翡翠の弾丸~ゾックはかく戦えり (スナ惡)
しおりを挟む
白衣の男
人間、口にしてはいけない言葉があると、逆に声に出してみたくなるものだ。
「ジオンは滅びる。」
白衣の男性がそう呟く。
ここは元連邦の軍事拠点キャルフォルニアベース。
この場所で宇宙から地球に送られた莫大な鉱物資源が兵器になり、そしてジオンを苦しめた。
現在はジオン軍に占領されて、今度は地球連邦軍を苦しめる兵器工場としてフル稼働している。
男は自分に与えられた狭いが快適な研究室の中でつぶやいた。
「ジオンは腐敗した。」
このキャルフォルニアに過去に存在した国家は、憲法第9条で貴族制を禁止し廃止していた。
男はその国家のあり方に少なからず共感していた。
ノックの音がする。
「入りたまえ。」
「失礼します。」
なかなか年齢の若そうな将校が入ってくる。
「先日、連邦から接収したIフィールドに関する論文と資料がここに来ていると聞いて。」
「写しだ。現物はちゃんと書庫にあるだろう。…まあ、持っていって構わんが。」
「ありがたい。」
来訪した将校は、少し嬉しそうに見える。
「Iフィールドなんぞ理解していなくとも、軍人は困らんだろうに。」
そう言いながら白衣の男は、自分に割り当てられているいくつかのデスクの上から、紐でまとめられた紙束を拾い出して、将校に渡した。
「せっかくキャルフォルニアベースに来たので、これを期に勉強し直そうかと。この新しい論文、ドズル様もお読みになられたと聞きまして。」
白衣の男は鼻で笑った。
「所詮は連邦の研究者の論文よ。穴だらけだ。」
将校は精一杯気を使いながら反論した。
「あくまでも私の考えですが…連邦に与したというだけで科学者の質が損なわれるとは、私には考え難く…」
その言葉には特に同意も反論もせずに白衣の男性は将校の肩を叩いた。
「その写しは少尉にプレゼントしよう。しかし、それを読む前にミノフスキー博士のジオニック時代の論文には一通り目を通したほうがいい。理解できない。『穴だらけ』の意味も分かるようになるだろう。」
「ありがとうございます。」
将校は頭を下げると部屋を辞した。
ドアが閉まると白衣の男は
「ジオンにはもったいない。この戦乱の時代には不必要な人間だな。」
と呟きつつタイヤ付きの事務用の椅子にギイと音を立てて座った。
そこへ受話器が鳴る。
「はい、コーエン。…わかった。すぐ行く。」
白衣の男は再びギイと音を立てて立ち上がると、部屋を足早に出ていった。
宇宙世紀0079年、ジオン公国軍占領下の北米キャルフォルニアベースで、ある試作機が完成した。
18万馬力の出力はザクⅡ4機分に相当する。
それが3体も製造された。
その名をゾックという。
ゾックはモビルアーマーという言葉がなかった当時、異様なモビルスーツであった。
計画中からその製造には否定的な意見も多く見られた。
得に当時、モビルスーツには高い機動性能が求められていた。
自走砲の如きゾックの設計思想は各部隊への配属をためらわせた。
そもそも下手な自走砲よりも足が遅く、弾道が山なりではないため、遮蔽物に弱い。
地上戦闘ではそれが急所となると考えられ、戦車にすら負けるのではないかと噂された。
水陸両用であるので水中であればなかなかの機動性能を見せるが、今度は自慢の表裏8門のメガ粒子砲が役に立たない。
そのゾック開発陣の中でも、大型化を強硬に主張した男がいた。
男の名前はリチャード・コーエンという。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ドズルに憧れる青年
青年はいくつか付箋の挟まれた論文を大事そうに抱えながら、コーエン博士に言われた「理解できない」の意味について考えていた。
コーエン博士がこの文書を理解できなかったのか、それとも、ミノフスキー博士の論文が読めていないとこの論文が理解できないのか。
「おそらく後者だよな。」
若者の名前はホジョウ少尉。
彼は国防軍士官学校の第2期卒業生で、士官学校時代に度々講義を受けたドズル・ザビ校長の信望者だった。
ホジョウはドズル・ザビ少将に文武両道という言葉に収まらない、より大きな何かを感じたのだ。
出来うるなら少将のようになりたいと憧れていた。
しかし、その憧れとは裏腹にホジョウは凡庸な軍人を自覚していた。
特に良家の貴族に生まれたわけでもない。
学年が違ったせいで、あのガルマ・ザビが率いた「暁の蜂起」に参加もしていない。
ホジョウを含む2期生たちは軍籍に就くのが一年早かったというだけで花の3期生たちよりも若干立場は上なれど、3期生はガルマ・ザビのような良家の出身者でもない者でも、2期生よりも出世が早いものが多い。
かくいうホジョウも出世は意外と早かった方ではあるが、たまたま現在の補給任務に就くときに「ハク」が必要だったというだけで、恐らく戦死でもしない限り一生少尉のままだろう。
そもそもジオン公国軍は軍隊の階級制が甘いと思うのはホジョウの考えだ。
歴史的に見ればポッと出の国家であるジオン公国にそんなに簡単に将官が揃うわけがない。
「ドズル様は別格だ。あの方は将来、大将に…元帥になられるお方だ。」
一方、ホジョウはこれまで前線とは無縁の軍人生活を送って来たため、特に何の戦功も挙げていない。
後方で補給部隊の任務を着々とこなすだけだった。
倉庫番の専門家といえば分かりやすいだろうか。
確かに新兵器が次々と開発、投入される現状、的確に武器弾薬や修理部品、生活物資までを前線まで送り届ける激務に誇りがないわけではない。
ただ、士官候補生一人一人に気を配り叱咤激励を下さった、ドズル様の戦地での様子を伝え聞くと、いつか、国家のために前線で戦う日を思わない日もない。
そんな日々の中で、ふと大科学者のミノフスキー博士の名前を耳にしたりすると、違う活躍の仕方もあるのではないかと思ったりもする。
「せめてなんか発明できねーかな…」
コーエン博士は水陸両用機ではそこそこ名の知られた開発者だ。
圧縮空気を使ってモビルスーツの水中抵抗を減らす技術を開発したメンバーの1人だとも聞く。
「仲良くして…仲良くしたいな…」
立ち止まって、振り返ると、埃っぽい工場の中2階のコーエン博士のオフィスが見える。
壁の向こうに気難しそうなコーエン博士の、あの神経質で白い額の顔が透けて見えそうだ。
タロウ・ホジョウは未だ、人生で何も成し遂げていない。
少なくとも本人はそう考えていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
実験初号機計画
「ザクのときに17.5mを我が公国軍の示準にしようと決めたではないか!その大きさでどうやって現行のカタパルトから出撃する気だ!」
激高するホスマン中将キャルフォルニアベース長官相手にコーエンは涼しい顔をしている。
「カタパルトから出撃しなくてよいのですよ中将閣下。現在設計中の新型は水中であればカタパルトを用いずとも十分な初速と機動性が稼げます。」
「水陸両用機ばかりをたくさん作らねばならん理屈はない!」
コーエンは面倒くさそうな顔でパイプ椅子に深く持たれて座っている。少々ガタの来た会議テーブルを囲んでキャルフォルニアベースの重役が顔を突き合わせている。
一応、ホジョウもその中にいた。
というより、こういうめんどくさい役回りをさせられるためにホジョウは少尉という身の丈に合わない階級を押し付けられたのだ。
当然発言力などない。
そんな三下のホジョウはコーエン博士とお近づきになりたいと思いつつも、基地長官と真っ向から対立するコーエン博士に接近するのは危険なのではないかと思い始めていた。
コーエンはそんな若者の思惑も多少は勘づいていたが、戦乱の世の中で立身出世を企む若者は珍しらしくもない。
「私は、17.5mのザク規格の話をしているわけではなくキャルフォルニアベースの存在意義の話をしているわけですよ。これまでモビルスーツは小型化だったわけです。そのために動力である熱核反応炉を小型化する方向性で技術を高めたわけです。しかし、きたる高エネルギー兵器時代、まあいわゆるメガ粒子砲兵器による『飽和攻撃』の時代を見据えて、大型製造の可能な我がジオン公国唯一の重力下研究施設であるキャフォルニアベースが、先行していかなくてはいけないと。」
そう言いながらコーエンは床を踏み鳴らした。
「当然、大規模建造に関してはジオンは無重量下では連邦に大きくリードしておるわけですが、このキャルフォルニアベースを見て分かる通り、今やジオンは地球に…」
そう言ってもう一度地面を踏む。
「この地上に領土を拡大しているわけです。ホスマン中将閣下は当然ご存知であられますが。」
意外にホスマンはまんざらでもない顔をしている。
ジオンによる地球降下作戦の成功が彼の今の地位を築いているのだ。
スペースノイドが地球を覆う時代がやってきたのだ。
「しかし、それが…こんな巨大なモビルスーツ…うーん…この大きさはモビルスーツなのか?」
「名前なんぞは何でも良いのです。」
ホスマンは保身傾向の強い男だ。
とりあえず、現在、汎用機であるザクは連邦に対して軍事的なプレッシャーを掛け続けている。
後継機の話も聞こえている。
連邦にも優秀な汎用機は出始めたようだが、その生産拠点を分捕ったのがホスマンが居座っているキャルフォルニアベースだ。
要はザクを作り続けていればホスマンは安泰なのだ。
「ゴッグではなぜいかん。」
コーエンはジオニックという民間企業からの出向者だ。
ジオンの兵器開発企業はジオニック社だけではない。
ゴッグはツィマッド社という別の企業のモビルスーツだ。
大きすぎることもなく現行の水陸両用モビルスーツとしてはこれ以上のものはないとホスマンは考えている。
あえてライバル社の話をしてコーエンを引っ込ませたかったのもあるが、単にホスマンは魚雷が好きだった。
ミノフスキー粒子のジャミングを受けない半誘導兵器という強みもある。
ゴッグは装弾数こそ少なかったが魚雷を装備した数少ないモビルスーツだ。
「なにも手ぶらでプレゼンしようというわけではない。閣下にプレゼントがあります。」
コーエンは卓上に大きな紙を広げた。
当然、ディスプレイに表示することも出来たが、ホスマンは古い人間だ。
コーエンはホスマンのような堅物には興味がなかったが、政治的な利点からホスマンの好みは知っていた。
「何だこれは?」
「ゴッグが実現できなかった水中ビーム兵器実現の目処が立ちました。」
ホスマンは少し考えを巡らせた。
ゴッグには拡散メガ粒子砲が搭載されているが、収束メガ粒子砲が水に弱いための苦肉の策だと聞いている。
「ミノフスキー粒子の干渉を利用して高周波を発生します。こいつは水中で真っすぐ飛びます。この実験機の研究開発にゴーサインが出れば、すぐにでもかかれます。例えば、飛んでくる魚雷を…ビーム兵器で迎撃できるわけです。皆さんご存知のミノフスキービームではなく広義のビームですが。」
「本当か?」
ホスマンは興味を示したようだ。
コーエンは頷いた。
「閣下、実現するかどうかは実験機の許可が降りるか次第です。」
「このデカさはなんとかならんのか?」
コーエンは首を振った、いかにも情けない表情だ。
「やってみないと分からんのです。もしかすると、研究が進めば他のモビルスーツの兵装に流用できるぐらい小型化できるかもしれませんが…そう、閣下もお好きなゴッグの頭部などに搭載できたら素晴らしいでしょうね。私もあの機体には感服しております。」
「ゴッグが視認した魚雷を迎撃できるようになるということか?」
コーエンは慎重に答えた。
「私はこの研究でそれが実現できると考えております。」
「うーん。」
ホスマンは返答を避けた。
しかし、その翌日、実験機の許可が降りた。
ホスマンはそういう男なのだ。
実験機はひとまずZ計画と呼ばれた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
Z計画
「コーエン博士、開発許可おめでとうございます。」
「ああ、君か。」
一応、コーエンは中佐レベルの待遇を受けているのでホジョウに比べれば目上の人物で正しいのだが、そもそも、コーエンはあまり身分の違いを意識していない。
基本的に他人は見下している。
むしろ、コーエンが敬語を使う相手はコーエンの中では、下の下だ。
ということでコーエンはホスマン中将はかなり見下していた。
そして、ホジョウという若者もそこそこ見下していた。
ホジョウはそんなことは気づいてもいなかったが、ホスマン中将から開発の許可を勝ち取ったコーエンのことを尊敬していた。
「先日、お借りした論文、全て、読みました。本当に頂いて良かったのですか?」
「くどいな君も。ただの写しだ。やるよ。」
「ありがとうございます!」
コーエンはホジョウの仕事ぶりを見る限り、ホジョウという若者は合理主義者だと考えていたが、この会話の雰囲気は案外そうでもないなと、この若者に対する味方を修正することにした。
「昨日、少し見せていただいた水中ビーム…」
「フォノンメーザー。」
「はい!フォノンメーザーについてもう少し知りたくて!」
コーエンはため息を付いた。
「なぜ君が知りたがる?」
ホジョウはため息にも気づかなかった。
「知的好奇心です!」
コーエンは少しぎょっとした。
そうやって言われてみると自分が今の職業にいるのは、知的好奇心が原動力だった気がする。
遠い昔の話だ。
今では「目的の達成」のために、図を引き、計算する日々を送っているが、学生時代や駆け出しの頃は知的好奇心が原動力だった気がする。
しかしながら、コーエンはそれを口に出す機会はなかった。
「なぜ君が知りたがる」と尋ねられたこともなかったので、答えたこともなかった。
コーエンは「つくづく戦争に向いていない男だ」と思いながらも
「オフィスに来るかね?」
と言ってしまった。
「はい!」
ホショウはコーエンの予想通りの表情で返事をした。
それが面白くなくてコーエンは不機嫌そうな顔をしながら自分のオフィスに向かう。
もっと面白くないのは「オフィスに来るかね?」と言ってしまった自分だ。
自分自身の「オフィスに来るかね?」という言葉はしばらくコーエンの耳の中でこだまのように反復再生された。
コーエンはその音をかき消すように、工場内の圧延鉄板の通路をカンカンと鳴らして歩いたが、その後からついてくるホジョウの足音は、ホジョウの足が長いせいでかなんとも間抜けで、コーエンはさらに苛ついた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
機密文書
キャルフォルニアベースからやや離れた荒れ地の一角、元は連邦が出荷前のジムの格納庫として利用していた倉庫が研究の為に割り当てられた。
なぜ、こんな離れたところに一部のジム(全てではない)を格納したのか、合理的な理由が全くわかっていないが、ジムを置く前はやはり何かの研究に使われていたようだ。
この元倉庫は特に大型のIフィールド式熱核反応炉の実験に利用されることになった。
ゴンザレスという人の良さそうな白髪の老人が研究の担当者だ。
ホジョウは、コーエンに勧められてこの研究施設を頻繁に訪れていた。
ホジョウが知りたがったフォノンメーザーの研究のキモはメガ粒子砲とフォノンレーザーの切り替えにあった。
コーエンの考えたフォノンメーザーは平たく言うとメガ粒子砲を「振動子」とコーエンが呼ぶブツにぶち当てて、そのエネルギー高周波に変換して打ち出すのだが、装置の発熱がすごいため水中でもないと冷却が間に合わずに連発が効かない。
なので、乾燥状態ではメガ粒子砲に切り替えたいのだが、そもそも振動子がやや大きい。
コーエン曰く、振動子は素材を精査すれば小型化が見えているとのハナシだが、冷却装置まで含めるとやはりでかい。
それをメガ粒子砲と切り替えるとなると、切り替え機構も含めてもっとデカイ。
そうした事情で昨今のコーエンは切り替え機構を実装しようか諦めようかを日夜悩むだけの人間になってしまった。
ホジョウの相手をしている精神的余裕がないのだ。
「この場所なら、万が一爆発してもキャルフォルニアベースの窓ガラスが全部割れる程度で済むからな。」
ゴンザレスはこの言い回しを気に入っていた。
「ワシなら吹っ飛んでも、悲しむ人間も少ないからな。」
ゴンザレスはこの言い回しも気に入っていた。
ゴンザレスは元は連邦の研究者だったため、比較的、窓際に追いやられやすい研究者だ。
「ジオンが来る前からワシの職場はキャルフォルニアベースだったんじゃから。」
ホジョウは自分の仕事の合間を縫っては、ゴンザレスの研究所に通った。
ゴンザレスの話を聞くのが面白かったからだ。
また、自身の部下の将校が仕事を覚えた関係で、仕事が暇になったこともある。
ゴンザレスは、自分はジムを水中で動かすための研究チームに組み込まれて、自分はミノフスキー粒子の研究をしたかったのに専門外で大変だったことなどを話して聞かせた。
「結局、ジムは水中で動かせるんじゃが、深海では運用できない。深海はどこまでも深いわけで、宇宙はゼロ気圧より低い気圧はないのに、海の方は潜れば潜っただけどこまででも高い水圧がかかる。」
「はい。」
「ジムが潜水艦よりも水中で上手く動けるとしたら、世界中の潜水艦はもう全部ジムに変わってるわけだから、潜水艦に比べて浅い海でしかジムは活動できないんじゃ。」
「わかります。」
ゴンザレスは白髪頭をかきながら話を続けた。
「だから、研究しとった当時も、耐水圧改造を施したジムがせいぜい潜れるのは200mぐらいで……それでも深度200mはびっくりするような世界なんじゃが……背中にジェットパックをつけても、もともとジムがそういう外形をしとらんから、機動性がまずい。海の中には海面からは見えない流れが…こう3次元に流れておる。」
「3次元?」
ゴンザレスは手を上下に動かしながら
「奥行きと左右だけじゃなく、海の中に下へ沈む流れがあったり、海の底から上がってくる流れがあったり。」
「へー。」
ゴンザレスは一層ジェスチャーを激しくした。
「そこへ来てジムにつけた水中推進装置の貧弱さよ。ジェットパックの推進で時速30kmですすめるとするじゃろ?40kmの流れに捕まったらアウトじゃ。どうにもならん。深海1000mか10000mかどこまで沈む流れか知らんけど、テストパイロットが何人か行方不明になったわな。」
「死んだんですか!?」
ゴンザレスはあっけらかんと
「分からん。上がって来ないもんは分からん。」
という。
「あきれたなあ、連邦はそんな無茶な実験やってたんですか。」
ゴンザレスは少し不服そうだ。
「だってワシ、海洋の研究者じゃないもん。ミノフスキー粒子の「場」理論をやってるってだけでモビルスーツの研究に放り込まれて、何するかと思ったらジムの水中行動の研究じゃ。ワシが研究のリーダーだったわけでもなし。何にも分からん門外漢よ。」
「まあ確かに。」
ホジョウもそこは納得した。
「そういうのもあってか、意外かもしれんが、ワシは連邦よりはジオン公国の方がまだ肌にはあっとるな。」
そう言いながらゴンザレスは自分の端末からディスクを取り出した。
何かの書き込み作業をずっと行っていたらしい。
「連邦は名前の通り寄せ集めじゃから、愛国心みたいなもんは無いよ。それぞれ合っても郷土愛どまりで、『連邦を愛してる』なんてのは、一部の変人だけじゃろうな。これ、次、宇宙(そら)に上がるときにドズル少将に会うことになるじゃろうから、渡して。」
ゴンザレスはディスクを黄色い封筒に入れる。
ホジョウもよく知る機密文書用の封筒で、宛名に「ドズル・ザビ中将」と書かれている。
宛名の人物以外でこの封筒を開けようとした人間は例え階級が上でも発砲して良いことになっていると士官学校で習った。
当然、士官学校時代から何度か見てはいるが、「ドズル・ザビ」と書かれたものは初めて見た。
それをゴンザレスはホジョウに手渡した。
ホジョウは思わず大きな声を出した。
「私がドズル少将にでありますか!?」
ゴンザレスは
「手配はしてある。そのファイルは極秘じゃ。そいつが存在することは口外するな。ドズル少将以外の人間には、ザビ家の人間であっても渡すな。もし、ドズル少将に会えなかったら、破壊するか持って帰ってこい。」
と言うだけ言うと。
「まあ、誰も狙ってないと思うんじゃが、何人か心配性がいるんじゃ。」
と笑った。
数日後、すっかり諦めて忘れていた士官学校の同窓会に合わせて休暇が出る旨が上官から伝えられた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ホジョウ、月面へ
ホジョウは黄色い封筒を渡されたその日から気が気ではなかった。
数日間は自分で持っていなくてはいけない。
気の抜けない日々をキャリフォルニアベースで過ごした後、ホジョウは月の向こう側のサイド3へ向かうべく、まずは月面を目指した。
本来ならサイド5を経由して行くのが早いのだが、サイド5は連邦の人間も多い。
その上、最近は治安も悪化していると聞く。
ビビったホジョウは手を尽くして他のルートを調べ、月面へ直通の公国軍の貨物船に乗った。
この判断は結果的に好判断だった。
ちょうどそのタイミングで連邦軍が仕掛けた作戦によってサイド5に住むジオンの民間人はかなりの苦境に陥ったらしい。
反面、軍人のホジョウの旅路は、本人の心中は穏やかではなかったとはいえ、かねがね平穏だった。
月は常に地球に同じ面を向けているため、地球から見える側と、地球から見えない側がある。
とりあえずホジョウをのせた貨物船は「地球から見える側」のフォン・ブラウン市に着陸した。
月面で最大の都市で、ホジョウも高校生のときに旅行で来たことがある。
しかし、今回はホジョウは同窓会を口実に任務を遂行している立場で、月旅行を楽しむ余裕などなかった。
月面のスペースポートから動く歩道に乗ってフォン・ブラウンの中心を抜ける。
月面では建物は隕石よけのために地下に潜っているのが常だが、フォン・ブラウンは観光地としての役割も強いため、より月面を感じられるように地上部分も大きい。
多くの建物から分厚いケイ素ガラス越しに月面が見えるよう設計されている。
今ホジョウが乗っているムービングロードはそうした景色を楽しめるスポットの一つだったが、ひったくりの多発するスポットでもある。
ホジョウは警戒しすぎて怪しまれないかビクビクしながらも、軍服の胸ポケットのチャック付きのポケットにしまい込んだ封書の存在を、常に、さりげなく、確かめていた。
束の間、ターミナルのエレベーターで、たまたまホジョウ一人は一人になった。
気は抜けないが、気を使いすぎることも無くなったホジョウは、ポケットの端末でニュースを見ているフリをやめて、過去に暗誦させられたニール・アームストロングの手記の一節をなんとなく思い出した。
エレベーターもやはりガラス張りだ。
街が一望できる。
街の外の方に視線をやると、見渡す限りの白っぽい岩と砂だ。
月面の建造物の大半は外壁が打ちっぱなしのコンクリートで、その原料は月の砂であるので、フォン・ブラウンは巨大な砂の城のように見えるときがある(また、そうした写真は観光旅行の人気の土産だ)。
地球と違って大気はないに等しいので、光の拡散が起きにくい。
陽があたっている面は明るく、当たっていない面は暗い。
ホジョウが一人のエレベーターで一息ついていると、エレベーターは地下へと潜っていった。
月は地球より小さいとはいえ1周1万kmほどの大きさがある。
フォン・ブラウン市から裏側の「地球から見えない側」のグラナダまでは1周5千km弱の長い道のりだが、月には大気がないため、移動体が空気抵抗を受けない。
地球で車両が加速に難儀するのはほぼ空気抵抗のせいだ。
実は地球でも空気抵抗さえなければ、自転車ですら時速200kmを超えられる。
しかし、空気抵抗がそれを阻む。
その影響は高速になればなるほど強くなるため、地球上の高速移動体は流線型をしている。
一方、月面では流線型をしている必要もない(万が一のはね石などで破壊されるのを防ぐために前面に傾斜はついている)。
しかし、月には別の問題がある。
引力が地球に比べて1/6しか無いため、自転車で小石を踏んづけたときに、跳ね上がる高さが大きくなるのだ。
大気中ならば崩れた姿勢は、空気抵抗を上手く使って修正できる。
それが、大気がほぼない月面ではまったく期待できない。
そのため、跳ね上がりを防ぐために、レールを抱き込むモノレールのような構造の乗り物が有効なのだ。
路線案内掲示を見ながらグラナダ行きのホームへたどり着くと、人はまばらだった。
そしてその殆どが軍服や、その上にコートを羽織った人間だ。
-- 8番線にグラナダ行きの列車が参ります。列車のドアとホームのドアの連結後、ドアが開きます。乗車時、ドアの連結部に物を落とさないようにお気をつけください、途中、停車する駅は…
ホームに小煩い案内の放送が流される。
列車は月の岩盤に掘り抜かれた真空のトンネルを進む。
電車内とホームは、空気で満たされているので、線路の張られた軌道内に空気が流れ込まないような仕組みになっている。
ガコンという特徴的なドアの連結音がホームに響いて、ドアが一斉に開いた。
ホジョウは自分のチケットを見ながら指定席を探す。
車内には緑の電光掲示で991hPaと表示されている。
ホジョウはそれを一瞥すると、自分の座席の前後に人がいないのを確認してリクライニングする。
そして靴を脱いで足を伸ばした。
こわばった下肢が緩んでいく。
ここから約5時間の移動だ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
グラナダ発
グラナダ市はホジョウにとっても慣れ親しんだ街だった。
サイド3の士官学校で訓練を受けていた際にも、引力下での離着陸実習はグラナダの軍港で行った。
フォン・ブラウン市のような観光客向けのエリアはごく限られ、やはりここは軍人の街だ。
端末でニュースを確認するとホジョウが避けたサイド5ではジオニストを狙った事件があったそうだ。
軍人の街とはいえ民間人も少なくない。
ホジョウは民間人のエリアに交差点一つ分だけ足を伸ばすとスーパーマーケットで軽食を買うことにした。
ここではジオン公国の軍票も使えるが、ホジョウはサンドウィッチとコーラを買うのにカードを使った。
歩いて元来た方へ信号を渡ると軍港の自動窓口でIDカードを出す。
「いらっしゃいませ、ホジョウ少尉。ご予約の便は正常に運行予定です。」
相手は自動亜音声なので返事をする必要もない。
ホジョウは無言でIDカードをしまうと、軍港に停泊中のエレベーターシップに乗り込んだ。
行き先はサイド3、ガーディアン・バンチ、ズムシティだ。
離陸まではしばらく時間があるが、軍用機とも民間機ともつかない素朴なエレベーターシップのこれまた雑なシートに体を預ける。
どうしても、このタイプは真上に飛ぶため、地上では仰向けになったような体制でシートに座ることになる。
眠ってしまうと厄介なので、意識がある内にベルトを締める。
久しぶりに地元に帰ってきたようなそんな気分になりながら、士官学校時代のことを色々と思い出す。
栄光の1期生と暁の3期生に挟まれて、自分の同期である2期生は影が薄い。
多分これは2期生は全員感じているだろう。
学校にいたときですら後輩に当たるガルマ・ザビのことは、みなこっそり「殿下」と呼んでいた。
本人の前では、ガルマ本人があの端正な顔を紅潮させて「私のことは先輩方はザビとお呼びいただくか、校長の手前呼び難かったらガルマとお呼びください」と怒るので控えていたが、そういうところも踏まえて、殿下は殿下だった。
育ちの良さが全身から染み出している。
ドズル・ザビ少将も弟を贔屓するわけには行かないにも関わらず、殿下が文句なしの秀才だったため、度々、学内で表彰せねばならず、その度にあの巌のような険しい顔をほんのり綻ばせていた。
そのガルマ・ザビ殿下を学内の成績で凌駕し、士官学校のすべての記録を塗り替え続けたアズナブルという男は化け物だった。
おかげでガルマ殿下は万年2位で、自身でもそのことを時折ネタにしていた。
ただ、そのガルマ殿下が2期生の主席よりも優秀だったため、その頃から2期生には負け犬根性みたいなものが身についていたかもしれない。
何にせよ、マ・クベ大佐とともに地球方面に派遣されるという噂も立っている。
そうしたら、ガルマ殿下(マ・クベ大佐かもしれないが)は自分の上司になるかもしれない。
マ・クベ大佐はザビ家に生まれていない軍人の中では出世頭と呼ばれている人物だ。
とにかく政治力の傑出した軍人で、悪い噂と良い噂だとぎりぎり悪い噂のほうが多い。
ただ、間違いないのは超有能な人物だという話だ。
実はホジョウは学生時代、マ・クベ大佐はバリバリの武闘派だと信じていた。
理由は簡単で、マ・クベ大佐のモビルスーツ戦闘技術を見たことがあるからだ。
士官学校にガルマ殿下とドズル閣下の姉君であるキシリア・ザビ少将が訪問した事があった。
そのときキシリア・ザビ少将に随伴して、士官候補生相手の模擬戦にモビルスーツに搭乗して参加したのがマ・クベ大佐だった。
ジオンの左官には士官学校設立前に階級を得た軍人も多い。
連邦で軍籍にあって、ジオン公国立ち上げの際に連邦を離反した軍人は、ジオンの中で連邦時代の階級を引き継ぐ傾向が強かったが、マ・クベは士官学校卒業でも、元連邦の軍人でもないとされている。
ジオンのエリートを集めたことになっている士官候補生たちの中では、その「どこの馬の骨ともつかない」左官の能力を疑っている若者も少なくない。
特に戦場を経験した上で、士官学校創設を待って入学した、いわば「現場あがり」の士官候補生たちからするとマ・クベなどは弁が立つだけの軍人の顔をした政治家で、一つ恥をかかせてやろうと言った具合だった。
懸命な読者はこの論法からだいたい察していただけると思うが、戦場のマ・クベはモビルスーツの操縦に長けた武闘派だった。
ホジョウなどはマ・クベという人物についてろくに予備知識もない状態で、その参加した戦闘訓練を傍から見ていただけだったが、その勇猛な戦いぶりから乗っているパイロットはキシリア少将が連れてきた番犬やゴリラの類かと思っていた。
その後、それがかの「マ・クベ」だと知る。
ただ他所から色々伝え聞くに、マ・クベは骨董品を収集する青びょうたんの一種だという言説がジオン公国軍内での主流の意見のようだ。
もしかすると、そう思わせるのもマ・クベの策略かもしれない。
そんなことをモヤモヤと思い巡らせていると急に背中にG(この場合は加速度)を感じた。
うとうとしていたホジョウは「離陸か?」と思い、様子を伺うと、離陸ではなく到着だった。
ホジョウにとっては久々のガーディアン・バンチだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
士官学校にて
ホジョウは秘密任務である手前、あまりおおっぴらにドズル校長にアポイントを取ることも出来ないと考えて、ここまで何も準備してこなかったが、そろそろドズル少将の居場所を探さなくてはいけない。
半信半疑のまま、士官学校を訪れると、どうも少将がいるような雰囲気を感じる。
学校の事務局へ顔を出し、校長に会いたいと申し入れてみると、たいして待たされることもなく、校長室へ通された。
「ホジョウ少尉、よく来た。」
扉を開けられながら発せられた落雷のような豪放な声にはぬくもりが感じられる。
「ホジョウ少尉、到着いたしました!」
ドズルは「見ればわかるわ」と言って笑った。
2mを越す身長のドズルの声は175cmほどのホジョウの頭上から降ってくる。
ホジョウは緊張しきっていて会話のペースがつかめないまま敬礼し、ドアをしめると、胸のチャック付きの内ポケットから黄色い封書を出した。
ドズルは大きな掌でそれを受け取ると、空いたホジョウの手を分厚く包み込んで一方的に握手をする。
ホジョウはどう反応して良いかわからずに再度敬礼の姿勢を取る。
ドズルは「来たか!来たか!」と言いながら、黄色の封を切ると、中から取り出したディスクをデスクの端末に挿した。
ドズルの巨大な手が持つとディスクが滑稽なほど小さく見える。
狭苦しいキーボードの中で大きな手が忙しく動く。
「よし、保存したぞ!…まだ、そんなところに立っとるか!座れ座れ!ガッハッハ!」
革張りのソファを勧められてホジョウは座った。
「ホジョウ少尉は、姉上からきいてるが、なかなか仕事ができるそうじゃねえか!」
ホジョウは驚いた。
「え!キシリア様が私のことを覚えてくださっているのですか!?」
ドズルは少ししまったという顔をした。
「ああ、まあそうだ。あと、キシリアを姉上と呼んだのは内緒にしてくれ。あいつはオレの事を兄さまと呼ぶんだ。」
「と…申しますと?」
ドズルは口の中でモゴモゴと小声で答えた。
「コイツはジオン公国軍の軍事機密だが…アイツ、年齢(トシ)サバ読んでんだよ。」
「サバ!」
ドズルが指を立てた。
「シーッ!おめーは声がでけーよ!…いつの間にか姉上は年齢(トシ)とらなくなっちまってよ。今じゃオレが兄貴よ。」
ドズルとホジョウはしばらくお互いの顔を見合わせてから同時に吹き出した。
しばらく笑うと、ドズルは無言でポットに淹れてあったコーヒーをカップに注ぐと、ホジョウの前の応接テーブルに置いた。
「今後、ジオンではモビルスーツの規格に収まらない大型の機体を製造する。艦から発着せずに、自ら基地を飛び立って戦地へ移動し作戦を行う特殊な機体だ。もしくはその機体を移動させる専用の艦を作るかもしれねえな。目的は様々あるが主な目的は高出力のビーム兵器を運用するためだ。そのためにはより高出力なジェネレーターを小型化して運用する必要があるんだ。」
ホジョウはなんとなく頭を下げて、コーヒーに口をつけた。
「小型化って言っても、現行のモビルスーツに乗るような容量じゃねえ!戦艦並みの出力のジェネレーターが必要なわけよ!そしてホジョウ少尉が持ってきたこのデータが、その基礎研究データの第1弾ってわけだな!どうせキャルフォルニアベースでも同じようなこと考えてんだろ?とにかく連邦に漏れるとやばいのよ。ところで地球の任務はどうだ?宇宙(そら)が恋しくないか?」
話の方向が急に変わってホジョウはどぎまぎした。
「恋しくないといえば嘘になります。」
ドズルは地球降下作戦の当初の目的と、実際に作戦がもたらした効果について自身の考えを語り始めた。
ドズルいわく、連邦の戦力を削いだという点では評価できるが、特に北米に広大な領土を得たことで、その統治にジオンはエネルギーを割かれすぎているという。
「こちとらスペースノイドなわけだ。大気圏に入るのも、脱出するのも、いちいち手間なんだよ。バカでけえエネルギーが要る。」
ホジョウはドズルの高説を頷きながら聞きながら、ドズル少将の新たな面に触れた気がした。
なぜか帰りにドズルはインスタントコーヒーの缶をホジョウに持たせた。
商店で普通に買えるありふれた品だったが、「これウマいんだよな!沢山買ってあるからやるよ!」と言って渡された。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
同窓会
同窓会の会場には「ジオン公国士官学校第二期卒業生同窓会」と看板が立っていた。
実際にはホジョウがいた頃は「ジオン自治共和国士官学校」だったのだが、現在は「公国」と名を変えている。
「ホウジョウくん!御久しぶり!」
「確か・・・タナカくん?」
ホジョウを唯一「ホウジョウ」と呼んだ同期のタナカが声をかけてきた。
ホジョウ家は元はトーキョーにルーツがある家系で、当時の正式な読み方は「ホウジョウ」と「ウ」を強調する読みらしい。
しかし、スペースノイドの家系ではそうした長い母音は、移民の過程でしばしば縮められる。
タナカはそうした移民の歴史に詳しい男で、ホジョウの名前も伝統的な「ホウジョウ」の発音で器用に呼ぶ。
ホジョウはタナカと配属先や現在の境遇などについて少し話すと、同窓会の会場を見て回った。実は生まれてはじめて同窓会というものに参加したのだ。
途中、ドズル・ザビ少将も姿を現したが、ホジョウを見て「おう」と手を挙げた。
そしていかにも親しみを感じさせる敬礼をするとすぐにいなくなった。
ホジョウが「今のは、自分に向けた挨拶だったのだろうか」とアイドルと目が合った観客のような心持ちでいると、会場のどこかから「校長、今度、中将に昇給されるらしいぞ」と声が聞こえてきた。
ホジョウは十分ありえることだと、また一層、誇らしい気分になって、そんな方から親しくコーヒーをお土産にもらったのだと思うと、遠路はるばる同窓会に来てよかったと心底感じた。
そう考えながら、ハッとした。
すっかり場の雰囲気に和んで忘れていたが、自分は特別な任務でズムシティにきたのであって、ドズル・ザビ少将とお会いしたのは必然なのだと思い直した。
思い直したが、その任務はもうとっくに終わっている。
機密書類も持っていない。
そう考えると気が緩んだ。
さて、ホジョウは根は社交的な人物ではないが、社交性を発揮しようと思えば出来るタイプの人間ではあった。
そもそも、この会合が彼を含むジオンの若い将校の同窓会なので、出席者は総じて能力が高いエリートだ。
この場のほぼ全員が「社交性を発揮しようと思えば出来る」類の人間だった。
そうした人間が揃いも揃って社交的に振舞っているので、会は盛況だ。
その様子を生暖かく微笑みながら見ている男がいる。
「まあ、しょうもないな。」
そして、ラコック大佐はそうつぶやいた。
同窓会のゲストとして招かれている士官学校の指導官の一人だった男だ。
「まあまあ大佐。ジオンの歴史を作る若者たちなので、そこはお手柔らかに。」
ラコックが同伴している女性も軍服を着ている。
「気持ちは分かりますよ。私にとっても彼らは可愛い元教え子新造の将校ですから。ただ、閣下の考える宇宙攻撃軍構想が成るためには多少の辛口さがあってもよろしいでしょう?」
ラコックの目から見ると、その空間は空虚な空間だった。
「盛り上がり方が…なんというか雑ではないですかな?」
「若者らしくてよろしいのでは?大佐も少しはお楽しみになられたら?」
やや意地悪な女性の言葉にラコックは口元を緩めて微笑むと首を横に振った。
「ここに来ただけで、勘弁してください。」
ラコックは先ほどまで元生徒に囲まれて記念写真を取らされていたところからようやく抜けてきたのだ。
「ラコック大佐!お写真お願いします!」
ラコックはため息をつきながら、横の女性にボヤいた。
「私と写真を撮ることが彼らなりの気の使い方で、もてなしなんだろうな。」
「そうでしょうか?単に若者は写真が好きだというだけでしょう。」
ラコックは納得した顔で「仰るとおりかもしれない」と言うと、生徒に両側を固められて騒がしさの中へずるずると引き出されていった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
再編
ラコックが口にした「宇宙攻撃軍」は間もなくジオン公国軍人の全てが耳にすることになる。
ホジョウがキャルフォルニアベースに帰り着いて間もなく、ジオン軍の再編成がはじまった。
ムンゾ防衛隊から、ジオン公国軍と名を変え、各方面の混乱が収まったのがついこの間の話だ。
軍の体裁を整えようと乱発された階級の中でも、扱いがややこしい准将が消えるかもしれないと言った話も漏れ聞こえている。
そんな話が聞こえてから二ヶ月もたつと具体的な話がトップダウンで降りてきた。
ホスマン長官に呼ばれてホジョウが長官室に顔を出すと、長官室という表札の上から紙が貼られていて「司令室」となっていた。
ホジョウは精一杯背中を伸ばして「少将にご昇給おめでとうございます」と敬礼すると、ホスマンはあまり嬉しそうではなかった。
ほとんど事務的な昇級だということは百も承知なのだ。
しかし、ホスマンはすぐに顔を明るくした。
「うん、ありがとう。ということでホジョウ少尉、キミに提出を命じた『新兵装開発競争化における複雑化する補給作業改善マニュアル』が評価された。正式な発表はまだだが中尉に昇給だ。おめでとう。」
「ハッ!ホスマン長官閣下のご指導のおかげであります!」
ホスマンはややダルそうに頷いているが、まんざらでもないようだ。
若い将校の昇進を喜ぶだけの甲斐性は持ち合わせている。
今、地球連邦との軍事開発競争が激化する昨今、装備の種類が増えすぎて補給物資の種類も増え続けている。
そのため、どこにどんな武装やモビルスーツがあって、どんな武器を装備しているのか把握しないでは、前線に必要な物資が送れないのだ。
さらに宇宙はタテヨコの他に高さがあり、地球の重力や月の引力圏の問題もあって、どの経路で送るのが最適なのかが難しい。
軍需品は民間機と違い敵の攻撃目標になるため、安易な輸送路も使いづらいなど、そうした山積する問題の中で宇宙世紀の補給は行われていた。
ホジョウはモビルスーツの戦闘訓練はからっきしだったが、その部門では卓越した能力を発揮していた。
「『ご指導』はしてないよ。だが、キャルフォルニアベースがジオン公国に果たしている役割は大きい。」
ホジョウはホスマンから通り一遍のお褒めの言葉を頂くと、敬礼して部屋を辞して、小躍り気味に自分の部屋へ向かって歩き出した。
「ホジョウ中尉、おめでとう。」
コーエン博士が歩くホジョウを見つけて声をかけた。
「ありがとうございます!」
「うん。」
コーエンは実はホジョウより階級が高い。
ジオン公国軍は未だ混乱していて、企業から派遣されている研究者にも技術将校としての階級を与えた瞬間があった。
この階級のつけ方がかなり大雑把だったのでコーエンは大佐の肩書きを持っている。
そしてコーエンはそのことをあまりよくは考えていない。
軍内での出世競争に噛むつもりはないし、なんなら自分と同じような研究者で変わらない仕事をしているのに無階級の人間もいる。
技術将校は給与の仕組みが一般の将校と異なるので特に給与が高いわけでもない。
それでいて式典があったりすると声がかかるので、コーエンにとって「大佐」の階級はただただわずらわしいモノだ。
だが、目の前の若者にとってはそうではない事は明白だ。
そして、コーエンもホジョウの能力が高いことを認めつつあった。
「例のマニュアル、目を通したがあれは未完成で、書いてある内容に目新しさもない……が、あれで救われる人間は多いだろうな。よく出来ている。」
ホジョウはコーエンにほめられるとは思っていなかったので、いかにも嬉しそうな顔をしている。
そして、コーエンはそうした反応をめんどくさがるタイプの人間だった。
この後、キャルフォルニアベースは地球方面軍として編成される。
総司令は大躍進のマ・クベ。
名門ザビ家の末弟で士官学校第3期卒業生主席のガルマ・ザビを伴っての赴任だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
Z図面
「Z」は「ゼータ」ではない、「ゼット」だ。
大雑把に言うとZ機体は紡錘型をしていた。
高い水圧に耐えるために流線型の頑健なボディーをしている。
立った姿は釣鐘のようで、その中ほどから両脇にひどく不恰好なクローつきの両腕がぬっと突き出ている。
脚部は短く、全く歩く目的で作られていない。
ホバー推進とラムジェットを吹かして跳躍することのみを目的として作られているため稼動域もきわめて狭い。
両足あることが不思議なぐらいだ。
実際に3脚にするとか、逆に脚を無くすといった案もあったらしいが、脚を無くすことには上層部から圧力がかかったそうだ。
「35m…ものすごい背が高いですね。」
ホジョウは設計図を見てため息をついた。
「大型ジェネレーターの運用試験をするためにどうしても大型化は避けられん。」
「でしょうね。」
ゴンザレスの実験場では大型ジェネレーターの実験が終わったので、Z機体の組み立ての準備が急ピッチで進められていた。
しかし、あくまでも実験機であるため、作業しているほとんどの人間が何をやらされているのかわかっていない。
ホジョウはゴンザレスに気に入られたのか、実験機の極秘の図面を見せて貰えていた。
「この頭の部分のごちゃごちゃしてる構造は何ですか?」
「ああ、それはな。フォノンメーザー変換器でメガ粒子ビームをフォノンメーザーに変換して発射する機構じゃ。切り替えればメガ粒子ビームも撃てる。その切替機構がでかくてな。」
「何のために?」
ゴンザレスはそのあたりにはあまり興味がないようだが、ホジョウの質問には答える。
「水中ではメガ粒子ビームはロスが激しい。水陸両用機の兵装として今後どうかってところじゃな。」
「新兵器ですか。」
「まあ、そういう認識で良いじゃろう。」
ホジョウはまじまじと図面を見る。
「これ、この兵装で腕って必要ですか?接近戦で殴ることってまずないでしょう?」
ゴンザレスも首をひねった。
「うーん、これはとりあえずつけた感じじゃな。ゴッグのクローが好感触だったからじゃろう。」
「はあ…」
ホジョウは設計図から実際に出来上がる機体の大きさを想像してみた。
「…やぱりでかすぎますよね?ストップかかりませんか?」
ゴンザレスは意に介さない様子だ。
「じゃから、ここで組み立てるんじゃ。この図面はキャルフォルニアベースの中でも限られた人間しか知らん。というか、この実験初号機はデータだけ取ったら廃棄される見込みじゃ。」
「え!?捨てちゃうんですか!?」
ゴンザレスは「やれやれ」といった顔でホジョウにレクチャーを続ける。
「強度実験…どれぐらい頑丈かを調べる実験をすれば、だいたいのモノは壊れる。どれぐらいで壊れるか調べるわけじゃからな。」
「ああ、そうか。」
ホジョウはなんとなく納得した顔をした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
試作初号機沈む!
