巨乳JSの乳を触ったらヤンデレな許嫁になった件 (青ヤギ)
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パイタッチから始まるラブストーリー 前編

 東郷美森(とうごうみもり)といえば讃州中学のマドンナとして有名な存在だ。

 

 中学生離れした美貌と抜群のスタイル。濡れ光る黒髪に色白な艶肌。おしとやかな物腰に、何事もそつなくこなす姿は、まさに大和撫子と呼ぶにふさわしい。

 

 とうぜん多くの男子生徒が憧れの眼差しを(あるいは思春期特有の感情を)彼女に向ける。

 

「東郷さんみたいな人と付き合えたら、人生が薔薇色だろうな~」

 

 むしろ嫁に欲しい。毎日彼女の手料理が食べたい。

 などと言いつつ、甘い夢想に浸る者のなんと多いことか。

 

 それにしては、浮わついた話はひとつもない。

 東郷さんがあまりにも()()()()ということもあるが……いちばんの理由は彼女が車椅子生活を余儀なくされる身体であり、大親友の結城友奈(ゆうきゆうな)が常に付きっきりで面倒を見ているからだった。

 

 誰の目から見ても彼女たちの友情は強固であり、付け入る隙など微塵もない。

 あの二人の間に入ってまで東郷さんにアタックを仕掛ける度胸のある者はいないし、結城さんの代わりに手助けをする覚悟を持つ者もそういない。

 

 課外授業の一環で老人ホームのボランティアに行った際、車椅子生活をしている人の手助けをしたが……あれは想像以上に大変なことだった。

 レポートには「車椅子を押すことは、その人の身体の一部になることであり『この人なら任せてもいい』という強い信頼関係が必要になると実感しました」と書いて提出をしたら花丸を貰った。

 だから結城さんのように、いつも笑顔を絶やさず東郷さんのサポートをし、絶対の信頼を得ているのは凄いことだ。簡単に真似できることではない。

 

 もしも東郷さんと交際したいというのなら、結城さんと同じくらいか、それ以上の特別な存在になるしかないだろう。

 そして誰もが『それは無理だ』と、菩薩のような優しさを持つ結城さんを見て諦めるのだった。

 

 そんなわけで、べつに不可侵協定があるわけでもないが……ほとんどの男子生徒は学園のマドンナを遠目で見るわけである。

 

 かくいう、俺もそのひとりだ。

 

「なんだよ西条(さいじょう)。また東郷さんのこと見つめてんのか?」

 

「え? いや、べつに見つめてたわけじゃ……」

 

「相変わらず西条は東郷さんにお熱なんだなぁ。まあ気持ちはわかるけどよ」

 

「だから、そんなんじゃないって」

 

 クラスメイトの男子たちは、何かと東郷さん絡みで俺を弄るのが好きだ。

 何気なく東郷さんに視線を配るだけで、すぐにからかってくる。

 

「照れるなって。男ならあの特大バストを凝視しちゃうのはしょうがねえって」

 

「なっ!? 変なこと言うなよ! そんなつもりで見てたわけじゃ……」

 

「いやいや誤魔化す必要はねえぞ西条。あの中学生とは思えねぇ胸と美貌。見るだけで眼福だもんな」

 

「それな。いやぁ、同じクラスになれて超ラッキーだぜ。東郷さんマジ天使! 理想の巨乳美少女!」

 

「お前らな……」

 

 桃色の話題ではしゃぐ男子たち。

 近場にいる女子たちの非難の目が痛いからやめてほしい。

 東郷さんに聞こえていないといいのだが……。

 

 また東郷さんのほうに視線を配る。

 彼女はいつもどおり結城さんと楽しそうに談笑をしていた。

 こちらの品のない会話が届いている心配はなさそうでホッとした。

 

「……?」

 

 自分への視線を感じ取ったのか、東郷さんはキョトンとこちらに顔を向ける。

 俺は慌てて目を逸らした。

 逸らした先で、男子たちのニヤニヤと意地の悪い顔に迎えられた。

 

「やっぱり気になってるんじゃねえか」

 

「ち、違う! お前たちが変なこと言ってるから……本人に聞こえたらどうすんだよ」

 

「大丈夫だって、お互い教室の端っこなんだし」

 

「それに肝心の東郷さんは結城に夢中だしな」

 

 それもそうだが、当人がいる空間で話すべき内容ではないだろう。

 しかし火の着いた彼らの口は止まらない

 

「それにしても結城が羨ましいぜ。いつも東郷さんと一緒にいられてさ」

 

「まあ家がお隣さんらしいからな~。そもそも結城のコミュ力の高さが異常ってこともあるけど」

 

「わかるわ。なかなか真似できないよな、結城みたいなことは」

 

「結城がもしも男だったらとっくに付き合ってるかもな」

 

「そうしたらあの凶悪な代物が彼氏の特権で触り放題ってことじゃねえか……くっそ! 羨ましい!」

 

「いや、女子同士ならおふざけで、もう触り合ってるかもしれねえぞ!? くっそ! 結城になりたい!」

 

「つぅか、いったい何カップあるんだあのバスト? 大人のグラドルですらあのメガロポリス級は持ってないぜ?」

 

「目測だと、間違いなく90の大台と見たね」

 

「中二でそのサイズだと? ヤバくね?」

 

「はぁ~、一度でいいからあのおっぱいを触れたならな~」

 

「わかるわ。本当に一回だけでいいから、あのたわわなバストを触れたらな。そしたら俺もう死んでもいいわ……ってイテエエエ! 何すんだよ西条!?」

 

「拳骨で殴ることないだろ~!? つぅか武道やってるやつが素人の脳天容赦なく叩くなよ~!」

 

「当然の報いだ。これ以上の下劣な発言は俺が許さん」

 

 会話がさすがに際どすぎる流れになってきたところで武力で沈黙させる。

 女子たちの視線が軽蔑を通り越して殺意に変わりだしている焦りのためでもあるが……実際は自分の内心の動揺を抑えるためだった。

 

 俺は確かに東郷さんが気になっている。

 よく視線で追ってしまうのも否定しない。

 しかし、それは決してクラスメイトたちが期待するような理由からではない。

 ……いや、だからといって『色恋沙汰が絡んではいない』とも言い切れないのだが……

 

 俺が東郷さんをよく見てしまうのは、純粋な好奇心からだった。

 

 やっぱり、似ている……。

 

 初めて東郷さんを見たときは、本気で驚いた。

 もう会えないと思っていた人物と、彼女は瓜二つだった。

 しかし名前がぜんぜん違うし、彼女のほうは俺のことを覚えていないようだった。

 どうも事故のせいで、記憶が一部欠けているらしい。

 だから確かめたくても、確かめる(すべ)がない。

 

 他人のそら似かもしれない。

 最初こそ自分にそう言い聞かせていたが……やはり何度見ても、面影は重なるばかりだった。

 

 きっと何か事情があって、名前が変わった。

 そうとしか考えられないほど、東郷さんは()()()に似ている。

 

 間違いない。やはり彼女は……

 

 

 

 ――鷲尾須美(わしおすみ)さんだ。

 

 

 

 学園のマドンナ、東郷美森。

 学園中の男子がその美しさに見惚れ、大人顔負けの豊満な胸に対して桃色の妄想を浮かべる。

 叶わぬとわかっていても、誰もが東郷さんとお近づきになりたいし、あわよくば、その膨らみを好きにしたいと思っている。

 

 

 ……もしもだ。

 もしも彼女が、本当に俺の知る鷲尾須美その人であるならば……俺は全校男子の憎しみを一身に浴びるようなことをしている。

 それは何か?

 

 

 ひとつ。

 男子一同が憧れるその豊満な乳房を、俺は一度触っているということ。

 

 

 ひとつ。

 俺が彼女の――許嫁である、ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の家は、そこそこ伝統のある弓道教室だった。

 古いしきたりとやらで、小学生時代は親元を離れて祖父母の家で暮らし、跡継ぎとして必要な教育を受けた。

 弓を持つのは中学生になってからという決まりだったので、主に礼儀作法を徹底的にたたき込まれた。

 

 通う小学校も『神樹館』という、四国でも特に有名な学園だった。

 人類を死のウイルスから守り、すべての恵みの源である《神樹様》の名を冠していることから、その格式高さは伺い知れる。

 通う生徒も、教育が行き届いた良家の子息令嬢が多い。

 

 鷲尾須美さんとは、同じ6年2組に通うクラスメイトだった。

 礼節を弁えた子どもが多い中でも、特に際立って決まり事に厳しい、いわゆる委員長タイプで、孤立していたわけではないが少し教室で浮きがちな少女だった。

 もう少し肩の力を抜いて柔らかな態度で人と接していれば友人も増えただろうし、綺麗な容姿も相まってさぞ男子の間で人気となっただろう。

 

 けれど神樹様にまつわる『御役目』とやらで一緒になった乃木園子(のぎそのこ)さん、三ノ輪銀(みのわぎん)さんと仲良しになってからは、親しみやすい一面を見せるようになっていた。

 のんびり屋の乃木さん。

 活発な三ノ輪さん。

 タイプのまったく異なるふたりと親交を結べているあたり、そこまで堅い人ではなかったらしい。

 

 その『御役目』とやらは基本的に極秘だったので、三人がどんなことをしていたのかは知らない。

 しかし、しょっちゅう怪我をしているところを見るに、穏やかな内容ではなかったのは間違いない。

 

 鷲尾さんのことを意識しだしたのは、たぶんその頃だ。

 

 鷲尾さんは怪我をしていても、いつも通りクラスのまとめ役をしていた。

 それがときどき無理をしているように見えて、どうも気になってしまった。

 特に、乃木さんと三ノ輪さんが御役目後の検査などで保健室に行って不在の間は、フォローしてくれる気安い相手もいない。

 

 鷲尾さんに声をかけたのは、ちょうどそんな日だった。

 

「鷲尾さん、ノート運ぶの手伝うよ」

 

 鷲尾さんは怪我をしているにも関わらず、クラス分のノートを職員室に運ぼうとしていた。

 念のため言っておくと、押しつけられたわけではなく、彼女本人が「持っていく」と言ったのだ。

 先生に頼まれたわけでもないのに、鷲尾さんは積極的にそういうことをする。

 だが、さすがに怪我をしている女の子にノートの山を持たせるわけにもいかないだろう。

 

 困った人が居たら見て見ぬフリをするな、とは祖父の教えだが、その教えがなくともひと声かけるべき場面のはずだ。

 そう思ったのだが……

 

「結構です。西条くんは次の授業の予習でもしていてください」

 

 鷲尾さんの反応は素っ気なかった。

 乃木さんや三ノ輪さんには砕けた態度を見せるようになった彼女だが、打ち解けていない相手にはまだ壁を作ってしまう。

 加えてもともと頑固な性格なのか、一度やると決めたことは他人に頼らず成し遂げないと気が済まないようだった。

 普通ならば、ここで彼女の雰囲気に気圧されて教室に戻る者がほとんどだろう。

 

 しかし、その日は俺も、鷲尾さんと同様になにやら頑固だった。

 危なっかしい彼女を見ていると、断られても尚食いついてしまう。

 

「怪我してる人にそんな重いの持たせられないよ」

 

「これしきの負傷、銀やそのっちと比べたら問題ないわ。神樹様に選ばれた者として、怪我を言い訳にせず普段どおりに生活しないと」

 

 その志は立派だが、やはり無理は良くない。

 ここは少し押し気味にいったほうがいいかもしれない。

 

「人に素直に頼ることも大事だと思うよ。ほら、せめて半分持つからさ」

 

「きゃっ! ほ、本当に大丈夫だから!」

 

 半ば強引にノートを取ろうとすると、鷲尾さんは避けるように身体を捻った。

 それがよくなかった。

 

「あっ……」

 

「っ!? 危ない!」

 

 バランスを崩した鷲尾さんが前のめりに倒れる。

 俺は咄嗟に手を伸ばして、崩れる身体を支えようとした。

 

 ここで、刹那の葛藤があった。

 

 鷲尾さんは怪我をしている。

 触れる場所によっては痛がるかもしれない。

 もし腹部を怪我しているなら、傷が開いてしまうかもしれない。

 肩なら、掴んだことで悪化させてしまうかもしれない。

 

 どこだ? どこに手を伸ばせばいい?

