ゴブリンスレイヤー異聞:鬼滅の剣士(デーモンスレイヤー) (生死郎)
しおりを挟む
イヤーワン
01
その青年は酷い頭痛によって目覚めた。
「俺は……」
そう呟いた途端、瞬時に立ち上がり、握っていた刀──日輪刀を構える。意識して行ったことではない、体に刻まれた反射的なものだ。
そこで彼は自分が草原にいることに気づく。
「どうなってる……?」
青年は困惑する。先程までいたはずの場所とはまったく異なる光景。
夜空に瞬く紅と緑の双月である。ここは青年が知る日本とは異なる世界なのだろうか。それを見て呆然となった。自分が夢想だにしなかった事態に陥っているとわかったのだ。茫洋として眼前の光景を見る青年。暫く記憶を振り返る。
古より人食い鬼から人を守ってきた鬼狩りの組織鬼殺隊。その最高位に立つ剣士達の柱。彼はその中でも戦闘技術、全集中の呼吸の流派のひとつ水の呼吸を極めた彼は水柱の名を戴いていた。
そして自分は鬼殺隊の水柱として隊員たちを率いて、鬼を退治するため敵の巣窟へ襲撃したのだ。そして作戦行動中に現れた上弦の壱・黒死牟。
「強すぎる!」
彼──水柱の青年は隊員たちが逃げる時間を稼ぐために、上弦の壱と戦った。時間にすれば短いものだが、その攻防では何度も死の覚悟をした。それほどの恐ろしい魔剣士だった。
そしてその戦闘の最中に強大極まる敵手の凶刃から逃れるため、遮二無二になって倒れ込んで、それでも避け切れない一撃を受けた、とそう思ったところまでは覚えている……。
「彼らは無事に上弦の鬼から逃げることができただろうか」
自分の置かれた境遇も不安ではあるが、部下たちのことも青年は真っ先に案じていた。
水柱の青年は自分の状態を確認する。不思議なことに怪我はなかった、乱戦によって負った怪我はなくなっている。服の下を見ても打撲はなくなっている。鍛錬の末に発現した痣はそのままだが怪我はすべてなくなっている。服装や装備にも変化はない。傷んで汚れていた隊服も元に戻っている。日輪刀も綺麗になっている気がする。多くの鬼を斬り、上弦の壱との戦いで損耗していてもおかしくはないのだが、まるできちんと手入れをされて、研がれた後のような……。特徴的な濃い青色の刀身を見ながらそのように考えた。
「とりあえず、歩くか」
一通り調べ終えるとそう言って歩き出す。当てなどない。それでもここで立っているだけよりも良いだろう。
まずはここがどこなのか、実は黒死牟以外にも鬼の伏兵がいて、その鬼の異能──血鬼術による幻なのではないか、とも考えた。
「──」
もしここが自分のいた世界とは異なる世界ならば……鬼のいない世界ならば……
「俺は、どうしたらいい……」
◇◆◇
その日、ある辺境の村は、
そして僅かな生き残りがいたのは、一人の
この惨状はどうしたことであろう。水柱の青年は村の惨状に不快そうに眉をひそめる。村のいたるところに死体が転がっているのを確認した。
辺りを見渡す水柱の青年が生き物の気配を感じて、日輪刀に手をかける。
それは家族を鬼に殺されて自分だけが生き延びたという苦い記憶とストレスによって脳へ与えらえたことで得られた、水柱の青年の異能であった。
「なんだ、あれは? 鬼か?」
小鬼を初めてみた水柱の青年はその醜悪さに思わず唸る。確認できたのは三匹。粗悪な槍を持つ個体が一匹、粗悪な剣を持つのが二匹。見張りのつもりかもしれないが、やる気は感じられない。
子供くらいの背丈をした緑の人型の生き物の表情はひたすらに邪悪かつ醜悪であった。ただ、少なくとも見張りを立てるだけの知恵はあること、統率する者がいるだろうこと、篝火のようなものもないので夜目が利くのだろうという情報は得られた。
さて、どうするかと暫し考えたものの、小鬼たちの武器に血が付着していることに気づき。抹殺することに決心する。この惨状で血濡れた武器を持つ者、それが意味することを水柱の青年は察した。
(人を害する魔物、生かしておく理由は奈辺にもない!)
「ヒュゥゥゥゥ!」
水の呼吸特有の呼気を吐き出し、水柱の青年は突進する。彼の感覚はより研ぎ澄まされて、彼は透き通る世界へ突入する。極限まで鍛え続け、“型”の動きを何度も何度も繰り返し修練する中で、形を覚えた後に無駄な動きを削ぎ落とし、『正しい呼吸』と『正しい動き』で身体の中の血管一つ一つまで認識していくことにより、通常ならば困難な動作も一瞬で行なうことができるようになるのだ。そして最小限の動作で最大限の力を引き出すことで、頭の中も不要な思考が削がれ、だんだん透明になっていき、水柱の青年は透き通る世界へ到達できるのだ。
小鬼たちの動きは静止して見える。透き通る世界は先述の超感覚に融合される。そのときの水柱の青年は雨粒さえも静止して見えるほどなのだから、小鬼たちなど蝸牛よりも遅く見えて当然だ。
水柱の青年は日輪刀を抜き放ち、小鬼たちへ斬りかかる。
「!?」
声を上げる暇もなく、小鬼たちは頸を断たれた。彼が見通したように小鬼たちの身体は脆弱だった。今までに相手にしてきた鬼舞辻無惨の鬼たち──その中でも下等な鬼たちと比べても脆かった。
日輪刀は抜き身のまま、水柱の青年が足音を立てず歩き索敵する。不思議なことに透き通る世界へ入門したとき、彼からは殺気や闘気の類いは発することがなくなるのだ。それは鬼への奇襲にも役立てることができた。
──その不意討ち戦法を黒死牟に行われてしまうのは、なんとも皮肉なことであった。
水柱の青年は夜間であっても月光を頼りに血と泥で汚れた道から足跡を観察する。小鬼のものと人間のものが確認できる。
残された足跡から、その人物の年齢や性別、身体的特徴、状態などの情報を読み取るトラッキングというものだ。ネイティブアメリカンが駆使する技術であり、異能でも何でもないので誰でも習得が可能な技能だ。水柱の青年の場合、彼の育手から学んだものだ。
足跡をたどった先には広場があり、そこには七匹の小鬼がいた。
水柱の青年が広場まで向かえばそこに小鬼たちが生き残りの村人たちを囲んでいた。
彼の眼前には小鬼が一〇匹。どれも粗雑な小剣や槍、棍棒を持っている。
──
淀みない動きで斬撃を繋げて間合いに入る小鬼全ての頸を斬り落とす。
水柱の青年は小鬼たちの生命活動が止まることを瞬時のうちに見抜き、鬼舞辻無惨の鬼とは異なり、小鬼どもは首を断たなくても斬れば死亡すると判断した。
ホブゴブリンが水柱の青年の襲撃に気づき、襲いかかる。棍棒を振りかざすが最高峰の鬼殺の剣士にとっては動きが遅すぎた。
───
水柱の青年はクロスさせた両腕から勢い良く水平に刀を振るう。棍棒を振り下ろすホブゴブリンは振り上げた腕ごと首を切断されて醜悪な肉塊と成り果てた。
残る小鬼を斬ろうと残心を残しつつ移動するとき、水柱の青年は悪い予感を感じとる。それは鬼が血鬼術を使う予兆のような……
それは小鬼呪術師が魔法をはなった瞬間だった。
──
水流のごとく流れるような足運びにより、魔法を回避してそのまま攻撃に合わせることができるこの技で一足跳びに一〇メートルを縮めて小鬼呪術師を切り捨てる。
水柱の青年が横へ跳んだのは小鬼呪術師が魔法《
《
残る小鬼たちは二〇余り、それも水柱の青年が瞬く間に斬り捨てたとき、新たな敵手の気配を水柱の青年は感じ取る。
「大型の鬼か?」
青年の前に現れたのはゴブリンとも異なるモンスターだった。水柱の青年は知らないことだった。そのモンスターは
片手に人間の亡骸を持ち、もう片方の手には棍棒を持っていた。
「──」
怪物の持つ亡骸が目に留まり、水柱の青年の中でふつふつと怒りが燃える。
「GOOOOOBBB!!」
「こいつらはお前の群れの鬼か? 首魁のお前も死んでもらおう」
──
攻撃を避けた青年は垂直方向に身体ごと一回転しながら斬りつけることで、棍棒を持つ腕を斬り飛ばす。優れた剣士であっても切断までに至るには、
「!!???」
「ヒュゥゥゥゥ!」
間髪入れず、返す刀で
日輪刀を納刀した青年に、村人が恐る恐る声をかける。
「あの、あなたは……?」
日本人とは異なる、水柱の青年の記憶する中ではヨーロッパ人に似た顔立ちの人々が彼に声をかけてきた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
02
水柱の青年に対して、村人たちは注意深く遠くから見ていた。先程まで武威を振るっていた彼を恐れていたのだ。
水柱の青年は少し考えを巡らせる。あまり近づき過ぎるのは村人達を委縮させてしまい逆効果だろう。水柱の青年はある程度距離を置いて立ち止まり、親しみを込めた優しい口調で話しかける。
「あなたたちはもう安全だ。安心して欲しい」
「あ、あなた、あなたは……」
村人の代表者らしき人物が口を開く。その最中も水柱の青年の腰にある刀から決して目を離さない。
「この村が襲われていたのが見えたので助けに来たものです」
「おお……」
ざわめきが上がり、安堵の色が浮かぶ。だが、そんな中にあってもまだ、集まった村人から不安の色は消えない。彼等の不安の理由を推察した水柱の青年は個人的には余り好かない方法に手段を変更する。
「……ただと言うわけではない。村人の生き残った人数にかけただけの報酬をもらいたいのだが?」
村人達は皆、お互いの顔を見合わせ。金銭的に心もとない、そういわんばかりの顔だ。だが、水柱の青年は想像通りに村人たちから懐疑的な色が薄れた事を確認する。金銭を目的に命を助けたという世俗的な言葉が、ある程度の疑いを晴らしたのだ。
「い、いま村はこんな状態で―――」
水柱の青年はその言葉を、手を上げることで中断させた。
「その辺の話は彼らを弔ってからにしましょう」
その後、水柱の青年は村人たちとともにゴブリンたちによって死亡した村人たちの亡骸を清めて埋葬した。合掌して祈る青年の所作を村人たちは物珍しそうに見るが青年が同胞の死を悼んでいることが伝わったので、何か言うことはなかった。そして、彼への警戒心も随分と低くなった。
──この世界でも墓土の臭いは変わらないものなんだな。
水柱の青年は自分の手が及ばず助からなかった命の喪失を嘆き、ゴブリンたちを憎んだ。
ゴブリンたちには青年たちが狩って来た鬼たちが重なって思えた。心を泥靴で踏みにじられているような怒りが青年の中でくすぶっている。
埋葬が終わった後に、水柱の青年は村長の家に案内された。
「お待たせしました」
向かいの席に村長が座る。
「どうぞ」
夫人はテーブルの上にみすぼらしい器を一つ置かれた。中には葡萄酒が入っている。水柱の青年は一口だけ飲んだ。
「ありがとうございます」
「と、とんでもないです。頭をお上げください」
軽く頭を下げた水柱の青年に村長は慌てる。小鬼たちを血祭りにあげた剣士が自分たちに頭を下げるとは想像もしなかったようだ。
水柱の青年としては不思議ではない。これくらいは礼儀作法のひとつだと思っている。
「……さて、それで本題ですが」
「はい。ですがその前に……ありがとうございます!」
村長は頭をテーブルにぶつけるのではと思うような勢いで下げた。
「あなた様が来てくださらなければ、村の皆が殺されておりました! 感謝いたします!」
強く心の籠った感謝の言葉に、水柱の青年は瞠目する。純粋な感謝を向けられて、水柱の青年は気恥ずかしさを感じる。
「お顔をお上げください。先程も言いましたがお気になさらず。私も無償で助けようと思ったわけではありませんから」
「勿論承知しております。ですが感謝だけは言わせてください。あなた様のお蔭で多くの村人が助かったのですから!」
「そうですか……、では報酬としてお願いしたいものがあります」
「私たちを助けて下さったあなた様にならば、できる限りのことをさせていただきます」
「私はかなり遠方からここまで旅をしてきました。そのため、この辺りの土地の知識が少ないのです。ですから私はこの近辺の情報を頂きたい」
「分かりました。出来る限りのことをお教えさせていただきます」
水柱の青年は内心で交渉がうまくいったことを喜ぶ。水柱の青年は手を伸ばす。村長もぎょっとした顔をしてから何かを納得した様子でその手を握った。
握手という文化があるのかと水柱の青年は安堵した。これで何をしたいのかわからないという顔をされたら恥をかくことになる。
「それでは……色々と教えていただけますか?」
◇◆◇
水柱の青年は彼によってゴブリンたちから救われた村人たちから情報をもらった翌日、村近くの辺境で一番大きな町の冒険者ギルドへ案内された。最初は馬車に乗ることをすすめられたが、水柱の青年はそれをやんわりと断り、馬車には村人たちを乗せて自分だけは徒歩だった。呼吸術を極めた剣士は健脚である。歩きでも馬車と並んで道を行くものだから村人たちも大層驚いた。
村人たちは後出しであっても冒険者ギルドへの水柱の青年によるゴブリン退治の経緯を話して、討伐報酬を貰えるように取り計らってくれた。
普通のゴブリンは兎も角、
「これをあなたが一人で倒したのですか?」
「そうですよ」
「……ちょっとお時間いただけますか?」
そうして至高神の神官位を持つギルドの女性職員が
「何というか判断に困るものだな」
辺境で一番大きな町の冒険者ギルドの上役は、水柱の青年の件を部下から相談されて何とも言えない表情で思案していた。
「
事情説明の対応をしていた至高神の神官でもあるギルド職員が証言する。
小鬼英雄は在野最上級の銀等級冒険者であっても単独で戦って勝つのは難しい難敵だ。しかも、ホブゴブリンやゴブリン・シャーマンの混じった小鬼の群れを平地で相手にして全滅してみせた剣士。尋常ならざる技量だ。信じられなくても仕方ないとギルド職員は思った。
「君の鑑定を疑っているわけではないよ。だが、そうなると、彼は強力なモンスターと戦った結果、どこへとも知れぬ場所へ飛ばされたと言うことになる」
「高位のモンスターならば、
「それはその通りだ。しかし、だとするとそれ程の力をもったモンスターが近隣にいる可能性があるということになってしまう」
「彼が戦っていたのはこの辺り一帯とは違う土地だったらしいですから、転移で飛ばされたのはあの剣士のほうかもしれませんよ。あの方は身なりもいいですし遠方にある武門の出身かもしれません」
「……そういう可能性もあるか。まあ、彼の証言には嘘がないのならば、そう考えざる得ないか」
上役は唸るように呟きながら腕を組む。
「武器の
「へえ、確かに珍しい」
「よく手入れされていた貴重な逸品です。あと見たことのない文字だが記号だかが刀身に刻まれていました」
「ほう、どんなのだ?書けるか?」
上役に言われてギルド職員が記憶を頼りに書く。それは正確ではなかったが『悪鬼滅殺』と書かれている。
「知らない字だな、古代語?」
「わかりません。流石に調べたいので預からせてくださいとは言えませんから」
貴重の刀だから、というだけではない。丁寧に手入れをされるほどに大切にされている武器だ。冒険者だろうが騎士や傭兵であろうが、そう簡単に預けるわけがない。
「それで彼はこれからどうすると言っているんだ?」
「私が薦めたこともあって冒険者として登録して活動するそうです」
「それは心強いな。腕の立つ冒険者が増えるのはありがたい」
ゴブリンは最下級とされる小鬼だ。成体でも人間の子供程度の身体に膂力と知能しか持っておらず、単体ではあまり強くないので玄人の冒険者ならば苦も無く倒せる怪物だ。
しかし、動きが素早いうえに悪知恵が利き、暗闇でも見える目と高い嗅覚を持って絶えず闇間から徒党を組んで襲いかかるため、けっして油断して良い相手ではない。まして今回の水柱の青年が陥ったような、単独で平地でゴブリンに囲まれ、
それを単独でゴブリンたちを殲滅して村人たちを救うとは驚愕すべき功績である。
「
言外に駆け出し冒険者の等級である白磁ではなく上の等級でよいのではないか、と問うてくる部下に上役は否定する。
「実力があるからといって等級を上げるわけにはいかん。『社会への貢献』や『面談による人格査定』など経験点も考慮しての昇級なのだからな」
「……わかりました。それでは彼は白磁等級として冒険者登録します」
◇◆◇
冒険者ギルドから討伐報酬と村人たちからもらった報酬で、水柱の青年は今後の宿泊先と装備のための資金に利用しようとする。
宿泊先はすぐに決まった。冒険者ギルドの冒険者向け宿泊施設だ。衛生環境は水柱の青年がいた鬼殺隊施設や藤の花の家紋のある家と比べたらかなり劣るものの、多少の手数料を払えば掃除や寝具の消毒はしてくれるようで、虫に噛まれるなどのリスクは減りそうだ。相部屋の冒険者も衛生面が不安になるような相手ではないことも幸いした。
武器屋と古着屋に立ち寄った水柱の青年はそこで着物から着替え、シャツとズボンに着替える。水柱の青年がいた時代は明治になったばかりの頃で既に洋装は普及しており、彼も身につけたことはよくあった。彼の知人には洋装軍服の柱の剣士もいたくらいだ。そのため、水柱の青年も洋装には抵抗はなかった。
さらに
さらに冒険者セットと
「さて、どうしたものか……」
依頼書が掲載されているボードの前で、水柱の青年は腕を組んで思案する。
───文字が読めない。
この世界の言葉は水柱の青年も理解できた。しかし、文字はまるで読めない。日本語でも英語でもない未知の文字だった。
「えーと、とりあえず。白磁等級でちょうどいいお仕事を教えてください」
悩んだ末に文字が読めないという恥を堪えつつ、事情説明などで縁ができたギルド職員へ相談した。彼女が受付担当だったため、わざわざ列に並んで相談したのだ。
「そうですねぇ。今の時期じゃ白磁級にはゴブリン退治かどぶさらい、下水道のネズミ駆除くらいしか無いんですが」
普段ならば個別に依頼の対応はしないのだが、水柱の青年については等級において優遇ことしないものの、特別枠として多少の融通は利かせようというのがギルドの判断だった。
───白金等級は不可能でも金等級ならば到達するかもしれない。
そう思えばこそ、なるべく早く昇級して欲しいというのがギルドの本音だ。
「この依頼はどうでしょうか? 遠方へ手紙を配達する依頼なんです」
「配達の仕事ですか」
「本当は白磁等級にはご紹介しない依頼なのですが……」
ギルド職員がちらっと水柱の青年を見て、改めて彼を観察する。手足のスラッとした長身、鍛えられた堂々たる体躯で、凛々しい美丈夫だ。左の頬を覆う流れ渦巻く水のような痣も精悍さを印象付けさせる。異国衣装から着替えた冒険者の装いも似合っていた。
「あなたならば、安心してお任せすることができると思います」
本来ならば白磁等級などは武器を持った破落戸や素人と大して変わらないので、ギルド職員もすすめないのだが、そこは水柱の青年。振舞いも礼儀正しく、教養があることは、既に知っている。
それに街道には
「わかりました。謹んでお受けします!」
「はい。ありがとうございます。それと、
「なるほど、一党か。わかりました、ちょっと声かけてみます」
水柱の青年は丁寧にお辞儀をしてギルド職員にお礼を言ってカウンターから離れる。
一党として組まないか、誰かを誘うとしてどのような人物を話しかけようかなと、水柱の青年はギルドを見渡す。
ギルド職員から聞いた知識をもとにするならば前衛で働く戦士である自分ならば、神官や魔術師が望ましい。あるいは斥候や野伏でも良いかもしれない。
「ん?」
たくさんの冒険者。その中で一際目をひく冒険者がいた。
女性──只人の──魔術師だ。
紫色の長髪に泣きぼくろが特徴的な美女だった。肉感的な肢体と肩や胸元が大きく露出しているローブに魔女帽子を身にまとっており、全身に妖艶でなまめかしい雰囲気を持っていた。そして身の丈ほどの大きな杖を所持している。
水柱の青年が魅了されたのは、彼女の肉感的で妖艶な美貌だけではない。何か強く引き寄せられる引力のようなものを感じた。
「やってみるか」
そう呟いて水柱の青年は魔術師へ歩みよる。
「こんにちは」
「ええ。こんにち、は」
「君も新人なのかな?」
「そう、ね。今日。登録、した、の」
女性魔術師──魔女は独特なテンポで話す。
「やっぱり、そうだったか。ならば一緒に依頼を受けないか?」
「どんな、依頼……?」
「遠方への手紙の配達なんだ。ここから二日程かかるらしい」
「配達……」
「それで配達途中、何かあるかもしれない。そのときは後方に魔術師がいてくれるとありがたい」
そういって水柱の青年は依頼内容や報酬の説明をした。初対面の男と長距離の旅になるのは断られるかなと思いつつも、さらに言葉を探す。
「依頼内容は以上だ。冒険と呼べるほど大きな仕事ではないけれど、これも人の役に立てる仕事だ。やりがいはあると思う」
「ふう、ん」
何が気になったのかはわからないが、魔女は水柱の青年の言葉に何か気になった様子だった。
「いい、わ。行きま、しょう」
「それはありがたい。よろしく頼む!」
それが水柱の青年と魔女の初めての冒険であった。
冒険者ギルドを出るとき、水柱の青年と魔女は出入口で青年とすれ違った。危うくぶつかりそうになって、水柱の青年は謝罪する。
「おっと、すまない」
「おう、気にするな」
そう言って、手を振るのは槍と思わしき木の棒を担いだ青年だ。彼の横を通り過ぎるとき、魔女はその切れ長な眼で彼を一瞥したが、それだけで水柱の青年の背を追って歩き出した。
《登場人物紹介》
水柱の青年
身長:185cm
体重:97kg
所属:鬼殺隊
武器:日輪刀
防具:革鎧
技能:水の呼吸、痣者、透き通る世界、超感覚、トラッキング
水の呼吸
鬼殺隊が、人食い鬼と戦うために編み出した、一度に大量の酸素を血中に取り込むことで瞬間的に身体能力を大幅に上昇させ、鬼と互角以上の剣戟を繰り出す“全集中の呼吸”の一つ。水の呼吸の型は、その名の通りどんな形にもなれる水のように変幻自在な歩法が特徴であり、それによって如何なる敵にも対応できる。水柱の青年は独自の型を作り出すほどの天賦の才とセンスを持っていたが、彼が四方世界へ転移したことで元の世界では彼独自の型は失伝している。
痣者
一定条件を満たして身体に鬼の紋様に似た『痣』が発現した者の総称。痣が発現した者は身体能力が飛躍的に上がり、鬼から受けたダメージが通常では考えられない速さで回復する。これにより、上弦の鬼のような強力な鬼とも戦えるようになる。水の呼吸を使う彼は左の頬の広範囲を覆う形で発現し、流れ渦巻く水のような形を成す。
「痣の力」は寿命の前借りであって痣者は例外なく二十五歳を待たずに死ぬのだが、四方世界へ転移したとき失われるはずの寿命は何者かによって取り戻しているが、水柱の青年は自身の寿命問題には気付いていなかった。
透き通る世界
極限まで鍛えた者が至る境地。他者の身体の中が透けて見える(或いは存在を感じ取れる)ようになり、それによって相手の骨格・筋肉・内臓の働きさえも手に取るように分かるようになる。 無駄な動きを削ぎ落とし、『正しい呼吸』と『正しい動き』で身体の中の血管一つ一つまで認識していくことにより、通常ならば困難な動作も一瞬で行なうことができるようになるということ。最小限の動作で最大限の力を引き出すことで、頭の中も不要な思考が削がれ、無我の境地或いは明鏡止水と呼ばれる領域に到達する。この状態だと“殺気”や“闘気”といった戦闘の際に無意識に出てしまう情動も消失、感情を一切揺らがせる事無く相手の頚を落とすため、殺気を放たず自然体のまま鬼と闘える。
超感覚
この能力の本質は神経成長因子(NGF)の異常な分泌であり、高まり過ぎた脳内の活性によって感覚神経が過剰反応し、音や空気にも鋭敏に反応して、その場の異物や違和感を察知する。戦闘などの緊張下ではアドレナリンやドーパミンなどにより一層NGFの合成が促進されるため、その能力が高まる。
トラッキング
残された足跡から、その人物の年齢や性別、身体的特徴、状態などの情報を読み取る技術。ネイティブアメリカンが駆使する技術であり、異能でも何でもないので誰でも習得が可能な技能。水柱の青年の場合、元またぎであった育手から学んだ。
縁壱がトンデモスペックなのでオリ主を強くしても「彼ほど強くないし……」となってつい盛ってしまいたくなります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
03
水柱の青年と魔女は遠出の準備をした後に、前もって約束していた集合場所に揃った。水柱の青年は暫く待つことになった。魔女は遠出が初めてとなるので準備に時間がかかったらしい。今回の依頼には馬車は使わず、徒歩での移動となる。
「疲れたら早めに言って欲しい。目的地の街は俺も君も初めての場所だし、街道に沿って進むとしても、慣れない遠出に無理を重ねて消耗するのは得策ではないからな」
最初に水柱の青年がそう魔女に言って歩き出した。そしてその旅路、魔女が少しでも疲れが溜まっていると判断すれば、小休止や水分補給を行うように青年は気を配った。そのおかげで旅慣れしていなかった魔女の負担も軽くしていた。
水柱の青年自身、隊員を率いて移動するときに気を配ることが身についていた。同じ呼吸術を使う剣士であっても柱とそれ以外では圧倒的な格差があった。だからこそ、水柱の青年は自分と同じくらいの運動量を求めてはあっという間に潰れることを良く知っていた。
「ごめ、ん、なさい。あなた、一人。で、なら、ば、もっと、速く。行け、たのに」
小休止を入れているとき、魔女が水柱の青年に言った。
「気にすることはない。俺達は
屈託なく笑う水柱の青年に、魔女も表情を緩ませる。
「ありが、とう。……あな、たは、旅、慣れ……て。いる、の、ね」
「まあね。俺もこうやって移動することは多かったから。同僚たちと移動してもみんな同じくらい動けるとは限らない。だからこうして小まめに休憩を入れて休まないといけない」
「あなたは、まだ、大、丈夫、そう、ね」
「まあ、鍛えてるからな!」
実際、水柱の青年は鬼殺隊でも体力、スタミナが特筆して優れている剣士だった。特に痣が発現してからはさらに精強になった。
鬼たちを追って飲まず食わず三日かけて追い詰めて仕留める体力が、水柱の青年にはあった。
実体験に基づいた反省も含めた旅のコツを魔女に伝えた。水柱の青年は疲れにくくする荷物の背負い方、足を痛めないように長距離を歩く方法など、実体験に基づいた反省も含めた旅の知識を彼女に教えた。
途中、冒険者崩れと思われる盗賊や追い剥ぎの類いに出くわしたりもしたが、水柱の青年が相手では格が違いすぎた。粗雑ではあるが武器を持つ盗賊たちは徒手空拳の水柱の青年に撃退されてしまった。
陽も落ち、すっかり暗闇に包まれた平原の一角。そこでは暖かな焚き火の光が二人を淡く照らしている。
水柱の青年と魔女は肉や乾いたパンなどを取り出して夕食の準備をした。水柱の青年は購入した火酒を飲む。日本ではほんの数回飲んだことのある舶来の酒で、このような酒精の強い酒を飲んだことを思い出した。魔女は火酒を遠慮した。彼女には酒精が強すぎるらしい。
「それならばこれはどうかな?ギルドの給仕さんに勧められたものだ」
水柱の青年が旅用の背負い袋から取り出した水袋から杯に黄金色の液体が注がれる。漂う甘い香りに魔女は興味を示した。
「甘くて、美味しい。……飲みやすい、わね」
「口に合ってよかった。女性の給仕さんが飲みやすい酒、だからかな」
蜂蜜酒に合う肴として干した果物を魔女に勧め、水柱の青年は魚の燻製をあぶり始めた。
「燻製はいる?」
「いただくわ。そうね、私は……」
貰ってばかりでは難だからと、魔女が自分もお裾分けできるものを探した。
「蜂蜜レモンはいる?」
「これは初めて見るな。いただこう」
食事が進み、酒の深酔いしない程度に飲んでいた水柱の青年はふと魔女に訊いてみたくなった。
「ところで君はどんな理由で冒険者になったんだ?」
答えてくれるかわからなかったが、魔女が語りはじめた。彼女は貴族の子女だという。しかし、祖父の代では既に没落していた貧乏貴族なのだ。彼女には卓抜した魔法の才能があった。それを見込んだ賢者のもとへ魔女は師事して魔法を学んだ。そしてその力は世界ではどの程度のものなのか、それを確かめたいために冒険者になったのだと。
「あなた、は、どうして冒険者になったの? 腕は立つし、物腰も普通の白磁の冒険者らしくないわね」
水柱の青年は冒険者ギルドへ行ったような説明を魔女にした。自分がまるで異なる世界から来たとは、素直に言うつもりはなかった。
「もしか、して……貴族、の、生まれ、なの?」
白磁等級の剣士など武器を持っているだけの無頼漢や破落戸の類か、貧農から転身した者が大半で礼儀正しく謙虚、和を重んじるという水柱の青年のようなタイプは珍しかったのだ。
「まさか」
否定しつつも魔女の質問に水柱の青年は内心さて、どうしたものかと考える。
「俺は遠くの国から来た剣士だよ。怪物……人食いの鬼を斬ることを生業にしていたんだ。元の生まれは商家だ。それなりに店も大きかったんだけれども、人食いの鬼たちに使用人もろとも喰われて家もなくなったけどね」
焚火が爆ぜて火の粉が散る音が夜闇に響く。
まるで何でもないように話す姿に、まだ納めどころを見つけられずにいる水柱の青年の心情が魔女に伝わった。彼はまだ、何でもないようにしか話せないのだ。
「……ごめん、な、さい」
「気にしないでくれ、終わったことだ。──それとして、今は依頼のほうをしっかりやろう」
魔女に余計な気遣いをさせてしまったと水柱の青年は後悔した。
◇◆◇
「……これは」
「どう、したの?」
「硫黄の臭いがする……。硫黄の混ざった湯気の臭いだ」
「──」
水柱の青年の言葉を聞いて魔女の表情が強張る。ごくりと唾を飲む。緊張の面持ちだ。水柱の青年も彼女の緊張を察しはしたが、それ以前に周囲の環境からただならぬものを感じ取っていた。
透き通る世界へ到達した彼はより優れた感覚で気配の主を見つけ出した。
「上か!」
それは生物というより、人型の蟲を模して肉で造られた、機械か何かのようだった。血のような体表に、まるで帽子を被ったかのような尖った頭。
「来るか! 術の備えを頼む!」
「ええ!」
水柱の青年は日輪刀を抜刀する。魔女も杖を握り、術の備えをする。下級魔神たちの殺気を感じ取る。
「俺たちが狙いか」
「そう、ね」
ごうと風切る音を立てて、魔神の一匹が水柱の青年たちを目掛けて舞い降りる。
水柱の青年は日輪刀を片手で持ち、もう一方の手で魔女を自分のほうへ引き寄せる。
「いきなり、ごめん」
「大丈夫、私、こそ、ありがとう」
水柱の青年の胸板に手を添えた魔女が見上げてお礼を言う。
次なる攻撃が天降り注ぐ。翼を折りたたむようにして急降下。まるで飛燕のごとき一撃を、水柱の青年は睨み付ける。魔女をそっと離して日輪刀を構える。
「ヒュゥゥゥ……ッ!!」
──
「AAARREMMEERRRRRRR!?!?」
そして、この世のものとも思えぬ悲鳴が上がった。水柱の青年が機を逃さずに討ったのだ。全ての水の呼吸の技の中で最速の突きで迎撃したのだ。鬼の頸を斬り落とすには向かないが、悪魔の眼窩を突き抜けて脳幹を貫いたばかりか、刺突の衝撃に耐えかねた脊椎がへし折れ、刀を素早く引き抜けば悪魔はそのまま墜落してぐしゃりと潰れる。
「まずは一匹!」
そう言いながら、水柱の青年は地を転げる。先程までに水柱の青年の頭があった空間に、鈎爪が通過する。急降下してきたもう一匹の魔神が、水柱の青年の頸を掻き獲らんとしたのだろう。
「大丈夫!?」
「大丈夫だ!」
油断なく杖を構えいつでも魔法を使えるように、魔女は天を睨む。杖を持つ手は恐怖と緊張でかすかに震えている。初の依頼で遭遇した怪物が下級魔神二匹とは、骰子の出目が悪かったようだ。
敵を視界に捉えようとした魔女は、はたと気づいた。天に赤い光が一つ。それは星ではなかった。大口を開けた魔神の口中で輝く赤い火だった。
「《
「!?」
魔女の叫びに水柱の青年が反応する。魔女をお姫様抱っこしつつ、初速からの最高速度で走り出す。本来なら数秒後には水柱の青年がいただろう位置へ炎の矢が突き刺さり、火柱が上がる。
「~~~!」
水柱の青年と魔女は、赤々とした照り返しを受けながら走る。火箭のごとき速力に魔女は思わず、水柱の青年の首に腕を回してしがみついた。
「《加速》の、魔法、使って、いるの!?」
「まさか。鍛えているだけだ!」
絶対嘘だ、と魔女は思ったが彼が言ったことは事実だった。
人間の爪先は本来ブレーキをかける筋肉であり、素早く走り出すのには向かない。しかし、踵で踏み込むことで爪先から踏み込むよりも力強く走り出すことで、走り出しから最高速度を出すことが出来る。朋友の鳴柱から学んだこの走法。卓抜とした運動センスがあってこそのものだった。
「君の魔法であいつを墜とすことはできないか?」
「やって、みる」
「任せた!」
《火矢》を避けられた悪魔が、急降下を仕掛けるつもりのようだ。水柱の青年は魔女を降ろす。
悪魔の禍々しい気に、杖を構えるものの手が震え、力ある言葉も紡げない。
そのとき、魔女の肩に温かいものが触れる。水柱の青年の手だった。
「大丈夫。君ならばやれる。今まで学んできたことを思い出すんだ。努力してきた君は君のことを裏切りはしない」
落ち着かせるような静かでしかし力強い言葉だった。不思議なもので青年の声は魔女の中にすっと入ってきた。
「───ありがとう」
魔女の手の震えが止まった。
「
粘着性の蜘蛛の網が魔神に降りかかる。蝙蝠のような翼に網が絡まり羽ばたこうにも自由を失った翼では重力のしがらみからは逃れられない。──本来ならば。下級たりとて魔神は魔神。世の理を捻じ曲げ、道理を押し込め無理を押し通す怪物である。「ARREMERRRRRRRR!!」
地に落ちた下級魔神は筋力にものを言わせて網を千切ろうとしながら、蹴爪で大地を蹴って飛翔しようとする。
「ありがとう、助かる!」
次の瞬間、水柱の青年は下級魔神へと跳躍して躍りかかる。
──
クロスさせた両腕から勢い良く水平に刀を振るう。
「AREEEERMEER!?!?!?!?!?!?」
魔女が魔法で作り出した粘着性の網も抵抗なく斬り裂き、《火矢》を放たんとする下級魔神の頸を刎ねる。
落ちた頭部は広野を転がり、脱力した身体からは青紫色の血潮が噴き出す。弛緩した亡骸はどう、と音を立てて倒れた。
◇◆◇
まさか初の依頼で下級魔神と戦うことになるとは魔女は思ってもみなかった。小鬼でもあるまいに、下級魔神など銀等級の冒険者が相手をするような怪物だ。
水柱の青年が魔神の首を討ち落としたときようやく緊張が解けた。
「ふぅ……」
艶っぽい吐息を吐く魔女。
恐ろしい手練れの剣士を見つめる。同じ白磁の冒険者とは思えないほどの強さだった。いや、魔法職と戦士職では比較するのもおかしなことだが、彼が尋常ならざる実力者なのは確かだった。
──
魔女は実際に戦う青年を見て確信した。自分の肩に置かれた手。硬く鍛え抜かれ分厚い手だった。それは青年のたゆまぬ努力と鍛錬を物語る手だった。
そこにあるものは楽しいひと時も、平気でかなぐり捨てた一人の人間の生きた証だった。
いや、違う。……彼には投げ捨てられる程の時間などは持ってはいなかったのだろう。
焚火に照らされた、過去を話す青年の顔を思い出す。
「……」
もっと彼のことを知りたいと、魔女は思った。
コソコソ四方世界裏話
閃雷走法(せんらいそうほう)
作中で水柱の青年が使用した走法。鳴柱から教えてもらった技。
踵から走り出すことで走り出しから最高速度を出すことが出来る。通常、人間が走り出すときに使うつま先や太ももの大腿四頭筋という筋肉は本来ブレーキをかける筋肉であり、実は素早く走り出すには向かない。そこでこの走法は足の踵から踏み出し、裏側の筋肉を使うことにより瞬発力を高めている。
この走法の元ネタは現実の人間ではマイケル・ジョーダンが実践していたもので、実践しようとすればマイケル・ジョーダン並の運動センスにより可能になる動きであり、これはそう簡単にできることではない。
ちなみにこの走法は当時の鳴柱以外には水柱の青年しか習得できず技能としては失われてしまった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
04
手紙の受取人が住む村は、水柱の青年がこの世界に渡って来て初めて訪れた村よりも規模は大きいところだった。上質な紙で使われた手紙、そして識字率はあまり高いわけではないらしいことを考えれば、手紙を受け取る相手はどのような人物だろうか。
村人に事情を話せばすぐに受取人の家がわかった。他の家屋よりも作りが立派な屋敷だった。水柱の青年は真鍮製のノッカーを叩いて、家人を呼ぶ。出てきたのはこの家の使用人で、家主のところへ案内された。家主は隠居した商人で、家業を子どもへ譲った後にここへ隠棲しているらしい。
「おお、遠路はるばるありがとうございます」
水柱の青年から受け取った手紙を、家主が喜んで受け取った。依頼完了の手続きをしていると家主は水柱の青年たちに追加依頼をしてきた。
「
「ああ、最近大きい
「一匹なのですか?」
「ああ、大きいのが一匹」
仲間と相談させて欲しいと言って、水柱の青年は魔女と話し合う。
「大きな小鬼。とは
「恐ら、くは、ね」
「小鬼とは群れて襲って来ると思っていたが、一匹だけなんてあるのかな」
「渡り……かも、知れない、わね」
「渡り?」
「巣穴を、持たない、ゴブリンを、渡り、と、呼ぶ、らしいわ」
「渡り……、そういうものか」
ゴブリンによって壊滅的な損害を受けた村を思い出す。内臓を泥靴で踏みにじられたような苦しさを思い出す。
「出来れば……この依頼を請けたい」
「──」
「ゴブリンは滅ぼしたい。人の命を弄ぶあいつらは許せない」
「許せ、ない、ね」
魔女の紅い唇が孤を描く。
「あなた、なら、言うと、思った、わ」
魔女の同意を得た水柱の青年は一党として依頼を請ける。報酬も事前に交渉して決めた。
そして、大きなゴブリンがいるという巣穴に向かった水柱の青年と魔女たちだったが。
「これが……ゴブリン?」
水柱の青年が胡乱げに見るのも当然と言えた。
のそりと身を起こし、棍棒を手にしたその怪物を胡乱げに青年は見ていた。
羆ほどの大きさ、灰色の体色。巨躯の怪物。
「いいえ、これは……」
魔女の表情に焦燥がよぎる。
「
愚鈍なれど怪力、強靭な怪物。それがトロル。
鱗や甲殻で覆われてはいない。しかし、その身に負った傷は多少なら炙られてもすぐに塞がる。術を使う高位の
ぶよぶよと膨れ上がった、腫瘍だらけの灰色の巨体。大樹の如き腕に握られた棍棒。
──勝て……る、の……?
自分を襲う恐れと驚愕。不安が魔女に重くのしかかる。
「俺は壁役、君は後方から警戒!」
水柱の青年のよく透る声が響く。それが今まで重くのしかかっていた魔女の不安を払拭した。
「TOOOORLLLLL!!」
鼻息荒く、振りかぶった棍棒が、致死的な剛力で振り下ろされた。
「ヒュゥゥゥゥ」
しかし振り下ろされた棍棒は水柱の青年を透けて空振りしてしまう。
「OLRLLLLRT!?」
困惑する巨人は答えを得られることがないまま、その生命活動を終えた。胴から首が落ちる。斬り捨てたのは、水柱の青年。
弛緩した巨体がどうっと倒れた。
「え……? え……?」
きょとんとした表情の魔女は、長い睫毛を揺らして瞬いた。魔女の顔を見た青年は、可愛いなと場違いなことを感じてしまった。
「今……、のは……な、に?」
「ただの武術さ」
──
重心や動きを錯覚させる足運びを、相手の目の動きより速く行う事で透けていくような錯覚を見せながら相手の死角に入る回避と攻撃を合わせた技。
水柱の青年が
「そう、では……なくて。トロ、ルが治ら……、ない」
並大抵の刀傷では切断できないぶよぶよとしたトロルの灰色外皮、筋肉、骨を綺麗に切断されていた。
日輪刀によって斬られた断面が、黒く焦げていた。魔女はその断面を見て、岩から作り出され、日光の下では岩になるというトロルの話を思い出していた。もしかしたら、水柱の青年が持つ刀で斬られたら、トロルは傷を癒すことはできないのではないか?
魔女がそう考えながら傷を見ていると、水柱の青年が話かける。
「これも前に遭遇した下級魔神と一緒に討伐報酬を得られるのかな?」
「貰え……る、わね……」
「そうか、じゃあこれも臨時報酬だな」
水柱の青年が討伐証明のために遺体の一部を回収して、依頼主に報告する。青年が回収した分以外の遺体は村人たちが処分してくれるとのことなので、水柱の青年と魔女はそのまま村を後にした。
◇◆◇
陽は高く昇り、もうじき昼になるかというとき、髪を緩く編んで束ねた受付嬢は朝の冒険者たちの対応にひと段落させてから、書類の山と格闘していた。
そんなときである。手紙の配達を終えた水柱の青年と魔女をギルドの受付嬢が迎えた。
青年はブーツでも足音がしないが、律動的な歩き方。魔女は腰をくねらせるようにしずしずと歩んだ。
その肉感的な肢体へ、ちらほらと周囲の冒険者が彼女を見て何事かを囁いている。しかし、魔女は鍔広の帽子で目元を隠し、視線をそれらへ向けようとはしない。
「あ! お疲れ様です。依頼完了ですか?」
受付嬢のもとで水柱の青年は依頼完了の報告をする。受付嬢は手紙を受け取った者の署名入りの書簡を青年から受け取る。
「それと、これは道中で退治した下級魔神とトロルです。鑑定をお願いします」
そう言って包みから出されたのは、二つの悪魔の頭と一つのトロルの頭。
「ええ!?」
流れるように自然と出された頭に受付嬢はギョッとする。どれも怪物としては高い難度だ。しかもトロルは銅等級案件だ。
受付嬢はチラッと魔女のほうを見ると、彼女はくつりと喉奥で笑い、悪戯を面白がること子供のようだ。
受付嬢が報告を記録にまとめるとき、不思議に思った。報告するのは主に水柱の青年。その青年の説明は実に丁寧で、必要な情報が不足なくあってわかりやすい。こういう書類を作るのに慣れているかのようだ。
トロルや下級魔神も同僚のギルド職員が看破の奇跡を使って真実だと証明してしまった。
(話には聞いてましたが、ここまで凄い人だったとは)
尋常ならざる剣士だと聞かされていたが、どこか信じがたいものがあったが、こうして実績を示されると真実だったと認めざる得ない。
「それでは、こちらが報酬となります」
金貨が含まれた袋を水柱の青年に渡す。彼が受け取り、お礼を言って去る姿を受付嬢は見送った。袋を掴んだときに見えた青年の鍛えられた太い腕が印象に残った。
◇◆◇
冒険者と酒盛りは切っても切れないものだ。ギルド内の酒場は今日も一仕事終えた冒険者たちが集っている。
成功を祝い、反省会もする。自分や仲間の失敗を笑い飛ばし、成功を褒め讃える。そして、次の冒険への期待を語る。それぞれ
そこに水柱の青年と魔女もその賑やかな喧騒の中にいた。
「冒険、お疲れ様でした」
水柱の青年がそう言って杯を掲げると、対面へ座った女──肉感的な肢体の娘がこくりと頷き、乾杯と杯をぶつける。
いつもの帽子を脱いだ魔女は優美に笑う。
「最初の、冒険は……、かな、り……大、変だった……わね」
「大物に二度も出くわすとは、そんな冒険者はそういないんじゃないかな」
「私、は……あまり、役に、立て、な、かった」
ぽつりと零した、魔女の本音を水柱の青年は否定する。
「そんなことはない。下級魔神との戦いには助けられた。飛ぶことができない俺では、警戒していたあいつを倒す決め手にかけていた。君だからこそ、助けられたんだ」
「……トロル、は……一人、で……倒し、た」
「あれは、俺が戦いやすい相手だったからだよ。俺が出来ないことを君にやってもらって、君ができないことは俺がやればいいのさ」
水柱の青年が所属していた鬼殺隊には多くの人がいた。彼のように戦う者もいれば、彼らを支える者たちもいた。みんな、同じことをすればいいわけではない、みんなが自分にできることをやって、誰かの助けになっている。そうやって、鬼殺隊は動いていた。
冒険者もきっとそういうものなのだろう、と水柱の青年は思うのだ。
「そう……か、な」
そうだよ、と青年は言って葡萄酒を飲んだ。魔女も何か考えるように杯へ口をつけた。
この辺境で尋常ならざる実力の冒険者として勇名をはせる青年の、最初の冒険はこうして終わりを迎えた。
短いですが、今日はここまで。魔女のエミュが難しい、自分の構想している話をうまく書けないと苦労も多かったですが、楽しんでもらえたならば幸いです。
ご意見ご感想をいただければ励みになります!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
05
「昇級……ですか?」
髪を緩く編んで束ねた受付嬢が支部長に、水柱の青年へ昇級審査の案内をするように言われたのは、彼の初依頼が完了報告を終えた次の日だった。
「そう。前回の件でギルドとしては審査を受けさせてもいいと思っている」
実力は冒険者になる前のゴブリンの群れを壊滅させた件、初依頼のトロルや悪魔を退治したことで充分に証明している。
怪物を退治して社会へ貢献したいと考えていることは、水柱の青年との受け答えで判明している。真面目な姿勢と人格に関しては既にギルドの信用を得ている。他の冒険者とも組んで依頼をこなしており、他者と協同できることも証明している。なので社会的信用度が高いと見なそうという意図だった。
水柱の青年には速く栄達して欲しい、いうのがギルドの思惑なのだ。
「わかりました。──ああ、そうだ、彼と一緒に同行した冒険者はどうしましょうか」
「うーん、彼女も結構有望株みたいだね。使える魔法は二つ、使用できる回数は三回。白磁等級としてはとても優秀だ。ただやっぱり、依頼達成はあの剣士のおかげだろう」
「彼女のほうについては留意しておこう。それじゃあ、彼が来た時には昇級審査のことを伝えておいてくれ。あと立会人の選定も決めておいてくれ賜え」
受付嬢が支部長室を出て、依頼書をボードに掲示する準備をしていると、肉感的な肢体の美女が腰をふりながら優雅に歩いてる。先程、話題に出た女性冒険者だった。
「ね。……お時間、ちょっと……良い……かし、ら?」
「わ、私ですか?」
なんだろう。受付嬢は不思議に思いながら作業を止めて魔女に向き合う。
「彼。刀、得意で……水、のような、痣が、ある……冒、険者。……覚え、てる……?」
「はい?」
受付嬢はぱちくりと目を瞬かせた。つい先ほどまで自分と支部長が話題にしていた少壮気鋭の冒険者だ。
「手紙、の配達……の時、声……かけてもらった……の」
仲は悪くない。話していても気が楽である。焚火を囲って過ごした夜も楽しかった。
「彼……と、組むのは……とても、難、しい……」
自分は冒険者だ。どちらかだけが一方的に甘い汁をすする関係であってはならない。
あの時、彼は自分から得られるモノがあると思ったから自分を誘い、自分もまた差し出せるモノがあると思ったから
しかし、彼との冒険では自分は十全に役目を果たせたとは、魔女本人は思えず苦い経験となった。同じ白磁とはいえ、経験や技能など自分と青年とでは差があることを痛感した。
だけど、と。遠慮がちに小さな声で、魔女はかすかな声で呟いた。
固定で
そうはにかむように呟く魔女の姿に、受付嬢は微笑む。
「わかりました。任せてください!」
◇◆◇
「昇級? 俺が? ……早くないですか?」
水柱の青年は胡乱げに受付嬢を見た。彼女も内心、ですよねーと同意した。水柱の青年がそう思うのも仕方ない。
彼が冒険者登録をして一週間と経っていない。白磁から黒曜への昇級速度として異常な速さだ。水柱の青年が驚くのも無理なからぬことだった。
「今日からすぐというわけではありませんが、直近に行いたいと思っています」
「そうですか。俺も断る理由はありません。よろしくお願いします」
丁寧に受付嬢にお礼を言って、その手に持っていた依頼書を差し出した。
「わかりました。あの……それで、あなたと一党を組みたいと仰ってる方がいるのでけれど」
「俺と? どんな人なのでしょうか」
「あなたも御存じの人ですよ」
水柱の青年の脳裡に一人の女性が思い浮かべる。
「彼女ですか?」
「どうでしたか、彼女。ギルドとしてもあなたの力量に見合った、才能ある魔法使いだと見ています」
「私は魔法についてよくわからないのですが、彼女には助けられました。信頼できる人だと思います」
おお、好印象! と受付嬢は内心ガッツポーズをする。
「
「彼女が良ければ喜んで! 俺が断わる理由はありません」
水柱の青年は満面の笑みを浮かべて頷く。
受付嬢に言われた通り、酒場へ向かった水柱の青年は目的の人物を見つけて席に着く。
対面へ座った女──肉感的な肢体の魔女は、片隅の席で壁に杖を立てかけ、優雅に足を組んで座り、気だるげにくつろぐ姿。
衆目を集めるのか、ちらほらと他の冒険者から視線が向かう。
新人、それも単独の女性の魔術師ともなれば、声をかけようとする冒険者も多いのだろう。だが、そんな彼らの目も、対面に座る水柱の青年の姿を認めると声をかけず通り過ぎてしまう。
魔女はどこか落ち着きなく髪をいじり、視線を帽子のつばで隠しながら、彼を見やった。
「受付さんから話は聞いたよ。これからよろしく頼む」
水柱の青年は一礼して、魔女へ話かける。テーブルへ近づいてきた給仕に水柱の青年はレモン水を注文する。
魔女はその細く白い喉をこくりとならした。
「……どうし、て……、組ん……で、くれ……た……の?」
「どうして、と言われても断る理由が俺にはない」
「前、の……依頼。……役に、立た……な、かった」
前回、水柱の青年と魔女がともに請け負った依頼は手紙の配達、そしてその際に
「あれは前にも言ったけれど、あのときの依頼は俺が戦いやすい相手だったからだよ。偶然、俺に向いた仕事だっただけ」
「でも……私、は」
「──」
水柱の青年は帽子の鍔で目元を隠す魔女に対して、彼女の中にあるわだかまりを察した。
魔女はばつが悪いのだ。自分が役に立てることを示せなかったことを。自分の魔法を発揮できるときに、魔女は《
「君は魔神へ放った魔法を使うのに躊躇ったことを気にしているのか。失敗してしまったと?」
「そう……」
自分にはまだ引き換えに渡せるものなんて全然無いかもしれない。それが魔女の不安だった。
「ならば、気にする必要などまったくないさ!」
「……え?」
水柱の青年の言葉に驚いたのか、魔女はその瞳をまん丸と見開いている。
「失敗したって事は挑戦したって事だからな。それを気に病むことなどない」
「──」
「仕事でかいた恥は仕事で取り返すほかないんだ。君が恥をかいたと思ったら、君が自分で『取り返した!』って思えるまで自分で頑張るしかないんだ」
冒険者だけではない。鬼狩りの剣士だけではない。どんな者だって一線で頑張る人間で恥をかいた事の無い者などいないのだ。
魔女は水柱の青年の答えを聞いて、ぐい、と鍔広の帽子を引き下げて椅子にもたれた。
「それ……で?」
「それで? ……ああ、組む理由だったか」
水柱の青年はまだ、自分が彼女の質問へ答えていなかったことを思い出す。
「初めて会ったときに、グッとくるものがあった」
魔女は美しい睫毛を瞬かせた。
「そ、れは……見た、目?」
「それもある。だが、直感で君とはうまくやれる気がした。俺は直感を大切にしているんだ」
「──」
「それと……」
「え……?」
「家族の話をしたのは、久しぶりだったんだ。……君には話すことができたんだ」
話したときは魔女に気を使わせてしまったことを後悔してしまった。だが、彼女に自然と話せてしまったことにあとから驚いた。魔女を除けば育手や鳴柱くらいだった。ともに死線を潜った戦友であっても話すことはなかったことだった。
「冒険者が一党を組む理由として正しいのかわからないけれど、一緒に組んでも気が合う。そう思ったんだ」
「……そ」
魔女はそう呟いて、画家がモデルにとのぞむほど形のよい手でゆっくりとした動作で煙管を取り出した。煙草を詰めて、着火具を用いて火を入れて一服する。魔女は何も言わなかった。やり過ごした、とも言えた。
活動報告にも掲載させていただておりますが、本作を今後、複数のヒロインを取り入れるかどうか、ご意見を募集しております。こちらでもアンケートを実施させていただきます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
06
水柱の青年と魔女が請け負った依頼はありふれた
廃坑に棲み着いた
水柱の青年は生臭く湿った空気の中を歩く。足元に粘つく不潔な汚物が靴に貼りつき、歩くたびに音を立てそうになるのを注意する。そのとき、水柱の青年は異臭に気づく。彼が何かを気にして地面を見ていることに、魔女が気付いた。
「な……に?」
「獣の糞だ」
水柱の青年は指先で足元の汚物を示した。その形と臭いに覚えがあった。蝦夷に鬼狩りを行ったとき、アイヌから教わったものだ。
「狼のものだ。……狼はあちらと同じ生き物なのか」
「狼……。ゴブ、リンが……獣、を……飼う……ことが、ある……らしい、わ……よ」
「そうか……」
咆哮とともに三匹の狼が汚物を蹴散らして駆けてくるのが見て取れた。まだ、鬼殺の剣士の間合いに入る前でも、血肉の腐臭を漂わせている。
「めんどうだな」
ヒュゥゥゥゥと水柱の青年は呼気を吐き、日輪刀を怒涛の勢いと共に上段から打ち下ろす。三匹の狼は頭蓋を割断され、脳髄がまろびでる。
──
「相手にはもうバレているから、油断せずにいこう」
水柱の青年の嗅覚は空気に異臭が混じり、それが近づいてくることを感じた。
「来たぞ。嫌な臭いだ。数も多い」
水柱の青年が嗅ぎ取ったのは
「GOROB! GOROBG!」
「GOOROGGB!」
「ゴブリンが湧いてくる……大きいのもいるぞ」
闇から湧き出るように現れるのは
ゴブリンどもは手に雑多な武器を持って押し寄せてくる。
──
淀みない動きで斬撃を繋げて、ゴブリンたちの首を瞬く間に刎ねた。
「七……八……九……一〇!」
流水のように日輪刀が振るわれると、鮮やかな青い刀身によって渓流のような青い軌跡を描く。
ゴブリンの首が落ちて、首から血が間歇泉のようにぴゅうと噴いて胴体が倒れる。殺したゴブリンの数は一〇を越えており、ゴブリンの襲撃は途絶えていた。
「あと大きいのがいる! 数は二。……それと」
言葉を途中でとめた水柱の青年を不思議に思った魔女が、彼を見て瞠目した。
水柱の青年が怒っている。
魔女の耳にも遅れて届いてきた。ずん、ずんと重く鈍い足音。廃坑の奥から迫りくるそれは、羆ほどの大きさの巨体。そして、その足元に隠れるように動く影。
「
困惑する水柱の青年に、魔女が補足する。
「
いかにも愚鈍そうな顔つきをした巨体のゴブリン。そして、その足元にいる賢しらな顔つきの、杖を持ったゴブリン。
水柱の青年にはどちらが群れの長なのかわからない。だが、それよりも彼には見るべきものがあった。
ホブゴブリンは手に、盾を持っていた。その盾は人の形をしていた。一糸まとわぬ裸形の女だった。様々な体液と泥にまみれた汚濁の白い裸体の首に、白磁の等級票がかかっていた。
「村長が言っていた先行した冒険者の生き残りか」
彼女は先行して、そして壊滅した冒険者の一党だった。
「ぁ……ぃ……」
ホブゴブリンは女を見せつけるように盾を振り回す。乳房が、腿が、壁に当たり、悲鳴をあげる。そしてゴブリンたちがけたけたと下卑た笑い声をあげる。
「……酷い血の臭いだ。お前たち、一体何人を喰った? 彼女の仲間を喰ったのか?」
水柱の青年が冷え冷えとした声音で言う。透き通る世界に到達した水柱の青年は、思考が深くなれば深くなるほど、精神の芯は冷めていく。
──
透き通って見えるホブゴブリンの身体から、心臓の位置を見極め、日輪刀は肋骨の隙間を潜り抜け、的確に刺突する。精緻神妙な剣技でホブゴブリンは痙攣が数度、断末魔の震えが、太い手足をぴんと張りつめさせた。
「ひ、ぃ……っ!?」
ホブゴブリンが振り回し放り出した虜を、水柱の青年が片手で受け止める。
「頼む!」
魔女が歌うように細く唇を緩め、吐息を漏らした。
「ええ!