コーエン、ゴンザレス、ホジョウの3人はその日、クルーザーで海上にいた。
「ホジョウ中尉、そんなに気になるなら、中で待ってても良かったんだよ?」
コーエンが意地の悪そうな顔で微笑む。
「け、結構です!」
クルーザーの甲板の上ではコーエンはアロハシャツにハーフパンツというらしからぬ服装だった。
ゴンザレスもホジョウも休日を海上で楽しんでいるいでたちだ。
さらにゴンザレスは船べりから釣り糸をたれている。
「そろそろ6時間か。ホジョウ中尉、周囲の様子はどうかな?」
「特に変わった様子はありません。」
ホジョウが双眼鏡で周りをぐるっと見回す。
「よし、それでは浮上させるぞ。」
ゴンザレスは釣竿を置くと、自分の端末を覗き込んだ。
「水平よし!ポンプ作動!…ホジョウ君、船を少し動かしたほうがいい。真下じゃ。」
「はい!」
ホジョウがクルーザーのエンジンを吹かして前進させると、今までクルーザーが浮いていた海面に巨大な物体が浮かび上がって来た。
ホジョウは洋上にいながらも、なんだかふわふわした感覚にとらわれていた。
単に船が揺れているということではなく、大量の水の塊である海の上に自分が浮いていることが、現実だとは思えないのだ。
スペースノイドも海があることは知っているし、地球を外から見たことがあるので海の広さも知っている。
キャルフォルニアベースからも海は見える。
しかし、実際に船で洋上へ出てみると現実とは思えない。
コロニーにも海を模した巨大なプールはあるが、それはリゾートや養殖用の人工物で、宇宙にわざわざ作ったものだ。
今、浮いているここは人類よりも先に地球にあったもので、何が生きているかも分からないし、安全設備が整っているわけでもない。
そして、スペースノイドは船酔いになる人間は少ないことになっているが、むしろホジョウは水平線と青い空に酔いそうになっている。
多くのスペースコロニーは円筒の内側に作られていて、回転させることで斥力を利用した人口重力を生んでいる。なので上を見上げると、地続きで逆さまになった遠くの街が見えたりするものだ。
地球では球体の惑星の中心に向って本物の重力が存在するので、根本的な感覚が違う。
キャルフォルニアベースの建物の中では感じない違和感が海の上に出るとリアルになる。
月面のように四六時中星空が見えて宇宙を感じられればさほど気色も悪くないのだろう。
「青空って、綺麗ですが、なかなか慣れませんね。」
ホジョウはなんとなくそう声に出して自分の耳で自分の声を聞いた。
「確かに地球の景色は頭では理解できても、なかなか感情はついてこないな。・・・ゆっくり上げ…上げ・・・」
コーエンが何をしているかというと試作初号機の外側と浮上機構が完成したので、それを海に沈めて漏水の試験をしているのだ。
そして、定期的に浮かせて水漏れしていないか確認しているのだった。
「ホジョウ、目視で確認作業開始します。」
「まあすんなり浮いたから大丈夫じゃろう。」
高さ35メートル。
ビルのような大きさのZ機体は波を立てながら浮上し、水上に頭を出した。
大半は水中に没しているため、見えないが、浮上するときの水面の変化がその巨大さを感じさせた。
ホジョウはスイムスーツに着替えると、波が収まるのを待ってクルーザーから試作機の胴体に飛びつき、ハッチを開いて中へ入る。
中には重要な機構は何も入っていないが、代わりに各所に重りが入っていて、実際の完成機体とほぼ同じバランスに調整されている。
「ホジョウ君、急に傾く可能性がある。気をつけたまえよ。」
コーエン博士が珍しく大きな声を出している。
内装が終わっていないZ機体には、水中での出入りを可能にするエアロックすらついていない。
まさか35メートル吹き抜けではないが、ハッチから降りるときに足を滑らせただけでも数メートルは落下して、機内の鋼鉄の構造材に叩きつけられる。
設計の段階で十分に計算はしてあるが、今、直立した状態で浮いているZ機体がバランスを崩してひっくり返る可能性もないわけではないのだ。
ホジョウはそうしたリスクは重々承知した上で冷静に実験機の中をチェックする。
「今のところ目立った漏水ありません。」
「よろしい。戻ってきたまえホジョウ中尉。排水ポンプの試験をやるぞ。」
ホジョウは「了解」と返事をすると、頭部ハッチから伸びた仮設のはしごに取り付いて、スルスル登った。
機体から抜け出すと、ホジョウが今出てきたばかりのハッチに太いホースが放り込まれる。
「注水開始じゃ。」
ゴンザレスがポンプを始動するとホースは軽くのたうちながら海水を機体内に注水し始める。
コーエンがクルーザーの甲板に置かれた端末を覗くと、注水された海水を浸水センサーが検知して、ポンプが起動した様子がモニターされている。
「浸水ポンプよし。試験はフェイズ6の5に進む。一旦、浸水ポンプをマニュアルで停止し、10トン注水した後に再起動。浸水ポンプの挙動を観察する。」
コーエンとゴンザレス、ホジョウがそれぞれ手元の紙のマニュアルを覗きながら手順を確認している。
「浸水ポンプ停止。」
ゴンザレスが端末を操作すると、Z機体のハッチの奥のほうで鳴っていた音が止んだ。
「それにしても連邦はなんでこんなに進んだノウハウを持っていたのに、水陸両用機を開発しないんでしょうね?」
こうした試験のノウハウはキャルフォルニアベースを連邦から接収したときに発見した資料から得たモノが多い。
「どうせ、実験中に死亡事故でもやらかしたんじゃろう。連邦は、そういうスキャンダルを嫌がるからのう。」
ゴンザレスの意見にコーエンが思わず「なるほど」と呟いた。
コーエン自身、この会話にはさほど興味がないと思っていたが、ゴンザレスの意見が妙にしっくり来たのだ。
「では、この辺の海域を探せば、沈んだ実験機の残骸でも出てくるかもしれませんね。」
コーエンは思わずホジョウを見た。
コーエンの想像よりも頭の回転が速いことが意外だったのだ。
「ホジョウ中尉。それは意外と掘り出し物が見つかるかもしれません。」
「コーエン博士、急に敬語っぽくなるの辞めてくださいよ。」
そうこう話している間に10トン強の海水が機体に注水された。
「浸水ポンプ再機動。」
海水の重みで喫水が下がったZ機体が、じわじわと浮き上がってくる。
ポンプも試験も順調だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ゾック立ちっぱなし!
「Z機体の正式名が決定した。ゾックだ。」
あれから試作初号機は様々な試験を経た上で、分解され、スクラップだそうだ。
そして、様々なデータを検分した上で新型モビルスーツ「ゾック」の設計は頭頂高23.2メートル(ただし、頭部フォノンメーザー砲を装着時は23.9メートル)と大幅に小型化(?)した。
頭部フォノンメーザー砲とメガ粒子砲の切換え機構は構造的不安が多い事と、機体の不要な大型化を避ける為に撤廃されて、換装によって切り替えるように変更された。
「この新型のゾックは…例のモビル…なんとやらとは違うのかね?」
「モビルアーマーですか?」
ホジョウはホスマン少将と工場内を巡回していた。
設定変更を経た新型のゾック3機が同時進行で作られている。
「まだ、公国の上のほうからモビルアーマーの規格について詳しいお達しが来ておりません。そちらの枠組み次第ではゾックもモビルアーマーの分類ではないかと。」
「ううむ…」
ホスマンが唸っているのは最近「モビルアーマー」というカテゴリで新機体を作る新方針がジオン公国軍で取り決められた件に関してだ。
前々から開発していたゾックがモビルアーマーだということになれば、キャルフォルニアベースはモビルアーマー開発でトップに躍り出ることになる。
「小型化するんじゃなかった…」
「ホスマン少将ですよ。大きいのを嫌がられたのは。」
ゾックの開発計画中に「大きすぎる」と再三文句を言ったのはホスマンだった。
ホジョウは「では少将閣下!私はこれにて!」と敬礼すると、駐車場へ向うと、一台拝借して、ゴンザレスの研究棟に向った。
20分もすると妙に背が高いおんぼろ体育館のような建物が見えてくる。
「やあ、ホジョウ君。よく来た。」
ゴンザレス博士が出迎える。
「ホスマン司令が『モビルアーマーがほしい』って泣いてましたよ?」
建物の中にはグリーンに塗装されたゾックが直立している。
高さ35メートルの解体されたはずの「ゾック」だ。
「これの存在は極秘じゃからな。」
「何のために隠すのか教えてくださいよ。」
ホジョウは呆れた面持ちでため息混じりに尋ねる。
「極秘は極秘じゃ。わっはっは!」
ゴンザレスは若者の質問を白いあごひげを揺らして笑ってかわした。
ホジョウも軍人なので、当然教えてもらえるとは思っていないが、本件に関しては、書類の改ざん諸々、詐欺(?)の片棒を担がされている立場なので、やや機嫌を損ねている。
そこへ建物の外からクラクションが鳴った。
ゴンザレスが黄色いビニールで分厚く補強されたリモコンを操作すると、シャッターが開いてトレーラーが姿を表す。
銀紙で梱包された小屋ほどもある巨大な荷物を積んでいる。
「またキャルフォルニアベースの物資をちょろまかしてきたんですか!?」
運転してきたのはコーエンだ。
トレーラーの高い座席から慎重に降りると涼しい顔で「そうだ。またよろしく頼む。」と言う。
「そろそろボクが睨まれますよ!ナンですかこの巨大なの!?こんなデカブツごまかし切れませんよ!?」
コーエンが首を振った。
「これは大丈夫だ。検査で故意に不良が出るようにして、不具合原因の解析ということにして頂いたブツだ。入手してほしいのはこいつだ。」
コーエンがメモをホジョウに渡す。
「こんな大量のプルトニウム!?手に入るわけが…」
コーエンはホジョウの口が文句を吐ききるのを待たずに、ホジョウの肩を力強く引き寄せた。
「手に入れられるとしたらジオン広しといえども…中尉。君しかいないな。ドズル中将は『ホジョウ中尉は期待に答える』と言っておられた。」
ホジョウはそう言われると弱い。
ここキャルフォルニアベースはドズル・ザビ中将の率いる宇宙攻撃軍ではなく妹(?)のキシリア少将率いる突撃機動軍の系統だ。
ドズル中将が正面切って開発を頼みにくい事情があるのだ。
モビルアーマー規格を推し進めたのはドズル中将だという噂もある。
何よりホジョウは大型ジェネレーターの秘密の実験データをドズル中将に直接手渡したこともある。
「や…やりますけど!…もし私が軍法会議にかけられたら助けてくださいね!」
「任せたまえ。技術将校といえども伊達に大佐になったわけではない。」
「安心せい!」
コーエンは内心「実際、本当に伊達に大佐なんだけどな」と考えながら口には出さない。
ゴンザレスも似たようなものだ。
「本当にお願いしますよ!」
ホジョウはぷりぷりと怒って見せながら、ゴンザレスのアジトを立ち去るべく乗ってきた車にキーをさした。
その様子をコーエンとゴンザレスはニコニコと眺めている。
「本ッ当に!お願いしますよ!」
そして二人は土煙を上げながらボロい軍用車で工場を去るホジョウを見送った。
「中尉は御しやすくて良いな。」
「あれでいてなかなか切れ者じゃよ?」
コーエンは「知ってるよ」と頷いた。
「処理能力が高いんだろうな。軍人向きじゃない気もするが、あの年齢では抜きん出てる。」
コーエンの評価にゴンザレスは頷いた。
「女にだまされて数千万ドル横領する銀行員みたいないびつな能力の高さがあるのう。」
「ゴンザレス、それは喩えとしても少々ひどくないかい?」
半笑いのコーエンに咎められると、ゴンザレスは「くっく」と笑った。
「さて、デカブツを取り付けるかのう。」
ゴンザレスは天井クレーンのリモコンを操作しはじめた。
「お前さんは尊敬する偉人なんかはおるんかの?」
ゴンザレスに「おまえさん」と呼ばれたコーエンは少し考える。
「ゴダート…ノイマン?あまり意識したことがない。爺さんは?」
「リンドバーグじゃな!チャールズ・リンドバーグじゃ!」
コーエンに「じいさん」とよばれたゴンザレスが答えた。
「スピリッツ・オブ・セントルイス号には程遠いな。どっちかと言うとバード少将の…なんだったか?離陸できずにコケた飛行機。」
「重量過多で飛ばなかった奴か?アメリカ号かコロンビア号かじゃろ?」
コーエンは思い出したようだ。
「それならアメリカ号だ。コロンビア号は…確かもっと上手くいった飛行機だったはずだ。」
そう話している間にもゾックの前面の外装が開いていく。
建物に備え付けの整備用のマニピュレーターがのろのろと動いている。
ゴンザレスは一旦リモコンを手放すとトレーラーからおろしたユニットの包装の銀紙をはがし始めた。
コーエンも無言で手伝う。
「重くてコケるほど何を積んだんじゃっけ?」
日光よけの包装をバリバリとはがしながら、ゴンザレスは記憶を手繰る。
「ベッドだよ。」
「ベッドか。」
二人は顔を見合わせてしばらく動きを止めた。
そして急に笑い出す。
二人が今、ゾック試作機に組み付けようと作業していたのが、まさに小型の居住ユニットだったからだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
実験機と試作機
キャルフォルニアベースの片隅で進行している悪巧みに公国民が、当然地球連邦の人間も気づかないままゾックの試作機は製造された。
便宜上、ゴンザレスのラボに隠されている機体は実験機と呼ぶことにする。
隠された実験機の存在に気づかないままゾックの試作機は3機作られるということだ。
「ゾックを戦線へ投入する?」
モビルスーツの配備の決定などはいまいちホジョウの手の届かない場所にあるため、ホジョウがゾックの配備を知ったのは少し後になってからだった。
「水陸両用機からなる突撃部隊の構想が持ち上がっているのだ。」
ホスマンは少し声を潜めた。
「あわよくば連邦の白い艦と白いモビルスーツを、水中戦で撃破する肚(はら)らしい。」
連邦の木馬と呼ばれている艦と、その艦に所属するらしい白い最新鋭のモビルスーツについてはホジョウも聞いている。
戦況はその木馬によってだいぶ狂わされているようだ。
「そうやすやすと水中に誘い込まれますかね?」
「分からんな。また、近く総力戦らしいのを一発やるらしい。」
「連邦の本店ジャブローを叩くのですか?」
ホスマンは首を振った。
「分からん。」
ホジョウの言うジャブローは地球連邦軍の本部がある南米アマゾンの地下基地だ。
存在は確実なのだが正確な位置がつかめない。
ジオン軍にはすでに生産ラインが稼動している水陸両用機がある。
「現在、安定供給されつつあるゴッグ、アッガイ、ズゴックに加え、最新鋭機ゾックも投入される。これは一応極秘事項だ。」
「はあ。」
極秘事項とはいえ、巨大なゾック試作機を3機も作れば関わる人間は100人を超えるだろう。
そんな都合よく情報が秘匿できるとは思えないため、ホスマンは「一応」と言い、ホジョウは「はあ」と応えたのだ。
「ところでホスマン司令。モビルスーツ用の塗装用に赤いアクリルラッカーが大量に搬入されているんですが、あれはなんですか?」
ホスマンは口を尖らせて独特な情けない顔をした。
「ペンキだけではないんだよホジョウ中尉。ペンキを持ち込んだ連中は最近流行の『特別機』を作るメカニックチームだ。」
「特別機?」
ホスマンは事情を察しないホジョウを呆れた顔で見た。
「赤い彗星の機体を作るんだよ。シャア・アズナブル少佐だよ。キミの同窓生だろ?」
「いやあ、シャア少佐の方が一つ下なんです。」
ホジョウは情けなく愛想笑いをしながら答えた。
ホスマンはホジョウの顔をまじまじと見るとため息をついた。
「ホジョウ中尉も十分にやっとるよ。比べる相手が悪い。」
ホジョウはシャア少佐と自分を比べたことなどなかった。
むしろ自分を含む2期卒業生のふがいなさとガルマとシャアを擁する3期卒業生を比べたのだ。
「おっしゃるとおりです。」
「まあ、キャルフォルニアベースはキャルフォルニアベースのやるべきことをするだけだ。」
ホスマンはそういうと立ち去った。
連邦から奪取して以来、キャルフォルニアベースはいつもなんだか前線と遠いのだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
パイロット
前線の情報に疎いキャルフォルニアベースにも水陸両用機の納入先の名前が徐々に明らかになってきた。
当然極秘なので確定ではないのだが、現在の戦況や、最新鋭機を乗りこなせるエース集団となると候補は絞られる。
しかも、持ち込まれたズゴックが真っ赤に塗装されて換装されている作業を間近で見ているメカニックたちにとって、最新鋭機の配属先の予想は簡単だった。
「マッドアングラー隊ぐらいになると訓練なしでも最新鋭機を乗りこなせちまうんだろうなぁ…」
その声は生産ラインの中を歩いていたホジョウの耳に入った。
「バカ話はしてもいいが、そのテの話は盗聴でもされたらコトだぞ。軍法会議にかかりたくなければ少し口を慎みたまえ。」
「はい・・・。」
無駄口を叩いていた男はバツの悪そうな顔をして、今度は黙って作業に向った。
ホジョウは小さくため息をつくと、そのマッドアングラー隊に兵装一式を引き渡すランデブーポイントの策定のために、作戦会議室に向った。
別にホジョウが出なくても、マッドアングラー隊が指定したところに何がしかの艦で運ぶだけの簡単なハナシなのだが、立場上、出なくてはいけない会議だ。
おそらく、ほぼ黙って座ってるだけの会議で、途中、邪魔しない程度に当たり障りのない発言を求められるのだろう。
途中で同じく作戦会議室に向うコーエンと自然と合流した。
「下らん会議だよ。」
企業から出向している技術将校はしがらみが薄いので平気でそういうことを口にする。
「同意も反対もしませんよ。」
「中尉だったら無言でやり過ごすかと思ったが、返事が聞けるとは予想外だった。」
コーエンが茶化す。
「少佐を無視は出来ませんよ。」
「ふふん、それは気を使わせてすまなかったな。良いことを教えよう。私はこのテの会議はメモをとるフリをして数式を解いて時間を潰す。」
ホジョウはまたため息をついた。
「知ってますよ。博士、それでたまに意見を求められると『私はむしろ〇〇くんの意見を聞いてみたい』で切り抜けるじゃないですか?あれ、フラれた方はたまったもんじゃないんです。若い連中に超不評ですよ。」
コーエンはニヤニヤと笑いながら資料を抱えているホジョウのために作戦会議室のドアを開いた。
手が塞がっているホジョウはかかとだけ揃えて、姿勢だけは敬礼の姿勢をとった。
「お?」
目の前に見知らぬ軍人がいる。
階級章は少尉だ。
ホジョウにホスマンが紹介する。
「例の隊のユーコン型潜水艦の副長コノリー少尉だ。」
ホジョウは急いで荷物を会議室のテーブルに置くと、きちんと敬礼をした。
「ホジョウであります。補給を担当しております。」
「コノリーです。よろしくお願いします。こちらはボラスキニフ曹長。」
「ボラスキニフであります!よろしくお願いします!」
ホジョウもコーエンもホスマンもマッドアングラー隊がキャルフォルニアベースまで出張ってくるとは思いもしなかったのだ。
「コーエン博士、ボラスキニフ曹長に最新鋭機についてレクチャーしていただけるか。…実物をみながら。」
「了解した。」
コーエンとホジョウはボラスキニフが小脇に抱えている冊子に目をやった。
冊子は数週間前にキャルフォルニアベースで作って、送ったものだ。
その大急ぎで作った試作機ゾックの粗末なマニュアルからはところどころ付箋が覗いている。
くたびれるまで読み込んである様子だ。
「一通り読んで参りました。」
「もっと立派な表紙をつけるべきだった。」
誰に向って言ったのかコーエンはそうつぶやいた。
ボラスキニフ曹長はそれから1週間、かろうじて完成していた試作1号機で自主的に訓練を行って帰っていった。
そして、まだ組み立て途中の試作2号機にはボラスキニフからの注文でいくつかの変更点が加えられるようだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
国葬
「え?戦死?」
ジオン公国をガルマ・ザビ戦死のニュースが駆け抜けた。
ただ有名人が死んだのとはワケが違う。
死んだのは人望厚いザビ家のガルマ大佐だ。
しかも亡くなった場所はニューヤークで、占領前から地球におけるジオン公国の重要な拠点になると吹聴されていた地だ。
元々、民間人が多すぎるためニューヤーク空爆はジオン公国軍の内部でも否定的な声が大きかった。
また、攻撃後、都市機能が麻痺したニューヤークは占領するにはうま味がなさ過ぎるという声もきかれた。
そこへ今回の訃報だ。
自然と、地球で生まれ育ったわけではないスペースノイド達の中には一つの疑念がわいた。
そこまでのリスクをとって地球に領土を保持する必要があるか否かと言う疑念だ。
確かにスペースノイドにとって地球から送り出される資源や食料は無くてはならないものだ。
しかしながら、ニューヤークは鉱山や農地とはワケが違う。
比較的、小さな破壊で占領できた生産拠点である、ここキャルフォルニアベースは確かにジオンの国力を底上げしている。
こうした成功は単なる地球攻撃ではなく地球占領論者を勢いづかせた。
地球がそんなに大切なら、葬儀も地球でやればいいと誰かが悪態をついていたが、葬儀は遠いズムシティで行われる。
キャルフォルニアベース司令ホスマンはズムシティの葬儀に出るため、急遽基地を離れることになった。
同じ北米大陸にいるのにガルマの棺を追いかけて行くような形だ。
「コーエン博士。よろしく頼む。」
「あい分かった。くれぐれもご用心を。」
キャルフォルニアベースは本来いるべき副司令が不在だった。
前任者がいなくなったタイミングから、なんとなく決め損ねていたのだ。
仕方がなく1週間ほどの短い期間、コーエンが司令代理を引き受けることになった。
葬儀は国営放送を通じてジオン公国中に流れた。
キャルフォルニアベースの公国民も夜中に大食堂のテレビの前で直列してその様子を眺めた。
ベースの人間たちは地球で少なからず苦労している側なので、ニューヤーク占領には否定的な意見の者が多い。
真面目に直立している人間もいたが、眠気もあってか、冷めた表情をしているのが大半だ。
「こんな国だったか?」
誰かがつぶやいた声に空気が凍った。
だがもっとドギツイのがその後に続いた。
「革命一家がそのまま貴族サマに納まる国がジオン公国だ。」
基地司令代行のコーエン大佐だ。
最初につぶやいたヤツも相当なツッパリだがコーエンの毒に圧されて全員が無言になった。
「ロベスピエールがジオン公国にいるとしたら、今どこに潜んでいるのやら。」
そういうとコーエンはテレビの前を辞して自室に戻ろうとした。
流石にホジョウも止めた。
「コーエン基地司令代行、まだ葬儀が。」
「…もう終わるだろう。自室にもテレビはある。」
コーエンがそう言って食堂を出ると、他の将兵もポツポツと抜け始めた。
ホジョウはコーエンが言った以上それを制止する訳には行かなかったので、結局、最後まで大食堂に残った。
放送が終わって、残った将兵たちも解散しはじめると、ホジョウのところへゴンザレスがやってきた。
「ホジョウ中尉は真面目だね。」
ホジョウはしまりのない愛想笑いで答えた。
否定も肯定もできない。
ゴンザレスはホジョウの肩をポンポンと叩くと
「我々は無駄は省きたいものだ。」
と言い残して去っていった。
ホジョウは長い長いため息をついて、食堂の椅子に腰を下ろした。
ニューヤーク占領反対派であったスペースノイドたちにとって今回のガルマ殿下の戦死は無駄死にしか見えていない。
「ホジョウ中尉!お先に失礼します!」
ホジョウは力なく返すと、1人になった食堂で
「学者先生は言いにくいことをポンポン言うよなあ。」
と独り言をそっと。
そして、立ち上がると寝支度を始めた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
マッド・アングラー隊出陣
「あれって正式名称じゃなかったんですか?」
「いーや、正式名称だよ?」
ホジョウは公告を見ながらコーエンに尋ねた。
コーエンは即答した。
「マッドアングラー隊はマッドアングラー隊だ。潜水艦部隊の通称だったのが水陸両用モビルスーツの編隊を保有する部隊に再編されて、正式名称が『マッドアングラー』になったんだ。今までも潜水艦部隊は水陸両用機を持っていたが、ジオンの水陸両用機の拡充も進んだのを鑑みて…ってことだろうな。」
「お詳しくありがとうございます。」
コーエンは冬も近づく11月初旬、未だにキャルフォルニアベース司令代理をやらされていた。
「司令代理をやらされている間は訊かれたことには答えないとな。」
コーエンはやや恨めしい目でホジョウを見ている。
「ホスマン少将は一体…」
「分からない。」
これも即答だ。
そして、司令のデスクから立ち上がると、ホジョウの目の前まで歩み寄った。
「恐らく、地球におけるジオンの形勢に変化が起きている。悪い変化だ。」
小声でささやく。
聞かれたら不味いのだろう。
「ラル大尉がガルマの仇討ち戦に出陣してそろそろ一ヶ月。あれだけ盛大に公国民を煽っておいて、未だ何の戦果の報告もない。」
そういうとコーエンは司令室の椅子に戻っていった。
「確かに…。」
「ホスマン司令は文官出身とはいえザビ派の重鎮だ。ズム・シティでごたごたでもあれば戻ってこない可能性もありうる。新任の司令が来る可能性もあるな。もしくは、この基地内で誰か適当な人間を司令に据えるかだが、そうなったら誰か心当たりはあるかな?」
ホジョウは考えたこともないことを言われて面食らった。
「えっと…コーエン大佐でよろしいのでは?」
「階級で言えばな。ただ、知ってのとおり私は企業から派遣されている技術将校で、不要に高い階級を提げている。それはその内、是正されて、軍医の連中と同じような切り分けになるだろうな。他には?」
「え?…もしかしてワタクシですか!?」
コーエンは意地が悪そうに微笑んだ。
「佐官が手薄だからな。キャルフォルニアベースは。」
「嫌ですよお…」
ホジョウはあからさまに嫌そうな顔をする。
「なんでだ?仮に司令代理になったとしても、最低でも少佐までは昇格できるだろう?ジオンは人手が足りないんだ。」
ホジョウはそう言われて不思議な感覚だった。
出世はしたいのだが、何か違う。
「ホジョウ中尉。キミに面白いところがあるとするとそういうところだな。」
「そういうところ?」
コーエンは立ち上がると、慣れた手つきでインスタントコーヒーを淹れ始めた。
「ああ、ボクやりますよ。」
コーエンは手で制止した。
雑にコーヒーを淹れている。
「ゴンザレス博士に教えてもらったんだが、君は単に出世したいわけではなく、『実(じつ)』が伴わないと満足できないらしい。」
「『実』ですか?」
コーエンはずいぶん溶け残ったコーヒーをすすりながら説明した。
「何かを成し遂げた結果として出世したいんだと、ゴンザレスは言ってたよ。確かに中尉に昇格したときは成果を出していたからな。」
「え…ありがとうございます。」
ホジョウは素直に喜んでいいのか分からない面持ちだ。
「活躍したいんだろうな。」
「それは…どうなんですかねぇ…」
20代の人間が誰しもそうであるようにホジョウも自分のことはなかなか分からない。
「ジオンに貢献したいとか、この戦争を終わらせるために成果を挙げたいとか、人命は出来るだけ救いたいとか…そういうことが活躍だ。」
「ああ、なるほど。それは出来るものなら『活躍』したいです。コーエン博士は普段そんなことを考えてたんですか?」
コーエンは少し上目遣いに天井を見上げた。
「いつもではないが、自分の力で時代が変化するとしたら、それは嬉しいものだよな。モビルスーツの開発もそのためにやっているのだからな。」
そう話していると、ホジョウの後ろの扉の向こうから「コーエン司令代理!」と威勢のいい声で別の将校がやってきた。
「入りたまえ。」
ホジョウは敬礼すると、その将校と入れ替わりに司令室を退出した。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
暗雲
それはあまり大きな取り上げられ方ではなかったが、あっという間に話題になった。
戦死者名簿にランバ・ラル大尉の名前が載ったのだ。
ジオン公国のメディアはその報せを極めて抑制的にしか伝えなかった。
ガルマ・ザビの戦死については大々的に取り上げたのに対し、その弔い戦の失敗については無視といっても良い状態だ。
悪い報せは続く。
ジオンの鉱山基地オデッサに、連邦軍が猛攻撃を始めたのだ。
キャルフォルニアベースからも援軍を送るべき事態だったが本来の司令であるホスマンは不在であったため初動が遅れた。
また、前線からは程遠いキャルフォルニアベースにはメカニックとエンジニアはウヨウヨいたが、有事の際の即戦力となれる兵力がなかった。
一応、防衛隊がいるにはいるが、これを出すとキャルフォルニアベース自体が危ない。
「ホジョウ中尉、よろしく頼む。」
「ハッ!」
それでも人員をかき集めて、かろうじて輸送機のガウを動かせるだけの体裁を整えた。
ホジョウが急造の機長としてコーエンに任命されて、オデッサへ飛び立った。
「なんとか飛んだな。」
コーエンとゴンザレスが一息ついたのもつかの間、将校の一人が「オデッサ陥落!」と叫びながら走ってきた。
マ・クベは消息不明、オデッサからHLV(この世界における輸送用の宇宙ロケット)で宇宙へ脱出した将兵のほか、連邦軍に投降した兵も多数、何より基地を放棄して脱出するときに何かを爆発させたらしく、被害の状況が分かりにくくなっている。
結局、ホジョウはすぐにキャルフォルニアベースに帰還した。
この一件でジオンはキャルフォルニアベースに駐屯部隊を置く事を決定するが、編成がなかなか進まない。
結果的に軍の人材不足が表面化させる結果となった。
「しかも、南極条約は破られたか。」
ここはゴンザレスの研究所で、目の前にはゾックが直立している。
ゴンザレスはもう一度「南極条約は破られたか」とつぶやいた。
ハッキリしないがマ・クベか副官のケラーネが核兵器を使用したであろうことが明らかになったのだ。
ホジョウとコーエンが木箱にクッションを置いただけの粗末な椅子に座っている。
「しかし、まだ核だと決まったわけじゃないですし…」
ホジョウが弱弱しく意見する。
「ホジョウ中尉。気持ちは分かるが、使用のいかんに関わらず、オデッサにジオンの手によって核兵器が持ち込まれていたことは確定したのだ。」
オデッサでは連邦軍によって、戦闘中に不発だった核弾頭が回収されている。
「そして、連邦のニュースでは核兵器の使用は確実だと報じている。こと今回に関しては信憑性は高い。」
特にコーエンとホジョウは基地を空けていると不味い立場だが、この際はあまり気にしていないようだ。
南極条約はジオン公国と地球連邦の間で戦時中のいくつかの禁止事項をまとめた条約で、その条約の目玉が「コロニー落としの禁止」「核兵器の使用禁止」だった。
「本来は停戦の条件として…」
ホジョウの言葉をゴンザレスがさえぎった。
「その通りじゃな。元はジオン側が停戦の条件として『コロニー落としの封印』を掲げたものじゃ。しかし、いつの間にか戦時条約にすり替わった為、ジオンは決定力を欠いた形になった。」
コーエンも深くうなづいた。
「その通りだ。ジオンは『核』と『コロニー落とし』という地球人を震え上がらせるツートップを失った。ジオンのお家芸だったモビルスーツも、最近は連邦の白いヤツに出し抜かれ続けているそうだ。これはつまり、『ジオンには連邦に勝る点はない』と言うことだ。それだけではないぞ。ブリティッシュ作戦でジオン国内がどうなったか覚えているだろう。グラナダを取ったところまでは拍手喝采だったジオン公国民がシドニー壊滅で真っ青になった。核の再使用でジオンの民心は離れるぞ。」
ホジョウはうつむいていた。
かく言うホジョウが今回の核使用でショックを受けている1人だからだ。
ブリティッシュ作戦でのコロニー落としの折も心の整理に時間がかかった。
大量破壊兵器と言う猛毒が人類全体を蝕んでいるのだ。
「ここも時間の問題かもしれんのう。」
「達者で。」
ゴンザレスがゾックに乗り込む。
「くれぐれもお気をつけて!」
「ああ、こんな時勢じゃが、ホジョウ中尉、キミとはまた会えるじゃろう。」
沈む夕日へ向ってゾックの実験初号機は動き出した。
海まで出てあらかじめ決めた隠し場所へ隠すのだという。
ゴンザレス博士は極秘任務の為にそこに潜伏するのだという。
ホジョウとコーエンは二人、別々に基地へ帰った。
翌朝、ホジョウは事故発生の警報で起こされる。
ゴンザレス博士の研究所であった倉庫が爆発して消し飛んだのだ。
研究中だった大型ジェネレーターが暴走して爆発したのだという。
ホジョウがその報せを聞いたときにちらりとコーエンの顔を見ると、目にいっぱい涙らしきものを貯めていた。
ホジョウも見習ってトイレに駆け込むと、目薬をさした。
モビルスーツ用のジェネレーターの爆発といえば核爆発だ。
死体は蒸発して痕跡すら残らない。
偽装工作は成功したのだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
疑念
オデッサ鉱山基地の一部始終が明るみになりはじめた。
未だマ・クベは行方不明のままだが、モビルスーツの爆発に巻き込まれて戦死したのではないかと言う噂も流れ始めた。
水陸両用モビルスーツで再編成されたマッドアングラー隊の運用成績はかねがね好感触であったらしい。
ゾックの有用性も示せたと考えていいだろう。
さてジオン公国軍は人手不足に陥っていた。
レビル将軍がいないと寝返りも打てない地球連邦軍もたいがい人手不足だが、ジオン公国軍の人材不足も決して楽観視出来ない。
ホスマンは部隊を率いて軍艦で帰ってきた。
オデッサが陥落してヨーローッパからジオンが撤退し、前線が近づいたことと、オデッサ援軍派遣の失態でジオンの上層部がキャルフォルニアベースの兵力の増加を決定したためだ。
単純に行けばオデッサへの増援失敗はコーエンの失点となるところだが、ホスマンが久々の宇宙を堪能していた疑惑などがあって、ホスマンは降格だけですんだ。ただし、この降格処分は、どちらかと言うと「技術将校の階級は公国軍事技術総監を最高位として云々(うんぬん)」からはじまる技術将校の階級に関しての是正が行われたのが発端で、「企業からの出向は尉官どまり」という新ルールに移行したからだ。
そこでコーエンは完全に軍籍に移るかどうかをきかれて「お断りする」と即答したらしい。
結果、大尉まで下がった。
「そもそも、社から貰っている給与は変わってないのだ。」
事後、コーエンはホジョウにネタバラシをした。
話は変わってホスマン司令がつれてきた連中は武闘派ぞろいだった。
キャルフォルニアベースを我が物顔で闊歩する様子にメカニックやエンジニア達からホジョウに苦情が殺到した。
「ホスマン司令、キャルフォルニアベースでは精密機器を扱っているんです。軍人と技術者の領域を分けてください。」
そもそも、ホジョウがその苦情のを受けるのがおかしいのだ。
ホスマンが放置するので、困り果てた技術者達がホジョウに苦境を陳情してくるのだ。
「いや、まあ、仲良くやっていこうではないか。」
「そういう問題ではないんです!キャルフォルニアベースの生産拠点としてのクオリティに関わっているんです!」
何の弱みを握られているのか知らないがホスマンがのらりくらりと取り合わない。
そんな中、事件が起きた。
エンジニアの若い女性が、その新しく入ってきた連中に乱暴されそうになったのだ。
最近の嫌な空気を嗅ぎ取って警戒していたホジョウがたまたま現場近くにいたので未遂に終わったが、技術者達と軍人達の間での不和が決定的になった。
特にコーエンがキレた。
「ホスマン司令、何が言いたいかはお分かりですな。」
「分かってはおるが、酔っていたそうじゃないか。」
「自室や独房で酔っ払うのは一向に構いませんが、酔っ払って生産ラインに闖入するのは看過できません。」
ホジョウはその様子を横で見ていたが怒るコーエンに対してホスマンは明らかにイラついている。
「監視房に24時間で納めたまえ。」
ホスマンの申し出をコーエンは即断った。
「宇宙(そら)へ送り返すべきです。」
コーエンがそういうと横から口を挟むものがいた。
「それは出来ない相談だ。アイツがやらかしたのは認めるが、俺達の仕事は戦争で、戦争はチームじゃなきゃ出来ねえ。あいつはチームなんだ。」
「司令?」
コーエンは口を挟んだ男に一瞥もくれずにホスマン司令にその男が何者かを説明するよう促した。
「…ベン・ハドマン大尉だ。地球方面軍所属、キャルフォルニアベース連隊、第2中隊隊長だ。」
「ほう?」
コーエンはハドマンの前まで歩み寄る。
ホジョウは胸倉でもつかむのじゃないかと、思わず間に割って入った。
「キミかあのバカの飼い主は。首にナワでもつけときたまえ。」
ホジョウは「あちゃー」と思いながらハドマンの様子を見ると、完全にコーエンを殴ろうとしている。
ホジョウはハドマンの前に立つと「まあまあまあ」と言いながら、ハドマンの視界をふさいだ。
ハドマンは無言でホジョウをどけようとするが、上手くいかないようだ。
渾身の力でホジョウをどけようともがくハドマンに対して、ホジョウはひたすら「落ち着きましょう?」と言いながら平然と前に立っている。
その光景の滑稽さにコーエンは毒気が抜けたような顔をしている。
「ホスマン司令!今回の件は司令が悪いんですよ!何度も私も言ったじゃないですか!」
「あ、うん…すまなかったけど…それどういうこと?」
ハドマンが必死になってホジョウをどけてコーエンのところへ回り込もうとしているのに、一向にホジョウがどけられないしかわせない様子に対して、流石のホスマンも異常事態だと理解したのだ。
「何の話ですか?」
もはや、ホジョウはハドマンの方を見てすらいない。
それでもハドマンは抜けられない。
まるでクモの巣にからめとられたように徐々に動けなくなっていくのだ。
そして、あがけばあがくほど段々と壁に追い詰められていく。
「お前!このやろう!ふざけるなよ!!」
ベン・ハドマンは激昂して、怒りの矛先をホジョウに向けたようだ。
「だから落ち着いてくださいって!」
ハドマンは耳を真っ赤にして怒って右手を自分の背中に回した。
コーエンとホスマンがその様子に真っ青になった。
ハドマンは武器を「抜く」つもりなのだ。
ホジョウはホスマンを見たままで気づいている様子はない。
「ハドマン大尉!」
「やめろバカ!!」
しかし、腰の後ろに回された腕は帰ってこなかった。
--ゴキン
「えっ?」
「えっ?」
ハドマンは呆然としている。
ホジョウは目の前のハドマンを哀れむような、失望したような顔で見ている。
ホジョウがハドマンの肩を脱臼させたのだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
監視房
「なんかすいません。まさか中尉まで…」
「いや、いいよ。」
酔っ払って狼藉を働いた曹長がぶち込まれている隣に、ホジョウもぶち込まれた。
ホジョウは武器を抜きそうな気配を察して思わずハドマン大尉の腕を捻ったのだが、咄嗟のことで(見てもいなかったし)、少々捻りすぎたのだ。
結局、ハドマンは武器を抜けなかったので、お咎めの受けようもなかったが、結果的に、一方的に怪我をさせたのはホジョウと言うことになって、3日間の懲罰を食らっているのだ。
キャルフォルニアベースは技術者対軍人の空模様から急転して、「補給係に中隊長が成す術もなくやられた」「空威張りのへタレ連隊だった」という空気に変わっていた。
「本当にオレの酒癖のせいで。」
「酒癖だけじゃなくて女癖もだよ。」
「はい…すいません。」
ホジョウはため息をついた。
「謝る相手はボクじゃないでしょ。」
「はい…すいません。」
不毛な会話をしていると、ホスマン少将がやってきた。
「…まあ出にくいとは思うけど。24時間たったので。」
酔っ払い狼藉者は未遂で終わったため24時間で懲罰終了だが、ホジョウは未遂ではないのだ。
「ホジョウ中尉…なんかすまない…」
ホジョウはもう一度深いため息をついた。
「ホスマン司令がいなくなってこの方、まともに休んでいなかったので。怪我をさせたのは私ですし。暴力は良くないですよね。」
「…そうだよね…あの、はん…」
「『はん』…?なんです?」
ホスマン司令が何か言いにくそうにしている。
「…わ…私も反省するのでホジョウ君も反省してください!」
「…私が反省していないとでも?」
「いえ!そんなことは思っておりません!」
「…いや、私も反省したりないと思っていたところです。」
「反省してます!」
ホスマンはそう言うと退出していった。
恐らく、今回の一件で怪我人が出たせいで、事件が明るみになり上層部にこってり絞られたのだろう。
ホジョウは嫌なことを思い出して沈痛な気持ちになっていた。
ホジョウは父親が指導者だった関係で武道の心得があった。
しかし、ホジョウは中途半端に才能があったせいで、何度か試合で相手を骨折させたり脱臼させたりしているのだ。
怪我をさせた相手はいずれも熱意はあるが、お世辞にも上手とはいえないタイプだった。
対してホジョウは武道に熱意なんてなくて、お世辞か本気か上手いといわれ続けてきた。
本人にとっては嫌々やらされている習い事の一つだった。
士官学校に入った時、ホジョウの父親はたいそう喜んで「武道をやらせて良かった」と言っていたが、時代は白兵戦の時代ではない。
学校では半端に腕に覚えがあるヤツは上級生にイビられると思ったので、武道の心得があることはひた隠しにしてきた。
ジオンはモビルスーツの時代を目前に、優秀なパイロットを求めていたので、徒手格闘のサラブレッドなどお呼びじゃなかったし、使う機会もなかった。
その亡き者となっていた才能が、昨日、何年かぶりに火を吹いてしまった。
関節を外す感覚が、まだ左の手のひらに残っている。
ずっと忘れたかった感覚だ。
段々、自分があの場に呼んだホスマンのバカ面を思い出してきた。
もしかすると、激昂したハドマンを放っておいたら、ホスマンが撃たれて死んだんじゃないだろうか。
そうしたら、あの犬の群れみたいな連隊も上から下まで全員処分されてキャルフォルニアベースが健全化したのではないだろうか。
そうやって考えていたら、お腹が鳴って我に返った。
「…くだらない」
そう言って、ホジョウは再び絶え間ないため息をついた。
長く絶え間ないため息だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
タロウ・ホジョウという青年将校への誤解
ホジョウが懲罰房に入っている間、基地内はヘタレ中隊長と我らがホジョウ中尉でハナシが尽きなかった。
そしてホスマンにこってり絞られたのか、恥をかいたのが効いたのか何なのか、新入りの連隊の人間は、だいぶおとなしくなっていた。
「わきまえる」ようになっていた。
コーエンはその様子を小さな驚きとともに眺めていた。
コーエンはホジョウと言う人物をだいぶ見誤っていたことを認めざるをえないところまで来ていた。
コーエンはホジョウに関しては「そこそこ出来る」人間だと考えてはいた。
ただ、その上で「平凡で小賢しい将校」の範疇を出ないと考えていた。
ところが現実はどうだ。
とんでもない現場を目の当たりにしてしまった。
流石にホジョウの手並みが鮮やか過ぎたため、誰も彼もがホジョウの素性を調べた。
そして傷害事件の翌日にはそこそこ判明した。
ホジョウの実家は武道の道場を併設していて、父親は優秀な指導者だったらしい。
そしてホジョウ自身も、出場した数少ない競技会では無敗だったそうだ。
これまでのキャルフォルニアベースのみならずジオン公国軍のホジョウに対する印象は「士官学校をとくに目立ちもしない成績で卒業してから後方で補給任務を淡々とこなす、勘定の得意な文官」だった。
ところが今回の一件と、判明した生い立ちから導かれるホジョウという青年は「圧倒的強者として生まれ育ちながらも、その爪を隠したまま士官学校を出て中尉まで昇った」人間だったのだ。
あの才能が仕官学校時代に発揮されていたら、今頃はいけ好かない貴族の護衛でもしていただろう。
そう考えながら生産ラインを視察していると、ホジョウが事件のときに浮かべていた表情を思い出した。
「ウェルカムじゃないんだろうね。」
思わず声に出てしまった。
ホジョウがこの基地内で一生懸命取り組んでいたのは、前線へ送る補給物資の正確さと速さの両方を実現する仕事だ。
その仕事に取り組んでいたときの屈託のない明るさに対して、バカの肩を外した後に見せた顔は、いつものように気軽に声をかける気にはなれそうに無い。
彼にとって、天賦の才能である「ケンカの強さ」は本当にウェルカムではないのだろう。
目の前で働いている技術者達も前線で敵を殺す仕事だったらこんなに精力的に働けただろうか。
仕事をする彼らも、頭の中で「これは人殺しの道具だ」と分かってはいるはずだ。
自分達の設計や、数式が、人体を吹き飛ばし、焦がし、一生残る傷や、時には蒸発して亡骸も残さないモノに変わっていくことを知っているはずだ。
しかしながら、それはあくまでも間接的な事実であって彼らはモノに向き合っている。
コーエンは自分が誰かの手を折るところを想像してみた。
もしかすると痛快なのかもしれない。
だが、ホジョウがそうではないことは明らかだった。
ここには戦争では人を殺したことがある人間はゴマンといる。
コーエンは気づくとホジョウが懲罰で放り込まれている部屋の近くまで来ていた。
壁一枚隔てた向こう側にいる。
面会できるわけではないが自然と足が向った。
コーエンはあまり自分の行動に驚かなかった。
ーホジョウ中尉は我々に必要な人材かもしれない。
前々からゴンザレスはコーエンにそう語っていたが、コーエンは半信半疑だった。
しかし、今、コーエンですらそう考え始めている。
ゴンザレスは果たしてホジョウのどこを見てそう評価していたのだろう。
「…難問か。」
コーエンはそう呟くと形ばかりの監視役に敬礼してその場を立ち去った。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
タネ明かし
「徒手格闘が得意でも現代戦では意味が無いんですよ。」
「まあ、ホジョウ中尉の言うとおりだな。」
コーエンは懲罰明けのホジョウと喋っていた。
「どっちかというと射撃の技術が求められますし、どっちかというとモビルスーツの操縦が上手い方が戦場では活躍できるでしょう。今話題の連邦の白いヤツも、例えば公国軍の赤い彗星でも、私では歯も立ちませんよ。のこのこモビルスーツを降りて、手が届く範囲まで来てくれるとは限らないので。」
ホジョウはコーエンが知りたそうなことを先回りして説明していた。
「士官学校では格闘技の訓練はあっただろう?」
「ありましたよ。教官の教えるとおりに訓練しました。」
コーエンはいぶかしげな腑に落ちない顔をしている。
「なんですか?学校時代も手を抜いてたわけではないんです。私だって『手段は選ばず相手を倒せ』と言われたらその通りやりますよ。でも、授業では教官に教えられた方法で、教えられたとおりにやることが求められてたんです。丁寧にやりましたよ。相手も怪我させないように。」
コーエンは恐れ入ったというような顔をして、自分のポットからホジョウにコーヒーを勧めた。
「頂きます。」
「おかげさまで、すっかり連中はおとなしくなった。あとホジョウ中尉。わざと『ホジョウ』と名乗ったのかな?」
「それについては半分そうです。でも実際は戸籍も『ホジョウ』です。」
「申し訳ない、私はホジョウ中尉のお父上のお名前は知らなかったんだが、キャルフォルニアベースにも何人かお父上のことを知っている人間がいたよ。もし、『ホージョー』だったら誰か気づいたかもしれないな。お父上のことに。」
ホジョウは首をかしげた。
「むしろ父が『ホジョウ』と本来読むべきところを『ホージョー』と古風な読み方で無理矢理読ませていたのです。」
ホジョウの父が開いている「北条道場」は読みをわざわざ「ホージョー」と強調しているのだ。
「ところでホジョウ中尉のお父上がコップの水をこぼさないマジックのようなのをやっていたんだが、あれはどういうタネかを聞いてもいいかな?」
ホジョウは少し天井を見て思い出した。
「ああ、あれですか。タネ…タネみたいなモノはありますが、私も多分出来ますよ。ちょっと広いところなら。このコーヒー飲み終わったら、博士のこのマグカップそのまま借りてやってみましょうか?」
コーエンは小躍りした。
「おお、是非!」
しばし無言でコーヒーをすすると、ホジョウはマグカップを軽く水洗いして、水をたっぷり入れた。
「通路まで出ましょうか。」
コーエンもいそいそとついていく。
ホジョウはもう隠すつもりは無いらしい、ギャラリーが遠巻きに集まってくる。
「タネは水入りコップを持っている人間と襲い掛かる人間の実力差です。…水洗いしたので、すでに少し水がたれてますが、コーエン博士が実は何かスポーツを極めてらっしゃったとかじゃない限り、結構耐えられるんじゃないかなと思います。」
ホジョウは水のなみなみ入ったマグカップを片手に持ちながら、「どうぞ」とコーエンに言う。
コーエンは手始めにホジョウを手で押して水をこぼさせようとするが、触ることすら出来ない。
コーエンはすぐに息が上がり始めた。
「なぜだ?信じられない!?自分が実際にやっても信じられない!なぜそんなゆっくり動いて私を避けられる?」
「非科学的なことを言えば気を読んでいます。科学的なことを言えば、動作に先駆けた意識を読んでいます。人間、目薬をさすときはあらかじめ上を見たり、目薬の容器を手に取ったりしますね。」
「その通りだ。」
コーエンは肩で息をしながらホジョウの言わんとしている意味を察しようとホジョウの言動に集中している。
「でも、実際に意識が集中する場所は目薬をさす手と、眼球だったりするんです。でも、全身は伴って動いているんです。コーエン博士の体からは次になにをするのかという情報がダダ漏れなんです。だから、情報が漏れないタイプの動きには対処できませんよ。…せっかくギャラリーもいらっしゃるので、どなたかラグビーや格闘技の経験者はおられませんか?」
ギャラリーの中から「ボクシングを高校で」という声が挙がった。
コーエンが振り返ると、なかなかに精悍な女性だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
マグカップとボックス
おずおずと手を挙げた女性は人垣の中からホジョウの前に出てきた。
「これは私は中尉に普通に殴りかかっても良いのですか?」
「なかなかにお強そうですね…特に顔面は手加減してくださいね…素手ですし…」
女性は増援でやってきた連隊の人間の1人だ。
ホジョウはハドマンがギャラリーの中にいることは分かっていた。
そして、ハドマンに学んで欲しかったのだ。
恐らくハドマンは武器を抜くつもりは無かったと上官には報告しただろうが、あの時、ホジョウが捕らえた気は殺気だった。
あの程度のことで頭に血が上ってしまう中隊長では部下が可哀想だ。
ハドマンが半端な人間だということは十分に分かった。
ホジョウ自身が、未だに武器を抜かれそうになったぐらいで相手を怪我させてしまう半端な人間で、結果、丸っと三日間反省していたわけだ。
その結果が、このデモンストレーションだ。
強者として逃げないことを選んだのだ。
女性の階級章は曹長だ。
鋭いステップインから軽いコンビネーションを放ってきた。
ホジョウは大きく2歩3歩と後ろに下がってコンビネーションに付き合わない方針で対処した。
ただ、ホジョウは1回目の曹長のステップインは様子見だと確信していた。下がる人間より、前に出る人間の方が速い。
ホジョウは下がる速度にはそこそこ自信があるが、この曹長の本気のステップインは凌げないだろうと予測していた。
「おお!」
ホジョウの予想通り曹長の次のステップインはさらに深いものだった。
この速度に付き合うとコップの水がこぼれる。
ーやるなあ
そう考えつつも、これこそまさにコーエンに見せたかった結果だ。
ここからこの曹長は上下左右の3次元を目一杯使ったコンビネーションを放つのは間違いない。
それを最低限の動きで避けきらなければ、コップの水はこぼれる。
ホジョウは生真面目なので手は抜かない。
だから凌げるものなら最後まで頑張ってみるつもりだ。
ー左ジャブ…!1発…いや2発!追ってくる!
