織田信奈の野望IF「金は天下の回り物っ!」 (Takenoko is God)
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第1章 商(あきない)の道
第00話 プロローグ


少年、小笠原金槻(かなつき)は慌てていた。

 

趣味の戦国シミュレーションゲームのプレイ中、手詰まりとなり戦略が纏まらず小休止として布団に潜った記憶がある。

それなのに何故俺は藪の中で目を覚ましたのか、まだ夢の中なのか。

それにしてはやけに湿気った土の感触があまりにも生々しいと思う。

そもそも夢にしてもここはどこなのか・・・

寝起き特有の回らない頭でぼーっと考えること数分、悩んでも仕方ないと結論づけた俺はひとまず立ち上がり、あてもなく歩き出したのが10分前のことだった。

 

 

暫く夢心地のまま歩いていると喧噪が聞こえてきた。

一人ぼっちだと夢の中でも寂しいものだと感じていた所なので人の声にほっと安堵の溜息を吐き、駆け足で藪を掻き分けて喧噪に向かっていく。

ここはどこなのか、何の騒ぎなのか、とにかく人のいるところに出たかった。

その思いで駆けたのが5分前。

 

 

 

「・・・なんで俺追われてるんだ・・・?」

 

そして謎のサムライ達に追われて来た道をダッシュでUターンしたのが2分前。

 

 

 

 

 

そして今、なんとか藪に潜んだ俺の目の前には何故か隠れる際に俺をかばって矢弾を浴びたおっさんが転がっていた。

「・・・流れ弾に当たったみたいだみゃあ・・・運が無かったみたいだみゃあ」

「おい!しっかりしろ!今手当してやるから!!」

 

いまだ状況が飲み込めない中、いやにリアルな眼前の惨状を目の当たりにして夢とか現実とか考えていたことは全て吹き飛んでいた。

ひとまず思ったことを声に出してみたが俺の頭は混乱の極地である。

そもそも矢傷の応急処置なんて俺は知らない、放置していると破傷風になって不味いという程度の知識しかないのだ。

そんな俺のことなど気にも留めず、周囲には轟く馬蹄や剣戟の音、そして悲鳴とも怒声ともとれる人の叫び声がこだましている。

おっさんの足軽姿からも戦国時代の戦場にいるとしか思えなかった。

 

そんなあたふたと戦慄く俺の腕を、おっさんの弱々しい手が掴んだ。

「・・・坊主。わしはこれまでだみゃぁ・・・この藪を真っすぐ行けば川にでる。お主は行けい・・・」

「そんな・・・」

 

あいも変わらず俺は混乱の極致にあるが問答無用で時は進んでいく。

もうおっさんの周りには血の池が出来つつあった。

「そ、そうだ!おっさん名は?命の恩人なんだ。それくらい教えてくれ!」

「わ・・・わしは木下藤吉郎じゃ・・・さらば少年・・・」

 

そしてそのおっさんは目の前で精魂尽き果てた。

「・・・木下藤吉郎って、豊臣秀吉じゃん!え、死んじゃったらダメだって!!」

 

 

俺は慌てて事切れたおっさんを甦らそうと試行錯誤してみるが、木下藤吉郎と名乗った猿顔のおっさんの目は二度と開くことは無く、考えうる限りの蘇生措置を試しきる頃には彼の体は冷たくなっていた。

そのまま呆然と立ち尽くしてどれほど経ったのだろうか、いつの間にか周囲の喧騒も消え去り静寂に包まれていたなかで、俺は変わらず混乱した頭で一度状況を整理することにした。

 

 

・ここはどこだか不明、だがリアルすぎるし夢とは思えない状態。

・多分戦国時代の戦場真っただ中。

・目の前で息絶えたおっさんは豊臣秀吉、足軽時代っぽいからここは愛知?

 

 

 

まだ確信はないがこの考えは当たっていた。

金槻は愛知県、鶴舞に住んでいた。寝た所と同じ座標の戦国時代に飛ばされていたのだ。

 

しかしそんなことはつゆ知らず、相変わらず混乱の極みである俺に更なる混乱が襲った。

いきなり目の前で煙が上がったと思えば、突然黒ずくめの忍装束を着込んだ幼女が現れたのだ。

「木下氏、亡くなられたでござるか・・・次のご主君としてそこのお主にお仕えするといたちゅ」

 

その幼女はどうやら忍びらしい、語尾噛んでるけど。

「えーっと、やっぱり夢なのかなこれ。うんそうだよな目の前にいきなりロリござる登場は流石に出来すぎでしょ。」

「お主、何を申しておるかわかりゃにゅがこれは夢ではごじゃりゃにゅじょ・・・

拙者長台詞は苦手にござる」

「すっごい噛んだな。でもこれが夢じゃないってどういうことだ?ていうかここどこだ。」

「その質問には追々答えるでござる。とにかくここは危のうごじゃりゅかりゃひとまず川へ向かうとするでごじゃる。」

「ん、了解。」

 

やっと登場した案内キャラか何かかな?と思いつつ俺は小さな背中を追った。

 

 

藪を抜けると小さな川辺に出た。

遠くではまだ喧噪が聞こえてくる。どうやら大将が移動したか何かで戦場の位置が動いた結果、さっきの藪の周囲は静かになっていたようだ。

 

 

「さて、それじゃあ説明を・・・とその前にまだ名前を聞いてなかったな。俺は小笠原金槻。よろしく。」

「拙者の名は、蜂須賀五右衛門でござる。これより木下氏に代わり、小笠原氏にお仕えいたす所存にごじゃる。」

 

 

仕えるかどうかはさておき、ひとまずの自己紹介を済ませ本題へ入る。

 

 

五右衛門の話した内容に俺は驚きを隠せなかった。

まず今の居場所は尾張、これは予想がついたがここが金山だという。

割と大きめの街だが今は何もない原っぱのようだった。

 

次に今が何年か、天文22年と言われた。つまり1553年ということになる。

ここで初めて自分がタイムスリップしていることが分かった(事実かどうかは分からんが)。

ただもしこれが事実となるとマズい、既に天下人豊臣秀吉が死んでいるのだ。

この時点でこの先どうなるかがわからない。

 

他にも色々と言われたが途中で頭に入りきらないと思ってギブアップし、とりあえず落ち着けるところに行きたいと俺が恐る恐る言ってみたところ

 

 

「それならとっておきがあるでござるよ。付いて参られよ。」

 

 

と言われたので俺は五右衛門にとりあえず黙って付いていくことにした。




※ちょっと最後無理やりになってて申し訳ない。
あと投稿頻度については当方社会人につき期待しないようにお願いします。


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第01話 行動開始!

「・・・はぁ、やっぱり夢じゃないか・・・」

 

突如戦国時代に飛ばされて2日目の朝、俺はようやく今の状況を現実として認めた。夢の中で寝て起きるなんて芸当は流石にできないだろうし、昨日は顔をつねったりして試したが全てダメだったからだ。

 

昨日は色々ありすぎて疲れた。

ゲームの休憩に仮眠をとって起きたら戦国時代、しかもいきなり戦場のど真ん中だった。何を言っているのか分からないと思うが、俺も分かってない。

その後侍に追われて走って逃げていたら矢を射かけられて万事休す、かと思えばいきなりおっさんが飛び出してきて俺を庇った。

なんとそのおっさんは木下藤吉郎だと言う。

 

力尽きた木下藤吉郎に仕えていたというロリ忍者、

蜂須賀五右衛門についていき戦場から少し離れた小川で現状の説明を受けた。

 

 

曰く、ここは尾張国の金山だという。元々俺の自宅があった場所にほど近い。

曰く、今は天文22年だという、西暦にして1553年。現代から500年近く前となる。

曰く、この戦闘は鳴海城を落とした今川勢が熱田方面へ落ち延びる織田軍を追討している所だという。

 

改めて思い出して頭が痛くなる。

現代に帰る手段が分からないのが何よりの苦痛だが、今はそれ以上に気になることがある。

俺は一応学校では日本史は強い方だし、信長の〇望とかH〇Iとかc〇vとかの歴史系SLGは大好きなのである程度の歴史の流れは分かるし戦略的な状況も読めるが、それもこの先どうなるか分からない。

なんせ天下人、豊臣秀吉が既に他界してしまったのだ。戦国を終わらせるキーマンが不在というのは余りにも怖い。

 

まさに一寸先は闇の状態に陥っている。

 

 

そうこう唸っていると件の相棒?となった五右衛門がやってきた。

 

 

「小笠原氏、いつまで寝ておられるのじゃ。もう午の刻でごじゃりゅぞ。」

「相変わらずのかみかみだな・・・。

おはよう五右衛門、今更だけど昨日は助かった、ありがとう。」

 

 

ちなみに今は金山からほど近い、熱田の旅籠に身を寄せている。

ひとまず落ち着ける所へ行きたいという俺の頼みを聞き入れてくれた五右衛門が案内してくれた。

 

 

「さて、それじゃあそろそろ動くとしますか。考えてても仕方ねぇしな。」

 

 

そう自分に言い聞かせ起き上がる。

路銀も五右衛門に借りている今、ひとまずやることはこの世界での生活を安定させること。

すなわち衣食住の健全化だ。そう結論付ければ後は早い。なんせこの世界で俺は500年先の知識を持っていることになる、チートも良いところだろう。

歴史を改変するのは少々不安だが、木下藤吉郎が死んでいる時点で何をかいわんやである。

 

 

「そういや五右衛門は朝からどこに行ってたんだ?」

「拙者は小笠原氏の装束を仕入れて参った。その衣はここでは少々目立つのでごじゃる。」

 

 

そう言って五右衛門は俺に上下の和装束とふんどしを俺に手渡した。

ちなみに五右衛門には俺が未来から来たことは伝えている。まぁ本人は半信半疑だろうが・・・

未来から来たことを証明する手立ても今はこの身なりとズボンのポケットに入っていたスマートフォン、

この時代にはないであろうブルーライトカットの色が付いたメガネや胸ポケットに入れていたボールペンくらいしかない。

一応ボールペンを未来の筆だと書いて見せ驚かせはしたから未来から来たとこも信じてくれていると信じたい。

思考もそこそこに慣れないふんどしに手間取りつつも着替えて宿を出る。今から行く目的地はこの付近では一番の繁華街、津島の湊だ。

 

 

 

今日の行程はこうだ

 

まず津島の湊で新しい南蛮の筆だと言って既にインクの切れかかった俺のボールペンを売りに出す。この時代にはない物だからそれなりの値はつくはず・・・。

そしてその金を元手に俺の身なりを整え、ついでに五右衛門に宿代を返す。

その後は五右衛門が率いている川並衆という川族のねぐらに上がり込む。ねぐらは木曽川、犬山の少し上流ということなので急がないと日が暮れてしまう。

 

馬でも買えたら儲けもんだなぁと頭の中でそろばんを弾きつつ、俺と五右衛門は津島へと赴くのだった。

 



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第02話 津島湊

尾張・津島湊

 

 

木曾三川の河口地帯にその港はある。現代では輪中地帯から更に埋め立ててレゴランドなど出来ているが、この時代は輪中がそもそも小規模なため津島がほぼ河口であり、遥か遠くに伊勢の玄関口にして離れ小島の長島が見える。弥富あたりは完全に干潟なので現代ではまるで考えられない離島っぷりに感じられる。

 

今、俺の眼前に広がっている光景は時代劇の商人街そのものであった。

 

 

「さぁて、いっちょ一儲けしますか!」

「そうは言われるが小笠原氏、南蛮の筆を売る当てはありゅのでごじゃりゅか」

「おう、任せろ。こういう金策は得意なんだよ。とりあえず納屋衆の寄合所はどこにあるか分かるか?」

 

 

俺の納屋に向かうという発言に五右衛門は?マークを浮かべた。

 

 

「納屋衆でござるか?それがしはてっきり商家へ行くものと思っていたでごじゃるが・・・」

「五右衛門、確かに物を売るには商人に会うのが一番手っ取り早い。だが俺は今物を売りに来たんじゃあない。稼ぎに来たんだ。」

「小笠原氏、なんだか今までで一番悪い顔をしているでごじゃるよ。」

「簡単な話だ、商人は物の価値を値踏みする仕事だ。つまり物を買うにしてもその先で絶対に利益が出るように計算して銭を出す。とどのつまり足元を見てくるんだよ。

一方で納屋は蔵貸しだ。津島なんて一級の湊の納屋は賃料もバカ高い。その納屋を持っている豪商なんだから金ならいくらでも持ってる。ちょいとカマをかければ商人よりも値が付くんだよ。」

「そういうことでござるか。それなら納屋衆の寄合所でごじゃりゅな。」

 

大体金持ちっていうのは無意味な物に金を注ぎ込む悪癖がありがちだ。

そう説明し、五右衛門に先導してもらって俺は寄合所へ向かった。

これは俺にとってのこの時代の初陣だ。絶対に負けられないという気持ちをもう一度頭の中で反芻して俺は暖簾をくぐった。

 

 

 

 

 

「・・・うーん、ちょいとやり過ぎたか・・・?」

「どう見てもやりすぎでござる!こんな大金どうしゅりゅのでごじゃりゅか!」

 

 

30分後、俺の懐には三百両もの銭が転がり込んできていた。

 

 

「えっと、確か戦国時代の1両って4万とかだっけか・・・1200万円?」

「何を意味不明なこと言ってるのでごじゃるか!あと顔が気持ち悪いでごじゃりゅ!」

 

 

どうにもニヤニヤが止まらない。これなら一式装備を整えて余りあるし、なんなら起業すらできそうだ。

 

ちなみにただのボールペンがそんな大金に成り代わったマジックはこうだ。

納屋衆の寄合所に殴りこんだ俺は、まずボールペンの使い方を実演して見せた。

まぁ紙に書くだけなのだが。

そしてボールペンを競売形式で売ると宣言したのだ。

元々金持ちの多い納屋衆でしかもここは津島、外国人の出入りもそれなりにある街で南蛮文化への興味を皆が持っている。

あとは競りのスタート金額を50両とバカ高く設定して納屋衆の意欲を煽ったのだ。

すると納屋衆たちは我先にと諸手を上げて賭けだした。そりゃもう青天井に。

結果落札したのは津島一の収集癖で知られる納屋の豪商であったのだが、なんと彼は自前の蔵を売るとまで言って金を工面してしまった。

流石に少し申し訳ないと今更感じている。せめて新品のボールペンを差し上げたかったが、生憎この時代にボールペンはオーパーツが過ぎる。

近いうちにかすれてしまうであろうボールペンと泣いて喜ぶ豪商に対してひきつった笑みを浮かべながらそそくさと金だけ貰って寄合所から逃げてきて今に至る。

 

 

「ま、まぁこれで金は手に入れた。なんだかいたたまれないからさっさと買うもの買ってずらかるぞ。」

「承知したでござる。して、何をご所望でござるか?」

「ひとまずはこの先の備えも兼ねて刀と脇差、あと甲冑だな。その後は馬も仕入れたいと思うんだが、揃うかね?」

「お任せでござる。そうと決まれば鍛冶屋からでごじゃるな。」

「よし、行くか!」

 

元々盗賊みたいなことをしているだけあって五右衛門は案外ノリが良い。そうして俺と五右衛門は津島の海岸近くの工房街へと足を向けるのであった。

 

 

 

 

津島の工房に入った俺はまず防具鍛冶の暖簾をくぐった。

刀などは見て買えば良いが防具はサイズを合わせる必要がある、この時代の店売りの防具は俺にはいささか小さいので採寸を先に済ませ作ってもらっている間に街を見てまわる算段だ。

様々な甲冑が並ぶ店内を物色し、軽装だが胸あてや脛あて・袖などはしっかりとした具足と頭のサイズに合う兜を見繕って採寸とお代を済ませた後、俺は五右衛門の案内で武具屋を訪れていた。

 

 

「へぇ、刀にもいろいろあるんだなぁ。」

「小笠原氏、ご存知ないのでござるか。日本刀は長さによって読み方が変わっちぇきゅるのでごじゃりゅよ。」

 

 

五右衛門の解説を聞きながら物色を続ける。どうやらこの店には木剣や竹刀のような練習用の剣も置いてあるようだ。

街の子供が目を輝かせて刀を見ている姿も見える。

 

 

「しかし、刀の良し悪しは正直よく分からんな。店主に聞くか・・・。

おーいご主人はおられるか?」

 

 

すると店の裏手から刀匠と思わしきいかにも職人気質っぽい見た目の老人が出てきた。

思えばこの時代の人とまともに話すのは俺が未来人だと知っている五右衛門を除けばこれがほぼ初めてだ。違和感が出ないように喋りに気をつかうようにしなくては・・・。

 

 

「お呼びかな?」

「あぁ、太刀と脇差を見繕いに来たんだが、これというものがいまいち分からんのだ。ご主人に聞くのが手っ取り早いと思うてな。銭に糸目はつけないから一番良いのを頼む。」

「なるほどのう…、それならば良い物があるわい。あいや暫く待たれよ。」

 

そういうと店主は一度裏手に戻り、刀と脇差を一本ずつ携えてきた。

 

 

「これはどうかの、今朝方備前より届いた一品じゃ。」

 

 

受け取り刀を抜く。

鏡のように磨き上げられた刀身は俺の顔をくっきりと写しており、刃には傷一つない。

薄い刀身にも曲がりなどは見られず、工芸品の域に達しているといっても過言ではない、間違いなく一級品だと思えた。

 

 

「その刀はな、この地の領主様であった織田信秀公に献上するつもりで備前の一級鍛冶師に大枚をはたいてつくらせたんじゃが、件の信秀公は病に伏して亡くなられてしもうてのう・・・、どうすべきか悩んでおったのじゃ。」

 

 

「なるほどな、だがそれなら家督を継いだ織田信奈だったか?に送れば良いのではないか?」

「うむ、普通ならそうするのじゃが・・・、お主は聞いてはおらんか?織田信秀公の葬儀のことを」

 

織田信秀の葬儀といえば歴史を齧ったことがあればピンとくる。信長が位牌に焼香を投げつけたというアレだ。昨日五右衛門から織田家について説明を受けたが、どうやら信長が信奈になっていてもそこに変化はないらしい。

 

「確かに信奈姫は幼少の頃より津島にはよくおいでになられていた。この鍛冶にも幾度となく来ておったし渡せるのであれば渡したいのじゃ。

しかし葬儀の件が噂となり信秀公の刀など今更受け取って貰えるか・・・、それに家督を継いで間もなく今川が攻めてきおった。

ようやく刀は届いたがこの状況では刀一本を那古野へ届けるのも老骨には荷が重うての。」

「なるほどな・・・仔細承知した。ならばこの刀と脇差は俺が買い取らせてもらおう。ついでに信奈殿にも渡せる機会があればお渡しすることを約束する。」

「お主、そう出来るのであればこちらとしてはありがたいが・・・そんなことが出来るのか?」

「おう!任せておけ。俺は元々織田家に仕官することが目標だったからな。これくらいのことは容易い。」

「おお、ありがたい。それではお頼み申しますぞ。」

 

 

こうして俺は織田信秀の遺品ともいえる刀を引き取ることとなった。

 

 

「して、お主初めて見る顔じゃが名はなんというのじゃ?」

「ああ、俺は小笠原金槻だ。一応今は素浪人・・・ということになるかな。」

「うむ、金槻殿。これも何かの縁じゃ、もののついでで済まぬがもう一つ頼みを聞いてもらえんかの。」

「ん?何だ申してみよ。」

「実はじゃの、美濃の山中に明智という集落があるのじゃが、そこの生まれの姫武将に種子島を仕入れるように頼まれておったのじゃ。」

「種子島・・・少し前に南蛮から伝わった武器か。」

「うむ、品はとうに届いておるのじゃが、つい最近美濃でも政変があっての。そのいざこざに巻き込まれておるのか一向に取りに来られぬのじゃ。」

 

 

美濃の政変、明智という地名を聞いてピンときた。

 

 

「美濃の政変・・・油売りの斎藤道三が土岐家を乗っ取ったという奴だな。」

「そうじゃ、その明智の姫は十兵衛という。どうにも斎藤道三の側近となったらしく国盗りによる国内の安定化に忙しいようなのじゃ。」

「なるほど、美濃にいる明智十兵衛殿に種子島を届ければ良いのだな?

丁度良い、この後犬山へ向かうつもりだったから少し足を延ばせば良いだけだ。」

「かたじけない。それではお頼み申す。種子島も取ってまいるから向かいの茶店で少しくつろいでおられよ。」

「ああ、わかった。」

 

 

かくして、俺は刀の他に明智十兵衛という姫武将に渡す種子島も預かることとなった。

 

 

 

 

「小笠原氏、先ほど店で織田家に仕官いたすと申しちぇいたでごじゃるが、それがし初耳でごじゃるよ。」

 

 

武具屋の向かいの茶屋で団子と抹茶を嗜んでいると、五右衛門から質問が飛んできた。

 

 

「ああ、言ってなかったからな。」

「大丈夫でござるか?今の織田家はかいめちゅしゅんじぇんにごじゃるが・・・」

「心配ない、むしろ織田家にはここから成り上がる要素に満ちているんだ。」

「どういうことでごじゃるか?」

「確かに見た目で言えば織田家は今川に攻められ、しかも内部は清州・那古野・末森で分裂状態だ。しかし今織田家が滅ぶことはあり得ない。

まず今攻めている今川家だが、攻めているとは言っても戦っている兵はほぼ三河の松平だろう。」

「そうでござる。今川は松平を臣従しゃしぇちぇいりゅでごじゃるよ。」

「三河兵は数が圧倒的に足りていないからな、流石に分裂状態の織田でも抑え込める。さらに仮に今川本隊が出張ってきたとしても奴らの本拠は駿河・遠江。あまりに遠い。」

「遠いと、どうなるでござるか?」

「簡単なこと、疲れるだろ。疲弊した兵なんぞいくら居ても同じことさ。」

「なるほど、確かに昨日の今川勢の勢いは兵数の割には大しちゃことにゃきゃったでごじゃるな。」

「ああ、数が少ない上に連戦の松平と遠征軍の今川だからな。覇気なんてありゃしない。

加えて言えば織田家は鳴海を取られたとは言え、熱田からこの津島にかけては絶対に死守するだろう。背後が最後の本拠なんだからそりゃ織田勢も火事場の馬鹿力で必死になる。元来防戦は本拠に近い方が有利だしな。」

 

「・・・織田家が今川では滅ばないということは分かったでござる。しかし成り上がるというにょはにわかに信じりゃれにゃいでごじゃるな。」

「そうか?簡単なことだ。この津島を抑えておくだけで織田家には無尽蔵に銭が手に入る。軍拡し放題だぞ。

それに尾張は平地で人口も多い。この時代は大抵農民兵だから人口の多さがそのまま国力になる以上、兵士として動員できる人数の多い尾張や摂津・相模のような平地を抑えている勢力が大抵強いんだよ。武田みたいな特例もいるけど。」

 

「うーむ、それがし小笠原氏のことを少し勘違いしていちゃでごじゃるな。」

「え、どう思ってたの・・・」

「戦場で右往左往して何も出来ない無能だと思っていたでござる。」

「なんでそこだけ噛まないんだよ!ちょっと傷ついた!」

「して小笠原氏、この後は如何するのでござるか?」

「スルーなのね・・・。今日はひとまず津島で掘り出し物は無いか見て回ったら犬山へ向かって川並衆と顔合わせだな。これだけ銭があれば馬も買えるし少し余裕が出来た。のんびりして行こうか。」

「小笠原氏、それがしが聞きたいのは今日ではないのでござる。今後の行動の方針を教えちぇいちゃぢゃきたいのぢぇごじゃる。」

「あー、今後ね。ひとまずは直近は美濃だな、例の種子島を届けないと。」

 

 

そう、今の直近の仕事は津島の鍛冶屋で預かる種子島を美濃の明智十兵衛という姫武将へ届けることだ。

明智十兵衛、俺がいた現代では明智光秀という名で知らぬものはいない名将にして、本能寺の変を起こしたと伝わる謀反人。正直会うのが怖いが楽しみでもある。

 

 

「可能であれば明智十兵衛とは顔見知りになっておきたいな。今後織田家に仕官するにしても斎藤家との伝手は欲しい、早速の大仕事になるな。」

「織田家と斎藤家は今敵対しているでごじゃるが、斎藤家との繋がりは織田家仕官にはみゅしろ邪魔ではごじゃらぬか?」

「いや、逆だ。今の織田家は四方全てと敵対している。その中から確実に和議を結ぶとなると斎藤家一択だと思うよ。」

「にゃるほど、まぁそのあたりは小笠原氏にみゃかしぇるでごじゃるよ。」

「ああ、ありがとう。一応五右衛門にはその先の方針も伝えておくよ。美濃に種子島を届けたら川並衆と共に近江へ向かう。そこでこの金を使って米をしこたま買う。」

「買って、どうするでござるか?」

「売る。簡単だろ?そのためにも五右衛門に頼みがあるんだが。」

「な、何でこざるか。」

「この津島や周辺の商人街の米の相場を調べておいて欲しいんだ。出来ればこの先道中通る所も全て。頼めるか?」

「それくらいならお安い御用でござるが・・・本当にそれで織田家に仕官できるのでごじゃるか?」

「まぁ見てな。お、武具屋の爺さん来たぜ。」

 

 

武具屋の爺さんは大きな布袋を2つ持って現れた。

 

 

「お待たせしたのう。こちらが刀と脇差じゃ、してこちらが種子島じゃ。」

「ありがとうございますご主人。」

 

爺さんは依頼の品一式を手渡すと俺に深々と頭を下げた。

 

 

「では、よろしくお頼み申しましたぞ。」

「お任せください!。それじゃあ五右衛門、行こうか。」

「承知にござる。」

 

 

その後、俺と五右衛門は防具鍛冶に甲冑を取りに行き

馬を2頭と馬具も仕入れ、一路犬山へと向かうのであった。

 

 

 

 

「・・・はい、これで米については大丈夫です。では、明日那古野城の米蔵までお運びいただけますね?」

「ええ、此度の戦でも相当に米が必要なようで。米五郎左様」

「そうなのです。今川家に押されつつあって米も目減りしている状態は40点です。何か逆転の一手は無いものか、家臣たちも頭を悩ませているのですよ。」

「左様でございましたか。それでしたら逆転の手になるかは分かりかねますが、面白い噂なら先ほど耳にしましたぞ。」

「ほう、それはどのようなもので?」

「なんでも、納屋衆の寄合所で素浪人が見たこともない南蛮の筆を持ち出して競りを行ったそうです。その筆はガラスの細工のようなもので、小筆より更に細いものらしく中に墨汁を詰めて書けば薄く文字が書ける代物らしいのですが、なんと三百両もの値がついたとか。」

「三百両とは・・・してその筆を売りこんだ素浪人はいずこへ?」

「それがどうにも足取りが掴めませんでな、寄合所を出た後は武器防具を揃えに工房街へ向かったようで、一級品の武器防具に種子島まで携えて戦支度でもしているのかと思えば犬山の方へ向けて去っていったとのことです。」

「犬山ですか・・・」

「話によれば小さな乱破を共に連れていたとのことですので、もしや名の立つ将かもしれませぬ。」

「なるほど、その浪人の風貌は分かりますか?」

「えぇ、なんでも顔の若さの割に大柄なようで、あとは少し黄色がかったガラスを嵌めた眼鏡をしていたとのことです。」

「眼鏡ですか、それはまた珍しいものを・・・しかし南蛮の筆に眼鏡となると南蛮人ではないのですか?」

「それがしもそれを疑いもうしたが、どうにも日ノ本人らしいのです。あと言葉の訛りが若干尾張訛りのようだが、その割には少し風変りな口ぶりをしていたとのことでして。」

「眼鏡の大柄な男で日本人・・・実は昨日、鳴海から退いてきた部隊の将が大柄で風変りな身なりの男が突如現れたと思えば、かなりの逃げ足で去っていったという報告をしているのです。

その将は気味悪がって逃げた方向に矢を射かけて撤退したそうなのですが、何か関係あるのかもしれません。これは一度調べる必要がありそうですね・・・。」

 

 

米五郎左こと丹羽長秀は、この不可解な人物の捜索を小姓に指示するのだった。




2021/3/18追記
ちょっとした誤記修正をおこないました。
あと書いてから間をあけて読むと津島の工房の店主からそこはかとなくチュートリアル担当っぽさが出てる気がしますね・・・


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第03話 川並衆

尾張・犬山近郊「川並衆のねぐら」

 

 

夕刻前に津島を発ち、俺小笠原金槻と相棒の忍、蜂須賀五右衛門が犬山へ着いたのは既に夕暮れだった。

 

道中、乗馬経験あるからと調子に乗って馬を選んでいた俺だが、実際に走らせるとなると存外難しく、五右衛門から手ほどきを受けていたら思っていたより遅くなってしまった。

 

「全く、小笠原氏が馬にも乗れにゅとは思わなきゃったでごじゃる。」

 

「・・・いやホントすみませんでした。調子乗ってました・・・」

 

ちなみに今は馬にも慣れてある程度自分で手綱を握っている。

 

それでも五右衛門の先導つきだが、また近いうちに練習しなくてはと心に決めた。

 

 

 

そうこうしているうちに今は既に犬山に到着し、川並衆との合流地点を目指している所だ。

 

「しっかし、犬山は街の雰囲気が俺がいた時代と大差ないぞ・・・。」

 

まだこの時代に飛ばされて丸1日しか経ってないにも関わらず、そんなことを呟きつつ感慨深げに木曽川沿いを駆ける。

 

橋こそ無いが川と山の風景、回りの建物が平屋ばかりなので大きく見える犬山城の城郭(ちなみに犬山城は現代でも戦国期の天守が改築されつつも現存している)と城下町の本町通りの街並みは俺の知っている犬山とそう違いは無かった。

 

 

「さて小笠原氏、着いたでごじゃるよ。」

 

「おう、ここがその川並衆のねぐらか。しっかし何もない所だが・・・」

 

俺と五右衛門が馬を止めたのは犬山から少し行った先にある、木曽川沿いの山林だった。

 

「ふ、ふ、ふ。拙者の郎党ども、川並衆でごじゃる。あいことばはやみゃ!」

 

 

「「「親分の舌っ足らずが、出たあああ!待っていたぜえ!」」」

 

 

突如、ズザザッ!と森の四方から屈強な野郎どもがわらわらと現れた。

 

なんというか、こう、圧が凄いし殺伐としてる気がする。

 

「うにゅう。だきちゅくな、だきちゅくなぁ!」

 

五右衛門はムサい野郎どもにド派手な祝福を受けていた。

 

絵面が一歩間違えたら「くっ殺」だなぁと一歩引いて俺はその惨劇を眺めていた。

 

 

「五右衛門、本当にこいつらの親分なのか?弄ばれてるようにしか見えんぞ・・・」

 

そう言いつつ五右衛門を救出する。

しかしどうやらその行動が川並衆のカンに触ったようで、

 

「親分に抱きつかれてやがるこの小僧!処せ!!」

 

「俺たちの永遠の偶像であられる親分になんて真似を!処せ!」

 

「こいつぁとんでもねぇ悪党に違いねぇ。いや違っても俺たちが悪党にする!処せ!!」

 

 

・・・なんだか唐突に思考が現代に戻ってFFF団みが深いなと感じた。

 

 

 

直後、殺気を感じた。次の瞬間首筋に冷たい何かを感じた。

 

「おいこら、坊主。親分に代わってこの前野某さまが川並衆を紹介してやらあ。とにかく親分には容易く触れるんじゃねぇ、次に触れた殺すぞ。いいな?」

 

「お、おう分かった。だからこの物騒なものを収めてくれ、おちおち会話も出来やしねぇ。

それで、前野某殿だっけか?あんたがここのまとめ役ってことでいいのかな?」

 

「ああ、普段は忍稼業で留守にすることが多い親分の代理を務めてる。」

 

その後前野某から川並衆についての説明を受けた。

 

曰く、川並衆は元は五右衛門の父親が率いていた川族だったとのこと。

曰く、ここにいるのは盗賊とはいえ元は侍だったのが落ち延びたなれの果てだということ。

曰く、五右衛門は木下藤吉郎と組み大名に奉公して出世したら川並衆のごろつきを再び侍の身分に戻そうと尽力していたとのこと。

 

つまり五右衛門は俺に仕えることで、川並衆の再雇用を目指すという目的を持っているということだ。

 

ちなみに川並衆たちは川族としてここ犬山をねぐらにしているが、一応国人衆としての顔もあるらしく少し木曽川を下流に下ったところにある玉ノ井周辺に国人衆としての屋敷と小さな田畑を持っているという。

 

大方の説明を聞き終え、川並衆と五右衛門のスキンシップもひと段落し、他の川並衆の面々も落ち着いたところでついに俺の挨拶の時間となった。

 

 

 

「お初にお目にかかります。俺の名は小笠原金槻、五右衛門には既に伝えているが多分未来から来た・・・と思います。

正直自分でもまだ状況の整理がついていないところもありますが、木下殿と五右衛門に命を救われた以上、彼の成そうとしたことを受け継ぎ、皆様方を武士の世界へと戻すことに全力を尽くしますので、何卒宜しくお願い致します!」

 

 

すると川並衆から歓声と共に次々に質問の声があがった。

 

「未来って、だいたいいつ頃からきたんだ。」

 

「小笠原ってことは上流の信濃から落ちてきたのか?そういえば最近小笠原氏が武田に滅ぼされたとか聞いたが。」

 

「だいいち、俺たちを武士に戻すってのもどうするんだ?お前だって素浪人だろうが。」

 

まぁこうなるよな・・・と心の中で毒づきつつもそれぞれに答えを返していく。

 

「今の時代から大体500年弱ってところだ、俺もなんで急にこんなことになったかは分かっていないが、ひとまずはその原因を探すこともしつつこの世界で生き抜いていきたいと思っている。

あと信濃の小笠原氏とは直接関係は無い。もしかした俺の祖先がその小笠原氏なのかもしれんが、そこまでは何とも・・・」

 

・・・

 

「なるほどな、お前の素性については大方理解したぜ。第一ここは野盗の集まりだからな、そんなに出自は気にしねぇ。だが俺たちの頭を張る以上、最後の質問にはしっかり答えてもらうぞ。」

 

そう前野某に促される。

 

「もちろん、じゃあ肝心の計画について話すから全員よく聞いてくれ。

ひとまず今後の目標だが、俺は織田信奈に仕官するつもりだ。

とは言ってもただで門を叩いても門前払いされるからな。

これから暫くは織田信奈に持っていく手土産を用意するのに時間を使う。

そのためにも皆に協力してほしいこともあるから合わせて説明するぞ。

 

まず第一に美濃の斎藤家との伝手を作る。

今の織田家は四方が敵だからな。

どこか一方、出来れば大きな商業地である井ノ口を抑える美濃の蝮・斎藤道三と和議を結ぼうと画策するはずだ。

それが商業施策が強みの織田家の方針に最も合致しているからな。

幸いにして美濃の伝手にはとっておきの手段を既に見つけている。

実は今日津島の武具店で美濃の明智十兵衛という姫武将に渡す予定の種子島を預かっている。明智十兵衛は斎藤道三の側近だ、これを渡す際に近づいて親交を得る。

 

次に第二の手土産として米を集める。

現在織田家は今川家に攻められている。

防衛自体は出来るが兵糧の不足や高騰は著しいだろう。

そこで俺が今日手に入れた銭を使って米をかき集める。

とは言っても俺の手持ちの二百両じゃたかが知れている。

とりあえず実際に商売で使うのは永楽銭だから後で両替するが、確か1両と1貫がほぼ同じだからな。ひとまずこの手持ちを増やすことから始める。

 

そこでお前たちの出番だ。ひとまずこの後五右衛門には昨秋から今に至るまで戦が無かった国を調べてもらう。

また別に川並衆にはこの周辺の町の物産品の相場を調べてもらう。

あとは安く売っている所と高い相場がついている所のある物産品を買い集め、高い所でまとめて売れば差額が儲けになる。

金がたまれば戦がなかった町に赴いて米をしこたま買い込む。

戦が無いってことは米がだぶついてるってことだからな、あとはそれを尾張に運んで仕官の手土産にするだけだ。」

 

 

「なるほどな、確かにそれで大量の米を持ち込めば織田の姫さまにとっては喉から手が出るほど欲しい逸材に見えるって寸法か。」

 

「ああ、どうせ仕官するんだ。それならより度肝を抜いてやらんと面白くないからな。

一応他にも個別で手を打つが、織田家が今川に白旗あげてしまっては元の木阿弥だからな。

ひとまずは一か月で集めれるだけの駒を集める。

それを全部ぶつけて任官される官職の格をあげてやるさ。」

 

俺が渾身の決め顔で悪どい笑みを浮かべてやると、川並衆の野郎どもも一様に表情を緩め、そして会話は終わったとばかりに次の瞬間酒盛りが始まった。

やはりいつの時代も呑みニケーションがあるのは変わらないらしい。

一応年齢上酒はマズいのだが、この時代だと俺はとっくに元服している歳、なら良いかと堂々と酒を煽った。

 

こうして俺と川並衆の通称「山吹色のお菓子で織田の蔵を埋める」作戦が始まった。

 



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第04話 下準備

美濃・井ノ口の街(稲葉山城下)

 

 

 

相棒の忍、五右衛門の率いる川族、川並衆との邂逅から数日。

 

俺、小笠原金槻は美濃国の稲葉山城の麓にある井ノ口の街を訪れていた。

 

今俺は一人で人を待っている。その間団子屋でここ数日のことを反芻しつつ今後の策を練っていた。

 

 

犬山を訪れた日の翌日。川並衆との酒盛りで酔い潰れた俺はそのまま川族のねぐらで一夜を明かし、気が付けばお天道様が真上に上っていた。

鈍く痛む頭を何とか回しつつ川並衆と五右衛門に最初の仕事を頼み、俺は川並衆の国人衆としての屋敷である玉ノ井へ向かった。現状の調査のためだ。

 

 

玉ノ井の集落は美濃との国境、木曽川の扇状地に広がる小さな村だ。

と前野某に聞いてはいたが、思っていたより土地自体は広く、田畑もそれなりにあるような場所であった。

 

仕事を手伝ってもらうため俺と同行していた前野某によれば、これでも大した広さではないらしい。

この時代の土地の大きさの感覚は現代のそれとは大きく異なることを思い知った。

 

ひとまず某の案内で川並衆の屋敷に上がり込んだ俺は、犬山で仕事を頼んだ川並衆と五右衛門の帰りを待つ間、仕事の準備として周辺の地図を読みふけっていた。

 

 

「ここ黒田荘は美濃と尾張の国境にあり、美濃路(東海道と中山道の脇街道)に近い。中々良い所じゃないか。」

 

「褒めても何も出ねぇぜ坊主。確かにここは人通りは多いが、何にしろ清州や井ノ口に近すぎる。あの規模の街が隣接してりゃあここは素通りされるんだよ。」

 

「まぁ商いやただの街道宿としてここを使おうとするならそうなるわな。だが、俺たちが活動するにはうってつけの場所だぞここは。」

 

「ほう、それはどういう意味だ?」

 

 

某に聞かれた俺は見ていた地図を畳の上に広げ、指差しながら語った。

 

「まず、川が近い。木曾の方から舟運でくる船は間違いなくここを通るし、川族をやるにはうってつけだわな。」

 

「そりゃそうだ。現に俺たち川並衆はそれで食ってる。」

 

「まぁ、川族に関しては仕官が成ったら侍に戻る以上辞めてもらうが、川族じゃなくてもここは使い勝手のいい土地だ。

まず木曽川の水深がそこそこ深く流れが緩い、かつここから上流は西に川が曲がっている。つまり川幅が狭まっているんだ。つまり海から大型の船を乗り付けれる限界点がここになる。この特性をうまく使えば一儲け出来るぞ。」

 

「水深、大型船か・・・坊主、もしかしてここに湊でも築くつもりか?」

 

「流石前野の親父だ、正解。さっきも言ったがここは清州と井ノ口のほぼ中間、そして美濃路沿いだ。大型船を伊勢湾からここまで乗り付けさせ、ここからは小舟や牛や馬に積み替えて荷を運ぶ。

船着き場の係留賃、荷を置く蔵、上流の木曾は材木の名産地だからそれを川で流してここで造船なんてのも出来る。

海が無い美濃や木曽川上流の飛騨・信濃にとっては小舟であっても希少な貿易拠点にもなる。城下でなくてもここまで条件がそろえばそれなりの宿場も作れる。そしてここを元川族で木曽川のプロである川並衆が取り仕切れば・・・」

 

「そのうちには勝手に銭が転がり込んでくるようになる・・・」

 

「ああ、悪くない構想だろ?頭の中でここまで絵を画けてたらあとは実行するだけだからな。実際にそれが出来るかどうか確かめたかったから最初に玉ノ井に来たんだ。幸いにしてここは川並衆の土地、いくらでも弄れるし、建築資材は犬山のねぐらの森から取ってくりゃいい。」

 

相変わらず金を稼ぐ時に下衆くニヤつく俺を見て、前野某は関心しきりだった。

 

「しかしよくそんなこと思いついたな坊主。俺ぁここに住んで長いが考えもしなかったぞ。」

 

「金は天下の回り物って言葉があってな、要するに経済を回せば回すほど自国は豊かになっていくんだ。

それを織田信奈は分かっているから楽市楽座を敷いている。この先見の明も俺が織田信奈に仕官しようとしている決め手なんだ。

金を稼ぐにはまず人を集めるんだ。人が集まれば物の消費が生まれる。物を買うには銭が要る。その人・物・金の動きは活発であればあるほど景気が良いってことになる。

楽市楽座はその動きを活発にする手段って訳だ。もちろん織田家は大名だからそれに軍事的な思惑も加わってるだろうがな。」

 

「なるほどなぁ、となるとここで俺たちがやる仕事ってのは・・・」

 

「ああ、ここに新しく作る街の設計って所だな。それじゃあ大まかに決めていくから紙と筆を持ってきてくれ。」

 

こうして俺は金を刷るように新たな街の設計に没頭していった。

 

 

 

団子を嗜みつつ思い起こせばこうして一人でのんびり考える時間もこれまでなかった。

まだこの時代に来て1週間ほどだが、既にこの生活に慣れてきており元の世界よりむしろわくわくしている自分がいることに心の中で少し呆れている。

 

ちなみにこの数日で俺と前野某は玉ノ井湊の計画案を練っていたが、他の川並衆はどうしていたかというと、各地の街の相場を調べて貰っていた。

今は届いた各地の相場を精査して、浜松の茶が安いことが分かったので、それを茶が高騰していた近江の今浜で売りに出すように指示を行ったところだ。

相場リストを見た時、駿河の茶の相場が阿呆みたいに安くてさすが静岡だなぁと感慨深かった。

そういえば今浜は木下秀吉が長浜に改名したが、この世界では果たして改名されるのだろうか、もし俺が改名することになったらしっかり長浜にしておこうと心に決めた。

 

そしてもう一人、別の仕事をあたえていたのは五右衛門だ。

彼女には美濃の明智十兵衛の居場所を探ってもらい、俺がしたためた文を届けて貰っていた。

文の内容は種子島の件についてであり、落ち合う日時と場所を決めてくれという依頼だった。

五右衛門には別に近頃戦が無かった地域も調べて貰っていたため、明智十兵衛とのアポが取れて玉ノ井に帰還したのは昨日の夕刻であった。

五右衛門によれば明智十兵衛はつい最近京から戻った所だったということで、明智ではなく稲葉山に滞在していたとのことだった。

明智は美濃の山奥であり稲葉山は目と鼻の先、これは僥倖だった。

 

五右衛門が持ち帰った明智十兵衛の文には

 

「津島の武具屋に頼んでいた種子島の件、非常に助かりましたです。

丁度今稲葉山に滞在している所ですので、明日井ノ口に来ていただきたいです。

井ノ口に贔屓にしている団子屋がありますので、そこで落ち合わせていただきますです。場所は・・・・」

 

とあった。

 

そして今に至る訳である。ちなみに五右衛門は若干酷使気味だったので玉ノ井で留守を任せている。今頃玉ノ井残留の川並衆にまた揉みくちゃにされてる頃だろうか。

 

 

 

気が付けば団子の皿が空になっていた。考え事にトリップしながら口は勝手に動いていたのだろう。

座っていた個室から顔を出して店の女将さんに茶と追加のみたらし団子を頼み、気持ちを今に戻して引き締める。

 

そう、今から俺は戦国随一の名将、明智光秀と対談するのだ。舐めてかかると足元を掬われかねない。

 

今回の会談はただの種子島のお使いではない。俺にとっては明智光秀、そして斎藤道三への伝手を作る千載一遇のチャンスなのだ。そのための準備は既に整えた、五右衛門から明智十兵衛の人となり、雰囲気も聞いている。あとは俺が仕事をする番だ。

 

「お待ちどうさまです。みたらしにございます。」

女将が茶とみたらし団子を2皿持ってきて一つを俺の前に、もう一つを対面に置く。ついに明智十兵衛との対面だ。少しだか鼓動が速くなる感じがした。

 



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第05話 麒麟児

「・・・お待たせしたです。明智十兵衛光秀にございますです。」

 

馴染みの団子屋の奥で待つ待ち人に対して私はそう口上を述べて部屋に入った。

 

以前に津島で注文した種子島を預かっているからお届けしたいという文が届けられたのは昨日、私が京からの帰りに報告のために稲葉山に入った夕刻だった。

 

ここ暫くは土岐家から斎藤家への政変による国人衆や豪族への対処、そして京の朝廷への報告、京にいる馴染みの医者への依頼などてんてこ舞いで忘れていたですぅ・・・と文を見て思い出し、翌日井ノ口の団子屋で落ち合うと文を持ってきた小さな乱破に返信の文を返したはいいが、よくよく考えればこれはかなり怪しいことであると聡明な私は気づいたです。

 

そもそもなぜただの浪人が乱破を使ってまで私に文を届けたのか、普通であれば明智荘か稲葉山の私の居宅に預ければいいだけのこと。

しかし文には、「直接お会いして受け渡ししたく」という文言があった。

 

直接会うということは種子島の件以上に伝えたい何かがあるということだろう。

しかし私は小笠原金槻という名の人物は初耳だったし、斎藤家の面々に聞いても聞いたことがないということであった。

先日武田家に滅ぼされた信濃・飯田の小笠原氏の落ち武者の線も疑ったが、十兵衛の居宅にいる元小笠原家の小姓に聞いても知らないとのことだった。

 

明智家の本領は恵那山を挟んで小笠原領と隣接しており、時折小笠原氏が刈り働きに来ることもあったため、彼らの主だった面々の名前は知っていた。

確か領主の小笠原長時は武田に敗れたあと越後に落ち、長尾家に仕えたがそこも追い出され今は京の三好家に仕えていたはずである。

他の一門も殆どが武田に下るか駿河の今川家などに散っている。

 

とにかく怪しい身分不詳の人物だが、もし何かしでかすようなら直接捕まえるか斬れば良いですぅと内心に留めて予定の場所へと足を運んでいた。

 

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初めて目にするその姫武将の第一印象は、清楚という言葉がぴったりだと感じた。

 

生真面目そうな凛々しい顔立ちにきんかんの髪飾り、浪人である俺にたいしても由緒正しく桔梗紋をあしらえた正装で登場した明智光秀に対し、俺は息を吞んだ。

俺と同い年か少し下くらいだろうか、今まで出会った女性の中でも飛びきりの美人だった。

 

「お初にお目にかかります。小笠原金槻にございます。」

 

俺はひとまず挨拶を済ませ着席を促す。心の中で俺は相手はあの麒麟児、油断禁物と再度唱えて自分にムチを入れた。

 

 

「さて明智光秀殿、此度は津島の武具屋にてご所望であった種子島を受け渡しに参った。

早速ですまないが御検分いただけるかな?」

 

「相分かりましたです。わざわざお届けいただき助かりましたです。」

 

俺は津島から預かった種子島を手渡す。光秀は袋から取り出し、品物の検分を始めた。

 

「ふむ・・・流石は噂に名高き津島の武具商、やはり一級品ですね・・・。近頃鉄砲の勉強をしていますが、これほどの品は初めて見ましたです。これであれば道三様もお喜びになられるですぅ。」

 

「おや?これは斎藤道三殿の所望されたものでありましたか。てっきり明智殿が注文したものとばかり思っておりました。」

 

「そうなのです。私が斎藤家の鉄砲班長として種子島の管理製は任されているですが、これは道三様が個別に注文された特別製なのですぅ。

私に注文を任されたのは良いのですが近頃各地の大名が鉄砲の存在を知り、種子島の一大産地である堺に押し寄せているのです。

種子島は確かに威力はあるのですが、如何せん一発撃つごとにかなりの時間を要するもの。戦に取り入れるには数を揃える必要があるということで、鉄砲も高騰しているです。そこであえて堺ではなく津島に発注をお願いしたのですよ。

どうやら津島の武具商殿は堺ではなく薩摩から取り寄せたようです。

鉄砲の渡来も早く、既に島津家などは種子島の量産を行っていると聞き及んでおりましたが、まさかこれほどの良品を安定して作れるとは、やはり修羅の国は恐ろしいですぅ。」

 

そう述べつつひとしきりの確認を終え、種子島を袋に戻す。そのタイミングを見計らって俺は次の話題を切り出した。

 

「いやはや、それにしても美濃の麒麟児と噂される光秀殿にお会いできるとは、これも何かの縁でございましょう。それがしもここへきた甲斐がございました。」

 

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内心で「来た!」と私は気持ちを切り替えた。怪しいとは思っていたが、やはりこの浪人には裏があるです。少し探りを入れる必要がありそうですね・・・

 

「ほう、私をその名で呼ぶとはよく調べておいでですぅ。やはりただの浪人ではありませんですね?」

 

「ハハハ、やはり怪しまれておられましたか。左様、それがし今は確かに浪人ではありますが、尾張と美濃の国境にあります玉ノ井の川並衆を率いております。」

 

「玉ノ井と言うと、木曽川を渡った対岸ですか。」

 

「はい、実は我々は玉ノ井の地にてある商いを計画しております。しかし彼の地は美濃との国境、尾張側は我々の所有地故どうとでもできますが、ことは美濃が絡むためこうして道三殿の側近たる光秀殿にお会いし、商いの許諾を頂きたく思い此度の使いをお受けしました。」

 

「なるほど、合点がいったです。しかし私どもの許諾を得る必要のある商いとは、一体何を始めるおつもりで?」

 

そう聞くと彼は何やら巻物と製本された紙を取り出した。

 

「こちらが、我々が現在推し進めている計画。《木曽川湊開発》です。」

 

「木曽川湊ですか・・・?」

 

「はい、簡潔に言うと木曽川に船を直接乗り付ける湊の整備、それに伴う各種設備の建築、美濃路と接続することによる宿場の設営などが盛り込まれております。」

 

書物を受け取り、まずは本の方を開く。そこには尾張から美濃にかけての木曽川沿いの地図、玉ノ井・羽島近辺の開発計画・必要な設備と費用、得られる利益の計算などが事細かに書き記されていた。

 

「それがしは、木曽川の両岸に船着き場を設けその周辺に街を開く計画をしております。ここに湊を築けば、海から離れた井ノ口の街への物流は大幅に楽になります。また上流の飛騨や信濃との流通も生まれ、大きな経済圏が作れます。」

 

「なるほど、確かに魅力的な計画です。これがあなたの本当の目的ですか・・・」

 

確かに、井ノ口の街は大きな都市ではあるが、近頃は楽市楽座を推す尾張の清州や津島に押されつつあったのは確か。

この計画が成れば井ノ口の地理的な不利は吹っ飛ぶです。元々美濃は東海道と中山道の交わる交通の要衝、これに更に水運が加われば美濃は潤うです・・・。

 

十兵衛は持ち前の頭をフル回転させ、計画書を読み込んだ。

 

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内心で「勝った!」と俺は確信した。明智光秀、やはり麒麟児だ。即座にこの計画の大きさに気付いたか。

仮にここで計画を通さなくてもこれで光秀の中では俺に対する印象が強く残る。伝手は作れたと言って良い。

 

「如何かな?」

 

「こ、これは確かに凄いです。これだけの規模の開発が可能であれば、斎藤家に入る矢銭は下手したら今の倍以上に膨れあがるですよ。ですが、分からないです。なぜこれを私に持ってきたのです?」

 

「簡単なことです。一つは津島の湊で偶然にも光秀殿への用事を預かったこと。そしてもう一つは美濃側の開発を一番うまく出来る斎藤家の武将があなただからです。」

 

ここでダメ押しとばかりに明智光秀をヨイショと持ち上げる。すると風向きは完全にこちらに靡いた。

 

「いや~、金槻殿はお目が高いですぅ。相分かりました、これは持ち帰って道三様に今後の普請の計画に盛り込むように提案いたしましょう。」

 

「ありがとうございます。ちなみにもう一つお渡しした巻物の方ですが、そちらは私から道三殿への文となっています。中身はこの計画に協力いただいた際の御礼についてなどです。」

 

「承ったです。こちらの文は評定の際に道三様へお届けいたしますです。」

 

 

こうして、俺の初めての大仕事は成功裏に終わった。

 



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第06話 計画始動!

