そうな顔が向けられる。

 

「戦兎さんのドライバーって、戦兎さんが自分で作ったんでしょ? マスター、前にそう言ってたじゃないですか?」

 

 そうだ、確かに言っていた筈だ。

 自分のビルドドライバーとアップルフルボトル(メイジー)がファウストから逃げる際に奪った物である事を知っていた夜宵は、ならば戦兎のドライバーとボトルももしやと思い、出所を尋ねた事があった。その時に、間違い無く戦兎のドライバーは彼自身が作り上げた物だと、石動は答えていた。どうして同じ物がファウスト(ガスマスクの奴ら)の所にあったのかは俺も分からない、と首を傾げていた筈だ。

 それなのに、どうして今になってまるで違う話をしているのか?

 不可思議に思っていると、夜宵の方に振り返っていた石動が何て事無いようにこう返して来た。

 

「悪い。それ、()なんだぁ」

 

「嘘?」

 

 思わぬ返事に、思わず夜宵は目を剥く。

 まさか、あの時の説明が嘘だったなどとは、露ほどにも思っていなかった。

 しかし、だとしたら何故石動は嘘など吐いたのか?

 

「戦兎に仮面ライダー(ビルド)をやってもらうに当たって、俺は敢えて何も話さなかった」

 

 手渡したボトルとドライバーが元はファウストの物だったとか、理由はどうあれ自分が奴らの手助けをしていた、などという事を全部話したところで、当時の記憶を失ったばかりで右も左も分からない戦兎が受け入れられるワケも無い。それどころか、自分達までもがファウストの関係者だと疑われて仮面ライダー(ビルド)になる事を拒否されるかもしれない。

 故に、彼が自力でパンドラパネルや自分の事に気づくまで黙っている事に決めていた。――というのが石動の説明だった。

 

「それがパネルの事。それに、()()()()()()()()()()このドライバーとボトルの出所を黙っていた理由ってワケか」

 

 トレンチコートのポケットから取り出したビルドドライバーと数本のボトルを見下ろしてそう確かめる戦兎に、その通り、と石動が頷く。

 

「幸い、お前も深く追究してくるような事は無かった。この分なら、いつか時が来るまで隠し通せるだろうと、俺も安心し切っていた。――俺達の前に夜宵が現れた、三ヵ月前のあの日までは」

 

 再び夜宵へと目を向けた石動が、あの時は本当にヒヤリとしたよ、と語り出す。

 

「美空よりも年下の女の子が、戦兎と同じように仮面ライダーに変身出来るなんてだけでも驚きなのに、よりにもよってお前が持っていたのは()()()()()()()()()()()()ドライバーとボトルだった。おまけに、出会ったばかりのお前は俺達をファウスト(誘拐犯)の仲間だと勘違いして露骨に警戒しているときた」

 

 間違いなく、夜宵のドライバーとボトルの出所を知った戦兎が自分の物について疑念を抱く。

 それだけならまだしも、夜宵の不信の影響を戦兎が受ける事で、これまで築き上げて来た彼との関係が崩れてしまうかもしれない。

 そんな懸念があったため気が気でなかった、と三ヵ月前を思い返すように語る石動であったが、すぐに、杞憂だったけどなぁ、とその肩が竦められる。

 

「お前もそれほど俺達の事情に突っ込んでは来なかった。そりゃ美空の事とか、話さなきゃ収まらなかった事もいくつかあったが全部核心に触れるもんじゃなかったし、戦兎にもドライバーとボトルについて実際訊かれもしたが、どうにか誤魔化せたしな」

 

「嘘吐くんじゃないよ。いつか話すからその時まで待ってろ、の一点張りだったじゃねーか」

 

「そだっけぇ?」

 

「そーだよ。全く、こんなマズいコーヒー臆面もなく出してきやがって。どんだけだよアンタは」

 

「ちょ、そんな事言う? まだ口つけてないだろお前ー?」

 

「飲まなくったって分かるっての」

 

 ワザとらしく首を傾げる石動に、テーブルの上に置かれた自分の分のコーヒーカップを指差して、憮然と告げる戦兎。

 すかさず、えー、と不満げに唇を尖らせる石動。

 そんな彼に戦兎が呆れて肩を竦めて見せて、そして少し間を置いて――どちらからともなく、二人から笑い声が零れ始めた。

 最初は堪えようとするような忍び笑いが、程無くして――特に石動の方が――遠慮する事の無いハッキリとした声へ。

 先程まで多かれ少なかれ漂っていた真剣さをどこかへ追いやったように笑い合う戦兎と石動を、呆気に取られるままに夜宵は眺めるしかない。それは彼女の隣の美空も、変わらず壁際の方にいる万丈も同じだったようで、

 

「な、何笑ってんだよお前らっ?」

 

困惑に目を白黒させるしかない様だった。

 その万丈からの問いに戦兎も石動も返事は返さなかったが、それが止める切欠になったのか、どちらからともなく笑い声が止んでいく。

 そして、ふー、と深く息を吐いて落ち着いたような様子を見せた戦兎が、椅子の背凭れで支えていた上半身を前のめりにして、石動へと告げた。

 

「今回はこの辺にしといてやるよ。聞きたかった事は大っ体聞けたしな」

 

「そうかそうかぁ、納得して貰えたようで何よりだ」

 

 そう言葉を交わした後、もう一度互いの顔を見合わせてから笑い声を漏らし合う戦兎と石動。

 そこには、パンドラパネルを片手に秘密を追究しようとしていた時の剣呑さや疑心は最早存在していない。代わりに、普段のnascita内に流れている和気藹々とした空気が、二人を中心に戻りつつある。

 故に、それを察した夜宵は力の張っていた肩を落として息を吐き、同じく緊張が解けてか大きな欠伸を掻いた美空の涙が滲んだ目と視線を交わして、笑い掛けた。

 万丈も、いまいち事態が飲み込めていないようでまだ片眉を上げていたが、それでも椅子の上で腕を組んで大人しくしていた。

 パンドラパネルと石動の過去への追究は、少なくともこの場では終了した。その場に居る誰もが、そう感じ取っていた。

 ――ただ一人を除いて。

 

『納得したですって?』

 

 立ちっぱなしで足に疲れを感じて来たので席へ戻ろうと夜宵が踵を返したそのタイミングで、パーカーのポケットからメイジーの不満げな声が聞こえた。

 反応して立ち止まった夜宵はポケットから彼女を取り出し、周囲に見られないように気を付けながら彼女に尋ね返した。

 

「何よ急に? 大体の事はマスターが話してくれたじゃない?」

 

 パンドラパネルがnascitaにある理由も、石動の過去も、ついでに戦兎のドライバーとフルボトルの正しい出所も、全て明らかにされた。

 この上で、一体何が納得いかないというのか?

 

『貴女こそ何を言っていますの? まだ解決していない事があるどころか、()()()()()まで出て来たというのに』

 

「新しい疑問?」

 

 意味が分からずオウム返しする夜宵に、メイジーが呆れたような、あるいは嘆かわし気な溜息を吐いてから、半目にした赤い一つ目を横へ動かす。

 その視線を追って夜宵が後方へ振り返った先にあったのは、もう一度大きな欠伸を掻いている美空だった。

 

『誘拐されていた美空ちゃんを石動 惣一が救い出した、という話は――そもそも、この話からして私としては今でも疑わしいんですが、誘拐していたのがファウストだったというのなら、状況が大きく変わって来ますわ』

 

「大きく変わる?」

 

『だってそうでしょう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事になってしまうんですから』

 

 そう言われて、漸くメイジーの言う()()に気づいた夜宵は、あっ、と目を見開いた。

 

「マスターが一人で美空を、()()()()()()()()()()()()?」

 

 自らの口に出したその事実を、しかし夜宵は受け入れる事が出来ない。

 当然だ。これまで明らかにされた話を整理して出された筈のそれは、およそあり得ないのだから。

 

『石動 惣一は唯の人間ですわ。貴女や桐生 戦兎のように仮面ライダーに変身できるワケでも、万丈 龍我のような馬鹿力があるワケでもない。ましてや、私の“処刑の力”のような、この世ならざる力を使えるワケでもない』

 

 その石動が、たった一人で囚われていた美空を救い出し、更にはパンドラパネルとビルドドライバーにフルボトルを奪い取る。――そんな芸当を許すほど、ファウストは易しい相手だったか?

 ――否。

 特別な力を持たない普通の人間である石動が相手取るには、スマッシュのような怪物を創り出し、更にローグのような存在までいるファウストは強大過ぎる。仮面ライダーとして実際に連中と戦って来て、その力が肌身に染みている夜宵だからこそ、尚更こうとしか思えない。――()()()()、と。

 しかし――。

 

「ほ、ほら、マスター宇宙飛行士だったみたいだし!」

 

 それでも、石動に疑いを向ける方向に夜宵は舵を切れない。

 正確には、

 

「宇宙飛行士って物凄く大変な訓練するっていうし、ひょっとしたら、マスターももの凄く強かったりとか――」

 

石動を疑いたくない。

 

『それでスマッシュやローグの相手が出来るとでも? ローグに至っては、仮面ライダー(貴女や桐生 戦兎)ですら手も足も出なかったのに?』

 

 嘆息混じりに返すメイジーの言葉は、夜宵自身も考えが至っていたものだ。反論のしようが無い。

 そのため言葉に詰まりつつも、どうにか別の観点から引き出した石動の弁護を夜宵は口にする。

 

「で、でもっ、マスターだって言ってたじゃない。アジトの場所教えられるくらい、ファウストから信用されてたって。なら、ファウストの奴らだってマスターに隙の一つや二つくらい見せたかもしれないし」

 

 しかし、これも所詮は一時凌ぎ。

 

『そこがそもそも引っ掛かりますわ。ファウストからすれば、石動 惣一はあくまで美空ちゃんという人質がいるから手駒に出来る部外者でしか無かった筈。いくら信用を得たと言っても、大切な人質だけでなく、聞くからに貴重な品々も納めていた隠れ家の場所を教えたりするものですかね?』

 

 勿論、貴女の言う通りであった可能性も無くは無いですけど、と即座に返って来るメイジーの疑惑の籠った返答に、再び言葉に詰まる夜宵。

 

「……けど――」

 

 それでもなお、反論の言葉を告げようと彼女は頭を回す。

 協力者を、友人の父親を。

 何より、彼女にとっての()()()()()()を体現する男を、信じたい一心で。

 結局何も思い付かないながらも、どうにか口を開き――。

 

「何やってんだお前?」

 

 ――掛けたその時、不意に背後から声が掛けられた。

 突然の事に、思わず小さな悲鳴を上げて肩を跳ねさせた夜宵は、反射的に声のした方へと振り返る。

 果たしてその視界に現れたのは、

 

「ば、万丈さん?」

 

夜宵の肩越しに彼女の手元の方を訝し気に覗き込みながら、ポリポリ、と頭頂から後頭部を編み込んだ茶髪を右手で掻いている万丈であった。

 

「さっきからワケ分かんねェ事ばっか言ってよォ? 勝手に納得して笑ってるアイツらもだけど、いい加減気味悪ィっつうの」

 

 チラリ、と未だ笑い合っている戦兎と石動の方を横目に見遣りながらそう言った彼の腕が、不意に夜宵の肩の上を抜け、その手元目掛けて伸ばされる。

 それに反応し、あっ、と夜宵が声を上げた時には既に時遅く、

 

『ひっ……!?』

 

その右手からアップルフルボトル(メイジー)が奪い取られていた。

 突然の事に虚を突かれて固まる夜宵であったが、すぐに気を取り戻して万丈の右手からアップルフルボトル(メイジー)を奪い返すため、手を伸ばそうとする。

 が、それは叶わない。

 そうしようとした直後、

 

『いっ、イヤアアアアアァァッ!!』

 

「っ……!?」

 

赤い瞳が点と化すほどに一つ目を見開いたメイジーの絹を裂くような悲鳴のあまりの激しさに、伸ばし掛けた手を思わず耳へと移動させてしまったために。

 

『はっ、放せえぇ! 放しなさいっ、この悍ましい狼めええぇぇ!!』

 

「楽しいかァ、ボトルなんかに話し掛けてよォ? こんなモンに何か言ったって、返事なんか返って来ねェだろ」

 

 右手で抓んで頭上に掲げたアップルフルボトル(メイジー)を揺らしたり、店内を照らす電灯の光に翳したりしながら眺める万丈。

 そうする間にも、奪い返そうとしている夜宵すらまともに聞いていられない程の絶叫がメイジーから上がり続けていたが、その声が彼の意に介す様子は全く無い。

 当然だ。

 メイジーの存在を認知出来るのは夜宵だけ。その声を聞き、その姿を見る事が出来るのは、少なくとも夜宵の知る限りでは彼女自身だけなのだ。

 故に、万丈にメイジーの声は聞こえていない。そもそも、ボトルの表面に浮かぶ彼女の赤い一つ目すら見えていない。いくらメイジーが訴え、罵倒したところで、夜宵以外の人間には何の意味も無い。

 なので、

 

「――ん゛? 何だコイツ? 何か、他のボトルと感じが……?」

 

「――ああ、もう! いい加減返して!」

 

何とかメイジーの激しい声に片耳だけを塞いで耐えつつ、空いている手を必死に伸ばして、何故か首を傾げる万丈の手からどうにか夜宵はアップルフルボトル(メイジー)を乱暴に奪い取った。

 その際の騒ぎが周囲の目についたのか、

 

「おーい、何やってんだー? そこのお子ちゃまと筋肉バカー」

 

「あーもぉ、うるさいよぉ! 店ん中で喚かないでくれよなぁ」

 

気付けば、顔を顰めた戦兎と、両手を耳に当てた石動、眠たげな半目の美空が一斉に夜宵と万丈へと向けられていた。

 その視線にバツの悪さを覚えた夜宵は、焦りながら万丈を指差し、反論する。

 

「いやだって! この人がいきなりメイ――じゃなくて私のボトルを取ってくから!」

 

「ボトルぅ?」

 

 危うく呼び掛けたメイジーの名を訂正しつつの夜宵の言葉に、戦兎が胡乱気に細めた目で彼女の手の中のアップルフルボトルを見遣る。

 かと思った次の瞬間、あっ、と彼が掌に拳を打ち付けた。

 まるで、忘れていた何かを思い出したように。

 