 一瞬の間、悩みに悩んだ末、俺の手が伸びた先は……

 

 

 

 むにゅ。

 

 

 

「「あ……」」

 

 よく、それはマシュマロに例えられる。

 しかし、初めて触れたソレは、とてもではないが、マシュマロと比較しきれるものではなかった。

 大きく、柔らかく、弾力性があって、瑞々しい。

 

 ――鷲尾さんのアレって、もう小学生レベルじゃないよね。

 ――すごいよね。アレで小学生は無理でしょ。

 

 よく女子たちがそう言って、羨んでいたことを思い出す。

 なるほど。

 確かに、ソレは小学生の少女が持って良い代物ではなかった。

 

 知らなかった。

 こんなにも想像を絶するほどの感触だったのか。

 

 いわゆる……

 

 

 

 おっぱい、というものは。

 

 

 

 誤解を承知で言い訳させてもらうと、それは本当に事故だった。

 決して狙って鷲尾さんの小学生らしからぬ膨らみを鷲掴んだわけじゃない。

 

 ……が、どうあれ。

 触られた彼女からすれば、セクハラ以外のなにものでもなかった。

 

「うわあああ! ごめん鷲尾さん! わざとじゃない! わざとじゃないけど……とにかくゴメン!」

 

 胸から手を離し、ひたすら謝る。

 鷲尾さんは廊下に落ちたノートも気にせず、胸元を庇うように身を抱きしめ、プルプルと震えている。

 

 怒っている。

 当たり前だ。

 アクシデントはいえ、胸を男子に触られてしまったのだから。

 ビンタで済むならまだラッキーだ。

 最悪、クラス中に告発して、俺を吊し上げにするかもしれない。

 女の敵、爆誕。

 俺はクラス中の女子から卒業まで白い目で見られることだろう。

 うぅ、小学校生活最後の年で教室が居心地悪くなるのは辛いな……。

 

 いや、しかしこうなった以上、俺も男だ。

 どんな罰も甘んじて受けよう。

 祖父もよくやらかして祖母に叱られるとき、そう言っている。

 

「……西条ナガトくん」

 

 俺のフルネームを呼び、ユラリと怨霊のように振り向く鷲尾さん。

 怖い。

 だが逃げるな俺。

 男なら責任を取れ。

 それが日本男児ってもんだ。

 

「こうなった以上、わかっているわね?」

 

 ああ、わかっているとも。

 鷲尾さんが望むなら、どんな罰でも……

 

「せ、責任を取って……私と結婚しなさい!」

 

 うむ、そうだな。責任を取って鷲尾さんと結婚……はい?

 

「よ、嫁入り前の娘の胸を触ったのよ!? お嫁にいけない身体にしたのよ!? だ、だから触ったあなたが責任を取らなきゃダメなの!」

 

 涙目で顔を真っ赤にした鷲尾さんがビシッと指を突きつける。

 

「これは決定事項よ! 有無は言わせない!」

 

「え、ええー……」

 

 

 

 神樹館6年2組、西条ナガト。

 齢十二歳にして、同級生で、美人でスタイル抜群で、少し思い込みの激しい許嫁ができた瞬間だった。

 

 

 



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パイタッチから始まるラブストーリー 後編

 同級生の女の子の乳を触ったら、その子が許嫁になった。

 

 こんな話をして信じる人がいったい何人いるだろう。

 だが事実だ。

 

 あれから、俺の小学校生活は激変した。

 

「おはようございます、ナガトくん。今日もいい天気ね」

 

 まずひとつ。

 毎朝、鷲尾さんが俺の家に訪れてくるようになったこと。

 

「あの、鷲尾さん……」

 

「何かしら?」

 

「何度も言ってると思うけど、わざわざこんな朝早くに迎えに来なくても大丈夫だって。大変だろ?」

 

「問題ないわ。もともと私、早起きだし。それに、許嫁として未来の旦那様の家に通うのは、おかしいことではないでしょ?」

 

「……鷲尾さん、やっぱりその許嫁って、本気なの?」

 

「当たり前です。ナガトくんにはしっかり責任を取ってもらいます」

 

 子どもの冗談でも何でも無く、俺は本当に鷲尾さんの許嫁として正式に認定されてしまった。

 お互い、両親の挨拶も済ませている。

 鷲尾さんのお母さんは名家の妻にしてはフランクな人で、一通りの事情を聞くと微笑ましそうな顔で了承した。

 

『この子は一度決めたら頑固なところがあるから……まあ、貴方が良ければこれから仲良くしてあげてね?』

 

 鷲尾さんのお母さんはそこまで本気で受け止めていなかったのか、娘の暴走を温かく見守るような感じだった。

 ちなみにお父さんのほうは終始笑顔だったが、目が笑っていなかった。あれは間違いなく『娘を泣かせたら、ただじゃおかんぞ』と語っていた。

 祖父より怖い大人なんて初めて見た。

 

 それからというもの鷲尾さんはこうして毎朝、俺の家に通っている。

 

「おばあさま。だし巻き卵できましたわ」

 

「ありがとう須美ちゃん。毎朝助かるわ」

 

「お気になさらず。許嫁として当然のことですから」

 

「あらあら、本当にナガトには勿体ないできたお嬢さんだこと♪」

 

 いつのまにか祖母とも打ち解け、朝食を一緒に作る仲になっていた。

 孫にとつぜん許嫁ができたことに、祖母はあっさりと受け入れていたが……

 

「終わりじゃぁ。西条家はもう終わりじゃぁ……あの鷲尾家に逆らうなんてできんじゃろうがぁ……」

 

 俺が鷲尾家に婿養子に行くという話を聞いて、祖父は完全に腑抜けてしまった。

 この国を支える組織《大赦》の中で、鷲尾家は発言力のある家柄のひとつだ。いかに気の強い祖父といえども、鷲尾家の意向には逆らえないらしい。

 まさか、あの厳格な祖父がこんなにフニャフニャになってしまうとは……。

 

「もうお爺さん、いつまでも潰れかけの弓道教室に拘ってもしょうがないでしょ? この機会にしきたりなんて無くして、ナガトには好きな道を選ばせてあげようじゃないですか」

 

 祖母としては、やはり幼い子が親元を離れて習い事の日々を送る古いしきたりには、思うところがあったらしい。

 鷲尾さんが来てからというもの、心にゆとりができたのか、祖父にハッキリ意見を言う場面が増えてきた気がする。

 

 好きな道を選ぶ。

 ずっと弓道教室を継ぐものだと思っていた俺にとっては、正直戸惑いが大きい。

 ましてや、急に同級生の女の子と将来結婚することになるだなんて……。

 

「では、行って参ります。さ、行きましょうナガトくん」

 

「う、うん」

 

 登校も、もちろん鷲尾さんと一緒だ。

 男子と女子が二人きりで登校すれば、とうぜん注目を浴びる。

 

「鷲尾さんと西条くんって、いつのまにそんなに仲良くなったの?」

 

 と、よくクラスメイトから聞かれるが、さすがに経緯を話すわけにもいかないので、許嫁については二人だけの秘密にした。

 

 そのはずだったが……

 

「ひゅーひゅー。毎日まいにちお熱いね~ご両人~♪」

 

「ビュオオオォォォ! 許嫁関係とかイマジネーションが滾るんよ~!」

 

「ご、ごめんなさいナガトくん。二人が『くすぐりの刑』で聞き出してきたものだから……」

 

 さすがに、いつも御役目で一緒の三ノ輪さんと乃木さんには隠しきれなかったようだ。

 ……まあ、しょっちゅう行動を共にしていたら、聞き出されるに決まっている。

 

 幸いだったのは、三ノ輪さんも乃木さんも、それをネタに過度にからかってくるタイプではなかったことか。

 ……乃木さんは何やら奇声を発しながらメモを取りまくっていたが。

 

「しっかし、須美の旦那候補とは。西条も苦労しそうだよな~。怖い目にあったりしてないか~?」

 

 三ノ輪さんにそう言って苦笑しつつ、俺のことを気遣ってくれた。

 

「まあ、何かあったらこの銀様に相談しろよ? 須美の弱点とかこっそり教えてやっから♪」

 

「……銀? それはどういう意味かしら?」

 

「え? いやだってさー。須美って恐妻家みたく旦那さん縛り付ける感じがあるじゃん? 結婚したら大変そうだな~って……ちょ、ちょちょ、顔怖いって須美~」

 

「ねーねー。二人はどこまで進んだの~? もう手繋いだ? デートした? それとも、もしや、もしやすでにチュウ~を……ビュオオオォォォ!」

 

「そ、そのっち!? もう~! なんてこと聞くの~!」

 

「おやおやぁ? 気になるな~その反応。どうなんだ須美~? ほらほら答えろ~!」

 

「きゃあ! もう銀までっ……だ、だめぇ! くすぐるのはダメぇ~!」

 

 女の子はやはりこの手の話題が好きらしく、御役目の三人組はわちゃわちゃと盛り上がっていた。

 本当にいつのまにか随分と仲良くなったものだ。

 

 

 

 しかし……。

 鷲尾さんは、どこまで本気なのだろうか?

 

 確かに、嫁入り前の娘さんの胸を触ってしまった。

 それは許されることではない。

 しかし、やはり結婚というのは好き合った者同士ですべきものだと思うのだ。

 

 鷲尾さんに不満があるわけじゃない。

 むしろ、俺には勿体なさすぎる女の子だ。

 だから、どうしても気になってしまう。

 ただ事故で胸を触ってしまっただけのこんな男を、生涯の伴侶にしていいのか。

 鷲尾さん自身は、いったいどう思っているんだろう?

 

 ある日、思いきって聞いてみた。

 本当に、自分と結婚してもいいのかどうかを。

 

「……それは、私との婚約を解消したいという意味かしら、ナガトくん?」

 

「え? いや、そんなつもりで言ったんじゃ……」

 

 虚ろな目を浮かべて逆に鷲尾さんが問い質してきた。

 

「それは、ダメよ。あなたにはちゃんと責任を取ってもらわないといけないの。私の胸を触ったのだから」

 

「で、でも! やっぱりお互いのこと良く知らないのに、婚約なんて! こういうのは、ちゃんと順序みたいなものがあると思うんだ!」

 

「……まさか、他に好きな女の子がいるの? だから婚約を破棄したがるの?」

 

「はい? いや、そんな相手いないけど……ぐぇっ!?」

 

 制服の襟をグイっと引っ張られたかと思うと、すごい剣幕で睨む鷲尾さんの顔が目の前にあった。

 

「……ダメよ? ダメよそんなの? 許さないわよ? 私という許嫁がありながら、他の子に浮気するなんて」

 

 ひえっ、と悲鳴が出そうになった。

 怖い。鷲尾さんがすごく怖い。

 本当に小学生か? と思うほどの迫力が、そこにはあった。

 

「も、もし俺が他の子を好きになったら鷲尾さんはどうするの?」

 

「死ぬわ」

 

「はい!?」

 

「あなたを殺して、私も死ぬわ」

 

 冗談で言っているわけではないようだった。

 彼女はやる。

 本気でやる。

 そう目が語っている。

 

「いいナガトくん? これは順序の問題ではないの。あなたは私の胸を触った。その時点で、あなたは私と添い遂げないといけない。これは覆せない決定事項なの。お互いのことをまだよく知らない? なら、もっと知っていけばいいわ。そうしているウチに、真実の愛情が芽生えていくはずよ。私はあなたを愛する努力をする。良き妻になるために努力をする。……だからナガトくん?」

 

 ニコリと、彼女は素敵な笑顔を作る。

 

「あなたも、私を愛する努力をして、素敵な旦那様になってね♪」

 

「ア、ハイ」

 

 ダメだ。

 俺の未来はもう確定したのだ。

 そう悟った瞬間だった。

 

「……というか、私、もともとナガトくんのことは、前々から気になっていたのよ?」

 

「え?」

 

 恐ろしい剣幕はどこへやら。

 モジモジと恥ずかしそうに頬を赤らめる鷲尾さんに、不覚にもドキドキした。

 

 まさか、胸を触ったことを理由に婚約を迫ってきたのは口実で、本当は前から俺のことを?

 そんな甘酸っぱい期待が湧いてきた、が……

 

「実はずっと聞きたかったの……ナガトくんの名前の由来って、やっぱり戦艦長門(ながと)なの!?」

 

「はい?」

 

 お目々をキラキラと、フンスと鼻息を荒くして鷲尾さんはそう聞いてきた。

 

「ねえ!? どうなの!?」

 

「え、えーと。そうらしいね。名付け親のお爺さんが軍艦好きだから。『長門のように強く誇り高く、人々に愛される日本男児に育つように』って意味でつけたとか……」

 

「やっぱり! 素晴らしいおじいさまね!」

 

「俺はそんなに軍艦詳しくないんだけどね」

 

「なら教えてあげる! 長門はね! 高速航行が可能にも関わらず世界初の41センチ砲を搭載しているの! まさに日本海軍の建艦技術の集大成! 海軍力の象徴なのよ!」

 

「鷲尾さん、軍艦の話になると早口になるんだね」

 

 その日は、長門がいかに素晴らしいかという話を延々と聞かされた。

 そんな、かつてないほどに生き生きしている鷲尾さんを見て思った。

 

 確かに、これからお互いのことを深く知っていけばいいだけなのかもしれない。

 いいところも悪いところも含めて理解していくうちに、本当に彼女に対して特別な感情が芽生えていくかもしれない。

 

 

 

「ナガトくん、交換日記を始めましょう」

 

 ある日、鷲尾さんが一冊のノートを渡してきた。

 

「一日起きたことを何でもいいから、この日記に書いて交換し合うの。そうすれば、お互いのことがもっとよくわかるようになるわ」

 

 鷲尾さん曰く、こういう些細な日常の記録から、筆者の人柄が滲み出るものらしい。

 それならSNSでもいいのではないかと思ったが、手書きなことが大事らしい。

 

 最初は女の子と交換日記することに気恥ずかしさがあったが、いざ始めてみると思いのほかのめり込んだ。

 鷲尾さんの書く内容はなかなかに興味深かったし、自分にはない視点や、それまで気づけなかった発見があって、読むたびに新鮮な気持ちになった。

 

 小学生にしては文章が堅すぎたり、なぜか文中にやたらと『国防』『護国』が多かったのが玉に瑕だったが……。

 

 ただ鷲尾さんの言うとおり、普段見えない一面を知れる交換日記は、自分たちの距離感を徐々に縮めていく役割を果たした。

 その一方で……

 

『ところでナガトくん。この間、私に隠れて銀やそのっちとお話していたみたいだけど……何を話していたの?』

 

 たまに、そういう質問が日記に書かれていて冷や汗が出た。

 