尾張・津島湊

 

 

明智光秀との会談から半月ほど、俺は訳あって五右衛門と共に津島の湊を訪れていた。

 

「小笠原氏、そろそろ教えてほしいでござる。いきゃようがあってちゅしまに参ったのでごじゃるか。」

 

「ああ、玉ノ井の湊を築くにあたって協力してくれそうな人に声をかけようと思ってな。

あとこの前の武具屋に種子島の件も報告しておきたいし。」

 

「協力でござるか?」

 

「玉ノ井の湊は今ようやく工事に着手したところだ。だが、船着き場だけあっても湊は機能しない。そこまで来てくれる船が来て始めて役に立つ。

今から俺たちで1から問屋を始めても手間だからな、既にやってる人に頼もうと思ったんだ。」

 

「なるほどにござる。では小笠原氏、どちらきゃらみゃいられるでござるか。」

 

「とりあえずは武具屋だな、こっちの用事はすぐに終わるし。」

 

 

あれから半月が経過し、明智光秀から文が届いたのは3日前のことだった。

 

曰く、「先日稲葉山で評定があったです。玉ノ井の件は道三様にお話しを通しましたです。ついでに美濃側の湊の整備についてはこの十兵衛が任されることになったですよ。

つきましては今後の工程などの相談に伺いたいのですが、また日取りはお任せ致しますのでご連絡頂くようお願いしますですぅ。」とのことだった。

 

ひとまず第一段階はクリアだと文を見たときは息をついた。計画自体は光秀も賛成してくれてはいたがここは戦国時代、斎藤道三の鶴の一声でひっくり返される可能性もあった。

まぁ元々油売りの商人あがりである道三はこの計画で得る利益の大きさは目に見えていただろうからそうそう心配はしていなかったが、やはり結果が伴ってくると安心感が違う。それに道三にしてみれば、川並衆を懐柔することは尾張の織田家にくさびを打ち込む意味もあるし、この計画には経済面以上に軍事的な意味もこめられていた。

 

 

 

今回津島に来たのは玉ノ井湊の計画第二段階のためだ。

現状川並衆は特産品の転売でかなり裕福にはなっている。具体的に今朝の収支報告では当初の二百両は一万貫に届こうかという所まで来ている。

浜松で茶を買い、今浜で売る。今浜では安くなっていた名物の仏具を買い、戦で死者が出た尾張や京で売った。これを繰り返すうちに気が付けば大台に乗る所まできていたのだった。

 

しかし、この一万貫の半分は織田家仕官のために買う米に充てることとなっており、五千貫では玉ノ井の開発資金としては心もとない。

そこで今回は、玉ノ井の湊に出資してくれるスポンサー集めに来たというわけだ。ちなみにこの後清州にも寄ることになっている。

 

 

「今度の儲けの仕組みはこうだ五右衛門。まず俺たちは船着き場の設営を行っているが、湊にはそれだけではなく様々な施設がいる。

例えば蔵、座(所謂市場のこと)、工房などだ。今回俺たちは玉ノ井に明智光秀と合同で商会を立ち上げる。木曽川の両岸に湊を作るから尾張側は川並衆、美濃側は光秀が頭となる。

商会の儲け方は単純だ、湊に入ってくる荷物を預ける蔵を納屋衆に貸す。その家賃を取るんだ。

あとこれは玉ノ井の場合だが、船着き場の係留賃は直接川並衆に入るように直営にするのと、川の渡しも直営する。これだけあれば川並衆は安定して食っていけるようになるさ。」

 

ちなみに尾張側の収益は俺たちに、美濃側の収益は光秀が持っていくことになる。

玉ノ井から井ノ口と清州の距離は井ノ口の方が近いから光秀の方が少し得をするが、川辺の平地の広さはこっちの方が広いから互角に儲けは出るはずだ。

 

 

 

そう五右衛門に説明している間に武具屋に着いた。かれこれ半月ぶりだが、凄く久しぶりな気がする。それほどこの半月は忙しかった。

 

「おーいご主人。おられるか?」

 

「おお、そなたは金槻殿ではないか。どうかされましたかな?」

 

「ああ、以前頼まれた明智光秀殿への使い。済んだからその報告をと思うてな。」

 

「それはそれは、文でもよかったものをわざわざご苦労をおかけしましたな。今茶を出しますから暫し待たれよ。」

 

そういうと主人は店の裏に下がっていったので俺はひとまず店の土間から一段上がった所に腰かけた。

 

「そういえば小笠原殿、以前来られた後お主のことが津島で噂になっておりましたぞ。」

 

「ほう、何と噂になっておりましたか?」

 

「南蛮の筆を三百両で競り出し、武具防具に馬まで揃えて颯爽と去っていかれた、名のある将ではあるまいかとまことしやかに囁かれておりましたぞ。」

 

それを聞いて俺は苦笑しつつ、やはり目立ち過ぎたかと内心少し後悔した。

この世界に来て2日目、まだ慣れない中でとはいえあの時点で目立つことは避けたかった。

しかし湊設営のスポンサーを集めに来た今としては、むしろ多少名が知られているほうがやりやすいだろうか。

 

 

「いやはや、まさかそんな噂になっていたとは。それがしは一介の浪人に過ぎませんがな、はっはっは。」

 

「ところで小笠原殿、此度はまさかその御礼のためにわざわざ津島まで参られたのですかな?」

 

「いや、一応用は他にある。そうだご主人、ちょっと話があるんだが・・・」

 

「はて、武具の発注ですかな?」

 

「いや、実はですな・・・」

 

ここで俺は店の店主に玉ノ井の計画を話した。これほど優秀な武具屋が来てくれれば相当に役立つと考えたのだ。

 

「なるほど、確かに玉ノ井の地に湊が出来るのであればかなりの人が集まるでしょうな。しかしワシは見ての通りの老骨、ここ津島の地での商いで手一杯ですの。」

 

「左様でしたか、それでは無理にとは申しますまい。話を聞いてくださった礼としてこのクナイを頂けますかな?」

 

「ええ、毎度ありがとうごぜえます。また武具でお困りのことがあれば参られい。十兵衛様のお使いの礼もあるでの。勉強させていただきますな。」

 

「心遣い感謝する。それではまた。」

 

そう言って武具屋を後にする。

 

 

「ほら、五右衛門これはお前への謝礼だ。受け取ってくれ。」

 

そう言ってさっき買ったクナイを手渡す。

 

「小笠原氏、感謝いたちゅ。しかしなじぇ急にそれがしにクナイを?」

 

「いやな、色々働いて貰っていたからさ。これくらいの礼はさせてくれ。」

 

「そ、そういうことでござったか。それがしはちぇっきりおぎゃさわりゃうじゅがそれがしをもにょでちゅりょうとしているのきゃと・・・」

 

「え?流石に聞き取れないんだがどうした?」

 

「な、なんでもにゃいでござる!!」

 

「んんん?、まぁ何でもないなら良いが・・・さぁそれじゃあ次の仕事だ。いくぞ五右衛門!」

 

「しょ、承知にござる。」

 

五右衛門は心の内で「ひょっとして小笠原氏、結構な天然で女たらしなのでは・・・明智十兵衛殿も一度の会話で仲良くなったようだし・・・」と感じた。

 

 

 

 

いつぞやの納屋衆の寄合所の前に小笠原金槻と五右衛門はたどりついた。

 

「小笠原氏、まさかここから始めるのでごじゃるか?」

 

「ああ、ここなら俺の顔は分かるだろ。」

 

「危のうござるぞ!前の三百両の件、忘れた訳ではありゃぬでごじゃろう!」

 

「ああ、だからこそここからだ。火中の栗を拾ってこそ今回の計画は成功する!」

 

そう言って暖簾を潜る。入った途端やはりというか、納屋衆は俺のことを見た瞬間に警戒色をあらわに・・・と思ったがそうでもない。これはどうしたことか。

 

「やあやあ久しいな皆々様方、半月ほど前に南蛮の筆の件で世話になった小笠原金槻と申す。」

 

「ああ?お前は・・・あの時のか!」

 

「おや、あなたはあの筆を競り落とした御仁ではないか。息災でござったか。」

 

「おう、おかげさまでな。」

 

「おかげさま?それがしが何かしましたかな?」

 

「いや、あの筆だが、あの後堺に持って行ったのだ。すると倍の六百両の値がついてな。

おかげ様で蔵の買い戻しも出来たうえ、一財産築くことができたわい!ハッハッハ。」

 

流石のこれには俺も度肝を抜かれた。まさかあのボールペン、そんなことになっているとは。

これには乾いた笑いしか出ない。

 

「そ、それで筆は今堺に行ったということか。は、ハハハ・・・」

 

「おう、それだけじゃあねえ。六百両もの小判を出したのがあの三好長慶の側近だぜ。

今後とも贔屓にさせてもらえる商売の伝手も出来た!お前様には感謝しているぜ!」

 

ちょっと洒落になってない。あのボールペンが三好に行っただって?三好家は今機内と阿波、讃岐を抑える間違いなくこの国最大の大大名だ。もうどうにもならないとは言え、変なことにならないように祈るばかりだ。

 

内心冷や汗をかきながら、俺はそのボールペンを売った納屋衆を含めた寄合所の面々に話を切り出した。

 

「ところで各々方、今度は新しい儲け話を持ってきたのだが・・・」

 

 

 

 

 

「・・・ふう、流石に疲れたな。」

 

あの後五右衛門にした説明により具体的な収益性の話を加えて、玉ノ井の計画を納屋衆に伝え、多くの賛同を取り付けた。

また例のボールペンを落とした豪商は津島の他の寄合にも顔が広いらしく、津島中に話を回すように頼むと喜んで受けてくれた。

最終的には井ノ口や飛騨・信濃の街を回っている光秀側の商人と合わせて土地の振り分けを行う合議を玉ノ井で開くと伝え津島を後にした俺は、その足で清州に向かった。

 

清州の街は初めて訪れたが、幸いにして津島の商人の伝手を頼ることが出来たので同じように手早く玉ノ井の件を広めることができた。

また津島に出稼ぎにきた行商を通じて伊勢や知多、渥美のあたりにまで話を広めることができたようで、玉ノ井湊の計画は一気に東海伊勢湾一体の商人にとって注目のされるトピックに浮上したのだった。

 

 

 




「長秀様、眼鏡の浪人の件につきまして報告が上がってまいりました。」

「本当ですか、ここに通してください。」

あの三百両騒動から半月、ようやく足取りがつかめましたか。少し時間がかかりましたがようやくことを進めることができそうです。
60点と心で採点し、放っていた足軽を小姓に呼びにいかせる。

「長秀様、ご報告申し上げます。眼鏡の浪人についてです。
浪人の名は小笠原金槻、齢は16.17あたり、現在玉ノ井の地を治める黒田荘は川並衆の頭領をしている人物という確認がとれました。仔細についてはこちらに記しております。」

「ご苦労様です、80点。下がりなさい。」

足軽を下げてまとめてきた情報を読む。小笠原ということは信濃からの落ち武者でしょうか、しかし自国内の国人衆とは、これでならば抑えるのは容易いですね。70点。

「・・・これは!そういうことですか・・・どおりで自国内にもかかわらず足取りが見えなかった訳です。30点」

足軽は非常に大きな情報を持ってきていた。玉ノ井の地に籠っていたうえ、その間の外出は美濃に一度という引き籠りぶり。これでは情報網から抜けていたのも無理はなかった。

そして足軽の報告書の最期にはこう記されていた。


【何やら木曽川にて大きな商いを始める模様。津島や清州の商人たちの間では近頃玉ノ井湊という言葉で持ち切り。その計画の中心人物と思われる。】


「玉ノ井湊・・・これは姫様にも報告しなければなりませんね。」

長秀はそう呟き報告書を閉じた。


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第07話 玉ノ井会議

美濃・玉ノ井の屋敷

 

 

玉ノ井の開発の支援者探しに津島・清州に行ってから更に半月が経ち、俺がこの時代にきてからちょうど1か月がたった。

この日はこの1か月の行動の結果が出る俺にとって節目の日だった。

 

俺は朝早くに起きて、目の前の木曽川で釣れて池に活かしておいた鮎の塩焼きと飼っている鶏の卵焼き、更に米と味噌汁を手早く調理しながら、今日やることを頭の中で反芻していた。今日は大まかに3つ、やることがある。

 

 

まず1つ、川並衆に頼んでいた米の買い出しの確認だ。

特産品を転がし続け、既に川並衆の財布は三万貫に届こうとしている。この手持ちのうち、一万貫を川並衆に持たせて最近戦が無く、琵琶湖のお陰で多くの米がとれる近江に買い付けにいかせているのだがそれが今日玉ノ井に帰ってくるのだ。この米は明日、織田家に仕官に向かう際の手土産とするものである。

 

 

次に2つ、玉ノ井湊の開発合議が開かれる。

今日のメインイベントである。この1か月弱、犬山のねぐら付近の森から木材を運んだり木曽川の中州を切り崩したりしながら船の係留ができる設備を整えていた。船着き場自体はなんとか完成しているのだが、玉ノ井は未だ小さな集落にすぎず大型の商船が乗り付けてもそれを降ろす設備が整っていない。

そこで俺は尾張を、光秀には美濃側の街を回り、豪商たちと開発についての協議を行ってきたのだが、今日はそれらの豪商たちに加え、近隣の会合衆や近くの寺院勢力である正徳寺の寺内町の商工会なども加えての大規模な会議が行われるのであった。

会議の内容は簡単なセレモニーの後に、土地の割り振りや建築の調整、土地代や地域の共有施設の共益費など金の話、今後想定される事態への対応方針の策定など多岐にわたる。ほぼ1日を使って会議を行うことになっていた。

ちなみに今回の会議。遠方からは伊勢や京、飛騨などからも足を延ばしてくる商人もいるらしく、昨日聞いた話ではすぐ南にある萩原宿という小さな宿場町では会議に参加する商人などで大入りになったと聞いた。既に近隣ではちょっとしたバブル経済のような効果が速くも生まれており、今日参加予定の会合衆や正徳寺も今後に期待しての会議参加となった。

 

 

最後は、木下藤吉郎の墓の除幕を行う。

実は今日は木下藤吉郎の月命日でもあり、丁度いいタイミングということで正徳寺の僧侶に読経を別に依頼している。

先の戦の際に木下藤吉郎は俺を守って倒れた後、実は五右衛門が埋めて弔ってはくれていたのだが、命の恩人に対して土葬しておくのは忍びないと感じ五右衛門と相談の上改葬することとしたのだ。火葬は既に済ませており、正徳寺が管理する墓にも入れてもらえることになったので、納骨を今夜行うという運びだった。

 

またこれは死者を使っているようで反感を買いそうなので誰にも語ってはいないが、今回の会議と墓の依頼は正徳寺との繋がりを作る俺の策という一面も持ち合わせてる。正徳寺と言えば織田信長と斎藤道三が会談し、美濃譲り状をしたためることとなった有名な場所。この世界でも実際に正徳寺の会見が行われるかは未知数ではあったが、尾張と美濃の非武装地帯という寺内町の特性もあって正徳寺とは繋がりを作っておきたかったのだ。

 

 

「・・・あぁ!マズった・・・。」

 

気が付けば思いの他考えこんでしまっていたようだ。卵焼き焦げてる・・・

 

 

 

 

 

朝日が昇って暖かくなってきた頃。会場の設営中に明智光秀が到着した。

 

「おはようございますです小笠原殿、いよいよですね・・・」

 

「ああ、おはよう光秀殿、準備の首尾は上々とは聞いているが流石に緊張するか?」

 

「ええ、何せここまで大規模な仕事は恥ずかしながら初めてなのですぅ・・・。」

 

「そうでしたか。しかしこれが上手くいけば道三殿にも覚えめでたく、出世にも繋がりますぞ。そう思えば一念発起できるというもの。商いの道というものは案外度胸があれば何とかなると俺は思っていまして、道三殿は明智殿にそれを知って欲しくて今回の仕事を任されたのかと思います。」

 

「確かに、ここで成果を上げれば出世への道が開けるですか。そう思えば不思議とやる気も沸くものです!」

 

「その意気です。まぁかくいう俺もそれなりに緊張していますけどね。」

 

そう言って微笑みを返す。この言葉は俺の本心だ、というかこの大舞台で緊張しない方がおかしい。

この直後、近江から米の買い出し班の川並衆が到着したため光秀に現場を任せ一時屋敷に引き上げる。既に受付前には行列が出来つつあった。

 

 

それから一刻ほどして・・・

「えーお集りの皆様方、この度は玉ノ井湊の運用開始を記念した集会にお集まりいただき、厚く御礼申し上げます。今回の計画の立案と指揮をしております。川並衆頭領、小笠原金槻と申します。以後お見知りおきの程よろしくお願いいたします。」

 

「同じく玉ノ井湊の美濃側の開発を任されております、斎藤家領主斎藤道三様が直参、明智十兵衛光秀と申しますです。」

 

と互いに口上を述べて会議が始まった。

 

会議自体はスムーズに進行した、まずはセレモニーとして井ノ口から運んだ物資をここで船に積み、川並衆が運航する記念すべき最初の商船の出航を見送った。これは光秀が提案してくれたものである。津島までの航路という非常に短い距離だが、それでも牛に比べれば川を渡る必要がなく半日程度の時間短縮になる。今回の会議には津島の商人も多くが参加しているためアピールとしては最高のものとなった。

その後設営した陣幕にて、共有地や運営方針についての会議を行った。会合衆や正徳寺、萩原宿と協調してこの地域の運営を行っていることを確認し、それぞれの地域から代表を出して「協同組合」を作り、そこが地域の管理運営や収益の分配を行うという形で決着した。協同組合の代表は、組合に加入している組織から1人が年ごとに交代で務めるように定め、今後細かな組織体系作りを進めるということでまとめた。

 

今はあらかた共同で決める必要があることの採決を終え、土地の振り分けを行う前に自由に土地を見て回ってもらっているところだ。ついでにお昼休憩も兼ねている。

 

俺は五右衛門、前野某、明智光秀と共にで素麺を啜っていた。

 

「・・・それにしても、予想以上の集まりですな親分。」

 

「小笠原氏、明智氏、ここまではうまくいっちぇるでごじゃる。」

 

「ああ、後は区割りした土地を競ってもらって、大工と建築の相談を進めれば終わりだな。」

「本当にうまくいったです。これで十兵衛も小姓から晴れて土地持ちになれるですう。代官、郡代、下手したら城持ちも夢じゃないですう!」

 

若干光秀はオーバーだが、玉ノ井湊計画はこれで一つの区切りとなる。あとは放っておいても勝手に成長してくれるだろう。これで織田家仕官の準備は整った。明日には清州に登って門を叩くことになる、新たな戦いの始まりに俺も気持ちが若干昂っていた。

 

「そういや五右衛門、受付で書いて貰った名簿はあるか?今後の参考までにどこからどれだけ来ているのか参考資料を作りたいんだ。」

 

「御意。こちらでござる。」

 

そう言って俺は素麺を味わいながらリストをめくり始めた。清州、津島、井ノ口、伊勢、今浜、妻籠などの地名と行商、納屋、問屋などの職業、最後に名前を書いて貰っただけの簡単なものだ。

 

 

リストの中にあった「清州・行商・吉」という名前を見て俺は何も考えずに清州の正の字に棒を一本書き足した。

 



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第08話 織田信奈

尾張・清州城

 

 

小笠原金槻がこの時代に来てから半月少々、この間に尾張の情勢は小さくない変化を見せていた。

鳴海城を落とした今川・松平の兵が一時的に本国へ引いたのだ。鳴海には今川義元の側近で猛将として名の知れた岡部元信が居座っているため反転攻勢には出られないが、織田信奈はひとまず危機を脱したのだった。撤退の理由は田植えだと考えられた。

戦国時代は多くの兵が半士半農であり、それは織田家・今川家共に同じであった。季節は丁度4月を迎えた所。多くの兵を出していた今川家はここで田植えをしておかないと次の秋に飢えるとことなるのでやむを得ずの撤退であった。

 

この隙に織田信奈は尾張の統一を図るため、清州や末森に兵を出していた。結果、清州や犬山は織田信奈の支配下となり、織田家中の敵対構図は末森城に居座る織田信勝の勢力のみとなっていた。そして織田信奈自身も居城を那古野から清州へと移していたのだった。織田信奈の拡大した領地にはもちろん尾張である玉ノ井も含まれていた。

 

 

 

「長秀でございます。姫はおられますか?」

 

「あら万千代じゃない。今日は特に呼び出しはしてなかったはずだけど。」

 

清州城本丸にて、私は万千代の来訪を受けていた。本来であれば今日は何もなかったはずだけど、遊びに来たという顔でもなさそうだ。

 

「姫、先日の鳴海からの撤退戦の際に現れた謎の男の話を覚えておられますでしょうか?」

 

「ああ、確か南蛮のような装いに眼鏡って言われてたのだっけ。それがどうかしたの?」

 

「覚えておいででしたか、70点。あの後少し気になる噂を津島で耳にしましたので、その男のことを探っておりました。先ほどその報告が上がってきたのですが・・・」

 

「わざわざ万千代も細かいことを気にするわね、まぁいいわ。私にもその報告見せて頂戴。」

 

「はい、こちらになります。」

「ありがと。ええっと・・・小笠原金槻?聞いたことない名前ね。」

 

「はい、あくまで予想ですが信濃の小笠原氏が武田家に滅ぼされた際に落ち延びてきた将かと思われます。今は浪人ではありますが、玉ノ井の川並衆という国人衆の頭領を務めているということがわかりました。」

 

「ふーん・・・。でもこれだけじゃあそこまで怪しい話じゃないと思うんだけど?確かに南蛮の装いをして合戦場に出てきてすぐに逃げ去った行動は意味が分からないけれど、落ち延びてくる動機も理由もちゃんとあるし。」

 

「はい、そこまでであれば何も報告することはなかったのですが・・・姫、次の紙を開いてください。」

 

そう促され紙をめくる、そこには【玉ノ井湊計画立案書】という文字が書かれていた。

無言で更にめくる。

 

 

 

 

「これは・・・マズいわね。」

 

ひとしきり読み終えてそう感想を漏らす。

 

「はい、現在の当家の状況を考えると、この計画は20点です。」

 

「まず場所が良くないわ、玉ノ井というと清州の北で美濃との国境線。私たちは美濃の蝮と今はまだ敵対状態、容易に美濃の手の者が素通りできる状況を作ってしまうことになる。」

 

「そうなのです、しかし彼らはあくまで商用の湊として開発をしております。この場合楽市楽座を敷いている当家ではそう易々とこの計画を取りつぶすという訳には・・・」

 

「ええ、そんなことしちゃうと折角集まってきた商人が逃げ出してしまうわ。とは言えこれは何かしら手を打つ必要があるわね・・・」

 

他にもマズい点はいくらかある。

場所は言った通りだが、それ以上にこの計画には木曽川の美濃側岸の計画も入っている。この計画は蝮に前線基地を作られるに等しいものだ。現に美濃側の開発は道三の側近が行うということになっている。

更にこの地は尾張とは言えつい先日信奈が抑えたばかりの地域、民心が離れるようなことはできない。

 

 

「よし、助かったわ万千代。早速で悪いけど先日言っていた道三との同盟の件、急ぎ手配を進めて頂戴。この湊が仕上がったら道三まで尾張を狙ってくるわ。そうなったら織田家は終わりよ。」

 

「心得ております。しかし当家には斎藤道三と繋がりがある人物がおらずかなり難航するかと・・・10点です。」

 

「本当に崖っぷちね・・・。何か逆転の一手みたいなのは落ちてないかしら?」

 

「姫、そんなものがあれば苦労はしません。しかしこの玉ノ井計画、上手く使えばこちらにとっても利が生まれるかもしれません。この小笠原殿の考え次第にはなりますが・・・。」

 

「私もそれを考えていたわ。この計画書を読んだところだと、近々計画の説明会を開くみたいだから、それに潜り込んでこの浪人が考えていることを探ってみるわ。」

 

「姫単身ですか?危険です!」

 

「危険なのは承知よ。どっちにしろこの状況の中清州でふんぞり返ってるのは座して死を待つようなものでしょ。大丈夫、犬千代を護衛に連れて行くわ。」

 

「やむを得ませんか、30点です・・・」

 

万千代が軒並み低い点数なのが今の織田家の状況を物語っている。今は状況もマズいが人材も足りていないのだ。

私自身がこの浪人に少し引っかかる所があったこともあり、清州の商人の娘「吉」として犬千代と共に直接この謎多き浪人に探りを入れることとなった。

 

 

 

時は進み会議当日

私は側近の小姓、前田犬千代と共に清州から玉ノ井へ変装し外出していた。

聞いていた玉ノ井の集落に到着するや否や驚かされた。既に多くの行商人や豪商たちは会場が開くのを今や遅しと列をなして待機していたのだ。中には幼少期からよく世話になっていた津島の面々も見える。これでは変装の意味がない。早速納屋衆の頭領に声をかけられてしまった。

 

「おや、あなた様は・・・まさか信奈姫ではありませぬか!」

 

「ちょっと!声が大きいわよ。一応見ての通りお忍びだから、見知った顔には私のことは今回の会議の主催には知られないように、お願いね。」

 

「はぁ、それは構いませぬが・・・。それにしても信奈様、ますます大きく美しくなられましたなぁ。」

 

「んもう、お世辞はいらないわよ。ところでこの会議、どれくらいの人が来てるの?」

 

「そうですなぁ、ざっと二百は越えましょうな。見知った所で言えば伊勢や今浜、井ノ口に清州、遠い所では京や三河からも商人が来ております。」

 

「思っていたより多いし広いわね・・・。」

 

「それはもう、近頃では珍しい大規模な湊の計画ですからな。げに恐ろしいのはこの計画を練ったのがただの一人の浪人という所でございますれば、早いうちに大船に乗ろうと各地の商人も必死なのでございます。それもこれも、信奈姫が楽市楽座を敷いているからこそ。我々はそれで食べていけております。感謝いたしますぞ。」

 

「だから、褒めても何も出ないわよ。今回の開発の件、楽市楽座のせいもあるけど織田家は情報が入るのが遅れちゃったのよ。だから確認も兼ねて直接来たって訳。そういうことだからあんまり主催側に私の事を気取られたくないのよ。

一応私は清州の商人の娘ってことになってるから、丁度いいからあんた達に紛れさせてもらうわよ。」

 

ひとまず津島の顔見知りに口止めを済ませて同じ列に並ぶ。屋敷の門が開いたのはそのすぐ後であった。名簿に「清州・行商・吉」とだけ書いて潜入成功。幸い受付の川並衆に怪しまれることはなかったようね・・・。

 

 

 

 

それから一刻ほどして

「えーお集りの皆様方、この度は玉ノ井湊の運用開始を記念した集会にお集まりいただき、厚く御礼申し上げます。今回の計画の立案と指揮をしております。川並衆頭領、小笠原金槻と申します。以後お見知りおきの程よろしくお願いいたします。」

 

「同じく玉ノ井湊の美濃側の開発を任されております、斎藤家領主斎藤道三様が直参、明智十兵衛光秀と申しますです。」

 

という主催の口上から会議が始まった。私は小笠原金槻という浪人をまじまじと見つめていた。

 

報告にあった通り、かなりの体格であったが見たところ筋肉はそれほどついていない。あれほどの体格にして文官だったのだろうか、小笠原氏は勿体ないことをしてるわね。

年は同じくらいだろうか、あと特徴と言えば髪型だがこれも至って普通だ。

目立つのは少し色の入った硝子を付けた眼鏡だ。確かにこの特徴は間違いようがない。服は三階菱が入った至って普通の装束。まぁこれは着替えれば変わるものだから特に変な所はない。

 

その後も小笠原金槻の特徴が無いかと眺めていると、ふと目が合った。慌てて顔を背ける。

 

「・・・姫さま。それは逆に目立つ」

 

ここまで無言を貫いていた犬千代にそう指摘される。確かに、少し焦っちゃったわね・・・。

 

 

気を取り直して、続いてもう一人の明智十兵衛という姫武将にも視点を向ける。

こちらは斎藤家の家臣だが、同性の私から見てもかなり可愛い、そして言葉の節々や仕草から人格者であり、道三に信頼されていることが理解できる。

ぜひともうちに欲しい人物だ。

 

「・・・っと、今日は引抜に来た訳じゃないわね。それにしてもこの2人、大物になりそうな気がするわ。」

 

「・・・姫さま、人材集めが趣味なのは良いけど目的を見失ってる。」

 

ほんと、良い人材を見ると欲しくなっちゃうのは私の悪い癖だとつくづく思う。

 

 

そうこうしているうちに、玉ノ井から最初の商船が津島に向けて出港していった。

 



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第09話 織田家仕官

尾張・清州城大手門前

 

 

「・・・ついに来たか。ここまで長いようで短かったなぁ・・・。」

 

俺、小笠原金槻は清州城の門前にいる。この地の姫大名、織田信奈に仕官するためだ。

この世界に突如飛ばされて1か月。ここまで色々なことがあった。

ゲーム休憩に昼寝しているうちに突如飛ばされたこの世界は、間違いなく戦国時代だった。

織田家と今川家の戦闘の最中に飛ばされ、何も分からずに逃げる俺を命を張って逃がしてくれた木下藤吉郎。五右衛門や川並衆との出会い、津島でのボールペン競りと武具屋の主人の使い、明智十兵衛光秀との会談、玉ノ井湊計画の考案、物産の転売による銭稼ぎなど、あげればキリがない。

 

それらの行動の一つの区切りが昨日、玉ノ井で開かれた会議だった。

結果として湊計画の準備は成功裏に終わった。

午後の土地振り分けはこちらが区切った土地にこういう建物を建ててほしいという要望を出し、それに応えられる人が土地を買うという手順で進め、複数名が名乗りを上げた場合は競売とした。

 

尾張側では、船着き場周辺に荷揚げ関連の施設と納屋、他の川沿いに漁師小屋や工房を並べ、内陸には商店や住宅、奥地に既存の集落住民の田畑を開墾するという形で決着した。美濃側も光秀が上手いことやったと聞いている。

 

これから玉ノ井は空前の建築ラッシュが控えているが、ここまでくれば後は前野某にある程度任せても問題ない所まで話が進んだ以上、俺は次のステップに進むことになる。それが今日の織田家仕官であった。

 

ここが俺の戦国武将としてのスタートラインだ。と心の中で唱える。そしてすぐ右に控える五右衛門に

 

「・・・よし、行こうか!」

 

と笑顔で呟いた。

 

「・・・御意、小笠原氏ならなんときゃにゃるでごじゃるよ。」

 

と五右衛門も少し恥じらいながらもいい顔で答えてくれた。

 

 

 

 

 

「うーん、昨日はいい収穫はなかったわねぇ・・・。」

 

「そうでございましたか。」

 

清州城本丸御殿、私は昨日の玉ノ井への潜入をそう振り返った。

 

織田家と斎藤家の均衡を崩しかねない小笠原金槻の玉ノ井湊計画、その会談場へ潜入したのは良かったが、潜入という理由上小笠原金槻・明智十兵衛光秀の両名との直接の接触は難しく、会談の様子を大まかに見れた午前中の時点で収穫なしとして引き上げたのであった。

 

「もういっそ兵を出して湊を壊しちゃうってのはどうだ?」

 

「柴田どの、そんなことをしては斎藤道三が黙っておりませんし玉ノ井は国人衆の土地とはいえ尾張、そんなことをしては領民の民心が離れます。0点です。」

 

「先に斎藤方に認められているっていうのが厄介極まりないわね。こっちは楽市楽座をしている以上事前の申し出は要らなかったから、うちの政策の穴を突かれたわ。」

 

「・・・姫さま。ここで動かないと田植えが終わった頃には今川が攻めてくる。そうなるともう詰み。」

 

「分かってるわよ犬千代。でも仮に降伏なんてしたら戦場に十二単で来るようなバカの今川義元の尻に永遠敷かれ続けて使い潰されることになるのよ。私はそんなの御免被るわ。」

 

「では姫、決戦をなさるおつもりで?」

 

「どっちみち滅亡するなら戦って死ぬわ。仮に今川を退けたとしてもその後に道三に滅ぼされるでしょうし、わたしも尾張ももう終わりね。尾張那古野とは良く言ったものね。」

 

「姫、その駄洒落は百点満点で五点です。」

 

「辛いわね、万千代。ニ十点くらいちょうだい。」

 

「これでも姫補正でおまけしています。」

 

「そういえば姫さま、もう間もなく清州の米も尽きそうなのですが、そちらは如何いたしましょう。」

 

「え、嘘!最近津島で仕入れたばかりだったはずだけど?」

 

「そうなのですが、あの後清州と犬山を抑えることに成功したが故に各所に米を分散させざる負えなくなりまして・・・。」

 

「デアルカ、この時期に米が尽きるのはマズいわ、とは言っても今はまだ田植えの季節。津島の米は買っちゃったし、清州の米は信勝に持っていかれちゃってる。本当に詰みね。」

 

 

 

本格的に打つ手がなく重い空気が流れるなか、小姓が駆けてきた。ついにどこからか攻めてきたかしら・・・。

 

「申し上げます。城門前に当家に仕官したいと申す浪人が参っております。如何なされますか?」

 

「仕官?こんな半分沈んだ泥船に?物好きな人もいるわねぇ・・・。」

 

本来であればこんな滅亡寸前の家に仕官はしない。誰だって死にたくはない。この場合、仕官を装った降伏勧告の使者であったり、敵の間者である可能性の方が高い。

 

「姫、どうされますか?」

 

「まぁ、打つ手がない状況だし話だけでも聞いてあげましょう。間者だったら斬るだけだし、もし降伏勧告とかならまだ交渉できるかもしれないわ。ここに通しなさい。」

 

 

 

 

 

「お初にお目にかかります織田信奈様、それがしは小笠原金槻と申す者。お目通りのお許しを頂きありがとうございます。」

 

 

私と犬千代、万千代は固まっていた。目の上のたんこぶであった玉ノ井湊計画の首魁が目の前で平伏している。六(勝家)だけはこの浪人の件を一切知らないので固まっている私たちを見て首を傾げている。本当に意味が分からない。

 

たっぷり十秒ほどかかって私はやっと一言を発することができた。

 

「お、面を上げなさい。」

 

間違いない、少し大柄で色の入った眼鏡、昨日見た小笠原金槻その人だった。

固まる私に代わって少し早く立ち直った万千代が問いかける

 

「よく参られました小笠原どの。ひとまずは織田家に仕官することに決めた理由を述べられよ。」

 

「はっ、各地の諸大名を見渡しまして参りました。その中でもっとも天下に近しいのが織田信奈様と判断し、それがしが仕えるべき主にふさわしいと思い至り仕官の御願いに参りました。」

 

ようやく私も立ち直る。この浪人には聞きたいことが山ほどある。

 

「お世辞は良いわ。今の織田家の状況分かってて言ってるの?」

 

「はい。それも勘案しての判断でございます。」

 

「へぇ・・・あんたにはこの状況を逆転に導く手があるという訳ね、面白いじゃない。

言ってみなさい。ここでつまらないことを言うようなら手打ちにするわよ。」

 

「かしこまりました。それではまずはそれがしの持参した手土産をお渡ししましょう。」

 

そういって巻物を差し出してくる。犬千代がそれを受け取り「・・・姫さま、どうぞ」と、私に渡す。

巻物を開くとそれは手土産の目録だった。その内容に驚愕する

 

「それがしは今回の仕官にあたり、予め近江より米二万石を仕入れて参りました。今それがしの手の者に蔵まで運ばせております。また余った銭二千両もお納めいたします。」

 

確かにそれも凄い、現状すっからかんの清州にとって、まさに命の米とも言えた。しかしそれ以上に大きな手土産が巻物には記されていた。

 

「ねえ、ちょっと聞きたいのだけど・・・。この【美濃との交渉の手筈】というのは何?」

私のその発言に万千代が肩をピクッと一瞬震わせた。

 

「はい、ご説明いたします。それがしは今川並衆という国人衆を率いております。その所領は玉ノ井、黒田荘にございます。」

 

「ええ、知っているわ。そこで湊を築こうとしていることもね。」

というか昨日現地にいたし。

 

「おや、そこまでご存知でしたら話が速い。我々は斎藤家の者と共同で美濃に船を直接乗り付けることができる湊を築いておりました。その際に斎藤家との連絡網を作ることに成功しております。

信奈様は現状の打開のために斎藤家との同盟を望まれると思いまして、既に道三殿を交渉の席に引っ張り出せるように手筈を整えさせていただきました。

更に玉ノ井のことで申しますと、湊の収益の3割を織田家に上納する予定にございます。」

 

つまり、金槻が織田家に入ることで斎藤道三を交渉の席に強引に引っ張り出せる。ということだ。

 

確かに今や玉ノ井湊の計画は今や美濃でも知らぬ人がいない程の規模に膨れ上がっており、元商人の斎藤道三が肝いりで進めている計画になっている(実際の現場指揮は明智光秀だが)。

 

その元締めが金槻である以上、彼の言葉は既に美濃一国を動かす力を持っているに等しかった。

 

そしてこの仕官話は、織田家にとって唯一の光であった。現状一番の不安である背後の道三との同盟が成れば、信勝の籠る末森城を落とすのは容易く、尾張統一はすぐに成る。問題は今川家だが、美濃と尾張が共同で戦線を張れるなら勝つまではいかなくともそう負けることもない。その間に伊勢などへ進出し力をつけることも可能になる。まさに渡りに船だった。

 

「デ、アルカ・・・」

 

既に織田家の中ではこの仕官を断る理由は無くなっていた。というよりこれは断れなかった。

 

もし断った場合金槻は間違いなく繋がりのある美濃へ走る。そうなれば斎藤道三は件の玉ノ井から攻めてくる。川並衆の所領である以上既に川越の橋頭保があるようなものなのだ。

 

 

それでも信奈は一つだけ聞かずにはいられなかった。

 

「小笠原金槻、一つだけ質問してもいいかしら?」

 

「はい、何なりとどうぞ。」

 

「どうして、あなたは見ず知らずの私の考えをここまで読み切って手筈を整えることができたの?」

 

「姫、私からも質問よろしいでしょうか?」

 

「ええ、いいけど・・・」

 

「それでは、小笠原殿は以前当家の兵と今川家との戦闘の場に居合わせましたよね?謎の南蛮の衣を着ていたと報告があがっています。あなたはどこから来て、何を見てここに参られたのですか?」

 

2人からの質問に金槻は目を閉じ、5秒ほど逡巡したような表情の後、決意を固めた顔をして声を発した。

 

 

 

「その2つの質問の答えは一つです。それがし、いや俺はこの時代に生まれ育った人間ではありません。この時代より遥か500年近く先から参りました。

信奈様が斎藤家との同盟を考えているのを知っているのは当然、その歴史を知っているからでございます。そして長秀様の仰る通り、私は織田家と今川家との戦の最中に突然目覚めました。目覚める前の記憶は未来の自宅で遊び疲れて少し休憩を取った所でございます。」

 

「未来、ですか・・・。にわかには信じられません。50点。」

 

「そんなこと、信じられる訳ないでしょう。何か証拠はあるのかしら。」

 

「証拠でございますか・・・致し方ありません。お見せいたしましょう。」

 

そういうと俺は自身の懐から1つの鏡のようなものを持ち出した。

そう、この時代に持ち込むことになった未来の証、スマートフォンである。

 

「これは未来から持ち込んだものになります。準備いたしますので暫しお待ちを。」

 

そういってはスマホの充電をつける。思えばこの時代にきてすぐに電池を切ったので約1か月振りに電気が通ることになる。

ちゃんとつくか少し不安だったが、問題なく画面が光った。どうやら1か月の間に少し放電されてしまったか、電池は95%を表示した。

そして当然だか圏外のマークが出ている。金槻は滑るようにカメラを開き、おもむろに信奈たちを撮影した。

 

「お待たせいたしました。こちらをご覧ください。」

 

「これは・・・私たち?」

 

「そうです。このからくりには、写し鏡をそのまま絵のように保管することができる機能がついております。

他にも音を発したり、複数台あれば遠方にいる人とこれを通して言葉や文を交わしたりもできましたが・・・、この時代にこれは1台しかないので出来る事は限られますがね。」

 

「これは、凄いわね・・・」

 

あまりのことに信奈たちは絶句する。姿絵を画かせるだけで1日仕事なのにより高精度、というよりはその場の風景そのものを一瞬で切り取ってしまったのだから当然といえた。

 

「これは写真と言いまして、この時代から大体300年後に生まれた技術です。

もっとも当時はこれほどの物は撮れませんでしたが、私のいた時代にはごくごく当たり前の技術です。」

 

「恐ろしいな、これほどとは・・・」

 

と勝家もたじろぐ。この時代の人間にとっては確かに想像もできないだろうなと俺は苦笑した。

 

 

 

「よし、決めたわ。小笠原金槻・・・ちょっと長いわね。んんー・・・・・お金!これからはそうよばせてもらうわよ!」

 

「いきなりその呼び方はどうなのでしょうか?まぁ面白いので80点です。」

 

「仕官の願い、認めるわ! 