「思い出した!」

 

 否、正しくそうだった。

 

「お前、昨日紗羽さんのカメラ壊したろ?」

 

「へっ?」

 

 人差し指を向けて放たれたその言葉の意味が分からず目を点にする他ない夜宵であったが、続けて、紗羽さんから聞いたぞ、と戦兎が付け加えた説明によって彼が何を言わんとしているのかを理解する。

 どうやら、一昨日のフライングスマッシュとの戦闘の際、騒ぐ滝川を黙らせるために彼女の撮影器具をライダーメイジーの力(念動)で飛ばした事について文句があるらしい。

 そして同時に、あ、と夜宵は気づいた。――自分の()()に。

 

「一体どういうつもりだ? 仮面ライダーの力使って悪戯か?」

 

「いや、アレはそういうのじゃなくて、あの人があんまりにも騒がしくて集中出来なかったから少し黙ってもらおうとして――」

 

 じっと追究の視線を向けて来る戦兎から目を逸らしつつ夜宵は返答するが、その口はどうにも上手く回らない。過去の己の迂闊さを後悔する気持ちが、言い訳の言葉を生み出すための思考の障害となってしまっているがために。

 いやそれ以上に、

 

「だったらそうと口で言えば良いだろ?」

 

「で、でも、戦闘中だったし」

 

「尚更口で言った方が良かったじゃねーか」

 

「でも――」

 

「夜宵。――前に言ったよな? ()()()()()()()()()()()()()()()()、って」

 

目の前まで移動し、鼻先5cmも離れていない程に顔を近づけた彼が最終的に何を言わんとしているのかが、分かってしまっているがために。

 

「ドライバーとボトル、今ここで()()()()()?」

 

「――っ!」

 

 トーンを下げた威圧感の強い声で、特に没収という言葉を強調しながら告げる戦兎に、返す言葉があっという間に消え失せた夜宵は目を見開いて言い淀む。

 そのまま、蛇に睨まれた蛙のように鋭く睨み付ける彼の双眸に身を硬直させた夜宵は、至近距離で視線を交わし合うことなった。

 そうして二人の間に漂う張り詰めた空気。

 先程の様に目を逸らす事も許されない緊張状態に、夜宵の強張った頬から冷や汗が垂れ落ちた――丁度その時だった。

 

「特ダネ特ダネ~!!」

 

 不意に店の出入り口から勢い良く開け放たれたかと思いや、スマホを片手に慌ただしくその場に乱入して来た滝川によって、重たかった空気が呆気なく霧散したのは。

 

 

 

 そんな一時は緊迫した空気が漂ったnascitaでの一見から時は過ぎ、午後8時。星観家。

 

『うう~、万丈 龍我ぁ……! よくも、よくも私に汚らわしい手を……!』

 

「……あんたまだそれ言ってんの?」

 

 入浴を終え、薄いピンク色のパジャマを着てから自室のドアを開けるや聞こえて来る怨嗟の呻きに、呆れた夜宵は薄目で勉強机の方を見遣った。

 すかさず、その上に立っているアップルフルボトル(メイジー)が荒げた声を返す。

 

『あの男が――万丈 龍我が何をしたと思ってますの!? 触れたんですのよ、この私に! あの狼の! 無駄にゴツゴツして、筋張った手が! 汚らわしい指が!』

 

 ああ、悍ましい、と赤い一つ目を下弦の形に歪めて憎々し気に吐き捨てるメイジー。

 フルボトルに封印されている以前に肉体を失っている彼女だが、その肉体が残っていたならば自らを抱き締めて身震いしている事だろう。

 最も、そんな事ははぁ、と溜息を吐く夜宵の知るところでは無いが。

 とはいえ、あの時の万丈の行動に彼女が不快感の類を何も感じていないかといえば、それはまた別だ。

 

「まぁ、いきなり人の物取っていくのは無いと思うけど」

 

 単純にマナーが悪いし、男に触れられた事に反応したメイジーの凄まじい絶叫のせいでまだ少し耳鳴りが続いている。極めつけに、危うく戦兎にドライバーとボトルを没収されそうになる始末だ。

 

『最後のは貴女自身の身から出た錆ですけどね』

 

「……」

 

 一つ目を細めてのメイジーの指摘に、そっぽを向いた夜宵は首に掛けていたタオルで髪を撫でた。

 髪にまだ水気が残っていたためだが、返す言葉も無い正論へのばつの悪さを誤魔化す目的があった事も否定は出来ない。

 実際、続けて視界の外から聞こえたメイジーの嘆息の息も同じように聞こえない振りをする頃には、既に髪の水気は無くなっていた。

 

『やれやれ、紗羽さんがあの場に現れなかったらどうなってたやら。壊したカメラの事も笑って許してくれましたし、感謝しないといけませんわね?』

 

「……分かってるわよ」

 

 あの場での戦兎からの追究を逃れる事が出来たのは、不意に現れた滝川が持って来た()()()に彼の意識が引っ張られて有耶無耶になったからだ。

 それでも滝川にした事について頭は下げなければならなかったが、それも、いいよ、気にしなくて、と彼女が笑って許した事で一応の決着は着いたため、これ以降この件で戦兎から追究される事も無いだろう。

 正にメイジーの言う通りである。

 故に、夜宵としても、メイジーへの返事が憮然としたものになってしまうくらいに気乗りはしなかったが、それはともかく、滝川には改めて感謝の言葉くらいは言っておくべきかもしれないとは思ってはいた。

 

「――にしても、以外だったなぁ」

 

 滝川の事が話題に出たためか、彼女が持ち込んだ()()()の事がふと夜宵の頭の中に蘇る。

 それにメイジーが――恐らく、夜宵の言わんとしている事が何であるか察したためだろうが――面白く無さそうに一つ目を歪めながら、何が、と尋ねて来たので、夜宵はこう返した。

 

「戦兎さんの正体」

 

 そう、それこそが滝川が持ち込み、更には夜宵に詰め寄っていた戦兎が意識を強制的に向けざるを得なかった()()()の正体。

 どうも滝川の方でも独自に調査していたようで、戦兎の写真――当の彼が知らない様子だったため、どうやら無許可で撮ったものらしい――をネット中に――やはり無許可で――ばら撒いて情報を募っていたそうだ。そして、鍋島一家を安全な場所まで送ったその直後に、過去の戦兎を知る人間からの連絡があったとの事だった。

 肖像権もプライバシーもへったくれも無い、何とも乱暴な方法だ。実際、この話を聞かされた時には夜宵も開口せざるを得なかった。

 だが、そんな衝動は次の瞬間には跡形も無く消え失せてしまう。

 続けて滝川から語られた、彼女に連絡を寄越した人間が語ったという記憶を失う前の戦兎の、その予想だにしない人物像が齎した衝撃によって。

 

「まさか、昔の戦兎さんが()()()()()()()()()()

 

 事ある毎に自身を天ぇ才物理学者と声高に自称する今の彼からは凡そ結びつかない、売れないバンドクラブの一員だったという想定外すぎる戦兎の過去を思い出した夜宵の顔には、初めてそれを聞かされた時と同じ何とも言えない笑みが浮かんでいた。

 

 

 

「……最っ悪だ……」

 

 東都、エリアG3。

 あまりにも想定の埒外過ぎる過去の自分の事を聞かされ、何かの間違いなんじゃないかと疑心と不安が綯い交ぜになって眠るに眠れなかった昨晩から日を改めた現在。

 自分の過去を知るという人間との邂逅を終えた戦兎は今――街路地の真ん中で項垂れていた。

 

「絶対違う。絶対俺じゃないよ()()

 

「え~、でも顔とか瓜二つだったよ?」

 

 頭を振って否定の言葉を述べると、隣に並んで歩く紗羽が何の気無しにそんな事を言う。

 が、その言葉を――引いては、つい先程知らされた“過去の自分”を受け入れる事は、今の戦兎には到底できない事だった。

 何せ、唯でさえバンドをやっていたなどという事前情報の時点で怪しい事この上無かったのに、明かされたその姿は当初の想定の遥か斜め下を突き進むようなものだったのだから。

 

「顔だけでしょ!? それ以外全部違うでしょ! 違うって、絶対違う。良く似た別人だよ、佐藤 太郎(さとう たろう)は!」

 

 佐藤 太郎(さとう たろう)――それがかつての戦兎の名前、らしい。

 確かに、その顔は戦兎のそれと全く同じだった。背格好も、非常に良く似ている。

 だが、それ以外の彼の特徴は戦兎とは凡そ似ても似つかない。正反対と言っても良いものばかりだった。

 当初からの疑いの種であった、今の戦兎のイメージからは凡そ結びつかないバンドをやっていた事も。

 戦兎がまず身に着けないような真っ赤なツナギを、バンドのユニフォームとしてだけでなく私服としても愛用していた事も。

 綺麗好き――と言っても、発明品を作るための様々なジャンクパーツや工具でnascitaの地下室の机を埋め尽くしている事が多いため、ほぼ自称だが――な戦兎では入る事すら躊躇する、足の踏み場もない程にゴミで埋め尽くされていた汚部屋で生活していた事も。

 バンドが成功したら女子アナと結婚して、牛丼卵付き100杯食べて、ビル1000件買うと、凡そ戦兎の口からは出てこない色んな意味でバカげた夢をよく豪語していたらしい事も。

 それに――。

 

「紗羽さんだって聞いたろ、あの歌? あんな頓珍漢なの、俺が歌うと思う?」

 

 記憶を思い出す手助けになれば、と佐藤のアパートまで案内してくれた人物が彼のバンドが歌っていた曲を聞かせてくれたのだが、これがまた何とも凄まじいもので、唯でさえ膨らんでいた戦兎の疑心は更に膨らむ事となった。

 彼をそんな心境に至らせたその歌詞の一部が、これである。

 

――朝はカルビを食~べたぜ! 夜はホルモン食ってや~る! アイム・スーパー・ヤキニク・タァインム!!――

 

「何だよスーパーヤキニクタイムって……? どんだけ肉食いたいんだよ……!?」

 

 あくまで上述の歌詞は()()である。曲全体に至っては、もはや稚拙だとか、幼稚だとか、そんな言葉で評せる代物ではない。

 こんな、どこかの筋肉バカすら編み出しそうにない壮絶な代物を、過去の自分が作ったなどとは到底信じられないし、信じたくも無い。

 ――と、そんな感じで戦兎が一層深く肩を落としていると、えーっ、という驚きの叫びが彼のすぐ背後から上がる。

 重い首をゆっくりと動かして戦兎がそちらの方を見遣れば、一人の青年が彼と紗羽に追従して歩いていた。

 

「アニキめっちゃ絶賛してたっすよ、“YAKINIKU”! 「この曲サイコーッショォ! マジ()作っショーォ!!」――って」

 

 そう無邪気に言う青年は、一口でその様を言い表すのが難しい程に特徴的ないで立ちをしている。

 やや小太りで短足気味の体に纏うのは、上半身の部分を腰まで下ろしてズボンのように着崩しているオレンジ色のツナギに、佐藤が組んでいたというバンド“ツナ義ーズ”のロゴがど真ん中に大きくあしらわれた黒のタンクトップ。

 首下には南京錠を留め具にした革のチョーカーが巻かれており、更にその上の頭は体同様にふっくらと丸みを帯びた輪郭を描いている。更に並び方の悪い歯が飛び出た口とピンク色のセルフレームの眼鏡から覗く一重の双眸が散りばめられた顔の、更にその上に乗せられた黒髪は天然のパーマが掛かっており、どうにも鬱陶しい印象を抱いてしまう。

 

「……それを言うなら()作だからな? 全然そんな風に思えなかったし、そもそも俺は肉より魚派だけど。あー……っと、立弥(たつや)?」

 

 それに沈んだ声で突っ込んだ後、まだ覚え切れていない、というよりもしっくり来ない青年――岸田 立弥(きしだ たつや)の名前を、やや覚束ない口調で戦兎は口にする。

 そう。彼こそが紗羽の手引きによって見つかった、戦兎の過去を知る人間。彼に佐藤 太郎(かつての戦兎自身)の事を伝えた張本人だ。

 その立弥が、何故か今、眉を八の字にして、落胆の息と共に肩を落とした。

 その不意の変化に、どうした、と僅かばかり動揺しつつも戦兎が問い掛けたところ、こういう答えが立弥の口から返って来る。

 

「あー、今までアニキに、その、何ていうか……余所余所しいっていうか、他人行儀っていうか……まー、そんな感じで呼ばれた事無かったんで……ちょっとショックだったっていうか」

 

「ああ……」

 

 そういう事か、と残念そうな表情で見上げる立弥に相槌を返しつつ、戦兎は納得する。

 立弥は、佐藤 太郎(かつての戦兎)のバンド仲間で、同じアパートの部屋で生活を共にする程仲が良い後輩だったという。

 そんな彼が言うには、佐藤はあまり深く物事を考えないお調子者だったが、行動力が人一倍強く、何よりお人好しで困っている人間を見過ごせない性質で、だからこそ、誰より尊敬出来る最高のアニキだったらしい。

 それに、そう語った立弥自身も、今朝出会ってから現在に至るまで短い間でそうと分かる程に人懐っこい性格だ。

 そんな立弥の視点に立ってみれば、心から慕っているアニキである佐藤(戦兎)から、さも初めて会った他人にでもするような素っ気無い態度を取られれば、少なからず傷付きはするだろう。

 こうして顔を向かい合わせてもなお思い出せず、あくまで今日出会ったばかりの他人としてしか接する事が出来ない戦兎自身と違って。

 

「ま、アニキの記憶が戻れば全部解決っすけどね!」

 

 全然大した事無ぇっすよこんなの、と哀愁を漂わせていた顔を一変して破顔させた立弥が、足取りを早めて戦兎と紗羽の先へと移動する。

 

「アニキの言ってたトコってあとどんくらいっすか?」

 

「あ、ああ……もうすぐだ。あそこの角、曲がったトコ」

 

「おっしゃあ! そんじゃ俺、先行ってますから!」

 