 おかしい。

 鷲尾さんにバレないように、こっそり会っていたのに、なぜ知られているんだ。

 三ノ輪さんと乃木さんには口止めをしていたはずなのに。

 

『まさか、そんなことはないと思うけど……浮気? ねえ、浮気なの? 確かにあの二人は魅力的だけど、私だって立派な大和撫子になるべく日々、女を磨いているのよ? 私の何が不満なの? なんで隠し事するの? ねえ、答えて。答えて、答えて、答えて、答えて、答えて、答えて、答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて答えて』

 

「ひえええ!」

 

 鷲尾さんはたびたび、思い込みの激しさから情緒不安定になった。

 そういう日の日記は、だいたい支離滅裂な怪文書と化す。

 

「ナガトく~ん? 説明してもらいましょうか~? 答えようによっては心中してもらうわよ~……」

 

 そして翌日、怪談に登場するお化けのような形相で鷲尾さんに問い詰められるのがお約束である。

 

 ちなみに、三ノ輪さんと乃木さんとこっそり会っていたのは、鷲尾さん本人には聞きにくいことや、サプライズプレゼントのために誕生日を仲良しの二人から聞き出していたからだった。

 そのことを素直に話せば、鷲尾さんはコロリと機嫌が良くなった。

 

「な~んだ、そうだったの♪ ナガトくんたら♪ そういうことなら恥ずかしがらず私に聞いてくれていいのに♪ もう、照れ屋さんなんだから♪」

 

「あ、あはは……」

 

「……本当によかったわ。友情が壊れるようなことじゃなくて」

 

「ひえっ……」

 

 嫉妬や思い込みから何度か怖い目にはあったけれども……彼女はとにかく一生懸命だった。

 

「あ、あのナガトくん。この間のお詫びと言ってはなんだけど、ぼた餅を作ってきたの。よかったら食べて?」

 

「え? あ、ありがとう! 和菓子は大好物なんだ!」

 

「そうなの? よかった~。私、洋菓子作るのは苦手だから『和菓子が嫌い』って言われたらどうしようかと思ったわ」

 

「洋菓子も食べるけど、家の習慣だったからかな? お煎餅やお饅頭とかのほうが愛着あるよ」

 

「そ、そう。……私たち、相性いいのかもしれないわね。こうして許嫁同士になったのも、実は運命だったりして……」

 

「んぐっ!?」

 

「まあ、大変! ぼた餅が喉に詰まったの!? お茶お茶!」

 

 運命だなんて。

 鷲尾さんはトンデモナイことを口にする。

 

 でも……

 ちょっとした事故から始まった、鷲尾さんとの婚約。

 普通ならうまくいく筈がない、この数奇な関係は不思議と良好だった。

 

「ナガトくん早く行きましょう。急がないと新発売の大和の模型が売れ切れちゃうわ」

 

「そんな慌てなくても大丈夫だと思うけど……わわ、そんなに引っ張らないでって」

 

「うふふ♪ 帰ったら一緒に造りましょうね♪」

 

 休日に一緒に出かけることにも抵抗がなくなっていた。

 

「ナガトくん、今日のお弁当、あなたの好きなものたくさん作ってきたから楽しみにしててね?」

 

 すっかり味の好みを把握した鷲尾さんの手料理は、こちらの胃袋を見事に鷲掴んだ。

 

 鷲尾さんはどこまでも献身に、俺のことを思って尽くしてくれた。

 彼女は本気で、いいお嫁さんになろうとしてくれていたのだ。

 そんな鷲尾さんの笑顔が見れると、胸の奥が熱くなった。

 

 振り返ってみれば、もうとっくに俺は彼女を特別な対象として見ていたのだろう。

 本当にこのまま、彼女と結婚できれば素敵かもしれない。と思うほどに。

 

 でも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づいたところで、もうその気持ちを打ち明けることはできなかった。

 

「鷲尾さんと乃木さんは、卒業式には参加できません。三ノ輪さんと同じように、あの二人も立派に御役目を果たしたのです」

 

 担任の安芸先生は、そう言った。

 それ以上の説明はなかった。

 

 過ぎゆく季節。

 自分たちは卒業式の日を迎えた。

 クラスメイト全員が、揃うこと無く。

 

 教室には三つの空席がある。

 そのうちのひとつには、花瓶が置かれている。

 

 あんなにも、楽しく笑い合っていた、仲良しの三人。

 その三人が揃うことは、二度とない。

 誰もが悲しんだ。

 あの二人が一番悲しんだ。

 もう、これ以上、辛いことは起きないでほしいと皆が願った。

 

 なのに……

 あの二人まで、卒業式に出られないとは、どういうことなのか?

 イヤな想像が頭をよぎった。

 

 二人はどこに行ったのか?

 二人は無事なのか?

 二人と、もう一度会えるのか?

 

 どれだけ聞いても、安芸先生は答えてくれなかった。

 とても冷たい顔だった。

 人が変わったみたいだった。

 厳しい先生だったが、ちゃんと生徒を思いやる温かな心を持っている人だったのに。

 まるで、仮面を着けたかのように、表情に変化がなくなった。

 

 6年2組の卒業式は、陰鬱な雰囲気に包まれて終わった。

 

 

 

 何度も鷲尾さんの家を訪ねたが、結局ご両親に取り次いではもらえなかった。

 ただ伝言で、使用人さんの口からこう言われただけだった。

 

『あの子のことを思うなら、どうか忘れて。本当に申し訳ないけど、もう家には来ないで』

 

 わけがわからなかった。

 納得いくわけがない。

 せめて鷲尾さんの無事を確認しない限りは帰れない。

 だが、どれだけ言っても、屋敷には通してもらえなかった。

 

「旦那様と奥様も、辛いのです……。西条様のお顔を見ると、どうしても思い出してしまうからと……。どうか、ご理解ください……」

 

 それは心を砕くのに充分すぎる言葉だった。

 直感したのだ。

 鷲尾さんとは、もう二度と会えないのだと。

 

 

 渡しそびれた交換日記。

 鷲尾さんが最後に書いたページには、こうあった。

 

『何があっても心配しないで。絶対に、一緒に卒業式を迎えましょう』

 

 

 

 

 

 

 

 俺の卒業に合わせるように、祖父が亡くなった。

 父はあとを継がなかったので、これで本当に弓道教室は潰れることになる。

 葬儀を済ませた後、祖母は聞いた。

 

「ナガトは、これからどうしたい?」

 

 本来ならば、このまま神樹館の中等部に進学して、本格的に弓道の修行を始めるはずだった。

 だが、その必要もすでにない。

 ひとりになってしまった祖母のことを考えれば、このままこの家で暮らすべきなのかもしれない。そう思ったが……俺は、こう答えていた。

 

 実家に帰りたい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実家に戻った俺は、近隣の讃州中学に通うことにした。

 部活動は弓道部を選んだ。

 跡継ぎになれなかったぶん、亡くなった祖父に少しでも報いられるよう、弓道そのものは続けようと思った。

 ……でも、一番の理由は現実逃避だったのかもしれない。

 

 弓を握っている間は、余計なことを考えなくても済む。

 神樹館で過ごした記憶は、できれば忘れたかった。

 楽しければ楽しかったぶん、鷲尾さんと会えなくなってしまったことが、とても辛いから。

 

 彼女が『御役目』のことで苦しんでいたのはわかっていた。

 でも何もできなかった。

 彼女も俺に何も求めなかった。

 心配する俺に、鷲尾さんはいつも、こう言っただけだった。

 

『大丈夫、きっと無事に帰ってくるから。絶対に、あなたを守ってみせるから……』

 

 もしかしたら、止めるべきだったのかもしれない。

 御役目なんて辞めて、一緒に逃げようと言うべきだったのかもしれない。

 

 だがどれだけ後悔しても、もう時間は巻き戻らない。

 思い出せば思い出すほど、辛いだけだ。

 だったら、あの頃の思い出も、芽生えた感情も、胸の内に閉じ込めてしまおう。

 

 そう考えていたのに……。

 

(東郷、美森さん……)

 

 こんな自分の、許嫁になると言ってくれた少女。

 その少女と面影が重なる彼女のことが、どうしても気になる。

 

 君は、本当に鷲尾須美さんじゃないのか?

 

 そう尋ねたい気持ちを、何度も堪えた。

 もしも本当に東郷さんが鷲尾さんだったとして……今更どんな顔を向けられるというのか。

 けっきょく俺は、彼女のチカラになってあげられなかったのだから。

 

 東郷さんはいま、結城さんと一緒に『勇者部』でボランティア活動をして、幸せな日常を過ごしている。

 なら、わざわざ辛い過去を蒸し返すのは野暮というものだ。

 忘れてしまっているのなら、そのほうが彼女にとってはいいのかもしれない。

 そう、自分を納得させた。

 

 

 

 

 

 夏休みが明けて、しばらく経ったある日。

 クラスは騒然とした。

 東郷さんが、車椅子無しで、徒歩で登校してきたのだ。

 

「東郷さん!? 歩けるようになったの!?」

 

「おめでとう! でもどうして急に?」

 

「私も詳しいことはわからないけど……とにかく、治ったの。いままで心配かけてごめんなさい」

 

 クラス中が東郷さんの快復を祝った。

 だが、明るい話ばかりではなかった。

 

 東郷さんの親友である結城さんが、意識不明となったからだ。

 原因は不明。

 東郷さんはその治った足で、毎日お見舞いに行っていた。

 彼女のそんな様子は、デジャヴを引き起こさせた。

 

 ……もしかしたら、また『御役目』があったのではないか?

 不自然なほどに唐突な足の快復を見ると、神樹様が関わっているのではないかと勘ぐってしまう。

 確証はない。

 だが、東郷さんはいま辛い思いをしている。

 それは確かだ。

 

 ……東郷さんが鷲尾さんだろうと、そうでなかろうと、もうどっちでも構わない。

 とにかく、彼女のチカラになりたかった。

 

「東郷さん」

 

 俺は勇気を出して東郷さんに話しかけた。

 

「何かしら、西条くん?」

 

 東郷さんはニコリと笑って言った。

 

 西条くん。

 そう呼ばれたことに、チクリと胸が痛むのを誤魔化して、話を続けた。

 

「その……何か困ってることない? 手伝えることがあるなら、手伝いたいと思って……」

 

「……どうして?」

 

「どうして、って、それは……」

 

 バカか俺は。もっとうまいこと言えないのか。

 特に親しくもなかった男子に脈絡もなく、こんなことを言われたら困惑するに決まっている。

 これじゃあ、逆に東郷さんに気を遣わせて困らせてしまうではないか。

 

「……相変わらずなのね」

 

「え?」

 

「何でもないわ。ありがとう、気を遣ってくれて。でも大丈夫。いまは人に甘えずに、ひとりで頑張ってみたいの。だから、お気持ちだけ貰っておくわ」

 

「そっか……」

 

 そう言われてしまっては、引き下がるしかない。

 ずっと誰かのサポートがなければ日常生活もままならなかった東郷さんにとっては、いまはリハビリ期間のようなものなのだ。

 

 やはり、俺に彼女にしてやれることは何ひとつ無いのかもしれない。

 まったく自分の非力さが情けなくなる。

 落ち込みつつ、とぼとぼと席に戻ろうとすると……

 

 ふと、背中に視線を感じた。

 振り返ると、東郷さんがこちらを目を向けて、微笑んでいた。「心配しないで?」と言わんばかりに。

 

 俺を気遣ってくれたのだろう。

 優しい人だ。

 

 ……でも、なぜだろうか。

 優しいはずのその目線に、身の危険を覚えるのは……。

 

 

 

 

 

 

 

「結城友奈! ただいま帰還いたしました!」

 

 秋も近づいてきた頃、意識の戻った結城さんが元気に登校してきた。

 足はまだ満足に動かせなかったようなので、かつての東郷さんのように車椅子だったが、いずれはちゃんと歩けるようになるらしい。

 クラスのムードメーカーである結城さんの快復を皆が喜んだ。

 これで本当に平和な日常が戻ってきた。そんな気がした。

 

 東郷さんも、さぞ喜んでいるだろう。

 目配せすると、ちょうど彼女と目が合った。

 ……それはまるで、敢えて視線を絡めるような動きだった。

 

「……うふふ」

 

「っ!?」

 

 気のせいだろうか?