杖の先から投じられた《
「GOBOOROG!?」
魔法の矢が当たったゴブリンシャーマンは濁った悲鳴を上げて、血泡に溺れてもがきながら倒れる。
「ありがとう、助かった」
水柱の青年は虜囚となった女性を地に横たえると、地面でのたうち回るゴブリンシャーマンの首を刎ねる。
それで、終わりだった。
廃坑の奥へ行けば、ゴブリンたちがたむろしていたらしき場所には、真新しい人骨が散見していた。骨の近くには白磁の認識票が三つ、落ちていた。虜囚だった女性の一党のものだろう。
水柱の青年は認識票と集められるだけの骨を回収した。黙々と骨を拾い集める水柱の青年と一緒に、魔女も骨を拾い集める。彼女にも水柱の青年には静かな怒りが伝わってくる。
「手伝わせてすまない」
「いい、わ」
気にするな、と魔女はヒラヒラと手を振る、この男が冒険者らしからぬことをする、というのは前回の冒険から、なんとなくわかっていたことだ。
「この坑道、横に抜け穴があるな」
犠牲者の遺骨を集め終えた水柱の青年が魔女にそう語りかけた。彼女は青年が指さすほうを見る。
「地下は……どこ、に、でも……繋がって……いる、から……ね」
「あの先にも、ゴブリンたちはいるはずだ」
「わかる、の?」
水柱の青年が首肯する。闇の奥から肺腑のざわめき、骨の軋む音、筋肉の伸縮、それら生き物が発する音が多数聞こえてくるのだ。そして、おぞましい怪物どもの体臭もあの闇から漂い出てくる。
「数は、ここにいた奴らよりも多いと思う」
「……そ」
魔女は頷き、
「い、く?」
「……彼女をまず、村へ送り届けよう。そして君も少し休んでからにしよう」
そう言って、水柱の青年が魔女のほうへ振り返ったとき、
「──あ」
滴るような音を聞きとめ、それが魔女のほうからすることに気づく。
──しいて言えば、水柱の青年がそれを知らなかったことが、彼の行動が遅れた理由であった。
壁を這い上がる赤い粘菌を、水柱の青年は知らなかった。
「上!」
端的な、水柱の青年の声が含む切実さに、魔女は反射的に身体を退かせようとして、体勢を崩す。
「あっ!?」
悲鳴が上がった時には、すでに遅かった。
魔女がバランスを崩したおかげで、粘菌が彼女の美しい顔にかからなかったものの、天井から落下した粘液が彼女の衣服へ大量に付着してしまった。
「きゃぁ……!」
悲鳴とともに服が焼けたような臭いが発生する。このままでは服を溶かし、魔女の肉体までも溶かされてしまう。
いかなる器用な指先を持つ
「ヒュゥゥゥゥ」
水柱の青年が日輪刀を縦横無尽に振るい、付着する粘菌を斬り刻み、粘液を剣圧で吹き飛ばす。
──
相手の周囲を回転しながら斬撃による波状攻撃をしかけて、斬り刻む。水柱の青年が独自に開発した型である。
ぱしゃりと弾けるようにして赤い粘液が飛散した。魔女の最高級の白磁のような肌や黒絹のような髪を、傷つけることもなかったことは彼の卓抜した技量によるものであった。
だが、
「大丈夫!? ……あぁっ!?」
赤い粘液が飛び散るとともに、衣服もまたボロボロになって崩れてしまった。
「……え?」
魔女は水柱の青年の反応から、遅れて自分の状態を確認する。辛うじて、腰巻のように残る服の残骸、そしてそんな格好でありながら帽子とソックスだけが残るという、倒錯的な自分の姿。
魔女の頬は、処女雪を夕陽が照らすように紅潮していった。
「────────!?!?!?」
水柱の青年は初めて魔女の大きな声を聴いた。
拾参ノ型 十六夜の雨
水柱の青年独自に編み出した独自の型。相手の周囲を回転しながら斬撃による波状攻撃をしかけて縦横無尽に斬り刻む。
〇こそこそ四方世界裏話
主人公の呼吸術は水の呼吸と風の呼吸と迷っていました。もしかしたら、風柱の青年になっていたかもしれません。どっちの呼吸も格好いいですから、悩ましかったです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
07
ゴブリンスレイヤーRTA小説に魅了されて本作を書き始めたからには、どこかにバケツ兄貴、盾騎士、竜祭司、獣人忍者、魔法剣士をちょっとでも登場させたいです!だけど本編(イヤーワン)では登場させるにはまだ早すぎた……イヤーワン終わっても続けられるように頑張ります。
黒丸助さん、☆10ありがとうございます。他にも評価を付けていただいた方々ありがとうございます!励みになります!
魔女の呪文を回復させるまでの間に、水柱の青年は村長から許可を得てゴブリンの犠牲者たちの遺骨を埋葬していた。
そして夜になり、再び廃坑に入り横穴を通ればそこは洞窟だった。洞窟には予想通り、ゴブリンたちがいた。そこまでは簡単だった。今更。水柱の青年にとってゴブリンなど敵ではない。
だが……、洞窟の奥から接近する音と臭い、
「下がれ!」
水柱の青年は魔女を抱えて後退する。
「《
しわがれた声で呪文を発せられる。
「
闇の奥から吹雪が吹きつけてくる。後退したものの、吹雪が水柱の青年たちにも及んでくる。魔女は抗魔の魔法が未だ習得できていなかったことを悔やんだ。
「ヒュゥゥゥゥ!」
──
上半身と下半身を強くねじった状態から、勢いを伴って斬撃を繰り出す。回転を伴う斬撃は、全周囲防御としても発揮され、剣圧によって吹雪が減衰される。
「っ!」
減衰させたとはいえ、冷気によって
「ごめ、ん……ね」
「気にしないでくれ。教えてくれ、あれは人間か!?」
透き通る世界に映る人影の、その内部は人間と変わらない構造であるため、水柱の青年はそう思ったのだ。
「そ、ね。……あ、れ……は……
身につけた魔術で悪しき事を成す魔術師である。
「そうか……。あいつが、小鬼たちを従えていたのだろうな」
水柱の青年は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。
「魔、法が……な……かった、ら。……勝て、る?」
「大丈夫だ。頼めるか?」
「任……せ……て」
魔女の言葉を受けて、水柱の青年は走り出す。
「《
妖術師の言葉が唐突にとぎれる。魔女が沈黙の術をかけ、音を殺して力ある言葉を紡ぐことができなくなったのだ。
「!?」
声もなく慌てる妖術師は無言劇の演者のようだった。魔法を使えない術者は鬼殺隊では柱を務めるほどの剣士である水柱の青年の敵ではない。彼の一薙ぎで首を刎ねた。
「──」
彼は人を鬼から守るために武器を振るう鬼殺の剣士であるために、人を殺めることに水柱の青年も抵抗はある。しかし、かつていた世界では幕末の動乱を過ぎ明治に入ったと言っても、剣を振るわなければならない修羅場に遭遇して死線を潜ることもあった。そして、心ならずも人を殺める経験もあった。
「こ、れ……邪教……の……御、印……。祈、らぬ……者。ここで……倒さ……な、け……れば……犠牲に……なる……人が……出て、いた」
魔女が水柱の青年に遺体が持っていた装身具を見せてそう言った。どうやら、気を使われたらしい。
水柱の青年は微苦笑して顔を撫でる。
「ありがとう。そんなに不景気な顔をしていたのかい?」
「ふ、ふ……」
二人はそう話し合いながら洞窟の奥を進めば、それと遭遇した。
異形の怪物。目を炯々と光らせた鶏の頭、蝙蝠の翼、蜥蜴の尾。尋常な生き物ではない。
「これは……?」
「コカ……ト、リ……ス、ね」
水柱の青年は怪訝な表情になり、魔女は物憂げに眉をひそめる。
妖術師が番犬代わりにコカトリスを飼育していたというのは、慮外の事態であった。
「コカトリス……初めて会う怪物だな」
水柱の青年にとって未知である魔法や奇跡、怪物の類は脅威であると見ている。初見の怪物であるコカトリスには、この依頼を受けてより一層、警戒のレベルを上げた。
「っ!!」
水柱の青年が飛燕のような身のこなしで、迫りくる嘴から逃れる。啄まれた洞窟の地面が、乾いた音を立てて石へと転じていた。
「これは……石になっている?」
「石化……。嘴……や、牙……で、噛ま……れ……たら……石……へ……転、じる……」
「近づくには注意が必要なわけだな。……異形の鬼を相手にしているようなものか」
蹴爪でひっかき威嚇するコカトリスを、水柱の青年は日輪刀を青眼の構えで対峙する。
コカトリスの威圧は先程までのゴブリンや妖術師以上のものであった。
「……術、あと……一回、ね」
水柱の青年の背後に控える魔女が、やや声のトーンを落として囁く。呪文の消費を考慮して休息を挟んでいたが、この遭遇は想定外であった。
水柱の青年は透き通る世界を介して、コカトリスを見る。筋肉の伸縮、骨格の稼働、血流を見透かす。
「大丈夫だ。なんとかして見せよう」
魔女が「やってみる」とか細く言った。魔女のその言葉を水柱の青年は信じた。
コカトリスが奇怪な声をあげて喚き散らす。威嚇行為なのか翼を拡げてバサバサと羽ばたかせている。
「《
水柱の青年が一足飛びで距離を縮める。コカトリスが地面を蹴爪で蹴り飛ぼうとする。しかし、その蹴爪が粘ついた。
水柱の青年は静止しているかのように緩やかに飛来する白く濁って粘ついたモノが、コカトリスの足下に絡みつくのが見えた。
その鶏の首を刎ねようとするが、視界の端から迫るものを見つける。
「っ!」
水柱の青年が上体を反らして、避けてみればそれはコカトリスの尻尾。蛇の頭である。蛇の牙にも石化の力がある。
鞭のごとくしなる蛇頭の尾を掻い潜り、水の呼吸の技へとつなげる。
──
水平方向に身体ごと一回転しながら斬りつけて胴から真っ二つにする。本来は垂直方向に回転しながら斬る水車の応用編である。
「ふぅ……、呪文、ありがとう」
水柱の青年は嘆息をついて、日輪刀を納刀する。
「それでは……こういうときは、宝物を探しにいくのかな?」
「そ、ね……」
魔女がいつも通りの気だるげに頷くが、その瞳は好奇心に煌めいていた。
武具を手に穴蔵に潜り込み、血と泥にまみれながら、
妖術師の工房とあれば、それ相応の収穫は期待できるだろう。
「思えば、これが俺にとって初めての冒険者らしい仕事、になるのかな?」
「そ、ね……。あなた、は……冒険者……では、ない、から」
えっ、虚を突かれた水柱の青年は軽く瞠目する。魔女はそのまま工房を探し始める。
胡乱げに魔女を見るが、水柱の青年も工房を探し始める。ほどなくすれば宝箱を見つける。
宝箱の周囲を確認するが仕掛けがあるようには見えない。しかし、内部にからくりが仕込まれていたり、この世界特有の技術──魔法や奇跡の類──が施されていたりすれば、水柱の青年ではわからない。
魔女とて、それらに関しては知識があるわけではないという。
「……よし、開けるよ」
「……ん」
こくりと魔女が頷いたのを確かめ、水柱の青年は万が一のために彼女を宝箱から遠ざける。そして彼は開封。
箱の中に入っていたのは、木材か何かで作られたと思わしき、細長い棒状のもの。先端には装飾の施された金属部品がはめ込まれ、そこが不思議と輝いていた。輝く理由が水柱の青年にはわからなかった。
「これは何だ?」
横合いから覗き込んだ魔女が言う。
「……こ、れ。……杖、よ」
「杖? これ、君は使えるのか?」
ええ。魔女は頷き、金具をそっと撫でて、彼女はその杖を手に取った。
「そうか。ならば、これは君が使ってくれ」
「……?」
魔女は不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「報、酬……分配、で……しょ」
「いやいや、一党の戦力強化のほうが優先すべきだろう。君に使って欲しい」
水柱の青年が空箱の蓋を閉じる。
「要らないならば売ればいいけどさ。どうだい?」
魔女は両手で杖を握って胸元に抱えたまま、何ともいえない様子で立ち尽くす。
好きなものを買ってもらった子供のような佇まいだった。いつもは大人びた彼女のそのあどけない表情を見て、水柱の青年は今回の冒険は請け負ってよかったと思えた。
「……そ、ね」
やがて彼女はそう言って、杖を片手に持ち、ぐいっと鍔広の帽子を深く被り直した。
「……あり、がとう……」
魔女はゆっくりと微笑んだ。花のつぼみがほころぶような笑みだった。
今回は魔女の戦力強化の必要もありましたので、イヤーワン本編にあったイベントを元に作りました。ところで沈黙はTRPGだと奇跡の扱いなんですよね。
さて、アンケートは先日締め切らせていただきましたが、多くの投票をしていただきましてありがとうございます。投票の結果、剣の乙女のヒロイン化が決まりました。登場はまだ先になるかと思いますが剣の乙女をヒロインとして物語に参加させていただきます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
08
コカトリスを退治した後はコカトリスの首と妖術師の邪教の御印などの討伐の証明となるものを持ち込んで、冒険者ギルドへ帰還した。見せられたコカトリスの首に受付嬢は絶句する。貼り付けた笑顔が剥離しかける。
さらに回収した冒険者の認識票を引き取ってもらい、その費用として
冒険の翌日。水柱の青年が昇級審査のために冒険者ギルドに向かったが予定よりも速く到着した。彼は数日前から、ギルドの宿泊施設を出て魔女の勧めで彼女が滞在している女圃人が店主を務める宿屋に泊まっていた。ギルドの宿泊施設よりも快適であった。
時間を持て余した水柱の青年は冒険者ギルドの酒場へ向かった。昼間の酒場には、どことなく気だるげな空気が渦を巻いている。
点々と卓を囲んで座っている冒険者たちは、休日か、早く帰還したのか。だらだらと酒を呑み、だらだらとツマミを口に運ぶ姿には覇気らしいものがない。
「……くっそぉ……。なんだって、ああ、もう……」
突っ伏してブツブツと呟いている冒険者の姿が、水柱の青年には強く印象に残った。周囲に
彼の漂わせる雰囲気は知っている。鬼殺隊にいたとき同胞を亡くしたとき、自分の力が及ばず犠牲者を出してしまった隊員には、あのような様子になる者もいた。
水柱の青年は何も言わなかった。誰にも構われたくない時があるのだ。
「あ、お前!
水柱の青年が声をかけられて視線を向ければ、一人の男が水柱の青年に手を振っている。
すらりと背丈の高い美丈夫だ。革の鎧を着込み、背に槍を担いでいる。その槍使いには覚えがある。初めて依頼を請けた日にすれ違った青年だ。その表情は悪感情こそないが水柱の青年に随分と強気なものがあった。
「俺に何か用事があるのか?」
水柱の青年が槍使いに近づいてみれば、槍使いの対面に座る冒険者とも目が合った。──ような気がする。その冒険者は鉄兜で視線が見えないのだ。
安っぽい鉄兜。薄汚れた革鎧。異様な風体の冒険者だった。
「何かじゃね。お前だろ、白磁でそうそうに魔神、トロル、コカトリスと大物を
「確かに俺はそいつらを斬ったな」
「やっぱり、そうか。あーもー! 同期がそんな活躍をしているせいで、俺が鉱山で片付けた
悔しそうに言う槍使いは、その自慢の槍を手繰り寄せると柄をくるくる弄んだ。
「いや……そんなことを言われてもな……。君に迷惑をかけることにはならないだろう?」
「なるんだよ、これがな」
困惑する水柱の青年に、槍使いはさも深刻そうに言う。
「俺が受付さんにブロブ退治をアピールしても全然効かない! お前さんが大物ばかり退治しているせいで、受付さんも『まあ、それくらいなら』みたいになっちまっているんだ」
「ええ……」
困惑する水柱の青年。しかし、ふと気づいた。
「そうか、君は受付嬢の気を惹きたいんだな」
「そ、そーだよ。悪いか!?」
「いやいや、悪くないよ。……まあ、その、間が悪かったな」
水柱の青年は知らなかったが槍使いは、つい先ほども、鉄兜の冒険者が受付嬢から
「今に見てろよ。いつか竜でも仕留めてやるぜ!」
「竜か……ここにはいるのか。凄いな」
「え? もしかして、竜知らねえのか?」
マジで、と言いたげな表情の槍使いに水柱の青年は慌てて取り繕う。
「知ってはいるよ。見たことはないが」
「……ああ、まあ、俺も見たことはねえ。だが、話には聞いている。そいつをいつかは退治して、受付さんをあっと驚かせてやるぜ!」
竜の首を掲げて爽やかな笑顔で受付嬢に迫る槍使いを、水柱の青年は想像した。それはドン引きされて逆効果ではないだろうか。
「大物ばかり退治しているお前さんに対抗するなら、それくらいしないとな」
「大物ばかりではないぞ、ゴブリンやブロブも退治した」
「? だからなんだよ、お前ならゴブリンくらい楽勝だろう」
「ゴブリン」
唐突に、今まで沈黙していた鉄兜の冒険者が反応を示した。
「そうだ。ゴブリンは──人に害をなす鬼は許せない」
ああ、と鉄兜の冒険者が頷く。
「ゴブリンは皆殺しだ」
「そうだな。数が多く人々への被害が出て頻繁に依頼が出るような事態。できることならば、ゴブリンは根絶やしにしたい」
「あーもー! なんだお前ら!?」
何か相通じるものを感じている様子の水柱の青年と鉄兜の冒険者に、槍使いは毒気を抜かれたように椅子へよりかかる。白磁等級では到底太刀打ちできないはずの怪物を退治したことを誇るよりも、ゴブリンについて真剣になる水柱の青年は、間違いなく変な奴である。
「ほ、ら……。もう、時間……じゃ、ない……の?」
会話に割って入って来たのは、しゃなりと肉感的な腰を揺らして水柱の青年の隣に立つ美女。肢体の線も露わな衣装を纏って帽子を被った魔女だ。
「ああ……、そうだな。ありがとう」
水柱の青年に応じて、槍使いや鉄兜の冒険者に挨拶をして別れる。
ふと思い立った水柱の青年は、先程見かけた冒険者へ目を向けた。
「彼は?」
「ああ……」
魔女がその長い睫毛を伏せ、物欲しげな仕草で艶やかな唇をちろりと嘗めた。
「二人、食べられ、て。その子の、形見、届けるのに、一人。あと一人は、腕を……ね」
それで引退。つまらなそうに呟いた魔女は、どこからともなく煙管を取り出した。優美な手つきでパチリと指を弾くように、火打石を叩いて火種を落とし込む。ふうっと気だるげに息を吐くと、甘ったるい煙がふわりと広がっていった。
「残り一人。よくある、こと。……なのよ」
「……そうだったのか」
「そゆ、こと……」
◇◆◇
「あ、お待ちしてました」
水柱の青年が冒険者ギルドに入ると、受付嬢が声をかけてきた。
「お待たせしました!では昇級審査を始めさせて頂きますのでこちらへどうぞ!」
事務仕事が片付きようやく手が空いた受付嬢がやって来た。彼女に案内され、昇級審査を行う部屋の前へと到着する。
「それでは始めさせて頂きますので、どうぞお入りください」
受付嬢がそう言って水柱の青年を案内して通した会議室には、他に二人入ってきた。法と正義を司る至高神の司祭──ギルド職員。そして立会人の冒険者が部屋の中へと入って行った。
「どうぞ、おかけください」
「ありがとうございます」
受付嬢の勧めで、水柱の青年は席に悠然と座る。大抵の白磁等級の冒険者は緊張しているのだが、水柱の青年は実に落ち着いている。
「それでは質問させていただきますね」
「はい、よろしくお願いします」
「それでは、あなたの趣味を教えてください」
「はい? 趣味?」
「ええ。まあ、最初は初の昇級審査なので、肩肘張らず、リラックスして答えてください」
「そうですか……」
「こちらで冒険者登録していただいたときに、色々と既に聞いてますから」
「そうですか……地図を見ることは趣味ですね」
「ち、地図ですか?」
受付嬢は意外に思う。地図となればより精度と確度が高いものであれば機密性も高くなる。彼女は水柱の青年が見ることができる地図とはどのくらいか気になった。
「この趣味は鬼狩りでも役に立てられました。冒険でも役立てることができると思います」
水柱の青年は、選抜試験を合格した後、いくつかの戦闘を経験して、一の戦闘から一〇の知識を得て帰納能力の高さをしめした。そして彼の趣味によるもので、一度も行ったことのない場所でも地形を生かして戦闘を行うことができた。彼の超感覚も、それがとりもつ縁であった。
「そうですか、確かに地図を見るのが得意ならば、冒険でも安心ですね。それではですね……」
受付嬢が手に持つ書類に何か書き込むと、
「では、質問を変えさせていただきますね。冒険者になっていかがでしたか?」
「どう……とは?」
「大変だったとか、思ったより簡単だったとか、そういう率直な感想で構いません」
「幸いなことに大きな怪我やトラブルもなく依頼をこなすことができました」
水柱の青年がそう言うと、受付嬢、ギルド職員、立会人が笑う。
トロルやコカトリスと
「成程、そうですか。それでは一党を組んでからはどうですか?」
「彼女には助けられてばかりですね。冒険だけでなく、ここら辺での常識や事情に詳しくない部分でも助けられています」
冒険者とも協同できるだけの社会性も備わっていることは疑いなかった。そして、受付嬢が聞きたいと持っていた来歴について触れる。
「あなたの実力にはギルドは疑うことはありません。ただ……どうしてそれだけの実力を持つくらい、鍛えようと思ったのですか?」
「え……?」
「あー、つまり、鬼狩りをする理由を聞きたい、ということです」
ギルド職員が受付嬢に助け舟を出して、言葉を引き継いだ。
「例えば元が騎士だった人や、学院で学んでいた賢者さんとかでも、その軍や学院での働きはどうだったとか、そこに所属する経緯も聞いたりするものなの」
「ええ、これも形式的な質問なんです」
「そうですか……。わかりました」
水柱の青年は頷くと話始めた。大体は魔女へ話したものだ。
◇◆◇
むせるような悪臭。真紅に染まった世界。滴る赤い水音の中でごみのように転がされ、バラバラに切り刻まれた家族。
叶わなかったたくさんの約束。閉ざされた未来。
幻想のような現実は終わり、悪夢よりも凄惨な『今』が始まった。
にぃ、と嗤う声で、彼の耳に未だに残る。
『一〇年は、お前を覚えといてやるよ。それだけあれば充分だろ? ただし、一〇年年経ったら忘れるぜ、お前が一五になるまでな』
それは鬼の気まぐれだったのだろう。だが、そんな気まぐれによって少年は生かされた。
(ころしてやる)
少年の目の前は真っ赤に染まっていた。
燃えるように熱い身体を引きずり、彼は顎と肩を使って鬼によって捨てられた山を這いずっていた。両の手足は鬼によって折られて使い物にならなかった。全身から湯気が立ち上る。耐え難い疼きが少年にもたらした。
一日目は数えた。二日目から生きる方に集中した。三日目から数えるのをやめた。気づけば這いずり、獣のように目についた草や土を喰い、太陽と影を頼りにただ西に這いずった。
獣が何度か彼を囲む気配もしたが、少年の憎悪に気圧されるように去っていった。
(ころしてやる)
昼も夜も、脳裏に赤黒い池が明滅する。その池にぷかりとのぞいていた、家族の切れっ端。残骸。なれの果て。鞠のように放り投げられた姉の虚ろな生首。
噛みしめた奥歯が金臭い。
『強くて優しい子になってね』
ごめん姉ちゃん、ぼくは優しくなれない。這いずってでもあの化物を殺しに行く。この手で殺して復讐する。だってそうしないと生きていけない。
兄ちゃんや姉ちゃんみたいに強くないから、そうしないとひとりで生きていけない。
(わすれたくないんだ)
どんな凄惨な記憶でも、もう少年がもっているものは記憶だけだったから。そして忘れないまま生きて行くには、糧が必要だった。復讐と憎悪。それがないと死にたくなる。
(ほんとうはいまだってしにたい)
みんなと一緒の場所に行きたくて行きたくてたまらない。
不意に、近くで、足音が聞こえた。
少年の幸運は鬼が適当に捨てた山の近くには、鬼殺隊の隊士が立ち寄ったことで保護されたことである。
保護され治療を受けた少年は、自分を助けた隊士──後の兄弟子を怒った。
「何で俺を治した! 治してくれなんて言ってねー! 治ったら……ちくしょう、生きるしかないじゃん!」
叫んで、……少年は泣いた。死ぬ理由がなくなってしまった、と。
元気になってしまった。歩いて、あの化物を捜せる体に。もう死ねない。もう、生きるしかない。誰もいなくなってしまったこの世界で。
復讐の刃を磨ぎ、ひたすらあの化物を追って。そうしていつか、家族が願った自分じゃなくなる日がくるだろう。死ねば今のままの自分で彼らの傍に逝けたのに……
もうだめだ。
赦すか復讐かを選ぶなら、少年の答えは一つしかないのだから。
少年は隊士の着物で涙と鼻水をぐしぐしとぬぐった。隊士は迷惑そうにしていたが、少年は離さなかった。全部こいつのせいだ。鼻水くらいなんだ。
「責任とれこのやろー! いいか、お前、覚えとけよ。ぼくは忘れるかもしれない。ぼくの兄妹は日の本一だ。ぼくは幸せだった。毎日めちゃめちゃ幸せだった。怒られてばっかだったけど兄ちゃんも姉ちゃんも大好きだった!」
叫ぶと、少年はぱったりと倒れた。なんて幸せだったのだろう。
「でも、そんなシアワセな僕とも今日でお別れだぁ……」
消えかけていた憎悪が蘇るのがわかる。
脳裏に、あの化物の嗤い顔が点滅する。心のどこかで自分が変わる音がする。それは断絶の音。
にぃっと、少年の口の端がもちあがる。
「……見てろよあいつ……絶対、ぶち殺してやる……」
今までの少年ならば浮かべるべくもない翳りのある笑いを浮かべて、少年は目を閉じた。
――復讐の幕が上がる。
それが自分の人生だと、少年は悟った。
気を失う前に、少しだけすすり泣いた。
愛する家族との永遠の決別と、もう戻れない自分に憐れんで。
その様を隊士はただ見つめ、やがて守るように、その哀れな子供を抱き込んだ。
少年が鬼殺の剣士となって復讐すべき鬼と遭遇したとき、鬼は下弦の鬼となっていた。死力を尽くして戦い、そして勝利した。
刎ねられた鬼の口から血が溢れた。妙な血の色をしていた。
野太い哄笑が響いた。口から血を流し、鬼は心底愉快そうに嗤い続けた。
「……イイ腕だ。本当にイイ腕になりやがったぜ、小僧。この一〇年、毎日毎日俺を殺すことだけを考えてきたろ?」
まるでそうであって欲しいと思っているかのようだった。少年は無言のまま、消滅するまで嗤い続ける鬼を、見つめ日輪刀を構えていた。
◇◆◇
「では審査は以上となります、特に問題はありませんでしたので、黒曜への昇級となります。受付で新しい認識票をお渡し致します。お疲れ様でした!」
水柱の青年が退席して、また立会人の冒険者もまた会議室を出た。そこでようやく、受付嬢は脱力した。
「はふぅ……」
受付嬢は卓上へと身を伏せた。
「お疲れ様」
同僚も張り詰めた表情を緩めた。
「……こんなに疲れる昇級審査は初めてです」
「ホントそれな」
「広い世界、よくあること……なのかもしれませんけど。やっぱり辛いですね」
「でも、納得はしたかな。五歳の頃からずっと鬼と戦うために鍛え続けたからこそのあの実力だったんだ」
復讐を遂げた後でも鬼を狩る理由を、水柱の青年は話してくれた。
──自分の復讐は終わりました。それでも、まだ人を喰らう鬼がいる。俺のように大切な人を鬼に奪われる人が少しでもいなくなるようにして欲しい。
自分ではない誰かのために命を賭けられる人なのだ、と受付嬢たちは思った。
そんな彼は冒険者となってもその意志を貫こうとしている。彼ならば、きっと良い冒険者になってくれるだろうと、受付嬢たちは期待することにした。
長く書いてもダレるだけと思ってましたが充分に長かったですね。主人公の過去をダイジェスト版にしてもこれだけ長くなるとは……。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
09
「はい、それではこれが新しい認識票となります。昇級おめでとうございます。これからもご活躍を期待しています」
受付嬢は水柱の青年へ黒曜等級の認識票を手渡す。お礼を言って水柱の青年は認識表を受け取る。
そのまま、水柱の青年と魔女はその足で依頼を請け負った。依頼内容はゴブリン退治だった。
「まあ、昇級したとしてもやることが変わるわけではないんだよな」
「そう、ね」
水柱の青年は魔女とそう話しながら、工房へ入る。これからの冒険に向かうために準備をしようとしている。彼らは
◇◆◇
昇級してから何度目かの冒険。
日輪刀を振るいゴブリンの首を断つ。洞窟には瞬く間にゴブリンの死骸が七つも量産された。ゴブリンの屍を越えて、冒険者の一党が歩いていく。
水柱の青年は自分が柱に就任したときのことを思い出していた。鬼狩りの剣士というのは、柱になることも、復讐を果たしたことも、それがゴールではないことを実感した。復讐を遂げて柱になったあとの方が、気が遠くなる程長かった。
進めば進む程道のりは険しく周りに人はいなくなる。自分で自分を調整して修理ができる人間ではなければ道は先へ進めなくなる。
冒険者も昇級したとしても、やることは変わらない。依頼を請けて冒険を行うのだ。
「GRROB! GRARD!」
二、三とゴブリンは首を刎ね、返す刀で五匹のゴブリンを斬殺した。片手間にゴブリンを討滅しながら、既に索敵を終えている。通路を進んだ先の暗がり、松明の灯りを受けて照り返す。鈍い輝きを認めた。
水柱の青年は日輪刀を振るう。びぃんと気の抜けた弦鳴りとともに、宙を切って飛来するものを水柱の青年は正確に捉えていた。二本の矢の軌道を読み日輪刀で叩き落とした。暗がりの奥に潜む小鬼弓兵の存在はわかっていた。
まるでわかっていたかのように、自分たちの矢を叩き落とした冒険者へ罵声を浴びせながら、矢を番えようとする小鬼弓兵に、矢を引き絞る暇を与えなかった。
「任せて」
魔女が力ある言葉を紡ぎ始める。
「《サジタ(矢)……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》」
《
「ありがとう!」
水柱の青年はお礼を言いつつ、彼は既に洞窟の中を駆け抜け、ゴブリンどもへ接敵している。
「ヒュゥゥゥゥ!」
──
清流のごとき淀みない動きで斬撃を繋げることで、吼え猛るゴブリンどもの頸を斬り落とした。一〇体を越えるゴブリンが累々の屍を晒す。
暫くの間、薄暗く生臭い洞窟の中に一党二人の呼吸だけが響いた。
「これ、で……、いったん、終わり……かしら?」
「まだ、奥にはいるぞ」
松明を掲げて、暗闇を水柱の青年が見通す。彼の知覚は透き通る世界だけではない、超感覚によって奥に潜むゴブリンたちの臭いや音を感じ取っていた。
「GROORORB!」
「GRAAB!」
地底の奥底より響き渡り、木霊する醜悪な声が魔女にも聞こえてきた。
「随分と数が多い巣穴だ」
水柱の青年が舌打ちする。無尽蔵と思うほどに湧き出てくるゴブリンは、それだけで新人冒険者の心を折ってしまうだろう。
この数時間、ほぼ休みなしである。始末したゴブリンの数は既に二〇は越えていた。水柱の青年だからこそ、この長時間の戦っていても呼吸の乱れもなく、疲弊もないのだ。
魔女の魔法も先程の一回しか使用していない。
「……また、来る、わね」
魔女がその美しい瞳で闇を見つめて、注意深く言った。
水柱の青年ほどの鋭敏な感覚を持たなくてもわかるほど、はっきりとゴブリンどもの猥雑な足音が徐々に迫っている。
狭く暗く細い幾本もの枝のように分かれた道が足音や喚き声を反響している。
「……数は多いな。一〇以下ということもないだろう。二〇と見るべきだな」
水柱の青年が険しい面持ちで言った。魔女もいつでも呪文が使えるように準備をする。
◇◆◇
それはゴブリンにとっては、いつもの事であった。
冒険者が来た。今回は二人だ。
若い女が一人いる。
「GRAORB!」
「GBBBOR!」
穴底でゴブリンどもや暗い欲望を胸に、薄汚く笑いあった。
まったく俺たちはなんと運がいいのだろう! 女がいるとは、当分は楽しめる。家族も増える。
人間とは異なり、ゴブリンにとっては捕虜の価値は男よりも女にある。男なんて奴は、危ないし、すぐに怒って暴れて自分たちを脅かす。
手足を切って牢に放り込んでもいいが、食べるか玩具にするしかない。苦労をしたわりには、なんと使いでのないことか。
この点、女は、雌はどうか。孕ませればそれだけで逃げなくなるし、暴れて手足を落としても困ることはない。なにより楽しい。重要なことだ。仲間を増やせるし、飽きたり死んだりしても食べれば良い。
「GROB! GROAR!」
「GROORB!」
雑多で粗末な道具を持って小鬼どもは囁き合う。
あの雌は二、三度小突けばきっとすぐに大人しくなるぞ。
雄のほうは妙な色の剣を持っている。冒険者が持つには勿体無い。自分たちが持つほうが相応しい。
ゴブリンは自らが負けるなどとは露程にも思わない。数こそがゴブリンの強みである。それを本能的に理解しているが故のゴブリンである。
手に手に、粗末な武器を持つ。だいたいは石や骨を枝と組み合わせたもので、ちらほらと掠奪した錆びた小剣やスコップが混じる。唯一、例外なのはこの洞窟の王気取りでいる
田舎者はゴブリンどもに冒険者らを襲うように命じた。事ここに戦術などというものはない。
仲間が殺されている間に、上手いこと襲い掛かって奴らを血祭にあげるのだ。殺された仲間たち、住処を荒らされた我等の怨みを思い知れ!
「GOROROB!」
「GRAB! GORAAOB!」
ゴブリンの群れは雄叫びを上げて、怒濤の如く冒険者たちに襲いかかり──。
──
瞬間、幾条もの青い閃光が、激流の如き勢いでゴブリンを呑み込んだ。
◇◆◇
水柱の青年は洞窟の地面が足場の悪い場所であっても、動作中の着地時間と着地面積を最小限にして、縦横無尽に駆け巡り日輪刀でゴブリンの首を次々と刎ねる。ゴブリンどもが武器を振り回しても、透き通る世界を見る水柱の青年にはゴブリンどもの動きは手に取るようにわかる。ゴブリンどもの抵抗虚しく首を刎ねられる。群れの長である田舎者もその例外ではなかった。
「お疲れ……様」
「ああ、お疲れ様」
水柱の青年は日輪刀を納刀して、魔女と笑い合う。そうして彼らは洞窟の散策をする。ゴブリンの住処とはいえ、確認はしておく。ついでに田舎者が持っていた剣も検分した。
「ミスリル? 鋼ではないのか……」
魔女の説明を受けた水柱の青年は不思議そうに──事実、不思議に思っている──剣を見た。彼のいた世界にはなかった金属である。興味深く見る。武器の状態がよければ中古として売ろうかとも魔女と相談した。
「予備に……持って、おけば?」
「予備? いや、この類の剣は使い慣れてないし、勝手も違うから要らないよ」
「そ……。あら」
「どうしたの?」
水柱の青年と会話しながら剣を見ていた魔女は何かに気づいたようで、柄尻を、岩塩を固めたような、白くて細い指で指し示す。
「これは……家紋かな?」
水柱の青年は所感を話した。彼が知る日本の家紋というよりも、洋書で見かけたことがある欧州の貴族の家紋に似ていた。
「貴族、の……家宝……かも……ね」
「家宝? 何だってそんな貴重なものをゴブリンが持っているんだ?」
「さあ? ……家宝を、持って……冒険、者に……なった、人が……ここで、果てた……の、でしょうね」
「……そういうこともあるか。……遺体は見当たらないな」
既に獣や魔物に喰われて土に還ってしまったのだろう。
魔女の忠告でこの宝剣は冒険者ギルドへ提出しようということになった。家紋からどこの家のものか特定は可能だろうし、遺品として遺族へ渡すことができるかもしれないからだ。中古として市場に送っても、不正不法なやり方で得たものをと思われてしまうことも不味いとの判断だ。水柱の青年はそれに同意した。
再び二人は小鬼どもの戦利品を漁った。今回は攫われた女性はいなかったが、以前にゴブリンどもの子供を見つけたことがあったのだ。もし見つけたならば、子供が大きくなり人を襲う前に殺すべきだ。それに、死んだ冒険者の認識票くらいは持ち帰りたいと思った。
「これは祠かな……?」
水柱の青年が胡乱げに見るのは、朽ち果てた祠だった。中には何かの像があった。経年劣化で水柱の青年が触った途端に崩れてしまった。
ふと、その像の中に宝石の指輪が入っていることに気が付いた。
「指輪か。何かやけに輝いてみえるな」
指先で埃を払い落し、彼は炯々と輝く宝石を覗き込んだ。まるで、宝石の中で何かが燃えているような輝きだった。
「ど、した……の」
魔女は孤を描くように唇を緩めると、腰をくねらせるようにしずしずと歩んで水柱の青年に近づく。
水柱の青年が指輪を拾ったのだと言って、彼女にも見せてみる。魔女は覗き込むように前かがみになる。豊かな胸が揺れる。水柱の青年が指輪を魔女に渡すと、彼女は指先でなぞるように環を撫で、裏返し、内側に文字が刻まれていないかを検める。
そうして、彼女はゆるゆると首を左右に振った。
「ごめ、んなさ……い」
言葉とともに指輪を差し出される。水柱の青年は受け取った。
「これ、は……ちょっと、わから、ない……わ」
「そうか。手間をかけてごめん」
ギルドに帰ってから調べてみようと思い、指輪を仕舞った。魔女からは不用意に指輪をはめることはしないようにと注意され、水柱の青年は素直に頷いた。
◇◆◇
「皆さん、お疲れ様でした!」
水柱の青年の報告を受けた受付嬢がいつもの笑顔と柔らかく言って頭を下げる。彼らは報酬を受け取り、宝剣を冒険者ギルドへ預けた。
「ところで、さっきから集まっている冒険者たちは一体?
水柱の青年がそう言って、ざわざわ人でごった返すギルドのロビーを見渡す。
「ああ、それは……」
受付嬢が説明をした。新しい坑道を深く掘ろうとした作業員がブロフという、
地中より
その巨大な百足の如き生き物を退治するために、複数の
話を訊いた水柱の青年が魔女のほうを向き、相談する。
このまま、
「あ、あの……! 貴方はまだ黒曜ですよ? 彼女だって白磁だし、クエストを終えたばかりですし休んだ方が……」
受付嬢が焦って言う。尤もな話である。
「い……わよ」
魔女はゆっくりと頷く。
「彼女はまだ魔法をひとつ使っただけ、移動までにまだ時間があるようですから、彼女には休んでもらいます」
魔女が新人でも優秀だとはわかる、そして何よりも水柱の青年が徒党に加わるというのは受付嬢にも魅力的だ。結局、彼女は水柱の青年の要求を呑んでしまった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
10
リアルが忙しくなり時間が取れず遅れてしまいました。
水柱の青年が受付嬢と会話をして、さて自分たちも準備をしようと受付を離れかけたとき、一人の冒険者が受付嬢へ参加依頼してきた。
その冒険者のため息にかすかに混ざる酒の匂いが水柱の青年の胸をざわつかせた。
やや乱れた服装に無精髭、隈の浮いた顔には異様な鋭さの眼つき。剣呑な雰囲気を持ってはいるが、何かの拍子に彼の輪郭が力を失って弛んでしまうような危うさを水柱の青年は感じた。
その冒険者は、先日岩喰怪虫と初遭遇して仲間を失った、若い戦士だった。
自分も岩喰怪虫退治に参加すると言って、受付嬢は彼が
「なら、俺の臨時
「!」
若い戦士は一瞬唇を噛み締めると、「すまない」とぽつりと言った。いいよ、と水柱の青年は言って、魔女は肩を竦めるだけで否定はしなかった。
◇◆◇
鉱山の入り口に集った冒険者の数は、四、五〇人を超えていた。単純に数えれば一〇を超える
銅等級の冒険者である。磨かれた鎧、ぴんと鬚を整えて、腰に突剣を提げている貴族風の男である。足捌きや体幹、体つきは達人と言ってもよいだろうというのが、水柱の青年の見立てである。
銅等級の一党はよい。しかし、他の白磁等級や黒曜等級はまだまだ駆け出しと言った様子である。水柱の青年にしてみれば育手に訓練を受けばかり、藤襲山での試験に入ってもいない様な手合いである。それでも見るところがあるとすれば、彼と同行している魔女、先程からぼやいている槍使い、その相手をしているだんびらを背負った重戦士などがそれだ。
彼らと雑談をする。兜を被らないのかと問われたが、水柱の青年としては慣れてもいない兜をつけて、視界を狭くなることも考えてやめた。
「剛毅な奴だな。それとも命知らずなのか」
「俺は自然体でいたほうがいいだけさ」
会話を終わらせて、水柱の青年は若い新人の戦士に声かける。歳は槍使いや重戦士と同じくらいだろうか、十五、六歳くらいに見える。水柱の青年より年下なのは間違いない。
「準備は出来たか?」
「ああ」
丹念に革鎧や剣の具合を確かめる手並みは、明らかに慣れている。
「何度か冒険しているのか?」
「一応、ゴブリン退治をな」
「そうだったか」
二人の会話を聞きつけ、重戦士が顔を顰め、彼の一党である女騎士が「引っ掛けるなよ」と野次を飛ばしている。槍使いも交えてわいわいとやり始める。
「そういえば……」
女騎士の話を聞きながら、水柱の青年が思い出した。
「ゴブリン退治をよく行っている、兜を被ったあの冒険者がいないな」
「ああ……」
若い戦士は自分の兜を手にとって装着しながら、酷く素っ気ない口振りで呟いた。
「おおかた、ゴブリン退治にでも行っているんだろう」
◇◆◇
「来るぞぉーっ!!」
ブロブどもが
乾いた破砕音とともに、岩壁から飛び出した顎に食い千切られたのだ。
「CEEEEEENNTT!」
鉱山の中を大顎で振り抜いた怪物は、ぎちぎちと顎を鳴らす。半身を亡くした斥候がガクガク痙攣しながら、グロテスクな彫像として二本の脚で立っていた。
死体から間歇泉のように噴き出すのを目撃して、冒険者たちは浮足立って身構える。
「う、うわぁあぁ……ッ」
「で、出やがった……」
呆然としている、装備に傷ひとつない冒険者たちを押しのけて、水柱の青年が最前列へ陣取った。
頭と数節でこれなら、全長五〇メートル以上の巨大な蟲。水柱の青年とて、ここまで大きな敵を相手にするのは初めてだった。
水柱の青年は俵藤太物語の百足退治伝説を思い出した。山を七巻半する百足を俵藤太が強弓をつがえて射掛けたが、一の矢、二の矢は跳ね返されて通用せず、三本目の矢に唾をつけて射ると効を奏し、百足を倒した、という。
「これを倒せば、俺は藤太に並べるかな」
水柱の青年は珍しく戦場で諧謔が口から洩れた。
「死力を尽くしていこう!」
「ええ! 《
頬に汗を滲ませながら、魔女は艶やかな唇が真に力ある言葉を紡ぎあげる。杖の先から投じられた《
「CEENNTTTTTTIII!!」
まるで雨粒を払いのけるかのように、岩喰怪虫は平然と甲皮でもって魔法を弾いてしまう。しかし、
「ヒュゥゥゥゥ」
──
水柱の青年は高く飛び上がって空中から地上へ向けて大小様々な斬撃を放つ。巨蟲は鉱物に匹敵する強度の甲皮を水柱の青年によって斬り裂かれ、衝撃で地面に叩きつけられた。
巨人を相手にしているのと遜色のない怪物を地面に叩きつけ、悶絶させた只人の剣士に他の冒険者たちは瞠目する。
水柱の青年は虎のような身のこなしで、身体を空中で反転させて着地。そのまま走り、飛散する石礫や悶える巨蟲の身体から、魔女を抱えて
悶絶していた岩喰怪虫はそのまま地中深くへ潜行。唸る地響きは逃亡ではなく、奇襲の準備期間だと教えてくれた。
「……ごめ、なさい、ね」
「気にするな。あいつは斬り伏せてみせるとも!」
腰が抜けたのか身動きが取れずにへたり込む魔女を庇うために寄り添いながら、水柱の青年は辺りを注意深く見渡す。
「つっても、こりゃ下手に動けねえぞ!」
槍使いはそう毒づきながら、相棒の隣で身構えている。次にどこから来るかもわからない大顎の恐怖。まともに受ければ
「こりゃ呪文で押すのは無理だな……」
重戦士は背のだんびらを引き抜き構えた。
水柱の青年は鋭敏な聴覚で巨蟲が潜行する音を捕捉しようとする。また、周囲を見渡す。
狭い坑道に十数名の冒険者。どこから来るかもわからない大顎。下手をすれば、一網打尽にされかねない。
「術は補助優先、武器で──物理で攻める! 軽装なものは下がれ、それと本隊へ伝令を!」
「お、おう!」
「お前、軽装じゃないか」
「俺は避けれるから問題ない!」
槍使いに言われても水柱の青年はきっぱりと言い返した。
「それと……」
水柱の青年はさらに言おうとするとハッとなる。覚えのある臭いが近くにある。火箭の如き速さで走り、落ちてくる黒いタールのような粘液の塊を日輪刀で切り裂き、剣圧で振り払う。危うく粘液が顔に張り付きそうだった女性の弓使いは驚いて転倒していた。
「大丈夫か!?」
「え? えぇ……ありがとう、ございます」
「良かった!」
「なんだ、ブロブか!?」
ざわめく一同。女騎士が輝く剣──《
そこには天井を蠢く粘液の塊が、びっしりと細い脇道から滲み出ているところであった。まるで小鬼か何かが棲んでいたような薄汚く狭い横道。穴をふさぐことも、片付けることも、今は時間がない。
「面倒な敵が増えたな」
「これは……私、たちが、餌、なのね」
「餌?」
胡乱げな目の水柱の青年に、魔女は頷く。悠然としている彼女が珍しく緊張でやや強張っている。それでも、油断なく情勢を見ている。
人間たちが岩喰怪虫の通り道から金を見出す。そして金を求めて集まる人間を餌としてブロブが狙いに来る、そういう共生関係が岩喰怪虫とブロブとの間に作られているというのが、魔女の推測だ。
「それがどうした!?」
どんな正論も雄弁も跳ね除ける台詞を吐き出したのは女騎士だった。彼女は信仰の証と頼む十字剣を振りかざした。
「喰われる前に叩き殺す!」
「……まあ、間違ってはいないか」
水柱の青年は微苦笑をこぼし、重戦士は仲間たちを振り仰いだ。
「おい、《
「は、はい!」
少女巫術師が強張った表情で祈禱を行う。途端、重戦士のだんびらが赤々と燃え始める。
「えんちゃんと?」
水柱の青年はいかにも発音がわからないと言った様子だ。魔女が杖を支えに呪文を紡ぐ。すると、水柱の青年の日輪刀に魔力の光が灯る。
「おお! これは……すごく光ってる!」
水柱の青年は自分の言語学的貧困さを恨んだ。しかし、魔女の魔法が施された日輪刀を見て感激したのは確かだった。
「《裁きの司なる我が神よ、我が剣が善きを裁かぬよう見守りください》!」
女騎士も至高神へと奇跡を嘆願し、己の武器へと《
地響きはより酷くなり、ブロブは蠢き、天井からは砂利が降り注ぐ。
冒険者たちが大慌てで陣を組みだす、そんな中、水柱の青年や魔女と一党を組んだあの若い戦士が天を仰いで剣を掲げた。
天井が崩れる。岩が降り注ぐ。巨大な大顎が迫りくる。その顎にあの子は噛み砕かれた。
──こいつの臓腑には、あの子の身体が残っている!
相討ちも同然、遮二無二になって戦士は剣を両手で突き上げる。怪虫の喉奥へ柄まで通れと渾身の力を込めて刃を突き刺し、熱い体液を全身に浴びる。
それっきり、精根尽きた戦士の意識は暗黒の中に沈んでいった。
若い戦士にしてやられた岩喰怪虫が激痛に悶え、坑道で暴れ出す。
「ちっ、凶暴化しやがった! 潜り続けるよりはマシだがなぁ!」
「なかなか根性のある奴だ! 俺も負けてられねえな!」
槍使いも重戦士も、怪虫の甲殻の思わぬ頑丈さに辟易する。甲殻が多少削られるだけで、
悶える怪虫の巨体が、若い戦士にぶつかりそうになる。
「いけない!」
──
水柱の青年は庇うために、怒涛の勢いと共に上段から打ち下ろす。岩喰怪虫は大顎を片方へし折られて、壁面に激突する。
「CEENNTTTTTTIII!!」
岩喰怪虫の動きが鈍くなる。人間で例えたら、顎をパンチが掠り、脳を揺らされ、さらに頭を強打したようなもので、意識が混濁していた。
あいつ、やりやがったっ!? 冒険者たちが驚愕する。あれほど頑丈な甲殻を砕いてみせた、事実に瞠目する。先程も怪虫を脳天から打ち下ろし、甲殻を大きく割ってみせていた。魔女の魔法が加わることでついに大顎を砕くまでの戦果をあげた。
恐るべき膂力、技量、そして武器の強靭さだ。
「っ、いける!」
水柱の青年は確信する。日輪刀に魔女の《
このまま、前衛で戦える戦士たちは岩喰怪虫の動きを抑え、弓持ちは岩喰怪虫の頭を狙う。呪文が使える者は掩護を、それ以外の者たちがブロブの対処をすることとなる。
先遣隊が奮闘している最中、本隊がやって来た。
「奴が岩喰怪虫か……聞いていた通りの巨体だな。よぉし、あれを使うぞ!」
頭目が指示を与える。
「
「おう!」
本隊の呪文遣いたちが応じる。
頭目が金と
照準を合わせ、弓弦を引き絞り、そして
「放てっ!」
頭目の指示で放たれた矢が飛来して、岩喰怪虫の頭部に被弾する。
「CEENNTTTTTTIII!!」
岩喰怪虫はついにもう一方の大顎も失った。激痛に悶え、怨嗟が混じった咆哮を上げる。
「二発目用意!」
相変わらず水柱の青年がいると一党に野伏や斥候が要らない感じですが、罠解除みたいな技量がないので彼の一党に斥候か野伏を入れるならばその分野で需要があります。
□水柱の青年のオリジナルの技
空中から地上へ向けて大小様々な斬撃を放つ。風の呼吸の玖ノ型 韋駄天台風を元に編み出された技。
風の呼吸・玖ノ型 韋駄天台風をもとに編み出した独自の技。水柱の青年ほどの筋力がなければ風の呼吸の性質を実現化できないので水の呼吸の使い手では再現は難しい。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
11
重戦士は
「!?」
自分では水柱の青年のように外殻を割り傷つけることはできないと痛感する。ならばと、外殻その隙間にだんびらを叩きつける。
体液が噴き出し、手応えありと思ったものの、次の瞬間には重戦士は全身が痺れるような衝撃があったかと思えば、宙を舞っていた。
冒険者たちは再び色めき立つ。
魔女に降りかかりそうなブロブを日輪刀で斬り払い、水柱の青年が頭目に呼びかける。
「その弩で二の矢は撃てないのか!?」
「無論だ! だが弦を巻き上げ、照準を合わせる必要がある」
「ならば、俺たちで時間を稼ぐ!」
水柱の青年に、魔女が頷き、槍使いや重戦士たちも同調する。
「よ、よし……」
頭目が頷く。剣を握る手に自然と力が入る。
「弓持ちは
頭目は指示を出した後、水柱の青年たちとともに
「腕に自信があるものは、ともに
一気呵成に攻める冒険者たち。さながら百足に群がる軍隊蟻のようである。しかし外殻は硬く、冒険者たちは外殻の隙間や足しか狙えない。頭目たちは外殻を割ってみせた水柱の青年に驚きを禁じ得ない。しかも、その水柱の青年は落下するブロブを斬り裂き、冒険者たちを守りながら、外殻を傷つけている。
縦横無尽に駆ける青年が持ち、青玉のごとき深い青色の刀身が振るわれて虚空に残す残光、それは流水のように見えた。
「これは……本当に黒曜等級なのか? 信じられん」
頭目が呻くように呟いた。自分が彼の境地に到達するまでどれだけの年月を要するのか。いや、自分は到達することができるのか──
僅かな間、頭目が思惟の海に沈んだとき、冒険者たちの声が上がる。
「あいつ、巨体に任せて押し潰す気か!」
重戦士の怒声が上がる。
頭目が
「準備出来次第、
巻き上げの間に矢へ
「盾を構えろ!