ホジョウは上体を大きく横に右に倒しながらかわす。
左に倒すとそのあと来るであろう右に対処できないと踏んだのだ。
ーよし!右ストレートは余裕だ!次は左!ボディかフックか!
ヤマを張りたいところだが、さっき空振りした右ストレートの風を切る音にホジョウの5感が震え上がっている。
クリーンヒットされたら怪我ではすまない。
「…!」
放たれたのはボディアッパーだった。
ー途中で変えてきたから、逆に読めた!でもやばかった!でも次は…!?
ホジョウはホジョウの右のアバラを打ち上げる用に放たれたボディーアッパーをよけるために大きくのけぞってしまった。しかも、マグカップを一緒にのけぞらせるとこぼれてしまうため、右手を目一杯前に伸ばして残した形だ。
要するにどういうことかと言うと、ホジョウの視界から曹長が完全に消えているのだ。
ー感じ取るしかない!!
全神経を集中して、曹長の次なる一手の気を感じ取ろうとする。
非科学的だろうがなんだろうが、どんな情報でもいい、五感を研ぎ澄ます意外でこの状況は打破できない。
「あ。」
パンチを食らったのはホジョウの右手だった。
ホジョウから見て右の方向へ殴られたマグカップがすっ飛んでいくのを感じた。
「そうか、マグカップが標的ですよね。」
右ストレートの風を切る音の凄まじさに圧倒されて、完全に自分が殴られるイメージがホジョウの意識を捕らえていた。
ホジョウはマグカップの水はこぼれると予想していたが、そこへ至る過程はホジョウの予想を上回った。
ホジョウはのけぞった上体を立て直すと、マグカップの返り血ならぬ帰り水がかかって曹長の褐色の肌の上で水滴が光っていた。
ホジョウはしばらくその水滴に見とれていたが、我に返ってコーエンの姿を探した。
「博士、分かりましたか?彼女ぐらい修練を積んでる動きだと、予備動作から攻撃が早すぎて、完全な対処ができないんです。あとは、ボクシングなどのコンビネーションは意識的に選んで打っている部分と、体に染み付いた動きが出てくる部分とが入り混じるので、やっぱり予備動作から読んでいるだけじゃ対処できないんです。気を読んでも追いつかないんですよ。」
コーエンは目の前の攻防があっという間のこと過ぎて頭が追いつかなかったが、ホジョウの上体がグネグネとすごい角度で動きながらパンチをかわす様子と、それに襲い掛かる曹長のパンチのあまりの鋭さにしばし言葉を失っていた。
見ていたほとんどの人間がそうだった。
「ホジョウ中尉、マグカップのハンデなしでもう少しよろしいですか?」
ホジョウが曹長のほうを向き直ると、闘争心に火がついたボクサーが立っていた。
「素手なんで、お互いに寸止めでもいけますかね?」
「やれると思います!」
ホジョウは「信用ならんな」と思いながらも、この女性ともう少しお付き合いしてみたい気持ちが勝っていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
北条流VSインターハイ
「曹長、お名前を伺ってもよろしいですかね?」
「タニア・ロボ。高校ではボクシング部でインターハイに出場しました。」
ホジョウは納得した。
「タロウ・ホウジョウです。部活は帰宅部でした。」
お互いの自己紹介が終わると、二人は距離を詰めた。
マグカップはホジョウの父が考えた「余興」であって、素人を達人が「いなす」遊びのようなものだ。
ホジョウにもタニアにもお互いの実力差は分かっている。
ホジョウの方が圧倒的に強い。
しかし、タニアは好奇心を止められなかった。
ホジョウもその好奇心を無視できなかった。
ホジョウは先ほどとはうって変わって、全くパンチをかわさなくなった。
タニアはホジョウに打つパンチを全て捌かれている。
ー回ってる洗濯機にパンチ打ってるみたい!
パンチを捌かれるたびにタニアの体勢が崩れる。
ホジョウは徐々に前に進み始めた。
「中尉、一発も攻撃してないのに曹長を押してるぞ!!」
「なんだアレ!スゲー!!」
ギャラリーが騒ぎ始めた。
ホジョウはそろそろ、タニアの背中に壁が近づいているのを見て、タニアが横に回りこむのを押さえ込むことにした。
タニアはホジョウを見て左へ回り込みたいのになぜか回れない。
ーパンチを捌かれながら、こんなところまでコントロールされる!?
タニアが驚いていると、ホジョウのプレッシャーが消えた。
ホジョウがパンチを捌かなくなった。
タニアが押し返し始めたが、今度は、ホジョウはタニアのパンチを全部上体をダッキングして避けはじめた。
タニアのパンチが空を切り続ける。
「軟体動物!?」
ホジョウはそんな声を聞きながら、木刀相手にこの練習をやらされていた日々を思い出した。
「そういえばこんなのあったな。」
タニアの拳がホジョウの顔面をとらえた。
右ストレートがホジョウの額のど真ん中をヒットしたのだ。
「え!?」
タニアは当てておいて驚いた。
ヒットした感覚がほぼ無いのだ。
ホジョウが伸びきった右ストレートにわざわざ額で当たりに行ったのだ。
パンチの威力を完全に殺して、サッカーボールをトラップするような曲芸だった。
タニアは気のせいかと考えてもう一度同じコンビネーションを出すと、やはり右ストレートだけホジョウの額で殺されている。
「ジャブは流石に出来ないです。ところでそろそろ、私も攻撃しますね。」
見ていた人間は全員その一言で思い出した。
ホジョウは攻撃をしてこなかったのだ。
完全な距離感、完全な防御、相手の逃げ道すら塞いだホジョウがここから攻撃するというのだ。
「お…お手柔らかにお願いします。」
タニアは圧倒的な実力差に恥らいすら覚えていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ほほう…
ホジョウはすり足で一気に距離を詰めた。
タニアのステップインも鋭かったが、ホジョウはやや沈み込みながら背筋をまっすぐ伸ばしたまま、一瞬で相手の眼前に肉薄する。
タニアの顔の10cm前にホジョウの顔が現れる。
ビビッてタニアが後ろへ下がろうとすると、ホジョウがタニアの、ズボンのヒザのところをつかんでいて、タニアが後ろに転びそうになる。
タニアが体勢を立て直したときには、ホジョウはタニアを中心に大きく回りこんでいるのでタニアの視界から消えている。
見失ったタニアがホジョウを探そうと振り向くと、後ろを向こうと振り向いてねじれた首と肩をホジョウががっちりと掴んでいた。
「確かこの状態からは、ボクシングには攻撃手段が無いですよね。」
「ひゃ…ひゃい!」
口元にホジョウの手のひらが当たっているのでタニアは上手く喋れない。
そのまま、ホジョウはタニアを地面に引き倒しながら、タニアの下あごを掴んだ。
「タニア曹長、実はこれで曹長は一回死んでいます。」
「ですよね…。」
ホジョウはタニアを引き起こして立たせると、次の攻撃へ移った。
タニアの腕を極めたまま、すたすたと歩いてタニアをギャラリーの人垣に押し込む。
「これ、本当は壁に押し付けるんですが、この状態で、眼、鼻っ柱、鼻の下、下あご、のど笛、心臓、みぞおちと順番に殴っていきます一応、秘伝なんですが別に隠しても誰も得しないので、『北条流八点ふさぎ』ですね。」
寸止めしながら人垣に解説する。
「一応、『〇年殺し』みたいな殺人技の大半は、現代の医学にかかったら治療されちゃうんですが、これは私の父が作った『一日殺し』ですね。実践ではこんなキレイには決まらないと思うんですが。」
タニアは何度も死んでいるはずなのに、ホジョウの技と寸止めがキレイすぎて妙な安心感に包まれながら殴りかかっていった。
ホジョウは斜め前に歩いてかわすと、タニアの膝ウラを手のひらで押してタニアの体勢を崩した。
タニアは思わぬタイミングで片膝をついた状態になって、急いで立ち上がろうとすると頭を押さえられて立てない。
「一旦ここでストップです。本当だったら、この立とうとした瞬間に…私がこう上体をぐっと捻って、こういうビンタを顔面に叩き込むんです。」
卓球のスマッシュのような動きをホジョウが見せた。
「これは確実に意識がトビます。運が悪いとアゴ外れます。人間、思わず立っちゃうので、その反射的な動きに隠れている一瞬の気の緩みを狙うんですね。」
一同、思わず「ほー」と声を揃えて感心した。
「そういえば、『ほー』で思い出しましたが、私がやってるようなこの歩き方、こういうの武道では全般的に歩法って言うんですが、こういうのをしっかり身に着けておくと、自分が正座している高さから、まっすぐ立ってる高さの間なら、いつでも力が発揮できる…踏ん張れる体勢が取れるので。タニア曹長が私の体制が低くて、顔も狙いにくいような状態でも、私のほうは一方的に強い打撃が打てる。こう掴んでも、強い力で引き倒せる。男女で力の強さが違う以前の話です。私は片膝ついてても立ってるときと同じだけ力が使える…って言うのを訓練しているので。」
「ホジョウ中尉、もしかしてそれはダジャレってヤツかね?」
ホスマン司令がダジャレに食いついた。
しばらくして、その日の北条流祭りはおひらきになった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
教訓
ホスマン司令がハドマン大尉とその上官である連隊長のリー大佐を呼びつけていた。
「司令室にだんだん印刷物がたまっていくのを何とかせにゃならん。秘書が欲しいんだが、送ってくれんのだよ。」
二人は呼ばれた趣旨が分からずに直立している。
「二人を呼んだのは、まず、セクハラやった酔っ払いは、あいつは送還するで良いね?」
「ハッ!」
ハドマンは右腕を肩から三角巾で吊った状態だ。
「ハドマン大尉。もはやさんざん聞かれたろうから、あの時、後ろ手に何しようとしたかは訊かないよ。十分痛い目見てるし。それより、今何か反省してることがあったら言ってみて。」
ハドマンは戸惑った。
ホスマンは司令の椅子にゆったりと腰掛けて急かす気はないらしい。
「まあ、お二人さん座って。」
ホスマンは最初、この連隊が配属されると聞いた段階で貧乏くじを引いたと考えていた。
理由は階級は同じ少将でもザビ家であるという理由でホスマンが頭が上がらないキシリア・ザビのほぼ直轄のような連隊だったからだ。
キャルフォルニアベースに赴任してきたときもキシリア少将の威光を傘に不遜な態度が見られたが、不祥事を起こしかけた上にコテンパンにやられて、すっかり毒気が抜けた。
ぶっちゃけ、ホスマンはいつでもハドマンが武器を抜こうとしたのをこの眼で見たと証言できる。
そしてそれは恐らく事実なので、そうなった場合、これは大変な不祥事なのでザビ家の人間にやや強く出られるようになる。
それはホスマンにとって非常に心地よいことだった。
「相手を見ずに、あのようなことをしてしまい…」
ハドマンのその言葉を聴いて上役のリーが何か言いたそうにしているのをホスマンは見逃さなかった。
「大佐、思っていることは言って頂いて結構だよ。」
リーはホスマンに軽く頭を下げると、ハドマンに怒声を浴びせた。
「相手に関わらずダメだ!特に中尉が武道の達人だったから、お前が怪我しただけで済んだんだぞ!お前が一方的に怪我させてた方だったときのことを考えてみろ!」
ハドマンは青菜に塩をかけたようにしょんぼりしている。
ホスマンはその様子を見ながら内心ほくそ笑んだ。
キャルフォルニアベースの最高権力者は名実ともに自分だけでいいのだ。
ホスマンは自分がこう考えるのは正しいと確信があった。
ホスマンは自分自身に虚栄心を満たしたいという欲望が人一倍備わっていることは人生の途中で重々承知していた。
巨大なキャルフォルニアベースの司令としての地位に高揚感を覚えているのは確かだ。
ただ同時に冷静な軍人としての目を失ったわけではない。
ことわざの「船頭多くして船、山に登る」は笑い事ではないのだ。
ザビ家の息女、キシリアの直属であれば傍若無人に振舞えると思っているヤンキーどもの鼻っ柱は早めに折っておかないと、有事の際に指揮系統で混乱が生じる。
ホスマンから見てもホジョウはいい仕事をした。
一応、怪我人は出たので、ホジョウの処分が何も無いと、まずいのは明らかなので72時間の禁固という処置は取ったが、ホジョウがあっさりと受け入れてくれたおかげで「ハドマンを軍法会議に送り出さない」というカードを得た。
ーホジョウ中尉には何かプレゼントでも用意したほうが良いな…
そんなことを考えながら上の空でいると、リー大佐がハドマンの説教をはじめていた。
「お前は学べ!今回の一件を教訓にしろ!」
ホスマンが口を挟んだ。
「教訓なんてものは無いよ。戦争なんだ。教訓よりは死が先にやってくる。あとは運が良いか悪いかだけだ。」
ホスマンはハドマンではなくリーを見てそう言った。
運よく基地内で収めたというプレッシャーだ。
「ハドマン大尉。幸運だったな。その幸運が続くことを祈っているよ。」
そう言うと、用事が終わったことを伝えて、二人を退出させた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
プレゼント
「今回の一件は中尉に泥をかぶらせてすまなかった!」
ホジョウがホスマンに呼び出されて開口一番謝られた。
「あ、いや、その件は私も…」
「いや、本件は真に私の身から出た錆だ。」
ホスマンの本心だった。
ホスマンはなぜ、今回の事件をホジョウの処罰で終わらせたのか、ホスマンの立場から真っ正直に話した。
「…そういうわけで、ジオンの地球での形勢が悪化している現状で連隊ごと責任を追及するわけには行かなかったんだよ。」
「まあ、分かってはおりましたが。」
ホジョウはそこは分かってはいた。
ただ、過去に試合で怪我をさせた記憶が蘇ってナイーブになっていたのだ。
そして、自分が過度にナイーブだったと言うことをホスマンの口調で悟った。
「あと、ハドマンはあいつはバカだな。」
ホスマンは真剣な顔でそう言った。
ホジョウはそれを聞いて吹き出した。
「そんな、ズバリ言ってあげなくとも。」
ホスマンは険しい表情を崩さずに首を横に振った。
「いやいや、中尉はまだ分かっておらん。ああいうのは周りを危険に巻き込むのだ。1人のバカのせいで同胞が大勢死ぬのも戦争だよ。リーは飼い犬にはしっかり首輪をつけといてもらわんと困る。私がなにが言いたいかと言うと『状況が逼迫しているのであんな連中でも手元においておかなければいけないが、想像をはるかに下回るポンコツを押し付けられてしまった。』ということだ。」
ホジョウはだんだんここ数日の胸のモヤつきが晴れてきた。
「少将がそこまで仰られる方だとは思っておりませんでした。」
「私を舐めてもらっては困る。今となっては大きな声では言えないが、私はジオン公国が出来る前から革命活動に参加していた人間だぞ?ホジョウ中尉を目の前に言うことでもないが、士官学校出のお坊ちゃま連中みたいに品は良くないんだよ。」
「あー、そう言われてみるとそうですね。」
ホジョウは「今となっては大きい声で言えない」に関してはダイクン派の人間だと思われるとジオン公国内では出世に響くからだと悟った。
ジオン公国民は右向け右で総じてザビ派でなければいけないのだ。
「中尉のおかげで連中は一気に大人しくなった。」
「みたいですね。それは私も感じました。」
ホスマンはそこまで話すと少し声のトーンを落とした。
「まあ、話は変わるが、中尉にはリー連隊がいなくなったあとに備えてキャルフォルニアベース防衛隊の組織作りをお願いしたい。厄介ごとを次々押し付けるようで忍びないが、是非頼む。」
ホジョウは無碍に断るつもりも無かったが、話が見えない。
「防衛隊はいるじゃないですか。」
「いや、キャルフォルニアベースが前線になったときを想定して、キャルフォルニアベースの運動不足のメカニックと設計屋連中に防衛訓練をするんだ。そして、普段は普段の仕事をしながら、有事の際に多少なりとも…例えば撤退まで持ちこたえる事が出来るようにしたい。補給部門監督と兼任で頼む。」
ホジョウはやっと合点がいった。
先日、陥落したオデッサ鉱山基地では脱出しようとした作業員が多数戦死したそうだ。
「分かりました。そういうことであれば、私の出来る範囲で。」
ホスマンは破顔して、デスクの引き出しから数枚の紙を出した。
「良かった良かった。これ取っといてくれ。」
ホジョウが受け取った中には「キャルフォルニアベース第2防衛中隊計画」が書かれた紙と「キャルフォルニアベース第2防衛中隊隊長に任命する。」と書かれた紙、そして「タロウ・ホジョウを大尉に任ずる。」と書かれた紙が入っていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
遠出
「よろしくお願いいたします、ホジョウ中隊長殿。」
「やめてくださいよ博士。」
第2防衛中隊は結局、キャルフォルニアベースの製造部門の全員のことだ。
全員が週に2時間の訓練に参加する。
コーエンも当然その中に入っているので、ジャージーに着替えて参加することになる。
ホジョウは士官学校でやった訓練をだいぶ割り引いて、指導することになっている。
参加者は一応全員が最低限の訓練は受けていることになっているが、突撃銃を持つのは数年ぶりと言う人間が大半だ。
逆に毎日、突撃銃の検査やメンテナンスをしている人間もいるわけだが、担いで行軍はなかなか無い。
「皆さん水分補給してください!寒くても脱水になると倒れますよ!」
11月末の青空の下、1kmのウォーキングだが、運動不足は深刻だった。
ホジョウはオデッサの被害の詳細は分かっていないが、この様子を見ていると、確かに退却戦も容易ではないだろう。
「地球もそこそこ旗色が悪いんで、ここでしっかりやっておかないと元気にコロニーに帰れませんよ!」
ホジョウも参加者も退却の訓練はなかなか滑稽だなと思ってはいたが、オデッサのニュースを聞いて何もしないわけにもいかない。
「少し休憩したら今度は帰り道です!1km頑張って歩きますよー!」
ホジョウは一同にそう声をかけると、砂地の小高い丘から晴れやかな気持ちで基地と海を眺めた。
突撃銃こそ担いでいるが、ピクニックは気持ちいい。
「司令も誘えばよかったのに。」
誰かがそう言っている。
地球の風も悪くないものだ。
「あれ?通信?」
何人かの端末がメール通知で一斉に鳴った。
ホジョウにいたっては通話着信だ。
「はい、ホジョウ。…了解!」
ホジョウは跳ね上がる用に立つと号令をかけた。
「リー連隊に出撃要請です目標は南米大陸。各自、駆け足できる人は駆け足で基地へ帰還!帰還次第、出撃準備時の配備についてください!…ええと、ミナミさんは、ゆっくりでいいので、帰り道の置いてけぼりが出ないように目を配りながら帰ってきてください。」
「了解しました!」
ホジョウは砂煙を上げながら斜面を下ると端末で自分の部署につないだ。
「ホジョウだ!」
リー連隊はこの前やらかしたばかりだが、ここで自分達がやらかすわけには行かない。
みると、発着場にはガウが引き出されている。
「大尉!」
ホジョウは基地から駆けつけたバイクの後ろにしがみついた。
ホジョウがしがみついたせいで重心が後ろに偏ったため、発進時にややウイリーした。
一瞬コケるか?と思ったが運転者の技術が確かだったようだ。
バイクを出してくれたのは確か事務方の人間で、バイクも私物だったように思う。
人には隠れた才能があるものだ。
ピクニック先も基地の中なのだが、かっ飛ばすバイクによって見る見る基地の建物は近づいてきて、あまりのスピードに今度はぶつかるのではないかと不安になったが、バイクはホジョウを乗せたまま格納庫の出入り口をそのまま通過して、建物内を走り、ホジョウのいつもの持ち場前にぴたりと止まった。
「…ありがとうございます。」
短い距離でもやや酔いかけたホジョウだったが、こみ上げてくる気持ちを押し殺して、状況の確認を始めた。
「ホジョウ中尉…失礼しました大尉!エンジンボートが見当たりません!」
「階級なんてどうでもいいよ!エンジンボートは燃料タンクの補修班が持っていってエアー漏れの点検してくれてるはずだろ?」
「そうでした!失礼しました!」
「走れ!」
ホジョウは出撃命令の指令書に目を通して標的はジャブローだと確信していた。
恐らく連邦軍の本店ジャブロー基地の位置を特定したのだ。
「エイドリアン、ガウの積荷に余裕は出来そうか?」
「これぐらいなら。」
エイドリアンがガウ輸送爆撃機の倉庫内にモノをパンパンに詰め込む計画書を見せてきた。
「よし、余ってる有線魚雷と水中爆破装置を全部突っ込んどけ。」
そこへ連隊長のリーが小走りにやってきた。
「ホジョウ大尉、ランドムーバーに予備はあるか?」
「いくつですか?」
リーはメンテナンスが終わっていないランドムーバーは、可能ならキャルフォルニアベースの予備のモノと交換していきたいという。
「了解です。フリック、リー大佐にランドムーバーを出すんだ。」
ホジョウは鍵の保管ケースから保管庫の鍵を一本取り出すと、フリックと呼ばれた部下に投げてよこした。
ガウの出撃要請の準備をしながら時計を確認するともうすぐ15時だ。
ホジョウは自分のデスクの足元から段ボール箱を引きずり出すと、中からチューブのエナジージェリーを取り出した。
「全員、カロリーと水分を摂取してください!ミスが減ります!」
そういいながら箱を小脇に抱えると、小走りに配って回る。
ホジョウが柱の角に人影を見つけて立ち止まると、それは三角巾で腕を吊ったハドマンだった。
「これ、お持ちください。」
「…貰います。…あと、対物ライフルの弾丸を」
ホジョウは頷くと、奥のほうでウロウロしている下士官を指差した。
「あの、スキンヘッドに言えば揃います!」
立ち去るホジョウは背中に「すまない!」というハドマンの声を聞いた気がした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
1130
ガウの機影は真っ直ぐ南の空の端へ消えていった。
ホジョウが束ねるキャルフォルニアベースの補給班一同は深呼吸して肺から疲れを吐き出した。
「あと2機、ジャブロー攻撃の中継地点として補給にきます!準備を!」
一息つく間もなくホジョウがクルーを追い立てる
やはりガウ型の補給爆撃機がキャルフォルニアベースに着陸する。
クルー達がガウの大きく開いたメインハッチに物資を積んだリフトで殺到する。
ホジョウがクルー達に檄を飛ばしていると、ホスマン司令と1kmの道のりをやっと帰ってきたコーエン博士が基地の給水塔に登っているのが見える。
ホジョウは二人が何の話をしているのかすぐに察した。
ガウ型は乗艦人数も多いため、艦内で使う生活用水の補給も多いのだ。
普段全く意識しない基地の貯水タンクの残量を調べているのだ。
ホジョウの端末が鳴る。
「ホジョウです!水ですよね!?今、司令と博士が上がって行かれるのを見ておりました!」
ホスマン曰く、もう1艦に水を補給するほどはないという。
「鹵獲した連邦軍の車両の中に給水車があったはずです!あいつなら海水を真水に変えれるはずです!」
ホジョウは通話を切ると、生産部門のほうへ顔を出して手が空いている人間を探しはじめた。
「誰か連邦のガソリン車を動かせる方いませんか!?」
運よく年配の工員の1人が地球でライセンスを持っていたらしい。
基地内で運転免許なぞこの際どうでも良いのだが、一台しかない貴重な給水車を壊すわけには行かない。
スクラップとゴミの中間みたいなモノが置いてある倉庫の給水車にたどり着いた。
「大尉、多分かからんよ?エンジン。」
イグニションキーを回してもうんともすんとも言わない。
「ちょっと、これ押して。」
「『押す』?」
年配の工員が運転席に乗ったまま頷いた。
「エンジンスタートするための電圧が足りないから、無理矢理人力で車を押してエンジンかけるの。」
「なんですかそれ!?」
ホジョウは言われるままに大きな給水車を押した。
「こいつ、動きますね!?」
「車輪ついてんだから当たり前でしょ?…うーん、プシュっともいわねーな。」
何度もイグニションキーを回すがやはりうんともすんとも言わない。
工員はそう言うと自分の端末で誰かに通話をかけている。
「多分24V直流。いつでもいける用に順備しておいて。ワニ口のでかいヤツつけて。そう。」
そう言って通話を切った。
「これ重いですね!」
ホジョウはあっという間に汗だくになった。
「大尉すまねーな。誰かがハンドル持ってないと。このまま工作できるところまで持ってきましょう。…押すの代わりますか?」
「私、押します!一向に構いませんよ!」
工場ラインの端にある検査部棟が近づくと技術畑の人間がバラバラとやってきた。
そして、1人で給水車を押していたホジョウを助け始めた。
「あー軽い!みんなで押すと軽い!!」
ホジョウが額に玉のような汗をかきながら、しみじみと言った。
自然と笑い声も出る。
結局、ガソリンエンジンもバッテリーも全部バカになっていたらしい。
直接、工場の電源から動力を引っ張って動かした。
努力が功を奏して、3機目のガウにもたっぷり水を積むことが出来た。
3機目が飛び立った頃には14時を回っていた。
そして、その日の夜、ジャブロー攻略作戦が失敗に終わったことが報された。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
HLV確保命令
ホスマンが司令室の窓から基地を見ている。
基地の途切れた端には海も見える。
呼び出されたホジョウにホスマンはしばらく口を開かなかった。
「ホジョウ大尉、責任は私が取る。HLVの打ち上げはしばらく控えたまえ。」
「どういうことですか?」
キャルフォルニアベースからは生産された物資がHLVというロケットで宇宙のコロニーに運び上げられている。
逆に物資はこちらに向って送り出されてもいる。
そのHLVを地球から宇宙へ返すなと言う話だ。
「発着システムの不具合だということにして、HLVを貯めておくんだ。」
ホジョウはホスマンがキャルフォルニアベースから撤退する準備をする話をしているんだと気づいた。
「オデッサでは脱出するHLVが多数落とされている。君も知ってのとおりオデッサ同様、キャルフォルニアベースにも半分民間人のような人間が多数勤務している。彼らを無事に宇宙(そら)へ返さねばならん。その際は、極力、彼らがしばらく路頭に迷わないだけの糧食と生活物資も携行させるのが望ましい。」
「分かりました。HLVの中に積んでおきます。」
ホジョウはそれだけ言うと敬礼して司令室を出ようとした。
「まてまて、まだある。」
「あ、失礼しました。」
ホスマンは真面目腐った顔で話を続けた。
「撤退のタイミングだが、本国からの撤退命令を待つ。」
「…当然そうでしょうね。」
ホスマンはギロリとホジョウを睨み付けた。
「撤退命令が出た1秒後に全HLV離陸完了ぐらいの気持ちでやりたい!」
「無茶ですよ!」
ホジョウは反射的にそう返答したが、ホスマンはまったく冗談気の無い真剣な顔をしている。
「私の勘を信じろ!不肖ホスマン!ダイクン派きっての小心者と呼ばれた臆病風は衰えておらんわ!」
「初めて聞きました。」
「過去にこのホスマンを腰抜け、臆病者、小心者と呼んだ連中は今やほとんど生きておらん。年齢的にも戦地に私が立つのはこれが最後になるだろう。だが、私の本領こそ負け戦!逃げ戦だ!その手腕だけでギリッギリ『将』に引っかかった、この私の!人生の締めくくり!一世一代の負け戦だ!」
ホジョウはずっとこのホスマンという軍人の人となりに違和感を感じていたが、違和感の正体が理解できた気がした。
確かに、ホスマン少将の今まで参加した戦いはことごとく負けるべくして負けている。
そのため、ホスマン自身が敗戦の責任を負わされるといった流れは、これまでなかったように記憶している。
「少将は撤退戦のエキスパートだったんですね…」
「知らなかったのか?記録を見れば分かるだろう?」
まさかホジョウも負け戦の被害で軍人の能力を測るなぞ考えたことも無かったので、そんなところに着眼して記録は見ていない。
「…不勉強でした。まったくの盲点でした。」
ホジョウは敬礼して司令室を出るとキャルフォルニアベースに詰めている全人員の人数を把握しないといけないなと思い巡らせた。
そう思って歩いていると正面から白衣の集団がやってきて、すれ違うと司令室に入っていった。
無論、コーエンも混じっている。
やはり研究者連中にも撤退の話をするのだろう。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
嗚呼、里帰りの火蓋は切って落とされた
撤退準備命令が下されたその日の夜、ホスマンから再度呼び出された。
「ホジョウ大尉、極秘任務がある。」
内容はホジョウはHLVでの撤退せずに、海路でキャルフォルニアベースを脱出すると言うものだった。
「コーエン博士が持っている研究資料は、連邦に奪取される危険よりも、本国に届かないことの方がヤバい類のモノらしい。」
「ハッ!」
そう言うとホスマンは自分の上着をめくって見せた。
胸ポケットが開かないように縫い付けられている。
「今回は私も運ぶ。だが、万が一、HLVに載せたデータが全て届かなかった時のために、別ルートでも運ぶそうだ。当然だが私も中身は知らない。」
「はあ。」
ホジョウはやや疑問が残る話だなとは思ったが、よほど特殊なデータなんだろうと考えた。
「ということで脱出命令が出た折には、海路でキャルフォルニアベースを脱出し、コーエン博士の護衛をお願いしたい。極秘だぞ。他の人間に悟られるな。」
「了解しました!…が船出すのに悟られるなも難しくないですか?」
「そこを頑張るのが社会人じゃないか。」
「はあ。」
ホジョウはやはりしっくり来ない話だなとは思いながらも、司令室を辞して、自分の持ち場に戻ることにした。
仕事は山積みなのだ。
「…あと、ついでに教えておくけど、キャルフォルニアベースには連邦のスパイが紛れ込んでるよ。」
「え!?本当ですか!?」
「…まあ、ここは地球だから、そう不思議な話ではないな。大事な大事なお客さんだよ。」
「…お客さん?」
「スパイに掴ませる情報は、これは慎重にやらないといかん。あと、武器が手に入るような部署にも配属しちゃいかん。外部と接触するときには監視もつけなければならない。スパイは大事に接待してこそのスパイだな。だから、検査部にいるシモジマさんは撤退する船の割り当てを私の船にしておいてくれ。接待しないといかんから。」
「了解しました!」
シモジマさんといえば、確かキャルフォルニアベースの衣類製造のラインで検品をしている中年の女性職員だ。
「すいません、後学のために、どんなご接待をされたのですか?」
ホスマンは得意そうに語り始めた。
「まず、シモジマ女史はキャルフォルニアベースのメインサーバーにアクセスして情報を抜こうとしておられたので、シモジマさん専用のデータ抜けるサーバーを作ったんだな。」
「はあ。」
「そして、兵器部門の中にシモジマに情報をリークする専門の情報員を配備して、シモジマさんとの世間話を率先してさせたのだ。」
「はあ。」
キャルフォルニアベースでは軍事情報の漏洩を防ぐために各部門での情報の共有が制限されている。
あまり親しく世間話などしていると目をつけられるが、リクリエーションなどが全く無いわけでもない。
「あとは、シモジマさんが基地を離れるタイミングでは監視をつけたのだよ。」
「どうやってですか?基地周辺隠れる場所なんてありませんよ?」
「ナイショ。」
ホジョウはキツネに鼻をつままれたような気持ちで司令室をあとにすると、残務に取り掛かった。
翌日にはHLVの水平検出装置の一斉点検のためHLVは着陸は出来るが、点検が終わるまで発射はできないとおふれが出ていた。
ホジョウは撤退する際の乗員の割り振り表を作成しながら、物資の積み込みをしながら数日、とうとうクリスマスツリーが基地内に飾られた。
一層冷え込んだ翌朝、窓の外の様子がいつもと違う。
見るとキャルフォルニアには珍しい雪が降り始めた。
「おー!」
話には聞いていたが地球から初めて見た天然の雪だ。
「こんな風にふるのか!」
どこからか誰かの声が聞こえた。
誰も彼もが屋内から飛び出して、キャルフォルニアベースに降る雪を眺めている。
宇宙から地球を見ると、北極や南極に日が当たっているときは白く見える氷の世界が、今、目の前にあるとスペースノイドたちが錯覚するのも無理はない。
「これが積もると真っ白になるんだろうなあ。」
そこへ館内放送が流れた。
「おはようございますホスマンです。思いがけない雪の美しさに私も驚いております。ジオン公国の為に、日夜、遠く離れたキャルフォルニアベースで働いてくださっておられる諸君、ご存じの通りクリスマスが近づいております。是非、今年のクリスマスはご自宅で過ごしていただきたい。そのため、予てから計画しておりましたキャルフォルニアベース、里帰り作戦を開始します。」
ホジョウは「とうとう来たか」と緊張した。
各部門長が慌しく動き始める。
ホジョウはこの段階で海上脱出になることが分かっていたので、補給部門はホジョウの部下たちが撤退の指揮を執ることになっている。
「え?どういうこと?撤退?」
基地にいる人間たちも流石に状況が把握できたようだ。
発着ポートが慌しくなる。
「空けろ!!みんなここ空けろ!!ガウ級が降りてくる!!」
ジャブローを命からがら切り抜けたガウ級輸送爆撃機が1機だけ戻ってくるらしい。
「ガウは自力で宇宙(そら)へ還れないのか!?」
「無理だそうです。被害が大きいらしく。」
ホジョウはその話を無意識に盗み聞きしながら、管制室へ走った。
「ガウで戻ってこれるのは何名だ!?」
管制室に飛び込んだホジョウの声を聞いて、管制官がガウへ通信で呼びかけた。
「聞こえるか!何名乗っている!?」
下士官の一人が気を使ってメモを取ろうとしているが、ホジョウは「すまない、よこせ」といってメモをふんだくった。
管制官のヘッドホンに外から耳を当てて数字を聞き取ってメモする。
「けが人もいるのか…ちょっと館内放送を使わせてくれ。」
管制室に備え付けの緊急放送用のマイクをふんだくるとホジョウは医療班を発着デッキに集結させるように指示した。
「あと、エイドリアンも発着デッキで待機しろ!今すぐだ!」
ホジョウは管制室の面々に「キミらもこれが終わったらHLVへ向え」と声をかけると、管制室を飛び出した。
発着デッキはガウの受け入れの為に一定のスペースが空けられているが、多数のHLVがエンジンに火を入れてアイドリングしている。
「ホジョウ大尉!」
部下のエイドリアンとホジョウはほぼ同時に発着デッキにたどり着いた。
「今から来るガウにジャブローから逃げ延びた連中が乗っている、これがその人数だ。脱出用のHLVは足りるか!?」
「今計算しますが少しだけ余剰があります。最近、HLVは点検で宇宙(そら)へ返せていなかったので。」
「ホスマン少将…」
ホジョウは基地の建屋の司令室の窓を見上げた。
ホスマンはこうなることは読んでいなかっただろう。
多分、カンだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
臆病風の運ぶ幸運
司令!雪降ってるので滑りますよ!」
駆け寄ったホスマンにホジョウが叫んだ。
「艦内放送、聞いたよ。ホジョウ大尉、独断で勝手なことをされては困るよ。作戦が成功した暁には褒賞がでるように言っておくから覚悟したまえ。」
「少将、お気持ちはありがたいのですが今はウィットはよしましょう。どうもHLVが足りないようです。」
「うむ、事情は分かっておる。」
そこへ医療班も駆けつけた。
「司令、大気圏脱出に耐えられない怪我人には我々が付き添って基地に残ります。」
「しかし…」
ホスマンは「しかし」と言って言葉を吞み込んだ。
「分かった、撤退命令を出した直後に連邦に投降者がいる旨を私から伝える。」
発着デッキにけたたましくサイレンが鳴った。
「ガウ来ます!」
風が強くなって横殴りになった雪の中、ガウが垂直に降りてきた。
「メインハッチはないのか!?」
ガウのご自慢の大型ハッチが消し飛んでいる。開けっ放しで南米から飛んできたのだ。
バッグと担架を小脇に抱えた医療班がガウの中に走りこんでいく。
「動けるものは、あちらで背嚢を受け取って!レーションが入れてある!ああ!クソ!!雪で見えない!!」
デッキはますます視界が悪くなってきた。
そこへ館内放送が鳴り響く。
「キャルフォルニアベース全職員に告ぐ。撤退命令が発令された。全員速やかに脱出すべし!くりかえす…」
珍しくホスマンが大声を出しているのも聞こえてきた。
「エイドリアン君!各HLVに乗員の修正リストは配り終えたかね!?」
「配り終わりました!」
「各HLVは新しいリストの乗員を収容次第、速やかに離陸しろォ!」
混乱する発着デッキに横殴りに雪が降る。
「生まれて初めて見る積雪がこのタイミングかよ!」
聞き覚えのある声だ。
「ハドマン!生きてたのか!」
ホジョウはそう言うとハドマンに脱出者用のバッグを渡して、離陸前のHLVを指差した。
「アイツだ!アレに乗って宇宙(そら)へ帰れ!」
「お…おう!」
ハドマンはぎこちなく敬礼すると指差されたHLVへ走っていった。
HLVが次々と轟音を上げて離陸する。
「ホジョウ大尉!ご武運を!」
「司令も!」
ホスマンも雪で真っ白くなった空へ消えていった。
これでキャルフォルニアベースのHLVは全て飛び立った。
残されたのは半壊したガウと、ホジョウを乗せて脱出するボートと、医療班と怪我人、そして白旗の上がったキャルフォルニアベースだ。
「医療班と怪我人だ!」
ホジョウも早く基地を離れないといけないのは分かっているが、流石に怪我人の様子ぐらいは見ておかないと寝覚めが悪い。
キャルフォルニアベースの医務室に駆け足で向う。
「脱出完了しました。」
医療班の人間も全員が居残ったわけではない。
大半は脱出している。
「ホスマン司令が脱出前に基地からの撤退と怪我人についてのハナシを連邦とつけてくれたよ。我々、医師と看護師も、憲章で保護されると確約が取れているらしい。」
ホジョウが見ると3名ほどの重傷者が酸素吸入器を着けられた状態で寝かされている。
確かにこの怪我で離陸には耐えられないだろう。
「ホジョウ中尉、お久しぶりです。」
声をかけてきたのは学生ボクシング出身者のタニア・ロボ曹長だった。
「良くぞご無事で…脱出は?」
「怪我人の介抱でバタバタしてたら乗りそこねました。」
まあ、無理もないだろう。
あの吹雪の中でミスなく仕事しろと言うのも酷な話だ。
「で、連れてきたとそういうわけか。」
「HLV以外にも脱出方法はありますので。」
「…まあ、この際仕方がない乗りたまえ。」
横風がやんで晴れ間が見える頃、コーエンの待つクルーザーにホジョウ大尉とロボ曹長はやっと乗り込んだ。
この時点で、捕虜7名、犠牲者0名、キャルフォルニアベースの無血陥落が確定した。
まさにホスマン少将、一世一代の負け戦だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
孤島のゾンビ
「数日前まで南米のジャングルで戦争していたなんてウソみたいですね。」
太平洋上を軽快に滑るクルーザーでタニアはすっかり寛いでいた。
「戦争はそもそも非現実的なものだよ、ロボ曹長。」
コーエンはひたすら端末で何かの計算をしている。
「コーエン博士、これどこを目指してるんですか?」
「島だよ。名も無き島だ。」
二日ほど夕日を追いかけると、確かに島が見えてきた。
「見えたな。」
さらに島に近づくと、かなり遠浅になっているらしく、適当なところでクルーザーの錨を降ろすと、コーエンはエンジンつきのゴムボートを出した。
「この辺はサメが出る。気をつけたまえ。」
コーエンの操縦するボートでさらに島に近づく。
コーエンが島に向って大声で呼びかけた。
「おーい!ゴンザレス博士!来たぞお!!」
「ゴンザレス博士ェ!?」
ホジョウの声が裏返った。
「…ゴンザレス博士ってどなたですか?」
タニアが至極まっとうな質問をホジョウにした。
「…事故で死んだはずの研究者。」
浅瀬を走るボートの向う先には確かにゴンザレスが白地に赤の花柄のアロハシャツで飛び跳ねている。
「えらい別嬪さんも連れてきたのう?」
「そこらへんの事情はあとから話すよ。とりあえず、計画は順調かな?」
ホジョウはゴンザレスとコーエンの後姿を見ながらため息をついた。
「なんか色々複雑そうですね…」
タニアは少し気を使ってそう言った。
「実は私も何が何だか分かっていないんだ。」
程無くシーフードが焼ける良い匂いがしはじめた。
夕食はゴンザレスが腕によりをかけたバーベキューのようだ。
コーエンは焼けたイカをかじりながらビールを飲みながらタニアが同行した経緯をゴンザレスに話した。
「次は私が訊く番ですよ。なぜ、ゴンザレス博士が生きておられるのかご説明をお願いします。」
「ワシが生きとったらまずいのかな?」
「そういうことを言っているわけではありません!」
コーエンが促されて話し始めた。
「まあ、作戦の一環だ。廃棄したはずゾック初号機が残してあったのはホジョウ君も知っての通りだが、あいつは今この近くにある。」
「へ?爆発で吹っ飛んだんじゃないんですか?」
ゴンザレスがバーベキューの焼けた炭をかき混ぜながら答えた。
「この島の東側の海中に沈めて隠してあるよ。」
「他にもまだゾックがあるんですか?」
タニアが口を挟んだ。
タニアの部隊はマッドアングラー隊が持っていったゾックを見ていてもおかしくない。
「ロボ曹長が見たやつよりもデカイ実験機があるんだ。それが海中に隠してあるんだってさ。」
「へー…」
ふいにパチッとイカの弾ける音がして、全員がビクついた。
さっきからこのイカが焼けて飛び散る汁で熱い思いをしているのだ。
「肝心なことを訊いておりませんが、ゾックをここに隠して、ゴンザレス博士を死んだことにして、お二人は一体、何をされるおつもりですか?」
「お嬢ちゃん、これもう焼けて食べれるぞ?」
「焦げてる…」
「焦げてないところだけ食べなさい。」
「すいません、1回焼きイカのハナシ止めてもらっていいですか?」
コーエンがため息をついて立ち上がった。
そして深々と頭を下げる。
「すまん!大尉!」
「『すまん』の理由が分からないですよ。せめて理由を説明してから頭下げてくださいよ。」
「我々が作っていたのは水中作戦用のモビルスーツではない。宙域で運用するためのモビルアーマーだ。」
ホジョウは無言でそう話すコーエンを見ている。
「ブリティッシュ作戦の後にジオン公国軍内部の主に技術研究者の間で極秘の計画が持ち上がった。言ってみれば秘密結社のようなものだ。我々はそのメンバーだ。」
「それは…ジオンの上の人間は知ってるんですか?」