 そう言うや、急に駆け出す立弥。

 咄嗟に、あ、おいっ、と腕を伸ばして戦兎は彼を呼び止めようとしたが、あっという間にその後ろ姿は小さくなり、直前に示した曲がり角の方へと消えてしまう。

 そのまま、声を掛けようとした相手が居なくなって上げている意味の無くなった腕を下ろして溜息を吐く戦兎に、紗羽が声を掛ける。

 

「行っちゃったね、立弥君」

 

「アイツが先行ったってしょうがないでしょ。記憶取り戻すの、俺なんだから」

 

 腕を組み、ふぅ、と立弥が消えた方へ呆れた視線を送りながら戦兎は鼻を鳴らす。

 それに、まぁね、と同意しつつも、続けて紗羽がこう返して来る。

 

「きっと気持ちが先走っちゃってるんだよ。早く立弥君が知ってる戦兎君(尊敬するアニキ)に戻って来て欲しいって気持ちがさ」

 

「……分かるけどさ」

 

 むしろ、分かり過ぎる程だ。

 今の自分は桐生 戦兎という仮初の名前と仮面ライダーの力以外は何も無い存在。果たして何者なのか、自分ですら分からない不安定な存在で、そんな自身の現状は戦兎にとって何にも勝る不安の種だ。

 だからこそ、一日でも早く記憶を取り戻して、確立された何者かへ戻りたいと彼は常に考えている。

 だからこそ、佐藤 太郎(心から慕う先輩)であった筈の自分を一刻も早く元に戻してやりたい、戻って来て欲しいという立弥の想いも痛い程に理解出来るのだ。

 ……それはそれとして、

 

「でも、やっぱ昔の俺が佐藤 太郎だったっていうのはさ~……」

 

かつての自分が佐藤 太郎だったという話をやはり戦兎は受け入れられないのだが。

 

「気持ちは分からないでもないよ? でも、そしたら戦兎君はどう思うの? 佐藤 太郎と貴方の()()()()()()()の事?」

 

「それは……」

 

 首を傾げながらの紗羽の問い掛けに、戦兎は口を噤んでしまう。

 何も言えない。彼女が口にした()()()については、戦兎も認めざるを得ない。

 そもそも、こうして佐藤のアパートを離れて街路地を移動している事すら、その共通点が理由なのだから。

 

「同じ日だったんでしょ? 佐藤 太郎が失踪したのと、記憶を失くした戦兎君がマスターに拾われたの」

 

 そう、これこそが戦兎と佐藤を結ぶ決定的な共通点。

 アパートにて立弥から伝えられた佐藤が失踪した日は、かつて戦兎が石動と出会い、今の彼を取り巻く全ての始まりとなった、一年前のだったのだ。

 同じ日に、同じ顔の人物が片や消息を絶ち、片や記憶を失っていたのだ。これを偶然と呼ぶのは、些か以上に無理がある。

 それは戦兎も承知している。――承知しているうえで、なお自分が佐藤 太郎であると受け入れられないでいるのだ。

 

「……あーもう、分かってるよ! だから今向かってんでしょうが」

 

 だからこそ、その共通点の事を確かめるために、彼は()()()()を目指しているのだ。

 そう、全ての始まりともいうべきその場所へ。

 

「一年前にマスターが俺を拾った、あの路地裏へさ」

 

 

 

「クッソォ!」

 

 そんな怒声と共に木製の物を力任せに蹴り付けたような重々しい衝突音が夜宵の耳に飛び込んで来たのは、nascitaの出入り口の前に辿り着き、その扉に手を掛けようとした、正にその時だった。

 膝までスカート部分が伸びたベージュのワンピースに水色の上着、黒タイツを身に着け、左肩から外出用の鞄を下げた彼女は、一体何事かと、思わず肩を跳ねさせて引っ込めた手でもう一度ドアノブを掴み、慌てて扉を押し開けた。

 果たして夜宵の視界に入って来たのは、カウンター席から驚いたような、あるいは迷惑そうな表情を肩越しに覗かせる美空と、そんな彼女の視線の先で倒れたテーブルへと足を突き出し、いかにも蹴り倒した直後という様子の万丈という、異様な雰囲気の二人がいる店内の様相であった。

 そんな店内の、というよりも万丈の放つ剣呑な空気に、一体何事か、と思わず足を踏み入れる事を忘れ入り口で立ち止まる夜宵に、あっ、と今しがた彼女の事に気づいたような素振りを見せる美空から声が掛かった。

 

「夜宵おはよー」

 

「あ、うん、おはよう」

 

 いつも通りの寝間着姿でマイペースに手を上げての美空の挨拶に、まだ少し残る動揺故に覚束ない口調で返事を返す夜宵。

 その一方で、腰に赤いチェック柄の上着を巻いた半袖黒シャツ姿の万丈の方は眉間を寄せた顔で夜宵の方を一瞥したかと思いや、ちっ、と舌を打って、倒れているのとは別のテーブル席の椅子を引き出し、大きな軋みが上がる程に乱暴に腰に下ろした。

 そのまま、クソッ、と二人のいない方を向きながら頬杖を突く万丈を横目に見つつ、そそくさと美空の傍まで移動した夜宵は、彼の背を指差しながら尋ねた。

 

「どうしたのあれ? 何か、すごいイライラしてるけど?」

 

「戦兎の事知ってる人見つかったのが気に入らないんだって」

 

 夜宵の方も、万丈の方も向かず、手元の――中身がくり抜かれた牛の中に、それぞれの部位名がプリントされた肉のピースを嵌め込んでいく形式の――パズルを組み立てながら、美空が答える。

 その答えに、何で、と夜宵は首を傾げる。

 それに対し、パズルを組む手を止めない美空からは、知らないし、としか返って来なかったが、

 

「鍋島の野郎が記憶失くして、証言出来なくなったからだ!」

 

代わりに、振り返った万丈が苛立ちに溢れた声でそう答えた。

 その思わぬところからの回答と激しい怒声に夜宵が怯んでいる間に、万丈が椅子から腰を上げ、彼女達の方へと速足で向かって来る。

 

「俺はやっとの思いで見つけた証人が使いモンにならねェし、手掛かりも一切無くなるわで()()()()()()だッ! なのに、アイツの方は自分(テメェ)の正体知ってる奴見つかったからって、朝からずっと出ずっぱりでッ!」

 

「あの……そこは()()()()()――」

 

「こちとらまともに外にも出られねェのによォ!!」

 

 グイグイ、と至近距離まで来ても足を止めず迫って来る万丈を押し止めようと両の掌を向けつつ、夜宵は後退る。

 その最中に彼の間違いを指摘しようとしたが、やや怖気付いたその声は吠えた万丈によって遮られてしまう。

 その際に飛んで来た唾に、うわっ、と顔を背けて腕を翳す夜宵。

 その僅かな動作の間に傍のテーブル席の椅子に再び乱暴に座った万丈が、クソッ、と拳をテーブルに振り下ろした。

 すかさず、テーブルから鳴り響く衝撃音。

 ミシミシ、やベキベキ、という明らかに鳴ってはいけない音を伴ったそれに、夜宵は美空と共に肩を跳ねさせ、驚きに目を見開いて万丈を凝視する。

 そこで、ふと彼女の耳が微かな声を捉えた。

 

「……何で俺のトコから何も無くなったところに、狙ったみてェに出て来んだ……!? 自分(テメェ)のためだけに動いたのが、そんなに悪ィってのかよッ……!?」

 

(……?)

 

 その万丈の呟きに引き寄せられるように彼を注視してみれば、テーブルに叩き付けたその拳が小刻みに揺れているのが見て取れた。

 まるで何かを堪えるようにも見えるその様子に訝しみを覚えた夜宵は、一体どうしたのかと万丈に声を掛けようとするが、それよりも一歩早く、おい、と彼の首が彼女の方を振り向く。

 

「お前は悔しく無ェのかよ?」

 

「え?」

 

「良く知らねェけどよ、お前、友達(ダチ)探してんだろ? このままじゃあの野郎に先越されるんだぞ? そうなっても悔しくねェのかよ?」

 

「いや、別に……?」

 

 半ば睨み付けられながらの万丈の問いに、首を傾げながら夜宵は返答する。

 その答えを受け取るや、何でだよ、と万丈の双眸が鋭さを増すが、逆に夜宵の方がそう訊き返したい気分だった。

 戦兎に先を越される、というのはつまり、彼の過去を知る人間と接触する事で、戦兎が記憶を取り戻す事を言っているのだろう。それこそ、万丈の無実が証明されるよりも、あるいは夜宵が沙也加を救出するよりも前に。

 一体、それのどこに問題があるのだろうか?

 別に競争しているワケではないのだ。先に戦兎の記憶が戻ろうが、万丈の無実が証明されようが、最終的に自らの手で沙也加を取り戻すことが出来れば、夜宵としてはそれで良い。むしろ、二人のここまでの苦労を知っている身としては、労いの言葉の一つ二つは送ってやってもいいとさえ思っている。

 それに、もし今回の件で戦兎の記憶が戻る事があれば、それは彼女個人としても喜ばしい事になるかもしれない。何故なら――。

 

「だって戦兎さんの記憶が戻ったら、そこからファウストの手掛かりが見つかるかも知れないじゃないですか?」

 

 戦兎の記憶がファウストの人体実験のせいで失われたのは、既に周知の事実だ。

 ならば、その彼が実験された時の記憶を取り戻すことが出来れば、その記憶がファウストの尻尾を掴む新たな足掛かりになるかもしれない。万丈の無実の証明や、沙也加を助け出す手掛かりに。

 だからこそ、戦兎の記憶が戻る事は夜宵にとっても、万丈にとっても有益な事なのだ。

 実際、その事を説明してみれば万丈も、あ、ああ、と揺れるように小刻みな頷きを繰り返して納得し掛けるような素振りを見せていた。が、あるところでふっと思い出したように首を左右に忙しなく振って、

 

「そ、そういう話じゃねェっ!!」

 

と動揺混じりに怒鳴り返して来る。

 それに眉根を寄せ、

 

「じゃあ何ですか?」

 

憮然とした態度で問い返した夜宵に、即座に万丈が何かを言い返そうとする素振りを見せる。

 しかし言葉が纏まらないのか、意味を為さない単語が出て来てはそれが引っ込むというような動作を暫く繰り返した後、最終的にクソッ、とだけ吐き捨てた彼は背を向け、ブツブツ、と何かを愚痴り出し始める。

 微かな声で呟くその内容はちっとも聞き取れなかったが、ともかくその振る舞いは、まるで不貞腐れた子供のようだった。

 そんな万丈の背を見ながら夜宵が嘆息する傍ら、

 

『全く、何かと思えば下らない。本当に騒々しくて迷惑な(狼さん)ですわ』

 

メイジーがフン、と鼻を鳴らす。

 夜宵の鞄の中に入っている彼女には周囲の詳しい状況こそ分からないが、会話の流れから万丈が面白く無い目に遭っている事までは察したのだろう。聞こえて来るその言葉には侮蔑の感情だけでなく、まだ尾を引いている昨日の恨みや、そこから来る嘲笑の感情も伝わって来る。

 そんなメイジーの方にも夜宵が内心で苦笑していると、

 

「……そういやよ」

 

そっぽを向いていた万丈がジロリ、と肩越しに再び鋭い目を向けて来た。

 それに、ん、と夜宵が首を傾げると、椅子に座ったまま体の向きを再び彼女の方へ戻した万丈がこう言った。

 

「お前、前に言ったよな? “一緒に無実を証明しよう”、ってよォ?」

 

「ん、まぁ……」

 

 確かに香澄の一件の時に、恋人の死で自棄になり掛けていた万丈を立ち直らせる過程で確かにそんな言葉を掛けた覚えはある。が、何故その時の事を今更?

 不可思議に思い肩眉を上げた夜宵は、続いて、だったら、と身を乗り出して告げられた万丈の言葉に、思わず声を上げた。

 

「何か無ェか考えろよ! 俺の冤罪証明する手掛かりとか!」

 

「ええ~?」

 

「何でそこで、ええ~、なんだよッ!? 何だお前!? あん時の言葉は嘘かッ!?」

 

「いや、嘘のつもりは無いけど……」

 

 それで何故、この場で万丈の無実を証明する手掛かりを考える事になるのか?

 彼が戦兎の記憶が先に戻るのを良しとしないのも、彼の記憶から手掛かりを得る事も良しとしないのも結局理由不明のままのため釈然としない夜宵であったが、しかし歯を剥いて睨み付ける万丈の形相は適当な言葉ではぐらかす事を許してくれそうにはない。

 仕方なく、何か無いか、と口に手を当てて夜宵は思考してみるが、それらしいものは欠片も浮かんでこない。彼女にしても鍋島がここ数日で一番の手掛かりだったのだから、当然の結果である。

 と、そこへふと、鞄の中のメイジーからこんな提案が投げ掛けられる。

 

『ナイトローグなら何か知ってるんじゃなくて?』

 

「ナイトローグ?」

 

 彼女から出て来た思わぬ名前を、反射的に夜宵は復唱する。

 と同時に、目を剥いた万丈がガバリ、と勢い良く顔を上げたが、メイジーの発言に気を取られる夜宵はそれに気づく事無く、どういう事、と彼女に続きを促す。

 

『どうもこうも、単純な話ですわ。鍋島が記憶を失ったのはファウストのせいなんだから、つまり鍋島が万丈 龍我の無実を証言する事が出来るのを知っていたという事です。だったら――』

 

「――ローグもファウストだから、万丈さんが無実だって知っている?」

 

『そういう事ですわ』

 

 思い返せば、鍋島の家族の救出に際しての罠も、こちらが鍋島と連絡を取ろうとする事を、ファウスト側が知っていなければ成り立たない。つまりはメイジーの言う通り、鍋島が万丈の無実を証言出来る事――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事になる。

 であれば、その一員であるローグも彼の冤罪について知っている可能性が高い。もしも奴を捕まえる事が出来るならば、万丈の無実について証言させる事が出来るかもしれない。――その可能性に彼も至ったらしく、

 

「それだーッ!!」

 

掌に拳を打ち付けた万丈が、座っていた椅子が倒れる勢いで立ち上がって喜色ばんだ叫びを上げる。

 

「おっしゃ決まりだ! そうとなりゃ、早速あの蝙蝠野郎を探してとっ捕まえんぞッ!!」

 