米と銭の納入、斎藤家との調整、玉ノ井湊の権益・・・これだけの手柄を持っているとなると流石に足軽からは不味いわね。

万千代!何か空席の役はあるかしら?」

 

「そうですね・・・普請奉行は如何でしょう。玉ノ井に湊を築くという功績もありますし、既に商人に名の知れた小笠原どのであれば適任でしょう。

それから与える土地については一宮の郡代というのはどうでしょうか。

丁度玉ノ井の地や正徳寺にも隣接しておりますから、斎藤家との交渉に動きやすい彼の地であれば小笠原どのも動きやすいでしょう。75点です。」

 

「デアルカ!それではお金!あなたを織田家の普請奉行、そして一宮の郡代に任じるわ。織田家のためにしっかり働いて頂戴!!」

 

「!はい!!この小笠原金槻、身命を賭して信奈様にお仕えいたします!!」

 

 

かくして、俺は織田家への仕官を認められた。

しかしまさかいきなり奉行職に郡代とは、自分自身でも出来すぎたと思う。

 

 

「お金、私は柴田勝家。姫さまからはよく六って呼ばれてる。これからよろしく頼むよ。」

 

「・・・前田犬千代、よろしく」

 

「改めまして小笠原どの、私は丹羽長秀と申します。姫からは万千代と呼ばれております。

普請関係で意見などがございましたら私にまでお知らせください。今後ともよろしくお願いいたします。」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 

「お金!早速だけど大きな仕事を頼むわ。あなたが準備してくれた通り、私は斎藤道三との同盟を目指しているわ。早急に蝮との会談の手筈を整えなさい!」

 

「はっ。承知いたしました。」

 

ここまでは予定通り、しかしここからがスタートだ。俺は今大きな一歩を踏み出したのだった。

 



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第2章 兵(つわもの)の道
第10話 うこぎ長屋


清州城・三の丸内、うこぎ長屋

 

信奈への仕官の後、俺は清州で暮らす部屋の案内を受けていた。

 

「・・・到着した。」

 

「ん、ここか。多少ボロっちいが良い長屋じゃないか。」

 

通称うこぎ長屋と言われるその長屋は、旗本などの下級武士の住居地区として使われている。清州滞在中は基本的にここで寝泊まりをすることになる。

雰囲気があって良いのは確かなのだが、やっぱりボロいな。さっさと出世して屋敷を建てたいものだ。

 

 

信奈への仕官の際に俺は、普請奉行と一宮郡代という2つの職を預かることとなった。

 

普請奉行とは、織田領内にある砦や城の整備、堤防や道路の管理などといった所謂「インフラ」を預かる代表という仕事だ。

戦や災害で壊れた設備の修繕、新設などの他、街道整備などのために街の寄合との折衝なども業務のうちであり、意外と手広くやる必要のある仕事である。

 

 

そして郡代というのは、領地の管理者。文字通り郡の代表者として街づくりを行う仕事だ。

 

今回俺が預かることになったのは一宮の街。

玉ノ井・正徳寺の南に隣接しており、今いる清州や津島の北にあたる。

昨日開催した玉ノ井湊の会議に参加していた会合衆や萩原宿の商人もこの一宮に根を張る人々だ。

 

この街一番の特徴は東海道と中山道を繋ぐ脇街道、美濃路が南北に走り非常に多くの人通りがあることだろう。

実はこの時代、東西の移動は尾張を境に東へは東海道、西へは中山道を利用するのが大半だったりする。

東海道は関東から尾張にかけては太平洋沿いを走る平坦な道なのだが、尾張より西は鈴鹿山脈、伊賀、甲賀という難所を抱えている。

 

一方の中山道は京から美濃にかけては琵琶湖というショートカットがあったり、関ケ原までは加賀方面への北国街道と同じルートということで交通量がかなり多く開けているのだが、木曽路に入ったとたんにかなり急峻な山道を進む必要がある。

 

こうした事情も相まって大坂・京から美濃へは琵琶湖経由の中山道、美濃路を通って東海道へアクセスし駿河、相模へと向かうという行程を取る人が大半なのだ。

 

ちなみにこのルートはこの時代既に日本の大幹線として成長しつつあり、俺が元いた世界の東海道新幹線や東名・名神高速の礎ともいえる存在になっている。

この交通量の多さを利用した開発計画が玉ノ井の湊建設のそもそもの考え方だったりする。

 

今後はその玉ノ井に加え、一宮もまとめて開発することになるので、これまで以上に大規模な開発が可能になる。

俺は今から楽しみで仕方がなかったが、ひとまずは新たな清州での暮らしを豊かなものにする必要がある。そのためにも住居というものはとても重要なものだ。

 

 

 

「・・・ここが金槻の住まい、隣同士。」

 

ひとまずは通された部屋に上がり込む。暫く利用者がいなかったようで多少埃っぽいが許容範囲内だ。

また台所や五右衛門風呂、厠などは長屋の面々で共用となっているとのことだった。そして庭には生垣が生えており、その奥には案内人の前田犬千代の部屋があるということだった。

 

「へえ、お隣さんなのか。益々今後とも世話になるかもしれないな。よろしく頼むよ前田殿。」

 

「・・・犬千代でいい。こちらこそよろしく、金槻。」

 

隣にいるのは前田犬千代、俺が元いた時代では前田利家という名前で知られる猛将だ。

先ほどの仕官の席にいた長秀さんや勝家よりまだ若いためか、比較的下級の武士の住居区であるここに住んでいるようだ。

元いた世界で二次元・鉄道・ゲームという陰キャオタクを極めていた俺もあまり人のことは言えないが、口数は少ない。

しかし不愛想という訳でもなく、なんというか、妹のような感じの接し方が一番いいのかもしれない。そういうキャラの持ち主だ。

 

 

「・・・それじゃあ、お昼にしよう。今日はご馳走する。」

 

そういって犬千代は俺の部屋を真っすぐ通り抜け、庭の生垣を飛び越えて自分の部屋に向かっていった。そういえばもうそんな時間だったか。仕官の緊張もあってか、時間を忘れていた。

というか生垣を悠々飛び越えるあたり、犬千代も戦国武将だ。身体能力が半端ない。

俺も多少鍛えないとなぁと思いつつ、犬千代を追いかけて庭に向かう。

 

犬千代は自分の長屋からざるを2つ持ってきて一つを俺に手渡した。

 

「・・・じゃあ、採ろうか」

 

そういっていきなり家の生垣の葉をちぎりだした。俺は一瞬固まる。

 

「・・・あのー犬千代サン?これは一体・・・?」

 

「・・・うこぎの葉っぱ。茹でるとおいしい。あと根っこは煎じると薬になる。精がつくし、商人に売ればお金になる。」

 

割と慣れてきたと思っていた戦国時代の風習に、久々のカルチャーショックを受けた。

川並衆の集落ぐらしでそれなりに普通の食事を取れていたから忘れていたが、この時代、米や魚はかなりの高級品なのだ。

 

今度玉ノ井に行く時に、鮎を釣ってきてご馳走してあげようと心に誓った。

 

 

「案外バカに出来ないなこのうこぎの吸い物。意外といけるじゃん。」

 

「・・・よかった」

 

見た目はただの生垣なのに以外と食えるのが不思議なうこぎの吸い物をご馳走になりながら、俺は清州での新生活に必要な物の買い出しについて考えていた。

 

「うーん、まぁここに常にいる訳じゃないから家財道具全部持ってくる必要はないか。とりあえず布団と家具類だな、あと消耗品も後で買い出しに行くか。あぁ、今更ながらニトリが恋しい・・・」

 

「・・・似鳥?なにそれ。」

 

「ああ、俺が元いた時代の商店だよ。この時代だと布団は布団屋にしか売ってないし畳は畳屋、箪笥は箪笥屋でそれぞれ買うしかないだろ?

もちろん俺がいた時代にもそういう職人の店はあったけど、それぞれ別個に発注するのも手間だからな。

ニトリっていう店は家財道具一式を城みたいな大きな店舗を構えて纏めて売ってたんだ。そうしたらわざわざ店を回らなくてもその1店で道具が一式揃うっていう訳。」

 

「・・・かしこい。」

 

「うん、まぁニトリは家具類一式って感じだったんだけど、他にも食品系ならイオン、工具ならコーナン、日用品ならコンビニとか薬局って感じだった。

たぶん薬局はこの時代にも薬とか漢方の店としてあるだろうけど、俺のいた時代だと薬の他にも日用品はなんでも売ってたから、そこに行けば大抵のものは揃ったよ。

高級志向なものになると百貨店になるけど、あれはどっちかっていうと市場の進化系だったかなぁ。」

 

「・・・未来の話、おもしろい。もっと聞かせて。」

 

「おう、いいぞ。そういった何でも揃う店の最終進化がコレだった。」

 

「・・・さっきのからくり?」

 

「これはスマホって言ってな、さっきは写真を使ったけどこいつの本当の使い道はこんなものじゃないんだ。

これで世界中にあるありとあらゆるものが注文出来た。

アマゾンって言うんだけど、正直俺のいた時代なら、最悪外に出歩かなくてもこれ一つで何でも買えた。あとは勝手に運んできてくれて家に持ってくるって寸法だったんだ。

そういえばオフラインで使えるアプリくらいならまだ見れるんじゃないかな・・・」

 

そう思ってアマゾンのアプリをタッチする。ビンゴだ、1か月前のトップページがそのまま開かれていた。

 

「ほら、こんな感じだ。あとは注文するっていう所を押せばそのうち荷が届くようになっていた。」

 

「・・・すごい、ところでなにこれ。」

 

聞かれて俺は画面をもう一度見て固まる。アマゾンのおススメ商品にはコミケとかでよく見かける某アニメの抱き枕カバーが表示されていた。そういえばこの時代に飛ばされる前、ゲーム始める前に注文してたっけ。

 

というかヤバい、俺が元いた時代の時間もそのまま進んでいたとしたら、俺は行方不明のまま1か月が経過していることになる。

流石に自宅にアマゾンから抱き枕カバーは届いてるだろうし、下手したら警察とかが両親の目の前で行方を捜すヒントになるかもしれないからとか言って強制的に開封しているんじゃないだろうか・・・。

両親が俺を探す最後の手がかりとして警察立ち合いのもと開けた段ボールから、形容しがたい抱き枕カバーが飛び出してきた瞬間の絵面を想像して冷や汗が大量に噴き出した。

というか元の世界の事より目の前の虎(の皮を被った犬)だ、こいつをなんとかせねば。

 

「えっと・・・なんていうんだろ・・・春画?」

 

「・・・金槻って、ひょっとして結構助平?」

 

なんか色々泣きたくなった。

 

 



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第11話 金槻の意図

美濃 稲葉山城

 

玉ノ井湊の頭、小笠原金槻が織田信奈に臣従の一報は瞬く間に行商を通じて各地に広まった。

 

織田家の絶望的な状況は世間の知るところであり、末期の大名家への仕官に世間では

 

「金槻どのは織田家をこの機に乗っ取るつもりだ、信奈姫との政略結婚は近い」とか

 

「斎藤家との契約問題で揉めたから織田家の武力を利用するための織田家入りだ」

 

などと囁かれた。そしてその報は、井ノ口の豪商を通じて稲葉山にも届いた。

 

 

「一大事にございます!!玉ノ井の小笠原金槻どのが織田家へと仕官したとのこと!」

 

稲葉山にて件の昨日井ノ口で行われた会議の報告を評定の場にて行っていた光秀は、あまりの出来事にひっくり返りそうになっていた。

 

「な、何ですと!それは間違いないのですか!?」

 

「今朝、清州にて大量の米を牛車に乗せた川並衆と共に城門を通るのを見たという間者からの報告でございます。

また井ノ口の豪商の間にも既に知れ渡っており、信じるに値する情報かと思われます!」

 

「あ、ありえないです。この時期に織田家へ仕官するなど自殺行為なのです・・・」

 

十兵衛はこの金槻の行動の意図が理解できずにいた。評定の席にいた他の諸将も同様である。

しかし、この場で金槻の意図を完璧に読み切った人物が一人だけいた。稲葉山城の主、斎藤道三である。

 

「ふぉっふぉっふぉっ、小笠原金槻めやりおるな。十兵衛を手玉に取るとはしてやられたのう。」

 

「恐れながら、道三様には金槻の意図がお分かりになったのですか?」

 

「うむ、恐らくじゃが奴は最初から織田家へ仕官することが目的だったのじゃろうな。

手持ちなど何もない浪人が末期の大名家に仕官するとなると、普通は怪しむ。勝ち馬に乗りたければ今川につくはずじゃからのう。何か目的があると見て間違いないわい。

考えられるのは出世のためといったところかのう。元々大きな大名に仕えてもそこからの出世は厳しいからの。ある程度の危険を承知で小勢力に入り、そこで手柄を立てれば手早く出世できると考えたのじゃろう。

実際奴が織田家に仕官したことで、このあたりの状況は大きく変わる。織田家にも生き残りの目がでてきたしの。」

 

「なるほど・・・しかし、これでは玉ノ井の計画も頓挫してしまうです。」

 

「まぁそう焦るでない十兵衛。恐らくすぐに奴から今回の件についての説明の文が届くであろう。それまで暫く待っておれ。」

 

「し、承知しましたです。」

 

 

それから暫くした後、道三の言葉通り金槻からの密書が届いたのであった。

 

「斎藤道三どの、お初におめにかきゃる。それがし、小笠原金槻どのの手の忍びにごじゃる。金槻どのからの書を届けに参ったしぢゃい。」

 

「よくぞ参られたのう乱破どの。密書、確かに頂戴したわい。」

 

五右衛門は金槻の織田家仕官を見届けた後、予め金槻から預かっていた密書を斎藤道三へ届ける密命を受けていた。

内容はやはり、玉ノ井の今後の取扱いと織田家との会談についてだった。

 

 

「・・・ふむ、十兵衛。」

 

「はっ。」

 

「金槻どのは玉ノ井の件について、今まで通り利益の3割を斎藤家に分配することは変わらず。安心なされよと申してきておる。」

 

「本当でございますか!」

 

「うむ、じゃが話はそれだけないのじゃ。織田家と斎藤家の同盟を目的とした会談を行いたいと申してきおったわ。奴の本当の目的は、このワシであったか。玉ノ井はワシを釣るための餌、見事に釣られたのう。」

 

ここにきて十兵衛は金槻の本当の意図を知った。先ほど道三の言った通り目的は最初から織田家への仕官、そのための手土産としての玉ノ井の存在であった。

確かに今となっては玉ノ井は美濃の将来をも動かす大きな開発計画、金槻の動きを我々は無視できない。

ここで織田家との同盟を無視すれば金槻は玉ノ井の開発をどんどん美濃が不利になるように動くだろう。美濃の民が苦しむということになれば一揆などにも繋がりかねない。

 

一方織田家としては、金槻の提案は渡りに船であり彼の仕官を阻む理由はない。むしろ多少の裏があろうとここで斎藤家との同盟が成らなければ織田家は今川家に踏みつぶされる運命なのだ。間違いなく彼は厚遇される。

 

金槻はそこまでの手を周到に打っていた。結果として斎藤家は織田家と対等な同盟にせざる得ず、今川家との戦の可能性を常に負うこととなる。

また元々斎藤家は武田家と隣接しており、甲(武田)相(北条)駿(今川)の三国同盟が機能している現状、今川家との戦闘は武田家とも戦闘が行われることに等しかった。これは玉ノ井の収益など吹っ飛びかねないとてつもなく大きな代償であった。

 

 

「申し訳ありません道三さま。この責任は私にあるです。如何様にでも罰をお与えくださいですぅ・・・。」

 

「いや、お主にこの件を任せたのはワシじゃ。お主に責任は無いの。それに良い勉強になったじゃろう。お主は確かに優秀じゃが人を信じすぎるきらいがあるからのう、これからは人の心の内を読めるように精進せい十兵衛よ。」

 

「はっ、この十兵衛。今回学んだことは決して忘れないです。」

 

「うむ、それでよい。今後もワシに尽くしてくれい。

さて、乱破どのには返事を用意せねばならんのう。金槻どのには仔細承知したと伝えられよ。場所は正徳寺にて、日程についてはまた十兵衛を通して伝えられよ。」

 

「承知にござる。」

 

かくして、斎藤道三は織田家との同盟交渉に臨むこととなった。またその席には光秀も同席するよう指示がなされた。

 

 

「私としたことが、やられたのですう・・・」

 

稲葉山城での評定の後、私は井ノ口のいつもの団子屋に入っていた。思えばここが金槻どのとの出会いだったですね。あの時は何か裏があると初めから睨んで金槻どのを見ていたはずだったです。それなのに気が付けば完全に術中に嵌っていたです。

 

 

 

あの会談から昨日までの事を思い出してぼーっとしていたからか、私は机に一枚の文が置かれたていたことに気が付かなかった。ハッとして、周囲を見回しますが既に近くには誰もいない。最初ここに座ったときはこんなものは置いていなかったです。

 

恐る恐る文を手に取ると、そこには「光秀どのへ」と書かれていた。

 

 

「明智十兵衛光秀どのへ

まずはお詫びいたします。突然の織田家仕官、驚かれたでしょうか。私は始めから織田家への仕官を目的としてこの1か月行動しておりました。玉ノ井の計画も全ては織田家への手土産のためでございました。

私が織田家へ走る結果として、織田家は今川との合戦に一縷の望みを得ました。しかし未だその糸は細く儚いものでございます。

そして斎藤家は、玉ノ井の収益の3割を得る一方で武田・今川との戦争の危険を常に背負うこととなります。

しかし私の見立てでは道三どのは私が動く動かざるに関わらず。恐らくは信奈さまとの同盟を考えておられたと思います。

 

私はこれから織田家の人間として、信奈さまの目指す未来を全力で支えていくつもりです。

そのためにも斎藤家との同盟で得た細い糸を、太く千切れることのない縄へと編んでまいります。そのためにも光秀どのとはこれからも長い付き合いをしていきとうございます。

騙すようなことをして今後ともとはいささか都合の良いこととは存じておりますが、この詫びとして次に私が考えている対今川の作戦を和歌にてお伝えしておきます。

 

川下る 尾長の鮎が 釣れる梅雨 秋は遠いか 海は近いか

 

小笠原金槻」

 

「・・・これは!そういうことでしたか金槻どの・・・。」

金槻どのの意図が読めたです!そうと分かればこしてはいられないです!

私は再び稲葉山城へ駆け出したのだった。

 

 

 

「任務完了でござる。小笠原氏。」

 

駆ける光秀を団子屋の屋根から眺めていた五右衛門は、そう呟いた。



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第12話 勘十郎信勝

尾張・清州城内「うこぎ長屋」

 

 

信奈への仕官から一夜明け、俺は清州にて織田家臣としての仕事をスタートさせていた。

つい数日前までは玉ノ井湊の開発1つやっておけば大丈夫だったのだが、普請奉行と一宮郡代の立場を得た以上そういう訳にもいかなくなり、更には斎藤家とのパイプ役と一気に多忙を極めることになったためだ。

 

まずは今の俺の状況を整理する。

斎藤家との同盟交渉については予定通り、五右衛門が美濃へ密書を届け、道三本人から正徳寺で会談を行う意思があることを確認した。

また、急な織田家仕官により関係の悪化が懸念された光秀に対しても先手を打てた。こちらの手の内を伝えることになったが、真面目で優秀な彼女なら俺の意図を察して素早く動いてくれるはずだ。

そして信頼を損なわないために光秀に手の内を見せている以上、俺自身も手早く次の一手の下準備をする必要がある。

そのために今朝方美濃から報告に戻ったばかりの五右衛門には申し訳なく思いつつも、次の仕事を与えていた。

 

「・・・以上が道三殿から預かったこちょばにゅごじゃる」

 

「会見場所の指定を正徳寺としてきた所は俺の知る歴史の通りだが、これから諸々歴史にない動きを俺がしていく以上、この知識もいつまで使えるか分からんなぁ・・・。

ひとまずありがとう五右衛門、会見の日取りについては正徳寺との交渉もあるし、信奈さまの都合もつけないといけないからまた追って俺から別個に道三あての文は出すようにするよ。

それで五右衛門、次の仕事なんだけど。近江へ向かってほしいんだ。」

 

「近江でござるか、何用を済ませればよいにょでごじゃりゅか?」

 

「近江の浅井家に探りを入れてほしいんだ。浅井は久政を隠居させて長政に代替わりしたばかり、しかも南近江の六角家とは宿敵にあたる。間違いなく動きは活発になるはずだからな。戦の気配や同盟・外交の動きがあれば俺に伝えて欲しい。

あと、ついでで悪いんだけど玉ノ井にも行きに寄って川並衆にも仕事を回してくれるか。丁度道三との会談に正徳寺を使うことになりそうだからな、それの交渉は川並衆に任せたいんだ。」

 

「承知。お安い御用でござるよ。」

 

最後は珍しく噛まずに短くまとめた五右衛門は、俺から川並衆に回す仕事の概要書を預かるとうこぎ長屋から近江へ向かっていった。

 

これでひとまず次の下準備が一つできた、次の俺の狙いは浅井長政である。

恐らく長政は史実通り織田家との同盟を求めてくるだろう。

しかし織田家と浅井家では現状浅井の方が格上であり、信奈にとっては不利な形での同盟を迫られる可能性がある。そのため先んじて同盟の動きが出る時期を探り、こちらの不利を突かせないための準備をしたいのだ。そのための五右衛門遠征である。

 

ちなみに、昨日光秀に送った暗号ともいえる短歌の「海は近いか」の句は近江の琵琶湖を指す。

この時代は琵琶の海と呼ばれている琵琶湖に近い勢力と同盟して更に今川への備えを増すと共に、上洛へ向けての足掛かりを得ることが目的だ。

史実では織田と浅井の同盟は桶狭間の戦いの後なのだが、史実を純粋に守り続けるようでは織田家には桶狭間の先にも幾度となく試練があり、最後は本能寺という結果が待っている。そのため桶狭間の戦いを少しでも楽にするためにあえて歴史改変を行うと決めたのだ。

あと短歌関係で言えば「川下る」は今川が降るにかけていて、「釣れる梅雨」は大体梅雨ごろには今川戦は片が付くという内容を暗示している。

 

「尾長の鮎」と「秋は遠いか」については、動かすのは暫く先の話になりそうだなぁと思いつつ、ひとまず対今川戦の戦略の整理はこの程度にしておく。

 

次に、一宮の郡代と玉ノ井の仕事について。

玉ノ井の方は現在既に土地の割り振りも終え、あとは土地を持った各商人がそれぞれ大工と建物の建設に着手している。資材は犬山の川並衆のねぐらから伐採してきており、この売上も実は川並衆の財布に入ってきている。

会議で決まった「共同組合」については俺は相談役として入ることになっており、参加する店たちが払う組合費、収益の分配、共有財産の管理などのルールは今玉ノ井にいる前野の親父に任せている。俺は上がってきた草案の修正をして組合の参加者に出して採決を取ればいいだけだ。

 

一方で一宮の郡代の方はというと、一応は斎藤家や色々な街の利権が関わっている玉ノ井にと違い完全に俺が決定権を持っているため、俺個人の領地に等しい扱いとなる。

とは言っても好き勝手出来る訳では当然なく、毎年秋には群で取れた米を纏めて清州城に収める必要があるし、領民の要望に対しては応えていく必要がある。

早速今日はこのあと一宮の集落に向かい住民たちとの顔合わせを予定している。既に玉ノ井の計画に絡んでいる萩原宿や会合衆などとは見知った顔となっているが、一宮に住む大半の人間は農民や漁師である。今後は彼らの生活も改善していけるようにまちづくりに勤しんでいくこととなる。

また一宮はその名の通り尾張国一宮である真清田神社がある。尾張の大きな神社といえば熱田を思い浮かべがちだが、実は熱田神宮は三宮であり、神社としての格はこちらの方が上になる。街道筋の宿場町に大きな神社とくればやることは一つ、俺は今後一宮を門前町として開発していくつもりだ。

 

そして最後に、普請奉行としての仕事について。

これに関してはまずは現在普請関係を担当している長秀さんの引継ぎから行うこととなっている。一応昨日少しだけ仕官の席で話だけは聞いているのだが、なんせ今川との戦から清州織田家併合と続いたため一部の城の損壊や街道の再整備からやる必要があるとのことだった。

 

ただ、これについては急ぐ必要はない。今も既に今川家の圧力に晒されているため、今から金をかけて修理を行ってもすぐに壊されるのが目に見えているためだ。本格的な修繕、復興作業は対今川戦が片付いてから、恐らく今年の夏あたりに取り掛かることになるだろうと予想している。

 

また、普請奉行の仕事として河川の改修なども予定されている。尾張という地域は愛知と呼ばれるようになった現代に至るまで洪水が絶えない地域なのだ。

これは名古屋の地形に原因がある。この近辺は輪中と言われる海抜0M地域が有名だが、実はこの時代にはまだ輪中は無い。

しかしそれでも周囲が低地であることに変わりは無く、一度大雨となると尾張一帯はたちまち水に浸かるのだ。

しかもたちが悪いことにこの地域は沼のような土質が多く水はけも悪いときている。せめて河川の決壊だけは抑え込まなくては、下手すると数か月水浸しで生活することになりかねないのだ。

 

仕事についてはこんなところだろうか。俺はひとまず整理を一区切りつけてあたりを見渡す。

 

今いるのは清州城のうこぎ長屋だが、ここもまだかなり殺風景だ。これから先暫くは、清州の長屋と玉ノ井の集落を往復する生活になる予定だ。一宮は玉ノ井のすぐ近くであるため、玉ノ井の仕事と一宮の仕事は屋敷で、清州での仕事は清州ですることになる。

 

玉ノ井は1か月近く生活したうえ、元々川並衆の国人衆としての拠点であったこともありかなり設備は充実している。

しかし、清州には昨日入ったばかり、寝るために急ぎ布団一式は清州の街で買ったが、やはり色々足りていない。幸いにして一宮の民との会合は玉ノ井で夕方行う予定であり、時間はある。俺は新たな住処の家財道具を買いそろえるため清州の街へくりだすのだった。

 

 

「いやー、色々買わないといけなかったから。助かったよ犬千代。」

 

「・・・これくらい、どうってことない。」

 

清州の街で家財道具を揃えていた俺はその道中、お隣さんの犬千代とばったり会っていた。

俺が両手に持ちきれないくらいの買い物をしているのを見かねて城から押し車を持ってきてくれたのだ。そのまま流れで犬千代と店を回り、今はうこぎ長屋へ戻る道すがらだった。

その時、通りに出来た人だかりの中から大きな怒鳴り声が響いてきた。どうやら騒ぎになっているようで、俺と犬千代は目配せして一旦荷物を置いて現場へ向かった。

 

「何事か!」

 

俺は人込みを抜けそう声を張り上げる。目の前には若侍がつい先ほど入った店の店主を脅している様が目に入った。

 

「我らは織田勘十郎信勝さまの家来衆よ!お主こそ何者だ!無礼であるぞ!!。」

 

織田信勝という名を聞いて俺は心のギアを一つ上げる。信勝と言えば今川撤退後の織田家において、最後まで信奈に臣従せず敵対を続ける末森城の城主だ。それがこんなところまで出張ってきているとはただ事ではない。

 

「俺は織田信奈様が家臣、小笠原金槻と申す!ここ清州は信奈様の支配領域であり、その地の領民を脅す不貞の輩は貴殿らであるぞ!」

 

相手がかなりの喧嘩腰だったため初対面にも関らず少し強めのジャブから入る。

思えばこの時代に来て喧嘩は初めてだ。

 

少し言い過ぎたか、若侍たちが目に見えて頭に血を上らせ始めた。

 

「まぁまぁ君たち落ち着きたまえ、目的の人が目の前にいるんだ。探す手間が省けたじゃないか。」

 

とただ一人馬上の人であったリーダー格と思われる少年が侍たちをなだめる。そして彼は馬上のまま俺に近づいてきた。

 

「ぼくは織田勘十郎信勝。君が姉上の新しい家臣だね。噂を聞いてどんな奴か見に来たんだよ。

お金って言われてる大男だって聞いたからてっきり大黒天みたいな真ん丸な奴かと思ってたよ。」

 

「お前が信勝か、期待に添えなかったようで申し訳ないね。俺もお前のことは噂に聞いてたよ。ボンボンのお坊ちゃんだって聞いてたけど、なるほど確かに見た目通りだわこりゃ。」

 

この時の俺は少しイライラしていた。まぁ1か月忙しくてストレスが溜まってたのもあるが、こいつらが言うには俺を探すために清州の商人に脅しをかけていたというのだ。

俺のせいで民に迷惑がかかるというのは容認できなかった。

 

「この無礼者!黙って聞いていれば信勝様を何と心得る!」

 

「田舎のお山の大将だろ。」

 

「こ、こいつぅ!言うに事欠いて信勝様をサル呼ばわりとは、許せぬ!」

 

煽り耐性が無かったのか、ここで一人の若侍が刀に手をかけた。

 

「・・・金槻、流石に不味い。」

 

犬千代も流石に止めに入ってきた。だが信勝は周りの状況が見えていないのか、

 

「全くこんな浪人を雇うなんて姉上も見る目が無いね、かぶき過ぎて耄碌されたんじゃないだろうか。ハッハッハ!」

 

などと宣い始めた。ここで俺の頭の中で何かが切れた

 

「・・・てめぇ、今なんつった?」

 

「何度でも言ってあげるよお金くん。姉上は耄碌なされているんだよ!」

 

次の瞬間、俺は腰に携えた刀を抜いた。そう、信秀公の遺品の刀である。

 

「!貴様!やる気か!!」

 

「先に喧嘩吹っ掛けたのも、刀に手をかけたのもてめーらだ。俺のことをどうこう言おうが勝手だが、民への恫喝、そして何より信奈様への侮辱。これをもってして俺への宣戦布告と見なす。礼儀をはき違えた阿呆共は二度と清州に入れなくしてやる。」

 

「言わせておけば!」

 

「ま、待つんだ!ここで斬りあいは不味い!」

 

信勝がようやく事態の重さに気づき、慌てて家来に静止をかける。しかし家来衆は既に全員抜刀し、誰かが動いた瞬間に惨劇が始まるような状態だった。

 

「で、お宅の大将さん止めに入ってきてるけど本当にやるの?

今なら迷惑かけた清州のみんなに土下座して回るなら許してやらんこともないけど?」

 

「何を!詫びるのは貴様の方であろう!詫びぬのであれば斬るのみ!」

 

「ま、待って・・・こんなつもりじゃ・・・」

 

自分に制御不可能になって信勝はあたふたし始めた。

 

「なぁ信勝、斬り合い始まったら多分どっちかの首が飛ぶから先に言っておくぞ。」

 

「な、なんだよ・・・」

 

信勝は既に半泣きだ。いくら何でも情けなすぎないかと思うが、ここで斬り合いになると信奈にとっても良くないので助け船(爆弾)を出す形で自体の収束を図る。

 

「俺が抜いたこの剣、実は信秀公が死の直前に津島の武具屋に作らせていたものなんだ。つまりお前の親父の遺品になる。俺が何を言いたいか分かるか?」

 

「な、何だって!父上の遺品なんて聞いたことが無い!」

 

「嘘じゃねえぞ。刀の根元に織田三郎信秀の刻印ちゃんとついてるし。なんなら津島に行けば帳簿も残ってる。

それに実は俺もこれを抜くのは初めてなんだ。最初に斬り合うのがまさか実の息子だとは、天国の父親に対してそれはあまりにも親不孝じゃないか?」

 

あまりのことに言葉に詰まる信勝たち。ここで俺は畳み掛ける。

 

「そこで刀を抜いてるお前たちもだ。既に故人だからって信秀公の想いを踏みにじるようなことは、まさかしねえよな?」

 

これで勝負あった。既に家来衆の怒りの感情は消え失せ、各々刀を治めた。

 

「こ、今回はこの程度で許してやる。だが次は無いぞ!」

 

「そりゃこっちのセリフだ。真っ先に止めに入ったおたくらの大将に感謝するんだな。」

 

「だ、黙れ!」

 

こうして、信勝一派は這う這うの体で清州から立ち去ったのだった。

 

「・・・金槻、よく抑えた。えらい。」

 

「いやいや、途中で犬千代が一旦止めに入ってくれてなかったら間違いなく斬り合いになってたよ。助かった。」

 

その後、俺はひとまず恐喝の被害者に詫びを入れ荷物をうこぎ長屋へ直した後、事の顛末を報告すべく本丸御殿へと向かうのであった。

 



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第13話 謀反

尾張・清州城本丸御殿

 

 

「・・・以上が、先ほど清州の街であった件についての報告です。」

 

清州での信勝との騒動の後、俺と犬千代は信奈に報告を行っていた。

 

「デアルカ、仕官早々災難だったわねお金。信勝の件については刃傷沙汰にならなかったからひとまず捨て置くわ。ただこれを機に本格的に兵をあげられると厄介ね・・・」

 

「それについては、恐れながら俺に考えがございます信奈様。」

 

「言ってみなさい。」

 

「はっ。先ほどの騒動で俺が信勝どのを見て思ったのですが、信勝どのにはそこまでの戦意はありません。本当に争いたいのなら俺などとっくに斬られておりました。

おそらくは信秀公から信奈さまへの代替わりを快く思わなかった者たちが担ぎ上げているだけでしょう。」

 

「ええ、確かにその通りよ。勘十郎にはそこまでの甲斐性は無いわ。」

 

「であれば、その信勝どのを担いでいる面々を叩くのが常道となります。

しかし彼らの率いている兵は尾張の者たち、殲滅などすれば自分の首を絞めることに繋がります。

つまり、双方の兵を損なうことなく大勝するということが今後の戦略を考える上でも肝要となってまいります。」

 

「・・・金槻、簡単に言う。」

 

「実際そう難しい話でもないさ犬千代。特に今回の状況は元々こちらが有利、いくらでも作戦の立てようはある。」

 

「お金、もったいぶってないで早く言いなさいよ。」

 

「それでは・・・」

 

俺は信勝が攻めてきた場合の作戦を信奈と犬千代に開陳した。

 

 

 

翌日、玉ノ井湊

 

俺は信奈との対信勝作戦会議の後、そのままうこぎ長屋に押し込んだ新品の家財道具をほったらかしにして一宮へ向かった。郡代としての仕事のためだ。一応見知った顔も来るとは言え、流石に初顔合わせに遅参するのは不味かった。

なんとか一宮の集落には間に合い、予定通り民との談話に臨む。話では今後河川の灌漑を進めたいという意見が出たので今後予定しているこの一帯の開発リストに加える。

元々一宮や玉ノ井は今後大規模な開発が必要になる場所であり、その中には新たな農地の開墾や市街化される農地の代替地の用意などもあったのでそこに加えておいた。

また民たちの中には足軽稼業をしている者も多く、その中の比較的若い面々の一部を今後俺の旗本として兵士専業とすることになった。今後侍の身分に順次戻していく予定の川並衆と合わせて、俺にとっては初めての家来衆ということになる。

仕事を済ませた後、そのまま玉ノ井の屋敷に戻り昨日はそこで泊った。暫くはこういった清州と玉ノ井を行ったり来たりという生活が続く。

 

 

そして朝、俺はいつも通り朝食をのんびり作っていたが、そこに早馬が駆けこんできたのだ。

 

「小笠原金槻どのはおられるか!」

 

「朝からどうした、騒々しい。」

 

「それが、火急の要件にございます。信勝さまが挙兵されました!」

 

「なんだと!」

 

俺が想定していたよりも早く、信勝が動いた。一応信奈には俺の作戦は伝えているし、賛同も得ている。恐らくは予定通り動いてくれているはずだが、なにぶん時間が短かった。こういう時には思っていた動きが出来ていない場合もあり得る。俺は急ぎ甲冑を着込み清州へと向かうこととなった。

 

 

 

「姫、一大事にございます!信勝どの、挙兵いたしました!現在兵2千を率いてこちらへと向かっております。大将は勝家どのとのこと!」

 

朝早く、私は万千代の声で目が覚めた。昨日の騒動から僅か1日での挙兵、明らかに早すぎる。

 

「さては勘十郎、昨日の件が起こる前から準備させていたわね。万千代!法螺貝で全員を早く起こして!そしてすぐに身支度を整えること!」

 

そう万千代に告げ、急ぎ戦支度を始める。

ついに兵を出した以上、このお家騒動は既に負けられない戦いとなった。相手の大将は信勝付きの家老である六だ。信勝自体は大したことないが、六相手となるとこちらもただでは済まない。

しかし負けてやるつもりも毛頭ない。こうなった以上、敵味方の損害を軽微に済ませつつも大勝することが求められる。そんな私が選んだ作戦は

 

「全員、急ぎ城から脱出!各々身を隠し次の指示を待ちなさい!」

 

清州城からの退去だった。

 

 

 

一方の信勝陣営、信奈の読み通り事前に出陣の手筈を整えていたため、信勝の帰城後すぐの出兵となった。先陣を切るのは家老、柴田勝家だった。

 

「ああ、姫さま。あたしは信勝さまを止めれませんでした。このまま当たればまず間違いなくあたしが勝っちゃう・・・。どうしたらいいんだ・・・」

 

しかし勝家軍の士気はどん底と言ってもいい状態だった。元々乗り気じゃない戦であり、しかも兵にとっても尾張の同族同士の争いである。士気が高いのは信勝をけしかけた諸将くらいのもので、殆どの者はこの戦いの意義を見出せずにいた。

 

そうこうしているうちに清州が近づく。ここまで来ればもう引けない、勝家は覚悟を決めて馬を走らせた。

 

「ああもう!行くぞ!この戦は我々が勝つ!こうなった以上すぐにけりをつけないと今川が来る!その備えのためにもすぐにこの戦を終わらせるのだ!!」

 

勝家を先頭に清州へ突っ込む信勝軍、そんな彼らが見たのはもぬけの殻となった清州城だった。

 

敵がいないので拍子抜けする信勝軍の将兵、戦闘にいた勝家は既に清州の門が開かれており、その門前に一枚の看板が立てつけられているのを見つけた。そこには

 

「勘十郎!六!覚えてなさい!この借りは必ず返すわよ!  信奈」

 

とだけ書かれていた。 信奈たちは既に敗走していたのだ。これで信奈方の拠点は犬山と那古野だが、末森と清州の間にある那古野は先ほど通ったが兵が多く入っている様子もなく。こちらは既に後続がほぼ無傷で落としたという報が入っている。つまり信奈は犬山に敗走したのであった。

 

「ど、どういうことだ?あの姫さまが戦わずして敗走するなんて・・・ひ、ひとまず勝鬨を上げろ!清州城内で一度那古野からの部隊や信勝さまを待って次の作戦を決める!」

 

もぬけの殻の清州城内に勝鬨が上がるとすぐ、後続の信勝たちが入場してきた。

 

「勝家、もう城を落としたのかい!早いよ!」

 

「いえ信勝さま、それが清州は既にもぬけの殻でございました。」

 

「ハッハッハ!そうかそうか!姉上もようやく立場が分かったようだね!犬山で僕の苦労を味わってもらうよ!。」

 

昼前には、出兵した全ての信勝軍が清州へ入場し、城下町は何事も無かったかのようにいつも以上の賑わいを見せていた。

 

その雑踏は、清州でよく顔を見る人たちばかりだった。

 

 

 

 

「お金、あなたの読み通り信勝も六も場内に入ったわね。」

 

「はい、ここから一気に巻き返しましょう!」

 

清州の街の団子屋で時を待っていた信奈と金槻は、最高のタイミングで再度、法螺貝を鳴らした。ちなみに俺は馬を飛ばしてなんとか開戦には間に合った。

 

すると街に繰り出していたほぼ全ての人が突如店の中に入っていき、直後清州中の店から武装した足軽たちが現れ、たちまち清州城を包囲した。

 

「よし!上手くいった!空城の計がここまで上手く決まるとは思わなかったぞ。」

 

そう、金槻が信奈へ進言したのは空城の計だった。信勝の進軍を察知した時点で一度兵を散り散りに城から出し、周囲の街に潜伏させたのだ。

何も知らない信勝軍は清州へ脇目も降らずに突撃する。しかも先陣は脳筋な勝家、何も疑うことなく全員がすっぽり場内に入ったのを見計らって、法螺貝を合図に四方を囲んでしまったのだった。

清州の街の商人に顔が広い金槻ならではの作戦と言えた。

 

「やったわねお金!これで勘十郎たちは袋の鼠よ!これであとは煮ても焼いても良いって訳ね。これは大きな手柄よ!

万千代!あんたはまず那古野の奪還に動きなさい。清州の様子を伝えてあげたらすぐに開門するはずよ!」

 

「かしこまりました、清州は姫と金槻どのにお任せいたします。ここまでは80点です。」

 

長秀に那古野を任せ、俺と信奈は囲んだ信勝軍をどうするかの検討に入った。

 

既に場内の様々な物資は持ち出してきており、鉄砲も矢も米もない状態の城に信勝は入ったことになる。恐らく今頃米蔵がすっからかんで焦っているころだろうか。

 

「お金、ここまではあんたの策がぴったり嵌ってるわ!でも問題はここからよ。今川に気取られないうちにこの騒動を鎮めなくちゃいけないわ。案を出しなさい!この作戦を考案したのはあんたよ。ここは任せるわ。」

 

「はっ。それではまず門の包囲を継続したまま、城内の勝家どのと信勝どのに使者をだします。内容は、ここで降れば兵の助命を行うと。また将についても首は取らないと伝えます。

またこのことは城の外で包囲中の兵にも伝え、早く降ってくるよう外より城内に向けて大声で叫ばせます。元々士気の低い信勝の兵はこれでどんどん投降してくるでしょう。兵がいなくなればいくら猛将の勝家どのとて戦えませぬ。」

 

「そうね、それじゃあその手筈を整えなさい!今日中に終わらせるのよ!」

 

「はい!」

 

その後、城に使者を送り包囲中の兵士に「早く降りてくるみゃー!」とか「信奈さまはお怒りじゃないみゃー、兵はそのまま帰ってもらうって言ってるみゃー!」などと城内に向けて叫ばした。

ほどなくして城から兵が少しずつ降りてきた。そのペースは次第に早くなっていき、2時間ほどで千五百ほどの兵が降った。城内には僅かに残った兵と信勝派の将たちのみとなった。

 

 

「よし、それじゃあ仕上げだ!日が暮れるまでに投降しないと城を焼くと伝えろ!」

 

「え、ちょっとお金!それはダメよ!ここ一応わたしの城なのよ!」

 

「勿論本気で焼き討ちするつもりはございませんよ信奈さま。しかしそういう姿勢を見せておくことで彼らも降らざるを得なくなるでしょう。」

 

信奈に意図を伝え、再度使者を送る。あとはどういう反応が返ってくるか待つばかりだった。

 

 

 

 

日暮れになり、城からぞろぞろと残った兵たちが出てきた。ようやく投降を決心したらしい、その中には白装束を着た勝家の姿もあった。

 

「姫さま、この勝家が付いておりながら此度の謀反を止められませんでした!責任は全てあたしにあります!どうかこの首一つでお収めください!!」

 

「いや、最初から首は取らないって使者送ったでしょう?

それにあんたがいなくなると今川戦はどうするのよ。六は減封の上わたし付きに配置転換。

ついでに今回功績を上げたお金と同格の練兵奉行に任ずるわ。もう一度頑張りなさい。」

 

「うわあああああん!折角ここまで頑張ってきたのに新参のお金にもう並ばれたあああああ!」

 

「ま、まぁ勝家さん。俺は武芸はからっきしだから、戦場で動ける勝家さんならまた出世できるって。」

 

 

「次に信勝側についた将については改易よ!命は取らないでおいてあげるからやる気があるならもう一度這い上がってきなさい!

