エースを探せ! (66)
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ファーストの男


 成宮鳴にとって、四番ファーストは指定席のようなものだった。

 彼が野球というものをはじめてからというもの、ファーストには同じ男が座っていたのである。

 

 眠たげな眼に、ファーストにしておくには惜しい守備範囲。なによりも、圧倒的な打棒。

 

 ちらりと、一塁方向を見た。金髪碧眼のランナーと共に、その男は立っている。

 

 牽制か?

 

 相変わらず半開きの眼が、一応とばかりにそう問うてくる。現在7回表一・三塁のピンチ。牽制は全く必要ない……わけではないが、リスクが大きい。

 

 確かに、ファーストランナーが二塁に盗塁すればピンチは広がるだろう。だが、この場合最も注意すべきは三塁ランナー。もし牽制球が逸れれば、その時点で勝ち越しを許す。

 

 前を向き、フォームを整え、腕をふる。それを96回繰り返した。援護点は2。ファーストの男のソロ2発のみ。

 

(球が動くってのは、厄介だもんな)

 

 成宮鳴は、エースである。援護の無さを責めるようなことはしない。本当は四番の前に出てくれと悪態のひとつも付きたかったが、ぐっとこらえてマウンドに居る。

 

(落ち着け)

 

 セットポジションからの投球は、正直言って慣れていない。と言うよりも、ランナーを出すということに慣れていない。出すようなピッチングを、彼はしてこなかったから。

 

 だが、さすがはU15。世界相手ともなれば、ランナーを出さずに無双というわけにも行かない。

 

 遠く感じる18.44メートルの彼方。捕手の掲げるぼんやりとした茶色にめがけて、成宮の指先から白球が放たれた。

 

 打席には、六番。バットが畳まれ、横になる。

 

(スクイズ!)

 

 一塁方向に、白球が転がる。

 そう思って駆け出そうとした脚を、成宮は慌てて止めた。猛然と詰めてきた長身の男が白球を左手で掻っ攫って下手投げでホームへ。帰ってこようとした三塁ランナーは三本間で挟まれ、万事休す。赤いランプが1つ増えた。

 

「サンキューな、東」

 

 疲労が浮かんだ顔を白けた眼で見て、ファーストの男こと東は一塁へ帰りながら囁いた。

 

「次は三振でいいぞ、鳴ちゃん」

 

「なんでもいいだろうが」

 

 赤ランプは2つ。つまるところは2アウト。外野フライでも内野フライでも、ゴロでもライナーでもいい。

 

「次の攻撃は誰からだ?」

 

「お前からだろ」

 

「そうだ。気持ちよく打席に入らせてくれ」

 

 今日のお前のピッチングは、リズムが悪い。暗にそう言われて、ムッとする。

 だが、怒りをぶつけるべき相手はファーストより程近く。彼が坐すマウンドからは、近いようでだいぶ離れている。

 

「あの野郎……」

 

 三振を取れと、簡単に言う。その難しさは、彼が一番知っているはずだった。小・中の間、奴はついぞ一回も三振しなかった。エース様の投球練習でもパカンパカンとホームランを打ち二塁打を打ち、まともに空振りすらしなかった。

 

(思い出せ、俺)

 

 目の前の打者は、アメリカ代表の七番打者。下位打線だが、侮れない。それは間違いない。

 

 だが、あのファーストの男と比べてどうなのか?

 

(あの!)

 

 ドン、と。勢いを増したストレートがミットの中に収まる。

 

(クソ野郎の方が!)

 

 同じコース、同じ球種。舐めるなと振り抜かれたバットが思いっきり下を通過し、風が舞う。

 

 間を開かせない投球。やけくそか、舐められているのか。その判別は、成宮を前にした彼にはつかない。

 白球が投げ返され、すぐさまセットポジションを取る。タイムを言う前に、白球が降ってきた。

 

(打ってやる)

 

 速球に負けずに、振り抜いてやる。俺は七番だが、アメリカ代表の七番だ。

 

 そんな自信を持ってバットを振り抜かんとした彼の、時が止まった。

 

 球が、おそい。

 これまで見てきた、瞬きする間にミットに収まる快速球とは全く違う反重力の一投。

 

 チェンジアップ。

 速球にバカ強いファーストの男を翻弄するために習得し、完璧にモノにした必殺球。

 

 それが、バットが振り切られた後のミットに収まった。

 

 スリーアウト、攻守交代。

 

「おら、どうだァ!!」

 

 思い切り吠えた帰り際。隣を走るファーストの男に向けてミットをぶん投げんばかりに突き出す。

 エースの意地と、強烈なライバル意識。それが同時に激発した小柄な友を黒い瞳で見つめて、少し笑う。

 

「博打好きめ」

 

 グラブを突き出されたファーストの男は、口角をわずかに上げた。

 チェンジアップは、軌道で打者を苦しめる変化球ではない。遅く、やや落ちてバットをすり抜けていくだけの球。狙われれば完璧なホームランボールである。

 

 この大一番で、それを投げる。尋常な精神ではない。

 

「できると信じていたよ、鳴ちゃん」

 

「当ッたり前だろが」

 

 褒められて気を良くした成宮をよそに、グラブをもう使うことのないであろうベンチに置く。

 帽子からヘルメットに変え、東は金属バットを手にしてグラウンドへ出た。

 

「東ぁ!」

 

「わかったわかった。どこがいい」

 

「最低でも塁に出ろ! あとは俺が返す!」

 

 打撃一辺倒な東とは違い、成宮は打撃もできた。このオールスターと呼ぶべきU15でも、忖度抜きに六番に座っている。

 

「塁には出られんな」

 

「あ?」

 

 成宮鳴は、弱音を吐いた東勇輝を知らない。

 張り詰めていた身体から空気が漏れるように情けない声が漏れたのは、それが原因だった。

 

「いいか」

 

 バットを頭の後ろに回し、両手で抱える。屈伸はするが、素振りはしない。いつも過ぎるルーティーンと、いつもとは異なる弱気さ。

 

 そのアンバランスさを払拭するように、東勇輝は眠気の取れた眼で成宮を見た。

 

「ライト、センター、レフト。どれがいい」

 

 その不敵さに、思わず笑みが漏れる。はやくと急かされる中で、成宮は迷わず前を指差した。

 

「スコアボードに叩きつけてこい」

 

 微笑んで、左打席へと歩いていく。ゆったりとして、急くような感の無い風格ある歩み。

 

 相手の投手は、代わっている。ソロを2本被弾した投手は、頑張っていた。特に2打席目は隣に座っていたキャッチャーの御幸が絶賛する程のリードと制球だった。

 

 1打席目は、軽々流してツーシームをレフトスタンドへ。

 2打席目は、内外高低をうまく使っていた。小さなカーブと小さなフォークを織り交ぜ、フルカウントで、見せていなかった決め球を投げた。

 

 内から喰い込む、大きなスライダー。踏み込めるはずもない、当たるのではないかという球。内角ギリギリに決まるはずだったそれは、金属が破裂するような異様な音を鳴らしてライトスタンドへ。

 

 がっくりと崩れ落ちた投手を、責めるものはいなかった。

 

「ほんと、よく見逃すよな」

 

 手をぷらぷらと振りながら、隣に座る御幸が呆れたようなため息を漏らした。

 

「振ってもいいだろ、今の」

 

 内角ギリギリに外れるツーシーム。平然と、身動きすらせずに見逃す。

 たぶん、1打席目であればストライクを取られていただろう。だが、ボール球に全くの無反応だったこれまでの2打席がこの1球をストライクからボールに変えた。

 

「あいつ、憎たらしいほど眼がいいから」

 

「そのわりには誇らしげだけどな」

 

 茶化されて、反論しようとしてやめる。

 食い込んで来たスライダーをこれまた避けもせずに平然と見極め、2ボール。

 

「次だな」

 

 御幸と成宮の言葉がかぶった。

 2ボールからのスイング率が極めて高いことを、片方はデータとして、片方は経験として知っている。

 

 相手投手が、たまらないとばかりに間を取った。その気持ちは、2人共とてもよくわかる。

 

「そういえば、ライトやらなんやら言ってたけど何だったんだ?」

 

「ああ。どこにホームラン打ってほしいかって言われたんだよ」

 

「そりゃあ……やりそうで怖いが」

 

 御幸は、同地区のシニアの正捕手だった。幾度となく対戦し、幾度となく苦渋を舐めさせられてきたからこそ、やりかねないということを知っている。

 

 引き攣った顔をする御幸の頭の中には、これまでまんまと打たれてきたホームランの数々。たぶん、10本はくだらない。打率は7割近くあっただろう。

 

「『センターのスコアボードへ』って言ってやったよ。この球場はセンター方向が一番広いからな。スコアボード直撃目指して振れば、引っ張り気味にならざるを得ないし……」

 

 そうすれば、ホームランの可能性も高まる。流し方向への異様な伸びで軽視されがちだが、東は引っ張ったときの方がデカイのを打てる。

 

「よく考えてるな――――」

 

 試合が動き、会話が止まる。間を崩されても平然と、東勇輝は打席に居た。

 

(なんとまぁめんどうな小細工を)

 

 間を取る。タイミングを外す。これは打者にとって、厄介というよりも面倒な行為である。

 さあ来いと、一度構える。そうなれば当然臨戦態勢になるわけで。

 そこで間を外されると、拍子抜けする。チェンジアップと同じように、空振りしたような格好になる。

 

 間を取っている間、投手はプレートに脚をかけたり外したり、グラブをずらしたり球を持ち替えたり。

 一方東は、バックスクリーンを見ていた。

 

 当然ながら、英語である。人名以外は、まるで読めない。

 

(かみやなんたら、しらかわなんたら、やまおかなんたら、東勇輝、みゆきなんたら、成宮鳴)

 

 そこまで読み終えたところで、間が終わった。打席に戻るよう促され、東はバットを前に突き出して目の照準を合わせた。

 

 前に出した腕を引いてとった構えは、オープンスタンス寄りの基本型。肩にヘッドを載せて担ぎ、背を弓のように反らす。

 

 腰を落としてどっしりと構える姿には、これぞ四番という風格があった。威圧感、とでも言うべきか。

 捕手が構えを完全に固定した東の様子をうかがい、怯んだように外に構える。構えられたミットを見て首を振り、それを見て僅かに内へ。

 

 それを繰り返して、コースが決まった。インロー。大きく構えたフォームの都合上、最も打ちにくいコース。

 だが、ボール1個分内に入るだけでスタンドへ持っていかれるだろう。

 

 シニアの7回裏は、高校で言うところの9回裏である。つまり、点を取られたら終わり。もっと言えば、ホームランで終わり。

 

 捕手としては、四球覚悟のボール気味の球で勝負する気だった。投手としては、コースをギリギリついての勝負で打ち取る気だった。

 

 捕手から見れば、東には2本のホームランを打たれている。そう簡単に打ち取れないという危機感、むしろどこ投げても打たれるんじゃないかという恐怖感すらある。

 

 投手から見れば、あくまでも2被弾したのは他人である。前は打たれたが、俺なら打ち取れるという自信があった。

 

 逃げのリードと、強気の投手。お互いの折衷案が、このインロー。

 球種は詰まりやすい動く球。これにしたって、ストレートで決めに行きたい投手と変化球で外したい捕手の折衷案。

 

 全てにおいて中途半端な球は、18.44メートルの彼方から放たれた。クセ球とはまた違う、明確に手元で動くツーシーム。ズバリとインローに決まる、投手目線からすれば最高の、捕手目線からすれば最悪の球。

 

「それ」

 

 なにかが破砕したかのような打撃音の反響が収まるその前に、スコアボードを何かが叩く。罅が入り、跳ね返り、グラウンドへ何かが落ちた。

 

 一瞬の間をおいて、大歓声が熱気を伴って渦を巻く。

 

「ゴルフじゃねーか」

 

 呆れたようなつぶやき。捕手として今の打席を見ての、御幸の感想がそれだった。

 

 腕を畳むというよりは、身体を曲げて東は打った。横から叩くのでも、下を叩いて飛ばすのでもなく、上を擦るのでもなく、下からすくい上げる。

 

 得意コースとか苦手コースとか、そういうお話ではない。腕が長く身体がでかいから届きにくいところを狙った。極めて理にかなっているのに、それすら容易く覆す打撃センス。

 

「上位打線が全員、稲実に行くんだろ?」

 

「そうだよ。今からでも考え直す?」

 

 捕手は空いてるよ、と。

 顔色ひとつ変えずに悠々とグラウンドを一周する東への突撃態勢を取りながら、成宮鳴は挑発的な笑みを見せた。

 

 成宮は、最強のチームを作るつもりだった。国際大会に選ばれるオールスターのメンツを揃えて同じ高校へ行き、甲子園を連覇する。

 

 激戦区西東京の三強が一角、稲城実業高校。ピッチャー・センター・ショート・ファースト・サードまでは揃えた。残りはセカンドとキャッチャー。

 そのキャッチャーの有力候補が、この御幸一也だった。彼は既に、青道高校への推薦入学が決まっている。

 

「いや、そんなやべぇチームを倒したいって気持ちは変わらねぇよ」

 

 御幸は笑う。どんな打者にも弱点はある。それを見つけ、投手と共に乗り越えてみせると。

 

「だろうね。楽しみにしてるよ、その足掻き」

 

 成宮は、不敵に笑う。自分が揃えたベストメンバーを倒せるものならば倒してみろと。

 

 国際大会が終われば、もう12月。進路は固まり、早ければ2月には寮へ入ることになる。

 

(乗り越えてやる)

 

 ホームベースに帰ってきたヒーローを、みんなで迎える。この試合、3の3、3本塁打3打点。先制ソロ、同点ソロ、サヨナラホームランとまさにひとりでエースを援護した四番の鑑。

 

 東勇輝。御幸が見てきた中で最強の打者。

 ひとりでは勝てない。リードだけでどうにかなる相手ではない。だが、投手と2人でなら乗り越えられる。

 御幸はこのとき、有りもしない山に登ろうとやっきになっていた。



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ファーストの男 2

 いきなり20人登録していただきました。ブランクがものすごいですがボチボチやっていきますので、これからもよろしくお願いします。


 一番乗りかと、御幸一也は思っていた。

 彼は推薦で青道高校入りが確定しているので、受験を待たずにして入寮できる。

 

(色々、やりたいことはあるからな)

 

 彼は捕手である。グラウンド上の監督とも呼べるこのポジションは、やることが非常に多い。

 打って守ればいいのが野手ならば、そこに加えて投手の介護もしなければならないのが捕手というポジション。

 

 この高校には、どんな投手がいるのか。

 

 性格は?