コーエンは目を細めた。
「ジオンの上層部にも我々のメンバーはいるが、ジオン本体は感知していない。」
「ドズル閣下も?」
「ドズル閣下は気づいてはおられるかもしれんが、大型モビルアーマーの研究データを我々が提供しているので、とくにお咎めは受けていない。」
ホジョウは聞き難い事を直球でぶつけることにした。
「それ、私に話して大丈夫なんですか?」
「私とゴンザレスの老いぼれ二人でホジョウ大尉とロボ曹長を暗殺できると思うかね?…マシンガンを持っていても勝てないだろうな。」
ゴンザレスが愉快そうに笑いながら頷いている。
「だから、ここからは、お二方の選択じゃよ。計画を聞いて我々を手伝うか、聞かなかったことにしてクルーザーに乗ってこの島を出るか。船には燃料も食料も十分にある。民間人に紛れて普通に帰れるじゃろう。」
ゴンザレスの提案にホジョウは呆れ顔でため息をついた。
「計画は聞かせるんですね?」
「聞きたい!」
タニアは目を輝かせていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
好奇心
「聞きたい!」
「何で二回言ったんですかロボ曹長?」
ホジョウが思わず突っ込んだが誰も返答はしないようだ。
「ブリティッシュ作戦で落とされたサイド2、8バンチコロニーがシドニーを壊滅させ、オーストラリア大陸の16%を壊滅させたことは、当然知っているものと思う。」
ホジョウとタニアの二人は頷いた。
コーエンが説明を続ける。
「8バンチコロニーの破片は地球各地に甚大な被害をもたらした。しかし、それとは別に見えない被害ももたらしている。地球の公転軌道にわずかにズレが生じている。これは太陽系が持っている自己修復力によって安定し、さほど影響は与えないと考えられているが…」
「考えられているが、地球ではなく影響があるのは宇宙(そら)じゃ。我々の居住する宇宙じゃよ。」
コーエンの話をゴンザレスが引き継いだ
「宇宙?」
ゴンザレスが頷いた。
「地球のわずかな変化に過敏に反応したのは地球の周りを漂うデブリ帯じゃった。デブリ帯として知られておった地球の重力圏には、宇宙世紀以前からのゴミが詰まっておるのは知っての通りじゃ。そのゴミが移動を始めておる。元々、宇宙世紀以前には宇宙で出たゴミは地球の大気圏に落として燃やすか、もっと高度の高い『墓場軌道』へ持ち上げるかどちらかの方法で処理されておった。しかし、現在『デブリ帯』として知られておる軌道は、有用だった衛星軌道でゴミが増えすぎたためにどうにもならなくなり、開発が放棄された軌道じゃ。歴史の教科書にも乗っておる例のケスラーシンドロームが起きたんじゃな。そのどうにもならない軌道の高密度のデブリが拡散しつつある。地球のわずかな挙動の変化に反応したんじゃ。」
ホジョウは色々考えをめぐらせながら、その話を聞いていた。
「地球では流星が観測される頻度が高くなっている。一般にはジオンと連邦の戦争で出た新たなデブリが地球の大気圏に落ちて燃え尽きているものだと認識されている。確かにそうした新たなデブリも多いが、拡散を始めたデブリ帯のゴミも重力に引っ張られて落ち始めているのだ。」
コーエンはそう語りながら夜空を見上げた。満天の星空に幾条もの流れては消える軌道が見える。
「ああやって、大気圏に落ちて燃え尽きる分には構わんが…今回、我々がシュミレートした結果、今回のブリティッシュ計画の余波で拡散したスペースデブリは再び集束して以前のデブリ帯とわずかに外れた軌道で安定する。…と私たちは考えている。」
「しかし、次、コロニー落しがあった折には、分からんぞ。」
ゴンザレスが珍しく険しい表情で言った。
コーエンが自分の端末を取り出して、動画を再生して二人に見せた。
「ブリティッシュ作戦は連邦の核弾頭が落下する8バンチコロニーを半壊させたことで完全な成功には至らなかったが、もし仮に成功していた場合の、地球の自転速度の変化、公転軌道の変化、さらにデブリ帯に与える影響のシュミレートを可視化した動画だ。」
二人はしばらく無言で動画に見入った。
「ウソでしょ!?」
「これ本当ですか!?」
デブリ帯は拡散した結果、長い時間をかけて拡散しながらも月面とサイド3、サイド5に達している。
「当然、スペースコロニーは接近してくる浮遊物をビーム照射で迎撃する機構を持っている。しかし、短期間に迎撃できる飛翔物の数は当然限られる。このデブリ帯の大移動はその迎撃できる許容量を超える。いわゆる天然の飽和攻撃だ。これによって、途中で破壊されたスペースコロニーの破片も含めたシュミレートも実行しようと考えたが、残念ながら今の我々が持ちうる電算設備ではそのシュミレートは不可能だった。ただ、間違いなく言えることは、元のシュミレートより『マシ』になることは無いだろう。」
コーエンはそう言いながら端末をしまった。
「信じるかどうかはキミ達次第だが、私たちはこのシュミレーションを色々な要素を足して何度も繰り返した。微妙な違いはあれど、大筋のところでマシな結果は出なかったよ。」
ホジョウはせわしなく手を開いたり閉じたりして、しばらくは何かを考えていた。
そして、口を開いた。
「博士達は何をしようと考えてらっっしゃるんですか?」
「次のコロニー落しを阻止するんだ。それ以外に何がある。」
コーエンは即答した。
「どうやって?」
タニアの質問にゴンザレスが答えた。
「それを可能にするのがゾックじゃ。ゾック・ゼロがそれを可能にするのじゃ。」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
Z計画の正体
「ゾックの配備初号機よりも前に作られたゾックだからゾック・ゼロと我々は呼んでいる。」
「なんかその名前、超カッコ良くないですか?」
タニアに褒められて、ゴンザレスは少し嬉しそうだ。
コーエンは少し得意そうだ。
「すいません、なぜ、ゾックがコロニー落しを阻止できるんですか?」
コーエンは小枝を拾うとバーベキューの火で照らされた砂地に図を描き始めた。
「それを理解するためには幾つかの説明が必要だ。まずコロニーの基本構造をおさらいしよう。シリンダー型コロニーは人口重力を生み出すために円筒形をしていて、ちょうどラップの芯のような形の内側に居住区がある。だから上を見上げると、別の居住区が天井に逆さに貼り付いている用に見える。これが我々スペースノイドにとっての原風景だ。このシリンダー型コロニーにこのように切れ目を入れられれば…」
コーエンは円筒を、ちょうどバナナの皮をむくように切れ目を入れた図を描いた。
「大気圏突入時に、空気抵抗でこのように開く。」
そう説明しながらコーエンは色紙で作った七夕飾りの要領で円筒を放射状に開いた図を描いていく。
「そして、この状態になると、コロニーは空気抵抗によって地球外へ弾き飛ばされる。」
その概念はホジョウも学んで知っている。
地球の大気圏は気難しく、迂闊な角度で侵入しようとすると抵抗が強すぎてはじき出されてしまうのだ。
ちょうど「水きり遊び」の平たい石のように。
「その切れ目をゾックが入れられる?…無茶じゃないですか?」
「出来る。ゾック・ゼロの8門のメガ粒子砲なら可能じゃ。そういう風に作った。」
ホジョウは食い下がろうとして、コーエンの持つ小枝を奪って、お絵かきに参加した。
「でもそんな円筒をキレイにタテに、放射状に割ろうと思ったら…こういう風に…」
ホジョウはそう言いながら、とうとう理解が追いつき始めていた。
「コロニーの落下する先端をぶち破って、コロニーの中を飛びながら…メガ粒子砲で内側から、コロニーを貫通するように…」
「理解できたようだな。私のお気に入りの小枝を返したまえ。」
コーエンは小枝を取り戻すと、足の裏で落書きを消して、再度円筒形を書いた。
「コロニーはある程度の角度をつけなければ、そのままでも大気圏にはじかれる。なので、シリンダー型の両端のいずれかから大気圏に突入する必要がある。その先端部分を、ぶち破って…」
コーエンが描いた図では地球に落ちる先端をぶち破ったゾックが円筒のど真ん中を飛翔しながら、反対側に貫通して抜ける様子が描かれている。
「これで、コロニーは大気圏で花のように開く。ブリティッシュ作戦でコロニーを迎撃した核ミサイルは、あくまでも爆発した中心から球状に広がっていく爆発しかしない。これはどんな弾頭でも同じことだ。中心から外へ爆発するのだ。それも、コロニーの硬い外壁を外から叩く。結果、8バンチコロニーは中ほどで折れたような形になり、先端部分は巨大な質量を保ったままシドニーへ突っ込み、大被害をもたらした。旧式の球状のコロニーならまだしも、円筒形のシリンダー型の破壊には爆発は向かないのだ。現に、これまで様々なコロニーが爆発の直撃を受けて破壊されているが、円筒形はほぼ保ったままだ。青竹をナタで割るように破壊するのがシリンダー型コロニーの完全破壊には望ましいのだよ。」
タニアはコーエンとホジョウの顔を見比べている。
「コーエン博士とゴンザレス博士は、そのためにゾックを作ったのですか。」
「無論そうだ。南極条約でジオンは大質量兵器の使用を制限されているが、オデッサでマ・クベ中将が核弾頭を発射したと報告がはいっている。また退却時にブルーピーコック核地雷を使用してオデッサ鉱山基地を破壊したそうだ。ジオンは…いや、スペースノイドは追い詰められればコロニーを落とすよ。何度でも。いくつでも。」
コーエンはじっくりとホジョウの目を覗き込んだ。
「だから、ワシらの事は見なかったことにして…海の真ん中で死んだことにして、見逃してくれんかのう?」
タニアはホジョウの表情を見ながら、何か訴える目をしている。
「…分かりました。」
バーベキューの火はもうだいぶ小さくなっていて、砂に書いた図はほとんど見えない。
スペースコロニーから見える星は瞬(またた)かない。
分厚い大気の層が起こす現象だからだ。
今、4人の上に覆いかぶさる夜空の星々は、まるで生きているかのように瞬(またた)いている。
その脈動の中を、また一条、流れ星が流れた。
「ホジョウ大尉、もうひとつお願いがある。」
コーエンがもう見えない砂の絵を足で踏み消しながら言った。
「我々と一緒に来ないか?」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
冷たい方程式
「条件があります。ロボ曹長も一緒に行けるのであれば協力しましょう。ロボ曹長はどうされますか?」
「え?ホジョウ中尉がご参加されるなら…」
コーエンが一応、誤りを訂正した。
「すまないロボ曹長。ホジョウ大尉だ。つい最近、また昇格されたのだよ。」
「あ、失礼しました。」
「この際、私の階級なんかどうでもいいでしょ。ホジョウでもタロウでも何でもいいです。」
しばらく無言の間ができた。
沈黙を破ったのはゴンザレスだった。
「もしかして、ロボ曹長とホジョウ大尉は…特別なご関係にあるんじゃろうか?」
「違います。」
ホジョウはきっぱりと言った。
「曹長1人、太平洋の真ん中でクルーザーに乗せてお別れは、それは遭難して死ねと言っているようなものでしょう。」
そう言ってホジョウはタニアを見て黙った。
タニアは状況を想像しているようだ。
「あー、それはキツイですね…」
コーエンは深く頷いて同意を示した。
「それは大尉の言うとおりだ。二人とも協力を願うつもりではいたが、確かにホジョウ大尉だけが合意したところで、ロボ曹長の今後については考えていなかった。…計画外だったんだ。すまない。」
ホジョウは鼻から強く息を吐くと、もう少し話を詰めようと再度口を開いた。
「まず、この島にずっといるつもりなのか、この島からどこかへ移動するおつもりなのか…そういう話が分からなければお返事のしようがありません。そもそも、このままここにいたらいつか物資も切れます。連邦にもその内見つかるでしょう。」
ゴンザレスが小さくなった火に枯れ枝を足しながら答えた。
「ワシらはここから宇宙(そら)へ帰るつもりじゃった。そして、ゾック・ゼロを隠して支援者のいるコロニーに潜伏する予定じゃった。」
「迎えが来るんですか?」
コーエンが首を横に振った。
「いや違う。ゾック・ゼロで宇宙へ帰るのだよ。」
「ゾックって大気圏を脱出できるんですか!すごーい!」
タニアが大げさに驚いた。
ホジョウも驚きたかったが、タニアに先を越された。
「補助ロケットを使えば可能だ。そこの岩陰にカモフラージュして隠してある。」
コーエンが指差したほうは真っ暗闇で何も見えない。
「そのロケットは私とロボ曹長、二人追加で乗ってもまだ宇宙(そら)へ上がれますかね?」
ゴンザレスはホジョウの着眼点に満足しているようだ。
「『冷たい方程式』の話じゃな?大丈夫じゃ。補助ロケットの出力には十分余裕がある。」
朗らかに返答したゴンザレスに3人は微妙な空気だった。
「なんですか、その『冷たい方程式』って?」
「ゴンザレス、その方程式は私も知らないぞ?タニア曹長知ってるか?」
「私も知らないです…」
ゴンザレスはいささか気分を害したようだ。
「おヌシらは揃いも揃って!名作じゃぞ!?大傑作じゃぞ!?知らんのか『冷たい方程式』じゃぞ!?作者名は…ゴドウィンじゃ!!本当に知らんのか!?」
その後、3人は不平たらたらのゴンザレスを適当になだめると「絶海の孤島でインターネット検索をしたら、どれぐらいで所在が連邦にバレる」かについて短く討議した後、徐々に興味を失って、明日の朝の為に眠るという結論を出した。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
アイアンネイル
「これじゃ!アルミ合金酸化型固形燃料ロケット2基!!」
翌朝岩場の影の茂みを取り除け、さらにシートをめくると、金属製のロケットが2本、並べた上体で姿を現した。
「こんな古臭いもの…こんなものまで基地からガメてたんですね。」
ホジョウが呆れ顔で眺めたそれは1本40mほどはある巨大なブツだった。
「これは違うぞ。我々の支援者がこの島にあらかじめ隠して置いておいたものだ。よし、ゾックを起動しよう。」
4人は沖に停泊しているクルーザーまでボートで向うと、ボートをクルーザーで曳航しながら、島をぐるっと回って東岸へたどり着いた。
「これで、ゾック・ゼロが浮かんでこなかったら計画は失敗じゃ。」
ゴンザレスがリモコンを操作すると、水中から気泡が上がってきた。
クルーザーの船底を泡が叩く音が聞こえる。
「まずい、真下だ。クルーザーを動かせ。」
クルーザーを前進させると、今までクルーザーが浮かんでいた水面がどんどん泡立ちはじめた。
そして、派手に水しぶきを上げながら巨大なモビルアーマーが浮上した。
ライトグリーンの塗装が映えるゾックの頭だけがぽっこりと水面に浮かんでいる。
「なんか、私がジャブローで見たヤツより大きくないですか?」
タニアが首をかしげている。
「実はそうなんですよ…デカいんですよ。」
ホジョウはその巨大なゾック・ゼロを見ながら、まんまと二人の博士に担がれていたことを思い、やれやれと首を振った。
そんなホジョウの気持ちは、だましていた二人には全く伝わっていないようで、二人はなんとなく楽しそうにしている。
そして、ゴンザレスが端末を取り出してゾックの調子の遠隔チェックをはじめた。
「うむ、漏水もなさそうじゃ。乗り込むぞ!」
コーエンとゴンザレスがボートでゾックに移動して、額の辺りのハッチを開けて乗り込む。
ホジョウは手はずどおり、クルーザーでゾックから大きく遠ざかった。
ゾックの特別性の巨大核ジェネレーターがアイドリングを始めた。
ホジョウの端末に通信が入る。
「十分距離は開きましたよ。」
ホジョウがそう言うや否や、ゾックはほぼ真上に水柱を上げながら飛び上がった。
「跳び過ぎだろ…」
「デッカ!?」
頭頂高35mのゾックゼロの大きさから考えると、100mぐらいはジャンプしたのではないだろうか。
端末の向こうから二人の博士の「ウワー」と言う声が聞こえる。
忘れがちだが、モビルアーマーだろうがモビルスーツだろうが、中に人間が乗る限り、急制動がキツいと、中の人間がやられてしまう。
急加速で貧血、急停止で脳震盪を起こす場合もある。
「危なっかしいな…」
ゾック・ゼロは脚部のホバーで島に着陸した。
ゾック・ゼロのたてた水しぶきは、クルーザーに土砂降りの雨の用に降り注いだ。
距離はあけたが足りなかったようだ。
「うわーずぶ濡れ。」
タニアが濡れたTシャツの裾を搾っている。
ホジョウは出来るだけその模様を見ないようにしながら、島の表側に戻るべく、船を発進させた。
ホジョウとタニアがボートで島に再上陸を試みるころには、ゾックはとっくに島の正面側まで移動を終えている。
そして35mのゾックが器用に40mの2本のロケットを鷲掴みにしていた。
「え、ウソでしょ?」
ホジョウが思わず口走った。
ゾックは両腕を真横に開いて2本のロケットを掴んで直立している。
その様子をコーエンが外から眺めている。
「ゴンザレス博士!角度も完璧だ!」
通信端末で、ゾックの中にいるであろうゴンザレスと何かの調整をしているようだ。
ホジョウは駆け寄ると言いたいことは山ほどあったが、その中でも厳選された疑問をぶちまけた。
「ロケット手づかみで宇宙へ飛ぶんですか!?」
「そうだが?」
コーエンは即答した。
「『そうだが、何か?』みたいな顔しないでくださいよ!モビルスーツがロケット掴んで宇宙まで飛ぶって…」
コーエンはホジョウを咎める顔で見ている。
「ホジョウ大尉、これはモビルスーツではなく、モビルアーマーだよ。」
そう言って、コーエンはゾックの股間から降りてきた簡易式のエレベーターに向って歩いていった。
うなだれるホジョウの後ろから追いついたタニアがホジョウの肩をぽんと叩いた。
「大尉っ!諦めましょう!」
そういってホジョウを追い抜いた。
小走りにゾックに駆け寄るタニアの後姿を見ながら、ホジョウは
ー戦争は非現実の世界…
と言った誰かの言葉を頭の中で反芻していた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
さらば地球よ
「すごーい!ホジョウ大尉、ゾックの中ってこんな風になってたんですね!」
「私もこの状態は初めて見ました…居住ユニットが入っている…モビルアーマーに…」
ホジョウは自分の中の何かがどんどん崩れていく気がしていた。
対してタニアは順応が早かった。
「シャワーあるんですね!あとで使っていいですか!」
「大気圏を脱出したら使えるぞ。重力下ではあまり上手く動かないタイプだ。」
コーエンがA4の冊子をホジョウとタニアにそれぞれ手渡した。
「ゾック・ゼロ利用マニュアル…」
中にはレーション(携行食)の温め方や、トイレの使用法、火災発生時の対処法や、エアコンの使い方など細かく記してある。
「総員、対加速シートに着座してベルトを締めろ!離陸するぞ!」
ホジョウや乗組員達は、ゾックの中にいるため外からの様子は見れない。
またこの島には他に人間はいないため、このゾック・ゼロの離陸を目撃した人間はこの世には、誰一人として存在しない。
しかし、この文章を読んでいる読者にだけ特別に描写をしよう。
ゾックが両手のアイアンネイルで掴んでいるように見える固形燃料ロケットだが、実は握力で掴んでいるわけではない。
きちんと双方に接合部が作りつけてあって、しっかりとかみ合っているのだが、アイアンネイルが邪魔して外から見えないだけだった。
その接合部の横には固形燃料ロケットの制御信号を送るワイヤーもきちんと存在していて、操縦席からの信号で着火する。
ただし、このタイプのロケットは着火のみが制御できるのであって、途中で出力を調整したり複雑な制御は出来ない。
ただただ、両方同時に点火して、まっすぐ上に推進することだけが目的のブツだ。
ゾック・ゼロはその2本のロケットを真横に伸ばした両手で掴んで、ちょうど漢字の「王」の字を真横に倒してみたような状態になっている。
「タニアさんはジェットコースター好きなタイプですか?」
「大好きです!」
ホジョウは思わず「タニアさん」と言ってしまった自分に驚いた。
そしてホジョウはジェットコースターは嫌いだった。
その間にもコーエンとゴンザレスは離陸準備を続けている。
「ゾック・ゼロ大気圏脱出プロセス開始。」
「ゾック・ゼロ大気圏脱出プロセス開始確認!」
「ロケット点火プログラムチェック。」
「ロケット点火プログラム良好!」
「姿勢制御プログラムチェック。」
「姿勢制御プログラム良好!」
ホジョウは二人の声を聞いていると頭がくらくらしてきた。
「そういえば、ノーマルスーツ着なくていいんですか!?」
コーエンが手を止めて答えた。
「ホジョウ大尉、ロケット打ち上げでエラーが発生してノーマルスーツで助かる状況があるとしたらどんな状況か説明したまえ。」
「…分かりました。」
ホジョウは黙った。
「大尉って、結構心配性なんですね?」
タニアの指摘にホジョウがどう答えようか考えていると
「点火!」
という声が聞こえた。
HLVは上昇するときの加速が穏やかなので忘れていたが、宇宙世紀初頭まで主流だった燃料ロケットは最大7Gの加速だったと聞いている。
「タニア曹長。真っ直ぐ真上を見たほうがいい。」
「へ?」
そう言った次の瞬間、背中を突き飛ばされるような衝撃とともに、上から重量物が降ってきたような重みが全身を襲った。
ホジョウはその現実離れした加速度を、半ば他人事のように感じながら、思い出しそうで思い出せない単語を、記憶の中から掘り出そうとしていた。
ーそうだ、これが「第一宇宙速度」だ。
ミノフスキー粒子発見以降、最初に大きな弾みをつけなくても重力を振り切って大気圏へ脱出することが出来るようになった。
さて、描写を外からの視点に戻そう。
見事に両方同時に点火したロケットは真っ白な光と煙を下部のスラスタから吹き出して離陸を始めた。
ゾックの強靭な腕は、大出力の2本のロケットを小刻みに震えながらも良く支えている。
そうして、真っ白い閃光を吐きながら、スペースノイドたちは生まれ故郷へと帰っていたのだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ずんぐりむっくり
「…何でもっと早くに前を見ろって言ってくれなかったんですか。」
タニアは顔を左に向けたままの姿勢でホジョウに文句を言っている。
「むしろ、何で知らなかったんですか。」
タニアが首に湿布を貼っているせいで、ゾック・ゼロの中が湿布くさい。
離陸の際にホジョウのほうを見ていたところに強烈な加速度だったため、首の筋を伸ばしてしまったのだ。
唯一の救いは無重量になっているため、首にあまり負担がかからないことだ。
一応レディーファーストでタニアが最初に簡易シャワー室でシャワーを浴びたが、だいぶ苦戦したようで時間がかかった。
残りの3人もシャワーを浴びると、それまで着ていた服を脱いで民間人が良く着ているタイプのノーマルスーツに着替えた。
「ワシらはこれからサイド5に向う。そこで、民間の貨物船にコイツを乗せて、サイド1で支援者に接触する。」
4人はすっかり落ち着いた気分になった。
コロニーの人口重力や、地球の重力も悪くないが、無重量は非常に宇宙へ帰ってきた気分にさせてくれる。さらにマグネットシューズを履くと、やっとホームに帰った気になる。
4人はすっかりくつろいだ気分で地球の周りを回りながら離れてゆくと、月と地球の間にあるサイド5に到達した。
ルウム戦役で甚大な被害が出たコロニー群で、瓦礫が多い。
物を隠すにはうってつけの場所なのだろう。
案の定、例の輸送船は崩壊したコロニーの陰にカモフラージュして隠されていた。
4人は二手に分かれると、一方は周囲を警戒し、一方は輸送船のカモフラージュをはがして運用できるようにする重労働を担った。
カモフラージュが入念だったので、この作業に12時間ぐらいかかった。
全て終わって、輸送船にゾック・ゼロを格納したころには、船外作業を担当したホジョウとコーエンはへとへとになっていた。
「連中め…あんなにご丁寧にラッピングしなくとも、十分カモフラージュの目的は果たしただろうに…」
コーエンがヘルメットを脱いで貨物船の格納庫に漂っている。
休憩しているのだ。
「コーエン、早くシートにつかんか。船が出せんぞ。」
「もうだめだ…誰かシートまで引っ張っていってくれ。」
コーエンはもう自力で動くつもりはないらしい。
タニアがコーエンのスーツの一端を掴んでシートのある操舵室に連れて行く。
操舵室に入ると、待ち構えていたゴンザレスにコーエンを投げて渡すと、ゴンザレスがキャッチしてコーエンをシートに縛り付けた。
ホジョウはその様子を見ながら、格納庫のゾック・ゼロの固定を再度確認した。
「貨物船は簡易ではないシャワーがあるから。大尉も巡航速度になったら浴びたらどうですか?」
「ありがとう。」
タニアが教えた内容は当然ホジョウも知っているのだが、疲労のあまり、頭が回りづらいホジョウにとってはありがたい情報だった。
「発進するぞ。サイド1へ向う。」
ゴンザレスが船を動かした。
ホジョウはいびきをかいて眠るコーエンはそっとしておいて、先にシャワーを浴びた。
貨物船にはスペーススーツの洗い替えがあったので、そちらも着替える。
汗が溜まったスーツのほうは真空洗濯機に放り込んでおく。
高さ35mのゾック・ゼロが格納できる貨物船なので、船内の居住スペースもなかなか広い。
本来は8人ぐらいで運用するものらしいので、使える個室が余っている。
サイド5にどれぐらい放置されていたのか分からないが、冷蔵庫にはソフトドリンクしか入ってなかったが、冷凍庫には凍った肉も入れてあった。
ゴンザレスが早速食事を作り始める。
「ここしばらくイカばっかり食っとったからな!」
ゴンザレス曰くあの島の周りはイカばっかりが釣れたらしい。
確かにゾックの中にも箱一杯の乾燥させたイカが置いてあった。
ポークソテーが焼きあがった頃、匂いにつられてコーエンも起きだした。
スペースノイドらしい朝か昼かわからない食事を摂ると、コーエンはきちんと個室のベッドで寝ることにしたらしく、ゴンザレスに食事の礼だけ言うとささと引っ込んだ。
ホジョウは元々、肉体労働は慣れているので、操舵室に移って航行の状況を監視しながらゴンザレスとタニアと談笑していた。
「おー、これは止められそうじゃのう。」
サイド1に入る手前でジオンの防衛線に引っかかった。
「どうします?」
ホジョウの問いに、ゴンザレスは
「ワシは企業の人間でジオンでは顔が売れておらん。二人はヘルメットをつけて、呼ばれるまでひっこんどれ。」
と言いながら船を停めて、余裕綽々、出て行った。
公国軍の4人が公国軍の防衛線を誤魔化して突破しなくてはいけないのも変な話ではあるが、ここはゴンザレスに任せるしかない。
操舵室で二人が緊張していると、格納庫につながる通用扉まで開いたと、操舵室のコンソールに表示された。
「大尉!」
「ああ…」
モビルアーマーが乗っているのがバレた。
どうしようかとやきもきしていると、ジオンの防衛線のライトが赤から緑に変わった。
ゴンザレスが余裕綽々のまま帰ってきた。
「ようし、通れるぞ。」
貨物船は易々とサイド1の中に入っていった。
「ゴンザレス博士、どうやって…?」
ゴンザレスはヒーターでコーヒーの入ったバッグを温めながら「うん?」と応えた。
「どうやって検問をパスしたんですか?」
タニアが改めて訊く。
「別に難しいことはない。」
ゴンザレスは間延びした声で二人を諭すように言った。
「貴族のクルーザーを運んでると説明しただけじゃ。地球でゾックを見たことがある人間ならまだしも、あの短足、ずんぐりむっくりをモビルアーマーだと分かる人間はおらん。実際、水中では横倒しに泳いでおったわけじゃし。」
たしかに格納庫の中でも35mを立てて置けるほどは天井が高くないので、船の進行方向に向って横倒しに固定されている。
「ズングリムックリ…ってなんですか?」
タニアが見当違いの質問をしてゴンザレスを困らせたが、緊張が解けたホジョウはその様子を半ば放心して眺めていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
月を追う月
サイド1にはジオンの宇宙要塞ソロモンもあるが、あまり近くを飛ぶと流石にやばいので少し迂回して到着した場所は、シリンダー型ではなく小型の球形コロニー「ムーンムーン」だ。
表向きは放棄されたコロニーと言うことになっているが、そこそこ自然が多いため、少ない人数であれば自給自足が可能になってしまっている。
結果、退去期限が過ぎてもだらだらと居座っている人間が残っているのだ。
オンボロの係留ブリッジに貨物船を固定する。
4人はようやく最初の寄港を果たしたわけだ。
そして、ゴンザレスは箱に一杯の乾燥イカを持ってこの地に降り立った。
「スルメ!スルメ!」
「アタリメ!」
ムーンムーンの不法滞在者たちがこぞって買い求めている。
「なんですか?『スルメ』とか『アタリメ』とか?」
ゴンザレスが商いをしながら教えてくれた。
「天日で乾燥したイカはそう呼ばれるんじゃ。地球産じゃから高級品じゃぞ。」
あっという間に売りさばくと小銭を抱えてえびす顔をしている。
タニアがゴンザレスに聞きたいことがあるようだ。
「ノーマルスーツは脱がないんですか?」
ゴンザレスは小銭を整理してノーマルスーツのジップつきのポケットに押し込むと答えた。
「ここは線量が多い。本来、サイド1の開発拠点として作られた場所じゃ。スーツを脱ぐことはほとんどの場所で想定されておらん。幾つか見える金属外壁の建屋が、更衣室やシャワールーム、医務室や宿泊施設だったモノの跡地じゃ。あの中ならまあ、脱いでもエエじゃろう。」
そういわれてタニアが周りを見回すと、皆、軽装で動き回っていて、スーツを着ている人間は少ない。
「ワシらは貨物船乗りの運送業者じゃから、よそ者のままでええんじゃ。」
そう言ってゴンザレスはスタスタと歩き始めた。
その間にも、各所で乾燥したイカを焼く独特な香りが漂っている。
「よそ者はいいんですが、我々はここに何をしにきたのかな?」
「え!?博士も知らないんですか!?」
タニアが思わずコーエンの名前を呼んだ。
「…ダメですよ、名前呼んじゃ。」
「…すいません。」
ホジョウに諌められて小声になる。
「ここにくれば向こうから接触してくると聞いてるんじゃが…」
ムーンムーンにもうすぐ人口の夜が来る。
ここでこうしていても仕方がないので、宿を取るか一旦船に戻るか考える必要がある。
「船にある食料を食いつぶすこともあるまい。食事だけはコロニー内で食べていこう。」
ゴンザレスはどうもここに何度か来たことがあるのだろう。
慣れた足取りでバラックを縫って、ボロッちいレストランにたどり着いた。
「3人はアレルギーはあるかのう?…ないか。ならワシのおススメで良いか?よし。」
終始ゴンザレスのペースで話が進んでいく。
エビやカニが適当に粉砕されたものがオクラと一緒に煮込まれたものが、なぞの米粒のような物の上にかかっている。
食べたら美味しい。
何がなんだか分からないけど妙に美味しい料理で腹を満たすと、とりあえず、貨物船の居住スペースの方が快適そうなので、船へ帰ることにした。
待ち人は貨物船の係留されているブリッジで待っていた。
キャリアーのついたガムテープで補強されたケースを持っている。
一応、こんなコロニーでも港湾には世話人や警備員がいるので、人目は気になる。
接触してきた人物は商売人のような風体で、貨物運送業の我々と並んでも違和感が無い。
ゴンザレスは顔を見て「ほう」と言うと、そのままその人物は貨物船の中までついてきた。
貨物船の食堂に到着するとゴンザレスは丁寧に挨拶をした。
「お久しぶりですな。お元気でしょうか?」
ゴンザレスが珍しく畏まった口調だ。
「ゴンザレス博士お知り合いですか?」
ゴンザレスは「うーん」と微妙な返事をした。
「ペトローニさん、ご紹介してもよろしいですか?」
船の中でよく見るとペトローニ氏はひどく疲れた顔をした年配の男性だった。
「私はムーンムーンで小売業を営ませて頂いております。ペトローニと申します。以前、お勤めしておりました職場でゴンザレス博士とはお会いする機会がありまして…覚えていていただいて光栄です。」
ペトローニ氏は丁寧なしゃべり方をする男性だった。
「長い間、ラル家の執事をされていた方じゃ。」
コーエン、ホジョウ、タニアの3人が「ほお」と息なのか声なのか分からない音を出した。
「今は昔のことでございます。早速、作業にかからせていただきます。」
ペトローニは箱の中から折りたたまれた布団を干す台のような物を出すと、空色の布をかけて、その前に我々をひとりずつ立たせた。
「アゴをもう少々お引きください。…はい、結構です。」
フラッシュつきのゴツいカメラを立てて4人の顔写真を撮っていく。
そしてそのまま食堂のテーブルの上で作業を始めた。
4人の身分証明書を作っているのだ。
1枚数十分のペースでどんどん作る。
「お名前だけは覚えておいてくださいね。」
ホジョウは自分の名前が「ホセ・タミヤ」になっているのを確認した。
タニアは「ロビン・タミヤ」になっていた。
「大尉と夫婦ですか…」
ホジョウはなんだか少し気まずくて黙っていた。
士官学校にいたときに諜報活動の講義も受けていたので、そのほうが色々と合理的なのは分かる。
しかし、それをホジョウがタニアに説明するのはなんだか違う気がしているのだ。
ホジョウはそのあたりの理屈を誰かタニアに説明してくれないかなと思ってやきもきしていたらペトローニが作業をしながら説明を始めた。
「ロボさんは、なぜご夫婦として身分証を作ったのか疑問に思ってらっしゃるようですね?」
「ああ、はい。まあ疑問ですね。」
ペトローニはちょこちょこと説明をした最後に
「まあ、とにかくトラブルに巻き込まれにくくなるんですよ。あと、変装と言う意味で、髪は伸ばされたほうがいいと思いますね。ホジョウ大尉はひげを伸ばしましょう。」
「はい!分かりました!」
ホジョウは妙に勢い良く返事をした。
ついでにゴンザレスは「ロドリゲス」に、コーエンは「コーネル」にそれぞれ名前を変えた。
さらに、社員証と名刺も用意された。
社名には「ロドリゲス&コーネル運送」と書いてある。
オフィスはフォン・ブラウン市だ。
「実際にその場所に、ロドリゲス&コーネル運送は設立されています。同じマンションの中に4人の住居も用意されているはずです。」
ペトローニはオフィスの鍵を4人に渡した。
「オフィス内にそれぞれのマンションの鍵もあります。『タミヤ家』は中にも鍵がかかる部屋がありますのでご心配なく。」
「ありがとうございます。」
表向きは夫婦でもプライベートは分けられる用になっているということだろう。
ホジョウは気になってタニアを見ると、ちょうどタニアもホジョウを見たところだった。
「公国軍の兵舎もバスルームは共用だから、あんまり変わらないと思いますよ。」
「そういえばそうですね。」
そう言われてみると仕官学校時代も軍務に就いてからも、相部屋暮らしは何度かあった。
「皆さんの身体的特徴は今は元の戸籍には紐付けされていません。ですが、元の戸籍は残っていますので、元の名前で何かしたいことがありましたら、オフィスにいる私の妻に言ってください。私もここの仕事をひと段落つけたら月面に戻ります。」
ペトローニはそう言ってムーンムーンに戻っていった。
一行はフォン・ブラウン市を目指すことになった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
零細企業と大企業
一行はフォン・ブラウン市に辿り着いた。
フォン・ブラウン市といってもだいぶ外れのほうだが、一応市内だ。
一行は事前に知らされていたロドリゲス&ロドリゲス運送の大倉庫に船を置いた。
大倉庫とはいっても、月面でコンクリートの材料の長石を掘削した跡の穴にハッチをつけた、竪穴式(たてあなしき)の倉庫だ。
月面ではこのタイプの倉庫は比較的多い。
「これをマンションと呼ぶのはいささか抵抗があるな。」
倉庫が竪穴ならばマンションは横穴式だった。
竪穴式倉庫の内壁であるむき出しの岩を、さらに横向きに掘ってオフィスと居住区にしてある。
ジオンの宇宙要塞ではよく見る方式だ。
きっと、月面の港湾関係でもありふれた建築様式なのだろうが、まさかオフィスだけではなく住居もその様式だとは一行は考えていなかった。
しかも、貨物船を出し入れするような場所は大気が無い方が便利なので、その横穴式住居の外は壁を一枚隔ててほぼ真空だ。
コロニーよりも月面の方が開発の歴史が長いため、宇宙開拓時代の歴史を感じさせる古い工法が残りやすい。
ここはそうした歴史的建造物の1つなのだろう。
予定通りペトローニ女史がノーマルスーツを着て倉庫内で出迎えてくれた。
そのまま、ペトローニ女史の先導で一行は減圧室ともエアロックとも言われる玄関に入っていく。
月面の真空の中で膨らんでいたノーマルスーツが、徐々に張りを失っていく。
加圧されたのだろう。
ペトローニ女史がノーマルスーツのヘルメットを脱いだ。
「お帰りなさいませロドリゲス会長、コーネル社長。」
減圧室から、出ると、流石に岩肌むき出しと言うわけではなかった。
通路を歩いていると扉に赤いペンキで×(バツ)がつけてある部屋の前を通った。
「あの部屋は気密がイカレてしまったので、間違えて扉を開けると、吸い込まれますよ。鍵はかかっておりますが。」
4人がなかなか反応しづらいことを言われて黙りこくって歩いていった先にオフィスはあった。
意外にも、中では普通に数名の社員がいて仕事をしていた。
「皆さん、会長と社長が長い地球出張からお戻りになられました。あと、こちらはホセ・タミヤくんとロビン・タミヤさんで、この冬からウチで仕事をします。よろしくお願いします。」
社員達は「はーい」と気のない返事をしている。
ペトローニ女史に促されてオフィスの中をを移動すると、社長室と表札に書かれた部屋が見えた。
「こちらへどうぞ。」
社長室に通されると、早速、コーエンとゴンザレスが小声でペトローニ女史に文句を言った。
「会長業なんてワシのガラじゃないんじゃが…」
「私も社長なんて肩書きをつけられたらいつボロが出るか分からないぞ?」
ペトローニ女史は涼しい顔をしている。
「大丈夫です。働いている彼らは全員、短期契約の派遣社員ですから。自分が何の仕事をしているのかも分かっていません。一ヶ月もすれば別の人員が派遣されてきて交代です」
「そういうことなら納得じゃ。」
ゴンザレスは頷いている。
ペトローニ女史が説明するには、ロドリゲス&コーネル運送で働く人間のほとんどが派遣社員で、ペトローニ女史もそちらの企業にも肩書きがあるのだという。
「その派遣企業がZ計画の隠れ蓑の1つ『ザイオンイヤーカンパニー』じゃ。」
ゴンザレスがそういうとペトローニ女史は、名刺を出して見せた。
確かに「ザイオンイヤーカンパニー」と書いてある。
ホジョウとタニアも知っている企業名だ。
「ザイオンイヤーカンパニーって、結構大きな派遣会社じゃないですか!?」
タニアをコーエンが諌めた。
「タミヤ…さん、声が大きい。」
「あ、失礼しました。」
コーエンがコホンと咳払いをした。
ホジョウは危うく階級を言いそうになったのだなと思った。
狭い社長室に5人は無理矢理座る場所を見つけると、小声で話を始めた。
「そもそも、ザイオンイヤーカンパニーはワシの記憶じゃと、ラル家の資産が元になってはじまった企業じゃ。」
「その通りです。」
ゴンザレスの話にペトローニ女史が答えた。
「先代が…そういえばランバ坊ちゃまもお亡くなりになりましたね。ラル家は元々、地球で繊維業で財産を築いた実業家の血筋です。コロニーに移ってからは多角経営路線に切り替わりました。それをジンバ・ラル様の代で解体したんです。」
ホジョウはなんとなくその話をどこかで聞いた覚えがあるような、ないような気がして、モヤモヤしていた。
どちらにせよホジョウが生まれる前の話だ。
「なぜ解体したんですか?」
ホジョウはモヤモヤをそのまま質問してみた。
「ラル家を含む一部のスペースノイドが急速に貴族社会を築いた流れの中で、資産が一極集中するのを先代が嫌がったんです。コロニービジネスで成功して、急に貴族を気取り始めたコロニー成金が社交界を作り始めたころ、ラル家はひがまれたのです。」
「『ひがまれる』とは?」
コーエンが興味をしめしたので、ペトローニ女史はそこを掘り下げて話し始めた。
「ラル家は地球にいたときから、いわゆる貴族的な階級にあった家系です。由緒正しい貴族はひがまれたそうです。ただでさえ成金にひがまれるのに、資産のことでまで張り合われるのがお嫌だったようでした。そもそも、ラル家が多角経営に乗り出したのはスペースノイドに雇用を作るためで、ベンチャーに出資して資産を増やすためではなかったので。そうした理由で、安定した企業はグループから切り離して独立させる方針に、先代様が切り替えました。ただ、理由をまわりに聞かれたときは『占いにそう出た』と言っておられたようです。」
ホジョウが聞いたのはそちらの話だった。
ラル家が企業の切り売りを始めたのは、会長が占いにハマったせいだと、確かどこかで聞いた覚えがある。
「ブリティッシュ作戦以前から、コロニー落としや隕石兵器は一部のスペースノイドの間では知られておったんじゃ。なんせ旧暦の20世紀には『月は無慈悲な夜の女王』で紹介されておったからな。地球連邦も当然そういう方法があることは知っておった。著者のロバート・ハインラインは宇宙開拓時代以前の北米生まれじゃからのう。」
「地球連邦がコロニー落としの可能性を知っていたと主張していたのは、単なる負け惜しみじゃなかったんですね。」
ゴンザレスはタニアの意見を肯定した。
「そういうことじゃ。ただ、声高に叫んだところで対処法が無い。じゃから、地球連邦はスペースノイドの自治を厳しく締め付けることでそうした大質量攻撃の使用を防ごうとしたんじゃが、皆も知っての通り、逆効果じゃったな。スペースノイドの中では、逆に自治と独立を求める機運が高まった。その時代でも、コロニー落としに反対するスペースノイドは多かったんじゃ。その中にラル家もいたと。」
ホジョウはその話を聞きながらドズル中将を思い出していた。
コロニー落としはドズル中将の行った作戦だ。
あの作戦はどうしても必要だったのだろうか。
南極条約がジオンと連邦の間で締結されたとき、ホジョウは安堵したものだ。
ホジョウが信頼するドズル中将も、地球で大破壊を起こしたドズル中将も同じ人物なのだ。
ホジョウはそう考えながら、次のコロニー落としを阻止するために、疑問も無くゴンザレスとコーエンに加担した自分は、コロニー落としを絶対悪だと考えているという事実に気がついた。