水柱の青年も対抗するため、魔女に願う。
「さっきの
「ふふ、諒解」
魔女が力ある言葉を紡ぐ。日輪刀に再び魔法の力が宿る。
冒険者たちが身構える。
「歯を食いしばれ! 来るぞ!」
怒濤の進撃をする
「ヒュゥゥゥゥ!」
水の呼吸特有の呼気。
──
空中から地上へ向けて大小様々な斬撃を放つ。
勢いを殺され、深手を負って意識も混濁した
「CEEEEEENNTT!」
「野郎! まだ生きている!?」
冒険者たちの合間を縫って、走る影がある。仲間に魔法をかけられた槍を持つ男──槍使いだ。
「じゃあな」
砕かれた外殻の隙間を縫って、穂先が深々と突き刺さる。断末魔を上げてその身を震わせて、
◇◆◇
「ここは……?」
「地母神の神殿だよ。……気づいたようでよかった」
あの若い戦士のかすれた声に水柱の青年が答えた。
その戦士の意識が覚醒したのは、石畳の上に敷かれたござの上だった。身を起こそうとするも怪我と痛みで身を起こすのに失敗した。頭や手足に巻かれている包帯が痛々しい。
対照的に水柱の青年に怪我はなく、土埃で着衣が汚れているくらいだ。今も療養ではなく、魔女の休息に付き合いつつ、臨時一党である若い戦士の様子を見守るためだった。
「礼拝堂を簡易の医療所にしてくれたんだ」
戦士はぐったりとしたまま、ぼんやりと礼拝堂の中へ目を向けた。水柱の青年も同じように目を向ける。
傷つき疲れた冒険者たちの呻く合間を縫って、神官たちが歩き回っている。水を与え、食事を与え、動けぬものの汗を拭い、献身的な看護を行っている。
水柱の青年と魔女も軽食を貰い、若い戦士の傷も神官たちが手当してくれたのだ。魔女は疲れから食事をとったあと座ったまま眠ってしまい、帽子のつばで俯いた顔は隠れている。
「あの、虫野郎は?」
「討滅した」
水柱の青年の答えは端的だった。若い戦士が横たわったまま拳を握る。
「あの槍使いが百足の頭を刺し穿ち、仕留めたんだ」
彼はまだまだ強くなるな、と水柱の青年は先刻見た光景を思い出して思う。
「……そうですか」
「仕留めたのが自分ではなくて悔しいか? 君はやれる事はやり切っただろう。上々じゃないか」
「……ですね」
若い戦士は少し考えたように間を置いて、答えた。
水柱の青年は若い戦士を見て、何か彼にかけてあげられる言葉はないだろうかと探す。
「思うようにいかなくてふっとばされた人間は、みんな一度は調子を崩す。それはね、当たり前さ。『このままじゃダメなんだ』と徹底的に思い知るからだ。そしてまた一からやり直そうとする」
水柱の青年は若い戦士を通して鬼殺隊として活動していたときを思い出していた。自分の無力感に苛まれ、弱さや不甲斐なさに打ちのめされた事は彼にもあった。
歯を食いしばり、自分を一回バラバラに壊して組み立てるように試みて、またやり直す。そうして踏み出していく。迷ってもいい。悩んでもいい。だが止まってはいけない。足を止めても時間の流れは止まってくれないのだから。生きているのなら進むのだ。
「──」
「まあ、みんなってのは経験した奴はって事だけどね」
水柱の青年は若い戦士に、何かを渡したかった。自分の思いがどれだけ伝わったのかわからない。
「──ええ」
若い戦士は目を瞑った。やるだけの事はやった。やったはずだ。
──だから、悪いけど、これくらいで勘弁してくれ。
もういなくなってしまった少女へ、言い訳めいた言葉が浮かぶ。そうして若い戦士の意識は
◇◆◇
冒険者ギルドでは最近、彼らの間で名が上がることが多くなった冒険者たちがいた。巨蟲にとどめを刺した槍使い。ゴブリンばかりを退治する小鬼殺し。そして──
水柱の青年は、最初それが自分を指した言葉だとは気付かなかった。
街のざわめきと喧騒、賑やかな声。初夏の陽気と日差し。
「俺が、そう呼ばれているのか?」
「ええ」
水柱の青年の胡乱げな問いに首肯したのは魔女だった。
「なんでまた、そんなあだ名が?」
魔女が説明するには彼が振るう剣技がさながら流れる水のように変幻自在で、
「それ、に……」
魔女が嫣然と微笑み、水柱の青年の頬にある痣を指さす。左頬の広範囲を覆う流れ渦巻く水のような形の痣だ。
「これか」
水柱の青年が痣を撫でる。自分が扱う全集中・水の呼吸にちなんだかのような形の痣を。
「そうなのか。……まあ、あだ名がついたくらいだし俺もここに馴染めたのかな」
水柱の青年は苦笑する。突然この世界に放り込まれて、驚き困惑しながらもなんとか生きていこうとしていた。鬼舞辻無惨も鬼もいないこの世界での自分の在り方に、未だこれだと思うものはないけれど……。
水柱の青年があの若い戦士に言った言葉は、彼本人にも言えることだった。無惨やその配下の鬼たちのいない四方世界。そこに生きるためには水柱の青年はもう一度自分を再構築しなければならない。
「これからもよろしく頼むよ」
「……ん」
魔女はそう呟いて、ゆっくりとした動作で煙管を取り出した。煙草を詰めて、着火具を用いて火をつけて、一服。
「よろし、く……流水剣」
あれ、魔女よりも若い戦士を攻略してない……?と書いていて頭を抱えてしまいました。そして水柱の青年こと流水剣のおかげで原作よりも冒険者の死者が少なくなりました。
あと今回、水柱の青年についにあだ名を持つようになりました。四方世界で生きて行くことに前向きになれたときにつけてあげたいと思っていましたが、結構時間がかかってしまいました。時間はかかるかもしれませんが、エタらずに続けていきたいと思います。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
12
そういえば『イヤーワン』のときのゴブリンスレイヤーは竈門炭治郎とほぼ同年齢なんですよね。
そこは墳墓と呼ぶよりも、塚山といったほうが良いのかもしれない。鬱蒼と木々が茂るくらい森の奥、緩やかな坂が丘へ変わるその場所。
あたりは苔むした、しかし明らかに天然ならざる造詣の石がいくつも積まれ、転がっている。太古に名をはせた、力ある王か豪族の墓なのは間違いなかった。
「ここの雰囲気は独特だな……」
清廉でしかし濡れた衣のように身体にまとわりつき、のしかかるような空気に流水剣と呼ばれる青年は呟いた。
「ここは、よくない、もの、が、集まり、やすい、から、ね」
肉感的な肢体をくねらせた魔女が、流水剣の傍に寄り添っている。
「そういうものなのか」
腐葉土の上を音もなく進む流水剣が訊いた。藪の枝を払い、魔女が歩くときに枝が彼女の衣服にひっかからないように、何も言わずに配慮していた。
「こういう、霊場は、“よくないもの”の、吹き溜まりに、なりやすい、から雰囲気が……独特に、なる、ものよ」
木々に陽光が遮られ、じめじめとした湿気に満たされた空間は、ひどく饐えた臭いがした。
「“よくないもの”、か……。それは、どういう……あれ?」
「──どうした、の?」
流水剣が立ち止まり、一拍遅れて魔女も脚を止めて周囲を見回した。魔女は相棒である流水剣の鋭敏な感覚を信頼している。
腐った葉と、土と、湿り気の入り混じった、饐えた臭いの中に異なるものが加わった気がしたのだ。
「こういう塚だと何が出るんだろうか?」
「古びた陵墓だと……
魔女が歌うような音楽的な美しい声音で話す。
呪われた王、王や神との約定を破って眠りを許されない古代の武将など、亡者の類が敵であると、流水剣に説明した。
「亡者か……」
青年は思わず顔を顰める。いつの間にか周囲には薄い靄が漂い始めている。流水剣は腰に差してある日輪刀をすらっと抜いた。細身の、
石を積み重ねた柱。苔に覆われた盛り土が震え、柱が崩れ、次々と土中より敵影が起き上がる。
「まるで忍者の土遁の術だな……」
「ドトン?」
「いや、なんでもない。君は呪文の準備を頼む」
「諒解」
前方を流水剣が、後方に魔女が控える形だ。
「さあ、やろうか」
◇◆◇
魔女を庇うように前に立ち、日輪刀を振るい緩慢な動きで迫る死者たちを斬り払う。薙いで四肢を切断しても地虫のように這って迫るだけである。
「鬼と同じだな、首を落とさないと止まらないか!」
流水剣が舌打ち混じりに死者の首を刎ねる。首を失った死者は糸が切れた人形のように弛緩して倒れた。
「倒し方がわかっても、こう数が多いとは……」
いかに流水剣が精強無比な剣豪であろうとも、数の多い敵、
「──」
魔女は霧の薄闇へ目を凝らして、形のよい指を顎にあてがって思案した。
「
死人占い師。屍に
「
「呪詛の、基点、となる場所が、あるはず!」
魔女が塚山の頂上を指さす。
「あそこを、調べましょう。祝禱を行った、痕跡、が見つかる、はず」
「基点まで行けば潰せるわけだな」
「ええ」
魔女は杖をぎゅっと握りしめ、頷く。群がる動く屍の渦中故か、表情は緊張で張りつめている。
「わかった。塚山の頂上を目指そう」
流水剣は頷き、魔女とともに緩やかな丘陵を、四方八方より押し寄せる屍どもを退けて登坂する。死体を薙ぎ払い、踏み付け、踏み越える。
「ヒュゥゥゥゥ!」
──
刀を両腕で握り、肩の左右で素早く振るう二連撃。左右広範囲の屍たちは斬り払われる。
塚山の頂上へ辿り着く。その朽ちた屍たちは生前、冒険者なのか傭兵なのか、痛みがひどい武器を持っていた。まるで頂上へ流水剣たちが向かうのを阻むようであった。
「どけ!」
──
流水剣は怒涛の勢いと共に日輪刀を上段から打ち下ろす。屍たちは剣圧からぐちゃりと薄気味悪い音を立てて崩壊した。
そうして、ようやく頂上へ向かえばそこには魔女の推測通り、呪詛の基点があった。それは略式なのか簡素な祭壇に闇のように黒い翡翠のような勾玉が捧げられていた。まじないに無知である流水剣でも、尋常ならざるものであると察することができる雰囲気を持っている呪物であった。
「あれか! 壊せるか!?」
「やって……みる!」
魔女は力ある言葉を紡ぎはじめる。
「《サジタ(矢)……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》!」
杖から放たれた魔法によって呪物が打ち砕かれた。
◇◆◇
ざわめきと喧騒に満ち満ちた、いつも通りの活気に包まれた冒険者ギルド。
「何故、
「……それは、本当に……すみません」
流水剣の問いに受付嬢は、その笑みを引き攣らせた。
彼女の内心は嵐がやってきたかのように大混乱である。心臓は早鐘のようになるし、手のひらも汗でぐっしょりと濡れている。
騙したつもりは毛頭なく、嘘を言ったつもりもない。けれどこういう事は起こるものだ。
フォローを! と隣席の先輩職員に視線で救援を求めると、先輩職員が流水剣と魔女から話を訊き始めた。
至高神の奇跡も使いながら確認作業をしてみれば、彼らの言葉に真実があるのは確認できた。
恐らく、ギルドが依頼を受理して展開したものの、流水剣たちが請け負うまでの間に何者かが、件の陵墓に仕掛を施し、小鬼たちを滅したか追い払ったのだろう、というのがギルドの見解だ。混沌にまつわる者が関わる懸念がある以上、今後も調査は必要になりそうな案件だった。
ギルドからの見解を聞かされた魔女も、あの塚山の霊場としての性質が、今後も災いの原因になるかもしれないことを念を押して伝えたのだった。
確認作業と報酬の支払いを終えた後、流水剣と魔女を受付嬢が呼び止めた。
「剣の持ち主が見つかった?」
そう言われて流水剣が記憶をたどっているうちに、受付嬢が説明をした。
それは以前、小鬼退治のときに小鬼の巣穴から回収した宝剣の持ち主のことであった。剣にあった紋章からとある貴族の持ち物であると特定できたのだ。
「……そして、その家の方が冒険者となるために持ち出したらしいのですが」
「小鬼に敗れて剣はあそこにあったと」
「そういうことです」
「それ、で……、私たちに、何か?」
「その宝剣を回収した冒険者にぜひ会いたいと、依頼がギルドに来まして……」
受付嬢がファイルから依頼書を取り出して、流水剣たちに見せる。
「水の街へ行って頂けますでしょうか」
短いですが今回はこれで終わり。
次回から水の街へ流水剣たちが冒険へ赴き、彼女に出会うこととなります!以前ヒロイン候補アンケートでダントツ一位になったあの方です。
流水剣のオリジナルの水の型
刀を両腕で握り、肩の左右で素早く振るう二連撃の技。迎撃に向いた左右広範囲の水平斬りとなっている。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
13
水柱の青年は柱合会議を終えて、産屋敷家の別室に控えていた兄弟子のもとへ向かった。
「終わったか」
部屋に入ってきた水柱の青年を見て、兄弟子は立ち上がった。
「ええ、決定しました」
水柱の青年が重々しく頷いた。柱合会議で出された議題は、この兄弟子の処遇について。彼の娘が鬼となり、彼の妻を殺して逃げたのだ。
身内から鬼を出してしまった隊士は腹を斬り自害する。だが、兄弟子は娘を自分の手で討滅するために、自害する猶予を欲しいと嘆願したのだ。水柱の青年は兄弟子の願いを叶えるために、会議で当主や柱を説得したのだった。
「猶予は一年。……すみません、できればもっと長く猶予をもらいたかったのですが」
「そんなことはない。世話をかけて、申し訳ない。本当ならばすぐに腹を切るべきだったんだ。ありがたいことだ」
水柱の青年はこの兄弟子の沈毅重厚の性格に、完全に兄弟子として敬意を捧げていた。ここ暫くの間に、兄弟子は幾分やつれた。それでも衰えというのは感じることはない。むしろ、凄絶な妖気がからみついて水柱の青年ですら威圧感を感じる風情さえある。
「すぐにでも探しましょう……あの娘にこれ以上人殺しをさせたくない」
彼にも懐いていた少女のことを思い、水柱の青年は兄弟子に直近で得られた鬼に関する情報を兄弟子と共有する。
「ありがとう……。全く、情けない話だ。子どもの鬼を斬った経験はあったのに、自分の娘ではいざという時に動けず逃がしてしまうだなんて」
兄弟子は悲痛そうに顔を歪める。自分が一瞬呆然となったことでして娘を取り逃がしてしまったことを悔やみ、呵責に苛まれていた。自分の過ちによって今も家族を、友を、亡くし悲しむ人たちが生まれてしまうことを気に病んでいた。
鬼に家族を奪われる人たちがいなくなるように、そう願って刀を振るい戦い続けた兄弟子にとって、自分の過ちが鬼によって傷つき、家族を奪われる人を増やしてしまう、呵責が酸のように兄弟子の心を焼き続けている。
「だが、もう躊躇わない」
凄味を感じさせる眼差しで、兄弟子は低く呟いた。
「……ん、俺は、寝てたのか」
「ええ、少し、だけ、ね」
水柱の青年──流水剣の独り言に応じたのは、彼と同じ一党の魔女だった。流水剣が眠りから醒めたのは水の都へ向かう商家の荷馬車の中だった。
「久しぶりに、兄弟子のことを夢で見たよ」
「ああ……、あなたを、拾った……先、輩……ね」
付き合いはまだ一年にも満たないが、魔女は流水剣と話したことで、今では流水剣の鬼殺隊時代の人間関係をだいたいは把握していた。
「強い人だったよ。俺と水柱の席に着くか最後までに選考に残ったくらいだ」
流水剣は魔女と兄弟子について話していて、思い出す。両腕が蟷螂のような鬼となった娘と斬り結ぶ兄弟子の姿。致命傷を受けて死の間際の兄弟子が持つ日輪刀を
赫くなった刀で斬りつけられた鬼は悶え、瞬く間に弱っていた。あの不思議な現象は兄弟子が起こした一度しか流水剣は見たことがなかった。
「あれは……なんだったのだろう」
◇◆◇
四方世界には至高神を祀る法の神殿がある。
かの神に祈る信徒だけでなく、神の名の下に審判を行う、文字通り「司法」の場でもある。
商会の利権問題、富豪の相続問題、さらには人の生き死にに関わる事まで。神の威光をもって裁いてもらおうという者はこの世界にはたくさんいる。
人々で満たされている待合室を抜けた神殿の奥。審判の行われる法廷や、書庫の並ぶ廊下を通り、白亜の円柱が立ち並ぶ静寂に満たされた伽藍。
太陽を模した神像が祀られる神殿の最奥。神話から切り出したような光景だった。
祭壇に跪き、長柄の杖にすがるようにして祈りを捧げる、一人の女性。
黄金分割法で算出されたような肢体と、陽光に煌めく金の長い髪を持つ、豊麗な女性。
天秤の鍔を持つ長剣を逆しまにした杖は、正義と法の公平さを示す象徴。
至高神を女神として描けばこのような様子だろうという、そんな美女だった。
目を引くのはその目元を紗で出来た黒い帯で覆い隠してしまっているのだ。それでも彼女の美貌は決して損なわれていたわけではない。
「───?」
彼女が顔を上げた。
静謐な聖域に彼女以外の人間の気配が現れたからだ。
しずしずと入ってくるのは鍔広の三角帽子を被って杖を携えた女。もう一人は足音がほとんどしないしかし、力強い足取りの男。
「───」
女の口元が僅かに緩み、豊満な肉体を覆い隠す薄い白衣の裾が海の波に似て、流れるように動いた。
彼女こそが至高神に仕える剣の乙女と呼ばれる
「あら、まあ……どなた?」
男──流水剣が会釈して訪問の理由を告げた。
「遠いところから、ご苦労様です」
慇懃な振る舞いで剣の乙女が応じる。
至高神に愛されし司教。
かつて蘇った魔神王を討ち滅ぼした金等級、第二位の冒険者。
「
眼帯を超え、柔らかな視線が流水剣と魔女に注がれる。
魔女は常のように振る舞っているが、伝説として語られる剣の乙女を前に、やや緊張しているようにも見える。
黒曜等級の自らとは大きな差を感じているのかもしれない。
流水剣は剣の乙女の物腰に、噂にされるだけの傑物なのだろうと察していた。
「お話は訊いていますわ。少壮気鋭の冒険者の方々、と。さあ、こちらへ」
剣の乙女は流水剣や魔女を、床へ座るように促し、彼女自身も寂然と趺座をする。
「こちらが依頼された剣です」
流水剣が剣の乙女へ剣を差し出す。剣の乙女が受け取り検分する。
「確かに受け取りました。こちらの剣は預からせて貰います」
「こちらの剣はゴブリンの巣穴にありました。持ち主は恐らく……」
「……そう、ですわね」
流水剣が言わんとするところは剣の乙女もわかる。彼女は沈鬱な表情だ。
「この剣はとある家から持ち出されたものです。これはその家のご当主へ私のほうから返却します」
剣の乙女は流水剣たちに話し始めた。
宝剣は教会とも親しく交流がある名家の持ち物だった。その家の当主が市井で作った庶子が持ち出したものらしい。
そして宝剣を持ち出した庶子は冒険者となり、冒険に出たものの冒険に失敗して、小鬼にやられてしまった。
宝剣の持ち主は表沙汰にしないように回収したがったのだ。
「それでは、剣の輸送の依頼はこれにて終了ですが、ひとつお仕事をご相談してもよろしいでしょうか?」
「仕事……?」
流水剣は魔女のほうを見る。彼女は話を進めてくれと、流水剣に促す。
「わかりました。話を聞かせて頂きますか?」
「ありがとうございます。この街に異常事態が起きているのです」
「異常事態とは具体的に何だろう」
「先日、夜分遅くに、神殿から使いに出した侍祭の娘が帰らず、奇妙な死体で見つかりました」
剣の乙女の沈鬱な表情。しかし、言葉は淀みなく、冷静そのもの。しかし、僅かな震えが垣間見得た。
「奇妙、と、言う、のは……?」
「生きたまま切り裂かれ……身体の一部が失われていました」
魔女の柳眉が僅かにひそめられる。
「同じように殺された人々が現れました。次第に被害が拡大し、牧羊犬が殺され、羊飼いや牧場主やその家族まで消えることになりました。人々の失踪はこの都でも起こるようになり、ついには冒険者一党を調査に送られましたが冒険者たちは跡形なく失踪してしまったのです」
流水剣は事件の陰惨さと、鬼舞辻無惨の鬼たちの被害を思い出し、押し黙る。
「……惨いことです」
如何に法の神殿の膝元とはいえ、ここは辺境。かつては無法の広野であり、怪物とならず者が跋扈する土地。犯罪と無縁ではいられない。至高神の光といえど、あまねく人の心を照らすには未だに足りていないのだ。
「法と秩序は、それが世に生まれた時より、負け続けている……とは、申します」
──この世に悪の栄えた試しはなくも、悪が潰えた試しもない。
剣の乙女はそう呟いて手を組み、短く自らの仕える神へと祈りを捧げる。
「探索の成果は得られなかったのですか?」
「……はい。お恥ずかしい事ではありますが……」
邪法を操る混沌の勢力か、淫祀邪教の信徒か、あるいは……様々な憶測や推理が飛び交う中、街の衛士たちは探索にあたった。しかし、大勢の人々が日夜集う街ということを差し引いても、証拠も証言も驚くほど少なかった。
そうこうするうちに、水の街では犯罪が急増したのだという。
沈鬱な表情で語る剣の乙女。流水剣は嘆息する。
「司教、あなたの依頼は俺たちに足跡を辿って欲しいということですか?」
「いいえ。それは……つい先日、現場を押さえることが出来ました」
街の巡回を衛士のみならず冒険者たちも駆り出された。幾つもの組に分かれて慎重に夜道を巡回し、不審者と見ればこれを追う。捜索する衛士や冒険者が失踪することもあったが……ついにこれが功を奏した。
一組の冒険者たちが小柄な女性を襲う影を見つけだし、斬り伏せたところ、それは……
「──……ゴブリンだった、そうです」
「ゴブリン……」
流水剣が苦虫を噛み潰したように呟く。その瞳には剣呑な光を宿している。
「それでは、一連の失踪や殺人は全てゴブリンが仕業だったのですか?」
「いえ……他にも黒い人影がともに見かけたと、その冒険者たちが目撃したのです」
「協力者が、いる……という、こと……ね」
魔女が愁いを湛えた表情で呟いた。
「つまり依頼は俺たちにゴブリンたちを退治して事件を解決して欲しい、ということでしょうか?」
「はい、あなたはまだ等級こそ黒曜ですが冒険者になる以前は、遥か遠方の地で鬼狩りとしてご活躍していと伺いました。そのお力をお貸ししていただけませんか?」
剣の乙女が流水剣たちに相談した理由を、彼はようやく得心がいった。流水剣の経歴も彼女の耳に届いていたのだ。
「──」
剣の乙女の見えざる瞳と、流水剣の黒檀のような瞳の視線が、僅かに交差する。彼女はきゅっと唇を噛み締め、決意を秘めた表情で頭を垂れた。
「──お願いします。どうか、わたくしどもの街を救っては頂けないでしょうか」
流水剣と魔女の視線が一瞬交わる。口数が多いほうではない魔女だが、彼女にこの依頼を請け負うことを拒否する意思はないようだと流水剣はわかった。
「わかりました。その依頼受けましょう。人を喰う鬼、そんなもの存在することを許してはおけない」
流水剣の決然とした言葉に、剣の乙女は微笑む。
「ふぅん……そっか」
新たな声が聖域に聞こえた。
流水剣や魔女が声の方向を向けば、そこには槍を携えた女戦士が立っていた。
新たなヒロインの登場回。そして主人公が赫刀の存在を思い出すパワーアップイベントの予兆。次回、水柱対女戦士!
※剣の乙女のイヤーワン時代の役職は本作オリジナル設定です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
14
聖域たる伽藍をひとりの女が歩いてくる。装いからして戦士職であった。彼女は左手に槍をたて、それをついて、悠然とした足取りで歩いて来る。
──金等級の冒険者!
「あなたは?」
流水剣の誰何に答えたのは剣の乙女だった。
「彼女はわたくしの古くからの友人なんです。一緒に《死の迷宮》に入った冒険者です」
「……と、いう、ことは……」
魔女の胸では、驚きの波が渦巻いている。青白い輝きを持つ槍を携える女戦士。彼女もまた、剣の乙女と同じく六英雄と呼ばれる一人ではないか。
「ねえ、君たち依頼受けるんだよね?」
魔女が戸惑うのも構わずに、女戦士が流水剣に問いかける。唇は優美に三日月のような弧を描く。
「そうですが……あなたも請けるんでしょうか?」
「ふふ、そうよ。だから……ちょっとやってみない?」
なにを?と魔女は言えなかった。取り澄ましたいつもの表情を維持するのに精一杯だった。
◇◆◇
神殿にある神官戦士や武僧が利用する鍛練場に、女戦士と流水剣は相対した。
鍛錬場を利用していた神官戦士たちが興味深げに流水剣たちを見ていた。何しろ、黒曜等級の冒険者と金等級の冒険者が立ち合いを行うのだから!
普通ならば金等級が黒曜等級に稽古をつけてやるだけだろうと思うだけだが、この黒曜等級の剣士というのがただならぬ気配を持っているので、みんなの注目を集めていた。それは研鑽を積んだ武人だからこそ得られる直感的なものだった。
しかもその剣士は弯刀を抜刀した途端、先程まであった壊れんばかりの躍動感と生命の鮮やかさが、一瞬で霧散して静かで活力や覇気を感じさせない様子に変わった。
(……なんだ、この剣士は)
武に生きる者であればこそ、流水剣の境地がとんでもないことであることはわかった。これは、自分たちは凄いものが見れるのではないか?
神官戦士たちは固唾をのんで流水剣と女戦士を見守った。
どうしてこうなった、流水剣にはわからない。彼らが冒険に請け負ったことを知った女戦士が、彼の力量を知りたいと思い、剣の乙女に無理を言ってこの場を用意させたのだ。
流水剣も英雄と讃えられる彼女の実力に興味がないわけがない。立ち振舞いを見るだけでも彼女は……
───強いな。
彼の見立てでは眼前の女戦士は柱にも相当するだろうと見ていた。全ての柱へ敬意を払っていた流水剣にとっては柱に相当するというのは、戦士への最大限の評価だった。
彼女の突きは、朋友の鳴柱よりも速いのだろうか。
彼女の薙ぎは、敬愛する炎柱よりも力強いのだろうか。
彼女の払いは、悪友の風柱よりも苛烈なのだろうか。
一〇メートルの距離をおき、槍と刀を構えた二人の姿は、鉄か銅の彫刻のように見えた。
魔女や剣の乙女、神官戦士たちは、微動はおろか息すらつけずにいた。
動くとも見えなかった両者は、しかしいつの間にか徐々に距離を近づけていた。それすら意識に上らなかったくらいだから、このとき流水剣の構えが最初と一変していることに気づいた者があったかどうか。──それほど、その変化は緩徐であった。
女戦士は舌を巻いた。流水剣の日輪刀のせいだ。
「……さ、流石は。……」
流水剣の姿は、完全に鍔の彼方に消滅していた。
その鍔がみるみる巨大な壁と化し、ぐうっとこちらに迫ってくるような感覚を女戦士は錯覚とは思わず、その瞬間、
「しっ!」
鋭く息を吐き、その壁をうち砕かんばかりの勢いで殺到していった。
鍔が近づいて見えたのは錯覚ではなかった。その数秒の直前に、事実流水剣は女戦士めがけて足を踏み出していたのである。
盟友である鳴柱から学んだ雷の呼吸の歩法。筋肉の繊維一本一本。血管の一筋一筋まで、空気を巡らせ力を足に溜めて、一息に爆発させる。
星のように一点煌めく相手の槍の尖端に臆せず、踏み込み走る。空気を切り裂く稲妻のように。
──水の呼吸・壱の型 水面斬り!
両者は止まらない。そのまま二つの流星のようにすれ違った。二人は駆けすぎて雷光のごとく振り向いた。
「驚いた……脚斬られちゃうかと思った」
「……俺も串刺しにされるかと思いました」
流水剣のそれは紛れもなく本心だ。雷の呼吸の壱ノ型 霹靂一閃を思わせる迅速の一撃。あれを受けるのが鬼であればたとえ下弦の鬼であっても、彼女の一突きを知覚する前に絶命されそうだ。
ほぼ同時に互いは武器を降ろした。
「納得していただけましたか?」
「うん、いいでしょう。認めてあげる」
女戦士は形のよい唇を三日月のように曲げる。
「あなた達、私とついて来なさい」
女戦士は蠱惑的な笑みと声音で、流水剣たちにそう告げた。
六英雄が新人を認めた!修練場の神官戦士たちがざわめいた。
◇◆◇
「本当に……あなたは」
「本当に?」
「凄いわ」
魔女は感極まったように言う。驚愕のあまり語彙力が低下しているようだった。自分の仲間が並外れた剣士であることは、彼女にもわかっていたがまさか金等級の冒険者と渡り合えるほどの実力だったとは。魔女は流水剣の実力を測りかねた。
「えっと……ありがとう」
流水剣としては率直な賞賛には反応に困った。水の呼吸の頂点に立つ男だが剣技に対して面と向かって賞賛される経験は少なった。そして、賞賛するのが美女であれば流水剣は照れ臭かったのだ。
魔女に対してどのような表情で会えばいいのか悩んでいると、魔女が流水剣の肩をつつく。流水剣が女戦士のほうを振り返る。
「地下潜る前にさ、確認させて欲しいのよね。あなたのソ・レ」
女戦士は三日月のような笑みを浮かべ、流水剣の腰にある日輪刀を指し示す。
「これですか? これは日輪刀という
「それを彼女に見て欲しいの。昔は鑑定屋をしていてね、その日輪刀は気になるのよね。特別な何かがある気がする」
「特別……? それではお願いできますか?」
「ええ、承りましょう」
剣の乙女が鷹揚に頷き、日輪刀を鑑定するため再び先程まで話していたところに戻る。
流水剣は腰から日輪刀を抜いて、剣の乙女へ差し出す。受け取った剣の乙女は日輪刀を鞘から抜いて刀身を検める。
「さっきも思ったけれど、綺麗な青色の刀身ね」
青玉のような深く鮮やかな青の刀身を眺めて女戦士はそう呟いて、魔女もそれに同意する。
「ご存知であれば伺いたいのですが、こちらの
日輪刀を鑑定している剣の乙女が流水剣に尋ねた。
「……よくわかりましたね。
流水剣は剣の乙女の問いに肯定した。
「日輪刀は日光が蓄えられた鋼で造られた刀です。とある山で採取される
剣の乙女が流水剣の話を頷きながら訊いている。魔女よりも同じ戦士職である女戦士のほうが興味深そうだった。
「日輪刀はみんな青いの?」
「人によります。日輪刀は別名が『色変わりの刀』と言われています」
流水剣は日輪刀の特性を説明する。刀身の色のバリエーションを説明する。剣の乙女から何度か質問を受けて、それに答えた。そして剣の乙女の鑑定が終わった。
「こちらの日輪刀は一種の妖刀のようになっているようです。恐ろしいほど強い念が宿っています」
「念? そもそも、妖刀になっているとはどういう?」
剣の乙女はその玲瓏な声音で説明する。日輪刀はその念によって変化しているのだという。流水剣は知らないうちに起きていた変化に戸惑っている。
「どういう変化が起きているのですか?」
「折れず、曲がらず、よく斬れる……刀剣としての在り方が強化されて、最良の状態を維持されているようですね。鬼を残らず斬るという強い怒りと憎悪がこの刀から感じます」
「──」
剣の乙女の説明を受けて、流水剣の表情が強張る。
「思い当たること、あるの?」
「……ああ、俺の刀を作った刀匠は、鬼に孫夫婦を喰われて以来より鬼を斬るのに優れた刀を作ることに腐心していました」
その刀匠は里の者からも同情されるとともに、狂気と憎悪から恐れられていた。
「この刀はその刀匠の遺作。最期の刀なんです」
「……刀に残る念はその方のものでしょう」
「その刀匠の念が物に力を与えることはあり得るのでしょうか?」
「強すぎる念がこの世に残り、影響を及ぼすことはあることです」
異世界に漂流して自分は異世界の言葉を解するという変化があったと自覚する流水剣だが、日輪刀にも異世界に漂流したことによる変化があったらしい。
「日輪刀が手入れも要らないくらい綺麗なままだなと思っていたが、そういうことだったのか……」
「気づいて、なかった、の……?」
「いや、まあ、不思議だなとは……思っていたよ?」
魔女の呆れが含まれた視線から逃れるように流水剣は目を逸らす。流水剣も言い訳をすれば異世界への漂流、そこで生きるために尽力していたことで日輪刀の変化に気をやる暇がなかったのである。
◇◆◇
流水剣、魔女、女戦士の臨時一党は地下へ降りた。前衛を流水剣、中間に魔女、後衛に女戦士の組み合わせだ。
───水の都の地下世界はゴブリンの群れが跳梁跋扈していた。
水路へ降り立った流水剣たちは、ほどなくして小鬼たちから襲撃を受けた。増設を繰り返した結果なのか、複雑に入り組んだ水路は迷宮のようであり、ゴブリンたちにとって地の利となっていた。
不規則に間をおいて、幾度となく繰り返される戦闘が行われていた。
「ヒュゥゥゥゥ」
水の呼吸陸ノ型 ねじれ渦!
流水剣は上半身と下半身を強くねじった状態から、勢いを伴って斬撃を繰り出す。
「私、
女戦士はそう言って流水剣にウィンクすると後衛に控えていた。彼女もまったく無警戒ではないが、ゴブリンの群れは流水剣一人で対処できると信用されているからだ。流水剣としては言いたいことがないではないが、魔女を後方で守ってもらえるのはありがたいという思いもあって、黙って従っていた。
「……」
角灯を持つ魔女は、その表情に緊張の色が濃い。常とは異なり足取りも、どこか不安そうだ。
「ゴブリンが襲ってきても、君には近づけさせない」
「……うん」
周囲をくまなく調べていた流水剣は、魔女にそう言った。流水剣の鋭敏な感覚はゴブリンの呼吸、動作音、独特な異臭を感じ取っていた。全ての水の呼吸の頂点に立つ技量があればゴブリンどもは鎧袖一触。草刈りのような手軽さで
「……何か、不思議」
「不思議? 何か気になることがあるのか?」
「私も気になるな~、教えて?」
女戦士も流水剣に乗っかるように魔女へ問い返す。
「さっきの……小鬼……まるで、逃げて……いる、みたい……に、見え、た……の」
魔女がその岩塩で形作ったような白い指を、その端正な唇に当てて考えながら言った。
流水剣と女戦士は見合わせた。
「逃げるとしたら、この奥か」
流水剣は小鬼たちが来た方向を見た。ランタンの光も届かない闇が続いている。
刀身と柄の固定が緩くなっていないか、日輪刀を検める。流水剣は気を引き締める。
「行ってみるしかないな」
流水剣たちはすぐに小鬼たちが逃げ出す理由を知った。
「なんだあれは!?」
「人形かなぁ?」
人間サイズの白い人形が複数、迫って来たのだ。武器を持ち、流水剣たちを襲ってきた。
──参ノ型 流流舞い!
水流のごとく流れるような足運びで人形を斬り裂き破壊する。
(硬い!)
かつて鬼殺隊入隊前の修行中、岩を斬ったときの手応えを思い出した。
「……岩って、斬れる、の?」
「鍛えてるからな!」
「あははは、面白いなぁ君たち」
人形の残骸を確認しようと、流水剣たちは残骸を検めようと近づいた。
AAとかありませんが、流水剣の見た目は神山聖十郎(新サクラ大戦)がアドル・クリスティン(イースVIII)の服装+水の呼吸の痣でイメージしています。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
15
水の都、遺跡にも通じている地下水道で遭遇した人形たちを流水剣が瞬く間に撃退してみせた。
古代の人々が築いた石造りの水路に散乱するその残骸を魔女が確認する。女戦士も覗き込むように様子を伺う。
魔女が残骸を確認してみれば、それは白磁器のような材質で作られた人形であった。
「あ、ら……結構、軽い」
「本当だー、それに硬いわね」
女戦士が拳で小突いたり、槍の石突きで突いたりしてみる。鉄剣や槍のたぐいでは壊すのは難しいと思われる。
「君さぁ、よくこいつを斬れたね。凄いよ」
「いえいえ、十二鬼月の頸に比べたら脆いですから」
流水剣の見立てでは下弦の鬼の頸のほうが硬さでは上であろうというものだ。
「これ……は」
魔女が残骸を手に持ち、岩塩を固めたような白い指で残骸をなぞる。彼女の見立てではその人形は通常の鉱物や陶器とは異なるというものだ。錬金術師ならば兎も角、彼女では材料の推量はできなかった。
「見た目は陶器みたいだが……」
流水剣も人形たちのような陶器はかつていた世界でも見たことがある。
「これが群れて襲ってくると厄介だな」
流水剣や女戦士は人形を破壊できるからまだいい。だがみんなが彼らほどの技量を持つわけではない。徒党を組んだ冒険者でも武器が通じず一方的に潰される可能性がある。
「もしかしたら地下の小鬼たちも、この人形から逃げてきたのかもね」
「小鬼では人形を退けることはできないだろうな……」
「どう、する…?」
「人形は警戒するが、このまま探索を続行。こいつが話に訊く人影ならば小鬼と人形、そして人形を作った相手はそれぞれ別行動しているのだろう。もっと調べておきたい」
流水剣の方針に反対はなかった。
◇◆◇
魔女がどこからともなく取り出した杖を軽く振る。
「《
「あれは! 人か!?」
「魔法の儀式、その生贄のようね」
「魔法の罠とか、ありそうか?」
流水剣の問いに、魔女は辺りを見て無しと答える。彼女の答えを得ると流水剣は、女戦士に周辺警戒を任せて生贄に近づき、拘束具を外しにかかる。
生贄は傷つき、打ちひしがれ、ぐったりと弛緩しているが、生きていた。流水剣の透き通る世界でも彼女の内部に重篤な怪我や疾病はないことを確認した。
暗い影のような焦げた琥珀色のような肌、流れるような銀の髪。豊満な肢体。そして長い耳。
長針で拘束具を外そうとするが、暫くして断念。日輪刀を抜刀して振る。青嵐のような斬撃が生贄を一切傷つけず拘束具を破壊する。
片膝をつき、拘束から解き放たれた娘を優しく受け止める仕草は、流水剣本人は自覚せずとも勇士そのものだ。娘はやつれ、体温も低く冷たかった。彼女に声をかける。かつていた世界で鬼から助けられた人々と、眼前の闇人の娘は被って見えた。
「大丈夫ですか、お嬢さん。話せますか?」
「あぁ……」
ひゅう、ひゅう、と掠れた吐息を漏らしまがら、返事があった。
「それならばよかった」
流水剣が闇人の娘に外套をかけ、休ませる間、魔女が周囲を用心深く見渡す。流水剣は無造作に強壮の薬をそっと闇人の娘の口に含ませた。
水薬は貴重な
一口、二口とゆっくり薬液を飲み、軽く咳き込んだ後、闇人の娘はそっと目を開いた。その身体も少しであるが温かさを取り戻したようだ。
「只人の戦士に只人の魔術師……何をしに来た?」
「この街の異常について調べに来た冒険者です」
「冒険者か。そうか……」
「お嬢さん、疲れているところすみませんが、何か話せることはありませんか?」
流水剣の言葉は、彼女にとって何か愉快なものがあったようだ。空元気であっても微苦笑を受けべる。
「私の方が、恐らくは貴様よりも一〇倍か一〇〇倍は上だぞ、坊や」
「これは、失礼しました。えっと……お姉さん?」
「え? ふふっ……」
闇人の女は、頬を緩めた。
「お嬢さんでも何でも、好きに呼んでくれて構わないよ」
心の底から溜め息をついてから説明をする。
「別に、そう大した事ではないよ。邪神魔神の類の召喚。よくあることだ」
「そうなのか?」
「そう、ね。世界の、危機。世界、の、終わり。いつも通り」
流水剣の問うような眼差しに、魔女は頷く。
「それで邪神召喚の儀式はどうなったの?」
「当初は、そのつもりであった。だが同胞は
「……なんだと」
途端、流水剣が氷の冷ややかさを伴う気配を纏ったように、その場にいる女たちは感じた。
「
ご覧の有様だという肌身には幾重にも傷跡が連なっている事が、薄闇の中でも確かにある。
「私の肉よりもこの街の人間たちを糧に好む。自分が使役する人形どもに連れてこさせている」
「──」
「大丈夫……」
雰囲気が変わった流水剣に、魔女は宥めるように言う。
「やることは、変わらない、でしょ」
「そうそう」
女戦士は気軽そうに頷いた。
「
「……そうだな、俺たちのやることは変わらない」
流水剣は深く頷いた。
「問題となるのは敵の戦力だな。何か知っていることがあったら教えてください」
闇人の女は、言い淀むように口を閉ざし、それから自嘲を滲ませ、話し出す。
「先刻言った通り、ここにいた指揮官も兵もすべてヴァルコラキに喰われるか殺された。残るのは奴とその人形たちだけだ。……私が生き延びているのは奴のお目こぼしに過ぎないんだ」
流水剣はそっと息を吐いた。
「そうか……よかった」
闇人の女は、心底驚いたらしかった。だが、しかし、彼にとっては、別に驚くことはない。
「あなたを助けるのが間に合って本当に良かった」
冒険者であっても流水剣の底にあるのは鬼殺隊としての矜持である。人を喰う鬼は許せない。鬼から人を守る為に戦う。
自分ではない誰かの為に最期まで戦った立派な戦友たち恥じることがないように、流水剣は己を律すると自分自身に誓ったのだ。
魔女は優しい眼差しで流水剣の背中を見る。
誰かの命を守るため精一杯戦おうとする人の、ひたむきな思いに勇者であろうが無名戦士であろうが関係ない。その思いはただただ愛おしく、尊い。
流水剣が誰かに称賛されたくて命を懸けているのではないことを、魔女は知っている。どうしても、そうせずにはいられないだけ。その瞬間に選んだことが彼自身の魂からの叫びなのだ。
「そうか……。あなたに助けられたことを感謝する。今日は
闇人の女は、地下の星を見上げるように優美な口調で口ずさむ。典雅で瑠璃のように美しい音色だった。
「……何もなくなってしまったな」
「でも、生きています。失っても、傷ついても、生きていくしかないんです。どんなに打ちのめされようと」
「そうだな……」
闇人の女はそう呟いて、薄く目を細めた。
「決めたよ。身を自由にして生きることにする。……生かして帰してくれるのなら、だが」
「殺す理由など俺たちにはないよ。地上まで送りましょう」
「いや、そこまで世話になるわけにはいかない」
闇人はわずかによろめきながら立ち上がり、その身を覆おう外套を、ばさりと空中へ打ち捨てた。
「幸運を。冒険者──因果の交差路でまた会おう」
流水剣の耳もとに囁くような声。
褐色の裸身を闇の中へ溶かし込み、女は最初からいなかったかのように、姿を消した。
囚われていたダークエルフは原作にいたあの人です。運命(シナリオ)が変更された四方世界でも彼女は似たような経験をしてしまいました。
某作品の台詞を残して消えたのは彼女に再登場の予定があるからです。ダークエルフって、いいよね……!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
16
ゴブリンスレイヤーが「オルクボルグ」「かみきり丸」になるのであれば、流水剣はエルフ語とかではどう訳せるのでしょうね?
轟音と熱風が吹き抜けた後に残るのは、ぷすぷすと煙をあげる床の石材は割られ、黒く焦げていた。
水の都の地下水道は古代の遺跡ともつながっている。通路の横にある玄室の、古びた床は割られた石材だけでなく、黒く焦げて生まれた汚れがいくつかある。
その汚れをかつりと優美な足音で踏むしめて、魔女はその美貌に嫋やかな微笑みを浮かべた。
彼女の手には金属ともつかぬ木の短杖があり、施された彫金が魔力の輝きを宿している。水の都へ行く前の冒険で得た報酬で魔女が購入した品である。
「やっぱ、り……一本、ある、と……便利、よ……ね?」
「一日で使える回数に限りはあるが
得体の知れぬ怪物どもが蠢く空間へ踏み込むに当たって、
無限の体力があるわけでもなし。
火の玉を放り込んだ後、雪崩を打って飛び込んでから蹂躙すれば良い。もっとも呪文の数にも限りがあるから──せめても、魔法の品の類があってこそ、だが。
魔女を庇って玄室に入り、注意深く周辺を警戒しながらも、やっぱり魔法は派手で格好いいな、と流水剣はふとそんな事を思う。
瑠璃のように澄んだ声で呪文を紡ぎ、魔法を放つ魔女の姿は何度見ても美しく格好いい。
流水剣はそう思いながら、問題なしの合図を入口で待つ魔女と女戦士に送って、手招きをした。
魔女は全幅の信頼を置いているかのように、疑いもなく歩み進めてくる。
肉感的な肢体をくねらせての歩き方は、淑女が舞踏会を行くが如く。自分の実力を信頼していなければできないそれは、流水剣としては心が躍るものだ。
「たしか小鬼だか土の傀儡を作って操る魔法があったよな。あれを先行させて罠とかを潰させるのは便利そうだよね」
落とし穴や吊り天井、古の呪詛。そういった罠のあれこれを真っ先に当てさせた後に自分たちが乗り込めばいい。
「便利。……かも、だけ……ど」
魔女の言葉は、珍しく歯切れが悪かった。
呪文使いらしく曖昧模糊とした言い回しを好む彼女だが、言い淀むという事は少ない。
流水剣は、ひょいと肩越しに相棒の様子を見やった。
「覚えてなかったんだっけ?」
ふわりと鍔広帽子が上下に揺れた。
「あま、り……好きじゃ……ない、のよ、ね。それに……」
「それに?」
魔女は言葉を虚空に探し求めるように瞳を揺らし、ぼそぼそと言った。
「火の玉。……好き、だ……か、ら。そっち、を……使い、た……い、の」
魔女は小さく囁くような声でそう言って、そっと鍔広帽子の鍔を押し下げて顔を隠した。
流水剣の口元に笑みが浮かんだ。
「そうか。だったら今後も火の玉を使っていこう」
魔女の子供じみた言葉、彼女が教えてくれた好きなこと。それをあどけない少女のような表情を見せてくれたことに、流水剣は心が浮き立つ思いだ。
「あ、り……が……とう」
魔法使い。
ただ呪文を唱えるだけでは良いというのでは、呪文に使われているようなものだ。
次の玄室へ続く通路を一党が踏み入れば、人形たちが殺到してきた。隊伍した行動はとれないが人形たちだ。先程までの人形と異なるのは剣や槍を持っていることだ。
「武装してきたぞ。油断せずにいこう」
流水剣はそう言って抜刀する。ヒュゥゥゥゥと呼吸音が通路に響く。肩の力を抜き、流麗な足捌きで日輪刀を振るう。
──
淀みない連撃で人形たちは破壊される。剣戟を避け、槍撃をいなして人形を裁断する。見事に人形たちを破壊するが、刃の結界をすり抜けるように流水剣へ人形たちの剣や迫る。
分かっていた、流水剣は予知していた。隙があれば人形たちが迫ってくることを。
いかなる達人であろうが一切の隙がない万全とはいかないものものである。だからこそ、流水剣という大剣士のわずかな付け入る隙を狙って彼を攻撃するか、それとも後衛に迫るか。どちらもあり得ることを流水剣は知っている。
すべてを捌ききることはできない。避けたら後衛への侵攻を許してしまう。だから……。
いろよ!流水剣は信じて託す。
自分の意志を汲んで位置取りをする女戦士を!
「っ!」
無呼吸無拍子の十連撃で女戦士は、間隙を縫って流水剣を越えて迫ろうとした人形たちを破壊する。
「ああ~もうっ。今までだって分かってたつもりだけど、……君って本当に、戦い方うまいんだな!」
流水剣が女戦士との連携を前提とした迎撃体勢を作ってみせたことに、彼女は舌を巻いた。
──自信なくしちゃうなぁ、女戦士は内心ぼやいた。戦闘の指揮、戦闘技術ともに金等級である自分に比肩あるいは凌ぐ新人とは。
模擬戦闘だったが実戦ならば脚を刎ねられたと思わされる一撃。槍を持って刀と対峙して引き分けるなど、槍を持った自分の敗北であると女戦士は思う。
流水剣は冒険者としては新人であっても、戦士としては歴戦の勇士であることは認めざる得ない。
通路を越え玄室を出た先は地下水路に戻って来た。すると人形たちがいなくなったことで安心したのか、小鬼たちが現れ流水剣たちを挟撃した。当意即妙。流水剣と女戦士は言葉を交わすこともなく互いに前方後方に対応する。
「ほんと、ムカつくわ~」
「呪文、使う?」
「使わずに温存! この数だ。数匹仕留めるだけ効き目は薄いだろう」
粗雑な武器を振りかざす小鬼の首を、日輪刀で刎ね。攻撃を避けながら流水剣が次々と斬り殺していく。
小鬼の血で地下水路の壁を塗装していく。
「人形がいなくなった途端に来たな。こいつらに協同できるとは思えない。人形を避けて行動しているんだろう」
「あ~小鬼たちはさっきの闇人が言っていた仲間たちが呼んだのかも……ね!」
女戦士が槍を振るいホブゴブリンにぶつけて、水路反対側の壁面に叩きつけて潰れたトマトのようにする。
「小鬼を……呼ん、だ……け、れど……、召喚、者が……死亡し、て……統制、され……なく……なった、と……いう……こと?」
「そうそう、そんな感じ」
「なんと迷惑な」
人形たちが来た痕跡を辿りたいところではるが、小鬼たちが行く手を阻む。
鬱陶しい、苦虫を噛み潰したような顔の流水剣だったが、唐突に状況が変化した。
汚物が揺れ、波紋が生まれ、濁った汚水の河を掻き分けて、巨大な顎が飛び出したのだ。
「AAARRIGGGG!!!」
下水路から現れたのは巨大な白い顎。細長く、巨大で、鋭い歯がびっしりと生えそろっている。それは小鬼の群れを一噛みで半壊させてみせた。
またも流水剣と女戦士が言葉を交わすことなく行動をする。流水剣は魔女を抱え、小鬼の屍を飛び越えて走りだす。
「きゃっ!?」
突然の行為に驚き、声を漏らす。
「だ、大丈夫だ、か……ら。自分、で……走れる……から──……」
「ごめん、俺達で走ったほうが速いんだ。我慢してくれ」
「もう……」
羞恥と流水剣の負担になる事を厭い、魔女はやめるように頼むがややあって顔を赤らめた。
◇◆◇
通路を進んだ先。今までにあった玄室とは異なる趣の場所を流水剣たちは見つけた。
墓地内部の様子がはっきりと見えた。魔女が思わず呻き声をあげる。流水剣も女戦士も唇をきつく噛んで悲鳴を押し殺した。
広い玄室の中は血の海だった。肉片が床に転がっている。腐臭が充満している空間だ。
人間の頭の欠片があった。腕の欠片があった。脚の欠片があった。胴の欠片があった。臓物の欠片があった。飛び出た眼球が無造作に転がっており、白骨の山が玄室のそこかしこに積まれていた。
無数の死体だった。人であったものの、成れの果て。おそらくは、攫われた水の都の人々だ。都の外の村人や行商人や旅の者も含まれているのだろう。
喰われたのだ。人を喰う鬼。ヴァルコラキに。
「何の罪もない人達をこんなにも殺したのか……許せない……許せない!」
流水剣は歯ぎしりをする。黒い双眸が剣呑に光る。急に彼の目の前がまっ赤になった。魔法光のせいなどではなく……。
「ヴァルコラキ……。例え便所に隠れていようとも、見つけ出して息の根を止めてやる」
流水剣の体中が心臓になったみたいに脈打ち痛くてちぎれそうだった。今すぐにでもヴァルコラキを探し出して八つ裂きにしてやりたいと思った。
「
「……」
女戦士は口汚く罵り、魔女は惨状に対して顔色を失い絶句する。
おぞましい、陰惨な雰囲気の中、微かに混じる殺気を流水剣は察知して動く。
その直後、天井が割れて、無数の瓦礫が落下した。流水剣は魔女を抱えて退避する。女戦士も猫のような敏捷さで避けた。
回避が間に合わなければ、瓦礫に混じって落下するや否や鋭利な爪の生えた手による貫手を放っていたヴァルコラキに魔女は仕留められていただろう。
ヴァルコラキが血だまりの床に着地する。血の海が跳ねて、人食い鬼の身体を濡らす。青い身体に焦げ茶色の体毛を生やした、大きな口と乱杭歯が特徴的な鬼だった。
「小癪な。卑しき人間ども。よくも儂の領地を荒らしてくれたな」
「知ったことか! お前は腐った油のような匂いがする……酷い悪臭だ。一体どれだけの人を殺した!?」
流水剣は鋭敏な五感で感知した、ヴァルコラキがかなりの数の人を捕食していることを悟った。鬼舞辻無惨の鬼は喰った人の数だけ強くなる。ヴァルコラキが無惨の眷属であるか流水剣はわからないが、ヴァルコラキを相手に油断することは決してない。
「黙れ! 卑しき人間ども、儂の糧になるくらいしか価値もない卑賤な命など数えるものか! 儂を月が二つある、このような怪しき世界へ引きずり込んだ愚挙の代償を、貴様らの流血を持って贖わせてやるわ」
「月が……?」
流水剣は胸中に引っかかるものを感じた。月が二つあることを異常と感じたらしい鬼。もしや──……
「お前、鬼舞辻無惨の鬼か?」
「なんだ、それは? 知らんな。そしてもうお前らにはどうでもよかろう。お前らはここで死ぬのだからな!」
ヴァルコラキが両腕を高く掲げた。部屋の隅に積み重なった白骨の山が蠢いた。原形を失い白い泥のようなものになる。それは粘土をこねくりまわしたように、ひとつ、またひとつと人型の塊となってふらつきながら歩き出す。
「人形!」
魔女が唸った。遺骨を邪悪にこねくりまわすことで、人形が生み出されたその様子を、流水剣たちは今まさに目撃したのである。
ヴァルコラキの見た目のイメージは遊戯王の『バロックス』です。闇のプレイヤーキラーとか知っているんだろう。
魔女、剣の乙女をヒロインとしている水の都編だけれど女戦士もなんかヒロインになっているような……?
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
17
真実「鬼を呼び寄せたいと思う」
?「時を操る吸血鬼を──」
真実「駄目」
?「吸血鬼を狩る不死者を──」
真実「駄目」
?「じゃあ、ドーナツ好きな──」
真実「駄目」
?「仕方ない、それじゃあ──」
結果、ヴァルコラキが呼ばれました。
創造されたばかりの人形が数体、魔女、女戦士に迫ってくる。流水剣はその前に立ちふさがって、日輪刀を構えた。
人形が流水剣に腕を伸ばしてくる。人間離れした膂力を持つ腕に捕まれば、
人形の動きが止まりガシャンと倒れる。そして動くことはなかった。
「忌々しい!」
床面の血が海のように波打ったかと思うと、無数の液体の管となり、蛸か烏賊の触手のようにうねり、しなって流水剣たちを襲った。
──
流水剣は水流のごとく流れるような足運びで、正面から来る血の管を片っ端から切り伏せた。一度日輪刀の一撃を受けた管は力を無くして床に落ち、ただの液体に戻りそのまま焦げ付いた汚れとなる。血が焦げたような得体の知れない臭いが生じる。
女戦士は左右からまわり込もうとしてきた血の管をすべて槍で突き、払い、薙いでみたが、血の管はまったく意に介さずこちらに迫って来た。それを流水剣が日輪刀で切り伏せる。
地上のような開けた空間でもない場所で、鬼と人形を同時に相手にするのは難しい。人形の群れに囲まれてしまえば、逃げる余地もなくなってしまう。
魔女は魔法を使う。火球で人形たちを薙ぎはらう。立ち上がる黒煙の中から、何かが勢いよく飛び出してくる。ヴァルコラキだ。その双眸が、流水剣たちを睨んだ。
「こしゃくな人間どもめ! 儂を煩わせよって!」
逃げるつもりだな、流水剣は予知した。自分を守る人形たちを大量に失って形勢不利と見たのだろう。
状況判断としては正しい。厄介な敵だ。しかも、流水剣たちを明確に仇と認識している。ここで逃がすのは厄介だ。
彼の推量は正しく、ヴァルコラキは獣のように四つ足で駆けだす。地下墓地の空間だからこそまだ速度は出ていない。それでも彼我の距離は三〇〇メートルほど空いてしまった。
女戦士は槍を投げつけために片手に持ち、投擲の構えを取る。しかし、あれほど俊敏に移動する怪物では、女戦士の技量をもってしても容易ではない相手だ。
しかし、やらねばならない。穂先が白い輝きを放つ。神々と、我が武錬をご照覧あれ。
投擲する。
槍は放物線を描いて疾走する四つ足の怪物に突き刺さった。ヴァルコラキが槍を受ける寸前、身体をひねって右腕で顔をかばった様子を流水剣は目撃した。
致命傷ではない、だが、これでいい。流水剣と女戦士は走り出す。獲物を捕らえるために走る猟犬のように。遅れて魔女はついていく。
ヴァルコラキが地を転がる。身体中からどす黒い血を流し、右腕を失っていた。懸命に逃げようとするも、その身はよろめき、速度は上がらない。流水剣と女戦士との距離が急激に縮まる。
流水剣は一足飛びで一五メートル以上も距離を縮め、体勢を崩したヴァルコラキに飛び掛かった。
ヴァルコラキは不意の一撃に反応し、振り向きざま左手で指弾を飛ばす。流水剣はひねって空中で小石を回避した。
大型捕食動物に狙われた非捕食者のように、ヴァルコラキは怯えた声をあげた。
透き通る世界を見るヴァルコラキは左右の胸に心臓が一つずつあった。流水剣の放った斬撃が、ヴァルコラキの左肩口を大きく抉る。分厚い肉と皮膚を裂き、肋骨を断ち、心臓を斬った。黒い血が噴き出す。
ヴァルコラキが悲鳴をあげて地下通路を転がる。流水剣は床に降り立つと、勢いを殺さずヴァルコラキのもとへ跳躍する。壱ノ型へ繋げようとするが……。
「愚かな剣士め!」
ヴァルコラキの両肩から噴き出た赤黒い血が、まるで生き物のようにうねって流水剣を襲った。枝分かれして大きく広がり、瞬く間に網のようになる。しかし、流水剣は日輪刀を振るい、格子を形成する赤黒い血が煙をあげてバラバラに切断される。
女戦士の目には、この異なる世界から召喚された悪鬼が驚愕する様を目撃した。
次の瞬間、流水剣の日輪刀が、ヴァルコラキの首を刎ねようと振るわれる。だが──……。
「■■■■■■■■■■■■■■────ッ!!」
ヴァルコラキの口から高い指向性を持った強力な音波が放たれた。地震でも起きているような振動を感じるほどの音は、直撃した女戦士たちの視界がぶれ、平衡感覚が失われて、身体を吹き飛ばされるほどの威力だった。身体が麻痺して、意識も曖昧となっている。
マッコウクジラは獲物に対して高い指向性を持った強力な音波を放つことでその音圧で麻痺させるという。そしてヴァルコラキは肉体の限界を超えた発声で音波を放ち、鯨のごとく音による攻撃を行ったのである。
流水剣は
「貴様を喰らい、骸を傀儡にしてくれる!」
ヴァルコラキが左腕の貫手で流水剣の胸部を貫こうとする。鬼は激情をぶつけたいという衝動のままに動かされる。
「っ!」
流水剣は貫手をかわして、日輪刀でヴァルコラキの胴を貫く。水の呼吸の型とは異なる。遮二無二な刺突。身体に染み付いた戦闘技術による無意識な迎撃である。
「ぎゃあああああああっ!?」
想像を超える痛みを感じ、ヴァルコラキは悲鳴を上げる。心臓を斬られたり、腕を吹き飛ばされたりしたとき以上の痛みと衝撃であった。
いったい何があった。ヴァルコラキが忌々しい剣士の剣を見てみれば、それは赫く輝いていた。
なんだ、これは? 傷が灼けるようだ! ヴァルコラキは呻く。全身の体液が沸騰するようだ。うまく身体が動かない、異能を使えない。
流水剣は日輪刀を
そして日輪刀という特殊な材料で作られた刀は、強い衝撃を受け刀の温度が上昇したのである。刃を
意識が覚醒したあとも流水剣は
「あああぁあぁぁぁぁっ!」
ヴァルコラキは悶絶しながらも暴れて何とか日輪刀を抜き逃げ出す、激痛が身体を苛みながらも逃げるために全霊を傾ける。
「忌まわしい剣士め、貴様の顔、覚えたぞ!」
足に力が入らず転倒して地下水路に落ちてしまうがそのまま潜水して逃亡してしまった。
「ちょっと、しっかり!?」
回復した女戦士が慌てて倒れる流水剣を、その身で受け止める。彼の顔が女戦士の形の良い胸に埋まることになるが、状況が状況である咎めるつもりはないし、そんな余裕は彼女になかった。
(なんだ……?)
流水剣は自分の異変に気づけなかった。全身全霊で刀を握ったために、酸欠で失神しかけていたのである。
赫刀登場!あれをノーリスクで自然に使えるのは縁壱くらいですから、流水剣も簡単には使いこなせません。
ヴァルコラキのキャラが小者っぽいのは設定通りです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
18
評価、意見、感想いただければモチベーション向上の励みになります!
流水剣をキャラクターシートで再現することはできないかなと、ふと思いました。
流水剣は夢を見る。だが、これがただの夢ではないのは何となく、彼にはわかった。
そこは何とも奇妙な場所である。流水剣の故郷と同じ造りの内装が複雑に入り組んだ螺旋構造になっている。
そこでは二人の鬼殺隊隊士と一体の鬼が対峙していた。
髪を伸ばしてうなじ辺りで括った青年、花札のような耳飾りをつけた少年。
対するは上弦の参。強大なる鬼。
──なんだ、この光景は? 俺は知らない光景……未来の世界か?