 持ち球は?

 決め球は?

 スタミナは?

 コントロールは?

 

 それを把握し、理解し、向き合う。それが投手と共にゲームを創り上げる捕手としての、最低限の礼儀。

 そんな信念のもと、彼は入寮日初日に顔を出した。特待生の入寮日とその他の――――言い方は悪いが――――選手の入寮日は微妙に異なる。

 

 監督に挨拶し、部長に挨拶し、自分をスカウトしてくれた副部長に挨拶をしたところで、聴いた。

 

 貴方が2番目よ、と。

 

 自分の他の推薦枠が誰なのか、御幸は知らない。だが、やる気があるのはいいことだ。

 荷物を解き、同部屋の先輩に挨拶してグラウンドへ。

 

 今は、高校野球にとってのオフシーズン。空いているはずのグラウンドにも、実家に帰らず関東大会に向けての練習に励む先輩たちがちらほらいる。

 最近不調とはいえ、さすが名門。投げ込みをしている投手を見に行こうと脚を踏み出したところで、御幸の耳に聴き慣れた音が響いた。

 

 炸裂音か、破裂音と聴き間違えるばかりの打撃音。空を引き裂くように飛ぶ白球。

 

「東……?」

 

 構え直し、投げられたカーブを右に左に中央に。いっそ堂々と20球ほど打ち込んで、後ろに並んでいた巨漢と代わる。

 

「バケモンやな、お前……」

 

「いえ」

 

 東勇輝。本来ならば、ここにいるはずの無いこの世代の最強打者。後ろに控えた巨漢は、東清国。今季ドラフトの目玉と言うべき大型サード。

 

「いえ、やないやろ。あんだけ好き勝手に飛ばしといて」

 

「レベルが違いますよ」

 

 こともなげに、20の15(8本塁打)の打者はつぶやいた。

 

「相変わらず言うもんやな……」

 

 回りの先輩たちが一斉に色めき立つ中で、東清国だけが平然としていた。

 彼だけは、その言葉の意味を知っている。

 

「まあ、頼りにしとるで」

 

「それほどの役には立たないと思いますよ」

 

 驕り高ぶっているのか、それとも謙遜しているのか。戸惑う先輩たちを置き去りに、バットを右肩に担いで東は来る。

 

「よぉ」

 

「……」

 

 わざと、御幸は気さくに声をかけた。

 東には普段の眠たげなたたずまいと打席での強烈な威圧感も合わさり、ある種よくわからなさ――――言うなれば、超然とした話しかけづらさがあった。

 

 目の前にしても、それは変わらない。脚を止め、左手を顎に手を当てて考える。

 

 何考えてんだろ。そんな答えの無い問いがこれまた無意味な選択肢を提示する前に、東は鷹揚に頷いた。

 

「…………御幸一也だな?」

 

「お、おお」

 

「よし」

 

 もしかして、名前を思い出していたのか。

 満足げに頷く東からは、ほのかな達成感が見られる。

 

「で、なんの用だ?」

 

 俺はレベルの違いを見せつけられたから走り込むつもりなんだが。

 そう言われて、『ん?』と。御幸は心の中で首を傾げた。

 

「見せつけたから、ってことか?」

 

「いや」

 

 遠い目。中学から高校へ。レベルアップの激烈さ、周囲を固める選手たちのレベルの違いに思いを馳せて、東は厄介な捕手へと目を向けた。

 

「打撃練習で20打数15安打8本塁打では、な」

 

 普通である。というか、むしろ良い方ですらある。

 なにせ、高校に来てはじめての打撃練習なのだ。球速も変化球のキレも、桁違い。そんな中での7割5分は凄まじい。

 

 そんな心情を知ってか知らずか、件の眠たげな瞳は闘志に燃えていた。

 

「調節ネジが緩んでいる。アジャストできずに、引っ張りすぎたり流しすぎたりした球が8回はあった。練習を完璧に終えずして、本番に何ができるとも思えない」

 

 結果に満足しない、冷徹にすら見えるストイックさ。近寄りがたさがあった左投げ左打ちの一塁手の天才性には、どこまでも深い飢えがあることをはじめて知った。

 

「俺は左だからな」

 

 大きな歩幅で、東は横を抜けていく。

 

 左投げというだけで、守れるポジションは大きく制限される。内野はファースト以外全部無理で、残りは外野のみ。

 御幸が捕手から弾き出されても、ファーストやサードを守ることができる。いざとなれば、外野もある。

 

 しかし、東にそれはない。ファーストから弾き出されれば外野だけ。

 常に背水の気構え。その覚悟が、あれほどまでの打棒の冴えに繋がっている。

 

 打席で見る姿とはまた、違う。

 誰よりも恐ろしい敵になるはずだった男の後ろ姿を見送って、御幸は前へと駆け出した。

 

 いい音が鳴った。白球が空を飛んでいく。

 今打席に立つのは、東清国。浮いたストレートを思い切り引っ張った打球はフェンスを越えてグラウンドの外へと伸びていき、ネットに阻まれて事なきを得る。

 

(打線は問題なさそうだな、こりゃ)

 

 力の清国、技の勇輝。ピンポン玉でも飛ばすかのような一打は、飛距離で言えば東清国が勝る。

 

 むしろ、比べられることがおかしいのだ。まだ中学生の殻が脱げていない新入生とプロからの注目を集める強豪の四番では、同じステージにすら立てていない。

 

 立てない、ハズ。

 

(それにしても、なんだってあいつはここに来たのかな)

 

 U15でも、東は日本の四番ではなかった。

 大会でも、江東シニアの四番ではなかった。

 

 東勇輝は、成宮鳴の四番だったのだ。投手は、援護がなければ永遠に勝つことのできない。謂わば剣を持たない戦士である。

 成宮鳴の剣が、東勇輝という男だった。彼は絶対に、完封負けを許さなかった。絶対に点をもぎ取って帰ってきた。

 

(まあ、目下最大の既知なる脅威が味方になってくれて嬉しいが……)

 

 それは、どうにも気になる。成宮言うところの『最高のチーム』に、長年支えてきてくれた東が入っていないとは思えない。

 

 成宮は、本気で困ったときにファーストを見る。

 点をとってくれよ、と思っていたのか。こいつなら追いついてくれると思っていたのか。それとも、こいつの前で無様を晒したくないと思っていたのか。

 

 U15という輪の中で接してみて三番目が濃いような感があるが、あの視線の中には前2つもあっただろう。精神的支柱、とでも言うべきか。

 

 思いっきり上から投げ下ろす様が続く限りは無敵だが、追い詰められると視線を合わす。

 ピンチに弱いというわけでも、メンタル的に弱いというわけでもない。ただ、絶対的な主砲に頼っていたと言うだけで。

 

(……それにしても、あんまり球種は無いんだな)

 

 成宮鳴は、リトルでは必殺球たるチェンジアップとストレート。シニアでカーブとスライダーを覚えていた。

 

 いずれもパタリと投げるのをやめた期間が存在したものの、U15時点では主戦球種としても見劣りのしないものだった。

 無論、これは打撃練習。精度や球の威力をここで十全に発揮させるとは思えない。しかしそれにしても、簡単にかるーく飛んでいく。

 

――――よく見ておくことだ

 

 入寮前日、つまり昨日。よろしくお願いしますと電話をかけたとき、尊敬する先輩捕手・クリスからはそんな忠告を受けた。

 

 それがどのような意味を持つのか、御幸にはまだわからない。捕手にとって、投手を見ておくことなど当たり前のことだから。

 そんな当たり前なことを殊更に言われたとなれば、何かがあると考えても間違いはないように、御幸には思えた。



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ファーストの男 3

お気に入りが2倍になりました。そして評価もいただきました。感謝です。

それはともかく交流戦なくなって悲しい。


 その後もぞろぞろと、新入生たちはやってきた。東は休み時間は同室の先輩と将棋に興じ、練習中は話しかけられない程の集中力で打ち込むため、なぜ稲実に行かなかったのかは聴けていない。

 

 ……というよりも、聴く暇も余裕もなかったのだ。

 自己紹介、練習の開始、多すぎる食事。3月25日に始業式からそうそうはじまった高校野球の洗礼。

これらを受けて早くもグロッキー状態な同期たちは、突っ伏したり船を漕いでいたりと様々な形で疲労を面に出している。

 

「注目ー!」

 

 コンコンと、手に持つ棒でホワイトボードを叩く。貸し切りを許してもらった寮内のブリーフィング室には、新入生たちがズラリと座っていた。

 いずれも各地域のシニアで名を馳せた有望株。各ポジションまんべんなく人が居るが、特に投手が多い。

 

青道の強みは、打線。先代の榊監督時代から一貫してそう言い続けられている。

つまりそれは、投手の水準が打者を超えたことがないということである。全体的なレベルの低さに加えて、突出した存在――――エースの不在。

 

慢性的に投壊していた横浜なんたらスターズが遠くない未来から大卒No.1左腕の乱獲を

開始するように、青道も投手の有望株を乱獲しようとしていた。

しかしこの場には、シニアNo.1ピッチャーこと成宮鳴もNo.1右腕こと明石聖也も居ない。拒否られたのだ。簡単に言えば。

 

「もう自己紹介はしたけど、一応。俺の名前は御幸一也」

 

 ぐるりと、見回す。江戸川シニアの御幸といえば、世代No.1捕手の呼び声高い有望株である。彼の名前はここにいる誰もが知っていた。

 ただ、その自己紹介に対する反応は鈍い。一人を除いて疲れ切っている彼らにとって、もはや反応することすら億劫だった。

 

 はやく寮に帰って寝たい。

 

 それが、誰しもの心のなかにある。

 そんな内心を察して、御幸はいきなり本題を切り出した。

 

「明日、2年の先輩方と試合をする……ってのは知ってるか?」

 

 ピクリと、全員の身体が跳ねた。

御幸の一言は睡眠の世界へといざなわれようとしていた者を動かす魔法の言葉であるかのように、この場の全員の心を動かす。

 

「なんで、それをお前が知っとるんや?」

 

「小耳に挟んだ」

 

疲労の濃い関西弁での問いに曲者らしい、もっと言うならば捕手らしい油断のならない笑みを浮かべて御幸は答えた。

本当に、たまたまだった。2年生の層が薄く、投手陣に至っては言うまでもない。そんな状況もあってか、部長が監督に提案していたのだ。

 

『もともと春季東京都大会では御幸と東を使ってみる予定だったんですから、残りも試していたらどうしょう? 特にあの川上なんかはコースへの制球が抜群で……』、と。

 

 それに、監督は頷いていた。となると近々、あるということになる。

 

「もうすぐ春季東京都大会がはじまる。その時のベンチメンバーに選ばれる可能性があるかもなぁ」

 

 にわかに、死にかけの群れだった一年生たちが沸き立った。

彼らは無論のこと、シニアでは主力を張っていたのである。体力的にはまだまだでも、試合となれば先輩たちにも食らいつけるだろうという自信がある。

 

「それに、言っちゃ悪いけど……先輩たちは『不作の世代』だって言われてたもんな」

 

 誰かが言い、更に場が活気づく。

 青道高校現2年生は、入学早々不動の正捕手の座を掴みとったクリスを除けば不作であるというのがこのときの一般的な評価だった。

 

 たった、1年の差。されどとも言えるかもしれないが、この場に集まるのは中1のときから3年の先輩を蹴落としてレギュラーを掴んだ猛者たちである。

たった1年の期間など、彼らにとってはなんでもないような差に見えた。

 

 そんな湧き上がった空気を霧散させるように、御幸は柏手を2つ鳴らした。やる気にさせる気ではあったが、侮らせる気は毛頭ない。

 

「静かに」

 

 ぴたりと、雑音が止む。慢心に近い希望を共有して前に進もうとしていた1年生たちは、その妙にハッキリとした言葉を放った男を見た。

 