それはゆるぎない確信だった。
そして、それを指揮したドスル・ザビ中将に親しみを感じている自分は、やはり不条理な人間なのだなと思い至った。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
クリスマス商戦
フォン・ブラウン市に移動して数日経つと生活に必要な物資やその他諸々を買い揃える余裕も出来てきた。
ホジョウは何度か市街地へ繰り出して身の回りの足りないものを買い出した。
「また、大荷物だね。タミヤくん。」
「ああ、コーネル社長おつかれさまです。」
二人はそう挨拶してから、周りに人がいないのを確認してから改めて会話を始めた。
「そろそろ、行方不明者から戦没者のリストに移されてないですかね?」
「まだ1週間そこらでは公国もそんな判断はすまいよ。」
ホジョウは軍事機密を持ってズム・シティに帰還する任務を放って、未だにフォンブラウンにいる。
コーエンもホジョウも別ルートでキャルフォルニアベースを脱出して公国の首都に辿り着くのが任務だったのだが、行方不明者と言うことになっているのだろうか。
はたまた、宇宙(そら)へ上がる方法が見つけられなくて地球に取り残されていると考えられているのだろうか。
どちらにせよ、まさかゾックで固体燃料ロケットを掴んで大気圏を脱出したなどとは、ジオンのお偉いさんは誰も考え付かないだろう。
12月も中ごろになって、ゴンザレスに難渋な表情が増えてきた。
ペトローニ女史も含めた5人が集められた。
「聞いて欲しいんじゃが、核パルスエンジンの足取りがつかめなくなった。」
ゴンザレスが説明するには、コロニー落としにはコロニーを地球への衝突軌道に移動させるための動力が必要で、現在、それを可能にする大動力は核パルスエンジンしかないらしい。
現在、核パルスエンジンは一部の特別な無人ロケットなどには使用されている。
なぜ無人ロケットかと言うと、核爆発で推進する危なっかしい機構なので、放射線量が大きすぎる。
要するに汚染を撒き散らすため、有人での運用は早い段階で見限られたブツなのだ。
同じ理由で居住区の近くでは運用が難しい。
「核パルスエンジンとなるとおいそれと流通している代物ではないからな。」
コーエンの呟きにゴンザレスが頷いた。
「その通りじゃ。このフォンブラウンには、遠方の宇宙探査のための無人機に乗せる予定だった未使用の核パルスエンジンが格納されていたんじゃが…」
「『予定だった』ということは計画は頓挫したの?」
タニアの質問にはコーエンが答えた。
「頓挫したな。事情は分からんが。我々の中には、コロニー落とし用に核パルスエンジンを製造する口実としてでっち上げられた計画だったと考える者もいる。」
ゴンザレスはコーエンの注釈が終わるのを待って、再び口を開いた。
「その足取りがつかめなくなってしもうた。組織も総力を挙げて調べておるが。今回ばかりはリスクを承知で自分達で調べなくてはいかんかもしれん。」
「格納されていた場所は分からないの?」
タニアの素朴な質問にはペトローニ女史が答えた。
「分かってるんだけど、そこを直接調べるのが一番リスクが高いってハナシ。」
「でしょうねえ。」
その危険はホジョウにも良く分かる。
「私はすまないがその調査は参加しない方向で頼む。」
眉間にしわを寄せてコーエンが辞退を申し出た。
「その雰囲気は何か別のことを考えておるな?」
コーエンは中途半端な素振りで否定も肯定もしなかった。
「何か引っかかるんだ。事実関係を洗いなおして見る。何か見落としていることが分かるかもしれない。」
そう言い残して、コーエンは部屋を出て行った。
社長室に残された4人も、調査方法について話し合った後に解散した。
そして、私服に着替えたゴンザレス、タニア、ホジョウの3人は、「ロドリゲス&コーネル運送」がある閑散とした倉庫エリアから、フォン・ブラウンの市街地へ出た。
戦時下なので戦意高揚のポスターも各所に貼られているが、街はクリスマスを目前に賑わっている。
街中を歩きながら、タニアがホジョウの袖を控えめに引っ張った。
「私たち、ちゃんと夫婦に見えますか?」
タニアが急に真面目くさった顔でホジョウに問いかけた。
「え?!それは…正直、分かりません。ゴ…ロドリゲス会長、われわ…僕たち夫婦に見えますか?どうでしょう?」
ゴンザレスが立ち止まって二人を観察する。
「もうそっと。もうそっとくっつかんか?手をつないでみるのもええぞ?」
そう言われてホジョウとタニアが待ち行く人々を見ると、確かに手をつないでいるカップルも、腕を組んで歩いているカップルも多い。
二人は意を決して手をつないで歩くことにした。
「うむ、なかなかええじゃないか。」
ゴンザレスに合格を貰うと少し二人の表情も明るくなった。
雑踏に紛れて市街を移動するとザイオンイヤーカンパニーの子会社でレンタカーを受け取る。
タニアに運転を任せて、調査先の情報を再確認することにした。
「この先は、話のとおり軍港に隣接した軍需品の倉庫が続きます。一応、運送会社の社員証と公国軍の身分証の両方を携帯しているかを各自で再確認してください。」
ホジョウは意識的にひげを伸ばし始めているが、この軍需品云々についてはホジョウの専門分野で、ホジョウの顔を知っている人間がいないとも限らない。
バレたら流石に公国軍の身分証を出すしかないだろう。
ホジョウたちはてっきり警備員の監視の目をかいくぐるような静かな任務になると思っていた。
「なんじゃありゃ?」
軍港は蜂の巣をつついたような慌しさだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
出直し
「これは、ちょっと民間人のフリをしたまま入り込むのは無理ですね…」
「出直しじゃな…」
一行は来た順序を逆にたどるように帰ると、ロドリゲス&コーネル運送に戻ってきた。
そして、公国軍の服をかばんに詰めると、再度同じ順序で軍港へ向う。
「あれ?ロビンさん、カバンは?」
「私はコートの下に着てきました。靴だけ履きかえるけど。」
フォンブラウンは年間通して気温は一定だが、クリスマスシーズンになると冬服っぽいものを着る人間も多い。
タニアはロングコートの下に着込んできたのだ。
軍港の近くで車を停めると、ホジョウとゴンザレスは公国軍の戦闘服兼通常勤務服に着替えた。
「あれ?ロボ曹長、いつもと違う。」
ホジョウは見慣れた軍服姿になって、やっとタニアがきちんと化粧をしていることに気づいたようで、タニアは少し気分を害した。
「まあ…夫婦で街中を歩く設定だったので…」
ホジョウはこのミスは取り返せないタイプのミスだと瞬時に察した。
ゴンザレスは声を殺して笑っている。
「…行きましょう。」
ホジョウは自ら運転して比較的路上駐車が多い場所に駐車すると、軍需品倉庫の警備の薄いと思われるエリアに2人を案内した。
「良くしっとるのう?」
「ここに来るのは一応、2回目なので。前回は仕官学校に通ってた頃です。」
候補生時代に社会化見学のような体で見に来たのだが、通り一遍見ただけで、本当に警備が薄いかどうかはあまり定かではない。
警戒しながら進むと、ホジョウの勘が当たって普通に歩いて敷地に入れる場所があった。
フェンスは何かの弾みで壊れたのだろう。
錆びて倒れている。
「問題は、ここから。敷地内は広いんでしょ?」
「その通りなんだよなあ。歩いて目的地まで行くにはちょっと厳しいんだけど、乗り物を奪うような派手なこともしたくないし…ムービングロード(動く歩道)を使うと人目が気になるし…」
「奪わなくてもちょっと借りるぐらいできんかの?」
ゴンザレスがさらっと難しいことを言う。
「うーん、それが出来れば世話は無いんですが…どっかにほとんど使わない、構内移動車があればいいんですが…」
3人はうだうだ言っていても仕方が無いので、歩いて目的地に向いながら考えることにした。
悪いことに、今、フォン・ブラウン市は半月続く昼の時期だ。
月面から見ると太陽は一ヶ月かけて昇って沈んで、また昇るを繰り返すため、地球のように夜の闇を待って行動が出来ない。
そうして歩いている間にホジョウは大変なしでかしに気づいた。
「しまった…」
「どうした?」
立ち止まるホジョウにゴンザレスが声をかけた。
「巨大な核パルスエンジン、加圧された倉庫に置くわけないですよね?運用も真空ですし…」
「あ!?」
コロニーが動くほどの巨大な物体を、空気を満たした倉庫で保管するはずがないのだ。
しかも宇宙空間で使う核パルスエンジンなので1気圧の大気中で補完する必要はさらに無い。
恐らく建造も真空中ならば、保管も真空中だ。
「迂闊じゃった…」
「帰りましょう。」
タニアは踵を返して元来た道を帰りはじめた。
ホジョウはやはり取り返せないタイプのミスだったとの思いをかみ締めた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
月面ローバー作戦
ロドリゲス&コーネル運送に戻ると、翌朝、計画の練り直しをすることになった。
目的の倉庫にはノーマルスーツなどの宇宙服を着ないと潜入できない。
しかし、宇宙服はおいそれとは持ち運べない。
ペトローニ女史は外からのルートを提案した。
「今まで市街地から行こうと、市街地側から潜入しようとを考えて上手くいかなかった。逆に月面の外のほうから潜入するのはどうでしょうかね?」
月面に住んでいる連中は自分達も月面にいるはずなのにエアドームの外を「月面」と呼ぶ。
「その方法しかなさそうじゃな。」
「今は手段を丁寧に選ぶより、とにかくやってみるべきです。」
ゴンザレスをタニアが後押しする。
一同異論は無いようだ。
ペトローニ女史は作戦の手配の為に慌しく出て行った。
その日の昼ごろには作戦の詳細が決まっていた。
「まず、月面にあるシリコン繊維の工場に向います。そこから月面ローバーで保養品が軍需品倉庫に出荷されていますので、その貨物に乗って軍港脇の貨物道路から軍需品倉庫へ侵入します。そこまでしかこちらでは準備できませんでした。」
ペトローニ女史は申し訳なさそうな顔をしているがホジョウは礼を言った。
「ありがとうございます。十分です。」
軍需工場内の移動と脱出の方法が今のところ決まっていないのだ。
「帰り道ですが、昨日のレンタカーで同じ場所にタニアさんに待機してもらって、拾ってもらう方法にしましょう。ノーマルスーツは目立つので、今回はここまで車で乗り付ける方向で。レンタカーは後から返しに行けばいい。」
ホジョウの提案にも一同異論はないようだ。
ミーティングが終わると即、繊維工場に向う必要があった。
ペトローニ女史が会社の月面ローバーで繊維工場まで送る。
タニアはレンタカーを借りて帰り道に落ち合う必要があるため別行動だ。
ゴンザレスとホジョウは、特に運送会社の職員に見られないように注意しながらジオン公国軍のノーマルスーツに着替えてペトローニ女史の運転する月面ローバーに乗り込んだ。
「酸素残量はチェックした?貨物用の月面ローバーは足が遅いから、長時間、貨物室に乗る必要があります。予備ボンベは積んでおいたから。」
「助かります。」
ペトローニ女史の運転する月面ローバーは乗員スペースは与圧されているのでヘルメット着用の必要は無いが、万が一、事故をしたときの為にペトローニ女史も一般作業者向けの気密服を着ていた。
ホジョウはヘルメットを外してゴンザレスのノーマルスーツの首の辺りを覗き込むと、ボンベの酸素量は十分余裕があった。
自分はノーマルスーツを着る時は習慣的に残量をチェックするためあまり不安は無かったがゴンザレスがどうかは自信が無かった。
「ワシだって、ノーマルスーツを着る時に酸素を見る習慣はあるぞ。一応、出向とはいえ軍人の端くれじゃからな。」
そう言いながら別にゴンザレスは怒っている様子も無いので、ホジョウは軽く頭を下げるとペトローニが用意した予備ボンベを見た。
軍用の酸素ボンベが用意されている。
一般向けのものは圧縮空気が入っているエアボンベで、軍用のものは酸素が入っている酸素ボンベなのだ。
規格は共通しているのでどちらでも使えるが、酸素ボンベは制御が難しい代わりに重量に対して長く使える。
3人が乗っている月面ローバーは軽量なため、小さな段差でもふわつく。
全く整備されていない月面を走るわけではないが、月面の道路は絶えず小さな隕石や宇宙塵が降ってくるので決して平坦ではない。
そして、月の引力は地球の6分の1しかないため、車が小石を踏むたびにふわふわするのだ。
スペースノイドは全体的に引力が小さい状況には慣れているが、たいていの場所では1Gの人口重力が働いているため、「1G(イチジー)か0G(ゼロジー)か」の二択になる。
その点が月世界は違う。
月面の多くの施設がそうであるように目標のシリコン繊維工場も半分地面に埋まっている構造をしていた。
手はずどおり工場の外に放置されたコンテナがあった。
ペトローニに無言で会釈すると、ゴンザレスとホジョウはコンテナに急いで近づいた。
二人は誰かに見られていないかと周囲を警戒しながらも、空気が無いので物音は地面を通してしか響かないため、動きは大胆だ。
コンテナのドアの上部の目立たない位置にマグネットで監視カメラをつける。
これで中に入っても、外の様子が見える。
コンテナは聞いていた通り鍵が開いている。
二人は再び周囲を見回すと急いでコンテナの中に滑り込んだ。
そして、そのまま内側から鍵をロックする。
ここまでは計画通りだ。
この手のコンテナは事故防止の為に外からは鍵がかけられるが内側からはいつでも開けられる用になっている。
要するにトイレの鍵みたいに、内側からは手で開け閉めできるが、外からは鍵が必要な設計だ。
そこまでやり終えた二人ヘルメットのライトをつけて振り返ると、コンテナの中にはシリコン繊維を編んだボードが箱詰めされて満載されている。
次に二人はその箱を慎重に動かして、貨物点検でコンテナを開けられたときにすぐにはバレない位置にスペースを作った。
そこに陣取って軍需品倉庫まで移動するのだ。
ホジョウが自分の端末を確認するとリンクされたカメラが外の様子をばっちり写している。
ヘルメットにもライトはついているが、特につけておく必要も無い。
真っ暗なコンテナの中で端末の液晶の薄明かりだけが光源だった。
ゴンザレスがホジョウに頭突きをしてきた。
「ヒマじゃな。」
真空中では音が伝わらないが、こうするとヘルメットに振動が伝わって音が聞こえるようになる。
「ヒマですね。」
しばらく監視カメラを見ていると作業員が近づいてきて、積み込み作業が始まった。
無音の世界で尻から伝わる振動と、自分の呼吸と心音だけが聞こえる。
再びゴンザレスが頭突きしてきた。
「ヒマじゃな。」
「ヒマですね。」
「『最悪』じゃと思ってないか?」
「どういうことですか?」
ゴンザレスの表情はほとんど見えないが、声色で下品な笑みを浮かべていることだけは分かった。
「こんなとき、タニアと二人っきりじゃったらロマンチックじゃったろうと思っておらんか?」
「そんなこと今はじめて考えましたよ。」
ゴンザレスは「げっへっへ」と笑いながら
「ワシだったらそう思っとる。」
と言った。
ホジョウも笑った。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
月の砂漠
流石に貨物を積んでいるだけあって、ローバー自体はふわつかないが、コンテナの中のダンボール箱はそうでもなかった。
ダンボールとは言いながらも、スペースノイドたちが使っているダンボールと呼ばれるものは、やはりシリコン樹脂製のものが大半なのだが、それがローバーが何かを踏んづけてゆれるたびに、結構な跳ね方をする。
ゴンザレスが頭突きしながら
「これは意外と厄介じゃぞ!」
と言ってきた。重量物が入ったダンボールが上から降りかかってこようとするからだ。
そのおかげで二人は退屈せずにコンテナ旅行の道のりを満喫することが出来た。
「そろそろですね。」
コンテナの中にいても月面ローバーが徐行を始めたのが分かる。
今、カメラの映像は隣に詰まれた別のコンテナを写しているので、あまり当てにはならないが、それでも、周囲の明るさが変わったことから、屋内に入ったであろうことが分かる。
何度かローバーが一旦停車したのは分かったが、ローバーのモーターの振動まで完全に消えた。
しばらくコンテナに座り込んだ尻にゴトゴトと振動を感じてはいたが、カメラの映像に変化があった。
隣のコンテナが吊られて宙へ消えていったのだ。
間もなく、ホジョウとゴンザレスの乗ったコンテナもクレーンで吊られて移動を始めた。
「ホジョウ君、これはどこに行くんだね?」
カメラには工場内を動く様子が映し出されている。
「恐らく、荷物の集積場に一度貯められます。すぐに開けられることは無いでしょう。」
このコンテナの輸送ラインはキャルフォルニアベースにもあったもので、一般的に知られているシステムだ。
案の定、コンテナが積みあがった集積場が見えてきた。
「ゴンザレス博士、隣に次のコンテナを置かれたら終わりです!コンテナが止まったらすぐに出るために、扉のほうへ移動しましょう!」
長時間座っていて立つのが辛そうなゴンザレスに手を貸すと、ホジョウはコンテナの扉側へと移動した。
カメラを確認すると置かれる場所は地上10mぐらいの高さがありそうだ。
コンテナの輸送システムは無人で、このテのシステムは、崩落事故に人間が巻き込まれる事故を防ぐために、稼働中に人間が近くにいないことが推奨されている。
そのため誰かに見られる可能性は低い。
ホジョウはゴンザレスのヘルメットを片手で引き寄せると指示を出した。
「ゴンザレス博士、恐らく10メートルほど飛び降りる必要がありますが、ここは月面なので、地球で言うところの1.7メートルほどです。」
「1.666…の循環小数じゃな。」
「そうです。ですが、低引力下では落下時の姿勢の制御が1G下よりも難しい。私が先に飛び降りて、博士をキャッチします!ビビらずに飛んでください!さもないと月面の倉庫のコンテナの中でミイラになりますよ!」
「う…うむ、分かった!」
衝撃とともにコンテナが停止した。
ホジョウはコンテナの扉を内側から開けると、自分で先ほど取り付けた監視カメラを引き剥がして、そのまま飛び降りた。
ホジョウが飛び降りた方法は軍隊式の前転気味に飛び降りる方法で、体のどこから接地しても、落下のエネルギーを前方向に逃がす飛び降り方だ。
地球で言うところのたった1.7メートルでも落ち方が悪ければ大怪我をする。
ホジョウも訓練したことはあったが、実際の月面の6分の1G下でやるのは初めてだった。
「成功だ!」
我ながらぶっつけ本番で上手く転がれたと軽くガッツポーズをしている。
そして、すぐに立ち上がると、振り返ってコンテナを見上げた。
実際にはコンテナは3段目で8mほどの高さだった。
これだったら足から普通に着地すればよかったと思ったのも束の間、ゴンザレスが飛び降りてきた。
ゴンザレスは思ったよりも低いので安堵した表情で飛び降りたが、その安堵の表情はすぐに引きつった。
足から着地するつもりが、ゆっくり落下しながらも体が前方に傾き、およそ斜め45度ぐらいで地面に顔から突っ込む体勢になりつつあったからだ。
ホジョウはその45度の状態のゴンザレスを空中でキャッチした。
そして、真っ直ぐ地面に立たせる。
ホジョウは次のコンテナがすぐには来ないことを確認して垂直にジャンプした。
ジャンプして叩くようにコンテナの扉を閉めると、ゴンザレスを見る。
ゴンザレスは先ほどの飛び降りの体験が強烈だったらしく、文字通り右手で胸をなでおろしていた。
ホジョウはゴンザレスにヘルメットで頭突きをすると
「行きましょう!ここまで順調です!」
と語りかけた。
「おお、よし!」
ゴンザレスも平静さを取り戻したようだ。
そうして、二人は倉庫内を走り出した。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
耳目
ホジョウとゴンザレスは下手に無線を使って傍受されるわけには行かないので、お互いの無線機は切ってあった。
ノーマルスーツを隔てた外の世界は、無音の真空の世界だ。
今は自分の呼吸の音と、走る服がこすれる音だけが聞こえる。
ホジョウ頻繁に後ろを振り返るとゴンザレスも懸命についてきていたが、博士はいい年齢(トシ)だ。
まずは休憩が必要だろう。
ホジョウは作業員達の死角になりそうな場所を見つけると、そこにゴンザレスを誘導した。
ゴンザレスを休ませながら、端末でダウンロードしておいた施設のマップを見る。
ここまで走ってみた景色から、大体の現在地のあたりをつける。
ホジョウはゴンザレスにヘルメットをつけて話しかける。
「博士!近いですよ!すぐ2件隣の建物が例の核パルスエンジンが格納されていたという倉庫です!」
「よーし、もうひとふんばりじゃな…」
ホジョウはゴンザレスと幾つかハンドサインを確認して、まずは自分達が今いる巨大な仮置き用の倉庫をどうやって出るか考えた。
この場所は、AI制御の天井クレーンが主に作業する場所で、半開放になっている。
特に細かい監視も無さそうなので、この中を移動するにはさほど難しくも無い。
どうせ、倉庫作業してる人間はジオンのノーマルスーツを着てヘルメットをかぶっているので、敷地内を動くにも問題はないだろう。
ただし、向う先の倉庫には監視がいるかもしれないし、何より、一つ一つの建物が馬鹿デカいので、移動するのが大変なのだ。
「あ。」
ホジョウが考え事をしている目の前にタイヤ付きの台車が置いてある。
手近な段ボール箱を見つけて、そこにゴンザレスを押し込むと、台車にのせて移動することにした。
「博士、ボクの端末を貸してあげますから、これで外の様子が見えるので。」
「なるほど。」
ホジョウは台車の適当なところにカメラを貼り付けると、箱の中のゴンザレスに外の様子が見えるようにした。
「これで走れる。」
ホジョウは台車を押して軽快に走り始めた。
ゴンザレスは今回の作戦で足手まといになるのは分かっていた。
しかし、ホジョウでは核パルスエンジンの格納施設を見ても有用な情報を拾うことは出来ない。
なので、ホジョウの今回のミッションはゴンザレス博士の目と耳をここに運び込むことが目的だといえる。
先ほど見た見取り図の通りだと、そろそろ、目的の倉庫にたどり着く。
そして、その倉庫には予想に反して警備もなにも立っていなかった。
ホジョウは台車を一度置くと、その核パルスエンジンが置いてあったといわれる倉庫に近づいて観察した。
やはり、警備されていない。
台車を物陰に運び込むと、ゴンザレスを出す。
「博士、倉庫に警備がついてないようです。」
「運び出したあとか…とにかく、中を確認せんといかん。」
一応周りを警戒しながら倉庫に入ると鍵もかかっていなかった。
入ってみると巨大な倉庫は天井ハッチが開いたままになっていた。
「これは!?」
そのゴンザレスの声はホジョウには届かないが、何かに驚いていることは分かる。
ゴンザレスがホジョウのヘルメットによってきた。
「ホジョウ大尉!核パルスエンジンは組みあがった状態で保管するためには常に通電して制御する必要があるんじゃが…ここにはその制御の装置が2セットある!」
言われてみると、駅前の自販機のようなものが二台置いてある。
「バックアップ用ではなく使用されていた痕跡が双方にあると言うことは、核パルスエンジンは2基あったんじゃ!」
「片方はブリティッシュ作戦時のものではないんですか?」
ゴンザレスは「なるほど!」と言って、巨大な倉庫の中を自販機モドキの片方めがけて走っていった。
そして、すぐにもう片方へ走り出した。
ホジョウはそれを追いかけた。
「ホジョウ大尉!どちらも数日前まで使われとった痕跡がある!やはり二台あったんじゃ!運び出されたのは二台じゃ!」
「運んだとすると天井ハッチからですね。このサイズのものを真上に運び出せる輸送機は限られます。」
ゴンザレスは床を這っている太いケーブルを追って走り始めた。
ホジョウもその後ろをついていく。
そして、ゴンザレスはケーブルの伸びている先の部屋に入っていった。
黄ばんだり色あせたりした旧式のコンピューターが並んでいる。
追って部屋に入ったホジョウにゴンザレスがヘルメットを寄せて話しかけた。
「ホジョウ大尉、これが核パルスエンジンの制御システムじゃ。核パルスエンジン自体はワシが生まれた頃にはすでにあった技術で、そこから進んではおらん。我々が掴んでいた核パルスエンジンの情報は『ここにある』ということじゃった。ハッキングで核パルスエンジンの制御が行われていることまではわかっておったようじゃが…2基とは盲点じゃった。何せ、休止信号を送るだけの単純な制御じゃから、機械が古すぎて何台あるかまでは分からんかったと言うことじゃろうな…」
その話を聞きながら、ホジョウは部屋の電源が切れた旧式のディスプレイに人影が映るのを見た。
少し迷ったが、自分が今入ってきた入り口に中段キックを放つ。
蹴り飛ばしてから振り向くと、案の定、銃を持っていた。
そのまま、通路に出ると、もう他には人はいないようだ。
蹴りはきれいにみぞおちに入った感触だったので、しばらく起き上がってくることは無いだろう。
吹っ飛んだ銃を見るとジオン公国軍の正規の装備品ではない銃なので、恐らく、こいつもアウトローだ。
起きられると面倒なので、倒れた相手のノーマルスーツの小物入れからダクトテープを出すと、後ろ手に縛っておいた。
ヘルメットを寄せて首元を覗き込むと酸素残量が多くは無い。
ペトローニ女史から貰った酸素ボンベは、軍需品で足がつかないブツなので、そいつを新たに差し込んでおいた。
手は縛ったので無線のスイッチは入れられないが、じきに目が覚めたら自力で歩いてどこかにたどり着くだろう。
偏光がかかって見づらいながらも一応、どんな人間か確認してみると、ヒゲのオッサンだった。
「ゴンザレス博士、コイツ誰か知ってますか?」
「知らん。」
ホジョウは再びゴンザレスをダンボールに入れて台車に乗せると、軽い足取りで倉庫を後にした。
せいぜい2キロメートルも走れば、タニアの待つポイントにたどり着ける。
さて、上手くことが運んだと見せかけて、実はホジョウにはもう一つ気がかりなことがあった。
今は真空中でホジョウもゴンザレスもノーマルスーツを着て活動しているが、どこでもいいのでエアロックを通らないと、エアドーム内で待っているタニアの場所にたどり着けない。
エアロックは無数にあるが、すんなり通れる場所などあるだろうか。
カードキーが無いと基本的にエアロックが通れない。
カードキーを紛失や破損した場合には係員に申告して通るのだが、流石にその方法を使うとつかまるだろう。
正々堂々とジオンの軍人だと名乗ってしまうと、せっかく地球撤退のゴタゴタで上手く行方不明者になっているのにそれも台無しだ。
ホジョウはそこまで考えたところで、再び先ほどの倉庫に戻った。
まだ、ヒゲの男性は気持ちよさそうにノビている。
ポケットを探るとカードが出てきた。
「へえ…」
キシリア・ザビ直轄の諜報部員のようだ。
「この肩書きならお気に入りの銃を持っててもどこでも出入りできるよな。」
せっかくなので、お気に入りの銃も拝借しておいた。
取るものを取ると、再びホジョウは構内を走り始めた。
走っていると、倉庫作業員が台車に乗ってキックボードのように滑走しているのが見える。
「ああ、そういえばそんなことやってるヤツもいたな。」
ホジョウはキャルフォルニアベースではさんざん他人に「台車に乗るなよ」と注意していた。
その実、内心、いつも少しうらやましく思っていた。
楽しそうなのだ。
今は自分のことを注意する人間はいなさそうだ。
ホジョウもやってみることにした。
「楽しい!」
楽しかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
5キロメートル
ゴンザレスはロドリゲス&コーネル運送に帰ってきたところで、ペトローニ女史を早速呼び出した。
「大変なことを見落としておった。核パルスエンジンは2基あったんじゃ。そして二つとも消えて、送り先が分からん。」
話している場所は例の社長室だ。
コーエンもいる。
ホジョウは社長室のドアの外をちらりと見ると立ち聞きされていないか確認してから、ひととおりの経緯を話した。
その話を聞き終わったあと、ペトローニ女史も社長室のドアを開けると、立ち聞きしている人間がいないかどうか再度確認してから話を始めた。
「私のほうにも1つ情報が入ってきました。コロニーレーザーを使用するのがほぼ内定したそうです。」
「なるほどのう、1基はコロニーレーザー用じゃったか。」
ゴンザレスとコーエンは納得している。
ホジョウはいまいち飲み込めていないようだ。
タニアは「なるほどコロニーレーザーか」と言いながら頷いている。
コーネルが手を挙げて発言の意志を示した。
「私からも報告がある。例の引っかかっていた件だがこれだ。」
ホジョウはコーネルが机の上に投げ出したパンフレットを見た。
アナハイム・エレクトロニクス社の出している、企業向けの製品紹介パンフレットだ。
「このページが折ってある所…ボールペンで丸で囲っているところがあるだろう。それだ。シールド線だ。このシールド線のことだったんだ。核パルスエンジンは点火すると…要は断続的に核爆発が起きるわけだが、恐ろしい強さの電磁波のノイズを発生する。そのノイズのせいで制御が不能になって暴走して爆発する危険がある。」
「あ、これさっき見ましたね。倉庫に転がってたケーブルがまさにこれです。」
ホジョウがそう言うとコーエンは答えた。
「勿論そうだろう。このシールド線はその強烈なノイズを遮断して核パルスエンジンの安定した制御を可能にする線なんだ。このクラスのシールド線を供給できているのは現在、アナハイムだけだ。ジオンはこのシールド線の供給をアナハイムに絶たれるとコロニー兵器の制御が不可能になる。そのため、アナハイムの本社がある、このフォン・ブラウン市は未だに『中立』を保っているんだ。…と私はそう考えている。」
「ワシもそれはそう思う。見落としておったな。シールド線の供給先を追えばええのか。」
ゴンザレスの導いた結論に、コーエンは気がけて慎重に答える。
「このシールド線AE-HQSW90-2Tの使用用途は核パルスエンジンだけではないが、コロニー兵器には必須だ。前回のブリティッシュ作戦のときアナハイムがジオン公国軍に供給したケーブル長は5キロメートルだった。そして、今回ジオン軍が購入したケーブル長も5キロメートルだ。」
「2基分だから10キロメートルじゃないの?」
タニアが先に突っ込んだ。
全員がコーエンに注目する。
「それが間違いないんだ。ジオン内部の信用できるスジの情報だ。これが私も気になっている。」
その話を聞きながら、ホジョウはジオン公国軍のIDカードと拳銃を取り出して眺めた。
「あの人、何してたんでしょうね?あそこで。」
所属は突撃機動軍参謀部別室とある。
俗に言われるキシリア機関の連中が良く使う所属名の1つだ。
「お話を聞いてみてもいいかもしれないですね。」
ホジョウがそう言うと他の4人がのけぞった。
「そんなヤバいところにクビ突っ込んじゃうんですか!?」
タニアが目を丸くしている。
ホジョウは首を捻りながら、
「あの人はそんなに悪い人じゃないと思うんだよな。」
と呟いた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
犬舌
ホジョウはフォン・ブラウン市の街中にいた。
マスクをしてそこそこ顔を隠してはいるが、たいした変装もしていない。
公衆電話で突撃機動軍参謀部別室を呼び出すと、話したいことがあると告げた。
「ピーター・スズマン上級曹長ですね。」
20分もしないで指定の場所にヒゲ面は到着した。
そして困惑した顔をしている。
まさか自分を気絶させて身分証と拳銃を奪った相手が直接連絡を入れてくるとは思ってないだろう。
なので恐らく拾ったのか、何なのか。
ホジョウが指定した店には、公国軍の情報部が好きそうな席がある。
スズマンがその気であればホジョウとスズマンが座った席をいつでもスナイパーや工作員がマークできる、理想的な席だ。
逆に言うとそのベタさゆえに防衛も簡単で、例えば、今回ホジョウはザイオンイヤーズカンパニーを通じて警備員を雇って、それらのポイントを狙っている。
実直なジオンの諜報員であれば絡め取られるのではないかと、ホジョウは踏んでいた。
「はじめまして。タミヤと申します。スズマンさんでいらっしゃいますね。お呼びたてしてすいません。」
「いえ…『ハナシ』と言うのはなんでしょうか。」
ホジョウは会話しながら視界の端に雇われ警備員のサインをとらえた。
ホジョウが配置した5つのポイントのうち、2ポイントにスズマンの仲間がいるようだ。
手はずどおり、フォン・ブラウン市警に不審者として通報が入っただろう。
ホジョウはそのために予め警備会社を通じて拳銃を警察に回してある。
フォン・ブラウン市は中立なので、連邦の人間も、ジオンの人間も自由に出入りできるが、軍籍の人間が警備区域でもないのに銃を携行しているとなればハナシは別だ。
警察はホジョウとスズマンが会うことは知らないが、銃を持った人間がこの周辺にいるかもしれないことは伝わっていて、警戒を強化している。
「せっかく、喫茶店なので、何か注文してからにしましょう。」
2人はそれぞれ飲み物を注文した。
ホジョウはそこまでガラにもなくゆっくりしゃべって時間を稼いでいたが、警備員からの2度目のハンドサインで、スズマンの二人の仲間に警察の職務質問が始まったことが分かったので、本題に入った。
「こちらを拾いまして。」
スズマンはIDカードとタミヤと名乗ったホジョウの顔を何度か見比べた。
倉庫でスズマンはホジョウの顔を見ていない。
スズマンからすれば単に拾った人間かもしれないし、自分からIDカードを奪った人間かもしれない。
「紛失して困っておりました。タミヤさんはこちらをどこで?」
スズマンはIDカードを大事そうにしまうと緊張した面持ちで尋ねた。
「倉庫で倒れたあなたのポケットから拝借しました。申し訳ない。」
「えっ!?」
スズマンはまさかとは思ったが、自分を蹴り倒してIDを奪った本人が、直接自分を呼び出した事実に口をパクパクしている。
「まあ、落ち着いてください。私も撃たれる訳には行かなかったので。だいたいの人間がそうですよ。」
「…お前、何考えてるんだ!?」
ホジョウはスズマンが胸ポケットからハンカチを取り出すのを見て、咄嗟に身構えた。
スズマンは何か仲間へ分かりやすい合図を持っているはずなのだ。
今のところ発見できたスズマンの仲間が2人と言うだけでそれが全てだと言う保障は無い。
狙撃されたらたまったものではない。
ホジョウの動きを見ながらスズマンは眉をひそめた。
「連邦のスパイか…?」
ホジョウはその質問には答えなかった。
「スズマンさんは、あそこで何をしていたんですか?私の探し物は1基の核パルスエンジンでしたが、実際には2基あったらしく、その2基ともどこかへ運ばれた後だったんです。」
「…」
スズマンは答えない。ホジョウの言動を注意深く観察している。
「そして、1基はジオン公国軍が何らかの作戦に使おうとして持ち出した。どこへ運ばれたのかはすぐ分かると思います。しかし…」
「もう1基が分からないっていうことか。」
「その通りです。スズマンさんはご存知じゃない?」
スズマンは何か言おうとしてやめるのを何度か繰り返して、とうとう口を開いた。
「オレもそれを調べていたんだ。」
ホジョウたちはスズマンがあの場所にいた目的を幾つか考えていた。
その上でカマをかけることにした。
「それはジオンの倉庫に明らかにジオンの人間によって、ジオンの所有じゃない核パルスエンジンが保管されて、運び出されたことについてですか?」
コーエンが練った質問だ。
コーエンは、キシリア機関はジオンの中にいる反乱分子を始末する機関の側面も持つため、あの謎のもう1基の核パルスエンジンがそもそもジオンの内部の反乱分子によって持ち出されたのではないかと仮説を立てた。
「そう思っていただいて結構だ。」
コーエンの予想は当たったようだ。
もう1基の核パルスエンジンはジオン内部の別の不穏分子が公然と隠し持ち、そして、運び出したのだ。
「ありがとう、スズマンさん。役に立つか分からないが、これを貰って欲しい。」
ホジョウは胸の内ポケットからアナハイムのパンフレットを出した。
「このボールペンで丸がつけてある製品。これが無いと核パルスエンジンが運用できない。もし、核パルスエンジンが運ばれるとしたら、このケーブルも一緒に運ばれているはずだ。ブリティッシュの時には公国は5キロメートル買っている。しかし、今回2台運び出されたのに、公国は5キロメートルしか買っていない。」
スズマンはパンフレットを素早くしまうと、運ばれてきた飲み物に口をつけた。
「思ったより良いコーヒーだな。」
スズマンは少し顔をほころばせた。
「それは良かった。」
ホジョウはお仲間が二人、警察の職務質問を受けている件について謝った方が良いかどうか考えていた。
そう考えているとスズマンはコーヒーを飲み終わってしまった。
そして一段低いトーンでホジョウに切り出した。
「マハルで強制疎開がはじまる。コロニーレーザーはマハルだ。」
そう言うとすぐに立ち上がって、テーブルに小銭を置くと店を出て行った。
ホジョウはあの熱いコーヒーを良くぞあのスピードで飲むなあ、と感心しながら、自分は残りのミックスジュースを飲んだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
暗号
ロドリゲス&コーネル運送は休日だったため、いつもは狭い社長室で立ち話だったが、今日に限ってはそこそこ広いオフィスが使える。
コーエンはホジョウの報告を聞いた上で、提案をした。
「我々が取れる方法は4つある。まず、アナハイム・エレクトロニクス社を締め上げてシールド線の納入先を聞きだす方法が1つ。フォン・ブラウンの外れにある公国軍の軍需品倉庫の連中を締め上げてもう1基の核パルスエンジンに関わってた連中がどんな連中か聞き出す方法が1つ。マハルコロニーに核パルスエンジンを運んだ連中を締め上げて、同じくもう1基の核パルスエンジンに関わってた連中がどんな連中か聞き出す方法が1つ。最後にもう1つ。」
「まだあるんかいのう?」
ゴンザレスも首をかしげている。
「我々は特にコロニー間の通信ではビーム通信を採用している。通信に使う電磁波は比較的近距離で行われるような通信では一点から全方向に拡散するラジオのような電波を用いた通信方法を用いるが、異なるサイドにあるコロニーの間や宇宙を航行する船同士の通信では距離が遠すぎて通信に適さない。そのため電磁波を収束したビームによって通信を行う。」
「そういえば高校で習った。」
「士官学校でも習いましたね。」
「まあ、そうなっとるわな。」
コーエンは3人の反応には対して興味が無い様子だ。
「そこで、消えたもう1基の核パルスエンジンに関わっていると思われる連中が、互いに通信をしようと思ったらどうなるか考えてみた。」
コーエンはオフィスのホワイトボードの前に立った。
そして、置いてあったペンのキャップをあけると、試し書きをして「うむ書ける」と言った。
「今いるフォン・ブラウンは地球側。対してマハルがあるサイド3は月の裏側だ。この2点間で何らかの通信をするとなると、そもそも拡散する電波でも、ビームでも月そのものが邪魔をして通信が開かない。月の周りを回る通信用衛星はルウム戦役でサイド5が落とされたときに巻き添えで結構な数が機能不全を起こしている。これに関しては南極条約で連邦と公国がそれぞれに資金を出し合い、それこそアナハイム・エレクトロニクスが元請になって修復を進めている最中だ。」
コーエンは説明しながら月の周辺の通信衛星の略図を書いている。
「結果、より確実な通信の方法は、月の地中を走る光ケーブルでまず、フォン・ブラウン市から見て裏に当たるグラナダ市まで通信して、その後にサイド3の各コロニーへ向けられたグラナダのビームアンテナを使ってマハルに通信を送る。マハルと通信するアンテナを特定するのは難しくない。どうせ連中は強度に暗号化された通信を用いるだろう。マハルの住民は…これは私の印象だが、お世辞にも教育が行き届いているとは言いがたい。通信を自発的に暗号化する人間は極めて少ないだろう。」
「と言うことはマハルとグラナダ間の通信を傍受して、その中で暗号化されているものだけど拾えば、高確率で…」
コーエンはホジョウの言葉をさえぎった。
「それは少し違うな、ホジョウ大尉。マハルとグラナダ間の通信であっても、共用アンテナを使う場合は全ての通信は暗号化されている。これは通信のデータ量を圧縮するのが主な理由で、通信業者などが勝手に行う暗号化だ。公国も連邦の軍人も民間や共用の回線を使用して暗号化通信を行った場合、まず自前の暗号が作られる。そしてその暗号化された通信が、さらに通信業者の暗号技術で処理される。」
「じゃあ、すぐにグラナダに行かなきゃ!」
コーエンはそれも否定した。
「ロボ曹長、待ちたまえ。実は私もそこまでは分かるのだが、具体的にその技術を持っているわけではない。」
「ふむ、通信傍受と暗号解読の専門家じゃなけりゃ厄介じゃな。」
コーエンはやっと同意した。
「ゴンザレスの言うとおりだ。これはその道の人間じゃないと出来ない仕事だよ。ペトローニさん、組織の中にその技術を持っている人間はいないか至急調べて欲しい。」
「分かりました。」
ペトローニ女史は自分のデスクの引き出しを開けると、古い革表紙の手帳をめくった。
しばらく無言の時間が続く。
「この人物はどうでしょう?」
そして、手帳のあるページを指差してコーエンに見せた。
ゴンザレスも横から覗き込む。
「なるほどアブドルアジース博士か。ワシもすぐに思い出すべきじゃった。適任じゃろう。今はご退官されてズムシティに住んでおられる。」
「すぐに連絡を取ります。」
ペトローニ女史が事務所を飛び出していった。
ペトローニがいなくなった後にホジョウがコーエンに質問した。
「なぜ、連絡取るのに出て行かれたんですか?」
コーエンは簡単に説明した。
「我々の暗号は難しいものではない。普通に企業のダイレクトメールに偽装されている。例えば、今回の場合『メガネのサバエー堂フォン・ブラウン本店で新作メガネが大特価』とでもメールを打つのだろう。しかし、本文中に特定のシンボルが埋め込まれている。」
コーエンは説明しながら他愛も無い文章を書き始めた。
I sold apples for 10U$.