そして勘十郎。あんたはこれまでも度々謀反を起こしているわ。今回は流石に打ち首としたい所だけど、一応使者で伝えちゃったから首だけは取らないでいてあげる。」

 

「あ、姉上!この勘十郎。愚かな真似をしてしまったと反省しております!どうかお許しください。」

 

「黙りなさい。あんたは織田の名をはく奪。分家の津田を名乗りなさい。また今後母上との接触は禁ずるわ。今回もどうせ母上にそそのかされたのでしょう?」

 

「は、はい。確かにその通りです・・・。」

 

「あんたが母上のそばにいると絶対また何かするでしょうから、これは母上に対する罰でもあるわ。次何か間違いを起こせば今度は必ずその首を取るから、肝に銘じておきなさい。

そしてあんたはお金の下で働くこと!お金、私に構わず好きに使ってちょうだい。」

 

「はっ、それじゃあ勘十郎。今後ともよろしくな!」

 

「え、笑顔が怖いよお金くん・・・」

 

「おい、主人に対してお金とはどういう了見だ?」

 

「ひ、ひぃ!申し訳ありませんでした金槻さま!誠心誠意お仕えいたします!」

 

「よろしい。」

 

 

その後この戦に関しての論功行賞が行われた。

 

俺は勲功一等として信勝改め津田信澄を配下に加えることとなった。

他には勝家の信奈つきへの配置転換、那古野を奪取した長秀さんの那古野城代就任、信勝の居城であった末森城への城主に佐久間大学の就任などが決められ、信勝謀反騒動は幕を閉じた。

 

 

 

 

その夜の祝勝会

 

俺は、末席にいた。ちょっと前まで信奈のすぐ横にいた勝家が対面にいるのが少し可笑しい。

まぁ末席とは言っても参加者は信奈、長秀さん、犬千代、俺、勝家だけなので宴会というよりは家の食卓のような感じに近いものだったが、こうして全員で食事というのも初めてだった。

 

「お金!今日は本当にいい仕事だったわ!」

 

「金槻どのの策のお陰でこちらの損害はほぼ0でした、満点です。」

 

「いえいえ、私は前日に策を提案したのみです。実際に兵が動いた時、私は玉ノ井でしたから。手早く私の策を実行して下さった信奈さまのお陰でございます。それにまさかここまで上手く嵌るとは到底思っておりませんでしたので。」

 

「おいお金!それは私の戦が下手だったってことか!」

 

「いや勝家さん。突っ込むのはまあいいんだけど、あれだけもぬけの殻だったら普通何か疑うでしょ。まぁ怪しむことなく入場した信澄もだけど。」

 

「・・・金槻は案外戦でも頭が回る。軍師向き。」

 

「いやいや犬千代、今回は相手が猪武者だったから何とかなっただけでこれが普通に軍師のいる軍だったら俺の付け焼刃の戦術じゃやっぱり厳しいよ。」

 

「うわあああああん。猪武者って言われたああああああ!自覚はあるんだよあたしだって!!」

 

「勝家どの、自覚があるんだったら改善なされませ。30点。」

 

「長秀まで!!」

 

 

楽しく夜は更けていく。宴も終盤に差し掛かり、いい感じにお酒が回ってきた時だった。既に勝家は潰れていたので、長秀さんと犬千代が寝かせに行っており、この場には俺と信奈の2人きりだった。

 

「そういえばお金、あんたわたしに対してやけによそよそしくない?」

 

「はぁ、いやまぁ確かに意識して言葉遣いは変えております。しかし主君と家臣ならそういうものでは?」

 

「まぁ普通ならそうなんだけどね、なんかあんたに恭しくされるのってむずがゆいのよねぇ・・・。

そうだわ、お金!あんたこれから私に対して敬語禁止!これは主君命令よ!」

 

信奈は酔っているのか、いきなりそんな命令を下してきた。

 

「いきなり何を言い出すのですか・・・まぁ構いませんけど。

じゃあ・・・信奈?」

 

「な、何よ・・・?」

 

「これからもよろしくな!」

 

「な、なんかこれはこれで恥ずかしい感じがあるわね・・・。」

 

「そうか?なら普通にしてもいいけど。」

 

「いや、それでいいわ。あんたは自然体でやっていくのが一番似合いそうだし。」

 

「分かったよ。だけどまた戻してってのは無しだぜ。」

 

 

そんな俺と信奈の会話をふすま越しに聞いていたのは長秀さんと犬千代だ。

 

「おやおや、何やら良い雰囲気ですね。90点。」

 

「・・・姫さま、もしかして金槻のこと相当気に入ってる?」

 

「どうでしょう、どちらにしても今日は信澄どのを斬らずに済みましたし、姫には100点満点を差し上げましょう。」

 

2人が戻ってきた後も、信奈と金槻は自然体での談笑が続いたのであった。

 



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第14話 正徳寺会談(上)

尾張・美濃国境中立地帯 正徳寺

 

 

信勝の謀反から数日後、織田信奈は斎藤道三との同盟交渉の席へと向かっていた。

場所は正徳寺。木曽川沿いにある寺社勢力で、織田・斎藤のどちらにも属していない中立地帯だった。

とはいっても敵対しているという訳ではなく、金槻の玉ノ井湊の開発には協力的であり、実際会議の席には寺内町の商工会共々参加していた。

そういった伝手もあり両家の会談場として道三から白羽の矢が立ったのだった(実際に調整を行ったのは金槻と川並衆なのだが)。

 

俺はその信奈たちの部隊に先んじて、正徳寺に入っていた。ある人に会うために。

 

「・・・藤吉郎さん、来たよ。」

 

そう、それはもうこの世にいない人。俺を文字通り命を張って助けてくれた恩人。木下藤吉郎だ。

 

墓は1週間ほど前の玉ノ井会議の日の夜に納骨のために訪れたばかりだが、連日晴れであったからか、花は萎れていた。俺は墓前で両手を合わせ瞑目し、花の取り換えに取り掛かった。

 

「金槻どの、ここにおられましたか。」

 

ふと、後ろから声をかけられる。

そこには光秀が立っていた。思えば光秀とも玉ノ井会議以来の再会であるが、それ以降も道三との日程調整で文のやり取りをしていたためそこまで久しぶりな感じはしなかった。

 

「おや、これは光秀どの。お早い到着ですね。」

 

「私は会談の準備のために先行してきたです。来てみたら正徳寺の僧が金槻どのも来ていると言っていたので探してたのですよ。」

 

「そうでございましたか。私も信奈さまから先行して来ておりましてな、ちょっとした野暮用を済ませていたところでした。」

 

俺の言葉を聞いて、光秀は奥の墓石を見て俺に聞いてきた。一応光秀は斎藤家の人間なので信奈さまと言っておく。

 

「その野暮用がこの墓ですか。一体どなたの墓なのです?」

 

「・・・彼は俺の命の恩人です。名は木下藤吉郎。俺が今川家と織田家の戦に巻き込まれて死にかけていた所、命を賭して助けてくださったのです。

普段は玉ノ井の川並衆がたまに来ては墓の面倒を見てくれてはいるのですが、今日は信奈さまの準備もありましたので早入りしてこうして来た次第です。」

 

「そうでしたか。それは邪魔をしたですね。暫く待っておりますので、先にお済ませくださいですう。」

 

そう光秀に言われたので、俺は手早く花の入れ替えを済ませ、ついでに蝋燭と線香に火を点けて再度手を合わせた。

 

「また来るよ、藤吉郎さん。

 

さて、お待たせしましたな光秀どの。」

 

「いえいえ、それでは会談の準備を始めるです!」

 

俺と光秀は正徳寺の本堂へと戻っていった。

 

「そういえば光秀どのには詫びないといけないことがございましたな。」

 

「はあ、何かありましたですか?」

 

「いえ、玉ノ井で会議した後何も言わずに織田家に仕官した件。誠に申し訳ありませんでした。光秀どのにはご面倒をおかけしました。」

 

「ああ、そのことですか。金槻どのの意図は手紙で頂いておりますので詫びることじゃないですぅ。

ただ、なぜ織田家に仕官したのですか?やはり出世のためですか?」

 

「いえ、そういう訳ではないのです。まぁ結果的に出世することにはなるでしょうが・・・」

 

俺は光秀に全てを語った。俺が実は未来から来た人間であること。さっきの藤吉郎の墓はその時の出来事だったこと、藤吉郎は織田家で出世する未来であったこと。

 

 

光秀は俺の言葉に衝撃を受けていた。そりゃ誰だっていきなり未来から来たなどと言われれば驚く。

 

「・・・以上が、俺がここに来てから今までの行動の理由です。」

 

「な、なるほどです。確かにそういう理由があれば織田家への仕官は必定ですう・・・。」

 

「まぁ、今の話はほんの理由に過ぎないんですけどね。実際に俺が木下藤吉郎の進んだ通りのことを続けても同じ通りに行くとは限らんし、上手くいったとしてもその先の未来は必ずしも明るいものばかりでもないので・・・。

ここからは理屈じゃなくて俺の本心なんですが、信奈さまはこの時代の価値観には革新的すぎて他の人々から受け入れられない所が多少なりともあります。どちらかというと俺がいた500年後の世界の価値観に近いものを持ってますので・・・。光秀どのも十分に革新的な考えを持っているが、彼女のそれはこの時代にあっては異常と捉えられる。そんな彼女を支えたいというのが今の俺の気持ちです。」

 

そう、俺は色々理由を付けてはいるが結局のところ信奈を支えたいという気持ちが今は一番強い。

先日の祝勝会の時に感じたことだが、信奈は意外と甘えたがりな所がある。普段は織田家の君主として毅然と振舞っており、長秀さんや勝家、犬千代にしか素の表情を見せないが、信奈だって中身は少女なのだ。あの年で信頼していた父を失い、母には嫌われ、弟には裏切られた。その苦悩は計り知れないだろう。

 

そんな信奈が新参の俺にはやけに緩い。これは俺が未来から来て身寄りが無いということが理由だと考えている。家族を実質失っている者同士という共通点があるうえ、未来からきた俺には既存の身分には当てはまらない。つまり異人と一緒だ。

以前に長秀さんから少し聞いたが、信奈は君主になる以前はよく津島の湊で宣教師の話を聞いていたのだという。今は俺がその宣教師の立場ということだ。

 

それに俺自身、信奈に頼られるのは悪い気はしない。信奈は傾いてはいるが、目の前にいる光秀と同等か、それ以上の美人だ。というか姫武将は基本的に絶世の美女しかいない。しかし信奈は、その姫武将たちの中でも特段輝いて見える。しかしその光は強くても脆く感じるのだ。光は一度崩れるとたちまち燃え上がる炎に変化する。そんな気がするのだ。俺はこの光を守りたい。最近はそう強く感じるのだ。

 

「なるほどです。しかし尾張のうつけ姫と言われる信奈どのはそれほどのお方なのですか?」

 

「まぁそれはこの後の会談で直接確かめてください。俺は少なくともこの日ノ本で天下を統べるべきは信奈さまをおいて他にはいないと確信しています。もちろんこの先の日ノ本がたどった未来を知っているが故に言えるというのはありますが、長く戦乱に明け暮れていたこの国を世界に引っ張り上げることができるのは彼女しかいませんから。」

 

「世界・・・ですか。確かに今の戦国大名の中で天下統一後のことまで頭が回る者は少ないです。金槻どのが推す信奈どの、私もしっかりと見させてもらうですう。」

 

 

 

この暫く後、斎藤道三の部隊が先に正徳寺に到着した、信奈が来るのはまだしばらく後なので、俺は道三も交えての打ち合わせに入った。

 

「お初にお目にかかります。斎藤道三どの。俺は小笠原金槻と申します。此度は会談の要望をお受けくださりありがとうございます。」

 

斎藤道三とは手紙で数度連絡を取り合ったものの、直接の会話はこれが初めてである。思えば有名な武将で男武者はこれが初めてだ。歴戦の戦国大名らしく堂々とした佇まいの持ち主で、年の割には体格もがっちりしている。禿げてはいるが多くの経験をしてきた自身とでも言えそうな圧をまじまじと感じた。

 

「ふむ・・・お主が十兵衛を手玉に取った玉ノ井湊の頭領か。確かに、雰囲気は商人気質というか、裏のある顔をしておるわ。」

 

道三の発言に対し俺は微笑みを返しながら

 

「そのことについては、騙すようなことをして悪かったと光秀どのにもお詫びしております。また銭の分配については約束を違えるつもりはございませんので、重ねてご安心ください。」

 

と答えておく。

 

「いいや、だまし討ち上等じゃ。それがこの戦国の習いじゃからのう。十兵衛にも良い経験になったじゃろうからのう。それとお主にも言っておくが、ワシは会談を受けると伝えたのみでうつけ姫と同盟すると決めた訳ではないからの、それはお主も分かっておろうな?」

 

「勿論でございます。織田家との同盟を成すか否かは信奈さまとの会談によってお決めください。ただし、織田家との同盟を受け入れられぬのであれば、今まで通りの玉ノ井の権益を得続けることは難しくなりましょう。そこは覚悟されよ。」

 

「ふむ・・・このワシを脅すか。お主、若いが中々に肝が据わっておる。しかし甘いのう。」

 

 

そう呟き道三は右手を上げる。次の瞬間、この本堂の回りを兵に取り囲まれてしまった。俺は内心甘かったと後悔して舌打ちした。

 

「これは・・・どういうおつもりかな道三どの?」

 

「何、簡単なことよ。ここでお主の首を取り、玉ノ井を奪えば盤面をひっくり返すことが出来るでのう。先ほども申したであろう?だまし討ち上等じゃわい。」

 

「ふむ・・・道三どの。俺の首はそこまでして取る価値があるとお思いか。そこまで評価していただけるとは思って無かったです。」

 

「見合った評価じゃと思うがのう。この1月で全くの無名だったお主が今や周囲の商人には知らぬものがおらず、伊勢や京にまで名が広まっておる。そして織田家のお家騒動の件でもお主が何やら画策しておったと聞いておる。それに、ワシも美濃を預かる者として、タダで織田家と同盟という訳にはいかぬのでな。」

 

「ふむ、でしたらこの同盟が斎藤家にも利があるとご理解いただければこの首は繋がっておけるのですかな。」

 

「まぁ、そういうことじゃのう。ワシらにとって織田家と同盟するということは、武田と事を構えるということに等しいからのう。奴らと一戦交えるために得る利益が玉ノ井の権益の僅か3割はちと割にあわんわ。」

 

「はぁ・・・仕方ありませんね。それでは私の考えているこの先の絵をお見せしましょう。既に光秀どのには密かに知らせておりましたが、俺もタダで道三どのと盟を結ぼうとは思っておりませんから。ただこれは信奈さまにもまだお伝えしていないこと。信奈さまの到着を待ってからで構いませんかな?」

 

「ふ、ふ、ふ、面白い。よかろう。お主たちは下がっておれ。」

 

道三はひとまず兵を下げてくれた。これで一旦首は繋がったことになる。しかしこの時点で正徳寺に織田方は俺一人、流石に軽率すぎたし、道三を舐めていた。危うく首が飛ぶ所だった。

 

かくして、俺は道三、光秀の対面に腰かけて信奈の到着を待った。

 



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第15話 正徳寺会談(下)

「美濃の蝮!待たせたわね!」

 

後ろから声がして、彼女は突如現れた。犬千代たちがまだ来てないからもう暫くかかると思っていたので俺は驚いたが、そのまま道三の方を見やる。

すると対面に座る道三も驚いていた。また別の意味で・・・。

 

「う・・・うおおおおおおおおお?な、な、な・・・なんという・・・美少女っ!?」

 

は?いや驚きすぎだろと思って俺はふと信奈の方に振り向く。直後俺も固まる。

 

絶世のお姫様がそこにはいた。

現れた信奈は普段の傾いた姿ではなく、しっかりとした着物姿だった。いやしっかりなどというものではない。着物は越後上布だろうか、見ただけでも最高級品だということが分かる。顔には化粧こそしていないが茶筅に結っていた髪は下ろしており、眩しさすら感じられた。

 

「なんであんたまで固まってるのよお金。道三、私が織田信奈よ。幼名は『吉』だけど、あんたに吉と呼ばれたくはないわね。」

 

「あ、う、うむ。ワシが斎藤道三じゃ・・・。」

 

道三は相変わらず固まっていた。年甲斐もない姿に隣にいる光秀はため息をついて道三のフォローに入った。

 

「私は道三さまの側近、明智十兵衛光秀にございます。信奈さま。」

 

しかし光秀も「信奈どの」と言っていたのが「信奈さま」に変わっていた。同性さえも虜にする。今の信奈はまさしく畏敬の念すら覚えさせられる風貌をしていた。

 

「信奈さま、お待たせしておりました。どうぞこちらへおかけください。」

 

「デアルカ、金槻、準備は出来てるわね?」

 

流石に他国の大名の前だからか、普段の「お金」ではなく「金槻」と呼ばれ、不覚にも一瞬ドキッとしてしまう。

 

「は、はい。万事整っております。それでは、只今より織田家と斎藤家による会談を始めさせていただきます。まずは此度の議題について読み上げさせていただきます。

 

此度の会談の目的は織田・斎藤両氏の同盟交渉にございます。我が織田家としては、目下の懸案である今川への備えとして、斎藤氏との同盟を希望いたします。盟約の内容については、相互の不可侵、関所の撤廃、他国からの攻撃時の援軍などとなります。同盟にあたっては道三さまより当家へ義妹を出していただけることが条件となります。」

 

俺が今回の議題と織田家としての要望を読み上げ終えて、信奈が早くも畳み掛けに動く。

 

「蝮!今のわたしには、あんたの力が必要なの。わたしに義妹をくれるわね?」

 

同盟内容はかなり織田家有利な内容であるように見える。ちなみに道三の義妹とは帰蝶と言うまだ幼い養子の姫であり、実は光秀の身内だったりする。

 

「さて、それはどうかのう。織田信奈どの。」

 

ようやく立ち直った道三は、迫力満点の悪人面で微笑んだ。まさに暗黒微笑といった面構えだった。

 

「いや、“尾張のうつけ姫”がはたしてワシと同盟を結ぶにふさわしい姫大名かどうか、確かめねばな。そなたの力量には疑問があるしのう。場合によっては、隣におる金槻どの共々この場でお命を頂戴するやもしれぬ。くっ、くっ、くっ。」

 

堂々と言い放った。先ほど敵に囲まれたことを思い出し少し背筋が寒くなる。

 

 

 

「さてと、うつけ姫にいくつか尋ねてもよいかのう?」

 

「私を値踏みする気?あんたほどの器なら、私の実力のほどは一目見ればわかるはずよ。」

 

「うむ、だからこそじゃ。確かにお主には才能に満ち溢れておる。じゃが、お主の思想はちと周囲からは理解されぬのじゃないかのう。お主がいくら優れておっても、周囲がついてこれねば国は纏まらぬ。その結果が信勝どのの謀反ではなかろうかの。」

 

いきなり信奈にとってはかなり痛い所を突かれる。これは俺が危惧しているまさにその通りのことだった。

 

「確かに、私の思想まで理解できる人は恐らく日ノ本にはいないわ。でもそれでいいのよ。この国は長く国内で争いすぎているから、外に目が向かないのは至極当然なことよ。でも、今はそうかもしれないけどいつまでも内々で揉めているわけにもいかないのよ!

最近じゃ湊に行けば異人もよく見かけるようになったわ。今は彼らと対等に通商出来ているけどいつまでも同じようにはいかない。いつか必ず元寇のように他国に攻められるときが来るわ!

その時に備えるためにも私は一刻も早くこの戦乱を終わらせなきゃならないの!今回の同盟はその目標の第一歩よ!」

 

「うむ、なるほどのう。確かに日ノ本では金や銀などがよく採れる。南蛮どもがそれを狙ってくることは想像に難くないのう。しかし杞憂ではないかのうつけ姫、確かに今の時点で日ノ本の外まで視界が広がっている大名はお主だけじゃろう。それは裏を返せば見る必要がないからでは無いかの?」

 

「それは違うわ蝮、もう種子島が伝来して10年近くになるのよ?キリスト教も広がりつつあるわ。武器がきて文化も届いてきているのに兵だけが来ないなんて根拠はないわよ!」

 

「むう、確かにそうかもしれぬが・・・。しかし信奈どの、今回の同盟が日ノ本を世界に出られるようにする第一歩というが、この先に明確な道筋は見えておるのかの?」

 

「勿論よ。私の今の一番の目的は・・・上洛よ!」

 

「なんと、尾張一国しか持たぬ身にして既に上洛を見据えておるというのか。」

 

「当たり前でしょ、あんたが美濃を獲った理由と一緒よ。日ノ本の中心はなんと言っても京の都。ここへ向かうには美濃は外せない。だからあんたは美濃を獲った。あんたは美濃一国で満足しているのかもしれないけれど、それなら京への道くらいは譲りなさい!」

 

「ふむ、既に上洛。そして世界にまで目を広げておるとは・・・。よかろう。しかし美濃を通ったとしてその先はどうするのじゃ。近江は必ずしも味方になるとは限らぬぞ。それに目下の敵は背後にある今川じゃ。尾張一国では今川相手はちと厳しかろうのう。」

 

「ええ、その通りよ。だからあんたとの同盟が必要なの。」

 

「しかしじゃ、この同盟の条件は簡単には飲めぬの。ワシらは今武田と接しておる。知っての通り今川と武田、相模の北条の大国3国は相互に同盟関係じゃ。お主が今川に攻められた時、ワシらが同盟しておれば武田も攻めてはこんかのう。今川と武田、2国相手に尾張・美濃だけで戦えると思っておるのかの?」

 

「そ、それは・・・。」

 

ここまでの論戦では信奈が終始有利だったが、最後の質問でついに詰まる。

 

そう、これが俺の想定している最悪の事態。今川との戦が武田に波及してしまうことだった。

 

 

 

「まぁ信奈どの、それについては隣の金槻どのが策を持っておるらしいしのう、それを聞いてみてはどうかのう?」

 

「えっ?金槻、どういうこと?」

 

「はい、実は信奈さま到着前のことですが、道三どのにこの懸念を伝えられておりまして。この考えられる最悪の事態を回避するのに十分な準備が無いと、同盟は出来ない。それどころか私の首が飛ぶことになっております。」

 

「ちょ、ちょっと蝮!金槻が何したっていうのよ!」

 

「いやのう、先の玉ノ井の件では一杯食わされたからのう。実は今回の会談も、出てこないと玉ノ井の権益は譲らんと言われて出てきておるのじゃ。」

 

「そういうことでございます。私は道三どのを手早く呼び出す手段として、美濃と共同で開発しておりました玉ノ井の湊に関わる権益を利用しております。元々玉ノ井の権益は私が率いている川並衆に入っておりまして、それを協力してくれた美濃に3割分配しております。

3割とはいえ斎藤家の財布にとっては重要、更に玉ノ井の地は井ノ口の街にとって今や生命線。道三どのは出て来ざるを得なかったという訳です。

まぁ私が動こうと動くまいと道三どのは織田家と同盟に動いていたと思っておりますが。」

 

「ふむ、金槻どの。なぜそう思われるのか聞いてもよいじゃろうか?」

 

「はい、織田家が一枚岩ではないように斎藤家もまた一枚岩ではございません。私が玉ノ井の権利を取り上げるかどうかに関わらず美濃は常に謀反や一揆の危険にさらされている。そうではありませんか道三どの。」

 

「・・・なぜそれを知っておる。」

 

 

 

「それは私の出自に由来しております。・・・ここまで来ました、もうこれからは包み隠さず話しましょう。まぁ道三どの以外はみなご存知の通りなのですが、私の出身は信濃ではありません。というかこの時代の生まれではないのです。」

 

「この時代ではない?どういうことかのう。」

 

「私はこの時代から遥か500年ほど先の未来の生まれです。何故かこの時代に飛ばされたため、今は織田家にて信奈さまの天下獲りを支えるために働いております。」

 

「なんと!それはまことなのかの!?」

 

「ええ、金槻がこの時代の人間じゃないのは本当よ。現に来た時はこの時代とは違う衣を着ていたという話だし、私は未来のからくりの現物も見ているわ。」

 

「私はつい先ほど伺いました。半信半疑ではありましたが、どうにも本当のようですね金槻どの・・・。」

 

「まぁ、そういう訳で俺はこの会議の顛末も既に知ってるんだ。道三どの、あんたはこの後美濃を信奈さまに譲るという書をしたためることもな。」

 

ここで俺は過去最大の爆弾を投下した。この時代の人にこの先の歴史を語るのは初めてのことだ。

 

「!!なんと、お主。まことに未来から来たのか!?それとも心を読んだか!」

 

「えっ!どういうことよ金槻!」

 

「信奈さま、これはこの時点では道三どの以外知り得ぬことです。

さて道三どの、今日の会談だがあなたの真の目的はご子息義龍どのと信奈さまを比べて、どちらに美濃を譲るか見極めるためのものじゃないのか?」

 

「た、確かにその通りじゃ・・・」

 

「道三どのももう歳だから隠居を考えておられた。だがご子息どのは戦についてはそれなりだが天下を取れる器ではない。だから信奈どのが天下の器ならそちらに譲るということだ。」

 

「これは驚いたのう。金槻どのは確かに未来から来たようじゃ。納得せざるを得んのう。」

 

「えっ、蝮。ということは・・・」

 

「うむ、美濃の譲り状はしたためようぞ。しかしその前に、武田・今川・北条に対する手段についてじゃ。これについてワシを納得させられねば美濃は譲らぬわ。」

 

ここで美濃を譲るという言質は取れた。あとは道三を納得させるだけだ。

 

 

 

「はい、分かっております。それでは信奈さまもお聞きください。

実は予め武田という懸案については考えておりました。そのため秘密裡に光秀どのには俺のこの先の考えを短歌で伝えております。」

 

「川下る 尾長の鮎が 釣れる梅雨 秋は遠いか 海は近いか ですね金槻どの。」

 

「そうでございます。光秀どのはこの句の意図は伝わりましたかな?」

 

「勿論ですう!最初の川下るは今川が来るという意味。続いての尾長の鮎というのが長尾家、つまり上杉謙信を指すです。そしてそれが釣れるのが梅雨。つまり今は田植えの真っただ中ですから、それを終えて水無月も入る頃には上杉と同盟して今川だけではなく武田についても備える。そういくことですね!」

 

「流石光秀どの。満点です。」

 

「金槻、あんた万千代みたいになってるわよ。でも確かに、武田に備えるなら上杉との同盟は有効ね・・・。」

 

「はい、加えて言えば、尾張・美濃・越後の3国で同盟を組むことが出来れば東国からの道を完全に塞ぐことが出来ます。唯一の抜け道は飛騨から越中、越前へと抜ける道ですが・・・」

 

「飛騨は山脈地帯、越えるのは容易では無かろうの。それに飛騨の姉小路家はどこの勢力とも同盟していない独立した勢力な上、戦嫌いな守護大名。ワシらが先んじて落とせば道は完全に抑えることが出来るのう。」

 

「はい、更に我々は今川・武田に対しては弱小です。義の人との呼び声たかい上杉謙信どのは我々との同盟は受け入れる目算がかなり高いと見えます。そうでなくても我々と上杉が結べば武田を挟む形となり、武田は簡単には攻められなくなります。美濃の安全は保障出来るのではないでしょうか?」

 

「なるほどのう、お主の慧眼恐れ入ったわ。しかし、そうなると気になるのは残りの2句じゃが。」

 

「はいです、私もそれが分からなかったのですう。」

 

「秋は遠いか 海は近いか ですね。これは上杉との同盟が成った前提での話です。つまり先を見据えての動きの選択肢の一つという訳です。

秋とは安芸を指します。尾張からはかなり遠くに感じられますが、京から見ると意外と近いのが安芸。今は大内氏の配下である毛利氏の領地です。毛利は大内に臣従こそしておりますが、謀神とも言われる毛利元就が君主、出雲の尼子や備前の浦上に対しても睨みを効かせられる西国の雄です。早いうちに目をかけておけば上洛後の天下統一に向けての戦いでは力になりましょう。というか、毛利と戦えばこちらもかなりの損害を被るは必定なので相手したくないというのが本音ですかね・・・。」

 

「金槻、あんたもうそこまで考えて・・・」

 

「信奈さまの世界を目指すという目標を支えるために、必要そうなことを先んじて考えるのが俺の仕事ですから。」

 

「ふむう・・・。こやつ、最初に十兵衛が釣られたときは十兵衛が甘かったかと思っておったが、これほどとは。やはりただの商人ではないのう。どちらかというと軍師かのう。」

 

「いえいえ道三どの、私は実際に兵を率いても大したことはないですから。この前は上手くいきましたが、どちらかと言われると軍略家と言っていただけると嬉しいですね。」

 

「軍略家・・・戦術ではなく、その先の戦略を練る者ですか。」

 

「ええ、信奈さまの目標を支えるうえでこれ以上の役回りはありません。」

 

「なるほどね・・・。それで金槻、最後の海は近いかっていうのはどういう意味よ?」

 

「はい、これは割と目下の目標に近い所でありますが、美濃を抜ければ近江です。

近江と言えば琵琶の海です。海は近い、つまり琵琶湖に近い近江の勢力とも同盟すれば上洛は更に早まるでしょうという意味でした。」

 

「近江というと、六角か浅井ですね!」

 

「そうです光秀どの。ひとまずは先んじて俺の忍びに浅井の方を探らせております。何か同盟や戦の動きがあれば俺にすぐ伝わることになっております。

浅井と同盟が成れば、美濃はもう完全に安泰と言っても過言ではないでしょう。」

 

「ふっ、ふっ、ふっ、金槻どの。よもやそこまで先を見据えておるとは・・・。ワシの完敗じゃのう。よろしい、美濃と尾張で同盟を結び、帰蝶を信奈どのにお渡ししよう。更に美濃譲り状もしたためよう。」

 

「ま、蝮!本当に!!」

 

「うむ、小僧!貴様のお陰でこの蝮、最後に素直になることが出来たわ!ワシの夢を信奈どのに・・・、いや、我が義娘に受け継いでもらうことにするわい。

ワシは我が義娘に美濃一国を譲り、隠居するぞい。」

 

「ほんとうに、いいの蝮?」

 

「うむ、蝮と憎まれたワシの国盗りにも、かような意義があったのじゃと思わせてくれ。」

 

かくして、美濃の蝮こと斎藤道三は、生涯を賭して手に入れた美濃をあっさりと信奈に譲り渡すことにしたのだ。その譲り状をしたためつつ。

 

「・・・というわけで、ちょっとだけお尻を触らせてくれんかの。我が娘よ・・・ふぎゃっ!?」

 

「なんであんたなんかにお尻触らせなきゃならないのよ、このエロジジイ!」

 

などと宣っていた。

 

 

 

「・・・なあ光秀どの、道三どのってやっぱり・・・」

 

「割とあんな感じなのです、私も何度狙われたことやらですう。」

 

「やっぱり漢は夢を追いかけないとダメなのかねぇ・・・」

 

「ちょっと金槻どの、それはどういうことなのです!?」

 

「いや、男って性欲を失うと途端に老けるっていうからさ。道三どのくらい元気に夢を追える年寄りもいいなぁってね・・・。」

 

「おう!金槻どのは分かっておられるのう。そうじゃ!美女を抱くのは男なら誰しも夢見るものじゃ!」

 

蝮が俺の一言に食いついてくる。そのせいで信奈まで俺の方を睨んできた。

 

「・・・金槻?それ本気で言ってるの?」

 

「うーん、どうだろ。まぁ歳いっても元気でいたいのは確かだな。ただ性欲は萎んでてもいいわ。というかジジイが少女を襲う絵面とか俺がいた時代なら下手な打ち首より酷いことになりかねん。」

 

若干冷や汗をかきながら前言撤回する。今ここで歳いっても美女は抱きたいとか言ったら信奈に斬られそうだ。

 

「そうよね!やっぱり金槻は分かってるわ!」

 

「金槻どの!?ワシを裏切るのかのう!」

 

「悪いが道三どの、そっちの方もそろそろ隠居された方が良いと思うぞ。」

 

その後、帰蝶の織田家への移送については今後俺と光秀で詰めることを確認し、会談はお開きになった。

 



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第16話 評定

尾張・清州城

 

正徳寺での道三と会談を行ってから数日、織田家では評定の開かれる日となっていた。

 

評定とは、仕事を割り振られている将たちが信奈の元へ一堂に会し、前回評定からの業務の進捗や新たな方針の提案などを行う場である。

織田家の場合は、1か月から1か月半に1度というペースで行われている。まだ織田家に仕官してから数週間程度の俺はもちろん初めての評定だ。

参加する面子については都度必要な人員が集まるのだが、今回は信奈、俺の他、長秀さん、犬千代、勝家のいつもの面々、更に各地に散っていた諸将もこの場に集まっていた。

 

「それでは、只今より評定を始めます。まずは今月の収支についてです。」

 

長秀さんが仕切って評定をスタートさせる。まずは、前回以降に使った金と得た税などの報告を始めるのが織田家にとっては慣例になっているとのことだった。

 

「・・・以上が、今月の収支についてでございました。また別件ではございますが、米二万石と銭二千両の納入がございました。」

 

最後に長秀さんがそう一言添えると、諸将からざわめきが広がった。

これは長秀さんから事前に伝えられていたことだが、俺は今回の評定で挨拶があるため仕官の際の目録についても報告に上がるということだった。

 

「その別件についてなのですが、もう一つ報告がございます。この度織田家に仕官された方がおられますので、この場で紹介いたします。小笠原金槻どのです。」

 

呼ばれて、俺は立ち上がり一歩前へ出る。

 

「紹介に預かりました、小笠原金槻です。今は一宮の郡代と普請奉行の役目を務めさせていただいております。以後お見知りおきの程、よろしくお願いいたします。」

 

すると立ちどころに周囲から「あれが噂の玉ノ井の・・・」とか「どうやら未来から来たとか大法螺を吹いているらしい」などといった小声が飛び交った。どうにも俺が未来から来たことは既に噂になっているらしいが、ひとまずここは黙って自分の下座に戻る。

 

「金槻どのは、仕官の折に先ほど申しました米と銭に加え、金槻どのが開発を行った玉ノ井湊の収益3割を織田家へ納める手柄を立てております。また先の斎藤家との同盟交渉についてもかなりの成果を既に上げております。100点です。」

 

長秀さんにここまで褒められると少しむずがゆい気もするが、悪い気はしない。

 

「それでは続きまして、信勝さまの件についてです。こちらについては勝家どのに報告していただきます。」

 

直後、ざわつきがぴたっと止む。信勝謀反の件はそれだけ家中にとって大きな出来事であった。

実は今日来ている諸将の中にも信勝派だった人間が少なからずいる。信勝の清州攻めが急のことであったため対応できず、結果として出兵できなかっただけという人達だ。

 

「はっ、此度の信勝さまの謀反については、信秀公の意思に従わずに信勝さまを祭り上げた土田御前さまや諸将の動きを私が抑えきれなかったことによって発生いたしました。

結果的には信奈さまの計略もあり被害は軽微であり、事態についても素早く鎮静化出来ましたが、部隊を動かしてしまった以上タダで許されるというわけにはいきません・・・。」

 

「デアルカ、みんな聞きなさい。これについては謀反を鎮圧した日のうちに発表した通りとするわよ。信勝は降格、謀反に加担した諸将は改易、そのせいもあって今回は評定の参加者も減っているわ。また信勝本人については分家の津田に名を改めさせたうえで新参の金槻の元に預けさせているわ。金槻?信勝改め信澄の様子はどう?」

 

「はっ、信澄どのには玉ノ井の地にて港湾設備の普請の手伝いをさせております。とはいっても雑用ですが、まぁ社会勉強も兼ねて程々に働かせております。」

 

信勝改め信澄は謀反の後、俺が預かっている。謀反の罰としては割と異例のことなのだが、打ち首に比べればマシということで信勝派の面々も新参の俺の元に信澄が降ることには反対しなかった。ちなみに玉ノ井に土地を一つ貸しており、そこで甘味屋を経営させて商いを勉強させるつもりだ。というか信澄にはういろうくらいしか強みが無かったので、そこから始めるしかなかった。

 

「みなさま、そういうことでございますが此度の姫の決定に対して意見のある者はおられますか?」

 

評定の行われている大広間に静寂が広がる。ここで文句を言おうものなら信勝派として同じように処分されかねない。当然の反応だった。

 

「それではこれにて結審いたします。また先の信勝どの謀反の際に活躍された将兵には給金の他に手当をつけることとなっております。」

 

手当とは、とどのつまりボーナスである。お家騒動を今川に利用されずに終えることが出来たため、珍しく太っ腹な対応をしているのだが、恐らく信奈の本音はここで羽振りの良さを見せて信勝派の再度の反信奈運動を抑制する狙いもあるように感じる。

 

「では信勝どのの件については以上となります。続いては美濃の斎藤氏との同盟についてです。こちらは姫から直接ご説明がございます。」

 

すると全員の視線が信奈に集まる。信奈は一呼吸おいて話しだした。

 

「今回わたしは美濃の蝮と同盟を組むことに決めたわ。今の尾張にとって目下の敵は今川よ!あの十二単自体は大したことないけど、あの太原雪斎が遺した武田・北条との三国同盟や三河の狸が厄介よ。それに今の織田家じゃ今川単独でも独力で相手にするのは厳しいのはみんな分かってるでしょう?

既に道三との交渉も終えてるわ。あと道三は近く隠居するみたいだから、私が美濃を譲り受けることになっているわ!今後美濃を譲り受けたら本拠を稲葉山に移す予定だから、各自準備しておくこと。いいわね!」

 

信奈の簡潔な説明を聞き、諸将は再びざわつきだした。美濃を譲り受けるということもなのだが、思えば那古野から清州に移ったのもまだ最近のことなのだ。こう何度も城主が居城を移すことは珍しく、それについていかなければならない将兵にとっては折角清州の生活が安定したところでこれはたまったものではない。

信奈に反感を抱く者が多少なりともいる理由は、この信奈のワンマン的な行動にあった。

しかし、当主である信奈にたてつく者もおらず、再度大広間に静寂が戻る。ここで正面から信奈に反旗を翻す者がいないあたり、やはり信勝の謀反を手早く収めたのにはそれなりの効果があったようだ。

 

「斎藤家との同盟について補足いたしますと、まもなく道三どのの姫君が尾張へ参られます。また同盟の約定については不可侵や有事の援軍などとなっております。」

 

長秀さんが補足し、同盟の件については話が終わる。その後諸将からそれぞれ報告が上がり(今川との前線には動きが無いことも確認された)、一旦昼休みとなった。午後は今後の方針について話がされる予定であり、俺も正徳寺で道三と信奈に出した案を提案することとなっている。

 

 

 

一旦うこぎ長屋に戻り昼飯を取っていると、暫く近江を探らせていた五右衛門がやってきた。

 

「小笠原氏、お久しゅうごじゃる。」

 

「五右衛門じゃないか、お帰り。近江はどうだった?」

 

「小笠原氏の予想が当たったでごじゃるよ。長政は織田のぶにゃとのどうみぇい。それも婚姻をごしょみょうでごじゃる。」

 

「うん。やはり来たか。」

 

五右衛門からの報告はこうだ。

近江の浅井長政が信奈との政略結婚による同盟を所望している。これは後顧の憂いを絶つというよりも、津島や玉ノ井の権益を狙ったものだと思われる。

現状織田と浅井では浅井が格上のため、信奈としてはかなり不利な条件で下手すれば浅井に家ごと吸収されかねない同盟内容となるかもしれない。

また美濃を信奈が抑えてしまうと浅井と織田の力関係が逆転するため、道三に謀心を抱いている斎藤義龍をけしかけてるとのことだった。義龍は美濃譲り状の件もありほぼ間違いなく謀反を起こすと思われた。

 

「これは・・・マズいな」

 

そう、この動きは織田家にとっては非常に不味い。仮に斎藤義龍が美濃を抑えた場合、尾張と美濃の2国を信奈が抑えるのは至難の業となる。というより今川と斎藤に挟まれて圧殺されかねない状況に陥る。

その時に斎藤の背後の浅井から同盟の提案が来た場合、織田はそれに縋るしかなくなる。信奈の婚姻や湊の権益など、織田家が抑えている金の成る木を全て吸い取られることになり、そうなると今川どころか松平にすら戦に勝てるか怪しくなってくる。

これは完全に織田を殺しに来る動きだった。

 

「五右衛門、ありがとう。これは大至急信奈に伝える。それと五右衛門にはもう一仕事お願いしたい。」

 

「なんでござるか?」

 

「玉ノ井に走って川並衆を動かして欲しい。長良川のねぐらへ大至急移動し、筏を用意しておくように伝えてくれ。もし義龍が動いた場合、道三は岐阜城から落ちることになる。その道三を救出するために稲葉山のすぐそばを通る長良川で待機だ。」

 

実は川並衆の川族としてのねぐらは犬山だけではない、木曾三川の各地に散っており、揖斐や谷汲、関などにもある。今回は長良川上流、刀鍛冶の街である関のねぐらを使うことになる。

 

「承知」

 

そう一言残して、五右衛門は消えた。俺も次の手を思案しつつ、急ぎ本丸へ戻った。

 



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第17話 急報

「それでは、午後の評定を始めます。今回の議題は、対今川の戦略とその後の方針についてです。まずは対今川の作戦について意見がある方は手を上げてください。」

 

休み明け午後の評定では、予定通り今後の動きについての検討が行われていた。ただ、内容は専ら対今川の織田家の動きについてであり、意見は籠城して斎藤家の援軍を待つというのが主流となっていた。通常であればその意見が常道のように思えるが、既に浅井が動き出している以上、援軍の見込みはそれほど高くない。今その情報を握っているのはこの場に俺一人であった。

 

「・・・それでは、対今川の基本戦略は籠城、その後斎藤家の援軍と協調し撃破を狙うということでよろしいでしょうか?」

 

進行役の長秀さんもこの件には特段反対意見は無いらしく、方針は纏まりつつあった。

 

「申し訳ない、少しよろしいか!」

 

「おや金槻どの、何か他に案がございますか?」

 

「まぁ案といいますか、つい先ほどの昼休みに私の手の者が気になる動きの情報を持ち込んできておりまして、それが事実だとすればこの籠城案は根底から覆りますので、この場で申し上げたいのですがよろしいでしょうか?」

 

途端に諸将が怪訝な目を向ける。纏まりつつあった意見に水を差したのだから当然だった。

 

「許すわ、何かあったの?」

 

上座で黙ってこの評定を眺めていた信奈から許しが出たので、俺は広間の中央に進んで言葉を選びつつ五右衛門から得た情報を開陳した。

 

「実は先だって俺の忍びに近江の浅井を探らせていたのですが、ただならぬ情報をつい先ほど持ち込んでまいりました。内容は浅井長政が信奈さまとの婚姻同盟を目論んでいるというものです。」

 

「浅井が?なんでまた急に・・・。ていうかお金、あんた正徳寺の会見の時に浅井とは同盟を結んだ方がいいって言ってたじゃない、確かに婚姻同盟っていうのは引っかかるけど、そこまで珍しい話じゃないし、織田家にとってもマズい話じゃないじゃない。」

 

「いえ、その同盟の動きが不味いのです。

確かに私は織田と浅井は手を結ぶべきだと考えておりますが、それは信奈さまが美濃を抑えられて、浅井にたいして強く出れるようになってからの話。現状の力関係では浅井の方が格上、こちらにとって都合の良い同盟とはなりますまい。

それに、浅井長政は信奈さまとの婚姻を強引に進めるため、美濃を動かそうとしております。

実は美濃では道三どのに謀心を抱く息子、義龍どのを中心とした謀反の気配があります。その義龍をたきつけているのが長政と思われるのです。

もし義龍が美濃を謀反で抑えた場合、道三どのは最悪討ち死に、美濃も譲る形ではなく強引に取る必要が出て来ます。しかも譲り状の件がある以上、必ず義龍どのは信奈さまの敵となります。これでは今川と斎藤に挟み撃ちになり織田家は窮しますし、その時に浅井から斎藤の背後を突くという伝えが来れば我々は不利な同盟を飲むしかなくなります。」

 

ひとしきりの説明を一気に終える。もしその状況に陥れば味方が来ない中での籠城戦ということになり、これはほぼ詰みを意味する。

俺が持ち込んだ情報は諸将にもかなりのインパクトを与えたようで、一度決まりかけた議題が再度混沌とし始めた。

 

「金槻どのの意見が正しければ、確かに籠城は危険だ。」

「しかし野戦したとして勝てる訳がなかろう?」

「そもそもその情報は正しいのか?」

 

などなど、自分が起こしたものとはいえこれでは会議は踊るだ。

 

 

「勿論私の持ってきた情報が必ずしも正しいとは限りません、偽を掴まされている可能性もあります。そこで、もし義龍どのが美濃で謀反を起こした際には道三どのをお救いするように私の手勢、川並衆に伝えております。彼らは私の私兵に近い存在、念のために動かしておいても問題ないと判断して先んじて手は打っております。」

 

「デアルカ、流石よお金。確かに斎藤家に謀反の疑いがある以上、今川の戦略を決めるのは容易ではないわ。ひとまず今川戦については保留、今の国境警備を継続するわ。

今川、松平に動きが出たらすぐに対処できるように、各将は今のうちに戦支度を進めておいて頂戴。またお金の情報の確認と警戒のため、美濃との国境にも兵を配置するわ。配置は犬山から玉ノ井にかけてよ。

また何かあった際の即応隊として一宮に千の兵を配置するわ。この美濃対応の兵の指揮は犬千代が執りなさい。あの辺り一帯に詳しいお金を補佐につけるわ。

お金は最前線の玉ノ井で犬千代を助けつつ引き続き美濃の内情調査を続行。何かわかればすぐに私に伝えて。即応隊は犬千代の権限で好きに動かしていいわ。今川への対応も必要だからそれ以上は現状美濃に向けられないから頼んだわよ。」

 

「・・・分かった。金槻、お願い。」

 

「了解、お任せを!」

 

俺は犬千代の補佐として、不穏な動きのある美濃への押さえを仰せつかった。また他の諸将も戦支度を進めることとなり、慌ただしく評定はお開きとなった。

 

 

各自ぞろぞろと引上げ始めようとしたその時、急報が舞い込んできた。

 

「姫さま!美濃より明智十兵衛光秀どのが参られております。美濃より約定の姫を連れてきたとのことです。また急ぎ伝えたいことがあるとのことで面会を求めております!」

 

「!!すぐに通しなさい!みんなもまだ引き上げないで、ちょっと待って!」

 

何事かと諸将が三度ざわつき始める。俺は薄々光秀が持ってきた連絡の中身に思い至ることがあり舌打ちした。一歩遅かったか・・・。

 

「信奈さま。お久しゅうございますですう。明智十兵衛光秀でございます。先日の正徳寺で約束いたしました、帰蝶さまをお連れしました。」

 

「デアルカ!それよりも今は聞きたいことがあるの!とりあえず急ぎの件を話しなさい。」

 

「は、はいです。実は先ほど美濃で道三さまに反旗を翻す勢力による謀反が発生いたしました。敵大将は道三さまのご子息、斎藤義龍どの。恐らく今頃は既に稲葉山に駆け寄っているころと思われます。しかし道三さまからは援軍不要の旨をうかがっております。また私も暫くは織田家に滞在するように言づけを受けております。」

 

やはりだ、既に義龍は動いていた。これで織田家は選択を迫られることになる。無理に道三の救出へ向かえば今川に後ろから刺される。信勝謀反の時はタイミングを逸している今川からすれば次は絶対逃さないだろう。一方で道三を無視すれば浅井による不平等同盟を受けざるを得ず、また今川の矢面に立たされ続けることは変わらない。いずれにしても織田家にとってはかなり重たい選択となる。

 

「分かったわ、それで聞きたいのだけど、道三は私のことを何か言ってた?」

「はい、道三さまは信奈さまとは二度と会うことはないだろうと先日の会見後おっしゃっておられました。今思えば既に義龍どのの謀反を睨んでいたのだと思うです。

そして、美濃をこのような形で未来ある若武者に渡せたことでもう悔いはない、後は信奈さまや十兵衛のような若者が新たな時代を切り開かれよと・・・」

 

この言葉を聞いた信奈は取り乱した。肩は小刻みに震え、目には涙が浮かんでいた。

今となっては信奈にとって道三は父親のような人だ。織田家当主としてではなく、一人の少女の姿として小さく嗚咽を漏らしていた。

 

俺は後悔した。元々の歴史を知っている者として、信奈と道三の同盟がこういう事態を招くことを俺は分かっていた。それに対応する作戦も練っていた。しかし義龍に先を行かれ、信奈を泣かせてしまった。そして悟った。今の信奈にはまだ道三が必要なのだと・・・

 

「・・・ごめんなさい、見苦しい姿を見せたわ。本人の意思もあるし、織田家として援軍は送らない。今は今川との戦に集中するときよ、浅井については恐らく・・・同盟することになるでしょうね。十兵衛だっけ、あんたは確か玉ノ井の湊開発の美濃側の担当もしていたわね、だったらお金につけるわ。丁度さっき美濃を睨んで動くように指示した所だから、犬千代とお金のことを助けてあげて頂戴。」

 

なんとか声を絞り出し、指示を終える。しかし目の腫れや評定から信奈の道三を見捨てるという選択は本意ではないということは誰の目からも明らかだった。

 

 

「・・・光秀、よろしく。金槻、急ごう。」

 

「ああ、光秀どの。早速だが忙しくなる。よろしく頼むよ。」

 

「十兵衛でいいですよ。それではひとまずは玉ノ井ですかね?」

 

俺たちは美濃の斎藤義龍に対応するため、玉ノ井の湊へ馬を飛ばした。

 



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第18話 道三救出戦

尾張・玉ノ井の屋敷

 

 

俺は十兵衛、犬千代と共に玉ノ井から慌ただしく動き出していた。道三の救出のためだ。

数十分前に玉ノ井に着いてから俺たちはすぐさま作戦会議を開いた。

 

「さっきの評定で信奈が言っていた通り、今はこれ以上の兵は織田家としては出せない。

かと言って美濃の動乱を無視することも俺はダメだと考えている。」

 

「ということは・・・道三さまを救出するということですか!無謀ですぅ!」

 

「十兵衛、無謀なのは百も承知だよ。だが今この状況で道三どのを救出出来なければどっちみち織田家は詰むぞ。」

 

「・・・でも、どうするの?」

 

「さっきの評定でも言った通り、実は川並衆を動かして既に手は打ってるんだけど、ただそれだけじゃ不十分だ。上手くいくかは五分五分だけど今は賭けるしかない。少しでも道三どのを生還させられる可能性を上げるために全力で行くからみんな協力してほしい!」

 

「もちろんです!」

 

「・・・分かった。」

 

俺の決意を聞いて十兵衛と犬千代も覚悟を決めてくれた。俺は半ば博打のような作戦を開陳する。

 

「・・・という段取りだ。頼めるか?」

 

「なるほど、承知したです!」

 

「・・・任せて。」

 

2人に仕事を頼んで、俺も同時に動き出す。俺の目的地は川並衆が五右衛門と共に待機している長良川のねぐらだ。

 

 

 

「遅いでござるよ小笠原氏。さ、早くにょるでごじゃる。」

 

「すまん五右衛門、みんな!」

 

俺はねぐらに着くや否や川並衆が用意していた筏に飛び乗った。今回は戦場の真っただ中に突っ込むことになるので甲冑着用だ。

 

「おい小僧!その甲冑じゃ落ちたら沈むぞ!しっかり踏ん張れ!!」

 

櫂を漕ぐ前野某にどやされる。かなり無謀なギャンブルをしているのに豪胆なことだ。見れば周囲の面々も笑っている。

 

「分かってるよ!とりあえず作戦を伝える!時間がないからそのまま聞いてくれ!!」

 

俺はそんな野郎どもにありったけの声で呼び掛けた。筏同士があまりに近づきすぎると接触して壊れるかもしれないので、これで声が届いていることを祈る。

 

「今回の目標は単純!戦場にいる美濃の蝮を盗んで尾張の姫に貢ぐだけだ!」

 

「小笠原氏、なんだか川族が板にちゅいてるでぎょざるよ。」

 

「一回やってみたかったんだこういうの。

仕事は簡単!このまま稲葉山に乗り付けて落ちてくる蝮を拾ってそのまま流れに乗って羽島まで下る!あとは陸路で玉ノ井に入る!以上!!質問は!?」

 

「こりゃあ馬鹿にも分かる簡単な話だ!して報酬は?」

 

「全員の武士階級復帰を信奈さまに申し出る!この手柄なら十分だろう!」

 

「よっしゃー!いっちょやってやろうぜ野郎ども!!」

 

筏の上でノリと勢いだけの会話を済ませて戦意を煽る。気が付けば稲葉山は目と鼻の先だ。既に馬が出す砂煙が上がっているのが見える。野戦の印だ。

 

「よし!道三は恐らく背水の陣を敷いているから川沿いに行って確認するぞ。」

 

「なぜ背水でいると分かるのでござるか?」

 

「今回道三はここで華々しく散る気だからな。尾張側から一番遠い稲葉山城の北、川沿いが一番自然ってだけだよ。」

 

川を下りながら数分、道三のものと思われる陣はすぐに見つかった。幸いにも霧がかかっており、双方に気取られずに陣に近づくことが出来た。

 

「よし、全員ここで待機!いつでも逃げれるように準備しておいてくれ!」

 

「よっしゃ小僧行ってこい!さっさと蝮を連れてきてくれよ!」

 

川並衆からの野太い声援を背に受け、俺は道三の待つ陣へ駆けて行った。

 

 

「道三さま!義龍軍は既に西美濃三人衆を引き入れ城内に侵入、城は間もなく落ちます!」

 

「うむ、やはり先に外に出ておって正解じゃったか。将兵にもう間もなく最後の突撃を敢行すると伝えい!死にとうない者は先に逃げよとも言ってくれい!」

 

「はっ!」

 

道三の本陣は間もなく最後の突撃を敢行しようとしているところだった。ギリギリ間に合ったか・・・。

 

「道三さま!織田家より使者が参っております!」

 

「道三どの。失礼するぞ。」

 

「むう!そなたは金槻どのではござらんか!何故このような所へ参った!?」

 

「あんたの迎えだよ、道三どの。既に長良川に筏を用意してある。脱出し、尾張へ来ていただく。」

 

「使者に送った十兵衛には援軍不要と伝えたはずなのじゃが。」

 

「ああ、確かに援軍不要というあんたの願いは届いたよ。実際今回信奈は動いてない。これは俺の純粋な意志だ。」

 

「この、大馬鹿者ッ!!!!!この長くはない命を救うために若いお主が命を張るでない!」

 

道三は俺を一喝した。その声だけで俺は半歩後ずさる。しかしここで負けてはいられない。何より道三を救う選択をした時点で俺も覚悟を決めている。すぐに言い返す。

 

「馬鹿はあんただ道三どの!あんたがここで死ねばどのみち織田家は滅ぶ!いや、理屈は無しにしても今の信奈にはあんたが必要だ!