 東勇輝。あるものは外野で彼の放った打球を見送った事がある。あるものは渾身の一球をスタンドに叩き込まれたことがある。

 なによりもその沈着とした佇まいが、彼らのむやみに沸き立つ心を沈めた。

 

「御幸、続きを頼む」

 

「お、おう」

 

 もしかしなくとも、こういうことはこいつに任せたほうが良かったんじゃないか。

台本だけ書いて渡せば、それで済んだんじゃないか。

 

そんな後悔と人をまとめることの苦労を噛み締めつつ、御幸は静まった一同に向けて再び口を開いた。

 

「俺たちはもうすぐ、先輩たちと戦う。だから、もう覚悟を決めておこう。頭に情報を入れておこう。監督に行けるかと訊かれたら答えられるように、自分たちで決めろと言われて戸惑わないように」

 

 全員に、出場の機会は与えられるとは限らない。スポーツの世界は弱肉強食、まったく機会を与えられないこともあるだろう。

 だからなのだと、御幸は思う。その少ない、無いかもしれないチャンスを逃さないために事前にやれるべきことはすべてやっておくべきことだと。

 

「まず、2年生のエース格は丹波さん。このひとは大きく縦に割れるカーブが武器で、四隅に決められるコントロールを持ってる。被弾数はそこまででもないけど、去年の夏を見るに連打連打でやられてる。二番手の松葉さんは――――」

 

 打者には投手の攻め方を。投手には打者の攻め方を。

 早めに入寮して収集していた情報と、ここ一週間共に練習してみて得た情報。それらを組み合わせて伝えていく御幸だが、言ってわかってすぐできるとは思っていない。

 

 つまり、弱点がわかっていたとしても、それをつけるかどうかは別問題なのである。

 

 それは当たり前だよと、誰もが言うだろう。しかし、これまではなんとかなっていた。才能と努力で覆してきた。つまり、本当の意味で理解していなかった。

 

 リトルの上澄みが、シニアに行く。そのシニアの上澄みとして、彼らは青道にやってきた。

 上澄みの上澄みたる自分たちが、やってできないはずはない。積み重ねてきた今までが、彼らに自然とそう思わせる。

 

 これまで当たり前のように活躍していたスーパー中学生たちは、知ることになる。

 高校野球というものの、高い壁を。

 

 

◆◆◆◆

 

 

「一部の耳聡い者から伝わっているらしいが――――」

 

 じろり、と。ウォーミングアップの後にこの場に集められた1・2年生たちを、サングラスの下の鋭い眼が見回した。

 1年の視線が一斉に御幸を射し、刺された哀れな捕手はぴーぷーと口笛を鳴らす。

 

 そんな一幕を見せながらも、青道高校監督・片岡鉄心はそれを咎めなかった。

 事前の情報収集、対策。それは野球の基本である。対戦してから対策を立てるのでは、遅い。指揮を取る立場だからこそ、そのことをよく知っている。

 

「――――今日は1年対2年の練習試合を行う」

 

 春季東京都大会が近い。というか、もう2日3日経てば抽選会がある。

 

 ――――この試合が、最後のアピールチャンスだ。

 

 言葉にせずとも、誰もがわかっていた。

 

「いい顔だ」

 

 ニヤリと笑う、強面。その道の人間だと思われかねない怖い笑みを見せて、片岡鉄心はスタメン表を手にとった。

 

「2年生! 1番セカンド小湊、2番ショート楠木、3番センター伊佐敷、4番ファースト結城、5番サード増子、6番ライト門田、7番キャッチャー宮内、8番レフト坂井、9番ピッチャー丹波!」

 

 はいッ!、と。威勢のいい9つの色の声が鳴る。『いい返事だ』と頷いて、片岡鉄心は1年の方を見た。

 

「1年生! 1番ショート倉持、2番セカンド木島、3番センター白州」

 

 俊足の倉持が塁に出て盗塁。巧打のセカンド木島が右打ち、3番センターの白州は走攻守揃ったオールラウンダー。

 

 白州って誰だよ。そんな声が聴こえたが、概ね予想通りな打順。

 

「4番ファースト東、5番キャッチャー御幸、6番サード前園!」

 

 4番には、誰も何も言わなかった。当たり前だろうと、本人も受け止める。

 

(まずいなぁ)

 

 問題はこれ、5番御幸。言われた本人が、少し顔色を青くした。

 外角掃除大臣・東にランナーをお掃除されると、たぶん御幸は打てなくなる。6番前園は、妥当である。彼は好き勝手に振り回してこそ光るところがあった。

 

「7番レフト山口、8番ライト麻生、9番ピッチャー川上!」

 

 7・8番に前園タイプの山口と麻生。上位打線はオーソドックスな構成で、下位打線はつなぐというより一発狙いであることがわかる。

 

 全員がこれまた元気にはいっ!と返事をし、片岡鉄心は双方を見て一喝――――本人にそんなつもりはないだろうが――――した。

 

「2年生は一塁側、1年生は三塁側。10分後、試合を開始する!」

 

 迫力たっぷりな号令に、返事をしてすぐさまピューっと蜘蛛の子を散らすように1年が走り、2年は落ち着いた駆け足でベンチに向かう。

 

「なぁ、東」

 

「うん?」

 

 クソ落ち着きに落ち着いている東は、ゆったりと駆けながら右を向いた。

 これまたゆったりと駆ける御幸は、めずらしい神妙な顔。

 

「これは物凄く勝手なお願いなんだが」

 

「聴こう」

 

「ランナーを掃除せずチャンスで回してくれると、俺も打線を繋げられると思う」

 

 ふむと、唸る。

 風格溢れる長身のスラッガーは、いかにも心得たように頷いた。

 

「わかった。軽打を心がけよう」

 

「サンキュー」

 

 そんな会話は、確かにあった。

 

 

 バキン、と。

 死ぬほど聴き覚えのある音がグラウンドに鳴る。

 腰を落として、この音を何回聴いたことだろう。何回、白球を見送ったことだろう。

 

 そして何回、この男がグラウンドを悠々と回る姿を見たことだろう。

 

「…………怪物め」

 

 四番ファースト東勇輝、先制2ランホームラン。




御幸はやっぱり動かしやすいので、しばらく彼視点で進むと思います。


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ファーストの男 4

2個目の感想いただきました。感謝です。


 1番倉持が三振した時点で、白州は悟っていた。

 

(普通にやったら、勝てない)

 

 木島のセカンドゴロを受けて、打席に立つ。どうしよう。そんな考えが頭をぐるぐると回り、何をするかは決められていない。

 

 データはあった。何をすればいいか、何を狙うのかは記憶した。だが、できそうにない。

 

 丹波光一郎は、ストレートにノビはあるし、カーブにキレはある。だが、連打に弱い。

 だが、それだけ。分析結果が、それだった。前に打った2人は2人共、球種を絞れていたはずだ。なのに、空振った。引っ掛けた。打ち取られた。

 

 考えをまとめる為に、失礼を承知で白州はゆっくりと打席へ向かった。

 打席に立つ。いつもより遠く感じるマウンドに立つのは、データ上は脆いはずの投手。

 

 打てるのか。そんな気持ちに苛まれて、彼は斜め後ろをふと見た。

 

 ヘルメットを目深にかぶり、マスコットバットを地面に突いて跪く。

 威力のあるスイングを見せているわけでもない。声をかけられたわけでもない。

 

 ――――こいつに、回せれば

 

 なのに、その不動の姿を見てそう思った。U15の四番、日本の四番。プレーする姿をビデオで満たし、U15ならリアルタイムで見ていた。

 

 決勝戦の1試合3本塁打は、すごかった。たが、自分も1試合3本塁打くらいしたことはある。負けていないと、思えた。

 

(どうする)

 

 つなぐ。この場合の最高は、ランナーを置いて奴に回すこと。

 

 構え、脚を上げる。一球目のストレートを、彼は迷わず転がした。

 

 セーフティバント。

 

 バンドの構えをとっていたわけではない。すり足のままだったわけではない。打ち気を見せるように脚を上げて、白洲は芸術的なバントを見せた。

 

 打てるやつはバントもうまいのだと、世界のホームラン王は言った。それを証明するかのように、サード増子の虚を突いて三塁線にころころと転がる打球。

 

 増子は、その体型に見合わず守備が巧い。猛チャージをかけて右手で掬い、ファースト結城へと投げた。

 

 強肩と俊足の勝負。それを制したのは、俊足だった。

 どうしたって、不利だったのだ。完璧な不意打ちだったのだから。

 

「いきなりか。やるな」

 

 勝負勘溢れる鋭い眼差し。その中に見事グラウンドにいた全員を騙してのけた後輩への素直な称賛をたたえて、結城は肩で息をする白州に声をかけた。

 

「最初からやるつもりだったのか?」

 

「……いえ」

 

 穏やかな問いに頭を振り、息を整えて膝についた手を離す。

 

「後ろを見たんです。そしたら」

 

 身体を起こしてヘルメットをかぶり直し、白州は思ったことをそのまま言った。

 

「繋いだら、なんとかしてくれると思わせてくれたから」

 

 座っていた男が立ち上がる。

 首の後ろに回したバットをぐいっと両手で持ち上げ、軽く振って左手で持つ。

 先端を右掌に載せながら、東勇輝は打席に入った。

 

「よろしくお願いします」

 

 投手を射るように見据えながらバットを両手で持ち、肩に凭れさせる。

 背が弓のように反り、戻った。

 

(……どこに投げる)

 

 投手の丹波も捕手の宮内も、同時にそんな言葉が脳裏をよぎる。

 これまで、あっさりと2人を打ち取った。先輩としての威厳を見せ、高校に入ってから1年掛けて積み上げてきたものを実感できた。

 

 さあ、次も。そう思ったところでセーフティバントを喰らい、確かに気勢は削がれた。だが、未だまともな当たりは打たれていない。

 

 次を打ち取れば、終わり。

 しかし、打席に立つのは四番。シニアの怪物、東勇輝。彼の名を、ずっと前から丹波光一郎は知っていた。

 親友であり、現在は市大三校のエースとして君臨する真中要を2連発で粉砕した男。

 

(カッちゃんを、打った男だ)

 

 油断はしない。あり得ない。なにせ、入寮したての打撃練習でしこたま打ち込まれたのだから。

 

(宮内)

 

 自信無さげに外角に構える宮内を見て首を振り、丹波は自らサインを出した。

 東は、初球を見逃す。本人曰く楽しみたいから、らしい。

 

 ズバン、と。オーバースローから放たれた角度のついたストレートが内角高めを抉った。

 東は微動だにせず、見逃す。これで1ストライク。あとストライク2つで打ち取れる。

 

 構えられたのは、アウトローのカーブ。外れるか、外れないかはピッチャーの制球が物を言う、ギリギリのところ。

 

 この遅い球も、東は見逃した。球審を務める監督はストライクをとり、2ストライク。

 

(あのカッちゃんが手も足も出なかった相手を、俺が追い詰められたのか)

 

 高揚する丹波とは異なり、捕手として打者を見ている宮内はそこに不審なものを感じていた。

 

 全く、動かない。その不動が不気味である。

 ころころと狙い球を変える打者より、ひとつを狙って心中する打者の方が怖い。

 

 一球、外す。そのサインに丹波は、浮かれ気分を叩き直して頷いた。

 高めのストレートが、ストライクゾーンの少し上を通過する。

 

 ボール。また、ピクリともしなかった。

 

(何を狙っている……)

 

 受け止めたボールを丹波へ投げ返し、座る。

 これで、2ボール2ストライク。互いに追い詰めているような状況だが、投手側にはまだ一球分遊べる余地がある。一方東は、ストライクと見れば打たなければならない。

 

 まだ、有利。マウンドから見下ろして、丹波は荒れた息を吐いた。

 所詮、練習試合。そのような気持ちは彼にはない。自分に相手打者を舐めていいような実力がないことを、丹波光一郎は知っている。

 

(フルカウントにはしたくない)

 

 打ち取りたい。投手の欲目が、親友を超えたいという思いが顔を出す。その思いを汲み取って、宮内啓介は低めに構えた。

 

 外から入り、ドロンと曲がって落ちるカーブ。所謂縦カーブ、ドロップカーブとも呼ばれるそれは、先程投げたカーブに比べて球速が速い。フォークとカーブの中間のような落ち方をして、鋭く決まる空振りを誘える球。

 

 丹波光一郎の、決め球。成宮鳴いうところの必殺球。それを、宮内は要求した。

 笑い、構える。グラブを掲げ、右腕を上げる。

 

 古典的な、だからこそ美しいオーバースロー。高い背丈を活かして投げられたドロップカーブは、外角から入って低めに抜ける。

 

 ちらりと、東の赤みがかった瞳が軌道を追った。

 

「ボール!」

 

 普通のカーブならば、ストライク。ストレートでもストライクコールが下されていただろう。

 

 やっと目線を動かしたポーカーフェイスは、縦に構えたバットを前に突き出した。

 目線を集約するその様は、『最後だ』と言っているようにも思える。

 

 フルカウント。四球か、アウトか、ファールか。

 

 宮内は、外に構えた。丹波はボールの1つの縫い目に人差し指と中指を、親指を反対側の網目に添える。

 

 前に投げたのとは、コースも似ている。しかし、今度は外角から低めギリギリに決まる球。

 捻られた手首が東の方を向き、ドロップカーブが投げ下ろされた。

 