Six apples was bought.
「この文では左から3文字目に〇(マル)と×(バツ)がそれぞれ縦に並んでいる。この横書きにしたときに〇と×が縦に並ぶ形の文はあらゆる言語で作ることが出来る。このシンボルが3箇所以上、本文に含まれているダイレクトメールなら我々の暗号だ。これを見つけるためにはダイレクトメールのチェックをある程度しないといけないので少々骨が折れるが…実際にメールを送ってくる企業は元ラル家に連なる企業になりがちなので、そこそこ探せる。メールの発進元を迂闊に偽装して目をつけられると厄介なので、多分、系列会社までメールを送りにいったんだろうな。これが実際のメールだ。」
コーエンはポケットから端末を取り出して見せると結婚相談所からのメールが入っている。
「顔文字ですね。」
コーエンは顔をしかめた。
「そうなんだ。この暗号を考えた人物が誰かは分からんが、この暗号で文章を作る達人が何人かいるらしく、最近はワル乗りが過ぎる。」
「結構…過激な文章ですね。」
タニアが言葉を選んだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
偽名の船長
早朝にたたき起こされて出社すると社長室に見知らぬ年配の男性と若い女性が立っていた。
「紹介しよう、アブドルアジース博士とお孫さんのマイさん。博士、こちらはタミヤご夫妻。」
コーエンが紹介した。
ホジョウとタニアは内心「あ、そっちの設定で行くんだ」と思った。
「どうも、はじめまして。」
通り一遍の挨拶をする。
「今の政情ですと、孫娘のマイをズムシティに一人で置いておくぐらいでしたら、フォン・ブラウンに連れてきた方が安全でございます。思い切って連れて参りました。」
小柄な二人で特にマイのほうは華奢で可憐な美人だった。
コーエンは通り一遍の話をするとアブドルアジース博士は、通信傍受は宙間で行う必要があると主張した。
「ルウム戦役で破壊された通信衛星は皆が思っているよりも早く復旧しておるんです。タイミング次第で、すでに月を回る衛星通信が使える場合もあります。また、サイド6経由の通信も可能性は否定できなくもありません。これらを全て傍受するならマハルコロニー周辺の宙域で致しますと確実でございますな。」
アブドルアジース博士の説明によると電波ビーム通信の場合、完全に収束した平行な電波ではなく、中心角0.1度から1度ぐらいで距離や用途に合わせて絞った電波を使用するらしい。
「学校では完全に直線的な電波で通信すると教わってました。」
ホジョウが感心しているとアブドルアジース博士は何気なく
「学生の皆さんがお勉強していただくには、それぐらいの理解で不便はございませんので。そのように教科書は作らせていただきました。」
と返した。
「え!博士が教科書作ったの!?」
「こら、ロビン。お言葉づかい。」
「あ、ごめん。」
ホジョウは夫婦芝居も板についてきたなと思いながら、アブドラアジース博士が微笑んでいるのを見ていた。
すると、部屋の外からどたどたと足音が聞こえる。
あの足音はゴンザレスだ。
「先生きとったか!アンテナを入手しておいたぞ!」
「ロドリゲス会長もお達者でございますね。お久しぶりでございます。」
ホジョウはアブドルアジース博士の順応の早さに内心舌を巻きながら、ここでゆっくり挨拶をしていてはいけないと焦った。
「とにかくマハルへ急いで向う準備をしましょう。」
このテの作業は元々ホジョウの専門分野だ。
全員分のノーマルスーツを手早くチェックして、水、食料、酸素などをチェックするとあっという間に発進準備を整えた。
「タミヤさん。」
ホジョウがペトローニ女史に呼びかけられて振り向く。
「前回の着艦時はこちらで上手くごまかしましたが、今回は月面の管制をきちんと通して出航します。ライセンスは偽造できますが、実際に船を運営できるのはタミヤさんしかいないので、よろしくお願いします。」
「ああ、そういえば。」
今までなし崩しにホジョウが操船していたが、確かに発着に伴う細かい手続きはライセンスを元々持っている人間じゃないと難しいだろう。
「船名はラモックス・ザ・スタービースト号です。こちらのバインダーに船体登録証と各種書面が入っています。あと、旧式なので見なくても分かると思いますが、こちらが一応マニュアルです。」
「了解しました。」
ホジョウは書面に目を通していく。
「なるほど、今回の出航目的は荷受ですか。」
書類にはマハルコロニー周辺の宙域で荷受するのが目的となっている。
「名目上はそうなっていますが、別にそのまま別の目的地に行って頂いても大丈夫なようにします。こちらが暗号表です。」
ペトローニとホジョウがブリーフィングしている間にも、ゴンザレスとコーエンが、貨物船に通信傍受用のアンテナを取り付けている。
アブドラアジース博士の指示を仰ぎながら作業しているようだ。
ホジョウはその作業にケリがついたのを確認して、ペトローニ女史へ挨拶した。
「では、行って参ります。」
ここは月面の倉庫でもだいぶ辺鄙な場所にあるため、離陸の渋滞に巻き込まれることは無い。
出航許可はいつでも出るだろう。
「タミヤ船長です。ハッチ開けてください。」
ホジョウは無線で事務所に倉庫の天井ハッチを開けるよう指示した。
ハッチは耳でも当てれば大きな音を立ててあけるのだろうが、なにぶん空気が無いため船内の音しか聞こえない。
「船長のタミヤです。乗員はノーマルスーツとヘルメットを着用し、シートに身体を固定してください。」
船内にホジョウの声が響く。
ホジョウは次に無線の周波数を管制に合わせた。
「フォン・ブラウン、フォン・ブラウン、こちらラモックス・ザ・スタービースト号、船長のホセ・タミヤです。申請番号は007912170042。出航許可を求めます。」
「グリニッジ時0918、ラモックス・ザ・スタービースト号、出航を許可します。なお、現在、連邦所属の艦船が民間人の昇降の為に8番軌道を利用しています。優先して下さい。」
「ありがとう。」
コンソールに今日の月面の注意すべき艦船の運行計画が送られてきた。
西回りは少し混雑しそうだが、マハルコロニーはサイド3の中でもそちら寄りだ。
船はゆっくりと垂直に上昇すると、徐々に加速して月面から見る瞬かない星空へ吸い込まれていった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
コロニーへ行く船
「船は等加速に入りました。シートへの固定義務が解除されます。また居住区内でのヘルメットの着用義務が解除されます。」
ホジョウは船内放送を終えると、ヘルメットを脱いだ。
エアが勿体無いのだ。
「すごいじゃん、ちゃんとした船長みたいじゃん。」
タニアが茶化す。
船内で放送はしているが、この段階で乗員は全てホジョウが操船するブリッジにいた。
放送をしているのは単にそういうルールに則っているだけだ。
「そりゃあ、一通りのライセンスは持ってますから。」
とはいえホジョウも民間船をまともに運用するのは初めてだった。
なんなら公国軍の船も船長経験はない。
「タミヤ船長、加速はどれぐらい続くかな?」
コーエンの質問にタミヤは「30分ほどです」と答えた。
「仮眠するなら、ベルトをしないといけないな。」
「どちらにせよベッドを使うときはベルトはしてください。」
コーエンは「了解」といって居住区域に消えていった。
「ワシと先生は通信システムのセッティングをせんといかんな。」
「そうですね。」
ホジョウは2人がどこに店を広げて作業するのか気になったが、どうせ食堂だろうと、特に聞かずに見送った。
「お二人は指輪されてないんですね?」
ホジョウが驚いて振り返ると博士の孫娘のマイだ。
「え、ああ、はい。」
「おじいちゃんについてきちゃってすいませんが、よろしくお願いしますね。奥様、どちらの部屋が開いてるか教えていただいていいですか?」
次はタニアの番だ。
「え!?なんか適当に空いてる部屋使うんですけど…ご案内しますね。」
二人が出ていくとたいして広くもないブリッジもがらーんとしている。
コンソールを操作してメインパネルを船首カメラの映像にだけ映るように切り替えると、さきほど管制がいっていた通り8番軌道に連邦の長ぼそい客船らしき船が停泊していて、月面との間でHLVが行き来している。
その景色を一目見てからホジョウは再び船の操舵情報を映した。
淡々と運行計画と現在の軌道をチェックしはじめる。
予定通りで特に問題は無い。
運行状況の各項目を順に確認している内に、船は規定の速度に達した。
この船は月をぐるっと回るようなルートを飛んでいるわけだが、船の舵は真っ直ぐ前を向いている。
真っ直ぐ推進しながらも、月の引力に引っ張られて落下しているため、自然と円みのある軌道を描くのだ。
サイド3も月の裏側から見ればはるか高い上空にあるように見えるわけだが、今回は月から見たときのサイド3の高さ以上まで高度を上げながら飛んで、角度を変えて落ちながらサイド3に到達する急行列車とも言えるルートを通る。
「ブリッジです、ただいまより船は加速を停止します。無重量にご注意ください。」
加速によって得られていたほのかな人口重力が消失して無重量になる。
気の利いた客船なら、人口重力を得るために回転するのだが、この船はそういうことを想定して作られていない。
回転するとどうして人工的に重力が作られるかと言うと、バケツに水を入れてグルグル振り回してもこぼれないのと同じ理屈だ。
振り回されたバケツの水はバケツの底のほうに押し付けられる力が働くので、十分な速度で回せば、タテに回しても水はこぼれない。
そのためスペースコロニーは回転していて、壁の内側にある物体を壁に押し付けている。
こうした現象は遠心力と言う言葉でも説明され、現在、人類が人工的に重力モドキを得る数少ない方法だ。
これを一般に人口重力と呼んでいる。
スペースノイドでも一生を生まれたコロニーで過ごすようなタイプの人間はこの人口重力を自然な環境だと考えて過ごすことに成るが、本物の地球の重力とコロニーの人口重力がどう違うかはここで書くのは避けよう。
とにかく、人口重力と言う技術が要所で使われているということはご理解いただきたい。
対して重力がない状態を無重量と呼ぶ。
無重量では色々便利なことも多いが、大変に不便なことがある。
それは人体は無重量状態が長く続くと病的に筋力と骨密度が衰えてしまうことだ。
簡単な衝撃で骨折したり、最終的には自力で呼吸できなくなる。
それ以外にも脳圧異常で視力が衰えやすくなったり、脳が痩せたり、はたまた別の理由で腎臓結石が出来やすくなったりする。
そうした症状をまとめて低重力障害と呼ぶ。
それら低重力障害が乗員に発生するのを防ぐために、こうした宇宙船には人口重力の効いた小型のジムルームが入っている場合も少なくはない。
ただし、皆さんのご推測の通りこの船にはそんなハイカラなモノは無い。
ホジョウは船長室のモニターにも船首カメラの映像が映るようにセットすると、船長室にこもってエアバイクをこぎ始めた。
「身体、なまって来たな。」
無重量空間ではスペースノイドたちは焦って運動を始める。
しかし月面には弱くとも引力があるので、焦り方が弱く、運動を始めない。
なので月世界人たちは、一番危険な無重力空間で働く労働者達に比べても、骨と筋肉で低重力障害になりやすい傾向がある。
ホジョウも頭では分かっているが、引力があるとスイッチが入らない。
結果、月へ行ってからろくに運動していない自分の生活を反省し、焦って運動しているというところだ。
そこへタニアが入ってきた。
「どうしました?」
タニアは口を尖らせている。
「なんか、マイさんに『夫婦で別の部屋って変じゃない?』みたいなオーラをすごく出されて…」
ホジョウは「あの孫娘はスペースノイドとは思えない価値観をしているな」と思いながらも、博士の孫娘相手にたじたじになっているタニアをにやつきながら見ていた。
「ひどい!」
ホジョウはハッとした。
「いや、違う!誤解です!そういう意味で笑ったんじゃないです!なんか、マイさん相手に妙に弱いの面白いなって。」
「だとしてもヒドいですよ!代わってください!私も漕ぎます!」
ホジョウがエアバイクを空けるとタニアは猛然と漕ぎ始めた。
その様子もまた可愛らしくて面白かったがホジョウは今度は顔に出さなかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
宙間通信傍受作戦
「予定通り作戦宙域に到着します。180度転換後、およそ5分間の加速を行います。」
ホジョウの声が船内に響く。
ラモックス・ザ・スタービースト号は船の前後をひっくり返してメインバーニアを噴射した。
そうして、目的地のサイド3マハルコロニーとの相対速度をゼロにする。
それは減速ではないかと言われるかもしれないが、どこの速度に基準を置くかが重要なので、この場合、乗客たちにとっては無重量状態の自分達が基準になる。
なのでマハルコロニーから見れば、向ってくる宇宙船が減速しているように見えるが、宇宙船の乗員にとっては、紛れも無く加速だ。
コーエン以外はブリッジにやってきてシートベルトをかけている。
案の定、ゴンザレス博士とアブドルアジース博士は食堂に無線設備を広げていた。
「今やっている作業を説明しますと、通信業の皆さんがコロニーに無線基地を新しく開くのとほぼ同等の作業でございまして…」
アブドラアジース博士は丁寧に説明しながら作業を行う。
「ところで船長、北極星の方向に少しだけ船を動かすことは出来ますか?」
「やってみます。」
ホジョウは慎重に船の位置を微調整する。
宇宙空間では押したものは自然と止まらない。
押した分だけ逆向きに同じ力を加えて止めなければいけない。
姿勢制御用のバーニアを細かく使って位置を調整した。
「どうでしょうか?」
動かした後にブリッジから再び食堂まで戻って按配を確かめる。
「タミヤ船長、素晴らしい操船でございます。入ってきました。」
持ち込まれたコンピューターのディスプレイにおびただしい量の文字が流れ始める。
「これは今、マハルコロニーのメインアンテナに届く全ての通信の生のデータでございまして、このままでは当然読めないので、このように…」
アブドルアジース博士がパソコンを操作すると、画面を埋め尽くしていた文字の羅列が改行されて色わけされるようになった。
「この黒字のデータは主に文字や画像のような通信で、青文字は音声や動画のようなストリーミングですね。赤文字は、まだ流れてきませんが…試しにグラナダ経由で流してみましょうか。ほら、今流れた赤い文字が軍事用や銀行決済などで強めに暗号化された通信です。それで、赤文字だけを拾うようにすれば、これで、誰かの銀行取引だとか、軍人の会話だとか…暗号さえ解ければ中身が見れちゃうわけですね。」
「解けるんですか?」
「解けません。でも、届く先は追えますので、追った先の端末をハッキングしたらその端末が暗号は解いて下さいます。届いた先でも読めなければ意味がないですからね。上手くハッキングできればの話でございますが…来ましたね。赤字が。マイや、ちょっと頼めるかい?」
「それでは失礼しますね。」
博士は孫娘に席を譲った。
マイはしばらく赤字のログを見て考えていると、マウスとキーボードを数回操作する。
そして、スピーカーのつまみをひねると、会話する音声が聞こえてきた。
ー…ズムシティの採択を待たない。船が到着次第、強制的に住民を全て疎開する。
ー了解しました!船の到着予定は!
ー12月22日未明にメインゲートに着岸する。それまでに住人をゲートに集めて置くように。
ーハッ!了解しました!ジークジオン!
ーうむ、ジークジオン。
そして通話は切れた。
「22日ってあと3日もないですね。」
「しかし、このマハルはコロニーレーザーに改装されるのであって、わしらが知りたい情報とは違うのう。」
マイはホジョウとゴンザレスの話を聞きながら、まだ何かをしている。
「この端末の最近のメールを全部ダウンロードして頂いちゃいますね。あと電話帳も…あら?」
「あれ?ってどうしたの?」
マイが口元を隠して微笑んだ。
「この方、軍人さんなのに電話帳を通信会社のセンター保存にしてますね。交友関係漏れ放題ですね。」
「うっ…」
ホジョウ、ゴンザレス、タニアの3人が同時に唸った。
「君たちまさか…」
コーエンが少しイラついた声で非難した。
「メールは中身を読んで調べるしかありません。ご協力いただけますか?」
「やります!」
食堂のテーブルを囲んで座ると、全員が自分達の端末に転送されたメールをチェックし始めた。
メールの送受信の日付で分担して総チェックしていくが、特に目新しい発見はない。
小1時間ほど無言で携帯を触っている時間が続いた。
「赤文字がまた入ったようでございます。マイや少し席を代わってくれないか?」
「はい、おじいさま。」
アブドルアジース博士は2-3回クリックすると、じっくりと画面を見つめた。
「これはとても厳重な暗号ですね。よほど見られたくないメールなのでしょうな。」
そう言いながらもすでに画面の中央には「解凍中xx%」の文字が表示されている。
「ビンゴでございますね。」
ーソカイゴタイハナレゴウリュウセヨ
「『疎開後、隊離れ合流せよ』と読めますね。にしても、こんなに簡単に傍受が成功してしまって、罠ではないんですかね?」
ホジョウの疑念にアブドルアジース博士は余裕の表情だった。
「それはないと思いますよ。なぜならこの暗号を作ったのは私でございますから。恐らく私以外に現段階で解ける人間はおりません。解読される可能性なんて微塵も考えてないでしょうな。」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
後手
「おじいさま、後は私が。」
「頼むよマイ。」
マイは手早く送信元を探ろうとする。
が、上手くいかない。
「端末の契約者は『社団法人ズムシティ放送委員会』です。どなたかかこの団体の名前をご存知ですか?」
「聞くからに総帥府関係の名前に聞こえますね。」
ホジョウが言っているのはあくまでもカンの話で確証などない。
「電波の発信元はグラナダですが、グラナダの手前でフォン・ブラウンを経由しています。フォン・ブラウンのアンテナを経由しているので、フォン・ブラウンのアンテナに入った通信はどこかの艦船の通信アンテナを経由していますね。この艦船は単純な橋渡し通信で特定不能です。その艦内から、この社団法人ズムシティ放送委員会が契約した端末を使って暗号文を送ったと言うことになります。フォン・ブラウンのアンテナが狙える場所ならばどこでも可能性があります。」
「手がかりが途絶えたってこと?」
タニアがぼそりと呟くとマイは否定した。
「そんなことはありません。マハルに隊を離れて合流する軍人がいると言うことが分かっています。この軍人の情報は洗えると思います。」
ホジョウはそれよりも別のことが気になっていた。
そろそろ船を動かさないと悪さがバレる気がしているのだ。
「一旦、船を動かしていいでしょうか?バレる気がするので。」
「とりあえず、その間抜けが隊を離れてならず者に合流するまで3日間は猶予がある。一旦離れてもいいはずだ。」
コーエンの提案にアブドルアジース博士が新たな提案を付け加えた。
「ズムにいくべきです。ズムシティ放送協会を調べるべきでございましょう。」
「おじいさま、放送委員会です。」
ホジョウは若干の不安を感じながらも、次の目的地をズムシティに定めた。
全員がブリッジに集合する。
「大丈夫でしょうか?ズムシティにすんなり入れますかね。しかも積荷はアレですよ。」
貨物室にはゾックが乗っているのだ。
「HLVを呼んで船はその辺に停泊しておくのがよろしいと思います。お忘れかもしれませんが組織の人間が一番多いのもズムシティですので。」
「私もおじい様の家に戻れば、先ほどハッキングした方のもっと詳しい情報を調べられると思います。」
博士と孫がホジョウを励ます。
しかし、ホジョウは悲観的だ。
「ズムシティだと流石に顔バレしますよね?」
「…そういえばそうだな。」
コーエンがそう言って黙り込んだ。
しかし、タニアはそう悲観的でもないようだ。
「私はお化粧すれば多分大丈夫です。もし、マイさんのお化粧道具をお借りできればさらにバレにくいかと。」
「どういうことじゃ?」
ゴンザレスにはマイが説明した。
「化粧品がかわると、船長の奥様の印象もだいぶ変わると思いますよ?ところで」
「ところで…なんですか?」
マイは1つ気がかりなことがあったようだ。
「顔がバレると何かまずいんでしょうか?」
博士はゴンザレスとコーエンを知っていた様子なので、偽名に気づいていたが、孫娘はそうでもないらしい。
「まあ、色々…」
ホジョウが苦し紛れに答えると、マイは「ふうん」とどっちともつかない相槌を打った。
「アナタは、髪染めましょう。消毒用のオキシフルがあるから、それで、髪の色脱色すれば、ヒゲも伸びてきたし、誰もわかんないと思う。」
「あ、はい。」
ホジョウはタニアに初めて「アナタ」と呼ばれた。
そのタニアの本気の演技に気圧されて返事した結果が「あ、はい」だ。
そのまま、ゴンザレスとコーエンにブリッジの船の航行状況の監視をお願いして、シャワールームに連れて行かれる。
「ロビンさん、これどうやるの。」
消毒液のボトルを持ってホジョウがうろたえている。
「私がやるから大丈夫。上の服脱いでね。」
タニアは努めて明るい声でホジョウをリードしている。
その声の明るさを聞けば聞くほど、ホジョウは演技を続けるタニアに何か悪いことをしているような気がしていた。
狭いシャワールームのドアは宇宙船の常で鍵がかけられている。
タニアにホジョウの妻であることを要求する人目はどこにも無いのだ。
「ロボ曹長…申し訳ない。」
「やめてください。」
ホジョウはその返事に黙った。
「器用ではないので、『ロビン・タミヤ』と『私』をそんなに上手に切り替えられないので。」
「あ…」
無重力空間では水のような液体は表面張力でぴったりとまとわりつく。
そのためオキシフルにはやや粘り気のあるものが混ぜてある。
タニアはそれをホジョウの頭に塗りつけていく。
しばらく無言の時間が続いた。
「戦争が無かったら大尉とこんな風に夫婦ゴッコしてたでしょうか?」
ホジョウは何も答えなかった。
「戦争が終わったら…」
「ロビンさんが嫌にならない限りは、続けましょう。」
今度はタニアが何も答えなかった。
ホジョウはシャワールームの小さい鏡越しに少しだけタニアが見えている。
水滴のシミがついた鏡越しに、自分の頭の後ろに少しだけ映りこんだタニアの口元が見えている。
ホジョウはタニアの口が何かいいたそうに動いては閉じるのを見ていた。
ずいぶん時間が経ってからタニアが口を開いた。
「髪の色、結構明るくなったよ?流すのは自分で流して…」
再びロビンになった明るい口調に、ホジョウはたまらずタニアの腕を掴んだ。
「離してください…」
「…曹長がお嫌じゃなかったら。」
シャワールームから出る頃には、ホジョウの髪は信じられないぐらい色が抜けていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ズムの民間人
ゴンザレスとコーエンを船に残して、タミヤ夫妻とアブドルアジース博士とその孫娘の4人はズムシティの宙港に降り立った。
ホジョウにとって軍人ではなく民間人としてズムシティにやってくるのは士官学校入学前の中学校の修学旅行以来ではないだろうか。
ズムシティも控えめだが、十分クリスマスのムードが漂っている。
ただ、フォン・ブラウンと違ってクリスマスにあわせて冬服を着る人間はほとんどいない。
2人はアブドルアジース博士の住所のメモだけを貰うと、色の抜けすぎた髪を染め直すために美容室へ向った。
「女性向けのところだから大丈夫。」
「本当かなぁ…」
マイが上手く予約を取った美容室に二人で並んで座ると、話好きの女性美容師が二人やってきて、ちゃきちゃきと仕事をしていく。
「ロビンさんも緊張してるでしょ?」
「ホセくんだって。」
美容室に来る前も、2人は精一杯民間人に見えるように髪は整えてきたのだが、美容室を出る頃には、二人ともすっかり軍人の匂いが抜けていた。
「ホセくん、カッコよくなったね!髪の茶色似合ってるよ!」
唐突にそう言って腕を組むとずんずん引きずるように歩いていく。
ふと見ると耳が真っ赤だ。
「ロ…ロビンさんも…かわいいよ!」
勇気を出して褒めたが振り返らないし返事もしない。
でも、絡んだ腕を通して嬉しい感情は伝わっている気がした。
そのまま、2人は服を買うと、いかにもズムシティの民間人っぽい風体になった。
ありがたいことに活動資金として現金が手元にある。
これは任務のための変装だ。
「どう?」
「ロビンさんかわいいですよ!」
心の中で何度も「これは任務のための変装だ」と言い聞かせているが、顔はほころんでしまう。
中央公園の噴水の前で年配の女性にポラロイド写真を撮られた。
「はい、お代。」
勝手に写真を撮ってお金をせびるタイプの路上商売だが、なんとなく2人は悪い気がしなくて、もう一枚お願いして撮ってもらう。
「1枚目は私が持ってるから、2枚目はホセくんが持ってて。」
1枚目は不意に撮られてお世辞にも写真うつりがよいわけではない。
どうしようかと思っていたら、また耳まで真っ赤にして
「こっちの方が多分かわいく写ったから持ってて欲しい…」
と言われた。
「僕、今、人生で一番幸せです。」
思わず口をついて出た。
自然な言葉だった。
そして、生まれて初めて女性が嬉しくて自然に泣くのを目の前で見た。
髪を切って、染めて、服を買って、服を着替えて、すっかり変装を終えてから、アブドルアジース博士のマンションにたどり着く。
「少し調べました。ズムシティ放送団体。」
「おじいちゃん、『委員会』です。」
リビングに通されて話を聞く。
戦争が本格化する以前は今の公国軍の広報部に連なる組織だったが、ギレン・ザビが総帥に就任して総帥府が出来ると、総帥府広報部がその役割を引き継いだ為に、解体されていないだけでもはや何の仕事もしていない空虚な組織だと言う。
「電話局にハッキングして問い合わせ先の電話番号についても調べてみましたが、今はその番号は登録が無くなってますね。」
直接電話をかけるのを嫌がってハッキングするあたりはマイらしい。
「公的組織です。住所もハッキリしてございますが、なにぶん、そういう調査は私も孫も向いておりませんで…」
ホジョウとタニアはアイコンタクトして頷いた。
「調べます。万が一のときのため武器は手に入りますか?」
博士はどこかに電話をかけると民間人も護身用に武器を購入できるルートを探し出して、二人にメモを手渡した。
「くれぐれもお気をつけ下さい。」
二人は博士が呼んだタクシーで移動する。
タクシーはズムシティの街の外れにある工場の前で車を止めた。
「ありがとう。」
タクシーにお礼を言うと、タニアがメモを見ている。
「多分、工場の横の路地。」
路地へ入っていくと、確かに、ミリタリーショップがある。
「なんか、もっと裏商売的な店かと思った。」
「結構ちゃんとしたお店ね。」
ダグラス銃器店と書いた店の入り口には『武器等販売公国認定』『最新防犯設備完備』『身分証必須』とデカデカと書いてある。
二人が店に入ると大柄な体格の先客がいた。
ちょうど会計して出るところのようだ。
応対していた店員はカウンターから出て、その客を出入り口まで見送った。
そして、そのまま店の入り口の看板を抱えて店に入ると、内側から鍵をかけた。
「ご紹介で来たお客さんだろ?」
店員の男性は黒いスラックスに白いシャツ、その上から緑のエプロンという出で立ちだ。
ポマードできっちり整えられた髪にやはりきれいに撫で付けられた口ひげを蓄えている。
「はい、よろしくお願いします。」
「身分証見せて。」
二人は身分証を見せた。
店員はすぐさまエプロンのポケットからルーペを取り出して、身分証を観察する。
「ペトローニの旦那に会ったんだね。元気してたかい?この身分証は大丈夫だよ。コイツが見破れるのはズムシティには俺のほかには俺の師匠しかいない。その俺の師匠の師匠がペトローニの旦那だ。」
「お元気されていました。ムーンムーンでお会いして…」
店員はホジョウの言葉を遮った。
「いや、それ以上は聞かない。でも元気なら良かった。俺はダグラス。この店のオーナーだ。ジオンのお偉いさんにもご贔屓にしてもらってる。どんな武器が欲しい?」
店の中は外から見たよりも狭く感じた。
いくらかホルスターやガンベルトが並べてある。
対してカウンターの奥は広く、そちら側には壁と言う壁に、棚が作られ、おびただしい量の銃器が並んでいる。
そして、それぞれに盗難防止用のフェンスドアがはまっていて、南京錠と鉄鎖でロックされている。
ホジョウが考えていると、タニアには具体的なビジョンがあったらしい。
「ダブルアクションとシングルアクションが切り替えられるセミオートマティックの小型拳銃でシングルカラム。」
「それならこれはどうだ?5.7ミリ、ベルジャン57社製。小型で軽い。トリガーガードが可動式でノーマルスーツでも楽に指が入る。」
そう言いながら、ダグラスは南京錠を空けると一丁の小型拳銃を取り出した。
空のマガジンを外し、薬室内にも弾丸がないことを確認すると、タニアに手渡した。
タニアは受け取ると両手で構えてセーフティーの位置などを確認する。
「良かったら。」
ダグラスはノーマルスーツの手袋のレプリカをカウンターの上に置いた。
タニアは手袋をはめて、再度、銃を構える。
「あいにく今は右利き用しかおいてないが、右利きだな?」
「私、これにします。ホセは?」
ホジョウは実は射撃は大の苦手だった。
「ハンドショットガンがあれば。」
「あるよ。」
ハンドショットガンは、ショットガンシェルが撃てるハンドガンの一般的な呼び名だ。
発明されたのは宇宙開拓時代をはるかにさかのぼるが、宇宙世紀に入って重要度が増した銃だ。
狙いがルーズでもノーマルスーツを容易に傷つけるため、撃たれた側は急いでスーツのエア漏れを補修しないといけなくなる。
そうした事情で特に宇宙空間の白兵戦ではサブウェポンとして使用される場合があるのだ。
「結構種類がある。グラナダTEK社製、サーマル3連装ショットガン。弾速が遅いため、ノーマルスーツは破損しても人体にはあまりダメージを与えない。主に鎮圧用のものだ。3発打ち切ると弾をこめるのが面倒くさいが、機構が単純だから信頼度が高い。次は同じグラナダTEK社製、サーマル2連装ショットガン。小型化して軽量になった。こちらはリボルバーショットガンでジオン軍も採用しているものだ。」
そもそも装備の手配はホジョウの元々やっていた仕事なので、その辺は詳しい。
「サーマル2連装でお願いします。シェルはもし有ったらラバーハーフをお願いします。」
「あるよ。珍しいもの知ってるね。」
ホジョウは薄ら笑いを浮かべて頭をかいた。
「ホセくん、ラバーハーフってなに?」
「ショットガンシェルの中に半分ゴム弾混ぜたものだよ。ノーマルスーツの破壊とパンチ力が共存してる感じのモノ。」
ダグラスが持ってきた箱はホジョウも今まで数えるほどしか扱ったことが無いものだ。
「あとスローイングナイフのシンプルなやつ。」
「あるけど…投げれるの?」
ダグラスは怪訝そうな顔をしてカウンターの奥のドアを開けて、ブツを探し出して持ってきた。
何種類かの投げナイフがカウンターの上に並べられる。
「ちょっとバランス見たいんですが良いですか?」
ダグラスは無言でカウンターから出ると、ホジョウの立っている横の壁をスライドさせた。
「へえ、射撃場あるんだ。」
タニアが覗き込む。
「まあ、無きゃ仕事になんないからね。そこの斧が刺さってる的、ナイフ投げれるから。」
ホジョウは聞き終わる間もなくカウンターに並べられた投げナイフを立て続けに投げ始めた。
白木のボードに青いペンキで的が書いてある。
投げたナイフは20本弱。
先に刺さっていた斧に弾かれた1本を除いた全てが的に刺さった。
ダグラスの吹く口笛が聞こえる。
「すごいじゃんお兄さん…気に入ったよ。」
「あの的の真ん中に集まって刺さってる銀色のヤツなんですか?」
ダグラスは的のほうへ歩み寄ると、引き抜きながら言った。
「シャープエッジスローイングナイフって呼ばれる分類のもので、特にコイツはたまたま見つけて手に入れたもので型番とかわかんないんだけど…これは、お兄さんにあげるよ。6本セットだ。」
「なんか、ありがとうございます。」
ホジョウが生家で修行させられたのは何も徒手格闘だけではない。
手裏剣術も含まれていた。
「いいモノ見せてもらったしね。もしかして、アレ?こんなのも投げれちゃうワケ?」
ダグラスが、エプロンの胸の辺りに引っ掛けているボールペンを渡すと、ホジョウは振り向きざまに的に向って投げる。
ボールペンは割れながらも的に刺さっている。
「あっぶねー…俺、調子乗ってたらボールペンでも殺されてたわ。お姉さんも、このお兄さんのこの技知らなかったんでしょ?」
「初めて見ました…」
ダグラスは笑いながら店の奥に入ると、スキットルを持って出てきた。
「ごめんね、酒飲んじゃって。初めて見たって言うか…初めて見たよね、こんなスゲーの。凄過ぎて笑うわ。下手な拳銃の抜き打ちより速いぜ?今夜はあのナイフの刺さった的を見ながら酒を飲むことにするよ。」
ホジョウとタニアの二人は色々買い足して店を出た。
ミラー越しに差し込む太陽光が次第に弱くなっていく。
間もなく人工の夜だ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ビンゴ
コロナ自粛でフラストレーションがたまったので、仕事は忙しかったのですが、思わず書き始めました。
アイディアは結構前からありました。
今、調べたところ2017年5月1日にテキストエディタに「翡翠の弾丸」フォルダが作られていました。
そして書き始めたのが2020年ですのでまるっと3年構想したのかと言うと全然そんなことはなく、むしろ、アイディアは有ったけど、エピソードが浮かばないまま、3年たったのが正解です。
難航したのは主人公の像で、ガンダムといえばアンバランスで心の不自由な主人公がいないとはじまらないなという印象がありますので、そうした条件を満たしながら、動いてくれるキャラクターを何とかひねり出せないかなと言うのが北条太郎さんです。
ガンダムの二次創作なのにいつまでたってもモビルスーツが戦わないとがっかりされた方には、へそ曲がりが書いておりまして申し訳ありません。
とりあえずお詫びいたします。
10万文字ブースとが起きないかなと淡い期待を抱きながら書いておりますが、少しずつしおりが増えたりとても嬉しいです。
ありがとうございます。
その場所は元公設市場だった場所だ。
青果を扱う市場とはやや違う雰囲気で、2階建てのひどくぶっきらぼうな見た目の建物が並んでいる。
それも、全く同じ形の建物が整然と並んでいる。
人通りは少なかったが、まだ問屋業を続けているテナントは有るようで、細く明かりが漏れているシャッターもある。
二人は観光客向けのレンタカー業者で借りたオープンカーでその問屋街に近づいた。
入り口に警備詰め所があってぎょっとしたが、近づいてよく見るとずいぶん前のポスターが貼りっぱなしになっている。
どうやら無人で長く使われていないだろうことが分かった。
二人はその元詰め所の前に車を路上駐車して降りた。
「ロビンさん、ここ来たことある?」
「ない。ホセくんは?」
そう聞いてきたタニアは変装用にメガネをかけていた。
「ない。」
元市場と言うだけあって、ズムシティの中心街からさほど離れてもいないのに、二人とも見たことも聞いたこともない場所だった。
ホジョウは古着のフライトジャケットを着て、ロビンはハンドバッグを持っている。
ライトが切れかけて点滅している場内案内板を見るとお目当ての建物の位置を再確認した。
きれいに碁盤の目に切られた広い道路は身の隠しようがない。
二人は車に戻ると、ゲートが開きっぱなしになっている場内へ入っていった。
進むと、シャッターを開けた店もある。
玩具問屋のようだ。
「ホセくん、多分あそこ。」
「そうだね。」
建物の前にオープンカーを横付けすると、アイドリングは止めずに降りた。
「郵便ポストが。」
タニアの指摘にホジョウは頷いた。
隣の空き家になっているであろうテナントの郵便ポストからはダイレクトメールやチラシがあふれているが、社団法人ズムシティ放送委員会の方のポストはそんなことはない。
看板の明かりはついていないが2階の窓の端から細く明かりが漏れ、話し声が聞こえる。
板がガラス窓の内側から貼られているようだ。
そして、閉じたシャッターの上に監視カメラがある。
これは建物に対して新しすぎる。
恐らく最近つけたものだろう。
ホジョウは監視されているとは感じていたが、向こうから出てきてくれた方が話は早いなと考えていた。
「ホセくん、カメラついてる。」
「うん、気づいてたよ。」
2階の話し声が止んだ。
ホジョウがしばらく監視カメラを見上げているとシャッターの奥から階段を下りる足音が聞こえた。
「御用でしたらお間違えじゃないですか。」
タニアが身構えてホジョウの前に立つ。
ホジョウは丁寧に押しのけて自分の後ろに立たせた。
「社団法人ズムシティ放送委員会さんに用事がありまして。」
ホジョウがそう言うと、ドアの向こうから
「ここにはもうないよ。」
と返答が帰ってきた。
ホジョウは「はいそうですか」と帰ろうかとも思ったが、やや声が高圧的だったので、もうちょっとつついたら出てくるかなと思った。
「ありますよね?」
「はあ?」
ホジョウは狙い通り相手がイラつくのを声で感じ取りながら、こういうやつはヤダなと感じていた。
「こちらに住所の登録があるんですよ?社団法人ズムシティ放送委員会。ここにありますよね?」
どうもドアの奥には二人いるようだ。
ぼそぼそ低い声で会話している様子だ。
立て付けが悪そうな金属サッシのドアがギイと音を立てて開くと、一瞬ドズル中将かと思うほどの巨漢の強面が出てきた。
公国軍の戦闘服の上着を脱いでいて、Tシャツ姿だ。
「ここにはないって言ってるだろうが、つべこべいってねーで失せろ。」
ホジョウが見知った顔が出てきた。
仕官学校時代に短期間だが戦闘教官をやっていた男で、口の悪い候補生達から「校長モドキ」と呼ばれていた男だ。
粗野で行動に問題があり、ドズル校長を怒らせたか何かで教官を降ろされたと聞いている。
ホジョウはバレるかと思ったが、向こうはホジョウの素性にまったく気づいていないようだ。
ただ、こいつの体が大きいせいで、もう一人いるはずの後ろの人物が見えない。
「今でもこの住所で郵便が届いてるんですから、ここが放送委員会のはずなんですよ!」
わざと食い下がって、後ずさりしてみると、案の定、距離を詰めてきた。
扉から体が出てきたので、奥が覗けそうだ。
見てみると、奥のもう一人は全く見知らぬ男だが、そちらは上着も着ていて襟に階級章もついているようだ。
ホジョウはここで迷った。
放送委員会の建物は中に軍人がいて、少なくとも一人は元教官なので名前はすぐ調べられる。
それを成果として引き下がるか。
「…た」
ホジョウはその声を聞き逃さなかった。
「今、奥のほうで『タ』って聞こえましたね。」
「何にも聞こえねえよ!」
ホジョウは校長モドキを押しのけて中へ押し入ろうとする。
校長モドキは無理矢理に扉を閉めようとする。
「あー、もうめんどくさいや。」
ホジョウは細かいことは気にしないことにした。
「おおおおお!?」
校長モドキが奇声を上げる。
手首の関節が外れたのだ。
「ちょっとオッサンもどいて。」
ホジョウは乱暴にもう一人の人物を前蹴りで通路の奥へ蹴りこんだ。
その人物が、銃を抜こうとするのが見えたからだ。
軍服の男性は体勢を崩して奥へ吹っ飛んだ。
ホジョウはそのまま追いかけて、仰向けに倒れる男性のみぞおちを踏みつけた。
ボディーブローで人間を気絶させるには、アバラが折れる程の衝撃が必要なので、それだけの衝撃を与えたのだ。
「はじめちゃった…」
もうこうなったらタニアはホジョウがやり残した仕事をやるしかない。
手首を折られたデカブツが痛みにうめきながらも立ち上がったところにアッパーカットを入れて気絶させて、ホジョウについていった。
すでにホジョウは二階に上がっていて、その二回からは何かが吹っ飛ぶ音と、「うおー、なんだお前!?うわー!!」と言った叫び声が聞こえる。
「ロビンさん、この人のロープほどいてあげて。」
ホジョウは銃を構えた男の手首に投げナイフを投擲しながら言った。
タニアが上がっていくと3人大の字になって倒れている部屋の真ん中に、椅子が置かれて、そこにロープできつく縛られている男性がいた。
「あんた、ヒゲ面!」
フォン・ブラウン市でホジョウが接触したヒゲ面だ。
「なぜここに…」
「コッチのセリフよ!」
ホジョウはちょうど2階にいた4人目のならず者の手首に刺さったナイフを回収したところだった。
「うわー、痛そう…」
「ヘマこいちまった。」
ホジョウが知る限り、このヒゲ面がヘマをこくのは2回目なので、これが彼の日常ではないかとの疑問もわいたが、どうやら、このヒゲ面は敵の敵で味方らしい。
しこたま身動き取れない状態で殴られているようで、顔が腫れている。
縛り付けられた椅子からやっと開放されると、フラフラと立ち上がった。
「ロビンさん、仕方がないから、こいつら縛っておこうか。」
「仕方がない…ね。そうね。」
全員縛りあげる。
「一番階級が高そうなのはどいつかな?」
「ホセくんが1階で踏んづけてたやつだと思う。」
ホジョウはアバラがイっていることに不安を覚えながら、そいつの目を覚ますことにした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
下っ端たち
「起きてください。」
喝を入れると、酷くうめきながら目を覚ました。
「うぐぐぐ…」
「なんで銃なんて抜こうとしたんですか?そんなことするから指折れるんですよ?」
拳銃のトリガーに指を入れようとした瞬間に蹴られて指が折れている。
「かわいそうだから、指は戻しておきますね?」
ホジョウが折れた指を元の位置に直すと「ぎゃあああああ!」と叫び声を挙げた。
「胸に挿してるペンお借りしますよ?」
そう言って、ペンを胸ポケットから抜き取ると添え木にして指を固定した。
「ヒゲのオッサン、どうやってここへ?」
「もうちょっとマシな呼び方はないのか?…まあいい。反乱分子から押収した携帯電話の支払い名義がここの会社になっとった。」
ヒゲのオッサンは床に胡坐をかいて座っている。
「たどり着いた理由は似たようなものですね。」
ホジョウは少々粘って尋問を試みたが彼らは同じ放送委員会を名乗る人物から毎月現金を受け取って、放送委員会の名義で銀行で手続きをしたり、電話代を支払ったり、ここに来る郵便物を管理していたのだそうだ。
現金を渡してくる人物は素性を知ると危険が及ぶと言い含めて、顔は隠していたらしい。
そしてヒゲ面ことスズマンにかぎまわられたために口の堅い連中を集めて、縛りつけ、始末に困っていたところにホジョウとタニアがやってきたと言うことだそうだ。
「一応、いつも現金を受け取ってる場所を聞いておきますね?」
最初にその人物に会った場所は行きつけのバーだそうで、酔いつぶれて寝ていたところに電話番号のメモと現金があったそうだ。
それ以降は電話で連絡を取り、この元公設市場の入り口詰め所の横の暗がりで顔の見えないように現金を渡されていたそうだ。
「だから、その女が太っていないと言うことと身長はさほど高くないと言うことしか分からん。」
「女性なのか。ちなみに毎月いつごろお金を受け取っていた?」
アバラ折れおじさんはホジョウの問いかけに答えるにもだいぶ苦しそうだ。
「毎月月末…今月は早かった…もう今月分は受け取ったし、銀行に振り込んだ。」
もう情報は出ないと観念すると、ホジョウはタニアとスズマンに声をかけて一旦建物の外へ出た。