 先程までの苛つきぶりが嘘のように、晴れやかな笑顔を浮かべてそんな事を宣う万丈。

 しかし、その言葉に、いやいや、と夜宵は首を左右に振る。

 

「簡単に言うけど、どうやってローグ捕まえるんですか? どこにいるかだってさっぱり分からないのに」

 

「だから探すんだろが! 何かあんだろ、野郎の居場所探す方法!」

 

「何か、って……」

 

 あまりの万丈の物言いに頭痛を覚え、夜宵は額に手を当てる。

 つい先程まで冤罪を証明する宛てすら無かった彼にしてみれば、ローグという明確な手段を探し求める方が恐らくマシなのだろう。

 しかし、夜宵からすれば左程状況は変化していない。

 彼女自身が言った通りあの蝙蝠男の居場所についてもやはり手掛かりすら無い状態だし、よしんば見つける事が出来たとしても、大きな問題が立ちはだかる。

 

「大体、どうやってアイツを捕まえるんですか?」

 

「あん? そんなモン戦ってブチのめすに決まって――」

 

「強いんですよ、ローグ? 私と戦兎さんが二人がかりでも勝てないくらい」

 

 そう、戦力差だ。

 香澄の一件で初めて戦った時、二体一という数の差など物ともせずあの蝙蝠男は夜宵と戦兎をあしらって見せた。その後に夜宵一人で挑んだ時に至っては、後もう少しで変身解除というところまで追い詰められもしたのだ。それ程までに強いローグを倒すどころか捕まえるなど、無理難題もいいところである。

 その点についてもすぐに思い至ったらしく、指摘するや万丈も、ぐっ、と一度は口籠る。が、それでもようやく見つけた冤罪証明の手段を無駄にしたく無いらしく、

 

「そ、そっちも何かあんだろ、良い方法がよォ!!」

 

と食い下がって来る。

 

「ああ、だったらアレだ! 俺も戦ってやる! いよいよとなりゃ外出られねェなんて言ってらんねェ! 自慢の拳(コイツ)でローグの野郎をぶん殴って――」

 

「要りません」

 

「何でだよッ!?」

 

 手を振ってその言い分をバッサリ切り捨てるや万丈が不満を顕わに吠えるが、多少馬鹿力が過ぎるくらいで仮面ライダーに変身出来ず、スマッシュすら倒せない彼の助勢が加わったくらいでどうにか出来る程ローグは易しい相手ではない。寧ろ足手纏いだ。

 が、それを口に出すと更に面倒になる事は目に見えているため、さてどう返そうかと、詰め寄る万丈を押さえつつ夜宵が思案していると、

 

「まー、ローグに直接繋がるかは分かんないけどさ」

 

それまで会話に参加してなかった美空が不意に振り返り、タブレット端末を夜宵と万丈の間に差し込んで来る。

 その画面に映っていたのは――。

 

HN:ブラッディ・デスアダー さん

コメント:エリアG3で何やら起こっているようだぜぇ? ひょっとしたら例の怪物……いや、それ以上の奴が出て来るかも知れないなぁ? さぁさぁ、急がないと手掛かりが逃げちまうぜ! 急いだ急いだ! チャオ!

 

「スマッシュ叩いてたら本人が出て来た――なんーて事、ひょっとしたらあるかもよ?」

 

 

 

 時を少し遡り、東都 エリアG3。街中を少し外れた工業地帯の一角にある路地裏。

 入り口を除く三方がブロック積みの壁やガラス窓が並ぶ工場の壁に覆われ袋小路になっているその場所こそが、一年前に記憶を失くした戦兎を石動が見つけ保護した、全ての出会いと始まりの場所であった。

 そして同時に、紗羽と立弥を伴って戦兎が目指していたのもまたその場所であったのだが、しかし、記憶を取り戻す一助としてかつての再現を行っていた筈の彼らの姿は今、そこには無い。

 何故なら、今彼らがいるのはそこから少し歩いたところにある工場の中であり、そして、

 

「逃げて下さい!」

 

そこにいた作業員達に襲い掛かるガーディアン達を目にするや戦兎がビルドへと変身、応戦していたためだ。

 そうして黒鉄色のガトリング銃と、オレンジ色の鷹の複眼を併せ持つホークガトリングフォームと、その能力を最大限に引き出せるホークガトリンガーの速射によって瞬く間にガーディアン達を鎮圧するや、アスファルトの地面の上で倒れ込んでいた作業員達に戦兎は避難の声を呼び掛けた。

 その声に反応した作業員達は、一様に土色の作業服と黄色い安全ヘルメットを身に着けた体を起こすや大慌てで散り散りに去って行く。

 

「指名手配犯だあっ! 逃げろおぉ!!」

 

 自分達を襲ったガーディアンよりも、突如現れた仮面ライダー(指名手配犯)への恐怖を叫びながら。

 

「……ま、いっか」

 

 見る見る内に小さくなっていく作業員達の後ろ姿を眺めつつ、仮面の上から頬を掻きながら戦兎は呟く。

 助けた身として、礼の言葉の一つも無く一目散に逃げられてしまうのは正直思う事が無いでも無いが――別にこちらとしてもそんなものが欲しくて助けたわけじゃないし、少なくとも彼らの役には立てた。そういう結果は残った。

 ならそれでいい。

 ()()()()()()()()というその結果があれば、戦兎はクシャ、と笑う事が出来る。

 その結果さえあれば、仮面ライダーは、桐生 戦兎は、正義のヒーローだ。誰に、何と言われようとも。

 

「アニキ~ッ!!」

 

 ふと、背後から声が掛けられる。

 その声に戦兎が振り返って見れば、大きく手を振りながら駆け寄って来る立弥と、その後に続く紗羽の姿が視界に飛び込んで来る。

 

「アニキぃ! アニキ、仮面ライダーだったんすね!」

 

 戦兎の隣に並ぶや、びっくりしたっすよ~、と驚きを顕わにしつつ迫る立弥に、色々あってな、とそこはかとなく引きながら戦兎は返答する。

 それにへ~ぇ、と感心したように頷いていた立弥だったが、ふと、人懐っこい笑顔を浮かべていたその顔が怪訝そうに眉根を寄せる。

 

「あれ~? ってことは、殺人犯の、え~と確か……名前はド忘れしちゃったけど、そいつを匿ってるのも――」

 

 不安げに立弥がそこまで言い掛けた、その時だった。

 パン、パン、という音が何処からか響いて来る。

 まるで掌を打ち合わせているような――それもゆったりと称賛するような――音と音の間隔が少し開けられたその音の出所を探るために、立弥や紗羽と共に戦兎は周囲を見回す。

 そして、音の出所が後方だと気づくや、すぐさま体ごとそちらへと振り返った彼の複眼が、

 

『流石だなぁ、ヒーロー』

 

錆の浮いた鉄骨の柱に支えられたトタンの波打つ屋根の、その上に立つ《そいつ》を捉えた。

 

『ガーディアン程度なら軽く瞬殺かぁ。良いねぇ、それぐらいはやってもらわなきゃなぁ』

 

「お前は……!?」

 

 両腕を左右に広げ、ハハハハ、とボイスチェンジャーを通したような声で楽し気に笑う《そいつ》の姿を、驚愕に見開いた目で戦兎は見る。

 以前戦ったナイトローグのそれと良く似た意匠であるが、(Night)の名を表すような黒一色だったとはあちらとは違う、(Blood)に塗れたようなワインレッドのアンダースーツ。手足や胴に配された鈍い銀色のアーマーに、特に首下にマフラーのように――いや、とぐろを巻く蛇のように巻き重ねられている束が目立つ幾本ものケーブル。

 そして何より、顔を覆うバイザーや胸元に大きくあしらわれた、鎌首を(もた)げ、フードを広げた青緑色の――()()()

 

「……血まみれのコブラ……!」

 

 2年前、夜宵と、彼女の親友を誘拐して人体実験のモルモットにし、更には、一昨日の夜に自分と彼女に毒を盛り、一度はスマッシュ化から解放した筈の鍋島を攫った。

 その張本人が、今まさに目の前にいる。

 その驚きと、そして緊張がため、無意識に切迫させた声でその名を呟く戦兎へ、惜しい、と()が擦り合わせた指を鳴らした。

 

『その呼び方も嫌いじゃあ無いんだがぁ……聞いてないかぁ? ローグ辺りから、俺の名前をさぁ』

 

「……スターク」

 

大当たりぃ(ビンゴぉ)!!』

 

 以前ローグと戦った時、夜宵が奴から聞き出した名前を戦兎が答えるや、両手の人差し指を突き出して満足げに()が声を上げる。

 

『そう、それ! 正確には“ブラッドスターク”――血のBloodに、忍び寄るって意味のStalkだ。以後、お見知りおきを?』

 

 まるで社交の場で自らを紹介する紳士か何かのように、体を後ろへ仰け反らせて左手を胸に、掌を空へと向けた右手を突き出した気取った素振りを交え、自己紹介をする血まみれのコブラ――ブラッドスターク。

 ともすればふざけているようにさえ見えるその仕草と、何故かその言葉回しに、自分でも意外な程の不愉快さを覚え仮面の中の双眸を鋭くする戦兎であったが、しかし彼にスタークの姿を睨み続けている余裕は無い。

 何故ならば、

 

『さぁて、初めての挨拶も済んだ事だし。早速――遊んでやるとしますかぁ!』

 

そう言い終わるのが早いか否か、スタークが何処からともなく取り出した武器――ローグも使っていたバルブ付きの短剣とフルボトルスロットが付いた小型拳銃を合体させたライフルを、彼らに向けて構えたからだ。

 

「! 逃げろっ!」

 

 咄嗟に立弥と紗羽を突き飛ばし、自らも横へと飛び退く戦兎。

 すかさず直前まで彼らのいた地面に数発の光弾が突き刺さり、アスファルトの欠片と白煙をその場に巻き上げる。

 間一髪だ。もし回避が少しでも遅れていたならば、ビルドの装甲で全身を覆っている戦兎自身はまだしも、そうでない立弥と紗羽はまず間違いなく無事では無かった。

 だが安心はしていられない。

 二人が大慌てで近くの物陰へと飛び込んで行くその姿を横目に見ていた戦兎の左肩を、再びスタークのライフルから放たれた光弾が射止めたからだ。

 

「ぐっ……!」

 

 ビルドの装甲――それもガトリングフルボトルの成分から形成された黒鉄色の頑強な装甲で覆われた左肩“BLDガンナーショルダー”は光弾の貫通どころか傷一つ付ける事すら許さなかった。

 が、それでもなお殺し切れない衝撃がそこに齎した痛みは、スタークの射撃が何発も貰って良いようなヤワな攻撃では無い事を、如実なまでに訴え掛ける。

 すぐさま、戦兎はソレスタルウィング(背の一対の翼)を展開。内蔵されたエアブースターの全開出力を乗せた羽ばたきによって一瞬の内に高空へと飛び上がる。

 続けて、一拍遅れて足下を通り抜けていく数発の光弾を眼下に納めながらもう一度ソレスタルウィングを一扇ぎすると共に上半身を下へと傾け、高空から獲物へと襲い掛かる鷹の勢いそのままに斜め下目掛け急降下する。その先に立つスターク目掛け猛然と、一直線に。

 ――しかし、

 

『おおっとぉ』

 

充分に位置エネルギーを乗せたところで足を正面に伸ばして繰り出した渾身の飛び蹴りは、しかし接触の直前にスタークが身を翻した事によって危な気無く躱されてしまう。

 更に、止むを得ず外した蹴りの勢いに任せて再び宙空へと舞い上がろうとしたところ、そこに狙いを付けたスタークのライフルが三度火を噴く。

 なまじ直前までその身に掛かっていた加速を利用しての上昇だっただけに、細かな回避行動を取る事が出来なかった戦兎はその場で反転。と同時に右手に握ったホークガトリンガーを構え、連射し、迫る3発の光弾を迎撃する。

 スタークとの間の中間位置から、やや戦兎よりの空間で衝突し合った互いの火箭が激しく弾け、消滅する。その様を見上げたスタークが、おお、と感心したような声を上げた。

 

『今のを止めるかぁ! 良い感じに隙を突いたと思ったんだが、やるじゃねぇか!』

 

 そう言って手を叩き、今の戦兎の行動を褒めるスタークであったが、相手はファウストの一員――敵だ。そんな相手に褒められたところで嬉しくなど無く、むしろこちらの緊張を狂わされるせいで困惑すら覚える。

 故に、緊張を保つ意味も込めて戦兎は叫んだ。

 

「お前だな!? 一昨日の夜に俺達を襲って、鍋島を攫ったのは!」

 

『また大当たり(ビンゴ)だ。奴は色々と喋ってもらっちゃ困る事を知ってたんでなぁ』

 

「だから、もう一度スマッシュにしたのか? 鍋島を黙らせるために、記憶を消すために!」

 

『またまた大当たり(ビンゴ)ぉ!』

 

 人差し指を立てた右手を突き出して軽快に告げるスタークに、頭に熱が昇るのを戦兎は感じた。

 怒りの熱だ。

 一方的な都合で鍋島の記憶を奪い、当人のみならず、その妻子にも少なくない悲哀や苦痛を与えた事。そもそも人を怪物に変え、記憶を奪うという行為について何も悪びれる様子の無い。

 そんなスタークの態度には、半ば分かっていた事といえど戦兎は――自らを形作るその一切合切を奪われる苦しみを今も味わい続けている彼としては、義憤という言葉では済まない怒りを感じざるを得なかった。

 ともすれば我を忘れてしまいそうになるその怒りを、頭を振ってどうにか抑えた戦兎は、改めてホークガトリンガーを構え直し、照準をスタークへとしっかり合わせてからその引き金を引こうとする。

 しかし、彼がそうするよりも一瞬早く、突き出されたスタークの左腕から何かが伸び、ソレスタルウィングの右側を打ち据えた。

 空中での姿勢制御の大半を担う翼の片側が攻撃を受けた事により、一度バランスを崩す戦兎。幸い、翼に大きな損傷は無く、そのまま落下してしまうような事態には陥らなかったため、すぐに態勢を立て直した彼は照準の逸れたホークガトリンガーをもう一度構え直そうとして――すぐにその位置から飛び去った。