「はい」

 

 納得したように、ポツリと東は呟く。

 なにが、はいなのか。心の中での疑問が浮かび上がり切るその前に、思わず宮内は目を瞑った。

 風、音、残像。明らかに目に悪い光景を見まいとしたのは、人間としての本能だったのだろう。

 

 目を開けると、誰も動いていない。内野も、外野も、投手すらも。

 時が止まったかのように全員が金縛りになっている中で、東は振り切ったバットを手元に戻した。

 

 フェンスもネットも超えて、遥か彼方へ飛んでいく白球。

 それを見てぐるりと、片岡鉄心が頭の上で手を回す。

 

 ホームラン。

 

 白州健二郎は、歩いて帰ってきた怪物をホームベースの後ろで出迎えた。

 

「流石」

 

「腐っても四番だからな」

 

 打つと信じていた。

 その言葉になんでも無いような語気で返し、駆け足でベンチに帰る。

 

「お前、相変わらずエッグいのぉ」

 

 ネクストへ向かう前園は、呆れと感嘆を口から漏らした。

 逆方向とは思えない程のとんでもない弾道は、ベンチからもよく見えた。引っ張ってあの弾道ならば、まだわかる。しかし、逆方向である。

 

「四番だから打てた。すべてがすべて、実力というわけではないよ」

 

「責任感っちゅう話か?」

 

「ピッチャーという生物はプライドが高いからな」

 

 少し前まで中坊だったやつに虚を突かれ、迎えたのは四番。

 絶対に三振で仕留めたいと思うはずだった。となると、球種とコースは限られてくる。東としては、その限られた中でヤマを張るだけでよかった。

 

「なるほどなぁ。お前も読み打ち派だったのか」

 

 ベンチへ戻って、すぐ。

 首を傾げつつネクストで素振りをはじめた前園の後ろから、曲者っぽい声がかかった。

 

 御幸一也。1年生軍団の五番打者。現在バッターボックスに居なければならないはずの男。

 後ろからは前園が素振りをやめて帰ってくる。

 

「お前、打席は?」

 

「ハハッ」

 

 ハハッじゃないが。

 口には出さなかったが、ベンチにいる全員がそう思った。




※三振


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ファーストの男 5

感想がいっぱいもらえたので早く書けました。
白州を修正してくれた人、ありがとうございます。辞書登録しておきます。


 そういえば、御幸に打たれた記憶はあんまりない。

 五番の置物の三振で1回の攻めが終わり、守備位置たるファーストへ向かいつつ東はそう思い返した。

 

 御幸一也は守備がいい。肩も強い。ただ、打撃にかなりのムラがある。成宮鳴のことをちょくちょく打ってはいたものの、めちゃめちゃ打っていたわけではない。確か3割を切っていたはずだ。

 

 周りの打者が弱かったというのもあるだろう。未来の吉田正尚のように、アレな打線の中に居る突出したひとりは壮絶なマークにあって調子を崩したりする。

 

 それかと思っていたが、どうなのか。

 東はベンチに戻って早々バットを磨いていたから、御幸がどのような球をどのように三振したのかを知らない。

 

 三振と一言で表されるが、やはり中身というものはあるのだ。クソみたいに外れたスライダーを空振して三振するのと、ギリギリを見逃して三振するのとでは全く話が違ってくる。

 

 ただ、リードはいい。それなりに強かった打線が、彼の前だけでは沈黙したことを覚えている。ホームランを打ったのは、確か自分一人だけだったはずだ、と。

 

 

 1年生軍団の先発は川上。シンカー・スライダー・カーブの3球種を投げ分ける技巧派である。

 切羽詰まると制球が落ちる悪癖はあるものの、それでも1年生軍団の中では頭1つ抜けた制球を持つ。

 

「フォアボール!」

 

 13球粘られて根負けし、先頭バッター小湊亮介は塁に出た。

 点をとってもらった、その裏の守備。あまり好発進とは言えないが、これ以上粘られても困る。

 

 川上には、決め球がない。丹波はストレートと縦のカーブで空振りをとれるが、川上は基本的に打ち取ってアウトを重ねるタイプ。対して小湊亮介は、当てることならばチームで1番巧い。

 

「ずいぶん粘りましたね」

 

「相手投手の引き出しを見せてやるのが、1番打者の仕事だよ」

 

 なるほど全く、そのとおり。

 2番に迎えた楠木があっさりとバントを決め、小湊は二塁へ。

 

 誰も居なくなった一塁を守りながら、打席を見る。ワンアウトとって、迎えるは3番伊佐敷純。強肩のセンターである。

 

(打撃傾向は……)

 

 伊佐敷は公式戦に出たことがないから、データは少ない。打撃傾向、打球方向、その他を測ることは難しい。

 

「シャ、オラァーッ!」

 

 威嚇するように吠え、打席に立つ。明らかに一発狙いのスラッガーに見えるが、構えはそれほど大きくない。

 

(川上、ここだ)

 

 低めに決まるシンカー。一球目の空振りを見て、引っ掛けさせるべく投げられた球は見事作戦どおり少し引っ張られてショート方向へ。

 

(はぇえ!)

 

 御幸一也は、フルスイングを幾度も見てきた。しかし、見てきた中でもトップクラスにスイングスピードが速い。

 

 いくら3番を打っているとはいえ、ここは2軍。そんな所にくすぶっているような打者のスピードではない。

 確かに、狙い通りのところに飛んだ。だが、スイングスピードが想定の上をいった。

 

「抜けろやー!」

 

 怒鳴りながら、一塁へと走る。球脚鋭い打球がショートを抜けようとして、止まった。

 

「抜かせるわけ」

 

 ショート倉持。ポジション適性試験では走塁・盗塁試験で1年生軍団の3冠という度を越した俊足。

 普通のショートであれば抜けていくのを見送るしか打球に、彼はぎりぎり追いついた。

 

「ねーだろ!」

 

 二塁を一瞥し、進塁を阻止。くるりと回って難しい体勢から放たれた送球は上へと逸れるも、それを脚一本だけ塁上に残した東が軽々と掴む。

 

「アウト!」

 

 塁審が宣告し、アウトカウントがまた1つ増える。

 ランナー釘付け、二塁に置いたままで四番。

 

(どうすっかな……)

 

 オーラがある。そして、状況も似ている。違うのは、右打席か左打席ということと、ランナーの場所。

 同点2ランがレフトへ飛んでいくのを幻視して、御幸は嫌な予感を首を振って飛ばした。

 

 やる前に負けを意識するのは、良くない。警戒するのはいいが、負けを意識して臨むのは全身全霊を尽くしてからでも遅くはない。

 

 最初に選んだのは、スライダー。内からストライクゾーンにギリギリ入る、厳しいコース。

 

(いいのか?)

 

 内角への球は、確かに有効だ。ボールだと思って手を出せないことが多い。

 しかし、捉えられればたちまちスタンドへと運ばれる。一か八か、ギャンブルのようなピッチング。

 

 そんなことをしてこなかった川上には、不安があった。

 御幸は攻めたかった。そして川上は、逃げたかった。四球上等のピッチングをしたかった。

 

 カーン、と。涼やかな音がなった。激烈で爆裂な下品な打撃音ではない、透き通るような音。

 

「……初球から行きますか」

 

 脳裏にあるのは、振らずに粘った味方の四番。苦い顔をする捕手へ振り向いて、結城哲也は少し悩みつつも言った。

 

「東がやっていたのは、1番の仕事だ」

 

 前2人は、早打ちだった。手の内を実際に目にする前に、打席が終わった。3番の白州にしても、見せたのは一球目のみ。

 

「四番には、一球あればいい」

 

 同点。取った点を、すぐさま取り返された。

 続く5番増子に2ベースを打たれ、6番門田をセカンドライナーに仕留めたものの、空気は重い。

 

 先攻の成功は、奇策に拠る。

 しかし、逆襲はあくまで正攻法でなされた。

 

 取っても、取り返される。この攻防でわかる、実力の差。

 

「川上」

 

 今までいたマウンドをぼぉっと見つめる川上に、東は常と変わらぬ落ち着いた声音で声をかけた。

 がっくりときていた川上の肩が跳ねる。

 

 せっかくの、ワンチャンスをモノにしての援護。それをあまりにもあっさりと取り返された。

 

 何を言われても仕方ない。そう縮こまる川上の左肩を、大きな手が叩く。

 

「そう悲観するなよ。見殺しにはしない」

 

「え?」

 

「え?ってなんだ。別に援護が2点しかないってわけじゃないんだぞ?」

 

 そんなに絶望的な顔をするなよ。

 

 そう言って、グラブを外して手を叩く。

 

「前園」

 

「な、なんや!」

 

「俺たちは1回で2点をとった。そうだな?」

 

「せやけどそれは……」

 

 アンタの個人技やろ。そう言いかけて、やめる。

 確かにホームランは個人技の極みのような現象だが、その前にランナーは出ていたのだ。

 

「なら9回で18点とれる。つまり、17失点までならいい。そういうことだ」

 

 わかったか、川上。

 そう言われたような気がして、川上憲史は頷いた。

 

「御幸」

 

「おう」

 

「17失点までに抑えてくれ」

 

 一方的な要求を突きつけ、いつしか彼を囲むようになっていたメンバーを放っておいてベンチに座る。

 

「さぁ、行け前園。別に4点とか取ってくれてもいいんだぞ?」

 

「……前にランナーが居らんから、1点が限度やな」

 

 ニヤリと笑う。重苦しさから解放されたようにバットを振って、前園は打席へと駆け出した。

 

「遅れましたぁ!」

 

「フッ」

 

 豪快に頭を下げる前園を見て、片岡鉄心は強面を崩して一笑した。

 彼は、1年の様子をうかがっていた。だから急かしもしないし、叱り飛ばしもしなかった。この苦境にどう立ち向かうか、どう立て直すかを知りたかった。

 

「プレイ!」

 

 責めもせず、褒めもせず。片岡鉄心はプレイを掛けた。少しの間中断していた試合がはじまり、双方のギアが上がる。

 

 1年生たちは、勝ってやると。

 2年生たちは、負けるものかと。

 

 正直なところ、片岡鉄心はこの試合を早々に切り上げるつもりだった。

 攻守に光を見せた東を空いているライトに入れて、青道打線としては完成する。

 

 東勇輝には、勝負を避けられがちになった東清国の前を打たせるつもりだった。こうすることで、隙のない打線が完成する。

 

(絶望し、諦めるならばその時点で切り上げるべきだ。しかし、成長を見せてくれると言うならば)

 

 絶望し、諦めてしまえば学べるところは少ない。しかし、胸に燃える闘志があるのならば、続ける以外の選択肢はあり得ない。

 

 監督してではなく、教育者として、そう思う。

 四番の東を下げて5回で切り上げるつもりだった自身の見識不足を恥じながら、片岡鉄心はふたたび強面を崩した。

 

「だぁぁぁぁあ!」

 

 振り切って打ったボッテボテのゴロからの、ど派手なヘッスラ。練習試合だということを覚えているのかいないのか。

 なんとかかんとか出塁した前園に、ベンチの1年生たちからヤジが飛ぶ。

 

 雰囲気がいい。1年生たちを包むのは、2年生たちの年季のある落ち着いたムードではなく、水をかければすぐに消えてしまいそうな不安定な熱意。

 

 だが、しゅんと灰のように静まってしまった先程よりかは余程良い。

 7番山口がポテンヒットで繋ぐも、8番麻生が痛恨のショートゴロゲッツー。9番川上三振で攻撃はあっさり終わった。

 

 しかし、意気は衰えない。その裏の2年生ズの下位打線を三者凡退に抑え、3回表の攻撃。

 

(内野陣のプレイを見るに)

 

 麻生のショートゴロゲッツーを、倉持はよく見ていた。

 ファースト、セカンド、サード。いずれも動きは良く、反応が速い。

 だが、ショートの反応が鈍かった。松井稼頭央という大スターへ憧れをいだき、ずっとショートをやってきた倉持だからこそわかる、同一ポジションの動きの悪さ。

 

(転がせば、安打にはなるだろ!)

 

 バットで、ボールを叩きつける。跳ねながら三遊間へ転がる打球をショート楠木が拾い、握り直し、投げる。

 

 握り直しのワンステップが、余計だった。悠々と一塁を駆け抜け、大きくリードを取る。

 2番は、木島。普通にやれば打ち取れる打者を、ヒットで出すにはどうするか。

 

 つまり、普通にやらせなければいい。大きくリードを取り、盗塁する素振りを見せる。

 しかしそれはあくまでも、素振りだけ。

 

(メンタルがどうたらってことは、一塁にいたほうがいいだろ)

 

 嫌でも目につく、大きなリード。二塁へ行くことはできるだろうが、視界から消えてしまう。動揺させるならば、集中力を奪うならば、撹乱するならば一塁にいたほうがいい。

 

「フォアボール!」

 

 強面を取り戻した、片岡鉄心が高らかに告げた。

 丹波の、悪い癖が出てきた。普通にやれば勝てる相手から、逃げる。投球に集中できず、傷を広げるノミの心臓。

 

 カキンと、綺麗な音が鳴った。

 打撃の基本は、センター返し。白州があっさりと塁に出る。

 

(帰れるか!?)