流水剣は二人の隊士の様子から自分よりも後の時代の隊士ではないかと直感した。
隊士たちと鬼の戦いは壮絶を極めた。柱と柱に相当する剣士の剣技、凄絶な暴力を内包する四肢を駆使する鬼の徒手空拳。
流水剣は二人の隊士の技を食い入るように見つめた。水の呼吸、ヒノカミ神楽。
水の呼吸、流水剣も知らない、恐らくはあの柱の独創と思われる捨壱ノ型。手首の角度、足の運び、重心移動、呼吸の感覚、それらをひとつも取り零さないようにその瞳に焼き付けた。
同じようにヒノカミ神楽も同じくらい真剣に見入った。その綺麗な型を自分の技に取り込むことができるように見つめた。
──俺がいなくなっても鬼殺隊は鬼と戦う力がある。流水剣は頼もしい剣士たちを見て安堵した。自分の不在で鬼殺隊がどうなるか、不安に思った。だが、それは驕りだと認識を改めた。彼らはあの戦場で戦い続ける。そして、勝ってくれる。流水剣はもう彼らと共に戦うことはできないが……
流水剣は自分が隊士たちと鬼が戦う場所から遠のいていることを感じた。徐々に自分の輪郭が曖昧になり、ぼやけて、薄れていく。
ガチャンと何かが噛み合う音がする。その音を聞いたとき、流水剣の意識は暗転した。
◇◆◇
目が覚めると、そこは白一色の世界だった。柔らかなベッド、清潔なシーツ。部屋は心地よく、温かい。立ち並ぶ白亜石の円柱、その間から外を伺えば青空が見える。
「……んっ」
装備は外され、衣服も取り払われ、下着だけになっていた。身軽になった身体を、屈伸させ軽い運動で身体をほぐす。
ここは考えるまでもなく、水の都の神殿の一室だろう。仲間たちも無事、鬼の巣窟と成り果てた地下世界から脱出できたのだろう。
「よかった」
その事実を認識して、流水剣はひとつ頷いた。
そのあと衣服だけ着て、ベッドの横に置かれていた日輪刀を手に取り部屋を出る。神殿内で物取りはないだろうと思ったからだ。
流水剣がやろうとしているのは夢で見た隊士たちの技を再現するためだ。見て覚えた型を実際に行って身体に刻み付ける。ヒノカミ神楽は再現するのは難しいだろうがそれでも型から学ぶべきところはあるはずだ。
◇◆◇
鍛錬場は誰も使用していなかったので流水剣が一人、中央で只管日輪刀を振るっていた。身体で型を再現して、無駄な動きをそぎ落とす。集中して反復練習を繰り返すことで集中して没頭することで、景色から色が抜けてモノクロームになる。型の練習だけではない、赫刀──赫灼の刀を再び使えるように鍛錬を行った。
どれだけ時間が経過していたのかわからない。滝のような汗をかいて日輪刀を振るう流水剣に声がかけられた。
「お目覚めして、早々に剣を振るえるとはお元気そうで何よりです」
艶やかな声がかけられた。
果たしていつからそこにいたのだろうか。鍛錬場の入り口に佇む白い影。薄く肌の透ける布をまとっただけで、女神像と見紛うほどの美貌。
「けれど、酷使した身体を労わるのも大切なこと」
剣の乙女は流水剣に近づきながら。濡れた唇で囁くように言う。薄布一枚を身体に巻き、天秤剣の杖を手にした、法を司る聖女。
「どうかご自愛ください。鬼狩りの剣士様」
剣の乙女は手ぬぐいを流水剣に手渡した。彼はお礼を言って受け取った。
「すみません。どうしても、試してみたかったことがありまして、つい」
「あらあら……」
水晶を銀の彫刻刀でほりあげたような美しい手を口元に添えて、微笑む剣の乙女。
「焦ることはありませんよ」
「わかります。わかりますが……。ヴァルコラキのもとへ辿り着いたのに、取り逃がしてしまいました。逃げたあいつによってまた人の命が奪われてしまう。……心苦しい」
流水剣は内臓がひっくり返りそうなほどに悔しい思いだった。彼の精神にはマゾヒズムやナルシシズムの元素が水準以下しか存在していなかったから、“強い敵と戦ってこそ意義と成長がある”などという、戦闘とスポーツを混同するような観念に毒されることもなかった。
鬼から人を守るという使命感と正義感が強い流水剣にとって勝つということは、鬼の討滅という結果である。しくじったという結果は、彼の中で重くのしかかる。
「ヴァルコラキだけではない、小鬼もおそらくはまだ生き残りがいる。すべて、退治します。もうミスはしません、やり遂げます」
流水剣が現在心せねばならないことはミスの拡大再生産を防止し、禍を転じて福となすべく工夫することだ。
後悔して、死亡した者が復活するものなら、キロリットル単位の涙を流すのもよかろう。だが……結局、それは悲壮ごっこにすぎないではないか。
「ありがとうございます。ちゃんと、ゴブリンのことも覚えていただいておりましたのね。……あなたのような方に早く出会えていたら何かが違っていたのかもしれません」
どこか他人事のように呟き、微笑む彼女の双眸。黒帯を解かれ露わになった彼女の瞳を、流水剣は初めて見た。どこかぼやけた、焦点のあっていない瞳。
忠実なる神の従者として完璧な造形のただ中で一点、彼女の美貌は、残酷な手法よって瑕を与えれてしまった。
「ゴブリンですか」
「ええ」
応じる剣の乙女はさして気にした風もなく頷いた。
「五年前になりますか。わたくしも、冒険者でしたから……」
流水剣へ流し目をくれる。
「ゴブリンに捕まって、洞窟の中で──何をされたか、お聞きになりますか?」
「……いいえ」
ゴブリンには下級悪魔も鼻白むほどの残忍さがあることを、流水剣はこの四方世界へ渡ってから既に学んでいる。剣の乙女は微笑み返す。
「わたくし、痛い、痛いって。小さな子みたいに、泣いて」
自身の薄く白んだ傷跡の残る腕を、肉付きの良い脚を。彼女はまるで見せつけるように、形の良い細い手指で慰撫していく。
艶やかな唇は、あどけない少女のような声音で囁いた。
「でもね、見えているんです。ぼやけているけれど、あなたの静かで大きな存在感も、ちゃんと」
剣の乙女は流水剣の眼を覗き込むように、見上げる。流水剣の輪郭を白磁のような手先が宙に描き出していく。
彼女が流水剣と対面したとき不思議な感覚に襲われた。樹海に踏み込んでしまったような、圧倒的な何かに絡めとられてゆくような、音も無く静かに締め付けられてゆくような。
「人というのは、女というのは、弱いものです」
「──」
剣の乙女はそっと身を乗り出して、流水剣の傍らへと身を添わせていた。流水剣は悠然とした態度と表情を変えなかったが、内心は揺れた。蠱惑的な美貌、ぷるんと揺れる豊かな乳房。健全な男子である流水剣には刺激的だ。魔女との冒険、そして今回の冒険で同行する女戦士など相手にも、理性が必要になる場面もあった。
ただ、流水剣は日頃の死線を潜った経験から余裕がないときでも、余裕があるように振る舞う癖がついていた。
「邪悪なものの強大さに比べれば、押し負けてしまいそう……」
柔らかく豊満な、肉の感触と温もり。吐息の温かさを肌で感じる。
「……わたくし、不安なのです。怖いのです。おかしいでしょう」
薔薇のような、ほの甘く、芳しい香りが漂う。
「剣の乙女ともあろう女が、毎晩、毎晩、怖くて、恐ろしくて、たまらないのですよ」
そう言って彼女は、自らの肩を、胸を、そっと掻き抱いた。薄布が乱れ、崩れ、しどけない姿を晒す。
「おかしいではありませんか。かつて魔神を討伐した女ですよ。わたくし……それがゴブリンを怖がっているだなんて」
「そうでしょうか。怪物を怖がることはおかしいことではありません。あいつらの残忍さ、暴力性を恐れることは正常だと思います」
優しい人ですね、そう言って剣の乙女は笑う。流水剣が彼女を慮って言っているのだと思っているようだ。
「おかしいですよ……、こんな世界ですもの。助けとなるものは、いくらあっても……」
「この世界でも、人は傷つき、死ぬ。俺はより多くの人を助けたいのに俺が伸ばす手はまだまだ届かない。それでも手を伸ばすことはやめたくありません」
剣の乙女が虚を突かれたような表情になる。
「ね」
不意に、その隠れた瞳が流水剣へと縋るように向けられる。
「わたくしを、助けてくださいますか?」
流水剣に迷いはなかった。
「助けます。俺の剣技を以て、有象無象は薙ぎ払う。あなたが恐ろしいと思うものから守るため、この剣が幾ばくかの力になるのなら……全霊をもって力になろう」
「……」
彼女は、その場へ崩れ落ちるように跪いた。その美しい顔が、くしゃくしゃになる。押さえた口元から嗚咽が漏れ、はらはらと目尻から零れる涙を堪えることができない。夢を見た時以外に泣いたのは、はたしていつ以来だろうか。
「来て……くれる……のですか」
「ああ、行こう」
「夢……夢の……中……でも?」
「夢の中でも」
流水剣が首肯する。
なぜ、そう問うた声が震えて言葉にならなかったはずだが、流水剣は答えてくれた。
「俺がそうするべきだと思うからだ。鬼狩りである俺は、君を庇護し続ける」
◇◆◇
鍛錬場をあとにした流水剣は
歩きながら先程の彼女のことを思い出す。唐突に泣き出してしまった彼女が泣き止むまでただ傍らにいることしか出来なかった。彼は自分の言語学的貧困を嘆いていた。
大浴場は華美ではない程度に流麗な彫刻が施された白亜石の大広間だった。籠に衣服を入れようとする流水剣の耳に水音以外の音が聴こえた。
「ん……?」
流水剣が胡乱げな目で見ながら、大浴場の少し開いた扉に近づく。ほの甘い香りの湯煙で満たされた室内の向こうに人影が見える。微かに聞こえる女性の声。
(こ、この……声、は……まさか!!?)
ぎょっとした流水剣は、よく知る彼女のものだった。
赫刀に続いて流水剣の強化イベント&剣の乙女の好感度上げの忙しい回でした。
・ヒノカミ神楽を流水剣が使えるようにはなりません。見て学んでフィードバックされるだけです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
19
まったくの不覚だった。よもやよもやだ。男湯と女湯を間違るとは。湯気の向こうに魔女と女戦士が垣間見えたものの、流水剣はすぐに冷静になり音を立てずに撤退した。水の呼吸を極め、頂点に到達した大剣士が、その
見事苦難を乗り越えた流水剣は風呂に入り、その後魔女や女戦士と合流した。翌日の探査行に備えて食事に行こうと酒場へ向かう三人。
武器を振るい、走り回れば身体に負荷がかかればかかるほど、筋肉が痛む。冒険を行えば当然なことながら身体は傷ついている。そして傷んだ身体は食事をして身体を修復する。そうして身体をより強く作り、強くなっていくのである。
──任務を終えたとき、鍛錬を行ったあとは、ちゃんとしたもの食え。
流水剣が育て手に何度も言われていたことである。
「そういえば気になったのだが」
流水剣が言うと魔女と女戦士が視線を彼に向ける。
「風呂にあった白樺の枝は何に使うんだろう?」
流水剣には使用用途がわからないので使わずにいたのだ。
「あれ、叩く……ため……よ」
「叩く? 何を?」
「自分」
「自分? 自分を叩くのか?」
「ええ」
胡乱げな目で見る流水剣。魔女は首肯する。何故、叩くのだろう。痛みに耐える訓練だろうか。それとも自傷行為を嗜む風習がこの地域にはあるのだろうか。
「君たちは叩いたのか?」
「そう、よ」
「叩いたわよ」
「―――そうだったのか。……そうだったのか……そう……だったのか……」
彼女らには自傷で喜ぶ趣味があったことを知って驚き、動揺してしまう流水剣。しかし、個人の趣味に差し出がましいことは言いたくはなかった。
「程々にな。何事も、やりすぎはよくない」
「? ……ま、待って……何か……勘違、い……して……る?」
「ちょっと待って。待って待って! 何か勘違いしてるよね!?」
◇◆◇
その日
水の都の地下世界には墳墓がいくつかあるようである。先日、ヴァルコラキとの戦闘があったところには既にヴァルコラキはいない。そのため地下水道の調査を続けることになる。調査中、悪鬼や人形と
強気に突入するのは、地道に敵を潰していけばいつかは終わりが来るという計算があったからだ。無限などない、何事も有限であり、圧倒的な力でそれを破壊していけばいつかは倒せるのだという経験則である。
「今度、相手は用心深く構えているだろう。こちらには自分を追い詰めるだけの力があるとわかっているし、怪我を負い逃亡することになった。臆病にもなる。だがそれも、相手の動きが読みやすいということでもある」
「どう……いう……こと?」
「ヴァルコラキは逃げ腰でいるだろう、と予測できる。俺たちが人形を潰している間にさっさと逃げてしまうかもしれない。水の都から出て行かれたら追うのは困難になる」
魔女と女戦士が頷く。
「逃げ腰ではあるが、あいつは自分の隠れ家や人形を破壊した俺たちをさぞや憎んでいるだろう。あれは人を見下し、傲慢で、激情家だったと思えた。逃げ腰になっても嘗めている人間たちに何もしないってことはないと思う。交戦して前のめりになったところを一気に叩く。逃亡の隙は与えない」
それが作戦会議を経た後の流水剣たちの方針だった。地下墳墓その最奥。そこは礼拝堂のような場所であった。室内には石から彫り出された長椅子が並び、奥には祭壇。そこに敵を発見した。
ヒトの姿に似ているが、青い身体に焦げ茶色の体毛を生やした、大きな口と乱杭歯の鬼だった。赤い双眸でこちらを睨む。彼我の距離はおよそ二〇〇メートルといったところか。
ヴァルコラキが笑ったような気がした。すると石壁を突き破って人形たちが流水剣たちに立ちふさがった。ヴァルコラキは自ら囮を演じたのか。これまでの臆病さから考えても奇妙なことだとは思ったが、ここで戦力をぶつけて殲滅するつもりだったのであろう。
厄介なことだった。だが敵の手の内のひとつ、暴くことができた。問題は、このあと流水剣
「一瞬でかたをつける!」
女戦士が槍を投擲する構えを取る。かつて異境魔境の主から教えを受けた光の御子が使ったとされる槍技の極み、秘中の秘とされる技芸に迫る投槍。
「ッ!」
流星のように迫る投槍が地面に突き刺さり、爆発を起こす。人形たちは爆砕され、残骸は爆風に吹き飛ばされ、散っていく。槍は変則的軌道を描いて女戦士の手元に戻り、女戦士は身構える。爆心地から飛び出してきた影が、その鋭い爪で女戦士を襲って来た。
ヴァルコラキだ。その全身は、もはや毛皮の殆どが剥げ落ち、肉が焼けただれている。満身創痍で、それでも魔物の圧倒的な生命力は女戦士の渾身の一撃を耐えてみせ、反撃に出たのだ。
女戦士の槍が突き出される。鮮血が舞い、魔女の頬を濡らす。
血はヴァルコラキの身体から噴き出たものだった。ヴァルコラキの爪が女戦士の胴をえぐりかけたところ、流水剣が横水車で腕を斬り飛ばした。同時に女戦士の槍はヴァルコラキの左胸を貫いていた。まるで流水剣が自分を守ることを信じていたかのように、防御を捨てた一撃だった。
「■■■■■■■■──ッ!?!?」
槍を握る手に女戦士は力を込め、ぐっと押し込む。ヴァルコラキは潰れた声で呻く。胸の傷はすぐに癒えるものの槍が刺さり治癒が阻害され、失った腕は断面が灼けて治癒が進まないどころか
「やっぱり効いてる!」
女戦士が槍を構え、流水剣に代わり魔女を守るように槍を構える。
流水剣が持つ日輪刀は燃えているように赤く染め上げられ、赤い燐光を放っている。赫刀化した日輪刀で負った怪我は、ヴァルコラキの生命力であっても傷を癒すのは簡単ではなかった。
流水剣は赫刀を発現させるには、日輪刀に凄まじい圧力を掛ける事で、刀の温度が上昇する事で発現するものだと考えた。
しかし、彼の意識が飛びかけるほどの握力を発揮して、目の前の大敵と戦うのは難しい。そのため考え出された苦肉の策が、流水剣がつけている指輪である。腕力強化の指輪。
そして嵐を操る神代の巨人に等しい膂力を一時的に授ける、怪力乱神の水薬。それを使って流水剣は赫刀を発現させて、意識を保って振るっていた。
しかし、
(これは、あと三分も維持は難しいな)
流水剣はそう判断する。この赫刀を、ただ日輪刀を握っただけで自在に発動できる剣士がいれば、それは剣聖と表現するのも生温い人を越えた超人だ。
「小癪っ!」
ヴァルコラキが肺腑いっぱいに空気を吸う。その様子を透き通る世界で流水剣が見た。ここで悪鬼が音波による攻撃をしかけることは、彼らは見越していた。流水剣が魔女に合図する。魔女が《
「──────???」
声が、音波が発生しないことに困惑するヴァルコラキの隙を流水剣は見過ごさない。流水剣は
──
未来の水柱から学んだ型。無拍子で繰り出される無数の斬撃。ヴァルコラキは赫刀で斬り刻まれる。
「地獄で詫びろ」
宙を舞うヴァルコラキの首が最期に見たのは冷厳なる覇気を放つ流水剣の姿だった。
◇◆◇
「消え、た……?」
確認するような魔女の言葉に流水剣は頷く。ヴァルコラキの肉体は灰とも塵ともつかないものに変わり消滅した。鬼舞辻無惨の鬼を日輪刀で首を斬ったときの現象に似ていた。
「ああ~、終わった終わった。腕痛―い」
女戦士が猫のように伸びをして呟いた。
「指輪は兎も角水薬の消費は赤字だったね」
腕力強化の指輪や怪力を与える水薬を流水剣に、提供したのは女戦士だった。
「ね」
女戦士はぬるっと
「これは貸しにしといてあげる。だからいつか返してね?」
端麗な唇を三日月のようにして微笑む女戦士。男ならば心揺らされる蠱惑的な微笑だ。
「……勿論、お返ししますよ。何なら粗品のたわしも付けちゃいます」
流水剣は表面上、取り繕いながらもそう言った。
「まだ……終わって、ない……で、しょ」
コツン、と魔女が床を魔杖で突く。魔女の言葉はまるで、流水剣と女戦士の間を割って入ってくるようだった。
「そうだな。ヴァルコラキは死んだが、まだゴブリンがいる」
流水剣が重々しく頷く。女戦士はうへぇと奇妙な声を出した。
「そうだった……そうね。あ~もう、帰ってお風呂入ってお酒飲んで寝たい」
ゴブリンは嫌いなのよ、女戦士はそう呟きながら、無造作に振るう槍の冴えに緩みは存在しなかった。
流水剣は既に通常の状態に戻っている日輪刀を自然体で握っている。自然体ではあるがその構えに油断はない。一切鏖殺の気概は些かの衰えもない。
三人の冒険者たちがそれぞれ迎え撃つ準備を整えているとき、地の奥底から唸り声が上がる。怨嗟の声、妬み嫉み、奪い、犯し、殺さんとする声。欲望に満ち満ちた、醜悪な叫び。
「……っ」
魔女は両手でしっかりと魔杖を握り締め、身を強張らせる。
「あいつら、ヴァルコラキが消えたのがわかった途端、襲うつもりになったか」
石櫃の奥にある階段から声が聞こえてくる。足音。武具のぶつかる音が幾重にも木霊し、近づいてきている。
武装を鳴らして歩みを進める怪物ども。吐息から混じる腐敗臭は遺跡の空気を、滴る涎は床石を汚す。猥雑な呟き、喚き声。
小生意気な冒険者どもをどう引き裂き、踏み躙り、陵辱するか都合のよい想像を膨らませて
美味そうな牝二匹の前に雄が立ち塞がる。
「何を笑っている。弁えろよ小鬼が。己を知れ、いい気分で終われるなどと思い上がるな。そんな都合の良い未来がお前たちに来ることは永劫ない。絶望しろ苦しみ抜け、惨めに泣き叫んで後悔しながら──死ね!」
流水剣の表情にも声にも、苛烈の気が溢れ、琥珀色の瞳が怒気の奔流を宙にほとばしらせていた。
没アイデアとしては女戦士がヘクトール(FGO)みたいに特殊な籠手を着けてロケットの推進力を加えて槍を投げるというものがありました。オマージュの範疇に収まるか自信がなかったので没になりました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
20
評価、意見、感想いただければモチベーション向上の励みになります!
流水剣が死の旋風と化して、地下迷宮に巣食う小鬼たちを黄泉へ葬り去ったあとも何日か使って地下を探索して小鬼の退治を完了したと判断した。
今、流水剣は
流水剣としては数日ぶりにようやく剣の乙女と話せる機会である。鍛錬場で話して以降剣の乙女は流水剣と会うとあわあわと慌てふためきスタコラサッサと逃げてしまうのだ。柱や遮蔽物に隠れてこちらを見ていることがあったし、表情に嫌悪感がないことから嫌われているわけではないとは思うが、ようやくこうしてまともに会うことができた。まるで心を閉ざした野生動物を手懐けたような気分だ。
「あの……」
「はい?」
「小鬼退治、お疲れ様でした」
剣の乙女が俯き、薄い薔薇色に頬を染め、唇を艶めかしく緩めた。
「時間がかかってしまいましたが」
「ご無事でよかった」
彼女は心からそう思った。
「安心して眠ることができます」
剣の乙女はいったい何年ぶりかわからないくらい深くてやわらかな眠りに落ちていた。これは驚くべきことだった。この数日の間、彼女は温かさを胸に覚えていた。その温かさは自分をそっと包んでまどろんでいるような気がした。それがとても心地よかった。こんな世界があるのかと思った。静かで明るくて、何もこわくない所にいた。
それを与えてくれた相手は知っている。鬼狩りの剣士。鍛錬場で無心に剣を振るう姿は、まるで精霊が舞っているようで美しかった。そして、その様子は如何な英雄のそれよりも彼女には尊く思えた。
「あなたに確認したいことがあります」
流水剣の視線を感じて彼女はどんな表情をするべきか、少しだけ悩んだ。毅然とした態度を取るのか、それとも素直に微笑んだほうが良いのか。
「はい、なんでしょうか? わたくしに答えられる事でしたら、何なりと……」
彼女はいつも通りの、穏やかな笑顔を選択した。それが一番自分らしいと思えたのだ。彼にもそう思ってもらいたかった。
「あなたは全部、知っていましたね」
剣の乙女は微かに心臓が跳ねた。頬が熱を帯びる。膝の上で拳をきゅっと握り、凛と背筋を伸ばす。
「──はい、その通りですわ」
「やはり、そうでしたか」
「でも、どうしてお気づきになられたのですか?」
「あの
水の都ほどの遺跡なのに地図はなく、剣の乙女から依頼された小鬼退治の依頼を除けば小鬼退治の依頼はなく鼠退治の依頼もない。
「地下を見張る何かが潜んでいる。あれがそうではないですか? 陰陽師が使うという式神みたいなものでしょうか?」
「式神? は存じませんが、あれは
沼竜は至高神に仕える秩序の守人、都市地下の守護獣だ。
「あの使徒が誰かの意志で動いているならば、使役できそうなのはあなたしかいない。所感ですが、あなた以上に優れた坊主──失礼、聖職の方はいないと思いました」
剣の乙女は嘆息する。
「皮肉ですわね。至高神の御使いが守ってくださるのは街だけ、なんて」
「あなたは気付いてましたね。事件がゴブリンの手口ではないこと」
「ええ……」
「だけど、黒幕はあなたの推量とは違っていましたね。いや、途中までは当たっていたか」
ゴブリンを手勢として使おうとしたのは邪教の者だった。しかし、悪しき精霊によって計画が狂ってしまった。しかし、ヴァルコラキの存在は誰にとってもイレギュラーなことだろう。
「素直に言えなかったんです。わたくしをゴブリンから助けてくださいと」
言いながら、剣の乙女はしどけなく薄布を崩し、そっと自らの肩を撫でる。
「言っても誰も、思いもよらないのでしょうね」
「しかし、俺は信じます。今度から俺に言ってください。ゴブリンは俺が斬りますから」
「はい……!」
剣の乙女は花が綻ぶように微笑んだ。
──雰囲気が変わったな。
流水剣はそう感じた。彼女が纏う空気が違った。ふわふわとしているようだった。もう何も緊張しなくていいと、こうも力が抜けて柔らかくなれるのかと、彼は思った。
流水剣が四阿を去る後ろ姿を、剣の乙女は見送った。彼に言って貰った言葉を思い出し、喜びとともに、自らの想いを口にした。
「わたくしは、あなたを、お慕い申し上げております……!」
その言葉が届いたかどうかは──神のみぞ知る、だ。
◇◆◇
流水剣の鋼鉄等級の冒険者としての生命は六時間で終わった。
それは流水剣が水の都から帰還した翌日の午前中に鋼鉄等級への昇格の辞令をうけ、同日の午後に青玉等級の辞令をうけとったのである。鋼鉄等級の在任期間は四方世界に冒険者ギルドの等級評価制度の設立以来、最短記録であった。
「青玉等級の在任記録も最短を更新することができることを祈っています」
受付嬢がそういって笑顔でお辞儀をした。
辺境での冒険の功績から昇級はほぼ決まっていた。しかし、昇級審査を受ける前に水の都での冒険の功績が重なることによって一日で二回昇級する事態になった。
自分が地位や階級に執着する人間だとは、流水剣は思っておらず、それはまた事実であった。にもかかわらず、六時間しか経験しなかった鋼鉄等級という等級に、流水剣は奇妙な愛着を自覚していた。半年か一年くらいその等級にあれば嫌になってくるかもしれないが、たった六時間では嫌気がさす暇もありはしない。冒険者に飛び級特進なし、という不文律がもたらした奇妙な処置であった。
青玉という等級は、冒険者としては中堅層に位置する。在野での最高位は銀等級を目指すならば、銅、紅玉、翠玉と中堅層で等級も含めて通過点であるにすぎない。それを一年未満で青玉等級になったのは流水剣が初めてだろう。
流水剣は新しい辞令と認識票を受け取って受付嬢のもとから離れると中央の広間で女戦士が待っていた。彼女からは昇級祝いを受け取った。まさかの六英雄の一人の登場に周囲の冒険者がざわつき、遠目で流水剣たちを見ている。まるでちょっとした人除けのアイテムのようだ。
女戦士としては流水剣たちとともに在るのは居心地が良かった。特に流水剣との戦いは特に印象深かった。ともに戦うことは夢中になれた。彼との共闘はまるで頭の中で銀色に光るまぶしい水が隅々にまで流れ込んでゆくようだった。そしてそれは心地の良いものであった。
流水剣は別れの握手をかわした。
「また一緒に冒険できれば嬉しいな」
と言い残したものであった。
流水剣が新しい認識票を首にかけて冒険者ギルドの建物の外に出ると、朧月のように凄艶な美女が彼の名を呼んで近づいてきた。
「昇級……祝い……おめで、とう」
「ありがとう。迎えに来てくれたのか」
「ふ、ふ、ふふ」
肉感的な肢体をしならせた魔女が、流水剣に近づく。彼女の昇級審査は明日行われる。昇級は確実であろうと訊き、流水剣は安堵していた。彼女は流水剣に頼り切りではないかと思われて、勲功が足りないと思われていたのだ。そのせいか、昇級は活躍に見合わず遅かった。
昇級の祝いとして酒場に行こうということになったが、適当な酒量で、彼らはささやかな酒宴を切り上げた。魔女が宿屋の階段を昇るとき、平衡感覚を失うようなことがあっては不味いからであった。
図らずも魔女よりも剣の乙女と女戦士がヒロイン力を発揮してしまう章でした。剣の乙女は原作のような動きだし、女戦士は同じ戦士としての戦友感があるおかげでそのように書きやすかったです。
魔女の昇級が遅かったのは、原作で女神官が銀等級に寄生しているのではないか、という懸念事項から昇級が遅かったことから、水柱ほどの大剣士と組んでも同じように見なされるのではないか、と考えて本編のようになりました。とはいえ、黒曜等級と青玉等級とは大きな格差となりました。
ここから一気に五年後の本編に飛んで書くか、イヤーワンの時代で依然として書くか考え中です。イヤーワン時代で拾えそうなネタが思いの外少ないという悩みがありましてね。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
五年後(原作本編)
01
秩序の軍が去った戦場では、なお流血が続いていた。平原の各地で、火勢は衰えを見せず、火は煙を発するとともに風を生み、霧は無秩序に渦巻いた。太陽の光と清澄な空気に恵まれた土地であるのに、天候までが混沌に蝕まれているようだった。
魔神将から預かった兵を将が指揮する。勢いに乗った混沌の軍勢は攻撃と殺戮を繰り返し、秩序の軍はもはや自分たちの生命と名誉のために抵抗を続けた。この地域は増援を待つために秩序の軍が戦地に残り抵抗を続けていた。
流水剣ひとりで、混沌の軍勢の憎悪の半分を引き受けてもよいほどであったかもしれない。血と炎のなかで、彼は一人で剣を振るい続けた。
そのときすでに流水剣は残心を忘れず迎撃の姿勢をとる。日輪刀が青くきらめくと、つづく悪魔の雑兵の首が、血の尾を引いて宙に飛んだ。
怒りに顔をゆがめた下級悪魔が亡者たちを流水剣にぶつける。
渦巻く霧のなかを流水剣は駆けた。ヒュゥゥゥゥと流水剣の呼気が空気に響く。日輪刀が赫く輝く赫刀となる。
──
淀みない動きで斬撃を繋げて亡者たちは斬られた箇所から崩壊がはじまり、存在を維持することができず塵に還る。銀を用いることもなく亡者に
蝙蝠のような翼を羽ばたかせ猛り狂った悪魔たちが、次々と地上へ斬り落とされる。秩序の軍勢を追い詰める悪魔たちが、流水剣の剣技にかかっては幼児のごとく無力であった。
やがて悪魔や下級魔神たちを従えた巨躯の異形が現れる。青黒い巨体。額に生えた角。手にした巨大な戦鎚。魔神将より兵を預かるオーガ。
オーガは
「魔神将より軍を預かる我が戦陣にまで切り込むとは、弱き人間にしては中々のやつ。だが、それもここまでだ」
オーガは彼の息子も魔神将からの信任の篤い将帥であった。彼の戦歴のなかで
混沌の軍勢が、身をもって流水剣の進撃を阻もうとしたのは賞賛に値するであろう。だが、彼らの勇気は彼らの生命を代償として要求した。流水剣の進撃は、その速度を些かも緩めなかった。
オーガの前方で剣光が交錯し、凄まじい刃音が鳴りわたり、あらたな血が大地に吸い込まれた。そしてオーガは、眼前に見た。もはや彼と流水剣との間に人影はなく、彼を狙って、赫刀が振るわれる。
オーガも歴戦の勇者であったが、流水剣の予想を超えた驍勇に戸惑いながらも戦鎚を振るう。十合ほど武器を撃ち合わせた。この戦いでこれほど流水剣の斬撃を持ち堪えた者はいなかった。
迅雷の勢いを以て、流水剣の豪刀は、あけっぱなしのオーガの首へ振るわれていった。
流水剣が元の世界から四方世界に流れついてから五年が経った。彼は積み重ねた勲功から在野最高位の銀等級を越えて金等級の冒険者となった。金等級の冒険者は国家規模の難解な任務に関わるものだが、彼は例外的に街のギルドから依頼を受けることが多い異色の冒険者だった。より多くの衆生の願いを聞き届けるため冒険者ギルドからの依頼も依然として請け負うこと、それが在野最高位の銀等級から金等級に昇格することを望んでいなかった流水剣に、昇格してもいいと彼を納得させるために国が提示した交換条件だった。
その卓抜した剣技と驍勇から四方世界最強の
剣聖と讃えられる武人もいるが、果たしてどちらが強いか、技量比べを望む声も多い。二人はまさに万夫不当の大剣豪だった。
◇◆◇
流水剣の一党が援軍とともに彼のいる戦陣に着いたのは、オーガが戦死して混沌の軍勢が潰走した後だった。
流水剣は何も進んで従軍したわけではない。諸事情あって一党ではなく
砦というからには軍の管轄であるのだが、それはそれとして軍以外が訪れる事だってある。なにせ軍隊の行くところ、後には司祭や娼婦、商家、戦場漁りまでついてくる。馬車だなんだに商品乗せて、軍の砦までに商いに赴く商人はそう珍しいものではない。となれば、その護衛は冒険者の仕事であり、つまりは冒険だ。
商談が終わった頃には、どこからともなく混沌の軍勢が溢れ出て、攻城戦──になるかと思えば、城壁が開戦早々に破壊されて混沌側の蹂躙が始まり、唐突の迎撃戦へと戦況は変わってった。
勿論、流水剣の依頼は商人を護衛して砦についた時点で解決している。眼の前で多くの人が殺される。しかし、依頼を受けていない、金にならない、関係ない、だから放っておいて帰ろう。……などと言い出す流水剣ではない。そのような在り方では水の呼吸の頂点に立つ水柱という大層な称号が恥ずかしいではないか。
流水剣は焼いた肉をフライパンに乗せたまま遅い朝食を食べ始めた。腰に帯びたナイフで肉を斬りながら食べる。食器は面倒なので使わない。焚火で熱した火かき棒をカップに入れて蒸留酒を温めて飲んでいた。
「無事で……よかった」
朧月のように凄艶な美女──魔女が肉感的な肢体をしならせて流水剣に近づく。彼女についてくる
「まったく胆が冷える」
やたら肌の白い
彼女が何故冒険者になって流水剣と組もうと思ったのか。曰く、「支え甲斐がありそう」だから、だという。
流水剣だけでなく魔女も森人の斥候も銀等級となっていた。
流水剣は騎士や冒険者と組み、殿として混沌の軍勢を食い止めていた。
その戦いぶりは、かつて流水剣がいた世界で、張飛は長板橋に一丈八尺の蛇矛を横たえ曹操百万の大軍をにらみ返したというが、まさにそれに劣らぬ大剣士は、数日の戦いを持ち堪えて
「大将首を葬ってようやく、落ち着いて食事ができるよ」
ナイフで突き刺した肉を頬張り、かき棒を抜いて蒸留酒を飲む。鬚を剃り、落ち着いて食事をし始めたのは今朝のことであった。
「三日三晩、只管戦い続けたのか? 相変わらず人間離れしたやつめ」
「寝て……ない、の……?」
「寝てないわけじゃないけどな」
渡り鳥やイルカのように、数秒だけ寝たり体の一部だけ寝たりするという体質を活かして、戦闘しながら眠っていただけだ。
「古代の魔神王の復活、十六の魔神将の召集がこれで遅れることを願いたいな」
大量の死と破壊を産みだした戦場を見渡して、流水剣は呟いた。
◇◆◇
「古い砦に小鬼が?」
流水剣一党がゴブリンの被害について訊いたのは、辺境の街へ戻る途中に立ち寄った村だった。混沌の軍勢との戦いがあった戦地を離れて
「ええ、古くからある山城でして……」
朴訥な青年が顔色悪く流水剣に説明するのは、彼の妹が小鬼に攫われたからである。善意で救助を請け負った通りすがりの冒険者たちが、青年からの願いを受けて出立したのは流水剣たちとはほとんど行き違いだった。
「山城……か」
白粉臭い森人が何か思い出すように呟く。
「何か?」
「いや、たしかこの地方には森人が作った砦があったと思ってな。そこは侵入者用の罠もあったはず……」
成程と流水剣が頷く。彼と魔女、女森人の斥候と目配せをする。攫われた日数からして村娘の生存は絶望的と思っていた。寧ろ救いに行った冒険者たちの安否が気になっていた。青年の説明では女性だけの一党だったらしいのだ。
「俺達も山砦のほうに行ってみよう」
「ありがとうございます! 妹をよろしくお願いします!」
──どうしてこうなったのだろう。
「
貴族令嬢と野伏の後ろには、
「ひ、ぃ……」
「く、くるな、くるなよぉ……」
怯えて引き攣った声をあげる
肩を寄せ合い、抱き合いながら身を震わせる獲物を前に、小鬼どもは舌嘗めずり。
ゴブリンたちに貴族令嬢が押し倒されそうになったときだった。
「GAUA!?」
ゴブリンたちの首が宙を飛び、血が尾を引いて地上に落下した。
現れたのは青い
ゴブリンたちは自分たちの獲物を取り上げた男に罵声を浴びせる。手に粗雑な武器をもって躍りかかる。ゴブリンたちは自身の愚かさから生命を失うことになった。
「君たちの同業だ。助けに来た。さあ、時を稼ぐから逃げろ」
流水剣が指さす方向から魔女と森人の斥候が駆けつけていた。貴族令嬢たちは死闘の旋風に当てられて委縮しながらも、流水剣の首に金等級の認識票があることを認めた。
「き、金等級……!? それに、青い
貴族令嬢が驚愕のあまりに状況を忘れて叫ぶ。
「き、金等級!?」
「なんで、そんな凄い人が?」
「と、兎に角助かった!」
「り、リーダー、流水剣って?」
「四方世界最高、剣聖と並び称される人界最強の剣士よ」
「……そう言われると、むず痒いな」
貴族令嬢のうっとりとした眼差しと賛辞に、流水剣は表情の取捨選択に迷ったような表情で言った。そんな態度をしつつも、流水剣はしっかりと日輪刀でゴブリンたちを斬り捨てる。ゴブリンたちには自分の死を認識する暇もない。
貴族令嬢たち一党のもとへ魔女や森人の斥候が近づく。
「さ。逃げる……わよ」
「私が先導しよう。さあ、行くぞ」
自分たちを助ける魔女と斥候が銀等級の認識票を持つことで安堵する。そして、自分たちに活路を拓き、指示を飛ばす剣士に感謝しながら撤退する。
「攻撃の起こりがまったく見えない。綺麗な太刀筋……。流石は金等級……!」
逃げながらも貴族令嬢は流水剣の剣技が脳裏に焼き付いて離れなかった。剣を振るう者として惹かれないと言えば嘘になる最強の二文字を持つ冒険者の背中は、貴族令嬢にとって印象に残った。
既に一〇を越える小鬼を斬った。魔女たちに追手が及ばないように
「GOOBB!?」
ゴブリンたち大敵に、自分に降りかかる不運に怒り、喚く。しかし、それではゴブリンにとって死と同義語である剣士から逃れることは出来なかった。
「お前たちはこの城からは逃がさない。例え便所に隠れようとも見つけ出して殺してやる」
流水剣の眼光は、弩から放たれた無形の矢となって、ゴブリンたちの心臓へ貫通した。
流水剣
【性別】男性
【年齢】25歳
【等級】金
【身長・体重】185cm・97kg
【痣の位置】左の頬
【外見のモデル】神山聖十郎(『新サクラ大戦』)
【服装のモデル】赤の王Verアドル・クリスティン(『イース9』)
未だに実力が絶賛成長中の主人公。
身長と体重はアキレウス(Fate)とほぼ同じ、ラグビー選手のような体型。彼のあだ名である人界最強は渡辺綱(Fate)への人界最強の武者という賞賛が元ネタ。衣装が代わり、自力で赫刀を発現できるようになった。
魔女
マイウェイをマイペースでモデルウォークするクールビューティー。流水剣から贈られた身の丈ほどの大きな魔杖は今でも大切に持っている。流水剣との仲はとても良好。Iカップ。
森人の斥候
原作12巻に登場したキャラクター。白粉臭いエルフ。正体は流水剣が五年前に水の都で出会ったダークエルフ。白粉でエルフに変装している。流水剣と対話して「この人は支えがいがありそう」と思い冒険者になって一党を組んだ。遠回しに言えば「おまえ危なっかしいから面倒見に来た」とも言える不敵さがある。押しかけ女房属性持ちのダークエルフ。五年かけて魔女や剣の乙女とは色々な意味で友になった。Fカップ。
鋼鉄等級冒険者
原作一巻に登場した、第八位の鋼鉄等級の冒険者。ゴブリンによって全滅した冒険者たち。本作では運よく生存する。外見は漫画版を参考にしている。
・貴族令嬢
セミロングヘアと釣り目が特徴的な美女。貴族の令嬢と言う身分で生まれ、至高神に仕える遍歴の自由騎士となった。Gカップ。
・女野伏
圃人の野伏。ナイスバディのパーティの中では逆に浮く普乳。Bカップ。
・森人の女魔術師
ポニーテールと胸元露出した巨乳が特徴的な容姿のクールビューティ。Fカップ。
・女僧侶
只人の僧侶。黒髪のロングヘアの大人しそうな雰囲気の女性。Eカップ。
オーガ
原作に登場するオーガ兄弟の父親。流水剣と十合撃ち合うという戦闘力の高さを見せつけた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
02
前回のあらすじ:原作で全滅するはずだった女子パーティのピンチに「いるさ! ここに一人な!」をした。
流水剣によってゴブリンたちが全滅した後、ゴブリンの犠牲者の遺品を見つけて集めてから山砦を出る。むしろ、遺品の発見と回収のほうがゴブリンたちを血祭に上げることよりも時間がかかった。
遺品を村の青年に渡してから、流水剣は一党と貴族令嬢たちとともに辺境の街に帰還した。冒険者ギルドに入ると、流水剣は鉄兜の男を見かける。
「おおっ! ゴブリンスレイヤー! 久しぶりだな」
「ああ」
ゴブリンスレイヤーと呼ばれた男はぶっきらぼうな態度で流水剣に応じた。魔女や森人の斥候も既知の間柄なのでそれぞれ挨拶すると、彼女らにもゴブリンスレイヤーは同じく挨拶した。
貴族令嬢たちは胡乱げな目で、流水剣たちが親し気に接する男を見た。
しかし、ゴブリンスレイヤーの首にかかる認識票は銀等級。序列第三位、在野最高位と言われる等級だ。彼女たちにはゴブリンスレイヤーという冒険者がますますわからなくなる。
「ゴブリンスレイヤー、
後半は、流水剣がゴブリンスレイヤーとともにいた白磁等級の冒険者に言ったものだ。
「あ、あの、はじめまして!」
白磁等級の冒険者──
「これから冒険か。どんな依頼なんだ?」
ゴブリンスレイヤーがゴブリン退治以外の依頼しかを受けないのは分かっている。
「これだ」
流水剣の問いにゴブリンスレイヤーが依頼書の数枚見せる。流水剣は魔女から四方世界での読み書きを学んだので依頼書を読むことができる。計算に関しては四方世界も四則演算や十進法があるのでもとより出来ていた。
「ああ、この依頼はもう終わっている。山砦に棲む小鬼は俺が斬った。……攫われた女性は手遅れだった」
「そうか」
ゴブリンスレイヤーはそう言ってむっつりと黙る。ゴブリンスレイヤーは流水剣とともに依頼を受けることも何度もあった。そのため、流水剣ならば小鬼を取り逃がすことがないとわかっている。
「依頼が多いな。俺も幾つかやろうか?」
「いや、大丈夫だ」
ゴブリンスレイヤーが首を振る。
「そうか。だが必要なら必ず言え。いつでも力になる。鬼が出たなら、俺の出番だ」
「ああ」
決然とした流水剣の言葉を聞いて、女神官は驚いた顔をして流水剣を見上げた。流水剣とゴブリンスレイヤー、小鬼への殺意が変わらないという共通項を持っているのだ。
流水剣はゴブリンスレイヤーと分かれてから、受付嬢に報告する。
「流水剣さん! お疲れ様です。大変なことになってしまいましたが、ご無事で良かったです」
受付嬢もまさか流水剣が混沌との戦いに巻き込まれるとは予想だにしていなかった。
「まあ、誰にとってもあれは予想外ですよ。ああ、それではまず護衛依頼の報告ですが……」
「はい、承ります」
そう言って受付嬢が
「あと、さっきゴブリンスレイヤーと会ってこの依頼が出ていることを知ったのだが」
流水剣が一枚の依頼書を出す。
「これは既に解決している」
流水剣が彼の一党と貴族令嬢たちとの話をする。頭目の貴族令嬢が彼女ら一党の代表として、受付嬢に報告する。長い時間をかけて報告書の作成を完了する。
「はい。ありがとうございます。こちらが報酬です。迎撃戦での報酬は後日になります」
「ありがとうございます」
流水剣は報酬を受け取ると、魔女や森人の斥候、そして貴族令嬢の一党のもとへ行った。魔女に話しかけようとする彼の肩を叩く者がいる。振り返った視線の先に、銀等級の冒険者である重鎧の益荒男が佇んで笑っていた。
「無事に帰ったか英雄様は」
「誰が英雄だと?」
「俺の前に立っている人物さ。
「敗軍の兵だよ、俺は」
流水剣は本心を話した。森人の斥候は凛とした声で言う。
「そう、秩序は敗れた。よって英雄を是非とも必要とするんだ。大勝利ならあえてそれを必要とせんがね。敗れたときは民衆の視線を大局からそらさなくてはならんからな」
皮肉な論調は森人の斥候の特徴である。
「英雄ならば、最後まで戦った兵士や他の冒険者も同じだろう。生き延びた彼らは昇格してもいいだろう」
「大将首を討ち取ったのはお前だから、英雄として祭り上げるにはちょうどいいのだろう」
「──」
流水剣がむっつりと黙ると魔女が微笑む。どこからか長煙管を取り出して
「さあ、もう……休み……ましょう」
流水剣の背を労わるように叩き、魔女は微笑む。
「まあ、今はゆっくりと休みな。俺たちはこれから冒険だ」
重戦士の視線の先には彼が率いる一党がいる。流水剣たちに手を振って彼は去っていった。
◇◆◇
稲妻と羊亭という店に流水剣一党と貴族令嬢たちは食事をするため席についた。ギルドの酒場では冒険者たち視線や話題にされることを嫌がった流水剣の意向によるためだ。
一同、乾杯のあと、流水剣が火酒を一息に呷る。アルコール度数六五度の酒なので流水剣の知己では誰も呑みたがらない。
「流水剣とかいう奴は、ずいぶんと偉い奴らしいな。俺と同姓同名なのに、凄い差だ」
ぼやくように呟く流水剣は、いっこうに偉くなさそうな自分自身に皮肉を言うのである。
「でも、やっぱりお偉いですよ」
森人の女魔術師が熱心に言う。
「どこが?」
「だって金等級だよ! 序列第二位! 人界最強の剣士!」
圃人の女斥候が昂奮したように言う。
「普通だったら、とっくに、自分を見失って、自信過剰になって、客観的な判断ができなくなってますよ、きっと」
流水剣は小首を傾げるようにして貴族令嬢の言葉を聞いていたが、不意に苦笑した。
「面と向かって言わないでくれ。つい、そうか、自分は偉いのか、と納得してしまいそうになる」
「ご謙遜を」
女僧侶が言うと、流水剣は真面目な表情になる。
「君たち、目上の者をあまり面と向かって褒めるものではないよ。相手が軟弱な人物なら、自惚れて結局は駄目にしてしまうし、硬すぎる人物なら、目上に媚びる奴だと疎まれるかもしれないから、よくよく注意することだ」
貴族令嬢たちが神妙な顔をして答えた。
「はい、わかりました」
魔女は微笑みながら流水剣の横顔を見つめた。彼の気の回しようと、彼らしくもない陳腐な教訓が、内心おかしかった。
森人の斥候は興味深そうに貴族令嬢たちを見ていた。流水剣と話しているときの目があまりにも輝いているように見えた。心酔しているといった表現が当てはまるような感じがした。
話しているうちにテーブルに料理が届いた。
「まあ、話は食べてからにしよう。冒険のあとはちゃんとした食事をするべきだ」
冒険のあとはちゃんとした食事をする。それは流水剣が冒険者として決めたルールの一つである。
それぞれが食事に手を付けている。
「改めて、お礼を言わせてください。本当にありがとうございました。あなた方が来てくださらなければ、私たちはあの山砦で全滅していました」
貴族令嬢がそう言って彼女が頭を下げると、他の一党も口々にお礼を言って頭を下げる。
「気にしないでくれ。先輩が後輩を助けるのは当然なことだ」
「そう……する、べき……だと……思った事、よね?」
「私はこの男に付き合っただけの事。礼ならばこいつに言え」
流水剣だけでなく、魔女や森人の斥候も気を負わずにいるようにと言う。
「この御恩は決して忘れません、我々に出来る事なら何でも仰って下さい!」
魔女と森人の斥候が持つナイフが皿の上で同時にがしゃんと音をたてた。
「助力が必要になったとき、ぜひ力を貸してくれ。依頼によっては人手が必要なときもあるからな」
魔女も森人の斥候も何も言わず、下をむいたきりナイフとフォークを使っている。その手つきが、いささか乱暴だった。
「そうだ、仕事での失態を取り戻すためにも、俺達と一緒に冒険をしてみるか? 君たちが仕切り、俺たちがそれを見守りフォローする」
「いいのですか!」
貴族令嬢の頬が僅かに上気する。森人の女魔術師たちも期待に満ちた目で見ている。
魔女や森人の斥候はまたか、と言いたげな表情。男女問わず後輩に助言やフォローすることが多いことを知らなければ誤解していたかもしれない。
「ああ、ありがとうございます。……あれ?」
給仕が貴族令嬢のもとにも厚いステーキが置く。彼女は早速食べようと思うが、ナイフがないことに気づく。
「何を探している?」
「いえ、ナイフがないようで……」
流水剣が腰に差している大振りの戦闘ナイフを抜いて、貴族令嬢に渡した。無骨なナイフの輝きに貴族令嬢は引き気味に受け取った。
「これは……よく切れそうです……」
冒険者のルール、武器の手入れは怠るな。
◇◆◇
翌日、流水剣一党と貴族令嬢たちは冒険者ギルドで合流すると、貴族令嬢たちは依頼書が貼り出された掲示板を確認しに行ってきた。
魔女は貴族令嬢たちと合流してからは口数が少なくなった。煙管を出して吸っている。
「……」
森人の斥候は微笑んでいるが、流水剣に対する態度は少し冷たい。
「まったく、ばかばかしい」