 一拍遅れ、直前まで彼がいた場所へ飛び込んで来る、二本の触手。

 鈍い銀色の、先端がまるで蛇の毒牙のように鋭利になっているそれらを目で辿って行けば、果たして伸ばした両腕からそれらを伸ばすスタークの姿が――。

 

『おやおや余所見かぁ? 余裕なんだなぁ!』

 

 そう言うや、スタークが伸ばしたままの両腕を戦兎の浮かぶ方へと勢い良く振り回す。

 すると、腕の運動に引っ張られた触手が――さながら、力一杯に振られた鞭の如く――大きく撓りながら戦兎へと迫って来る。

 ブォン、と激しく風を切る音を上げて迫って来た触手の、うちの一本は咄嗟にソレスタルウィングを扇いでの上昇でどうにか回避する戦兎。

 しかし、間髪入れず迫って来た二本目までは対処が追い付かず、一本目よりもやや高い位置から迫って来たそれが戦兎の左の足先を殴打。更に過たず、装甲から火花が上がる程に強い力が加わった彼の体はその場で縦に90度近く傾いてほぼ水平になると共に、先程よりも大きくバランスを崩してしまう。

 おおっ、と背の翼以外に支えの無い空中でグラつく体に狼狽える戦兎。その間にも触手を巣の中へ引っ込む蛇のように手甲内へと収納したスタークが、手にしたままのライフルを悠々と構え直す。

 その様を複眼の端に捉えていた戦兎は、止むを得ない、と態勢を戻すよりも前にソレスタルウィングを大きく羽ばたかせる。これによって、彼自身の意思とは関係無く斜め下方向へと飛び出した戦兎の体は、どうにか光弾に食らい付かれる事を免れる。

 しかし、それだけでは終わらない。

 彼方へと消えていく光弾を視界の端に見て、その方向から戦兎は気づいた。斜め下への滑空を続ける自らの体の進行方向が、偶然にもスタークのすぐ真横を通るルートである事に。

 全くそうするつもりの無かった完全な偶然だったが、しかしこれは大きなチャンスだ。

 迷わず、ソレスタルウィングをもう一扇ぎして加速する戦兎。その視界の先で、向かって来る彼を迎撃せんとスタークのライフルがまっすぐに向けられる。――銃口の奥に、光が灯る。

 すぐさま、体を横に半回転。

 スタークのいる向きに対して正面を向くや、眼前を光弾が一瞬の内に通り抜けていくのにヒヤリ、としつつも、更に戦兎は体を翻す。

 そうして、仰向けの態勢で空を見ながらも速度を緩めず飛行し続ける彼が、おおっと、と横に逸れるスタークのすぐ横を通り抜けた、その刹那。

 

「そこだ!」

 

 ソレスタルウィングのエアブースターを全開にした戦兎はその場で体を持ち上げ、急ブレーキ。同時に、掛かっていた慣性に体が引っ張られそうになるのを耐えつつ、ホークガトリンガーを両手で構える。

 狙うは――突然の事に対処が出来ず、無防備に晒されるスタークの背中。その中央へと照準を合わせた戦兎は、引き金を引く。

 

『うおぉっ!?』

 

 過たず発生する銃火の嵐。絶え間無く飛び出しては炸裂音を上げて弾け散る光弾の群れに振り返りつつも、溜まらず奥へ奥へと押し込まれていくスターク。その足が、遂にトタンの屋根の端を超え、何も無い中空を踏み抜く。

 そうして屋根の下へと落ちていくスタークの姿が完全に見えなくなるのを待たずに、ホークガトリンガーの連射を止めた戦兎はそのまま前方斜め上へ飛翔。どうにか背中から落ちるような事も無く二本の足で地表に着地しているも、明らかに態勢を崩しているスタークの後方の上空へと回り込んだ彼は、右手で握ったボルテックレバー(ドライバー横のレバー)を回し、エネルギーをチャージする。

 

<Ready Go!>

 

 ボルテックレバーが直結する銀色のエネルギー生成部(ボルテックチャージャー)の発光と共にエネルギーチャージの完了を告げる電子ガイダンスがドライバーから流れると同時に、戦兎の左右にガトリングフルボトルの成分から生成されたガトリング砲が一基ずつ出現。1m四方にも満たない小型の、黒鉄色のエネルギ―の塊であるそれらの銃身が回転し、地表のスターク目掛け同色のエネルギー弾を乱射し始める。

 あくまで牽制だ。その場に固定され、上下左右方向の修正が利かないその射撃は態勢を崩している今のスタークだからこそ当たるものであり、そもそも放たれているエネルギー弾一発一発の威力はホークガトリンガーの光弾よりも劣っている。これだけで敵を倒す事はほぼ不可能と言っていい。

 本命は――体を斜め下へと傾けて一気に接近するや、前転して頭と位置を入れ替え、前方へと突き出した左足。その足先を――

 

<Vortex Finish(ボルテック フィニッシュ)! Yeah(イエーイ)!!>

 

――チャージされたエネルギーとタカフルボトルの成分によって作り上げられた巨大な鷹の(あしゆび)を、急降下で得た位置エネルギーを全て乗せて、戦兎は叩き込む。

 そうして次の瞬間、猛禽の握力を以てエネルギーの趾は閉じられ、それに握り込まれたスタークに必殺のダメージが与えられる――。

 

『おっとぉ!』

 

――筈だった。

 

「――っ!?」

 

 半透明の趾越しの光景を、戦兎は思わず凝視する。

 上下から閉じ込んだオレンジ色の鉤爪が、上下に広げられたスタークの両腕によって、そうなるのが当然かのように受け止められた、その光景に。

 バカな、と心中で毒づく戦兎。

 そんな彼にも、またその間も激しいスパークを上げて襲い掛かろうとしている彼の攻撃を受け止め続けながらも、それがさして苦になっていないかのように、ふぅん、とスタークが鼻を鳴らす。

 

『“ハザードレベル”――ん~、ざっと3.2ってとこかぁ?』

 

 そう、意味の分からない事を感心気に呟いたかと思った次の瞬間、鉤爪を押さえているスタークの両腕から触手が伸び、左右から迫ったその先端が戦兎の胴と腹に勢い良く突き立つ。

 瞬間、激しい火花を伴う強烈な衝撃が襲い、それによって必殺技の維持が途切れてた事で消えてしまった趾から足首へと回されたスタークの右手によって、戦兎は軽々と投げ飛ばされた。

 ソレスタルウィングの制動を効かせる余裕の無い僅かな間の浮遊の後、アスファルトの上に落ちると共に背中に走った痛みに呻く戦兎。それでも態勢を立て直さねばと何とか首を持ち上げた彼に、スタークが薄く笑い掛ける。

 

『まだまだ伸びしろは有りそうだぁ。今後に期待、ってとこかな?』

 

「何を言って――」

 

『気にすんなぁ、独り言だ。さぁて、俺はここいらで帰らせてもらうぜ?』

 

 クルリ、とスタークが踵を返す。

 ――聞き逃せない言葉を口にしながら。

 

『今日は()()()相手する気は無いんでねぇ』

 

「っ!?」

 

 その言葉に一瞬意識を奪われ掛けた戦兎であったが、すぐに慌てて立ち上がり、待てッ、と呼び止めようとする。

 しかし、その声に振り替える事無く背を向けたまま、いつの間にかライフルからバルブ付きの短剣の部品を取り除いた小型拳銃を握った右手をスタークが掲げる。

 

『また会おうぜ、近いうちになぁ』

 

 そう告げるか早いか否か、小型拳銃の先から噴き出た白煙がスタークの体を覆い尽くしていく。

 その様を目にした戦兎はホークガトリンガーを撃ちつつ急いでスタークへと駆け寄ったが既に時遅く、放った光弾に引き裂かれた白煙が消えたそこから、スタークは、既に去っていた。

 最後に一言、こう別れの言葉を残して。

 

『チャオ。桐生 戦兎、()() ()()

 

 果たして、その言葉が耳に届くか否かというタイミングで、恐る恐る後ろへと振り返った戦兎は、その視界の向こうに佇む姿を見つけ、息を呑んだ。

 この場に居なかった筈の、その姿を。

 リアスタンドを下ろして停車させたマシンビルダーを工場の奥へと残して、こちらへと全力疾走で駆けて来る、その姿を。

 距離が詰まるに連れ、信じられないものを見たように限界まで剥かれた瞼の中の青み掛かった瞳が不安定に揺らめく様が明らかになっていく彼女の、その姿を。

 

「……夜宵……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()彼女の、その姿を。

 

 

 

「美空ッ!!」

 

 ガァン、と出入口の扉が壁に強かに叩き付けられる音と、同じくしてnascitaの店内に激しく響き渡った自分の名に、カウンター席であと少しというところまで組み上げていた牛の肉のパズルを思わずひっくり返してしまう程に美空は驚き、肩を跳ねさせていた。

 体を走ったその衝撃のままに大慌てで振り返って見れば、果たしてその目に入って来たのは、伸ばした右腕で開け放たれた出入口の扉を壁に押し付けている夜宵の姿だった。

 

「や……夜宵……?」

 

 一体、どうしたというのか?

 肩を怒らせ、その場で荒い息を吐いていたかと思えば、こちらに気づいたかのように振り返るや、慌ただしい足取りで夜宵は距離を詰めて来る。

 傍から見ても尋常ではないその様子のままあっという間に眼前まで辿り着く彼女に、訳が分からず美空は困惑と不安を募らせるしかない。

 が、続けて放たれた夜宵の言葉を前に、そんな彼女の心中は一瞬の内に驚愕一色に塗り替えられる事となる。

 

「お願い! 今すぐ()()()()()()()()()!!」

 

「……え?」

 

 ……“みーたん”?

 

「……えっと、今、何て?」

 

 聞き間違えた、と美空は思った。

 だってそうだろう。

 夜宵は“みーたん”の事を良く思って無いのだ。“みーたん”が美空を危険な目に遭わせると大袈裟な程に思い込み、度々“みーたん”をやる事について苦言を呈したり、渋い顔を浮かべたりしているのだ。そんな彼女の口から“みーたん”をしてほしい、なんて言葉が出て来る事は有り得な――。

 

「だから、“みーたん”やってって!」

 

「ええっ!?」

 

 再び、今度はハッキリと聞き取れた信じられない夜宵の言葉に、意識する間も無く美空の口から仰天の叫びが飛び出た。

 おかしい、という言葉しか頭に浮かばなかった。

 ――そうだ。今の夜宵は、おかしい。

 様子も、言動も。つい先程、みーたんネットの書き込みを見てnascitaを出たほんの数十分前と比べて、酷く落ち着きが失われているというか、焦っているというか……ともかく、明らかにおかしい。

 一体、何があったというのか?

 その答えは、美空が問い質すまでも無く、夜宵自身が絞り出すような声で告げた。

 

「――アイツがいたの」

 

「あ、あいつ……って?」

 

「アイツが……あの、()()()()()()()()()!」

 

「!?」

 

 血まみれのコブラ。――その名は、美空も知っている。

 かつて夜宵と、彼女の親友を攫った誘拐犯。二人を、かつての自分と同じ目に遭わせた、ファウストのメンバーとして。

 だからこそ、彼女もまたその名に衝撃を受けた。思わず目を見開き、頭の中が真っ白に染まってしまう程の衝撃を。

 それ故に言葉を失ってしまった美空と変わらず焦燥した様子を見せる夜宵との間に、そんな彼女達の心情など知らんとばかりに割り込んで来る者がいた。

 

「おいちょっと待てェ!!」

 

 万丈だった。

 夜宵が戻って来るまで適当な席で貧乏揺すりをしていた彼が、そこから立ち上がるや荒々しい歩調で詰め寄って彼女の肩に手を掛け、怒鳴りつけた。

 

「何なんだよッ、その血()()()()()()ってのはッ! マムシだかハブだか知らねェが、んなモンよりさっさとローグの野郎とっ捕まえて俺の冤罪を――」

 

「そんなの後ッ!!」

 

 そんな万丈に対し、肩を掴む彼の手を乱暴に振り解きつつ振り返った夜宵が怒声を浴びせ返す。

 当然ながら、ア゛ア゛ッ、とドスの効いた声が彼から返って来るが、そんなの痛くも痒く無いとばかりに、臆さず夜宵が叫び返す。

 

「私と沙也加を攫ったのはアイツなの! アイツならきっと、沙也加が今どこにいるかも知ってる! 沙也加を取り戻せるかもしれないチャンスなのに、()()()()やってる暇なんか無い!!」

 

「――なっ!?」

 

 夜宵の物言いと迫力に気圧されてか、目を見開いて固まる万丈。

 その彼の隙を逃さず、再び美空の方を振り向いた夜宵が顔を至近距離まで近づけ、念を押す様に叫ぶ。

 

「ともかく! 今すぐアイツの事を調べて! 私も今から探しに行くから、何か分かったらすぐ連絡して!」

 

「いや、ねぇ、ちょっと待――」

 

「お願いね!!」

 

 当惑する美空を余所に、最後にそう言い切るや踵を返して足早に駆け出し、そのまま乱暴に出入口を押し開けてnascitaを出て行く夜宵。

 起こったかと思えばあっという間に過ぎ去っていく突然の嵐のようなその慌ただしさに、カランカラン、と彼女が去っていた後も鳴り響く出入口のベルの音を聞きながら美空はぽかんと開口するしかなかったが、

 

「――くっそォッ!!」

 

それすら許さないとばかりに、激しい怒声を伴ってカウンターテーブルの上に叩き付けられた万丈の拳が彼女の肩を大きく跳び跳ねさせた。

 

()()()()だとォ!? フザけんじゃねェぞあのガキ! テメェには()()()()でも、俺にとっちゃ大切なんだよ!!」

 

 再び、万丈がカウンターテーブルに拳を振り下ろす。

 それこそ陥没してしまうのではないかという程に激しい音を立てて振動するカウンターテーブルに、もう一度ビクリ、と体を震わせた美空は今の怒り心頭の万丈に身の危険を覚え、それとなく後退る。

 その最中で、ふと聞こえた気がした

 怒りに体を震わせながら俯く万丈の、歯を食い縛った口から漏れ出た呟きが。

 

「……今度はアイツもかよ! ……何で、アイツらだけっ……!」

 

(?)