 

 三塁ランナー倉持は、脚に絶大な自信があった。このままノンストップで突っ込めば、伊佐敷の強肩との戦いにも勝てる算段があった。

 

 彼の視線は、ホームベースに注がれる。陥れれば、勝ち越せる。その誘惑は何よりも大きい。

 

 だが。

 

(ちげぇよな)

 

 バッティンググローブに包まれた手が、まだいいとこちらを指している。広げられた掌が、俺に任せろと言っている。

 

(頼むぜ、四番)

 

 背が反る。構えればバットが肩口から出る程に寝ている、スイングスピードに絶対の自信がなければ取れないフォーム。

 

 左のカブレラ。純一西武ファンたる倉持にはそう見えて、だからこそ絶対の安心感があった。

 

「1点か、4点か」

 

 背を反らしながら、呟く。囁くといったほうがいいかもしれない。動揺している丹波に、ぎりぎり聴こえる程度の声量。

 

 歯を噛みしめる。負けたくない。丹波にもその気持ちはある。

 だが、勝てる気がしなかった。どす黒いオーラが、こちらを歯牙にもかけていないような赤黒い瞳が、絶対的な威圧感があった。

 

(負けて)

 

 腕を引き絞る。投げるのは縦のカーブ。先程はホームランにされたが、それでも絶対の自信を持つ決め球。

 

(たまるか!)

 

 内に切れ込ませようとした球は、思いっきり外へ。そしてその球を、初級から振り抜かれたバットが捉えた。

 

 どこまでも続くような飛球は、フェンスの彼方へ。

 

「ファール!」

 

 内を攻められなかった。逃げた先でもあわやホームランという飛球を打たれた。

 ここから立ち直るすべを、この時の丹波光一郎は知らない。

 

 背が反る。バットが寝る。脚の先が、マウンドを差す。

 満塁ホームラン。その光景が見えた。

 

「フォアボール! 押し出し!」

 

 声音に怒りが混じり始めた片岡鉄心の宣告が、丹波の限界を現していた。

 

 たまらずタイムをとった宮内がマウンドの丹波へと駆け寄り、内野陣も集まる。

 緊迫した、数分間。タイムが終わるのを、御幸は軽やかに鼻歌を唄いながら待っていた。

 

(1失点は、仕方がない。問題はこの気のない三振をした安牌を確実にゲッツーに仕留めることだぞ、丹波)

 

 汗をダラダラと流しながら、丹波は宮内のミットをだけを見つめて脚を上げた。

 御幸の前の打席の、気のない三振。そのイメージが、限界ギリギリの丹波を支えている。

 

 選択したのは、ストレート。カーブの精度は東のとんでもない飛距離のホームランを喰らって以来落ていた。

 だから、外角へ抜けた。だから、腕だけで振ったようなスイングでもあんな大ファールを打たれた。

 

 宮内は、このことを言わなかった。武器が錆びていることを告げ、己は無手なのだと悟らせるのを避けた。

 だからこその、ストレート。ストレートから、ピッチングを立て直す。

 

「だよな」

 

 呟く。

 そんなことは、わかっていた。この男は御幸一也。誰よりも東にホームランを打たれた投手の介護をし、誰よりも動揺の酷さを――――そして、立て直しの困難さを知っている男。

 

(俺もそうしてたよ)

 

 ストレート一点狙い、得点圏、冴えて読みに支えられた一振りは、低めのストレートをすくってセンターへ。

 

 グランドスラム。良いところをすべて持っていく鬼畜の所業。

 

 7-2。1年生軍団、2度目の勝ち越し。




東の応援歌は天下無双学園のチャンテです。もしくは清本のテーマ。


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決着

感想が倍になりました。そのおかげで執筆速度も倍になりました。

あと、前回投稿時『実在の人物の名前を出すのは規約違反なのでは?』というもっともな指摘をいただきました。

私の方で運営の方に問い合わせてみたところ、名前だけならセーフらしいです。
つまり、松井稼頭央という固有名詞は使ってオーケー、松井稼頭央本人を登場人物化して作中に出すのはだめということですね。

ただし、描写内容によっては「特定の個人を攻撃するような作品の投稿や書き込み」などの他の禁止事項に該当する場合があるということらしいです。

午前2時というふざけた時間に質問して、15分後に返信ていただいた運営の方には感謝しかございません。


 熱い死体蹴り。そんな風情のあるグランドスラムがセンターへ突き刺さり、珍しく神妙な顔をしながら御幸はダイヤモンドを一周した。

 

「どうした?」

 

「……お前のあとって、こんなに打ちやすいのね」

 

 成宮が死ぬほど打ててた理由がわかったわ。

 

 そうこぼす御幸の脳裏には、球種を潰された投手を打つことの容易さがあった。

 丹波は、球種が少ない。それでも決め球となる縦のカーブを持ち、カウントを取れるカーブを持つ。

 

 投手とは、一個の球種が使えなくなっただけでこれほどまで脆くなるのか。

 迎え撃つ側ではなく攻めの視線から見て、御幸は改めて絶対的な主砲の存在の有り難さを知った。

 

「それはお前の実力だろう。何でもかんでも俺に言われても、困る」

 

 いくらこないとわかっていても、選択肢を消し去るというのは、難しい。

 打撃を追求してきたからこそ、東勇輝にはその難しさがわかる。それを行える果断さも。

 

「来ないとわかって迷いを捨て去れる、自分の心の強さを誇れよ」

 

「なんというか、流石鳴の副官だな」

 

 内心、舌を巻く。自分の実力を見極めつつ、相手の美点、判断の巧みさを的確に褒める。

 王様気質な者には、これはたまらない。ピンチのときにファーストを見ていた成宮の気持ちが、なんとなくわかった。

 

「元、な」

 

「……あのさ。言いたくなかったらいいんだけど、なんでここに来たんだ? 誘われたんだろ?」

 

「いや、誘われていない」

 

 なんでもないことのように言いつつ、少し凹んでいるのがわかる。

 無表情、無感情の歩く災害。そんなイメージが、関わるに連れて変わっていく。

 

「不人気故にフリーだったから、清国に誘われて来たというわけだ」

 

「兄貴?」

 

「従兄弟」

 

 その割には顔がまったく似てねーな。

 ノーデリカシーグラサンキャッチャーはそう言いかけて、なんとなくやめた。

 

「顔似てねぇのな、その割に」

 

「そうなんだよ」

 

 ショート倉持、守ってはファインプレー、攻めてはひっそりとナイスプレーを果たした、本日の影の主役。

 ノーデリカシー神拳の使い手は、ここにも居た。

 

「清国は三重、俺は大阪生まれ。加えて俺は東へ越してきたからな。顔が変わったのだろう」

 

「なんじゃそりゃ」

 

「諧謔だ」

 

 というか、呼び捨てはいいのか。そんなことを思わないでもなかったが、またも9番で攻撃が終わった。

 

「よーし、余分な備蓄は吐き出すくらいな心持ちで行こう」

 

『おう!!』

 

 バンバンとファーストグラブを叩きながら号令する東に、守備につくナイン以外のベンチメンバーすらも熱く応じる。

 

 まだまだ、試合は長かった。

 2年生ズが結城を軸にして反撃を試みれば意地でもクリーンナップに繋ぐ姿勢を見せる1年生軍団が取り返し、そして迎えた9回の裏。

 

「あ」

 

「い」

 

「う」

 

 疲れた御幸、泥だけの倉持、ズタボロの前園。

 

「おー」

 

 気のない、相変わらず眠たげな東らに見送られて、四番の一撃がライトを襲った。

 

 25-27。朝から初めて夕方に終わる試合は、2ランホームランからはじまって2ランホームランで終わった。

 

 倉持。7の5、4盗塁。内4本が内野安打。

 白州、5の4、2打点。

 東。3の3、3本塁打9打点。全出塁。

 御幸。6の3、2本塁打10打点。

 前園。7の2、1本塁打2打点。

 

「援護が足りなかった」

 

 とある巨人の名監督が優勝を逃した原因を問われたとき、得失点差ぶっちぎり1位を果たしたチームを指してこう言った。

 

『戦力が足りなかった』

 

 もちろん、笑われた。お前のところのチームが一番強かったじゃん。つまり、采配が悪いんじゃんと。

 だが、そうだろうか? つまり采配とは結果論に過ぎない。その結果論を覆せる程の、極論を言えば監督が寝てても勝てる戦力を集めなかったフロントさんサイドに問題があるのではないか?

 

 そういう面から見て、東の一言はこのチームの課題を表していた。

 失点力に比べて、圧倒的に得点力が足りないのである。投手陣が漏らすよりも早く、敵の投手陣を漏らさせなければならない。

 

「そういうことだ。俺たちが悪い」

 

「絶対にそれはおかしいと思うんだ」

 

「言い訳になるが、たぶん後攻だったら勝ってたと思う」

 

 5回4失点で降板した川上に謝って、打撃陣は整列した。ちなみに、全員出ている。理由はもちろん、守備が長くて疲れたからである。

 特に、ショートとセカンドとキャッチャーは死にかけだった。それでも倉持は最後まで守備の冴えを見せたし、打ってもいたりしたのだが。

 

「……」

 

 そして、整列を命じた片岡監督としてはものすごく複雑な心境だった。

 2年生ズが躍動した。特に努力し続けた末に光るものを見せてくれた結城が今回で完全に覚醒したのは嬉しい。

 1年生軍団も頑張った。先輩と戦うという圧倒的に不利な中、勝手に団結して食い下がり過ぎなほどに食い下がり、あと一歩のところまで追い詰めてみせた。

 

 だが、片岡鉄心は高校時代は投手だったのである。甲子園を沸かし大学でも活躍し、その傍ら教職課程を修めて母校に尽くそうと心を決めてプロからの誘いを断り、監督してやってきた。

 彼は、エースが欲しかった。絶対的なエースを、探していた。

 

(めちゃめちゃな試合だ)

 

 野球は投手のスポーツだという前提を破壊している、山賊同士の殴り合いのような世紀末的試合。

 

 斥候倉持が撹乱し、山賊の親玉東が四球で出れば敏腕参謀御幸が一掃。この繰り返しの20なんたら失点。

 だが、自分の好みではないからと言って責める気にはならない。素晴らしい顔をしてプレーしていた。学年の差など関係なく全力を出し切った野手たちを責めることなどできようもない。

 

「いい試合だった」

 

 そう。本当にいい試合だったのだ。監督としてはチームの弱点をこれでも叩きつけられて胃が痛くなるが、インファイター同士の殴り合いのような白熱の試合だった。

 

 何よりも、エラーが少ない。1年生軍団は2個、2年生ズは1個。あの長時間の間集中力を持続させることの至難さを、片岡鉄心は知っている。

 

「グラウンドの整備を終え、ストレッチを済ませたら休め。このあと検討と練習をするつもりだったが、中止する」

 

 というか、せざるを得ない。ナイター設備はあるがなんでもない時に使っていいわけではないし、なにより1年生軍団と2年生ズは疲れ切ってしまっている。

 

 解散を命じて、片岡鉄心は小走りで第一グラウンドへ向かう。

 3年生たちは部長が練習を見ている。思いの外長くなったが、すぐさま自分が見てやらねばならない。

 

 そんな熱心な監督を見送って、結城哲也は口を開いた。

 

「グラウンド整備は俺たちがやっておこう」

 

 疲れただろう。明日に備えて休むといい。

 そう言って自らトンボを持つ姿には、キャプテンシーがある。

 

「俺もやりますよ。あんまり走ってないんで」

 

 徒歩、散歩、散歩、徒歩、散歩、徒歩、散歩。まるで走っていないが、それなりに守備はしていたこの男。

 無論、体力に余裕はかなりある。

 

「俺も……」

 

「お前死ぬ程走ってくれただろ。下手しなくても明日死ぬぞ?」

 

 手を上げて参加しようとした倉持を押し止め、ちらりと御幸へと視線をやる。

 お言葉に甘えるぞーと引率していく捕手を見送ってトンボを手に取り、東はペコリと頭を下げた。

 

「ありがとうございます。気を遣っていただいて」

 

「いや、当然のことだ。負けかけたとはいえ、先輩だからな」

 

 体力も、経験も勝る。ならば、苦労も勝って出るべきだ。そんな結城哲也に――――ポジションもろかぶりの競争相手に敬意を表してもう一度頭を下げ、グラウンドを駆けて際へ行く。

 

「あんまり走ってない、か」

 

 トンボをかけはじめると、隣から油断ならなそうな声がした。

 最近、そういう声に接する機会が多い。第一号が誰かと言えば、得点圏の鬼こと御幸である。

 

「飛ばしてたもんねぇ、丹波と大沼から」

 

 目の覚めるようなホームラン。いずれも内外野全員が一歩も動かない完璧なあたり。

 

「それしか能がないもので」

 

「ふふっ」

 

 蛇の微笑みを見せながら、するりと小湊亮介は進んでいく。

 彼もまた、今日全出塁。川上が5回で降りざるを得なかったのは、彼が球数を稼いだことによる。

 

 もう少し川上が粘っていたら、2・3失点はなくなっていただろう。

 

「先輩がもう少し簡単に打ち取られてくれれば、勝ててたんですけどね」

 

「それしか能がないからね」

 