 東郷さん、いま凄い笑い方をしたような……。

 微笑みと言えば微笑みの類いだったが、なんというか、こう……。

 

 ネットリ、獲物を見るかのような。

 そんな目だった。

 

 

 

 

 

 その後も、たびたび東郷さんに見られているような気がした。

 授業中にも、体育の時間にも、昼休みにも、放課後にも。

 日に日に、その頻度が多くなっている気がした。

 

 ただの自意識過剰かもしれない。

 それならば、寧ろそのほうがいい。

 だって正直ここ最近、気が気でないのだ。

 たとえば……

 

「西条く~ん。先生が放課後に合宿のことで話があるって~」

 

「ん、わかった。ありがとう佐藤さ……ひっ!?」

 

「ん? どったの西条くん? 震えたりして」

 

「い、いや、なんでもない……」

 

 同じ弓道部の女子との何気ないやり取り。

 ただ、それだけのことで……凄い殺気を向けられた気がした。

 

 その殺気には、身に覚えがあった。

 

『ナガトくん? ナガトく~ん? ……あなた、岡本さんと二人きりで内緒話をしていたそうね? 何をしていたの? まさか浮気? 私という許嫁がいながら? 答えられないの? 答えられないようなことをしてたの? ねえ? ねえ? ……答えなさい!』

 

 鷲尾さんが思い込みで暴走したときに向けられた、あの殺気と似ている。

 ……ちなみに、岡本さんと内緒話をしていたのは、クラスで一番お洒落な彼女に鷲尾さんへのプレゼントを相談していたからだ。

 

『あ、あらそうだったの? もう! そういうことなら素直に言ってくれればいいのに♪ やだ、私ったら許嫁を疑うなんて恥ずかしい♪ うふふ♪ 贈り物大事にするわね♪』

 

 そんなやり取りが数十回あった。

 あの頃と同じ危機感を覚えるということは、やはり東郷さんは……

 

「ん?」

 

 ふと気づくと、机の中に紙きれが一枚入っていた。

 手紙だ。

 いったい、いつのまに……。

 開いて中身を読んでみる。

 

 

    大切なお話があります。

    放課後、三階の端にある空き教室で待っています。

 

 

――東郷美森

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三階の空き教室は「本当に出る」という噂があって、怖い物知らずでない限り誰も近づかない場所だ。

 わざわざそこを待ち合わせ場所にするだなんて、東郷さんは何を考えているのだろう。

 

 東郷さんはすでに来ていた。

 場所が場所だけに、見ようによっては、窓際に立つ長い黒髪の女性の霊と見間違えられるかもしれない。

 東郷さんのような常人離れした美貌を持つ女性というのは、時として恐怖の対象として見られるものだ。

 

「と、東郷さん。来たけど、話って何かな?」

 

 俺が入室すると、東郷さんはゆっくりとこちらを振り向いた。

 

「待ってたわ……」

 

 東郷さんはどこか夢見るような表情で距離を詰めてきた。

 ……近くないですか?

 

「ぜんぶが落ち着いてから話したいと思っていたの……。やっと、打ち明けることができるわ」

 

「な、何を?」

 

「私、なにもかも思い出したの。()()()()()……」

 

「え?」

 

 その懐かしい呼び名は!

 

 東郷さんの、とつぜんの足の快復。

 もしも、足と一緒に欠けた記憶も戻ったとしたら……

 

「じゃあ、やっぱり君は……」

 

 鷲尾さんなのか、と尋ねる直前。

 

「ナガトくん!」

 

「うお!?」

 

 東郷さんが抱きついてきた!

 必然的に胸板に押しつけられる、規格外に大きい膨らみ!

 な、なんだこのデカさは!?

 二年前に触った鷲尾さんのものとは比べものにならないほどのボリュームと柔らかさ!

 もはや常軌を逸した特大サイズ。

 でかい。でかすぎる。

 こんなの中学生が持っていい代物じゃない。

 限度というものがある。

 このおっぱいで中学生は無理でしょ。

 

 ……って、呑気に解説している場合ではない。

 

「と、東郷さん!? いきなり何を!?」

 

「会いたかった……ずっと会いたかったわナガトくん!」

 

「いや、いつも教室で会ってますが!?」

 

「違うわ! 記憶を無くしている間、私たちは他人同然だった。心の距離が離れていた! いまやっと、私たちは再会できたのよ! ああ、ごめんなさい! 二年も待たせてしまって! でも安心して。いまここに帰ってきたわ! あなたの未来の妻が!」

 

「未来の妻!? ……と、ということは、本当に東郷さんは……」

 

「ええ、そうよ」

 

 涙で頬を濡らした東郷さんが、艶やかな表情で見つめてくる。

 

「事情があって名前は変わってしまったけれど……私はあなたの許嫁の、東郷美森です」

 

 許嫁。

 なんて懐かしい響きだろう。

 

 驚いた。

 本当に彼女は、ずっと会いたいと思っていた鷲尾須美さんだったんだ。

 

「鷲尾さん……いや、東郷さん。なんて言ったらいいか。ごめん、まだ理解が追いつかなくて」

 

「無理もないわ。私だって記憶が戻ったとき、いろいろ戸惑ったもの」

 

 彼女が失っていた記憶は、鷲尾須美として過ごした時間のすべてだという。

 どおりで俺のことを覚えていないわけだ。

 

「でも、嬉しかったわ。ナガトくん、優しいところがちっとも変わってなくて。立派な殿方になったのね」

 

「……そんなこと、ないよ。俺、東郷さんが大変なとき、何もしてやれなかったし」

 

 俺の言葉に東郷さんは首を振る。

 

「あなたがいてくれたおかげで、あの頃の私は頑張れたの。何もできなかった、なんてこと絶対にないわ」

 

「でも……」

 

「大丈夫、もうすべて終わったから。いっときのことかもしれないけど……これからは、また前みたいに一緒に過ごせるわ」

 

 ……そうか。

 終わったのか。

 なら、もう東郷さんが辛い思いをすることはないのか。

 

「よかった」

 

「ええ、本当によかった。これで安心して、お互い将来のことを考えられるわね?」

 

 ああ、お互い将来のことを……ん?

 

「式はいつ頃がいいかしら? 私としてはやっぱりお互い結婚できる歳になってからすぐが望ましいけど……」

 

「ちょ、ちょっと待って東郷さん!」

 

「何かしらあなた?」

 

「あなた!? あ、いや、まさかと思うけど……今でも俺と結婚する気でいるの?」

 

「……どういう意味かしら?」

 

「ひっ!?」

 

 東郷さんの目から光彩が失われる。

 

「何を言っているのナガトくん? 私たちは許嫁同士。結婚するに決まっているでしょう?」

 

「そ、それって小さい頃だけの話じゃなかったのか?」

 

「とんでもない。いまでも私は本気よ。私の胸を触ったナガトくんには、きっちり責任を取ってもらいます」

 

 な、なんということだ。

 それじゃあ、あの殺気と視線は、昔と同じく嫉妬からくるものだったのか?

 

「それとも何かしら……まさか、私が記憶を失っている間に好きな人でもできたの?」

 

「ひっ!」

 

 表情から完全に感情が消失した東郷さん。

 ズンズンと迫ってきて、壁際に追い詰められる。

 

 実に久方ぶりに見る、嫉妬に支配された許嫁の姿だった。

 

「私、言ったわね? 浮気したら、あなたを殺して私も死ぬって」

 

「お、覚えております……」

 

「だったら、どうして不安になるようなことを言うの? 二年の間に、私への思いが冷めてしまったの?」

 

 ヤバい。

 ヘタな回答したら命が危うい。

 本能でそう悟った。

 

「そ、そんなことは一切ございません! あの日からずっと、寝ても覚めても東郷さんのことを考えておりました!」

 

 嘘ではない。

 決して甘酸っぱい類いではなかったが。

 しかし、俺の返事に東郷さんは満足げだった。

 

「あら、そうなの♪ もう、ナガトくんたらっ♪」

 

 真っ赤になった頬に手を当て、いやんいやんと身をくねらせる東郷さん。

 

「……でも、少しでも私の思いを裏切ったら……わかっているわね?」

 

 念を押すように彼女は言った。

 

「……肝に銘じます」

 

「よろしい。……うふふ。ん♪」

 

 俺の答えに満足すると、また東郷さんは、ひしと抱きついてきた。

 先ほどとは違う意味で緊張した。

 

「ああ、ナガトくん……もう二度と離れないわ。これからはずっと一緒よ? 二人で素敵な夫婦になりましょうね、旦那様♪」

 

「ソウデスネ」

 

 許嫁の少女との感動の再会……のはずだったのに、なぜ俺はこんなに恐怖に震えているのだろう?

 

「うふふ♪ 今日は私の実家に招待するわ。実の両親にナガトくんをちゃんと紹介しないとね。……もちろん来てくれるわよね?」

 

「モチロンデス」

 

 確かに三階の空き教室には()()

 幽霊よりも恐ろしい般若が。

 

 

 

 学園のマドンナ、東郷美森と許嫁。

 讃州中学の男子なら誰もが羨むだろう立場。

 だが当人である俺からはこう言わせてほしい。

 

 

 

 

 

 

 命が惜しければ、やめておけ。

 

 

 



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浮気はダメ、絶対

「さ、西条くん! 好きです! 私と付き合ってください!」

 

 思春期まっただ中の中学生男子にとって、女子に告白されることほど喜ばしいイベントはない。

 告白してきた相手が、とびきり可愛い女子ならば尚更だ。

 

 

 甘酸っぱい青春のいちページ……のはずだが、俺にとって、それは死刑宣告に等しい。

 

「ご、ごめん。気持ちは嬉しいけど……付き合えない」

 

「どうして!? お付き合いしている人がいるの!?」

 

「それは……」

 

 まさか許嫁がいるから、とは言えまい。

 それも超のつくほどに嫉妬深くて、浮気したら迷わず「心中してもらう」と断言するような許嫁が。

 説明したところで、からかわれているとしか思えないだろう。

 

 そもそも学園のマドンナと許嫁関係であることがバレたら、全校男子すべてを敵に回すことになるので、はなから打ち明ける勇気などないが……。

 

 なので。

 

「好きな人がいるんだ。だから、ごめん……」

 

 こう言って断るのが、無難にして最善だろう。

 誠意を伝えれば、向こうも納得してくれるはず……

 

「……いや!」

 

「え?」

 

「いや! 諦めきれない!」

 

「ええ!?」

 

 しかしお相手は決して退かない『頑固さん』だった。

 

「好きな人がいるですって? 関係ないわ! 私がその人のことを忘れさせてあげる!」

 

「わ、忘れさせるって……」

 

「『私のほうが好き』ってなるように振り向かせてみせる! 自信があるわ!」

 

 なんだその根拠のない自信は!?

 

「そ、そんなこと言われても困るよ!」

 

「いや! 諦めたくない! 好きなの!」

 

「なっ!?」

 

 彼女は俺に力一杯に抱きついてきた!

 ま、まずい!

 こんなところ、東郷さんに見られたら……

 

「……ナ~ガ~ト~く~ん?」

 

「ひっ!?」

 

 背後にはいつのまにか東郷さんが立っていた。

 案の定、目から光が失われた般若顔で。

 

「あれほど浮気は許さないって言ったのに……。裏切ったわね、ナガトくん?」

 

「ご、誤解だ東郷さん! 俺はちゃんと告白を断ろうと……」

 

「だったら何で抱擁を受け入れているの!? 何ですぐにその女を突き飛ばさないの!?」

 

「いや、怪我させたら悪いし……」

 

「キィィィー! 私への愛が本物ならできるはずでしょ!? あなたの愛はそんなものなの!?」

 

「そ、そんな無茶苦茶な!」

 

「問答無用! 私の愛を裏切った罪は重いわ!」

 

 そう言って東郷さんが取り出したのは……

 

 出刃包丁!?

 

 どこからそんなものを!?

 

「さようなら、愛しい人……来世ではきっと結ばれましょうね……」

 

 虚ろな瞳で刃先を俺に向ける東郷さん。

 ヤバい!

 

「と、東郷さん! 落ち着いて! 話し合おう!」

 

「話し合いで済んだら国防仮面はいらない!」

 

「国防仮面って何!? というかほんとうに待って! シャレにならないから!」

 

「私はいつだって本気よ! うわあああああああ!! 国防ばんざぁぁぁぁぁい!!」

 

「ぎゃあああ!!」

 

 謎のかけ声と共に東郷さんは出刃包丁をふるい落とす。

 神聖なる学び舎に、悲惨な血しぶきが吹き上がり……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわああああああああっ!!!」

 

 というところで、ベッドから起き上がった。

 

「ゆ、夢か……」

 

 自分の身体がどこも傷ついていないのを確認して、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 なんて恐ろしい夢だ。

 とても「夢でよかった」とは言えない。

 充分に現実でも起こりえそうな内容なあたり、なんともタチの悪い夢だ。

 

 自分みたいな堅物に告白してくる物好きはいないとは思うが……万が一、そういう状況にでもなったらと思うと、震えが止まらない。

 正夢にならないことを願うばかりである。

 

「どうしたのナガトくん? いきなり叫び声を上げて」

 

「うわあああ!? 東郷さん!?」

 

「きゃっ。ほんとうにどうしたの?」

 

 自室にいる東郷さんに声をかけられて、思わず跳ね上がる。

 まさか悪夢の続きか、と慌てたが……そうだ。休日の朝は、こうして俺を「起こしに来る」と約束をしていたんだった。

 

 記憶を取り戻し、改めて許嫁関係を結んできた東郷さんは、頻繁に俺の実家に来るようになった。

 物腰が丁寧な彼女はあっという間に俺の両親に気に入られ、すでに顔パスの状態である。

 

 今日は午前から一緒に出かける約束をしていたので、ここにいるのは別に不自然なことではない。

 ただ、タイミングが悪かっただけだ。

 

「ご、ごめん驚かさせちゃって。ちょっと、夢見が悪かったもんだから……」

 

「まあ、そうだったの? 確かに凄い寝汗だわ。かわいそうに……よほど怖い夢を見たのね?」

 

「そ、そうだね……」

 

 悪夢の原因は目の前の君だ、とは口が裂けても言えないな……。

 

「ジッとしてて。汗拭いてあげる」

 

 そう言って東郷さんはハンカチを取り出し、額の汗を拭ってくれた。

 

 必然的に東郷さんとの距離が近くなる。

 

「……っ」

 

 やっぱり、東郷さんって綺麗だな。

 

 間近で見れば見るほど、その整った顔立ちに見惚れてしまう。

 しかも、いまの東郷さんは私服姿だ。

 大人っぽい服装に身を包むと、彼女が同い年の女の子であることを忘れてしまいそうになる。

 