冷たい口調であったが、主語が省略されていたので、非難の客体が流水剣であるのか、流水剣の提案のほうであるのか、すぐには判別がつきかねた。おそらく、その双方であろう。
「今更か、昨日も言っただろう、後輩を助けることも先輩の務めだろう」
「みんな、美人……だものね」
すっきりした切れ長の瞳で流し目する魔女。多くの男はその艶やかさに魅入られるだろう。
「
鬼殺隊では柱が隊員たちの助けることは当たり前だし、危機に陥れば救うのは当然だ。そして、命を救うということはある種の責任を持ち、救う側と救われる側で縁が結ばれるものである。
流水剣とて木石で作られているわけではない男である。貴族令嬢たちが魅力的な女性であることを認識できない歪んだ審美眼を持つわけではない。
しかし、それよりも前に、鬼殺隊時代の感覚から今回の話を提案していた。面倒見が良いと言えばただの“いい人”である。しかし、魔女や森人の斥候が問題にするのは貴族令嬢たちが流水剣を“いい人”という人格的評価を高くするだけでは終わらないことを知っているからだ。男性的魅力に彼女らは虜となっている。
要するに、自分たち以外に優しくしている流水剣、そして彼に男として惹かれている貴族令嬢たちという状況が気に喰わないのだ。
流水剣も彼女らの心情を予測できるので、その冷ややかな圧を受け止めていた。
(鬼狩りをするのも怖いが、この状況も充分怖いな)
嘆息すれば睥睨されそうなので我慢する。
「おや、流水剣殿!」
沈黙が重たいと嘆いていた流水剣に助け船を差し向けたのは聞きおぼえのある女性の声である。
振り向けば長い金色の髪を持つ美しい少女が立っていた。美しい甲冑を纏った、見目麗しい女騎士である。硬質な美貌と典雅な雰囲気から、出自は貴族の令嬢かと思われる。麗人騎士は斧槍を持っていた。
「ああ、君か。無事でよかった!」
流水剣は安堵して、微笑んでだ。その少女剣士は流水剣とともに混沌との戦いに身を投じていた冒険者の一人であり、至高神を奉じる騎士だった。
「彼女……は?」
「あの混沌との戦いでともに戦った冒険者だよ。他のみんなはどうした?」
麗人騎士の表情が強張る。
「あの戦いで二人が亡くなり、廃業した一人が遺品を家族に届けるために分かれて、解散したよ」
鬼殺隊でも冒険者でもよくあること。つい先日、笑いあっていた仲間が死ぬのはよくある話。彼女たち一党と会った最後の夜、いつもなら言えたはずの頑張ろうと言うのが、一瞬詰まった。するりと出てこなかったのは彼らが、どうしてか死んでしまいそうだったからだ。
「そうか……、君は昇級したんだな」
麗人騎士の認識票が銅になっていることに気づいた。
「ええ、あなたも偉くなられた」
「ああ、どうも、とんでもないことになったようだ」
過不足ない表現だ、と、流水剣は思った。
「死んだ彼らはいつもあなたのことを話していた」
彼女の仲間たちはいい奴らだった。麗人騎士と彼らの一党は少壮気鋭の冒険者だと思っていたので、心寂しく流水剣は思った。
貴族令嬢たちが依頼書を持って流水剣たちのところへやってくる。
「さようなら、私もまた依頼を探してくる」
「気を付けて」
麗人騎士が流水剣に別れの挨拶をして、魔女たちにも同じく挨拶をしてから立ち去っていく。麗人騎士の後ろ姿を流水剣はじっと見送った。貴族令嬢たちを迎えて彼女らが持ってきた依頼書を見る。誰にともなくそっと呟いた。
「……上手く行くことには越したことはないよな」
◇◆◇
貴族令嬢たちが受けた依頼はゴブリン退治だった。
それは
村が怪物に襲われ、蓄えが奪われ、村娘がさらわれた。助けて欲しい。
昔から村の近くには小鬼どもが棲んでいたと言われる洞窟があった。
村人たちは関わらないように近づかなかったが、しかしゴブリンが凶暴さを増してきて、
ついには村を襲って倉庫の貯蔵品を奪い、さらには村娘を攫っていってしまった。
あまりにも突然のことで村人たちは対応することもできず、冒険者ギルドへ依頼を出したのである。
木々の合間から差し込む木漏れ日や、動物たちの気配はとてものどかで心地よく、とても小鬼のねぐらがあるとは思えない。
貴族令嬢たちの冒険は順調だった。整備は整えていた。小鬼退治の前に依頼者の話を訊いて、小鬼の住処までの地形などを訊き込むなど前準備の余念はなかった。
圃人の女斥候も巣穴の入り口、影に隠れるようにしてゴブリンの物見がいる事に気づき矢で仕留めて巣穴の内部にいるゴブリンに気づかれないように済ませた。
「ここは、洞窟と言われていたがどうもそうじゃないみたいですね」
「地下遺跡? なのか」
森人の女魔術師と貴族令嬢が周囲を見渡しながら言う。前を歩く圃人の女斥候が彼女たちに言う。
「少なくとも
「ああ、そうだろうな」
遺跡を検分する森人の斥候は圃人の女斥候を肯定した。あえて言わなかったが、ここならば壁抜きされることはないだろうな、と推測している。
通路から現れたゴブリンも貴族令嬢が剣で、圃人が矢で迎撃する。毒の付着するゴブリンの武器にも警戒している。堅実な対応をしているだが……。
「あ、あれは何!?」
「なんと……」
圃人と森人の斥候たちは瞠目する。遺跡の奥からガシャガシャと物音がする。
「
「いや違う!」
流水剣の問いに森人の斥候は否定する。
遺跡の奥から現れたのは巨大な盾を持った重装甲歩兵だった。
「なんだと?!」
「なんで騎士が!?」
「え? あれはゴブリンなの?」
「え……? ど、どうしよう!」
貴族令嬢たちが困惑するのを他所に、流水剣と魔女が冷静に分析する。
「あれは……
「遺跡に遺された鎧を体格が合う個体が纏ったわけか。サイズの調整も必要なかったと」
熟練の冒険者たちが話している間にも、困惑から立ち直った貴族令嬢たちが応戦している。飛来する火球は重装甲歩兵隊に当たり、暗黒の空間に無数の宝石細工を描きだす。
「……厳しそうだな」
「そう……ね」
鉱人が鍛えた鎧と盾は頑丈で貴族令嬢の剣戟も、圃人の斥候の矢も通さない。急所となりえる顔も、盾で隠されたら攻撃は通らない。魔法も回数には限りがありゴブリンたちを仕留めるには足りない。
「斬りに行く。援護を」
流水剣は抜刀して、魔女も魔杖を構えいつでも魔法を使える準備をする。
「ん……」
流水剣が「ヒュゥゥゥゥ」という呼気とともに火箭のごとき俊敏さで走り、日輪刀を振るう。
──
うねる龍の如く刃を回転させながらの連撃。彼の日輪刀は所有者の悪鬼滅殺の意思をそのまま我がものとするかのように、重装甲歩兵のゴブリンの身体を断ち斬り、血まみれの肉塊に変えてしまうのだ。
「流水剣様!」
貴族令嬢に並びたつように流水剣が刀を構える。
「みんな、よく頑張ってくれたな。
「す、すみません……」
「気にしないでくれ。では次の敵を斬りに行こう」
流水剣の冒険者ルールには鬼殺隊の頃の信条も統合されている。そして、ルールは冒険者として鬼殺隊として、共通で普遍のものだった。
ルールその一、悪鬼邪鬼、全て断つべし。
【キャラ紹介】
麗人騎士
外見イメージ:グリシーヌ・ブルーメール
金髪碧眼の女騎士。銅等級。斧槍の扱いを得意として攻城兵器のような一撃を発揮するロイヤルゴリラ。同じ一党だった眼鏡をかけた女盗賊とはなんだかんだで仲はよかった。高貴なCカップ。
予定ではこの世界の女神官はパーティーを二股して昇格速度が上がる予定です。
そういえば創作エンディング集をやってみました。流水剣と各キャラの√は
https://shindanmaker.com/972005
魔女ルート、ED【消えない】バッドエンド
森人の斥候ルート、ED【離れないで】メリーバッドエンド
剣の乙女ルート、ED【離さない】トゥルーエンド
何やら不穏なエンディングが多くなりました……。
ちなみに
継国厳勝ルート、ED【君に捧げるたった一つの】ハッピーエンド
ヒロインよりも敵との√のほうがロマンチックでした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
03
「オルクボルグとグラムドリングよ」
その
昼前、朝方に比べれば落ち着いたとはいえ喧騒に満ちたホール中の視線が、彼女に刺さる。
「わぁ……おい、見ろよ、すっげえ美人」
「……ちょっと」
森人に魅入られた新米戦士は
無理もないことだった。森人というのは生来、浮世離れした美しい存在だ。森人の年齢など考えるだけでも無意味だが、見た目は一七あるいは一八か。
すらりと背が高く、細身をぴったりと狩人装束で覆い、身のこなしは鹿のように軽快。背には大弓を背負っているところから
「あれは
重戦士の一党である軽剣士の
受付嬢は緊張こそしないものの、森人の聞きなれない言葉に首を捻った。
「ここにいる、と聞いたのだけれど」
「えっと、そうなると冒険者の方でしょうか?」
流石に受付嬢と言えど、数多の冒険者の名前を記憶しているわけではない。振り返って書棚から、分厚い台帳を引っ張り出そうかと思ったところで、
「馬鹿め。これだから耳長どもは気位ばかり高くていかぬのじゃ」
妖精弓手の隣にいた、ずんぐりむっくりとして
纏った衣服は東洋風の奇妙なもので、腰にはガラクタめいたものの詰まった大鞄。
受付嬢は、彼は
「ここは
「あら。それなら何と呼べばいいのかしら?」
ふん、と鼻を鳴らした妖精弓手が、嫌味たらしく言う。それを受け、鉱人道士は自慢げに口髭を捻る。
「『かみきり丸』と『なぐり丸』に決まっておろう!」
「あの、そういう名前の方々は……」
「おらんのか!?」
「言いにくいのですけれども、その、はい」
妖精弓手はやれやれとわざとらしく首を振り、これ見よがしに肩を竦めて溜め息を吐いた。
「やはり
「なにおう!?」
それに鉱人道士が喰ってかかり、妖精弓手が勝ち誇る。
「……ったく。森人ときたら、金床に相応しい心の狭さだからのう」
「なっ!?」
今度は、さっと妖精弓手が顔を赤くする。思わず胸を庇うように、鉱人道士を睨みつける。喧々諤々。口論を目前に受付嬢は焦りの上へ懸命に笑顔を貼り付ける。
「ええと……あの」
「すまぬが二人とも、喧嘩ならば、拙僧に見えぬところでやってくれ」
喧嘩を遮って、ぬっと巨大な影が覆い被さるように現れた。見上げるような体躯、鱗の生えた全身、シュッと鋭く生臭い吐息。
受付嬢も思わず声が出そうになったその男は、
「拙僧の連れが騒ぎを起こしてすまぬな」
「あ、いえ! 冒険者は皆さん、元気の良い方ばかりですから、慣れてます!」
とはいえ、奇妙な一行である。
単に異種族であるというだけではない。
頑固な
だが、それが三人。しかも全員が、第三等級の証である銀の小板を首から下げている。こういった異種族たちが
「えっと……」
受付嬢は、ちらと口論を続ける。妖精弓手と鉱人道士とを見て、
今にも牙を剥いて襲い掛かってきそうな厳つい外見ではあるが……。
「それで、どなたをお探しですか……」
結局、一番与し易いだろうと蜥蜴僧侶に声をかける事にした。
「うむ。生憎と、拙僧も人族の言葉に明るいわけではないのだが」
「はい」
「オルクボルグ、グラムドリングとは、その者らの
蜥蜴僧侶は重々しく頷いて言う。
「小鬼殺しと鬼狩りという意味だ」
「ああ! 小鬼殺しならばゴブリンスレイヤーさんのことです! その人なら知ってます、とっても良く!」
途端、パッと受付嬢の顔が輝いた。思わず彼女は手を打った。
「おお、そうであったか!」
「ただ、鬼狩りとなると……」
「たしか、刀身が黝簾石のごとく青い
「ああ、それは流水剣さんですね」
受付嬢は得心がいったと頷く。流水剣は元々鬼狩りの組織に所属していて、冒険者となってからも怪物の中でも人を喰う鬼を斬ることに強い使命感と正義感を燃やしていること、そして珍しい武器から来訪者が探している人物の当たりをつけた。
「確かにあの人は鬼狩りの剣士です。その方も存じ上げております」
「そうであったか。善き哉善き哉」
蜥蜴僧侶が目を見開き、口から舌がちょろちょろと出る。どうやら、笑ったようだった。
受付嬢はその獰猛な笑顔を前にして、小揺るぎもしない。
「して、受付殿。小鬼殺し殿と鬼狩り殿は何処に?」
「お二人とも依頼に出ています。ゴブリンスレイヤーさんは三日前にゴブリン退治に出かけていまして、流水剣さんも昨日からゴブリン退治に出かけています。あ、ゴブリンスレイヤーさんとは別の依頼です。後輩さんたちのフォローで同行しているんです」
「ほほう。……なるほど、なるほど。流石だ」
「もうそろそろ、戻ってくる頃だと思うんですが」
そう言って、受付嬢はそっとギルドのエントランスを窺った。
「あっ!」
◇◆◇
ゴブリン退治は一件目の小鬼の重装歩兵部隊には流水剣たちが貴族令嬢たちをフォローしたものの、二件目は貴族令嬢たちの独力で達成できた。
「壁抜きをされたときは焦りましたが、事前に予期していたので対応できたのはよかったですね」
そう言うのは森人の女魔術師。その時のことを思い出したようでほっと息をつく。
「挟撃される前にゴブリンたちを各個撃破できたのは見事だった」
流水剣が素直に賞賛すると、女魔術師ははいっと表情を輝かせる。ちなみに森人の女斥候はさり気なく流水剣を隔てて森人の女魔術師とは距離を取っている。
圃人の女斥候が事前に察知して、貴族令嬢たちはゴブリンの挟撃の危機とは見なさずゴブリンたちの各個撃破と好機と判断して、挟撃される前にゴブリンたちを撃破した。壁抜きして
「この通り、大物も討ち取り、流水剣様たちにも及第点を戴けた。今回の冒険は概ね上首尾に終わったのではないか」
上機嫌なのは貴族令嬢。彼女が大事そうに小脇に抱えている風呂敷には
返り血をその美しい顔に飛び掛かりながらも、首を掲げて流水剣に笑顔で迫る貴族令嬢はどこのアマゾネスかと思った。流水剣は困ったように頭を掻いて、女斥候は暫く笑いが止まらなくて使い物にならなかった。魔女は微苦笑ひとつして、返り血を拭ってあげた。
彼女たちは無事に彼女らだけで冒険を成し遂げた。山砦で命運尽きたかと思われた彼女らだが、成長してより冒険者として逞しくなった。そのことは喜ばしい。
不安と言うならば貴族令嬢たちよりも、近頃再会した麗人騎士である。彼女は山賊団討伐の依頼の助っ人として参加したものの、未だに冒険から未帰還なことが気がかりではある。冒険者ギルドからの情報提供を募ってみるべきだろうか。
冒険者ギルドの入り口に近くで、流水剣たちは友人に出会う。
「あっ、流水剣さん!」
「やあ、君らか。無事で何よりだ」
「ああ」
見慣れた鉄兜を被った戦士、最近見かけるようになった錫杖を持つ女神官。
「ゴブリンか」
「ああ」
「そっちもゴブリンか」
「そうだ。すべて討滅した」
「そうか」
「無事で何よりだ」
「……お互いにな」
散文的なやり取りだが、当人同士ではそれなりに意思疎通ができているようだ。余人にはわからないことである。
ギルドのエントランスに一同が入ると、受付嬢から声をかけられる。
受付嬢から無事に帰還したことを祝われると、来客がいることを流水剣たちは知らされる。
「……ゴブリンか?」
「あなたがオルクボルグ? そしてそちらはグラムドリング?」
質問に質問を返す妖精弓手に、ゴブリンスレイヤーは素っ気無く対応する。
「俺はそう呼ばれたことがない」
「俺も覚えがないな」
「伝説に出てくる名前だ。オルクボルグは小鬼殺しの剣。
妖精弓手にあまり見られたくないのか、森人の女斥候がそっと流水剣とゴブリンスレイヤーに教える。
「ならば俺だ」
鉄兜の男は頷く。
受付嬢の案内で二階の応接室に向かう。流水剣は魔女や斥候とは断りを入れて受付嬢についていく。女神官はどうしたものかとゴブリンスレイヤーを見る。
「あ、あの私は……」
二階に上がろうとしたゴブリンスレイヤーはいつもどおり淡々と言う。
「休んでいろ」
ぶっきらぼうな一言に、しゅんとした女神官。トボトボ歩いて椅子の方に歩く女神官は、まるで捨てられた子犬のようだ。
◇◆◇
「あんたたち、本当に金等級と銀等級なの?」
応接室に入った六人。
妖精弓手は胡乱げにゴブリンスレイヤーと流水剣を見た。
ゴブリンスレイヤーは銀等級ではあるが、みずぼらしい革鎧と薄汚れた鉄兜。中途半端な剣。腕に括り付けられた小振りな盾。銀等級なら持っていてもおかしくはない、魔剣や魔力の籠ったアイテムを持っている様子はない。
流水剣は装備や佇まいはなるほど一廉の人物なのだろう。だが金等級でありながら小鬼退治や銀等級あるいはそれ以下の等級の仕事も率先して請け負っていると訊く。何とも風変わりな冒険者だ。
「ギルドが認めた」
「俺は受けたいと思ったから依頼を受けているだけだ」
胡乱げに流水剣を見る妖精弓手。彼が近頃起きた混沌と秩序の戦いで生き延び、大将を討ち取った武勲を知っている。
「英雄だなんて呼ばれるくらいなんだし、なんでもっと仕事を選ばないの?」
「本当の英雄たちはみんな墓の中だ。俺はゴブリンだろうがなんだろうが、人を喰う魔を斬ることができるのであればそれでいい」
妖精弓手はゴブリンスレイヤーに猜疑の眼差しを向ける。流水剣は見た目からして卓抜した剣士なのだろうということが彼女からもわかる威風がある。しかし、だからこそゴブリンスレイヤーの姿には精彩を欠いた。
「オルクボルグ。あなた、見るからに弱そうじゃない」
「馬鹿なことを言うもんじゃあないぞ」
床に胡坐をかく鉱人道士が妖精弓手に呆れたように鼻で笑う。
「見たところ、かみきり丸の方は動きやすい革鎧、不意打ち防止の鎖帷子、剣と盾は洞窟でぶん回すために調整されておる」
鉱人にとって武具の鑑定など息をするがごとく容易い。多くは
「それに、そちらのなぐり丸も、大地に深く根付いた大樹のごとく体幹。よっぽど鍛えているぞい」
「ふーん」と、どうでもよさそうに相槌する妖精弓手。
「まったく、弓しか使わんから見聞が狭いんじゃよ。年長者をちっとは見習わんか」
妖精弓手は言われっぱなしでは嫌なのか負けじと言い返す。
「私は二〇〇〇歳。あなた、お幾つ?」
「……一〇〇と七」
「あらあら~、随分と老けていますこと。確かに見た目だけなら年長者ね!」
ぐぬぬと歯ぎしりする鉱人道士。妖精弓手はニタニタと笑っている。
「……で、俺達に依頼でいいんだよな?」
話が終わらない、そう判断した流水剣が切り出す。
「……ええ、その通りよ」
妖精弓手は頷いて言った。真剣な面持ちだった。
「都の方で、
「知らん」
「……その原因は、魔神の復活なの。奴は軍勢を率いて、世界を滅ぼそうとしているわ」
「そうか」
「……私たちは、それであなたたちに協力を──……」
「他を当たれ」
ゴブリンスレイヤーは、ばっさりと切り捨てた。
「ゴブリン以外に用はない」
「……わかっているの?」
妖精弓手の顔が強張る。涼やかな声は怒気が滲む。森人の特徴である長い耳が、感情に反応してヒクヒクと動く。
「悪魔の軍勢が押し寄せてくるのよ。世界の命運が懸かっているって、理解している?」
「理解はできる」
鉄兜の男は首肯する。しかし、男の意志は曲がらない。
「だが、世界が滅びる前に、ゴブリンは村を滅ぼす。世界の危機は、ゴブリンを見逃す理由にならん」
「あなたねぇっ!」
いきり立つ妖精弓手を鉱人道士が宥め、席を立とうするゴブリンスレイヤーを流水剣が肩に手を当て留める。
「待てよ、ゴブリンスレイヤー。俺は兎も角、お前さんにも話が来たってことは、俺たちに
流水剣ほどの膂力であればゴブリンスレイヤーは肩に手を置かれてしまえば立ち上がれなくなる。ゴブリンスレイヤーを宥め、流水剣が妖精弓手に目配せすれば、
「……そうよ、その通りよ!」
「わしらとてお前らに混沌を何とかさせに来たわけじゃあない。そりゃ白金等級の領域じゃ」
しぶしぶと言った様子で、妖精弓手は席に腰をおろした。
一切動じていない流水剣やゴブリンスレイヤーを見て、鉱人道士は満足気に笑う。
「こ奴ら、まさに『かみきり丸』と『なぐり丸』じゃ、胆が据わっとるわい」
初対面でゴブリンスレイヤーに好感を持つ冒険者は少ない。珍しいなと思いながら流水剣は鉱人道士を見た。
「では、このまま頼む方向で宜しいかな?」
蜥蜴僧侶に意見を求められ、鉱人道士は、ふぅむと勿体ぶって唸って見せる。
「……わしゃ、構わん」と、鬚をしごいて「臆病者より、ずっと良い」
「小鬼殺し殿、鬼狩り殿、勘違いしないでほしいのだが、先程も斥候殿が言ったように、依頼したいのは小鬼退治なのだ」
蜥蜴僧侶がそう言えば、ゴブリンスレイヤーの返答は簡潔を極めた。
「ならば請けよう」
「……」
「どこだ。数は?」
ゴブリンスレイヤーの決然とした返答に、流水剣を除く冒険者は面食らう。妖精弓手の顔が目に見えて引き攣り、蜥蜴僧侶が目を剥いた。鉱人道士が愉快そうに笑う。
「規模は、ホブやシャーマンの存在を確認しているか」
澱みなく確認作業を続けるゴブリンスレイヤー。
「……報酬額について、先に聞かれると思っていたのだがな、拙僧は」
蜥蜴僧侶はチロチロと舌を出し、自分の鼻先を嘗めた。人で言えば、顔を覆う仕草か。
「……まず拙僧の連れが先に述べた通り、今、悪魔の軍勢が侵攻しようとしている。鬼狩り殿もその侵攻に対して戦ったことからわかるだろう」
「……」
「封印された
「興味がない」と、ゴブリンスレイヤー。「一〇年前にも、あった事だ」
「……うむ、拙僧も興味はなかろうと思ったよ」
蜥蜴僧侶は、ぐるりと目を回し、苦笑するようにして頷いた。
「それで拙僧らの族長、
「ま、
鉱人道士は腹を叩く。
「冒険者だからの、わしら。駄賃も出たし」
「……いずれ、大きな戦になると思うわ」
「問題は近頃、森人の土地で、あの性悪な小鬼どもの動きが活発になっておる、という事だ」
鉱人道士が口髭を捻じりながら、言葉を続ける。
「……チャンピオンか、ロードでも生まれたか」
ゴブリンスレイヤーはぼそりと言った。かもしれん、と鉱人道士は応じる。聞きなれない言葉に、妖精弓手が反応する。
「チャンピオンに……ロードって?」
「ゴブリンの上位種だよ。ゴブリンたちの英雄、あるいは王。どれも通常のゴブリンやホブゴブリンよりも強い個体だ」
流水剣が説明している傍らで、ゴブリンスレイヤーは腕を組み、至極真剣な調子で唸る。何かの算段をまとめている様子だ。
「……まあ、良い。情報が足らん。続けてくれ」
「拙僧らが調べたところ……大きな巣穴が一つ見つかったんだが。まあ、政治だな」
「ゴブリン相手に軍は動かせない。いつもの事か」
「
妖精弓手が肩を竦めた。
「ここで勝手に兵士を動かそうとすれば、何かを企んでいるとか難癖をつけられてしまうわ」
「故に、冒険者を送り込む……。なれど、拙僧らだけでは
「で、オルクボルグとグラムドリング……あなたたちに白羽の矢が立ったわけ」
「耳長が言うと洒落にならんの」
鉱人道士がくっくと咽喉の奥で笑う。小鬼退治のために小鬼の専門家を雇い、さらに戦力として英雄と讃えられ金等級が請けないような依頼も受ける変わり者を加えようという考えだ。
「地図はあるのか」
「これに」
ゴブリンスレイヤーの淡々とした問いに、蜥蜴僧侶が僧衣の袂から巻物を取り出した。流水剣も地図を覗き込む。元来、地図を見ることは彼の趣味である。
木の皮に染料を使ってしたためてある。抽象的だが正確な筆致は、森人の地図の特徴だ。荒野の真ん中に、古めかしい建物が描かれている。ゴブリンスレイヤーは指でなぞった。
「遺跡か」
「恐らく」
「数」
「大規模、としか」
「すぐに出る。俺に払う報酬は好きに決めておけ」
ゴブリンスレイヤーは地図を手にとり手早くまとめて、乱暴に席を立つ。
そして、部屋から出ていこうとした。
「俺は仲間と相談するから、少し待て」
「分かった。下で待つ」
そう言うと、ゴブリンスレイヤーは応接室を出ようとするので、流水剣は再び引き留める。
「待った。あの子にもちゃんと話通して訊いておけ」
「何故だ」
「彼女も冒険者だ。それも君と組んでいる。だから話して確認するんだ」
「そうか」
そう言うと、ゴブリンスレイヤーは今度こそ応接室からづかづかと出て行った。
「拙僧が見るに、あの地母神の巫女殿は、小鬼殺し殿の
「そうだ。最近組むようになったようだ」
「あいつとパーティ組んでるの?」
妖精弓手は、顔をしかめながら流水剣に訊ねる。
「いや、まぁ、その都度、時々だ。俺も俺で一党を組んでいるからな。あなたたちはこれからどうするんだ?」
「私も行くわよ。場所、故郷の森の近くだし」
「拙僧も依頼を出してついていかぬでは、先祖に顔向けできませぬからな」
「儂らもあんな解りづらい性格はしとらんでの。見ごたえがありそうな若造じゃ」
「了解だ。俺は仲間と相談してそれ次第で請けおう」
応接室を出ながら流水剣は呟いた。
「ルール二だな。買い換えておこう」
小鬼退治に匂い袋を忘れるな。
妖精弓手たちは首を傾げていた。
壁抜き+トロールと三度めのゴブリン退治でもイレギュラーに遭遇する貴族令嬢たち。意地悪なGMに好かれているのかもしれません。
ゴブリンスレイヤーは「原作・マンガルート」「アニメルート」の二つの分岐線がありますが、「原作・マンガルート」になる予定です。流水剣の戦いとか冒険者たちの働きで大局が動いて「勇者ちゃんの魔神王討伐速度」が速くなるイメージです。
麗人騎士とは再会出来る予定です。山賊退治に出た未帰還の姫騎士。何も起こらないわけがなく……。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
04
「さてと、それでは私はあいつらの付き添いで報告してくる」
流水剣を見送った森人の斥候は貴族令嬢の
女神官は取り残された。ぽつんと、一人。気を利かせた受付嬢が淹れた紅茶のカップを両手に持っている。見たところ、疲労が随分と溜まっている様子だった。
──彼は気を使ったのだろう。
女神官を療養させようとゴブリンスレイヤーは考えたのだと魔女は推量する。流水剣ほどではないが彼との交流がある魔女である、ゴブリンスレイヤーの考えを想像することはできるが、女神官は果たしてどうだろうか。今の彼女は悄然としており所在なさげだ。
魔女は肉感的な身体つきをしならせて、女神官の傍に佇む。女神官はきょとんとした表情で魔女を見上げる。まるで子犬が驚いたような様子で、魔女は優しげに眼を細めて、くすりと漏らして微笑む。
「え? え……と?」
「彼と、一緒にいる子、で良いのよね?」
「あ、はい! 御一緒させてもらってます」
魔女の問いに女神官は素直に頷いた。
「『ごいっしょ』、ね」
魔女は意味ありげに笑った。女神官が首を傾げる。まあ良いけど、と魔女は手を振った。
「彼、大変、でしょ。鈍いもの、ね……?」
「……? え、っと」
「意味、わかってないわ、ね」
申し訳なさそうに恥じ入る女神官の様子を、魔女は愛らしいものを見るように見つめた。そして長煙管を取り出して、優美な手つきで刻み煙草を詰める。
「良いかしら。……《
女神官の返答を待たず、魔女人差し指で煙管の先を叩いた。ほの甘い香りのする桃色の煙が漂い出す。
「真に力ある言葉、呪文の無駄遣い……ね」
呆気にとられる女神官に、魔女はくすりと笑う。少女にはそう言ったが魔女は
「あなた、奇跡は、いくつ使える……の?」
「えと……。二つだったのが、増えて四つに。祈れるのは三回くらい、です、けど」
「白磁等級、でしょ? それで四つなら、才能ある方、ね」
「あ、ありがとうございます……」
女神官は小さい身体を更に縮めて、頭を下げた。魔女は笑みを崩さない。
「あたしも、ね。前に、変な依頼、請けたことあるの、彼から」
「え……」
女神官は思わず魔女の顔を見た。魔女は蠱惑的な表情のまま首を傾げる。
「変なコト、想像した、でしょ」
「い、いえ……っ」
「
「いえ、その、……はい。……彼、銀等級ですし」
疲れた顔を、女神官は微かに緩ませた。俯けば、そこには両手に握られた、小さなコップ。紅茶の微かな色を透かして底を見つめながら、ぽつぽつ、唇から零れるように言葉が落ちる。
「わたしなんかじゃ、ついていくだけで、精一杯で……。迷惑かけて、ばっかりで」
「それに彼、かなりキてるもの、ね」
魔女は煙管を深く吸い、煙を輪の形にして噴きかけた。
「そりゃあ、ね。ゴブリン退治だけといったって、何年も、ほぼ休みなし、だもの」
白磁等級とは比べられない。そう呟いて、魔女はくるりと煙管を回した。
「ゴブリン退治自体は、世の中のためになるし、ね。それで救われる人もいるように、ね」
魔女がまるで誰かを思い描いているかのように、目を細めて虚空へ見つめる。
「だからといって、ゴブリンだけ、やっつければ、良いわけじゃ、ない、けど」
「……」
「都では
言うまでもない事だ。でなければ、いくら遺跡が残ろうが、冒険者は成り立たない。広範囲で散発的に発生する、多種多様な脅威に、軍隊では対応しきれないのだ。
本来、彼らは近隣諸国なり、邪神なりに対応するべく存在する。ゴブリンは明確な脅威だ。だが、ゴブリンだけが脅威ではない。
「他にも……人を助ける、なら。他の冒険者たちと、一緒でも、できる、でしょ?」
「それは……! そう、ですけど……」
思わず声を荒げ、身を乗り出した女神官だが──言葉が、続かない。その言葉は尻すぼみに縮んで濁ったように消えてしまう。
「……ふふ、道は、いっぱい、ね。正解、なんてないの。難しい、から……」
人間の能力には限界があるがそれでも自分の器量の範囲で運命を動かすことはできる。女神官にはできることならば、より大きな範囲で運命を動かすことができなくても、その可能性を持って欲しいと思った。
「せめて……『ごいっしょ』する、なら。きちんと自分で、決めなさい、な」
おせっかいかもしれないけど。魔女はそう言い残し、現れた時と同様、するりと女神官から離れて席を立つ。応接室から出てホールへ降りてくる流水剣の姿があった。ゴブリンスレイヤーも一緒にいる。
「あ……」
「じゃあ、ね」
そしてひらりと手を振って、彼女は腰を振りながら流水剣のもとへ進んでいった。
「自分で、決める……」
再び一人で取り残された女神官はそっと呟き、ゴブリンスレイヤーのもとへ小走りで向かった。
◇◆◇
ゴブリンスレイヤーは無造作な足取りで階段を降りて、受付嬢と話して特別に報告より前に報酬を自分の分だけ受け取る。
「ゴブリンスレイヤーさん!」
彼の後ろから足音が近づいてくる。軽い靴音だった。
「あ、あの! 依頼、ですよね!」
女神官だった。ロビーの隅から小走り来たようで少しだけ息が切れている。
「ああ」
ゴブリンスレイヤーは頷く。
「ゴブリン退治だ。俺は行く。お前は好きにしろ」
「え……! あ、あの、はい。一緒に行かせてください」
彼女は健気にそう言った。はっきりと、迷いなく。女神官はゴブリンスレイヤーの、汚れて傷だらけの兜をじっと瞳に映している。
「そうか」
「あ、でも」
「──?」
ゴブリンスレイヤーは、不思議そうな様子で、その兜を傾げた。
女神官は嘆息する。
「選択肢があるようでないのは、相談とは言えませんよ?」
「そうなのか?」
「そうなんです」
「そうか」
「はい」
流水剣は魔女や森人の斥候と集まった。森人の斥候からは貴族令嬢たちはトロル退治をちゃんと評価された上、報奨金も出たことを教えられた。貴族令嬢たちは先にギルドを後にしていた。森人の斥候は愉快そうに笑っている。そっと近づく彼女から白粉の匂いがする。
「三度も尋常ではない小鬼退治を経験して生き延びるというのも、運が良いといえるのかもしれないな。三度目こそ彼女らでやり遂げたのだ。この
「なに、ただ単に一生分の幸運をまとめて使い果たしたのかもしれないだろう。ここで気が緩んで冒険を甘くみるようになったら、彼女らの命取りになる。
厳格な指導者兼先輩らしい態度で流水剣は言ったつもりだったが、魔女や森人の斥候の表情を見ると、成功したとはとても言えないようだった。無理しなくてもいいのに、と、彼女らの表情は語っていた。
「まあ、それは置いておいて、さっきの客との話なんだが」
流水剣は蜥蜴僧侶たちと報酬やその他について相談して、魔女と森人の斥候との打ち合わせを行った。
「そう」
魔女はたいして驚きもせず、しかし流石に煙管をしまった。
「また小鬼退治か」
森人の斥候の口調は、甚だ不熱心だった。
「そうなんだ。何度も小鬼退治で申し訳ないと思っている」
「でも……ご指名の、依頼……だから」
「断るのもよろしくはないな」
流水剣は依頼の詳細、報酬などの条件を説明した。ゴブリンを殺すことに強い決意があるという共通項はあるものの、彼はゴブリンスレイヤーと異なり、ちゃんと詳細を詰めてから依頼を受ける。
「依頼内容はこういうものだが。それで、連続ですまないがみんなにも一緒に来て欲しい」
流水剣からのお願いに魔女は嫣然と微笑み、森人の斥候はにやりと笑う。
「まあ、森人に貸しを作るのも悪くはない」
白粉を使ってまで偽っているというのに、正体を隠す気があるのか疑いたくなることを、森人の斥候は言った。
「放って……おけない……から……ね」
魔女の許しを得て、ありがとう、と安堵したような笑みを流水剣は浮かべた。
流水剣と魔女と森人の斥候。そしてゴブリンスレイヤーと女神官。その姿を、異人たちは階段の踊り場から、吹き抜けを通して見下ろしていた。
妖精弓手と、鉱人道士、蜥蜴僧侶の三人は顔を見合わせ、誰かがふっと息を漏らす。
「わしらだって、ああは解りづらい性格はしとらんの。……かみきり丸とは見応えのある若造じゃ」
最初に、鉱人道士が階段を降り始めた。笑って鬚を扱きながら。
「かの鬼狩り殿もなんとも興味深い御仁だ。斬り合い殺し合い、血風の戦場が嫌いだという。大剣士とは思えぬ心根。虚言ではなく本心というのが、実に興味深い」
蜥蜴僧侶が重々しく頷く。そして尻尾を揺らして、一段一段、踏みしめて階段を降りる。
「……」
妖精弓手は言葉もなく二人の冒険者を見下ろしていた。
オルクボルグ、小鬼殺しの冒険者。
グラムドリング、鬼狩りの冒険者。
想像とはまるで異なる彼らの在り様。それは彼女の慮外のものであった。
つまり、理解できないもの。未知の存在だ。
──何を今更、そんな事で驚いて立ち止まっているのだろう。
妖精弓手は思った。それを求めて自分は森を出たのではないか。彼女は大弓の具合を確かめて、しっかりと肩にかけ直す。
「まったく、年長者に敬意を払うべきだと思わない?」
そうして彼女は軽快にステップを踏んで、階段を駆け下りていく。
せめて臭い消しまで書きたかったけれど長くなりそうなので一旦切ります。魔女が女神官にどういう意図で言ったのか、自分なりの解釈と原作とは違う人生を歩んでいる魔女なので、ちょっと異なるようになりました。そこが一番難しかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
05
瞬く間に三日が過ぎた。
二つの月が輝き、数多の星が数多の光を放っている。だが、その力は弱く、無限に広がる空間の大部分は、黒曜石を磨いたような暗黒に支配されていた。
八人の冒険者は円陣を組んで座っていた。中央に焚かれた炎から、煙が細く長く昇る。遠く背後には森人たちの住む森が、暗い中に盛り上がって見える。
「そういえば、みんな、どうして冒険者になったの?」
「そりゃあ、美味いもん喰う為に決まっとろうが。耳長はどうだ」
「だと思った。……私は外の世界に憧れて、ってとこね」
「拙僧は、異端を殺して位階を高め、竜となるためだ」
「えっ、は、はあ……えと、まあ、宗教は、わかります。わたしも、そうですから」
流水剣も驚いた。鯉の滝登りや登竜門のように、急流の滝を登り切った鯉は竜になるという故事を思い出した。蜥蜴僧侶は流石に滝を登ることはないだろうが。
「ゴブリンを……」
「あんたのは何となく分かるからいいわ。そっちは」
「鬼、魔性を斬るのが俺の仕事だ。冒険者は誰でもなれるからな」
転移でいきなりこの地に来たので、身分の保証ができない流水剣がなれる仕事は冒険者だった。
「そういえば、なんでグラムドリングは金等級なのに銀等級や他の等級の仕事を請けているのよ」
「俺は元々、銀等級のままでよかったから金等級昇格の依頼を何度か蹴っていたのだが、しつこく食い下がられてな。諦めさせようと思って『今までのように依頼を請けて仕事をすることを許すならば、昇格してもいい』と言ったんだ。そうしたら中央から来た官吏がそれで構わないというので、まあ、じゃあやるかと思って昇格した」
「じゃあやるかって……。なんか、嫌だ」
妖精弓手は何とも形容し難い顔である。彼女の意見ではないが、金等級で他の等級の仕事を請けることに難色を示す冒険者は確かに存在していた。
「嫌って……」
「おい耳長の。人に聞いておいて随分じゃないかえ」
「美味い! なんじゃいな、この肉は……!」
炙った途端から脂の滲み出る肉に、たっぷり香辛料をまぶして焼き上げた串焼き。香ばしくじゅわっと肉汁が出る柔らかい食感を気に入った鉱人道士は串焼きを無心になって齧りつく。
「おお、口にあったようで何より」
鉱人道士の快哉に、蜥蜴僧侶は自慢げに牙を剥いた。
「沼地の獣の干し肉だ。香辛料もこちらにはない物を使っておる故、珍しかろう」
「これだから
妖精弓手は顔をしかめ、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「私たちは仲良くお野菜食べましょうね!」
「え、あ、ああ……そうだな……」
わが友よ!と言わんばかりに破顔一笑する妖精弓手に、微妙な顔で応じる森人の斥候。彼女は横目に炙られている串焼きを見ている。流水剣と魔女は互いに顔を見合わせて笑う。自分たち
「あの、よかったらスープ、食べます? 炊き出しで作るようなものですけど」
「いただくわ!」
「いただこう……」
女神官はというと、手慣れた様子で何種類かの乾燥豆を混ぜ、スープを調理していた。妖精弓手は肉を受け付けなかったら、その提案には耳が跳ねるほど喜んだ。
「あっさりとした味付けでいいわね、これ! じゃあ、私も何かお返しをしないとけないわね」
妖精弓手はそう言うと、荷物から葉に包まれた薄く小さなパンを取り出し、一行へ配った。ふんわりと甘い香りが漂うが、砂糖や果実の類のそれではない。
「これは乾パン……じゃないですね。クッキーとも違うような……?」
「森人の保存食。本当は滅多に人にあげてはいけないのだけど、今回は特別」
「美味しい!」
「そ、良かった」
食べてみた女神官からの賛辞に妖精弓手は気のない素振りを見せつつ、どこか嬉し気に片目を閉じてみせた。
「ふぅむ! 森人の秘伝が出たとなると、わしらも対抗せねばならんの……」
鉱人道士が持ち出したのは、厳重に封印を施してある陶器の大瓶である。とぷん、と揺れる水の音。栓を抜いて椀に注げば、酒精の匂いが漂う。
「ふふん、わしらの穴蔵で造られた、秘蔵の火酒よ!」
「火の……お酒?」
妖精弓手が興味津々といった様子で、鉱人道士が手酌した酒を覗き込む。
「おうとも。まさか耳長の、酒も飲んだことないなんざ、
「ば、馬鹿にしないで、鉱人!」
妖精弓手はそう言って鉱人道士の手から椀をひったくった。並々と注がれた酒を、じいっと睨むように見て。
「透明だけど、お酒って葡萄の奴でしょう? 飲んだことあるわよ。子どもじゃないし……」
こくん、と。彼女は火酒を口に含んだ。
「……? ──ッ! !? !? !? !? !?」
途端、妖精弓手はあまりの辛さにケホケホと咳き込み始める。妖精弓手が目を白黒させて悶え、女神官が慌てて水筒を差し出す最中、流水剣たちも火酒を飲んでみる。流水剣も愛飲している蒸留酒をゴブリンスレイヤーや鉱人道士に勧めてみると鉱人道士にも好評であった。ゴブリンスレイヤーは黙ってがぶりと飲んだ。
よせばいいのに琥珀色の液体に興味を持った妖精弓手が飲んでしまい再び悶絶する事態にもなったが、夜の宴は賑やかで楽しい雰囲気のものだった。
顔を真っ赤にした妖精弓手がゴブリンスレイヤーに何か出せと詰め寄った。ややあって彼の雑嚢から、乾燥して固められたチーズの塊が転がり出る。
「ほう」
蜥蜴僧侶が舌先で鼻を嘗めた。見慣れないようで、しげしげと首を伸ばす。
「なんですかな、これは」
「チーズだ。牛や、羊の乳を、発酵させ、固める」
「なんじゃい、鱗の。お前さんチーズを知らんのか」
と鉱人道士。蜥蜴人には家畜を飼うという文化がなかった。妖精弓手が石を研磨したナイフでチーズを人数分に切り分ける。
鉱人道士の提案でチーズを炙ることになり、女神官が用意した串で刺して火にかけた。
「甘露!」
それぞれ食べてみると、快哉を上げたのは蜥蜴僧侶だ。長い尻尾が地面を叩いた。
「甘露!甘露!」
流水剣が物は試しにとろけたチーズを焼いた肉にかけて食べてみると、これが美味かったので魔女にも食べてみるように言って差し出す。
「……っ」
「美味しいよ、ほら」
魔女が何か言いたげに流水剣を見てから、彼が持っているチーズかけ肉を食べてみる。身を乗り出して串焼きを食べる格好になる。
「美味しいだろう?」
「そう、ね」
帽子のつばで隠れている顔がほのかに赤い。横で見ていた女神官が酒でも飲んだかのように赤くなっている。
蜥蜴僧侶が真似てみてその美味しさに咆哮を上げる中で、流水剣と魔女を面白くなさそうに森人の斥候が見ている。
「君もどうだ?」
「っ! 是非とも」
「ちょっとグラムドリング! お肉は森人の口には合わないわよ」
「ま、まあ、試しに食べてみてもいいと思うんだ」
「この子が鉱人臭くなったらどうするの!?」
妖精弓手の言葉から鉱人道士とまた口合戦が始まり、みんなの意識が森人と鉱人に逸れた隙に森人の斥候は流水剣から差し出されたチーズかけ串焼きを齧りついた。嬉しそうに食べて気づかれる前に飲み込んだ。
「のう、なぐり丸。その太刀、ちくと見せてくれんかのう」
流水剣が鉱人道士に日輪刀を渡す。鞘から抜き放って刀身を見る。流水剣の刀の色は深い水色で、彼が水の呼吸に高い適性を有している事を示している。刀身には“惡鬼滅殺”の意匠が刻まれており、鬼殺隊最高位たる水柱の証である。
「ほっほ、美しい刀身じゃ」
刀身や柄、鍔元をしげしげと観察する鉱人道士。
「そんなの見て、何が面白いのよ」
「まったく、これだから耳長は。この鋼の良さがわからんとはな。途轍もない切れ味に頑丈さ。そしてこの刀身に宿る尋常ならざる気配。この刀を打った職人はとんでもない腕利きよ。古の鉱人でさえ、打つのは困難じゃろうよ。そして同時に、この職人は常軌を逸しておる。作品にここまで情念を込められる人間とは恐ろしいのう」
「へー」
と、鉱人道士の説明に相槌し日輪刀を見つめる妖精弓手。
「でも、刀身は水みたいで綺麗よね。だけど、なんか怖いわね」
妖精弓手がただならぬプレッシャーを感じる刀身を見る。剣の乙女の鑑定で日輪刀は刀匠の鬼への憎悪が残り、日輪刀が四方世界に渡ったときにその憎悪によって絶対に壊れない不壊の妖刀と化していた。
「確か、鬼狩り殿はこの湾刀で竜も討滅されたとか」
「そうですよ」
「成程成程。術士殿の説明に納得しかありません。拙僧が竜になれば、鬼狩り殿と戦うこともあるのやもしれませんな」
「チーズ好きの竜と戦うなんて初めてになるな……」
流水剣は須佐之男命が八塩折之酒を使って八岐大蛇を倒した話を思い出す。
「大きなチーズを食べている間に斬りかかるとしよう」
「ふはは。いいですぞ。挑まれてこその竜ですからな。我が屍の上にこそ栄誉がありますぞ」
蜥蜴僧侶と流水剣の物騒な話に狼狽する女神官。
「え、あ、あの、本気じゃないですよね」
「は、は、は、は。無論、竜に成れればの話であります故」
「勿論、鬼でもなく人を襲わない相手を斬るつもりはないよ」
笑い合う二人に女神官は顔を引き攣らせた。魔女は長煙管をもって悠然としている。
「男の子、なんて……、そういう、もの、よ」
◇◆◇
巣穴は、広野の中に忽然として現れたように見えた。いや、果たしてそれを巣穴と呼べるのだろうか。大地に半ば埋まれるように盛り上がっている、大理石で作られた四角い入口。洞窟の類ではない。明らかに人工物。古代の遺跡だ。それが、沈みかかった太陽の光を反射し、ぎらりろ血の色に光っている。
見張りのゴブリンは二匹。入口の両脇に、手には槍を持ち、粗雑な革鎧を着て、並んで佇んでいた。その傍らには狼が侍っている。
「GURUU……」
「GAU!」
ゴブリンたちの様子を、彼方の茂みから森人の斥候と
「ゴブリンのくせに番犬まで連れているなんで、生意気よね」
「狼が多いとは、余裕がある群れのようだな」
「そのようだ」
森人の斥候の呟きに、傍らに伏せていたゴブリンスレイヤーが応じた。
彼らは打ち合わせをして妖精弓手の狙撃によってゴブリンたちを仕留めることにする。
弓弦が
矢が大きく弧を描く。右にいるゴブリンの頸椎が真横から吹き飛んだ。そのまま頬を突き抜けた矢は、左のゴブリンの眼窩に飛び込み、貫く。
何が起きたかわからないまま、飛び起きた狼が咆哮をあげんと顎を開いた瞬間、第二の矢が射貫き発声することもできず狼はこと切れる。
一党は驚嘆し、妖精弓手はドヤ顔をかまして、ふふんと自慢げに鼻を鳴らす。
「充分に熟達した技術は、魔法と見分けがつかないものよ」
「それを儂の前で言うのかね」
技術と魔法に長けた鉱人道士が顔をしかめて言った。
「二.……妙だ。奴らは何かに怯えていた。勤勉なゴブリンなど、いてたまるか」
妖精弓手が仕損じた場合に備えて、後詰めに
流水剣も気になることだった。上位種がトップである群れだとしても先程のゴブリンたちには違和感があった。そして、何よりもこの小鬼退治の専門家が妙だという事態である。ただの小鬼退治と思うのは心得違いというものだろう。
「みんな、油断せず行こう」
ずかずかとゴブリンの死体に歩み寄るゴブリンスレイヤーは、死体の傍らに跪く。
「あ、えっと……」
何をするか察したのだろう。強張った笑みの女神官が表情だけでなく、声まで
「て……て、手伝い、ますか?」
「必要ない」
ゴブリンスレイヤーは至極あっさりと答えた。ほっと息を吐く女神官の顔は、青ざめていた。
「何するの?」
好奇心旺盛な妖精弓手が軽快な足取りで近づき、ゴブリンスレイヤーの手元を覗き込む。ゴブリンスレイヤーの手には、いつの間にかナイフが握られている。
彼はそれをゴブリンの腹に突き立て、無造作に臓腑をかき回していた。
「……ッ!?」
妖精弓手が顔を強張らせる。彼女は慌ててゴブリンスレイヤーの腕を引いた。
「ちょ、ちょっと! いくらゴブリンが相手だからって、何も死体を、そんな……」
「奴らは臭いに敏感だ」
「……は?」
答えになっていない答えを、ゴブリンスレイヤーは淡々と言った。革の籠手をべっとりと血で染めながら、彼はゴブリンの骸から臓物を引きずり出す。
「特に女、子ども、森人の臭いには」
「え、ちょっと……。ね、オルクボルグ。まさか、と思うけど──……」
答えの代わりに、ゴブリンスレイヤーは臓物を手ぬぐいで包み、引き絞る。
妖精弓手は彼の鎧兜の汚れの正体に思い至り、顔面蒼白になる。
「あ、ゴブリンスレイヤー。うちの二人はちゃんと匂い袋を持っているから、臭い消しは要らないよ」
流水剣が事もなげに言う。彼が背後に守るようにしている魔女と森人の斥候が匂い袋を持ってゴブリンスレイヤーに見せる。まるで、その様子は匂い袋がゴブリンスレイヤーを寄せ付けないための御符であるかのようだ。
「そうか」
ゴブリンスレイヤーは頷いて、妖精弓手へ歩み寄る。
「い、嫌よ! ちょっとなんとか……」
助けを乞うように女神官に縋るように見るが、女神官は陸に打ち捨てられた魚のような目で、妖精弓手を見ていた。可憐な少女は力なく微笑んだ。
「慣れますよ」
やっぱり妖精弓手は洗礼を受けてもらわないとね!