 

 その言葉が少しだけ気に掛かった美空であったが、しかし彼女がそれを追究することは無かった。

 今の万丈がそんな事を問える状態では無かったというのもそうだが、何より、

 

「今夜宵来なかった!?」

 

再び乱暴に開け放たれた出入り口から現れるや、開口一番にそんな事を言いながら駆けこんで来た戦兎が、その疑問をきれいさっぱり押し流してしまったからだ。

 

 

 

 その日は、岸田 立弥にとっては正に息吐く間も無い驚きの連続だった。

 一年前から行方知れずだった敬愛する兄貴分である佐藤 太郎が見つかった事も。

 いつの間にか記憶を失って桐生 戦兎と名乗っていた彼と実際に対面し、失踪前と比べて人が変わってしまったかのようなその様相や言動も。

 そして何より――彼こそが現在指名手配中の仮面ライダーであった事も。

 そこまでの段階でも、彼にとっては驚愕せざるを得ない事柄ばかりであった。この一年の間に何があったのか問い質す事さえ忘れてしまう程の興奮が、その時点での彼の内で湧き上がっていた。

 では、今はどうなのか?

 

「せ、戦兎……?」

 

 あのブラッドスタークとかいう怪人が消え去り、それと入れ替わりに見知らぬ茶髪の少女が立弥達の前に現れたあの時から時間は経過し、午後12時間近。

 驚愕に目を見開いて立ち尽くしていたかと思いや、その場で踵を返すや後方へ控えさせていたバイクに飛び乗り走り出した少女に、一拍遅れて仮面ライダーから元の姿に戻るや、何故か戦兎は血相を変えてその後ろ姿を追い駆け出した。その突然の行動に呆気に取られつつも、共にいた紗羽と共に立弥もまた彼の後を慌てて追い、そうしてこのnascitaという喫茶店の店内に足を踏み入れたところだったのだが――。

 

「夜宵なら……今、出てっちゃった、けど? ……入れ違いで」

 

「……最っ悪だ」

 

 戦兎によって慌ただしく開け放たれた出入り口の扉を紗羽と共に潜り抜けた立弥の視界にまず入って来たのは、深い溜息を吐く戦兎の姿だった。

 

「どうしてよりにもよってあんなタイミングで……あー、本っ当にもー!」

 

 心底面白く無さそうに頭を掻き毟る戦兎。

 そこへ、彼のすぐ近くのテーブル席に座っていた寝間着姿の少女からの、あのさ、という問い掛けが彼に投げ掛けられる。

 

「ホント? 血まみれのコブラ出たって? ……夜宵、言ってたんだけど」

 

「……ああ」

 

 たどたどしく紡がれた少女の疑問に、頭へやっていた両手を肩と共にガクリ、と垂れ下げながら戦兎が頷く。

 少女が口にした夜宵というのが先程の茶髪の少女の名前であるという事は、ここに来るまでの道中で紗羽から聞かされたため、既に立弥も知っていた。彼女も仮面ライダーで、戦兎と共に先程のブラッドスタークのような連中と戦っているとも。

 だが、分かるのはそこまでだ。その夜宵がどうして現れるなりあの場から走り去ったのか、彼女を追っていた時の戦兎が何故ああも尋常で無い様子だったのかについては、紗羽も分からないとの事だった。

 と、その時であった。

 

「おいッ!!」

 

 不意に獣の吠え声のような怒声が店内に響き渡ったかと思いや、間髪入れずドスドス、と荒々しい足取りで何者かが項垂れるままに手近なカウンター席の椅子を引き出そうとしていた戦兎へと近づき、その肩を掴んで強引に振り向かせたのは。

 そのまま、んー、と気だるげに顔をゆっくり持ち上げる戦兎に対して、彼の肩を掴んだままのその何者か――茶髪を編み込んだ筋肉質な体の青年が、怒りの形相で叫んだ。

 

「どうなってんだッ!?」

 

「あ? 何が?」

 

「あのガキの事だッ! 戻って来るなり()()()()()()()()()()()がどーのこーの言って飛び出して行きやがったぞ!? ローグの野郎とっ捕まえるって話だったのに、何考えてやがんだ!!」

 

 唾を飛ばす勢いで喚き立てる青年。そして、その怒声を浴びて煩わしそうに渋面を作る戦兎。

 そんな二人の様子をぼーっと見ていた立弥であったが、目の前に広がっているのが“知らない男が敬愛する兄貴分に怒鳴り込んでいる”状況であると思考が至るや、

 

「おいお前ぇ!」

 

すぐに青年と戦兎の間に飛び込み、青年を睨み付けた。

 

「アァ? 誰だテメェ!?」

 

 怒りに寄せた眉根をそのまま、唐突に沸いて出て来た立弥への怪訝さと不愉快さを滲ませた声で威圧して来る青年。

 正直ちょっとおっかなく感じたが、それでも負けじと、立弥もまた見下ろす青年の鼻先へと顔を突き出して言い返そうとする。

 

「お前こそ誰だこのやろぉ! 帰って来るなり俺のアニキ怒鳴り付けやがって! 一体何様……」

 

 言い返そうとして、しかし、その途中で彼はふと気づく。

 鼻先数cmまで顔を突き合わせた事で、その青年が何者であるのかを。

 

「お前っ、まさかっ!? 万丈 龍我!? 殺人犯の!?」

 

 そうだ、間違いない。

 一年前、科学者の葛城 巧を殺した罪で捕まった元格闘家。

 そして、その事実が同時に立弥に思い出させる。

 万丈が、この男が刑務所から逃げ出した脱獄犯である事。そして、この男の逃走を手伝い匿っているがために、同時に指名手配されているのが()()()()()()()()()という事。

 つまりは――。

 

「あっ、アニキぃ!!」

 

 すぐさま立弥は視線を万丈から戦兎へと切り替え、大慌てで声を上げる。

 項垂れた様子でカウンター席に腰を掛けたところだったらしい戦兎は、う~ん、と振り返りもせず面倒臭そうな声を上げたが、構わず立弥は詰め寄った。

 

「アニキっ! こ、コイツ万丈っす! 葛城 巧、こっ、殺したっ!」

 

「あー、それね。それなんだけどさ――」

 

 と、気だるげな調子を崩さないまま戦兎が何かを告げようとするが、

 

「俺は殺してねェッ!!」

 

途端に万丈から放たれた凄まじい怒声がそれを遮り、うひっ、と立弥の肩を跳ねさせた。

 その一方で、

 

「――って事でさ、どうも冤罪みたいなんだよね」

 

だから匿ってやってんだよ、と特に万丈の大声に怯む様子も無く、気だるげな声色を崩さないまま戦兎が締め括るが――立弥は納得出来なかった。

 

「い、いやそんな筈無いっす! こっ、コイツが殺してないなんて! かっ、葛城殺したの、コ、コイツっすよ!!」

 

 力み過ぎて震える指先で万丈を指し示しながら、必死の思いで訴える立弥。

 すかさず、ア゛ア゛ッ、と荒げた声を上げた万丈に手首を掴まれて強引に下げさせられるが、それに怯む事無く、逆に彼の方へ向き直るや、ズイッ、と一歩踏み出して立弥は万丈を睨み付ける。

 

「おっ、お前ぇっ! アニキが人が良いからって、だっ、騙しやがって!」

 

「何ワケ分かんねェ言ってんだテメェ! 俺は殺ってねェって言ってんだろが!!」

 

「そんな筈無い! 葛城殺したのはお前だ! お、お前の筈だ! お前以外いないんだぁッ!! でなきゃ、でなきゃ……」

 

 アニキが……!

 徐々に語気が弱まっていく万丈への反論の最後に、自分以外に聞こえるか聞こえないかどうか分からない程に小さな声で、立弥は呟く。

 ああ、そうだ。

 万丈 龍我の殺人が冤罪だったなど、到底納得いかない。

 もしそうだとするなら、他に葛城 巧を殺した真犯人がいるという事だ。

 もしそんな人物がいるとするならば、それは――!

 

「おい、立弥?」

 

 流石に様子がおかしいと思われたのか。不意に掛けられた声に振り返れば、カウンター席から立ち上がっていた戦兎の訝し気な顔がそこにあった。

 戦兎は続けて何かを言葉を掛けようとしていたが、それを待たずに立弥は万丈に掴まれたままの腕を振り払い、戦兎の方へと体を向き直して宣言した。

 

「アニキ! 待ってて下さいアニキ! 俺、証拠探してくるっす! コイツがアニキを騙してるって証拠! アニキは()()()()()()()()()()()()()って証拠を!!」

 

 そう告げるだけ告げるや、困惑する戦兎や、激しい怒声を上げて掴み掛ろうとしてくる万丈に構わず、一目散に立弥は駆け出し、nascitaを後にした。

 ――もう8時間、いや9時間前の出来事だ。

 すっかり夜の帳が下り、辺り一帯をすっかり覆ってしまった闇の中を立弥はトボトボ、と歩いていた。

 敬愛する兄貴分のために、と勢いに任せて飛び出した立弥であったが、特別宛てがある訳でも無かった彼が何かを見つける事など適わず、ともかく足の赴くまま駆けずり回った果てに、気づけばこの碌に電灯の類も見当たらない見知らぬ路地で項垂れ、途方に暮れるしかなかった。

 

「……アニキは……騙されてる」

 

 それは間違いないのだ。

 立弥の知る佐藤 太郎は本当に人の良い人間で、きっとそういうところは記憶を失い桐生 戦兎と名乗るようになってしまった今でもそう変わっていない。指名手配されている身でありながら、それに構わず見知らぬ人々が襲われているところへ仮面ライダーとして駆け付けたあの昼頃の場面がその証明だ。

 だから、彼はあの万丈の出任せを信じてしまって、自分まで犯罪者になってしまう事も構わず手を貸してしまっているのだ。

 ――()()()()()()()

 だから、何としても見つけなければいけないのだ。万丈が嘘を吐いている事を。世間が知る通り、葛城 巧を殺したのは万丈 龍我である事を証明する、証拠を。

 ――立弥の知る佐藤 太郎は、決してそんな()()()()()()を仕出かす人間ではないのだから。

 だから、フラつきながらも立弥は足を止めない。

 兄貴分を騙している万丈への怒り――よりも、寧ろ自らの内で燻る()()に突き動かされるままに。

 そうして、周囲を覆い尽くす暗闇の中で唯一の光源といえたトンネルの中へと進み、その中程辺りまで進んだ時だった。

 

『お困りのようだなぁ?』

 

 不意にトンネルの区切られた空間内を反響したその声に立弥は足を止め、鉛のように重くなった体をゆっくり捻って振り返る。

 そして次の瞬間、仰天の悲鳴と共に腰を抜かし、その場に尻餅を着いた。

 

「おっ、お前昼間のっ!?」

 

 トンネルの入り口からゆっくり歩み寄って来るその姿を前に、立弥は愕然とせざるを得なかった。

 何せ、トンネル内の照明の光を受けてヌラヌラ、とした輝きを放つ声の主は――ワインレッドの体に青緑色のコブラが胸と顔にあしらわれたその姿は、昼間仮面ライダーに変身した戦兎が戦っていたあのブラッドスタークに他ならなかったのだから。

 彼と戦兎がどういう関係なのか、立弥は知らない。しかし、敬愛する兄貴分と武器を手に戦うような間柄のそのコブラ男がおよそ友好的な関係で無い事は確かであり、そんな相手を前にしては立弥が少なからず恐怖に駆られるのは当然の事だ。

 それ故体を震わせて後退る立弥の様子に構わず、悠然と歩み寄りながらスタークが語り掛ける。

 

『当ててやるよぉ、お前が何をしたいのか。――証明したいんだろ、()() ()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()事を』

 

 その言葉には、えっ、と意図せず声を漏らした立弥が後退るのを止めさせる力があった。

 そのまま、立弥の目と鼻の先まで辿り着いたスタークがしゃがみ、彼の顔をコブラのバイザーで覗き込みながら告げる。

 

『どうして分かった、って顔してるなぁ。そりゃ分かるさ。俺は、()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()、全部知っているからねぇ』

 

「っ!」

 

 含み笑い混じりのその言葉に、すぐさま立弥は目を見開いて食い付く。

 

「ほ、本当か!? あの日っ、何があったか知ってるのか!? な、なぁ教えてくれよ! ア、アニキは()()()()絶対しないんだ! 絶対万丈が嘘吐いている筈なんだ! そうじゃなきゃ、アニキは、アニキはっ! アニキは……俺の、せいで……」

 

『ハハハ、そうだよなぁ、()()()()()()()よなぁ。()()()()絶対有り得ないもんなぁ、俺もそう思うよぉ』

 

「じゃあ!」

 

『ああ』

 

 思わぬところから光明が差し込んだ。

 そう感じ破顔した立弥の肩が、ポンポン、と頷くスタークの手に優しく、力づけるように二度叩かれる。

 

『お前に教えてやるよぉ。――あの日、()() ()()()()()() ()()()()()()()()、を』

 

 そう。

 確かにこの瞬間、立弥は確かに大きな希望を抱いた。

 そう。

 

『ちょいとばかし――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 肩に置かれていたスタークの手が獲物を見つけた毒蛇宛らの素早さで立弥の首へと食らい付き、そのまま締め上げてしまうまでの、その瞬間まで。

 

 

 

 手を離すと共に、意識を失い糸の切れたマリオネットのようにその場に倒れ込んだ岸田 立弥の体を続けて持ち上げ、肩に担ぎ上げる。

 そうして立ち上がったスタークは、さてと、と肩越しに背後を見遣った。

 

『後はコイツをスマッシュにしちまえば、明日の準備は完了だ。――いよいよ近づいて来たぜぇ、再会の時がなぁ』

 

 そう告げる青緑色のコブラのバイザーの先には、いつの間にやら何者かが立っていた。

 トンネル内の照明に照らされるその何者かから苦言を返され、スタークはハッハッハ、と小さく笑う。

 

『そりゃあ悪かったぁ。だが、俺もゲームメイカーとして考えられる最高のシチュエーションは用意してやったつもりだ。()()()が来りゃあ、きっとお前も満足出来る。――だから、もう暫くお口はチャックだぜぇ?』

 

 えー、と何者かがぶー垂れるが、構わずスタークはその横を通り過ぎ、トンネルの出入り口へと悠然と歩みを進める。

 

『さぁて、明日から遂に()()()()だ。これから先お前らがどれだけ成長出来るかが()()()()に関わって来るんだから、しっかり頼むぜぇ? なぁ』

 

 ――()()()()()()()()()()()

 後からついて来る何者かを背に、フッフッフ、と楽し気に笑うスタークの声がトンネル内に小さく響いた。

 



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Maizie~少女が仮面ライダーになるまで~
むかーしむかーし、さらわれていたおんなのこがかえってきました


それでは活動報告でもちょっと触れていた番外編、“Mazie~少女が仮面ライダーになるまで~”を今回から投稿させて頂きます。
この話は本編の前日譚、夜宵がライダーメイジーになるまでを描いた、仮面ライダーWでいうところのビギンズナイトに相当する物語となります。本編と進行度合いをある程度リンクさせたいのでこちらも更新頻度はかなり低くなってしまうと思いますが、どうかお付き合い頂きますよう、お願いいたします。

それでは本編スタート!