 きっと、女子大生と偽っても誰も疑わないだろう。

 それほどに大人びた美しさと、色っぽさがある。

 

 落ち着いた雰囲気がそう思わせるのだろうが……やはり私服を押し上げるほどに大きい、胸のせいでもあるだろう。

 

 東郷さんはコルセットのような、ウエストを抑える服装を好む。

 おかげで、ただでさえ細いくびれがより強調される上に、大きい胸の膨らみもさらに存在感を増すのだ。

 

 その美貌と抜群のスタイルは、とうぜん街中の男たちの視線を独り占めにし、一緒に歩いている俺はよく羨望と嫉妬の対象として睨まれる。

 

 こんな綺麗な女の子が俺の許嫁だなんて、いまだに信じられないな……。

 

 過剰な嫉妬深さも、こうして甲斐甲斐しく世話をしてくれる姿を見ると、なんてことのない障害とさえ思えてくる。

 

 そう考えてしまうあたり、やっぱり俺は二年前からずっと、彼女のことが……

 

「……そんなに見つめられたら、恥ずかしいわ」

 

「え? あ、ああ、ごめん」

 

 つい、まじまじと東郷さんを見てしまっていたらしい。

 東郷さんの白い頬が桃色に染まるのを見ると、こちらの顔も熱くなった。

 

「あの……似合ってるよ、その服」

 

 恥ずかしさを誤魔化すため話題転換をしたが、余計に体温が上がるようなことを言ってしまった。

 東郷さんも照れくさそうに、もじもじとしている。

 

「あ、ありがとう。お出かけのために少し気合いを入れてみたのだけど、変じゃないかしら? ほんとうに似合ってる?」

 

「も、もちろん。こんな綺麗な人が許嫁だなんて、俺って幸せ者だなと思ったくらいさ」

 

 いったい俺は何を口走っているのだろう。

 東郷さんの私服姿を見て、頭に血が昇ってしまっているのかもしれない。

 穴があったら入りたい気持ちになってきた。

 しかし、東郷さんは嬉しそうに微笑んで、熱い眼差しを向けてきた。

 

「もう、ナガトくんたら……。ほんとうに、そう思ってくれてるの?」

 

「あ、当たり前さ。東郷さんのこと、この世で一番きれいな人だと思ってる」

 

 茹で上がった頭では、もうクサい台詞しか口にすることができないようだ。

 

 ええい。

 もうこうなったら、ヤケクソだ。

 いくらでも惚気てやる。

 

「そう。……そう言ってくれるのね、ナガトくん」

 

「と、東郷さん?」

 

「うふふ」

 

 ギシッ、とベッドの上に乗り出したかと思うと、東郷さんはその美顔をぐいと近づけてきた。

 唇と唇が触れそうなほどに近く。

 

「そんなこと言われたら、我慢が効かなくなってしまうわ」

 

 ゴクリ、と思わず唾を飲み込んだ。

 

「が、我慢っていったい何を?」

 

「もう~。言わなくてもわかるでしょ?」

 

 まるでほんとうに女子大生のお姉さんのように、東郷さんはクスクスと艶やかな笑みを浮かべる。

 

 寝起きの朝。

 二人きりの空間。

 私服姿の美しい許嫁。

 ベッドの上。

 

 頭の中が()()()()想像でいっぱいになるのは、健全な14歳としては、しょうがないことだと思う。

 ま、まさか東郷さん。こんな朝っぱらから……

 

「と、東郷さん。いくら許嫁でも、さすがにそういうことはまだ早いかと……」

 

 そう言って「待った」をかけた瞬間……

 

 視界が、女性の胸の谷間でいっぱいになった。

 

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()が。

 

「ねえ、ナガトくん。ほんとうに私のことを一番だと思っているなら……」

 

 ()()()()と、谷間が揺れる。

 

「どうして未だに、こんな破廉恥な雑誌を読んでいるのかしら~?」

 

 雑誌のグラビア写真が視界から除けられると、目から光彩を消した許嫁の笑顔とご対面する。

 

 ……ああ、どうやら、まだ悪夢は続いているらしい。

 

 

 

 

 健全な男子中学生ならば、いかがわしい本の一冊や二冊は持っているというもの。

 

 しかし、情操教育がかつての西暦よりも厳しいこの神世紀では、そういったアイテムを手にするには、うんと年上の兄弟がいない限りは難しい。

 

 なので、ひとりっ子である俺が所有しているお宝など、せいぜい青年向けのコミック誌に掲載された、グラビアアイドルのピンナップぐらいである。

 

 際どい写真には違いないが……それでも中学生が見るぶんには問題のない、規制の対象とまではならない代物のはずである。

 

 のはずだが……許嫁にとっては、そんなことは関係ない。

 

 自分以外の女の、いかがわしい写真を見ている時点で……

 

 充分な制裁理由となる。

 

 

「ナガトく~ん? 私、この前に言ったわよね? 私がいる以上、こんな破廉恥な読み物はもう必要ないわよねって。次に来るときまでには処分しておいてねって……約束したわよね~?」

 

 なんとも素敵な笑顔で問い詰めてくる東郷さん。

 相変わらず怖い。

 だが、今回ばかりは俺も譲れない。

 

「ままま、待ってくれ東郷さん! 俺はただ純粋に掲載されている漫画が読みたいだけなんだ! いまだって凄く気になるところで終わってるんだ。だからせめて購読くらいは許して欲しい!」

 

「なら単行本が出るまで我慢しましょうね♪」

 

 鬼か東郷さん!?

 雑誌派の人間にとって、単行本の発売日まで待つのはキツいものがあるというのに!

 

「そもそもナガトくん。読んでいるのが漫画だけなら、そこを切り取るなりすれば、後のページは無用のものよね? こうして大事に取って置いているのは……頻繁に見ているからではないの?」

 

「……」

 

 図星である。

 

「……まあ、私だって、年頃の男の子がそういうことに興味を示すのは仕方ないことだと理解しているわ」

 

「え?」

 

 意外だ。

 真面目な東郷さんのことだから、破廉恥なこと自体許さないと思っていた。

 

「でも、やっぱり複雑なの。許嫁が私以外の女性の身体に関心を示すのは」

 

「それは……」

 

 逆の立場になったら、俺だってそう思うだろうな。

 そう考えると、東郷さんの気持ちに応えてあげたくなるが……いや、しかしやはりお宝を手放すのは……

 

「というわけで、最終手段を使うことにします」

 

「はい?」

 

 最終手段?

 いったい何をする気だ……って!?

 

「と、東郷さん!? なんで服を脱ぐの!?」

 

 東郷さんがとつぜん目の前で服のボタンを外し始めた!

 慌てて目を逸らす。

 

「ダメよナガトくん。目を逸らさないで、しっかり見て」

 

「見れないよ! いいから服を着て……」

 

 と言いつつ、チラっと指の隙間から見てしまう悲しき男のサガ。

 視線の向こうには……

 

 

「み、水着?」

 

 一瞬、派手な柄の下着かと思ったが……どう見てもそれは海水浴用のビキニであった。

 

「うぅ、恥ずかしいわ」

 

「恥ずかしいなら、なぜこんなことを!?」

 

「だって、ナガトくんがちっとも私のお願いを聞いてくれないんだもの。こんなこともあろうかと、服の下に着込んできて正解だったわ」

 

「どういう状況想定したらそうなるの!?」

 

「すべてはナガトくんを私の身体でしか満足できないようにするためよ!」

 

「ちょっ!?」

 

 そ、それって……言葉どおりの意味なのか?

 

 ま、まさかいきなり水着でだなんて、マニアック過ぎじゃ……

 

「そういうわけでナガトくん! 存分に私の水着姿を撮影するといいわ! 破廉恥な写真集なんてもう見る気がなくなるほど存分に!」

 

「あ。そういうこと……。いや、それもそれでどうかと思うけど」

 

 と言いつつ……

 

「こ、こうでいいかしら?」

 

「うん。そのままジッとしてて」

 

 俺の手はスマホを手にし、水着姿の東郷さんを撮影していた。

 男って本能に抗えない悲しい生き物なんだ。

 

 だって仕方ない。

 なんたって東郷さんの水着姿だ。

 あの東郷さんが、部屋の中で水着姿で、撮影をさせてくれるのだ。

 抗うほうが無理だ。

 

 

 生地の少ない、フリル付きのビキニ。

 中学生が身につけるには、やや背伸びした小生意気なデザイン。

 だが……東郷さんが身につけると、それは究極の悩殺兵器と化す。

 

 ポーズを変えるたびに揺れる白い巨峰。

 くびれたウエストは同じ内臓が入っているのか心配になるほど細いくせに、腰から先はなんとも色っぽい丸みが広がり、たわわなヒップが波打つ。

 ボトムから伸びるすらっとした生足は、適度に肉付いていて『むちむち』という効果音がいまにも聞こえてきそうだった。

 

 改めて痛感する。

 東郷さん、そのボディで中学生は無理でしょ?

 

 シャッターの音が鳴り止まない。

 いくら許嫁相手だからって、こんなことをしていいのか?

 そんな葛藤が何度も湧いたが、シャッターを押す指が止まることはない。

 

「ナガトくん……そんなに夢中に……はう、あなたの目線がとても熱いわ……」

 

 熱視線から逃れるように、東郷さんは恥ずかしげに身をくねらせる。

 

 揺れる乳房。

 内股になってムチッと重なる太もも。

 艶っぽく吐息をつく、東郷さんの真っ赤になった表情。

 

 ますますオスを煽る反応を見せる水着姿の許嫁を、カメラに収めていく。

 

 いったい自分はどうしてしまったのだろう。

 自分が自分でないようだ。

 

 燃える。

 シャッターを押すたびに心が燃え上がっていく。

 写真は愛だ。

 そう、これはきっと愛の撮影会なんだ。

 許嫁のみに許されし時間。

 その瞬間を一分一秒逃すこと無く、カメラに納める情熱の時間なのだ。

 

 止まるな指。

 刻めカメラ。

 千年に一度と断言していい、奇跡の美貌とボディを持って生まれた究極の美少女を。

 その水着姿を。

 余すこと無く記録するのだ!

 

「くちゅん」

 

「……」

 

 ちなみに、世間はすでに秋も終わる季節である。

 

「えーと……そろそろ服着よっか?」

 

「そうさせてもらうわ……」

 

 お互い我に返ると、しばらく顔を合わせることができなかった。

 

 

 

 

 部屋の暖房を効かせて、いそいそと着替える東郷さん。

 待っている間に、俺はひとつの作業を始める。

 

「何をしているのナガトくん?」

 

「漫画の切り抜き」

 

「え?」

 

 連載を追っている漫画のページだけを切り、残りは資源ゴミとしてまとめ、ビニール紐で結ぶ。

 

「……自分から言った手前でなんだけど、いいの?」

 

「東郷さんが嫌がることはしたくないしね」

 

「……ごめんなさい。ワガママな許嫁で」

 

「今更気にしないさ。二年前から、とっくに慣れてるし」

 

 そう言うと、東郷さんは照れくさそうに赤くなった。

 

「私、どうしても不安になってしまうの。ナガトくんが、他の女の人を好きになったらどうしようって……。ただでさえ、ナガトくんって女の子に人気だし」

 

「え? いやいや、そんなわけないだろ。俺、女子にモテたことなんて一度もないぜ?」

 

「ナガトくんが知らないだけよ。弓道部を見に来てる女の子たち、ナガトくんが目当てな子が多いのよ?」

 

 そ、そうなのか?