 底が見えない暗黒の笑み。よくもやってくれたなというより、投手へのストレスを打撃で発散した感じのあるダークネスな雰囲気に曖昧に頷き、東は2列目に入った。

 

「あ、投手の人」

 

「……」

 

 丹波光一郎は、無言でささーっと逃げていく。名前を覚えていなかったからか、それとも疲れていたからか。

 

「悪いやつじゃねぇんだぜ、コーハイ」

 

「ここにいる時点でそれはわかりますよ」

 

 特に疲労が溜まっているだろうに、1年の代わりにトンボをかける。誰でもできるかといえば、それは違う。

 伊佐敷純のフォローは、言わでもがななことだった。

 

「まあ、投手だからな。打たれまくった相手とすぐに話すってわけにはいかねぇよ」

 

 投手はプライドの生き物である。自分が犠牲になるとか、そういう思考を彼らは持たない。

 

 自分こそがチームを勝たせるんだ。

 自分が引っ張っていくんだ。

 

 その権化を、東勇輝は知っている。引っ越した先、その隣に蟠居していた白髪青眼のちっこい王様。

 死ぬほどわがままで、死ぬほど厄介な頼れるエース。

 

「わかります」

 

「なんだ、お前も元投手なのか?」

 

「いえ。そういうやつを知っているだけです」

 

 鳴ちゃんは、今どこで何をしているやら。

 王様気質なエースの介護に慣れきっていて気づかなかったが、最近あの無茶ぶりが懐かしく思える。

 

 稲城実業に行くのだとは聴いていた。しかし、誘われなかった。成宮が誘ったのは、瞬足巧打の確実性を重視した――――脇を固める人材ばかり。

 

 堅実に1点をとって守り抜くから、粗いスラッガータイプはいらん。

 

 そういう実質的な戦力外通告を喰らって、従兄弟からクリーンナップ組もうぜと誘われて来たこの青道。腹立たしさと高校野球への適応もあって最近全く携帯を見ていなかったが、そろそろ見てもいいかもしれない。

 

 ただ、なんで誘ってくれなかったのかとは問いたくない。なぜなら、語感からして女々しいから。

 

 いいもーん。

 一言で表すならそんな強がりで、東は黙々とトンボをかける。

 終わる頃には、とっぷりと日が暮れていた。

 

(素振り1000回やって寝よう)

 

 流石に疲れた。そして明日もまた、早い。

 一部の3年を除いた全員が爆睡する中で、空を切るバットのうるささが木霊していた。




次回時間が飛びます。
なぜかというと、私が稲実戦を5回も書けないからです。ただ、絶対に区切りのいいところまでは書くつもりです。最低2年の終わりまでですが、『前作と同じ』『ワンパターン』というツッコミもありそうなので、予定としては3年終わり(御幸世代の卒業)までやろうと思っています。

そのための時間スキップなので、許してください。なんでもはしませんが、このSSを完結させることは約束します。


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act0.5
VS 1


時間が飛ぶと言いましたが、大量の感想を読んでいるうちに稲実戦を書けてしまったので一応投稿します。
あくまでact0(序章)とact1(前編)の間のお話なので、読み飛ばしても特に問題はないです。


 間違いなく、青道史上最強のクリーンナップだった。高校を卒業して即座に全員がプロに入り、何年目かに差はあれど打撃タイトルを手にしたのだから。

 

 東勇輝が迎えた、最初の夏。

 結城哲也が迎えた、二度目の夏。

 東清国が迎えた、最後の夏。

 

 彼らが擁したのは、間違いなく青道最弱の投手陣だった。

 

《完璧に捉えたぁぁあ! あとは距離だ!》

 

 炸裂音と共に、稲実エース鈴本のストレートがバックスクリーンを遥かに超えてとんでいく。

 

《東、反撃のホームラァァアン! この予選大会で6本目のホームラン! 5対8!》

 

 声も枯れよと、実況が叫ぶ。

 西東京地区予選決勝。後ろに控える従兄弟とタッチを交わし、するりと東はベンチへ帰った。

 

 初戦、弱小校と言うこともあり17-1で快勝。

 次戦、これまた弱小校相手に15-2で快勝。

 準決勝では薬師なる高校を下し、8-4で圧勝。

 

 そして迎えた決勝。ショートとセンターに1年生のスタメンが並ぶ、投手王国稲城実業との対決。

 

 幸先よく、東清国の2ランで先制。結城の公式戦3本目となるアベックホームランで3点を先取したが、これまで好投を続けていたエースの平田が炎上。

 一挙に5失点を喫するも、下位打線で作ったチャンスをクリーンナップがモノにし同点に追いつく。

 

 その後は、取ったり取られたりのシーソーゲームが続いた。しかし投手陣が水準に達していない青道と、水準以上の投手を多く抱える稲実では得点効率の差が大きい。

 

 何故青道の投手陣はこれほどまでに燃えたのか。それは、投手以上に守備の要な存在が怪我で離脱してしまったからである。

 

 離脱した選手の名は、滝川・クリス・優。

 彼は1年の頃から一軍でマスクをかぶっていた程に能力の高い――――打撃にムラのない御幸のような強肩強打のすごいやつだったのだが、夏の予選前に痛恨の故障。

 

 これによって、なんとか取り繕えていた投手陣が決壊した。クリスと御幸では、才能に大きな差はない。ただ、経験が違った。

 クリスは、この投手陣の操縦に慣れていた。というより、クリスをして1年かけてやっと慣れたところだった。比較法として、御幸は慣れていなかった。

 

(眼が死んでいる)

 

 中々に強メンタルな御幸をも黙らせる投手陣の爆発ぶり。というか、リードしようがないのだ。ど真ん中にすっぽ抜けを投げられては。

 

「追いつくさ」

 

「追いつかれるさ」

 

 ごもっとも。

 東清国が2ベースを放ち、チャンスに強い結城がその巨体をホームに返したものの、これでも2点差。

 

 投手と捕手との共同作業、それがピッチングというものである。捕手がいくら頑張っても、相方がすっぽ抜けたり四球出したり好き勝手してくれればどうにもならない。

 

 パカーンと打ち返される球をフェンスまで走って見送り、赤髪のショートがダイヤモンドを歩く。

 またすっぽぬけ。あの飛び方は、そうとしか思えない。

 

(鳴はすごい投手だったんだなぁ)

 

 巨体の割には巧みな三塁守備を見せる東清国が飛びついて追いつきファーストへ転送。

 なおも暴投による進塁を許し、三塁にランナーを置いた状態で迎えるは五番の原田。

 

 やっとマトモにリードに応えてくれた渾身のストレートにつまらされ、フライはライトへ。

 

 ライトを守るのは急造外野の東勇輝。一塁以外を守ったことがあんまりないこの男の守備を鑑みて、稲実・国友監督は抜け目なくタッチアップを指示。

 しかし、ライト東は急造外野特有の無駄ステップを踏みながらも渾身のバックホームで走者を辛くも刺し、なんとかスリーアウト。

 

「すいません、松葉先輩。送球が遅くなってしまって」

 

 落ちた帽子を拾いながら小走りでベンチまで戻ってきて、東は開口一番頭を下げた。

 

「あぁ、いや、いいよ……」

 

 東は、どちらかといえば打撃が好きである。だが、守備でミスはしてこなかった。

 今のは、エラーではなかった。結果だけを見ればアウトにした。それでも、許せるものではなかった。

 

 結果良かったから、いいじゃん。そういうものではないのである。

 

「すいません、監督」

 

「わざとではない。他のことに気を取られていたわけでもない。必死の末のプレーを、あまり気に病むな」

 

 監督の方にも頭を下げ、許しをもらってからベンチに座る。

 攻撃は、7番から。その光景を見ながらも蘇るのは、かつての記憶。

 

『あのさぁ、ファーストだからって打てばいいってもんじゃないのわかる?』

 

 白髪のクソ生意気なガキ――――リトル成宮のお説教。

 確かこのときは、4本のホームランを打ったが2失策したときだった。

 

『プロでも打率10割は無理なんだよ。だけど、守備ってのは10割を目指せる。それに凡退はお前の成績が下がるだけだけど、エラーは味方が迷惑するだろ? つまり、守備が大事なんだよ』

 

 エースはごもっともな講釈を垂れた。それを素直に受け止めて、東は必死こいて守備練習に励んだ。だからシニアでは3年間で無失策という結果を出している。

 

 やってしまった。

 そういう自責の念と、反省と検討。それを手短に済ませて頭を切り替えた東の隣に、凡退してきた御幸が座った。

 

「お前、薄々わかってたけど肩強いのな」

 

「ああ」

 

「ストライク送球もできる。しかも左」

 

「ピッチャーはできないぞ。念の為に言っておくが」

 

 東は、いくら燃えようが投手を責めない。

 なぜなら、打者に自ら向かっていく獣のような闘志を持つ者のみが投手になれることを知っているから。

 打者とは、狩人である。待ち構え、罠を張り、迎え撃つ。

 

 捕手として投手のふがいなさをダイレクトに受け止めている御幸も、決して投手は責めない。頭を抱えてはいるが、自分たちではできないことを知っているのである。

 

 野手と投手を両方、高水準でこなせるのは才能の天秤が釣り合った存在のみ。彼らはどちらも、大きく野手に傾いていた。

 

「さあ守備だ。切り替えて行こうぜ」

 

 キャッチャーマスクを手にとって、御幸一也は駆けていく。東もライトへ向かいながら、スコアボードを睨みつけた。

 

(上位打線からだ)

 

 1番から。となると、確実に3番たる自分には打席が与えられる。

 7回裏を1失点で堪えた8回表。4点差は、追いつけない点差ではない。

 

 3年生エースの鈴本も、2番手の2年生井口も打ち崩した。

 特に井口は、W東に強か殴られてグロッキー。

 

 たとえば稲実が普通の強豪であったならば、これで勝負は決していただろう。心を壊すホームランを喰らい、井口はほぼ続投不可能というくらいに打ちのめされている。

 

 3年生のエースも、2年生のエースも打たれた。3年の二番手もいるが、抑えられるとは思えない。

 

 ――――打ち勝つ。

 

 その意志を砕きに、小さいエースがやってきた。

 

『稲城実業高校、投手の交代をお知らせいたします。ピッチャー井口くんに代わりまして――――』

 

 小走りではなく、ゆっくりと。試合を締める守護神のような風格を出しながら、白髪のエースがマウンドに向かう。

 

 未だベンチに座る東にとっても、御幸にとっても、それは見慣れたシルエットだった。

 

『成宮くん。10番ピッチャー、成宮くん』

 

 

「拙い」

 

「なんや、1年坊やろ」

 

 東清国にとって、今年が最後の夏。絶対に勝つという思いは誰よりも強い。

 

 打ち勝つ。共有されたその感情を一番強く持っていたのは、間違いなく彼だった。

 1年坊呼ばわりの原因は侮りではなく、意気。必ず勝つ、打つ。その決意が、強い言葉を吐かせた。

 

「初見では打てませんよ、あれは」

 

「4ヶ月前まで中坊やないか」

 

「俺もそうです」

 

 打率.638、6本16打点。それが、4ヶ月前まで中坊だった男が、あとのない3年生たちを打ち崩して打ち立てた成績。

 

「天才やろが、お前は」

 

 東清国は、忘れていない。三重に遊びに来ていたこの従兄弟を自分が所属していたリトルの助っ人に差し向けたときのことを。

 

 それは清国がシニアに入って、4番を打ち始めて少しした夏休み。

 

 隣のやつに誘われて野球を初めたと言っていた従兄弟に、少し上のレベルを見せてやろう。そんなつもりで、1年前までは所属していたリトルの監督に頼み、3試合ほど出してもらった。

 

『どや、打てたか?』

 

 全然打てなかったと、東勇輝は答えた。

 初心者なんてそんなもんやと励まして、その後清国はお礼がてら改めてリトルの監督に会いに行き、従兄弟の成績を聴いた。

 

 12打数11安打10本塁打1二塁打。それが、東勇輝が残した成績。最初は8番を打たせていたのが、いつの間にか4番に座っていたと監督は言った。

 

『綺麗じゃなかったから』

 

 ホームランの軌道が思ったのと違った。もっと高くて、もっと速いのを目指していた。だから、全然打てなかったと言った。

 

 これが天才なのだと、東清国は理解した。初めて現れた壁に追いつく為に死ぬ気で努力し、2歳年下の従兄弟に負けぬ程の打者になった。

 

「あいつに勝った覚えはありませんよ。1度たりとも」

 

 正直に言って、尊敬していた。どこまでもストイックなこの従兄弟を。感謝すらしていた。確実に、こいつに会わなければどこかで自分の実力に慢心していただろうから。

 

 そんな男が、天才だと言う投手の指先から放たれた白球は空気を穿ち、破裂するような音と共にグラブに突き刺さる。

 

(こいつも、そうなんか)

 

 天才。凡人の道を遮る壁をあっさり超えてくる、化け物の類。地を駆ける獣を空から見下ろす天与の才を与えられ、必死に翼で空を叩く怪物。

 

 これまで8出塁を果たしていた1・2番があっさりと打ち取られ、ネクストで珍しく素振りをしていた東が打席に立つ。

 

 

 てめぇ、このやろう。

 

 

 挑戦するかのように突き出されたグラブからわずかに見える口パクでそう言われ、東は少し首を傾げた。

 

(何を怒ってるんや、鳴ちゃん)

 

 その眼は赤く、優しさとは程遠い剣呑さがある。関西弁が感染った。そんな変化にすら気づかず、東勇輝はバットを肩に寝かせた。

 

(カッカしてるなぁ)

 

 鳴ちゃんプンプン。何やらかしたんだこいつという、相手キャッチャーからの視線が痛い。

 

 何もやってません。むしろやられた方です。

 そんな弁明をする程の余裕はない。

 

 確かに勝った覚えはない。自分が上だと確信した覚えはない。ただ、負けたこともない。かと言って、それは4ヶ月前のこと。

 

(決め球はチェンジアップ)

 

 シンカー気味に落ちる独特の必殺球を思い描き、感覚を鈍化させて螺子を弛める。

 

 遅れれば、左手で圧し込む。速ければ、右を引く。タイミングが合えば右で叩く。たったそれだけが、東勇輝の打撃術。

 

(鳴、落ち着け)

 

(落ち着いてるけどぉ!?)