義父だって言うなら娘を泣かすようなことはするな!」

 

時間もないのでまくし立てて道三にあたる。俺は遠くに義龍軍の旗がいるのを確認し、時間が無いことを悟った。

 

「信奈だけじゃない!十兵衛にとっても、俺にとってもあんたはまだ必要な人物なんだ!

それにな、あんたの命はあんたが思っている以上に重いんだよ。そんなもんをこんなところでドブに捨てるな!」

 

「な、なんと!?このワシの覚悟にそこまで言いおるか!ワシがこの先生きて何になるというのじゃ!」

 

「何かにはなる!というか俺があんたをまだ使える駒にしてやる!正徳寺でも言っただろ!信奈の目標に必要なものを揃えるのが俺の仕事だって!あんたは替えが効かないんだよ。どうしてもっていうなら言い値で買ってやるから動いてくれ!」

 

俺は半分以上願うような気持ちで俺の言いたいことを言いきった。これで動かなければ作戦は全て失敗。下手すればここで道三共々死ぬことになる。そんな俺の願いが通じたか。

 

「分かった、そこまで言うのならお主についていってやろう。しかし忘れるでない。お主は既にワシ以上に信奈どのに必要とされておる。このような無茶は控えられい。」

 

「ああ、善処するさ。とにかく急ぐぞ!もう義龍軍がそこまで来てる!」

 

俺は道三を引き連れ、川へ戻る。

 

「遅いでござるよ小笠原氏。さ、早くにょるでごじゃる。」

 

「すまん!急げ!!」

 

上流のねぐらを出た時と同じようなセリフが聞こえてデジャブを感じるが、今はそんなことを気にしてはいられない。俺も櫂漕ぎに参加して最高速で戦場から離脱する。

なんとか本陣から離れることは出来たが、このタイミングで霧が晴れてしまう。

 

 

「報告します!道三軍本陣に稲葉一徹どのが突貫、陣を破りましたが道三どのはおられず!落ち延びたものと思われます!」

 

「ぐぬぬ、父上を逃せば厄介なことになる。草の根を分けてでも探しだせい!」

 

「はっ!」

 

ここは稲葉山城天守、城に入った斎藤義龍は外の戦場を眺めながら父・道三を捜索していた。ちょうど出ていた霧が晴れて、戦場が見渡せられるようになった時、長良川を下る筏の軍団を偶然発見したのだ。

 

「む?あれは・・・間違いない!父上、逃がさん!

皆の者!ついて来い!」

 

城に残っていた手勢と共に駆けだした義龍は真っすぐに筏を追った。

 

 

「小笠原氏!後ろから追手にござる!」

 

「くそっ、やはりバレたか!全員!全力で逃げるぞ!余裕があれば盾を出しておけ!」

 

戦場から離れて間もなく、早くも義龍の手勢が追ってきた。本陣では撒いたと思っていたが、やはり直後に晴れた霧では完全に隠れ切ることはできなかったらしい。

 

「追いついたぞ父上!お命頂戴する!」

 

「ぬう。義龍め、早いのう・・・」

 

「あれが斎藤義龍か・・・。」

 

ふと後ろを振り返れば馬で追ってきている義龍軍、その先陣には義龍本人がいた。直接顔を交えるのは初めてだが、六尺五寸もあろうかという大男であり馬が小さく見えた。

 

「火矢を放て!ここで仕留めるぞ!」

 

義龍の指示が聞こえてきて内心舌打ちする。今の状況ではこちらに攻め手は無く、圧倒的に不利な状況だ。しかも火矢など打ち込まれてしまえば筏はたちまち燃えてしまう。そして、この攻撃を防ぐ手段すら、今のこちらには無いに等しい。

 

「それ!放て!!」

 

俺たちの筏をめがけて一斉に火矢が飛ぶ。五右衛門がある程度手裏剣などで落としてくれてはいるがそれにも限界がある。俺も刀を抜き必死に防戦するが、そうこうしているうちに後ろについていた筏に火矢が刺さってしまった。瞬く間に燃え広がり、その筏は行き足が止まってしまう。そこに群がるように更なる矢が放たれる。

 

「ぐあああああああああっ!」

 

「ぎゃああああああ!」

 

そして、一人、二人と味方が倒れていく。信勝の謀反では被害を出していないので、俺にとって味方の損害はこれが最初のものだった。

 

「・・・くそっ!」

 

俺はそう吐き捨てる。これ以上の損害はダメだ。しかし対抗手段が無い。俺は窮した。

 

その時だった。

 

「・・・待たせた。」

 

義龍軍の進む道に突如として軍勢が現れた。犬千代の率いる一宮の軍勢だ。

俺が犬千代に依頼していたものだった。玉ノ井で先んじて、信奈から預かった千の兵を一宮からそのまま進軍させ、羽島に入っておくように伝えていたのだ。気が付けば既に羽島に入っていた。

 

これで状況は一気に逆転した。犬千代が兵を出し、道は塞いでいる。そして兵力も五分になり、これでようやくまともに戦えるようになった。

俺たちはここで筏を捨て、馬に移る。防戦するしかなかった筏に比べれば幾分楽になった。

 

「助かった犬千代!」

 

「・・・どういたしまして、急ごう。」

 

「ああ!全軍、玉ノ井まで引き上げるぞ!」

 

ここからは陸路での撤退戦だ。こうなればまだ対処のしようはある。

本音をいえば義龍軍にはここで引いて貰いたかったが、彼らは俺たちを追撃してくるか構えだ。

 

「犬千代!道三を頼む!前に出て木曽川まで退いてほしい!俺は後詰をする!」

 

「・・・任せて」

 

「金槻どの、あと一息じゃ!」

 

犬千代に道三を任せ、後詰に着く。川並衆にはそのまま道三の回りを固めてもらっているので、俺は犬千代が率いてきた兵の一部を使って追手を防ぐ役割に入る。

 

「よし!俺たちはここで撤退の足止めだ!幸い敵の数は多くないから矢をお見舞いしてやれ!」

 

俺の合図と共に一斉に矢を射かける。これまでやられっぱなしだった分の仕返しだ。

 

「ぐぬう・・・、奴め!邪魔はさせん!!」

 

義龍軍の足が一時的に止まる。その隙を見て俺たちも引き上げにかかるが、それを見て義龍は再度追撃をかけてくる。

 

「しつこいなぁもう!五右衛門!!」

 

「承知!」

 

五右衛門にまきびしを撒かせる。これでもう少しは時間を稼げるだろうか。

その間も俺たち後詰は玉ノ井へ向けひた走る。ある程度進んだところで後ろの軍勢を止める。ある程度捌いて後ろに引いてという流れを繰り返した。

その動きを続けて暫くすると今度は木曾川が見えてきた。既に先陣は対岸に向かって動き始めている。

 

「チッ、これ以上は下がれんか・・・。全員!ここを死守するぞ!!退路を確保するんだ!」

 

俺は再度兵たちに激を飛ばす。ここで義龍軍を防ぎきらなければこちらは瓦解する。今度は俺たちが背水の陣になっていた。

とは言ってもこちらはずっと撤退を続けてきた。既に兵は疲弊しており、陣も何もない野戦。限界はすぐに来た。最前線の兵から伝令が入る。

 

「小笠原どの!前線が間もなく破られます!」

 

「分かった!犬千代と道三の部隊はどうなった!?」

 

「現在玉ノ井湊の美濃側船着き場でございます!間もなく川を渡られる様子!」

 

「よし!それじゃあ俺たちも船着き場まで退くぞ!」

 

再度後ろに引く。玉ノ井の美濃側船着き場は光秀が管理している区画だ。今はまだ建設中の建物が多く、入り組んだ迷路のような区画である。俺たちはそこまで引き下がった。背後は船着き場であり、もう後が無かった。そして義龍軍も全力で湊に突っ込んできた。

 

「よし!全員退いたな!?今だ十兵衛!」

 

「待っていたですよ金槻どの!撃て!!」

 

ここに来て俺たちの最期の頼みの綱が建設中の建物のあちこちから現れた。十兵衛だ。

戦の前、玉ノ井の屋敷で十兵衛に予め頼んでいた作戦がこれだ。美濃の各地に少数だがいる道三派の勢力をかき集め、玉ノ井で待機しておくように伝えたのだ。

 

時間が無かったので井ノ口や羽島など近所の勢力だけだが、それでも100人ほどを集めた十兵衛は、手持ちの火縄銃を与えて船着き場近辺の建物に潜ませた。ここは十兵衛にとっては自分で作った庭のようなもので、敵がどの方向から来るかも、どこに兵を配置するのが効果的かもありありと分かった。更に加えてこれは俺の指示ではないのだが、川並衆も船着き場の撤退作業に参加しない分はここに残って隠れたらしく、50人ほどが同じように隠れて弓を構えていた。

合わせて200にも満たない僅かな数だが、このあたりは十兵衛の管理地ということで、工事中にも関らず土岐桔梗の旗が数多く靡いている。そのことを知らずに攻め寄せた義龍には、大量の伏兵に囲まれた死地に見えた。

 

「こ、これは・・・!」

 

「いけません義龍さま!明智の手勢が待ち伏せておりました!どこからともなく鉄砲や矢が飛んでき・・・ぐぁっ!!」

 

義龍に状況を報告していた足軽にも鉄砲の弾が当たる。ずっと猛追をし続けていた義龍にとっては敵陣奥深くに誘い込まれた感覚に陥った。

 

「くそっ!退け!!覚えておれ父上!光秀!小笠原金槻!!」

 

たまらず義龍軍は撤退を始める。義龍はこの戦いで率いていた兵の1割強を損じ、道三を討ち漏らす結果となった。

 

 

 

「・・・退いたか、何とかやり切ったな。」

 

「金槻どの!ご無事で!?」

 

「ああ、なんとかな・・・、助かったよ十兵衛、それに残ってくれた川並衆も。」

 

「親分が戦ってるっていうのに、男が逃げるわけにはいきませんからな!」

 

「小笠原の小僧も、案外肝が据わってたぞ!それでこそ漢だ!」

 

その後、俺たちも道三と犬千代の後を追って対岸の屋敷のある船着き場に向かった。

 

 

「・・・金槻、大丈夫だった?」

 

「おお!金槻どのに十兵衛!よくぞご無事だったのう!」

 

ここは戻って玉ノ井の屋敷、俺たちはここで合流した。

 

「いやー、流石にこんな賭けは二度と御免だな。何度か死にかけた。」

 

「金槻どのは悪運が強いですう。普通あの状況の道三さまを救うなど無理なのですう!」

 

「今回は霧とかもあったから本当に幸運だったから、2回目同じことしろって言われても絶対無理な自信があるよ」

 

「・・・それで金槻、ここからどうするの?」

 

「おっと、そうだったな。ひとまずは清州に戻って信奈に報告するが・・・その前にこちらの被害の確認だ。五右衛門!」

 

「お呼びでござるか?」

 

「ああ、今回の戦い、川並衆の損害はどれほどだった?」

 

「それならば前野某が詳しいでごじゃるよ。呼んで参る。」

 

「頼む。じゃあ川並衆については待つとして、一宮から引っ張った兵についてはどうだ犬千代?」

 

「・・・千の兵を全部連れてきてた、戻ってこれたのは今のところ六百。散り散りに逃げたりもしてるから多分この後多少は増える。」

 

「・・・それでも残って650か・・・。」

 

改めて損害の大きさに絶句する。無謀な道三救出に撤退戦とくればある程度は覚悟していたが、それでも4割近い損害はあまりにも大きすぎた。

 

その後前野某も戻ってきて損害を報告した。

 

「川並衆は今回100人ほどで川を下ったが、こっちは20人ほどが帰ってきてねぇ。

俺が直接見てるのは川下りの時に筏をやられたのが15人、残りの5人は生きてるかもしれねぇが、馬に乗り移ったときのゴタゴタでやられたと思う。」

 

「分かった。本当にすまない前野の親父、五右衛門。」

 

「気にすることじゃねえよ坊主。てめえは太平の世から来たらしいから知らねぇのも無理ねえが、こんなことは川族やってりゃよくあることだ。」

 

「左様、小笠原氏はこの戦で皆のために逝った仲間のこちょを覚えちぇおいてくれたらしょれで十分にごじゃる。」

 

「ああ・・・。ありがとう。今回の戦で死んだ者の墓は俺の金で正徳寺に建てる。前野の親父、任せて良いか?」

 

「おう。それだけしてくりゃ十分だ。丁度藤吉郎の墓もあそこだしな。」

 

「そうだな、それと生き残った者には十分な休養を取らせる。1週間帰省するなり遊ぶなり好きにしてくれ。その分の賃金も玉ノ井の収益から出してくれ。

あと戦の被害がでた美濃側の湊復旧、これは十兵衛に任せる。こうなった以上美濃にはびた一文上納はしないから、美濃の財布に入る予定だった分をそのまま十兵衛に預けるから、復興費の足しにしてくれ。」

 

「承知したです!それで、湊の使用については如何するですか?」

 

「当然斎藤家には一切使わせない。また美濃に向かう物資は全て中身を改める。稲葉山に向かうような軍事物資は全て徴用。井ノ口の商人には不便をかけるが、特産品などは通常通り扱うから安心するようにと伝えてくれ。」

 

「はいですぅ。臨検は任せてください!」

 

「五右衛門は再度浅井に向かってくれ、近況の確認を頼む。」

 

「承知。」

 

「犬千代と道三は俺と一緒に清州に入る。今回の件の報告だ。こっちも少なくない損害は出してるから信奈に怒られにいこう。」

 

「・・・わかった。」

 

こうして、戦後処理も程々に俺は清州へと向かった。

 



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第19話 風雲急

尾張・清州城

 

道三救出戦の夜、俺たちは清州を訪れていた。道三救助のためとはいえ、俺と犬千代は織田家の兵の数百を損じている。その戦いの一連の動きについて、信奈へ報告するためだ。

 

「夜分遅くに失礼します。信奈さまに面通しを願います。」

 

「おや、これは金槻どのに犬千代どの。それにこちらの爺さんは何者ですかな?」

 

本丸の門番に聞かれ、俺は小声で返す。

 

「斎藤道三どのでございます。一応信奈さまには内密に動いた結果なので、あまり他言しないでいただきますよう。お願いします。」

 

「な!?今日の昼の評定では美濃で動乱が起きたと言っておられましたが・・・」

 

「はい、実は秘密裏に道三どのをお救いするために動いておりました。なんとか道三どのの救助は出来ましたが、色々厄介なことになりましてな・・・」

 

「相分かった。門内で暫し待たれよ。」

 

俺たちは門の子扉から中へ入ってそこで待つ、暫くすると寝巻き姿の信奈と長秀さんが現れた。

 

 

 

「蝮!死んだかと思っていたわ!よく無事だったわね・・・」

 

「うむ、ワシも死ぬつもりじゃったんじゃがのう・・・。金槻どのに諭されてこうして落ち延びた次第よ。」

 

「金槻、あんたそういえば昼の評定で川並衆を動かすとか言ってたわね。それが上手くいったということかしら?」

 

「ああ、ただ全部が全部完璧にいった訳でもない。今回のことで色々と分かったこともあるし、一度報告しておかないといかんと思ってな。」

 

「分かったわ、とりあえず上がりなさい。」

 

「すまんな夜中に押しかけて。そういや長秀さんは何しにここへ?どうやら泊まりみたいだが。」

 

「私は信奈さまに浅井との同盟の件で相談を受けておりました。一応まだ浅井からは使者は来ておりませんので、今ならまだ先手を打てるのではと思い色々と考えていたところでございます。」

 

「あー、そうか。でもそれも道三が生存しているなら考え方もかなり変わるんじゃないか?」

 

「その通りです金槻どの、正直言いまして美濃が敵に回る時点で浅井との同盟は不可避でしたから、金槻どのが道三どのを連れ帰ってこられたのは素晴らしい勲功です。90点。」

 

そうこう話しつつ、俺たちは本丸御殿の部屋に入った。

 

 

 

「・・・以上が、今回の義龍軍との戦いの顛末だ。」

 

「なるほどね、お金も無茶したわねぇ・・・。」

 

部屋に入って暫く、俺は信奈に事の顛末を説明した。

長良川を下って道三の救出を行ったこと。霧が晴れて敵に補足されたこと、最終的に羽島から玉ノ井にかけて撤退戦を強いられ、預かった千の兵から損害が出たことなどだ。

 

「まず兵についてね、確かに損害は痛いけど同盟相手である道三救出なら一応理由は通るし、今回は状況が状況だったから不問とするわ。一宮の兵は千五百まで増強するから、犬千代は引き続き頼むわ。あと美濃との国境地帯の監視網の兵についても体制を強化するわよ。

次に川並衆についてだけど、今回の戦いでの功を認めて正式に織田家に編入とするわ。今後も金槻配下の戦力として頑張ってもらいなさい。」

 

「ありがとう。これで川並衆の連中も報われるよ。」

 

「次に今後についてね、これで美濃との合戦は不可避になったからますます厳しい戦いになるわ。それとこれはさっき三河の国境線から入った情報なんだけど、松平が近々動きそうな気配があるの。」

 

「左様でございます。実は先ほどまでその松平・今川の動きと浅井について私と姫で内密に相談をしておりました。そこで知恵者である金槻どのの意見を伺いたいと思っていたところでした。そんなところに金槻どのが参られたと聞いて驚きました。85点です。」

 

「なるほど・・・。松平は具体的にどのような動きを見せているのでしょうか?」

 

「半農の兵の招集、そして駿河への出入りが主ですね。実は当主の元康どのがここ暫く駿府との往復を繰り返しておりまして、それが止んだと思えば募兵を始めました。ほぼ間違いなく募兵の完了と共に出陣してくると思われます。30点。」

 

「うーん、だとすると出陣までもって1週間といったところですね。これはなかなか手厳しいですよ・・・。美濃の斎藤家は今日少し叩けたのと、美濃を抑えたばかりで安定化が必要なので今回は出てこないと思いますが、そもそも今川との合戦は道三どのの援軍を想定して考えておりました。織田の独力で倒すのは少し骨が折れますよ。」

 

「そうなのです、そこで浅井との同盟という話になるのですが・・・」

 

「お金、正直に言いなさい。あなたはここで浅井と同盟すべきだと思う?」

 

暫しの逡巡ののち、俺は自分の考えを述べた。

 

 

「うーん、反対だな。まず浅井の同盟の目的はまず間違いなく尾張を盗むこと、目的が家なのにわざわざ家中に入れる必要はない。

それに昼も言ったがそもそも斎藤義龍の謀反をそそのかしているのが浅井だ。俺たちが浅井に目を向けるのは美濃を取ってからでないといけない。

京への足掛かりとして浅井と同盟はすべきだが今ではないっていうのが俺の答えだ。」

 

「やっぱりそうなるわよねぇ・・・。それで本題なんだけど、今川に対して何か策はないかしら?」

 

「策と言えるほどのものではないが・・・、松平の様子を深く探るべきかとは思う。

松平は今川に臣従の身、松平の戦意が低ければこちらに寝返らせるまでは行かなくても、少し合戦を避けた動きをしてくれるかもしれん。そうすれば今川本軍を相手にすることも出来なくはないが・・・どちらにしても相手は大軍、少しマシになる程度で根本的な解決とはとても言えない。やっぱり奇襲をかけて大将首に全力であたるくらいしかないと思う。」

 

「デアルカ、敵の勢いを削いで奇襲で大将首を狙うということね。」

 

「金槻どの、確かに松平の戦意を削ぐというのは有効なのですが、そこにも一つ問題があるのです。」

 

「どういうことです?」

 

「松平は服部党という忍者集団を雇っています。かの有名な服部半蔵を中心とした部隊です。彼らが守る中で松平の中枢を探るのは到底無理な話なのです・・・。20点。」

 

「あぁ、そういうことですか・・・それは確かに辛いですね・・・。

となるとやはり出来る限りの兵力を集めて奇襲しかありませんな。美濃からの援軍がない以上籠城はあり得ませんから・・・。」

 

俺は未来を知っているから、桶狭間の戦いというワードが脳裏にちらつくが、実際状況はかなり厳しい、このような状況で楽天的に勝てるとはとても言えなかった。

重苦しい時が流れるなか、ここまで沈黙を続けていた道三が声をあげた。

 

「確かに厳しいのう。しかし、ワシには信奈どのがまだ勝てる可能性を残しておると思うのじゃが?」

 

「道三どの、それは一体どういうことですか?」

 

長秀さんの疑問に俺たちもうなずく。

 

「簡単なことじゃ。この状況に陥ってなお、ここにおる者たちは誰も降伏を考えておらん。つまり誰も勝ちを諦めておらんのじゃ。戦の勝敗は最後はその気持ちで決まるものじゃ。最後まで諦めずに戦い抜けば、必ず勝機は訪れるものじゃわい。

先ほどの金槻どのの撤退戦もそうじゃ、あのような無理な戦いであっても金槻どのや犬千代どの、それに十兵衛の気持ちでワシはここまで逃げることが出来た。その気持ちを忘れなければ、必ず今川相手にも勝機は訪れるわい。」

 

その言葉に全員がハッとする。

 

「・・・そうね、その通りよ!全員が諦めなければ必ず勝てる!いえ、わたしたちで勝ちをつかみ取るのよ!」

 

「その意気です姫。100点です。」

 

「・・・犬千代も、全力で戦う。」

 

「俺たちにできることがあるなら任せてくれ。もちろん最後まであきらめない。」

 

道三の言葉を境に、全員の目に熱がこもる。

 

「ここにいるあなたたちには先に伝えておくわ!今川との戦いはお金の意見を取り入れて奇襲を行うわよ!でも奇襲はギリギリまで敵に悟らせてはいけないわ。

万千代はいつでも兵を動かせるように準備よ。また各城に諸将を配置して籠城の構えを見せておきなさい。今川の目を欺くのよ!」

 

「かしこまりました。」

 

「お金!犬千代!2人は美濃の見張りを続行!何かあれば直接わたしにまで伝えなさい!」

 

「了解。」

 

「・・・わかった。」

 

「道三は清州で保護するわ。今後の美濃獲りの時には協力してもらうわよ!」

 

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。任せておれ。」

 

こうして、織田家の面々は各自の覚悟をもって今川との決戦の準備にのりだした。

 

全員が解散した時には時間は丑三つ時に差し掛かっていた。

 



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短編1 密会(上)



※この話は時系列的には15話の正徳寺会談の夜。評定前のことになります。
短編とはしておりますが、事実上本編の補足的な内容となっております。


尾張・清州城本丸御殿

 

 

正徳寺での道三との会談の夜。俺は信奈のいる本丸御殿に呼び出されていた。

何かあったかなと疑問に思いつつ、俺は三の丸のうこぎ長屋から本丸まで登ってきたのだった。

 

この時代の清州城は現代の清州城から川を挟んで対岸、俺のいた時代では清州公園のあるあたりに存在し、五条川の水を引いた水堀が3周あり◎のような形の縄張りをしている。中央の島が本丸、そこから二の丸、三の丸という構造をしており、三の丸の外にでる正門にあたる大手門から入ったすぐ近くがうこぎ長屋だ。

 

現代では水堀がきれいに残る城も多くはないが、大阪城や江戸城(皇居)などを囲っている水堀が何重にもある姿を想像すれば分かりやすいだろうか。このような城の構造を曲輪という。

 

それぞれの曲輪は橋や門で区切られており、敵が攻めてきた場合、門を閉じたり橋を落とすことで長期間の防衛が可能になっているのだ。ただ、それは有事の話であり、平時に大手門そばのうこぎ長屋から本丸へ向かう場合、かなりの遠回りを強いられるのだ。

 

清州の場合、外の川から掘りに水を引く水路があり、丁度うこぎ長屋の裏手に水路があるのだが、水路の上には橋が架かっておらず通り抜け出来ない。しかも二の丸に繋がる橋は件の水路の向こうなのだ。そのため三の丸をほぼ一周して二の丸に入る必要があり、二の丸から本丸も構造は似たようなものだ。こういう構造を輪郭式縄張という。

 

この構造は四方どの向きからの攻撃にも強い、最強の構造ではあるのだが、どうしても規模が大きくなりがちで日常的に生活するには不便なことこの上ないのだった。しかも清州の場合、外から本丸に向かうにつれて勾配となっており、ひたすら上り坂の城内をぐるぐると回る羽目になる。

 

ちなみに長秀さんや勝家などの家老クラスは二の丸の一番本丸に近い門付近に屋敷を構えており、更に本丸から大手門までは手漕ぎ船で移動できるので、かなり移動は楽になっている。(三の丸の堀と川を結ぶ水路には杭が打ってあるため直接城の外には船では出れなくなっている。これも防衛のための設備だ。)

 

・・・まぁ勝家は先日の信勝謀反の責任を問われて近く俺のうこぎ長屋に引っ越してくるらしいが。

 

 

 

そんなことを考えつつ、本丸まで登庁したころには少し汗をかいていた。現代よりはマシとはいえ、まだ皐月も始まったばかりだというのに日が昇ればうっすらと汗が滲む暑さだ。

 

今はもう日も暮れてかなり涼しいので丁度いい運動になったという感じがするが、日本の暑さはいつの時代もあんまりかわらないんだなぁと感じる。

 

「信奈さまより登庁命令を受けておりました、小笠原金槻です。」

 

「おお、金槻どの。お待ちしておりました。信奈さまがお待ちです。さ、お入りください。」

 

門番に扉を開けてもらい本丸内を進む。本丸は信奈の住居や評定で使う大広間などがある本丸御殿が天守台の上に立っている。

 

この時代、天守台の上に天守閣がある城は実は少ない。織田領内だと犬山城が2層の天守が唯一であり、ここ清州や先日まで信奈の本拠であった那古野、信勝が入っていた末森などは天守台の上には屋敷が立っている。

 

那古野といえば、現代では名古屋城の金の鯱が有名だが、あれは関ケ原の合戦後、徳川家康が築城名人として有名な加藤清正らにつくらせた城がモチーフである。というか1945年に戦災で焼けるまで清正築城の天守が名古屋には現存していた。名古屋人である金槻にとっては小学校で習うことだ。

 

 

 

「待っていたわ金槻。さ、入りなさい。」

 

信奈は本丸御殿の入り口の所で待っていた。どうやら小姓が先んじて俺がきたことを伝えてくれていたらしい。信奈が俺のことを「お金」ではなく「金槻」と呼ぶときはかしこまった行事(正徳寺の会見など)か完全なプライベートな時間のどちらかなのだが、今回は恐らく後者だろう。

 

「ああ、邪魔するよ。急な呼び出しなんてどうしたんだ?」

 

「まぁ、それは私の部屋でゆっくり話すわ。今夜は長くなるわよ。」

 

言われるまま信奈についていく。通されたのは信奈の私室、初めて入る部屋だった。

 

「とりあえず座りなさい、酒でも飲みながらのんびりやりましょう。」

 

そう促され俺も畳にあぐらをかく。ほどなくして小姓がお膳と酒瓶を持ってきた。

流石に訳が分からんので俺から質問を投げかける。

 

「どういうことだ?信奈が酒で俺を労おうなんて・・・」

 

「まぁ、仕官してきて早々に勘十郎の謀反とか道三との会談の用意とかして貰ったお礼よ。有難く思うならお酌しなさい?」

 

笑顔で信奈からお猪口を向けられると、ひとまず俺は納得して酒を注いだ。

信奈からも俺のお猪口に酒を注いでもらって、2人で酒を呷る。

 

「・・・ん?いい酒だなこれ。どこのだ?」

 

「伊勢の酒よ。左近が送ってきてくれたの。」

 

「左近というと、滝川一益のことか。そういえば会ったことないなぁ。」

 

「今は伊勢方面の攻略を任せているわ。まぁそのうち会う機会もあるわよきっと。」

 

滝川一益とは、未来では織田家四天王に数えられる有名武将だ。実は俺が織田家に仕官する少し前に織田家に同じように仕官して入った新参の武将で、割と俺と立場が近い人でもある。

しかし信奈の言った通り、滝川一益は現在織田家本体とは別行動をとっており、単独で伊勢志摩方面の攻略にあたっている。

信奈曰く、あの子の実力なら独力で伊勢くらいなら切り取れるとのことなのだが、なんとも人使いの荒いことだと感じる。

 

「実はあの子、伊勢方面に何故か知らないけどかなりの基盤を持ってるの。今はそれを使って伊勢の守護大名たちを味方に引き入れるような懐柔を行ってるらしいわ。」

 

「なるほど、それで伊勢方面は任せてる訳か。」

 

「ええ、伊勢は北畠家を中心に長野工藤家や神戸家といった守護や公家大名が今でも勢力が強い地。それに何と言っても伊勢神宮があって宗教色の強い地域でもあるわ。私にとっては安易に攻め込みづらい場所なのよ。」

 

「宗教嫌いで有名な信奈が宗教や守護を理由に攻め込むことを諦めるっていうのは悪いがちょっと意外だった。やっぱりこの時代でも伊勢と出雲は特別なんだなぁ・・・。」

 

「ちょっと金槻、あんた私を何だと思ってるのよ。」

 

「うーん、宗教関係で言えば信秀公の葬儀の時の焼香投げつけ事件とか、あとは旧態依然とした制度や風習は極端に嫌う印象があった。というかこの辺は俺がいた時代にも語り継がれてるし。」

 

「くっ、事実だから反論しづらいわね・・・。一応織田家って越前の神社の神官の家系だから、伊勢を焼く訳にはいかないのよ。そんなことしたら日ノ本じゅうから敵視されかねないわ。それに確かにわたしは仏教嫌いで南蛮傾きだけど、神道系までは否定してないわよ・・・。」

 

珍しく信奈がショックを受けたような顔をする。

 

「すまん信奈、誤解してた。」

 

「分かればいいわ。それにさっきあんたが言ったような古いものが嫌いな理由も、あんたなら何となく察しがついてるんじゃないの?」

 

「ああ、まぁ確かに検討はつく。信秀公の葬儀の件は実際に俺は現場を見てないからなんとも言えんが、大方戦場ではなく病の床に臥して逝った父への怒り。あとは葬儀の場であるのに次の当主を誰にするかで不穏な空気だった家臣団への怒りってところだろ。」

 

「・・・なんかこうも図星だと少し業腹ね。」

 

「まぁ大して長くは無いがこうして信奈を見てきて、それで未来の知識もあればこれくらいの想像はつくよ。特に信奈はずっと信秀公のそばにいたって信澄から聞いてる。そりゃ斎藤道三や太原雪斎と正面からやり合ってた信秀公の最期が情けないものだったら強くあたりたくもなるさ。」

 

「ありがとう金槻、この前の祝勝会でも思ってたんだけど、あんたって優しいのね。」

 

「そういって貰えて光栄だよ。ところでそろそろ呼び出した件について聞きたいんだが。俺もそんなに酒に強い訳じゃないから、回る前にやっとかないと忘れそうだ。」

 

「それもそうね、それじゃあ先に済ませるわ。実は今日の会談で言ってたことなんだけど・・・」

 

「今日の会談ってことは、今後の織田家の同盟指針のことか。」

 

 

 

今日の昼間行われた正徳寺の会談の事と言えば、道三を納得させるために俺がでっち上げた今後の織田家の同盟予定の件だ。

実はあの件は俺が個人的に推す方針であって、信奈にも事前に連絡していない空手形だった、あの場では切り抜けたものの、やはり事前の調整なしでの大規模な外交の提案はまずかっただろうか。などと考えていると・・・。

 

「ええ、率直に言うわ。金槻の言っていた上杉との同盟の締結、可能な限り急いでほしいの。」

 

「ああそういうことか。もちろん今川との戦は待ったなしの状態だから可能な限り急ぐよ。」

 

「もちろん今川に対しての動きという意味もあるのだけれど、わたしは上杉との同盟は武田との衝突のための備えとしての意味の方が大切だと思っているの。」

 

この信奈の発言に俺は驚いた。これは俺が思っていたことと全く同じことなのだ。

 

「武田に対しての備えか・・・やっぱり信奈は凄いよ、俺も実はそのことを見越して上杉との同盟は考えていた。というか正直言って今川との戦いには流石に上杉との同盟は間に合わないし、間に武田がいる以上意味はない。道三は武田が動くことを懸念していたから上杉を挙げたに過ぎないんだ。」

 

「デアルカ、じゃあ金槻は武田が義元と呼応して動いてくるとおもっているの?」

 

信奈の質問に俺は首を横に振る。その質問に対しての答えを俺は幸い持ち合わせていた。

 

「実はな、玉ノ井の湊を通じて川の上流にある飛騨や信濃の方から断片的にだが情報が入ってきているんだ。その話を聞いたところ、今川と織田がぶつかったとしても武田は恐らく動かない。もちろん絶対は無いが・・・。

俺は武田が本格的に織田とぶつかるのは信奈が上洛軍を興すころだと思っているんだ。」

 

「武田が動かないっていうのは本当!?それが正しいなら凄い情報よ!」

 

信奈がまくし立てるように俺に聞く。俺は頷き、武田が出てこない理由について知っている限りの情報を述べた。

 

「まだ裏取りは出来ていないから何とも言えんが、実は武田家中でお家騒動があったらしい。

当主の信玄が今川を裏切っての駿河攻めを画策し、それに反対する信玄の弟、武田義信らが斬られたらしいんだ。

最終的には命と引き換えに今川との同盟は維持されているようだけど、武田信玄は間違いなく今川義元に対して好感は抱いていない。というより純粋に領土的な野心から駿河、遠江あたりを欲しがっている。

ただ流石に実の弟を斬る結果になっているからすぐには動かんだろうっていうのが俺の予想だ。

 

ちなみにこの噂はあくまで噂。正直あんまり信じられてないんだが、俺が知っている歴史ではこの事件は実際に起きている。

だから世間的にはほぼ知られていないし、当然義元もたぶん知らない。

本当の本当に極秘情報だから、この情報はある程度信頼できる裏が取れない限り俺から他に公表するつもりは無いよ。」

 

「ええ、それでいいわ。下手に言いふらして信玄の逆鱗に触れたら大ごとになりかねないし。でもそれなら上杉との同盟については少し時間的な猶予が生まれることになるわね。」

 

「ああ、そういうこともあって俺はとりあえず浅井の動きを探るようにしている。一応先んじて上杉との同盟を伝えている明智十兵衛光秀が越後への伝手を作ってくれているところだ。」

 

「デアルカ、分かったわ金槻。浅井の内偵と越後への準備、どちらもこのまま続けなさい。頃合いを見て同盟の締結についてはまた指示するわ。」

 

「承知。ついでに安芸の方はどうする?」

 

「大内配下の毛利のことね。そっちは何か情報は掴んでいるの?」

 

「いいや全く。流石に堺より西の情報についてはせめて京まで出ないと手に入らんな。

ただ、これも俺が知っている未来の知識なんだが、大内は近々内紛をおこす。

俺は西国にはほぼ未干渉だからこっちはほぼほぼ起こると思う。

織田家が機内を抑えた時にどの程度状況が進んでいるかによって対応は固めるつもりだ。最悪毛利と敵対する目もあると考えておいてほしい。」

 

「安芸っていうと、海賊の本拠地ね。そうなると大規模な水軍を作る必要もあるわね・・・」

 

「まぁそこはまだ先の話だしゆっくり考えればいいさ。」

 

「それもそうね、ひとまず毛利については放置でいいわよ。」

 

今後の外交関係の相談について、ひとしきり纏まったところで入っていた酒瓶が空になっていた。信奈が小姓を呼び、新しい瓶を持ってこさせるように指示をする。俺も一度厠に行くと言って席を立ったのでキリよく一度インターバルが入ることとなった。

 



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短編2 密会(下)

少しのインターバルが明けた後、俺と信奈は2瓶目を空けていた。

 

 

「そういえば俺も信奈に話があったんだ。いろいろ忙しくて忘れてた。」

 

そういって俺は信奈に刀を差し出す。津島の武具商に頼まれていた信秀公の刀だ。

 

「ちょっと、いきなりどうしたのよ。」

 

いきなり刀を渡されて怪訝な顔をする信奈。

 

「いや、それ実は信奈への預かり物だったんだよ。刀に彫ってある銘見てみ?」

 

俺がそう促すと信奈は顔に疑問符を浮かべながらもひとまず刀を抜いてみる。次の瞬間、信奈は酔いもあって慌てて刀を落としそうになっていた。

 

「ちょ、ちょっと!金槻がなんでこんな物持ってるのよ!。これってもしかしなくても・・・。」

 

「ああ。先代、信秀公の忘れ形見の刀だよ。実は信秀公は生前、津島の武具商にそれを注文していたらしいんだ。ただその後病状が悪化して当人は帰らぬ人に。その後注文していたそれが届いたころには織田家は信奈、信勝で割れていたためどちらに渡すか窮していたそうだ。俺は偶然その刀を買い取ることになってな、信奈か信勝に会う機会があれば渡してくれと頼まれていたんだ。」

 

「なるほどねぇ・・・。父上の遺品って大体は母上と勘十郎が引き取ってるから私の所には無かったのよ。ありがとう金槻。これは大切にさせてもらうわ。

それとこの刀の代わりといっちゃなんだけど、ここまでの仕事の功労も兼ねて私からも刀を一振り譲るわ。ちょっと待ってなさい。」

 

そういうと信奈は刀を手にして立ち上がり、部屋の奥を物色し始めた。改めて部屋を見回すと、普段信奈が使っているであろう布団や今日の道三との会談で使った越後上布の着物の他、南蛮からの舶来品と思われる地球儀にワインのボトル、羅針盤や単眼鏡などいかにも信奈の好きそうなものが散らかっている。この時代の人にとってはかなりの特異な部屋だろうか、そんな散らかった部屋の隅から信奈は一振りの刀を持ってきた。

 

「これがいいかしら・・・。うん、決めたわ。金槻にはこれを預けておくわ。」

 

今度は俺が驚愕した。その刀に俺は見覚えがあったのだ。慌ててお猪口をお膳に置いて刀を受け取る。

 

「おいおい、これってもしかして『へし切長谷部』か!?」

 

「あんたよく知ってるわね。もしかして未来で有名になってた?」

 

「ああ。まぁ世間的に知られたようなものではないが、刀剣が好きな人間は大抵名前を知ってるようなものだ。それに俺のいた時代にも残っていて展示されてる。俺は旅行でこいつを見たから偶然知ってた。」

 

へし切長谷部を手に取って感慨深く眺める。この刀は信長の野望の家宝の等級としては六等級の刀でそれ自体のランクは中程度のものだが、この刀は未来でも実在し展示されている代物だ。

 

「福岡・・・この時代だと博多湊って言った方が分かりやすいかな。そこの街で代々引き継がれてきて、この姿のまま俺のいた時代まで残されたんだ。元いた時代じゃこいつは国宝扱いになっててな。触るどころか見るのも簡単じゃなかったんだよ。」

 

「へぇ・・・。未来って案外こういうものにも価値が出るのねぇ。日本刀なんて一人一本あるものじゃないの?」

 

「まさか、俺がいた時代は戦乱も徴兵もない時代だからな。刀はむしろ美術品としての価値が高かった。それに俺の時代には銃刀法って規則があって、むしろ所持は規制対象だったな。

ちなみに俺の時代の武器っていえばどちらかというと・・・こっちだな。」

 

そういって俺は信奈の部屋の壁に立てかけられていた火縄銃を持ち出す。

 

「やっぱり、鉄砲がこれからの時代の主流になるのね。」

 

「ああ、信奈の先見の明はやっぱり凄いよ。今の日ノ本で鉄砲を軍に導入しているのはうちと薩摩の島津くらいだからな。一応紀伊の雑賀も持ってるけど、あれはどっちかっていうと傭兵だからまた特殊だしなぁ。」

 

「雑賀ねぇ、あの傭兵集団。将来かなり大きな敵になりそうな気がするのよね。うちと違って自前で種子島を量産できるのは強すぎるわ。今はわたしたちじゃ輸入に頼るしかないから、どれだけ大枚はたいても限界があるし・・・」

 

「そうなんだよなぁ、俺も玉ノ井に鉄炮町でも作れればかなり使えると思って検討はしたんだが、現状国内で鉄砲鍛冶がいるのが種子島と紀州の根来衆のみときてるからな、流石に無理だった。」

 

「まぁ彼らは傭兵だから金で雇うって手段がとれるのが幸いね。最悪どうしようもなくなったら金で解決するわ。金槻もそういうの好きでしょ?」

 

「ハハッ、違いないな。とりあえず刀はありがたく頂いておくよ。大切にする。」

 

「デアルカ!」

 

ここに来て益々上機嫌な信奈の笑顔に眼福という感想を抱く。可愛すぎて語彙力を無くしそうだ。思えば仕官からまだ1週間程度しか経っていないのだが、ここ暫く信奈を見ていて思ったことがある。織田信奈という人間の人となりについてだ。

 

彼女はほぼ間違いなく俺が知る歴史上の織田信長と同一人物だ。しかしどういう訳か女の子になっており、しかもそれが絶世の美少女。明智光秀も含めてこの世界の姫武将と呼ばれる存在は総じて超がつく美形揃いなのだが、その中でも超がつくほどの上玉と言える。ただ普段はうつけ姫と呼ばれるほどだらけた身なりをしているためそこまでの存在として扱われていなかったのかもしれない。

 

性格はかなりの我儘、かつゴリゴリの合理主義者でこの時代にあってかなりの特異な物だと思う。また新しい物好きなのはこの部屋からも伺える。これらが合わさって、世間的には理解されない天才肌な人物となったというのが俺の所見だ。

 

まぁ変わり者なのは間違いない。なんせ思考がこの時代の人間というよりも400年以上先の俺の感覚に近いのだ。そのため俺と話が合う。というか彼女の話を理解できる人間が恐らくこの世界には俺しかいない。だから俺を晩餐にさそったのだろう。

 

 

 

気が付けば俺と信奈は3瓶目に突入しており、かなり出来上がりつつあった。

 

 

「ところで金槻?わたしって実はまだあんたのことをそこまで詳しく知らないのよ。」

 

「うーん、そういえば俺もこの世界に来てから過去の自分のこととか語ったことないなぁ。」

 

「ねぇ金槻。未来の世界がどんなものなのか、少し教えなさいよ。」

 

「まぁ俺はいいけど、どういうことが聞きたいんだ?」

 

「わたしが気になるのは未来の世界がどうなっているかとかね。」

 

「世界か・・・そりゃまた難しいことを言う。てっきりこの先の天下までどういう流れで取っていくのかとか、そういうのを聞いてくるかと思ったよ。」

 

これは俺の感想というより、懸念だった。この時代にきてから暫くになるが、武士の将来どうなるかを本人に語るということは個人的に強く憚られるのだ。そのためある種釘を刺すような言い方で俺は答えた。

 

「うーん、まぁそういうのも面白いかもしれないけど、わたしは聞かないでおくわ。

だってなんだかそれを聞いちゃうと自分の将来が分かるようで面白みがないし、それになんかあんたに操られてる感じがして嫌なのよね。まぁ金槻なら不用心にそんなことをしたりはしないと思うけど、もし私の未来を言ったら斬るわよ。」

 

一瞬声のトーンが落ちる。これは本気だと俺も察した。

 

「分かった。肝に銘じておくよ。それに、俺が未来人なのは確かだが俺の知識とこれから起きることが全部しっかり合うことは無いと思う。」

 

「どうしてそう言えるのよ?」

 

「そうだな・・・。俺が既に自分の知っている歴史では起こらなかったことを引き起こしているから、かな?