 弓道が物珍しいから、ちょくちょく見に来てるだけだと思っていたが……

 

「私、ただでさえ思い込みが激しいし、周りが見えなくなるし、それで一度とんでもないことをしてしまって……」

 

「……」

 

「だから、いつかナガトくんに失望されてしまうんじゃないかって、不安で……」

 

「俺が好きなのは、東郷さんだけだよ」

 

「……ふえ!?」

 

 言いたかったこと。

 言えなかったこと。

 

 二年前に伝えられなかったことを、いまこそ伝える。

 

「許嫁だからとか、そんなのは関係なしに、俺は東郷さんが好きだよ。この世の誰よりも幸せになってほしいと本気で思ってる」

 

「ナ、ナガトくん」

 

「その幸せに俺が貢献できるって言うなら、こんなに誇らしいことはないよ」

 

「そんな……わ、私だってっ……私だって、ナガトくんのこと、幸せにしたいわ!」

 

「そっか。嬉しいな。お似合いだね、俺たち」

 

「はう……」

 

 直球な言葉に身もだえる東郷さん。

 かわいい。

 とても愛しい。

 そんな許嫁の手を握る。

 

「あの頃の俺は、本当に何もしてあげられなかった。だから今度こそ、東郷さんのために力になりたいんだ」

 

「ナガトくん……」

 

「不安になることがあるなら、ぜんぶ聞く。耐えられないくらい辛いことがあったら、ぜんぶ受け止める。俺にできることなら、なんだってする。ひとりで抱え込まないでくれ」

 

 あの頃にはできなかったことを成し遂げてみせる。

 だから……

 

「俺を信じて、頼ってくれないか? ――美森」

 

 初めて、彼女の名を呼ぶ。

 心の距離が縮まることを信じて。

 

「……はい、旦那様っ」

 

 笑顔を浮かべる許嫁。

 この笑顔を今度こそ守りたい。

 不安になることなんて無くなるくらいに、彼女を幸せにしてみせる。

 そんな男に……彼女に相応しい夫に、なってみせよう。

 そう、誓った日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 この一件で、グラビア雑誌の類いを買う必要性は一切無くなったことを、明記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 楽しく休日を過ごした翌日、学校の玄関で、結城さんと美森と会った。

 

「あ、西条くんおはよう!」

 

「おはようございます、西条くん」

 

「おはよう、結城さん。み……東郷さん」

 

 変に注目の的になることを避けるため、俺たちが許嫁同士ということは学校では秘密にしている。

 美森の親友である結城さんも知らないので、二人きりのとき以外は、基本的に名字呼びだ。

 

 学校では、あくまでクラスメイトとして振る舞う。

 お互いそう決めたが……ついつい名前で呼びそうになってしまうな。

 気をつけねば。

 

「……ふふ♪」

 

 そんな俺の慌てぶりを微笑ましく見るように、美森は意味ありげな目線を寄こした。

 

 ……なんか、こういう秘密の関係って、背徳的でドキドキするな。

 昨日、美森の水着姿をカメラに撮ったことなんて、誰も知らないわけである。

 そのことに、妙な優越感が湧いてくる。

 

 ……っと、いかんいかん。

 授業中などに、あの強烈な水着姿を思い出したりしたら大変だ。

 煩悩退散、煩悩退散と頭の中で唱えつつ下駄箱を開けると……

 

「ん?」

 

 下駄箱の中からヒラリと落ちる一枚の紙きれ。

 

「あ、西条くん。何か落ちたよ」

 

 結城さんが親切に拾ってくれたソレは……

 え? ま、まさか、それって……

 

「わわわ!? さ、西条くん! これって、もしかしてラブレターじゃない!?」

 

 結城さんが差し出したもの。

 確かに、それはラブレターを連想させるピンク色の便箋だった。

 

「げ、下駄箱に入ってたからってラブレターとは限らないんじゃ……」

 

「だってハートマークのシールが付いてるよ!? 絶対ラブレターだよ! ふわわ、すごい!」

 

 結城さんはまるで当事者のように「あわわ」と頬を赤くしてはしゃぐ。

 

「東郷さん! ラブレターだよ! 西条くんってモテるんだね~!」

 

「エエ、ソノヨウネ。西条クン、モテモテミタイネ」

 

「ひっ!?」

 

 目をバッテンみたいな形にして興奮する結城さんの横で、美森は氷の微笑みを浮かべていた。

 

 

 ――信じているからね? あ・な・た?

 

 

 エメラルドのような瞳が、そう語っていた。

 

 

 手紙の送り主には申し訳ないが……誠心誠意を持って、全力で断ろう。

 あの悪夢が正夢にならないことを願う。

 

 



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相性100%の初恋 前編

 いつもどおりに『おはよう』と言ってくれた彼の気遣いが嬉しかった。

 誰も悪くない、誰も責められない中で、心が悲鳴を上げているとき、庇ってくれたことが嬉しかった。

 

 出会った頃と変わらない。

 この教室で初めて声をかけてくれたのも彼だった。

 彼はいつだって、味方でいてくれた。

 いま、このときも。ずっと……

 

 運命の出会いは、本当にあるのかもしれない。

 

 彼女はそう信じていた。

 信じられるほどの相手と出会っていた。

 

 でも……

 

 必ずしも運命が自分に味方をしてくれるわけではないことを、彼女は悟ることになる。

 

 

 だって、気づけば彼はすでに自分ではない別の誰かの……それも、とても大切な人にとっての『特別』になっていたのだから。

 

 

 運命なんて、ちっとも頼りにならない。

 勝つのは、いつだって……

 

 

  ◆

 

 

 占い。

 そういう類いをあまり信用したことがない。

 正確には、なるべく真に受けないようにしている、というべきか。

 

 確かに良い結果なら喜ぶし、景気づけとして自信に繋げることができるかもしれない。

 だが、もしも悪い結果が出たら?

 占いの結果がさも『不変の真理』とばかりに信じ込んでしまったら……

 

 

「……50%。私とナガトくんの相性の良さが……たったの50%……いぃぃぃぃぃやあああああああああああああああああ!!!」

 

 

 この世の終わりを迎えたような顔をして叫ぶ、いまの美森と同じ状態になってしまうだろう。

 

「み、美森、落ち着きなよ。たかが占いじゃないか」

 

「でもナガトくん! ただの占いじゃないわ! 相性診断なのよ!? 質問形式で答える相性診断で50%って出たのよ!? なぜ!? なぜ100%じゃないの!? 私たちはこんなにも愛し合っているのに! なぜなのおぉぉぉぉぉぉぉお!?」

 

 今日も今日とて、暴走してしまう許嫁。

 

 女の子が占いの結果に一喜一憂するのはべつに珍しいことではない。

 勇者部には占いが得意な後輩がいてよく当たると評判らしいので、余計にこういうのを信じてしまいがちになるのも、わからんでもない。

 

 ……それにしたって、ホラー映画みたく顔面蒼白にして狂乱するのは美森くらいではなかろうか。

 

 

 

 しかし50%か……。

 0%じゃなかっただけ良かったとは思うけど、それでも50%かぁ……。

 

 まさに『良くも無く、悪くも無く』といったところ。

 

 なんか妙に生々しい数字というか、普段の美森の愛情深さや嫉妬深さを見てると、ついつい頷いてしまいそうになる結果だ。

 

「質問の解答に願望を込めすぎたのが良くなかったのかもっと将来を見越した無難な選択をすべきだったのかいえそれでも私たちの愛なら100%は確実のはずおかしいおかしいおかしいこんなことはあってはならない」

 

「怖い怖い怖い。ブツブツ言うの怖いって美森」

 

 まずいな。

 この調子だと、また思い込みから突拍子もない行動をしかねない。

 その前に何かフォローを入れないと。

 

 そう思ったとき……

 

 

「わっしー! 数字の結果なんかに振り回されちゃダメだよ!」

 

 

 落ち込む美森に声をかける少女がいた。

 

「相性50%? なんぼのもんじゃい! ナガもんのことが本気で好きなら、この程度でヘコたれるんじゃあないっ! 運命を覆すほどの強い思い! それが真実の愛ってもんだよ、わっしー!」

 

「はっ!? そのっちの言うとおりね! 私は正気に戻ったわ!」

 

「うむうむ! 良きかな良きかな。ほら、ナガもんも愛の言葉をかけて安心させてあげて! 愛しのフィアンセに『愛しているぜベイベー!』ってね!」

 

「そのっち!? も、もう! ナガトくんが白昼堂々そんなこと言うわけ……チラッ」

 

「期待した目で見ないでくれ」

 

 美森が『そのっち』と呼ぶ少女。

 

 そして俺を『ナガもん』と奇妙なあだ名で呼ぶ少女。

 

 そんな人物はひとりしか存在しない。

 

「ナガもんは相変わらず照れ屋さんだね~」

 

「乃木さんも相変わらずマイペースだね」

 

 毒気を抜くような間延びした声。

 美森と同様に、正面から向き合うには理性が必要とされる輝かしい美貌と抜群のスタイル。

 その性格は雲のようにつかみ所のない奇想天外の天才児。

 

 かつての神樹館の同級生。

 二年ぶりの再会をした、乃木園子(のぎそのこ)である。

 

 

 

 

 とんでもなくカワイイ転校生が来た。

 と讃州中学の男子の間では、乃木さんのことで話題が持ちきりだった。

 

 三好さんが転校してきた頃もそこそこ騒がれはしたが、乃木さんの場合はやはり名家の令嬢特有のオーラと、目立つ金髪や美貌、柔和な笑顔が男心をくすぐったのか。

 いまや乃木さんも、美森と双璧を成すマドンナとして祭り上げられている。

 

 ――美しい……。

 ――まるで天使だ。

 ――しかも東郷さんにも負けない抜群のスタイル!

 ――声や仕草までかわいい……女神様か?

 ――ああっ、園子様!

 

 そんな勢いで一日足らずでファンクラブまでできたらしい。

 

 すっかり深窓の令嬢として、男子の憧れの的となっている乃木さん。

 しかし、元同級生である俺は知っている。

 

 令嬢っぽいのは見た目だけ。

 中身はかなりの天然でのんびり屋。

 はっちゃけるときははっちゃけるタイプであり、特に恋愛関連の話題になると、目をキラキラさせて暴走する。

 

「ビュオオオオウ! やっぱり、わっしーとナガもんを見てると創作意欲がビンビン刺激されるんよ~!」

 

 まさに現在、そんな状態だ。

 

 

 

 

 それにしても……本当に変わってないな乃木さん。

 神樹館の卒業式に参加できなかった以上、彼女も美森と同じように御役目関連で何かあったに違いないのだが……

 そんな俺の心配など吹き飛ばすような陽気さで教室に現れ、『あ、ナガもんだ~♪ 久しぶり~♪』と、のほほんと話しかけてきたものだから思わず漫画のようにズッコケそうになった。

 

 ……無論、乃木さんに心奪われた男子たちから『この美少女とどういう関係だ西条テメェ!』と質問攻めにあったのは、言うまでもない。

 

 

 ともあれ、こうして無事に再会できたことは素直に喜ばしい。

 事情は伺い知れないが、きっと乃木さんも乃木さんで無事に山場のようなものを乗り越えたのだろう。

 祝福すべきことだ。

 

 乃木さんが転校してきたおかげで、美森の笑顔もより増えた。

 また昔のように、楽しい日常が送れるに違いない。

 

「……」

 

 もし、ここに■■■さんがいたら、きっともっと……。

 一瞬でも、そんな残酷なことを考えた自分を恥じた。

 

 

 

 

 

「うんうん。二人が変わらずラブラブなようで、私は安心したよ~」

 

「お礼を言うわ、そのっち。危うく数字の結果に絶望して命を絶つところだったわ」

 

「笑えないから、そういうこと言うのやめてくれ美森」

 

 そもそも乃木さんがいきなり『そこのお熱いお二人! 相性診断やっていかないか~い?』って言わなければ、こんなことにはなっていないのだけどね。

 

「でも……やっぱり相性50%っていう結果は気になってしまうわね。私の愛情、もしかして足りていないのかしら? もっといま以上にナガトくんへの思いを深く募らせるべきなのかもしれないわ」

 

 いま以上に愛が重くなるのか。

 

「……ぴっかーん!」

 

「どうしたの乃木さん? いつもだけど、急に変な声出して」

 

「ふっふっふっ……二人とも。より愛が深まる方法をわたくしが伝授して差し上げましょうぞ? いまから言うことを実践すれば相性50%なんて関係ない、瞬く間に理想的なカップルになることができましょうぞ~」

 

 うわっ、めっちゃインチキ商法くさい。

 

 親切で言ってくれているようだが、乃木さんのことだから趣味で書いている恋愛小説のネタ集めとして、俺たちをモデルにする気に違いない。

 許嫁関係である俺たちは、乃木さんにとってはまさに格好の取材対象。

 小学生時代も、よく乃木さんのメモ帳を厚くさせたものである。

 

「さぁさぁ、どうする? いま逃すと次のチャンスはないかもしれないよ~?」

 

 しょっちゅう会っているのにチャンスを逃すもないだろうに。

 だいたい、こんな胡散臭い提案に乗る人間がいるわけが……

 

「そのっち。是非詳しく教えてちょうだい」

 

 将来、美森が変な商法に引っかからないように、俺がしっかりしないといけないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乃木さんの提案は実にシンプルなものだった。

 

 要するにデートである。

 

 デートならば、すでに休日を使って何度も美森と出かけている。

 

 今更デートだけで美森が求めるような劇的な変化は望めないと思ったが……

 

「……これ、意外と恥ずかしいわね?」

 

「そ、そうだな」

 

 しかし今回に限って、普段は照れくさくて、できなかったことをしている。

 

 ずばり、『手を繋いで歩く』である。

 カップルとして、初歩の初歩とも言える行為。

 それゆえに躊躇し、いままで中々できなかった求愛行動。

 

『二人とも、再会してから手を繋いだことは? ……ない!? いけませんなぁ! 愛というのは言葉だけでは伝わらないのですぞ! そういう些細な態度や行動でお互いの愛はより深まるものなのだ! ……というわけで、二人は今日お手々繋いで帰ろうね~♪』

 

 という乃木さんの指摘に従ってみたが……なるほど、シンプルではあるが、これは心の距離が縮まりそうだ。

 手を越して、美森の緊張や羞恥が伝わってくる。

 それと同じくらいに、手を繋げることの嬉しさ、愛おしい感情が、絡めた指の微細な動きから感じることができる。

 

「ナガトくん……」

 

「ん?」

 

「あのね……腕を、組んでみていい?」

 

「っ!? あ、ああ。いいけど」

 

「ありがとう。じゃあ……」

 

 手は繋いだまま、美森が俺の片腕に身を寄せる。

 

 

 ぽにゅん。

 

 

 必然的に二の腕に当たる豊満な乳房。

 密着することで香ってくる甘い女の子の匂い。

 首筋にくすぐるような吐息が当たる。

 

 ……こりゃヤバい。

 舐めていた。

 手を繋ぐ、腕を組むことが、こんなにも刺激的なことだったとは。

 健全な中学生には強烈すぎる。

 

 しかも、横を向けばそこには愛おしい許嫁の顔が間近にある。

 こちらの視線を感じると美森も顔を向けて、見つめ合う形になる。

 

「……ふふ♪」

 

 かわいすぎか。

 こんなにも近くで、許嫁の温もりを感じながら笑顔を見られる。

 なんという幸福だろう。

 これは提案してくれた乃木さんには感謝せねばなるまい。

 

 ……と、言いたいところだが。

 

 背後からビンビンに感じる熱視線。

 振り向くとそこには、やはり乃木さん家の園子嬢がメモとペンを手に、こちらを眺めているではないか。

 案の定、小説のネタ集めのために尾行しているようだ。

 

「……っ!? ~~♪ っ! っ!」

 

 俺に気づかれても悪びれた様子もなく、「ささ、どうぞどうぞ! お気になさらず! もっと存分にやっちゃってくだせ~!」と、シイタケの飾り切りみたいな形に光らせた目で催促してくる始末。

 

 なんという、ふてぶてしさだろうか……。

 呆れを通り越して逆に感心してしまうほどの行動力だ。

 

「ああ、なんだかとっても幸せ……。ナガトくんへの愛おしさが溢れてくるわ……」

 

 絶賛トリップ中の美森は乃木さんの存在に気づいていない様子。

 夢見心地の状態でますます強く腕に密着してくる。

 

 ……まあ、見世物みたいに観察されるのは勘弁願いたいが、普段なら照れくさくて叶わなかったことが実現できたのだから、良しとしよう。

 なんであれ、役得な状況には違いないしな。

 

 二の腕に広がる豊満な感触はますます強まり……って。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い! ちょっ! 美森! 力入れすぎ! もげる! 腕がもげる! そして押し潰される!」

 

「あっ! ごめんなさい! 愛おしさのあまり、つい力加減が!」

 

 美森が鍛えているのは知っていたけど、どんだけ馬鹿力出してるの!?