妖精弓手は超トールキン人ですが森人の斥候もスーパーレゴラスなんでが出番は次回!あるはず。
この先待っているオーなんとかさん、超勇者ちゃんがLV30で殴り合うはずの中ボスなので間違いなく強い相手なんですよ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
06
見張りの死体を藪に隠した一行は遺跡へと踏み込んだ。白亜の壁に囲まれた狭い通路は、徐々に下り道になっているようだった。前衛を務める森人の斥候は拾った長い枝で、行く手の床と壁をコツコツと叩く。そして紐に結んだ小石を放り、それが無事に転がるのを確かめて、するすると手繰り寄せる。
「罠はないな」
「拙僧が思うに、これは神殿だろうか」
「この辺りの平野は、神代の頃に戦争があったそうですから」
「その時の砦かなにか……。造りとしては、人の手による物……のようですが」
女神官が私見を披露する側でめそめそと泣く声が聞こえる。
「……大丈夫かの、耳長娘」
痛ましげに
「うぇえ……。気持ち悪いよぉ……」
さしもの鉱人道士といえど、この有り様の彼女をからかう気はないらしい。妖精弓手の隣で、ゴブリンスレイヤーが淡々と言った。
「慣れろ」
彼は既に剣を抜いていた。妖精弓手はぎろりと彼を睨む。もっとも目尻には涙が滲み、長い耳が情けなく垂れているので、迫力は皆無だった。
「……戻ったら、絶対覚えてなさい」
「覚えておこう」
ゴブリンスレイヤーは素っ気無く言った。
彼の前を魔女と並んで歩いている流水剣が、ゴブリンスレイヤーと妖精弓手の会話を聞いて微苦笑を浮かべる。
──律義者め。
魔女は杖に明りを灯し、腰をふるように歩いている。光源は充分一党たちとその行く先を照らしている。松明よりも明るい。古き森人たちの火除けの結界は、遺跡の奥底にまで及んでいる。彼女の魔法のほうが炎よりも明るく照らしてくれる。
「
鉱人道士は口髭を捻りながら言った。
妖精弓手の様子を見かねた女神官が、そっと、後から慰めるような声をかける。
「あの、洗えば落ちますから……少しは」
「……苦労してそうね、あなたは」
「ええと、もう、慣れました」
女神官は困ったように笑う──彼女もまた、聖衣が赤黒い汚れで染まっていた。白磁等級である彼女は匂い袋を購入するお金を用意できなかった。
前から順番に森人の斥候、流水剣、魔女、ゴブリンスレイヤー、妖精弓手、女神官、鉱人道士、蜥蜴僧侶という陣形。通路の幅は二人並んで余裕があったため、女神官を二人ずつ挟む形になった。彼女は白磁等級。一行の中で最も弱く、脆い。守らなければならない存在である。
「地下は慣れとるんじゃが……なんぞ気持ち悪いの、ここは」
鉱人道士が額の汗を拭って毒づいた。遺跡はゆるい傾斜がどこまでも続いていた。
「直線に、見えて……通路が、曲がって……いる……、みたい」
「魔女の指摘の通り、通路が螺旋状になっていてそれが平衡感覚を狂わせているんだろう」
「なんだか、塔の中にいるみたいな気分ですね……」
「古代の砦というのであれば、こういう造りもあり得るのだろう」
女神官も息を吐き、蜥蜴僧侶が応じた。
「古代の城塞……こんな時でなければ調べてみたいな」
「まったくだわ。こんな状況じゃなきゃ、もっと色々見てみたいんだけどなぁ」
流水剣の呟きに、妖精弓手が同意した。ややあってようやく下り道が終わると、通路はそこで左右に分かれている。一見して特に差異のない同じ造りの通路が、T字型に伸びていた。
「待て」
途端、森人の斥候が鋭く言った。
「どうした」
「動かないで」
妖精弓手がゴブリンスレイヤーに短く命じて、彼女は腹ばいになって床に這い蹲る。そっと前方の石畳の隙間を細い指先でなぞり、丹念に探っていく。
「鳴子か」
「多分。真新しいから気づいたけど、うっかりしてると踏んでしまうわね。気を付けて」
妖精弓手が指示した床は、僅かに浮き上がっていた。踏むと機構が動いて音が鳴り、奥にいるゴブリンたちが侵入者に気づくだろう。
螺旋通路を下った直後で、集中力、感覚もおかしくなってしまい見落としてしまうかもしれなかった。
鉱人道士がまだ見ぬゴブリンに悪態をつく、その前方でゴブリンスレイヤーは辺りを見渡した。
「どうした?」
「トーテムが見当たらん」
「あ、そういえば……」
流水剣の問いに答えたゴブリンスレイヤーの言葉に、女神官は納得したように首をふる。
「ゴブリンシャーマンが……いない……という、こと」
ゴブリンスレイヤーの短い回答に疑問符を浮かべる何人かの冒険者へ、魔女がゴブリンスレイヤーの言葉を補完した。
「あら、
妖精弓手が楽観的に受け止め、笑顔で手を打った。
「いや」
蜥蜴僧侶がシューッと鋭く息を吐く。
「察するに……いない、というのが問題なのだろう。小鬼殺し殿」
「そうだ」
ゴブリンスレイヤーは頷き、剣の切先で鳴子を示す。
「ただのゴブリンどもだけでは、こんなものは仕掛けられん」
「真新しいのなら遺跡の仕掛けではないな」
「シャーマン以外の上位種か、あるいは別の存在がゴブリンを指揮しているのかもしれないな」
「そう見るべきだ」
森人の斥候と流水剣の見解に、ゴブリンスレイヤーは頷く。
「足跡は分かるか?」
ゴブリンスレイヤーの問いに、妖精弓手が申し訳なさそうに答える。
「……洞窟ならともかく、石の床だと」
「ならば、ここは私が見てみよう」
森人の斥候が床の減り具合からゴブリンがねぐらとしているのが左側であると看破する。
「どうやってわかったの?」
妖精弓手が不思議そうに森人の斥候に訊ねる。
「奴らは左から来て右に行って戻るか、左から来て外に向かっている」
森人の斥候の説明に妖精弓手がなるほど、と感心した素振りをする。ゴブリンスレイヤーは剣を突き出して、右の道を示す。
「こちらから行くぞ」
「ゴブリンたちは左側にいるんじゃないの?」
妖精弓手が胡乱げに問うても、ゴブリンスレイヤーはずかずかと歩いていく。
「ああ……だが、手遅れになる」
「なにが?」
「行けばわかる」
「……むこうからは酷い臭いがするな」
鋭敏な感覚を持つ流水剣は右の道の奥から悪臭を嗅ぎ取った。
「ゴブリンに攫われた人がいるかもしれない。それを確認するためだ。それに右側にもゴブリンは向かっているのなら、そこにゴブリンが潜伏していた場合、背後から攻撃されるかもしれないから、念を押すためにも右の道を確認しておきたいんだ」
妖精弓手は納得して、通路を進んでいく。次第に流水剣でなくても気づくほどにむっとするような臭気が漂い出した。ねっとりとべたついた空気。妙に酸味が、呼吸と共に肺腑へ取り込まれていく。
皆がそれぞれ警戒していくなか、妖精弓手は女神官の様子を気にかかる。彼女の歯が、かたかたと鳴っていた。女神官はこの臭いに覚えがあるのだ。
「意識して、口で呼吸しろ。すぐに慣れる」
ゴブリンスレイヤーは振り返らず、ずかずかと無造作に奥へ突き進んでいく。
臭気の源は遺跡の一画で、腐りかけた木の扉が嵌っている。
「ふん」
ゴブリンスレイヤーはそれを躊躇なく蹴り破る。ドアは室内へ倒れると、木板で床の汚液が音を立てて飛び散った。
そこは、ゴブリンどもの汚物溜めであった。食べかす、腐肉のこびりついた骨、垂れ流された糞尿、ゴブリンの犠牲になった死骸、がらくたの山。
大理石で作られた白かったはずの壁や床は殆どゴミに埋まり、赤黒く汚れていた。その中に、薄汚れた金色の髪が覗いていた。鎖に繋がれた脚も。やせ衰えた四肢には無残な傷跡がある。腱を断れたのだ。それは森人だった。汚濁にまみれ、憔悴しているが、彼女の左半身は美しい容貌をとどめている。
だが右半身は違う。女神官は、まるで葡萄の房を埋め込まれたかのようだと思った。白い肌が見えないほど青黒く腫れ、目も乳房も、何もかもが潰れている。
その意図は明白だ。ただ、彼女を嘲り、いたぶるためにゴブリンがしたのだ。
女神官の頬は、瞳の青が拡散したように青ざめ、魔女も顔色は蒼白で痛ましげその美貌を曇らせる。
「うぇ、おえぇえぇぇ……っ」
妖精弓手がうずくまって胃の中身をびしゃびしゃと吐いて、森人の斥候はその横で、吐き気を覚えて口を押さえている。
流水剣は怒りで拳を固く握った。予期していたこととはいえ、彼の中でゴブリンへの嫌悪感は、殺意へと生化学反応を生じて変化している。
「……なんじゃい、こりゃ」
「小鬼殺し殿」
鉱人道士は鬚を捻っていたが、顔が強張っているのを隠しきれていない。表情のわかりづらい蜥蜴人の顔にさえ、嫌悪感が溢れ出ていた。
「初めて見るのか」
ゴブリンスレイヤーの静かな言葉に、妖精弓手は口元の汚れを拭う事もなく、こくんと頷いた。目からは涙がボロボロ零れ、耳がぺにゃりと垂れている。
「そうか」
ゴブリンスレイヤーは頷いた。
「……して、……ころして……ころしてよ……」
微かに漏れた啜り泣きは囚われた森人のものだ。彼女はまだ息があった。
女神官は慌てて駆け寄り、その身を支えた。汚濁が手につくことなど気にも留めなかった。
「
「待って……、弱って、いるから……喉に、詰まる……かもしれないわ」
魔女が近づいてきて、彼女の身体を検めた。
「傷そのものは命に関わるものではない。が、危ういな。憔悴しきっている。奇跡を」
「はい……!」
女神官は胸元に錫杖を手繰り寄せ、手を傷ついた森人の胸へと添える。
「《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触りください》」
聖職者が神の奇跡をもたらしているのを横目に、ゴブリンスレイヤーは妖精弓手へと近づく。
「知り合いか?」
妖精弓手はうずくまったまま、ふるふると力なく首を左右に振った。
「たぶん……たぶん、私と同じで冒険者だと……思う」
そうかとゴブリンスレイヤーが頷くその横を、流水剣が通り過ぎる。女神官と蜥蜴僧侶が訝しげに彼を見上げる。
ヒュゥゥゥゥと呼気が流水剣の口から発する。そうして雷霆の如き迅速さで抜刀した流水剣は日輪刀を汚物の山に突き立てていた。そのあまりの速さは直近で目撃した魔女や女神官であっても、抜刀と刺突の過程を視認できず、まるで時間が消し飛んだようだったかのように錯覚した。
汚物の中からぎゃっと悲鳴があがった。日輪刀の刺突によって吹き飛んだ汚物の中には、延髄を刺し貫かれたゴブリンがいた。手から毒短剣が零れ落ちる。
エルフの背後、汚物の山にそれが潜んでいた事は、流水剣を除けばゴブリンスレイヤーと虜囚の森人以外気づいていなかった。
「あいつら……みんな、ころしてよ……!」
囚われていた森人の冒険者は、血を吐くようにしてそう叫んだ。流水剣は日輪刀を引き抜き、刀を振るって血を振り抜き、ゴブリンの衣服で血脂を拭った。
「任せろ。それが俺の仕事だ。俺は魔性を屠る」
「無論だ」
流水剣は力強く、ゴブリンスレイヤーは淡々と応じた。
妖精弓手は力なく項垂れている。艶やかな髪が、頭部のうごきにつれて揺れたが、それはこのとき、いつもの華麗さではなく憂愁の花粉をまきちらすようだった。
ゴブリンの生きとし生けるものへの悪意に彼女は魂を底まで冷たくした。そして、その悪意と向き合い続ける流水剣やゴブリンスレイヤーが遠い異境の異邦人のように見えた。
「あなたは、いつも奴らを狩りつづけているの?」
流水剣の琥珀色の瞳が鋭気を込めて、妖精弓手を見据えた。
「それが俺のできる唯一のことだ」
◇◆◇
森人の虜囚を森まで送り届ける役目を買って出たのは蜥蜴僧侶だった。彼は腰に下げた袋から小さな牙をいくつか取り出し、それを床にばら撒く。
「
すると音を立てて散らばった牙は、原型を失い蕩けて沸騰するようにして膨れ上がった。程なくして牙は直立した蜥蜴の骨の姿となり、蜥蜴僧侶に
「父祖より授かった奇跡、《
事情をしたためた手紙をもたせ、竜牙兵は森人を担ぎ上げ、出発する
ゴブリンスレイヤーが蜥蜴僧侶に竜牙兵を戦力として利用できるか確認をしている横で、妖精弓手はうずくまって啜り泣き、女神官が彼女の背をさすっていた。
「なんなのよ、もぉ……こんなの、わけわかんない……っ」
相談を終えたゴブリンスレイヤーがごみ溜めを漁り、弄り、崩し、やがて汚物の中から何かを引っ張り出した。それは明らかに冒険者向けの、帆布で作られた頑丈な背嚢だった。
ゴブリンたちが中を引っ掻き回し、その内に飽きて捨てたのだろう。かなり汚れている。ゴブリンスレイヤーが背嚢の中を引っ掻き回した。
「やはり、あったか」
そして乱雑に丸められた紙片を取り出す。随分と古めかしく、やや黄ばんでいた。
「……何ですか、それは」
女神官が妖精弓手の背を撫でながら、そっと開いた。
「この遺跡の地図みたいだな」
流水剣は流麗な筆致で描かれた図形を指先でなぞった。
あの森人は不幸にもこの遺跡がゴブリンの巣穴になっているとは、思いもよらなかったのだろう。未知の遺跡を踏破するのもまた冒険であればこそ、起こり得る事態。
「左の道の先は回廊だ」
ゴブリンスレイヤーは丹念に地図を調べながら言った。
「吹き抜けになっている。十中八九、其処だ。奴らが寝られるほど広い場所は他にない」
ゴブリンスレイヤーは無造作に地図を折りたたみ、自分の雑嚢に押し込んだ。
「左で正解らしい」
「……ふん」
鉱人道士は不機嫌そうに鼻を鳴らした。ゴブリンスレイヤーはその他、軟膏などいくつかの品を森人の荷物から取り出す。そしてその背嚢を、無造作な手つきで妖精弓手へと放った。
「……?」
「お前が持て」
俯いていた妖精弓手が、背嚢を受け取ってきょとんと顔をあげた。擦ったせいか、潤んだ目尻を赤く腫れていて、酷く痛々しい表情だった。
「行くぞ」
「ちょっと、そんな言い方は……!」
「……良いの」
声を荒げた女神官を遮って、ふらつきながら妖精弓手が立ち上がる。
「行かないと、いけないものね」
「そうだ」
ゴブリンスレイヤーは淡々と応じた。
「ゴブリンは殺さなければならん」
左の道は一点、まるで迷路の如く入り組んでいた。砦ならばこその構造である、地形を把握していなければ進むことも難しかったことだろう。流水剣たちには地図があったし、罠に関しても探索者は二人いる。途中、警邏中のゴブリンに遭遇することは何度かあったが、概ね、順調だったといえる。
ゴブリンは妖精弓手が短弓で射殺し、仕留め損なえば、ゴブリンスレイヤーや森人の斥候が飛び掛かる。一行に遭遇して生き延びたゴブリンは一匹もいなかった。
神業な射芸の妙を持つ妖精弓手が幾度か仕留め損なった事から、女神官は彼女の精神的失調を危惧した。
幾度目かの、そして回廊を前にした最後の小休止。使える呪文の数の確認など行った。
「飲みますか?」
「ありがと」
女神官が未だに顔色が悪い妖精弓手に水袋を渡す。妖精弓手は喉を潤すところを見てゴブリンスレイヤーが忠告する。
「あまり腹に物を入れるな。血の巡りが悪くなる」
「もう少し労ってあげてもっ!」
「誤魔化す必要がない」
ゴブリンスレイヤーはいつも通り淡々として動じていない。流水剣は何と声をかけていいのかわからずにいる。
「行けるのならこい。無理なら戻れ。それだけだ」
「馬鹿言わないで! そんなこと、できるわけないでしょう!? 同胞があんな目にあって黙ってられないわよ。それに近くには私の故郷だって!」
「そうか。なら行くぞ」
妖精弓手の激昂や心情などどこ吹く風のゴブリンスレイヤー。彼らしいと言えば彼らしい態度だ。
「落ち着け、耳長の。敵地で騒ぐもんじゃないわい」
「……そうね」
落ち着くために呼吸を整えた妖精弓手。
「鉱人に従うの不本意だけど、正しい意見ね」
「ほ、調子が戻ったようじゃの」
先程とは顔色が変わった彼女に続くように、他の者どもが歩き出す。
回廊へと行き当たった。手振りで先行する旨を伝えると、森人の斥候は妖精弓手を連れて猫のような足取りで前へ出る。妖精弓手が気落ちしているため森人の斥候がそれをフォローする形だ。
森人の斥候や妖精弓手が見たのは、広大な空間だった。回廊にはゴブリンがはびこっていた。それも一〇匹や二〇匹ではない。それを越える、気が遠くなるほどの数。
これほどの数のゴブリン。数の暴力が自分に迫ったらと想像すると、妖精弓手の胸郭の中で心臓が跳ねあがった。脳裏に虜囚となったあの森人が想起された。彼女はあれだけの数の小鬼どもの慰みものにされたのだ。そして、何か迂闊なことをすればそれは妖精弓手の未来にもなり得る。そして自分はその凌辱に耐えらえる精神的骨格を持ち合わせていないと、妖精弓手は思った。
「大丈夫か」
森人の斥候に声をかけられて、妖精弓手は笹穂形の長い耳がビクンと跳ねあがった。
「お、脅かさないでよ……」
妖精弓手が小声で文句を言うと、すまない、と森人の斥候が謝ってくる。
「そんなつもりはなかったよ」
妖精弓手が恨めしげに睨んでくるが、森人の斥候は肩を竦めてみせる。
「さあ、相談しに行こう」
◇◆◇
ゴブリンスレイヤーの発案に鉱人道士がまず呪文を使う。手にした赤い壺の中身をグビリと呷る。
「《呑めや歌えや
《
ゴブリンたちは自分の声が出ないことに気づいた。それは回廊の上に鉱人道士とともに立つ女神官によるものだった。
「《いと慈悲深き地母神よ、我らに遍くを受け入れられる、静謐をお与えください》
それは《
ゴブリンスレイヤーはゴブリンたちが持つ短剣で、ゴブリンたちの喉笛を切り裂いて容赦なく殺す。
女神官と鉱人道士の呪文を維持している間に、手早く片付けてる必要があった。
魔女は必要なときのために、《
小鬼の抹殺はゴブリンスレイヤーだけでなく、流水剣、森人の斥候、蜥蜴僧侶が行なった。流水剣は最初に仕留めた一匹が持っていた棍棒を使ってゴブリンたちの頭部を潰して抹殺していく。森人の斥候は自分が持つ
流水剣は淡々としてゴブリンの頭を潰し続ける。脳漿と血で汚れる棍棒を機械的に振るい続ける。流血に酔うなどということは彼には起こり得ない。
流水剣は、人界最強の剣士と異名をとるほどの冒険者だが、それは彼が不必要に好戦的であることを意味しない。殺伐とした気性や残忍性、いたずらに武力を誇るなどの行為は、彼とはまったく無縁のものだった。
三〇分もかからず広間のゴブリンたちはすべて討滅された。流血に白い床は穢れた、血の海が出来上がっていた。
やがて全員が揃って広場を出ようとした、その時だ。
ずん、と大気が震えた。無音空間の中で、その衝撃だけが轟いたのだ。誰もが立ち止まった。
流水剣は棍棒を投げ捨て日輪刀を抜刀する。ゴブリンスレイヤーは素早く盾を構え、油断なく剣を抜き放つ。ゴブリンから奪った剣だ。森人の斥候はナイフを納めて突剣を抜き放つ。
そして暗闇の中から、それが姿を現した。
青黒い巨体。額に生えた角。腐敗臭の漂う息を吐く口。手にした巨大な戦鎚。驚愕に目を見開いた森人の斥候が、呟くように声を絞り出す。
「オーガ……ッ!」
ようやく音の戻った世界で、その名前が木霊した。
ここら辺までのお話の流れにオリジナリティを追加したくてもうまく入れらなかったのは残念無念です。強いて言えば、人数が多いからゴブリン退治が早く済むくらいですかね。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
07
オーガは森人の遺跡で激情にまかせて荒れていた。彼の怒りに触れてゴブリンたちが殺されていた。
自分が魔神将から任された任務の重大さを彼は理解している。秩序側の会議や軍事行動などで手薄になる敵国内部にあるエルフの里に混沌の橋頭保と補給拠点を作り出して軍を編成して攻める。
魔神王たちにとって重要な作戦を任されたことは光栄なことであるとオーガも理解している。だが、彼の本心は秩序の軍勢と正面戦闘を望んでいた。それも父親が戦死したことで復讐をしたいという私的な理由があった。
「ここで耳長どもを相手にしなければならぬのか……」
「お困りの様ですな」
しわがれた声がオーガにかけられた。黒い長衣に身を包んだ老魔術師は一礼した。
「お前は……、ここに何の用だ」
老魔術師は、魔神王軍に仕えている老魔術師だ。魔神将たちは彼を信頼し、重用していた。老魔術師は魔術師としても優れていたが、それ以上に、どこで学んだのかと驚嘆するほど広範にわたる知識の持ち主だった。星の運行、古き神代の話、歴史、地理、天候の変化、薬学や遠い異国の生物など、様々なことを知っていた。そして、その知識を魔神王の軍勢にたびたび役立ててきた。
「あなたに贈り物をと思いまして。こちらを差し上げます。お役立てください」
老魔術師の後ろに突如として竜が出現した。ずんぐりとした体格は蜥蜴に似ているが、その体長は長大な尻尾を含めれば三〇メートルに達するだろう。全身を分厚い鱗で覆い、顔つきは猛々しく、頭部から二本の角を生やしている。強靭な脚の先には鋭い爪があった。太い首には大きな鎖が巻かれている。
「な、なんだ、竜か? 一体どこから現れたのだ?」
老魔術師はオーガの疑問には答えず、竜について話し出した。
「調教は済ませております」
「調教……」
オーガは身の丈より大きい竜を見て唾を飲み込む。その竜が内包する暴威は彼自身を滅ぼすことも可能だろうという事実に、オーガは緊張する。
「これを森人の里の侵攻にお役立てください。小鬼どもの群れとともに攻めさせればより脅威となりましょう」
オーガは先程までとは打って変わって冷静に考える。森人にも優れた戦士たちがいる。里にその精鋭たちがいれば、オーガ一人で戦えば手こずることだろう。ゴブリンどもは戦力としてそもそも当てにはしていない。
「何故、こいつを俺に寄越すのだ?」
「先の戦いで御父君が戦死されたことを、魔神将は重く受け止めており戦力の拡充ができないかと私に相談されました。そこで私の
老魔術師は喉の奥で鳴らすような笑い声をあげた。
「この竜があれば里の制圧も容易いことでしょう。餌はゴブリンでも構いません。こやつらを適当に食わせればよろしい」
老魔術師は酷薄な眼差しを竜に威圧されているゴブリンたちに向けた。
「……いいだろう、使ってやろう」
「竜の統制にはこの腕輪を使うことで、意思を伝えることができます」
老魔術師が差し出した腕輪を、オーガが受け取る。オーガの手に渡れば腕輪はオーガのサイズに変化した。
◇◆◇
「ゴブリンどもがやけに静かだと思えば、雑兵の役にも立たんか……」
オーガは裂けた口から呼気を漏らした。吼えるような声音だった。
「貴様ら、先刻の森人とは違うな。ここを我等が砦と知っての狼藉と見た」
痺れるような殺気が冒険者たちを突き刺した。金色の瞳が炯々と輝いている。
冒険者たちも、即応状態へ移る。
「あれは……ゴブリンではないな」
ゴブリンスレイヤーは鉄兜の奥から見上げて、ただの事務的な確認であるかのように淡々と呟いた。
「オーガ、という怪物だ。前に何度か、見た事がある」
流水剣は日輪刀を抜刀しながら、ゴブリンスレイヤーへ教えた。
流水剣とゴブリンスレイヤーの様子に、妖精弓手は信じられないとばかりに見ている。何か言ってやりたいが、今の状況から余裕もなくオーガに向けて短弓を番えた矢を引き絞っていた。魔女や森人の斥候としては二人の様子には今更驚きはしない。
オーガにとってこの
「その青い
「お前……あの時のオーガの」
「ああ、息子だ。はははは、仇討ちの機会を得ることができるとはな! 出でよっ」
オーガの呼びかけに応じるかのように、遺跡の最奥から大気を震わせる咆哮が響く。冒険者たちの心臓は強烈にステップを踏んで踊りまわった。
彼は老魔術師から託された竜を呼び出したのである。オーガは嗜虐的な笑みを浮かべた。彼は今、血に酔っていた。
「貴様らの死体でグーラッシュにしてやろう。卑しきものどもの肉ではさぞや不味かろうなぁっ!」
オーガが巨大な口をあけた。凄まじい咆哮が、その咽喉から迸った。こだまが完全に消え去らないうちに、オーガの巨体が前進する。
巨大な戦鎚が、流水剣に襲いかかった。
流水剣は、跳び下がり一撃を避ける。そこを竜が喰らいつくように巨大な顎が迫る。流水剣は避けながら日輪刀でその一撃をうけた。腕に痺れを感じながら日輪刀を撃ち込む。だが、強烈な斬撃は、尻尾ではらいのけられた。
竜の怪力は想像を絶した。払われた瞬間、流水剣はよろめいたのだ。長靴を鳴らして踏みとどまった彼の目に、ふたたび襲い掛かる戦鎚が映った。攻撃は右からだった。
──水の呼吸
流水剣は避けながら手首を斬りつけた。異様な金属音が響き渡った。
オーガと流水剣の間に竜が割って入り、日輪刀が
戦鎚の第三撃を避け、よろめく流水剣をさらに竜の爪が襲った。
頬骨が砕けるほどの威力だった。だが、オーガは泳ぐ足を踏みしめ、流水剣の胴めがけて戦鎚を薙ぎこんだ。
流水剣が、跳び下がって、その一撃に空を切らせる。同時に、
オーガは、ひと声吼えると、頭上で戦鎚を振り回し、流水剣の頸部めがけて叩き込んだ。しかし、片腕で掴んでいるため動きが鈍り、狙いも甘かったため避けるのは容易い。しかし、オーガを庇うように竜が怒濤のように襲いかかる。日輪刀で、流水剣が、竜の鼻柱を殴りつけた。竜は半歩だけ後退した。流水剣は一足跳びで一〇メートル以上距離をオーガや竜から取る。
流水剣が到達した透き通る世界では、身体の中が透けて見える。それによって相手の骨格も筋肉も内臓の働きさえも手に取るように分かる。そのため、流水剣はオーガや竜の攻撃にも対応している。
敵味方入り乱れた乱戦ならば流水剣単独でも勝ち筋はある。しかし、それでも今のような他の仲間たちを庇うかたちで戦うことでは状況は膠着してしまう。
オーガが掌をかざし、魔法の呪文を紡ぎ出す。
「
流水剣に並ぶように、ゴブリンスレイヤーが立つ。
「すまない、手を貸して欲しい」
「何をすればいい?」
「あのオーガを一瞬でいいから止めて欲しい」
鉄兜がオーガのほうへ向けられる。
「いいだろう」
「あたしも協力するわ」
「儂もまだ
ゴブリンスレイヤーに女神官や
「笑止っ! 貴様らで我を止められるものか!」
腕が再生したオーガの溢れる感情そのままに振るわれた戦鎚が叩きつけられ、白亜の石床が無残に砕け、遺跡が震える。
オーガの双眸には、熱っぽい残忍な輝きがある。青白い巨大な左手を掲げて魔法を放つ準備をしている。
流水剣一党も竜との戦いがある。物見遊山というわけにはいかない。
森人の斥候が豪胆にも竜に躍りこみ、突剣を振るったのである。竜の横面に当たり竜燐を割り、肉を裂いた。血が滲む。彼女の
倒れなくても、
「
竜の、凄まじい反撃は、魔女の魔法によって動きが減衰しつつもその暴威は未だ苛烈。森人の斥候の胴を襲い、凄まじい擦過音を立て、胸甲に皹を入れた。
竜はかけられた魔法が失効し、森人の斥候はかろうじて第二撃をかわし、後退した。
その瞬間に、流水剣が仲間を掩護するため攻め込んできた竜の左腕を、日輪刀で迎え撃ち、竜の左指を三本切断する。指が宙を舞う。
しかし、激痛にも動きが鈍ることもなく、竜は尻尾を振り上げ、振り落とした。巨大な凶器が流水剣の長身を風圧で叩き、大地に食い込む。その一瞬の間に、流水剣は身を翻して、遺跡の中心へ逃れた。
流水剣たちは劣勢を強いられているように見えるが、彼の目には、自分たちの優勢がはっきりと見えている。彼の目に、だけであるかもしれないが。
魔女が
咆哮があがった。上半身を、炎そのものにして、なお竜は眼前の敵を噛み砕かんとばかりに、流水剣たちに襲いかかろうとした。
そのとき、流水剣が持つ日輪刀が閃いた。
──水の呼吸
流水剣が、完璧に時機と状況を計算して日輪刀を一閃させた瞬間、勝敗は決した。竜の首は両断されていた。噴水のように黒っぽい血が迸って、竜の足元に小さな池を作り始める。巨大な竜の頭は、炎に包まれて白亜の石床に落ちている。
首を失った巨体は炎も消え、ぐらぐらと揺れていた。まるで、どちらの方角へ倒れてるか、迷っているように見えた。その首が、前方へ傾くと、巨体は前のめりに倒れた。地響きがたち竜は倒れ伏した。
流水剣の日輪刀が唸りを生じて、オーガへ挑む。僅かな間であっても敵を共闘させなければ、各個撃破することは容易い。
彼が見たのは女神官がオーガの放つ《
「助かった! ありがとう」
飛翔する猛禽の如く大跳躍する流水剣。オーガが見上げるほどの高さまで跳んだ彼は両腕をクロスさせる。
──
「ぬっ、うおっ!?」
オーガの上体を崩したため、流水剣の刃はオーガのこめかみを斬り裂くだけにとどまる。オーガが思わずゴブリンの亡骸を踏み、血脂で脚を滑らせたことで助かった。だが、臆してバランス崩したことで命は拾ったがオーガの自尊心は大いに傷つけられた。
オーガの眼光は、凄まじいほど強烈だった。流水剣たちを睨む目から、鮮血が迸るかと思われた。
闘志を燃やし暴れるオーガにはゴブリンスレイヤーの剣も、
「ぬるいぞ、妖精ども!!」
「ええい、やはり《
オーガは再び巨大な掌を突き出す。
「
呪文が口ずさまれ、見る見るうちに白熱した火球が作り出されていく。あれを放たせてはいけないと、流水剣は駆け跳び上がり、垂直方向に身体ごと一回転しながらオーガの巨木の如き腕を斬りつける。
──
「ぅ、あっ!?」
オーガが呻き、そして焦る。切断され石床に落ちる掌にある火球の制御が彼から離れ、そして暴走した。
蒼く輝いていた火球が爆ぜる。自然、火球に一番近いオーガが燃え盛る業火と熱に晒される。
絶叫をあげて、オーガは焼け爛れて血まみれの顔を抑えた。咄嗟のことで戦鎚を落としてしまった。
──
流水剣がオーガの頭上より斬撃を振るい頭蓋を柘榴のように割る。鮮血と脳漿がまろびでる。
激痛と憤怒にのたうちまわるオーガの声などまるで気にした様子もない男がいた。
「これで詰みだ」
ゴブリンスレイヤーが、淡々とした呟く。
轟音。そして閃光をオーガは見た。
絶鳴は、ごく短かった。
◇◆◇
「危うく俺も巻き込まれるところだった」
流水剣がオーガの腕を斬り、返す刀でオーガを仕留めようとして視線を向けたとき、ゴブリンスレイヤーから光るものをみた。
「お前ならば大丈夫だと思った」
「ご期待に添えられてよかったよ……」
流水剣は嘆息しながら、日輪刀を納刀する。
ゴブリンスレイヤーは《
いかに精強なオーガと言えど不死身ではない。頭部に重大な損傷を受けたまま、胴を割断されては再生する生命力は残されていなかった。
「前に君がゴブリンスレイヤーから依頼を請けたと訊いたが、こういうことだったんだな」
「ふふふ……ちょこちょこっと、ね」
流水剣と魔女の話を訊いていた妖精弓手がゴブリンスレイヤーに訊ねた。
「あれはどこへ繋がっていたの?」
「海の底へと繋げた」
ゴブリンスレイヤーの言葉に、妖精弓手は言葉を失った。
流水剣の一党である魔女に、高い報酬を支払って、海底へ接続してもらったのだ。
「呆れた、たかがゴブリンを殺すために、こんなものを用意したのか」
森人の斥候は血と臓物と海水が混じった臭いに辟易しつつ、ゴブリンスレイヤーに呆れたように呟いた。
「どうでもいい」
ゴブリンスレイヤーは面倒くさげに言って、オーガの亡骸を見た。
「ゴブリンの方が、よほど手強い」
◇◆◇
遺跡の入口まで戻った彼らを待っていたのは、森人たちの用立てた馬車だった。竜牙兵が居住地まで虜囚を送り届けたことで、大慌てで迎えを寄越してくれたのだ。
馬車に同伴する森人の戦士たちは、皆が一様に煌びやかな武具を纏っている。木と革と石のみ、天然素材のみで作り上げられていた。流水剣の見立てでは森人たちも充分な実力者だった。
「お疲れ様でした! 中の様子、ゴブリンどもはどうなりましたか?」
「お疲れ様です」
流水剣が会釈して、森人の戦士たちに説明をした。その間に冒険者たちが馬車に乗り込んでいった。オーガを仕留めた後、遺跡に残るゴブリンを見つけてすべて殺した。
「わかりました。我々は中の探索に入ります。どうぞ、街まではゆっくりお休みください」
流水剣から説明を受けた森人の戦士はそう言って、遺跡の中へと潜っていく。
馬車は走り出す。いつしか陽は沈みいつしか夜を過ぎて、再び昇り始めた。
妖精弓手と女神官は魂を擦り減らし、疲れ切っていていまだ癒えてはいない様子だった。
「………ねぇ」
「ん」
他の一党メンバーが寝息を立て始める中、既に起きていた流水剣に、寝転んだまま妖精弓手が声をかけた。
「あんたら、いつもこんなことやってるの?」
「まあ、そうだな。いつも、こんな感じだ。俺はゴブリンだけじゃないけど」
「……あんた、冒険者よね?」
「ああ」
「冒険、してるの?」
「……ああ」
流水剣は視線を魔女と森人の斥候に向ける。その視線は優しく温かなものだった。
「彼女たちに、冒険へ連れて行ってもらっている」
「……そっか」
彼女にとって、冒険とは楽しい物だ。未知を体験して識見を拡げる。だが、今回の依頼はどうだろう。喜びも、高揚感も、達成感も、何もない。まことに嫌な後味を嚙みしめていた。混沌の脅威を排除した仕事をしたことは間違っているとは思わないが、それとは別に、胸の奥にわだかまる不快感は、どうしようもない。痛めつけられた森人の同胞。ゴブリンたちの屍が浮かぶ血の海。オーガの血塗れの顔を、しばらくは忘れられそうになかった。
彼女は怒っていた。冒険の良さを何一つ知らないまま、延々と小鬼を狩り続ける奴がいることを。冒険を自ら求めずに、延々と怪物を斬り続ける奴がいる。そのことを、彼女は許せなかった。
彼女は冒険者だ。冒険が好きで、森を飛び出した冒険者なのだ。
妖精弓手は決意を秘めた表情で彼に言う。
「いつか必ず──あいつに、『冒険』をさせてやるわ。あんたにも、『冒険』をしたいと思わせてやるわ」
たとえ今すぐは、無理だとしても。妖精弓手はそう決めた。人の生は彼女にとって短すぎる。そうしたいと決めたとき、やらなければ手遅れになる。そうなったとき絶対に後悔すると思ったからだ。
ゴチャッとした戦いは書きにくくてえらい時間がかかってしまいました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
08
つきましては、訂正済みの28話を掲載いたしました。ぜひお手すきの際にお読みいただければ幸いです。
このたびはご迷惑をお掛けしまして誠に申し訳ありませんでした。掲載後の大幅な変更で無用な混乱を起こすような間違いを二度と起こさないよう、細心の注意を払って連載していきます。
今後ともご愛顧のほどお願い申し上げます。
──彼はゆっくりと目覚めた。
流水剣は直近左右で寝ている二人を起こさないように、慎重にベッドから出た。
その日は冒険者稼業を休むと、一党で決めた休暇だった。冒険者の朝はとても早い。活動日であれば依頼を受けに行くため夜明けとともに動き出す。
朝早くからギルドに待機して、張り出される依頼を吟味するのは勿論のこと、街から離れた目的地へと向かう場合は早くに出なければその日のうちに帰って来れなくなってしまう。誰でも好き好んで野宿をしたいとは思わない。
眠ったのは遅かったのだが、流水剣は僅かに残る二度寝を誘う眠気も、軽いストレッチで払いのける。
裸のままだったが、あらかじめ用意していた水をためた桶と手ぬぐいで身体を拭い清めて、飾り気のない麻の服を着こむ。
ベッドの上を見れば魔女や森人の斥候はまだ寝ている。魔女は一糸まとわぬ雪白の姿でその全身からは白光が放射されているようだ。森人の斥候は普段している白粉はなく焦がした琥珀のような淡い柔軟な褐色の肌を晒されている。
まだ外も薄暗い時間帯に流水剣は宿を出て日課の鍛錬を始める。柱になってからも鍛錬は欠かしたことはない。宿に戻れば魔女や森人の斥候が既に起きていた。森人の斥候は既に白粉を塗っている。
「おはよう」
流水剣は二人に挨拶して、宿屋の女将の手料理を一党でのんびり食べる。
「そうか、そうだったな。俺と君たちは昇級審査の立ち合いをする日か」
流水剣と魔女は白磁等級の冒険者の昇級審査の立ち合いをすることになっていた。
冒険者の等級は、白磁から白金までの一〇段階に分けれられる。等級査定の基準は、今までの報酬金額と貢献度、そして人格的評価。(これらは経験点とも呼ばれる)
つまるところ、社会に対してどれだけ役に立ったのか、という目安で査定する。また、一方で、当たり前だが冒険者とは戦闘技術を持ったならず者に他ならない。
冒険者において実力とともに重要視されるのは、当人の人格。よって、上位冒険者の立会いのもと、面接が行われる。
なので、身元もわからない風来坊が尋常ならざる実力を発揮して、一気に銀や金へ等級を上げる。……などという事は、まず無理である。
あるいは、女性ばかりを仲間にしている男性冒険者も、昇級はなかなか難しい。いかに高い実力を持ち、優れた識見を持っていても女癖の悪い冒険者に重要な依頼を任せたいと思う者は少ないからだ。
流水剣も彼以外は女性冒険者しかいない一党であるが、彼の謹厳実直な仕事ぶりや、必要とあれば男性冒険者とも組んで仕事を行った協調性を示す実績がある。
「そういえば……あの、娘、も昇級、審査……する、みたいね」
「あの娘……ああ、あの神官の」
得心が言ったように森人の斥候は頷いた。
「まあ、彼女なら大丈夫そうだな」
流水剣たちが担当はしていないが恐らくは女神官も昇級審査があるだろう。彼女ならば昇級することも可能だろうと、流水剣は思う。有望な新人が育つことは彼にとっても望ましいことである。
◇◆◇
「オーガと竜に襲われるって、ベテランでも経験できないことよ、それ」
見習聖女は友人が体験した話を驚いた。オーガだけでも金等級が当たる強敵である。そこに竜も立ちふさがるなど、神か何かの悪意すら感じると見習聖女は思った。
「そうですよね、本当に流水剣さんやゴブリンスレイヤーさんたちがいて本当に助かりました」
あの時、オーガと竜を見た女神官の心臓は強烈にステップをふんで踊りまわった。頼もしい先達がいなければ心が折れて、恐るべき怪物たちの犠牲になっていただろう。
悪い冗談だ。女神官は本当にそう思った。
そのような竜がオーガとともに敵になるという悪夢のような現実。
戦慄が女神官の全身の神経回路を音もなく駆け抜け、皮膚には鳥肌が生じ、冷たい汗が内側から衣服を湿らせるのも当然であった。
「正直、まだ寝ているときに竜の鳴き声が聞こえて起きてしまいます……」
女神官は昇級審査後、黒曜等級に昇級が決まってから受付で鉢合わせた。見習聖女から昇級を祝われて、その後は二人でギルドの隅にある椅子に座ってそれぞれ最近した冒険について話していた。
「で、どう? 銀等級と一緒なんて楽じゃないでしょ?」
「あはは……そうですね、でも──」
「でも?」
「自分で決めましたから、付いていくって」
「そう、でも無理はしてはだめよ」
「はい」
気負う事なく微笑む女神官に、見習聖女は少しだけ安心する。かつてはゴブリンスレイヤーの悪い噂を鵜呑みにしてしまい、ゴブリンスレイヤーが新人である女神官を囮として引きずり回しているのではないかと勘違いしてしまった。そのため、彼女を助けようと自分たちのもとへ引き抜こうなどとしてしまったが、誤解が解けて以降二人は同期の友人として付き合うようになっていた。
「あぁ、オーガと竜を退治なんてあたしにはまだまだ無理。暫くは下水道で頑張るわ」
「私だってたいしたことはしていませんよ! 倒したのは私ではありませんから」
やれやれと、わざとらしく肩を竦めて見せた見習聖女に、女神官は微苦笑して否定する。
「ところで、彼は? 今日はご一緒ではないのですか」
閑話休題とばかりに女神官は話題を変える。彼とは、見習聖女が組んでいる新米戦士である。
「ああ、それだったら、ギルド裏手の広場で流水剣さんに稽古つけてもらっているんじゃないかしら」
今日は流水剣が新人冒険者たちを相手に稽古をつけるというのは、以前から知られていたので新米戦士はそちらに向かっていた。
女神官と見習聖女がギルド裏手の広場に向かえば、金等級の冒険者が多くの戦士たちと打ち合いしていた。流水剣は木刀を持っているので実際に斬られはしないが打撃音が生々しい。
「あ…ら……?」
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
流水剣たちを遠くから見ていた魔女と
女神官はそのスタイルの良さや知的で大人な雰囲気から密かに憧れていた。
最近、稽古をつけられているのは新米戦士だけではない。重戦士
上は鋼鉄、下は白磁の烏合の衆らしくがむしゃらな動きだが、それでも連携を取らんする辺り、筋は良いと言える。
「……人って木の葉みたいに飛んじゃうんですね」
「……そうみたいね」
冒険者たちが悲鳴をあげながら空中をくるくる回転しながら地上に墜落する様子を見て、女神官の顔色は青ざめた。
「わきゃっ!?」
「ぬわぁっ!?」
「ほげぇぇっ!?」
経験と力量が違いすぎるので、流水剣一人にいいようにあしらわれている。魔女は月光のような笑みを湛えながら眺めているが、新人冒険者の少女たちはまるで自分が叩かれているかのように、時折、身を竦めている。
「戦いは数だと訊いたことあるけど、圧倒的な個は数ごと潰してしまうのね」
「あ、あははは……」
見習聖女がまるで自分が殴られているかのように表情が曇っている。
「ああ、来たのか」
「あ、こんにちは」
「こんにちは」
二人の近くに女騎士が来るかと思えば、彼女自慢の大盾や剣を置いて木刀を手に取って、柵を飛び越える。
「やれやれ、青二才どものためにもこの秩序にして善なる聖騎士志望の私が加勢してやろう」
にぃと不敵な笑みを浮かべた女騎士。悪戯を企む悪童の笑みだ。先程まで重戦士と稽古していた彼女は猛者を求めてやってきたのだ。
「さあ、勝負だ! まさか逃げようなんて思わないだろう。人界最強などという大層なあだ名が恥ずかしいもんなぁっ!?」
「お、おいっ、それでも聖騎士志望か!」
「問答無用っ!!」
キエェェェッ! と怪鳥の嘶きのような声とともに渾身の力で木刀を振り下ろす。
「まるで示現流だな!」
感嘆混じりの舌打ちひとつで、剛剣をかわして返す刀で跳ね返す流水剣。これ幸い貴族令嬢たちが息を吐くが、女騎士の「囲め囲め!」という声に従って流水剣を囲み始める。
「死角から攻めろ!」
「口に出した作戦が通じるか!」
「脛だ! 脛を狙え!」
「っどっせい!」
「ほげぇっ」
包囲を破ってから流水剣は流れるような足運びで冒険者たちを次々と沈めていく。
騒ぐ冒険者たちを眺めつつ、魔女は呟いた。
「喧騒、から……、平、和を……感じる……」
魔女の呟きに、女神官たちは思わず噴き出した。
◇◆◇
「筋は悪くないんだ。教えた走法を覚えていてくれるしな。あの騎士様もそうだが、ちゃんとモノにしている」
流水剣はそう言いながら、手ぬぐいで軽く体を拭く。恐ろしいことにあれだけの乱闘をしているのに、然程汗もかいておらず息もあがってはいない。手ぬぐいも身体に付着する砂塵を拭うための理由のほうが大きかった。
流水剣が鳴柱から学んだ
「鬼殺隊では……使える……人は……いなかった……の?」
「俺と鳴柱だけだったな。元々、鳴柱が人にものを教えるのが苦手でその……癖の強いやつで進んで学ぼうと思った隊士も少なくてな。必須科目でもなかったし」
閃雷走法は卓抜した運動センスが必要とされる。鳴柱がどこで修得したのか流水剣はわからないが、新陰流や一刀流のような体系としてある剣術には足運びとして伝わっているかもしれない。そういった剣術を高い水準で修めた剣客ならば使えるのかもしれない。
だが、流水剣や鳴柱が鬼殺隊に入隊した時点で既に御一新の後であり、剣術は廃れつつあり、学ぶ者も少なくなっていた。
そもそも、鬼殺隊に入隊する者で所属する前より剣士だった者が稀少であり、仮に天与の剣才を持っていても呼吸術の才幹を持っているとは限らないのだ。鬼殺の剣士としては呼吸術を扱えることのほうが重んじられていた。
「ああ、悔しい。これだけの数を揃えたら一撃くらいは入れられるとおもったのだが……」
女騎士は不本意そうに、柳眉を逆立てている。
「またしてもダメだったか、こうなったらお前も混ざれ!」
「なんでだよ」
重戦士は歯痛を抑えるように顔を顰める。自称秩序にして善なる騎士の負けず嫌いの火が点いてしまったようだ。
「そうだ、あいつも入れてみるか」
あいつと言うのは槍使いのことだ。
「槍のリーチと魔法があればあるいは……」
「あの、もう目的が違くないですか?」
貴族令嬢が呆れたように言った。女騎士はじろと彼女を見た。
ふくよかな胸には、さらしでも巻いているのだろうが、稽古用の平服はおさえきれずにむっちりと盛り上がって、短い袖からは匂うような腕がつき出している。肌は桜色だった。
その桜色の頬が、ぱっと濃い紅をちらした。──今更ながら流水剣の視線を気にしたのだ。新米戦士など他の男の目線は気にならないが、彼は例外のようだ。貴族令嬢はそっと胸元を整えた。
「冗談じゃない」
女騎士の提案に流水剣は嘆息した。彼女の負けず嫌いは上昇志向にも繋がるので一概に欠点とは言い難い。だが、没頭し過ぎるのは玉に瑕である。
「だ……め……」
成り行きを見守っていた魔女も流水剣に加勢した。
「ふ……ふ……これ……から……デート……なの」
「なにぃ!?」
魔女が微笑みながら言うとき、さらに森人の斥候もやってきて流水剣の肩に手を置く。
「
解体した竜の身体を高値で売り払うことが出来た森人の斥候は常よりも上機嫌である。
「そういうわけで、今日はこれでお仕舞だ」
爆ぜろ、と言わんばかりの女騎士の視線を受け流して、流水剣たちは立ち去った。
ラスト・ダンサー様の作品「ゴブリンスレイヤーRTA 小鬼殺し√」より作者様がフリーキャラとして解放している疾走戦士を出演させていただいております。他にももふもふ尻尾様から許可をいただきまして「【疾走騎士】ゴブリンスレイヤーRTA ドヤ顔W盾チャート」より疾走騎士を出演させていただきました。
次回はゴブリンロードとの戦いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
09
サプリを入れたことで明言されていなかったキャラクターの設定や、ちょっと曖昧だったキャラクターの構成にも
「すまん。聞いてくれ」
低く、静かな声。だが彼の声はやけによくギルドの中に響き渡った。
「頼みがある」
唐突にぶっきらぼうな声が冒険者ギルドに響いた。決して大きな声ではなかったものの、ギルドの喧騒がその声によって打ち消されてしまった。
ギルドには酒場も備えられており、冒険者がテーブルで酒を飲んでいたり、料理を食べていたり、次の冒険の相談、今回の冒険の反省などによる喧騒。そうした中に現れた依頼人。
ゴブリンスレイヤーと呼ばれるゴブリン退治を続ける変な冒険者。
ズカズカと歩いて来て、しかし、受付には向かわない。
驚き、胡乱げに見る冒険者たち。
偏執的にゴブリンばかり退治する奇人変人の類。長らく
僅かに訪れた静寂が囁きによって破られた中、ゴブリンスレイヤーは淡々と続けた。
「ゴブリンの群れが来る。街外れの牧場にだ。恐らく今夜。相手の数はわからん。斥候の足跡の多さから見て上位種のロードがいるはずだ。……一〇〇匹はくだらんだろう」
冗談ではない、それが大半の冒険者たちの総意であっただろう。
一〇〇匹のゴブリンと戦えと言われて、即答でやると言う者はいない。駆け出しの頃に受けたゴブリン退治。
失敗して死ぬ者も多い。再起不能になり廃業した者も多い。運か、実力か、兎に角生き延びてきた者たちが今ここにいる。
彼らはゴブリンの忌々しさを知っているのだ。そんなのが一〇〇匹。それも統率された大群。冒険者が好き好んで挑むような相手ではない。
ゴブリンなど恐れるに能わずと虚勢を張る新人でさえ、顔色を悪くする。
「時間がない。洞窟の中ならば兎も角、野戦となると俺一人では手が足りん」
ゴブリンスレイヤーは周囲をぐるりと見渡してから、頭を下げた。
「手伝って欲しい。頼む」
ゴブリンスレイヤーは頭を下げたまま、微動だにしない。
ギルドの冒険者たちは、どうする、どうするって、と仲間内で顔を見合わせる。
ギルドにいる冒険者達はざわつきだす。それはそうだろう。ゴブリンは弱い。だが数が集まったならば侮っていい相手ではない。それでいて何匹殺そうが所詮は「ゴブリン」なのだ。
誉れにはならない。命の危険はある。報酬は安い。そんな敵を一〇〇、それも統率された群れを相手取るなどごめんだろう。
だから報酬を要求する槍使いの態度は至極当然であるし、それに同調する周りの冒険者も正しい。対価は出さないが命懸けで戦え、と言う無茶が道理を押しのけることはない。
流水剣が自分の仲間たち魔女と森人の斥候に目を向けた
「俺はやるつもりだが、二人はどうする?」
流水剣は同じ席に着く、魔女と森人の斥候に訊ねる。
「一緒に来てくれると、嬉しい」
魔女と森人の斥候が顔を見合わせる。──言うと思った。
流水剣が行くなと言って止まる男ではないことは、彼女たちは知っている。人を喰う鬼を、人を害する怪物を、許しはしない。怪物に誰かが傷つかないで欲しい、そう思って剣を振るい続ける流水剣に、小鬼退治をするなというのは猛禽を檻に閉じ込めるようなものではないのか。
胸元から長煙管を抜いて、魔女が肢体をしならせながら流水剣の目を覗き込む。
「この後……どこか……連れていって、ね」
「わかった」
魔女のお願いに、即答する流水剣。
「……ふふ」
くるりと回して煙草をつめ、指先で着火し、咥える。甘ったるい煙がギルドの中に満ちていく。
「報酬はちゃんと要求しろよ。あと、私に対しても報酬を忘れるな?」
「わかった」
森人の斥候にも、即答する流水剣。
流水剣が席を立ってゴブリンスレイヤーに近づく。
槍使いが槍の石突きで床を叩いた。
「お前の命なんぞいるか。……この野郎、後で一杯奢れ」
流水剣が一党と相談している間に槍使いの中で折り合いが付いたのあろう。ゴブリンスレイヤーにお礼を言われて、ばつが悪そうに頬を掻いている。
「俺も、俺達も請けおう。……報酬は彼女と相談してくれ」
流水剣が森人の斥候を指しながら言う。金銭が絡む交渉では頭目の流水剣よりも強い権限を森人の斥候──
「わかった。……ありがとう」
「いいよ、君と俺との仲だ」
槍使い、流水剣と続いて
「私達も助太刀します! 流水剣さん、ゴブリンスレイヤーさん」
そう言って彼らに近づいたのは貴族令嬢。彼女とともにその一党も控えている。彼女たちもやる気のようである。
「……ありがとう」
「助かる。よろしく頼む」
ダメ! そこで優しく笑わないで──! などという貴族令嬢の心の中の駄目だしは、流水剣に聞こえるはずもない。
森人の女魔術師、女僧侶、女野伏も頬が赤くなっている。自分と同じように感じたようだと貴族令嬢は思った。
頼む、流水剣にそう言われて貴族令嬢たちは目を輝かせた。流水剣に頼られたということに、胸が高鳴りその闘志も昂った。山城でゴブリンたちによって危うく落命しかけた。その後も先達の助けを得ながら小鬼退治してきた。今回こそは一党の力でゴブリンたちを倒し、山城での雪辱を濯ごうと彼女らは考えていた。
若く美しい娘たちが頬を紅潮させている様子を見て、周囲の冒険者たちはこそこそと話し合う。やっぱり彼女らは流水剣の
受付嬢が紙の束を抱えて飛び込んできた。焦っていたのだろういつも隙なく整えている髪や制服が少し乱れている。
「ぎ、ギルドから! 依頼がありますっ!」
書類を掲げながら、三つ編みを揺らして受付嬢は大きく、元気よく言った。
それが彼女の成果。上長である冒険者ギルド支部長の承認印を押した正式な依頼書だ。
ゴブリン一匹につき、金貨一枚の懸賞金を出すという依頼だ。懸賞金は冒険者ギルドから出される。破格な懸賞金の金額だが
「……ちっ、しゃあねえな」
重戦士が席を蹴って立ち上がった。驚いたように彼の一党がその姿を見上げる。意外そうに見る一党の視線に、むっつりとした顔で針金のように固く、短く刈り込んでいる髪を掻く。
「まぁ、報酬が出るなら、な。小鬼殺して金貨一枚が目当てだ。いい稼ぎじゃないか」
女騎士の麗しい容貌が格好を崩して、悪戯っぽく微笑む。
「素直じゃない奴め。お前の郷里に出たゴブリンを退治したのが、アイツだからと言えばいいだろう」
恩義に報いたくとも、ゴブリンスレイヤーへ協力を申し出るタイミングを見失っていたことを女騎士に見抜かれてたようで、気恥ずかしくなる。
「あー、うっせうっせ! お前らも請けるかどうかはっきりしろ!」
鬱陶しそうに重戦士が言う。女騎士たちが軽口を言う。そうして重戦士の
次々に加わっていく彼らを見て、一人、また一人と加わっていった。
その日初めて、多くの冒険者たちが、ゴブリン退治というありふれた依頼に殺到した。
◇◆◇
ゴブリンロードの号令によりゴブリンの群れがぎゃいぎゃいと喚く声とともに伝わり、大群は前進を開始する。
前方にいるゴブリンたちは盾を掲げている。
ゴブリンたちが肉盾と呼んでいる──、板に捕らえられた女たちを括りつけた盾だ。
衣服を剥がれ度重なる凌辱を受けた虜囚たちは一〇人ほど。時折うめき声をあげ、痙攣をする者もいれば、衰弱が酷くぴくりともしない者もいる。
しかしゴブリンたちは虜囚の生死など考慮しない。ゴブリンたちの目的は、この盾を掲げることで冒険者の攻撃を躊躇わせることだった。
人質を取れば冒険者たちは攻めることを躊躇することを、ゴブリンロードは経験で学んでいる。冒険者とはマヌケな輩だ。孕み袋だろうが、同胞のゴブリンだろうが盾にされても人質ごと殺して敵を引き裂けばいい。それをわからない暗愚どもめと、ゴブリンロードはゲタゲタと嗤った。
牧場を襲い、家畜を奪って腹を満たし、女を攫って犯し、孕ませ、数を増やす。そうして牧場を橋頭堡にして街を襲い、冒険者を、人間たちを殺して、さらに数を増やす。大勢の群れを率いて人界に侵攻して放埓の限りを尽くす。
夢のような考えだが、ゴブリンロードにとっては現実的な計画であった。
◇◆◇
「盾持ちが現れた。ゴブリンスレイヤーの予測通りだな。まったく小鬼というのは不愉快な奴だ」
ゴブリンたちを観察していた森人の斥候がそう言って毒づく。同時に後方にいる冒険者たちへ指示を出す。
魔女が《
「GORRRR!!」
警戒したゴブリンロードは慌てて兵隊を叱咤し迎撃を命じるが、弓兵たちも意識が朦朧としていて短弓の狙いもままならない。
そこの間隙を見逃さない
「まったく、悪趣味ったらないわ……」
嫌悪感を滲ませた顔で軽口を叩きながら、
全体的に見れば彼女たちによって倒れた数は大したことはない。しかし、それでも確実に戦力が削がれている。
「呪文遣いは減らしたわ!」
「人質はみんな回収したぞ!」
「よし、行くぞみんな!」
冒険者たちの報告を聞いて流水剣が呼びかける。この場でもっとも等級の高い彼が自然と音頭を取るようになっていた。
日輪刀を抜刀して勢いよく躍り出た流水剣は、前傾した姿勢でそのまま身を一回転させた。ゴブリンの短弓から放たれた矢が、一瞬前まで彼の頭部のあった空間を貫いた。流水剣が放った視線の先に、武器を月光に反射させつつ殺到してくるゴブリンたちの姿が映った。
「ヒャッハー! 稼ぎ時だ。金貨が向こうからやってくるぞ!」
「これでツケをチャラにできる!」
混乱するゴブリンの群れに冒険者たちが接敵する。ここまでくれば味方を巻き込みかねない呪文や弓矢は使えなくなった。
肉体と刃物と鈍器をぶつけあう闘争が展開されたのである。金属と非金属が激突し、飛散する血の臭気が漂う。
流水剣は死の旋風となり一振りで何匹ものゴブリンが斬り裂かれて絶命する。武器が流水剣に届く前に彼の刀が首を刎ね、振りかざされた武器は水を切るかのように彼に避けられる。
貴族令嬢は左右を流水剣と
「ったく、ここまで数が多いと嫌になっちまうぜ!」
「数で押すのがあいつらの強みだ。ゴブリンスレイヤーが辟易するのも仕方ない」
流水剣が
「あなた……《
杖を手にした魔女が、その肉感的な胸を息に弾ませ、立て続けに呪文を行使する。圧倒的に強い個である流水剣を魔女と森人の斥候が助け敵を全てねじ伏せるという、掛け算ではなく足し算によるシンプルな強さを持つ一党だった。
一〇〇を超えるゴブリンだが、冒険者たちとぶつかるゴブリンの戦列は、崩壊こそしなかったが、緩慢に、だが確実に後退していった。
「少し、面倒になった」
ゴブリンの戦列が後退し始めたとき、森人の斥候が流水剣のもとに来た。
索敵していた彼女からの報告には、流水剣の傍で聞いていた魔女や槍使いなど
ゴブリンスレイヤーの予想より数が多かったゴブリンが上位種たちに率いられており、四つに群れが分裂して冒険者たちを囲うように移動していた。彼女の推量も交えつつ大まかだがゴブリンたちの位置も予測していた。
「包囲殲滅ってやつか。まさか小鬼どもにそんな知恵があるとはな」
重戦士が憮然として、報告した森人の斥候を見ていた。
「どうする? 癪だが撤退して体勢を立て直す?」
四方をゴブリンに囲まれる想像をした
貴族令嬢や森人の女魔術師たちもかつての山城の記憶が蘇り、背筋に氷が伝わって落ちるような気がした。
「いや、撤退はしない。俺達はゴブリンどもより圧倒的に有利な体勢にある」
流水剣が首を横に振り、
「今からそれを説明しよう」
魔女や闇人の彼女は流水剣と出会ったことでスキル的には、原作とは異なった成長をしているとこもありますが、そこは別の卓の世界だからということで……。原作の闇人の彼女がこちらみたいに斥候神官とは限らないですから。
今回、貴族令嬢がサプリで導入された武技・
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
10
「来たぞ!
それが冒険者の最後の言語活動になった。
唸るような雄叫びが、血風吹き荒れる戦場に木霊する。オーガか
ゴブリンでありながら、戦場の行末を左右しかねない強大な敵。
「っしゃあ! 大物か! 雑魚相手も飽きてきたんだ!」
獰猛な笑みを浮かべて武器を背負い、率先して前に飛び出す重戦士。その後に、盾を掲げた女騎士が続く。
重戦士たちは先程流水剣に指示された作戦に従い、行動していた。
◇◆◇
「俺が有利と言うのは二つの点からだ。ひとつ、敵が四方向にゴブリンを分散させているのに対し、俺達は一ヵ所に集中している。全体を合わせればゴブリンが優勢であっても、ゴブリンは実質孤立した状態だ。ゴブリンに対したとき、俺達が優勢だ」
「それで、もう一つは?」
「戦場から次の戦場へ移動する際に、中央に位置する俺達冒険者のほうが最短で進むことができる。もしゴブリンが俺達と戦わないで合流しようと思えば、大きく迂回しなければならない。時間と距離は俺達の味方だ。それに、増上慢なゴブリンどもがそのような慎重な判断をするはずがない」
「ああ、なるほどぉ……」
「つまり、俺達はゴブリンに対し、戦力の集中と移動のしやすさから優位に立っている」
鋭く切り込むような語調で流水剣が言い終えたとき、冒険者たちは一瞬、結晶化したように魔女には思われた。
分散して進撃している最中の敵を、再集結する前段階を各個撃破のチャンスとする戦術が流水剣のいた世界にはあった。下級貴族から大国の皇帝にまで上り詰めた天才の叡智を魔女たちが知らないのは無理なからぬことだった。
流水剣は戦上手な
「俺達はゴブリンに包囲される危機にあるんじゃあない。ゴブリン達を各個撃破する好機にある!」
おおっ、と多くの冒険者たちがどよめく。難しいことはわからないが自分たちは窮地ではないらしい、金等級の冒険者にそう言われて安心したのだ。
「それで、鬼狩り殿に成算はおありですかな?」
「ある。みんなが俺の作戦に協力してくれればの話だ」
「どんな作戦だ? 言ってみろ」
槍使いが流水剣に問う。流水剣が作戦を説明した。
「俺が先頭に出る。ゴブリンの群れを斬り裂き潰す鏃となろう」
「じゃあ、俺も付き合おう」
「はっはっはっ。そのような大役、拙僧も担わせていただけなければ父祖に顔見せができませぬ」
重戦士と
「前にばかり腕っぷしがいるってのも難だな」
槍使いが名乗り出たベテランたちを見渡す。
「背後は俺が護ってやるぜ! だから存分に戦え」
頼もしい槍使いの発言に流水剣も重戦士も思わず、カッコイイ……と呟いた。
◇◆◇
──まったく、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。
やはり群れの長には死灰神から奇跡を授かった選ばれし者である自分。英雄である自分こそが相応しい。彼は今すぐにでも過ちを正さなければならないと考えた。
自分なら今頃、冒険者共を皆殺しにして、女は孕み袋にしていたのに。王を名乗るあいつはなんという無能者だろう。
彼にはこんな大きな群れを統率するだけの才覚も、あれだけの戦術知識もないが自分なら上手くやれていたと信じている。彼はまさしくゴブリンだった。
戦場に転がる死体から剥ぎ取った甲冑を着てマントを纏い、傷を負って衰弱していたところを不意討ちして殺した冒険者から強奪した名剣を持った彼の姿は、騎士道物語を皮肉った醜悪な
一つ、二つと群れは冒険者によって滅ぼされた。今もゴブリンたちの数は減っている。忌々しい。不愉快だ。
残るのは僅かだ。知恵も力もなく貧弱な小者が十余匹。呪文が使える小賢しい奴が一匹。図体がでかいだけで知恵の回らない二匹。
こんな馬鹿どもを率いて行かねばならないとは! 何故自分ばかり苦労するのか。小鬼聖騎士は苛立ちを隠そうともせずガチャガチャと荒々しく甲冑の音を立てながら歩を進める。
まあいい。あのような無能者が王になれたのだ。もっと賢く選ばれし者である自分はもっと大きな群れを率いる王になれるのだ。大勢の群れを自分が率いてあの牧場を落としてやろう。そして一番苦労して一番働いている自分は、当然女も餌も自分が一番多く得るのだ。
「GURAURAURAURAURAURAU!!!」
小鬼聖騎士の喚くような穢れた声は邪神に聞き届けられ、《
◇◆◇
「行きます! みんな、あいつらをぶっ飛ばしましょう! ……ん、んん! ともかく、戦います! いざ!」
貴族令嬢は戦いの昂揚感と、先手をとった自信が加わって、彼女の表情に鋭い生気を漲らせていた。彼女の一党もみんな士気を高揚させている。
武具が唸り、血飛沫あげて、平原のそこかしこで似たような光景が繰り広げられる。
そして貴族令嬢たちが向かうのは同胞を火だるまにさせたゴブリンたち。
「
森人の女魔術師の《
火炎に焼かれた仲間を踏み越えてやってくるゴブリンたちを貴族令嬢が
殺到する火球を小鬼聖騎士は
貴族令嬢の前に小鬼聖騎士が立ち塞がる。
「
言い放つと同時に、貴族令嬢は後方に跳び退いた。死灰神の
宙を切った剣は、慣性によって小鬼聖騎士をよろめかせた。貴族令嬢を組み伏せて犯す妄想にかられて功を焦ったのか。
兎に角、小鬼聖騎士はよろめき、貴族令嬢の一撃が、剣をはね飛ばした。小鬼聖騎士は、小さな叫び声とともに横転した。
「さあ、覚悟なさい!」
貴族令嬢の
その落下は、しかし永遠に中断された。死灰神の奇跡による一閃の光芒が、貴族令嬢の眼前を通過したとき、剣の刀身は撃砕され、破片となって飛散していたのである。
怒りと失望の声をあげながら、貴族令嬢は身をのけ反らせた。身体を一転させた小鬼聖騎士が、手に持つ古の名剣を貴族令嬢めがけて突き上げたのだ。のけ反ってそれをかわした貴族令嬢は、体勢を崩しかけた。そこへ小鬼聖騎士がつけこまなかったのは、森人の女魔術師と女僧侶が魔法と奇跡を放ちながら駆けつけたからである。
身を翻した小鬼聖騎士は追い討ちをかけようと剣を振りかぶる。だが圃人の女野伏が牽制の矢を放ち、小鬼聖騎士の兜に当たり、小鬼聖騎士は僅かに怯む。動きが止まる僅かな隙を冒険者は見逃さなかった。
貴族令嬢は刀身が折れた
「裁きを司、つるぎの君、天秤の者よ、諸力を示し候え!」
至高神の信徒である貴族令嬢が燦然たる死の閃光である《
「……終わりかな?」
「ええ、ここのゴブリンは、だけれど」
圃人の女野伏の呟きに森人の女魔術師が応える。そう、少なくともこの場のゴブリンは全滅だ。極めて局地的な戦いだったが、ここだけは自分達の勝利だ。
圃人の女野伏は矢が尽きたので
貴族令嬢は折れた剣を投げ捨て、小鬼聖騎士が持っていた剣を拾い上げた。彼女が思った通り、かなりの業物だ。
神代の頃、いにしえの名匠が鍛え上げた業物の剣だった。その刀身には幾重にも刃が連なって唸りをあげている
「そのような業物を何故ゴブリンが?」
女僧侶が当然の疑問を述べた。
「さあ、死体から剝ぎ取ったのかもしれませんね」
戦士である貴族令嬢も名剣魔剣の類を求める気持ちがある。例えば流水剣の
自分もいつか業物や魔法の剣を持ちたいと思っていた彼女は、これも縁だと思い、古の名剣を自分のものとすることにした。
「水を飲んで一息ついたら―――」
前線に戻ろう、と言おうとして貴族令嬢は言葉を切る。一党の
貴族令嬢は小休止を挟むため、一度離脱しようかと思ったとき……。
「GOARUARUARUARUA!!」
残るゴブリンの群れが疲弊する貴族令嬢たち一党へ殺到する。
「不味い!」
森人の女魔術師は表情だけでなく、声まで
緊張は光の速さで彼女たちの精神回路をみたした。
だが、彼女たちの横から人影が入ってきた。流水剣である。
「ヒュゥゥゥゥ!」
──水の呼吸
呼気とともに日輪刀が閃光となって撃ちこまれてきた。日輪刀は深い青色の軌跡を宙に残して、ゴブリンたちの首を刎ねた。
「みんな、よく頑張ってくれた」
抜き身の刀を持つ頼もしい笑顔を見て、森人の女魔術師はそのまま地面にすとんと腰を落とした。腰が砕けた。反則、と口の中で呟いて、森人の女魔術師は顔の火照りが収まるまで俯いたまま顔を上げられなかった。
◇◆◇
貴族令嬢が、流水剣にむけて笑顔をつくった。かなり強張った笑顔は、筋肉の緊張が完全にはとけていないことをしめしていた。
「どうやらまた助けられてしまいましたね」
「気にするな。助け合うのは当たり前だ」
気負いなく言う流水剣に、貴族令嬢はまともに流水剣の顔を見られず、彼女はゴブリンたちの様子を見る。
ゴブリンどもの増援だ。呼吸を整えねば危ない。彼女は名剣を構え直す。なんとか話題を探し出す。
「そ、そう言えばゴブリンスレイヤーさんはどこに行ったのでしょうね?」
「あら。彼が、誰だか、知ってる……でしょ?」
艶やかな声で囁いた魔女が長煙管から煙を吸い込み、そっと吹く。桃色の甘ったるい煙が風に乗って漂い、それを嗅いだゴブリンたちの五感は幻惑されて動きが鈍る。
「そうだ。あいつがどこにいるかはわかっている」
流水剣は言う。
「──ゴブリンを、
魔女は魔杖を掲げて、ゴブリンの群れを見つめている。やがて深呼吸すると、
「
魔女が《
白い、量感に溢れた光の塊が、ゴブリンの群れに襲いかかってゆく。魔女の魔法を受けたゴブリンの群れは瞬時に消滅した。あまりの高熱、高濃度のエネルギーが、爆発を生じさせるといういとまさえ与えなかったのだ。有機物も無機物も蒸発したあとに、完全に近い虚無だけが遺った。
◇◆◇
遠くの夜空の向こうから声が聞こえる。ゴブリンの汚らわしい声ではない。それは冒険者達の勝鬨だ。ゴブリンの群れが壊滅して、ゴブリンの王もゴブリンスレイヤーによって退治された。
貴族令嬢、森人の女魔術師、女僧侶、圃人の女野伏が表情を緩めて安堵の息を漏らす。
「終わったようですね」
「ええ」
「私達の……」
「勝ち、よ」
四人の間に弛緩した空気が流れる。こんな大勢の敵と戦うのは一党全員が初めての経験だったのだ。緊張し、張り詰めていた精神がようやく解きほぐされた四人一斉に大きく息を吐いた。
「どうした? 疲れてたのか」
流水剣の一党である森人の斥候が、未だに座り込んでいる森人の女魔術師に近づく。
「夜の御方よ痛みの母よ、痛み昂り悦びを」
森人の斥候が《
「ありがとうございます……」
森人の女魔術師はお礼を言うが、立ち上がろうとはしなかった。その様子に森人の斥候が胡乱げに見つめる。
「どうした? どこかまだ問題があったのか」
「い、いえ、そうではないのですが……」
森人の女魔術師は羞恥で頬を紅潮させる。縋るように杖を持ったまま顔を俯かせる。彼女の脳裡に窮地に駆け付けて、刀を振るう流水剣の姿が浮かび上がる。有象無象の小鬼たちを前にして少しも動じることがない。殺気を放たず、恐怖もなく、怯みもせず。ただ植物のような気配の彼が小鬼を斬る姿が思い出される。
「さっきの彼が格好良くて、その……下着がまずいことになってしまいました」
森人の女魔術師の告白を訊いた森人の斥候たちは表情の取捨選択に迷ったような顔で沈黙した。
森人の斥候は聞かなかったことにすると言って、その場を去った。貴族令嬢たちは仲間の魔術師にはまだ少し、時間が必要と判断した。
小鬼の首も正確には数えてないが、一党で合計すれば一〇は越えて獲った。そして貴族令嬢は
戦果としては充分なものではないか。そう自分に言い聞かせながら、貴族令嬢は、破壊と殺戮の手が丹念になでまわした、その痕跡を見渡した。冒険者とゴブリンの流血によってぬかるんだ地面。各処に、武器を納め、装備を緩めた冒険者たちの姿や、呆然と座り込む姿が見えた。
戦死者に祈りの言葉を捧げる神官と、その後ろで黙祷する冒険者たちもいる。胃壁に氷塊が下りてきたような気分になる。もしかしたら自分が、あるいは仲間たちがそうなっていたかもしれない。
ともあれ戦には勝った。今日、自分達は生き残った。大きな怪我もなく全員無事だった。報酬も充分だ。かつて一党全滅という大赤字になりかけた。だが、あれから自分達は鍛え続けて今日は決算を黒字に転化させることができたのである。
ちなみに今回登場した小鬼聖騎士は原作で雪山の城砦に登場した個体とは別です。あれは知覚神の聖騎士ですが、今回の小鬼聖騎士に力を授ける死灰神はサプリ導入された邪神です。
正直、流水剣だと小鬼相手では無双ゲーの呂布みたいになっちゃうので、貴族令嬢一党にスポットを当てて書いてみました。
最後に留めを刺した魔女ですが、《火球》が好きならば《
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
11
「私たちの勝利と、牧場と、冒険者とあの、なんか変なのにかんぱーい!!」
冒険者ギルドに集った、傷だらけの冒険者を、
これは何度目かの乾杯だったが冒険者たちは気にしていなかった。
合戦の返り血も乾かぬまま手当もほどほどに冒険者ギルドに集った彼らは大いに勝鬨をあげていた。
一〇〇匹を越える小鬼の大群は全滅。様々な上位種もいたが数を揃えた冒険者に及ぶべくもない。
無論、冒険者にも犠牲者はいる。不運な者はいつだっているのだ。だからこそ、幾人かの戦死者への弔いも兼ねて、冒険者たちは大いに騒ぐのだ。
彼らは他者の生命を弄んでいるつもりはない。彼らは自分たち自身の生命をも、宿命と偶然の賽子に差し出している。いつか、彼らに立ちはだかる苦難や窮地に挫け、斃れる、そんな日が来ることもあるだろう。それを彼らはそれを知っている。せめてその日がくるまで、陽気さを失わない生き方をしたいと思うのだ。
流水剣の周囲には彼の
流水剣たちが囲む卓に酒や料理が運ばれていく。彼らも、任務に失敗した死神を嘲笑う、生還者のささやかな行事を行っていた。
流水剣も乾杯をしてからギルドを見渡せば、顔見知りの冒険者たちも宴に参加していた。
他にも
ゴブリンスレイヤーはいつもの席に座っているが、小鬼の王との戦いで負傷した左腕を吊っている。
女神官はゴブリンスレイヤーの肩に寄りかかり眠っている。そんな彼女を微笑ましそうに牛飼娘は見ていた。
牧場を守ることができた。戦死した冒険者は出てしまったがその数も少なかった。上々な結果と言えよう。流水剣は上位種を優先して討伐したことで彼の討伐数は冒険者個人としては少ない。だが、流水剣のおかげで犠牲となる冒険者も減ったと言える。
「君たちも無事でよかったよ。上位種を仕留めたのも凄いじゃないか」
「い、いえ、そんな。上位種と言ってもゴブリンですから……」
流水剣の賞賛に貴族令嬢は照れ照れと赤面する。
「そんなことないよ、リーダー。ゴブリンスレイヤーさんも強い個体だったと言っていたじゃない」
「私一人で倒したわけではありません。仲間たちの助けもあったおかげです。もし助けがなければ私も死んでいました」
「それでも生き延びたんだからリーダーの勝ちさ。それにそんないい武器も手に入ったんだから冒険としては大成功でしょ」
「冒険のあとでも、こういう大勢で騒ぐというのはなかったから新鮮な気分だ」
流水剣が火酒を飲みながら言う。いつもよりも高価な銘酒である。魔女たちが飲んでいるのも上酒だ。ゴブリンスレイヤーの一杯奢る約束のため、最初の一杯をゆっくり飲んでいた。
「鬼狩りの仕事の後には、こういうことをしなかったのか?」
森人の斥候が銘酒を嘗めるように楽しみながら、ツマミを食べていた。
「丙とかのときはそれなりに大勢で仕事をしたこともあるけど、こういうことはなかったなぁ。柱になれば一人で動くことのほうが多くなった」
命がけの鬼との戦い。それに生き延びても大勢で宴を催すということは考えたことがなかった。鬼と戦うことはどうしても陰惨で、悲劇に直面することも多く、生き残って祝うことをする、という考えを持ったことがなかった。
流水剣が思索の浴槽に首まで浸かっていると、酔った
小鬼殺しの鋭き
おお、見るが良い。青にもゆるその刃。まことのその刃。まことの銀にて鍛えられ、決して主を裏切らぬ。
かくして小鬼王の野望もついには潰え、救われし美姫は、勇者の腕に身を寄せる。
しかれど、彼こそは小鬼殺し。彷徨を誓いし身、傍に
死地におもむく我なれば、君との
伸ばす姫の手は空を掴み、勇者は振り返ることなく立ち出でる。
されば歌わん奈辺に在る君がため、永き
魔女が、手にした杯に向かって、溜め息をついた。流水剣は聴覚に残響する歌詞を反芻して微苦笑した。
「よっぽど気分がいいんだな。それにしても、あいつの歌の割には随分としゃらくさい歌だな」
「感傷過剰の安っぽい歌だ……森人もああいうのを好むのか」
森人の斥候の言い方に森人の女魔術師が不思議そうに彼女を見ている。
辺境最優の勇士とはいえ、あのぶっきらぼうな男の英雄譚を、男と女の感傷的な関係にアレンジされているのだ、流水剣たちと同じような感想を持った冒険者は多いらしく、何とも言えない表情で笑いながら聴いている。歌声は心に染みわたるように美しいのだからまた面白い。
「あぁーーーーっ!! オルクボルグが兜はずしてるー!?」
美しい歌が突然に途絶え、素っ頓狂な声を
その声に反応し、ギルドの注目が一斉にゴブリンスレイヤーへと集まる。そして彼女の言う通り、ゴブリンスレイヤーが兜を脱いで素顔を露わにしていた。
ゴブリンスレイヤーの素顔を見るために、冒険者たちが彼のもとに殺到する。珍獣を見るような目で見る者、顔の造作を賞賛する者もいれば、彼の素顔について賭けでもしていた者は勝ったものは喜び負けたものは苦悶していた。
ゴブリンスレイヤーにとっての帰る場所である牧場を守り、牛飼娘や牧場主を守った。自分だけではない、みんなでやり遂げたことだ。だからこそ、みんなで笑って明日を迎えられる。その事実が心に染み入る水のように、このひと時を楽しいという思いとして新鮮に湧き立った。
この四方世界に漂泊して五年。冒険者を続けていても、内界の鬼狩りの剣士としての自分と外界の冒険者としての自分が分離しているように思うことがあった。
心と世界の間には錆びついた鍵がかかっているようだった。だが、それは自分の思い違いなのではないのか。
「何かを成せばそれが俺自身そのものだ。どっちか、ではない。どっちも俺だ」
鬼狩りだろうが冒険者だろうが、実際に行動を起こせば、起こした人間になる。行動を起こすこと、それが自分を作ることになる。
彼はそう結論づけて、流水剣は火酒をあおった。もともと苦い液体が咽喉の内壁を流れ落ちるとき、流水剣の過去の一部も、ともに流れ落としていった。
流水剣の資質は、戦士として傑出しており、武人としての勇敢さと、戦略家としての識見と、戦術家としての巧緻さとを、最高度の水準でそなえているであろう。水の呼吸を極めてその頂点である水柱に就任した。新たな型を開発して、透き通る世界に到達して、身体能力を強化する痣も発現した。
だが、鬼舞辻無惨が存在しなければ、これらの資質が発芽することはなく、鬼殺隊の水柱、冒険者の流水剣も存在しなかったに違いないのだ。家業を継いだか、あるいは明治維新の気運に乗って未知の分野に挑戦するのか、いずれにしても平凡で平穏な人生を
原作で吟遊詩人が歌っていた歌は貴族令嬢たちが生存しているので、本作ではタイトルや内容に一部変更があります。
妖精弓手や魔女は(中の人的に)歌が上手いと思います。
ラスト・ダンサー様の作品「ゴブリンスレイヤーRTA 小鬼殺し√」より作者様がフリーキャラとして解放している疾走戦士、猩猩様の作品「ゴブリンスレイヤー 実況プレイ 」より作者様がフリーキャラとして解放している魔法剣士を出演させていただいております。
他にももふもふ尻尾様の「【疾走騎士】ゴブリンスレイヤーRTA ドヤ顔W盾チャート」より疾走騎士を出演させていただきました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
12
猩猩さん、猿猴捉月さん。活動報告「貴族令嬢一党のデータについて」でご意見を頂きましてありがとうございます。大変助かりました。
現在も募集中なので、皆さんよろしくお願いいたします。
ゴブリンスレイヤーが女神官を伴ってその道を歩いたのは、ゴブリン退治をして辺境の街へ帰る途中であった。
依頼そのものは
傍に小川が流れる道を歩いていると、ゴブリンスレイヤーは既視感があった。
「──」
その既視感の正体をゴブリンスレイヤーはすぐに思い当たった。あばら家を見つけたからだ。
小屋というには老朽化が進んでいるものの造りはしっかりとしているので住居に向いている。屋敷と呼ぶにはかなり侘しい様子。
──
ゴブリンスレイヤーはそのあばら家が風変りな依頼人の住処だった思い出した。そしてこの道に覚えがあるのも、彼女のもとへ通っていたからである。
「……ん?」
「どうかしましたか、ゴブリンスレイヤーさん?」
「あれだ」
ゴブリンスレイヤーはあばら家の前に、一人の老人が立っているの確認した。
装いからして魔術師だろうか。髪は総髪、鶴のように痩せて顔が長い、口の両端にはどじょうのような鬚が二本。不思議と愛嬌のある顔立ちである。大変な年寄りのはずだが髪は真っ黒である。
老人もゴブリンスレイヤーと女神官に気づいたようだ。振り向いたことで老人と視線がぶつかる。老人の眼は若々しい──というよりも、驚くほど精気の光を放っていた。
「君たちは、ここの家主の
声量こそ大きくないが、よく通る声で老人はゴブリンスレイヤーたちに尋ねた。
「ああ」
ゴブリンスレイヤーが頷いた。
「儂はあの者とは直接の面識はない。だが、話には聞いていてね、来て見ればもぬけの殻となって時間が経っているようだ。今はどこにいるだろうか」
「……いや、わからない」
老人はじぃっと、ゴブリンスレイヤーを見つめた。兜の奥に隠れる彼の瞳を覗き込んでいるかのようだ。女神官は困惑するかのように、二人の間で視線を行き来する。暫くして、老人は視線を外し、微笑んだ。
「なるほど。かの女人は……本懐遂げて、至ったか」
老人は合点がいったようで肩を揺らして微笑んでいた。暫く笑っていると、ゴブリンスレイヤーにお礼を言って歩いて去っていった。
◇◆◇
蘇った魔神王は勇者によって滅ぼされた。魔神王の脅威から四方世界は救われた。だが、かの王の軍が消滅したわけではない。方々に散っていった残党は未だに脅威である。
秩序を乱す混沌の徒。
そして、彼らと戦うは秩序の軍勢である。その戦いは、この辺境にある大河で行われていた。
混沌の魔将である
──だが、それこそが秩序の詭計のめざすところだった。《
太陽が河口の彼方に沈むこと、一隻の船が混沌の船艇群に接近してきた。兵が乗っている気配が船にないことを訝しげに思った魔軍だが、その船体には
「どうした、何ごとだ!?」
もっともな、だが個性を欠く疑問が魔神の口から発せられると同時に、オレンジ色に燃え上がった。船が炎上して自爆し、火炎が水面から八方に飛んだのだ。混沌の船艇は燃え上がる味方の船から離れようとして混乱の極致に達した。互いに衝突しあい、動きがとれないでいる間に、数隻の小舟が紛れ込んでいたのを、誰も気づけなかった。
青黒い肌の
悪魔は醜悪な顔ににやついた笑みを浮かべる。冒険者どもは船艇を、軍勢を焼いて満足しているのか。自分は魔法一つでこの炎を消せるというのに!