実は玉ノ井に湊を作って開発するなんてことは、俺の歴史では起きてないんだ。あれは完全に俺のその場の思い付きでな、歴史にないことをしたんだからその先の歴史も既に分からない状態なんだよ。今はまだ多少未来の知識がある分戦えるが、これにも限界がある。そのうちこの知識は一切の価値を無くすことになる。

玉ノ井はまぁまだマシだと思うが、今俺が画策している上杉・毛利・浅井との同盟なんてのは俺が知っている歴史ではまず浅井以外は同盟してない。これをやろうとしている時点で俺はもう歴史を忠実にたどるという安全策を捨ててるんだ。」

 

「なるほどねぇ・・・。確かに、そういうことならあんたの未来知識はそこまでアテに出来ないって訳ね。」

 

「ああ、そういうこともあってもし俺が間違えた未来を教えたりしたら事だからな。武将の生涯とかそういう話題はなるべく控えるようにしてるんだ。それに、俺が持ってる未来の知識は別に歴史だけじゃない。

地理なんてものは俺がいた時代と大差ないし、俺は元いた世界では日ノ本じゅうを旅していたからどの地域のことでもある程度分かる。地理以外にも文化や風土など、何かに使えるかもしれない知識なら十分ある。あと一応これもまだ使える。」

 

そういって俺はポケットからスマートフォンを取り出す。電源を入れてオフラインで使える地図アプリを開いた。

 

「未来の話が聞きたいのならコイツが丁度いい。俺がいた時代の日ノ本、ちょっとだけだけど見せてあげるよ。」

 

「そのからくりって、確か写真だっけ?を映すものよね。」

 

「ああ、仕官の際にこれは見せたね。」

 

そういって俺は再度カメラのフォルダを開く。

 

「やっぱり、凄いわねそれ・・・日がたっても全く劣化してないじゃない。」

 

「写真は絵などとと異なって劣化の概念が少し違うんだ。まぁそれを説明するのはかなりややこしいのでまたの機会にするとして、これを見てくれ。」

 

そういって俺は地図を開く。画面には日本列島が写されていた。

 

「それは・・・まさか日ノ本?」

 

「正解。そこに地球儀が置いてあるだろ。それの超高精度のものがこの中には入ってるんだ。」

 

信奈は俺の隣にまで寄ってきて食い入るように俺のスマホの画面をのぞき込んでいる。少し胸が俺の肩にあたっていて俺はそれどころではないのだが、信奈はお構いなしだ。

 

「本当に未来の技術には驚かされるわね・・・。この小さな手鏡の中に何が入っているのよ。」

 

「ま、まぁそれは様々なからくりとしか言えないなぁ、というか俺も細かな所までは知らん。ちなみにこの画面を指でなぞると移動が出来る。あとは拡大、縮小はこうだな。信奈も触ってみるか?」

 

といいつつやって見せる。信奈はそれを見よう見まねで真似た。

 

「・・・凄い、これ日ノ本だけじゃなくて世界中入ってるの!?」

 

「ああ、ただ細かい所までは今は無理だな。流石に情報が入りきらないんだ。本当はこれは常に外部と通信しつつ使うものだしな・・・。」

 

「通信?なによそれ。」

 

「この時代で言えば伝令や狼煙みたいな奴だ、まぁ詳しく話すとさっきの写真の概念以上に時間がかかるし、俺もちゃんて説明できる自信ないからまぁそのうち知りたくなったら聞いてくれ。

それじゃあ、こいつの一番凄いのを見せてやるよ。」

 

そういって俺は、地図のモードを航空写真に置き換えた。俺は日本国内のものに限ってデータを一部ストレージに入れていた。そのためオフラインでも航空写真やストリートビューが利用可能なのだ。

 

「これは鳥観図に近いかな。まぁ実際は空の上から写真を使って撮ったものなんだけど、これがあれば偵察なんてしなくてもその地域の地形が分かる。まぁ市街地はかなり変わってるから厳しいけど。」

 

流石の信奈も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。事前にその土地の状況が分かるなど、この時代からすればチートも良い所だ。

 

「もう凄すぎてついていけないわね・・・。というか400年ちょっとでここまで変わるものなの?

今から400年前って大体源平合戦から鎌倉幕府にかけての頃でしょ。そこからの今の進歩に比べて変化が大きすぎる気がするんだけど。」

 

「うーん、確かに鎌倉期から今の400年と、今から俺がいた時代の400年だと意味合いがかなり異なるんだ。これから先、世界は驚くべき速度で変わっていく。

一番大きなきっかけはイギリス・・・この時代の宣教師たちがイングランドと言っている国で起きた産業革命って奴だ。それが起きるのが今から大体150年後くらいかな。その産業革命がおこるきっかけが今、大航海時代とよばれる時代にあるんだ。」

 

「分かったわ。人の移動が活発になったのが理由でしょ?」

 

「お、それも正解。まぁ信奈は津島で南蛮文化に触れていたから分かりやすいか。これまで日ノ本は海外との交流に消極的、しいて言えば明との勘合貿易とかがある程度だった。それが南蛮から人が来るようになって、人だけじゃなく文化や技術の交流が進んだ。

結果この国にはキリスト教や種子島銃が伝来している。この国でもそういった新しい革新が起きているがこれは世界中で起こっているんだ。例えばこの国に来た南蛮人は逆に日ノ本の情報を母国に持ち帰っている。そういったことが繰り返されるうちに技術や文化の融合が起きて、最終的にあらたな技術の発見につながったんだ。

その結果技術が格段に進み、産業革命が起きてから200年ちょっとでこういう状態になった。」

 

そういって今度はストリートビューを見せる。場所は名古屋駅前だ。

 

「これが俺がいた時代の那古野だ。凄いだろ?」

 

信奈の目には舗装された大通りを通る謎の箱、そして天高くそびえる名駅のタワー軍が目に入った。

 

「なによこれ、色々理解できないから聞いてもいいかしら?」

 

「なんでも聞いてくれ。この時代の名古屋ならいくらでもこたえられるぞ。」

 

「まずこの高い塔ね。これどれくらいの高さがあるの?」

 

「ああ、JRセントラルタワーズだな、高さは245Mで51層、今の単位なら八百尺ってところだ。」

 

あまりの規模に信奈も一瞬気が遠くなる。

 

「八百尺もの高さの塔なんて、よく建てられるわね。それにこの外観・・・もしかして硝子?」

 

「ああ、太い鉄材を軸にコンクリート・・・この時代だと三和土みたいなやつでこの高さまで組み上げてる。外向きは透明な硝子を嵌めて尾張平野一帯が見渡せる絶景んだよ。あと地下も100尺くらい掘り下げて同じように鉄骨を埋めてる。それのおかげで地震でもビクともしないってわけだ。」

 

「なるほどねぇ・・・この外に並んでる箱みたいなのは?」

 

「これは車だよ。今は馬や牛にひいて貰っている荷車があるだろ?あれがからくり仕掛けで馬いらずになった姿だな。当然馬の代わりに動力が付いてて、それが4つの車輪を動かしてる。こいつに関しては技術として確立されるのは150年から200年後のことだな。せめて蒸気機関さえあれば似たようなものは作れるんだが・・・。」

 

「へぇ、なんだかよく分からないけど面白そうね。」

 

「この時代の人間がこれ見ると多分面白いじゃなくて怖いって感想を抱きそうなもんだが、やっぱり信奈は信奈だなぁ。」

 

ひとしきり信奈に楽しんでもらって俺はスマホを仕舞おうとする。少し電池の残量は減ったが信奈に俺のいた時代を少し知ってもらえたのでこの電池分の価値はあったと思う。

 

 

 

 

電源を落とす前、最後に少しの懐かしさを感じてスマホの画面を眺めていた時だった。

 

「・・・ん?アレ、通知きてる。」

 

「どうしたの金槻?」

 

「いや、さっきも言ったけどこのからくりの本来の使い方は通信ってやつなんだ。それが届いてるんだ。」

 

そう、驚いたことにラインの通知が一件入っていたのだ。ここに来てから暫くの間、スマホは基本開いていなかったので完全に見落としていた。

 

「でもそれっておかしくない?通信なんてもの、この時代にはないのでしょう?」

 

「ああ、それは間違いない。たぶん俺がこの世界に来る直前に届いてたんだろうな。それで気付かず今まで放置されてたんだと思う。」

 

そう言いつつ俺はラインを開いて恐る恐る新着の通知を確認する。

通知が届いた日はやはり俺がゲームをしていた日、時間も大体一致している。

少し残念に思いながらも内容を確かめる。気になる連絡相手は、母親だった。

 

 

『金槻、誕生日ケーキは何味が良い?』

 

それが母親からのメッセージだった。

 

一瞬頭が混乱して、ふと思い出す。そうだ、俺が飛ばされたあの日は俺の誕生日だった。今まで忙しくて完全に忘れていた。

 

「ちょっと金槻どうしたのよ!?いきなり涙なんか流して!」

 

「・・・ん?あぁ、なんでだろうな。急に・・・涙が止まらなく・・・」

 

そこから先の言葉が出てこない。俺は小さく嗚咽を漏らす。何故だか急に俺がいた時代の色々なことを思い出した。両親や弟の事、友人たち、学校、ネトゲ仲間、近所のおっちゃんたち、行きつけの店の大将。そんな多くの人との思い出が途端にフラッシュバックしてきた。

 

「分かったわ。金槻、あなた今一人なのよね・・・。このスマホ?を見て急に元いた世界の事を思い出しちゃったのね・・・。」

 

俺は首肯する。そうだ、この涙の理由は寂しさ、悲しさからくるものなのかとようやく察した。ここまでボロボロに泣いたのは今までの人生で初めてのことだ。

 

「・・・この1か月ちょっと、この時代に来てから毎日が必死だった。振り返る暇もないくらいに。

俺がこの時代に来た日は俺の誕生日だったんだ。連絡の中身は母さんからの誕生日祝い何が良いかってものだった。」

 

「いい母上じゃない、やっぱり平和な時代って今とは親子関係も違うのよね?」

 

「勿論だ。政略結婚もないしお家騒動もまぁ珍しい、どうしても金の問題とかで家内が分裂したり親から暴力的な扱いをされる人は俺の時代にもいたけど、大抵の家庭は良好だよ。うちは父母と弟の4人で暮らしていた。普通の幸せな家だよ。」

 

「・・・金槻、あなたのこと、あなたの世界のこと、あなたの家族のこと、もっと私たちに教えてちょうだい。もちろん本当の両親のようにはいかないと思うけど、今はこの織田家があなたの家族よ。少しでもあなたの悲しさを和らげられるように、私が手を貸すわ。もちろん六や犬千代、万千代たちも協力してくれるはずよ。

それに元の時代に帰る術が完全に無くなっている証拠もないのでしょう?諦めなければ、いつかまた未来の世界にも行けるわよ。」

 

信奈の言葉に俺は心の底から救われた気がした。悲しみの涙は、感謝の涙に変わった。

俺は出来る限りの笑顔を作って、一言「・・・ありがとう」と答えた。

 

「もう、顔がくしゃくしゃよ。ほら、手ぬぐいあるから顔を拭きなさい。」

 

俺は信奈から手ぬぐいを受け取り、顔を拭った。その目に光る涙は悲しさとは無縁のものだった・・・

 

 

その後は信奈と再度飲みあかし、気が付けば日を跨いで2人で10本近くの瓶を空けた。俺のいた時代の話、信奈の昔の話、世界に目を向けている信奈の意見、他にも色々なことを語らった。

幸い俺は酔っても記憶が残るタイプらしく、終盤はもう君主と家臣というより、本当に俺がいた時代の友達のような感覚で信奈と話し込んでいた。信奈の君主の顔ではなく一人の女の子としての顔を見れたような気がした。そして最後は2人そのまま潰れるように気が付けば寝ていた。

 

 

 

 

翌日、俺は猛烈な頭痛と共に目を覚ました。どうやら二日酔いのようだ。冷たい板間の感覚が現実に引き戻した。

 

それだけではなかった、寝ぼけまなこを擦っていつの間にか外していた眼鏡をかけなおす。すると物凄く強烈な、それでいて冷たく冷え切った視線を感じた。

 

「・・・お金、これはどういうことだ?」

 

信奈からは六と慕われている織田家随一の猛将、柴田勝家が仁王立ちでこちらを見下していた。そう言えば信勝謀反後、信奈付きに配置転換されていたっけ。

 

「どういうことって、どういうことすか?」

 

俺はまだ頭が回っていないため、ひとまず聞き返した。

 

「なんでお前が信奈さまの部屋にいるんだよ!あともう昼前だ!いつまで寝ぼけてるんだよ!!

それになんでそんな添い寝状態なんだ!意味が分からん!!」

 

勝家は怒髪天を衝く勢いでブチ切れていた。

 

「なんでって、俺は昨日信奈に呼び出されてここに来ただけなんだが、それで2人で酒を飲んで語らっているうちに寝てしまって、今起きた。それだけだ。」

 

「そ!れ!だ!けええええええ!?!?まさか姫さま、もうこのお金のことをそこまで気にいって・・・きいいいいいいい!」

 

何故か勝家が奇声をあげて悶えだした。いきなりきて怒鳴ったと思うと悶えて、せわしないことこの上ない。

 

「んんッ・・・もう、やかましいわね・・・。」

 

俺に続いて信奈も目を覚ます。

 

「おや、お目覚めですか姫。昨夜はお楽しみでしたか?」

 

勝家に続いて長秀さんも部屋に入ってくる。

 

「ちょ、どういうことよそれ!」

 

「ふふ、その様子ではどうやら楽しまれたご様子。90点です。」

 

「ど、どういうことだよ長秀!もしかしてお金がもうそこまで進んでるってことなのか!?」

 

更に悶え苦しむ勝家を見て俺は益々疑問しか浮かばない。

 

「どういうことなんだ長秀さん。」

 

「実は姫は自分の気に入った家臣を夜な夜な呼び出して飲食を共にされることがあるのです。金槻どのはそのお気に入りとして信奈さまに認められた、ということでございますよ。」

 

「そういうこと、これからもよろしく頼むわよ金槻!」

 

つまりこの信奈からの呼び出しは、信奈の側近の一員として認められた祝い、ということだった。

 

「任せておけ、何があっても俺が信奈を天下人に押し上げてやるさ!」

 

「デアルカ!金槻!早速次の仕事よ!」

 

「おう!」

 

俺は本心でそう答え、これから先の事を思慮しつつ信奈からの新たな仕事を受け取った。

 

その仕事は、対今川の戦略を練よ、とのことだった。

 



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第3章 戦(いくさ)の道
第20話 極秘会議


尾張、美濃国境・玉ノ井湊の川並衆屋敷

 

斎藤道三救出戦から半月少々ほど、時期は梅雨に差し掛かっていた。俺は玉ノ井湊の美濃側岸の集落を治めている十兵衛、近江に密偵に出ていた五右衛門、そして清州から湊の視察という名目で来ている信奈、長秀さんと共に机に開いた大小さまざまな地図を囲んでいた。

この半月ほどの間に、織田家を取り巻く環境は大幅な変化を見せていた。その状況確認と、今後の作戦会議のための極秘会議がここで行われるのだ。本当なら道三にも来てもらいたかったのだが、どうも先の戦の折に腰を痛めたらしく、今は清州で養生中ということで、この面子での会議となった。

 

「お茶にございます。姉上。」

 

「デアルカ、勘十郎も久しぶりね。ここでの暮らしはどう?」

 

「はい、金槻どのや川並衆の皆さんのお陰もあって日々楽しく励ませてもらっています!」

 

「まぁ、仕事についてはまだまだだけどなぁ、もっと精進しな。」

 

「そうは言うがね、金槻どのの仕事は難しいのが多いんだよ。その若さでよくやると思うよ・・・」

 

「いや、俺の仕事なんかより大名やってる信奈の方が相当大変だと思うが・・・。ほんとそんな調子でよく謀反なんかおこしたよなぁ。」

 

今日はこのメンバーが玉ノ井に来るということもあって、特別に信澄もお茶係として同席を許している。

織田信勝改め津田信澄は謀反の罰として俺の元で下働きを命じられており、今は俺の小姓的な扱いとなっている。

普段はこの湊を取り仕切っている川並衆の連中の手伝いをしつつ、信澄が唯一得意なういろうの茶店を経営させているのだが、信勝親衛隊(という名の囲い)のかわいい女の子たちが一緒に店番をしていることもあって、味よし・接客よし・値段よし(売値は全部俺が指定して、利益は全て俺の懐に入るようになってたりする)の人気店として行商や近隣の人たちで栄えているようだ。

一応は織田家の当主候補として作法を一式学んだということもあり、信澄の入れる茶は普通に美味い。そういう理由もあって今回の会議に茶と茶菓子を用意させた。あとは信奈に会わせるためという理由も一応あるにはある。

 

 

「とりあえず玉ノ井の様子はさっき見てもらった通りだ。まぁ地割の会議からかれこれ1月近くになる。そろそろ活気が出てきたし、ここも本格的に湊としての機能が動き出すよ。」

 

「斎藤義龍が道三さまを追ってここまで攻め寄せてきたときはどうなるかと思ったですが、建設中の建物には大した被害は無かったので美濃側もちらほらと店や納屋が出来始めてるですう!」

 

「デアルカ。そういえばさっきも船が荷下ろししてたわね。あれはどこから来たの?」

 

信奈に問われて俺は帳簿を確認する。船の出入りや積み荷の管理は日ごろからリスト化してあり、どのような需要があるのかの調査に役立てている。また今は美濃方面の積荷に臨検を敷いているので、かなり細かな情報が手に入っているのだ。

 

「ええっと今日は確か・・・、あった。船は紀州串本からだな。中身は・・・活魚や柑橘類だとさ。地域的にじゃばらとかかなぁ・・・。荷主によると柑橘は井ノ口まで運んで売るようだが、活魚は淡水の川に入った時点で絞めてあるみたいで玉ノ井で売るみたいだ。

串本と言えば本州最南端、俺のいた時代でも好漁場として有名な場所だからいい魚が入ってるかもなぁ。」

 

「玉ノ井で売るの?それなら井ノ口まで持って行ったほうがいいと思うのだけど。」

 

「いや信奈考えてみ?魚だぞこれ。しかも干物じゃなくて生だ。美濃は内陸だから多分海鮮は見慣れないし売れないと思う。そこでひとまずここで売り出して、ある程度需要があるか見てるんだと思うよ。」

 

「なるほどねぇ、商人も色々考えてるのねぇ・・・」

 

この時代は冷蔵なんて技術も当然ないので、この時期に陸路で魚の運搬は厳しいというのもあるだろう。

河口までなら魚を活かしたまま運べるが、魚は絞めたあとに冷やさないとすぐに臭くなる。それもあって内陸では魚は結構縁遠いものなのだ。

この時代の魚料理は鯉や鮎といった川魚がメインなのはそれが理由だったりする。もちろん沿岸にある尾張などでは普通に海産物も食卓に並ぶのだが、やはり希少価値が高く中々手が出せない。

魚好きで釣りが趣味な俺としては辛いものだ。ちなみに美濃は近江の琵琶湖が近いこともあって鮒がよく食べられていると十兵衛が話していた。

 

 

「さ、それじゃあそろそろ肝心の会議の方進めていくか。」

 

名目上の玉ノ井の視察の感想も程々に俺はそう切り出した。玉ノ井湊自体の開発は既に佳境を迎えており、現在開いている店の数や船着き場の利用率などの報告は既に済ませている。

それに今は玉ノ井をどうこうというレベルの問題ではない難しい状況に織田家は追い込まれているのだ。

 

「はい、それでは今日も僭越ながら私が進行させていただきます。今の織田家の状況ですが、30点といったところでしょうか・・・。非常に厳しい状態となっています。」

 

「デアルカ。金槻、簡単に今の状況を説明しなさい。」

 

「了解。まずこの玉ノ井から川を挟んだ美濃についてだが、斎藤義龍が完全に掌握を済ませている。どうにも事前に国人衆とかを味方につけていたようで、落ちない訳じゃないが相当時間がかかると思う。今美濃攻めは無理だ。せめて背後の今川をなんとかしないと話にならない。」

 

「それについては十兵衛も同感ですう。そもそも稲葉山城は難攻不落、それに兵力も現状織田家と義龍どのでは五分といったところです。稲葉山を落とすなら少なくとも3倍は兵力が欲しいですう。」

 

「そうね、あの蝮が生涯をかけて築きあげた名城。そう易々とは落ちないでしょうね・・・。」

 

信奈が歯嚙みする。本来ならば譲り状という大義名分がある美濃には一刻も早く攻め入りたかった。義龍に時間を与えてしまうと美濃攻略の難易度が跳ね上がってしまうからだ。

 

 

「次にその美濃関係の外交についてだが、近江に動きがあった。五右衛門頼む。」

 

「承知でござる。信奈さまはお初にお目にかかるでごじゃる。拙者は金槻どののあいびょうのはちしゅかぎょえもんにござる。」

 

「ちょっと金槻、この乱波噛み噛みで何言ってるかわからないんだけど。」

 

「すまん信奈。こいつはもうこういうものなんだ。俺の相棒の蜂須賀五右衛門だ。長台詞は大体噛むが腕は確かだよ。」

 

「うにゅう、噛み癖は仕方ないでござる。それで浅井でござるが、斎藤義龍をけしかけたにょちに、手切れしちゃでごじゃる。」

 

「浅井と斎藤が手切れした?ということは浅井長政は美濃を獲る気でいるのね。」

 

「ああ、これはあくまで想像だが、間もなく浅井長政が信奈との同盟交渉に来ると思う。内容は美濃攻めの共闘だろうな・・・。おそらく長政は斎藤義龍の主力を俺たちにぶつけて、裏から美濃を落とそうとしている。こちらは今は浅井に強く出てないからその立場を使ってうちと斎藤義龍双方の弱体化を狙っているってことだ。美濃を獲ったらそのまま織田家を吸収するという流れだろう。」

 

俺の説明を聞いて、信奈は益々難しい顔になっていった。

 

「デアルカ、なかなか厄介なことをしてくれるわね・・・。美濃を浅井に明け渡してしまったらその時点で織田家は詰みよ。早急に美濃を獲らないといけないわね、そのためにも今川とは早期に決戦をつけないといけないわ。万千代、今川は今どうなってるの?」

 

 

「はい、今川義元は現在駿河の兵を率いて三河に入っております。松平元康も出陣しておりますので、数日のうちに合流し尾張へ攻め入ってくるかと。軍は総勢で1万ほどになります。20点。」

 

長秀さんの報告から察するに、尾張まで来るのがおよそ5日だろうか。もう一刻も時間は残されていなかった。俺は頭を悩ませるが、策らしい策は浮かばない。隣に座る十兵衛も同じらしく頭を抱えていた。

 

「そもそも、今の織田家で今川を倒せるかがかなり怪しいです。信奈さまはそのあたりをどうされるおつもりで?」

 

「当然奇襲攻撃よ。中身についてはまだ伏せてるけど、作戦は考えてるわ。それで、こちらの開戦準備はどう?」

 

「はい、各将兵には既に招集をかけており、三河からこちらにかけての砦などに配置は完了しております。また奇襲と清州の守備のために三千の手勢を動かせます。準備の方は満点です。」

 

「よろしい、今回は千の兵を清州の備えに残して二千で奇襲を行うわ。それで、奇襲のためには義元の本陣を探る必要があるのだけれど、恐らく敵は服部党の忍びを用いて本陣の露見を防ぎに来るはず。それをなんとかする必要があるのだけれど・・・」

 

そこで信奈の声が止まる。彼女の目は俺を真っすぐに見ていた。その目は燃えるように輝いており、俺の心を何故か奮い立たせた。

 

 

「金槻、あなたに頼みがあるの。」

 

「何だ?」

 

「今川本陣の密偵、金槻に任せたいの。今織田家には乱波はいないから、五右衛門を従えているあんたくらいしか可能性が無いのよ。頼むわ。」

 

信奈の真っすぐな、信頼してくれているような表情を見て、俺は二つ返事で「任せろ」とだけ答えた。

 

「今川軍を完全に捉えるために、清州のギリギリまで義元を引き付けるわ。恐らく先鋒には竹千代が出てくると思うけど、そっちは完全に無視で本陣だけを狙うわよ。

金槻は何が何でも本陣の情報を私に持ってきなさい。あと十兵衛、あんたは織田家の客将として合戦に参加すること。道三からの許可は得ているわ。」

 

「了解です!」

 

 

 

対今川の作戦も固まり、一度昼休みをとることになった。ここ玉ノ井の屋敷は俺の家も兼ねているので俺が料理を振舞うことになるのだが、そこで俺は名案を思い付いた。

 

「そうだ、さっきの船から降ろした活魚、折角だから捌こうか?」

 

「それはいいわね!っていうかあんた魚捌けるの?」

 

「ああ、これでも元いた世界では釣りが趣味でな。実は仕官前にもここで暇なときは鮎とか釣ってたんだ。もちろん釣るだけじゃなくて捌いて食べるまで出来るよ。」

 

「金槻どのって意外と器用ですう。将来良い旦那さんになりそうです。」

 

「いやいや、俺なんか結婚出来ないと思うよ。元いた時代ならまだしも、この時代は家格とかが必要だし・・・。俺は一応小笠原性だけど信濃の小笠原氏と直接繋がりはないし、そもそも謎の風来坊だからなぁ。本格的に元の時代に帰れないってのがはっきりすればこの世界で所帯をもつのも考えるが、それまでは何とも言えん。」

 

俺の言葉を聞いて信奈は何か思案顔だったが、超絶美女の恋愛談話に巻き込まれる気配を察知してそこで話を切り上げる。やはり姫武将と言えど女の子、恋愛話は大好きなようで俺はそのあたりが少し苦手だ。逃げるようにして荷揚げ場に並ぶ魚を見てくると告げてそそくさと退散するのだった。



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第21話 密偵

尾張・鳴海近郊「桶狭間山」

 

 

梅雨も始まって早々だというのにうだるような蒸し暑さを感じる朝、俺は五右衛門、川並衆、信澄とその親衛隊を連れて朝駆けを行っていた。

昨夜、ついに今川軍が動いたという連絡が入ったのだ。俺がこの時代にきたその日、目の前で行われていた今川による鳴海城攻略とその追討戦。あれ以来の合戦が始まろうとしていた。俺にとっては道三救出戦以来の戦いだが、あれはまともな戦いとは言えなかった。実質的には俺にとっての初陣だ。

 

今回の合戦の俺の仕事は、今川軍の本陣を見つけること。そして義元の位置を把握し続け信奈率いる奇襲部隊に伝えることとなっている。簡単そうに思えるが、今川軍の先鋒は恐らく三河の松平元康、そしてそれに付き従う忍びの服部党が恐ろしく厄介だ。斥候部隊である俺たちは見つかれば即座に忍びによって始末される。そして信奈の奇襲が外れればその時点で織田家は詰む。責任は重大なんてものじゃない。まさしく織田家の活路は俺の密偵にかかっていた。

そのため、俺は信奈から密偵の任務を受けてから数日、作戦を考えに考え抜いた。そして使えそうな駒は全部持ってきた。戦国時代に飛ばされた俺の真価が問われる合戦でもあるのだ。自然と鼓動が速くなっていった。

 

「・・・よし、ここが桶狭間か?」

 

「ああ、そうだよ金槻どの。まだ今川軍は来ていないようだね・・・。」

 

ここまでは信澄と親衛隊の案内で進んできた。親衛隊の女の子にどうやらこの辺りの生まれの子がいたらしく、朝駆けによる潜伏はその子の先導のおかげで上手くいった。

 

「今朝の時点で知立に先鋒の松平隊がいるっていう情報が最後のものだ。おそらくそこから多少は進んできているはず。ただこの先の動きが分からん。鳴海は今川の猛将岡部元信が相変わらず居座っているんだが、一方で大高城はまだ織田方が抑えている。また周辺の砦にも信奈がそれぞれに将兵を入れている。

考えられる今川軍の動きは2つ。鳴海から直接那古野や清州まで突き進み続けるか、大高城を落としてから向かうのかだ。ただどちらにしろこの辺りは通ることになる。だからここで今川の本陣を捕捉する。」

 

「承知でござる。拙者と川並衆は散らばって偵察でござるな?」

 

「ああ、手筈通り頼む。先鋒の松平は現れても無視だ。あくまで狙うは義元の本陣のみ。上手くやってくれ。」

 

俺は五右衛門と川並衆にそう発破をかける。すると

 

「この坊主には俺たちを武士階級に戻してくれた借りがある。ここで絶対返すぞ野郎ども!」

 

という前野某の号令のもと

 

「小僧!川並衆の底力、舐めんなよ!」

「そうだそうだ!輿にのったバカ殿くらいすぐに見つけ出してやるぜ!!」

 

などという威勢の良い声が返ってきた。頼もしい限りだ。

 

「よし、それじゃあ散ってくれ。義元を見つけた後はちゃんと今川軍の退路を断つように動くってのも忘れんなよ!」

 

と指示して川並衆たちを配置につかせる。そして次は信澄の出番だ。

 

 

 

「ところで金槻どの。ぼくは何をすればいいのかな?」

 

「ああ、お前の仕事はかなり命がけになるんだが、義元を見つけたところで足止めをお願いしたい。折角信奈に本陣の場所を伝えられても、その位置を動かれたら意味がないからな。やり方は任せる。親衛隊の皆も、頼んだよ。」

 

「はーはははは!任せたまえ!この尾張の貴公子たるぼくが酒と色で今川の将兵をここで接待すればいいってことだね?」

 

「まぁそういうことだ。この暑さの行軍だ。今川軍の将兵も疲れているはず。そこでお前たちが一秒でも長く義元を足止め出来ればれそれだけ今回の奇襲の成功率は上がる。間違いなく勲功一等だぞ。」

 

「勲功一等か、確かにこのぼくに相応しい響きだね。姉上にういろう1年分でもおねだりしようかな?」

 

信澄の安っぽい勲功一等なら信奈も助かりそうだなとは思ったが声には出さずに笑顔でごまかす。そして信澄たちには準備に取り掛からせて、俺も今川軍の捜索に加わるのだった。

 

 

 

 

『海道一の弓取り』の異名をとる駿河の雄今川義元は、織田・斎藤の同盟が破れ、京への通り道になる尾張が孤立したと聞き及び、颯爽可憐に全軍を尾張に向けていた。

今川が抑える駿河・遠江は北に甲斐の武田、東に相模の北条という大大名2国を抱えているものの、その両方と3国同盟を結ぶ間柄ということもあり、全力で西へと突き進むことが出来るのだ。

一応武田家中では今川を裏切る動きがあったものの、そのことは現在世間にほぼ知られておらず、また北条も関東平野の平定に出兵中だったため、まるで無人の野を駆けるが如く悠々と三河から尾張入りを果たしていた。

 

陣容はおよそ六千、うち半分は三河の松平軍だった、貧相な松平の先鋒に比べ今川本軍は威風堂々といった趣の豪華な具足を揃え、また十二単を着込む義元が乗る輿も用意されていた。この義元隊の後ろに更に後詰が続くため、総兵数は二万にもとどこうかという大軍勢だった。

 

「これぞ天下人の輿ですわ。この輿を見れば、織田の足軽どもも領民どもも、わらわの高貴さに打ちひしがれて平伏するはずですわ。おーほほほ。」

 

その輿に乗りながら高笑いを浮かべるのは今川義元その人である。気が強そうな大きな瞳に長いまつげ、整った顔立ちに白い珠のような肌。麗しい貴族然とした少女だ。

 

「それでは元康さん。現状の説明を簡潔に。続いて、作戦をお出しなさい。」

 

「は、はい~。」

 

その今川義元の輿に並び馬を歩かせている緑髪の少女は松平元康、のちの徳川家康だ。幼少期に今川の領主になったり、一時期は織田に売られて幼き頃の信奈の下っ端にさせられたりという半生を行きてきた苦労人であり、覇気の感じられない姿をしているがこれでも三河の国主である。

 

「今は知立を超えて尾張に入ってます~。もうすぐ鳴海と大高の分岐路に着きますね~。ここから先の作戦ですが、攻略目標の距離が近い順に大高城、熱田神宮、那古野城、清州城と続いています~。大高は鳴海と並ぶような位置にあるので最悪無視できますが、石橋を叩いて進むのならば・・・」

 

「ええ、ええ。ここはやはり常道通り、大高から攻めるべきですわね。万が一無視して進んだ後に後ろから叩かれるのは嫌ですわ。それでは元康さん、先鋒は頼みましたわよ。おっほっほ!」

 

元康は先鋒は勘弁願いたかったが、主である義元の言葉には逆らえず

 

「ぎょ、御意です~。では、大高はさくっと落としてしまいますね~。」

 

と告げて先を進む元康隊と合流していくのであった。

 

「半蔵さん、半蔵さんはいますか~?」

 

「これに。」

 

元康の呼び掛けに応じてどこからともなく若い黒装束の男が音もなく現れた。

松平家が重用する忍びの者の頭領、服部半蔵である。

 

「私たちはこれから先行して大高城へ向かいます~。義元さまに先陣を言いつけられてしまいました・・・」

 

「なっ、ここで兵を損じれば今度こそ松平は滅びかねんぞ!?」

 

「勿論そんなことは分かってます~。でも、私たちじゃ義元さまに歯向かう力はありませんから、こうなれば如何に兵を損じずに吉姉さまを捕らえるかにかかっています~。

そこで服部党の出番です~。」

 

「なるほど。大高城に潜入し、内側から攻めるのだな?」

 

「流石は半蔵さん、その通りです~。あと、本陣隊の周囲に忍びの網も張っておいてください~。」

 

半蔵は「承知」と一言告げて影へと姿を消した。

 

 

 

 

今川軍の捜索を始めてから半刻ほど、俺は先鋒の松平隊を発見していた。

 

「・・・三つ葉葵の旗印、あれが元康軍だな。」

 

「ですな、如何しますかい?」

 

同行していた川並衆に聞かれ、俺は少し悩む。もちろんここで松平を奇襲する意味は無いが、彼らは大高城へ進路を取っていた。

 

「予定通り素通りさせるが、信奈に状況だけは伝えないとな・・・。この進路だと松平勢は大高城攻めだろう。信奈への伝令、任せれるか?」

 

「了解ですぜ。信奈さまは今清州に?」

 

「ああ。元康軍が大高へ進んだこと、義元軍を引き続き捜索していることを伝えてくれ。」

 

俺の指示を聞き清州へ向かう川並衆。その背後から無音で近づく黒い影が迫っていた。

 

数分後、川並衆の伝令役は黒装束によって処理されていた。信奈の元には、暫くして大高城陥落の一報が入っていた。

 

 

一緒にいた川並衆を伝令に走らせた俺は、その後しばらく山中を駆けていた。今川の本陣を探るためだ。そしてついにその姿を捕らえた。

 

「・・・いた、赤鳥紋に輿の上の十二単。あれが今川義元か、話には聞いていたがやっぱり姫武将なんだな、しかもここからでも分かる美人だ。」

 

今川義元とその旗本隊は桶狭間山のふもとを悠々と進んでいた。どうやらこちらは鳴海へ足を進めているようだった。

 

「五右衛門、いるか?」

 

「なんでござるか?」

 

どこからか音もなく五右衛門が現れる。

 

「俺はこれから信奈への伝令に走る。五右衛門は川並衆をつれて今川勢の後ろに回れ。信澄!」

 

「なんだい?」

 

「お前は親衛隊を連れて予定通り足止めだ。幸いこの先は泥田地帯。今川の行軍速度は遅くなるし撤退も難しくなる。そこで義元を釘付けにしろ。2人とも良いな?」

 

「承知にござる。」

 

「わかった、勲功一等はいただくよ!」

 

「よし、それじゃあ行くぞ!」

 

「させぬ!」

 

その瞬間、木の陰から音もなく黒装束が現れた。次の瞬間、俺の首元にクナイが突き付けられていた。

 

「ちっ、今川方の忍びか。」

 

「左様、織田方の密偵だな?お命頂戴いたす。」

 

俺を盾にしているせいで正面にいる五右衛門と信澄も動けなくなっていた。それでも五右衛門は動こうとしたが、忍びの顔を見た瞬間驚きの声をあげた。

 

「にゅやっ!お主まさか服部半蔵ではござらぬか!?」

 

「ほう、流石は忍びの者。一目見て俺が誰か分かるか。」

 

「服部半蔵・・・ということは松平の手の者か。」

 

「そうだ。わが姫の手勢をあえて見逃し、今川本陣を突く狙いは見事。しかし甘かったな。」

 

「なるほど、全てお見通しというわけか。」

 

俺は窮した。なんとかこの場を切り抜ける策はないかと頭をフル回転させるが、名案は浮かんでこない。

 

「待ってくれ服部半蔵。なんとかここは見逃してくれはしないか?」

 

とダメ元で話してみる。

 

「誰が見逃すか、わが姫も今川の家来にさせられて必死なのだ。お主らに恨みは無いが、つい先ほども姫の軍勢が大高に向かっているのを伝えようとしていた密偵を処理させてもらった。お主もすぐに冥土へ送ってやろう。」

 

「なっ、さっきの川並衆もやられていたのか・・・。」

 

なんとか会話で間を繋ぐがそろそろ限界だ。半蔵のクナイを持つ手に力がこもるのを感じる。その時、俺の中で一つの考えが浮かんだ。もう精査している時間はなかった。俺は半蔵に最後の提案を行った。

 

「まぁ待て!ここで俺を見逃してくれたら松平元康を独立した戦国大名にしてやるから!」

 

「むっ?お主にそんなことが出来るはずが無かろう!愚弄するな。」

 

「嘘じゃねえ、俺はこれでも信奈の側近だ。玉ノ井の小笠原金槻と言えば名前くらいは知らないか?」

 

「小笠原金槻、あの未来からきたとか噂される謎の武将か。確かに近頃商人どもの間で耳にする名だが、まさかお主がそうなのか?」

 

「ああ、信奈の指示で今川本陣の密偵に出ていた。いいか、よく聞け。今から織田勢が今川本陣に奇襲をかけて義元を降伏させる。そうすればお前たちは三河一国を獲り立派な国持ち大名にもなれるだろう?」

 

「いくらなんでも無理筋だろうそれは。第一、お主がその小笠原である証拠はどこにある?」

 

証拠と言われておれは懐からスマホを取り出す。

 

「これならどうだ?これは未来のからくりだ。」

 

「むっ、確かに見たことのないものだが・・・。しかし仮にお主が小笠原金槻であって、織田家による奇襲が成功したとしてその後織田勢が三河を攻めないという確証は無かろう!」

 

ここまで話を繋いで半蔵にまず提案を聞いて貰う準備は整った。俺は乾坤一擲の思い付きを半蔵に伝えた。

 

「大丈夫だ!俺は織田家の外交に関して信奈に意見することが出来る。松平とは同盟し、織田は西に向かうように仕向ける!もし約束を違えたなら俺が信奈を裏切って松平に味方してやる!絶対に悪いようにはしない。」

 

「うむむ・・・確かに、このままではどうせ松平は今川に使い潰される・・・しかしこやつの話、にわかには信じられんな・・・」

 

俺は祈った。ここで半蔵に対して口八丁手八丁で切り抜けられなければ織田家はここで終わる。暫くの逡巡ののち、半蔵は決心した顔で俺に告げた。

 

「確かにお主の話に乗れば、今川の使いのような環境からは抜けられるかもしれん。しかしこのような決定は忍者である俺には出来かねる。よってお前は拘束し大高へ連れていく。最後の判断は姫にしていただく。」

 

時間がない中での連行という言葉は俺にとって重いものがあるが、それでも命が繋がったと思って俺は半蔵の提案に乗った。

 

「わかった、俺が直接元康どのに会って交渉する。だから五右衛門と川並衆、信澄たちは見逃してくれ。彼らもこの奇襲を成功させるためには必要不可欠なんだ。」

 

「いいだろう。お前たちは勝手にしろ。それでは来てもらうぞ。」

 

次の瞬間、俺は簀巻きにされて半蔵に担がれた。結構な体重があるのだが軽々と持ち上げられて少し驚く。

 

「五右衛門!信澄!お前たちは予定通り伏兵と足止めだ!何が何でも信奈を連れて戻る!待っててくれ!!」

 

俺は簀巻きで担がれながら去り際にそう言い残して桶狭間を発った。

 



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第22話 桶狭間の戦い

尾張・熱田神宮

 

 

今川義元を急襲するために集められた兵2千と将たちは斥候の到着を今や遅しと待ち焦がれていた。

 

金槻たちが密偵に出てから暫く後、信奈は清州の将兵に号令をかけた。

「全員武装して熱田に集合!攻めてくる義元の本陣を急襲するわよ!」という一言で、清州中が慌ただしく動き出した。この時点ではまだ斥候は一人も帰ってきておらず、今川は知立を西に進んでいるという情報が最新の状態だった。

 

敦盛を舞い、南蛮具足に身体を包み、信奈と旗本隊が清州を出たのが号令をかけて半刻ほど、まさに電光石火の出撃であった。

その後、熱田の境内に陣を敷き、後続の到着を待って軍議を開いていた。その時に大高城陥落の急報が舞い込んできたのであった。

 

 

「姫、大高城の兵から伝令です。城は陥落。敵の先鋒は松平元康軍とのこと、城攻めから陥落まで半刻と持たなかったとのこと。10点です。」

 

「そう、あの竹千代が・・・。大高と熱田は目と鼻の先、もういつ敵が現れてもおかしくないわね・・・。金槻は?」

 

「清州の厩番の話によると、日の出の少し前に信澄どのと僅かな手勢を率いて密偵に出たとのこと。しかしまだ戻ってこられないとなると、討たれたか捕らえられたか・・・」

 

「それはないわ万千代。あいつならやってくれる、私はそう信じてるわ。」

 

そう信奈は自分に言い聞かせるように呟く。松平軍が現れたらその時点で詰み、その刻限は刻一刻と迫っていた。

 

そしていち早くその刻限が来たと見たのは勝家だった。

 

「姫さま、これ以上待てません!打って出ましょう!行き当たりばったりで義元を見つけるしかありません!」

 

「待ちなさい。それは無謀すぎるわ!」

 

「しかし、この時間になってもお金もその手下も誰も来ないというのはおかしいです!残念ですが、長秀の言う通りと見てこちらが動くしかありません!」

 

「だから待ちなさいって!あいつなら、必ずうまくやってくれるわ!」

 

「しかし姫さま。確かにお金はあたしなんかより頭も切れるし、未来の知識も持っている分先手を打って動ける貴重な奴ですが、あいつは戦のない時代で育ったため武芸や馬術は人並み以下です!道三どのの救出戦では幸運にも生き残りましたがそう何度も幸運は続きません!」

 

「でも、でも金槻なら・・・」

 

信奈は半ば泣きそうになりながら耐えた。客観的に見れば長秀や勝家の言う通りなのだ。晴れていたはずの空がいつの間にか分厚い雲に覆われて、生温い風が吹き始め、より一層信奈の心を不安にさせた。

 

 

 

そしてこの場にもう一人、信奈と同じく心中穏やかじゃない姫武将がいた。

斎藤道三の側近にして今は織田家の客将として合戦に参加している明智十兵衛光秀である。

 

(金槻どの、まさか死ぬなんてことはないですよね?玉ノ井の湊はまだ未完成、金槻どの無しではまだまだ立ちいかないですう。先に逝かれてこの十兵衛に後を託されてもこまるのですう!)

 

客将という立場上、信奈たちの軍議を横で見ているだけであったが実はこの熱田にいる面々で最も金槻と付き合いが長いのが十兵衛なのだ。

 

十兵衛と金槻の最初の出会いは道三の鉄砲を金槻が持ってきた時のことだ。井ノ口の街で短い時間だったが会話し、道三に玉ノ井湊の計画を認めさせるためのパイプ役という立場だった。そこから道三によって美濃側の湊開発を任され、半月ほどかなりの頻度で2人は会合していた。

玉ノ井湊の成功は、金槻の発想力や行動力だけでなく、知力の高さやこの時代の様々なことに精通している十兵衛の力によるものも大きい。そして2人ともそれを理解しており、一人ではあそこまでの成功を収めることは無かったと評している。

 

その後、金槻が織田家に仕官した時は驚いたが、すぐに詫びを入れて対今川の作戦まで先んじて十兵衛だけに伝えた。

結果的に斎藤義龍の裏切りにあい、計画実行前に今川に攻められたため上杉との同盟は完成しなかったが、金槻は上杉との同盟は今川に間に合わなくても本命は武田対策だと言っていた。金槻どのは最初からそこまで考えて先手を打っているのだと、聡い十兵衛は分かった。恐らくは浅井に探りを入れていたり、遥か遠く安芸の毛利にまで手を出そうとしているのも先手を考えてのものなのだろう。

 

様々な兵法に通じる十兵衛にとっても、金槻は一目置いている存在なのだ。そして、主である斎藤道三を救ってくれた恩人でもある。

 

(まだ恩返しも何もできてないです。金槻どの、生きていてくださいです・・・)

 

十兵衛は、熱田神宮の本殿に向かって手を合わせて願った。金槻の早い帰還を、そしてこの戦の勝利を。その直後だった。

 

「・・・姫さま!誰か来る!」

 

熱田神宮の鳥居の前で外の見張りをしていた犬千代が本陣へ駆けてきた。その言葉を聞いた瞬間、本陣に控えていた者たちは全員が外に駆け出していった。

 

 

 

「すまん信奈!遅くなった!!」

 

俺は馬から飛び降りるようにして首を垂れた。兜の上から信奈に一発どつかれる。その拳には力強さの中にも、どこか安堵や優しさといった感情を感じられた。

 

「金槻!もう間に合わないかと思ったわよ!で、首尾は?」

 

「鳴海・大高の少し先、桶狭間山の麓の泥田地帯にて今川義元を発見した!今は信澄が足止めに動いているが、服部党に捕まって松平元康の所に連れていかれてたせいで余計な時間を食った!猶予がないからすぐに全軍出してくれ、道は俺が案内する!」

 

「勘十郎がっ・・・!デアルカ。みんなも聞いたわね!すぐに出るわよ!!」

 

そこからの行動は素早かった。1分足らずで俺と信奈を先頭に織田軍は義元の陣を狙って一直線に駆け出した。その馬上で俺は信奈に詳細を伝える。

 

「信奈!さっきも言ったが俺は服部半蔵に捕らえられて大高城に簀巻きで運び込まれたんだ。そこで松平元康と少し交渉してきた!」

 

「どういうこと?」

 

「松平は大高城を落とした後熱田へ攻め上る準備をしていた。そこに俺が担ぎ込まれてな、松平を独立させてやるから織田方の奇襲部隊を見逃すように内諾を得た!