 

 危うくおっぱいで腕が持ってかれるところだった……。

 

 背後では乃木さんが「わっしーらしいなぁ~」と言わんばかりな苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 気を取り直して次に向かったのは喫茶店。

 

「お待たせいたしました~。ご注文のミックスフルーツジュースです~。ごゆっくりどうぞ~♪」

 

 店員のお姉さんが微笑ましいものを見るようにジュースを置く。

 

 グラスはひとつ。

 ストローは二人分。

 ずばり、カップル用のドリンクである。

 

 ……すごいな。漫画の世界でしか存在しないかと思っていたが、実在していたのか。

 

 もちろん、これも乃木さんの指示である。

 

『二人で同じジュースを飲み合う……そんなベッタベタな真似できるかぁ! とお思いかな? ふっふっふ、だからこそメモのしがいがあ……げふんげふん! 王道だからこそ二人の距離はより縮まるのだぜ! お試しあれ!』

 

 そして遠くの席に座っている乃木さんが「さあさあ! グイッとどうぞ~♪」と、またもや目で催促している。

 

 さすがにこれはどうかと思ったが、しかし注文してしまった以上、やむを得ん。

 ここは腹を決めよう。

 

「じゃあ、飲んでみようか?」

 

「そ、そうね」

 

 注文した美森自身も実物を前にして顔を赤くしていたが、覚悟を決めたようにストローに口をつける。

 俺もストローを咥えて、ジュースを飲む。

 

 ……うわ、これ傍から見たらかなり恥ずかしいのではないか?

 なんか周りの人も物珍しそうに見ているし。

 

「はぅ……」

 

 ストローを咥えた美森の顔がますます赤くなる。

 まるで小動物のように縮こまって、チュウチュウとジュースを飲むその姿のなんと愛らしいことか。

 

 あ、なるほど。

 許嫁のこういったカワイイ反応を見れるという意味では、アリかもしれない。

 

 向こうの席で乃木さんが「ええもんやろ?」という具合にサムズアップをしていた。

 

 確かに、茹で蛸のように真っ赤になって恥ずかしがる美森は実に新鮮でかわいらしく……

 

 

「ああっ! もうダメ! こんなの恥ずかしすぎて耐えられないわ! ごめんなさいナガトくん! 私、飲み干すわ! んんううううううぅ~! じゅぞぞぞぞぞぞぞぞぞ!!!!」

 

 

 羞恥の臨界点に達したらしい美森は、凄い勢いでジュースを飲み干してしまった。

 可愛げどころか色気も無い、まさにタコのような吸い込み方だった。

 

 

 ……俺たち、というか美森って、実は王道なデートに向いていないのでは?

 

 気まずそうに苦笑を浮かべている乃木さんに、そう視線で訴えかけた。

 




 お伝えするのを忘れておりましたが、本作はただいま『ゆゆゆ杯』というTwitter企画に参加しております。
 中間発表によれば本作は2位だったそうです(嬉しい!)
 読者の皆様には多大な感謝を。ありがとうございます。

 最終結果は5/1となりますので、そのときに匿名を解除させていただきます。
 引き続きお付き合いしていただけますと幸いです。


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相性100%の初恋 後編

 喫茶店を後にした俺たちは次に、夕陽がよく見える、見晴らしのいい公園に向かった。

 乃木さんから与えられた、最後のオーダーをここで行う。

 

「……もう一度確認するけど。本当にいいの、美森?」

 

 俺の問いに、美森はモジモジとしながら頷く。

 

「だって、いつかは、することだもの……」

 

 そうして潤んだ熱い眼差しを向け、

 

「ん……」

 

 そっと、唇を差し出した。

 

 もう何をするかはおわかりだろう。

 

 

『最後は夕陽の見える公園で……ベーゼェ……』

 

 

 やたらと良い声で乃木さんはそう言った。

 

 

 

 そりゃ『いつかは……』と俺も考えていた。

 しかし、それがいまでいいのだろうか?

 こういうものは、もっと段階を重ね、絶好のシチュエーションで自然とするものだと思っていたが、しかし……

 

『そうやっていつまでも先延ばしにして、いつ来るかもわからないタイミングを待ち続けた結果、一度も経験しないまま成人しちゃう気かい、ナガも~ん!?』

 

 そんな世の成人男性の心にグサリと刺さるようなことを言われてしまっては、一考せざるを得ない。

 

『あのね~ナガもん。中学時代のわっしーの唇を味わえるのは……いましかないんだよ!』

 

 確かに、その年代でしか残せない甘酸っぱい思い出というものがある。

 なにより、夕暮れの公園で初めてのキスだなんて最高のシチュエーションではなかろうか。

 舞台は整っている。

 しかし……

 

 

「じ~っ……」

 

 

 乃木さんにジッと見られたままできるかぁああああ!!

 

「ナガトくぅん……わ、私はいつでもいいわよ?」

 

 そしてなぜ美森はいまだに物陰に隠れている乃木さんに気づかないのか。

 

『それはナガもんしか目に映っていないからだよ~』

 

 とか乃木さんなら言いそうだな……。

 

「今わっしーはナガもんしか目に映ってないから、思いきってやっておしまい~……」

 

 本当に言いおったわ。

 

「ナ、ナガトくん……」

 

 小声とはいえ、乃木さんの囁きも耳に届かないほど、いまの美森はいっぱいっぱいの状態だ。

 背伸びをして、身体をプルプルと震わせながら、口づけを待っている。

 もう美森はすっかりその気だ。

 

「……」

 

 許嫁の女の子がこうしてキスの決意を固めたのに、ここで俺が引いたらさすがに示しがつかない。

 奥手である俺がこの先、同じようなシチュエーションを造れるとも思えない。

 やはり、いましかないのか。

 

 同級生に見られながらファーストキスなんて、あまりにも特殊だが……。

 

 でも逆に言えば、乃木さんがいなかったら、こんなチャンスは生まれなかったのだ。

 私欲が混ざっていたかもしれないが、乃木さんは乃木さんなりに俺たちのことを思って、いろいろ考えてくれたのは事実。

 

 ならばその思いを……無駄にするわけにはいかない!

 俺も男だ。覚悟を決めてやろうじゃないか。

 

「美森」

 

 震える許嫁の両肩を掴む。

 ビクッと跳ね上がる柔らかな肢体。

 

「ナ、ナガトくん」

 

「目閉じて」

 

「はう。いよいよなのね……」

 

 美森は夢見るような顔で、顎をまたクイッと上げる。

 

 見ていてくれ乃木さん。

 いまから俺たちは大人の階段を一段昇る! メモの貯蔵は充分か!?

 

「……って、美森? あのぉ、目閉じてもらえます?」

 

「ああああっ、ナガトくんが、ナガトくんの顔がこんなにも間近にぃ……」

 

「おーい、美森さ~ん?」

 

「はあぁぁんっ! してしまうのね!? いまから私たち本当に初めての接吻をしてしまうのね!?」

 

「はい、そのつもりなので目閉じてください。恥ずかしいので……」

 

「も、もう我慢できなぁい~~!!」

 

「美森さ~ん!?」

 

「ぶはああぁあああああぁあぁあああ!!!」

 

「ぎゃああああああ!! 鼻血が顔にぃぃぃ!!」

 

「そこは鼻血を噴出するところじゃないでしょーが!? わっしーのムッツリ~!!」

 

「そのっち!? まさかずっと見ていたの!? いやん、恥ずかしい!」

 

 『キス直前』というシチュエーションで大興奮した美森は鼻血を盛大に噴射。

 俺はサスペンスドラマの被害者のように顔面が血まみれに。

 思わず物陰から飛び出てツッコミをする乃木さん。

 

 とてもファーストキスを仕切り直すような状況ではなくなりましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陳謝」

 

 と言って美森はお詫びのジュースを買いに行った。

 顔面にこびりついた鼻血を水道の水で洗い流した俺は、ベンチに座って美森の帰りを待つ。

 

「ファーストキスの直前で鼻血ぶっかけられた人類って俺が初じゃないかな……」

 

「わ~お。おめでとう~。ナガもんは誰も味わったことのない未知の世界を体感した~」

 

「できれば一生知りたくなかった世界だよ」

 

「だよね~……」

 

 隣に座る乃木さんが「たはは」と苦笑する。

 

「わっしーは相変わらず芸人さんだな~。何やってもぜんぶお笑いみたいになっちゃうんだも~ん」

 

「乃木さんこそ相変わらず取材に熱心だよな。どう? 少しは捗った?」

 

「あ、あはは~。メモ取ってるのバレてましたか~」

 

「そりゃそうだよ」

 

「……怒ってな~い?」

 

「別に。いまに始まったことじゃないしね」

 

 神樹館に通っていた時期だって、何度もこっそりと尾行されてメモを取られたのだ。

 怒りだしていたらキリがない。

 

「まあ照れくさかったけど、小学生の頃を思い出せて、ちょっと楽しかったよ」

 

「……ナガもんも、そういうところ変わらないね~」

 

「え?」

 

「心が広いところ。誰にでも対等で、誰にでもちゃんと歩み寄って理解してあげて、誰とでも仲良くなれる。そんなナガもんが、ずっと羨ましかったな~」

 

 乃木さんは昔を懐かしむように微笑む。

 

「ねえねえ覚えてる~? あのクラスで最初に私と仲良くしてくれたの、ナガもんだったんだよ~?」

 

「そういえば、そうだったっけ」

 

「うん。私が乃木の家の子だからか、皆どこか距離を置いてたけど、ナガもんはそうじゃなかったでしょ?」

 

「それは……」

 

 乃木家は上里家と同じく、大赦の中で頂点に君臨する大名家だ。

 日頃から祖父より『乃木家の娘に失礼のないようにな』と釘を刺されていた。

 その教えに従っていれば、俺だって乃木さんとの接触を避けていたかもしれない。

 でも……

 

「だって乃木さん、見てて放っておけなかったしな」

 

 

 

 

 

『スヤスヤァ……』

 

『乃木さん? そろそろHR始まるよ? ほら、起きて』

 

『むにゃ~。あと五分だけ~お母さ~ん』

 

『俺お母さんじゃないけど……』

 

『ほへ~? ああ、ナガもんだ~♪ おはよう~ナガも~ん♪』

 

『ナ、ナガもん? それって俺のこと?』

 

『うん~♪ 西条ナガトくんでしょ~? だからナガも~ん♪』

 

『なんかマスコットキャラみたいだね……』

 

『はぅ、イヤだった~?』

 

『うっ。の、乃木さんが呼びやすいなら、それでもいいけど……』

 

『やった~♪ えへへ、起こしてくれてありがとうナガも~ん♪』

 

『喜怒哀楽激しい人だな~……』

 

 たまたま席が近かった子が居眠りばかりをしていたら、たとえ相手が名家の令嬢でも気にかけるものだろう。

 でも、それが乃木さんにとっては嬉しかったらしい。

 

「わっしーやミノさんと仲良くなる前は、よく二人でお話したよね~」

 

 お話というか、乃木さんの独特なノリに振り回されていただけな気がするけど……。

 

 ただまあ、美森と許嫁関係になる前によく会話した女子は、確かに乃木さんくらいだった。

 

 

 

『ナガもん見て見て~♪ これサンチョって言うの~♪ よ・ろ・し・く・ね~」

 

『う、うん、かわいいね。でも、学校に抱き枕持ってくるのはどうかと思うけど……』

 

『サンチョを枕にするとよく眠れるんよ~♪ ……試してみるかい、ナガもん?』

 

『なぜ枕のスペースを空ける? ……え? 並んで一緒に寝ろと?』

 

『スヤァ~♪』

 

『本当にマイペースだね君!?』

 

『えへへ~。今日は鳥さん祭りなんよ~♪ すぴぃ~』

 