さて、吹雪でこの煩わしい炎を消してやろう。
「───!?」
そして大顎を開けた彼は、そこでようやく自分の声が発せられないことに気が付いた。視界に自軍の船艇に紛れた小舟に女の
───こいつか!? こいつに術を封じられたのか!?
魔神の推察通り、森人の斥候の天上に座す神への祈禱が呪文を封じてしまった。
「《夜の御方よ痛みの母よ、叫びと嘆きをしじまの内へ》」
───《
「ヒュゥゥゥゥ」
悪魔や魔神たちが困惑する中をすり抜けるように流水剣が走る。海戦にて敵将に追われた九郎判官の八艘跳びのごとき軽捷自在な身のこなしで小舟を跳び移り、最高位悪魔に接近する。
───全集中・水の呼吸
跳躍した状態でクロスさせた両腕から勢い良く水平に刀を振るう。流水剣の
「───!?」
グレーターデーモンは顎を開いて咽喉を震わせながら暴れ狂う。《沈黙》の奇跡によって断末魔が封じられて誰にも声は届かない。
首を刎ねられた魔神の胴は、ぴゅうと青黒い血を間欠泉のように迸らせる。
司令官の死は、すなわち指揮系統の崩壊であった。すでに河面自体が燃え上がり、行動の自由を失った混沌の魔軍の船艇は爆発と炎上を繰り返し、そこに秩序の軍勢からの攻撃が加わって、水上の凄惨な火刑場となった。船上の火を逃れて川に飛びこむ者も多いが、その半数は矢か魔法を受けたり、味方の船に頭部を砕かれたりして水中に沈んでいった。
流水剣は一切の返り血を浴びる事なく飛び下がる。司令官を失って数拍呆然としていた魔神たちとの間合いを詰めた。
───
流水剣は細身の
大河の広大な河口は蓮のような紅に彩られ、上空は渦巻く黒煙のヴェールに覆われた。混沌の軍勢の反撃はけっして微弱ではなかったが、それは効果をあげなかった。勝敗の帰するところは明白であった。魔女を筆頭に秩序の軍勢から放たれる魔法や矢が混沌の軍勢を滅ぼしてゆく。
「美周郎に擬する畏れ多いことは言わないが、火をもって制するか」
胸中に呟く流水剣の黒檀の瞳は江上の炎を映して紅蓮に輝いていた。
流水剣の作戦立案、魔女の情報工作、森人の斥候によって火船に施された時限発火装置、どれもが嵌り、混沌を撃滅することができた。
「乗り越えたぞ……と」
彼らは全能を尽くした。混沌の残党との抗争、それは秩序の軍勢と運命の分担するところだった。
一党で活躍しているのは流水剣だけじゃないよ、というお話でした。
直近の展開で考えているのは剣の乙女が登場する2巻のアレンジ版、火吹き山の闘技場のアレンジ版か。どちらを先にするか、下でアンケートさせていただきます。
評価、ご意見、ご感想をいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
13
アンケート結果から、水の街へ行きます!
「全て……買い、取り……たい、わね」
「それはやめたほうが、店主さんも困ってしまうだろう」
古書肆の店内を眺め、本を手に取った魔女がゆっくりと呟いたので、流水剣は少し呆れたように微笑んだ。
混沌の残党を討伐した後、辺境の街に戻る前に流水剣は一党の仲間とそれぞれ二人きりで街を散策していた。そこは混沌の残党の脅威に脅かされていたとある貴族領にある街。そこにある古書肆は元知識神の神官が経営している店だった。
本の内容は魔女の満足がいくものだったらしく、そんな冗談と欲求が綯い交ぜになった呟きをしたようである。
知識と理を尊ぶ魔術師として、満足がいく品揃えだったらしい。
それでも魔女にだってこの店全ての本を買い上げてしまえば、店に迷惑をかける事は理解している。だからこそ戯言の類である。
「一つ二つにしておきなよ」
「そう……ね」
諦めたように嘆息して、肉感的な肢体をしならせた魔女が書架を見て回る。
「ん……」
「これか?」
魔女が背伸びしても届かない高い位置にあった古書も、流水剣ならばひょいと簡単にとってしまう。
「ありが、とう」
嫣然と笑って魔女はお礼を言う。その本は魔女が求めていた古書、それも極美本だったので購入することとなった。
流水剣は魔女に促されて料理屋に入った。そこは流水剣たちに依頼した貴族の情婦に経営させている店である。店内は客で賑わっている。カップルが多い気がする。メニューの選定は魔女が流水剣の分も注文した。
「さ……、来たわ」
「なあ、これは一体……?」
流水剣が胡乱げにテーブルの上にある品を見た。大きなグラスに薔薇水が入っている。流水剣が見ているのは中身の飲料水ではない。グラスに刺してある細い管である。
周囲を見渡してみれば同じようにグラスに管を差している飲み物を注文している客は、この管を咥えて飲んでいるようである。それも恋人同士で一緒に顔を近づけながら飲んでいた。
「職人、が……作った、特別製……らしい、わ、よ」
錬金術師が使うようなフラスコなど器具を作るような職人の作品らしい。
「そうなのか……、曲げる加工が見事だね」
流水剣の言葉は散文的な賞賛だった。細い管は値が張るものの購入して持ち帰り使うことができるという。
「さあ……飲み、ま……、しょう」
「君。ここをちゃんと事前に調べていただろう?」
「ふふふ……」
嫣然と微笑み、答えない。流水剣も深く追及するつもりはないので管に口をつける。少し目線を上げれば魔女の美しい
魔女が視線に気づき、流水剣と視線がぶつかる。
鍔広帽子で流水剣からの視線を遮ろうとしたが流水剣がそれを止めた。
「せっかくこういう趣向の店なんだ、もっと見せてくれよ」
「──」
魔女は顔を赤くして俯いてしまった。懇意にしている受付嬢、後輩にあたる女神官が見たことのない稀有な様子。知己がいない遠方の地だからこそ魔女も幾分大胆になれたのだろう。
「ほぉ、あれも随分と可愛らしいことをする」
「そう。グラスに片方の先端部が曲げられた細い管を二本入れて」
流水剣がテーブルの上にあるグラスを手に取り、指さして説明する。管はきちんと洗浄され、乾かされている。物は試しとグラスに差してみる。
「あとは、二人で管から中身を吸うと」
「そういうものか。これを考えた奴はある意味凄いな」
森人の斥候がじっと流水剣と顔を近づけながら感心したように言う。どことなく、自分も実践してみるところは森人の斥候の可愛い部分かもしれない。
森人の斥候もその白粉が塗られた顔でも照れているのが見て取れた。
「二人で楽しんだんだ、私のこともきっちりもてなしてくれよ」
照れていることを誤魔化すように、いつもより不敵そうに微笑んでみせた。
◇◆◇
辺境の街に流水剣たちは帰還して、冒険者ギルドへ報告に行った。報告を終えるまでが冒険である。
対応したのはいつもの受付嬢や監査官ではない職員だった。流水剣はあまり話したことがなかった。
「お疲れ様でした。流水剣さん。あとこちら、水の都から流水剣さん宛にお手紙が届いています」
如才ない笑顔で対応した職員が報酬とともに手紙を渡してきた。
宛先は至高神の
恋文めいた内容が目立つが、内容は冒険者としての依頼である。依頼内容を読み、職員に少し話した後に魔女たちと依頼について相談したのち、一度別れた。流水剣はギルドに残りロビーから移動する。
(あいつが審査の立会人をしたとはな)
冒険者の等級は、白磁から白金までの一〇段階にわけられる。等級審査の基準は、今までの報酬金額と貢献度、そして人格。これらを“経験点”などと称する者もいる。
つまり、いかにして大衆や社会に役立ったか、という目安である。しかし一方、冒険者とは戦闘技術を持ったならず者でもある。冒険者において実力とともに重要視されるのは当人の人格的評価。等級が高いということは人格的評価が高いということである。
そして評価を行うために実施するのが、上位冒険者の立会のもと、審査──つまり、面接が行われる。
なので、ある日突然現れた身元の分からないものの実力が優れた流れ者が一挙に銀や金になるとか、あるいは長らく白磁だったものが隠していた実力を発揮して一挙に銀や金に昇級する……などという物語のような事はまず無理である。
あるいは、女性ばかりを仲間にしている男性冒険者の昇格もなかなか難しいという。実情はどうあれ、女癖の悪い冒険者に重要な依頼を任せたいと思う者は少ないからだ。もっとも、強さこそが正道であることも一面の真実である。流水剣のように女性ばかりが仲間でも周囲からの評価が高かったり、昇格を望まれたりするという例もある。
……つまりは、いくら実力があろうと実力しかない者は、一生涯、白磁のままなのだ。
職員に教えられた部屋に向かう途中、ちょうどゴブリンスレイヤーが部屋から出てきたところだった。
◇◆◇
ここではないどこか。ずっと遠くて、すごく近い場所。この世の“歩いて行けない隣”で。
できました~! そう言って《幻想》の女神様は額の汗を拭って一息つきました。《幻想》がかかげた大きな紙には、広い広い迷路が描かれています。ダンジョンです。ダンジョンでした。
完成して喜びはしゃぐ《幻想》はあっ、と間抜けた声を上げて、はたと動きをとめました。
《幻想》は失念しておりました。そう、ダンジョンには怪物がいなければならないのです。
冒険といえば
そこからの
《幻想》は頬杖つきながら考えて、とりあえずゴブリンを置いてみました。ゴブリンは基本です。
けれど後は思いつきません。ゴブリンだけでは満足できません。さあて、どうしよう。
強い冒険者には強い怪物、弱い冒険者にはそれに見合った怪物。そうでなくば冒険には盛り上がりが欠けて、楽しくありません。
と、そこに、男神様が二柱やってきました。《真実》と、最近よく現れて《幻想》や《真実》と混じって楽しんでいる仮面を被った男神です。
仮面を被った男神も《真実》に負けず劣らず酷いことをするので、《幻想》は胡乱げに彼を見ます。
《真実》が虚空から取り出した本から禍々しい怪物に罠を抜き出して、迷路へ押し込んでしまいました。仮面を被った男神は何やら黙々と
あーっと声をあげる《幻想》に、男神たちは悪童のように笑っています。
彼らは艱難辛苦を用意したいのです。抗い、立ち向かおうとする雄々しい冒険者たち。彼らが放つ輝きを愛していたいし、慈しんでいきたいのです。
《幻想》はハラハラしながら見守る中で、サイコロは投げられました。
「……あっ」
「マジかー」
そして、彼と彼、さらに彼女がやってきました。
仮面を被った男神だけが笑っていました。彼にとっては冒険が成功しても失敗してもどちらでも同じことだからです。
更新速度が落ちた理由→魔女とのデート回が思いつくのに時間がかかってしまいました!
この世界の卓には《真実》や《幻想》だけでなく別の神様もいるよという匂わせも入れました。仮面を被った男神にも一応元ネタがあります。《真実》と悪乗りすることが多い困った神様です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
14
頭の中にある物語をアウトプットする能力が欲しい……!
剣の乙女が再登場です!
水の街。そこは辺境の街から広野を東へ二日ばかり行ったところに、その街はある。森の中、流水剣がかつていた世界の
神代の砦の上に築かれたこの街には、その立地から多くの人が集う。湖に繋がる支流を伝って船が行き交う、商人と品物で溢れ、各地各種族の言語が入り乱れている。
中央の西端、辺境の東端。辺境の街近隣では最大の都市である。
がたごとと音を立てて馬車で湖の中央、城門を潜り抜ける。馬車が停留所に停まると、冒険者たちは次々と降りていく。
長時間の馬車旅で強張った身体を解しながら文句を言っている
流水剣が水の街に来たのは久しぶりであるが、相変わらずの盛況ぶりである。
剣の乙女と流水剣の付き合いは彼が駆け出しの冒険者だった五年前からになる。彼女の依頼を受けて彼女との絆を強めてからは、頻繁に流水剣一党への指定依頼を出していた。彼の昇格には彼女の後押しによるところも大きい。
先日の混沌の軍勢との闘いに臨んだのも剣の乙女の推挙によるものである。
「……何か、雰囲気が悪いな」
「ああ……」
流水剣の誰へともなく呟いた言葉にゴブリンスレイヤーは首肯した。
ほう、と
「鬼狩り殿、小鬼殺し殿。して、その心は?」
「ゴブリンどもに狙われている村と、よく似た空気だ」
「……空気?」
「鉱人は鈍いからわからないわね」
「うっさいわ。お前だってわらかんのだろう」
「あら~、
「あそこの土には小鬼の足跡もある。偵察か、狩りに出たのかな」
「え!?」
鋭敏な感覚を持つ流水剣が屋敷の庭を指して言った。森人の斥候とゴブリンスレイヤーが屈みこんで足跡を見る。
「こんな街中にゴブリンが出るだなんて……」
「だが、これが現実だ」
妖精弓手が呆れたようにボヤくと、ゴブリンスレイヤーは鋭く言い返す。
「俺にも覚えがある」
武器こそ抜いていないものの、彼の動きは洞窟の中のそれと大差がなかった。
「懐か、しい……わ」
「あれも小鬼退治がきっかけだったな」
「私もその縁でこうして行動することになった」
流水剣一党が
「そして、今回の依頼者も同じだ」
「あ、あの、流水剣さん。依頼者というのは本当に……?」
「そうだよ、嘘ついたって仕方ないだろう?」
「で、ですよね」
流水剣に訊ねる女神官の表情は緊張が含まれている。それもそのはず。今回の依頼者が剣の乙女は
偉大な先達との邂逅を前にして女神官が緊張するのも無理なからぬことである。
「安心してくれ。怖い人じゃないから」
「は、はい……」
女神官は錫杖を両手でぎゅっと握りしめ、声も固いままであることを彼女も自覚していた。
◇◆◇
法の神殿を訪れる者は多い。至高神に祈るのは信者だけではないからだ。神の名の下に審判を行う、司法機関でもあるからだ。
細やかな日常の揉め事、人の生き死に関わる事まで。神の威光を以て裁いてもらおうという者はいつの世も多い。
後の世に、水の都の人々は語り伝えたものだ。
「剣の乙女さまはあそこで、お裁きの公正なことにみんな感歎したものだ」
剣の乙女が公正な裁判官であったことは事実だが、伝説とは膨れ上がるものである。彼女以外の者が裁いた裁判の多くも後世では剣の乙女が裁いたと民草の間に広がることになる。
流水剣たちは女官に案内されて陳情者が満たされている待合室を抜けて、神殿の奥へ進む。そこは流水剣が駆け出しの頃に案内された場所と同じ、神殿の最奥、太陽を模した神像が祀られる礼拝堂だった。
そこに、依頼主である彼女がいた。流水剣、そして同じく顔なじみの魔女、森人の斥候も挨拶をする。それは気安さを感じさせるものだった。
「久しぶりです」
「ふ、ふ、ふふ」
流水剣の傍ら、肉感的な肢体をしならせた魔女が、さながら影のごとく、ぴたりと彼に寄り添っている。
「お待ちしておりました」
今にも溶けてしまいそうなほどに熱のこもった、蕩けるような声だった。
海のように揺蕩う豪奢な黄金の髪が、頭部のうごきにつれて揺れ、いつものごとく華麗な光をまきちらすようだった。
地母神もかくやという豊かな身体の線を、惜しむことなく描き出す白い薄衣。衣服から垣間見える肌は、まったく日に焼けておらず、白を通り越して透き通る。
故に彼女の頬が薔薇色に輝いて見えるのは、陽光を浴びているからだけではないだろう。
「あら……」
剣の乙女は女神官や
手にはさかしまになった剣と天秤を組み合わせた、正義と公平の象徴たる天秤剣。
それに縋るようにして身体をしならせた彼女は、どこか不安そうに、か細い声で囁いた。
「ご迷惑、でしたでしょうか?」
「そんなことはないよ。久しぶりだね」
剣の乙女。そう呼ばれる辺境一の聖職者に、流水剣は気負いのない笑顔で応じた。
「はい。どうか、助け……いいえ」
女が艶っぽい、潤んだような声で囁き、ふるりと首を左右に振った。
「……殺して、頂けますか?」
「もちろん、約束を果たそう」
泰然とした返事だった。剣の乙女の唇が緩んで、熱っぽい吐息が漏れる。剣の乙女が頭をふると、豪奢な金髪が、
「ゴブリンか?」
そんな二人の間に斬りつけるような声が割って入る。ゴブリンスレイヤーである。
剣の乙女が一瞬驚いたような反応をするが、すぐに気を取り直して流水剣たちを案内する。
「ええ、はい。それではまずはお仕事の話をしましょう」
剣の乙女は流水剣たちを応接間へ案内して、手振りで椅子を勧めた。それぞれが席に着くと、彼女は流水剣の対面に、腰をしならせて着席する。僅かに身じろぎして、その豊かな尻の位置を整えると、剣の乙女は天秤剣を手繰った。
「かつて流水剣様には小鬼を、恐るべき魔性を討滅していただき、この水の街に平穏をもたらしていただきました。……それなのに、このごろこの街にそくそくと迫る妖気があります」
「──そうか」
流水剣が
「妖気とは」
「巡回した衛視や冒険者の情報よりゴブリンと推して相違ないでしょう。このひとつき、夜に街を歩く住人たちが襲われ、命を奪われています。本当に、ひどい事件でした。かつて、あなたに救っていただいたあの時を思い出したように」
剣の乙女の豪奢な黄金の髪が、頭部のうごきにつれて揺れたが、それはこのとき、いつもの華麗さではなく憂愁の花粉をまきちらすようだった。
「すると、冒険者を使わせても探索は成果を上げなかったのか?」
森人の斥候が尋ねると、頷き短く自らの仕える神へと祈りを捧げた。
「以前と同じく、この地下にゴブリンは潜んでいるだろうと思い調査の依頼を冒険者へ出したのですが……」
「……その人たちは?」
女神官がそっと問いかけると、剣の乙女は黙って首を左右に振った。
「そう、ですか……」
「さらに言えば、このゴブリンによる災いには、何か作為的なものが
この街に小鬼の巣がある、ということに半信半疑な者もいる。被害は出ているが気にしていない者が大半なのだ。それはかつてヴァルコラキが街に潜んでいたときと同じ状況だった。剣の乙女によって不浄なる輩が駆逐されているからこそ清浄な街として運営されているのだが、その状況を当たり前のものであると享受してしまい、街への脅威に実感を持てずにいる。
そして、ゴブリン相手には軍や衛視を派遣することはできないのだ。
「それゆえ、わたくしと個人的にも昵懇の間柄である流水剣様に、密かに街を脅威から守ってもらいたいのです」
昵懇の間柄のくだりの剣の乙女はやや強い語調だった。
「なるほど、了解した。謹んでお請けしよう」
流水剣は泰然と言った。
「また、わたくしがはたと思いついたのは、ゴブリンたちから辺境の勇士と名高いゴブリンスレイヤー様に街を守っていただきたいと」
「街を救えるかどうかは、わからん」
ゴブリンスレイヤーはあっさりと言った。
「だが、ゴブリンどもは殺そう」
仮にも辺境一帯を預かる大司教、かつての英雄に対する口の利き方ではない。女神官は彼の袖を引き、唇を尖らせて彼を窘めている。
しかし、その様子を見て剣の乙女は楽しそうに笑っていた。意外そうな視線を受けて、失礼、と剣の乙女は謝る。
「ねえ、地図を持って来てくださる?」
「はいはい、準備できておりますよ」
答えたのは年嵩の女官だった。彼女は流水剣たちを案内した女官で、応接間の隅、暗がりに溶けるように彼女は控えていた。裾が長く衣の多い礼装でありながら、女官は音もなく動いて黒檀の卓上へ地図を広げる。
彼女は剣の乙女の世話役兼護衛であり、女官とも流水剣一党は古い知己である。
「それで、地下水道へ降りるには神殿、裏庭の井戸からがよろしいかと思いますわ」
その地図は古めかしい地下水道の見取り図に真新しい書き込みがあった。それはかつて流水剣によって小鬼の屠殺場と化した地下水道、そして神殿部分の空間について正確な情報が書き込まれていた。神殿建立当時の古い見取り図も情報がアップデートされて正確な地図になっていた。
黄金の絹糸のような髪を、白い指ですきあげつつ、細い人差し指で地図上を滑った。
「わかった」
剣の乙女から話を聞き、ゴブリンスレイヤーは頷くと地図を無造作に畳むと、宙に放った。サッと蜥蜴僧侶が腕を伸ばして鋭い爪先で器用にそれを掴み取る。
「
「うむ、承知した」
「では行くぞ。時間が惜しい」
言うだけ言うとゴブリンスレイヤーはずかずかとした足取りで歩き出した。彼の一党は仕方ないとばかりに頷き合い、彼について退室した。
「故に其の疾きこと風の如く、だな。やれやれ。彼らが帰り次第、私が提供できる情報もあの地図に補完しておこう」
森人の斥候が嘆息する。
彼女もかつてはこの街の地下水道で謀を企む一派に属していた。そのため、水の街の地下水道の構造についても一日の長がある。
「ええ、お願いしますわ」
残ったのは流水剣一党、剣の乙女、女官のみとなった。女官は彼らの関係は知っている。
「依頼を請けていただいて本当に……ありがとうございます。本来であればわたくしがやるべきことなのでしょうが小鬼がこの地下に潜んでいるかと思うと」
剣の乙女は表情だけでなく、声まで
「恐ろしくて、恐ろしくて、とてもではありませんが……」
気が気でない──と。剣の乙女の告白を、余人が聞いたら何と思うだろうか。肩を震わせる剣の乙女に流水剣がにやりと笑って片目をとじてみせた。
「ああ……俺が幾ばくかの力になるのなら──全霊をもって力になろう」
剣の乙女は濡れた赤い唇の隙間から、ほぅ、と吐息を漏らして、微笑んだ。
剣の乙女「美人が増えてる……」(女神官、妖精弓手を見ながら)
数あるゴブリンスレイヤー二次創作でもあんまりなかっただろう、
評価、感想、意見をいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
15
「あ、流水剣さん、おはようございます」
「……っ! ああ、おはよう」
朝、大浴場から出てきた流水剣を見かけた女神官は挨拶をした。少し驚いたような顔をしている流水剣は朝の鍛錬のあと汗を流したのだろうか。
(あれ……? ですが昨日はたしか……)
胡乱げな女神官の視線を受けながら流水剣はさりげなく浴場の扉を女神官の視界から遮った。堂々たる巨躯なので小柄な女神官にとっては壁に等しい存在感だった。
「いやあ、ちょっと汗をかいてしまったから身体を清めたくてね。君もそうなのかな?」
「あ、はい。それに、ゴブリンスレイヤーさんも目覚めたことですし、気分転換で落ち着かせようかなと」
「そうか、ゴブリンスレイヤーは目覚めたか。そりゃあ良かった」
ゴブリンスレイヤーとともに流水剣が剣の乙女からの依頼を請けて数日が経過した。ゴブリンスレイヤーは
「俺たちも、そっちに参加しておけばよかったな。ゴブリンスレイヤーには申し訳ないことをした」
ゴブリンスレイヤー一党は大半が在野における最高等級である第三位の銀等級であるという質の高いメンバー構成である。それでも流水剣一党が加わればより万全に小鬼たちに対処することができただろう。そう思うと友人の負傷に流水剣は呵責を覚える。
「そんな、流水剣さんが気に病むことではありません。それにみんな生きて帰ることができましたから」
「……ありがとう。そうだね、みんな生きて帰ったんだ。重畳だな」
年下の少女に気を遣われたことに流水剣は困った風情で頭を掻いた。思わず”たられば”の話をしてしまったのは、流水剣自身に今回の依頼について疑問に思うところがあったからだ。いくら依頼が二つあったとはいえ別行動するのではなく合同で動いてもよかったものの、剣の乙女からの要望で二方面に同時で依頼をこなすことになった。
(結局、訊ねても答えることはなかった)
その点に、流水剣は剣の乙女の真意が読めないのである。
「俺たちも早いところ解決しないとな……」
流水剣が微苦笑するが女神官には、謙遜が過ぎると思った。彼が剣の乙女の依頼に対応するため、水の都周辺を調べる過程で依頼以外の問題を解決させていた。
強大な怪物の討滅だけではなく、化生が従える野盗の討伐、霊峰からの遭難者救出、無実の囚人の救出等々。
「街の皆さんが感謝していると、神官の方たちも仰っていましたよ」
「だったら嬉しいけどね。あと残った案件は『牢屋から出た幽霊』と『禁忌の森』か……」
女神官は流水剣の言葉にひとつ覚えがあった。
「『禁忌の森』というと、森やその周辺で行方不明になる方が多いという噂ですか」
「そうそう。水の都の冒険者ギルドやこの土地の官吏も調べているらしいが、どうやら本当に曰くありげだ」
もとは特別な名前もない森だったが今では、禁忌の森と呼ばれるようになったらしい。
「今日はそこを調べるつもりだよ」
「そうですか……。あの、私が言うのも烏滸がましいですけど、どうかご無事で」
「ありがとう。心遣い感謝するよ」
素直に謝意を伝える流水剣。そして彼は後背の大浴場を見る。……どうやら、ちゃんと部屋に戻れたようだ。流石に大浴場で
「じゃあ、俺はもう行くよ。あとでみんなと一緒に食事をしようか」
流水剣が大浴場への道を女神官に開けた。
「あ、はい。ゴブリンスレイヤーさんたちにも伝えておきますね」
◇◆◇
半刻ほどかけて準備を済ませると、流水剣たちは神殿を出た。そして水の都から出て北に進んだ先にある森のそばまで歩いていった。森の中の木漏れ日が射し込んでいて、かなり奥が見えるほど明るい。
しかし、流水剣は思わず顔を顰めた。流水剣は脳内物質のバランス構築が常人とは異なり、脳内が常に活性化している。五感が異常発達しているため、音や空気、その場の異物や違和感を察知する得手がある。
その彼は森の奥から強烈な、薄気味悪い視線のようなものを、肌に感じていた。
木々の奥、森の影から、何ものかが潜んで、じっとこちらを見ている。
流水剣の隣に立って、魔女が森の奥へと目を凝らした。彼女は手に持つ杖を強く握る。この森を警戒する彼女の心のうちを示しているようだ。
「一見、何の変哲もない森だろう」
渋面をつくって、
「だけど、奥へ行けば行くほど、気分が悪くなり、自分が進む道がわからなくなり彷徨うことになるそうだ」
流水剣は外套を羽織り、荷物を肩にかけるつくりにしてある。日輪刀を扱う際に、すぐに地面に落とすことができた。
魔女も荷物を肩にかけてある。いつでも短杖や巻物を取り出せるように工夫をしてある。
荷袋の中には食糧や水、松明などが入っている。松明を用意したのは場合によっては木を焼くこともあると考えたからだ。
「それ……じゃ……行き……ま、しょう」
気負いのない調子で、魔女が言う。三人は森の中に足を踏み入れた。
斥候たる森人が前を歩き、その後続に魔女が続き、流水剣がさらに後ろに続く。流水剣が後ろに立つのは、側面と背後を警戒するためだ。
木々の間に漂う空気は涼しく、射し込む陽光はやわらかく地面を照らしている。遠くからは鳥のさえずりが聞こえた。視線を巡らせれば木の実が地面に落ちている。
何本かの木々には色染めされた長布が結びつけられていた。以前に調査のために訪れた衛士たちによるものだろう。
「君は何か感じるか?」
しばらく歩いてから流水剣が
「誰かに見られている気がする。いやな視線よ」
「俺もだ」
流水剣は足を止めた。
「無、性に……不安、を……感じる……わ」
魔女の憂愁にしずむ瞳は、水晶の杯に液体化した月光をたたえたようであった。
さらに森の中を歩き続けたところで、不意に流水剣が表情を険しいものにする。流水剣は腰に佩いた日輪刀に手をかけた。
「──私たちはもう誘いこまれたわ」
「あの木は先刻も見た」
流水剣が日輪刀を抜き放ち、魔女が周囲に視線を走らせた。
「それともう一つ、おかしいと思わないか?」
「ここまで歩いてきて、生き物の気配が消えたことか?」
流水剣が不敵な笑みを浮かべて同胞の
「気づいていたか」
鳥の鳴き声は聞こえるがそれは遠くから響くばかりで鳥の姿は影も形もない。狐、栗鼠、野兎なども見当たらない。これだけ多くの実りがある森の中では考えられなかった。
流水剣一党が足を止めると。にわかに森の奥から濃い霧がたちこめる。清涼だった大気が、ただの霧のように見えるソレによってまるで毒を含んだ瘴気に変じたかのように思われた。
流水剣、魔女、
木漏れ日が人影の群れを照らし出す。流水剣は剣呑に目を光らせた。
人影は冒険者だった。武装した兵士だった。行商人だった。だが、彼らの顔はどれも干乾びていて皺だらけ。落ち窪んだ目は黒々とした洞のようである。見るも無惨な
彼らはこの森に立ち入って犠牲になった者たちに違いなかった。
左右に身体を揺らしながらゆっくりとした足取りで流水剣たちに近づいてくる死体たち。
流水剣は眼光の矢で冒険者の屍を突き刺し、こみ上げる怒気を抑制するために呼吸を整えなければならなかった。
彼らがどのように生きてきたのか、流水剣は知らない。だが、少なくともこのような凄惨な最期を遂げ、死後も醜悪な怪物になるようなことなど、あってよいはずがなかった。
ひと跳びで四一間もの距離を詰めた流水剣が振るった日輪刀は、冒険者の首を刎ねた。首は地面に墜落する前に崩壊して、首を失った死体も灰とも塵ともつかないものとなり崩壊した。
飛燕のような敏捷さで剣を避けた、
「こいつら、ただの
有象無象の屍が、さらに数人こちらへ向かってくる。魔女が端麗な唇で
「《サジタ(矢)……ケルタ(必中)……ラディウス(射出)》」
光の矢が放ち、屍たちに被弾する。武器を持ったまま死体が転がり、二度と動くことがなかった。
屍たちは同胞を倒されてもひるむことなく、流水剣たちに迫り取り囲む。流水剣は淀みない動きで一閃、二閃と斬撃を繋げる。
──
木々の奥にただよう霧の向こうから、新たに十数人の屍が現れた。
「いったいどれだけ彼らはいるんだ」
「キリが……ない……わ、ね」
流水剣は破落戸やならず者の屍たちを瞬く間に斬り、薙ぎ払っている。この程度の
流水剣は魔女や
「抱え上げてあげようか」
日輪刀を持ったまま、お姫様抱っこをするポーズをしながら走る流水剣。
「そ、れ……は、また……今、度、ね」
「ズルいぞ、私にもやってもらわねば不公平だろう」
精神を擦り減らさないため、冗談をかわすことができるあたりが、
正面からは屍たちが現れる。粗末な剣を持ち、同じく粗末な革鎧を着こんでいる屍たち。盗賊たちがこの森が入って、森の犠牲者の列に並ぶことになったのであると思われた。
「なあ、まわりの様子はどうだ?」
走りながら、敵を見据えながら流水剣は
「同じところを走らさせられている。面倒だなことだ!」
彼女は心中で
「ああ、やっぱりな!」
荷袋を地面に落として、流水剣は脚速める。盗賊たちとの距離を縮めて、刀を振るった。彼が夢を介して知った型を使う。
──
無拍子で繰り出される無数の斬撃が盗賊たちの身体を革鎧ごとまとめて、縦横無尽に斬り刻む。
あとから迫る屍たちも
魔女は短杖を取り出す。《
刹那、轟音と爆風が生じ、オレンジ色の火球が強烈なエネルギーの残波とともに、悲鳴にも似た音が森に響き渡った。
屍たちが糸の切れた人形のように倒れ、周囲の木々が大嵐にぶつかったように大きく揺れる。
「これは、効いているようだな」
「手応えが、あった、けど……。仕留め、て、ない……わ」
それでも一撃を与えた効果はあったようで、屍たちが倒れ追撃に迫る屍たちが来ることもなかった。
直後、轟ッ! と強風が木々の隙間を駆け抜けた。咄嗟に流水剣は魔女をその身で庇うように前に出た。
「──向こうも、本気になったみたいだな」
気配が近づいてくることに気づいて、流水剣は日輪刀を構えた。直後、木の上からこちらへ向かって飛び降りてくるひとつの影ある。その影を見たとき、流水剣は仲間を守るため半ば本能的に身体が動いた。
鋭い刃鳴りが森に響き渡った。蒼白い火花が散って流水剣が日輪刀で何かを弾き返した。その反動で身体を吹き飛ばされて地面を転がる。
「すまない、助かった!」
紫色の上着に黒い袴、一つに束ねている黒い総髪。額や首元から頰にかけて炎のような痣。そして六つもある目。
「お前は……」
眼前の相手を前にして刀をあげることができなかった。山のごとくのしかかってくる豪壮の迫力──そして、この大敵に名状しがたい奇怪ないらだたしさが、次第に流水剣の四肢を縛りつけて来た。
「上弦の壱……?」
六眼の魔剣士がそこにいた。
今回は試験的に台詞と地の分を改行してみましたが従来の書き方と比べてどうでしょうか?今回のようなほうが読みやすいのであれば今後はこのようにして投稿したいと思います。
浴場で流水剣と剣の乙女に何があったのか、真相はR-18版鬼滅の剣士で判明!……果たして需要があるかわかりませんが。
評価、感想をいただければ幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
16
月の呼吸が何やっているのか文章化が難しくて内容は短めになってます。やはり呼吸は漫画やアニメが一番映えるんだなぁ。
評価、お気に入りに登録、感想をいただければ幸いです。
木漏れ日を遮るような濃い霧の向こうに立つ恐るべき魔人が、流水剣の眼前にいる。
「……上弦の壱」
驚愕のあえぎは、冷淡な無視によってむくわれた。強大極まる鬼は、水柱の大剣士にいかなる感情も含有しない視線を向けていた。
六眼から放たれる視線のさきには、流水剣が未発の殺気を湛えて、襲撃の機会をうかがっていた。魔女も森人の斥候も距離を取りつつ六眼の魔剣士に警戒している。
流水剣は五年ぶりの再会であったが、久闊に叙するというわけにはいかなかった。上弦の壱はその手に持つ刀身全体に眼が無数についた妖刀を垂直にして、右肩に構えたのであった。
これは閃光のごとき速さであったが、これに対して流水剣が日輪刀を構えたのも同じ速度であった。ただし、これは無意識の動作だ。鬼狩りあるいは剣人としての本能が、ただ構えをとることを流水剣に教え、そして流水剣にとってそれが精一杯の努力であった。
──なぜ、この鬼がここにいるのか、
流水剣の身体中に、冷たい血とともに逆流する思考があった。この四方世界にいる鬼は上弦の壱だけなのか。いかなる方法でこの世界へ渡り歩いてきたのか。この世界でも人間を食ったのか。
心の深海から湧き昇ってくる水泡のような動揺と、それを押しつぶそうとする心の水圧と──
それらの潮騒を胸に湛えているとは見えない静寂の姿と見えたが、しかし流水剣は動いている。およそ
その剣気は理性的な精妙と野性をかねたものであり、流水剣のその在り様を、この豪宕、山のごとき大敵に対して、それを損なうことは流水剣自身の壊滅を呼ぶしかないことを、本能的に彼は直感した。
よそおわれた平静さは、だが、急激に破られた。臨界に達した殺気がさく裂し、両者は同時に刃をきらめかせた。
──月の呼吸 参ノ型
──水の呼吸
一閃は舞い、一閃は奔騰する。
激突したふたつの刃は、激突の余波で霧をわずかに払った。
振るわれる剣戟に伴う三日月のごとき大小様々な斬撃。月の呼吸の凄絶な魔技を流水剣は乗り越え、流水剣は水流のごとく流れるような足運びで日輪刀を振るう。
鉄壁も裂くその豪刀を、流水剣は受けとめた。受けとめることができたのは流水剣と
蒼白い火花が散って、二本の刀身はがきっとかみ合った。
瞬間、流水剣はそのまま、戦車のごとく走りぬけて、凄まじい回転速度で振り向いた。迫りくる竜巻のごとき斬撃の渦に対応するためだ。かわし、いなすがそれでも無傷ではすまなかった。
──月の呼吸 伍ノ型
刀を全く振らずに竜巻の様な斬撃を出現させる。悠長に鍔迫り合いをすればこの月の呼吸の型によって流水剣は切り刻まれたことであろう。
気合いの叫びをあげて、流水剣は突進した。大気を裂いて、刃と刃が激突を繰り返す。三日月の斬撃が、あらゆる角度から、流水剣を攻め立てた。流水剣も日輪刀で斬りつけ、突きこみ、押し込み、刀身の平の部分で打ち据える。
流水剣は刃の嵐を潜り抜ける。透き通る世界に到達した彼は鬼の動きを先読みし、大気の震えで恐るべき三日月の凶刃を察知し、多くの戦闘経験の勘働きで戦えていた。
しかし、それでも上弦の壱の刃は、彼の身体をかすめ、いくつもの小さな傷を刻んでいく。だが、頬や腕に血をにじませている流水剣とは異なり、上弦の壱には彼の刃は届かなかった。
《
しかし、下手に流水剣に協力しようとすれば、かえって彼の邪魔になる恐れがあった。それほどに、両者の戦いは熾烈だった。
──
流水剣は速い突きを繰り出し、月の呼吸の間隙を縫うように火箭以上の速い刺突によって上弦の壱を後退させる。
好機と見て、魔女は
「! 動き……出し……た」
異変は葉や土だけではない。流水剣たちが葬り去った怪物たちの、倍以上の数の新手が森の奥から現れる。獣に食われたあとに操られたのか、骨が露出している箇所の目立つ腐乱死体もあった。
「お前が血鬼術で操っているのか? いや、お前の
流水剣の声音に疑念が混じる。長らく黙して戦い、未知なる異能を使う魔剣士。その相手に実戦と鍛錬によって培った流水剣の洞察力が、戦い続けて違和感を抱きはじめていた。本当にあの強大極まる鬼であればなぜ自分はまだ生きているのだ?と。
透き通る世界で見る上弦の壱は筋肉の伸縮、骨格の動き、血流、どれもかつて見たものと同じなのに……。
「亡者どもは私たちに任せろ! お前は、そいつに専念しろ」
「おう、分かった」
「ゾンビの次は巨人か? いろいろと趣向を凝らすではないか」
巨人が奇声をあげる。魔女たちに襲い掛かってきた。その突進を魔女と
「《
魔女が作り出した蜘蛛の糸が巨人の脚に絡みつき、巨人はバランスを崩して転倒する。
狙い過たず、
「夜の御方よ痛みの母よ、汝が鞭と苦しみを」
信徒の嘆願を聞き届けた嗜虐神の奇跡による《
崩壊した巨人の身体。そこから現れたのは、人間の子供であった。無数の子供たちの死体が集まって出来た巨大な
先ほどまで自分たちを襲ってきていた屍たちの中には、子供はいなかった。森に入って行方知れずになる子供は、どの土地にでもいるのに。
吐き気のするような見えざる敵の悪辣さに、
「────ッ」
嫌悪感は、怒気へと生化学反応を生じて変化したが、魔女はまだそれを抑制することがでいた。というよりも、強烈な感情であっただけに、それがかえって理性の枠に触れて、制御反応を生じさせたのかもしれない。
冷酷な表情で、魔女は杖を屍たちに向ける。使用回数上限になった
「
屍たちは業火に飲まれて抉られた大地とともに焼かれ、消し炭となった。
──許しは乞わない。成すべきことがある。そのために魔女は魔法を使う。
◇◆◇
上弦の壱の眼が凄絶な光芒を発し出した。恐るべき六眼が──。
──月の呼吸
切り上げるようにして振るわれる三連の斬撃、そして大きな三日月の刃が流水剣を取り囲むように斬り裂くために迫りくる、上弦の壱による苛烈な猛攻を、流水剣は
魔女や
彼は全力の一刀を。この一刀に全てを託し、流水剣は鬼を、
だからこそ、上弦の壱の、その豪と妖を兼ねた剣気による、逃げも避けもならない決闘の風圏に踏み入っても挫けることはなかった。
──月の呼吸
──水の呼吸
一振りで縦方向に無数の斬撃を乱れ撃ちしてくる上弦の壱による苛烈な猛攻を、そこを突き進むように、流水剣はうねる龍の如く刃を回転させながらの連撃で応じる。二人の距離は近づき、再び飛び離れている。飛びずさったのは流水剣だ。
上弦の壱は刀を空中に止めた姿勢で、立ちすくんでいる。
なぜか?
流水剣の刀より早く彼のいる空間に魔技を振るおうとしていた上弦の壱の腕に、魔女の《
一瞬、その刃が止まったのは──手放さずにその刃をとめ得たのは、むしろ上弦の壱なればこそだ。が、その刹那、三日月の斬撃は流水剣をそれることになり、間隙を縫った彼の刀身は、上弦の壱の頸をかすめ過ぎたのであった。日輪刀は、上弦の壱の頸部の肉を刎ねた。
流水剣が振り返れば、上弦の壱の頸動脈から、ビューッと黒血を噴いて、どうと地上にうち伏した。
◇◆◇
「お前は何者だ……。真実、上弦の壱ならば今頃俺は死んでいた。正体を現せ!」
流水剣の誰何は、虚脱状態に陥りながらのものだ。いま何者かに襲撃でもされれば、疑いもなく彼は大根のように斬られたろう。
──もっとも、その『虚』の様子は、彼の一党である魔女たちでさえ一種の戦慄を覚えたが、これは考えすぎだ。
六眼の魔剣士の口から微かな声が漏れた。
「ボ……ガード……」
その言葉を最期に、上弦の壱……と思われた魔性は灰とも塵ともつかないものとなり、消滅した。
彼らの支配者の消滅とともに、屍たちも糸の切れた人形のように倒れる。
森と屍を操り、他者の姿と力を擬態する恐るべき魔物ボガードはこうして討滅されたのである。
黒死牟兄上の正体、それはボガードという魔物でした。ボガードの素性は次回以降に明かされます。擬態能力があっても黒死牟のスペック100%再現はできていませんでした。だからこそ、流水剣は魔女のアシストを貰いつつも勝つことができました。黒死牟を単独で倒せるのは縁壱くらいかなぁという、黒死牟への贔屓目もあるかもしれませんがそういう判断で、本作のような決着になりました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
17
※アンケートは今後の創作活動のための参考にさせていただきます
※今回のエピソードはアンケート結果によって展開に変化があります
地下深くで、彼は怒りのあまり顔を歪めていた。
「くそ、くそ、くそくそくそくそ、
彼は魔神を奉じる神官。
都の地下に拠点を構え、密かに浸透させ、小鬼どもに贄を集めさせ、魔神復活の大秘儀の実現。
奉じる神を呼び寄せる、神門となりえる呪具も祭祀場に用意した。あれさえあれば我が大命を果たせたものを! と神官は辺りの祭具に八つ当たりしながら考えていた。
彼の荒んだ様子に、直弟子である
(何を誤った? あの忌々しい
あの剣の乙女が冒険者たちを呼び寄せ、その冒険者たちが秘していた計画に罅を入れたのだ。小鬼たちが皆殺しにあい、自分たちを秘匿していた森の番人たる魔物も滅んだ。
何故だ、という答えが出ない問いかけが邪神官の胸中に満ちる。
「偉大なりし我が神よ! どうかこの哀れな信徒のお慈悲を! あなた様のお力の一端をお恵みくだされ!」
「今更、お前の神に声は届くまい」
奉じる神へ嘆願する邪神官の耳に、冷笑と届く。振り返えればそこには、さっきまでいなかったはずの青年がいた。
「ヴォジャノーイ! 貴様、今更何しに来た!」
ヴォジャノーイと呼ばれた青年は、なよなよとした貴族服の美青年だった。邪教徒たちも忽然と現れたヴォジャノーイに戸惑っている。当人は周囲の困惑や怒りなど興味がないとばかりに無視している。
「お前の計画は最初から完璧ではなかっただけのこと。俺が貸してやった駒も失くした今、もうお前の命脈は途絶えた」
それはただの宣告だった。まるで伝令官の報告のように淡々としている。
ヴォジャノーイにとっても貸し与えた駒──擬態の力を持つ魔物ボガードが討滅することは想定外だった。
ボガードは他者の記憶を読み取り姿かたちに加えて技術や力も真似ることができる魔物。元来は月がひとつだけの世界にいたのだがこの四方世界に漂流してきたのだ。それを同じくかつて月がひとつだけの世界からやって来たヴォジャノーイが隷属させていたのだ。
「ボガードには森を統べるレーシー、屍を操るヤミー、それぞれの胆を食わせて力を付けさせていた。そのボガードを討滅した冒険者が、この上にいる。じき隠し扉も見破るだろう。そうなれば、お前はここで終わりだ」
「……取引だ。また、取引してくれ!」
焦燥にかられる邪神官はすがりつくような表情で、ヴォジャノーイに訴える
勇者に葬られた魔神を地上に降臨させることが、邪神官の目的である。そのため、彼は必要な手を打ってきた。大量の人血を流し、小鬼に放埓の限りを尽くさせたのも、魔神に供物として捧げるためだ。あの都は魔神を降臨させる儀式を行うのに相応しい場として作るつもりだった。
しかしながら、彼の訴えは、ヴォジャノーイの関心を得ることはできなかった。
「嫌だ」
「は?」
まるで小遣いをねだる子供のおねだりを断るような、拒絶に邪神官は絶句した。口を開いたら昂った感情のままに怒声を迸らせてしまいそうだった。
「言ったよな。お前はもう終わりだ。俺……俺たちにとってはもう力を貸すことも契約を結ぶ価値もない。『魔神を奉じる邪教団』は冒険者たちに計画を挫かれ滅ぼされ、終わる。……せめて
ヴォジャノーイの声には、ごく微量ながら、演劇を鑑賞する者のような響きがあった。
「な……、何を言っている?」
「それに、今更お前に対価などないだろう? 魔物も呪具も俺が与えたもの。まだ自分に捧げるものがあるというのか」
「……!」
邪神官の顔色が悪くなり土気色になる。ヴォジャノーイの言うことは正鵠を射ていたからだ。
「な、ならば我が弟子たちを……」
「ははははっ! もしかしたら忘れたのか? ならば、弟子たちを見てみろ!」
ヴォジャノーイは唇の端に皮肉っぽい微笑をひらめかせた。彼に言われて邪教徒たちを見る。ローブを纏う弟子たち。彼らに生気はなく落ち窪んだ眼窩には炯々と光る鬼火のごとき目があった。
「あぁ……」
「思い出したか? そいつらは既に捧げられたあとの残骸だ。お前がその身を捧げた後、傀儡としていたのだろう?」
──ああ! 何故忘れていたのだ!