元康は熱田への進路を取らず鳴海に入って義元を待つふりをする。そして鳴海城の岡部元信を釘付けにしてくれる!これで後ろを取られることはない!大高から真っすぐ桶狭間まで突き進めるぞ!」

 

「竹千代が、わたしたちの後ろを抑えてくれるのね。分かったわ。この戦に勝ったら竹千代にはお礼を言わないといけないわね!」

 

「ああ、元康が俺の話を取り合ってくれなかったら確実に俺は間に合ってなかった。信奈、元康が独立したら三河は安堵してやってくれ。」

 

「勿論よ。もとより東の地には興味はないし、竹千代は一応幼馴染だから悪いようにはしないわ。」

 

俺は服部半蔵に捕らえられた後、簀巻きで大高城に転がされた。そして、松平元康と対面していたのだ。半蔵も元康が今川義元の元で使い潰される懸念は抱いていたようで、俺の事を好意的に元康に紹介してくれた。それなら簀巻きにしてほしくは無かったが・・・。

結果的には急がば回れという形になり、元康の静観を取り付けることになんとか成功したのだ。

 

ちなみに俺が急いでいるので足元を見られたとはいえ、織田と松平の同盟提案の他、産業に乏しい三河の開発支援も個人的に申し出た上に、松平は今回の戦ではあくまでも今川方につくというので、鳴海に入るだけでこちらに兵を貸したりはしないという内容の盟約を元康とは結んでいる。

こちらは色々と色をつけたのにこちらが得る利潤がほんの一瞬の織田家通過を黙認するだけ、これでは正直割に合わないのだが、今は四の五の言ってられない状況だったので俺は元康の条件を飲まざるを得なかった。本当は松平兵を裏切らせて桶狭間に向かわせるくらいしたかったのだが、流石は後の徳川家康というところか、交渉は最初から元康有利で進められて勝ち目が無かった。

 

元康が鳴海に向かったため無人となった大高城を通り抜けたころ、分厚い雲からぽつぽつと大粒の雨が降り出した。桶狭間に近づくにつれて雨は土砂降りとなり、雷まで鳴りだした。

 

「こりゃあ俺がこの時代にきて以来一番の降りだな・・・」

 

今はまだ馬も練習中の金槻はこの悪路の中の乗馬経験がない。少し不安になりながあら呟いた。

 

「尾張は毎年この時期に決まって一度これくらいの本降りになる日が来るのよ。わたしはこれを待っていた・・・!」

 

そう、この土砂降りの雨と雷鳴は矢のように突き進む織田家の動きを今川に悟らせなくしている。信奈はこれを狙っての奇襲策を練っていたのだ。その策を馬上で全員に伝えていく。

 

「これぞ天啓!この雨に乗じて今川本陣を襲うわよ!!金槻、この先は直進!?」

 

「ああ、もうあと数里だ!」

 

「分かったわ!あんたは切り込んだら勘十郎たちを保護して控えている川並衆の指揮を執りなさい!義元を万が一にも討ち漏らさないようにね!」

 

「了解!」

 

「六!あんたは先陣で斬りこみよ!存分に暴れなさい!」

 

「よっしゃあああ!!突っ込めえええええ!!!」

 

他の将たちの動きを聞くことなく勝家は手勢の騎馬隊を率いて先頭に立った。自然と俺たちがその後ろにつく形になる。

 

「・・・文字通りの猪武者だなぁ・・・」

 

「言わないであげて、この前の信勝謀反の時は空城に突っ込んだだけだったから鬱憤が溜まってたのよ。それより万千代!十兵衛!あんたたちは六に続いて!わたしと一緒に六が漏らした敵を討つわよ!犬千代はいつも通り私の護衛ね!!」

 

「姫。此度の奇襲。満点です!」

 

「はいです!この十兵衛の腕、しっかりと見ていてくださいですぅ!!」

 

「・・・任せて、姫さまは私が守る」

 

織田軍は気が付けば勝家を先頭に綺麗な魚鱗の陣の形で今川の本陣に突っ込む形となった。

 

 

 

「なんてひどい雨ですの!?元康さん!わらわの本陣に屋根を・・・とそうでしたわね、元康さんは今は大高城を落として熱田へ向かっているはず。もうそろそろ信奈さんの軍とぶつかっているころかしらねぇ。」

 

突如降り出した豪雨に元康はたまらず傘をさしていた。うだるような暑さのために輿を運ぶ男衆が軒並みダウンしたところに、旅芸人の集団が現れたためこれ幸いと桶狭間山の麓の日陰にて休憩を与えたのが半刻ほど前。

その旅芸人の者どもは尾張を拠点にしているらしく、新たな尾張の領主さまへの礼として食事や酒を今川の将兵に振舞ったのだ。

 

瞬く間に陣中では酒盛りが始まり、勝利の前祝いだとして大いに盛り上がった。はるばる駿河からの遠征軍ということもあり、疲労がたまっていた将兵の息抜きにも丁度よいと義元も考えたのだった。

しかし、その後突如土砂降りの雨に降られ、義元隊は身動きが取れないどころか、雨宿りのため多くの兵が森に退避してしまった。

 

「これでは進軍は暫く遅れそうですわねぇ・・・まぁ大高も落ちましたし、鳴海も元信さんが抑えている以上、こちらに織田軍が来ることはありませんから問題はありませんわね。それにしても、一人は寂しいですわねぇ・・・。」

 

と呟く、今義元の周囲には四百余名の馬廻衆と小姓衆しかいない状態だ。しかもそれぞれが急に降り出した雨の対処に追われており、先ほどまで酒を飲んでたためおぼつかない足で動き回っている。義元の話相手になれるような者はいなかった。

 

雨によって狭まった視界の外から突如、喧噪だけが聞こえてきた。そして、雨が弱まり少し視界が開けた瞬間、義元は正面には馬に乗った武士の姿を捉えていた。

 

「全軍突撃!かかれぇっ!!!」

 

義元が今まで聞いたことのない声と共に、馬上の武士たちが一斉に駆け寄ってきた。

 

「今川義元!覚悟!!」の声と共に馬から飛び降り槍を向けてきた。

 

「なっ!織田軍!!あり得ませぬわ!服部党が結界を敷いていたはず・・・。だ、誰か!わらわを守りなさい!」

 

突如のことで壊乱状態に陥る今川勢、僅かにいた義元の側近たちが輿の周りに固まる。

その側近たちはしかし、織田軍の先陣で突っ込んできた姫武将の一振りで一刀両断されていた。

 

「見つけたぞ十二単!貴様が義元か!!私は織田家家老柴田勝家!」

「丹羽長秀、参ります!姫、奇襲は成功しました!満点以上です!」

「斎藤家家臣、明智十兵衛光秀!推して参ります!」

 

続々と後から続く織田方の将の名乗りを聞いて、義元は悲鳴を上げて輿から飛び降りて駆け出した。味方もいない、馬もいない、どこへ向かっても敵だらけだった。

ここで初めて義元は自分が包囲されていると悟った。周りについていた数少ない側近たちは次々に打ち取られていき、いつしか義元は一人で坂を転げるように必死に逃げていた。

しかし、豪雨によってぬかるんだ地面、泥田地帯という地形、気が付けば膝まで足が嵌ってしまっていた。なんとか足を動かすが靴が脱げて気が付けば裸足になっていた。着飾った十二単が水を吸って体がどんどん重たくなっていった。

 

「だ、誰か・・・誰かわらわを助けなさい・・・ううっ・・・」

 

義元はついに泥田の中で動けなくなってしまった。途端に涙があふれていた。思えば義元を海道一の弓取りの異名を持つまでにのし上げた太原雪斎は生前、織田家攻めに反対していた。

これは罰なのだろうか、義元にはそう感じられ、後悔と恐怖で涙が止まらなかった。遥か後方から数少ない味方であろう者たちの悲鳴が聞こえる。もう耐えられそうになかった。

 

 

 

その時、義元に近づく一人の男の姿を義元は見た。見たことのない人物だ。恐らくは織田方の将だろう。体格は大柄ながら繊細そうな顔をしており、何より見慣れない色の入った眼鏡をかけていた。

 

「君が今川義元だね。」

 

「あ、あなたは・・・?」

 

「俺は小笠原金槻、織田家の将だ。もういいだろう。降伏してくれるかな?」

 

「わらわが、信奈さんのようなうつけ姫に降伏?ありえませぬわ!」

 

「そうか、じゃあ仕方ないか・・・。俺は武士が死を選ぶならそれを妨げるべきではないと思うから。出来ればかわいい女の子は斬りたくないんだけどね・・・。」

 

そういって小笠原金槻と名乗る将は刀を抜いた。

 

「あんまり慣れてないから、痛かったらゴメン。」

 

そういって下半身が泥に嵌っている義元の首に刀を突き付ける。

義元は、ここで初めて太原雪斎が遺した最期の言葉を思い出した。

 

「何があっても生きて、生きて、生き抜いて、そして幸福を掴まれよ。」

 

義元はハッとした。刀は既に振り上げられていた。

 

「・・・いやっ・・・!死にたくない・・・!わらわは死にたくない・・・!」

 

振り下ろしかけていた刀を持つ腕が止まった。

 

「最初からそう言えばいいんだよ。大丈夫。君の命は俺が保証する。ほら、掴まって。」

 

金槻と名乗る将が腕を差し出す。義元は藁をも掴む思いでその手を掴んでいた。

 

「・・・よいしょ!っと。ああもう、かわいい顔が台無しだなぁ。大丈夫だよ。」

 

金槻はそう呟くと泥だらけになった十二単の外側を何枚か脱がせて代わりに懐から大きな布を取り出して義元にかぶせ、相変わらず泣きじゃくる義元の頭を撫でていた。

 

「よし、それじゃあ刀は預からせてもらうよ。歩ける?」

 

金槻の問いに義元は無言で頷いていた。その涙には悲しさや悔しさ以外の感情も含まれていたことは、この時は誰も知らない。

 



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第23話 論功行賞

尾張・大高城

 

 

今川家への奇襲を完璧に成功させた織田軍は、各々大高城に退却してきていた。

元々天候が回復して今川の将兵や鳴海の部隊が動いてしまうと織田方に勝ち目はない。そのため信奈は予め目標を達成したら各自空っぽの大高城にまで引き上げて未だに今川方の城となっている鳴海を伺うように諸将に指示していたのだ。

 

大高城に真っ先に戻ってきたのは信奈と犬千代の部隊だった。元来大将というものは基本先陣をきることはない。今回は少数精鋭であったため信奈も強襲に参加していたが、万が一の事故が起きてはまずいので義元の確保は他に任せてさっさと引き上げていた。そうは言っても突撃に参加していたため、信奈自信も敵の旗本隊と思われる部隊長クラスの首を2つ取っていた。犬千代に至ってはその槍で突いた敵は数知れぬという状態であった。

 

「やったわね犬千代!あとは義元さえ獲れば・・・」

 

「・・・あの状況だと義元は逃げられない。確実に誰かが討ち取ってる。」

 

信奈たちは大高城の守備を固めつつ、吉報を待つのであった。

 

 

 

次に引き上げてきたのは柴田勝家だった。

 

「姫さま、この勝家!敵副将を討ち取ってまいりました!また義元ですが、多くの兵が泥田地帯に転げ落ちるのを見たとのことです!」

 

「お帰り六!副将の首、確かに確認したわ!泥田地帯には金槻が川並衆を伏せているわ。あいつなら上手くやるわ。」

 

その後も続々と将兵が大高に帰還してきた。そして各々はみんな手土産として今川方の首や兜など、思い思いの戦果を挙げていた。特に今回客将として参戦していた十兵衛の戦果はすさまじく、森で雨宿りしていた今川家の家老各を複数名討ち取っていた。

 

 

 

そして大方の将兵が帰還した頃、ついに金槻の部隊が凱旋してきた。彼の後ろには織田方の将兵が初めて見る美少女が布にくるまれて引っ付いていた。

 

「小笠原金槻、只今帰還しました!敵の御大将。今川義元を連れて参りました。」

 

「デアルカ、金槻!今回の勲功一等はあんたよ!褒美は好きなものを取らせるわ!」

 

信奈の言葉に俺は首を振る。

 

「いや、今回の勲功一等は俺じゃない、信澄だ。こいつの足止めが無ければこの奇襲は無かった。褒美は信澄に取らせてやってくれないか?」

 

「謙虚ねぇ、分かってるわ。もちろん金槻には好きなものを取らせるけど、勘十郎もよ。何でも言って頂戴。」

 

そう信奈が宣言すると、凱旋してきた俺の部隊の列から信澄が駆けだしてきた。

 

「姉上!武士に二言はござらんな!」

 

「勿論よ、何が欲しいの?」

 

信奈の面倒臭そうな顔をよそに、信澄は堂々と、声高らかに宣言した。

 

「ぼかぁういろう1年分を所望します!」

 

「・・・」

 

周りが一瞬固まる。まさかとはおもっていたが本当にやるとは俺も思わなかった。

 

「ういろうね、分かったわ。」

 

信奈はニヤッと笑ってこらえた。ういろうなんて織田家の財力を考えればはした金だ。安くついたと内心ほくそ笑んでいるのだろうか、まぁ顔にも出ているのだが。

 

喜び勇んで後ろに戻る信澄。侍らせている親衛隊に早速ちやほやされており、女日照りな織田家の兵たちは心の底から妬みを口にしていた。

 

 

「で、あんたが今川義元ね。今まで散々苦労をかけさせてくれたわねぇ・・・」

 

信奈の顔が馬から降りて俺の横に侍っていた義元に向く。つい先ほどまで泣きじゃくっていたはずの義元だが、既に回復したらしくいつもの?お姫さまに戻っていた。

 

「おーっほっほっほ。左様でございますわ!わたくしこそが海道一の弓取り、今川義元ですのよ?あなたが信奈さんですわね。このわ・た・く・し・を従えたのですから、早く天下を手中に収めて頂かないと困りますわよぉ。」

 

「金槻、こいつ斬っても問題ないわよね?」

 

勝ったはずなのにコケにされてるような信奈の怒りはもっともだ。もっともなのだが・・・

 

「いや、頭と胴は繋いだままにしておいてくれ。最悪俺の褒美は義元の処遇の決定権でも構わない。」

 

「・・・へぇ、あんたやけに義元を可愛がるわね?」

 

いけない、信奈の目が攻撃色を帯び始めた。何故か後ろにいる十兵衛も似たような表情をしているし。

 

「まぁ理由を説明させてくれ。現状確かにこうして義元を捉えることには成功したが、未だに義元の本国の駿河と遠江には未だに義元の軍勢が3万は控えている。今の織田家でそれを叩く余力はない。そんなことをしたら美濃から斎藤義龍が来る。」

 

「まぁそれはそうね。」

 

「そこでだ、義元を織田方の捕虜として留め置いておく。そして元康に三河で独立してもらう。こうすれば今川氏は当主不在のまま北の武田という爆弾を抱えることになる。前にも少し話したが、武田のお家騒動のなかで武田信玄が海を欲しているのは明らかだからな。当主不在の地ともなれば確実に攻めてくる。今となっては今川との同盟破棄に反対していた武田義信はいないし。また松平も言い方は悪いが対武田の防波堤として機能させることも出来るって寸法だ。」

 

つまり俺の作戦はこうだ。まず今川義元を捕虜として抱え込むことで今川家中の機能不全を誘う。そして武田の駿河攻めを誘発させるというものだ。武田が動いているうちに美濃・近江を抑えて上洛すれば織田家の勝ち、もし武田が早急に駿河を抑えて美濃に入ってきたら武田の勝ちというシンプルなものだ。

 

「デアルカ、確かに義元を生かしておけば代替わりをさせずに済んで今川家中の不和も誘えるわね・・・。」

 

「ああ、更に備えとして準備していた上杉との同盟交渉も本格化させる。少しでも武田の動きを遅滞させないと上洛は厳しいからな。そう言う訳での義元の助命だ。もちろん迷惑をかけないように普段は玉ノ井で俺が身柄を預かるし、必要な金は玉ノ井の稼ぎから出す。」

 

色々と理由をつけて義元の助命を行う。思いが通じたか、それとも勲功一等に対する配慮なのか、信奈の攻撃色はひとまず収まり、義元の助命は認められることとなった。

 

「分かったわ、義元の身柄は金槻に預けるわよ。煮るなり焼くなり好きにして頂戴。でも今後については鳴海を取り返して全部片付いてから後々評定で決めましょう?

それよりも今はこの戦の勝利を祝いましょう!みんな、勝ち鬨を!!」

 

雨が上がり、光が差した空には美しい虹がかかっていた。大高城には織田軍の大歓声がこだまし、その声は目と鼻の先の鳴海にまで響いていった。

 

 

 

その後、兵の再編成を終えた信奈たちは怒涛の勢いで鳴海城に攻めかかった。しかし、鳴海は既にもぬけの殻で、松平元康も、岡部元信も既に退却した後だった。どうも今川義元隊が壊滅したと聞いて、慌てて桶狭間に向かいそのまま三河へ撤退したようだった。織田家は落とした大高、鳴海の両城を整備し、その日の夕刻には清州へ凱旋した。これにて桶狭間の戦いは終結し、織田信奈は尾張一国を完全に平定した。

 

 

 

 

その日の夜、論功行賞が清州の本丸御殿で開かれた。

 

「それじゃあ、今回の戦いの論功行賞を行うわ!この後そのまま祝勝会だから、今日は無礼講よ!!」

 

信奈の声に応じて、諸将は大いに盛り上がる。尾張の将兵はみな揃って祭り好きなところがあり、こういう機会に一致団結して楽しめるのが良い所だ。

 

 

「それじゃあ、まずは勲功一等!勘十郎!!あんたは金槻のもとで今川義元の足止めを行った、その活躍が無ければ今回の勝ちはあり得なかったわ。」

 

「はい!」

 

呼ばれて信澄は信奈の前に跪く。少し前まで国を割って揉めていた2人とは思えない和やかな光景で論功行賞はスタートした。

 

「あんたには希望通り、ういろう1年分を送るわ。」

 

「姉上!ありがたき幸せ!ぼかぁ本当に姉上の弟として生まれて良かったと心底痛感しています!」

 

 

 

「次、金槻!」

 

「おう!」

 

「あんたは勘十郎を使い義元の足止めを指示、更に川並衆を配置して今川軍の退路を断った。また竹千代を説得し鳴海の岡部元信を釘付けにした上に、最終的に義元を捉えた。この手柄は計り知れないわ!よって部将に昇格よ!また郡代として任せていた一宮一帯を所領にするわ。」

 

俺はついに、自分の土地を持てる部将に昇格した。侍大将格の郡代と領有が認められる部将では実は天と地の差がある。今まで俺が任されていた郡代はあくまで代官、その土地を持つものの代行としてその地を治めているに過ぎない(一宮の場合信奈の所領で俺が代行して行政を仕切っていた)。

 

しかし、所領を持つというのは文字通り自分の土地を持つということ。つまりその土地の民たちを使い、好き勝手出来るということを意味する。もちろん悪いことに使えば民が怒り一揆に繋がる。そしてその責任は領主が持つことになるため、責任も倍増するのだが、俺はついに土地持ちの武家の頭領という位を得ることになったのだ。

 

まだ織田家に仕官して1か月少々。驚くべき速度での出世だったが、ここに侍る織田家の将兵には今や金槻の功を疑う者はいなかった。

 

「ありがたき幸せ。」

 

俺は万感の思いを込めてそう返す。ここまで長いようで短かった。必死に頑張ってきた結果がようやく実った気がした。

 

「次、十兵衛!」

 

「はいです!」

 

「あんたは道三の客将として参陣し、今川軍の家老級の首を獲った。その功として織田家への正式加入を認めるわ!また美濃を獲り返した際にはあんたの故郷、明智荘の近くに所領も与えるわ。いいわね道三?」

 

今回の戦は腰痛のため清州で留守番をしていた道三も頷く。

 

「構わん。元よりワシは既に美濃をお主に譲っておる。」

 

「デアルカ!これからもよろしくね十兵衛!」

 

「ありがとうございますですぅ!この十兵衛、今後とも身命を賭して信奈さまに仕える次第ですぅ!」

 

その後も次々と論功は進められていった。先陣をきった勝家は家老各に帰参、長秀さんも確実な戦果を挙げており自らの所領を拡大した。信奈をそばで守り続けた犬千代も信奈の親衛隊である赤母衣衆の筆頭に取り立てられた。他の諸将も加増を受けてようやくひと段落したところのことだった。

 

 

 

 

「なんじゃ、もう論功行賞まで始めておったか。これは遅れてしもうたのう。」

 

と天井裏から声がした。そして次の瞬間、信奈の目の前に巫女服のような和装をして少女が現れていた。

 

「なっ!曲者か!?」

 

俺は慌てて刀に手をかける。他のみんなも似たような態度だった。恐らくは忍びの者と判断したのだろう。その動きを一喝して止めたのはあろうことか信奈本人だった。

 

「待ちなさい皆!この子が左近、滝川一益よ!!」

 

信奈の喝を聞いて俺たちの動きが固まる。

 

「滝川一益どのと言えば、伊勢の切り取りを姫に任されているお方。私も初めてお会いしました。」

 

という長秀さんの声に一同が頷く。それもそのはず、一益を登用した場にいたのは信奈だけ。誰も顔を知らなかったのだ。一応は尾張で色々やっていた俺以上に謎な人物として、本当に実在するのかなど、度々織田家中では噂になる程度の人物だった。

 

「うむ、改めて名乗っておこうかの。この姫こそが滝川左近将監一益じゃ。よろしゅうのう。」

 

そう名乗った一益は相変わらず突然のことで固まっているみんなを見渡し、そして信奈の方を向いた。

 

「ところで左近、急に戻ってくるなんてどうしたのよ?伊勢で何かあったの?」

 

「いや、のぶなちゃんが危機と聞いたからの、援軍を連れて船で大高城まで乗り付けたのじゃが、一足遅かったようでの。もう戦は終わっておったのじゃ、それで折角こっちに来たからと思ってのう、挨拶がてら参った次第じゃ。」

 

「デアルカ、って伊勢攻めにわたし兵を全く貸してなかったのに、まさかもう援軍出せるくらいまで伊勢切り取ってるの!?」

 

これには一同驚きを隠せない。滝川一益は俺と比較的近い時期の信奈に仕官したが、実質的には独立しており伊勢で好き勝手していると思っていた。そもそも一益の手勢は仕官時数百程度しかいなかったはず。そのため伊勢に基盤があるという一益の言葉を信じた信奈以外はまともに取り合わず半ば捨て置かれたような状態だったのだ。

それが気づけば数千の手勢を連れて尾張に急行出来るほどの勢力に急拡大しているなど、いくら何でも計算が合わなすぎる。

 

「ちょっと左近、今の伊勢の状況を教えてちょうだい。どうやってそんな大量の兵を集めたの?」

 

「なーに簡単なことじゃ。のぶなちゃんに仕官した後、姫はこの愛らしさで伊勢神宮の巫女になったのじゃ。伊勢は武士よりも神宮が権威を持っておるからの、あとは神宮の名前で伊勢にいた諸将を従わせたまでじゃ。」

 

「確かに仕官してきたときに守護大名たちを従わせる力があるって言ってたわね・・・。

それがまさか伊勢神宮の権威だったとは・・・こんなにも早く伊勢を平定するとは思わなかったわ。」

 

「姫の実力ならこれくらい朝飯前じゃ。今は守護大名に借りる形で兵を連れてきたが、近いうちにのぶなちゃんに臣従させて好きに使えるようにするぞえ。」

 

「デアルカ・・・」

 

あまりのことに信奈も頭が回らないらしい、それもそうだ。俺たちが尾張から今川を追い払うために手間暇をかけてようやくそれが実ったのが今日のこと。それと同じ期間で一益は兵を損じず伊勢一国を平定してのけたのだ。

 

「これは素晴らしいです。姫は瞬く間に尾張、伊勢の2国を治める大名になられました。100点です。あとは美濃を抑えれば3国を治めることに、ここまで来れば押しも押されもしない大大名、上洛も現実味を帯びて参ります。」

 

「うん、しかもそれだけじゃない。伊勢を抑えたということは西に向かう道が近江経由以外にも、大和経由という道も使えるようになる。道中の伊賀は忍びの国。こちらから手出ししなければ素通りさせてもらえるだろうし、三河の松平に従っている服部半蔵は元々伊賀者の頭領、松平と織田は同盟を結ぶし半蔵の道案内があれば伊賀越えはそこまで悪路でもない。その先の大和は三好と敵対している筒井領。俺たちは畿内を抑えるためには確実に三好とは敵対するから味方に引き入れるのは容易だ。」

 

こうなってしまえば美濃さえ獲れば上洛を阻むものはもう何もない。織田家はこの桶狭間での勝利を境に、一気に天下に名を挙げる一大勢力となったのであった。

 

「左近!これは、金槻にも引けを取らない勲功よ!!あんたも部将に取り立てて加増するから今後も頼むわよ!!」

 

「任せるのじゃ、伊勢方面は引き続き志摩の海賊どもや熊野の土豪を平定するが良いかのう?」

 

「ええ、好きに切り取りなさい!」

 

急遽ではあったが一益の伊勢切り取りの論功行賞も済ませ、そこからは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎとなった。

 



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第24話 戦間期

尾張・美濃国境 玉ノ井湊

 

 

桶狭間の合戦から数日後、梅雨の間の僅かな晴れの日を使って俺は2日ほど休暇を貰っていた。もう間もなく水無月、6月に入る。この時代は旧暦なので俺がいた時代の暦に直せば6月中旬といった時期だ。

俺は供に前野某を連れて、玉ノ井湊に築いた堤防の先端で鮎の友釣りに勤しんでいた。元いた時代では海釣り専門だったのだが、なかなかどうして延べ竿での釣りも楽しいものだ。この時代にはまだ友釣りは普及していなかったようで、竿も仕掛けもお手製なのだが、それで釣れた時の喜びもまたひとしおなのだ。

一応斎藤義龍と敵対している今この湊は最前線にあたるのだが、今日は至って平和な時間が流れていた。

 

おとり鮎のついた仕掛けを川に流して暫く待つ。野鮎の当たりが出るまでの間、俺はここ最近の出来事を回想していた

 

 

昨日までは桶狭間の戦いの戦後処理のために目の回るような忙しさだった。論功行賞の席に突如現れた滝川一益による伊勢平定の経過の報告も同時に舞い込んできたため、織田は尾張と伊勢の2国を治める大大名へと一気にのし上がったためだ。つい先日まであわや滅亡という状態だったのに、今や織田家の勢いは天を衝くものと化していた。

 

合戦に敗れた今川隊は豪雨の中散り散りに敗走し、落ち武者狩りなどにも襲われた。最終的に後詰に合流し浜名湖を越えられたのは当初の義元隊およそ六千のうち、千にも満たない惨状だったという。また、鳴海を抑えていた岡部元信ら先鋒隊も撤退を余儀なくされ、後詰部隊と共に今川家の本拠である駿府にまで退いていった。だが今川家の受難はここからだ。

 

合戦後、鳴海にいた岡部元信を今川の後詰にまで送り届けた松平元康は、あろうことか今川家が事実上乗っ取っていた岡崎城に堂々と入場し、今川からの独立を宣言したのだ。

三河は元来松平の領地、元康の祖父である松平清康が守護大名吉良氏から奪い取った土地なのだが、それを元康の父松平広忠が治めていた時に松平家を臣従させる形で義元が乗っ取ったのだ。その際に火事場泥棒的に奪った岡崎は松平にとって先祖代々の地であり、元康にとっても岡崎奪還は悲願だった。また元康に付き従う服部党も今川の手を離れた。

瞬く間に三河を統一した元康は、岡崎で軍備の増強を始めており、狙いは引馬であると堂々と家臣に告げて回っていた。引馬とは現在の浜松。つまるところ元康は遠州攻めを画策しているのだった。

 

今川家にとっては三河が手から零れ落ちただけでなく、遠江も危機的状況に陥ったわけだが、まだまだ苦難は終わらない。甲斐の武田信玄も堂々と駿河を攻めると言い出し戦支度を始めたのだ。

この戦の支度は上杉と再度川中島で戦うためのものとも噂されていたのだが、義元が桶狭間で織田家に捕縛され、そのまま降伏したという報が日ノ本じゅうに伝わり、方針を転換したと思われた。少し前に武田ではお家騒動により一時期今川攻めの機運が鈍化していたのだが、それが桶狭間の戦いによって再燃した形だ。

今や今川領は、周辺諸国の餌となり果てており、既にかなりの将兵が駿河を見限り北条や松平などの周辺に逃げてきている。元康は気を利かせてか今川から下ってきた将兵を織田家にまでそのまま受け流しており、優秀な人物は既に登用され信奈の元で働かされている。

 

ちなみに肝心の今川義元はと言うと、先日の論功行賞と祝宴にも何故か?普通に居座り、そしてあくる日には俺のうこぎ長屋に留め置かれるというよく分からない状況になっていた。

そりゃ元々義元の助命を申し出たのは俺だし、身元も俺が預かることになっているのだが、それにしても元々織田家の人間だったかのように堂々と居直るとは俺も思わなかった。

その後俺が玉ノ井に戻るタイミングで一緒に連れてきたので、今は玉ノ井の屋敷で過ごしてもらっている。今後は屋敷を改築し、義元の住居にするつもりだ。

もちろん今川家が残存している現状では捕虜扱いなので塀は少し高く作るが、義元はどうやら脱走する気などはさらさらないらしく、少し高慢だが可愛い姫さまとして早くも玉ノ井の民たちに慕われ始めている。今後は今川から降ってきた将兵を俺の家臣団にも組み込んで義元の面倒を観させるつもりだ。

 

そういった事情もあり、俺が玉ノ井の屋敷を本拠とするのもあと僅かのこととなった。現在玉ノ井の湊は建築ラッシュがひと段落しており、今は小さいが利便性の高い湊町として活気が付き始めている。

井ノ口への荷物は義龍と敵対しているため未だ量が少ないが、それでも海からだけでなく飛騨や木曽路からも特産品が安定して入ってくる内陸の湊として既に安定軌道に乗っている。今後美濃を治め、井ノ口の市場との取引も活発化すれば後は放っておくだけで大量の金が入ることは確定的に明らかだった。

 

 

「・・・そのためにも、さっさと美濃を取らないといけないんだがなぁ・・・」

 

俺はそう呟く。早く美濃を攻めたい気持ちは満々なのだが、現実はそう上手くいかない。ここ暫く信勝の謀反や美濃への備え、桶狭間の戦いなど連戦で尾張国内は疲弊しており、また米の量が心許ない状態に陥っているのだ。

恐らくは暫くの間、本格的な義龍への攻勢はしかけず散発的な攻勢に留まるだろう。暫くは内政と外交に力を入れることになるというのが専らの見解だ。一応軍事関係が一切動いていないわけではなく、一益率いる伊勢方面軍による志摩・熊野平定は継続して進行中ではあり、美濃方面に対しても元美濃勢の十兵衛と部隊の指揮である勝家が中心となって作戦の検討や偵察、小規模な挑発的攻勢はかけているのだが、本腰を入れて美濃を落とすのは秋になりそうだ。

 

 

 

しかし一方の外交面では織田家は重大な局面に入ろうとしていた。近く三河を統一した元康が信奈との同盟交渉のために清州に来ることになっているのだ。これは桶狭間の戦いの折に俺から持ち掛けたものであり、信奈も元々東国には興味が無い。幼少期から気心の知れた人物ということもあり、すんなりと元康との同盟は成立する見通しだ。何より尾張にも八丁味噌が安定的に入荷できるということで信奈や勝家などの根っからの尾張人たちは喜んでいた。しかし、他の外交については今難しい局面を迎えている。

 

まず畿内方面について、これは五右衛門からもたらされた情報なのだが、浅井がついに動こうとしているらしいのだ。浅井長政が信奈との婚姻同盟を画策したのは少し前の話、意図的に織田家を窮地に追い込んで信奈が同盟を蹴れない状況を生み出そうとした。

その結果、斎藤義龍の下克上が起こり、道三と譲り状がある信奈と土岐氏の支持基盤を持つ義龍との間で争っている状態に美濃は陥っている。その後、長政は義龍と手切れし、長政自身が美濃へ攻める姿勢を見せているのが直近の報告だった。

 

その後、桶狭間の戦いが起こり伊勢も平定されたことで状況が一変したため、五右衛門には再度近江を探らせたのだが、その報告が届いたのは今朝のことだ。

なんと、浅井長政が直々に近く尾張に来る素振りを見せているというのだ。恐らくは急拡大した織田家の領域を見て、これ以上待つと浅井家にとって有利な状況での同盟は難しくなると考えたのだろう。

 

実際今長政が信奈に対して強くでていけるのは、京への道を抑えているからに他ならないのだが、伊勢が抑えられたことで既にその前提が崩れかかっているのだ。少し遠回りにはなるが伊賀、大和を超えるルートを使えば敵対勢力にあたることなく京へ入れる道を信奈は既に手中に入れているに等しく、織田家の中で浅井の価値が下落し始めているのは確かだ。

美濃を抑えれば織田の勢力圏は100万石を超すことになり、そうなってしまえば浅井は織田との同盟は望めなくなり、むしろ臣従を迫られる立場に様変わりする。端的に言えば、長政は焦っており我慢できなくなったため、強引に同盟を纏めようとしているのだった。

 

畿内関係で言えば大和の筒井に対しても既に裏外交を開始している。筒井は現在大和を治める興福寺僧兵あがりの大名であり、順慶という当主がいるのだが、三好勢、特に河内の松永弾正久秀と対立している。ゲーム好きの俺の中では戦国の爆弾魔というイメージのある久秀だが、現在三好長慶のもとでは比較的おとなしく大和の切り取りを画策しているらしい。

筒井順慶も決して暗君ではないのが、相手が悪く押され気味なので助けてくれる大名を探していた。そのため織田の外交使節はかなり手厚くもてなされたそうだ。話によると信奈が上洛を果たせば臣従するという言質までとれたらしい。下準備も出来ていない段階からそんな話まで飛び出すとは、筒井順慶も相当困っているのだろう。

 

また他の外交交渉も佳境を迎えている。対武田家を意識した上杉との同盟についてだ。

これは十兵衛に任せていたことなのだが、越後への土台作りがひと段落したという話を先日聞いている。どうも十兵衛は小姓時代、道三の指示で外交交渉などのために京の朝廷や越前朝倉氏に度々入っていたらしく、京での伝手を使って上杉家の人間と接触を行っていたらしい。上杉謙信といえば義の人として有名で室町幕府の要職、関東管領につく人物。京に太いパイプがあるのも頷ける。今後は俺と十兵衛で越後に赴き、本格的な同盟交渉を進める手筈となっている。

 

上杉家は現在、外交的に少しややこしい状態にある。武田とは当然の如く敵対関係なのだが、関東で永く争っていた北条とは実は改善傾向に向かっているのだ。当然武田信玄と北条氏康との間には今川を含めた3国同盟が存在するのだが、義元が脱落したことによってここにも大きな亀裂が生まれようとしている。義元は玉ノ井に来る道中

 

「信玄さんと氏康さんは実は犬猿の仲、というより信玄さんが各地に喧嘩を売りすぎなのですわ。はしたないことねぇおっほっほ。その2国の間をとりなしていたのがわたくし、今川義元でしたのよ?まぁこの3国同盟の策自体は雪斎さんの考案ですが、わたくしが抜けた3国同盟などすぐに瓦解いたしますわよ、おわかりになって?」

 

と言っていた。義元の言っていたことは間違いないだろう。恐らく近いうちに武田と北条が敵対することになる。その時に北条と上杉の同盟が成れば、東から北条-上杉-織田-松平の4勢力で武田を完全に包囲する「武田包囲網」が完成する。この包囲網の作成こそが、俺にとっての武田対策最大の策だ。本当であれば、今川義元を駿河に戻して信玄を完全に内陸に閉じ込めたいのだが、流石に敗戦間もない義元だと武田に呑まれる公算が大きいため、尾張で保護するという形をとったのだ。武田を降すことが出来れば義元にも駿府くらいは返してもいいかと考えていたりする。とにかくようやく対武田の作戦の全容が見えてきたことに俺は嬉しく感じる。

 

「おい小僧、お前の竿あたってるぞ。」

 

前野某に声をかけられてハッとする。そう言えば釣りをしていたのだった。慌てて魚の当たりに合わせて竿を立てる、良いサイズの鮎がかかっていた。

 

「すまん。ちょっとボケっとしてた。」

 

「まぁ小僧の立場なら考えることもたくさんあるだろうよ、ただ折角の休暇だ。たまには頭を休ませねぇえとどこかでバテるぞ。」

 

前野某に頭を小突かれる。彼の言うことはもっともだ、今は貴重な休暇中。頭を休ませるための日に頭を使っていてはダメだ。

 

「ああ、そうだな。」

 

「ま、そうは言っても休ませて貰えないっていうのは人気者の辛い所だな。ほら小僧、客が来てるぞ。」

 

某に促されて堤防のつけ根に目を向ける。そこには件の幽閉中の義元と晴れて織田家の正メンバー入りを果たした十兵衛が手を振っていた。

 



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第25話 姫武将の日常

玉ノ井湊の桟橋でのんびりと釣りをしていたところにやってきたのは、十兵衛と義元だった。

 

「お休みの所申し訳ないですぅ。実は明日、勝家どのが稲葉山を攻めることになりましたです。それで渡しの手配の調整にきたです。」

 

「そうか・・・ってまたえらく急だな。陣容は?」

 

「はいですぅ。大将は勝家どの、副将に犬千代どのが付いて五千の兵で美濃領内の狩り働きと城の兵力調査を行うとのことですぅ。」

 

狩り働きとは、敵国領内の田畑や山林を荒らすことで米などの収穫にダメージを与える攻撃のことを言う。つまり本格的な城攻めではないのだが、後々地味に効いてくるジャブのような攻撃だ。

 

「仔細了解した。渡しの管理は川並衆担当だから、前野の親父頼んだ。」

 

「おう、五千程度ならすぐに運んでやらあ。」

 

前野某の頼もしい言葉を聞いて、今回の戦いは俺の出番はなさそうだと悟る。明日の朝に渡すとのことなので、勝家と犬千代に挨拶くらいはしておこうと心の中に留めておく。

 

「それで、魚は釣れましたですか?」

 

「ああ。鮎がいい感じに大きくなってきたな。この大きさなら塩焼きが美味いぞ。食べていくか?」

 

「いいですね!ご相伴にあずからせてもらうですぅ!」

 

ちょうどいい時間だったので釣りを切り上げることにして、俺と十兵衛、義元は屋敷へ向かった。前野の親父は「折角暇だったのによう、俺にも鮎残しておけよ小僧!」と言って渡しの調整のために組合の方へ向かっていった。

 

 

玉ノ井の工事がひと段落し、街としての動きが活発化してきたことに合わせて、玉ノ井会議の際に作ることになった組合も活動を本格化させ始めている。

川並衆が中心となって運営しており、玉ノ井湊に施設を建てた人への家賃や船着き場の利用料の請求や、共同利用の設備の維持管理、そして津島の納屋衆や正徳寺を始めとした出資者への収益分配、そして木曽川の渡しの営業などを取り行っている組織だ。今は前野某が代表を務めており、今回のような船の手配などは彼から各所に手配をかける流れになっているのだ。

 

今後はこの組合も更に拡大し、美濃路の集落や萩原宿、そして俺の所領となった一宮の商店にも加入してもらいたいと思っている。また、木曽川の鵜飼をはじめとした水産や農家などの生産者支援にも乗り出しており、さながら俺がいた時代の農協や漁協のような様相を呈し始めているのだった。

 

ちなみに組合の建物は俺や義元の住む屋敷のすぐ横にある。これは義元の見張りという役割も密かに持っていたりする。

そんな屋敷に戻ってきて俺は早速魚の処理に取り掛かった。

 

 

「そういえば、義元は何しに桟橋まで来てたんだ?」

 

「やっとわたくしに気付きましたわね。なに、少しお腹がすきましたのでお昼でも用意して頂こうと思っていたところでしたの。そうしたら十兵衛どのが屋敷に参られまして、金槻さんをお探しとのことでしたので道案内をして差し上げたまでですわ。おっほっほ!このわらわに直々に道案内してもらえること、感謝なさい?」

 

「全く、この十二単は自分の立場をお分かりなのですか?この十兵衛はてめーなんかの道案内がなくても金槻先輩の所までたどり着けたですぅ!そもそもこの湊は先輩と私で築き上げたもの。出しゃばるんじゃないですぅ!」

 

鮎に串を通しながら聞いていると、2人はこんな調子だ。どうやら義元はお腹を空かせていただけらしい。

 

「はっはっは。分かった分かった。義元の分も鮎はあるから安心しな?」

 

「流石は金槻さんですわね。わらわの想いは通じておりましたわ。」

 

俺と義元のやり取りを聞いて十兵衛はジト目だ。

 

「・・・金槻先輩、信奈さまも言っておられでしたが、義元に甘くないですか!こいつはあくまで捕虜なのですよ。斬られて当然のこいつがなんでこんなゆったりした暮らしを許されてるのですぅ!」

 

十兵衛の怒りはもっともだが、本当に斬られると困る。

織田家正式メンバー入りをしてから俺の事を先輩と呼ぶようになった彼女に俺は手招きして耳を貸せとジェスチャーする。

 

 

「十兵衛の言いたいことも分かるが・・・、俺は義元を捉えた時、この子が全てを失って泣きじゃくってるのを見ちゃったからさ。アレを見ちゃうと斬れなくなったんだよ・・・。」

 

そう、あの大雨の泥田に全てを失って沈んでいる義元を見て、この戦国時代に繰り返され続けてきた残酷さを感じ取ってしまった。文字通り全てを失ってただの少女になってしまっていた義元を、俺は彼女の命まで取るという選択は出来なかった。

 

「それに、彼女は今川家の当主として武田、北条と互角以上に渡り歩いた経験がある。まだ若い信奈が行き詰った時、経験がある義元が補佐してくれる・・・そんな気がしてるんだ。」

 

「・・・それは金槻先輩の未来の知識があるから、そう思われるのですか?」

 

「いや違う。桶狭間の戦いで俺がしる歴史だと義元は戦いで死んでいる。だから本当なら殺さないといけなかったのかもしれない。でも、平和な時代に生まれ育った俺だから言えることなのかもしれないけど、こういう悲しみが連鎖し続けているから戦国の世は終わらないんじゃないかって、そう思うんだ。

信奈は苛烈な行動をとることも多いからな、ここまで乱れた乱世を治めるには確かに劇薬も必要なんだが、全部劇薬にしてしまうとどこかで壊れると思う。それを義元なら上手く調整してくれるんじゃないかと思っているんだ。」

 

 

そう、いつかは考えないといけないことだが、信奈は俺の知っている通りの歴史を歩めばどこかで本能寺の変という悲劇につながる。そしてそれを起こすのは目の前の少女なのだ。

俺は理屈として、本能寺の変を回避するために史実にない動きをする必要がある。そういう意味では義元の助命は正解だと考えている。

 

「まぁ、確かにこいつならこうして飼っている分には害はないです。ですが、金槻先輩の知っている歴史にない動きをすれば、いずれ先輩自身の首を絞めることにつながるです。」

 

「ああ、でもそれでいいんだ。それに歴史にない動きならこれまでもいくらかやってきてる。この玉ノ井もそうだし、武田包囲のための上杉との同盟もだ。それに・・・」

 

「それに、なんですか?」

 

「俺が知ってた通りの歴史を辿ってもつまらんからな。より楽しく、より良い結果を求めるためなら俺の知識なんてその辺の犬に食わせて構わん。」

 

元よりその覚悟なのだ。今更歴史を動かすことにためらいはない。俺は全力でキメ顔をして十兵衛を安心させようとした。しかし十兵衛は肩を震わせていた。

 

 

「金槻先輩、そこまで想っておられでしたか・・・。でしたらもう何も言わないです。でも、一つだけ約束してほしいですぅ!」

 

「何だ?」

 

「金槻先輩は確かに優秀です、この十兵衛よりも広い視野を持ち、度胸もあるです。」

 

「褒めても何も出さんぞ。」

 

「分かってるです。でも、先輩は自分を顧みなすぎるです!この時代に本来いないからといって、先輩がいなくなっても誰も悲しまない訳じゃないですぅ!」

 

気が付けば十兵衛は半泣きだった。

 

「先の桶狭間の戦いの折も、先輩は一歩間違えれば服部党に殺されていたと聞きます。先輩が死ねば義元やこの十兵衛だけではなく、信奈さまも悲しみになります!もっと自分を労わってくださいですぅ!」

 

そこまで言われて俺はぐうの音も出なかった。確かに俺の中で、自分の命は2の次という考えは常にあった。

 

「・・・女の子を泣かせてるようじゃ俺もまだまだだなぁ・・・。分かったよ、俺は死なない。約束する。」

 

「本当ですか・・・?破りやがったら正徳寺の墓に嘘つきの女たらしって戒名を刻んでやるです!」

 

「お、おう。それは守らないとヤバいな。」

 

「おっほっほ、金槻さんはやはり女たらしですこと。男はみんな姫武将の涙には敵いませんのよ?おわかりになって。」

 

少し茶化されるように軒先にいた義元にも言われるが、彼女も目は少し本気だった。

 

 

「ま、まぁ俺がいた時代でも女の涙は武器とは言うけどなぁ・・・。

大体本気で女の子に泣かれて俺が勝てる訳ないよ。元いた時代でも恋愛経験ないし。」

 

「えっ、金槻先輩まさかそのお歳で童貞なのですか?」

 

いきなり十兵衛がぶっこんできた。俺はたまらず噴き出す。

 

「い、いきなり何言うんだよ!どどど童貞ちゃうわ!それに恋愛とそれは関係ないでしょ!」

 

俺の反応を見てニヤつく十兵衛、そして義元も乗っかってきた。

 

「まあまあ、金槻さん。いい歳をしたおのこが情けないですこと。関係大ありですわよ?」

 

ここぞとばかりに全力で見下してくる義元、こういったいじられ方に慣れていない俺は更に地雷を踏みぬいた。

 

「うるせえ!俺がいた時代じゃ齢20までに卒業すれば問題ないんじゃい!ていうかそんなこという2人こそ経験あるのか!?」

 

「若い乙女にそんなこと聞くなんて扱いを本当にしらないのですね!やはり間違いなく童貞。それと姫武将は籍を入れるまでは基本みな生娘ですぅ~!」

 

「これは間違いないですわね。わらわも当然生娘ですわ。ちなみにおのこは大抵15.6にもなれば嫁をもらってお子を作られますわよ。」

 

「なっ!」

 

「そういえば金槻先輩のもとに来ている信澄どのも近く16になられますですぅ、遠からず縁談の話もくるのでは?」

 

「ああ、あの沢山のおなごを連れてわらわを足止めなされたお方ですわね。あのお方も織田家の長男として育てられたお方ですから、当然縁談もあり得ますわね・・・。というか、あの親衛隊の女子たちも既にお手付きではなくて?」

 

 

義元の言葉は実は的を得ている。信勝謀反の後に俺が預かることになった信澄だが、信勝派であった織田家の旧家臣団は軒並み信勝の元を離れていったにも関らず、親衛隊の女の子たちは未だに信澄のお付きをしているのだ。