「ずいぶんと大きな借りが出来たな。」
スズマンが渋い顔をして言う。
「スズマンさん、喧嘩弱いんだから無理しないで。」
「ぐぬ・・・」
スズマンは武闘派で通っているのだが、ここまでホジョウに全敗中なので何も言い返せない。
「気にしなくていいですよ。ホセくんが異常なだけです。6人全員畳んだのホセくんなんで。」
「軍人6人畳む…ウチの部隊に入らんか?お前ならオレが口を利けば伍長ぐらいからはじめられるぞ?」
「うん…ご遠慮させていただきます。」
ホジョウはたたき上げの軍人に評価されて嬉しかったが、当然断った。
「とりあえず持ってる情報、下さいよ。」
「うん。」
スズマンは今追っているのがもう1基の核パルスエンジンだと言う話をした。
「そいつの行方は分からんが、通ったルートは大体分かった。」
「と言うと?」
スズマンは続けた。
「マハルコロニーに核パルスエンジンとシールドケーブルを曳航して運んだ輸送機は、もう1台の核パルスエンジンとケーブルも曳航していたらしい。」
「『らしい』?」
スズマンが頷いた。
「梱包されていて中まで見えない状態で、大荷物を2つ曳航していたそうだ。そして一塊をマハルの工作部隊に渡し、そのまま飛び去った。これが輸送機の情報だ。」
「そこまで分かってて追えないのか?」
「行方不明だ。輸送機の乗組員は全員マハルで降りたことになっている。」
「どうやって、マハルから機が離れたんですか?」
「…最近、軍人がどんどん失踪してるんだ。単に戦死しただけかもしれないが、地球から引き上げて来るはずの軍人も何人かは生死が確認できずに行方不明らしい。」
「ヤダ怖い…」
ホジョウの背中にタニアがしがみつく。
「マハルの連中曰く『特殊な任務だと思って誰も詮索しなかった』んだそうだ。」
ホジョウは仕方がないので、こちらからも情報を提供することにした。
暗号のことは隠して、マハルコロニーの住民の疎開後に隊を離れて、恐らくもう一台の核パルスエンジンに合流する軍人がいるらしいと告げた。
「しかし、そいつが誰か分かってないんだ。」
ホジョウはそう言ってため息をつくとスズマンはホジョウの肩を叩いた。
「合流する理由を考えてみろよ!核パルスエンジンを取り付ける技術者が必要なんだと思わんか?」
ホジョウとタニアは顔を見合わせる。
「そんなに特別な技術なの?」
「分からない…でも、特殊な技術だとしたら、確かにマハルの作業が終わったらコッチも来て…ってなるかもしれませんね。」
スズマンは腫れた顔をほころばせて自分の胸を叩いた。
「調べてやるよ!明日の朝刊見てろ!求人欄のところにマハルの求人載せるから、そこ見れば分かるようにしてやるよ。」
ホジョウとタニアはスズマンに後始末を任せて、夜も遅いのでビジネスホテルのカウンターで朝刊を頼むとチェックインして疲れを取った。
翌朝、早速、ルームサービスで届いた新聞を見る。
「ふぉれふぁわい?」
「歯ブラシ抜いてしゃべりましょうよ。」
求人欄に「マハルコロニーにて技術者求む。要宇宙工学博士号。」と書いて電話番号も添えてある。
ホジョウとタニアはチェックアウトすると、フロントで電話をかけた。
「はい、コロニー技術派遣株式会社です。」
女性の声が出た。
「新聞の広告見たんだけど、担当者じゃなくていいからスズマンさんいます?」
「ただいまスズマンはおりませんが、別の担当にお電話換わります。」
ホジョウとタニアはホテルのフロントの時計を見ていた。
逆探知されたらかなわない。
しかし、相手は意外と早く出た。
「突撃機動軍司令キシリア・ザビだ。ホセだな?」
「キシリア少将出てきちゃった。」
「マジ!?」
ホジョウは古めかしい黒電話の受話器の口のところを押さえてそう言った。
キシリアは実はホジョウの本来の上司の上司の上司に当たる。
ホジョウが突撃機動軍の下部組織の地球方面軍所属だからだ。
またそれはタニアもおなじだ。
「部下を助けてもらったそうで礼を言う。スズマンから伝言は宇宙工学で大学院を卒業したレベルの人間であれば核パルスエンジンの取り付けの指揮は可能だそうだ。また、本意ではないかもしれないが、今からこちらへ来てくれ。ロドリゲス会長とコーネル社長はこちらで預かっている。手荒な真似はしたくない。」
ホジョウはもう一度受話器を手で塞ぐと
「会長と社長、捕まっちゃったって」
とタニアに言った。
数分後、観念してビジネスホテルの前にやってきた高級車に、ホジョウとタニアはため息をついて乗り込んだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
求人
高級車で向う先はズムシティ公王庁らしい。
「うわー…」
ビルの谷間から見えてきた異様な建造物は見慣れているものの、ジオン公国民に共通の感情を抱かせる。
子どもの頃、修学旅行などで必ず一度は見学している建物だが、子ども達ですら「うわー…」という。
当時の新進気鋭の建築家かつ芸術家がデザインしたらしい。
車が停まったので、降りると、ブレザーのボタンをきちんとかけた軍人が儀礼用の銃剣を持って近づいてくる。
「武器はこちらで預からせていただきます!」
タニアはハンドバッグから拳銃とマガジンを渡して、ホジョウはフライトジャケットのポケットからハンドショットガンと弾丸を出した。
「あとこれもか。」
フライトジャケットの袖を捲くると、左腕に6本のナイフが巻きつけてある。
武器を預かる軍人は少し身じろぎした。
「さあ、会長と社長を助けに行きましょうか。」
「はい。」
扇形に広がった階段を上がって玄関ホールに差し掛かると、そこにキシリア・ザビ少将が待っていた。
「お前…ホジョウか!?」
ホジョウは観念して敬礼した。
そして、肌身離さず身につけていたキャルフォルニアベースのデータディスクを手渡した。
「タロウ・ホジョウ、キャルフォルニアベースより帰還いたしました!」
「同じくタニア・ロボ、キャルフォルニアベースより帰還いたしました!」
キシリアは「フッフッフ」と笑うと敬礼を返した。
「ご苦労。無事で何より。あと、スズマンが世話になったな。用があるのは私ではない。ついて来い。」
キシリアの先導でホジョウとタニアが中へ入っていくと、カーペットの厚い部屋で、真ん中に長い楕円形の石造りのテーブルがある。
そしてその傍らに見覚えのある人物が待っていた。
「ご苦労だったね、人質をとるような真似をしてすまなかった。」
ホジョウとタニアは直立不動で敬礼をした。
目の前にいるのはダルシア・バハロ首相だ。
「でも、お二人を呼んだのは私でもない。」
部屋の奥の扉が開いて出てきたのは、コーエンと、ゴンザレス、そしてデギン・ザビ公国公王だった。
「キシリア、ご苦労だった。下がっておりなさい。」
「ハッ!」
キシリアが部屋から出て行く。
デギンは目の前の椅子に腰を下ろした。
「とりあえず、座りなさい。」
「ハッ!」
ホジョウとタニアはテーブルの周りに置かれた椅子に腰掛ける。
全員が着座したところでデギンが口を開いた。
「さて、親愛なるならず者諸君。私のために集まってくれて感謝する。まずは私の話を聞いてもらおう。ジオン公国は現在危機的状況にある。地球連邦の圧政にまんまと屈した我々は、国内での軍部の増長を止められなかった。結果、私たちは多くの同胞を失った。その中には私の二人の息子もいる。連邦の搾取と圧政、それに呼応したジオンでの軍部の増長によって、地球連邦にとっても予測をはるかに超えた出来事が起きた。ブリティッシュ作戦だ。」
デギンはそこで一度間をおいた。
「スペースノイドも連邦の人間も、同じ人類だ。コロニー落としの莫大なエネルギーは、人類の宇宙開発にかけた情熱とエネルギーの最悪の終着点だ。既存のあらゆる兵器を凌駕する、あの恐ろしい破壊力が揺り動かしたのはヒューマニズムだよ。諸君、そう思わんかね?」
全員が無言で頷いた。
「私は皆の声が聞きたいんだ。ヒューマニズムが揺り動かされた声を聞きたいんだよ。」
「…陛下、同様に…ワシの心も動いた。」
ゴンザレスがそう言った。
皆が口々に合意した。
「ありがとう。声が聞けて嬉しい。親愛なる、ならず者諸君。知っているだろうか?軍は大きくなりすぎて、そのエネルギーのはけ口を求めるようになった。逆に私はどんどん老いていった。とうとう、そのエネルギーに対抗できなくなった。私を助けたサスロもいない。私の他の子ども達は生まれながらの軍人のようになってしまった。私の目の前でさらに多くの人命が失われた。私は罪深い人間だ。『きっと明日は平和になる!平和になった暁には、神に、スペースノイドの同胞たちに、犠牲を払ってくれた家族に、そしてかけがえのないはずだった友に…全人類に悔い改めて、許しを請おう!』そう思って生きてきた。やってきた。あの時、気づいた。コロニーが落ちたあの日だ。『悔い改めるにはもう遅すぎる、私は愚かだったのだ』と気づいたんだ。それを絶望と呼ぶべきか、私は考えた。そして、ダイクンのことを思い出した。賢い人間だった。スペースノイドに希望を見せた。知性は希望だったのだと気づいた。だから、古い賢い友人たちに助けを求めた。ゴンザレス博士もそのお一人だ。ここにいるお若いコーエン博士も力を尽くしてくださっている。皆が私のために知恵を絞ってくれた。そして、この先、再び、恐ろしい力が暴走するときに、それを止める手段へたどり着いた。それは知性が私に見せてくれた希望だ。そして形になった。それがモビールアーマーがゾック・ゼロだよ。」
そこまで話すと、デギンは大きく呼吸した。
椅子の肘掛を掴みなおす。
「私の人生は黄昏を過ぎた。もう長くは生きられないだろう。だからこそ光が見たいのだ。ゾック・ゼロが人類の手に有ると言う光を見ていたい。老人ではなく若い世代の手に託されていると言う光だ。若いお二人、私の願いをかなえてくれまいか?頼む、この通りだ!」
そう言うとデギンは頭を下げた。
ホジョウもタニアも敬礼の仕方は知っているが、頭を下げた公王の止め方は知らない。
「私からもお願いします。」
バハロ首相も立ち上がって頭を下げた。
永遠かと思うような無音の後、ゴンザレスが立ち上がってデギンの肩を叩いて、頭を上げさせた。
「デギンよ、若者に伝わったぞ。名演説じゃった。」
ホジョウは顔を上げたデギン公王と目が合った。
「やらせていただきます。」
先に返答したのはタニアだった。
「陛下の仰せのままに。」
ホジョウも応えた。
感情が高ぶったデギンはゴンザレスとバハロに支えられて部屋を出て行った。
そしてゴンザレスとバハロの二人は戻ってきた。
「恐らく、敵は間もなく計画の最終段階に入るでしょう。」
バハロ首相が「敵」という表現を使った。
「首相、敵の姿は見えているのですかな?」
コーエンの質問にバハロ首相が首を横に振る。
「見えてはいませんが、デギン陛下は私に、我らが国に共和政を復活させ、連邦軍と講和を結ぶように話されました。このデギン陛下のご意志は軍の上層部の人間は以前から知っていた情報です。なぜなら、ギレン総帥が幾度もデギン陛下から同じことを話されているからです。」
確かにホジョウも「陛下は講和を望まれているらしい」という話は聞いていた。
「しかし、今、講和を望まない人間が軍にはいます。『講和をするならば、その前に戦功を挙げたい。そしてジオンの優勢で講和を結びたい。』と考える人間がジオンにはウヨウヨいます。戦後の地位に関わるからです。今、大きな戦功を上げて戦争が終結すれば、戦後、第2、第3のザビ家となれるかも知れないからです。彼らは和平工作を妨害してくるでしょう。和平交渉中に再びコロニーを落とせば、仮にそれがブリティッシュ計画のように完璧ではない落ち方でも、十分、和平工作を潰せます。」
そこで急にドアがノックされた。
「どうぞ。」
ハバロ首相がこたえると、入ってきたのはキシリアだった。
「失礼、辞令だ。ホジョウ大尉、ロボ曹長。二人を突撃機動軍下地球方面軍所属から配属がえになった。新しい配属は本来私が任命する役ではないのだが、これによると公王庁警備隊別室となっている。室長はタロウ・ホジョウ。室長補佐はタニア・ロボ。あとついでに昇級だ。…ジオン軍はホジョウにつくづく甘い。今度は少佐だ。これ取っておけ。ロボは上級曹長だ。これが階級章だ。ジャブローからよく生きて帰ってきてくれたな。おめでとう。あと二人と話したいという人間がいる。スズマン、出て来い!」
スズマンがおずおずと出てきた。
「ホ…ホジョウ少佐殿!ご報告があります!」
「別に今さら畏まらなくていいですよ。だまして申し訳なかったし。」
スズマンは今まで私服姿しか見ていなかったが軍服を着ていた。
「ありがとうございます!シールドケーブルの購入元が分かりました!フォン・ブラウン市内、シン電工という企業で、業務実績のないペーパーカンパニーで、現在詳しく調べておりますがアナハイムエレクトロニクス社の実質100%出資企業ではないかと疑われています!」
キシリアが苛立った声を出した。
「なんだその『シールドケーブル』というのは?スズマン、私にも分かるように説明しろ。」
「コロニー落としにアナハイムエレクトロニクス社が加担している可能性があるということです!」
なんだか全員が納得した。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
されど強硬派
キシリアとスズマンが退出したあと、ハバロ首相の補佐官が顔を出した。
「略式ですがすいません。タロウ・ホジョウ少佐、公王庁警備隊別室室長に任命する。また、タニア・ロボ上級曹長。同室室長補佐に任命する。なお、ホジョウ室長は別室の追加人事を出来るだけ早く行うように。」
「人事!?」
バハロ首相が助け舟を出した。
「この警備隊は、ここ公王庁の警備を行うのだが、今回新設された別室は将来的に公王庁に危険を及ぼしそうな情報を収集して対処する部隊だ。必要に応じて部隊員をホジョウ少佐が任命する必要がある。」
「ホジョウ少佐、まずは私とゴンザレス博士を技術顧問として招聘するのが良いだろうな。あとはアブドルアジース博士と孫も協力してくれるだろう。」
「そうしましょう。タニアさんそうしておいて。ちょっと電話するから。」
ホジョウは会議室の電話を借りると、どこかへかけはじめた。
「うん、父さん?元気?ちょっと兵隊を数人採用しないといけないから、信用できる人間を何人か送って欲しいんだ。今、ズムシティの公王庁の警備隊所属に就任して室長になったから。…うん少佐。そういうことです。じゃあすぐ送ってください。」
ホジョウが電話を切ると、首相補佐官は率直な感想を述べた。
「首相、兵隊って父上に送ってもらうものですか?」
補佐官にハバロは肩をすくめて見せた。
「宇宙世紀にはあまり聞かないな。」
「ホセくん…いえ、ホジョウ少佐はご実家が武術の道場なんです。」
タニアが注釈した。
とりあえず、ホジョウはアブドルアジース博士の孫娘マイに至急アナハイムエレクトロニクス社とシン電工を洗うように電話で依頼した。
そしてホジョウは気になっていたことをたずねた。
「これはどなたに尋ねればいいのか分からないのですが、キシリア少将は我々に協力しておられるのですか?」
補佐官が答えた。
「無視です。キシリア少将は和平交渉にはご反対では有りませんが、先の地球での撤退がありますので、もう少し戦果が欲しい側のお立場です。あまりおおっぴらにデギン陛下や首相閣下に反目はされないと言うだけで、あくまでもあちらも強硬派です。」
「今回は協力していただけたんですよね?」
「ホジョウ少佐がキシリア少将直属の部下をお助けになられたからではないでしょうか?我々が仕事をしようとする度にあまり良い顔はされません。」
ハバロ首相はだいぶ困った顔をした。
「ハハハ・・・一応我々が行政府なんですがね。地球に領土を確保するべきだと考えている人間はコロニー落としに良い顔はしないでしょうね。」
などと話していると、電話がかかってくる。
「ホセさん、大当たりを引いたといったら信じていただけますでしょうか?アナハイム社屋に複数設置されている通信用ビームアンテナの内の1基が、テキサスでもミランダでもない方向を向いています。通信内容は傍受できませんがアンテナの角度制御のログから確認しました。」
「待って待って、テキサスやミランダってことはサイド5ってことですか?」
「失礼しました。言っておりませんでした、サイド5のどこかです。ただ、ハッキングの途中で向こうから遮断されてしまったので、もうおじいさまの家の回線は使えないかと。」
ホジョウは考えた。
「とりあえず、お二人を迎えに行きますので、支度して待って置いてください。」
「ありがとうございます。お待ちしております。」
アナハイムエレクトロニクスの手の者がズムシティに入り込んでいることは分かっているので、博士と孫娘に危険が及ぶ可能性がある。
そこへ警備兵が一人駆け込んできた。
「失礼します、ホジョウ室長。こちらをお返しに参りました。」
「ちょうどいいところへ!ありがとうございます!」
先ほど玄関ホールの前で武器を預かった兵卒だ。
警備隊所属になったホジョウとタニアに武器を渡しにきたのだ。
「あと車と突撃銃余ってない?」
タニアはハンドバッグの中身を確認しながら銃と車を要求した。
「詰め所に装備が、その前の駐車場に車が有ります。」
「よし、行きましょう!案内していただいてよろしいですか?」
「こちらです。」
ホジョウとタニアは慌しく出て行った。
「コーエン博士も行ったらどうじゃ?」
ゴンザレスがコーエンを見ると、コーエンは手を振って遠慮の意志を示した。
「ずっと寝てるんですが…風邪気味で。」
「感染(うつ)すなよ?ワシは老人じゃから肺炎で死ぬぞ?」
バハロ首相も無言で一歩後ろに下がった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
横槍
ホジョウたちがアブドルアジースの住むマンション前にたどり着くと、先客がいるらしい。
乱暴にマンションの面した道路に車が停めてあって、中に明らかに粗暴そうな運転手が一人で待機している。
ホジョウは窓をノックした。
「身分証見せて。」
そう言いながら先ほど貰ったばかりの公王庁の身分証を見せる。
男は車を急発進させた。
「ロボ!」
「イエッサー!」
タニアはアサルトライフルで逃げた車を銃撃する。
車は操縦を焦り手ごろな立ち木に衝突して刺さった。
「運転手を抑えて、生死は問わない!私は上に上がる。」
ホジョウはマンションを駆け上がるとアブドラアジース宅の前から二人の男が走って逃げるのが見えた。
マンションには階段が2本ついていて、各階は通路でつながっている。
「人手が足りなかったな。」
ホジョウは階段を駆け下りると地上を走って逃げる二人組みを追い始めた。
ホジョウは走りながら携帯電話を取り出す。
ダイヤルした先は警察だ。
「こちら公王庁警備隊のホジョウ少佐だ!スパイ容疑で捜査中、遭遇した二人組みが武器を持って走って逃走中!位置は私の端末で確認してく…うわ!撃ってきた!」
振り向きざまに拳銃を撃ってきた。
「少佐!」
追いついたタニアのオープンカーに飛び乗る。
後部座席にはダクトテープで拘束された男が横たわっている。
遠くから警察のパトカーのサイレンが聞こえてきた。
流石に車なので逃げる男たちにかなり肉薄したが、二手に分かれて逃げようとしている。
交差点で左右に散開して逃げる、左側をホジョウは追う事にした。
「曹長!降りる!停めて、右のを追って!」
ホジョウは再び走り出すと正面からパトカーがやってくる。
結構な街中まで来てしまった。
拳銃を持って走る男に民間人が立ちすくむ。
目の前を逃げる男は、足がすくんでいる女性に掴みかかった。
次の瞬間、男の身体には3本のナイフが突き立っていた。
そのまま倒れこむ。
「無傷でつかまる気はないのか…」
倒れた男は血だまりを広げながら、地面に倒れて悶えている。
ホジョウはそちらは警察にまかせて、タニアが追っている方へ向かうことにした。
電話をかける。
「ロボ上級曹長!今どちらに!?」
「目標は盗んだバイクで環状14号を西に逃亡中です。」
ホジョウは走って追いつかないことを悟って、警察のほうへ引き返した。
スペースコロニーの主要な道路は縦貫道と環状道がほとんどだ。
円筒形のコロニーに対してタテに走るのが縦貫道で、それに直角に走る道路は全て円形になる。
「のせてください。もう一人は西向きに盗難したバイクで逃げているようです。オープンカーが追っています。」
パトカーの助手席に乗せて貰うとタニアと標的を追いかけることにした。
環状道を真っ直ぐ走って逃げているようだ。
「EMPを使用してもよろしいですか?」
「お願いします。」
運転する警官は無線で連絡を行っている。
「環状14号西行き、目標はオートバイ、見えていますか?どうぞ。」
ー目標、見えています。どうぞ。
ズムシティの交差点監視システムだ。
ホジョウはタニアにもう一度電話した。
「タニア上曹、EMPを使用する。追尾距離を空けて。」
くどいようだがコロニーの内部は円筒形なので、環状道の先を走っている車はなだらかな坂道を登っているように見えるし、実際、登っている。
一周およそ19kmの終わらない登り坂だ。
なのでかなり先を走っている車も見えることになる。
実際に、バイクは見えないがタニアのオープンカーは見えている。
タニアの車が交差点で停まった。
「決まったようですね。」
ほどなくして追いつくと、タニアが交差点で腕組みして立っていた。
EMPで急停車したバイクが交差点のガードレールに刺さっていて、運転していた男性は、角のクリーニング屋のガラスに突き刺さっている。
「救急車は手配しました。」
「ありがとう。」
とりあえず気を取り直してアブドルアジース博士と孫娘のマイを保護すると、公王庁に帰ることにした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
欠けたピース
アブドルアジース博士を襲撃しようとした面々の尋問から得られた情報は極めて少なかった。
3人は公国軍内部の人間で、やはり、金で雇われた人間だった。
「ジオン内部にスパイ多くない?」
タニアが口を尖らせて言う。
ここは公王庁内の半空き倉庫で、保存食の箱が山積みになっているところにデスクだけとりあえず置かれている。
「ザビ家の面々が互いを牽制しあって、秘密部隊を抱えておるのがそもそもの原因じゃ。」
ゴンザレスはつまらなさそうに言った。
「ジオンの軍人たちはお互いの中に怪しい行動をするものがいても、もはや、無視を決め込んでおる。キシリア機関がある、ギレンもなにやらやっておる。当然、ワシらもデギン陛下の秘密部隊じゃ。そこにアナハイムエレクトロニクス社の工作員が紛れ込んでおっても、一般の将兵にはなんとも出来んじゃろうな。」
「おかしな行動があるものを上に突き出して、逆に睨まれるのはまっぴらだろうからな。」
そう言ったコーエンは顔色が悪い。
「こんな大事なときに風邪を引くなんて、私もヤキが回ったものだな。」
そこにマイの残念そうな声が聞こえてきた。
「ホジョウ室長、コロニーが特定できません。アナハイムエレクトロニクス社屋とサイド5が比較的近距離なので、絞りの甘いアンテナを使っていて、通信しているかもしれないコロニーだけで10以上あります。さらにその区域を航行している船の可能性も考えると。テキサスとミランダが入っていないと言うだけです。」
「心情的に、そういう時はど真ん中で通信するんじゃないんですかね?」
ホジョウがそう言うとマイは無言で首を横に振った。
「アナハイムエレクトロニクス社を締め上げるのは?」
「中立地帯の会社だから無理ですね…そのズムシティで内通者を集めてた女性を捕まえれば何とかなるかもしれませんが、今から見つかる気がしません。マハルコロニーで働いているどいつがサイド5のどっかのコロニーの核パルスエンジンの設置作業に合流するのか結局つかめてない。」
マイが悲しそうな顔で頷いた。
「総帥府の旗振りなので、情報が出てこないんです。なんでしょう…紙と口頭でお仕事されると私では手が出せませんので。」
タニアが何か考えている。
「ロボ上曹、何かアイディアがあればなんでもどうぞ?」
ホジョウは望みは薄そうだなと思ったが話をふってみた。
「地球で待ってて、落ちてきたら迎撃するのじゃダメ…ですよね?」
「…的が大きすぎて、攻撃目標がどこか分からなければ、迎撃は不可能だ。」
コーエンが辛そうな声で話した。
「コーエン博士、救護室で寝られては?」
ホジョウがそう言ったがコーエンは何か黙って考えている。
「サイド5に探しに行くのは…無理か…」
縦、横、高さがあるサイド5でくまなく何かを探す作業はちょっと考えたくない。
「しかし、サイド5のいずれかのコロニーが動くのを感知は出来ないか?」
それにはゴンザレスが答えた。
「コロニーの座標が一定以上ずれたときに出る警報を感知して、連邦は迎撃を行って、間に合わずにシドニーが消えたんじゃ。」
コーエンはゴンザレス相手に珍しく食い下がった。
「しかし、ブリティッシュ作戦は完璧ではなかった。ゴンザレス、見えたぞ。落とす側の気持ちになってみろ。次に落とすときにブリティッシュ作戦のような中途半端な落ち方になる用に落とそうとするかね?」
「次は『完璧』を目指すじゃろうな。」
「そのためには、各コロニーの相対位置の警報は切っておく必要がある。」
スペースコロニーは地球や月からみたときに安定する場所に作られる。
地球や月からみたときに「この場所にモノを浮かべれば大体同じ場所にいてくれる」というポイントが存在する。
どういうことかというと、宇宙の適当な場所にものを浮かべると、どこかに向って落ちていくか、離れていってしまうかになる場合が多い。
スペースコロニーは月や地球から見たときに常に一定の場所にないと、なかなか役に立たないので、そうした安定したポイントが利用される。
そうしたポイントをラグランジュ点と言い、地球と月の近場のいくつかのラグランジュ点に、順番に「サイド~」と名前をつけて、それぞれコロニーの設置拠点として使っていった。
ただ、それでもコロニーは何らかの事情で動いてしまう(ときもある)。
放っておくと他のコロニーに衝突して危ない。
そのために、全てのコロニーの場所は監視されている。
一定以上動いたら、位置調整用バーニアで微調整を行い、めでたくコロニー同士の衝突を防がれる。
そのなかでもサイド5の各コロニーの座標の監視は、各コロニーが識別コードを24時間に1回、地球と月に向って送信し、その電波の発信源で割り出す方法を主に使っていた。
でも、それは過去の話で、大半の戦闘で破壊されたコロニーでは、その機能が止まっている。
それがダメになったらどうするか?…地球の天体望遠鏡から『視る』のだ。
実際に人間が望遠鏡を覗くわけではなく、精密な光学監視装置で半自動化されている。
弱点は天候。
雨天や曇りの日は見えない。
ただ、仮に曇りで見えなかったとしても、コロニーが勝手にずれる距離はごくわずかなので、次の晴れた日に見直してそのときに修正するだけのことだ。
「…仮に予想通り、サイド5のコロニーがコロニー落としに選ばれているとしたら、リスクを犯して地球の天体観測所を制圧して、位置監視の『目を潰す』だろうか?」
「かなり無理があるじゃろうな。コロニーの位置観測に参加している観測所は3箇所じゃ。サイド3以外のコロニーは全て24時間に1回以上は地球から監視されておる…あくまでも『位置』だけじゃが。」
コーエンは粗末なパイプ椅子に大げさにもたれながら言葉を続けた。
見るからに辛そうだ。
「対して月面からの観測所はフォン・ブラウン市第1天文観測所のみだ。こちらは何とでもなる。火炎瓶を持って押し込もうが、緊急メンテナンスだろうが何でもいいのだ。…私の推論を言おう。コロニー落とし決行の条件は地球の悪天候だ。コロニー迎撃不能になるタイミングまで地球の天文台と月面の天文台の『目』が見えない条件を作り出せれば、今度こそ五体満足なコロニーが地球にドカンだ。」
「コーエン博士、多くの天文台が天候不良の影響を受けにくい高地に作られてございませんかな?」
それまでずっと黙っていたアブドルアジース博士が質問した。
「実は、博士。そうでもないのです。高地にある天体観測施設は確かに天候の影響を受けにくいのですが、コロニーの位置監視は、今も電波での位置観測を行っている施設に付随するバックアップの望遠鏡で行われているため、赤道上に通信会社が持っている社屋の屋上のような場所で行われているのです。」
アブドルアジース博士は目を細めた。
「コーエン博士…お見事でございますよ。素晴らしい。」
「光栄です。」
そこでコーエンは風邪でノックダウンとなった。
公王庁の救護室に自力で歩いていくと、そのまま戻ってこなかった。
しかし、残した功績は大きかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
フォン・ブラウンの目、ズムシティの頭脳
ホジョウは大急ぎでフォン・ブラウン市のペトローニ女史に電話をかけた。
「フォン・ブラウン第1天文台の様子を見張ってください。」
「ホジョウ少佐、『天文観測所』です。」
タニアにツッコまれた。
「すいません、天文観測所です。テロがないかとか、あとは、緊急メンテナンスとか。」
「停電も怪しいですね。」
マイにツッコまれた。
「あとは、停電もないかとか…他何かあります?」
「担当の従業員が無断欠勤も怪しいでございますね。私のゼミでも昔、担当者の院生が…」
アブドルアジース博士が思い出話をはじめた。
「スタッフの無断欠勤も。」
「あとはテロじゃな。」
「ゴンザレス博士、それはもう言いました。」
ペトローニ女史は天文観測所にも派遣会社のザイオンイヤーから事務員が派遣されているので、逐一、監視して情報をくれるそうだ。
「ホジョウ大尉、一件、私も電話を失礼させていただいてよろしいですか?」
「構いませんよ。」
「おじいさま、失礼なのは階級の間違いですよ。」
「それは、大変に失礼いたしました。」
「それも構いません。」
アブドルアジース博士がどこかに電話している。
「ご無沙汰しております。例のデギン陛下つきの別室のお話でご協力いただけないかと。コロニーはサイド1から移動して地球めがけて落ちるのですが、迎撃するためにはどの地点で待ち構えるのが得策かとおたずねしたい所存でございます。」
マイが「おじいちゃん、サイド5でしょ?」というのを博士は電話しながら片手で制した。
「ありがとうございます。もし、再び生きてお会いできましたらそのときはゆっくりお話でも…失礼致します。」
といって電話を切る。
「暗号でございます。私と今お電話した博士の間で決めておりまして、地球を標的にコロニー落しをする場合、L1、L3、L4、L5のいずれかのラグランジュ点のコロニーが選ばれると予想して、『サイド』の後ろにラグランジュ点の番号をつなげて言いますと、符合する数字が1つもございませんので暗号になるのでございます。博士は『サイド3からスイングバイして迎撃』が最も適切だとおっしゃいました。ですから、L3と読みかえることが出来ます。サイド7がゾック・ゼロの最適な待機場所になります。」
一同、納得したが、問題が1つ浮上した。
サイド7は地球連邦の勢力圏だ。
「厳しいなー…厳しいですよね…?」
ホジョウは唸ったが、マイは涼しい顔をしている。
「ホジョウ様なら大丈夫だと思いますよ?聞いた話ですと、赤い彗星のシャア様はサイド7のグリーンノアコロニーにザクで乗り込んだ上、連邦の宇宙要塞ルナツーに乗り込んだそうですよ?シャア様に出来て、ホジョウ様に出来ないってことはないと思います。士官学校の一年後輩ですよね?」
「無茶言わないで下さいよ…」
今度はタニアが畳み掛ける。
「ホジョウ少佐は素手のドツキ合いだったら公国軍最強だと思います。恐らく赤い彗星なんてメじゃないですね。」
「モビルスーツと素手を比べないで下さい!」
ゴンザレスも黙っていない。
「ホジョウ少佐、今、行かなかったら一生後悔すると思うんじゃが。」
「痛いところつきますね。」
「ホッホッホ」
アブドルアジース博士は目を細めて笑っている。
「分かりましたよ!行けばいいんでしょ?行けば!敵陣、サイド7にモビルアーマー抱えて乗り込みますよ!」
「よく言った、ホジョウ少佐!」
「言わせたんでしょ!装備と物資の点検しますよ!」
そうしているうちにホジョウの実家から兵士が10人届いた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
公王庁警備室別室特務艦ラモックス・ザ・スタービースト
「名前変わっただけで貨物船ですよね。」
「まあ、そうね。」
ゴンザレスは公王庁に残った。
アブドルアジース博士とマイはそれぞれに兵士を連れて1艦ずつ仕立てて出て行った。
ホジョウとタニアは公王庁警備室別室特務艦ラモックス・ザ・スタービーストと名前の変わった艦で細々と出航になった。
とはいえ、艦はズムシティの外に係留されているので、そこまでは往復船を使う。
「数日ぶりとは思えませんね。」
「邪魔してるよ。」
「うわ!!」
武器商人のダグラスがブリッジにいた。
「これ、納品書。銃座つけといたんで。あと、店漁ってたら、面白いもの出てきてさ。爆雷付きナイフ。使い勝手が悪すぎて、マニアしか買わなくて、全然売れなかった品物だけど、これはサービス。じゃあ、ご武運を。」
そういって往復船の従業員が積荷を入れている横を抜けて颯爽と出て行った。
「本当だ、火気管制システムが追加で入れてある。」
「ホジョウくん、ここについてるよ!座れるし、多分撃てる!」
名前が変わったわけでもなさそうだ。
「ホジョウ君、聞こえるかね?ワシじゃ。」
「ゴンザレス博士、聞こえますよ。」
ゴンザレスは公王庁に残って取りまとめ役だ。
「博士と孫の船はそれぞれルナゲート1号と2号と呼ぶことになったぞ。その2艦が地球の反対側に向うラモックスと、ズムシティとフォン・ブラウン市との通信を連絡する。ラモックスは常に2号との通信を確保するようにするんじゃぞ?ええな?」
「了解しました。」
「了解しました。」
ホジョウとタニアがそれぞれ返事をする。
「それでは航行予定の軌道をこちらから送る。トラブルない限りはその計画に従って航行してくれ。現在、ハバロ首相ルートでサイド7に特別な機構許可が出ないか打診中じゃ。そちらも、進展あれば連絡する。もし、機構許可が下りなければ、また民間人のご夫婦のフリをして切り抜けてくれ。こちらからは以上じゃ。」
「了解しました。」
「了解、航行計画受信しました。」
コンソールにアブドラアジース博士とマイの顔もワイプして映りこむ。
「ご夫婦のフリだったんですね…そうとは知らずに色々失礼致しました。」
マイが謝る。
「おかしいですね?マイも私同様、お二人がご身分を隠しているだけだと知っておりましたはずですが?」
マイは「ウフフ」と笑うと通信から消えた。
アブドルアジース博士も「ホッホッホ」と笑うと通信から消えた。
「あの二人…ラモックス・ザ・スタービースト、出航します!」
係留綱が外れる音が船体にわずかに響く。
メインカメラがサイド3宙域を映し出す。
往復船は十分、安全な距離まで離れたようだ。
タニアはこの操船に関しては全く当てにならないので、ホジョウが一人で操作している。
「…」
だから無言だ。
「管制局、ラモックス・スタービーストの艦長ホジョウだ。出航許可を願う。」
「いつでも大丈夫です。」
軍の所属なので極めて簡略化された手続きで出航が可能になる。
「ホジョウ少佐、一点だけ、マハルコロニーで強制疎開が間もなくはじまります。マハルに入る船と、マハルからサイド3内の各コロニーへの分散疎開する船と、宙域の混雑には十分ご注意ください。」
「了解。忠告ありがとう。」
ホジョウは通信を切ると艦をゆっくりと発進させた。
「ホジョウ君いよいよね。」
「あれ?上曹、いまホジョウ君って呼びましたね?」
「すいません、博士が呼んでたのがうつっちゃって…」
ホジョウがブリッジにいるタニアのほうをみると、ヘルメットを着用して顔の色は分からないが、下をうつむいている。
「じゃあ私もタニアさんで良いですか?」
「…はい。」
ラモックス・ザ・スタービーストはジワジワと前進加速している。
そして、おもむろに機銃を発射した。
「よし!ヒット!」
「え!?え!?」
はるか前方の虚空で爆発が起きる。
「管制!識別不明の連邦の機体がいるぞ!おそらくボールを1機撃墜!」
「了解!スクランブル!!目標は宙港外の識別不明機!!」
ホジョウは管制との通信を切るルナゲート1号2号と通信をつないだ。
「両機、ともにこの宙域を全速力で離脱しろ!」
どちらの機も操縦しているのはホジョウの実家から送られてきた精鋭だ。
野太い声で「オッス!」と返事が来る。
「タニア、全速力!衝撃に備えて!」
「了解!」
ホジョウはメインバーニアを全力で吹かした。
背もたれに体が押し付けられる。
「ダグラスさん!さては船足も強化したな!」
前方にルナゲート1号2号の機影が微かに見える。
「ルナゲート1号!レーダーに敵影は見えているか!?」
「恐らく見えます!」
「どうせ博士のことだからEMPか何か持ってるでしょ!ぶち込んで!」
「ホジョウ室長、残念ながら私は持っておりません。」
「持ってるのは私です。連中、私達を出待ちするためにミノフスキー粒子を撒いてなかったみたいですね。EMP発射!」
モビルスーツが有視界戦闘しなければいけないのはあくまでも、ミノフスキー粒子が散布されてレーダーのような電磁観測装置が使用できないからだ。
しかし、ズムシティの前にミノフスキー粒子を散布すると、自分がいる場所を逆にばらすことになる。
「ホジョウくん、どうやって敵がいるって分かったの!?」
タニアの質問にホジョウはメモ用紙を見せた。
「これです。ダグラスさんがメモを残しておいてくれました。」
タニアがメモを受け取ると「前方で鹵獲したボールでキミの船を出待ちしている不届きモノがいる。まだ、キミの船がどの船かは分かっていないようだ。せっかくつけた機銃だから、使って欲しい。照準はもう付けてあるからボタンを押すだけで当たります。出航したらすぐに押してください。ボンボヤージ。」と書いてある。
「…ジョウ少…EMP成功…」
ノイズ混じりの通信が入る。
「タニアさん、ミノフスキー粒子の散布が始まりました!銃座お願いできますか!」
「了解!」
タニアが加速する船内を器用に移動して、新造の銃座に座ろうとする。
「ホジョウ君、コイツ勝手に動いて、危なくて座れない!」
「ああ、オート切ります!」
ミノフスキー粒子にかく乱された機銃の動きが止まると、タニアは席へ座り込んだ。
「こっちは輸送機です!ボールが相手でも、攻撃力は向こうが上です!十分注意して!」
タニアは返事をせずに撃ちはじめた。
艦に小さく衝撃が走る。
「くそ!下手くそ!後ろのザクのマシンガンか!?」
ホジョウは手っきり流れ弾かと思ったが、すぐに違うかもしれないと気づいた。
ジオン内部に敵はいるのだ。
緊急発進(スクランブルしたザクのなかにも敵はいるかもしれないのだ。
「タニアさん、戻って!後ろからも撃たれてるかもしれない!」
そう言いながらホジョウは「煙幕」を撒いた。
煙幕と言いながらも、中身は細かいアルミ箔だ。
そのまま、進行方向をかえる。
「万が一のために積んでおいてよかった。」
あとはEMPで麻痺したならず者と、ズムシティの警備隊がどつきあいしてくれればいいだけだ。
しかし、再び艦が揺れた。
「横から!」
横から貨物室に一発命中したようだ。
「くっそ!EMPが入ってなかったのか!」
ブリッジに戻ったタニアが再び銃座に滑り込む。
機銃の音がしばらくなると、側面のディスプレイで爆発が見えた。
「EMPは効いてたけど、ボールはマニュアルでも弾は撃てるから!」
「忘れてた…」
連邦の名機ボールはコックピットから船外に出るのが容易で、主装備のキャノン砲は機外からのマニュアル操作でも発射できるのだ。
「ローテクにしてやられた!タニアさん、ゾック・ゼロに被害がないか見て!ルナゲート1号・2号!被害は出てないか!?」
通信の向こうからバタバタと各部署が細かい確認をする声が聞こえる。
「1号、被害なし!」
「同じく2号、被害ないであります!」
タニアもブリッジに戻ってきた。
「ホジョウ君、ボールのキャノン砲、ゾックに命中してた。」
「え!?壊れた!?」
「びくともしてなかった。貨物室のメインハッチと、側面と、天井に1発ずつ、計3箇所穴が開いてたけど、ゾックは塗装がえぐれた程度。」
伊達に硬くなかった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
クリスマスイブ
「ホジョウ君、サイド7寄航の許可は下りたが、許可がでたのはあくまでも補給までじゃ。コロニーには入れんそうじゃよ。」
「了解しました。」
ゴンザレスが交渉の結果を伝えてきた。
元々、そんなに期待はしていなかったが、補給が受けられるだけでもありがたい。
サイド7には稼働中のコロニーは1基しかないので、グリーンノアコロニーないし付随する宙港で、補給が受けられるのだろう。
サイド7ズムシティのあるサイド3からみて地球をまたいだ反対側だ。
他のコロニーからもあまりにも遠いため、ジオン軍はサイド7を攻略したことはない。
赤い彗星の異名で知られるシャア大佐も、破壊工作程度の活動しかしていない。
そうした事情で、ルナゲート1号とルナゲート2号が中継に入らないと、地球と月が邪魔でズムシティと交信が出来ない。
公王庁にはそうした事情で指向性アンテナが急造された。
本来ならそんなことをしたらすぐに独自の通信をしていると敵にバレそうなものだが、公王庁は設計した建築家の意向で常にどこかが増築され続ける「成長する建物」がコンセプトなので、何かが増えているのは日常茶飯事だという。
だから、多分バレないというのはデギン・ザビ陛下の弁らしい。
「一体、いつまでゾック・ゼロをサイド7に置いておかなくてはいかんのか、全く見通しが立っておらん。今、ルナゲート3号を用意して、コーエン博士が回復次第、各機のバックアップに向わせる予定じゃ。」
「ありがとうございます。助かります。」
ホジョウの乗るラモックス・ザ・スタービースト号はサイド7で補給を受けられるので、サイド7についてしまいさえすれば、基本的に艦が壊れるまではいつまででも待機できる。
しかし、ルナゲート1号・2号は全く何もない宙域に独立して浮かんでいるだけなので、補給を受ける手段がない。
しかも、サイド7と違ってどちらもラグランジュ点にいないので、位置をキープするために、わずかに燃料を消費し続けなければならない。
バックアップが必要だ。
ルナゲート1号はまだサイド2とサイド6が近いが、戦禍に巻き込まれるのを避けるため、やや外れた位置を目標に航行している。
「それではよいクリスマスを!」
ゴンザレスはそう言って通信を切った。
「そうか、もう24日になるのか。」
グリニッジ時間であと30分もしないで24日になる。
船長室で仮眠していたタニアが起きてきた。
「もう『メリークリスマス』?」
「いや、イブまであと25分ある。その24時間後にクリスマスだ。」
「シャワー浴びてきまーす。」
船内の生活用水は、交換膜で浄化されて循環している。
これぐらいの規模の船だと、交換膜の寿命と浄化に使われる電力だけ気にすれば、シャワー程度は一日何度浴びても問題がない。
タニアはクリスマスイブになる前にシャワーを出てきた。
作戦行動中とはいえ、ただ計画された軌道に沿って、宇宙空間を飛んでいるだけだ。
今は加速すらしていないので、本当にただ飛んでいるだけなので特に作業はない。
ぼーっと過ごすとお互いに「メリークリスマス」といって、またぼーっと時間を過ごした。
「こちらルナゲート1号。目標の座標に到着しました。」
「はい、了解。以後引き続き警戒を願います。」
「了解!」
ホジョウは一応確認しておくかと考えてルナゲート2号に通信をつないだ。