 彼女は走っていた。

 土砂降りの外を、身に纏っている白かった筈の患者衣を、裸足を踏み出す度に跳ねる泥と雨水で汚しながら。

 無我夢中だった。

 どうやって、自分と親友が監禁されていたあの場所から抜け出せたのか、覚えていない。抜け出した後の、その道順も今となっては定かではない。それどころか、自身がその監禁場所で何をされていたかさえも。

 確かなのは、自分でも何が理由で湧き上がっているのか分からない恐ろしさに突き動かされるまま、時に転んだりしながらも必死に足を動かしていたという事。そして、気づけばいつの間にやらアパートの一室である自宅の扉の前に辿り着いていたということだ。

 扉横に備えられたチャイムのスイッチを押そうと伸ばした右手が、酷く震えた。

 そのせいで人差し指がなかなかスイッチを捉える事が出来ず、唯でさえ全速力で走っていた彼女の息が募る焦燥によって更に荒くなった。

 それでも何とかスイッチを押し込み、チャイムが鳴る音が扉越しに聞こえて来た時には、引き攣った口を出入りしていた呼気にも安堵の息が混じりもした。

 暫くして、はーい、という応答と共に扉の奥から、パタパタ、というスリッパの鳴る音が近づいて来る。

 そうして、扉を隔てたすぐ先まで辿り着いたスリッパの音が止むや、チェーンロックが掛かったままの扉が僅かに開けられ、そのスペースからスリッパの主がその顔を覗かせた。

 青み掛かった優し気な瞳、瞼の上で切り揃えられた淡い茶髪、若々しく穏やかさを感じさせる面持ち。

 愛おしくて、会いたくて堪らなかった、母の顔が。

 その顔を目にして、漸く、少しずつ、顔の引き攣りが、体の緊張が、心を満たしていた恐怖が、解消されていく。

 対照的に呑気な視線を向けていた双眸を見る見るうちに見開いていった母が、すぐさまチェーンロックを外し、壁に衝突してけたたましい音が出る事も構わず、力任せに扉を全開にする。

 そうして、エプロン姿の全身を顕わにした母は、目の前の事態を受け入れるのに時間が必要だったのか、暫く玄関で呆然と立ち尽くしていた。

 が、剥かれたその目が眉間と共に歪んだかと思いやそこから涙が流れ落ち、遂には倒れ込むようにその場に立っていた彼女に抱き着き、号泣し出した。

 濡れそぼっていた患者服から水や汚れがうつる事も構わないとばかりに、痛みを覚える程に強く、固く抱き締めて来る母のその腕や体から、様々なものが冷え切っていた彼女の身体へと染み渡って来る。

 心地良い温もり。

 懐かしい匂い。

 サラサラとした髪の感触。

 何もかもが待ち望んでいたものだった。

 何もかもが、攫われたあの日から永遠に失われてしまったのではないかと不安になっていた。

 半ば諦めかけていた。

 二度と会えないのではないかと思っていた最愛の母親と、やっと再会できた。

 気づけば、彼女もまた決壊したダムのように、小刻みに震える母の体を抱き締め返して、泣き叫んでいた。

 この時ばかりは、置いてきてしまった親友の事は彼女の頭には無かった。

 故に、その腰に巻かれたままだった()()の冷たい重さや、そこに収まった()()()()()事など、欠片も残さずその記憶ごと頭から吹き飛んでしまっていたとしても、それは仕方のない事であった。

 親友――須藤 沙也加と共に消息を絶ったその日から、およそ一ヵ月。

 彼女――星観 夜宵が待ち焦がれて止まなかった我が家への帰省が、ようやく叶った瞬間であった。

 

 

 

 帰って来た夜宵を待っていたのは、焦がれて止まなかった母と我が家だけでは無かった。

 まず、彼女の帰還の報を受けた警察からの聴取だ。

 家に辿り着いた翌日、自分と沙也加、それからあの場へ自分達が赴く理由であった学校の先輩の九条を含む、数名の人物の捜索を行っていたという警察の人間が彼女の元を訪れた。

 当時の状況について、当事者である夜宵から直接確認したかったためとの事だったが、彼女の証言から明らかになったのはこの一件が誘拐事件であったことと、同時に夜宵と沙也加以外の消息不明者は皆何者かによって殺害されてしまった、という事のみ。彼女達の監禁場所や、彼女達を攫うと共にそれ以外の人間を抹殺した犯人の行方等については判明せず、これ以降も何度か夜宵は聴取を受ける事となったが、それは変わらなかった。

 また、どこからか情報を嗅ぎ付けて来たマスコミが時折家の前にごった返したりしたこともあったが、何度か足を運ぶ内に有用な情報が得られない事を察したのか、気づけばこちらも姿を見る事は無くなっていた。

 どちらも、ある共通の問題があった。

 共に情報源として目星を付けていた夜宵の口から、目的の情報が得られなかったという点だ。

 しかし、これは致し方無い事だった。

 何故ならば、彼女は誘拐されてから帰還するまでの、一ヵ月の間の出来事を殆ど忘れてしまっていたからだ。

 誘拐の現場となった廃工場へ向かった事。そこで繰り広げられた惨劇。そして恐らくはその後に起きたことの一部であろう、断片的な記憶。

 それと既に警察に押収された一部の証拠品のみが夜宵の元に残っていた微かな情報であり、それ以上の情報を提供する事は彼女にも不可能であった。

 何故なら、その時の夜宵にはもう一つ問題があった。

 当時の彼女は、更なる追及に耐えられるような精神状態ではなかったのだ。

 

 

 

 夜宵の帰還からそろそろ一ヵ月が経とうかというある日の夕方、星観家。

 玄関からダイニングまで続く廊下の、その横道に設けられた自室のベッドの上で、赤色のパジャマ姿の夜宵は頭まで布団を被って縮こまっていた。

 深々と雪の降り積もった真冬に外へ放り出されたかのように震えるその体が、覆い被さっている布団すら振動させて微かな絹擦れの音を鳴らさせていた。

 一言でいえば、恐ろしかった。

 恐怖が、不安が、滾々と、どうしようもなく溢れ出てきて、途切れなくその心に注がれ続けていた。

 収まり切らなかった怖れが、一部は痛みへと変わって頭をズキズキ、と痛ませ、もう一部は涙へと変わり、閉め忘れた蛇口から滲み出て来る水の様に見開かれた双眸から流れ落ちては引き攣った顔を濡らし続けているような有様だ。

 こんな状態が、帰って来てから四六時中続きっ放しであった。

 当然まともに眠ることも出来ない。よしんば怖れ疲れて寝入れたとしても、1時間と経たない内に何かに脅かされたかのように飛び起きては、赤ん坊のように泣き叫ぶことばかりが続いていた。

 そんな生活の果に、(やつ)れ、黒々とした隈に下瞼を覆われてしまった夜宵の顔は、ともすれば誘拐前の彼女と同一人物とは思えない程にまで変貌してしまっていた。

 一ヵ月という、それなりの時間を経て、なおそのような状態なのだ。戻ってすぐの頃など、もはや語る言葉も無い。

 最大限の配慮の下行われた警察からの聴取でさえ、何日、十何日という長い時間を掛けて、周りにこれ以上無い程に気を遣わせて、押し寄せる恐怖を必死で押し殺すことで、どうにか伝え終えられた程なのだ。無遠慮なマスコミから質問など、どうして応答する事が出来ようか?

 兎にも角にも、今の彼女は恐ろしすぎて溜まらなかったのだ。

 

(怖い……怖い……)

 

 では、一体何に対して夜宵はこれ程までに怯えているのか?

 ――分からない。

 一体、何がこれほどまでに怖いのか? 一体、何から逃れようと自分は布団の中に包まっているのか?

 当の夜宵自身が分からない。

 ただ、全く心当たりが無いわけでも無い。

 先に記載した、寝てもすぐに飛び起きてしまう、その理由――夢。

 寝付くと共に、確かに脳裏に描き出され、そして恐怖を呼び起こしては彼女の覚醒と共に消失してしまう、その映像。

 恐らくは、攫われていた時の記憶なのではないかと、夜宵自身は目星を付けている。

 あくまで目星だ。自分が一体何を見て、何を怖れて飛び起きているのか、その夢についての記憶が殆ど残らないため、当の夜宵自身が分からないのだ。

 ただ、それについて夢を見る機会が多いのか、一部の断片的な映像は微かに彼女の頭の内に残っていた。

 上から覗く幾つもの白いガスマスク。

 狭い水槽の中で拘束される自分の体。

 視界を覆い尽くす緑掛かった煙。

 意味の分からない誰かの会話。

 そして――左上から右下までを縫い跡が横断する顔で微笑む、金髪に赤い瞳の、赤い頭巾(フード)を被った少女。

 それらが、一体何を意味するのか夜宵には分からない。

 確かなのは、どれも思い出す度に恐怖と頭痛がより一層酷くなるということ。

 そして、相乗的に彼女の内の恐怖が増していくという事だけだ。

 

(嫌だ……嫌だ……)

 

 まるで、繁みの中にその姿を周到に隠し、唯ぎらつく眼光だけを覗かせてこちらに襲い掛かる時を窺っている獣の群れに囲まれているような、そんな得体の知れない恐怖が心を満たし、布団に包んだ夜宵の体をガタガタと震わせる。

 恐ろしすぎて、どうにかなってしまいそうだった。

 いや、実際どうにかなってしまっていただろう。

 心を蝕むような、そんな恐ろしい時の真っ只中に、例え僅かながらだろうと安らぎを得られる切れ目が無く、常にその身を置かれていたならば。

 

(助けて……誰か、助けて……)

 

 歯を忙しなく打ち鳴らす音と、体が震える音と、それに伴うパジャマや布団との衣擦れの音以外、何も聞こえなかった夜宵の耳に、初めて別の音が伝わって来た。

 ガチャリ、という玄関の扉の施錠を解く音が。

 その音にはっとして、起こした上体を左奥の出入り口の扉へ向けた夜宵の耳に、更に扉を開く音と、慌ただしく廊下を早歩きする音が連続して聞こえて来る。

 そうして、その足音が部屋の扉の前で止まると共に、扉が開け放たれ、曇り空に陽光が差し込むように、廊下の灯りと共にその姿が薄暗かった部屋と夜宵の視界の中に勢い良く入り込んで来た。

 

「夜宵ちゃん!」

 

 声が聞こえた。

 母が呼び掛ける声。

 待ち望んで止まなかった、自分を助けてくれる最愛の親の声。

 

「お母……さん……」

 

 強張る体を動かし、布団の中から上半身をどうにか引きずり出した夜宵を、すかさず母が駆け寄り、抱き寄せる。

 

「もう大丈夫。もう、大丈夫だから。お母さん、どこにも行かないから」

 

 そう優しく囁く母の、後頭部を優しく、壊れ物を扱うように慎重に撫でてくれる暖かな感触が、固まって罅の入った心と体を解してくれる。

 夜宵もまた、母の首に腕を回し、抱き締める。

 先程までの恐怖によるものとは違う涙が溢れ出し、程無くして彼女の泣きじゃくる声が部屋の中に響き渡った。

 夜宵の帰還から数えて、ざっと3ヵ月。

 その長い期間の間、この日のような事が、ほぼ毎日に渡って起きていた。

 そして、過ぎ去る時間の中で夜宵の精神がある程度落ち着いた事で、星観家の中でこういった場面が殆ど見られなくなった後も、休学していた中学校に復帰するまでに、更に1ヵ月という時間が必要で。

 それだけの時間を要してもなお――否、より多くの時間を費やしていたとしても、本当の意味で夜宵の内に刻まれた傷が癒えた訳では無かった。

 

 

 

 誘拐事件発生より、約5ヵ月。

 どうにか外を出歩ける程度には回復した夜宵はこの頃より復学したのだが――もし、彼女が当時の、復学から中学校を卒業するまでの期間を回想する機会があったならば、間違いなくこう述べるであろう。

 帰って来た後で、一番ツラい時だった、と。

 

「なに? 星観の奴、学校来てんの? ずっと休んでたくせに」

 

「なんか、ユーカイされてたらしーよ? 須藤と一緒に」

 

「何その面白そうな話? 須藤の奴も来てないのってそのせい?」

 

 長い休学を経て教室に戻って来た夜宵を歓迎したり、心配したりする人間は殆どいなかった。

 あまり明るいとは言えない内寄りの性分である夜宵は、昔から人と打ち解け合うのが苦手だ。周囲の者達がやっているように、誰彼構わず気軽に話しかけては、大人数で集まって他愛無い会話を楽しむという行為をした事など、片手で数えられるくらいしか記憶に無い。

 その癖、母譲りの整った顔立ちは、そんな彼女自身の意思など知らんとばかりに周囲の目を寄せ集めてしまう。良くも悪くも。

 結果、クラスの男子の少なく無い人数が夜宵の容姿に目を惹かれて猥談のネタにし、それを面白く思わない女子達からは、その無口な在り方も相まって、一方的に嫉妬の目を向けられて嫌われている、という有様だ。故に、いつも彼女は浮いた存在で、孤独だった。

 そんな夜宵だからこそ、初めて出来た親友――須藤 沙也加の存在はとても大きいものだった。母以外で心を開き、何の気兼ねも無く笑い合える存在。如何に周囲が自分を遠ざけようと、彼女さえいればそんなもの一切気にならないと思わせてくれる、唯一無二の存在だったのだ。