正直、今の信澄の稼ぎは俺がういろう屋の稼ぎからほんの一握りを与えているだけで、信澄の店で全員がバイトしている訳でもない。それだけの給金であれだけの数の親衛隊を食わせているのは計算が合わない。

 

一度不思議に思って五右衛門に調査させたのだが、信澄親衛隊の娘衆の数は百ほどおり、しかもその全てが地主や商家の娘といった、所謂お嬢様なのが分かった。彼女らは今全員が玉ノ井に住処を持っており、ういろう屋の裏の長屋はさながら女子寮となっているとのことだった。

そして信澄のういろう屋の他、萩原宿の女中として修業していたり、商家出身の子はこの湊の店で丁稚をしていたりといった具合になっているというのが発覚している。

 

つまり信澄の親衛隊はそれぞれがこの近くで働いている他、実家からの仕送りもあるためそれなりに裕福で、しかも俺の所領内においてかなり重要な労働力となっているということが調査の結果わかったことだった。

当然裕福な層が纏まって生活しているため、この地域の商品はそういった層に向けての物が集まる。以前信奈が玉ノ井に来た時に、串本から大きなヒラメが入荷していた。俺は当初、あれは井ノ口からの需要を見込んで行商が持ってきたと思っていたのだが、純粋にこの地域が高所得化していたから高級品を持ち込んでいたということも明らかになった。

 

この調査結果を五右衛門から受けた俺は、なぜそこまでして信澄についてくるのかという疑問に行き着いた。考えてもらちが明かないため、ある時信澄を呼んで直接聞いたのだった。

その際に帰ってきた答えは、信澄が侍らせているという訳ではなく、彼女たちがついてくるといったものだった。

 

彼女たちの両親にあたる裕福な商人たちは、この地域の領主たる織田家との繋がりを欲していた。この時代、力を持つ身分は武士、そして力を得る方法というのに一番よくつかわれる手段は政略結婚だ。

 

信奈はあの性格なので男を送ってもまず突き返される。最悪首になって帰ってくる。しかし、信勝は温厚かつ信奈同様の美形でしかも男子だったため、娘がいた裕福な家は信勝を狙って娘を送り込んだ。

信勝との間に子が出来ればその子は織田姓の紛い無い武士になれる。そしてその子の身内として権力を握れるという寸法だった。つまるところ信勝にとってはハニートラップそのものだった。いつの間にかそれが纏まって親衛隊として組織的な動きをするに至ったのだ。

 

しかし信勝が旧家臣団に担がれていた時は、武家の頭領となる信勝は武家と結ばれなければならないという考えの家臣団によりこの親衛隊は解散させられていた。

多くの商人たちはこれによって内乱となることを予期して信勝から娘を離そうとしたのだが、送り込まれた娘も時代とは言え年頃の女の子、尾張の貴公子とすら言われた美形の信勝との恋愛に憧れていた。秘密裏にだが女の子たちの間で親衛隊は活動を継続していたのだった。

その結果信勝が謀反に敗れ信澄となった後も、純粋に信澄の寵愛を受けるための囲いが残り、親の商人たちは信澄に近づけば今度は新進気鋭の玉ノ井に足掛かりを得ることに繋がると考え娘たちを今も支援している、という流れだった。

 

つまるところあの親衛隊の一番の目的は信澄の寵愛、そしてそれを支援している親の意図はこの玉ノ井への進出の足掛かりということだった。

そして信澄自身も夜にはその長屋に消えていくというのを五右衛門が確認していた。

 

五右衛門曰く、「あそこは遊郭にござるよ。」とのことだった。

 

 

「ま、まさか・・・この時代にあって俺は、男として信澄にすら負けていたのか・・・!?」

 

俺は必死に目を背けていた現実を直視してしまい、悶え苦しんだ。

 

「ところで十兵衛さん、いつまでこのお遊びを続ける気ですの?わたくしいい加減お腹がすきましてよ?」

 

「まぁ、金槻先輩の面白い顔もみれたですし、そろそろ許してあげましょうか。先輩、流石に冗談ですぅ。」

 

「ふぇっ?冗談?」

 

何が冗談なのか、頭が回らない。

 

「実はですね、桟橋に行くまでに義元とお話していたのです。先輩の慌てる顔を一度みたいと。

十兵衛も先輩はいつもの毅然としたところしか見たことがありませんでしたので、私の”人をおちょくる七十二の方法“を使わせていただきましたですぅ。効果はてきめんでしたですね♪」

 

「そういうことですわ。いい顔を見れて満足ですわよ。ささ、早くお昼にしませんこと?」

 

つまるところ、Sっ気満点の女の子2人に言葉責めにされた。ということだった。可愛い女の子に罵倒されて喜ぶ趣味はねぇ・・・いつか仕返ししてやると思いつつ、俺はさめざめとした涙を流しながら囲炉裏に鮎を刺していくのだった。

 



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第26話 木曽川の戦い

尾張・清州城

 

 

リフレッシュ休暇明け、俺は信奈から登城の指示をうけ、清州の本丸御殿に入っていた。

昨日、勝家と犬千代が美濃へ攻め入ったのだが、散々な結果に終わったのだ。昨日の夜明け前、兵五千を連れた2人を川の対岸に渡したのだが、なんと二千の損害を出したうえ、こちらは斎藤義龍軍にまともな損害も与えられない始末だったのだ。

 

織田家が誇る軍事全振りの武将2人で出陣して負けたという事実に、家中は大慌てとなり、信奈も急遽美濃獲りの作戦を練り直すこととなったのだった。今日は昨日の報告と今後を話し合う会合で、信奈の他昨日出ていた勝家、犬千代。更に長秀さん、俺、元美濃勢の道三と十兵衛といった面子での会議となった。

 

「・・・それで、なんであんたたちがそこまでコテンパンにされたのよ?」

 

信奈はまるでフグののように頬を膨らませ、見るからに不機嫌だ。

 

「はっ、私と犬千代は昨日の夜明け前に光秀、金槻の用意した渡しに乗って美濃に入りました。桶狭間の戦いの後の戦ということもあり、兵の士気も高くこの士気と織田兵の強みである速度を活かして朝駆けを行い、日の出と共に井ノ口近くの敵陣にせめかかるつもりでした。実際道中に出くわした美濃勢は数合打ち合っただけで大抵引いていきました。」

 

「・・・でも、その日は朝から霧が出ていた。この時期に霧はまず出ないのに、それで速度を削がれた。」

 

「で、気が付けば霧の中敵のど真ん中を進んでいて、霧が晴れた途端に周囲が敵だらけだった。ということか。」

 

俺の想像に力なく首肯する2人。つまり包囲の形に嵌ってしまったということだ。これではいくら将が良くても勝てるわけがない。

 

「しかし不思議なのは霧です。この暑い時期にまず発生することはないのですが・・・。天運に見放されておりましたか。30点」

 

そう万千代が結論づける。実際自然のものをうまく利用した義龍軍に軍配が上がったと見るのが自然だ。俺も今回は運が無かったのだろうと思い、次の話へ頭を切り替える。しかし元美濃勢である2人は違った。

 

 

「・・・季節外れの霧に周到に手配され隠された兵、これはもしや・・・」

 

「うむ、まず間違いなかろう。不味いことになったわい。これでは稲葉山は落ちんのう・・・」

 

「ちょっと道三、十兵衛!何か心当たりがあるの?」

 

信奈の詰問に十兵衛は恐る恐るといった感じで答えた。

 

「はいですぅ。実は美濃には隠れた天才軍師がおられます。そのお方が敵方についているとみて間違いないですぅ。」

 

「美濃に天才軍師?初耳よそれ。」

 

「はいですぅ。そのお方は極端な人嫌いという噂。実際に十兵衛も会ったことがないです。」

 

「まぁ実際には人嫌いというより、世間に出たがらない内気な性格なのじゃが。それがどういう訳か義龍などの味方をするとは思っておらんかったわ・・・」

 

2人の深刻な表情を見て織田勢の顔も引き締まる。

 

「美濃・・・軍師か・・・。もしかして、奴か?」

 

「金槻!何か知ってるの!?」

 

「あぁ、俺がいた時代だと確かにこの戦国の世に名を馳せた名軍師に美濃出身が一人いるんだ。そいつは今孔明の異名を持つ。現代の諸葛孔明ってことだな。」

 

「うむ、流石に未来からきた金槻どのはご存知であったか。」

 

「確かに、もしそいつが敵方にいるなら勝家と犬千代じゃ無理だ。相性が悪すぎる。」

 

言い方は悪いがこの2人はノリで軍を動かすきらいがある。所謂脳筋部将だ。確かに腕っぷしは凄いのだが、頭を使う戦ならまず勝てないだろう。

 

「もう、もったいぶってないで名前を教えなさいよ!」

 

 

「はいですぅ、その者の名は竹中半兵衛。美濃の西の街、大垣から更に奥地へ行った菩提山という山村の陰陽師軍師ですう!」

 

十兵衛の説明を聞いて一瞬固まる。陰陽師なんて属性がついているとは思わなかった。しかし他は俺が知っている竹中半兵衛と同じプロフィールなので同一の人物だろう。

 

「半兵衛は、持ち前の知略と陰陽師の様式を取り入れた独特の戦術を用いる故、生半可な者ではまず勝負にならん。此度も恐らくは散兵と織田軍をぶつけ、すぐに退かせることでこちらの進路を誘導しておったのじゃろうな。それに陰陽師の術で霧を生み、兵を隠すことで織田軍を囲い込んだのじゃろうな。」

 

道三の予想に俺も頷く。恐らく半兵衛の採った策略は十面埋伏の計。敵の進路を誘導し、一度敵を素通りさせるかたちで敵を包囲し八方塞がりにするというものだ。軍を手早く進めようとした勝家と犬千代はまんまと敵陣深くに入っていたということだ。

 

 

「何よそれ、陰陽師なんて中世の古臭い考えに引きずられているだけじゃない。時代は南蛮よ!道三もそう思うでしょう?」

 

「うむ、じゃが実際半兵衛はその古式な伎を見事に用いておる。とりわけ合理主義者なワシや信奈どのとは相性最悪じゃわい。」

 

「ふん!どうせはったりよ!それならこちらも手堅くやるまでよ。万千代!金槻!あんたたちに五千ずつ兵を預けるわ。美濃へ攻めなさい!」

 

「ですが姫、ここで一万もの兵を動かしてはこの先の夏に米が不足しかねません。まず攻勢に出られるのは秋以降になります。35点です。」

 

「構わないわ!ここで義龍軍と件の竹中半兵衛を叩ければ秋までは敵に襲われることもないわ。今は織田家の周囲は東は松平で同盟予定、西の伊勢は左近が平定済みよ。向かってくる敵は北のみよ。」

 

長秀さんがやむを得ないといった表情で下がる。

 

「俺からも一言いいか?」

 

「何よ金槻?あんたも出陣に反対なの?」

 

「まぁ反対とまでは言わんが、良い方法とも言えんと思う。まず俺は未来から来ている以上竹中半兵衛が如何に凄いかよく知っている。大体この時代から400年以上後になっても名が轟いているのは名将の証だ。

それに俺だって戦術が無いわけでもないが、俺はどっちかっていると戦術よりも戦略家だからな、こういう個別の戦闘の指揮は未知数なんだよ。実際それだけの兵を率いた経験もない。やれと言われた以上全力で戦うが、戦果は上がらんかもしれんぞ。」

 

「構わないわ。あんたの言う通り、あんたに今不足しているのは経験よ?経験豊富な万千代もついているから、安心して全力を出しなさい。」

 

「分かった。」

 

ここまで言われれば俺も引き下がるわけにもいかない。全力で戦うのみだ。

 

「それじゃあ今日の会議はここまで!2人は準備出来次第すぐに攻めなさい。」

 

かくして、俺は長秀さんと共に再度美濃へ攻勢に出ることとなった。

 

 

 

 

その1週間後、俺は玉ノ井から兵五千を率いて美濃へ入った。

 

今回の合戦、俺と長秀さんがとった作戦はこうだ。

 

まず兵を五千ずつ、俺は玉ノ井から、長秀さんは犬山から美濃へ進める。南と東から稲葉山を挟み込む形だ。更に俺は副将に美濃に詳しい十兵衛を、長秀さんはリベンジに燃える犬千代と、更には信奈自身も入って陣頭指揮を執るということになっている。勝家は今回は留守番をしてもらうことになった。

俺の軍はどちらかと言うと別動隊だ。稲葉山から距離的に近いのはこちらなので、敵を俺の軍で引き付けて後に回った長秀隊が叩くという作戦だ。

また今回は以前のような朝方の戦いではまた霧を呼ばれると判断し、夕方の出陣で夜の攻勢ということになった。

 

普通に考えればかなり手堅い作戦なのだが、相手は竹中半兵衛。俺は慎重を期して五右衛門や足の速い兵を斥候にだし、かなりゆったりした動きで軍を動かしていた。

 

 

「なぁ十兵衛。もうそろそろこの前勝家がやられた場所じゃないか?」

 

「そういえばそうです。あの時はこの谷を囲むように敵がいたそうですよ。思えば完全に包囲された状態でよく三千もの兵を残して撤退できたですぅ。この地形で包囲じゃ下手したら全滅ですぅ。」

 

そう、勝家たちは谷の底で包囲されていたのだ。つい1週間前に起きた惨劇に瞑目しつつ、勝家たちが入れなかった更に先の地帯にすすむ。

 

その先を暫くいったところで、斥候に出ていた五右衛門が戻ってきた。

 

「小笠原氏、この先に敵陣がござるよ。」

 

「わかった。中の兵はどれくらいいそうだった?」

 

「それが・・・もぬけの殻でござる。」

 

「え?じゃあ廃棄された場所ってことか。丁度いい、ここは長秀隊との合流地点にかなり近い。この陣を使って守りを固めようか。」

 

「賛成ですぅ!それでは十兵衛は前に行って陣中の制圧をして参ります!」

 

のんびりとした行軍にしびれを切らしていた十兵衛が、勢いよく前に向かっていった。

千程度の兵を連れて先行してくれるようだ。

 

 

 

十兵衛から遅れること10分後、俺たちも敵の残した陣に到着していた。先に十兵衛がいるということで、さっさと陣内に入る。

 

しかし、陣内は迷路のように入り組んでおり、なかなか十兵衛と合流出来ない。これは変だと思った次の瞬間。

 

俺の率いている部隊の前方と後方から同時に鬨の声があがる。そして、銅鑼を鳴らして騎馬隊が俺たちをめがけて突っ込んできた。その兵の旗は波の紋、間違いなく斎藤軍だ。

 

「不味い!前後から敵が!?」

 

気が付いた時には敵味方入り乱れての乱戦が始まっていた。慌てて俺は槍を取るが敵兵は慌てるこちらに打撃を与えるとさっと引き上げてしまった。

 

「被害の報告を!」

 

「今の攻撃で百人ほどやられたみゃー!」

 

「なんでだ?前には十兵衛の部隊がいるはず。あの部隊はどこから来たんだ・・・」

 

ひとまず前線から上がってきた被害の報告を聞きながら考える。被害は軽微なのだが、陣内で敵に襲われたということで味方の士気がかなり落ちていた。これは良くない傾向だ。

 

「みんな!大丈夫だ。このまま進軍する!敵がまた来るかもしれないから前方と後方には常に気を配るように!」

 

と発破をかけて行軍を再開する。するとものの5分程度で再度敵騎馬隊が奇襲を仕掛けてきた。

 

 

「やっぱり来たか!押し返すぞ!!」

 

今度は準備が出来ていたため難なく押し返すことに成功する。こちらにも被害は出ていない。この機を逃してはいけないと思い俺は前方の敵に全力であたることにした。

 

「よし!それじゃあ前方の敵を追うぞ!どこかで十兵衛と合流したい!」

 

そういって馬を走らせ味方を前へと引っ張る。敵を追う立場となったことで味方の士気も盛り返した。ここからが本番だと気を引き締める。

 

「・・・いた!敵軍だ!突っ込むぞ!!」

 

ほどなくして敵部隊に追いつき、攻勢を仕掛ける。しかし・・・

 

「待ってくださいです!金槻先輩!!この舞台は十兵衛の隊ですぅ!!」

 

「なっ!? 全軍止まれ!!」

 

なんと敵だと思って突っ込んだ部隊は十兵衛率いる先鋒部隊だったのだ。即座に攻勢を止めるがこちらは兵四千、すぐに全員に伝わるわけもなく、戦線の端の方では同士討ちを発生させてしまった。

 

 

「どういうことだ!?俺たちは攻勢を仕掛けてきた義龍軍を追っていたんだが・・・」

 

「金槻先輩!どうもこの陣はおかしいですう!十兵衛も先ほどから何度か敵の挟み撃ちにあったですぅ。敵が退いていったあとすぐに金槻先輩の部隊がきたです!」

 

「そんな、あり得ないぞ。俺の部隊は襲われた後前方の敵を追ったんだ。襲われた所からここまでは一本道だった。道中退いてきた兵ともかち合わなかった。」

 

そうこうしているうちに、再度斎藤軍による攻勢が始まる。神出鬼没の敵軍に気が付けば部隊は大混乱に陥っていた。

 

「これは・・・マズいですぅ!どっちに進めばいいかも分からなくなってきたですよ!」

 

「ああ、まるで蟻地獄だな・・・。仕方ない。作戦を変更する!この陣は恐らくは竹中半兵衛の用意した罠だ!敵の有利な場所に留まる理由もない。このまま前進してこの陣を抜けて長秀隊との合流を目指すぞ!まずは部隊を立て直す!!」

 

断続的な敵の攻勢を何とか凌ぎ、部隊を急ぎ立て直し前進する。この時点で俺の部隊五千は既に千を超える損害を出していた。

 

 

 

 

「おかしいみゃあ。進めど進めど出口が無いみゃあ・・・」

 

「もう疲れたみゃあ・・・」

 

部隊を前進させ続けて一刻ほど、未だに敵陣を抜けることは適わず。ついに兵たちに限界が訪れ始めていた。

 

この間にも斎藤軍の攻勢は止まずに度々前後から襲われては反撃に出る前に敵は去ってしまう。いよいよジリ貧に追い込まれつつあった。

 

「くそっ、またか!」

 

「金槻先輩!もう限界です!!撤退を!」

 

「ダメだ!ここで退いてしまうと長秀隊が美濃で孤立しかねない!あの隊には信奈もいる。信奈が獲られることになったら桶狭間の2の舞だ!」

 

既に何度目か分からない敵軍が前方から押し寄せてきた。今度の軍は数が多い。しかしここで撤退すれば長秀さんや信奈のいる部隊を美濃に残すことになる。俺は部隊の先頭に立ち、敵を迎え撃つ体制を取った。そして先頭にいる故に、その違和感に気付いた。

 

「・・・ん?待て!この軍何かおかしい!さっきまでと違う!!」

 

気が付いた時には遅く、再度敵味方が入り乱れる。やむなく俺も槍を取り敵を捌いていく。しかし決して槍も剣も上手くない俺ではすぐに限界が来る。気が付けば敵軍にかなり押されてしまっていた。

だが今度の部隊はなかなか退かなかった。そのお陰か、敵将と思われる馬上の人を見つけることに成功した俺は、敵将めがけて突貫を行った。

 

「お前がこの部隊の将か!ここまで散々やってくれたな!覚悟!!」

 

槍を一合打ち合う。その時初めて敵将の顔を見た。

 

 

「なっ!金槻どの!!」

 

「長秀さん!?ということは!」

 

「・・・同士討ちですか。零点です!今すぐ止めなければ!!」

 

そう、今度出会った部隊は織田軍本隊、長秀さん率いる五千の軍だった。

 

「双方剣を降ろせ!!この軍は味方だ!!」

 

俺は馬を走らせ叫ぶ。しかしもう既に真正面から長秀隊と当たってしまっていたため部隊を静めるにはかなりの時間がかかってしまった。

度重なる斎藤軍の攻勢、疲弊する兵、深夜の行軍。条件が重なってしまい最悪の事態を招いていた。更に織田軍が同士討ちしている最中にも斎藤軍が再度攻勢を仕掛けてくるため、討つべき敵と戦ってはいけない味方の区別もつかず、兵たちを纏めるのにとてつもない時間がかかった。

結果、長秀隊と金槻隊合わせて一万で出ていたはずの織田軍は双方合わせても五千という状況、更に敵軍の包囲下という危機的状況に陥っていた。

 

 

 

 

 

「長秀さん悪い!斎藤軍の攻勢と勘違いしてやってしまった!」

 

「金槻どのは悪くありません。こちらも度重なる斎藤軍の奇襲を受けておりました。そこに軍を見つけて突撃を仕掛けてしまいまいた・・・。零点ですね・・・」

 

「先輩!長秀どの!お味方の損害の報告が上がってきました!はっきり言ってマズいですぅ!このままでは全滅です!」

 

「そうか・・・そういえば長秀さん、信奈と犬千代は?」

 

「ここにいるわよ!」

 

長秀隊の後方に控えていた信奈と犬千代がようやく合流し、やっと織田軍の首脳陣が揃うことが出来た。

 

「全くもう、散々な有様ね・・・。後方からまた斎藤軍が攻めてきたからそれを防いでたの。おかげで合流が遅れちゃったわ。」

 

「・・・なんとか退けたけど、ここからどうする?」

 

全員が思案するが、包囲下でどちらに進めば良いかもわからなくなっている現在。名案など浮かばない。

 

「・・・これ以上損害が出れば本格的に尾張へ戻れなくなる。長秀隊とも合流出来たしこんな所に長居は無用、ここが引き際だと思うが。」

 

俺はやむを得ずそう具申する。全員は沈痛な面持ちで信奈の判断を仰ぐ。

 

「デアルカ、是非に及ばずね。万千代!十兵衛!あなたたちが先陣で退路を切り開きなさい!わたしと犬千代がその後に続いて、金槻はしんがりよ。何としても生きて尾張へ!」

 

全員の「承知!」という声を確認して急ぎ帰り支度を整える。その撤退戦も壊走といっても間違いのないほど酷い有様だった。

 

 

 

 

先陣をきった長秀さんと十兵衛は、俺たちが元きた道を戻るという選択をとったのだが、迷路のように入り組んだ陣内を抜けるのは簡単ではない。

あっちじゃないこっちじゃないと迷い込んだ迷路の奥地へと足を踏み入れてしまっていた俺たちは、完全に退路も断たれていたのだ。真面目な長秀さんと十兵衛のことだ、恐らくは愚直に来た道を探そうとしていたのだろう。その間にも斎藤軍の轢き逃げのような攻撃は数回続いた。

 

「小笠原氏、おかしいでござる。この道さっきも通ったでごじゃるよ。」

 

「なっ、本当か五右衛門!」

 

「間違いないでござる。怪しいと思ってクナイを柵にさしておいたのでごじゃるが、既にしゃしたくにゃいがあっちゃのでごじゃるよ。」

 

「・・・ってことは・・・!分かったぞ謎が!!殿隊は少し止まれ!!」

 

俺の中でようやく謎が解けた。このことを伝えるために俺はあえて殿軍を止めた。

 

 

待つこと5分程、俺たちが進んできた道の後ろからぞろぞろと先陣にいた長秀さんと十兵衛がやってきた。

 

「あれ?金槻先輩!?なぜここに!」

 

「やっぱりだ・・・。長秀さん、十兵衛!この迷路に出口はない!!きた道をずっと周回させられていたんだ!」

 

おそらくは織田軍が完全に迷路に嵌った後に斎藤軍が柵を動かして出口を塞いだのだろう。ドーナツ状の陣内を俺たちは永遠に回遊させられており、その外から柵を動かして敵が奇襲を仕掛けて来た。これがこの陣の謎の答えだ。

 

「これは・・・八卦の陣ですか!」

 

「あの諸葛孔明が得意とした戦術ですね。金槻どのが半兵衛どのは今孔明の異名を持つといわれておりましたので間違いないかと。20点です」

 

長秀さんの採点はかなり辛い、謎が解けるまでに時間も被害もかけすぎた。

 

「仕掛けが分かれば後は簡単だ!恐らく俺たちは八陣の鬼門にあたる死門と杜門からそれぞれ入ってしまっている。この陣は変幻自在に動かせるのが強みだからな。」

 

「じゃあどうするのですか先輩!」

 

「陣を踏み倒す!相手の土俵で戦っているから負けるんだ。陣を強引に破って抜けてしまえばいつかは出られるって寸法だ!」

 

「それは名案です、80点。」

 

そうと決まれば後は早い。柵を破壊して堰を切るように織田兵がそこから逃げ出す。文字通り袋の鼠だった状況から解放されて、あとは一目散に尾張へと逃げ帰るのだった。

 

後に木曽川の戦いと名を残すことになるこの戦いで、織田軍は僅か二千の美濃勢に対し、一万いた軍の八千を失い、軍の回復に半年近くの月日をかけることとなったのであった。

 



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第27話 愛知同盟

三河・岡崎城

 

木曽川での敗戦から半月ほど、俺は信奈・護衛の犬千代と共に松平元康の居城である岡崎城へ足を運んでいた。一緒にはいないが五右衛門にも見張りを頼んでいる。

俺たちの三河入りは桶狭間の戦いでの松平の協力の礼と今後の同盟交渉、俺が指揮する三河の開発についての相談のためのものだ。

本来であればそれくらいの用なら格としては上になる織田家の方に元康が向かうべきだし、元康自身もそれを希望して書状を送ってきていたのだが、少し訳あってこちらから出向くことになった。

 

 

 

 

話は敗戦直後に遡る。今後の作戦などを話し合う評定の席でのことだ。

 

「姫、現在織田家の戦力は八千ですが、城の防衛などにも兵を割く必要がありますので実働は五千を切ります。また桶狭間・木曽川・伊勢攻略と軍の動きが活発であったため、既に兵糧が不足しており秋の収穫を待たねば美濃攻略は行えません。30点です。」

 

「デアルカ、悔しいけど暫くは防御に徹するしかない訳ね・・・。義龍軍は動きそう?」

 

「それについては大丈夫そうですぅ。美濃は昨年不作でしたので、向こうも既に兵糧不足に悩まされています、ここで一旦勝負は水入りとなりそうですぅ。」

 

長秀さんが集計した木曽川の戦いの被害状況や十兵衛からの美濃の内情報告の結果、織田家は秋まで米の温存と兵力回復のため内政に専念することとなったのだ。熊野方面では一益が相変わらず怒涛の勢いで国人衆を従えているという報告が上がっており、軍事のリソースを暫くはそちらに回すことになった。また伊勢などで募兵を行い、勝家が練兵を行うことも決まった。

 

「決まりね、それじゃあ六は今動かせる手勢を率いて左近と合流しなさい。援軍の輸送が終わったら帰りに伊勢で募兵もしてくること。いいわね?」

 

「承知致しました姫さま!」

 

木曽川の戦いでは留守番だったためストレスの溜まっていたらしい勝家は、意気揚々と屋敷を飛び出していった。

 

「・・・なぁ信奈、勝家って伊勢とか熊野方面への道わかるのか?言っちゃなんだが土地勘が無いと神宮より南はしんどいぞ。」

 

「大丈夫じゃないかしら、知多半島から船で南下すれば神宮は案外近いし、そこからは熊野古道よ。」

 

未来生まれの鉄オタ名古屋人である金槻は熊野といえばワイドビュー南紀で通る道で、正直田舎という以外の記憶は乏しいのだが、実はこの時代の熊野はそれなりに栄えている。熊野古道の一つである伊勢路には、沿道に温泉宿が並び東国から熊野詣に来る人がひっきりなしに通る日ノ本有数の大街道なのだ。なら大丈夫かと勝家の事は頭から消しておく。

 

 

 

「それじゃ、脳筋は行ったからここからは真面目な話よ。」

 

「・・・勝家の扱いが重臣のそれじゃない。」

 

犬千代の言はもっともだと思う。

 

「適材適所って言うのよ。それで、内政・外交系で報告や提案はあるかしら?」

 

信奈が次に話を進める、ここで俺は待ってましたとばかりに手を挙げた。

 

「外交関係で俺から報告がある。良いか?」

 

「金槻ね。そういえば上杉との同盟を急かしてたわね。進捗があったの?」

 

「ああ、上杉もそうだが順を追って説明する。まずは松平との同盟交渉だ。」

 

「そういえば桶狭間の戦いのときに同盟を条件にしたんだっけ?竹千代が何か言ってきたの?」

 

信奈の鋭い勘に俺は頷き、懐から紙を取り出した。

 

「元康だが岡崎城奪取後、三河の制圧を手早く進めて既に終えている。まぁ三河は元々松平の土地だからな、国人衆たちも今川と早々に手切れして元康に靡いた。

で、元康は次に引馬城攻めを画策している。浜名湖を完全に勢力圏にしたいんだと思うが、その前に織田家と同盟を結びたいと書を持ってきた。これがその文書だ。」

 

そう言って俺は紙を信奈に手渡す。中身は

「吉姉さまへ

お久しぶりです~。松平元康こと竹千代でございます~。

吉姉さまの今川との戦、大変お見事でございました~。吉姉さまのおかげで、私は三河で独立できました~。これからは尾張と同盟し、吉姉さまの妹分として末永く仲良くしていこうと思います~。

つきましては同盟の交渉にお伺いしたいと思うのですが、吉姉さまの都合のつく日で大丈夫なので、ご連絡いただければ助かります~。」

 

といったものだった。

 

「ふーん。竹千代が尾張に来たいねぇ・・・。いいわ、昔みたいに遊んであげましょう。いつでも来ていいって返事しておいて頂戴。」

 

「いや、ちょっと待ってくれ。ここからが俺の提案なんだが、ここは俺たちが三河に出向くいたほうが良いと思うんだ。」

 

「それはなぜでしょうか?本来であればここは元康どのに来ていただくのが主筋ですが・・・。」

 

ここまで黙って聞いていた長秀さんの疑問はもっともだ。そこで俺は新鮮採れたての情報を開示した。

 

「俺が気になってるのは松平と武田信玄の関係だ。実は玉ノ井に来る木曾からの行商の話でな、武田信玄が駿河攻略を開始したという一報を受けてるんだ。そして元康は遠江を抑えにかかっている。

この2軍、下手すればどこかでぶつかりかねない。もし武田と松平がぶつかれば元康じゃ信玄を抑えきれないし、元々上洛を争っている織田領までそのまま襲われかねない。そうなると美濃どころじゃなくなるから、元康の方で信玄と折衝出来てるのか確かめたいんだ。ついでに義元なき今川軍の残党がどう散っていくのかも確かめておきたい。

そのためにも一度三河に赴いて東の情勢を本格的に探る必要があるんだ。」

 

「なるほどねぇ・・・。確か武田って一度お家騒動で今川攻めを諦めたんじゃなかったっけ?」

 

「ああ、桶狭間の戦いの少し前に信玄が駿河攻めを画策した時だな。あの時は家中で意見が割れて反対派であった信玄の弟が文字通り命と引き換えに信玄を抑えたらしい。ただそっちも結局情報の裏取りは出来なかった。何せ真田忍軍が厄介でな・・・。

武田は結局その後俺たちが桶狭間で今川戦をしている裏で上杉と川中島で小競り合いを起こしたらしい、かれこれ3回目だとさ。それもあって桶狭間の時には美濃にも駿河にも降りてこなかったんだが、今回は駿河に義元は不在だし、反対するものもいないだろうからほぼ間違いなく信玄は駿河を抑えにくるだろうな。」

 

これが今、俺が手にしている武田に対する情報の全てだ。特筆すべき点は杉との川中島の戦いが3回しか発生しておらず、しかもその全てが小競り合いに終わっているということだ。

つまり後に戦国史最大の殲滅戦とも言われる第四次川中島の戦いはまだ発生していない。これはつまりその戦で命を落とした山本勘助や武田信繁が存命の可能性があるということ。

もしそうならば武田家の戦力は今が全盛期と言っても過言ではない。また発言の通り本来第四次川中島の後に発生している義信事件が既に起きており、事件の真相が掴めていない。下手をすれば事件で廃された武田義信や飯富虎昌すら存命の線すらありえるのだ。

 

「デアルカ、たしかに竹千代が下手を打って信玄に攻められるような事態があると不味いどころじゃないわ。確かにそのあたりの擦り合わせは竹千代の所に出向いた方がやりやすいわね・・・。

決めたわ。岡崎へ一度行きましょう。万千代は留守番で美濃を睨んでおいて頂戴。」

 

ということがあり、俺たちは電撃的に岡崎を訪れたのだった。ちなみに元康には三河入りの本当の理由は伝えず、信奈が唐突に豊川稲荷をお参りしたいと言い出したことにしている。

ちなみに豊川は遠江との国境に近く、元康の遠江侵攻の準備がどれ程進んでいるかも探るためにも最適な場所だったので選ばれただけで、信奈にお稲荷様を信仰する気持ちは一切ない。

 

 

 

 

 

時間は今に戻る。俺たちは岡崎城の客間に通されていた。座布団に腰かけた対面には件の元康がちょこんと座っている。

 

「お久しぶりです吉姉さま~。このような片田舎までわざわざお越しいただきまして、恐悦至極です~。」

 

「久しぶりね竹千代!桶狭間では世話になったわね。」

 

「とんでもないです~、吉姉さまのお陰で私は三河で独立できました~。今後とも姉さまの妹分として誠心誠意働かせていただきます~。」

 

「デアルカ!よろしく頼むわよ。それじゃあ、私の小姓を紹介するわね。とはいっても金槻の事はもう知ってるんだっけ?」

 

「はい~、合戦の折に半蔵さんが捕らえてきたのが金槻さんでした~。金槻さんから吉姉さまの事をお伺いして鳴海へ進路を移したのです~。」

 

元康はそう言うと俺の方を見てお辞儀をしてくる。俺も「その節は助かった。」と一言返しておく。

 

「ええ、聞いているわ。確か三河の開発に金槻の力を貸すことになっているのよね。それで、こっちが犬千代よ。」

 

「そちらも存じております~、人質時代には吉姉さまにたぬき汁にされかけたところ、幾度となく川に突き落として救っていただきましたから~。」

 

信奈、幼少期からそんなことしてたのかと俺は半ば呆れる感じでため息を一つつく。犬千代が「・・・犬千代は、親切。」と言っているがその救出方法も如何なものだろうか。

 

「それで吉姉さま、豊川稲荷へは明日参りますがその前にここで同盟の交渉を済ませてしまいたいのですがよろしいでしょうか~。」

 

「構わないわ。わたしも元よりそのつもりよ。」

 

こうして同盟交渉はつつがなく進行し、次のことが決められた。

 

 

一つ、松平家による三河全土の領有を認め、また遠江の今川領の権益を譲る。遠江は今川義元本人に譲り状を作成してもらった。これによって今川領は名目上駿河一国となる。実情的には遠江には今川家臣が今も居座るため自力で切り取ることとなるが・・・。

また遠江国内では既に井伊家が今川から独立しており、そちらの処遇は元康に委ねることとなった。

 

二つ、織田領と今川領は軍事的・経済的に協力するため、領土間の関所を廃する、また八丁みそなどの特産品には関銭を掛けないこととする。

 

三つ、経済基盤の弱い三河の開発を織田家が支援する。開発の任には小笠原金槻があたる。

 

四つ、織田家は伊賀の服部党とも良い関係を築く。

伊勢は既に織田領であり、伊賀と隣接している。そのため織田家は服部党の伊賀から三河までの往来を自由とし、また服部党は松平を窓口として織田家からの依頼も受け持つこととする。伊賀のメインルートである伊勢本街道の周辺開発もまた金槻が担当する。(もっとも、三河と違い伊勢本街道は畿内と伊勢を結ぶ大街道であり、既に開発の余地は少ないくらい発展しているのだが)。

 

信奈と元康が相互に花押を押しているのを眺めながら、俺はこれから忙しくなりそうだと気持ちを新たにしていた。



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第28話 山が動く

三河・豊川稲荷

 

岡崎での織田家・松平家の同盟交渉から一夜明け、俺たちは現状東の最前線にあたる三河・遠江の国境地帯を視察していた。

今日は朝駆けで浜名湖の西岸から遠くに引馬城を眺め、その後建前上目的地である豊川稲荷へ入ったところだ。

この後は長篠城を視察し、その後岡崎を通り尾張へ戻る行程の予定となっている。

 

朝の浜名湖岸を馬で駆けるのは非常に気持ち良かったが、遠くに見える浜松の街は残存する今川家が未だに抑えている土地であり、また遠江北部では井伊家が独立を宣言している文字通りの最前線である。

一応義元に譲り状をしたためてもらったので、遠江の権益は元康のものとなっているのだが、実際に切り取りを行うのはこれからのことだ。

 

「・・・以上が、ざっくりとした遠江との国境線の配置です~。兵を率いるのは本多忠勝さん、現状松平家では彼女が軍事の一切をとりしきっています~。

また、作戦や内政面は本多正信さんが担当しています~。東方面はお二人に任せることが出来たので私は外交と三河国内の安定化を手早くおこなえました~。」

 

「デアルカ、竹千代も部下に恵まれているようね。」

 

豊川稲荷の境内でお茶をしながら、お互い良い部下を持ったわと信奈が笑う。

織田家はどちらかというと信奈に馬車馬のように働かされているだけな気がするが、声には出さないでおいた。

今日はそれよりも大事なことを聞きに来たのだ、まず俺から切り込んでいく。

 

「ところで元康どの。貴家の現在の外交状況についてお伺いしたいんだが、よろしいか?」

 

「はい~。金槻さんが気にかけておられるのは武田との関係についてですよね~?」

 

「左様、今織田家は武田と美濃の権益を争う情勢に差し掛かっているが、織田と松平が同盟することで武田との関係にも動きがあるかもしれないから確認しておきたいんだ。」

 

「やはりそうでしたか~。わざわざ吉姉さまと三河へ出張してこられたのもそのためですね~。合点がいきました~。」

 

そう、俺たちの一番の目的は松平と武田家との関係を探ることだ。元康は流石に頭の回転が速く、既に俺たちの三河遠征の意図にも気づいていたらしい。そこまでバレているのであれば話は早い。あとは腹を割って話すだけだ。

 

元康は、俺が求めていた情報を話しだした。彼女としても織田家の庇護なしでは戦国の世を生き残れないため、ここで信奈に嘘をつくようなことはしないだろう。

 

「武田とは既に密約を結んでいます~。信玄さんは海を求めているとのことでしたので、駿河を武田に、遠江を松平に割る形で話は決着しました~。遠江で独立した井伊家については、私に任せると文もとどいています~。」

 

やはり、松平と武田の間では既に話が進んでいた。武田と松平がぶつかるのではという俺の心配は杞憂だったようだ。

 

「それを聞いて安心した。それではこれから元康どのは遠江攻めを行うということだな?」

 

「その通りです~。予定では今月中には攻め込むつもりです~。

実は駿河側は既に信玄さんが攻撃を初めていまして、既に大井川の対岸には武田菱が靡いています~。」

 

「なっ、それは早すぎないか?俺が武田による駿河攻めを察知したのはまだ数日前なんだが・・・」

 

「本当に信玄さんと武田騎馬隊は恐ろしい速度です~。美延から下って1週間程で三保の松原まで進軍したようですよ~。」

 

元康によると、武田騎馬隊は既に駿河の殆どを抑えているようだ。恐らくは今川家は既に瓦解しており碌な抵抗もなく突き進んだのだろう。駿河にいた今川家臣はその殆どが信玄に降伏したか旧来から仲の良かった北条家を頼って落ちていったという情報も服部半蔵が掴んでいるらしい。この様子だと元康の遠江攻めもハイペースで進みそうだ。

 

それにしても、俺はまだ松平元康とは2度ほど会談しただけなのだが、早くも彼女には後の徳川家康たる片鱗が見て取れる。

 

桶狭間の戦いの折に交渉した際もだが、彼女は他家の下につきながらも絶対に自分が損をしない立ち回りが出来る人物だ。あの時は織田家が譲歩せざるを得ない状況だったことを良いことに散々に絞られた。

当時織田家が今川軍に勝つには奇襲しかなく、それを成功させるために元康を動かさせないことは必須条件であった。俺は元康を離反させるつもりで交渉していたのだが、持てるカードを全て切っても取れた言質は鳴海入りの確約だけだった。

そして今回も、俺と信奈の三河入りの意図を正確に予測し、満足いく回答まで用意していた。

 

実は外交関係の会談を行う前に俺が桶狭間でつけたカードの一つである「三河の開発支援」の会議も行ったのだが。こちらはまたもや散々だったのだ。

当初俺は、元康の居城である岡崎と東海道沿道に重点を置いた開発計画を提案した。これらの地域は集客が見込めるため、あわよくば俺と川並衆で宿場を直営して利潤をあげようと画策していたのだ。しかし、この考えもまた元康に読まれていた。

 

「金槻さん~。大変申し訳ないのですが、実は岡崎と街道筋の開発は既に我々の方で計画が進行中でして、金槻さんや川並衆さんへは長篠方面と渥美半島の開発をお願いしたいのです~。」

 

というのが、元康からの三河開発の依頼だった。要するに主要な地域の利権は渡さずに、開発が遅れている山間部や半島地域の利益の出ない開発だけを押し付けられたのだ。

 

こちらとしては以前の合戦での借りがあるので強くは出られない、俺と元康の頭脳戦の結果はまたしても元康の圧勝という形に終わった。

この後に予定されている長篠の視察は俺の開発の計画設計を兼ねたものなのだが、そこで元康は嬉々として俺の財布を絞り取ろうとするだろう。

 

軍事的には圧倒的に有利な織田家に対して尻尾を振る元康だが、強気に出れる場面では臆さずにしっかりと自国の利益を計算している。まさしく狸の皮を被ったある種の化け物だ。

正直俺は元康には軍略では勝てない気すらしている。まさしく強敵と言える存在なのだと認識した。

 

俺はそう思考を結び、一歩引き下がった。ここまで無言で俺と元康の会話を聞いていた信奈がようやく一言を発した。

 

「もう良いの金槻?あんた確か竹千代に色々と聞きたいことがあるんじゃなかったっけ?」

 

「ああ、十分だ。やっぱり元康どのは才気に溢れている。今後とも末永く松平家とは良好な関係を築けたらと思う。」

 

「はい~。金槻さんも、今後とも三河開発の件も合わせてよろしくお願いします~。」

 

「デアルカ。こちらこそよろしく頼むわよ竹千代!それで早速だけど・・・」

 

信奈は特に気にする素振りも見せず話を次に進める。確か次は清州に建てる元康の屋敷の話だったか・・・。

 

かくして豊川稲荷での会談はその後恙なく進行し、昨日の岡崎城で調印した盟約と含めて織田家と松平家の同盟関係が成立した。この報は行商などを通じて各地に広まっていった。

 

 

 

 

 

「ふん。たぬき娘め、やはり信奈と同盟を結んだか。」

 

ここは駿河の中心地、駿府。

豊川稲荷での会談が終わり、信奈一行が長篠の視察をしている頃。この城の新たな主は持ち前の精強な兵と隠密に特化した忍び、そして勇猛な将たちの力もあって既に駿河一国を完全に掌握していた。

 

「はっ、恐らくは先の桶狭間の戦いの際に密約があったものと思われます。」

 

副将の姫武将の一人が忍びの報告に補足を入れる。上座に座る燃えるような真紅の姫はただ無言で頷く。その反応を確認し、副将と同じ序列に並ぶ3人の姫武将は矢継ぎ早に口を開いた。

 

「やはり元康めは織田信奈について我々と敵対するつもりでは!?そうなると平地が続く駿河は防衛に不利な地、やはりここは甲斐へ逃げましょう!」

 

「・・・昌信、それでは我々が駿河まで出張ってきた意味がない・・・」

 

「信房の言う通りよ。それに昌豊の言う通り、織田と松平は桶狭間の戦いの時から繋がっていた。でも元康は決して武田に盾突こうとは思っていないはずよ。そんなことをしちゃったら滅ぶのは目に見えているだろうし。そうでしょ姉上?」

 

姉上と呼ばれた将は口々に声をあげていた副将の一つ前の座布団に座っていた。

 

「三郎兵衛、俺がそんなこと分かる訳ねーだろ。どう思う太郎?」

 

「兵部に分からないことが馬鹿の俺に分かる訳ないだろ。信繁どうだ?」

 

「貴方たちは全く・・・。飯富三郎兵衛の言う通り、松平は織田と武田に二股をかけるつもりでしょう。」

 

太郎と呼ばれた青年以外は全員姫武将だが、彼女ら全員が一騎当千の兵であり、それぞれが一軍を率いる才能を持つ優秀な将である。そしてそれらを纏めるのが上座の姫武将の隣に座る年老いた初老の軍師だ。

 

 

「ふむぅ・・・それでは徳川家、そして織田家に対しての策はこうじゃな・・・これだけの駒が揃っておると考える方は楽じゃわい。」

 

「勘助、策があるなら申せ。」

 

「うむ、松平家の当面の目標は遠江じゃ。こちらは約定がある故に対した心配はしとらん。そして織田家の目標は斎藤家の美濃じゃが、こちらは秋の収穫後に大きく動くと読んでおる。狙いはそこじゃ。信玄ちゃんならもう分かるじゃろ。」

 

軍師、山本勘助にちゃん付けで呼ばれたその姫武将の名は(武田信玄)。

 

「ああ、織田家が美濃を取って脂の乗ったところを頂くとするか。決まりだな。」

 

今一度目を瞑り、自分と勘助の考えをすり合わせる。そして、目を見開いた瞬間。評定に参加する全員の視線が彼女に集まった。そこから矢継ぎ早に支持が飛び出した。

 

「次の戦は織田家との戦いだ。暫くはそれに向けて準備を進める!まずは昌豊と昌信!」

 

信玄は、まず忍びの報告を捕捉した内藤昌豊と甲斐への撤退を進言した高坂昌信に目を向けた。

 

「お前たちは川中島の監視だ。謙信がまた何かちょっかいをかけてくるかもしれん。厩橋方面は真田に任せるから昌幸と密に連絡を取って上杉軍の警戒にあたれ。」

 

「「はっ!」」

 

「次、信房は今回裏方だ。前線への兵糧・物資・兵の輸送を統括せよ。今回は川中島方面の上杉警戒部隊と美濃方面の本隊の後衛となる。松本に駐屯しどちらにでも出られるように準備しておけ。」

 

「・・・承知・・・」

 

「虎昌、三郎兵衛の姉妹は今回私と同行すること。三郎兵衛は特に初陣となる。心してことにあたれ。

最後に信繁と義信は私・勘助と共に本隊を率いる。ひとまず南木曾まで進んで織田家の美濃獲りの進捗を見るぞ。」

 

 

ここに、戦国時代最強の部隊と名高い武田軍がにわかに慌ただしい動きを始めた。次の戦場は美濃、そして尾張になることは必定となった。

 






※いつも拙作「金は天下の回り物っ!」をご覧いただきありがとうございます。※

筆者よりお知らせです。
コロナの関係で暇だったので始めた当シリーズですが、昨今の情勢によりここ暫く仕事が一気に忙しくなりました。そのため更新を1月ほどお休みしておりました。一応今後も気の向くままに更新は続けますが、4月5月のようなハイペース更新はできません。今後ものんびりとお待ちいただけますと幸いです。


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