 

 両手を広げて平静を取り戻すことを諭す原田にマウンド上で蹴った土と視線で答え、グラブを前に構える。

 小さな身体を目一杯に使った、ダイナミックな古典派オーバースロー。現在の主流とか、そういうのは関係ない。瞬間瞬間に全てをかける、エミール・ザトペックの如き全力の動作。

 

 糸を引くようなストレートを、東は手を出さずに見送った。

 

(雅さん、外すよ)

 

(こいつは今まで、投手が代われば必ず粘る。今の内にカウントを有利に進めるべきじゃないのか?)

 

 再びストライクゾーンに構えた原田のミットに首を振り、手招きする。

 タイムをとって近寄り、原田は問うた。

 

「東勇輝はその場の役目を果たせる打者だ。お前という情報のない投手が出てきた以上、必ず2ストライクまでは振らない。なぜなら――――」

 

「これまでがそうだったから、でしょ?」

 

 ギロリと、青い瞳が1つ年上の先輩を睨む。エースの意地、プライド、経験。踏んだ場数、生の情報。それらに支えられた圧倒的な自信が、成宮の眼にはあった。

 

「俺をこれまでの投手と比べないでよね。あいつは余裕があるときに、他の役目を果たしてるだけなんだよ。あいつは、主軸だ。俺が認めた四番打者だ。絶対に次を狙ってくる」

 

 前の2人にやったみたいに悠長に2ストライクまで待ってたら、俺は打てないよ。

 

 原田は怒ると言うより、呆れた。呆れたと同時に、納得した。

 クソ度胸と、絶対的で確かなプライド。なるほど、これはエースの器だと。

 

「リードはお前に任せたほうが良さそうだな」

 

「うん。でも、他のは任せるよ」

 

 冷静なのか、そうではないのか。投げると告げられたのは、スライダー。

 

 左対左。極めて有効なその球に向けて振り抜かれた剛剣が奔り、空振る。

 どよめきが、グラウンドを包んだ。ベンチも、観客も、審判も。東勇輝の空振りを見たことがなかったのだ。

 

(流石はエース……)

 

 撒き餌にも引っかかってくれない。

 終盤、最も大事なその時に活躍できるようにと仕込んできた罠が、俊敏な白鷹に根こそぎ破壊された。

 

(流石は鳴だ。どうにもならん)

 

 東は、このとき全てを捨てた。今まで初球を振らなかったこと。終盤での逆転への布石も、読みも、経験も捨てた。

 必殺球の存在も、球種も、ストレートの速さすらも捨てた。全部忘れて、背を反らしてバットを寝かせた。

 

(次で、決める)

 

(合っていないからか?)

 

(開き直られると勝てないから)

 

 東勇輝は、なるべく論理立てで勝とうとする。本能に任せることを嫌う。

 彼は正気で、打率10割を目指していた。だから、理屈で誘導したり罠を張ったりと色々する。

 

 しかし、咄嗟に開き直るときがある。理屈という鎧をパージし、罠を捨て、弓を捨て、剥き出しの才能で向かってくるときがある。

 それがたまらなく恐ろしい。そうなればこれまで積み立ててきた配球も何もかもを無視される。超人的な反応のみで打たれると、博打にならざるを得ない。

 

(遊んでる暇はない)

 

 追い詰めたように見える。だが、同時に追い詰められてもいる。

 

 決め球は、チェンジアップ。奴の頭には、まだそれがある。

 だが、成宮鳴は進化した。この4ヶ月、四番に捨てられたエースは進化した。

 

 スクリュー。ストレートと同じ軌道・同じ速度で進み、打者の手元で斜め鋭く落ちる空振りを取るための奥の手。

 

 見せていない物を、打てるはずがない。そんなことは考えない。奴は、平気で打つ。なぜなら自分が認めた四番だから。

 

 だから、知ってても打てない球を知らぬままに投げる。

 

 体感速度――――ノビも、キレも全く同じ。それがいきなり、鋭く斜めに落ちる。

 外角からストライクゾーンに入ってくるように落ちていくそれを見て、バックネット裏の観客は感嘆の声を上げた。

 

 147キロ。ストレートのMAXは150キロであると考えると、驚異的な速度。

 

「はい」

 

 どうでも良いような、突き放した呟きと共にバットが風を切り裂く。

 

 軌道を最後まで、眼で見ていた。

 

 成宮がスクリューを投げられないことを、東勇輝は忘れている。チェンジアップを投げられることも、空振ったスライダーすら忘れている。

 

 逃げた先にある球を、東は膝を突きながら薙ぎ払った。

 弾かれたように逆方向へ、白球は綺麗に飛んでいく。

 

「嘘だろ……」

 

 飛んだ先を見もせずにグラブをマウンドに叩きつけた成宮に代わって、原田雅功は呟いた。

 

 理性と思考を捨て去った怪物は、堂々とダイヤモンドを回ってくる。

 反撃のソロ。どよめいていた観客が叫び出すまでには、そう時間はいらなかった。

 

 しかし、成宮鳴もまた怪物だった。叩きつけたグラブを拾い、無理矢理気を鎮めて残りひとりを仕留めていく。

 

 東清国をストレートで。

 結果的にはたった1本のヒットしか許さずに、成宮鳴はこの試合を締めた。




感想にしか言及していませんでしたが、評価・お気に入り登録もたくさんやっていただいております。感謝です。


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東のクレメンティア

クレメンティア(寛容)

寛容な評価の雨あられ、怒涛の感想感謝です。


 敗戦という経験を、東勇輝は味わったことがなかった。試合に出れば、打った。打てば、必ず勝った。

 

 勝負に勝って、試合に負けた。そんなことがあるのだということを知った夏が終わり、秋が過ぎたころ。

 

 東は、小さな病室に居た。コンクリートが打ち付けられた壁から小窓へと視線をやり、物憂げにため息をつく。

 

 そんな鬱々とした空間の外から、喧しい―――病院では到底聞くことのできない闊達とした足音が猛接近し、がらりと勢いよく病室の扉が開いた。

 

 ぬっと出てくる白頭。

 

「勇輝ィ!」

 

 同時に放たれた切羽詰まった声が、成宮の心情を表していた。

 

 今日は、青道高校に偵察に行っていた。彼は先日の試合で投げ、ノースロー状態。ロードワークがてら、ふと足を伸ばしてみたのである。

 

 新チームの発足を既に済ませていた青道。相変わらず衰えない打撃をフェンス越しにチラ見し、鼻で笑いながらゆっくり走っていると、気づいた。

 

 守備練習にも、あの野郎が居ない。打撃練習をしていないことは、音で既にわかっていた。明らかに全体練習中なのに、ロードワークに行くと考えられない。となると考えられるのは、サボり。

 

 しかし、それも考えられない。あの野球しか楽しみを知らないような泰山の如きストイックさで、散々辟易させてくれた――――そして、嫌というほど実力を高めてくれたあの野郎が、サボることだけは絶対にない。

 

 散々っぱら青道の周りを走り回っても見つからず、遂には唯一の知り合い――――御幸をとっ捕まえて聴いたのだ。

 

 あいつ、怪我したの?と。

 

 返ってきた答えは、『試合中に倒れた』。

 倒れた。その言葉に、いいイメージはない。御幸曰く、『言ってると思った』。そんな言葉を聴き終える前に、病院名だけ聴いて走り出す。

 

 最悪のイメージを払拭せんと彼はここに駆けてきたのである。

 

「やあ、(俺を捨てた挙げ句ホームランを打たれた)成宮くんじゃないか」

 

「………………?」

 

 倒れた。そのイメージとは全然結びつかない健康体で、平然とベットに寝転がる男がひとり。

 

「エースとはいえ、サボりは良くないな。せっかく、余計なことを知らせないでいてやったというのに」

 

 さては御幸だな……などと、完璧に的を射た邪推を行う東には、危篤のきの字も見られない。

 

「……今日は休みだから」

 

「ああ。そういえば昨日試合があったんだったか……」

 

 昨日の試合相手は薬師。エースの真田が負傷退場し、成宮率いる稲実は楽々勝ちを収めた。

 

 負傷退場という場面を見てしまったからこそ、焦ったというのもある。

 平然としている東を見て、成宮は今更ながら落ち着きを取り戻した。

 

 危篤なやつが、こんな辺鄙な病室に押し込まれているわけがない。

 

「で、現在快進撃を続ける稲城実業高等学校のエースがなぜここに来た」

 

「……一也から、お前が入院したって聴いて来てやったんだけど?」

 

「事実ではある。厳正なる検査も受け、手術もしたことだし」

 

 新エースとして抜擢された丹波を援護すべく、市大三校の新3年生・エース真中から逆転の3ランを放った直後、倒れた。

 

 どうにも、そういうことらしい。

 珍しくちんたら走っていたことに気づいたチームメートが声をかけても何も答えず、ホームベースを踏んで倒れた。

 

「……容態は?」

 

「ああ。90まで生きられるかどうかわからない程度の健康体らしい」

 

 強いて言うならば、盲腸が悪さをしていたかな。

 

 そんなことを言う阿呆の腹でもぶん殴りたくなったが、大人の余裕で何とか堪える。

 

「紛らわしいやつだな、ほんとに!」

 

 怒鳴って、お見舞いらしきリンゴを引っ掴む。

 お見舞い全部食ってやる。そんな苛立ちをむき出しながら傍らの果物ナイフで皮を剥きはじめたところで、ドスの効いた声が鳴った。

 

「おい」 

 

 ピタリと、皮を剥く手を止める。

 怒らない。声を荒らげない。ただ、やり過ぎたとき、言い過ぎたときにさんざん降り掛かってきたこの声。

 

 マウンド外でも王様剥き出しな成宮も、条件反射には逆らえなかった。

 

「なんだよ、危ないなぁ!」

 

「剥いてやるからよこせ」

 

 片手でベットの角度を上げながら降ってきた有無を言わせない声音には逆らえず、渋々仕舞った果物ナイフとリンゴを渡す。

 

 器用にくるくると向き終えて、正確なスローイングで東はリンゴを投げた。

 

「お詫びのつもりかもしれないけど、俺はまだお前が勝手に――――」

 

「投手が持つのはボールだけでいい」

 

 どっかいったこと、許してないから。

 

 そう続けたかった言葉を豪快にぶった切られ、しゃくりとリンゴを齧る。

 硬すぎず、柔らかすぎず。それでいて柑橘系にある酸味のない優しい味わい。

 

「で、勝ったか?」

 

「薬師にか? 負けるわけ無いだろ。俺が」

 

「ならばよし」

 

 言わなかったのは、余計なことで黒星をつけたくなかったから。

 精神的動揺はわずかなものだろうが、それでも無いに越したことはない。

 

 そんな内心を知らない成宮には、なんとなく気まずい雰囲気がある。なにせ、当たり前のようについてくると思っていた相手が付いてこなかったのだ。

 高校野球に休みはない。かと言って、こういうことを電話やメールで済ませたくはない。

 

「……あのスクリュー、なんで打てた?」

 

 どう繋ごうかと必死に探した話題の果てが、それだった。

 トーナメント戦という後のない地点に立ち、本気と本気をぶつけ合ったはじめての戦い。

 

 はじめての対戦は、リトルの投手適性試験のとき。成宮は東の球を3打席中2本打ち、東は3打席中3本の柵超え。

 

 どちらも、他のメンツは抑えてからのこれ。監督は決めかねていたようだが、東は自ら投手を辞退した。それが、はじまり。

 

「お前には、見せたことなかっただろ。公式戦でも一回も投げなかった」

 

「あれか」

 

 くいーっと少し水をすすり、横の手かけに置く。

 

「お前相手に駆け引きも何もないと思った。どんな球が来ても不思議ではないと思った。だから、全部忘れたんだよ」

 

 全てを忘れた。積み重ねてきたこれまでの全てを。

 初めてカーブを見たときに、必死についていくように。初めてスライダーを見たとき、見当違いどころにアテをつけるように。

 

「ただ、あのままだと外れただろ。お前はあそこで逃げないと思ったから、振れた。そんなところじゃないか」

 

「忘れてないじゃんか、俺の性格」

 

「……確かに」

 