『どんな夢見てんのさ……。って、ああもう、ヨダレ出てるよ乃木さん。嫁入り前の娘さんがそんなだらしない顔しないの』

 

『むにゅにゅ。ふわぁ~。ナガも~ん、だっこ~』

 

『なぜにいきなり甘えんぼに?』

 

『えへへ~。ナガもんってお兄ちゃんみたいに面倒見がいいから甘えたくなるんよ~』

 

『同い年だけどね。はぁ~、手のかかる妹だな。ほら、次は移動教室だから早く行くよ』

 

『は~い♪ お兄ちゃ~ん♪』

 

 

 

 乃木さんが周りから距離を置かれていたのは、単に掴み所の無い性格のためでもあったかもしれない。

 でも、そんな乃木さんも御役目で美森と三ノ輪さんという、真に心を許せる親友を得た。

 

 だから、少しの間だけ会話をした自分との時間を、乃木さんがいまも特別なものと思っていることに少し驚いた。

 

「ナガもんにとっては、些細なことだったかもしれないけど……乃木の家の子としてじゃなくて、普通の女の子として私を見てくれたのが、新鮮だったんよ~」

 

「そんなの……だって、クラスメイトじゃないか」

 

 実際に接してみればわかる。

 名家の娘だろうと、乃木さんは普通の女の子だ。

 乃木家だからとか、御役目をしている選ばれた存在だから……なんて理由で遠ざけたら彼女を傷つけることになるじゃないか。

 

「……ナガもんがそういう人だから、あのときも嬉しかったんよ~」

 

「あのとき?」

 

「ミノさんの、告別式の後の日」

 

「……」

 

「ナガもん、普通に挨拶してくれたよね? いつもどおりに『おはよう』って」

 

 沈黙した教室。

 誰もが腫れ物を扱うように、乃木さんを見た。

 でも、乃木さんはいつもどおりに登校してきた。

 だから、こっちもいつもどおり挨拶するのは当然のことだと思った。

 

 でも……

 

「皆から質問攻めされたときも、庇ってくれたでしょ? 誰も悪いわけじゃないのに、ナガもん、怒ってくれた」

 

「……庇ったわけじゃないよ。ただ……」

 

 亡くなった人を英雄のように持ち上げて、盛り上がる様子が我慢できなかったんだ。

 

「俺も、辛かったから。乃木さんの気持ちになって考えたら、耐えられなかった」

 

「そっか……」

 

 乃木さんは何か眩しいものを見るように目を細めて、しばらく黙った。

 

「……ナガもんは、聞かないんだね。何があったのか」

 

「美森が打ち明けてくれるまでは、聞かないって決めてる」

 

 御役目とはいったい何なのか?

 神樹館の誰もが知りたがった。

 俺だって本当は聞き出したかった。

 でも……

 

「秘密にしなくちゃいけないってことは、しなくちゃいけないほどの理由があるってことだろ? 普通の人では理解しきれないこと。それこそ普通の日常生活に戻れなくなるようなこと。限られた人間にしか頼れないこと。世間には絶対に明かせないこと……そういうのが、あるんだろ?」

 

 だって、どう考えたって普通じゃない。

 

 毎回怪我をする。

 死者が出る。

 名前そのものを変える。

 とつぜん動かなかった足が治り、失った記憶が戻る。

 

 人智を越えた何かが、起きているとしか思えない。

 一般人が安易に踏み込んではならない境界線が、確実にある。

 

 ……だから、ただの一般人に過ぎない俺は、待つことしかできない。

 真実を打ち明けてくれる日を。

 

「そうだね。私も今は、ナガもんには知らないでいてほしいな」

 

 と乃木さんは言った。

 

「私にとって、きっとわっしーにとっても、ナガもんは『日常の象徴』みたいなものなんだ。安心して帰れるお家みたいに、何かあっても、いつもどおり優しく迎えてくれる。……だから、こっちの事情に巻き込んだら、そうじゃなくなっちゃう」

 

 美森は昔、俺に言った。

 

『私は大丈夫だから、心配しないで? ナガトくんとは、いつもどおりに過ごしたいの』

 

 乃木さんの考えはきっと正しい。

 だからあの頃の俺は、いっときだけでも辛いことを忘れられる、そんな存在に甘んじた。

 それが正しいことだったのか、間違っていたのかはともかく、せめて美森の心の安寧を守りたかった。

 

 

 

「二人には、うまくいってほしいな」

 

 乃木さんは底抜けに明るい笑顔を浮かべて言った。

 

「『初恋は実らない』ってよく言うけど、二人にはそうなってほしくないんよ~」

 

「乃木さん……」

 

「だから今日は、ついつい()()()()()を押しつけちゃった。ごめんね~?」

 

「そんな。謝ることじゃ、ないよ」

 

 なんだかんだで、俺たちのことを思ってしてくれたことだ。

 その厚意自体は素直に嬉しい。

 

「相性50%だからって、気にすることないよ。だって……そんなの、ぜんぜん関係ないもん」

 

 夕陽を背にして、乃木さんは微笑みを向ける。

 

「運命とかに、頼っちゃダメ。自分の力で掴みに行かなくちゃ。――恋はね、いつだって先に行動した者勝ちなんだよ?」

 

「……乃木さん?」

 

 気のせいだろうか。

 とびきりの笑顔を浮かべているはずなのに……乃木さんが何か、悲しみを耐えているように見えるのは。

 哀愁漂う夕陽が、そう思わせるのか。

 

「ズッ友としてお願いするね~。わっしーのこと、これからもよろしく、ナガも~ん♪」

 

「……うん、任せてくれ」

 

 そうだ。

 乃木さんの言うとおり、相性50%だからって何だと言うのだ。

 この気持ちはもう、そんな数字の結果だけで抑えられるものではないのだから。

 

「……あれ?」

 

 相性診断といえば……昔一度、乃木さんともやったような……。

 あれは確か、まだ美森と許嫁でなかった頃に……

 

 

『ねぇねぇ、ナガも~ん! 相性診断やってみようよ~! マブダチになれるかどうか占おうぜ~♪』

 

 

 そうだ。

 今日、美森とやった相性診断と同じことをしたはずだ。

 

 あのときの結果は、確か……

 

「なあ、乃木さん。俺たちって、もしかして……」

 

「じ~っ……」

 

 鋭い視線が背後から刺さる。

 振り向くと、ジュースを抱えた美森が、物陰からジト目で睨んでいた。

 

「なにしてるのさ、美森……」

 

「むぅ。二人が仲良くお話してるから何だか入りづらくて……」

 

 プクっと頬を膨らませて拗ね出す美森。

 ジュースを買いに行っただけのわりに遅いとは思ったが……まったく、このヤキモチ焼きな許嫁は。

 

 

『――恋はね、いつだって先に行動した者勝ちなんだよ?』

 

 

「……」

 

 乃木さんにああ言われたからか、拗ねる許嫁を見て、普段なら決してしない行動に出てみた。

 

「うりゃ」

 

「ひゃんっ!? ナ、ナガトくん!?」

 

 美森を抱きしめ、子どもをあやすように頭を撫でる。

 

「よしよし。俺が好きなのは美森だけだから、安心しろ」

 

「なななな、何を言うの!? そ、そのっちの前で~!」

 

「おお~! 見せつけてくれますな~お二人さ~ん!」

 

「ちょっとそのっち!? そのメモ帳はなに!?」

 

「わ~お。わっしーの顔、夕焼けみたいに真っ赤っか~♪」

 

「も、もう~! そのっち~!」

 

「あはは~♪」

 

 夕暮れの公園に、美森の恥ずかしげな叫び声と、乃木さんの陽気な笑い声が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 園子はずっと覚えている。

 

 たとえ彼が忘れてしまっていても。

 

 彼にとっては些細なことだったとしても。

 

 あのときのことを、園子は決して忘れない。

 

 

 

 いつもどおり学校に行こう。

 園子はそう決めていた。

 たくさん泣いたから。

 まだ、すべきことがあったから。

 せめて学校では、普段どおりでいよう。

 決して悲しい顔をせず、明るい笑顔で。

 

『おはよう~♪ お・は・よ・う!』

 

 しかし、談笑で溢れていた教室は、園子が入ってきたことで沈黙する。

 

 困惑。好奇心。恐怖。

 さまざまな感情が混ざった視線を向けられた。

 

『……』

 

 いつものように挨拶を返してほしかった。

 腫れ物のように扱ってほしくなかった。

 

 わかっている。

 皆、どう接すればいいのかわからないということを。

 簡単に割り切れるほど、自分たちはまだ大人じゃないということを。

 

 それでも……いつもの教室が恋しかった。

 普段どおりでいられる、温かで、明るい教室であってほしかった。

 

 だからこそ……

 

『乃木さん』

 

 いつもと変わらず、声をかけてくれたこと。

 

『おはよう』

 

 いつもと変わらず、笑顔で挨拶をしてくれたこと。

 

 ただ、それだけのこと。

 

 ただ、それだけのことが……

 

『……うん! おはよう~ナガもん!』

 

 どうしようもないほどに、嬉しかった。

 

 彼だって、きっと悲しんでいるのに。

 それでも、園子のことを考えて、笑顔で迎えてくれた。

 

 彼はずっと、そういう人だった。

 出会った頃からずっと。

 いてほしいときに傍にいてくれて、欲しいときに欲しい言葉をくれる。

 

 皆から質問攻めされたときも……

 

『やめなよ』

 

 誰も悪くない。

 だって何も知らないのだから。

 ただ皆、純粋に応援してくれただけ。

 頑張った人を褒めてくれただけ。

 

 それでも、いまは触れて欲しくなかった。

 善意だからこそ、強く拒めない、優しい刃。

 

 それすらも、彼はわかってくれた。

 

『いまは、やめようよ。その話をするのは。告別式、終わったばかりなんだよ?』

 

 彼だって、真実を知らない。

 それでも、園子の心が悲鳴を上げていることだけは、わかってくれた。

 

 

 嬉しかった。

 嬉しかったからこそ……悲しかった。

 

 その優しさは、自分だけに向けられるものではないから。

 

『皆さん。おはようございます』

 

『っ! 鷲尾さん……』

 

『おはよう、ナガトくん』

 

『……うん。おはよう。……あの』

 

『……大丈夫よ。ありがとう。心配してくれて』

 

『……うん』

 

『……』

 

 その日、園子は生まれて初めて自分を恐ろしく思った。

 

 考えてはいけないことを、考えてしまった。

 彼女は大切な親友で、いまとなっては、ただ一人の仲間なのに。

 そんな仲間に、こんな感情を持ってはいけないのに。

 どうして、一瞬でも、思ってしまったのだろう。

 

 

 私が、そこに居たかったのに……どうして、あなたなの?

 

 

 

 

 

 ――ねぇねぇ、ナガも~ん! 相性診断やってみようよ~! マブダチになれるかどうか占おうぜ~♪

 

 ――いいけど……俺あんまり、そういうの信用してないんだよなぁ。

 

 ――んん~! つれないこと言うなよ~!

 

 ――だって、もし低い結果出たらショックじゃないか。

 

 ――大丈夫だよ~♪ だって私とナガもんだも~ん♪

 

 ――どういう自信なんだ?

 

 ――……お? おおお!? これは!?

 

 ――どうだった?

 

 ――わ~わ~! すごいよナガも~ん! 私たち! なんと相性が……

 

 

 

 

 

 

 聡明な彼女はわかっていた。

 こんな感情をいだくことは、もう意味の無いことだと。

 

 鷲尾須美は、彼を許嫁として愛すと決めた。

 西条ナガトも、そんな彼女を受け入れた。

 

 それで、この話は終わりだ。

 

 自分はもう、二人の仲を応援する立場なのだ。

 

 

 

 

『なあ、園子~』

 

『なぁにミノさ~ん?』

 

『須美のやつ、本当に西条と結婚する気なのかな?』

 

『わっしーは決めたことをなかなか曲げないからね~』

 

『まあ、そうなんだけど……やっぱし結婚って、その……好きになった相手とするもんじゃないか? もし西条のこと最後まで好きになれなかったら、須美どうすんのかなって……』

 

 かつて銀とそんな会話をした。

 相変わらず、友達思いの優しい少女だった。

 でも、そんな銀の心配は杞憂だと、園子は思った。

 

『大丈夫だよミノさん。わっしーは、きっとナガもんのことが好きになるよ」

 

『ふ~ん。どうしてそんなことわかるんだ?』

 

『わかるよ~。だって、ナガもんは……』

 

 

 

 

 ――私の、■■の人だもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わっし~♪ ナガも~ん♪ また明日ね~♪」

 

 ナガトと美森に手を振って別れる。

 

 また明日。

 当たり前に、そう言える日が来たことを、園子は心の底から喜んだ。

 

「……」

 

 並んで歩く許嫁たちの後ろ姿は、とてもお似合いだった。

 素直に、そう思えた。

 

「さてと~。帰ったら原稿書かなくっちゃ。二人のおかげで捗るんよ~♪」

 

 園子は恋愛小説が好きだ。

 小説の中なら、いくらでも夢をえがけるから。

 

 手を繋いで歩く。

 一緒にジュースを飲む。

 夕暮れの公園で、初めてのキスをする。

 

 小さな頃の自分が憧れたこと。

 

 

 

 ――好きな人ができたら、やってみたかったこと。

 

 

 

 小説の中なら、それが全部できるから。

 だから……

 

 

 

「あぁ、毎日が楽しいんよ」

 

 

 

 夕陽に照らされた笑顔は、どこまでも明るかった。

 



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