 しかし、その親友が今はいない。

 代わりにあるのは、よりにもよって誘拐事件に巻き込まれた()()()という、夜宵の存在や容姿以上に語りがいのある噂の種だけだった。

 そう、()()()のだ。

 ()()()()()()()誘拐事件に巻き込まれた、などという話は一切開示されていない。学校は勿論、遂3ヵ月程前まで何度も特集が組まれていたニュースも、無論警察も。匿名で“女子中学生が”とは報道されても、自分達の実名がテレビや新聞に出て来たところを見たことは一度も無い。彼女達が被害者である、という事実は、少なくとも学校やその周辺にはどこにもありはしない。

 となれば、周囲が話し合っている、二人が事件に巻き込まれた、という話自体が、――おそらくは事件の発生時期と、夜宵と沙也加が学校に来なくなった時期を照らし合わせた――誰かの推測を基にした噂だったのだろう。

 だから、事実と一致する話もあれば、全く一致する箇所の無い、根も葉もない話も時折聞こえて来る。

 あるところでは、

 

「九条っていたじゃん? 三年の、ヤベー連中とツルんでるって噂の」

 

「あー、知ってる知ってる。レ〇プ動画とか撮ってネットにばら撒いてるって奴だろー?」

 

「そーそー。なんかそいつも行方不明らしくってさ。しかも、どうも須藤と星観、攫われる前にそいつに誘われてたらしいんだわ」

 

「えっ、何? それって、つまり」

 

「九条と、九条とツルんでるっていうヤベー連中が犯人で、星観と須藤はそいつらに捕まって、()()()()()撮られてたんじゃないか、と見てるワケよ俺は」

 

「マジかよ! もう星観()()()って事か!?」

 

「嘘だろー!? 俺、割と星観いいなーって思ってたのにー! 他の奴の()()()()とか、サイアクじゃん!」

 

「でもって、姿が見えない須藤は、今頃九条その他としっぽり()()()、っと。ウワー……引くわー……」

 

数名の男子がありもしない性的被害の話を肴に、勝手に幻滅したり、興奮したりしている。

 またあるところでは、

 

「ユーカイとか絶対ウソでしょ!」

 

「だよね! 星観と須藤、仲良かったモン! 絶対テキトーな事言って、二人仲良くズル休みしてただけだよね、アイツら!」

 

「やってるよね絶対、アイツらアタシらの事マジ見下してるし! アタシらマジメに学校来てんのに、アイツらだけ勝手に休み取ってしかも被害者ヅラとか、マジサイテー!」

 

数名の女子がそもそも事件の存在自体を否定し、夜宵と沙也加への一方的な不満を募らせていた。

 教室のそこかしこで、各々が身勝手な事ばかりを口にしていた。久方ぶりに登校したその日から3年生へと昇級し、卒業するまでの間、絶える事無くずっと。

 多少落ち着いたといえど、事件で被った傷や置いて来てしまった沙也加への罪悪感は未だ夜宵の心の内に残ったままだった。未だそういったものを残したままの彼女がそんな日々にずっと耐えていられる筈も無く、度々彼女は学校を休んだ。

 そしてその度に、呼び出されて如何わしい動画を撮られている、またズル休みしてる卑怯者め、などと周囲は偏見を強めていく。

 上履きや教科書を隠すだとか、机に落書きされるだとか、そういう分かりやすい虐めにまで発展する事こそ無かったが、それ故に夜宵もそういう周囲に対して何の行動も起こせなかったため、その事が不幸中の幸いだったとも一概に言えない。

 被害者である筈なのに、まるで加害者になったかのような仕打ちだった。

 そうして、気づけば高校受験という中学生にとって最も大切な時を迎えていたが……唯でさえ事件で傷つき、時間的にも大きなロスを強いられたというのに、追い打ちとばかりに周囲からの好機と無理解に耐える日々を送り続けて来たのだ。受験勉強など、まともに出来るワケが無い。

 結果、元々の志望校は模試の時点で諦めざるを得ず、新たに第一志望に選んだ、幾分かランクの下がった高校さえも落ち、滑り止めとして受けていた私立御伽高等学校の入試にどうにか合格するという、芳しくない結果に終わったのだった。

 しかし、結果的にはそれで良かったのかもしれない。

 元々の志望校も、その後の第一志望校も、中学校と近いエリアにあり、一方で御伽高校はそれらから多少離れたエリアに立地していた。そのお蔭かは分からないが、いざ始まった高校生活では、中学時代の知り合いが殆どおらず、何処へ行っても付き纏われるかのようだった事件についての噂も、ピタリ、と止んだのだ。

 故に、その点については、高校生活は事件後の中学生活に比べればまだマシだといえた。

 あくまで、誘拐事件の事を好き勝手話される事が無くなったという点、だけは。

 高校に上がったからといって、元々の気質が治ったりはしないし、事件で受けた傷も癒えず、むしろ悪化していた。クラスメート達にしても、中学時代とその本質に変化はない。

 何より、沙也加が戻って来たワケでも無い。

 結局、無口で人と関わろうとしない夜宵の在り方は以前よりもずっと酷くなり、以前にもまして人を遠ざけ、遠ざかろうとするようになった。

 誘拐事件の捜査や沙也加の捜索についても、その頃には進展どころか音沙汰すらなく、周囲にとってはもはや忘れ去られた存在と化していた。――夢や不意のフラッシュバックといった形で、尚も当時の記憶の断片に苦しめ続けられる夜宵を、置き去りにしていくかのように。

 孤独と、喪失と、そして苦しみを、解消する事も癒すことも出来ず、ただ抱え、怯えて生活していく、空しい日々が過ぎていくばかりだった。

 ――思わぬ転機を手にする事となった、その日まで。

 

 

 

 その日は、特に何の変哲も無い日だった。

 特に雨が降ったりする気配も無い、スカイウォールの上端が覗く晴天の下でいつも通りの時間に登校し、人の気など知らずに一方的な興味か嫌悪を向けるか、そもそも感心一つ向けないクラスメートに囲まれながらの授業を終え、いつものように空しさに沈んだ心を抱えながら帰宅するだけの、いつも通りの日常だった。

 そのいつも通りの日に最初に異変を齎したのは――家の出入り口の扉の前に置かれた、小包だった。

 大きさは両手で難なく持ち上げられる程度。重さも――どういう訳か、事件後の彼女の身体能力はそれ以前とは比較にならない程上がっており、以前までは持ち上げるのが無理と思える程重く感じた物さえ軽々持ち上げられるようになったため、感覚で重量を探ろうとしてもあまり意味は無いのだが――至って軽い。ダンボール箱か何かを薄茶色の地味な包装紙で包み、適当な箇所をガムテープで留めただけの雑な梱包が施されたその小包には宅配便の伝票などは特に貼り付けられておらず、代わりに天面の部分にペンで宛先が走り書きされていた。

 書かれていた宛名は――“星観 夜宵 様”。

 小包に記載されている情報はそれくらいで、送り主の名前や住所、小包の中身が何であるかといった事については、どこにも書かれていない。

 送り主不明、中身不明の、自分宛の小包。

 露骨なまでに怪しい。見なかった事にして、小包をここに置いたまま家に入るべきじゃないかと、夜宵は少しだけ逡巡した。が、どうせ置いたままにしたところで、後で母が持って来ると思い直し、結局家の中にそれを持ち込んだ。

 そのまま自室へ向かい、机からカッターを引っ張り出して小包の開封を始めて――間も無く、あらん限りの絶叫を上げていた。

 あっという間に身体から力が失せ、耐え切れず尻餅を着いた夜宵は、慌てて引き攣った悲鳴を上げながら後退る。

 床に打ち付けた尻や、後退り過ぎて閉まっていたドアに強かに打ち付けた背中が痛みを発している筈なのだが、そんなものまるで感じなかった。

 感じている余裕など無かった。

 

「なっ……な……あ、ぁ何でっ……!?」

 

 彼女が尻餅を着くと共に、その衝撃によって入れられていた段ボール箱諸共床に落ちた()()()を前に、あの日の恐怖が心を、いくつもの断片的な記憶が頭を高速で行き交いしている今の夜宵に、そんなちんけな痛みに気を取られている余裕など無い。

 梱包を解いた小包の中から出て来た()()()を前に。

 あの事件の証拠品として警察に押収され、もう二度と目にする事など無かった筈の()()()を前に。

 夜宵は怯える。歯を鳴らし、ガタガタ、と体を震わせ。

 怖れに揺らぐその双眸を通して、()()()が彼女の内の記憶を呼び起こす。

 

――困――ねぇ、――近の――は――

 

――ほんの――ばかり、――を止めて――うだけ――、さ――

 

――被検――、脈――常。身――無し――

 

――“ビルド”の――方針を真っ向――する――気に――ない――ね――

 

――このボト――ドライ――預け――。“仮面ライダー”に変身――んだ。それ――なければ、君は――もう二度と家族には会えない!――

 

――わた――と、――致――しょう?――

 

 記憶が蘇る。

 あの日、家に帰って来た時点ではもう忘れていた筈の記憶が。

 記憶が駆け巡る。

 頭の中のあちこちを行き交い、耐え難い痛みを夜宵に齎す。

 記憶が呼び寄せる。

 あの日感じた感情、幾月も掛けてようやく忘れていられた――封じ込めていた、あの感情。

 何匹もの飢えた狼に囲まれ狙われているかのような、あの悍ましい恐怖を。

 

「あ……あ……あぁ……」

 

 逃げなければ、と錯綜する記憶に邪魔されて途切れ途切れになる思考の中で、夜宵は思った。

 このまま、ここにいてはいけない。このまま、()()()を目に入れ続けてはいけない。

 すぐにでも、この場を去らなければいけない。

 あの、黒光りする長方形の本体から赤いハンドルが伸びた機械と、その傍に転がり中のピンクレッドの液体を揺らす、透明な円柱形の物体から。

 あの日、証拠品として警察が押収して、もう二度と目にする事など無かった筈の、あの忌まわしい事件の()()から。

 1年と半年余り前に必死の思いで逃げて来た夜宵が何故か身に付けていた、あの()()()から。

 頭上斜め左上から突き出ていたドアノブを握るや、それを支えに夜宵は立ち上がろうとするが、産まれ立ての小鹿のように震える足には力がまるで入らず、身体どころか腰一つ上がらない。

 それでも必死に、引き攣った顔に遂には涙を流しながらも、麻痺したように感覚の覚束ない両手で夜宵はドアノブを回そうと足掻いた。

 一刻も早く目の前の恐怖から逃れたいがために、ガチャガチャ、とけたたましい音を立てて。

 上手く回らないドアノブに焦燥を募らせながら、なおもガチャガチャ、ガチャガチャ、と――。

 

『……ぅうん、何ですの?』

 

 ふと、ドアノブの音に混じって誰かの声が聞こえた。

 反射的に、夜宵はドアノブを回そうとする手を止め、それによって部屋から一切の音が消える。

 ――違う。聞こえた()()()()だけだ。

 今部屋には、家には夜宵一人だけ。母は今出ているし、父は――あの()()()()()が帰って来たならもっと騒がしい音を立てている筈。テレビは消えてるし、電話も鳴っていない。

 つまり、今のは唯の気のせい――。

 

『アラ? ここは一体?』

 

 再び、声が聞こえた。

 さっきよりもハッキリと、確かに今、近くから。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 夜宵が何か考えるのを待たず、肩が跳ね、身体が血の気が失せていく。

 

『さっきまでは確かに()()()()の中でしたのに? ……いや、ちょっと待って。確か、誰かに……あれ? どんな顔で……いや、そもそもこれは男、それとも女性……?』

 

 聞こえる筈の無い声が、再三誰も居ない部屋の中に響く。

 聞き覚えの無い――筈なのに、何故か覚えのある気がする――女の、少女の鈴を鳴らすような可憐な声は、疑問でもあるのか何やら自問自答しているようだったが、そんな些細な事は今の夜宵が気に留められる事では無い。

 突如目の前に現れた忌々しい過去の遺物と、続けて聞こえてきた謎の声という怪現象を前に、もう恐怖など通り越して殆ど思考が止まってしまっている彼女が出来る事など、ドアノブの方を向いていた視線を声がする方へ、潤滑油の切れた歯車のように上手く動かなくなった頭ごと、ゆっくり動かすくらいなものだった。

 そして、遂に、

 

『ん? ――まぁ、貴女は!』

 

漸く向け切った視界の先で、声の主と夜宵は()()()()()

 

『これは一体どういう事ですの!? あの日()()()()とやらのせいで離れ離れになった貴女とまた会えるなんて! まさか、あの狭くて暗くて陰気な場所から私を出してくれたのは貴女ですの?』

 

 驚きと喜びに声を張り上げる声がするそこには、やはり人はいない。変わらず、部屋にいる人間は夜宵のみだ。

 しかし、確かに夜宵は今、声の主と目を向け合っていた。

 

『いえ、この際そんな些細な事はどうでも良いですわ。あの日から1年、いや2年かしら? ともかく随分と待たされてしまいましたが、やっとこの忌々しい封印から解放される時が来ましたのね!』

 

 ――整理してみれば単純な話だった。

 人はいない。尚且つ、電話やテレビのような人の声が出る物も近くに無い。

 となれば、答えは一つだ。

 

『さぁ! あの日の()()の続きですわ! 今度は私の願いを貴女に叶えてもらう番! あの時伝えた通り、私がこの戒めから解き放たれるお手伝いをして頂きますわ!』

 

 しかし、それを自ら導き出し、尚且つ受け入れろなどと求めるのは、今の切羽詰まった心境の夜宵にはあまりにも酷というもの。

 そもそも、どうして()()()()()受け入れられよう?

 きっとこの場に他の者がいたとて、今の彼女と同じ反応を返す筈だ。

 新たに込み上げて来た恐怖がために、再びそうした彼女のように絶叫する事こそが、むしろ自然な反応の筈だ。

 たった一つのその答えを――。

 

『文句は言わせませんわよ? ――星観 夜宵さん』

 

 ――横倒しになっている容器に表面に浮かび、ハッキリと聞こえる声で語り掛けてくる一つ目などという、文字通りの怪現象を目にしたならば。

 

 



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