 これまで散々苦労をかけられてきたからな。

 しみじみ思い返すその言葉には、嫌気はない。嫌味もない。

 

 じゃあなんでどっか行ったんだ。そう言いたかったのを抑えて、成宮は唯一尊敬する打者の答えを待った。

 

「うん、わからん。だから、来た球を打った。そう言うことにしておいてくれ」

 

「てめぇ……」

 

 適当なことばっか言いやがる。

 そんな怒りを察知しているのか、いないのか。穏やかな無表情だった東の相貌が、野球小僧のような笑みに崩れた。

 

「だがまあ、楽しかったよ。本気の対戦は」

 

 今まで、エースと四番だった。王様と騎士だった。頭領と副官だった。

 野球をはじめてからずっとそうで、お互いに死力を尽くして対戦することはなかった。

 

「負けた。死ぬほど悔しいはずなのに、なぜかやりきった感もある」

 

「勝負には…………」

 

 勝ったからだろ。これまた泰山よりも高いプライドが、その言葉を発させない。

 

「……勝負には、負けなかったからだろ」

 

「かもな。だが、野球ってのはそうじゃない」

 

 勝つぜ、今度は。

 そう言われて、ハッと気づく。

 

 こいつ、もしかしてこれがやりたかったんじゃないか、と。

 成宮には、投手としての本能がある。東が青道への推薦を決めたことを事後報告されたとき、確かに彼は怒った。何をしてやがると叫んだ。だが、同時に歓喜もしたのだ。

 

 唯一、だ。一時的にとはいえ、唯一負けを認めた打者。このままでは、永遠に勝負できないはずの最大最強の味方。

 そいつと、死力を尽くして鎬を削れる。投手としての本能は、強敵の存在に歓喜していた。

 

 野手にも、本能があるはずだ。

 どいつもこいつも情けなくも打たれて心を折りまくられるやつばかり。当たり前の勝利を、成宮鳴は齎す。

 そんな存在に挑戦せずして良いのか。そう思ったことが絶対にある。

 

 奴は、打者を狩人だと言った。狩人ならば、困難な獲物であればこそ燃えるのではないか。

 

「なるほど、な……」

 

「そう。野球とはチームを勝たせてこそ――――」

 

「いや、わかった。もう言わなくていい。俺はお前を叩き潰す。捩じ伏せる。俺だって、それを望んでいなかったって言ったら嘘になるんだからな」

 

 何言ってんだこいつ。

 自己完結型の納得を見せられ、東はふと思いだした。

 

「そういえば。お前、俺を――――」

 

「わかってる。勝負したいってのは、俺も同じだからな」

 

 絶対にわかってない。だが、目標を見つけた成宮鳴は止まらないことを、東勇輝ほど知っている人間はいない。

 

「今度の夏。3三振でぶっ飛ばしてやる。じゃあな!」

 

 嵐のように来て、嵐のように帰る。

 ちゃっかり食ったリンゴの芯を素晴らしいコントロールでゴミ箱に叩き込んで、成宮鳴は消えた。

 

「……まあ、いいか」

 

 そういうガバガバなクレメンティアが成宮をああ言う風にしたのだと、東は全く気づかなかった。




これで0.5はおわり。明日は投稿無いかもしれません。
これからは原作の情報を纏めつつ穴のないように頑張るので投稿頻度が落ちますが、お許しください。


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帰ってきた男

日刊ランキング1位になりました(過去形)。そして評価者100人超え、感想件数50件超えと記録ラッシュで嬉しいです。
応援ありがとうございます。これからもがんばります。


 轟音は、鳴らなかった。その音を訊けば、それとわかる。それ程に特徴的な音は消え、乾いたような音が木霊のように響く。

 東の為に増設されたネットを超え、白球は空を切り裂いて飛んでいく。

 

「……復・活」

 

 呆然と、永遠に続くのではないかとすら思われたアーチを見送ったのは、川島。川上に次ぐ、2年生の2番手ピッチャー。

 

 とっさに膝をついて流し方向に叩き込める下半身の粘りは、正直言って高校生離れしている。その粘りも、盲腸の治療にかかった3週間のブランクで翳りが差した。

 それを取り戻すためにひたすら走り込み、守備で横の動きを鍛え、全体練習を終えてやっと迎えた初打席。

 

「相変わらずでなによりだ」

 

 とは言いつつも、隣で打っていた結城哲也の身体から闘気が迸る。

 負けてられん。その意気と共に振るわれたバットが白球を攫い、天へと連れ去った。

 

 そのまま20球打ち込み、結城と東が同時に代わる。ひたすらうなずくか、動画を撮っていた男たちがバッティングケージから目を離す。

 

「春だな……」

 

 投手と、回転する白球。それら以外の全てが暗転していた景色が、急速に色を取り戻す。

 舞い散る桜が風に乗り、目の前まで降ってきていた。

 

「お前、木製使うようになったんやな」

 

 次の、次の打者。増子の後ろに並んでいた前園が、東が手に持つ黒いバットを見て呟いた。

 実力的には、元々飛び抜けた物がある。1年時からクリーンナップに抜擢されたことも、盲腸から帰って即座にスタメン起用を示唆されたことも、なんの不思議もないと思うくらいには。

 

 ただそれでも、金属バットというミート・パワー共に増幅させるチートアイテムを使うことが許されている高校野球において、木製バットを使うことは珍しかった。

 

「まぁ……色々あったからな」

 

 一塁線、ないしは三塁線。東はタイミングを取りかねて、ファールゾーンのギリギリを襲う強烈なライナーを放つことがある。

 霞む程のスイングスピードと圧倒的なパワーで打った打球は、まさに殺人的な速度で飛んでいく。とくに金属バットでは芯を食わなくても勝手に飛んでいってしまうのが痛かった。

 

 ライナーが一塁手にぶち当たり、打撃結果として内野安打をもぎ取ったものの相手が負傷交代。そんな光景を見たのは、一度や二度ではない。

 反応が遅い公立校に多いその現象を見て爆笑できる程、東はひねくれていなかった。かと言って同情もしないが。

 

「やりにくいんだ。極めて」

 

 木製であればファールになるものが、塁線上を襲う。ライナーになる。

 野球がしたいのである。公立校の選手も、私立の選手も野球が好きだというのは変わらない。

 

 そんな選手を負傷させるのは、本意ではない。避けたりグラブで受けたりしろ、とは思うが。

 

「それに、耳が壊れる。自分も相手も壊れるというのはよろしくない」

 

 破裂するような打撃音の被害を1番受けているのは、発生源から1番近い存在。つまるところは東なわけで。

 その点木製であれば、それ程大きな音は鳴らない。軽ーく鐘を突いたような、木霊の音。

 

「……ホンマに言ってみたいわ、そんなこと」

 

「まずフォームを固めることだな」

 

 くいっと、顎で打撃練習に励む増子を指す。

 3年。最後の夏に向けて挑む姿には、2年生にはない危機感がある。

 

「増子さんが完成形だろ。ポジションも含めて」

 

 前園も増子も、典型的なプルヒッター。引っ張り方向の打球が多く、引っ張ればよく伸びる。

 

「右方向に打ちたいんや」

 

 驚弾炸裂。俺はお前らとは違うと、見せつけられたような逆方向。

 何故、飛ばしにくい逆方向へのホームランがフェンスどころかネットを超えるのか。今も木製で逆方向へと打ち込み、増設されたネットすら超えていた。

 

 1年生軍団対、2年生ズ。昨年の今頃に見た景色が、まだ眼に焼き付いて離れない。

 

(そう良いものでもないが)

 

 個人の目標に、口を出すのはやり過ぎである。間違った目標ではないし、後輩ならばともかく同学年。

 どこに入っても、1点である。ただ、逆方向を狙えば打球が切れにくいからそうしている。

 

 増子が8割方引っ張って柵超えを連発していたのとは対象的に、右方向にライナー気味の打球が飛んでいく。

 

 前園は右打者。東は左打者。左右で感覚は異なるが、わかることもある。

 つまり、流そうとしている時点でホームランは狙って打てない。あくまでも、ホームランとは打球を引っ張って打つものなのだ。

 

 東は右方向に打つときは左手で引っ張り、左方向――――所謂逆方向に打つときは右手で引っ張る。

 打撃の重心、スイッチを入れ替える。利き手を変える感覚に近い。

 

(……他人がごちゃごちゃ言うのも悪いか)

 

 横から投げてもらい、ティーをする程に逆方向にこだわりを見せる前園にこういうことを言うと、マトモに聴いてしまって余計混乱するかも知れない。

 

 真面目なやつなのである。他人の言うことをそのまま聴き、他人のやることをそのままやろうとする。

 振り抜きつつ合わせられた打球が飛んでいく様を横目に見ながら、東は肝心要なブルペンへと足を運んだ。

 

 打撃投手を努めているのは、謂わば二軍の投手たち。彼らは味方に打たれて心を鍛え、実力を磨かなければ一軍には上がれない。

 

 ブルペンに居る者こそが、一軍。彼らのピッチングをしばらく眺めていると、奥で投げている投手の目がそんな観察者を捉えた。

 

「復帰したのか、東」

 

「あ、おめでとう。ブランクはどう?」

 

 短く刈り揃えられた髪に、強面。2種類のカーブを投げ分ける、現在のエースとリリーフエースが投げ込みをやめて視線を向けた。

 

「まぁ、ぼちぼちです。心配おかけしました」

 

「ああ………」

 

 東が倒れた試合は、秋季大会3回戦となる市大三校戦。

 丹波光一郎は、そんな試合を前に緊張していた。エースとしての初陣だから、ではない。既に1回戦で初陣は果たした。打線に助けられての試合だったとはいえ、丹波は見事に6回を投げて勝利投手となった。

 

 なぜ、緊張していたのか。それは友であり、憧れである真中要との投げ合いだったからである。

 小学校から中学校と、丹波は常に真中の2番手投手に甘んじていた。そんな自分が青道のエースとして、常に自分の前に居た友と投げ合う。

 

 勝てるのか。そんな気持ちはあった。打線が、ではない。真中要に、丹波光一郎は勝てるのか。

 緊張があった。萎縮もあった。そんな中で抑えられるわけもなく、初回に失点。

 

 負けたと思った。そんな中で東が放った逆転3ラン&病院送り。

 倒れた瞬間ダッシュで駆け寄った監督、救急車を呼んだ部長に、広がる動揺。青道の未来の四番は、散々ボコボコに打ち込んでくれたあいつは大丈夫なのか、と。

 

 丹波は、そんな倒れるまで頑張った男の努力を無駄にしてはならないと必死で投げた。緊張も萎縮も、吹っ飛んだ。

 気がついたら、試合は終わっていた。9回1失点。敵味方共に動揺があったとはいえ、丹波は強豪・市大三校相手に完投勝利を挙げたのである。

 

 今までの消去法エースから、堂々たるエースへ。真中要に投げ勝って、どこか変わった。そんな殻を破った丹波は、黙々と投げ込みに戻る。

 

「……調子いいんだよ、丹波さん」

 

 丹波の集中力を切らないように、こっそりと囁く。人の良さが出ている川上の今までの

 

「そう言うお前はどうなんだ?」

 

「うっ」

 

 1試合3死球。それが、川上憲史がデビュー戦で残した記録。

 配球の軸となるストレートに、カウントを取るスライダー。そして、決め球のシンカー。その決め球を、投げていない。いや、投げられないというべきか。

 

 シンカーを打者3人に連続してぶつけてしまった結果、川上は己の決め球を軽く封印状態にしてあるのである。

 

「シンカーはまぁ、ね」

 

(なにかあったな)

 

 投手は繊細な生物である。試合に臨むまでにコンディションが上下し、試合中に悪いところを修正し、あるいは悪化させる。

 だからこそ決め球を狙い打ちにすれば試合中にピッチングを崩壊させることもできるし、決め球に空振れば調子に乗らせてしまうこともある。

 

 まあ、その何かを深くほじくるつもりは無かった。あくまでも、ピッチングが終わってからの程よいタイミングで軽い挨拶をして終えるつもりだったのだから。

 

(春季東京都大会、か)

 

 新入生も参加できる大会。未だルーキーたちは入寮することすらかなわないが、ともすればスタメンを追われる可能性すらある。

 

 監督から手渡された背番号は9。現在の構想上はライトでスタメンだと示されたことになるが、高校野球は短期決戦。調子が悪ければ代えられる。

 

 今までを見てきても、あまり片岡監督はそういうことをしない。レギュラーと決めれば口では厳しいことを言いながらも、なんだかんだ信じて使ってくれる。

 

 打順もイジらないし、守備位置も滅多に代えない。鍛え上げた主力の復調を待ち、心中するスタンス。

 

(期待には応えてみせる)

 

 ウエイト室へと向かいながら、思うのだ。

 そう、うかうかしてもいられない。秋季大会で負けてからの時間を、東は錆びついた能力を戻すことに費やした。

 しかし、周りは新学期までの時間をレベルアップに使えている。この差は大きい。

 

 追っていく者から、追われる者へ。

 ポジションの幅が小さいからこそ、東は気合を入れて駆けていった。




次回から更新は不定期になります。

暇つぶしにこれを使ってパワプロでペナントでもして待っててくださると嬉しいです。ちなみに所属球団はアナログスティックくんをガチャガチャやって決めました。
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