邪神官は頭にかかった靄が晴れたような思いだ。今まで忘れていた記憶が蘇る。自分は既に人の身ではなかったこと、弟子たちの人生は既に永劫に封印されていたことを。
愕然としている邪神官を無感情な視線でヴォジャノーイは見た。もう見るべきことはない。
邪神官たちがいる部屋に置かれた巨大な姿見の如き、鏡。表面は水面のように揺らめいて、奇妙な反射を繰り返している。精密で繊細な彫金が施されている。
ヴォジャノーイは姿見の中に入っていく。鏡面に波紋を起こしながらヴォジャノーイは鏡面に沈んでいく。この空間とは異なる光景を映す。鏡の中に。
「ま、待ってくれぇっ!」
邪神官の哀願は無視され、鏡の向こうにヴォジャノーイが消えたとき、姿見は粉砕した。
この姿見もまたヴォジャノーイが邪神官に渡した呪具。二対一体の片割れだった。
流水剣一党が邪神官たちのもとへやってきたのはそのすぐあとだった。
◇◆◇
薄暗い礼拝堂内、祭壇の上にそれはあった。巨大な姿見の如き、鏡。表面は水面のように揺らめいて、奇妙な反射を繰り返している。精密で繊細な彫金が施されている。
先程生じた大爆発に巻き込まれて尚、傷ひとつついていない。およそ尋常な代物でないとは、誰に目にも明らかである。
「これはご神体か何か……でしょうか?」
そう呟いた女神官が、身を乗り出して祭壇へと近づく。
彼らゴブリンスレイヤー一党には
女神官の白い指先が、柔らかく表面を撫でた瞬間。とぷん、と。その指先が鏡に沈んだのである。
「……っ!?」
思わず指を引っ込めると、鏡面が水面の如く波打った。触れたところから波紋が広がり、鏡全体がさざ波立つ。
「あ、っと、これ……」
「備えろ」
狼狽した女神官に入れ替わり、ゴブリンスレイヤーの号令が飛ぶ。各々が武具を構えて臨戦態勢に入るが、その間も鏡の異変はとどまらない。
やがて波打つ鏡面は乱れ、回り、狂い、ややあってから奇怪な光景を映し出した。
地下の神殿と思わしき空間。巨大な、得体のわからぬ機械装置。まるで粉ひき機のように揺れながら動くそれ。巨大な歯車は、あきらかに人骨を寄せ集めたもの。
「こ、これは……」
「動かしているのは、小鬼めらのようですな」
恐れる女神官が眺めているうちに鏡は鏡面を発光させる。
そこは豪奢な調度の部屋であった。女神官たちは見たこともない意匠の調度品の数々。大きな部屋には一人の青年が座っていた。
白橡色の長髪に、血をかぶったかのような赤黒い模様が浮かぶ美青年だった。
「ん? ───あれ?」
青年の虹色がかった瞳が、ゴブリンスレイヤーたちを捉える。
「やあやあ、初めまして。変わった格好のお客様たち。いい夜だね」
かつて稀人を招き寄せた世界と縁が結ばれた四方世界。線と線は再び重なり合った。
ヴォジャノーイ、ヴァルコラキ、ボガードとゴブスレ作品らしく種族や職業などの特徴を交えた役名ではなく固有名詞なのは、異世界転移してきた魔物だからです。
ちなみに流水剣にも本名を出す機会がないだけでちゃんと名前の設定があります。いい名前だなと思います。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
18
銀色の煙とも雫とも見える光点が零れた。零れた光点はやがて数を増やし、最初は小さく、すぐに大きく、縦に薄く渦を巻き始める。渦はまたすぐ中空を広げ、人を優に通す道の奥にに、漆黒の水晶のような床のある空間がある。
そこは、柱と床だけの空間。壁はなく、両側に列なす白い円柱の柱が間隔をあけてゆく、開けた空間。
「邪教団の企みは頓挫した。──ゲーム終了だ」
髭を生やした老人がそう宣言した。彼の宣言を受けたのは若い男と老婆だった。
「魔神王の残党も存外、情けないものたちじゃの。これで潰された勢力はいくつめだったか……」
老婆は忌まわしげに呟き、嘆息する。邪教団という駒の躍進、彼らの邪教が浸透する領域を拡張することを願っていたからである。
この会合を取り仕切る老人が、自分たちが話題にしている件について、私見を披露する。
「剣の乙女が小鬼に怯えるだけかと思えば、存外に察しがよかった。そして彼らは発生したロードブロックの解消をできなかったわけだが、奴らの能力を過大に評価し過ぎたのかもしれぬな。バーバ=ヤガー、パズズ」
「そうだな。わしがわざわざ守り手を用意しても大して役立てることもなく潰れおったわ」
「あなたは終始、《秩序》側に賭けていましたね。何か掴んでいたのですか? ギルタブリル」
老婆───バーバ=ヤガーに比べて大人しい若い男───パズズに問われた老人───ギルタブリルは隠すことなく、答える。
「剣の乙女は鬼狩りの冒険者とは懇意だ。小鬼殺しの一党程度であればボガードならば屠れるが、あれが出てくるならばそれも難しい。鬼狩りと小鬼殺しが二方面で動くならば奴らでは対応できないと判断した」
どじょうのような髭を撫でながら、ギルタブリルは鷹揚な態度を取る。
「まあ、戦勝のおかげだ。次なるゲームでの配慮を頂くとしよう」
彼らはかつて月が一つだけの世界から渡り歩いてきた妖魔だ。何故自分たちがこの四方世界に来たのか誰もわからなかった。しかし、彼らは各地に跋扈するようになった。
妖魔たちは遊興としてこの四方世界をゲーム盤に見立てることにした。
“駒”は君主や司教、冒険者などの
“陣地”は国や伯領に荘園、混沌の領域。
彼らは直接の干戈を交えず、各々“見立て領地”を統べる《秩序》や《混沌》を操り、その興亡と趨勢によって、互いの勢力図を線引きする。
神々が、世界の支配を巡って勝負をするために創り上げた盤たる四方世界を、さらに自分たちの遊戯盤にしてやろうという、神も恐れぬ大胆不敵な企てだった。
異なる世界からの漂泊流離の
◇◆◇
鏡面に映る美麗な青年。そのにこやかな笑顔。友好的にも見える笑顔を見たとき、女神官はのぞきこんだ虚無の淵の深さが、彼女の魂を底まで冷たくした。
「な、何、あんたは!」
彼女と同じ所感を持った
「え、待ってよ」
「ひぃっ!?」
瞬く間もなく距離を詰めた美麗な青年の手が
「君、珍しい耳の形をしているね。もっと見せて欲しいなぁ」
瞬間、鏡面が水面のように揺れて美麗な青年の姿が消えた。鏡面からわずか飛び出た右腕だけを四方世界に残して……。
「な、なんだったの……」
呆然と呟く妖精弓手に答える者はいない。誰も、答えを知らなかったからだ。ゴブリンスレイヤーも
「もう……何なのよ。次から次へと!」
妖精弓手の呟きに女神官も内心では同意する。鏡を守る
波打つ鏡面は乱れ、揺らぎ、狂い、やがて奇怪な光景を映し出した。どこともしれぬ、荒野。そして、そこから新たに出てきた人影は、ゴブリンスレイヤーたちも知る人物だった。
「流水剣さんたち!」
堂々たる体躯、頬にある流れる水のような痣を持つ凛とした美男。金等級の冒険者流水剣だった。さらに彼のあとから魔女や
「君は……そうか、ここは水の都の地下なのか」
納得したように頷く流水剣に、ゴブリンスレイヤーは何故鏡から出て来たのか問いかける。
「なぜ鏡から出てきた?」
「いや、俺も森の奥にある地下神殿で淫祠邪教の徒を倒したはいいが、神殿を探せば砕けた鏡以外にも無傷なものがあって、しかも鏡の光景にはゴブリンたちがいた。なので、よーし斬るかと思って、鏡の向こうに行ったんだ」
そこはいずこかの遺跡で、装備の良い小鬼たちの群れ。それらを流水剣たちは討滅した後、さらに鏡を使い移動してみれば荒野に現れた。
「そこでは、何やら作業をしている小鬼たちがいた。何をしているかまではわからないが……。まあ、俺には斬らない理由もない」
巨大な、得体の知れない機械装置。それは人骨を寄せ集めたものだった。目的はどうあれゴブリンたちを斬らない理由はなかった。
「最後にもとの地下神殿まで戻ろうと思ったが、何故かここに繋がったんだ」
「無闇に……入るの……は……おすすめ、できない……わね」
「たまに、お前は向こう見ずになるのはなんとかならんものか」
「まったくもって、申し訳ない」
魔女が嫣然と微笑みながら、流水剣の脇腹にぐりぐりと杖を押しつける。聳える巌のような流水剣は身体を揺らされながら、謝意を示す。
流水剣は謝罪しつつも、彼の鋭敏な嗅覚はその場に残る匂いを捉え、もたらされた嫌悪感は、殺意へと生化学反応を生じて変化した。様子は転変し表情が強張る。微かにでも残る鬼の匂いは有象無象の鬼ではないと推察した。
「鬼の匂い……! ゴブリンスレイヤー、ここに鬼がいたのか?」
「ゴブリンがいた」
「ゴブリン以外だ」
「ゴブリン以外か」
「ああ」
ふむ、と考え込むゴブリンスレイヤー。彼では埒が明かないと思い嘆息した
「奴の鬼のもとに鏡面が繋がったのか!」
「あいつって、あなたが追っていた鬼なの? 何かヤバい奴ってことはわかったけど、鬼だったのね……」
「見た目は人に近い鬼もいるな。お前たちが見た鬼も、そういう類だったのだろう」
「鬼狩り殿のいたところが奈辺にあるか存じませぬが、よもやこれはそこに繋がったのでしょうか……?」
「《
森人の斥候は鏡面に触れないようにしながら、矯めつ眇めつ姿見を観察する。
そもそも空間と空間を繋ぐ《
鏡の稀少さを考えれば、誰がなんのためにこんなところに置いたのだろう。しかも、複数の箇所に鏡が配置されていたという事実も気がかりなことである。
「それにしても水の都を陥落させるために、ゴブリンをここから出すのか? それがあの邪教団の狙い?」
「鏡を……いくつも……使って……やること……かしら?」
「そうだな。稀少な古代の遺物をいくつも用意してあり、自分たちの潜伏先を守る番人を置く。所感だがあの邪教団にはとても用意できそうにはなかった」
森人の斥候、魔女、流水剣はどうにも釈然としない気持ちだった。そして、流水剣には気がかりなことはまだある。この鏡が自分の知るあの世界へ繋がるのかということである。
流水剣が鏡面を触れば、鏡面は揺れる水面のような波紋が生じ、映り変わったのは美しい藤の花が咲き誇る山だった。月の明かりに照らされる花々は幻想的なまでの美しさだった。
「ここは……最終選別の山……なのか」
途端、流水剣は懐かしい思いを抱いた。その光景を見ているだけで花の香りや、当時のことを思い出す。
「知っている場所なのですか?」
女神官の問いに、流水剣は彼にしては珍しく呆然とした様子でそうだと頷いた。
「ここは俺のような剣士が、鬼殺隊に入隊するための最終選別を行われる山だ」
「じゃあ……あそこは……あなたの……故郷」
「───そうなるな」
「最後選別って何をするの?」
「あの山中には生け捕りにされた鬼たちが放たれている。そしてあの山で七日間生き残れば剣士の資格を与えられる。当然、人喰いの鬼がいる山だ。生き残れず鬼に喰われる者もいる。俺が受けた選別では俺含めて三人しか生き延びることができなかった」
「え、えっと、それは何人が選別を受けたのですか?」
「たしか二〇人受けて残ったのが俺を含めて三人だった。それでも恒例よりは多いほうだ。兄弟子が受けたときは二七人受けて兄弟子しか残らなかったと訊いた。誰も帰ってこないで全滅することもざらにある」
「───」
ごく当たり前のように話す流水剣の言葉に女神官や
それまで沈黙していた魔女は流水剣に訊ねた。
「それで……どうするの? 向こうへ……帰る……の?」
質問した者でもされた者でもなく、周囲の者たちのほうが、あるいは緊張したかもしれない。
「俺は……帰らない。帰れない」
帰れない、という言葉を発したとき、精悍な流水剣の貌に、微かな苦渋の翳りが見えた。たとえ四方世界に残留する意思を持っていたとしても、かつての世界を見ればやはり虚心ではいられないのである。
「烏滸がましいが、俺には……置いてはいけないものができた」
故郷を想いながら異境を過ごした。冒険を重ねて、多くの人と出会い、未知に触れる。そのような慌ただしくも、充実もした日常のうち、時は流水剣の皮膚の上を通りすぎ、単身でこの世界に訪れた男には友人ができ、そして愛する者もできた。
「まあ、そう悪い生活でもなかった。これほど長くなるとは思わなかったがな」
述懐しながら、流水剣は姿見から離れる。ただそれだけだが、彼には故郷への訣別の辞としての意味があった。いささか思いがけない展開ではあったが、だからこそ人の世は面白い、そういうことにしておこう……。
冒頭の魔物たちの代理戦争協定はすべての魔物が参加しているわけではないです。例えばヴァルコラキは参加していません。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
19
流水剣は疑念を解決させる暇もなく、地の奥底から唸り声が上がる。
怨嗟の声。妬み怒り。奪い、犯し、殺さんとする声。欲望に満ちて、自儘に振る舞うとする、醜悪な声。
女神官は身震いし、蜥蜴僧侶がしゅうと獰猛に息を吐く。流水剣も鋭敏な嗅覚と聴覚で迫りくるモノがなんであるか推察できた。
「ゴブリンだな。
「ああ、わかっていても言わないでよ……」
妖精弓手は苦々しい様子で毒づく。
「数はまったく問題ないが、地の利が悪いな」
平地でゴブリンに囲まれる状況は、
それでも、仲間を庇い、無傷で守り通すとなると難易度が上がってくる。
「小鬼ども、ここを取り戻しに来よるってわけか」
「ちょっと、もう……勘弁してよぉ……」
妖精弓手はへなへなと、その場に座り込んでしまった。美しい細面も憔悴している。彼女に寄り添う女神官もまた、様相は似たような有様だ。
魔女と森人の斥候は流水剣を見つめている。縋るわけでもなく、頼るわけでもない。ただ真っ直ぐに。
「それで……どう……する……?」
まるで期待するかのように、魔女は流水剣に問いかける。
「呪文はあと何回使える?」
「五回」
魔法を温存し続けたおかげで、魔女には余裕があった。
「よし」
流水剣が頷く。彼の中で考えがまとまった顔だ。流水剣が魔女と森人の斥候。ゴブリンスレイヤーが女神官、
流水剣が回廊に繋がる礼拝堂の左右二ヵ所にある入口を指す。
「《
「了……解」
「みんなと協力して阻塞を作って防戦に備えてくれ」
森人の斥候は頷き、蜥蜴僧侶もそれに協力する。先の爆発で崩壊した瓦礫や砕けた祭具を使い、祭壇を囲むよう、積み重ねていった。
さらにはまだ破損していない扉に施錠して、さらに瓦礫で塞ぐ。
「俺はゴブリンどもを引き受ける。庇いながらでなければまるで問題ない」
小鬼の大群を相手にしても動じることもない態度に、誰もが異論を持つことはなかった。しかし、ゴブリンスレイヤーも彼一人に任せるつもりはない。
「俺も助力しよう」
「助かる」
ゴブリンスレイヤーが礼拝堂内の複数の箇所に松明を置いて死角になりやすい陰を減らす。
予備の武器、道具、小石、矢などを並べる女神官。妖精弓手と森人の斥候は弓の糸の貼り具合を確かめ、さらに森人の斥候は
「流石だな」
「ん?」
日輪刀の目釘を改めている流水剣に、ゴブリンスレイヤーが声をかける。いや、思っていたことが思わず言葉として零れたというのが正しかった。
「俺では小鬼の群れを引き受けることはできない」
自分のポケットに入っているものは何だ。あらゆる手段を講じて状況を打開するか思索を巡らせるだろう。
「それならば冒険者としても充分だと思うが?」
「そうだろうか? お前のほうが余程優秀な冒険者だろう」
「冒険者か……」
剣を振るい迫る敵を悉く薙ぎ払う。優れた武具を手に入れ、姫を救い、怪物を滅ぼし、世界を救う。自分が憧れた冒険者とは、自分よりも眼前の男がより近いと思った。
「この身は所詮、何かを斬る包丁に他ならず。俺は……これくらいしかできないからな」
無謬の猟犬の如く、刃のように、自らを限りなく鋭利に鍛えて研ぎ上げた剣士である。
「俺もまだ冒険者になれているとは思えないが、最近は冒険が愉しいと思えるようになってきた。いつかは、冒険者になれたらいいなと思う」
「冒険者になるか……俺は、難しいな」
「難しいか」
「ああ」
ゴブリンスレイヤーは頷いた。簡単にはいかんのだ、と。
「そうか、ままならないものだな」
流水剣は掌に唾をくれて日輪刀の柄を湿らせ、鮫皮を手によく馴染ませた。流水剣の両眼が松明のように煌々と燃えている。毛細血管のさらに末端まで漲った闘気のゆえであった。鬼殺隊最高位剣士集団である柱に相応しい堂々たる体躯に充満している。
ゴブリンスレイヤーは空の右手に
「ま、いいわ、やったげる」
強張った、けれど優美な微笑で、
と、その同時。
「GOROORORRRRRRR!!」
ゴブリン・チャンピオンの
隻眼の
手に手に槍や棒切れだの刃こぼれした斧だの錆びた短剣だの、雑多な武具を手にしたゴブリンども。
片目が生々しい怪我で潰れているのは、先のゴブリンスレイヤー一党との戦いで失ったからだ。
ゴブリン・チャンピオンが使う棍棒は全長一五〇センチ、重さは一〇キロ。それを力任せに振るうのだ。
この巨大なサイズと、戦闘技術がなくともゴブリン・チャンピオンの腕力が加わり、その破壊力は想像を絶する。銀等級の冒険者であっても受ければ危険極まりない。腕の骨はへし折られ、内臓は潰され、生命をまっとうしたとしても戦闘能力は失われてしまう。
わらわらと有象無象に現れ駆けて来る、その中でも一番前に飛び出した刃こぼれした鉈を手にしたゴブリンが、
「はっ!」
「GROB!?」
流水剣によって払いのける落ち葉より軽く、全く無造作に一刀、切り下げられていた。
鬼狩りとして水の呼吸を鍛え、水柱となり、四方世界においても金等級に昇りつめた流水剣は卓抜した白兵戦能力を存分に発揮し、襲い掛かる小鬼を切り裂き、冥府へ出荷する作業を黙々とこなしていた。
「GROB!?」
ゴブリンスレイヤーも躊躇いなく投石でゴブリンを撃ち殺した。
有史以来、この世で最も物を投げるに適した種族は
流水剣がかつていた世界でも、二刀の大剣豪が礫で負傷し、羊飼いであった古代王が巨人兵士を礫で仕留めた。
四方世界でも只人が投擲を得手とすることは変わらない。
「ほ、こら狙う必要がなくて良いわな。かみきり丸、好きなだけ撃て!」
「そのつもりだ。……これで、三」
「GROB! GOOOROBB!!」
ゴブリンどもは自分たちが冒険者を襲っている、などとは思わない。自分たちが襲われているのだ、現実を解釈する。
あらゆる事象において、ゴブリンどもは常に自分たちが被害者だと考える。そして襲われているのだから、叩きのめして良いし、何をしてもいい。何故なら自分たちは不当に虐げられているからだと、常に責任を転嫁する。
ぎらついた瞳でゴブリンたちは、流水剣たちの後背で守られる、祭壇の魔女たちをめがけて殺到する。
「GOROROB! GROB! GOORB!」
小鬼英雄の下知がくだり、一匹の小鬼が大事そうに抱えていた壺の蓋を引き剝がした。ゴブリンどもが作り出した、粘つく毒液である。
粗雑な弓を手にした小鬼の射手は、石の鏃を毒液に浸して絡みつかせ、次々と毒矢を放った。
適当極まりない狙いにとって、幾匹かの小鬼が背後から撃たれて殺される。だが小鬼どもはそれ気にしない。重要なのは森人や只人どもに矢が届くことだ。
しかし、そこに精勤の竜牙兵が盾を掲げて、魔女たちを守るように盾で矢を弾く。仮に盾を越えて矢が彼らに当たったとしても、血肉なき身体に毒が通じるわけもない。神秘の鏡を壁面から剥がそうとする
「援護をしよう、斬りに行く」
「GOORB!?」
戦場における殺戮の技術を、洗練された芸術の一種と錯覚させることのできる人物はめったにいないが、流水剣はそのひとりだった。
彼は日輪刀を縦横に振るい、射手の小鬼たちを斬り払い、文字通り周囲に血煙の壁を築き上げていた。たんに
流水剣は乱戦のなかを流れるように移動し、腕力にまかせて刃毀れしたナタを振り回すゴブリンの攻撃を紙一重でかわすと、がらあきになった頸に無慈悲なまでに正確な一撃を振るった。
「GROB! GROB! GOOOROBB!!」
憎悪に燃え滾る
「GORRB!」
「GORB! GOORB!」
喚き声をあげて喜ぶ小鬼ども。英雄がともにある、ただそれだけで勝った気になるのは、人も小鬼も大差ない。
「大きいの、来ます……!」
いつもの一党であればゴブリンスレイヤーは迷わず、阻塞を越えて飛び出しただろう。しかし、今この場には驍勇なる鬼狩りがいる。
「頼むぞ」
「うん、わかった」
火箭よりも速く駆ける流水剣。そして彼へ向けて武器を持ってゴブリン、その数三匹。ゴブリンスレイヤーは礫の投擲で仕留める。
「GORARARAB!!」
小鬼英雄が振るった棍棒を流水剣が避ける。数匹のゴブリンが巻き込まれて瓦礫の山に突っ込む。
そのまま力任せに、振り下ろされた棍棒が石畳を砕き、地響きを立てる。遮二無二になって振り回される。暴力の嵐を流水剣は軽功卓越の技でかわすが小鬼たちは巻き込まれる。
悲鳴、絶叫。肉と骨の潰れる音に入り混じり、汚らわしい血飛沫が奔る。
「
魔女が《
スピンしつつ小鬼英雄の背後が安全圏と思っていたゴブリンたちの中に突入した棍棒は、瞬時に十数匹のゴブリンをその回転に巻き込み、潰し、吹き飛ばした。無数の絶叫がかさなりあう。
魔女の助力を受けて、流水剣は距離を縮める。小鬼英雄が驚愕しているうちに日輪刀が頸に迫る。
───
太刀筋の迷いのなさ、迸るような重さと鋭さで小鬼英雄の首は刎ねられた。
薄汚い血の尾を引きながら、小鬼英雄の首が地面を転がる。
それは蜥蜴僧侶が石壁から神秘の大鏡を引き剥がしたのとほぼ同時のことだった。
ビューッと血が間欠泉のように小鬼英雄の身体から出ていることを確認して、ゴブリンスレイヤーは鉱人道士へ向く。
「《
「上!? ───ほいさ!」
一瞬驚きはあったものの、鉱人道士はそれ以上戸惑う愚を犯さない。鞄から取り出した粘度を一掴み。転がり回して息吹をかけて、念を込める。
「《仕事だ仕事だ、
投じられた粘土玉は、見る間に巨大な岩へ変じる。蜥蜴僧侶もゴブリンスレイヤーの意図を察して、大鏡を屋根のように掲げて、祭壇の上で踏ん張る。
「光!」
「はいっ!」
女神官はゴブリンスレイヤーの指示に躊躇なく応えた。
「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷える私どもに、聖なる光をお恵みください》……!」
突然、ゴブリンたちの視界は激変した。白一色と化したのである。《
蜥蜴僧侶が掲げた鏡の下に冒険者たちが集まる。流水剣が猛禽のような敏捷さで祭壇へ登り、ゴブリンスレイヤーの腕を掴んでよじ登らせた。
「《
「だあ、もう! 《
巨石が天井にぶち当たって砕けたのは、鉱人道士が複雑な呪印を次々と結んだ直後だった。
「GO!? GROB!?」
「GRAROORORORB!!」
パニックの、これが開幕だった。生存への渇望と恐怖が奔騰した。武器を振り回して、味方が味方を床にうち倒し、踏みにじった。
爆発に晒され、目玉の怪物が叩きつけられ、小鬼英雄の膂力でもって揺さぶられた天井。地を司る精霊の力で土砂や瓦礫や岩が下方へ落とされた。
怒濤の如く降り注ぐ土砂が小鬼たちを潰して埋もれさせることで、たちまち死者の列に加えた。
流水剣と小鬼たちとの戦いは飛将軍の三國無双とか、石器時代の勇者vs雑兵みたいになって、戦闘シーンを長引かせてもしょうがないと思うので今回で終了。次回で原作2巻分が終わります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
20
もうもうと土煙が立ち込める空洞はかつて礼拝堂があったところだ。土砂、瓦礫、岩に埋もれ、かつての礼拝堂の面影は残っていなかった。
天井があったはずの箇所には、今は張り巡らされた木の根が茂るだけだ。
月明り、星の光が木の根から漏れて、地中だった空間に降り注ぐ。
照らされるのは瓦礫と瓦礫の隙間からちらほらと垣間見える、無惨な小鬼の亡骸だけだ。
しかし、瓦礫の山から一部の瓦礫がまるで陥穽に吸い込まれるように消えていった。残るのは一つの巨大な鏡が鎮座していた。
「ひ、酷い目にあった……」
「よくこの使い方をわかっておったのう」
「本拠地と思われる場所に、意識がはっきりしていた邪教徒のなれの果てがいたものだから、そいつから聞き出したんだ」
「よく素直に話してくれたもんだの」
「いや、死んだふりをするして奇襲を狙っていたのでそこをさらに追い詰めるために面倒をかけさせられた」
動く死人となって尚、意識がある個体は通常厄介なものだ。たいていの攻撃ならば損壊しても、暫くすれ修復して再起できる。確実に殺したと思った相手が蘇り、自分を襲う。この奇襲性により
しかし、今回の死せる邪教徒は運が悪かった。死んだふりでやり過ごすことはできず、そうそうに自分の強みを無力化されてしまった。
「それで両手両足ぶった切った後に、切断面を蝋で固めたんだ。それでもう復活することはできないからね」
「怖いなお前は……」
わざと刃毀れしている大振りのナイフを見せる
「拷問して鏡の使い方を訊き出したことで、結果的に助かったのだからいいじゃないか」
思い出したのか魔女の顔色がやや悪い。冒険者として祈らぬ者へは時には厳しい態度を取ることもある。しかしながら、拷問の光景を見るのは辛いものがあった。
「恐ろしいのぅ……」
この白粉の匂いがする森人が正義を嗜好し善を為そうとする人柄なのは彼も知っている。それでいて悪しきものへ憎悪や怒りを燃やすことも、いたずらに痛めつけることを好む性情でもないことはわかっているからこそ、彼女の淡々とした拷問技術には寒気がする。
「して……その邪教徒はどうなりましたか?」
「バラバラに切り刻んで家畜の餌にでもしてやろうかと思ったが、連れていく必要もないかと思って置いてきた」
「今頃、鏡から出て来た瓦礫とかに潰されているのではないか? 家畜の餌になる予定だった達磨は」
流水剣が自分の推量を話す横で、ゴブリンスレイヤーが瓦礫の山から転がり落ちる。
ゴブリンスレイヤーはぐるりと見渡し、ひとつ頷き妖精弓手に顔を向ける。
「おい」
「何よ」
「火も、水も、毒も、爆発もなしだぞ」
いつも通り淡々とした彼の声だが、今日は妙に得意げに聞こえた。
「ああ、上首尾だった。こうまで巧く成功するとはな」
流水剣はゴブリンスレイヤーに同意するように頷く。彼らの様子を見て妖精弓手はにっこりと笑みを浮かべた。
「オルクボルグ、グラムドリング」
「なんだ」
「ん、用向きか?」
突如、猛禽のように襲い掛かった彼女は彼らを蹴り飛ばす。流水剣は受け流したが、ゴブリンスレイヤーは瓦礫の山を転がり落ちていった。
さてはて、何が気に入らなかったのか。
流水剣には見当がつかなかった。
◇◆◇
辺境の街へ向かう馬車が出るまでまだ時間がある。冒険者たちがそれぞれ時間を費やしていた。
功徳を積めたと冒険の成果に満足している者。報酬の金貨が詰まった袋の重さに満足げに笑う者。それぞれだった。
そんな中、魔女と流水剣は覚書を読み返していた。《
誰が《
「彼女から……何か、言われ……た? 《
「ああ、もしかしたらと思って怖かった、と言われた」
流水剣は剣の乙女との会話を思い出していた。
◇◆◇
神殿庭園にある
「全部、知っていたのだろう?」
流水剣の静かな声に、剣の乙女は微かに心臓が跳ね、頬が熱を帯びた。手にしていた剣秤の杖を手繰り寄せ、凛と背筋を伸ばす。
「───はい、その通りですわ」
そうか、と流水剣が微かに呟く。
剣の乙女の識見ならば看破することは容易いことだった。
ゴブリンは臆病で、醜悪で、小賢しく残虐な者どもだ。人の領域で獲物を解体して喰らう事などあり得ない。
「理由は、お訊きになられないのですね」
「それは、訊くまでもないのだろう」
囚われた哀れな娘がどうなるか、それは剣の乙女はよく知っていた。
「やはり、貴方にお願いしてよかった……」
眼帯で隠されているが剣の乙女の表情が恐怖に曇る。世界でも彼にしか言えないことだ。剣の乙女と呼ばれた英雄が、ゴブリンから私を助けてください、など。
「俺は鬼を、魔性を殺し続ける。血生臭い事しかできない俺だがこの刀が幾ばくかの力になるのなら──全霊をもって力になろう」
流水剣の言葉を訊いて嬉しそうにな笑みを口元に浮かべ、彼女はしどけなく薄布を崩し、そっと自らの肩を撫でる。
「今回も、皆さんにはわかってもらえませんでした」
闇より這い出て自分を狙うゴブリンがいることを、自分と同じようにきっとみんな怯えてくれるのではないか、そう思っていたのだが……。
「所詮は『それだけ』の事なのでしょう」
小鬼に殺されるかもしれないと、怯えながら生きていく者は誰もいなかった。小鬼に襲われるその瞬間まで、死ぬことは他人事なのだ。
「一つ、訊きたいことがあった。俺をあの《
「はい。……もしも、あの鏡を見つけた時、貴方は元の世界に帰ってしまうのではないかと思って……怖かったのです」
彼女は、精一杯に媚びるような微笑を浮かべた。自分でもわかってしまうほど、今にも消え入りそうに頼りないものだった。
「俺はこの世界で残りの生涯を終えるつもりだ。君に何も言わずに去るつもりもない」
「……ありがとうございます」
彼女の顔に、安堵の笑みが浮かんだ。
「……あの《
他のゴブリンが使い方を学習することを危惧するゴブリンスレイヤーが、厳重な管理をしてもらえればと提案して神殿に預けられた。
ゴブリンスレイヤーのことだから、鏡面を
もしかしたら、
「最初に見つけたゴブリンスレイヤーたちが決めたことだ。俺はそれに従おう」
「……ふふっ。本当に……本当に、面白い御方」
「そうか? 俺はいたって普通だが」
相変わらず自分を面白味のない男だと自任する流水剣である。
「あの鏡を使って何か企んでいた……例の魔神とやらの、残党です」
「あれは黒幕とは思えなかった……家畜の餌もそれは知りえなかったことだし、それを解き明かせなかったのが残念だ」
森人の斥候の徹底した拷問でも知らなかったのだ。本当に知りえないことだったのだろう。黒幕と繋がっていたのは邪教徒の宗主だったのだ。
「まあ、冒険者を続けるうちに、行き合うこともあるだろう。あるいは、俺の預かり知らぬところで他の冒険者や勇者に討滅されることもあるだろう。この世界ならば、あり得ることだ」
◇◆◇
「そう」
魔女は頷いて、煙草に火をつける。煙をくゆらせる。
「私も……ちょっと、怖かった」
「そうか……不安にさせてすまない。君や彼女たちが、俺のような面白味のない男をどうして好いてくれるのか。さっぱり分からないのだが……それでも、俺は最大の誠意を持って応じたい。一人で勝手に消えることはない、それは約束しよう」
流水剣は無骨そうに言った。それでも優しい、愛情を持った言葉に魔女は及第点を上げた。
「そう……ありがとう」
剣の乙女のエピソードはもう前に消化してしまったので、ここではあっさりめ。
活動報告にも書きましたが、クエストを募集しています。皆さん、ご協力をお願い致します。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=282177&uid=283656
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
21
他にも応募して頂いたクエストについても追々、シナリオに織り込んでいきたいと思います。本作は原作の五巻辺り(女神官の冒険者1年目終わり)まで続ける予定なのでそれまでにクエストを入れて起きたい。
四方世界辺境の街で流水剣は冒険者ギルドの使いからの知らせを受け取ったのは、彼の自宅だった。金等級の彼と銀等級の冒険者である魔女や森人の斥候と暮らしている屋敷はもともと王国有数の豪商が引退後に使用していた大邸宅で、三〇室を有していたが華美さと豪壮さが流水剣の性に合わなかったが、邸宅選びは魔女と森人の斥候に任せていたので希望されたときは異論もなく承諾した。
冒険者がひとつの屋敷を用意する例はあまり多くはない。しかし高位の冒険者が屋敷を持つならばこれほど大きな邸宅は持ち家として相応しいと言えた。もしも流水剣の感覚に任せれば平民向けの平凡な家を買って、金等級冒険者や銀等級冒険者には相応しからぬと人々には思われただろう。
朝のことだ。
流水剣は夜明けよりも早く起きて、魔女たちを起こさないように寝台を抜け出し、日輪刀を持った。まだ眠っている二人を起こさないように、部屋から出て廊下を進むときも気配を殺す。
もとより殺気や闘気を抑えて凪のように鎮めることができるし、奇襲で鬼の首を刎ねるため足音を立てない歩き方は心得ている。蛇のように静かに迫り、虎のように獰猛に襲うことも剣達者な流水剣には得手とするところだ。
足音を立てずに外を出ると、辺境の街にある一画へ向かった。そこは空き地だったが冒険者、それも戦士職がよく鍛錬のためによく利用している場所だった。
そこで流水剣は一人で来ては型の稽古をしていた。一人で稽古しているのだが、冒険者で流水剣を敬愛する貴族令嬢は稽古中の流水剣を何度か見たことがあり、遅れて空き地にやって来た彼女は今日も流水剣を見つけた。
貴族令嬢には不思議な事にその稽古が流水剣一人でやっている様には見えなかった。まるで古代の神が槍か矛を用いて流水剣の相手をしているみたいに見えていた。
「───」
この光景が美しいと思うからこそ、鍛錬に付き合って欲しいと貴族令嬢は言い出せないでいた。
暫く見入った後、貴族令嬢は結局流水剣に声をかけず自分の鍛錬を続けることにした。
朝日の最初の一差しが、既に地平線の向こうから投げつけられている。流水剣が鍛錬を終えて邸宅へ帰る途中、邸宅の前に人影が見えた。
鬼か? 手が腰の日輪刀を掴んでいた。人影へ、気配を断って一歩、二歩と迫る。一〇メートルの間合いであっても一足飛びで
流水剣が日輪刀の鯉口をぱちり、と切った。彼は刀緒を柄に巻くようなことはなかった。それは彼なりの常在戦場の心がけだった。鎺は厚めにしてあり、姿勢によっては刀身が滑り抜けることがないようにするためだ。
鋭敏な感覚では人影から鬼の気配や臭いは感じなかったが、それでも警戒は解かず近づく。蛇のように静かに迫り、ギルドの制服を着た青年であると確認できたことで腰のものから手を離した。
「何用か?」
「うわぁぁぁっ!?」
驚きに声をあげてびくりと飛び上がり身を震わせた青年は、流水剣を怯えるように見る表情は強張っていた。
青年にしてみれば忽然と流水剣が音もなく近づいて背後に現れているのだから驚くのも当然だった。
しかも青年はギルド職員になる前は冒険者として前衛を任されていた。それ故に、いつの間にか流水剣の間合いに入っていたことには、まるでマンティコアの口腔に頭を差し出しているようで生きた心地がしなかった。
「ギルドの方か、当家に何かご用か?」
「は、はい」
青年職員は軽く咳払い。
「ギルドの方にお客様がいらしております。一党の皆様、至急来られたし、と」
「客人か。それは依頼なのだろうか?」
「お、恐らくは」
「承知した。暫し待たれよ」
そう言うと流水剣は青年職員を残して邸宅に入る。起きたばかりの魔女たちが帰って来た流水剣を出迎えた。
「……なぁに?」
長煙管を持った魔女が、とろりとした瞳で流水剣を見る。身を清めたばかりなのか肉感的な肢体をバスローブで包み、優美に足を組んでいる。
魔女は机に出していた水晶に紗をかけて、抽斗に仕舞った。
「ギルドから使者が来て、俺達に客が来ているらしい」
流水剣の答えに魔女は「そう」と呟いた。依頼の指名者かもしれない。魔女たち、特に辺境で唯一の金等級の冒険者である流水剣に名指しの依頼は意外と多い。
「依頼……?」
「そうらしい。名指しの依頼なのかもしれない」
「こんな早朝からとは、随分と急ぎなのだな」
下着姿の森人──白粉を塗っていないため、麦畑のように輝く褐色の肌のまま。
「ああ、妙だが、急ぎと言うなら仕方ない」
流水剣は
「今更か? 昨日いや今日だって夜は……」
「──一先ず彼を客間に通して待たせるから、準備してくれ」
◇◆◇
「あ、流水剣さん。それに皆さんも」
流水剣一党がギルドに入ると、真っ先に受付嬢が彼らの姿を見つけ、いつも通りの笑顔を張り付けて立ち上がった。
時刻はまだ早朝だ。
寝起きの冒険者がギルド二階の宿舎から酒場へ降り、眠気でぼんやりした頭で朝食を淡々と口に突っ込む食事というよりも栄養摂取の作業を行っている頃だ。
依頼の用紙も貼られていないため、冒険者の姿も疎らでいつもとは異なるまったりした空気が漂う。
例外と言えば受付の奥。事務所では既に業務は始まっているので忙しなく動いている職員たちが見える。
昨日からの引継ぎ事項、連絡要項の確認、書類に誤り不足はないか検める掲示準備を進め、金庫の確認、等々。仕事はいくらでもあった。
受付嬢が流水剣たちへ小さく手を振る。
「お客様、二階でお待ちです」
「わかった。
流水剣は首肯して、彼らは階段へ足をかけた。向かった先は応接室。流水剣たちへの依頼者と会うときは決まって応接室で、流水剣も受付嬢も二階と言えばそれで通じた。
応接室で待っていた依頼人は流水剣たちが入室したのを見ると、すぐに立ち上がって頭を下げ恭しく挨拶をした。
脚の付け根の部分のカットが深い鋭角ラインのパンツは大きく美しい尻と脚線美を強調し、やや面積が狭いブラは薄いが形のよい胸を包む下着鎧を身に着けている。
薄く入れた紅茶のように赤い髪、黒い瞳の
風体から察するに彼女は戦女神の女神官だろうと、流水剣は判断した。
「初めまして、今回は突然の依頼で申し訳ございません。ですが、是非金等級と銀等級の
戦女神の女神官の挨拶の後、依頼内容について戦女神の女神官が説明を始めた。
「依頼は私が神殿から預かったこの宝玉を王都の神殿へ移送する際に、宝玉を狙う凶手を討滅して頂きたい。こちらがその宝玉です」
戦女神の女神官が流水剣たちに見せた宝玉は、紅玉のように鮮やかな輝きを持つ、鶏卵ほどの大きさの宝玉だった。
彼女が所属していた神殿に収蔵されていた赤い宝玉がある。それは光や炎といったエネルギーを吸収し、増幅、そして放出する性質を持つ霊験あらたかな秘宝である。
「……そう、これが」
宝石としての輝きに森人の斥候が惹かれるが、魔女は宝石としての魅力よりも、魔導に関わる者としての関心が勝ったようだった。
「この宝玉を狙って私が所属していた神殿は怪異の襲撃によって壊滅させられました。私は神官長に託されて、馬でここまで逃げてきました。一緒だった仲間ともはぐれてしまい……」
怜悧な印象を受けた女神官だが、今はやや憔悴しているように見えた。
「それで、この宝玉を狙う怪異というのは、何かわかっているのか?」
森人の斥候の問いに、戦女神の女神官は顔色を悪くして言い淀む。
かの者───その存在を呼び表す言葉はこの四方世界に多く存在している。
夜の一族。
どれもこれも、この怪物どもを語るために生み出された言葉ばかりだ。
「───
血のように赤い口蓋から、鋭く尖った犬歯を覗かせた哄笑を思い出し、戦女神の女神官は膝の上に置かれた彼女の手は震えていた。
「
流水剣の目にも鋭い光が宿っている。四方世界へ渡り歩いても、人を喰う鬼への怒りは忘れてはいないのだ。だからこそ、鬼狩りとも彼が呼ばれる所以である。
「何故、吸血鬼が宝玉を狙うことになったんだ?」
「その宝玉は利用すれば、吸血鬼は陽光を克服することができるのだと神殿には言い伝えが残っています。方法は私にもわかりません。もしかしたら、神官長ならご存知かもしれません」
「その鬼は太陽の光を克服する目的で襲ったのか」
「恐らくは。……皆さんには吸血鬼を倒して、この宝玉を王都にある神殿へ届けるために助けていただきたいのです」
依頼の内容の重大さは金等級に相応しいものだった。二つの目的を達成しなければならないという難しいものだった。
「わかった。その依頼を請けよう」
「! あ、ありがとうございます!」
断られても仕方ないと戦女神の女神官は内心思っていた。しかし、彼女の目の前にいる冒険者は鬼狩り。
無謬の猟犬の如く、鏃のように、刃のように、自らを限りなく鋭利に鍛えて研ぎ上げた鬼狩りの剣士。
流水剣が暫く考えて、戦女神の女神官に疑問を訊いた。
「その宝玉には特別な気配とかがあったりするのだろうか? 俺には他の宝石と変わりないように見える」
得られる情報は何一つ取りこぼさすに集めようと、流水剣は戦女神の女神官にいくつも質問をする。依頼を達成には命のやり取りも伴う。だからこそ、慢心はなかった。
命のやり取りにおいて勝負は一瞬だが、その勝負の場に至るまでの駆け引きは長い。最後にものを言うのは腕前であるにせよ、その腕前を十全に発揮するためには、直感と知恵と胆力を擦り減るほどに使って、駆け引きをしなければならない。
剣の技量とは、そうした総ての力を総合したものであり、いかに腕が立とうと、鈍感や愚かさ、怯懦が自分のうちにあれば死ぬ。鬼狩りとしての経験則だった。
「《鑑定》を使えば一目瞭然ですが、見る分にはわからないと思います。吸血鬼も囮として私以外に逃げた神官たちを追ったことで、私も時間を得られました。ですから吸血鬼はこの宝玉の気配を追ってここに来るということはないと思います」
「そうか……」
「宝玉は彼女が持ったまま、私たちが護衛して王都まで届ければいいだろう。問題は道中に吸血鬼が襲ってくることを警戒すべきではないか?」
森人の斥候による提案を、戦女神の女神官が力なく首を横に振って否定する。
「実は、私はこの街に向かう前、王都へ向かったのですが王都への道にある関所では兵が神官や冒険者が手荷物を調べていました。名目は盗賊対策とのことですが、唐突に行われたこの検閲を、私は今回の件と無関係ではないと思っています」
イヤーワンでは魔女がギルドにある宿舎に泊まっているようですが、本作では流水剣たちと一緒に邸宅を買っている設定です。等級に相応しいグレードの宿を長期間逗留するより、家を買ったほうが安くない?と言う疑問からそうしました。しかしながら、重戦士は宿住まいらしいですから意外とそのほうが安い?
戦女神の女神官
本作のオリキャラ
戦女神を奉じる半森人の神官。長い赤い髪、黒い瞳、胸は女神官並。美巨尻。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
22
気に入って頂ければ、評価、お気に入り登録、感想を頂ければ幸いです。
流水剣
彼らはこれから関所を通るため一党と依頼者との摺り合わせを行う。
「この関所では今、領主の権限で特別厳戒態勢が取られている。お前たちも気づいている通り、この街が結構ぴりぴりしているのもその関所手前に位置するためだろう」
魔女は地図に視線を落としつつ目を細めた。
「関所に……ついて……他に……は?」
「ここから」
「入ってくる十六、七の少女ならば誰でも一時拘束だとさ」
戦女神の女神官はぎょっと顔を上げた。が、
「しかも凄いぞ。一度拘束されてしまえば、確実な身元証明がとれるまでは拘束され続けるらしい」
「道すがら鬼が狙ってくるかと思ったが、搦め手を使ってきたな」
「吸血鬼が待ち構えているというのですか?」
「不自然なまでの関所の厳戒態勢。それにこの街にも起きているという行方不明や旅人や行商人の死。近くに鬼、魔性がいると思われる」
「……つまり私を狙っているのですね」
戦女神の女神官の身柄を狙う者が網を張っていることは容易に想像ができることであった。彼女がぽつりと疑問を投げる。
「それにしても何も悪いことしていない人たちを、そんな勝手に拘束することが可能なのでしょうか?」
「理由ならあとで色々つけられる。別に処刑するってわけじゃないからね。確実な身元証明があれば解放されるし、よほど切羽詰まった用事ならば、役人に一緒についてきてもらって用事を済ませて戻ることも許されているらしい」
「正式な身元証明は神殿で都合してもらっていますし、今までの関所を抜けることもできました」
そう言って、戦女神の女神官はさっと巾着から木簡をすべらせる。
「ですが、ここでは出しても止められてしまいますね」
「鬼が裏で絡んでいるのであれば、本来であれば一発で通るような威力のある一筆でも阻まれてしまうだろう」
通行手形の裏面には、持つ者の身元を保証する書き添えがあるのが普通である。通常は地元の役所で一律に出されるごく事務的な一筆となり、これで関所を通るには、それなりの時間がかかる。
だが独自のつてで有力な人物の書き添えが得られれば、身元保証の信用性は格段に高くなり、関所でも通常とは別の窓口で素早く処理されるのだ。
「流石に美髯公の故事にならって関所破りでもするわけにもいくまい」
かの武人は
「どう関所を通るかをよりも、吸血鬼を討つほうを先に考えるとするか。そうすれば宝玉も回収することができる」
魔女は流水剣のほうを向いた。
「宝玉は……ちゃんと……届いた……の、かしら?」
「ああ、ちゃんとこの街に届いている。偽装していたので関所でも通すことはできるだろう」
現在、宝玉は流水剣たちの手元にはない。もしも手元にあれば現在の貴族領に入る前の関所で、押収されているだろう。
「それにしてもよく考えたものだな。あのような運び方」
「昔から日輪刀を運ぶことには苦労したからな。何かと工夫する知恵がついてきた」
武士の時代では誤魔化しができたが、御一新の後に帯刀を禁じられて以降は事情が異なった。廃刀令違反をしても平然と帯刀する流浪人もいたらしいが、鬼狩りの剣士たちには日輪刀を帯刀するには工夫が必要な時があった。
「ああ、そうだ。お前が気にしていたことだが調べがついたぞ」
「調べただけでも不審死とか行方不明というのは六六件起きているけれど、そのどれも一件も事件にはなっていないようだ」
「不審な死に方や行方不明が六六回も起きれば、司直は何かしらの行動するのではありませんか? なぜ表沙汰にならないのでしょう?」
戦女神の女神官は胡乱げに小首をかしげた。
「……なんでも領主から圧力がかかっているようだ」
戦女神の女神官は思いついたことを口に出した。
「もしかして、領主が吸血鬼……?」
流水剣は静かに首を振り、戦女神の女神官の言葉を否定する。
「いや日中動けない鬼───吸血鬼が領主とは思えない。恐らく吸血鬼が領主に近づいて傀儡にしているか、共犯関係になっているのだろう。鬼と人は相いれない存在だが、鬼が効率よく人を食うために人間を利用することはある」
鬼を祀り上げて鬼が殺した者の金品で私腹を肥やす者も、流水剣は知っている。鬼を斬るために生きていながらも人のしたたかさ、恐ろしさを思い知ることも多かった。
「それで……どうする、の?」
魔女のその言葉、質問の形式であっても質問ではなかった。そして流水剣にもそれがわかっていた。
「ああ、鬼なら斬る。それ以外でも斬ってみるとするか」
神々が盤として作った四方世界。跳梁跋扈し放埓の限りを尽くすのが鬼でなかったとしても、魔性であれば屠る。流水剣の指針が変わることはない。
◇◆◇
流水剣一党と戦女神の女神官は分散することになった。戦女神の女神官は宿屋に待機して、流水剣一党は関所を通り領主の屋敷へやって来た。屋敷には鬼の臭いは残るものの、それは薄く、鬼は不在で
屋敷の潜入は流水剣と斥候が行い、魔女には控えてもらう。
「問い詰めている時に邪魔が入っても面倒だ。全員、気絶させよう」
「《
「いや、要らないだろう」
流水剣が断言した通り、二分とかからず警備兵は全員、襲撃者の姿すら認識できず無音で気絶させられた。
さらに領主が拘束されて床に転がされるまでに五分もかからなかった。老年の男性である領主は床に転がりながら、突然の襲撃者に対して喚いていた。
「な、なんだお前たちは!? 警備兵はなにをしていた! 無能どもめ!」
「質問しているのはこちらのほうだ。なぜお前が鬼と組んでいる? どういう理由で、何の目的があってのことだ?」
「貴様ら、冒険者か!?」
「質問に質問を返すな」
冒険者の雷光のような鋭い眼差しに、領主は屈した。
「ゆ、許してくれ! あ、あいつに言われたんだ。協力すれば俺も鬼にしてくれるというんだ。お、鬼になれば老いることもなく死からも解放されると。そして手に入れた力で自由に生きていいと! 私は悪くない! あいつの誘いに乗っただけなんだ!」
吸血鬼に老いた身体を若返らせてかつての若々しさを取り戻せる、そう囁かれて領主は誘惑に屈した。
活力を失い、身体が思うように動かない虚しさ、若い愛人を寝室へつれて行っても己の分身が役に立たずだった屈辱。吸血鬼の囁きはそういった失ったものへの餓えを思い出させた。
「そういうことか。餌で釣り協力者を得るやり口か」
とんだ
世界は異なっても同じ魔性が人を誑かすやり方は、葦原中国だろうが神々が盤として作った四方世界の盤面だろうが変わらないものだと、流水剣は思った。
吸血鬼について訊き出しているうちに領主は吐血して、身体を震わせ始めた。吸血鬼が領主の身体に植え付けた毒薬を内包した肉腫が爆ぜて領主を蝕んだのだ。
「あっ……ぐっ……もんっ……!?」
「頼む!」
「ああっ!」
「《夜の御方よ痛みの母よ、毒を薬に悦びよ》」
奇跡によって毒が消滅するが、失った体力を取り戻すことはできず《
「駄目だ……。既に事切れている」
「……自分の秘密を洩らせば殺すよう仕組んであったか。ますます奴を思い出すやり方だ」
予期すべきことだった。この事態を考慮していなかったことを流水剣は苦々しく自嘲した。自分の未熟さがこの領主を死なせたのだ。
「直ぐにこの場を離れよう。鬼の頸を刎ねなければ犠牲者は増え続ける」
素早く立ち上がった流水剣は
遺体のいましめを解き、苦悶に歪む双眸を瞑らせた。
「……仇は、必ず討つ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
23
伯爵領にある伯爵家の別邸。その一室には尋常ならざる気配を放つ者がいた。
怖気を震うような凍てつく冷気。憎悪や欲望ではなく、生命を麦の穂としか思わぬがゆえの、傲慢さが現れている冷たい双眸。
蒼白い肌をしたその男は、ぬらぬらと赤く濡れた口を開いて、
「伯爵が死んだか。小賢しくも罠を見破る鼠どもがいたようだな」
まるで遠方の出来事を把握しているかのような口ぶりだった。
その男は、蒼白い肌、闇に燃える瞳を持ち、赤黒い生物の皮のような外套を纏う夜会服の年若い男であった。
「ふふふ。赤石を手に入れる邪魔をされては困る。さっそく私の領土に踏み込んだネズミどもを駆除しなければ」
この者こそ夜の一族。
そして本来この屋敷の主であった青年貴族──伯爵の息子──は吸血鬼の鬼気に当てられて惨めなほどに畏縮していた。
「お前の父親は死んだ。故にお前はこれより一層、私のために尽くすのだ」
「父上が……」
「貴様、まずはこの領内を完全封鎖したまえ。その上で賊どもを私兵で捕らえさせた上で問答無用で始末しろ」
吸血鬼は青年貴族へ冷厳と命じる。その酷薄な命令の内容に青年貴族は震えあがる。
「ま、待ってください! そんな滅茶苦茶な指示を出せば、私の立場が! それに形式上はまだ父が当主なのです。そんなこと」
「お前は」
青年貴族の言葉は冷ややかな言葉で遮られた。
「もしも使えなくなった道具や武器を、お前ならばどうするのかね?」
青年貴族はのぞきこんだ虚無の淵の深さが、彼の魂を底まで冷たくした。
「ひっ……」
「やれ、命令だ」
「……はい」
青年貴族は命令を受け、項垂れた。この恐るべき
◇◆◇
流水剣と
流水剣たちの話題は、領内のどこに吸血鬼がいるのかということになる。傀儡とする領主が亡くなったからと言って、この土地が吸血鬼の支配から逃れられたわけではない。そして、流水剣が鬼を見逃すことはない。それは彼の仲間たちもわかっていることであり、彼女たちも反対するつもりはなかった。
鬼を斬ることは鬼狩りとしての使命感と鬼を許せないという怒り故。冒険者らしくないことに付き合ってくれる仲間たちへ流水剣は感謝していた。
どこからともなく長煙管を取り出した魔女が、とろりとした瞳で流水剣を見る。
「
「領主には既に成人した嫡男がいたな。当主が亡くなったのだから彼はこの領地の主になるのか」
「そうなれば、吸血鬼が次に動かすのはその嫡男、ということになるね」
三人が意見を交わしていると街がにわかに騒がしくなった。そっと様子を伺うといくつも松明が夜闇に浮かんでいる。
流水剣は鋭敏になった聴覚と嗅覚で、
魔女は肉感的な肢体をしゃなりとしならせて席を立った。
「どうも……とんでもないことに……なったよう……ね」
魔女の言葉は過不足ない表現だ、と、流水剣は思った。魔女が白蝋の肩をすくめるのと同時並行して首をふってみせたので、仲間が奇妙なところで器用なことを流水剣は発見した。もっとも、意識的にやったのではあるまい。
「……敵の動きが速いな」
感嘆混じりに舌打ちをひとつすると
「俗世間の権力を利用してくる鬼はこれだから厄介だ」
流水剣が日輪刀の目釘を改めて、
宿の女将に尋ねればこの貴族領の領主代行によって領主殺しの賊を探すため私兵を動かしているらしい。そのことから流水剣たちの正体を掴んではいないようであると、彼は判断した。
「呪文は……必要?」
「いいや、残しておいてくれ」
水の呼吸を鍛え水柱になった流水剣にとって武装した
「事情を訊きだす役も必要だろう。私もいくよ」
「頼む」
私兵部隊は不安と困惑が混ざりながら命令を遂行していた。唐突な領主の死。そしてその知らせと同時に発された領主代行についた青年貴族の命令。まだ正式には領主へ着任したわけではないが、代行としての権限を振りかざし、青年貴族は私兵部隊を動かしていた。
私兵たちも違和感があったが、どうせ暫くすれば青年貴族が領主に就くのだろうし、今命令を拒否して後日、それを理由に解雇されるくらいならばと私兵たちは従う者ばかりだった。
四〇〇を超える私兵たちが次々と倒れる。松明の灯りが届かない闇から吹き抜ける風が私兵たちの意識を奪う。
混乱が広がり、部隊長もそれを沈め統制することができなかった。
「だ、誰だ! ……ひっ!?」
松明の光に襲撃者の姿が映った。私兵たちはその姿に驚愕して、抜き身の剣を持つ手を強張らせた。
闇の中から現れたのは馬の頭を持つ男と鹿の頭を持つ女だった。
「誰……か。馬と名乗っておこう」
「……鹿だ」
淡々とした男の声音が馬男から、恥ずかしそうな女の声が鹿女から届いた。面貌を隠すための被り物なのだろう。しかし生々しい馬と鹿の頭と男の堂々たる体躯、女のしなやかで瑞々しい肢体。その奇妙な組み合わせが夜闇に存在するだけで部隊長は生物として根源的な恐怖を抱かせた。
気が付けば部下たちはみんな倒れ伏していた。四八二人という私兵たちが部隊長を残してあっという間に全滅してしまった。
「鬼に利用されていることも知らないなら暫く眠ってもらう」
「だが、その前にお前たちを動かした者がどこにいるかをまず話してもらおう。……大丈夫、優しく訊くだけだから」
私兵の部隊長は鹿女に瞬く間に意識を刈り取られて、マタギが捕らえた獲物を縛り上げるように拘束され、物陰へ連れ込まれた。
流水剣の日輪刀
刃渡りは優美な反りを持ち、刀身の皮金と刃の皮金は波紋も見えないほどに青色に溶け合う。刃元に鬼殺隊の信念と言える『惡鬼滅殺』の四文字を刻まれている。
柄は柄巻きをせずに鮫皮だけを着せた
目次 感想へのリンク しおりを挟む