「ルナゲート2号、応答して下さい。」
「こちらルナゲート2号。」
「すでに減速プロセスに入っているか?」
「予定より少々行程が遅れておりますので今から30分後ぐらいになるかと。」
「何か異常か?」
「いえ、単にメインバーニアの噴きが悪かったのと、ちょっと思ったよりも荷物が載っていまして。」
「荷物?」
通信している兵士がちらちら後ろを気にしている。
「あの、マイ様のお手荷物が。」
ホジョウが画面をよく見ると、ブリッジの後ろのほうでクリスマスパーティーをやっている。
「マイ様がだいぶご飲料を持ち込まれまして…」
ホジョウは感心した。
「今回、補給が大変そうだから、飲み物が多いのは良い事ですよ。警戒だけ怠らないようにして、楽しんで。メリークリスマス。」
「ありがとうございます!タロウ坊ちゃまもメリークリスマス!」
通信が切れた。
「へー『タロウ坊ちゃま』って呼ばれてたんですかあ…」
タニアに聞かれていた。
ホジョウは今のヤツの顔を覚えて、今度とっちめようと心に決めた。
しばらく、そのハナシでホジョウがいじられていると、通信が入った。
ゴンザレスからかと思いきや、軍の通信がゴンザレスのところで中継されてきている。
よく通って聞き取りやすい女性の声だ。
「地球連邦軍がサイド1ソロモン基地周辺宙域で攻撃を開始しました!敵陣営の戦力については不明!」
その後、周辺宙域の艦隊のどことどこは至急援軍に向うようになどの指示が延々と読み上げられる。
「クリスマスイブぐらい静かに過ごせばいいのに…」
ホジョウとタニアは幸か不幸か、地球を挟んでソロモンのちょうど反対側を飛んでいる。
今から何をどうあがいても何の手出しも出来ない。
その日の夕刻、ドズル・ザビ中将戦死の一報が流れた。
ホジョウは船長室に一人でこもると涙を流した。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ソーラレイとイカ
「ギレン総帥がコロニー兵器の許可を取った。例のマハルコロニーじゃ。『ソーラレイ』という作戦名で正式に許可を取りよった。」
ゴンザレスから翌朝、連絡が入った。
「当然、極秘じゃ。そちらはもう到着するかのう?」
「予定通りであればあと2時間ほどでサイド7に到着します。」
「中将のことは残念じゃったな。」
「いえ…軍人の常ですので。」
ホジョウはあれからずっとドズル・ザビの人生について考えていた。
ブリティッシュ作戦を決行した大量殺戮者としてのドズル・ザビと、仲間思いで、親しみ深い校長で、愛妻家だったドズル・ザビ。
二つの面を持っていた。
彼は二つの顔を使い分けていたのだろうかと、ホジョウは考えた。
「ホジョウ君、ずっと悲しそうな顔してる。」
タニアが言うのももっともだ。
ホジョウはドズル・ザビの死が悲しいのではない気がしている。
ただ、ドズル・ザビを大量殺戮へと押し上げた戦争が悲しいのかもしれない。
お会いしたデギン・ザビ陛下はもし平和な世の中に生まれていたら5人の子どもに囲まれて、どんな人生を送っていただろう。
見た目ばかり豪奢で異様な公王庁は彼の栄華の象徴なのだろうか。
「タニアさんさ、もし私と結婚したとして…」
タニアは急にすごいことを言われたなと思ったが、そんな顔をしていないので素直に話を聞いておくことにした。
「私が公王庁みたいなところに住む人間になったら…デギン陛下みたいになったら、幸せな人生になると思う?」
「無理でしょ。」
即答だった。
「5人いる子どものうち1人は暗殺で、2人は戦争で死んでるんですよ?そもそも、あそこ犬飼いづらそう。」
「犬?」
「戦争がなかったら犬を飼いたいんです。でっかくてエサたくさん食べる犬。実家にそういうのがいたんで。」
「…そう。」
「はい。だから結婚したら犬小屋が似合う家に住ませて下さいね。」
「…え?」
「え?」
「結婚するの?」
「ホジョウ少佐が言い出したんですよ?」
ホジョウは事の重大さにやっと気づいた。
「あ、そういう意味じゃな…」
「じゃあ、どういう意味ですか。」
揉めていると、サイド7の入航手続きが迫っていた。
一旦、タニアとは休戦条約を結んで、サイド7に集中することにした。
サイド7の管制官は露骨に嫌そうな声で応対した。
「それでは積荷の確認をさせていただきます。誘導にしたがって下さい。」
積荷の確認があることはゴンザレスから予め聞かされている。
向った先は巨大な与圧格納庫だった。
「こちらの積荷は与圧は大丈夫ですよね?」
「はい、大丈夫です。…与圧下で確認するんですね。」
「いけませんか?」
「いや、こちらは何も問題は。」
与圧とは、宇宙空間が真空であるのに対して、1気圧の空気があるということだ。
宇宙でも月面の格納庫でも、この貨物船はいつも空気がないところで運用されていた。
単に、この船が入る空間を空気で満たすのに金がかかるからだ。
ホジョウはタニアにヘルメットはいつでもかぶれるようにと指示をした。
ガスでも撒かれた日にはたまったものではない。
たっぷり、30分ぐらいかかって船を収めた格納庫が与圧された。
「メインハッチお願いします。」
「メインハッチ開けますので下がってください。被弾しているので、上手く開かない可能性がありますので。」
ザクマシンガンを1発食らっているので、あけるときに壊れた部品でも飛んだら危険だ。
ハンドサインがカメラで確認できたのでハッチを開けた。
ホジョウとタニアは一応船をでるように言われたので、船を下りて、担当者らしき人間のところへ飛んで行った。
倉庫には空気は来ているが、人工引力までは効いていない。
ホジョウが通りいっぺんの確認事項に答えていると、白衣の集団が宇宙でよく見る、動く手すりにつかまってやってきた。
「特殊な積荷だと聞いてうちの科学者が見たいそうだ。」
「まあそうでしょうね。立ち会ったほうがいいですか?」
「お好きにどうぞ。この格納庫からは出ないで。補給は推進剤のほかには?」
「水と交換膜。あと、何か食料があれば。一応こちら連邦の通貨ですが。」
「うん、確かに。これぐらい有れば足りるな。これは釣りだ。」
「…いいんですか?」
ホジョウはてっきりワイロ的なものを取られるかと思っていたがお釣りが帰ってきた。
「バカやろう、今お偉いさんがたくさんいるんだ。イランこと言わずにとっととしまえ。」
「あ、」
白衣の集団の後ろには連邦の階級の高そうな軍人も何人か控えている。
「ホジョウ少佐!ご質問があるそうです!」
タニアに呼ばれてホジョウが駆けつける。
禿頭に長い白ひげを垂らした老人だが、無重量のせいで、ヒゲがなんとも自由奔放な状態になっている。
「おお、キミがホジョウ君か、別に質問なんざありゃあせん、ロドリゲス会長から話しはうかがっとるよ。」
ホジョウは一瞬何のことかと思ったが、ゴンザレスの偽名だ。
ということはこの白衣の人間は恐らく仲間だ。
そこへ一人の将校が近づいてきた。
「クルーザーが運ばれると聞いていたんだが…これは本当にクルーザーなのですかな?」
ホジョウは白ヒゲの白衣の男性を見たが、いたって朗らかで平静な顔をしている。
「中尉、こちらをご覧下さい。ジオンのモビルスーツの非常に特徴的な技術、モノアイじゃ。これが、この機体の場合、表と裏の両方をカバーしておる。」
「ほう…ということは?」
「表と裏でリバーシブルのモビルスーツなんぞ聞いたこともないわ。軍事技術を転用したクルーザーじゃろうな。そもそも、長さが40m近くあるぞ。カタパルト発艦すらできん。」
「ソロモンで出現したモビルアーマーは異様な風体をしていたそうですが…」
「ふむ、ここ見てみなさい。」
白ヒゲの博士と中尉と呼ばれた軍人はゾックの腕のほうに飛んでいく。
その後ろを他の人間もついて飛んでいく。
ホジョウとタニアも追いかけた。
「アイアンネイルに見えるね。」
「見えます。」
「ここ見てみなさい。」
「なんですかなこの機構は?」
白ヒゲの博士は得意げに解説をした。
「これは外付けのロケットを取り付ける機構じゃな。このフックの部分が起き上がって、ロックして。この接点でロケットの制御信号をやり取りするんじゃろう。アイアンネイルはそのロケットの保持のための機能しかないじゃろう。そもそも、こんなずんぐりむっくりに殴られるやつがおるか?」
タニアは「またずんぐりむっくりって言った」と思った。
「まだ、あるぞ、モビルスーツだとすると大体は股間か胸から乗り込めるのじゃが、これは股間のほかに頭頂部付近にも出入り口があって、なんとそっちはエアロックになっとる。」
「モビルアーマーにエアロック?」
「そう、ちょっと開けさせてもらおうか。ホジョウ少佐だったかな?」
急に呼ばれた。
「はい!今あけます!」
ホジョウは急いで頭頂部のエアロックを開けた、すぐ真下は居住区になっている。
中尉が覗き込んで率直な感想を述べている。
「あー本当だー!居住できるようになってる!アッ…臭ッ!スゴ臭ッ!!アッ…ダメだ!臭ッ…臭ァッ!!」
ホジョウとタニアは驚いた。
「え!?嘘でしょ!?」
駆け寄ると、本当に臭い。
イカの臭いだ。
「これ…!イカの臭いです!!多分…害は無いです!!」
「最悪!!一度、ロドリゲス会長が中にスルメ持ち込んでたんです!!マジで臭い!!」
タニアも相当にお怒りだ。
「こ…これは確かに兵器ではない!乗用機だ!早く閉めたまえ!」
ホジョウはその後、補給物品の中に消臭剤とエアコンのフィルターを追加した。
「あの臭いを消そうと思うと、ずいぶん高くつくぞ?」
「お願いします。」
犯人は居住区に残されていたカビたスルメだった。
湿気を吸ってカビたらしい。
ホジョウはカビたスルメを怒りに任せて真空の宇宙空間に放り出した。
運がよければ遊星からの物体Xよろしく、異性人に拾われて、どこかの文明の脅威になるだろう。
補給で受け取った消臭剤は業務用の洗剤だったので、実際に高くついたが、サイド7の与圧格納庫の中でみっちり2日間清掃したら、臭いはずいぶんマシになった。
「連邦の洗剤凄いじゃん!」
「ねー!」
少し勉強になった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
コロニーリサイクル事業
補給も終わり、与圧倉庫から追い出されたラモックス・ザ・スタービースト号は、本当にやることが無くなった。
サイド7の民営放送局のテレビ番組をザッピングしたりしながらだらだらと時間をすごすだけだった。
ただ体がなまるのは本当に危険なので、毎日、運動だけは欠かさない。
そこに通信が入った。
「お久しぶりですね。」
月面から来た通信にはペトローニが映った。
「ペトローニさん!」
ペトローニ女史の夫で、ムーンムーンで身分証の偽造をしてくれた人物だ。
「コロニー落とし計画がとうとう見えたかもしれません。」
「本当ですか!?」
通信に顔が出ているのはアブドルアジース博士、マイ、ホジョウ、ゴンザレスだ。
「アナハイムエレクトロニクス社をご出奔した人物でエイラ・マコミックという女性がいらっしゃいまして、今のところ連邦にもジオンにも属さない人物だと考えられます。現在、アナハイムエレクトロニクス社からは横領で追われております。」
「横領…」
ペトローニはあまり鮮明ではない写真を引き伸ばしたものをカメラに映した。
「この女性ですが、会社の資金を横領しまして、その横領した金でジオンと連邦の軍人を次々に買収、計画を進めていたのではないかと考えられます。ただ…」
「ただ?」
ペトローニは笑っているのか何なのか分からない顔で続けた。
「ただ、本当にそんな横領ばれずに出来るんですかね?途中まではアナハイムエレクトロニクス社もやっていたのではないですかね?…あくまで憶測ですが。まあ、その女性が何を目指しているかというと、恐らくはコロニー落としの企画営業です。」
話を聞いていた全員、思考が止まった。
「どういうこと?」
ペトローニが噛み砕いて説明した。
「『コロニー落とし、1回おいくらでご購入しませんか?』という商売をされるおつもりのようですよ。とにかく、ジオンと連邦とフォン・ブラウン市に『いつでもコロニーが落とせる』サービスを売りこむつもりのようです。ジオンが買えば地球に落とす。連邦が買えば月に落としてもいいし、落とさずに取っておいてもいい。誰も買わなかったら、恐らくデモンストレーションにどこかに落とすのでしょうね。ギレン閣下にはすでに接触した形跡があります。当然『コロニー落しを買わないか』という話をした模様です。」
「ギレン閣下はなんと?」
ホジョウが無線に食いつかんばかりの勢いで質問した。
「不明なんです。」
一同、しばし放心していると、ゴンザレスのところが騒がしくなった。
通信機越しに「ゴンザレス博士!」と叫ぶ男性の声が聞こえてきた。
首相補佐官だ。
「いま、デギン陛下宛てに『コロニー落としをお売りします』と書かれた封書が!」
「今こっちもその話が入った瞬間じゃ…ということはギレン総帥閣下は断ったな…封筒にはなんと書いてある?」
首相補佐官が、通信がつながっているのに気づいて、畳まれた紙を広げて見せた。
ゴンザレスが最後の一文を音読する。
「『カサブランカを持ってこちらから伺います』…あちらから接触してくるということか?デギン陛下に直接!?そんなことが可能なのかのう?公王庁に内通者がいる?」
「ひとつ…」
アブドルアジース博士が普段は出さない険しい声で語り始めた。
「可能性があるとすれば、ジオン公国と地球連邦の和平交渉の場でございます。恐らく和平交渉をされるとしたら地球連邦側はレビル将軍、ジオン側はデギン陛下のお二人でございましょう。そこに何らかの形で絡めば…報道、警備などでしょうか。」
「そうすれば、同時に連邦にも売り込めますね!」
後の証言では、カサブランカを携えた女性は和平交渉の場に居たという。
亡命艦隊と呼ばれた、ジオンから連邦に亡命した一団の中に、カサブランカを納品した花屋が証言した。
そして、デギン公王、レビル将軍ともどもソーラレイで蒸発したという。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
旅は道連れ
ラモックス・ザ・スタービースト号は宇宙世紀79年12月30日21時30分、驚天動地のグリーンノアコロニーを脱出した。
マハルコロニー改めソーラレイがデギン公王とレビル将軍を含む地球連邦の艦隊を吹き飛ばしたからだ。
被害の大きさは未だ不明だが、サイド7もその状況でジオンの艦を放っておくことはできない。
拘束されてしまっては元も子もないのでサイド7の宙域は維持しつつも、グリーンノアからは離れた。
もうゴンザレスとコーエンは連絡もつかない。
「あー…世界は今どうなってるんでしょうね…」
ホジョウの素直な気持ちだった。
「ホジョウ君と状況はおんなじ。何にもわかんない。」
「ですよねー…」
あまり近づいて刺激するとまずいが、先ほどまで居たグリーンノアコロニーから艦船が出撃するのが見える。
「さすが、軍艦速いな。」
メインバーニアを目一杯噴かしてグリーンノアを焦がさん勢いで出航していく。
「ホジョウ君、寝ましょ?」
「あん?」
「デギン陛下はなくなって、ゴンザレス博士も連絡取れない。私達の組織は頭が取れたトンボ状態。」
「結構グロイこと言いますね。」
「茶化さない。でも、私達には、コロニーが落ちてきたら止める使命がある。幸い、コロニー落としのきっかけはフォン・ブラウンが監視してるから、私たちはまだやれる。もう夜の22時。寝て英気を養いましょう。」
ホジョウはタニアの心が折れていないことを頼もしく思いながら、素直に眠ることにした。
船長室の無線の音量を最大にして、誰から何がかかってきてもすぐ対処できるように備える。
眠れない眠れないと思いながらもいつしか意識は途絶えた。
「ホジョウ室長!」
ホジョウは自分で最大音量にしたのを忘れて飛び起きた。
「はい!起きました!!」
アブドルアジース博士の乗るルナゲート1号だ。
「ルナゲート1号が、連邦の艦に投降するように呼びかけられています、投降してよろしいですか?」
「なんて事…投降してください!投降の仕方分かりますか?」
通信してきた兵士はホジョウの実家の道場からやってきた人間で、恐らく怪我の類いで予備役になったベテランだ。
ソツなくやってくれるだろう。
「ルナゲート2号聞こえますか?」
「こちらルナゲート2号です。1号の話は聞こえておりました。連邦はサイド2のア・バオア・クーを総攻撃するようです。」
そう話しているとマイが兵士を押しのけて通信に顔を出した。
「2号機を移動させれば、ズムシティは無理でもフォン・ブラウンとの通信を再開できます。」
「しかし、サイド2に近づくことになります!危険です。」
「言うほどじゃないと思います。ではちょっと艦を動かしますね。」
通信はそれで切れてしまった。
タニアも起きだしたので事情を説明して朝の9時ごろ。
とりあえず、通信に気を配りながらシャワーを浴びて、朝食を摂った。
そのまま1時間、2時間と時間が過ぎていく。
まだフォン・ブラウン市との通信再開の目処は立っていない。
事態が急変したのは13時ごろだった。
「戻ってまいりました。ご心配をおかけいたしました。申し訳ございません。」
急に通信に顔を出したのはアブドルアジース博士だった。
「博士ご無事で!?」
「おじいちゃん!?」
博士はなんだか着衣は乱れていたが、またルナゲート1号に乗っていると言う。
「すいません、何があったんですか?」
博士が言うには、自分達を投降させた軍艦が攻撃で半壊し、そのタイミングでルナゲート1号機を取り返して、艦を脱出したそうだ。
「ですから、今、艦の中には連邦の兵士が結構乗ってございまして。この足で、一旦サイド6に向います。中立地帯でございますので。連邦の皆様をそちらに送って差し上げないと。」
「ああ、それは送って差し上げたほうがよろしいですね…お気をつけて…」
アブドルアジース博士はついでに「あ、そうそう」と何か思い出したらしい。
「なんですか?」
「ギレン総統とキシリア少将が討ち死になされました。」
「ええ!?」
その日の夕方、バハロ首相がサイド6の広域放送でジオン公国を共和制に移行する宣言を出した。
さらに、地球連邦へ終戦を呼びかけた。
軍国時代は終わり、終戦が訪れるのだ。
その夜、グリーンノアコロニーから通信が入った。
珍しい文字の電信だった。
デイナーニオサソイシテモヨロシイデスカ?
二人は喜んで誘いに応じることにした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
世は情け
前夜、簡単でも喜びにあふれたディナーを早めに辞した二人は、通信が入っていないことを確認すると、明日の朝、今後のことを話し合うことにした。
ゴンザレスとコーエンは心配だが、今できることはない。
せめて、今日まで敵だった連邦の人々と食事して語り合った成果を大事に眠ろうと、ゆっくりと目を閉じた。
「ホジョウ君、寝て起きたら戦争じゃない日になるってこと?」
「実感わかないですね。」
朝、通信がなってまた目が覚めた。
ペトローニ女史だ。
「フォン・ブラウン中心街で自動車事故が原因の停電!!ジャカルタは大雨!!」
「条件が揃ったのう!!」
画面に急にゴンザレスが現れる。
「ゴンザレス博士ご無事で!!」
しかし、いつも見ている背景と違う。
屋外のようだ。
「公王庁の屋根の上じゃ!昨日、急に政変が起きたからのう。巻き込まれる前に公王庁の工事部分の足場から屋根の上に逃れたんじゃ!ほれ!」
ゴンザレスがカメラを動かすと、コーエンや職員の数人がテントを張って、屋根の上に避難しているようだ。
「何か動きがあるまで見つかるわけにはいかんからのう。黙って寝とった。心配かけてすまなかった。」
コーエンがカメラの前に割り込んだ。
「ホジョウ少佐、よく聞け。コロニーは必ず大気圏に突っ込むとき核パルスエンジンのついていない先を下にして斜めに突っ込む。その先端を真っ直ぐぶち破って破壊するためにはコロニーが大気圏に突入する前に先にゾックが地球の重力に引っ張られて落ちながら加速し、反転して下から突き上げるように上昇する必要がある!大気圏内にゾックが入ってしまうと、空気抵抗でそれが難しくなる!軌道はこちらから送る、まずは予定通りのルートでサイド7を発進しろ!急げ!」
「OK!」
ホジョウは間髪入れずにサイド7の管制に通信を切り替えた。
「サイド7、サイド7、こちらラモックス・ザ・スタービースト。本艦はスクランブルする。発着する全ての艦船の制限を求める。くりかえす、発着する全ての艦船の制限を求める。」
「OK、100秒後にスクランブルを認めます。…お話、伺いました。ご武運を。」
「100秒後、了解しました。ありがとうございます。」
ホジョウはラモックスのメインバーニアをアイドリングして待つ。
「ホジョウくん、頑張ろうね。」
「タニアさん、巻き込んでごめん。」
タニアは首を横に振るとヘルメットをかぶった。
「10秒後に出航可能です。サイド2から故障して曳航される艦艇には十分ご注意ください。3秒前、2、1…」
ホジョウはスロットルを目一杯開けた。
昨日見た軍艦も桟橋を焦がさんばかりの噴きっぷりをしていたので、もはや遠慮の必要は無いだろう。
「ダグラス、あの人、どんなエンジン積んだの?」
「ホジョウくん喋ると舌噛む!」
全身がシートに押し付けられてペッタンコになりそうだ。
メインバーニアの温度がぐんぐん上がる。
レッドゾーンぎりぎりで、一旦スロットルを抜いた。
「ホジョウ少佐、悪い知らせ!目標のサイド5で誰かが煙幕か何かを張ったせいで動いているコロニーが特定できない!和平に反対する人間をサイド5に終結させるって流言も飛んでいて、本当か嘘かもわからない!」
ペトローニ女史が本当に悪い知らせを持ってきた。
「ホジョウ少佐、こちらサイド7です。和平条約締結は本日グラナダで行われる予定と入ってまいりました。」
「じゃあ、コロニー落とす先はグラナダじゃないんですか?」
「ホジョウ少佐、説明するヒマはないんだが、サイド5からグラナダに正確にコロニーを落とすとなると、月を1週半は回らなくては無理だ。その前に見える。」
「そうなんですね!」
貨物船の通信に使っているメインコンソールは次第に人の顔で埋め尽くされていった。
屋根の上から降りて屋内に戻るゴンザレスとコーエン。
サイド6にたどり着いたアブドルアジース博士と連邦の兵士達。
マイと祝杯を挙げるルナゲート2号。
サイド7の白ヒゲの博士とその仲間。
バハロ首相と補佐官も一瞬移りこんだ。
「アルゼンチンのアマチュア天文家からニューヌアクショットの位置が変わっていないかとジオンと連邦に連絡が入ったようです。」
「ヌーニュアクショット?」
「ニューニュアク…ニューヌアクショットです!ニューヌアクショットコロニーです!!」
サイド5の典型的なコロニーの1つで、戦闘で気密が破れ、無人化したらしい。
「テキサスコロニーに連絡だ!」
サイド7の人間が叫んでいる。
サイド5のテキサスコロニーに連絡して、確かめてもらうつもりだろう。
「天文家が提供した座標を確認しました。確かにコロニーが煙幕を抜けて加速中です。」
「軌道の座標データを取り続けろ、ホー博士に連絡しろ!」
コーエン博士が焦って上ずりぎみの声を上げる。
「ホーだ。来たか。」
ホー博士が画面に現れた。
「軌道データはこちらでも取れている。2分ごとに落下目標地点を出力する。とりあえず現在、落下目標地点は南半球だということは判明している。あと、誰かその希望を載せた艦の現在とっている軌道のデータも送ってくれ。」
一同が固唾を呑んだ2分間だった。
「出たぞ。南極だ。」
ほっとした表情の人間と絶望した人間の表情が入り混じる。
「考えられる中で2番目ぐらいに最悪な目標だ。」
「どういうこと、人が住んでないじゃん?」
タニアがホジョウにすがりつく。
「いや、私にもどういうことかさっぱり。」
コーエンが説明した。
「南極に大きなエネルギーを叩き込むと、南極の氷が一気に粉砕されて溶ける。しかも、南極の氷の下には、南極大陸が隠れているんだが、それが氷が軽くなることで浮上するんだ。それによって世界の海面が一気に上がる。何メートル上昇するか予測もつかない。」
ホーは頷いた。
「もう1つ悪い事がある。私の知ってる限りだと、その機のスペックでは、南極に向うコロニーとランデブーできない。」
「そんな!」
ホーは眉間にしわを寄せている。
「大気圏内まで落ちながら急加速して上昇する方法であれば可能だが、その機体では急上昇するだけの推進力を得られない。」
「ホー博士いけるぞ!ロケットじゃ!ゾック・ゼロは補助ロケットを使って加速する機構がついておる。」
ホーはその点は認めた。
「問題はこの土壇場でその機体にロケットを渡しているヒマはないということだ。」
「うちの基地からロケットを飛ばしたら渡せないかな?」
連邦の軍人のようだ。
「失礼、こちらジャブロー連邦基地。ミサイルならまだいくらでも余っている。炸薬さえ抜けば何とかならないかな?まだ私も何のことか飲み込めていないが出来る協力はする。」
ホー博士が「ハッ!」と大きな声で叫んだ。
「待て待て待て諸君…閃きそうな気がする…ハッ!閃いた!」
「それを待っとった!」
ゴンザレスも大きな声を上げた。
「ジャブローから発射されたミサイルをゾック・ゼロが空中で掴んで上昇しよう。それ以外に方法はない。」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ゾック・ゼロ!発進!
「超音速でミサイルとゾック・ゼロを合体させる!それしかない!軌道を計算する!2分くれ!ホジョウ少佐は計画通りの軌道でスピードは保ってくれたまえ!」
「了解しました。」
再び固唾を呑んで見守る2分がはじまった。
「よしいけるぞ!ジャブロー、ミサイルは全て今から送るセッティングをしてくれ。データの規格に合うミサイルは全て指定の軌道で発射してくれ。」
「…データが来たぞ!よし、これをコピーして回せ!少し特殊なタイプだが基地中探せばあるだろう!」
ホー博士はホジョウに呼びかけた。
「ホジョウ少佐、こちらから送った航行計画に変更だ。ラモックス・ザ・スタービースト号はルナゲート2号経由で途中から遠隔操作に切り替える。大気圏突入前にはゾック・ゼロに乗換えだ。」
「了解!」
ホジョウは艦に送られてきた航行計画を見た。
タニアが覗き込む。
「すごいじゃん!これが終わったら結婚しよ!」
「うん…生きて帰れたらね?」
タニアは朗らかだ。
「これ失敗したら祝ってくれる人類半分ぐらい居なくなっちゃうんだから、今から失敗すること考えても仕方ないって!」
開き直りだ。
航行計画にはめちゃくちゃなことが書いてある。
「とにかく、艦の中でゾックを転回しなきゃ!ゾックに乗り込んで!…いや!外から見てて!」
ゾックが中で180度転回するには、格納庫の内壁を多少壊さないと回れない。
「お願いします!アイアンネイル様!奇跡を起こして!!」
ゾックが両手をゆっくり広げると、艦が不気味な振動を立てて、格納庫のメインハッチが飛んでいった。
そのまま、艦から落ちないようにゆっくりと回る。
最後に、残った格納庫の内壁に両手のアイアンネイルを突き立てて、艦にゾックを固定した。
これまでは後方のメインハッチを開けると、ゾック・ゼロの頭が見える状態だったが、今はメインハッチのあったはずの場所に足の裏が見えている。
「ホジョウくん!ばっちりだよ!」
「よし、一旦そっち戻る!」
ホジョウはずいぶん見晴らしのよくなった格納庫であったはずの場所からブリッジに戻った。
「今から遠隔操作受け入れ開始します。ルナゲート2号お願いします!」
「はい、こちらルナゲート2号。急にハッキングを受けそうになっておりますが、ウイルスを送り返して対処しております。ラモックス・ザ・スタービースト号の遠隔操作は問題なく、完璧にやれると思います。ラモックスをハッキングしようとされた皆様は夜道に気をつけてくださいね?」
ホジョウとタニアはゾック・ゼロに乗り込んだ。
「ゾック・ゼロ起動します!」
久しぶりの機動だ。
モビルスーツの操縦はタニアも訓練している。
ゾック・ゼロは色々勝手が違うが、全く手も足も出ないわけではない。
「こっちなら、私もお手伝いできるから!」
「頼りにしてます!」
ホジョウは早速、通信画面を開いた。
「ゾック・ゼロ起動しました。」
「カウントダウン6分前だ。ここから忙しくなる。短いがトイレに行くなら今のうちだぞ。」
ホー博士が声をかけた。
モノアイを動かして周囲を見ると、貨物室に空いた隙間に青い地球が大きく見える。
大気圏が近い。
「ルナゲート2号!地球大気への進入角が甘くなると貨物船もろともゾック・ゼロまで宇宙へ弾き飛ばされるぞ!」
「こちらルナゲート2号!5秒間隔で角度監視中!ラモックスが機体の損傷のせいで制御が安定しません!」
ホジョウとタニアはホー博士とマイのやり取りをまるで他人のことのように静まり返った気持ちで聞いていた。
「あ、ホジョウくん優しい顔してる。」
「タニアさんこそ。」
二人に今できることは信じることだけだ。
「くそ!ラモックス・ザ・スタービースト号の機体剛性が足りないんだ!」
コーエンが悪態をつく。
「ルナゲート2号!進入成功だ!フルスロットル!オーバーヒートするまで噴かせ!!」
「もうやっております!!」
ゾック・ゼロも激しく揺れ始めた。
ラモックス・ザ・スタービーストがその役目を終えようとしているのが分かる。
「ホジョウ少佐!オーバーヒートきます!!」
「頭部メガ粒子砲、発射用意!」
タニアが頭部メガ粒子砲のスタンバイを終えた。
「今です!」
「タニア上曹!」
「発射!」
マイの叫ぶ声にタニアがトリガーを弾く。
ゾックの頭部メガ粒子砲が大気圏をフルアクセルで落下するラモックスを貫いた。
「ゾック・ゼロ!発進!」
砕け散る、ラモックス・ザ・スタービーストを切り裂きながら、ゾック・ゼロは再び地球へ舞い戻ってきた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
合体!ゾック・ゼロ!
「ゾック・ゼロ!南大西洋上空を落下中!」
「頭部メガ粒子砲!プラズマコーティングモードに移行します!」
ゾック・ゼロの頭部メガ粒子砲が淡い閃緑色の煙のようなものをなびかせている。
「ゴンザレスやったな!」
「おおお…!」
そのまま大気中を加速するとゾックは焼き切れてしまうため、前方の大気を予めプラズマに変え、機体周辺の空気の挙動を変化させているのだ。
Iフィールドを応用した技術の一つだ。
「ジャブロー!どうだ!」
「フン、ジオンの科学者風情になめられるジャブローではないわ!全14本発射準備完了だ!」
「ありがたい!大気圏突入時に誤差が出ている!修正情報を送る!」
通信の向こうでジャブローの動きが慌しくなる。
「誤差修正完了!発射準備完了だ!」
「ジャブロー頼む!」
「全弾発射ァ!!」
通信の向こうでジャブローの画面が乱れて消えた。
「大丈夫かジャブロー?」
不安な声も聞こえるが、数秒後に白煙が立ち込めるジャブローがうつった。
「一斉発射の衝撃で天井板が落ちただけだ。問題はない。」
後ろで消火器を撒いている光景も見えるが、連邦の軍人の沽券に関わるのだろう。
だれも追及しなかった。
「ホジョウ少佐!そろそろ見えるはずだ!」
モノアイを動かして下を見ると、地上を超音速で飛んでくる、14本のミサイルが見える。
「ゾックの姿勢制御スラスターはそんなに長く噴かせない!ルナゲート2号!ミサイルのハッキングは完了しているか!?」
「バッチリです。いつでもいけます。」
ホー博士は少しイラついている。無理もない、100分の1秒の世界のことを数秒の通信タイムラグの中でやっているのだ。
「よし!ゾック・ゼロ空中合体プロセス!ゴー!」
「空中合体プロセス開始します!ホジョウ少佐は右腕、タニア上曹は左腕をお願いします。まずはホジョウ少佐から。」
ホジョウのディスプレイに右腕の先を狙うモノアイの映像が映った。
そしてその先にはミサイルが横並びに飛んでいる。
「ミサイルをアイアンネイルで握りつぶすと失敗です。」
ホジョウは応えず無言で集中している。
「掴んだ!タニア!カメラを!」
ホジョウが右手でミサイルを掴んだ。
「了解!モノアイ貰います!」
次はタニアが左手でミサイルを掴む。
「よっしゃ!こういうの得意!」
通信の向こうから拍手が響く。
「ゾック・ゼロ空中合体プロセス完了、ゾック・ゼロ加速します。」
「うわ!」
「きゃあ!」
掴んだミサイルのバーニアが一層強く炎を吐いた。
ゾック・ゼロが急加速する。
その横にさらに6対12本のミサイルが併走して飛んでいる。
「ゾック・ゼロ、加速第1段階終了までカウントダウン」
ホジョウとタニアはカウントダウンと同時にミサイルを離した。
「2段階目開始してください。」
再びホジョウからだ。
「ああっ!」
掴みすぎたミサイルが炎の固まりになって後方に飛んでいく。
「ミサイルの本数には余裕があります。少佐、落ち着いてください。」
「マイさん、これ私が両方やっても大丈夫?」
「大丈夫ですが。目が疲れたら少佐に代わってくださいね。」
「多分大丈夫…こうでしょ…こうでしょ…せーの!掴んだ!」
「加速します!」
再びゾック・ゼロが加速する。
「タニア、モノアイで両方同時に掴んだ!?」
「いけるいける。モノアイ慣れてるから。」
通信機の向こうで拍手が起こっている。
「2セット目のミサイルも燃え尽きます!カウントダウンで次のセットに移ります!」
「オッケー!」
燃え尽きたミサイルを離すと、すぐに次のミサイルが幅を寄せてくる。
それをタニアは即座に掴んだ。
「加速!」
「…作業が速い!?3セット目加速します!」
再びゾック・ゼロを加速のGが襲うが、先ほどの激しさではない。
「ゾック・ゼロ南極圏上空に入りました!3セット目カウントダウン!」
「4セット目の加速は素早くね!…はい掴んだ!」
「加速!上昇プロセスに入ります!」
ホジョウとタニアが呻いた。
ものすごいGがかかっている。
ミサイルも残りの燃料が少ないので交換のタイミングが早くなっている
「5セット目!加速!」
このときミサイルとの合体作業に集中しているホジョウとタニアには見えていなかったが、南極点上空にはニューヌアクショットが不気味に近づいていた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
翡翠の弾丸
見渡す限りの白い氷原の、低く差し込む陽光に照らされて、ゾック・ゼロは再び大気圏を突破しようとしていた。
青白く輝く大気の辺縁を超えて、再び清冽な闇の世界へ、緑の軌道が描いて上昇していく。
「6セット目!掴んだァ!!」
「加速!!目標の速度をすでに超えています!」
「よくやった!上曹!2階級特進モノだ!ホジョウ少佐、軌道修正のデータを送る!」
「了解!軌道修正します!!」
わずかな修正でゾック・ゼロとスペースコロニーニューヌアクショットは、全く同じ直線状に並んだ。
「ホジョウ少佐!最終プロセスじゃ!」
ゴンザレスが通信に飛び出してきた。
「ゾック・ゼロは180秒後に衝突する!60秒前から頭部メガ粒子砲を最大出力で撃つんじゃ!」
ホジョウはコンソールにデジタルで表示されているタイマーを見つめた。
「タニア、頭部メガ粒子砲発射準備。」
「発射準備よし。」
「8連メガ粒子砲発射準備よし。」
大気圏を大きく離れた今、ゾック・ゼロの内部は、ゾック・ゼロの駆動音以外は全く聞こえない。
頭部メガ粒子砲を照準するための頭頂部のカメラには直径およそ6キロメートルのニューヌアクショットが絶望的な大きさで迫っている。
「タニアさん、生きて帰ろう。」
「さっきせっかく『タニア』って呼んでたのに。」
タニアがトリガーを弾く。
頭頂部のカメラが真っ赤な閃光を映す。
この出力が足りなかったら、ゾック・ゼロはコロニーに衝突して終わりだ。
「8連メガ粒子砲!全砲門発射!」
コロニーに突入する直前、ゾック・ゼロは表裏の全砲門からメガ粒子砲を撃ちはじめた。
バターのようにコロニーの硬い外殻を切り裂いて、ゾック・ゼロはニューヌアクショットの中に飛び込んだ。
「入ったか!?」
その瞬間、ゾック・ゼロの通信が全て落ちた。
「最初の関門は抜けたぞ!」
「ホジョウくんやったね!」
二人はその数秒間を永遠のように感じた。
二人が飛び込んだ世界は、元来、人の命を奪うための兵器ではなく、ついこの前まで、人々の生活が染み付いたスペースコロニーだった。
今となっては無人の、その世界に、学校が、公園が、病院が、家々が、スペースノイドの原風景があった。
人工太陽は機能していないため、太陽の差し込む側しか暗くて見えないが。
愛着の残滓がこの大きな空洞には今も一杯に詰まっていた。
「くそがああああああ!!」
ホジョウは赤熱して溶ける外壁を見ながら、高ぶる感情が抑えられずに思わず大声を出した。
頭部メガ粒子砲はさらに反対側の隔壁も貫いている。
そしてその先には核パルスエンジンがある。
「Iフィールド展開!」
ゾック・ゼロは巨大なコロニーを数秒かかってとうとう縦断した。
直後に核パルスエンジンの爆発がゾック・ゼロを飲み込んだ。
さらにその光球からもゾック・ゼロは無傷で抜け出した。
コロニーは大気圏に落ちながら8つに裂けて花のように開いていく。
そして、地球の大気の表面を滑るように動くと、そのまま地球を離れて飛び立った。
「やったのか?」
「やったのよ!」
急に通信が回復する。
通信機のスピーカーから割れんばかりの感性と拍手が聞こえる。
この偉業は、その大きさに比べて、それを目撃した人間の数が少ない。
世界の目は僻地の上空で起きたテロではなく、新しい平和な時代に向いていたからだ。
特殊な軍人の、それもごくごくわずかな人間だけが目にした奇跡だった。
それをサイド5から見ていた一団がいた。
「双眼鏡をありがとう。なかなか面白い見世物だったよ。」
「『赤い彗星』に対してあれはなんですかね?『緑の弾丸』ですかね?」
「私には翡翠色に見えたな。」
「『赤い』に比べるとずいぶん高級ですね。」
仮面の男は負けを認めたように笑った。
「向こうの方が1年先輩だそうだからな。先輩に花を持たせてもいいじゃないか?『翡翠の弾丸』…なかなかいいじゃないか?」
男はシリンダー型コロニー落としの重大な弱点を目の当たりにして少々、考えをめぐらせながら、次の命令を下した。
「さて、ショーも終わったことだ。アナハイムの犬どもを始末しようじゃないか。」
「ハハッ!」
宇宙世紀80年1月1日15時00分。
月面基地グラナダで、地球連邦とジオン共和国の終戦協定が締結された。
仮に平和は長く続かないとしても。
人々の歓喜は本物だった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
ならず者達の黄昏
「やっぱり廃棄ですか。」
「これはもう使い物にならんな。」
テキサスコロニー近くのドッグでやっとゾック・ゼロを降りて外から見た。
外板はメガ粒子砲の熱と大気圏突入時の熱で焦げて変形しているし、メガ粒子砲は頭部以外は全て焼き切れている。
「無傷で抜け出したハズじゃないんですか?」
タニアはホジョウを責めた。
「センサーに異常は出てなかったんだ…気密も警報出てなかったし…」
コーエンも腕組みしてみている。
「構造材も急制動で金属疲労が酷い。この裏あたりは断裂がはじまっているだろうな。」
コーエンが拳でゾック・ゼロの損傷の酷いところを殴った。
そのまま動きが止まる。
「フッフフフ…」
「何がおかしいんですか?コーエン博士?フフッ!」
コーエン、ホジョウとタニアは一同、笑い出した。
「モビルアーマー1機で…コロニー落としに勝ったんだぞ?我々は!これが笑わずにいられようか!フハハハハハ!」
「モビルアーマーで飛んでるミサイル掴んで…バカみたいな作戦…アッハッハ!!」
「あの時タニアさん、天才だと思ったけど…人生の中であんな才能もう使うところないですよね!あー可笑しい!アハハハハ!」
バハロ首相はニューヌアクショットの事件については公表しない方針を立てた。
アナハイムエレクトロニクス社はジオン共和国及び地球連邦から社内監査役を置くことになった。
ゾック・ゼロの解体廃棄はコーエンとゴンザレスが担当する。
この仕事を最後にゴンザレスは隠居するらしい。
ホジョウとタニアはコーエンに別れを告げると、ズムシティへと帰っていった。
ハバロ首相に一度だけ顔を出すと、ホスマン少将に呼び出されて2階級特進となった。
「ジオンは共和国になっても、まだホジョウに甘い。何をやったか知らんが大佐だ。持ってけ。タニア・ロボ、中尉昇格おめでとう。」
ホジョウはなぜか昇格するたびに少しぞんざいな扱いを受ける。
元公王庁だった建物は臨時の共和国行政府となっている。
行政府を後にすると、アブドルアジース博士を尋ねて、挨拶をする。
その後に、マイはホジョウの実家の道場の人間と3回目の結婚をしたらしいので、その祝いに行った。
街でヒゲ面のスズマンに出くわして、ダグラスの店に顔を出した。
フォン・ブラウンでペトローニ夫妻に会い、サイド7で会食に参加した。
お互いの実家を覗いて、一通り家族に挨拶をすると、二人は地球行きの船に乗って北米を目指す。
北米の西海岸をオープンカーで流しながら気ままな二人旅だ。
二人は夕刻、海の見えるモーテルに車を停めた。
「ご宿泊ですか?」
フロント係は入ってきた客の顔も見ずにいつもと同じことを言う。
「空いてますか?」
「今確認します。」
そこで初めて客の顔を見たフロント係は、手元のメモ用紙をチラッと見た。
地元のヤバイ連中が追っているカップルと風体とよく似ている。
ブリーチされた金髪にサングラス、ヴィンテージのフライトジャケット姿のアジア人男性と、ラテン系の美女の夫婦。
妻はハンドバッグに常に武器を隠しているらしい。
フロント係の青年は冷や汗をかきながら、カウンターに置かれた夫人のハンドバッグをみる。
見るからに銃が入ってそうで、ずっしりとして見える。
そっとテーブルの下のブザーを押す。
「こ…ここに、お名前を。」
「大丈夫ですか?顔色が悪いみたいですよ。そういう日は早く寝たほうがいい。」
フロント係の青年はメモをもう一度見た。
男性の特徴には「丁寧な言葉遣い」ともある。
記帳された名前には「ホセ・タミヤ」とある。
妻のほうも「ロビン・タミヤ」と書いている。
間違いない、この二人がヤバイ連中が追っている「タミヤ夫妻」だ。
青年は警察でも何でも、とにかく早く来てくれと願いながら、一番フロントから遠い角部屋のルームキーを渡す。
「ありがとう。」
左手で受け取った妻の手を見て、もう一度メモを見た。
そこには「緑の石のはまったペアリング」と書いてあった。
ここまで読んでくださった方。
お疲れ様でした。
本当にありがとうございます。
ガンダムに出てきたモビルスーツには、1回だけ戦闘シーンが描かれて、その1回で破壊されて、もう二度と出てこないようなモビルスーツがあるのですが、それがモビルアーマーになると、マジで1回出てきて破壊されて終わりになることがほとんどです。
あんなにでかい機械が設計されて製造されて破壊されて終わり…というのは、それは戦争の常なのかもしれません。
ただ、私はそれらのモビルスーツやモビルアーマーにとって、最も華やかで幸せだった時代はいつだったんだろう?とそういうことを考えてしまう人間です。
この話の主人公はストーリーを分かりやすく、作りやすくするために、ぼんやりとタロウ・ホジョウにしています。
しかし、元のタイトルは「翡翠の弾丸-ゾックはかく戦えり」ですので、実はゾック・ゼロが主役です。
設計されて、生まれて、そして死ぬまでをたった10万文字強で書いた儚いストーリーだと思って読んで頂けると。
人間のためにたった1回の出撃で命を散らしてしまった、そんな主人公を描いた物語だと思って読んで頂けると、あなたも完全に病気です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む